縁は異なもの趣味なもの (まみゅう)
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第1部 原作前
とある闘技場


作者は物理屋ではないので設定説明はふんわりファンタジーとして読んでもらえると助かります……!


 

 もしも人に職業を問われたら、ヒソカは迷いなく奇術師だと答えるだろう。

 仮とはいえ幻影旅団に籍を置いており、そうでなくても収入源は殺しや盗みといったアングラなものばかりだが、それでもヒソカは自分が奇術師であると胸を張って答える。もちろん、そこには彼なりの拘りや思い入れがあるのだけれど、それを語るのはまたの機会にするとしよう。すぐにタネを明かしてしまう奇術師なんて、興ざめでしかないのだから。

 

 それでは、そんな奇術師がもしも人に趣味を聞かれたらどう答えるのだろう。

 トリックの考案?それとも、人のあっと驚く顔を見ることだろうか?

 

 確かにヒソカはエンターテイナーだ。

 同じ人を殺すのだって華麗なほうが気分がいいし、自分に出し抜かれて驚きながら死んでいく人間を見るのも一興。だが、相手を楽しませるよりは、どちらかと言えばヒソカ自身が楽しみたい。強い相手や面白い能力者との一戦は、ヒソカの戦闘狂としての血を沸き立たせる。ヒソカは好物を最後まで取っておくタイプでもあるので、将来有望な伸びしろのある逸材も好きだ。我慢して待てば待つほど、果実を収穫した時の喜びは大きい。

 というわけで、ヒソカはもしも人に趣味を聞かれたらこう答える。

 

 ボクの趣味は“青い果実探し”だよ、と。

 

 

 

「やぁ、おめでとう」

 

 パドキア共和国の南東に位置する天空闘技場は、格闘のメッカとして各地から様々な格闘家が訪れる。その数はひと月あたり平均12万人を越すらしく、まだ青く固い果実を探すヒソカにとっては格好の狩場だ。

 そしてヒソカは今日、200階のエレベーター前で待ち構え、やってきたばかりの人物にわくわくしながら声をかけた。

 

「さっきの試合見てたよ」

「お、おう。ありがとな」

 

 試合で紹介されていた彼のリングネームはマオ。ここは表の格闘場で売名にも役立つため、偽名を使う人間は少ない。そのため、リングネームはすなわち本名と考えていいだろう。人種が違えば年齢を推測するのは難しいが、見たところだいたい十代後半から二十代前半といった具合か。頭の後ろで緩く三つ編みにされた髪が、なんだか動物のしっぽのようである。

 いきなり見知らぬ人物から親し気に声をかけられたマオは一瞬驚いた顔になったものの、すぐさま人懐っこい笑顔を浮かべた。

 

「俺はマオ。ここへは今日来たばっかりなんで正直なんもわかってないんだけどさ、声をかけてくれて嬉しいよ。アンタは?」

「ボクはヒソカ」

 

 名前を名乗ると、よろしく、となんの躊躇いもなく右手を差し出され、逆にヒソカのほうが戸惑った。今日来たばかりと言っていたので、どうやらここでのヒソカの扱いを彼は知らないらしい。しかしそうでなくても普通、念能力者ならば初対面の相手とのむやみな身体的接触は避ける。一体何が発動条件になるかなんてわからないし、操作系のように“決まれば勝ち”という厄介な系統が存在する以上、ヒソカの警戒は最もなものであった。

 

「ん、どうしたんだ?」

「キミ、使えるんだろ?オーラも特に隠そうとはしていないし」

「何の話?」

 

 ヒソカがやんわり握手を避けると、マオは不思議そうなを顔した。オーラのことを指摘しても全くピンと来ていないようで、わかりやすく首を傾げる。「あ、もしかして、」それから不意にぱっと顔を輝かせた。随分と感情表現のオープンな男である。

 

「アンタ、俺の“チーゴ”が見えるのか?」

「“チーゴ”?」

「確かに200階に上がってきたときから、妙な感じはしてたんだよな。空気が違うっていうかさ。いやーやっぱ都会ってすげーな」

 

 勝手に嬉しそうにされても、ヒソカとしては訳が分からない。ただ、彼の言う“チーゴ”というのが“オーラ”のことを指しているというのは薄々わかった。おそらく彼は何も知らないまま、独自に念を会得してしまったタイプなのだろう。もしくは彼の故郷では、念をそういう風に呼んでいたのかもしれない。

 

「キミの言う“チーゴ”はきっと、ここでは“オーラ”や“念”と呼ばれているものだね。

 200階からは武器の使用が許可されている話は聞いたかい?つまり、ここから先は嫌でも“念”の使用がメインになってくるということだ」

 

 もっとも、200階以下で念を使ってはいけないというルールはない。実際、マオは先ほどの試合で念を使っていたし、それこそが彼がいきなり200階へと進むよう言われた理由なのだろう。戦闘を見世物として扱っている以上、多少の死人は仕方ないとしても、基本的に審判は危険なプレイヤーをさっさと適切な階へ押し上げるのだ。

 

「“オーラ”と“念”か、さすが都会は呼び方までかっこいいな。

 でも、なんで武器の使用OKが念の使用と関わってくるんだ?」

「だってそれは、操作系だと武器の持ち込みが必要だし……はぁまぁ、いいや。せいぜい頑張ってよ。キミがしばらくここに残るようなら、是非手合わせをしよう。その時にもっと色々教えてあげるよ」

「そっか、じゃあ楽しみにしてるぜ」

 

 いい加減面倒になったヒソカが話題を打ち切ると、マオはすんなりと引き下がった。見かけ通り単純な男らしい。強化系か、放出系か。さっき見た試合では遠隔からの攻撃を行っていたので、おそらく放出系だろう。しかしこの分では、彼は系統図を知らないばかりか、自分が放出系であることも知らないに違いない。

 

 ヒソカは青い果実は好きだが、それをいちいち育てるのは面倒だと思っていた。特に戦闘面の手ほどきならともかく、知識レベルの説明はしかるべき先生にお任せしたい。

 というわけで、マオが200階での戦闘でいい感じに育ってくれればラッキーだなくらいに考えて、ヒソカは早々にその場を去ることにした。とりあえず今日は面白そうな奴に声をかけてみた程度で、見守るべき逸材かどうかの判断は先送りすることにしたのだ。

 

 青い果実探しというのは、実はひどく気長な趣味なのである。

 

 

 

 その後マオの噂は、ヒソカが意図的に情報を集めなくても容易に耳に入ってきた。

 つまり、彼はヒソカが期待した以上に強かったのである。

 確かに初めから隠されることのなかったオーラ量はなかなかの物であったが、それでも念のイロハもろくに知らない素人だ。新人潰しにとっては格好の餌食になるだろうし、きっとそこで苦戦するだろう。しかしそんなふうに思っていたヒソカにしてみれば、彼の健闘ぶりは実に嬉しい誤算である。

 そしてそんなマオの不可思議な強さの秘密は、どうやら彼の念能力に隠されているらしかった。

 

 

「ヒソカ、ようやく相手してくれるんだな」

 

 リングの上で再会した彼は嬉しそうに笑い、気合十分といった様子だった。もちろんヒソカも彼と戦うのは楽しみにしていた。マオの戦績は今のところ5勝0敗。そのいずれも、対戦相手の四肢に深刻なダメージを与えている。

 観客たちは死神と恐れられるヒソカと、これまた破壊者として忌避されるマオとの勝負にかなりの盛り上がりを見せていた。

 

「まさかキミとこんなに早く戦えるとは思ってもみなかったよ」

「ヒソカが言ったように、ここの奴らはみんな“チーゴ”……じゃなくて“念”を使ってた。ほんとに世界は広いんだな、俺にもっと色々教えてくれよ」

「いいだろう。でもそれは勝負の後、キミが生きていたら、でどうだい?」

「オッケー」

 

 マオは頷いて、腰を低くした構えの姿勢を取る。そしてこれまでの試合映像通り、何のためらいもなく両目を閉じた。

 

「それでは、ポイント&K.O戦!時間無制限一本勝負!始めッ!」

 

 審判の合図とともに、先に動いたのはマオである。彼は放出系能力者で、これまでの試合を見る限り、波状のオーラを自身の周囲360度に飛ばして攻撃を行っていた。念弾に近いそれは波の振動の性質を大きく反映しているらしく、物体や物質の中を透過して伝わる。つまり彼の攻撃を障害物によって遮ることは難しく、外傷を与えると言うよりは内側の神経や筋肉に損傷を与える内部破壊型だ。それこそが、マオの通り名が“破壊者”となっているゆえんであった。

 

「キミのその目を瞑るっていうのは、何かの制約なのかい?」

 

 遠距離型のくせに真っすぐに突っ込んできた彼を、ヒソカは華麗なステップでかわす。一見、波状で逃げ場がないように思える念波の攻撃も、距離が遠くなればなるほどその攻撃力は弱まる。距離感さえ掴めれば、流でオーラを振り分けなくとも堅で十分にガードすることできた。

 

「これは集中してんの!」

 

 マオは相変わらず目を瞑ったまま、器用にヒソカの位置を特定して念波を飛ばしてくる。その精度はかなりのものなので、単純に気配を察知しているというより、エコロケーションのように波の反射を利用しているのかもしれない。しかし、所詮はオーラで作った人工の波。音や光の速度には劣るため、場所を特定してから攻撃しているようではどうしても後手に回ってしまう。なかなかいい能力なのに残念だなぁ、という感想を抱きながら、ヒソカはそろそろこちらからも仕掛けることにした。

 

「マオ、キミはやっぱりもう少し基礎からやり直したほうがいい」

 

 とりあえず基本の四大行はぎりぎり及第点というところだが、応用技になると得手不得手が顕著すぎる。オーラを広げたり留めたりする纏、練の応用は得意なようだが、反対に絶の応用技である隠が少しもできていない。念波を隠すことができればさらに強みとなるだろうに、今の彼の攻撃は正直言って丸見えなのだ。もともと天空闘技場に来た時から念能力者であることがバレバレだったし、“隠れる“、”隠す“と言った意識が欠如しているのかもしれない。

 

 ヒソカは両腕を上下に突き出したガードの姿勢のまま、間に“伸縮自在の愛(バンジーガム)”を広げてマオに接近した。いくら波が物体を透過するとはいっても、オーラ同士ならばこちらの防御力が高いと波のエネルギーは打ち消される。飛ばされる波をものともせずに距離を詰めたヒソカは、左足を軸にマオの胴体に蹴りを叩きこんだ。「クリティカル!4―0!」審判は大げさな点数を付けたが、実際にはマオもちゃんとガードしている。無傷ではないだろうが、ヒソカの攻撃にちゃんと反応できた点は褒めるべきだろう。

 

「やるじゃないか」

「っ……ガードしたのにこれってマジかよ。やっぱ”位相”が分かっても展開早いと対応しきれないな」

 

 マオは目を開けると、口元に付いた血を服の袖で拭った。ぶつかった瞳はらんらんと輝いていて、彼から戦闘意欲が失われていないとすぐにわかる。

 

「位相?」

「でもまぁ、さっき近づいてきてくれたお陰でようやく掴めた。ヒソカ、もっかい同じの頼む!」

 

 さぁ、と意気込んで再び構えをとったマオだが、これはれっきとした試合である。フォークボールを打つ練習をしているバッターではないのだから、敵に同じ攻撃を求めるのは無茶苦茶な要求だ。

 

 しかし、ヒソカは自他ともに認めるエンターテイナーである。面白さや興味の為ならば、あえて敵の攻撃や誘いに乗ってやるだけの度量もある。マオが同じ攻撃をどのように対処するのか、それを試してみるのも面白そうだと思った。

 

「いいだろう」

 

 言葉と共に、ヒソカは再び“伸縮自在の愛(バンジーガム)”を展開する。もちろん、そのまま近づいて蹴りを入れるところまでやりきるつもりだ。

 今度のマオは目を開いてしっかりとヒソカの姿を捉えている。どうするつもりか。念波を飛ばしたところで打ち消されるだけだ。

 

「よし、一致した!」

「っ!?」

 

 だが、先ほどと違って打ち消されたのは、なんとヒソカの”伸縮自在の愛(バンジーガム)”のほうだった。オーラの量で負けるはずがない。そもそも硬と硬のぶつかり合いのように純粋な攻防力の問題ならともかく、これは発同士のぶつかり合いだ。いくらマオが放出系能力者とはいえ、身体から離した彼の念と手元にあるヒソカのガムが、ここまで綺麗に相殺されるなどありえない。

 そう、これはマオの念波がヒソカのガムを上回ったというより、“消した”としか表現しようのない現象なのだ。他人の発を消すなんて、そんなのはもはや除念師の域である。

 

「もらった!」

 

 ヒソカの思考が目まぐるしく状況を理解する間に、マオは追撃となる念波を飛ばす。距離があればさほどでもなかったが、近くで当たるとやはりダメージはあった。「ヒット!4-2!」これは面白いことになってきた。思っていた以上に、このマオという青年は見どころがあるかもしれない。更なる追撃を避けるために一度距離を取るが、ヒソカは嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

 

「ククク……イイね、キミ。やっぱりこうでなくっちゃあ」

 

 青い果実探しというのは、こういう面白さがあるからやめられないのである。

 

 

 ▼△

 

 

「つまり、キミの言うことをまとめると、誰のオーラでもごくごく小さな“周期運動をしている”ということなんだね?」

「んー、たぶん」

 

 試合は結局10-4でヒソカが勝った。あれからマオはことごとくヒソカの“伸縮自在の愛(バンジーガム)”を消して見せたが、結局のところ距離を取ればマオの攻撃がヒソカに大きなダメージを与えることはない。しかもヒソカにはトランプがあるので、勝負が決まるのにそう時間はかからなかった。

 

 そしてヒソカは初めの約束通り、マオに念について教えることになった。ヒソカ自体もマオに色々と聞きたいことがあったので、天空闘技場から割り当てられたヒソカの部屋で二人で食事をとっている。メニューはマオたっての希望でハンバーグであり、彼はデザートにプリンまで指定するお子様舌の持ち主だった。

 

「たぶんって……キミの念なんだろう?」

「そう言われても説明するのは難しいしな……。えーと、そうそう、物質を構成する分子とか原子ってビミョーに揺れてるらしいんだわ。で、揺れてるとそこに波が起きる」

 

 マオはプリンをスプーンでつつき「これが揺れ」と真顔で説明する。それから揺れによる振動で出来たカラメルソースの波紋を「これが波!」と言い切った。

 

「波って言うのは一定の周期的な運動をしている。だからそのタイミングを合わせてやればその運動を強めることができるし、逆に相殺して打ち消すこともできる。タイミングって言うのが“位相”で、この現象を“波の干渉”と言う。俺がやってんのはそーゆーこと」

「……キミって馬鹿なのか、頭いいのかどっちなんだい?」

「安心しろ。この説明はまんま師匠の受け売りで、俺は正直わかってない」

 

 マオは自慢にもならないことを自慢げに主張し、目の前のプリンを美味しく頂き始める。確かにオーラは生命エネルギーである以上、振動や波とは無関係と言えないのかもしれなかった。

 つまり彼はオーラの持つ周期的な運動に合わせた念波を放つことで、ヒソカの念を打ち消して見せたということなのだ。

 

「原理はなんとなくだけどわかったよ。でも、その“周期”や“位相”っていうのは目に見えないものだろう?一体どうやって合わせているんだい?」

「考えるな、感じろ」

「……」

「ま、そうなるよな……だから、村でも俺しか会得できなかった。

 師匠も理論を組み立てただけで、実際に使えるわけじゃなかったし」

「へぇ」

 

 きっとマオの師匠は頭脳派だったのだろう。

 もとはすべての生物が持つ生命エネルギーであるため、“念”は修行次第では誰にでも習得可能だ。が、それを使いこなせるかどうかは結局のところ本人の才能とセンスに依る部分が大きい。マオは頭の出来は良くないようだが、その分感覚派でセンスだけは突出したものを持っていた。

 

「師匠は新しい武術の流派にしたかったみたいでさ、とりあえず一番弟子?の俺が都会で一旗揚げてやろうと思ってカキンのド田舎からはるばるここまで来たんだ。でも、案外“念”を使える奴っているみたいだし、これからどうしようかなー帰ろっかなー」

「確かに、“念”の使い手は少なくはないけれど、キミのその能力を欲しがる人は多いだろうね。他人の“発”を打ち消せるなんて、念能力者にとっては脅威だよ」

「だけどさっきの戦闘でもそうだけどさ、“位相合わせ”はそう簡単じゃないんだぜ?集中力もいるし、探るのにも時間がかかるんだよ。格上との戦闘じゃそんな悠長にしてらんないって」

 

 マオは気づいていないようだが、“位相合わせ”の制約はやはり“目を閉じる”ことによる集中なのだろう。なるほど、彼は野生の果実だ。その師匠の理論とマオの系統が合致したのも奇跡でしかない。「ちなみに、時間と集中力さえあればその打ち消しってどんな念でも消せるのかい?」戦闘面でも今後の成長に期待大だが、除念師として使えるだけで十分に魅力的だった。

 

「んー……正直、この打ち消しを他人の“念”に対してやったのは、天空闘技場に来てから始めたことなんだ。故郷にはここまでちゃんと“念”を使える奴なんていなかったし。でもそこまで複雑な組成に変わってなければある程度いけると思ってる。あと、条件は空気中に出てること」

「というと?」

「例えば、ここに来てから“念”で物体を作ってる奴を見た。ああいうのはヒソカのガムみたいに“オーラ”の性質だけじゃなくて“組成”も変えてるから、振動がより複雑になってて“位相”を探るには触れないと無理だ」

 

 マオが言っているのは具現化系能力者のことだ。確かに具現化したオーラは実体を持っており、密度や量も相当なものである。

 ヒソカはうんうん、と頷いて続きを促した。

 

「それから、体内とか何重にも違う物体に包まれた状態で、中のオーラだけを消せって言われるのも難しい。全部壊して滅茶苦茶にしていいなら簡単だけどな。

 波っていうのは通過する媒質によって進む速度が変わるんだ。慣れた空気中と、消したい物の2種類くらいならギリギリ速度調整して狙った位相に合わせられるけど、何種類も違う物体の中を通して最終的な速度まで考えろって言われたら今の俺にはできない」

「なるほどねぇ」

 

 ざっくりとした理解だが、体外に仕掛けられた念は解除できても体内は無理という解釈で良いのだろう。しかし聞けば聞くほど、マオが馬鹿なのか賢いのかわからなくなる。念波の速度調整を計算で行っているなら天才だが、感覚とセンスだけで合わせてしまうのもそれをさらに上回る化け物のような気がした。

 

「ホント面白いねぇ、キミ。やっぱり故郷に帰るのはよしなよ」

「でも家はここで部屋がもらえるからいいとしてさ、200階から賞金無しなんだぜ?どうやって生活してけって言うんだよ、部屋だけじゃなくて畑もくれないと無理だって」

「それならヨークシンに行くと良い。あそこなら色んな仕事が転がってるし、特に君みたいな念能力者は歓迎されるだろう」

「なるほどー!聞いたことあるぜ!なんかセレブとかいるんだろ?そういう奴の用心棒とかやればいいんだな?」

 

 いつの間にかテーブルの上の物をすべて平らげた彼は、素晴らしい思い付きをしたみたいに目を輝かせた。「そうと決まれば、もうここはいいや。師匠にはとりあえず『都会にはもっとすごい人がいっぱいいるみたいです』って手紙送っとけばいいだろ」ありがとなーヒソカ、ご馳走様、とるんるんで席を立った彼は、部屋を出ていきかけたところで不意にぴたりと足を止めて振り返る。

 

「そういや俺、アンタに“念”について教わるって話じゃなかったっけ?」

「うーん、そうだねぇ。ボクからアドバイスするとしたら、あまり他人に自分の“念”は言わないほうがいいってことくらいかなぁ?」

「今言う?」

「ククク、大丈夫だよ。ボクは口が堅いからね。それにキミだってボクの“伸縮自在の愛(バンジーガム)”を見ただろう?」

 

 実際にはヒソカは名前と伸びる性質のオーラだと伝えただけで、マオほど詳細に念を明かしていない。しかしマオはやっぱり頭の出来が良くないので、それもそうだな!とあっさり納得した。

 

「じゃあこれでお相子ってことだな。あー、俺も自分の“念”にかっこいい名前欲しいな。なんかない?ヒソカ?」

「ボクが決めていいのかい?」

「かっこよかったら採用する!」

「うーん、そうだなぁ……」

 

 まさか勝手に熟すのを待っているだけの立場で、果実に名前をつける日が来るとは。

 師匠が聞いたら泣くだろうが、ヒソカにしてみれば悪い気はしない。期待を込めた眼差しで見つめられ、ヒソカは珍しく真剣に頭を悩ませた。

 

「“位相への干渉者(チューン・フェイズ)”っていうのはどうだい?」

「うっわ!それいただき!」

 

 マオはぽん、と手を打って破顔した。どうやらお眼鏡に適ったらしい。こちらとしても、喜んでもらえて何よりだった。

 

「色々ありがとうな、ヒソカ」

「ボクも楽しかったよ。キミがもっと強くなったら、また戦おうじゃないか」

「おう!俺もまた修行頑張るぜ!」

「じゃあこれがボクの連絡先だ。何かあればかけてくると良い」

「オッケーまず携帯買う!」

「……あぁ、そうだったね。キミは村出身だった」

「おいおい馬鹿にすんなよ?ちゃんと村長ン家には電話くらいあったからな」

「それはすごいねぇ」

 

 全く心のこもっていない返事をしたが、ヒソカの機嫌はすこぶる良い。マオがいるタイミングで天空闘技場に来れたのは、ヒソカにとって幸運でしかなかった。

 

「それじゃまた、どこかで」

「じゃあな!」

 

 元気よく部屋を出ていくマオを、ヒソカはひらひらと手を振って見送る。それから一人残された部屋で、マオとの試合を思い返した。

 ヒソカは興味のないことはすぐに忘れるが、今日の日のことはおそらくずっと覚えているだろう。

 

 青い果実探しというのは一期一会であるが、だからこそその出会いも特別なものなのである。

 





位相への干渉者(チューン・フェイズ)
オーラを波状にして放つ放出系の能力。
障害物を透過して伝わることができ、物体に作用する場合は内側から破壊する。
また、物体だけでなくオーラ自体にも作用することができ、波の周期のタイミングと同じ念波(同位相)をぶつけることでそのオーラを強めたり、反対に、周期のタイミングが真逆の念波(逆位相)をぶつけることでそのオーラを打ち消したりすることが可能。

制約として、物質やオーラの位相を探る際には目を瞑って集中力を高める必要がある。
打ち消すにも条件があり、具現化系のようにオーラの性質だけでなく“組成”まで変えているようなものは対象物に触れなければ位相を探ることができない。
また、波は通過する媒質によってその速度が変わるため、この“位相合わせ”はかなり繊細でセンスの要る技術である。
何重もの物質に包まれたものの中から特定の一種類の物質だけを打ち消すといったようなことは非常に複雑であり、ほぼ不可能と考えてよい。
(例:体外に仕掛けられた念は容易に打ち消せるが、対象者の身体に損傷を与えることなく体内に仕掛けられた念のみを消すのは難しい)


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とある図書館

 

 しゅみ【趣味】

 一.仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。「――は青い果実を探すことかな」

 二.物事から感じ取られるおもむき。味わい。情趣。

 物事の味わいを感じ取る能力。(それに基づく)好み。「あんな女を好きになるなんて――悪いね」

 

 おそらくお手元の辞書を引いてもらえれば、そこには上記のような定義が記されていることだろう。もしかすると例文こそ違うかもしれないが、人は“趣味”という言葉を用いるとき大抵一か二の意味合いで使っているはずだ。

 

 クロロの読書も、個人が楽しみにしているという点では一の意味であった。が、その本を手に入れる過程は半ば仕事みたいなものなので、いわゆる“趣味と実益を兼ねている”として人から羨ましがられるものだろう。

 今宵もクロロは自らの趣味のために、ヨークシンにある中央国立図書館へとやってきていた。博物館ならばともかくも、さすがに本しかないここへ仲間をつきあわせるのは忍びなく、今日は完全に単独行動である。それにクロロは本自体を愛する男でもあるので、貴重な資料を警備員なんかの血で汚したくもなかった。

 

 クロロは事前に職員から拝借しておいたIDカードを使い、昼間となんら変わらぬ自然さで入館を果たす。監視カメラは出入り口とトイレ付近、それから書架の間に一定の間隔で設置されている程度で、いずれも既に機能していない。やはり図書館は学習や情報収集の場として公共利用されることを想定しているので、博物館などに比べれば警備は笑ってしまうほど緩いのだ。

 

 夜の図書館の空気は少し埃っぽかったが、慣れ親しんだ紙の匂いはクロロを穏やかな気持ちにさせてくれた。受付を横目にそのまま館内を静かに移動し、一階の奥にある事務室を目指す。

 クロロのお目当ての本は、一般向けのゾーンには並べられていなかった。事前の調べによれば事務室の奥に地下へと繋がる階段があって、一般公開されていない貸出持ち出し厳禁の禁書の棚がある。禁書と言えば、普通は政治や宗教と言った、時の権力を脅かす可能性があるために出版や販売を禁止された書物を指すが、念能力だって十分管理すべき恐ろしい力だ。だからそうした念のかかった特殊な書物は”呪われた品”として、人目に触れないよう管理されていた。

 

 

「……警備員、いや、先客か?」

 

 地下への階段を降りる途中、不意に念能力者のオーラを感じ取ったクロロは足を止める。妙な話だ。そもそもこの図書館に夜間の警備員がいるという情報は入っていない。博物館と違ってわかりやすい価値を持たない本には、機械を用いたセキュリティーで十分だからだ。しかも館内へ入った時は確かに人の気配はしなかったので、おそらく地下にいる相手は絶を遣って気配を消していたのだろう。

 

 何者だろうか。そう思いつつ、クロロは再び足を進める。目当ての品を譲るつもりもなかったし、わざわざ深夜の図書館に侵入する、自分と同じような趣味の人間に興味が湧いたのだ。

 階段を降りきるとそこは小さな小部屋に繋がっていて、ずらりと一面に並んだ本棚の前に一人の男が堂々と床に座り込んでいた。

 

「本に集中する気持ちはわかるが、危機管理がなってないんじゃないか?」

「えっ? う、うわっ!」

 

 声をかけると男はびくん、と飛び上がり、いっそ無様なほど目を白黒させてこちらを見上げる。男の動きに伴って頭の後ろで緩く三つ編みにされた髪までもが跳ね、それが動物のしっぽを想わせた。

 

「ア、アンタ誰!? えっ、もう閉館時間だよな? ていうか鍵は?」

「開いてたぞ」

「うそぉっ!? やばい、怒られる!」

「安心しろ、嘘だ」

「なぁんだ嘘かぁ~よかった…………え、じゃあなんでここに?」

 

 怒られる、と言ったことから、この男はおそらく図書館側に雇われた人間なのだろう。しかし突如現れたクロロに驚くばかりで、警備としてはあまり役立ちそうにない。そもそも、警備員が地下で本を読んでいるなど職務怠慢もいいところではないか。

 クロロはさて、どうしたものか……と内心で思案する。気絶させてとっとと本を頂くのは簡単だが、男を実際に目にしても湧いた興味は消えていなかった。

 

