言峰綺礼に拾われた少年 (クガクガ)
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プロローグ
終わりの始まり
見渡す限りの死。
響き渡る人々の声。
まさにその光景は地獄そのもの。
もう命は潰える。
意識が遠のいていく。
ここに来るまで多くの人々を見てきた。これから死ぬ者、もう死んでいる者。
自分もそれらの仲間入りだ。そう諦めて瓦礫の下敷きになっている少年は天を仰ぐ。
皮肉だろうか、先ほどまで見ていた地獄のような街の光景と比べて最後に見上げた空だけは美しい。
「――――」
これが自分が最後に見る光景なのだと少年は悟った。いや、せめてこの美しい夜空が最後に見たものであってほしいと思った。
手を伸ばす。
死ぬとわかっていても死にたくはなかった。
生存本能からか単に彼が心の底から思ったからか、どちらなのかは少年自身にもわからない。ただ助けを求めるように手を伸ばした。
しかし天にその小さな手が届くことはない。
力が抜け、伸ばしていた手は地面に落ちようとする。
「――――ぁ」
掴まれた。少年の小さな手が大きな手に包み込まれた。
「――生きている…ようだな。今から助ける。もう少しの辛抱だ」
救いの手は差し伸べられた。
少年は助けられたのだ。言峰綺礼という名の男に。
***
「あの時と似てるな。被害の広さで言えばこっちの方がひどいか」
似ている。
街のいたるところで火が上がり、悲鳴がどこに行っても聞こえてくる。さらにこの日も空が美しい夜だった。
「ちょっと士郎。街を眺めてる余裕なんてないんだから。早く行くわよ」
魔術師――遠坂凜が少年の名前を呼ぶ。
「――ごめん。この景色があの時と似ているからついな…」
建物の屋敷の上から見るその景色はあの時と同じようなものだった。
「あの時と…」
士郎がアレに巻き込まれたことは知っている。彼なら大丈夫だとわかっているが、多少の心配はする。
「凜、あなたまで街を眺めてどうするの。余裕がないと言ったのはあなたよ」
凜も地獄のように変わり果てた街を凝視していたので士郎の横にいた少女が指摘する。
「……そうね。じゃあ行きましょうか」
彼らは現在、より多くの人間を助けるために行動している。とりあえず今いる場所での救助活動は終わった。生存者はいないという形で。
人の集まる場所を転々としてこれでもう六か所目になる。だが落ち込んでいる暇はない。次の場所を目指す。
凜は強化の魔術を使い身体能力を向上させる。危険な道を歩かずに屋根の上を伝って移動するためだ。
「士郎」
「ああ、わかってる。花蓮」
少女――花蓮の呼び掛けに士郎は反応する。彼は花蓮を両腕で抱き上げる。俗に言うお姫様抱っこというやつだ。
士郎には常人以上の身体能力があり、凜は強化魔術がある為問題はないが花蓮は二人のように激しい運動はできない。そこで移動時は士郎が彼女を抱える。
「ねえ、今更言うのもなんだけどなんであなたは来たの? わざわざそんな服なんて着て」
移動しながら凜が花蓮に質問する。
「――――そうね………ほら、この服を着ていると士郎が喜ぶから」
「喜んでない」
「そう? 私がこんなに近距離にいて喜んでるんじゃないの?」
「あのな…」
士郎が少し顔を赤める。
花蓮の今着ている服は通気性がいい。というか生地が薄い。士郎は彼女を抱えている為肌の感覚がもろに伝わるのだ。男である以上はどうしてもそれに反応してしまう。むしろ反応するなという方が無理な話だ。
「ほら、顔に出てるわ」
士郎に抱えられている花蓮がクスッと楽しそうに笑った。
「はあ……あんたらにこういう話させたら終わりが見えないわね。その話はまた後でして、今は急ぐわよ」
「あら、残念。もっと弄れるかと思ったのだけれど」
「――口は閉じておけ。舌を噛むぞ」
「ええ、そうします」
***
距離のわりに目的地までの移動にあまり時間はかからず、三分ほどで到着した。
「次はここか」
「ええ」
「…数が多いな」
人型の何かが徘徊している。
救助対象ではない。なぜなら人間ではないから。
「でもやるわよ」
上から見て確認できたのは二十六体。その全てを今から殲滅する。
「了解。花蓮はここにいてくれ」
花蓮は非戦闘員。なるべく安全な場所にいてもらいたい。
「わかりました」
自分は戦闘に参加できないことなどわかっているので大人しく士郎の言葉に従う。
「気をつけなさい、士郎。私との約束は必ず守ってもらいますから」
花蓮と交わした約束を護る為に彼は死ねない。死ぬことは許されない。
「遠坂、花蓮のことを頼む」
刀身の細い剣を両手に三本ずつ持った士郎は人ならざる者たちが徘徊する場所へ飛び降りた。
***
イギリス、その首都であるロンドンがこの日地獄に変貌した。冬木で起きた大災害など比べ物にならない。
多くの人間の命が失われた。建造物も破壊された。
そして、時計塔は崩壊しその三大部門の一角は死を迎えた。
後にこの日は人類にとっての終わりの始まりと呼ばれるようになる。
序盤からすでに色々Fateと違いますがどうだったでしょうか。まあ今回はすごい短いんでなんとも言えないかもしれませんが…。
この物語の世界はどういうなっているのか。各々のキャラがFate世界とどう違うのか。考察しながらお楽しみください。
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イタリアにて
トリノ
男がいた。
彼にあこがれるヒーローはいない。
彼に目指すべき星はない。
彼に貫くべき正義はない。
そして、
彼は剣ではない。
彼は正義の味方ではない。
――彼は死神だ。
だが…そんな彼にも約束はあり、守るべき人がいた。
***
イタリア、トリノにて。
「血が……血が欲しい…」
190センチほどの身長の大男――ブノラは道を歩きながら呟く。
最近までただの人だった彼は、数日前に何者かに襲われ人間とは異なる存在に変化した。
誰にそうされたのかは不明。だがもうそんなことはどうでもいい。最初は自分の体の何かが変化したことに困惑したが、今では何度も人を襲い食欲にも似た血を吸いたいという吸血衝動に抵抗することなく吸血を行っている。路地裏などの人通りの少ないところに来た一般人を襲っているのだ。
「まだ足りない…」
すでに今日は三人の血を吸っているがそれでも彼は満たされない。
「――いい獲物だ」
先程から後をつけていた少女が暗い路地裏に入っていった。
他に人がいるような気配はない。完全に一人だ。
「――――」
これを逃す手はない。ブノラは少女を追う。
興奮からか足取りはだんだん早くなっていく。一歩、また一歩と距離をじわじわと縮めていく。
「ご馳走だ…」
白髪の少女を追いながらそんな言葉が漏れ出る。
彼に起きた変化は、身体的なものもあったが内面的な変化もあった。人間を人間だと思わなくなってしまったのだ。正確に言うのならば、同族ではないと認識するようになった。だから人がどれほど苦しもうが気にしない。変化してから加えられていた吸血衝動のままに行動する。
「――――」
もう少しで手が届く。少女は目と鼻の先だ。
「………」
肩を掴んだ。ブノラの力は人間だったころよりもはるかに上。掴まれた人間はいくら抵抗しても逃げ出すことは不可能。
いよいよ獲物を喰らう。少女が肩を掴まれたことに対して一切の反応をしないことが気になりはしたが、ここまできてしまっては止まれない。
少女の首筋に鋭い歯が生えた口を近づける。そして少女に噛みつく――
「あ…れ……?」
――ことはできなかった。
口を近づけようとしているのに頭が動かない。どれだけ頭を動かしてもビクともしない。まるで頭でも掴まれているような圧迫感があった。
「………」
なぜそのようなことになっているのか、理由は簡単。ブノラは本当に頭を鷲掴みにされているのだ。いつのまにか自分の横にいた少年の右手によって。
「その汚い手で…触れるな……」
頭が動かせないので顔を見ることはできない。しかし少年の声からは明確な怒りがうかがえる。
「ぐ、がが…ガ――!」
握られる力がだんだん強くなっていく。このペースで力を強めていけば、あと十秒もしないうちに頭を握りつぶされる。
「…士郎。そのまま潰したら手が汚れるわ」
「――そうだな。 」
小声で少年が何か言葉を口にしていたがブノラには聞き取ることができなかった。
その後すぐに背中から細い刃物を入れられ体を裂かれる感覚を味わいながら、ブノラの命は終わりを迎えた。
***
「――これで死亡…。こいつも半端な死徒だったか」
命という中身が詰まっていない、上半身を真っ二つに裂かれた男を少年――言峰士郎は観察する。
「大本の排除は成功したのだから向こうの援護に向かいましょう」
男に肩を掴まれていた白髪の少女――言峰花蓮は士郎にそう提案する。
「……あっちはもう大丈夫だよ」
士郎がその必要はないと移動しようとしていた花蓮を止める。
「――? どういうこと?」
「それは――」
「士郎くん、花蓮さん。こちらは……終わっているようですね」
士郎でも花蓮でもない別の人物の声。声の主は、路地を挟む建物の屋根の上から二人のもとへ飛び降りた。降りてきたのはショートカットで士郎たちと同じく修道服のようなローブを着た少女。
「シエルさん。そっちは終わったのか?」
少女の名前はシエル。二人の知り合い…同僚であり友人と言ったところだ。
「はい、終わりました。それよりも二人には親の方を任せてしまったようでしたけど大丈夫でしたか?」
「ええ、士郎のおかげで苦戦することなく」
「半死徒だったからな」
彼は苦戦するほどの力量の持ち主ではなかった。士郎と同じ役職についている者ならば誰でも無傷で殺せるだろう。
「無事で何よりです。それにしてもまた半死徒でしたか…」
彼女は二人が無事であったことを確認して安堵するとともに、表情をこわばらせた。
「――とりあえず教会の方に戻って報告を済ませましょう」
花蓮の提案でひとまず報告をするため教会に戻ることにした。
***
「ごちそうさまでした!」
食事を終え、銀色のスプーンを置いたシエルは満足している様子だった。
「士郎くんの作るカレーは相変わらずおいしいですね」
「どうも」
今まで自分が磨いてきた料理の腕を褒めてもらうのは素直に嬉しかった。
「そう言ってもらえると嬉しいよ。おかわりは?」
「いいんですか?」
「気にせずどうぞ。シエルさんの為に大量に作ったんだから」
「では、遠慮なく」
大好物のカレーを前にして喜びを隠せていない。
「今日は助かったよ」
「気にしないでください。困った時はお互い様ですから。それにいつもカレーをごちそうになっているのでそれのお礼だとでも思ってください」
今回彼女が士郎と共に作戦をこなしたのは偶然だった。というのも彼女がイタリアを訪れたついでに士郎の家に遊びに来たところ、ちょうど友人の二人に命令が与えられていたので本来関係ないシエルがその任務を手伝ったのだ。
「はあ…」
皿に盛られたカレーを食べ終わったところでシエルが深いため息をついた。
「どうかしたの?」
そんな彼女を見て花蓮が質問する。
「……はい。近々仕事で日本に行くことになったんですよ」
「あら、それは奇遇ね。私たちも任務で日本に行くことになってます。来年の春からですが」
「ええ!? そうなんですか? それは驚きです」
シエルだけでなく士郎も驚いていた。現在の日本の状況からして、彼女のような存在が呼ばれるようなことはないと思っていたからだ。
「今回の任務は難しいものなのですか?」
詳しい概要まで聞く気はないがどの程度の仕事なのかを花蓮は聞く。場合によってはこれからの教会の動きに絡むことになるかもしれない。
「難易度的にはどう高くないと思います。そもそも私がやらなければならない仕事なので高くても低くても必ずやりますが」
真剣なシエルの目を見て仕事の内容は大体掴めた。彼女の体の話は軽く聞いているので察しはつく。
「じゃあなんでそんなに憂鬱そうに?」
どうやらシエルのため息の原因は仕事の辛さからではないらしい。
「場合によっては長期間滞在することになるかもしれない…つまり士郎君のカレーが食べられないんですよ…」
やはりカレーだった。
頻繁というわけではないが定期的に二人の家にカレーを食べにくるシエルにとって長い間士郎の作るカレーを食べられないのは苦痛なのだろう。
「…任務から帰ってきたらたくさん作るから、それまで我慢してください」
「はい! 楽しみにしていますね!」
容姿相応の無邪気な笑顔を見せるシエル。これで士郎よりも年上なのだから驚いてしまう。
「まあでもその任務はカレー以外の食べ物を好きになるいい機会になるんじゃないか? 日本は美味しいもの多いからな。しかも今は時期的に食欲の秋だ。ちょうどいいだろ」
「そうですね。シエルは少しカレー以外のものを食べるべきです」
シエルのカレー好きは二人も少し引くレベルのものだったりする。
「それは無理です。カレーがないと生きていけません」
「そこまで!?」
思わず椅子から立ち上がり士郎が大声でツッコミを入れる。流石にカレーが生死に関わってくるとは思ってもなかった。
「――士郎君たちはなぜ日本に?」
ひと段落したところで今度はシエルの方から質問した。
「なぜとは?」
「いえ、日本は他の国と比べて死徒の数が少ない方ですから。士郎くんと花蓮さんに命令が下るとなると余程のことがあったのではと思ったのですが」
シエルのように特別な事情があるのならともかく、士郎と花蓮に日本行の任務を任されていたのは驚きだった。
「――私たちの主な任務は冬木市の調査です」
「なるほど……」
魔術を管理し、隠匿し、発展させる魔術協会。全ての異端を消し去り、人の手に余る神秘を正しく管理することを目的としている聖堂教会。その二つの組織が共に警戒している土地が世界に三か所ある。そのうちの一つが日本の冬木市。悪夢が起こった場所。
「士郎くんは…いいんですか?」
彼の過去を知っているシエルは心配そうな声で聞く。
「いいもなにもないよ、それが俺の仕事だから」
「………」
普通の人間として生きる道を捨てた彼には仕事を選ぶことはできない。シエルも同じだ。だから士郎の生き方に口をはさむことはできない。
「――――そうだ。シエル、イタリアと日本以外の国の状況はどうなっているんですか?
