12巻の後の二次創作 (頼・頼)
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Interlude…

 私には妹がいる。

 現在高校二年生で、思春期真っただ中の可愛い妹が。

 その妹…雪乃ちゃんは、昔からずっと私の後を追いかけてきた…

 

 ……そんなこと、私は望んでいないのに…

 

 

 昔から母は、家のことに関して厳格な人だった。

 何よりもまず体裁を気にして、私達娘の行動を制限し続けた。

 しかし、あまりにも行き過ぎたそれに不満を感じた私は、当時小学校三年生ながらも母と『契約』を交わしたのである。

  

 「私が雪乃ちゃんの分まで家のことをやるから、雪乃ちゃんは自由にさせてあげて」と。

 

 母は思いのほか快諾した。…今思えば、それもそうだろう。

 少なくとも一人は、絶対服従の奴隷を手に入れたわけなのだから…

 「家のためだから」と、母に言われてやってきたことは沢山あった。

 中には辛いことも、苦しいことも…

 でも、雪乃ちゃんは賢い。私がそんな感情を表に出していたら、きっと気づいちゃう…

 

 だから気づかれないように、私は常に笑顔でい続けた…仮面を着け続けた…

 

 勿論そんなことを知らない雪乃ちゃんは、姉である私の後を追い続けた。

 その度に突き放してきた私の気持ちを、一体どれくらいの人に理解してもらえるだろう?

 私だって、好きで突き放してきたわけじゃない…できることなら、雪乃ちゃんにもっと優しく接したかった…

 

 その結果、小学校で雪乃ちゃんは孤立した。

 

 それもそうだろう…最も身近な存在である姉が、自分にそっけない態度をとり続けているのだ。

 人間不信になるのも無理はない……私のせいだ…

 

 その時からだろう…もう戻れないと感じたのは。

 私は雪乃ちゃんへの贖罪の為にも、雪乃ちゃんを自由にさせる必要があった…仮面をつけ続ける必要があった…

 

 ……いつしか、私の本心が外に出る事はなくなっていった…

 私の感じる苦しみも、辛さも、悲しみも、後悔も、理解してくれる人はいなくなった…

 私自身、自分が本当はどんな表情をしているのか、わからなくなっていった…

 

 私を本当の意味で『理解』してくれる人なんて、もういない…そう思っていた…

 

 

 

 

 去年の6月までは…

 

 

 久々にららぽで見かけた雪乃ちゃんの顔は、今までとは全然違うそれをしていた。

 あの時一緒にいた男の子…比企谷君が、雪乃ちゃんを変えているのに違いない。

 

 勿論、比企谷君だけじゃなく、ガハマちゃん、静ちゃん、小町ちゃん…周りの人に恵まれているのもある。

 …でも、なんだかんだでやっぱり一番の変化の原因は、比企谷君だろう。

 

 雪乃ちゃんをあんな目に合わせた原因として私は、雪乃ちゃんが良い理解者を持てた事に、心底安心した。

 

 ………本当にそれだけ?

 

 ああ、そうだ。…私は理解者を持った雪乃ちゃんに、好意的な印象を持っているだけじゃない…もっと他に感じていることがある。

 『共依存に違和感がある』とか、『前の雪乃ちゃんの方が好き』とか、そんな複雑なことじゃない。…もっと簡単で、ドロドロしてて、気持ち悪い感情。これは……

 

 嫉妬だ。

 

 比企谷君が私の仮面を一目で見抜いたとき、驚いた。

 しかし、それと同時に、彼に期待を寄せ始めた私がそこにはいた。

 …彼なら私の気持ちを理解してくれるのではないか、私を救ってくれるのではないか…と。

 

 ……でも、「雪乃ちゃんを自由にしてあげたい」という気持ちは変わらなかった。

 そのためにも、比企谷君には雪乃ちゃんを見ていてほしかった…そう、仕向けさせ続けた…

 

 雪乃ちゃんの為に泥を被るのは慣れていたはずだ…慣れていたはずなのに…

 比企谷君に『ちょっかい』を…『ちょっかい』と言うには度が過ぎたそれをし続けるのは、心が痛かった…

 

 でも、これでいいんだと…これが私の望んでいたことなんだと…そう自分に言い聞かせた。

 

 

 しかし、2月15日……全てが変わった…

 

