戦後は蒼く、戦時は紅く、戦前は疾く (かるませ)
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プロローグ

―重桜、神奈川県、横須賀市

 

その日は夏らしい日差しで体そのものが乾きそうになった。それにただでさえ私の肌は黒い。

それに祖父の提案でこんな所に行くのは少し気が滅入る。

 

「何じゃ、もうバテたのか?」

 

私の先を行く祖父が振り返って顔でだらしないとでも言いたそうにしてるのが少しムカつく。

そもそも、無人タクシーなりの交通機関使えば時間も短縮できるのに何故かわざわざ歩かされてるのはかなりムカつく。

それ以上にムカつくのはこの生臭い臭いだ。海が近い。息を整えようとしてもこの臭いでむせそうになる。

 

「あぁ、良い匂いじゃなあ」

 

どこがだじじい。こんな田舎に連れて来させやがって。しかも重桜って、今日日若者は来たがらないつうの。

道端の雑草が自己主張の激しい芸人よりうざったい。足に触れるのも嫌だ。

 

「この辺はなぁ、あえて近代化はしてないんじゃ。どうじゃ?地面の感触を生で味わえるのは?」

「最悪。砂利道だから滑るし靴の中に入って痛いし」

 

思わず生の感想を味わせてやってた。その言葉にえー。と口を尖らせる祖父。

 

「第一、私達の世代に言われてもピントが合わないよ。」

 

こんな田舎道は都会の空気を味わってる私には合わない。と主張してみるが、

「何じゃ、歩行随伴用アンドロイドでもレンタルすれば良かったか?」

「はっ倒すよ?誰が赤ん坊だ。」

「お、障害者差別発言じゃなー。」

 

このじじい口が減ることを知らないのか。そもそも障害者用だったら介護用って分類分けされてるだろうが。

 

「爺ちゃんはさ、そんなに好きなの?昔?つうか戦時が。」

 

その言葉を聞くと祖父の足が止まる。

 

「好きではなかったなぁ。だけど、あの時に出会った人達が好きじゃった。」

「ふーん。そういや爺ちゃん一応、軍属だったんだっけ?」

「引き抜きつうか飯炊き係のスカウトじゃ。」

 

何故自分から地位を低くする注釈を入れるのかが孫としては分からない。そこは自分の株を上げるところじゃ無いのか?仮にも私は孫だぞ?自分の祖父がしょうもない事してたとかその心境考えないのかこの人。

 

「わし戦争してないからな。」

 

「え、でも軍属だったんでしょ?」

 

「銃が意味ない、治療はボロを整える程度、そもそもあれは戦争だったのか。」

 

「は?戦争でしょ?歴史の授業でもそうだし、ほら。」

 

寄れ寄れと手招きして祖父が近づく。

持ってた携帯端末で検索ワードを入力して、代表的なサイトをタップする。

そこにはセイレーン大戦と記された戦争の歴史が映し出される。

アズールレーンはセイレーンという巨大組織及びレッドアクシズという連合軍にMC少女という戦力にて応戦。度重なる激戦の末、セイレーンを駆逐。レッドアクシズと和解し人類は平和を勝ち取った。と書かれている。

 

「ふーん。」

 

このじじい老眼鏡してるくせにすげぇ文面に興味なさそうな顔してやがる。

つか歩くの早いから。さっきまでの距離をいともたやすく作ってんじゃねぇよ。

 

「というか先輩待たせとるんじゃから、はよ歩かんかい」

「は?何?これ同窓会も混じってるの?」

 

そう文句言いながらも歩く。

そうして20分しっかり歩きまして無精ヒゲと髪がボサボサの凄い大柄な黒髪の(明らかにカタギに見えない)おじさんがいた。

 

「おっ、久しぶり。」

「お久しぶりです。チーフ。」

 

大柄なおじさんは随分と昔のタバコを吹かしながら私達に一瞥くれると目の前の光景に視線を戻した。

大きな軍港だった。それと同時に大きな廃墟だった。

もう何十年も使われていないのが容易に分かる。

その時代から取り残された施設を見ながらおじさんが口を開いた。

 

「お前も律儀だね。わざわざ来るか?」

「この時期は少佐の声を思い出しますからね」

 

少佐?誰のことだろう?

 

「そっちのお嬢ちゃんは孫か?」

「はい。」

「軍属にすんの?」

 

は?何かこの人今聞き捨てならない事言ってるんだけど。

 

「それは少佐に怒られそうですな。」

「はっ、坊主だったら間違いなくキレるな。」

 

坊主?若いのか?若いのに少佐?キャリア組とか親の七光りってやつか?

え、そんなのと仕事してたのうちのじじい。余計嫌なんだけど。

 

「あー。」

 

大柄なおじさんがタバコの煙を上に向かって吐いて私に視線を移した。

 

「キャリア組とかじゃねぇな。ありゃもうちょっと特殊だ。」

 

は?何この人。何で私の考えにすらっと答えてんの?

あれか?サイキックとか超能力者か?

 

「顔だよ。顔に出てる。」

 

えっ、と思わず顔に手をやる。

 

「お嬢ちゃん口は硬い方か?」

「え?あ、はい。言うなと言われれば父の浮気も黙ってましたし。」

 

ぶはっ、とおじさんがタバコの煙と一緒に唾を吹いた。

じじいが何それ初耳とか言ってるけど知らん。

 

「お嬢ちゃん戦争で何があったか知ってる?」

「セイレーンとかに対してMC少女って言う新技術の塊の兵器を投入した」

「教科書の答えだな」

 

何だこの人。いや待て顔を読んだのもおかしいが、その前におかしい所がある。

このおじさんどう年齢を逆サバ読んでもうちの爺ちゃんの半分くらいしか生きてない感じだ。戦争からもう40年は経ってる。

そんな人がチーフ?どんな計算したらそんな回答出るんだっていう意味不明な数式より頭が追いつかない。

 

「俺の事は気にすんな。」

「今に始まった事じゃないですしね。」

「え、余計気になる。」

 

私の言葉はまるで無視する様におじさんはまた一本、煙草。いや多分正確には紙巻きとでも呼べば良い棒に火を付ける。

 

「どっから話したもんかねぇ。俺も『話を聞いてた』箇所が多いから何とも言えんけど。」

 

「なんかまるで真実があるみたいな言い方ですね。」

 

「うん。まずねお嬢ちゃんMCが投入される50年前ぐらいの文明レベル言える?」

 

「蒸気機関ですよね?それぐらい常識です。」

 

「はい、今お嬢ちゃん非常識口にしてるよ〜。」

 

は?なんだこのおっさん。歴史の授業だったら討論会開くまでもねぇカリキュラムボードに叩きつけるレベルだぞ。

 

「蒸気機関なんてレベルの低いものからMC、あんな未知のもの開発出来るわけねぇでしょ?」

 

「いや、現に手にしてますし。それにMC技術の前に人類は発電も原子力とか色んな力を身に付けてますし」

 

「うーん、気づけというのも酷かな?スパンがね短すぎんのよ」

 

短いって何だ、この人頭イっちゃってる系のアホか?

 

「MCに届く前の技術達でも人類は到底処理しきれるもんじゃないのよ?しかもその時世界の『何処かの誰かが』発明したなら分かるよ?でもね。主要国家の全部が身に付けてるのよ。電気も太陽も再現して、エコロジーな発電方法もすぐに身に付けた」

 

「世界がそれまで仲良かったって事じゃないんですか?」

 

「お嬢ちゃん、宗教観とか人種を理由にして殺し合いしてた時代は学んだ?」

 

―む。

 

「くだらねぇ与太話で殺し合い。お互いがお互いを見下して見せ札はあれど決して持ち札は見せないで腹の探り合いはする」

 

なんかこの人の世界に対する見方が悲しすぎないか?あれかメンヘラさんか?

 

「お嬢ちゃんの学校の教室で当てはめようか。皆同じ点数出せて同じ勉強法してるなんて光景ありえるかい?」

 

いや、そんなん無理.......。

え?あれ?

 

「それが答えだよ。どこかで個体能力の優劣差は出来るはずだ、勉強法つうか観念が違うはずだから得意な部分と苦手な部分が結果になって露出する。じゃなきゃそれは異常だ。同じ塾に通って同じ講師から習った勉強法でもしない限り」

 

「いや、偶然って事も」

 

私自身可能性を口にしてておかしい事を言っているが、それでも否定しなければと思った。だってそれが現実なら……

 

「お嬢ちゃん、戦争前の世界は突然異常でしたって言うのかい?」

 

「いや、だって、『それ』が現実なら、人類は、」

 

「そう、人類は共通の講師を持っていた。そいつの名前は―」

 

–––セイレーン

 

暑い空気が立ち込める中、私は背骨に氷を突き刺されたのかの様な真実に目を張った。

 

おじさんがまっすぐこちらを見る。

 

「公式には発明から伝聞までのシナリオをしっかりと整理されている。電力はアズールレーンが原子力はレッドアクシズがって具合にな」

 

「じゃ、じゃあMCは?」

 

–––MC、メンタルキューブ。原子力を超えたエネルギーの塊。

 

開発は世界合同で行われ、各国家がエネルギーを流した事によりMC少女と後に呼ばれる人工生命体が誕生する事になった。

そしてそれ追い求めるセイレーンとの戦争の始まりでもあった。そう『教科書には書いてある』はずだ。

 

「何があったのか知りたいかい?」

 

「貴方が何者なのかが、どうでもよくなりました。貴方は誰で何を知っているんですか。」

 

「俺は劉、呼び捨てでいいよ。第1指揮官混成部隊、通称MFの飯炊き係のチーフ。お嬢ちゃんの爺さんの上司で、アイツらの忘れ形見だ。」

 

劉はどこか寂しそうに煙草を吹かしながら右を指差した。そこには影になる様に天蓋があるベンチがあった。

そこで劉も祖父も私も座ると劉が唇に人差し指を充てながら言う。

 

「絶対に口外しちゃダメだぜ?」

 

そうして劉は語っていく。

長い長い話になりそうだ。だけど、私は聞いてみたかった。

本当の歴史を、戦前から戦後までに何があったのかを。




はじまりはじまりー


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1話

人類が原子力を理解し、必要な土台を建造し、被爆対策も同時に行い、そのエネルギーが何に使えるのかプランニングしている時だった。

ある男がその話を聞き、様々な疑問を大量に書いたレポートを様々な所に配り回った後だった。

疑問の内容は端的に言うとこうだ。

何故その新技術は自国を含むほとんどの国が着手しているのか。という点だった。

それからだった。男の周りが不便になったのは。

まず銀行から解約の願いが来た。それを皮切りに周辺から白い目で見られるようになった。夜は視線を感じる。家を空けると物の位置がズレていた。電気と水道も勝手に止められた。

「あー、危険対象に選ばれちまったか」

男はそれだけ呟くと身の回りの物をとりあえず適当な質屋に売り払った。

その金は密入国の金にする事にした。行くのならユニオンだろう。前にメシを平らげる程ハマったのだ。だがコーヒーが不味かったからそこだけ覚えていようと記憶に刻みつける。銀行から降ろせた金は生活費にでもするか。と思っていたが、そうはいかなかった。

その手配をする東煌マフィアがぼったくりを始めたのだ。

「これで充分なはずだ!」

「いやいや、お前さん有名どころだぜ?アレだろ?色んなお偉いさんに余計なお節介かけたって言う」

軍、いや国の情報機密能力の低さに男は思わず頭を抱えそうになる。

こんなゴロツキにまで知れ渡ってるのなら近所の主婦にまで内情を知られているのも同然だ。

「別にいいんだぜ?こっちで生きてける保証があるのなら」

男は支払いを財布の中の4割から7割に変更したお陰で懐が寂しく感じる。

だが、いつトチ狂った軍人が自分に暴力を振るう事を楽しみだすか本当に分からない。

 

男は船の上で溜め息が出る。船内にいるつもりはない。タバコ臭そうという偏見で外にいる事にしたのだ。

電動スクリューの音と揺れの中一人の東煌マフィアが声をかけてきた。

ハンバーガーを持って、空腹は空いてないかい?と聞いてきたのはとてもそんな風には見えない風体だった。

無精髭に髪はボサボサ、それにガタイが良いとはこういうのを言うんじゃないかと言った頑丈そうな体格。

ハンバーガーはとても美味だった。肉汁が波で冷えた体に丁度いい。

「鉄血さんにメシ作るのは、これで初めてでしたんけど舌に味が合って良かったよ」

その無精髭の男の言葉に思わず、食べ尽くした虚空と男を見比べる。

これを作ったのかとかそういう言葉よりも真っ先に言わなければならない言葉があった

「あー、ありがとうございます。あの共通語で良いですよ。」

それを聞くと無精髭の男はたっはっはっは、と笑うと慣れていないであろう鉄血の言語からユニオンの言葉に切り替える。

「悪いね。こっちの言葉は二日前に習ったばっかでさ。」

「いえいえ、それよりバーガーとても美味しかったです。」

「有り合わせで作っちまっただけさ。それよかおたく何しにユニオンなんかに行くの?」

「実は完璧に居心地が悪くなってしまって、それより貴方の方が不思議ですよ。料理の出来るマフィアなんて」

そうか?とそう言いながら無精髭の男はタバコに火をつける。

「まぁ、俺は表稼業のマフィアだからな。」

「表稼業?」

オウム返しに頷かれる。

「別にマフィアがどいつもこいつもヤバい事に首突っ込んでるわけじゃねーの。俺はおもてなし役っていう料理人してるわけ。鉄血に来たのもなんか『特別ゲスト』に相応しい料理を作れって言われたから来たのよ」

さる高貴な方、料理通の、そんなワードを自分の記憶に当て嵌めるがピンと来ないでいると、無精髭の男が懐から一枚の紙切れ、名刺を取り出した。

「劉だ。料理で困った事があったら俺を呼びな。レシピ開発から経営、流通プランまで何でも対応してやるぜ」

劉はにかっと笑っていうと、男を上から下までじろじろと見た。

男は外套を来ているが、それなりのスーツを着ていた。一番愛着があるものだった。

それを目に入れると劉がまじまじと尋ねる。

「見たとこ運動の類はしてないみたいだな?タバコも嫌い?酒はビールかエール?」

その言葉に男はぎょっとした。その全部が見事に当てはまっているのだ

「何で、って聞きたいよな?襟に少しシミあるよ。匂いがちょっと混ざってるけど最近嗅いだ匂いだったからね。それにアンタ船内に入らない事選んでるだろ?簡単な推測さ、運動は重心。腰周りが軽く歪んでる。」

「それ料理に必要な技術ですか?」

「必要だよー、宗教の理解から酒の好みに地方の縁起の良し悪し、ひいては客の体調や御召し物。運動大好きなら味を濃くしないと満足頂けない事多いし、化粧が濃いのに油べちょべちょの出したらお化粧直しの理由にされてオーナーに怒られるし、後は充血したバカに酒は飲ませたくないなー」

「さいですか」

劉という男が見た目よりも細かな所に気を配れる事を知ると思わず笑みをこぼしていた。

すると、何か引っ掻くようなざらざらした音が劉から聞こえた。

ちょっとごめんよ。そう言いながら腰から何かを取り出した。

無線機器だった。それを見ると男は少し目を細めた。

「あーはいはい。それなら三番目の引き出しのやつ使いな。多分アンタの食いたい味になるはずだから」

同業者の文句をさらりと返し、通信を切る。

「本当味音痴だなぁ」

んべ、と舌を出しながら愚痴を漏らす。

男を見た劉が視線に気づき、楽しそうにしながら説明を始めた。

「これ良いだろう?電気技術の最先端よー」

「今度、更に小型化して性能も向上したのが出回りますよ」

男はまるでその現実が気に入らないのか吐き捨てるように言った。

その言葉に、え嘘?マジで?と劉が驚いたが、それ以上にある事に驚いた。

「何でそんな事知ってんの?」

男はしまったとは思わなかった。だが、少し深呼吸する。

 

男は自分の過去を話した。

男は科学者だった。正確には軍の元お抱え科学者。

鉄血という国は少しばかり選民思想が強かった。自国を過大評価して更にその上で特定の人種を過大評価したがる傾向があった。

肥大したそれは軍を通り越して国である計画を密かに始めた程だった。

どんな呼称がされていたかは男は忘れた。あまり興味がなかったのだろう。

内容はまだ覚えている。優秀な人間を更に『強化』するという研究だ。

それはありとあらゆる面でだった。身体能力、頭脳、反射神経、知識、精神面

男の担当は頭脳と精神だった。だがそれも100以上いるスタッフの一人だ。カリキュラムの誤差を確認するぐらいだった。

被験者は男が覚えている限りで25人。それぞれ第二次性徴期を終えたにしては伸び代がまだあると言ったぐらいだった。

実験は男が配属された時は順調だった。

だが、実験は失敗した。薬品の投入量を間違えたスタッフがまず最初だった。

その被験者達は身体中の穴から血を溢れさせて死んだ。3割が消えた。

次に上からの要求レベルが上がったのが原因だった。

耐えられない者が一人、また一人と増えていった。

自殺する者も出てきた。これが男にとってマズイ事になった。

男の担当するのも精神だった。だから、それを理由に他のチームメンバーが罪のなすりつけ合いを始めたのだ。

大きな集団を非難した軍への言い訳は小さな集団、そしてそれは個人にまで行き渡った。

結果として男は計画破綻の原因の一人として名を連ねていた。

計画は今も燻っているだろう、だが男はもう関われない。

それから男は慣れない雑務が専らの仕事だった。

計画が一時頓挫して3年だろうか、電気技術躍進の話が出てきたのは。

それから様々な物が出てきた。男のデスクも技術進歩の恩恵を得ていた。

仕事が楽になるのは良いが少し可笑しな事を同僚から耳にした。

 

–––この技術、重桜も東煌にも出回ってるってさ

 

「それって何かマズイの?」

劉の疑問は素朴な物だったが男はすぐさま答える。

「東煌は知りませんが重桜この間ガス灯がついたばかり気がつけば鉄血と同じ物をもう使っている」

「詳しいな」

「重桜の文化に詳しい同僚がいましたので」

話は本題に戻る。重桜が鉄血と同じ文化レベルになっている事だ。

劉は単純な回答を出す。

「国が買い取ったとか?」

その言葉に男は首を横に振る。

「劣化品ならばあり得るでしょう。ですが知り合いのツテで見せてもらったそれはまごうこと無く同レベルの代物でした。それに…」

「それに?」

男は劉が腰につけた無線機を指差す。

「それも鉄血で出回っています。ですが、『それは』ユニオン製ですよね?」

劉の顔色がようやく変わったように見えた。男の言いたい事が分かってきたのだ。

「なるほどね。アンタが言いたいのは。まるで『見本がある』みたいに皆が同じ物を作ってるのが不気味だったのか」

「しかも、技術躍進のスピードが尋常じゃない。」

「そこも異常に感じるのか」

男はこくりと頷く。

普通ならば何かしらの停滞期なり伸び悩みがあってもおかしくない。だが電気技術と同時に放送という概念に鉄血はすぐさま着手した。

次に交通、物流に携わる物を、そしてすぐに通話、その通話に対する情報の収集、これらが僅か2年だったのは記憶に新しい。

「今は放送は大道的なモノですが後一年もしないで劉さんの寝床で見たい情報を見れるようになるでしょうなこのスピードだと」

「そいつは便利だ。だが、アンタは気にいらねぇんだな」

「これが国家間で行われている出来事なら私も文句は出ない。ですが最初に話したように鉄血という国は我が強い。あの国が手を取り合って?仲良く?冗談を言うのも馬鹿馬鹿しい。一体自国に幾つ隠し事をしているのかもわからない国がですよ?」

「隠し事が世の常、宗教の違いで殺し合うのが日常、色と種が違うから非難するのは常識だろって話か」

「それです。それなのに世界は今不自然になっている。そして今や新しいエネルギーを仲良く着手しようともしているのです」

男の慟哭にも似た嘆きが海に響く。劉がまた新しいタバコに火を着けた。

その顔はとても楽しそうで、とても愉快だとでも言いたそうなそんな顔だった。

「アンタユニオンで何する気だよ?選挙活動?反対運動?いや違うな。だったら密入国なんか企てねぇ」

答えを聞かせろよ。そう言いたげな劉の言葉に男は拳を振り上げる。

「出来る事を、私の手の平で出来る事を何でもいい。今未曾有の異常事態に気付いて、そして国から爪弾きにされたのは恐らく私ぐらいでしょう。可能な事をやってみせます。どんなみずぼらしい事でも。」

「はっ、カッカッカッカ!」

劉がこれ以上なく笑ってみせた。それと同時に息をすぐに整えて男を見る。

「俺が料理を作ったって話はしたよな?」

劉の言葉に男は頷く。劉はタバコを捨てて誰に作っていたのかを語った。

 

–––それはとてもこの世のモノと思えない綺麗な女二人だった

 

正確には劉はその女達を見ていない。だが、女達の顔は知っていた。

劉は鉄血という国に来る羽目になったのは、実力が噂になっていたのが原因だった。

薬となり肉となり血となりそしてそれは清らかな海となる料理人。それが劉のキャッチコピーだった。

オーナー、正確にはマフィアのユニオン支部の頭目が鉄血だけでなく、ユニオン、ロイヤル、東煌、重桜、他の国々から多額の献金が渡されて、劉の貸し出しを求めた事がそもそもの始まりだった。

マフィアもバカじゃない。それだけの国が相手を不機嫌にさせるわけにはいかないと躍起になっているのだ。調べる必要がある。

だが、対象の顔は分かったがそこからは本当に異常だった。

どれだけ人物のリストを漁ろうと、情報屋を使おうと、その二人はまるで『湧き出た』ように急に現れたのだ。

出身国不明、顔的特徴から人種の割り出しも不能、金の出所はそれ事態がない。

それなのに国がまるで崇める様に金を提供しようとした素振りがあるが、それすらも受け取っていない。

結局、劉がユニオンから鉄血まで行くのに何の情報も得られなかったのだ。

そして、劉はその二人に話をして、その上でどの料理を出すかを護衛に話した。すると、

「彼女達は魚以外がご所望だ。それさえ破らなければどんな料理でも問題ない」

その言葉に舌打ちしそうになる。劉の観察眼なら接触は出来なくても少しでも見る事が出来るなら相手の腹積もりに勘付ける。それはオーナーからの命令でもあった。

仕方がないと思いながら肉料理を中心としたコースを組み立てて処理する。

毒味はありえるから、無謀な真似は出来ない。嘘を言わない自分の腕で勝負する。

得意な東煌料理、ユニオンで学んだ料理、重桜の面白い料理

それらが全部、二人の女性の元に運ばれて行くのを見て歯痒い気持ちになった。

だが、1時間後に護衛の黒スーツが劉の所に来た事で話は変わった。

「彼女達がお前を見ておきたいと仰せだ」

やった。少しはこれで上から文句を言われずに済むと顔には出さないがガッツポーツを作る。

二人の前に足を運んだ。

「「はじめまして、料理人さん」」

女達は二人揃って挨拶をした。二人とも喪服のように顔を隠して真っ暗な服装だった。肌の露出もない。こちらの対策は完璧かと口元が歪む。

劉も慣れない鉄血の言葉で挨拶をしようとするが、手を前に出して、それは不要というジェスチャーをされた。

「二品目、結構な味だった。重厚な肉汁、久々に美味いと思わされた」

「私はデザートね、薄い味が続く事をこれほど美味しいと思わされたのは初めてだわ」

女達が感想を言い終えるとくいっ、と近づいて来い。と指示をする。

「昂りを感じた、そして同時に脈の一つ一つが水の様に清らかになった」

「驕りを感じなかったわ、多様性の料理に世界に対しての敬意を感じたわ」

女達はそういうとポケットから何かを取り出してテーブルに放る。

小さな5センチぐらいの水色の四角い箱だった。透き通る海の様な色で模様も静かな波の様に見えた。

8個あったその箱を指差して女は言った。

「これを差し上げるわ。」

貰う物はもうとっくに貰っている。その上でこれは追加報酬と捉えていい。

だが、それに手を出すのがどうしても危険だと体が告げている。

「大丈夫、それは持っていて損はしないわ。得もしないわね。だけど、きっと面白い事に繋がるはずよ」

「貴方、もう『すぐ帰ってしまう』のでしょう?」

劉は内心で舌打ちをした。こちらのスケジュールを把握されてる。

という事はこちらの組織の動き自体この二人は知っている可能性が高い。

しかもその上で放置しているという事は彼女達にとって自分の組織は眼中にないと言っているようなものだ。

「恐悦至極」

それだけ告げると劉は小さな8個の箱をかっぱらう様に持ち去っていった。

 

 

「恐らく、あの女達だろうな」

「と、言いますと?」

劉は男の言葉に目を開いて吹き出す。

「お前さんの言う、『見本』を持ってきた奴だよ。」

ああ、なるほどと手を合わせるが男の中で疑問が宿る。

「箱は?」

そう、話に出てきた水色の箱。それがどうなっているのかだ。

「ん」

そう言うと劉はポケットから4個の箱を男に渡した。

「やるよ。多分、アイツらからアンタが答えに近づいた報酬だろ」

「それはなんとも、ムカつきますな」

その言葉に劉も頷く。

だが、劉の言葉は間違っていない。劉の帰国ルートは正規のモノを使えば、どの国家の刺客に口封じをされるか分かったものじゃない。黒服の護衛達も劉が何かを渡されたという事実は外部に漏れているだろう。追い剥ぎの可能性も捨てきれない。

だからこそ、こんな密入国船に同乗しているのだ。

そして、女達は国家の動きも把握している。女達の耳にも男が出したレポートは耳に入っていた。

つまるところ女達はこの二人が出会う事を見越して水色の箱を渡していたのだ。

「さっき、名刺だけで悪かったな」

「は?」

名刺だけ渡すのは劉の中では社交辞令である。その先のある言葉が無ければ劉に繋がるルートは絶たれる。そういうマフィアなのだ。

「『大臣にお目通りを』そう言わなきゃ消されるんだ。俺のマフィアじゃ」

劉が首を親指で切るジェスチャーをする。その言葉に男は固唾を飲んだ。

「大臣ですか」

「まぁオーナーに口答えしていいの俺ぐらいだしなー」

それがどのレベルの地位にいるかを察せる言葉であった。

「劉さんは、この後どうされますか?」

それは素直な疑問だった。恐らく自分のオーナーに事のあらましを話すのだろう。

だが、『異常事態』にどう向き合うのかが気になった。

「悪いけどは俺は力なれねぇよ。だけど必要な物があるなら工面してやってもいい。」

「『経営から流通プラン』までですか?」

男はにやっとした顔で言うと劉もツボに入ったのか爆笑して答える。

「いいぜ。オーナーには話をつけてやるさ。気にいるだろうしな」

パトロンが付くのはありがたい話だった。だが間違いなく成果をある程度出さなければ消されるだろう。

そう男が今後の事を考えていると、劉が鼻をすんすん。とわざとらしく動かした。

「おたくここで待ってな。少しうるさくなるから」

はぁ。と生返事をすると劉は船室に戻る。

それから10秒あったかどうか、どぼんと何かが沈んだ音が一回、断末魔も合わせたハーモニーのBGMが流れた。

1分間、結構な鈍い音や何かを叩きつける音がして、男は思わず身構えてしまうが、のそっと出てきた劉の姿に血の気が引いた。

少し上着がボロボロになっているが、それ以上に酷いのは血塗れの顔面だ。それでいて劉はさっきまでと同じ笑顔を作って事のあらましを言い始めた。

「いや、悪いね。金がめといてさ、予定の針路からだいぶズレてるから話聞いたら。アンタと俺売り出される一歩手前だったよ」

「は、はぁ?」

劉の話はこうだ。あのまま今の針路を取っていたらユニオンの尖兵に回収される手筈だったらしい。

鉄血の元お抱え軍人とゲストに出会った料理人。微々たる情報だが、そこそこの見返りがあったらしい。

「ここ辺りは前に遭難しかけてね潮の匂いを覚えていたんだ。いやあ、少しルート変わるけど別段問題はないよな?」

目がぎらりと輝く。まだ余韻が残っているのを男は察すると黙って頷いた。

 

 

それから三週間、沢山波に飲まれて随分時間が経過して体力が削れたが港から劉の駆る車に比べれば生易しいというのが良く分かった。

「いやぁ、すまんねぇ。俺は料理以外テキトーなのよ」

弾む様な声音で『男の方を』向きながら劉がこれでもかというぐらいの乱暴な運転をする。

「前!前見て!」

男は何度も前を指差す。何度車と接触しかけたか分からないが目的の場所に着いた。

帝龍、と看板が掲げられた店だった。

劉は男を手招くポーズをしてから二人は入店する。

綺麗な店だった。男はこのタイプの店は初めてなのもあって灯りが少し幻想的でどこか現実から切り離されてる感覚があった。

中には大きなテーブルとぽつんとモノクルをした東煌系のご婦人が一人いた。

「お帰り、劉」

「ただいま戻りましたオーナー」

そう言いながら劉が大袈裟に頭を垂れると男も合わせる様に頭を下げた。

うふふ。と二人を見ながら彼女は笑う。

男はボスが女性とは思わず、その会話に驚くが言葉には出さない。礼を失してはいけない。

彼の心情は置き去りにして主従の二人が言葉を交わす。

「初めてね、劉が友達を連れてくるなんて」

「それについてなんですが、オーナー、少しばかり話を聞いてもらっても?」

「勿論よ、少しは実りのある旅だったのでしょう?」

ええ、そりゃまぁ。と言う劉を見て二人の話を聞くオーナー。

 

聞き終えるとご婦人は扇子を広げて顔を仰ぐ。

「二人の情報は空振りか。」

「そうですね。魚を余程食ってたかもしれないって事とそれを改善させる為に物流を改善させたのっかってのが鼻につきますね」

「それと頭打ちが見えるまで無駄な金は使わなくても良いという事が分かったぐらいか、劉、箱は?」

オーナーに言われると水色の箱を手のひらの上に出す。

それを見ると、扇子を畳んでじろりと見る。

「学者さんアンタこれを何だと思うね?」

問われて男は回答に困っていた。一つずつ分かりやすい事は口に出せるが明確には言葉が出ない。

「食品ではない事は確かかと」

やっとの思いで出た言葉がそれだった。

劉とオーナーが二人揃って笑う。それはもう爆笑だった。劉がテーブルを思わず叩いた。

その反動で箱の一つがコップの中に入る。その中身が跳ねてご婦人の顔に水をかけた。

劉も男もしまったと声を出す前にオーナーは目を張った。

それは二人に危害を加えるものではない。

目の前で起きた出来事に驚いたのだ。

「これはどういう事だい?」

その言葉に二人が身を乗り出してコップの中身を見る。

その中身は空だった。いや待ておかしい。コップの中身は跳ねてお顔に水をかけるぐらい注がれていたはずだ。

つまりこれは箱が水を吸収したという事だ。だが5センチの箱は何一つの潤いも膨らみも見せない。変わらぬように乾いて硬い真四角でいた。

そこでオーナーが劉の話を思い出す。

「待てよ、劉、アンタこの箱を持ってても損しないし得もしないって言われたんだよね?」

それに劉が頷く。

「それは使い方を見出さなきゃ何にもならないって意味なんじゃないかい?」

使い方?と男が聞き返す前だった。オーナーが箱を見て目を凝らす。

「こいつは『今用意している』見本とは違う見本なんじゃないのかい?」

だとしても、男は言葉が出そうになる。

今の人類は見本を与えられてそのノウハウを理解しているに過ぎない。

その流れを繰り返すのなら、いつかその見本が渡される可能性があるのだ。

「しかし、そんな先回りされるかもしれない物を何故……」

男の疑問は尤もだ。まるで相手は誘導している。

いや分かっていて仕掛けていると言えるのかもしれない。

「単純に嘗めてる。って受け取っても良いんじゃないかね。学者さん、街の外れにウチの息がかかった研究所がある。悪いけど当分はそこで勤めちゃ貰えないかい?衣食住は保証するよ」

男はその言葉に頷くが同時に疑問が沢山残る、そんな顔をしているとオーナーが煙管を取り出しながら笑ってみせる。

「間に合わせてみろ。まるでそう言いたげだね。いいさ、このケンカ買ってやるよ」

それだけ呟くとふふっと笑ってみせた。

 



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2話

キューブレポート

 

1日目

研究所、というより元は恐らく銃の違法改造やブツの受け渡し地点だったのだろう。色々と伺えるものが散乱している。

 

とりあえず片付けが必要だ。

 

材料、問題なし、機材、問題なし、こんなものだろう。

 

これからこの水色の箱を調べる。変化と言える出来事は記述して行くつもりだ。

クライアントとのアクシデントを確認するように水を浸してみる。そうすると水はまるで箱に取り込まれた様に吸い込まれていった。

吸水力があるのだろうか、今度は様々な液体で試してみる。

ヒ素等の毒には何も反応なし、ただアルコールと砂糖水は水よりも比較して吸水が速い。

糖分を欲しているのか?

 

3日目

溶かした金属を流し込む。これも吸い込んでいった。

箱の見た目に変化はないが、重さが倍になった。

まだ手で持ち運べるレベルである。

 

10日目

劉さんが遊びに来た。その時吸っていたタバコの煙が逃げるように箱から遠ざかったのが見えた。何故かはわからない。

 

11日目

火を近づけてみる。火の一部をまるで吸い込む様な動きが見られる。煙は逃がしている。

見た目、形状、感触、いずれも変化なし。

 

20日目

電池から直流で箱に電気を流す。

最初、異常な輝きを見せたがそれも一瞬の出来事だ。

僅か3秒で電池の中の電気は消えた。これは確認する事が多い。

 

30日目

一通りの確認は済んだ。大量の電気エネルギーを流す事が決定した。大型の発電機だけじゃ心許ないと私が言ったのも原因だが、かなり原始的な発電方法でカバーする事にもなった。

 

31日目

場を変えて発電所に、時は深夜。

結構な額を渡したのか職員がぺこぺこしていた。脅してる可能性もあるな。

場のスペースを作り、箱を設置。街に流す電流を箱に、深夜の出来事なら気づかない人間の方が多い。

箱の波模様が揺れ動いたのを確認。続行。形状に変動あり。

何かになろうとしている。元の大きさから数十倍に膨れ上がるところで実験は一時中止、ユニオン軍か警察機関か分からんが横槍を入れられた。

 

45日目

まだ逃走中、近くのアジトには戻れない。変容した箱があるから姿を隠そうにもままならない。

もう飲まず食わずの寝ずで歩き回っている。緊急用の狼煙は上げた。回収しに来てくれるはずだ。

箱はまだ膨れ上がった姿でいる。

箱が収縮する可能性もあったが今のところ変化なし。

 

55日目

逃走中変容した箱を担いでいたスタッフが妙な事を言い出した。

暖かいらしい。私も触って見る。ぬるま湯、いやそれよりも少し低い。

だが箱の時には無かった熱だ。何かが変わっている。

 

60日目

逃走劇は終了。劉さんが回収に来てくれた。来てくれたのはいいが。この人何発か撃たれてるのにピンピンしてる。どういう事だ?

腹部と頭部から出血があったように見える。だがまるで何もなかったのようにしてる。

なにはともあれシャワーを浴びたい。メシも食いたい。野草は嫌だ。肉を、ソーセージを食いたいと思ってたら劉さんからホットドッグを渡された。

ソースが辛めで美味い。ウィスキーともよく合う。

この半月本当に生きた心地がしなかったが料理とは人間として生きている事の証明なのではないだろうか。そう思う。

 

61日目

変容した箱を研究所に計器を通している時だった。計器が異常な数値を示した。

ここでようやく気づいた。私を含めてスタッフは勘違いをしていた。実験は一時中止になったと思っていた。だが、違った。もう完了していたのだ。

どうやら充分なエネルギーを流し込めており、後は時間を必要としていたのだ。

箱は形を変化させ、その色は東煌系、重桜系独特の肌の色に変化する。

紫を基調とした東煌系デザインの服に身を包んだ小さな女の子だ。

東煌の人間だろうか?

私はそっちの言葉はまだ未習得なので他のスタッフが質疑応答する。

以下、事実なら原文ママ

 

「お前は何者だ?どこから来た?」

 

「寧海級のネームシップ寧海、貴方達が私を目覚めさせた」

 

「寧海級?何だそれは?」

 

「……ごめんなさい。今は何年かしら?」

 

「1877年だ。それがどうした?」

 

「私はイレギュラーだという事が分かったわ。貴方達は『気づいた』人達なのね」

 

「気づく?何に?」

 

「世界が今異常であると言った方が良いかしら?今技術分野はどんな形なのかしら?」

 

そこまで私に伝えたが、助けを乞う様にスタッフが見て来たのでありのままを伝えた。

世界は原子力というエネルギー(彼女曰く、核とも言うらしい)を手にしたというのを伝えると顔色が変わった。

 

「マイクロ波発振器は?」

 

「何だそれは?」

 

「船や飛行船の位置を探る機械よ」

 

そんなものはない。つい先日民間テレビ放送という技術が確立したぐらいだ。(新聞で読んだばかりだが)

電信、電話、電動モーターもついでに教える事にした。

 

「かなりすっ飛ばしてるわね。何が望みなのかしら……」

 

と呟いていた。

少女から多くの話を聞く必要があったが少女、寧海の空腹を伝えるその音で質問は止まった。

私は好きじゃないが東煌料理の焼きそばを食べる事にした。寧海はよく食べた。固い。

スタッフの一人がふざけて酒を勧める。どうみても成熟してない体は未成年のそれだと止めようとしたが、これまた良い飲みっぷり。

続きは明日だ。

 

62日目

おかしな話をしている少女だと思う。今私達、『人間』は間違った歴史を『何度も』歩まされているというのだ。

だが、不思議と私には納得のいく話だった。

劉さんがもてなしたゲストの話を伝える様に言うと顔を歪める。

寧海はそいつらの呼称を教えてくれた。セイレーンと言うらしい。

ではセイレーンの目的は何か、それを聞こうとすると黙り込んでしまう。

一部のスタッフがその態度に怒りを覚えるが、恐らくは違うのだろう。

私の言葉を翻訳してもらうと寧海は静かに頷いた。

やはりそうだった。彼女には到底分からないのだ。

セイレーンの目的も、世界をどうしようとするのかも

寧海の好物という事で肉まんというものを全員で食す。美味。

 

63日目

オーナー、クライアントが視察に来た。

クライアント自身の目でその少女と話をしてみたいというお願いを無視したら死ぬので私と翻訳の立会いのもとで話を聞いていた。

以下、事実なら原文ママ

 

「アンタは何ができるんだい?」

 

「シンプルよ。戦争ができるわ」

 

「戦争?銃の扱いに長けていると?」

 

「銃、じゃないわ。砲よ」

 

そういうと寧海がどこからともなく腕に巨大な銃身(言葉を借りれば小さいが砲身)を出現させた。

思わず体が動くが、それをクライアントに制された。

 

「これは貴方達が想像してるような安い威力じゃないわ。それに私自身も充分な戦闘力があると断言できる」

 

「それを使ってここを出て行かなかった理由は?」

 

確かにそうだ。そこまで断言出来るのなら何故?

その言葉に寧海が答えた。

 

「貴方、良い部下を持っているわ。普通、私みたいな化け物を見たら気が動転するのに一切攻撃行動に出なかった。その行動への敬意よ」

 

注釈を入れると、みんな見惚れていただけである。

後、敬虔なサタニストも病的なクリスチャンもいないし、箱から出てきたモノに驚いた奴はもれなく飯を奢るという話になっていたのが原因である。

続き

 

「アンタは何者だい?包み隠さず教えな。」

 

「信じてもらえないでしょうけど、ずっとずっと未来で生まれる生命よ」

 

「その言葉だと100や200じゃ都合は効かなそうだね。」

 

「ええ。一応語ってもいいかしら?」

 

クライアントが頷くと長々と歴史を語った。特記すべき事だけ記入する。

まず後半世紀は中性子は手にする事が出来ない事。世界大戦と呼ばれる戦いを二度と行う事。その後も北方連合とユニオンの戦争等もあったが、それも終結すれば後は世界は割と穏やかであるらしい。だが、そうでなくなるプロジェクトが始まった。

 

「穏やかに生きた人々はある研究を始めたの。昔、存在した過去の英霊達に謝辞を伝えるという計画だったそうよ。早い話が科学的な降霊術みたいなものね。でも、それは別の形になった。」

 

「それがアンタ達なのかい?」

 

「死んだヒトは呼び出せなかったのよ。代わりにヒトに近い意思を持つ私達が引き寄せられ、具現化した。そして私達を通してヒトは英霊達を宥めていったわ」

 

「じゃあ、セイレーンてのは何なんだい?」

 

そうだ。セイレーンが彼女を生み出す箱を持っていた事。それが謎だ。

どういう関わりがあるか、それも問題である。

 

「どこにでもいるのよね。限界を計ろうとする者が」

 

「限界?」

 

「口伝だけど、引き寄せる対象をヒトにしたから私達は産まれた。ならばそのベクトルを変えた場合は?それが悪夢の始まりだったらしいわ。今となっては何を引き寄せようとしたかも不明よ。」

 

「セイレーンは未来にいるのかい?」

 

「えぇ、ずっと遠い未来からここまで幾つかの空間を経由して『この時間』に辿り着いているはずよ」

 

「ふざけた話だね」

 

その言葉にまったくだ。と思っていたが寧海が少し黙る。

 

「どうしたんだい?」

 

「あ、いや、『こういう話』をね沢山したの。でも、いつも結果は同じだったからちょっとね……」

 

同じ結果。その言葉から察するにもう彼女は何度も『人間』にこの話をし続けたのだろう。

その度に偽りだと認識されたのだろうか、だがクライアントに疑えというのも無理がある。

少しばかり常軌を逸した事柄が重なっているのだから。

 

「悪いが、アイツらが出自不明でいきなり湧き出たっていう現実を知ってる身としては半分は信じなきゃアホな話だ」

 

その言葉に少し寧海の顔が明るくなる。希望が持てたのだろうか。

 

「お婆さんはどうするつもりなの?」

 

「私かい?そうだねぇ、とりあえず喧嘩は買ってやるよ。飛び切りの良いのを用意してね。眼中にないって動き、最初から喧嘩相手にもならないって考えてるんだろう?」

 

クライアントの顔がかなり怖い事になってる。これは間違いなく相手が苦しんでも泣いても殴り続ける様なそんな表情だ。

 

「その為にもアンタから相手の動きを知る事が先決だ。アンタ戦争が得意って言ったけど、今セイレーンと喧嘩しても勝てるのかい?」

 

「無理ね。」

 

即断だった。表情は自信が無いという物ではない。冷静になっているのが伺える。

 

「いざとなればアイツらは自分の駒を大量に呼び寄せられるわ。単騎でも現状のスペックは6:4で私が負けてると思う」

 

「一応銃火器ならある程度製造は出来てる」

 

「その様子だとメンタルキューブをかなり丁寧に扱ったのね。悪いけど無駄よ。弾道ミサイルでも無いと骨折もしないわ。良くて火傷よ」

 

何か新しい用語が出てきた。弾道ミサイル?メンタルキューブ?

 

「弾道ミサイルはその内分かるわ。情報の塊にしてこの世界のありとあらゆる情報の海と接続を可能とするブラックボックス。それが海色の箱、メンタルキューブよ。」

 

「黒く無いが?」

 

「代名詞よ。頑丈で一定以上機密を保持する箱をそう呼ぶの。その箱の頑丈さは今貴方達が持っている銃火器じゃ傷もつかないわ。勿論私達もだけど。」

 

ダン!ダン!ダン!ダァン!とここで暴音が響いた。

ここまで書いて、クライアントが腰にしまった銃をゆっくりと抜いて寧海に4発撃ち込んでいたのだ。

だが、それらは寧海に当たったのだ。しかし、潰れた弾丸が四発。寧海の肌にぴとりと付いてゆっくりと地面に落ちていった。

 

「なるほど、これは確かに戦争が得意そうだ。」

 

「撃つ前に一言欲しかったのだけど。」

 

それは私も同意したい。

 

「いや、世の中気を張ってりゃナイフが刺さらないバカが居るからね。その類いかと。」

 

「どんなバカよ。でもまぁその予想はいいセン行っているわ。」

 

精神的にある程度安定していればどの方向から同時に撃たれたとしても先程と同じ状態になるそうだ。

何でも目には見えず手にも触れれないが膜があるらしい。(マイクロ発振器はそれを感知する機械でもあるそうだ。)それを貫通するには同じ膜で相殺しなければ届かない。

そしてそれはセイレーンも同じだという事。必然的に彼女の様な存在に手を貸してもらわなければどうにもならないのだ。

 

「アンタのそれ生えるのかい?」

 

それとは寧海の大砲の事だろう。それを聞くとしかめっ面というのが適切な表情で応える。

 

「良からぬ事を考えてそうだから言うけど、メンタルキューブと接続して連動してない限りセイレーンには届かないわよ?」

 

「ふーん。練丹って分かるかい?」

 

「少し的を外しているけど面白い発想言うのねおばあさん。」

 

この二人は色々と話が通じるところがあるらしい。

クライアントも気に入ってる様子だ。私も翻訳のフェイ君もさっぱりだ。

 

「って事はセイレーンも同じって事かい?」

 

「でも絶対に違う所がある」

 

「というと?」

 

「上位種を除いてその動きはまるで動物、いえ昆虫よ。仲間の死体だって武器にするような奴ら。精神が『ブレない』以上空腹だろうが手足がもげていようが戦闘を続けるような奴らね」

 

「はっはっは、いいねぇ。尊厳と痛みがないと来たか」

 

「自爆戦術は基本として完璧に同種に対して何の愛着も情も無いわ」

 

それを聞いて少し冷や汗が出た。彼女のその言葉の意味は、と私がごくりと唾を飲んだ時だった。

寧海に指をさされた。少しどきりとする。

 

「そう、物量は絶対的に向こうが上!」

 

「はしゃぐな。それで一応聞いておくよ、アンタ達は『何回負けた』んだい?」

 

何回?聞き間違いかと思い通訳係を見るが否定するように頭を横に振る。

それを聞いた寧海の顔が沈む。

 

「何で分かるの?」

 

「何、昔よく見た顔だったからね。一回や二回じゃ数が効かないんだろうなってね」

 

「……残念だけど、もう覚えていないわ。気が遠くなる回数負けては、また人が過ちを繰り返して、世界の為に戦えと言われて、その度に『壊れた』」

 

「不思議だねぇ、負けた記憶があるのかい?」

 

「うん。『最後』の私は結構頑張ったのよ、これでも。でもダメだった。」

 

「自分でそう言えるならいっぱしじゃないか。」

 

「どこがよ……負けて、妹が死ぬ姿を見て、自分が殺されて、それのどこが……」

 

「そうだねぇ、負け戦しちまってるのはいただけない。けど……」

 

その言葉にクライアントの煙管を取り出して、火を点ける。

 

「今度はあたしがいる。そこが今までのアンタと世界の違いだ。」

 

「は?」

 

「異常事態に気づいたのは、そこの学者様だが、それの雇い主はあたしだ。」

 

「だから、何だって……」

 

「そうだ。何だっていい、あたしらにほんの少しでも勝ち方を教えな。」

 

「勝ち、方?」

 

寧海がそこで目を丸くしてクライアントを見つめていた。

都合15秒。そして、その瞳が潤んだ。

それを見るとクライアントははっ、と小さく笑った。

 

「悔しかったろう?あたしは最後まで付き合ってやれないだろうけど、勝ちの目を少しでもデカくしてやるよ。」

 

「でも、戦争は一方的に始まるわ。」

 

「時間は?」

 

「猶予はある。後40年近く。その間にある程度人間側が生き残れる確率を底上げする方法もある。」

 

「それは?」

 

寧海が指を四本立てる。

 

「四つ。これまで負けた技術を使うのも嫌でしょうけど。これが一番大きいわ。メンタルキューブとヒトの精神のシンクロよ。」

 

「シンクロ?アンタ達と一緒に泳ぐのかい?」

 

「意味的には間違っていないわ。人間が描いた航跡を私達がなぞる様に動く。これが矯正されていけば、物量の差を乗り越えれる。」

 

物量の差はどうにかなるというが、その前に前提がある。

 

「アンタ達自身を鍛えれば良いんじゃないのかい?」

 

「何度か前にそれやった奴らがいた。そいつらは皆……」

 

寧海の顔が歪む。それを見てクライアントが目を伏せながら言葉を出す。

 

「あぁ、なるほど。敵に迎えられたのかい。」

 

クライアントの一言で合点がいった。敵側からの引き抜きか。恐らくはかなりの好待遇だったのだろう。

寧海の表情が沈んでいった。

 

「離反者は多かったわ。限界を超えてまで自分達を守れっていうヒトに皆愛想がつきたのよ。」

 

「難儀だね、二つ目を聞かせな。」

 

クライアントが話を戻すと寧海は少し頰を赤くして言葉を出そうとしてるが単語になっていないから恐らく言い出せないのだろう。

クライアントが痺れを切らして煙管で机を叩くと、諦めた様に寧海が話を始める。

 

「結婚するのよ」

 

うん、通訳のフェイ君。ちゃんと翻訳しようか?と私が注意すると首を横に振られた。

え、何?間違っていないとでも言うの?嘘だろ?

 

「それが何で役に立つんだい?」

 

クライアントは真面目だ。疑問をぶつけている。こうして書いてる私は今コメディの脚本でも書いてるんじゃないかと錯覚していると言うのに。

 

「メンタルキューブは私自身も良く分からないのだけど、ヒトとの繋がり、縁が様々な強さとして表れるの。だから結ばれる事で私達は限界以上の力を出せるようになる。」

 

「精神的な枷にはならないのかい?」

 

「失えば確かになるわ。だから、一つ目に戻り、三つ目に進むのよ。」

 

一つ目、人間とシンクロさせる?それに繋がりがあるのか?

 

「今はまだないけど。いえ、時間はあるのだから作れる。」

 

「そりゃ何だい?」

 

「携帯情報端末よ」

 

ん?何だこの面白そうな単語の繋ぎ合わせは。

 

「どこでも持ち運べて、逐次私達の情報の取得と私達へのシンクロを可能とする機械が必要になるわ。これで三つ目」

 

無線機器の更に発展系か?情報を取得しながら接続も可能?

もしそれが可能なら、いや基礎の一部はもう晒されているのか。興味深い。

 

「一応、概要とどういう作りだったかは思い出しながらになるけど、何とか間に合わせる。でも、これでもまだ欠点はあるの……」

 

「欠点?」

 

あるのか?遠くから人間と繋がり、そして『思い描いた最適な動き』を可能とする。

ここまで来て欠点が。

 

「私達と繋がっていられるのは一部の限られた人間よ。恐らくは世界人口の15%ぐらい。それでも粗いのが多く混じると思うわ。」

 

「大砲の威力だけじゃなく、安い女でも無かったわけだ。」

 

「だから、ある兵器を並行して完成させたい。」

 

「四っつ目か。」

 

「戦力になって、尚且つ人を選ばない存在。人間が戦闘に出るという名目のパワードスーツよ。」

 

寧海曰く、これなら人員を確保できなくても対セイレーン用の『対応』にはなるらしい。

だが、コストの問題、キューブを多く使う必要があるそうだ。そこまで聞いて私の取り分のキューブを見せると首を横に振られた。

 

「ダメよ。それはオリジナルだわ。」

 

「オリジナル?コピーも作れるのかい?」

 

「私の遺伝子を、血液や皮膚を冷凍凝固させればコピーのメンタルキューブを精製可能よ」

 

「オリジナルを使えない理由は?」

 

「勿体ないが大雑把で、正直に言うと抱えてる情報量は比にならないのよ。ざっと倍って所かしら。加工に向かないのよね。ちなみに膜の精度もダンチよ。唯一変わらないのは攻撃力ぐらいかしら。」

 

「じゃあ、あたし達はアンタで吸血鬼ごっこしなくちゃいけないわけだ。」

 

ふん。とクライアントが椅子に面白くなさそうに踏ん反り返る。

だが、何か思いついたのか口元が歪んでいる。あーなんか怖い事思いついたんだろうな。

 

「寧海、アンタ経営に興味はあるかい?」

 

「経営?何をどう経営するって……真逆。」

 

「メンタルキューブ、ああ面倒臭いね。MCの技術基礎は今のところアンタしか持ってないだろう?なら今の内に流通ラインにアンタ達用のノウハウを取り込んじまえばいい」

 

クライアントは猶予の期間をフルに使う気なのだろう。胡散臭い商売でなく確立した技術を提供できる会社を立ちあげる。これなら一石で幾つ鳥を始末できるか分からない。

 

「で、でもお金は?言っとくけど冷凍凝固もそうだけど食費だってお金かかるのよ?人の5倍は食べるわ、それだけじゃない維持費は......」

 

そこまで聞いてクライアントが手で発言を制す。

そして静かに言い切った。

 

「嘗めんじゃないよ、アタシは独身だ。」

 

煙管を口から外しぷはーっと息を吐くクライアント。

それを聞いて、一瞬寧海が真顔になったが爆笑した。

 

「な、何よそれ!もう、お婆さんみたいな人間初めて見たわ!うっふっふ、ぷっふ!」

 

余程心が解れたのだろう。澄ました顔のクライアントを見ては二度、三度と笑いを堪えていた。

そろそろ平静を戻せたのかあっ、と声に出して話を戻した。

 

「で、でも不味いわ」

 

「何がだい?」

 

「お婆さん東煌の筋者でしょ?東煌に資産とかあったら回収しないと『消える』わよ?」

 

消える?それはどういう意味かは分からないが。

それを聞くとクライアントが嬉々としているのは気のせいじゃないのだろう。

 

「消えるってなんだい?なくなるのかい?」

 

「セイレーンに回収されるわ。人間もモノも特に重桜は根こそぎ持っていかれるんだけど」

 

それを聞くとクライアントは目がらんらんと輝き出す。まるでクリスマスがやってきたかのようだ。

 

「そいつは都合がいいね。アホのルンタウにトライアドのカス共が消えるとなると商売がやりやすい」

 

翻訳のフェイ君に込み入った事情を聞いたが、ブツの流通ルートやらの縄張り争いやら割と頻繁にやっているらしい。特に海外輸入品はクライアントが用意したルートを尽く潰されて煮え湯を飲まされるとはこの事かと言うレベルだったそうだ。

邪魔者が消えるのはありがたいが、この人、分かっていたけど私をただ人助けしたのではなく楽しめそうだから助けたんだろうなぁ。

 

「よーし、本国で回収出来るモンは全部回収してこっちで一旗上げさせてやらないとねぇ」

 

「あの、本当にやるの?決まった時間にセイレーンが仕掛けてくる保証はないかも……」

 

それを聞くと寧海の言葉に納得する。もしかしたら寧海は嘘をついている可能性もある。

それに寧海自身がブービートラップの可能性もある。彼女の本意でなくても情報そのものを逆手に使った起爆物の可能性は捨てきれない。

それを理解しているのか、そう『問いたい』のだ。

凡そ彼女の最後の真意への理解。

食事に酒と人と食べるのを好んでいる風はあった。だが、私見だがどこか距離を作っているのも見受けられた。

彼女は信用して、裏切られる事も、失敗する事も、絶望する事も、苦悩に打ちひしがれる事も、その全ても受け入れてくれるのかと。

私達、いや、クライアントの心を聞きたいのだ。

 

「……フェイ、学者先生、一応記録は取っておきたいんだろう。ならこの事も書いても良い。だが口外した場合、あたしが死んでようが生きてようがアンタ達を殺す。いいね?」

 

彼女のそれは嘘を感じさせなかった。恐らく『そうなるのだろう』。地獄への片道切符を今私と翻訳の彼は渡されている。例え切符を切った彼女が亡くなったとしてもそれは適応されるのだろう。

分水嶺。私はもう命を捨てても良いと思う。ぶっちゃけて自分が大切じゃないとかそういう事じゃない。『ここまで知ったのだ』今更何を知ったとしても諦めがつかない。

私は頷いたが、翻訳の彼は酷い顔色で退出した。

仕方がないのでクライアントに二度手間になるが話を聞こう。

 

「あたしにはね姉妹がいたらしいんだよ。」

 

「姉妹?」

 

「顔も見た事ない、声も聞いたこともない、結局名前も知る事も出来なくて、死んだ後に聞かされたんだ。」

 

「どうして知る事が出来なかったの?」

 

「生まれつきの不治の病さ、骨の中身が異常でそのせいで立つこともままならなかったんだ。それで隔離だよ。」

 

「ひょっとして色んな病気にもなってなかった?」

 

寧海の口からとんでもない言葉が出る。憶測で今モノを言うのは危険だと言うのに。

 

「そうだねぇ、年中風邪をひいてたそうだ。痣も勝手に出来てたらしい」

 

そこまで聞くと、寧海が何か呟いた。

聞き取れなかったがここ最近の覚えた東煌の言葉の中で『骨』と聞こえたが何だろうか。

 

「私の祖先は一応、そういう病弱な家系なんだよ。そしてある程度偉くて、そんでもって悪どい」

 

最後はなんとなく知ってました。

 

「だけど産まれてくる子供の内3人に1人しか生き残れないんだ。さっき言った病気の都合でね。」

 

「お婆さんはたまたま生き残れたの?」

 

それを聞くと煙管の中身を捨てて、ゆっくり仕舞った。

そして、静かに、圧力を込めて、私達をまるで逃がさないように呟く。

 

「あたしはね、2つ目の子供の友達だったんだよ。3人作って、3人ともダメだったんだ。1人目と3人目は骨の病気さ、だけど2人目は私と遊んでる時だった。その家が気に入らないってヤツらが子供でも殺しに来たのさ」

 

クライアント曰く、歳は十の頃。その2人目の子供はとても優しくて思いやりに溢れていたそうだ。

だが、だからなのだろうか、クライアントを盾にする事もせずに彼女を突き飛ばして庇い首を凪がれて一瞬で死んでしまったらしい。

そして問題はそこからだった。当然その娘の親は怒りを露にしただろう。だが如何せん敵が多かった。敵の見分けが付かない。そして何よりも跡取りを失くしたのが痛手だ。

そこを付け入る輩は多いだろう。それがどうしても気に入らない。

この怒りを少しでも和らげばと巻き添えになった子供とその親を殺そうとした時だった。

とても頑丈そうな男が口を出したそうだ。

「その娘は思いやりこそ娘さんに劣っているかも知れませんが襲撃で死んでないところから恐らくは強運でしょう。どうです?まだ娘さんは死んでない事にしてその娘を引き取るのは?」

......いや、まさかな。

その言葉に、そうか、そうだ。それだ!と父親は生き残ってしまった娘を引き取らせろと言った。

両親は命を助けてもらえるのだ。どうぞどうぞと差し出した。

その時だった。生き残った少女はこれほどまでに醜いと思う人間達はいないと思わずにはいれなかった。

プライドと地位と名誉に縋り付き、自分の娘の死すら騙そうとする者も。

愛の結晶である愛娘を殺されたくない一心で引き渡す両親も。

どちらも薄汚く。そしてくすんで見えた。

それから必要以上に教養を身に付けながら自分を育てた気になっている父親に吐き気が覚える中だった。

元の親が自分に金の工面を要求してきたのだ。

およそ子供がおいそれと出せる金額ではなかった。だがこんなのでも産んだ親だ。

今の父親に相談してみたところ彼はにこやかに話を聞き、そうか、そうか。と頷いていた。

良かった。これで安心できる。そう思い、2日が経過した。

そうしてその日の朝に育ての親から来なさいと言われ、言われるままに屋敷の地下に足を運ぶ。

とてもとても機嫌が良さそうだった。何だろう?そう思いながら地下の暗闇に目が慣れていく。

その場所はとても金持ちの趣味らしい部屋だったそうだ。

様々な拷問器具。子供でも分かる人を傷つける為に用意した道具の数々。

壁や床にはもうシミになって落ちないであろう赤い塗料が散乱していた。

そして、そこに『あるのは』四肢の無い傷だらけの両親の変わり果てた姿だった。

鼻は潰れたのと削がれたのが一つずつ、目は片方が機能していないのだろうか白目に裏返ったままに見える。口は泡のような傷口があった。それは酸をかけられた証であった。身体中には赤く腫れ上がった跡が幾つもある。焼いた籠手を何度も幾つもの場所に押し当てたのだろう。

少女は悲鳴とも嗚咽とも断末魔とも言えない、とてもとても入り乱れた嘆きと言葉を発した。

これは、これはどういう事なのだと。

育ての彼の口からはにこやかに発された。

こいつらは私を脅したんだ。『私達』を。

少女は反論した。それは違うと。彼等は彼等なりに生きようとしたんだと。

だがそんな小さな口は首ごとすぐに抑えられた。

メインディッシュだ。

その言葉に察しがついた。少女は叫んだ。

気が狂ったようにやめてとヤメてとヤメテと。発音もグチャグチャだったろう。

だが、そんな言葉で止まるわけがない。

二人まとめたダルマに先端を尖らせただけの鉄の棒が突き刺さった。

何度も何度も。ダルマは最初こそ動物のような声を上げていたが最初の一回だけだったらしい。そこからはただ体液を撒き散らすだけの肉袋だ。

育ての彼はにこやかな笑顔で、これで娘だ。とまるで欲しがった物を手に入れたように言う。

少女は叫べもしなかった。そこで両親の鮮血が溢れて溜まり、己が顔を映すほどになった時に少女は見たのだ。

あの時の2組の薄汚く、くすんだ生き物の顔よりも、とても無力で無知で憐れという言葉すら憚られる顔をした物を。

とてもとても汚くて、とてもとても意気地のない顔だったそうだ。

その映った顔を殴り付けて悟った。両親を殺したのは育ての彼ではない。ましてや金を求めた両親達でもない。この、この悪夢のような現実は自分がもたらしたんだ。

いや、そもそも自分があの少女を助けられなかった事が全ての元凶だ。狂っているのはこの人達かもしれない。だが悪いのは私だ。それを履き違えてはいけない。一番汚く、くすんでいたのはあの時から少女だったのだ。

少女はそれから狂ったように必要以上の教養を更に必要以上に求めた。

武術という武術も学んだ。銃の扱いも、それを人に向けて撃つ事も、何の躊躇いも無くなった。

成人して、家業も継いだ。悪どいと呼ばれる手段は全てこなした。

人殺しも、違法薬物の売買も、暗殺も、子供を人質に取る事も、下っ端の下っ端の腹に火薬を抱かせる事も、どれもこれも少女だった彼女はこなせるようになった。

鏡を見ればあの時の自分が映る。だが、あの時以上にくすむ事も汚く見える事も無くなった。

せめて無力ではないと、せめて無知ではないと鏡が証明してくれる。それだけは救いだった。

だがそれと同時に世界がくすんで見えた。どんな綺麗な絵画を見ても、どんな綺麗な造形物を見ても全てくすんで見えた。

いつしか彼女は歳をとって老いを嗜む頃になった時だった。

自分以上にくすみ上がっている癖にそれでいて綺麗な少女の顔を見てしまった。

この娘はきっと何度も無力だと思わされたのだろう。そして何度も果敢に立ち上がったのだろう。

それはとても羨ましくもあり、憎くもあり、悲しくもあり、喜ばしい事でもあった。

過去は変えられない。だが、その娘の話が本当なら、少しだけでもいい、このくすんで見える『未来と世界』を変えられると。あの時無力だった自分には喉から手が出る程の機会だ。

だから、それを信じたいと思う。それが彼女の本当の心だ。

 

 

「アンタには悪いけど、アタシが感じてるシンパは一方通行だって分かってるさ。だけど綺麗なアンタを私は信じたい。失敗を積み上げて、それでも無力じゃないと立ち上がっているアンタに夢を、この年寄りに夢を抱かせちゃくれないか?」

 

……クライアントの本心は、寧海はようやく見えた綺麗な存在なのだろう。彼女が何故独り身なのか分かる気がする。

きっと誰も彼もがくすんで汚く見えたのだ。欲望が、野心が、もっとおぞましいものが透けて見えたのだろう。

そんな彼女がようやく綺麗なものを見たのだ。この綺麗なものを信じたい。信じていたい。たとえ嘘でもいい。

 

持っていたモノに寧海の顔が青ざめる。

きっともっと単純なモノを持っていると思っていたのだろう。私もそうだ。

今度は寧海が試されている。そう言える。

 

「おばあさん私はそんな綺麗なものじゃないわ。心ではね人間を信用する事も受け入れる事も怖がってるの、私達は……」

 

「そう命令されたとしても続けたのはアンタの心だよ。あの時アタシに出来なかった、弱い奴を何がなんでも守ろうとしたアンタだ。」

 

寧海にも何かしらはあるのだろう。先のこういう話を『何度も言った』。これを額面通り回数としてのみ受け止める馬鹿はいない。

拷問、しかも彼女達には『膜』がある。それを考慮すれば凡そ人道的でない(更に言えば戸籍どころか人間でないという言い分で)処置ないし処遇を、擦り合わせ、真偽の結果が出るまで、しかも執行者は確実に人。どんな悪意でそれをこなしたか私の想像をはるかに超える下衆がいるという事は明白だ。

それをセイレーンの歴史干渉を繰り返す度にやっていたのだと言うなら。人だろうが、いや下手をすれば神などと言う死んで存在を証明することしか出来なかった者にも到底無理だ。

そしていつも最後に待っていたのは敗北。

恐らく、何度も理不尽な要求はあったろう。その身を賭して世界を守れと、私達人類を救えと、ちっぽけで矮小な心を持ったたんぱく質の塊に。より高度で何度も痛みに耐えた気高い心を持った彼女達の心はどれ程傷ついていたのだろう。

だが、だからこそクライアントが差し出す言葉が分かる

 

「アンタが人間を受け入れらないなら、アタシに受け入れさせちゃくれないかい?アンタがここに居ていいと言う証をアンタに贈らせてくれ。」

 

クライアントの考えはきっと今考えてる私と同じだ。

 

「一目惚れだよ。アタシの娘になっておくれ、寧海。」

 

「え?」

 

「アタシは最後まで付き合えない。でもアンタに今度こそ、今度こそ人の味方で良かったと言えるだけの道を開けてやる。」

 

そう、彼女は言ったのだ。

 

「縁は力になるんだろう?」

 

そうだ誰でもない寧海の言葉だ。人と結ばれる事で力を増す。縁がそれを可能とすると。

そんな言葉が来ると予想出来なかったのだろう。

寧海がクライアントを直視したまま涙を流し、言葉が制御出来ないのか溢れさせた。

 

「あ、あなたは、ど、どうして、わたしたち、わたしの、ために、そんな、うそ、なんで、いっつも、ばけものって、あいつらの、なかまだって、なんで、なんで、こんな、やめて、やめてよ、かみさま、わた、ぜったい。」

 

寧海はきっと幾つもの不幸や理不尽があったのだろう。だが、それを泣(無)くす程の言葉を贈られたのだ。生まれてきた事の祝福を。

 

「アタシと同じ貌をしたアンタを娘というのは酷かもしれないねぇ。」

 

クライアントが涙まみれの顔で呟く。

私も少しばかり涙が出てきた。

 

「でもね、アタシの夢を背負って生きていくんだよ?『世界を変える』それだけ約束しな、それだけを守るなら今日からアタシの娘だ。」

 

「うん、うん!お、おばあさん!聞いてもいい!?」

 

寧海が涙を流したまま笑顔で尋ねた。

 

「おばあさんの『本当』の名前を貰ってもいい!?」

 

その言葉にクライアントは嬉しそうに、懐かしむように、思い出すように、産まれてきた新しい命に祝福の形を差し出した。

 

 

この日、寧海という少女が、否、鈴玉という少女が産まれた。

私の命の為、そしてプライバシーの為、このノートがあってはいけない。これは墓場まで持って行かなくてはならない。

私の中に閉まっておくべき少女達の悲しい過去の部分を焼き捨てる事を決意した。

 



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3話前編

カーテンを買ってもらう。分厚くて陽の光が入らないぐらいの黒いのを。

そう思いながら早朝に少年はムクりと起き上がった。ユニオン系らしい金髪にそこそこ整った顔で青い瞳が綺麗だと良く言われるその目で自分の部屋を見回す。

「汚ねぇなぁ。」

およそその童顔からは予想できないぐらいの低い声で部屋の惨状を呟く。もう声変わりはした。子供の見た目でも子供じゃない。かと言って母親にやらせるのは不味い。野球を取り上げられる。

少年はもう12だ、もう大人だ、好きな事をさせてくれと嘆願してしまった事を呪う。

でもドラマに出てくる大人は結構だらしないのが多いよな?

とも心で言い訳をする。今からざっと20年前からテレビ放送という技術で娯楽を提供するようになった。

テレビドラマ、作られたお話の通りに演じる劇が放送されて人々を魅了させた。

だがそれ以上に少年が魅了されたのは様々な試合の生中継だ。

野球の試合の生中継を見て少年は幼い心ながら心震わせて、自分もあんな風に打ってみたい。と五つの頃から叫んでいた。

父は許したが母は許さなかった。それはボールがぶつかったり乱闘になったり打って跳ねたボールで怪我をしたりする人間を知っているからである。

我が子を失う可能性のあるものだ。それは少年には理解出来なかった。命を賭ける物じゃないと言われた。

勉強をしましょうと言われ、渋々言う事を聞いたが隠れて野球に必要な事を沢山した。そしてそれは今からもする事だ。

朝起きたら念入りに歯を磨く。これは踏ん張るのに顎や歯を強くする必要がある為である。

体力は幾らあってもいい。その為に同学年の子から教えて貰い、一定のペースでの走り込みや短距離で全力ダッシュを毎日こなして来た。

川に着いたら投げ込み。対岸まで狙った場所に石をひたすら投げる。4割ぐらいは疲れで川の中に入ってしまったが石という回転が正確でない物を投げているのだから及第点と自分に甘くする。

帰ってきたら飲む物がある。名称があれだが口コミ等でかなりの評価を得ている粉末。

龍体激神

本当にこのネーミングセンスだけはどうにかならないものなのだろうか。この会社の製品で唯一の東煌ネームだが、これで売れると思ってるのがすごいと少年は尊敬する。

中身は違法薬物などではなく、筋肉の成長を促すたんぱく質が豊富であり、他にも丈夫な身体を作る様々な成分が入っており、噂では様々なアスリートに限らず軍人も飲んでいるらしい。これはその未成人用に調整されたものだ。

誕生日プレゼントは絶対にこれを1年分頼んでいる。高価ではないが1ヶ月分でも子供のお小遣いでは到底払い切れるものではない。

その粉末を牛乳と混ぜ合わせて一気に飲み干す。

着替えを持ってシャワールームに入り汗を流し、シリアルにまた牛乳を使い胃の中身を満たす。

母はこの時間には起きない。必然的に栄養は自分で作らなくてはいけない。

テレビを付けるとコマーシャルが丁度やっていた。件の粉末の発売会社、帝龍カンパニーの本業とも言える物。車、ミューズカバーというシリーズの車だ。

もうそんな時期か、そう思うのも注文時期が決められているからだ。

この名前はユニオンを超えて世界各国で知られているほど有名なロングセラーだ。

テレビ技術が出てきたのと同じ時期に何をやっても壊れないとまで言われた車がまるで『湧き出た』のだ。

事実この車で事故に有った人間はテレビでも映されていたが驚くぐらいの接触事故にも関わらず、まるで無傷の登場者が降りてきたのは誰しもの目に止まった。(少年もこれは死んだな。と思う程でもあった。)

それだけではない。頑丈な車だ。誰しもが改造し悪乗りをする子供のような大人が現れるだろう。それを見越したようにリミッターが幾重にもかけられており危険な走行は出来ないとされていた。

それでも性能は従来の車とは比べ物にならない。金持ちの友達に乗せてもらった事があったがまず揺れを感じさせない。走ってると引っ張られるような感覚があるがそれも感じない。そして他社の車とは比べ物にならないほどコーナリングが鮮やかだと思えてくるのだ。

友達の親が抱えてる運転手も「いやぁ本当に曲がりやすい。『描いたコース』の通りに動く。」と自分と車を同時に褒めていたほどだ。

犯罪に使われる事がないよう会社は買い手を厳重に調査しているというのも昔ニュースで紹介されていた。身辺の調査ももちろん、近親者及び近所にギャング、マフィア、所謂ヤクザ者がいた場合速やかにお引き取りを願う所を映し出されていた。

その車を10年売るとここ西部で警察車両のモデルとして帝龍カンパニーが技術提供を始めたらしい。それと同時に軍用の車両にも同様の技術を与えていった。

そうするともう通常販売はしないのだろうかと不安の声が上がっていたが年間15台の完全注文販売を社長であるマイケル・アスキスが宣言した。これが先のコマーシャルの事情だ。

その時の社長はとても雄弁だったと父に言われた。色付きの眼鏡でジャージにシャツでジャケットを着て両手を広げて、まるで世界に挑むようだったと教えられた。

それと同じ時期だった。先の粉末商品が販売されたのは。

それだけじゃない。帝龍は他にも様々なブランド展開を始めたのだ。

気がつけばどこも帝龍の真似をしようとするがどれも劣化品だった。

人々の観点や美的センスに訴えるようなそれ等は少年には不思議な話だった。

(どこからあんなアイディアが湧いてくるんだ?)