最近はアレの数が増えてきてここから動くことが少ないから情報を教えて欲しいです」
花蓮が話題を変える。決して明るい話ではないが、
「増えることなく、減ることもなく。つまり変わっていないです。理由は不明ですが減らした分だけ増えてしまっています」
「体感では増えてる気がするんだけど……変わっていないのね。それと南米の方に変化は?」
「そちらも変わらずです。あの生命体は動くことなく南米を半壊させた時と同じ状態で停止しています」
「――――」
「――――――」
士郎もシエルに質問をした花蓮も何も言うことはなかった。
「――――仕事の話はこの辺にしておきましょう」
仕事について話はどうも暗くなってしまう。
シエルを含め三人とも別に望んでいないので話題を変えることにした。
***
時計を見る。
「――そろそろ帰りますか」
話題を変えた後は会話の内容は明るいものになり、気付けば時間はあっというまに過ぎていった。
これは三人で会話するとよくあることだ。何気ないただ会話が自分たちを普通の人間のように思わせてくれるため、つい時間を忘れてしまう。いつもならこのまま士郎たちの家に泊まるのだが、次の任務のための用意があるらしくシエルはこの日はもう帰ることにした。
「今日も美味しいカレーをありがとうございました。また来ると思うのでその時はよろしくお願いします」
「いつでもどうぞ」そう士郎が言うと「はい!」と笑顔で言って少女は家から去って行った。
月姫は漫画だけで原作を触ったことがないのでカレーの人のキャラにそんなに自信がないです。彼女のキャラについては大目に見てやってください。
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半死徒
「――花蓮、シエルさんの話を聞いてどう思った?」
皿洗いをしている士郎は、同じく横で彼の皿洗いを手伝っている花蓮に話しかける。
「どうってなに?」
「死徒たちの話」
「ああ」
シエルから聞いた話ではアレらの数は増えていないということだった。
「増えてはない。シエルがいうのだからそれは真実なのでしょう。でも確実に何かおかしくなってきている。そんなところかしら」
「そうだな」
今のところ世界に大きな変化はない。シエルの言葉に嘘はないだろう。だが世界には必ず小さな変化が生じている。今日受けた任務がいい例になる。トリノにアレらが現れるなんて滅多になかった。少なくとも士郎たちがここに来てからは初めてのことだ。
「原因はあの死徒たち……いや半死徒たちだな」
死徒。この世界に存在する人とは異なる者たち。人間から後天的に変化した吸血種。彼らは今まで多くの人間に危害を加えてきた。
聖堂教会。そして魔術協会も共に死徒を殲滅対象としている。これは昔、通常の死徒よりも上位の存在である二十七真祖のうちの一体が南米を半壊させてからだ。
忌み嫌う存在であった二つの組織が協力をして死徒たちと戦い始めてから数百年、戦いに終わりは見えない。
しかしここ数年そんな死徒たちに変化が現れた。
人間から死徒になるまでは相当の時間がかかるのだが、ここ数年で現れた者たちは死徒になるまでそれほどの時間をかけていない。現在教会では死徒化するまでに一日もかからなかった個体が確認されている。異常な変化速度の理由としては、死徒になるまでの過程をいくつか無視しているからということは判明している。
だがその速さ故に、戦闘能力は低く再生能力もないに等しい。下手をすれば格闘技の心得がある人間なら勝てることもできる。
「人間同様、死徒も進化するってことか」
人間だけではない。生物であれば住む環境に適応するために進化を遂げる。死徒もそれは同じ。彼らがこの世界で生きていくために進化した可能性は十分にある。
「本当に進化なの? 退化しているようにも思えますけど」
「花蓮の言う通り戦闘能力は劣るけど、あいつの厄介なところはそこじゃない」
戦闘能力は普通の死徒とは比べ物にならない。戦闘のプロである代行者ならば一撃で粉砕できる。そう、戦闘面においては大して厄介な相手ではない。問題は、
「仲間を増やす繁殖力……いえ、繁殖よりも上書きと言った方がいいかしら」
半死徒と呼称されている変化種。彼らの長所は増殖力にある。死徒化が速いということはその分多くの死徒を生み出せるということ。
「このままじゃいつか人間の世界が死徒に乗っ取られるかもしれないわね」
「――――」
あり得ない話ではない。いつか人間とは異なる存在である死徒が、新たな人類としてこの世界で生きていく時が来るかもしれない。
しかし現状から考えてそんなことが起こるとしてもおそらく数百年後だろう。士郎たちには関係のない話だ。
「――そうさせないために俺たちがいるんだ」
「そうね。それが私たちの役目。でも代行者としての自分にとらわれないように。いつか身を滅ぼします。あの男のように別れも言わずに一人で勝手に死んだら許しませんから。あの時の約束は絶対に守りなさい」
「……わかってるよ」
「そう。ならいいです」
あの日の夜にした誓いがあるのだ。士郎はそれを守らなければならない。
なぜなら士郎にとってあの誓いこそが――――
***
「終わりましたね」
「だな」
二人でやったので食器洗いはすぐに終わった。
「今日はもう寝るか…」
士郎は別にやることもないので今日はもう寝ようかと考える。
「あら、お誘い?」
「違う!」
どうせいつものからかいなのだとわかっているが、否定しないわけにはいかないので声を大にして否定する。
「……まあ、ともかくやることもないし寝よう」
今度はすんなりと花蓮は頷いた。
「あと明日は久しぶりに先生のところに顔を出しに行く。花蓮も来るだろ?」
「その質問に選択肢はあるの?」
「ないな」
花蓮が行かないと言っても彼女を一人にするわけにもいかないので無理やりにでも士郎は連れていく。
「でしょう? 聞いても結果は同じなんですから聞かなくてもいいです」
「それじゃあ行くってことで」
明日の予定は決まった。
「これからは先生のところに行く機会が増えそうだな」
「そうですね。去年と比べてこの一年間は私たちの仕事は減るみたいですから」
緊急の招集があれば多少変わるが、現時点で判明している今後の任務の量が去年と比べると何故か少ない。もしかしたら日本での仕事に備えてという可能性がある。というのも士郎たちに任された仕事は2、3年ほどの長期にわたるものなので教会がその辺りを考慮してくれたのではないかと二人は思っている。
「――寝よう」
今後はともかく、最近は仕事に追われていたので体が睡眠を欲している。二人はもう寝てしまうことにした。
この二話で全部ではないですが世界についての説明したので次回から本番になります。
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Lost Holy Grail 前編
冬木市
といっても前編まではまだプロローグみたいなもんですが……
とりあえず今回からの冬木編をお楽しみください。
とある国のとある街の路地裏。黒ジャケットを着た男は見知らぬ人物と対峙していた。
「依頼だと?」
仕事の依頼が来るのは喜ばしい。報酬もなかなかのもの。いつもの彼なら喜んで引き受けていただろう。だが彼が露わにしたのは喜びではなく困惑。
「……了解した。引き受けよう。だが仕事の内容を聞く前に質問をさせろ。貴様は人間だな?」
依頼主である人物は頷く。
「ふむ。まあいいか。客ならば一応歓迎しよう。それで依頼内容は?」
「―――――――――――」
伝えられた内容はわかりやすく簡潔にまとめられていた。
「ほう…」
説明を聞き、男は依頼に興味を持った。
「…おもしろい。人間、貴様の依頼を引き受けよう」
男は不敵に笑う。
***
時は経つ。今までに比べればとてつもなく短く静かな一年だった。
「着いたな」
「そうですね」
日が西側に傾き始めたころ、法衣を纏った少年と少女は辺りを見回した。
季節は春に入ったばかりの三月。まだ風は少し冷たい。
現在、士郎と花蓮は冬木市に到着したところだ。教会の命令に従って今日からここで任務を遂行することになる。
「………」
意識はしていない。無意識のうちに士郎の表情は硬くなっていた。
「気分が悪い?」
士郎の様子を見て花蓮が声をかける。
「大丈夫だ」
「――そういうことにしておきます」
乗り物酔いなどではない。それらはもう慣れている。士郎の様子がおかしいのにはもっと別の理由がある。それは冬木市に訪れたことだ。彼が産まれたのはもともと冬木市で約七年ほど暮らしていた。事故で家族を失い引き取られてから十年。久しぶりに自分の故郷に帰ってきて何も思わないわけがない。
しかし花蓮に余計な心配をさせるわけにはいかないので、見抜かれていたとしても一応は否定する。
「教会の場所はわかっているの?」
「なんとなく。新都の方ってことは確実だ」
冬木市は未遠川と呼ばれる川を挟んで二つにわけられている。近代的に発展している新都と古くからの町並みを残す深山町。二人がいるのは新都の方で目的地もそちらにある。
「大丈夫なの?」
「……わからなくなったら聞けば問題ないだろ」
ということで士郎の記憶を頼りに街を歩く。
「――地方都市にしては発展してますね」
街を数分歩いて出た花蓮からの感想はそれだった。たしかに彼女の言う通り新都は他の地方都市と比べると発展していた。
「十年前のアレが起きたせいで新都が大規模な再開発をされたからだろうな」
士郎の記憶に微かに残っている街の面影はもはやない。
「――場所はわかりやすいところだったはずなんだけどな……どっちだったか」
「はあ……」
新都の端っこにあるということはわかっているのだが、建ち並ぶ建造物たちのせいで教会の方向がわからなくなってしまった。
「とりあえず誰かに聞いて――」
「――お困りですか?」
二人の進行方向から歩いてきていた二十代前半ほどの女性が立ち止まり話しかけてきた。
「冬木教会の場所ってわかりますか?」
「――――」
女性はその綺麗な瞳で士郎のことをじっと見ていた。
「あの…」
「あ、すみません。教会ですね、わかりますよ。向こう側です」
女性は目的地のある方向を指さしてくれた。どうやら女性が来た方向に教会はあるらしい
「助かりました」
「いえいえ。お気になさらず」
二人に道を教えた女性は歩き始める。
「…あ、そうだ」
何かを思い出したようで女性は立ち止まり再び士郎をみた。
「神父さん、あの時はありがとうございました」
そう笑顔で言うと女性は去って行ってしまった。
「――知り合い?」
「俺の知り合いなら全員知ってるだろ」
「確かにそうですね」
初めて会った女性に謎のお礼を言われた士郎は何に対してのお礼だったのか考えながら教会を目指した。
***
「――ここですね」
女性の教えてくれた方向に歩くこと数分。無事教会に到着した。
教会の位置が坂道を上った先とわかりやかったので建物が並ぶ地域さえ抜けた後は到着までの時間をかけることはなかった。
「………」
属している組織上、士郎は教会なんて見慣れているが今目の前にある教会は少しいつもと違うもののように思えた。
「行きますよ」
「ああ」
花蓮が扉を開ける。
まず目に飛び込んできたのは礼拝堂。次に視界に入ったのは椅子に座る一人の老神父だった。
老神父は扉が開いたことに気付くと立ち上がり入口に立つ士郎たちを視認した。
「――――久しぶりですね。士郎くん、花蓮さん」
「お久しぶりです。ディーロ神父」
老神父ディーロ。彼が十年前からこの冬木教会を任されている神父だ。
***
冬木教会は割と大きい。今は三人とも礼拝堂から中庭に出てすぐのところにあるディーロの仕事部屋にいる。
「二人とも無事に到着してなによりです」
ソファに座ると老神父はそう言った。
今は亡き花蓮の祖父、言峰璃正とディーロは知り合いであった。そのために花蓮と士郎も何度か顔を合わせている。
「最後に会ったのは…綺礼くんの葬式の時でしたか。もう五年になりますね。あのころと比べると二人とも良く成長している」
彼と士郎たちが最後に会ったのは五年前の父親の葬式の時以来。その時と比べれば、二人とも大分成長している。外見だけでなく内面も。
「――今回の命令は冬木市の調査…ということで間違いないですか?」
「はい。結末は判明しているものの未だその全貌が明らかになっていない、魔術儀式。十年前に起きた聖杯戦争についての詳しい調査です」
花蓮は任務のうちの一つである聖杯戦争の調査について説明した。
それを聞いてディーロの顔が僅かに険しくなる。
「――今回の調査で戦闘行為などは行われますか?」
「確約はできませんが、ほぼないかと思われます。なにせもう十年も経っていますから」
この地で起きた聖杯戦争からはもう十年も経っている。本来であればもう少し早く調査を始める予定だったのだが、教会は各地での死徒の討伐に人員を割いていたため今まで調査をしてこなかった。そしてようやく今年調査が始まったわけだが、十年も経っている以上危険度は下がっていた。というのも冬木の聖杯戦争を知っているものたちはすでにアレが破壊されたことを知っている為、大半が興味を失ってしまっている。つまり聖杯についての噂を聞いても何もない冬木に訪れる者はいない。火薬さえなければ爆弾が爆発しないのと同じ。それが危険度の下がっている理由だった。新都が再開発されたように数年もあれば世界には何かしらの変化はあるのだから無理もない。
「そうですね。そうであることを祈りましょう」
教会に属しているがディーロは代行者などではなく一神父だ。人が血を流すことは当然好まない。
「――神父、失礼します」
今後の予定について軽く打ち合わせしているところで扉がノックされた。同時に男性の声も聞こえた。
「どうぞ」
ディーロがそう言うと扉が開かれた。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい、櫂くん」
部屋に入ってきたのは少年。見た目からして年齢は士郎とほぼ同じくらい。学生服を着ている。
士郎はその少年の顔に何故か見覚えがあった。
「……お客さんですか?」
ソファに座る士郎と花蓮を見る。
「ええ、そうです。先週新しい家族が加わると話しましたよね」
「ああ、この二人が」
なるほどと少年は納得している。
「ディーロ神父、彼は?」
「野崎櫂くん。十年前からここで生活している子です」
「十年前…」
「櫂くんは十七歳ですから士郎くんとは同い年ですね。今日からみんな家族です。仲良くするようにしてください」
扉の前にいた少年が士郎のもとへと歩み寄ってくる。
「――野崎櫂。よろしく」
同い年だとわかってか、ディーロと話す時とは違い敬語ではなくなっていた。
「言峰士郎だ。こちらこそよろしく」
警戒するような相手でもないのでソファから立ち上がり自己紹介をして、櫂から差し出された手を握る。
「花蓮も」
「はあ…」
仕方ないと言って様子で花蓮は立ち上がった。任務先で彼女は基本知らない人間とは話さないようにしている。初対面の相手との会話は場合にもよるが士郎が代わりにいつもしている。しかし今回そうもいかない。
「言峰花蓮です。よろしくお願いします」
花蓮は士郎と違い櫂と握手することはなかった。
「……櫂くん。夕食の準備を手伝ってきてもらえますか? 今日は莉子さんの帰りが遅くなるそうなので、鈴奈さんが一人でしているんですよ」
「わかりました」
お辞儀をして少年――櫂は部屋から去って行った。
「――神父、十年前から住んでいるということは彼は…」
「その通りです。彼は十年前の聖杯戦争のせいで親を失った孤児なんですよ。士郎くん、君と同じで」
「――――」
十年前、聖杯戦争が原因であろう大火災の影響で多くの子供が親を失った。士郎もその一人だ。
行く宛がなく孤児になった子供たちは孤児院としても機能しているこの冬木教会に住むことになった。士郎も言峰綺礼に養子として拾われていなければ今頃ここで生活していたかもしれない。
「他にもいるんですか?」
「います。十年前孤児になった子たちは全員引き取ったんですよ。今もここに住んでるのは四人。何人かは別の孤児院、もしくは大人になってここを出て行きました」
櫂以外にもあと三人も十年に大火災を経験した孤児がいる。
「それ以降も親を失った子を二人受け入れたので、十年前の子たちと合わせて六人。私たちを入れてここに住んでいるのは九人ですね」
冬木教会が孤児院として機能していることは知っていたが、自分と同じ火災を経験している子供が住んでる可能性など全く考えていなかった。
(顔に見覚えがあったのは、病室で見たことがあったからか)
向こうはどうだったか知らないが士郎の方は薄っすらと櫂の顔に見覚えがあった。
「あ、そうだ。ハンザさんが神父によろしく伝えてくれって言ってました」
ハンザ・セルバンテス。聖堂教会の代行者の一人。士郎の同僚だ。ハンザの方が年上ではあるが、二人は波長が合うため割と仲がいい。
「ハンザくんが……。彼も元気にしてますか?」
「元気ですよ。でも死徒の討伐であちこち飛び回ってて忙しいみたいですけど」
「なるほど。彼の顔も久々に見たいですね」
「暇ができたら顔を出しに行きたいとは言ってましたよ」
「そうですか。彼とはもう何年も会っていないので楽しみです」
ハンザは十数年前ディーロが助けた子供だった。老神父は彼のことを孫のように思っている。そのため久しぶりに彼と会いたいと考えていた。
「――そろそろ話を戻しませんか?」
「そうですね。花蓮さんの言う通り話を戻しましょう」
櫂が部屋に入ってきた辺りから話の内容がそれてしまっていた。
「士郎くんは穂群原学園で高校生として生活するということでいいんですね?」
「はい」
そう、士郎は今年から高校生としての生活を送るのだ。
世界全体だけでなく冬木市にも変化が起きています。その辺も今後書いていくのでお楽しみに。
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制服
「士郎くん。今日は学校に挨拶をしに行きますよ」
「挨拶?」
冬木市に士郎たちが来てから数日。昼食後、皿洗いをしている士郎にディーロが話しかけてきた。
「実は私と穂群原学園の校長とは関わりがあるんですよ。君の転校手続きがすんなり済んだのはその人のおかげです。学校は休みでもこの時期は忙しいらしいのですが、今日は時間を作ってくださったようなので行きましょう」
「了解です」
仕事の手助けをしてくれたのならば礼を言わなければならない。ということで士郎は高校に行くことになった。
「二時頃に出るので準備しておいてください」
「わかりました」
時計を見て時間を確認しながら返事をする。
「士郎さん。あとは私がやるよ」
士郎と皿洗いをしている少女――平川鈴奈が残りは自分がやると言ってくれた。彼女も櫂と同じく十年前の火災によって家族を失った孤児だ。現在の年齢は十五歳。今年で十六になり、来月からは高校一年生だ。士郎よりも一つ年下だが育った環境の影響か、冷静でどこか大人びている。この教会での家事は鈴奈が中心になってやっている。
「大丈夫、まだ一時だ。それにもうすぐ終わるから最後までやるよ」
現在の時刻は一時。まだ余裕はある。鈴奈にすべて任せるのは申し訳ないので士郎も終わるまで皿洗いを続ける。
「じゃあ士郎くん。時間になったら声をかけます」
「はい」
返事をして皿洗いに戻る。今この教会で生活しているのは九人。その分洗う食器の数は多い。しかし士郎は家事をこなすのが好きなので苦でも何でもない。むしろ楽しいくらいだった。
「ディーロ神父」
鈴奈とは違う少女の声。こちらは士郎にとって聞き馴染んでいる声だったためすぐに誰から発せられたものなのかわかった。
「花蓮さん。どうかしましたか?」
「少し相談が」
深刻な内容というわけではないようだが、花蓮が自分以外の人物に相談事をするなんて珍しいので士郎は皿洗いをしながら耳を傾ける。
が、二人は部屋を移動してしまったため相談事の内容を聞くことはできなかった。
***
「似合ってますね。よかったです」
時刻は二時になり、士郎はディーロに渡された穂群原学園の制服に着替えて礼拝堂にいた。
老神父は士郎の制服姿を見て満足そうにしている。
「……ほんとですか?」
「本当です。似合ってますよ」
制服なんて初めて着るのでおかしなところはないかとつい不安になってしまう。
「そういえば今更になりますが、中学校までの勉強は大丈夫なんですか?」
士郎は七歳のころまでしか小学校に行っていない。つまりは学校でそれ以降の勉強は習っていないということ。そんな彼がいきなり高校に行っても大丈夫なのかとディーロは心配になった。
「問題ないですよ。向こうには先生がいたので」
「そうでしたね。……シャサさんでしたか」