 雪乃ちゃんが実家に帰ったその日の夜。

 私は、母からのメールを読んだ。

 相変わらずの短い文章のメール…雑談など無く、要点しか書いてこない。何の面白みもない。

 しかし、そのメールの中身は、質の悪い冗談だと思いたいような内容だった…

 

 「私は、お父さんの仕事を…雪ノ下家を継ぎたい」

 実家に帰ってきた雪乃ちゃんは、夕食の席でハッキリとそう言ったらしい…

 

 信じたくなかった…考えたくなかった…

 雪乃ちゃんの為だと思ってやっていたことが、無意味だったなんて…

 それどころか私は、雪乃ちゃんの邪魔をし続けていたのではないか…?

 いや、雪乃ちゃんだけじゃない…私は奉仕部にも……比企谷君にも迷惑をかけてきたんだ。

 

 救えない。結局、願望を押し付けていたのは私の方。

 救われない。結局残ったのは、周りへの迷惑と仮面だけ…

 

 誰にも理解されなかった苦しみを、今更ながらに味わう…

 その原因はすべて私にある。そんなことはわかっている。

 今更”それ”を求めるのは虫が良すぎることも、きっと”それ”は手に入らないということも。

 願うだけ無駄かもしれない。

 なにもかも、自分の中に押し込み続ける方がいいのかもしれない…

 

 ただ、それでも…  

           私は、『理解者』が欲しい

 

       ×   ×   ×

 

 雪乃ちゃんがなりたいもの、やりたいことが分かった以上、私はそれを応援する。

 もちろん、10年弱の努力が実を結ばなかったことは、未だにやりきれない気持ちのままだ。

 でも、どこかで折り合いをつけなければ先には進めない。大人にはなれない。

私が辿った道を進む以上、雪乃ちゃんもきっと沢山のものを失っていくことになるだろう。

 しかし、最初から選択肢を削るのと、後から取捨選択するのでは訳が違う。

 はたして、雪乃ちゃんは覚悟ができているのだろうか?……今までの他人との関係を捨ててしまう覚悟が。

     

     ×   ×   ×

 

 母を交えて行ったプロムの話し合いの後に気づいた。

 雪乃ちゃんは分かっている。比企谷君とガハマちゃんとの関係が失くなってしまうことを。

 でも、覚悟はできていない。まだ心のどこかで、比企谷君に頼ろうとしている。

 それじゃあ駄目だ。ここで甘えるのをやめなければ、いつまでも引き延ばしていくことになる…。

 回帰不能点で気づくのでは遅すぎるのだ。

 