「ここへ来たのは本が目当てだ。情報になかったが、お前のような念能力者が警備に雇われているなんてさぞかし面白い蔵書を抱えているんだろうな」

「うーん、でもここ禁書の棚だから閲覧許可がいるぞ? 来るなら昼間にしてもらわないと……俺は警備員じゃないし、司書でもないから許可は出せない」

「ほう。警備員じゃないならなんだ? 泥棒か?」

「誰が泥棒だよ失礼な! バイトだよバイト。”チーゴ”……じゃなかった、念がかけられて読めない本を解除していくバイトをしてんの!」

 

 男は喜怒哀楽がはっきりと顔に出るタイプらしく、心外な! と言わんばかりに眉を吊り上げた。今言葉を交わしているクロロこそが”盗みに来た”のだとはつゆ知らず、ぽろぽろと情報を零していく。

 

「今ちょっと本見てたのも別にサボってたわけじゃないからな? 休憩がてらちょっと覗いてみただけで、さっぱり意味わからなかったし読んでたわけじゃない!」

「そうか。実は俺はお前の仕事ぶりを確認しに来たんだ。遊んでたわけじゃないなら別に構わない」

「抜き打ちチェック!? 都会こわ……油断も隙もならねぇ……」

「いいから、仕事ぶりを見せてみろ」

 

 かけられた念を解く、と言うからにはこの男は除念師なのだろうか。それにしては随分と危機感もなくぺらぺらと喋ってくれたが、お陰でこちらとしてはやりやすい。ありえないだろとつっこみたくなるほどあっさりとクロロを”監査官”だと勘違いした男は、促されるままに棚から本を一冊取り出した。

 

「わかったよ。じゃあとりあえず簡単そうなこれで」

「……確かに禍々しいオーラを放っているな。一体これは何の本だ?」

「知らん。そのあたりに目録の書かれた資料があったはずだ」

 

 男の指さした先を追えば、紙の束がぞんざいに置かれている。それを拾い上げて中身に目を通したクロロは、同じ題名のものをすぐに発見した。

 

「ゲイシー・クラウン――シリアルキラーで有名な男の手記だそうだ。読んだ者全員がそうなるわけではないらしいが、まるで何者かに操られたかのように無差別殺人事件を起こす者が出たため、封印されることになったらしい」

「へぇ、そんな危ない物いつまでも置いとくなよ。俺が燃やしておいてやろうかな」

「燃やそうとしても燃えないどころか、災いがふりかかると書いてあるぞ」

「うわ、それ聞いてよかった」

 

 男はそう言いながらも、特に臆することなく本の背表紙に手を当て、深呼吸したのち目を瞑る。クロロは黙って、凝をしながら何が起こるのか見つめていた。

 本を包む禍々しいオーラと、男の手のひらから本に向かって流される緩やかなオーラ。それらがぶつかり合い、反発しあっているのがよくわかる。しかし、そうやって男がオーラを送り始めて五分ほど経った頃だろうか。男のオーラが、一定の波のような周期で本に向かって流れるようになる。本の放つオーラはそれを受けて時に増幅し、時に減衰し、ゆらゆらと影響を受け始めていた。

 

「よし!」

 

 男が目を開いてそう言ったのはさらにそれから五分後だった。もう本から立ち上るオーラは一切なく、彼はやりきった表情をしてこちらを見る。

 クロロはほう、と珍しく感嘆の声を漏らした。

 

「すごいな。一体どういう原理なんだ?」

「えー、説明するのめんどくさいんだけど……うーん、俺が波状のオーラを出して、相手のオーラの周期と合わせて打ち消したって感じ」

「なるほど、そういうことか。理解した」

「へっ!? 今の説明でわかるの? 天才かよ」

「わかったのは原理だけだ。それをお前が一体どうやって実現しているのかはさっぱりわからない。目を閉じるのは制約か? 念ならなんでも消せるのか? 使用に際するデメリットは?」

 

 口で言うのは簡単だが、男がやっていることはかなり人間離れした行為だ。オーラの振動数や周期を感知し、調節したものを自分で放てるなんて普通じゃない。

 クロロが立て続けに質問をすると、男は面食らったように間抜けな顔を晒した。だが、これも仕事ぶりとして上に報告すると言えば、そのまま素直に口を開く。

 

「制約って言われてもわかんないけど、とりあえず目を瞑って集中しないととてもじゃないが”位相合わせ”はできない。消せる念の条件は空気中に出てることと、性質だけじゃなく組成が変わっている場合はオーラに触れる必要があること。デメリット……うーん、すごい疲れるのと物によっては時間がかかるってことか? 正直、戦闘向きではないよ」

「なるほど……」

 

 聞く限りには美味しい念だ。通常の除念だと術者にリスクがあることが多いが、この男の”打ち消し”にはそういったものがないらしい。自分に使えるかどうかはさておき、ここまできたら試してみたくなるのが人情というものではないだろうか。

 クロロは頷くと、自身の念能力、盗賊の極意(スキルハンター)を具現化した。そしてわお、と目を丸くする男に向かって、その背表紙を差し出す。

 

「お前が仕事をちゃんとやっているのはよくわかった。報告書を出すからこの手形の上に手を置いてくれ。お前、カキンのほうの人間だろう? 手形がサイン代わりになるのはわかるな?」

「お、おう……なんか昔はそういうやり方があったって聞いたことがあったけど、まさか都会じゃ未だにやってるなんて……よし、これでいいのか?」

「あぁ、上出来だ」

 

 盗賊の極意(スキルハンター)で念を盗む際の条件は四つ。相手の念を実際に見ること。念能力に関して質問し、それに答えてもらうこと。本の手形と相手の手のひらを合わせること。そして、これら全てを一時間以内に終えること。この条件の難易度から念を盗むのはそう簡単ではないため、これほどまでにあっさり事が済むのは珍しい。

 

「へへ、給料上がったらいいなー」

「そうだな。お前の能力は非常に価値がある。捕まってあっさり死んだりするなよ?」

「捕まる? なんの話?」

「弁償で済めばいいが……やはり責任問題とか色々あるだろうな」

「弁償? 責任問題?」

 

 頭上にはてなマークを飛ばしながら首を傾げる男は、本当に何もわかっていないらしい。あまりの間抜けっぷりに、クロロは少し愉快な気持ちになった。明日の朝、目を覚ましたこの男は禁書の棚が空っぽになっているのを発見して、一体どのような反応を見せるのだろう。

 

「気にするな、こっちの話だ」

「そう。じゃあいいか。俺はまたちょっと休憩するよ。肩が凝った」

「あぁ、ゆっくり休め」

 

 くるり、とこちらに背を向けた男の肩ではなく首筋に、とんっ、と手刀を落としたクロロはにやりと笑う。

 そしてもしもこの男の念を盗まなかったとしても殺しはしなかっただろうな、なんて、柄にもないことを考えていた。

 



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とある要求

 前略、師匠。

 俺です、マオです。カキンの田舎から出てしばらく経ちますが、都会ってところはすげー恐ろしいところでした。

 まず、俺たちが”チーゴ”だと言ってたあれは、こっちでは”念能力”というらしいです。遣える人も案外いました。ってか、俺なんて雑魚中の雑魚だったよ、意気揚々と上京したのが恥ずかしい。

 しかも早速詐欺(?)にあいました。詐欺って言うよりかは、犯罪に巻き込まれたって言うべきなのかな。とにかく、俺がバイトをしていた図書館の貴重な本が盗まれてしまって、共犯じゃないのかって疑われたんです。職員しか持ってないIDカードが侵入に使われたり、防犯カメラの電源も落とされたりしていて、内部の者の手引きがあったんだろって。知らねぇよ。俺はやってねぇ。もしも共犯だったら、現場で朝まで寝こけずにさっさとトンズラかまします。警察は俺より馬鹿かもしれません。

 

 とまぁ、そんなわけで俺が共犯だって疑いは次第になくなっていったんだけども、今度は奪われた本の責任問題を問われちゃって。それは正直、まずいなって思いました。でも、よく考えてみてほしい。俺の仕事は呪われた本から念を消すことで、本の警備じゃない、そうでしょう? しかも被害総額をちらっと小耳に挟んだけれど、どう考えたって一個人に弁償できる額じゃなかった。そんな金があったら、七回くらい人生遊んで過ごします。こっちだって仕事を失ってこれからの人生どうしたものか悩んでるくらいなのに、本くらいで皆ごちゃごちゃうるさい。本が無くても死なねーけど、俺は飯を食わなきゃ死ぬんですよ。

 だから師匠、すいません。俺、色々面倒になってトンズラしちゃいました。たぶん今度こそ共犯って疑われてるんじゃないかな。指名手配とかされるかもしれない。故郷に錦を飾るどころかWANTEDになりました。ほとぼりが冷めるまでたぶんそっちには帰れないし、なによりこのままじゃ俺の気が済みません。あの泥棒野郎をこの手で捕まえてやる。だって、聞いてください。

 盗まれたのは本だけじゃなくって、俺の念能力もなんです。

 

 

 

「久しぶりだな、元気にしていたか」

 

 田舎から上京してきたうえ、図らずも後ろ暗い身となったマオに久しぶり、と声をかけてくるような知り合いはいない。だからこそ初めは自分に向かって言われていると気付かず、マオは人通りもまばらな裏路地で今晩のおかずについて考えていた。とりあえず騒ぎの中心であるヨークシンからはうまく逃げ出し、クカンユ王国の小さな街にまでやってこれたのはよかったが、依然として生活基盤はガタガタなのである。定職につくにも何の資格もないし、今となっては念能力すら遣えない。犯人逮捕だ! と息巻いたのはよかったが、当然何の手がかりも掴めておらず、それよりは先にまともな生活をしたいと思ってここ数か月過ごしてきた。

 

「おい、聞いているのか」

「ん? 俺?」

 

 二度目は言葉と共に肩を掴まれて、マオはようやく振り向いた。振り向いたはいいものの目の前に立っている男に見覚えがなく、あからさまに首を傾げた。

 

「はぁ、どちら様でしょうか」

「呑気なのは相変わらずなようだな、マオ」

「なんで俺の名前を……アンタとどこかで会ったっけ?」

 

 名前を呼ばれてもう一度まじまじと男を見るが、やっぱり知らない顔だ。そもそも故郷を出てから知り合いらしい知り合いはヒソカくらいしかいないし、そのヒソカとも天空闘技場以来連絡を取っていない。携帯電話は未だに手に入れてなかった。携帯がなくても困らないが、飯がなくては困るからだ。

 マオの反応に、男は呆れた表情を隠さなかった。さらさらとした黒髪に、同じ色の丸い瞳。ついでに言うなら輪郭も丸く、童顔な男だ。額に巻いたターバンと耳元のピアスが特徴的で、後はまぁ男の目からしても顔立ちの整った色男だということくらいだろうか。生憎、マオには関わりのなさそうな色男(イケメン)だった。これが美女ならよかったが、男ならば正直どうでもいい。

 男は黙って肩を竦めると、その右手に一冊の本をどこからともなく(・・・・・・・・)出現させた。

 

「あっ、あああぁぁっ!!」

 

 大抵のことは寝たら忘れるマオでも、流石にこの男のことは忘れない。最初に気付かなかったのは、男の見た目が全く違っていたからだ。前に会ったときはオールバックで、服装もファーのついた黒いコートを身にまとっていた。髪型と服装が違ったらわからないなんて情けない話だけれども、実際それだけで雰囲気ががらりと違うのだから無理もないだろう。

 男はマオの反応ににっこりと笑った。その笑顔はいかにも好青年のようだったが、マオはこの男がとんでもない奴だと知っている。「アンタな、探したんだぞ! 返せよ俺の念!」咄嗟に男の持つ本に手を伸ばせば、触れる間もなくそれは目の前から消失した。

 

「あぁ、いいぞ」

「くっそぉ、マジでなんなんだよ。腹立つ~……え? 返してくれるの?」

「そのつもりでお前に会いに来たんだ」

 

 随分とあっさりした返事に、なんだか拍子抜けしてしまった。男はもう一度本を出現させると、それから何やらページをめくって、ほら、と言う。それからすぐに、マオは自身の身体にオーラが漲ってくるのを感じた。

 

「お、おぉ、マジだ! 念が使える、使えるぞ」

「それはよかったな」

「あぁ、ありがとう! ん? ありがとうか? まぁいい、これで元通りだ、助かったよ」

 

 正直なところ、マオにとって念が遣えなくなったことが一番の悩みだった。金さえ貯まればカキンの田舎に帰るつもりである。都会で指名手配されようが、田舎で農業をやる分には関係ない。しかもマオは本当に犯罪は何一つ犯していないのだ。

 だが、念能力を失ったことはかなりショックだった。もともとさほど念能力を遣って生活していたわけではないが、これまでの苦しい修行に耐えた過去が全部パァである。故郷に戻って師匠に会わせる顔もない。

 そういうわけで、男が念を返してくれるのならひとまず過去のいざこざは水に流してもいいかなと思えた。泥棒と関わってもいい事なんてなさそうだし、図書館の本を返せと言っても無駄だろう。というか図書館側には散々疑われた後なので、マオはあまりいい印象を抱いていなかった。有り体に言うと面倒事に関わってまで、本を取り戻してやる義理は無いと思ったのだ。

 

「じゃあな、わざわざ返しにきてくれてありがとう。もう二度と俺の念を盗るんじゃないぞ」

「待て、帽子をかっぱらった犬みたいな扱いをするな。わざわざ返しに来たんだから、用があるに決まっているだろう」

「用? 俺に?」

 

 てっきり話は終わったものだとばかり。きょとんとするマオに男はため息をついたが、それでも諦めて帰る気はないらしい。怪しく輝く黒い瞳に射竦められ、マオもつられて真剣な表情になった。

 

「そうだ、マオ。お前の能力を見込んで、仕事を頼みたい」

 

 

 △▼

 

 

 前略、師匠。

 俺です、マオです。カキンの田舎から出てしばらく経ちますが、そこそこな郊外でもやっぱ恐ろしいところでした。

 まず、俺にストーカーができたみたいです。信じてもらえないかもしれないけれど、相手は男です。そいつは(くだん)の泥棒野郎なのですが、一度会っただけなのに俺の名前をどうにかして突き止めていて、しかもヨークシンから離れた逃亡先のクカンユ王国にまで俺に会いに来たんです。あ、そういえば盗られた念能力については返してもらいました。まぁでも、そこで案外良い奴なのかもって思ったのが全ての失敗だったみたいです。マジでやばいんだ、こいつ。

 

 男はクロロ=ルシルフルと名乗りました。俺は知らなかったけど、師匠は知ってますかね? 幻影旅団とかいう盗賊団の(かしら)をやってるそうです。正直、フリーターの俺が言うのもなんですが、どうなの? っていう職業で……。

 クロロの用件は、俺にとある遺跡の宝物庫にかけられた念を解いてほしいということでした。これがまぁ、普通の遺跡調査の人の頼みなら二つ返事で了承したんだけれど、相手は盗賊なんだよなぁ。絶対合法じゃないだろうなぁ。

 正直、これ以上罪を重ねるのはごめんなので(前回の件は何もしてないけど!)俺はちゃんと断ったんです。断ったんですけど、断らせてくれませんでした。

 だから師匠、すみません。この手紙も書いてみたはいいものの送る術がありません。だって、聞いて下さい。

 俺、クロロに監禁されているんです。

 

 

「お前にとってもそう悪い話じゃないだろう。なんでそんなに頑ななんだ?」

 

 湯気が立ち上るコーヒーに口をつけたクロロは、先ほどマオが念を打ち消したばかりの本を片手にうんざりしたように言い放った。裏路地で強引にマオを攫ったこの男に監禁されて早三日。別に拷問や拘束の類は無いので、実際には軟禁状態と言ったほうが正しいのかもしれない。

 

「いや、だってアンタ盗賊なんだろ? そんな奴に協力するわけにはいかねーじゃん」

「本は除念してくれるのにか?」

「それはまぁ、飯代と宿代の代わりだよ」

「……お前、馬鹿だろう。まぁ、俺としては暇つぶしができてちょうどいいが」

 

 マオの念を盗んだのはいいが、結局クロロには”位相合わせ”ができなかったらしい。そうなるとこの念能力は波状のオーラを飛ばす単なる放出系としての価値しかなく、クロロは念を返すことにしたのだそうだ。図書館から盗んだ本も念が解けずに読めずじまいだったようで、それを聞いたマオはふふん、と得意げに鼻を鳴らしたものだった。

 

「依頼料は払うと言ってるのに、面倒な奴だな」

「金なら他の手段でも稼げるだろ、厄介事に巻き込まれたくないんだ」

「稼げると言った割には大した暮らしをしていなかったようだが?」

「うっ……確かにこんな腹いっぱい飯が食えるのは久しぶりだけど……」

 

 クロロに取っ捕まってから、お陰様で毎日ご飯が食べられるし眠るところにも困らない。一日中ぐだぐだしてても怒られるわけでもないので、意外と快適な生活だった。だからほんのちょっぴり申し訳なくて、自分から本の除念を買って出たのである。除念はもともと図書館側からも頼まれていたことだし、悪事ではないはずだ。たぶん。

 

「お前だって、もう少しまともな生活をするべきだと内心では思っているんじゃないか?」

「うう……」

「故郷に帰るにしたって、金が要るだろう。遺跡から宝を盗むのは泥棒だが、念をはずすのはむしろ感謝されることなんじゃないか? 宝の方だって人知れず眠っているより、価値のわかる人間の手に渡ったほうが幸せだろう」

「そ、そうなのかなぁ」

 

 確かに頼まれたのは宝を盗むことではない。あくまで除念だけで、それもできるかどうかもわからない。しかし、クロロにはマオを騙した前科がある。同じ失敗はしたくないので、警戒するのは当然だった。

 

「そうだな、金以外にも望みがあれば聞いてやろう。俺も本が読めてお前には感謝しているんだ」

「や、やめろよ。そこで本の恩を返されたら、また飯の恩を返さなきゃいけなくなるだろ」

「ふん……意外と義理堅い性格なんだな。だったら尚更だ。何か望みを言ってみろ」

「やだよ」

「いいから言え。後から来る俺の仲間より、おそらく俺のほうが優しいと思うぞ」

「……」

「そうだな、言わないというのなら……」

 

 ぱたん、と本を閉じたクロロがいい笑顔を浮かべたので、マオは慌てて口を開いた。「わ、わかったよ!」半分ヤケクソだ。この条件で嫌だと言うならそれはそれで構わない。都会の人間はやたらと隠し事が多いし、親切じゃないのも知っている。

 マオはふう、と大きく息を吐くと、覚悟を決めてクロロに要求を突き付けた。

 

「俺に、念能力について詳しく教えてほしい。あと、修行もつけてほしい」

「は?」

 

 今まで余裕たっぷりだったクロロが、まるで知らない言語を聞いたかのように口を開ける。

 それを見たマオは初めてこのスカした男の表情を崩してやれたかもしれないと、少しばかり愉快な気分になったのだった。

 

 



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とある念能力者

 

 クロロに個人的に呼び出されるときは、六割が愉快で残りの四割はただただ面倒なだけの依頼が多かった。一応、蜘蛛としての仕事ではないから”団長”ではなく”クロロ”と呼ぶけれど、古い付き合いだ。命令でなくとも、なんだかんだ頼まれれば引き受けてしまう。

 そういうわけで今回の依頼は当たりだったらいいなと考えながら、シャルは連絡があったクカンユ王国の外れにある小さな街に、列車で三時間ほど揺られて到着した。

 

「えーと、住所的にはこの市場(マーケット)を抜けた先か」

 

 本来の使われ方をした愛用携帯を片手に、シャルは雑踏をかきわけていく。都市部から離れた田舎ながらも人口は多いようで、客引きや値段交渉をする声がざわざわと喧騒を生み出していた。

 

「あった、ここだ」

 

 クロロが現在滞在しているらしいアパートメントはお世辞にも綺麗とは言えなかった。先ほど市場(マーケット)の熱気にあてられたせいか、日当たりの悪いここはどこかうすら寒く感じられる。二階建てのアパートの裏手は細い路地に面していて、犯罪の温床ですと言わんばかりのじとりとした雰囲気を醸し出していた。まぁ、実際にシャルもクロロも幻影旅団(はんざいしゃ)なので、相応しいといえば相応しいのかもしれない。

 

 シャルは錆びた鉄の階段を盛大にきしませた後、ややあって目当ての部屋の扉をノックした。インターホンなんて画期的な物はどこを探しても見当たらなかった。「開いてるぞ」ほとんど間髪入れずに返された声に従い、ゆっくりとノブを回す。

 

「あれ、意外と綺麗じゃん」

「……開口一番それか? 失礼な奴だな」

「だって、いつもはもっと本にまみれて、クロロにも埃が積もってそうな勢いだったからさ」

 

 玄関から居間へは廊下とも呼べないほどの距離しかなく、扉を開ければ中の様子が丸見えである。いつもならそこにあるはずだった、本の虫……というか本の主と呼ぶにふさわしい(すさ)みっぷりがなく、シャルはなんとなく拍子抜けした気分になった。

 

「いつどこに呼ばれても散らかってるもんだからさ、たまに家政婦として呼ばれてるんじゃないかって疑ってたんだよ」

「集中してると気にならないんだ」

「集中しすぎて、片付かないんだろ」

「どちらも本質的には同じ意味だ」

 

 肩を竦めたクロロはいけしゃあしゃあとそう言ってのけると、あいつに会わなかったか、と当たり前のように聞いてきた。「あいつ?」当然、シャルには何のことだかわからない。クロロと共通の知り合いとして真っ先に思い浮かぶのは他の団員だが、今回はシャル以外に招集がかかったとは聞いていない。単に言われていないだけかもしれなかったが。

 

「オレ以外にも他に誰か呼んだの?」

「いや。だが、市場(マーケット)を通る際、念能力者の存在に気付かなかったか?」

「うーん、いたかもしれないね。敵意や殺気があれば別だけど、目立たない程度に垂れ流されてる分には一々気にしてないからさ。なに? そいつがどうかしたの?」

「そいつの能力を聞き出してきてくれ」

「は?」

 

 言われている意味が分からず聞き返したのだが、クロロはご丁寧にもう一度同じことを言った。市場(マーケット)にいる男の念能力を探れ、と。

 

「……自分でやればいいじゃん。まさか、オレをわざわざこんな田舎まで呼び出したのもこのためだなんて言わないよね?」

「もちろん違う。が、話はその男のことを済ませてからだ」

「……最悪」

 

 もしこれが”団長”相手だったら、一も二もなく返すべき言葉は”了解”であった。が、”クロロ”が相手なら、文句の一つや二つ言わせてほしい。現にシャルの友人としての素直な反応を見て、クロロは心底可笑しそうに口元に笑みを浮かべていた。

 

「今回の仕事、たぶんハズレだ……」

 

 結局、珍しく片付いていた部屋にろくに足を踏み入れぬまま、シャルは元来た道を引き返す羽目になったのだった。

 

 

△▼

 

 ハンター試験に合格し、プロのハンターとなった者は現在世界に六百名ほどいると言われている。倍率だけで言えば数百万分の一の難関と言われる職業だったが、実際には試験官の出す四つから五つほどの課題をクリアするだけでライセンスは発行された。経歴も身分も一切問われることなく”この世に存在しないはずの人間”や”人殺し”でさえもハンターになれるのだから、実際にライセンス持ちであるシャルからすれば実に胡散臭い職業である。

 

 だが、ハンター試験はライセンスさえ取れば終わりというわけではない。その時点ではまだ到底一人前と呼べる者ではなく、仕事の斡旋を断られることもあるだろう。ハンター試験には受験者たちが毎年変わる会場に集まって受ける”表試験”とは別に、”裏試験”というものが存在する。試験以前に身につけていなかったものは、そこで初めて念能力の存在を知るのだ。

 

 つまり、現在協会に在籍するプロハンター六百名は、そのまま念能力者の数であると考えていい。この数字を多いと捉えるか少ない捉えるかは人によりけりだが、彼らは常識では考えられない多種多様な力を持ち、その心根も善ばかりでないのだ。そしてさらに恐ろしいことにこうした”念能力者”になるだけなら、受験も資格も何も必要なかった。生まれながらの天才で当たり前のように使えてしまう者もいるし、我流の修行でちゃっかり身につけてしまう者もいるのである。

 シャルは市場(マーケット)で目当ての男を見つけたとき、こいつはきっとそういう独学タイプなんだろうなと思った。

 

 

「そこのお兄さん、どうだい? うちの魚は新鮮だよ。安くするから買っていかないかい?」

「魚かぁ、いいなぁ。でも俺、捌き方とかよくわかんないし」

「なぁに、難しいことは考えないで塩をまぶして焼けば美味いさ。なんなら隣の八百屋のレモンもおつけしとくよ」

「ちょっと、何勝手に人の店の品をオマケにしてんだい! お兄さん、レモンといやぁ野菜炒めに入れてもさっぱりしてて美味しいよ。今晩のおかずにどうだい?」

「あーそれも美味そうだなぁ」

 

 商売上手な店主たちに格好の餌食とされている男は、シャルが初めに見逃しただけあって何の敵意も、それどころか警戒心すらも抱いていないように見えた。ごく普通の自然体で、オーラの流れも一般人のそれと変わりない。いや、彼の場合はあまりに自然すぎて、それが逆に”不自然”だったと言うべきか。

 通常、一般人のオーラは微量に垂れ流され、湯気のようにその身体の周囲をたゆたっているものである。その観点で見るとずっと薄く垂れ流されている男のオーラは素人と言って差し支えなかったのだが、その垂れ流され方があまりに――そう、まるで意図的に流量を調節しているかのように均一なのである。表面上は確かに揺らめいてはいるが、身体を覆う部分のどこにもムラがない。まるで湖面に描かれる波紋のように、男のオーラは彼を中心とした完璧な層のように見えた。

 

「まぁ、いらっしゃい。こんな田舎に観光かい?」

「うん、そんなところ。何かおすすめの土産ってある?」

 

 いかにも怪しいその男の真後ろを、シャルは何食わぬ顔で通り過ぎた。そして二、三件離れた隣の店先で、土産を物色する振りをする。店主は都合のいいことに、穏やかそうな老婆だった。

 

 「この辺りは縞メノウが有名でねぇ。女性へのプレゼントとして、とっても人気があるんだよ」

「へぇ、そうなんだ。確かに見事な平行縞だね」

 

 にこやかに談笑しながらブレスレットに加工されたそれを手に取るが、残念ながらシャルの意識はここにはない。ちらりと目の端に捉えた例の男は、結局口車に乗せられて魚もレモンも野菜も全て購入したようだった。

 

「いい人がいるんだったら、お揃いでつけるといいよ。女ってのはそういう特別が好きだからねぇ」

「じゃあこの白っぽいやつと、青っぽいやつを一つずつもらえる?」

「はいよぉ、毎度あり」

 

 穏やかそうに見えたのはどうやら見た目だけで、この老婆もなかなか商魂たくましい。だがお陰で、こちらの心もあまり痛まないというものだ。「おっと」金を手渡す際、わざと硬貨を数枚地面へと滑らせる。それを拾おうとして屈みこんだ老婆の首筋に、アンテナを刺すのは実に簡単だった。

 

「あはは、ごめんね。おばあちゃん」

 

 一緒になって拾う振りをして屈んだシャルナークは、自分の身体を陰にして携帯を操作する。何も複雑なことをさせるわけではなかった。アンテナさえ抜けば、多少記憶の混濁はあるかもしれないが命に関わるようなものでもない。

 老婆は硬貨を全て拾った後、立ち上がる際に眩暈を起こすのだ。そして店先に並べられた籠にぶつかり、天然石のクズ石たちを盛大に道へとばら撒く。

 

「うわっ、大丈夫か?」

 

 じゃららっ、と硬い石が散らばる音が、辺りの注目を一瞬で集めた。両手に魚と野菜をこれでもかと抱えた男も、目を丸くしてこちらを見ている。「立ち眩みを起こしたみたいだ。体調が優れないのかもしれない」シャルが老婆を支えつつ男に向かってそう言うと、彼はせっかく買った食料をどん、と店頭に置いてこちらに駆け寄ってきた。

 あまりに無防備なその距離感に、シャルはもう一本のアンテナを早速使ってしまうか考えたくらいだった。

 

「ばーちゃん、大丈夫か? 俺の声、聞こえる?」

「う、ううん……」

「一応、意識はあるみたいだな」

 

 男は手早く脈や体温を確認すると、遠巻きに見ていた周りの人間に声をかける。「誰か、このばーちゃんの家族呼んでくれないか?」男の呼びかけに、みな我に返ったように動き出した。そうなると後は早かった。

 

「あんまり元気だからつい忘れちまうけど、ディジばぁちゃんもいい歳だもんなぁ」

「ありがとうな、あんちゃん。娘さんが来てくれるそうだから、後は俺らが面倒みるよ」

「ちょっと、荷物忘れてるよ! お兄さんの親切にぐっと来たから、リンゴをオマケしとくわね。うふふ、そっちの金髪のお兄さんも、顔がかっこいいからオ・マ・ケ」

 

 そうしてあれよあれよという間に老婆は町の人々に介抱され、道に散らばった石は片付けられ、シャルと男の手の中には真っ赤なリンゴが一つずつ押し付けられる。どさくさに紛れて老婆のアンテナを回収しておいたシャルは小さく肩を竦めると、初めて男と真正面から向き合った。

 

「なんか、巻き込んじゃって悪かったね」

「おいおい、俺は親切で、あんたは顔がかっこいいから……? いや、いいんだけど、なんかすげー納得いかない……」

「聞いてる?」

「あ、悪い。なんだっけ? リンゴは皮ごとのほうが美味しいって話なら同意するよ」

「……はは、君面白いね。これも何かの縁だし、せっかくだからこれ食べながら少し話さない?」

 

 男はたぶん、シャルとそう歳も変わらないだろう。改めて近くで見ても、やはりそのオーラは不自然なくらい均一になっている。我流だとしても、かなり小さい頃から修行を積んだはずだ。そうでなければここまで見事にオーラを操れはしない。

 

「あぁ、いいよ。俺はマオって言うんだ。この町には三か月くらい前から住んでる。アンタは?」

「アゲードだよ。俺は友人に会いに来たのと、観光を兼ねて。よろしくね」

 

 シャルが偽名を名乗ると、マオはへらりと笑って右手を差し出した。それがあまりに予想外で自然な行動だったので、一瞬シャルの思考は停止する。この男も念能力者なら、迂闊に他人に触れたいとは思わないだろう。いや、むしろこの男の念の発動条件こそが”握手”なのか? 

