Fate/next hollow 衛宮家の人々 (powder snow)
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第一話

 休日の長閑な昼下がり。

 雲一つなく晴れ渡った空は澄み切っていて、青い空がどこまでも続いている様子が目に眩しい。こんな天気の良い日なら、何処か出かけるというのが正しい選択なんだろうけど、何となくセイバーと居間でゴロゴロとしていた。

 衛宮家の主要な面子――桜はライダーと一緒に新都まで買い物に出ているし、良く顔を出す遠坂は今日はまだ現れていない。藤ねえは……可哀想に休日出勤だそうだ。

 よって現在、衛宮の家にいるのは俺とセイバーの二人だけとなる。

 そのセイバーはさっきから子供のようにテレビにかじりついていて、二時間もののサスペンスドラマに夢中になっていた。

 

「シロウ! 犯人はきっとこの“ヤス”という人物に違いありません。言動があからさまに怪しいです!」

 

 と、自身の推理を披露したりと中々に楽しそうである。

 天気は晴天。けれど畳みの上でゴロゴロするというのも悪くない。そう思いながらテレビを流し見していたが、ふとテーブルの上が寂しいことに気がついた。

 ――そういえば、とっておきの茶菓子があったな。

 給料日に奮発して買った“少しお高いクッキー”が戸棚に閉まってあるのを思い出す。みんなには悪いが、ちょっとセイバーと頂いてしまおう。

 そう思った俺は、よっこいしょっと腰を上げた。

 

「セイバー。少し早いけどおやつにしよう。とっておきのクッキーがあるんだ」

「それは良いですね。では私は紅茶を用意するとしましょうか」

「いや、それも俺が淹れてくるよ。セイバーはそのままテレビを見ててくれ」

 

 そうですか? と一度腰を上げかけたセイバーが座り直す。

 折角ドラマを楽しんで見てるんだから、邪魔をするのは忍びない。そう思った俺は一人で台所まで赴くと、紅茶を二人分用意してから戸棚からクッキーを取り出した。

 ちょうどその時である。玄関から来訪者を告げるチャイムが鳴り響いた。

 

 

「よう、坊主。元気にしてたか?」

 

 玄関に居たのは、シックなTシャツにジーンスというラフな格好の男。モデルのような長身痩躯でありながら、全身が無駄なく鍛えられているのが一目で分かる。

 鋭い眼光は獲物を睨むトラのように獰猛だ。

 奴はシニカルな笑みを浮かべながら、じっと俺を見下ろしている。

 ――そう。俺は、この男のことを良く知っている。

 っていうか、ぶっちゃけランサーだった。

 

「ラ、ランサー!? お前……何しに来たんだ?」

「何しに来たって、暇だから遊びに来てやったんじゃないか」

 

 遊びに来た? ランサーが俺ん家に? なんでさ?

 

「いや、バイトが休みなんで釣りでもしようと思ったんだが、生憎と釣り場に先客がいてな」

「先客?」 

「嫌味が服を着たような奴さ。一々言葉に棘があるっつうか……まあ、近くを通りかかったんでな。坊主の顔を見に来たってことにしといてくれ」

「顔を見に来たって……」

 

 この男には一度ならずも殺されそうになっている。

 心臓を朱色の魔槍で貫かれた記憶が消える事はない。その事について遺恨がない訳じゃないが……親しく話す程度に仲良くなっているのも事実だった。

 まあ、折角尋ねて来てくれた者を追い返す訳にもいかないだろう。セイバーと問題さえ起こさなければ大丈夫。そう思った矢先、その件のセイバーが玄関まで走りこんで来た。

 

「――ランサーッ!? 何しにここへ来た? 残念だが衛宮の家に貴方の入り込む余地などない。大人しく帰るならば良し。さもなくば……」

 

 眉間に眉根を寄せる険しい表情。

 今にも聖剣を抜かんばかりのセイバーの勢い。だが対するランサーは落ち着いたものだった。

 

「待て待て、セイバー。別に俺は殺り合に来たんじゃねえ。ただ、ダチの家に遊びに来ただけだ」

「……ダチだと? 何をふざけたことを。私は貴方と友人関係になった憶えなどない」

「馬鹿。ダチってのはお前じゃねえ。ほら、ここにいる坊主のことだ」

 

 ぽんっと無造作に、俺の頭に手を置くランサー。

 

「……それこそありえない。貴方がシロウの身に何をしたか――私は忘れてはいない!」

 

 セイバーの全身に殺気が漲っていくのを感じる。

 いわゆる戦闘態勢への移行。場は一触即発の雰囲気に変わっていく。

 

「……」 

 

 確かにセイバーの言いたいことは痛いほど分かる。だけどこの場は穏便に事を済ませるのが誰にとっても最良のはずだ。

 そう思った俺は、二人の間に仲介として立つことにした。

 

「なあセイバー。ランサーは戦いに来たんじゃないみたいだし、ここは抑えてくれないか」

「……シロウ? それを本気で言っているのですか?」

「もちろん本気だ。だって聖杯戦争は終わったんだ。俺達が争う理由はない」  

 

 柳眉を寄せて葛藤する様子のセイバー。

 けれど大きく嘆息するや、しぶしぶと言った調子ではあるが矛を収めてくれた。

 

「……分かりました。シロウがそこまで言うのなら従います。従いますが……」

「おぉ! さっすが坊主だっ! 話せるねえっ!」

 

 セイバーの言葉を遮るようにしてバシバシと背中を叩いてくるランサー。

 力を抜いているんだろうが、ちょっと痛い。

 

「……まあ、なんだ。ちょうどお茶にしようと思っていたとこだ。上がっていけよ」

「そっか、じゃあ“遠慮”なく上がらせてもらうぜ」

 

 ハッハッハと豪快に笑いながら靴を脱ぐランサーを、セイバーが刺すような視線で睨睨みつけていた。

 一旦矛は収めたが、納得していないのが丸分かりである。

 ここに至って俺の最優先事項は、ここ衛宮邸を戦場にしない事となった。

 

 

 テーブルの上には三人分の紅茶と、ちょっとお高いクッキーが置かれている。もちろんテーブルを囲んでいるのは俺とセイバー、そしてランサーの三人だ。

 

「お、うめえなこのクッキー。いけるぜ坊主!」

「……少しは遠慮したらどうかランサー。ここはシロウの家だ。そんなに沢山食べる……もとい、行儀が悪いのは同居人として見過ごせない」

「何言ってんだセイバー。こういう時はな“遠慮”する方が失礼に当たるんだよ。なあ坊主っ!」

 

 言葉通りに何の遠慮もなく、ひょいひょいとお茶菓子を口に運び込むランサー。あれよあれよと見る間にクッキーの枚数が減って行く。その行為を苦々しく見つめているのがセイバーだ。

 あのなランサー。

 あんまり食べすぎてセイバーの分まで取るなよ。そうなったら俺でも止められないぞ。

 

「ただいまー」

 

 ガラガラと扉の開く音に続いて、甲高い声が玄関から響いてきた。

 文句からして誰か戻って来たみたいだ。

 続いて、てくてくと廊下を歩く音がする。

 声の主は居間まで真っ直ぐに歩いて来ると、襖を開けるや素っ頓狂な声を上げた。

 

「ただいま士郎。……って、あら? ランサーじゃない。珍しいわね、アンタがここに来るなんて」

「よう、嬢ちゃん。邪魔してるぜ」

 

 戻って来たのは赤いあくまこと遠坂凛。実に晴れやかな笑顔をしている。

 そして遠坂の後ろから赤いアイツも顔を出した。

 

「……やれやれ。気配が一つ多いと思えばランサーか。何だ? 態々こんな何もない場所まで来るとは、案外暇なのだな、お前も」

 

 何もないことはない。

 相変わらずコイツは一言多い。

 

「あん? そう言うお前はどうなんだ? 俺を暇人呼ばわりしながらここに来てるじゃねえか」

「フッ。愚問だな。良いかランサー。サーヴァントとはマスターを守護する者だ。お前のようにマスターから離れてフラフラしているサーヴァントの方が珍しいのだ。……何故だか凛がここを気に入っていてな。そうでもなければ私が“こんな場所”まで来る訳あるまい?」

 

 またもやこんな所――それをお前が言うのかと猛然と突っ込みたい。けどまあ実際は場所云々じゃなくて“俺”に会いたくないだけなんだろうけど。

 

「っけ。相変わらずいけ好かない野郎だぜ」

 

 悪態を吐きながらも、ランサーが腰をずらして席を空ける。こういう気配りは出来るんだな。

 ま、折角来たんだ。あいつの挑発に乗ってこの良い雰囲気を壊すこともないだろう。そう思った俺は、改めて二人分のお茶を追加することにした。

 台所で紅茶を淹れてから、それを遠坂とアーチャーの前に用意する。

 二人はそれぞれカップを手に取り、軽く香りを確かめてから中身を一口分だけすすった。途端、開口一番にアイツが文句を付けてきた。

 

「――む!? 何だこれは。この紅茶は香りが飛びすぎているぞ。一体どういう淹れ方をしたんだか……衛宮士郎、お前は紅茶一つまともに淹れることが出来ないのか?」

「文句があるなら飲むな! 食うな! 即刻ここから出て行け!」

「何だその尊大な態度は。紅茶だけではなく満足に客人の持て成しも出来ないのか? これでは将来が思いやられるというものだぞ」

 

 大げさに溜息を吐いて肩をすくめるアーチャー。

 こ、コイツは……文句を言わないと喋れない体質なのか。まったく、どういう育ち方したんだか。

 

「アーチャーの事は気にすんな。単にひねくれてるだけなんだからよ。それより坊主、ライダーはどうした? 確か一緒に住んでるんじゃなかったか?」

 

 相変わらずパクパクと茶菓子を食べながら、ランサーが顔を向けてきた。

 

「ああ。ライダーと桜は新都に行ってる。当分は戻って来ないはずだ」

「新都? そうか。それなら仕方ねえな……」

 

 何故だか残念そうに肩を落とすランサー。

 あれ? ひょっとしてランサーってライダーの事が気になってるのか? 好意がある……とか?

 そう思ったのも束の間、俺の直感は見事に外れていたようだ。

 

「居ないならしょうがない。ライダーなら目の保養にバッチリなんだが。セイバーはなぁ……もっと、こう少女体型じゃなくてだな、グラマーで女らし――」

 

 ランサーの文言をぶち割るように、激しい衝撃音が響き渡る。

 ――俺は見た。

 セイバーの腰の入ったコークスクリューブローが、ランサーの顎にクリーンヒットしたのを。

 鎧袖一触とはこのことか。ランサーは障子を突き破り、縁側を越え、凄いスピードで庭の片隅まですっ飛んでいく。

 

「シロウ。少しランサーと二人で話しをしてきます。お茶菓子は、私の分を残して頂けるとありがたい」

 

 続けて、セイバーが突風のように居間を飛び出した。

 直後、嵐のようなセイバーの怒鳴り声とランサーの悲鳴が木霊する。

 …………セイバー、怒ってたもんなぁ。

 ここはランサーの無事を祈って、一人心の中で合唱しておこくことにしよう。

 

「馬鹿な奴だ。わざわざセイバーの逆鱗に触れるとはな。しかし今のパンチは見事だった。ふむ。凛に勝るとも劣らない」

 

 ピクっと遠坂のこめかみが動いた。 

 

「……それ、どういう意味かしら、アーチャー?」

「どうもこうも、そのままの意味だが? 何か問題があったか、凛?」

「アンタねぇ……ッ!?」

 

 まてまて、お前等まで争うんじゃない!

 睨み合う二人の間に入ろうとした時、再び玄関からチャイムの音が鳴り響いてきた。

 

 

「こんにちは、坊や」

 

 何故だろう。玄関にはキャスターが立っていた。

 あれ? 今日は厄日だっけか?

 キャスターはいつもの魔術師ルックじゃなく、カジュアルな若奥様風の衣装を着ている。

 

「な……何しに来たんだ、キャスター?」

「ちょっと坊やに聞きたいことがあったのよ。それと、桜さんはご在宅かしら?」

「いや、いない。今は買い物に行ってるんだ……」

「そう。ならちょうど良かったわ」 

 

 言いながら楚々とした仕草で靴を脱いでいる。

 

「上がらせて貰うわね」

「ちょっ」

 

 キャスターは俺の返事を待つことはせず、そのまま居間へ向かってスタスタと突き進んだ。

 待て、待て。今そこにはキャスターとは会わせてはいけない人物がいるんだ!

 

「あら…………? 誰かと思えば、野蛮な魔術師と粗野なサーヴァントのコンビじゃないの」

 

 慌てて追いかけるが時すでに遅し。居間に侵入したキャスターの視線は、真っ直ぐに遠坂とアーチャーを捉えていた。   

 キャスターと遠坂の相性は非常に悪い。抜群に悪い。だから二人を極力会わせたくなかったんだが……残念ながら既に二人はお互いを敵として認識し、戦闘状態に入ろうとしていた。

 

「野蛮ですって? ハンッ! 人の生気を吸い取るような魔女に言われたくはないわね」

「なによ。魔術師同士の戦いで、鉄拳を奥の手にするような女にこそ言われたくないわ」

「その鉄拳にしてやられたのは何処の誰なのかしら?」

「それは……」 

「本当、神代の魔術師が聞いて呆れるわ」

「……どうやら貴女には“きつい”お仕置きが必要のようね」

 

 女同士の戦い。視線に火花散っているのがありありと見える。

 そこに、口を挟まなくていいのに赤いのが横からしゃしゃり出てきた。

 

「凛が野蛮だと言うのは否定しないが、キャスターが上品かというとこれも納得いかない話になるな」

「アーチャー! アンタどっちの味方よっ!?」

「それは無論凛に決まっている。だがサーヴァントは嘘をつけなくてね。私が言えるのはお互い精進せよということだ」

 

 ピキッ!

 あ、遠坂とキャスターのこめかみに青筋が立った。

 

「そ、そうだ。キャスター、何か用があって来たんだろ? それを聞こうじゃないか!」

 

 ここを戦場にする訳にはいかない。俺には衛宮家を守る義務があるんだ。

 ここは話しを逸らせ。話しを逸らすんだ。

 

「俺に出来ることなら力を貸すぞ」

「……そうね。実は今日は坊やに教えて貰いたいことがあって来たのよ。すき焼きの割り下についてなんだけれど――」

「キャスター。料理などお前の魔術でどうにでもしてしまえ」

 

 ……つくづく人の努力を無にする奴だコイツは。

 

「それ、どういうことかしらアーチャー?」

「お前ほどの魔術の冴えがあれば相手の味覚などどうにでもなるだろう。別に無理して努力などせずとも成果は得られるはずだ」

「アーチャー。貴方がどう思っているかは知らないけれど、料理は作る事よりも相手を想う事が目的の半分なのです。魔術で誤魔化すなんてその想いを汚すことになるのよ? 貴方には一度その身体にしっかりとお灸を据えてあげないといけないようね」

 

 優雅に右手を翳すキャスター。

 あれは、いつでも魔術行使を行える体勢だ。

 

「ほう? たかだかキャスター風情が三騎士であるアーチャーと戦うと? 面白い」

 

 すっくとアーチャーが立ち上がる。

 テーブルを挟んで睨み合うアーチャーとキャスター。両者の視線がバチバチと火花を散らし始めた。

 ……えっと、なんでさ?

 何でみんな大人しくお茶が楽しめないのさ。俺はただセイバーと楽しく休憩したかっただけなのに。

 そこへ事態を更に悪化させるべく、庭で激闘していたセイバーとランサーが舞い戻ってきた。

 

「待て、待てセイバーッ! 俺が悪かった! だからエクスカリバーを仕舞えっ!」

 

 ランサーの言葉通り、セイバーは銀の鎧を纏いながら黄金に輝く聖剣を手にしていた。

 もろに完全武装です。

 

「ランサー。貴方には日頃から据えかねていたものがあった。――ええ、良い機会です。今日はとことんまで話し合いましょう」

「それ、話し合う格好じゃないだろっ!」

「――問答無用」

「お前、自分で言ってる事わかってるかっ!?」

 

 ……もういい。

 家を戦場にさせまいとする俺の努力が実る事はない。そう思った俺は、現実逃避するべくテレビの前で丸くなった。

 テレビからは新都で起きた銀行強盗のニュースなんかが流れている。

 それを聞いても、ああ冬木も物騒になったなぁ程度にしか思わない。だって、今の衛宮家以上に物騒な所はないからだ。衛宮邸は今プチ異界化している。

 そして――ピンポーンと慣れ親しんだ音が響いた。

 そう。三度目のチャイムが鳴ったのだ。

 いいさ。もう誰でも来い。

 どんな事になっても俺が受け止めてやる。

 だが三秒後には、その言葉自体を後悔することになってしまう。

 

『……神様、嘘を吐きました。謝りますから、時間を戻して下さい……』

「あれ? どうしたのシロウ。何だか酷く疲れてるみたい」

 

 玄関先で崩れ落ちた俺を、キョトンとした瞳で覗き込んでくる少女。

 そこに居たのは冬の娘ことイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 そして彼女がいるのだから当然あの方も居る訳で。

 

「イ、イリヤ。その後ろの方はもしや……」

「うん、バーサーカーだよ! 車が壊れちゃったからバーサーカーに連れて来てもらったのっ!」

 

 満面の笑みを見せるイリヤの後ろに、玄関に入りきらない大きな胸板が見えていた。

 どうしよう……もう、俺の手には負えない。

 立ち上がる気力は根こそぎ奪い取られ、床に突っ伏すことになる。そんな俺の肩をぽんぽんとイリヤが優しく叩いた。

 

 その時――落雷したかの如く事態が急転直下する。

 衛宮家に張られた結界が、敵意を持った侵入者を感知し音を慣らしたのだ。

 

「お前等! 動くんじゃねぇーッ!!」

 

 居間の辺りから野太い男の怒鳴り声が響いてきた。

 一体、何事だ? なったく聞き覚えのない声に不信感が募る。

 

「……俺が様子を見てくる。イリヤはここにいろ」

 

 立ち上がるや、俺は居間に向けて全速力で駆け出した。

 廊下を駆け、襖を開ける。

 果たしてそこには、塀を乗り越えて進入したのか覆面をした黒ずくめの男達がいた。

 人数は全部で五人。それぞれ手に武器のようなものを持っている。中には拳銃を携えてる者さえいた。

 

「いいか、少しでもおかしな真似したら、ぶっ殺すぞ。これは脅しじゃねえ」

「俺達も警察に追われているんでな。悪いが人質になってもらう」

 

 拳銃を構えて我がもの顔で押し入る黒覆面。

 さっきテレビで言っていた銀行強盗達だろうか?

 だが、これはやばい。

 何がやばいって、今ここに居る人達は全員殺気立っているんですよ。

 何とかしないと“大変なこと”になる。しかし、そんな思いも空しいものだった。

 奴等を前にしたセイバーが、一歩、前に出る。

 ちなみに彼女は完全武装スタイルで、手にはエクスカリバーを持っている。

 

「誰かは知らない。けれどこの家に土足で踏み入るとは無礼にも程がある」

「こ、こら、動くなって言ってんだ。撃つぞ!」

 

 セイバーの行為に威圧されたのか、男達が少しだけ後退さった。

 

「……まあ、一宿一飯の恩義って言うか、茶菓子の礼くらいにはなるか」

 

 ランサーが面倒だが仕方ないと、青い鎧姿になった。 

 右手には真紅の魔槍ゲイボルク。その視線が黒覆面に叩きつけられる。

 そんなランサーを見て臨戦態勢に入っていたアーチャーも矛先を移すことにしたようだ。

 

「どうやら邪魔が入ったなキャスター。提案なんだが、ここは一時休戦ということにしないか?」

「……そうね。まずは邪魔者を排除することにしましょう」

 

 キャスターがくるりと一回転。華麗に魔術師ルックに変身だ。

 それを受けてアーチャーも両手に宝具を出現させる。

 

「なん……だって!?」 

 

 一連の行為を不思議そうに眺める侵入者達。

 

「……お、お前等マジシャンかっ!?」

「マジシャン? 違う。私はセイバーだ」

 

 セイバーが更に一歩、前に進んだ。

 

「動くなって言ったろうがっ!」

 

 不可思議な光景に頭がパニックになっていたのか、遂に黒覆面の一人が銃をぶっ放した。だが、そんなものがサーヴァントに通じるはずもない。

 当然の如く、セイバーは聖剣を一線して弾丸を叩き落とした。

 それを愕然とした表情で見つめる侵入者たち。

 更にセイバーが近づく。

 

「ひいいいいいっ!?」

 

 恐慌をきたしたのか、次々に弾丸を撃ち放つ黒覆面。

 しかし悲しいかな、弾丸は全てセイバー達が叩き落としてしまった。

 

「引き金を引いたということは、それ相応の覚悟は出来ているものと考える。愚か者!」

「わああぁぁっ!」

 

 遂に男の一人が玄関に向かって駆け出した。

 …………って、待てぇぇっ! 

 そこには確か!?

 

「ぎゃあああああああああああ!!」

 

 悲鳴に続いて響いたのはバーサーカーの吼え声。その雄たけびは深山の町に大きく木霊したという。

 俺は心で人知れず合唱することにした。

 神様、死人だけは出ませんように。

  

 ――“二時間後”――

 

「ただいま、先輩」

 

 玄関から桜の声がした。

 疲れ果ててはいるが、迎えに行かねばなるまい。

 俺は泥のように重くなった身体に鞭打って、何とか玄関まで足を動かした。

 

「士郎、ただいま戻りました」

 

 桜と買い物に出ていたライダーが、戦利品である紙袋を床に置きながら靴を脱いでいる。しかし、おかしな気配に気づいたのだろう。首を伸ばして廊下の奥を覗きこもうとしたが―― 

 ひょい。

 俺は身体を使ってライダーの視線を遮った。

 

「……何をしているのですか士郎?」

「いや……別に?」

 

 再びライダーが横へと廻り込む。

 それをひょいっと遮った。

 ひょい、ひょい、ひょい。遮る、遮る、遮る。

 

「…………士郎、何か隠していますね」

「な、なんでさ、ライダー?」

 

 ライダーの視線が痛いので、俺はそっと目を逸らした。

 

「――サクラ。どうも様子がおかしいので私が見てきます。万一に備えてこの場で待機していてください」

「待て、ライダーッ!」

 

 三度全身で遮るも、本気になったライダーを止める術はない。

 ライダーは疾風となって廊下を渡って居間へと至り――そこで衝撃の光景を目撃することになる。

 果たして彼女が見たものとは……散々に破壊された部屋と、中央で頭を垂れて正座するセイバー、アーチャー、ランサー、キャスターの姿だった……。

 

 後日、衛宮家に警察から感謝状が贈られてきたことを付け加えておこう。

 

 

 



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第二話

 今、俺の手の中に三枚のチケットがあった。

 ――わくわくざぶーん無料招待券。

 今年オープンしたばかりの、全天候型屋内ウォーターレジャーランド施設のタダ券である。

 正直言ってこのネーミングセンスはどうかと思うが、各種アトラクションも豊富で、一年を通して楽しめるレジャー施設という触れ込みに偽りはないようだ。

 しかし、ここでちょっとした問題が発生していた。

 チケットの枚数は三枚。

 ――三枚だけだ。

 果たして、誰を誘って出かけるべきなのか。住人の誰を誘っても角が立つ気がする。慎二や一成と行く案もあるが……折角プールに出かけようというのに、男三人で行っても楽しくないだろう。

 そう。どうせなら女の子を誘いたい!

 ここで候補として思いつくのは、やっぱりセイバーや遠坂、桜やライダーか。或いはイリヤを誘ってもいいかもしれない。でも三枚ではあちら立てればこちらが立たずである。

 衛宮家の家長としては非常に難しい選択と言っていい。

 そうやって考えて迷っていても、すぐに良い案は浮かばない。

 まあ早急に結論を出す事案でもないし今は保留ということにしておこう。そう思った俺は、招待券を無造作にポケットに突っ込むと日課であるセイバーとの稽古に向かった。

 

 

「ライダー。ちょっと聞きたいんだけど、セイバーを見なかったか?」

 

 向かった先の道場にセイバーの姿はなかった。

 几帳面な彼女は大抵先に来て待っていることが多いので、こういうことは珍しい。忘れているのかと屋敷の中をあちこち捜したがどうにも見当たらない。ので、居間でニュースを見ていたライダーに聞いてみることにした。

 

「セイバーですか? 何やら藤村組へ所用があるので出かけると言っていましたが」

「藤村組って雷画爺さんとこにか…………あっ!?」

 

 そういえば、今朝セイバーからそんなことを聞いた気がする。

 セイバーは雷画爺さんに気に入られているので、よくお呼ばれして何か頂いたりするのだ。

 

「士郎、セイバーに急用ですか?」

「いや、急用って訳じゃない。ただ、日課になってる稽古つけて貰おうと思っただけだ」

「稽古……ですか」

 

 そう言ってライダーが視線を落とす。どうやら何か考え込んでいる様子だ。

 しかしセイバーが居ないならしょうがない。稽古は諦めて、今日は土蔵で魔術の鍛錬をするとしよう。

 そう結論付けた俺は、ライダーに礼を述べてから踵を返した。しかし襖を開いたタイミングで、ライダーから思わぬ提案が飛び込んできた。

 

「士郎。私でよろしければ稽古に付き合いましょうか?」

「え? 稽古を付けてくれるのか、ライダー?」

 

 ライダーはセイバーとはまた違ったタイプの戦い方をする。

 その名の通り騎士よろしく、正面から小細工なしに攻めるセイバー。素早い身のこなしで相手を翻弄し、一瞬の隙を突くライダー。

 要約すると力のセイバー。技のライダーといったところか。

 もちろん彼女達は英雄サーヴァントである。ライダーは見た目に反してかなりの力持ちだし、セイバーも剣技一つとっても洗練された技の冴えがある。

 互いの獲物が違うし育った環境も違う。そこは身に付けたスタイルの違いだろう。

 けど俺からしたら、普段とは違うタイプの相手に稽古をつけて貰えるというのはありがたい。なにか新しい発見もあるだろうし、見えなかったものが見えてくるかもしれない。

 ライダーなら相手として申し分ないんだけど。

 

「士郎さえよろしければの話しですが」

「いや、よろしいも何もこっちからお願いしたいくらいだ。ライダー、稽古をつけてくれるか?」

「もちろんです。えっと、すぐに始めますか?」

「……そうだな。俺の準備は出来てるからすぐにでも始められるんだが……ライダーはその格好でやるのか?」

「ええ。士郎相手ならそれほど動くとも思えませんし、これで十分でしょう」

 

 普段着姿のまま、コクンと頷くライダー。動かないということは汗もかかないということか。

 何というか……ちょっと自尊心が傷付いた。

 いやまあ、ライダーはサーヴァントだから彼女の言う通りなんだが、ちょっと悔しいのは事実だ。それならライダーから一本取るくらいの気合を入れてやるか。

 そう自分に活を入れてから、俺たちは道場へ向かって歩いて行った。

 

 

「……正直驚きました。かなり腕を上げてるようですね、士郎」

「伊達に毎日セイバーと稽古をしてる訳じゃないさ」

 

 道場に竹刀を打ち合う音が響く。

 ライダーが竹刀を持つ姿というのはかなり新鮮だった。スラリとした長身の彼女が剣を握っていると、何処となくアサシンを彷彿とさせる。

 剣線は鋭く、打ち込みも正確。捉えたと思っても、軽くいなし、弾かれ、簡単に相手に翻弄されてしまう。

 得手不得手で言えば不得手な剣を使っての稽古だろうに、流石はサーヴァント、ライダーといったところか。

 

「士郎。そういう時は内側に廻り込むように受けると、反撃と避けが一体となって動きに無駄が生まれません」

「内側って、こうか? ……っと、これ難しいな」

「ふふっ。そうです。後はもう少し右足を踏み込めれば合格ですね」

 

 ライダーは無理に俺を打ちのめそうとはせずに、悪いと感じたところをその都度指摘して指導していくスタイルを取っていた。時には身振りや手振りを交えて手本を見せてくれたりもする。

 セイバーとは一味違う、いや、方向性が違う稽古だった。

 

「ふむ。士郎は飲み込みは早いですね。毎日鍛えていただけあって身体は出来ていますし、セイバーとの稽古で実戦感も養われている。――貴方は将来相当な使い手になる。そう思います」

「そ、そうか? でもライダー。それはちょっと誉めすぎだ」

「私はお世辞を言ったりしませんよ。感じたままを述べただけです」

 

 ライダーはお世辞じゃないと言ったけど、実際はお世辞なんだろう。俺はまだまだそこまでのレベルに達していない。だけど毎日培ってきたものを誉められて嬉しくないはずがない。

 俄然、次の打ち込みにも力が入る。

 それにこの稽古で得たものをセイバーにも見せてやりたい。彼女は滅多に誉めてくれないけど、たまに誉めてくれるその時は本当に嬉しくなるんだ。

 そう思った時……

 

「――あっ!?」

 

 ライダーが俺の突きを捌いたと思ったら、俺の竹刀は見事に空中に跳ね上げられてしまっていた。

 放物線を描いて落ちる獲物を見つめる。そんな俺の首筋に、ライダーの竹刀の先がぴっと突き付けられた。

 

「油断しましたね。考え事ですか? 稽古中に考え事とはあまり関心しませんよ?」   

「……流石はライダーだな。一瞬のスキも見逃さないなんて」

「一瞬というか……私から見たら士郎はスキだらけだったりするのですが……」

「……ぐっ。けどさ、これでも真剣にやってるんだぞ」

「怒らないでください。あくまでサーヴァントの目から見たらという意味です。先程も述べた通り、士郎はかなり強くなっています」  

 

 柔らかい微笑を浮かべてから、ライダーが竹刀をそっと下げる。

 そして聞こえないほど小さな声で、何やら一言呟いた。

 

「セイバーが……少し羨ましいですね」

「……ん? 何か言ったかライダー? セイバーがどうとか聞こえたんだけど」

「い、いえ。特に何も言ってませんよ? きっと士郎の勘違いでしょう」

 

 慌てたように目を白黒させてから、ライダーが落ちた俺の竹刀を拾いにいく。そして拾ったそれを俺に手渡そうとして……ハッと動きを止めた。

 ライダーの視線は俺の後ろ――道場の玄関の辺りに注がれている。

 何だろうと思い、振り返ってみた。

 果たしてそこには、怒りのオーラを滲ませたセイバーさんが佇んでいた。

 

「セイバー? 雷画爺さんとこに行ってたんじゃないのか? いつ戻ってきたんだ?」

「つい先程です。それにしてもシロウ。随分楽しそうにライダーと稽古するのですね!」

 

 ズンズンと足音を響かせるようにセイバーが歩み寄って来る。

 何というか、様子が変だ。

 

「……もしかして、ライダーと一緒に稽古したことを怒ってるのか?」

「そのような事で怒ってなどいませんっ!!」

 

 セイバーは怒ってないと言いながらとっても怒っていた。

 

「雷画の歓待を断って急ぎ戻って来たのですが……どうやらその必要は無かったようですねっ」

 

 唇を尖らせて拗ねてみせる彼女。セイバーの視線がチクチクと俺に突き刺さってきた。

 俺にはどうしてセイバーが怒っているのか見当がつかないけど、こういう時は謝るに限る。

 

「セイバー……その、ごめん。何を怒ってるのかわからないけど、謝る。機嫌を直してくれ」

「シロウ?」

 

 素直に頭を下げた俺に驚き、彼女の剣呑な雰囲気が和らいでいく。

 しかし、思わぬところから助け舟? が出た。 

 

「――士郎。貴方が謝ることなど何もないでしょう。悪いのは勝手に怒っているセイバーです」

「ラ、ライダー!?」

 

 だがこの助け船は想像もしなかった方向へと進んでいく。

 それも俺にとって都合の悪い方向に!

 

「セイバー。貴方は士郎が私と稽古したことを怒っているのでしょう? それならば士郎を怒るのは筋違いです。何故なら、この稽古に誘ったのは私なのですから」

「……どういう意味です、ライダー?」

 

 セイバーの視線がライダーを射抜くように細められた。

 俺なら間違いなく気圧されるほどの圧力。だけどライダーは、そんな圧力など何処吹く風と優雅にいなし、そのまますっと俺に近づいた。いや、近づくというよりも必要以上に身体を密着させてくる。

 まるで立ったまま抱きつくような格好になる俺とライダー。

 そこから彼女は、人差し指と親指を使って俺の顎を取るとクイっと自分の方向へと向ける。

 

「セイバー。貴女は独占欲が強すぎますね。士郎が何処で何をしようと貴女には関係ないはずです。例え私と稽古したとしても異論を挟む権利はないのではないですか?」     

 

 ライダーが蛇のように俺の身体にまとわりついてくる。そうやって密着された身体がライダーの体温を直に伝えてくれた。 

 思わず唾を飲み込む。

 柔らかい肌の感触と暖かい体温の刺激を受けて、心臓の鼓動はどんどんと高鳴っていき、その影響で全身に血流が巡っていくのが分かった。だけどそれに反比例するように身体は硬直していく。

 ライダーの石化の魔眼の効果……ではなく、緊張感によって。

 

「どうなのです、セイバー?」

「わ、わた、私とシロウは……こいび……じゃなく、剣の師弟ですっ! 十分に口を挟む権利がある! それよりもライダーっ! シロウから早く離れなさいっ!」

 

 剣で切り込むように、セイバーが俺とライダーの間に割って入った。

 それを察知したライダーはいち早く俺を解放すると、セイバーの突進から身を翻した。もしそのままの格好で突っ立っていたら、本当に吹っ飛ばされていただろう。

 

「あら。乱暴ですねセイバー」

 

 妖艶な笑みを浮かべ、ライダーが俺を見つめる。

 彼女の流し目が俺を捉え、二人の視線が空中で交わった。

 だけどそれも一瞬のこと。

 何故なら、その視線を身体で遮るようにしてセイバーが間に仁王立ったからだ。

 

「ライダー。貴女は一体何がしたいのです。その……シロウをからかって遊ぶなどと」

「別にからかっていた訳ではありませんよ。少し玩具にはしましたが」

 

 両手を広げてフフっと笑うライダー。しかし“玩具”にされた方はいい迷惑である。

 正確には、迷惑な行為だったかというとそうでもないんだけど、ここは迷惑だったということにしてくれ。

 

「………………」

 

 セイバーとライダーの視線がバチバチと空中で火花を散らしている。

 ちなみに俺はその間に挟まれている状態だ。

 蛇に睨まれた蛙のような心境。正直、生きた心地がしない……。

 なんでさ? 何でこんなことになったのさ? 

 結局、先に視線を外したのはセイバーだった。彼女はそのまま壁際まで歩くと、壁に掛けてある竹刀を手に取った。

 

「良いことを思いつきました。ライダー、こうして道場で顔を遇わせたのです。一勝負といきませんか?」

 

 セイバーさんにしては邪悪な笑みを浮かべ、ライダーに挑戦的な視線を突き付けている。

 

「勝負ですか? ええ、構いませんよセイバー。貴女も得意の剣で負けたとなったら少しは大人しくなるでしょうし」

「――ほう? 騎兵である貴女が剣の英霊である私に勝てると?」

「こと竹刀での勝負なら幾らでも一本を取る方法はあります。セイバー、慢心は命取りになりますよ?」

「慢心ではなく虚心というのだ」

「どちらでも同じことです」 

「――面白い。では、その自信ごと粉砕してみせましょう」

 

 セイバーが正眼に竹刀を構える。対するライダーも竹刀を構え、冷ややかな目でセイバーを見据えていた。

 二人とも俺と対峙した時とは別人のような殺気を放っている。言うなればサーヴァントとしての戦い。そんな雰囲気。

 ……っていうか、これ稽古じゃないですよね?

 今はまだ竹刀を持っているけど、万一セイバーがライダーに一本取られでもしたら……。負けず嫌いのセイバーのことだ。そのまま大人しく引き下がるとは思えない。

 最悪、エクスカリバーを出すことも考えられる。流石に彼女もそこまで大人気ないことはしないだろうが“万一”にもそうなったら……衛宮の家どころか深山の町が吹っ飛ぶ!

 それを受けてライダーがペガサス召喚、ベルレフォーンとか……!?

 駄目、それ最悪だ!

 そんなことは絶対に阻止しないといけない!

 しかし、どうやって?

 二人は真剣勝負に入ろうとしている。何か彼女達の気を逸らせる物とかあればいいんだけど……。

 あちこち視線を這わせ両手で身体を探る。そしてそんな右手がポケットに収められている三枚のチケットを探り当てた。

 天啓、閃き。

 こ・れ・だっ!

 これぞ神の導きと、俺はポケットからチケットを取り出すやそれを二人に突き付けた。

 

「ちょっと待ったあっ! セイバー、ライダー。二人ともこれを見てくれ」

 

 両者は殺気を孕みつつも、一応は矛を収めて俺の手の中にあるチケットに注目してくれた。

 それをセイバーが手に取り、ライダーが遅れて一枚手の中に収める。

 

「……わくわくざぶーん無料招待券? シロウ、これは何なのですか?」 

「いわゆるレジャーー施設の優待券に見えますが?」 

「ああ。明日は休日だろ。……さ、三人で一緒に行かないかと思ってさ!」

「え?」 

 

 二人の目が一瞬にして点になった。

 我ながら強引な振りだが、背に腹は換えられない。

 

「ほら! 書いてあるだろ? ――ヨーロッパの本格リゾートを思わせるゆったりとした空間が魅力的! 水温は三十三~三十四℃に保たれ一年を通じて楽しめるスペシャルリゾートっ! 実に楽しそうじゃないかッ!!」

 

 一言一句同じ言葉が書かれたチケットを眺める二人。

 しばらく両者とも無言だったが、先にセイバーが口を開いた。

 

「シロウ……その、とても嬉しいのですが、……ライダーも一緒にですか?」

「ああ、三人で行こう。セイバーとライダーを仲直りさせないといけないしな」

「な、仲直りなどと……別にライダーとはケンカをしていた訳ではありません。そうですよね、ね、ライダー?」

「も、もちろんです。セイバーとは友情を深め合っていただけで、別に他意のある行為ではありませんよ?」

 

 ぎこちない笑顔を互いに向け合うセイバーとライダー。

 仲直りした訳じゃないが、俺の機転で何とか最悪の惨事は未然に防げたようだ。

 ふう。これで少し肩の荷が下りた。

 

「了解しました、士郎。明日はざぶーんへ同行させてもらいます」

 

 先に答えを出したのはライダーだった。

 それからさり気なく俺の手を取ろうとして……ぺしっとセイバーに邪魔された。

 

「ライダー! 貴方は行くというのですか?」

「なんです? セイバーは行かないのですか。それならば士郎と二人きりで楽しく過ごさせてもらい――」

「誰が行かないと言いましたかっ! ええ! も・ち・ろ・ん私も行きますともっ! 同行しますとも! 良いですね! シロウ!」

「あ、ああ!」 

 

 コクンコクンと強く頷く。初めからそのつもりだったし、頷く以外の選択肢はここではありえないだろう。

 

「ふふっ。楽しみですね」

「……」

「では私は先に戻らせてもらいますよ士郎。思ったより汗をかきましたので、お風呂を頂くことにします」

「風呂?」

「はい。それとも一緒に入りたいですか? よろしければ背中を流して差し上げますが」

「い、いや! それは……遠慮しとく……」

「そうですか。少し、残念です」

 

 そう言い残してから、ライダーが出口へと向かって歩いて行った。

 ……ライダー。この状況でそういう冗談は困る。今の状況でそれは困るよ。

 俺は恐る恐るセイバーの様子を横目で盗み見る。しかし当のセイバーはあまり表情を変えずに佇んでいた。なんというか、いつものセイバーだ。

 ほっと一安心。だが……。

 

「シロウ」

「な、なにかなセイバー?」

「ライダーがお風呂に行ったのなら少し時間がありますよね。ちょうど良い。稽古をしましょう」

 

 そう言って竹刀を構える。

 雰囲気は、完全に問答無用である。

 

「……確かに時間は……あるけど……」

「貴方が私以外に師事した結果というものを知りたい。その上で誰の技が一番優れているかを、身体をもって知ってください」

 

 ライダーの技が私に通じると良いですねぇ、と邪悪な笑みを浮かべるセイバーさん。

 

「セ、セイバー。実はすっごく怒ってるだろ……?」

「何を言うのですシロウ。私は怒ってなどいません」

 

 笑顔で、もう満面の笑みを浮かべ俺を見つめるセイバー。

 何でかガタガタと身体が震えてきた……。

 ここまで怒っているセイバーを俺は知らない……。 

 

「では、始めましょう。――初撃で気絶しないで下さいね」

 

 ――道場に転がる俺が確認出来たのは、セイバーは本当にものすごく強いというその事実だけだった。

 ガクッ。      

 

 

 



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第三話

 ふとした拍子に目が覚めた。

 半ばまどろみの中で感じたのは薄暗い空間だ。しかし身体の感覚が朝が訪れたんだと俺に告げている。

 俺は布団から身体を起こすと、念の為に時刻を確認するべく首を巡らせた。視線は壁掛けの時計へ。

 時刻は朝の六時を差していた。

 

「……ちょっと早かったか」

 

 今日はセイバーとライダーとプールに行くという重大案件がある。それに向けての期待感と僅かな不安。それらが混ざって俺をいつもより早い時間帯に目覚めさせたのだろう。

 冷静に考えてみれば、セイバーとライダーの二人とプールに出かけるというのはとんでもない事だと思う。だってさ、プールに行くんだから当然二人は水着に着替えるわけで……。

 華奢だけど可憐なセイバー。グラマーで大人っぽいライダー。

 

「…………」 

 

 脳裏に浮かぶ二人の裸身。それを想像してしまった俺は思わず生唾を飲み込んでしまった。

 いやいや、落ち着け。何の事はない。ただ市内のプールに遊びに行くだけだ。今日は三人で仲良く遊ぶだけ。

 

「ふう」

 

 手を胸に当てて大きく深呼吸し、ざわついた心を落ち着かせる。

 よし! 

 とりあえず顔を洗ってから台所に向かうか。この時間帯だとまだ誰も起きてないだろうし、パっとみんな朝食を用意してしまおう。その後でお昼に食べる弁当でも作ってしまえばいい。料理に没頭すれば心も平静を取り戻すさ。

 

「運動するし、ちょっと多めに作ればいいかな」 

 

 俺はメニューをあれこれ考えながら、ゆっくりと台所へと向かって歩き出した。

 

「……なっ!?」

 

 そうやって台所に着いた俺は、そこで信じられない光景を見てしまう。

 この家で料理をするのは基本的に俺か桜と決まっている。後は時々遊びに来た遠坂が作るくらいで、他の人物が台所に立つことはあまりない。なのに今朝の台所にはセイバーとライダーが並んで立っていたのだ。

 珍妙な光景の前にしばし呆然と佇んでしまう。そんな俺の気配に気付いたのか、二人が同時に振り返ってきた。

 

「おはようございます、シロウ」

「士郎、おはようございます。今朝も早いのですね」 

「あ……ああ。おはよう、セイバー。ライダー」

 

 挨拶を返しながら二人に近づき、俺はそっと二人の手元に視線を落とした。

 セイバーは必死の表情を浮かべながら、ぎゅっぎゅっとおにぎりを握っている最中だ。お世辞にも形はよくないけど、一生懸命に作っているのが伝わってくる。

 対するライダーはというと、フライパンで卵焼きを焼いていた。桜に料理を習っているみたいだけど、動作が何処かぎこちない。それでも形を崩さないように丁寧に卵を巻いている。

 

「二人とも何してるんだ? それ朝ごはんか?」

「いえ、本日のお弁当にと思いまして」

「弁当?」

「はい」

 

 セイバーがおにぎりからは視線を逸らさないままで答えた。

 

「私とセイバーで一品ずつ作りますので、士郎は残りをお願いしてもよろしいですか?」

 

 これまたライダーが卵焼きから視線を外さずに言った。

 そんな二人の言葉を聞いて、何だか嬉しいような気持ちが胸の奥から込み上げてきた。もちろん、残りを作るなんてお安い御用だ。

 

「分かった。どーんと俺に任せてくれ。ついでに朝食も作ってしまうから、二人は自分の料理に専念してくれていいぞ」

 

 ありがとうと二人が頷く。

 なんだ。仲良く並んで料理を作るなんて、そんなに二人の仲を心配することはなかったかもしれないな。これなら今日のプールも平穏無事に過ごせるかもしれない。

 そんな風に胸を撫で下ろしていたんだが……。

 

「セイバー、おにぎりは三角ですよ三角。ああっ!? それでは三角というより菱形ではないですか。もう少し真剣に握ってはどうなのです?」

「話しかけないでくださいライダー。気が散ります。それよりも、よそ見をして卵焼きを焦がさないように。焦げると苦くなってしまいますから」

「そんな心配は無用です。貴方とは違いますからね」

「何やらひっかかる言い方ですが……今は料理に専念するとしましょう。ふん。命拾いしましたね、ライダー」 

  

 ……何と言うか微妙にギスギスしているのは俺の気のせいだろうか。

 いや、ここは気のせいということにしておこう。深く突っ込んで墓穴を掘るのは賢くない。それよりも今は、二人を唸らせる弁当を作ることを優先するべきだ。

 俺はなるべく二人の邪魔をしないように注意しながら、そっと包丁を取り出した。

 

 

 そうして迎える運命の瞬間。

 俺の目の前には“わくわくざぶーん”がドドーンとそびえ立っていて、隣に立つライダーとセイバーと一緒に建物を見上げていた。その中でライダーが感嘆したように一言呟いた。

 

「これは大きい建物ですね」

「なんてたってレジャー施設が丸ごとこの中に入ってるからな。そりゃ大きいさ」

「風情は違いますが、何処となく故郷のキャメロットを思いだします」 

 

 セイバーが懐かしむように目を細めて小さく頷いた。

 そんな二人は、普段とは違ってカジュアルな服装に身を包んでいた。

 いつもと服装が違う。ただそれだけで“女の子”として強く意識してしまう。しかもこの後プールでは水着になってしまうのだ。正直言ってそれを目の当たりにした時に平静でいられる自信がない。

 だってセイバーもライダーも可愛いんだ。自分を見失わないようにしないと大変なことになる。

 

「……」

「どうしたのですか、シロウ?」

「いや、別に……」 

「こうして突っ立っていても仕方ありませんし、そろそろ中へ入りませんか、士郎?」

 

 自制心を呼び起こしていたらライダーに先を促された。確かに彼女の言う通り、このままここに居ても仕方がない。

 

「そうだな。それじゃ入ろうか」

 

 期待と興奮に胸を躍らせながら、俺は運命の扉を開けた。

 

 

「おお!? これは」

 

 降りそそぐ夏の陽射し。見渡す限りは人工の砂浜で、波打ち際には大勢の人の姿が見える。ここざぶーんは休日ということもあり大変盛況だった。

 ちなみにセイバー達とは更衣室で別れている。男の着替えに比べれば女性の着替えは時間がかかるから、当然のように俺が先に着替えて浜に出て来たというわけだ。

 そんな手持ち無沙汰を紛らわせるために、近くにある案内板に目をやった。

 流れるプールに波のプール。特大のウォータースライダーに飛び込み台。競泳用プールもあるようだ。他にも各種アトラクションがあって一日中遊んでいても退屈しない仕様になっている。

 

「来て正解だったかもな」 

 

 辺りを見回しながら二人を待つ。その時、視界の端にチラっと見覚えのある人物が映った気がした。

 それは褐色の太い腕。

 ……いやいや、まさかな。アイツがこんな所に居るはずがない。

 ちらりと白髪も見えた気がしたが、俺は不吉な予感を追い出せすべく強く頭を振った。考えていたら現実になってしまうかもしれないからな。

 そうこうしているうちに、浜辺の女神が俺の元へと参上した。

 

「シロウ、頭を振って何をしているのですか?」

 

 それを一言で表現するならば太陽の眩しさか。

 

「セイ……バー」 

 

 驚きのあまり声がうまく出ない。

 彼女らしさを象徴するような白の水着。それは俺の予想に反してビキニタイプだった。その水着は彼女の肌の美しさをこれでもかと強く見せつけてくる。

 

「……」 

 

 ここで何か言うべきなのは分かっているのだが、それに思考が追いついてこない。女の子とプールに来るなんて経験もなかったので、なおさら言葉が続かない。

 そうやって黙り込んだ俺を、不安そうに瞳を揺らせながらセイバーが見つめてくる。

 

「あの、シロウ。やはり何処かおかしいのでしょうか……」

 

 もじもじ恥ずかしながら、そっと上目使い。

 そういう仕草は反則だと思う……。

 

「に、似合ってる。全然おかしくないぞセイバー」

「シロウ?」

「あー、その、綺麗……だ」

 

 これが今の俺に言える精一杯。それでも相手には十分伝わったのか、セイバーが輝く笑顔を向けてくれる。

 

「……良かった。シロウにそう言って貰えただけで来た甲斐があります」

 

 彼女はほっとしたように胸を撫で下ろしていた。

 それを見て俺も平静を取り戻す。いつまでも慌てていては格好が付かないからな。

 だがそこへ第二の女神が現れてしまう。

 

「お待たせしました、士郎」

 

 それはセイバーとは対極の艶姿。

 ライダーらしい黒色の水着はやはりビキニタイプ。だが大人の女性として完成されたプロポーションとは裏腹に、そのデザインはシンプルだった。でもそれが逆に、彼女の妖艶な色気を際立たせる格好になっていた。

 

「ッ!?」

 

 セイバーの時とは違った意味で、またもや思考がストップしてしまう。

 

「……似合っていませんか……?」

 

 まさかライダーまでが不安そうに俺を見つめてくるとは思わなかった。だがセイバーの後なので言葉を口にする余裕くらいはあった。

 

「い、いやいや! 似合ってるぞライダー。完璧! パーフェクト!」

「そ、そうですか。素直に嬉しいです」

 

 不安げだった顔が綻び、ライダーにも笑顔が浮かぶ。その表情が眩しくて思わず見惚れてしまった。

 

「あ……」 

 

 自然と目と目が合う俺とライダー。そうやって見つめ合う俺達を、どこか拗ねたような表情のままセイバーが眺めている。彼女は俺たちの間に割って入ろうと足を動かすが――目に飛び込んで来たライダーの肢体に圧倒されたように動きを止めた。   

 セイバーの視線がライダーのボディラインをなぞっていき、最後にはふっと地面に目を伏せてしまう。

 

「悔しいですがライダー。ここは素直に敗北を認めましょう。その、正直羨ましいです……」

 

 多くを語らずとも、口調が雄弁に内容を語っていた。

 だが対するライダーも

 

「……言いたくはありませんが、敗北感に打ちのめされているのは私の方ですよセイバー。貴方は自分の素晴らしさを何も分かっていない」 

 

 と語り、何故かライダーも目を伏せてしまった。

 小柄なセイバーと大柄……もとい、グラマーなライダー。二人とも自分の体型にコンプレックスでも抱いているのだろうか?

 

「セイバーもライダーも何を落ち込んでいるんだ? 二人ともすっごく似合ってるし、き、綺麗だぞ。そのさ……折角プールに来たんだ。明るくいこうっ!」

 

 場を和ませようと必要以上に大声で話し掛ける。そんな俺の言葉を受けて二人が顔を見合わせた。その後で一度だけ強く頷くと、柔和な笑顔へと変身する。

 

「そうですね。シロウが喜んでくれるだけで私は満足です」

「私も――士郎、貴方が誉めてくれただけで嬉しいです」

 

 美少女二人に囲まれて、輝く笑顔を向けられる。

 正に両手に花の状態。

 きっと今の俺は、照れて顔を真っ赤に染め上げていることだろう。こんな場面、絶対に藤ねえや遠坂には見られたくない。だけど二人が元気になったなら勇気を出して褒めた甲斐があるというものだ。

 休日は始まったばかりだし、何事も初めが肝心だ。

 

「……それじゃ早速だけど泳ごうか? それとも一通りアトラクションを見て回るか?」

「そうですね」 

「なんだったら先に――」

「おいおい坊主! 男ならもっとちゃんと誉めてやらないといけねえ。折角美人が二人も水着になってくれてんだ。興醒めするだろうが」

「その意見には同意する。まったく、これでは先が思いやられるというものだぞ衛宮士郎」

「なっ!?」 

 

 何ということか!?

 セイバーとライダーを促そうとしたまさにその時、第三と第四の珍入者が現れてしまったのだ。

 

 

 信じられない。

 この幸せカップルか家族連れ以外存在を許さぬという“わくわくざぶーん”において、何故この二人がここに居るっ!?