少年の言い分はこうだ。人ってもっと躓いたり失敗したりやり過ぎて怒られたりするもんじゃないのか。少年の周りの世界だけでもそういう子供や自分が何処かにいる。

でもきっとそれはもっと大人になれば変わっていくのだろうか。分からない話だ。

それに考えてみたけど割とどうでも良い話なのだ。ただこの四文字のふざけていてとても効果のある商品を作ってくれた事には感謝している。

これを飲んでいるお陰なのか小さく細く見られる今の自分でも驚くほど力一杯のスイングが何度もできる。

先の川投げも正直に川の端から投げていたわけじゃない。川から離れて『80m』先にある川の対岸に投げつける事が出来ているのだ。

もう少年は粉末を三年利用しているがこれは野球に使える。練習で息切れなんかした事がない。むしろコーチや周りの子供達が付いていけなくなっている。

勿論他にも利用している子も居たのだが、少年ほど動ける子はいない。

打撃ではどんなへなちょこのボールだってホームランに変えれる。

守備では少年の送球を受け取れなくて手加減しないとマズい事になっていた。

代走で何度か一塁から走り抜けて本塁に帰って来た事もある。

今日も朝から試合だ。とても気分が良い。相手に何点差を付けれるか楽しみだ。

そう思いながらユニフォームを来て道具を背負い、スパイクを履き大きな声で

「行ってきます!」

それだけ言うと元気よく家を飛び出す。

のと同時だった、ぼよん。と何かにぶつかった。

何だ?と衝撃で閉じた目を開くと黄色の肌の綺麗な少年より年上であろう東煌系の女の子がひくひくと顔を引きつらせていた。

自分の顔の位置がわかる。つまり『そういう』事になっている。

女の子の少し成長した胸の膨らみに少年の顔をが埋もれているのだ。

「このエロガキ!」

ばん!と突き飛ばされた。

うわっと言いながらよろけるところんとボールが落ちる。

謝るよりも野球道具であった少年はボールを追おうとするがどっちに落ちたか分からない。

辺りを目で探すが、それを見ていた女の子が更に怒りを増した顔色をしていたが

「おーい、コレか?」

男の声で少し薄らいだ。アロハシャツにジャージの丸眼鏡の初老の男性が右手に紙袋を左手にボールを持っていた。

「あっはいそうです!」

「おじさま!どこまで買いに行ってるのよ!?」

あっはっはすまんすまん。と言うと左手のボールを力一杯に投げた。

それは少年を狙ったつもりだったのだろう。大きくそれて東煌系の少女の顔面に叩き付けられる前だった。

ばしんと少年の手がボールを捕らえる。

「ありがとうございました!」

撮ったボールの悪球事情も気にせず礼と頭を下げ、少女の方に向き直した。

「ごめんなさい!そういうつもりはなかったけどごめんなさい!」

それだけ言うとぴゅーっという擬音が似合うように立ち去ってしまった。

その姿にあっけらかんとしていた二人が車に乗る。

 

車内は後部座席と運転席に仕切りがあり、運転手の後ろ姿が少しだけ見える。2人が乗ったのを確認するとエンジンに火を入れて、クラッチを切った。

スムーズな加速に安定した車体ボディバランスはシートに身体を預けるのにはちょうど良かった。

少女が口を開いた。

「『あれ』がアラスター少年。完璧に『駆逐タイプ』ね。」

「そういうのはカンか?」

男性が尋ねると少女が頷いた。

「まぁ『統計的』にね。それとファーストコンタクトは最悪だけど頭を下げれるのは評価できるわ。調査通りの性能ね。いや、ノーフォームからの変化球大変だったでしょう?」

その言葉に男性が口元を歪めて歯を見せて答えた。

「この半年いらん技術ばかり身に付けさせてくれてありがとさん。お陰で肘と手首が痛いわ。」

先の一球は演技であった。変化球、少女の顔にぶつけても構わない。そういう名目で投げるつもりだった。ボールも拾ってなんかいない。用意したボールをあたかも拾ったような動作をして印象を与えただけだ。本物はまだどこかに転がったまま。

「しっかし、向こうから落としてくれたのは助かったの。」

その言葉を聞くと、少女がぴくんと体が反応した。

「言っとくけどね!私に痴女願望なんか無いからね!!」

調査はしていたが、調査時点と少年のスピードに『ズレ』があり対応できなかった。それが少女の言い分だった。

それを耳を指で詰めながら「あーはいはい。」と知ってる存じてるの姿勢で返答する男性。

「唯一見つけた突飛な有力候補者。いざとなったら誘拐でも拉致でも逆身代金でも良いからスカウトしなさいよね。」

少女の口から不穏な言葉が出るが男性はうーん。と口籠る。

その姿勢をギロリと少女が睨む。

「あー寧海嬢。そんなに睨まんでくれ。」

少女、寧海は今にも噛み付きそうだ。それを男性が宥める。

先刻、おじさま。と呼んでいたがその姿勢が偽りのモノである事が容易に想像できる。

「マイケル!ここまで来たのよ!あの少年は絶対的に『才能』を持ち合わせているわ!!」

寧海がそう呼ぶと溜め息を一つ吐いて、丸眼鏡を仕舞い、サングラスをかけた。

それは知る者がいればすぐに答えるであろう、帝龍カンパニーの社長の姿だった。

「ゆうてまだ12じゃろ?それに『外骨格』も30%ぐらいしか出来上がってないし……」

その言葉を出すと隣の少女に足を蹴られた。顔を見るととても怒りに満ちているものであった。青筋が浮かんでいるしぴくぴくと揺れている。

「それについては何度も言ったような気がするけど、『どこかのバカ』が年間15台も注文したのを宣言したからじゃないかしらねぇ?」

げしげしげしげし。

痛い痛い痛い。

まるでその発言が原因かと言うように寧海が片足を振り子の様に振り続ける。だがマイケルにも言い分があった。

「資金源の確保は必要だったし、もうアレだけの展開をして転売対策もしとる以上中古販売もできん様にしとるし、人間欲しがる物なんじゃからアレぐらいで丁度いいと劉さんも言うとったろう?」

その言葉に寧海の足が止まった。思うところがあったのか顔を不満げにしながらも黙りこくる。

その様に安心したのか少し溜息を突きながら尋ねた。

「さて?寧海嬢、今後のご予定は?」

マイケルの言葉に寧海がメモ帳と思しき紙束を広げる。それらを確認しながら指で文字を掬う仕草をするととつとつと呟く。

「貴方は『パレード』、私は『レジャー』よ。最大で2週間は予定が埋まるわ。貴方が動けなくなった場合は劉に代理人を。」

それを聞くと、マイケルが大きく息を吐き、寧海が「何よ?」と尋ねた。

「違法入国者が気が付けば大企業の社長で悪巧みするとは子供の頃じゃ夢にも思わんよ。」

40年前、鉄血から逃げるようにここユニオンに密入国して、マフィアに飼われ、気がついたら大企業の社長になって、色々な企業、いや最早国家を悩ませる程の影響力を有すとは誰がこの人生を計画できたであろうか。

その言葉に頬を膨らませた寧海が答える。

「しょうがないでしょ、母さんが貴方を指名したんだから。」

母さん、寧海とは血の繋がりこそは無いもののそう呼んだ東煌系の老婆を思い出す。

その老婆は所謂、ヤクザ者でかなりの地位を築いていたが自身の『クリーンな資金』を帝龍カンパニーに提供。その際に社長はマイケルに社長を任命させた。マイケル自身はこの言葉の意味は察せる。これは恐らくだが……

「逆らったら殺すつもりだったような気もするんだが。」

「まぁ、私を『任命するわけにはいかないし』妥当なんじゃない?」

そう、少女は帝龍カンパニー設立の時点で既にいる。『何一つ変わらないまま』の姿で。

40年が経過しているが何も変わっていない。それを知っているのは一部の者だけだ。

ずっとずうっと、彼女は少女のままだった。それを隠し通さねばならなかったが今この日に於いては話が違う。

帝龍カンパニーがユニオン軍に技術提供を差し出した見返りに求めた物はある。

原子力を超えたエネルギーの開発だ。新しいエネルギー。その名前は

「メンタルキューブ、ようやく始まるのか戦争が」

マイケルが肩を竦めて、大きく息を吐く。

「こんな事になるなんて思わなかった、か。」

マイケルのさっきまでの心情を反芻する様に呟く寧海。

気が付けば40年、まず資金源の確保、それに丁度いい代物として目を付けたのは自動車だった。

モデリングとなる次世代と言える車の図面、機構、制御、そして『材料』。そしてサービス。

一定の期間や走行距離を走ると帝龍の技術者が来訪し代車を渡して修理するのだ。それは購入する時にも教えているし、無料で行うものでもある。

「初期型は現行と比べると装甲が落ちるから、10年前にタダで再調整しなおしたな、そういや。」

懐かしい。若かった買い手が少し老けていたが「この車が1番乗りやすかったよ。安心出来るし、それをタダで今売ってるのと変わらない様にしてくれるなんて」そう言いながら、頭を下げていた。

「他社が発想とかパクるのは予想出来たけど、まさか大事故でウチのに乗ってた人達だけ助かって、クレームが来るとは思わなかったわ」

16年前の事である。あるメーカーがミューズカバーより強力なエンジンを積んだと豪語したコマーシャルを流した何ともクレイジーな車を販売した。

「お行儀の良いミューズカバー?あんなのダメだダメだ、走るってのはもっとエキサイティングだぜ!!」

どこかの俳優がそんな演技をしてガッツポーズを作っていたが帝龍としてはそこそこどうでも良かった。売れ生きに変動がある訳でも無いし、そもそも搭乗者の安全かつ追従性のある車を作れればそれで良かったのだ。

だがコマーシャルの言葉を借りるなら『お行儀の悪い』その車を改造し、とてつもない速さで暴走し都合25台の接触事故が起きた時だった。

その内の4台がミューズカバーで搭乗者は全員軽い打撲か脳震盪、残りの21台に関しては死亡8名(暴走車の搭乗者を含む)、重傷者では植物状態の処置を施され、軽傷者でも腫れ上がった頭や腕がテレビに映されていた。

「あの後、あの俳優綺麗にドロンしとったな。」

「まぁ、アイツに責任問題押し付けるのは本物の筋違いの馬鹿でしょ。家燃やされてたけど。」

その事故の被害にあった遺族等がその俳優の家や事務所に火を付けていたのは記憶に新しい。

問題はその後だった。その事故の全責任を帝龍に押し付けたのだ。言い分はこうだ。

 

―帝龍カンパニーのミューズカバーに勝つ為には我が社の製品を売るのは仕方の無い事だった。

 

マイケルも、それを後から知った寧海も頭を抱えた。そんな腐った言い分。と言えるが向こうの弁護士側がもうそれは必死だった。それもそうだ。後から分かった事だが、その弁護士は事故で婚約者が植物状態になっている。そして事故を起こしたメーカーは違法改造されている以上は責任は取りたくないのだ。

実際、他の遺族や怪我をした人間もそのメーカーが『説得』し、遺族会から目の敵にされた。

だが裁判内容も吹っかけがいい所である。ミューズカバーの即刻製造停止と有り得ない額の賠償金を求めて来た。

泣き落とし、憤慨、狂乱、遺族達の演技力も、素人にしては上手いもんですね。と用心棒をしている頑丈そうな男が判断していた。

だが陪審員までは『話し込めて無かった』のだろう。結果は呆気なかった。何せ事故を起こした問題点をすり替えているだけなのだ。帝龍側は一銭も払わない幕引きとなった。

だが裁判がどういう結果であってもするようにと用心棒兼相談役に念をおされた言葉を記者達にマイケルは言った。

 

—今回の事故で被害に遭われた方々には、相応の見舞金と最新医療を受けて頂きます。これも我が社がお行儀の良い車等を販売したのが原因なのですから。

 

敗戦虚しい去り際の遺族達が振り返り、膝を折って謝罪していたのはマイケルの記憶からは抜け落ちない。

弁護士も何故?どうして?と言葉を繰り返していた。

 

—君達は被害者だ。不幸があった。だが不幸を不幸のままにして良い理由がない。

 

1部の重体患者は内地で最新医療を施されるように手配する。

そして、その様は大きく取り上げられた。その時も腕を大きく広げ、世界に向けてポーズを取った。

 

—不幸を不幸のままにするな!それが我が社のモットーだ!辛かったら我が社を頼れ!!素質が無いと苦しむ者も!才能があるのに活かすことが出来ない者も!!我が社は絶対に受け入れる!!!そして!君達も我が社を受け入れろ!!それが世界だ!!受け入れあう事こそがより良き世界の始まりだ!!

 

次の年の新入社員は例年の5倍だった。言葉通りの者が多かった。だがほとんどが働き者だった。それがせめてもの救いであったろうか。

だが、一口に雇うと言ってもラクではない。これだけの人材を腐らせる訳にもいかないのだ。帝龍は新事業を立ち上げ、様々なアイデアが新入社員を介して中堅がブラッシュアップし、事業を成功に導いた。もう15年前の事である。

元々の予定のあったものに、軍との協力関係でミューズカバーは限定生産、その為次の事業は……

「ファッションブランドはギリ成功だったなー。」

ぷはーと息を吐きながら当時の苦労を思い知る。

向こうに行っては戻ってきての繰り返しでとても苦労させられたのだ。

「まぁ、アレはユニオンでも売れるとは思わなかったけどねー。」

どれもこれも東煌系の彩が出たデザインで半ば趣味的だったのが事実だ。それでも女性から一定の人気は得た。

「色々あった。出版社にもなって、コーヒー栽培まで始めて、ビール作って、もう何の企業だこりゃ。」

最早大手複合企業とは言っているが、早い話が節操無しの会社である。

それを共感してた寧海も言葉を漏らす。

「お金稼いで、愛想撒いて、沢山頭抱えて、寝ずに仕事して……」

「くだらなかったか?」

その言葉に寧海は目を丸くした。だがそれも一瞬だった。すぐに優しい慈愛に満ちた笑みを浮かべて、

「楽しかったわ。」

心からの言葉だとマイケルは理解すると、満足そうに笑顔を作った。

「残りはワシの仕事じゃな。」

マイケルの言葉に寧海が吹き出す。

「ふふっ、『ワシ』か。もう貴方もそんな歳なのね?」

40年。約普通の人生の半分。マイケルは姿が変わらない彼女に何も思う所もない。いや、あった。

「先に死んでしまっても怒らないでくれよ?」

その言葉を聞くとぴくりと寧海は真顔になった。

だが、ふふんと鼻を鳴らして笑顔になる。

「アンタみたいなのが一番大往生するのよ。大丈夫。先に逝ったら母さんがアンタをきっと追い返すわよ。」

その言葉にマイケルの背筋に悪寒が走る。もう彼女の母は確かにこの世に居ないが、ありえない話じゃないのだ。

そんな思い出と与太話をしていると目的地に着いた。そこまでの速度だったのか、それとも夢中になるほどの話だったのか。それも忘れて2人は目的地を見る。

 

―サンディエゴ海軍基地

 

「ここを外から見るの『初めて』だわ。」

寧海の言葉にマイケルが「あー。」と覚えてる限りの事を呟く。

「『後少なくとも10年はない』だっけ?」

マイケルの不可解な言葉に寧海が頷く。

「それに敷地が半分未満ね。『入れ知恵』がしっかり働いてる。必要面積だけ確保してるわ。想定より小さいけど『問題ない』。」

そんな会話をしていると基地入り口から一人の背広を着こなした男が歩いてくる。

男は襟を正しながら確認の言葉を出す。

「失礼、マイケル・アスキス様ですね?」

「あぁ、今回のお披露目会に呼ばれておる。」

「マイケル様が最後のゲストです、お急ぎを、それと……」

それと同時に男の視線が寧海に行き届く。どうやら招かれざるゲストは一人も通す気がないらしい。

「おじさま、車の中で待ってるわ。」

寧海がその視線に気づくまでもなく、さらりと言葉を出した。

では、と案内役を買った男がマイケルを基地の中に迎え入れる。

その様を車内から眺める寧海に運転手が声をかける。

「お嬢、ここからは...」

「フェイ、気にしなくていいわ。私の時間はようやく動き出すのよ。ただそれだけ。」

ぴしゃりと言い止められる。そして、1つだけ思い出して口にする。

「お孫さん、良い音楽を奏でていたわね。あれで12歳でしょう?作曲のセンスも良いし、就職先に困ったら『斡旋』するわ。」

運転手の彼が動画保存した姪のコンクールをたまたま後ろで寧海も眺めていた。

その様は最早曲芸とも言えるのだろう。口にハーモニカ、右にキーボード、左にチェロ、バカバカしいが演目がオリジナルの作曲のお披露目だ。

だがしかし、これは余りにも馬鹿げている。

そう思いながら呆れたように苦笑していた寧海だが、始まった瞬間に何が起きたのか分からなかった。

一瞬で心奪われるほどの響きが紡がれ自分の心に突き刺さるような感触があった。

それは間違いなく天才のそれであった。

身体の動かし方、タイミング、音色全ての調和、演奏が終わっても拍手は誰一人しなかった。

それもそうだ。これは『全体』でのオリジナルの演奏だ。だが寧海と運転手はその動画を見て拍手を送る以外のリアクションができなかった。

「いや、そんな場合じゃないでしょう?!」

その思い出話に浸ってる場合じゃないと運転手は思わず怒鳴ったが、寧海のその震える腕を見て、はっと顔色を変えた。

「分かってる。でもね、ここからが本当に地獄を歩かなくちゃってそう思うとね、くだらない話を続けたくなるのよ。いっつも、いつも、そうして恐怖を遠ざけていたから……」

声も同じく震えていた。掌を拡げて握り締めてを繰り返す。汗を握り潰す。手に流れる血を塞き止める。痛みという毒を以て、恐怖という毒を制す。

「お嬢……」

「大丈夫、母さんから貰ったものの方が強い。ううん、母さんの方がアイツらより怖かったわ。」

母と呼んで慕った老婆の底を思い出す。それが肌で、耳で、息苦しさで、最確認する。

『強さを恐怖と捉える事は最も愚かなのだと』

その教えに沿って、彼女は世界最硬度の車のドアをいとも容易く蹴り飛ばして吹っ飛ばした。

 

 

「そろそろか…」

長い廊下でマイケルが思わず口にする。案内役が怪訝そうな顔でこちらを見ていたが「いえ、なんでも。」と誤魔化した。

廊下を渡ると様々な色彩と大きな文字で注意を促す入口が見えて、思わず溜息が出る。

「それではマイケル社長、どうぞ。」

案内役の言葉に、興味はないがそれでも通過儀礼のように尋ねた。

「貴方は?」

「ここからVIP及び佐官位でなければ入室も禁じられておりますゆえ。」

思わず「あっそ。」と言葉が出そうになるが「それはそれは。」と恐縮してみせた。

プシュゥッと自動ドアの開く音を聞き、中から来る無数の視線を感じ取る。

軍にしてもVIPと呼ばれた者達としてもマイケル・アスキスと言う男は謎に包まれている。

木で例えるなら新芽が一日で大樹になり、その枝に無数の美味なる果実を実らせたという異常な大木だ。

その異常に誰しもが目を張り疑いをかけている。

 

—こいつは『あの方々』から寵愛を受けているのか?

 

それがマイケルが予想できる疑念だろう。

それは正解だが、この者達はある筋違いをしている。

その『あの方々』と認識する者達があの様な技術は提供しないという事だ。

マイケルにとってそれに気づけないというのはどこか物悲しい事だ。

利便性と安全性の違い、ベクトルが傾く方向すら分からないほどなのだ。

思わずこれが有象無象というものかと溜息が溢れそうになる。マイケルから言わせれば金になる事しか考えられない哀れな頭脳。

だが、これは契約だ。こんな哀れで救う価値もなく、幼さと無知を履き違えたような見た目こそ違えどガキと呼べる老人達も救わねばならないのだ。

息を整え、いつものポーズを取る。用心棒が教わった両腕を広げるポーズ。威嚇であり、身を晒すという姿勢でもある虚勢のポーズ。

「いや、皆様方!この私を待ってくださるとは何たる光栄!今日という栄誉ある始まりに私もお招き頂き恐悦至極!私で最後と聞き及び、これから始まる事に些か胸の高鳴りが止まぬ所でありますな!」

その言葉に視線が緩む。警戒の目が緩んでいる。

そう社長とは名ばかりで良いのだ。自分の役割は案山子だ。有象無象という鳥への案山子。注意を引き付けてある程度の奥底を出さないように注意を払う。

どちらかと言えばピエロだろうか、マイケル自身もピエロは怖い方だ。ナイフとかを忍ばせてそうと何度も錯覚に陥った。その錯覚を与える側になる。面白くはないがそれでも陽気は忘れない。

狂気とも言える陽気は臆病者の心に枷を与える。心酔した『あの方々』への不快を買うわけにはいかないのだ。誤解はあれどその誤解を逆手に取らない手は無い。

鼻歌を鳴らしながら空いた座席へ座る。

「初めましてマイケル社長。お会い出来て光栄です。」

隣座席の若い男が握手を求める。それに軽く応える。

その際に小声で囁かれた。

「『今回』のエネルギー、お話に拠れば永久機関との事らしいですが何かご存知で?」

「ほう、それは中々面白い話ですな。」

興味を持つ姿勢も飽きを覚える。分かっている。この先に出てくる『永久機関』と称された存在の正体も。

 

—艦船、正確にはKinetic Artifactual Navy Self-regulative En-lore Node

直訳すると「動力学的人工海上作戦機構・自立行動型伝承接続端子」の意。

その躯体は無限の再生を有し、カロリーというエネルギーさえ確保出来れば各方向へと変質する存在。

血液や皮膚片を冷凍凝固させて安定させればキロだけで都市部を100個ほど光輝かせれる。

燃料ならグラムでそこ等の大型車が爆走する。

汚水1ガロンに浸せば1時間で滅菌が施され、中水へと変わる。

人類はその昔錬金術という物を志し、その究極点として賢者の石という物を名付けたがまさにそれとも言える。

いつだったかブラックボックスという代名詞を教わったが、こちらの方がしっくりくるとマイケルは思わず笑みがこぼれる。

隣の男がその様子に気が付き、また小声で囁きかける。

「もう答えが分かっている身としては面白くないショーですか?」

はぁ。またかこの男も勘違いしている。と虚しさが溢れる。だが顔色には出さない。

口を手元に隠し、隠避のポーズを取る。

男はふふっ、と笑うと声色を変えて呟いた。

 

「姪御さん、『成功』すると良いですね。」

 

そこでマイケルは初めて男を『見た』。

年齢は自分よりずっと若い。恐らくは30代後半から40代前半、訛りを感じる発音、ロイヤル系と推測、暗がりだがその闇に馴染むような黒髪。

スーツはかなり高級感がある。オーダーメイドだろう。似合いすぎている。靴も恐らくは同じ。

そして、1番に思うことは

 

—『誰だ』こいつは。

 

そうだ。ここは左官以上及びVIPだけが入れると言っていた。VIPと呼ばれるのはもっと年老けた者達の事だ。最低でも自分という60代が基本。

でなければマイケルが逃避する原因の40年前の技術革新に関わってる事は大前提のはずだ。

だがこの男は恐らくはその半分程しか生きていない。そんな推察を察した様に男は言葉を続ける。

「あまり態度に出さず聞いてくださいね。貴方の考えてる通りです。ロイヤル側のスパイというか貴方と同じく答えに辿り着き、私達なりに動いてみた。そういう集団の1人です。集団に名前はまだありません。」

言葉を変えている。鉄血だ。マイケルの、いや違う。

「これからよろしくエッカルト博士。」

密入国の時に自分の死体に偽装させた男の名ではなく、本当の名を、その男は口に出した。




区切りが良いのでここで前編とします


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3話後編

汗が、汗が止まらなくなる。

—この男は気づいた者達の集団だと言った。ならばどうやって『ここまで来た』?この男は末端なのか?いや待て、末端で『佐官以上』だと言うのか?

マイケルの、いやエッカルトの中で思考が乱立する。

「そう邪険になさらず。ショーを楽しみましょーよ。なんてね。」

鉄血の言葉のままおどけてみせる。エッカルト自身が散々振舞っていた陽気な狂気の末恐ろしさで喉が一瞬で乾く。

他のVIP達の前で白衣の科学者が布を被された『それ』を露出させる。海色の不定形のそれはエッカルトが良く知る物であった。

白衣の科学者が敬礼した後でマイクを通して声を出す。

「『今回提供されたのは』メンタルキューブと呼ばれる物質です!これは……」

そんな知っている情報よりもエッカルトは隣の男だ。

ロイヤルの何かしらの集団が気づいた。これは分かる。自分でも気づいたのだ。

だが、『行動を起こさなかった』理由は何だ?何故無意味だと気づいた?

エッカルトは寧海から貰った言葉を思い出す。

 

—分かっている事は、セイレーンは世界大戦と呼ばれる程の規模のあった戦争の『時間に』しがみついているのよ。だから『その手前』に干渉するのも何かしら狙いがあるのだけれど……答えが出ないのよね。

 

これを知っているのは四人。今は恐らく店で食事を作っている頑丈そうな男と寧海とエッカルト、そして亡くなった老婆。

情報が漏れた可能性はない。はずだと信じるしかない。

「答えが出ませんか?エッカルト博士。」

どきりと心臓が跳ねる。目の前の海色の不定形よりも何十倍も心を驚かせる男の発言に冷や汗が止まらない。首に、そうピエロにナイフを突き付けられているような感触だ。

「『我々』が気づけたのは貴方が関わっていた計画からです。『我々』は貴方をスカウトするつもりだったんですよ?ですが貴方は貴方で自分の首を絞めてしまった。当時のウチの上司が頭を悩ませてましたよ。そしてドロンと消えてしまった。」

エッカルトにとって一番嫌な言葉だった。あの頃の自分はもう後は殺されるか消されるか、どちらも怪しいと思う程に追い込まれていた。

もう逃げるしか道は無かった。そう思えるほどに、だが、それが答えに辿り着かれる原因とは、己の不甲斐なさに、浅慮に、顎が強ばり歯が軋む。

「追いかけるのにはそれはもう苦労したそうです。僕は途中の仕事でしたからね。今回私は『我々』の末端として、代理人として伺わせて貰っています。ですが、『書類上のみの私』しか知りませんから、実質、私が誰かも分かってませんよ皆さんは。」

つまりこの男の言葉を真に受けると佐官以上ないしVIPに『すり替える』事が出来るレベルの集団。

工作技術に長け、情報を集め、尚且つ秘密裏動ける組織。

その印象にエッカルトの口が開く。

「仮に名前を付けるのなら、君達はシークレットサービスとでも呼べば良いのかね?」

震える声でそれだけが出る。その言葉に男がにんまりとした笑顔をエッカルトに見せた。

「良い名前ですね。シークレットサービス。カッコイイなぁ。」

口笛でも吹きたそうな顔だ。余程気に入ったのだろう。

「本題に入りましょうか。エッカルト博士、貴方達の動きは理解できました。『出来ているんです』。ですが間違いなく更に札を隠している。」

エッカルトはただ黙って話を聞く。こいつは敵ではない。だが邪魔になる可能性がある。だが、それでも、大っぴらに殺すわけにはいかないと理性が訴え、本能が今すぐ消せと告げる。

「その札、『我々』も噛ませてください。」

やはりか。

エッカルトはもう推測できる。『彼等』が欲しいのは、

「大義がね、欲しいのですよ。『我々』とロイヤルに。」

男の笑顔が酷く酷く、まるでピエロの口紅の様に裂けた笑顔だった。

「大丈夫、バックストーリーを我々で辻褄合わせれば良いのです。そうすれば貴方は正義の告発者。『我々』はそれを聞き届けた唯一無二の正義。」

断れば、その言葉は出ない。断るルートすら『封じられている』可能性が高い。

今にして思えばと1つ気づけた。

自分の演説込みとはいえ、その次の年に新入社員が五倍?

馬鹿げている。彼等はデカくしすぎたのだ。

帝龍という会社に恐らくスパイが大量に潜り込んでいる。だが誰かは分からない。

あえて、あえて悪を上げるのなら、ある男の言葉を借りるなら正義の反対は慈悲、寛容であるという。

ならばエッカルトを含めた4人の失敗という悪は正しくそれだ。

パフォーマンスとはいえ、有言実行が過ぎたのだ。だがイメージダウンは出来ない。

つまり、とどを詰めるのなら、ミューズカバーという車を作った時点で失敗していたのだ。

長考に更けていると男が察したのか囁く。

「あぁ、断わるなんて考えないでくださいね。あの少年『どうなってしまうか』分からないですから。」

こちらの調査班にも潜られている。目を張りながら怒りを露わにしていると男は穏やかな笑みを作る。

「大丈夫ですよ。貴方の所の『特別品』の制作、開発が遅れているのでしょう?こちらで早めてみせますよ?それが『我々』と組む事のメリットです。」

満足そうに提案するが、この男の提案を呑むという事はエッカルト達の前提が崩れかねない。

だが、それでも呑まなければならない。その上でこの最低ラインだけは認めさせなければならなかった。

「一つだけ、約束しろ。」

「なんでしょう?」

目の前の白衣の研究者の説明も最早ただのBGMだ。

そんな事よりも両人、隣人との会話が止められない。

「あの子達が有利になるストーリーを組み立てろ。どうあってもあの子達への信頼を前提としろ。こちらの要求はそれだけだ。」

要求。これは果たしてその言葉の意味するところなのだろうか。

だが、それを聞いて満足そうに頷き、

「ではショーを見ていきましょー。マイケル社長。」

男は別段興味もないショーをくだらなそうに見ていた。

画期的なエネルギー、水と糖分さえ与え、電力を流せば中性子も超える発電量を持つ。

そう研究員が話した時だった。目の前の海色の箱に変化が起こった。まるで生きてるかのように脈動を、鼓動を、否、産声を上げたのだ。

箱の数42、それ等が2m満たない、果ては幼女と分類出来るほどの命に変化した際、誰も彼も、スタッフすらも目を疑った。

その中のロイヤル系の衣装を着こなした麗人が口を開いた。

「我々は動力学的人工海上作戦機構・自立行動型伝承接続端子、略称は『艦船』、この世界の守護をそして貴方達が崇める悪魔を打ち払う剣です。」

たった2人を除き、そしてたった独りはそれを知ってか知らずかタイミングが良かった。

 

このフロアの奥壁が破裂した。

 

 

「全機!今は人間に構うな!!」

衝撃と爆撃の後に少女の声が響いた。噴煙から響く少女の声に箱から産まれた42人と1人は覚えがあった。

「『定例通り』なら来るぞ!海に出ろ!」

「ですが……!」

それに反するように名乗りを上げた麗人の声が響く。それもすぐに制するように少女の声がかき消した。

「フッド!ここでどうたらやったって何の意味もない!身の証は!ここからやるんだ!!」

「何だお前らは!?」

誰かの声がようやく出る。正体も『提供された』物でもない二重の意味で問うているのだろうか。

「フッド!これが人間だ!どうせ名乗ったんだろ!?だがそんな事しても恩恵の荷に私達は負けている!だから今は戦え!前線指揮官は私だ!」

「何を……!?」

「分かりました。寧海、今は貴方を……」

誰かの困惑を置き去りした会話に麗人が答えるが、それも否定された。

「違う!信じるのは私じゃない!『私達』だ!!」

その心に宿る絆に嘘をつかず、少女は答える。

それと同時だった。部屋に設置された全てのPCディスプレイからエッカルト以外が良く知る女の顔が映し出された。

「今、この時を以て、基本試験を始めましょう。人間、栄養は与えたわ。ここからはお前達の足掻き次第よ。さぁ、『神様』が『試練』をしてあげる。耐えられないというのなら死になさい。」

その言葉と同時に爆撃音が響く。開幕の合図のように、それと共に何人かのご老体が半狂乱のよう何かを叫び始めた。

裏切られた事の否定か、それともこれが現実では無い事への逃避か。

そんな事は知らず存ぜぬと42人が破壊された空洞から外へと駆ける。

 

 

銃撃音は止まず、少女達の走る音は掻き消される。

だが容赦の無い銃撃は勢いを殺す事も出来ない。

発砲音に上書きされているが着弾音も衝撃の振動もゼロに等しかった。

全てぴたりと張り付いてはぽろりとこぼれ落ちて無意味である。

そうして、海面が見えたの同時だった。

「レーダーに感アリ!南西35に軽巡、重巡、航空、混成45!」

青髪の少女が叫ぶ。それと同時に43人が海に飛び込む。

それと同時だった。青髪の少女の口にした方向から一瞬の煌めきが見えた。

「プリンツ!ノーフォーク!シールド!!」

寧海の咄嗟の言葉に、赤ずきんを被った少女と銀髪の女性に紫電が纏う。それと同じくして少女達の眼前で衝撃が迸った。

凡そ人間では視認することすら不可能である速度で砲弾が撃ち込まれたのだ。

そして着弾衝撃から敵を即様推察する。

「ナビゲーター!…主力艦隊相手を頼む!」

「貴方は!?」

麗人の言葉にニカっと笑った寧海を含む43人が海に『足を付けた』。

「私が軽巡と航空を殺る!駆逐、巡洋は主力の直衛を!」

その言葉は42人にとって理解し難いものだった。

それを可能とするのは恐らく、

「大丈夫、自爆なんてしないわよ。でもね、『私だけ』の方が強くなれるの。…全機!構え!」

その言葉に42人の四肢にとても似合わない武装が顕現した。

もう一度彼方からの煌めきを見て、寧海が低く、低く、構え、駆け抜けた。

音速を超えた砲撃と交差するように寧海の躯体は疾走した。

それは42人からしたらとても現実の出来事とは思えないだろう。

軽巡という分類に当てはまりながら、それは超加速、最高速を売りにしている駆逐のそれだ。

「あの娘、何をしたのよ!?」

着弾の衝撃の最中、誰かが思わず心のままに叫んだ。

それはまるで肉体を改造したかのようだった。

だが、その認識は正しくも違えている。

寧海は母と自分の身体への理解と模索に1週間を費やし、形を成し、ひたすら研鑽を積み上げた。

(ありがとう、母さん。強くなれたよ……でも、)

そう、強くなっただけではダメなのだ。母と呼び居場所をくれた老婆との約束は、『ここから』という40年の研鑽の後なのだ。

チェイサー型と呼ばれる右腕に中距離砲を携えた青白い髪の同じ顔の女が寧海の加速に気づいたのだろう。紡錘陣形を組み寧海の突撃を止めようと15機が立ち塞がる。

だが—

「そこを!どけぇっ!!」

寧海の躯体は更に加速した。倍近い加速にチェイサー型が認識する前に虚空に吹き飛ばされ、宙を舞う。

寧海の狙いは宣言通りではない。相手は小物ではない。重巡と呼ばれる長距離砲を携えた存在でもない。航空という最も恐ろしい敵でもない。

狙いは『陣形』そのものだ。

その加速に追従しようと重巡と航空が副砲を寧海に向ける。

だが、これを『真横』に加速して躱した。

「?!?!!!?」

完全に捉えたと自負しても良かった。認識も改めた。だが足りない、それでもまだ彼女を追い込むには理解が足りない。

消えた様に駆け抜ける寧海を再度捉える。陣形を立て直し、タイミングは理解した。これで撃ち抜ける。終わりだ。

距離5、オーバーターンした『正面にいる』寧海がどこへ向かっても30の副砲が足を破壊する。その機動力を封じれば勝ちだ。

そう、それが本当に『寧海』なら、勝利は免れなかった。

 

—全武装ロック確認、ジェネレーターフルドライブ

 

「轟け!龍!体!」

1つだけ、この哀れな敵達が認識しなければならない事があった。

それは、『寧海だけ』が何一つ武装をしていない事だった。43人中42人しか装備をしていない。

『最初から彼女は無手であった』。

その腕はまるで弓を弾くように、弦を伸ばすように、引き絞り、言霊を吠えた。

「激!震!!」

寧海の全力疾走を完全に殺そうとするほどのブレーキがかかる。全力の推進、加速に使われたフィールドの行き場が無くなり寧海の体、リュウコツと呼ばれる基幹を中心に暴れ狂う。

それと同時だった。彼女が肩まで引っ込めた右腕を前に突き出す。

同じくして副砲が今彼女を食い破らんと殺到し、だがそれを上回る激龍(流)が爆ぜる。

 

 

—ゴオォォッ!!

 

 

その拳はまるで龍の咆哮だった。空気は裂け、海は割れ、雲は逃げる様にその道を明け渡した。

MC粒子を取り込んだ弾丸が全て音も立てる事無く蒸発し、拳を打ち出した方向に居た敵も焼け焦げる様な音を立てて身体に穴を空けていた。

その現実に事実に思考を捨て、持っている武装で寧海を捉え、ひたすら撃とうするが、

最初に向き合っていた艦隊からの砲撃と爆撃に呑まれる。

ここでようやく彼女は腕と足にその武器を出現させ吼えた。

「全弾!!持ってけぇ!!」

両の腕より火砲が、脚より魚雷が体勢を崩した混成艦隊を殲滅せしめんと爆ぜる。

爆発から何機がか退避するように動くが、その速度は先の彼女の動きから言わせれば

「蝿が止まるっての!!」

その胸部を左腕で貫き、そのまま別の個体の胴を貫き、即席の『盾』を作りながら残存戦力を余すことなく潰した。

 

 

後方から支援していた42人が追いつく。

それと同時に盾にしていた戦闘人形から何かを引きちぎり投げ渡した。

「弾薬、補給しときなさいよ。こっから嫌な持久戦だから。」

少しばかり刺激の強い内容物だが、納得すると消費したであろうそれを何人かが呑み込む。

「ルートを出すわ、そこに補給を設置させてる。」

ブン、と寧海の目の前にこの周辺の海域が投影される。幾つかの点が彼女の言う補給地点なのだろう。

だが、そんな事よりも42人は聞かずにはいられなかった。

「寧海、先程の戦闘、アレは……」

「あー……」

がしがしと頭を掻きながら補給ルートを転送して彼女は口を開く。

 

 

 

寧海が母に教わった事があった。

それは弾丸も防ぐという『膜』の使い方を改めるというものだった。

ある日、地下の血生臭い部屋で寧海の動きを確認していた時だった。

母、老婆曰く、寧海の動きは攻撃に重視し過ぎている。という苦言を貰った。

思わず老婆から溜め息がこぼれた。

「アンタね、武術の基礎のキは何だい?」

「えっと、負けない心!」

その言葉に老婆が寧海の頭に手刀を入れる。

「それは姿勢だ。武術の基礎は守りだよ。全部守りに繋がる。武芸者用の食事だってそうだ、どこまで恨詰めても死を防ぐという守りが先に来る。」

「そ、それがどうしたって言うのよ!?」

思わず『膜』を貼り忘れてたのか直撃を受けてぷすぷすと音を立てている頭の痛みに思わず叫ぶ。

「バッシュ、タックル、スマイト。」

老婆の呟く様に出た言葉に少女は首を傾げる。

「ようはその『膜』は盾なんだろ?だったらそれを何で強くして守り、それを時には武器にしない?ワンアクション以下であるなら武器にするぐらい安い話だ。」

それに寧海が目を張った。これをそういう風に使う事は彼女自身でも考えつかなかった。いや、こんな野蛮な思考は普通の軍属でも持たない。

「それを脚に、腕に、身体のありとあらゆる所に瞬間的に発動できるようにしな。時に加速を、時に投げつけるようにね。」

「で、でもね?母さん?一応こんなんでも人体構造学上そんな事したら……」

「再生するんだろう?」

—ぐ。

と痛い所を突かれた。だがそんな顔をしていると溜め息を吐かれる。情けないとでも言いたいのだろうかと身構えれば、

「良いかい?再生するって事はより頑丈な身体を作る要素があれば、昨日を上回る肉体が完成されるって話なんだよ?」

「?」

何を言ってるか分からない。そう思っていると下ってくる足音が響く。

「特別メニューお待ちどうさまー」

頑丈そうな男が右手に皿を持って陽気に挨拶する。

その皿には寧海が『これまでの歴史』では食べた事が無いような見目美しく、食欲の唆る鮮やかな料理が現れた。

ずびりと少女の口から涎が溢れると、老婆が懐かしむように説明する。

「アタシがガキの頃喰ってた肉体改造用の食い物だ。都合併せて16品ある。これを三食しっかり毎日味わいな。『当主を造る為の料理』。アンタにだって効果はあるはずだよ。」

その言葉がどういう意味か即時理解する。

しょんぼりとした顔で頷くと、老婆はまた溜め息を吐く。

「アタシが居なくなってからも欠かすんじゃないよ。それとアンタが何かを思い付いたらすぐに実践。やれる事を全部やるつもりでやりな」

寧海の頭を撫でながら優しく諭すと。その頭に小さくキスをする。

「うん。頑張る……」

顔を真っ赤にしながら、それだけ少女は答えた。

 

 

「つまり?40年修行してたってだけであんな動きができるようになったって言うの?」

銀髪の女性が呆れ返ったように言うと、寧海はふふんと鼻を鳴らす。

「それだけじゃないわ、『私達自身』が気遣えなかった部分も見直したお陰でより高い次元の戦闘も可能となったのよ。」

「高い次元って?あのパンチ?」

「多分だけど、あれは私だけのモノよ。それに凄い疲れるしね。今日は後1発が限度でしょうね。」

そう言いながら、右腕を見る。損傷、いや、損壊が激しい。出血こそしていないが、皹のように大量に走る亀裂が痛々しい。

そもそも防御、巡航、推進用に使う斥力フィールドをトップギアに持ち込み、その上で強制ブレーキをかけることにより行き場を失い弾け飛ぶ程に膨れ上がったフィールドの流れを無理矢理腕から放っただけという荒業だ。

販売こそ15年前からだが寧海はプロテイン、龍体激震を25年服用している。それによりただでさえ高い筋及び骨密度を爆発的に上昇させる事に成功した。

だが、それでも耐えうるだけの肉体を維持はできていない。

その成分は市販品と比較すればデタラメな数値と配合をされている。製品販売をするのにこれは『人間用とは思えない』仕様だ。平たく言えば吸収分解が可能ならば即効性の筋肉の回復を可能とするものだが、まだ彼女には足りない。

そして、この腕の状態になった以上、回復は優先。補給用品にも仕込んである自分用に調整されたそれを摂取しなければ次の1発で腕が完全に吹き飛ぶ。そうすれば1週間は隻腕は免れない。

「ヘレナ、周辺及び遠方海域にも戦闘形跡は確認出来ない?」

「はい。そういったデータはありません。」

寧海が補給ルートに向かっているがそれでも『出現』が有り得るのならそちらに向かわなければいけない。

その言葉を聞くとほっ、と息を吐くが同時に怖気が走った。

「待て、何だ?何故ここで手を止める?」

寧海が呟きながら歩を止める。それを中心に42人も話に加わる。

「アンタの性能に驚かされた?」

誰かが楽観視するがすぐさま否定した。

「違う。アイツらは私達が持久戦が得意じゃない事を知ってる。私の手札を見ても撤退しないで撃ってきたのがその証拠よ。」

—何だ?何を見落としている。何を、何かを、見落としている?

違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。

見落としているんじゃない。

「アイツら、何て言ってた?」

寧海は誰に聞くでもなく言葉を漏らした。

そうだ。

アイツらは、セイレーンは一言も艦船を相手にしていない。

「ヘレナ!!『レーダーの向きが違う』!!海域じゃない!!奴らの狙いは!!」

寧海の叫びを嘲笑うように、

まだ水平線と言うには近い陸で光が爆ぜた。

 

 

 

—カルフォルニア州、州都サクラメント

誰が予想したであろうか、ユニオンという合衆国が個人クラスの存在に頭を垂れ、その恩恵をまるで餌を喰らう家畜の様に振舞っていた等と言う事は。

恐らく、このサクラメントでそんな事を考えてた人間は一人もいない。

否、果たしてもう居るのだろうか。この燃やし尽くされ灰燼となった都市に人間という生き物が。

火、炎、焔、業火、紅蓮、獄炎、爆炎、硝煙、焦土。

どこを見渡しても焼け焦げ、どこを見渡しても炎が広がり、隅から隅まで炭となっている。

駆け付けた43人が夕暮れと同化するように燃える州都を見渡し、何人かが立つ力を失い、膝を着く。そんな中、

「寧海!」

責めるような怒号を金髪の騎士とも呼べるような女性が制した。

「これを彼女1人の責任にするな。彼女は私達が『猫』にならないように努力した。だが相手が1枚上手だった。それだけだ。」

そう言いながらもその白い手袋が己が血で朱に染まるのを止められない。

セイレーンはどんなに足掻いたって1枚上手だ。

いや、そもそも彼女達『艦船』が幾つもの足枷がある事が絶対的に不利である。

だが、だとしても、いや、これが現実だというのなら。

「他の沿岸部、サクラメントだけじゃない。部隊を幾許か割く必要が……」

「ありませんよ、そんな必要。」

遮るように男の声が響いた。

—誰だ。否、その前に『男の声』?

そう思い、音の方向に身体を向けると二人の男が居た。片方は誰も知らない。だがもう片方は寧海が良く知る人物であった。

「マイ、ケル?」

サングラスで目は見えないが表情はかなり険しいものだ。何があった。いや『何故こんなところにいる』のだ。そう心が疑問の声を上げる。

「沿岸部周辺の都に限らず市街、港からは1度全員避難してもらいました。ここも空っぽの市街ですよ。」

その言葉に42人が喜びの声を上げる。

だが彼女だけは違った。鬼気迫る表情でこの不可解な現実も含めて静かに問うた。

「誰だお前は……!」

その言葉を聞くと、まるで待ってました。と言わんばかりに男は嬉しそうに、まるで覚えたての芸を見せるピエロのように叫んだ。

「ダメですよ!お行儀良くしてちゃ!!戦争ってのはもっとエキサイティングにやらないと!!」

その言葉にマイケルが悪態を付き、寧海の表情から血の気が根こそぎ失われた。

「お、お、おまえは……」

「15、いや16年前は調子に乗らせてもらいました。お陰でまさかロイヤル政府に買われるなんて、ねぇ?帝龍カンパニー社長様?」

忘れる訳もない。暴走車輌のCMでバッシングを受け、家に火を付けられた俳優。レオン・ジーと呼ばれた男だということを。

 

 

 

軍用車両内部、ミューズカバーのノウハウが使われていない車両だからだろうか少しばかり座り心地が落ち着かない寧海とマイケルを前にレオンは笑っていた。

マイケルはここまでの経緯を寧海に端的に説明し、険しい顔をしながらもその言葉を飲み込んだ。

正面に大事故に少なからず関わっている男が居る。記憶の奥底を思い出すとレオン・ジーという男はかなりの売れっ子であった。

というよりも持ち前の派手さを売りにしている印象がある。だが目の前の男は高級そうなスーツを着ているがどこか地味だ。

(シークレットサービス、『実際に存在する』ロイヤル諜報機関。私達の手を読んだというが……)

寧海がそこまで考えると自分達の手を幾つも潰されている事と同時に助けられた事で恩を買われている事にも歯痒さが残る。

「『我々』は『貴方達を生み出した』というストーリーで行かせてもらいます。貴方達は我々の尽力によってメンタルキューブから貴方達を発露させる事に成功した。そして、貴方達は産みの親に逆らう事が出来ない設定。こうですね。これが『一番しっくりくる』。」

独り言ちるそれに反吐を吐きそうになる。

「手柄は全部ロイヤル側?」

寧海の表情が険しくなる。後から幾らでも筋書きを変えるのだろう。それほどまでに今は混乱の渦だ。

その上でハッキリさせなければならない事がある。

艦船をどう扱うか、どう向き合うか。

寧海の『知る限り』これが最も重要な部分だ。

最大で3年、最低で1年、セイレーンに蹂躙される時間を設けてしまう。

「『我々』は貴方達を評価してますよ。僅か1代で資金こそあれど、あれだけの仕事をこなした会社はありませんからね。特にミューズカバー。龍体激震。この二つは正直凄まじいですね。違法性が一切無いのにあれだけのシロモノ、とてもじゃないが無理ですね。」

「当たり前でしょ?主眼に置いてる部分が違うわ。赤字覚悟で売ってるような物よ。」

素っ気なく返す。事実、ミューズカバーはリミッターもそうだが一つ造るのに時間のかかり方、今現在乗っている軍用車両よりも遥かに長い。後者のプロテインに至っては寧海に言わせれば単調的な物ではないらしく生産コストを極限まで落としたがそれでも子供のお小遣いで買えるものではなくなっていた。

だが、だからと言って評価されている事に態度が出ている訳では無い。目の前の男が気に入らないのだ。

「ははは、何だか私嫌われてますね。」

「は?ふざけないでくれるかしら?」

寧海の表情が怒りで歪む。

「如何にも嫌ってますオーラ出しといて被害者ヅラ?アンタCMで見た時から気に入らなかったのよね。燃やされた家の原型も『そう』。自信過剰で利己的で、しかもアンタ真っ先に事故が起きて逃げたでしょ?狡猾、いいえ、陰険だわ。」

寧海がこの40年間で覚えた事がある。劉という料理人の目利きだ。大量の覚え書きを見せてその上でその人間がどう言った過去が、目的が、心構えを読み取るという技術だ。

特に覚えさせられたのは悪人と呼ばれる者達の顔だった。

細かく言うとキリがないが、この男、レオンからは途轍もなく悪意を感じる。はっきりとは言えないが覚えた知識が全て叫んでいる。悪だと。

「僕が被害者ヅラしてるなんて、酷いなぁ。」

だがレオンは笑って寧海の言葉に返答する。

 

—『だって事実じゃないですか?』

 

その予想しない言葉にマイケルも寧海も耳を疑った。

「だって元を正せばミューズカバーのCMに僕を使わなかった事が始まりなんですよ?」

2人は目を張った。この男が何を言っているのか、何を口にしてるのか、理解が出来ずに一つずつその疑問を解くしかなかった。

いや、そもそも募集していたのか。だとしたら言わねばならない事がある。

「良い?あのCMで募集した人材は初老過ぎを……」

「でも僕の方がもっと映りが良いんですよ!?」

寧海は言葉を遮られた挙句に何を語り出してるのか本当に理解出来ずにいた。

「良いですか!?僕はあれでも20代で売れっ子で!スーパースターになる才能があったんですよ!?それを商品イメージに沿わない!?何ですかそのふざけた理由は!?」

今更ほじくり返して、何だこの言い分は。

目の前の男は本当に40代を超えるのか、どうしたらそんな発言ができるのか。

だが男の言葉は続く。

「だから貴方達を見返す為にあのクソ会社で派手に宣伝してあげたんですよ!僕も乗りたくもない車で宣伝し回りましたよ!?」

狂乱。その一言に尽きる様なザマだ。

幼く言えば子供の駄々だ。だが、これは……

「その上で沢山改造が出来ることも言いましたよ!?だって皆大好きでしょ!?自分だけのオリジナティ溢れる最高のマシン!!でも責任は自分のモノでしょ!?それを……まるで僕が悪いみたいに!!指差しやがって!!会社も悪くないみたいな事言いやがって!!僕がいたから売れたのに!いないくなったからって!家を燃やして!!20万ドルしたんだぞ!?僕は宣伝しただけだ!!自由を!解放感を!!それなのに!どいつもこいつも!!何で僕が謝らなきゃいけないんだよ!!僕はスーパースターなんだぞ!!」

地団駄を混ぜながら堰を切ったように吐き出された怒りに2人は目眩がする。この男は、これは、人間なのか?

そう困惑し、言葉が出ないでいるとレオンがマイケルを指差す。

「アンタもそうだ!!何が不幸を不幸のままにするなだ!!」

何時だったかの宣伝を思い出すように怒りを漏らす男に眉を顰める。

「アンタ僕を助けに来たか!?僕が雲隠れして探しに来たか!?何で来ないんだ!?僕が1番不幸じゃないか!!1番僕を助けるのが普通じゃないか!!だから僕がロイヤルで管なんか巻いて!あのクソッタレのジジイの下で働かなくちゃいけなくなったんだよ!!」

何て身の上話だ。自分が助かる為に逃げた男を探し出して助けろというのか。

それに誰も酔っ払ってくれなんて頼んでもいないだろう。だがそれも誰かのせいにしなければとても平静ではいられなかったのだろう。

頭痛ではない、もう脳に異常が起こりそうな発言に2人が顔をしかめる。

「ふーっ!ふーっ!ふーっ!」

まるで猛獣のように息を吐くとレオンは自分の顔を優しく揉んで先程までの風体を現す。

「失礼。私事は持ち込んだりしませんよ。ですけどね、貴方達がもしこちらストーリーに沿わないというのなら3人、いや4人程酷い目にあって貰います。」

やはりそれか。2人にとって4人の内2人は予想できる。

「まず1人、あの料理人。」

「是非とも殺してもらえるかしら?」

「死んでるところ見てみたいのう。」

レオンの言葉に率直な感想が出た。

「……なるほど、この人は手札にならないんですね。『わかりました』。」

にこにこと理解を始めるとスーツの胸ポケットから一枚の写真を取り出す。朝の少年の顔だ。

「次はこの子です。幾らでも手段は講じれますよ?」

その言葉に思わず寧海が頭を抱えて溜め息を吐く。勿論、「やれやれ。」という1句は忘れない。

「別にその子も殺していいわよ。困るのはアンタ達だから。こっちの儲けが取られるぐらいならどうぞ、殺してみせたら?」

この言葉はハッタリではない。どこを取っても事実なのだろう。その冷ややかな表情と声でレオンは理解する。

「そうですね。これは『良くない』ですね。じゃあ最後に……。」

レオンの横にあるカバンからごそっと取り出したそれに、ぎょっと体が強ばった。

「そうですね、この部門の人殺しちゃいましょうか。マンガ部門なんて居ても居なくても別に良いでしょう?」

それは、それが『何なのか』瞬時に理解出来た。

帝龍カンパニーに務める社員のリストだ。

マイケルがその様に言葉が出た。

「おい。」

「次はそうですねぇ、コーヒー栽培してる所ですね、あんな泥水作ってる奴なんて誰だって同じでしょう?」

「おい……。」

「その次はファッションですね。デザイン気に入らないんですよねぇ。あ、この子馬鹿ですね、入社一年目で志望動機が『少しでも貴社の力になれる様に誠心誠意頑張らせてもらいます。』ですって!馬鹿ですねぇ!?そんな理由で死ぬなんて!!」

「貴様!そんな、そんなくだらない理由で……!!」

思わず目の前の若造の首を締め上げる老人に、まるで辟易したような顔を作り、反論に出る。

「良いですか?僕達はこれから一丸になって戦争に勝つ必要がある。そうですよねぇ?それなのに貴方達が強い力で暴れ出したら困るでしょう?だからその為に犠牲が必要なんですよ?貴方達のやりたい事を邪魔したい訳じゃないですよ?貴方達に歩調を合わせて欲しいんですよ?でも貴方達はきっと抜け目ないでしょう?あの手やこの手で僕の居場所を奪うでしょう?16年前みたいに!」

まるで爬虫類のそれだった。ぎょろぎょろとした目。裂けた口。伸びる舌。

これは人間ではない。きっと別の何かだ。

言いも行動も、まるで人間ではない。

「それにね犠牲を出さずに戦争が終わるわけじゃないでしょう?」

楽しそうに何かを告げる。

「アンタ、さっきのどさくさで重桜と鉄血の『VIP共』殺したわね。」

その言葉に寧海が冷徹に解析する。同じ土俵に立つ訳にはいかない。ケダモノのそれに反応するわけにはいかない。

「ええ!殺しました!曲がりなりにもトップクラスです!理由も作りました!『彼等が言葉巧みにユニオン、そしてロイヤルを拐かそうとした』!これです!!この理由なら殺してしまっても別に文句なんか無いでしょう!?」

立ち上がり興奮するが車体の揺れで大人しく座るピエロを冷ややかな目で捉えた。

「あっそ。で、重桜、鉄血の上が混乱の中で前持って用意したストーリーをぶつけて悪者にして内ゲバやりたいって?」

「だってダメでしょう!?悪者が居ないと!!皆やる気が出ない!特にユニオンはガタガタですよ!自由と正義の国家ですからね!!」

「その為にウチの社員も殺して首に鈴を着けたいと?」

寧海は言葉だけじゃなく、息も、目も、血も、肉も、骨も、まるで全てが冷えているようだった。

「『私達』の言う事を聞いてくれるなら良いんですよ。誰も殺しゃあしませんよ。皆ハッピーです。でも、そんな幸せで居られるとは思えませんけどね貴方達の会社も。」

「吐いたわね。」

「何が?」

寧海はこのやり取りをもう聞き逃しはしない。

確かにこの男は口にした。今まで『我々』という自己を表す言葉を『私達』とこの男ははっきりと口にした。つまり、それが示すのは。

「今『私達』と言ったな。お前主導で何をやるつもりだ。それで何をする。お前は私達に鈴を着けて世界をどうするつもりだ。」

鈴は帝龍だけじゃない42人の処遇も混ざっている。敵はセイレーンだ。

だが、この男は敵ではないが『敵以上に厄介』だ。

「証明ですよ。」

「証明?何の?」

男は両腕を広げる。まるでそのポーズはどこかで見た事があるそれだった。

「私が優秀だと言う事です!!貴方達にもチャンスを与えますよ!?でもね!絶対僕の方が上だって事を教えてやるのです!!もう沢山思いついているんです!!貴方達より上の事を!もう私勝ってると言っても良い!!だけど貴方達の悪足掻きを見ないと気が済まない!!40年の努力を潰すだけじゃ楽しめない!!貴方達をもっともっとみじめにしてやるんだ!!あははははははははは!!」

狂った叫びが車内に広がる。

寧海はただそれを睨み付け、マイケルはそれをこの世の者とは思えないとそう言いたい、いや叫びたいような表情だった。

 

 

 

 

「劉さん。それが『本当の歴史』なの?」

15歳の少女の疑問に頑丈そうな男が、その大きな首を縦に振る。

タバコの煙を吸い上げ、鼻でカバが息を吐いたかの様に紫煙を撒き散らす。

「『今はどうなってるのか』は知らんがね。これが現実さ。あの男と寧海は失敗した。」

「本当なら何をするつもりだったの?」

その言葉に眉間を揉みながら記憶の底から情報を引き出す。

「本当なら、マイケルという大企業の社長という肩書きを使って国家の腐敗を正し、その上で艦船が敵対するセイレーンに唯一届く牙だと知らしめるつもりだったのさ。だが皮肉にも『俺が言わせた言葉』が失敗の切っ掛けになった。」

「でも、『授業では』重桜と鉄血は原子力を発明した時にセイレーン側に取り入ってる事になってる。ロイヤルもユニオンも正義じゃないの?」

「お嬢ちゃん。戦争に正義なんざ存在しないよ。勝った奴が正義なんだから。負けた奴はみじめな負け犬さ。」

タバコを口から離して劉がしんどそうに呟いた。

「ねぇ劉さん。レオンなんたらって人は歴史の授業で聞かないわ。その人どうなるの?」

「それはまだ教えらんねぇなぁ。嬢ちゃん。悪いけど近場に自販機があるんだ。昔の名残であるはずだから、ビールを買ってきてくれ。釣りはお前さんと爺さんの飲み物にしてくれや。」

そう言いながら、少女の手に何かを乗せる。

それを見て、少女は首を傾げた。

「何これ?チケット?」

「は?」

それはかつてドル紙幣と呼ばれたものだが、現代では凡そ使う者は居ないだろう。

それに思わず笑い転げる劉に少女は呆れ返っていた。

「それを差し込む所があるから入れりゃ買えるようになる。そうか『もうそんな時代』か。」

笑いながらの助言に少女は口を酸っぱそうにしていたが。話の為だと真夏の炎天下を歩いていった。



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4話前編

暗闇の中、窓から差し込む月明かりを見てそれは両の手を合わせ、ただひたすらに一心に懸命に縋るように言葉を口にした。

「どうか、どうか私を殺してください。」

祈りは、懺悔は、告白は、懇願は、願いは、静かに叫ばれ、闇夜の中に消えていった。

 

もう2年も前の話である。

 

 

 

天気は晴天。

春の日差しは優しくて少しの風が窓を軋ませる。

この施設は今この時を以て一時閉鎖される。

 

今日でこの場所ともお別れ。

自分が3年間使っていたベッドを見る。

白いシーツはもうなく、マットだって見る影もない。体重を預けると鉄の脚の軋む音が少しだけ懐かしい。

冷たさがある。だけどここで過ごした3年はとても暖かいものだ。

 

 

少年は伏せた目を開き、少しだけ潤んだ目を擦ってその小さな体より小さなカバンを持って部屋を出る。

支給された白い軍服の崩れを直し、黒いおかっぱの髪に無垢の軍帽を被せる。一旦の沈黙、そして逡巡。

 

—ビッ!

 

力強い敬礼の後、施設の廊下を渡る。

最後の一台である車両がアイドリングで少し唸りながら少年を待っていた。

少年の接近に気づきミラーが降りて運転手が声をかける。

「ボウズが最後だよ。」

少年はその言葉に少し焦りを覚えて、駆け足気味になり後部ドアを急いで開ける。

カバンと一緒に座席に着くと身体をシートに固定する。それをバックミラーで窺うと運転手は、思わず吹き出しながら車を出した。

「お待たせしてしまい申し訳ありません。」

まだ女性的でもある声の高さ、見た目にあったそれに運転手の男が少し目を伏せていた。

「なぁ、ボウズ本当に軍人なのか?どうみても……」

「はい、『僕らは今の戦争に適した軍人』です。ご安心ください。1秒でも早く皆様が安心出来る世界を取り戻すつもりです。」

少年のその言葉に運転手は少し言葉を躊躇うが、「そうか。」とそれだけ言うと運転に集中した。

 

―さてと。

 

そう思いながら少年がカバンから何かを取り出した。

液晶画面で少年の腕ぐらいの直径サイズの携帯端末に電源を入れる。両の手で握り締めてある確認を機械にしてもらう。

すると画面から文字が呼び起こされる。

 

―ハロー、コマンダー

 

その文字を見て少年が嬉しいような、悲しいような何とも言えない表情を浮かべた。

だが、それも一瞬。すぐにデータベースにアクセスする。

『この少年だけが与えられた特殊な環境』へのおさらいだ。

 

自分の部下にもなる男性が2人。

片方はもう70過ぎだが、萎びた風体ではなく丸刈りにした頭にがっしりととても頑丈に見える老人。過去にそこそこの地位があった為特別措置で中佐権限の発言を持っている。

 

もう片方は22歳。ユニオン西海岸出身。金髪と青い瞳に白い肌。そして、とてもとてもまるで太古の英雄のような石膏像に選ばれるような頑丈そうな体格。左頬に抉れたような5センチの傷跡が痛々しい。曹長。

そして、『パッケージ戦役』の唯一の生き残り。

 

―パッケージ戦役

 

人類が手にしたメンタルキューブと呼ばれる艦船のDNA組織の凝固体を更に加工し、軍事兵器へと発展させたシロモノ。それが名を冠した戦い。

パッケージという名称はメンタルキューブという箱を発展させたところから。全長4m、装甲は艦船の356mm砲もモノともしない人型兵器だった。

武装は艦船の物を人類の手で再現した重巡主砲クラスを採用。近接戦闘用武装の棍棒とも言えるロッドを3本。近接雷撃用ではなく長距離射程用の大型魚雷兼ブースターのハイブリット品を両肩に2本背負う形となった。

巡航推進90ノット。およそ駆逐級と同等くらい。

そしてこれをセイレーン攻略用の特別海域に20機が投入。

結果は惨敗。

何機かのモニターデータを確認する限り、直上投射と呼ぶべきか、わざと上に放った弾丸に数機がやられた。

そして航空機による攻撃及び爆撃。その軌道は飛行機のそれではない。昆虫類や鳥類のそれだ。

1度滞空し、目標への最大攻撃方法及び弱点を理解すると飛びかかる。

狙いは主に脚部。艦船と違い自己再生ないし修復機能を持たないパッケージでは長期の戦闘は見込みが薄かった。

 

―『だが、この作戦は実行された。』

 

この疑問を解消する程の実態は少年のアクセス権限にはない。何故か前倒しされ、望み薄の作戦を上層部、正式には軍事連合『アズールレーン』は実行に移した。

それは何か思惑があったのかもしれない。

しかし、少年には情報が入ってこない。もしかしたら外部からの圧力に屈したのかもしれない。分からない。

そして、もう1つ分からない事があった。この曹長だけがパッケージに搭乗し、生き残れた事だ。

この機体はペイロードもスペックもどれも寸分変わらない。そしてパイロットには3年の訓練があった。その上での曹長の評価は中の上。

上と分類できる人材は4人いた。だが、その4人どれもが直上投射にて轟沈を確認されている。

ならば、何だったというのだろうか。

手早く殺られた青年と彼との違いは。

 

「まぁ、パッケージと『指揮官』だと大きく違うんだよなぁ。」

 

小さく独り言ちる。3年という訓練は変わらないのかもしれないが少年と件の曹長とでは、言葉通り違いがある。

自分を戦わせるのがパッケージならば、『指揮官』は他者を戦わせる技術が問われる。それも複数人だ。最大6人に最適な戦術を伝え、勝利に導くそれからその名を付けられたともされている。

 

―『指揮官』

 

艦船というオーバーテクノロジーに介し、操縦ないし情報伝播をもたらす存在の事を指す。

早い話がそれは操縦者とも言える。だがそれは単艦の場合。完全にアウェイとも取れる空間で単艦で押し通す指揮官はいるにはいる。だがこれを続けることでPTSD、心的外傷後ストレス障害に陥る艦船が続出した。

これというものも指揮官という存在があまりにも才能職といえるのが原因だ。

指揮官技能に適している人類は総人口の15%と言われている。

これだけ聞けばなんだその程度かという認識だろう。だが実態は違う。更にその内の5%は6人の艦船を動作出来るかどうかだ。

現状の指揮官という軍の抱えている問題の多くはそれだ。戦力にならないものが多い。だが中にはある艦船に対しては大きな適合率、いや、正確な所を口にすれば艦船に愛される資格があるか。という問題だ。

 

いや、何だ『それ』は。

 

『これ』が軍のお偉方の頭痛の種でもある。指揮官とはつまり操縦及び指揮に適しており尚且つ艦船に気に入られるかが問題なのだ。

だがこれを満たさなくても運用は可能ではある。ある基地では金銭のやり取りでそれを可能としている所もある。

だが資金はあれど資源は潤沢ではない。今の人類にはここも問題だ。

艦船は第1に良く食べる。人間のざっと10倍。だが食べた分だけ強くなる。例えそれが合成食糧でも問題ない。消化可能でいてカロリー足り得るのなら昆虫でも問題は無い。兵糧問題は艦船達も認識している為か黙認されている。

第2に抱えるストレス量が尋常ではない。これは理解出来る範疇だ。戦闘の処理量が桁違いである以上、肉体的にも精神的にも爆発的な負荷がかかる。

第2の問題を第1で解消してもいるが、それは表面的な回復でしかない。人類は未だこの部分への理解が薄い。

傷は回復するだろう。彼女達の自己再生能力は人間の比ではない。再生限界もないし、劣化転写されることもない。むしろ成長しかしない。

だが、精神は違う。

余りにも脆いのだ。その見た目と同じ頃の少女よりも幼く儚く壊れやすいそれは現状の人間では使いこなせない。

特に指揮官技能の低いものに陥りやすい傾向であり、最早それは依存性という病気だ。

適正の無い艦船を捌け口にしたり、適正のある艦船だけに執着する様に上層部は頭を悩ませていた。

その為、これらの反省点を解消する存在を人類は『生み出した』のだ。

指揮官技能を持ち、尚且つ艦船への高い理解を持つ存在を、

 

新たなる人類を。

 

人工的に、そして先天的に指揮官技能を有する人類を、一般的にそれをユニオン風に言うならデザイナーズ・チャイルド、重桜の言葉では人造人間と言われる。

これ等を極秘裏に『製造』『訓練』『選定』という三工程を踏まえて情報の隠匿を主として実戦投入へと進められた。

そう、この少年こそがその一体なのである。

製造コード89番。階級は少佐。そして同時に指揮官混成部隊という試作部隊の統括指揮官でもある。

それを自覚し、昂りか焦りかそれとも杞憂か雑多乱れる感情のそれを落ち着かせる為に深呼吸する。

そうしてると走行中の車外に目が行く。思わず声を上げた。

「わぁ。」

重桜神奈川県横須賀。

東西の両側が海面に属している事が特徴的とも言える。そして開発埋め立てや工業跡地を稼働させようと白い肌の若者や年配の方が見られる。

今現在の重桜にはその国籍の者はいない。

約10年前に姿を消してしまった彼等の代わりにユニオン、ロイヤルから人員を割いて重桜の1部の地域を人が住めるレベルにまでインフラ整備をこなしている。

「頑張らなきゃな。この人達は皆、出稼ぎより苦しい思いをしてここに来てるんだよな。僕がちゃんと頑張らないと報われないよな。頑張ろう。」

まるで呪文のように少年が横須賀の街並みを見て頷きながら呟く。

だが、胸の内にある不安も払う為にもある言葉である事を自覚していた。

 

 

―横須賀元鎮守府、現基地

 

車が入り口に止まり少年がバッグを持って運転手に一礼する。

運転手はどこか別の生き物でも見るかのような視線を少年は感じたが、それも無理もないと少年は納得した。

ここで少年は理解できたが何かを口にしたとしてもそれは無意味だ。運転手氏は期待をしているのではない、恐れているのではない、奇異なのだ。それしか感情にない。ならば答えなどそこにはないのだろう。

「では、失礼します。」

そう言って開けられたドアの向こうに足を伸ばす。

すぐにドアは閉まり、車は去って行った。

その余韻とも言える土煙が晴れると二人の男性が見えた。情報にあった二人だ。

筋骨隆々という言葉を具現化したような青年とまだ若さを感じる老人の二人。

「あー少佐殿でよろしいか?」

老人が頭を掻きながら確認を取る。その言葉に黒髪の少年が恭しく頭を垂れた。

「はい、中佐殿に曹長殿ですね。これからよろしくお願いします。一応、僕が統括を任されていますが階級や役職に気を取られないで頂ければ幸いです。」

にこやかに微笑んで告げた言葉に老人が早速姿勢を低くして頼み込んだ。

「それじゃあ、儂の事は中佐と呼ばないで頂けるだろうか、あくまで社会的地位から貰った階級じゃし。」

その言葉に少年は笑顔崩さずに確認した。

「では、何とお呼びしましょうか?」

それを聞いて、えっほん。と息遣うと少し顔を朱に染めながら答えた。

「少佐殿の好きな呼び方で頼む。」

その言葉に少年は少し考えて虚ろに向いた視線を老人に戻す。

「では、教授とお呼びしても?」

その言葉に少し停止した空気が流れるが、老人がはっ、と思考を取り戻し答える。

「あぁ、それで構わんよ。」

「良かった。」

老人の言葉に安堵した少年がその右に居た筋肉の塊のような男性に一瞥する。

「爺さんが終わったなら中に行くぞ。」

冷たく言い放たれたその言葉に少年も頷きながら歩く。老人もそれに続いた。

 

港に着くと4人の美少女がそこに居た。

それぞれが敬礼の姿勢をしていたが少年が手をひらひらと泳がせて解く言葉を口にする。

「そんな硬くならないで、駆逐艦、ラフィー、綾波、ジャベリン、軽母艦、ロング・アイランドだね?」

それぞれがその言葉に応えると少年が頷く。

「君達はここ横須賀基地所属となりましたが、どうか自分をモノとして扱わずに1人の人間として、軍人としての生活を過ごしてください。」

その言葉に四人がぽかん、と口を開けて言葉を出せずにいた。

「まず、第1に何か不調があったらすぐに申告すること、第2に人間に乱暴されたら躊躇しないこと、例え相手が『上』の人でも自分に危害が加えられると思ったら迷わないで引き金を引いてね。そうしたら僕に命令された。ってそれだけは言おう?第3に休みたかったら休むこと、大丈夫。取り返せない事態なんてそんなに無いんだから。これだけを忘れないでくださ……」

言い切ろうとした所を老人に腕ごと身体を引っ張られて中断されたが老人の焦りの形相に少年ははてなを浮かべていた。

「どうしました?教授。」

「どうしたじゃない!?そんな命令してどうする!?」

必死の言葉だったが少年には意味が届いてなかった。実に淡々と少年が顔色一つ変えずに諭す。

「教授、正しいか正しくないかの論争はしません。ですが、『これ』は必要です。ここにいる以上は『これ』を前提として貰います。」

実に素っ気ない言葉であった。その様に思わず老人が青ざめる。

青年を見やって助け舟を出してもらおうと思うが、そのやり取りを見ても表情を何一つ変えない。

「それじゃあ寮舎に入りましょうか。」

言い返せない老人の有り様を見て少年が優しい笑顔で寮舎へと足を運ぶ。それに続いた男と少女達を見て、右手で頭を抑えながら老人が追いかけた。

 

「共同スペースは色々と設置する予定になるから、個人スペースは自由に使っていいけど改造とかは一声かけてね。」

寮舎を見て歩きながら少年の声が響く。

老人は頭を抱えたままだが現状の注釈を入れた。

「元々は重桜では鎮守府というそうだが、ロイヤル側がある程度『整えた』影響がある。掃除用のドローンがあるから清潔は守られとるから気にしないで良いとの事だ。それと状況次第では改修や寮舎の新設も有り得るらしい。その際は艦種毎で区分する予定らしい。」

少年と少女達がその言葉に頷く。青年の無表情には老人も慣れた。

それを聞くと少年が両手を叩いてのほほんとした口調で続ける。

「それじゃ今は昼を少し過ぎたぐらいだから、各自個人スペースの整理をして、家具の注文があったら僕の方に申請データを、だいたいの家具は1日で届くから気兼ね無く注文してください。それが

終わったら艦船達は自由行動、指揮官はシミュレーター室に。」

そう言われると艦船達は頷き、自分の部屋と思しき場所に入っていく。男連中だけが残されるが向かう場所は同じであるので歩幅違えど同じ部屋に向かって行った。

「戦役の英雄と大企業の社長と組めるとは光栄です。」

嘘偽りの無い気持ちで少年が伝えると二人とも少し顔を目元がヒクつくのを見逃さなかった。

「申し訳ありません、皮肉では無いんです。」

足を止めて頭を下げる。その姿に老人が首を横に振る。

「すまんな老けた男が繊細で、メディアに叩かれてばかりでな、儂もこいつも。」

その言葉に少年の顔が青ざめる。言われてようやく気が付いたが少年は軍事用のデータベースしか情報を得ていない。

戦役では1人だけ生き残った。これは裏を返せばどれだけの人がバッシングする切っ掛けとなるか分からない。軍に根掘り葉掘り問い質す集団は幾らでもいるだろう。

そこまで察していると、青年は表情を変えず口を開けた。

「有象無象の言葉なんて気にもとめてない。部屋に行くぞ。」

青年は少年の顔色を見て深い同情を抱く前に冷徹に言い放ち、老人は肩を透かして少年に「だとさ。」と苦笑いすると歩を進めた。

 

 

使う予定の部屋は艦船達の部屋から少し離れているが、歩いて5分程度の距離。

部屋はお国柄からだろうか畳が6畳。この3人なら何とか川の字で寝れるだろうと考えて、個人スペースは確保出来ないが衣服や必要な物を取り出していく。

少年が青年の荷物の1部を見てぎょっとした。

プロテイン粉末。だがそのサイズが問題だった。俗に言うクラブサイズだ。10kg以上。

「少佐もやるか?」

珍しそうに見ていた視線に、少し危険に感じる勧め方に拒否を示すとその他にもランニングシューズやトレーニング用の携帯器具等が出てくる。

「お好きなんですか?トレーニングが。」

少年の言葉に青年が頷く。

「やってる間は無心でいられる。」

その言葉を聞くと老人から笑い声が上がる。

それはその言葉を肯定する為の言葉だったのだろう。屈託のない笑みがそれを裏付けしている。

「少佐、そういえば申請したい物があった。」

老人は笑顔がふっ、と蝋燭を消すように真剣な眼差しで少年を見る。それに頷いた小さな顔を見て提案した。

「ある料理人を雇いたい。コネは持っている。契約金が些か法外だが悪い男ではない。」

「料理人、ですか?」

思いもよらない言葉に目を丸くするが老人が頷きながら繰り返すように「そう、料理人だ。」と、その言葉にはっきりと意識を持ち直す。

「ひょっとして『アルティメット』の関係者ですか?」

その言葉にも頷く。それに驚きを隠せずにいた。

「驚いた。確保も軟禁もされていないんですか、その方は。」

「少し特殊でな。逃げるのも追うのも軍より上手なんだな。」

それを聞くと少し考える仕草をするが、すぐに腹は決まったのか老人を真っ直ぐ見る。

「僕は、いえ、皆さんも含めてその方に『期待はしてはいけません。』それでも良いですか?」

その言葉に老人は力強く頷く。それこそ待っていた言葉だった。

「強くなる為に呼ぶつもりはない。ただ、あの人の料理がきっと1番美味い。叶うなら、艦船達にそれを毎日食べさせてやりたい。それだけの為に呼びたい。」

そう、老人の中には強さへの否定があった。かつて途轍もない力を有した艦船が居た。その料理人はその力の1部なのかもしれない。

だが、だがそれ以上にいつだったか自分が窮地から逃れた後のその料理人の出した美味の結晶は、生きた心地を何よりも取り戻したのだ。

それをどうか今居る子達にも渡してやりたい。

それだけの心だった。

「では教授の舌と心を信じましょう。」

「はっはっは、舌と心か。」

それを聞くと携帯端末に番号を押す。変わっていなければ、そう、何もかもが変わっていなければ繋がるはずだ。

幾つかのコール音の後に応答の合図とも言えるか細い音が響く。

「誰だ?ってお前かエッカルト。」

老人の耳には変わらない声が端末から響く。向こうはまだ旧式のモノなのだろうか、少しノイズが掠れている。

「劉さん、いえ大臣。お目通りは叶いますか?」

その言葉に「ケッ!」と悪態を付かれた後、ガムでも噛んでいるのだろうか咀嚼音が響く。

「お前らが失敗したおかげでこちとら逃亡生活だ。煙草だって買えねぇで近所のガキや弟子を利用して美味くもねぇガム噛んでんだぞこっちは。」

その言葉に端末越しでも老人が繰り返すように頭を下げた。

「お怒りはもっともです。ですが貴方の料理人の腕前を……。」

「言っとくが『将軍のフルコース』なら週15万ドルだ。あれは本気で作ってんだ。値下げ要求なんざしてみろ、てめぇがどこに居ても殺してやるからな。」

「アレを要求するつもりは毛頭ありません。ですが、逃亡生活ももう苦しいでしょう。それにここは食べる子が多く、人の暖かさも恐らく欲している子達なのです。」

その言葉に机でも叩いたのか強烈な音が老人の耳を襲った。その音に思わず目を伏せる。

「あのなぁ!暖かさなんざお前が作れよ!?馬鹿かてめぇは!俺はなぁ!てめぇの料理に脳みそフルに使って、神経すり減らして、時間使いたいんだよ!第一てめぇにそんな権限あんのかよ!?」

「寧海嬢からこの限りなら名前を使って良いと言付かっております。」

その言葉に怒号のような威嚇のような獣の唸りのような言葉ともつかない音が響いた。

「金は!幾ら出せるんだよ!?」

「月3,000ドル、キャッシュで。」

「社長様が随分ケチんぼな事だなぁ!?」

その言葉にはぐぅの音も出ない。だが、彼が率いた企業、『帝龍カンパニー』は最早彼の手から離れている。軍に援助という形で彼の資産も使い果たしている。

今出そうとしている金額は軍からの月毎の配給される金額と幾許かの特許から得られるものだ。それ以上は出せない。

もう借金するかと思っていた所だった。老人の手からその端末を少年にひったくるように取り上げて指を1つ立てながら答えた。

「なら月1万ドル。これでまかり通りませんか?」

聞いたことも無い高い声音に端末越しの料理人が訝しむように声を出す。

「作る人数は?」

「今は4人ですが、増えていきます。いえ、申し訳ありませんが増やします。100人を超えるかもしれません。」

「一昨日来やがれ、桁が4つ足りねぇよ。」

「つまり『自分には到底無理だ』。という事ですね?」

「おい、てめぇ。横から入ってきた癖に何様だ?」

「これは失礼しました。私、先程通話されてた方の上司です。元を正せば私が認めた依頼でもありますので僭越ながらお電話代わらせていただきました。」

「あぁそうかよ。言っとくがな、そこまで金があるならそこらの雑魚でも雇えやめんどくせぇ。」

「今度は他の料理人を雑魚ですか、ならば尚のこと貴方に来て貰いたい。」

「どういう言い分だよ、タコ。」

「アズールレーンは恐らく貴方をこのまま追いかけます。貴方の実力に狂いは無いと躍起になるでしょうからね。貴方が関わった艦船の情報も知っていますよね?あのスペック、それこそ死ぬまで追いかけると思いますよ。これ以上肩身が狭い思いするのはしんどいでしょう。」

「……おい、見下してんじゃねぇぞ。その気になりゃどこでも雇われるんだよ俺は。」

その言いに1つの陰りも無い。だが、それでも少年の札は変わらない。

「ここに来て下さるのなら、貴方に社会的地位の保証を、それと些か高いお給料を、そしてこの戦いを終わらせるという約束を。」

ばごん。と、恐らくは通話の向こうで壁が破壊されたのだろう。だが、少年はそれに何の反応も示さない。

「おいコラ、そこの爺でも出来てねぇ事をてめぇが出来る保証があんのかよ?」

明らかに怒りを、いや殺意を抱いた声だった。

これは真正面にいたのなら、そのか細い首は潰されたか折られていたかもしれない。

だが、それにも動じずに少年は続けた。

「それをやる為にも、力を貸してください。」

それを言い終えると無言が続いた。

老人はただ見守るばかりだったが、曹長は荷物を解き終えて欠伸と体を少しだけ伸ばした。

「場所。」

端末から流れた一言に即座に反応出来ずにいたが、すぐに持ち直して応える。

「重桜、横須賀基地です。」

それを聞くと端末が裂けるかのような怒号が響いた。

「あぁ!?てめぇ何でんなとこに配属されてんだよ!?」

「何か不都合が?」

端末の向こうから、波を口から吐くように「あ〜。」の言葉だけが流れてくる。

がりがりとどこかを掻く音も響いてきた。

「重桜の人間いねぇんだよな?」

「居ません。9年前に皆消失しています。」

その言葉は事実であった。正確には9年と10ヶ月前に鉄血、重桜、東煌の人間はまるで煙のように消えていった。

そのニュースは通話先の男も知っているが、再確認すると不満そうに少年に告げる。

「てめぇが吐いた言葉に責任持てよ。弟子のガキを先に送る。俺は店を畳むのに1週間は使う。ガキは視察兼業だ。そいつがクソだと思ったらその場でこの話は無しだ。」

「その方はいつから来れますか?というか『海外に出れますか』?」

その質問は現在の位置の確認でもあった。幾らなんでも北ユニオンでもすぐには来れない場所が幾つもある。

「問題ねぇよ、ちょっと俺が沿岸部に用事があったんだよ。今からだから今日の夜便で……」

「分かりました。手配しておきます。」

「違ぇよ。潜り込ませて適当な所で落ちるから、そっちの娘達に回収させろ。深夜警備のついでだ。」

その言葉に納得が行く。行くが、少年が思わず頭を抱える。

「大丈夫なんですか、そんな事させて。」

「問題ねぇよ、修行の一環だ。海ぐらい慣れさせなきゃ俺の下なんか働かせるかよ。」

それだけ言うとぶつんと通話が終わる合図が響いた。

しばしの間、少年が電気が落ちたロボットの様に止まっていたが、息を大きく吐いてへなへなと床に座り込んだ。

「……随分と怖い方なんですね。」

たはは、と乾いた笑みを浮かべて感想を漏らした。

「すいません。端末奪っちゃって。」

持っていた液晶と叡智の塊をゆっくりと差し出し老人に微笑んだ。

「君は、慣れているのか?」

それは幾つもの意味を持った質問だった。交渉も、説得も、会話も、決意も、見た目通りの子供とは思えないそれだと言うのが老人の感想だった。

「違いますよ。やらなきゃいけないからやったんです。」

その微笑みを崩すこと無く少年は優しくその心を語った。

 

 

荷解きを終えた少年、青年、老人の三人は予定通りにシミュレータマシンの前に並ぶ。

大容量の演算を可能とする装置はなかなか巨大であったが、彼等にとってはそうそう珍しいものでなかった。

「まずは曹長からですね。手早くやっていきましょう。どの性能でも、どの編成でも構いません。曹長のやりやすい様に来て下さい。」

少年がマシンの窪みに端末を差し込む。自動的にアプリケーションが起動しそれに手を差し出し、VRゴーグルを被る。青年も同じように差し込みと装着を終えた。

それを見て老人が申し訳なさそうに呟く。

「こっちにはコクーンは運べられなかったからのう。」

「良いんじゃないですか?嵩張らないですし。」

それを聞き逃さずに少年が率直な感想を告げた。

コクーンとは文字通りような繭の形をした投影装置だ。その大きさも去ることながらシステムや再限度は今彼等が着けているものとは規格が違うシロモノだが、少年にとってはこれは実戦でない以上あまり気にする事でも無かった。

「準備出来てるぞ。」

青年の言葉に少年が気がつくと幾許か筋張ったのっぺらぼうの仮装駆逐艦が映る。

「少し待ってくださいねー。」

端末にアクセスし、自前のデータを呼び起こして筋張った和装ののっぺらぼうのそれが居た。

モニター越しだが老人が目を細める。

 

―あの骨格は二航戦か?