 笑顔を浮かべたまま硬直(フリーズ)したシャルにマオは不思議そうな顔をしたが、一拍遅れてハッと目を見開くと、慌ててその手をひっこめた。

 

「あ、えっと、そうだ。駄目だって言われてたんだ。ごめん、この手のことは忘れてくれ」

「いや、俺の方こそごめん。普段そうそう握手する文化にいなくって。マオはたぶん……出身はカキンのほうだよね? そっちではよく握手をするの?」

「あぁ。初対面の挨拶の初めは、基本的に握手かな。うーん、それにしてもやっぱ癖が抜けないな。あ、ちょっとこれ持ってて」

「別にびっくりするだけで悪いことだとは思わないけど」

 

 自分の分のリンゴをシャルに渡したマオは購入した食材の袋を両手に抱えて戻ってくる。そしてそのまま近くに置かれていた空の木箱を二つ並べると、よっこいせとその片方に腰を下ろした。「いやまぁ、握手自体は悪いことではないんだけどさぁ」手のひらを向けられたので、そこにマオの分のリンゴを置いてやる。それをきゅきゅっと服の裾で拭いた彼は、がぶりと瑞々しい果実に歯を立てた。

 

「シャルがもしも操作系の念能力者だったら、危ないだろ?」

「……」

「あ、ごめん。アゲードだったっけ」

 

 あっさりと謝って偽名で呼びなおした彼は、おそらく本当に悪気がないのだろう。シャルは慣れたはずの笑顔が引きつるのを感じた。やっぱり最悪だ。なんて茶番なんだろう。

 

――クロロのやつ、オレで遊んだな

 

 今回の依頼の内容は、まだ概要すら聞いていない。単なる情報収集なのか、何かを盗むのか、クロロはメールでは肝心なことを何も言わなかった。

 けれどもシャルは確信していた。この目の前の男がどう関わってくるのかは知らないが、直感的に悟っていた。

 

 今回の仕事は絶対に、大ハズレに違いないと。

 



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とある浪漫

 

 

 アパートに戻る道すがら、アンタも苦労してんだなぁとわかったような口をきかれて、シャルの機嫌はますますもって急降下した。心なしか先ほどよりも大きな軋みを立てた階段は、容易に二人が帰宅したことをこの茶番の首謀者に知らせる。

 力いっぱい、当てつけのように鍵のかかっていないドアノブを捻れば、クロロは読んでいた本から視線を上げてどうだった? と悪びれもせず聞いてきた。

 

「どうもこうもないよ。最悪」

「マオのことはすぐ見つけられたか?」

「そりゃあね。あまりに自然すぎて、不自然だったから」

 

 シャルの言葉に、大荷物のせいで身を滑り込ませるように室内へ入ってきたマオが、うっとばつの悪そうな表情になる。ここに来るまでの間にだいたいの事情は聞いたけれども、マオはクロロから念能力者であることを隠すという課題を与えられていたらしい。

 シャルに比べればさほど大きくもないその体躯を申し訳なさそうに縮めているその姿は、どこか飼い主に叱られた犬を彷彿とさせた。

 

「それにしても意外だね。お宝を盗るだけじゃなくて、とうとう弟子まで取るようになったんだ?」

 

 普段のクロロに比べれば異様に整頓された部屋は、どうやらマオの努力の賜物らしかった。単純に彼が散らかった部屋に耐えかねたというのもあるかもしれないが、クロロは“師匠”の地位を存分に利用しているらしい。

 買った品物をせっせと冷蔵庫に詰めるマオを横目に、シャルは木製のスツールに腰を下ろす。正面のソファに座っていたクロロは、ようやくそこで少し身を乗り出した。

 

「別に弟子にした覚えはないな。単なる取引の結果だ。修行をつける代わりに、今度の仕事に役立ってもらうことになっている」

「役に立ってもらう? 修行が必要な段階で?」

 

 シャルだって、何もクロロが慈善活動(ボランティア)でマオに修行をつけてやっているとは思っていない。だが、非念能力者のふりすらろくにできない彼が、蜘蛛の仕事に役立つようにはとても思えなかった。警戒心も薄く、思ったことをすぐ口にするし、裏家業でやってきた人間でもないだろう。

 シャルが当然の疑問をぶつけると、クロロは面白がるようにニヤッと笑った。

 

「なんだ、あれの能力は結局探れなかったのか?」

「……クロロが全部仕組んだってわかって、やる気もやる意味も失っただけだよ」

「別に俺は意地悪がしたくて仕組んだわけじゃないぞ。自分の目であいつの有用性を確認してもらった方が、話が早いと思っただけだ」

「はぁ、その割にすっごく楽しそうな顔してるよね」

 

 ため息とほぼ同時に、シャルの目の前に濃い色合いのお茶と、なぜか小皿に乗った中華まんが置かれる。思わず驚いて顔をあげれば、マオはこれから仕事の話をするんだろ、と当たり前のように言った。

 なんだこいつ、秘書かよ、とはシャルの心の声である。

 

「あぁ。大事な話だ。お前は邪魔にならないようその辺で遊んでいろ」

「じゃあ早くアレ出せよ、クロロ」

「戸締りはちゃんと済ませたのか?」

「大丈夫」

 

 シャルが呆気に取られているうちに、クロロの右手には盗賊の極意(スキルハンター)が出現する。次に視界に現れたのは念で出来た骨の魚――密室遊魚(インドアフィッシュ)だった。

 

「へへっ、元気してたかー? お前ら」

 

 相手は突き詰めるとただのオーラだ。しかも見かけは骨だし元気もくそもない。けれどもぱっと顔を輝かせるマオとそんな彼にすり寄るように群がっていく密室遊魚(インドアフィッシュ)を見て、懐かれているのか、なんて一瞬くだらない考えが脳裏に過った。

 

「ははっ、お前ら相変わらず俺のこと大好きだなぁ。よしよしそうガッツくなって」

「……ねぇ、どう見てもあれ、襲われてるよね?」

「気にするな。あいつは見ての通りの馬鹿だ。それよりもお宝の話をしよう」

 

 見たところマオは密室遊魚(インドアフィッシュ)の攻撃を全てギリギリでかわしているようだが、それにしても随分危なっかしい。同じ空間にいてもシャルが攻撃されないのはクロロのお陰なのか、はたまた本当にマオが気に入られているのかどうかは不明だが、こんな状況で宝の話をしようというクロロもクロロだ。

 しかし結局シャルの困惑はまるきり無視され、さっとローテーブルの上に地図が広げられる。既につけられていたバツ印が指し示しているのは、サヘルタ合衆国の西にある、カンタユ半島の付け根――。

 

「……ラケンペ遺跡? あのメイヤ文明の?」

「そうだ」

 

 シャルの確認に、クロロは満足そうに頷いた。

 

 ラケンペ遺跡は今から二百五十年ほど前に発見され、実際にその本格的な発掘調査が始まったのはここ五十年ほどという、比較的人の手が入ったのが遅い遺跡である。七世紀に在位したとされるパッケル王によって着工されたこの遺跡は、これまで発見された他のメイヤ文明の遺跡同様、神殿としての役割があると考えられていた。

 だが、遺跡調査の終盤になって新たな地下室の存在が発覚し、そこから続く鍾乳洞の小部屋が確認された。そこはこれまでのメイヤ文明遺跡の通説を覆す、地下墳墓だったそうだ。

 

「ラケンペの仮面の噂は?」

「多少はね。でも、本気でそれを狙うわけ? だって、あの仮面は……」

 

 地下墳墓の石棺に眠っていたのは、パッケル王だと言われている。つまりラケンペ遺跡は王墓であり、そこに眠る宝は資産的価値のみならず歴史的な価値も高い。それなのに未だ考古学者の手に渡らず洞窟の中に眠り続ける理由は、その宝が呪われているからに他ならなかった。

 

「なんだ、怖いのか?」

「冗談。生憎、オレはそういう迷信とか呪いとか信じてないんだよね。どうせ念絡みなんでしょ?」

「あぁ、十中八九そうだ」

 

 世の中には呪われた品として、持ち主に死を運ぶ宝がいくつか存在するが、その原因は結局のところ強い思念――すなわち念能力なのである。それが生者のものであるか死者の念かは様々だが、念能力者からすると呪いの品は、オカルト話としては随分お粗末なのである。

 シャルも昔ちらりと小耳に挟んだくらいだが、当時のラケンペ遺跡調査隊の中には何人も死者が出たらしく、それで直ちに調査は中止。今もなお、パッケル王の翡翠の仮面は、王の遺体と共に眠り続けているのだそうだ。

 

「そこであいつの能力が役に立つ」

「……てことは、マオって除念師なの?」

「正確には違うらしいが、似たような能力だ。実際にあいつはヨークシン中央図書館で本を除念している」

「へぇ……人は見かけによらないもんなんだね」

 

 その情報を聞いたあとで改めてマオを観察してみても、やっぱり全然しっくりこなかった。除念は非常にレアな能力で本人が狙われる可能性も高いし、そもそもの除念自体のリスクも高い。普通はもっと他人を警戒してこそこそと生きるものだろう。楽しそうに密室遊魚(インドアフィッシュ)とじゃれているような男が、そんな素晴らしい能力者であるようにはどう頑張っても見えなかった。

 

「まぁマオのことはいいよ。クロロが言うならそれなりに役に立つんだろ。で、肝心のオレには何をしてほしいわけ?」

 

 普段の盗みならばセキュリティーの突破や操作能力を生かした情報収集など、シャルがやるべき仕事はもっぱら下調べなどの準備だ。しかし現在国に保護されている遺跡とはいえ、シャルが出張るほどの仕事があるだろうか。文明は文明でも、シャルが得意とするのは文明の利器を利用した分野なのである。

 

「メイヤ文明は、下手をすると今よりももっと高度に発達した文明だったのではないかと言われている。そんな時代の王の墓だ。当然、当時のやり方で盗掘対策もされているだろう」

「……オレ、そういうのは専門外なんだけどなぁ」

「何を言っている。仕掛け、謎解き、パズル。そういうのは参謀の仕事だろう?」

「残念ながら蜘蛛の“頭”はひとつしかない。オレはただ手足の一本ってだけだよ」

「つれないことを言うな。他の奴らは嫌がると思ったから、お前にだけ声をかけたのに」

 

 クロロはシャルが文句を言いつつも、引き受けることがわかっているみたいだった。だからこちらも悪あがきするのはやめて、小さく肩を竦める。「はいはい、それは光栄だね。仰せのままに、“団長”」ようやく口をつけたお茶はこの地方のものではなく、カキンの方の渋みのあるものだった。

 

「マオ。そういうわけだ。シャルも一緒に遺跡に行く」

「え? あ、あぁ、あんまり聞いてなかったけど好きにすればいいんじゃないか? アンタら元々仲間なんだろ?」

「じゃあ決まりだな」

 

 クロロがぱたん、と盗賊の極意(スキルハンター)を閉じると、同時に密室遊魚(インドアフィッシュ)も消失する。やや不服そうな顔になったマオはそのままこちらへ来ると、クロロの隣にどっかりと腰を下ろした。

 

「で、行くのはいいけど、なんでそんなヤバそうなもの欲しいんだよ。本オタクだけじゃなくて、歴史マニアでもあるのか?」

 

 確かにマオの指摘はシャルも気になっていたところだ。クロロは確かに好奇心が強く、興味の幅も広いが、どうせなら呪いの仮面ではなく絵文書(コデックス)を狙うと言われたほうがまだ理解できる。

 しかしクロロはマオの疑問に合理的な説明をするわけでも、熱く反論するわけでもなく、ただ一言「お前は浪漫というものをわかってない」とぶすりと返した。

 

「浪漫? なんだよそれ、そんなもののために危険を冒すのか? 浪漫じゃお腹いっぱいにもならないのに?」

「うるさいな」

「ないわ~。俺は断然、浪漫より肉まん派だわ」

「……前から思っていたがお前は食いすぎだ。朝昼晩、普通の人間の三倍は食べるくせに、そのうえ全部の食間に肉まんを挟むなんておかしいだろう」

「お、俺は育ち盛りなんだよ! 今に見てろよ、シャルくらいでかくなってクロロのこと見下ろしてやるからな」

 

 二人の下らないやり取りを見ていたら、呆れてなんだかお腹が空いてきた。シャルはすっかり冷めてしまった肉まんを掴むと、これは手作りなんだろうか? と思いながらかぶりつく。

 

「あ、意外とうまい」

 



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とある遺跡01

謎解き用の補助画像をたくさん挟んでしまったので、挿絵の表示設定をありにしてもらえるとスムーズに閲覧できるかもしれません……よろしければご活用ください

※小説ページの右上の方にある「メニュー」→「閲覧設定」→「挿絵表示」を「あり」にする


 

 メイヤ文明において、九という数字は死後の世界を示す数とされている。彼らは世界が天界、地上界、地下界の三つに分かれていると考えており、多くの神々が暮らす十三層の天界は、その中央にそびえたつ聖なる大樹セーバの木によって人間の暮らす地上界と結ばれているとされていた。そしてその一方、セーバの木の根は地下界の最下層、死の神が住まう第九層まで深く深く伸びているのだとも考えられていた。

 

 このような古代メイヤ人の宗教観や精神性は、使用された文字の複雑さや現存する遺物の少なさから、未だにそのすべてがつまびらかにされたわけではない。しかし当時の彼らが進んで何かに――おそらく神と崇める何かに――血を捧げていたのは、壁画に残された生贄たちの絵から容易に推測されるのであった。

 

 

 

「うわ、下半分はよくある感じだけど……なんかすごい歪な形をしてるなぁ」

 

 マオがそう言って顎を突き上げるようにしながら見あげたラケンペ遺跡は、九つの基壇からなる階段状のピラミッドだった。九段で作られるピラミッドは神殿から地下の死の世界に降りていくことを意味し、この文明の遺跡としては特に珍しい造りではない。しかしラケンペ遺跡には他の遺跡とは大きく異なる特徴があって、そのためにマオは“下半分”などという妙な表現をしたのだった。

 

「上半分も含めると砂時計みたいな形だけど、上の方が大きいって絶対設計ミスってるよな」

「なんでも、天界と地下界の交わりを表現しているらしいよ」

「ほえーわからん。そもそも一体どうやって作ったんだろ、これ」

 

 マオが言うように、ラケンペ遺跡の全貌は砂時計のような奇妙な形をしていた。九段からなるピラミッドのその上に、ちょうど上下をひっくり返したような形で別の十三段のピラミッドが乗っかっている構造なのである。実際の接地面積はそこそこ広いのだが上下どちらも巨大であるため、遠目からみれば四面体の積み木を二つ、寸分の狂いもなく積んだようにしか見えない。この通常では考えられない建築技術も、メイヤ文明が現在よりもはるかに高度な技術力を持っていたのではないかと想像される理由の一つになっていた。

 

「俺たちは観光に来たわけじゃない、行くぞ」

「あ、あぁ、でも、本当にこれ入っていいの?」

「何言ってんの、駄目に決まってるから行くんじゃん」

「そうだよな、駄目だから行くんだよな。ん……あれ?」

 

 なにやらぶつぶつ煩いマオは放っておいて、シャルはクロロの後に続き、外側の石段を登っていく。入口はちょうど砂時計のくびれ部分にあたるところで、調査の際に開けられたものではなく、元々このピラミッドに存在したものらしい。過去には外壁をダイナマイトやドリルで破壊し、新たな入口を作ろうとした不届きな学者もいたそうだが、どの方法でもラケンペ遺跡に損傷を与えるには至らなかったそうだ。呪いの仮面といい、絶対防御の外壁といい、ラケンペ遺跡は念能力とかなり密接に関係している。

 

「この遺跡自体の防御がお堅いお陰でさ、特に国側は盗掘対策を行っていないみたいだ。まぁ、地元の人間はまず恐れて近づかないらしいからね」

 

 密林の中に急に現れるこの遺跡は、観光名所としてもそれなりに人気がある。だが、噂のせいで眺めるのは外観だけで十分だと思うのか、立ち入り禁止の柵が張り巡らされている他はセキュリティらしいセキュリティもなかった。

 

木乃伊(ミイラ)盗りが木乃伊(ミイラ)に、というやつだろう。お宝目当てに入った奴も実際にはかなりの数いるはずだ」

「……えっ、俺は木乃伊(ミイラ)になるなんて嫌だぞ! やっぱり帰らないか?」

「帰りたければ帰れと言いたいところだが、お前の力が要る。木乃伊(ミイラ)が嫌なら、ここで木偶(デク)になってもらうだけだ」

「……」

 

 それを聞いたシャルはにっこりと笑顔を向けてやったが、実際マオを操作をしても意味がないことくらいわかっている。それはマオの念を盗んだものの、“位相合わせ”による除念ができなかったクロロが一番よくわかっているだろう。最初に話を聞いたときは随分と驚いたものだが、ただ念を奪うだけではマオと同じことはできない。それはシャルのアンテナによる操作でも同じことで、シャル自身が“位相合わせ”の感覚を掴めない以上、マオを操っても仕方がなかった。

 

「まぁまぁ、そう怖がらなくても先の調査によると一本道だし、迷うような要素はないよ」

 

 死人が相次いだことで遺跡の調査は中断されたが、宝の眠る地下室に至るまでに発見された資料や調査記録は、サヘルタの文化資料館にて保存されている。もちろん遺跡の詳細な地図は一般向けに公開されてなどいなかったが、そこはシャルの出番だ。きちんと下調べは済ませてある。

 

 地図によると、入口から宝のある“翡翠の間”までは分岐がなかった。ただ、地下にむかうには一度上階へ上がり、砂時計の上半分に位置する“生命の間”と“祈りの間”の二つを攻略する必要があるらしい。不格好な上のピラミッドも、決してお飾りなどではないということだ。

 そしてその二つの部屋を攻略すると今度は下り道となり、十三層ある天界と九層ある地下界の境目――“黄泉の扉”と名付けられた部屋にたどり着く。ここを抜ければようやくお目当ての下層部分へ向かうことができ、生贄の慰霊のために作られたとされる“鎮魂の間”、地下の王墓“翡翠の間”へと繋がるらしかった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「“生命の間”か。なるほど、神と主要な食物が世界の創造と密接にかかわっているのはどこも同じというわけだな」

 

 入り口から細長く続く階段を上り続け、ようやく視界が開けた先には見事としか言いようのない彩色壁画が広がっていた。部屋自体の広さはちょうどテニスコートの半面ほどだが、その四方の壁には創世神話と思われるような絵が、部屋の入口側の壁から東周りの時系列で描かれている。

 ここから先へ向かう石づくりの扉は神話の起承転結の“承”と“結”の位置に二つあり、現在はどちらも固く閉ざされているようだった。

 

「地図で言うなら、この一番最後の話のところにある扉だろ? なんで開いてないんだ?」

「普通なら調査隊が故意に閉じたと考えるが、おそらくこの遺跡独自の防犯システムだろう。仕掛けの謎を解かなければ先へは進めないに違いない」

「ええっ、謎って言われてもなぁ……」

 

 マオがぐるりと壁画を見回すのにつられて、シャルももう一度視界を巡らせる。最初の壁画で神は大地や山を生み出し、二枚目で泥から動物と、木から猿によく似た人型の生き物を作ったみたいだが、どうやらこれは失敗作だったらしい。続く三枚目であっさりと猿もどきたちは洪水によって押し流され、ここで急に水のはけた大地からトウモロコシと思われる植物が成長し始める。そしてシャルにはまったく理解できなかったが、なぜか神はこのトウモロコシを使って人型の生き物を作るのに再挑戦したらしい。その結果が四枚目、生まれたのが現在の我々“人間”であるというお話だ。

 

「マジ? 俺らの祖先って、トウモロコシだったの?」

「確かにマオはポップコーンって感じがする。中身スカスカだし」

「古代人は食と命を結び付けるからな。それよりお前ら、これを見てくれ」

 

 クロロが眺めていたのは色彩鮮やかな壁画ではなく、次の道へと繋がる扉に刻まれた絵だ。絵と言っても今度のものは一マス一マス区切ったように分かれているので、象形文字の類だろうと思われた。

 

「見てって言われても、俺にはおっさんの横顔が大量に並んでるようにしか見えない……」

「これはメイヤ文字だ。俺も全て読めるわけではないが、数字の表記と知っている単語からだいたいの内容は想像がつく」

 

【十三の天界には十三人ずつ神々が住んでいる

 神々は十三本ずつティシートを手に取り

 一本のティシートから十三人の我々が作られた

 そして我々はそれぞれ十三の神々へ祈りを捧げた

 ここに数え上げた、全ての数の合計を示せ】

 

「待て待て、メモ取るからもう一回言って!」

 

 流暢なクロロの読み上げにあわあわしているマオを放っておいて、シャルはさらに扉を調べる。流石にメイヤ文字の解読は不能だが、数字ならば現在とそう変わりないだろう。象形文字の下には丸と棒の並んだ小さな石板が二十個並んでいて、どうやら答えの数字の石板を扉の窪みに嵌める仕組みらしい。ちなみに部屋にある扉の二つともが、全く同じ仕掛けになっていた。

 

「丸一つが数字の一を表し、横棒一本で五。ということは一番初めの“目”みたいなマークはゼロってことかな? 答えとなる数字の石板を扉に嵌めようと思ったんだけど……一桁分窪みが足りないんだよね」

 

 シャルがうーん、と考え込んでいると、できた! と後ろから威勢のいい声がする。まさかと驚いて振り返れば、マオが持参したらしいメモ用紙を自慢げにこちらに見せてきた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「なんだ、書いてあること写しただけじゃん。びっくりさせないでよ」

「バッカ! 皆が皆お前らみたいにすらすら読めるわけじゃないんだぞ! こうやって書いたほうがわかりやすいだろ! ところでティシートってなんだ?」

「おそらく壁画に描かれているトウモロコシみたいな植物のことだろう。神が人を作ったという部分でも一致している」

「じゃあ、まず神様の棲み処が十三個あって……そこに十三人の神様が住んでて……そいつら全員十三本ずつトウモロコシ持って……うええ、気が狂いそう!」

 

 ただでさえ煩いのにこれ以上発狂されてはかなわない。そもそも最初に出てくる数字が十三なのに、十しかない指で数えようとするのがどうかしている。足の指まで使ったって、最大二十までしかないのに。

 しかし指折り数えて頭を抱えるマオを見ていたシャルは、ふと閃くものを感じた。

 

「ねぇ、団長、もしかしてメイヤ文明は二十進法を使ってた?」

「そう言われている。だからそこの石板も二十枚なんだろう」

「二十進法って?」

「俺たちが普段使っている十進法では十で位が一つ上がるが、二十進法は二十で一区切り。それだけの話だ」

「あはは、なんだかんだ優しいね、団長は」

 

 道理で口では文句を言いながらも、マオが犬のように懐いているわけだ。たぶんクロロの方も親切というよりは、聞かれたから答えているだけに過ぎないのだろうが。

 とにかくペットの世話は飼い主に任せることにして、シャルはとっとと正解の石板に手を伸ばす。扉の窪みは五マス存在して、下から順に【十三、十一、五、十……】と嵌めていくのだ。そして最後に【二】の石板を取ろうとすると、それよりも早くクロロが手渡してきた。

 

「なんだ、やっぱり団長だけでよかったんじゃないの?」

「まだまだ最初の部屋だ。頼りにしてるぞ、シャル」

 

 苦笑しながら最後の石板を嵌めると、かちりと何かが起動する音が聞こえた。そして石のこすれる重低音を響かせながら、四枚目の壁画の扉がゆっくりと開く。

 

「これってもし間違ったら反対側の扉が開いて、侵入者は排除って感じなのかな」

「メイヤ人は残虐な一面もあるからな。本当の地下界へご案内ってことかもしれないぞ」

「おお、こわ」

 

 我ながらちっとも怖がっている風ではないな、と思いながらも、シャルは扉の先へ進もうとする。確かこの先は長い通路を直進して、突き当りに“祈りの間”が存在するはずだ。名前の通り、メイヤ文明の祭事が鍵となるならまたまたクロロの知識頼りになるが、はてさて次の謎解きは一体どんなものか。