 

「よぉっ坊主! 元気にしてたか?」

 

 現れたのは青いのことランサーと、赤いのことアーチャーだった。

 

「な……何でお前達がここにいるんだよっ!?」

「何を驚いている衛宮士郎。ここは公共の場だぞ? 私達が波打ち際で遊んでいたとしても何の不思議もあるまい」

 

 ……いや、すっげえ不思議だ。

 お淑やかな遠坂、黒くない桜くらい不思議だぞ。しかしそんな俺の気も知らず、二人は堂々と俺――いや、水着姿のセイバーとライダーににじり寄って行く。

 

「いやぁ、こりゃいいね~! やっぱりプールはこうでなくっちゃなぁ!」

「……ほう。ほう。ふむ。これは中々」

 

 青いのは豪快に。赤いのは若干控えめに。それぞれ二人を惜しげもなく凝視している。セイバーとライダーを取り巻くように回りながら感嘆の声を上げる闖入者。

 その中から最初に感想を洩らしたのはランサーだった。

 

「流石にライダーは色っぽいねぇ。正しく大人の女って感じだ。それに比べてよセイバーは……。いいかセイバー、もっとしゃんと食べないと、ライダーみたいに胸とか大きくなれん――」

 

 打撃音の後で、一瞬にしてランサーが俺の視界から消えた。続いて響いてくる激しい水音。

 あぁ人間って結構簡単に飛ぶんだな。

 そんな光景を目の当たりにした赤いのは

 

「……コホン。私はコメントを控えさせて頂く」

 

 と視線を逸らした。

 

「はあ……はあ……はあ。セ、セイバー!? ちっとは加減しろ。マジで死ぬかと思ったぜ」

 

 流石はサーヴァント随一の俊敏さと生命力を誇るランサー。

 もう、復活して戻ってきていた。

 

「それは因果応報、自業自得と言うのだランサー。何ならもう一度空を飛んでみるか?」 

 

 ニヤリと“可愛い”笑みを浮かべるセイバーさん。その笑みに気圧されたようにランサーは半歩後ずさった。

 セイバーとランサー。そしてアーチャー。

 なんというか、この組み合わせは危険なのかもしれない。

 そう強く俺の直感がシグナルを発令している。だけど折角遊びに来たんだし、どうにか仲良くして欲しいものである。じゃないと俺への被害が……じゃない、周りに被害が及ぶかもしれない。

 問題はどうやって仲良くさせるかなんだけど……

 そんな俺の苦悩などお構いなしに、セイバーがランサーの間合いへと入って――いざ事を起こそうという瞬間、ライダーが彼女の腕を取った。

 

「何をするのですか、ライダー!?」 

「良いから、こちらへ来てください。セイバー」 

 

 半ば無理やりにライダーがセイバーを、近場にあった観葉植物の裏まで引っ張って行く。

 

(良いですか、セイバー。あんまり騒動を起こしては士郎に迷惑がかかります。ここは、穏便にいきましょう)

(しかしライダー。あなたは平気だというのですか? 士郎の為にも私達の為にも、ここは邪魔者である二人を排除するのが……)

(勘違いしないでくださいセイバー。“穏便”にあの二人を亡き者にするのです。人目のあるところでは士郎に迷惑がかかる。人目のない場所でこっそりと殺るのですよ)

(こっそりですか。それは良い案ですライダー!)

(でしょう?)

(ええ。めずらしく意見が合いましたね。ここはじっくりとチャンスを待つことにしましょうか)

 

 どうやら内緒話は終わったようで、ニコニコとした笑顔を浮かべながら、セイバーとライダーが観葉植物の裏から出てきた。

 

「二人とも、ここは公共の場だ。あまり争っていては他人に迷惑がかかる。穏便に仲良く遊ぶとしましょう」

「セイバーの言う通りです。穏便にしないといけません。何と言っても公共の場ですから」 

 

 あの短い間にどういう心境の変化か。セイバーがランサーに手を差し伸べているではないか。ライダーはというと、何だが似合わない邪悪な笑みをアーチャーに向けていた。

 まあいい。若干の不安が残るが今日の目的はみんな仲良くだ。ここは俺が音頭を取ることにしよう。

 

「それじゃとりあえず水に入ろうか。ランサーもアーチャーもあんまり二人をからかわないでくれよ?」

「分かってるって。俺ももう空は飛びたくないしな。それでまず何処に行くんだ坊主? もう決めてあるのか?」

「いや、それをどうするかって話してたところだ」

「――フ、そうか。まあ、まだ時間はあるからな。なあみんな。別に今日中にアトラクションを泳ぎ尽くしてもかまわんのだろう?」

 

 赤いのが楽しそうにフフフと笑っている。

 泳ぎ尽くしても構わないかだって? ああ一向にかまわん。っていうかずっと一人で泳いでろ。 

 そんなアーチャーの背中をドンと一発叩いたランサーが、一同を見回しながら宣言した。

 

「それじゃあ人数も居ることだし、まずはビーチバレーで勝負ってことでどうだ?」

 

 

「シロウ。どうぞこちらのチームへ」

「いえ、士郎。こちらのチームへどうぞ」

 

 チーム分けといってもサーヴァントX4名と一般人X1名である。

 当然の如く、俺は戦力外通告を受けていた。

 チームはセイバー&アーチャーチームとライダー&ランサーチームに別れている。戦力外な俺は好きな方を選んで良いとのことだった。

 

「シロウ。貴方は私のマスターです。ここは当然一緒にチームを組むべきです」

「士郎。こちらのチームはサーヴァント最速チームですよ。勝ちを目指すならこちら間違いありません」

 

 セイバーとライダーがそれぞれ俺に手を差し伸べてくれている。

 

「勝ちを目指すなら尚更私のチームに来るべきです。セイバーの名に懸けて勝利を約束します!」

「ランサーとは個人的な含みはありますが、単純にペアとして見れば相性の良いチームになります。セイバーアーチャー組には負けません。是非こちらを選んでください」

「むっ!?」

 

 横槍を入れるなとばかりに、セイバーがライダーを睨み付けている。その視線を悠然と受け止めたライダーが、これまた睨み返す。バチバチと二人の視線が火花を散らしている様子が手に取るように分かった。

  

「ライダー。何でしたらこちらのアーチャーをプレゼントしましょうか? 必然的に私は一人になりますから、余ったシロウと私でペアを組むことにします」

「貴女がそう言うのならこちらもランサーを“のし”を付けて贈らせてもらいます。結果、三対二となりますが、士郎と私がペアを組めば勝機はあるはずです」

「……ライダー。シロウは私のマスターだ。あまりでしゃばらないで欲しい」

「このチーム戦にマスター云々は関係ないでしょう。それとも選ばれる自信がないのですか?」

「選ばれる自信がないとは言っていませんっ! シロウは私を選んでくれます!」

「なら選択権を士郎に預けても問題ありませんね」 

「むむむ……!」

  

 売り言葉に買い言葉。会話を交わしながら二人は段々とヒートアップしていっている。

 チラっとランサー達に視線を走らせるが、赤青のコンビはどっちでも良いから早く決めてくれとばかりに傍観を決め込んでいた。その様を見るにどうにも助けてくれそうな気配はない。

 セイバーでもライダーでも、どちらを選んでも角が立つ。

 俺はいつの間にか究極の選択を迫られていた。

 これならいっそ男三人で組んだほうがマシかもしれない。そう思っても時すでに遅し。彼女たちが眼前へと迫っていた。

 

「「さあっ、シロウ(士郎)! どちらを選ぶのですか!?」」

 

 俺は……俺が選んだのは――

 

 

「ポイント、セイバーチーム」

 

 右手を上げて宣言する。

 そう、俺が選んだのは審判だった。どっちを選んでも後が怖い。ならば選べるのは中立な立場の審判しかなかったのだ。

 君子危うきに近寄らずと昔の偉い人も言ったもんだ。

 

「ポイント、セイバー」

 

 再び右手を上げる。

 予想に反してライダー&ランサーチームは苦戦していた。

 二人はそのスピードを活かして縦横無尽に走り回るのだが、セイバー&アーチャーがそれを上回る攻撃を見せていた。後で聞いたところによると、セイバーもアーチャーもその時々の最適な行動を感知できるらしい。事前に攻撃が読まれていては、さしもの俊足コンビも歯が立たないということか。

 結局ライダーチームは善戦したものの、勝負はセイバーチームの勝利に終わった。

 ……あの得意げなセイバーの顔が忘れられない。ライダーは良く我慢したと思う。

 その後はこの五人で遊び倒した。

 ウォータースライダーや飛び込み台に行ったり、きのこの滑り台に行ったりとそれぞれみんな結構楽しんでいた。

 しかしアーサー王やアイルランドの光の御子、そして伝説のメデューサさんと波うち際でちゃぷちゃぷ遊んでいるのって、きっと俺くらいのものだろう。

 うん。馴れてきてたけど、これは結構凄いことだぞ。まあ楽しいもんは楽しいので一緒になってはしゃぎ回ったのだが、ふと気付けば、いつの間にかお昼時になっていた。

 

 

 ざぶーん全貌を見渡せるテラスの一席に、五人の人間が顔を付き合わせていた。

 

「何でお前等までここにいるんだ?」

 

 ロッカーからお弁当用重箱を取って戻ったら、ちゃっかりランサーとアーチャーも同席していたのだ。

 

「ケチケチするなよ坊主。飯は大勢で食ったほうが美味いんだぜ?」

「そうだな。別れて食すよりも効率的と言えるだろう。それに、その大量の弁当を消費するのは、三人では少しばかり骨が折れるのではないか衛宮士郎?」

 

 アーチャーの視線が重箱に注がれている。確かにアイツの言うようにちょっと作りすぎた感はあった。ライダーはそれほど食べる人じゃないし俺もそんなに食うほうじゃない。

 それなら残してしまうよりは食べて貰ったほうが嬉しいか。

 

「……了解だ。けど食べすぎるなよ。元々は三人分なんだ」

 

 釘を刺してから重箱を開ける。

 色とりどりの多彩なおかず。おにぎりに太巻きにいなり寿司。ポットを持って来ていたのでインスタントの味噌汁も用意してあった。勿論味にも自信あり。

 そうして頂きますの挨拶の後、早速遠慮も何もなしにランサーが箸を伸ばす。

 

「お! いっぱしに旨えじゃねえか。うん、こりゃあいけるぜ」

 

 ひょいひょいと食べるランサー。

 そしてアーチャーは、アスパラベーコンやから揚げといったおかずを一通り食べてから

 

「…………まあ、70点といったところか。弁当という事を考えれば、もう少し風味にこだわった方がいいな」

 

 と点数を付けてくれた上で、しっかり文句も付けてくれた。

 まあいい。俺も腹は減っている。水遊びって結構体力を使うのだ。

 割り箸を取って……そこではっと気づく。さっきから食べているのはランサー達ばかりで、セイバーもライダーも手を付けていないのだ。彼女達は弁当を見ては、俺へと視線を向けてくる。それの意味するところを悟り、俺は重箱からおにぎりと卵焼きを取った。

 

「頂きます」 

 

 まず俺はセイバーが作ったおにぎりにかぶりついた。

 ……うん。普通のおにぎりだ。形は良くないけど味は悪くない。まあおにぎりを不味く作るのは中々難しいと思う。

 続いてはライダーの卵焼き。それを一切れ、口に放り込んだ。

 ……これも十分いける。ちょっと砂糖の入れすぎで甘いけど普通に食べれる。

 

「うん、うまいよセイバー、ライダー」

 

 ぱっと二人の表情に笑顔が浮かんだ。

 俺の言葉で緊張が解けたのだろう。二人は一瞬顔を見合わせてから、やっと箸を動かし始めた。

 しかし――

 

「何だぁ、このおにぎりは? 変わった形してんなぁ。菱形ぁ? わざわざこんな変な形に握ったのか坊主? もしかしてこれは受け狙いか?」

「――む。この卵焼きは甘すぎるな。食べれないことはないが……残念ながら、これでは他のおかずの味を殺してしまう。点数にして30点も付かないぞ」

 

 カランっと箸を落とす。

 あぁ……神様。今すぐこの二人の口を止めてください。しかし俺の祈りも空しく二人の批評は続いていく。

 

「あぁ、確かに黒んぼの言う通りこの卵焼きは甘すぎだ。お子様じゃねえんだから、もうちっと考えて作れよ」

「面白いな、このおにぎりは。もはやおにぎりという原型すら止めていない。握る時に力を入れすぎたのだろうが……20点というところか」

 

 バキッっと箸の折れる音がした。

 うん。ちょうど二つ分。

 

「……セイバー。ちょうどお昼時ということで他の人の数も随分減りましたね」

「ええ。そうですねライダー。そろそろ実行に移しても良い頃合でしょう」

 

 すっくとセイバーとライダーが立ち上がった。

 そんな二人を実に不思議そうな表情で青赤のコンビが見上げた。

 

「ん? 何だお前ら、食わないのか?」

「きっちり食べないと午後がきついぞ。まだまだ泳ぐ予定なのだ。おにぎりと卵焼き以外は十分食べれるレベルだ」

 

 心の中で合掌する。

 我が事ながらもう少し空気を呼んでほしい……。

 

「アーチャー。そのおにぎりは私が握った物です。そして、そちらの卵焼きはライダーが作りました」

 

 あ、二人も箸を落とした。サッと二人の顔色がブルーに変わる。

 ここに至って、やっと事態が自分達にとって悪い方向へ進んでいるのに気付いたらしい。

 

「ランサー、アーチャー。ちょっとこちらへ来て頂けますか? 少しだけお話しすることがあります」

 

 ライダーが極上の笑みを浮かべたまま、更衣室の裏辺りを指差してている。

 

「……いや、悪かった。誤解があったんだ。話せば分かると思う」

「ええ。だから話しましょうアーチャー。ここでは他の人の迷惑になりますから、どうぞこちらへ」

 

 セイバーも極上の笑みを浮かべている。

 二人はどうか知らないが俺はあの笑みの正体を知っている。

 

「ま、待て待て! 今日はみんなで楽しく遊ぼうって話しになったろっ? だからさ……」

「何を怯えているのですかランサー? 少しお話するだけですよ?」

「フフフ、アーチャー。貴方には特にきつく言い含めておかないと気がすみません。ええ、気がすみません! 男二人に女が二人、楽しい話になりそうですねぇ?」

「や、やめろセイバー!?」 

 

 ズルズルと青赤コンビがセイバー達に引きずられて行く。まるで泣き叫ぶ子供を引きずる母親のような光景だ。

 だけどな逆鱗に触れたお前等が悪いんだぞ?

 しばらくして、黄金と白色の閃光を見たような気がするけど、気のせいだと思うようにした。

 十分後。戻って来たのはセイバーとライダーの二人だけだった。あのコンビの末路は何となく想像がつくけど、一応聞いてみることにしよう。

 

「……あのさ、ランサーとアーチャーの二人は……どうしたんだ?」

「あの二人なら他の場所で泳ぐと言っていました。きっと気を利かせてくれたのでしょう」

 

 ライダーが髪をかきあげながら穏やかな口調でそう口にした。。

 

「きっと今頃は、まるで夢の中を漂うかのように泳いでいることでしょうね」

 

 うんうんと満足そうに頷くセイバー。

 その時更衣室付近から係員の大声が響いてきた。

 

「お、おいっ! 大丈夫かっ? って駄目だ、完全に白目を剥いている」

「主任、この人達……生きてるんですか……?」

「まだ微かに息はある。おい、タンカ……いや、救急車を呼べっ! しかしどうやったらこんな目に遭うんだ……?」

 

 ……聞かなかったことにしよう。俺も命は惜しい。

 

「では昼食を続けましょう。そうだシロウ! このライダーの卵焼きは中々美味です。どうぞ食べてあげてください」

「士郎。おかずだけではお腹も満たされないでしょう。このセイバーが作ったおにぎりもどうぞ」

 

 二人がそれぞれの品を“あ~ん”とばかりに俺に差し出してくれる。

 どうやら共通の敵を見出したことにより結束が固まったようだ。それはそれでとても嬉しいんだけど……。

 

「どうぞっ!」

 

 ずいっと突き出されるおにぎりと卵焼き。

 俺には黙々と食べ続ける道しか残されていなかった。

 

 

 

「今日は楽しかったですね。士郎、ありがとうございます」

 

 夕日を背にライダーが振り返る。

 

「そうですね、充実した一日を過ごせました。感謝しますシロウ」

 

 隣を歩くセイバーも柔和に微笑んでいる。

 昼食後は、もう目一杯ざぶーんを楽しんだ。

 飛び込み台では、最上段から中々飛びこめない俺を二人で突き落とそうとしたり、ウォータースライダーでは年相応の少女のように歓声を上げたりもしていた。

 ライダーもセイバーも普段よりはしゃいでいたと思う。俺も楽しかったし、色々あったけど来て正解だった。誘って良かったと素直に思えた。

 夕日に向かって三人で歩く帰り道。心地よい風が肌を撫でていく。

 

「士郎。今日の夕食ですがキャンセルしませんか?」

 

 突然ライダーがそんなことを言い出した。

 

「え? なんでさ?」

「先日給料日だったのです。今から三人で飲みにでも行きませんか? 奢りますよ」

 

 意外な申し出だった。でもセイバーとライダーと飲みに行くっていうのは魅力的な提案だと思う。もう少しこの楽しかった余韻を引っ張っていきたい。

 そんな気分だったから。

 

「良いですねライダー。私もお酒は嫌いではありません」

 

 セイバーも乗り気だった。

 衛宮の家ではあんまり酒を飲んだりしないけど、たまにはいいだろう。

 

「じゃあ、ライダーにご馳走になろうかな。二人が飲んでるところを見てるのも悪くない」

「酔っ払った士郎と言うのも見てみたいですけどね」

 

 フフっとライダーが笑う。

 まだ休日は終わっていない。あと少しだけ二人の我がままに付き合うことにしよう。

         

 

 



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第四話

「ほう。そこに居るのは、セイバーのメシ使いではないか」

 

 晴れ渡る青空の下、暖かい太陽の光を浴びながら川沿いにある公園を歩く。周りを見渡せば、園内を散策するカップルや、ボール遊びに興じる子供達の姿が見えた。

 ジョギングしている人やベンチに腰掛けて読書する人。和やかな休日らしい長閑な風景である。

 

「おい雑種。何処へ行く?」

 

 さて。俺が何をしているかといえば、さっきまで新都に買い物に出ていたので、今はその帰り道という訳である。行き道は新都へ通じるバスを利用したんだが、あまりにも良い天気だったので、帰りは散歩がてら歩いて戻ることにしたのだ。

 右手にはヴェルデと刻印された紙袋を、そして左手にはフルールで買ってきた限定ケーキを下げている。

 限定ケーキ――ああ、セイバーの喜ぶ顔が頭に目に浮かぶようだ。

 彼女は、一ヶ月も前からこのケーキを楽しみにしていたのである。

 

「そこの雑種。……聞こえていないのか?」

 

 名店フルールは期間ごとにその時期にじか手に入らない特別なケーキを販売している。

 今期は贅を凝らした限定フルーツケーキだった。このケーキに合わせようと、ちょっと奮発して高級な紅茶も用意してある。

 実は俺も、食べるのが結構楽しみだったりするのだ。

 

「…………………」

 

 さて、あんまりセイバーを待たせるのも忍びない。

 余計な邪魔が入らないうちに、さっさと帰るとしよう。

 

『――“王の財宝”――』

 

「何だ英雄王。俺に何か用か?」

「雑種、あんまり我の手を煩わせるな」

 

 物騒な言葉を聞いて振り返ってみれば、黄金のサーヴァントことギルガメッシュが踏ん反り返っていた。トレードマークの黄金鎧は着てなくて、ラフな服装を着こなしている。その為に傍目には好青年に映ってしまうが、俺的には関りたくない人物ベスト3に入ること間違いなしの迷惑人である。

 ちなみに、さっきまでは意図的に無視していた訳じゃない。頭で存在を認識していたが、心が関ることを拒否していたのだ。

 

「で、何で俺を呼び止めたんだ?」

「別に用などない。王ゆえの”気まぐれ”というやつだ」

「気まぐれだって? あのなぁ英雄王。みんなお前みたいに暇じゃないんだ。……用がないなら俺は行くぞ」

「まあ、待て雑種。ところで、その手に持っている物だが」

 

 英雄王の視線が左手にあるケーキの入った箱に注がれていた。

 なんと言うか、注視していると言ってもいい。

 待て待て。とても悪い予感がするんだが……俺はその直感に従い、慌てて背中にケーキの箱を隠した。

 だが――

 

「ふむ。よい。献上を許す」

 

 それは如何なる技か。

 背中に隠し握り締めていたはずのケーキの箱が、気づいたら英雄王の手の中にあった。

 

「おい、ギルガメッシュ! それは――」

「ほう、菓子か。フルーツを散りばめたケーキだな。ちょうど小腹が空いていたところだ。どれ、早速頂くとするか」

 

 傍若無人ここに極まれり。

 俺の制止の声もお構いなしに、英雄王は箱を開けてケーキをひとつ手に取った。  

 

「待て、食べるなっ!」

「貴様如き雑種の指図は受けん」

 

 その行為が当然だとばかりのドヤ顔で、奴がケーキにかぶりつく。

 

「ふむ、雑種が作ったにしては中々の美味。愚民共にはもったいないな」

 

 食べる、食べる。英雄王がケーキを食べる。

 あぁ……何てことを……してくれたんだ。

 

「た、頼むから返してくれ、英雄王! ……って、言ってる傍から食べるんじゃないっ!」

「何を慌てている雑種。献上された物をどう扱おうと我の勝手ではないか」

 

 民の声は王には届かない。

 奴は最後のケーキを手に取ると、それを口へと運んでいき――

 

「…………それ、セイバーのだ」

 

 ピタリと、英雄王の手が止まった。

 

「……待て。今、何と言った雑種?」

「それ、セイバーがずっと前から楽しみにしていたケーキなんだ。……限定販売で、もう手に入らないかもしれない」

 

 若干、英雄王の目が泳いでいる気がした。奴は食べかけのケーキをそっと箱に戻すと、それを俺の手の中に返した。

 

「うむ、中々の味であった。褒めてやるぞ、雑種」

「ギルガメッシュ、お前……」

「我は急用を思い出した。王とはいつの時代でも忙しいものよ。……時に雑種。くれぐれもセイバーに告げ口などするなよ」

 

 そう言い残すと、傍若無人な王はそのまま去って行った。

 悔しいが、今ここであいつを呼び止めてもまたトラブルを呼び込むだけだ。俺は手に残ったケーキ箱に視線を落とす。そこには、食べかけのケーキがたった一つ残っているだけだった。

 

 

 とりあえず前向きに考えるとしよう。

 まだ店は開いているはずだ。セイバーを待たせてしまうことになるが、新都まで行ってケーキを買ってくるくらいの時間の余裕はある。

 ただ人気商品だから売り切れていないとも限らない。

 結論。ここは一刻も早く戻らなければならない!

 俺は踵を返し、駆け足で来た道を戻っていく。だが、その時だった。突然俺の右足に、何か布のような物が巻きついたのは。

 

「うわっ!?」

「……ゲット」

 

 俺の抵抗などまったくの無意味。

 可愛らしく響いた少女の声と共に、足に巻かれた布が勢いよく巻き取られて、俺はそのまま空中に身体を釣り上げられてしまった。

 

「あら、こんなところで会うなんて。奇遇ですね、衛宮士郎」

「奇遇って、今、思いっきり釣り上げたじゃないかっ!」

「……はい?」

 

 放り投げられれば地上に落ちるのは自然の理。俺は地面に這いつくばったままの姿勢で視線を上げた。そこには修道服に身を包んだ銀髪の少女がいた。

 その少女は“何のことを言っているのかわかりません”っと不思議そうに首を傾げ、立ち上がろうとしている俺を眺めている。

 彼女の名前はカレン・オルテンシア。

 言峰に代わって、教会に派遣されて来たシスターだ。ただ普通のシスターではない。可愛らしい外見に騙されると、痛い目を見ること必定である。

 

「……まあいい。それで、わざわざ俺を呼び止めたんだから、何か用があるんじゃないのか?」

「呼び止めたと言うのは語弊がありますが、こうしてお会いしたのです。少し、お話しましょう衛宮士郎」

 

 カレンは胸の前で両手を組み、真摯な瞳で俺を見つめている。その姿は敬虔なシスターそのものだった。ただ繰り返して言うが、外見に騙されると痛い目を見る。

 俺的に関わりたくない人物ベスト3に入るのは間違いない逸材だ。 

 

「悪いなカレン。今はちょっと急いでるんだ。話しならまた今度にしよう」

「――衛宮士郎。貴方はか弱い一人の少女の願いを、無碍にも断ると言うのですね」

「か弱いって、誰のこと言ってるんだ?」

「もちろん私のことです。衛宮士郎、今の言葉には大変遺憾を覚えます」

 

 憤慨したとばかりに、カレンが睨んでくる。

 ……むう。女の子に睨まれるのは、客観的に見て心象があまりよろしくない。それにこうして問答している時間も惜しいのだ。この事態を打開するには……俺が折れるしかないか。

 

「分かった。でも、少しだけだぞ」

「ええ。私も暇ではありません。今回は貴方が急いでいたので、ちょっと邪魔してみたくなったのです」

 

 ではこちらへと、カレンが川際にあるベンチに誘う。

 だけど、ちょっと待て。今、あいつ何かとんでもない事を口走らなかったか? しかし当のカレンは、特に気にしている素振りもなく一人でスタスタと先に行ってしまった。

 仕方ない。少しだけ付きあって、早くフルールへ向かうとしよう。

 

「………………………」

 

 ベンチに座って十分。カレンは話し掛けるでもなく、俺が買った缶コーヒーを手に川の流れを見つめている。何をしたいのかはわからないが、このまま話をしないと先に進まない。

 俺は缶コーヒーを一口飲んでから、意を決して口を開いた。

 

「なあカレン。俺に話があるんじゃないのか? 黙ってちゃわからないぞ」

「こういう時は殿方がリードするものでしょう。衛宮士郎、何かお話になったらどうです?」

「……話って言ってもなぁ。特に話すことなんかないし……」

「まあ、甲斐性なしの宿六みたいなことを。少し見損ないました」

 

 宿六って……何処でそんな言葉を覚えてくるんだこの娘は。

 

「では僭越ながら私から。コホン。衛宮士郎。最近、何か変わった事はありましたか?」

 

 見切りを付けたように、カレンが話題を振ってきた。

 しかし変わった事か。残念ながらというか、変な出来事には事欠かない生活をしている。ついさっきも、ヘンタ――もとい、変わった人物に遭遇したばかりだ。

 

「そうだなぁ、変わった事といえば、さっき変な奴に会ったばっかりだな」

「変な奴?」

「ああ。そいつの唯我独尊っぷりのせいで俺は急ぐ羽目になってるんだが……まあ、見つかった俺が悪かったんだ」

 

 あいつと遭遇するイコール災難確定だ。

 

「ヘンタイ、変態ですか。で、それはどのような人物なのでしょう?」

 

 興味があるのか、カレンが俺を覗き込んでくる。仕方ないので、俺は先程起きた不幸な出来事を掻い摘んで話して聞かせた。

 彼女は耳を澄ませるように聞いていて、結局最後まで口を挟むことは無かった。そして最後まで聞き終わると、すっくとベンチから立ち上がった。

 

「……なるほど。こんな処に居たなんて。灯台下暗しとはこのことですね」

「どうしたカレン?」

「急用が出来ました。お引止めして申し訳ありません。貴方も自分の用件に戻られるとよろしいでしょう」

 

 それではと一礼してからカレンが去って行く。

 現れるのも突然なら、去って行くのも突然だった。けど今の俺にとっては都合がいい。結構時間を浪費してしまったがまだ間に合うだろう。

 俺は一気に残りのコーヒーを飲み干してから、ベンチを後にした。

 

 

 新都へと掛かる大橋を駆ける。今は一分一秒が惜しい。息を切らせながら、全速力でフルールへと向かう。

 だが、橋の途上で思わぬ人物に出会ってしまった。

 ……何を考えているのか、その人物は橋の隅っこで膝を抱えて丸くなっている。

 

「……し、慎二。そんなとこで何やってるんだ?」

「衛宮か……」

 

 慎二は幽鬼のような仕草で顔だけを向けてくる。

 

「衛宮。お前なら……」

「……」 

「なあ聞いてくれ! 僕は――」

「悪い、慎二! 俺、今メチャクチャ急いでるんだ。話しなら今度聞く」

 

 慎二には悪いが、関っている時間がない。

 俺は慎二に別れを告げて駆け出した……のだが、背後からかかった切羽詰った声に思わず立ち止まってしまった。

 

「衛宮っ! 待ってくれ衛宮っ! お前まで僕を見捨てるのか?」

「見捨てるって……何言ってんだ? 訳わかんないぞ」

「……最近桜は冷たいし、家でも微妙に居心地が悪いし……いや桜だけじゃなくって世間の風当たりがきついんだ。僕は……僕はね……」

「それは慎二の勘違いだろ。それにお前、そんなこと悩んでる風もなくいつも自信満々じゃないか」

「見得さ。なあ衛宮、お前だけが僕を解ってくれる。今から一緒にメシでも食いながら話を――」

「悪い。本当に急いでるんだ。メシなら今度付き合うから……じゃあなっ!」

 

 慎二のスキを付いて駆け出す。

 

「待ってくれ衛宮!」

 

 だが慎二は、ラグビー選手よろしく俺の腰にしがみついてきた。

 

「こ、こら放せ慎二! ほ・ん・と・う・に急いでるんだよ!」

「放さないぞ衛宮~。僕とお前は友達だろ~」

「急いでるんだって!」

 

 ズルズルと慎二を引きずりつつも前に進む。だけど、こんなんじゃ絶対に間に合わない。

 こうなったら多少乱暴だけど仕方ない。俺は力ずくで纏わり付いてくる慎二の手を引き離した。

 その行為を受けて、信じられないものを見たという風に呆然となる慎二。

 悪いな慎二。けど今は本当に時間がないんだ。

 

「死んでやるっ!」

 

 自棄になったのか、橋の欄干に慎二が立った。

 

「お、おい慎二っ! 落ち着けって!」

「衛宮にまで見捨てられたら、おしまいじゃないか。絶望だっ!」

「大袈裟なこと言うな! とりあえずソコから降りろ!」

「……じゃあ、今から一緒にメシ行くか?」

「それは無理だ」

「死んでやるッッ!!」

 

 ああ、もうっ! この忙しい時にっ!

 俺は悲壮感漂う慎二に取り付くと、力づくで下に引っ張った。あいつの背中から抱きつく格好。とりあえず強引にでも引き降ろしてしまえばいい。

 その後はもう知らん。

 

「おい、暴れるなって。慎二……!?」

「うわ……落ちる、落ちるぞ、衛宮、助けてくれっ!」

「そっちに重心かけるな。ちょっ……動くなって。じたばたするんじゃない! ええいっ……掴むな、放せ、落ちるなら一人で落ちろっ!」

「放すものか~。え~み~や~っ!」

「こら……暴れるなぁっ!! 放せぇぇぇ――っっ!」

 

 慎二はじたばたじたばたと思いっきり暴れている。それでも俺を掴んだ手だけは絶対放すまいと力を込めていた。

 必死に説得を試みるが、結局は無駄だった。

 

「こうなったら道ずれだ。衛宮、一緒に死のう」

「断る! 逝くなら一人で逝け…………うわぁっ!?」

 

 そして崩壊。遂にはバランスが崩れ欄干から身体が離れた。

 続いて激しい水音が辺りに炸裂する。

 哀れ、俺と慎二は、二人仲良く川までダイブすることになってしまった。

 

「……本当に、冗談じゃないぞ」 

 

 何とか慎二を担いだまま川岸まで泳ぎきった。奴も暴れて落ち着いたのか、呆然とはしてるものの目には力が戻ってきている。

 これなら放っておいても大丈夫だろう。そう思った俺は慎二を橋の袂まで送ると、別れを告げてフルールに急いだ。

 

「はあ……はあ……間に合ってくれよっ!!」 

 

 許される全速力で駆ける。全身はずぶ濡れのままだけど、走っているから寒さは感じない。健康には良くないんだろうけど、もう風邪を引くとかそんな事に頓着してる余裕は無かった。

 何より優先しているのは時間。セイバーの為にも、俺自身の為にも、駆けて駆けて駆け抜けた。

 そして、その先に見たものは。

 

『本日は閉店致しました。またのご来店をお待ちしております。ラ・フルール』

 

 虚無感、虚脱感、絶望感。

 空虚な思いに満たされた俺は、音もなく膝から崩れ落ちた。

 ……ああ、ごめんよセイバー。

 

 

 淡い月の光が夜道を照らす中、傷心のままトボトボと自宅に向かって歩いていた。

 本当に厄日のような一日だった。英雄王に会うまでは平穏だったのに、奴に会ったあたりから不幸が押し寄せてきた感じだ。それにセイバー怒ってるだろうなぁ。すっごく楽しみにしてたし、予定の時間なんてとっくに過ぎてるし。

 何て言って謝ろう? 謝罪の言葉を考えながら歩いていると、いつの間にか衛宮邸に着いていた。

 ――え?

 一瞬、思考が停止する。

 俺の目に飛び込んで来たのは、玄関先に佇んで辺りをキョロキョロと見回しているセイバーの姿だった。

 今の季節、夜になれば随分冷えてくる。それなのに何で彼女は上着も羽織らずに玄関先で立ち尽くしているのだろう。少し混乱したまま視線が彼女に固定された。そんな俺をセイバーが捉える。

 彼女は、やっと見つけたとばかりにそのまま小走りに近寄って来た。

 

「シロウっ!」

 

 切羽詰った声に彼女の怒気を感じた。

 やっぱり怒ってるのか? 

 俺が悪いのはハッキリしている。こんな時間まで待たせたんだから、こっちから謝ってしかるべきだろう。そう思った瞬間、彼女が俺の胸の中に飛び込んできた。

 

「シロウ! 無事で良かった」

「……無事って、セイバー?」

「時間になっても貴方が戻らないので、何かあったのかと心配しました」

「……怒ってないのか?」

「もちろん怒っています。シロウ、連絡くらいはいれられたのではないですか? 本当に心配したのですよ」

 

 怒っているという彼女は、言葉とは裏腹に笑みを浮かべていた。

 

「その……ごめん」

「いいえ、もう良いのです」

 

 ほっとしたように目尻を下げる彼女を見ていたら、胸がチクリと痛んだ。だって彼女が楽しみにしていたケーキを俺は買ってこれなかったんだ。 

 

「セイバー……その、ケーキだけど……手に入れられなかったんだ……」

 

 はっとしたように彼女が目を見開く。しかしそれは一瞬の間だけだった。

 

「そうですか。それは残念です。ですがシロウが無事ならその方が私は嬉しい」

「あんなに楽しみにしてたじゃないか。なのに……俺……」

「確かに楽しみでした。ですがそれはシロウと一緒に食べるケーキが楽しみだったのです。共に過ごせる時間が楽しみだったのですよ」

 

 彼女の笑顔はあらゆる薬に勝る俺の特効薬か。

 セイバーの笑顔を見ているだけで、今日一日あった不幸な出来事が心の中から吹っ飛んでいく。

 

「さあシロウ。もう時間も遅い。夕飯を用意しましょう」

 

 彼女が俺の手を引く。

 

「まだ食べてなかったのか?」

「はい。あ――それとも先にお風呂に入りますか? 随分と身体が冷えているようだ」

 

 確かに塗れた衣服はまだ完全に乾いていない。だけど、そんな冷たさも彼女の温もりで帳消しだ。

 

「大丈夫だ。先に飯にしよう。あんまり待たせるとセイバー暴れるだろ?」

「そ、そのような事はありませんっ」

 

 軽く唇を尖らせて彼女がそっぽを向く。

 でも、手は握ったままで。

 

「あはは。悪かったって。じゃ、行こうか」

 

 今度は俺が手を引く番だ。

 待たせたお詫びに、とびっきりの夕食を作るとしよう。そう考えた瞬間、心も身体も軽くなったように感じた。

 料理は愛情だと言うけれど、それは作り手に関しても当てはまるんじゃないか。

 そんなことを考えながら、俺たちは玄関を潜った。

  

 

 



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第五話

 ここ最近は、とても平穏で平和な毎日が続いていると思う。

 朝起きて目にする何気ない風景。朝食を作り、食べる。日々の訓練や鍛錬も欠かしていないが、ふとした瞬間に頬を撫でる風の感覚ですら優しいものに感じてしまう。

 周りにはセイバーが居て、遠坂が居て、桜が、イリヤが、藤ねえが、ライダーが居る。

 これは身には余る幸福なのか。何処かむず痒いような感覚を受けてしまうが……いや、これはただ単に俺が“平穏”に慣れていないだけなのだろう。

 けど、言ってしまえば悪くない毎日だ。

 そして今日も、いつもと変わらない平穏な一日が始まる……はずだったのだが。

 

 日差しの麗らかな休日の午後。俺は縁側に座っているセイバーの姿を発見した。

 彼女は子供のように足を揺らしながら、ひなたぼっこしてる猫のように目を細めている。

 それはいい。ただ――いつものセイバーとは様子が違ったのだ。

 何が違うかって? まず見た目からして全然違うのだ。彼女は白のブラウスに紺のスカートという清楚な感じの服装を気に入ってよく着ているが、目の前のセイバーは漆黒のドレスを纏っているのだ。

 オーラというのだろうか、受ける雰囲気や印象も普段とは幾分違う。いつもは凛々しい中にも少女らしさが同居している感じだが、今は何と言うか……そう。王様としての威厳が前面に出ている感じだ。

 言うなればオルタ。

 そのセイバーが俺の存在に気付いたようだ。彼女は首を巡らせて俺を見上げる姿勢を作ると、自身の横をポンポンと軽く叩いた。

 

「なんだシロウではないか。どうした? そんな処に突っ立っていないで、こちらに来て座るがよい」

 

 声音は優しげだが、どうにも逆らえない雰囲気なので、大人しく彼女の隣に座ることにした。

 

「隣って、ここでいいか?」

「そうではないシロウ。もっとこう、お互いの身体を寄せて座るのだ」

 

 そう言ったセイバーがピッタリと身体をくっつけてくる。二の腕を通して彼女の体温を感じる。少しばかり、心臓の鼓動がはやくなった気がした。

 

「ん? 何を慌てているのだシロウ。肌を触れ合うのも初めてではあるまい」 

「な、何言ってるんだセイバー。その……少し照れただけだ」

「だ・ま・れ。シロウは黙って私の側に居るだけでよい」

 

 むう。その物言いにはいささか不満はあるが、ここで機嫌を損ねるのはあんまり良い選択じゃない。そう思った俺は仕方ないので彼女の希望通りに黙ることにした。

 そんな俺の様子にセイバーは満足したのか、ゆっくりと顔を上げて、上空にある太陽を眩しそうに見つめる。

 

「うん。今日は――よい天気だな」

 

 全身で光を浴びるセイバーはとても気持ち良さそうで、見ている俺も優しい気持ちになってくる。

 普段とは違う金色の瞳。髪の色も少し違うし雰囲気も違う。けどやっぱりセイバーはセイバーだ。

 そんなセイバーが突然俺の肩に自身の頭をそっと預けてきた。

 

「なっ!?」

「こら。動くでないシロウ。……そう、じっとしているのだ」

 

 緊張のためか、再び心臓の鼓動が早くなっていく。だってこういう雰囲気にはなれていないんだ。だけど事態は更に悪化していって、セイバーは俺の背中に腕を廻し込むと、抱きつくような格好で胸に顔を埋めたのだ。

 

「ん……ふふっ。シロウの匂いがする」

「……っ!?」

「動くなと言ったぞ」

 

 ああっ……これは駄目だッ! 

 このままの状態を保てば、色々理性が崩壊しかねない。そう思った俺は、最後の手段というか、奥の手を講じて状況の打開を計った。

 

「セ、セイバー! ほら、もうすぐ三時だぞ。江戸前屋の大判焼きとフルールのケーキがあるから、おやつにしよう!」

「その必要はない。今はシロウとこうしていたい」

「……」

 

 ぎゅってされた。

 ああ、神様。堤防が決壊しそうです。

 ……結局夕食時まで、セイバーは俺を解放してはくれなかった。

 

 

 今晩の夕食のメニューはすき焼きだったのだが“私はハンバーガーがいい”という王様の願いで、結局ハンバーガーを食べることになった。もっとも、それは俺とセイバーだけなので、残りの面子は今ごろすき焼きを食べている頃だろう。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 セイバーの我侭で台所を占拠するのも忍びないので、近くにあるハンバーガーショップまで足を伸ばす。こういうファーストフード店にはあんまり寄らないので、雰囲気が新鮮に感じてしまう。

 理由は単純で、金がもったいないし、何より簡単なものなら自分で作れるからだ。だけどたまにはいいだろう。

 

「よし。じゃあセイバー、メニューの中から食べたいものを決めてくれ。希望はあるか?」

 

 王様はやや真剣な面持ちでメニューに視線を落としていたが、不敵に笑うや堂々とこう宣言した。

 

「とりあえず、端から端まで全部持ってきてもらおうか」

「……はい?」

 

 聞き返す店員さんの目が困惑しているのがわかる。まあそりゃそうだ。普通なら冗談だと思うだろうからな。

 

「聞こえなかったのか? 全部だ」

「あの、ハンバーガー全部……全品ですか?」

「そうだ」

「……」

 

 困ったような視線を俺に向けてくる店員さん。それを受けて、俺はひやかしの類じゃないという意思を相手に伝えた。

 

「……はい。承りました。では店内でお召し上がりでよろしいですか?」

「無論だ。食事は出来たてが一番美味しい。ここで食すとしよう。あ、マスタードは多めでな」

 

 注文を終えた王様が、テーブル目指して歩きだす。

 

「シロウ、何をしている? シロウが座るのはここだ」

 

 やや込み合う店内の中から空いているテーブルを見つけたセイバーが、自身の隣をぽんぽんと叩いた。二人なので対面に座ろうとした俺を嗜めるかたちだ。

 もちろん今の彼女は王様なので、大人しく隣に座る。

 

「でも良かったのかセイバー? 時間、結構かかるって言ってたぞ」

「よい。運ばれてくるまでの時間は、こうしてシロウを愛でておこうと思う」

 

 は? 愛でるってなにさ!?

 

「ふっふっふ。こういう時間も悪くないな」 

 

 頬杖を突いた姿勢で俺を見つめるセイバー。ただでさえ彼女は目立つというのに、今日はゴスロリ風ドレスを着ているものだから尚更目立つ。しかもカップルっぽくくっ付いて座っているので、周りの好奇の視線が痛いくらい突き刺さってくる。

 この状態から俺が開放されるには、ハンバーガーの到着を待つしかない。ジャンクフードが好きなセイバーさんオルタの意識を引くものが必要なのだ。

 結局、一品目が運ばれてくるまでの数分、俺は周りの視線に耐え続けなければならなかった。

 

 “もっきゅもっきゅもっきゅもっきゅもっきゅもっきゅもっきゅもっきゅ”

 “もっきゅもっきゅもっきゅもっきゅもっきゅもっきゅもっきゅもっきゅ”

 

 運ばれてきたハンバーガーを、さも満足そうに口になさる王様。だが性質が変化してもそこはセイバー。食べ散らかすとか、そういう感じじゃなく、そこそこ上品にハンバーガーを口に運んでいる。

 

「どうした? シロウも食べるがよい」

「あ、ああ。じゃあひとつ貰うかな……」

 

 並んだハンバーガーの中から無造作にひとつを選んで手に取った。そして包装紙を剥がしつつかぶりつく。途端、パンズの食感と肉の旨みが口の中に広がった。

 久しぶりに食べたハンバーガーは思ったよりも美味しく感じたが、味が単調なので大量に食べようとか絶対に思わない。

 

 “もっきゅもっきゅもっきゅもっきゅもっきゅもっきゅもっきゅもっきゅ”

 

 けどセイバーは美味しそうに食べ続けている。ハンバーガーなんて普段のセイバーなら好まなそうな雑な料理に入る。でも今のセイバー自身が喜んでくれたなら十分だ。

 子供のように黙々と食べ続けるセイバー。

 やっぱりこういう彼女――美味しそうに頬張る姿を見ると落ち着いてしまうのは、職業病みたいなものか。

 今度の夕食に特製のハンバーガーでも作ってやろう。そう思ってしまうほどには、彼女の食べる姿に魅了されてしまっていた。

 

「……全部、無くなっちまった」 

 

 結局、運ばれてきたハンバーガーのほとんどを彼女が分担して食事は終了。

 正直言って結構痛い出費だったが、たまにはいいだろう。そう思ったのも束の間。王様は満足そうに頷いてこう呟いた。

 

「さあ、シロウ。次の店に行くぞ」

「……え?」

 

 まさかハンバーガーショップを梯子する気か!?

 

「さあ、何をぐずぐずしている。私の隣を歩けるのはシロウだけだ」

「……」

「それとも手を引いて欲しいのか? 私は別に構わないが」

 

 ああ、分かったよ。

 こうなったら覚悟を決めて最後まで付きあってやる。

 

「わかった。もうハンバーガーなんて見たくないって言うまで食べさせてやる。覚悟しろよセイバー」

「よく言ったシロウ。その勝負受けて立つ!」

 

 ……勝負の結果? 

 そんなの聞くまでもないだろ。だって俺は、セイバーには敵わないんだから。

    

 

 



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第六話

 ざぶーんで遊び倒した後、ライダーの提案を受けた俺たちは、揃って新都にある一軒の居酒屋までやって来ていた。

 

「いらっしゃいませー! 何名様ですか?」

 

 衛宮の家では滅多に外食なんてしないから、居酒屋で食事をするなんて久しぶりだ。

 それに今回はセイバーとライダーと一緒である。俺は酒を飲めないけど、きっと彼女達は結構飲めるんじゃないかな。なんてったってサーヴァントだし。

 

「こちらへどうぞー」

 

 威勢の良い店員さんに案内されて、店の奥にあるテーブル席へと向かう。ピークを迎えるには早い時間帯だったが、店内は割と混雑していて、休日のパワーを思い知る。

 

「へえ。結構、流行ってるな。こういう雰囲気は好きだ」 

 

 歩きながら辺りを見回していると、珍しい人物を発見してしまった。彼女はカウンターに腰掛け、一人寂しそうにグラスを傾けている。予想外の光景を見て、思わず立ち止まり注視してしまう。そうこうしているうちに、相手も俺達のことに気付いたようだ。

 

「あら? 坊やじゃないの。こんな所で会うなんて珍しいこともあるものね」

 

 青を基調としたラフな格好の若奥様。

 そう、キャスターだった。

 

「そういうキャスターこそこんな所で何やってるんだ? 葛木先生は一緒じゃないのか?」

「宗一郎様は本日は宿直で戻って来られません……」

 

 しゅんと寂しそうに目を伏せて、キャスターが項垂れる。それから改めて俺達に視線を向けてきた。

 

「今日は貴方達三人だけなの? あの野蛮な魔術師は一緒じゃないのかしら?」

「魔術師って……遠坂のことか? 遠坂ならここには居ないぜ。俺達三人だけだ」

「そう。なら一緒に飲みましょうよ。一人で飲んでいてもつまらないもの」

 

 思わぬキャスターの言葉にセイバーが気色ばんだ。

 

「キャスター、貴方は私達と同席したいと言うのですかっ?」

「別に良いじゃないの。奢ってくれとか言わないわよ。それに人数が多い方が楽しいお酒が飲めると思うし」

「それはそうですが……」

 

 セイバーがチラっとライダーを見る。そのライダーは特に気にした風でもなく事態の推移を見守っていた。対するキャスターの方は、早くもグラスを持って移動する体勢である。

 

「まあ……別に困ることでもないし。いいよ、一緒に飲もうキャスター」

「当然ね」

 

 こうして、キャスターを加えて四人になった俺達の酒盛りが始まった。

 

 

「では、この冷酒を頂きます。口当たりが好きなので」

「あら日本酒? ライダーは結構いける口なのね」

「それなりには。キャスターはどうします? 同じ物にしますか?」

「そうね。それならグラスを二つ貰いましょうか」

 

 メニューから一本の日本酒を選んだライダーにキャスターが便乗する。しかしキャスターとライダーが日本酒とは、外見からは想像つかないもんだ。てっきり洋酒専門だと思っていたけど。

 特にキャスターなんかは。

 そうして注文を決めたライダーが、対面に座るセイバーにメニューを手渡した。ちなみに席順は俺とセイバーが隣同士で、対面にライダーとキャスターというかたちだ。

 

「セイバーは何を頼みますか?」

「そうですね。私はこちらにあるワインを頂こうかと。色合いが気に入りました」

 

 どうやらセイバーは赤ワインを選んだみたいだ。やや嬉しそうな表情でメニューの写真を指差している。

 やっぱり結構飲めるんだろうなあ。

 

「それで、坊やはどうするの?」

「俺は飲めないから……烏龍茶で」

「あら、お子様ね」

 

 キャスターが呆れ顔で嘆息してくれた。

 ほっといてくれ。

 

「じゃあ、飲み物が運ばれてくるまでに食う物を選んでおこう」

 

 宣言してからテーブルにメニューを広げた。

 四人が顔を突き合わせながらメニューを眺める光景は若干シュールではあるが、居酒屋の風物詩といっても良い。まあ定番メニューはほっといても誰かが頼むだろうから、折角だし自分が作れないような品を頼んでみるか。

 はてさて、珍しい一品はあるだろうかと色々眺めていたら、隣に座っているセイバーがクイクイと袖を引いてきた。

 

「シロウ、この明石焼きというのは、どのような食べ物なのですか?」

「ん、ああ。これは……タコ焼きの親戚みたいなもんだ。言ってみればダシで食うタコ焼きだな」

「……タコですか。この可愛い丸っこい中にはあの魔魚が入っているのですね……」

 

 どうも写真を見て明石焼きに興味を抱いたみたいだが、タコと聞いてセイバーが消沈してしまう。

 

「そういえば、セイバーはタコが苦手でしたね。ではこの“タコわさ”などは絶対無理な部類に入りますか」

「あらあら。セイバーはタコが駄目なの?」

「……ええ。大抵の物は食せるのですが、あの魔魚だけはどうにも……」

 

 よほど過去に嫌な思い出があるのだろう。

 セイバーがここまで苦手にする食材ってタコくらいだもんな。

 

「でも、知らなければ食えるところを見ると、純粋に味が駄目って訳じゃないんだよなぁ……」

 

 “向こう”の人には苦手な人が多いらしいけど、キャスターはどうなんだろう? 

 気になったので聞いてみることにした。

 

「そういやキャスターにも苦手な食べ物ってあるのか?」

「もちろん、あるわよ」

 

 あっさりと答えるキャスター。

 

「まあ簡単に手に入る物じゃないし、ここで出てくることはないでしょう」

「そっか。じゃあ葛木先生にもあるのかな?」

「宗一郎様は……何でも食べてくださるわね」

 

 嬉しいのか、悲しいのか。ちょっと読めない表情で視線を逸らすキャスター。

 最近ではキャスターの料理の腕はそこそこ上がっていて、それなりに色々作れるようにはなっていた。当初を思えば格段の進歩と言えよう。

 一応料理の師匠としては、キャスターの為にも葛木先生に美味いと言わせてやりたい。そうだな。今度時間を作ってみっちりと教えてやるとしよう。料理を教えている最中は、意外に素直なんだよな若奥様。

 そんなことを考えている間に、店員さんが飲み物をテーブルまで運んできてくれた。

 

「お待たせしました。ではご注文をどうぞっ」

 

 各々が銘々に注文していく。やっぱりみんな飲む気満々だなぁと注文した品からそう判断した。俺は飲まないからその分腹が膨れるものでも頼もうか。

 それから暫し、店員さんが注文を受けて戻っていく。それを見届けてからみんながグラスを掲げた。

 

「じゃあ、カンパイしましょうか」

 

 キャスターが音頭を取る。この乾杯の為に“一杯”付き合いたくもあるが、飲めないものは仕方がない。

 俺達はグラスを打ちあってから杯を傾けていった。

 

 ★☆ 酩酊レベル 1 ☆★

 

「ねえ坊や。二杯目からでも付き合いなさいな」

「さっき飲めないっていったろ」

「それでも男なの、坊や?」

「あのなキャスター。男とか関係なくて、俺はまだ飲めない年齢なんだって」

「法律とかいうやつ? でも坊やは魔術師でしょう? 年齢を基準とした決まり事なんて無視しちゃいなさい」

「そういう訳にもいかないんだよ。お店にも迷惑がかかるし」

「……ふん。つまらないのね」

 

 キャスターがそっぽを向きながら杯を傾ける。さっきからこの奥様、ライダーと二人でかっぱっかっぱ杯を空けまくっている。サーヴァントって技や魔術だけじゃなく、酒を飲むことに関しても人外なのだろうか。

 

「キャスター。シロウの代わりに私が付き合いますから、それで許してあげて欲しい」

「言うわね、セイバー。いいわ。今日はとことん付き合って貰うから。ほら、杯が空いてるわよ?」    

 

 セイバーのグラスを指差しながら、不敵にキャスターが微笑む。それを受けてセイバーがメニューを取り出した。

 

「そうですね。まずはワインを制覇するとしましょう」

 

 次に頼むワインの選別を開始するセイバー。だけどちょっと待て。セイバーは“まずは”って言ったよな。

 チラッと横からメニューを盗み見る。そこには結構な数のワインが写真と共にプリントされていて、写真のない品まで合わせるとかなりの数になる。

 それを全部制覇してから次にいく気ですかセイバーさんはっ!

 ……まあ、育ちが違うんだろうな。外国では酒を水みたいに飲むって言うし。だがキャスターもライダーも“負けて”はいなかった。

 

「じゃあ、私達も“まずは”日本酒を制覇しましょうか。良いかしら、ライダー?」

「望むところですキャスター。冷酒は口当たりが良いので飲みやすいですしね」

「それじゃ、纏めて頼んじゃいましょう」

 

 キャスターが軽く手を振って店員さんを呼ぶ。その仕草は何処となく気品と優雅さを感じさせた。なんというか、元々は王女様だってのも頷ける気がした。

 しかし飲む気満々ですね、皆さん。

 とりあえず俺の役目は、みんなが羽目を外し過ぎないように見守る係りだな、うん。

 素面な俺は、勝手に自分で自分に任命することにした。

 

 ★☆ 酩酊レベル 2 ☆★

 

「ふう、良い気持ち」

 

 キャスターがほんのり頬を紅く染めながら、次々に杯を重ねていく。それに張り合うかたちで、ライダーとセイバーも杯をかっぱかっぱと空けていった。

 これは全員藤ねえ以上のウワバミじゃないだろうか。噂では遠坂も結構いける口らしいが彼女達には及ばないだろう。

 

「今日は良い酒ですね。ほわほわと良い気分です」

 

 ライダーもうっとりと目を細めている。

 

「ふむ、ふむ。やはり微妙に違いますね。飲み比べるとわかりやすい」

 

 セイバーがコクコクと可愛らしく喉を鳴らしながら、ワインを嗜んでいる。とても穏やかな表情だ。

 正直言えば、酒の飲めない俺には酒を飲んで気持ち良くなるって感覚がいまいち理解できていない。けどこうして色々話しながら席を同じにするのは楽しいもんだ。

 こうしていると、いつか衛宮の家でみんなを集めて大宴会をやってみてもいいかもしれないなと思ってしまう。アサシンは動けないから無理だけど、サーヴァント連中を集めて……ん? バーサーカーは酒を飲んだりするのだろうか?