 

重桜航空艦、蒼龍級、通称二航戦。

敵性集団とも呼称すべき『レッドアクシズ』のそれは随分と軽装だ。基となっている存在の影響でもあるらしいが情報不足である以上推測の域は出ない。

距離45、ギリギリ駆逐艦の火砲が届くか危うい距離。

「どうぞ、先手は譲りますので。」

両手をそれとなく広げて待機したのっぺらぼうの言葉。

「そうか。」

その一言と同時に駆逐艦種特有のデタラメな加速域で一気に距離を詰め、その首を貫く五指が突き刺さる音が響いた。

「お見事です。曹長。でも、」

動きを遮るように、その言葉は被せるように、威力を受け流すように、その航空戦艦の右手に突き刺さった小さな駆逐の手とそれに繋がる体が、一回転、宙を舞った。

艦船の大地とも言える海面に叩き付けられ、その並べられた首を刎ねるギロチンの刃の如き踵が振り下ろされた。

 

―ぶつん。

 

「この様に曹長の動きは素晴らしいのですが、素晴らし過ぎてどう動くのか読まれやすいです。搦手もですが、あえて継戦を取る形も入れた方が読まれにくくなります。」

薄っぺらいテクスチャで出来た肉の塊に向けて囁くのっぺらぼうに青年が確認する。

「セイレーンは対応できなかったぞ。」

それは実戦からの経験談。だが、それにのっぺらぼうが頷く。

「はい。存じてます。でも、相手が対応が出来るようになった時に困るのは僕達ですから。」

「そうか。」

少年の言葉に納得が行ったのか、すぐにゴーグルを外し、老人に渡そうとすると、目の前の鉄血系の人種は冷や汗をかいて口をパクパクと開閉していた。

「大丈夫か爺さん?」

「怖すぎて泣きそう。」

即答に素知らぬ顔でゴーグルを渡す。

目の前のグロテスクな惨事に思いの丈を口にしたが無視され、これまで通りにスタンバイに入る。

今度は三体ののっぺらぼうが映し出される。

それを見て少年が頷く。

「複数戦闘ですね。三艦とも巡戦で?」

「航空は、というか、ああいう動きは出来んよ。」

成程。と納得が行くと別口のデータを少年が呼び起こす。

今居るのっぺらぼうの両隣に映し出されたそれを見て老人が口をすぼめながら心情を吐露しそうになった。

(長所潰しというか短所磨きに励むタイプかー。)

出されたのは重桜戦艦、老人の記憶から考えられる限り伊勢型が二体。

お互い距離を開ける為移動する、その距離150。

艦砲射撃範囲内。撃ち出し、避け、持久戦へ持ち込む戦い。

老人が基本プロセスを口にしながら操作していく。

「兵装立ち上げ、主機チャージ、照準よ…。」

死。

ずどん。と老人の操り人形の一体の首が吹き飛んだ。

「は?」

別の操り人形の視点からは近接専用武装の長物が壊れたそれにまだ突き刺さったままでいる。

「な、おいおい!」

焦燥より先に捕捉する。一体の戦艦が両腕と背中から熱を吐き出していた。オーバーヒートだ。

あの投擲は最初から予定の行動。でなければオーバーヒートの状態にはならない。最初からこちらの数を減らす為の先手。でなければ同レベルのはずである装填速度を上回りはしない。

ならば、こちらの主砲を動けないであろう戦艦に撃ち込めば勝ちだ。

だが、狙いを定めて放たれたそれは宙で爆ぜた。

「なっ!?」

阻まれた理由はまるで盾のように並べられた艦載機。宙の爆風に飛び込むように航空戦艦が駆ける瞬間は捉えた。

副砲を即様立ち上げ予測して掃射、主砲のチャージ、数の理を覆す立ち回りを導き出す。

「ダメですよ。お綺麗な戦い方してちゃ。」

弾むような注意が聞こえる。飛び出してきたのは投擲をした戦艦。それが四肢の動きはぐちゃぐちゃで敵陣の中心に跳ねるように飛びついた。

「全機関オーバーヒート。全武装ロック、弾薬フルバースト。」

その言葉を合図に戦艦がほんの一瞬、赤く、紅く、赫く、光り輝いた。

「お疲れ様でしたー。」

伊勢型艦船が爆ぜ、吹き飛び、リュウコツ器官が、その無数の剛質が音速でばら撒かれ、硝煙の臭いを感じるような焼ける音が老人のゴーグルから響き、機能不全と轟沈のアラートが告げられた。

「な、何それ……。」

すちゃりとゴーグルを外しながら少年が淡々と述べる。

「特攻戦術は視野に入れないとダメですよ。転移布陣からの連携もありえるんですからこれぐらいは対応しないと。」

笑顔で告げられた言葉にあんぐりと口を開く。

「『これ』の最適解があるというのかね?」

それだけを口にしたら少年が爽やかに答えた。

「接近した瞬間に心臓または肺を潰してください。圧壊なら機能不全で自爆もできませんから膝蹴りフック気味のパンチで横から肋ごと砕いて臓器損壊させればジェネレーター壊れますので。」

その言葉に目眩がした。一通りの戦い方はある艦船に叩き込まれたが、今の言葉はそれを優に超える。

「明日から二週間ぐらいは矯正をメインにした方が良いですね。曹長は自分の戦闘経験が投影され過ぎてます。駆逐艦はパッケージと比べて頑丈でないですし、そこまでの超近接戦闘は向きません。逆に教授は近接戦闘への意識が低いです。艦船がヒトの形をしている事を損していますよ。」

指を口に当てて目が細まる少年に体が強ばる。

「今日僕がしてきた事を忘れずに、それに対する動きとその延長線の青写真もお願いしますね。」

優しく口にすると二人が頷く。

「それじゃあ今日のご飯を作ってあげましょう。」

にっこりと先程、あんな残酷な戦い方をした本人とは思えないその笑顔に少しの恐怖を覚えながら二人が同意した。

 

 

支給品の調理を済ませる。幾つかの缶詰の蓋を開けて皿に盛り、レトルトカレーに白米を添えて艦船達と老人に差し出した。

「あの……。」

駆逐艦、綾波がその光景に言葉を漏らした。

「お二人は?」

そう、曹長と少佐が席に着いていない。

それを老人が答えた。

「二人共、同じ物は食べないそうだ。」

その言葉に少しだけ表情を曇らせるのを見て老人がしまった。と苦い顔になる。

「あー、食い終わったら見に行くか?理由が分かるから。」

その言葉に艦船達が首を傾げたが、食事の後に男部屋に行けばその言葉は容易なものになった。

「あれ、教授?」

「どうした爺さん。」

そこにはカップ状のスチロールに入ったヌードルを啜る子供とグラノーラバーとプロテインを加えた水を飲み干す青年が見えた。

「こういうこと。」

やれやれと溜め息を漏らしながら呟く老人の言葉に二人は頭にはてなを浮かべていたが艦船達が肩を落としていた。

「あの、お二人共それは……。」

ジャベリンに指さされた食品に二人が答えた。

「ヌードル。手間暇かからないで高い栄養価の食品。」

「グラノーラバーとプロテイン。高タンパクと一通りのビタミン摂取。」

それにあんぐりと口を開けていたが老人が解説を加える。

「二人共、食事生活はこれで良いそうだ。君達は真似しないように。」

四人の生返事気味に思わず頷いたが、状況を理解できずに居た少年が思い出したように艦船に伝える。

「申し訳ないんだけど今日の夜、『飛び込み』のお客様が来るから四人は深夜の周辺海域の警備をお願いします。今後の君達に必要な方なのでくれぐれも粗相無き様に。」

それに四人が敬礼して言葉を受け取るが、また少年がひらひらと手を泳がせる。

「硬くしないでいいよー。」

ほんわかに言うとスープを飲み干した。

 

 

教授と曹長が床についたのを確認すると少年が共同スペースに入室し、端末の通話モードを起動する。

「さて、ゼロツーが確か高級取りだから彼からだな。」

昼に咄嗟に提示した一千万ドル。だが少年の給料ではその額には到底届かない。

やる事は一つだ。一番身近で潤沢な資金を有する同期の指揮官に貸してもらうこと。

だが、その言葉への回答は、

 

おい、冗談はやめろ。君ね、無茶苦茶。金の切れ目が縁の切れ目。何でそうなった。指揮官向いてないんじゃないのかお前。

 

否定の言葉だけが帰って来た。それもそうだ。指揮官として任命されて一日で金を無心すればこうもなる。

やはり高望みだったのだろうか。内勤に配属された子の番号と共に望みをかける。

「毎月1,500ドル?別にいいけどさ。」

そうだよね。と落胆の息を漏らしそうになったが、自分の耳と記憶に疑惑が上がった。

「いいの!?」

思わず大声を出してしまう。だがすぐに声量を抑えて通話する。

「いや、内勤組の方が初任給は高いって説明してたし、というか、取り決め忘れてないかいエイトナイン。」

その言葉に疑問を抱くが、すぐに通話の向こうからかつての少年達の言葉が流れてきた。

「内勤組は可能な限り指揮官に配属された者に力を貸すこと。『四つ目の約束』だぞ。」

「あー、何かごめん。今思い出した。」

だろうな。と呆れられたがこれでこの基地の懐事情も解決の光が差した。

「じゃあ他の子にも……。」

そう糸口を引っ張ろうとした瞬間。

「ぶえっくしょい!!」

豪快なくしゃみが外から聞こえた。

 

 

ずびび。と目の前の男性が鼻水を啜りながら毛布にくるまっていた。

年の頃は二十歳ぐらいだろうか、まだ若さが見られる。黒い肌に黒い髪。清潔そうな顔立ち。中肉中背。少し背が低い。百七十センチには届かない。

「えっと、何かここに大企業の社長がいるってチーフに言われたんだけど。」

「はい。マイケル・アスキスはこの部隊に所属してます。」

疑問に答えたが、目の前の男性は訝しんだ。

「なぁ、ここ基地だよな?何でお前みたいなガキがいんの?」

それは実に正しい答えだった。

だが、その言葉にがちゃり、と周囲から金属の囀りが聞こえた瞬間、青年の顔が青ざめた。

囲んでいる人工生命体の少女達が各自の武装を青年に突きつけている。

「ダメだよ、皆。」

どうやら出会いの際の約束を大きく捕らえすぎているのだろう。そう思いながら少年が青年を囲むように砲撃モジュールを構えた少女達に諭す。

「この人は今から雇うんだから。」

その言葉に少女達の殺気が収まる。

それを見た青年は事の次第に気づくように目の前の少年を指差す。

「は、じゃあ……。」

「申し遅れました。私この部隊の統括を任されています。いわば貴方達の雇用主ですね。」

青年は驚きの声を上げようとしたがすぐに少年の唇に縦一本の指で喉の中に引っ込めた。

「え、これ、ドッキリ?」

青年が辺りを見回しながらカメラの有無を確認するがその様なものは見当たらず、目の前の少年が微笑んで返答した。

「残念ながら僕を見てしまった以上、タダでお返しする訳にはいきません。どうかこのままこちらで働いては貰えませんか?」

爽やかな脅迫、だがその子供には何も恐怖等抱けない。目の前にいるのは少し捻れば泣きだしそうな子供だ。

「チーフからは、女って言われてたんだけどさ。」

その言葉にくすりと笑って少年が説明した。

「あぁ、少し声音は高く対応してましたから、そう思われるのは無理もないかと。」

その対応に思わず眉をひそめて青年が疑問を口にする。

「なぁ、もっと砕けたつうか、子供らしい喋り方出来ねぇの?」

どこか、不気味に感じるその少年の態度に唸りながら尋ねたが、少年は不思議そうにした。

「そんな事に何の意味が?今、貴方とは対等に取り引きや段取りをしなければいけません。」

青年はもどかしさを覚えながらその言葉を受け入れる。

(お坊ちゃまなんかな?余計に不安だよ。)

上流階級の人間と何度か会話したが、話しが通じないという共通点は重なる。だが、青年の心の中で上司からの言葉を整理した。

(気に入らなかったら、うざかったら、中身が無かったら、馬鹿だと思ったら、やる気がなかったら、口先だけだと思ったら、勝ち目がなかったら、逃げろ。言うてもチーフさー。)

この状況は予想どころか一考も無かった。雇用主が子供で、大企業の老人が格下というのは。

どうしよう。と頭の中で考えがまとまらないでいると紙コップが差し出された。中身はコーヒー。

いつの間にか少年は席を立って淹れたのだろうか、受け取って飲むとすうっと飲み干せた。

「お身体、冷えてそうでしたからぬるま湯ぐらいにしておきました。」

「あ、あんがと。」

その言葉に礼を言うと、少年は首を横に振った。

「いえ、インスタントですしお気になさらず。もう一杯いかがですか?」

提案に青年が頷く。それを見てもう一度少年が席を立つ。それと同時に青年が自分のいる場所をゆっくりと見渡した。

奥がキッチンになっているのだろう。テーブルの数は六つと少ない。部屋の広さを概算すると四十平米だろう。

(用意されてる場と啖呵切った人数が噛み合わねぇな。そういう所はガキなのか?でもよー……。)

自分が彼ぐらいの時どうだったろう。ひとつのチョコバーやキャンデーに涎を垂らした犬のように欲しがっていた気がする。

飲み物だったらそこらの市場からかっぱらったレモンをレモネードに加工して誰かしらに売りつけていた。

そうだ。そんな時だった。あの大男と出会ってしまったのは。

5ドルで売り付けたレモネードは適当だった。だがあの大男は何も文句を言わずに何杯も飲んだ。ちびちびとした量しか出さないのを見越して40ドルも置いてのけた。

最初は怖くなかった。むしろこいつバカだ。と内心笑っていた。だが、男が周囲の男達に飲ませているのを見て、その周りが明らかにヤバい風体をしているのを見て、幼い身でも分かってしまった。

 

―こいつらヤクザものだ。

 

それに気づいて汗が止まらなくなった。だがそれでも男が金を渡す。そこでようやく自分は倒れ込むように命乞いをした。

「おいおい、お前の商売なんだろ?気にすんじゃねぇよ。」

そう言いながら男は凄いえげつない程の笑顔をしていた。この先の人生が決まる程に、強烈な出来事だった。

 

「大丈夫ですか?」

顔を覗き込むような少年に飛び跳ねそうになった。額が少し重い。汗をかいたのだろう。

差し出されたコーヒーを受け取りながら尋ねる。

「その、あのさ、お前、戦争の事どう思ってんの?」

そんな言葉しか出ない自分が恥ずかしいと顔が赤くなる。思わず周囲を見渡すが、先程までいた少女達がもういない。

居たら顔から火が出るほどだった。次の日からどう接したら良いのか分からなくなるぐらいに今の自分は恥ずかしいと後悔した。

「戦争の事、ですか。」

その発言に少年は黙り込む。目を伏せて、小さく言葉を漏らしていたが青年には聞き取れなかった。だが、少年はゆっくりと目を開きとつとつと語った。

「まず第一にセイレーンの排除ないし鎮圧が目標ですね。」

「出来なかったら?」

即挟み込んだ。だが、これは青年なりの覚悟の問いだ。

「とりあえず向こうが戦争を出来なくするように励みます。」

「それも無理だったら?」

じりじりと距離を詰めて行くように問いを重ねる。

「そうしたら、一分一秒でも長く戦って皆さんの平和の為に死ぬしかないですね。」

「逃げたく、ならないのか?」

それは本心から来る問いだった。

いや、この少年は恐怖を知らないだけなんじゃないのかと思う。いやそうだ。そうに違いない。

だが、目の前の少年はにこやかな表情を作り、自分の事を口にした。

「まず逃げれません。腰椎の一部がリュウコツと同じ材質になっているのでレーダーに映ります。」

―え?

少年は自分のことを少しずつ口にした。

「それと僕の頚椎辺りにチップが入ってます。これは反逆や逃亡行為をした瞬間に即、僕らを殺せるようにアズールレーンが採用した画期的な隷属システムです。」

何を言っているのか、青年には理解出来なかった。

(頚椎、って首だよな、そこにチップ?は?なんだよそれ?リュウコツ?なんだ、何言ってるんだこいつ。)

そんな疑問で脳味噌がぐちゃくちゃに溶けそうになる青年を置き去りにして少年は語る。

「そのチップは僕らが要人を殺せないように認識や識別が出来ないようにも調整されてます。仮に記憶できたとしても以て数分ですね。すぐにその人の記憶は消えます。便利ですよね。」

目の前の小さな生き物が、変わった。

この感覚は、これは、あの大男と同じだ。

目の前のそれは、自分では到底追い付くことも見ることも理解することも出来ない、

 

化け物のそれだ。

 

「すいません。この会話も聞かれているんですよ。ですので本当に申し訳ないのですが……。」

深淵に佇むような、その怪物は天使のように微笑み、

「諦めてここで働いてください。」

がちゃり、といつの間に手にしたのか分からない拳銃を黒い肌に突きつけた。

その夜に一切の発砲音は響かなかった。それだけがこの夜の問いの答えだった。

 



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4話後編

次の日の朝。

黒人の青年はアイヴァンという名前だったらしい。彼はレトルトパウチを開封し、調理に一手間、それを艦船達と老人に料理を振舞っていた。

「お、昨日より美味い。」

老人の言葉に釣られる様に少女達も頷く。

作られた料理に感謝するが、どこか青年は気まずそうにしていた。

少し怪訝に感じるが少女達は今から睡眠、男連中は昨日少佐が言った通り、矯正が始まった。

二人併せて三十戦。まるでチェスのように一手ずつ増えて一手ずつ合わせて防御から攻撃に転ずる瞬間は外さずに少年の操るのっぺらぼうに傷を付けようとするがどうも上手く行かない。

「一朝一夕でどうにかなるものじゃないですけど、着実に上手くなってますよ。曹長は継戦能力の向上。教授は特攻の処理からの連携の潰しに合わせたカウンターへの対応。」

その少年の見積もりに合わせて入港のアラートが響いた。

 

 

三人が港に着くと金の髪に青の瞳と礼装。細い肢体にそれに似合った剣。ロイヤル巡戦、レナウン級の名を冠する少女がそこにいた。

「王家艦隊、ロイヤルネイビーレナウン級巡洋戦艦・レナウンです!」

少年が端末から入港予定を確認するが予定にはある。だがそれは二日先だ。それについて確認すると、

「申し訳ありません!気が逸り単独で駆け抜けて来ました!」

真面目な表情で敬礼しながらの言葉になんだか納得が行ってしまう。

少年に一瞥すると、老人の方に向き直る。

「マイケル様ですね!『マスター』から話しを伺ってます!私の方は万全です!急ぎ海域と向かい、この世界を……。」

畳み掛けるような言葉に老人がたじろぐがその様を見てレナウンは首を傾げた。

「今、中佐殿は矯正訓練は受けてもらっています。」

それに代わるように小さな子供が答えて、レナウンが少年の方に身体を向き直す。

「矯正?」

「はい、見て行きますか?」

少年の提案に、少し逡巡があったが金髪の少女は同行し、その光景を見た。

追加七十八戦。

もう夕日に差し掛かった頃に訓練は終わった。

「少佐殿、これは『対セイレーン戦』ですね。」

モニターで見続け、なおかつ少年の動きを理解した艦船は確認する。それに少年は頷く。

「でしたら十八戦目以降は曹長の背面への甘さを着くべきです。単艦で挑んでいるのなら個人での対空防御の限界を認識させるべきです。」

「そうですね。ですが脚捌きが上手くて、僕なんかじゃそこまで隙を付けませんよ。」

少年の言葉に両手を組んで少し考え込む仕草をすると、マシンにアクセスを始めた。

少年はその行動を止めに入らなかったが、レナウンは少し中身を漁ると手を止めた。

「『正確ではありませんね』。レッドアクシズのデータが仮想品過ぎます。」

その言葉に老人がぎょっとした。それが正しいならデタラメに用意された不揃い品で順応出来たという事だ。

そうだ。思い返せばこの少年は『端末からデータを引き出していた』。

「これでも何とか『合わせて』みたんですけどね。二航戦はまだ露出がありますし。」

「伊勢型は貴方が?これでは反応が死んでるでしょう?」

読み込んだデータを掬うとまるで死んだ魚が打ち上げられている。鈍重な足周り、杜撰な投影性能、副砲ユニットの不備、何より本物よりも装甲が薄い。

「3年前からデータ更新ありませんでしたし、伊勢を『勝手に弄る』にはいかなかったんですよね。」

「なるほど。」

レナウンはその言葉の意味が理解出来たと思う。確かに軍のデータベースでは重桜艦は一航戦、二航戦、五航戦、金剛型、陽炎型、白露型、高雄型との接敵はあった。

逆を言えばそれ以外は『オリジナル』と呼称される43人の艦船からの情報しかない。しかも、その詳細データを持ち合わせていない為、アズールレーンは軽視、または杜撰な仕様にしているのだろう。

「こちらで伊勢型の情報のアップロード申請しておきます。『オリジナル』の私も納得が行くでしょう。他に利用する艦種は?」

「後は鳳翔、祥鳳の軽母艦船をお願いできますか。」

こくり、と頷き直ちにサーバーにアクセスし始めた。

「これで明日からやりやすくなるはずです。」

「ありがとうございます。」

少年は恭しく頭を下げた。目の前の少女がゆっくりと微笑む。

だが、この二人の裏の心根は誰も見えていなかった。

 

―余計な真似をしてくれる。

 

奇しくも重なる感想に一瞬、空気が軋んだように見えた。

 

 

 

夜。共同スペースで少年がデータの管理を始める。

本日のレナウンの計らいにより『対セイレーン』戦闘は難しくなった。

理由としてはただ一つ、伊勢型のデータが乱雑だからこそ『対セイレーン』戦なのだ。

セイレーンがどの手札を切るか分からない以上、整ったデータで動くのならそれは対セイレーンにはなりえず、『対伊勢型』の戦闘になる。

セイレーンとの接敵は確かに決められたロットが確認出来る様になっている。

スカベンジャー(駆逐型)、チェイサー(軽巡型)、ナビゲーター(重巡型)、コンダクター(空母型)、スマッシャー(戦艦型)。

この五機は下位機種、中位と思しき機体もパッケージ戦役で確認されている。だがいずれも接敵は無かった。

否、触れる前にセンサーを含むモニターが焼き切れたのだ。それだけの火力と兵装のレベルが違う。

確かに伊勢型の本来のデータは強力だと思える。

だが、それでも、未知のデータというものは恐ろしい。手札が見えない以上まともな戦いをしたければ尋常ではない立ち回りが基本になる。

一度の戦闘でどれだけの被害を出さずに相手の手札を出させるか。だが、少年はそれを許さない。

『例え、初手であっても被害を出す事を看過したくはないのだ。』

だが、一度申請されてしまった物は恐らくではなく確実に自分の権限では変えられない。

三年間ひたすら思い知らされた。どれだけ仮想とはいえ飛龍に近づけようとしてもアズールレーンは重桜艦種への興味が無い。

逆にロイヤル、ユニオンの艦種は優遇される。逐次の更新頻度に理不尽を覚えた。

それと言うものの『アルティメット』と呼称される特異艦種の訓練が行き通っているからだ。

嫌になる考えが浮かぶ程だ、何故自分はレッドアクシズの主力艦種にしか適性が無いのだ、それだけを呪った。

だが、それを思い返した瞬間に少年は自分のこめかみを殴りつけた。

「何様だ。お前は。」

泣きたくなるほど自分に怒りを覚える。

自分の現状を落ち着いて考える。恐らくだが上層部は『二週間も待ちたくない』のだろう。傍受した音声に反応した結果だ。

レナウンが早く送られたのはわざとだ。それに彼女自身も対セイレーン戦闘は考えようとしてない。

この部隊の有り方を考えれば確かに重桜艦種の鹵獲、捕縛、強奪、言い方はそれぞれだがデータを取りたいのだろう。

その為に突出した適性指揮官の混成部隊等を考えたのだ。

曹長は駆逐艦種のみ全て問題なく運用出来る。

老人もアズールレーンサイドの主力艦種を。

それから一月遅れて巡洋艦のみに適性を持つ者が配備される予定だ。

ならば少年は?

少年に求められているものは重桜主力艦種のデータ取りだけだ。

そして、データとは全損または破壊されていても得られる物なのだ。何せ艦船は生きている。遺伝子情報が劣化しなければ問題なく吸い出せる。

回収した後の事後処理、その為に適性のある少年を宛がっているに過ぎない。

つまりアズールレーンは重桜主力艦種がミンチだろうが穴あきのチーズだろうが構わない。『そもそも敵性艦種等使う気が無いのだ』。

だが、そんなことはさせたくない。曹長達にも、彼女達にも。

 

―僕のこのワガママを可能とするなら、対セイレーン戦しか無いと思った。

 

その心情が深く、深く浮かんで行く。覆い尽くす思考に飲まれる。

伊勢型でセイレーンへの脅威を認識させ、最も得意とする飛龍で印象を植え付ける。

そうすれば幅広い戦術を可能とする重桜主力艦種に対して二人が脅威ないし重要視をするようになるのではないか。

だが、書き換えられたデータでは二人は何を感じるだろうか、そもそも少年自身が伊勢型を操り切れるかどうか。

 

 

結果は恐ろしいものだった。

少年は知覚出来なかった。

老人は目を見開いていた。

金髪の少女は特に驚かなかった。

その変化を。

 

青年の駆る駆逐艦種が初手で伊勢型を破壊していたのだ。

 

「すまん少佐、多分『もう大丈夫だ。』」

正確には初手ではない、最初の加速からの一閃。少年の見切りを読み、かざした腕に絡み、捻るような回転の後、爪先にてその伊勢型の首を撥ねたのだ。

「多分爺さんも同じだ。『もう勝てるよ。』」

それは心からの言葉だった。

「も、もう一回……。」

少年の縋るような言葉に首を横に振る。少年にはその動作だけで心が闇に囚われそうになる。

 

―曹長達はもう問題なく戦える?

『それは僕が不要であることに繋がってしまう。』

 

―曹長達に頼む?

『彼等に何のメリットがあるんだ。』

 

―脅迫してでも!

『彼との果てしないポテンシャル差も分からないのか、それにレナウンがいる。チップもある。ダメだ。もうダメだ。』

 

「久しぶりに本気で考え込んだ。爺さんからの言葉もあってな。」

青年はとつとつと呟く。少年にはどうでもいいことだ。これでもう自分は完全にお飾りの存在になる。

「この昂りはテレビでスター選手を見た時以来だったよ。」

「そうですか。」

 

―この人を殺すか。いや、そんな事をしてもダメだ何も変わらない。自分が死ぬ前の悪足掻きだ。

 

そうだ。少年は何を思い上がっていたのだろうか。

この二人が自分の予想を上回る速度で強くならないという保証等はどこにもない。

少年は、部下を心のどこかで見下していたのだ。もっと時間がかかると。もっと自分が教えるべきだと。

だが、それ以上に彼を軽視していた。

「願うなら、一緒に戦ってくれるか少佐?」

「……え?」

何を言われたのか分からずに少年が目を白黒にしているとその小さな帽子に手を置いた青年が静かに想いを口にした。

「実際の所、勝てると言ったが君じゃない。敵性の重桜だ。もう問題なく制圧出来ると思う。それでいて俺はこの戦争に勝ちたい。その為には少佐。少佐の『用心深さ』が必要だと思う。力を貸してくれ。『俺が力を持ってくるから』。」

その大きくてとても力強い腕は、歴戦の勇士と呼ぶに相応しく、暖かい男の手が少年の前に伸ばされた。

「あ、貴方には別の命令が下っているはずですよね?何故?」

少年はそれだけが気になった。そうだ。この青年にはこの青年の命令があるはずだ。

それに逆らえばどうなるか分かったものじゃない。彼は人間だ。肉親がいるはずだ。

「母は2年前に癌で、父は5年前にな。大丈夫だ。『俺も爺さんも何ももう無いんだ』。」

その言葉を聞いて少年は膝を折った。

「……ごめんなさい。」

「良いんだ。気にしないでくれ。」

「貴方の両親が居ないと知って、僕は、ぼくは……!」

恥ずべき心を持っている。聞いた瞬間に安堵を覚えたのだ。人の死で安らぎを抱くなど鬼畜のそれだ。

「子供がそんな事を気にするな。君は君のしたい事ぐらい口にしたら良い。上司の思い通りに動くのは部下の務めだろう?」

青年の初めて見せた笑顔に少年の目から涙が溢れ、顔を歪ませながら答えた。

「こんな子供でもない僕の為に……。」

「悪いなユニオン人は子供に見えたら助けるもんだ。少佐これからの命令を頼む。」

軽視した正体のそれは二人の優しさだ。これまで沢山の大人達を見てきたが、どれも奇異な目だった。だが、今気づけた。二人は自分を普通の子供として見ていたのだ。

それに気づいて目をゴシゴシと擦ると真っ赤な顔でその口から告げた。

「中佐並びに曹長の二名は直ちに艦船を『海域』に派遣。ファイアウォールとなる重桜艦の鹵獲を前提とした撃破を願います!」

ぐしゃぐしゃになりそうな声で精一杯の命令を下した。

二人がそれを見て、頷く。

「『それでいいんだ』少佐。『階級や役職に囚われないでくれ。』」

青年の言葉は自分の言葉だった。

だけどそれは自分を良く見せる為の言葉だった。

青年の言葉は少年の生まれや有り様についての言葉だった。

本当に今、少年は心からその言葉に涙を流していた。

「茶番ですね。」

それを見ていたレナウンがぽつりと呟く。

老人はその言葉が聞こえたのか指をくるん。と回すと少女に教えた。

「なんじゃお前さん。寧海嬢に教えられなかったのか?」

それに疑問の眼差しを向けられると老人は楽しそうに語った。

「受け入れられる事も、受け入れる事も一番の強さなんじゃよ。」

「……理解しかねます。」

 

 

早い。早すぎる。

なんだコイツらは。こんなデータ上がってきていない。いや、そもそも駆逐艦の戦い方じゃない。

肉薄魚雷なんて生易しいものじゃない。

完全なる格闘戦だ。

気が付けば投げ飛ばされるか、当て身を叩き込まれ倒れ伏している。

前線指揮を取っていた蒼龍ともう通信がない。意識を絶たれている。

駆逐と戦艦で防衛線を張っているが尽く捩じ伏せている。

その有様に飛龍が叫んだ。

「赤城先輩!ぼくが盾になります!ぼくごと……!」

その言葉と同時にユニオン駆逐艦ラフィーの膝が鼻先を掠る。だが、良く躱した。

妹分の望みだ。これで負けてしまえば最大級の汚点。

飛龍も、躱した体で首と腰を絡めて封じた。これであの駆逐艦は動けない。私は裾から式神とも言える艦載機を展開し、一機でも多く敵を倒す!

「飛龍!褒めてあげるわ!」

 

―「視線を釘付けにされた事をですか?」

 

その言葉でようやく気づいた。私の背後にもうロイヤルネイビーの巡戦が牙を向いていた。

不味い、反応しきれない。

音速の斬撃。

四肢の腱を斬られた。だが、まだ指とリュウコツは動く。せめてこいつらごと纏めて―

「それはさせれないのです。赤城さん。」

解放としようとした掌もどこかへと吹き飛んだ。

「加賀……。」

あの子を、どうにかあの子だけは、薄れる意識の中で自分を姉と呼んでくれる白銀の狐を思い出した。

 

 

『全機急ぎ撤退を!』

少年の指示に心で頷き、軽母艦ロングアイランドは艦載機で鹵獲機を牽引し、巡戦をその直衛に回す。

「回収出来るのはこれが精一杯〜!」

軽母艦が汗を流しながら目をぐるぐるに回して宣言する。引き摺っているのは『蒼龍級』の2人と『赤城』。

「6時方向、距離180、リュウコツ波形『一航戦』!恐らく『加賀』です!」

巡戦が殿を務め、目を細くしながら水平線の向こうの敵の接近を警告する。

『駆逐隊、先行して帰投!』

「は、はい!」

少女達ももう限界だ。戦闘こそ圧倒的だがそれは前提とした作戦が違う。体力は底をついてもおかしくない。

「レナウン!距離120に入った所で艦砲射撃!進行を遅らせるぞ!」

「了解!」

ちきちきちき、とレナウンの腰を包む様な火砲が照準を定める螺子を巻く。

ロングアイランドの進行は遅い。いや、それだけの負荷がかかっている。

予定した距離に対して砲撃。だが相手は何も緩めない。それはつまり、

(相手の進行速度が予想より速い!片道切符で来ている!)

レナウンの感覚は正しい。向こうの敵艦である加賀は死に物狂いでこちらを襲撃しようとしている。

フィールドだけじゃない。更に何かで加速したそれに主砲の間合いより内側に入られた。

「マイケル様!近接戦闘に入ります!」

鞘からその剣を抜くのと同時だった。

眼前まで高速で迫った白銀の狐を思わせる艦船が全身で振り被り、その手刀を振り下ろした。

ばぎん。まるで金属同士の接触音に紛れたそれをレナウンは見逃さなかった。

「艦載機をブースターに!?」

その白き背中に幾重にも食い込んだ蒼い紙葉。

それを知覚した瞬間にその長い脚がレナウン左目を抉るように払われた。

だが、硬い何かが阻んだ。

「悪いがこちらには『これ』がある!」

両腰の砲身が上へ傾き、それを阻んだ。同時に副砲を展開。

何発かは当たったが相手は航空戦艦。この程度では足を遅くするのが精一杯だが。

「『こちらの勝ちだ。』」

その身を後ろに飛ばす。その先には空間の歪み。

艦船達が『海域』と呼ぶ空間の外。

「こちらまで来て戦えると言うのなら来ると良い。」

それは皮肉以外の何物でも無い。

その言葉に反応した敵性艦のそれは、怒りと呼ぶには恐ろし過ぎる程の形相だった。

レナウンの姿が歪みに溶け込んだ後、呪詛の如き叫び声が蒼い空と海に響き渡った。

 

 

海域派遣レポート。

セイレーン中枢域への進行、解析の為の『海域』派遣は概ね成功した。

第1層、問題なく突破。

続く第2層、これも問題なく突破。

青葉、高尾、愛宕の鹵獲に成功。

3機はこちらへの軍門に下る事を容認。

だが、まだ対応指揮官が居ない為かコミニュケーションに難あり。急ぎ補充要員が来る事を望む。

そして第3層、前述の3機からの情報もあって、『二航戦』と『一航戦』が待ち受ける事を察知出来た。

蒼龍級、蒼龍。同じく飛龍。そして、赤城の鹵獲に成功。

赤城は損傷が激しい為、治療に。

二航戦の二名は横須賀基地への配属を希望された。

巡戦レナウンからの報告もあり、1度海域攻略の手を止めるべきと判断する。

レナウンの視覚モニターから見えた加賀の表情は尋常ではない。恐らく次の1戦は出し惜しみ所の騒ぎで済まず激戦は止むを得ないと思われます。

最初から殺す気で行かなければ彼女に間違いなく殲滅されると思われる。

可能ならば彼女もこちら側に招き入れたい。

その為、許可されたい情報の開示があります。

 

 

 

ぼやける様な視界の中で見慣れたようで見慣れない白い天井が見えた。時間は恐らく昼だろうか、電光も含めて明るい。

自分の体はマットの上だ。

碧空が無いという事はここは敵の、いや、戦った相手の本拠地だろう。

右手の感覚は無い。

艦載機は没収されている。当たり前か。ここで暴れさせれる状況を作るバカはいない。

何か喋ろうとしたが音が出ない。ぱくぱくと開閉するだけだ。だが、左の目端に居たそれが立ち上がり驚いたような顔を作った。

「起きた!?大丈夫!?」

それはおかっぱ頭の小さな子供だった。だが軍服を着ている。

白の服はまるで、自分は何も悪い事はしていません。とでも言いたげで、その衣装は私の神経を逆撫でするには充分だ。

それどころかその子供は私の左手を握り締めた。

何なのだこの子供は。馴れ馴れしい。気持ち悪い。

そう思っていた矢先だった。

その左手に素早く文字がなぞられた。

『本国に行くと言わないで君は殺される。』

私は目の前の喜んでいる少年の顔は嘘偽りは無いと思う。だが、恐らくその刻んだ文字も嘘ではない事が『経験から分かった。』

「一航戦、赤城。貴方には三つの選択肢があります。」

少年はその笑顔から澄んだような表情を作り、私の事態を述べる。

「一つ目は、本国に行き、本国防衛の為に責務を果たす事。二つ目はこの横須賀基地、ひいてはアズールレーンの軍門に降る事。三つ目は、これはオススメ出来ません。処分される事です。」

これが刻んだ文字通りなら、生き残りたいというのなら軍門に降れという事だ。

それ以外は死を選ぶのと同義。

だが、私には『別段どうでもいい話だ。』

「処分をお願いしますわ。」

やんわりと、心音も脈拍も変えること無くこの口からそれは出た。

「何故、ですか。」

少年は心底落ち込んだ声を出す。そんな事は決まっている。

「もう人間の道具にされる事なんてまっぴらごめんですわ。どうせ貴方も勝てないでしょう?いえ、そもそも何で子供が?貴方、役に立ちますの?」

それを尋ねると子供がきょろきょろと辺りを伺う。

窓も戸も閉め出した。そして部屋も暗くした。

あぁ、なるほど。

今回の軍はかなりの気狂いで構成されているのね。

今度は子供のおもちゃか。一航戦も落ちぶれた物ね。

舌を、噛み切るか。

「流石は一航戦、赤城です。貴方の質問は正しい。ですけど、今この曖昧な明るさなら僕の姿に見覚えがある筈です。」

何を言って、……いや、待て、有り得ない。

そんな、ことが、これは。

この子供の髪型こそ、今この空間の翳りこそ、『真実』と呼ぶべきそれが見えていく。

「セイレーン?」

目付きや髪の色に体格、差はあるがセイレーン戦艦型の幼体呼ぶに相応しいそれが眼前にいる。

「申し遅れました。アズールレーン所属、デザイナーズチャイルド指揮官、Typeスマッシャー:Re:Ⅰ型。製造コード89番。人類の手で再現されたセイレーンです。」

陰の中で寂しそうな声が響いた。

「人は、もう『そこまで落ちぶれたの?』」

私の口からそれしか言葉が出なかった。

これまで沢山あった。人は私達を喰らう事もあった。人は私達を盾にすることもあった。人は私達で実験をすることもあった。人は私達を玩具にすることもあった。

だが、これは。

これは、何だ。

「貴方達、重桜主力艦種の制御を出来るのほんの1%。六艦制御だと僕を含めて僅か5人しかいません。」

その言葉に喉がひりつくよう乾く。

「『そんな事の為に?』私達等盾にすれば良いでは無いですか。」

少年は首を振って否定する。

「僕は貴方達ならセイレーンを倒せると信じています。」

「そんなくだらない事の為に産まれてきた事を呪うべきでしょう!?」

子供の言葉に怒りを覚えた。

この子供は、まるで私達だ。セイレーンに飼われ、使われ、『それで良い』と認識してしまった、私達だ。

「くだらなくは無いですよ。」

その言葉がまるで私達に言われてるように感じる。不快だ。

「くだらないわ!私達はセイレーンの所有物よ!『重桜に可能性がある』、そんなつまらない理由で私達は生産される!可能性よ!?そんなもの戯言以外の何物でもな……!」

ぎゅぅっ。と少年が私を抱き締めていた。

顔が隣りにあって熱が分かる。それと同時に冷たさがある。これは、

「涙?」

「産まれてきた理由が悲しい事なのは僕もだから。分かるよ。」

少年が震えた声で囁く。歯をガチガチと鳴らしながら続けていく。

「僕も、『僕が誰なのか』分かった時。もう殺してくれって何度も頼んだよ。でもね。そんな時だった。こうやって抱き締めてくれた人が居たんだ。」

そこまで言うと離れて行く。涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら彼は私に告げる。

「『世界に殺されそうになっても、それでも君だけは諦めては駄目だ。立ち上がって1歩ずつ前へ、踏み出す事をやめたなら、それこそ本当の死だ。』」

「……そんなの綺麗事、です。」

綺麗事だ。世界は殺すつもりなんてなかった。とどうせ言う。またはどうして死んでしまったのだ。と分からないフリをする。世界は、人間は、他人は、くだらない世間話の延長線にしか見ない。

「綺麗事だね。でも、僕は君達に生きてて欲しいよ。」

「貴方に何のメリットがあると?」

何も無い。あるとしても私を救った自己満足か、私達を率いるという自己顕示欲か。

「こんな僕でも何かを残せるんだって、君達に幸せを渡して上げる事が出来るんだって、そう思えたなら幸せ以外の何物でもないよ。」

夕暮れのような暗がりで少年は笑顔で答えた。

何で、そんな言葉が、そういう前に少年は答えた。

「これが、僕の『一歩』なんだ。そう信じているから。」

これを、こんな言葉を、こんな想いを、こんな人独りの感情を、口にするのにどれ程の痛みがあったのだろう。

「入隊の条件があります。」

その言葉に少年の顔が明るくなる。

きっと物をねだると思うのだろう。きっと前線指揮権の譲渡をねだると思うのだろう。だが、違う。

「貴方を愛する事を許しなさい。」

少年の驚きの顔を振り払う様に抱き締めた。

そして、その唇を奪った。少年は目を強く見開き、事態が飲み込めずに居たが知るものか。

ゆっくり5秒間その唇を塞いでやり、離すと茹でダコのように顔を紅潮させながら少年が怒る。

「赤城!話を聞いていたの?!僕は人間じゃないんだよ!?」

そんな事、分かり切っている。

「なら赤城もです。」

それに少年は目を伏せながらどもる。

私は、ううん。赤城は、気の遠くなるような地獄の末にこの人に出会えたのなら全てが安い。

「幸せをくれるというのなら、赤城の愛を受け入れて、赤城に愛を囁いて、赤城に未来を指し示して、赤城と共に戦って、赤城を導いてください。『指揮官様。』」

意地悪だと思うだろうか。だけど、この人の傷も含めて愛を知りたいと思ってしまった。

何人かに愛していると言われた。だけど、その愛はおもちゃとしての私か、戦力としての私だった。

だけど、こんな子供が、まるで一輪の花を差し出してくれたような暖かい気持ちされたのは本当に初めてだ。

「僕は指揮官だ。君だけを見ている訳にはいかないよ。」

「なら赤城は貴方の部隊の姉で居る事を宣言しますわ。貴方に近い目線で貴方に仕えます。」

「僕は何か失敗したら、処分されるかもしれないんだよ?」

「なら赤城は全身全霊、粉骨砕身の想いで貴方を支えますわ。」

「僕は君が考えている程、綺麗な生き物じゃないよ?」

「あら、奇遇ですわ。赤城もそんなに綺麗な生き物ではありませんの。」

言葉に詰まっている姿が可愛らしくて、もう一度、その口を塞いでしまう。

今度は目を閉じて受け止めている。可愛い。

「好きです。指揮官様。ううん、好きでいさせてください。それだけが赤城の願いです。」

ゆっくりと想いを伝える。

それに困り顔を作る。急ぎ過ぎただろうか。

だけど、加賀以来だ。取られたくない、とそう思ってしまう程の命は。

「悲しい事になるかもしれないよ?」

「貴方と繋がれるのなら幸せです。」

「別れは唐突かもしれない。勝利だって……。」

「貴方との時間の全てを幸せにする自信がありますわ。」

「酷い命令をするかもしれないんだ。」

「赤城は貴方の全てを受け止めたく思います。」

何秒か、いや何十秒か、それとも何分か、指揮官様は本当に申し訳なさそうに困り顔で幾つも考えている様な仕草の後。自分の考えに頷く。

「分かった。それが君の居てくれる条件なら、認めます。僕に愛をください。代わりに僕は貴方と共に戦う事を許してください。」

嬉しい。赤城の愛を欲しいと言ってくれる。

だから、精一杯の言葉でこの方に赤城を紹介しなくては。

「栄光なる一航戦、無敵艨艟と讃えられる艦隊の赤城と申します。

自慢の艦載機、そして指揮官様と一緒ならどんな戦局でも乗り越えてみせますわ。 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夕方には赤城はもう身体を万全にまで治した。

それと同時だったとも言える。

赤城が台所に立っているのは。

「あ、あの〜?」

アイヴァンが状況を読めずにいると老人が手招きされ、ほいほいと辿り着く。

「逆らうな。間違いなくアレはお前さんぐらい殺せるぞ。」

老人の言葉は善意から来るものだと直感した。

つまり、邪魔をしても、何か余計な事を言っても、彼の命は無い。

スペースは基が軍の物であったからか広さに問題は無い。

今日の、というか暫くはレトルトパウチにひと工夫が関の山だから問題は無い。(後、一週間ぐらいしたら本格的に野菜が届くらしい。)

そう思いながらアイヴァンは自分の仕事をこなす。

人数が増えたが大した差ではない。

だが、彼岸を見ると少し震えを感じる。

 

(料理に恐怖を感じる。)

 

率直な感想。

いや、その行為は果たして料理なのか?

異臭のような何かを感じる。

 

―サバトか?サバトなのか?

 

こればかりはアイヴァンの料理知識が足りない物だ。重桜独自の調味料や調理は異文化ではなく異教と捉えるものなのだろう。

それを皿に盛り付けるのを確認して、「あ、本当に料理だったんだあれ。」と声に出るのを必死に抑え込んだ。

不気味な笑い声も混ざってるから余計にそう思えてくるのだろう。

計4品、作り込まれた品物を鼻歌混じりで運んで行く。

共同スペースから廊下へ、指揮官室と今は呼称されている部屋に運んで行く。

部屋に入ると筋肉達磨と呼べる男性がすれ違い、部屋の中心で黒髪おかっぱの少年が待っていた。

「少佐、お待たせしました。腕によりをかけて、この赤城が作りました。どうぞ、召し上がれ。」

あはは、と少し乾いた笑みをした少年が受け取る。

「美味しそうだね。」

ゆっくりと一つ一つを目に捉え、頷いて手に取り、箸で1品ずつ口に運んでいく。

口に含み、齧り付き、咀嚼し、嚥下し、胃の腑に入れて少年が微笑んだ。

「美味しい。赤城は良いお嫁さんになれるね。」

にっこりと笑顔で伝えられた言葉に赤城が紅潮させた顔を両手で覆い隠す。

どれもこれも食べて、微笑んで感謝の言葉を告げる。

「ありがとう。僕の為に作ってくれて。」

その言葉に背筋を立たせて紅の狐が答えた。

「少佐は統括を任される身、なればこそ相応の馳走をと思った次第です。」

そっか。それだけ呟いて笑った少年は食器を片付けようと運ぼうとするが、遠くで駆け抜ける音が響いた。

「あー!食べちゃってる!」

銀髪にその色と同じ兎のような長い耳。それは重桜蒼龍級、通称二航戦の妹、飛龍だった。

額に汗を浮かべてる所から全力疾走してきたのが分かる。

「何かしら騒々しい。」

赤城が飛龍の言動を諌めようと叱咤の声を上げようとするが、飛龍の声の方が先だった。

「『それ』を舐めたコックが倒れたんです!少佐殿、大丈夫ですか!?」

へ?と赤城が間の抜けた声を上げて、続いて翠色の飛龍と同じような耳を立てた女性が入る。

「桶を持ってきました!少佐殿、失礼を……!」

カン!と少年の前に勢い良く置くと少年の口に手を伸ばそうとしたが、少年に振り払われた。

「大丈夫!大丈夫だから……せっかく、赤城が作ってくれたんだし、吐き出すの勿体ないよ。」

その言葉に赤城の頭が瞬間的に沸騰するような音がした。

「不味かったら不味いと何で言ってくださらないのですか!!」

少年は心で何を思い、あれだけの世辞を述べたのかまるで理解出来ない。それ以上に腹立たしい。

さっきまで嬉しさに赤面していた自分は道化だ。良いようにおだてられて、馬鹿を見せられて赤城は怒りを噛み締めて涙を漏らしているのを見て少年があたふたとしていた。

「ご、ごめんね。本当に大丈夫だし、美味しかったよ。」

「嘘をつくのですか!?」

その言葉に少年が目を泳がせてしまう。

そして、視線を落とし実態を口にした。

「赤城ごめんなさい。本当はね『分からなかったの。』」

その言葉に赤城は睨む。だが、少年のその沈んだ表情に違和感を感じた。

「僕、ううん。『僕達』ね、味が分からないんだ。『効率化』として味覚が省かれているの。」

「は、省く?」

飛龍が反芻した言葉に頷く。

「君達を使うのにとか、資源のスリム化とか、色々な理由が合わさってね。僕が食べてるヌードル、絶対食べちゃダメだよ?お腹が膨れるだけの食べ物だから。」

その味が何なのかは知らない。だが、遊び半分で人間が食べて吐き出している所を見て、自分には本当にその感覚がゼロであることを再認識させられたのを覚えている。

「赤城。」

優しい声が響いた。

「本当に嬉しかったよ。どんな味かも分からなくても僕の為に頑張ってくれて、ありがとう。」

その狐の手を取り、笑顔を作った。

そうだ。彼はもう口にしていた。

『悲しいことになるかもしれない。』

それは、その言葉は、本当に、正しく、人並みの愛も満足に育めない事を口にしていたのだ。

「申し訳ありません少佐。」

取られた手を引っ張り自分の元に寄せる。

「貴方を愛する事、それは生半可な気持ちではいけなかったのですね。」

何が粉骨砕身だ。何が全身全霊だ。

何処もかしこも、言葉の一端にもならない塵芥だ。無力さを噛み締めて、今自分がやらなければいけない全てを考える。

そうだ。彼は口にしたのだ。幸せを残してあげたいと。ならばこんなママゴトを続けるべきではない。

「少佐、お聞かせください。貴方のこれからを。」

その言葉を聞いて、少年が赤城の服の上で頷いた。

「加賀を、君の妹を、彼女を仲間にしたい。でも、きっと、うん。君達と僕じゃなきゃダメなんだ。」

少年の決意に赤城は頷いた。

「その為に何を?」

「明日から二日ぐらい、僕の目指す動きに付き合って貰えるかな?」

だが、

「シミューレーターのリプレイデータを見ました。ぼく達も『ああ使うんですか。』」

飛龍がぽつりと漏らした。

どんな風にこの少年が戦うのか気になって、そして、調べて。その戦い方に愕然とした。

まるで駒、いや、それ以下だ。使い捨ての道具の方がまだマシと思える。

「あれは……。」

「安っぽい希望なんて持たせないでください、死ねと言うなら、死ねと仰ってください。」

その手を握る力が強まる音が響いた。

「覚悟も出来ずにぼくは死にたくない……。」

「飛龍!!」

赤城の叱咤にびくっと跳ねるが、それでも視線は落としたままだ。目の前の少年を信じる事など出来ないのだろう。

「不安だよね。いざという時に僕がそういう手を使わない保証は無いよね。」

少年の言葉に頷く。

「じゃあ約束しよう。次の戦闘で僕は加賀を殺さない。君達を死なせない。絶対に破らない。破ったなら僕を殺してくれて構わない。」

「破った後で貴方がぼく達を殺さない保証がない!」

そうだ。人間は裏切り、簡単に傷付け、踏み躙り、嘲笑う。

その言葉を聞いて、少年が涙を零すのを見ても、飛龍は何も感じない。

「泣き落としなんて……。」

「本当に、酷い目に遭ってたんだね。」

少年の漏らした言葉が心に突き刺さった。

「飛龍。」

そう言いながら少年は飛龍の手を取る。

 

「それでも戦って貰わないと困る。君達は自分の運命を決めたのだから。」

『戦いたくないのなら、良いよ。ここで心が落ち着くまで休んでくれて。』

 

言葉とは反対の有り方をその手の平に刻む。

 

「君達は艦船なんだ。その為に生まれてきたんだから。」

『君達は生きてるんだ。逃げる事だって生きる事なんだから。』

 

その言葉を刻まれても少女の中に不安が宿る。

「ぼくが、ぼくが拒否すれば姉様を……!」

だが、

 

「そうだね。蒼龍の安全は保証できない。」

『大丈夫、二人共僕が守るから。だから、休んでいいんだよ。』

 

それに涙が流れる。

「どうして、そんなことを……。」

使い捨てにすればいい命だ。あんな風に壊していい命だ。痛みも悲しみも苦しみも悲鳴も嘆きも全て全て無視して良い命だ。

その心も遮り、その少年は胸に手を当てて笑顔で答えた。

 

「それが、指揮官なんだよ。飛龍。」

 

長い長い戦いの中、いつも自分の役目は決まっていた。悪足掻きをし、敵を引き付け、戦線を維持し、きっと何の意味も成さない一撃を与える。

少年は手の平を差し出す。

「良いね?飛龍。」

それはそこに答えを刻めと言っているのだ。

「分かり、ました。」

彼女は差し出した手の平の向きを変え、両の手で包み込んだ。

「戦います。ううん、そこまで言うのなら戦ってみせます。」

誓うようにその重なった手に額を付け、ここにいる少年に誓った。

「そう、それで良いんだよ飛龍。」

その言葉は心からのものなのか飛龍には分からない。だが、今誓った自分とこの少年に一切の恥を見せないと固く硬く決意した。

 

 

三日後

予定した日時に重桜航空戦艦が海に出る。

洋上、そこにそれはあった。

空間の歪みとでも言えばいいのだろうか、時空のズレとでも言えばいいのだろうか、明らかに風景がグチャグチャになり空と海の境界線も分からなくなるその場所に三人が辿り着く。

「少佐、海域に到着しました。」

赤城が三機のリュウコツと同期した端末の先に居る少年に話しかけ、それに応える。

「各員、海域到達用振動数展開、到着後即時に艤装展開し斥力フィールドをクォータードライブで常時展開。」

その言葉に従い、メンタルキューブの変形であるリュウコツを目の前の歪みに干渉する様に小さな鈴の音のように鳴らす。

それに呼応した海域と呼ばれた歪みが紫電を纏い、それが三人にも伝う。軋む音が何度かした後、三人は白みを増し、まるで霧散するようにその姿を消した。

次の瞬間、瞳に映るのは見渡す限り蒼。海域だ。

「反応、確認します。」

蒼龍が静かに自分のリュウコツを海面に干渉させ、情報を読み取る。

そこから得られたものは。

「何、この……大質量は?」

凡そ、それは艦船と呼ぶには異常極まりない何かがいる。基盤データとも言えるリュウコツ波形が読み取れない。

既存のデータにも経験上にも存在しない何かだ。

その情報が少年にも伝わった瞬間だった。

「全機!ハーフドライブに出力変動!これは……!各機散開!!」

三人が各々横に避ける。その瞬間だった。一瞬だけ何か赤い筋が見えた瞬間だった。その蒼を焦がす火の激流が駆け抜けた。

「熱線兵器!?」

飛龍が燃え盛る海に反応する。だが、すぐそばに居た蒼龍がその身体を引っ張った。

天から降り注ぐそれに気づいたのだ。

氷の矢が降り注いだ。まるで爆撃だ。当たれば航空戦艦といえど無事ではない。

「氷結兵器まで……!」

赤城の考えからこの武装の仔細はある。セイレーン側に何度も取り付けられた武装だ。

だが片方だけだ。両方は元のキャパシティを超過しリュウコツの摩耗速度を含む全てのデメリットを考慮され1度も付けられた覚えがない。

ならば、この兵器の持ち主は、

「あぁ、すまないお前達だったのか。」

ノイズのように掠れた雑音が混じった声が響いた。

三人のパーソナリティコードから接続した通信が響き、そしてその持ち主の顔も映し出された。

「か、が?」

赤城の喉が悲しみで震えた。

最愛の妹が機械に身体を結び付けたその様を見て、目を、否、世界を疑いたかった。

蒼龍が嘔吐する。

通常、艦船は生物の構造は人と何も変わらない。ならば、彼女が幾つも溶接されたような金属は、無理矢理繋ぎ合わせた結果でしかない。

蒼龍の反応に何も気にせずに加賀が気まずそうに話しを持ち出す。

「すまんな、『こうなって』しまった以上、リュウコツ波形が読み取れないんだ。転移反応と動体反応であのクソ巡戦かと思ってしまってな。三人共、ゴミ共から逃げてきたんだな。凄いな。」

にっこりと賞賛する彼女の狂気に飛龍が奥歯を噛み締めて、質問した。

「加賀先輩。」

「なんだ二航戦の。」

「その、お姿は?」

「あぁ、セイレーンに頼んでな、次来た時に確実に殺せるようにこの身を差し出したんだ。私には少しばかり適性があったからな。姉様への改良用武装だから私とも噛み合ったんだ。」

その言葉に、悲鳴を上げたくなる。

目の前の白い狐がどれほど心を焼き焦がしたのか、きっとその一端も理解できない。だが、こうなったのは自分達のせいなのだ。

「あ、れ?」

加賀が飛龍とのやり取りでなく別の事で気が付いた。三人のパーソナリティコードの前提がおかしい。IFF、敵味方識別を認識出来るその瞳が三人を敵として認識している。

「な、なんで……ねえ、さま?敵に、なんで?」

「違うの!加賀!ここは!少佐は!私達を!貴方も!」

必死な姉の言葉も聞こえはしない。ただ自分の中で物事を整理させ、解答に至るしかない。

「あぁ、そうか、脳を弄られたんだな。」

とてもとても皮肉な事に、とてもとても残酷な事に、その綺麗な微笑みは、これ以上ない暴虐を口にし、

「待っていろ、今、助けてやる。」

殺意を溢れさせた。

今の会話の間、先の二手を溜める時間は稼がれた。

だが、それ以上に三人の心の灯火が今にも消えそうになっていた。

「各員!立ち上がれ!ここで死んでも何にもならないぞ!!」

少年の言葉に全員が心を取り戻す。

一番早かったのは赤城だった。狙いが二航戦の二人であることも理解し、その前に立つ。

裾から式神型艦載機を出し、即席の盾を形成する。

炎の波を遮ったのは僅か数秒、されども三人が助かるには充分な時間だった。脱して次の行動に移る。

「距離を詰めるよ!飛龍を先頭に!赤城を溜めて!蒼龍、対空注意!」

距離120。

その言葉に従い、駆け抜けるのと同時だった。

氷塊がまるで隕石の如く遥か大空から轟音と共に降り注いだ。

「ッ!少佐!」

「蒼龍、飛龍、対空用艦載機!!」

二人が投げた花札が艦載機へと姿を変え、氷山を破壊しようと機銃を撃ち込む。

だが、その速度が少し落ちる程度だ。

「全機全速前進!!範囲から振り抜け!!」

その声と心に呼応し、リュウコツから吐き出される斥力が増幅する。

それと同時だった。白の狐が先頭の飛龍を顔面を貫こうと目前まで来ている事に察知できなかった

「今、助けてやる。」

言葉と共に死を振りかざす。

振り抜かれた手刀、それは容易く躱せた。そこに飛龍は違和感を感じる。

「皮肉だね加賀。」

端末から飛龍に通し、両肩の武装を引きちぎった。

「がぁああっ!?」

無理やり繋げた事で感覚が鋭くなっている。痛みに呻く暇など戦場では死に繋がるそれに気づかないほど愚かな娘ではない。

「君が一航戦のままで居たのなら、勝てる見込みは間違いなくあったのに。」

少年の言葉は真実を射ていた。先の一戦よりも明らかに加賀の反応が鈍い。それが飛龍の違和感の正体だった。

赤城が足を払う。バランスを崩し、そして、妹の眉間寸前に貫手を差し出した。

「加賀、聞いて。私達は私達の意思で少佐に仕える事にしたの。少佐なら、ううん。少佐のお傍に居たい。それが私の願いなの。」

最後通告とも取れる言葉に加賀は静かに笑う。

「そんなに好きなのか。」

「貴方も知れば好きになるはずよ。」

「姉様の物を取ろうとは思えんな。」

「貴方なら良いわ。」

「嬉しいな。そうか。」

微笑んで、そして。

 

「クソ喰らえだ。赤城。」

 

彼女は姉と慕った存在を吐き捨てる様にその名を呟いた。

 

それと同時だった。その躯体が赤く、紅く、赫く、光り輝き、

 

「ええ、それを『知っている』のよ加賀。」

その手を引き、振り絞るように彼女は拳を握り締め、愛する狐の肋を砕いた。

「がッ!」

心肺に支障を起こしたのだろう。すぐにその深紅の輝きは曇り、消え失せ、元の白く美しい肌へと戻った。

「少佐、一航戦、加賀の無力化を確認。これより当該機を連れて帰ります。」

「了解。飛龍、蒼龍、直衛に。」

その言葉に従って三人が海域の外を目指した。

 

 

次の日。

「赤城、加賀の容態はどう?」

少年が治療室へ入ると妹のすぐ側で手を繋いでいる赤城に声をかける。

「少佐、加賀が何をするか分からない以上、ここにお越しにならないでとあれほど……。」

そう、赤城の時とは違う。赤城は妹をある程度理解している。加賀ならば諦めではなく怨嗟を振り撒く、この少年が居たのなら、目に入ったのならすぐさまその命を殺める可能性は高い。

「その必要はない。赤城。」

ベッドから否定の声が響いた。

白の狐が目を開け、溜め息を吐いた。

「そうか、拿捕されたのだな私は。」

加賀は意識が消える瞬間、自分は死んだのだと感じていた。その命を燃やして、せめて最愛の人がこれ以上、汚らしい愛を抱き締めている事を否定したかった。

「人間。応えろ、何故私が自爆すると考えた。」

赤城は加賀をある程度理解している。

だが、加賀の肋を砕いたあの瞬間の姉の表情は自発的にその答えに辿り着いた形ではない。

ならば、目の前の子供がそこに到ったのだ。

自分を理解し、その上で最適な行動を選択した。

「僕が加賀なら、僕も自爆する事を選ぶから。」

少年は真っ直ぐな瞳で答えた。嘘偽りない言葉であった。

「お姉さんが大好きなら、お姉さんを人間なんかに取られたくないって思う。幸せな瞬間をいつまでも描いていられる事を選ぶ。他人に理解されなくても幸せっていうのは感じる心のままにあるはずだから。」

少年は加賀との戦闘の大前提として、加賀はどこかで自爆する事を察知していた。

経験ではなく、加賀の立場を考えたのではない。

『艦船への高い理解を持つ存在』、デザイナーズチャイルドの本能がその答えに辿り着いたのだ。

「人間、赤城をどうするつもりだ。」

それだけは聞いておきたかった。それだけは。

少年は変わらず加賀を見つめながら答える。

「幸せになって欲しい。戦う事は辛いと思う。でもその果てでこの子が笑って生きていける世界があるのなら僕はそれを作る。」

「そうか。」

あぁ、本当に。最愛の姉は見つけれたのだ。愛という言葉で濁した欲望でも、傷付ける為の前提でも、道具として与えるだけの言葉でもなく、幸福を祈ってくれる程の命とようやく巡り会えたのか。

ならばもう思い残す事は無い。

口を開け、その舌を噛み千切ろうと顎に全力を注ぐ。

 

―ぐちゃり。

 

「そこにはね。加賀。君がいなくちゃ赤城は絶対幸せじゃないんだよ。」

少年のか細い声と小さく細い腕に牙が阻まれた。

「少佐!?」

赤城の言葉に少年は手振りで止める。

「大好きで大好きで、何度も意識のない中で妹の名前を呟くぐらい君の事が大好きなんだよ。加賀。お願い、赤城の為にも君も生きる事を選んで。」

痛みよりも、目の前の少女が命を絶つ事に涙が流れる。

震えながらその腕を牙から離す。純白の軍服に濁った赤が染み渡っていく。

「すぐに治療を……!」

「僕は大丈夫。赤城、妹さんと話し合って。これからをどうしたいか。そっちの方が大切だから。」

少年はハンカチを取り出し、噛まれた部位の上を縛るように結び付けながら諭した。

「ね?」という呼び掛けに加賀は強く噛み締め、涙を堪えながら心を吐いた。

「約束してくれ。姉様を泣かせる事だけはしないと。」

その言葉に少年は脂汗を滾らせながら頷いた。今も失血と激痛に苦しんでいるのだろう。

「分かった。負けないし、死なせないし、死なないよう生きるよ。それで良いかな?」

「ああ、姉様を幸せにしてやってくれ。」

涙を零しながら少女は少年に姉を託した。

それを見届けた少年の足がフラつくのを赤城が受け止める。

「赤城、加賀と仲良くするんだよ。僕の事を愛してくれるならお願いね。好きになってくれる人が姉妹で喧嘩なんて僕は見たくないから。」

「わかりました!わかりましたから!!ご自身の心配をなさってください!」

その言葉を聞いて少年は安堵しながら意識を失って笑顔を作っていた。

 

その傷の治療の為、加賀は意識の無い彼の隣で姉とこれからの事を語った。

もうそこにいるのは怒りも憎しみも怨みも殺意も無く、愛おしい姉を慕う妹の姿だった。

 



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5話前編

拝啓、寧海嬢。

初めに貴女とこの様な形でまた接触する事を謝らせていただきます。

 

8年前に貴女がパッケージプロジェクトから艦船の育成に転向し、その実が結び、今我々がその恩恵を預かっている事、感謝の言葉もありません。

 

あの時は本当に申し訳ございません。

貴女にも考えがあることを私は知っていた。それなのにあの様な言葉を吐いた事、到底許される行為ではございません。

然るべき時が来たらこの身を八つ裂きにしてもらっても構いません。

今はそのつもりで貴女に文を送っています。

 

横須賀基地は当初の予定通り改良しました。

西からRA主力寮舎、駆逐寮舎、巡洋艦寮舎、AR主力寮舎。

それぞれの指揮官は各寮舎に部屋を決めての新生活です。

そんな折にこの基地に劉さんが来ました。すっごいボロボロでした。間違いなく貴女と接触したのは分かります。

他の艦船ではまず逃げられます。劉さん鋭いですからね。

メディアで新サクラメントで火災とありましたね。

軍上層部のいつもの隠蔽工作に口が引き攣りましたよ。

 

会ってそうそうタワーブリッジキメられました。

あの人、儂が70代って事分かってないです、たぶん。

予定した給料は1万ドルでしたが1000ドルにまで値下げしてくれました。

劉さんは少佐を見つけるなり抱き上げとりました。

そういえば、あの人の店って学割効きましたもんね。

チャーハン5セント、ラーメン10セント。普通の店だったら潰れます。

食事事情にケチもつけられました。

「野菜ぎょうさんで、肉が無いってどういう事だよ。おい。」

って。儂管理人ちゃいますのに。

 

それについては少佐が軍の機密事項にも触れるあの件を話していました。

はい、そうです。メンタルキューブの肥料加工化です。

それを聞くと劉さんふーん。しか言いませんでした。嫌悪感とか無いんですか?って聞いたら、

「は?家畜の糞だの人糞で人類がどれだけ野菜食ってたと思ってやがる。それが今度は血液だのになっただけだろ?お前変なとこで馬鹿だよな?」

この人、ぐさりと人の弱い所刺してきます。

それから各艦船に嫌いな食べ物、調味料の書き出しを求めました。

各艦船、苦手な食べ物はひとつはあるようで隠しながら書いていましたが、一人、一航戦の赤城が「少佐が苦しい思いしてるというのに食べ物の善し悪しなどで文句を言うわけないでしょう。」と告げると、劉さんしこたま悪い顔しながら。

「え?マジで?じゃあ使っちゃおうかな?行者にんにく。化膿とかスタミナとか骨に良いけど、臭いがキツイんだよなぁ。良かった良かった。綺麗な顔で異臭放つとかシュールだけど問題なくて。」

その発言で赤城って名前に偽りが生まれるぐらい血の気引いとりました。赤城が必死にその名前を書き出して、それから他の子らも必死で苦手な物書いてました。

 

少佐がその苦手な物のリストを見て「データ化しますね。」と端末の筆記読み取り機能を使おうとすると劉さん、いらん。って言って、あの?寧海嬢知ってました?