「はい。あの人には勉強も教えてもらってました」
イタリアには二人に一般常識を教えてくれる女性がいたので高校の勉強については特に問題はない。
「神父。そろそろ時間です」
時計の時刻を確認した花蓮がディーロに言う。
時間的にはちょうどいい。だが、士郎はおかしく思った。花蓮は時間にルーズだ。いつもの彼女ならば時間が近づいてきていても何も言うことはなかっただろう。だというのに今日は普段しない報告をしている。早く自分たちに学校に行ってほしいと思っているのではないかと考えたが、そう思うような理由がないので士郎は自分の考えを心の中で否定する。
「――まあそんな日もあるか」
花蓮が何を考えているかわからないなんてことはちょくちょくあるのでそれについてどれだけ考えても時間の無駄。逆にここは、妹が時間を気にするようになってくれたとポジティブに考えることにした。
「行きましょうか」
「はい」
ここからの移動は新都でバスに乗る。そのバスで高校近くまで行き、そこからは歩く。
「鈴奈さん、花蓮さん、留守は任せます」
ディーロと士郎は教会を出て、冬木市深山町の穂群原学園へと向かった。
どのタイミングにするかは決めてませんが、本編の十年前に起きた聖杯戦争についてのお話(過去編)を投稿する予定です。
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穂群原学園
すでに学校近くまで来ている。特に遠いと感じることはなかった。が、それはあくまで士郎の話だ。彼は年寄りであるディーロが疲れていないか心配で様子を見る。
「すごいな…」
驚くことに老神父は息を乱すことなく平然と歩いていた。人は見かけで判断してはいけないということだろう。士郎の心配の種はあっさりと消え失せた。
「ふむ。着きましたよ」
校門前。
学校という場所を見るのは当然初めてではないが、久しぶりではあった。しかし緊張しているわけでもない。士郎が学校を見て思ったことといえば「大きいな」ぐらいなものだった。
校門をくぐる。先にディーロ、続いて士郎だ。
「………」
ちょうど校門を通過したところで士郎は足を止めた。そして高校の敷地内を見回す。
時期的には春休みではあるが何人か生徒を見た。部活動で学校に来ている生徒たちだろう。
「――士郎くん、どうかしましたか?」
「……なんでもないです。行きましょう」
不思議に思いながらも老神父は再び歩き始める。
昇降口からスリッパに履き替えて校内へ。ディーロは迷いなく進んでいく。
「…ここですね」
校長室と書かれた板が扉の上に張り付けられている。ここが目的地だ。
老神父はノックをした。すると「どうぞ」と部屋の中から声が聞こえる。その言葉を聞きディーロはドアノブに手をかけ扉を開いた。
***
「どこにいくかな」
校長との挨拶は終わった。ディーロと知り合いであるといっても別に聖堂教会に属しているわけではなく、死徒や魔術について少し知っていることを除けばただの一般人だった。
現在士郎は校長室にはいない。一人で校内を歩いている。というのもディーロが校長と色々話したいことがあるらしく、士郎は二人の会話を邪魔しないように校長室から退室した。ただ立っているのも時間の無駄、それにこの高校の敷地内に入ってから気になることがあるので、それを確かめることもできてちょうどいいと彼は校内を見て回ることにした。
高校に入ってから感じたモノを探る。その正体が何であるのかは大方予想がついているが、士郎では半径十メートル以内に入らない限り正確な位置まではわからないのでとりあえず歩く。
「これが学校か…」
もう幼いころに通っていた小学校の記憶はほとんどない。そのため士郎にとっては学校という施設を見て回るのは初めてに等しい。
多くのドアが並ぶ廊下。誰もいない伽藍堂の教室を眺めながら足を進める。
「この階は大体見たな」
別の階へ移動しようと階段を目指す。
「………」
進めていた足を止めた。理由は簡単。
「…いたな」
探していたモノを見つけたからだ。
下の階から階段を使いそれが上がってくる。気配が感じ取れた。それはちょうど士郎のいる階で登るのをやめ士郎がいる廊下へと姿を現した。
「――――」
姿を現したのは黒髪でハーフツインテールの容姿端麗な少女だった。
少女は士郎を見て驚く。まだ春休みなのだ、部活で校庭や体育館にいるのならともかく、制服を着た人物が校内にいるとは思ってもみなかったのだろう。
(やっぱり魔術師か。それにしてもこれほど…)
士郎が高校に入って感じ取っていたのは魔力。正確には魔術師のもつオドである。
「――――」
「――――――」
沈黙。お互いに顔を見て口を開かない。
「――生徒……よね。見たことない顔だけど」
最初に声をかけたのは少女の方だった。
「この時期にもう新入生がいるなんて考えずらいし転校生かしら。もしかして先輩?」
「俺は転校生だよ。学年は二年だ」
「そう、ならよかった。同学年ね」
どうやら少女も士郎と同じ十七歳らしい。
「あなた名前は?」
「言峰士郎」
「――ふーん、言峰か……」
その苗字に聞き覚えがあるのか少女は少し何かを考え込む様子を見せる。
「まあいいか」
少女は言峰という名前について考えるのをやめた。というよりも後回しにしたようだった。
「私の方も自己紹介しないとね」と言って少女は士郎の正面に立ち自己紹介をする。
「私は遠坂凜よ。よろしく、言峰くん」
それが凜と士郎が初めて出会った瞬間だった。
***
「遠坂…」
遠坂家。
魔術師のなかでも有名な名家にして、冬木市の管理を行っていた一族。事前に冬木市について調べていた士郎がそのことを知らないわけがない。現当主の名前と年齢は知っていたが、容姿までは知らなかった。
彼女が遠坂の産まれならば、感じ取ったオドにも納得ができる。
「…遠坂は休日にこんなところで何をしてるんだ? 部活か?」
初対面の相手にする質問なのかどうかわからないが、遠坂家の当主が休日にわざわざ学校に来て何をしてるのかは気になったので士郎は尋ねた。
「私? うーん…まあただの調べ物よ」
「調べ物?」
「ええ、大した内容じゃないわ。それよりあなたは?」
調べ物というのは気になる。しかしこれ以上聞くのは流石に怪しまれる気がしたので質問しなかった。
凜からされた質問には当然答える。自分の質問に答えてもらったのだから当たり前だ。
「校長に挨拶をしにきたんだ。で、今は一緒に来た俺の保護者と校長は話したいことがあるらしいから一人で校内を回ってた」
なぜ挨拶に来たのかまでは言わない。なぜなら彼女が魔術師であるから。
魔術協会と聖堂教会は今では同盟を組んでいる。だが、そうは言っても元々この二つは相容れぬ存在。触らぬ神に祟りなし。教会の人間として魔術師に無駄に干渉する必要などない。
「――よければ案内しましょうか?」
「いいのか?」
少女からの提案は士郎が予想もしていないものだった。
「もちろん。構わないわよ」
「なら頼むよ」
多少考えはしたものの頼むことにした。あくまで干渉しないというのは代行者としてだ。普通の人間として接する分には問題ない。彼はそのように判断した。
(先生に感謝だな)
心の中で呟き、右手首あたりに巻き付けている紫色のブレスレットを触る。
これがなければ凜と一般人として話すことができなかった。
「まだ行ってないところは?」
「校舎の方は大体見たと思う」
「なら行くのは体育館とか食堂…後道場ね」
凜は士郎が知ってる魔術師のイメージと異なっていた。冷徹で、他人に京妙味などなく、ひたすらに研究に没頭する。彼らはそんな生き物なのだと思っていた。もちろん例外がいることは知っている。自分を含め彼の身近にはその例外がいたからだ。
けれど遠坂家は彼らとは違い由緒正しい魔術師の家系。士郎は彼女がもっと魔術師らしい魔術師なのだと思っていたがどうやらそうではないらしい。
「さあ。行きましょう」
凜は士郎に穂群原学園を案内してくれた。
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遠坂凜
「――こんなものかしらね」
場所は昇降口前。凜のおかげで一通り敷地内を見ることができた。
「どうだった?」
「というと?」
「あなたの前の学校と比べてみてどうだったかよ」
「そうだなぁ…」
そもそも比べる学校がない。だが学校と同じく色々学んだ場所はあった。
「…あっちと比べると大きいな」
彼が勉強を学んだのはこんな立派な場所ではない。生徒は二人、先生は一人、そんな学び舎だ。
「そういえば聞いてなかってけど、あなたどこから転校してきたの?」
「――イタリアだよ」
「海外から来たの?」
「ああ」
ぼかそうかと思ったがどこから転校してきたかなんてどうせいずれわかるので素直に話した。
「…士郎くん」
聞き覚えのある老神父の声が耳に届く。声の主はディーロ。どうやら用事は済んだらしい。士郎的には実にいいタイミングだった。
「話は終わったので教会に………凜さんと一緒だったんですか」
(凜さん…?)
ここに凜という名前の人物は一人しかいない。その人物の方を見る。
「神父。なんでこんなところに…ってまさか言峰くんの保護者って…」
「彼の保護者は私です」
「なるほどそうだったんですか」
士郎は二人の会話についていけていない。
「えっと…神父と遠坂は知り合いなのか?」
「そうよ。大分昔から面倒見てもらってるの」
面倒見のいいディーロだ。彼の役職から考えても同じ市に住む普通の少女と知り合いでもおかしくはない。が、士郎が驚いているのは『遠坂凜』と知り合いであったことだ。
「士郎くんにもう友達ができたことは喜ばしいですね。凜さんならなおさら」
制服を見た時同様、士郎に友人ができたことに満足そうにしている。
「――あっと、もうこんな時間」
凜が昇降口に設置してある時計を見た。時刻はちょうど四時半。
「すみません神父。私はそろそろ帰ります」
「わかりました。桜さんを待たせるのも申し訳ないですからね」
「はい。では」
凜は校門へと歩いて行く。途中で立ち止まり士郎を見て、
「またね、言峰くん」
別れの挨拶をして去って行った。
***
「遠坂家の当主と知り合いだったんですか?」
教会への帰り道。気になっていたことを聞いた。
「ええ、前当主だった時臣くんが亡くなってからは私が面倒を見るようになったんですよ」
前当主、遠坂時臣が死んだのは前回の聖杯戦争時。つまり十年前だ。
「あの子はまだ幼かった。当主と言ってもただその役割を押し付けられただけ。それに父だけでなく聖杯戦争後に母親も失ってしまった。流石にこの市の教会に務める神父として親のいない子供を放置するわけにはいかないので、教会に来ないかと誘ったのですが自分の家はちゃんとここにあるからと断られてしまいました。だからちょくちょく様子を見に行ったりしてるんですよ」
「――――――」
真っ当な神父であるディーロらしい行動ではあった。
「でもいいんですか?」
どういう意図の問いなのかディーロはすぐに理解する。
「――確かに彼女の家系、それに彼女自身も魔術師です。しかしそれは手を差し伸べない理由にはなりえない。彼らも人間なのですから」
「………」
こういう人物を本当の神父というのだろうと士郎は思った。
「士郎くんは自分のことは隠したんですか?」
「隠しましたよ。立場的に知られるのは不味い気がしたので」
「そうですか。あまり教会のことを気にする必要もない気がしますが…」
「だから気にしないように一般人として接しますよ」
「それなら問題ありませんね」
あくまで士郎が言っているのは代行者と魔術師としての立場の話だ。普通の人間としてかかわる分には問題ない。
「――そういえば魔術師は、魔術師と一般人の判別が可能なのでは?」
正確には違うがディーロの言っていることは間違ってはいない。何も細工をしていなければ、魔術師であるかどうかの判別はできる。士郎は代行者でありながら魔術を行使する。腕前で言えばすでに立派な魔術師と言えるだろう。魔術回路が開いている以上、彼も魔術師として捕捉される対象だ。
「大丈夫ですよ」
だが細工をしないから感知されてしまうのであって、細工をしていれば感知されることはない。士郎はその細工をしていたため魔術師だと認識されることはなかった。
「ま、準備したのは俺じゃないけど…」
自分の師のことを思い出す。先ほどもしたが、海の向こうにいる彼女にとりあえず士郎は感謝するのだった。
***
「あら、おかえりなさい」
教会の前には花蓮が立っていた。どうやら二人の帰りを待っていたらしい。
「神父、どうでしたか?」
「無理を言いましたが、大丈夫とのことです。手続きはある程度済ませておきました」
「――ありがとうございます」
士郎は珍しく嬉しそうにしている花蓮を見た。そこで彼は思い出す。
「――あ、そうだ。花蓮、お前が神父にしてた相談って何だったんだ?」
彼女がディーロに何か相談していたのを思い出した。おそらく何かを頼んでいたのだろう。ディーロの返答からそれは察しがつく。
「――――」
花蓮の口角がほんの数ミリ上がった。彼女がこういった顔をするときは大体ろくなことにならないと士郎は知っている。
「………私も穂群原学園に通うことになりました」
「――――?」
あまりに唐突すぎてその言葉の意味が掴めない。
「――理解していないようですからもう一度言います。私も新入生として高校に通うことになりました。よろしくお願いしますね、先輩」
「は?」
こうして花蓮も高校生として生活を送ることになった。
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登校
強く根を張る太い木々が美しい花々を咲かせる四月。冬木市はさくら色に染まっていた。
「友達はできたか?」
士郎は隣を歩く花蓮に話しかける。
もう学校が始まって一週間ほど経つ。彼女に友達ができているのか学年が違い様子を確認できない士郎は心配だった。
「大丈夫です。必要ないので」
「大丈夫じゃないだろ……」
「はあ…」と深いため息を一つ。
花蓮の性格上、質問する前から何となく回答の予想はできていたが、こうもきっぱりと友人を作る必要がないと言われると困るものだ。
「鈴奈も友達いないみたいなこと言ってたし……」
花蓮と同じ学年である鈴奈も友人がいないと言っていた。
(あいつは友達ができそうだけどな)
鈴奈は人見知りというわけではないのに友人がいないらしい。というよりなぜかはわからないが友人を作ろうとしないらしい。櫂に聞いたところは小学生の時も中学生もそれは変わらないようだ。
(似た者同士か)
花蓮と鈴奈は思考が似ているのではと士郎は思った。
「…そうだ、今日昼誰か誘ってみたらどうだ?」
今日からは普通に午後まで授業があり、昼食はもちろん学校で食べる。
「私はあなたと食べるつもりだったのだけれど?」
「……俺は構わないけど、ちゃんと鈴奈以外にも同学年に友人は作っておいた方がいいぞ」
「――そう言う士郎はどうなんですか?」
「俺は問題ないよ。転校生だからって周りから寄って来てくれた」
士郎は既に何人か友人を作っていた。外国からの帰国子女というステータスが大きかったのだろう。自分から行かなくても初日に多くの生徒に席を囲まれて質問攻めにあった。
「とりあえず花蓮。あと、鈴奈もだ。櫂たちと協力して何とかしたいけど…」
士郎はそこで話すことを中断する。
「あら偶然ね、おはよう」
声をかけてきたのは凜だった。
「おはよう」
魔術師が近づいてきていることは察知していたので驚くことはなかった。
「その子は?」
挨拶をしながら凜は花蓮の方に視線を移す。
「妹だよ」
「妹?」と言いながら彼女は二人を見比べる。何を言いたいのか士郎はすぐにわかった。
「――義理の妹だ。顔は似てないぞ」
「ああ。なるほど」
その答えに凜は納得した。純日本人である彼とイタリアと日本のハーフである花蓮では顔が違いすぎる。似てないと思われるのは当たり前だ。
「それにしても妹がいたなんて驚きね。あなたの妹ってことは高校一年生か」
「ああ」
「なら私の妹と同い年ね」
「遠坂にも妹がいるのか」
「あれ、神父に聞いてなかった? 一つ下の妹要るのよ、私」
士郎は初耳だと思ったが、三月にディーロと凜が話している時に桜という名前を話に出していたことを思い出す。
(桜って子が妹なのか。遠坂家に二人も子供がいたなんて初めて聞いた)
「あの子あんまり友達できていないようだから………」
凜は士郎の方を見た。どうやら花蓮の名前を知りたいらしい。
「……花蓮だ」
「いい名前ね。で、花蓮さん。できれば私の妹と友達になってくれると嬉しいわ」
「――気が向いたら…」
やる気のない返事に凜はありがとうと言い笑顔を見せる。
士郎にとっても彼女に友人ができれば喜ばしかった。
「で、その妹はどこにいるんだ?」
話題が出ているのに姿が先ほどから見えない。
「ちょっと体調が悪いらしくてね。家で休んでる。治ったら行くって言ってたわ」
なんでもないように凜は説明した。その様子から察するに、彼女の妹の体調が悪くなることは珍しいことではないらしい。
「その子、今家に一人なのか?」
遠坂家には子供しかいない。つまり凜がいなければ妹は家に一人だけということになる。
「まさか。ちゃんと知り合いに面倒見てもらってるわよ」
「そうか」
短く士郎は答える。
「――あなた知りもしない私の妹の心配をしたの?」
「神父からお前に親がいないことは聞いているからな。それに一応友人の妹なわけだし多少は心配するだろ」
「そう。ま、あなたにとってはそれが当然なのね」
まるで士郎の考えがおかしいかのように凜は話していたが、士郎からしてみれば彼女の問いの方がよくわからなかった。
人を助けるのは当たり前。全く知らない人物の心配をしてはいけないなんてことはない。
(…これが常識のはずだ)
これが士郎にとっての従うべき常識だった。
「昼までにあの子が来たらあなたたちに紹介するわ」
三人は並んで高校までの道を歩いた。
***
「――さて」
午後の授業は終わり昼休みになった。
「花蓮のところに行くか」
花蓮と昼食を食べるために士郎は席を立ち、教室の扉へと向かう。
「言峰」
そこで士郎の背中に声がかけられる。
「なんだ、間桐」
振り向くと士郎のクラスメイトである少年――間桐慎二がいた。
「一緒に昼食でも食べないかって誘いだよ。どうだ?」
「悪いな。今日は先客があるんだ」
士郎は慎二の誘いは断った。別に彼のことが嫌いというわけではない。単純に花蓮の優先順位が何よりも上なだけだ。
「また今度誘ってくれ」
「ああ」
先客があるなら仕方ないか、と言って慎二は数人の生徒を連れて教室から出て行った。
「――――」
間桐慎二。他の生徒や凜からの話を聞いたところ、彼はクラスの人気者であり優等生だという。
今昼食に誘ってきたように、転校して来て士郎に最初に話しかけてきたのも彼だった。
「間桐家の人間……。まあ今の一族の状態から考えると警戒する必要はないか。あいつは回路すら開いてなかったみたいだし」
士郎も教室を出て花蓮のもとへ向かう。
昼休みのためか廊下を歩いている生徒が多い。視線がいくつか向けられているが話しかけてこないので気にせず歩く。
(友達ができやすいって利点はあるけど、無駄に注目されるのはなんか嫌だな)
士郎がしてきたのは世界の裏側での生活だったのだ。今まで多くの人間に自分の姿を見られるなんてことはなかった。
「よ! 言峰」
「美綴か」
少女――美綴綾子。周りからの認識では文武両道の美人で有名人。慎二と違いクラスメイトではないが、彼女は士郎の友人だ。
「今から食堂?」
「そうだけど」
「なら一緒に食べない?」
こちらも昼食の誘い。ありがたいことだが、
「――悪いな。もう一緒に食べるやつがいるんだ」
こちらも断った。士郎は昼食を共にしても構わないが、花蓮はそう思わない可能性が高い。
「へぇ、遠坂とか?」
「いや、妹だよ」
「……そういえば慎二が騒いでたな。言峰って名前のハーフの美少女が入学したって。それがあんたの妹か。ていうかもしかして言峰ってシスコン?」
「違う」
「ははは。冗談よ」
綾子は士郎をからかい楽しそうに笑う。
「聞きたいことあったけど、約束があるなら仕方ないか」
「……聞きたいことがあるならここで聞くぞ」
「いいの?」
「いいけど手短に頼む」
まだ余裕はある。花蓮を少し待たせることになるが綾子の話を聞くことにした。
「――言峰ってなんかスポーツしてた? というよりなんか部活に入る気ある?」
「――――」
仕事内容的に体は相当動かしているが、まともなスポーツなどしたことがない。
綾子には素直に「ない」と答えた。
続いて部活に入る予定があるかと聞かれて、士郎はこれも「ない」と答えた。
「なら、弓道部入ってみない?」
「――――」
これは予想外の誘いだった。