 「……まだ『お兄ちゃん』するの?」

 雪乃ちゃんが本気でなりたいものがあるのなら、私は全力で応援しよう。……例え雪乃ちゃんから恨まれ続けても、最適な方法でフォローしよう。

 「は?何の話ですか?」

 少し怒気を孕んだ様子で、語気を荒げながら比企谷君はそう聞き返してくる。

 「雪乃ちゃんが自分でできるって言ってることに無闇に手を貸しちゃだめだよ。君は雪乃ちゃんのお兄ちゃんでも何でもないんだから」

 「そういうことじゃ、ないです」

 弱々しく、震えるような声で否定するのはガハマちゃん。

 その声とは裏腹に、その目はしっかりと私を睨んでいる。

 「……大事な人だから。助けたり、手伝うのは当たり前です」

 ああ、本当にこの子は優しいんだな…。君みたいな子が雪乃ちゃんの友達でよかったよ。

 ……でも、今必要なのは優しさじゃない。

 「大事に思うなら、相手の意思を尊重してあげるべきだと思うけどね」

 その言葉はガハマちゃんにだけでなく、以前の自分にも言えたことだ。改めて自分の罪を思い出し、苛立つ。

 ため息をつきながら、続けて言う。 

 「プロムが実現したら、母は雪乃ちゃんへの認識を多少改めるかもしれない。もちろん雪乃ちゃん自身の力でやれば、だけどね。……それに手を出す意味、わかってる?」

 尖った言葉は、比企谷君やガハマちゃんだけでなく、自分のことも刺し穿つ。

 意地の悪い聞き方だったと、自分でも思う。高校生の…肉親でもない以上、彼らは何も言えない。静ちゃんだって、答えることは難しいだろう。

 …誰も、雪乃ちゃんの人生に責を負うことはできない。

 誰も何も言えない様子を確認し、最後に改めて釘を刺すことにする。 

 「いくら相手のことを思っているからって、いつも手を貸すことが正しいとは限らないのよ。……君たちみたいな関係、なんていうかわかる?」

 「姉さん、やめて。……わかっているから」

 彼らの関係に決定打を入れようという瞬間、雪乃ちゃんはそれを遮るように口を挿んだ。

 しかし、その表情に焦りの影はなく、透き通った微笑みを私に向けている。

 雪乃ちゃんには十分通じたと確信し、私も口を閉ざす。

 暫く俯き、やがて彼女はそのままの姿勢で静かに言葉を紡ぐ。

 「私は、ちゃんと自分の力でできるって証明したいの。だから、……比企谷くん、あなたの力はもう借りないわ。勝手なお願いで申し訳ないけれど……。お願い。私にやらせて」

 そう言いながら、雪乃ちゃんは顔を上げた。その目は潤み、唇は戦慄いているように見える。

 震えた声で、言葉を続ける。

 「じゃないと、私、どんどんダメになる。……わかってるの、依存してること。あなたにも由比ヶ浜さんにも、誰かに頼らないなんて言いながらいつも押し付けてきたの」

 雪乃ちゃんがこう言っている以上、誰も雪乃ちゃんを助けることはできない。

 気づけば、ガハマちゃんといろはちゃんは気まずそうに目を逸らし、静ちゃんは瞑目していた。

 「それは、違う……、全然違うだろ」

 しかし、比企谷君だけは違った。彼だけは雪乃ちゃんの言葉を否定した。

 その否定が何を指しているのか、私には全く分からない。きっと、雪乃ちゃんの『理解者』の一人である、比企谷君にしか分からないのだろう。

 「違わないわ、結果はいつもそうだもの。もっとうまくやれると思ったのに、結局何も変われていない……。……だから、お願い。」

 互いに理解しているからこそ伝わる、言葉以上の何か。……本当に羨ましく感じる。

 気づけば私は、ただの傍観者となっていた。

 「ヒッキー……」

 ガハマちゃんが比企谷君の袖を引き、彼も少し落ち着いたようだ。

 小さく息を吐き、それと同じくらいの大きさでわかったわかった、と呟いた。

 それが聞こえたらしい雪乃ちゃんは、比企谷君に微笑みを浮かべながら頷きを返し、立ち上がる。

 「生徒会に戻って、今後の対応を検討します」

 静ちゃんに一礼し、雪乃ちゃんはいろはちゃんと応接室を後にする。

 その迷いのない足取りに、雪乃ちゃんはなりたいものに一歩近づけたのだと確信する。

 「比企谷、また改めて話をしよう。とりあえず今日は帰りなさい。由比ヶ浜と陽乃も、な」

 ふっと煙を吐きながら、疲れた様子で静ちゃんはそう告げる。

 「……そうします」

 同様の顔をしながら、比企谷君は帰る準備を始める。

 帰り際に最後にもう一度だけ比企谷君とガハマちゃんに釘を刺そうと、私も帰る準備を始める。

 しかし、冷めたコーヒーの処理をしている間に比企谷君は会釈をしながら応接室を出てしまった。

 結局二人とも捕まえるのは難しそうなので、ガハマちゃんに狙いを絞る。こういう時でもないと、2人だけで話す機会なんてないしね。

 「ガハマちゃん、一緒に帰らない?」

 「え?あ、うち、ママが迎えに来るんで!」

 本当にお母さんが迎えに来るのかは分からないが、そう言われちゃ無理に一緒に帰ることはできない。言いたい事だけ告げることにして、比企谷君を追いかけることにしよう。

 「ガハマちゃん、分かってるとは思うけど、雪乃ちゃんを助けようとなんてしちゃ…」

 「解ってます」

 言葉を遮るように、彼女はハッキリとそう言った。

 一瞬呆気にとられた私をよそに、ガハマちゃんは続けて言う。

 「……でも、ゆきのんが助けを求めた時は…その時は、私は絶対に助けます。多分ヒッキーも。黙って見とくなんて、絶対にしません。」

 そう言って一礼し、ガハマちゃんは応接室を出た。

 あの子は本当に雪乃ちゃんの事が大好きなんだね…。本当に『いい子』だと思う。

 そんな子に愛されている雪乃ちゃんを、私は誇りに思い……羨ましく思う。

 ガハマちゃんの意思の固さを悟り、次は比企谷君を追いかけることにする。

 