あの人、客のデータ全部頭の中に入れてるの。

淡々と呟いてましたよ。

確か、

「頭の中に部屋を作るんだよ。てめぇが1番楽で居られる部屋をな。俺の場合は厨房だ。厨房なら全部ある。冷蔵庫の中身を見てメニューを考えるんじゃない。中身を見て客や料理や技術を思い出すんだ。調味料も、オーブンも、鍋も、包丁も、全部思い出せるようになる。」

要は紐付けするそうです。原理は分からないですがこれだけで過去に100人の常連客の名前だけで気に入ってたメニューを提供できたそうです。

この人、規格外過ぎませんか?

 

夕に仕事から帰ってきた艦船にいつか貴女から教えて貰ったグルテンミートでみんな喜んでいました。

いや、うちのメーカーのより完成度高いというか、本格的に肉なんです。

「概念を理解して、再現できるようになってようやく二流。一流はオリジナルを超えるものさ、覚えておきな。」

ってすげぇドヤ顔してました。

あ、後、多分、近いうちに劉さんからのクレームが行くと思います。

書き難いのですが、劉さん少佐のヌードル食べちゃいまして。

食って、噛み潰して、ブチ切れてました。

少佐も宥めてたのですが、口を滑らしてしまい、あの食べ物が複数人に渡ってるの知って、とりあえず、儂が殺されかけました。

 

儂関係ないのに酷ない?

 

それから『彼等』の食事事情である他部隊の艦船への食糧配給問題を知って劉さん、一応は納得してくれました。

 

これからのここの台所事情は少しは楽になると思われます。

 

劉さんのクレームは嵐だと思って諦めてください。

 

敬具

 

 

 

 

やっほーマイケル。

私は忙しいから適当に書いてくわよ。

 

 

まず8年前の事はもう怒ってない。

あんだけ追い込まれたアンタを無視したのは私よ。

確かにアンタは酷い事言ったけど、だからどうした。

私はあの時それ以上に酷い事した。アンタのものでもあるオリジナルキューブの使い道を私は勝手に決めたんだから。

それが事実よ。

だからこの話はこれでおしまい。

 

 

で、劉のヤツとは確かに接触つうか戦闘したわ。

いやー久々にガチで暴れられる機会ないから私も本気出しちゃったわ。

最初は対人用制圧機甲ユニット?とかってのをぶつけたんだけどね。

やっぱだめね。レオンのバカの開発品は。

5分で一個小隊潰されてやんの。

で、さ、何か「貴女は見ているだけだ。」とかほざいてたヤツがぴぃぴぃうるさいのよねぇ。

最初から私が話を終わらせるって言ってんのにさ、聞きもしねぇでさ。

 

 

しかも劉のヤツ暴れまくってるから、鎮圧する必要あるじゃん?だからさ、結構本気でやっちゃった!

あーでも、フィールドは切ったわよ。だってそうでもしないと劉のヤツ、多分、何使ってでも私殺そうとするだろうし。流石に周りの被害深めたくないからね。

いや、師匠超えと思うとさ気が逸って出会い頭に右ストレート叩き込んで、顔面陥没させたけど、アイツその状態で私の顎破壊しようとしてくるんだもの。

寸でで躱して、膝蹴りで金的ぶち抜いたけど何にも反応なくて焦ったわ。

髪掴まれて地面に五、六回叩き付けられたから、着地して叩き付け返してやったら、足掴まれて、あいつ握力結構やばいのね。

 

1回右足折られたわ。んでそれで体勢崩れた腹に頭突き。あれはやばかったわ。死ぬかと思った。

まぁ、頭突きで私の腹筋ぶち抜けなかった劉の負け。腹筋で埋もれた頭部を挟んで潰してやったわ。

 

いえーい!寧海ちゃん大勝利!

 

 

いや。しかし、頭べこべこにされても生きてるのってすげーと思うのよ。

で、ようやくここいらで私が誰か気づいてんのよね。おせーよ。

「んだよ、お前か。」じゃねぇから。私一応お前の元オーナーの娘だから。

で勝ったから、頭げしげししながらアイツのこれから話してたら、横須賀行くとか言い出してさ、んでその理由がさ「人を食った言い方する女のツラぐらい見とくもんだろ。」だってさ!その場で私爆笑したわ流石に。

事情を説明してやったわ。今世界がどんだけ劣悪な手段で事態に対抗してるのか。

すっごい顔してた。

そんでもって恥じていたわ。何か思う所があったのね。

この手紙が届く頃には60名以上の追加人員がそちらに向かってるはずよね。

そして、あの子も。

 

 

マイケル。手に負えなかったらすぐ言いなさい。あれは『怪物』よ。

 

 

 

老人は手紙に伝えたアズールレーン登録された主力艦種寮舎の自室で入り口から最奥に配置したベッドに座って帰ってきた返事に目を通す。

「怪物、か……。」

昔々にパッケージプロジェクトの責任者である二人が仲違いをしたことがあった。

その時に老人は言ってしまったのだ。

 

―あぁ、君はそっくりだよ!あの『母親』と同じだ!良かったな!まったくクリスマスだな!?

 

その言葉の返事は重斥力の衝撃波だった。

寧海の目からこれ以上ない程に光が失われていた。

 

―アンタ、母さんを馬鹿にしたわね。

 

今でも老人の中では一番の失敗だ。

思ってもいない言葉だった。彼女は何度も無力な自分を助けてくれた。恩義こそ感じれど侮辱などあってはならないのだ。

手紙も軽薄な感覚こそ見えるが、手紙で書かせたのは彼なりに計りたかったのだ。まだあるか分からない彼女の中の怒りを。

明るい言葉を刻んでいるはずなのに文字の一つ一つが荒く、怒りを感じさせる。

許した。と書いてあるが、この言葉もきっと嘘なのだろう。

 

 

文章に幾つも幾つも嘘をついて彼女の心木が怒りに溢れている事が見えた。

そう、老人は臆病なのだ。

若い頃の人体改造のプロジェクトも自分のせいに成らなければきっと気には止めなかった。

だが、プロジェクトの失敗のなすり付けが始まって、すぐに自分を含む少しの人間のせいされると自分の所業を洗いざらい書き出して、自分にはどれぐらいの悪い所があるかを自分で証明し、本来はもっと酷い事になっていた左遷を何とか雑用係に納める事に成功した。

その1回は彼にとって非常に勉強になった。

自分の罪を認めると他人は意外と心を見せるのだ。

だからこの手紙も彼女がどれだけ怒り、どれだけ実を結び、どれだけ自分を許しているか、その物差しにしかならない。

 

―プロジェクトは概ね良好、怒りはそこそこ、下手に出ているなら喧嘩にはならない。

 

そして最後の一文は紛れもなく老人を心配しての警告だ。

横須賀基地に配属予定だった最後の巡洋艦専属指揮官、エル・ヴァーノン軍曹。

究極と畏れ敬われる激龍をも怯えさせる怪物。

画像データはもうある。

赤い髪の毛をボサボサにし、ギザギザの歯、鋭い目、肌は荒れていて、顔の一部に出来物が発生している。今年で丁度二十歳。

軍に所属する前に62人の死体を作った女。

『最もセイレーンに近い』と評される忌み名(コード)はスキュラ。

魔女により怪物にその身を変えられ、人を喰らう犬の頭を下半身に持つ化け物なり。

 

 

 

『海域』第七層。

夜を思わせるその暗い海。だが時間はまだ昼過ぎ、しかし海域がその陰を指定している以上それに変更はない。

静かであったその夜に狼の如く、鋼鉄の遠吠えが響き渡る。

それは狩りの合図であった。

防衛用に布陣を駐留していた生体ファイアーウォールの群れの先端が今食い破られたのだ。幾許かの味方の信号をロスト。それも一気に五体。

「!?」

何が起きたのか分からない。ただ途轍もない速い何かが通り過ぎたのが分かる。予測速度から駆逐と推定し対応した防衛陣を組む。

外部接続のシールドを持った重巡艦船を軸に侵攻を阻害。だが、

 

「はっ、なんだそりゃ?」

 

まるでそれを嘲笑うように、その重巡の胴がシールドごと切断された。

「!?!???!」

意思、または自我を保たない生体ファイアーウォールと呼べる重桜艦船には何が起きたのか理解出来ない。

そう、『重巡が駆逐と同じ速度で加速する』等、常識を逸脱しすぎているのだ。

 

そこにいるのは『艤装を反転して装備した』高雄型重巡洋艦の二番艦、愛宕。

腰の刀を抜き、白刃を晒した彼女が洋上に佇む。

それに迎撃行動を実行しようとするが、また重巡が鉄と火の遠吠えを唸り、消えた。

 

「ざっくり。」

 

言葉を合図にするように阻んだ敵性艦船達が薙ぎ払われた。

電子戦仕様を備えたとある敵の軽巡が反応する。

この正体に気づいたのだ。

敵は砲撃反動制御用のフィールドを『わざと』切っている。これにより大口径の砲撃反動を加速に使い自身のスピードと噛み合わせて駆逐の速度を再現しているのだ。

この情報を伝えればこちらの勝ちだ。パターンが読める。

そんな軽巡に声がかかった。

「貴女が指揮をしているのね。」

振り返れば重桜航空戦艦、蒼龍級、『二航戦』の蒼龍がこちらを見下ろしていた。

友軍機が何を言っている。彼女はそこまで思考してようやく気がついた。

この海域に『二航戦は配備されていない』ということを。

いつだ、どうやって、と様々な思考を走らせるが、それは簡単な事だった。

余りにも目の前の重巡の動きに気を取られすぎていた。ただそれだけである。

防御を図るがもう遅い。その手の平の花札は解き放たれた。

「猪鹿蝶。」

さくり、電子戦は首を切断され、その命を絶たれた。

その状況に気づいた残りが継戦の意思を濁らせていると蒼龍が投降の意思の確認を口にしようと動く。

「今ならば……」

その言いも遮るように、猟犬は吼え、残りの獲物を喰らい尽くした。

切り別れた部分が宙に舞い、裂けた場所から飛沫を走らせた。それは蒼龍の顔に跳ね、鉄の臭いでむせ返りそうになってようやく何が起きたかを理解する。

その様に蒼龍が目を張り、口を震わせる。

「貴様ァ!!」

怒りに身を立たせ、愛宕を睨む。

いや、睨んでいるのは愛宕ではない。愛宕を指揮する、女。

 

「何だよぉ?お前を斬らないでやったろぉ?」

 

くつくつと笑いながら歪んだ笑みが映し出された。

エル・ヴァーノン軍曹の厭らしく、嗜虐心で膨れた笑みと言葉に殺意を漏らしそうになる。

「少佐!これを許すというのですか!?」

自身の主に処罰を求めた。だが、

「蒼龍、これは戦争だよ。それで軍曹は前線を務めていた。なら、彼女の独断は許されるべきだ。」

子供の幼い声が響いた。

「そうだよぉ。アイツらを危険だと思ったからね。だから殺さないとダメだと思ったんだよ?」

 

―殺さなくてはいけないのはどっちだ。

 

凶行と呼べる塊の主がまるで正義を語る。

その様は皮肉と呼ぶことすら憚られるほどだ。戦争を免罪符にし、戦場を玩具に変える姿勢に反吐をまき散らしたくもなる。

「各機、帰投してください。帰投後はアジャスト作業を、特に愛宕、バイタルチェック念入りに。」

少年の命令を聞き、海域の外へと足を向ける。

蒼龍も自分の部隊に合流したが、どうにも収まりがつかない。

だが、それは彼女と繋がっている少年もだった。

 

端末の電源を切り、横に座っていた軍曹に穏やかな口調で確認を始める。

「軍曹、今の戦い、貴方にはアレが正解ですか?」

その言葉を聞いて、彼女は引き攣った笑顔で答えた。

「正解じゃん?正解過ぎてやばいじゃん!ハナマルだよ!?相手は敵だよ!?敵は殺さなきゃ!敵は潰さなきゃ!」

咳を切った様に笑いながら答え、少年はそれをただ直視して重ねて問うた。

「確実に相手の戦意が消えているのにですか?」

「そーだよー?アイツらは武器を外さなかった。白旗を上げなかった。全裸にならなかった。ダメだよ、降伏の意思を見せないのは。付け上がるよ〜?」

その言葉に少しだけ眉間に苛立ちの痛みが走った。

「仮にも女の子です。最後を項目に入れないで頂きたい。」

その言葉を聞いて目を開いた後、ぶはっ、と息を吹き出した。

「ねぇねぇ、ボク〜?『これは戦争なんですよ』〜?理由があるから、何したって良いんだよ?それも分からないのかな〜?」

先の言葉を引きずり出しての発言に加えて、目線を極限まで下げる言葉に少年は何も思う所はない。それ以上に言うべき言葉がある。

「歩調も合わせられない、わざわざ自軍の消耗を増やす、そんな戦闘の常識も分からない人がよくも言えますね。」

少年は冷徹に、目の前の女性を評する。

その言葉に笑顔のまま彼女は返した。

「あははは!」

まるでその言葉を待ってたというばかりに赤髪の彼女は腹を抱えて笑い飛ばす。

「ダッチワイフがいるから責任感覚えちゃった?!目出度いねぇ!今度私にも貸して……」

その言葉に少年は跳び、その拳が彼女の鼻を貫こうと繰り出される。

だが、彼女は短く笑うだけだった。

「ハッ!」

軍曹にはまるでスローモーションそのものだった。子供の腕を取り、捻り回して地べたに一度叩き付け、持ち上げる。

 

「どうした人造人間(ゴミクズ)!?しょべぇ動きしか出来ねぇのか!?」

 

ごりっ、と骨が削れるような衝撃が少年の顔に走る。軍曹の腕が少年の鼻を中心に射抜いた。

その衝撃に壁に身体が叩き付けられ、剥がれるように身体が落ちる前に彼女の脚が少年の腹を蹴り抜いた。

胃の中の物が衝撃で飛び出る。だがその口も軍曹の踵で潰された。

「吐くなよぉ!?掃除用の!ドローンが!可哀想!だろぉっ!?」

1つの言葉の区切りに腹に蹴りを1発。血も吐き出した少年を見て紅潮した笑顔を近づける。

「ねぇねぇ、あの赤いの差し出すなら止めてあげても良いよ?代わりにぶっ壊すけどさぁ?」

にたにたと薄気味悪く笑いながら持ちかける悪魔の取り引き。それにぼそぼそと少年が呟くのを見て、髪を乱暴に引っ張り自分の顔に寄せると、

 

―ぶっ!!

 

少年の口から彼女の顔を目掛けて体液を吹きかけられた。

吐き出されたのは少年の口内に溜めた黒混じりの血。それが軍曹の顔を汚した。

その様を見て幼さを感じさせる笑みを浮かべ、

「鏡を見てから発言したらどうですか?不釣り合いですよ?デキモノさん。」

その言葉ですぅっと軍曹の表情から血の気が抜かれると同時だった。

掴んだ少年の髪を振り下ろして少年の頭蓋を床に叩き付ける。

「ぐっ!!」

「死ねよ、木偶人形が。」

立ち上がり、振り上げた脚を下ろし、目の前の肉人形に死を。

 

「あぁ、お前の事だな?」

 

真横にいつの間にか居た筋骨隆々の青年がぽつりと呟く。

咄嗟だった。軍曹は殺気に反応して両腕で威力の中心を殺す様に交差してガードした。

だが、

 

―べきばきばきばきっ!

 

軍曹の予想した威力の桁が違っていた。

金髪の青年の拳はまるで大砲だ。骨を軋ませて、腕を顔に沈めるだけでは済まず、咄嗟とはいえ踏ん張った軍曹の身体を浮かせ壁に叩き付けた。

鈍い音が響き渡り、壁のクレーターからその身体を引き上げる前に筋骨隆々の腕に鳩尾を貫かれ、意識を絶たれた。

「少佐、無事か?」

曹長の言葉に頷くことしか出来ない。

鼻血が止まらないのだろう。下顎も割れているのかもしれない。

一先ず少年を抱えて運ぼうとするが、

「待てよ糞ユニオン。」

速いな。思わず曹長が言葉を漏らしそうになる。

軍曹はもう意識を取り戻していた。

口の中を深く切ったのだろうか、顔を血染めにした彼女が手負いの獅子の様に牙を見せて闘志を吐き出す様に悪態をついた。

 

「勝った気になってんじゃねぇよ不意打ち野郎がよぉ、調子乗ってんじゃねっ!」

パスン。

 

小さな音と共に軍曹の闘志が根こそぎ奪われた。

曹長にだけ視線を向けていたから気づけなかった。麻酔銃を構えた老人に。

「拘束具を持ってきた、彼女はこれに入れて運ぶ。」

「ほほひほほんひょうほはくひんほ。」

少佐が発音出来ず下手くそな言葉を告げたか、老人には理解出来た。

「彼女の内臓の損傷確認じゃな?頼んでおこう。」

「ふぁひ。」

間抜けな声を上げながら少年が頷いた。

 

 

 

「これは!どういう事ですか!?曹長!?」

治療室に赤城の叫び声が響き渡る。愛を誓った少年がミイラの様に包帯で巻かれている現状を問い質した。

「骨折だけで8箇所!内臓と頭部の損傷も見られます!貴方達は少佐がこんな目に遭っている間に何をしていましたの!?」

涙に目蓋を濡らしながらの叫びに男二人が何も言えずにいるとベッドからか細い声が響いた。

「二人は二人の部隊の派遣した各六名のアジャストをしていたんだよ。それを命じたのは僕だし、この状況を招いたのも僕だから、赤城。責めるなら僕に、ね?」

 

アジャスト―艦船はリュウコツという背骨が第二の心臓とも言える。艦船は食った数、傷を負った回数だけ頑丈さという強さは増す。だがそれは『本質的な強さにならないのだ。』

担当する指揮官が描写ないし想像する動作への調整をしなくてはならない。常時の斥力フィールドのナノ単位の放出量調整を皮切りに、リュウコツ波形という海域の情報の素早い読み取り、回避、巡航、高機動、砲撃、近接等、これ等を指揮官のレベルに引っ張られなくては実戦で動くだけの的に毛が生えた程度なのだ。

精神で接続されていれば動作等は読み取れる。

だが艦船は人体とほぼ同じ構造だ。機械ではない。プログラミングされ、パターン化されたモーションを頭脳というライブラリから拾い出していては戦闘で致命的なロスに繋がる。

その為に肉体に調整という形で仕込まなければならないのだ。

 

それの重要性は赤城も認識していると少年は理解している。その上で自分の首を差し出しているのだ。

「だ、ダメですよ少佐ちゃん。下顎の治療したとはいえ喋っちゃ。」

ユニオン所属の工作艦であるシスターとナースを併せた衣装のヴェスタルに優しく咎められるが、それでも少年は赤城を見つめていた。

くすん、とその様に涙を漏らしていたが、その赤城の後ろで、じっ、と睨む白い狐が視線で言葉を送っていた。

 

『姉様を泣かすなと言ったはずだが、貴様は何だ?私との約束など二束三文にもならないとでも思っているのか?良い度胸だな、おい。』

 

僅かだが赤城の妹、加賀の周囲の空気も歪んで見える。それに包帯越しで苦笑いを浮かべるも教授を見やる。

「教授、この基地も人が増えて来ました、色々と運用費の相談があるのですが。」

そう言いながら少年は近くの台に手を伸ばす。

それを見て、老人が意図を理解して椅子に腰かける。

少年の頚椎にはチップが埋め込まれている。アズールレーンが『少年達の情報を正確に収集』をする為に植え付けたシロモノだ。

今もどこかでこの会話は聞かれている。

「まず、概算になるのですが……」

そう言いながら台に乗せた指をリズム良く叩く。

モールス信号、単調だが普通の会話に紛らわせれば理解は難しくなるものだ。

 

 

 

 

エル軍曹の経歴を確認しようとしましたが、権限による閲覧不可となっていました。何故彼女は少佐以下の権限に対して閲覧不可が?

 

それは君達対策と見て正解だ。ある程度だが儂も彼女の情報はある。

 

例えば?

 

例えば、君達デザイナーズチャイルドの初期モデリング個体であるとかな。

 

……は?

待ってください、どうして彼女が、いや、そもそもデザイナーズチャイルド計画は5年前に実行されたんですよね?

 

それは違う。計画責任者であるレオン・ジーは10年以上前から才能ある個体を『分解』してクローニングし、戦力投入する計画を企てていた。

 

彼女は、何か特別なんですか?

巡洋艦の制御にのみ適してるはずですよね?

 

10年前の検査では彼女は適性を一切持っていなかった。

 

適性が、なかった?

……そんな馬鹿な!?摩耗や劣化は有り得ても取得や進化なんて無理だとオリジナル達が断定していたはずです!だから僕達は産まれたんだ!

 

そう、彼女は取得したんだ。人類、いや、オリジナル達の言い方をすれば繰り返される歴史上初の大脳辺縁系と脊椎の交信チャンネルの拡充を可能としたバケモノ。それが彼女の正体だ。

 

……何があったんですか?彼女の身に。

 

彼女は10年前のサクラメントに旅行に来ていたお嬢様だったよ。それまでの彼女はお菓子作りが趣味で将来はお茶会を開くのが楽しみと近所で言われていた。

 

10年前、サクラメント……ファーストコンタクト!?

 

そう、あの娘は家族旅行でサクラメントに遊びに来ていた。だが時同じくしてのあの事件。

彼女の親は避難する人達の無慈悲な逃亡から娘を守る為に死んだんだ。

 

無慈悲な逃亡?

 

人間という生き物はパニックに陥ると我先にと逃げる。そして形振りなど構わないのだ。足元に誰がいようと歩いて生き延びることを選択する。踏み潰しても気にも止まない。娘を庇い頚椎をはじめとして身体全て踏み折られた彼女の親のことなどな。

 

……それが始まりですか?

 

いや、違う。悲劇はまだ前奏にも満たない。

命からがら姉の様に慕っていた使用人と彼女は避難に間に合った。だがその使用人が通帳を持って避難先から姿を消した。彼女のパスポートも売るつもりだったのだろうさ、共にくすねて雲隠れだ。

ユニオンのお役人は相手が幼い身ではマトモに受け取ろうともしない。当時の避難民の1人でしかない彼女はこれで身元保証人もいない、存在しない子供になった。それからニューオーリンズ行きになる前で逃げ出したらしい。まぁ逃げなければ更に酷い目に遭っていただろう。当時のあそこは変態の巣窟だ。

 

それではストリートチルドレンですか?

 

そう、彼女はそこで襲われそうになった。だが、それを助けてくれた強い青年がいたそうだ。

彼女は心から縋ったそうだよ、まさかその日の夜に性的暴行を受けるという事実が無ければ、の話だがな。

 

……。

 

その時らしい『頭の中で酷い音がした。』というのは。それから彼女は誰も信じなくなった。他人も、使用人も、男も。

男を殺めた彼女は同時に空腹だった。本人曰く『出来心から始めた』そうだ。

 

何を?

 

人を食うということを。

 

!?

 

それからその男のツレが来て殺し、それを繰り返し喰らいとねずみ算でもするように喰う人数は増えて行った。

都合50人を食った彼女は一目置かれるなんて言葉が安く聞こえるほどの巨悪となった。

そんな時だった。軍で浮浪者による指揮官採用の遺伝子チェックがあったのは。

何かしら物で釣れば良いからな。浮浪者は集まったよ。そして、彼女も参加した。

 

その時ですか?

 

軍も馬鹿じゃない。避難民時代の時に一度確認は取って照合データの履歴はインプットしてある。そもそもダメ元のチェックだ。だが、そこにある事実は適性の無い少女が『巡洋艦の適性を取得した。』という現実だった。

何が原因なのかは未だに不明だ。強いストレスか、ショックか、時間の経過か、はたまた人を食う事がトリガーだったのか、だがようやく見つけたのだ。軍は躍起になったさ。

デザイナーズチャイルド計画発案者直々の捕物の始まりだ。捕縛に約半年かかったそうだ。

 

それから彼女は?

 

『アルティメット』、否、オリジナル寧海に保護され彼女の元で指揮官としてのノウハウを授かっていた。

彼女の異常な戦闘スタイルはオリジナル寧海でのモーションを移しているから、ああいう形になっている。

 

という事は9年近くも研鑽を積んでいたという訳ですね。

 

寧海も何度か矯正を試みたそうだが一向に治る気配は無かったらしい。

戦闘スタイルもそうだが、彼女は艦船を妬んでいる。

 

妬んでいる?恨んでいるではなくて?

 

セイレーンを殺す事が出来ることが何よりも妬ましいのだ。フィールドを切った艦船を見つけたら間違いなくストリート時代と同じく喰らうだろうよ。力が手に入ると信じてな。

 

そんなまさか……。

 

 

「それではその様に手配しますね。」

偽装した会話の中で少年は抑揚を変えずに起きていた出来事を理解する。

だが、あまりにも、あまりにも、常軌を逸している。

彼女と艦船に違いはあるのだろうか、世界に翻弄され、彼女には寄る辺すら無かった。

力を手にしても尚、居場所を見い出せないのだ。

「そういえば軍曹は?」

検査を頼んではいたが所在は少年の預かり知らぬところだ。

それを聞くと老人は素っ気なく答えた。

「自室だ。拘束具をタイマーセットして後30分で拘束が解除されるな。」

老人の言葉を聞いて真紅の狐がにっこりと告げる。

「そうですか、では行って参ります。」

その言葉を聞いた赤城がやんわりと告げる。

それに少年が制止の声を上げた。

「赤城、行っちゃダメ。」

「少佐をこんな目に遭わせた女を許せと?」

ぶるぶると震える躯体がどれだけの怒りを孕んでいるか少年には理解出来ない。

自身の握力でその手の皮を突き破るのも時間の問題と言える。

それでも少年は止める。

「これは君の問題じゃない。それに僕の問題じゃない。あれは彼女の問題だ。」

それだけ言うとじっ、と見つめていた。

その瞳にたじろぎ、口を結び、項垂れ、拳を握り締めて、少年の前まで歩む。

「ごめんね。君を縛り付けて。僕にそんな権限無いのに。」

少年のその言葉を聞いて、赤城は力無く頭を少年の身体に優しく乗せる。

「こんな酷い怪我、もう為さらないでください。赤城には耐えられません。」

「ごめん。本当にごめん。」

包帯からはみ出た小さな手の平で赤の狐の頬を撫でる。

それを愛おしそうに擦り、少年の熱を受け止めて、その暖かさを反芻した。

その迎棟の二階からやり取りを細かく全て見ていた重巡洋艦船の事など露知らずに。

 

 

 

―横須賀基地、巡洋艦寮、指揮官室

粗末な部屋だった。灯りとなる家具も一切なく部屋の真ん中にマットが敷かれて、それ以外何も無い部屋だった。

そのマットを背にした彼女の部屋は人間味がまるでなかった。

やがて時限式の拘束が解除され、それでも意識は戻らずマットの上で横たわっていた。

そして、そこに映るものは彼女を決して離さなかった。

 

―パパ!ママ!パパ!!やめて!!踏み付けないでよ!二人が何したって言うの!?

 

―……メアリー?待って!行かないで!もう貴方しか居ないの!ひとりぼっちにしないで!!

 

―エル・ヴァーノンです。ロイヤルから来ました。嘘じゃないです!……ぱ、パスポート?め、メアリーが持って……違います!孤児じゃない!アタシは!やめて!!ニューオーリンズになんか行きたくない!!

 

―トミー、ありがとう。助けてくれて。私の王子様。

 

―痛い!やめて!トミー!何してるの!?やだっ!いや!やめっ、いっ!ぐぅぅうっ!ぬい、てぇっ!!

 

―アアアアアアアアアアッ!死ね!死ね!!死ねぇぇえええええっ!!!

 

―誰だよテメーは、あ?トミー?アイツならアタシの腹の中だよ?フカす?んじゃ、会わせてやるよ!!

 

―あっははは!軍人さんつっても大した事ないんだね!?もうアンタで12人だよ!!?楽しいねぇ!!そういう職業だもんねぇ!?

 

―誰だよてめぇ。東煌のメスって嫌いなんだよ。タバコ臭そうな肌してるだろ。

 

―テメェ、人間じゃねぇな……!?先に殴れたのに弾かれるなんざイカれてるだろうが……!

 

―指揮官?お前らを操る?はっ!だったらアタシにその力を寄越せよ!?もっと簡単に殺してやるよ!!どいつもこいつもなぁっ!!

 

 

これまでの自分が映る。組織に、社会に、人間に弾き出された末が人間でない存在を操り、その実力を示す。

なんと馬鹿げた話だろうか。まるでゴミを見ているようだ。

人間にいいよう扱われ、使えないと判断されて捨てられ、使える部分があったからと再利用される。

自分と同じような目に遭った女達は戦う資格を持っていて、自分はそれを指を銜えて見ていろと言うのだ。

 

腹立たしい。妬ましい。羨ましい。

感情が渦巻き、憎しみの色が増す。

同じ女だ。同じ苦しみがあるはずだ。それなのになぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜだ!?

 

「うああああああああああああああっ?!??!!」

赤子、否、PTSD、心的外傷後ストレスを患った者のそれだ。

夢の中で見た光景の衝撃や不満に脳が抱えきれなくなり、身体がただひたすらに暴れまくるのだ。

マットの上で暴れ、肘で緩衝材を潰し、叩き、その薄いカバーを破る。

 

―ふぁさ。

 

「大丈夫。ここは大丈夫よ。」

白い、純白の腕と布が軍曹の身体を包んだ。

「あ、あ?」

そこに居たのは犬のような耳を持つ重桜高雄型重巡洋艦二番艦、愛宕がそこに居た。

「お姉さんがここに居るわ。」

その言葉で己を取り戻し、覚醒した意識が彼女を跳ね除けた。

「離しやがれ!」

両腕を払い除ける。だが、払われたのは軍曹の身体だ。

常時展開している斥力フィールドは人間程度の力では覆すことも出来ない。

それに舌打ちを漏らし愛宕に吐き捨てるように質問する。

「雌犬が!何しにきやがった!?」

その言葉を聞いて愛宕は微笑んで答えた。

 

「貴方の道具になる為に来たのよ。」

 

その言葉の意味が理解出来なかった。

何秒か経過して軍曹が笑い声を漏らす。

「ど、道具だァ!?おもしれぇな!じゃあ今すぐ裸になれよ!?」

「はい。」

即時応答。なんの迷いも無く白の軍服を脱ぎ、インナーも脱ぎ捨てて下着姿になる。

「これで良いかしら?」

その言葉は挑発ではなかった。だが、それでもヒステリックな軍曹の心を怒らせるには充分なのだ。

「アタシを憐れんでんのか!?アタシが無力なのを嘲笑ってんのか!?」

愛宕にとっては的外れな怒号にきょとんとしているとズレに気づき、それを口にする。

「エル軍曹、貴女は強いわ。ここの指揮官達の中で誰よりも強いと私は確信できる。」

「おだてりゃ木に登るとでも思ってんのかよ!?ふざけんじゃねぇぞ!!」

首を振ってそれを否定する。

「ねぇ、『重巡愛宕』って貴方から見てどう思う?」

その言葉に少し軍曹は詰まりかけたが素早く答えた。

「セイレーンを殺せるだけの力があるだろうが!それがどうした!?自慢かてめぇ!?」

その疑問に艦船の表情が始めて大いに揺らいだ。

涙を浮かべて微笑んだ。

それでも口に手を当てて、嗚咽を隠そうとする。

そこで初めて軍曹は戸惑いを覚えた。

その有様に気づいた愛宕が抑えながら事情を口にする。

「ご、ごめんなさい。でもね、嬉しいの。そんな風に『褒めてくれる』のは貴女が始めてで。」

その言葉の意味に軍曹は眉を顰める。

この女が今何を言っているのかまるで理解出来ずにいると、愛宕がぽつりぽつりと語った。

「重巡ってね、高機動戦や海域攻略、それどころか対駆逐艦船戦闘にも向かないって、『よく言われてきた』の。」

 

反応が遅い

敵にまともに当てる事も出来ない

当てても大した威力じゃない

見るだけの艦船

 

『今まで』言われてきた言葉は劣等品扱いの評価か、それともその躯体の品定めか。

何度世界を巡っても、最初こそ自分のポテンシャルを引き出そうとしてくれるが、それが面倒になり、気がつけば何時も戦う事なく、置き去りにされるか、処分されるかの二つで。

後者に至っては、『重巡はコスパが悪いんだよな』の一言で。

それが何よりも辛くて、何の為に産まれて、生きているのかも分からなくなるほどで、だからセイレーンの飼い犬の方が、『まだマシ』なのだ。

 

「それが私の道具のくだりとどう繋がるんだよ?」

 

不機嫌そうに軍曹は尋ねる。彼女の心情など知ったことではない。そんな事を聞いても何も顔色一つも変えるものか。

それを訊かれて、愛宕は軍曹に手を伸ばし、囁く。

 

「初めてなの、あんなにも私を、『愛宕』を強く使ってくれた指揮官は。相性が悪い駆逐も簡単に倒したのは貴女だけなの。エル軍曹。」

 

その事実を果たして軍曹は知っていたのだろうか。

いや、知らない。そもそも艦船がどうなろうと知ったことではない。だが、それなのに、軍曹の思い通りの動きは、圧倒的に見せた戦術は、味方を不快にさせる程の実力は、奇しくも重巡愛宕にこれ以上ない喜びと自信を与えたのだ。

 

「……違う。」

 

「違わないわ。貴女は私の全てを引き出してくれた。」

 

「違う!」

 

「それどころか私に傷も負わせなかった。」

 

「違ぇつってんだろ!?」

 

「貴女になら全部差し出せるの。その為なら……」

 

 

「『他の指揮官共を殺しても良い』か?」

 

 

軍曹の言葉ではない、それは入り口から聞こえた。

怒気を込めるように、殺気を放つように、獲物を睨むように、見下すように、白の狐は部屋の入り口に佇んでいた。

「加賀……!」

その気配にすら気づかなかったが、床に置いた刀を咄嗟に取り、臨戦態勢に入る。

だが、その様を見て白い狐が意外そうな顔を作った。

 

「まさかとは思うが、ここでベラベラとしみったれた話を聞いていただけと思っているのか?」

 

その言葉に反応するように壁が、天井が、床が、波打つように揺らぎ、ぴん。と立ち、そこでようやく愛宕は理解した。

 

―これは一航戦の艦載機!

 

飛行機を模した紙が接した壁や床から浮かび、それぞれがお互いを接触しないように部屋を遊覧するように自由に飛行する。

「お前は言ったな、愛宕?誰よりも強い指揮官がそいつだと。」

加賀が軍曹をみやる。

「その女はお前が死にそうになっても助けやしないぞ。その女はお前を信じようともしないぞ。その女はお前の弱さも理解しようとしないぞ。」

加賀は重く、息を吐くように、軍曹を評し、空間を征した式紙を艦載機へと変貌させる。

それは彼女の殺意であり、凶器であり、意識であり、憐れみでもあった。

「そんな女が強いだと?私はどうも『重巡愛宕』を買い被ったようだな。」

逃げ場はない。あるとするならばあの加速を用いての一点突破だけだ。

だが、艤装を展開しようものならば空間を征した艦載機は容赦なく雪崩込むであろう。

だからこそ、取れる選択肢は1つだった。

「エル軍曹!全て斬り落とすわ!」

鞘から刀身を抜き、構えながら己が指揮官と目の前の空母に告げる。

文字通り、向けられた殺意の全てを斬り伏せる。

そう、愛宕が取れる選択肢はこの1つだった。

確信できる。エル軍曹の力があればこんな状況は幾らでも打破できる。勝てる。間違いなく。

 

だが、応えは帰って来なかった。

 

リュウコツから吐き出される斥力も、意思も、精神も、指示も、イメージすら。

どうしてか分からなかった。だが、入口の狐は嘲笑う。

「『それ』が現実だ。愛宕。」

「黙れ!人間の力を借りてるのはお前も一緒だ!」

その言葉に、加賀の表情が消える。

「それは、面白い冗談だな。」

白の狐のその言葉で黒の犬はようやく考えに至る。

「まさか、うそ……。」

この一芸、部屋を埋め尽くすような艦載機の仕掛け、起動、その全てが。

 

「貴女、独りの、力?」

 

愛宕は知らない。投降した重桜主力艦種達が二日も少年の訓練を受けさせられた理由を。

愛宕は知らない。何故第三層での最後、つまり最も『強い艦船』の位置にいたのが加賀だったのかを。

愛宕は知らない。少年が怯えながらも恐怖に身をやられても空母『加賀』を相手にすることを選んだことを。

 

この戦い方に時間こそ掛かれど、リュウコツに損傷こそすれど『海域レベル』で同戦術を展開できることを。

 

姉妹を失い、正常な思考も、戦術的判断すら喪失した彼女がどれだけ驚く程弱いのかを。

 

「ヤツなら今はごろんと寝ているさ。だから中佐殿に許可を頂いた。」

 

統括である少年が今床に伏せている以上、その役職の真下にいるのは老人だ。

少しばかりの過剰なコミニュケーションの許可は限定的に得ている。

白の狐はゆっくりと、ふてぶてしくも歩いて愛宕に近づく。

 

「どうした?気にするな。斬りかかって良いぞ?」

 

愛宕が少しでも踏み込み、抜いた刃を振りかざせば、痛手を負わせれば、まだ逆転できる。

これだけの艦載機を同期させているのならば、それだけリュウコツに深く細かく繋がっているはずだ。

少しでもその集中を削がれたならたちまち軍隊(群体)は崩れ落ちるはず。

だが、

 

―踏み込めない。

 

どの角度でも、どのタイミングでも、接近して、無防備な姿を晒しているのに、何も出来ない。何をしても『届かない』イメージがある。

息が荒くなる。まるで蛇に睨まれた蛙だ。

口を開けて、吐くことしか出来ず、最早目の前に来た空母に何も出来ずにただただ圧倒された。

 

「愛宕、私の瞳を見てみろ。お前が言った強い指揮官がどうしてるのか、教えてやる。」

 

その言葉に服従するように視線が狐の藍の瞳に吸い込まれていく。

ゆっくりとゆっくりと愛宕から外れた瞳は、部屋の壁を映し、そして、赤髪の指揮官を映した。

 

「な、なんで?」

 

彼女はしゃがみ込み、両膝を両肘で抑え、目をどこまでも強く閉じて、手は耳を塞いでいた。まるで、ではなく確実に現実から逃げる行為であった。

 

唆された人間である軍曹は戦闘以外にまだ選択肢があった。

 

―放棄する。

 

責任を、負い目を、感情を、行動を、意志を、状況を、艦船を、何もかもを。

蹲り、全てをなかったことにするように、何も見ずに、今日の行いも、愛宕を強く動かせることも、培った技能も全て、彼女は知らないフリをした。

それはまるで何時かの誰か達だった。

 

逃げる事に急いだ心無い者達だった。

自分だけが助かればいいと盗みを働いた女中だった。

自分の快楽の為に彼女を傷付けた男だった。

自分を捕らえようとまるで獣のように扱った組織だった。

 

そして、艦船を道具だと認識した自分だった。

 

それでも、それでも軍曹は信じたくなかったのだ。

妬ましいと、怨めしいと、妖しいと、信じて止まない存在を、守れるということを。

 

放棄したのだ。

 

「それが答えだ。愛宕。」

 

「……違うわ。」

 

「何も違わないさ、その女は自分もお前達も道具としてしか見れなかった。それがその『ザマ』だ。」

 

「それの何が間違ってるっていうのよ……!」

 

「『全て』だよ。道具と言い張って命の責任を負えもしない奴が指揮官?猿でももう少しマシな冗談を言うぞ。」

 

「貴女みたいに誰もが強い訳じゃないのよ……!」

 

「それこそ冗談だ。私を征したのは、そこの女がついさっきベッド送りにしたガキだ。」

 

「……っ!」

 

愛宕の口からは力強く結ぶ音だけだった。

 

「今回の件は『無かったことにする』」

 

その一言に愛宕は加賀を睨みつける。

だが加賀の表情は何も変わらない。氷のように冷たく石壁のように強固に思わせる顔はただ今回の処罰を告げるだけだ。

 

「もう変な気は起こすな。」

 

それだけ告げると刀を持った愛宕に感心もなく、振り返って入ってきた時と同じようにゆっくりと去っていった。

 

それを見届け終えた愛宕は今、震え始めた。立ち上がることすらままならず、その場でへたり込んだ。

今まであった喜びも自信も全て全て打ち砕かれて真に力の差を思い知らされたのだ。

 

「どうして。」

 

愛宕が口に出来た言葉だった。

軍曹を問い詰める言葉だけだった。

 

「どうして、貴女が、その気ならあれぐらい!」

 

軍曹に視線を向ける。だが、

 

「〜〜〜〜っ!」

 

耳潰す手、膝を軋ませる肘、食い込むような目蓋、閉ざし尽くした唇。

会話すらの拒否だった。

それにもう艦船は呆れ返ってしまった。

 

「所詮、貴女も道具だったのね。」

 

吐き捨てる様に己の指揮官を喩えた愛宕の瞳にもう光は無かった。

 

粗末な部屋だった。灯りも一切なく部屋の真ん中にマットが敷かれて、それ以外何も無い部屋だった。

マットの上で一人の女が現実から逃げるには充分な部屋だった。

 

 

 

 



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5話後編

次の日

朝日が昇りきらずとも軍事組織アズールレーンから、今日も出撃命令が下りた。

少年がズダボロなのも織り込み済みだ。だが必要とするノルマがある。

『海域』と呼ばれる空間はセイレーンも使う通路である。そこはどこか遠くのアテのない場所に繋がっている。

そこがセイレーンの本陣、とオリジナルの艦船達は睨んでいる。

だが本陣に直接唐突する術などとうにあるのだ。セイレーン側から鹵獲した艦船のデータには一切の嘘はなく本陣のデータだけは把握している。

だが、本当に必要な物はセイレーンの通路構造の解析データだ。

これは各艦船が『海域』に到達した瞬間に読み込みを自動的に始める。

否、ただ、彼女達が居るだけで理解出来るのだ。

 

背骨でもあるリュウコツから放出される浮揚用斥力の反響を彼女達は瞬時に知覚する。(情報が正しいなら直径約4kmがその効果範囲であり、彼女達が200と定めた距離である。)

これによりその『海域の情報』から存在する艦船の放出斥力も読み取り、(これを彼女達は『リュウコツ波形』と呼んでいる。)これらは事細かく認識され、余程の異常が無ければ視認できずとも範囲内なら艦種やクラスまで識別化される。

 

話を戻そう。アズールレーンが欲しいのは通路のデータだ。

今現在の目的は第二、第三のセイレーンの出現を防ぐ事を考えられている。

本陣と呼ばれる何処かから今現在の地球までの道を全て破壊し、二度とその手が伸ばせないように封印する。それが『海域』制覇の目的だ。

その為には3つ条件がある。何層もある『海域』に到着すること、そして高度電子戦仕様の艦船、または『海域』情報の読み取り阻害装置―つまりジャマーを装備した艦船、正確には生体ファイアーウォールと呼ぶべき存在の無力化が求められる。

そして『海域』へと到達する複数の入口毎に構造データは異なる。その為の数合わせのデザイナーズチャイルド達だ。

仮に横須賀が動けないから他にお鉢が回ることなどない。今日も課せられたノルマをこなさなければならないのだ。

昨日と同じ第七層。だが昨日とは同じ風景に見えるがまったくの別の地点への派遣が求められた。

第七層ともなると格段に広い。一度、二度で終わる約一ヶ月前とは話が別だ。

 

「ご武運を祈っています。」

白いベッドの上で包帯だらけの少年の言葉に二人の男が敬礼をすると、専用ルーム『執務室』へと足を運ぶ。

「爺さん、泣き言をそろそろ無くせ。」

その途中で青年の一声に、「え〜。」と老人があんまりだと言わんばかりの顔を作る。

「レナウンに頼り切りなのもやめろ。」

その顔色が悪くなりげんなりとしていたが、青年がひとつ睨むと、

「善処しまーす。」

身なりを縮こませて答えた。

さて、寮舎側から見て別れた寮舎の廊下が合わさった場所に執務室はある。その奥に治療室だ。

執務室に入ると並んだ四つのモニターと端末をはめ込む溝を見る。

可能な限りの長期展開を主軸に置いた端末をよりグレードアップさせるマシンにいつも通りはめ込む。

 

―接続認証、各艦船同期確認、バイタルOK、コンディショングリーン。ハローコマンダー。

 

モニターに映った文字はもうこの1ヶ月何度見たか。

端末に手を置き、二人が操る計6人の娘達の五感が第六感とも言える心で認識される。

だがその状態に目まぐるしさや喧しさ等の不快感は存在しない。入り雑じった情報も何故か彼等の心や脳では違和感すら無い。

「各機、海域に向かうぞ。」

曹長の出す言葉も耳ではなく彼女達は心で聞く。

 

メンタルキューブを加工した艦船への精神接続・操作機能搭載端末の設計計画は40年前も前の話になるがこの技術のスケールは何年先なのか『作った人間達の』気は遠くなるが味方である艦船に言われた通りに組んで出来上がったものなのだ。

艦船の体調、リュウコツを中心とする貯蔵した斥力量の確認、各兵装の調整・照準・装填、艦船の機動、それらが序の口と言わんばかりにオーバーテクノロジーの結晶体である艦船を細部まで(指揮官のレベルにも寄るが)一瞬で動かす事が出来る。

まるで自分の体のように動かす、そして幾つも有る体を何故か自分の体よりも丁寧に扱える。

 

横須賀基地の港湾から海へ、そして洋上の『海域』の入り口である歪みまで3つの目線で景色が流れるが何も違和感などない。

世界が白んだ後にまた陰が覆った海へと辿り着いた。

「各機、共振残響反応の有無を確認、終了次第に全艤装展開。」

洋上の歪みからのアクセスにリュウコツを同期させた反動の有無を確認する。これはあくまでも儀礼的確認でしかないが、もし何かしらの変調があれば接続した精神で理解出来る。

曹長が率いている駆逐艦部隊、ユニオン駆逐艦、チャールズ・オースバーン、鉄血駆逐艦、Z1、同所属駆逐艦、Z23に口頭で告げるが、もう各兵装を立ち上げて戦闘態勢は整っている。

曹長は操作している駆逐艦の目ではなく、自分の首を回して老人を見た。その表情から察するとまだ時間はかかるらしい。

艦船の視覚を借りるとロイヤル巡洋戦艦レナウン級、レナウン、その妹、レパルス、同所属軽母艦、ハーミーズが艤装展開をまだ終えていない。

「ニーミ、今だけは主力直衛、チャールズはニーミの2身前を維持、レーベ、肩の力を抜け、お前が最前列だ。だが、盾にならなくていい。」

言葉が遅くとも納得や理解の為に青年の口から命令を下す。その言葉に艦船達も応え、命じられた通りの配置になる。

今Z1、レーベと呼ばれた少女が最前列と仮定したが、これはあくまで想定に過ぎない。

 

そう、昨日の軍曹は戦術を見せすぎた。

 

「先進リュウコツ波形、急速反応アリ!数90!距離最短40!囲んでます!」

Z23の言葉通り、この夜の海に現れる者達が来る。セイレーンも理解したのだろう。『待ち伏せが余りにも効果がない』ことを。

夜の闇に幾多の紫電が迸り、重桜艦船が歪みから姿を見せた。まるでドアの入り口から入って来たように何も無かった空間から踏み込んで、その瞳に何の光も宿していない無機物に見える艦船がぞろりと囲み、輪の中心に意識を移した。

どごん。と鈍い音もそれと同時だった。

『最前列』と仮定した反対側の陣を、その僅かな時間に金の閃光が串刺しにするように貫いた。

それはまるで弾丸だった。

「正義の鉄拳!」

ユニオン艦船、チャールズ・オースバーンの加速と拳が7機の艦船を殴り抜いた。

それに反応するように残り83の生体ファイアーウォールは振り返り突出した少女に狙いを定める。

「おいおい、俺を無視するなよ。」

『最前列にいた』Z1が踏み込み1番近い敵性艦船の胸に主砲を寄せて斥力を纏わせた砲弾を解き放った。

彼女の特性貫通弾が目の前の艦船の斥力フィールドを貫いて背骨の1部を焼き切り無力化する。

それに反応した近くの敵性艦船がZ1に狙いをつけ榴弾を打ち込む。

残りはチャールズ・オースバーンを。

発砲音が響き渡たり着弾音も合いの手のように続く。

だが、撃ち尽くしてその異常性にようやく気がついた。

Z1は撃ち抜いた艦船をマフラーにでもするように身体を包ませて盾にし、チャールズ・オースバーンはそのまま走り抜けて重巡以下の主砲射程から逃れていたのだ。

ならば、と敵性艦船の主力クラスが狙いをつける。盾も射程距離も今からでは意味を成さない事を思い知らせてやろうと狙いを定めた瞬間だった。

「狙って〜!ポン!」

ロイヤル巡洋艦レパルスの381mm連装砲の方が一手速い。いや、そもそもこの陣形も『効果は薄い』

囲む事で得られる敵性重桜艦船の利点は同士討ちを気にしない所である。ただそれだけ。

生体ファイアーウォールと呼ばれるのもこの一点だ。顕著な存在に食い付き、すぐさま対処を始める。

「直衛維持します!レーベ先輩!左回りに陣を崩して!チャールズさんはかく乱!曹長、『砲台になります』!」

この宣言も敵性艦船は額面通りに受け止め、それに対応する。砲撃止まぬ戦場だが、戦闘モードである彼女達の思考・五感はそれぐらいでは何も揺らがず情報を受け止めることは容易だ。

だが、宣言とは違う動きをその曹長の駆逐隊はこなしていた。

Z1は後退しながらの牽制射撃、チャールズの念入りの各個撃破、Z23は艤装を格納し徒手空拳で近接戦闘に入る。敵を1人、また1人と無力化していく。

生体ファイアーウォールは耳で受け止めた言葉を急速に処理するが、まるで見当違いの動きをする事に困惑、正確には反応が遅れてその虚を突かれていた。

だが、その動きにも反応し、それぞれの動きを潰そうと接近するが、

 

「―マジック起動。」

 

ロイヤル所属、軽母艦ハーミーズの手のカードが舞い、魔法陣のような光を纏えば長方形の紙片から魚雷群が放たれる。

それ等は一度加速し接近した敵性艦船を危険信号で思考を埋め尽くすには充分であった。

炸裂音が響き、衝撃や熱がその場に居た全ての艦船にぶつかる。一部の艦船は目に強い光を浴びて視界の判別も出来ていない。

だが、曹長の駆る駆逐隊は違う。

「良いタイミングだ爺さん。」

横須賀駆逐艦達には至近での爆発用に帝竜カンパニー製の特殊耐衝撃兼耐熱ジェルが塗られている。本来は肉薄魚雷用だがこのアイテムにより味方艦載機による丸ごとの攻撃も視野に入れられていた。

曹長がすぐに三人の駆逐艦の情報を読み取る。

チャールズ・オースバーンの疲労以外は目立ったことはない。

続行だ。

そう考えた瞬間にZ23が報告する。

「曹長、電子戦仕様及びジャマー持ちがこの布陣に居ません。」

視界が潰れた敵性艦船の四肢関節を外しながら告げられた。

最初に囲まれた瞬間の視界とリュウコツ波形データを確認したが目標とも言える敵が居ない。

「気をつけろ。相手はあの藻付共だ。何を考えてるか……」

曹長がそう告げた瞬間だった。

Z23を通して曹長が新たにリュウコツ波形を感知した。敵の更なる転位増援。だが、

「リュウコツ先進波、この数は……」

Z23が読み取った情報を曹長も知覚して眉をひそめた。

 

一体だけ。

 

「先進波形パターンは軽巡、否、重巡!?何で斥力パルスが変動して……!」

読み取られた情報の変化に戸惑う。

敵の斥力放出波形が不安定とも言えるほどに軽巡クラスの斥力放出から重巡クラスへの変動を往復し続けている。

その正体をレナウンの目で見た老人が目を張る。

額の角、鮮やかな茶髪、存在しない艤装、刀身が赤に染まった槍。

まさか、だが、老人の脳と喉は危険を駆逐艦隊と青年に伝えようと叫んだ。

 

「重桜ネームドシップ最上!軽巡兼重巡の『カンレキ持ち』だ!!迂闊に接近させるな!!」

 

その言葉に青年も信じ、今一番近いZ23に距離を取らせながら牽制射撃を放つ。

だが、それをまるで何とも思わないように防御フィールドで弾きながら突進する。

少女達の認識したリュウコツ波形では今は重巡だった。

だが、それも弾丸を受け止めるまでの話だ。

その見た目も読み取った波形もまるで鎧を脱ぎ捨てるように動きすら変わり至近の駆逐艦に狙いをつける。

「こんな!出鱈目な!!」

更に踏み込む瞬間に鎧と波形が変動する。

重巡。一撃必殺の気配を感じ取り、回避を優先した動きで目の前の脅威からの攻撃を躱すが、その背中に弾ける様な音と衝撃に体勢が崩れる。

「がっ!?」

残敵の駆逐艦用火砲による直撃は一度効果を発揮した特殊ジェルでは殺しきれない程であった。

 

―不味い、体勢が崩れて!!

 

目の前の最上が槍を振りかぶる。姿とリュウコツ波形は重巡。間違いなく自分の斥力フィールドごと両断される。そう予感したZ23はせめて接続した曹長へのフィードバックされるであろう精神ダメージを懸念して自分の意思で目と精神の接続を閉じようとする。

 

がぎん。と鋼と鋼が重なり合う音色が夜に響いた。

 

「駆逐隊!私以外の主力の直衛!指定ポイントから叩け!そして……!」

 

透き通るような声がZ23の頬を叩く。こんな所で諦めるなと言わんばかりの声に反応が遅れながらすぐに後退する。

目の前のロイヤル巡洋戦艦レナウンの蒼い上着と金の髪が目の前の敵と拮抗していると荒く揺れる。

 

「分が悪いが、こいつの相手は私だ!!」

 

 

―横須賀基地、治療室

そこまでの戦闘を自身の端末で見て少年は焦り、いや恐怖を覚えた。

「ノーモーションでの仕様変更、斥力放出量、重心、呼吸、間合いの変動。」

何時だったかの対セイレーン用の仮想演習を上回る最上に少年の頭は幾つもシミュレートを始める。

結果は6つ。

駆逐艦隊全てを犠牲にしての撃破。

レナウンごとの艦載機による殲滅。

ハーミーズを盾とした撤退。

現段階からレパルスとの共同戦闘を開始し、最上を撃破し、残りの横須賀の戦力を自爆させた確実な勝利。

残りの2つは思考の外に捨てたくなるような敗北。

 

ただ最上の戦闘力が高いのではない。

状況が悪いのだ。正攻法ならレナウンの圧倒だ。

 

だが、『海域』という空間は向こう、セイレーンの領域。

幾重にも幾多にも捨て駒を呼び寄せる事が出来る空間。

そして―恐らくとはいえ最上はただデータを取られているだけに過ぎない。

それが終わる時間など人間組織の尺度と理解が違う。

リュウコツ摩耗速度も普通の重巡、または軽巡とは比較的にならないはずだ。

使い捨ての道具の末路など分かる。

 

持久戦へ持ち込まれた場合は簡単過ぎる。

制圧されるか、最上に最後の使い道があるかだ。

 

少年は端末に映し出される金髪の巡洋戦艦の戦いの映像を閉ざし通信モードにしてある艦船に呼び掛ける。

 

「加賀、単艦での出撃をお願い。」

 

重桜航空母艦―通称『一航戦』の加賀型一番艦加賀に繋ぐ。

彼女は今部屋だろうか、それとも廊下だろうか、通信から聞こえる音声では歩く音も聞き取れない。

「何故だ?」

加賀は自身の主へ疑問の言葉を投げた。

それに言葉を呑む。彼女が少年を嫌っているのは理解出来ている。この1ヶ月の間1度も出撃どころか精神接続もしていない。だが、それでも今はそんな状況ではない。

「機動力と制圧力が欲しいんだ。僕と繋がるのは嫌かもしれないけど……」

「何故だ?」

加賀の重ねての問いにベッドの上でもたじろいでしまう。

状況を打破する為にも自分の安い頭を下げながら懇願する。

「加賀、お願いします。戦って―」

「今回の敵のデータは私も見ている。」

それにびくん、と跳ねる。

それならば何故だ。加賀の力が必要だと言うことをより理解出来ているはずだ。

少年はそれを口に出すことを逡巡すると、彼女が一息吐いて、状況を正確に告げた。

「あの最上の戦闘パターンの『オリジナル』はどう見てもあの女の操った愛宕だ。踏み込みのクセ、砲撃を用いない近接戦闘、対駆逐用の機動力重視に『中身』を弄られている。尻を拭くのはアイツだ。」

その言葉に言いくるめられる。だが、加賀の言葉はまだ続く。

「確かに私とお前ならば『あの程度』一瞬で始末できるだろう。だがな、この先の戦いも同じ結果だけを残すのならば、お前が願った言葉を嘘にするという事だ。」

加賀の言葉に一ヶ月前の自分の口から出た言葉が脳に再生される。

 

―戦う事は辛い事だと思う。でもその果てに幸せな世界があるのならば僕はそれを作りたい。

 

恐らくはこの言葉だ。少年が確信するとごくりと唾を飲む。

「この先も変わらないのなら、いつかお前は姉様を道具にするぞ。『お願い』『任せた』『君にしか頼めない』そう言ってな。そんな道具に幸せなんか存在しない。それに統括を任されたというのなら部下の後始末を部下にやらせるぐらいの気概を見せろ阿呆。」

罵倒する口調でも声音でもない。それでもこの言葉は少年への成長の期待を孕んでいる事が分かる。

 

―僕と繋がることが嫌かもしれない。

 

そんな考えを抱いていた少年は己を恥じる。陳腐な発想をする彼女ではなかった。

少年の沈黙を加賀が聴くと電子音が響く。通信が切断されたのだろう。

その行動の意味も分かった。

ならばと次に繋げる宛先は―

 

「愛宕。出撃だ。」

 

「軍曹、出撃要請です。」

 

光を失った二人の少女に声がかかった。

 

「嫌よ。」

 

「いやだ。もういやだ。戦いたくねぇ。勝手にやってろ。」

 

二人は拒絶の言葉を力なく呟いた。

その心に闘争の灯火は無いのだろうか。

 

「そうか。」

 

「そうですか。」

 

その言葉に頷き、そして―

 

「いい加減にしろよ貴様!」

 

「何を駄々こねているんですか!もうハタチでしょう!?」

 

叱責を口にした。

 

「良いか!?お前は自信満々になっていたかもしれないがな!そのお前とあの馬鹿女を丸パクリしたような偽物が大手を振って暴れているんだよ!!」

 

「何があったか知りませんけどね!人に暴力や暴言を振るうだけの根性があったのなら勝手にへこたれないでください!へこたれた自分を見せればそれを誰かが見兼ねて助けてくれると思ってるんですか!?そんな頭お姫様してる歳じゃないでしょう!独りで喧嘩も出来ないようならハナから口を閉ざしててくださいよ!?それともぐちゃぐちゃになるようなパンチも貰った事がないとでも言うつもりですか!?どんだけ甘い世界で生きてたんですか貴方は!?」

 

激情に身を任せるような叫びに二人の少女に少し、ほんの少しの灯が燻っていく。

 

「貴様のケツの吹き方も忘れたのか!?『重巡愛宕』!それともお前はそこまでの腑抜けだったか!?」

 

「本当に喧嘩した事がないって言うなら!今から殴りに行ってやるから覚悟しなさいね!!言っておくけど僕は諦めも!しぶとさも!口喧嘩も!説教を垂れるのも!貴方みたいに不平不満だけの欲しがりなお姫様より余程パンチがあると自負していますからね!!」

 

そこまで吼えた二人がお互い壁に意識を移す。

少年は理解した。加賀がすぐに近くに居たことを。

加賀も理解した。少年が自分以上に口汚い言葉で罵っているのを。

そしてお互いに苦笑いを浮かべる。「あまり酷いことを言うなよ。」とでもお互いを評するように。

 

「なんで、なんでそこまで言われなきゃならないのよ……。」

 

「てめぇに何がわかる……。」

 

二人の少女は言葉を終えて歯を軋むほど顎を締める。

だが、帰ってきた言葉は呆気なかった。

 

 

「私の知ってる『重巡愛宕』が―」

 

「僕が理解した『エル軍曹』が―」

 

 

 

―被害者ヅラをすれば救われるなんて、そんな弱い女じゃないと信じているからだ。

 

 

 

「……1分ちょうだい。洋上に向かうわ。」

 

「……1分寄越せ。精々糞共の重桜艦船をぶちのめしたら、そん次はてめぇだパセリ小僧!」

 

 

片方は従うように、片方はこれ以上ないロイヤル『らしい』悪態をついた。

二人の少女が自分の部屋の扉を吹き飛ばすように開ける。

その目にはもう道具として評されることは有り得ないほど生気に満ち溢れ、雄々しさを纏っていた。

 

 

「爺さん!損害状況!」

執務室に青年の声が反響する。

最上の後から次々と現れる生体ファイアーウォールの群れに対処しながら相棒の統べる主力艦船の状況を求める。

「全体損害10%はない!だが、ハーミーズの残弾が次で終わりだ!レパルスは弾を使い切った!!近接戦闘にはい―」

「てめぇら!ぬるい戦闘してんじゃねぇぞ!このすっタコ共!!」

いつの間にか執務室の扉が開かれ、開口一番に一方的な罵声が放たれる。

まるで足元に害虫でもいるかのように機嫌悪そうな罵声の主は、およそここが横須賀基地であることを忘れそうな風体だった。

青のパジャマにフリルのついたスリッパ、部屋着どころか寝巻きの延長線だ。

「状況っ!!」

その風体に気を取られてた二人のうち片方が報告する。老人だ。

「重桜の最上、軽巡兼重巡という異質なのをレナウンが相手をしている!最初はなりを潜めていたが転位増援数が多くて援護に入れん!!」

その言葉を聞きながら、ONにしていた通信先の相手に彼女は叫んだ。

「だそうだ!愛宕!!」

通信先の愛宕からかすかながら波の音が聞こえる。もう『海域』に赴く為に洋上を駆けているのだろう。

「分かった。高機動戦用に―」

その言葉を遮って、嗜虐心に溢れた笑顔で軍曹は答える。

「ばぁか!お前のスペックだったら通常戦闘で、もんじゃだろうが、もみくちゃだろうが、もみじおろしだろうがお構い無しだよ!?」

その言葉に通信先の愛宕から小さく、くすりと形容できる笑い声が漏れた。

「感覚戦闘しか出来ねぇようなゴミカスにアタシが劣らせる程なよってはねぇからなぁ!」

まるでブルドッグや闘犬の遠吠えにも見えるような下品な叫びだった。尋常ではない程の形相で勝ち誇るような叫びに両隣の男性陣が耳を痛める。

それが見えているのか洋上の愛宕は安心を覚えながら、

「任せるわ、エル軍曹。」

到達した空間の歪みに自身のリュウコツを同期させながら愛宕は微笑んだ。

それを見えていないはずだが、彼女は応えるように、へっ。と小さく乱暴な笑顔作って見せた。

 

 

 

Z23とポジションを交換してから7分。

正面のあべこべな艦船からのダメージは無い。

だが、背中や側面からの砲撃で後手に回らされる。

攻めの一手に残りのメンバーが取り零した敵の砲撃を合わせられて防戦一方を強いられる。

「これしきのことで!」

そう叫びながら襲い来る槍を弾く。

ここだ。一撃を叩き込んでこの膠着に―

「姉さん!そっち砲撃行った!!」

妹の注意の声への反応が遅れて着弾範囲内に在った右足が焼かれる。

「機動力が……!」

それを見透かしてるのか否か、軽巡の姿になった最上が舞う様な槍捌きで踊りかかる。

斬り、払い、突き、薙ぎ、振り上げ、石突で殴りかかる。

速さに付き合えず、躱せるほどの余裕も無く、受け止め、乱打の締め括りをまともに貰う。

「ごほっ!」

目が力強く開かられ、次の一打がスローモーションで認識される。

芸がない艦船、いや、生体ファイアーウォールだ。またも両断しようと縦一線を振るう。

だが、ただでは死のうとは思わない。真下に砲身を傾け、諸共に―

 

「しぃねぇえええええええええええっ!!」

 

まるで横合いから突然殴り掛かるような声が『海域』に響き渡った。指揮官の誰かが広域通信で声を発している。誰だ。こんな馬鹿な真似は。

 

ずどん。

 

とそれに遅れてやってきた殺意に燃える鋼が直撃した。そう『私の脚に』

 

「しゃあ!ジャックポットじゃあ!!」

 

おい。何だこれは。何で私は味方に撃たれて景気良さそうな声を跳ねながら、ギャンブルの用語を口に出されているんだ。

右足を完全に吹き飛ばされて、その衝撃で宙を舞いながら、現実を呪いたくなる。

マスター寧海。これが貴方の元で9年研鑽を積んだ姉弟子ですか。幾ら何でもはた迷惑です。

「ちょちょ!姉さん!?」

吹き飛んだ方向にたまたま居合わせたのだろうか、レパルスの声が聞こえる。

背中に彼女の体温を感じる。無事に受け止められたのだろうか。視線を下に落とすが右足がやはり無い。

身体を捻りたくてもそこまでの力も出ない。

「レパルス、そのまま抱えて防御姿勢!アレがシメてくれるそうじゃ!」

「OK!おじいちゃん!」

妹がマスターの盟友を軽んじる敬称で呼ぶことに口を挟みたくなるが、その気力も起きない。

妹が乱暴に背負いながら、鉄の囀りを何度も発するように武器を振り回す。

そんな状況で私は見た。

『普通に艤装を装備した』重巡愛宕。

それじゃダメだ、押し切られる。声に出そうになる。

 

―やらせてみぃ。意外と驚かされるかもしれんぞ。

 

マイケル様の秘匿通信とも言える精神メッセージが私のリュウコツにメンタルキューブの結晶に届く。

ならば、と妹の邪魔になるかもしれないが無理にでも見届けたい。そして、もし勝ったのならば、その時はあの女の頬に全力の平手打ちだ。

 

 

 

距離50、目の前の重巡へ主砲砲撃の牽制をエル軍曹に命じられ放つ。

だがそれも最上には軽いのだろう。相手の槍で両断されてその奥で爆炎が裂けるように溢れた。

正直、私は勝てると思えない。

だけど、彼女の意思は、イメージは、この一撃で固まった。

勝てる。『これぐらい』なら勝てる。自信たっぷりなイメージが溢れかえる。

 

踏み込む。私よりも相手の方が速い。

だが、私の打ち込む場所は最上の槍とぶつかる場所の中心だ。

そこを軍曹が予測して、その場所に対して全力で打ち込む。

 

ばぎん。

 

反動はそんなにない。というか足回りの斥力を重点に放出されている為に安定している。

だが、最上は違う。『なんだこれは』とそんな、してもいない表情を感じる程の打ち合いに体勢を整えながら軽巡の姿になる。波形もその通りになる。

連撃、そう私は読んだ。だが、

 

―ちげぇよ!突撃だ!!

 

私の防御姿勢を矯正しながら彼女が叱咤する。

その言葉通り、速さを軸にした穿撃が私の喉のあった場所に放たれる。

半身ずらして首の皮を掠めた最上の腹に蹴りを叩き込む。

 

「がはっ!!」

 

体液を軽く漏らし、短く叫ぶ声もかき消す様に刀を持った手を逆手にして柄をその音の発生源に高速で届ける。

 

―これで、連撃は『封じた』

 

衝撃を逃がした最上の顔が血に染まる。

鼻からの出血が止まない。呼吸の回転数が落ちた。この状態で連続攻撃をしたとしても数段落ちた攻撃しか展開できない。

選択肢はもうひとつしかない。

 

―愛宕、斥力全開。

 

彼女の命令通り、力の全てを拡げる。

その気配に最上も察したのだろう。あちらも全力の気配が見える。重巡に姿を変えた。

 

今の距離は5。

踏み込み、振り切り、全力の一太刀を浴びせる。

もうそれしかない。

 

―よーい……

 

彼女がまるで遊ぶように、競い合うように、その瞬間に届くように力を溜める。

 

どんっ!!

 

私はその一瞬、何が起きたか分からなかった。

読み取れはした。

 

『最上が軽巡の脚で、重巡の胴で襲いかかったのだ』

 

高速と最強の一撃。

 

「そんな……」

 

本当に驚くしか無かった。

 

―な?『思った通り』だろ?

 

軍曹が『海域』に来る前にこの攻撃は予測できていた。いや、これを絶対に切り札にしたがるとも思っていた。

受け止められることを何も予測などしてなかったのだろう。私の刀が彼女の槍を弾くと胴を仰け反らせて天を仰ぐようにしていた。

 

だが、目の前の重巡を斬り伏せるには力が足りない。必殺の一撃を弾くのにこちらも消耗した。

 

―織り込み済みだ!!

 

彼女が私の手を引っ張る。それに釣られて1歩更に踏み込み、腕をある場所に傾ける。

 

「斥力フィールド『同調』!」

 

広域通信で軍曹が吠える。最上には、いや、私にも理解できない。これは、こんなことを可能とできるなんて普通考えない。

弾いた刀を『最上の槍』に交差するようにように接近させる。まるで騎士の誓いでもするように。

だが、これはそんな上品なものじゃない。

最上の槍に迸る斥力フィールドの出力係数、波形パターンを合わせて、そして。

 

「『反発』!!」

 

言葉通りにその刀身の上半分を振り下ろしながらナノミリメートル単位で下に、下に、弾く。

その技術の在り方はリニアモーターだ。

それが彼女の槍を中心に爆音とも言える音が響き渡り、閃光とも言える煌めきが夜の『海域』を埋め尽くした。

 

「東煌拳法は片方の手で威力を上げて、もう片方の手を相手に『かますんだ』発射台とかにしてな。その応用だ!覚えとけ!」

 

そうだ、少年と老人の言葉にあった。

彼女は9年間、東煌軽巡洋艦『寧海級』寧海に教えを受けていたのだ。

その結果が、この現象であり、音であり、光であり、『重巡の片腕を断たれた』最上なのだ。

 

斬撃を滑らせ、最上の脚を撥ねる。

 

後は心臓を潰す。そうすれば―

 

「ストップだ愛宕。」

 

軍曹が私の手を縛る。それに疑問を持つが目の前の敵を見て、ようやく分かった。

 

「悔しいかあべこべ。」

 

目の前のネームドシップが泣いている事にようやく気づいた。

ここまでして、こんな自分を捨てるような戦い方をしても何も得られないのが、そうだ。私と同じだ。

こんなこと悔しいに決まっている。

 

「今なら、そんな戦い方をしなくても強くなれる人間様のお膝元だ。選べ。」

 

「あっ、あっ、ああああああぁあぁあ。」

 

頷きながら泣き声を響かせた。

気が付けば戦場である『海域』はそれで埋め尽くされていた。

残敵はもう、いない。倒したのか、先の一撃で撤退したのか。

 

「泣いたって何にもなれねぇぞ。泣き止まねぇんなら、てめぇはここに棄てていく。」

 

その言葉に従うように最上の涙が止む。

 

「よし。愛宕、回収。」

 

私もその言葉に従い。欠けた最上の身体を抱き上げる。

まるで赤ん坊のような最上を抱き上げた私を見て繋がった彼女が小さく笑った。まるで産まれてきた妹を祝福するような姉の笑みだった。

 

 

 

同刻、横須賀基地、執務室。

三人の指揮官が端末の機能を落としたのと同時に赤髪の一人が猿のように吠えた。

「だぁらぁっしゃぁぁぁぁ!あんガキじゃああっ!!」

二人の男が耳を抑えて発狂したような音声を遮断するのを見計らって執務室を飛び出て治療室へと駆けていく。

曹長は、ここでようやく軍曹が少佐に襲撃を仕掛ける事を理解し、追い掛けた。

だが、足の速さは彼女の方が上だ。

数メートルしかない廊下を走り抜けて、治療室の扉が開かれる。

ベッドの配置を一瞬で読み取り、そこに殺意を向けて。

 

ぎゅむ。

 

何かに顔を包まれた。

「あん?」

そこにあるのは自分の胸には無い柔らかくも大きい双丘だった。

問題はこれが誰のか、であった。

愛宕はまだ帰ってきていない。ならばこの豊満な胸の持ち主は?