 本音を言うと浪漫より現金派のシャルだったが、結局なんだかんだで楽しくなってきていたのだった。

 

「いやいやいや! 何勝手に終わりましたみたいな顔してるんだよ! こっちは全然わけわかってないんだぞ!」

 

 しかし、ここにまだ納得していない男が一人。通路に片足半分突っ込んでいたクロロとシャルは、子供のような喚き声にため息をついて振り返った。

 

「えー、開いたから次行こうよ」

「ずるい! 答えが分かったんなら俺にも教えてくれたっていいだろ。石板を見た感じ、上から【ニ、十、五、十一、十三】……ええと、どうなってんだ?」

「答えは四十万と二千二百三十三。団長、」

「仕方ないな。お前のメモ帳を貸せ」

 

 貸せ、と言いつつほとんど奪うようにしてマオからメモをもぎ取ったクロロは、すらすらとそこに計算を書いていく。それを補助する形でシャルは携帯を取り出すと、マオにわかるように電卓機能に切り替えてやった。

 

「この文章は早い話が十三の累乗だ。一度に考えようとせず、それぞれの項目ごとに十三をかけてやればいい」

 

 そう言ってクロロは“天界、神、ティシート、人間、祈り”と五つの項目を縦に並べて書く。一番初めの天界の数は十三、一層につき十三人の神がいるらしいので神の数は十三の二乗。残りのティシート、人間、祈りも順番に前の数字に十三をかけてやれば、それぞれの数がわかる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「後はこれらを全部足せば、四十万と二千二百三十三。シャルの電卓でもそうなっているだろう?」

「う、ううっ……じゃあ、なんで嵌める石板は【二、十、五、十一、十三】なんだよ? これだと【四、零、二、二、三、三】じゃんか」

「うん、そこ。それで俺も初めは一桁窪みが足りないって思ったんだよね」

 

 二十進法表記をするのだと閃いたのは、実はマオが指で数えていたからなのだが、シャルはそれを言ってやるほど優しくはない。絶対、絶対につけあがってうるさくなるのが目に見えているからだ。

 マオの疑問にこれまたペンを走らせたクロロは、出た答えを二十で順にわり、その商と余りを書き連ねていく。

 

「さっき二十進法の話はしただろう?二十で位がひとつ変わるというあれだ。メイヤ文明の表記法に会わせるために、この四十万二千二百三十三を二十で割ってやる」

「うん」

「答えは二万百十一、余り十三。二十の塊からあぶれた余りの十三は、一番下の窪みにはまる石板になる。さらに次は二万百十一の中に二十の塊がいくつあって、いくつ余るか?」

「えっと……塊は一〇〇五で、余りは……十一! この十一が下から二段目の窪みに嵌るんだな?」

「ああ、そうやってどんどんと二十で割った余りを嵌めてやればいい。最後に二十で割れなくなるほど数が小さくなれば、その商――塊の数を一番上の窪みに嵌める」

「わかった、任せろ!」

 

 任せろもなにももう解決しているのだが、マオは嬉々として計算を始める。それを横目にシャルは、改めてメイヤ文明の凄さに思いを馳せていた。古代においてゼロの概念にたどり着いたこともそうだが、これだけ膨大な桁の数字を日常生活で使うことは現代ですらない。古代メイヤ人が実はここではないどこか――世界の外側から来た未知の生物なのかもしれないという、都市伝説めいた話が流れるのにも納得がいった気分だった。

 

「おお! ほんとだ! 俺も【二、十、五、十一、十三】になった!」

「ならなかったらマオの計算ミスだよ」

「でもなんで余りを書いただけで、四十万二千二百三十三って伝わるんだ? これって逆にメイヤ表記から俺たちの表記にするにはどう考えたらいいんだろ」

「もう、貸して。いいかい? マオは今、二十の塊ずつに数字を分解したんだろ? 窪みの五つの段はそれぞれ下から“塊なし、二十の塊、二十で二回割った――つまり四百の塊、八千の塊、十六万の塊”を示してる」

 

 いい加減にしびれをきらしたシャルは、マオが写した石板の図の隣に補足を書き込んでいく。

 

「各計算の余りは――たとえば最後の十六万の塊ずつわけたときは、塊がニつで余り十になってるけどさ、この十は一つ前の八千で分けたときには余ってなかっただろ? だからこの余りの十は、実は八千の塊が十個あるって意味なんだよ」

「ということは、次の余り五も四百の塊が五個って意味?」

「そう。その調子で全部足してごらん」

 

 

【挿絵表示】

 

 

「うわ……ほんとだ……石版の数字から四十万二千二百三十三に戻った」

 

 結局、がっつり電卓に頼りつつ全ての計算を終えたマオは、はぁ、とどこか虚ろな目で息を吐いた。完全に思考がオーバーヒートしているのだろう。ぐったりしていて、足取りもややふらついている。

 

「気はすんだか? だったら早く次へ行くぞ」

「うん、あのさ……クロロ、シャル……」

 

――俺、帰ってもいいかな?

 

 一体今度は何を言い出すかと思えば。

 マオの馬鹿げた発言をシャルは鼻で笑い、クロロは先ほどまでの優しさはどこへやら、躾に厳しい飼い主の表情できっぱりと言い放つ。

 

「却下だ」

 

 こんなところで弱音を吐かれては困る。マオが勝手に疲れているだけで、進捗としてはまだ一つ目の部屋を攻略したばかりなのだ。

 

「行くぞ」

 

 後は一切見向きもせずに、クロロはずんずんと通路を進んでいく。そんなクロロの背中を追いながら、シャルはもう一つの足音がいかにも渋々といった様子で後ろをついてくるのを聞いていた。

 



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とある遺跡02

前話同様、謎解き補助画像を挿入しています。計算でも挿入タグでもなんでもいいから間違ってたらこそっと教えてください……もちろん誤字も!!


 

 神が存在するから人間は祈るのか。人間が祈るから、神が存在するのか。

 

 生憎、クロロは明確な神を持たなかったが、その存在を否定できるほどの証拠も特に持ち合わせていなかった。神が存在すると信じる者は“平穏”を神の恵みと感謝する無欲な者か、不幸の渦中にあってとにかく何かに縋りたいという者が多い。一方、神が存在しないという者は先にどれだけ御託を並べようと、最終的には“神が存在するならば、自分がこんなにも不幸なはずがない”と言う。

 しかしそもそも神が人間に好意的なのかどうか、そこからしてクロロには疑問だった。

 

 どの神話を辿っても、彼らは人間の創造主だ。だが先ほどの“生命の間”の壁画のように、神は“失敗作”をあっさりと捨ててしまう。自らの創造物にさほど愛着がないのはそれでよくわかるだろう。

 また、とある宗教の中では、神は人間を罪人として楽園から追放したと記されている。つまり我々が生きるここは流刑地で、ならば罪人が救われないのは当然ではないか。不幸は神の存在を否定する材料にならないだろう。

 結局、“ないことの証明”はできない。それは相手が悪魔だろうが神だろうが同じこと。絶対に存在しないとは言い切れないから、一縷の望みを賭けて人間は神に祈るのかもしれない。

 

 辿り着いた“祈りの間”には身の丈を優に超えるいくつもの石柱と、古代の神々に祈りを捧げるための祭壇が鎮座していた。

 

「さっきの部屋よりは広いみたいだけど、石柱のせいでむしろ狭く感じるね」

 

 入ってすぐの右手の壁に平行して並ぶ、かすがいを立てたようなかたちの八本の石柱。それから部屋の中央部分に円を描くような形で、同じ六本の石柱と台形の形をした祭壇が並んでいる。祭壇の位置は壁際の石柱の方向を十二時としたとき、おおよそ五時の位置に当たる場所だった。

 近づいて調べてみると、前回と同じようにメイヤ文字で“進みたくば祭壇に祈りを捧げよ”と彫られている。“祈りの間”の扉は、今来た入口を除いても他に三か所の扉があった。

 

「なあなあクロロ、今回どの扉にも石板嵌めるようなとこは見当たんないぜ。石柱も特に窪みはない」

「ここに書かれている文字によると、祭壇に祈りを捧げると扉が開くそうだ」

「え? 祈るだけでいいの? なにそれ楽勝じゃん」

 

 そう言ったマオは早速祭壇の前にやってくると、おもむろにその場に跪いて何度も頭を打ち付けるようにしてお辞儀をする。ひとつ前の部屋のことを考えてもそう簡単なわけがないとは思っていたが、マオの祈り方が物珍しかったのでクロロもシャルも特に止めることなく黙ってそれを眺めていた。「……何も、起こらない?」そのためマオがそう言って不思議そうに顔をあげたのは、彼の前髪が砂か石の欠片かよくわからないものでじゃりじゃりになった後であった。

 

「ねぇ、団長。やっぱりこの遺跡は念能力と関係してるらしいね。こっちの石柱二本と、それから円の方にも二本」

 

 一人で馬鹿なことをやっているマオは放っておいて、クロロはシャルの手招きに従う。シャルが指し示したのは壁側にずらりと並ぶ石柱で、入口から見て一番奥と奥から五番目の物だ。「なになに? 何かわかったの?」慌てて駆け寄ってくるマオに向かって、クロロは短く凝をしてみろ、と言った。

 

「“凝”? あ、ええと、こうだな……お! 見えた! なんか糸みたいなものが張ってある!」

「念糸みたいなものだね。ご丁寧に一センチごとに目盛までついてて、一番奥の柱は最長の二百四十三センチ。五本目のは百六十二センチだった。柱の上端部分は可動式でこの位置を変えることで糸の長さを変えられるみたいだ」

「円状になってる石柱のほうも同じか?」

「あっちで念糸が張ってあるのは十二時と七時の位置のものだけで、それぞれ二百四十三センチと百六十二センチで一緒だった。だけどあの二本は糸の長さを変えられないみたい」

「ふむ……」

 

 百六十二といえば、ちょうど二百四十三の三分の二の値だ。数学に秀でていたとされるメイヤ人のことだから、また何か計算して仕掛けを解けということなのだろうが、いかんせんこれだけではまだ手がかりが少ない。糸の長さを変えられることも重要そうだが、念糸の無い石柱があるのも妙だった。

 さて、一体どこから手を付けようか。もう一度祭壇にヒントがないか調べるべきだろうか。クロロが考え込んだのと、ポン、と弦を弾くような音が響いたのはほぼ同時だった。

 

「わわっ、あぶねっ」

「マオ! 一体何やったの?」

「ちがっ、俺はちょっとこの糸に触ってみただけで……! そしたらなんか、念の光みたいなのが発射されて……!」

 

 しどろもどろのマオの答えは要領を得ない。が、特に念糸に触っても問題はないようだ。気になるのは聞こえてきた音と、糸を触ると出たという光。クロロは腕を組むと、今度こそ見逃さないつもりでマオと一番奥の石柱を見つめた。

 

「もう一度やってみせろ」

「わかった」

 

 頷いたマオはそうっと手を伸ばすと、念糸をぴん、と指で弾いた。すると再びポン、と軽やかな音がして、マオが言った通りに仄明るい念弾が糸から発射される。けれどもその動きは蛍の光のようにふよふよと空中を漂うもので、数秒も経たないうちに消えてしまった。先ほどまともに念弾を食らったマオによると全く痛くなかったらしい。シャルが真似をしてもう一本の石柱の念糸を弾くと、一本目より高い音がポンと鳴り、同じように念弾が出た。

 

「弾くと念弾の出る糸か……」

「ドとソだ」

「は?」

「こっちがドで、シャルのがソの音だ」

 

 ほら、ともう一度マオが糸を弾くと音が鳴ったが、正直言われてみればそうかもしれない程度の物だ。それはクロロが絶対音感を持たないからというよりは、メイヤ文明の音階が現代のものとは多少ずれていたからに違いない。

 

「……お前は音楽に明るいのか?」

 

 マオの意外な才能に驚いて目を見張れば、彼はちょっぴり得意そうに頬をかいた。

 

「別に俺は楽譜が読めるわけでも楽器が引けるわけでもないんだ。でも、音ってのは波だろ? 一音だけじゃピンとこなかったけど、二つの波の周期の差がドとソのそれによく似てたんだ」

「ドとソ……糸というよりこの場合、弦か……そして三分の二……なるほど、ナイスだ。マオ」

「だろぉ?」

 

 褒められてちょっとどころか完全に得意顔になったマオは口元がにんまりと緩むのを抑えきれないようだ。「で、何がわかったんだ?」音階というところまで辿り着いておきながらその先ちっともわかっていないのがなんとも残念だったが、幸いにしてクロロの脳内には与えられた情報がきちんとまとまっていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「弦の長さを変えられると言ったな。だったらその弦を半分の長さにしてみろ」

「えっと二百四十三の半分は……割り切れない」

「じゃあソの方でいい。半分にしたらその音が何か言ってくれ」

「オッケー」

 

 今度返事をしたのはシャルの方だ。ソの弦をさっと八十一センチの長さに変えると弦を指先で軽く弾く。奏でられた音を聞いたマオの瞳は、わかりやすいほど真ん丸になった。

 

「高いソに変わった! クロロすごいな!」

「なるほどね。つまり弦の長さを三分の二にすると五音階上がって、半分にすると一オクターブ上がる。そういう理解で良い?」

「その通りだ」

 

 もともと現在の音階というのは数学者によって考案されたらしい。そのためこの法則を利用すれば、ドとソの二音から他の音を出すに必要な弦の長さを求めることが可能だ。何かの本で手に入れたまま埃を被っていた知識だが、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。そしてクロロの予想が正しければ、円形に並べられた石柱が楽譜の役割を果たすはずである。「マオ、よく見てろ」クロロは振り返って十二時の位置の石柱を鳴らす。こちらも音と同時にふよふよとした念弾が放たれたが、消えるまえに七時の位置の石柱にぶつかって連鎖的にソの音が鳴る。そしてソの石柱から出た念弾は、今度は一時の位置の石柱に当たってそこで消滅した。この石柱には念弦が存在しないので連鎖が起こらないのは当然の結果である。

 

「うわぁ! すっげぇ! こうやって念弾をパスして音を鳴らすんだな! そんで最後に祭壇まで届ければ扉が開くってことなのか?」

「おそらくな」

 

 クロロが頷くと、マオのテンションはいよいよ上がっていく。“生命の間”では頭を使いすぎたせいか死にそうな顔をしていたが、今度は興奮しすぎてぶっ倒れそうな勢いだ。落ち着きなよ、と手綱を取ろうとするシャルの奮闘はどうやら空しく終わりそうである。

 

「でもでも、ソの次の柱はどうしたらいいんだろ? 弦がなきゃどうしようもないじゃん」

「新たな音を作ることがきっかけになるんじゃないか?」

「えーとじゃあ、高いソは作ったしさらにもう半分……駄目だ、割れない」

「マオ、三分の二にするルールも忘れないで。五音階上げられるんだよ」

「そっか! じゃあ五つ上げるとソ、ラ、シ、ド、レ……高いレで……」

 

 つまり、ソの百六十二センチに三分の二を掛け算すればいい。「百八センチ!」喜び勇んでソの弦の長さを変えたマオは、早速音を鳴らして満足そうに笑う。

 

「壁際の石柱が八本並んでるのもヒントだよ。マオが出すべきは一オクターブ上のレじゃなくて、最初のドとソの柱の間のレ」

「ん、そしたら今度は一オクターブ下げるから、さっきの逆で二倍だな! シャル、」

「はいはい、目盛りが見えないんだね。よっと」

 

 マオの身長はクロロよりも少し低いくらいなので、答えの二百十六センチに一人で合わせるのは難しかったのだろう。もうちょい上、と横から確認するマオの指示に従い、背の高いシャルが手を伸ばして弦の長さを調節する。

 こうして完成したレの弦をかき鳴らすと、音に呼応したように一時の位置の石柱に同じ二百十六センチの長さの弦が出現した。

 

「うおお!! ほんとだ!」

「よし。その調子でレの弦から次に作れる音を考えてみろ」

「おう! 任せろ! シャル手伝って」

「はいはい」

 

 やる気があるのなら今回の謎解きはマオに任せてもいいだろう。監督としてシャルが付いているなら間違いもきちんと正してくれるはずだ。

 

 暇になったクロロは祭壇や石柱に掘られた絵を一つ一つじっくりと眺めていく。どうやらこの“祈りの間”は祈りを捧げて何かを請うというよりは、神々に感謝し奉納する意図が強かったらしい。“生命の間”の見事な彩色壁画といい、メイヤ人の敬虔さはこうした芸術方面にも生かされていたようだ。そうなるといよいよ、彼らほどの高度な文明が滅びた理由が知りたくなった。神々の失敗作とは思えないし、これほど神を敬う罪人ならば少しは情状酌量の余地があってもいいだろう。今のところ最も有力な仮説は天災による滅亡だが、それではあまりに神というのは無慈悲すぎるのではないだろうか。

 

「クロロ、できた! 見て!」

 

 思考の海をたゆたっていたクロロは、元気いっぱいなマオの声によって現実世界へと引き戻される。数度瞬きを繰り返したあと、メモ帳片手に駆け寄ってくるマオを一瞥して見せてみろ、と短く言葉を発した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「計算は間違っていないようだな」

 

 シャルの指導の甲斐あって、どうやらすべての音階が計算で求められたらしい。二人はクロロが考え事をしている間に、あとは最初のドを鳴らして始めるだけというところまでしっかり準備を済ませていた。

 

「ではやってみよう」

 

 クロロの許可を得たマオは飛び跳ねるような勢いでドの石柱に向かい、一方シャルとクロロはゆっくりと円の外側へと非難した。「ふう、行くぞ」ポン、と何度も聞いたドの音を起点に、ソ、レ、ラ、ミ、シ、と次々に念弾が音を奏でていく。そして最後に十時の位置のシの石柱から放たれた念弾は真っすぐに祭壇へと吸い込まれる。

 次の瞬間、祭壇はまばゆく発光し、虹色に輝く念弾を起点となったドの石柱へと放った。

 

「な、なんだこれ!?」

 

 マオが動揺した声を上げるのも無理はない。クロロもシャルも驚いて床を見つめた。念弾が最初の石柱に戻るや否や、これまでの念弾の経路を示す形で床に模様が描かれていく。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「七芒星だ……」

 

 円状に並んだ石柱を結ぶ形で星が浮かぶと、祈りの音楽がドソレラミシ、と何度も繰り返される。そしてその音楽に導かれるように、祭壇奥の扉がゆっくりと新たなる道を開いてみせた。

 

「この道が正解……なんだよな?」

 

 あまりに想像以上に大がかりな仕掛けで、興奮していたマオは逆に怖くなってしまったらしい。しかもこの部屋はダミーの扉が二つあり、間違えば死が待っているかもしれないとなると躊躇うのもよくわかる。

 誰も次の一歩を踏み出さない状況が数秒続いたあと、顎に手をやったシャルがねぇ、と声を上げた。

 

「団長、メイヤ文明と七っていう数字は何か関係あったりするの?」

「そうだな……俺もそこまで詳しいわけではないからこじつけにはなるが、天界の一から十三層のちょうど中間となる数字が七だ。それから、円の全周三百六十度を七で割ってみるといい」

「……えーと、だから割り切れないってば!」

「そうだ。五芒星や六芒星とは違って割り切れないために、真に正確な“正七芒星”というものは描くことはできない。それが転じて、七芒星は“不可能を可能にする”という意味合いで用いられるんだ。神に捧げる図形としては、俺はそう悪くない図形だとは思う」

「へぇ、そうなんだ。じゃあきっと正解の道だね。というわけでマオ、安心して進んでいいよ」

「そ、そう言うなら、わかった」

 

 完全に斥候として捨て駒扱いされているが、当の本人は気づいていない。「大丈夫そう!」扉の奥へ進んでも五体満足なマオを見て、ようやくクロロとシャルは“祈りの間”を後にすることに決めたのだった。

 



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とある遺跡03

本誌休載しちゃいましたね~。しかしこれでゆっくり情報整理できるというもの……。


 

 暗く、どんどんと狭くなっていく階段をなぜか先頭に立って下ることになったマオだったが、その脳内を占めていたのは闇に対する恐れでも、未知の仕掛けに対する警戒心でもなかった。一応、探索用に懐中電灯は持ってきたものの、せいぜい足元を照らす程度で遠く先まで見渡せるわけでない。どこまで続くかわからない、おまけにどこに罠が仕掛けられていてもおかしくない道を歩くのは普通の人間ならば精神を大きくすり減らしただろうが、マオは幸いなことに普通の感性を持ち合わせてはいなかった。

 何を隠そう、いっそ常識はずれなほどに能天気な彼は、この暗闇で故郷の田舎を思い出して少しノスタルジックな感傷に浸っていたのだった。

 

(そういえば師匠、元気してるかなぁ……)

 

 故郷の村はネオン煌めく看板どころか街頭すらなく、夜になればひたすらただのっぺりとした闇が広がっているだけだった。一応名誉のために言っておくと村に電気は通っていたが、日の出とともに活動を始める村の生活では夜に外へ遊びに出かけるという発想がそもそもない。

 しかもマオの師匠は電気代が勿体ないからと言って、暗くなるとすぐにマオを布団へと追い立てた。起きているなら勉強しろと言われれば、寝たほうがマシだというマオの考え方はあの頃からいい意味でも悪い意味でも全く変わっていない。そして一応、師匠にも子供を寝かせるには読み聞かせが必要だという知識はあったらしく、自作の、おそらく即興で考えたおとぎ話を語ってくれた。とはいえいつも師匠の方が先に寝てしまうので結末まで聞いたことがなかったし、寝落ちした師匠が口から出るに任せた話をどこまで話したかなど覚えているはずもなく……。

 目を閉じても開けてもほぼ変わらぬ暗闇の中、毎日話の変わるでたらめな師匠の物語に、小さなマオは真剣に耳を傾けたものだった。

 

(お腹空いたなぁ)

 

 そしてマオにとって、暗闇と空腹はだいたいセットだった。ここでまた名誉のために断っておくと、なにも師匠が食費をケチってマオにひもじい思いをさせていたわけではない。むしろマオの馬鹿みたいな大食いのせいで、周りの家庭に比べて師匠の家は抜きんでて食費がかさんでいただろうと思う。けれども腹が減るのは本当だし、師匠も意味のない我慢はするなと言った。だから小さいマオは遠慮なく大人顔負けの食事を一日三食、多い時にはおやつも含めて四食平らげていたのだが……残念ながら小腹というのは八つ時だけではなく、深夜もお構いなしに空腹を訴えてくるものなのである。

 師匠の声が寝息に変わる頃、マオは翌日の朝ご飯を待ち遠しく思いながら、暗闇が眠気を運んできてくれるのをじっと待っていたものだった。ちょっとでも寝返りを打ったらまたその分だけ腹が減ると思ったので、本当にぴくりともせず、ただ天井を見上げて過ごすのだ。そのことを思い出すと不意にどうしようもない郷愁と空腹がこみあげてきて、マオは思わず狭い通路の低い天井を仰いだ。

 

「ちょっと、急に立ち止まってどうしたの?」

「……いや、お腹空いたなぁと思って」

「は!? 今それ大事なこと?」

「え、大事に決まってるだろ、いついかなる時も空腹は最大の敵だし」

 

 こちらは真剣に答えているというのに、話せば話すほどシャルは呆れたように上瞼を平らにした。おまけに本当に腹の虫がぐうぅと鳴いたので、緊張感がないと理不尽なお叱りまで受けてしまう。「マオ、」しかし話のわかる人間というのはどこにでも存在する。ましてやあれだけ浪漫だなんだのとうるさかったクロロなのだ。探険セットとして食料の一つや二つ持ち込んでいてもおかしくないだろう。

 期待を込めて振り返ると、何やらコートのポケットを漁るクロロの姿がシャルの向こうにちらりと見えた。

 

「カカオの木の栽培が紀元前からサヘルタで行われていたことは明らかになっている。だが、当時は豆としてそのまま食されていただけで、一番最初に飲み物状のチョコレートを作ったのはメイヤ人らしいんだ。“チョコルハ”と呼ばれたその飲み物の“チョコル”とはメイヤ語で“辛い”、“ハ”は“水”を表していて、」

「あーもう、そういうのいいから早くチョコくれよ。もちろん、現代風の甘いやつで!」

「……ここでチョコレートを食べる浪漫がわからない奴に与えるものはないな」

「いやぁメイヤ人天才だな! 浪漫最高! 浪漫ってすっげー美味いよな」

「マオ、後半本音が……」

 

 これでも精一杯話を合わせたつもりなのに、クロロは盛大なため息をつくと銀紙で包まれたチョコレートを投げて寄越した。それは距離を考えろと言いたくなるようなスピードと力強さだったけれど、ぱしっと音を立ててキャッチしたマオは大満足である。プレーンの板チョコの甘さは、疲れ切った脳みそに染み渡るようだった。

 

「ちょっとクロロの体温で溶けてるのが気持ち悪いな」

「文句があるなら返せ」

「やだね、これはもう俺のもの」

 

 取り上げられまいとやや小走りで残りの階段を駆け降り、マオはようやく開けた場所にたどり着く。しかしいくら能天気なマオでも、目の前に広がる“黄泉の扉”の光景には流石にうっ、と足を止めたのだった。

 

「なんだここ……」

 

 部屋の広さ自体は、先ほどの“祈りの間”と大差はない。部屋にある扉も今入ってきたところを除けば二つしかなく、“黄泉の扉”と名付けられるような、厳めしさも恐ろしさもない至って普通の石扉だ。しかしこの部屋の異様さは肝心の“扉”ではなく、部屋一面に所狭しと並べられた石棺が雄弁に物語っていた。

 

「まるで墓場……いや、死体安置所(モルグ)だね」

「さ、さすがに中身は入ってないよな?」

「何をそんなに怖がってるんだ。カキンでは“死後伴侶”の風習があっただろう? ここは王墓なんだからそう驚くことはないと思うが」

 

 確かにクロロの言うように、大昔のカキンでは王家に関わる人間が死ぬとその霊を慰めるため、死後の伴侶として異性を共に墓へと埋葬する儀式があったと言われている。そしてこの儀式で生き埋めにされた人々は不可持民と呼ばれる被差別階級から選出されており、王族の伴侶という名誉とは裏腹にその扱いは完全に生贄だったそうだ。実情を知るマオとしてはカキンから差別がなくなったとまでは言わないが、流石にこうした過激な風習を外の人間に指摘されるのは決まりが悪かった。

 

「……一体いつの話してるんだよ。生贄の風習なんてとっくに廃れたって聞いたぜ」

「どうだろうな。こういうものは根深いんだ。お前が知らないだけで、きっと形を変えて残っているさ」

 

 マオの反論も、並ぶ石棺のおどろおどろしさも、クロロは少しも気にせずに足を進めていく。シャルも怖がるどころか興味深そうに棺の蓋を眺めていて、やっぱりこの二人は絶対に“まとも”じゃないと思った。死者の念でも除念しているくせに、と言われれば確かにそうなのだが、それとは別で死を想起させるものには忌避感がある。生贄なんて絶対楽な死に方ではないだろうし、大昔とはいえここで多くの人間が死んだのだと思うと気味が悪くて仕方がなかった。基本的に脳筋で戦闘中なら負傷もなんのその、といった感じのマオだったが、こういう感性においては案外ごくごく普通の人間なのである。