「部活に入ってないと高校生活暇よ」
部活というものに興味がないわけではない。しかしここですぐに決断できない。
「考えておくよ」
「わかった。できれば今月中に決めて欲しい」
「了解」
綾子とは別れ、士郎は花蓮がいる1年C組へと足を進める。
遠坂家だけでなく間桐家にも変化が起きています。おそらく前編では詳しくは掘り下げませんが。
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部活
「遅い」
開口一番、花蓮が言ったのはそれだった。
「ごめん。少し友達と話してたんだ」
花蓮は自分の教室の前で士郎を待っていた。
「――まあ、そりゃ目立つよな」
周りの視線が先ほどから花蓮と士郎に集まっている。主に花蓮に集まっていると言った方が正確かもしれない。なんといっても彼女はハーフだ。冬木は外国人の多い市ではあるが、やはり身近にそのような自分とは違う人種の人間がいると興味が引かれるのは仕方がない。さらに言えば花蓮は白髪。目立つのも当たり前である。
「行こう」
気にしていても時間の無駄。二人は多くの視線を尻目にしてさっさと移動する。
***
「何にするの?」
二人は券売機の前でどれを食べるか迷っていた。
「カレー…かな。日本に来てからも食べてないし、シエルさん来ないから食べる機会減ってたからな」
「――なら、私もカレーにします」
去年のあの日…約半年ほど以降シエルがイタリアに遊びに来なかった為、二人がカレーを食べることは少なくなっていた。
「…元気かな。あの人」
「一応手紙は一か月一回くらいのペースで送ってきてるんだから問題ないでしょう。また向こうでもカレーをたらふく食べてますよ、多分」
「それもそうだな」
シエルが遊びに来なくなったのは未だに日本にいるためだった。詳しい話は聞いていないが、手紙を見る限り無事に体の不死性は消え、どうやら親しい友人もできて楽しく生活をしているらしい。
「俺らも日本にいるわけだし、暇ができたら会いに行くか」
「そうですね」
シエルもつい最近日本に来て初めて送られてきた手紙に書いていた。両者暇ができたら会いましょうと。
二人は券売機で食券を二つ購入して、カウンターでカレーを受け取った。
空いている席を適当に探し座る。
「そういえば鈴奈はどうしたんだ?」
今日は一緒に登校しなかったが、鈴奈も教会から学校に来ているはずだった。
「同じクラスじゃないので」
花蓮はC組、鈴奈はA組だ。クラスが違う。
「そうか…。一人なら誘えばよかったかな」
孤児院の子供達とは一か月以上も同じ場所で生活している。すでに赤の他人なんて認識ではない。家族のようなものだ。心配はもちろんする。
「鈴奈はしっかりしているから、大丈夫だと思いますけど」
「確かにそうだけど、これに関してはそういう問題じゃないだろ……」
鈴奈は花蓮の言う通りしっかりしている。おそらくあの孤児院では一番だろう。しかし問題はそこではない。
「まあ、仕方ないか」
今更教室にいるか不明なのでひとまず鈴奈のことは諦めることにした。
「――ここでも視線が集まるな」
先ほどの教室前と同様、いや人の多い食堂ということもあってかそれ以上に二人に目を向ける人が多かった。
そこに一人の少女が、
「――あ、見つけた言峰くん」
「遠坂」
周囲の視線を二人でカレーを黙々と食べているところに、今朝と同じ様子で凜が話しかけてきた。
『ミスパーフェクト』とも呼ばれている凜は言うまでもなく有名人だ。つまりは二人にさらに視線が集まる。
凜はそんなこと全く気にしていない様子で、並んで座っている二人の反対側の席に腰を下ろした。
「昼食は?」
「これよ」
凜は売店で販売しているサンドウィッチをテーブルの上に出して開封し始める。彼女の今日の昼食のようだ。
「いつもそういうのなのか?」
「違うわ。いつもは妹が作ってくれてる。あの子私と違って朝強いから」
「ふーん。……それでその妹は来たのか?」
今朝凜が昼までに来たら紹介すると言っていたのを思い出した。
「来てない。まあでも昔からよくあってことだし大して心配する必要はないと思うけど」
「……」
朝の士郎の予想は当たった。やはり凜の妹は体調をよく崩すらしい。
「持病か?」
「そうね。十年前からずっと。どこか悪いところがあるわけでもないのに度々体調を崩すの」
「病院とかで見てもらってないのか?」
「もちろん見てもらったわ。でも異常なしだって言われるからどうしようもないでしょ。多分体調崩しやすいっていう生まれつきの体質か何かでしょうね」
「…そんなものか」
「そんなものよ」
家族の在り方はそれぞれ違う。花蓮がよく体調を悪くしていても士郎は毎回相当な心配をするだろう。心配の度合いも家族によって異なるのだ。
「いたいた。おーい、遠坂…って、言峰もいるじゃない」
新たに現れたのはこれまた有名人。ついさっき昼食の誘いを断った綾子だった。彼女も凜とは違い、食堂の定食が昼食のようだった。
「なんだ、あんたらやっぱり一緒に食べてたの?」
綾子は凜の隣の椅子に座った。
「成り行きでね」
成り行きではない気がするが余計な気がしたので士郎は特に何も言うことはなかった。
「へー……あれ、言峰。その子が妹さん?」
「――言峰花蓮です」
「ほう」
まじまじと綾子は花蓮を見つめる。
「似てないわね」
「義妹だからな」
「でしょうね。これで血が繋がってるって言われたら驚きよ」
どこをどう見ても花蓮と士郎の顔は似ていないので綾子の感想は無理もない。
「……」
今度は顔ではなく、手、足、腰と全身を見ていく。
「ねぇ…」
「言っておくが花蓮は部活に入らないぞ」
「あれ? バレた? 遠坂の妹も弓道に興味があるって聞いたからどうかなって思ったんだけど」
自分を勧誘してきた時と同じ目で花蓮を見ていたので、士郎には彼女が何を言おうとしてるのか想像するのは容易だった。
「遠坂の妹は弓道部に入るのか?」
綾子の話を聞いた限りではそのように聞こえた。
「興味あるみたいなことは言ってたわ。あの子に弓道は合ってると思うし、運動させるいい機会だと思うから入りたいと言ってたから全然承諾するけど…。それよりもなんで言峰くんの妹さんは部活に入らないの?」
本人ではない士郎が即答したため、綾子だけでなく凜もその理由が気になり質問した。
これは自分の口から言っていいものなのかと思い、横に座る妹の顔を見る。
「…体が弱いんです。生まれつき」
花蓮は別にそのことを気にしていないような様子だ。
「だから厳しい運動ができないんです」
彼女は走ることすら許されない身。文化部ならともかく、運動部なんて無理だ。体が耐えられない。
「まあ、もともと運動が好きではないので入る気はありませんが」
そもそも花蓮に部活なんてやる気はないのであった。
「残念。でも兄貴の方はどうよ?」
「まだ決めてないよ」
まだ誘われてから三十分も経っていないというのにもう催促された。
「士郎。部活に入るんですか?」
「そうよ。弓道部」
「騙されるな。まだ決まってないから」
そんなやり取りを横から見ていた凜が口を挟む。
「なんで綾子は言峰くんを弓道部に誘ってるの?」
(確かに)
それは士郎も気になった。
「ん? 単純に部員が欲しいってのと、あとは勘ね」
「勘?」
「そ、勘よ。あんたなら弓うまそうって思ったの」
「勘か…」
不確かなものではあるが、勘というモノは侮れない。
――実際、綾子の勘は当たっていた。
「――どうせ言峰くん暇なんでしょ? 入ればいいんじゃない?」
勝手に暇人認定をされてるのは心外ではあったが、間違ってもないので否定はできなかった。
「――花蓮、こんな感じで勧誘されてるんだが」
分が悪いのでここは花蓮に助けを求める。
「……部活というのは何時ごろまでなんですか?」
「いつも七時前までには終わってるけど…なんで?」
「いえ、特に深い理由は」
部活終了時間。つまり弓道部員たちの帰宅時間が花蓮には気になった。
「――! …言峰くんは可愛い妹さんに愛されてるのねぇ」
凜は意地の悪い笑みを顔に浮かべる。
「――遠坂、どういうこと?」
「花蓮ちゃんは言峰くんと一緒に帰りたいのよね~?」
なるほどと綾子は口にした。
そして士郎の視界の端に少し顔を赤らめている花蓮が映る。
「それなら大丈夫よ。部活入ってなくても終了時間まで道場にいてくれても全然構わないから。顧問も多分文句言わないだろうし」
士郎が一番気にしていた、部活に入ると彼女を一人で帰らせることになってしまう問題が解決してしまった。
「――弓道に興味がないわけじゃない。どちらかといえばある。でも保護者にも聞かないといけないからここで返事はできない」
「保護者ってディーロ神父でしょ? あの人が駄目なんて言うとは思えないけど」
「そうですね」
凜の言葉に花蓮も同意する。
士郎も同じくそれには同意だった。部活に入ってもいいかと聞いた場合、「もちろんいいよ」と老神父が即答する光景が容易に想像できる。
「…とりあえず明日まで待ってくれ」
こうは言ったものの、凜が言ったように神父の返事はわかりきっている。つまり士郎が部活に入るか入らないかはほぼ確定してしまったのだった。
「了解」
そのことを何となく悟った綾子は景気よく返事を返した。
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帰り道
「士郎。お前部活に入らないのか?」
帰り道、同じ教会で暮らしているメンバー六人で帰っていると櫂が士郎に質問してきた。
「もし何も入る予定がないんだったらバスケ部とかどうだ?」
櫂はバスケ部に所属してる。そこで士郎がまだ何も部活に入る気がないのなら入部してみないかと誘ったのだ。
「いや、悪いな。バスケ部には入れない」
「なんで?」
「実は弓道部の美綴に誘われてるんだ」
「……美綴…そうか…なら仕方ないな」
櫂は少し動揺した様子を見せると、すんなりとあきらめた。
「なんだ? 美綴がどうかしたのか」
櫂が諦めた理由が、士郎が弓道部に誘われたからではなく、士郎が弓道部の美綴に誘われたからのように見えた。
「いや…うん。まあ……な」
「――――?」
なぜ櫂が怯えているのかがわからない。
「士郎くんはまだそんなに関わってないから実感ないだろうけど、綾子ちゃんって実は結構怖いんだよ」
そう元気な声で説明したのは、長い黒髪を後ろで束ねている少女――高梨莉子。士郎と同じく17歳で高校二年生だ。
ちなみに陸上部に所属する彼女は、凜、綾子と続いて穂群原学園では美人ということで名が通っている。が、二人と比べると大分学力が劣ってしまっている。そこだけが彼女の欠点だ。
「怖い?」
「そうそう」
士郎の視点で言えばフレンドリーで明るい少女なので、彼女が怖いと言われる理由が不明だった。
「いずれわかる…いや、わかれ」
俺は経験者だと言わんばかりの様子で「はぁ…」と深いため息をついた。
「それとね、凜ちゃんにも気を付けた方がいいよ? 怖いから」
莉子から友人二人は危険人物だと教えられたが、今のところ士郎はその片鱗すら見ていないので真偽は不明である。
「誘われているのはわかったが、結局弓道部には入るつもりなのか?」
本来の質問から遠ざかっていたのをオールバックの少年――新城涼介が引き戻した。サッカー部の所属している彼も士郎たちと同じ高校二年生だ。涼介は櫂や莉子と比べるといささかテンションが低かったりする。
「ディーロ神父が許可を出してくれるか次第だけど、多分入ることになると思う」
「あの人はよほどなことがない限り不許可は出さないからな」
「ああ」
ディーロがどのような人物なのか全員把握しているため、彼が許可を出すことはわかりきっていた。
「――鈴奈は部活には入らないんですか?」
花蓮が隣を歩く鈴奈を見る。
「私は運動得意じゃないから入るとしたら文化部かな。花蓮は?」
「私の場合そもそも部活に入ると言う選択肢がないので、士郎が弓を引いているところを眺めることにします」
「そっか」
高校一年生の女子は二人でそんな会話をしている。
今更ではあるが花蓮は年齢的に言えば中学生。最初はそのことがあり、士郎は彼女に高校生として生活させるのは乗り気ではなかった。しかし彼女に年の近い友人ができたことが喜ばしいので今は正直どうでもいい。
花蓮は孤児院のメンバーとゆっくりではあるがある程度仲良くなりつつあるが、波長が合うためか鈴奈との仲が一番いい。
(鈴奈なら友達として文句なしだな)
孤児院で生活している者としか関わりを持とうとしないことを除けば鈴奈はしっかりとしたいい子だ。そのような子が花蓮の友人になってくれるのなら士郎は大歓迎だった。
他愛ない話をしながらしばらく歩くとバス停についた。このバス停を通るバスに乗れば新都まで行くことが可能だ。
「私は夕食の買い出しがあるから商店街に」
鈴奈は夕食の食材を買いに行かなければならないので、バスには乗らず商店街に向かう。
「俺も行くよ。荷物持ちが必要だ」
食事をする人数が多いので、必然的に必要な食材の量も増える。少女一人だけでは流石に厳しいだろうと、士郎も一緒に行くことにした。
士郎が行くならと、花蓮もついて行くことになった。
「それなら俺も行くか。人数は多い方がいいだろ」
「だったら私も行こうかな~。ていうか全員で行こうよ。今日みたいにみんながオフなんて珍しいよ?」
「それもそうだな。全員で行こう」
結局誰もバスに乗ることはなかった。血の繋がっていない六人は、まるで家族のように商店街へと歩き出した。
***
「弓道部に入りたい? もちろんいいですよ」
食後、ディーロに相談したところ案の定許可が下りた。
「道具は…」
「こちらでお金を出しますよ。必要なものがあれば買ってきてください」
「いいんですか?」
「問題ないです。教会から渡されたお金ですが、渡され以上はすでに私のものです。誰にどう使っても問題ないでしょう」
あくまで他人に使うであって、ディーロのなかでは自分のために使うなんて選択肢はないのだろうと、彼の言葉から士郎はそれを感じ取った。
「ありがとうございます」
「士郎くんが気にすることではありませんよ。それより明日、どれほどお金が必要なのか教えてください。用意しておきます」
士郎はもう一つ別の質問をした後、再度お礼をして部屋を後にした。
***
「どうだった? …と、聞く必要もないですね」
「やっぱり即答だったよ」
花蓮が部屋の前で士郎を待っていた。別に何をするでもなくただ士郎が出てくるのを待っていた。
「美綴に明日必要な弓具聞かないとな」
弓道がどのようなものなのかは知っているが、何が必要なのかは知らないので士郎は明日綾子に聞いてみることにした。
「さて、花蓮電話しに行くぞ」
部活についての話は終わり、今度はまた別の話だ。
「電話? 誰と? というかあなたに電話するような友人がいたんですね」
「そりゃいるさ。て、そうじゃなくて電話するのは友達じゃない」
「では誰に?」
「シャサ先生」
「国外よ?」
「ああ、だから国際電話。神父から許可はさっき取ってきた」
「そうですか」
「花蓮も話すだろ?」
「別に話すことはないですけど」
そう言いながらも電話へと向かう士郎の後を少女はついて行くのだった。
次回は過去編と本編同時投稿です。
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電話
「Hello?」
耳に当てている受話器から、士郎にとって馴染んだ女性の声が流れてくる。
「士郎です」
その一言を聞いて通話相手の様子が変わったのが、姿を見なくても彼にはわかった。
「士郎! もう一か月も経つけど元気にしてるかい? 友達はできた? 勉強大丈夫? 花蓮と進展あった?」
受話器から今度は英語ではなく、陽気な声で流暢な日本語が聞こえてきた。
「元気です。友人もできました。勉強も先生のおかげで問題ないです。花蓮と…ってあんた何言ってんだ」
最後の質問に訳の分からないものがあった。
「いやなに、君はどこまで花蓮ちゃんとやったのかなあと思いまして」
「――知ってると思うけど、俺たち兄妹だからな?」
「いけるいける。君たちのパワーでその禁断の扉を破ってみよう」
「はあ……」
先生と士郎が呼んでいる人物と花蓮が話したがらない理由はこのようによくわからないからかわれ方をされるからだった。
「ま、ひとまずそれはいいとして。無事に過ごせているみたいでよかった。これでお姉さんの心配事が減ったよ~」
通話の相手は士郎が先生と呼ぶアイルランド出身の女性、サシャ。魔術師だ。本名はクアサシャなのだが、本人がこの名前を気に入っていないので、呼びやすく略してサシャとなっている。
彼女は二人の父親、言峰綺礼に恩があるということで、死んでしまった彼の代わりにイタリアで面倒を見てくれていた。サシャは士郎たちにとって恩人であり家族なのだ。
「花蓮はいるの?」
「いるよ」
花蓮の方に目をやると彼女は首を横に振る。それは自分は通話しないという意思表示だった。
「話さないらしい」
「あら残念。久々に声を聞きたかったんだけどな~」
声色から察するに、言葉にしているほど残念がっていないようだった。
「で、今日は何のようだい?」
「ただの近況報告」
「本当に?」
「と、お礼」
「お礼?」
「あの道具が思いのほか役立ってるんで」
「そっか、持たせといて正解だったか~。さすが私」
日本に来る前に士郎はサシャから魔術道具をもらっている。腕につけているブレスレットのようなものがそれだ。効果は装着した者の魔力を周囲から感知できなくする。正確には、感知できなくなるというより一般人と同じだと誤認させると言ったものだ。これによって凜には魔術師だと感じ取られることなく友人関係を築けている。
「ってことは魔術師がいたの?」
「いた。同じ学年に」
「やっぱり冬木市には普通にいるのか~魔術師。怖いねえ」
「思ってないよな、それ」
「思っているとも。冬木市は怖いから」
声だけでなく顔まで自信満々にしているであろうサシャの姿が容易に想像できる。
「そういえば十年前いたんだっけ」
「うん。君たちのお父さんとあったのもその時だ」
サシャは十年前の聖杯戦争に関係していたらしい。あの戦いがどのような終わりを迎えたのかを知っているらしいが、マスターだったのかまでは士郎は聞いていない。
「――――」
捉え方によってはサシャは大火災を起こした人物の一人と言えなくもない。しかしそれを士郎は理解していても彼女に対して恨みや憎悪なんてものを抱いていない。それよりも育ててもらった恩の方が大きいのだ。
「とりあえず私のことはいいとしてその街は気を付けた方がいいよ。文字通り呪われてるから」
「……わかった」
「うーん…あとアドバイスできることは……あれかな。柳洞寺って名前のお寺があったのは知ってる?」
「一応。十年前全壊した寺だよな」
柳同寺という寺が十年前まであったことは事前の情報収集で把握している。士郎自身幼い頃に言った記憶が薄っすらあった。
「そうそう。あの寺の奥には自然にできた鍾乳洞ができててね。そこには面白いものがあるんだよ。いや、あっただね」
「というのは?」
「君も知ってるでしょ。大聖杯。聖杯戦争というシステムそのもの。それが十年前まであったんだ」
あったという含みのある言い方からして、現在はなくなったということなのだろうと士郎は解釈する。
「君たちの任務は第十次聖杯戦争の調査なんだろ? 中が今どうなっているのかは知らないけど見に行く価値はあるかもしれない」
「了解」
士郎たちよりも冬木に詳しいサシャからの助言はありがたいものだった。
「あとは…そうだ。君が出会った魔術師の名前は? 有名どころかな?」
「む、遠坂家か。そうかいそうかい。そっちだったか、彼女じゃないのか…って同じ学年って言ってたしそれもそうだった」
「彼女…?」
「うん。十年前にそっちで知り合った魔術使いの女の子がいてね。ま、いいや。それよりもっと話そう」
***
それから数分が経った。
「情報は大体こんなところ」
「ふむふむ。なるほどね。わかったよ。多分現状私からできるアドバイスはもうないかな。強いて言うなら肉体面、魔術面どちらも鍛錬を怠らないようにということぐらい。また困ったことがあれば電話してくるといい」
「そうさせてもらうよ」
「よろしい。じゃ、またね~」
最後、花蓮に体調に気を付けるように言っておいてと言葉を残し、サシャとの通話は切れた。
「――先生が体調に気を付けるようにだってだってさ」
「そう」
興味がない様子で花蓮は短く返事をした。
「何か助言はしてもらえた?」
「一応な」
「ならそろそろ調査に?」
「行く。次の日曜のつもりだ」
「わかりました」
教会の者として行動する以上は二人は常に一緒に行動する。それが二人で一人の代行者、言峰。
「――俺は明日の学校の準備するから戻るよ」