 

「少佐に手出しはさせません。」

 

重桜航空母艦、通称『一航戦』―赤城型一番艦、赤城の胸だった。

それに戸惑いながらも軍曹はその奥にいるはずの少年に罵声を浴びせる。

 

「あんだよ!散々喧嘩売っといて、後になって『助けて〜赤城〜』かよ!お前のサムは萎びてんのか!?あぁっん!?」

 

その言葉に赤城が怒りを漏らしそうになるが、少年は軽快に答えた。

 

「えぇ、そうですよ。僕は弱っちくて、不様で、どうしようもない指揮官です。だから赤城を貴女に差し出します。」

 

その言葉に軍曹が笑う。嘲笑と言ってもいい。

とにかく目の前の状況に笑いが止まらない。

 

「おいおい、統括様がこんなんじゃ辛いだろ?なぁ、赤狐、今からでもアタシに乗り換えろよ。」

 

な?と哀れみの視線を向けていたが赤城は何も表情は変えなかった。

 

「えぇ、私も辛いです。貴女が私に『固執』する理由があるから、というだけで、貴女をこうして抱き締める等というのは……」

 

赤城の言葉に軍曹の脳に言葉が何度も反響する。

何を言われたのかまるで理解できない。

だが、ゆっくりと言葉を再生させて状況を理解しようとする。

 

「エル軍曹。貴女は報復行為の記憶だけで『会話が成立してしまうのですね』」

 

少年の言葉に、軍曹の心がずきりと傷んだ。

ガラスで刺されたように不安感と嫌悪感と無いはずの痛みすら感じるようになる。

 

「1880年代、ある児童が家庭内暴力を日常的に受け、その子は悪さをしていた同級生の顔面に沸騰したお湯を浴びせ続けて、死傷者4名を出しました。本人はこう供述しています。『僕はお祈りを忘れただけで熱湯を腕にかけられたんだ。あれぐらい当たり前だよ』と。」

 

マンハッタンでの出来事だ。

 

「1850年代、ある軍属の兄弟が酔っ払って帰る所、その後ろ姿を若者に馬鹿にされて携帯していた棍棒で顎が引き裂けるまで殴打。その兄弟は日常的に上官から『気に食わない』という理由だけで熱烈な指導が行われており、『それぐらい』なら死なないと考えていたそうです。」

 

オハイオ州に来た兄弟のバカンスの一幕だった。

 

「1840年代、父親と母親が5歳の息子に七昼夜寝ずに教育を施し、脳と精神に障害を、息子は文章を読むだけでパニック障害を起こすほどになりました。両親に事情を聴取すると『小さい頃、私達は両親から熱心な勉強法を施された。だから、私達もするべきだと思う』その言葉に唖然とするしかありませんでした。」

 

こちらは鉄血、ベルリンのエピソード。

 

「暴力を振るわれた人が暴力を上乗せしたりするのは『こんなにも当たり前の出来事だったんですね』」

 

昨日の作戦後の彼女の言葉は、彼女が学んだ言葉ではない。彼女の脳に刻まれているが、それは大きく違う。

彼女が実際に言われていて行われていた出来事なのだ。

敵だから何をしても良いというのも、裸にならないのは降伏の証というのも、少年が胃の内容物を吐いた事に対しての蹴りも。

全部全部、当時の軍曹の脳に刻まれたのだ。

 

―自分が楽でいられる場所を頭に作り、そこに記憶を保存する。

 

この横須賀基地に来た料理人は言った。

ならばもし、楽でいられる場所をズタズタにされ、そこにしか記憶を保存出来ず、そこから情報を抜き取ることしか出来なかったら。

 

人を傷つける会話しか出来るはずがない。

 

優しさを思い出す前に、荒涼としたストリートの反吐を撒き散らしたくなるような劣悪で醜悪で害悪な記憶が何度も反響するのだ。

 

「貴女が赤城に固執するのは僕を馬鹿にしたいからじゃない。赤城に何かを抱いているんですよね?」

 

そう、彼女は二度も赤城を自分に近づけるように指名した。言い方は乱暴だが、何故か赤城を指名していた。

それは彼女なりに接する機会を欲しがっていたのだ。

 

「軍曹、ここが本当の貴女の分水嶺です。まだストリートに『居続けますか』?それともやめますか?」

 

軍曹の瞳はもうずぶ濡れだった。

9年間、オリジナル寧海の元で修行しながらカウセリングも受けた。

自分の言動を治したくても、記憶している箇所の治療は、いや脳に泥のような汚れがこびりついて落ちることはもう無いと言われた。

診察がもう少し早ければ変わったかもしれない。そう言われた。

でも、変われないと言われた時に諦めた。

 

「変われねぇよ、機械じゃないんだぞ……」

 

またも諦めを口にした。

少年は失望するだろう。だが、知ったことじゃない。それがエル・ヴァーノンなのだ。

暴力的で、排他的で、見下す事をもう止められないのだ。

 

「変われなんて言いません。僕はここにいるつもりは無いのかってそれだけしか言いませんよ。」

 

その言葉に怒りを覚えた。

子供の発想だ。どれだけ暴力と暴言と凄惨な世界を生きたと思ってる。

憎いなんて言葉が安い。もっともっと気持ちの悪い何かを抱えて生きている人間の辛さを知っているわけがない。

 

「良いじゃないですか、貴女が『それ』を知っているのなら、僕や貴女の好きな子にそれを聞かせれば良い。そしてその上で僕は貴女と接していきます。僕は『しぶとさも諦めも口喧嘩も貴方よりパンチがありますから』」

 

少年が微笑むような声で諭す。

 

「なんだよ、なんだよそれ……」

 

「歩かなくて良いんです。『そこから』声を出してください。僕は聞きますから。僕に聞かせたくないなら赤城が聞いてくれます。僕の部隊の『お姉さん』ですからね。」

 

目の前の艦船を、潤んだ目で赤城を見上げる。

 

「うわああぁああん……ああああぁあぁ……」

 

泣き声を二つ上げた所で赤城がその胸に軍曹の顔を隠してしまった。そのまま抱きかかえるように子供を部屋まで連れて行った。

入り口で足を止めていた曹長に一瞥するのももちろん忘れてはいなかった。

 

 

 

子供の世話に近かった。

髪を撫でて、背中を摩って、抱き着かせて。

赤髪の女が何度も何度もその行為をループさせては嬉しそうに笑う。

正直目の前のこいつの出撃後の少佐からの通信には驚かされた。

 

「赤城、早速の『酷い命令』なんだ。軍曹と友達になってあげて。」

 

私はその言葉に猛反発した。だけどこの女がどうして少佐を傷付けたのか、傷付けることしか出来なかったのかの説明を受けたら、同情は出来なかったが、理解は出来た。

それに少佐の見立て通りならこのエルという女は少佐に蹴りを入れる時に手加減をしていたようだ。

実際はあの人の肋は左右六箇所にひびと骨折があり、今も治療中だ。

だが、あの女が本気で蹴れば内臓は破け、砕けた骨は臓器に突き刺さり、少佐の状態はもっと酷いことになっていただろう。

 

「あ、あの……」

 

なよなよした口調で私に話しかける。

少しイラつきを覚えるが首を傾げて、聞いてやろう。

 

「『エル、頑張ったわね』って言って貰える?」

 

……私を通して、誰かを投影させているのだろうか。

その言葉を繰り返して声をかけると。

 

「うん。頑張ったんだ。頑張ったけど。アタシ駄目でさ、捕まって、酷い目にあって、悔しかった。悔しかったよぉ……メアリー。」

 

メアリー。誰だろうか。

私を誰にダブらせているのだろうか。

だが、その言葉を終えると私の胸の中で泣き出した。

 

涙を啜る音がどれだけ響いただろうか。

この粗末な部屋は、浮浪児のせめてもの城なのかもしれない。

だとしたら、この部屋を少し変える事を提案しなければ何も進歩はないだろう。

 

友達。

少佐、本当に辛い命令です。

ですが、この赤城、貴方の命令を全うします。

 

 

 

 

 

- [ ]

 





エピローグ

昼の洋上哨戒任務を終えた愛宕が港湾に辿り着く。
少しの疲れを感じるが『海域』への派遣に比べれば軽い仕事だ。
それに単純なトレーニングも兼ねている。常駐フィールド量上昇の訓練、洋上の大量の生物反響の読み取り。
基本的な性能は少しは上がるだろう。
しかし、肩が凝る。腹も空く。

―今日のお昼は何かしら♪

そう思って別棟となった食事スペースの入り口で足が止まる。
紙の幕にメニューが刻まれてる。調理アシスタントのアイヴァン青年の文字で今日のお品書きを読んでいく。

チーフの拉麺・炒飯セット(今日も完売)
野菜ぐつぐつのポトフ(もうすぐ終わり)
鯖の馴れ寿司(完売)
野菜カレー(有り余ってる)
白ウインナー風グルテンミートのプレート(二ーミが泣きそうだから食べてあげて)

「あー拉麺セットー……」

愛宕、いや、艦船一同から人気が高い拉麺・炒飯セットがもう売り切れている。
人数も増えたからメニューも増えたし、手伝う艦船も出てきた。
それでもそのセットメニューは調理チーフの劉だけにしか作れなかった。
アシスタントのアイヴァンもそうだが、シンプルな拉麺だ。拳大のチャーシューと海苔の醤油味の拉麺。
それなのにどんな料理よりも美味しいと感じてしまう。
手伝いに入った加賀がその匂いを嗅いでにやりと笑っていた。
理由はその姉にも教えていなかったが、何かしら細工がされているらしい。
炒飯に至って匂いが鼻をくすぐるタレが焦げて旨味を思わせるジューシーな匂いが溢れかえる。だが、驚く程にすっきりとした味わいなのだ。
食べたかったなー。としゅんとしながら今日はカレーにしようと考えていると、

「おい、手ぇ引っ張んな!ドンコー!」

自分の指揮官の声が調理棟の裏から聞こえた。
それを聞き漏らすことなく音の発生点までゆっくり近づく。
『ドンコー』つまり東煌の者への蔑称だ。となると相手は……。

そこではいかつい調理チーフの劉が、エル軍曹の腕を引っ張って連れていかれそうに見える。

どうするべきか。

これで何かしら違ったら今後の空腹の際に気まずい空気を味わい、美味な料理を損なうかもしれないと思うと見守り、危ないと感じたらすぐに出ていくと判断する。
メシに劣る指揮官とは。

劉はコックコートだったが、彼はそれを普段調理棟の外では着ない。
ということは何かしら料理があるのだろうか。
そこまで考えると引っ張り回すのを止めて、エル軍曹の方向へ振り向く。

「今日からこれ飲め。」

差し出したのは水筒。魔法瓶構造のそれで龍のマークが刻まれている。
それを見るとエルは訝しんだ顔を作る。

「はっ、ヤクか?」

「ばーか、てめぇみてぇな三品には勿体ねぇ代物よ。」

その言葉に怒りを覚えたのか、頬を釣り上げて大男を睨む。

「お前、食事出来ねぇだろ。」

その言葉に愛宕は首を傾げそうになる。
何度か彼女がカレーを食べているところを目撃した記憶がある。それに誰かが彼女に暴力を振るっているような所も艦船達の話にも上がらない。

「前にな、ゴミ捨て場でゴミを食ってたガキに飯を食わせた時を思い出す。味覚が死んでるわけじゃねぇ、だが何でか俺には理解出来ねぇが、お前も『ゴミを選ぶ』だろ?」

それに苦虫を噛み潰したとはこれこのことか、と言いたくなる。そんな顔で劉の言葉を聞いている軍曹に愛宕がようやく理解する。
彼女は食事の後、吐き出していたのだ。
過食症を患った者のように、食べては吐いて、食べては吐いて、そして調理棟のゴミ捨て場で廃棄物で胃を満たしていたのだ。

「中身はなんだよ……」

「ゴミだ。」

劉が腕を組んで自信たっぷりに答える。
エルはその言葉でより強く劉を睨みつけ、水筒の蓋を開けて中身を煽った。
飲むのを一度やめて、より一層睨みを強く、いやもう殺気に満ち溢れた視線を浴びせている。

「ゴミがこんな味するかよ……!」

彼女が感じたのはコクのある野菜味溢れる味わいだった。だがコックは何も表情を変えない。

「野菜と果物の皮や芯を適切に煮詰めて作り上げた俺のゴミ茶だ。」

「あぁっ!?」

「俺の拉麺は基本的に野菜出汁がベースだからな、源流は重桜江戸時代に遡るが、まぁそんな事はどうでもいい。その頃のな仲良くなった坊主とで作り上げた飲み物よ。」

「思い出の品だから何だってんだ!」

「そん時言われたのよ、これは貧しいものや子供の為に作ってやってくれってな。だから、お前さんに出してやらなきゃ、その約束を嘘にしちまう。だから金はいらねー。その代わり毎日これ飲んで肌綺麗にしろ。」

それを言われて彼女が恥ずかしそうに両手の出来物を隠す。
艦船達もあるメーカーの美容化粧品を勧めたが彼女は一向に受け取らないでいた。

「あのガキの指示か?」

少佐の事を思い出しながら軍曹がやるせない顔で尋ねると劉は首を振って否定する。

「俺の独断だ。んでお前の中の認識を改めろ。」

「何を……!」

「ゴミだってな誰かを綺麗に出来んだよ。そんでもって、ゴミだって元々綺麗なんだよ。それくらい知っとけ。その歳で現実知ってますな顔してんじゃねぇ。ムカつくから。」

劉はそれだけ言うと乱暴にコックコートを脱いでその場を立ち去った。
少女は振り返らずに、もう一度水筒の中身を呑む。

「うめぇな、畜生。ムカつくほどうめぇ。」

少女は始めて、この横須賀基地で食事を口に出来た。
美味しいと、心から感じられる飲み物を。








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5.5話

四話での重桜艦船指揮技能を持つ人の外伝です。


季節は夏。

蝉は唸り、雲は畝り、太陽は日照り、そして、

「しょおかぁく!!」

ここ、『鹿児島』基地内の通路スペースで一人の艦船、『赤城』が怒号を振り撒いていた。

「あらあら先輩、どうしたんですか〜?」

 

重桜、航空母艦―通称『五航戦』の『翔鶴級』一番艦の翔鶴、タンチョウ鶴を思わせるようなその銀髪に朱の髪飾りとその翼を思わせるような袖ををした着物の少女が意地悪そうな声と酷く歪んだ顔で曲がり角からひょっこりと表した。

 

「アンタねぇ!どうやったか知らないけど人の艦載機をするめにしてんじゃねぇー!!」

 

赤城の手の平に握られた乾燥した元、ツツイカ目アカイカ科のスルメイカ属のイカをその握力で潰しながら吠えた。

それもうふふ。と笑いながら翔鶴はその袖で笑みを隠しながら赤城に諭す。

 

「あらあら〜赤城先輩にはお似合いでしょう?『アカイカ』ですし?」

 

ぶちん。

 

翔鶴の煽りに、赤城は静かに怒り狂い、再装備した自前の艦載機に手を伸ばそうとするが。

 

「やめなさい。」

 

その頭をはたかれた。

赤城が振り返るとその先には金髪丸刈りの白の軍服を纏った眼鏡の少し太った女性が厳しい視線を送っていた。

 

「赤城、翔鶴、またケンカ?」

二人がその言葉に背くように視線を泳がせて、思わず金髪の女性は溜息をつく。

その仕草に反応した、赤城が角から頭を出した翔鶴を指差す。

 

「エヴァ中尉!私は悪くありません!全部この翔鶴です!」

 

そうだ。思い返すだけでも忌々しい。配属されてからというものの枕はカジキマグロにされているわ、ロッカーにカツオノエボシがいるわ、入ったトイレにイソギンチャクがいるわ。

 

「それでも暴れるのはダメです。やめなさい。」

 

エヴァ中尉と呼ばれた女性に見咎められると何も言えず、しゅんと縮こまってしまう。

それを角からニヤニヤと笑う翔鶴にもエヴァは指を差す。

 

「翔鶴、次、悪さしたら赤城に接近禁止命令よ。」

 

それにびくりと白の鶴が身体を震わせる。すると少し涙を浮かべた。

 

「ひ、酷いです。赤城先輩もエヴァ中尉も、私はコミニュケーションをしているだけなのに〜。」

 

その言葉がエヴァの頭を悩ませる。そう、この2人は決して仲は悪くないのだ。

むしろ、良い。

戦闘ではエヴァの足りない技量を補おうと必死にお互いを高め合い、支えあっている。

だが、非番というか手持ち無沙汰になるといつもこれだ。

翔鶴は仲良くしたい。と言い張るがどうにもその手段が悪辣だ。

 

「とにかく、ケンカのタネを持ち込むのは禁止!良い!?」

 

エヴァはそれだけ言うと廊下を後にした。

何せ、艦船の扱いをあまり理解出来ずにいるのだ。

叱ればある程度譲歩するかもしれないが、これもどこまで効果があるか分からない。

こういう時は専門家に尋ねるのが一番だ。

そう思って急いで自室に入る。

 

 

「艦船同士の過剰なスキンシップの改善ですか?」

 

通信モードにした端末から女のような若い声が響く。

その声に申し訳なさそうに言葉を継ぎ足していく。

 

「というか、どうしてか分からないのですがすぐ喧嘩したがる子がいるんです。えっとそちらから、移送した銀髪の……」

 

「『五航戦』の翔鶴ですか?」

 

「はい。その子です。」

 

それを聞くと端末の先から唸る声が響く、考えているのだろう。これで通信先の『彼』が答えてくれなければ八方塞がりだ。

 

「答えの一つとしては、嫌いだからやっている。ですけど……多分、その娘はですね――」

 

その続きを聞くと、中尉は予想外の言葉に口を結んでしまう。いやまさか、そんな。

そう思っていると通信から何かしらのデータファイルの受信を感知した。

 

「テストベッドとしてこちらのプロジェクトどうでしょうか?」

 

彼の言葉にファイルの中身を急ぎ展開する。端末の枠では狭い為、空間に投影させて概要を読み取る。

 

「これは……。」

「『そういう子』の為のプロジェクトです。」

 

彼は静かに告げる。

 

「少佐殿、少しお聞きしたいのですが……。」

「なんでしょう?」

 

とぼけた声を聞いて、確信する。

 

「このプロジェクト、一朝一夕で提案されたモノではありませんね。」

 

それは『艦船同士のケッコンを可能とする代替装置とした腕輪』

 

つまり、翔鶴の行為はもっともっと赤城に踏み込みたいが、『限度』が存在する事への不満の裏返しと認識することだ。

これは自分のようなあまり容姿に恵まれない人間にはお誂えの装置と言える。美人は三日で飽きると言うが、エヴァのように肥満体質な人間から言わせれば美人はいつまでも美人だ。飽きる訳がない。

だが、それ以上にこれは、このシステム概要はエヴァではなく通信先の『横須賀』基地統括指揮官、デザイナーズチャイルド、製造コード89番の少佐に相応しいモノだった。

 

「そうですね。これはまぁ僕が3年前から『好かれない自分の為に』拵えた計画ですから。」

 

「……少佐殿、差し出がましいかもしれませんが、そちらの功績、手際の良さ、対応策のレポート、それだけの実力があって艦船に好かれないと思うのは謙遜が過ぎると思います。」

 

そうエヴァの言葉は正しい。横須賀基地の部隊は破竹の勢いと言える。鹿児島、正確には中尉はもう三年も前線で指揮していたが、彼女が扱える艦船幅は広いと言えるが操縦技術があまり高くない。

 

その為か、第三層の突破に一年もかかり、今は第六層の取りこぼしの『海域』データを集めているのが精一杯だ。

そんな中、横須賀は稼働して半年も経たずにもう『海域』第十二層を突破している。

それだけでは済まない。彼等が鹵獲した重桜主力にカテゴライズされた優秀な艦船を鹿児島に無条件譲渡されているのだ。

極めつけはセイレーンが用意した『特殊なユニット』と言える相手、『最上』を前提とした対応策、エヴァ本人が対応出来なくても艦船がある程度のカバーをすれば勝率は上がらないが、生存係数は尋常じゃないレベルで上がっていく。

 

「対応レポートの半分はウチの部下の記述ですよ。僕は防衛策だけです。」

 

「映像にあった『あの装備』でですか?どう考えても正気じゃありませんよ。」

 

その言葉に通信向こうの声が少し黙ってしまう。

半ば噂を口にしただけだが、この沈黙でエヴァの中で噂は確信へと変わった。

 

その内容とは横須賀基地の部隊は一切の新造兵器を装備せずに文字通りの徒手空拳でその活路を切り開いていると。

 

艦船の強さは斥力放出量だ。だが、それでは頭打ちがある。だからこそ敵が使う優秀な艤装の破片を回収して復元し、それを装備する必要があるのだ。(これについては艦船の所属先どころか国籍も厭わないユニバーサル規格らしく、艦船が装備出来ると言えれば問題なく使いこなせるようになるシロモノである。)

 

だが、横須賀は回収したその装備も本国の防衛や他の基地に移送している。というのが『人間の指揮官』達の間で噂になっていた。

 

「問題ありませんよ。僕達は今も戦えています。」

 

「失礼しました、上官の戦い方にケチをつけるなど……。」

 

お気になさらず、と端末から優しい声が返ってくる。

こほん、と話を本題に戻そうとしているのだろうか、そんな咳払いの後に言葉が続く。

 

「エヴァ中尉は確か既婚者でしたね。今回のプロジェクトのテストケースとしては丁度いいと考えているのですが、どうでしょうか?」

 

この口振りだとどうあっても使わせるつもりなのだろう。

だが、それでも儀礼的に尋ねているだけに過ぎない。横須賀統括といえば立場は高そうに聞こえるが、実態は違う。

軍事組織アズールレーンに厳重な首輪と頑強な鎖で繋がれた部隊と言える。

この提案されたプロジェクトも『過度な力』を横須賀に渡すのではなく、エヴァ中尉率いる鹿児島程度に渡してどれだけの伸び代があるのかを確認したいのだ。

 

「分かりました。その案乗らせていただきます。」

 

その言葉を聞いて満足そうに息を吐いた音が流れると何か慌てた音が響いた。

通信はまだ生きている。その音声もはっきりと聞こえた。

 

「少佐ぁ〜アイスコーヒーをお持ちしました……今、何を隠しましたの?」

 

「か、隠してないよ!ちょっと腕を落としてストレッチしてたの!!」

 

「あら〜。不思議な体勢ですこと。誰?誰と話してたの?赤城に内緒でどこの馬の骨と――!!」

 

これ以上は聞いていたら可哀想だ。そう思いエヴァは通信機能をオフにする。

これからあの二人を呼んで提案するか。そう思うと気が滅入るが、案外喜んでくれるのかもしれない。そう思うと顔が少し綻んでしまう。

 

 

 

早速二人を呼び出し、新規プロジェクトのあらましを噛み砕いて伝えると、

「私が翔鶴とケッコン!?」

赤城の驚いた声だけがエヴァ中尉の執務室に響いた。右にいた翔鶴は石のように固まったままだ。

「本気で仰っているのですかエヴァ中尉。」

赤城のその言葉に頷く。

艦船同士によるケッコン、人間と艦船が指輪を嵌める事で結ばれ、そしてその絆がリュウコツ結晶の出力係数を底上げすることが出来る。

だが、これを艦船同士で可能とするならば?

人間はいつどこで死ぬか分からない生き物だ。だが、艦船は違う。人間のように病で深刻な程に体調を崩したり怪我で死に至る事は殆どない。(即死の場合は話が別だが。)

それに人間は艦船になれない。艦船もまた人間にはなれない。

 

前線には出れないのが指揮官だ。

1人で複数人の艦船を操れないのが艦船だ。

 

痛みを数字として認識しなければならないのが人間だ。

痛みに怯えるほどの恐怖に晒さなければならないのが艦船だ。

 

「まぁ、二人がそういう感情があればの話だけどね。」

 

見立て、いや聞き立てを真に受けると翔鶴にそういう感情があるかもしれない。

だが、実際はどうなのだろうと二人を見ると。

 

「は、は、は、はははは、はぁ?エヴァ中尉とうとうコレステロールが眼球に入りました?私が赤城先輩を?な、そんな、赤城先輩のどこに……。」

 

「まったくです。エヴァ中尉。こんなぺーぺーの小娘のどこにそんな要素があるっていうのですか。」

 

その言葉にぴしり、と白を基調とした彼女の全身がコンクリートのような色に見えた。

だが、赤城はそれに気づいていない。

 

「人の目覚まし時計を自分の笛の演奏にするわ、小さい子が寝ているというのに笛を吹くわ、ただでさえ戦闘中もやかましいと言うのに……」

 

なんの恨みがあるというのだろうか、戦闘中だけならまだしもぴーぽーぱーぽーと。ことある事に笛の音を聞かせに来る。

そこまで辟易しながら述べて赤城は翔鶴を見た。

 

その可愛らしい瞳から大粒の涙が溢れんばかりに膨張しているのを、そして赤城が観測した事でその涙がだらぁ、と流れ落ちたのを。

 

「そ、そうですよね。私いつも、うるさいですよね。戦闘中も喧しいし、ぴーぴーうるさくて、マジでお前どっか行ってろよ、ですよね……。」

 

どうやら少佐の聞き立ては正解だったようだ。

彼女が笛の音を発するのはそれが艦載機達のパターンを事細かく指示する為の手段である。だが、それ以上に鶴が鳴くのは――

 

親愛なる人に聴いてもらいたかったのだ。

 

戦いの中に身を投じても、自分の音があることを。

朝の光がまた来ている事を共に祝福することを。

ほんの少しの安らぎに寄り添たいことを。

 

エヴァは艦船を理解しようと重桜艦船のモチーフとなっている動物を学ぼうとした事がある。

その中でも鶴という生き物は人間よりも愛情が深いというのだ。つがい、パートナーとなった存在が死してもそれでも寄り添い、その亡骸が消え失せるまで愛し続けるらしい。

 

「しょ、翔鶴?」

 

「いや、ほんとに、私なんかが、赤城先輩と、無理ですよね。赤城先輩、美人ですし、強いですし……。」

 

「翔鶴。」

 

エヴァが声をかけて翔鶴の言葉が止まる。

 

「言ってることと思ってることが違うことなんて生きてりゃ幾らでもある。でも酷いことを言って勝手に自分を後悔させるのは良くない。」

 

その言葉にぴたり、と涙が止まった。

何を言わねばならないか、それを指揮官が指し示してくれたのだ。

 

「あかぎ、せんぱい。」

 

発音が覚束無い。言葉を発するのに臆病になって、今までの自分に恥じて、拒絶されることに恐怖しているのだろう。

 

「私、いい子じゃありません。」

 

「知ってるわ。」

 

「先輩に勝てないからっていたずらしたり悪口がすぐ出ます。」

 

「そうね。」

 

「でも、それでも……。」

 

「馬鹿ね。」

 

そこまで言うと赤城が翔鶴の身体を抱き締めた。

頭を撫でて、ゆっくりとあやす様に優しく髪を梳いた。

 

「『好きだから』『想ってるから』ってそんな言葉を言い訳にして酷いことしてる自覚あるなんてアンタはバカ以外の何者でもないわよ。」

 

「ご、ごめんなさい……。」

 

「無くせ、なんて言わないわ。染み付いてるんでしょうから。でもね、今までのアンタの行動で嫌われたり、殴られたりする自覚ぐらいつけなさいよ?じゃなきゃバカじゃなくて、本当のアホよ。」

 

「せん、ぱい――」

 

「それ忘れたら即離婚よ。バカ翔鶴。」

 

素っ気なく言い渡された言葉に翔鶴の頭が追いつかない。だが、その言葉が何を意味するかを識ると鶴は微笑んだ。

 

目の前の狐がお互いの頬を擦り合わせる。

 

「じゃあ、二人共意思はあるってことで。」

 

エヴァの言葉に二人が頷く。

そんな二人を見て、中尉は思わず癖を出してしまう。

 

「中尉?」

 

赤城が怪訝そうに尋ねて、ようやく自分が癖、二人を両手のフレームで捉えようとしている事に気づいた。

だが、それでも恥じることなく提案を始める。

 

「二人のケッコンさ。私に撮らせて貰えない?」

 

その言葉を聞いて、二人共きょとんとした顔を作ると、鶴と狐が目で会話して頷き。

 

「へたっぴだったら何度でも撮らせますよ?」

 

「良い一枚を期待しております。」

 

鶴の意地悪な言葉も、狐の恭しい言葉も笑って頷いた。

 

 

後日横須賀基地に一枚の写真が送られる。

白無垢の狐と普段の格好の鶴が笑顔で幸せを享受した幸福の一枚だった。

 

 



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5.6話

重桜は夏。

つまりは湿気に見舞われる季節。

今日も今日とて大型の低気圧が通りがかっては雨を降らし、風を強め、波を持ち上げます。

 

生き物は傷があるとその湿気、気圧、雨天により格好つけるわけでもなく、こう言ってしまいます。

 

あぁ、古傷が痛む。と

 

それは俗に言う天気痛というものですが、現在の横須賀は別の痛みに苛まれていました。

 

それは。

 

 

「チキンステーキ10人前。ソースはバーベキュー。」

 

 

駆逐艦操縦オペレーターこと指揮官、曹長が厨房にオーダーを出している事に周りの艦船は気づけませんでした。

 

ですが料理人の劉は、凄い嫌そうな顔で、

 

「は?ベッドで麦でもしゃぶってろよ。」

 

これ以上なく拒絶の言葉を吐いていました。

劉は曹長があまり好きではありません。

一番の理由としては食事がおざなりにもほどがあるからです。

 

朝昼晩、三食グラノーラバーと帝竜カンパニーのプロテイン。

糖分、塩分、ビタミン、たんぱく質、鉄分、亜鉛、葉酸、およそ人間が正常に稼働する分の栄養は摂取できるのでしょうが、これは非常に劉の怒りを買います。

 

食事というものは人間が正常な非情、健全な殺戮、所謂清濁併せ呑むを矛盾にして真理と受け取るべきなのが料理人の最後の常識と捉えているからです。

 

それを、頑なに拒否し、あまつさえ今このクソ忙しい瞬間に何を突発の注文かましてんだてめぇコラおいクソガキ。というのが劉の本音です。

 

「連日の台風で輸送船が出せんらしい。潮の流れや波も洒落にならんらしく、雨量はメッツとヤンキースが仲良く店仕舞いするぐらいだ。」

 

野球は賭けもやらねぇから分かんねぇよタコ!!

と叫びたくもなりますが、言わんとせしことは分かるので黙っています。

そしてその横で小さく今にも死にそうな息を吐きながらお盆をカウンターに乗せた少年が見えました。

 

「すいません。おかゆでいいので100mlぐらいください。」

 

どうやら、今日はかなり風変わりな客が来る日のようです。

 

 

タイトル――ふところが痛い

 

 

仕方が無いので、スープの出涸らしになった鶏のむね肉が賄い飯用にブロックで保存してあるのでそれを調理します。

 

程よく、少しぬるくした野菜出汁の中に入ってただけはあって溶けそうな肉ですが、ハイテクの軍用コンロをバーナーモードにして焼き上げます。

 

少しばかり出来の悪いステーキにはなりそうだな。というのが劉の思う所でしたが、

 

申し訳ありません。

 

という気持ちはありません。この基地のご飯は各自朝の内に注文しないと無くなるぐらいに人員が増えてしまったのです。

 

少し前は作り置きでも良かったのですが、今はもうそれでやったら料理人達が寝る時間がありません。

 

続けて白米をラーメンのスープで似て、これも賄い用の牛すじ肉を一緒にとろ火で煮込みます。

もう残り少ない椎茸、ぶなしめじ、ほうれん草も入れます。

 

ですがその光景に反発する少年の姿がありました。

 

「劉さん!僕は本当にご飯だけで良いですから!白いおかゆで!」

 

「白粥つうのは、今から失敗するかもしれません。そんぐらい疲れてます。ってやつが喰うもんなのよ。一国一城の主がしっかりとしたモン食わないでどうするよ?」

 

それを言ったら湯漬けを好んで食した各武将達は一体。と言いたくもなりましたが、言ったら絶対に反論されるな。と少年は諦めます。

 

「あれ?珍しいですね。少佐がここに来るなんて。」

 

びくっ。と少年の体が声に反応します。

今は会いたくない子達に会うことが一番辛かったから、でもそれを言い訳にして冷たい態度を取るわけにも行かない。

 

そう覚悟して声をかけてくれた銀髪の重桜航空母艦、飛龍に挨拶します。

 

「や、やぁ飛龍。」

 

引きつった笑みには飛龍は気づきませんでしたが、隣にいた翠の重桜航空母艦、蒼龍は気づきます。

 

「少佐、ひょっとして……。」

 

そうだ。言わなくては。

 

「ご、ごめんなさい。『今から資源を無駄にします』。」

 

その言葉の冷たさに二人が思わずどきりと表情を失います。ですが、

 

「あぁ?」

 

その言葉にどす黒く反応したのは他でもない料理人でした。

 

「おいゴラァ!クッソタレーン共!」

 

それは少年にも、ましてや艦船達にも言っている訳ではありません。

少年の身体を通して、少年の一言一句を聞き漏らさずにいるアズールレーン、デザイナーズチャイルド管理部(というものがあるのも劉は知りません。)への恫喝でした。

 

「余りにもてめぇらクソどもが将兵の何たるかを知らねぇからな!俺が直々に教えこんでやってんだよ!文句あんならかかってこいよ!?テメェら如きに負けるようなら料理人やめたらァ!!」

 

それを間近で言われた少年はその殺意に溢れた形相に震えて泣きだしそうになりますが、それ以上に自分の言葉が余りにも軽率だった事を痛感します。

 

「ごめんなさい。」

 

それだけ、それだけは言えましたが、劉の怒りは少年に対してではありません。

それを言わせる程の『教育』をしたジョンブル共への怒りでした。

 

「粥は持っててやるから待ってろ。」

 

どうにか怒りを収めた劉からその言葉だけが出されました。

頷いて、とぼとぼと惨めに歩いて行き、適当な座席に座ります。

 

何をやってるんだろう自分は。

 

少年の心がまるで空洞のように何度もその言葉が反響されます。

物資輸送を頼んだのは三週間前、ですが急な配送命令が下り、それにより二日遅れ、五日遅れ、気がつけば縺れに縺れて今はこの有様。

 

ちゃんと余裕を持って頼んだのにな。

 

みんなのご飯を無駄にして。

 

曹長にも迷惑かけて。

 

っていうか僕は劉さんに伝達し忘れてたのかな。

 

と思いましたが、それは単に余りにも仕事が忙しく劉の助手の黒人青年アイヴァンに伝えてしまった事がある種の原因でした。

 

彼は最悪なレベルでズボラだったのです。

 

ただ、だとしても、それを考えなかったのは少年のミスとして捉えてしまいます。

 

指揮官失格だ。

 

無能を責める声が響き渡ります。

 

「少佐、ご一緒してもよろしいでしょうか?」

 

そう声をかけてくれたのは先程の兎達でした。

気がつくと少年を挟むように席に着き、それぞれの盆をテーブルに置いていました。

 

「少佐、唐揚げあげます。」

 

飛龍が自分の大皿に盛られた唐辛子と生姜醤油に漬け込まれた鶏肉の唐揚げを小皿に移して少年の前に置きます。

 

「え、待って、受け取れないよ。」

 

そう、飛龍は明日も『海域』への出発、つまり戦闘行為があります。

その為には少しでもエネルギーを補給しなくては、それが君達の重要な、と思って口に出そうとする前に、

 

「私からは高菜チャーハンを。」

 

そう言って、蒼龍は少年の分を移して彼の前に置きます。彼女にも同じくその任が課せられています。

 

慌てて、何を考えてるのか二人の理屈が分からないでいると飛龍が想いを告げます。

 

「今日ぐらい良いじゃないですか。台風ですよ。重桜じゃ神風って言って、通る事を喜んでたんですよ。」

 

それ本当に何時のお話。

と言う前に蒼龍が相槌を打つように微笑んで語ります。

 

「食べるものも食べないと私達を動かせないですよ。私達の為だと思ってどうか食べてください。」

 

それを言われると本当に何も返せなくなる。

でもそんな重労働してないよ。

と言う前に飛龍がにっ。と笑って少年に確認を取ります。

 

「少佐はぼくが唐揚げひとつで負ける艦船に見えますか?」

 

その言葉には即座に反応します。

 

「思うわけないよ!飛龍はよく働いてくれる!こっちの軌道意図は分からなくても応えてくれるし……。」

 

あはは、とコントロールされる事で掌握される疑問も付け足して答えられて少し格好つけた自分が恥ずかしくなりますが、それ以上に少年に褒められて嬉しくも思っています。

 

「少佐、ぼく達を信じてるなら、なおのこと食べてください。その方がぼく達も『やりやすい』。」

 

言葉の意味が分からず戸惑います。少年は何を食べても味が分かりません。

甘いのも、塩っぱいのも、酸っぱいのも、苦いのも、痛みだって奪われている少年は辛いという事も分かりません。

底の見えない奈落に宝物を落としているように、帰っても来ないのに何故?

 

「少佐、ご飯って凄い大切なんですよ。」

 

蒼龍からの当たり前の言葉に首を傾げます。

 

「ある軍師の話をしましょうか――」

 

 

 

その軍師はとてもとても賢く、とてもとても鋭く、とてもとても頼りになる名軍師でした。

 

国からも部下からも息子からも妻からも、とてもとても信頼される軍師でした。

 

ですが敵対部族に兵糧を奪われた時、その軍師はとてもとても焦りました。

急ぎ部下を纏め、馬を用意し、早駆け、そして奪われた兵糧を取り戻し、そして、気づきました。

 

 

――何だこの場所は。

 

 

そこはとても見晴らしが良く、とても乾いていて、とても殺され易い場所であることを理解しました。

そして異臭を放つ油まみれの兵糧を見て、最大の失敗をしたと気づいた時には全てが遅かったのです。

 

火が放物線を描いて無数に打ち込まれ、自軍が火の海に囲まれる瞬間を目の当たりにしました。

 

火の海が少しずつ確実に燃え広がり部下達も焼き殺そうとする瞬間。

 

軍師は泣きました。

 

すまない。すまない。兵糧に気取られて、こんな、こんな単純な策ですらないことに気づかなかった。許してくれ。許してくれ。

 

でも、誰も軍師を責めませんでした。

それを奪われたら自分達は絶対に戦えない事を分からないほど愚かではなかったからです。

 

兵はむしろ笑顔を見せました。

貴方の様に私達を分かってくれる方と死ねるなら本望です。と誰かが言います。

 

そこで軍師は後悔ではなく、本当の涙を流します。

 

感謝の涙を流した瞬間でした。

 

兵達の顔に涙が落ちたような感触の後、そこに大量の雨が降ったのです。

 

軍師の涙が起こした奇跡ではありません。

それは数ヶ月乾き切った気候に溜まっていた雲が炎の上昇気流を吸い込み、なけなしの雨を降らせたのです。

 

ですが、誰かが言います。

 

貴方の涙です。貴方が私達を守ってくれたのです。

 

軍師は部下に頷きながら窮地を逃れました。

 

「めでたしめでたし。」

 

蒼龍がそう言い終えると少年は腑に落ちないと言いたい顔に、顔をその部下達のようにほころばせます。

 

「少佐、どんなに優秀でも、どんなに偉くても、どんなに賢くても、いいえ、きっとその逆。」

 

逆?

分からなくなって、余計にこんがらがって、少年は目を伏せて考えてしまいます。

 

「明日のご飯を取られるとは、どんな人間でも崩れてしまうほどに焦り、驚き、案じ、急かしてしまうのです。」

 

その言い分に気づいた少年は首を振って否定しました。

 

「違うよ。僕は偉くもないし、賢くもない。」

 

「でもぼく達を考えてくれています。」

 

飛龍の方を見ると、とても切なそうに少年を見つめます。

 

「少佐は、ぼく等を『脅す』ぐらいにはぼく等を理解してくれているじゃないですか。」

 

飛龍が手の平を差し出します。その手を見て少年は思い出します。

嘘を語りながら真実をその手になぞった事を。

 

軍師には賢さがあったかもしれない。

 

でも真実の涙を流せたのは、そこにきっと鏡のように自分の行いは『思い遣り』があったと返してくれた部下達が居たからなのだと。

 

「少佐も同じくらいぼく等を想ってくれていますよ。」

 

その言葉の意味を理解し、心臓に響き渡った瞬間にじわりと涙が少年の瞳から浮かび、口を結びながら言葉を少しずつゆっくりと漏らします。

 

「渡してくれたもの、返せないよ。良いの?」

 

二人が差し出してくれた食べ物の意味も分かるほどに、それを強欲にも食べたいと言えるほど、少年はその二つが狂おしいほど愛おしくなりました。

 

二人は笑顔で返しました。

 

「食べてください。貴方の為に。」

 

貰った食べ物の味は最後まで分かりませんでした。

でも暖かくて温かくてあたたかくて。少年のお腹はその熱に痛みを覚えます。

 

それでも貰ったものを米粒一つ、衣の欠片一つ残さずに食べ終えて、二人にお礼を言い、すぐに厨房に向かいます。

 

「劉さん!お粥貰えますか!」

 

涙で一杯に顔を濡らして、もう声もぐちゃぐちゃなりそうで、それでも、貰う物は食べ物ではなく、ようやく少年は理解出来ました。

 

料理人はその顔を見て、さっきまでの怒りはどこへやらと言わんばかりに済んだ顔で答えます。

 

「後5分待ってろ!そしたら一番美味いのになるから!」

 

その言葉に力強く頷きました。

 



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5.7話

フォロワーさんが好きなケーキは?
って言われたから真面目に答えたら、イラストを描いてくださったので、そのままずるずるとお話まで。


季節は移ろい、木々に、いや空気に紅みが増していく中で少年はふとした事に気がついた。

横須賀基地統括、デザイナーズチャイルド指揮官、89番は思わずデータ確認の作業の中でくすり、と笑ってしまう。

 

「どうかされましたか?データに何か不備が?」

 

その様を見て『一航戦』赤城が89番の手に持った軍事用小型端末を覗き込んだが、それに首を振って答えた。

 

「そういえば、このぐらいだなぁ。って思って。」

 

89番の微笑んだままの言葉にきょとん。と赤城が要領を掴めずにいると、注釈を挟んだ。

 

「僕の誕生日っていうのかな?連れ出されて少しだけ外が見えた時に葉っぱが紅っぽかったんだ。」

 

「それは……。」

 

少しだけ外が見えた。その後にどれだけ追い込まれた出来事があったのかが赤城は知っている。目の前の彼が『殺してくれ』と叫び、嘆き、その心を壊す切っ掛けがあった事を。

 

「……だからね。葉っぱの色のように、生きてれば何か変えていけれるものがあるんだなって。そう思うと、もう少し先、もっと葉っぱが紅くなったら、そうしたら――」

 

僕の本当の誕生日なんじゃないのかなって。

 

 

タイトル――魂が宿る日。

 

 

「では祝いの日にしましょう。」

 

赤城の言葉に少年が面食らい、自分が今、問題を口にした事に気がついた。

 

「赤城、そんな大事にしなくていいんだ。ちょっとした感想でしかないんだ。自分の人生の、簡単な想像なんだよ。」

 

その言葉に赤城がむすっと顔を不機嫌極まりなく変える。

 

「では、少佐は赤城を励ましてくれた言葉は簡単な感想でしかないと?」

 

ぐさり。

89番が思わず冷や汗をかく。抱き締めて、自分の心を吐き出したそれを、感想と呼ぶ。それは流石に彼女への冒涜だ。

 

「でも、大きな祝い事を出来るほど物資に余裕は無いんだよ?」

 

そう、横須賀基地の一部を農場スペースにしたり、近くの周辺海域を海藻や魚介類の養殖スペースにしたり、専属料理人独自のユニオンからの密輸ルート。後は軍からの配給という軍用に濃い味付けのチョコレートにカレーにコーラにビールとウィスキーに妙に味の濃い缶詰や調理品。

それらが横須賀基地の台所事情だ。

それに赤城はもう目は付けている。と言わんばかりに口早にある人物を指名した。

 

「マイケルがいるじゃないですか。」

 

赤城がにっこりと解答を口にする。

マイケル・アスキス。帝竜カンパニー『元』社長。

その会社の事業は正直他社からの評価で、まるで海賊か山賊だ。と言わしめる程に手広い。

砂糖をはじめとする嗜好品の数々から、年間生産数を絞った自動車輌、果てはエッセイから漫画までのデジタルデータによる趣味的なシロモノまで。

 

「教授をお使いに出すのは……。」

 

「あら、では、昨日と四日前と二週間前のあの男の手際の悪さを笠にしましょうか。赤城はとても大変な思いをしましたし。」

 

むぅ。

そう、マイケルは正直指揮官の適性があるが技量がある指揮官とは言えない。人事不足や老齢とはいえそろそろ半年の現場作戦に『慣れ』が生じてもいいはずではある。

だが、それは一重にマイケルが軍人ではない事である事を象徴としているものだ。

言うならば現地調達した老人に槍を持たせている状況。

何よりも本人の生の執着心が高い。形振り構わずに武器を振るうことにまだ脅えがあると口にしてもいい。

 

「赤城、教授が『あぁ』じゃなかったら今の生活は難しかったかもしれないんだよ?」

 

「過去がどうとしても、今の迷惑は払拭に値するものとしますが?」

 

マイケル・アスキスは艦船の立役者と言ってもいい。艦船の有用性、否、必要性を世に示したのは他ならぬ彼という事になっている。

 

「まぁ、理屈として正しい。」

 

こんこん。

乾いたノック音と共に老人の声が響いた。

件のマイケルが入室しながら自身の非を口にした。必要な書類を本人直々に持ってきた所に出くわしたのだろう。

 

「それで、何か欲しいものでもあるのか?少佐は。」

 

その言葉に詰まりながらも89番がたどたどしく欲しい物を口に出す。

 

「あの、出来ればなんですけどね。」

 

小さく、自分が知識としてしか認識してなかったある物を口に出す。

 

「イチゴの乗ったケーキが食べたいんです。生クリームたっぷりの。」

 

その言葉に赤城がうっとりと89番が恥じるように物欲しがるような姿勢に愛おしさを覚える横で老人がくつくつと笑っていた。

 

「それでは出来合いでは悲しいな。帝竜に材料を調達してもらうように頼んでおこう。」

 

自身の端末を起動し、外部連絡モードを起動させて文章を入力する。

 

「あとは?飲み物も拘っていいんじゃないのか?」

 

マイケルの言葉に89番が跳ねるように答えた。

 

「蜂蜜たっぷりの紅茶を!ドロっとしてるのが美味しいらしいんです!」

 

その言葉に少し老人も赤城も真顔になった。

そうだ。この少年には味覚が備わっていない。

艦船と呼ばれる少女達と今の人類の食料問題の解決の一手として、この創り出された少年には余計な機能が省かれている。

それでも、いや、それだからこそ、欲しいのだろう。必要ないと遠ざけられた物がどんな物なのか。ほんの少しでも理解したいのだ。

 

「ん、返答が来た。1週間先になるそうだ。」

 

端末からの返信に老人が期限を語ると赤城に視線を送る。

少し朱の狐は訝しんだが、恐らくは89番の為になることと思い、にっこりと少年に笑顔を作り、嘘を吐く。

 

「少佐?少し赤城はお暇をいただきます。どうか御容赦を。」

 

「ん?あぁ、そうだね。ノルマ分はもう終わってるんだから良いよ。」

 

89番の端末に送られた赤城の処理データにざっと目を通して許可を与える。

ゆっくりと頭を下げて少年の作業スペースから出ていくのを見送る。

そうすると気がつくと老人も語ることなく部屋を出ている事に気がついて、少年はしまった。と表情を浮かべた。

 

「もっと大人にならないと、何をやってるんだろう。」

 

些か、先の自分ははしゃぎ過ぎた。

欲しい物が貰えるからと言って、そう何でも欲しがるべきではないと一人反省しながら自分の作業に戻る。

謝罪をしようものなら赤城は心を痛めるだろう。

なら、どうするべきかと考えあぐねながら目の前の情報を処理していた。

 

 

 

―横須賀基地、調理スペース

 

「で、何?俺に洋菓子作れって?」

 

この横須賀基地専属のシェフ、とても料理人には見えない屈強な体格をした東煌出身の劉が口の中で飴をコロコロ転がしながら、夜の食事の下拵えをして老人と艦船の頼みを再確認するように口にする。

 

「いや、劉さんなら……。」

 

「特別手当な。」

 

その言葉に空気が固まる。目の前の男はかつて強国と呼ぶに値するユニオン、ロイヤル、重桜、東煌、鉄血をはじめとする国々から多額の費用を貰い、『貸し出し』を頼まれる程の料理人なのだ。

ならばその手当に要求する額も顎が外れるぐらいで済めば『まだ安い』方なのだ。

 

「少佐の為にと思って……。」

 

老人が劉の子供好きを盾にしようとするが、その言葉も彼にとっては容易に一蹴できる。

 

「そもそもがテメェの尻拭いみてぇなもんだろうが!?あぁっ!?」

 

その激に老人が押し黙る。

そう、少年が産まれた理由も、少年がその様なわざとらしい杜撰な作りをされているのも、劉に言わせれば老人のミスであるのだ。

 

「つうか、こっちはわけわかんねぇ料理を要求されてめんどくせェんだよ。」

 

「劉さんでも分からないんですか?」

 

その言葉に料理人は一切の恥なく頷く。

その料理は豚肉とじゃが芋と人参と玉葱と醤油と味醂と砂糖を煮て作る料理と言われたが劉は『知らない』料理に学習しながら味付けを計算しながら挑んでいるのだ。

 

「つうか『肉じゃが』ってなんだよ!?ビーフシチューのパチモンじゃねぇか!!」

 

本来は今いるはずの人間のアイデアで完成するはずの存在しない料理を所望され、その概要を聞き及んだが、どうにも重桜人種独特の代用品で作り上げた紛い物の臭いが一流料理人の鼻につく。

その狂騒に赤城が蔑んだ視線のままぽつりと漏らす。

 

「飯炊き係風情が……。」

 

「おぉ、言うじゃねぇかメシマズ狐。」

 

「あ、」

 

劉の言葉に詰まるが、何を言い訳しても払拭にもならない。

赤城は一度手料理を振舞って失敗している。食べた人間が倒れるほどの物を作ってしまったのだ。

実態は急遽就任した料理人が調味料の扱いを杜撰にしていた事が原因であったわけだが。

それでも味見をせずに出したのは他ならぬ赤城なのだ。

それを思い出しながらもたどたどしく言葉を発してしまう。

 

「私が!本気を、出せば…貴方なんかの手なんて借りずとも……。」

 

その言葉に劉の目がきらん。と光る。

言ってはいけないだろうそれは。とマイケルも赤城に視線を送ったが、もう遅い。

 

「んじゃ!尚のこと俺はいらねぇな!?精々頑張ってくれよ〜?」

 

完全に拒絶され、未知の料理との格闘に入ってしまった。

劉という最大の切り札を失い、手作りの品を要求出来る相手は、いや、そもそもだ。

 

「何故、少佐はあんなのを雇ったのかしら。」

 

思わず赤城の口からとんでもない言葉が飛び出る。それは人への侮辱としては最大級だが、マイケルからしたら自身への理解の浅さの露呈だ。

 

「東煌の『煉丹』という、否、現代風に言い直すなら『食育』という概念があってな。」

 

マイケルが思い起こすように口にする。この戦争が起きる事を予見された日に、あるマフィアのボスが口にしていた言葉を調べ上げたのだ。

 

「曰く、肝臓が悪いのなら肝臓を、目が悪いのなら目を、脳が悪いのなら脳を、血が悪いのなら血を。曰く、豚よりも牛を、牛よりも猿を、猿よりも魚を喰らい、その身の質をより高度にし、叶うならば其は永遠の時を生きる導とならん。」

 

文献を統合した結果はまるで夢見物語だ。

そう思って赤城が鼻で笑う。

だが、そんな彼女をマイケルは目を伏せながら説く。

 

「ダウトなんじゃよ、赤城。その推論は正しい事を40年の時が証明してしまった。オリジナルの寧海がな。」

 

そう、40年目の前の料理人が作った最上級の料理と寧海本人が無理矢理作り出したプロテインと呼ばれる栄養補給食品が答えを出した。

艦船は喰らうことでより高度な存在へと昇華する。

 

「だから?また40年賭ければ私達も強くなれると?少佐に時間はないのよ?」

 

赤城の言い分は、少年の言葉や有り様を借りてのものだ。

この軍事組織アズールレーンは一筋縄、いやきな臭いという方がより正確である。

何せ、セイレーンという敵性体から赤城が愛する少年を作り出し、すぐさまにセイレーンを殺す事を教えて、少年の心を破壊しかけたのだ。

そんなあまりにも凄惨な生き方を要求する組織だ。どんな難癖を付けてくるか分かったものではない。

 

「5年前、寧海は君達艦船の育成を重視する事を選んだ。それまでの自身の成長をデータ化し、それらを現実的かつ実用的で即効的にする為に食事という物を何よりも重視していた。」

 

そう、本人と最後に会った時の落胆の顔と声はマイケルの中で酷く、非道く、心が覚えている。

 

――40年賭けて、私は結局この程度だった。才能が無かったのよ。でも、これは無駄じゃないと思う。だから、私は『こっち』へ行く。ごめんなさい。マイケル。一人でも死なない戦争なんて、私には無理だったのよ。

 

寧海とは長い付き合いをしていた。40年、色々な人脈を得てもそれを制したのは寧海に教えこまれた人と人との接し方、それに場を自分のモノにするという交渉術だった。

その時点でマイケルは気づくべきだったのかもしれない。

寧海の、彼女の闘争心というものが掠れて行き、薄まって行くことを。

誰よりも気づいてあげるべきだった。

そう物思いにふけると赤城は痺れを切らして疑問を口にする。

 

「美味いものを食えば強くなれると?バカバカしい。」

 

赤城のその言葉に老人は頷く。

 

「お前さん達の身体は、最早揮発性と言ってもいいほどに代謝速度は異常じゃ。分解、吸収、燃焼、構築、保存。そのどれもが人間と比較する馬鹿が居たら馬鹿にされるレベルじゃよ。普段食べてるお前さんら用の嗜好品、菓子やジュースに酒、あんなもん人間が口にしたら1週間で虫歯や水虫や糖尿病を発症するぞ。」

 

それほどまでに高い栄養価であるが、それ以上に異常な事があるとするならば、艦船にはマイケルが口にしたデメリットである病を一切発症しない事だ。

リュウコツの影響でありとあらゆる細菌やウイルスの感染が見られない。これはどれほどまでに艦船が人間と比較出来ない力を持っているかの代表例だ。免疫力などという言葉では済まされない。

食材の効果的部分だけをまるで取捨選択し、デメリットとなる過剰値は汗等の老廃物としてすぐさま排出される。

 

「話を戻すが、君達は手探りで強くなった前例が完成度を高く最適化した食事をしている。もちろん劉さんの料理も高い効果がある。それに『材料』があの頃とは違う。」

 

そう、今やアズールレーンで配給される食物は栄養促進剤としてメンタルキューブの加工品を注入され、成長だけでなく比較出来ない栄養価を得ている。

 

「40年かかったのなら、お前さん達は半年もいらんよ。それに寧海は商売に注力しながら鍛えていたからな。お前さん達は実戦の叩き上げじゃからな。」

 

その言葉に頭を振りかぶり百歩譲って納得をする赤城だが、本来の目的へと話を戻した。

それに老人が呟く。

 

「『横須賀は』ベルファストとか居らんからなー。」

 

艦船の『最高戦力』と考えるメイドの中のメイドとも言える風体であり、その完璧な手腕を誇るロイヤル軽巡洋艦タウン級――《ベルファスト》の事を口にする。

その腕前は恐らく目の前の人間に匹敵するものでは無いかと、そういった感想が飛び交うのを思い出しての発言だったが、

 

「マイケル?まさかあの絹女に少佐のケーキを作らせると言うのではないでしょうね?」

 

どうやらそれも赤城にはお気に召さないようであった。

だがまぁ、この横須賀基地にはベルファストは配属されていない。

正確には配属されるわけがないのだ。

そんな上等な艦船はロイヤルやユニオンの防衛に回されるのが目に見えている。恐らくこの横須賀基地とは最も縁遠い艦船とも言える。

 

「んじゃ、誰に頼む?お前さんの妹か?」

 

妹、『一航戦』加賀の事だ。白銀の狐とも言える美貌とその尾を持つ彼女は、何事もそつなくこなす。

だが、それに首を振って否定する。

 

「理由を聞いてくるわ、そうしたら絶対に拒否するでしょうね。」

 

「なるほどな。」

 

そう、加賀はあまり少年に良い感情を抱いてはいない。こと特に厳しさが赤城の溺愛の反動か、『アタリが』強いという言葉では済まない。

何度かその場面を目撃した事が二人共あるのだが。

 

『赤城姉様に申し訳が立たんとは思わんのか!貴様は!!』

 

まずこの言葉が先に来る程だ。

そんな彼女が少年が物を欲しがっているなどと聞けば、先の言葉だけでは済まないだろう。

 

「アリシューザはどうじゃろうか?前に聞いた事がある。」

 

「却下ね。この赤城がロイヤルの軽巡に頭を下げろと?」

 

そこはプライドが勝つのか。とマイケルが言わずにおいたが、視線を読まれたのか睨まれる。

 

どうしたものか。どうしたものか。と二人が熟考していた時だった。

 

「劉ー。『お茶』のおかわり貰ってくぞー?」

 

赤色のぼさぼさ髪の肌がお世辞にも綺麗とはいえないエル・ヴァーノンが調理スペースに侵入して何かをがさごそと漁ろうとした所だった。

 

「んだよ?」

 

老人と赤城の視線に顎を張って嫌悪の表情を浮かべる。

だが、二人にはうってつけの人間と言える物を見つけたのだ。

 

「お前さん、『昔は』菓子を嗜んでたんじゃよな?」

 

老人のキラキラした目にエルがたじろぐ。

 

「お茶会を開くのが期待されていたとか。」

 

赤城のはギラギラだったが、それも悪くないな。と少し悦に浸りそうになる。

 

「何?昔の話持ち出して。何か接待でもすんの?」

 

その言葉を待ってました。と言わんばかりに二人が口早に事態を伝える。

そして、今、白羽の矢が立ったのだと。

 

「はー。生クリーム多めのケーキ。糖度はこの際無視しても良いのか?」

 

水筒の中身をちびちびと飲みながら作るケーキの物を確認すると二人共、否定の意を示し合わせるように腕を斜めに交差させた。

 

「めんどくさ。」

 

その様に溜息を吐きながら、右の尻ポケットから今時の若者が持ち歩くのは珍しい小さなノートを取り出して、胸ポケットからペンを抜くと、さっ、さっ、と言う擬音が似合う程の速さで描いていく。

 

「こんな感じ?」

 

そこには小さなノートにふわふわとクリームがたっぷりと乗った円形のケーキが描かれていた。

その様に老人が目を丸くする。

 

「お前さん、絵心あるんじゃなぁ……。」

 

その言葉にぴくん。とエルが表情を歪める。

 

「あのなぁ!菓子を作るやつが絵も描けないとか常識ゼロかっつーの!」

 

彼女独自の倫理に言わせれば心外ここに極まれりかと言わんばかりに乱暴な口調になる。

それを見て観察しながら赤城がぽつりと口に出す。

 

「これ生クリームを……。」

 

「生クリームはほんのり赤色にして、そんで中身は半分にしたイチゴをサンド、後、小麦粉だと多分損なうからな。」

 

エルの口にした言葉に赤城がしどろもどろと慌てふためくが、それに鼻を鳴らしながら注釈を入れる。

 

「作る時は手伝ってやっから。そん代わり膝枕二時間な。」

 

それを聞くとぱぁぁっと赤城の顔が綻ぶ。

どうやら自分で描き出されたシロモノを再現出来るか不安だったのを言い当てられた事よりも、膝枕というそんな事で良いのなら、という感情の方が上回ったらしい。

 

「爺さん、手配したのってどうせ小麦だろ?」

 

マイケルがその言葉に頷くとエルは手をひらひらと泳がせて『話にならない。』とジェスチャーを送った。

 

「コメを粉にしたやつを作ったろ?あれも頼め。つか、内容見せろ。」

 

その言葉に二人がきょとん。と疑問の顔を作り、端末を渡すと「うげぇ。」と不安な表情を浮かべて二人を見やる。

 

「とりあえず、問題のラーメン噛ませろよ。そこと違いの植え付けをやらなきゃ折角の菓子が意味を成さねぇ。『空の上のパイだから喰いたいんだろ?』」

 

それに二人がふるふると震えているのを見て、言い過ぎたか?と思ったが、すぐさまその思考は違っていた。

 

「お前さん!見た目より本当に頭が回るのぅ!」

 

「軍曹!デザインも然ることながら、その気配り本当に貴女軍曹なの!?」

 

かちん。と来る言葉だが二人なりに自分を褒めているのだろうと思うと、まぁ許そう。と考えたが、気がついた事で、やっぱりやめた。と我慢を放棄した。

 

「つうか!そこのマッシブシェフ!!お前気づいてて試してただろ!?」

 

未知の料理との格闘しながら話し合いに耳を傾けた劉を指差して怒ると天を仰ぎながら。

 

「い〜や?ロイヤルのお嬢様は相手の事なんか考えねぇのかなぁ?って思ってないぜ〜?」

 

嘘つけぇ!

と言いたくもなったが、すぐに要求した材料との差異を書き示す。

 

「これを頼め。それと出来ればレモン果汁も。」

 

「檸檬?何でまた。」

 

老人が打ち込みながら首を傾げる。

その言葉に少しエルが唸ると、自分の中の答えを口にする。

 

「蜂蜜入りの紅茶だろ?!私はそれならレモンティー派なんだよ!だから!生クリームにも少しレモンを垂らしてぇの!」

 

どうやら自分の好みを口にする事がそんなに恥ずかしかったらしい。それを理解して笑ってはいけない。と意識するが意識した途端。

 

「乙女か!!?」

 

「替え玉!いや影武者!?」

 

それぞれの反応をしてしまった。

その日は怒ったエルを宥めて終わったが、その怒りの喧しさに更に怒った劉の料理を食べてその日はお開きとなった。

 

 

それから、赤城はエルの部屋で暇があれば菓子作りの教えを乞いに向かっていく。

エルも悪い気はしないので、一通りの動きや理屈を述べて、尚且つ彼女独自の方程式も組み込んだ調理法を赤城に聞かせていた。

今日は部屋着のシャツとパンツルックだが、赤城の前では随分と不細工な生き物だなぁ。という自分への感想も忘れるほどになって説明を続けていた。

 

「と言ったように、この方法なら味のある菓子が作れる。」

 

「同じ菓子でも、重桜とは偉い違いですのね。」

 

その言葉にエルが眉を顰める。

そして確認の為、頭に手を当てて尋ねた。

 

「『西瓜に?』」

 

その質問に狐は真顔で答えた。

 

「は?普通に食べれば良いのでしょう?」

 

こりゃ相当やばいな。と赤城に悪いがエルは勝手に答えに辿り着く。

小さい頃、母親から聞かされた重桜の甘味やお茶の慣用句や逸話はとても興味深く、尚且つある種の真理を射抜いていると幼い身ながらに心は何度も納得した。

『西瓜に塩』

果たして彼女の甘い愛情は味のあるモノになるのか、先行き不安にもなった。

 

「軍曹?」

 

きょとん。とした可愛らしい顔に思わず口角が緩み、別の話をする。

 

「次はお茶な。えっと……。」

 

幼少の知識を引っ張って、今度振る舞うお茶の事を一言一句間違えずに説明を開始する。

それをメモを取りながら、赤城は都度都度に質問を重ねて、エルは注釈を差し込む。

それも終えると思わずエルは尋ねてしまった。

 

「今は当日淹れる茶の入れ方だけで良いけど、どうする?別の茶の講義は?」

 

その質問が何を指すのかは赤城は即座に理解した。

今、このひとときが『とてもいびつ』であることを。

平和な日常の1ページに見えるそれは、戦争の真っ只中であることを忘れるほどの空白であることを。

今日という日は哨戒、農場、掃除(自己管理も含む)、調理、点検のいずれにも属さない時間の縫い目でしかないのだ。

だからこそ狐は目を伏せながら答える。

 

「お茶の知識は、当日に淹れるモノだけで結構です。少佐は基本コーヒーですし。」

 

嘘つけよ。

エルは思わず言ってしまいそうになる。

本当は少しずつ覚えて行きたいんだろう?

本当は小さな変化に気づいて欲しいんだろう?

自分がそうだった。大好きなメイドにお菓子を渡して、味付けやテーマを変更したことを自慢げに語っていた。

 

そんな、そんな小さな楽しみも目の前にいる紅蓮の妖狐は、幼い出来合いの命の為に『捨てて』いるのだ。

 

「わ、かった。」

 

言葉を途切れながら、いびつなひとときを産んだいびつなあいじょうにエルは口を噤んだ。

きっとこの二人に口を挟めはしない。

いびつといびつがぴたりと重なり合って完全に整ってしまったのだ。

隙間はきっと有り得ない。

 

それでも、聞いてしまいたい。

 

「赤城。」

 

「はい?」

 

「アタシと友達になって、これで少しは『良かった』って思えるか?」

 

赤城のきょとんした顔でエルを見つめていた。

それに疑問の声が出る。

 

「なんだよ、そんな仲じゃないって!?」

 

「いえ、えっと……。」

 

赤城の言葉の詰まりに思わずエルの心が憔悴する。

 

「……そうですわね、『こういうのが』友達なのですね。」

 

「は?」

 

赤城は語り出す。

 

「艦船に友達という観念は余り、特にこと重桜は姉妹、先輩後輩、後は『知り合い』ぐらいに留めてしまいます。」

 

そう、正確にはいるのだ。

立派に友と呼べる存在は。だが、この繰り返す戦いは、何度も何度も始めては終わるだけの無意味な戦いは、そんな存在を作っても、空虚な巻き戻しの中で消えていく。

だからこそ、重桜は暗黙のルールとして『踏み入り過ぎない』ことを頭に置いている。

何時誰が何処でどのように死ぬか分からない世界で、思い入れ過ぎて『今の自分』を壊してしまわないように。

そして同じ顔をした子に『重ねて』しまわないように。

人間ですら、声や、風体、仕草のどれかですら重ねるのだ。

艦船はロット打ちされているように似たような性格、同じ顔、同じ声をしているのだ。

 

……あぁ、今になって分かった。

 

少年もそうだったのだ。

 

そして自分もそうだったのだ。

 

いや、もっと遠い前から気づいていたはずだった。

 

あの時、抱き締めて作られるだけの自分を否定してくれた。

 

それよりも前に、セイレーンの飼い犬だった時に加賀に言われた事がある。

 

「姉様、辛い時はどうか私を頼って欲しい。」

 

どうしてそんな事を彼女は口にしたのか、分からなかった。

単純に自分よりも強いから、姉であったとしても守るべきと決めたのだろうか。

そんな事を思う様な子ではないのに。

どうして口にしたのか、ではない。

どうして加賀が、あの子は、『加賀であの子だけが強いのか』を理解するべきだった。

 

加賀も同じように赤城が生きている事を祝福してくれたのだ。

 

「赤城?」

 

軍曹の言葉で現実に戻される。

涙を貯めた、その狐は、自分を恥じ、それでもなお道を探した。

 

「軍曹、お願いがあります。重桜のお茶の事を教えてください。」

 

きっと赤城にとっての本当の誕生日はあの瞬間だったのだ。妹が、どうか幸せになって欲しいと、そんな想いで声をかけたあの瞬間が。

 

 

 

 

2週間後、予定と違いがあった事から遅れが生じたが、帝竜から材料が届き、エルが一通り封を開けて一掬いを口に含んでいるのを劉に見咎められていた。

 

「何だよ。」

 

エルは東煌人の蔑視にむすりと機嫌を悪くすると、彼はその屈強な肩をわざとらしく竦めた。

 

「いんや?『見て分かる』レベルじゃねぇんだなぁって。」

 

それは料理に携わる者としての線引きだった。

自分なら見れば分かる。

そう、材料を見てしまえば料理に必要な重量から調理法まで完全に最適なモノを導き出せる。

 

「うるせーな。アタシは所詮『アマ』なんだよ。プロと比べんなタコ!」

 

んべっ。

舌を出して悪態をつくが、それを見て大男は笑い声を上げるだけだ。

 

「まぁ『いつもの』お前の通りにやれば成功するさ。」

 

そう言うと彼もまた、んべっ、と舌を出してその上に乗った飴玉を見せた。

劉は本来ヘビースモーカーであるが、隠遁生活でガムに、そして今はエルが作った飴玉がお口の恋人となった。

ハッカと甘さの調和が絶妙で口の中は悪い気がしない。

彼特性の栄養価のあるお茶の対価として渡された恋人は中々どうして気分が良い。

 

「教えるのはアタシだ。作るのは赤城だ。そこ吐き違えんな!」

 

だが、その見立てに指摘する。

確かに自分が作れば自分の思い通りの物が作れるだろう。

しかし、今回はそんな要素よりも想う者が作ったことの方が大切なのだ。

 

そう大切なのだ。

89番がいつも食しているヌードルの食感と味がどれほど酷いものなのか、それを調べるのも。

 

「これさ、マジで食い物?」

 

思わずお湯を注いで完成したそれに呟いてしまう。

今まで少年が食べている所を目撃した事はあるが容器の深さで中身はうっすらとしか見えていなかった。それが蓋を開け、全容を把握した感想は食物の阿鼻叫喚。いや文字通りの『魔女の大鍋』だった。

ぼこりぼこりと何故か沸騰してもいないのに泡が立ち、茶色の麺がちらりちらりと姿を表す。

何か茶色の物も浮いているが、予想したくもない。

 

思わず十字を切り、天に召しますクソッタレ様のクソを彼女はフォークで絡め取り、口に含んだ。

 

瞬間口内が比喩表現でなく爆発した。

 

「がっは!げぇっ!出汁もクソもねぇ!!」

 

恐らくは食べれるように下処理など一切行われていないのだろう。生産コストの低減化と栄養価のみを重視したそれは正しく人間の食べ物ではない。

味を知らない複数の人の形をした何かに与える為だけの物だ。

 

「うぉう、クソ不味いのによく食うねお前も。」

 

劉の一部始終の感想に、思わず同意しそうになる。

 

「これさ、浮いてる茶色いのって。」

 

「ゴキだろ?」

 

やっぱりかい!!