 扉を調べたクロロは相変わらずおっさんの横顔にしか見えないメイヤ語を解読したらしく、やはりな、と小さく呟いた。

 

「この先の地下界に行くために“通行料”が必要だそうだ。命を捧げれば扉が開く、と」

「じゃ、じゃあ今回の探険はここまでだな。いやぁ、楽しかったなぁほんと」

「棺の数は六十ほどか……マオ以外にもあと五十九人も見繕うのは骨が折れるな」

「おい、クロロ」

「冗談だ、お前にはまだ除念という大役がある。ここで犠牲にするわけにはいかないな」

「はぁー除念できてよかったー! って喜ぶとでも思ったか! あほ! ばか! この人でなし!」

 

 憤慨するマオに小さく笑ったクロロは、さてこの話は終わりだとでも言うように軽く手を振る。それから棺を調べていたシャルの方に視線を向けると、何か面白い発見はあったか? と真面目な顔になって聞いた。

 

「そうだね。この中のいくつかには犠牲者が入りっぱなしだったよ。もっとも、流石に乾いてからっからの木乃伊(ミイラ)になってるけど」

「げぇ……」

「それから石棺の内側には中の人間をぐるりと取り囲むように穴が開いていて、仕掛けが発動すると全ての穴から杭が飛び出てぐっさり……鉄の処女(アイアンメイデン)を想像してもらうとわかりやすいかな」

 

 説明してくれるのは有難いが、こういうときこそ別にわかりやすくなくていい。思わず想像してしまい顔をしかめるマオに対して、クロロは興味を持ったらしく屈んで棺の中を覗き込む。

 

鉄の処女(アイアンメイデン)は公的資料がなく架空の拷問具だと言われていたが……案外メイヤ人の生贄の儀式が原型になっているのかもしれないな」

「チョコだけ作ってればよかったのに……」

「で、木乃伊(ミイラ)はどこに?」

「それはこっち」

 

 マオの切なるぼやきを無視して二人はお構いなしに死体を検分する。もちろん近づきたくも見たくもないのでマオは離れた場所からその様子を見守っているのだが、クロロの独り言はほとんど実況さながらの情景描写で否応なしに死体の様子が伝えられる。まさにありがた迷惑だ。

 クロロとシャルの調べによるとこの部屋自体も棺の底もやや傾斜がかかっており、底にある穴から棺の中で串刺しになった者の血液が排出される仕組みになっているらしい。そしてその血はそのまま棺と棺の間の床の溝を通って、扉の方へと“捧げられる”のだと言う。

 

「待て、この辺りの木乃伊(ミイラ)はなんだか身に着けている衣服が違うな……とてもメイヤ文明の時代のものとは思えない」

「そうだね。服装から死亡時期を推測すると木乃伊(ミイラ)になってること自体に違和感があるよ」

「“祈りの間”のことを考えると、どこかしらに念能力が関係していてもおかしくはないな」

 

 二人は懸命に考え込んでいるが、今回の部屋は別に頭で解いてどうこうなる仕掛けではないと思う。なぜなら既に扉を開ける方法ははっきりと示されているし、必要な生贄の数も変わらないからだ。野蛮な彼らのことだから自分たちの目的のために犠牲者を出すことに躊躇いはなさそうだけれど、それでも今すぐ次の部屋に進むのは無理だろう。クロロがいくつか隠し持っている念能力で、“俺が六十人分になろう”とでも言い出さない限りは……。

 

「なぁ、クロロって分身の念能力みたいなの遣えないのか? 遣えないならもう諦めて帰ろうぜ」

「生憎今の手持ちにはないな。コルトピを連れてくればよかったか……」

「オレも実はそれ考えたんだけど、念で作ったダミーで誤魔化せるのかな。この棺さ、串刺しが発動するスイッチみたいなものが見つからないんだよね。底板にかかる重さかと思って少し押してみたんだけど違うみたいだし」

 

 内心ハラハラするマオをよそに、シャルは躊躇いなく空の棺に手を突っ込んでぐいぐいと底を押す。彼の力ならば人間一人分の体重くらいの圧はかけられているだろうが、確かに横から串が飛び出してくるようなことはなかった。

 

「串が出る仕掛けも不明なら、引っ込む仕組みもよくわからないんだ。死体に刺さりっぱなしじゃないから、この棺は再利用可能ってことでしょ。しかもこの死体見て」

「う、うわ! ちょっといきなりグロやめろよ!」

「うるさいなぁ、嫌なら目でも瞑ってなよ。ほら、この死体は足だけ少しずれて二回刺された跡があるんだよ。棺に入った後、串の発動が一回だけならこうして近い位置に二度は刺さらないでしょ?」

「そうだな、この狭さでは一度串が引っ込まなければ自力で抜け出すのは無理そうだ」

 

 木乃伊(ミイラ)の足を掴んで無造作に引きずり出したシャルは、完全に死体をモノとしてみなしているらしい。視界に入ったそれは乾燥しているせいか想像よりは惨たらしくなかったが、血を一滴残らず絞られたんだろうなぁと思わざるを得ないほど体のいたるところに大穴が開いていた。

 

「メイヤ人まじでなんなんだ……生き埋めでもハチの巣にされないだけカキンの“死後伴侶”がすっごくマシに思えてきた……」

「メイヤの重要な考えのひとつに、人間は個々に“生命エネルギー”を持っているというものがある。彼らは人間の生殖器や舌、耳たぶを切り刻んで大地にその血を吸わせることで神の栄養になると信じていたそうだ。実際、血液は栄養たっぷりだからな。その大地では食物がよく育っただろうし、生命と食物を結び付けるメイヤ人らしい儀式だと思うぞ」

「“生命エネルギー”なら血じゃなくてオーラでいいだろ」

「大地にオーラを流し込めるレベルの念能力者を用意するより、有象無象の人間の血を流したほうが手っ取り早い」

「はい出た野蛮!」

 

 一体どういう風な育ち方をしたらそんな恐ろしい発想が身につくんだろう。マオはドン引きしながらクロロとシャルを眺めたが、二人を育てた親の顔というものがちっとも想像できなかった。そういう自分自身も血の繋がった親とは縁の薄い人生だったが、少なくともマオには親代わりの師匠がいた。彼らにはそういう、倫理観を教えてくれるような誰かはいなかったのだろうか。いなかったから、盗賊なんて仕事を始めたのだろうか。

 

「なぁ、聞いてもいいか?」

 

 出身はどこなのか。どういう風に育ったのか。思えばここしばらく一緒に過ごしていたくせに、そういう個人的な話はしたことがなかった。マオが知っている彼らの情報は二人が“幻影旅団”という物騒な賞金首の盗賊グループで、優れた念能力者で、頭が良くって、お金だけじゃなくて浪漫も大事にしているということくらいだ。本当ならもっと早くに聞くべきだったのかもしれないけれど、そういえばクロロたちはマオのことをどう思っているのだろうか。こっちはなんだかんだと怖がりながらも気安さと親しみを持ち始めているが、彼らにとってのマオはやっぱり“有象無象”なのだろうか。

 

 もしもそうだったら――。

 今の今まで気にもしていなかったくせに、それは少しだけ寂しいと思う。クロロに捕まった時はとんでもない奴に目をつけられたものだと嘆いたけれど、今マオがここにいる理由が脅されたからかというとそれだけではない。故郷の村には歳の近い同性など数えるほどしかいなかったし、明らかな悪人相手にこんな感情を抱くのもどうかと思うが、ここしばらくの生活を通してちょっと友情めいたものをマオは抱き始めていたのだった。

 そしてマオの性格上、気になったことは正面切ってストレートに尋ねる。

 

「俺たちって友達だよな?」

「「は?」」

 

 しかし発せられたマオの確認に、それまで木乃伊(ミイラ)に注がれていた四つの瞳が揃ってこちらに怪訝そうな色を向けた。クロロはただひたすらに意味がわからないとでもいうように。シャルは呆れを滲ませ、とんでもない馬鹿に直面したかのように。

 これにはいくら能天気なマオとはいえ、二人の表情が指すところの意味に気付かないわけがなかった。

 

「……友達かどうかが、この部屋の扉を開けるのに何か関係あるのか?」

「いきなり気持ち悪いこと言わないでよ」

「な、まじか、お前ら……うっわ、まじかよ」

 

 彼らの対応は基本的に冷たいので薄々そんな気がしなかったわけでもないけれど、都会の人間は冷たいと聞く。冷たいのがデフォルト。冷たいのが都会っ子だから、多少扱いが雑でもそういうものなのだとばかり思っていた。

 が、彼らの口ぶりから自分が勘違いしていたのだと知り、マオはいよいよこの遺跡からさっさと帰りたくなってきた。

 

「あいつは何にそんなショックを受けているんだ?」

「んー、そうだね。とりあえずオレが励ましておくからクロロは気にしなくていいよ。ほら、マオ。俺たちマオのことちゃんと友達だって思ってるって。改めて確認されたからちょっとキモッって思っただけで」

「うそつけ!」

「なんだよ。人がせっかく友達だって言ってやってるのに。そういうマオこそ、別に俺たちのことを友達だなんて思ってないじゃないの?」

「はぁー? 思ってたし! 思ってたのにお前らがそんなんだから俺は、」

「そう。友達だって、思っててくれたんだ?」

 

 そう言ってにこっと笑ったシャルの笑顔は限りなく爽やかだったけれど、野生の勘とでもいうのだろうか。「そっかぁ、友達だったら協力してくれるよね」背筋をぞくりと嫌なものが走り、マオは次のシャルの言葉を聞く前から自分の身に災難が降りかかるであろうことを予感した。

 

「ちょっとさ、この中に寝転んでみてくれない?」

 

 中で寝転ぶとなれば、他の場所はあり得ない。

 シャルがご丁寧に指さして見せた石棺を見て、マオはひくりと頬を引きつらせることしかできなかった。

 

「……えーっと、友達辞めてイイデスカ?」

 



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とある遺跡04

 

 

 こんなのは友達とは言わないと思う。一体、どこの世界に友達を拷問具によく似た石棺へ入れようとする奴がいるというのか。

 しかし逃げ出したくてもシャルの手はマオの両肩をがっしりと掴んでいて、びくとも動かないどころかぴくりとも動けない。冗談にしてはタチが悪すぎるが、残念ながらクロロと違ってシャルの目はどこまでも本気(マジ)だった。

 

「いやいやほんと無理だって! 死ぬから! 絶対死ぬから!」

「大丈夫だって」

「何がだよ! 何も大丈夫じゃねーよ! クロロなんとかして!」

 

 シャルは駄目でもクロロなら止めてくれるかもしれない。なんといっても同じ釜の飯を食べた仲だし、一応“幻影旅団”のトップはクロロだそうだ。そのクロロが止めろと言ってくれれば流石にシャルだって諦めてくれるだろう。

 そう思ってマオが縋るような視線を向けると、クロロは真剣な表情のままシャルに向かって問いかけた。

 

「何か閃いたのか?」

「団長の“メイヤ人が生命エネルギーを重視していた”って話でね。本当に血液が扉を開くための鍵なら、わざわざ棺で串刺しなんて面倒なことせずに扉の前で首を落とせばいいと思ってさ。真に扉の開閉と連動してるのは、血じゃなくてこの起動方法のわからない串の方かなって思ったんだよ」

 

 シャルの仮説は、棺の串は“生命エネルギー”すなわち“オーラ”を感知して起動しているのではないかということだった。“オーラ”というのは別に念能力者でなくても生き物ならばある程度自然に垂れ流しているものだし、棺の中で絶命すれば“オーラ”は消えて串も引っこむ。この串の運動を利用して扉を動かすのではないだろうか、という話だ。

 

「オーラに反応か……床の傾斜から本当に血液を集める意図もあるようだし、刺さりっぱなしよりも抜いたほうが早く失血するからな。絶命後に自動で串が戻るのは合理的だ」

「でもオーラに反応するなら、さっきシャルが手を突っ込んだときに起動しなかったらおかしいじゃん。絶してなかっただろ?」

「団長の言うように血液も豊穣の儀式に必要なら、この棺の目的は命を奪うところまで。それならズル防止のために身体の一部を突っ込んだくらいでは反応しなくて当然だと思うし、だからオレはマオに寝転んでって言ってるんだけど」

「つまり死ねってか!」

 

 聞けば聞くほど冗談じゃない。一体この話のどこに大丈夫だと安心する要素があるのだろうか。

 

「死にたくなければ絶をして入ればいい」

 

 しかしシャルの話を聞いて何か思いついたのか、頼みの綱のクロロまでもがとうとうそんなことを言いだしてしまう。もはや救いはどこにもないのだ。何が神様だ、メイヤ人。そんなものはどこにもいないじゃないか。

 

「待て待て! そりゃシャルの予想の通りなら串刺しにはならないだろうけどさ、串が動かないってことは扉も開かないってことだろ? わざわざ危険を冒す意味はないってことだ」

「絶だけならな。でも精孔の開閉を素早く行えばどうだ?」

「は、はぁ?!」

「オーラの流量調整が上手いマオならできるはずだよ。まぁ、失敗した奴の末路がこれなんだろうけどね」

 

 シャルの視線を辿れば、そこには足に二度刺された穴のあるミイラが横たわっている。服装がどう見てもメイヤ文明時代の者ではないこの男は、どうやらクロロ達と同じ目的でこの遺跡に侵入した者のなれの果てらしい。彼もおそらくシャルの仮説にたどり着き、オーラ量の調節で串を起動させようとしたみたいだが、串のスピードに対応しきれず結果木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊(ミイラ)に、というパターンなのだろう。しかしいくらこの方法を思いついたとしても、自分の身体で試すやつがあるか? 馬鹿じゃないのか? でも自分でやるだけまだいいのかもしれない。だって他人にやらせようとする人間がいるせいで、今のマオは窮地に追い込まれているのだから。

 

「むむむむ、無理! 俺が最近ようやく絶できるようになったばっかだって知ってるだろ!? 精孔を閉じられるなんて、そんなの国にいた頃は知らなかったし!」

「でも教えたらすぐにできていただろう。俺がわざわざ教えたんだ、失望させるなよ」

「いきなりド本番すぎるだろーが!」

 

 教えたと言うが、クロロは人が集中して絶をしているときに騒音を立てたり話しかけてきたりとほとんど妨害しかされていない。全身を一度に閉じきれず、オーラにムラができると容赦なくその位置を攻撃されたし、基本的には習うより慣れろだった。口で説明されたとしてもマオにはピンとこなかったかもしれないが、あのやり方で“絶を教えた”と言われるのはいくらなんでも酷い気がする。他の応用技はもう少しちゃんと指導してくれたのに、絶に関してはできて当たり前だからとあっさり済まされたのだ。

 

「そ、そうだ!オーラに反応するならクロロの密室遊魚(インドアフィッシュ)でもいいんじゃないか? 石棺も蓋を閉めれば密室だし、具現化して消して、ってのを繰り返せば……」

「お前、あれだけ可愛がっていたわりに意外と薄情なんだな」

「クロロには言われたくねー!!」

「だがその案は却下だ。密室遊魚(インドアフィッシュ)を具現化するには密室の中に俺も入る必要がある」

「入れよ! 俺に入れって言うなら入れよ!」

「往生際が悪いよマオ、師匠に修行の成果を見せるせっかくのチャンスじゃないか」

「誰が師匠なんて呼ぶか! 俺のほんとの師匠はもっと優しいぞ!」

 

 しかしいくら喚いても、これはもう決定事項らしい。「何があっても絶だ、マオ。死にたくないだろう?」クロロの発した“死”といワード、容赦なく棺の方へ押してくるシャル、足元に転がる無残な木乃伊(ミイラ)。それらすべての物に怖気づき、マオは言われるままに全身の精孔を閉じてしまう。

 

「大丈夫だ、いざとなればお前の位置を俺が動かして(・・・・)やる」

 

 どん、と最後は半ば突き飛ばされるようにして石棺に収まれば、声を出す間もなく蓋が閉じられ、視界は暗転。最後に見たクロロはその手に盗賊の極意(スキルハンター)を持っていた。あの口ぶり的に、物体の位置を変える能力でも持っているのだろうか。いや、今はそれよりも集中だ。集中して“絶ら”なければ、横から飛び出た串でぐっさりお陀仏間違いなしなのだから。

 

「マオ、聞こえる? やっぱり絶状態では串が起動しないみたいだね。それじゃあそこから全身の精孔を開いてみて。これも同時に(・・・)だよ。市場(マーケット)で一般人のふりをしていた、あのときくらいのオーラ量でいいから」

 

 聞こえる? と尋ねられてももちろん返事をする余裕なんてない。そもそも聴覚を研ぎ澄ました状態での完全な絶はかなり難易度が高いのだ。ましてやこんな密室、暗がり、命がけの状況で、パニックになっていないだけ褒めてほしい。

 

 しかしお次の注文である、同時に(・・・)流量調節して精孔を開くというのもそれ以上の難易度だった。身体の一部だけでは串が起動しない、というのは先ほどシャルが証明したし、身体の中央と末端で開閉のタイミングに僅かな差ができれば、足だけ刺された木乃伊(ミイラ)の仲間入り。この精孔の開閉は、本当に限りなく同時(・・)でなければならない。

 マオは緊張のあまり、額に流れた汗が米神のほうへ伝っていくのを感じた。

 

(くっそ、やるしかねぇ……!!)

 

 このままここでじっとしていたってクロロ達が出してくれるとは思えないし、時間が経てば経つほど集中力は落ちてジリ貧だ。どうせやらなきゃならないのなら、さっさとやってしまったほうがいい。

 マオが覚悟を決めて“絶”をといた瞬間、がちり、と耳元で何かスイッチが入るような音がした――。

 

 

 

「マオ! 大成功だよ! 二つある扉が、二つとも動いた! 数センチだけど!」

 

 まさに間一髪だった。マオが絶をとくなり、勢いよく側面から飛び出した串。その起動音を聞いた瞬間、マオはほとんど反射的に“絶”を行った。これから鋭利な凶器が身に迫るというのが分かっていて、防御ではなくあえて無防備な状態になるのがどれほど勇気の要ることか。ここでもし恐怖から逆に強くオーラを纏ってしまえば、串の仕掛けは破壊され、最悪扉が開かなくなったかもしれない。

 扉の動きは数センチらしいが串のほうはマオの肌の僅か数ミリ、もう少しで刺さるというところで、獲物を見失って渋々と引っこんで行ったのだった。

 

「気絶しなかったのは褒めてやる。どうだ、気分は?」

 

 マオが一人で安堵に震えていると、そう言って棺の蓋がずらされる。もともと薄暗い室内なので光で目がやられるようなことはなかったが、蓋が開いても呼吸するだけで精一杯だった。心情的には今すぐここから飛び出したいけれど、ごっそり気力が削がれてすぐには起き上がれない。そもそもまだ絶は継続中だ。ここで油断をしようものなら、また串が飛び出てくるのである。気絶などできるはずもなかった。

 

「し、死ぬかと思った……」

 

 ようやく助け起こされて棺から解放されたマオの一言は、心がこもりすぎるほどにこもっていた。流れた汗はすっかり冷え、全身が弛緩している。こんなのもう二度とやりたくない。しかもあれほどの危険を冒しても、まだ扉はたった数センチしか動いていないのである。六十近くの棺が用意されていることから当たり前といえば当たり前なのだが、これほど割に合わないことって他にあるだろうか。

 

「いざとなったら団長が助けてくれるって言ってたじゃん」

「ば、ばかやろう! だったらシャルがやれよ!」

「簡単に言わないでよ。均一かつ同時に精孔を開け閉めするなんて、すっごく難易度高いんだからさ。オレだって市場(マーケット)でマオの“異常な”オーラ調節技術を見なきゃやれなんて言わなかったよ。その方面に関してはマオって天才的だよね」

「天才……? 俺が?」

 

 褒められるとこんな状況でも嬉しくなってしまうのは、人間だから仕方がない。いや、マオの生まれ持つ単純さのせいかもしれないが、天才とまで言われれば少しは気分も良くなるというものである。「マオ以外にはなかなかできることじゃないよ」ほんの数十秒前まで二度とやりたくないと思っていた決意は、その一言でいともたやすく揺れ動いたのだった。

 

「少し休憩したら、この調子で残りも頼める?」

「……う、ううーん」

「危なくなれば助けてやると言ったんだが、どうやら信用がないみたいだな」

「いや、そういうわけじゃないけどさ、」

「煮え切らないなぁ。やってくれるの? くれないの? マオにしかできないんだから、マオがやらないって言うなら今すぐ引き返さなきゃなんないんだけど。その場合、適当六十人くらい死んでもらうことになるわけだけどさ」

「わ、わかったよ!」

 

 こうして、持ち上げられ、脅され、罪悪感につけこまれ……。哀れなマオは再びどころかその後何十回と棺の中に入る羽目になる。最初は一度入るごとに十分間の休憩を要求したが、慣れてくるとその間隔は五分、三分、一分……ついにはノータイムの連続入棺。最後の方はちょっとコンビニ行ってくるわ! ぐらいのノリで棺に入っていたマオなので、実はそんなに憐れむ必要はないのかもしれない。

 なにはともあれマオの活躍の甲斐あって、“黄泉の扉”は二つとも(・・・・)開き、次なる道を示したのだった。

 

「……って、なんで二つ?」

「今までは複数の扉があっても、正解ルートしか開かなかったよね」

 

 幸いにも、覗き込めばどちらが正しい道なのかは一目でわかる。片方は更なる下層に向けて階段が続いていて、もう一方は扉が開いたというより壁が壊れたのでは? と思うレベルで外の景色が広がっているのだ。この“黄泉の扉”の部屋はちょうど遺跡のくびれ、中央部に位置するので、ここから出れば空中へ真っ逆さま。そんな見えている罠に引っかかる馬鹿はいないと思うものの、わかりやすすぎて逆に不安になる。実はこっちが正解なのではないかと……。

 

「行くぞ」

 

 しかし迷っていたのはマオだけで、クロロとシャルは外に繋がる扉には見向きもしない。これまで様々なことに興味を示し、じっくり検分してきた二人とは思えないほどあっさりした態度に、思わず拍子抜けしてしまうほどだった。

 

「え、あっちはいいのか? 調べなくて」

「どう見ても外だろう。正解の扉と同時に開くことから、おそらく死体廃棄用のダストシュート代わりなんじゃないか?」

「儀式が終わる度に、毎回死体を上まで持って帰るのは大変だろうからね」

「なるほど……」

 

 しかし、もう片方の扉がゴミ捨て用なら、未だに残っていた木乃伊(ミイラ)が謎だ。片付け忘れやサボり、もしくは何かしらの事情で儀式の中断があったと言われれば黙るしかないが、本当にあの扉はそういう使い道なのだろうか。

 マオは珍しくその頭を使って考えてみたものの、疲れのせいか普段以上にちっとも回ってくれない。そのうちに二人はさっさと先へ進んでしまうので、だんだん面倒くさくなってもういいやと慌てて後を追った。わけのわからない扉のことを考えるよりも、マオは”空腹”というもっと重要な問題に直面していたのである。

 

 

「なぁ、クロロ。もう一枚くらい、チョコを隠し持ってたりしない?」

 

 

 ばしっ、と飛んできたチョコをキャッチしたマオを見て、シャルがこれアシカショーで見るやつだ……と呟いたのが聞こえた。

 




クロロがスタンバってた能力は、ヨークシン編でヒソカにブチ切れたノブナガを移動させるときに使ったもの……と考えてます。あれ、なんなんでしょうね。


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とある遺跡05

 

 冥界下りという、生きた人間が黄泉を訪問する話がある。

 

 世界各地で伝承や神話の類として存在するそれは、主に亡き妻を取り返すために地下世界へと向かう男の話だ。その結果は妻を取り戻せなかったり醜く変わった妻の姿に本格的な離縁に相成ったりと、とてもめでたいとは言えない内容ばかりなのだが、似たような話がいくつもできるあたり、死者を蘇らせたいと願うのは人間的な望みなのだろう。

 

 幸いにもクロロにはまだ、そうやって地下へ降りてまで取りかえしたいと思う人間はいなかったが、相手が宝というなら話は別である。期待のせいか、暗がりの中でこつこつと響く靴音はどこか神聖な音楽のようにも聞こえ、足を進めるたびに愉快な気分になってくる。

 手に入れた見取り図では、次の“鎮魂の間”の地下こそが宝の眠る“翡翠の間”だった。相次ぐ死人の為についぞ暴かれることのなかった王墓は、一体今どのような状態なのだろう。情報では、“翡翠の間”は鍾乳洞であるそうなので、その遺骸は木乃伊(ミイラ)ではなく、美しいまま死蝋と化しているかもしれない。“鎮魂の間”のほうだって、王墓が発見されるまで最後の部屋だと思われていたくらいだ。終点を思わせるだけの見事な壁画や彫刻が施されていてもなんらおかしくはない。

 しかし、クロロがそんな風に様々な想像を巡らせながら辿り着いたピラミッドの最下層は、懐中電灯で辺りを照らしたマオの素直な一言によって何かも台無しにされてしまうのだった。

 

「うっわ、なんだこの部屋、きもっ!」

 

 もちろん、マオがその言葉の尻が反響してしまうほど素っ頓狂な声を上げたのにはちゃんと理由がある。だだっ広いホールを思わせる“鎮魂の間”は、その壁一面にびっしりと人間の顔が彫り刻まれていたのだ。その顔には男も女も、サイズからして子供だと思われるものもあるが、どれ一つとして同じ顔はない。

 

「……お前はもう少し、情緒を味わうということができないのか?」

 

 壁へ寄って彫刻細工を検めたクロロは、この探検における最大の呆れを込めてため息をついた。もっとも、いかに冷たい視線を向けようが、当のマオにはまったく悪びれる様子がなかったのだけれども。

 

「いや、だってホラーじゃん……気持ちわりーよ、なにこれ?」

「この部屋の名前を忘れたのか? ここに彫られた顔は死者を弔うためのものだ。おそらく上の“黄泉の扉”で生贄となった者たち一人一人の顔が刻まれているんだろう」

 

 確かにずらりと並ぶ顔たちは物々しい雰囲気を醸し出しているが、決しておぞましい呪術の類などではない。地下に眠る王の褥に侍ることはこの上ない誉れであり、メイヤ人にとっての生贄は忌避されるものではなかったのだ。

 王の為に喜んで死ぬ民と、その民一人一人を軽んじることのない文化。クロロに彼らの自己犠牲的な心境が理解できるかと言われると難しいが、理解できないからこそ興味深く感じるというものである。

 だが、ゆっくりと遺跡に蓄積された過去や文化を味わうつもりがないのは何もマオに限った話ではなかったようで、即物的な思考のシャルもまたさっさと壁以外のところに視線を向けていた。

 

「で、肝心の地下へはどうやって行くんだろうね。見たところ扉らしいものはないけど、部屋の四隅にあるこれがまた何かの仕掛けになってるのかな」

 

 そう言って示された先には、台座を含めてちょうど腰丈ほどの大きさのゴブレット。覗き込めば大鍋のように底が深く、少なくとも明かりを灯す用途のものではなさそうである。台座には特にヒントのような文章も書かれておらず、ゴブレットの上にはパイプらしき空洞の筒が天井からぶら下がっていた。