 そもそも家の中に入れないような気がするが……まあ、やったらやったで色々と大変なことが起きそうだけど。

 そんな事を考えていると、ライダーがセイバーに何やら耳うちし合っているのが目に入った。

 

(セイバー。こうして見るとキャスターも随分丸くなったとは思いませんか? )

(そうですね。個人的に苦い思い出はありますが、確かに以前よりも角が取れた感じがします。……年の功でしょうか? )

(年の功……それもあるのでしょうが、やはり夫の存在が大きいのでしょうね )

 

 ヒソヒソと話している二人。声が小さいので今いち内容が掴めない。だけどキャスターは突然ギロリと二人を睨み付けるや、バンッ! とおしぼりでテーブルを叩いた。

 

「ちょっと、聞こえてるわよっ二人共! 伊達にこの耳は尖ってるわけじゃないの。大体人の年齢の事を言えるほど貴方達も“若く”ないでしょうに」

 

 ピシッっと三人の間の空間に亀裂が走った音がする。ひんやりと周りの空気が冷めていく感覚……。

 ちょっとやばい展開なのではないだろうか?

 俺の警報ランプが激しく明滅しているぞ。何だかよくわからないがここで年齢の話は危険な気がするのだ。

 

「ま、待て。そういう話しは此処ではなしにしよう。ほら! チーズの盛り合わせが来たぞ。み、みんなで食べようじゃないか……」

 

 ドンと皿を中央に置く。 

 何とか注意を逸らせたらと三人の様子を伺うが、誰も皿に注意を注いでいない。

 沈黙――重苦しい空気がテーブルを包み込む。その中で次に声を発したのはキャスターだった。

 

「……そうね。年齢の話はやめましょう。セイバーだってこの外見だけど実際は……」

「キャスター。それ以上言ったら聖剣を抜きますよ?」

 

 フフフと、含み笑いをしながら睨み合う二人。

 美女が睨み合う光景というのは非常に迫力がある。それはもうヤクザ屋さんが睨み合っているほうが何倍も可愛く見えるくらいに。隣にいる俺的にはちょっと……いや、かなり怖かった。

 そんな俺を見かねたのか、ライダーが間に割って入ってくれた。

 

「今のは話を振った私が浅慮でしたね。水に流すために改めて皆で乾杯といきませんか?」

 

 そう言ったライダーが杯を掲げる。

 

「……そうね。折角の一席だものね。楽しいお酒を飲みましょう」

 

 キャスターも杯を手に取った。

 

「同感です。私も浅慮でしたね。改めて親睦を深めるとしましょう」

 

 三つのグラスが甲高い音を奏でる。酒宴はまだまだ続きそうだった。

 

 ★☆ 酩酊レベル 3 ☆★

 

「シロウ、私もそう聡いほうではありませんが、貴方のそれは常軌を逸している。……シロウ、ちょっと聞いていますかシロウっ?」  

  

 絡むような口調でまくし立てるセイバーの目は、完全に据わっていた。

 あれからかなりの量を飲んでいるから無理ないと言えば無理のないのだが……セイバーって絡み酒なのだろうか。さっきからやたらと俺に絡んでくるのだ。

 

「セイバーの言う通りですね。士郎のソレは鈍感だとか、そんなレベルじゃない気がします。貴方はもっと他人の気持ちを慮るということを覚えてください」

 

 ライダーの顔もかなり赤くなっている。既に彼女は日本酒ゾーンは通り過ぎ、矛先を洋酒ゾーンへと向けていた。でも冷酒ってかなり“くる”んじゃなかったかな? ライダーは大丈夫なんだろうか。

 そう思ってみたものの俺に出来ることはなど何もない。羽目を外さないように見守る係りは、いつの間にか何処かに放りなげられてそのままになっている。

 俺なんてお腹も一杯になったし、後はソフトドリンクをちびちび飲んでいるだけ。対する彼女達は、その手が止まる気配がまったくない。

 セイバーはワインを制し、カクテルを制し、如何にも度数の高そうな洋酒を飲んでいる。

 

「はあ、シロウ(士郎)は人の心がわからない……」

 

 セイバーとライダー。二人して盛大に溜息を吐いてくれる。

 いやいや、今溜息を吐きたいのはこっちだったりするんだけど……。

 ふとキャスターに目を転じれば、彼女はあまり表情を変えずにグイグイと飲みつづけている。セイバーやライダーでさえ酔ってきているのに、キャスターはまだまだ余力が残っていそうだ。

 

「キャスター、かなり酒に強いんだな」

「私は、ある程度のアルコールは魔術で中和できるから」

 

 反則技を使っていた。

 

「シロウ」

 

 セイバーに背中を突付かれた。

 

「な、なにかなセイバー?」

「シロウは、ライダーと随分楽しそうに稽古するのですね」

 

 拗ねたように唇を尖らせて、据わった目でじーっと見据えてくるセイバー。

 それ、何時の話ですかセイバーさん。というかちょっと酔いすぎです。

 

「確かに士郎との稽古は楽しかったですね。これからは私とも稽古をしましょうか。ねえ、し・ろ・う?」

 

 溶けるような甘い声でライダーが囁く。妖艶な仕草と相まってその破壊力は満点。ドキンと心臓が高鳴った。

 こ、この展開は、精神衛生上大変よろしくないっ!

 

「シロウっ、こんな蛇女の言うことなど聞く必要はありませんっ。その分私がきっちり、ええ、もうきっちりと、稽古を付けてあげますからっ!」

「セイバー。あの時にも言いましたが士郎にも選ぶ権利があります。ねぇ士郎も私と稽古したいですよね? 士郎は私と稽古をしてくれますか?」

 

 蠱惑的に微笑みながら、ライダーが潤んだ瞳を向けてくる。本当に溶けてしまいそうな甘い声を添えながら。

 

「え……と、その……俺は……」

「じー」

 

 答えに窮する俺を、セイバーが睨んでくる。例えるなら活火山が爆発寸前で耐えているような感じだろうか。 

 彼女の視線がチクチクと俺を刺激する。仕方ないのでこの窮地を脱出する術はないかと、俺はあたりに視線を飛ばし模索した。そして俺の視線が、まだ酩酊していないだろうキャスターを捉えた。

 

「き、キャスター、助けてくれっ!」

 

 助けを求めてキャスターを振り仰ぐ。でも神代の魔女は、美味しそうにイカフライを口にしながら冷めた目を向けてきた。

 

「自業自得よ、坊や。一人で頑張りなさい」

「キャスターっ! し、死んだら化けて出てやるぞっ!」

「その時は、私の使い魔にしてあげるわ」

 

 ひらひらと手を振って店員さんを呼び止めるキャスター。

 何をするのかと思いきや新しい酒を注文している。どうやら本気で俺のことなど眼中にないみたいだ。

 俺……生きてこの店を出れるんだろうか。

 しかし、そんな俺の心配を他所に、セイバーの矛先はライダーへと向かっていた。

 

「だいたいライダーもライダーですっ! 貴方には桜が居るでしょう? 私のシロウを取らないで頂きたい」

「本音が出ましたね、セイバー。士郎は物ではありません。そこは士郎の意思次第ではないですか? そうですよねぇ、士郎~?」

 

 すまないライダー。今は、話を振られても何もできない……。

 

「くっ、これだけ言ってもわからないのですかっ!」

 

 セイバーが拳を握り締めて震えている。

 

「こ、このっ――わからず屋っ!」

「なっ!!」

 

 思わず声が出た。

 睨み合っていたセイバーが手刀を振りかざし、何とそのままライダーの脳天に向けて振り下ろしたのだ。

 そんなセイバーの一撃は、ものの見事にライダーの脳天に炸裂する。

 

「だ、大丈夫か、ライダー?」 

 

 ライダーは両手で頭を抑えながら、驚いたようにセイバーを見据え――

 

「ね、姉さま……」

 

 何てことを口にした。

 はい? 姉さま? セイバーがライダーの? なんでさ?

 

「このっ! このっ! 反省しなさいっ!」

 

 ペシペシと容赦のないセイバーの攻撃が続いていく。ライダーはその攻撃を両腕で庇いながら、か細い声で何故か謝り倒している。

 

「ご、ごめんなさい姉さまっ。私が悪かったんです……。全部私が悪いんですぅ~。ですから、もう、叩かないで……」

 

 あのライダーが目に涙を浮かべながら“ごめんなさい”してる光景は想像を絶する破壊力を持っている。何と表現すればいいのか、とても可愛くて……じゃなく、ナデナデしてあげたいような……じゃなくて!

 というかこれは一体どういうことなのか。一人で考えてもまったく見当がつかない訳で、ここは何でも知ってそうなキャスターを頼ることにした。

 

「キャスター、これって一体……」

「確かメデューサにはステンノとエウリュアレという二人の姉がいたはずよ。酔っ払って勘違いしているんじゃないの。トラウマでもあるのかしらね」

 

 ライダーの姉さん……というくらいだから、さぞ妖艶な美女なのだろうが……。セイバーはどっちかっていうと妹だよなぁ。

 そんなことを考えている間にライダーはどんどん小さくなっていく。

 

「姉さまっ、姉さまっ、申し訳ございませぇぇぇん……わ、私が、悪いんですぅ。許してくださぁい……」

 

 そして最後には、すんすん泣きながら椅子の上で猫のように丸くなってしまった。

 こういうライダーの姿は初めて見た気がする。いつも燐としてスキがなく完成された大人の女性として振舞っているライダー。今の姿はそんな何時ものライダーの面影なんてまったくない。そのあまりの落差にとんでもなく愛らしいと思ってしまった。

 椅子の上で丸くなり「姉さまぁ……」なんて口にするライダーは、お持ち帰りしたいくらいである。

 そんなライダーの姿に満足したのか、セイバーは「悪は滅びました」と、グラスを手に取り一気に呷っていた。

 どうやら、まだもう少しだけ、酒宴は続きそうだった……。

 

 ★☆ 酩酊レベル MAX ☆★

 

 依然としてライダーは、椅子の上で猫よろしく丸くなっている。セイバーとキャスターはというと、何とまだ飲み続けていた。二人共この小さな身体の何処に入っていくのだろうか。

 不思議に思ってキャスター、セイバーと順番に視線を移す。すると、セイバーがじっと俺を見つめているのに気付いた。

 どうしたんだろうか。かなり真剣な表情だ。

 

「ん、セイバー。どうかしたか?」

 

 声をかけるも彼女は答えない。しばらくはお互いを見つめあうだけの時間が過ぎていく。

 そして、ぽつりと彼女が小さく口にした。

 

「シロウ。シロウは私の気持ちなど知っているくせに、何故こうも邪険に扱うのか……」

「え?」

 

 予想外とうか、セイバーが何を思って言っているのか、さっぱりわからない。

 

「じ、邪険になんて扱ってないだろ。俺は……セイバーは大切にしてる……」

「なら、何故、ライダーも大切にするのですか? 昨日も、そして今日も。貴方はライダーと一緒になって楽しそうに笑って……いた」

 

 すっと、セイバーが視線を外す。

 

「シロウがやさしいのは知っています。ですが、時にそのやさしさが私には辛い……」

 

 寂しそうな彼女の姿が胸を打つ。

 だけど――

 

「セイバー……でも、それは」

「シロウ、貴方は私の気持ちがわからないのですか?」

 

 セイバーが真摯な瞳で俺を見据える。真っ直ぐに、碧色の瞳が俺を貫くほどに。

 お酒のせいなのか、頬は朱色に染まっている。唇をきゅっと噛みながらも肩は小さく震えていて、子猫が母猫に縋るような弱々しい気配さえ漂っていた。

 あの強いセイバーが。こんなにも儚げで。

 キャスターはそんな俺達をどこか愉しげに見つめている。

 

「セイバー……俺、俺は――」

 

 ガタンッと椅子の倒れる音がする。セイバーが力いっぱいに立ち上がった為に椅子が後方に倒れたのだ。

 彼女は一度だけ、きつく、きつく瞳を閉じてから、改めて俺を見つめて――――それから視線を“周り”へと飛ばす。

 続き彼女は、店内全てに響き渡るほどの大きな声で叫んだ。

 

『――皆に聞いて頂きたいっ!』

 

 大勢の客が、忙しく働いているスタッフが、それぞれ何事かとこちらに注目し始める。

 一瞬、店内がしーんと静まり返った。

 

『私は宣言するっ!』

 

 燐とした声は店内の全域によく通り、酔っていても漂う気品は隠せず、王が説く演説のように響き渡る。

 セイバーは店内全ての注目を一身に浴びていて――

 

「セ、セイバー、何やってんだよっ」

 

 俺の声など完全に無視。

 彼女は一同を見回して、更に大仰に手を振り降ろしてこう宣言した。

 

『――私、アルトリア・ペンドラゴンは、ここにいるエミヤシロウを愛しているっ!!』

 

 俺を指差しながら大声で叫ぶ彼女。

 

「なぁっっっっ!! セ、セ、セイバー、突然何言い出すんだっ!!」

 

 静寂に包まれていた店内から、一気に喝采が巻き起こる。ヒューヒューと口笛が、クスクスと含み笑いが。あははと爆笑が。

 もう、色々な歓声と嵐のような野次が次々とひっきりなしに飛んでくる。

 酔ってないのに顔が真っ赤になってるのがはっきりわかった。

 

『誰よりも! この私が! シロウを愛しているっ! 皆、聞いてくれたか? 私は彼を愛しているのだっ!』

 

 尚もセイバーは大声で捲くし立てている。

 店内の興奮は最高潮。そして俺は血圧が上がりすぎて瀕死寸前。

 

「お、落ち着けってセイバーっ。よ、酔ってんのかっ?!」

 

 知らず立ち上がっていた。彼女はそんな俺をまっすぐ見据えて

 

「シロウ――貴方を、愛している」

 

 思考は完全にストップ。しばらく動くことも出来なかった。

 それでも、時間と共に店内が落ち着きを取り戻していく。それを受けて何とか俺も動き出すことが出来た。

 

「…………い、いいから、一度座れっ!」

 

 彼女の両肩に手を置いて、無理やり椅子に座らせる。セイバーは大人しく椅子に座るも、すぐに俺に向かって身を乗り出して来た。

 そして、鼻がぶつかる程に顔を近づけて……

 

「シロウ、キスしてください」

 

 ふたたび心臓の鼓動が爆発寸前まで駆け上がる。

 

「なっ、何言って……セイバー……」

「……シロウ」  

 

 彼女が唇を近づけてくる。

 震える唇が互いに触れようとして……そのまま彼女は倒れ込むようにして俺の肩に頭を預けた。

 

「え……? セイバー?」

 

 すうすうと微かな寝息が聞こえてくる。

 

「あらあら。どうやら寝ちゃったようね。面白かったのに」

 

 ここに来てやっとキャスターが口を挟んできた。奴は残念そうに溜息を吐いている。

 大人しいと思っていたが、やっぱりこの状況を楽しんでいやがったのか。

 

「セイバーもライダーも眠っちゃったようね。良い時間だわ。そろそろお開きにしましょう」

 

 そのキャスターが、伝票を手に取りながら立ち上がる。

 

「えっ、キャスター?」

「とても珍しいものも見れたし、ここは私が持つわ。セイバーとライダーのあんな姿なんて、例え金塊を積んでも見れないでしょう。その代わり坊やは二人のことを頼むわね」

 

 言いながらキャスターはさっさとレジへ向かってしまう。残された俺は、椅子で丸くなるライダーと、身体を預けるようにして眠るセイバーを、少しの間だけそっと眺めていた。

 

「じゃあね、坊や。気を付けて帰りなさい」

 

 外はすっかり暗くなっている。バスももう運行していない時間帯だ。

 

「ありがとうキャスター。今日は楽しかった」

「それは、お互い様ね」

 

 キャスターが少し微笑んだ気がした。

 彼女はゆっくりと星を仰いで、そして手も振らずに去って行く。

 

「うっしゃっ」

 

 声を出して気合を入れ、両腕に力を込める。俺は背負うような格好で、左側にセイバー、右側にライダーを抱えていた。

 月明かりの下、彼女達の寝息を聞きながらゆっくりと衛宮の家に向かう。

 正直、大変な一日だった。でも胸を張ってこう言える。今日は、とても楽しかったと。

     

 



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第七話

 俺は今、遠坂邸に一人で佇んでいる。何をしているかというと、実は昨日の夜にやったカードゲームで敗れ、罰ゲームの変わりに遠坂邸の掃除を仰せつかった為だ。しかし、この屋敷は広い。いざ意気込んで来てみたものの、一人ではいつ終わるかもわからない。

 ここはやはり、誰かに応援を頼むのが良策だろう。

 テクテクと歩き、電話の前まで移動する。

 ――さて、誰に応援を頼むべきなのか。

 遠坂は冬木の管理者としてやることがあるとのことで、朝早くから家を出ている。ならば衛宮邸に電話して、暇な誰かに手伝いを頼むのが一番な気がする。

 一成や慎二に頼むという案もあるが、それは他の術が全滅してからでも遅くはないだろう。

 

「じゃあ早速電話するか」 

 

 方針が決まったら即行動。

 ガチャリと、俺は受話器を手に取った。

 ――プルルルルル。プルルルルル。

 コール音が鳴り響く。果たして、誰かが電話を取った。

 

「はい」

 

 鈴を転がすような綺麗な声。女性の声だった。

 この声は……セイバーだな。

 

「あ、セイバーか。俺だけど、今時間あるかな? あったら少し手伝って欲しいことがあるんだけど」

「――ッ!?」 

 

 あれ? 返事がないぞ。

 それだけじゃなくって、何やらセイバーの息を呑む気配が受話器越しに伝わってくる。

 

「もしもーし、セイバー? 聞こえてるか?」

「……ええ、聞こえています。しかし……本当にシロウなのですか?」

「何だよ、俺の声忘れちゃったのか? 本当も何も俺は衛宮士郎だ」

「…………馬鹿な。私のシロウなら隣で寝ている」

 

 はい? セイバーさんは何を仰っているのでしょう?

 

「いや、寝てるも何も俺ここに居るし……。もしかしてセイバー、夢でも見てるんじゃないのか?」

「夢…………分かりました。貴方キャスターですね? シロウの声音を使って私を欺こうなどと。そのような姦計にかかる私ではありませんっ!」

 

 ちょっと待て。

 究極に話しが噛み合ってない気がする。

 

「待ってくれセイバー。俺は本当に衛宮士郎だ。嘘でも戯言でもない」

「まだ言いますか貴方は。良いでしょう。そこまで貴方が決着を望むのなら今から柳洞寺まで乗り込むまでです。――シロウの名を騙るとは許せる事実ではない。キャスター! 覚悟して待っていなさい!」

 

 ――プツンッ。

 ツーツーツー。

 電話はそれで切れてしまった。

 何故だろう。セイバーすっごく怒っていたけど。それに以前にも似たような経験があった気がするが……。

 

「……まあ、腹でも減ってたんだろう」 

 

 そう納得した俺は気をとり直して、もう一度電話をかけてみることにした。

 

 プルルルルル。プルルルルル。

 ――ガチャ。

 誰かが電話に出た。

 

「もしもし?」

 

 またもや女性の声。

 この落ち着いた声は……桜だな。

 

「あ、桜か。俺だ。悪いけど少し時間あるかな? あったら手伝って欲しいことがあるんだけど」

「――ッッ!?」 

  

 …………またもや返事がない。

 セイバーと同じく桜からも息を呑む気配が伝わってくる。

 

「……えっと、桜?」

「その声は…………せ、先輩ですねっ!」

「うん、そう。良かった、桜。俺がわかるんだな」

「わかりますっ! 勿論、わかりますっ!! 忘れる訳……ないじゃないですか。良かった、生きていたんですね、先輩」

 

 ――は? 

 生きてたってなにさ?

 

「それで……今、何処にいるんですか先輩? すぐに迎えに行きますから」

「ちょ、ちょっと待ってくれ桜。生きてたって……今朝も会ったろ? 何を言ってるかさっぱりわからないんだけど」

「今朝って……。もしかして先輩、記憶があやふやに? ……あれから二年ですからね。何があったって驚きません」

 

 二年?

 桜は何を言ってるんだ?

 

「大丈夫です先輩。例え記憶を失っていても全部私が思い出させてあげます。ですから今居る場所を教えてください」

「……えっと、遠坂の家だけど……」

 

 桜がはっと息を呑んだ。

 

「姉さんの家ですね……。すぐに、すぐ迎えに行きますから! 先輩、絶対にそこを絶対に動かないでくださいねっ!」

 

 ガチャンっ! 

 ツーツーツー。

 またしても電話は切れてしまった。

 ――俺は一体何処に電話をかけていたのだろうか。

 確かに家にかけたはずなんだけど。出てくれたセイバーも桜も普通じゃない感じがした。

 

「これは一人で掃除しろってことか……?」 

 

 何だか悪い予感がしたが、やっぱり一人でやるのはキツイ。

 そう思って、もう一度だけ電話をかけてみることにした。

 

 ――プルルルルル。プルルルルル。

 ガチャッ。

 誰かが電話に出た。

 

「はい、衛宮ですが」

 

 三度目も女性の声。この声は……と、遠坂っ?!

 何で? アイツは出かけていないはずなのに。

 

「もしもし? ……変ね、悪戯電話かしら?」

 

 遠坂が電話を切ろうとしている。

 ……虎穴に入らずんば虎子を得ず。ここは思い切って話しかけてみることにした。

 

「よ、よう遠坂。お前、出かけたんじゃなかったのか?」

「…………」 

 

 三度目の沈黙が俺に襲いかかってくる。

 何故にみんな黙るんだっ!?

 

「遠坂? 何とか言ってくれ。聞こえてるんだろ?」

「もう、昨日のこと怒ってるの? 遠坂だなんて。士郎と一緒になって三年経つけど、それ、久しぶりに聞いたわね」

 

 ホワイ? 何を言っているのだこの遠坂は。

 一緒になる? 誰と誰が? 三年ぶり?

 

「士郎こそどうしたのよ。こんな時間に電話かけてくるなんて。――あ、はは~ん、さては急に私の声が聞きたくなったとか」

 

 クスクスと電話の向こうで遠坂の笑っている声が聞こえる。

 何と言うか、俺を信頼しきっている声音だった。

 

「でも駄目よ。仕事は仕事。ちゃんとこなさないと。それとも何か困った事態でも起こった? 手伝いに行こうか、私?」

「……困ったことになってるし助けて欲しいこともある。けどたぶん遠坂には無理だと思う……」

「無理ってなによ? いい士郎。私は貴方が助けを求めるなら、何時だって、何処へだってすっ飛んで駆けつけるわ」  

 

 反論は許さないという意思が込められている強い口調。このあたりは実に遠坂らしい。

 だが次の遠坂の言葉は、今の俺を持ってしても完全な予想外だった。

 

「それと“また”遠坂って言った。……士郎、いつもの通り“凛”って呼んで」

「……なっ!? 何言ってんだお前っ!?」

「拗ねてるの? ほらはやく。そうじゃないと助けに行けないわ」

 

 受話器越しに遠坂の甘い声が響いてくる。

 その囁きに心が揺らいだ。

 ――凛、なんて呼んだら大変なことになるに決まってる。

 冗談を真に受けるなと怒鳴られるんだ。それとも案外普通に接してくれたりするのだろうか。

 ちょっとだけ呼んでみようかと思い生唾を飲み込む。

 いざ“凛”なんて口にしようとしても、ちょっと戸惑ってしまうから。

 

「……り、凛……」

「はい」

 

 短い受け答え。でも、それだけなのに俺の心臓はドキドキと高鳴っていく。色々な遠坂の姿が目まぐるしく脳裏にチラ付き、あらぬ想像が膨らんでいく。

 もう一度名前を呼んでみようか。そう思った時

 

「り…………」

「それじゃ、用意して向かうわね。心配しないで。すぐに助けに行ってあげるから」

 

 じゃあねっと遠坂に電話を切られた。

 俺は受話器を持ったまま、しばし呆然とその場に佇んでしまったとさ。

 

 どうも今日は日が悪いらしい。遠坂には悪いが屋敷の掃除は後日改めてということにしよう。

 それに、何だかひどく体力を消耗してしまった。今日は戻って風呂に入って、飯食って……寝よう。

 その前に、どういう顔してセイバー、桜、遠坂に会うかを考えておかねばならない。

 間抜け面を晒す前に。

   

 

 



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第八話

 学校からの帰り道、俺は制服姿のまま深山の商店街を散策していた。

 辺りには俺と同じ学生服姿の男女や主婦、それにお菓子を手に持って駆け回る子供達なんかの姿が見える。最近、新都に大きなデパートが出来たというのに、マウント深山商店街はそこそこの賑わいを見せていた。

 

「そういや、買い置きしていたお茶菓子が底を尽きかけていたな。ちょうど良い。適当に見繕って帰るか」

 

 衛宮の家では三時のおやつや食後のデザートを楽しみにしている人物が複数居るので、お茶菓子が切れる事は惨事に繋がってしまう。そういう時は決まって俺に被害が及ぶので、対策を怠るわけにはいかないのだ。

 

「特売でもやってると助かるんだが」 

 

 そう考えながらスーパーに行こうかと足を止めた時、ふと視界の隅に見覚えのある学生服を捉えた。

 あれは――桜だな。

 一体何をしているのか、桜は遠目にじーと一軒の出店を眺めているようだ。出店と言ってもいわゆる車を使った移動販売的なやつで、そんなに大きなものじゃない。

 看板を確認すると「出張クレープ屋さん」と書いてあった。見た目にも雰囲気は華やかで、美味しそうな甘い香りが食欲を刺激してくれる。

 これは桜でなくとも足を止めてしまいそうだ。

 

「おーい、桜ぁー!」

 

 声をかけつつ桜の元まで駆け寄って行く。

 

「あ、先輩。偶然ですね、こんなところで会うなんて」

「まったくだ。普段は帰宅時間が合わないからな。今日は部活は休みか?」

「はい。テスト前なので、今日からお休みなんです」

 

 朗らかに笑って答える彼女。桜は普段からしっかり勉強してそうだから、テストなんてのはお茶の子さいさいなんだろう。俺にとってもテストは他人事じゃないが……まあ、いつも通り一夜漬けで頑張るさ。

 でもテスト前にもかかわらず桜は夕食を作ってくれたりするし、何とかその労をねぎらってやりたいんだけど。

 

「うーん、何とか足りる……か」 

 

 財布の中身を確認する。

 給料日まで日数はあるけど、まあ大丈夫だろう。

 

「桜、ちょっと待っててくれ」

 

 そう声を掛けてから、俺は駆け足でクレープ屋さんに向かった。

 

「いらっしゃいませ」

 

 女性の店員さんが明るく迎えてくれる。

 

「えと……何かオススメとかあるかな?」

「おすすめですか? そうですねー」

 

 チラっと俺の肩越しに桜の姿を確認する店員さん。彼女は少し考えてから、メニューに人差し指を添えて

 

「ブルーベリー&チーズケーキ生クリームなど如何でしょうか。ベイクドチーズケーキと生クリームの相性が抜群で、女性に人気のある一品なんですよ」  

「確かにうまそうだ。じゃあ、それ二つください」

「ありがとうございます!」 

 

 程なくクレープが完成し、俺はそれを受け取ってから桜の元に戻った。

 

「ほら、桜」

「……え? 先輩、これって?」

 

 無造作に差し出されたクレープを、キョトンとした表情で見つめる桜。

 

「いや、ちょうど甘い物が食いたかったんだ。でも男一人でクレープなんて格好つかないだろ? 悪いけど付き合ってくれ」

 

 そう言いながらクレープを半ば無理やり桜に手渡した。当の彼女は困ったような、それでいて嬉しいような微妙な表情を浮かべていたが、やおら笑顔になると 

 

「ふふっ。仕方ないですね! 先輩が食べたいのなら仕方ないですから付き合ってあげます」

 

 はにかみながらも、両手でクレープを持って微笑む。こういう笑顔が見れるのならクレープの一つや二つ安いものだ。

 桜は生クリームをぺろっと一舐めして

 

「先輩、ありがとうございます」

 

 と、囁くように呟いた。

 

 

 そんな感じで、商店街をクレープを食べながら並んで歩く。こうして歩いていると、傍目にはデートしているように見えるんだろうか。それとも仲の良い兄弟ってところか。

 チラっと横目で桜を見てみた。彼女は両手でクレープを持ったまま“はむはむ”と上品に口までクレープを運んでは、幸せそうに頬を緩めている。こうして見ていると年頃の普通の女の子だ。

 でも桜の年頃で、あれだけ家事全般をこなせる女の子も最近だと珍しいんじゃないかな。頼りっきりって訳じゃないけど、もう少し俺も頑張らないと。

 そう心の中で思う。

 

「桜ってさ、絶対良いお嫁さんになるな」

「……なッ! せ、先輩……突然、なにを……?」

 

 驚いたのか、桜がケホケホと咽ている。

 

「いや、桜って料理も掃除も洗濯も、家事全般が得意だろ? だからそう思ったんだけど」

「ぉ、お嫁さんだなんて……先輩、その、私……まだ、はやいと思います。ですけど、せ、先輩がそう考えてくれているなら……私としても前向きに……考えても……良いかなぁって。“俺のお嫁さんになってくれ”とか言われたりしたら……って、は、恥ずかしい……」

「……あれ?」

 

 気が付けば桜は随分と後方にいた。何やら頬を赤く染めながら、いやいやと頭を振りつつ忘我の彼方にいる雰囲気である。

 俺なにか変なこととか言ったっけ?

 踵を返して桜の元へ戻ろうとした時、背中から俺を呼ぶ声がかけられた。

 

「よう、衛宮じゃないか」

 

 振り返って見れば、紙袋を手にした慎二がにやにやと笑いながら立っていた。

 

「何だ、慎二じゃないか。どうしたんだよ、こんなところで」

「いやあ、ここで衛宮に会えるなんて丁度良いな。ほら、例のやつ手に入れてきたぜ」

 

 そう言って慎二がにやけながら紙袋を掲げた。

 例のやつ? 

 はて? 俺、慎二に何か頼んだっけ?

 記憶を探るが、思い出せない……………………ってっ!

 あああああああああああああああっっ!?

 天啓のように、脳裏の中に浮かび上がる一つの懸案事項。でも“アレ”は冗談で言い合っていただけで……まさか慎二の奴、本気にで手に入れてきたのか?!

 

「どうした衛宮、嬉しくないのか? 苦労したんだぜ、手に入れるの」

「いや、嬉しくない訳じゃないけど……ここでその話しはマズイぞ、慎二っ!」

 

 激しくうろたえてしまう俺。だけど慎二はそんな俺の背中をバンバンと叩きつつ、気軽に肩を組んでくる。

 

「心配するなって。ちゃんと注文通りの金髪ロリも入ってるからさ。あと黒髪ツインテール? 凛とした小柄な女の子なんて中々見つからなくてさぁ」

「し、慎二……その話しは後日学校でしよう。とにかく今はマズイんだって!」

「何言ってんだ衛宮。別に困ることなんか何もないだ……ろ?」

 

 明確な殺気。背中から血も凍るような殺気が浴びせられている。その気配を慎二も感じ取ったのだろう。

 俺達はほとんど同時に振り返った。

 

「あらぁ兄さん。金髪ロリって何のお話しですか? 何やら先輩にも関わりがありそうですけど?」

 

 それは、とてもとても冷たい目線だった。桜さんは冷え切った絶対零度の視線で俺と慎二を貫いている。

 

「さ、桜……!? いたのか、お前……?」

「ええ。さっきからいましたよ兄さん。――兄さんは、なにを怯えているんですか?」

 

 一歩、二歩と後ずさる慎二。

 いやいや。待て待て。まさか俺だけ残して逃げようなどと考えていないだろうな?

 

「べ、別に怯えてなんていないさ。ああ、そうだ衛宮! 急用……そう、急用を思い出したから“アレ”の話しはまた今度な!」

 

 さっと踵を返す慎二。

 そしてそのまま走り出そうとして――妹の出す低い声によって足を止められた。

 

「――待って兄さん。アレって何のことかしら? その手に持っている紙袋はなぁに?」

 

 桜がじぃーっと慎二の紙袋を見つめている。中身を確認したわけじゃないけど、俺の予想通りなら“アレ”は開けてはならないパンドラの箱のはす。

 

「こ、これは……参考書さ! ほら、テスト前だろ? え、衛宮と勉強しようと思ってさ。なあ衛宮っ!」

 

 嘘を見抜くような桜の視線にたじろぎながらも、慎二が俺に話を振ってくる。

 

「へぇ。勉強に使う参考書。参考書ねぇ。――先輩? 兄さんの話は“本当”ですか?」

 

 悪魔(さくらさん)の魔手、もとい追求が俺にまで及ぶ。

 慎二め、余計な一言を……。 

 

「えっと、それは……」 

「答えて、先輩」

 

 ちなみに桜さん。表情は笑顔なんだけど目は一ミリたりとも笑ってはいません。

 

「…………まあ本当だよ桜。二人で勉強しようと思って前もって慎二に頼んでおいたんだ。ほら、俺たちはクラスも一緒だろ?」

 

 背に腹は換えられない。ここは嘘も方便と思って貫き通すのみ。

 

「そうですか。先輩がそう仰るなら“そう”なんでしょうね。でももう一度だけ確認させてください。嘘なんて吐いてないわよね、兄さん? 先輩もそうですよね?」

「も、もちろんだ桜! 俺が桜に嘘を吐くわけないじゃないか。誓って嘘は吐いていない」

「そうだぞ。少しは兄を信用しろ、桜」

 

 桜は俺と慎二を交互に見つめて、やがてほうっと大きな溜息を吐いた。

 

「はい、そこまで仰るなら信用します」

 

 ほっと胸を撫で下ろす。これで危機はどっかの彼方に去った。まあ後で慎二にきつく言い含めておかなければいけないが。だが俺の考えはそもそも甘かったのだ。

 それを桜の次の行動で思い知る。

 

「でも一応中身は確認しないとね、先輩!」

 

 にっこり微笑む俺の後輩。

 待て桜。それは非常に困る。だがそう声をかける暇もなく、桜が手を振り下ろした瞬間――

 

「なッ、何ぃっ?!」

 

 慎二の手にある紙袋が何やら鎖のような物で破かれていた。

 続けてドサドサと地面に落ちる良い子は見てはいけない雑誌の群れ。その中から桜が一冊を拾い上げてパラパラと中身を鑑賞なさっている。

 果たして、ここは針のむしろか血の池か。

 目の前で可愛い後輩にエ○本を鑑賞されるという居た堪れなさは地獄以上。結局桜は一通りの中身をご覧になってから、俺と慎二に向けて、柔らかい視線を投げて寄越す。

 

「そうですか。でも先輩も兄さんも年頃の男の子なのだから、こういう本を読むのはわかります。変に隠そうとするから勘ぐったじゃないですか」

 

 どうやら桜は、思ったよりも理解ある娘だったようだ。

 

「そ、そうだよな! そうだそうだ。別に変じゃない。健全な男子なら当たり前だ。な、衛宮!」

「……ごめんな桜。悪気があったわけじゃないんだ」

 

 ここは慎二と二人で平謝り。

 何とか最悪の事態は切り抜けたかと思いきや……。

 

「でも“嘘”はいけないですよね先輩。確か誓って嘘じゃないって言いましたよね? 私――――はっきりと覚えてます」

 

 あれ? 桜……さん? 

 背中が何か……く…ろ…い……です……よ?

 

「悪い、衛宮、後は任せたっ!」

 

 ダッシュで逃亡をかまそうとした慎二を慌てて右手で捕まえる。

 

「一人だけ逃げようとしても無駄だぞ、慎二。ここは大人しく一緒に怒られろ!」

「怒られるだけで済むと思ってるのか衛宮?! お前は命の危険を感じてないのか?!」

「感じてるっ。感じてるからこそお前一人だけ逃がしはしないっ!」

「それが親友に対する態度かよ!? その手を離せ、衛宮!」

「だれが親友だよ!? 見捨てて逃げようとしたじゃないか!」 

 

 商店街の真ん中で掴み合いながら暴れる男が二人。だけど世間の体裁なんて気にしていられる状況じゃなかった。

 

「いい加減にしてください。私、ちょっぴり怒ってるんですよ?」

「う、うわあああああ……!!」 

 

 黒い影が、黒いタコのような影が……オレタチニムカッテ――

 

 

「ただいま…………」

 

 倒れ込むようにして衛宮家の玄関を開く。続けて廊下からパタパタと足音が。

 誰かが迎えに出てくれたか。

 

「おかえりなさい、シロ……ウ。大丈夫ですかシロウ? その……顔色が大変よろしくない」

 

 セイバーが心配そうに俺を覗きこんでくる。それを見て自分が生きていることを実感する。

 ああ、生きてるって素晴らしい。

 

「……な、何とか生きてる、じゃなくて大丈夫だ。それよりセイバー。今日は……稽古……出来そうにない……ごめんな」

「い、いえ。それは構わないのですが……シロウ、直ぐに床の用意をしますので休んでください」

 

 セイバーの気遣いはありがたい。でも、いま寝たらきっと朝まで起きれない。

 

「ありがとう、セイバー。でも俺には使命があるんだ……」

「え? し、使命ですか?」

「ああ。大事な大事な使命が……な」

 

 這うようにして台所に向かう。

 今日の夕食は桜の好きな料理フルコースを作らないといけないのだ。

 包丁を握る手が微かに震えている。それでも俺は、彼女を満足させる料理を作らなければっ!

 気力を総動員して夕食を作りつづける。果たして、完成した夕食は近年まれに見る傑作となった。

 これなら桜も満足してくれるに違いない。

 俺は……そこで、やっと意識を放り投げることが許された……ガクッ。

 ちなみに翌日、慎二は学校を欠席したと付け加えておこう。     

 



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第九話

 アインツベルンの深い森の中に佇んでいる。

 辺りは一面朝霧に包まれていて、視界は最悪の状態だ。加えて肌寒く感じるくらいの気温が、言い様のない不安感を煽ってくる。

 この場に足を踏み入れる者。訪れる者を拒むかのような圧迫感。森の中にいながら鳥のさえずりさえ聞こてこない魔の森。

 アインツベルンの森は常に静寂に満たされている。もし好奇心で足を踏み入れた者がいたとしたら、自らの命を持ってその代償を支払うことになるだろう。

 ――そう、普段ならば。

 

「シロウ! 勝利は我等の手にっ!」

 

 俺の隣で、セイバーがぐっと拳を力強く握り締めている。

 今回の事の発端は、イリヤから関係者宛てに送られた一通の手紙だった。

 

『こんばんわー! みんな元気? わたしがいない間にシロウと仲良くしてる? 

 え? してる? うんうん、良きかな、良きかな。

 ――殺すわ。

 それじゃあ、新しいお城が完成したので、みんなで遊びに来てね!

 ……フフフ、無事に辿り着けるのならの話しだけど。

 PS、先着一組のマスター&サーヴァント様には、アインツベルンが総力をあげて素敵なプレゼントをご用意しております。

 奮ってご参加ください』

 

「……はあ」

 

 思わず溜息が零れてしまう。

 この場に来ている俺が言うのも何だが、あいつらも相当に暇なんだろうか?

 視線を辺りに飛ばせば、幾組ものマスターとサーヴァントの姿を捉えることが出来た。

 仕方ない。気は進まないが、一応選手? を紹介しておくことにしよう。

 

 まず一組目は、何故だか優勝候補に目されている【衛宮士郎&セイバーチーム】

 言わずもがな俺のチームである。

 半ばセイバーに引きずられる形での参戦となった。

 

「シロウ! こうして戦いに身を投じたのなら私達は勝利しなければなりません。私のマスターに敗北は許しませんから」 

 

 フフフと不適に笑うセイバーさん。

 どうやらセイバーは殺る気満々のご様子で、先ほどから拳を握りこんでは自身に気合を注入している。勝負事になると“一番”でないと気が済まないのは、彼女の最大の短所だろう。

 

「……そう言ってもなセイバー。周りを見てみろ。ハッキリ言って強敵揃いだぞ」

「安心してくださいシロウ。勝算がなければ私が作ります。此度の戦、必ず勝ちましょう!」

 

 どうやら負けるという選択肢はセイバーの中に存在しないようだ。こうなってくると俺にも無様な真似は許されない。万一、俺の所為で負けでもしたら後でどんな目に遭わされるか……。

 いかん。不吉な考えはよそう。

 ここは三国志に出てくる天才軍師の如く、冷静に敵チームを分析するのだ。

 という訳で次のチームに目線を移してみる。その先にいたのは【遠坂凛&アーチャーチーム】だ。

 ……ここは普通に手強そうなチームだな。何と言っても戦力的にバランスが良い。俺達のチームは接近戦に特化しているが、遠坂のチームは遠近どちらもこなせるしな。加えてマスターとサーヴァントの仲も良好……のはずだ。

 

「アーチャー、調子の程はどうかしら?」

「良好だ、マスター。それよりも凛。周りは一癖も二癖もある変態どもだ。油断はするなよ?」

「もちろんよ。完膚無きまでに完全に絶対勝利をものにしてみせるわ!」

 

 何やら視線の先で遠坂が叫んでいる。あれは勝利の雄たけびというやつだろうか。

 まあ、とにかく油断のならないチームであることは確かだ。

 ――と、アーチャーが俺の視線に気付いたようだ。

 奴は俺を真っ向から見据えると、まるで哀れんだような嘆息を吐きながら肩を竦めて見せる。

 無駄な足掻きをしているなと言わんばかりの態度である。

 正直、アイツにだけは負けたくないっ。

 

「……」 

 

 だがここは一旦心を落ち着ける場面だろう。今は相手の戦力を分析し、状況を把握するのが先だ。

 俺は深呼吸しつつ赤いアイツを視線から外すと、次のチームへと目線を移した。

 次のチームは【間桐桜&ライダー】である。

 ここは……う~ん、桜には悪いけど比較的安全牌なチームだと思う。ライダーは手強いし、マスターとサーヴァントの仲は随一と言っていいほど良好だけど、総合力という点で考えれば、やはり他組よりも見劣りしてしまうのは否めない。

 それに桜はやさしいし、戦いには向いてないんだ。うん。

 

「サクラ、今日は優勝を狙うのですか?」

「もちろんよ、ライダー。姉さ……赤いチームには絶対負けたくないもの。先輩以外のチームは絶対排除の方向でいきましょう。ウフフ、今日はとても楽しくなりそうね」

「サ、サクラ? いつもより、その、気合が入っていますね……」

「ええ。黒地に赤色のストライプが入った戦闘服を着たいくらい」

 

 ……遠坂に似た邪悪な笑みを桜が浮かべているような気がするのは……たぶん気のせいだろう。このままだと見てはいけないものを見てしまいそうなので、次のチームに視線を移すことにする。

 

 次は【葛木宗一郎&キャスターチーム】である。

 ここはキャスターのやる気次第で強弱がつきそうなチームではある。葛木先生はたぶんマイペースを貫くと思うし、キャスターがどう補助するかが重要になってくるはずだ。

 ただ相手は神代の魔術師。どんな奥の手を持っているか想像すら出来ない。

 ここは他チームとのぶつかり合いを見守るのが吉か……。

 

「宗一郎様、宗一郎様。こうして森の中に佇んでいると、なんだかピクニックに来たみたいですわね」

「ああ。ここは空気が綺麗だからな」

「そうですわねぇ。ああ、宗一郎様と一緒に森を散策出来るなんて、なんと風情があって素晴らしい光景なのでしょう。……メディアは幸せでございます!」 

 

 ほわほわとまるでハートを飛ばすようにして、キャスターが葛木先生の周りを舞っている。

 きっとキャスターには葛木先生しか見えてないんだろう。

 もしかしたら一番の安全牌はこのチームなのかもしれない。心の中でキャスターチームの優先順位を下げながら、俺は最後のチームに目を移してみた。

 

 最後のチーム、それは【カレン・オルテンシア&ランサーチーム】である。

 ここはキャスターチーム以上に読めないチームで、非情に不気味だ。

 ランサーはまだ分かりやすいんだけど、マスターであるカレンが曲者で行動が読めないのだ。マスターとサーヴァントの仲も良いのか悪いのかいまいち不明だし。

 但し、戦闘力の面だとかなり上位に入るのは間違いないから、正面切って闘うのはあまり好ましくないだろう。

 

「ランサー。私達に負けは許されません。“面子”というものがあります」

「あぁ? 別に楽しく殺れるなら、それでいいんじゃねえのか?」

「もう一度だけ言いますランサー。私達には負けは許されないのです。聞こえましたか? 聞こえましたね? ならさっさと返事をしなさい」

「……わ、わかったって。そう睨むなよ。要は勝てば文句ない訳だろ? 俺に任せときなって」

「今の言葉、しっかりと胸に刻みました。違えた時は覚悟してください。良いですねランサー」

 

 何を喋っているのかここまで聞こえないけど、何故だかむしょうにランサーが可哀想になってきた。だけど俺も今日は容赦出来ないんだ。

 だって俺も負けると大変な目に遭うんだから。

 

 

「皆さん、集まりましたね? 用意のほどはよろしいですか?」

 

 イリヤ付きのメイドさん、セラがぱんぱんと手を叩いている。

 それを受けて、みんながゾロゾロと一箇所に集まって来た。

 

「ルールは簡単です。日暮れまでにアインツベルンの城にたどり着く。たったそれだけです。皆さんで協力するも良し、蹴落とすも良し。ただしアインツベルンが総力をあげて用意した豪華商品を受け取れるのは一組のマスター&サーヴァント様だけです。それを努々お忘れにならぬように」

 

 セラの瞳が怪しく光る。

 その光は挑戦的に俺を見据えていた。

 

「では始めさせて頂きます。私は先にお城へ戻らせていただきますが、皆様はくれぐれも“お気をつけて”お越しくださいませ」

 

 軽く一礼してから、セラは近くに止めてあったベンツに乗り込んだ。そして、そのまま走り去る……かと思いきや、おもむろにバックして俺の手前で車を止めた。

 そして音もなく車窓が開かれる。

 

「…………」 

 

 しばらくは何事もなく時が過ぎた。

 これは……俺に覗き込めという意思表示だろうか?

 仕方ないので、俺は車窓に向かって身を乗り出すことにした。

 

「あ、シロウ。こんにちは。ぐーてんたーく」

「おう! リズも居たんだな。こんにちはリズ。ぐーてんたーく」 

 

 車内にはセラの他にリズ――リーゼリットも居た。

 彼女もイリヤ付きのメイドさんである。

 

「エミヤ様、リーゼリットが感化されますので、あまりお話にならないように」

 

 不機嫌そうに眉根を寄せたセラが俺をきつく睨みつける。

 本当にセラには嫌われてるなぁ……。

 

「……で、何か用があるんだろ?」

「いえいえ、用というほどのものでは。ただエミヤ様に忠告をと思いまして」

「忠告だって?」

「はい。エミヤ様は……何故だか、何・故・だ・かっ! 大変に不思議ですが! お嬢様のお気に入りですので。万一のことがあってはお嬢様に叱られてしまいます」

 

 フフフと微笑むメイド。しかし瞳の奥はまったく笑っていなかった。

 

「……」

「コホン。これから向かう道は決して平坦なものではありません。単刀直入に申しますが、怪我をしたくなかったら早々に棄権なさいませエミヤ様」

「棄権しろだって?」

「はい。最悪の場合死ぬ可能性すらあります。エミヤ様だってまだ死にたくはありませんでしょう?」

 

 セラの声が氷柱のように尖り、俺を突き刺してくる。だけどそんなことは出来ないんだよ。例えどんなに危険な道のりでも乗り越えてゴールするしか選択肢はない。

 

「良く聞けセラ。道が平坦だろうが平坦じゃなかろうが棄権は出来ない。どんな障害が待ちうけていようと俺はイリヤの元に辿り着くだけだ」

 

 しっかりとセラの目を見据えて答える。

 豪快に啖呵を切ったのは、決してセイバーのお仕置きが怖いとかそんな理由じゃない。

 ……怖いとかじゃないぞ。

 

「……そうですか。ではエミヤ様、今の言葉が大言壮語にならないように、見事お嬢様の元に辿り着いてごらんなさいませ」

 

 不敵に笑ってから、セラがゆっくりとベンツを走らせる。

 俺はその車を見送りながら、どうか無事に辿り着けますようにと心の中で神様に祈った。

 

 そういう経緯で、五組十人が深いアインツベルンの森を進み歩く。

 未だ争い合うチームは出ていない。各チームとも様子見といったところだろうか。

 それにセラの口ぶりから、この先に“何か”が仕掛けられているのは確かだろう。サーヴァント達はその機微を肌で感じているのかもしれない。

 誰もが幾分緊張した面持ちだ。

 

「――成程な。おい衛宮士郎、あれを見ろ」

 

 どれくらい歩いてきたのか。突然アーチャーが遥か前方を指差した。

 何があるのかと目を凝らしてみる。俺も奴程ではないが遠見が出来るのだ。

 ……ふむふむ、なるほど。

 アレが第一の難関という訳か。本当ならかなり厄介な相手なんだが……ここには十人分の戦力がある。

 俺はアーチャーに目配せして歩みを止めた。

 

「みんな、ちょっと集まってくれ」

 

 周りを見渡しながら声をかける。その声を受けて訝しげにキャスターが近寄ってきた。

 

「どうしたの、坊や?」

 

 質問には答えずに黙って前方を指差した。キャスターは短く呪を唱えてから目を凝らすと“あぁなるほどね”と頷いた。

 程なく、他のみんなも集まって来たので、俺はみんなに事情と目的を話すことにした。

 ……しばしの沈黙。

 各々がマスターとサーヴァントで相談を開始している。しかし最終的には皆も俺の案に賛成してくれた。

 

「シロウ。その作戦は騎士道には反しますが、あの相手に限って言えばその限りではないでしょう。ええ、ここは全力でやらせてもらいます」

 

 セイバーも力強く頷いてくれる。

 奴の人徳のなさに多少の同情は感じるが……これも日頃の行いが悪いと諦めてもらおう。

 俺達は一致団結して第一の難関に挑むことになった。

 

「そこまでだ、雑種。そこで止まれ」

 

 俺達を待ち受けるようにして黄金のサーヴァント――英雄王ギルガメッシュが立ち塞がった。

 奴はいつか見た黄金の鎧を身に纏い、悠然と腕を組み佇んでいる。

 

「ほう、仲良くここまで来るとはな。まあ、雑種には群れるのが似合っている」

 

 奴は王が民を見下すような尊大さを滲ませながら、順々に俺たちを見据えていく。

 

「しかし余興に付き合うつもりでここまで来たのだが、これは存外に楽しめるかもしれんな」

 

 俺達を値踏みしながら息巻く英雄王。それに対してセイバーがずいっと一歩を踏み出した。

 

「英雄王。そこから立ち去るということは出来ませんか?」

「騎士王。それは出来ぬ相談だ。我はこのゲームにおける“ラスボス”だからな。セイバー以外の雑種にはここで倒れて貰うことにした」

 

 王が宣下するように、ギルガメッシュが悠然と右腕を天に掲げる。

 ――ここに在るのは人類最古の英雄王。彼の元にはあらゆる宝具の原点を収めた蔵があったという。

 栄華を極め、繁栄の限りを尽くした古代バビロニア王国。その宝物殿の扉が、今、開かれる。

 途端に奴の背後の空間が歪んだ。

 王の財宝――ゲート・オブ・バビロン。

 文字通り空間を越えて幾つもの宝具が現れ、俺達を威嚇するように空中で静止する。

 

「交渉決裂……ですか」

 

 セイバーの呟きが俺の耳に届いてくる。

 アイツ相手の交渉に希望など持っていなかったが、予想通り決裂してしまった。しかしこれで何の遠慮もなく叩きのめせるというものだ。

 まず俺が英雄王の前に出る。

 

「フェイカーか。まさか“また”あの技で我を倒せるとでも思っているのではあるまいな? ――はっ! 笑わせるな雑種。例えお前とアーチャーが組んだとて今の我を倒すことは敵わぬぞ。もし我を倒したくば、あの時の三倍は持ってこいっ!」

 

 自身満々な英雄王。だけど……。

 

「うん、だから三倍持ってきた」

「な……に?」

 

 僅かに、英雄王がたじろぐ。

 

「ギルガメッシュ、貴方には遠慮など必要ありませんね?」

「……騎士王、いつから二刀流になったのだ……?」

 

 英雄王の言う通り、セイバーは両手に聖剣を持っていた。

 

「これはエクスカリバーとカリバーン。カリバーンはシロウに投影していただきました。今回はアヴァロンも全開で行かせていただきます」

 

 英雄王の頬を一滴の汗が伝う。

 

「よぉし、こんなもんでいいだろう。もう十分だ」

 

 ランサーの言葉に振り返れば、足元には幾本ものゲイボルクが。

 

「これだけあれば、気がねなく投げボルク大会を開けるだろう、ランサー?」

 

 言わずもがな、アーチャーの投影品である。

 

「……フンっ! それがどうした? 幾ら集まろうと所詮は雑種。我が本気になれば…………なっ!?」

 

 突然、英雄王が驚いたように眉根を寄せ顔を歪めた。

 

「流石は英雄王ですね。私の魔眼を受けても石化しないとは。ですが“重圧”はかけさせていただきました。これで行動にかなりの制約がかかるはずです」

 

 ライダーが天馬を駆りながら魔眼の重圧をギルガメッシュに放っている。手には騎英の手綱。いつでも白光となって英雄王に突っ込む準備は万端である。

 最後にキャスターがゆらりと現れた。

 

「私の“強化”の魔術を全員にかけさせて貰ったわ。さすがの英雄王もこの人数相手ではどうしようもないでしょう?」

 

 すっと、キャスターが右手を翳す。

 

「貴方には返さなくてはいけない借りがありますからね。ここでキッチリと三倍返しをさせて貰うわ」

 

 ――ギルガメッシュは強い。

 それこそ一対一で勝てるサーヴァントはおそらく存在しないだろう。だけど五対一ならどうだ? 更にはサーヴァント全員にマスターのバックアップが付いている。

 俺とアーチャーの投影もある。

 ここまでやっても誰も卑怯だとか、心を痛めないのは流石は英雄王と誉めるところだろうか。

 ……ギルガメッシュ。お前は敵を作りすぎだ。

 

「ギルガメッシュ。戻ったら、お仕置きです」

 

 カレンが静かに十字を切った。

 

「………………」

「いくぞ、英雄王――武器の貯蔵は充分か?」

 

 セイバーが聖剣を、アーチャーが弓を、ランサーが魔槍を、ライダーが天馬を、キャスターが魔術を――

 ここに、サーヴァント戦史上に残る激闘が幕を開けた。

 

 英雄王は強かった。性格は最悪だがその力に偽りなしというところだ。だけど稀代の五人のサーヴァント相手に魔眼の重圧まで受けていては勝負にならない。

 哀れ、英雄王はアインツベルンの森に露と消えてしまった。

 しかし俺達の戦いは始まったばかり。

 目指すアインツベルンの城は、未だ遥か先にあるのだった。 

 

 

 



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第十話

 突如として、俺達の目の前に大きな池が立ちはだかった。

 えっと、なんだこれ?