 

「スープはスープと呼べねぇな。食用油か怪しいそれと鶏の出汁殻の出汁殻の出汁殻、腐るまで栄養が少しでも出てるなら使ってる感じだな。麺はこれ前に食ったことあるけど魚の骨の混ぜものだな。しかも粉挽がくっそ荒い。だから口が痛くなる。カルシウムは取れる。ゴキは栄養満点だからなぁ。奥底に沈んでるけどぶつ切りムカデも入ってるぞ。」

 

「解説すんなぁっ!!うぉえええええええ!!」

 

逆にコストかかってる気がする、気が遠くなるそれに耐えながら食感を記憶させる。

 

「えっと、この場合の分量は……。」

 

すぐに麺の食感と対を為す感触を算出する。

ぼそぼそ、ではなくまるで雑巾を口に入れたような食感は、やはり自分の思うところのもっちりとした食感を重視した配合で良いと確信する。

生クリームは口溶け良く、イチゴのカットサイズも算出していく。

 

が、

 

「ちょっと吐いてくる。」

 

口内の激痛から来るストレスに肉体、いや脳のダメージが超過した。

それから30分は戻って来ないエルはトイレの中でしっかりとケーキの構想を練っていた。

 

ただ問題は赤城が器用にそれをこなせるかである。

それというものも、赤い狐は戦闘で簡単に言ってしまえば『力押し』を好む傾向があるのだ。

この手の手合いはどうにも菓子作りと相性が良いとはエルは思えない。

菓子とは緻密な計算と繊細な手捌き、それにグラム以下の徹底さが究極的に必要とされるのだ。

そういう意味では、エルの思考の中では妹の加賀は当て嵌る要素が多い。

 

いつだったかの自分の部屋そのものに攻撃を仕込み、多重同期した艦載機のコントロール、そもそもの攻撃を認識させない程、微弱にして大胆な布石。

 

和菓子が得意と聞いたがなるほどどうして理に適いすぎている。

 

――当日まで、加賀を見習え。なんて言ったらアイツ怒るかな?怒るよな。

 

しかし、どうしたものかと。

そう思いながら個室トイレからげっそりとした顔で出ていくと。

 

「おい、こっちは艦船側だぞ。」

 

――当の本人と鉢合わせするのは、ちょっと神様都合が悪いのですが、そうですか、クソッタレ扱いがお気に召しませんでしたか。

 

エルは加賀を見て天を仰いだ。

 

入るトイレを間違えたのもあるが、胃液を吐き出してたせいもあり訝しまれる理由というか、この察しの良い狐にはもうバレているだろう。ならば、と事情をぶちまけようとした瞬間。

 

「少し前から姉様がぶつくさ呟いていたのはお前が原因か。」

 

「モロバレ?」

 

「粗方な、どうせ、『少佐の為にこの赤城が全身全霊でご奉仕するのよ〜』と言ったところだろう。」

 

姉の心、妹にモロバレである。

というかそんな思考で覚えてそうだ。と思わず吹き出す。

だが、それに気づいたのか加賀が眉をひそめた。

 

「お前、臭いぞ。」

 

その言葉に、頭を抱えそうになるも、原因を理解しながら口を結んで手で覆い、最低限のエチケットを守る。

 

「あぁ、ゲテモノ喰ってな、で、さ、悪ぃんだけど、」

「姉様に菓子は向かんぞ。断言してもいい。」

 

エルの意図は理解の上。

自分が関わっている時点で何をしようとしているのか想像に容易いのだろう。

その上で被せるように言い切ったのだ。

 

「向く、向かないじゃなくてな。」

 

「お前が徹底的にサポートをしろ。全行程に目敏く指示し、その上で踏まえるべき留意点を全て述べれば良い。『いつものお前の仕事だ』」

 

その言葉に面食らったが、言い返す言葉もない。

だが少し考えてしまった。

 

「いつものアタシ?」

 

劉もその言葉を口にした。

だが加賀はエルが劉に飴を作っている事を知らないはずだ。それほど仲良い訳でもないし、菓子作りを今のところ誰かに目撃された事もない。

というか隠れて作って渡しているのだ。

何せ艦船も女の子だ。噂を好む傾向がある。

デキてるなどとゴミにも劣る意見が出てきたらエルは間違いなく八つ当たりで横須賀基地を破壊するだろう。

 

思わず首を傾げかけたが、そこでようやく気がついた。

 

「あー!あーね!そーね!!そゆことな!!」

 

先程守った最低限のエチケットもマナーもクソもない程に口を大きく開けて音と匂いを振り撒く。

そうだ、何を思い上がっていたのだろうか、自分はパティシエールでも、その学徒でもない。そう言い切ったのは他でもない自分だ。

もう万全だ。そう胸を張ると。

 

「『もう大丈夫か?』」

 

尋ねた加賀にエルは笑ってピースサインを作る。

 

「お前の姉ちゃんスペックは高いからな!問題ねぇや!!」

 

 

 

五日後、再度の赤城の空いたシフトに調理スペースの一部を借りる。

作るケーキは予定通り、赤城は割烹着を着て、エルも何年ぶりになるか自分でも忘れる程のエプロンをわざわざ着用した。

 

「作るケーキの暗記はしたな?」

 

「勿論。」

 

「手順は私の指示に『一切逆らうな』そうすれば作れる。」

 

「了解。貴女に委ねますわエル。」

 

「あ、もっかい名前呼んで。」

 

ぱちん。

とエルの頬を叩きながらもボウルを初めとした必要調理器具を取り出し、エルも材料を使う順番に持ってくる。

 

「分量はこれで?」

 

計量器で測りながら確認するが監督役であるエルが首を振る。

 

「映ってねえけど小数点四位分多い。少しだけ掬え。」

 

それにスプーンを差し込ませ、僅か粉1粒だけを抜き取らせる。

 

そう。エルは『指揮官』なのだ。

艦船を徹底して操り、作戦目的を果たす。

それこそが真髄。

 

赤城という誰かを操れば良いのだ。

それが端末越しではなく、正確性が劣化しただけのこと、それだけのことだ。

 

「回転数足りてねぇぞ。もっと早く、リズム狂わせんな、満遍なく回せ。」

 

かき混ぜる速度もバランスも

 

「また2ミリ多い、癖か。流しに捨てろ。」

 

測りも

 

「今の内、オーブンに火ぃ入れんだろうが!休んでんな!!」

 

目標を果たす為なら赤城は動く。

艦船同士なら恐らくこうはならなかっただろう。

プライドも所属国家も艦種もどこかでぶつかってしまう。

 

赤城がオーブンの中に生地を入れた耐熱容器に『2つ』入れて一息つこうとしたが、すぐに尻を叩かれた。

 

「次はクリーム、そん次はイチゴのカット、茶は蒸らし時間的に今から火を入れろ!今の内に作んねぇとアタシの理想像にならねぇぞ!」

 

「わ、分かりました!」

 

液体生クリームに横須賀基地農場でも作った甜菜加工の砂糖を混ぜて冷やしながらかき混ぜる。

 

「生クリームは耐久ゲームだ。少しでも手を止めたら作りてぇモンにはならねぇ。」

 

「はい!」

 

「それを『2セット』だ!しっかりやれよぉ!」

 

「はい!」

 

それをぼんやりと眺めていた黒人の青年が溜め息を吐く。

隣の芝生が青く見えてしょうがないのだろう。

何せ、自分の上司は間違えた時にリンゴのジュースを自前で可能とする握力で低めに脅されるのだ。

 

『あー、あー、空気の密度が高いのかなぁ!?』

 

頭を引っ張られて宙に浮きながら万力の如く力を込められる事の恐怖の真髄は計り知れたものではない。

その上で、アイヴァンの余りの覚えなさを棚に上げる。

 

「おぅ、どうした、あんな感じで怒鳴られてお前何か変われると思ってんのか?」

 

毎日のラーメンのスープの最後の味付けをしながら劉が背中から話し掛ける。

 

「俺と同い歳ぐらいなのに、あぁ才能って腐らないんすねぇ。って思うんすよ。」

 

「20歳過ぎちまえば支えるのは才能じゃねぇよ。お前そんなことも分かんねぇで無駄に歳重ねてんのかよ。」

 

ことり、とお玉を置いて男が振り返る。

 

「ガキの頃に抱いたちっせぇぼんやりした火を大事に抱え込んでんだ。それが分からねぇし、無いってんなら、それがお前の限界だな。」

 

「ヤー公に心臓握られたような人生なんで。」

 

アイヴァンの言葉にただ劉は呟く。

 

「お前を気に入ったのは、お前が『楽して稼ぎたい』『ケチって金をせしめたい』ってのもしっかりとした火だと思ったんだがねぇ。」

 

その言葉に思わず黒人の青年は落胆する。

なんだ、そんなの、まるでちっぽけじゃないか。

そんな溜め息を吐くと仰け反りながら大男が答えた。

 

「俺から言わせりゃ人間なんてどいつもこいつもちっぽけだよ。手の平にあるものを掴んでいる気になっている。その手に何も握れていないくせに、まるで自分を、いや世界を知った気になっていやがる。何も無いくせにだ。だったら俺は『せめて何か悲惨な程に矮小な心を持っている』事を理解してる奴の方がマトモだと思っちゃいるがねぇ。」

 

それは自分への褒め言葉なのか、それとも菓子を作る少女への評価なのか。

だが、不思議とアイヴァンは悪い気はしなかった。

それはまるで才能があると思っている少女と自分にそれほどの差異(才)などない事を自分が認める上司が認めているのだから。

 

「それよか海藻サラダにイカ墨パスタ!チキンライスに水炊き!しっかり作り終えたのか!?」

 

「は、はい!」

 

要求された料理に慌てふためきながら完成品を運ぶ。

 

「このサラダだと俺の醤油壺から一掬いかけて混ぜ合わせろ。イカスミは俺が最終調整する。オムレツはやれるな。水炊きは今日のご指名様達が辛口をご所望だ。唐辛子の輪切りを入れて差し上げろ。」

 

「う、うす!」

 

指示通りに動き、味の浸透を考えてサラダから混ぜ合わせる。何せ量は全部で20kgだ。力仕事ここに極まれり、それでいて海藻に力を込めてはいけない。そして一掬いという言葉も額面通りに受け取ってはならない。

もうアイヴァンは何年もこの手のサラダを作り慣れている。それを思い出しながら調理に励む。

 

そして対岸のそれはもう完成に差し掛かっていた。

 

出来上がった生地を横からナイフを差し込み間にクリームを入れる為の層を作る。薄くシロップを塗り、挟む生クリームをパレットナイフで塗りカットしたイチゴを乗せ、上半分の生地を乗せて素早く、そして丁寧に生クリームで覆ったケーキを六等分にし、イチゴを一つだけ乗せた。

 

「次のはもっと丁寧にやれ!私も未領域だから詳しくないが、『それ』は時間との勝負そのものだ!」

 

「はい!」

 

もう1つの生地は文字通り『色違い』のモノであった。

緑色。それは粉末状になった緑茶を混ぜ合わせた生地。それにサンドさせるようにスライスし、少しの生クリームを塗る。

上部を起き、その上だけにクリームを塗り、そして六等分にし、こちらも一つだけイチゴを乗せた。

 

「よし、おつかれ!」

 

そこまで作り上げて赤城が、まるで今この瞬間まで忘れていたかのように息を吐き続けた。

緊張の糸が切れて空いたスペースに身体を預ける。

 

「軍曹、切り分けを……。」

 

最後の一手間をやろうにもその体力が編み出されない。

 

「ショバ代と授業料で6分の5ずつ貰っていくさ。残り一切れ持ってけ。」

 

すいすいすいっと、音が漏れそうな程に生地を慣れた手つきで切り分けて、一切れに一枚の皿に乗せて赤城に渡すように目の前に置く、その動きだけで本当に自分とは比べられないほどの器用さに思わず嫉妬を覚えたが今はそれどころではない。

 

今は少年の元へと駆けて、自分の想いを注いだ1つの菓子を渡すことなのだ。

 

 

 

「こ、これ赤城が作ったの!?」

 

少年の驚きの声に赤城は頬を赤く染めて頷く、場所は赤城の部屋。招待された少年は、差し出されたケーキに目を丸くしていた。

 

「少佐、お誕生日おめでとうございます。少佐が産まれてきた事を赤城は誰よりも嬉しく思います。」

 

にっこりと微笑み、心のままにそれを囁く。

そのケーキを見て少年は赤城の顔を見る。

その身は高い治癒ですぐさまに修復されてしまっているが、これがどれほどの努力、苦労の末の結果なのかケーキの出来を見れば容易く理解出来る。

 

「赤城、ありがとう。嬉しい。」

 

その狐の手を取り、もう見えないどころではない無い傷だらけの手を愛おしそうに握り締める。

熱を、その優しさを、愛を受け止める。

 

「ケーキの概要を聞いても良いかな?」

 

目に見えたそれをもっともっと知ろうと少年は踏み込む。

 

「ケーキというには正確ではありません。生地をパン風に整えています。歯応えがあり、もっちりとした食感に仕上がっております。苺をふんだんに使っており、赤城の想いを少佐に伝えようと色を整えております。」

 

「苺の生クリームなんだね。」

 

「はい。サンドしてある苺もそうですが生クリームも少し固めを選びました。口溶けは良くはありませんが食べ応えがあります。」

 

一通りの説明を終えると、フォークに赤城が手を伸ばす。

 

「少佐、おひと口、僭越ながら赤城が食べさせていただきたく……」

 

その言葉と同時であった。

赤城の部屋の障子が開かれる。

そこに居たのは妹の加賀だ。

 

「あっ……。」

 

その状況に不意に声が出たのは、89番だった。

こんな状況を見られて加賀は黙っているはずがない。

覚悟を決めなければ、そう思い加賀の言葉を待ったが、それは意外なものだった。

 

「取り込み中だったか、すまない。」

 

謝罪の言葉。

それから、一航戦独自の紙の形をした艦載機を飛ばす。

 

「姉様、そちらの艦載機を調整しておいた。モーメント制御の負担は少しは軽減されたはずだ。次から使ってみてくれ。」

 

口早に要件を伝える。

ばらりと差し出した紙を、その態度に困惑した赤城に渡すと加賀はすぐにその場を後にする。

 

「加賀!」

 

赤城の言葉に一度動きを止める。

 

「この後、時間は良いかしら?」

 

ただ黙って後ろを見せたまま、白の狐は頷いた。

 

 

 

もどかしい。

最悪のタイミングで姉様の邪魔をした。

分かっていたはずなのに、何をしているんだ私は。

姉様の愛は本物だ。憎たらしいがあのナヨナヨしたガキを愛しているのだ。

ならその恋を応援し、幸せを祈るのが妹の私が出来る最善の行動のはずだ。

 

そのはずだ。だが、私は姉様が好きだ。

自分でも分からない。姉様を奪われた時、私は自分が指揮を任されている状況の全てを投げ出し、あの巡戦に攻撃を仕掛けた。

姉様がどれほどの辱めを受けているか、自分の弱さを呪い、この身をセイレーンに差し出した。

それでも結果は違った。

姉様は愛する人間を見つけ出し、私にも居場所があると手を伸ばした。

だが、それを私は受け入れられなかった。

 

人間は醜い。

人間が出来ることは奴隷を作る事と暴力を振る事だ。

だから人は利便性やシステマチックな環境や作品を作り、それで同胞の生命を奪っていく。

それしか能がない。

 

だが、私は、屈辱的にも、自らの居場所はここにないと悟り、その生命を断とうとした時、何故あいつはその腕を差し出せたのだろうか。

私も、私も奴隷にするつもりだったのだろうか。いやそんな風には思えなかった。

 

そう考えるとあのガキは嫌いだ。

考えが読めない。何故私達を最優先に考えるのか。

理解できない。気味が悪い。

姉様は、趣味が悪い。

 

「加賀。良いかしら?」

 

障子向こうの姉様が声をかけてくる。

どうやら静かに怒っているのだろう。それもそうだ。それぐらいの覚悟はしなくてはいけない。

 

障子が開けられる。そこに居たのは、緑色のケーキを持った姉様だった。

 

「加賀、ごめんなさい。」

 

何故、そんなことを言われるのか分からない。

さてはあのガキの入れ知恵、いや、部屋で待てと言われて10分も経過してない。

そんな短時間でケーキは作れるはずがない。

 

「昔、貴方は私を励ましてくれたのね。どうか生きる事を苦しいと思わないでと。」

 

覚えていたのか。

だが、それでも姉様には届かなかった。姉様は私をただ妹としてしか見なかった。

 

「お詫びとして、とても小さい行為と思うわ。でも決して少佐のついでと言う訳では無いの。貴女も少佐と同じぐらい大切に思っている。」

 

緑色のケーキの素は抹茶だろうか、生クリームが薄く塗られている。

その上には――

 

 

――横須賀基地、調理スペース

 

「何で俺らの分には苺が乗ってないンすかね。」

 

その言葉を聞いた、二人の料理人が茶を吹く。

その様子を見て、口を酸っぱくしてジトりと見る。

 

「こいつは詩的じゃねぇな。」

 

笑いながらエルが手のひらを広げて評価する。

その言葉に劉も笑ってのけた。

 

「まぁ、これは直接的だからな。」

 

「なんスかなんスか。そうやって人の事見下して……。」

 

拗ねる黒人の青年を無視してガブりと苺のケーキを頬張る。

エルの想像とは少し違うのは二工程ほど取り返しの効かないズレがあったからであろう。

だが、まぁ、不味くない。

 

「本当は柘榴でも用意すべきなんじゃないかなとは思ったな。」

 

東煌の料理人の言葉に反応するように口の中のケーキを飲み下す。

 

「なぁに言ってんだこのドンキーは。どう考えても苺が正解だろうよ。」

 

口の周りに生クリームを付けながらドヤ顔で語る少女に、「はっ。」と小さく笑う。

 

「だから、何で苺なんスか?」

 

抹茶のケーキを切り分けながら劉が語った。

 

「花言葉だよ。」

 

尊敬と愛。

もしくはあなたは私を喜ばせる。

出されたケーキの意味を知らずとも、きっと伝わるであろうそれは、甘い乙女心としてきっと味わい深い物になったはずだ。

 



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6話前編

1840年代、ロイヤル首都ロンドンの秘密情報局(後のシークレットサービス)は敵対視された国家、鉄血の極秘プロジェクトの情報を手に入れる事に成功した。

だが、その情報の中身はロイヤルの人間にとって笑いが止まらないものだった。

鉄血の考えた案、それは優れた人種をより進化させるというプロジェクトだった。

 

それを聞いた誰しもが声を大きくして笑った。

 

バカだ。本物のバカだ。

そんなことして何の為になる。

金を使う事しか知らない鉄血にお似合いだ。

 

罵倒の合唱、いや輪唱だろうか。上司も部下も関係なく嘲り、罵り、誹り、蔑む行為をカエルのように共鳴し合う。

その内に笑っていた老人の一人がふふん。と鼻を鳴らしながら自慢気に語り出す。

 

――私なら最初から人間を作るね。いや、人間擬だ。

 

曰く、それは人の言う事に従順であれ。

曰く、それが造反の意志を見せれば即始末出来るようにあれ。

曰く、それに人間としての意思は何一つ持たせずにあれ。

曰く、国家の礎であれ。

 

誰もがその言葉に拍手した。まるでお茶会や宴会のようだ。他愛もない夢物語を語る。

だが、その時の彼等は違っていた。

それを夢物語で終わらせようとは思わなかった。

 

その言葉が実現できればどれだけ楽だろうか。

その存在を従えられたらどれだけ愉悦だろうか。

 

彼等は忘れなかった。いつか、いつか、今もこうして市民という金の成る木を悩ませるコレラ菌というとてつもない病を治す薬を簡単に提供された現代だ。

いつかはきっとそういう存在が来てもおかしくはない。

だから彼等は忘れなかった。

 

――いつかこうなったらいい。

 

その言葉は子供が未来を描く時にも使われる言葉だ。だが大人もまたその言葉を使う。そしてそこにあるのはいつだって途方もないほどの悪意があるのだ。

 

 

それから約70年の時が経過した。

氷が浮かぶ氷海を模した『海域』でロイヤルとユニオンの艦隊が大打撃を受けている。

だが、そんな状況にも関わらず全艦船は無機質に事態の処理に勤しんでいた。

駆逐隊を前に出し、時間稼ぎを、巡洋艦の火砲で牽制、主力戦艦が照準を合わせる。

だが、そんな動きでは敵対したセイレーン艦隊には児戯にも等しい。

複雑とも言える機動でセイレーン軽巡洋艦―《チェイサー》は駆逐艦達をいなし、巡洋艦の火砲を掻い潜り、主力に牙を剥く。

死が何よりも接近した状況でも艦船は何一つ顔色を変えていなかった。

『そんな事を考える思考は無かった』

ただ。それだけ。そうこの瞬間までは。

 

――ばごん!!

 

主力に狙いを定めたセイレーン軽巡の頭が爆ぜる。

何事かと砲撃元に視線を移すまでもなく笑い声が響いた。

 

「同胞よ!力〈†フォース†〉を持つ、この重巡砲艦!私の一撃(†インパクト†)は合切の敵を殲滅し、貴女達に安寧〈†エデン†〉をもたらします!!」

 

アシンメトリーの貴族の礼服、ツーサイドアップの髪が特徴のロイヤル重巡洋砲艦ヨーク級―《ヨーク》の昂った叫びに戦場にいた敵味方双方から視線を集めた。

だが、その一瞬で紫のポニーテールと青のスカーフに白を基調とした服を着たロイヤル駆逐艦J級―《ジャベリン》の投擲槍が一番近いチェイサーの頭を貫き、その軽巡の肩に乗りかかり円を描く様に力任せに振り抜いた。

 

「ヨーク!てめぇ横隔膜にリキいれんじゃねぇよ!!照準ズレっだろうが!!」

 

ヨークを中心に女性であろう声の罵倒が広域通信展開されるが、そんな事は知らぬ存ぜぬの重巡は言い付けを破り、それを感じ取った操り手は咄嗟にズレた発射口を下に修正を仕掛ける。

 

だが、セイレーン軽巡も馬鹿ではない。即様回避行動に入る。その場でのヨークに対しての蛇行後退で凌ごうとするが。

 

距離約500m、女性にとってはその程度の距離のピンポイント狙撃などわけがなかった。

 

――ばごごん!!

 

203mm連装砲から放たれた二発の徹甲弾はしかと逃げ回る二頭の蛇の頭だけを射抜いてみせた。

 

「回避行動ぐらい織り込み済みだっつうの。三流か。」

 

「私の力〈†フォース†〉との共鳴〈†シンフォニー†〉やはり貴女は素晴らしい!」

 

「そりゃどーも。」

 

自身を操る女性を褒め称えるが、気に召さない様子が台詞から伝わる。

 

「エル軍曹!牽制感謝します!後は前衛はこちらが引き付けます!対群射撃に移行してください!!」

 

軽巡5機を相手に近接戦闘で一撃も貰わず躱し続けるジャベリンが作戦展開を告げる。

捻り、跳び、屈み、ありとあらゆる動きで弾丸を躱して行く。

 

「りょーかい。ヨーク。指定マーカー順に装填済み次第かく乱射撃。そろそろこっちに弾丸が来るから身体動かすぞー。」

 

「狂騒了解〈†ユーハブコントロール†〉!」

 

「てめぇ、今なんてルビ振りやがった。」

 

そう悪態をつきながらここにいない、見えない女性がヨークの躯体を丁寧に操る。

真横に高速巡航と言える速度で駆けて、こちらに狙いを着けた証拠とも言える発射炎に即座に反応して一段加速してそれを避ける。

その間にヨークの砲身には次の一射が装填された事を告げる。

 

「徹甲弾〈†クロスファイア†〉装填完了〈†ロードアウト†〉軍曹!行けます!!」

 

それを見越したのか、ジャベリンが主砲を展開しながら後退する。反動抑制斥力、いわゆるマズルブレーキに近い機能をオフにしての荒業に第二の心臓とも言えるリュウコツが締め付けられるような痛みに侵される。

 

だが、その地点に居続ければ容赦ない味方の重巡の砲火に四肢は吹き飛んでいただろう。

何せ、先程とは違い正確な狙撃をしてはいない。

低い確率かもしれないがその場合は責任はこちらになる。

だが、後ろ向きに進む事に集中し過ぎてその背中に貼り付かんとする小柄なセイレーンの姿を認識出来なかった。

 

――ぶづづづづ!!

 

しかし、事態は違った。不細工に千切れた音に相応しい音色が響き渡る。

ジャベリンの進行方向にいた後方にセイレーン駆逐艦―《スカベンジャー》を紫の駆逐艦の槍で力任せに引き裂いた音だ。

 

だが、どちらも、スカベンジャーもジャベリンすら反応した事に一切の驚きはない。

彼女達はこの海に浮かぶ斥力の反響で『誰がどこにいる』ぐらいの認識なら容易いものなのだ。

 

ステルス用に含まれる放出斥力認識阻害搭載――高度電子戦仕様でもなければその背後を取れば勝てるというものでは無い。

 

「ジャベリン、槍を手放せ。食い込んでる。」

 

「え?あ、はい!」

 

ジャベリンの心に響いた声に反応して、薙ぎ払った槍を手放し、右大腿から覗かせた三連装魚雷で死骸を槍ごと吹き飛ばす。

 

至近での魚雷攻撃に対応させる為に塗られた特殊ジェルが音を立てて焼ける感覚があったが、それよりも吹き飛んだ槍だ。

 

一切の傷などは無く、沈む事も無く、ジャベリンの近接艤装は海面に浮き、それを回避行動の『ついで』で拾い上げる。

 

後はひたすらの撤退。

 

そう、時計の針は回り切った。

魔女のカボチャの馬車は無いけれど、F4Fワイルドキャット、SBDドーントレース、TBDデバステイターの三種の艦載機が、カボチャの馬車よりも速く宙を駆けて、魔法よりも魔法じみた閃光と炎熱で敵を焼き払った。

 

「損害状況!」

 

ヨークから発せられる乱暴な声音の女性に各自答える。

 

「こちらジャベリン、肉薄魚雷は次で、いえもう二セットやれます。」

 

「こちらホーネット。損傷なーし、問題ないよー。」

 

ヨークから遠く離れた黒の帽子を被った金髪ツインテールの際どい黒の服装をしたモデル顔負けの美少女、ユニオンヨークタウン級三番艦―《CV-8ホーネット》とジャベリンが軽い口調で自身の安否を口にする。

だが、返ってきた言葉はまた違っていた。

 

「んなこたぁ分かってんだよ!?アタシは少佐に言ってんだ!!」

 

それに「えー。」と二人が不満そうな態度を取るが、それも無視される。

 

「報告にあった部隊の数から3割が、確認出来ません……。MIAです。」

 

その言葉はセイレーンの部隊とホーネットの爆撃からの盾を形成した肌蹴た和装風の黒茶の狐とも言える重桜航空母艦、通称『一航戦』赤城型一番艦―《赤城》から幼い声が響き渡った。

 

MIA―ミッシングインアクション、戦場での行方不明、つまり死亡と同義の原因は先の一撃に巻き込まれた訳では無い。ロストした反応は1つも無かったはずだ。

報告にあった数は12人。確認できる数は8名。

 

その言葉を聞いた軍曹が重い息を吐きながら指示を入れる。

 

「少佐、7割も生きてんだ。そいつらスカパー・フローに叩き返してこい。」

 

「……はい。」

 

そう言いながら、赤城が近くに居た赤髪のメガネをした水兵風の衣装のユニオン駆逐艦フレッチャー級―《フレッチャー》の視線と同じになるように腰を落とす。

 

「貴女が旗艦ね。自分の基地に帰るのよ。良いわね?」

 

赤城の言葉にフレッチャーは首を振って否定する。

それに赤城が訝しむと眼鏡の幼い少女は口を開いた。

 

「撤退は『許可されていません』。」

 

その言葉に赤城は表情を一つも変えない。

予測出来たことだ。先の戦い、明らかに異常があった。

彼女達の戦い方があまりにも基本に忠実過ぎる。

いや、言い方が違う。『まるで基本しかない』動きだった。

恐らくだが、この艦船達は誰一人として担当する指揮官と精神接続同期されたことが無い。だから基礎があっても発展とする戦いが求められる対セイレーン戦であっさりと窮地に追い込まれるのだ。

 

「私達は、今回の作戦を、戦いを終えるまで帰れません。帰ったら、私の妹達も同時に立場的廃棄されます。」

 

心臓を潰すような想いに今自分に置かれている現状を告げる。

どのような仕打ちを受けるか、想像し難いそれにフレッチャーが顔を歪ませる。

その言葉を聞いても赤城は表情を変えなかった。

幼い声の持ち主の言葉を聞くまでは。

 

「分かった。このまま同行して貰えるかな?」

 

その言葉に赤城が困惑した声で疑問を口にする。

 

「少佐!?正気ですか!?肉体的練度はありますがとても対セイレーン戦など出来る技術はありません!」

 

その言葉を聞いてフレッチャーをはじめとした8名の艦船が俯く。彼女達も分かっていたのだ。自分達にそこまでの実力が無いことを。

 

「防御は赤城が、同期接続は出来ないけど牽制射撃や布陣への射撃を口頭でして貰う。良いですか軍曹。」

 

その言葉に赤城はなるべく取り乱さないように、冷静に忠言を述べようとするが、

 

「アタシに言うんじゃねぇよ。『お荷物』持たされて気を張るのは赤城だ。」

 

確認を取られた軍曹が舌打ちしながら答えた。

少佐と呼ばれた少年の声は簡単に防御を赤城に任せようとしたが、かかる負荷は尋常ではない。

何せ普通に戦っても反応速度が通常の敵と異なる、いや次元が違うセイレーンを真っ向から相手にするのだ。

戦力という手札が増えた様に感じるが、少年の目指すものは出し渋る札を更に減らしているのと同義だ。

先の一撃も本来なら赤城の手早い攻撃でジャベリンをカバーするのが本来のフォーメーションだ。それを顔の面識も無い。IFF――敵味方識別信号上の味方を守る為に危険な状況を渡り歩いたのだ。

 

その状況を見越したように軍曹が告げる。

 

「こいつらの特性上、超長距離射撃は出来ねー。艦載機だって航続距離が浅い。駆逐で使えるのは魚雷だ。だが、そいつら磁性すら付けられてねぇだろ。」

 

超長距離射撃の不可。それは弾丸に纏わせる斥力フィールドの持続時間、正確には持続距離の限界だ。

通常兵器としての運用ならば小口径火砲といえど最低15kmが有効射程範囲だ。

だが、対艦船ではどんなに頑張ってもどの武器でも最大4kmしかフィールドは持続されない。弾速の問題ではない。彼女達、艦船の脊椎共鳴範囲の問題なのだ。それを過ぎればただの弾丸に、つまり艦船にとっては紙屑を投げられたようなものになる。

視界の邪魔にもならないそれは何の威力も効果もない。

 

磁性すら、というのも魚雷もまた長距離射撃を可能としている要素があるからだ。だが、直線軌道の魚雷の回避は艦船にとって容易といえる。

収束発射を可能としない拡散式魚雷である以上、先のジャベリンのように肉薄魚雷は有効な手段だ。

しかし、更に上を行く武装がある。

それが磁性魚雷なのだ。敵を追尾し、逃げ道を絶つ武装としてこれ以上なく有効性が認められている。

だが横須賀基地のジャベリンはおろか、救助した部隊にもそんな希少価値のある装備は託されていない。

 

「ホーネット、4km内に敵はいない?」

 

少年の問いに金髪の美少女は頷いて答える。

 

「転位先進波形もなーし。リロード中かな?」

 

ホーネットの言葉に少年がすぐさま答えを出す。

 

「ならば距離と陣形を武器にしましょう。スカパー・フロー部隊の8名、ジャベリン、ヨークの後ろに、フレッチャー、スペンス、ブルクッリン、ガラティアを。赤城、ホーネットにカリフォルニア、テネシー、ペンシルベニア、アリゾナを。」

 

「具体案は?」

 

軍曹の言葉の後に続いたのはホーネットの知覚だった。

 

「来るよ!数60!距離25!10時方向!先進、駆逐と戦艦と航空の混成!!」

 

感じ取った敵の襲来を前に少年が述べた陣形を組む。相手が空間の歪みから現れ、陣形を成す前に少年が告げる。

 

「戦艦隊!敵航空母艦へ照準!航空母艦隊!敵戦艦へ用意完了次第スクランブル!スカパー部隊魚雷展開!!続いてジャベリン!突貫!ヨーク!!合わせ……!」

 

その瞬間だった。

ぱりっ、と赤城の躯体を通して薄く細い何かの感触を覚えた瞬間だった。

 

「全機取り止め!!回避行動優先!!繰り返す!全機取り止め!!スカパーフロー部隊後退!」

 

そう、それは正しく転位する敵への対処だった。

通常の敵ならば、の話だが。

空間の歪みから現れたのは空を飛ぶ小さな殺戮兵器だった。

 

「セイレーン艦載機!?横須賀部隊散開!!対空弾幕展開!!近寄らせるな!!関節持ってかれるぞ!!」

 

軍曹が対処の叫びを上げる。

転位したのは円盤に釣り針の如き砲塔ある艦載機だった。

その艦載機の停滞浮遊からの駆逐艦クラスの加速に対空砲の照準が定まらない。

 

「軍曹!1度離脱を!!『アレ』を使います!!」

 

「『アレ』?!……あぁ、そうだな!」

 

すぐ様、ヨークが後方へと駆けて、戦線から離脱し、向き直り、火砲を構え、世界に告げた。

 

「王宮騎士〈†ロイヤルネイビー†〉ヨークが齎す!!其は炎の剣!其は海魔〈†セイレーン†〉を斬り裂く正義の光!!」

 

ヨークのリュウコツから放たれる強大な量の斥力が可視化される。

その斥力は青白く、海に浸透し、大空の様に広がり、光という現象になり映し出される様は獅子の鬣が如く。

 

「皆さん!避けて!!魔砲!!ハルマゲドン!!!」

 

閃光が放たれた。

 

空間の全てを焼き切るように放たれた斥力の嵐は蒼く可視化されて溢れ出る大海そのものだった。

 

歪みから転位しようとした航空母艦型セイレーン―〈コンダクター〉ごと艦載機が焼き切られる。

だが、それだけでは止まらない。

別の地点からの転位反応をホーネットが知覚する。

 

「距離遠い!180!9時!こっちが本命の戦艦だ!!」

 

「ちっ!『感じ』が良いのを逆手に取られたか!!」

 

軍曹が悪態をつきながらヨークの砲撃を急がせる。艦船の放出斥力反響の知覚を信頼し過ぎての愚行だ。

今ので航空母艦は叩いたが、ホーネットの知覚が正しいなら戦艦型セイレーン―〈スマッシャー〉との距離を開けての正面の撃ち合いになる。

互角以下の戦いに持ち込まれる。それではこちらが保たない。

思考が巡り、次の一手を出しあぐねていた少年と女性を置いてけぼりにした朱が駆け抜けた。

 

「赤城!?」

 

少年の戸惑いの声が響いた。

それを理解するのに軍曹は一手遅かった。

航空母艦の赤城がヨークの砲撃に合わせて前身していたのだ。

 

――読みは当たった。転位が終わる前に艦隊を圧倒する!

 

赤城だけは、元セイレーンの鹵獲機だけはカンが働いた。

攻撃だけを先んじて転位させるという手段も有り得ると。

赤城の速度は元巡洋戦艦であったからであろうか。それはまるで矢の如く。

だが、歪みから雷撃の航跡が彼女の視界に映った。

 

「赤城!!」

 

少年の叫びが反響する。

だが、それもかき消す様に転位を完了させたスカベンジャーの小口径火砲が殺到する。

五秒。

無駄撃ちを控えようとそれ以上の発射を止めた瞬間だった。

 

「この程度の雷撃と火砲で、『一航戦』を殺れると思うなよ?藻付共。」

 

――べきばきばきばき!!

 

一人のスカベンジャーの頭が赤城の右腕で縦に押し潰され、上半身に埋没した。

その身は確かに焼けていたが、それでも致命傷と呼べる傷は無く、無機質なセイレーンが彼女に照準を定めた瞬間だった。

 

その無機質な瞳が真紅に染まった。

紅蓮が、煉獄が、焦土が、灰燼が、硝煙が刹那よりも素早く駆け巡り、赤城の周囲全てを焼き払った。

 

 

残存戦力32、混成の内1体の電子戦仕様のスマッシャーも『同時』に切断された。

その攻撃が何であるのかは、まるで、そう。操っている少年にすら分からなかった。

 

 

執務室と呼ばれた指揮官達による艦船のオペレーションルームで横並びになった四人が息をつく。

 

「任務完了じゃな。」

 

老人の言葉に汗を出し続けるもの、悪態をつきながら『してやった』と言いたげなもの、無言のものがあった。

 

「後処理を、スカパーフローの部隊に……。」

 

通信を飛ばし帰還と作戦完了を少年が告げれば、端末から感謝の言葉が帰って来る。

それも終えるとようやく一仕事終えたと思った矢先だった。

 

軍曹が、怒りとも憎しみとも言えないような表情で歯を噛み軋ませていた。

 

「確かに、アイツらは同情できるかもしれねぇ。次、同じ真似はさせらんねぇぞ。」

 

アイツら、それがスカパーフローの部隊であることは容易に察しがつく。

だが、それでも少年には反論の言葉がある。

 

「あのまま返していたらあの子達は……!」

 

その言葉に軍曹の最後の糸が切れた。

 

「変わらねぇよ!!」

 

感情が爆発し、目の前の子供にあまりにも簡単で異常な現実を叩き付けていく。

 

「結局同じような任務を宛てがわれてなぁ!その時間を先延ばしにしただけだ!!お前は自殺も出来ねぇ奴らに次の死の恐怖を与えたんだよ!!」

 

その言葉に少年は噤む。

そう、艦船と呼ばれる少女達は自殺を出来ない。

唯一あるとしたら指揮官に自爆操作を実行される事だ。だが、そんな事をすれば体面を皮切りに様々な問題が発生する。

それまでの維持費、その報告を聞いた戦闘データを逐一確認するオリジナルからの環境改善提案、もし海域の外、通常空間での自爆をしようものなら、その被害は絶対にマスメディアの目に止まる程の威力だ。人間が隠し切れる威力ではない。

そんな光景や残骸をカメラに収録されればどれだけの金を握らせなければならないか分からない。

だからこそ艦船は、『人を想い』自らの命すら断つことがままならないのだ。

 

「お前の最低な所だよ。支払えば対等に結果が発生するって思いながら生きる。そんな現実有り得ねぇって分かってるクセによぉ。」

 

その言葉にずきりと少年の心が痛む。

軍曹の乱暴な言葉に何も言えずにいると、老人の手が少年の頭に置かれた。

 

「それでもやらねば、誰かの傷になっていたさ。見殺しとは最も行ってはいけない殺人だ。自覚して行えなどとは狂人のそれだ。君はそれに成れと叫ぶのか。」

 

老人の言葉にエルが舌打ちを強く打つ。

その音は『甘やかすな』とでも言いたげな音色であった。

 

「『それ』を怠って自分が守らなくちゃいけねぇモンに被害が及んだら本末転倒だろうが!」

 

その言葉に老人が睨んだ。

眼光に軍曹は一瞬たじろいたが、自分の主張は正しいと睨み返す。

両者の言い分は正しい。だが人間としての正しさと軍人としての正しさは両立など出来ない。

仮に出来たとしても、予期せぬ結果を引き起こしかねない。

 

「教授、今回は軍曹の言う通りです。」

 

少年は叩かれた心に手を当てながら軍人としての答えを出した。

 

「申し訳ありません軍曹。」

 

その言葉に鼻を鳴らして軍曹が応える。

 

「謝るならてめぇの嫁にしろ!気ぃ効かせて傷ついてんだからな!」

 

その言葉に目を伏せて、呟く。

 

「そう、ですね……。」

 

 

 

 

―横須賀基地、キッチンスペース

今日のシフトは加賀、エクセター、ヘレナの3人が手伝いに入り、それを取り仕切るのが東煌料理人劉とアイヴァン青年。

昨日の深夜警戒シフトメンバーが釣り上げたマグロの首を叩き斬りながら首を傾げた。

 

「そんなに面倒くせぇのか?その……。」

 

劉の言葉に近隣海域で養殖させたワカメを一口サイズに斬りながら加賀が答える。

 

「鏡面海域だ。何しろ色々と邪魔だからな。」

 

加賀が作業をしながら、今横須賀基地が対応に追われている作戦の概要を口にする。

 

―鏡面海域

それは本来存在したはずの歴史を再現する事で、セイレーンが新たな艦船、そして技術を手に入れる空間であった。

 

「だが、それだけでは済まない。通常の『海域』にも影響が及ぼされる。」

 

そう。攻略した『通常海域』構造の変異、再解析を初めとして様々な障害の発生が報告された。

1部の艦船の姿が変わっている等と言うこともあるぐらいだ。

 

「再攻略を要求されている基地もあるそうだ。」

 

加賀が大根の皮剥きをし終えて、本日の味噌汁に入れる用に短冊切りにする。

 

「他にもこちらが確認していない艦船の出現もあってな。それの回収やセイレーン新造の兵器の回収もある。それらの低コスト量産用に根こそぎデータを奪っているからな。」

 

ただ強い武器を作るだけなら金を払えばいい。だが、それでは戦争はいずれ人間側が息切れを起こす。資材も製造環境も桁違いと言えるレベルでセイレーンは上回っている。その状況下を如何に有効活用するか。

今、ユニオン、ロイヤルの統合陣営組織アズールレーンに置かれている状況を聞くと劉の中で合点が行く。

 

「道理で最近アイツら気張ってんのか。」

 

アイツら。それは混成された指揮官達四人を指している。

朝早くに起きて、各艦船のコンディションを把握した後、普段は行わない四人体制で執務室へと向かう。

食事は各自、最も摂取しやすいジャンクフードを小休憩として数分で胃の中に放ればすぐさま終える。

艦船達は数時間の戦闘を行えば帰って来て、ありったけの食べ物や飲み物を摂り終えると自室で仮眠を始める。

だが、指揮官達は別の艦船を戦地に向かわせて戦闘を継続していた。

それこそ彼等の睡眠は日にちを跨いで後回しにされる程に。

彼等用の夜食として捕食しやすいパン粥を劉は置いて蓋をして眠りに就く。

そうしてまた少しの睡眠の後は同じ事を繰り返す。この二週間は鏡面海域の破壊に注力していた。

 

「お陰でこの横須賀基地の成績は上々だ。頭数もそうだが、食事での補強がかなり響いてる。」

 

「食うだけで強くなれるなんざおめぇらも大概バケモンだなぁ。」

 

「『強くなれる食事』を可能にしているヤツの発言ではないだろうな。」

 

その最たる劉が野菜を煮込んだスープに目が行く。

本人特製のラーメンのスープは野菜の出汁が濃厚かつ栄養摂取も考慮されている。

元は古くから伝わるインチキじみた呪いから発達したそれは食欲を胃の腑から引きずり出し、少しの飢えと乾きでも高級なスパイスに変化させる。

 

「あー?」

 

加賀の言葉に口だけの疑問を吐き出すが、すぐに何が言いたいのかを理解する。

この基地のある種の強みとも言える要素の極地、いや単細胞ですら身に付けている最低限の機能。

冗談とも思えるが、それは単純に横須賀基地の食事が他と一線を画すことなのだ。

この料理人をはじめとして、艦船の強い飢餓を満たす程の物資は自給自足の分も含めて加賀にとっては高水準と言えるものであった。

 

「まぁこちとら『将軍を作ったことがあるからな』、それに前の契約主が置き土産の宿題置いて墓に入りやがったし。ノウハウが違ぇのよ。」

 

「ノウハウか、そのラーメンもか?」

 

澄んだスープへと昇華させる為に欠かさず灰汁を除く所を小指で示すと、劉は軽く笑った。

 

「これなー。作ったの結構最近なんよなぁ。まぁ、『今作るのはしんどい』からなー、追加契約金払ってまで作ってる業者いんだし。」

 

その言葉に引っかかる所がある。それはどういう意味か、ではなく、自分達への忌避か?という意味でだ。

 

艦船の出現により食料問題とそれを解決する手段はすぐさま開発された。液状化したメンタルキューブを種類問わずの農耕作物に注入することだ。

 

これにより高い栄養価と素早い収穫を可能としたが、一部ではそれが問題視された。

人体への害や経済面などもあったが、この一部の意見は違う。

その栄養価の上昇により味や品質が変わるのではないか?そう言った料理人達や評論家の意見だった。

これはすぐさまその問題を『統制』した企業により『味付けの定義化』が果たされたが、それでもごく一部の料理人とそこに目を付けた商売人達は独自のルートによって艦船達の力を借りずに自己欲求を含む『価値』を追求された農業グループを起こし、これを世間では『裏農業』とまるで後ろめたいことをしているかのように差別視された。

 

だが、それもそうだ。と言わんばかりに加賀がつまらなそうに呟く。

 

「戦時下でもなお良くやるな人間は。」

 

飽くなき、というより無邪気ともいえるほど人は欲望や渇望を優先して動く、例えそれが非常事態の延長線であったとしても。

 

「あったりめぇよ。出された食事も満足に食い下ろせない癖に貶す言葉は無駄に覚えるのが人間様よ。知らねぇのか?人間は文句の生産量が動物の頂点なんだぜ?」

 

その言葉に鼻で笑ってしまう。

加賀自身も似たような発想を抱いていたのが原因だ。

だが体液が料理に付着しないよう注意を払う。

 

「まぁ、このスープも値段付けたら普通に高ぇけどよ、今必要なのは栄養よりも味なんだろうよ。あのチビッ子、そこそこ頭が回る方だと思うぜ?」

 

その言葉を聞くと加賀は先の笑顔を、吹き飛ばすほどに真顔に変わる。

 

「ただの甘ちゃんだ。甘やかして、それを喜ばれて悦に入った一辺倒のクソガキだ。」

 

苦虫を噛み潰したように吐く。

この基地統括指揮官の少年の話は加賀にとってはタブーだ。だが、それを見て分かっても劉は口に出すべきだと判断していた。

 

「ただの甘ちゃんがあぁもシフト組みして、お前ら用の設備整えるかねぇ。」

 

そう、横須賀基地の人数は今や150を超える大所帯となった。

その為、消費される食糧物資の自己解決及び生活スペースや娯楽施設、単独用の機器、休息促進の浴場、農耕、漁業を艦船達に満遍なくシフト編成が組み上げられていた。

 

「今日の分だって、チビッ子の指示だろ?あいつ寝てんのかねぇ。」

 

「心底どうでもいい話だな。」

 

苦虫を噛み潰したようにその話を終わらせようとするが、料理人は引かない。

 

「食事のメニューに必要な素材のルート確保。それだってアイツがやってんだ。作るだけなら簡単よ、動けばいいんだからな。いい加減認めてやったらどうだ?お姉ちゃん取られてムカつくのは分かるけど……」

 

――だぁんっ!

 

遮る、いや、まるでその言葉を殺すように加賀が包丁をまな板に突き刺した。それは次はお前だと言わんばかりに鮮烈さ溢れる眼光で料理人を見据える。

 

「人間のお前には一生分かるまい。アイツと会話してて有能さを感じているのだろうな。だがな私に言わせれば――」「アレこそが本当の化け物だって話か?」

 

料理人の言葉は正しく加賀が言わんとした感想だった。

そう加賀は少年を嫌っている。だが、それ以上に不気味なのだ。

姉の赤城に聞けば年の頃はおそらく五つ、そして何より敵性生命体セイレーンの再現品であることを聞いた時、自分が感じる不快感の全てに納得が行った。

 

そして、それ以上に気味が悪くなる話だ。

 

子供と話しているという感想がまるで出てこない。

 

『訓練期間』というものがあっても、あぁも、何故こちらの手札を読み切ったような態度を見せてくるのか理解出来ない。

 

「なぁんだお前、分かんねーなら本人聞けば良いじゃねぇか。」

 

まるで、マジックショーの裏側を知っているように料理人はせせら笑う。

奇術、奇跡が何故起きたのか、手の内、動き、目配せ、それだけでたった2枚のジョーカーを何故ずっと引き続けれるのか、それは料理人に言わせれば理由があるからだ。

 

「正面だけならただのガキだ。裏と横を見てみろ、見てわかんねぇのなら何も言うな。お前も文句垂れるだけのそこら辺のゴミと同じになるぞ。」

 

その吐き捨てた言葉に艤装である式紙型艦載機を袖から引き摺り下ろした。

 

「どういう……!」

 

意味だ。まで彼女は言えなかった。食堂の外からの大きな声にかき消された。

 

「りゅー!!」

 

外から白い狛犬のような姿をした小さな艦船、白露型駆逐艦四番艦――《夕立》が小さな網を担ぎながら走ってくるのが見える。

 

「てンめ!クソガキ!走って入んじゃねぇ!ホコリ飛ぶだろうが!」

 

咎める言葉も無視して夕立は自分の担いでる物を説明しながら入ってくる。

 

「イカ!イカだ!焼いて焼いてー!!」

 

「人の話聞けやー!!」

 

ばちこーん!

 

近くにたまたまあった皮を剥く前の栗が夕立の額に届いた音が横須賀基地に響き渡った。

 

 

 

漁に出た補給部隊の物資を先行して持って来た。

というのを伝えたかったようだが、当の本人は額を赤くされて手を当てて涙目になっていた。

 

「マジでお前らは良いかもしんねぇけどな、俺はんなモン食いたかねぇんだよ。」

 

「……ごめんなさい。」

 

くすん、くすん、と鼻を鳴らしながら夕立の謝罪を聞き、烏賊の目や足、内蔵を抜いて洗い、水を切って、劉特製の醤油の入った壺の中に浸して、フライパンに乗せてクッキングヒーターの電源を入れる。

 

そこでようやく劉は気づいた。

 

「お前らってイカ食えんの?ぎっくり腰にならん?」

 

それはいつか前のオーナーが動物を飼った際に、ペットというものを学んだことから来た言葉であった。

 

「別に問題ない。なんならマグロを食わせ続けても寄生虫も出ないぞ。たまねぎも油も普通に食えてるだろうが。」

 

加賀の言葉にため息を漏らしながら一息ついた。

 

「いやマジで食中毒系起こしたら料理人失格だからな。アレルギーは無いの分かるんだけどよ。こんな事ならあンガキからもっと情報聞き出しゃ良かったな。」

 

そう言いながら額を搔く。

紫を基調とした自分の出身国と同じ小柄ながらも芯のある少女を思い出すが、またため息をついた。

 

「夕立達は病気とか殆どないぞ?」

 

その言葉に誰よりも反応したのは劉の助手である黒人の青年だった。

 

「え、かかる病気あるの?」

 

その問に劉が頭を抱えると青年は焦ったが、夕立の言葉で背骨に釘を打ち込まれる。

 

「えっとな、『せーしんしっかん』ってのは防ぎようが無いんだって。夕立達を絶対に殺せる病気って皆言ってた。」

 

謝意を示す前に上司に足を踏まれる。

飛び跳ねたくもなったが、それをしたら今度は上半身が吹き飛ばされる。

 

「おぅ、悪ぃな。出来たから食っとけ。」

 

それに歓喜の叫びを上げて串に刺されたイカ焼きに齧り付く。その醤油の甘辛さとイカの歯応えのある食感に美味の表現を身体中で唸るように表す。

 

「……えっとこの気配は、夕立?」

 

その後ろから少年の様な中性的な声が響いた。

ふと気がつくと目を布で隠した状態で赤髪の女性に手を引っ張られて歩いていた。

 

「オォウ?」

 

「はい12人目も正解。そんだけ当てれば充分だな。」

 

しゅるりと布を外しながら赤髪の女性―軍曹が鼻息をゆっくりと吐き出して、うんざりした顔を作る。

 

「おー?もう日にち変わったか?」

 

外を覗き込む料理人の冗談に白目を向いて対応する。もううんざりだ。と言わんばかりの顔を軍曹が作る。

 

「『横須賀は組織の序列を乱す行為に及んでいる、よって当日を以て鏡面海域の参入を』……まぁ、ようはでしゃばんな。だな。」

 

どうやら上層部の目に付く行為を咎められた。というものらしい。

急なシフト変更だが、そこで料理人は気づいた。

 

「あのパツキン娘もう帰ってくんのか!?」

 

パツキン娘、ホーネットの事を言っていることが分かり両指揮官が頷くと血の気が引いた。

 

「おい、マジかよ。焼きそばも麻婆も炒飯もねぇぞ!」

 

最近の彼女の好みである東煌料理のラインナップの完成は2時間後に設定してある。

だが少年と少女がこの場にいるということは予定を前倒しにしなければならない。

 

「加工済みがあるだろう?」

 

加賀の言葉に首を振る。

 

「あいつ丼飯じゃねぇぞ鍋で行くからな?」

 

大型冷蔵庫の加工済み東煌料理のパウチのストックは別の艦船が先約を入れている。

 

そして戦闘終了後の艦船の消費量は人間とでは比較にならない。

まるで牛か熊だ。と言いたくなるほどに飲み喰らい眠りこける。

それに彼女は濃い味付けの東煌料理を好む。劉から言わせればユニオンのサンフランシスコにあったドンファンタウンの味付けだ。そのクセ自分で調味料を使いたがらない。

 

そして、起死回生の一考が浮かぶ。いや目端の夕立から連想された。

 

「わんころ!」

 

「オォウ?何だ?って夕立は犬じゃないぞ!」

 

「んなことはどうでもいいんだよ!イカもってこい!こうなりゃヤケだ!」

 

「分かった!全部もってくる!!」

 

忙しいやり取りをしている2人を他所に加賀が2人の指揮官に尋ねながら冷水をコップに注いで渡す。

 

「で、さっきのは何だ?」

 

その言葉に出されたコップの中身を見ながら軍曹が答えた。

 

「ん?あぁ、なんかねー。少佐も波形分かるようになったんだとよ。」

 

コップの中の波を眺めながら、何ともくだらなさそうに言う。

少年が艦船達と同じくリュウコツ波形の認識を可能としている。

だが、それも軍曹にとってはあまりにもつまらない話だ。

 

「ここに来るまでも目隠して来たんだけど、半径3mなら判別着くっぽいな。ケルンとカールスルーエが一緒でもどっちがどっちか分かったし。」

 

「この後、ヴェスタルの休憩が終わるから、そうしたらメンテナンスして貰う予定。シフトは明日から一旦白紙にして、基地の1部の清掃とか明日からやるね。」

 

「少佐、アタシ半休ちょうだい。午前ぶっちぎり寝たい。その後なら掃除すっから。」

 

「良いですよー。サウナ室と浴槽とシャワールームお願いしますねー。高圧洗浄機倉庫から引っ張り出してくださいね。」

 

だらん。とのんびりした心地のやり取り加賀の肌が粟立つ。

それはただ一つの疑問から来るものだ。

 

「お前自身の感知能力への関心は無いのか?」

 

加賀の疑問に、少年も少女もにへら、と笑みを浮かべて答えた。

 

「今更デバイスが少し変わった所でなぁ?」

 

「ですよねぇ?そもそも僕ら金太郎飴なんですし。」

 

まるで自身の、いや、人類への危険など感じてすらいない。

その姿勢がただひたすらに気味が悪い。

 

「あっ、ヘレナー明日から何人かと『これ』頼むわー。」

 

軍曹がそう言いながら、自分の端末を操作してファイルを開き、厨房の奥にいたヘレナに送り付ける。

すると端末がすぐさまメッセージを受信する。

 

【Re:了解しました。規模が規模なので6日ほどお時間をください。】

 

「もっと時間使ってええよー。気長に頼むわー。」

 

気だるげな言葉にまたメッセージを受信する。

 

【:-x】

 

とキスを意味するメッセージを見て、隣の少年の肩を揺する。

 

「んじゃ、ほれ行くぞ。」

 

「……はい。」

 

「加賀、アタシらのメシいらんからなー。その代わり重湯をリッターで作っといてくれや。」

 

そう言いながら連日の疲労からか猫背になりつつもとぼとぼと歩いて去っていった。

小さく頷いて承諾したが、それよりもヘレナへの送信ファイルが気になった。

 

「何を送り付けて来たんだ?」

 

加賀の言葉にヘレナが笑顔で答えた。

 

「ノイズキャンセリングとかね、数千万通りの。」

 

「は、はぁ?」

 

そういうと周囲をテキパキと片付けて余白ともいえるスペースを作ると、自身に搭載されたSGレーダーにリュウコツと直結する起動音が響き、送られたデータの投影を可能にする。

それを指差しながら説明を始めた。

 

「軍曹達は今回の戦闘で『砲撃クラスの転位』まで有り得ると考えてるみたい。だからクラス別の転位波形から各攻撃のパターンを抜き出せるように転位波形をノイズと仮定してクリアリングし、予測までを可能とする。これはクラス別の連携や弾種、艦載機パターンも読み出さなくてはいけないけど、それ以上に『使われている艦船データ』も合わせるから……。良ければ加賀、手伝ってくれる?」

 

膨大なパターンとその正確な処理を可能としたいのだろう。

だが、横須賀の弱点の洗い直しとも言える。

中遠距離戦闘においてこの部隊のメンバーで戦局を覆すことが出来るのは未だ居ない。

未だ近接格闘での状況打破に明け暮れている部隊だ。

ある意味で自分達の対策の対策という状況。

 

「分かった、片付けの後で構わんか?」

 

加賀の言葉にヘレナも頷く。

今は目の前の料理だ。そうして二人はまた調理を始める。

 

 

横須賀基地、近隣海域。

 

秋の海で肺が少し冷却される。それを通して瞳も乾きを覚える。

火照りまくった身体には丁度いい。

赤城の躯体は、否、正確にはその背中は異常なまでの発熱を起こしている。

そのせいで浮揚と推進を可能とする斥力放出もままならない。

 

本来ならば艦船である以上、疲労という概念はとても遅く発生する。貯蓄した飲食物を正確に分解し、損耗した箇所をすぐさま補強するからだ。

だが今赤城の身体はまるですっからかんだ。エネルギーも水分もビタミンもミネラルも繊維質もまるで全てが足りないかと言わんばかりの栄養失調者のように進むこともふらつき、瞳は掠れ、身体はバランスを崩した。

 

「ちょ、ちょちょーい。大丈夫?」

 

ホーネットが赤城の腕を引っ張り、なんとか海面へ沈むのを防がれるが、赤城はあまり良くない顔をしていた。

それもそのはず、『赤城』が好きではない艦船の妹分だ。助けられたかもしれないが、すぐに自分の腕をひったくるように取り戻す。

 

「助けてくださりありがとう。でも二度と手を貸さなくて良いわ。ユニオンさん。」

 

真っ正直に嫌味を言うが、ホーネットにはあまり気にならない話だった。

 

「いやいや手を貸すよ。今は仲間なんだし。それに明らかにヤバいでしょ。」

 

今もホーネットに持たされた電探装備から赤城のバイタルデータを再確認する。

 

リュウコツが限界の寸前まで動かされたように警告のアラートが響く。

 

『――損耗度、異常。推進に問題アリ。浮揚斥力係数低下。沈没予想時間算出。』

 

かちり。

とホーネットの視界の隅に924秒のカウントが刻まれる。

 

「後10数分で沈むときた。ならここは善は急げじゃない?」

 

ほら。

 

と己の身に手招きをして導く。

 

ホーネットの提案は具体策を聞かなくても分かる。

肩を貸りて、その状態で移動することだ。

前進すらままならない艦船にはありがたい提案だ。

 

それが赤城への提案でなければ。

 

「苦痛ね。」

 

「今も発熱、脱力感、神経の損耗があるんだから、それで我慢しなよ。」

 

HAHAHA。

とユニオリックな作り笑いを浮かべるのに赤城は辟易する。

皮肉を上乗せする姿勢にイラつきを覚えるが、だが言われた正しさに顔を歪めながら右腕を持ち上げてホーネットの肩に乗せる。

 

「正直さぁ。」

 

ホーネットがゆっくりと進みながらため息を吐く。

 

「最初無理でしょって思ってたよこの部隊。でもさ、気が付いたらこうしている自分に何にも違和感が無いんだよね。」

 

『本来』ならば殺し合うだけの関係なのだろう。

だが、『鹵獲』という形を経て、お互いに今地球に現存する半分になった人類の為に戦い、こうして身体を支える事に疑問を感じない。

 

「ボウヤとは上手くいってんの?」

 

こうして少年少佐との関係を茶化すことも気にならない。だが、その質問は赤城にとって禁句だ。

 

「その帽子の中身は空?この2週間の基地のシフトも覚えてないとか。」

 

赤城の皮肉にホーネットが爆笑する。

 

「いやだってさ、あれぐらいの年の子供なら女の子に何かしら湧くでしょー!朝に元気のハグー!夜に眠れないからハグー!ってさ!」

 

その言葉に赤城の表情が曇る。

え、いや、まさか。

 

「あのさ、あっちからのアプローチ無し?」

 

ぐさり。

燃ゆる躯体に言葉が突き刺さる。いつしか慰めとして寝ずに子守唄を続けてくれたこともあった。

欲しい物をねだって少しばかり心が近づいたと思う事もあった。

誕生日とかこつけてケーキを振舞った。

だが、1度でも少年からの接触は無かった。

 

「え、まさかとは思うけど、どうせ……」

 

「違うと思いますよー?」

 

言葉を遮ったのはジャベリンだ。

気がつくと陣形を崩してペースを落として会話出来る距離までになっていた。

 

「お二人共知らないと思いますけど、少佐は何ていうかジャベリン達の事を違った目で見てるんですよね。」

 

横須賀基地稼働初期メンバーであるジャベリンは少佐の姿勢を覚えている。

 

「何ていうか娘?妹?そういう目なんですよね。『庇護』というか『保護』というか『後継人』チックなんですよねー。だって、何ていうか最初の言動、おっさん臭かったですもん。」

 

最後の言葉に赤城から睨まれるが、気にせず感想を続ける。

 

「どっちかと言うと枯れてる?」

 

「蜂公、私の代わりにあの槍娘を沈めなさい。」

 

「あっはっは、お客様にその様な権限はありませーん。」

 

ジャベリンが笑いながらも支えられてる赤城を見ながら器用に進むべき方向に後退する。

 

「だから、最初は皆して少佐を割と冷めて見てたんですよね。ジャベリン達に興味無いのに何で指揮官やってるんだろうって。」

 

「それしか無いから?」

 

それに首を振る。

 

「ホーネットさんは知らないと思うけど、加賀さんと戦う前の日の少佐ヤバかったんですよ。」

 

忘れもしない、加賀のいる第三層海域への派遣前日の夜に施設を出ていく少年を。

思わず気になって付けて行った。

歩いて10分ほどだろうか急に足を止めた。

それに思わず身を隠したが、少年は小さく言葉を漏らしていた。

それを斥力反響定位の応用で取得する。

その内容は、その容姿から似つかわしくないものであった。

 

『違うそうじゃない。加賀を殺すな。楽な方に逃げるな。飛龍も蒼龍も赤城も、加賀だって死なせないんだ。お前はその為の指揮官だ。殺すなんて楽な仕事を選ぶな。ヘマをかましてみろ。お前を迷うことなく殺してやる。読み切れ、加賀の手札を、加賀の一枚を、読み尽くせ。さもなければ今すぐにここで死ね。』

 

まるでそれは呪詛だ。

そうして、また歩き出す。

 

その後ろ姿からはまるで憎しみすら感じるほどだった。

 

それを聞き終えてホーネットは少し難しい顔をする。

 

「加賀って、ことは本来のスペックでの戦闘を前提として制圧戦しようとしてたの?」

 

ホーネットは疑問をぶつける。

そう、加賀の戦闘スタイルは横須賀基地の艦船で知らぬ程の逸材だ。

ピンポイントで四肢を穿つ艦載機の精密動作、瞬間的な戦闘や制圧戦を総合して右に出るものは居ない。そう言いたくもなるほど力を有している艦船だ。

 

「正直、言い方が悪いと思うんですけど、勝てます?あんな状態になってくれたから勝てたようなモノですよ?」

 

あんな状態、戦艦としての加賀のカンレキを遡らせたような重装備で本来の機動力と制圧力を失った自滅状態での勝利だ。

上層部を含めた意見は自滅してくれたことで勝てただけ、特段珍しい事でもない。

 

「少佐の支持では、私を後ろにして、二航戦を前にする予定だったわ。重度の近接戦闘での手札を奪わせる戦闘よ。」

 

その言葉にホーネットが引っかかる所があった。

 

「ねぇ、何かさおかしくない?」

 

ここまで話していてようやく気が付いた。

 

「何で殺すのが楽って言えるの?確かに普通の軍人ならそうだけどさ、『まだ子供だよ?』」

 

その不気味さにようやくジャベリンも顔色を変える。

まるでそれは平然と行っていたモノの言葉だ。

人間が人間を取り押さえるというのは正直な話、よほど優劣の有無があっても至難の業と言える。

それどころか弱者が強者をねじ伏せるなどコミックの中の絵空事だ。

そしてそれは艦船同士でも同じ答えに繋がる。

 

「ちょっと!さっきから黙って聞いてれば!少佐を何だと思ってるの!?」

 

赤城が二人の顔に怒る。

まるで醜悪なバケモノを見つけたかのような二人を吐き捨てたくもなるほど怒りが込み上げてきた。

 

「でもでもおかしくないですか!?」

 

「おかしくなんかない!少佐はそれだけ『アンタの達の親玉』から叩たかれても自分を捻じ曲げなかった!それが真実よ!!」

 

軍事組織アズールレーンへの問題を赤城は訴えた。

少年から聞いたが、産まれてきてすぐに自分と同じ顔をした相手を殺すように教え込まれて心は壊れかけた。

だが、それでも少年は立ち上がる切っ掛けを手に入れて奮起した。だからこそ横須賀統括という身分を手に入れたのだ。

赤城はそんな少年が心から愛おしいと思える。

 

「諸君、話し合いは終わりだ。」

 

最前列で進んでいたヨークからの言葉に進行方向に意識を戻す。

横須賀基地の埠頭が見える。そこに影が4つ。

少佐と軍曹、そして兎の如き頭頂に長耳が生えた二航戦の蒼龍、飛龍が見えた。

 

「赤城!大丈夫!?」

 

波打つ音に阻まれながらも心配の声が海に響き渡る。

だが、その姿にすらジャベリンとホーネットにはどこか不気味さを覚える。

 

本当に心配してるのだろうか。

 

そんな言葉すら浮かぶ程にこの少年から寒気を覚える。

 

そんな2人を露知らず、海面から登ってきた赤城の身体を支えるようにおぶるように、いや最早下敷きになりながら力を入れて歩く。

 

「ごめんね。嫌な思いも大変な思いもさせて、明日からお仕事は無いからゆっくり休むんだよ。」

 

そう言いながら2航戦姉妹の前まで移動してそこにあるものに赤城は気が付いた。

所謂担架だ。つまり自分はここで横になれということだろう。

 

「付いて行くから、安心して。」

 

赤城の表情を読み取ったのかすらりと欲しかった言葉を貰い、少しばかりの嬉しさが心に宿る。

 

あぁ、やはり何と優しいのだろう。

 

心は少年への愛で抑えきれなくなりそうだ。

だが、それ以上に横になることが申し訳なくもあった。

 

「少佐。」

 

二航戦に運ばれながら赤城は夕暮れの空を仰ぎ、今日の失態を思い浮かべる。

 

「作戦行動中の口答え、独断での行動、申し開きもありません。」

 

その言葉に少年は首を振って否定した。

 

「いや、君は正しかった。君が頑張ってくれたから今回の戦闘は結果的とはいえ上手く行ったんだ。ありがとう赤城。」

 

赤城の手を強く握る。痛みは感じないほど弱い握力だが、それは本当に心から思っているのだと確信できる。

 

 

ほどなくして赤城は治療スペースに運び込まれ、栄養剤が注入された。

 

少年は赤城が眠るまでそばに居た。

 

寝息を立て、安堵の中にいることを確認すると少年はその場から立ち上がる。

 

「おやすみ赤城。」

 

消え入りそうな声で囁く。

 

「し、う、さ……。」

 

声に反応したのか寝言を聴いて少年は穏やかな顔を一瞬作ったが、すぐに強ばりその場所を後にした。

 

向かう場所は執務室。

 

そこに居たのは先程の一戦を終えた面々だ。

扉を開けてすぐさまに軍曹が声をかけた。

 

「普通に寝たのか?」

 

その言葉に少年は頷く。

するとユニオン所属、プロメテウス級工作艦――《ヴェスタル》がすぐさま用意していた映像を投影させる。

 

「この瞬間、この瞬間です。」

 

それは赤城の周囲に居たセイレーンが『切断』される瞬間だった。

 

「この一瞬で、こちらのモニタリングでも赤城ちゃんのバイタルは急激に変化しています。ホーネットちゃん?」

 

その言葉にホーネットが待ってました。と言わんばかりに立ち上がり、装備していたヘアピン型電探用アクセサリーの内部データを映し出す。

 

「バイタルの変化と切断までの時間は0.00000012秒。悪いんだけど、この装備、ていうかヘレナでも分からないと思う。マジで。」

 

それは彼女なりの本音だ。何が起きたのかまるで分からない。分かることが無い。

何故ならば。

 

「斥力反響定位が反応しない攻撃なんてこの世存在しないと思う。」

 

そう。絶対の知覚と言える武装が何一つ反応しなかった。

攻撃があったなら何かしらの反応を感知するはずだ。

砲撃、航撃(爆撃も含む)、打撃、だがそのいずれにも該当は無い。

 

「残骸目視記録は?」

 

少年が確認するとジャベリンが立ち上がる。

 

「その、何ていうか、えっと……。」

 

「どんな内容でも良いんだ。」

 

少年の言葉に、塞いだ口を開く。

 

「切断面に強い熱エネルギーを感知、それとヨークさんが気づいたんですけど。」

 

「ヨークが?」

 

少年の言葉にジャベリンが着席し、代わるようにヨークが立ち上がる。

 

「帰路上のデータになる。」

 

映し出すのは赤城の通り道とその周りの反響データだ。

赤城の推進低下を指している。そう思ったが少年はデータを深く読んで気づいた。

 

「赤城の航跡下に何もいない?」

 

「厳に言えば違う。『全て消えた』が正解だ。」

 

浮揚し、推進する際に確かに微生物はその反動で死ぬかもしれない。それぐらいに彼女達の動きは現実離れしている。

 

だが、その反動も深度1mにも満たない。

それなのに映し出されたデータはまるで赤城の通り道に居た海洋生物は全て死んだ。と言わんばかりに赤城の真下はありえないほど綺麗だった。

 

「不可解な摩耗、観測出来ない攻撃、未知の現象が起きている。」

 

老人がそこでようやく口を開いた。

 

「一週間は鏡面海域に参加しなくて良いと言ってきたから休養を重ねれば良いじゃろ、ヴェスタル。見積もりは?」

 

「最低でも三日、多くても五日はかかるほどのダメージです。でも、それよりも……。」

 

目を伏せた彼女の表情が何を言いたいのか良くわかる。

 

それまで軽く見ていたが、ここまで来ると何が原因かは言わなくても理解出来た。

 

「僕の身体だよね。原因は。」

 

そう。全ては少年がセイレーンの転位を用いた攻撃の知覚から。

明らかにそこから赤城に異常が出ている。

 

「ヴェスタル、僕の方の異常は?」

 

「8%のリュウコツ結晶化が12%に、虫食いの様な広がり方をしています。」

 

そう。少年の身体はセイレーンの肉体をクローニングした代物だ。それ故に背骨の一部がリュウコツ結晶化し、それにより艦船との接続を可能にしている。

 

「周辺脊椎、髄液、神経機能、諸々を調べましたが生活する分には何ら問題はありません。」

 

その言葉は戦闘になれば別ということだ。

少年を脅している訳では無い。

むしろ少年に怯えているのだ。

その視線は覚えがある。何度も何度も『訓練期間』に受けたものだ。

 

そして答える言葉も大差ない。

 

「ごめんね。なんとかするから。」

 

奇妙な話だ。人間でない存在から人間でない扱いをされるのだ。

だが仕方がない。自分達に害成すと思うのなら、生命はその存在を忌避する。

 

「今日はお疲れ様。皆明日から羽根を休めておいてね。」

 

それしか、そんな当たり前の上司風を吹かせるぐらいしかもう出来ない。

何か言い繕おうとしても彼女達は不安になるだけだ。

 

その言葉を聞いて艦船達と少年を除く指揮官達が去っていく。

 

そこから一番奥で口内で飴玉を転がしている大男がのそり、と前に出る。

 

「お疲れさん。」

 

料理人が少年の頭に手を置く。本当に今日まで頑張った事への労いだ。

だが、それも一区切りに過ぎないことを二人は知っている。

 

「まず、この二週間での調理作業大変お世話になりました。」

 

「ルート増やしたり、メシのシフト組んでくれたからなぁ。こっちはお陰で楽よ。予約制かタイマンでしか料理作ってねぇからなぁ。」

 

料理人の長い経験から言わせれば途轍もない路線変更と言える。

本来は契約主と金銭的取引を行い、その上で長期の個人間レベルで料理を振る舞うのが常だ。

少し前はマフィアで東煌料理を営んでいたが、殆ど予約制で制限を設けていた。

 

「それでもお見事です。今日までの兵站の細かな調整は劉さんのお陰ですよ。」

 

その言葉に、がっはっはっは。と男は笑う。

男は見て分かるのだ。少年が嘘を付いていないことを。そしてそれ以上に何かを頼もうとしていることを。

 

「何が頼みだ?」

 

少年はどきりともしなかった。

見破られるのは承知の上だからだ。

 

「どうですか?彼女達の食事風景で何かありませんでしたか?」

 

それを聞くか。

少しばかり目を通していない事柄を思い起こすが、すんなりと増えている共通点が浮かび上がる。

 

「『満腹』を理解出来てないのが増えたな。」

 

この二週間は特に、と付け足す。

それは暴飲暴食の果てに更に上乗せする様を指しているのだろう。

 

「ガブガブ行けんのは良いが、自分で打ち止め出来ないんだろうな。悪酔いと同じだ。食事が気持ちいいから止まらねぇ。」

 

本来ならば消化器官が限界を覚えるのだろうが、人間とは比較にならないのが原因か。

少年は酒を嗜んだことなどないが指す言葉の意味ぐらいは理解出来る。

ストレス超過による惨状だが、それでは食糧難でこの基地の自給自足分どころか人数を減らす事も検討しなくては行けない。

 

「だが、お前はなるたけ数は減らしたくないんだろう?」

 

真芯を射抜かれたように少年が顔を崩す。

だが、それもすぐに元に戻し受け答えた。

 

「当たり前じゃないですか。皆大切な子ですよ。」

 

「言うじゃねぇか。こうやって少数精鋭で働かせて、選りすぐった面々しか使わねぇのによぉ。」

 

そう、劉の言葉は何をしたいのかが分かる。

少年からの言葉を聞いておきたいのだろう。

この今にも死んでしまいそうな子供から、せめて言葉は聞いておこうとしていた。

 

「やれる事を全部やっておく。それだけですよ。」

 

その言葉で料理人は満足がいったのだろうか。

自前の端末から少し古い写真を映し出す。

 

「ちぃっと前にな、あンバカが放置してたヨーグルトとアイスクリームを混ぜ合わせて放置してな、そしたらまぁそこそこガキ向けのが出来たわけよ。」

 

「アイヴァンさん、昔からずぼらなんですね。」

 

くすり、と少年が笑い。釣られて男も笑う。

だが、その完成した甘味は少し、どころではない驚きを覚える。

 

「俺は菓子に疎いから、肌ブスに確認したら笑えること言ってたわ。」

 

その言葉に首を傾げる。誰の事だろうか。という意味ではなく、どんな言葉を?という疑問の末で動いてしまった。

 

「『パンの歴史でも見てるみてぇだな。』だとよ。」

 

「それは?」

 

その言葉の意味は少年の知識にはない。

それなので劉が適当な解説を始めた。

 

「パンの原型の又従兄弟辺りの食い物がな、底辺の部族が腐らせた食い物を放置した事が始まりなのよ、ゆうてこの歴史はすぐに幕を閉じるんだけどな。」

 

「それはまた。どうして?」

 

「あぁ、それは『おめぇと一緒』。」

 

その言葉に納得がいった。

 

「誰にも話さなかったんですね。作れることを。」

 

「そう、折角の歴史的始まりだと言うのに勿体ない。」

 

大袈裟に全身で表した動きに思わず少年は確認する。それに釣られて少年は男に問う。

 

「劉さんは、話した方が良いですか?」

 

「いンや?話さなくても分かるからそこまでじゃねぇよ。」

 

そうこの料理人は見ただけで何を考えているのか、どういう思惑があるのかすぐに感知できる。

だから少年は嘘をつかない。

 

「ただな。話すべきだとは思うね。お前の本心を。どんなにどす黒くても、どんなにお前が忌み嫌っていても、じゃなきゃお前に未来はねぇ。」

 

そう言いながら料理人が少年の頭を強く撫で回す。

ぐわんぐわん、と揺れ動くも、それはどこか心地よく感じる。

 

この人も、僕を人間として扱っているんだろうな。

 

それだけが少年の心に響く。

普通に、どこにでもいる、ただの子供。

 

それでも、自分は軍人でこの基地の統括だ。

 

「ヨーグルトのストックは?」

 

その言葉に撫でくり回す腕が止まる。

 

「30ガロンぐらいはあるな。人数分には足りねぇか?」

 

「今日の便で、追加で200ガロン程貰っておきましょう。劉さんは……」

 

言い切る前に大男は腕を斜めに交差して無理。のポーズを舌を出しながら作る。

それはどういう意味かと聞く前に答えられた。

 

「悪いけど俺は飴の本場で1年修行して坊さんに『お前ほんま死ね』ってキレられるほどに菓子とは相性が悪いんだよ。消し炭か黒曜石が喰いたいなら構わねぇけどよ。」

 

その言葉に思わず少年が笑ってしまった。

桁違いの料理を作ると言われた男にも苦手はあったのか。と口から笑いが沢山漏れてしまう。

 

「なので、うさ耳の片方に手伝わせて作らせた方が良いな。」

 

うさ耳の片方。恐らくそれは飛龍だ。

本人からお菓子を作って女子力を向上させたい。という旨を許可したのだが、実態は指揮官達を含めて全員の感想はひとつだった。

 

『何か、屋台のアンちゃんみてぇ……。』

 

どこかのストリートや祭りに出張した移動店舗にしか見えないが、それを本人に伝えたのは姉の蒼龍ぐらいだった。

飛龍は最初はショックを覚えていたものの、最近ではクレープ、パンケーキ、綿あめ、ドーナツ、スイーツピザ、スムージーと駆逐や巡洋の艦船から人気はある。

 

「明日のお昼から頼んで工程表書いてもらいましょうか。」

 

「一旦それが終わったら休日1週間ぐらいやってくれや。じゃねぇとそろそろ壊れるからよ。」

 

それは上司なりに部下の体調の気遣いだろう。

いや、恐らくそれよりももっと深いものがある。

 

「いつも疑問だったんですけど。」

 

劉は何も言わない。何を言われるのかは分かっている。だが、少年に言われてから答えるべきだと思っていた。

 

「アイヴァンさんが助手なのは『間に合わなかった』からですか?」

 

そう、青年は劉と比べて些か見劣りというものでは済まない。

かなりズボラで最初こそ仕事はしていたが、新メニューの開発などはあまり活発ではないし、仕事へのやる気や熱意と言ったものも薄く見える。

それは少年の中の料理人という人間のイメージとは少し違うように思えた。

 

「まぁな。」

 

そう言いながら、タバコを一本袋から出して、咥えてライターで火を着ける。

10年前の帝竜の失敗から、すぐに関係者全員に悪影響は出た。

だが、当時拾われたばかりの少年を捨てて行くことを自分が所属していたマフィアのメンバーは奨めた。いや、それどころか殺す事も視野に入れるべきだと口にするものも少なくなかった。

 

アイヴァンが何を話すか分からない。メンバーの事を少しでも知られればそこから芋づる式になりかねない。

 

子供というものは厄介だ。ベラベラと大人が口にした事を覚えて、すぐ口に出し、物に釣られて舌を豪快に回す。

 

「弟子の殆どを各地に飛ばして、マフィア連中は今やどこか分からねぇ。で、アイツは親元に帰すってんなら後で幾らでも殺されるか飼い殺し。そういう状況だったからな。帰すに帰せなくなってしょうがねぇから何か一芸掴めるまでは俺が後継人になるしかねぇのよ。」

 

すぅっ、と煙を吸ってため息のように紫煙を吐き出す。

 

「大変ですね。本当に。」

 

「お互い様だろ。上司なんてやってらんねぇよ。」

 

その言葉に少しだけ二人は苦虫を噛み潰した。

どこか互いに似ているのではないかと思えて仕方がない。

だが、同じではない。

奇妙な箇所でさえもピタリとハマらないその違和感に二人は少し、疲れを覚えた。

 

 

 

 

 



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6話後編

謹慎処分が降りて三日が経過した。

 

艦船及び軍曹が利用する、シャワー室、浴槽、サウナルームの清掃は滞りなく行われ、寮舎中央の掲示板に新メニューの写真と概要が貼られ、1部の艦船が拍手と歓喜を上げ、試作段階で出された菓子に頬を持ち上げていた。

 

「フロヨが食べれるなんてサイコー!」

 

誰かのその言葉にアイデアを出したアイヴァン本人も首を傾げていたが、ユニオン、ロイヤル艦船から話を聞くと、この菓子は60年ぐらいは先の未来で作られるらしい。

 

「ズボラも少しは役に立つもんだな。」

 

その話を聞いていた上司が冷やかしたが、それでも飛龍もアイヴァンも名前を考えられなかった菓子に名前があって良かった。と少しだけはしゃいでいた。

 

製造用の工程や材料の目通しに少し時間が割かれるが単純なアイスクリーム製造マシンで作れることから、1日置きにほぼ全艦船が食べられる様に組まれた。

 

この作業シフトに一部の艦船も名を連ね、ある程度食事環境の見直しは済まされた。

 

試作品のひとつを貰った軍曹が治療スペースに事情を話しながらスプーンで掬い、ベッドから起き上がった赤城に食べさせていた。

 

「あら、美味しい。これを飛龍が?」

 

赤城の率直な感想はそれだ。

確かに現在進行形で屋台よろしく甘味を食べさせているが、正直最初のはお世辞にも上手いとは言えない出来だった。

コゲているわ、不細工だわ、飾り付けというか祭壇と呼ぶべきなのか、だが、最初こそ食べれればそれで良い。と誰もが諦めていた。

 

だが、それを良しとしなかった飛龍は前のめりになっていった。

気が付けば彼女の部屋は菓子の参考書に本棚が埋め尽くされていた。

少しずつ、少しずつ、人よりも早く覚え、書き上げ、器用になって行った。

 

「数ヶ月でようやるよ、今や全部把握出来てるからな。」

 

運びながら口にする。

ひんやりとして、滑らかで、コクのあるそれはどこか落ち着きを覚える。

飛龍なりの努力の成果なのだろう。

 

「なぁ、赤城。」

 

「何ですか?」

 

食べ終えた食器を近くの台に置いて軍曹が顔を近づける。

どうにも『小声で話す』内容だと分かると赤城も小さく頷いた。

 

「お前、このままで良いのか?」

 

軍曹から切り出された言葉は現状を憂いているのではない。

赤城そのものの有様を指している。基本的に艦船の治癒力は高く、この様なスペースは必要としない。

それでもこの場所が存在するのは余りにも簡単だ。

 

この部隊が、『それほどの過度に危険な戦闘を必要としている』のだ。

 

「軍曹、今回の一件は少佐の成長に追従出来ない赤城が」「お前それマジで言ってんのか?」

 

デザイナーズチャイルドの概要は軍曹も目を通している。

最初から頭打ちの性能をした簡易量産型指揮官(デバイス)。

それが少年の金枠だ。

だが、今それを大きく逸し、未知の領域と呼ぶべき存在の艦船に尋常ではない損傷を引き起こした。

これは最早異常を通り越している。それどころか、

 

「そもそもこの部隊運用だってアイツが殆ど原因なんだぞ。」

 

え、と赤城が耳を疑った。

 

「近接格闘を重視した戦闘。それに基づく理論構築。アイツが1年間でやらかしたんだよ。」

 

そう、彼女は知っている。

艦船を操るのに砲撃への順応訓練を5年促され、その合間に格闘戦術を修得した。

だが、その流れそのものを断つべきだと定めた者がいることを。

 

「そもそも横須賀基地は何と戦う様に仕上げてるのか、お前は知るべきだ。アイツは――」

 

 

自分を拾った、ある艦船は言っていた。

 

――ヤツのデータを見ずに、基盤を作った指揮官がいる。お前はそこに行くのが一番効率が良い。

 

そう言って差し出されたデータはまるで驚きだった。

その数日前に見た『パッケージ戦役』と呼ばれた戦いの中でその機械人形を振り回すかのように暴れた男の動きをより精錬されたものだった。

まるでパンの歴史でも見ているかのような気分だったことを彼女は覚えている。

 

 

 

 

「少佐は、アイツは、トップクラスの艦船共を模倣したセイレーンが出てきた時に正確に処理出来る部隊を作り上げてんだよ。」

 

これはあくまで憶測だ。

だが、その用意周到さは、この憶測の裏付けになる。

特定の艦船以外の禁じ手とも言える近接格闘を仕込み、『真っ当な戦闘をしない』事を前提とした運用法。

 

例えどの艦船が模倣されても勝てるように、例えどのように異常な艦船が来ても良いように、撃ち合いのみに頼らない戦い方を模索し、積み重ね、覚え込ませる。

 

「少佐がどこまでも憂いているだけでしょう。」

 

赤城はまるで母親のように目の前の少女を諭す。

だが、咳を切るように反論された。

 

「アタシが言えた義理じゃねぇ、って分かってる。でも、『それ』に付き合いきれるのかお前。」

 

軍曹は、彼女は赤城が好きだ。

だからこそ、気づいている。今、赤城に起きている現象は『赤城にしか』起きない事を。

艦船と指揮官の縁が結ばれ、その発露を見せているのだ。

 

見せていて、それで『この有様』なのだ。

 

ならば、ならば、ならばあの小さな子供は『何を』抱いているのだ。

 

愛してくれる生命をここまでずたずたにする想いとは何だ?