 

「これってさぁ、さっきの“黄泉の扉”の部屋で回収された血液が、最終的にここに溜まるっていう仕組みなのかな」

「あぁ、そのようだな。上でも血が集まるよう床に傾斜がかけられていたし、王墓に捧げられた人間の血を使って儀式を行っていたと考えるのが妥当だろう」

「でもオレ達はズルしちゃったから、器は空っぽだね」

「……」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ヒトの循環血液量は体重の約八パーセントと言われており、例えば体重六十五キロの人間であればだいだい五リットル程度の血を身体に有している。あのざっくりとした串刺しで全ての血を残らず回収できるとは思えないが、それでも六十人程度の人間の血液が集まるとなるとかなりの量だ。四つのゴブレットの底が深いのも納得できる。

 そしてそうやって溜めた血を最終的にどうするのかは、ゴブレットの底に開いた直径二インチ程度の穴と、台座から床一面に広がる複雑な模様の溝が示していた。溝は部屋の中央に向かってだんだんと小さな円を描くようになっており、うろうろと歩き回って床を照らしたマオがはしゃいだような声を上げた。

 

 

 

「おっ、じゃあここにも魔法陣みたいなのができるのか? “祈りの間”のあれ、かっこよかったよな~」

「そうだな、他に仕掛けらしい仕掛けはなさそうだし……試す価値はある」

 

 そう言えば前の調査隊はどのようにして、この部屋にまでたどり着いたのだろう。まさか調査で相次いだ死者の真相が、“黄泉の扉”を開くための生贄と言うことはあるまい。となれば先達の彼らもまた念能力者であり、オーラによって扉を開き、オーラによって“翡翠の間”への道を発見したと考えるべきだろう。あと問題になるのは、一体どれくらいの量のオーラが必要かということだ。

 床の溝を指先でなぞり、深さを確認したクロロが視線を上げると、こちらを見ていたマオとばっちり目が合った。

 

「おっと、先に言っておくけど! 俺の血を絞り出せってのはお断りだからな!」

「……まだ何も言ってないだろう。だいたいお前一人では足りない」

「本当はもう一人いてくれたら、四隅から均等に流せたんだけどねー。まあマオには除念の分の元気を残しておいてもらわないといけないし、ここはオレと団長でやりますか」

 

 そう言うと話の早いシャルは床に腰を下ろし、溝の中に自身のオーラを細く流し込んでいく。操作系は放出とも隣あっているため、自分の身体からオーラを離すのはそう苦手でもないのだろう。クロロもシャルの対角線上にあたるゴブレットの前に陣取ると、同じようにしてオーラを注ぎ込み始めた。

 

「……なんか、すごくキレイだな」

 

 仄かに発光したオーラが溝を走り、分岐点で別れ、次の円の外周を埋めていく。シャルとクロロのオーラがぶつかると一瞬反発するように輝きを増し、それからゆっくりとすれ違うようにして交わっていった。あとはひたすらにその繰り返しだ。埋めるべき溝はまだまだたくさんがあるが、決して終わりが見えないわけではない。

 

「これ……見た目より結構()()()()もんだね」

「あぁ、一体どんな材質でできているんだろうな」

「ちぇっ、団長は余裕かあ」

 

 シャルが小さく苦笑する傍らで、一人暇そうなマオが口をへの字に曲げる。どうやらオーラが綺麗だと見とれていたのも僅かな間だけで、すっかりこの状況に飽きてしまっているようだった。

 

「クロロは今まで働いてなくて、力が有り余ってるだけだろ」

「マオ、残りはお前の血で埋めるか?」

「いえいえ! 応援させていただきますので頑張ってくださいっ!」

 

 ばか、と声に出さずにシャルの口が動いた。けれどもその表情は、彼が普段団員達のくだらないやり取りに向けるそれと同じであるように見える。

 

 ――なんだかんだ優しいのは、お前のほうじゃないか

 

 そして、淀みなくオーラを流し続けるクロロもまた、それを言葉にはしないのだった。

 

 

 ▼△

 

 

「お、終わった~!」

 

 円状の全ての溝を埋め尽くすまで、一体どのくらいの時間が掛かったのかはわからない。ただマオのお腹は先ほどから空腹を痛いほどに訴えているし、心なしかシャルも疲れた表情をしていた。クロロだけが平気な顔しているけれども、もしかしたらあれがポーカーフェイスというやつなのかもしれない。ちなみに、マオの故郷ではそんな洒落た表現はなく、単に“やせ我慢”なんて身もふたもない言い方をされていたのだが。

 

「なんで何もしてないマオがそれを言うんだよ」

「だって待ちくたびれたんだよ、腹も減ったしさぁ……」

 

 シャルは立ち上がって服についた土やら埃やらを払うと、首をぐるりと捻ってポキポキと小気味の良い音を鳴らす。そして大股で魔法陣の中央へと向かうと、ただ一点、どこの溝とも繋がりのない僅かな窪みを指し示した。

 

「ここだけ、最後別でオーラを流し込む必要があるみたいだ」

「それを入れたら完成ってこと? 仕上げに()()()()()()()()みたいな? やらせてやらせて! 俺に良いとこ取りさせて!」

「好きにしろ」

 

 お前はバスの停車ボタンを押したがる幼稚園児か、と心無い言葉が後ろから聞こえてきたが、マオはあまり気にせず最後の窪みにオーラを注いだ。マオの感覚ではバスなんて滅多に乗れるものではなかったので、停車ボタンを押したがるのはごく当たり前の心理だからだ。珍しい物への好奇心に、大人も子供も関係ない。

 

「よしっ、どうなるどうなる~?」

 

 マオのオーラが注ぎ込まれると、ついに魔法陣全体が強く発光した。それをわくわくしながら見守っていると、いよいよ宝の眠る“翡翠の間”への道が開かれる――

 

 はずだった。

 

「……な、なんも起こらないけど」

 

 魔法陣の強い輝きはほんの一瞬のことで、すぐに何事もなかったかのように収束する。周りの円を描くオーラはまだ残っているものの、マオが埋めたはずの最後の窪みはからからに干上がっていた。「なんでだよ」もう一度同じようにオーラを注ぐが結果は同じ。何度やっても道は開かれないし、せっかく注いだオーラは吸い込まれて消えてしまうのだ。

 

「もーっ、思わせぶりに光るくせにちゃっかりオーラだけ取りやがって! 一体俺の何が不満なんだよっ! それとも何か? 俺のオーラが美味しすぎて食べちゃうのかこの床は~?」

「はぁ、そんなマオみたいに意地汚い床なわけないだろ。オレにやらせて」

 

 選手交代。お次に試すのはシャルだ。

 シャルはよっこいしょ、とジジ臭い台詞を吐いてその長身を屈めると、窪みにオーラを流し込む。しかし次に起こった現象は、やっぱりマオのときとまったく同じものだった。

 

「ふふ~ん、どうやらシャルのオーラも美味しいらしいな~」

「俺も試してみるか?」

「そうだね、でも団長でも駄目ならお手上げだな」

 

 何が駄目なのかはさっぱりだけれど、自分と同じようにシャルも道を開けなかったのでひとまず満足だ。

 そして最後に残ったクロロはゆっくり勿体つけるように部屋の中央へとやってくると――これはマオの主観であって実際クロロが勿体つけていたかどうかは不明である――すっとその指先からオーラを流し込んだ。途端に強い発光。ここまではさっきと一緒で、それからが違った。

 なんと部屋全体が地響きを立てて激しく揺れ、突然足元の魔法陣が――床が、ぱっくりと左右に割れて、三人を呑み込むように大口を開けたのである。

 

「ちょっ、待っ!」

 

 突然足場が消えるなんて、聞いていない。

 浮遊感に内臓がくるりと一回転するが、それよりも底が見えないことが不安だ。「うわああ、いでっ!」しかしさほど深い穴ではなかったようで、情けない声が途切れるのも早かった。マオとは違って問題なく着地した二人は、早くも頭上を見上げている。

 

「痛ったぁ~ほんとなんなんだよ! 俺もシャルも駄目なのにクロロだとオッケーで、しかもいきなり落とし穴に落とされるなんて酷すぎるだろ!」

「落ちたのは五、六メートルくらいってとこかな。 でも本当に、なんで団長にだけ反応したんだろうね?」

「顔か、どうせ顔なんだろ……」

「あのさ、オレをマオ側に含めるのはやめてくんない? 顔ならオレでも開くから」

「くーっ!」

 

 打ったお尻は痛いわ、さりげなくない悪口を言われるわで踏んだり蹴ったりだが、確かにシャルは市場(マーケット)のおばちゃんに顔採用でリンゴをもらっていたので否定できない。

 

「顔ではないだろう。メイヤ人の美醜の感覚が現代と同じかどうかは疑問だ。考えられるとすれば、俺のオーラの系統じゃないか?」

 

 だがそんなマオの傷だらけの心を救ったのは、驕ることない真面目なクロロの考察だった。

 

「メイヤ文明と念能力は密接に関係している。つまり、今ほどでないにしろ念能力者も存在していて、人間離れした力を持つ者は当然権力を持っただろうな。それこそ神のように崇められていたかもしれない」

「あー、きっと昔は修行して会得って感じじゃなかっただろうし、“生まれつきの”念能力者ってことだね」

「そうだ。そしてそういう無自覚なタイプというのは、なぜか“特質系”が多い」

 

 なぜも何も、たぶん変わり者だからだろ。

 マオは心の中で突っ込みを入れたが、真面目な解説に口を挟まない程度には成長していた。一応師匠としてクロロには、念には六つの系統があり、特質系だけは修行による会得が不可能であると教わっていたのだ。能力も本当に人それぞれで変わったものが多く、この系統を持つ人間も少ない。それを聞いたマオが血液型で言うところのAB型だな、と言ったところ、クロロには“血液型で性格を決めるのは前時代的だ”と一蹴された。でもそう言ったクロロが特質系のAB型らしいので、マオは密かにほらみろ、と思っている。閑話休題。

 

「この道は王墓へ続くのだろう? ならばそこに踏み入れる資格があるのは、やはり王族ということになる」

「特質系は血統で発現したりするからね。実際の儀式のときは、最後の鍵として王族の血を一滴、そんな感じかな」

「おそらく」

 

 顔を見合わせて頷きあった二人は、どうやら納得したらしい。マオはそんなことよりもまだお尻が痛かった。五メートルくらいかな、とシャルは簡単に言うけれど、二階建てから飛び降りたようなものなのだからいくら念能力者であっても痛くて当然である。

 

「あーもう、それより早く行こう。この先にあるんだろ、その王様の墓ってのは。俺もうお腹すいて限界だし、さっさとお宝頂いて帰ろうよ」

「早く帰れるかはお前の除念次第なんだが」

「大丈夫だって! この奥かな。それにしても鍾乳洞の中って寒いのな~」

 

 この時、マオの頭の中には帰宅後に食べるご飯のことしかなく、この遺跡の調査がどうして途中で断念されたかなんてすっかり抜け落ちていた。ずんずんと迷いなく奥へと進んでいき、目指す王の遺体があれほどビビッていた木乃伊(ミイラ)であることにも気が付いていない。

 だが、彼がそうやって呑気にしていられたのは鍾乳洞の奥へと突き当たり、安置されていた石棺の蓋に手をかけるまでの話だった。

 

「う、うわあああああ!」

「マオっ!」

 

 蓋に触れた瞬間、勢いよく右腕へと巻き付く黒い物体。荒縄のようにも見えるそれは、鋭い牙を持つ蛇だった。咄嗟に大きく腕を振って蛇を振り払おうとしたマオだったが、蛇は舌をちらちらとチラつかせ、マオの腕を這いあがってくる。

 狙いは当然、首筋――。

 

「ただの蛇じゃない、そいつは念獣だよ!」

「わ、わかってる!」

 

 流石にそこまで馬鹿じゃない、と言い返す余裕もなく、マオは目の前の蛇に必死で波長を合わせる。ヒソカ戦のときにも思ったが、マオのこの能力はオーラの波を読むのに時間がかかるため急場には弱いのだ。念を使うために目を閉じたものの、蛇の気配が肩口まで這いあがり、そのシューという息遣いが聞こえた時には正直もう駄目だと思った。が、

 

「こっちだ!」

 

 クロロがそう言って棺に触れると、今にもマオの首元に食らいつこうとしていた蛇はくるりと方向を変えてクロロに襲い掛かる。「早く波長を合わせろ」何が何だかわからないが、とにかく早くしないと今度はクロロが危ない。彼の腰元に飛び掛かった蛇はまた器用に身体を這いあがり、「ちょっと待って、もうちょいじっとしてくれないかな」マオが割と真剣に頼む傍ら、次に棺へ触れたシャルへとターゲットを移していく。

 

「早くしろよ、馬鹿マオ!」

「そ、そう言われてもこれ難しいんだからな!?」

「まだなのか」

「だから簡単に言うなってば! ほらっ! よし! 俺んとこ来いっ!」

 

 シャルとクロロによる蛇のパスワークがとうとう四回目に達したころ、マオはようやく棺にタッチし、蛇を自分のもとへと引き付ける。波長合わせさえ終わってしまえば、念獣など敵ではない。マオに触れられた蛇はぷしゅう、と綺麗に消滅し、三人はそこで安堵の息を吐いた。

 

「遅いよ! マオの除念、全然使えないじゃん!」

「そ、そんなこと言うんだったら自分でやったらいいと思いまーす!」

 

 そう言うと、ゴツンとシャルの拳骨がひとつ。人が頑張って蛇を消したと言うのに、あんまりな仕打ちである。

 しかし暴力に訴えたことでシャルの気も済んだのか、すぐさま普段の涼し気な表情に戻るとクロロの方へ向き直った。

 

「それにしても、棺に触った人間を優先的に襲う念だなんてよく気づいたね、団長」

「別に気づいたわけじゃない、試してみただけだ。駄目だったらマオが死んで終わりというだけの話だろう」

「クロロさ~、特質でAB型の上に性格まで悪いなんてマジで友達出来ないぞ」

「お前が何を言っているのか、まったく理解できないな」

 

 肩を竦めたクロロは理解できないのではなく、たぶん理解する気がないのだと思う。既に彼の視線は未だ蓋が閉まったままの棺の方へ向けられていて、マオのことなど眼中にないようだった。

 

「しかし、これで死人が相次いだ“呪い”の正体はわかったというわけだ。王の安眠を守る蛇の念獣。除念さえできれば、何も恐れることはない」

「ほらマオ、もう一回触ってみてよ」

「……」

「早くしろ」

「ほんっとにお前ら……後でご飯おごれよな?」

 

 これはもう、高級料理のフルコースでなければ絶対に許さない。

 心の中でそう決めつつ、マオは言われたとおりに棺に手をかけた。すると当たり前のように現れて襲いかかかってくる蛇。こちらもまた、当然のようにそれを消し去る。

 

「あーやっぱそれ、一体きりじゃないんだ」

「せめて先に予想を言ってくれ!」

 

 一度波長を合わせてしまえば同じものをいくら出されようと対応できるが、心構えの有り無しは大きい。マオの非難に一切悪びれる様子のないシャルは、それじゃあ棺を開けるのはマオの役目だね、なんて勝手なことを言っている。

 

「まぁいいけど……」

 

 誰が開けるにしたって、蛇を消せるのはマオだけだ。それなら自分がやった方が、タイミングも掴みやすいというものである。

 かくして()()()()棺はあっさりと開け放たれてしまい、わくわくしながら中を覗き込んだ三人はほうっ、と感嘆のため息を漏らすことになったのだった。

 

「確かにこれは素晴らしいな……王族の装身具に相応しい……」

「予想以上の豪華さだね……売ったらいくらになるんだろう……」

「こんなの顔につけて寝るなんてめちゃくちゃ重そう……尊敬する……」

 

 三者三様、それぞれ感じたことは違えども、見とれているという意味ではだいたい同じである。しかし目の前の宝に心を奪われていても冷静さを忘れないのがシャルであり、何かあったときの為にマオに仮面を取るよう指示した。

 

「よーし、頂くぞ。ほんとにいいんだな?」

「うん。取っちゃって取っちゃって」

 

 マオもここまでの扱いが大概だったため、自分がその危険な役回りをさせられていることを特に疑問には思わなかった。遺体にふれるのはちょっぴり気味が悪かったものの、なるべく仮面だけに触れるようにして持ち上げようとする。

 

「重っ」

 

 しかし指先の力だけなのが悪いのか、仮面が遺体の顔から浮き上がったのは僅か数ミリ程度だった。気を取り直して再度力を込めるが、冗談じゃないくらい重い。「ちょっ、マオ、揺れてる!」シャルの指摘は恥ずかしながらその通りだった。力いっぱい踏ん張りすぎて、足がぐらついているのを感じる。

 

 でもなんのこれしき。さっきの蛇に比べれば、仮面一つ取るくらいなんてことないのである!

 

「いける、いけるぞ! ふんぬぅぅ~!! あ、」

「マオ!」

 

 思い切り力を入れた瞬間、さっきまでの重さが嘘のように、勢いよくマオの手からすっぽ抜ける翡翠の仮面。そう、仮面はマオの遥か上空を舞っていた。飛んだ仮面の高さは、ちょうどクロロの胸元に収まる程度だったのに、それはマオの()()()()だったのだ。

 

 つまり、この場合落ちているのはマオの方である――。

 

「えっ、ちょっ!」

 

 揺れていたのは自分自身ではなく、世界だった? そんなアホな、と思う間もなく、棺共々マオは鍾乳洞の崩落に呑み込まれていく。地下世界のさらに下だ。伸ばされたシャルの手を掴もうにも、あと少しで虚しく空を掴む。

 

「うわああああ!」

 

 一体、今日は何回落ちて何回悲鳴を上げれば許されるんだろう。

 もちろんそんなことを考えられたのは、マオが遥か下方の畦石池(リムストーンプール)に着水してからの話なので、今のマオの脳内を占めていたのは目の前に差し迫る巨大な影の事である。

 

「う、うそだろっ……?」

 

 

 ぽっかりと棺周辺の全てを呑み込んでしまったその穴――。

 そこへまるで駄目押しをするかのように巨大な岩が落ちてきて、マオはすっかりクロロ達とは分断されてしまったのだった。

 



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とある遺跡06

 

 十メートル――だいたいマンションの三、四階程度の高さが、人間の着水安全限界だと言われている。命知らず達の遊びを除けば、水泳競技としての飛び込みも十メートルが最高であるし、訓練された者でそうなのだから一般人の着水限界などせいぜい五、六メートルほどだろう。

 だからもしもマオが全身を堅で覆うことのできる念能力者でなければ、彼はその生涯をあっけなく閉じてしまっていたに違いない。もっとも実際に閉じてしまったのは、彼が地上へと戻るための出口だったのだが。

 

「おーい、クロロぉー! シャルぅー!」

 

 ここはピラミッドの最下層、その地下の更に地下なのだ。光は一切差し込まず、流石の田舎育ちでも視界は黒い闇に塗りつぶされている。手持ちの懐中電灯も崩落の最中にどこかへ落としてしまったのか見当たらないし、どのみち水没してしまえば使うこともできないだろう。

 

 これでは目を開けていても閉じていてもどっちでも同じことで、マオが今頼りにできる情報は波状に飛ばしたオーラによる反響定位(エコロケーション)のみだ。

 

 幸いにも陸地と思われる部分はそう遠くないようで、マオは暗闇の中、ざぶざぶと水をかいた。水温は耐えられないほどではないけれど、長く浸かっていていい温度ではない。なんとかして足の着く範囲までたどり着いた後は、もう一度同行者の名前を呼んでみるくらいしか思いつかなかった。

 

「クロロぉー!」

「シャールぅー!」

「……」

「……いや、やっぱ無理だよな」

 

 オーラの返ってくる時間からして、二十メートルは確実に落ちたはずだ。マオは頭上に障害物がないことを念入りに確認したのち、足にオーラを集中させて強く地面を蹴ってみる。五メートル、十メートル……感覚を掴んで次こそはと踏ん張るが、マオの垂直飛びではせいぜい十五メートルほどが限界だった。そもそも今日は念を使いまくってクタクタだし、何よりお腹が空いて力が出ない。疲労、空腹、トドメに水に浸かって寒いとトリプルコンボだ。   

 

 とりあえず脱げるものは脱いで水を絞ってみたが、通常のサバイバルと違い焚火を起こせるわけでもない。水の中に魚などの生き物の気配もしないし、食料供給も不可能。まさに地下は死の世界だった。マオの腹の音さえ鳴らなければ、静寂だけがこの空間を支配している。

 

「うーん、上まで届かないのなら、横へ進むか?」

 

 反響定位(エコロケーション)の結果、この池のある空間からいくつか道が分岐しているのはなんとなくわかる。だが、その先はもしかすると迷宮のように入り組んでいるかもしれないし、そもそも出口というものが存在するのかすらわからない。それなら、クロロとシャルに期待してこの場を離れないほうがまだ助かる可能性があるのではないだろうか。

 随分と他力本願な考え方だけれども、故郷の山で迷子になったとき、やみくもに動くなと怒られた覚えがある。

 

 ――道に迷ったらわかる位置まで引き返せ。焦らずにまずは一旦休憩するんだ。

 

 山と洞窟では勝手が違うかもしれないが、体力を回復することはどんな場合においても重要だ。そしてマオは、人間が体力を回復する方法を二つだけ知っている。

 

「食う! 寝る! 食うのは無理だから、寝るっ!」

 

 絞った服をぶんぶん振り回してもう一度水切りをしたマオは、それを掛け布団代わりに就寝することにした。なるべく平らそうな地面を探して丸くなってみたが、さすがに岩のごつごつした感覚がダイレクトに身体に伝わってくる。次に起きた時にあちこち痛むことは覚悟して、とりあえずオーラだけでも回復してくれればいい。そうすれば、次こそ天井にまで届くかもしれない。

 

 そうして自分がどこでも寝られるタイプでよかったな、とぼんやり考える頃には、マオは既に緩やかな眠りの波に飲み込まれていたのだった。

 

 

 

 

 

「おい、起きろって」

「うーん……」

「ったく、図太い奴だなぁ、オメー」

 

 人の気配。人の声。

 それらがすぐそばにあることは薄っすらとした意識の中で把握していたけれども、マオはただ唸って覚醒を先延ばしにした。理由は簡単、声をかけてきた相手から害意をまったく感じなかったことと、単純にマオが寝汚(いぎたな)いからだ。ぐるり、と声から逃れるように寝返りを打てば、おい、と今度は肩を揺すられる。揺らされるたびに肩に地面の出っ張りが食い込んで渋々、マオはゆっくりと薄目を開けた。

 

「……んんー、なんだよ……」

「なんだよじゃねーよ。いい加減起きろ、この墓荒らし」

「は、墓荒らしィ!?」

 

 いくら眠気が首根っこをがっしりと掴んでいたって、流石に聞き捨てならない言葉はある。もっとも、いくらマオ自身に盗むつもりがなかろうと盗掘の片棒を担いでいる時点で墓荒らしであることには変わりないのだが、それでもマオは飛び起きた。これ以上前科を増やしてなるものか。

 目を開けると同時に明かりが強烈に目を射り、目眩に襲われる。それでもとにかくマオは相手の姿もよく認識しないまま、とりあえず自らの潔白を訴えた。

 

「ち、違う! オレはただ仮面にかけられた念を解いただけで……!」

「念を解いた? っつうことは、オメーが犯人かよ。まったく、大変なことしでかしてくれたなぁ」

 

 すっかり闇に慣れてしまっていた瞳孔がその絞り方を思い出すと、ようやく目の前の人物の姿をはっきりと見ることができるようになった。一見、くたびれた格好をした男は、無精髭のせいもあって得体のしれないオッサンに思えたが、顔をみればまだ三十代前半といったくらいだろう。丸いくるりとした瞳が印象的で、人のことを”犯人”などと酷い呼び方をしたわりには、その瞳に嫌悪や侮蔑といった色は全く見られなかった。

 マオはくしゅん、と大きなくしゃみを一つすると、無実を証明するかのように両手を上にあげてみせる。濡れた服を脱いだせいで、実際今のマオは下着だけのほぼ裸状態だ。地上ならばもちろん通報案件だが、この場においてはむしろ疚しさの欠片もない丸腰であった。

 

「だから犯人じゃないって! 調べてみろよ、俺は仮面持ってねーもん!」 

「んなもん、見りゃわかるっつーの」

「ていうかオッサンこそ、こんなとこにいるなんて怪しいぞ! ほら、悪口は自己紹介の法則って言うだろ、あんたこそまさか盗掘犯なんじゃ……!」

 

 丸腰のマオに対して男はリュックを背負い、ライト付きのヘルメットを被り、結構まともに装備を揃えて来ているようだ。ファー付きロングコートでピラミッドに入るような、観光気分のクロロとは訳が違う。

 しかしこのラケンペ遺跡はとうに調査が打ち切られ、立ち入り禁止になっているのだということを考えれば、その堂に入った調査スタイルは逆に怪しいものでしかなかった。

 

「おまっ、誰がオッサンだ、コラ! オレはハンターをやってるジンってもんで、最初にこの遺跡を調査したのもオレだ。別件でたまたま近くに来てたんだが、遺跡が崩壊したっつう連絡があったから急いで様子を見に来たんだよ」

「ハンター!? って、え、まじ!? 本物!?」

 

 いくら田舎者のマオでも、ハンターという職業についてくらいは聞いたことがある。具体的に何をするのかは知らないが、財宝だったり珍獣だったり犯罪者だったりと、とにかく何かを追いかけることに人生を賭けている人々のことだ。バックにつくハンター協会は国家レベルの権力と信用を持ち、その協会に認められたプロハンターは世界に六百人程度しかいないらしい。そんな謎に包まれた職業なのに、長者番付の上位十名のうち六名がプロハンターというのだから、一般人のマオからすれば物語に出てくる秘密結社のエージェントみたいなものだった。

 テンションが上がると同時に、これはちゃんと名乗らないと逮捕されるのでは!? と焦ってしまう。

 

「お、俺はマオ。職業は……えーと、えーと、え!? よく考えたら俺って無職なのか!? 家事はしてたけど居候だから当然だし、別にそれで給料もらってたわけでもないし……う、うわ~~ショック!!」

「いや、知らねーけど……。だったらその無職の人間がこんなとこで何やってたんだよ」

「いや、待って! 無職じゃない、そう、除念だよ! 俺、除念ができるから頼まれてここに来たんだ!」

 

 ハンターならば念くらい知っているだろう。マオは裏ハンター試験の内容など知る由もなかったが、秘密結社と秘密の能力が関係していないはずがないとの決めつけで話を進める。

 ジンは”除念”の言葉に片眉を上げると、もう一度今度は品定めでもするかのようにマオを上から下まで眺めた。

 

「つまりオメーは除念師なんだな? で、”翡翠の仮面”にかけられていた念を解いたと」

「そう!」

「だったらやっぱし、オメーが犯人なんじゃねぇか!」

「なんでだよッ、持ってないって! 仮面は」

 

 クロロが――、と言いかけて、マオは口を噤んだ。確かに彼らは本物の盗賊で、捕まえられるべき人間なのかもしれない。出会いもロクなものではなかったし、流れだけで言えばマオは巻き込まれた被害者だ。だがマオはクロロ達に捕まってほしくなかったし、宝に興味はなくても謎解きを楽しんでいた自覚もある。流石に泥棒で捕まるのは困るけれども、完全に彼らだけのせいにするつもりもなかった。