「私も部屋に戻ります」
仕事はここで終わり、二人は一般人としてやることをこなすために自室へと向かった。
サシャさんの掘り下げは過去編でするのでそちらを読んでいただけると幸いです。
今回で前編は半分になります。残りも毎日投稿していくのでお楽しみください。
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妹
「――――」
サシャとの通話から翌日の放課後のこと。花蓮と一緒に弓道部に行くつもりでいたのだが、彼女のクラスのホームルームがどうやら委員決めなどで長引いているため、士郎は一人校舎を散策していた。
「おかしい……」
少年が校舎を歩き感じ取った違和感。今度は魔術師のオドではないが、三月に初めてきたときにはなかったものだった。
「残留魔力? ――いや、これはもっと違う…」
誰かが校内で魔術を行使したのかと考えたが、どうやらそうではないらしい。彼が感じとったのは不明な何か。現時点ではわからないので放置するしかない。
「――またおかしなことになってるのか、ここは」
冬木市。ここは聖堂教会に属する一部の者たちから、呪われた地とも呼ばれている。今まで起こった災厄などがそう呼ばれるようになった原因だろう。
聖杯戦争だけでなく、昔死徒の真祖が現れたとの情報もある。この地なら何かおかしなことが起こっても不思議ではない。
「簡単な十年前の捜査だけの予定だったけど、どうやら楽には進みそうにないな…」
一人で愚痴を呟きながら再び校内を回る。
「………紙」
バサッ、と紙の束が床に落ちるような音を耳にした。士郎はその音のした方向を目指す。
「大丈夫か?」
音の発生源である。一階の会談前には、盛大に床に散らばったプリントとそのプリントを拾おうとする少女がいた。
凜と同じように顔の整った少女に士郎は声をかける。
「えっと…大丈夫…です」
(そうか…)
少女を見ていくつかわかったことがあった。とりあえず最初にわかったのは、少女は人と話すのが得意ではない。というより好きではないということ。これは今までいろいろな人間を見てきたのでなんとなく察しはついた。この手の人間は、本当に困っているのに自分で何とかしようとする傾向にあるという教訓が士郎にはある。
「手伝うよ」
これほど散らばっているなら手伝ってやった方が楽だろう。士郎は迷わずプリントを拾い始めた。
「ありがとうございます…」
迷惑とは思っていなさそうなのでひとまず安心した。
「――よし、これで全部だな」
集めたプリントを全て少女に渡す。
「助かりました」
「別に気にしなくていいよ」
真っ当ではないにしても彼は聖職者。人助けなど日常的なことだ。感謝されるのは当然嬉しいが、そんなに気にしてもらうほどの事でもない。
「それじゃ」
「……はい」
今はそれ以上関わる必要がない。それに時間的にも花蓮のクラスのホームルームが終わっている可能性があるのでさっさと向かうことにした。少女に背中をずっと見られていることに気付きながらも士郎は歩き続ける。
「――魔力……しかもあの感じは……」
少女との視線が切れたところで士郎は少女のいる方向をじっと見つめた。
「一応警戒だな」
***
「よっ! 言峰。妹も一緒か。ちゃんと来てくれたみたいで良かったよ」
「櫂から行かないと殺されるって聞いたからな…」
「なんか言った?」
「いや何も」
花蓮と合流した士郎は弓道場まで来ていた。それというのも弓道の道具には何がいるのかと士郎が綾子に聞いたところ、今日は放課後に弓道場に来いと言われたからだった。
ちなみに櫂にそのことを話したら、「必ず行けよ。下手したら殺されるから」なんて警告を受けた。もとより行かない理由がないので無用な警告ではあったが。
「――一体何があったんだろうな…」
櫂が綾子に怯えている理由がわからない。昨日莉子に聞いてみたが「まあいろいろあったんだよ」と誤魔化されてしまった。
(気になる…)
士郎的にはその話は割と気になったりしていた。
「で、用件は? 俺は弓具について聞きたかったんだけど」
櫂のことは置いておいて本題に戻る。
「その前にあんたが弓道部に入ることは確定なの?」
「ああ」
「自分の意思で?」
「ああ」
「そう。ならよかった」
綾子は士郎の答えに安心したようだった。
「よかったって何が?」
「いや、ただ本人にやりたい意思がないのにやらせるのはどうかと思ってね。言峰はやる気があったみたいでよかったよ」
あれだけ勧誘しておいて何を言っているんだか、などと思いつつも「そうか」と返事をする。
「それで話を戻そうか。言峰を呼んだのは弓道がどんな競技なのか間近で見てもらうため。未経験者でしょ? それなら実際に見てもらった方がいいと思ってね」
どうやら綾子なりの気遣いらしい。
「弓具の方に関しては今度の休みについて行ってあげる。それでいい?」
「ああ。助かるよ」
口に出した通り綾子の提案はありがたかった。素人だけで買いに行くよりも経験者が近くにいた方が心強い。
「それじゃこっちにどうぞ」
案内されたのは入り口からすぐのところにある畳の敷かれた場所で、一言で言ってしまえば和室だった。
卓袱台やら急須などがあり、他には壁に弓がいくつか立てかけてある。
「ここは?」
「うちの顧問がよく休憩してるとこ。ここから射場が見えんのよ」
「なるほど。じゃあここに座らせてもらう」
「はいよ」
士郎は初めて間近で見る弓道に実はワクワクしている。見たことがないからというよりも、こういう落ち着いた――人などいないような――空気感が好きだからという理由の方が大きいだろう。
「あれ、言峰じゃん」
射場から士郎たちの方に歩いてきたのはクラスメイトの間桐慎二だった。
「そういえば間桐も弓道部だったな」
慎二の学力は高いと聞いているけど、弓道の腕はどれほどのものなのだろうかと気になった。
「何しに来たんだ?」
「見学よ」
「――美綴。またお前無理な勧誘したのか」
「違うわよ。今回は本人の意思で来てくれたから」
(被害者が俺以外にもいたのか)
「そうですかい…って言峰、その子はもしかして噂に聞く妹か?」
隠すこともないので士郎は素直に頷く。
「へー、近くで見るとやっぱりかわいいな」
慎二の視線を受けて花蓮は話そうとも目を合わせようともせずにそっぽを向く。
「――悪いな。人見知りなんだ、許してやってくれ」
花蓮のそれは初対面の人物にする態度ではないので士郎が謝罪する。
「謝ることないぜ? 気にしてないから」
慎二はそのことについて不快に思っている様子はなさそうだった。
「ま、見てて面白いかわからないけどゆっくりしていってくれ」
と言って慎二は練習に戻った。
「そういや慎二と同じクラスか」
「ああ。あいつ弓道うまいのか?」
「うまいわよ。私の次だけど」
「そのお前は学年だと何番目くらいにうまいんだ?」
「一番」
綾子ははっきりと断言する。士郎にはそれが偽りのない言葉であることが彼女の目を見てわかった。
「それは見てみたいな」
士郎は和室に上がり、おいてある座布団の上に腰を下ろした。花蓮もそれの横に座る。
「――これは…」
外から二つの気配。普通の人間ならば無視したが、どうやら魔術師のようなのでそうもいかない。
ガラガラと引き戸の開く音。玄関目にいたのは凜だった。
「お、やっと来たか遠坂」
綾子は凜が来るのを知っていたようだった。
「ごめん綾子桜のクラスのホームルームが長引いて…」
中に入った凜は畳の上に座っている士郎と凜を見つけた。
「あれ、言峰くんもいるのね」
「…おかげさまで」
「いえいえ、弓道部の部員増員に貢献できてよかったわ」
士郎は彼女の笑顔を見て、莉子の凜は怖いという言葉の意味を理解できたような気がした。
「それで遠坂は何しに来たんだ?」
「ほら、前言ったでしょ? 妹が弓道に興味があるって。その子連れてきたの?」
「なるほど…」
(妹…。でもこの気配は…)
「ちょうどいいし紹介しましょうか。ほら、入りなさい」
玄関から二人目の人物が入ってくる。
「その子が?」
「そ、私の妹よ」
現れたのは、士郎がつい先ほど見たプリントを落としていた少女だった。
「――初めまして。遠坂桜です」
桜の髪の色はステイナイトと同じですが、育った環境が違うため性格に違いがあります。その辺の話は今後していきます。
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遠坂桜
遠坂桜。そう自己紹介した少女は軽く頭を下げた。
「――あ、さっきの…」
顔を上げた時に士郎の顔が視界に入り、彼の存在に気付いたようだった。
「遠坂の妹だったのか」
「はい」
よく見れば顔が似ていないこともない。が、彼女と初めて出会った時士郎は気付くことができなかった。理由は一つ、二人の髪の色が違っていたためだ。
「なに? 言峰と遠坂の妹知り合いだったの?」
「ついさっきな」
「落としたプリントを拾ってくれたんです」
「――そう…」
「――?」
士郎と桜がすでに知り合いだったということを聞いて、凜が何か思考するようなそぶりをみせた。彼女が何を考えていたのかは流石に士郎もわからないので放置。先に自己紹介をすることにした。
「俺は言峰士郎。こっちは妹の花蓮だ。よろしく」
「――――」
花蓮は桜に対して何も挨拶することはなかった。しかし少女の瞳は確かに遠坂桜を捉えている。
「はい」
一度顔を合わせているためか、もしくは姉の友人だからか、先ほどとは違い桜からは士郎と話すことに対しての抵抗が見られなかった。
「そろそろ私は練習に戻るわ。四人ともそこに座っといて」
「それはわかったけど、綾子。今日は藤村先生来ないの?」
「なんか今日は緊急の会議が入ったらしいんだ。だから来るとしても大分後だと思う」
「ならここに座ってても大丈夫ね」
綺麗に横並びに座ったわけではなく、各々適当に座った。
「――――どうした?」
「い、いえ何もありません」
「そうか」
士郎は桜が自分のことを見ていたため何か聞きたいことでもあるのかと思い尋ねてみたが、少女は何もないと言い慌てて視線をそらした。
「士郎…」
「――わかってる」
小声で自分の名前を呼んだ花蓮に士郎は同じく小声で返答した。
日が沈み始めている夕方。畳に座る四人は弓道部員たちの練習風景を眺めていた。
***
「おもしろいな」
それが練習を見ている士郎から出た感想だった。彼は純粋に弓道というスポーツを面白いと思った。
「結局あなたは入るのかしら」
「もともとそのつもりでここに来てるよ」
もうここまで来たのだから今更やらないなんて選択肢はない。
(――今度は一般人か)
再び人の気配。
四人の中でもそれに気付けているのは士郎だけだろう。
数秒後、玄関で扉の開く音がした。
ちょうど休憩をしていた綾子が扉の開いた音に気がつき射場から姿を現す。
「藤村先生、会議終わったんですか?」
「うん。そのことなんだけど…あれ? 遠坂さんなんでここに? それに転校生の…言峰くん?」
「はい」
(確か…藤村先生だったよな)
藤村大河。担当教科は英語、そして弓道部顧問をしている教師だ。士郎のクラスの担当ではないが、噂は聞いている。というよりも意図せずとも耳に入ってきた。彼女はそれほどの有名人なのだ。どういう風に有名かというと、とにかく元気。要するにハイテンションな人物だ。そんな彼女は普段の様子からタイガーなどと呼ばれたりしている。
「だよね。どうしてここに?」
「見学ですよ。言峰兄の方は弓道部に入るみたいなんで、あとそこにいる遠坂の妹も同じ理由です」
「あー、そうなんだ…」
耳にした噂と様子が違う。どうやら士郎たちが来たことに困っているようだった。
「どうかしたんですか?」
「うーん…それがね。昨日の夜から新都の方で事件があったんだって。そのことがあって今日の部活はこれで終わりなの。今日から下校時間が速くなったから」
「事件?」
比較的平和な国である日本で起きた事件というものが気になったので聞いてみる。
「殺人事件らしいの。しかも被害者はうちの生徒だったって」
その後も士郎たちが話を聞いた限りでは、昨日の夜から行方不明だった女子生徒が死体で今日の午後に新都の路地裏で発見されたらしい。その事件を警察から知らされた学校が会議をした結果、日が落ちる前に生徒を下校させることになったのだという。
「そういうわけだから美綴さん、みんなに言っておいて」
「わかりました」
射場へと綾子が戻っていった。士郎たちの場所から主将であろう人物に説明している様子が見える。
「――それでせっかく見学しに来てもらったのに申し訳ないんだけど…」
大河が申し訳なさそうにしているので「大丈夫です」と士郎はフォローした。
「しばらくは部活の時間が短くなるけど、いつでも入部届持ってきてね」
「はい」
その日の見学はそこで終わった。
***
月明かりがこの冬木市を照らしていた。
「――ふむ。思いのほか騒ぎになっているな」
ビルの上から男が街を見下ろす。
「武力などないに等しい非力な国だと思っていたが、弱いがゆえに警戒心が強いということか。少々日本という国を侮ってしまっていたか」
下では警察が巡回していた。
「若くて新鮮だからと学生を狙ったのは悪手だった。増やすのはともかく、食事には気を付けるとしよう。もう少しの辛抱だ。あと少し待てば血が大量に集まる」
警戒はする。しかし吸血もする。
それが彼の本能なのだ。抑えることはできない。
――抑える気など端からないのだが。
「さて、今日はあの人間だ」
男は人の血を吸うため夜の闇へと消えた。
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五人の休日
「――それでなんで俺たちまで新都に連れてこられてるんだ…」
「ついでよ、ついで。どうせ暇でしょ? 私も今日は部活ないわけだし」
綾子と約束していた休日。学校から支給されるもの以外は自分で買いそろえなければならないので、深山町の方にある弓具店についてきてもらうことになったのだが、現在士郎は深山町と反対側の新都を来ていた。否、連れていかれていた。
「午後になったらちゃんと連れていくから、安心しなさいって」
「はぁ…」
とりわけ忙しいわけでも、何か用があるわけでもないので、一緒についてきた花蓮はともかく士郎は構わないのだが、
「ここまで来たんだから観念しなさいよ」
なぜか凜と桜がいる。
「――当然のようにいたから今まで何も言わなかったけど、なんでお前たちいるんだ?」
「なんでって、桜も弓具が必要なんだから当たり前でしょ?」
そんなわけで士郎、花蓮、綾子、凜、桜の五人で今日は行動している。
「あ、ゲーセンとか行ってみない?」
「ゲーセン…。あー、ゲームセンターってやつか?」
「――もしかして言峰兄妹行ったことないの?」
「ない」
即答である。
「まぁでもイタリアにゲーセンがあるなんてイメージないわね」
実際その通りではあるが、ゲームセンターを見たことがないというわけではない。だがゲームセンターには一回も行ったことがない。行く時間がなかったというより、単純に行く必要がなかったので足を運んだことがないのだ。
「私もないわ」
「私もです」
凜と桜もどうやら士郎たちと同じくゲーセンに行ったことがないらしい。
(この二人がゲームセンターに言ってるところは想像できないな)
遠坂姉妹がゲーセンでゲームをしているところは想像できない。辛うじてクレーンゲームくらいならありそうなものだった。
「……あんたらこの歳までどうやって生きてきたの…」
自分以外全員がゲームセンターに行ったことがないことを聞き綾子は困惑を隠せない。
「まさかとは思うけどゲームセンター以前にゲームしたことない感じ?」
四人とも口をそろえて「ない」と言った。
綾子が言っているゲームとは近年進化し続けているコンピュータゲームのこと。士郎と花蓮がやったことがあるゲームといえばカードゲーム、あとはボードゲームぐらいなものだった。
「信じらんない…」
綾子は頭痛でも患っているかのように頭を抱える。
「――よし、それなら今日はあんたたちに娯楽のなんたるかを教えてやる! ついて来い!」
気乗りしない四人を連れて綾子は歩き出す。
士郎たちの休日は始まった。
***
数時間後。ゲームセンターから昼食を食べるために飲食店へ移動中。
「言峰、あんた結構ゲームセンスあるじゃない」
「体感系だけだけどな」
いわゆるガンシューティングゲーム。この辺りのゲームは初めてにしては割と上手くこなせたのだが、格闘ゲームなどのアーケード系は全くもって出来なかった。
「そう? 初めてであれだけ出来れば十分よ。言峰妹も遠坂妹も筋はよかった。問題は…」
綾子がチラッと横を歩く凜を見る。
「なによ」
ふてくされたような返事が返ってくる。
「機械音痴だってことは知ってたけど、あそこまでとは思ってなかった…」
「レバー引きちぎりそうだったもんな」
「クレーンゲームでそもそも商品をアームで掴むことができないなんて思ってもいませんでした」
「あの太鼓をたたくリズムゲームもお金を入れたはいいものの操作がわからなくて始まる前に放棄してましたよね。やっぱり姉さんに機械は…」
各々つい先ほど見た光景を口にする。
「な、なによ。別にゲームができなくたって今後苦労しないじゃない」
「ゲーム以前の問題でしょ、あれは」
「う……」
凜は綾子からとどめの一言をくらった。
「ま、そこの機械音痴のことは置いておいて。昼食ね」
「どこ向かってるんだ?」
昼食を食べに行くと言われて綾子につていっているのだが、どこに向かっているのかはわからない。
「慎二のやつがうまいパスタ屋見つけたって言ってたのを思い出したんだ。せっかくだし行ってみようかなと」
「パスタか…」
「そういえば言峰がいたのはイタリアか。本場で生活してるとやっぱこだわりとかあるの?」
「特にない。そもそも向こうにいた時はイタリアンより和食を食べる方が多かった。あとたまにカレーも」
「へー」
イタリアで育ったからと言って特に料理にこだわりがあるわけでもなかった。士郎の周りに料理にこだわる人物がいなかったのが理由としては大きいかもしれない。
「とりあえず行ってみましょ。慎二の言葉がどこまで信用できるかわからないけど」
「そうだな」
店の場所を把握している綾子に全員ついて行く。
「――――パスタは苦手か?」
パスタの店の話になってから桜の様子が少々おかしかったので、彼女はパスタが苦手なのではと思い気を使って小声で士郎は質問した。
「い、いえ。そんなことはありません」
解答は嫌いではないとのことだった。様子からして嘘はついていないようなので、士郎も「そうか」とだけ短く答える。
(間桐のことか…? いやそれはないか。二人に接点無さそうだし)
パスタの話から様子がおかしかったのは確かだ。しかしそれほど重要なものではないようなので士郎はひとまずそれについて考えるのをやめた。
「――よし、着いたわ」
五人は慎二おすすめのパスタを食べに行った。これが予想以上に美味しく、あまりイタリアンを作らない士郎が料理のレパートリーに加えようかと考えるほどだった。
そんなこんなで休日の午前中は終わり午後に突入する。
ワカメが出てきた時に言いませんでしたが、彼はステイナイトの時のようにひねくれていません。ただのいい奴です。
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不敵な笑み
「はい、お疲れさん」
二時間ほどだろうか。士郎は女子たちの買い物に付き合わされた。
しかし時間の無駄だったなんて思うことはなかった。花蓮が、流行りの衣服を見たり、今まで興味のなかった化粧品などを見たりと普通の女子らしい経験をできたようだったからだ。それだけでこの日には価値がある。
「喫茶店とかでお茶して深山町の方に行こうか」
ということで一旦喫茶店で休憩を挟んで深山町の弓具店に出向くことになった。
「にしても今日は人が多いな」
「休日だからじゃないのか?」
「休日にしても多い方よ、多分」
今日は日曜日。ショッピングモールを訪れる人間が多いことはないもおかしくない。だがどうやら今日は他の休日と比べても人が多いらしい。
そんな日もあるだろうと誰も深く考えることはなった。
五人はモールから出るために今いる二階からエスカレーターを使い一階に降りる。
「――――?」
その際に五人とは逆の上りエスカレーターにいる人物が士郎の目に留まった。
黒いジャケットを着た金髪の外国人男性。それ自体は珍しくない。冬木市はもともと外国人が多く訪れる場所だ。だというのになぜか士郎は金髪の外国人に違和感を覚えた。
「――――」
外国人とは何事もなくすれ違い士郎たちは一階へ下りた。立ち止まり二階の方を士郎が見上げると外国人が彼を見下ろしていた。不敵な笑みを浮かべながら。
(――なんだ…?)