     ×   ×   ×

 

 校舎を出ると、気だるげに自転車を押す比企谷君の後ろ姿が見えた。

 全速力で走って、彼の肩に手を乗せる。

 「追いついたー。途中まで送ってってよ」

 一息つき、額の汗をぬぐうポーズを取りながら比企谷君にそう頼む。

 「駅まででいいですか」

 比企谷君の方も疲れているらしく、抵抗はなかった。

 彼の横に並んで歩き始め、事情を話す。

 「うん。……せっかくガハマちゃんと帰ろうと思ったんだけどさ。誘おうとしたらうまく逃げられちゃった。勘がいい子だね、ほんと」

 「大抵は逃げようとするのでは」

 「大半は逃がさないんだけどね」

 半笑いで皮肉を言ってくる比企谷君に、笑って答える。

 「本当にいい子だよ。全部わかってるんだもん。雪乃ちゃんの考えも、本音も、ぜーんぶ」

 だからこそ、彼女は雪乃ちゃんの理解者たりうるのだろう。

 「いや、いいのは勘だけじゃないか。顔も性格もスタイルもいい。……本当に『いい子』だね」

 先ほど感じたことを、そのまま言葉にする。

 「悪意のあるイントネーションに聞こえますね」

 気づかぬうちに嫉妬のニュアンスも入っていたのだろうか?これ以上、負の感情を見られないように取り繕う。

 「そう?それは聞く側の問題じゃない?捉え方が悪いのよ」

 「……一理ありますね」

 追い打ちをかけるように、言葉を紡ぐ。

 「そう!だから、比企谷君は悪い子 !いや、悪い子だと自分で思っている子、かな。自分がまちがってるってそう思ってるの……今みたいにね」

 取り繕うためだといっても、この発言には少なからず本心が入っている。

 比企谷君は自分のことを過小評価してしまう節がある。結果、彼は自分以外の何かに自分の存在意義を求めてしまう。……私と一緒だ。

 「そして、雪乃ちゃんは……」

 顔を上げるが、すぐに目を細める。今日の夕焼けは一段と目に刺さる…

 「……普通の子なのよね。可愛いものが好きで、猫が好きで、お化けと高いところが嫌いで、自分が何者なんてことに悩むような、……どこにでもいる普通の女の子。」

 そう。雪乃ちゃんは私とは違う。他者から理解されることができる、普通の女の子。

 理解しているのかしていないのか…何も言わない比企谷君に、抗議の意を込めてもう一度言う。

 「雪乃ちゃんは普通の女の子よ。……まぁ、ガハマちゃんもそうだけど」

 自転車のハンドルを挟んで顔を突き合わせるような状態が恥ずかしいのか、比企谷君は顔を逸らす。

 駅も近づいてきた。そろそろ本題に入るべきか…

 「……なのに、三人が揃っちゃうと、それぞれの役割を演じちゃうのよね」

 互いに理解しあってる三人の楽しそうな表情を思い出し、口調は少し弱くなってしまった。

 それに気づいたらしい比企谷君は、視線をもとに戻す。

 「さて、ここで問題です。三人のこの関係性を何と呼ぶでしょーか?」

 さっきまでの口調をごまかすように、少しふざけて聞く。

 しかし、逃げることは許さない。ハンドルと前かごとに腕を乗せ、移動ができないようにする。

 「……いい子悪い子普通の子、イモ欽トリオですか」

 「ぶー。不正解。君たち三人の関係って言ってるでしょ」

 ふざけたスタンスは崩さず、もう一度聞きなおす。

 比企谷君から目を逸らさず、答えをゆっくりと待つ。

 やがて、言いにくそうにしていた比企谷君は、意を決したように口を開く。

 「……………さ、三角関係、とか」

 一瞬、何言っているのか分からなかった。

 暫くして、比企谷君の言わんとしていることの意味が分かり、おかしくなる。

 「あっははは!そんな風に思ってるんだ!ぷっ、しかもそれ自分から言い出すって面白すぎない?あっはは!あーやばお腹痛い脇腹攣るやつだこれ、いたたたあはっ」

 素直に笑った。仮面とかそんなの関係なく、自分でそんなことを言う比企谷君が面白かった。やばい、笑いすぎて涙でてきた。

 「笑いすぎでしょ……」