 こんなの確かアインツベルンの森になかったぞ。思わず池とは言ったものの、その面積はかなり大きい。小さな湖くらいはあるかもしれない。

 そんな不可思議な池の辺に、見覚えのある人物が佇んでいた。

 

「…………あー何してるんだセラ? 城に戻ったんじゃなかったのか?」

 

 俺の言葉にビクッっと肩を震わせたその人物は、似合っていない大きめのサングラスをクイっと中指で押し上げた。

 

「セ、セラ? それは誰のことでしょう? わ、私は進行役の……そう、セーラです。エミヤ様、人違いをなさっていますね」

 

 確かにサングラスはかけているけど、後はどっからどう見てもイリヤ付きのメイドさんセラその人だ。

 

「……で、何でこんなところにその“セーラ”さんは居るの?」

「よくぞ聞いてくださいましたエミヤシロウ。私はこの“柳洞池”の説明をする為に皆様をお待ちしていたのです」

「柳洞池?」

 

 全員の声が見事なまでにハモった。

 

「はい。ここは第二の難関である柳洞池。この湖にも匹敵する池を皆様には走破していただきます。泳いで渡るもよし、ボートを使うもよし。そこの判断は皆様にお任せ致しますので、お好きな方法でお渡りくださいませ」

 

 セラの言った通り、池の辺には二人乗りと思しき手漕き用のボートが五つ用意してあった。

 

「但し――サーヴァント様が挑まれる難関です。勿論普通の池ではございません」

 

 つつつとセラが池の辺まで移動する。そして、何処からか取り出した大きな肉の塊を池の中にぽーんと放り込んだ。

 

「あぁっ! なんて勿体無いことをっ!」

 

 セイバーの叫びは無視して湖を眺める。

 すると……

 

「げっ!」

 

 突然巻きあがる水飛沫。その勢いで肉が空中に華麗に吹っ飛んだ。

 その肉目がけて水中からサメのような巨大魚が躍り出してくる。サメはたったの一口でパクリと肉を丸飲みにすると、盛大な水飛沫と共に水中へとその姿を消して行った。

 おい……ちょっと待て。今の軽く十メートルはなかったか?

 そんな光景を面白そうに眺めていたセラが、改めて一同に振り返った。

 

「このように、この池には獰猛な魚が放ってあります。サメ、ピラニア、電気うなぎetc。すべて擬似ホムンクルスですので気にせず殺生なさってかまいません」

「……気にせずって、今の滅茶苦茶大きくなかったか?」

「フフフ。そこは幻想種を元にしていますので。オリジナルには及ばずとも、それなりには楽しんで頂けるかと」

「……」

 

 もはや楽しむってレベルじゃないような……。だがセイバーたちはさっきの光景を見て、逆に戦意が高揚した様子だ。

 

「面白いではないですか。シロウ、私も昔は色々な魔物と戦ったものです」

「そうね。神代には普通に魔物がそこらあたりに生息していたし、あの程度なら問題ないわ」

「へっ、面白れぇじゃねえか。水中には怪魚、道を阻むにはサーヴァントにマスターってね。こりゃ楽しくなってきやがったぜ!」

 

 セイバーが、キャスターが、ランサーが楽しそうに指を鳴らしている。

 いやいや、ちょっと待てくれ。サーヴァントと一般人を一緒にしないで欲しい。確かにあんた達なら造作もない相手でもマスター達にとっては生死にかかわるぞ。

 そんな俺の弱気を感じ取ったのか、セラが邪悪な笑みを浮かべながら俺に近づいてきた。

 

「あらあら、エミヤ様。少し震えておられるようですが――怖いのでしたら棄権なさいませ」

「こ、怖いなんて言ってないだろ。これは……ちょっとした武者震いだ」

「そうでしたか。これは失敬を」 

「その通りだ。私のマスターがこの程度で臆するはずがない。セーラとやら、私のシロウを見くびらないで欲しい」

 

 セイバーが挑戦的な瞳をセラに叩き付けている。しかし、もしかしてセイバーってセラの正体に気付いていないのか? そっちの方が驚きなんだけど……。

 だが俺の思考を中断するように、セラが戦いの開始を宣言した。

 

「では、柳洞池を皆様見事に走破してご覧なさいませ!」

 

 ここに、第二の難関柳洞池の激闘が開始された。

  

 

「準備は良いですか、サクラ?」

「ええライダー。いつでもいいわよ」

 

 水辺に集まって、さてどうするかと思案する五組十人のマスターとサーヴァントイ。その中でいち早く行動を開始したのは【桜&ライダーチーム】だった。

 

「ではいきます。――騎英の手綱ッ!」

 

 何と! ライダーはペガサスを召喚するや、その背に桜を引っ張り上げた。

 

「ああっ! ずるいわよ桜っ!」

「姉さん、お先に失礼しますね」

 

 そしてライダーと桜は、眩い白光に包まれて柳洞池を渡っていく。

 場に残された一同は、優雅に空を駆ける天馬の姿を唖然としたまま見送るしかなかった。

 

「……と、とりあえず俺達も出発しよう」

 

 俺はセイバーを促してボートに乗り込んだ。それを受けて他の四組もとりあえずボートに乗ることに決めたらしい。続々とボートに乗り移っていくマスターとサーヴァント。

 

「ランサー。私は大変非力ですので、重労働である船を漕ぐ仕事は任せましたよ?」

「あ? 嘘吐け。大体あの聖骸布の扱いからして……っ!?」

 

 ランサーの言葉が詰まる。その喉元に銀色に光るナイフが突き付けられて……いるように見えた。

 だけどそれは一瞬の出来事。直後のカレンは、何事もなかったかのように両手を組んで座りなおし、敬虔なシスターを装っている。

 

「ランサー? 良く、聞こえなかったのですが?」

「バッチリ任せろ! 俺が向こう岸まで全速力で送ってやるからよっ!」

 

 クランの猛犬と呼ばれる英霊は、青い顔をしてオールを掴み上げるや、全力でボートを漕ぎ出した。

 

「結構です。しかし、こうして殿方と二人で湖に漕ぎ出すのも、風情があって良いものですね」

 

 涼しい顔でカレンが髪をかきあげている。対してランサーは、もう必死の形相でボートを進行させていた。

 流石はランサー。二人を乗せたボートは、見る見るうちに水平線の彼方へと消え去っていく。

 

「……シ、シロウ。私達も行きましょうっ!」

「あ、ああ。……わかった」

 

 これが競争である限り、いつまでも呆然とはしてられない。

 俺達は片方ずつのオールを持ってボートを漕ぎ出した。それ見たアーチャー組とキャスター組もオールを手に取る。とりあえずボートに乗っている限り、水中の怪魚に襲われる心配はないだろう。なら後は純粋なスピード勝負になる。だから力いっぱいボートを漕いでるんだけど、これって結構体力を使うんだな。

 ――と、ここで一応現在の順位を確認しておこう。

 トップはライダー&桜組みで次点でランサー&カレン組が続いている。後はほぼ並んでボートを漕いでいる格好だ。

 現在まで平穏に事が運んでいるが……果たして、この先どうなっていくのか。

 池に漕ぎ出して十分くらい経っただろうか。

 改めて視線を他の組に向けてみた。

 

「……もう。アーチャー、何か手はないの? ビリッケツよ私達」

「まあ待て凛。慌てても何も始まらない。ここはもう少し様子を見るべきだ」

「そんな悠長なことを言ってたら負けちゃうじゃない! アイツにだけは負けたくないんだからぁ!」

 

 焦る遠坂を宥めるようにアーチャーが余裕の笑みを浮かべている。遠坂組もランサー組みと同じくアーチャーの奴が一人で漕いでいるのだが、スピードは俺達と同じくらいだった。

 安心した俺は、次に視線をキャスター組に向ける。

 

「宗一郎様、お疲れではありませんか?」

「問題ないキャスター、お前は有事に備えて力を温存しておけ」

「はい、宗一郎様」

 

 こちらもオールを漕いでいるのは葛木先生一人だった。キャスターは、そんな葛木先生をうっとりと幸せそうに眺めている。

 

「シロウ」

「ん、なんだセイバー?」

 

 二人でタイミングを合わせて漕いでいたら、セイバーが何やら考え込みながら声をかけてきた。

 

「このままでは体力勝負になる。後々のことを考えれば消耗は少ないほうがいい」

「それはそうだけど……セイバー、何か考えがあるのか?」

 

 はい、と頷くセイバー。

 

「私は精霊の加護を受けてるので“水上”を走ることが出来るのです。一人分の重さが減れば、その分船のスピードは上がるのではないですか?」

「確かにそうだけど……。水上に出たらあの怪魚が襲ってくるぞ?」

「その点は心配無用です。あの程度の敵、異界の邪神に比べれば大したことありません」

 

 その気になれば、荒波のロッホランさえ走破してみせましょうと満足そうに頷くセイバーさん。

 このままでは埒が明かないのも確かだ。ここはセイバーの作戦に懸けてみるとしよう。

 

「わかった。セイバー、露払いは頼んだぞ」

「任されました、シロウ」

 

 セイバーのオールを受け取り、位置を調整して座りなおす。それを確認した彼女が、さっと水上に降り立った。セイバーはそのままボートの後ろ側に回り込むと、船体に両手を添えて力一杯叫び声を上げて――

 

「はああぁぁぁぁぁぁぁっっ!」

 

 セイバーの魔力放出が生み出した力がボートに直接加わり一気に加速する。

 

「うわ……ちょ、これ、はやすぎ……」

 

 水上を弾丸となって突き進むボートを、セイバーが後ろから駆けて追いかけてくる。

 水の上を走れるというのは本当のようだが、水中にはアインツベルンの用意した難関が待ち受けているはずだ。そう思った直後、突然水中からあのサメもどきが彼女に襲いかかった。

 

「邪魔をするなぁ!」

 

 激しい水柱が立つ。セイバーは聖剣を抜いて次々にサメを三枚に下ろしていく。

 まさに圧巻。さすがは剣の英霊。

 ……なんだ。これならセイバーに任せても大丈夫か。そう決め付けた俺は、彼女から視線を外して、若干速度の落ちてきたボートを必死に操作しながら漕ぎ続けた。

 

 

『――むっ!』『――えっ!』

 

 アーチャーとキャスターの声が見事に重なった。水上を爆走するボートと水上を走破する銀の乙女。完全に予想外の光景に二人が思わず驚きの声を洩らしたのだ。

 

「……水上を走るだと? セイバーめ。手段を選んでいないな」

「ちょっと、アーチャー! 関心してる場合じゃないでしょっ!」

「しかしだ凛。あれを止めるのは中々骨が折れる…………む!?」

 

 アーチャーの視線が併走していたキャスターを捉えた。

 

「宗一郎様、ここは私達も奥の手を出しましょう」

「どうするの気だ、キャスター?」

「セイバーの二番煎じなのは癪ですが、私が魔術で空中を飛んでいきますので、宗一郎様はそのままボートをお願いします」

「現状では悪くない案だな。分かった。こちらは任せてくれ」

 

 キャスターが立ち上がり何やら呪文を唱えた。すると、どういう魔術なのか、ふわりとキャスターが空中に浮かんでいく。彼女はそのまま空高くまで舞い上がり、向こう岸を目指して飛翔し出した。

 

「ちょっと、ちょっとアーチャー! このままだと私達だけ置いてかれるじゃないのっ!」

「暴れるんじゃない凛。如何なる時も優雅たれとは遠坂の家訓ではなかったか?」

「そうだけどぉ……」 

「フッ。アレを何とかすれば良いのだろう?」

 

 自身満々に答えたアーチャーが、一旦オールを漕ぐのをやめてボートの中で立ち上がった。

 それを不思議そうな目で見上げる遠坂凛。

 

「ちょ、アーチャー……何する気?」

 

 アーチャーは答えず、瞳を閉じて精神を集中せて

 

『――“I am the bone of my sword”――』

 

 何て呪文を唱えやがった。

 アーチャーの手に弓が形成され、更に、捩れた歪な剣を投影したアイツは――

 

「死ねい、キャスターっ!!」

 

 アーチャーの放った一撃は宝具を矢とした必殺の一撃だ。弓兵の放った矢が神速をもってキャスターに迫る。

 空間を捻じ切りながら突き進む魔弾は、確実にキャスターの心臓を狙いに定めていた。

 

「宝――具っ!!」

 

 しかしキャスターとて神代の魔女。間一髪だったが、どうにか直撃を避けることに成功したようだ。

 アーチャーの放った矢は轟音を纏ったまま天空へと突き進み、空間を切り裂いていく。対するキャスターはといえば、直撃を避けたとはいえ宝具の余波だけで魔術行使を邪魔されたのだろう。そのまま水中へと没していく。

 激しく巻き上がる水飛沫。神代の魔女は、まるで海を漂うクラゲのように水面にぷかぷかと浮いていた。

 それから数秒後、何とか意識を集中させて立ち直ったキャスターは、復活するや直ぐに怒気を含めた罵声をアーチャーに浴びせかける。

 

「あ……アーチャー! 貴方、私を殺す気っ?!」

「心配するなキャスター。これは峰打ちだ」

「み、峰打ちって“死ね”って聞こえたわよっ!」

「大方、魚の跳ねる音でも聞き違えたのだろう。まったく人聞きの悪い」

「ぐぬぬ……」

 

 悠然とアーチャーの漕ぐボートがキャスターの横を通過していく。それを水面にぽつんと浮いたまま見送るキャスター。

 不運は続く。そこへキャスター目がけて水中からあの怪魚が襲いかかってきたのだ。咄嗟のことに僅かに反応が遅れ、呪文を唱えるのが間に合わない。

 哀れキャスターは怪魚に一飲みにされた……かと思いきや、惨劇の寸前に、葛木先生が得意の拳法で怪魚を吹き飛ばして彼女を救う。

 

「大丈夫か、キャスター」

「そ、宗一郎様……その、ありがとうございます……」

 

 照れたように俯くキャスターを、葛木先生が無表情のままボートに拾い上げる。キャスターは、濡れた身体もお構いなしに真っ先に頭を垂れた。

 

「申し訳ございません、宗一郎様。直ぐに追いつく算段を練りますので……」

「必要ない」

「……え?」

 

 キャスターが目を丸くする。

 

「濡れたままでは風邪を引く可能性がある。今日はここまでとしよう」

「で、ですが、アインツベルンの……宝が……」

「必要ないと言った」

「……」 

「メディア、帰るぞ」

「はい」 

 

 宣言してから、葛木先生がボートを岸へと戻していく。

 その行為をどこか嬉しそうな表情で、キャスターはじっと眺めていた。

 

【葛木宗一郎&キャスターチーム、リタイア】

 

 

 



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第十一話

 無事柳洞池を渡り終えた俺は、その先に展開されていた光景に若干の驚きを覚える。だって先行していたライダー組とランサー組が待機していたからだ。

 何故なんだと思ったが、そこに居た“セーラさん”から事情を聞いて納得する。 

 

「セラはどうやってこの池を渡ったんだ?」

「エミヤ様、セラではありません。セーラです。そこ間違えないように」

「……そのセーラさんは、どうしてこの場に居るんですか?」

「ふふ、エミヤシロウ。それはこの場所が第三の難関だからです」

 

 そう言って、彼女が辺りを振り仰いだ。しかし特別な光景があるわけではなく、ちょっとした広場が広がっているだけだ。

 

「何もないぞ、セラ」

「いえいえ、そこではなく。ほら、よく見て下さいエミヤ様。あのあたりに」

 

 セラが指差した方向へ視線を向ける。

 そこには確かに彼女の言った通りになにか置かれていて……。

 

「って、あれ調理器具一式じゃないか!?」

「フフフ、その通り。詳しい説明は最後のチームが来てから始めますので、暫し歓談などなさってお待ちください」

 

 そう言ったセラが、一足先に第三の難関らしき場所へと向かって歩きだした。なにか用意するべきことがあるのかもしれない。

 それから程なく、遠坂アーチャーチームもこの場に到着した。

 

「あれ? なんで皆一緒にいるのよ? もっと先に進んでるとばかり思ってたのに」

「……まあ、とりあえずあっちへ行って話そうか」

「ん?」 

 

 不思議顔を浮かべる遠坂を交え、俺達はセラの元へと集って行く。キャスターチームが脱落したので四組八人の行進である。

 

 

「きのこでポーン~?」

 

 またしても、綺麗に全員の声がハモった。

 全く予想もしていなかった名称が告げられたからだ。

 

「はい。第三の難関はきのこでポーン。ここにある特殊なきのこをポーンと料理して貰う、というところから名前がきています」

 

 正直言ってアインツベルンのネーミングセンスについていけないところがあるが……今は深く追求するまい。      

 

「そのきのこを料理するのか、セラ?」

「そうですエミヤシロウ。マスター様、あるいはサーヴァントがこれを料理して頂いて、もう片方がそれを頂くという、至極単純な競技でござます」

「それだけ?」

「はい」

 

 セラがコクンと頷く。本当にそれだけなら話は簡単なんだけど(料理の腕には自信がある)彼女の表情を見るに、それだけで終わらない予感がした。

 果たして、俺の直感は正しかった。

 

「但しこのきのこ。煮ても食えない、焼いても食えないという、酷くまず……もとい、調理の難しい品でございます。これを料理する方の腕で克服し、食べる方は愛情を持って完食する。万一、完食出来なかったチームはここでリタイアとさせていただきます」

「残したら、リアイア……」 

「ほう。それは中々に面白そうな趣向だ。戦うばかりがサーヴァントの能ではないからな」

「むっ」 

 

 赤いアイツが自信満々に頷いている。どうやらこの難関にかなりの自信を持っているようだ。しかし要は、とてもまずい食材を如何に料理するかにかかってる訳で、それなら幾らでも調理の方法はある。

 ふっふっふ燃えてきたぜ。伊達に十年も包丁を持っていないというところを見せてやる。しかも料理を食べるのはセイバーだ。これは勝ったも同然――

 

「では、調理する方をクジで決めますので、皆様こちらへどうぞ」

「なん――だと!?」 

 

 俺とアーチャーの声がハモる。

 ……今、なんて仰いましたかセーラさん?

 

「く、クジ引きだってっ?!」

「ええ。それが公平でしょう、エミヤシロウ」

 

 フフフと不敵に笑う冷血メイド。

 

「ささ、この箱の中に入っている紙を引いてくださいませ。当たりを引いた方が調理を担当して頂きます。――あ、二枚しか入っていませんから、一組ずつお願いします」 

 

 そうして行われる運命のクジ引き。

 ――結果は、とても残念なものだった。何故なのかは、組み分けを見てもらえればわかると思う。

 

 作る人『セイバー。アーチャー。間桐桜。カレン・オルテンシア』

 食べる人『衛宮士郎。遠坂凛。ライダー。ランサー』  

    

「シロウ。精一杯がんばりますね」

「セイバー。調理は落ち着いて、冷静に、な?」

「心得ています。いつもシロウが作っている料理には及ばずとも、ブリテンの心意気を込めた一品を作り上げるつもりですから!」

「…………」

 

 気合十分。セイバーは何処からか取り出したハチマキを頭に装着し、よしと拳を握りこんでいた。そんな俺たちの様子を見ていたアーチャーが、一言こう囁いてくる。

 

「衛宮士郎、敵ながら、僅かばかり同情する」

「アーチャー。お前……」

「いや、敢えて語るまい。胃薬……いや、そんなものでは役に立たないか」

 

 目を伏せながら、アーチャーが調理を開始するべく移動を開始した。

 最後に死ぬなよとだけ告げて。

 ――そして一時間後。

 それぞれ作った料理が完成し、俺たち食べる側の前にそれが用意された。全員仲良く長テーブルに並んで腰掛けていて、相棒が作った料理に目を落としている。

 

「あのさセイバー? これは……なにかな?」

「はい。素材の味を活かしてみました」

「……」      

 

 素材の味を活かしたというセイバーの料理は――きのこの素焼きだった。っていうか、これ料理じゃないぞセイバーっ!

 姿焼きと言えば聞こえはいいが、超絶にマズイ素材の味を活かしてどうすんの!?

 

「……」 

 

 チラリっと他のチームはどんな料理なのかと横目で盗み見る。

 アーチャーはきのこを使っているのかわからないほど美味しそうなグラタン。桜は細かく刻んだハンバーグ。カレンは……一番端っこなのでよく見えないが、きちんと調理された料理であることは確かだ。

 

「では皆さま、お食べください」

 

 無情にもセラの号令がかかってしまった。

 

「……シロウ」

 

 心配そうに覗き込むセイバー。

 ええいっ! 男は度胸ッッ!

 俺はきのこを一口分の大きさに切り分けてから、観念して口の中に放り込んだ。

 

「……………………………………なっ!!」

「ど、どうですか、シロウ? 美味しいですか?」

「……………………………………ニコ」

 

 俺は額に油汗を浮かべながらも、なんとか笑顔でセイバーに答えた。だって喋ることが出来なかったから。今もし口を開いたら、確実に何かが飛び出してしまう。

 あまり咀嚼せずに一気に飲み込む。……って、これ一口食べるだけで凄まじい体力を消耗したぞ。

 完食出来るのか?

 そう思いながらも、何とかニ口目に挑戦を開始した。

 

「……もぐ…………モグ……………も…………」 

 

 気を紛らわせようと他組の様子を眺めてみた。

 アーチャーのグラタンを遠坂が、桜のハンバーグをライダーが食べ続ける。羨ましいことにさして時間もかけずに完食したようだ。けれど意外にも、残ったランサーが苦戦を強いられている。

 作ったのはカレンだったよな?

 

「どうしたのですかランサー? はやく食べてください」

「た、食べろって言ったってなぁ……」

「きのこの不味さは中和してあります。問題はないはずですが?」

 

 問題ないと言うカレンの料理は、麻婆豆腐ならぬ、麻婆きのこ豆腐だった。ただし真っ赤な色合いの。あの中華料理店にも負けていないくらい赤い……。

 

「いやいや、辛くて食えないんだよっ! これ人の食える辛さじゃねぇぞ」

「……からい?」

 

 心底、不思議そうに首を傾げるカレン。

 一瞬の静寂。そこからカレンは、ランサーからレンゲを奪い取ると、ひとさじ分だけ麻婆豆腐をレンゲによそった。そして何の躊躇も見せずに口に運ぶカレン。

 モグモグと口が動いている。

 そして一言。

 

「全然、問題のない辛さではないですか」

「アンタ、人間じゃねぇっー!!」

 

 椅子を蹴倒すようにしてランサーが駆け出した。だがそんな逃亡を許すカレンではない。

 カレンが放った赤い聖骸布がランサーの足を捉え、グルグル巻きにしてしまう。

 

「……ゲット」

 

 哀れランサーは、一本釣の要領でカレンの元へと釣り上げられてしまった。

 

「駄犬の分際で主人に逆らおうなんて……。○○するところですよ、ランサー」

 

 麻婆きのこ豆腐を持ち上げて、無理やり口に詰め込もうとするカレン。

 ランサーも必死に逃げようとするのだが、全身を赤い布で拘束されていては身動きが取れない。男性である限り、あの布の拘束は解けないのだ。

 眼前に迫る究極の一を前に、あのランサーが涙目を浮かべている……。

 そして、カレンの凶行がランサーの口に向かって侵食を開始して――

 

「………っ!!!!!!!!」

 

 声にならない叫びを上げて悶絶するランサー。

 彼は何と解けないはずの聖骸布を引きちぎり、絶叫を上げながら、あさっての方向に向かって駆け出して行ってしまった。

 

「……あ」

 

 後に残されたのは、マーボー片手に佇む少女が一人。

 

「………………ラ、ランサーの逃亡により、カレン&ランサーチームは失格とさせていただきますっ!」

 

 無情にもセラの声が響き渡る。

 

「そうきましたかランサー。仕方ありませんね。戻ったら――ギルガメッシュと一緒にお仕置きです」

 

 静かに十字を切るカレン。

 ランサー。迷わず逝けよ……。

 心でひっそりと祈る。だけど今はランサーの心配をしている場合ではない。俺の目の前にも究極の一があるからだ。

 

「シ、シロウ、今がチャンスです。さあ、はやく食べてしまってください」

「セイ……バー……」

「どうぞ!!」

 

 彼女の為にも、俺は……。

 気合を入れて口の中へときのこを運ぶ。しかしその度に意識が遠くなっていく感覚がして……そしていつしか視界が明滅し始め……暗く……なって……いって。

 ガクッ。                                                  

                          

                           ――DEAD END――

 

 

 

「はーい、理不尽な展開で逝ってしまったアナタを救う、タイガー道場のコーナーでーす」

「タイガー道場、助手の弟子一号でーす」

「あぁぁ。ついに士郎ここでも逝っちゃったかぁ…………。まあ、あのセイバーちゃんの料理、料理って呼べないような代物だったしねぇ」

「師匠ー、それを言うと我々の命も危ないでありますっ!」

「うむ、まったくその通りだ弟子一号。ここは大人しく士郎の冥福を祈ろう」

 

 ……三秒の黙祷。

 

「って、師匠! まだお兄ちゃんは生きているでありますっ!」

「何ぃ? アレを完食して生き残るとは……。成長したな、少年」

「我々は意識を失ったシロウの代わりに、結果を発表する為に来たのであります」

「そうだったのか弟子一号。うむ、それならキリキリと結果を発表しよう」                            

「現在、第三の難関を突破したのは【遠坂凛&アーチャーチーム】【間桐桜&ライダーチーム】の二チームであります。お兄ちゃんは健気に頑張ったんだけど……」

「リタイアしちゃったかぁ……」

「お兄ちゃんには、また次の機会に頑張ってもらわないと」

「次の機会も何も、我々の出番はここだけのはずじゃ……」

「……フフ。タイガは可哀想ね」

「ちょっと待て。弟子一号!? おい、何処へ行――」

「おいで、バーサーCAR!」

 

 含み笑いを残して、謎の乗り物に乗ったイリヤが颯爽と去って行った。

 

【衛宮士郎&セイバーチーム】【カレン・オルテンシア&ランサーーチーム】リタイア

 

 

 



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第十二話

「ああ、そうじゃないキャスター。ギュって握るんじゃなくて、俵型になるように……やさしくな?」

「こ、こうかしら……?」

「そうそう。何だ、やれば出来るじゃないか」

「あ、当たり前じゃないの。カニクリームコロッケくらい…………えっと、坊や、衣は二回付けるのかしら?」

 

 カジュアルな衣服の上にひよこ柄のエプロンを羽織って奮闘するキャスター。彼女は現在、不慣れな手付きを披露しながらも、一生懸命にコロッケを形作っていた。

 額に汗するなんて、彼女にすれば珍しい光景だろう。

 

「……」 

 

 今日は柳洞寺まで足を運んで来ている。何故かと言えば、最近は恒例になりつつあるメディアさん家の料理教室が開催中という訳だ。

 本日のお題はカニクリームコロッケ。キャスターが葛木先生の好物の中にコロッケがあるという情報を仕入れたので、それを召し上がってもらおうとせっせと作っている最中なのである。

 その葛木先生だが、未だ帰宅せず学園の方にいるらしい。

 本日は宿直日らしいけど、夕食時には一時帰宅するらしいとのと。

 

「キャスター。衣を二回付けることで揚げた時の型崩れを防げるんだ。油の温度は180℃~200℃くらいが適当かな。コロッケを入れると油の温度が下がるから、そこは注意してくれ」

「りょ、了解……」

 

 じゅう~。じゅう~。じゅう~。

 キャスターがフライパンの油の中にコロッケを沈めていく。以前に一度、本を見ながら自作したらしいのだが、その時は形はぐちゃぐちゃに崩れたうえ油まみれの一作で、お世辞にも美味しくはなかったそうだ。ただキャスターは料理が下手なのではなく、そういう経験に乏しいだけなので、こうして丁寧に教えてやればそれなりの物を作れるようにはなる。

 それに、覚えはすこぶる早かった。頭が良いのは当然だけど、誰かさんへの愛情がそうさせるのだろう。 

 

「菜箸の腹でコロッケを転がすように……そうそう。そうすれば満遍なく火が通るし、揚げた時の色合いが良くなるだ」

「……こ……こう? これ結構集中力がいるわね……」

「あぁ! そんなに顔を近付けると――」

「――きゃあっ!」

 

 油が跳ねて危ない、と言おうとしたが少し遅かった。

 キャスターはぎゅっと目を瞑って、油が跳ねた辺りを仕切りに撫でている。しかし幸い大事には至らなかったようで、彼女は魔術らしき呪を唱えると、すぐにコロッケを転がす作業に戻っていった。

 じゅう~じゅう~。コロコロ。

 じゅう~じゅう~。コロコロ。

 かくして、キャスター作“カニクリームコロッケ”は完成したのであった。

 

「はい、坊や」 

 

 お皿にコロッケを盛り付けて、キャスターが俺に差し出してくれた。

 飾り気はないけど、形良し。色合い良し。綺麗な俵型で表面は輝く狐色だ。だが料理にとって一番大事なのは味である。

 俺は慎重に箸をコロッケに沈め二つに割った。瞬間、とろ~りとしたクリームが溢れ出してくる。

 うん。香りも悪くない。

 俺は割ったコロッケを箸に取ると、そっと口へと運んでいった。

 

「はふっ、はふっ……!」

 

 クリームの熱さに悶える俺をキャスターがじーっと見つめている。

 

「……んぐ」 

 

 衣の触感は良い感じだし、中身の味付けにも品がある。課題だった油臭さも感じない。

 俺は十分に口の中で味を堪能してからコロッケを飲み込んだ。それから試食中一時も視線を外さなかった“生徒”に向き直る。

 

「うん、旨い。お世辞じゃなくて良く出来ているよ」

「――そ。なら、良かったわ」

 

 キャスターが僅かに目線を逸らす。

 言葉は簡素だったけど表情は明らかに安堵しているように見えた。それから一呼吸措いたキャスターは、逸らしていた視線を動かしてチラチラと俺の顔を盗み見ている。

 挙動不審……ではなく、あれは俺の点数を待っているのだろう。

 俺は勉強会で出来上がった料理に、先生よろしく点数を付けているのだ。合格は80点で、90点以上だとセイバーも大満足の一品というお墨付きを得る事が出来る。 

 今までの最高得点はすき焼きの時に叩きだした87点だったが……

 

「今回の点数だけど95点にしておこうか」

「きゅ、95点?」 

「うん。実際に俺や桜が作るものと大差ないしな。頑張ったよ、キャスター」

「……と、当然よ。愛情込めてるもの。あ……か、勘違いはしないようにね坊や。愛情込めてるのは宗一郎様によっ!?」

「もちろん分かってるさ。ほらキャスターも食べてみろよ」

 

 すっとお皿をキャスターに差し出したのだが……そこで、とんでもない光景を目にしてしまった

 

「……キ、キャスターッ! ひ、ひ、ひぃ――」

「ひ?」

「油の火だよっ! 止めてなかったのか!?」

 

 キャスターが俺の見つめている先、台所を振り返る。

 そして――

 

「きゃあ! 大変っ! 宗一郎様に叱られてしまうわ!」

 

 大きな火を上げているフライパンを見つめ、キャスターがオロオロと辺りに視線を飛ばしている。けど心配するところが違うだろ。今は一刻も早く火を消さないと柳洞寺が燃えてしまうっ!

 そうなったら……さすがに一成に申し訳なさすぎる。

 

「キャスター! 何か消火器みたいな物はないのか?」

「そんな便利な物がこのお寺にある訳ないでしょう?」

「じゃあ他に何か……そうだ! お前の魔術で何かないのか、こうぱっと火を消せるようなのっ!?」

 

 何せ神代の魔女である。 

 便利な魔術の一つや二つ持っていそうだ。

 

「え? そうね……氷の魔術――絶対零度で凍らせるとか?」

「駄目だっ!」

「じゃあ火元をもろとも吹き飛ばす?」

「もちろん、駄目だっ!」     

「う~ん。では空間を凍結する?」 

「根本が解決しないだろっ!?」 

「もう。ならどうしろって言うの坊や?」

「そんなの俺が聞きた――ああっ! 火が、火がああああ――!!」

 

 結局、騒ぎを聞き付けてやってきた零観さんが大事に至る前に火を消してくれた。

 ちゃんと消火器で。

 おいキャスター。消火器、ちゃんと備え付けてあるじゃないか……。

 

 

 赤く染まった太陽も地平線に落ちて、夜の帳が柳洞寺を包み込んでいた。

 既に衛宮士郎は家路に付いていてここには居ない。

 その柳洞寺の一室にキャスターと、彼女のマスターたる葛木宗一郎の姿があった。二人はテーブルを囲み、キャスターが作ったコロッケを主菜に夕食を取っている。

 特に交わす言葉はない。いつもと同じように淡々と食事は進んでいく。元来、葛木は言葉少ない方であり、食事時には更に無口になる。キャスターもそれは承知しているが、少し寂しくはなるものだ。

 特にこんな日は。

 彼女は会心の出来であるコロッケを口に含み、愛する人を瞼に収める。

 衛宮士郎の言った通り、カニクリームコロッケは本当に美味しかった。だけど、少しだけしょっぱく感じたのは、塩を入れすぎたせいなのだろうか。

 やがて食事は終わり葛木が席を立つ。

 今日は一時帰宅なので、これから学園に戻らなくてはいけないのだ。

 

「……宗一郎様。外は寒いですから、あったかくしてお出かけくださいね」

「ああ。風邪を引いては職務に支障が出るからな。気をつけよう」

「そうですわね」

 

 葛木が彼女に背中を向ける。それを受けて、キャスターが彼の背中にそっとコートを羽織ってあげた。

 葛木はコートに袖を通してから――少し首を巡らせて、後ろに立つキャスターを振り返る。

 

「キャスター。今夜のコロッケは美味しかった。良かったらまた作ってくれ」

 

 確かに“美味しかった”と彼が言った。

 その言葉はスロー再生のように、幾度も、幾度も、キャスターの脳内に木霊していて。

 

「――は、はい! 何度でも、お作りします。宗一郎様が望むなら、何度だって」

 

 彼が伝えた言葉は一言だけだ。

 それでもキャスターにとっては十分だったのだろう。

 求めたもの、心が満たされるのだ。

 彼女は自らの旦那を送り出してから、幸せを噛み締めるようにゆっくりと瞳を閉じた。

 

 葛木が柳洞寺を出て三十分が過ぎた頃、キャスターは山門に姿を見せていた。彼女は右手にお銚子とお猪口を持ち、左手にラップを捲いたお皿を抱えている。

 

「――アサシン、居るんでしょう?」

 

 吐く息は白く、今夜の寒さが伺える。

 果たして、彼女の声に応えるように和装姿の男が現れた。

 着流し姿の青年。暗殺者のサーヴァント・アサシンである。 

 

「何か用かなキャスター? 今宵は冷える。あまり実体化したくないのだが」

「ん、これ」

 

 ずいっと、キャスターがアサシンにお銚子を差し出した。

 

「ほう。熱燗か。もしや差し入れという奴か?」

「何よ、悪いかしら?」

「いやいや悪くない。それどころか粋な計らいだ。ならば今夜は月見酒と洒落込むとしようか」

 

 二人並んで石段に腰を下ろす。

 お銚子は一本。お猪口は二つ。

 

「本当なら絶対にしないけれど――今宵は特別。御酌をしてあげるわアサシン」

「ほう。何やら良い事でもあったか? いや、詮索はすまい。それよりも、そちらの手にあるのは酒の当てかな? 良い香りがしているのが気になるのだが」

「ふん。カニクリームコロッケよ。アサシン、食べた事ないでしょう」

 

 キャスターがラップを取り外す。

 そこにはコロッケが三つ、湯気を立てて並んでいた。

 

「ふむ。確かに初めて見るな。この色合いは稲荷寿司を思わせるが……どれ、早速頂くとしよう」 

「待った。その前に乾杯よ」  

 

 お猪口同士が軽く触れ合った。

 お銚子一本だけの宴。

 蒼い月を空に迎えて、アサシンとキャスターは短い宴を楽しんだ。

         

 

  



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第十三話

「きゃあああぁぁぁぁぁっ!」

 

 衛宮の家に、絹を裂くようなセイバーの悲鳴が響き渡った。

 ――そして十分後。

 居間の中に六名の人間が集められた。

 まず一人目は悲鳴の主であるセイバー。

 彼女は何処から見つけたのか、切嗣のスーツを着用し、帽子を目深に被り、薄手のコートを小さな体躯の上から羽織っていた。どうやら彼女なりに、名探偵の姿を模しているようだ。

 スーツはセイバーの身体には大きいので、袖口と足元を折り込んである。

 

「この衛宮邸において、過去類を見ない重大事件が発生してしまいました」

「じ、事件だって?」 

「はい。私がとてもとても楽しみにしていたフルールの限定プリン“スペシャル・フルーツカスタード”が何者かによって拉致、殺害されてしまったのです」

 

 犯人許すまじと、セイバーが瞳に真っ赤な炎が宿っている。

 この事件の容疑者は全部で四名。

 赤いあくまこと、魔術師である遠坂凛。衛宮の家政婦さんこと、間桐桜。働くお姉さんこと、サーヴァント・ライダー。そして運悪く? 家に遊びにきていたイリヤスフィール・フォン・アインツベルンである。

 

「ちょっとセイバー。士郎は容疑者に入らないわけ?」

 

 遠坂がジロリと俺をねめつける。対するセイバーは、慈愛に満ちた表情を浮かべながら俺を擁護してくれた。

 

「残念ですが、凛。シロウがそのような事をするはずがない。私はシロウを信じています。――ええ。彼が私の楽しみにしていたデザートを取って食べたりする訳ないのです」

 

 うんうんと力強く頷いてくれるセイバーさん。

 ちなみに集まった六人目とはもちろんこの俺衛宮士郎だ。

 ここに至って、衛宮邸スペシャルプリン殺害事件のセイバーによる公開捜査が始まったのだった。

 

「あのさ、セイバー。外部犯って線はないかな……?」

 

 おずおずと口を挟んでみる。だがセイバーは力強く首を横に振った。

 

「あり得ません。私は大河が買ってきてくれたプリンをとても楽しみにしていました。外部からの侵入者が居たとしたら絶対に感知していたでしょう」

 

 俺の巧妙な誘導作戦は失敗。話を逸らすことは出来なかった。

 ……正直に白状しよう。

 何を隠そう、プリンを食べたのは俺なのだ。

 えっと、ほんの出来心だったんです刑事さん。なんというか、思わず食べてしまったのだ。

 冷蔵庫の中にあって燦然と輝いていたスペシャルな限定プリン。その見た目に興味に惹かれ手に取ってしまったのが失敗だった。

 黄金とも見紛うばかりの本体に、白雪の如く滑らかなクリームが合わさって……その絶妙のマッチングに俺の理性はどこかにすっ飛んでしまったのである。

 けれど、言い訳になってしまうが、セイバーのプリンだって知らなかったんだっ! 藤ねえが買ってきたのは知ってたから、てっきり藤ねえの物だと。

 セイバーのデザートだって、セイバーの楽しみにしてたプリンだって知ってたら、絶対! 何があっても食べなかったのに。

 …………………………………………この際、自首しようか。

 彼女は歴史に名を残す英雄だ。

 たかだかプリン一個でそこまで大人気なく怒りはしないだろう。限定とはいえ、潔く名乗り出て謝れば許してくれるさ。その方が被害は少ないに違いない。

 そう思った俺は、ゴクンと生唾を飲み込んでからセイバーに声をかける。

 

「セ、セイバー。実はさ――」

「私はこの卑劣な犯人を“絶対”に許しはしないっ! ええ。生まれてきたことを後悔させてあげます。フフフフフフフフフ」

「…………」 

 

 彼女の何とも言えぬ微笑みの圧力に負けて、思わず口篭もってしまった。

 どうやらこの秘密は墓の中まで持っていくしかない。それ以外に俺が生きる道は残されていないだろう。

 そう直感した。

    

「では早速であすが、事件当時の皆さんのアリバイについて訊きたいと思います」

「アリバイだって?」 

「はい。大河がケーキを買ってきてくれたのが12時過ぎ、私が3時のおやつにと冷蔵庫を開けて事件発生に気付いたのがつい先程です。よってこの3時間の間に凶行が行われたことになります。では凛。貴女はその間何をしていましたか?」

 

 セイバーがパイプを口に咥える真似をする。エアパイプだが、心はすっかり名探偵気分である。

 

「私? そうね。私は自分の部屋で宝石に魔力を込めていたわ。……残念ながら証明してくれる人はいないけど」

 

 アリバイは第三者が証言してこそ力を持つ。そのあたりを遠坂は熟知しているようだった。

 

「ふむふむ。では桜はどうですか?」

「わ、私は……1時頃から買い物に出ていましたので……。戻ったのは2時半くらいだったと思います」

 

 そう言いながら、桜がチラッと俺を盗み見た。

 むう? もしや何かしら感づかれたのか?

 しかしセイバーは、桜のそういった素振りは特に気にした風もなく、次の容疑者であるライダーへと視線を向けていた。

 

「ではライダーはどうです? 確かなアリバイはありますか?」

「私は朝からずっと部屋で読書をしていましたね。甘いものにもそれほど興味もありませんし、正直、容疑者から外して欲しいくらいです」

 

 つんっとそっぽを向くライダー。

 

「まあ確かに、ライダーがつまみ食いする映像というのは想像出来ないな」

 

 そんな風にライダーに向けて助け船を出した俺だったが、セイバーにバサリと切り捨てられてしまった。

 

「シロウ。そういう先入観は思考を惑わします。ここは冷静に状況を分析しましょう」

 

 と最後の容疑者であるイリヤに目を向けた。

 

「わたしは居間でずっとゴロゴロしていたわ。TVを見たり新聞を読んだり」

「ずっと居間にいたのですか、イリヤスフィール?」

「おトイレくらいには立ったけど、概ね居間にいたと思うわ」

 

 全員の証言を受けてセイバーが柳眉を寄せている。

 こうして証言を訊けば誰にも確定のアリバイがないことに気付く。故に誰でも犯行が可能だったように見えるし、誰にも無理だったようにも取れる。

 ここは是非にでも名探偵には事件の迷宮入りを宣言して欲しいところだ。

 

「……何ということでしょう。これは全員に犯行の機会があったように思えます。そのあたりシロウはどう考えますか?」

「お、俺!?」

 

 セイバーが俺に話を振ってきた。

 さてここはどう返答したものか……。下手に喋りすぎてボロが出たら目も当てられない。慎重にいきたいところだが。

 

「そうだな。セイバーの勘違いとかないか? 実は藤ねえが買ってきてなかったとか、別の物を買っていたとかさ」

「あり得ません。この目でしかと確認しました」

「そ、そうか……。じゃあやっぱり外部からの犯行なんじゃないか。だって衛宮の家につまみ食いするような奴なんていないだろ?」

 

 全員が一斉にセイバーを見た。

 セイバーは目をぱちくりさせてからコホンと咳払いを一つ、伏目がちにパイプを咥える真似をしている。

 

「と、とにかく! 現状では誰にも犯行の機会があったということです。誰か何か手がかりや心当たりはありませんか?」

 

 みんながそれぞれ顔を見合わせている。

 俺としてはいかなる物証も証言も出てきて欲しくない。俺に関してじゃなくてもどこから犯行に繋がるか知れたものではない。

 それから数分間、嫌な沈黙が居間を支配した。時計の奏でるカチコチという音だけがその場に響いている。

 

「何もなし……ですか」

 

 気落ちしたようにセイバーが肩を落とす。

 どうやら事件は迷宮入りしたようだ。セイバーには悪いが、後日にでもフルールでケーキを買ってきてあげよう。それで手を打ってもらうということで……ごめんな、セイバー。

 

「じゃあ特に進展する気配もないし、こんなことで時間を取りすぎるのもアレだ。今日はもうお開きにしようか」

 

 パンパンと手を叩いて音頭を取る。

 みんなを茶番に付き合わせてしまったことに多少の罪悪感を感じるが仕方がない。せめてもの罪滅ぼしと、今日の夕食は気合を入れて作ろう。

 だが俺の思惑は外れ、話はここでは終わらなかったのだ。

 

「待ってください! 実は……私、見たんです」

 

 ……桜さん、貴女は何を見たのでしょう?

 

「私、買い物から戻って部屋に戻る途中に――先輩が、こう指を口に当てて舐めるみたいな仕草をしていたのを見ちゃったんですっ!」

「なん――だって?」

 

 まさか、見られていた!?

 確かに指についたクリームを舐め取った記憶はあるが……そうだとしたら、衛宮士郎、一生の不覚。

 

「へえ~士郎。まるで生クリームを舐めたような仕草じゃない。どうしてそんなことしたのかしら?」

 

 遠坂がニッコリと微笑んでいる。

 いやいや、ちょっと待て。

 何だか風向きがおかしくなってきてないか?

 

「――士郎。そういえばまだ貴方のアリバイを訊いていませんでしたね。犯行があった時間帯、貴方は何処にいたのですか?」

 

 ライダーがずいずいっと詰め寄ってくる。

 

「お、俺? 俺は……そう、道場で稽古していたんだ」

「一人で稽古してたの、お兄ちゃん?」

「た、たまには、そんな気分になることもあるさ……」

「士郎。私の部屋から道場が見えるの知ってるわよね? おかしいなぁ。士郎の姿なんか見なかったけど?」

「遠坂……」

「勘違いなんかじゃないわよ。確かに見なかったわ」

「……」

 

 事もあろうに赤いあくまがきっぱりと俺の言葉を否定してくれやがった。

 それを受けて、みんなの冷たい視線が段々と俺に集まってくる。

 

「シ、シロウ……? まさか貴方が……プリンを……?」

「ち、違うぞセイバー。勘違いだった。土蔵だよ、土蔵。うん。土蔵で魔術の鍛錬をしていたんだっ!」

 

 ここは如何に妖しかろうと言い逃れるしか術はない。

 だがまたしても俺に不利な証言が飛びでてしまうのである。

 

「思い出した! お兄ちゃんが居間から出ていくの、わたし見たよ。おトイレから戻った時に見た。遠目だったからお兄ちゃんは気付かなかったみたいだけど」

 

 んーと口元に指を当てて微笑むイリヤ。

 

「み……水くらい飲みにくるさ」

 

 痛い、痛いよ。

 みんなの視線が肌にチクチク突き刺さってくる。

 

「先輩“嘘”はいけませんよ?」

「う、う、嘘なんて吐かないさ。ほ、本当だぞ!」

 

 とてつもなくヤバイ雰囲気。その気配に押され思わず後退さった。

 だが、思わぬところから助け舟が飛んでくる。

 名探偵セイバーだった。

 

「…………そうですね。シロウがそんなことをするはずがありません。私はシロウの言葉を信じます」

 

 彼女が真摯で真っ直ぐな視線を俺に向けてくれる。だけど今はその信頼が胸に痛い。だが当事者であるセイバーの言葉によって、場の雰囲気が幾分緩和した。

 このまま誰も異論がないのなら、うやむやになってしまいそうな雰囲気。

 しかし冬の娘が一言付け加えて――

 

「覗いちゃおっか」

 

 はい? イリヤは何て言ったんだ?

 

「そうね。私も士郎が一番怪しいと思う」

「嘘は駄目ですよ、先輩」

 

 姉妹が仲良く、まるであくまの様にじりじり俺を部屋の隅まで追いつめていく。

 右に逃げたら遠坂が。左に逃げたら桜さんが。それぞれ阿吽の呼吸で通せんぼしてくれているわけだ。

 目配せひとつでこの呼吸の合いよう。間違いなくこの二人は血を分けた実の姉妹だよ……。

 

「ま、待て。ここは法治国家の日本だ。心を覗くとかそんな非人道的なことが許されるはずがない」

「残念ですが士郎。私達はサーヴァントと魔術師です。衛宮の敷地内に法律は適応されません」

 

 待てライダー。そんなのは初耳だ。

 

「皆、待ってください。シロウはそんなことをしていないと言っているではないですか。ここは穏便に――」

「セイバー、アナタ、犯人を知りたくないの?」

 

 遠坂の言葉に、ピタリとセイバーが動きを止めた。

 

「士郎が犯人ではないのならすぐに身の潔白が証明されます。貴女もそれで満足するはずですが?」

 

 ライダーの言葉を聞いたセイバーが、僅かに逡巡し始めた。

 俺からみんなへと視線を移しては眉根を寄せる彼女。だが今のセイバーは曲がりなりにも名探偵であり、事件を見過ごすことは出来なかったようだ。

 

「……仕方ありません。シロウ。ここは大人しくイリヤスフィールの術を受けて、私の為にも身の潔白を証明してください」

 

 瞬間、体内にある魔術回路をフル稼働させ、逃げ道を探る。 

 出入り口は……固められている。台所に逃げても袋のネズミ。

 だ、誰でもいい。助けてくれる人はいないかっ?!

 そう思ったものの、視界の中に味方は誰一人いない。

 

「ふっふっふ。お兄ちゃん。ぜんぜん痛くないからねぇ」

 

 イリヤの赤い瞳が俺を覗きこむ。

 これは、いつぞやの時に俺を拘束した術かっ!?

 もう一刻の猶予もない。そう判断した俺は、脱兎の如く逃げ出そうとして……一歩も身体が動かないことに驚愕する。

 

「……イリヤ……!?」 

「すぐに終わるからね、お兄ちゃん?」

 

 イリヤの甘い声が脳内に木霊して、それに呼応するようにだんだんと意識が遠のいていく。

 景色が歪んでいって……身体の感覚すら感じなくなって…き…た……ような。

 そんな俺が最後に見たのは、心配そうに覗きこむセイバーの姿だった。

 

 ――――――――――――――――――――――――――――はっ!

 

 唐突に意識が覚醒する。

 俺の目の前には、仁王様のように腕組みをしている女性が五人いました。

 

「シロウッッッー――――――――ッッッ!!」

 

 耳を劈くセイバーの怒声。

 もう説明は不要だろう。セイバーさんは烈火の如くお怒りでいらっしゃいました。

 どうやら全部バレてしまったらしい。

 ふふふ、俺の命……風前の灯火。

 

「…………」 

 

 しかしすぐに鉄拳制裁が来るものと覚悟していたが、いつまで経っても何も起こる気配がない。

 どうやら遠坂がセイバーを押し止めていたらしい。

 

「待ってセイバー。そう頭から怒鳴っちゃ駄目よ」

「そうですよセイバーさん。ここは先輩にも罪を償うチャンスを差し上げましょう」

「どういことです、凛、桜?」

 

 セイバーを中心にして女性陣が円陣を組んだ。

 何だこれは? 少し風向きがおかしいような。

 俺は当然セイバーに苛烈なお仕置きを受けると思ったのだが……。

 ほどなく、円陣が解かれる。

 何故だろう? みんな天使と見紛うばかりの極上スマイルを浮かべていた。

 

「ねえ、士郎」

「――っ!?」 

 

 一つの事実を確認した。笑顔って、時として見る者に恐怖を与えるものなんですね。

 ドクドクと心臓が早鐘のように脈打っているのがわかる。後退さろうとしたけど後ろは壁だった。

 

「シロウ。誰にも間違いはあります。私達も鬼ではありません。シロウには罪を償うチャンスを与えようと思います」

「チ、チャンス?」

 

 はいとセイバーが頷く。

 

「わ、分かった。俺に出来ることなら何でもするぞ。俺だって悪かったって思ってるんだ」

「良い心がけです。ではシロウ。こちらへ」

 

 セイバーから提示された条件、それは――

 

「どうぞ、お召し上がりくださいませ」

 

 給仕の格好をして、恭しくセイバーの前に皿を置く。

 

「士郎、飲み物がないわよ~」

「はい、只今お持ちします」

 

 ダッシュで台所へ行き、遠坂所望のドリンクを持ってくる。

 

「さすが先輩ですね、とっても美味しいです」

 

 桜は満面の笑みで俺の作った料理を食べている。

 

「ふふふ、お兄ちゃん。良い社会勉強になったね。嘘つきは閻魔様に舌を抜かれちゃうんだから」

 

 イリヤが行儀良くスープを口に運んでいる。

 

「……士郎。僅かばかりですが同情します」

 

 ライダーだけが俺を慰めてくれた。

 彼女達が出した条件はこうだった。

 ――プリン盗み食いの罪と等価交換として、衛宮士郎には三日三晩満漢全席を作り続けることを命ずる。

 

「シロウ。この満漢全席というのは、とても美味しいですよ!」

 

 セイバーが笑顔で食べてくれるのは嬉しい。だけど、果たして、俺は生きて四日目を迎えることが出来るだろうか?