わからない。なぜ男が笑っていたのか不明だ。
なにもわからないまま士郎は先を歩く少女たちを追う。出口に差し掛かったところで、以前から何度も感じたことがある特有の気配を男から感じたのだということに彼は気付いた。
「まさか――!」
振り返ると先ほどの場所にから男は消えていた。
「士郎? どう――」
花蓮は自分の兄が立ち止まっていることに気付き声をかけた。その瞬間、彼女の言葉を遮るように二階からいくつか悲鳴が上がった。
「なにかあったの?」
綾子は悲鳴に気付き士郎に何かあったのか問いかける。
凜と桜もモールの様子を窺っている。
(――不味いな)
今響いた悲鳴は確実に命の危機に遭遇した時に発生するもの。士郎はそれを何度も聞いたことがあるので知っている。
「士郎。今のは」
「ああ。仕事だ。奴らが現れた」
***
「今の悲鳴よね?」
すでに出口から軽くモールの外に出ていた綾子が再びモールに入り店内を見回した。
同じく少しモール外に出ていた桜も気になりはしているようだったが、中に入ってくることはなかった。理由は特にない。何となく入ってはいけない気がしたから彼女は入らなかったのだ。
直感。完全に偶然とも言える桜の行動は正解だった。
「な――っ!!」
寒気と同時に起きたあまりに突然の出来事に士郎すら声を出して驚く。無理もない。
――明るかった店内は唐突に暗闇に包まれ、出口も塞がれた誰も出ることのできない監獄と化したのだから。
前編後半戦突入です。
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代行者
薄暗くなったモール内にいる人々は状況を理解できるはずもなく戸惑っていた。
「これ…なに……?」
綾子も当然そうだ。一般人である彼女が状況を呑み込めているわけがない。
「――――」
パニックになり出口から出ようと走る男がいた。それに影響されたのだろう。最初に走り出した男に続くように多くの人々がモールから出るために出口に走る。
「ここから離れるぞ」
彼らの目的地は士郎たちの真後ろにある。このままここにいては一直線に出口に向かう人の波に巻き込まれてしまうので離れることにした。
「…美綴、こっちだ」
呆然と立ち尽くしている綾子の手を士郎は引っ張ってその場から退避させる。
人の波はもう少しで出口へと到着する。が、それが許されることはない。出口を塞ぐように出現した黒い壁によって阻まれる。
「結界…」
それもとても規模が大きいもの。
(この感じだとモール全体を包んでいてもおかしくないな)
士郎が外に出られないとパニックになっている人たちを見ながら冷静に現在の状況を分析していると、
「――言峰…手…」
「ああ、悪い。忘れてた」
士郎は手を握っていたことをすっかりと忘れていた。慌てて綾子の手を放す。
「いや、ありがと。あのままだとあの人たちに轢かれてたよ」
綾子は多少冷静になれたようではあるが、それはあくまで一時的なもの。常識外の事が起きたことによって生まれた恐怖は消えていない。
「――ゆっくりもしてられないか」
気がつけば士郎たちのいるロビーには大勢の人が集まっていた。
状況的にこれは不味い。不安は伝染してしまう。子供は泣き、大人でも涙を流すものがいた。ヴェルデの従業員であろう人物数人が客を一か所集め、落ち着くように声をかけているがそう簡単に静まるわけがない。
一人でも恐怖している者がいる限り終わりはないのだ。
「ちょっと、どこ行くのよ」
何も言わずに歩き出した士郎を凜が止める。
「最初に悲鳴を上げた人のところに行く」
「なんで?」
「なんでって、放っておけないだろ」
本音だ。放っておけない。あれはモールが闇に包まれる前に起きた悲鳴。今ロビーにいる人たちとは違い、すでに危険にさらされている可能性がある。
「そう。なら私も行くわ」
「――なぜ?」
「あなたと同じよ。放っておけないもの」
「――――」
そう返されてはどうしようもない。
「花蓮は?」
「愚問です」
確かに愚問だった。来るか来ないかの二択の答えはわかりきっているのだから。
「わ、私も行く」
これは意外だ。綾子もついて行くと言い出した。
「大丈夫か?」
「うん。というか今ここであんたたちに置いてかれた方が多分大丈夫じゃない」
少し考えた後。ついて来てもらった方が安全を確保できるかもしれないという結論に至ったため士郎は「わかった」と返事をした。
「――行こう」
数人の従業員が客を一か所に集めているが、彼らも混乱しているというのと、モール内が暗くなっているということもあり気付かれることなくロビーから抜け出すのは容易だった。
「それにしても遠坂妹は運がよかったな」
彼女はギリギリ外に出ていたため結界に捕らわれることはなかった。
「そうね。逆に綾子の方は運がなかったみたいだけど」
「ほんとよ。入らなきゃよかった」
こうなってしまった以上はどうしようもない。
唯一の一般人である綾子を安心させるために適当に会話をしながら士郎を先頭に四人は歩みを進める。
(――流石に魔術師だな)
凜の様子を見てみると、彼女は混乱することなく冷静に周囲の様子を窺っていた。
「…上か」
ロビーのエスカレーターは目立ってしまうので別の場所にある階段を使って悲鳴のした階に上る。
「この辺りだよな」
悲鳴の上がった正確な場所まではわからないので二階をひたすら探索する。ある程度歩いたところで士郎は人影を発見した。
「――――」
「あ、人いる。あの人じゃないの? さっき悲鳴上げたの」
士郎の横を歩いていた綾子も人影を発見した。彼女が指さした方向には女性が立っている。声の高さから考えてさっきの悲鳴は男性でなく女性が出したものに間違いない。目の前にいる女性が悲鳴を上げた人物である可能背は十分にある。
故に警戒しなければならない。
「気付いたみたいね」
女性は四人に気付き、近づいてきた。歩き方を見る限りおかしな様子はない。普通の人間の歩き方だ。
「大丈夫ですか?」
綾子の質問に対しての返事はない。ただだんだんと人型は近づいてくる。
「あの――」
「――――!」
声をかけた綾子の方へ女性は急に走り出し首を絞めるかのように襲い掛かってきた。
「……仕方ない」
凜が後ろで何か準備していることには気付いているが、間に合いそうにないので士郎は動くことにした。
「え――」
綾子は驚愕する。
女性に襲われたからではなく、士郎がとてつもない速さで女性の腹部を殴り数メートル先に吹き飛ばしていたからだ。
「あんた…」
「美綴、ちょっと下がってろ」
ここからは穂群原学園二年の言峰士郎ではない。代行者言峰士郎として行動を開始する。
「遠坂。事情は後で話す。それでいいか?」
「――ええ、問題ないわ」
「助かる。あと一応言っておくがそっち側から二体来てる。こっちは七体ぐらいいるけど、そっちが危なくなったら呼んでくれ。すぐ行く」
「…了解」
殴り飛ばした女性の通路の奥からさらに六体現れた。
視認はしてないが凜が見ている後方にも同じ存在がいることはわかっている。
「あ、そうだ。遠坂、こいつらを人間だと思う必要はないから躊躇はいらないぞ」
士郎はサシャから貰った腕輪を外す。
外した直後、凜が眉を顰める。
理由は彼の持つ魔力が突然高まったのを感じ取ったからだろう。
「花蓮」
自分で持っているとこわしてしまうかもしれないので腕輪を花蓮に投げる。
そして代行者は七体の人型の方へと体を向き直す。
「
その言葉を呟くと士郎の手の中には概念武装『黒鍵』が握られていた。
「これで十分だな」
彼らは人間ではない。ただの殲滅対象。黒鍵を持った代行者は人型の生き物たちの方へと歩く。
彼らは獣のように呻き声を出しながらその様子を観察する。
あと十数歩のところまで近づいたところで、彼らは連携などすることはなく最短距離で士郎に襲い掛かった。
「………」
無我夢中、彼を襲うことしか頭にない人ならざる怪物。士郎はそんな彼らを目の前にしても足を止めずに進む。そして、
「――半死徒の上に知能までないならこんなものか」
――ものの数秒で七体いた人型の何かを全て細切れにしていた。
過去編に関してなんですがもしかしたら別作品として投稿することになるかもしれないので、よろしくお願いします。
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人類史の否定者
振り返ると凜の方もちょうど二体を絶命させたところだった。
額に穴の開いた半死徒たちが倒れている。
「うぷ…」
目の前で起きた光景をすべて見ていた綾子は床に膝をつき胃の中にあるものを吐き出していた。
「刺激が強すぎたな」
漂う異臭。自分たちと同じ人型だったものの肉片が七人分散らばっている。初めてこんなものを見たら普通の人間は綾子と同じ反応をするだろう。魔術師である凜ですらそれらを見て口元を抑えている。
「…言峰くん。やっぱりあなた聖堂教会の代行者なのね」
凜は苦しそうにしている綾子の背中を摩る。
「――俺が代行者であることを知ってたのか」
魔術師であることが気付かれたのならまだわかる。教会の人間だということも、彼の保護者がディーロが教会に属しているというのは凜も知っているはずなので、そこから士郎が教会の人間だということも予想は可能なのでまだ納得はできる。だが結局それは憶測に過ぎない。
そのはずなのに凜は士郎が教会の人間、しかも代行者であることをまるで知っていたかのような口ぶりで話していた。
「私も思い出したのはあなたの名前を聞いた時だけど、ディーロ神父より前に冬木教会に務めてた神父の名前が言峰だったのよね。あとそれとは別に言峰って代行者にこの冬木市で助けてもらったことがあったから、同じ名前のあなたももしかしたらそうなんじゃないかなって思ってたの。魔術師だったのは驚きだけど」
「――ここで親父に助けられたってことは…十年前か」
「ええ、そうよ」
十年前、聖杯戦争の起きた年。士郎と花蓮の父親、言峰綺礼は冬木市を訪れていた。士郎を養子にしたのはその時だ。
「まあ、今はそれよりも…」
凜は口を服の袖で拭っている綾子に目をやった。
――魔術師には掟がある。一般人にその力を見られてはいけない。目撃された場合は即座に殺す。そういったものだ。
「殺さないぞ」
士郎は魔術師ではない。魔術使いだ。彼にはルールを守る道理はない。
「あと言っとくが殺させない」
「――――」
お互いの視線が交差する。
士郎はどうあれ凜は正真正銘の魔術師。ならば掟は守らなければならない。
位置的に凜の方が綾子に近いが彼女が攻撃を終えるまでにその距離を一瞬で詰められる自信が士郎にはあった。
「――ああ、そのこと? 別にそんなつもりないわよ」
「は?」
「だから綾子を殺すつもりなんてないって言ってるの」
凜の言葉に士郎は困惑する。
遠坂は由緒正しき魔術師の家系。ルールは守らなければならないはずだ。
「………こう聞くのもあれだけど…いいのか?」
「あのね、モールの内側だけでも何人魔術を見てると思ってるの。外側なんてもっと人がいるかもしれないのよ? 一人二人殺したからってどうにもならないでしょ」
実際に結界魔術を何人も目撃してしまっている。それで既に百人以上は目撃者がいるのだ。しかもこれほどの結界ならヴェルデの外側からも視認できる可能性も高い。
「口封じするには殺す数が多すぎる…そういうことか?」
「そうよ。私ひとりじゃ到底対処しきれない。だからやらないの」
「――――」
(こいつならこの状況でなくても殺さなさそうだな)
彼女ならおそらく今回のような場合でなくとも綾子を殺さないのでないか、そんな気がした。
「甘さか…」
魔術師には必要のないものを凜は持ってしまっている。士郎の目には彼女は真の魔術師ではないように映った。
「何か言った?」
「いや何も」
わざわざ本人に言う必要もない。言ったとしても何が起こるかわかったもんじゃないので彼が思ったことを口にすることはなかった。
「で、さっきしようとしてた話はなんだったんだ?」
「……これよ」
生物として機能していないものを指さす。
「なんなの?」
「お前も知ってるだろ。死徒と呼ばれてるものだ」
「これが? 話に聞いてたのとはだいぶ違うけど」
「正確に言うなら死徒擬き。人間の道は外れたが完全な死徒にはなれなかった者達だ。教会では半死徒と呼んでる。人の血を吸い、吸った相手を自分と同じ存在へと変化させる。ゾンビなんて言った方がわかりやすいか」
「――――」
士郎から聞いた話を整理しているのか次に凜が口を開くまで少しの間があった。
「――どういうものなのかはわかったけど。なんでそんな奴らがここにいるの?」
「……気付くのが遅れたけどさっき半死徒じゃない本物の死徒を見た。多分そいつが原因だと思う」
「確証はないの?」
「ない。恥ずかしい話だが気を緩めてた」
「そう…。ならとりあえずこれからどうするか決めましょう」
原因がわからなくても、次の行動に移らなければならない。同じ場所にいるのはかえって危険だ。
「遠坂。あの結界はお前から見てどうだった?」
伝統ある家系の魔術師。士郎もある程度魔術に関しての知識は詰め込んでいるが、ここは専門家の知識を頼った方がいいだろう。
「まだ分析してないから詳しいことはわからないけど…それでもいい?」
「構わない」
「――範囲の広さの割に頑丈。物理的な攻撃にも魔術的な攻撃にもなかなかの耐性がある…そんなところかしら。少なくとも今の私の手持ちの宝石じゃ壊せないわ」
詳しいことはわからないと言った凜だったが士郎からしてみれば十分すぎる情報を提供してくれていた。
「そうするか…」
手詰まりというわけではない。凜は現在持っている宝石では破壊できないと言っていた。裏を返せば石さえあれば破壊は可能だと言ってる。
「俺なら突破できる…? わからないな。試すしかないか」
「――おい…」
少し落ち着いた様子の綾子が声を発した。
「…なんなんだよ、これ」
綾子は死体を見て再び吐き出しそうになるがなんとか寸前で耐える。
「――遠坂も言峰なにもなんなんだよ」
純粋な問。自分にとっての非常識をついさっきまで一緒に遊んでいた友人がしたのだ。綾子からしてみれば、訳が分からない。この一言に尽きるだろう。
(なんなんだろうな)
綾子の問いに対して士郎は真剣に考え込む。自分が何者なのかについて。
考える。
考える。
考える。
自分が何者なのかを。
「士郎」
「……大丈夫だ」
花蓮の言葉で独り歩きしていた意識が引き戻された。
「綾子、そのことは後で話す。それよりもいつ死んでもおかしくない状況だから、今はここから生き延びるために動かないといけないの。いい?」
「――――」
それは綾子が今まで聞いてきた凜の声の中で一番真剣なものだった。
「――わかった」
嘘は言っていない。真実だと直感的に察知する。
彼女は凜の言葉を信じて承諾した。
「言峰くん。綾子はどうする?」
綾子は一般人。三人とは勝手が違う。
「ロビーには戻したくないな…」
それは躊躇われた。安全なところに彼女を送りたいが、モール内で一番安全なのは士郎、花蓮、凜の傍だ。
「なんで? あそこ人多いだろ?」
「だからだよ。俺たちが殺した奴らで最後じゃないだろうし、あそこにいるのが今日モールに来た客全員じゃないはずだ」
人の多いところにいた場合、不安はもちろんだが逆に同じ境遇の存在がこんなにもいるのだと安心感にも包まれる。しかしあの場は安全ではない。
人が多いということは狙われやすいということ。ここに現れた半死徒たちには知能がほとんどないようだった。思考能力が皆無の彼らは本能に従い人の多いところに集まるだろう。
ロビーにいるのは一般人だ。知能がないとはいえ、人の力を上回っている半死徒にかなうわけがない。
「安全が確認できるまでは連れていこう。それが一番安全だ」
「了解」
反対する声はなかったので士郎の言った通り綾子は脱出できるまでこのまま同行させることになった。。
「とはいってもな…」
元凶である可能性が高い黒ジャケットの死徒を探すか、一旦ロビーに戻って状況確認をするか。
「とりあえず――――」
「――隙だらけだ」
聞いたこともない男の声がちょうど士郎の真後ろでする。それと同時に男から蹴りが繰り出されていることに彼は気付いた。
「――――」
死角からの攻撃。もはやその蹴りの速度は弾丸と同等と言っても過言ではない。ただの人間ならば蹴られたことにすら気付かずにその命を終えるだろう。
だが、士郎は違った。
彼の人生が変わってからの十年間で培った危険予知能力。それのおかげで振り返りながら反射的に体を反らせてなんとか回避する。
そして、
「その足、貰うぞ」
無理やり体を捻り右手に持つ黒鍵で謎の男の右足を裂いた。
男は少しだけではあったが苦痛の声を漏らし、その場から飛び退いた。
「言峰くん! 援護を――」
状況をやっと理解した凜が士郎の援護をするために魔術刻印の光る右腕を突き出す。
「――必要ない。二人を頼む」
彼は凜の援護を拒否して追撃を始める。士郎が斬ったのは男のアキレス腱。攻めるなら今だ。相手に一秒も時間を与える気はない。
瞬き程の刹那の時間で士郎は男との距離を詰める。
「面白い」
黒ジャケットを着た男――人類史の否定者である死徒は笑った。
もうあと少しで前編は終了です。閉ざされたモール内での戦闘がここからどうなっていくのか、お楽しみください。
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第一の聖杯
少年は常人では捉えることのできない速度で細い投擲剣を振るう。