 大声で笑い続けていると、流石に恥ずかしくなったのか、比企谷君は少しむっとなって抗議した。

 「あの、正解、なんなんですか」

 ようやく笑いが収まったところで、比企谷君はそう聞いてきた。

 「え?正解?あー。正解ね……正解はね……」

 ここだ。ここで彼らの関係に罅を入れる。これから、雪乃ちゃんが自分一人で動けるようにするために。……雪乃ちゃんが、自分のしたい事ができるように。

 目じりに浮いた涙を拭い、比企谷君を手招き、比企谷君が耳を貸すように口元にその手を当てる。

 そのジェスチャーの意味が通じたようで、比企谷君は身体を前に倒してきた。

 顔を近づけ、耳元で囁く。比企谷君の先に手で触れ、逃げることは許さない。

 「共依存っていうのよ」

 これでいい。何よりも本物に固執する比企谷君は、きっとこの関係に終止符を打つだろう。

 「ちゃんと言ったじゃない、信頼なんかじゃないって」

 互いに理解はしているが、信頼はしていない。……信頼が出来ていたら、最初から本物なんて望むはずがないのだ。

 「あの子に頼られるのって気持ちいいでしょ?」

 これは本心じゃない。あえて比企谷君が嫌がるようなことを言ってるだけだ。しかし、この一言は、比企谷君が今の関係を偽物だと決めつける大きな要因になるのは間違いない。

 ………相変わらず、性格が悪いと自分でも思う。でも、もう引き返せない。一度人に向けて口に出した言葉が返ってくることはないのだ。

 だからこそ、一度敵であり続けると決心したならば、最後までそうあり続ける必要がある…。決して理解されることは、無いとしても…。

 「だけど、その共依存も、もうおしまい。雪乃ちゃんは無事独り立ちして、ちょっと大人になるんだよ」

 さぁ、駅の近くにも着いた。話も終わりだ。

 言い逃げみたいな形になってしまうが、それでもいい。私の役目はもう終わったのだ。

 「ここでいいや。またね」

 手を振り、駅へと足を向ける。

 「あの……」

 後ろからの掠れた声に、足が止まる。 

 振り返り、無言で彼の言葉の続きを待つ。

 「あいつは……、何を諦めて、大人になるんですかね」

 その問いに、具体的な答えは返せない。

 私と雪乃ちゃんじゃ、素のキャパシティが違う。…最初から色々諦めてきた私と雪乃ちゃんじゃ、何もかもが違う。

 「……私と同じくらい、たくさんの何かだよ」

 色々考えた結果、口から出たのはそんな言葉だった。

 

     ×   ×   ×

 

 家路を辿りながら、ふと考える。

 私は何を諦めてきたのだろう。何に憧れてきたのだろう。私は何者なのだろう。

 答えが出ないものばかりで嫌になる。

 悪者を演じ続けてその先は何が残るの?

 こんな気持ちを一緒に背負ってくれる人はいつ見つかるの?そもそも、そんな人なんて存在するの?

 …そこまで考えて気付く。

 

 本当に依存を求めているのは……私だ。



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いつでも、平塚静は優しく見守る

八幡パートです!



「……いつか、助けるって約束したから」

 自分の発言を顧みる。

 もし今回雪ノ下を助けられたとして、それは本当に雪ノ下を助けたことになるのか。雪ノ下の『見守って』という依頼を無視したことにならないのか。大体、今回俺が役に立てるのかさえ分からない。ロクに仕事もできず、プロムはお流れになってしまうかもしれない。

 走りながらではまともな解が出るはずもなく、ただ問だけが次々と頭に浮かぶ。

 とにかく、時間は一分一秒も無駄にできない。そう自分に言い聞かせ、思考を無理やり振り切るように走るスピードを上げる。

 正門前では平塚先生が待っており、そのまま職員室へと連れられる。

 職員室へ足を踏み入れ、平塚先生のデスクにふと目を向ける。受験も終わったというのに、未だ片付いているデスク。実はもう移動は決まっているのではないか、と邪推してしまう。