 結果として俺は生き残ることが出来たが、引き換えとしてあらゆるものを磨耗しつづけたわけで……。

 教訓、嘘はいけない……ガクッ。

 

    

 

 



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第十四話

 ――高級和牛。

 それはキメがこまやかでありながら脂肪の質が高く、一口食べれば口の中で溶ろけるような深い味わいを醸しだす。肉肌には綺麗なマーブル状の脂肪が走り、まさに最高の霜降り牛肉と言って良い至高の一品。

 仮に牛肉界が存在するのなら、そこに君臨する珠玉。

 それが高級和牛である。 

 

「セイバー、準備はいいか?」

「万事抜かりはありませんシロウ!」

 

 セイバーがコクンと頷くのを確認してから、桐の箱に包まれている中身を拝顔するべく、慎重に蓋を開いた。

 

「これが高級和牛なのですね……」

 

 セイバーが箱の中に視線を落としながら、感嘆の声を上げている。彼女の目線の先には、綺麗なピンク色の柔肌に、これまた綺麗にサシの入った和牛がずっしりとその身を詰まらせていた。

 

「ああ。世に言うブランド牛肉。その中でも特上品だ」

 

 送ってみるものである。

 雑誌に付いていた懸賞ハガキに願いを託したのは二ヶ月前。一度は食べてみたいものの、今の衛宮家の懐事情では叶うべくもない望み。

 それでもとハガキを書くときに拝み倒し、ポストの前で頭を垂れ、更にはキャスターに祈祷してもらい、最後にセイバーの手によって投函してもらったものだ。

 果たして、女神は舞い降りた。

 存在すら忘れた頃に届いたのが、この輝くような至高の一品なのである。 

 

「セイバー。みんなには悪いが、鮮度が命。少し頂いてしまおう」

「そ、そうですね。少しなら……いいですよね」

 

 鮮度が命、鮮度が命と、セイバーが呟いている。そんな彼女を見つめながら、さてどうやって食べようかと思案し始めた時、突然バンッ! と音を立ててふすまが開いた。

 

「話は聞かせてもらったわよ、士郎!」

 

 現れたのは黒髪ツインテールに赤い服。ニコっと満面の笑みを浮かべたあかいあくまだった。 

 

「と、遠坂っ!? ……どうしてここにっ!?」    

 

 ズカズカと遠慮なしに居間に入って来る遠坂凛。

 その視線はテーブルに置かれた桐の箱に注がれている。

 

「ほう。これは本当に良い肉だな。しかも見るに極上品か」

 

 そして当然のようにして、赤いアイツも遠坂にくっ付いて来ていた。

 

「アーチャーっ! 貴方までどうしてっ!?」

「何だセイバー? 私達に来られて都合の悪いことでもあるのか?」

 

 ニヒルな笑みを浮かべてセイバーを見据えているアーチャー。対するセイバーは、ぐっと唇を噛んで何かに耐えている。

 ――今、衛宮家の居間にて、高級和牛を巡る嵐が吹き荒れようとしていた。

 

「士郎。それって牛肉よね? それもブランド品じゃない?」

「……」

 

 一見して正体を見抜くとは、遠坂凛恐るべし。

 

「まさかとは思うけど、二人きりで食べるなんて……言わないわよねえ?」 

 

 遠坂の目が、返答次第によっては争いも辞さないと雄弁に語っていた。隣に佇むアーチャーも同様である。 

 そして捲き起こった一瞬の静寂。居間の中で俺と遠坂の視線が複雑に絡み合っていた。

 …………オーケー、遠坂。

 ここで争うのはお互いの為にならない。

 

「わかった。四人で頂こう。それで文句ないだろ、遠坂?」

「ふふん。観念したようね士郎。ええ、もちろんそれでいいわ」

 

 幸い中身はずっしりと詰まっている。少しくらい食い扶持が増えても問題は……。

 

「先輩――ッ!」

 

 続いて居間に響いたのは間桐桜の声。

 

「士郎。獲物の独り占めは感心しませんよ?」

「さ、桜っ!? それに……ライダーまでッ!?」 

 

 桜がライダーを連れて、廊下から勢いよく飛び込んで来た。

 

「サクラ。急いで戻って来て正解でしたね」  

 

 ライダーが眼鏡越しに俺たちを見据えながら、桜を桐の箱のほうへと誘っている。

 そうだった。この牛肉を受け取ったのはライダーだったのだ。箱を受け取って直ぐに姿を消したので安心していたが、まさか桜を呼びに行っていたとは……。

 

「先輩。とても美味しそうな牛肉ですよね」

 

 桜の目が輝いている。

 

「……」 

  

 ここは一度落ち付いて状況を整理してみよう。

 現状衛宮家の居間に集まっているのは衛宮士郎。遠坂凛。間桐桜。そしてそれぞれのサーヴァントであるセイバー。アーチャー。ライダーの六名だ。

 テーブルの上には各々の目当てである高級和牛が鎮座なされている。

 ちなみに中身はずっしりだ。

 なら丁度いいかもしれない。本当は夕食時に揃った時、みんなで食べようと思ってたんだ。今はちょっとだけセイバーと味見するつもりで決して全部食べようとか、そんなことは考えてなかったんだ。

 ……本当だぞ。

 皆で争うのは精神衛生上よろしくない。ここは大人しくみんなの軍門に下っておこう。

 

「…………まあ、みんな揃ったのなら幸いだ。仲良く食べることにしようか」

 

 そう言い放った直後、その言葉を待っていたかのようなタイミングで、更なる珍入者が二人も衛宮家の居間に現れてしまった!

 

「坊主っ! その話、俺にも一枚噛ませろっ!」

 

 一人は天上裏から忍者よろしく、颯爽と居間に飛び降りて来た。

 現れたのは長身痩躯の大男。

 男は降りてくるなり素早く肉を視界に収め、そしてそのままニヤリと笑った。

 

「――旨そうじゃねえか!」 

 

 その男とは言わずもがなランサーである。

 あともう一人は……。

 

「……フフフ。坊や。良い肉の調理方を教えて貰いに来たわ」

 

 空間を渡ったのかのように、忽然と居間に紫のローブが翻った。ローブの主はランサーの隣にそっと姿を止めると、肉のつまった桐の箱に視線を落とす。

 

「あら、本当に綺麗な朱色ね」 

 

 突然姿を現わしたのは勿論キャスターだった。

 

「おまえら……何で……」

 

 突然の事態に半ば呆然としてしまう。

 そんな俺に向かって、ランサーが豪快な笑みを浮かべながら近づいてきた。

 

「そりゃ、戦士だけが備える第六感ってヤツだ」

 

 第六感? そんなもので天上裏に潜んでいたのかこの槍兵は。だがそんなランサーを馬鹿にするように、キャスターが呆れた視線を向けてくる。 

 

「ランサー。貴方は戦士というよりも猪武者ね。第六感じゃなくて卑しい野生の感でしょう?」

 

 そう言われては、さすがにランサーも黙ってはいない。 

 

「なんだとキャスターっ。じゃあテメエは何でここに居やがるんだ?」

「決まっているじゃないの。私は水晶球で覗いていたから現状を把握していたのよ」

 

 しれっとキャスターがとんでもないことを言った。

 覗いてた? 誰が? 何処を? っていうか、アレとかソレとか見られてたっ!? 

 

「キャスターっ!? の……覗いてたって、どうしてっ!? って言うか何でっ!? いっつもそんな事してるのかお前はっっ!」

「やあね坊や。偶々よ。た・ま・た・ま。そんな人を趣味の悪い人みたいに言わないで頂戴」

 

 心外だわとキャスターがわざとらしく嘆息してみせる。いや溜息をつきたいのはこっちの方だぞ。

 丁度その時である。クイクイと袖が引っ張られる感触が俺を襲ったのは。振り向いてみれば、セイバーが俺を真摯に見上げていた。

 

「どうした、セイバー?」

「シロウ。何となくですが……このまま行動を起こさないと、どんどん人が集まってくる予感がします」

 

 セイバーの直感。それは未来予知じみて正確だ。

 これ以上の侵入者の増加は衛宮家の崩壊を意味する。なら状況が悪化する前に――金ぴかとか、性悪シスターとか、虎とかその弟子とかが現れる前に元凶を断つコトにしよう。

 

「……仕方ない」

 

 俺はそっと箱を持ち上げた。

 

「合計八人か。これだけの人数で食べるなら、鍋か……鉄板焼きにでもするか?」 

「お! 鍋か! いいね! 坊主にしちゃ良いアイデアだ」

 

 俺の言葉を聞いたランサーが大きく頷いている。そして満面の笑みを浮かべながらバンバンと俺の肩を叩いてきた。 

 

「そうね。士郎にしたら楽しそうな催しものじゃない」

 

 遠坂も乗り気になっている。だけどキャスターだけは不満げに唇を尖らせていた。

 

「鍋? 折角の上物なのに煮るだけなの? そんなものよりもっと凝ったものにしなさいな、坊や」  

 

 そんなキャスターに向かって“何も知らないのだな”とアーチャーが詰めよって行く。 

 

「やはり魔女だな。鍋の奥深さを知らないとは。浅慮というよりも愚かしい。やれやれ困ったものだ」

「……何よアーチャー? 鍋の奥深さですって?」

 

 魔女の凍るような視線を受けて、弓兵は不敵に笑う。

 

「ああ、そうだ。鍋とはなキャスター。もはや日本においては一つの文化なのだ。単なる料理という枠を超えて様々なライフスタイルを形成する一因であり、食べ方一つ、作り方一つとっても色々な手法があり凝り方がある。――煮るだけだと? 馬鹿を言うな。お前は“鍋物”の真髄を欠片も理解していない」

「……言ってくれるじゃないの」 

 

 二人の間で見えない火花が散っている。 

 

「――そう。そんなに言うのならその奥深さとやらを見せて貰いましょうか、アーチャー。まさかここまで私を愚弄しておいて“出来ない”なんて言わないでしょうね?」

「無論構わない。だが実際に作るのはあの小僧だ。それでも鍋物の神秘、その一端は感じることが出来るだろう」 

 

 会話を交わした後、アーチャーとキャスターの視線が俺を捉えていた。

 ……俺が動くと、二人の視線も追ってくる。

 

「それじゃ坊やのお手並を拝見ね」  

 

 キャスターの試すような声。

 俺は何となく居たたまれなくなって、逃げるように台所へと向かった。

 

「じゃあ……用意して始めようか……。セイバーもそれでいいか?」

 

 ここで彼女の意見を聞かない訳にはいかない。

 

「問題ありません。シロウの作る物に不満などあろうはずがない」

 

 絶対の信頼をセイバーは置いてくれているようだ。

 さっきアーチャーが何か言っていたが、ぶっちゃけ煮るだけだからなぁ。まあ素材が良いので、それでもとびきり美味いはずではある。

 

「遠坂。桜。悪いけどちょっと手伝ってくれるか?」 

 

 こうして衛宮の家で季節はずれの鍋パーティーが催されることになった。

 

 

「なんだこの肉っ! メチャクチャ旨えじゃねえかっ!」

 

 テーブルの中央に大きめの鍋を配置して、合計八人で鍋を突いている。食材は冷蔵庫にかなり余っていたので、この人数にも十分耐えられるだけの量があった。

 しかし主役は何といっても高級和牛である。その肉を口一杯に頬張っていたランサーが驚嘆の声を上げていた。

 

「へえ。煮るだけといっても案外馬鹿に出来ないものね」

 

 ランサーとは対照的に、上品に肉を口元へと運ぶキャスター。食べる前こそ渋っていたが、どうやら満足してくれたようである。

 

「士郎。どんどん食材追加しちゃってっ! 追いついてないわよ」

「ああ、わかってる!」

 

 遠坂に返事を返して、肉を中心に食材を加えていく。

 

「すき焼き風お鍋ですね。お肉以外の野菜にも味が染みていて良い感じです」

 

 普段あまり食に拘らないライダーも満足そうに頷いていた。 

 周りを見渡せば輝く笑顔ばかり。みんな美味しそうに、そして楽しそうに食べている。

 それは良い。それは良いんだけど、ここで疑問が一つ。

 何故だろうか、誰も何も言わずに、それが当然であるかのように、俺が“鍋奉行”になっていた。そこはかとなく赤いあくまとか魔女とか、かすかに陰謀めいたものを感じないでもない。 

 鍋を囲む人数が多いから作業が忙しくて、まだまともに食事にあり付けていない。だけどまあ、そこはあまり気にしない方向で行こう。俺も鍋奉行って役割が嫌いって訳でもないしな。 

 そう思ってセイバーに視線を移してみる。

 彼女は取り皿にある肉を見つめて、ちょうどそれを食べるところだった。

 パクっと口に含むセイバー。瞬間彼女の目が光り輝いた。あの様子を見るにわざわざ味を尋ねるまでもないのだが、折角の高級和牛である。

 やはり彼女の感想は聞いてみたい。

 

「どうだセイバー? 美味いか?」

「シロウ! この牛肉は……何といいますか、口の中で溶けてしまいますね! まるで淡雪のような感じです!」

 

 文字通りの満面の笑み。幸せそうに食事を勧めるセイバーを見ているだけで、こっちまで嬉しくなってくる。

 

「とても……とても美味しいですシロウ。ですが同時に若干の理不尽さも感じてしまいます」

 

 セイバーが一瞬睫毛を伏せた。 

 

「理不尽……? なんでさ?」

「ただ煮るだけだというのに、こうも違うものかと……」

「……ああ、そうか」

 

 どうもセイバーは昔の食事にコンプレックスを抱いている節がある。だけど当時は香辛料も満足になかった時代だ。味を厳選するような余裕も無かっただろう。

 

「んー。このへん、いいかな」 

 

 俺は鍋の中から頃合の良い肉を見繕って、セイバーの皿に移しながら話を続けた。

 

「今は各種調味料もあればダシもタレもあるしな。単純に当時とは比べられないさ。それより無くなる前にどんどん食べてくれセイバー」

「あ……ありがとうございます、シロウ」 

 

 と笑顔に戻ったセイバーが箸を伸ばす。それを見つめながら俺も折角の高級和牛を味わいたいと、端に寄せていた肉に箸を伸ばした。

 だがその時――

 

「待て、衛宮士郎!」

 

 赤いアイツが口を挟んできた。

 

「待つんだ、衛宮士郎。その肉だが、あと二十秒は煮なければならない」

「……十分に火は通ってるぞ」

 

 鍋からは良い匂いが漂っていて食欲をこれでもかとそそられるのだ。もう二十秒なんて待って入られない。

 俺は奴を無視し、箸で肉を取ったところで――なんと、それをアーチャーが横から掻っ攫っていきやがった。

 

「ああっ! 何するんだアーチャー!?」 

 

 肉を問答無用で口に入れるアーチャー。モグモグと奴の口が動いている。

 そして飲み込んでから一言。

 

「やはり……後十六秒は火を通さなければならなかったか……」

 

 無念そうに箸を握り締めているアイツ。

 それから真面目な顔になるや、アーチャーは俺を見据えてきた。 

 

「――鍋を十分に管理出来ないなど、鍋奉行として失格だぞ」

「そんなに言うんなら、オマエが煮ろっ!!」

 

 俺の叫びなんて何処吹く風と、アーチャーがやれやれと肩を竦めている。

 

「良いか、衛宮士郎。鍋奉行なんてものは、煮てしまった物を皆に都合よく振り与えるだけの存在だ。その方法では美味しいもの、食べたい物を食すことは出来ないし、元よりそれが鍋奉行の限界なのだ」

「何を……言ってるんだアーチャー?」

「場を仕切る事で食すことが出来るのは、余った物だけと知れ。お前は――お前が食したいと思うものをこそ絶対に食べれない」

 

 アーチャーの言うことは真実だ。

 現に俺は、未だ牛肉を食していない。

 

「っていうかアーチャー。お前、鍋奉行になりたくないだけだな?」

「フッ。真実を言い当てるとは、少しは成長しているということか」

 

 嫌味な笑みを浮かべたアーチャーは、そそくさと鍋の中の食材を取り皿に移していく。

 その流れを傍から眺めていた桜が

 

「そ、そうだ先輩。鍋の最後は雑炊にします? それともおうどんにしましょうか……?」

 

 と話を逸らしてくれた。

 

「雑炊、いいですね。ダシがご飯に染みて良い味になりますし」

 

 ネギを口に放り込みながらライダーも頷いている。

 だがキャスターが、これまたネギを食しながら異論を唱えた。

 

「私はうどんの方に興味があるわ。宗一郎様がお好きなので」

「異論があるというのですか、キャスター?」

「あらライダー。私は自分の意見を述べただけよ?」

「……」 

 

 ライダーとキャスターの視線が空中でぶつかり合っている。

 この二人は何かと相性が悪いからなぁ……。しかし傍観していては衛宮の家が破壊され兼ねないので、何とか二人の間に割って入った。

 

「待ってくれ。実はご飯は炊いてないんだ。うどんも……冷蔵庫になかったと思う」

「――ッ!!」

  

 何故だろうか。静寂が居間の中に降りてきた。

 

「何だって!? ご飯もうどんもないだと坊主っ!!」

 

 静寂を真っ先に破ったはランサーの絶叫。

 

「衛宮士郎。その所業、鍋奉行失格どころではないぞ」

「鍋の締めは重要だろうが、坊主」

「……それはそうだけどさ、予定になかった食事会だし……」

 

 何でみんなそんなに驚いてるんだみんな? そんなに重大なことだったのか?

 アーチャーなんて大変気色ばんでいるし……。

 続いて女性陣からは盛大な溜息を吐かれてしまった。

 

「どうしたんだ、みんな……?」

 

 グツグツと鍋の煮える音だけが響く。

 そこで遠坂が 

 

「ねえ士郎。うどんくらいなら買ってこれるんじゃない?」

 

 遠坂の目がちょっと怖かった。 

 

「……まあ、商店街まで行けば売ってると思うけどさ」

「鍋奉行として、この失態の責任は取らなくちゃね?」

 

 失態? これって失態なのか?

 

「でもさ、遠坂――」

「はい、先輩。これ自転車の鍵です」

 

 桜が笑顔で自転車一号の鍵を差し出している。その表情を見ていたら鍵を受け取らざるを得なかった。

 

「…………ありがとう、桜……」

 

 俺に突き刺さる七人の視線。 

 結局俺は、うどんを求めてマウント深山商店街まで自転車で走る事となった。

 

 

「何だよ。俺ほとんど食ってないのに……」 

 

 愚痴を零しつつも、一路坂道を下って商店街を目指す。

 風を切りながら自転車で爆走し、スーパーでうどんを10玉購入。

 ――急げ、急げ。

 空腹も手伝って、残されていた残り少ない体力が更に消耗されていく。だけどあまり時間をかける訳にもいかない。

 待たせると後が怖いし、なにより肉が消費される前に戻らなければっ!

 結局、往復にかかった時間は二十分弱。

 必死に自転車を漕いでうどんを買って戻って来てみれば――

 

「…………嘘だろ?」

 

 あまりの衝撃に、ドサっとうどんを入れた袋を落としてしまう。

 俺を出迎えたのはカラッポの鍋。

 残っていたのはダシの十分出た汁のみという世にも恐ろしげな光景だった。

 

「お帰り、坊や。待っていたわ。早速うどんすきにしましょう」

 

 キャスターが俺の落としたビニール袋を拾っている。

 

「ま、待ってくれ! 肉は? 高級和牛は!?」

「遅かったな、衛宮士郎。時既に遅しだ」

 

 アーチャーがふっと目を伏せた。

 

「何……言ってるんだ? あれだけ、いっぱい、あったんだぞ?」 

 

 そんな馬鹿なことがあるはずがないと、奪うようにお玉で鍋を掬う。

 一切れでもいいんだ。残っててくれ。だがその願いは天には通じなかったようだ。俺は鍋底から肉の一切れどころか、野菜のカケラすら発見することは出来なかったのである。

 

「ちくしょう……腹……減った……」 

 

 ガックリと肩が落ちる。

 精根尽き果てて、立ち上がる気力さえ無くなった。だけどそんな俺の目の前に、スッと一つの取り皿が差し出されてきた。

 

「シロウ、よろしければこれを」

 

 セイバーが差し出しているそれには、残されていた鍋の中身が詰まっていた。まだ暖かくて、とても美味しそうである。

 

「……え? それ……いいのか、セイバー?」

「はい。シロウの分にと残しておきました」

 

 ああ、セイバーの笑顔がとっても眩しい。

 

「……ありがとう、セイバー」 

 

 俺は有り難くセイバーから取り皿を受け取った。

 肉はたった三切れ。それでも十分だった。

 俺は残った最後の肉――高級和牛を貪るために箸に取った。 

 

「いただきます」 

 

 そうして今日始めての肉を食べようと箸を近づけた時……。

 

「なん――だって!?」

 

 箸から腕に伝わる僅かな衝撃。

 突如現れた謎の影が、どーんと横からその肉を口に咥えて掻っ攫っていったのだ!!

 飛ぶように現れた乱入者の口がモグモグと動いている……。

 そしてゆっくり噛んで、味わってから飲み込んでしまった……。

 

「へえ、結構良い肉を使ってるんだね」

 

 乱入者は銀の髪を靡かせて、勢いよく俺に抱き付いて来る。

 

「…………イ、イリヤ? どうして、ここに?」

 

 左手には野菜だけが残った取り皿。右手には何も掴んでいない箸。そして胸元には飛び込んで来た子悪魔。

 

「商店街でシロウを見かけたから追いかけて来たのっ! ん? どうしたのシロウ? なんだかひどく疲れてるみたい」

 

 抱きついたまま、見上げるようにして赤い瞳を向けてくるイリヤスフィール。

 無邪気だ。とっても無邪気だった。

 

「……はは、……はは、は」 

 

 何故だろう。急速に意識が遠くなり、そのまま背中から倒れてしまう。

 

「シロウっ!」「士郎っ!」「坊主!」「坊や!」「先輩!」

 

 色々な声が耳に届くが、幻聴のように遠くから聞こえるのみである。

 脳が拒否しているんだな、きっと。

 それにしても……お腹空いたなぁ……。

 結局、俺は一切れも高級和牛を食すことなく鍋パーティーはお開きとなった。

 教訓。食える時には食っとけ。

 これは余談ではあるが、最後のうどんすきはセイバーも満足の一品で大変美味しかったと付け加えておこう。

 ガクッ。

    

 

  



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第十五話

 ――来たッ!

 親指に残る確かな感覚。俺は引いた牌を見つめながら、心の中でガッツポーズをする。

 これでテンパイ。俺は対面に座っているセイバーに視線を向けながら、フフフと不敵に笑い上げた。 

 

「……な、何ですかシロウ。その意味ありげな微笑みは……?」 

「ふっふっふ。喰らえセイバー! 追っかけリーチだ!」

「何とっ! 私と勝負すると言うのですかっ!? 良いでしょう。どちらの引きが強いか見せて……」

「待って、セイバー。士郎の捨て牌、それロンよ」

「な、なにィー!!」

 

 無常にも卓上に響く遠坂の声。

 ニコリと笑って倒したアイツの役は……。

 

「はい、ピンフのみ。千点ね」

「……千点……だと」

「士郎の捨て牌ってわかり易すぎよ。それじゃ純チャン三色を狙ってますって言ってるようなものだもの。誰がリーチなんてするものですか」

「ぐぬぬ……」 

 

 俺は苦渋の表情を滲ませながらも、点棒箱から千点棒を取り出し、お代官様に年貢を収めるの如く得意満面の遠坂に手渡した。

 とりあえずこの場の状況を説明しておこう。

 俺は現在、衛宮の居間でセイバー、遠坂、ライダーと一緒に麻雀を楽しんでいる最中だ。 

 発端はテレビである。たまたま流れていた麻雀番組を見たセイバーが強く興味を持ったのだ。

 そして勝負事となればセイバーは張り切る。その時ちょうど遊びに来ていた遠坂と、バイトが休みだったライダーを誘い、綿密なルール説明の上で戦闘開始となったのだ。

 始めは慣れないセイバーとライダーの為に練習で打ったりしたものの、思いのほか二人の飲み込みは早く、麻雀の面白さも手伝って今はかなり熱中している様子だ。だが藤ねえ&藤村組の面々に鍛えられた俺がおいそれと負ける訳にはいかない。ここの家長としての面子もあるしな。

 けれどこういう時に、決まって俺の前に立ちはだかるのはいつもの赤いあくまだ。

 

「さあて、次にいきましょうか」

 

 遠坂の掛け声を受けて、みんながジャラジャラと卓の上で牌を掻き回し始めた。全自動卓なんて豪華なものは衛宮の家にはないので、昔ながらのアナログなやりかたである。

 

「次は負けないからな遠坂」

「はいはい。頑張ってね、士郎」

「……」 

 

 ここで各自の位置を確認しておこう。俺の対面に座っているのはセイバーだ。彼女は必死になって裏返っていない牌を見えないように返している。

 たぶんそういう事が凄く気になるんだろう。

 

「しかしライダーからはあまり鳴けませんね。――私は運がない」

 

 卓に視線を注いだまま、ほうっとセイバーが溜息を吐く。 

 

「何を言っているのです。貴女はあからさますぎます。先程など竹マークの牌だけ集めていたでしょう? 狙われているようでしたので、捨てるのを避けたのです」

「なっ、ライダーっ! そのような意地悪をするのはやめていただきたい!」

「意地悪などと、貴方はまだこのゲームの本筋を理解していないようですね」

 

 憤慨するセイバーをライダーは澄ました表情で華麗にいなしている。ちなみにライダーはセイバーの上家、俺から見て右隣に座っていた。

 

「あのなセイバー。一応言っておくけど、相手の欲しい牌を止めるのも麻雀の作戦のうちなんだ」

「……そうなのですか? ふむ、ふむ。これは勉強不足でした。私もまだまだ甘いですね」

「俺なんて上家が遠坂だから全くといっていいほど鳴けないぞ」

 

 そして左手側に座るのが遠坂だ。ちなみに麻雀では、相手が捨てた牌を宣言した上で自分の手に加えることを“鳴く”という。ポン、カン、チーとか聞いたことがあるかもしれない。

 その中でチーという鳴きだけは、上家――俺で言えば遠坂からしか鳴けないのも麻雀のルールなのだ。

  

「遠坂。本当におまえってよく見てるよな」 

「当たり前よ。士郎ってば手を大きく作るタイプだから。まあ私にとっちゃカモみたいなものかな」

 

 言うに事欠いてカモ……だと? 

 遠坂め。現在トップだからって良い気になっているな。だが調子に乗ってられるのも今のうちだけだぜ。冬木の虎をも恐れさせた俺の実力をすぐに見せてやる。

 ――首を洗って待っていやがれ、遠坂凛!!

 

「あ、士郎。それロンね」

「すいません士郎。今捨てた牌ロンです」

「シロウ! その牌は私の当たり牌です。ロンですね!」

 

 ――なんでさ?

 

 今日は厄日だったっけ?

 打つ手打つ手が全部裏目に出てしまう。その影響か、あっと言う間に点数は底を付き、俺は思わず卓に顔を突っ伏してしまった。

 

「あらあら~? 士郎ってばもしかして飛んじゃった?」

 

 あくまの嘲笑を受けて飛び起きる。そして奴をキッと睨み据えて、残り少なくなった点棒箱を遠坂の眼前に突き付けた。

 

「良く見ろ遠坂! ほら、まだ千点だけど残ってるだろっ!」 

 

 ちなみに“飛ぶ”とは持ち点数がなくなって負けてしまう事を意味する。

 

「ぷぷ、千点ねぇ。士郎、良かったら私の点数見る?」

「……いや、遠慮しておく」

 

 ふと切った視線が、俺を見つめていたライダーと合った。 

 

「千点ですか……。出来れば私の点棒を分けて差し上げたいのですが、ルール上そのような行為は……」   

「ライダー。シロウとて勝負の厳しさは熟知しているはずです。ここは涙を飲んでオーラスへと参りましょう」

 

 コクンと頷くライダー。

 どうやらみんなラスは確定したと勝ち誇っているようだが、麻雀の勝負は最後まで判らない。何といってもオーラス(最後)の親は俺なのだ。連荘なり何なりと十分勝機は残されている。

 俺はセイバー達の談笑を聞きながら、密かに逆転の策を練っていた。

 

「さあ、泣いても笑ってもこれが最後! 張り切って行きましょう!」

 

 現在トップは遠坂凛。

 一度だけライダーに振り込んだものの、攻める時と守る時のバランスは最高だ。読みも正確で、正直一番の要注意人物だな、うん。

 

「では、私は控えめにトップを狙わせていただきます」

 

 現在二位のライダーさん。

 何と彼女は一度も振り込んでおられません。点棒を失ったのは相手のツモのみという堅実タイプ。

 このライダーも要注意だな。

 

「二人の戦術は理解しました。逆転勝利は勝負事の華だ。覚悟していただきたい」

 

 セイバーは三位だが、大きく点棒を失っているのは俺一人である為にトップ目も十分残されている。何より彼女は引きが強い。幸い大きな役には絡まなかったが、ツモ上がり回数はダントツのトップである。

 そして最後はこの俺、衛宮士郎。残り点数千点で逆転を狙う。

 引いた牌を並べ替えて……

 

「ぐはぁぁっっ!!」

「い、いきなりどうしたのよ士郎!? もしかして最悪な手だったり?」

「な、何のことだ遠坂? かなり良い手が入ってるぞ。……脚も速そうだ」

「そう? なら頑張りなさい」

 

 遠坂から視線を切って、もう一度よ~く牌を凝視する。

 一言で言うとバッラバラだ。役の欠片すら見出せない。両面待ちすらないとは……神様、俺に国士でも狙えという事ですか?

 

「……ん?」 

 

 ちょっと待て。国士だって?

 ゴシゴシと目をこすって良く配牌を見る。

 東。南。西。マンズ、ソーズ、ピンズの一、九牌が揃っている。それに発もあった。

 これって十種十牌。国士無双まであと三つじゃないか!?

 オーラスにして神が舞い降りたのか!? 

 そして一巡回って次に引いた牌は何と北!

 北が来た!

 ……思わず突込みたくなる寒い台詞もこの引きの前では霞んでしまう!

 どうやら最後の最後に俺に追い風が吹いてきたみたいだ。

 

「……いいぞ」 

 

 更に次の引きで発を引く。かぶってしまった訳だが国士には必要な牌である。そして次はイーピンと。丸い玉をイメージした牌の一に相当する牌が来た。

 一応これも置いておこう。

 

「ねえ、士郎。一応確認しておくけど、罰ゲームの話は覚えてる?」

 

 卓に不要牌を捨てながら遠坂が俺に視線を向けてきた。

 トップ争わず。

 捨て牌から遠坂の意図が読み取れる。

 

「ああ。ビリは点数に応じて勝利者の言う事を聞くこと、だろ?」

「そう。このまま終わったら……士郎大変よ?」

 

 クスクスと笑って、ご愁傷様ぁなんて付け加える赤いあくま。

 

「あのな遠坂。確かに俺は現在ビリだ。ダントツと言ってもいいね。けど勝負事は終わってみるまでわからないんだぜ?」

「ふうん。ねえ、士郎はこう言ってるけれど、セイバーとライダーは勝ったらどうするつもり?」 

「私はシロウに新都に連れていって貰おうと思っています。伸ばし伸ばしになっていた話しもありますし」

 

 うんうんと頷きながらセイバーが牌をツモる。

 伸ばし伸ばし? まさか何時ぞやの下着の話ではなかろうか? 下着を買うのに付き合って欲しい的なことを言っていたが……いや、待て待て。

 俺は怖い想像を振り払って集中力を取り戻す。

 要は勝てばいいのだ。

 

「セイバーは新都で買い物ですか。では私も士郎と新都に出かける事にしましょう」

 

 ライダーがセイバーの捨て牌をポンと鳴く。

 どうやら混一色狙いのようだ。ライダーも最後に勝負に出たらしい。

 

「以前一度出掛けましたね? あの時の士郎は私の事を可愛い可愛いと誉めてくれました。実は……とても嬉しかったのですよ?」

「なっ!?」

 

 集中力どころか、完全に思考がストップした。

 

「ライダー?」

「覚えてますよね、士郎?」 

「それは……」 

「――シロウ。今の話は本当ですか?」

「セイバー?」

「私もちょっと詳しい話を聞いてみたいわ。興味あるもの」

 

 セイバーと遠坂の冷たい視線が、ナイフのようにグサグサと突き刺さってくる。

 実は以前ひょんなことからライダーとデートみたいなことをしたことがあるんだが、その時に止むに止まれぬ事情から彼女のことを褒めちぎったことがあるだ。

 

「ま……待て! 落ち着け! あれはだな……その場の勢いというか……何と言うか」

「勢い?」

 

 消沈したようなライダーの囁き。 

 

「やはりアレは嘘だったのですね士郎。ええ。私のような大女が可愛いはずがありません……」

 

 しゅんと肩を落とすライダー。

 その姿は本当に悲しそうに見えてしまって。

 

「ば、馬鹿言うなライダー! ライダーは可愛いぞ。嘘でも偽りでもないし魅力的な女の子だって思うのは本心だ。ライダーはもっと自分に自信を持っていい」

「本当にそう思っていますか?」

「もちろんだ。ライダーは可愛いぞ」

「士郎……」 

 

 励ましの効果があったのか、ライダーは顔を上げてくれる。

 だけど……。

 

「シロウ? 今のがシロウの本心ですか? ライダーが一番可愛いと?」

 

 つり上がるセイバーさんのまなこ。

 

「へえ~。士郎ってばお姉さん趣味だったんだ。そっか、そっか、そっか――」

 

 目が据わっていく遠坂さん。

 

「ま……待て! 二人ともきっとなにか誤解しているぞ。一般的に見てライダーは美人だろ? それを伝えただけで、俺の主観じゃないというか、そうでもないと……いうか……」

 

 ごにょごにょと言葉を濁す。だって、それしか道がなかったんだ。だってどう答えても“地獄”が俺を待っている気がしたし……。

 そんな俺の態度に業を煮やしたのか、セイバーが真摯な瞳を向けてきた。

 

「ではシロウ。逆に訊きますが……私は可愛いですか?」

 

 はい? 

 

「えっと、セイバー?」

「私はシロウから見て、その、可愛い女なのでしょうか?」

 

 答えるまで逃がさないという強い意思を、セイバーの視線から強く感じた。

 

「……」

「答えて欲しい。ライダーには伝えたのに私には言えないのですか?」 

「……そんなことは……」

「なら、早く」 

「……セイバーは……可愛いさ……」

 

 い、いかん! 顔が真っ赤になっているのが自分でもはっきり分かった。

 このままでは色々とヤバイ。

 

「ふ~ん。そうなんだ。じゃあ士郎。私は? 私も可愛い? 綺麗? 士郎の好みのタイプ?」

「遠坂……お前まで」

「ねえ士郎。どうなの?」

 

 思わずゴクリと唾を飲み込んだ。 

 遠坂の問いに答えるのは簡単である。だがこれ以上この場を泥沼化するのは大変好ましくない。というか答えたら命が危ない気がするのは気のせいじゃないはずだ。

 

「だああああーっ!! もうこの話題は終わり!! さあ麻雀を再開するぞ! もうオーラスなんだ!!」

 

 無理やり会話を打ち切って俺は牌を引いた。

 

「――!」 

 

 その牌を見た時、俺の身体に電流が走った!

 ついに引いた。

 俺は中と書かれた牌を引き当てたのだ。これで“国士無双”白待ちでのテンパイである。

 

「……いいわ。釈然としないから、ゲームに勝利したら罰ゲームで聞き出してやるから」

 

 何ですと? 

 

「良いですね。私もその話に乗りましょう。士郎の答えも気になります」

 

 ライダーまで何を言ってるんだ?

 まだ悪ふざけが続いてるのか?

 

「わかりました。私も新都のお出かけは諦めてその話を受ける事にします。誰が“一番シロウにとって可愛いのか”という事実を、この場ではっきりさせておくのも悪くありません」

 

 セイバーまでも頷いている。

 三人はそれぞれの思惑を秘めながら、悪魔めいた笑みを浮かべて俺を凝視している。 

  

「……冗談じゃない」 

 

 これで俺は勝つしかなくなった。

 幸い手はある。親の役満は四万八千点だ。ツモだろうと直当たりであろうと俺がトップに立てる。

 だがここで新たなる問題が浮上した。役を進める為には、発かイーピンのどちらかを河に捨てなければならないのだ。

 

「……」 

 

 チラっと右手を見る。

 発は混一色を目指すライダーの欲しそうな牌である。限りなく当たり牌の香りがした。 

 そして視線を対面へ。

 セイバーは染め手らしい。しかもピンズ一色だ。イーピンは如何にも危険牌っぽい。

 

「…………」 

 

 こういう時の藤ねえなら「ええーい、運を天に任せてゴーよ! ゴー!」と言っていつも負けている。

 しかし今の俺に退路はないのだ。

 ならばと、瞳を閉じて牌を持つ。

 ――全てを読み切れ、衛宮士郎。

 遠坂の思惑を。セイバーの手牌を。ライダーの進み具合を。

 思考はフル回転。余計な事は一切考えない。

 撃鉄を降ろせ。

 自身の内なる全てを開放しろ。

 ――出来ないはずはない。

 ――不可能な事でもない。 

 今よりこの身は、ただそれだけに特化した魔術回路に!

 

「よしッ!」

 

 衛宮士郎、開眼す。

 俺は閉じていた瞳を開き、万感の想いを込めてイーピンを場に投げ放った。

 

「シロウ、それロンです」

「…………え?」

 

 更に悪夢は続く。

 

「すいません士郎。その牌、私も当たりです」

 

 パタンとライダーも牌を倒した。

 

「……清一色と混一色のダブルロン? 略してダブロンですかっっ!?」

 

 チラっと点棒箱を確認する。

 俺の持ち点は千点。足りるはずがない。

 舌が喉に張り付くような感覚。

 負けたという事実に緊張すら越えた戦慄が走った。

 かくなる上は“奥の手”を行使するしかないっ!

 

「――ああッ! オルタ化したアーチャーとランサーが、竜の魔女をナンパしているぞ」

『えっ!?』

 

 縁側を指差した俺に釣られて、三人が一斉に振り返った。

 ――投影、開始。

 ごめんよ、みんな。俺だってまだ死にたくないんだ。

 

「何よ、誰も居ないじゃな………………って、逃げたわね、士郎」

 

 機転を活かし、修羅場になりかけた場から逃げ出すことに成功する。だがこの状況から脱出することしか考えていなかったので、結局は衛宮の家に戻らなければいけない事を失念してしまっていた。

 夕食も作らないと駄目だし……。

 その後のことは折を見て語ろうと思う。

 今はそっとしておいてくれ……。

                           

 

 



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第十六話

 新都にある一軒の喫茶店。ただいまの時刻は朝の八時である。正直言って、衛宮家の普段の朝食としては遅い時間帯になってしまうが、俺達は今から朝食を開始しようとしていた。

 

「ふふっ。モーニングサービスですか。楽しみですね」

 

 セイバーが目を輝かせた状態で店内をぐるりと見回している。その様子は遠足前夜の子供のようにワクワクしているように見えた。ちなみに俺とセイバーの他にライダーも一緒に来ている。

 

「雰囲気も良いですし、シロウが良い店を知っていて良かったです」

「俺も来たの初めてだけどな」

「そうなのですか?」

「ちょっと評判になってたから来てみようかなって」 

 

 セイバーに倣うようにして、俺も首を巡らせてみる。

 店内はゆったりとした空間を意識して作られているようで、座席の間隔にも余裕があった。値段も新都にしては比較的良心的であり、瀟洒な雰囲気と相まって客足はかなり盛況のようである。

 店内BGMも朝の清々しさを損なわない程度に軽快で耳に心地良い。

 

「それなら尚更楽しみですね」 

 

 事の発端はまたしてもテレビである。

 全国モーニングサービスの実地調査と銘打った番組を見たセイバーは、例の如く目を輝かせ「シロウ、このモーニングサービスとは何なのでしょう?」と首を傾げたのである。

 説明するくらいなら体験してもらった方が早いだろうと、新都まで繰り出して来たという訳だ。

 ちなみに俺達は四人掛けのテーブルに付いていて、頼んだモーニングセットが来るのを待っている。席は壁際で、セイバーとライダーが隣同士で座っていて、対面側に俺がという配置になっていた。

 

「飲み物の値段だけで朝食が付くというのは、実に素晴らしい発想です。そう思いませんか、ライダー?」

「ええ。反論の余地はありません。きっと弛まぬ経営努力、その果てのサービスなのでしょう。素直に感心しますね」

 

 若干、ライダーの見識に間違いがある気はするが、細かい突っ込みはなしだ。

 俺も喫茶店にモーニングを食べに来るなんて随分久しぶりなのである。最後に来たのは切嗣と藤ねえと一緒だったから、数年ぶりかもしれない。

 

「そういえば、セイバーは紅茶を頼んだんだよな」

「はい。アッサムのミルクティを。ほのかな甘みが好みなので。そういえばライダーも紅茶を頼んでいましたね?」

「私はダージリンのアールグレイですね。香りがてとも良いのですよ」

「それも良い選択です。次の機会には私もダージリンを頼むとしましょう」

 

 セイバーとライダーが紅茶談義に花を咲かせている。

 俺は美味しい紅茶を淹れられないので、家では緑茶を飲む事が多い。同居している彼女たちもそれに付き合って飲んでいるが、本来はセイバーもライダーも紅茶党なのだろう。

 こうして二人並んで会話する光景を見れば、一見して仲の良い姉妹に見えなくも無い。けど一度それとなく話題にしたこともあるが、その時は二人から思い切り否定された。

 仲が良いのか悪いのか。本当に判断に迷うコンビである。 ちなみに俺は、パンに合わせてエスプレッソを頼んでいる。この店のコーヒーも紅茶もクラスで評判なのだ。

 

「セイバー、ライダー。この店の紅茶は美味しいらしい。何でも雑誌に紹介された事があるとか」

「本当ですか、シロウ!」

「そう聞いては、期待してしまいますね」

 

 セイバーは如実に顔色で判るが、ライダーも楽しみにしているようだ。

 こんな彼女達の表情を見ていたら、美味しい紅茶の一つも淹れたくなってくる。そのうち勉強するのも悪くないなと、そう思ってしまった。

 そうこうしている内に、モーニングセットが三つ運ばれて来た。

 

 

「あいよ、お待っとうさん!」

 

 ぞんざいな口調で、店員がそれぞれの前にセットを並べていく。

 厚切りのトーストにゆで卵。それとサラダにバナナのカット。どれも結構なボリュームだ。

 だけど、ちょっと待て。

 テーブルに並べていく太い腕に、何処か見覚えが……。

 腕を辿り厚い胸板へ。そこから上げた視線は、思わぬ人物の顔を捉える事となった。

 

「ラ、ランサー!? お前こんなところで何やってるんだ?」

「あん? 何って見てわからねえか? バイトだよ、バイト」  

 

 会話の間もランサーはテキパキと作業を進めていく。案外、こういう職業に向いているのかもしれない。

 ランサーは一通りテーブルに品物を並べ終えると、ニヤリと笑いながらセイバーを見た。 

 

「セイバーのトーストだけ二枚にしといたから、あ、礼ならいらねえぜ。サービスだ」

 

 ランサーの言う通り、美味しそうなトーストが二枚、セイバーの前に鎮座なされていた。

 ちなみにトーストは厚切りである。

 セイバーは複雑な表情を浮かべた後、ランサーを冷ややかに睨み据えて 

 

「ランサー。これは私が良く食べると、そういう事が言いたいのですか?」

「違う違う。勘違いするなセイバー。いいか? おめえみたいなチビッコはいっぱい食わねえと、いつまでたってもライダーみたいになれないぞ。女は、こうもっと、ライダーのように胸とか色々でかくだな――――」

  

 直後、店内に凄まじい衝撃音が響き渡った。

 セイバーとライダーが申し合わせたように絶妙のタイミングでトレイを手に取り、そのままランサー目掛けて投げ付けたのだ。“金属製”のトレイは、ランサーの顔面に縦からヒットしている。

 あれは、かなり痛い。

 最悪死んだかもしれない。

 

「痛えぇ! いきなり何しやがるっ!! トレイってのは人を殴る道具じゃねえぞ」

 

 何とかランサーは生きていたようだ。復活するやセイバー達に詰め寄っている。しかし彼の顔の痣を見れば良く生還したと言わざるを得ない。

 さすがは槍の英霊だと心の中で褒めておいた。 

 

「自業自得です。口は災いの元とは良く言ったものですね」

「ランサー。手加減したのはせめてもの慈悲だと思え」 

「……わあったよ。悪かった。一枚下げりゃいいんだろうが」

 

 しぶしぶながらランサーが腕を伸ばす。その腕からセイバーのトーストが逃げた。更に伸びるランサーの腕。すると更に逃げるセイバーのトースト。

 

「……折角ですから、これは頂いておきましょう」

「セイバー、おまえ――」

「も、もったいないからに決まっています。他意はありません!」

 

 ちょっと頬を赤くしたセイバーは、恥ずかしがるように目線を逸らしましたとさ。

 

「坊主、シュガーは入れすぎるんじゃねえぜ」

 

 何故だろう。ランサーは品物を並び終えても厨房へ戻ろうとはしなかった。

 

「おいおいライダー。いきなりゆで卵から食うのは頂けねえ。そいつはモーニングのマナーに反する行為だ」

 

 これに関しては断固として譲らないとの意思を、ランサーから感じ取れた。ライダーは仕方ないといった感じで、一度手に取ったゆで卵を戻してからトーストに手を伸ばし変える。

 

「そうだセイバー。トーストにシュガーをふり掛けると甘くて美味しくなるぜ」

 

 テーブルの上をシュガーポットが移動する。

 ……しかし一体何がしたいのだろうかこの槍兵は。仕事の方は放っておいて大丈夫なのか。

 同様の疑問を抱いたのだろう。ライダーがトーストを小さくかじりながら彼を詰問した。

 

「お仕事の方は良いのですかランサー? 油を売っている暇はなさそうですが」

 

 ライダーの言う通り、他の店員は忙しそうに働いている。

 

「ああ。俺はもう少しで休憩に入るんだ。別に邪魔する気はな――」

 

 ――明確な殺気。

 言葉の途中でランサーがいきなりテーブルの下にダッシュで潜り込んだ。

 彼は大きな身体を精一杯縮めて、喫茶店の入り口付近を伺っている。

 ……なんというか、実に妖しげな行動である。 

 一瞬だけ無視しようかとも思ったが、こんな場所で大男にしゃがんでいられると朝食どころではない。

 俺は勇気を振り絞って、クランの猛犬と呼ばれた男に声をかけた。

 

「……ランサー、一体何してるんだ?」

「――静かに! 静かにしてろ坊主」

 

 ランサーは口元に人差し指を添えながら、顎を入り口付近に向けてしゃくって見せた。

 

「そら、危険人物のご来店だ。本当なら入店拒否といきたいところだが……生憎俺はあいつに頭が上がらない。何とかこの場はやり過ごしたいもの――」 

「あら、衛宮士郎。こんな場所でお会いするなんて奇遇ですね」

 

 件の人物の登場である。

 入り口からテクテクと歩いて来たのは銀色の髪が鮮やかな一人の少女。

 敬虔なシスターを装っているカレン・オルテンシアだった。 

 

「朝食ですか、衛宮士郎」

「……あ、ああ。カレンもモーニングでも食いに来たのか?」

「私はサンドイッチを頂きに。ここはテイクアウトが可能なのです」

 

 そう言ったカレンが、ほうっと小さく溜息を吐いた。

 

「……さすがに徹夜で作業すると少々堪えてしまいますね」

「徹夜って、カレン、寝てないのか?」

 

 ええとカレンが頷いた。確かに目が少し充血して見える。

 

「色々と仕事が山積しておりまして。本来なら駄犬に命じてやらせるのですが――あのろくでなしは、一体どこをほっつき歩いているのでしょう?」

 

 あくまで言葉は穏やかに、それでもってカレンは、ダンっ! と店内に響き渡るほど強くテーブルをひっぱたいた。

 何故か、一呼吸遅れてテーブルが揺れる。

 

「クランの猛犬? 笑わせます。戻って来たら……いいえ。見つけ出したら主従という言葉の意味をきっちりはっきりきっぱりと教えて差し上げなくてはなりません」

 

 ダンっ! ダンっ! とカレンがテーブルを叩く。

 今度はテーブルがガタガタと小刻みに震え出した。

 

「羨ましいです、衛宮士郎。セイバーはさぞ主人に忠実なのでしょうね。それに比べてうちの無駄飯喰らいときたら……心底から見習って欲しいものです」

 

 言いながらカレンは、テーブルを叩こうとして上げかけた手をはたと途中で止めた。その代わりにとばかりに、とても冷ややかな視線をテーブルに叩きつけている。

 

「…………」

 

 何故か、風もないのにテーブルが小刻みに揺れていた。

 

「コホン。ですが私にも慈悲の心はあります」

 

 セイバーとライダーはどうやらこの一件に関して、無関心を決め込む事にしたようだ。

 時々談笑しながらモーニングセットを美味しそうに頂いている。

 何も見えないし、聞こえないし、関わらない。

 実に懸命で素晴らしい選択である。カレンに声さえかけられなかったら、俺だってそうしていた。

 

「私は神に仕えるシスターです。当然、慈悲の心はあります。ありますが――あまりにも聞き訳がないようでしたら、堪忍袋の緒をほんの少し緩める事があるかもしれません。そう思いませんか、衛宮士郎?」

「え、俺? えと、そうだなぁ……何て言うか」

 

 テーブルの下のランサーを引き渡すのは簡単だが、下手に関わってとばっちりを受けるのは勘弁だ。

 何とか言葉を濁らすべく思考を巡らせる。だがどうやらカレンは自己完結する事にしたらしい。 

 

「衛宮士郎。貴方ならば当然そう思うはずです。思わないはずがありません。あぁ! あの駄犬は今何処で何をしているのでしょう? 主よ、どうか“殺生”する私をお許しくだ……」

 

 カレンがマグダラの聖骸布を取り出しながら、銀色に輝くなにかを取り出した。

 それは照明を受けて輝く一本のナイフである。その鋭利に尖ったナイフの煌きは、ある男に“決心”を促したようだ。

 

「ゆ、床掃除は完了だ。いやぁ…………かなり汚れていやがったぜ……?」

 

 青き槍兵は、サーヴァント随一と呼ばれる俊足を使って、テーブルの下から颯爽と這い出して来ていた。 

 

「あらランサー。こんなところに居たのですか。本当に奇遇ですね」

「奇遇……そう! 本当に奇遇だなカレン! 全然っ気付かなかった! いや、本当に!」

「気付かなかった? 英雄である貴方が気付かなかった?」

「……床掃除に……ね」 

「熱中でもしていましたか? それならば仕方ありませんが――」

 

 両手を胸の前で組み、納得しましたと頷くカレン。

 そのカレンが、ふとした拍子に気付いたという感じを装い、ランサーに向かって腕を伸ばしていく。 

 

「寒いのですねランサー。震えています」

 

 伸び行くカレンの手。

 ランサーは一足で以って店内の端まで距離を取った。

 

「……まあ、いいでしょう。ではランサー。サンドイッチを作りその後で私の共をしなさい」

「待ってくれ、カレン。俺には仕事が────」

「聞こえませんか? 聞こえましたね? それとも同じ事をもう一度言わせるつもりですか?」

「ま、任せてくれ! とびっきり旨いサンドイッチを作ってやるからよ!」

 

 神速を以ってランサーが厨房へと姿を消した。

 直後に響き渡る凄まじい轟音。

 一体……何を作っているんだ?