 

「仮面は、えと、その、仮面の念を解いたのは俺だ!」

「なんで改めて言ったんだよ」

「でも持ってはない! 床が崩れて落ちて、それどころじゃなかったんだ。今の今まで閉じ込められてどうしようかと思ってたくらいだし、いやぁ助かった~! ハンターさんどうもありがとうございます! マジでよかった~!」

 

 こうなればへらへらと笑って誤魔化してしまうしかない。困ったときは笑っとけ、というのがマオの人生観でもある。

 けれどもジンはそんなマオの魂胆を見透かしたかのように、大きな大きなため息をついた。

 

「……はぁ~~えっとな、仮面もまぁ貴重であることには変わりないんだけどよ、問題はそこじゃねぇんだ。遺跡だよ、遺跡。オメーが仮面の念を解いたせいで遺跡そのものが崩壊しちまってんだよ」

「は!? え、ええっ!?」

 

 混乱するマオの目の前で、ジンはピンと一本指を立てる。それに対して釣られるように天井を見上げたマオだったが、すかさず「ちげーよ、凝しろって」とお叱りの言葉が飛んできた。

 

「凝? あぁ、う、うわ、すげえ! これこの遺跡じゃん! あんた器用だな!」

 

 言われた通りに目を凝らせば、ジンの人差し指の先にはちょうど二つのピラミッドの頂点が向き合うような、不安定な形の建物――ラケンペ遺跡がオーラによって形作られていた。その精巧な再現だけでも驚きなのに、更にオーラはゆっくりと動き、遺跡の様相を変えていく。そうしてできた形はちょうど上のピラミッドが横にずれて、下のピラミッドの段差にはまるようになっていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「今の遺跡の状態だ。オレが崩壊しちまった、って言った意味、わかるだろ?」

「う、嘘だろ……せっかくすごいバランスで立ってた遺跡が……」

「死人が出たとか、呪われてるとか、あんなもんはみんな嘘だ。あの仮面が遺跡の“核”を担っていて、念は仮面を守るためにかけられていた。だから回収はやめて、遺跡保存のためにあえて調査を打ち切ったんだよ」

 

 翡翠の仮面は確かに芸術的価値こそ高いものの、所詮は一つの装飾品だ。歴史や当時の生活、思想をうかがえる遺跡そのものと比べれば、無理に除念して博物館に収めるほどのものではない。

 マオは今更になって、自分のやったことが笑って誤魔化しきれるレベルではないのでは、と思い始めた。庇ったつもりが、仮面そのものを持って行ったクロロより、除念した自分のほうがマズイ状況かもしれない。

 濡れたのとは別の意味で寒気がしてきたマオに対して「ぐわっ」不意に何かごわごわとしたものが顔面に被せられた。

 

「ま、やっちまったもんはしょうがねーよ。とりあえずここから出るぞ」

 

 渡されたものがタオルであると気付いたマオは、今更思い出したかのように大きなくしゃみを一つする。

 

「あ、ありがとう」

 

 どうやらジンは特に怒っていないばかりか、マオをここから出してくれる気らしかった。もしかすると連れ出したあとで逮捕(?)されてしまうのかもしれないが、このまま一人暗闇に取り残されるよりはいい。乾いたタオルはただ乾いているというだけで、ほんのり温かいように感じられた。

 

「でも、柔軟剤は使ったほうがいいと思うぜ」

「オメー、自分の立場わかってんのかよッ!」

 



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とある遺跡07

本日2話投稿しています。ご注意ください


 ヨルビアン大陸の南東に位置するスワルダニシティ。

 ラケンペ遺跡は一応同じ大陸内に存在すると言っても、飛行船で三日はかかる行程だ。そんな距離をマオが一体全体どうして疲れ切った身体ではるばる移動してきたかというと、このスワルダニシティにはハンター協会の本部があり、ジンに自首してこいと()()()()ためである。

 きちんとした仕組みは知らないが、このハンターというのは国際警察ばりの権限を持っていて、国をまたいで犯罪者などを捕らえることができるのだ。となれば今回現行犯の盗掘や文化財保護法違反のみならず、ヨークシンでの図書の盗難の件も全部洗いだされてしまうだろう。

 どれをとってもマオに悪意があったわけではなかったが、いよいよ年貢の納め時か、これで前科者か……と暗澹たる気持ちになってしまうのも無理はない。しかし完全に服役するつもりでハンター協会を訪れたマオを出迎えたのは、妙にテンションの高い、くるりと巻いた口ひげが印象的な紳士だった。

 

「まさかあのラケンペ遺跡の建設にUMAの存在が関わっていたなんて……! いやはや、これは大発見ですよ」

「は、はぁ……」

「遺跡が倒壊したとの連絡を受けた時には悪辣な盗掘犯の仕業かと血が上ったものですが、まさか再調査が秘密裏に進められていたとは」

「いや、あの俺は、」

「それにしても羨ましいです。今回あなたが同行したジンというハンターは、私の憧れのハンターなんですよ。私もこう見えて遺跡ハンターの端くれなのですが、彼の功績のひとつにルルカ文明遺跡の発見というのがありましてね。当時は私含めて発掘のみに心血を注ぐハンターが多かった中、彼は修復や保護、環境整備にまで力を入れていて、今では彼の行った仕事が遺跡管理のマニュアルとして世界的に取り入れられているほどなのです」

 

 口調も丁寧で物腰も柔らかい。別に捲し立てるような早口と言うわけでもない。が、なんだか妙な圧があってなかなか口を挟むタイミングが見つからず、マオはただただ頷くことしかできない。

 サトツと名乗った、遺跡ハンターだというこの男は、マオがハンター協会を訪れてからずっとこの調子だった。ごく普通の応接室に通されて逮捕される気配もないし、取り調べられている雰囲気でもない。むしろその口ぶりは、マオが大発見の功労者であるかのようだった。

 

「さて、私ばかりがお話しても仕方ありませんね。すみません、興奮してしまって。ぜひ、UMAの木乃伊(ミイラ)を発見した際のお話をお聞きしたいのですが」

「ええと、どっから話せばいいのかわからないんですけど、その前にとりあえず、」

 

 ようやくまともに自分の番が回ってきたぞ、と思ったマオは勧められていたふかふかのソファーから立ち上がり、勢いよく頭を下げる。実を言うと歓待されるのは居心地が悪く、先ほどからずっとむずむずしていた。

 

「遺跡壊しちゃってすみませんでした!」

 

 

 

 時を遡ること三日前。つまりはマオがジンと出会い、遺跡の地下から脱出を試みた時の話だ。

 実際、クロロと違ってまともな装備を揃えており、過去にこの遺跡の調査を行っていたというジンと一緒ならそう困難な道のりでもない。チョコレート以外の、缶詰やら携帯食料やらできちんと腹を満たすことができたマオは元気百パーセントだった。ジンが降りてくる際に使ったという穴にはきちんとロープが垂らされていたし、それを上るくらいなら訳はない。

 

 そんなこんなで無事にピラミッドの下層まで戻ることができたマオはきょろきょろと周囲を見回したのだが、そこには当然クロロの姿もシャルの姿もなかった。というより、ここは最後に落ちた“翡翠の間”ではない。思い出したくもない大量の棺が並ぶこの場所は、生贄の血を要求する“黄泉の扉”が存在する部屋だった。

 

「う、うわ、ここに出んのか……」

「あの鍾乳洞結構広いからな。どうした? はぐれた仲間の心配でもしてんのか?」

「ちっ、違うって! そんなんいねーし! 俺一人で来たし!」

「……へいへい、そーかよ。ちなみにオレがここへ来た時には誰ともすれ違わなかったぜ。人の気配もオメーの分だけだったし、無事に逃げたんじゃねーのか」

「そっか……それならいいんだ。って、あれだぞ。民間人とか巻き込まれなくてよかったって意味だからな」

「わかったわかった」

 

 正直な話、クロロ達が待っていてくれなかったのは悲しいが、ハンターと鉢合わせるよりはいいだろう。

 投げやりな返事を寄こしたジンは、どうやら仮面の行方を本当に気にしていないらしく、マオはひっそりと安堵のため息を漏らした。

 

「で、どうやって出んの? 抜け道とかあんの?」

「ねぇよ、ンなモン。お前が遺跡の防御を解いたせいでその気になれば横穴開けて脱出できるけど、これ以上は壊させねーぞ」

「ううっ、それは悪かったけど……じゃあ、どうやって出るんだよ」

「そりゃお前、来た道を戻るに決まってんだろ」

「まじかぁ~」

 

 行きはよいよい帰りは怖い。難しい謎解きはもうないとはいえ、宝というゴールも無しにただ来た道を戻るのを想像するとげっそりしてしまう。

 これはもう一回くらい腹ごしらえを挟まないと無理なのでは? と生命の危機を感じたからか、不意にビビッとマオの頭に天啓が下った。

 

「いや、待てよ……確か黄泉の扉の部屋ってさ、ひとつだけハズレの扉がなかったか?」

「あぁ?」

「ほら、あからさまに外に直通の! ピラミッドの上部分は地上にまで落ちてんだからさ、それを使えばわざわざ横穴なんて開けなくても出られるんじゃないか?」

 

 マオが思い出したのは生贄の死体を処分する、いわゆるダストシュート用の扉だ。他の部屋は正解のルートしか開かなかったのに、ここ“黄泉の扉”の部屋では唯一勝手が違ったのを思い出したのだ。「そうだよ、俺すごい冴えてんじゃん!」だが、勢い勇んで出口を探したマオだったが、待ちわびた外の景色は部屋中を見回してもどこにもなかった。

 

「あっれ……なんでだ、おかしいな」

 

 ピラミッドが崩れた際に、埋まって塞がってしまったのだろうか。十分あり得る話だけれど、それにしては妙に道が整っている。二つ目の“祈りの間”に戻るには階段を上る必要があるはずなのだが、それとは別に何やらまっすぐ続いている道があるのだ。

 

「おいおい、こいつは……まさかだろ」

「え? なに? 何かわかったのか?」

「マオ、これはもしかすると“ハズレ”どころか“アタリ”の部屋かもしんねぇぞ」

「は?」

 

 そう言ったジンの瞳は、もうマオのことなど映していなかった。爛々と輝き、わくわくを隠し切れないといった様子で、ただ扉の先を見つめている。彼はびっくりするマオを残して、一人でずんずんと()()()()()()()に向かって歩き始めた。

 そうして発見されたのが、小さな神殿と棺――中には明らかに人間ではない、しかし人に極めて近い姿かたちをした生き物の木乃伊(ミイラ)だった。

 

 

 

「えっと、それがちょうどこの部屋でした」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ジンがそうして見せてくれたように、マオも指先にオーラで遺跡の図を作り出す。最初見せられた時はすごい! と感動したものだが、オーラを制御することは基本的に得意分野だ。もう片方の手で新しく見つけた部屋を指さして見せると、サトツは大きく目を見開いて、ふうむと唸った。

「それでは、遺跡に祀られていた真の王は人間ではなかったのですね。実際に仮面が保護していたのは“遺跡”そのものや人間の王族ではなく、UMAのほうだったと」

「確か、メイヤ人の文明ってあの時代では考えられないくらい高度なんですよね。UMAに伝えられた技術や文化なんじゃないかって、ジンが」

「ええ、今回の発見でその可能性が強まりました。本当にお手柄ですよ、マオさん」

「いや、でも……」

 

 マオが仮面の念を解いたのは、最初から調査のつもりだったわけではない。他の事なら結果オーライで済ませるが、今となっては大変なことをしでかしてしまったという自覚もある。悪友とちょっと探検気分で、近所の裏山へ行くのとは次元の違う話なのだ。

 サトツはうなだれるマオを見ると、ゆっくりと両手を組んだ。

 

「ジンさんはね、こう連絡してきたんですよ。“ラケンペ遺跡で重要な発見をした。モノはオレの弟子に運ばせる”って」

「え……?」

「ジンさんは最初の仕事こそ遺跡発掘でしたが、他にもクート盗賊団の壊滅や犯罪者の捕縛も行っています。あなたがやったことは確かに悪いことですが、彼はあなたに更生の余地を感じたんじゃないでしょうか?」

 

 協会に行くなら自首のついでにこれ運べよ、と小学生くらいのサイズはあろうかという乾燥死体(ミイラ)を押し付けられたときは、このオッサン、パシリやがって……と思ったが、まさかそんな風に伝えられていたなんて。思えばタオルも貸してくれたし、ご飯も食べさせてくれたし、ものすごくいい人だった。

 

「遺跡を壊してしまって悪いと思うのなら、これから償えばよいのです」

「……さっき、遺跡ハンターって修復とか保護もするって言ってましたよね」

「ええ。でも、何のハンターになろうと関係ありません。大事なのは何を成したか。あなたには除念という素晴らしい力があるんですからそれを生かすのもよいでしょう。時間はたっぷりあります、ゆっくり考えてください」

「はい……ありがとうございます」

 

 ハンターか。ほとんどフィクションみたいな職業だと思っていたけれど、こんな自分でもなれるのだろうか。故郷を飛び出して一人、まだ何も成し遂げられておらず、そのアテもない今ならば、ハンターを目指して頑張ってみるのもいいかもしれない。

 最後に礼を言って退出すると、サトツさんは微笑んで見送ってくれた。まさか盗賊のシャルがライセンス持ちだと知らないマオは、ジンやサトツの印象から無条件に“ハンター”と“善人”を等号で結ぶ。そう考えるとこの建物にいる人は、みんな素晴らしく仏のような人間ばかりではないのだろうか。

 

「おっと、」

「あっ、すみません!」

 

 考え事をしながら歩くなんて、そんな器用なことはすべきではなかった。ちょうど協会を出ようとしたそのエントランスで、マオは派手なスーツを着た男性にぶつかってしまう。幸いどちらも転ぶようなことはなかったものの、ぶつかった弾みで彼は手に持っていた資料を落としてしまった。

 

「俺、ぼうっとしてて! 拾います!」

「いやぁ、こちらこそすみません。ありがとう。お怪我はありませんか?」

 

 とりあえず拾い集めはしたものの、順番などはぐちゃぐちゃになってしまった気がする。それでも金色の髪が眩しいその男は少しも気分を害した風ではなく、笑顔も同様に眩しかった。

 

「おや。貴方もしかして、ラケンペ遺跡の件で来られたマオさん……ですか?」

「え、えっと、はい! そうですけど、なんで……」

「なんでってそりゃあ、先日から貴方の噂でもちきりだったからですよ。それにしても、こうして世紀の大発見をされた方にお目にかかれるとはラッキーだなぁ」

「い、いや、俺はそんな大したもんじゃなくて! むしろ勝手に遺跡に入って壊したくらいなんです」

 

 褒められれば褒められるほど罪悪感が沸くのでやめてほしい。というか、こんなことで有名になっても困る。冷や汗をかくマオとは対照的に、男はますます笑顔になると「そんなご謙遜なさらずに」と手を振った。そして不意にぐっと身を乗り出すと、心底楽しそうな声で耳打ちをした。

 

「いやぁ、本当にすごいことですよ。あの、()()()() に認められた()()()なんてね」

「え……」

 

 幻影旅団。それはクロロ達のことだ。

 しかしジンは遺跡で誰ともすれ違わなかったと言っていたし、マオも誰にも二人の存在を伝えていない。それなのになぜこの男が知っているのか、ひょっとして聞き間違いなのか、マオは呆然としながら男を見つめることしかできなかった。

 

「これからもぜひ頑張ってください。ハンターとして貴方が活躍される日を楽しみにしていますよ」

「えっ、ちょっ、あの」

「そうですね。何のハンターになるか迷ったら、協会の依頼専門のハンターとして働くのをおススメしますよ。そのときはぜひ僕にお声がけください。では」

 

 こちらの動揺もよそに、男は資料を抱えなおすと会釈して歩き出す。数秒遅れて我に返ったマオは、慌てて男の背中に向かって声をかけた。

 

「あ、あのっ! アンタ、名前は?」

「ああそうでしたね、失礼しました。僕はパリストン=ヒルといって、今はこの協会の副会長をさせて頂いています」

 

 以後、お見知りおきを。

 

 パリストンは最初から最後まで、変わらぬ笑顔を浮かべ続けていた。その笑顔はちょっと粗暴なところのあるジンよりも、固い雰囲気のあるサトツよりもずっと愛想のよいものだったが、マオは心の中で“ハンター”と“善人”の間に結んだ等号に一本ナナメの線を入れる。

 

「ハンターって、結構ヤバイかも……」

 

 もちろんそこに理屈はひとかけらも存在せず、全て直感――言うなればマオの野生の勘だったのだが。

 

 

第一部(原作前)完



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第2部 原作前
とある試験


 全世界から数百万人。今年は確か、五百万人程度だっただろうか。

 試験自体が毎年行われるものであるため、ハンター試験に申し込むこと自体は特別難しいものではない。高額な受験料がかかるわけでも、れっきとした身分証明や実務経験が必要なわけでもない。保護者の同意書さえあれば、子供ですら簡単に申し込むことができるようになっていた。しかし、肝心の試験を受けるために会場にたどり着くことができるのは、申し込んだ人間の僅か一万分の一。最終的な合格率となると更に減って、数十万分の一とまで言われている。

 

「……あの、もしもし」

 

 ハンター協会本部にある、大講義室の一室。ビーンズは本当にライセンスを渡してしまってよいものだろうかと迷いながら、気持ちよさそうに寝息を立てる青年の肩を叩いた。彼については合格者講習の序盤から船を漕いでいたため何度か注意をしたのだが、結局睡魔には勝てなかったらしい。

 

「あの、起きてください。もう他の人はとっくに帰りましたよ」

 

 最初は控えめに肩をゆすってみる。居眠りをするような不届き者に気を遣ったのは、彼が一目でわかるくらいに満身創痍だったからだ。一応、講習前に怪我などを手当てする時間はあったが、疲労はすぐにどうこうなるものではない。今でこそ机に思いっきり突っ伏してこそいるが、広い講義室の中でわざわざ一番前の席に座るあたり、彼だって最初からこんなに眠りこけるつもりではなかったのだろう。

 ビーンズはそうやって内心で彼を擁護しつつも、深いため息をついた。とはいえ、やっぱりいくらなんでも寝すぎだ。

 

「もう! マオさん、いい加減に起きてください!」

「うわっ! え?」

 

 ビーンズの大声にがばり、と顔をあげた青年――マオは、合格する前からここ協会内でちょっとした有名人だった。しかし、椅子からずり落ちそうになって慌てている様子だけ見ると、ラケンぺ遺跡の隠し部屋とUMAの木乃伊の発見という偉業を成し遂げた人物とは、到底思えない。

 

「……え?」まだ寝ぼけているのだろう。思い切り、“ここはどこだ”という困惑が顔に書いてあった。

 

「ハンター協会本部の講義室です。講習はとっくに終わって、他の皆さんはもう帰られましたよ。あとはマオさんだけです」

 

 ビーンズは聞かれる前に質問に答える。もっとも、他の皆さんと言っても、286期の合格者は彼含めて三名しかいないのだが。

 

「えっと、あ……すみません。寝てました」

「知ってます」

「……」

「そんな顔しないでください。流石に、これで合格を取り消しにするつもりはありませんよ」

「そ、そうですか!」

 

 わかりやすい人だ。あからさまにほっとした表情になったマオに、ビーンズも思わず吹き出してしまった。普段、飄々としていて何を考えているか読めない人達とばかり仕事をしているので、思ったことが全部顔に出てしまうマオが新鮮で面白い。

 笑ってしまったことを誤魔化すように、ビーンズは軽く咳ばらいをした。一応、これでも記念すべき門出の瞬間なのだ。神妙な顔つきで、ライセンスカードを彼に差し出す。

 

「補講が必要かどうかは検討しますが、とりあえずおめでとうございます。こちらがマオさんの合格証になります」

「わ、ありがとうございます! へぇ……これがハンターの証なのかあ」

 

 本人は丁重に扱っているつもりなのかもしれないが、カードの端っこのほうをおっかなびっくり摘まんでひっくり返しているさまは笑いを誘う。カードを手にしたことで得意にならないのはいい傾向だが、ビーンズは一応言わねばならない。「ライセンスだけでは、真のハンターとは言えませんけどね」その瞬間、まだ少し寝起きでぼんやりしていたマオの目がきらりと輝いた。

 

「あ、知ってます! 大事なのはハンターになってから何を成したか、なんですよね!」

「あれ、そこは聞いてたんですか」

 

 はたから見れば寝ているようにしか見えないのに、なんだかんだで耳は起きている、というような人はこの世界にわりといる。ビーンズが少し感心したのも束の間、マオは馬鹿正直に首を横に振った。

 

「いや、講習で聞いたわけじゃないんですけど、サトツさんが言ってたな~って。たぶん、知られてると思うんですけど……俺、遺跡を壊しちゃったから。何か罪滅ぼししたいって思ってたら、サトツさんが背中押してくれたんです」

「……。まぁ、いいでしょう、心掛けは立派ですから。では、遺跡ハンターを目指されるんですか?」

「いやぁ、それはまだ決めてなくて。俺、除念ができるみたいなんで、そっちの道で頑張るのもいいかなって」

 

 にっこりとのんきな笑みを浮かべるマオに、焦ったのはビーンズのほうだ。「ちょ、ちょっと、そんな軽々しく……」普通は自分の能力をそんな簡単に明かさない。ましてや、能力の特殊性から目を付けられやすい除念師ならなおさらだ。協会内で広まっていた噂もあくまで、遺跡での功績と彼がジンの”弟子”である、ということくらいで、彼自身の能力については伏せられていたのに。

 

「あれ、俺の能力のこと、知ってたんじゃないんですか?」

「ええ、これでも会長の秘書をやってますからね。マオさんの件については小耳に挟んでますが……そういう問題ではないんです! こんなところでペラペラ喋るもんじゃありませんよ、誰が聞いてるかわかったもんじゃないんですから!」

「え、協会の人に話したから、もう協会の人は皆知ってるもんだと思ってました……。皆、口が堅いんですね。地元じゃ、朝誰かに話したことは昼にはもう村中知ってるって感じだったのに」

 

 あはは、と明るいことは結構だが、ビーンズは目の前の青年が心配でたまらなくなった。ルーキーらしい初々しさとか、危なっかしさとか、そういうのを超えてマオは世間知らずだ。こうして会話をしてみると、彼自身が悪い人間だとは到底思えなかったが、報告では遺跡の件にあの幻影旅団も関わっていた可能性があるらしい。マオの事情聴取をした担当官は、「どうせ利用されてるだけだし、突っ込んでもしょうがねーから深堀りしなかったけどよ、庇ってんのバレバレだったぜ」と苦笑いしていたくらいだ。

 

「あの、マオさん、何のハンターになるかは後々考えるとして……今後のことって具体的に何か予定されてるんですか?」

 

 もし、彼がまたホイホイと騙されて、蜘蛛と落ち合うようなことがあれば阻止しなければならない。今更、蜘蛛にとってライセンスなど価値はないだろうが、世間的には彼は人生七回遊んで暮らせるくらいの大金を持って、無防備にうろうろしているのと同じなのだ。また、旅団以外にも、マオの交友関係には気になる点がある。

 ビーンズは今年、試験官を半殺しにして失格になった受験者の顔を思い出しながら、老婆心からマオに尋ねた。

 

「プライベートなことを聞くのは失礼かとは思うんですが、その……試験中、ヒソカという受験者と親しいようでしたので、気になりました」

「え、あぁ……なんか、すみません。俺、現場は見てないんですけど、怪我人が出たんですよね」

「マオさんが謝ることではありませんが」

「いや、まあそうなんですけど。一応、知り合いっていうか、俺の念の名づけ親なんで……」

「名付け親!?」

 

 それは、かなり親しい間柄ではないだろうか。たかが能力名、されど能力名。個人のアイデンティティに直結するものだから、普通は師匠であっても勝手に決めたりなんかしない。

 ビーンズが絶句しているのを見て、流石にマオもまずいと慌てたようだった。

 

「い、いや、違いますよ。あいつとは天空闘技場で戦ったってくらいで、俺は遺跡以外に前科はありませんから! あ、ヨークシンの図書館の件もあるけど、あれは冤罪だし!」

「一応、ヒソカが危険人物であるという認識はあるんですね……」

「まぁそりゃ、試験中ずっと、殺したくてうずうずって感じのオーラ出してたし……。天空闘技場みたいに、戦いの場でそうなってるのはわかるんですけど、まさか日常的にそんな発作持ってるとは知らなかったんで。あ、これ、やばい奴だって思いましたよ」

「……」

「なんか”青い果実”がどうたら言ってました。『キミはもう知ってるしなァ、来年に期待するかな』とか言って、棄権するって。『終わったら連絡くれよ』って」

「れ、連絡するんですか!?」

 

 ビーンズが危惧したことがまさに起ころうとしている。試験が終わってライセンスを持った状態のマオなんて、まさにカモネギではないか。

 

「い、いや、前にも連絡先渡されてたんですけど、俺なんだかんだで携帯買えてないし……その、やっぱ、今回の試験で怖いやつだなと思って、関わらないほうがいっかなーって」

「マオさんにしては賢明な判断です」

 

 思わず本音が漏れてしまったが、マオはまったく気づいていない。ビーンズの同意を得られて、ですよね、とちょっとほっとしたような表情を浮かべている。

 

「一方的とは言え、後で連絡しろって言われたのを無視するのもどうかなって迷ってたんですけど、正直遊んでる場合じゃなくて、俺はまず仕事を探さないといけないんです。あ、でもヒソカが連絡しろって言ったの、そういう話だったのかな。ヨークシンに働き口がいっぱいあるってアドバイスしてくれたのもヒソカだったし」

「マオさん」

 

 ビーンズはすぅっと深く息を吸って、吐き出した。

 

「やめましょう、連絡するのは」

「え、は、はい」

 

 ここまで聞いてしまったら、流石に放ってはおけなかった。本来は、合格者の身の振り方にいちいち口出しをすべきではないのだが、幸いなことに彼は既に念能力者であるため、裏ハンター試験を受ける必要もない。蜘蛛やヒソカという危険人物からの保護も兼ねて、ビーンズは上に掛け合ってみようと思った。

 

「代わりと言ってはなんですが、少しの間、協会で働いてみませんか」

「え!? それって、協専ハンターとかっていう? 俺、ハンターになったばかりなのにいいんですか!?」

「いえ、まだマオさんは専門分野をお持ちではないので、正式に協専になるかは後程ご自身で決めてください。今回は、どんなハンターがいるのか勉強がてら、事務など私の仕事を少し手伝ってもらいたいと思っています」

 

 協専ハンター、という言葉をマオが知っていたのは驚きだが、遺跡の件で罪滅ぼしをしたいと思っていた彼だ。ハンターとしてそういう道もあるのだと、誰かが教えてやったのだろう。

 確かに以前ならば、ビーンズも彼に協専ハンターになることを勧めていたかもしれない。しかし、あの男が副会長になってからというもの、協専ハンターにあまり良い噂は聞かなかった。立場上、表立ってやめておけ、とは言えないが、右も左もわからない新人の芽を摘んでしまうのはビーンズとしても望むところではない。

 