 「比企谷、こっちだ。」

 そう言って平塚先生は、俺を応接スペースへと招き入れる。

 この応接スペースだって、もう何回連れて来たかも分からない。連れて来られる度に注意されたものだ…。

 随分と早いノスタルジーに浸ろうとしていると、それを遮るように平塚先生は口を開く。

 「学校側がプロムの中止判断を下したのは知っているんだよな?」

 我に返った俺は、会話に集中し始める。

 「ええ、まあ。由比ヶ浜のラインにそんな感じのメッセージが来たんで」

 「なら話は早い。……率直に聞くが、君はどうしたい?」

 少し厳しめな口調で…しかし、こちらの意思を尊重するという雰囲気を込めて聞いてくる。

 今日は平塚先生もタバコは吸っていない。それほど大事な話なのだ。誤魔化しは効かない。

 「さっきも言いましたが、俺は雪ノ下を助けるために…」

 二回目だが、やはり慣れない。恥ずかしさで言葉が途中で切れる。

 「陽乃ではないが、君はそれが雪ノ下の為になると思っているのか?雪ノ下が彼女の母上から認められる為には、彼女が自力で何とかするべきだというのも君は分かっているだろう?」

 「君は一体、何のために雪ノ下を助けるんだ?」

 言っている事こそ厳しいものの、平塚先生は別に咎めるような口調ではない。おそらく、それでも俺が雪ノ下を助けに行くことを確信しているのだろう。だからこれは、質問というよりは警告に近い。