 結局ランサーは、カレンに引きずられるようにして喫茶店から姿を消していった。

 ……がんばれ、ランサー。

 その内きっと良いことがあるさ。

 哀愁漂う槍兵の背中を見送りながら、俺は心の中でそう思っていた。

                   

 余談だが、その後の俺たちは、楽しい朝食の一時を過ごしてから店を出たと付け加えておこう。

 

 



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第十七話

「それじゃあ、士郎。私達は学校へ行って来るから、無理しないでゆっくり休んでなさい」

「先輩。お昼ごはんにお粥さんを用意してありますから、食べれるようなら食べちゃってくださいね」

「……ああ。ありがとう、遠坂。それに桜も」

 

 俺は布団に横になりながら、制服姿の遠坂と桜が部屋を出て行くのを眺めていた。二人は出る前に一度だけ俺を振り返ると、じゃあねと手を振ってからふすまを閉めた。

 

「……ごほっ。ごほっ……うぅー」  

 

 何をしているのかと言えば、ここは俺の部屋であり、現在は寝巻き姿で布団にくるまっている状態なのである。実は数年ぶりぶ風邪を引いてしまったようで、こうして寝込んでいるのだ。

 めっきり寒くなってきたこの季節に土蔵で夜を明かしたのがまずかったらしい。

 

「……ちょっと、目眩がする……な」

 

 軽く寝返りをうつ。頭痛よりも身体のだるさが堪える。寒気も酷くて迂闊に歩くことすらままならない。ふと動かした視線が、半分開いているふすまを捉えた。

 さっき遠坂が閉めたはずなんだけどと目を凝らすと、開いたふすまの影からひょこっと二つの頭が覗いているではないか。目に映るのは金砂のような髪の毛と、しっとりと艶やかな紫の長髪。

 セイバーとライダーだった。

 彼女達は不安げな表情を浮かべながら、じーっと俺のことを見つめている。藤ねえは早朝会議で家を出ているし、遠坂と桜が学校に出発すれば、この家に在宅している人物は俺と彼女達だけになってしまう。

 

「……どうしたんだ二人共? 何か……あったのか?」

 

 声をかけられたのが意外だったのか、二人とも一瞬頭を引っ込めてしまった。それでもしばらくするとすーっと頭がふすまから出てくる。そしてまたじーっと俺を見つめるのだ。

 ちょっと恥ずかしいような、居たたまれないような、表現し難い感覚が身を包み込む。けれどこのままでは埒が開かないので、セイバーとライダーに部屋の中に入って来るように促した。

 

「シロウ、その、あの……大丈夫……ですか?」

 

 先に部屋に入って来たのはセイバーだった。彼女は言葉を選びながら、ゆっくりと近付いてくる。

 

「……ああ。さっき薬も飲んだし、ゆっくり休んでいれば大丈夫だと思う」

「そうでしたか。けれど夜分遅くまで土蔵に篭もっているからそうなるのですよ。それでなくてもあなたは無茶ばかりするのですから、身体は労ってください」  

 

 微かに安堵の溜息を吐いてから、セイバーが枕元に腰を降ろした。 

 

「そうですね。士郎は無理をしすぎます。ですから風邪を引いた時くらいはゆっくりと養生してください」

 

 ライダーも廊下から部屋に入ってきて、セイバーの隣に腰を降ろした。

 

「ん……そうだな。けっこう強めの薬だったし、すぐ……眠くなると思うんだけど……」

「ええ。安心して眠ってください。シロウの眠りを妨げる不届き者が現れても、私が撃退してみせますから!」

 

 ぐっと握り拳を作って見せるセイバー。

 何でか彼女は大張り切りの様子で、気合に満ち溢れていた。しかも張り切っているのはセイバーだけじゃなく、普段冷静なライダーまでもが

 

「セイバー一人では心許ないでしょう。私も微力ながら力添えします。誰であろうと邪魔はさせません」

 

 と力説するほどである。

 本当なら心強いはずの言葉に、若干の不安を感じてしまうのはきっと体調が悪いせいだろう。それに本当に強い薬だったらしく、強烈な睡魔が襲ってきている。

 思考が……うまく回らない。

 

「……じゃあ、何かあったら……起こしてくれ。お昼は……出前を取ってくれていいから……さ」

「はい。ごゆっくりお休みください、シロウ」

「士郎、ゆっくりと休んでください」

「……ありがとう、セイバー、ライダー」

 

 俺は彼女達の声を聞きながら、深い眠りへと落ちていった。

 

 

 ――チッチッチと、時計の音だけが室内に響いている。

 セイバーとライダーは、互いに身を乗り出すようにして衛宮士郎の寝顔を覗き込んでいた。士郎の呼吸は笛のような音を奏でていて、とても苦しそうである。そんな彼の姿は、普段元気な分だけ彼女達の胸を締め付けた。 

 

「――そうです、セイバー。冷蔵庫に冷えぴたシートがありましたね。取ってきていただけますか?」

 

 はたと思い出したとばかりに、ライダーがぽんっと手を打った。それを聞いたセイバーは、士郎からライダーへと視線を移し、再び士郎へと視線を戻す。

 彼の眉根は苦しそうに寄っている。

 

「わかりました。すぐに取ってきます」

 

 ふすまを開いて台所へ。

 ライダーは部屋を出るセイバーを見送ってから、寝ている士郎の面へと右手を伸ばしていった。

 

 

 冷蔵庫を開いてすぐに目的の物を発見する。青い箱に入っている食べ物ではない物体なので一目瞭然である。しかし一応確認の為にと手に取ってみた。 

 

「ええっと……高い冷却効果が10時間持続します。ピタッとはれて肌にやさしく7種類の植物成分(ハーブ成分)配合。 大きさもロングタイプとなっているため額にしっかりと貼れます……ええ、これで間違いないようですね」

 

 中身は7枚と十分な量を確保。

 後はこれを一刻も早く彼の元へ届けるだけ。

 だけれど、若干心が逸る。

 彼の苦しそうな表情。荒い呼吸の音。ほてった身体。そのどれもが心を乱すのだ。常に冷静に行動しようと心がけているが、こればかりは抑制が利かない。

 私も……まだまだ修行不足か。

 新たに心構えを構築し、自身を強く律しようと心に決めて――――そんなものは、部屋に入った瞬間に見事に吹き飛んでしまった。

 

「ラ、ラ、ライダー! あな、貴女は一体何をしているのですかっっ!?」

 

 あろうことか、寝ているシロウにライダーが覆い被さっていたのだ。

 

「は、早くシロウから離れなさいっ!」

「……何を慌てているのですかセイバー? 私は士郎の熱を確かめていただけですよ?」

 

 そう言ってライダーが半身を起こす。

 確かに彼女の言う通り、ライダーはシロウの額に右手を添えているだけだった。左手を自身の額に当てているので、熱を計っている“だけ”に見えなくもない。

 ですが――

 

「本当に熱を計っていただけですか、ライダー?」

「しつこいですね。マスターを案じる気持ちは理解しますが、もう少し私を信用してください」

「……そう言われると……むう」

 

 冷静に考えれば、病床のシロウをライダーが“襲う”などありえない。冷えぴたシートを取ってくるように言ったのも彼女だし、純粋にシロウを心配しての行動なのか。

 でも何だかとっても気分がよろしくない。

 面白くないと言い換えても良い。

 

「……とりあえずそこを退いてください。冷えぴたシートをシロウに張りますので」

 

 押し込むようにして、ライダーとシロウの間に割って入る。

 やはりシロウの表情は苦しげだった。私は少しでも楽になって欲しいと思いを込めて、彼の額にシートを貼り付ける。

 ぺたぺた。

 錯覚かもしれないけれど、それでシロウの表情が和らいだ気がした。

 その時である。ピンポーンというチャイムの音が室内に鳴り響いたのは。

 ――チャイムとは来客を告げる鈴の音。

 衛宮の家に誰かが尋ねて来たのだ。 

 

「……ライダー。申し訳ないが出て来てくれますか?」

 

 冷えぴたシートを指差し、手が離せないとの意思表示を示す。

 本当は作業は終了していたのだが、再びライダーを残してシロウと二人きりにするのは、とてもよろしくないと思ったのだ。

 

「わかりました。たぶん新聞の勧誘でしょう。毎月この時期に現れるのです」

「新聞勧誘ですか。しかし衛宮の家は新聞を取らない主義なので、うまくあしらってください」

 

 しつこく二社くらいが勧誘に来ていたのを思い出す。

 ここで病人であるシロウの手を煩わせる訳にはいかない。絶対に。

 

「頼みましたよ、ライダー」

「任せてください、セイバー。勧誘など軽く追い返して早く戻って来ることにします。……士郎も心配ですからね」

 

 ライダーはシロウに視線を落としてから、ふすまを開いて出ていった。

 ――騎乗の英霊、ライダー。

 いつも冷静で凛として隙がなく、大人の女性というものを如実に感じさせる。

 悔しいですが、彼女なら勧誘員など簡単にあしらってくれる事でしょう。

 そして、待つこと十分。

 部屋に戻って来たライダーは、両手いっぱいに試供品らしい洗剤を抱えていた。

 

「…………ライダー? 貴女、まさか?」

「ち、違いますよ、セイバー! これは……不可抗力と言いますか、どうしようもなかったと言うべきなのか……とにかく! 私はですね……」

「私は何ですか? 仕方なかったとでも言うつもりですか?」

「あ……う……」

 

 ライダーが音もなく後退さった。彼女にしては珍しく焦った表情で、視線が右往左往している。

 

「で、ですから! 相手もプロなのです。押しても引かれ、引いたら押され。巧みな話術に導かれ、気が付いた時には……その……洗剤も差し出されていたし、わたしは……ですね……その…」

 

 だんだんと小さくなっていくライダーは、部屋の片隅まで後退さっていた。

 そこで彼女は正座を組んでしゅんと肩を落とす。

 

「……ごめんなさい」

 

 その声はとてもか細く、囁きのように彼女の口から漏れていた。

 

「はあ。ライダー。私は貴女ならばとこの大任を任せたのです。こんな事になるなら私が赴くべきでした」

「……うぐ」

 

 うなだれるライダーは、言い返すような事はせずに言われるがままになっている。そんな彼女の姿を見ていたらさすがに可哀想になってきた。

 誰しも間違いはある。

 時には許す心も必要だ。

 

「まあ、過ぎた事ですし、もうこの話は止めにしましょう」

 

 生死を賭して戦った相手である。ここは敬意を払うべきあろう。    

 私は改めてライダーに声をかけようとして――再び鳴り響いたチャイムの音に身体を強張らせていた。

 

「……また来客ですか。今度は私が出ることにします。王として私は様々な者を相手にしてきました。その術を以ってすれば新聞勧誘を断るなど造作もない。ライダー。くれぐれもシロウの事はよろしく頼みますよ」

 

 ライダーを残していくのは“嫌”なのだが、この場は仕方がない。

 私は彼女に念を押してから、来客を迎える為に玄関へと足を向けた。

 新聞などいらない。即刻帰れ。うん、完璧です。

 この術を聞けばマーリンとて太鼓判を押してしまうに違いない。

 私は秘策を胸に秘め、いざ玄関の扉を開き――

 

「おお! これは可愛らしい奥さんだ! えぇ? 奥さんじゃない? それは嘘でしょう。士郎君もこんな可愛らしい奥さんを貰えて羨ましい! いやいや三国一の幸せ者とはこの事です。ホント羨ましいです。あ、これ試供品の洗剤なんですが、実は今、新聞がですね――」

 

 十分後。私は部屋へと戻って来た。

 ふすまを開いた私の姿をライダーの視線が痛いほどに貫いている。

 

「…………セイバー? 貴女、まさか?」

「ち、違います、ライダー! これは……不可抗力と言いますか、どうしようもなかったと言うべきなのか……とにかく! 私はですね……」  

 

 私は両手一杯に洗剤を抱えている状態だった。

 否! 否! 違います。

 新聞勧誘員、侮りがたし。巧みな話術は本当でした。成す術も無く言いくるめられ気が付けばこの有様です。

 

「……セイバー?」

 

 ああ、言わずとも彼女の瞳が全てを語っています。 

 私は洗剤を部屋の片隅に置いてから、ライダーの隣にすっと腰を降ろした。

 もちろん正座を組んで。

 

「……申し訳、ありません……」

 

 それ以外の言葉が口を吐くことは許されなかった。 

 

 日本には喧嘩両成敗という素晴らしいことわざがある。私とライダーは先程の悪夢はきっぱりと忘却する事でお互い納得し、新たなイベントである昼食へ挑むことにした。

 

「ここはやはり“ふ~ふ~”してから士郎に食べさせるべきでしょう」

「ふ~ふ~ですとっ!?」

 

 ライダーがレンゲを持って、ふうっと息を吹きかける真似をしている。

 時刻は十二時を回った頃合。

 シロウに昼食を食べて貰おうと、朝に桜が作っていたおかゆを部屋まで持って来ていた。ただ温め直したおかゆさんは陶器の鍋に収められたおかげでとても熱く、病人が食すのには適さない。かといって冷えたおかゆさんより温かい方が身体には良いはずだ。

 思案した結果に導き出されたのが“ふ~ふ~”である。

 

「では私が士郎に食べさせますので、彼を起こしてくださいますか、セイバー?」

「なっ! 待って欲しいライダー。何故貴女がシロウに食べさせると決定しているのですか? 私は異論を挟む」

「背格好の問題です。貴女より私の方が士郎に食べさせ易いでしょう」

「身長差なら私よりライダーの方があるのでは? その理論なら私の方が適任です」

「体格の小さい貴女では士郎を支えにくいのは明白です。やはり私が適任ですね」   

「屁理屈を捏ねないで欲しい。私でもシロウを支えるくらいは出来ます!」

「出来る出来ないではなく、貴女よりも私の方が適していると言っているのです。そこを履き違えないでくださいセイバー」

「ぐぬぬ……!」 

 

 バチバチと視線が火花を散らす。

 お互いに譲らないとの強い意思が感じられた。

 ――仕方ありません。

 ここは奥の手を出すべき時だ。私はそう直感した。

 出来得るならば、この手だけは封印しておきたかった。けれどこうなっては止むを得ません。

 私はそ~っと右手をライダーの頬に伸ばし、隙を突いて彼女のほっぺたを掴んだ。

 そのまま横に引っ張ってライダーの頬を弄ぶ。 

 

「にゃ、にゃにをしているのですか、セイバー!?」

 

 ほっぺを摘まれているので、うまく喋れないらしい。 

 

「ライダー。この手を離して欲しければ“ふーふー”する権利を私に譲りなさい」

「――くうっ! にゃんと卑劣にゃ……」

 

 ライダーは悔しげに眉を潜めている。しかし彼女とて騎兵の英霊でありサーヴァント。

 やられたままでは終わらなかった。

 ライダーはおもむろに右手を伸ばすと、私のほっぺを摘み返したのだ。

 

「ラ、ライダーー! しょの手を今すぐに離しにゃさいっ!」

「フフフ。これで五分の条件ですにょ、セイバー……!」

 

 互いに相手の頬を掴み、相手を睨み据えている。

 一種の膠着状態が、この部屋に生み出されてしまった。  

 

「――にゃらばっ!」 

 

 私は残った左手でライダーの頬を掴むべく伸ばして――それに合わせるようにライダーも左手を伸ばしてきた。

 再び起こった膠着状態。

 ………フフフ。良いだろうライダー! 

 そうまでしてセイバーたる私と勝負したいと言うのならば受けて立つまでです。

 私は意地の張り合いで、誰にも負けたことはないのだ!

 

「……後悔しますにょ、ライダー?」

「しょれはこちらの台詞です、セイバー」

『――フフフフフフフフフ』 

 

 決着は思いもよらぬ形で付いた。

 

 

「ただいまー。士郎、加減の方はどうかしら?」

 

 ぼんやりとした意識の中で遠坂の声を聞いた気がした。

 俺は身体を起こそうとして……まったくと言って良いほど動かないことに愕然とする。

 まだ熱っぽいのもあるが、想像以上に薬が効いているのか指一本動かせない。何だかとっても身体が重いのだ。まるで身体の上に“何か”乗っかっているような感覚……。

 

「先輩。栄養のある物買って……きました……よ、って、あれれ?」

 

 遠坂と桜が部屋に入って来た気配はする。

 だけど、やっぱり身体は動かない。

 

「……え? え? 何があったの……かな?」

 

 よほど酷い状態なのか、遠坂が絶句しているのがわかった。

 もしかしたら俺はこのまま死ぬのかもしれない。まだ成さなくてはいけない事もあるのに。

 

「……ぐぅ……」 

 

 悔しさのためか、僅かに目尻に涙が浮かんだ。

 爺さんの願い、叶えられない……かも……しれな……。

 

「……」 

 

 遠坂と桜が絶句した理由。

 それは部屋の片隅に山と詰まれた謎の洗剤の存在と、部屋中にぶちまけられたおかゆの残骸を見た所為である。

 ここで何が起こったのか。何が行われたのか。彼女達を以ってしても想像すら出来ない。更には衛宮士郎に折り重なるようにして眠るセイバーとライダーの姿は、もはや完全な想像の範疇外である。

 いや語弊は訂正しておこう。

 正確には、布団に折り重なるようにして“気絶している”セイバーとライダーの姿である。

 とりあえず凛は、おかゆの残骸を片してから、この事態に深く関わっているであろう二人を叩き起こそうと心に決めた。

                       

 

  



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第十八話

 フルール期間限定の特別ショートケーキ。

 とても品のある甘さが忘れられない一品である。

 例えるなら、口の中で溶けてしまうような純白の生クリームは淡雪のようで。土台のスポンジは弾力があり、しっかりとした触感を舌の上に伝えてくれる。更に主役である特大のイチゴは、その圧倒的なボリュームに加えて、酸味と甘さが絶妙なバランスで保たれているのだ。

 本当に、珠玉のデザートと言って差し支えないと私は思う。

 けれど期間限定の品……。

 もう食べることは叶わない。

 そう思っていたのに、その珠玉のショートケーキが今私の目の前に!?

 

「ライダー、ものは相談なのですが……」

「何ですか、セイバー?」

 

 ――ライダー。

 今、私の目の前に座っている女性は、騎兵の英霊として召喚されたサーヴァント。彼女とは聖杯戦争の折りに幾度となく戦った……いや、殺しあった仲だ。

 シロウの剣となった私と、或いはシロウの敵となってしまった私とも。いずれの場合でも、彼女とは文字通りの死闘を演じている。

 好敵手、ライバルとと呼ぶべき相手なのかもしれない。

 正直言ってしまえば、肌の合わない相手ではあった。けれど長身ながらスラリと伸びた女性らしい肢体や、滑らかで艶のある長い紫髪など、私が望んでも持ち得ないものを幾つも持っている相手でもある。

 決して面と向かって口には出せないけれど、尊敬の念を抱いてもいた。

 

「……」

 

 二の句を告げない私の姿に不審を抱いたのか、ライダーが小首を傾げている。

 言い難い台詞ではあるが、ここは勇気を出して前に進みましょう。

 

「えっと、そこにあるフルールの期間限定特別ショートケーキですが」

「ああ、これですか」

「そう! それです。以前貴女は甘いものはあまり好みじゃないと言っていましたよね?」

「……ええ、まあ」 

「そこで相談なのですが、食べないのならばその限定ケーキを私に譲って欲し――」

 

 言葉の途中で私を制止するように、ライダーが右手を差し出した。それと同時に、彼女の瞳に怪しい光が点った気がする。

 

「――等価交換です、セイバー」

「等価交換? そ、そうですね。貴女の要求は当然です。では何を望みますかライダー? 私に出来ることなら何でも致しましょう」

「なんでも良いのですか?」

「その珠玉の一品と釣り合うと私が判断すれば、どんなことでも致しましょう」

「良い返事ですセイバー。実はですね……」

 

 そこまで述べたライダーが、少し目線を外して言い淀んだ。

 実直な彼女にしては珍しい光景である。

 

「遠慮など無用ですよライダー。ささ、早く等価交換の条件を言ってください」

 

 ライダーの言葉の先を急かす。決して早くケーキが食べたいとか、そういうことではないですよ?

 

「――実は皆に秘密にしていたのですが、こう見えて私は速い乗り物が大好きなのです」

「それは知っています」

 

 私の返事を聞いて、彼女の瞳が驚きに見開かれる。

 心底驚いたという感じだ。

 

「……侮れませんね。士郎といい貴女といい、伊達に聖杯戦争を勝ち抜いていないということですか」

「褒められて悪い気はしませんが……それで、私は何を?」

「自転車です」

「自転車?」

「ええ。現在の私は衛宮家にある二台の自転車うち二号と呼ばれるものを使用しています。ですが……この、いくら踏んでものったりとしか進まない乗り物は私の性には合わない。しかしその点士郎の使用している一号は違います! アレならば私の願望を余すことなく満たしてくれることでしょうっ!」

 

 どのような願望かは分らないが、ライダーはうっとりと悦に入っている。ちなみにライダーの言う一号とはクロスバイクで、二号はママチャリと呼ばれる自転車である。

 この二つの違いが私にはよくわからないが、騎兵の英霊の目からすれば違うのだろう。

 

「そこでセイバーにお願いです。士郎に一号を使わせてくれるように頼んでくれませんか?」

「それならば自分で頼んだほうが早いのではないですかライダー?」

「それが……その、士郎はいくら私が頼んでも“うん”と言ってくれないのです。けれどセイバーの頼みごとなら士郎は聞いてくれるかもしれません」

「そういうものですか」 

「はい。――お願いできますか、セイバー?」

 

 ライダーの真摯な眼差し。

 本当に一号を使いたいのだろう。だがお互い必要としているものがその先にあるのなら、この申し出を断る理由はない。 

 

「わかりました。セイバーの名に懸けてシロウを説得してみせましょう。ライダーはケーキの確保をお願いします」

 

 すっくと立ち上がった私は、その足で出口に向かって歩き出した。ちょうどその時、入れ代わるような形で大河が居間に入って来る。

「あ、セイバーちゃん。どうしたの? お出かけ?」

「はい、出陣です!」

 

 そう。これは戦いなのです。

 覚悟して欲しいシロウっ!

 

 

「どうだセイバー? 美味しいかな?」

「はい。このサータアンダギーというお菓子は実に美味しいですね。食感などドーナツに似ているようですが」

「揚げ菓子だからドーナツの一種で間違いない。沖縄の名産品なんだ」

「へえ、そうなのですね。これは私の中の定番おやつ十傑集に入り得る実力を持っていると言っても過言ではありません」

「はは。その物言いだと喜んでくれたみたいだな。良かった」

 

 空になった湯のみにお茶を注ぎながら、シロウが穏やかに微笑んでいる。

 何をしているのかといえば、実は彼の姿を探している時に逆に呼びとめられたのである。理由を訊いてみれば、なにやらお茶菓子の試作をしたから味見してほしいとのことで、こうしてシロウの部屋まで出向いてお茶を頂いているのだ。

 

「ふふっ。サータアンダギー、侮り難しですね」 

 

 菓子の甘みを味わった後に渋みのあるお茶をずずっといただく。

 自然と頬が緩む心地。実に満ち足りたひととき。

 って…………………………はっ!?

 私はなにを穏やかにお茶会を開いているのだ。今は胸に抱いた大事な使命があったはず。

 ――恐るべき智謀ですシロウ。

 危うくその姦計に乗って使命を忘れるところでした。

 これは油断している訳にはいかない。一気に勝負を決めるとしましょう。

 

「――シロウ」

「ん、どうしたセイバー。真剣な顔をして。おかわりはないけど……」

「そうではありません。実はあなたが使っている自転車の一号のことなのですが」

「一号がどうかしたのか? セイバー使いたいのか?」

「いえ、私ではなくライダーにですね……」

 

 何故だろう。ライダーの名前を出した途端にシロウの表情が苦いものに変わっていく。

 自転車と彼女との間に何かあったのだろうか?

 

「……そうかセイバー。ライダーに頼まれたんだな?」

「い、いえ。決してそのようなことではなくてですね……客観的に見た意見といいますか……」

「いいって。わかってる。セイバー嘘つけないもんな」

「……」 

「でもな、ライダーに一号は貸せない」

「それは何故でしょう? シロウが二号を使い、ライダーが一号を使う。それでもよいのではないですか?」

「あのな、セイバー」

 

 彼がずいっと詰め寄ってくる。

 シロウの真剣な表情に思わず面を喰らってしまった。

 

「ライダーが一号で町内を爆走してみろ。大騒ぎになるぞ。冬木の街に爆走娘現る!? とかって取材とか来かねない。……いや、この前なんか笑顔でパトカーの横を自転車を突っ切ってったし、街中で少し噂になってるんだ」

「噂に……」 

「ああ。そういうの困るだろ?」

「……そう言われるとそういう気もしますが……」

「ライダーが自転車に乗ったら自制は期待できないからな。なら物理的にスピードの出ない二号で我慢してもらうしかない。そうだろセイバー?」

「……むむ」

 

 シロウの言い分は至極真っ当です。

 我々はサーヴァントであり、魔術師でもある。世間の注目を引くのは出来るだけ避けるべきなのは明白で……でもこのまま引き下がってしまうと、フルールの特別ショートケーキは手に入りません。

 ここは心を鬼にする必要があるようですね。

 私はコホンと咳払いを一つした後、改めてシロウの顔を覗きこんだ。 

 

「シロウ。貴方がライダーに一号を貸せないというのなら私にも考えがある」

「考え……?」

「はい。もし承諾を頂けないというのであれば――私は今後、食事に関してリミッターを外させて頂きます!」

「ぶほっ!?」

 

 何とまあ、盛大にお茶を吹きましたねシロウ……。

 

「ま、待てセイバー。まさか今まで“全力”じゃなかったのか!?」

「腹八分目と、日本のことわざにあります」

 

 ことわざじゃないだろって突込みが入りましたが無視します。

 

「さあ、シロウ。どうしますか?」

「……その目、本気なんだな、セイバー」

「はい。私は“どちら”でも構いません」

 

 ジリジリと後ずさるシロウを壁際まで追い詰めていく。

 禁断の秘儀まで出したのですから、ここは勝負どころでしょう。彼が目を逸らしても、私の視線からは逃れられません。

 そういう攻防が暫し続いた後、彼は大きく溜息を吐いた。

 

「……………………わかった。だけど一日だけだ。これ以上は譲れない」

 

 熟考の末にシロウが白旗を上げる。

 一日という期限付きではありますが、ライダーの願いには沿った形になります。けれど私のリミッター解除が、ライダーの町内爆走の危険よりも勝ったというのは少し面白くない。

 面白くないですが……ここはまあ良しとするべきでしょう。

 

「わかりました。その方向でライダーと交渉してみることにしましょう。例え一日とはいえ一号が使えるのですから、彼女も満足してくれると思います」

 

 すっくと立ち上がり拳を握りこむ。

 さあ“戦利品”を頂きに参るとしましょうか。

 

 居間に近づくと、ライダーが人目を忍ぶように、こっそりとふすまを閉めて出ていくのが見えた。

 

「何をしているのですか、ライダー?」

「セ、セイバーッ!?」

「ライダー。シロウには話を通しておきました。一日限定ですが一号を使って良いそうです」

「……それは、流石はセイバーですね……感心しました…」

 

 うん? なにかおかしい。

 願いが叶ったというのに彼女はあまり嬉しくはなさそうだ。けれど、そこはライダーなりの事情があるのかもしれない。ここはあまり深く詮索せず、約束の品を受け取ることにしましょうか。

 

「では、フルールの特別限定ショートケーキは頂きます」

 

 ライダーから視線を切り、ぱっとふすまを開けた。

 しかしそこにあったものは……!?

 

「あ、セイバーちゃん。おかえりー。もうこのケーキすっごい美味しいね。ほっぺた落ちそうだよう」

 

 落ちそうなそのほっぺたに、生クリームをつけた大河の姿……。

 

「ラ、ラ、ライダー!? これはどういう――」

 

 急いで振り返えるが、そこに既にライダーの姿はなく、一号の爆走する音だけが耳に届いていた。

 

 

 

  



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第十九話

 夜の住宅街を衛宮の家に向かって歩いている。通いなれた道ではあるが、いつもと違う時間帯を一人で歩いていると、周りの景色や印象が違って見えたりするのが不思議だ。

 本当ならもう少し早く帰路につくつもりだったんだけど、バイト先の店長から残業を頼まれたのだ。スタッフの一人が急な風邪で寝込んでしまったらしい。

 そうやって頼みごとをされると断れない。我ながら損な性分だと思うが、こればかりは身体に染みついた性なので、どうしようもないのだ。

 そんな事を考えながら、ふと顔を上げてみた。

 空には綺麗な満月が輝いていて、蒼い光で路上を美しく照らし出していた。

 

「……」 

 

 ここは大通りから離れているので、車の走行音とか大きな喧騒なんかは届いてこない。けれど耳を澄ましてみれば、大勢の人がはしゃぎ回る声が聞こえてくるような錯覚に襲われる。

 だって今日は、近くの神社で小さなお祭り、縁日が開かれているから。

 残業を頼まれなければ、今ごろみんなと一緒に縁日に参加して、出店回りなんかしてたはずだけど……まあ諦めが肝心か。戻ってから神社に出向いてもあまり長時間参加できそうにないし、みんなにはバイトで残業するから先に楽しんできてくれと連絡を入れてある。ここは大人しく家で帰りを待ちながら、留守番しているのが得策だろう。

 

「イリヤのやつ、りんご飴で口のまわりベタベタにしてなきゃいいけど」 

 

 浴衣を着てテンションを上げたイリヤを想像すると、自然と笑みが零れてくる。そうして歩いていると、一組の親子連れとすれ違った。楽しそうな笑顔を浮かべる子供の手の中には、赤い金魚の入った透明な袋が提げられている。

 きっと縁日の帰り道なんだろう。

 

「ああ、金魚掬いか。懐かしいな」 

 

 実は結構というか、金魚掬いは得意なのだ。

 お祭り好きな藤ねえに色々仕込まれた結果、大抵の縁日の出し物は制覇した結果である。でもそれも小さい頃の話だ。大きくなってからはこういう縁日に出向く機会があまりなくて。だから久しぶりに行けるかもと楽しみにしてはいたんだけど……。

 

「……家に到着っと」 

 

 そうこうしている間に、衛宮の家に着いてしまった。

 俺は玄関に向かいながら、ポケットから鍵を取り出すと……

 

「あれ? おかしいな。開いてるぞ」

 

 抵抗なく開く扉。みんなが出掛ける時に閉め忘れて行ったんんだろうか。そう思った時、パタパタと足音を立てて、誰かが玄関口まで走ってきた。

 

「あ、お帰りなさい、シロウ」

 

 セイバーの優しい声音。

 

「セイバー?」

「はい」

「……」 

 

 思わず二の句を告げずに玄関で固まってしまった。だって彼女はいつもと違う髪形にいつもと違う服装を纏っていたから。

 小さなリボンでポニーテールに結わえた髪をさらりと流し、白地に青の紋様が映える浴衣を見事に着こなしている。

 

「…………」

「どうかしましたか、シロウ?」 

「あ、いや。……セイバー、縁日に出かけたと思ってたから……さ……」

「そうですね。一度は皆と出かけようと思ったのですが、やはりシロウが一緒でないと」

「もしかして、俺を待っててくれたのか?」

 

 そんな俺の問い掛けには言葉で答えず、変わりとばかりに彼女が微笑む。

 

「あまり時間もありませんし、行きましょうか、シロウ」

  

 そう言って差し出された手。

 それが彼女の答えだった。

 

「行くって、お祭りにか?」

「もちろんです」

「けど今からだと、少ししか楽しめないと思うけど」

「少しでも良いではありませんか」

「あ――」 

 

 柔和に微笑むセイバー。

 きっと俺は、この日の彼女の笑顔を忘れることはないだろう。

 それくらい眩しい表情が印象的で。

 

「さあ、手を」

「……ありがとう」 

 

 礼を言いながら、差し出された彼女の手を取る。そうしながらきゅっと唇を噛み締めた。

 言い慣れていないので恥ずかしかったんだけど、ここまでお膳立てをされて伝えられないのは男が廃る。

 

「……あのさ、セイバー」

「なんですか、シロウ?」

「えと……すっごく似合ってるぞ。その浴衣……」

「――」

  

 言葉を詰まらせ、少しだけ頬を染めるセイバー。

 結局その後は、お互い気恥ずかしさのせいか、神社に着くまであまり言葉を交わさなかった。

 

 

「シロウ、見てください! ふわふわですよ、ふわふわ!」

 

 神社に到着したセイバーは、もう子供のようにはしゃぎ回っていた。見るもの全てが珍しいのだろう。わたあめを見た時など「これはっ!? これは何ですかシロウ!」と、引きずられるようにして店の前に連れていかれたものだ。

 目を輝かせて、わたあめを頬張るセイバーは、本当に楽しそうで。

 

「思ったより人が残ってるな」 

 

 お祭り――縁日は未だに盛況だった。とは言っても遅い時間帯のせいか、幾つかの出店は閉まってしまっていたし、家路に向かう人の数も増えている。

 でもまだ少し、終焉までの残り時間はあるみたいだ。

 

「シロウ、あれは何ですか?」

 

 セイバーが再び俺の袖を引いた。そんな彼女の視線の先には、金魚掬いの屋台がある。

 

「ああ、あれは金魚掬いだな」

「金魚……掬いですか?」 

「うん。ポイっていう専用の道具で、水槽にいる金魚を掬いあげるんだ。そうしたらそれは持って帰ってもいいんだぞ」

「なんと……それは楽しそうな競技ですね。是非、挑戦してみたいです」

「じゃあ、一回やってみるかセイバー?」

「はい」

  

 そういう経緯で、二人して金魚掬いの屋台に向かうことになった。

 

「はいよ」

 

 お金を払い、ポイを受け取る。

 そうして金魚掬いを始めたのだが。 

 

「……くっ。シロウ。このポイというものは、何故こうも脆いものなのでしょう……」

 

 案の定というか、セイバーが苦戦を強いられていた。彼女は力任せに水中にいる金魚を狙うので、ポイがすぐに破けてしまうのだ。運よく破けなくても、金魚を追いつめているうちに水圧で破けてしまう。

 悪戦苦闘しながら、一生懸命金魚を追う彼女。一旦集中すると周りが見えなくなるのか、色々掛け声を上げながら奮闘している。こういう姿はなんだかセイバーらしい。

 

「なんですかシロウっ。わ、笑うなど失礼ではありませんか。私は……その、初めてなのですから……」

「ごめん、ごめん。セイバーがあんまり“らしい”からさ」

「むむ、それはどういう意味ですか?」

「別に深い意味はないけど……じゃあ、もう一回挑戦するか? それとも諦める?」

「……もちろんやります。このまま終わっては騎士の名折れですから」 

 

 きゅっと眉根を寄せながらも、セイバーが新しいポイを受け取った。

 そして再開されるセイバーによる金魚殲滅作戦。

 

「……この、この。…………あぁ! また破けてしまいました」

 

 失敗してしゅんと肩を落とすセイバー。

 仕方ない。そろそろ助けてやるか。

 

「あのな、これはあんまり力はいらないんだ」

 

 セイバーからポイを受け取って、立ち位置を変える。

 

「それと、あんまり大きい金魚を狙っても金魚自体の重みで破けてしまうから――ほら、こうやって水槽の角に追い込むようにして……よっと」

 

 アドバイスしながら、見事に赤い金魚をゲットする。

 

「す、すごいですシロウっ! まるで……魔法のようです」

 

 目を丸くしながら、パチパチと両手を叩くセイバー。

 本当に感心しているのだろう。

 

「そんな凄いことじゃないさ。コツさえ掴めば簡単だから。ほら、やってみな」

 

 改めて立ち位置を変えて、今度はコツを教えながらセイバーを見守る。

 

「こ、こうですね。…………やっ、むむ。もう少し…………えいやっ!」

 

 えいやっとセイバーが気合を入れて金魚を掬う。

 ポイは真ん中に金魚を捉えていたが――

 

「…………あぁ、破けてしまいました……」

 

 狙った金魚が重すぎた。結局見事に真ん中を突き破られて、獲物を逃がした格好になる。

 

「今のは惜しかったな。でもコツは掴んだろ? 次はきっとうまくいくさ」

 

 そう言ったものの、セイバーは軽く首を振った。

 

「いいえ。ここだけで時間を取られるのも忍びない。他に向かいましょうシロウ」

 

 そう言ってセイバーが立ち上がる。

 そんな彼女に向かって、出店のおじさんがプレゼントだからと金魚を一匹包んでくれた。

 

「ほいよ、お嬢ちゃん。サービスだ。持って行きな」

「あ、ありがとうございます」

「おう。また来年も来てくれや」

「……ええ。次は必ず仕留めてみせますから」 

 

 俺とセイバーは、おじさんに礼を述べてから、仲良く金魚を一匹ずつ下げて歩き出した。

 

 結局、その少し後で先に来ていた衛宮家御一行様と鉢合わせして、二人きりのお祭りはお開きとなってしまった。でも短い時間だったけど来られて良かった。

 俺は隣を歩く彼女の笑顔を眺めながら、来年も一緒に来ようと、そう心の中で思っていた。

 

 

  



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第二十話

「ありがとうございました!」

 

 マウント深山商店街に、セイバーの元気の良い声が響いている。ちょうど商店街の中央付近にはイベントスペースがあり、俺とセイバーはそこを借り受けて、一日限定のアルバイトをしているところだ。

 ――今日一日だけのラ・フルールによる出張ケーキ販売。

 通りに面した位置にカウンターを設置し、セイバーは真っ赤なレディース・サンタ服を纏って、売り子と呼び込みを同時にこなしている。俺は少し後方で在庫や荷物の整理をしているところだ。

 本当なら俺だけがアルバイトに出るはずだったんだけど、相方さんが急病で来れなくなり、急遽セイバーにご登場願ったという訳だ。こういう作業はあまり慣れていないだろうけど、彼女なりに一生懸命売り子をしてくれている。しかも真っ赤なサンタ衣装はセイバーにとても良く似合っていて、道行く人は必ずといって良いほど彼女に目を止めているのだ。

 色々な品物が順調に売れているのは、ほとんどセイバーのおかげと言っても良いかもしれない。俺としてもセイバーの新たな一面が見れて、実際かなり嬉しい思いをしている。

 

「よいしょっと」 

 

 品物を入れる袋を整理しながら、つと手首のあたりに目線を落とした。そこにあるのは真っ赤な袖口で、俺はそれを見ながら苦笑いを零す。

 俺もセイバーと同じくサンタ衣装を着ているんだけど、彼女に比べると悲しいまでに似合っていないのだ。衣装自体に優劣はないから着ている中身の違いなんだろうけど。

 

「すみません、シロウ。こちらのケーキの在庫がなくなりそうです。持って来ていただけますか?」

「ああ、わかった! いま持ってく!」

 

 大声で返事を返してから、俺はラッピングされたケーキの箱を抱えて、彼女の元まで駆けていった。

 

 

「……ふう。結構売れましたね」

 

 在庫スペースを振り返りながら、セイバーが朗らかに笑っている。朝から働きずめで昼時も過ぎていたが、セイバーの頑張りとフルールの評判が相まって、ケーキは予想以上に売れているようだ。 

 

「そうだな。このペースでいけば、夕方までには売り切れるんじゃないか?」

「ふふっ。請け負ったからには完売したいものですね。あと少し、頑張りましょうシロウ!」

 

 ぐっと拳を握り締めてセイバーが気合を入れている。そうしてから、あらためて俺の衣装を眺めて、クスクスと楽しそうに笑いだした。

 

「どうしたんだセイバー? いきなり笑いだしてさ」 

「いえ、私とシロウが同じ服を着ているもので。こういうのを世間では“ぺあるっく”と言うのですよね?」 

「え? あ……うん。そうだな。でも制服みたいなものだけど」

 

 確かにこうして並んでいるとペアルックに見えなくもない。販売員としての制服代わりではあるが、街中で同じ様相をしている人なんていないし。

 

「俺にはあんまり似合ってないけどな……」

「そんなことはありません。その衣装はとてもシロウに似合っていると思います」

「本当に?」

「はい」

 

 柔和な笑顔を浮かべながら、セイバーが頷く。その言葉に対して礼を述べようとした時――

 

「セイバー、ありが――」

「せ、先輩!? それにセイバーさんも!? こんなところで二人で並んで……何をしているんですか?」

 

 俺の言葉を遮ったのは、一人の少女の驚きの声だった。

 慌ててそちらに目線を移してみれば、目を丸くしている桜と、彼女の隣に立つライダー、そして慎二という三人の姿が目に飛び込んできた。

 

「よう衛宮。なんだそこ格好? もしかしてこんな日にバイトか。随分と勿体無いことしてるじゃないか」

「…あのな慎二。こんな日だからこそだ。結構稼ぎがいいんだぜ?」

「稼ぎねえ。ま、そんなところは衛宮らしいな」

 

 慎二が興味深そうに、カウンターに視線を移しながら歩いてきた。それから少し送れてライダーもカウンターにやって来る。

 

「士郎」 

 

 今日のライダーは上下ともにシックな黒色で決めていて、上からはスパニッシュコートを羽織っていた。モデルのような体型であるライダーにはとても似合っている格好である。

 今のセイバーが少女らしい可愛さ満開だとすれば、ライダーは大人びた美しさを醸し出していると言えよう。 そのライダーが、サンタ服に身を包んだセイバーを目に止めるや 

 

「士郎と同じ服ですか? もしやセイバーも一緒にアルバイトしているのでしょうか」

 

 と聞いてきた。

    

「ああ、うん。急病で人出が足りなくなったから穴埋めを頼んだんだよ」

「……士郎が頼んだのですか? セイバーに」

「……そうだけど」

 

 何故だろう。

 俺の言葉を聞いたライダーは僅かに眉根を寄せると、少し拗ねたような声音でこう言ってきた。

 

「そういう話でしたら私に頼んでくれても良かったのですよ? ほら、私は接客業をしていますし、セイバーより適任だと思うのですが」

 

 ライダーの言う通り、普段の彼女は販売のアルバイトをしている。

 確かに接客するのには慣れているかもしれない。

 

「今から代わっても良いのですが――」

「……いや、さすがにそういう訳にもいかないだろう。第一、衣装のサイズがライダーには合わないと思う」

「多少小さくても、着れなくはないでしょう。それにその方が、士郎の好みなのではないですか?」

「え……?」 

 

 ライダーの甘い声が、俺の想像を掻き立てる。

 真っ赤な衣装。それも色々とはちきれそうなサンタ服を着たライダーとか。

 もしかしたらR18指定されるかもしれない艶姿かもしれない。

 

「士郎は、見たくはありませんか?」 

 

 ライダーの指先がそっと伸びてきて、俺の顎をゆっくりと撫で上げた。それに伴って彼女からとても良い香りが漂ってくる。

 

「私は構いませんよ?」 

「……」 

 

 あ、やばい。

 具体的に何が危険なのかわからないけど、このままではやばいという警報ランプが脳内で木霊していた。その警報ランプが消え去る前に、隣にいるセイバーが、ダンッとカウンターに両手を叩きつけて相手を威嚇した。

 

「――お客様ッ! なにもお買い上げにならないのでしたら他の人の邪魔になりますので、是非に! もう即刻に迅速にこの場からお引取り願いたいのですがッッ!」

 

 身を乗り出すようにしてライダーに詰め寄るセイバー。だがライダーも負けじと前屈みになると、セイバーのおでこにくっ付くくらい顔を寄せてくる。

 もう互いの肌が密着するほどの至近距離。ここにお互が笑顔でありながら、火花を散らして睨み合うという実に珍妙な光景が展開されてしまった。

 

「セイバー。今の物言い、それがお客に対する店員の態度ですか? 貴女の品性を疑います」

「悪辣な客に鉄槌を下すのも店員たる私の勤めですから。ええライダー。貴女がどうしても営業の邪魔すると言うのであれば、私は騎士として天誅を下すまでです」

「天誅ですか。面白いですね。出来るなら見せてもらいましょう。ですがそう言うからには、貴女自身が逆の立場になっても文句は聞き入れませんよ?」 

「上等です。聖夜に相応しく蛇の三枚下ろしを見せてあげます」 

『フフフフフフ……』 

 

 かたやシックな雰囲気を醸し出す妖艶な美女ライダー。かたや真紅の衣装を身に纏った美少女セイバー。その二人が往来の真ん中で睨み合う光景というのは非常に迫力があった。

 ……っていうかさ、何でこんなことになってんだ? セイバーとライダーが睨み合う理由なんて何もないはずなのに。とにかく、あたりに被害が出る前に止めなければならない。

 そう思って手を伸ばした矢先、桜が二人の間に割って入ってくれた。

 

「やめなさいライダー! セイバーさんもやめてください! 今日は特別な日なんですよ? ケンカなんてする日じゃないです!」

 

 少しむっとした表情で桜が唇を尖らせている。

 彼女の特別な日という言葉。そして滅多に怒らない彼女の怒気を受けて、さすがに二人とも冷静な思考を取り戻してくれたようだ。

 

「……そうですね。桜の言う通りです。こんな日に争い事を起こすなど、私としては浅はな行動だったようです」

「申し訳ありませんサクラ。私も少し浅慮な行動を取ったようです」

 

 ペコっと桜に対して頭を下げるセイバーとライダー。だけど喧嘩相手には謝ることはせず、二人ともつーんとそっぽを向いている。

 喧嘩するほど仲が良いっていうけど、実際にどうなのか未だに不明瞭な二人の関係である。

 取り合えず仕切り直す意味も込めて、騒動の蚊帳の外だった慎二に声を掛けてみた。

 

「そうだ慎二。三人揃ってるけど、商店街に何か用事でもあるのか?」

「これから間桐の家で家族パーティーをするんでその買出しにさ」

「買出し?」 

「ああ。――っと、そうだ桜。折角だからここでクリスマスケーキでも買ってくか?」

「待ってください、シンジ。ケーキならサクラの手作りが用意してあります。士郎には申し訳ありませんが、今日はそちらを頂くことにしましょう」

「えー、桜の手作りかよ」

「……兄さん? もしかして、私の手作りじゃ不満?」

 

 凍えるような桜の声音は、氷柱のように慎二を貫いていた。

 

「ば……馬鹿言うなよ。今のはそんな意味じゃなくってだな……衛宮のバイトに貢献しようと思っただけさ」

 

 そっか。ありがとう慎二。だが今日はその気持ちだけ頂いておくことにする。

 

「もう行こうぜ。買う物が結構あるんだし、時間は有効に使わないと」

 

 慎二はそう言い放つと、さっさと一人で歩き出してしまう。

 

「仕方ありません。あまり長居してもお邪魔でしょうから。では士郎。また後ほど」

「先輩。お仕事、頑張ってくださいね」

 

 先に歩いて行った慎二の後を、桜とライダーの二人が追って行く。

 こうして間桐家の三人組との邂逅が終わったのだった。

 

 

 今日は聖なる日であり、決して厄日ではないはずだ。

 なのに不幸の兆しが現れてしまう。

 慎二達に続いて現れた人物はなんと――

 

「ごきげんよう、衛宮士郎」

「……」

「聞こえませんでしたか? ではもう一度挨拶を。――ごきげんよう、衛宮士郎」

「あ、ああ。こんにちは……カレン」 

「よう坊主。それに隣にいるのはセイバーか? 珍しい装いだなおい!」

「セイバーだと? ふむ。その趣向を凝らした服装も似合うな。だがそのような雑種と付き合うのはやめるが良い。品位を損なう」

 

 現れたのは敬虔なシスターを装っているカレン・オルテンシア。そしてニヒルな槍兵ことランサー。最後に傍若無人な金ぴかことギルガメッシュという、実に傍迷惑な三人連れが俺達の前に立ちはだかってしまった。

 

「衛宮士郎。こんな場所で一体何をなさっているのですか?」

 

 とても不思議です、とばかりにカレンの目が丸くなった。

 

「……見ての通り、ケーキ販売のアルバイトだよ」

「アルバイト。ならお仕事ですね。この寒い中で非常に感心なことです」

 

 そう言ったカレンは、背後に佇む二人のサーヴァントをねめつけながら、うちの無駄飯喰らいも見習って欲しいものですと付け加えた。

 

「おいおい、俺達だってこれからやる事があるって言うから、こうしてお前に付いて来てるんだろうが」

「本来なら我が雑用を手伝うなどありえないが、カレンの頼みならば聞いてやらぬこともない」

 

 ランサーに続いて渋々ギルガメッシュも頷いている。

 どうやらマスターであるカレンに“無理やり”連れ出されているようだ。

 

「で、カレン。そこの二人は何をする為に狩り出されたんだ?」

「おう、それだぜ、坊主」

「我も詳細は聞いていないからな。その問いには答えられん。なに、王は細かいことなど気にせんものよ」

 

 ……何も知らずに付いてきてたのか、こいつ等は。

 いや、でも、きっと。他に選択肢が無かったんだろうな。俺にもそういう経験があるし……。

 

「あら? 伝えていませんでしたか? 今日は聖なる日。ですから恵まれない人達に教会から炊き出しを行おうと思っているのですが」

「炊き出しだって?」

「はい。二人にはその際のお手伝いをお願いしようかと」

 

 何気ないカレンの一言。だがそれを聞いたランサーの眉毛が怪訝そうに寄った。

 

「……そういや昨日、やけにどでかい鍋を運ばされたが……」

「鍋か。我も今朝礼拝堂でそれを確認した。当然その時に中身を見たのだが……」

「何が入ってた?」

「聞きたいか、クーフーリン」

「そりゃな」

「……」

「何で黙ってやがる?」

「……いや、どうしても聞きたいというのか? 貴様は?」 

「俺たちゃ一蓮托生の身だろうが。さっさと言いやがれ」 

「覚悟があると。ならば良く聞くがいいランサー。鍋の中身――それはぎっしり詰まった麻婆豆腐だ」

「なん――だと?」 

 

 麻婆豆腐と聞いていつかの出来事が脳裏を過ぎったのか、ランサーが顔色を真っ青に変えた。

 

「……麻婆豆腐か。それってカレンの手作りか?」

「はい。夜なべして作りました」 

 

 俺の問いに即答するシスター。

 ちなみに鍋の大きさを確認したら、バーサーカーでも抱えれないくらいの巨大な代物らしい。それにぎっしりあのマーボーが詰まってるだって?

 

「私が誠心誠意、丹精込めて作った極上の麻婆。それを日付が変わるまでに配ろうと思っています」

「……正直、捌ききれねえと思うが」

「ランサー。万一にでも残ったら食べ物を粗末にする訳にもいけません。残りは二人に食べてもらうことにします。良いですねランサー。ギルガメッシュ?」

「あれを俺達に食えってか?」

「そうです。残ったらの話ですが」

「悪いなマスター。我はお腹がいっぱいだ」

「完食は義務ですよ、ギルガメッシュ」

「……」

 

 これはきっと要請ではなく、命令だ。なら二人に残された道は一つだけだろう。

 

「日付が変わるまでって……じ、時間がねえじゃねえかッ! ギルガメッシュ、今から配りに行くぞ!」

「待てクーフーリン。我は急用を思い出し――」

「ごちゃごちゃうるせえ! ほらさっさと行くぞ!」

「……セイバー。ゆっくり話すことも出来なかったが歓談はまたの機会にいぃぃ――」  

 

 ギルガメッシュの言葉が遠くヘと消え去っていく。さすがはサーヴァント随一の俊足を誇るランサーである。二人の姿はあっと言う間に地平線の彼方へ消え、見えなくなってしまった。 

 

「フフ。やっと働くことの喜びを悟ってくれたのですね。実に喜ばしいことです」

 

 嬉しそうにカレンが頷いている。

 俺は静かに二人の冥福を祈るべく、心の中で瞑目した。

 

 

 今日は誰彼出会う運命でもあるのだろうか。

 

「あら。セイバーに坊やじゃないの。二人で仲良くケーキ販売のアルバイト?」

 

 カレンの次に現れたのは、清楚な感じのドレスを身に纏ったキャスターだった。

 

「まあな」

「あなた達、珍しい服装をしているのね。赤くて、ふわふわしてて……もしかしてお揃い?」

「仕事着みたいなもんだよ」

「そうなの」

 

 不思議そうに首を傾げるキャスターにセイバーが声をかけた。

 

「そういえばキャスターは、サンタクロースの逸話が生まれる以前の出身でしたね」

「サンタクロースって、ああ。あの奇特な爺さまの衣装なのねぇ。でもそんなに赤かったかしら?」

 

 神代の魔女の異名は伊達ではない?