どこにその正当性があるというのだ?

それは一体何なのだ?

 

「やめろよ、アイツだけは。こんなんにするようなヤツの肩持つのも、想うのも、余りにも馬鹿らしい。」

 

まるで暴力を振って言い従えさせる。

そんな人間に縋り付いてまで生きることは無い。

そう言いたい。

 

だが、赤城は穏やかな顔で否定した。

 

「赤城達を動かす時、少佐は『稼働』等と定義付けるのですよ。」

 

何を言っているのかまるで分からなかった。

だが今も覚えている。

少年が『戦闘中の自分達を』どう見ているのか。

 

「生活してる時はそんな視線、露も見せないのに、戦いになると目線をすぐに変えるあの目は、どうしてか、最初は分からなかったけど、すぐに気づけた。そうしないと『止めさせられる』のだと。」

 

子供は大人の言葉を真似する。

だが、それは憧れや覚えたての事を真似するものから来るものあるのだろう。

 

だが、彼の後ろ姿は違う。ただひたすらに教えこまされていることを。叩かれて、のめされて、やらなければ、お前はゴミだと、替えは幾らでもいるのだと。

『鹵獲』した艦船をただてさえ甘やかし、なおかつ戦闘においてもそれを止めぬのなら、少年の指揮権はすぐさま剥奪され、『替わり』に移譲される事を理解しているのだ。

 

「あの人は、人間と軍人の狭間でもがいて、苦しんで、足踏みをしてでも、どうか、どうかと、幸せを渡しているのですよ。」

 

あの歳の子供なら、もっと移ろいでしまう。

欲しい物に目をくれて、好きなことをし続けて、どれだけ危険を教えても触れようとし、どれだけ難関であるかを教えても自分は特別だと信じ込む。

 

「軍曹、貴方に出来ますか?自分を認める事を。醜悪で、無能で、欠陥でいる自分を。あの人は認めて信じて、その上で赤城の手を優しく掴んでくれるのです。『それ』を壊れているというのなら、貴方との仲もここまでです。」

 

本当に、本当に、目に涙を貯めずとも、とてもとても悲しそうに赤城は告げた。

 

何も、何も、答えは帰って来なかった。

 

 

 

 

横須賀基地に新メニューが追加されてから四日、鏡面海域の発生が収束された旨が伝えられた。

アズールレーンに所属する全指揮官に通達が入ったが、その後の一文は少し理解し難いものであった。

 

今回の鏡面海域にて最も活躍したノーフォーク、横須賀の両部隊での実弾演習を行うものとする。

 

この文章に横須賀指揮官達はすぐに合流した。少年を置いて。

 

「これさ、どう見ても.......。」

 

「これ見よがしのプロパガンダじゃよ。」

 

軍曹の言葉に老人が答える。

今、世界、正確にはアズールレーン陣営に所属する国家の民衆に戦争の情報は多く漏れていない。

パニックや暴動、テロリズム対策の一環としてそのように処理が行われている。

一応、口当たりの良い情報は開示されているがレッドアクシズという陣営への脅威を軽視するほど人は愚かではない。

 

本当にこの戦争は勝てるのか。

 

そう、アズールレーン側の艦船の実力は都度都度公開されている。

だが、レッドアクシズ側は?

今の今、この横須賀ぐらいでしかロクに鹵獲されていないモノの情報など開示できるはずがない。

 

だからこそ上層部は凡そ最も信頼置けるノーフォークと鹵獲機運用の横須賀の両基地の主力を出せと口にしているのだろう。

 

「クソゲーな方に10ドル。」

 

軍曹が分かり切った賭けを始めるのに老人が辟易する。

それもそうだ。あの誇り高いといえば聞こえば良いが、陰湿極まりない上層部主催の祭りなど下劣極まりないショーの幕開けだ。

 

「つうかよ、この艦船ウチにいねぇじゃん。」

 

横須賀基地から出される艦船の名前に軍曹が眉を顰める。

ジャン・バール、ティルピッツ、天城、摩耶、夕立、任意の駆逐艦を一体。

そう書かれ、まるでこの横須賀に存在するかのように書かれているが、前半の三体は名前すら知らない。

 

「主力側の連携はさせないという事じゃろうて。前衛で組むしかないか。」

 

最後に任意の駆逐艦と称されているがこれも恐らく当日まで伏せられているのだろう。

だとするとマトモな戦況を整えるのはわずか二人。

 

「多分こっち側、スタンドアローンだよな?」

 

スタンドアローン、本来の意味とは違うが、艦船側からの定義付けで艦船の自律した思考だけでの戦闘――つまり指揮官からの操作は一切受け付けない状態での戦闘を前提としなければならない。

ノーフォーク側は不明だが、アズールレーン上層部の意図する事は容易に理解出来る。

 

自分達はとても優位に立っていることを世に知らしめる。

 

その一点。

 

その為ならばどんな枷も嵌めていても正統性はあるのだろう。

選出されたメンバーを思い起こすが、片割れを否定したくもなる。

 

「実際、勝率は?」

 

軍曹の言葉に老人が鼻で笑ってのけた。

 

「10:1でこちらの負け確定じゃろ。何せ金銭面の事情が違う。」

 

それもそのはず、横須賀基地では回収した武装データやパーツを自分達で使用せずに本国に資金へと換金して貰い、その上で台所事情が上手く回るように説得や実力を示してはいる。

他基地は、そんな事は一切しない。使える武装はすぐに新調し、整え、熟し、実戦投入される。

だが、それ以上の懸案がある。それは。

 

「摩耶と夕立か、摩耶は言えば分かるだろうけど、夕立はアウトだろう。」

 

「あ、やっぱし?」

 

やっと出せる選出された自前のメンバーの問題だ。

老人の言葉に軍曹が苦笑いした。

それもそうだ。

夕立は一週間前の調理スペースで顔を見た時に額に怪我をしていた。

『常に展開される斥力フィールドがあるにも拘わらず』。

 

「『コンクール向け』ではないというか、あの子は『野山を駆ける』のが精一杯だろう。」

 

つまり、オンオフが激しいのだ。

まるでそれは見た通りの子供のように。この横須賀基地を本当に自宅の様に愛おしく落ち着いて生活しているのだろうが、その有り様では到底実弾演習など動きが間に合うはずもない。

ストレスで崩れるか、手心を加え続けて、ロクな機動もせずに終わるかだ。

 

「んじゃ両方ともアタシがシゴくって寸法で。」

 

「手荒にせんようにな。」

 

統括である少年には何も相談が無い。

いや、恐らく本人もこの打ち合わせに出向くつもりはない。

何せ少年の身体は文字通り『筒抜け』なのだ。

悪巧みも、隠し事も、何一つ聞かせる訳にはいかない。

 

残り時間は約4日、こうして軍曹の訓練が始まった。

 

横須賀基地、近隣海域。

 

摩耶のやる事は至って単純、操作された高尾と愛宕の二人を相手に勝つ。

二対一をひっくり返すだけのテクニックを付けるだけのものだ。

 

言えば単純。だが、実際は上手くいかない。

 

機動力はほぼ同じ、だが、正面からの撃ち合いになれば数が多い方が負けるのは必定。

 

「動きを止めるな。なんて二流の発言はしねぇよ。」

 

軍曹が軽く笑って、動きのコツを教える。

 

「連携ってのはな、一人で出来るようになってから複数でやるもんなんだ。それを間違えて覚えるから使いモンにならん。」

 

通信からの自身の指揮をする軍曹の声に少し不満を覚える。それはつまり、

 

「一人で戦う事に慣れろってことか?」

 

摩耶の言葉は鼻で笑われた。

 

「『一人でも良いさ』。そんぐらいの気分でやるんだ。お前はお前の『良い仕事』をする。それさえ掴めば自然と相手がどう強かろうと問題ない。複数を強味にする奴はセオリーを崩されることに慣れていないからな。」

 

そう言うと二人の接続を解除する。

 

「その二人に膝を付かせろ、無操作状態でそれが出来なきゃお前はそこまでだ。」

 

それだけ告げると執務室から立ち去って行った。

 

 

 

横須賀基地、地下スペース、通称トレーニングエリア。

 

竹林の如く数多くの艦船用に調整されたトレーニングマシン及びそれに準ずる単純器具が配備されたこの地下施設で夕立は中央でまるで今から神になるかのように磔にされていた。

 

「なぁ、これ何するんだ?夕立こんなんで強くなれるのか?」

 

こんなん、そう夕立には幾つ物の配線が繋がれたクリップらしき物が貼られていた。

 

「アタシの基礎筋肉作るのにこれを1年やったからな。お前らなら二日もしないで効果が出るはずだ。」

 

そう言って、ぱちんと指を弾く。

それと同時だった。

雷鳴が夕立の肉体を駆け巡った。

 

「アタシの時は0.1Aだったからな。とりあえず今どうよ?」

 

「しびびびれれれれううううう。」

 

ブルブルと震えてまともに発音できないでいる夕立に少し軍曹は戦慄が走る。

 

(1Aでこの反応かよ。素体はバケモンだな。)

 

自分の昔の事を物差しのつもりで引き合いに出したが、まさしく『土台』が違う。

畳一枚と一国一城の差があると言える。

とすると自分がやる分には調整に時間を取られたくはない。

一秒でも時間が惜しい。

 

「アマゾン、悪いけど調整都度都度やってくれ。とりあえず丸一日はこれぐらいやらんとな。」

 

後ろにいたロイヤルA級実験駆逐艦であり、駆逐艦部隊の監督役でもある金髪ツインテールの艦船に声をかける。

 

「構わないが.......夕立大丈夫か?」

 

1A、それは人が無惨に死ぬには充分な電流だ。だが、夕立は親指を立てて自身の安否を示す。

少しずつ上げるか、否か。

そう心が戸惑っていると背中に赤髪の軍人がもたれ込む。

 

「アマゾン、1個だけ言えるけどな、今回の実弾演習、端折って言えば、ウチの監査が半分だ。」

 

その言葉にどきりと心臓に突き刺さる。

この部隊に所属する艦船の半数は抱いている懸案だ。

 

この金食い虫共をのさばらせても問題ないのか。

 

戦争をするのに、何が必要か。

 

金だ。

 

人を働かせるのに金、装備を作るのに金、電気を満遍なく稼働させ、清潔、食事、睡眠、娯楽、運搬、欲、納得、成果、過程、生活、安全。

 

金はどこについても回る。

金のかからない戦争など古今東西有り得ない程だ。

 

「ウチのお財布事情知ってるか?何でも人様に頭下げて金借りて『お前らの食費』を回してんだとよ。」

 

それは噂話として何度か上げられている。実態は分からない。だが、食料の輸送任務を手伝う時、奇異な瞳で見られていたことをアマゾンは覚えている。

 

「砂糖や塩、各種香辛料は良いさ、結構潤沢だからな。でも、お前ら毎日平然と食ってる畜産物、グラム幾らか知ってるか?」

 

そう『裏農業』と言われるだけはあるのだ。

出荷量は正直軽視されるだけはある。

だが売り上げ幅は世界を牛耳ると言われている、ある総合企業に匹敵する程なのだ。

 

「ミルク、チーズ、アイスクリーム、ヨーグルト、ケーキ、ピザ、ラーメン、パスタ、スープ、シチュー、お前らが毎日のように食べてるそれ等は市場なら幾ら払えばいいんだろうな?」

 

食べれば食べた分だけ強くなる。そして、並み居る中でこの基地が鏡面海域撃破に貢献した。ならば、ならば、今ここに至るまでの金は概算でも国家が転覆しかねない。

 

「.......しなくては、ならないのだな。」

 

「別にアタシはどっちでも良いさ、そこまで気にならんし、だけどメシがねぇのはみっともねぇぜ?生きてる理由が分からなくなるぐらいに、その内木の皮でも食うようになるかもな。」

 

何せここはそういった風習がある国だ。と鼻で笑う。

だが、目の前の狛犬に拷問にも等しい行為を虐げる理由に、果たして、なるのだろうか。

 

これが命令だからか?

 

あんな子供の理想で、こんな部隊であるからか?

 

「アマゾン!」

 

夕立が声を上げる。

声だけ上げて、彼女の瞳を見る。

それは大丈夫だと言いたいのか、とてもとても真っ直ぐな視線だった。

 

その目はどれだけ背中を押してくれるのだろうか。

その目はどれだけ罪悪感を消してくれるのだろうか。

例え心で謝っても謝り足りない。

 

今手を緩めれば、この心を持てるほどの余裕も消えるのだろうか。『この』アマゾンに過去の記憶は余り無い。

 

だが、兵糧が尽きた軍勢とはかくも脆い。

統率は落ち、闘志は萎え、欺瞞に満ちた行為を、貧困のせいにする。

 

「すまない、すまない.......。」

 

少しだけ、まるで言い訳するように流す電流を強める。

その反動に夕立が強く感電するが、それも狛犬は歯を食いしばり耐え抜いた。

 

 

1日目はそうして事が終えた。

摩耶はてんでダメだった。

テクニックが足りない。愚直さが滲み出てしまっている。まるで歯が立たないと言わんばかりのその光景に軍曹は目眩がする。

 

出来れば自発的に習得してもらいたがった軍曹だったが、仕方がなくコツと言えるものを教えた。

 

「良いか、連携ってのは相手の動きそのものを『自分の動き』に入れちまうんだよ。」

 

簡単な話は動きの一端を見た上で即時それに相応しい動きをする。近接戦闘においても遠距離戦闘においてもこれは変わらないと伝える。

 

「相手がどう動くのかルセット……工程として書き込む。その上で相手をボコる。」

 

「言うが易いが……」

 

「砲身が動いた、距離のアドバンテージを活かそうとする、重心を据えた、全部分かりやすく二人に意識して伝えておいたんだぞ?」

 

相手は武器の性能を嵩にする相手だ。近接戦は有り得ない。

だからこそ砲撃戦闘においての重要な動きを読ませる為の過度な『タメ』を二人の動きに命じていた。

 

「摩耶は刀を振り回すのが好きか?」

 

軍曹の何となく聞いた言葉に思わず頷く。

 

「それは最後の最後に取っておけ。今、お前に覚えてもらうのは撃ち合いだ。やられたくない動きをし続けろ。そうしたらアタシ直々にお前の刀を万神を断つ真の一振に変えてやる。」

 

少し出遅れた形だが、初日は軍曹の想定の範囲内だった。

夕立の用意された食事への拒否反応を除けば。

 

「肉は!?」

 

出されたのは自分の指揮官である曹長が食しているグラノーラバーと水に混ぜたプロテイン。

 

「当分は筋肉ダルマと同じモン食わせてもらえ。それで我慢しろ。お前らの消化速度的には足りないかもしんねぇけど、飢えねぇと出来上がらねぇ筋肉もある。」

 

食事メニューの大幅変更。

夕立は今日は肉を、牛肉を、ロースを、焼肉にして齧りつこうとその一心だったが、心折れる発言であった。

 

摩耶も言われた通りの食事メニューで空腹を覚えるが、少しばかり食事に励む気が起きない。

 

弱い、脆い、鈍い、悪い、自分の無能さに打ちのめされそうになる。

 

「摩耶。」

 

出された海の幸で構成された食事を睨む姿を軍曹が声をかける。

わざわざ自分の前に来て、水筒の中身を一度呷る。

 

「いちいち悔やむな。アタシはやれるようになるまで1年かかったんだ。1日潰したかもしれないが骨身に染み込んだはずだ。だから食え。食わんと強くもなれんぞ。」

 

そう言いながらもう一杯飲み干した。

 

「そうじゃない……。」

 

摩耶は言われた言葉に反発するわけじゃなかった。

だが、それでも否定したかった。

 

「強弱が分かることがこれほど悔しいとは思えなかった。」

 

軍曹がその言葉にもう一杯飲み干しながらはてなを浮かべる。

ここは何度やり直した道なのか分からない。

だが、その1回をおざなりにしてこんなにも『差』が産まれるなど考えてもいない。

 

「あー。そういうお前らだけの弱さは割とどうでもいい。」

 

言葉に詰まる。弱者の言葉など歯牙にかけないというのか。

だが実態は違った。

 

「お前らは強いんだから、一々弱さに向き合うな。前だけ見てろ。実質それで充分なんだよ。アタシの言葉なんざそれを拡張したに過ぎねぇ。お前らは精々成長して、振り回して、暴れて、盛大に焚き木を燃やせ。風はどうにか運んでやるよ。」

 

強いと言うのか、言われたこともこなせでいた自分を、そこに固唾を飲んで答えたのが軍曹の目に止まった。

 

「言われたこと全部こなしてようがなかろうが今日という日は浪費するつもりだった。明日は一切無駄は与えない。」

 

そうしてその日を終える。

 

 

 

次の日、曇天の中行われた訓練に摩耶の顔が引き攣る。

 

「今日は砲撃ユニットが多いのを選出した。ヨークにクリーブランドにヘレナ。とりあえず30セット、最初は被弾率落とすぐらいで良いから、慣れてきたらどれか一人でも道連れに出来るようにしろ。」

 

昨日の二人ですら何も出来なかったのに、と言いたかったが、その日は違っていた。

 

――何だろう。

 

見えるのだ。三人がどう動くのか、軍曹に要点を上げられたからだろうか、それとも昨日の敗北が染み付いたのか。

 

撃たれる場所が分かる。

 

いや、撃とうする場所が分かる。

 

それは自身らが持つ斥力反響定位によるものではなく、一種の刷り込みと言える状態にあった。

 

言葉にされたことで相手の動きを読む癖が付き、何をどうすれば良いのかが少しずつ理解していく。

 

こんな言葉がある「一を聞いて十を知る。」それは戦場の機微を瞬時に理解せよという極意でもある。

 

こと戦場に置いて最も要されるのが情報。

だがそれは政治的観点や個人的諍いにおいても同じぐらいに必要とされる言葉だ。

 

今、摩耶は本能ではなく瞬時に思考して戦闘を続けている。

 

腕の振り、呼吸の間隔、弾丸装填速度、それら全部を回避に専念しようと脳は回転し、気がつけば――

 

(『揃った』)

 

何故そう形容したのか分からない。だが、そう思えるほどに今がそう思えて仕方がない。

砲撃モジュールを見ずに聞かずに右前方に突き出していた。

そこに誰がいるか分からない。だが、確かにそこにヨークが居た。

 

「ナイス。初回からやるじゃねぇか。」

 

軍曹の通信が届く。

摩耶の身体に傷は一つも無く、焦げも滲みもない。

 

「汗一つかいてないな。」

 

「不味いか?」

 

その言葉に軍曹が爆笑して否定する。

 

「良いか?お前ら艦船の根本はクソ燃費の悪いレベルで筋肉量を持った女だっつうのがある種の弱点であり利点だ。」

 

その言葉に巡洋艦船達が首を傾げる。

何を意味したいのかまるで分からない。というのが彼女達の意見だ。

 

「お前らが良く訳分からん人間じゃ有り得ない機動するだろ。あのレベルで関節可動域を広げると『オス』には出来ねぇんだよ。んでもって――」

 

つまり艦船の構造上を鑑みると女性であることを前提とした箇所が多々見られている。というのが軍曹の見解だ。

機動力、反射、瞬発性、軽量化、連続性――

そのどれしもが仮にオスだった場合損なわれる可能性がある。という持論だった。

 

「今の摩耶の状態は冷え切ってる。だがそれは正直良い事尽くしだ。最低限のエネルギーだけで脳味噌で処理出来るほどに最適化されている。」

 

そこまで言われて摩耶が、思わず聞いてしまった。

 

「ひょっとして、君もそうなのか?」

 

それは軍曹の身体にも同じ状態があるのか、という質問だったが、軍曹は少し寂しそうに答えた。

 

「この肌、凄い汚いだろ。」

 

そう、誰しもがお世辞にも綺麗だとは言えないほど軍曹の肌は荒れていてデキモノに溢れていた。

今は少し収まっているがそれでも4分の1は言い方が悪いが『汚染』されている。

 

「捕まった後にな、私の捕縛部隊が『追加報酬』をせがんだんだよ。責任者にな。それでな脳味噌と脊椎さえ無事なら後は――「すまん。」

 

そこまで言われて摩耶は全てに合点が行った。

何故、軍曹の部屋にマット以外何もないのか。

何故カーテンの一つも買わないのか。

何故こうも粗暴なのか。

 

確かに暴れたのは幼き日の彼女なのだろう。

だが、それを――あまつさえ大の大人が寄ってたかって。

 

全て獣に見えただろう。

 

全て憎むようになっただろう。

 

正義の味方をかこつけた軍隊がやっていたとは正気とは思えない。

 

「まぁお陰でな『眠れねーし』『飯は入らんし』『音に敏感』でな。この肌はその影響の『半分ぐらい』だな。」

 

それは簡単に言ってしまえることじゃない。

恐らく、正気でいられる気がしない。

眠らなければ正常な思考は出来ない。

食べなければ正常な判断は出来ない。

布擦れ一つに怯えれば何も出来はしない。

 

そして、半分と閉ざした中身は吐き気を催すほどの処置がされているという事だ。

 

「すまなかった。安易に訊ねる話では……」

 

「良いんだよ。摩耶が摩耶なりにアタシに近づいてきてくれたんだろ。」

 

小さく微笑み感謝の言葉を告げられて、摩耶がぽつりと呟く。

 

「次の演習勝たなくてはな。『ヤツ』らの鼻を明かしてやりたくもなる。」

 

そう言いながら白刃を少し晒して元に戻す。

摩耶なりの誓いなのだろう。

その言葉に軍曹は、ただ、感謝の言葉をかけるだけだった。

 

 

「さて……。」

 

地下はどうだろうか、通信を開き監督役であるアマゾンに声をかける。

 

夕立に課したのはひたすら大勢との戦闘。

 

内容にして横須賀駆逐艦船隊、占めて65名による袋叩き。

数の暴力を単純に味わう必要があるとして課せられた訓練だ。

連携が無くても針のむしろになった状態での戦闘での生存。これが出来なければ何もこなせはしないだろう。

 

「あ?すまん……もっぺん言ってくれや。」

 

「……訓練は失敗だ。」

 

アマゾンの神妙な言葉に頭を抱える。

怪我か。と確認する前にアマゾンが付け足す。

 

「『訓練が成立していない』。誰も夕立に追い付けなかった。それだけが確かな事だ。」

 

は?

 

ただ今の地下スペースでの有様を信じられる者は何人いるのだろう。

地下スペース中心の夕立を全員で囲んでいたはずだ。それなのに、その姿が何処にも無かったかのように入口に立っている。

 

「おぉう。みんな遅いな。」

 

全員が確認をした。

監督役であったアマゾンは思考を放棄しつつあったが、それでも何が起きたかを伝えていた。

 

そもそもの訓練が成立していない。

 

鼠の巣に虎を放ったようなものだ。

 

回避のみを優先していたから誰も無傷で済んでいるが、攻撃手段に出ていたなら誰かしらが治療スペース送りだろう。

 

「これでは訓練にならん。どうする?」

 

通信機能の先に繋がれている軍曹からは唸る様な呟きだけが漏れる。

 

「手順を随分飛ばすが、5分待ってろ。」

 

それだけ返って来て、ぶつんと切られた。

 

5分というのは今いる場所から『荷物を取って』地下スペースへの移動時間の逆算だろう。

 

「夕立!」

 

5分経過して軍曹がヴェスタルを担いで地下へと降りて来た。

何気に手がわきわきと動き、ヴェスタルの小振りの尻を撫で回していたが、どうでもいい話だろう。

 

「ヴェスタル、検査頼む。昨日の訓練でどっか脳味噌壊したかもしんねぇ。」

 

「ひどいな!夕立は頑丈だぞ!」

 

そんな夕立の言葉に目もくれずヴェスタルが触診し頬を少し持ち上げる。

 

「大脳皮質及び大脳新皮質、異常無し、大脳辺縁系、異常無し。」

 

他も確認するがまるで異常が無い。

つまり脳ではない。

 

「夕立ちゃん?少し持ち上げるわね?」

 

「おぉう。」

 

そう言って工作艦の彼女がその小さな身体を抱えようとするが、そこで空気が変わった。

まるで、そう、まるで見た目からは想像出来ないほど重いのだ。

 

「筋重量、90kgといったところかしら、骨重量12kg。他内臓重量占めて15kg」

 

その言葉にアマゾンを初めとした駆逐艦達がぎょっとする。

駆逐艦達の平均体重は37kg、特にこと重桜駆逐艦は痩せている方である。

 

「筋肉ダルマに海上でも動けるように背骨の調整してもらえ、それまで訓練お預けだ。」

 

「分かった。」

 

てってって、と軽快なステップで地上に戻っていくが残された側はそうは行かない。

 

「何をしたんですか軍曹ちゃん?」

 

ヴェスタルが笑みを貼り付けたまま怒りを露わにする。

何を言っても無駄なので、アマゾンがそのまま事のあらましを彼女に伝えた。

 

「感電による身体強化。」

 

「アタシも昔やってたからな。」

 

「いや、それ死にますからね?」

 

電気振動ならまだしも、とヴェスタルが愚痴を呟くが、もうその段階は手遅れである。

何が起きたかは分からないが、今現在の夕立に強化というよりもこれは。

 

「燃費マジに悪くなったな。」

 

摩耶とは正反対の状況が訪れている。

重量が増した事で推進斥力だけならまだしも、重心設定から動きを見直す必要があるだろう。

 

それだけの筋肉を持っているということはそれだけ食べるということ、ことさらに恐らく脂肪は変わっていないのならこれもまた同じく食い意地を加速させる。

 

「おい、良いのか!?」

 

アマゾンの言葉は夕立の処遇そのものだ。

何せ、一日前の言葉に反している。

アレではどれだけ食べるか分からない。

 

「『成っちまった』んだから深くは言えねぇよ。責任は私だし、給料その分天引きしてもらう様に少佐に後で頼むさ。」

 

「一応、言っておきますけど反射速度や装弾速度は増してませんよ。」

 

ヴェスタルの注釈では、あくまで増したのは筋肉量で耐久性やスピードは増したかもしれないが、神経系や排熱は至って変わりがない。

 

二人の成長は著しい。

ならば、今は調整し、次の段階を考えなければならない。

 

次の三日は二人で動いてもらうだけだった。

 

あまりにも速い夕立とパワー重視の摩耶では噛み合わないだろうがそれでも合わせてもらう。

 

不幸中の幸いか夕立の稼働にはあまり問題がなかった。

 

これというものの浮力量の底上げや、推進、機動力に何ら違和感は無いということだ。

変わったのは筋肉の密度が変わったことによる代謝の底上げ。

 

単純に今なら戦艦クラスの砲撃を片手で止められるかもしれない。

 

これを他の艦船にも執り行うべきだと軍曹は老人に囁いたが、拒否。

 

理由は単純。

いつ終わるかも分からない戦争の最中でこれ以上の食い扶持を広げる事は現実的ではない。

 

と断言した。

 

しぶしぶその言い分に納得し、調整の済んだ夕立を連れて行く。

 

結果は概ね良し。

 

明日は渡航である。

 

 

 

その日の朝、重桜横須賀基地の面々が埠頭に出るとそれは立派な艦艇が接近していた。

艦船達が迎え入れ停泊したところで外部スピーカーがけたたましく鳴り響く。

 

「横須賀基地、指定の艦船、そして指揮官とその秘書艦のみ乗られたし!」

 

四人と重桜航空母艦赤城、鉄血駆逐艦Z23、ロイヤル巡洋戦艦レナウン、重桜重巡艦愛宕。

 

そのメンバーの一人を見て少年が老人に小声で確認する。

 

「曹長って二ーミを秘書艦にしてたんですね。」

 

「いや、アレは単純に仕事をするから任命したに過ぎんよ。」

 

十年の付き合いだから間違いない。と付け足して納得する。

その言葉に少年が乾いた笑みを浮かべると後ろから赤城に抱き着かれた。

 

「あぁ〜病床に伏せていたらハネムーンを逃すところだったのですね。」

 

「ハネムーンじゃなくて出張!もう病み上がりだからって甘えないの!」

 

「良いではないですか〜。少佐は少しの時間しか見舞いに来てくれないのですし。」

 

少年はそのまま赤城に抱き着かれて、乗船する。

 

指定の艦船と口にしていたが、その艦船がロイヤルJ級駆逐艦ジャベリンであることに一部の疑問が生まれたが、これに口を出せば喧しく返されるだけだろう。

 

客船の中の設備はほぼ利用しても良いと言われたが、恐らく後で何か言ってくる事だけは察することが出来る。

 

用意された各指揮官と秘書艦が利用するように宛てがわれた四室と三人一部屋に各々が入る。

 

 

 

荷物を置き、ゆっくりとソファに寛ぐ軍曹。

持たされた弁当のひとつを開けて海を見ながら食事する老人。

動きやすい服装になりその場でトレーニングを始める曹長。

そして、

 

「ベッドは赤城が使って良いよ。僕はソファで寝れるし。」

 

その言葉と共に仮眠を取ろうとする少年がいた。

ショックのあまりベッドの前の赤城がわざとらしく、くすんくすんとすすり泣く。

 

「赤城はまだ病み上がりなんだから当たり前でしょ。」

 

本当は置いて行きたかった。それが少年の本音だ。だが、毎日のように同行の許可を求められるメッセージが届き、それに根負けし道々することになった。

 

「僕が隣にいたらずっと起きてるでしょ。寝るのも仕事のうちです。」

 

「……お歌。」

 

そこに少年がぴくりと動いた。

 

「少佐がお歌を歌ってくれるのなら赤城はゆっくりと眠れます。暖かくて優しい歌声が赤城を落ち着かせてくれます。」

 

何時だったろうか、精神的に疲弊しきった彼女に歌を歌ったのは。

その時は一日歌い続け、次の日には顔に生気が戻っていた。

 

「本当にすぐに寝る?」

 

「えぇ、勿論。少佐が隣で歌ってくださればこそ。」

 

その言葉に少し溜め息が漏れる。

それは自分が甘やかし過ぎてはいないか?という疑問だったが、ここまで酷使した恩賞が無いのは上に立つ者として酷い話はない。

 

ベッドの毛布にもぞもぞと入り、それを半分持上げる。

 

「おいで、お歌を歌ってあげる。」

 

そう言いながら顔は真っ赤になっていたが、赤城はぱぁっと顔を綻ばせていそいそと中に入っていった。

 

子守唄は優しく、暖かく、慈しむ様に歌われた。

 

それは本当に赤ん坊に聞かせるかのように穏やかなメロディでゆっくりと紡がれていく。

 

そうしていると、赤城が少年の手をひったくる。

 

何かイタズラをしたくなったのだろうか、仕方がない。見た目は大人に見えるが、艦船は愛に飢えている。

 

大切な人からの愛、姉妹達の愛、自分自信を認める愛。

 

だからこそだろうか、その手に書かれた言葉に少年は抑揚にズレが生じたのは。

 

『アズールレーンは共食いを良しとしていますよね?』

 

艦船は食べた分だけ強くなる。

食べた物でもそれは変わる。

練丹という術がある。

そこに書かれているのは水銀や木の皮などとても人は食べれないと思えるものを食し不老不死となることである。

だが、そうして喰らった物を力に出来ずにいたのが人間である。

 

ならば

 

ならば艦船は?

 

その高い消化能力と桁違いのホルモンを筆頭に可能性を秘めたこの生き物は?

 

どれだけの『質』を有しているのだ?

 

その手にまた刻まれる。

 

『立場的放置、その言葉の意味をこの数日考えておりました。そして少佐が何故そこまで苦労をなさるのか、そこから答えが出ました。』

 

いつぞやの鏡面海域でのスカパー・フローの艦隊の駆逐艦が発した言葉が引っかかっていた。

 

歌声が途切れそうになる。だがそれでも歌を止めない。

 

代わりに赤城の手を引っ張ってその文章を刻んだ。

 

『訓練期間中からその噂はあったんだ。確信したのは後方に回された同期から教わったんだ。噂は本当だったって。』

 

約束したろ。

 

金の無心でそう言われた時、少年は忘れてた。と答えた。

だが、そんな約束はしていない。していたらまず最初に彼に通話をかけて頼み込んでいた。

 

それを聞いた時から本当に少年は頭の中が狂いそうだった。

 

――どうしよう。

どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 

だが幸いにも自分に料理人が付く。

上層部に文句を言われるだろう。贅沢をすることは戦争において文句しかない。

いや平時においても贅沢をするだけで人は喧しくなる。

 

どんな事があっても、どんな目に遭っても、蜘蛛糸みたいなか細い糸だけど離しちゃダメだ。

 

その場で少年は胃の中を吐き出したかった。

 

だからこそ、黒人の青年に銃を突き付けることも何の躊躇いもなかった。

 

首を横に振られたら、足か手を撃ち抜いていた。

 

了承してもらえて本当に助かった。

 

人殺しぐらいには簡単に成れる。何せ今から無数の死骸を積み上げるのが少年の仕事だったのだから。

 

そこにたまたま一人人間が入るだけ。

 

それだけなら怖くなかった。

 

『皆に伝えないのですか、自分達がどれだけ幸せなのかを、横須賀が必死で貴方が編んだ楽園であることを。』

 

赤城からの言葉に首をゆっくりと振って否定する。

 

箱庭が箱庭である事を理解したのなら、それはそこに生きる物への侮辱と受け取るだろう。

 

少年を糾弾する者も出るだろう。

 

組織に属し、その事実を隠し、甘い顔をしていた生き物を責める声はきっとある。

 

『赤城、僕は臆病なんだ。今、君に知られた事も怖くて怖くてしょうがない。皆から蔑まれるのならそれで良い。でも皆が誰かを恨み始めたら僕は耐えられない。そんな姿を見たくないんだ。』

 

泣き出しそうな顔で文字が刻まれる。

息も続かない。叫びたい。殺してくれと。生きてる資格が無いんだと。

それでも指揮官である事から逃げられない。

 

「お歌はもう良いです。今は共に眠りましょう。」

 

涙が止まらなくなった少年の顔を抱き込んで赤城は眠りに着く。

波に揺られ、少年の心のように震えたそれは決して収まることを知らなかった。

 



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七話前編

 

晴天、モニタリングされた艦船達の映像がホールにて投影される。

奇しくもここユニオン西海岸、サンディエゴ基地(改修済み)での実弾演習という事に老人が一人溜め息を吐くが、周りにとってはどうでもいい事なのだろう。

 

最早パレードだ。

 

今日という日が何もめでたくなく、ただの一日であるはずなのにどうしてこうもまぁ合衆国民というものは金と音楽があれば躍起になるのか。お前らそんなんだから暴力しか知らない蹂躙民族とか言われてんだぞ。と老人が基地の廊下で思い耽っているとこの基地に似合わない少年の姿を見た。

 

それも軍服の。

という事は十中八九どころではなく百発百中で自身の事実上上司にあたる少年の同期だろう。

 

しかし、向かう先に目を張る物があった。

 

「喫煙所?」

 

確かに『喫煙スペースはこちら!』と書かれた矢印付きの立て札が置かれている。

 

そうして気が付くとコソコソと周囲を窺いながら見知った少年も向かって行った。

 

 

 

「ゼロツー!一応公共の場なんだから!」

 

喫煙スペースは分かり易くアクリル板で区切られたおざなりな場所だった。

利用者も2人しかいない。というかここはサンディエゴ基地では隅に該当される。そもそも利用者が少ないのだろう。

 

だが、そこで紛れもなく火を灯しているのは少年に似た顔の男の子、ゼロツーだった。

 

「別にいいだろ。『吸わせてくれ』と頼んだからこうして場を設けられたんだし。」

 

「良くないよ!っていうか何時の間に吸うようになったの!?」

 

エイトナインの言葉にゼロツーはほくそ笑んで答えた。

 

「先の鏡面海域でな、稼働率を上げたのが悪かったらしい。」

 

え、と言葉に詰まる。

それはどういう意味なのか分からないほどエイトナインは頭が悪くは無い。

 

「『それ』合法ドラッグ?」

 

今ゼロツーが吸っているものは軍が彼の損傷箇所に対する痛覚遮断兼麻痺用として合成されたシロモノだ。

あくまで医療用として扱われているものなのだろう。

 

「臓器のあちこちがな結晶化している。特に腎臓がヤバい。透析がままならん。促進効果もあるが、吸わなきゃやってられん。」

 

「だからって、『そんな物』吸うこと無いでしょ……。」

 

そう吸うことは無い。わざわざその紙巻を呑んでいるとしか思えない。

『それ』が何なのか分かる。

 

「君の『男の子らしさ』で余計に寿命を縮める気?」

 

そうゼロツーは一般的に男の子らしいと言われる。

乱暴で、ガサツで、頭が良く、悪い事をしたがる。

 

「お前は身体に何の影響はないのか?」

 

それは、と言いかけたが後ろめたい気持ちがある。

今この身体は確かに結晶化に蝕まれている。だというのに自分の身体にはまったく影響がない。

一方的に自分を慕う艦船に負荷をかけている。

 

「はっ、お前もか。」

 

そう。ゼロツーだけじゃない。エイトナインもじゃない。

デザイナーズチャイルドという生き物は早くに限界を迎える事を予想されていた。

 

そもそも製造出来たとしても、10年は保たないと言われたがそれでも実行に移された。

 

雌型として複製すればそれはセイレーンだ。危険分子だ。

故にその機能をグレードダウンさせて、なおかつ艦船との間に交感神経と副交感神経を優位にさせる働きをもたらせる為に『オス』が好まれている。

 

だが、同時にそれは生存率を一割以下に落とすと言われた程に劣化、磨耗を起こすとされていた。

 

「実につまらない話だな。雌ばかり優遇される。神というものはフェミニストか?いや最早レイシストだな。」

 

紫煙と一緒に皮肉を吐き出す。

その声にイラつきは感じられない。

だがそれでも吐きたくてしょうがないのだ。

 

「『次の世代』はマシになるんだろうかなぁ。」

 

その言葉にエイトナインが目を張って怒りを露にした。

 

「ふざけないで。自分が何言ってるか分かってるの?」

 

まるで、まるで、その考えは。

 

「当たり前だろ。もう長くないんだぞ。次にノウハウを託さなければ……。」

 

「ふざけんなつってんだよ!なんだよそれ!?」

 

胸倉を気が付けば持ち上げて拳を振り上げようとしていた。

何だその考えは。何だその言葉は。

 

まるでこの先も戦争が続くかのような言葉に溢れかえる程の怒りを覚える。

 

その怒りを掻き消す用に歓声が湧く。

 

今この瞬間、余命幾許もない小さな命達の叫びをまるで瑣末だと言わんばかりの有り様だった。

 

それが聞こえたのか嘲笑うようにゼロツーは呟く。

 

「民衆は結局『アレ』だ。マジで何も考えてないぞ。今も自分達は正義だ。悪の支配を脱するんだ。と本気でのたまってやがる。」

 

「だからって!戦争の引き継ぎをさせるつもりなの!?」

 

まるで文化や思想、或いは意志のようにこの戦争を続けさせると言わん自分と同じ顔の少年に腹が立つ。

 

「お前、まさかこの戦争が簡単に終わると思ってるのか?呆れ返るな。まさか今でもあの使えない老人を追っているの――」「おぉい少佐ぁ〜。」

 

老人の言葉にエイトナインの握力が緩む、するとゼロツーは姿勢を取り返す様に正して、服を少し整えてタバコを灰皿に押し付ける。

 

「はっ、まさか吊るんでいるとはな。恐れ入ったよベソかき坊や。」

 

どん、とエイトナインを突き放し、老人に一瞥もやらず歩いて去って行った。

 

「少佐、今のは?」

 

その言葉に少し詰まる。だが、それでも話をするべきだと固く誓い、言葉を紡ぐ。

 

「元カノです。通話上の。」

 

「はぁ、元カノ……」

 

老人の間抜けな声が響いた後に空を仰いで、少年を見た。

 

「元カノ!?」

 

事情を聞くと『訓練期間』のカリキュラムの一つとして『疑似恋愛』を経て、艦船達へのアプローチを始めとする行為をスムーズに学ばせるというものだ。

 

「四日で別れましたよ。男の子らしい男の子です。」

 

今でも覚えている。一方的な言い分、すぐに何かを悪と仮定した話し方、そして何よりも――

 

「彼はマイケル・アスキスを馬鹿にしました。出来もしない事をのたまう英雄気取りの成金だと。」

 

身体のあちこちが軋む程に怒りが今でも込み上げる。

その言葉を聞いて、本当にエイトナインは怒り狂い、泣き出し、喚き散らし、ありとあらゆる罵詈雑言をひたすらに叫んだ。

 

「本当の事を言われたからって泣くなよ、ベソかき、そう言われて僕は中指を立てました。本気で。」

 

言いながら思い出して涙が溢れてしまう。

それを見ていた老人はようやく合点が行ったと頷き、その小さな頭を撫でる。

 

「ずっとワシを褒めててくれてたんじゃな。ありがとう。」

 

だからこそ、だからこそなのだろう。

何故老人を教授と呼ぶのか。先達にして師として仰ぎ尊ぶ者と認識したかったのだろう。

 

「だって、教授のスピーチ、あんなにカッコよくて、僕もああなれたらなって、辛い人を助けるのならきっとこういう人なんだって、そう思ってたのに……。」

 

「ありがとうな。」

 

そう言いながら老人が泣きじゃくる少年を抱き締める。

気が付かずに子供のヒーローとなっていた自分に驚きもしたが何よりも誇らしい。

今でこそもうロクな役職を持たない、ただの老人であり、艦船に世界を売り払った悪魔の男とマスメディアに糾弾されているが、こんなにも身近に、そして優しい子がいてくれる。

 

「本当にありがとう。生きていて良かった。そう思えるほど嬉しいよ。」

 

「嬉しいのは僕です。貴方が居なければ、貴方が誘ってくれなければ、僕は今も昔も優しくなれなかった。貴方がくれた優しさが色んな子達に渡してあげれるんです。ありがとうございます。」

 

そこまで言えたが、もう辛かったのだろう。

本格的に泣き出してしまい。老人はそれを抱き締めていた。

 

「教授が居なかったら僕は折れてた。貴方の挑む姿に何度も助けられたんです。でも、でも、みんな、皆、民衆もアズールレーンも!」

 

「ごめんなぁ。立派な男になれなくて。君を助けてやれなくて。」

 

「りっぱですよ!ひとをたすけて!それのどこがりっぱじゃないっていうんですか!?」

 

鳴き声のように発して発音もままならない。

だがそれでも尊敬する人自身が貶す姿は本当に見たくない。

 

「うん。ありがとう。君は『ワシを』目指してくれてたんだな。」

 

その言葉にただ頷く。

もう何も無い老人だとしても、きっと誰かに優しくしてくれるはずだ。きっと誰かを喜ばせようとしてくれるはずだ。

そう想って、それが少年の導と合わさって、今この瞬間があるのだ。

 

「でもな。少佐。中指はダメじゃぞ。」

 

そう言って、頭を擦るように撫でると少年が不満そうに頷く。

 

「よし、良い子じゃ。どれ、つまらんがパレードに行こう。何が起きているか見てこようじゃないか。」

 

その言葉にも頷いて手を繋ぎ合って、まるで本当の祖父と孫のように会場へと向かっていく。

 

その日、何が起きているのかまるで何も知らずにいた二人はモニターを見て、何も言葉を発する事が出来なかった。

 

 

実弾演習、まずは機動力の見せ合い。

だが、これに差は特には無い。

 

特に夕立には厳しく言っておいた。

最後まで隠しておけ。と躾られたのがよほど幸を奏したのか『歩調』は澱みが無いと言えるほどピッタリと合わさっていた。

 

次に標的への砲撃。

こちらも差はまるで無い。標的が現れればすぐさまに誰かが撃ち抜いた。

 

問題の模擬演習。

摩耶や夕立はおろか、会場席に居た軍曹ですらはっきりと分かる。

 

ベルファスト、ネプチューン、シリアス、イラストリアス、ウォースパイト、クイーン・エリゼベス。

 

以上の6名であるノーフォーク部隊は紛れもなく自分達を殺す気だ。

それが分からぬような馬鹿ではない。

いや、正確には違う。向こうの目標のひとつとして横須賀の戦力を削げ。それぐらいの命令が出ているのであろう。

 

隊列を組み、艤装のチャージを確認。

 

まるでサンディエゴ沖が猛獣達を入れる檻だ。

 

サーカスの演目に等しい。その中の生き物が殺し合うところを見て楽しめと。民衆が楽しむ世界を構築されている。

 

鞭の弾く音の様に開始の合図と共に一方的な殺戮が始まる。

 

はずだった。

 

夕立が一瞬でノーフォーク部隊の中心に立つ。

波も音もなく、まるで『出現』したかのように現れてその場で76mm砲を周囲にばらまく。

 

だがそんな攻撃に怯むほどノーフォークは安くない。

 

回避行動を取りながら砲撃にベルファストが榴弾を展開しようとするが

 

――『場所』が悪い!

 

そう今撃てば広角榴弾は間違いなく外れても当てても角度的に目標の後ろの部隊に流れ弾になりえる。

 

これは軍曹に一計があった。

 

――『勝ち方』に拘るのが最大の汚点だ。戦場でスマートに勝てたらそりゃ最高だけどな。その点お前らと相性が悪い。

 

泥だらけのドレスでも戦えるのだからな。

 

その言葉を反芻するまでもなく、夕立がイラストリアスに突撃する。この中で唯一『防御に特化した』艦船だ。

 

反撃をしたくてもこのイラストリアスには耐熱ジェルなど塗られていない。

そんな戦い方は横須賀ぐらいだ。

 

自分の身体を焼かれるようなことがあればそれはノーフォークの失敗となる。

 

「イラストリアス様!」

 

ベルファストの叫びもかき消す様に砲撃が進路上に放たれる。

弾種、徹甲弾。

口径は……

 

「重巡……!」

 

その言葉の前に摩耶が駆ける。

仕掛けるつもりか。そう読んで近接回避に集中するが何も来ない。

 

「悪いが狙いは『こっち』だ!」

 

ネプチューンの槍を狙うように刀が迸る。

受け止める事を前提としていたのだろう。

 

その槍の中心を摩耶の足が槍の如く貫いた。

 

槍ごと蹴り飛ばされた身体をシリアスが受け止める。

 

――この方々!『わざと』か!

 

そう分かっている。殺される事を。

群れで殺す上で、その特性を『逆に殺している』。

 

夕立も摩耶もお互い前の敵に集中しているように見える。だが、実際は違う。

 

ノーフォークのセイレーン特性の新造武装を撃たせる事による同士討ちこそが最も殺しやすいと読んでいる。

 

だが、それも。

 

「ここまでだ。横須賀の牝犬共。」

 

逃がさないと踏ませていたシリアスとネプチューンの起動が変わる。

 

(接続したか!)

 

ここからは防戦一方になるだろう。

距離を一瞬で開けられた。

だが――

 

どぉん!

 

ネプチューンの軌道に合わせて砲弾が狙い合わせる。

 

横須賀部隊に宛てがわれた主力達の一斉砲撃。

そのタイミングを読まれていたのか。そう言える程にネプチューンが舌打ちをする。

 

「ネプチューン様!」

 

「バカ!ベルファスト!」

 

ここが『海域ならば』読めていただろう。

だがここはサンディエゴ沖。秋とは言え生命が溢れているこの中で斥力反響定位を使えば脳の処理が遅れる。

 

「旗艦はやはりお前だな?」

 

摩耶の砲撃モジュールが狙いを付ける。

それと同時に夕立もイラストリアスを踏み台にしベルファストへと向かう。

 

――対人も対軍も肝は変わんねぇ。陣形っていう足場を崩される事を第一に。そうすると体勢がガラ空きになる。後はそこに一撃。そうしたら頭が下がる。したら、後は。

 

「ボコるだけだ!」

 

そう横須賀部隊に管制機は存在しない。

あくまで電子戦仕様の装備を施された艦船のみだ。

その差が今ここで発揮された。周囲への統制を重んじる動きは、こと戦闘において不利益を齎す事を横須賀は承知している。

 

だからこそ指揮官を複数に分けて組まれているのだ。

 

しまっ――

 

ベルファストはそう思考して両角からの攻撃に対処を急ぐが、もう遅い。音速の殺戮はその絹の様な全てを食い破る。

 

ばごん!

 

貫いた音が響き渡る。遅れたようにその血煙が海に向かって広がる。

 

「ううううっ!ああああっ!」

 

痛みに叫び声が上がる。彼女の左耳を中心に抉られた事で誰もが動揺し、息を呑んだ。

 

『呻いている夕立』に誰もが動揺した。

 

摩耶の徹甲弾は夕立に向けて撃たれたのでは無い。

ましてや夕立も摩耶の射線には入っていなかったはずだ。

何人が理解出来たであろうか。夕立の軌道がズレた事を。

まるで、そう、まるで。

 

ベルファストを守るような軌道だった。

 

それにベルファストもまた例外なく動揺していた。

今の一瞬まで間違いなく自分が狙われていた事は確実だ。それなのに。何故。

 

「こ、これにて実弾模擬演習は終了!」

 

司会を務めていた男のアナウンスに誰もが息をようやく始める。

 

呆気ない結果だったな。

同士討ちか。

精度がやはり低いようだな。

 

そんな声が聞こえる中、すぐに赤髪の女性が部屋を抜ける。

 

「軍曹!」

 

少年が声をかけている。だが知った事ではない。

目指す場所は分からないが、恐らくは外だ。

 

 

サンディエゴ基地のホール会場の北側。

そこに彼はいた。いつものように寡黙だが、その雄々しい筋肉は実に叫びを上げていると言えるほど鍛え抜かれている。

 

「おい、てめぇ。」

 

軍曹が現れてポツリと漏らす。

汗が吹き出ていて、目に入るのが痛むがそんな事はどうでもいい。

 

「夕立を『弄った』な!」

 

夕立の軌道遷移は紛れもなく人の、そう夕立の指揮官によるものだった。

そう、曹長は手持ちの端末を起動させ、あの一瞬で夕立を摩耶に撃たれるようにした。

 

「『それに何の問題がある』?」

 

まるで氷の様な言葉だった。

自分が担当する艦船の損傷など、まるで目も向けていないかのように。

 

「おい、筋肉ダルマ、てめぇが脳味噌まで筋肉だろうから教えてやるけどな――!」

 

「今回の模擬演習は横須賀の査定でもあるということだろ?『そんなどうでもいい事を』自慢げに語るな汚物が。」

 

言葉が詰まった。

何を言われたのかまるで理解出来なかった。

今日明日の食事すら危ういと思える生活をしている部隊を、こいつは、この男は、どうでもいい。と評した。

 

「てンめ――」

 

ばがん!

 

軍曹の言葉は最後まで発せられなかった。

その下顎を砕くように拳が飛んできたからだ。

あまりにも速すぎて防御が間に合わない。モロに貰って後頭部を打ち付けた。

 

「キレるのはお前の十八番気取りか?キレれば俺に勝てると思ってるのか?これだから女という生き物は苛立ちを覚えるな。」

 

立ち上がりかけたその胴体を蹴り飛ばされる。

酷く歪な音が響いた。脳を締め付けるような痛みに貯まっていた酸素の全てが吐き出される。

 

「『この間は』お前も手加減していたから俺もしてやったが、矢張りお前はいらないな。エル・ヴァーノン。彼の部隊に不釣り合いだ。」

 

何を、何を言っているのかまるで分からない。

だが拳を作ろうとするがその腕を縦に殴り抜かれた。

 

ばぎん。

 

尺骨がその反動に皮膚を貫いて露出した。

 

「ああああああああぁぁぁ!」

 

涙が出る。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

膝を着いて、腕をまるで大事そうに抑える。

 

「お前は言ったな。見殺しにする事は正しいと。」

 

何の話をしているのか軍曹は分からない。

痛みに耐えられない程苦しい。

頭が死にそうなぐらいの叫びを上げている。

 

「パッケージ部隊全員を見殺しにした俺は、お前の言い分からしたらとてつもなく正しいのだろうな。だからお前は、お前の正しさで殺されるべきだ。」

 

「は?」

 

何だ。何の話だ。パッケージ部隊?

 

「エル・ヴァーノン。お前が助かる代わりに俺の父親は交渉の一手で死んだぞ。エル・ヴァーノン。お前がのうのうとあのドンキーの膝元で暮らしている間、あの少年は地獄よりも地獄だったぞ。」

 

忘れていない。何があったのか。何故、アラスター曹長はアズールレーンに組み込まれたのか。

全ては寧海という艦船がエル・ヴァーノンを助けたが故に。

この女がもしバラバラにされていたのならもっと人道的な処置がデザイナーズチャイルド達にも施されていただろう。

 

だが現実は違う。

 

現実は、正義は、この国は、全ては。

 

歪んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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7話後編

アズールレーン軍事記録にはこう記述されている。

 

『指揮官』の捜索に一年が経過。

人種、年齢、性別、嗜好、容姿、権力問わず探し出し、僅か32名が実用的運用が可能とされていた。

 

その数ヶ月、探し洩らしがないかの再検査を実施。

一人の少女に止まる。

一年前、少女は普通の人間だった。

はずだった。

後天的に適正を身に付けている。偏りはあるもののそれは十分過ぎる指数が現れていた。

 

セイレーン対処戦術特別顧問、レオン・ジー少将(以下、レオン少将と記述)直々の部隊による捕縛作戦が実行。

 

部隊はこれに成功する。

 

成功した部隊の数名が対象に殺傷された。

 

これによりサラブレッド隊を冠するリーダーをはじめレオン少将に『報酬』を要求。

『報酬』は四日に渡り実行され、四日目にオリジナル艦船のリーダー、東煌艦船寧海型寧海により中断。少女の身柄の明け渡しを要求された。

 

これにより飛び火した部隊、引いては人間が居た。

 

思考フィードバックシステム搭載型対セイレーン用人造兵器――パッケージ

 

このパッケージが実戦に投入されるのは本来ならば10年かそれ以上は先だとされていた。

 

レオン少将の考案した『増設』した指揮官によるセイレーン戦闘を急ぐべきだと判断され、その為の下準備として『指揮官技能のある人間』を『分解』し、その量産隊で戦う事が最も効率的だと言われていたが、艦船側からの提案により、セイレーンを『分解』する旨を伝えられる。

 

その為にパッケージの完成と搭乗員の収集が急がれた。

 

オリジナルの艦船達によるセイレーンの遺伝子回収をするべき声もあがったが、上層部は現存するオリジナル達を用いる事を良しとしなかった。

 

搭乗員達の訓練期間と並行して、艦船のオペレーションシステムの構築、実用も兼ねてパッケージ動作システムの経験値を丸ごと回収されていた。

 

照準、機動、推進、思考、装甲、電子、幾つもの装備、性能を奪い尽くし艦船へ宛てがわれていた。

 

これにより追従性、反応は大いに上昇し、指揮官が動かすに至ってこの時点で数倍の上昇が確認された。

 

パッケージ部隊のセイレーン回収するメンバーは20名。

 

部隊は訓練とはいえ好調と思しき成果を上げていた。

 

20名の内19名は正式な軍人である。

たった一人だけ、この時点では民間人として扱われていたのが少年が一人。

 

対セイレーン戦として寧海が戦闘テストを受け持った。

 

開始して未だ一年にも満たないとはいえ10名が寧海に撃沈され、残り10名が寧海を討ち取るという結果だけ見れば問題のない成果。

 

だが、このテストの後、パッケージプロジェクト責任者と寧海の間で口論、否、衝突と記載すべきアクシデントが発生。

 

ノーフォーク軍港の一割がその被害として『抉り取られた』

三年後の対セイレーン戦闘が危ぶまれたが、責任者と寧海に接近禁止命令を出し問題なく部隊は運用された。

 

訓練に訓練を重ねた対セイレーン部隊はたった一人だけを残して数多のセイレーンの遺伝子を回収。

 

これにより増設計画は開始された。

 

そう記載されている。

 

だが、

 

「てめぇ!何を言っている!」

 

右腕の開放骨折の痛みに耐え抜いて寧海に助けられた少女エル・ヴァーノン軍曹が叫ぶ。

それが事実のはずだ。それが全てのはずだ。

 

目の前にいる筋肉の塊のような男に疑問をぶつけざるをえない。

男は唾でも吐きかけるような目線と態度を続けている。

折られた腕を痛ましいとも思わないような、まるでお前はそのまま死ね。と言うような目が軍曹から脂汗を吹き出させる。

 

「お前が助けられた事で一つの家族が滅茶苦茶にされた。」

 

その言葉で噛み潰す思いを吐く。

 

「俺の父はお前が助けられた腹いせに問答無用で撃ち殺された。俺の引き抜きをスムーズにするという名目。ただそれだけの為に……!」

 

 

 

 

今も忘れない。家の前に2台の車が停まった。

一つはリムジン、一つは軍用車両。

その日、その家の家族は久しぶりに息子が野球する所を応援しようと車を用意していたところだった。

リムジンから降りてきた俳優にも見えるような男はまるで挨拶をするように懐から銃を抜き、

 

「さようなら。」

 

レオン・ジーという男は父親をハンドガンで装填されていた全弾丸で撃ち殺した。

最初の一発は眉間だった。

もうその時点で死んでいるはずだった。

それでも腕が千切れるまで撃たれ、足が噴水を止めるまで撃たれ、最後に胴に全てを撃ち込み、男はそこまでしてようやく会話をしだした。

 

少年はそこまでされてようやく男に牙を向けた。

 

だが、その太腿が直属の部隊に狙撃され、その痛みで悶えち周り、その顔面は涙に溢れ、殺されるという恐怖の元に糞尿が垂れ流されていた。

 

その様を笑われていた事を忘れていない。

 

父を撃ち殺した男も、少年の太腿を撃ち抜いた男も、その仲間も。

 

「何を、何をしたって言うの?」

 

母の疑問は最もだった。

その家は慎ましい生活を送っていた。

父はサラリーマン生活を、母は昼にはカフェのウェイトレスを、少年は野球を、政治とは無関係の生活を送っていた。

 

反戦運動も食糧難抗争のストライキもテレビジョンの向こうで懸命に行う人達を見届けて、そんな事をするくらいなら少しマシな生活を送れるように努力をしようという家庭だった。

 

「少しばかり計画を狂わされましてね。それにこれぐらい脅さないと貴方達みたいな小市民は靡いてくれないでしょう?」

 

「ふざけん、な。てめぇ、てめぇ!」

 

少年は大腿骨を撃ち抜かれている。切れた動脈から止めどなく血が溢れている。

 

「ふざけて戦争なんて出来ないでしょう?君は馬鹿なんですか?使えるものを使えるようにする。『常套手段』ですよ?ったく、これだから子供は……」

 

すぅ、っと空気を吸い込んだと思うとレオンは息を吐くように狂い叫んだ。

 

「僕の邪魔をしやがって!ゴミクソ共が!何が人道的だよ!僕が正しいんだからメスガキの1人や2人どうしようが良いだろうがよ!?何が汚点だ!何が立場が危ぶまれるだァ!アアッ!?」

 

そう叫びながら転がった少年の腹に蹴りが叩き込まれる。

その蹴りの威力を殺し切れず、胃の中身を吐き出し、窒息するほどの逆流で少年の意識が遠のいた。

 

 

そこからは簡単だった。少年は母親を殺されたくなかったらアズールレーンの協力を強制された。

 

訓練を強制され、戦闘を強制され、そして――

 

死にたくなる様な命令を強制された。

 

それはある艦船のからのアドバイスを基にしたものであった。

 

――20人のうちの半数が不確定ながら撃沈される恐れがあるのなら

 

内容の全てを聞く前に吐き気が止まらなかった。

何故か分かってしまった。

 

――たった一人の指揮官を確実に生き残る術を見つけた方がより効率的だ。

 

なら、今からでも自分を外してくれと頼み込んだ。

 

だがそうはいかない。

 

パッケージは欠陥機だ。動かす為には同位次元帯の半径4キロ以内に指揮官技能を持つ個体シグナルを感知しない限り『海域』での正常動作はままならない。

 

地球で使えているのは人工的に用意したシグナルを受信してのもの。

 

少年に逃げ場はなかった。

 

結果は悲惨なものだった。

 

 

 

 

少年は19人の人間を見殺しにした。見殺しにして、耐えられない程苦しみ、のたうち回りながら目に映るセイレーンを全て殺し尽くし、人間に情報を一部操作されて非難された。だが、それでも誰かを殺そうとは思わなかった。

 

 

 

思わかなった。

 

 

 

その成果を見せられて、少年の心は本当に砕け散った。

 

もう何も感じないと思っていた。言葉も聞こえない、風景が分からない。

 

父を撃ち殺した男が笑いかける。

母を人質に取られている。何をしても無駄なんだと。

じゃあ何もしなければいい。

 

言葉も姿も捉えなければそれでいい。

 

もう何の役目もない。責任はない。

 

そう思っていた。

 

映し出された『それ』を見て少年は一瞬でもう何も入っていないはずの胃から全てを吐き出さんと衝撃が溢れかえっていた。

 

小さな小さな生命が見える。

 

学校で習った。

 

テレビでも映し出されたこともある。

 

それが何なのか分かる。

 

進化したテクノロジーが少年にトドメを刺す。

 

少年は100の、これから消費される生命を作る手助けをしたことを伝えられた。

 

「――――――――!」

 

声が意志を伝えるというのなら、それはもう声と呼べない。

何を叫べば良いのかも分からないほど壊れた音が響き続けた。

響いて響いてボロボロになっていく。

 

どうしたら良いのか分からない。

これから先の事もまるで分からない。

自分を殺せば止まるわけじゃない。

誰かを殺せば止まるわけじゃない。

 

ある艦船に話を持ちかけられた。

 

――もし、やり場のない怒りを覚えているのなら、もし、少しでも浪費される生命に恐怖を覚えているのなら、力を貸してくれ。

 

それは見殺しを提案した存在の意見とは思えなかった。

だからこそ胸倉を掴み、怒りを叫んだ。

 

誰のせいだ。誰のせいでこんなに苦しんでると思ってるんだ。何で俺がこんな目に会わなくちゃならない。俺が何をした。

 

――そうだ、確かに我々が、私が下した命令だ。だからこそ、もう君にしか出来ない。

 

100の生命の内、たったひとつだけ例外があった。

ある女の遺伝子が組み込まれている。

その女はもう亡くなっており、埋葬された墓を暴かれ、使えるユニットだと判断され、100の生命の内の1つとして形を成している。

 

艦船にとって、その女は既知の人物だった。

おっかない老婆で、人を殺すのを何とも思わないような女だった。

 

だが、その老婆がもう数少ない艦種への適正を高く持っていた事をどうにか隠していた。

せめて、せめてもう安らかに寝かせてやって欲しいと、それだけが頼みだった。

 

それでも上層部は、使えるモノは全て使う。

 

そう言い切って、遺伝子情報を回収して、生命が完成されてしまった。

 

見ず知らずの人を助けろとそう言うのか、お前は、父を撃ち殺した正義を守れとそう言うのか。

 

――君の、君の帰る場所はもうない。

 

分かってる事だった。母親がどんな人間か、きっと色々な所に言いに行ったんだろう。

それとも反戦運動でもしたんだろうか。

切っ掛けはどうあれ、間違った事をしているのなら、正義の味方は殺しに来る。

表向きは病死だろう、父は真昼間に殺されて『何もなかった』事にされたのだ。それぐらい造作もない。

 

せめて、せめてこの人生が、少しは意味があるのだと、そう言わしめるために、少しだけ生きようと思った。

 

死にたくないが大半だったが、その言い訳は充分に機能した。

げっそりとした身体は元に戻り、口数は減ったが意志を伝える事は止めなかった。

 

そんな矢先である。

 

守ろうとした生命が自分から壊れてしまった事を告げられた。

脆いな、驚く程に脆い。そう思っていた。そう信じていた。

その音声を聞いて、青年は自分の頬を叩き付けたくなった。

 

――僕達が、僕が産まれてきて、苦しんだ人が居るはずだ!何で!何でそれなのに作ったの!?どうして!

 

それは、その言葉は、青年に向けられたものでは無い。

だが、何故だろうか、どうしてこんな、こんなにも涙が止まらないのだろう。

どうして、自分を通して他人への絶望を共感してくれるのだろうか。

 

青年は自分の事で手一杯だった。

その生命を守ろうとするのも体裁を整えたい為だった。その生命が壊れても知らん振りをするつもりだった。

 

「ありがとう……」

 

何故か、何故かその言葉出てきた。

辛くて辛くて、悲しくて、虚しくて、喚いて、苦しんで、心のどこかが壊れた気がするのに、優しさが溢れていく。

 

今度こそ、今度こそ、何を犠牲にしても、何を使ってでも、守ろうと心に決めた。

 

「だから、エル・ヴァーノン、お前は要らないんだ。彼を殴りつけ、蹴飛ばし、励まされても、己の物差しで彼への悪評を振りまくお前は、死ぬべきなんだ。」

 

曹長は、青年は知っている。

一部の艦船達が少年への噂を止めない事を、軍曹が裏では何を言っているのかを、それを聞いて、ただひたすらに、ただずっとこの感情だけが渦巻いていた。

 

『殺したい、殺してやりたい』

 

お前達が自由なのは誰のお陰だ。

お前達が贅沢に頬張る食い物は誰のお陰だ。

お前達が安全に戦えるよう配慮しているのは誰のお陰だ。

お前達が、お前達は、なんて恩知らずなんだ。

 

「横須賀の査定?そんなものどうした。お前ら恩知らずの雌犬どもは互いの肉でも食い合うのが筋だろう。」

 

開放骨折の激痛に浴びせかける非難罵倒。

その目はまるで死人の闇を映すかのように。

まるで昏い昏い闇の海のように殺意が溢れていた。

 

「彼はな、遊び半分の『再生耐久テスト』で何度も目を灼かれたぞ。普通の人間ならとっくに死んでるほど灼かれ、四肢をもぎ取られ、串刺しにされ、それでも痛みに叫ぶことすら出来ない身体にされているんだよ。なぁ、たかだか一年程度で世界を憎むような貴様とはな、ワケが違うんだよ……!」

 

止められなかった。止めたかった。

事ある毎に彼は甚振られた。

ある艦船の関係者の遺伝子でもある事が暴力を振るわれる切っ掛けになり続けた。

自分達で作り上げて、自分達で憂さを晴らす。それが自由を掲げる正義の味方だった。

 

それをわざわざ見せられる事もまた耐えられなかった。

だが、彼が人質である事を理解しての行動だと言うことにもすぐに理解出来た。

 

「あぁ、そうかよ、単にてめぇがホモのクソッタレって話だろうが。箔を付けるんじゃねぇよタコスケ。」

 

ゆっくりとその胸倉を掴まれる。そして、その死んだ目で殴り殺そうと言うところまで見えた時だった。

 

「曹長……?」

 

少年が青ざめた顔で見ていた。この世の出来事とは思えない地獄の一端に吐き気を覚えるように震えていた。

 

「大丈夫だ。少佐。これでもう『問題は無い』」

 

穏やかな声だった。いつかそれは自分に立場を与えてくれた声と同じだった。同じなのに、有り様は冷えきっていた。

 

「曹長、ダメです。」

「何がダメなんだ?この女は君への暴言を吐いた。それで充分だろう?」

「分からないんですか?」

「あぁ、艦船共も脳味噌を弄ってやろう、やはり道具に思考を持たせたらロクな結果にならない。金に困る事もないだろう。事務処理が楽になる。」

「自分が、何を言っているのか、『それすら』分からなくなってしまったんですか?」

「何がだ?」

「気に入らないから殴って、自分達の秩序を押し付けて、そんなの、そんなの、正義の味方ですよ?」

 

 

 

「違う。」

 

そうだ。

 

「違うよ。」

 

父は憂さ晴らしで死んだ。

 

「何を言ってるんだ君は。」

 

何を言っているのか分からない理由で

 

「俺は、俺は、せめて君だけは、君は」

 

俺だけを、俺を、俺の為に、俺のせいで死んだ

 

「何で、何で、否定するんだ。俺は、俺は……」

 

何で、何で、俺を生かそうとする。

 

 

 

「曹長、軍曹は、軍曹なりに前を向きたかったんですよ。」

 

何だ。その言い分は。その為なら殴って、蹴って、馬鹿にしていいのか。

 

「僕は慣れていますから。それに軍曹がそうしてくれるのは僕を上だって思ってくれている証拠ですよ。」

 

上?嘘だ。

 

「人は何だって誰だって怖いんです。怖くて仕方がないから、せめて馬鹿にするんです。自分を守る方法を知らないから、だからそうしてしまうんです。軍曹なりに認めてしまう事も怖いから、だから言ってしまうんです。曹長、僕の為に怒ってくれてありがとうございます。でも大丈夫。」

 

か細く、もう擦り切れてしまいそうな声音を上げてゆっくりと、ゆっくりと近づいて笑顔を浮かべて涙を溢す。

 

「僕は上に立っているんですから、馬鹿にされることも苦労することも、こうやって、過ぎたケンカを諌める事も、僕の仕事なんです。だからもうやめましょう?」

 

「いやだ。」

 

「曹長。」

 

「だって、だって、それじゃ俺の家族は、俺は、何の為に、何にもならない死に方を、こんな、こんな女の為に、何で。」

 

守る物に否定されるのか、守ろうとした物を全て、そんな、そんなの、あまりにも――

 

「辛い事は承知してます。でも、僕を守るというのなら、自分も守ってください。」

 

「まも、る?」

 

「そんなに心をボロボロにして、前だって向けないほど苦しんでたんです。周りばかり気にかけて、皆が前を向いている事も辛かったんですよね?」

 

「ふ、ふぅぅぅぅ。」

 

そう、恐怖していたのは曹長もまた同じなのだ。

少佐に死なれる事も、少佐が前を向かせていたことも、少佐と向き合うことも。

本当に怖かったのだ。怖くて怖くて仕方がなくて、変わらない世界が欲しかったのだ。

 

何も変わらず、戦争を続け、終わった後の苦しみに苛まれることが誰よりも怖いのだ。

 

「本当に僕が辛かったら呼びます。だから、それまでは話してあげてください。」

 

そう言いながら後ろの気配に気づき半身をずらす。

その後ろにはZ23とジャベリンとまだ傷の処置を仕立てばかりの夕立が立っていた。

 

「分かってくれますよ。心の傷がどれだけ辛いのか。他ならない彼女達が知ってるんですから、だから、話してあげてください。自分がどうしたいのかも含めて。」

 

そう言って少年は手招きする。

駆逐艦達が駆け寄って、その筋肉の塊に飛び付いた。

 

「曹長!話してください!」

 

「ジャベリンも!」

 

「じゃなきゃ夕立、この傷許さないからな!」

 

あれほど憎んでいた生命に心配される。

自分を苦しめた生命が中で膨れ上がった膿が痛む事を理解する。

悲しみとして吐き出して良いのだろうか、自分の枷を共に嵌めてくれるのだろうか。

 

「軍曹!」

 

「あー悪いけど『これ』の処置……」

 

「今しとるよ。」

 

老人に言われて折れた腕を見るとある程度の処置が施されている。

 

「アルがまだ手心加えてるから良かったものを、全力なら血と煙に分解されていたぞ。」

 

大きな大きな筋肉の要塞が艦船を抱き締めている。

本当に本当に憎んでいたのだろう。助けてくれない事実が、助けられなかった現実が、今でも憎くて許せなくて、正義を殺したくて仕方がないのだ。

 

追い詰められて、追い詰めて、もう限り無い善悪の違いも分からないほど追い詰められた男はようやく前を向けた。

 

そうして、忘れた悲しみと向き合い、失う苦しみへの憔悴は今枯れ果てた。

 



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八話前編

胸糞


サンディエゴ基地

 

自室にて思い耽る。

 

彼を愛おしいと思ったのは心を見せた時だった。

その言葉は本当は私を奮い立たせ、私に色々な立場を渡すつもりだったのだろう。

 

それならばスムーズに事が進む。

 

私の言い分ならば皆は聞いてくれる。

 

私に否を唱えさせて妥協案を引きずり出せば納得が行く。

 

私が愛した少年は雁字搦めの操り人形だった。

 

私達が怪しい行動をしないかを常に目を張り、聞き耳を立て、言葉巧みに私達を操る。

 

統括指揮官というお飾りながらその機能を全うしようとしたか細い少年だった。

 

脆い、弱い、簡単に折れてしまえそうなそんな生命。

 

そんな生命が、生命を賭けてくれる。

 

彼が何をしているのか私は遠巻きながら知っている。

 

撃沈機体の検分というのは聞こえが良いが、実態は艦船の解体作業と検死データから得られる情報による現行機体のフィードバックを名目にした共食いの下拵えだ。

 

切り落とし、鍋で煮つめ、肉を剥がし、骨の破損を計算し終える。

 

僅か5歳の子供が、まるでブロイラーの鶏を解体するように手際良くパーツを分ける。

 

これらが所属する基地の資金源。

 

人が生命を浪費する証。

 

この少年はその作業を良しとしない。

 

その資金で暖かい食事が、どれだけ遠い物なのか彼を通して理解出来る。

人の手で造られた食事を食べて、美味しいという言葉を思い出す。

 

そうして、私達は戦争を続けるだけの目標を得て、ぬくぬくと狂った生活をする。

 

だが、『それ』だけでも少年は謝りたいらしい。

 

戦争はあってはならないと。戦争をしてはいけないと。戦争に流されてはいけないと。

 

『それ』がどれだけ強欲で傲慢なのか、少年は分かっているのだろう。

分かっていても、それでもそうあってくれと頼んでいるのだ。

だけれど、だけれども、戦争が無ければ私はこの少年と出会えなかった。戦争をさせられたから少年がどこまでも優しく私を引き止めてくれた。戦争に絶望していたからこそ少年の声が何よりも誰よりも響いたのだ。

 

私は戦争に感謝したい。

 

優しくて、健気で、残酷で、狡猾で、儚い彼を産んでくれてありがとうと。思ってしまう。

 

でもこの心はあってはならない。

 

あの少年がどれだけ暴力を振るって誰も文句を言われない戦争を許しては行けない。

 

でもこの心を信じたい。

 

信じて、信じ抜いていたい。

 

「赤城?」

 

ずっと見続けていたのだから、その視線に気づかれた。

少年、少佐が私を心配するように指を振って意識の有無を確認する。

時刻は夜。部屋の椅子であまりにも考え込んでいた。

 

「申し訳ありません、気を弛めてしまいました。」

 

ただそれに謝るべきだと思うと少年はゆっくり笑って否定する。

 

「良いんだよ。働き詰めだったんだし、今ぐらい何かしたい事とかないの?」

 

したい事?