 確かに、ここで助けない方が、長い目で見てあいつのためなのかもしれない。でも、それじゃ駄目だ。今と何も変わらない。互いに依存しあっている今と…

 「助けないでってお願いされて、それを素直に聞くほど俺はお人よしじゃないんで」 

 気づけばそんなことを言っていた。口の橋は吊り上がり、嫌な顔をしている事だろう。

 雪ノ下との依存関係を断つために、俺は雪ノ下雪乃を助ける。頼られてもいないのに、勝手に手を差し伸べる。

 頼られるわけでも、頼るわけでもなく、ただただ善意を押し付ける。善意の押し付けほど、他人に邪魔なものはない。

 きっとこれが、陽乃さんの言う『共依存』からの脱却への一歩。

 俺が雪ノ下を助けるのは、雪ノ下のためじゃない。俺のためだ。

 「君は、本当に捻くれているな」

 言わんとしていることが通じたのか、平塚先生は微笑みながらそう言う。

 「よし。君がプロムを続けたいことは分かった。私の持っている情報を話そう。」

 そう言いながら、平塚先生はタバコに火をつけた。楽にして良いぞ、というサインだ。椅子に深く腰を掛けながら、平塚先生の言葉を待つ。

 スパァーッと効果音が付きそうなほど大きく煙草の息を吐いた平塚先生は話し始めた。

 「実はな…比企谷からの電話が来る前、プロム中止の判断が下された事を聞いた雪ノ下と一色は私と共に、校長に直談判しに行ったんだ。」

 やはり、雪ノ下も一色も未だ諦めてはいなかったのだ。その事実だけでも、少し安心する。

 「でも、未だその判断が覆ってないってことは…」

 大体結果は分かっていながら、一部の望みに懸けて聞いてみる。

 「そうだ。結果は失敗に終わった。PTA役員同士の議論が終わったばかりで理論武装された校長の前に、話を聞いたばかりで何の後ろ盾もない私達は余りにも無力だった」

 それもそうだろう。先生が一人ついているとはいえ、生徒会長がいるとはいえ、こちらは高校生でまだ子供。蟻と象では勝負にもならない。

 しかし、二人の意思が固い以上、一つ案が潰れたくらいじゃ終わらないはずだ。次の案を練っているに違いない。

 「それで、今雪ノ下と一色は?」

 尋ねる声には、少し焦りが混じっていたかもしれない。

 本当なら、校長に直談判しに行くのも余り良い手ではない。最終決定権が校長にある以上、余り心証を悪くするべきではないからだ。

 その案が最初に出る部分、雪ノ下も一色も、今は冷静ではないのだろう…。早まった行動をする前に、合流する必要がある。

 「二人なら今生徒会室だろう。……行くのか?」

 そう聞く平塚先生の声には、心配が含まれている気がした。

 本当に優しい。ここまで生徒に親身になれる先生も、なかなかいないだろう。

 もしも……もしも移動することがなかったら、来年もこの人に教わりたい。心からそう思う。

 でも、もしも移動が決まっていたら、これが平塚先生の前でする最後の依頼になるかもしれない。

 行ってきます、と返事をするのも恥ずかしいので、首肯して答える。

 「よし、行ってこい!」

 笑顔で送り出してくれる平塚先生に心の中で一礼し、俺は職員室を出た。

   ×   ×   ×

冬陽は落ちるのが早く、まだ6時前だというのに俺が職員室から出るときには既に空からその姿を消していた。

 しかし、その名残は未だ消えず、西の空は未だ橙色に光っている。そこには確かに陽が存在したのだと知らしめる。

 バカボンのOPではあるまいし、再び西から陽が昇るなんて事は無い。陽だろうが、単位だろうが、あるいは周りからの評価だろうが、一度落ちたものはそのままである。

 だからこそ、雪ノ下への彼女の母からの評価は、そのままにすることはあっても落とすことなどあってはならない。

 縛りプレイもいいとこだ。ほぼ無理ゲーで発売前から叩かれるレベルだろ、これ。

 そんな益体もない事を考えている内に、気づけば既に生徒会室の前。2、3度ドアをノックし、横開きのドアを開ける。

 「あ、先輩!?来てくれたんですね!」

 ドアを開けて中に入るや否や、俺の存在に気付いた一色は驚いたように声を上げた。

 「……ああ、まあな。……雪ノ下は?」

 部屋の中には一色しかおらず、雪ノ下の姿は見当たらない。

 「それなんですよ!とにかくかなりヤバい事になってて、雪ノ下先輩がついさっき職員室に…とにかく急ぎましょう!」

 どうやら入れ違いになったらしい。一色に右手を掴まれながら、引っ張られるような形で廊下に出る。

 「雪ノ下先輩、PTAの役員一人一人に電話を掛けようとしてるみたいで、今名簿を職員室に取りに…」

 「悪い、一色。先に行くぞ。」

 断りを入れ、走るスピードを速める。早く追いつかないと、事態がややこしくなる…

 方法としてはありだが、正直良い手とは言えない。役員の名簿とはいっても個人情報なので、普通なら手に入ることなど絶対にないはずだ。しかし、そこはあの雪ノ下だ。嘘はつかないにしても、上手く先生を話を乗せて目的の物を手に入れることに成功する可能性も、0ではない。

 焦燥に駆られながら走ると、雪ノ下が歩いて行っていたのもあり幸運にも職員室前でその姿を捉えられた。

 「待て、雪ノ下」

 「比企谷君……どうして…」

 後ろから声を掛けられ、雪ノ下は驚くように振り向いた。言葉にはなっていなかったが、きっと「どうしてここに?」と聞きたかったのだろう。その問いに恥ずかし交じりで答える。

 「あー、いや…なんだ…手伝いに来た」

 煮え切らない俺の雰囲気に冷静になったのか、雪ノ下はゆっくりと言葉を紡ぐ。

 「自分でやらせてって言ったはずよ…。あなたもそれで了承したじゃない…」

 目を伏せながら、拗ねるような言い方で、なんで今更、と言外に含める。

 そりゃそうだ。納得できるものじゃない。……だから俺も、納得しろとは言わない。

 そうこうしている間に、「はぁ、はぁ」と、後ろから息切れする音か近づいてきた。置いてきた一色だ。

 「雪ノ下先輩…よかった、間に合って」

 一色の声には疲れの他に、安堵の色も入り混じっていた。

 「一色さん…そう、やっぱりあなたが教えたのね…」

 咎めるような言い方だが、その声には勢いがない。

 「雪ノ下先輩、やっぱり無茶ですって。……考え直しましょ?」

 説得する一色の言葉は、諭すようにも…言い聞かすようにも聞こえた。しかし、時間がないこの状況ではその説得は無意味に等しい。それを理解しているのか、雪ノ下も反論する。

 「いいえ、一色さん。時間がない状況の今、思いつくことは直ぐにやるべきよ。これが駄目だったら、直ぐにまた次の方法を考えれば…」

 そう言いながら雪ノ下は職員室の引き戸へと手を伸ばす。

 「待て、雪ノ下…落ち着け……」

 慌ててその手を掴み、思いとどまるように言う。

 しかし、雪ノ下もそう簡単には譲らない。俺の手を振りほどこうとする。

 「比企谷君……離して。早く名簿を手に入れて、遅くなる前に全員に電話を掛けないと」

 「全員が全員プロムに反対な訳じゃねえだろ。……それに、説得する材料はあるのか?無いのに電話を掛けても逆効果にしかならねえだろ」

 「それはっ……名簿を手に入れてから考えればいいじゃない」

 その言葉に確信する。やはり、今の雪ノ下は冷静じゃない。意見を譲る気もなければ、俺たちの言葉も耳に入っていない。一見会話として成立しているように見えて、そうではない。