 サンタクロースをそこいらを歩いてる爺さんみたいに言うキャスターだった。

 

「まあ、いいわ。特に興味があるわけでもないし」

「キャスター。今日はご機嫌だな。何か良いことでもあったのか?」

「鋭いわね、坊や。さすがはセイバーのマスターといったところかしら」

 

 いやいや、マスター云々は関係ないと思うぞ。というかほっぺが緩みっぱなしのキャスターを見れば誰でも分かることだ。

 

「聞きたい? そうね。仕方ないわね。実はこれからねぇ、待ち合わせてデートなのよぉ」

 

 ハートマークがほわほわとキャスターの周りを飛んでいる。

 その姿を見て確信した。

 こうなってしまった人物には何を言っても響かないどころか無駄になる。今日のところは早くお帰り願うのが得策だろう。そう思った矢先、果敢にもセイバーがキャスターに挑んだ。

 

「待ち合せ? 確か葛木と貴女は一緒に住んでいるはずでは?」

「ええ、住んでるわよ」

「ならばわざわざ外で待ち合わせるのは効率が悪い。揃って家を一緒に出るべきだ」

「馬鹿ねぇセイバー。そ・れ・が良いんじゃないの。恋も料理と同じ。ひと手間増やせばそれだけ深みが増すのよ。待ってる間もデートの時間。あ、でも、宗一郎様なら早く来てるかもしれないわ。どうしようかしら、坊や?」

「……」

 

 またまたキャスターの周りをハートマークが飛んでいる。

 完全に葛木メディアモードだ。

 

「ああぁ、こんなことをしている場合じゃなかったわ。急いで待ち合せ場所に行かないと。そういうことで、じゃあねセイバー、坊や」 

 

 いそいそとキャスターが踵を返してこの場を立ち去る――かと思いきや、数歩進んだところでこちらに戻ってきた。

 

「一つ言い忘れてたわ」

「何だよ、早く行かないと遅れるぞ」

「やあね。坊やにじゃないわよ」

 

 キャスターはセイバーに顔を寄せると囁くような声で

 

「その赤い衣装、貴女にとても似合ってるわよ。今日は聖なる日なんだから、少しくらい大胆に攻めなさいな」

「なっ!?」

「じゃあ今度こそ行くわね」

 

 ひらひらと手を振って、キャスターが歩み去って行った。

 

「……何だったんだろうな、今の」

「わかりません。ですが……不思議と悪い気はしませんね」

 

 セイバーが隣に立って、キャスターが去った方向を見つめている。

 そんな彼女の横顔を越えて、夕日が地平線に落ちていくのが見えた。色々とやっているうちに、かなり時間をロスしたらしい。

 

「……夕方になってしまいましたね、シロウ」

「だな。けどまだ人通りはあるから頑張って売りきろうか!」

「はい」

 

 そうやって気合を入れあった時、カウンターからこっちを見据えている人物がいることに気付く。

 

「まだやってたんだ、士郎」

「遠坂!? お前なんでここに?」 

「私はあんたのバイトの様子を見にきてあげたんだけど」

 

 そう言った遠坂の後ろから、当然のように赤いアイツも現れる。

 

「まだ売れ残っているようだな、衛宮士郎」  

「もう夕方よ? 大丈夫?」

「いや……当初は順調に捌けてたんだけど途中で色々と邪魔が入ってさ。なに、今から売りきるよ」

「今からねえ」

 

 遠坂が夕日を眩しそうに見つめている。

 

「パーティーに間に合うの?」

「……間に合わせるさ」 

 

 実は俺とセイバーの仕事が終わり次第、衛宮の家でパーティーを開催する予定になっているのだ。そして遠坂もアーチャーもそのパーティーに出席予定なのである。

 たぶん待ちくたびれて様子を見に来たか、藤ねえあたりに無理やり来させられたのだろう。 

 他にはイリヤも来る予定になっていたが……。

 

「一つだけ訊くが、衛宮士郎。パーティーで振舞う料理の下拵えはお前がしたのか?」

「勿論だ。藤ねえに任せるなんて愚公は犯しはしないさ」

「そうか。お前も少しは成長しているののだな」 

 

 アーチャーが、何処か遠くを眺めつつ目を細めている。

 分かるぞアーチャー。お好み焼き丼(藤ねえの手作りご飯。味は察してくれ)の悲劇は一度だけでいいもんな。 

 

「……」 

 

 郷愁にも似た思いが、俺とアーチャーを包み込む。対する遠坂は、何やら考え込んでいる様子で――やおら時計で時刻を確認すると、彼女がケーキの在庫を眺め出した。

 それから暫し、開口一番遠坂が放った言葉は。

 

「仕方ないわね。こうなったら私とアーチャーが手伝ってあげるわ」 

「は? 手伝うって、ケーキ販売をか!?」

「そうよ。士郎は良いとしても、セイバーが風邪引いたら可哀想でしょ?」

 

 この寒空だしと、遠坂が肩を竦める。

 

「ねえ士郎。その衣装ってまだあまってるの?」

 

 セイバーを指差す遠坂。彼女はそのままカウンターの中へ入ってきて、羽織っていた上着を脱ぎだした。 

 

「あったら貸して欲しいんだけど」

「……確か予備が一着あったはずだけど。遠坂ならサイズは大丈夫か」 

「オッケー。それでいいわ。じゃあ次はアーチャーね」

「次だと? 分からないな、凛。いったい私に何を求めている?」

「もちろんアンタにも手伝ってもらうのよ」

 

 びしっと自らのサーヴァントを指差す遠坂。こういう時の遠坂に逆らわない方がいいのは、身を以って知ってるので、俺は黙ったまま口を挟まなかった。

 

「ほら、アンタ赤いし? 丁度良いじゃない」

「ますます分からないな。私が赤いと凛は嬉しいのか?」

「そうよ。じゃあねぇアーチャー。アンタその場でしゃがみなさい」

 

 遠坂が受け取った衣装を眺めつつ、何かを探している。そしておもむろに飾りつけてあった赤いポンポン(真っ赤な玉みたいなの)を掴み取ると、それをアーチャーの鼻の頭にくっ付けたのだ。

 

「……凛」

「ちょっと、動かないでってば」 

 

 自分の前にアーチャーをしゃがませたのは、アイツの顔の位置を下げさせる為か。この行為はさしものアーチャーも予想外だったようで、そのままの格好で固まってしまっている。

 

「アーチャーは赤鼻のトナカイに扮して客寄せをしてきて。士郎は重労働担当で私とセイバーでレジうちをするから」

「凛」

「じゃあ早速作戦開始ね!」

 

 パンパンと手を打って、遠坂が号令を発した。しかし、当然の如くアーチャーが異論を挟んでくる。

 

「ちょっと待て、凛」

「なによ、さっきからうるさいわよ、アーチャー」

「いや、さすがに意味がわからないぞ」

「わからないって、アンタが客寄せをして、士郎がケーキを売り切る。それだけじゃない」

「目的はわかるが、待遇に対して異議を――」

「却下。さあ早く商店街の真ん中で客寄せをしなさい。これはマスター命令なんだから」

「……」

「何なら令呪で縛ってあげるけれど?」

 

 これみよがしに腕まくりをする遠坂。それを見たアーチャーは苦々しい表情を浮かべながら

  

「…………………………………………了解した。地獄に落ちろ、マスター」

 

 そう頷く。

 ちなみに、ちょっとだけアーチャーの奴に同情したのは内緒だ。

 

「……」 

 

 余談だが、やけになったアーチャーの大活躍で客寄せは成功し、程なくケーキは完売した。けど奴のプライドは粉々に砕け散ったに違いない。

 その後のパーティー会場でずっと一人黄昏てたもんなぁ……。イリヤに背中をぽんぽん叩かれてた時のアイツからは哀愁しか感じ得なかった。

 合掌。

      

 

   



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第二十一話 エクストラな番外編一

 太陽が地に落ちて、月が空に昇ってくるまでの僅かな時間。あたりは夕闇に包まれていく。一般的に黄昏時という名が知られているが、この時間を逢魔時と呼ぶ人もいた。

 昼でも夜でもないこの一瞬は、人と魔物が出会うとされている不思議な時間で、もしかしたらそれは、この時間を境にして世界が変わってしまうからなのかもしれない。

 手を伸ばしても届くことはないが、寄り添うように隣にある世界。……とまあそんな戯言をふと考えてしまうくらいには、平穏な日常が続いていた。

 

「……もう朝か」

 

 学校へ行って、アルバイトをして、家に帰ったら魔術の鍛錬をして。休日には藤ねえの相手をしたり、慎二と遊びに行ったりと、かわり映えのしない毎日が続いている。

 少し変わったことと言えば、今年は空梅雨だったようであんまり雨が降らなかったことくらいか。

 空を見上げれば、何処までも続く青い空。見方を変えれば退屈だともいえる日々。それでも俺は、そんな平凡な時間がどんなに大切な存在かを知っている。掛け替えの無い、輝く時間なのだと知っている。

 

「朝飯どうするかな」 

 

 部屋を出て廊下を歩いて居間まで行く。そうして襖を開いた俺は、テーブル前で鎮座なされている“彼女”を見て、思わず驚愕の声を上げてしまった。

 

「な――っ!?」 

「ん? なんだ朝っぱらから騒々しい。何を大声で喚いているのだ、奏者よ?」

 

 真っ赤なドレスを纏った金髪の少女が、正座をしながら優雅に紅茶を飲んでいた。

 

「……っ」 

 

 誰かがテーブルについてお茶を飲んでいる。それ自体が問題ない。今の衛宮家では、俺の他にもセイバーと呼ばれる少女が一緒に暮らしているからだ。だから何も驚くことはないんだが……。

 

「えっと、セイバーだよ……な……?」 

 

 翡翠を思わせる緑色の瞳。金砂を集めて作ったような綺麗な髪。華奢な体躯は強く抱きしめただけで折れてしまいそうな儚さを宿しているが、その内に膨大な魔力も有している。

 些細な所作から感じる気品。確かにセイバーだと言われれば頷いてしまうほど似ているが、雰囲気が微妙に……いや、かなり違っている気がするのだ。

 

「……」 

 

 というかぶっちゃけあのセイバーが、下半身前開きで恥ずかし気なドレスを纏って、朝っぱらから優雅に茶なんぞ飲んでるのがおかしいじゃないか。しかも自己主張の強い真っ赤な色合いの衣服だぞ?

 何か悪いもんでも食べて体調でも崩した可能性も否定できないが……。

  

「なあセイバー」

 

 まず彼女の前に膝をついて同じ目線まで腰を屈めた。それから真剣な面持ちでセイバーを見つめる。

 柳眉というのだろうか。整った眉根が僅かに中央に寄っているのが目に入ってきた。俺の行動を把握しかねているのだろう。怪訝顔である。

 

「どうした奏者?」

「いや、セイバー。もしかして熱でもあるんじゃないのかと思って」

「熱?」 

「うん。悪いけどちょっと見せてくれ」

「え――なっ!?」 

 

 心配になった俺はセイバーの体温を確認しようと、ゆっくりと彼女目掛けて頭を近づけていった。

 

「な……なにをするつもりだ奏者よ? まだ日は高いぞ? というか、顔がちかい――」

「ほら動くなって」

 

 俺の行動が予想外だったのか、それとも何か勘違いしているのか。セイバーが若干慌てている。けど彼女が心配だし、熱は測らないといけないだろう。

 俺は相手に有無を言わせない勢いで顔を近づけると、そのままぴとっとセイバーのおでこに額をくっ付けた。

 

「――!!」 

 

 声にならない悲鳴を上げながらセイバーが目を見開く。だけど強引に引き離そうという気配はない。これ幸いと、その間に俺は互いの皮膚を通して相手の体温を確認する。

 ……うん。どうやら熱はないみたいだ。けど頬に赤みが指してきている気がするぞ。

 これはいわゆる風邪の引き始めなのかもしれない。ならば薬が必要だろう。そう思った俺は立ち上がるべく足に力を込めた……のだが、その前にどんっとセイバーに突き飛ばされてしまう。

 

「いてて。いきなり何するんだよセイバー。痛いじゃないか」

「そ、それはこちらの台詞だ奏者よ! そなたこそいきなり何をする!? 余に断りも無く身体に触れるでないっ! いや……その、勘違いはするでないぞ。触られるのが嫌だと言っている訳ではなく、余にも心の準備というものがだな……」

「準備?」

「だ、だから……」 

 

 なにやらゴニョゴニョと呟きながら、だんだんと言葉尻を小さくいていく彼女。なんか余とか言ってるし、やっぱり今日のセイバーは変だ。

 なによりドレスが赤いのが変だ。

 

「やっぱりおかしいぞお前。どうしたんだ? もしかして俺をからかってるのか?」

「おかしいのはそなたの方だ。そなたこそ……………そうか、ははーん!」

 

 そこまで言ってから、セイバーがピーンときたという得意気な顔をする。

 

「分かったぞ、奏者よ。余が昨晩そなたにあまり構ってやらなかったことを怒っておるのだな? 確かにアレは余も大人気が無かった。しかしそなたも魔術の鍛錬があるからと土蔵に篭ったではないか。そこら辺りはお互い様で……」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、セイバー!」

 

 何と言うか究極的に話が噛み合っていない気がする。そう感じた俺は彼女の言葉を指し止めて、暫し考え込んでみた。

 確かに俺は魔術の鍛錬を日課にしているし、昨夜も土蔵で鍛錬をしたはずだ。ちょっと頑張りすぎたのか珍しく寝坊してしまったが……。

 

「あ……れ?」

 

 その先を思い出そうとして、昨夜の記憶がとても曖昧なことに気付く。

 確かに鍛錬はした。したのだが……その後がうまく思い出せないのだ。何時ごろ終えたのか、そもそも部屋に戻って寝たのかすらも怪しい。

 でも起きた時は部屋にいたんだから、自分で戻ってきたのは間違いないはず。

 

「どうしたのだ、奏者?」

 

 難しい顔をしている俺を心配したのか。セイバーが覗き込んできた。

 

「……いや、まだ寝ぼけているのかもしれないけど……」 

 

 彼女に事情を説明すると「記憶が混乱しているだと? ふむ。もしかしたら投影魔術の弊害かもしれぬね」と眉根を寄せた。

 

「……」

「身体に負担のかかる鍛錬ばかりしておるからな、そなたは。無理を重ねればそういうこともあろう」

「そうかな……?」 

「今日は特に予定もないし、ゆっくりと休むがよい。それに余と駆け抜けたあの戦いの日々まで忘れたとは言わぬであろう?」

「戦い――」

 

 彼女の言葉を聞いた瞬間、脳内に様々な光景が蘇ってくる。

 青い、蒼い、電脳の世界。

 幾人ものマスターとサーヴァント。

 そして光り輝く、黄金色の劇場。

 それは素晴らしく色のある世界で――まるで“夢”のような軌跡だった。

 

「……覚えてる……っていうか、何だ、これ?」

 

 未だ思考はクリアにならず、不思議な違和感はある。

 だけど――

 

「そうか。覚えているのか。なら問題はない。――余はそなたと会えて嬉しい」

 

 眩しいくらい表情を輝かせる彼女。

 それは太陽を思わせるくらい朗らかな笑顔だった。 

 

  

 

 



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第二十二話 エクストラな番外編二

「奏者よ、余はお腹が減ったぞ」

「え? もうそんな時間か?」

「うむ。お昼時というやつだな」

 

 セイバーに言われて壁掛けの時計を確認してみる。すると彼女の言った通りもうすぐお昼という時間帯だった。少し寝坊したのに加えて朝から色々あったし、二人とも朝食を食べるタイミングを逃していた。

 そりゃ腹も減るか。

 

「よし、なら何かぱっと作っちまうか!」

 

 そうと決まれば後は行動するのみ。俺は居間から台所へと歩みを進め、昼飯を作るべく冷蔵庫を開けた。

 しかし……。

 

「……あれ? おかしいな。空っぽじゃないか」 

  

 冷蔵庫の中は大宴会を開いた後のように空っぽで、料理を作れるような状態じゃなかった。衛宮家ではインスタント系の食品はあまり置かないことにしているから、買い物に行かないと飯が作れないことになる。

 

「うーん、困ったな」 

 

 買い物に行くのはやぶさかではないが、朝食抜きのセイバーをこれ以上待たせるのは忍びない。

 何せ原因は俺の寝坊にあるのだ。

 

「……」 

 

 ポケットから財布を取り出して中身を確認する。

 アルバイトが主な収入源の俺にとって無駄遣いはなるべく避けたい事態だ。貯金というか、切嗣が残してくれた遺産もあるが、アレの管理は藤村組……もとい、雷画爺さんに頼んである。

 

「……」 

 

 お札の枚数を数えてから、視線を居間にいるセイバーに向ける。すると彼女が“でん”と両手をテーブルの上に乗せて、王様よろしく出来上がる料理を待っている様子が見えた。

 心なしか、ちょっと楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。

 

「まあ、たまには良いだろう」

 

 無駄遣いは避けたいが、まったく余裕が無いわけじゃない。

 俺は居間まで戻ると、セイバーにご飯が作れなくなった経緯を話し、なにか出前でも取ろうと持ちかけることにした。

 

「悪い、セイバー。ちょっと冷蔵庫が空っぽでさ。出前でも取ろうと思うんだけど」

「出前?」

「うん。寿司とかピザとか、他にも色々あるけど、選んでくれるか?」

 

 確か電話の近くにメニューが纏めて置いてあったはず。そう思って取りに行こうとすると、彼女から待ったがかけられた。

 

「奏者よ。材料が無いなら買ってくるがよい。そなたが買い物から戻ってくる時間くらいならば余も我慢しよう」

「けど良いのか? たぶん結構時間がかかると思うぞ」

 

 商店街で買い物して戻って来るだけだが、なにせ冷蔵庫が空っぽなのだ。買い物そのものに時間がかかるし、戻ってから調理する時間も必要だ。

 その旨をセイバーに伝えるが、彼女はやんわりと首を振った。

 

「よい。そなたが戻ってくるまで道場で思索でもしておこうと思う。あの場所は静かなので余の芸術家魂が騒ぐのだ」

「芸術家魂?」

「うむ。素晴らしいアイデアが浮かぶやもしれぬ。だから気にせず出掛けるがよい」

 

 そう言って微笑む彼女は、まるで薔薇を纏う皇帝のように煌びやかで荘厳だった。

 

「……わかった。なるべく早く戻って来るよ。っとそうだ。セイバーは何か食いたい物とかあるか?」

 

 せめて彼女の食べたいものを作ってやろう。

 そう思って聞いたら

 

「あるぞ。――そなたの作る手料理だ」

 

 なんて、冗談みたいな答えを返してきやがった。

 

 

 ――マウント深山商店街。

 衛宮家から坂道を十分ほど下ると、深山の台所事情を担う商店街に出ることができる。

 最近では新都のデパートに客を取られたりもしているが、まだまだ商店街は盛況で、夕方なんか学校帰りの学生たちが立ち寄って賑やかなくらいである。かくいう俺も、もっぱら買い物はここを利用しているし、遠坂や桜なんかもちょくちょく使っているみたいだ。

 品揃えも豊富で買い物するには事欠かない、良い商店街。

 ――だが、ここで一つの問題が発生してしまう。

 何を隠そう、商店街に入ったあたりから何者かの鋭い視線を感じているのだ。

 

「……」 

 

 視線の主は俺の後方から、付かず離れず一定の距離を保ったままついて来ている気がする。

 足音を立てず、獲物に狙いを定める狼のような気配。

 

「ッ!!」

 

 思い切って後ろを振り返って見た。――っとその瞬間、誰かが慌てた様子で電柱の後ろに隠れるのが目に入った。

 

「…………えー」 

 

 確かにその人物は身を隠した。隠したのだけれど、着ている衣服の袖らしきものが電柱からはみ出ている。

 和服ぽいそれと、明るい桃色の髪の毛(かなり長い)も見え隠れしているので、そこにいるのは女の子なのかもしれない。

 

「……」 

 

 さてさて、ここはどうするべきか。

 近づいて声をかけるべきか、それとも無視するべきか。

 俺をつけていたのは十中八九彼女?だろう。常識的に考えればそんな怪しい人物は無視してしかるべきだなのが、もしかしたらなにか特別な用件があるのかもしれない。

 

「あのさ……」 

 

 しばし逡巡するが、結局声をかけることにした。だって気になるじゃないか。だが電柱の影から返ってきたのは「こーん!」なんて狐みたいな鳴き声。

 

「……え!?」 

「……………………(しまった!!)」

 

 一瞬にしてあたりが静寂に包まれる。

 誤魔化すにしてもこういう場合は猫真似(にゃあ)と相場が決まっている。

 なのに狐……。

 妖しさが百万倍された瞬間だった。

 

「えっと、そこの狐さん?」

 

 電柱を注視していると、なんとなく“失敗したなぁ”という雰囲気が柱の影から伝わってくる。けれど俺にも突っ込む程の心の余裕がない。

 

「……」 

 

 眺めている間も延々と電柱の影に隠れ続ける彼女。もう見つかっているのだから隠れている意味はないと思うんだけど、飛びだしてくる気配もない。

 ここで一種の閉鎖空間が形成されてしまった。よくある“先に動いた方が負け”というアレである。

 

「……にゃあ」

「遅いって」 

 

 もしかして俺が声をかけない限りずっとこのままなのだろうか。これがゲームなら、画面中央になにか選択肢が表示されているのだろうが……。

 そんな間抜けなことを考えていたら、商店街に並ぶ店の一つから威勢の良い掛け声が響いてきた。

 

「よう! 坊主! 往来のど真ん中で立ち止まってなにしてんだ?」

「ラ、ランサー!?」

「もしかして買い物の途中か? なら何か買ってけ」

 

 声をかけてきたのは、豆腐屋の前で元気良く水を撒いている長身の男――ランサーだった。

 彼はいつもの青い槍兵スタイルではなく、手には柄杓、そして長靴に白エプロンという姿で仁王立っている。たぶん仕事着なのだろうが実に似合っていない。

  

「なんだその格好……。もしかしてカレンから罰ゲームでも言い渡されたのか?」

「馬鹿言うな。見ての通りバイトだよ、バイト!」

 

 ピッっと手にした柄杓を構えるランサー。

 どうやら決めポーズのようである。

 

「バイトって、確か喫茶店で働いてなかったか?」

「……ああ。ありゃ首になった。誰かさんの所為でな……」

 

 決めポーズから一転、哀愁漂う背中を隠そうともせず遠くを見つめるランサー。確か以前にそんなことを言っていたような気もするが……ここは深く問うまい。

 誰しも触れられたくない過去というものがあるものだ。

 

「コホン」 

 

 俺は一つだけ咳払いして、改めて店構えを見た。

 

「で、今は豆腐屋でバイトしてるってわけか」

「まあな。けど働いてみりゃここも案外悪くねえ。朝は早いし仕事はキツイが、飯がうまいしな」

 

 ニヤリと笑って店にある商品を指差すランサー。

 俺も良く利用しているから知っているが、確かにここの豆腐は絶品だ。

 

「ほれ、特に今日の厚揚げは最高の出来だし、こっちの油揚げなんかも――」

『あ……油揚げですと――っっっ!!!!』

 

 ランサーの声を拾ったのか、先程の電柱の影から素っ頓狂な女性の叫びが響いてきた。

 

「……なんだ。アレは坊主の知り合いか?」

「いや……」 

 

 俺とランサーが並んで見つめる電柱。そこから身を乗り出した姿勢のまま“しまった”という風に顔をしかめている女の子が一人。

 ――そう、女の子なのである。

 青色を基調とした奇抜な和服。けれど髪の色が綺麗なピンクなので、遠目にも日本人には見えない。もちろん俺の知り合いにあんな女の子はいない。頭に動物の耳を模したカチューシャを付けている辺り、もしかしたら噂のコスプレというやつなのかもしれない。

 

「……えへへ~」

 

 罰が悪そうに頭をかきながら、ぴょこぴょこと歩いてくる女の子。それに合わせて耳の飾りも動いていた。

 実に不思議な仕組みである。

 

「本当はもっと劇的な出会いを演出したかったんですけど……はぁ、仕方ないですねぇ」

 

 鈴を転がすような可愛い声と軽快な喋り方。

 案外見た目よりも若いのかもしれない。

 そんな彼女の前に、ランサーが進み出た。

 

「何だァ? 服装からもっと年寄りかと思ったんだが意外に若いじゃねえか。まあ女は若いに限るんだが――」

 

 目を細めて女の子を凝視するランサー。 

  

「テメエ、もしかして狐の化……」

  

 ――ガンッ!!

 瞬間、激しい衝撃音が鳴り響き、続いてランサーが大地に突っ伏していた。

 

「……」 

 

 何処から取り出したのか、女の子の周りを重厚な鏡が回っていた。鏡と言っても、よく歴史の教科書なんかで見る重そうな銅鏡に似ている。アレでガツンと殴られたのだとしたら相当に痛いだろう。

 最悪死ぬかもしれない。

 もちろん自分で確かめようとは思わないので、ここは大人しく黙っておくことにした。

 

「……痛ぇなおい。テメエいきなり何しやがる!?」

「乙女に向かって年寄りとは失礼極まります。自業自得です。天罰です」

 

 さすがはランサー。常人なら即死してもおかしくない一撃を受けながら即座に復活するあたり、光の御子の名は伊達じゃないらしい。けれど殴った女の子は、ランサーからの威圧感などすず風とばかり軽くいなしていた。

 ある意味凄い胆力である。

 その彼女が、ランサーをぐいっと押し退けて俺の前まで歩いてきた。

  

「な、何か俺に用があるの……か?」

「ん~、用件があるといいますか、主様の魂の色に惹かれたといいますか、要はアレです。運命の出会いというやつなのです!」

「運命の出会いだって?」

「はい!」

 

 笑顔で即答する彼女。だが初対面で運命とか言ってくる相手は高確率で詐欺師だと爺さんからも聞かされている。なんか壷とか買わされるらしいし。

 

「……悪いけど、間に合ってるから」

「私、全然妖しくないですから!」 

 

 慌てた様子で縋りついてくる和服の女の子。そんな彼女から、突然くるる~という可愛い音が鳴り響いてきた。

 

「え……と、えへへ~。お腹鳴っちゃいましたね」

 

 少し顔を赤らめながら舌を出す彼女。

 

「もしかして腹が減ってるのか?」

「……ええ。実はここ数日何も食べていないものでして。ですから私としたことが“油揚げ”という単語に反応してしまって。……えっと、別に食いしん坊とかそういう訳でじゃないですからね!」

「お金も持ってなかったり?」 

「まだ“ここ”のものは手に入れてなくって。……ああ、いえいえ、別に私は家出少女という訳ではないのですよ。ですから本当に怪しい者じゃなくってですね……」

「俺、無宗教だから」

「宗教の勧誘でもないですっ!」 

 

 身振り手振りで自分は怪しい者じゃないと説明する女の子。

 正直言って見た目は凄く怪しい。可愛いのは間違いないが、裏がありそうな気配を感じる。けど俺には“悪い子”には見えなかった。

 なによりお腹を空かしている。

 

「…………なあランサー。これでこの子に……」

「何か食べさせてやれってんだろ?」

 

 財布から札を取り出したのを見て、ランサーが“分かってるって”と言わんばかりに親指を立てていた。

 

「ちょうどがんもが揚がる頃合だ。とりあえず食う分にはソレで十分だろ?」

「が……が・ん・も・ど・きっ!」

 

 がんもと聞いて目を輝かせる女の子。

 喜びを表現するように頭の耳飾りがピクピクと動いている。しかし小躍りしていた動きを止めると、上目遣いに俺を見つめてくる。

 

「あのー、良いんですか?」

「なにが?」

「ですから私のような見ず知らずの子を助けてしまって。ただのたかりかもしれませんよ?」

「ああ。なんていうか、困ってる奴は放っておけない性分なんだ」

 

 それに関わってしまった。

 俺が意図したことじゃないけど、こうやって言葉を交わしてしまったのなら、せめて相手の説明くらいは聞いてやるべきだろう。その結果、俺に出きることがあるなら力になってやりたい。

 だって、なにより俺が、誰かに助けられた結果としてここにいるのだから。

 そう決心した俺は、ランサーにがんもの代金を手渡していた。

 

 



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第二十三話 エクストラな番外編三

 衛宮士郎がランサーや謎の少女と戯れている頃、同じ商店街にある喫茶店にて“闇の世界”に属する一つの会合が行われていた。

 出席者は全員で四名。

 彼等は店内の一番奥まった場所にあるテーブルに腰掛け、二人ずつ対面になるようにして顔を合わせていた。

 瀟洒な雰囲気の漂う落ち着いた店内は、シックな感じに統一されていて、優しいBGMとコーヒーの鮮やかな香りが訪れるものをリラックスさせてくれる。また表通りには面していないため、周囲の雑音も遠く話をするには最適な場所に思えた。

 人には訊かせられない“秘密の話”をするにはうってつけの場所といえよう。

 

「はい。これで結構よ。後はこちらの用紙にサインを頂ければ手続きは終わり。冬木の管理者としてあなた達の滞在を許可するわ」

 

 そう言って微笑んでいるのは、黒髪が似合う一人の少女。

 彼女は優雅な仕草で自身の前に置いてあった紙片を手に取ると、ペンと一緒に対面にいる人物に手渡している。少女はこの場にいる人物の中では一番若いが、彼女が中心となって話が進められているようだ。

 能動的で明朗快活。赤を基調とした服を纏い、艶やかな黒髪を頭の横でツインテールに纏めている。

 彼女の名前は遠坂凛。

 この冬木市における裏の世界の管理者である。

 

「これで万一の事態にもこちらで対処、バックアップが可能となります。問題を起こしてもらわないのが一番ですが……最近は正規の手続きを踏まない輩も多くて、困っていたところなの」

「物騒な世の中ですからな。保険をかけておくに越したことはない」

「あら? それはお互いの安全の為と受け取ってもいいのかしら、ダン・ブラックモアさん?」

 

 凛がブラックモアと呼んだ人物は初老の男性だった。

 例えるなら樹齢千年を超える大木だろうか。

 年齢――年輪を重ね大きく成長した樹木のように揺ぎ無い意思がその風貌から見受けられる。対面から凛を見据える視線には、年齢による気力の衰えは見えなかった。

 老境に達した孤高の戦士。それがダン・ブラックモアという人物に対しての凛の感想だった。

 そんな二人の隣には、それぞれ主を守る“護衛”が腰を落ち着けている。

 言い換えるならば騎士。

 

「……」 

 

 凛の隣にいるのは赤い外套を纏った白髪の青年。

 長身ながら無駄なく鍛えられた身体は精強で、褐色の肌と相まって見る者に精悍さを感じさせる。また短く刈り込まれた白髪も若さを損なうものでは無い。

 

「…………」 

 

 ダンの隣にいるのは金髪の青年である。

 整った顔立ちに長身痩躯と、多くの女性に好まれそうな風貌をしている。彼は緑を基調とした服を着ているが、その上から羽織っているマントも緑色なので、何処か森の狩人を連想させてくれた。

 彼らは共に“アーチャー”と呼ばれる者達なので、便宜上ここでは赤いのをアーチャー、緑色のをロビンと呼称することにする。

 

「しかし日本は良いですな。実に平和だ」

 

 ダンが窓の外の風景を眺めながら、自身の前にあるカップを手に取った。彼とロビンの前には緑茶を湛えたカップと大きめの苺大福が置いてあり、その取り合わせが実に和を思わせる。

 

「道行く人にも笑顔が溢れている」 

 

 対する凛とアーチャーの前には紅茶とショートケーキが置かれていた。

 その光景だけ見れば、どちらが日本人か分からないくらいである。

 

「本当に旦那の言う通りだと思うぜ。日本は良い。特に“緑茶”がうまい。ある意味でお茶の究極かもしれない」

 

 ロビンもダンに習いカップを手に取る。

 しかしその行為を目にした対面のアーチャーが、彼の物言いに難癖をつけてきた。

 

「やれやれ。緑茶が究極だと? 何もわかっていないのだな君は」

「あん? 何だとテメエ? 俺の趣向に文句でもあるってのか?」

「フッ。文句をつけるつもりはないがね。あまりにも事実とかけ離れた物言いに呆れてしまっただけだ」

 

 嘆息しながらアーチャーが肩を竦める。

 

「良いかロビンとやら。世界で流通する茶のほとんどが紅茶なのだ。これが意味するものが何か? もっとも人々に親しまれているということだ」

「親しまれてるだと?」

「その通り。――香りが良く種類も豊富。また飲み方ひとつ取っても砂糖にミルク、レモンにジャムなどをプラスすることによりその味わいが増す。これの何処に緑茶が勝る要素があると言うのかな? 言うなれば至高のお茶。それが紅茶だ」

「……」

「何より、赤いしな」

「ハハッ! 紅茶が至高? それこそお笑い種だ。茶の歴史を知ってて言ってるのかテメエは?」

 

 ロビンがカップの中身を煽り、挑戦的な目でアーチャーを睨みつける。

 

「馬鹿なテメエにも分かるように説明してやるから、耳のあなかっぽじってよーく聞きやがれ」

「ほう。無駄なことだと思うが、聞かせてもらおう」

「いいか、茶の歴史は古く紀元前まで遡る。だがテメエの言う紅茶が広く普及したのは18世紀中頃だ。歴史が違うんだよ歴史が」

「歴史だと? そんなものがなんの足しになるというのだ。積み重ねたものの偉大さは理解するが――そんな論法では私を納得させることは出来ないぞ」

「ふっざけんな。緑茶が不発酵茶だと知っているな? だから熱を加えない紅茶より栄養分を多く含んでいる。カロチンに至っては紅茶の七倍だ七倍! 更にビタミンCを多く含んでいるから身体に良い。紅茶なんて殆どビタミンCは失われているんだぜ」

「何だ? 身体に良いから美味しいとでも言うつもりか。それこそ馬鹿な話だ。身体に良いと主張するだけなら薬にでも分類するのだな」

「なんだとッ!? もう一片言ってみやがれッ!」

 

 テーブルを挟んで睨みあう二人のアーチャー。どちらも自分の主張を曲げず今にも掴みかからん勢いだ。しかしそんな二人をそれぞれのマスターが諌める。

 

「いい加減にしろアーチャー。緑茶がうまいのには同意するが、場を弁えろ」

「アナタもよアーチャー。紅茶が至高なのに異論はないけれど、場を弁えてね」

 

 一瞬だけダンと凛の間にも火花が散ったが、そこはマスターたる者。ダンは老練に、凛は優雅に矛を収める。マスターが収めたのだから従者もそれに従った。

 お互い、渋々ではあるが。

 

「コホン」

 

 咳払い一つ。

 凛が場を落ち着かせる。それから改めてダンに微笑み(営業スマイル)を向けた。

 

「……それで、ダン卿。今回の訪問の目的を教えてもらえるかしら? わざわざ冬木まで何をしにきたの?」

「書類に明記した通り観光だよ。儂もいささか年だ。激務に疲れてね、休暇を平和な日本で過ごしたいと思っただけだ」

「本当に? 失礼ながらアナタのことは調べたわ。ダン・ブラックモアといえば“その筋”じゃ有名よね。ただのお爺さんみたいに暢気に観光するなんて思えないのよ」

「さすがに五大元素使い――アベレージ・ワンのお嬢さんだ。実に聡い。けれど本当に観光に来ただけだよ。心配は無用だ」

「……すっとぼける気?」

「そんなつもりは毛頭ないが、今の段階ではどうにも出来ぬだろう。云わば押し問答になるだけだ。違うかな、お嬢さん?」

「ふ~ん。お互いの立場を良く理解してるわね。こりゃ食えない爺さんだわ……」

 

 はぁと凛が溜息を吐く。

 無用な争いを避けたいのはもちろんだが、押し問答してそれが火種になっても困る。冬木の管理者として彼女にはこの土地を守る義務があるのだ。

 

「……仕方ないか」 

 

 手続きが正式なものなら無視はできない。なら後は禍根を残さず別れるだけだろう。そう思った凛が場を纏めようとした時、隣の“アーチャーズ”が再びヒートアップし始めていた。

 二人は密かに“お茶”談義を重ねていたようである。

 

「おいおいおいおい、アンタ日本人だろう? 何で緑茶を否定するんだ? 緑色なんて最高じゃないか」

「馬鹿か君は。いつ私が緑茶を否定した? 私はただ紅茶の方がより優れていると言っただけだ」

 

 困ったものだとアーチャーが肩を竦める。

 それからロビンを見やり 

 

「そういう君こそ英国人だろう」

「だから?」

「イギリスこそ紅茶の本場。茶葉の栽培から始まり、萎凋、揉捻、玉解、篩分、揉捻、発酵、乾燥、抽出と工程を八節に分けて作り出される至高の赤。物事の本質を理解出きるのなら自ずと悟れそうなものだが」  

「テメエこそ理解してねえぜ。確かに紅茶も素晴らしい飲み物だ。それは認める。だがな緑茶は単純に呑むだけじゃなく茶道に通じる“様式”と“芸道”が和を感じさせる一品なんだ。いわば“心”だよ」

「心だと?」

「ああ。例えば――」

 

 そう言うなりロビンは、目の前にあった苺大福を手で掴み取ると、大きな口で頬張り始めた。そしてすぐに緑茶を喉の奥に流し込む。

 

「あぁ! うめえ! 和菓子に緑茶。まさしく最高だろうが!」

「ぬ……。しかし紅茶とて洋菓子との相性は抜群。お茶請けとしてその存在は負けてはいない」

 

 アーチャーも対抗するべく目の前のシュートケーキにかぶりつくと、後から紅茶をゴクゴクと飲み干していく。

 

「フッ。うまい。ケーキと紅茶こそティータイムを彩る正しい風景だな」

「このわからずやめ……!」 

 

 テーブルを挟んで睨みあう二人の弓兵。

 互いが相手を射抜くべく、視線に力を込める。

 これは引けない戦いだ。

 何故なら、お互いの魂の尊厳がかかっているから。

 

「ここまで言ってわからねえとは。相当な頑固者だ。……だから赤色は嫌いなんだ」

「そういう君こそ引くことを知らないな。弓兵は引き際が肝心だぞ」

「……俺に弓兵の道を説くとは良い度胸だ。よし決めたぞ。テメエには何が何でも緑茶の素晴らしさを叩き込んでやる!」

「ほう。実力行使か。面白い。君程度の力で私を納得させられるはずもないが、出きるならば見せてもらおう」

「その言葉、後悔させてやる! 和の究極、よく味わいやがれ――ッッ!!」 

 

 何を思ったのか、ロビンは隣にあった“ダンの苺大福”をいきなり鷲掴むと、祈りの弓と呼ばれる自身の宝具に乗せて撃ち放ったのだ。 

 

「ぬう――!?」 

 

 自身の前から忽然と姿を消した苺大福。その行為を呆然と眺めるダン・ブラックモア。 

 

「甘いッ!」 

 

 奇襲とも取れるロビンの襲撃。だがアーチャーとて錬鉄の英霊。

 弓兵のサーヴァントである。

 彼はロビンが苺大福を投げるのに合わせて、自身の宝具である絶対的な防壁を構築していた。

 

『――“熾天覆う七つの円環”――!!』

 

 アーチャーが生み出したもの、それはかのトロイア戦争において使用された英雄アイアスの盾。“投擲”に対しては無敵を誇る最強の守りである。

 結果として、祈りの弓によって放たれた苺大福をアイアスが受け止めた。その背後に隠れていた第二の矢である緑茶のカップでさえも。

 宝具の衝突に合わせて、店内に激しい轟音と爆風が吹き荒れた。

 その後に残されたのは、散々に打ち砕かれた店内だけ。 

 

「……馬鹿な。俺の二連撃を防いだ……だと?」

 

 呆然と佇むロビンの口から苦々しい呟きが漏れる。足元のテーブルの残骸を踏み潰し、苛立ちを紛らわせようとするがうまくいかない。彼としては絶対の自信があった攻撃だったから。

 そんな彼の肩に手を置く者がいた。

 

「旦那……?」

 

 彼のマスターたるダン・ブラックモアである。

 

「すまねえ旦那。ついカっとなっちまった。惨状の責任は取る。それにもう一度やりゃあんな奴――」 

「苺大福……」

「……は?」

 

 ロビンを口上を遮るようにして、ダンの重々しい言葉がこの場に満ちた。

 

「儂の苺大福……。最後まで楽しみに取っておいた……儂の……」

 

 ロビンの肩に置かれているダンの手に力が篭り、万力のようにロビンを締めつけていく。

 

「痛っ! 痛えですって旦那! 暴れたのは謝りますから、手を離して……く……れ…!」

「そんな瑣末事で怒る儂ではない!」

 

 バンッ! とロビンを突き飛ばし、ダンが右手を突き出す。

 

「潰れた家屋は修理すれば直る。テーブルも椅子もだ。しかし至高の苺大福には二度と会えぬやもしれぬ!」

 

 怒り心頭。

 ダン・ブラックモアはもう止まらない。 

 

「アーチャーよ。お前にはほとほと愛想が尽きた。やはりお前には令呪による縛りが必要なようだな」

「は? よしてくれ旦那! 令呪なんて……冗談だろ?」

 

 じりじりと後ずさるロビン。

 そんな彼にマスターの非常なる宣言が突き刺さる。

 

「儂は冗談は嫌いだ」

 

 その言葉を受けて脱兎のごとく走り去るロビン。だが彼が店を出るよりも早くダンの令呪が炸裂した。

 

「聖杯の盟約に従いアーチャーのマスターが命じる。アーチャーよ。これより先、生ある限り儂の許しなく甘味を食べること禁ずるっ!!」

『ぎゃああああああああああああああっっっ!!!』

 

 令呪の裁きがロビンを討つ。

 サーヴァントは令呪には逆らえない。

 哀れロビンフッドは、ダン・ブラックモアの許しなしに甘味を取ることが出来なくなってしまった。

 

「え~と……」 

 

 そんな一連の光景を眺めながら凛は思った。

 もしかしたらこの爺ぃ、本当に観光に来ただけなのかもしれないと。

 

  

 

 



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第二十四話 エクストラな番外編四

 住宅街が茜色に染まる頃合、この時間帯はいわゆる夕飯時であり、衛宮家でもちょうど夕食が開始されようとしていた。

 今日のメニューは魚やてんぷらを中心とした“和”を重視した作りになっている。

 良質の豆腐が手に入ったこともあり、彼女の好みに合わせて油揚げを使った味噌汁を作りたいと思ったからだ。もちろん栄養バランスも十分に考えてあるし、副菜も気合を入れて作った。その甲斐あって、テーブルの上にはとてもうまそうな料理が所狭しと並んでいる。

 

「よしっと」 

 

 準備を完了してからテーブルにつく。

 うまい料理は家族団欒の中心であり、食事時の話を彩る脇役だ。新しい同居人を歓迎する意味でのご馳走……はちょっと言いすぎかもしれないが、俺的には会心の出来であるといっても良い夕飯。これだけの料理を揃えたのだから、きっと“二人”とも喜んでくれる。そう思っていたのに、どうしてだろうか。セイバーの様子がおかしいのだ。

 ありていに言ってしまえば不機嫌なのである。

 彼女は唇を真一文字に結んだまま、テーブルの端に陣取り料理をじーと睨んでいた。

 

「えっと、セイバー? もしかして体調でも悪いのか?」

 

 と、心配して声をかけてみるが

 

「……悪くない。むしろ良い」

 

 と言ってそっぽを向いてしまうのだ。

 まあ昼食の買出しに出て夕方まで待たせてしまったのだから、セイバーが怒るのも無理はない。きっと腹が減って気が立っているんだろう。だから飯を食えば彼女の機嫌も直るはずだ。

 そう思って場の主役である“新たな同居人”を紹介することにした。

 

「セイバー。今日からここで暮らすことになったタマモ……さんだ。ひょんなことから知り合ったんだが、聞けば色々と困っているようなんで、一人で生活できる目処が立つまでは面倒を見ようと思ってる」

「……」 

「仲良くしてやってくれ」

 

 そう言ってタマモさんに目線を向けた。

 ピンク色の髪に青色が特徴的な和装姿。商店街で出会った彼女は部屋の隅で猫みたいにちょこんと座っていた。その彼女をテーブルまで連れてきて座らせる。位置的には俺の隣で、セイバーの対面になる。

 だけどその際に彼女は

 

「もう、ご主人様ったら。タマモさんだなんて他人行儀な。どうぞタマモと呼び捨ててくださいな。その方が私も嬉しいですし!」

  

 なんて黄色い声で懐かれてしまった。

 俺も他人を“さん付け”で呼ぶのには慣れてないから、呼び捨てで構わないというのは正直助かった。ただ俺に対しての呼称はどうにかならないものか。

 

「じゃあタマモ」

「はい! ご主人様!」

 

 何が嬉しいのか、彼女は目を子供のようにキラキラさせて顔をずいっと近づけてきた。なんと言うか、俺に命令されるのを待っているかのような姿勢……タマモって従属属性でもあるのだろうか。 

 

「……あのさ、そのご主人様っての何とかならないか?」

「何とかとは、一体どのような意味でですか?」

「だから、他の呼び方に出来ないかってことだよ。俺はご主人様って呼ばれるような大層な人間じゃないし、衛宮士郎って名前もある」

「そんな! あなたは間違いなく私のご主人様ですよ。何より私がそう呼びたいのです。だからそう呼ぶんです。もう決めちゃいました」

 

 えへ! なんて笑顔を振りまきながら、うんうんと頷くタマモ。

 

「ご主人様はタマモの命の恩人です。ですから一生お使えすると心に決めたのです! もう決定事項ですから、ご主人様といえどこの件に関しての変更は受け付けません」 

 

 そう言いながらそっと腕を伸ばしてくる。

 

「タマモ……?」

「まったくの他人である私を拾ってくださった優しいご主人様。その内なる魂の色はとても輝いて見えます」 

 

 しなだれかかるというか、擦り寄ってくるというか。タマモが近づくにつれて彼女の甘い香りが、その吐息が、はっきりと感じ取れるようになっていく。

 その所為なのかわからないが、俺の心拍数も少しづつ増してくる。

  

「ご主人様。私は――」

 

 タマモの腕が俺の首筋を通り抜け、ゆっくりと背中に廻されてくる。そして彼女が俺を抱きしめようとした瞬間、ふっとタマモの存在が目の前から消えた。

 

「ふぎゃっ!」

 

 尻尾を踏まれた猫のような声は頭上から。

 どうしたんだろうと良く見れば、セイバーがタマモの首根っこを掴み上げたまま持ち上げていた。

 

「ななっ、何をするんですかあなたは! いきなり人を掴み上げるなんて!! 失礼極まりないです!」

 

 喚くタマモも何のその。セイバーはタマモを掴んだまま俺を見下ろして――そのあまりにも冷たい視線に、一瞬にして心臓が凍り付いたのは言うまでもない。

 

「――奏者よ。前口上はそれくらいにしてそろそろ食事を始めよう。余の我慢にも限界というものがある。そう、限界がな」

「……あ、ああ。悪い。そうだよな。腹減ってるよなセイバー。……うん。すぐに用意を終わらせるからさ、もうちょっとだけ待ってくれ…」

 

 今のセイバーに逆らうのは命に関わる。何故だか確信にも似た直感が俺の身体を突き動かした。

 そこからの俺の行動は迅速だった。一切の無駄なく行動し、ランサーもかくやという神速でご飯をよそってはテーブルに並べ、各自の前にお茶と味噌汁を用意する。

 その間のセイバーはといえば、タマモを自身の隣に叩きつけるように戻してから(これで俺の対面に二人が座る格好になった)拗ねたように唇を尖らせつつも、俺の行動を監視して下さっていた。

 かなりご立腹の様子なので、俺は上官に睨まれた兵士よろしく、一切の文句も言わず働くしかなかったものである。

 

 こうして三人で卓を囲んでの食事が始まった。

 セイバーにもタマモにも料理の受けは上々で、そのおかげか若干セイバーの機嫌も和らいだ気がする。タマモはタマモで料理の味に感激して飛び跳ねそうな勢いだ。

 和食ということで箸が使えるのか心配だったが(ピンクの髪だし日本人じゃない可能性が高い)問題なく使えているようだ。セイバーも器用なのだろう。箸の扱いは俺より上手いくらいである。

 さて、この間にタマモが家に来ることになった経緯を簡単に説明しよう。

 商店街で“がんも”を購入し、彼女の話を聞きがてら食べようかと近くの公園に立ち寄った。

 

「実はですね……」

 

 よくよく聞けば彼女に身寄りはなくて、頼る人もいないとか。かといってなにか重大な目的があって行動しているわけでもないらしい。このまま放っておいたら行き倒れ確実だろう。

 少女の身で寒空は堪える。

 幸いというか、衛宮の家は無駄に広いので空いている部屋には事欠かない。一人分の食費程度なら幾らでもやり繰りできるし、倹約は得意分野だ。

 まあようするに、俺には彼女を助けることが出来たのだ。

 だから俺は

 

「そっか。良かったら、しばらく家に来ないか?」

 

 そう彼女に伝えたんだ。

 それを聞いた彼女は、何か不思議なものを見つけたような瞳で俺を見つめながら、しばらくぽか~んとしていた。 

 はっきり言って可愛い女の子だ。だからこそ俺の誘いの言葉に裏がないかと考え、身の危険を考慮していたのかもしれない。俺としても見ず知らずの他人を世話するのにリスクがないわけじゃない。

 

「……」 

 

 彼女の話を聞いただけじゃ、それが真実かは分からない。嘘を吐いているのかもしれないし、良い娘に見えるのよう演技しているのかもしれない。

 それに彼女を助けて俺に何の得がある?

 そう自問もした。

 けど損得じゃないんだ。かつて誰かに拾われたおかげで、命を助けられた男がいた。放っておけばそのまま消え去るだけの人間を、救ってくれた人がいたんだ。

 だから俺は彼女に手を差し伸べる。

 理由はいらない。ただ困っている奴は放っておけないから。

 それだけが彼女を助けた動機だった。

 

「……様っ!!」

 

 ふと気付いてみれば、食事の手が止まっていた。

 

「……主人様っ!!」

 

 考え事をしていると、周りの情景が入ってこなくなることがあるのが悪い癖だ。

 

「ご主人様っ! もう。食事中にぼーとして、どうなさったんですか?」

 

 今もタマモに呼ばれていたようだったけど、気付かなかったようで……って、あれ? 何故だろう。いつの間にかタマモが俺の真横に座り込んでいる。

 確かセイバーに摘まれて彼女の隣に移動していたはずなんだが。

 

「ああ、悪い。ちょっと考え事をしててさ。それよりタマモ。何で俺の横に座ってるんだ?」

「え? 何故ってここが私の定位置ですから」

 

 何を当たり前のことをと首をかしげるタマモ。

 そっか。この場所がタマモの定位置だとは知らなかった。

 仕方ないので少し座る位置をずらす。すると何故だかタマモが付いてくる。またちょっと移動するとタマモも付いてくる。

 ――なんでさ?

 

「もう! 定位置ってそういう意味じゃないですから。私の定位置はご主人様の隣です。そんなことよりも――」

 

 ニコニコと表情を緩めながら、タマモがてんぷらを箸を使って一口大の大きさ切っている。そして切ったてんぷらを箸で掴むと、ゆっくりと俺の目の前まで持ってきた。

 

「はい、あ~んしてくださいね、ご主人様」

「……………………は?」

「は? じゃないです。ささ、お口を開いて。私が食べさせてあげますから」

 

 彼女の理解不能な行動を受けて、一瞬思考が停止してしまった。

 

「あ~んなんて男の夢……じゃなくてっ! 飯くらい一人で食えるからっ!」

「ご遠慮なさらずに。私達の間に“遠慮”なんて文字は不必要ですよ」

「いや必要だろっ!?」

 

 ちょっと迷ったが即答する。 

 

「照れてるんですか? もう可愛い! そんなご主人様もステキです。けどここはバーンと私に任せちゃってください。万事全てよろしく運んであげますから」

「て、照れてないし遠慮もしてない! タマモに任せる気もない……ぞ!!」

 

 言葉ではそう言ったが、実際は恥ずかしいし照れてしまう。

 だから逃げた。

 けど逃げても逃げても、てんぷら――もとい、タマモが迫ってくる。落ちないようにてんぷらに手を添えて、俺に「あーん」させる為に迫ってくるのだ。  

 

「さあさ、観念してくださいね、ご主人様」

 

 壁際まで追い詰められた俺に、容赦なく覆いかぶさるタマモ。

 その手にはてんぷら。背後は壁。

 逃げ場はない。

 

「はい、あ~ん!」

 

 もはやここまでか。そう観念して口を開きかけたその時、俺とタマモを別つように白刃が煌いた。

 

「ぎゃ!!」 

「…………なっ!?」

 

 瞬間、はらはらと舞い落ちるピンク色の髪。そして壁に突き刺さった包丁が一本。

 もう少しタマモが俺に近づいていたら串刺しだった。

 

「えっと……セ、セイバー?」

 

 恐る恐る振り返れば、絶対零度の視線を叩きつけながら、セイバーさんが仁王立っているではないか。

 

「今のって……」 

「ああ。すまない。手が滑った」

 

 はい? 手が滑った?

 どうしたら手が滑った程度で包丁が飛んでくるのでしょう? というかいつの間に包丁を?

 タマモも疑問に思ったのか、セイバーに詰め寄って行く。

 

「ちょっとそこの赤いあなた! さっきから何で私とご主人様の邪魔をするんですか!? もう少しで串刺しになるところだったじゃないですかっ!」

「うむ。実に惜しかった」

「はぁ!?」

「いや、だから手が滑ったと言っている。誰しも間違いはあろう」

「間違いで包丁は飛んできません! っていうか故意以外で包丁が飛んでくるものか!」

「サーベルを投げなかっただけありがたいと思え、駄狐」

「駄狐ですってぇぇッッ!? 開き直りやがったな、この女ぁ」

 

 ピリピリとした緊張感が部屋を包み込む。 

 ……えっと、何でこんなことになったんだろう?

 俺はただみんなで仲良く飯を食いたかっただけなのに。

 

「――!!!」 

 

 今やセイバーとタマモは一触触発の態勢で睨み合っている。間に割って入ろうかとも思ったが、矛先が一斉にこっちに向いてくる光景が見えたので止めて置いた。

 でも放っておいたら大惨事になる予感もする。

 さて、どうする衛宮士郎?

 放置するべきか、自己犠牲を強いるべきか。

 ある意味究極の選択である。

  

「……くっ!」  

 

 心の中でもう一度自問を開始した時「ピンポーン」と来訪者を継げる鐘の音が居間に鳴り響いた。

 ここに現れたのは救世主か、それとも地獄の使者か。

 どちらにせよこの状況を打開するきっかけにはなるだろう。

 救世主であってくれ。

 そう願いながら俺は玄関に向かって走り出した。

 

    

 

 



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第二十五話 エクストラな番外編五

「よう衛宮。約束通り遊びに来たぜ」

 

 玄関先に立っていたのは、同級生で友人でもある慎二だった。完全に予想外……という人物でもないが、どうして尋ねてきたのかはわからない。仕方ないので訪れてきた理由を聞いてみることにした。

 

「慎二? こんな時間にどうしたんだ? 何か用か?」

「用かって、あのな衛宮。お前が折を見て遊びに来いって言うから態々来てやったんだ。ありがたく思っても罰は当たらないぜ」

「そうだったか?」

「ああ」 

 

 間髪いれずに慎二が断言してくる。こう言われてみれば、学校でそんなことを話していたような気もする。しかし今は慎二と暢気に遊んでいる暇はない。というか、そんな場合じゃないだろう。

 

「……」 

 

 チラっと目線を廊下の奥へと向ける。その先には居間があり、耳を澄ませて状況の確認に勤めてみた。幸いというか“まだ”大事は起きていない様子だ。けれどいつまでもあの二人をあのまま放って置くわけにもいかないだろう。

 一触即発、大喧嘩に発展する危機なのだ。

 そんなことを考えていたら、慎二が盛大に溜息を吐いた。

 

「……衛宮。僕だって暇じゃないんだ。そんな中でお前の為を思ってこうやって足を運んでやったのに、その態度はどうかと思うね」

 

 そこんとこ分かってるかい? と慎二が両手を大仰に広げてみせる。斜に構えるという言葉が当て嵌まる格好。そんな慎二の後ろから長身の女性が突然現れて、あいつの肩をバンバンと勢い良く叩きだした。

 

「アッハッハ! 何を言ってるんだいマスター? 取っておきのアイテムを手に入れたから早く衛宮に見せに行こうって、アタシをはやし立てたのは誰だったっけ?」

「なっ!」

「あいつの喜ぶ顔が目に浮かぶってニコニコだったじゃないか」

「ば、馬鹿! そんな訳ないだろう! 僕はただ……そう! お前が手に入れたアイテムの効果を一刻も早く確かめたかっただけで、衛宮と遊びたいとか、そんな他意はないんだ」

「へえ?」

「そこんとこ勘違いするなよ」

「ふうん。まったく素直じゃないねぇこの子は。まあこの場はそういうことにしといてやるさ、シンジ」

 

 くつくつと笑いながら、彼女が慎二の頭にぽんぽんと手を置いている。

  

「あのな! しといてやるじゃなくって、そういうことなの。っておい! 僕の頭を気軽に撫でるんじゃない! 恥ずかしいじゃないかっ!」 

「アッハッハッハ!」

 

 豪快な笑い声が玄関に響き渡る。その声の主は、赤みがかった長めの髪に抜群のプロポーションを持つ大人の女性だった。ぱっと見モデルのようにも見えるが、その顔には大きな傷跡が一つ残されている。

 

「ん? なんだい少年?」

「い、いや」

  

 額から頬にかけて走る大きな傷跡。だがそれでも女性としての魅力はまったく損なわれてはいない。それに着込んでいる服の胸元が大きくはだけていて、何と言うか目のやり場に困る人でもあった。

 その女性を押し退けるようにして、慎二が前に出てくる。

 

「という訳でさ、悪いけど上がらせてもらうぜ衛宮」

「あ、ああ。それは構わないけど……シンジ、この人って誰だ?」

 

 俺の当然の質問に、何故か目を丸くする二人。

 

「誰って、僕のサーヴァント・ライダーじゃないか」

「ライダー?」

「ああ。フランシス・ドレイクってお前も知ってるだろ?」

「ドレイク……? えっとライダーってもっとこう髪が長くなかったか?」

「少年。アタシの髪は長くないかい?」

 

 そう言って毛先のカールした赤髪をアピールする彼女。滑らかで触り心地が良さそうに見えて……って、そうじゃなくて!

 

「いや長いんだけど……違うんだ慎二。なんていうか。こう女性らしい凄いプロポーションしてたりさ」

「ん? アタシのスタイルは好みじゃないのかい少年」

 

 ぐっと胸の谷間を強調するライダー。好みじゃないかと聞かれれば、もちろん好みです……って、そうじゃなくってっ!! 