「やったぁ、雑用でもなんでもやります! やらせてください! 俺、こうみえて料理得意なんですよ!」

「そういう仕事はおそらくないと思うのですが……まぁ、料理が好きなら美食ハンターになるという手もありますね。協会にはいろんなハンターがいますから、やりたいことを見つける手掛かりにしてください」

「はい! ありがとうございます! よろしくお願いします!」

 

 ぶん、と勢いよく頭を下げる彼の後ろに、もっと勢いよくぶんぶん振られるしっぽが見えたような気がした。「それではまず、簡単に手続きを済ませましょう。あなたのことを紹介しなければなりません」お願いします、と元気な返事をしたマオは、意気揚々と講義室のドアへと急ぐ。散歩とわかるやいなや、玄関に急行する犬のようだ。

 ビーンズは微笑ましい気持ちで彼の後を追おうとして、それからふと彼が座っていた席に目を止めた。その瞬間、浮かんでいた微笑は、一瞬で凍りつく。

 

「マオさん! ライセンスを置きっぱなしにしてはいけません!」

「あ」

 

 先が思いやられるとは、まさにこのことだった。



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とある本音

 前略、師匠。俺です、マオです。長い間連絡しなくてすみません。確か、最後に手紙を送ったのは、クカンユ王国にいたときでしょうか。最近になってようやく生活が落ち着いた、というのもあるんですが、正直いろんなことがありすぎて、師匠のことすっかり忘れてました。しかも、俺が住むところをちゃんと決めてないせいで、師匠からは手紙送れないんですよね。マジでごめんなさい。でも、俺もただブラブラしていたわけじゃなくて、実はちゃんと資格をとって、仕事についたんです。ハンターって知ってますか。俺もまだよくわかってないんですが、なんでもいいので好きなものをとことん追いかけるのが仕事みたいです。なんか、文字だけ読むと馬鹿みたいだけど、本当にすごい仕事なんですよ。証拠に仕送りだって送っちゃいます! 少ないけど、これでなんか美味いもんでも食ってください。

 

 ちなみに、俺がハンターになろうと思ったきっかけになった人は、遺跡の調査で有名な人だったみたいです。他にも珍しいオオカミを育てたり、盗賊団を壊滅させたりとかいろいろすごい人っぽいらしくて……。出会ったきっかけも、実は俺がうっかり大事な遺跡を壊してしまって、その遺跡の地下に閉じ込められて出られなくなったところを助けてもらったんです。それでちょうど行く当てもなかったし、お詫びも兼ねて人の役に立つ仕事をするのもいいなって。師匠の“チーゴ”は武術以外にもいっぱい使い道がありそうです。

 しばらくはこのハンター協会にいるつもりなので、師匠もよかったら返事ください。

 

「これでよしっと!」

 

 ちゃんと師匠に教えられる住所があるというのはいい。指名手配されていないのもいい。あと、A級首と一緒に生活していないと言うのも、ちょっぴり寂しいが世間的にはかなりいいだろう。

 

 ちょっと早めに出勤してデスクで師匠への手紙を書いていたマオは、封筒に便箋といくらかの紙幣をそのまま突っ込んで、満足げに封をした。研修期間でもちゃんと満額給料が出るなんて、ものすごくいい会社(?)だ。なんだかんだでまともに職に就いたことのないマオにとって、ハンター協会での雑用が初めて貰える正式な給料である。天空闘技場も二百階までは賞金が出たものの、すぐに階数が上がってしまったし、大金になると口座振り込みしか受け付けていないせいで、そのあたりの手続きを怠ったマオはほとんどあの場では稼げていない。そのあとヨークシンに移動してからは、追われる身となったので言わずもがなだ。

 

「はぁ、どうして全部声に出しながら書くのかしら→バカ?」

 

 わざとらしく聞こえてきたため息に顔を上げれば、奥のデスクで犬耳をつけた眼鏡の女性が呆れたように米神を押えていた。彼女はチードル=ヨークシャー。ハンター協会の最高幹部『十二支ん』の一人で、期間限定ながらもれっきとしたマオの上司だ。彼女はそのふざけた見た目にも関わらず――いや、十二支んはほとんどが動物を模した格好をしているので、彼女だけではないのだけれど――なんと医者で法律学者という嘘みたいな天才だった。それに加えてハンターであることも数えると、もはや難関資格ハンターと言われても納得してしまうくらいだ。

 

「え、あ、声出てました? すみません」

「まぁあなたがいいなら構わないけど→個人情報の漏洩。普通郵便で現金を送るのは法律違反よ→三十万以下の罰金」

「三十万!? 送る額より多いんですけど! 赤字になる!」

「ちゃんと現金書留で送りなさい」

 

「はーい」

 

 もう少しでまた、なんだかよくわからない法律に違反するところだった。せっかく綺麗に糊付けした封だけれど、破らないようにそっと剥がしていく。都会に罠が多いのは相変わらずだ。その意味で、法に詳しく、なんだかんだ世話焼きなチードルが上司というのはマオにとってラッキーでしかない。ジンの弟子という前評判のせいで最初は思い切り嫌がられてしまったが、なんとかビーンズが取りなしてくれたらしかった。根っこはいい子なんです、と。葉や花はどうなんだろうか。

 そんなくだらないことを考えつつ、マオは席を立って上司のデスクに向かう。

 

「ところで、今日は何をすればいいですか? 今日()書類の整理ですか?」

 

 彼女は難病ハンターでしかも三ツ星。その下につくマオもさぞハンターとして大忙しになると思いきや、案外普通の事務仕事が多かった。というのも、会長も副会長もあまり協会としての仕事には熱心でなく、十二支んにもジンを始めとした自由人が多い。結果、組織としての協会の運営はビーンズ、簡単な決裁はチードルがほとんど担っている状態だった。彼女の下で働き始めてもう二週間ほどになるが、ハンターの解決した事件、新しい発見の報告、直接ハンターに関わらずとも念能力者の関わっていそうな事件の情報など、毎日山のように集まってくる。

 

「あんまりやりたくなさそうね→顔に出てる」

「うっ、あ、いや、面白くないわけではないんですけど……誰がどんなことを成し遂げたのかとか、色んなことが知れて勉強になるし……でも、もーちょっと現場に出てみたいなぁって」

「あなた、真面目ではあるけれど、あんまり事務仕事向きじゃないものね→性格が雑。座ってるより身体動かす方が得意みたいだし→落ち着きがない」

「あの、心の声みたいなのめっちゃ聞こえてるんですけど……」

 

 普通に怒られるのはまだ慣れているが、ちょっと理解ある感じで罵倒されるのは心に来る。もっとも、チードルのほうにはマオをいじめてやろうとかそういう悪意はなく、ただ単に事実を述べているだけのようなのだが。

 とはいえ、せっかくハンターになれたのだ。もっとちゃんとハンターっぽいことしたいし、今の環境ではお詫びどころか、給料もらってぬっくぬくだ。

 

「お願いします、俺も報告書を読むだけじゃなくて、なんかこう……すごいことしたいです!」

「……」

「一応俺の除念ってすごいことなんでしょう? 俺、役に立ちたいんです! じゃないとハンターになった意味ないし」

「それがあなたの本音? 事務仕事も立派な仕事です」

「でもぉ……」

 

 決して事務仕事を軽んじるわけではないけれど、向き不向きもあるし、できれば自分の得意を生かして皆の為になることをしたい。

 渋るマオを見て、チードルは少し考えるように眼鏡を指で押し上げた。

 

「……自分の能力に自信は?」

「あります! 頭使うこと以外!」

 

 これでも地元じゃ最強だったし、天空闘技場でだってそこそこの結果は残せた。馬鹿だ馬鹿だと散々言われてきたけれど、あのクロロだって念については認めてくれていた。ハンター試験だってちゃんと通った。

 

 あとはもう、お願いします! の気持ちを込めて、じっと目を見つめる。厳しいようでいて、チードルに結構甘いところがあるのを、マオは早くも知っていた。

 

「……はぁ、わかった」

「いいんですか!?」

「ええ、でも一人では任せられないわ。ちょうど知人から緊急で頼まれた件があるの→明日出発」

「よっしゃあ! いや、でもチードルさんの仕事って頭使うんじゃ……」

「それは私がやります。あなたは、そうね……自分に何ができるかを探しなさい」

 

 依頼の概要はこれ、と厚みのあるファイルを手渡される。流石に出発までに全部目を通すのは厳しそうだが、マオは早速ぱらぱらとめくった。

 

「……呪い? ってことは俺の除念が役立つかも!」

 

 クロロ達と行った遺跡の件も世間的には呪いだと言われていたが、結局蓋を開けてみれば念能力絡みの案件だった。というか、念を知らない人たちが、害のある念のことを“呪い”と呼んでいるだけなのかもしれない。マオや師匠がずっと“チーゴ”だと呼んでいたように。呼び方が変わっても本質的に同じものなら、マオにだってなんとかできるかもしれない。

 

「やったぁ! 俺、頑張ります! めちゃくちゃ頑張ります!」

「はいはい、期待しないでおくわ→肩の力抜くこと」

 

 ほとんど身一つで上京という旅はしたことはあるけれど、出張というものは初めてだ。全財産を持っていくわけにはいかないし、今から何を持って行くかしっかり選んで準備しなくては。

 

「とりあえず、今日の分の仕事、大急ぎで片付けちゃいますね!」

 

 意気込むマオに、チードルはほとんど苦笑いだった。そしてマオが頼りないとでも思っているのか、なんだかちょっぴり不安そうにも見えた。

 

「……本当に、期待しすぎないでね」



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とある呪い01

 眠ると死ぬ。具体的には呼吸が止まる。そんな呪いにかけられた赤ん坊がいるという。

 オチマ連邦北西に位置する、ぺルビンスク州のとある田舎町。その赤ん坊は母親から生まれた瞬間こそささやかな産声を上げたものの、その日の夜には顔や唇が赤紫色に染まり、ほとんどうまく呼吸ができていないことがわかった。もしも母親が町の産院で出産していたら、最悪手遅れになっていた可能性もあっただろう。胎盤の位置の関係であらかじめ帝王切開をする予定だったため、母親は数十キロも離れた総合病院に入院していた。今回、チードルに連絡をしてきたのはその総合病院の医師で、チードルとは学生時代の友人でもあるという。

 

「久しぶりだね。忙しいだろうに、わざわざ遠くまですまない」

 

 案内された応接室で待っていると、ややあって色白でひょろりとした体つきの男性が入ってきた。時刻はとうに午後二時を過ぎていたが、彼はようやく昼の休憩に入ったばかりらしい。彼の顔を見たチードルが、友との再会を懐かしむよりも先に説教モードに入ったのを見て取って、マオはついつい背筋を正した。

 

「あのねぇ、忙しいのはあなたのほうでしょう。まさか、昼食を抜かす気じゃないでしょうね?」

「まぁ、昼食と夕食には境目があってないようなものだし」

「あります→医者の不養生」

「相変わらずだな、君は」

 

 きっと学生時代から、同じようなやり取りをしていたのだろう。彼は肩を竦めて苦笑すると、チードルの隣のマオに視線を移し、初めまして、と挨拶した。

 

「セルゲイと言います。小児科医で、今回お呼びした件の担当でもあります。どうぞよろしく」

「こちらこそよろしくお願いします! 俺はマオって言います。チードルさんと同じハンターで、今は彼女の仕事を手伝わせてもらってます」

「はは、そうなんだね。彼女はとても厳しいだろう?」

 

 セルゲイ医師は茶目っ気たっぷりに口角をあげた。少し疲れた雰囲気があったが、そうやって笑うと彼の人の好さが伝わってくる。セルゲイ、とチードルが牽制するように名を呼んで、ようやく三人はソファに腰を下ろした。

 

「それで、患者の容体は?」

「常に酸素マスクで呼吸管理している。日中はまだ自発呼吸ができるようだが、新生児なんて一日の大半を寝て過ごすのが普通だからね」

「気管切開での管理は?」

「えっ」

 

 もちろん、それが医療行為なのだということはわかる。だが、いきなりチードルの口から飛び出した言葉は、一般人のマオにはだいぶ物騒に聞こえた。特に、それが生まれたばかりの赤ん坊に施されることを思えば。

 マオの表情を見たセルゲイ医師は、ゆっくりと頷いた。

 

「うん、わかっていても抵抗があるよね。新生児にマスクは緩いから外れたら大変だし、夜中だろうがずっと付きっきりで見てなくちゃならないことも伝えたんだが……それでもご家族は見ています、と」

「……そうね」

 

 ざっと資料で読んだ家族構成では、四十代の夫と妻、それから赤ん坊のほかに十歳になる娘がいた。今は十歳の娘だけを町に残して、夫妻は赤ん坊のもとに交代で詰めている状態だと言う。息ができなくなるなんて恐ろしい呪いだと思った。しかも生まれたばかりの子供に罪などあるはずもない。

 

 一体誰がこんな酷いことを。

 

 マオは膝の上で拳をぎゅっと握ると、意を決して口を開いた。

 

「その子に会わせてもらえませんか? 俺、もしかしたら助けてあげられるかもしれなくて」

「え?」

「呪いだって言われてるんですよね? 人にかけられたのはまだ解いたことなくて、上手くいかないかもしれないけど――」

「ここは病院よ→マオ」

 

 見れば、セルゲイ医師はぽかんとした顔をしている。もしや、普通の人の前で念の話はしてはいけないのか。でも、彼はチードルの友人なのだし……。

 マオは迷って口をぱくぱくさせ、それからすみません、と項垂れた。

 

「でも、もしかしたら俺も役に立てるかもしれなくて」

「いやいや、君の気持ちはすごく嬉しいよ。ありがとう」

「……あなた、ちゃんと読んだの?→資料」

「えっと、持ってきてはいます、ここに」

 

 パンパンに詰まったリュックを指して答えたマオに、チードルはため息をついて米神を押える。それから彼女は少し考えて「あなたは町のほうへ行きなさい」と言った。

 

「ええっ!? でも、赤ん坊は病院にいるんですよね!?」

「今のあなたには会わせられません。→断固反対。あなたは町で、十歳の娘さんのほうの様子を見てきてちょうだい。そっちも心配だから」

「でも……いや、ハイ。わかりました!」

 

 怨恨での線だとしたら、赤ん坊の姉のほうだって狙われる可能性があるかもしれないということだろうか。それに念が身体の内側に巣くうものであれば、触れることが条件のマオには除念できない。その場合は術者のほうをなんとかするのが手っ取り早いので、情報収集も大事になってくる。

 

「じゃあ、俺は町で聞き込みしてきます。夜にはホテルに戻りますから」

 

 どのみち、手伝いの身であるマオは彼女には逆らえなかった。少し不満を残しつつも、よっこらせ、と大きなリュックを背負う。

 

「ええ、そうしてちょうだい」

「僕からも頼みます。ヤーナちゃんは今、一人だから……」

「はい!」

 

 自分に何ができるかを探しなさい。

 今回旅立つ前に、チードル言われたことだ。マオは深呼吸して気持ちを切り替えると、ぺこりと頭を下げて応接室を後にした。

 

 

 

▲▽

 

 

 地主だから他人にお金を貸せるのか、お金を貸して、担保にされた土地を得るから地主になるのか。その順番はわからないけれど、アモソフ夫妻は代々この町の地主であり、同時に貸金業も営んでいた。そのため、都会の資産家ほどの豪華絢爛さはないものの、それでも教えてもらった夫妻の家は十分立派な構えをしている。十歳の娘一人を留守番させていられるのも、定期的に通いのお手伝いを呼んでいるからだそうだ。

 

「すみません。あの子はまだ帰っていなくて」

 

 マオがアモソフ夫妻の家を訪ねたのは、ちょうどその通いのお手伝いさんがやってきているときだった。お手伝いというと包容力のありそうな落ち着いたおばさんのイメージだったが、玄関先まで出てきてくれた女性は意外にもまだ若かった。大学生で、隣町に住んでいるらしく、ちょっとしたお小遣い稼ぎに家事を請け負ったらしい。そして肝心の、ヤーナという娘は留守のようだった。

 

「学校はもうそろそろ終わっている時間だと思うけれど、いつ帰ってくるかはわからないですね」

「じゃあ出直します、その間に色々聞き込みしなくちゃならないし。あ、そうだ。ついでに聞いてもいいですか?」

「えぇ、まぁ……」

 

 お手伝いさんは若干困惑した様子だったが、聞き込みをするという使命を帯びたマオは気にしない。ただ、勢いだけはあるものの、実際何をどう聞けばよいのかはいまいちまとまっていなかった。

 

「ええと、そうだな、なんていうか……」

 

 とりあえず、信用してもらうために自分がハンターであることは明かしたが、だからといって普通の人からすれば、得体の知れない人物であることに変わりはない。病院でのやり取りからして、大っぴらに念のことは話せないし……と考えたところで、マオは自分にはまどろっこしいのは向いていないと早々に諦めた。聞きたいのは、アモソフ夫妻のこの町での評判だ。彼らの子供を不幸な目にあわせた人物と、その理由が知りたい。

 

「ずばり、呪いの件なんですけど」

「はい?」

「何か心当たりはないですか? この家の人、恨まれてるな~とか」

 

 直球の質問に、お手伝いさんは思い切り怪訝な表情になった。

 

「なんなんですか、あなた」

「マオって言います、ハンターです」

「それは聞きましたけど、ハンターって結局のところなんなんです」

「う……」

 

 それを言われると、返答に窮した。マオはその答えを探している途中だからだ。まだマオは何者にもなれていない。遺跡ハンターでもなければ、難病ハンターでも、クライムハンターでもない。

 

「ま、まだ何をするかは考え中で……でも、アモソフ夫妻の力になりたいのは本当なんです!」

「知らないです。帰ってください。そもそも、私は料理の作り置きや掃除をするくらいで、この家の人とはほとんど関わりがないし」

 

 彼女は迷惑そうに眉をしかめ、ばたん、と大きな音を立てて扉を閉めると家の中に引っ込んでしまう。残されたマオにはどうしようもなかった。「聞き込みって難しいな……」反省。あんまり直球で聞くと警戒されてしまうらしい。ただ、確かにお手伝いさんの言う通り、この町の人間でない彼女は一家のことをよく知らないのだろう。手伝いを頼んだのも、生まれた赤ん坊から目が離せないせいであり、昔からこの家に通ってきていたわけでもないのだろうし。

 

「でも、手伝いを呼ぶなら、もっと近所の人に頼めばいいよな」

 

 少なくとも、マオの住んでいた田舎では、子供の面倒を見るのは村の大人皆でやることだった。お互い様の精神で、師匠が留守にするときはマオも近所のおばちゃんに世話になっていたし、その逆で他の子がうちに泊まりに来ることもあった。ここはマオのいた村ほどの田舎ではないとはいえ、それでも都会みたく余所余所しい人間関係でもないだろう。

 

「まぁ、とりあえず聞き込みを続けるしかないか。こういうときはどこに行けばいいんだ? 人が集まってそうなところ……ええと、ええと……」

 

 

 

 

 

「おばちゃん、ご飯おかわり!」

「誰がおばちゃんだって?」

「美人のお姉さん! おかわり!」

 

 マオがすかさず言い直すと、定食屋のおばちゃんは笑いながら茶碗を受け取った。特に何の確認もなく山盛りの白米を盛りながら、調子のいい子だねぇ、とぼやく。その横顔はぼやきとは裏腹に、とても愉快に感じているようであった。

 

「はいよ。お新香も追加しといたからね」

「やった、ありがとう!」

 

 情報が集まるところと言えば酒場。それはライセンスを取ったあとに教えてもらったハンター専用サイト「狩人の酒場」の名からして定番だった。だが、時刻はまだ酒を飲むには早い時間帯であったし、マオは酒より断然ご飯派だった。飲み屋のご飯も美味しいが、なにせ酒のアテが前提だから量が物足りない。そういうわけでマオはお腹いっぱい食べられる、ご飯おかわり自由の良心的な定食屋に行きついた。昼時からはやや外れているが、どうせこの町に定食屋は一軒だけなのだ。それなりに人も入っていて、情報を集めるのにもちょうど良さそうだった。

 

「ボウズ、いい食いっぷりだな」

「だってめちゃくちゃ美味いからさあ」

「それは嬉しいけど、白米食いながら言うなよな」

「親父、俺の奢りでいいからこいつに唐揚げつけてやってよ」

「マジ!? いいの!?」

 

 思いがけない幸運に、単純なマオは舞い上がった。どうも昔から、年上のおじさんおばさんに好かれやすいのだ。出された唐揚げをありがたく頬張りながら、ここでなら何か聞けるかもしれない、と考える。ただ、今度はなるべく直球な質問は避けたほうがいいだろう。一日に何回も同じことで怒られるのは、いかにマオが能天気でもつらいものがある。

 

「てか、これマジでうっま! ジューシーなだけじゃなくコクがあって……おっちゃん、これ味噌か?」

「お、よくわかったな。下味にうちでつくった特製味噌を使ってんだよ」

 

 店主は隠し味を当てられて嬉しそうだった。マオが今度うちでもやってみる、と言うと、ますます嬉しそうにした。

 

「お前も料理するのか」

「地元出てからやり始めたくらい。一人のときは適当に食ってたけど金もかかるし、数か月くらい一緒に住んでた奴がてんで家事できなくてさ」

「なんだい彼女かい?」

「ちがーう! そんなんじゃないって!」

「はいはい振られたんだね。じゃあ、こんな片田舎にまでやってきたのは傷心旅行ってやつかい」

 

 なんだかとても不名誉な方向に話が進んでいるが、同情のゼリーがおばちゃんから差し出され、マオは喉元まで出かかった否定を呑み込んだ。「あーもういいよ、それで!」一緒に住んでいたのが自分をストーカーしていた男だと言ったら、余計にややこしいことになるのは目に見えている。それに馬鹿正直にこの町にやってきた理由を話したら、先ほどの二の舞になるかもしれない。

 

「でも、田舎って言っても、俺の故郷よりは全然栄えてると思うな」

「そうかぁ?」

「俺んとこは、村長が一番偉いってレベルだよ。村長だけちょっと立派な家に住んでてさ。ここだったら、南の高台にあるおっきい家が町長の家だったりする?」

 

 南の高台にあるのは、アモソフ夫妻の家である。おっちゃんやおばちゃん、それから店にいた人たちの表情が一瞬、気まずげなものになるのをマオは見逃さなかった。

 

「まぁ、昔は地主がそのまんま町長だったんだけどねえ。ここも州の行政区に組み込まれて、町長は別に市のほうで選出されてんのさ」

「でも、そういうのってお飾りでさ。実際はほとんど町にもやってこないし、顔役はそのまま地主がやるだろ? 俺、しばらくこの辺うろうろするつもりから、ちゃんと挨拶しといた方がいいのかなって」

「お前なぁ、どんだけ田舎からやってきたんだよ。今時、そんなことやらないって」

 

 おっちゃんは呆れたように笑ったが、やはりその表情は先ほどまでの柔らかいものとは違った。

 

「あんまり、あの家には近づかないほうがいいよ」

 

 そう言ったおばちゃんの声も、先ほどまでの快活さが嘘のように潜められていた。

 

「なんで?」

「なんでって言っても……ねぇ?」

 

 困ったように顔見合わせる定食屋の夫婦。代わりにマオの疑問に答えたのは、それまで一言も話さず奥の席に座っていたお爺さんだった。

 

「……呪われてるんだよ、あのうちは」

 

 彼は湯呑を傾けて乾いた唇を湿らせると、関わらんほうがいい、と言い切った。それは酷いことを言っているはずなのに、どこか厳かで重みを感じさせる口調だった。

 

「呪いって、でも、そんなの呪った方が悪いだろ?」

「呪われるもんには、呪われるだけの理由がある」

「でも、子供が何をしたって――」

「知ってたのかい?」

 

 あ……と思ったときには遅かった。失敗。やっぱりこういうのは向いていない。観念したマオは顔の前で両の掌をぴったりと合わせた。

 

「ごめんなさい、ほんとは傷心旅行じゃなくて……俺はその呪いをなんとかできないかと思って、この町にやってきたんだ」

「なんとかって……」

「だって、その子は何も悪くないだろ? だから助けたいんだ、知ってることがあるなら教えてほしい」

 

 少なくとも、この定食屋の夫婦は良い人たちだ。喋ったからわかる。近づかないほうがいいと言ってくれたのもマオのためを思ってのことだ。

 

「そりゃ、私たちも可哀想だとは思うけれど、知ってることなんて何もありはしないのよ」

「金貸しなんてやってると、どこで恨みを買っていてもおかしくはないからな……」

「なら、アモソフさんちから金を借りた奴を当たってみるよ。ありがとう」

 

 ごちそうさま、と会計をテーブルに置き、マオはまた重たいリュックを背負う。そういえば、夫妻の情報ならあの分厚いファイルにもある程度載っているかもしれない。

 店を出たマオは、リュックからファイル取り出して、歩きながらぱらぱらとページをめくった。ぎっしりと詰まった文字を追うとどうも目が滑るのだが、夫妻に直接聞くにも彼らは病院だし、今の調子ではチードルは会わせてくれないだろう。

 

「あれ、そういや娘はどうしたんだろ、もう帰ったかな」

 

 あのお手伝いさんの警戒っぷりを思うと、もう一度家を訪ねるのはなかなか勇気がいるけれど……。

 マオがファイルに視線を落としたまま、くるりと高台のほうへ方向転換したときだった。

 

「痛っ」

 

 どん、と衝撃があって、思わず一歩下がってよろめく。驚いてファイルを持つ手をおろせば、目の前には尻餅をついた女の子がいた。

 

「え、うわ、ごめん!」

 

 マオがしゃがみ込むのとほぼ同時に、逆に少女は立ち上がった。ぱんぱん、と手でお尻を払った彼女の顔の半分は、長い髪で隠れている。「怪我してないか?」マオがそう聞いたのに対して答えるように、ぽと、と赤い雫が一滴地面に落ちた。

 

「え、ええっ!? 血!? ど、どこから!?」

「うるさい、これは関係ない」

「額? ぶつけたのか?」

 

 彼女が怪我をしているのは、膝でも手のひらでもない。髪で隠れた額が切れているらしく、よくみれば赤黒く髪が張り付いている。

 

「だから関係ないって――」

「いたぞ、あそこだ!」

「待てよ! 泥棒女!」

 

 声のする方をつられてみれば、そこには少女と同じ年くらいの少年が三人もいた。彼らはこの少女を追っているらしく、おまけに穏やかではない様子だ。

 マオは正直に言ってちっとも状況が呑み込めていなかったが、立ち上がってぱっと少女を抱え上げた。

 

「ちょっ! あんた、何して、」

「いいから! 逃げるんだろ!? 怪我してるし、とりあえず大人しくしてて!」

 

 事情を聴くのは、傷の手当てをしてからだ。病院らしい病院はあるのかわからないけれど、ここはとにかく逃げるに限る。少女はもちろん抵抗したが、マオだってこれでもハンターの端くれだ。

 

「放してよ! このッ! 変態!」

「人聞き悪いこと言うなよ!」

 

 その呼ばれ方は傷心旅行よりも、ずっとずっと不名誉だ。少女はなかなかに気が強いらしく、猫のようにマオの腕をひっかく。

 だが、それでも後ろの少年たちとの距離が開くと、暴れていた彼女は次第に大人しくなっていったのだった。



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