 一瞬でいい。一瞬だけでも雪ノ下を冷静に…周りが見えるようにすれば、会話は成立する。

 「はぁ……」

 演技過多だと思われないように気を付けながらも、大仰にため息をつく。

 幸い、二人とも怪しんではいないようだ。ムッとした視線をこっちに向ける。全員の注目を集めたところで、俺は口を開く。呟くように…しかし、しっかりと二人の耳に届くように。

 「自分にやらせてって言った結果がこれか……。任せるべきじゃなかったな」

 どれくらい時が経っただろう……あまりの静寂に、時が止まったのかと思った。

 一色は目を点にし、雪ノ下は俯いている。

 雪ノ下は今、どんな気持ちになっているのだろう…と、ふと考える。自分に任せた人が、急に現れて上から目線で自分のやり方を否定するようなことを言うのだ……。内心、穏やかではないだろう。 

 「先輩、その発言はあんまりだと思います……」

 見ていられなくなったらしい一色が口を開き、そして時は動き出す。

 一色の反応は正しい。あまりにも理不尽で、自分勝手で、尊大な発言だ。咎められて当然だろう。

 しかし、これでいい。俺は俺なりの方法で雪ノ下を助ける。周りが見えてなくて暴走してるのなら、冷や水どころかドライアイスを投げつけてやる。…火傷しそうだな、それ。

 俯く雪ノ下の表情は分からない。驚いているのか、怒っているのか、泣いているのか…想像もつかない。

 小刻みに震えるその身体から、気持ちを想像することもできない。できてたら「もっと人の気持ち考えてよ」なんて言われることは無い。

 震えも落ち着き、しかし俯いたままで雪ノ下は口を開く。

 「あの時のあなた……こんな気持ちだったのね」

 その言葉に、思わず目を伏せる。

 彼女が言っているのはどの時の事だろう?俺みたいなやつの場合、やった後に自分の行動を否定されるなんてしょっちゅうだ。文化祭だろうが、修学旅行だろうが、なんだって間違ってやってきた。俺は間違ってる、だから俺を否定する方が正しい。例え俺を否定する奴が、「自分ならこうしてた」なんて都合の良い案を持っていようが無かろうが、俺は否定されることを受け入れてきた。

 ふと前を見ると、雪ノ下も既に顔を上げていた。

 泣いてもいない、怒ってもいない。彼女は微笑みながら、俺に言う。

 「あなたのそういうやり方、嫌いだわ……。…………だけど、ありがとう」

 返す言葉が見つからず、しどろもどろしていると、彼女は職員室から背を向け一色の方へと向かった。

 「一回生徒会室に戻りましょう。あなたの言うとおり、もう一度ちゃんと考えるべきみたいね」

 「雪ノ下先輩……。はい!やりましょう!」 

 一色の方も少し落ち着きを取り戻したのか、雪ノ下に続く。

 「比企谷」

 二人が廊下を曲がるのを見て、さて俺も行こうとした時後ろから俺を引き留める声がした。

 振り返ればやはりというかなんというか、平塚先生。

 もしかしてさっきのやり取りが、全て職員室に届いていたのではないかと思い、嫌な汗が出る。

 表情から察したのか、平塚先生は首を横に振った。

 よかったー、全部聞かれたんじゃないかと思って冷や冷やした……

 「して、また振り出しかね?」

 「いや、最初よりはマシだと思いますよ」

 雪ノ下が冷静になった以上、あのような早まった判断はもうしないだろう。落ち着いて会話もできるはずだ。

 「そうか、何かあったらまた来たまえ」

 そう言う平塚先生はニヤニヤと笑っている……あの、本当に聞こえてなかったんですよね?

 職員室のドアを閉め、その向こうへと足音が遠のく。え?外でないならなんでドアの側まで来たの?やっぱ聞こえてたんじゃ…

 頭を抱えながら、俺は再び生徒会室へと足を運んだ。



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