 

「だから、顔に特徴のある女性で一目で分かる感じの――」

「確かにこの傷痕は見てて気持ちの良いもんじゃないだろうけど、いきなりそこに突っ込むとは良い度胸してるじゃないか! 普通は話題を避けるもんだけど気に入ったよ!」

 

 何故かぐしゃぐしゃと頭を撫でられてしまった。

 

「まあアタシのことはライダーでも、ドレイクでも好きなように呼ぶといいさ。それとも――」

 

 若干声音を落とし、俺の耳元まで唇を持ってくるライダー。

 

「ベッドの中で囁いてくれるかい? 勿論二人きりでさ」

「な――んっ!?」

 

 アルトで瀟洒な囁きが脳に木霊する。こういう雰囲気に慣れていないからか、思考が一瞬にしてスパークして考えが纏まらない。でも俺のそんな反応など予想済みだったかのように、彼女は豪快に笑い上げながら背中をバンッと一回叩いてきた。

 

「冗談、冗談さ。そうマジになるもんじゃないよ。――まあ、アンタが良い男になったら考えないでもないけどね」

 

 含むように笑う彼女は、どうやら俺よりも何枚も上手のようだった。

 

 

 そんなこんなで慎二とライダー(これからはドレイク、又は姐さんと呼ぶ)を連れて居間まで戻って来た。するとそこには、当然の如く修羅場が待っていた。

 

「ほう。これはこれは」

 

 実に愉しそうに目を細めて、ニヤニヤと場の推移を観察する姐さん。そんな彼女の視線の先では、セイバーとタマモがテーブルを挟んで激しく睨みあっている最中だった。

 二人とも腕をガッチリ組んで、怒れる大魔神のようなポーズ。

 まさに仁王立ちである。

 

「……あのさ、セイバー?」

「戻ったか奏者よ。だが私は今とっても忙しいのだ。用はあるなら後で声をかけてくれるか」

 

 タマモからは目を離さず、怒気を漲らせるセイバー。だがその後で少し嬉しそうな声音でこう付け加えた。 

 

「ああそうだ。その時には狐皮のコートでも進呈してやろうと思う。ピンク色の毛並みになるが、楽しみに待っておくがよい」

「……」

 

 次いでタマモに視線を移す。するとこちらもかなりご立腹の様子だった。

 

「何ですかご主人様? 残念ですが私は今とても忙しいのです」

「……タマモ」

「御用があるのでしたら後ほど伺いますね。ですから暫しだけお待ちください。え~と、生きたまま苦しんで苦しんで、苦しみぬいた末に呪い殺す印の結び方は……」

 

 指を組み合わせて怪しげな印を組もうとするタマモ。誰に掛けるのかわからないが、この家で呪いの類は勘弁願いたい。 

 そんな俺たちのやり取りを見ていたドレイクが 

 

「果報者だねぇ少年。夫婦喧嘩は犬も喰わないって言うけど、美女二人に囲まれるなんて墨に置けないじゃないか」

「いやいや、滅茶苦茶困ってるんだけど」

「アッハッハ。焼き餅。嫉妬。ジェラシー。言葉は違えどどれも男の勲章さ。嘆くもんじゃいよ少年。むしろ誇ったらどうだい?」

「他人事だと思って……」

「実際他人事だしねぇ」 

「おいライダー。関心してないでこれを何とかしろよ。このままじゃゲームを始められないじゃないか」 

 

 ゲームという慎二の言葉を受けて、ドレイクの目が輝く。

 

「ああ、そうだったねシンジ。ゲームだよ。アタシ達はアレを試しに来たんじゃないか」

「だからさっきからそう言ってるだろ。これだからお前はガサツだって言うんだ」

「あいあい。愚痴なら後でいくらでも聞いたげるよ。というかアレがあればもっと面白い……じゃなかった。何とかこの場を穏便に収めることができるかもしれないよ」

 

 そう言って、ドレイクが胸元から五枚のカードを取り出した。

 

「……カード?」

「そう、カードだ。ま、この場はアタシに任せときなって少年。悪いようにはしないからさ。はーい注目!」

 

 そう言ってドレイクがパンパンと手を叩く。その音を聞いてセイバーとタマモも視線を向けてきた。

 

「えっと、どちら様ですかその二人は? 敵ですか? 呪っちゃってもいいですか?」

「駄目だ」

 

 とりあえずタマモには即答しておいて、二人に慎二達の事を説明する。それからドレイクの主導で場をテーブル上に移すことにした。

 

「今から何が始まるのだ、奏者よ」

「それが俺にもよくわかんなくって。ただゲームだとしか……」

 

 テーブルを囲むようにして全員が席についていた。並びを説明すると、俺を基点に時計回りにセイバー、ドレイク、慎二、タマモの順番になっている。

 みんなの視線はテーブル上。そこに並べられているのは五枚の妖しげなカードだった。そのどれもが例外なく漆黒に塗り固められていた。

 

「……」

 

 神妙な面持ちをしていたタマモが、すっと手を伸ばしてカードを手に取る。そしてやっぱりという風に頷いた。

 

「ご主人様、これって呪いのアイテムですよ」

「呪いのアイテム? なんか特別な力でも込められてるのか?」

「はい。それもかなり強力なやつです。尻尾がぴーんと反応しちゃいました」

 

 タマモが眺めているカードを盗み見たら、裏面は白紙だった。

 

「へえ。良く気付いたね狐さん。アンタの言うとおりこのカードには一種の呪い、ギアスが込められている。それもそこいらにある紛い物じゃなく、本物のね」

「ギアスっていうと制約ですか」

「その通り」

「ふむ。ならばこのゲームに参加した者は否応なく制約による拘束を受けることになる。ということで間違いはないか、海賊娘?」

 

 タマモの後を受けたセイバーの物言いに、ドレイクが頷いた。

 

「それがこのゲームの面白いところさ。まあ説明するより身体で慣れろってね。まずは一回やってみようか」

 

 そう宣言したドレイクが、並べられたカードから一枚を手に取った。

 

「狐さんは手に持ってるカードで良いとして、残りは三枚。さあアンタ達もカードを選びな」

「選ぶって、テーブルに残ってるやつからか?」

「ああ。なあに呪いのアイテムって言ってもちょっとした余興さ。死ぬことはないよ」

「……」

「それとも怖いのかい? 大の男が情けない――」

「別に怖くなんかないぞ」  

 

 挑発に乗せられたわけじゃないけど、俺はドレイクの言葉を遮るようにして勢いよくカードを手に取った。その後で慎二が手に取り、最後にセイバーがカードに手を伸ばす。

 

「よし。全員選んだね? さあ楽しいゲームの始まりだ!」

 

 ドレイクが宣言した瞬間、それぞれの手にあるカードが淡い光を放ちだした。

 

「なっ!?」

「大人しく、待ってな!」 

 

 淡く光るカード。そんな五枚のカードの中から、選ばれたかのようにドレイクの持つカードだけが黄金色の輝きを纏っていく。

 

「おや、アタシが“王様”のようだ」

 

 黒色から金色へと変化する一枚のカード。その一面は無地だったはずだが、魔術のように王様を模した刻印が浮かびあがっていく。そのカードを頭上に掲げ、ドレイクが華麗に宣下した。

 

「――王の名において命ずる! 1を持つ者は4を持つものに“全力で拳を打ち当てろ”!!」

『ッ!?』

 

 王の宣下を受けたカードが妖しい輝きを放つ。それぞれ無地の面に番号が浮かび上がり――

 ――1番を持っていたのはセイバー。

 ――そして4番を持っていたのは慎二。

 

「……余の身体が勝手に!?」

「え? 全力で打ち込まれるって、じょ、冗談だ…………ぐああっぁぁ!!」 

 

 ドレイクの言葉通り、セイバーの腰の入ったコークスクリューブローが慎二の顔面を捉えた。彼女の拳を受けた慎二は障子を突き破り、縁側を越えて、庭の片隅まで吹っ飛んで行く。

 ああ……アレは痛い。

 というか色々ヤバイ。

 

「……」 

 

 そんな光景を眺めながら、タマモが改めてカードに目線を落とす。

 

「ご覧の通りさ。王の命令は“絶対”だ。参加者に拒否権は発生しない」

「なるほどなるほど。五枚のカードのうち当たりを引いた者が王となる仕組みですか。確かに面白そうなアイテムですね」

「飲み込みが早いね狐さんは。一種の王様ゲームと思ってもらって構わない。ちょっとしたスリリングだろ?」

「ポジションが皇帝ではなく王だというのが不満だが、気にはすまい。余は受けてたつぞ」

 

 何故かノリノリのセイバーさん。

 

「ところでドレイクとやら。その制約だが、どの程度の強制力があるのだ? 余の意思を無視して拳を放たせる力は流石だが」

「さすがに令呪ほどの強制力はないから、命や魂に関わる命令は出来ない。逆に言えばそれ以外だったら大抵のことは可能さ」

「ほう。それは良いことを聞いた」

 

 ニヤリと魂が凍えるほど冷たい笑みを浮かべたセイバーは、そのままの視線をタマモに叩きつける。

 

「良い機会を得た。このゲームを使ってあの駄狐に思い知らせてやるとしよう。誰に対して喧嘩を売ったのか身をもって知るがよい」

「なんとまあ。本人を前にして言ってくれるじゃないですか。けれど呪いと言えば私、私と言えば呪いですからね。もうバリバリ呪うぞーってなもんです」

 

 豪快な啖呵を切るセイバーに対し、タマモがふふふと不敵な笑みを浮かべている。またもや一触即発の事態発生か。そう思った時、庭に吹っ飛ばされた慎二が、泥だらけになりながら生還してきた。

 

「おいライダー! お前、僕を実験代に使ったな!」 

「さあて、役者も揃ったことだしゲームを再開しようか! 制約はカードの枚数分働く。残りは四回、死ぬ気でかかってきなっ!」

「ちょ、マスターの言うこと無視するわけ!?」

 

 己がマスターの言葉をスルーして、ドレイクが話を進める。

 果たして、この地獄のようなゲームを俺は生きて終えることができるのだろうか?

 期待と不安が入り混じる中で次のゲームが開始されてしまった。

 

 

 

 



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第二十六話 エクストラな番外編六

 一同が息を呑む中で黒色のカードが一列にテーブルに並べられた。

 

「さあさ、好きなのを選んでくれ」 

 

 ドレイクの言葉を受けて、みんながそれぞれ手を伸ばして運命のカードを選んでいく。

 セイバーは意気揚々に。タマモはやや慎重に。そして慎二はヤケクソ気味に。俺は残された二枚の中から一枚を選び、最後に残ったカードをドレイクが手に取った。

 果たして、二回戦のキングを引き当てたのは――なんとタマモ!

 

「おおうっ!? 当たりを引いちゃいましたね! 私が王様ですっ!」 

「チイッ!」  

 

 黄金色に輝くカードを見つめるタマモ。その横でセイバーが軽く舌打ちなんかしてる。

 きっと自分で引きたかったんだろう。

 

「運が良いね狐さん。さあ何でも命令しな。このゲームの王様の特権だ」

「ふむ、ふむ。えーと、命令するのはやぶさかではないんですけどぉ、コレって誰が何番かは事前にわからないんですよね?」

「ああ。わかっちまったらつまらないだろ? そこがこのゲームの醍醐味でもあるしね」

「そっかぁ。そうですよねぇ。これは少し困ったかもしれません」

 

 何故か腕を組んで考え込む姿勢をみせる彼女。そうしながら、俺のことを横目でチラチラと確認している。そんなタマモの仕草を見ていたら、なんだか言いようのない不安感が込み上げてきた。

 

「……どうしたんだタマモ? 何か悩んでるようだけどさ?」

「それがですねぇ。楽しいこともヤバイことも色々と思い浮かぶんですけど、相手を間違ったらちょっとマズイことになりそうなんですよね」

「まずいこと……?」

「はぁい。ご主人様はまだ死にたくないですよね?」

「無論だ」

 

 もちろん死にたくない。即答である。

 命に関わることは命令出来ないが、結果死んだとしたら「ありゃりゃ、死んじゃったよ。まあこれもゲームの結果さ。しゃあないさね」なんてドレイクに簡単に片付けられそうで怖い。

 タマモはそのあたりを自分の中で計りにかけているのだろう。

 

「う~ん、う~ん。楽しいことを選んだとしても“アレ”を引いた日にゃあ私が最悪だし、これって結構悩む事案ですねぇ」

 

 一同が固唾を呑んで見守る中で、悪戯に時間だけが過ぎていく。そうこうしている間にタマモの握っているカードから黄金色の輝きがふっと消え失せてしまった。

 

「あれれ? 消えちゃいましたぁ……」

「時間切れってヤツさ。王には決断力が求められるからね。願い事を逡巡しすぎるのも考え物さ」

「が、が~ん!」

 

 しゅんと項垂れてしまうタマモ。そして何故かガッツポーズ全開のセイバー。

 

「残念だったな駄狐。せっかくのチャンスをふいにしてしまうとは。まあ自業自得というやつではあるが」

「むっ!」

「フフ。次に開始されるゲームで余が当たりを引く様をそこで見ているが良い」

 

 視線にバチバチと火花を散らす二人。なんでこう相性が悪いのか……。そう俺が苦慮している間に次のカードがテーブルに並べられた。三回戦の開始である。

 そしてキングを引き当てたのは――何と俺。

 

「……引いちまった」

 

 出来れば引きたくなかった黄金色。

 俺の目的は穏便にゲームを終わらせることで、これに関しては傍観者でいたかったのだ。だって何を願ったって角が立つ。相手の持つカードのナンバーが分からないのも問題だ。しかしだ。タマモが良い解決策を与えてくれた。

 即ち、時間切れ作戦である。

 

「少年。時間切れで逃げようたってそうはいかないよ」

「えっ?」

「連続で時間切れなんて興醒めも良いところさ。そんなのアタシは許さない。それにアンタ男だろ? 三人の美女を前にして色事の一つも願えないのかい?」

「色事って……」

 

 視線が自然とセイバー、タマモ、ドレイクへと移っていく。

  

「ほらほら。アタシはどんな願いでも受けてたつよ」

 

 軽くしなを作って色っぽい視線を送ってくるドレイク。その肢体を見ているだけで、何と言うか情熱を持て余してしまう。

 

「わ、私もご主人様になら何をされてもオッケーですよ! 準備万端、いつでも来いです! ばっちこーい!」

 

 負けてなるものかとタマモも両手をぐっと握り締める。 

 

「奏者よ。色事を願うのは許さぬぞ! ……許さぬが、万一願った場合は仕方がない。制約の効果と諦めよう。そ、そう。余も制約には逆らえぬ身だしな……」

 

 若干視線を逸らしながら、何やらぶつぶつと呟いているセイバーさん。何と言うか、場の雰囲気が変な方向……えっとピンク色? な感じへ移行しているのは気のせいだろうか。

 

「…………」

「そら少年。男を見せな!」 

 

 正直言ってみんな魅力的な女の子だ。

 俺だって願えるものなら願いたい。そう考えそうになる瞬間もあった。けどこういう呪いみたいな力を受けての命令なんてフェアじゃないし、何よりこの場には慎二もいるのだ。

 ――そう男が混ざっている。

 さっきタマモが悩んだ理由も分かるってもんだ。けど確かに時間切れは男らしくない。それに俺なりの目的もあった。このせっかくの機会を活かさない手はないと思う。  

 

「……仕方ないな。じゃあ命令するぞ」 

 

 俺は覚悟を決めて宣下することにした。

 

「――王の名において命ずる! 1番、2番、3番、4番は夕食の後片付けと洗い物を“仲良く”共同作業でこなすこと!」

 

 夕食の途中で慎二たちが尋ねてきたからまだ後片付けが終わってなかったのだ。だから台所には洗い物を含めての事後処理がそのまんま残っている。

  

「そ、奏者よ! これは一体!?」

「ああ。みんなで仲良く片付けてくれ」

「ご、ご主人様ー!?」

 

 ぞろぞろと四人が台所へと向かっていく。

 共同作業をこなせば、少なからず協調性が生まれるだろうし、今はみんな熱くなりすぎている。洗い物の最中に冷たい水に触れればその心も穏やかに落ち着くってもんだ。

 タマモとセイバーが仲良くなってくれる切欠になってくれれば嬉しいし。

 そして制約の効果なのか彼女の本質的な部分なのかわからないが、場をセイバーが仕切りながら着々と後片付けが進んでいく。タマモも文句を言いながらも家事は得意なのか、てきぱきと動いている。

 慎二達もうまく手伝っていた。

 俺はその間にお湯を沸かして、人数分のお茶の用意をしておくことにした。結果として、俺がお茶請けをテーブルに並び終える頃には、場の雰囲気は和らいだものに変わっていた。

 

 

「……あーあ。何だかしらけちまったねぇ」

 

 お茶請けの煎餅をかじりながら、ドレイクが場を見渡す。

 

「そうですねぇ。なんていうかまどろんでしまいましたし、今宵はもうお開きでも良いかもしれませんね~」

 

 これまた煎餅を口に咥えながら、両手で湯呑みを抱えるタマモ。なんていうか、お婆ちゃんみたいなスタイルである。

 

「これが東洋の家族団欒のパワーなのか。荒れていた気持ちが落ち着いていくのが分かる。悪くはない気分だぞ」

 

 ズズズとお茶をすするセイバー。彼女の言うとおり、一仕事終えた後のお茶は格別だ。

 

「なら今夜はお開きにするか。正直、色々あって俺も疲れたし」 

 

 ここまでは全て俺の目論見通りに進んでいる。しかし、ただ一人だけ、諦めていない人物がいた。

 そう、慎二である。

 

「お前等なに和んでんだよ! 僕は意味もなく庭の隅っこまで吹っ飛ばされたんだぞ! 簡単に諦められるか! さあ、ゲームを続けるぞ!」

「おい、慎二!」

 

 止める間もなく、慎二がテーブルに放置していたカードをひったくる。

 

「ほら、引けよ。僕が引いてゲームが始まったんだ。もう王様を決めないとゲームは終わらない。最後に運試しといこうじゃないか」

 

 テーブルにカードを並べ、そこから一枚を選び取る慎二。その顔には不敵な笑みが浮かべられていた。

 

「お前……!?」 

「残念だけど、シンジの言う通りゲームが始まった以上皆が引かなきゃ終わらない。制約があるからね。けどさぁ諦めが悪いねぇシンジ。ちょっと悪党っぽいよ」

「うるさいぞライダー!、さっさと引けって!」

「あいあい」

 

 しぶしぶといった感じでドレイクがカードを引く。彼女が引いたのならと後の三人も引くことした。

 そして最終的に……なんと慎二の手の中にあるカードが黄金色に輝きだした。

 

「あっはっはっ! 僕が“王様”だ!」

 

 勝ち誇ったように笑う王は、俺を見据えて両手を広げた。

 

「……なんだよ」

「いや、なに。衛宮。お前って勇気がないよねって。場を見てみろよ。四分の三じゃないか」

「だから何が言いたいんだ、慎二?」

「単純計算で75%は当たりなんだよ。当たり! こういう機会に願わないと損じゃないか!」

 

 舐め回すような感じで女性陣に視線を這わす慎二。その視線を受けて、タマモなんか俺の背中に隠れてしまった。

 

「おい、まさか……!?」 

「損というより失礼に当たるよね。願わなきゃさあ!」

 

 慎二がカードを掲げる。

 

「おい、やめろッ!!」

 

 俺の叫びも空しく、王が場に命令を下す。

 

「王である僕が命令する! 2番のカードを持つ者は王様と熱いベーゼを交わせ! キスをしろ! 心を込めて嘗め回せえええっっ!」

 

 果たして、2番のカードを持っていたのは

 

「…………俺ッ!?」

 

 そう。あろうことか、俺の手にもっていたカードが輝きだしたのだ。

 

「冗談だろぉ!?」 

 

 これが制約の影響力か。

 カラダガカッテニシンジノホウヘ。

 

「ば、馬鹿! 何で衛宮が2番なんだ!? 四分の三なんだぞ! 75%だぞ!?」

「そんなの知るかっ!? 早く解除しろ慎二!」

「解除って……できる訳ないだろ! 呪いのアイテムなんだぞ!」

「だったら何で願うんだよ!」

「お前に当たるとは思わないだろ、普通!」

「ふざけんな……って、あー! あー! 近づいて来るな慎二! っていうか逃げろ!」

「逃げ……駄目だ! 身体が固定されて……動けない! え、衛宮、何とかしろよお前。魔術師だろうーが!」

「そんな便利な魔術知るかっ!?」

 

 必死で抵抗するが、二人の距離がどんどんと縮まっていく。

 この距離がゼロになった時――きっと俺は死ぬ。

 

「セ……セイバー! タマモ! 助けてくれ!!」

 

 こうなったらもう恥も外聞もない。俺は必死に腕を伸ばして助けを求めた。

 

「……く! 奏者よ。余も必死に助けようとしているのだが、身体が動かぬのだ!」

「ご主人様! ご主人様ッ!!」

 

 王の命令を守る為にギアスが作動しているのか。セイバーもタマモを動けずにいる。

 

「ええ~い、こうなったら覚悟を決めよう衛宮!」

「は?」 

「そら。ジュテ~ム!」

「ジュテームじゃねぇっ!!」

 

 全身にある魔術回路の全てを駆使して制約に抗う。だが俺の抵抗などまったく意味がないとばかりに身体は慎二の元まで歩んで行く。

 

「…………。ちょっとそこの赤いの」

「何だ駄狐! 今は会話している暇などない! 奏者の危機なのだぞ!」

「分かってるから! 黙って聞きなさい!」

 

 タマモのあまりの剣幕に、セイバーがたじろぐ。それほどに彼女の声音は鬼気迫っていた。

 

「私は呪術に関しての心得がある。この制約は呪いの類よ。だから何とかできるかもしれない」

「ほ、本当か!?」

「……けど、かなり強力な呪いだから解除出きるのは一瞬だけだと思う。だから……後はあなたに賭けます」

 

 タマモが瞳に力を込めて、真摯に願う。

 

「駄狐……?」

「私ではご主人様を取り巻く制約の壁を貫けない。でもあなたなら壁を打ち破ることができるかもしれないから」

「……」

「機会は一瞬。私があなたを縛っている制約を解除するから、ご主人様を救い出して」

 

 もはや語る時間も惜しいと、タマモが呪術を汲み上げていく。セイバーもまた自身の役目を悟り、魔力を体内で練り上げていった。

 

「――今よ!!」

「赦せ、奏者よ――ッッ!!」 

 

 タマモが呪術を完成させてセイバーの戒めを解く。瞬間、セイバーが弾丸となって駆けた。

 空に舞うは真紅のドレス。手に携えるは炎の如き紅の長剣。

 

『――“喝采は”』

 

 勇ましく剣を振り上げる姿はまさに剣の英霊。

 その切っ先は迷いなく俺に向いて――

 

「え……?」

 

 助けて欲しいって言ったけど、もしかして?

 

『“万雷の如く”――!!!』

「ええええええええええええ??」

 

 セイバーの振るった究極の斬撃が俺と慎二の間に炸裂した。その衝撃は屋敷全体を揺るがし、屋根さえ吹き飛ばして……結果として呪いの壁をも打ち破り、俺と慎二を文字通りコマのように空中へと吹き飛ばした。

 

「うわあああああぁぁぁ──────ッッッ!!!」

 

 くるくると回りながら空を舞う俺と慎二。

 夜風が身体に冷たく、自分が飛んでいるのが実感できた。

 ――ああ、星が……星が見えたスター。

 俺は最悪の事態だけは回避できたことに感謝しつつ、星空を眺めながらゆっくりと意識を手放していった。

 ガクッ。

 

 



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第二十七話 エクストラな番外編七

「ご苦労様ぁ、エミヤん。いやぁ本当助かったわ」

 

 軽やかに響く女性の声。しかしその他の音は一切聞こえず、居酒屋コペンハーゲンの店内は閑散としていた。それもそのはずで、店は既に営業時間を終えているのだ。現在店内に残っているのは俺とマスター、そしてマスターの娘さんである蛍塚音子、通称ネコさんの三人だけである。

 ネコさんは見た目がおっとりとした細目の美人だが、こう見えて藤ねえの同級生であり、俺にとっては穂群原学園の先輩に当たる人だ。学生の頃は色々と無茶もしたらしいが、今は立派にコペンハーゲンの看板娘として店を切り盛りしていた。そのネコさんが、カウンターに背中を預けていた俺に向かって、手にしていたポカリを手渡してくれた。

 

「あ、どうも」

「ふふっ。急な棚卸しだったけどみんなサボるんだもの。本当エミヤんが居なかったらどうなってたことか」

「……家で暇してたから、俺も手伝えて良かったですよ」 

「そういうのエミやんの良いところだよね。感謝してる」

 

 そう言いながら、ネコさんが俺の隣にすっと腰を下ろした。その流れの中で、俺の目の前に真っ白い封筒を差し出してくる。

 

「ほい、エミヤんの分」

「え?」

「開けてみ?」

 

 ネコさんに言われて封筒を開いてみると、そこには一万円札が一枚入っている。

 

「えっと、これって……?」

「頑張ってくれたお礼。ああ、正規のバイト料はきちんと振り込んどくから心配しないで」

「そういうことじゃなくって」

「ん?」

「……嬉しいけど、特別なことをした訳じゃないし、これは受け取れない」

 

 中身を戻してネコさんに返す。けど、すぐに突っ返された。

 

「そう言うと思った。けどね、エミヤんに感謝してるのは本当だよ。今日だけのことじゃなくてね。だからあたしがお礼したいのよ」

「だけど……」

「いいから受け取りなさいって。それで美味しい物でも食べて、元気つけて、またバリバリ働いて。ね?」

 

 朗らかな笑顔を浮かべながら、ネコさんが俺のズボンのポケットに封筒を捻じ込んだ。その光景の向こうでマスターも頷いている。

 

「……」

 

 ここまでされて断ったら角が立つ。それに正直助かるのも事実だ。

 

「ありがたく頂戴します」

 

 そう言ってネコさんとマスターに頭を下げる。それを見て彼女も満足そうに頷いてくれた。

 

「うんうん。若いうちは素直が一番。さあ! 後片付けは私がやっとくからエミヤんはもう帰んな」 

「……はい。じゃあお言葉に甘えて。最近食い扶持も増えたんで、コレでお土産でも買って帰ることにします」

「それが良いね」

 

 もう一度頭を下げてから、俺はコペンハーゲンを後にした。

 

 

 さて、お土産を買って帰ろうと思ったものの、もうかなり遅い時間帯だしほとんどの店が閉まっている。開いている店といったらコンビニくらいのものか。

 俺の帰りを待っているだろう二人――セイバーとタマモのことを思い浮かべる。

 

「相性は悪そうだけど……」 

 

 二人の趣味趣向は違うだろう。しかしそこはやはり女の子。お土産を買うなら甘いものが鉄板になる。

 最近のコンビニはデザートにも力を入れているし、品質の良い品もあるはずだ。そう思って、記憶を頼りにコンビニを目指して歩き出した。

 新都と深山を繋ぐ大橋を越えて目的地を目指す。なるべく家に近い店で買いたかったので深山の店を選んだんだけど、深夜ともなるとあたりに一切の人気が無くなってくる。

 夜道を一人で歩くというのは不安なものだ。外灯は疎らで遠くまで見通せないし、犬の遠吠えなんかが不気味な雰囲気を醸し出すのに一役買っていたりする。

 俺だったら暴漢に襲われたって対処できるが、こういう雰囲気の中にいると家に残した二人が心配になってくる。仲良く留守番しているだろうか。

 邪な人物が尋ねて来てはいないだろうかと。

 そう考えたら自然と早足になっていた。そんな時である。前方の暗がりに何やら不審な人物を発見したのは。

 

「……あれ? 誰だろ? 女の子……?」 

 

 青みがかった長い髪と華奢な体躯から、その人物は女の子に見えた。眼鏡をかけているように見えるが、肌の色が褐色なので日本人じゃないのかもしれない。

 その子は外灯の下に陣取りながら、路上に机と椅子を用意して、誰かが通りかかるのを待っている風に見えた。

 

「こんな時間に何やってんだ?」

 

 不審に思ったが、わざわざ声をかけようとは思わない。だって本能が彼女に関わるなと告げているからだ。ここは知らないふりして通り過ぎるのが無難だろう。そう結論付けた俺は、なるべく彼女から離れて道の端っこを歩くことにした。

 

「そこな御仁。お待ちください」

 

 さて。お土産はどんなデザートが良いだろうか。セイバーは洋菓子の方が似合ってるし、タマモはやっぱり和菓子だろう。

 

「ちょっとそこの人。聞こえていますか?」

 

 けど敢えて逆の取り合わせも面白いかもしれない。セイバーには和の素晴らしさを伝えてあげて、タマモには洋菓子の良さを知ってもらう。

  

「あのー! そこの赤毛の人!? 待ってください!」

 

 和菓子といえば栗饅頭に桜餅。おしるこやドラ焼きなんかも良いだろう。もちろん洋菓子のプリンやケーキ、シュークリームにワッフルなんかも忘れてはいけない。

 コンビニのスイーツと言っても侮れないし、二人の笑顔を想像しながら選ぶ楽しみもある。幸いネコさんから貰った潤沢な資金もあることだし、考えるだけで心が踊ってきた。

 

「………………」

 

 よし! そうと決まればダッシュで向かうだけ。

 俺は一気にその場を走り去ろうと足に力を込めて……

 

『コード・キャスト――call……』 

 

 突然激しい殺気を背後から受けて、俺は否応なく振り返らされることになった。

 

 

「ようこそ、ラニの占星術屋さんへ!」

 

 視線に先にはニッコリと微笑む褐色肌の女の子。何と言うか、無理して笑ってる感120%の営業スマイルである。

 

「せ、占星術だって……?」

「はい。ここで私達が出会ったのも何かの運命。アトラス院が誇る秘奥の占星術で私が貴方の運勢を占って差し上げましょう。――ええ。格安で」

「悪い、間に合ってるっ!」

 

 怪しげな占い師とは関わるなって爺ちゃんも言ってた。俺は切嗣の遺言を守るべく全力でその場から駆け出すが……突然暗闇の中に現れた大きな壁にぶつかって盛大に尻餅を付いてしまう。

 

「いってぇっ……」

 

 痛みを堪えて見上げてみれば、大きな壁だと思ったものは筋骨隆々の大男だった。

 なんと表現すればいいのか、全身大仰な鎧を纏っていて古代中国の武将のようないでたちをしている。また頭から大きな触覚風の飾りが二本垂れていて暗闇の中で不気味に揺れていた。

 その謎の中国武将は“誰も通さないぞ”との意思を全身から漲らせた状態で、無言のまま俺を見下ろしている。

 

「……えっと」 

 

 頭上から威圧するように見据える偉丈夫。身長差もあるし正直かなり怖い。しかも一向に退いてくれそうにないので、仕方なく俺は彼の横をすり抜けることにした。

 

「えっ!?」

 

 だが俺が右からすり抜けようとした瞬間、偉丈夫が身体を水平に移動させて俺の進路を塞いだのだ。

 その行為は明らかに通せんぼ!

 

「なんでさッ!?」

 

 悪態を吐きながらも今度は左へ移動する。しかし偉丈夫に阻まれた。

 

「馬鹿な!? 何で邪魔を……!?」 

 

 俺にも魔術師としての意地がある。

 邪魔をする偉丈夫を抜こうと数多のフェイントを行使し、魔力を限界まで編み上げ速力を上げた。自身の持てる技術の全てを結集して何とか武将を抜こうと試みる。

 しかし、それら全ての技が奴の体躯に阻まれたのだ。

 そんな攻防がどれくらい続いただろうか。結局根負けしたのは俺で(体力の限界まで抜こうとしたが無理だった)その場に倒れ込んでしまう。

 

「……はあ、はあ、はあ。アイツ化け物かよ……?」 

 

 大の字になって寝そべる俺。そこに少女の落ち着いた声が降り注いできた。 

 

「ようこそ、ラニの占星術屋さんへ!」

 

 首だけ動かして見れば、女の子が机の前の椅子を指差しながらニッコリと微笑んでいた。

 

 

「自由意志で席に着いたのですから、最初に見料として五千円頂きます」

「……誰の自由意志ですか?」

「見料は五千円ですっ!」

 

 差し出した手は引っ込めず、営業スマイルで微笑む少女。ラニの占い屋さんという名前から想像して、これから彼女のことはラニと呼ぶことにする。

 そのラニは目鼻立ちのスッキリした美少女ではあるが、やはり占い師という肩書きから胡散臭い感じは拭えない。こういう場で出会わなければもっと違った感情を抱けたのだろうが……。

 

「聞こえませんか? 五千円」

 

 待てど暮らせど彼女の手は引っ込まない。仕方ないので頂いた一万円を渡してお釣りを貰う。お土産を買っても余るだろうから、後日セイバーとタマモ、そして俺の三人でメシでも食いに行こうと思っていたのに、そのプランはたった今潰えてしまった。 

 

「ありがとうございます。では、占いますね」

 

 ぐすんと涙ぐむ俺を尻目に、ラニが机に乗っかった水晶玉に手をかざす。すると不思議なことに水晶玉が淡い輝きを放ちだした。

 

「――見えます」

 

 瞳を閉じて意識を集中するラニ。ちなみにさっきの偉丈夫はラニの隣で俺を威圧するように佇んでいる。ご褒美なのか彼女から肉まんを貰ったりしていたが……もしかしたら彼女に餌付けでもされているのかもしれない。

 

「これは……!?」

 

 水晶が一際明るく輝いていく。 

 

「……貴方の周りにいる複数の女の子。赤いドレスの少女と、これは和服でしょうか。ピンクの髪の女の子。他にも黒髪ツインテールやら何やらいますが……」

 

 ラニが占う表情は真剣そのもので、ある種の迫力さえ感じられた。どうせ適当なことを言われて終わるのだろうと思っていたが、彼女の額には玉の汗が浮かんでいる。

 アトラス院の秘奥と言ってたが、まんざら嘘じゃないのかもしれない。その後もしばらく水晶玉と睨めっこしていたラニだったが、やおらふうっと溜息を吐くと、改めて俺に向き直ってきた。

 そして開口一番

 

「みなさん怒っていますね。有体に言えば貴方には酷い女難の相が出ています」 

「じ、女難の相だって!?」

「はい。それもかなり危険な――」

「……危険」

「ええ。剣で切り刻まれたり呪われたり。はたまた美少女に足蹴にされちゃったり。最後には黒いタコさんに噛まれちゃうかもしれません」

 

 それって危険というより致死なんじゃ?

 

「そんなこと言われても一切身に覚えがないんだが……というより、その未来が本当ならどうしたら回避できるんだ!? 俺はまだ死にたくない!」

「あくまでこれは占いです。私が見たのは貴方に起こりえる未来の一つ。可能性にすぎません。ですが――」

「な、なにさ……?」

 

 脅かすように声音を落としながら、ラニが人差し指でクイっと眼鏡をあげる。

 

「かなり可能性の高い未来だといえます。最初に伝えた通りこれはアトラス院に伝わる秘奥ですから回避は困難でしょう」

「冗談だろ!?」

 

 赤いのってセイバーだろ。

 うん。彼女を怒らせるようなことはしてないぞ。

 和服の少女って……タマモか。

 これも大丈夫だ。タマモに恨まれるようなことはしてない。

 黒髪ツインテールは遠坂だな。

 あいつは怒りっぽいけど根は良い奴だ。俺が死ぬような真似はしないと断言できる。

 他にもよく分からない例えがあったが、殺されるくらい相手を怒らせた覚えはない。……って、待てよ。これって未来の話だから俺がこれから何かするのか?

 いやいや。行動に十分注意すれば大丈夫のはずだ。けど、万一の場合は……。

 

「ぐぬぬ……」 

 

 うんうんと唸りながら色々と考えるが、様々な思考が頭の中を巡るだけで一向に纏まる気配がない。そんな俺の様子を見かねたのか、ラニが大丈夫です! と太鼓判を押してくれた。

 そして取り出される一つの……つぼ!?

 

「そんな貴方にアトラス院印の開運のつぼをオススメしましょう。これを買えばたちまち運気が開眼して暗い未来も何のその! 本来ならかなり高価な品ですが、ここまで関わったのも何かの縁です。特別に五千円でお譲りしましょう」

 

 やっぱり営業スマイル120%の笑顔。

 途端に胡散臭くなってきた。

 

「五千円ですよ! 五千円! きゃーお買い得! 具体的に言って今夜の寝床が確保できるくらいのお買い得です! さあ買っちゃいましょう! 今すぐ買いましょう!」

 

 ぐぐっと身を乗り出すラニ。たぶん本来の彼女はこんなキャラじゃないのだろうが、切羽詰った状況が彼女をこうさせているのだろう。それほど張り詰めた緊張感が彼女にはあった。

 

「さあさ、ご決断を!」

「――断る!」

 

 そこから脱兎の如く駆け出した。

 だってもう所持金は残り少ない。俺にはデザートを買って帰るという使命があるのだ。

 

「チッ! 逃がさないわ。バーサーカー!! 彼を捕まえて!」 

「な――ん!?」 

 

 しかし、やはりというか何と言うか。俺の逃亡は巨漢の壁に阻まれて、結局強引にラニの前まで引き戻された。

 そして意思とは関係なしに行われる金銭授受。

 

「はい。確かに五千円頂きました。ではこの“つぼ”を差し上げましょう。きっと貴方の未来を明るく照らしてくれるはずです」

 

 どうぞと五千円の代わりに手渡されるアトラス院印のつぼ。正直言って両手にあまるほど大きなつぼなんて要らないし、かなり邪魔である。

 

「それではまた“縁”がありましたらお会いしましょう。行きますよ、バーサーカー」

 

 偉丈夫と共に暗闇へと消えていく一人の少女。

 後には所持金を奪われた俺と、あまりにも大きなつぼだけが残されていた。

 後悔先に立たずとはまさにこのこと。新都でコンビニに寄っていれば、この道を通らなかったのにと悔やまずにはいられない。

 ちなみに余談だが、予定していたデザートは一個たりとも買えなかったと報告しておこう。

 ……ガク。

 

 



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第二十八話 エクストラな番外編八

「はい! これで完成です!」

 

 休日ののどかな昼下がり。台所からタマモの意気揚々とした声が響いてくる。それもそのはずで、彼女は現在衛宮家の昼食を作るべく一人奮闘中なのだ。

 今のセリフからすると、それも大詰めを迎えていることだろう。そう思った矢先、台所からお盆を抱えたタマモが現れた。

 

「お待たせしましたご主人様! ――とその他一名。タマモが腕によりをかけて作った昼餉を、どうぞご堪能あれっ!」

 

 表情はにこやかに。動作はメイドのように軽やかに。タマモが手際よくテーブルの上に料理を並べていく。

 

「はい、ご主人様」 

 

 テーブルについている俺の前に差し出される一皿。まず一品目は鶏肉と野菜の煮物のようだ。アスパラとにんじんを鶏肉で巻いて、形を崩さないように煮付けてある。

 見た目も綺麗でうまそうだ。

  

「こちらもどうぞ」 

 

 次に並べられたのは卵を使った一品。オムレツ風に焼き上げたふんわり卵に和風だしのあんをかけてある。とても香りが良く、食べる前から食欲をそそってくる。

 

「まだありますからね」 

 

 そして添えられるように出されたのがふろふき大根だ。じっくりと煮込んだのだろう。黄金色に染まっただいこんに、これまた黄金色の味噌ダレがかかっている。煮崩れもおこしてないし、アクセントの白ゴマも良い感じだ。

 他にもなすの浅漬けやミニハンバーグなんかもあってボリュームは満点。

 

「ふふっ。忘れてはならない油揚げのお味噌汁です。ええ、これはある意味で料理の主役。かかせません!」

 

 最後に各自の前にごはんと味噌汁が並べられ、こうしてタマモ作の昼食が完成した。

 

「ちょっと豪華さに欠けるかもしれませんが、そこは追々腕を振るっていきますのでご容赦を。これからは本格的に洋食なんかも覚えていきたいですねぇ」

 

 もちろん、ご主人様の為にですよ! なんて言いながら拳をぐっと握り込むタマモ。

 和食には自信ありのタマモだが、どうやら洋食関係の知識には疎いらしい。しかし基本的な料理技術は俺以上かもしれないので、少し勉強するだけでマスターしてしまうことだろう。

 これは俺もうかうかしていられないな。

 

「さあさ、冷めないうちに召し上がれ」

 

 彼女に促されるまでもなく、さっきから腹の虫が鳴っている。

 俺は料理を味わうべく箸に手を伸ばして……そこでじーっとテーブルを注視しているセイバーに気がついた。

 

「あれ? どうしたんだセイバー? 和食って苦手じゃなかったよな?」

「……無論だ。食に関して好き嫌いはあまりない」

「なら良かった。折角タマモが腕を振るったんだ。食べられないってんじゃ味気ないし」

 

 食卓はにぎやかな方が良い。

 

「ウム。誰が作ったにせよ食材は無駄にはすまい。料理に罪はないからな」

 

 表情を軟化させてセイバーも箸を手に取る。

 それを受けてタマモも席に着いた。

 

「ええ。安心して食べてくださいセイバー。別にあなたの皿にだけ“毒”を盛る、なんてことはしてませんから」

「ふむ。もし毒物が混入されていたらきっと夕食は狐鍋になるな。ときに奏者よ、鍋物は好きか? まあ腹黒狐がネタなので味は保障できないがな」

「なんですとこのアマァ!」

 

 むううっと食卓を挟んで睨みあう二人の女の子。まさに今にも掴みかからんばかりの二人だったが、本格的なケンカに発展することはないだろう。

 色々と言い合っているが本質的には仲が良いんだ。だって争う理由がないからな。

 

「なにを動揺しているのだ? まあ本当に入っていたほうが余は楽しめるかもしれぬが」

「……ぐぬぬ。これなら本当に毒を入れてやれば良かった。……のた打ち回りながら悶死するような呪いを込めてやったのにぃ~!」

「何か言ったか? 余への賛辞なら声を大きくして言うがよい。いかな日陰者でも言葉の一つくらい知っていよう」

「な、なな、なんて不遜な輩でしょう!? ご主人様っ! こんな赤いだけで役に立たない女は粗大ゴミの日にポイしちゃってください!」  

 

 うーん。本質的には仲が良いんだ。だってケンカするほど仲が良いって言うじゃないか。

 だからタマモとセイバーは仲良しのハズ。

 

「――良く言った駄狐。よもや余と粗大ゴミを同列に扱うとは。生皮を剥がれる覚悟はあるようだな」

 

 何故かすっくと立ち上がって剣を抜くセイバー。

 

「覚悟ですと? ええ、もちろんありますとも。ご主人様の為なら“一線”を越えるのになんら躊躇いはありません。相手が赤い女ともなれば尚更です」

「なんとこれは面白い言い分よな。それではまるで余に勝てると言っている風に聞こえるが?」

「そう言ったんですよ。耳が悪いだけじゃなく、理解力もないんですかね、剣の英霊っていうのは」

 

 そう啖呵を切ったタマモが、立ち上がりながら呪を唱えるべく構えを取った。

 ……フフフ。二人ともじゃれあって、実に微笑ましい光景じゃないか。

 本当に仲がよろしい。

 俺はそんな二人を前にしながら、各自の前にお茶を用意することにした。ちなみに現実逃避している訳じゃないし、見ないふりをしている訳でもないぞ。

 

「その挑戦、しかと受け止めた。だがここで殺りあえば奏者の迷惑となろう。キャスターよ、表へ出るがよい」

「望むところです。ちゃっちゃと消し炭にしちゃいますから、祈りは済ませておいてくださいね」

 

 バチバチと視線に火花散らしながら庭へ出ようとする二人。

 流石に外にまで被害を及ぼす訳にはいかないから、今日はこの辺りが潮時か。

 

「待てセイバー! 待てタマモ! これからメシを食おうって時にケンカは止めろ! 止めないなら二人とも放り出すぞ!」

「……う。ご主人様に放り出されたら、タマモには行くところがありません……」 

 

 しゅんと項垂れるタマモ。まるで怒られた飼い犬みたいである。だがセイバーは納得がいかないと首を振った。

 

「……先に喧嘩を吹っかけてきたのは奴だ。余は悪くない」

「喧嘩に先も後もない。それに衛宮家において食卓は神聖なものなんだ」

「……」

「抑えてくれないか、セイバー」 

「……むう。奏者にそう言われては……ええーい、確かに余も少し大人げがなかったようにも思う。それに食事前にする行為では無かったかもしれぬな」

 

 真摯に伝えれば話は通じる。それを証拠にセイバーも怒りを収めてくれたようだ。

 こうして何とか場も収まり、二人とも改めて席に着いてくれた。

 

「じゃあ、食べようか」 

 

 やれやれ。これでやっとメシにありつける。

 そう思いながら俺は箸を手に取った。 

 

 

「ふぅ~。満腹だ。美味しかったよタマモ」

「本当ですかご主人様っ! そう言って貰えると、タマモも頑張って作った甲斐があるってものです!」 

 

 嬉しそう目を細めながら、タマモが皿を集めたりと料理の後片付けを始めていく。

 マジでお世辞を抜きにして料理はうまかったし、なんのかんの言いながらセイバーも完食しているあたり彼女にも好評のようだ。

 

「ああ。特に煮物系は絶品だったよ。何か隠し味でも入れたのか? 良かったら今度作り方を教えてくれ」

 

 料理人を自負する身として負けていられない。だがこの申し出はタマモの違うところに火を点けたみたいだ。

 

「これは予想外に嬉しい申し出っ! 勿論ご主人様にならいつでも何処ででも教えちゃいます! 台所で二人きり。手取り足取り腰とって。ぬふふふふ。楽しい時間になりそうですねぇ」

「いや……普通に教えてくれるだけで良いんだが」

「なにを仰る。タマモは至って普通ですよ? それより片しちゃいますから、そちらのお皿取ってくださいます?」

「あ、ああ」 

  

 ひょいっと目の前の皿を手に取ってタマモに渡す。彼女はそれを受け取ってから、布巾を使ってテーブルの上を綺麗にしていく。そんな光景を眺めながらお茶を啜っていると、突然セイバーが立ち上がった。

 

「どうしたセイバー?」

 

 彼女は何かを決意したような瞳でテーブル上を見据えてから、次にタマモへと視線を移す。

 そして一言。

 

「決めたぞ。夕食は余が作ろう」

 

 なんてことを言い出した。

 

「え? セイバー? メシ作れるのか?」

「む。その台詞には些か遺憾を覚えるが……案ずるな奏者よ。そなたも驚く宮廷料理をご馳走しよう」

「宮廷料理?」

「ウム!」

 

 確かにセイバーには豪華な宮廷料理とかが似合いそうだけど、彼女が作る姿というのはちょっと想像出来ない。どちらかというと作るよりも食べる側の人間に見える。

 

「フフフ。夕食を楽しみにしておれ」

 

 けれど彼女には料理に対する自信があるのか、俺達を見据えながら不敵に笑うのだった。

 

 ★☆★☆★☆

 

 ――ところ変わって衛宮家の台所。

 既に昼食から数時間が経過しているが、現在の台所はセイバーの占領下にある。

 

「そなたの驚く顔が見たいのでな。途中経過は秘密にしようと思う。夕食が出きる頃合まで散策でもしておれ」

 

 そう士郎に告げてから、セイバーは戦闘を開始した。その成果がずらりとテーブルの上に並んでいる。

 

「ウム。我ながら上出来だ。奏者の喜ぶ顔が目に浮かぶ」

 

 満足げに頷くセイバー。それを裏付けるように所狭しと並ぶ料理の数々。それらは彼女の宣言したとおり、宮廷料理と見紛うばかりの豪華料理だった。

 品数も豊富で見た目にも色鮮やか。高級料理店で出されたとしても違和感はないだろう。

 皇帝特権を使ってのフルコース。

 ――しかしそれに意を唱える者が現れた。

 

「なんと! 本当に超豪華料理の数々ですねえ。この短時間によくも作ったと褒めてあげましょう」

 

 何時の間に現れたのか、タマモがお箸を手に台所に現れていた。

 

「……敵情視察かキャスター? それとも余の料理の邪魔をしにきたのか。だが見ての通りたった今絶品料理が完成したところだ。少し遅かったな」

「邪魔なんてしませんよ。する必要もないですし。私はあなたを審査しに来ただけです」

「審査だと?」 

 

 訝しむセイバーを尻目に、タマモが料理を味見していく。

  

「ふむ。ふむ。味はしっかりしているし、見た目も問題なし。確かに見栄を切るだけのことはありますが、残念ながら不合格です。正直言っちゃうと私の敵じゃありませんでしたね」

 

 一口、一口。タマモがじっくりと味わいながらセイバーの作った料理を吟味していく。

 そして彼女が出した答えは不合格。だがこれにはセイバーも納得がいかないと気色ばんだ。

 

「ふ、不合格だと!? 余の料理がまずい……失敗作だとでもいうつもりか!?」

「失敗だなんて言ってません。不合格だと言ったのです」

「……言ってる意味が分からないぞキャスター」

 

 タマモが箸を置いて、セイバーに向き直った。

 

「はっきり言って美味しいです。お店で出されたとしても誰も文句は挟まないでしょう。料理として及第点はクリアしてますね」

「ならばどうして不合格だと? 単なる負け惜しみにしか聞こえないぞ」

「そうですか。負け惜しみに聞こえちゃいましたか」

 

 一旦視線を切ってから、タマモが再びセイバーを見据える。

 その瞳に落胆の色を滲ませながら。

 

「……この料理を“あなた”が作ったのだとしたら、負け惜しみになったのかもしれません。けれど借り物の力で作った料理は本物には敵わないんです。言うならば料理人を呼びつけて作らせたものと同じですから」

「なん……」

「端的に言ってしまえば、あなたの心が篭っていないんですね」

 

 セイバーは皇帝だ。いわば人々の上に君臨する者。だがタマモは仕える者だ。だからこそこの料理というものの本質が分かっている。

 

「セイバー。あなたがどう思っているかは知りませんけれど、料理は作る事よりも相手を想う事が目的の半分なんですよ? 下手だっていい。失敗したって構わない。全力を尽くせば、それはきっと相手に伝わるものなんです」

「想い……」

「そこを履き違えているようでは、私の敵じゃありませんね」

 

 諭すような声音。それだけを残してタマモが台所を後にする。

 

「料理が借り物……だと?」

 

 じっと自ら作った料理を見つめ、セイバーが拳を握り込む。

 

「……余の、想い……」

 

 唇を噛み締め、悔しさを滲ませてから、セイバーは冷蔵庫に手をかけた。

 

 ★☆★☆★☆

 

 土蔵で魔術の鍛錬をしていたら、セイバーが夕食の準備が終わったからと俺を呼びにきた。

 彼女の表情は実に朗らかで、一仕事終えた生気に満ち溢れている。そんなセイバーを見たら否が応にも期待が膨らむというものだ。

 彼女のことだから、前菜から始まってデザートで締めるフルコースだろうか。それとも満干全席のような超豪華料理かもしれない。だがそんな予想に反して、用意されていた料理は実に質素なものだった。

 

「あれ? これで全部なのかセイバー?」

 

 テーブルの上に用意されていたのは、おにぎりと味噌汁。それとスクランブルエッグだけ。その光景を見たタマモも目を点にして驚いている。

 

「セイバー、あなた――」

「ふ、ふんっ。何とでも言うがよい。だがまずは余の作った料理を味わってからに……」

 

 なにやらタマモに対してごにょごにょと言葉を濁らせる彼女。タマモも何故か言葉を詰まらせている。それもあるが、テーブルに用意された分量に違和感を覚えた。 

 

「なあセイバー。料理だけど二人分しかなくないか? これって俺とタマモの分だよな? セイバーのは?」

 

 この質問に対して、少し困ったように頬を掻く彼女。

 

「……実は作る過程で味見しすぎてお腹が膨れてしまったのだ。余のことは気にせず……その、味わって欲しい」

「そうか」

「……余が茶でも淹れよう」

 

 目を逸らしながらも、セイバーがお茶を用意してくれた。少し彼女の顔が赤くなって見えるのは食べ過ぎたせいだろうか。

  

「ご主人様。彼女もああ言っていることだし二人で頂いちゃいましょう」 

「そういうことなら遠慮なく。では、いただきます」

 

 手のひらを合わせてから箸を取る。

 そして真っ先にスクランブルエッグに箸を伸ばした。

 その一連の動作を注視するようにセイバーが見つめてくる。きっと俺の反応が気になるんだろう。俺も料理を作る側だからその気持ちは分かった。

 

「…………うん。うまい」

 

 だから率直な感想を口にした。

 

「ほ、本当かっ、奏者!?」

 

 身を乗り出さんばかりに突っ込んくるセイバー。 

 

「ああ。卵はクリーミー状で口当たりがいいし味付けも悪くない。美味しいよ、セイバー」

 

 俺の言葉を受けてセイバーの表情が輝いた。

 ほっとしながらも、身体の内から嬉しさが込み上げてくる。そんな感じだった。

 

「……」 

 

 そんなやり取りを見届けてから、タマモも箸を伸ばしスクランブルエッグを口に入れた。

 

「……」

「――」

「今度は……」

「――ふん。やればできるじゃないですか。これならギリギリ合格としましょう」

「っ!?」 

「けれど目玉焼きを作ったつもりがスクランブルエッグになっちゃった、とかいうオチじゃないでしょうね?」

「ば、馬鹿を言うな! そんなことは……ないぞ」

 

 セイバーがそっぽを向きながら口を尖らせる。その仕草は年相応の少女のようで愛らしく感じられた。

  

「あらら。もしかして照れちゃってます? ふふっ。案外可愛いところもあるんですねぇ」 

 

 そんな風にセイバーをからかいながらもタマモが箸を進めていく。

 楽しい、本当に楽しい夕食の風景。

 

「照れてなどいない! しかし……そうだな。今回ばかりは礼を述べておこうと思う……」

「あらら?」

「……………………」

「あれれー? 私にお礼の言葉が頂けるんじゃなかったんです?」

「……やっぱりやめた。その嬉しそうな表情を見ていたら言う気がなくなってしまった」

「なんですとー!?」

「あはは。本当に仲が良いな二人とも」

「なっ……よ、良くないぞ、奏者!」

「良くなんてありませんから、ご主人様!」 

 

 いつものやり取りに美味しい食事。

 今日は彼女達に素晴らしいものを届けられたんだから、今度は俺が届ける番になるな。

 そう思いながら夕食を進めていった。

 

  

 

 



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