対する黒ジャケットの男は武器など持たずに己の拳のみでそれを相手する。士郎に足を切られてから十秒ほど、彼の足は完治しかけていた。すでにハンデはない。
両者の技量は到底素人に測れるものではなく、理解もできないほど高次元の戦いだった。ある程度武術の心得がある凜でさえも動きを追うだけで精一杯。二人がどのような駆け引きをしているのかまではわからない。
「少し離れましょう」
花蓮が凜に提案する。
「彼一人であの怪物を?」
「士郎なら単独でも問題ありません。それに私たちがいては邪魔になるだけです」
「――――」
反論はない。まだ一分も戦闘を見ていないが、凜はこれが自分が介入できるような戦いではないということはわかっている。
「――わかった。綾子、移動するわよ」
「…………」
綾子は目の前の光景を呆然と眺めていた。
「ほら!」
「あ…」
凜に手を引っ張られて彼女も歩き出した。
その瞬間、
「――――!」
男の重い拳を正面から受けた士郎が吹き飛ばされる。ロビーの方向だ。
「士郎…」
***
通路を数メートル吹き飛ばされたところで士郎はなんとか足を踏ん張りブレーキをかけて止まった。
「――鍛錬は怠ってないけど実戦がないとやっぱり鈍るな。いつもやっていることをどんな時でもできるようにしたいもんだ」
この数十秒戦った士郎から出た感想はそれだった。
まともな死徒との戦闘は久しぶりになる。戦闘の感覚がいまいち掴めていない。
今の殴りも何とかガードができたが下手をすれば内臓を持ってかれていた。以前ならこうはならなかっただろうと、士郎は自分の未熟さを再確認する。
「ここは…ロビーか」
背後を見ると開けた空間があった。入口の近く、つまりロビーだ。ヴェルデは吹き抜け構造になっているため二階からロビーの様子を窺える。彼の背後が開けた空間になっているのはそのためだ。
「ここまで来たなら様子を見ておきたいな…」
もう少し背後に下がれば一階のロビーが見える。悲鳴などは聞こえないのでまだ危険にはさらされていないようだが、念のために目で見て確認しておきたい。
「でもそんな暇ないか」
死徒である人外は紳士のように整った歩調で歩み寄ってくる。
「まさかこんな極東の地で代行者と出くわすとは。まったく…運がいいのか悪いのか」
外国人とは思えない悠長な日本語。
黒鍵を見て士郎が代行者なのだと死徒はすぐにわかったようだった。
「――この結界を展開したのはお前か?」
「なんだ、話すのか。問答無用で殺しにかかってきたから会話はしないのかと思っていたぞ」
「先に手を出してきたのはあんただろ」
「手を出していなくても私を発見したら貴様は殺しにきただろう」
「それが俺の役割だからな」
「ふむ。役割か」
その後に男は小さな声で「つまらないものだな」と言葉を続けた。
「それよりも死徒、俺の質問に答えろ」
「…お前の言った通り結界を張ったのは私だ。魔術を少しかじっているのでな。それと私には名前がちゃんとある。リカルドだ。そう呼べ」
死徒――リカルドは否定もせず結界は自分が張ったのだと認めた。
「魔術師でもある死徒か。リカルド、なんであんたはこんなところで結界まで展開させて半死徒を増殖させてるんだ」
「なに、単純なことだよ。血が欲しいだけだ」
「だから人が多いここを?」
「その通りだ。わざわざ人間が集まる休日まで待った甲斐があった。平日よりも数が多い」
血を多く集めるならのが目的ならばこの土地でこの日のここ以上に適している場所はないだろう。
「なぜわざわざ冬木で血を集める。ずっとここにいたわけじゃないんだろ。多く集めたいなら他にもいい土地はあるはずだ」
そう、血を吸うだけなら日本の冬木市までくる必要はない。大量に日本で集めるなら地方都市ではなく東京に行った方が効率的だ。
「ここまで来たのはあるものに依頼されたからだ。血を吸ったのは……まあ正直依頼とは関係ないな」
「関係ない?」
「ああ。言葉通りだ」
驚くほどに素直にリカルドは質問に答えているが、偽りはない。そう感じられた。
「私の方から質問させてもらうぞ……と、その前に名前だ。私が名乗ったのだから貴様も名乗れ」
「――言峰…言峰士郎だ」
「言峰士郎…か。なるほど承知した。短い間になるだろうがその名で呼ぶとしよう」
かみしめるように彼は士郎の名前を復唱した。
「それで言峰士郎。私からの質問だ。かつてこの地にあったどんな願いもかなえると言う万能の願望機について知っているか? いや、教会の人間なら知っていて当然か。質問を変えよう。『
「――――」
万能の願望機。それは聖杯戦争において勝者だけが手に入れられる聖杯のこと。彼はそれがどこにあるのか士郎に質問した。
「――十年前に破壊されてる。今はもうここの聖杯は存在していない」
「ほう…」
十年前の聖杯戦争で冬木市に設置された『第一の聖杯』は破壊されてしまった。
つまりリカルドの求める願望機は存在していない。
「…あの人間に聞いた通りだな」
その答えがわかっていたかのようにリカルドは笑う。
「さて、お互いに最低限の確認は済んだだろう。続きを始めよう」
「
士郎は新たに黒鍵を作り出し、構えた。
本編は残り二話です。過去編もあと一話書いてあるのでそちらを投稿したらしばらくは休みになると思います。
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トレース・オン
「数は多いけど、戦闘能力はそこまでないのね」
移動しながら出くわした死徒を凜が得意とする魔術、ガンドで次々と打ち抜く。
少なくとも十体以上は殺しただろう。
「……言峰くんのほうはどうなったのかしら」
戦闘の邪魔にならないようにあの場から離れたわけだが、そのせいで様子がわからない。
「士郎なら問題ないです」
「その根拠は?」
「まだ繋がりを感じますから。それに――」
「……」
「――約束があるんです」
「…約束?」
「ええ。私を一人にしないって」
***
モール内での二人の戦闘は続く。結界によって店内が薄暗くなっていることなど二人にとっては関係ない。
力量に大した差は見受けられない。あるのは経験の差か、戦闘中でもリカルドからは余裕を感じられる。
「――貴様の魔術は実に面白い。投影とは違うようだな。中身がある。何本でもそれは作り出せるのか?」
死徒であり、魔術師でもあるリカルドは殺し合いの最中でも士郎の不思議な魔術を示す。
「――――」
だが士郎は一切言葉を返すことはない。
「――切り替えているのか。まあいい。聞かなくても見ればなんとなくわかる。魔力が続く限りは永遠に作り出せる。さらに破壊されない限りは消えないと言ったところか」
鋼のように硬いリカルドの拳によって何本もの黒鍵がへし折られている。壊されるたび士郎は新たに完全な黒鍵を生み出す。
「面白い…! そのような魔術を使うものは今まで見たことがない!」
長年生きてきた自分にも知らないものを見て彼は少年のように興奮していた。
「ゴ――ッ!」
僅かに見せた一瞬の隙を突かれ士郎は腹部にリカルドの鋭い蹴りを喰らわせられた。
そのまま数メートル吹き飛ぶ。
「この歳になってもやはり未知との遭遇は楽しいものだ」
リカルドに傷を負わせていないわけではない。しかし黒鍵一本で与えられるダメージには限度がある。その限界以上に彼の再生能力は高いため、リカルドはほぼ無傷だと言ってもいいだろう。
ならばどうするか。答えは、単純に攻撃方法を変える。それだけだ。
「…
再び黒鍵が現れる。今回は一本ずつではなく、三本ずつ。
「またか。いいだろう。その全てを……、――――!」
士郎の手もとにあったはずの黒鍵はいつのまにかリカルドの目の前まで迫って来ていた。
あまりの投擲の速さにリカルドもどのタイミングで投げられたものなのかすら気付けなかった。
「ガ――――!」
避ける暇などない。額には刃渡り80cmほどの細い剣が突き刺さる。
さらに遅れてもう二本。右目と鼻のあたりに突き刺さり、彼は衝撃によってその体を仰け反らさせた
だがまだ足りない。
「――――」
出現させた黒鍵は六本。まだ手元には三本ある。これは投擲には使わない。直接斬りかかる。
「ハハハハ!」
笑いながら体を起こし、至近距離まで来ている士郎を潰されていない左目で捉える。
そのままリカルドは右手で士郎に頭に掴みかかる。
「……甘い」
強化の魔術によって強度を上げた黒鍵でリカルドの右腕を斬り落とす。
彼の腕からは勢いよく血が噴き出た。
「次…!」
狙うは左腕。そちらも切断して手での攻撃手段を封じる。
「――甘いのはどっちだ?」
「なに…!?」
士郎は失念していた。リカルドが魔術師であることを。
「爆ぜろ」
吹き出た彼の血が突如として発光し爆発した。
「グ――――ッ!」
回避するために後方へ跳躍する。だが流石に完全な回避をすることはできなかった。
左半身を損傷する。
「左腕は使えないか…」
辛うじて繋がってはいる。しかし感覚がない。片腕が封じられた。
(使えるのは右腕…あと両足か)
腕が片方使えないのはリカルドも同じ。再生能力はあれど切断された以上再生までには時間がかかる。
「なるほど…なるほどなるほど!」
自分の右腕がないことなど気にしていない。彼は顔に突き刺さっている黒鍵を抜きながら声を高々と発する。
「聖堂教会には埋葬機関というものがあるらしいな。そこには『弓』という異名を持つ者がいると聞くが…もしや言峰士郎、貴様のことか?」
「まさか。俺はあの人には及ばない」
「そうか。しかしそれでも構わない! 貴様は十分私を楽しませてくれる! さあ、さあ、さあ! 続きだ!」
左腕を封じながらの戦い。したことがないわけではないが、慣れているわけではない。
「はぁ………」
深く息を吐く。精神を安定させる。ここからの戦闘は少しでも油断した時点で終わる。
「行くぞ、言峰士郎」
「…………」
両者が踏み出した瞬間。
――事は起こった。
「――! 外部から結界が破壊されただと? しかも一瞬で…」
ショッピングモールに光が差し込んだ。外に出られるようになったのだろう。ロビーの方から大勢の喜ぶ声が聞こえる。
そう、結界が破壊されたのだ。
「――――」
リカルドの様子が一変する。つい先ほどまで上機嫌だった彼は、その不機嫌さを隠すことなく顔に表していた。
「結界が消えた以上今回はここまでだ」
「逃がすと思うのか」
「今の貴様に逃がさないための行動はできまい」
すでに士郎は満身創痍。リカルドの言う通りこれ以上の戦闘は避けたい。
「言峰士郎。いずれまた対峙することになるだろう。その時までこの続きはお預けだ」
腕が再生しつつあるリカルドは士郎に背を向け、どこかへ歩き去ってしまった。
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未知なる存在
ここまで見てくれた方々ありがとうございます。
今後の更新についてはあとがきに書いておきますのでご参照ください。
「消耗しすぎた」
地面に膝をつく。血を流しすぎているせいで視界が安定しない。ぼやけている。
「…先生は無理だって言ってたけど、花蓮に言われた通り治療魔術は使えるようになりたいな…」
「だから言ったでしょう。それにしても情けない顔ね」
「――花蓮」
声をかけたのは自分の妹であると士郎は即座にわかった。
「悪いな。逃がした」
「仕方ないでしょう。予期せぬ出来事でしたし」
「そうだな…」
何とか立ち上がろうとするが足は言うことを聞かない。ふらついてしまう。
「しっかりしなさい」
花蓮は士郎の体を支える。
「助かるよ」
兄が妹に支えられると言うのは絵面としていいものかと考えたが、心地がいいのでそのまま抵抗することなく体を預けることにした。
「言峰! 大丈夫か?!」
遅れて綾子と凜が駆けつけてきた。
綾子の方は士郎のことを心配そうに見ている。
「大丈夫だ」
「そんなわけないでしょ。全く…あなた治療魔術は?」
「使えない」
「私が使えます」
「そう。なら二人でやりましょう。壁際に座らせてあげて」
花蓮は士郎を壁にもたれかけさせるように座らせた。
凜と花蓮は膝をついて士郎の傷の具合を確認する。
綾子は何もできないので二人の謎の力による治療をただ立って見守るのみ。
「……これなら手持ちの石だけでもなんとかなりそうね」
「すまない」
「いいわよ、このくらい。あの怪物を一人で相手してもらってたんだから、そのお礼とでも思いなさい」
「ああ」
***
「こんなものかしらね」
治療は終わり凜と花蓮は立ち上がった。
「助かったよ」
数分の治療で士郎の傷は完治した。腕も問題なく動かせる。
「な、治ったの?」
「一応」
「よくわからないけど治ったんならよかった。とりあえずこんなところから早く出ない?」
治療中にロビーの様子を見てきた綾子は外に出られることを確認していた。
「………」
「おい、言峰?」
「…そうだな。一旦出よう。でも正面からは不味い。別の出口を探す」
謎の間の後に士郎は綾子の提案通り一旦ヴェルデから出ることにした。
(――おかしい)
出口に歩きながらも士郎にはまだ気にかかることがあった。
「士郎。死徒たちの気配は?」
前を歩く二人が聞き取れないように花蓮が小声で尋ねる。
「ない。感知していた全部がいなくなった」
半死徒の気配は戦闘中も数匹感じ取っていた。
士郎が現在問題視しているのは感知していた半死徒たちの気配がすべて一瞬で消え去ったことだ。
「――ここに来てもやることは変わらないか…」
冬木市に来てもやることに変化はない。
空っぽの自分に与えられた役目なのだ。代行者としての仕事はやり遂げる。
***
「正面から出なくてよかったな」
正面入り口の前には警察やら救急車がちょうど駆けつけたところだった。士郎の予想通りモール内だけでなく外でも騒ぎになっているようだった。
(これは…事後処理が面倒そうだな)
士郎たちは別の出口から外に出たため、誰にも見つかることはなかった。
「桜と合流しましょう」
結界が張られた時点で分断されていた桜。彼女を騒ぎを聞きつけて集まった野次馬の中から探す。
「姉さん!」
人の多さのわりに探す時間はそれほどかかることなくすぐに合流することができた。
「よかった…あの結界が急に張られて一人残された時はどうしようかと…」
桜は相当心配していたようだ。それは彼女も結界の異常性に気付いたが故だろう。
凜は桜に結界の中で起きた出来事を全て話した。もちろん士郎が代行者であることも含めて。
「――外から見ていて何か変わったことはあったか?」
「変わったことですか?」
「ああ。あの結界が消えたのはおそらく内側からじゃなくて外側からの干渉を受けたからだ。結界に何かしている人はいたか?」
「多分いないと――」
そこで一度口が閉ざされる。
「――いえ…いました。あれが消える少し前に結界に触っている人が」
「魔術師だったか?」
「ごめんなさい。そこまではわかりません…。ただどこかで見たことあるような気はしました」
「顔は見れたのか?」
「いえ、フードを被っていたので見えませんでした。でも体格的に女性だと思います。役に立てなくてすみません」
「いや十分だよ。助かった」
リカルドという死徒だけでなく他にも未知の存在がいるとわかっただけでも十分な収穫だ。
「今日はもう帰ろう。疲れてるだろ。特に美綴は」
「え、あ、ああ」
緊張から解き放たれたからか綾子は疲労を隠しきれていない。
「話はまた明日だ。弓具に関してもまた後日。それでいいか?」
異論なし。
この日は全員ここで解散した。
一般人の言峰士郎ではなく、代行者の言峰士郎としての活動はこの日から始まった。
***
「ねぇ、パパ?」
「なんだい?」
薄暗い部屋の中、男は十五歳前後の少女に話しかけられる。
彼はいつものように優しい声色で聞き返す。
「ううん。ただ後もすこしでパパの夢が叶うと思って」
「そうだね。僕の願いはあともう少しで叶う。あの聖杯さえ手に入れば」
「私パパのこと応援してるから頑張ってね!」
「ありがとう」
争いなどない平和な世界、それが彼の求めるモノ。願いだった。
いかがだったでしょうか。まだ前編ということで謎は多いです。その辺は今後投稿していくお話で明らかになるのでお楽しみに。
前書きで書いていた更新についてなんですが、次いつ更新されるかは未定です。ストックがある程度できたら投稿していきたいと思っていますが、いかんせんやることが多すぎて手が回っていません。なるべく次の章は速く投稿するように頑張りますので待っていていただけると幸いです。
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遠坂邸
豪邸という言葉がふさわしい内装の家の居間。その部屋に設置されたソファに士郎と花蓮は並んで座っていた。慣れない雰囲気のために士郎は少しそわそわしてしまっていた。
「遠坂。別に家に呼んでもらわなくてもよかったんだけど…」
士郎がいるのは遠坂邸である。
彼はヴェルデ騒動の日の夜に遠坂凜から家に来るように電話で呼ばれたのだった。
「電話で話すよりも実際に会って話した方がいいでしょ」
聖職者の二人の正面のソファには同じく二人の魔術師が座っている。遠坂凜と遠坂桜だ。
「ここは学校とかと違って一般人は出入りしない。今からする話は魔術関係というか、非現実的なことだから綾子みたいな一般人がいない方がいいわ。それにうちには結界があるから盗み聞きされるような心配もない」
冬木教会にも結界はある。士郎が設置したものだ。しかし士郎とは違い本当の魔術師が展開した結界内での会話の方が安心できる。
「でもわざわざ今日にする必要あったか?」
解散してからまだ数時間。ディーロに今回のことを報告して一時間ほどで凜から連絡を受けた。
「早ければ早い方がいいでしょ。あなたの場合、死徒を滅ぼす代行者なんだからなおさら。私も管理者ではないけど冬木の魔術師としてあんな危険な奴は放っておけない」
「――そうだな」
凜の言葉は正論だ。
今回の騒動の原因は強力な力を持つ死徒、リカルドだ。
近接戦闘、魔術においても相当な実力があることがわかっている。士郎が今まで見てきた死徒の中でもトップクラスの強者だろう。一般人に被害が出る前に、早急に対処する必要がある。
「今一番気になるのは死徒の目的ね」
目的が判明すればリカルドの行動が読める。そうなると対処がしやすくなって助かるのが。
「モール内であいつは血を集めるのが目的って言ってた。おそらく死徒の吸血衝動とは別にな」
「血?」
「そうだ。それとあいつは聖杯の場所を俺に聞いてきてたが、多分それが目的ではないと思う。大聖杯が破壊されたことは知ってたみたいだしな」
リカルドは冬木市の大聖杯が破壊されたのを知ったうえで聖杯のありかを聞いてきた。つまり彼の目的は聖杯ではない。
「そうね。ないのがわかってるのにここまでくる必要はないもの。それよりも血…か」
「何かわかるか?」
「――正直わからない。血は何らかの儀式に使うのかもしれないって考えたけど、そんな儀式をわざわざ冬木市でやる理由が理解できない」
「ちなみに血を使う儀式っていうのに心当りは?」
「まあ、血を扱う魔術儀式なんていくらでもあるわよ。色々あるがゆえにその死徒が何をしようとしてるのかわからないの」
判明しているのはリカルドが死徒としての本能とは別に血を欲しているということだけ。それから彼の行動を導き出すのは難しい。やはり情報が不足している。
「あんた代行者でしょ。リカルドに関しての情報はないの?」
「――花蓮、どうだ?」
リカルドという名前の死徒は初めて聞いた。士郎は隣に座る白髪の少女に知っているかどうか尋ねる。
「私も聞いたことはありません。というよりも私と士郎は厄介な立場な上に、基本的に実働部隊のようなものなので、教会から個々の死徒に関する情報はほとんど回ってきません。彼らのことを私たちに聞いてもほぼ無意味です」
「立場って…。ああ、そりゃ、教会所属なのに魔術を使ってるんだから当然か…」
士郎と花蓮の教会での立場は極めて特殊だ。それは凜が言った通り彼らが魔術を使用するからというのも理由の一つである。
滅ぼせと命令をされたら従う。役割としてはそれだけの存在。内部の事情は教えられることがないので、シエルなどの友人や知り合いから聞いている。彼らはあくまでただの兵器なのだ。
「ディーロ神父にリカルドのことは伝えておいたから調べてくれると思う」
「そう。ならリカルドに関しては後日にした方がいいかもしれないわね」
「だな」
手詰まりだ。分からないことをいくら考えても時間の無駄。この日はこの辺りでいいだろうと区切りをつける。
「じゃあリカルドの話は終わり。次に移るけどいい?」
「いいぞ。結界が破壊されたことについてだろ?」
「そうよ。よくわかったわね」
「俺も気になってたんだ。ちょうどいい」
リカルドの強力な結界は一瞬で破壊された。
それをしたのは代行者の士郎と花蓮でもなく、魔術師の凜と桜でもなかった。
「桜は見れなかったのよね」
「はい。顔は見えませんでした。ごめんなさい…」
「謝る必要はないわよ」
桜の話ではフードを深くかぶった人物が結界に軽く触れていたらしい。体格的に女性だと言う話だが、肝心な顔は確認できていない。
「遠坂、あの結界を一瞬で破壊できるような魔術師は冬木市にいるか?」
「――いる。一人だけ」
「それは――」
士郎の言葉を遮るように、玄関からチャイムが鳴り響いた。
「私が行きます」
桜がソファから立ち上がり、居間から出て玄関へと向かった。
「来たわよ。噂の魔術師が」
「今来たのが?」
「ええ。桜が見覚えがあるって言ってたからもしかしたらと思って声をかけておいたの。女性って条件もクリアしてる。私の顔見知りよ」
チャイムを鳴らした人物は家の中へと入ったようだ。桜ともう一人の人物の足音が廊下からしているのを士郎は聞き取っている。足音は近づき、やがて居間の扉へ。そして開かれた。
最初に桜、その後に彼女は姿を見せた。
「あなたは…」
「――呼ばれて来てみましたが、神父さんもいたんですか。こんばんは」
居間に入ってきた女性。士郎と桜は彼女のことを知っている。一か月以上前に一度出会っていた。
「知り合いなの?」
お互いの反応を見て凜はそう思った。
「一度道を教えてもらったことがあるんだ」
「へえ、偶然ね」
しかしその時に彼女から魔術師並みの魔力は感じなかった。
「――結界を破壊したのはあなたですか? そもそも、あなたは何者なんですか?」
投げられた質問に女性は順番に答えていく。
「――ここなら隠す必要はありませんね。結界を破壊したのは私で間違いありません。何者かについては…そうですね…。凜ちゃんと桜ちゃんのお姉さん兼魔術使いの砂川愛梨です」
砂川愛梨。それが女性の名前だ。
彼女の苗字は士郎も知っている。
「砂川って名前は知ってるかしら。一応説明すると冬木市に居を構えてた魔術師の家系ね」
「待て、砂川家は…」
砂川家。遠坂と同じく由緒正しい魔術師の家系。士郎が調べた情報では、十年前の第十次聖杯戦争で、砂川一族は全滅したとされていた。
「ええ、壊滅しました。私は唯一の生き残りです」
「この人は第十次聖杯戦争で生き残ったセイバーのマスター。実質的な勝利者よ」
「私は勝者なんかじゃないですよ。ただの何の力もない凡人です」
あの地獄を作り出した第十次聖杯戦争の意生き残り。リカルドの結界をいとも容易く破壊した魔術師。それが彼女、砂川愛梨。
「そういうわけでよろしくお願いしますね。神父さん」
その時に愛梨のみせた顔は、幼い少女がみせるような可愛らしい笑顔だった。
次はおそらく過去編が投稿されると思います。最近は別のfateの小説を書いているのでLost Holy Grail中編についてはいつになるか不明です。なるべく早く投稿するように努めます。
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Lost Holy Grail 中編
登校中
聖杯戦争は全三箇所で順に行われる。
その三箇所のうちの一つが日本の冬木市。『第一の聖杯』が設置された極東の地である。
願望機である聖杯を求め、魔術師たちは何百年も争いを繰り返し、血を流した。
そして十年前、冬木市では四度目の聖杯戦争――第十次聖杯戦争が行われた。
もう十度目にもなる為、すでにルールは明確になっており、第一次や第二次の頃のようなルール無用の殺し合いではなかった。
けれどこの第十次聖杯戦争ではイレギュラーが起きた。いや、聖杯戦争とは常にイレギュラーが起きうるものだ。正確に言うのならば、十年前の聖杯戦争は最初から最後まで異常だった。
聖杯に呼ばれていない英霊の侵入、監督役の行動、そして死徒のマスターとしての参加など。これら全てが重なった結果、冬木市の鍾乳洞内にあった聖杯戦争のシステムそのものである大聖杯――『第一の聖杯』が消滅し、舞台となった街は炎に包まれた。
多くの命が消え、多くの者たちが悲しんだ。
神の救いなんてない。
街を支配したのは絶望のみ。
あれほど酷い結末を迎えた聖杯戦争はかつてなかった。
――だからこそ、彼……言峰士郎という存在がこの世に生まれたのかもしれない。
***
ショッピングモールの事件から二日後、高校は通常登校だ。事件現場であるヴェルデと穂群原学園では距離が相当離れているので当然と言えば当然である。
月曜はたまたま祝日だったので休息十分に取ることができている。士郎の体に不調はない。
「――………?」
聖堂教会への報告はディーロがしてくれていた。その際、リカルドという名の死徒につての情報があるかどうかも聞いていたのだが、収穫はなし。やはり未発見の強力な死徒は、世界にまだまだいるのだということを代行者である少年は改めて認識した。
「――……う?」
現段階で最大の問題はリカルドなわけだが、他にも考えるべきことはある。
砂川家の生き残り、砂川愛梨。実質的な第十次聖杯戦争の勝利者であるという女性のことだ。
なぜ自分のことを知っているのかということのも気になるが、彼女の立ち位置が不明だ。一昨日は挨拶するだけすると彼女はさっさと帰ってしまった。そのため目的がわからないままなのだ。
「――…ろう」
リカルドが『第一の聖杯』と言っていたことも気になる。この言葉を知っていることは別に何の問題もない。あの様子だと大聖杯と小聖杯についても知っているのだろうが、それは十年前に公になったことなので知っていてもおかしくはない。だから問題はそれらの事情を知った上で、リカルドがここを訪れたことだ。一般人を半死徒化させ、どこかへ消した。これらの行動からして、確実に何かしらの目的があるはずだ。
(ただの学生でもいられないな)
士郎を悩ませる要因は多々ある。そろそろそれらを解消するために、代行者として本格的に動いた方がいいのだろう。
「――士郎!」
「うわぁ!?」
花蓮に耳元で名前を呼ばれ、士郎は素で驚いた。
「まったく…。朝から大きい声を出させないでください」
「ご、ごめん。それでどうしたんだ?」
「いえ、あなたがボーっと歩いているので声をかけたのですが、応答がないので大きな声を出しただけです」
つまり用事はないらしい。
「なにか考えてたんですか?」
「ん…まあ、色々と」
「何かあれば相談を」
「わかってる」
花蓮は頼りになる。でも、あまり頼りたくないのが士郎の本音だ。
と、そこに近づいて来る人物が一人。
「――言峰くん」
呼ばれて振り返れば二人の少女がいた。
「おはよう」
「おはよう、遠坂。桜もおはよう」
「おはようございます」
意図的に被せているわけではないのだが、彼女たちとは通学路が同じなのでどうも登校が一緒になる。
「体は大丈夫?」
「とりあえず問題ない。花蓮と遠坂のおかげだ」
あそこでの治療は正解だった。あの状況で数分でも放置していたら、未だに士郎はベットの上で横になっていたかもしれない。
それほどリカルドとの戦闘で士郎はダメージを負っていた。
「今日はどうするの?」
凜のどうするのというのは、代行者として今日は何をするのかと質問してきているのだろう。具体的には決めていなかったので、パッと出てきたことを口にする。
「そうだな…。まず砂川さんから話を――」
「呼びました?」
「――――!」
突然かけられた声。
士郎は飛び退き、今にも戦闘態勢に入る寸前だった。
「私ですよ、私。砂川愛梨です」
にっこりと笑う女性がそこにはいた。
「愛梨さん、なんでいるの?」
「たまたまここを通りかかったら皆さんを見かけたので来ちゃいました」
「来ちゃいましたって…」
能天気な愛梨を前に凜は呆れ顔だ。
「でも愛梨さんが外にいるなんて珍しいですね」
「桜ちゃん、それは語弊があるよ? 外にはちゃんと出てるから。外で出会ってないだけだから」
愛梨は未だ自分と距離をとったままの士郎へと目をやった。
「ほら、神父さんも学校ですよね。そんないつまでも警戒していないで学校に行きましょう」
「――――」
なぜこの人も一緒に行くつもりなのかということはひとまず気にしないで、士郎は歩き始めた。他のメンバーも止めていた足を動かし始める。
「体は大丈夫なんですか? 神父さん」
「――あの、神父はやめてください」
「? なんでですか?」
きょとんと不思議そうに愛梨は首をかしげて尋ねてきた。
「神父って呼ばれるような人間じゃないんですよ、俺は」
あくまで殺す者。
聖職者を目指しているわけではない。やれるからやっているだけだ。
「うーん…。なるほど。わかりました。では士郎くんと呼びますね」
士郎の顔を数秒眺めると愛梨は納得したように頷いて、彼を士郎と呼ぶことにした。
「…それでお願いします」
「はい。あ、士郎くんと花蓮ちゃんも凛ちゃんたちと同じで、私を愛梨さんって呼んでくださいね。愛梨お姉ちゃんでも可です」
そんなやり取りをしつつ、学校に向かう四人と共に愛梨は歩く。
「今日はどうする予定なんですか?」
「それについて話そうとしてたところで愛梨さんが来たんです」
「あー、そうだったんですか。ごめんなさい。…それでどうするんですか?
「愛梨さんから色々話を聞いておきたいと思ったんですけど…」
放課後にでも話を聞きに行こうかと思っていたのだが、ちょうどよかった。ここで聞いてしまってもいいだろう。と、思っていたのだが意外な言葉が彼女の口から発せられた。
「協力はしたいんですが、私は下手に情報を口にできません。申し訳ないです」
「どういうことですか?」
「――見られていますから。本当はこうやって会うのも避けたほうがいいんですけど…」
愛梨は天を仰いだ。
士郎もつられて空を見上げるが、何もない。ただの青空だ。
「よくわかんないけど…。それじゃあなんで接触してきたのよ」
凛は怪訝な目を愛梨へ向ける。
「そうやって深く聞いてこない凛ちゃん好きですよ。…というわけで話を戻しますが、伝えておきたいことがあったので来ました」
「伝えたいこと?」
「はい。ちょっと昨日ヴェルデを調べたんですよ」
「どうやって調べたんですか? 確か今は閉鎖されてるんじゃ……」
「そうやって細かいところを気にする桜ちゃん嫌いですよ」
「えぇ…」
理不尽な嫌われ方をした桜だった。
「とりあえず、昨日愛梨はヴェルデに侵入して店内を調べたんですよ」
「結果はどうだったんですか?」
「案の定死体はなし。ヴェルデ内は以前と変わらないただの綺麗なショッピングモールでした」
「つまり収穫はなしということですか?」
彼の言葉に対して、首を横に振った。
「人が殺されていたのに死体がない。これはこの際どうでもいいんです。それを踏まえて私の報告は何かおかしいと思いませんでしたか?」
「――――」
士郎は考える。確かに彼女の言葉には引っかかる部分があったのだ。愛梨の言葉を脳内で何度か再生し、ようやくおかしな点に気づいた。
「――綺麗だった…?」
「流石です。士郎くん」
愛梨は以前と変わらないただの綺麗なショッピングモールだと言った。だが、それはおかしな話なのだ。
「確かに…。綺麗っていうのはおかしいわね。だってあそこで…」
彼女の思っている通りだ。
一昨日、あそこでは死徒が人を襲っていた上に、士郎たちだって死徒を殺して血を撒き散らしていた。それだというのに店内が綺麗というのは確実におかしい。
「――今日帰ったらディーロ神父に詳しい話聞いておく。事後処理の最中だろうし」
ディーロは事後処理という名の隠蔽工作の真っ最中だ。今朝はそれのせいで彼が頭を悩ませていたのを士郎は覚えている。
「それと最後に。これに関しては確証はないんですが、近々またリカルドの襲撃があるかもしれません。それは気を付けてください」
「わかりました」
「――そろそろ着きますね。では、私は調べたいことがあるので行きますね。また近いうちに会いましょう」
言うだけ言った愛梨はくるりと回転して四人の向かっている学校とは反対方向、つまり来た道を戻っていった。
「――――」
士郎はその後姿を見つめる。彼女はその視線に気づいているだろう。
「――どう? 愛梨さんは」
凛から尋ねられるが、どうも何もないだろう。
「怖い」
「怖い…? どこが?」
「何考えてるかわからないところ」
彼女の思考は全く読めない。士郎の経験上、あのような手合いが一番油断ならない。
「ふーん」
「お前たちの知り合いなのはわかってるけど、あんまり現段階だと信用できないな…」
信用できるか否かを判断するにはいかんせん情報が足りなさすぎる。今の状況では全く彼女のことは信用できない。
「いいんじゃない? 私もあの人のこと全部把握してないし。怪しく思うのは当然よ」
「――それに…」
「それに?」
今まで出会った魔術師の中でも砂川愛梨は異質だ。
その片鱗を士郎は彼女が現れた時に感じ取っていた。
最初に花蓮に名前を呼ばれた時とは違い、今回は意識が確かにあり、警戒も最低限していた。そのおかげで凛たちの接近にも気付けたのだ。だというのに僅か一メートルまで近づいていた愛梨に気づくことができなかった。
彼女が攻撃をしていたら今頃士郎は死んでいたかもしれない。
「いや、なんでもない」
おそらく考えても無駄なのだ。ある人物を思い浮かべながらそう思う。
(――そうだよな…。先生に似てる…気がする)
愛梨の雰囲気が彼の師匠に似ていた。呪われているような、黒い空気を纏っている。
(まあ、あの人は気心知れてるというかどんな人かわかってるから信用できるけど…。そうだ、相談してみるか)
師匠ならリカルドのことも知っているかもしれない。そう考え今日中にでもイタリアに電話をすることにした。
***
「さて、どうしましょうか…」
どこまでがセーフでどこからがアウトなのかわからない。いや、それ以前に彼に助言をした場合何かあるのかというのも確証はない。
けれど――
「――見られてはいましたね」
天を見上げる。もう目はない。
「やっぱり神父さんはモテモテだなぁ」
そういう性なのだから仕方ないのだろう。
これから彼がどのようにして成長していくのか少し楽しみだったりする。
「それにしても…」
一人の少女が脳裏に浮かぶ。
「…愛って怖いですね」
このお話と関係性のある『並行世界に迷い込んだ藤丸立夏』も投稿再開したので、興味があればぜひそちらも読んでいただけると幸いです。
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