 

……ある。

 

「少佐。」

 

止めたい。止めなくてはいけない。

でも、それでも、私はもう止めたくない。

 

「赤城に指輪をください。」

 

指輪。艦船と人を結ぶ親愛の象徴にしてそのポテンシャルを全て引きずり出す結線(決戦)兵器。

力の維持にまで結ばせる唯一無二の存在。

そして、自身が誰のものであるかの証明。

 

この少年の所有物になりたいわけじゃない。

この子が唯一気を許せる存在になりたい。

そんな事は許されないのかもしれない。

そんな時間はないのかもしれない。

 

「……赤城。」

 

目が真っ直ぐになる。私達を見る時の目。

きっとその思考で幾つもの天秤に私をかけて、益か否かを分けるその目。

 

その目なら否定されても、構わない。

壊れるような心はない。

愛しています。例えどんな事を言われても。

 

 

「……て。」

 

え?

 

そんな言葉はありえない。

 

どうして、今この瞬間で――

 

「逃げて!赤城!!」

 

響く雷光の飛沫音、少佐が、彼が、倒れる。

 

「な、に?」

 

抱き寄せて私の足りない演算能力で診断にかける。

心拍、呼吸が止まりかけている。

ありえない。何を、何をされた。

 

「速く、逃げて……!」

 

それでもまだ声は出せるのか、消え入りそうな声で私の身を案じている。

 

それと同時に端末から通信受信のアラートが響く。

このタイミングは……

 

「ダメ、赤城、出ちゃ、ダメだ。『奪われる』」

 

奪われる?

何を?私は、あなたをこんな風にしている奴がいるのならそいつを引き裂いてやる。

 

泣いている彼を他所に私は勝手に決意をして、私は知ったつもりの世界の醜さを改めることになる。

 

『即時出んのがお前ら備品の役目だろうが!』

 

「誰だ貴様は、この子に何をした?」

 

溢れかえる殺意を抑えて、その存在を認識しようとする。

声からして不快だ。

 

『あー?おい、何を対等に構えてるんだよ?捕虜の奴隷が一丁前に!』

 

奴隷だと?何様だこいつは。

 

『良いか!?僕はなぁ!そこのガキの創造主!お前らが縋るゴミ共のいわば、神なんだよォ!』

 

お次は神と来たか。

なるほど、これは少々、殺し尽くしてやりたくもなる。

 

「そう、神。で、その神が私の指揮官に何をした!」

 

『あー?あぁ、そいつらの首に付けたチップの使い道でな、心を圧し折る機能として脳味噌を壊死させかけてるんだよ。普通の人間ならとっくにお陀仏な痛みさ。そこまでしても死なないってんだから、本当に気持ちの悪い生き物だ。』

 

誰が産んだというのだ。こいつは作って、弄んで、勝手に評するのか。

少佐は食べたいものだって沢山あったろうに、殴られても泣けずに私を諌めようとするというのに、何だこれは。

こんなやつが上にいるのか?

アズールレーンの馬鹿どもは何をしている。

 

『あ、本題。君さ、そいつ殺しちゃってくんない?』

 

――あ?

 

「おい?」

 

『もうさ、そいつピーク過ぎてんだよね。演算能力も低下してるし、システムエラーつうか腰のリュウコツ増えて何か起きる前の重大な処置。大丈夫、僕らアズールレーンはエコロジストだから、その死体でもう少しマシなの作るし、そいつの今までの経験は首のチップで回収出来るし、アップグレード万々歳!』

 

「おい。」

 

『生産時期を僕らも早めろ言われて、欠陥品作ってて困ってたけどさ、ま、これだけ次に使えるデータが揃ってるんだから、だぁれも文句はないでしょう?』

 

「ふざけるなぁ!!」

 

『ふざけて戦争が出来るわけねぇだろがよォ!?』

 

これが、これが人間?

守ってきた生命の正体?

 

『良いか!?僕が正しいって証明になるんなら、そこのゴミ虫も死ねて本望なんだよ!そいつらはお前ら化け物を有効活用する為に産まれた装備品、オプションパーツが壊れたらパーツを取り替えるのが筋なんだよ!』

 

こんな、こんな奴を今まで守らされていたのか?

こんな奴に命令されていたのか?

こんな、こんなゴミクズに。

彼が毎日、仕事に明け暮れ、戦闘に参加し、誰一人欠けさせないよう戦い、生命のやり取りをし、あんな、あんな、ゴミのような食い物を取り込んで、それをそれを。

 

 

――人間め。

 

 

「ぼ、ぼくが死んだら横須賀は成り立たない。」

 

少年が頭を抑えながら言葉を紡ぐ。立ち上がろうとし、私の身体を支えにしながら反論する。

 

「僕が死ねば曹長も軍曹も中佐殿だって付いてこないぞ。艦船だって、僕が散々美味い汁を飲ませてきたんだ。」

 

それは、その言葉だけは聞きたくなかった。

彼が、自分の狡賢さを口にするのを聞きたくはなかった。

 

「今の赤城を聞いてましたよね?赤城はもう僕にメロメロなんだ、僕以外の命令なんて聞くわけがない。」

 

そんな言葉を言われたくはなかった。

 

「加賀のコントロールはどうします?赤城が靡いてくれてるから彼女も動かせるんですよ。それとも個体値の落ちた劣化品を拿捕しますか?」

 

『ほう?自分は死にたくないから才能を証明と?良いねー悪くないよ。』

 

聞きたくない。私達をモノとしてしか見ない言葉など聞きたくもない。

 

「だから、まだ、この子達への――」

 

「喋るな!」

 

触れていた手を払い除ける。

困惑した顔を浮かべた少年が私を見ていることすら煩わしい。

 

「良いわよ!このガキが本当に使えなくなるまで戦ってやるわ!だから!私達にこれ以上関わるな!お前ら人間など!もうどうでもいい!」

 

『あっはっはっは!良いねー!やっぱりこれを見ないと気が済まない!追い込まれた奴らの惨めったらしい傷付け合い!ついさっきまで指輪がどうのとほざいてた口の割によくもまぁ啀み合う!』

 

その言葉で、私はようやく気づいた。

少年が奪われると口にしたことを。

 

 

ああ

 

私は、何故、挑もうとして、それが無ければ

 

少佐は止めてくれたのに

 

奪うのは少年との育んだ全てだ。

 

『良いだろう特別措置だ。引き継ぎ用の時間をくれてやる。』

 

そうして、私は、彼と触れ合った時間の全てを否定して、それを嘲られ、生命を繋いで終わった。

 

終わらせたのは、私だ。

 

通信が切られ、少年を見るとただ何も言わずに頭を下げていた。

この子は、私に指輪を渡せと言われた瞬間に幾つもの出来事と天秤にかけて、私を選び、だからこそ、人間の醜さと秤にかけて、私に逃げろと言ったのだ。

 

私は、勝てると思っていた。

 

 

私が、レッドアクシズの、

重桜航空母艦の、

一航戦の、

 

違う、幾つもの命令を違反する――ただのガラクタだ。

 

気がつけば、走っていた。

 

走って、走って、あの子を忌避していた軍曹の下まで走っていた。

 

私の持っていた愛の何と儚いことだろう。

私は彼を何一つ理解していなかった。

私自身があの子の最後の渡せる物を、小さな時間を跳ね除けて、いらないと罵って、私は、私は……

 

私と人間の、どこに違いがあるというのだ。

 

私は私のした約束を全部破ったのだ。

 

酷い命令をするかもしれないと言われ、慢心していた。

少年は自分が醜いと教えたのに、世界を知った気でいた。

別れは突然かもしれないと言われ、そんなことは無いと高を括った。

 

何が、何が姉になるだ。

 

何が、愛していますだ。

 

表面のその上っ面だけの甘い世界を渡されて子供のように喜んでいただけではないか。

 

私は、私の愛は、私が奪ったのだ。

 

他でもない。誰でもない。私自身が、引きちぎり根こそぎ壊してしまったのだ。

 

ああ、あぁ、ああああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああああああああああぁぁぁあああああああ

 

私は、何と愚かな生き物なのだろう。

 



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八話後編

酷く、酷く、心が傷んでいた。

彼女に自分を殺させる、それだけは防ぎたかった。

だけど、その為に選んだ手段は、彼女に嫌われるという簡単でどうしようもないほど辛くなる一手だった。

 

彼は人間を分かっていた。

 

人間は本当に心の底から救いようもない生き物であることを。

 

違うというのなら何故、何故こんなにも暴力を祀る文化に溢れているのだ。

 

経済から司法にまで人の世に暴力が満ち溢れている。

 

言葉一つ、文字一つですら暴力の徒である証を証明し出す。

 

否、証明しないとまるで自分がそこにいないかのような空虚な在り方に耐えられないのだ。

 

だからこそ、彼女に今の人間を教えたくなかった。

 

そんな醜く哀れで虚しい生き物を守れと言われて誰が守りたがるのだろうか。

 

ましてや彼女の事を奴隷と呼んだのだ。

 

そう、人間にとって戦争を優位に働かせてくれる存在はあまり好ましくない。

必ずしも英雄として祭り上げられるわけではないのだ。

 

ましてや彼女は敵性体の扱いを受けている。

 

例え、人間の為に戦ったとしてもその扱いは決して拭われない。

 

人は自分を守る存在すら貶す。それを文化として親から子に、人から人に伝播して、数の正義で、真理の正義を以て、人は今自分こそが正しいと言い放つ。

 

被害者だから、手を汚していないから、悲しいから、羨ましいから、違う。

 

生きているからだ。

 

ソファの上で何度も何度も人間を理解した考えをまた頭の中で浮かべて気が付くと陽光が差していた。

 

それと同時に通信のアラートが響いて受信する。

 

『少佐、何があった?』

 

軍曹の声だ。

それはどういう意味なのかすぐに分かる。

彼女が最後に助けて欲しくて訪れた場所は彼女の部屋だったのだろう。

 

「……傷付けました。」

 

『なぁ、ここまで来て嘘つくんじゃねぇよ。何があった。』

 

ため息を思わず漏らす。

こんな話したくないという感情が渦巻く。

誰のせいにしたら良いのかも分からない。

きっと自分のせいにすれば誰も傷つかないのだろう。

 

だから、だからだろうか。

少年の心には限界が来ていた。

人間という生き物、本当にどうしようもないほどに他人を傷付ける事でしか成長という弱々しい言葉を使えないくだらない存在を守っている現実に耐えられないのだ。

ましてや、彼女の手で自分を殺させる事がどういう事なのか瞬時に理解出来た。

 

彼女という頭目の心に楔を打ち込みたかったのだ。

 

思い出せば竦み上がり、耐えられない傷となり、人間の言う事を聞かせやすくする為の人間が考える最善の手段。

 

だから、本当に壊れたように少年は叫んだ。

 

「僕は!頑張ったんだ!殴られて!蹴られて!使えないって言われて!腕を千切られて!目を串刺しにされたりもした!それでも人間を守れって言われて!それが出来なきゃ死ねと言われ!憧れた存在につばを吐きかけられ!それでも出来ることをやって!本当は僕よりも優秀な子がいたのに!アズールレーンは僕の方が使えると宣って!訓練と称して左半分が使えなくなるまで叩かれて!艦船に注意された腹いせに首の骨を折られて!それでも!!そんな道具であっても!僕は!誰かの未来を作ってあげたかったんだ……。」

 

彼女の、彼女の未来は作れたのだろうか。

彼女は自分を恨んでくれただろうか。

それとも捨ててくれたのだろうか。

 

そうすれば少しはきっとマトモな未来になるのだろうか。

 

そう信じて彼女を傷付けてでも彼女の手を汚させたくなかった。

 

それを選んだら本当に誰も救えない。

 

『失敗したから止めます。か?だとしたらお前本当にクソだろ。』

 

「どうしろって言うんですか、僕は、居場所すら奪われてるんですよ?もう何も残ってない。何も無いんです。」

 

『嘘だな。』

 

「何かあるように見えますか?何も無い癖にそれなのに……!」

『お前がまだいる。それがある。』

 

その言葉で少年はついに怒りを覚えてしまった。

こいつはこの馬鹿な女はとうとう何を言い出したのだと、怒りのままに叫んだ。

 

「そんなものが何の役に立つ!?誰も救えない!何も出来ない!こんなみっともない生命を愛してくれた優しい女の子一人幸せにしてあげられないんだぞ!アンタ馬鹿か!」

 

『お前こそふざけんじゃねぇぞ……!お前その何の役にも立たない心が、何人救ったと思ってやがる!横須賀を思い出せよ!死んだ目ぇした奴が一人でも居たか!?アタシはどうだ!?理解されて!助けられて!少しでも前を向かせてくれたんじゃねぇのかよ!?お前が上だって思わされたんじゃねぇのかよ!あの筋肉ダルマだって、お前に言われて立ち止まったんだぞ!なぁ!もうお前は皆を幸せにしてるんだよ!少し不幸にしただけでお前が!お前を見限んじゃねぇよ!神様気取るんじゃねぇぞクソガキ!!』

 

言葉が、出てこない。

 

そんな言葉を言われるなど本当に思ってもいない。

 

でも、それでも、傷付けたのだ。

 

優しい彼女を、愛らしい彼女を、誇らしい彼女を、傷つきやすい彼女を、自分を大切にしてくれる彼女を、この喉が、心が、頭が、彼女に最大の傷をつけたのだ。

 

「あんなことしてあの子に何て声をかけろって言うんですか……。」

 

『勝手に名前を呼ぶ資格もねぇみたいな素振りしてんじゃねぇぞ!!お前に言われた通り逃げてればってな、何度も泣いて、愛宕に殺してくれって頼んでんだよ!今歩み寄ってやらなきゃな!一生赤城は立ち直れねぇぞ!!』

 

息を出鱈目に吸っていた。

気持ちの悪い循環に胃液が込み上げる。

どうしてあげれば良いのだ。

分からない。

分からないのに、転んでも、曲がり切れず壁に身体を叩き付けても走る事を止められなかった。

 

泣いているという事実に、泣かせたという現実にどう向き合えばいいのか分からない。

 

それでも足は止まらない、脳は走れと叫ぶ、会ってどうするんだと何度も口が呟くのに、目が、彼女の居る場所への最短ルートを追っていく。

 

気が付けば顔はぶつけた痣や擦り傷で目蓋から流れる血で世界が紅く見えていた。

 

扉を開ける手は震えが止まず、恐怖を覚えたように瞳は床を見続け、音はまるで聞こえず、口は――

 

「赤城!」

 

叫び声を上げていた。

 

少年は人間を考え過ぎていた。

考えて考え過ぎて赤城を人間として見てしまった。

あれだけの屈辱と蔑視が垣間見えてもう自分は見放されたと勘違いをしていた。

 

クッションの山の中で茶色の髪と赤い瞳がちらりと映る。

 

「来ないでください。こんな、こんな……。」

 

「うん。分かった。行かないよ。」

 

恭順の言葉に山の中から泣く声が響く。

 

「赤城、今が辛い?僕はこんな生き物で、世界はこんな有様で。」

 

クッションが小さな顔に投げ付けられた。

ぼふんと音を立てて、ぽふ、と投げられた物を小さな手が掴む。

 

「こんなって何ですか!少佐はそんな風に謂れる理由はありません!」

 

クッションを山に投げ付ける。

クッションに跳ねられて壁にぶつかって床に落ちていく。

 

「僕は、僕はね、もう人間には絶望しているんだ。本当に強い子が選ばれない事も、本当に必要な子が選ばれない事も……。」

 

今も吐き気を思い出す。

少年が赤城に情報を開示した時のアズールレーンの回答を。

 

『オプションパーツ、赤城への情報開示を許可する。』

 

重桜航空母艦、一航戦、赤城型一番艦、赤城。

その評価は、対となる加賀型一番艦、加賀の装備品。

その効率を底上げする同調共鳴型骨格の価値しか見出されることが無かった。

 

まるで、まるで、少年達への評価を、組織は彼女に下した。

同時に、その評価を受け入れなくてはならない自分に反吐が出た。

彼女といる時、話す時、戦闘で繋がる時、他愛ない時、想われている時、その全ての時間を振り返る度に少年は自分を殺したくてしょうがなかった。

何故?

いる事がじゃない。

話す事がじゃない。

繋がる事がじゃない。

他愛ない事がじゃない。

想われている事がじゃない。

自分が誰なのかを考える時が最も腹立たしいのだ。

 

「赤城。もういいだろう?」

 

自分がアズールレーンの一員だと理解する度に、そのメンバーを纏めあげようとする度に、言葉を吐いて心を安らかにしようとする度に、自分と向き合う度に、自分が許せなくなる。

 

その言葉を飲み込んだのは自分なのだ。

守る価値が本当に無いのは自分なのだ。

組織に真っ先に屈したのは自分なのだ。

 

そんな自分は彼女に愛される資格なんてない。

 

分かっていた。

 

「君があの時拾い上げたモノは石ころだったんだよ。石ころを大切にしてしまったんだ。もう現実を見よう。本当に守らなくちゃいけないモノがあるんだ。」

 

その言葉を塞ぐようにクッションが投げられる。

それでもクッションを受け止めて少年は、思いの丈を言葉にした。

 

「捨てる時が来たんだよ。生きる上で当然の行為をする時が。」

 

クッションが幾つも幾つも飛んでくる。

クッションを盾にして言葉を投げた。

 

「少佐は!全部を!石ころだと!そう言うのですか!?」

 

クッションを投げても投げても何も帰って来ない。

何も、何も。

 

――ぽたん。

 

「君が、君がくれたものが石ころなわけがないでしょ……。」

 

全部、全部、覚えている。

苦しみも悲しみも優しさもどんな時も。

 

「宝石だった。光り輝いて、僕の心を何度も照らしてくれた。最後の僕の導だった。君から貰えた物があったから、ずっと我慢出来た。僕を殺したら君が悲しむと。それなら何にだって、何だって出来た。でも、もう無理だよ。」

 

自分の部下と向き合うことも、辛い資金繰りも、吐きたくなる検死作業も、それを言い訳する自分も、赤城という少女から貰った大切な感情を覚えているのなら戦争も耐えられた。

 

でも、その少女に付ける傷の深さを考えて、少年は浅く済むというのなら選んでしまった。人間になるという選択を。

 

逃がしてあげれば良かったのに。

 

向き合わせなければ良かったのに。

 

助けなければ良かったのに。

 

「結局、君から色んなモノを奪ってたんだよ。自由や地位や感情、ありとあらゆるものを奪って、悲しませたんだよ。守る価値が無いんだ。」

 

戦争をしているという言い訳を使って、籠の中に閉じ込めたのだ。

傷付いた彼女を、傷付けた彼女を、そうして、自分のモノにしたのだ。

それは人間の最も汚らしい行為だ。

 

だからお願い。

 

「もうやめようよ。僕は君を使って戦争をしやすくしようとしてたんだよ。そんな奴守る価値はないよ。奪って奪って、君に何も与えなかったんだ――」

 

ぱん。

 

最後の1発は赤城の平手だった。

力の無い少年の頬を少し揺さぶったぐらいの力で涙を沢山流しての一打に少年が寂しそうに微笑んだ。

 

「嫌な奴だろう?」

 

その言葉に赤城の思いの堰が決壊した。

 

「馬鹿にしないでください!」

 

胸倉を掴み、全てを否定する。

そう、全てを。

 

「奪う者が信じますか!?奪う者が愛に応えてくれますか!?憔悴しきった心を慰め!暖かく抱き締めるというのですか!与えたら苦しむと、何度も推し量って、疲れた身体を抱き上げて、私がどれだけ嬉しかったと!」

 

「それだって、君を動かそうとするだけの処置だよ。」

 

首を強く振って否定する。

 

違う。違う違う違う違う!

 

「貴方はそんな悲しい人間じゃない!貴方はそんな上辺だけの人間じゃない!私が拾ったものが石ころだとしても!私があの時差し出された感情は!生きて欲しいと願う想いは!何よりも誇り高い想いだった!私は!その蜜と花弁を貰っただけで!蔓が!葉が!どれだけの毒を持っていたのか知らなくて!」

 

「生命を拾ってしまったんだ。そんな願いや想いは当たり前なんだよ。優しくするのなんて誰にだってできる。ただ、誰もやろうとしないだけさ。」

 

世界は優しいんだ。

色んな優しい人がいる。

 

だからお願い。

 

「僕を、嫌いになろう?」

 

もう一発、頭を叩く。

 

「赤城にずっとずっと優しくしてください!それで!それだけで良いんです!」

 

「ダメだよ。僕はそれを名目に奪う。君を汚していく。君の生きていく価値を下げる。」

 

どれだけ頑張っても満足にいかない。

その苦痛を分かり合うなど、不毛、それ以外の何者でない。

 

「それで、ううん、それが良いんです。貴方だけのモノにしてください。レッドアクシズのじゃない、重桜のじゃない、一航戦のじゃない、横須賀のじゃない、ましてやアズールレーンのでもない!」

 

――貴方だけの赤城にしてください。

 

それがその言葉がどれだけ自分を貶めるのか、少年には簡単に理解出来た。生命として扱うのではなく、所有物にしてくれと、それが彼女の選んだ道なのだと、分かってしまって言いたくない言葉を叫んでしまう。

 

「馬鹿!」

 

「はい。赤城は馬鹿なんです。」

 

「馬鹿だよ!そんなの女の子が求める幸せじゃない!優しくもない!何にもないんだよ!」

 

「いいえ……あります。」

 

そう、たった一つだけある。確固たるモノが。

 

「貴方がいる。貴方が居てくれる。それだけあれば赤城は絶対に幸せです。」

 

それを、そんな言葉を、そんな想いを、そんな人独りの感情を、口にするのにどれ程の痛みがあったのだろう。

本当に失いたくない一心で、もう二度と間違えないと誓う心はどれほどひび割れているというのだろうか。

 

「それはもう愛情じゃないんだよ?」

 

「一つ文字を取ってしまえば、それは立派な愛です。」

 

彼女はそれを言えばもう愛されないと分かっている。

もう何も与えられず、何もかもを奪われる事を分かっている。

だから、だからこそ、最初に奪うべきものを奪って欲しかったのだ。

 

「愛しています。赤城。」

 

ぐしゃぐしゃの笑顔で、ぐしゃぐしゃの心で、ぐしゃぐしゃにしてしまった想いを口にする。

 

「はい。愛してます。」

 

唇を優しく重ねる。

その誓いが傷だらけで、継ぎ接ぎだらけの想いであっても二人はそれでも紡ぐ事をやめない。

 

『おぉう!おめでとうな!赤城!』

 

『少佐!帰ったら結婚式しましょう!』

 

『凄い!ドロッドロの少女マンガみたい!』

 

その声で一気に現実に戻された。

 

「ぐ〜ん〜そ〜?」

 

赤城が不満を募らせた声を出し、目端でベッドで眺めていた赤髪の友人を睨む。

 

「いや、公にした方が良いだろ。少佐が逃げねぇように。」

 

端末で横須賀各機に通信を飛ばすことに何の躊躇いもなかった。

というよりも最初から見ていた側としてはこいつらの痴態は見せびらかした方が良さそうだな。というのが本音だった。

 

『ねぇねぇ夕立ちゃん!一つ文字を取っても愛って重桜の慣用句!?』

 

『違いますよジャベリン、東洋の神話にある神と人との愛の言葉です。』

 

『何か、すき焼き食いたくなるな〜。帰ったらまずすき焼きしようぜ!』

 

駆逐艦達の思い思いの言葉に少年が微笑む。

 

「皆の分のすき焼きか、卵高いんだけどな。」

 

「なら、みぞれおろしはどうでしょう?中々に風情があって美味しいですよ。」

 

「あれ?赤城?結構嫌味?」

 

「いいえ?少佐を食べるつもりでいたいだけです。」

 

 

 

 

 

 

 

 



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九話

晴天、ここ西海岸、サンディエゴ基地は所属するアズールレーンの名の通り蒼が続き、海もまたその輝きに反射して純白さを見出していた。

 

そんな眩しい世界の中、基地の出入口から歩いてくる影が二つ。

 

「赤城、荷物は大丈夫?」

 

「はい。しっかりと。」

 

少しばかりユニオンで調達できる横須賀へのお土産に買った姉妹への菓子の材料や缶詰めがぎっしり入った袋を軍服を着た少年と茶色の狐が背負っていた。

 

「飛龍や駆逐の子達、喜んでくれるかな?」

 

「街に出れない事ぐらい理解してくれますよ。」

 

市街地には赴けず、仕方がなくリストアップした配給物を多めに貰い持ち帰ることにしたのだ。

船へと歩を進めると少年が少しして止まった。

それに気づいた赤城が首を傾げていると、顔を真っ赤にした少年がぽつりと呟く。

 

「船まで少しだけどさ、手を握ってもいいかい?」

 

その言葉に赤城は微笑んで快諾し、優しく結んだ手は見た目よりも頑なで一歩一歩を大切にして歩んでいた。

 

「赤城。」

 

「はい。」

 

「悲しいのに嬉しかったら喜んで良いのかな?」

 

「少なくとも赤城は寂しくありません。」

 

「そっか、後半年、よろしくね。」

 

「はい、最後まで使い潰してください。」

 

「うん。君を泣かせるのは僕の仕事なんだろうね。」

 

「はい。少佐に泣かされる事が赤城の全てです。」

 

歩きながら生きていくために二人は幸せを捨てて行く。

それが本当に大切なものであるはずなのに、二人は寄せ集めの不幸という現実を互いの手の中に仕舞い込む。

それなのに二人は微笑んでいた。

手の平の熱がそうさせていたのか、他愛ない会話がそうさせていたのか、分からないでいたがこの瞬間は続くのだろう。

二人がそうである限り。

 

軍港に到着すると少年の部下の三人とそれに随伴する艦船が待っていた。

すぐさま軍曹が悪態をつく。

 

「おせーぞ、ったく。」

 

「すいません。って何してたんですか?」

 

その様子に少し驚いていた。

全員がこんな埠頭で釣り竿を持っているのだ。

整備や巡回警備艦船や横須賀帰投用の大型船がいる海域で釣れる魚がいるとは思えない。

 

「暇だったからな。キャッチボールでも良かったんだが。」

 

「ふざけんじゃねぇぞ、てめぇにかち割られて右手使えねぇんだよ。まだくっそ痛てぇし、連動筋ごと痛めてっから肩から悪痛してんだぞ。」

 

右腕の添え木を見せて現状を伝えると曹長は明後日の方向を見ているのだろうか、空が青いなー。と呟いてる辺り特に悪いとは思っていないのが分かる。

 

「あー。横須賀に帰ってはよ劉さんの辛口料理が食いたい。」

 

「ジジー辛口強めだよな。整腸剤呑まねぇの?」

 

「生まれてこの方壊したことが無い。」

 

「うげー、ぜってぇロクな生き方してねぇだろ。」

 

「そりゃあ社長やったり変化球覚えたり。」

 

「おい、後者は初耳だぞ。」

 

「お?やぶへびか?良いねぇ飛び火してこそユニオンドリームの糞溜りよな。」

 

「はい!もう良いです!分かりました!待たせて申し訳なかったので口論はやめましょう!」

 

少年の声でようやく手にぶら下げた釣竿を戻しに行く。

艦船達も付き合っていたのだろう。

 

「はい、今日からまた横須賀でお仕事です。頑張りましょう。では、荷物を忘れずに行きますよ。」

 

そう言って全員が何気ない言葉を交わして船に乗り込んでいく。

明日からまた変わらない日々がやってくる。それだけを考えて生きていく日々も。

少年と赤城が宛てがわれた部屋に辿り着くのと同時に端末が音声通信を受信する。

誰なのか分かるコードだ。

 

「エイトナイン。」

 

デザイナーズチャイルド指揮官02番。

少年とは違う軽巡洋艦型――チェイサーの遺伝子が使われたセイレーン復元個体。

 

「なんだい?ゼロツー?僕は申し訳ないんだけどこれから自分の所有物を可愛がりたいんだ。話しは短く出来るかな?」

 

そう言いながら撫でる音が端末も受け取り、それを伝える。

 

「頼む。」

 

「何を?」

 

即答での返答をしながらも撫で回す音は止まらない。

 

「俺は、俺なら耐えられたんだ。こんな戦争が続く事も。」

 

「そう。マゾスティックだね。」

 

反吐が出る。そんな態度が聞こえてくる。

それでも枯れた声が続いていく。

 

「何で、何で俺の部隊は勝ったのに……何で?」

 

「君のところの艦船が台所に行くのかって?」

 

エイトナインからは呆れた声が響いた。

台所、つまりは本国防衛強化という名目でバラバラに分解され、他の艦船に捕食させ広くその能力を拡充させるのだろう。

エイトナインには確信がひとつあった。

何故、招待された横須賀部隊の伏せられていた最後のメンバーがジャベリンだったのか。

それは、ノーフォーク基地部隊の戦力差の確認、つまりは物差しとして呼び込まれたのだ。

 

「頼む。助けてくれ。お前の、お前はアズールレーンの艦船適性が無いんだろ!?」

 

「君さ、次の世代の戦争を楽にしたいんじゃないの?」

 

それ紛れもなくゼロツーの言葉だ。

だが、それはあくまで自分という指揮官のことしか考えていなかった。

まさか、まさか、こんな風に自分の部隊そのものを喰われるなんて誰が予想したというのだ。

 

「助けたとしても君は何ができるの?悪いんだけどさ助ける価値とか考えた方が良いよ?」

 

それは元の関係からも来る言葉なのだろうか。

捨てて行くことは生きること。その言葉のように捨てられる者がいる。

 

「なんだってする、頼む、お前の所から」「あっ、うん、もういいよ今君らのコード書き換えたから。」

 

は?

 

「帰りの船なのに搭乗員が少な過ぎてるからね、もうバレバレでさ〜。」

 

おい、ちょっと待て。

 

「さぁて皆!降りかかる火の粉を振り払いましょうか!」

 

そう、帰りの船にはもう居ない。

少年達が居るところは――

 

「海域2Kmにて横須賀部隊の反応を確認!」

 

サンディエゴ基地、司令部にてどよめきが響いた。

ノーフォーク基地の回収、横須賀基地への事故に見せかけた処理、それらが今打破されようとしているのだ。

 

「波形!赤城!Z23!ジャベリン!夕立!愛宕!摩耶!レナウン!こちらの策を読んでいたと思われます!」

 

オペレーターの声にレオンが叫ぶ!

 

「船の見張りは何をしていた!?その為に金を払ったんだろうが!?」

 

『あぁ、ご忠告をしておこうかな?』

 

まるでこちらの情勢が分かるように少年の声が響く。

レオンの筋書きならば意地汚い罵り合いの最中に自分達は安全な場所へ帰ると思わせて船諸共爆殺兼海の藻屑になるはずだ。

それが、何故。

 

『釣りをしているメンバーがいる時点で気づくべきでしたね、船の重量の目算が出来るんですよ。それとあの程度の戦力』

『僕らのこと過小評価し過ぎですよ?』

 

首のチップからの傍受音声から隊員に配った通信機からの音声が届く。

それに気づいて緊急脳死プログラムを起動させる。

だが、通信機の向こうからは何も反応がない。

 

『殺るのでしたら、やはりあの夜に始末するべきでしたね。』

 

嘲笑う声が響く。

そうあの夜。あの夜から日の出にかけて少年は首のチップの信号を端末から傍受させ、そのコードを全部洗い出し、セキリュティの高いコードを解析していた。最もセキリュティの高い人間が誰なのかを知って、少年は少しだけ愚かさというものを学んだ。

 

人は人をありとあらゆる手段で殺そうとする。

だが、その手段を全て防がれる事を想定していない。

そう、アズールレーンという正義の味方は縛る鎖に名前を刻み過ぎた。

自分を余程守りたいのが良くわかる。その発信ビーコンを確認し誰が殺すべきなのかを理解出来た。

 

『人を玩具にして楽しかったでしょう?今度は――』

 

お前らが玩具になる番だ!!レオン・ジー!

 

「ッ!!」

 

司令部の中にいた全員が彼を見る。

失敗は有り得ないとまで豪語していたにも関わらずここまでの恥をかかされているのだ。

 

「艦船を!配備しろ!あの裏切り者共を全員殺せ!」

 

搬出口からアズールレーン所属艦船を投入する。

敵進路を塞ぐように前方に向けて全戦力が火戦を集中させる。

だが、それもまるで意味が無い。

そう、針路がズレればレオンの勝ちだ。

何せこの基地の他海域には対艦船用機雷を敷き詰めている。

攻城しようにもこの広い海でありながらルートは一本しかない。そのはずだ。

 

『だから、そういうのバレてますよ?』

 

まるで跳ね上がるように響く声音の後に着弾音が響く。

 

「敵針路軌道変わりなし!最短ルートで来ます!」

 

何故釣れるはずもない場所で釣竿をぶら下げていたのか、艦船達に血液を塗らせた釣り針から少しでも情報を拾い上げられていたからだ。

この海が殺意に満ち溢れていることを理解したのは、まるで子供の口喧嘩のような話し合い。

 

その話し合いだけで海の情報は全員に伝わっていた。

 

「200!150!100!50!横須賀止まりません!」

 

「艦船は!トムは何をしている!?」

 

サンディエゴ基地所属、元スカパーフロー軍港所属の多重操縦を可能とする指揮官、トム中尉では残念ながら横須賀には届かない。

 

どれだけ数を置いたとしても、どれだけ火砲を敷き詰めても、彼らはそれ以上の鉄火場で何一つ誰一人欠けることなく戦ってきたのだ。

 

「四名の上陸を確認、映像出します!」

 

オペレーターの声と共に監視カメラの映像が広がる。

その様は四人揃ってあっかんべーをしている所だった。

 

「ころせぇええええ!!あのクソどもを殺せよぉぉぉぉ!」

 

カメラ枠から走って消えていく四人を他所に味方の反応が消えていくのをオペレーターは見逃しかけた。

 

「こちらの戦力が!」

 

5、18、52、次第に膨れ上がるような戦線維持不能コードが乱立する。

 

「なぁにやってんだよォ!たかだか5機だろうがぁっ!」

 

たかだか5機、それを聞いたら恐らく横須賀基地所属のメンバー全てが指を差して笑うだろう。

横須賀に本当の化け物がいる事をレオンは知らない。

『アルティメット』とまで呼ばれた艦船直々に訓練を積まされ、宛てがわれた指揮官を、強化する為の接続を

 

『訓練に使っている』艦船――その名を冠する巡洋戦艦、レナウンを、真の横須賀最強をアズールレーンは知らない。

 

マイケル・アスキスに指揮官能力は殆ど無い。空母系統には微々たるものがあるが他が壊滅していると言えるレベルで接続係数が低過ぎる。

 

それはもう艤装の展開に支障が出るレベルで。

 

だがかの究極はレナウンに言った。

 

――凡そ2500トンの枷となるだろうが、それを外したのならお前こそが本当の究極と呼べるのだ。

 

と。

 

その現実は地獄絵図そのものだった。

剣を振る風圧が刃となり弾丸を、航空機を、ましてや波形の読み取りすらをも阻害する程の圧力を形成し、切り捨てている。

 

外部広域通信でレナウンの声が響く。

ここサンディエゴ基地司令部にも。

 

『私の剣技に手加減というものはない。あるとするならば腕や脚を吹き飛ばすことを指すのだろう。その痛みと恐怖に勝てる勇気があるのならば挑むが良い。言っておくが――』

 

――私は相当究極だぞ?

 

行動不能の信号がまるで疫病にでもかかったかのように広がっていく。

その全てが艤装の切断、損壊、四肢間接の破壊、骨折。

 

そう、指揮官を必要としている時点でこのサンディエゴ基地所属艦船は絶対に勝てるはずがない。

 

この規格外の化け物を殺すのはどう足掻いても時間がかかる。

 

「上陸したゴミ共を殺せ!そうすれば指揮が落ちる!対人戦車だ!バハムートで皆殺しにしろ!」

 

対人戦車の部隊がスクランブル発進に手間取りながらもその黒く高い戦車に乗り込む。

バハムート――艦船未満の戦力ならば完全に1機で他の全戦闘機械を制圧出来ると言わしめる程の戦力。

 

毎秒3kmを超える亜音速超大型主砲、対中空戦闘用のミサイル、近接戦闘用の対物機銃、何よりもとある女神の名を冠する車と同じ特注製フレーム。

 

勝てるはずがない。

そう相手が軍人ならば。

 

たった一人だけ、確実に軍人では無い者がいる。

 

子供でもない。

社長でもない。

やさぐれた肌が汚いレイプ被害者でもない。

 

たった一人、横須賀基地には世界最強の四番打者と言われた全戦術を野球として前提に追従させている男がいる。

 

「A1、A2、反応ロスト!」

 

「ああっ!?何でだよ!?」

 

「カメラ出します!!」

 

その光景は異常の極みだった。

駆逐艦――ジャベリンの槍を、接続同期が外れれば1600トンに到達する重量物をまるでバットを振るように戦車を破壊するその男が、かつてセイレーン海域を一人で蹂躙した男の姿がそこにあった。

 

「主砲使えよぉぉおおおお!?」

 

レオンの言葉に反応するように後退しながらバハムートの竜の息吹とも言えるその火が亜音速で空気を世界を殺すように迸った。

 

だが。

 

――ガギイイイイィン!

 

まるで、まるでそれは野球のワンシーンだ。

どこぞの大企業が出版しているふざけたコミックの一ページの様な有り様。

 

人間が戦車の主砲を振るう棒で弾き返し、その弾丸で戦車の上半分を吹き飛ばしていた。

 

カメラに通信機を持った男の姿が映る。

 

『俺が15の頃、貴様らが使っている玩具よりも速い球を投げる男と俺はいつも競っていた。分かるか?貴様らという次元の低いヤツらにマウンドに立たれると同じ西海岸出身として恥ずかしいんだ。野球盤がしたいのならバーでやれ。』

 

その言葉はレオンを発狂させるには十分な程の破壊力を秘めていた。

 

「何なんだよぉ!アイツはァ!?」

 

『まさかとは思うが、俺が人間用のメシを食っていたと思うのなら、貴様らは草野球にも劣るゴミ共だな。良いか?俺だけだ。俺だけが――』

 

艦船用に調整されたデタラメな数値を誇る栄養食を毎日のように食べていた。

本来ならば内臓はすぐにでも悲鳴を上げ、脳が吐き出す事を選択し、腸は狂ったように暴れ出し吸収した栄養を廃棄する。

だが、男はそれを四年間、たった一人、自分を救った少年を守る為に飲み込んでいた。

その筋肉は見せかけではない。

 

同じ物を喰らった夕立が強くなった事がその証明だ。

特殊な訓練よりも体内に入ったその異常に人間の数百倍の発揮性から驚く程の瞬発力が形成されている。

 

『それとお前らの使ってる戦車の名前だが、ダサいな。やはりテキサス・レンジャーズにするべきだろうな。』

 

自分の贔屓にしているチームを口にして通信を一方的に切り、走り抜けて戦車を全て克ち上げてひっくり返す。

 

そう、彼の得意なコースは低めの弾道。

身長の高さからアッパースイングは誰よりも得意だったのだ。

 

ましてやその棒の重量に比べれば僅か30トン程度の車体をひっくり返すなど造作もない。

 

「サラブレッド隊に繋げ!横須賀の艦船共の悲鳴を流させろ!!」

 

レオンの発狂にオペレーターが横須賀制圧為隠れていた部隊に信号を送る。

対艦船用装備を充実させた部隊にどいつもこいつも壊してやれば気概が落ちる。そう思っていた。

 

そして信号は帰ってきた。

 

帰って来たのだ。

 

『ちわーす。デリバリー帝竜地獄の三丁目付近でーす。』

 

その声は聞いた事がある。以前木偶人形に脅された黒人の声だ。

 

『これ、音声とかちゃんと繋がってんのかな?』

 

「なんだ、なにをされている……?」

 

『あ、繋がってる。えっと聞きます?ウチの組の得意演奏、良いな良いな騎兵隊って良いな。です。』

 

あぎゃああああああああああ!

ダミだよー!お前も黒人になるんだよー!

さぁ皆!バーナーで!皮膚改革しようぜ!

これで俺らも騎兵隊じゃー!!インディアン白人は撲滅じゃー!!

合衆国法第一条!暴力は正義デース!

なぁ人肉なのにこいつらチャーシューズってどうよ!?

はじめてーのフェ〇ー!自分の〇ェラー!

俺これ見た事ある!帝竜のアニメでえっと!ムカデにんげ――

 

『つーわけでそちらの部隊はただ今、強制的に黒人になったり人間じゃなくなってます。いや生きてるか死んでるかは知らないけど人種変えます。俺らが差別を無くしますんで。安心してください。』

 

何が起きているというのだろうか。

信頼出来る異常性癖集団でもある部隊が、かつて自分を筆頭に計画を阻害され散り散りになった武闘派マフィアが横須賀に集結し逆襲しているのだと、誰が予想していたのだろうか。

 

そしてたった今、司令部の天井が破壊された。

 

「へいお待ち!横須賀一丁!」

 

エル・ヴァーノンが、かつて道具にしたガキが楽しそうにニタニタと下卑た笑みを浮かべながら抵抗しようとした人間の首を一人ずつ折っていった。

 

「な、なんで、なんで僕が……。」

 

「なんで負けるって?そんなの簡単ですよ。」

 

少年の、道具の、使い捨ての声が響く。

 

「虐げられたからこそ、僕らは誰一人忘れちゃいやしないんだ。暴力の理由がないお前ら正義の味方には一生分からないだろうけど、僕らやさぐれ者は絶対に忘れない。お前らの空がどれだけ綺麗でも僕達だけはその空が薄汚い事を忘れない。その空をめちゃくちゃにしてやりたいって気持ちは僕らの方が絶対に上だ。」

 

レオンの左の瞳を少年の右手が射抜いた。

 

「ぎぃ、やぁっぅああああああああ!」

 

「あれだけ皆を虐めてこの程度で喚くな三流。」

 

一喝と共に側頭部に回し蹴りが入る。

そして首を折られて死んだオペレーターの傍の通信機器にスイッチを入れる。

 

「サンディエゴ所属艦船に告ぐ、対セイレーン戦術処理、特別、あぁ!もう何だこのだっさい名義は!仕切ってたアホはたった今潰した!それ以上動くな!無駄に痛めるつもりはない。」

 

その言葉に従ったのかモニターに表示される戦闘光をはじめとした反応が瞬く間に消えていく。

それと同時だった。

 

レオンが腰に仕舞っていたナイフを少年に突き刺そうとしたのは。

レオンは笑う。勝ちではないだろうが、大切なものを破壊できるのだ。それは傷になる。そうすれば自分にまだチャンスはある。

 

だが、誰も焦りはしなかった。

 

エルはともかく、老人はもはや呆れていた。

 

少年は冷めた目で閣下と呼ばれなきゃ気分を害する哀れで低俗な正義の味方を見下ろしていた。

 

誰の言葉だったろうか。

 

艦船の防御、推進、浮揚に使われている斥力フィールドへの疑問の言葉が

 

「気を張ってればナイフなんか刺さらないんだよ。低脳。」

 

いつか昔の言葉は今ここに実践された。

服は貫通しても、そのナイフがまるで岩にでも突き刺したかのように硬い。

 

「にゃ、にゃんで……。」

 

「才能、才能、ってくだらない要素に縋り付き過ぎて努力って言葉の方が強い事を、そこまで生きてても分からないからだろう?」

 

残った目玉に向けて少年が拳を叩き込んだ。

水晶が投げ付けられた卵のように吹き飛び顔面を中心に床に沈んだ。

 

「ああああああああぁぁぁ!僕は!僕が勝ってたのに!違う!僕が正しいんだ!僕は正義の味方だ!使えない奴を!弱い奴を!殺していいんだ!」

 

両目を失っても狂ったように叫ぶ。

子供が玩具を買って貰えないことに暴れ出すように、自分こそが自分こそがと叫び続ける。

その様に軍曹が吐き捨てる。

 

「とことんクズだな。使い道はあるが――」『――ええ、そうよ。彼には使い道がある。』

 

あ?

 

その日、世界史に記されることは無かったが、生きていた人間の全てが忘れてはいない。

まるで太陽が消えたかのように、世界が暗闇に包まれたのを。

そして一筋の光が差し込んだ。破壊された天井からたった一人の人間へと向けられる青い青い光。

 

『私達が貴方を認めましょう。』

『私達は貴方を評価しましょう。』

 

『『この世界全てを悪意に包み込む天才、レオン・ジー。貴方こそが艦船を、人間を、否定する唯一無二の正義である我らの神子であることを信じましょう。』』

 

レオンの身体が光に引っ張られるように天へ向かう。その様を見逃さんと少年と少女は手持ち火器を撃ち込むがその全てが弾かれる。

 

「クソ!!」

 

「ひゃひゃひゃひゃひゃ!アッハッハッハッハッ!そうだ!僕は凄いんだ!誰も彼もが僕に見下されるんだ!僕は天才なんだ!僕は選ばれたんだ!僕が!僕こそが本当の正義の味方だ!!」

 

光の中で気持ちの悪い叫んだ笑いが響く。

それがどこか遠くまで運ばれる。

それと同時に軍曹が駆け抜けた。

 

「少佐は外を!アタシはここのクズ指揮官を殺しとく!」

 

「お気をつけて!教授、電装系ハッキング出来ますか?」

 

「セキリュティが硬い、ワームで食い散らかすなら可能じゃが、制圧は時間がかかる!」

 

となると目視しか有り得ない。

すぐさま司令部を飛び出し外に出向く、各々が端末を起動させて艦船達の視覚を借りる。

 

青い光の果て、そこにあったものは――

 

「「「「パッケージ……」」」」

 

かつて、人間が艦船と共に戦う為の兵器が今、世界の全てを否定する道具となった事を、世界は隠したい程の恥を抱えた。

 




なんだこの秋山〇〇とアストロ球〇は……


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想いは力に

かつて、それを産んだ母はその煌びやかな瞳と泣かずに微笑んでいた赤子を見て、なんと素晴らしい子供を産んだのだろう。

 

そう思っていた。

 

――お父さんが殴るんだ。

 

そう言って泣きながら太腿の痣を見せた我が子の言葉を信じて、母は愛する夫を訴え、夫から多額の慰謝料を払わせて子供と二人で過ごすようになった。

 

だが、一度でもおかしいとは思わなかったのだろうか。

 

産まれて来てもその産声とも言える涙を流さなかった子供がほんの少しの小さな痣が、とてもとても苦しいと泣くのは、何か思うところは無かったのだろうか。

 

それの母はいつしか後悔を覚える。

 

自分の子供は幾つも幾つもトラブルに見舞われる。

 

ベビーシッター

近所の子

通りすがりの見知らぬ人

 

いや、それらはもう見舞われる、そんな言葉では済まされない。

どう考えても、それがトラブルを起こしている。それも『それが正しい』状況で。

 

思えば夫は、それに対して厳しかった。

我慢を覚えさせようとしたり、勉学の大切さを教えようともしていた。

 

だからだろうか、だからなのだろうか。

 

それが父親を邪魔だと認識したのは。

 

母親は、せめて、せめて、これで落ち着いて欲しいと、これで周囲というものを理解させようと演劇という世界にそれを入らせた。

 

一人では何も出来ないことをそれに教えて上げたかった。

 

だが、それはトドメだった。

 

それは自分こそが主役なのだと確信し、対立する全ての競争相手をズタズタに引き裂いた。

 

食事に砒素を、お茶に水銀を、お披露目にはアセトンを、そこに躊躇いなどない。

 

それのせいで幾人もの人生はぽきりぽきりと折られていった。

 

自分こそが正しいという正義を振りかざす存在に。

 

 

漆黒の空、海は闇を吐き出し、そして青い光の柱の中で漆黒の鋼の巨躯が佇んでいる。

 

その中身は両目を失った正義の味方。

そして相対するのはかつてその正義の味方に苦渋を飲まされ続けた横須賀基地配属の面々。

その鎧がかつて一騎当千と呼ばれる程の戦果を上げた事を知らぬ者はいない。

 

だが、何故だろうか。

 

少年は優しく笑っていた。

 

「そうか、あんなモノを選んだのかセイレーンは。」

 

そう、あんなモノ。その程度の評価しか少年には有り得ない。

本当に怯えていたモノに比べてしまえば随分とマシだ。

 

「ずっとずっと、怖かったんですよ。曹長が、軍曹が、或いは引き取った艦船が、セイレーンの方が良いと選んでしまったらどれだけ恐ろしいのかを……。」

 

曹長ならば一瞬でも気を抜けば絶対殺される。

軍曹ならば絶対に紙一重でこちらの攻撃を読んだ上でその攻撃に上乗せしたシロモノを叩きつける。

艦船ならばその培った生命を奪う事に躊躇いは生じる。

だからこそ、本当に少年は怯えていた。

 

「がっかりだよセイレーン。お前らが選んだ物はそんなくだらない正義の味方か。」

 

その言葉が聞こえたのか、その鎧が雄叫びを上げた。

雲を引き裂き、海を震わせるほどの怒りの叫びが世界に響いた。

 

『僕の!僕の勝ちだ!僕は人間を超えた!本当の天才だ!ひゃひゃひゃひゃひゃ!』

 

狂った笑いが強制的に送られる。

艦船の回線も指揮官の端末も、ましてや民間の放送ネットワークにまで介入されている現実に耐えられず、四人の指揮官に音声通信が送られる。

 

『横須賀所属指揮官に告ぐ、敵対セイレーンをクレイドル型と呼称、これの撃破を急げ。』

 

全員が残存する人間の戦力を制圧しながら聞き取り、端末に自身の生体認証を接続し艦船を立ち上げる。

 

「赤城!」

「ニーミ!ジャベリン!夕立!」

「愛宕!摩耶!!」

 

各自従える艦船の名を叫び、その特殊斥力発生生体装置と自身の脳髄を輻輳させ、その力場の厚みを増していく。

それと同時だった。

各々の通した目からクレイドル型が右腕を『真上』に向けたのは。

 

それを見た瞬間、少佐も軍曹も即時何をするべきか理解する。

 

「横須賀ならびサンディエゴ全艦船、密集防御!駆逐、巡洋は空母、戦艦のフィールドを端子連結!真上に急速展開!急げ!」

 

「浮力用フィールドも合成しろ!インパクト……2秒後だ!!」

 

揺籃の右腕が光を放った。

それは大気圏まで登り上がって、一瞬だけ留まり、滝のように流れ落ちた。

 

一発だったそれは雨のように拡がりユニオン西海岸そのものを殺すように降り注いだ。

 

その日、世界が光り輝いたように見えたであろうそれに横須賀の面々も艦船も理解した。

 

完全なる規格外の存在を。

 

本来ならば斥力を載せた弾丸は4kmで効果が浅くなり艦船の保護膜を貫く事は不可能とされている。

だからこそこの4kmという距離は課題であり戦術の要であった。

 

防衛においても攻勢においてもそれを容易く破る。

ましてや往復数百kmという軌道を行き来するそれがどれほどの驚異か。

 

「軍曹!無事ですか!軍曹!!」

 

僅か2秒で曹長が破壊して作った即席塹壕で砲弾の効果範囲を削り、凌いだ少年が遠くにいた少女へ叫ぶ。

 

「がなんな!右手右足が潰れた!問題はねぇ!」

 

サンディエゴ基地内であったその残骸で軍曹は叫ぶ。

右上腕と右ふくらはぎから先が凡そ数百kgのコンクリートに潰されたがそれでも異常は無いと口にする。

 

そう指揮官としては問題ない。

身体のどこかが端末に触れていれば良いのだ。

だが今は体内から吐き出すように溢れた脳内麻薬で痛みを遠ざけているが、すぐにでも精密動作に支障は来る。

 

「じじいは!?」

 

「盾になってくれて、気を失って――」

 

「じゃあ寝かしとけ!少佐!リロードは恐らく何秒だ!?」

 

「40秒はあるはずです!モジュールへの負荷を考慮しないなら、なお速いはず!」

 

「なら、とっとと……!」

 

そこまで言って、なお光が迸り、それを知覚した。

 

『来いよ!僕を守れ!!』

 

紫電を纏いて次元の彼方からその群体が歩む。

あるものは雷装に特化し、あるものは艦砲に特化し、あるものは航空攻撃に特化し、そしてあるものは――

 

「寧海――!」

 

少女の師匠と同じ姿をしていた。

艤装展開されていない寧海型ネームドシップ寧海が6機。

いずれもその瞳に灯は無く、同じ構えを作る。

 

その様にすぐに曹長が叫ぶ。

 

「あれなら殺せる!前に殺した!経験はある!少佐、アイツらは俺に――」「バカが!てめぇが直衛しなきゃ誰が露払いやるつうんだよ!あれは!アタシの相手だ!!愛宕!摩耶!艤装反転!高機動モード!」

 

その言葉と同時にサンディエゴ基地周辺海域の群れから飛び出すように二体の重巡洋艦が駆け抜ける。弾丸を吐き出しその反動で一秒でも速く、早く迫ると同時に『無手』の寧海も飛び出した。

 

「行け!少佐!マッチョ!勝て!」

 

二人の視界から得られる情報の全てを利用し二対六という絶望的な数の差を少しでも凌ぐ。

 

その言葉が後か先か、赤城、Z23、ジャベリン、夕立、レナウンが海を裂くように移動する。

 

そんな中、駆逐部隊秘書艦のZ23が声をかける。

 

「ジャベリン!無理はしないで!主砲モジュールを曹長に渡したんだから――」「するよ!無理ぐらいする!しなきゃアイツは勝てない!」「あぁ!アレはやべぇぞ!ハナから戦争じゃねぇ!一方的な虐殺だけをしてぇんだ!」

 

Z23の火砲、ジャベリンの雷撃、夕立の速攻、駆逐艦ならばいざ知らず、それより先の上位艦船ではこうも容易く倒せない。だからこそ。

 

「一機でも多くこいつらを殺すぞ!」

 

曹長の激に反応し駆逐艦達が更に殺戮を加速させる。

 

残るのはレナウンと赤城。一機でも近づかれれば自爆される瞬間。

 

「赤城さん、露払いをたの」「いや、ダメだ。レナウンじゃアイツのフィールドを切り裂けても装甲に到達しない。」「ですが!赤城では!」

 

艦砲射撃で敵を近寄らせず近接戦闘用モジュールを少しでも温存したレナウンに少年は口にした。

 

「レナウン、どうして重桜航空母艦の拿捕が絶対だったか、それは今この瞬間なんだ。この瞬間こそが赤城が絶対に必要だったはずなんだ。」

 

それはレナウンも覚えがある。

何故かアズールレーンは拿捕を決定した。

使うつもりのない艦船達を、何故か。

 

「分かりました右舷吹き飛ばします。」

 

何故、練習用とはいえあんなにも敵へのデータが乱雑だったのか。

それは考えれば単純なのだ。

畏れているからこそ下手な採点は出来なかったのだろう。

最もセイレーンを打破する可能性を持つ艦船達を。

例えアズールレーン最強と謳われる艦船が相手だとしても殺せると想定された者たちを。

 

腰に力を溜め、息を吸う。

来る敵数及び航空機は70。だが右に絞れば僅か35。

 

「右フレキシブルアーム、オーバーロード、土産話に持っていくが良い。」

 

リュウコツに残った全ての力を注ぎ込む。

たった一撃。なんの迷いもない一回の踏み込みと一回の斬撃。

 

――ZAP!

 

レナウンより前から右の世界が一瞬で消滅した。

 

まるで最初から居なかったように。青と赤の霧が生まれ、その世界を貫く紅があった。

 

「頼む。勝ってくれ。」

 

そう言って、金の髪と青の正装をした艦船にまるで走狗のように薄い青の群れが殺到する。

 

「赤城!艦載機全機接続!」

 

「完全同期!スタンバイ!」

 

漆黒の鎧に攻撃を仕掛ける。

赤城ならば勝てる。赤城ならば。

 

そう、そう思っていた。

 

漆黒の鎧が紫電を纏うまでは。

 

『相手にするわけねぇだろ!バァーッカ!ガキから殺してやるよォっ!』

 

逃げるのと同時に最も有効な戦術を繰り出す。

そう操り糸を動かすモノが死ねば終わる。

だからこそ艦船は絶対ではない。

 

それは人間も、レオンもまた同じである。

 

「セット!ピンチヒッター!!」

 

塹壕に振りかぶる剛腕をJ型ジャベリン近接兼砲撃用モジュールの槍が受け止めていた。

 

『な!?』

 

「言ったはずだ!西海岸の恥だとなぁ!!」

 

ぎぎぎぎぎっ!!

 

軋み、揺らぎ、空気は裂け、舗装されコンクリートは沈む。

 

「陸に上がった時点で貴様の負けだァ!!」

 

そう陸に上がったことによりその負荷でたかだか人間如きに負ける。

それどころか、その巨躯を押し返すどころか、吹き飛ばした。

 

「「「ぁ赤城ぃっ!!」」」

 

曹長も軍曹も少佐も叫んだ。

もう本当に彼女しか居なかった。

レオンを、ありとあらゆる手段で殺そうとする正義の味方という生き物を殺せるのは赤城だけだ。

 

「全艦載機『接続』!!」

 

それはかつての妹が使った戦術。

自身の背面に艦載機を差し込み、その加速を更に上乗せする戦術。

だが、それは加賀という艦載機のコントロールレベルが格段に高い艦船だから出来たものだ。

 

そして――

 

『ここまでは来れねぇだろうがっ!』

 

そう今やクレイドル型は空中300m、今も上昇中。それどころか砲撃を開始しようとエネルギーのチャージを始めている。

 

だが、レオンは知らない。

 

赤城の艦載機が『何』で出来ているのかを。

 

それを理解したセンサーの一つが発狂を始めた。

 

ERROR!

caution!

WARNING!

 

『な――?』

 

そのリュウコツセンサーが今や目と耳のひとつなった男もその状況を理解出来なかった。

 

『一航戦が、二体?』

 

いや、そんなはずはない。

一体しかいない。

その証拠に光学、音響、量子には何の叫びもない。

だが、レオンは知らない。

 

その艦載機が『加賀』であることを。

知らないから怯えて赤城に向かって放つ。

 

『キエロォォオ!!』

 

「『加賀の誤認を確認!』システム一航戦!完全起動!!」

 

艦載機の全てがまるで赤城の翼のように象り、それに陽が灯る。

それはまるで六枚の翼を持つ鳳凰。

加賀が丹精を込めて姉の助けとなるように、姉を守るようにと、祈り編んだ力を赤城は叫ぶ。

 

「狂い咲け!ヒガンバナ!!」

 

たった一人の愛する姉を想う妹の心を今、彼女は背負った。

 

その日、世界が紅く染まった。

 

たった一人の艦船が放出する異常な放熱、放電、放圧が世界を紅く染め上げ、天に存在した鐡の鎧が放つ砲弾ごと貫き、その内蔵ジェネレーターに火が回る。

 

続く爆発音の後、赤城の身体がサンディエゴ基地の壊れた地面に激突した。

 

「赤城!大丈夫!?」

 

「赤城は無事です!それよりみなは!?」

 

その言葉の後にサンディエゴ沖から爆発音が響く。

 

「こちら軍曹!!全員斬り殺してくれたわ!!」

 

例え、どんなに強いと言われたとしても軍曹にとってはパズルでしかない。

正確に考えれば解けない理由はない。

ましてや、自分から距離のアドバンテージを殺してしまった孤高の艦船などに遅れは取らなかった。

 

後ろを取られたのなら後ろを撃てば良い。

前から来るのなら前を斬れば良いのだ。

 

単純化しすぎたものに徒党を組ませるなど彼女からすれば具の骨頂。

 

同じパズルを並べても同じ速度で解けば良いだけ。

 

「こちらZ23!脚が無くなりましたが!全員倒しました!」

 

「曹長!絶対この後ケーキですよ!!」

 

「何でジャベリンが一番怪我してないんだ!?」

 

槍という武装を捨てた彼女を守っていたことへの自覚が薄れているのか、駆逐艦達はZ23を除いて大した怪我はない。

 

「こちらレナウ――」

 

「レナウン!無事!?」

 

「たの、みます、左脚を――」

 

「巡洋!駆逐!レナウンの救助を!」

 

少年の言葉に他の艦船が従おうとしたその瞬間だった。

 

『サイシュウフォーマット、アクティブ』

 

全員がその異常を理解した。

身体が重く何かにのしかかられたように苦しみを訴える。

 

「セイレエエエェン!!」

 

そう、神子だなんだのとほざいたとしても。

セイレーンにとってはただの代表サンプルでしかない。

そのデータを取り終えたのなら、ましてや敗北のパターンが有り得るのなら、ならば、正義の味方であろうとも悪の秘密結社であろうとも答えはひとつ。

 

やりなおせばいい。

 

そう全てはその為の時間稼ぎだったのだ。

 

「クソが!クソ共がァ!真正面からかかっても来れねぇのかテメェらは!!」

 

少女の怒りも天に向かって吐くつばと同じ。

自身にただ降りかかるだけ。

 

この世界は終わる。

 

消える。

 

無かった事にされる。

 

「嫌だ。」

 

誰かが呟いた。

誰だ。

 

「絶対に嫌だ。」

 

時を消されるという重圧をモノともしないように口にする。

 

「みんな!諦めないで!!」

 

少年が叫んでいた。

 

「まだ勝てる!赤城がいる!!皆がいる!!だから勝てる!!頼む!!諦めないで!!お願い……!!」

 

声は、声だけでも良い。

少年は歩みを止めない。

自分で歩むことを止めてはならない。

 

事切れてしまうような声を聞いて、全員が同意の声を上げる。

 

「少佐!作戦は!?」

 

軍曹が確認をとる。

 

「駆逐、巡洋両部隊引き続きレナウンに合流!」

 

その言葉に両部隊が従う。

 

「レナウンの姿勢維持、及びパワーアシスト用にフィールド固定接続!!」

 

五名が放出する力を束ねて瀕死の巡洋戦艦を立たせる。

そして彼女に呼びかける。

 

「赤城!」

 

「はい!クレイドル型の前に居ます。」

 

先程の攻撃で身体がひび割れていてもそれでも少年の望む為にと彼女もまた諦めてなどいなかった。

 

「赤城、今から君にあるコードを渡す。そうしたら君の身体は真っ赤に燃え上がるだろう。でもそこから先は――」

 

ただの地獄が待っている。

死にたいと叫んでも願っても狂ってしまっても死ねない程の激痛に苛まれ、ズタズタにされてもなお止むことを知らぬ程の単純にして明快な地獄が待っている。

 

「赤城、僕の為に死ねる?」

 

それは意地悪な質問だった。

それでも彼女が望むなら、逃げたいと思うのなら――

 

「バカにしないでください。赤城はずっとずぅっとアナタのモノです。アナタが愛する限り、永遠に――」

 

例えどんな痛みが待っていても、例えどんな苦しみが待っていても、それでも少年への揺るぎない感情の為に彼女は生命を投げ出せた。

 

「ありがとう。君に出逢えたことが僕の最高の幸福だ。」

 

そうして少年は隣にいる男に話しかけて、端末を強く握った。

 

「赤城燃え上がれ、いや――」

 

咲き誇れ。

 

力が、力の奔流が始まる。

真っ白な力が、ただ、ただ、立ち上がらせる。

 

「赤城、刀身形成、斥力安定、維持。」

 

白い刃が赤城の手に握られる。

 

「挿入、仰角28――」

 

そこまで言われて赤城は何をしたいのかを理解した。

 

「了解、クレイドル型を打ち上げます!」

 

刃の周囲を極めて剛質な紡糸が紡がれる。

その刃を矢にしようと飛ばす力を、弓を、弦を作り、放った。

 

放たれた揺籃は大気圏を貫き、真空の空に舞う。

だが、それでは『やりなおし』を阻めない。

止まる気配はまるでない。

 

「遠隔モード、起動、コントロール、曲率演算、俯角偏向0.6、再加速。」

 

「了解」

 

その日の空を誰が忘れるだろうか、星が、たった一つの流れ星がいつまでもいつまでも空にあったという事態を。

 

「曹長、レナウンとで、全てをお願いします。」

 

少年の声に男は頷いた。頷いて口にした。

 

「今だけで良い!俺と繋がれ!レナウン!」

 

認証されていない艦船との接続に脳髄が焼き切れるほど衝撃が走る。

それはまたレナウンも同じだった。

それでも二人は見えない手を互いに伸ばした。

 

いつか払い除けてしまったその手は、今互いを結びあわせた。

 

「サヨナラだ!」

 

駆逐艦達を脚の支えにし、重巡洋艦達をバランサーに替え、残った左腕で『落ちて来た』クレイドル型を打ち返した。

 

どこまでもどこまでも飛んでいく、崩れては戻り、壊れては戻り、やがてそれを繰り返す事が出来なくなっていく。

 

かつてこの星から沢山の生命を奪ったと言われ、生態系のリセットの一部とも言われた衝撃がその揺籃の中で暴れ狂っていた。

 

壊れては戻り、バラけては戻り、消えては戻り、砕けては戻り、千切れては戻り、いったい何回目だったのだろうか。

 

永劫とも言えるほどの損壊に揺籃は内側から変貌していった。

 

それは、それはまるで、墓標のように姿を変えて――

 

地球から30億km先の宇宙で真っ黒に爆発した。

 

その衝撃は凄まじく太陽の光が消えてしまうかと思うほどの衝撃と波が地球を襲った。

 

「こちら、愛宕!誰か!誰か私達を拾って!沈む!」

 

支えになった艦船達も、打ち上げたレナウンをも浮揚維持すら出来ないダメージと斥力残量に愛宕が救難信号を送る。

 

どうにか全員を引き上げているがZ23から先に沈んでしまう。

 

その手を白い手が持ち上げた。

 

「あか、ぎ?」

 

何故?どうして?だって?

赤城の姿を見て、愛宕はようやく気がついた。

 

「少佐ちゃん!少佐ちゃん!応答して!!」

 

「無駄よ、愛宕。もういない。」

 

その言葉が赤城の力がどういう意味か、どうして苦しむと言ったのか赤城も最初から分かっていた。

それならば真っ先に使っていたはずだ。

 

煉丹という技術がある。

より人間に近く、またはより優れたもの喰らうことで強くなる、ならば、ならば。

 

その心の支えになる花弁は、その愛で溢れかえった石ころは、いったいどれだけの力を与えてくれるというのだろうか。

 

 

――赤城、分からないことがあるんだよ

 

宇宙に舞い上がる揺籃を見て、少年は優しい彼女に疑問を投げかけた。

 

――どうして、僕は諦めないでと言うのだろう

 

それは少年の言葉への疑問だった。

そうだ。そのはずだ。そうなのだ。

 

――僕が一番『やりなおし』たいはずなのに

 

もしも、もしも赤城が少年を好きじゃなかったら。

もしも、加賀も認める人材が指揮官だったなら。

もしも、もっと良い世界があるのなら。

 

やりなおしたい。

 

やりなおしてあげたい。

 

だって悲しいもの。

 

もっと赤城がちゃんとした女の子の幸せを生きていられるようにしてあげたい。

 

軍曹と曹長が正義の味方に殴られて、蹴られて、たまたま特殊な力があるからって、そんなの辛い。

 

でも、どうして選べなかったのだろう。

いや違う、選んですらいない。

少年は絶対にやりなおさせないと心が叫んでいた。

 

赤城はそれを聞いて微笑んだ。

 

――少佐は嘘吐きだからですよ

 

少年は戸惑ったが言葉を少しだけ理解した。

そうだ。少年は人類に絶望していると口にした。

だけどそれは嘘っぱちだ。

ならば何故老人の姿を焼き付けていたのか、何故軍曹を理解したのか、何故曹長に気づかせたのか。

誰よりも愛していたのだ。

そうしてもうひとつ気づいた。

 

――ごめんね赤城。キミのコトが好きなら、本当は一緒に死んであげるべきなんだろう

 

だが、その言葉も赤城は否定する。

 

――少佐は、赤城を好きだから。赤城と会えたこの世界だから、守ってくれたのですよ。赤城との思い出が一番の宝物だったことを証明してくれたのです

 

そっか。そうなんだ。

自分のことも充分に理解出来なかった少年はようやく自分を理解した。

そして思い出したように泣きながら口に出した。

 

――ごめんね。君と一緒に冬の空を見れなくて

 

それだけが本当の心残りだった。

その言葉で少年からの信号が絶えた。

 

 

「少佐!少佐!起きろクソガキ!てめぇ!てめぇ!さっき!てめぇ!」

 

皆がいるから諦めるなと言ったはずなのに、なのに、どうして自分がいる事を告げなかった。

それが軍曹をただただ悔しく怒らせた。

 

「エル!やめろ!彼は被害を最小限に留めたんだ!」

 

「馬鹿野郎!一番偉いやつはなぁ!一番死んじゃいけねぇんだよ!!」

 

そうだ。横須賀統括指揮官であるのならば、責任を放棄してはいけない。

それは少年の心にもあったはずだ。

だがそれでも、それでも少年は選んだのだ。

戦うことを。

 

「なんでだよ!アタシは、お前と赤城が結婚してるところを見たかったのに!何で……ごめん、ごめんよぉ少佐……本当にごめん……」

 

軍曹は腕と脚が壊れている事よりも少年が事切れてしまった悲しみの方を苦しんでいた。

 

状況終了――

 

 



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Z

空がバラバラになるような衝撃の後、空模様もまたグチャグチャの色をしていた。

あちこち暗雲が残り、あちこちに日が差して、その空はお世辞にも綺麗とは言えなかった。

それはその下にいるほぼ全ての世界と生命も同じだった。

 

「全機、各員、回収完了、これより横須賀に帰投します。」

 

ユニオン西海岸、サンディエゴ沖にその中でたった一人、何も傷一つない赤城が宣言する。

茶色の九つの尾が傷付いた同胞を救って今出立せんとする中、声がひとつ荒らげていた。

 

「待てよ!少佐を拾えてねぇだろ!」

 

埠頭の端まで軍曹がもう抜け殻になった少年を引きずったが、赤城はそれに一瞥もくれない。

それどころか跳ね除けて軍曹だけを拾い上げていた。

 

「軍曹、それは死体です。積載量は今もオーバーしています。Z23の損傷が酷い、一刻も早く帰らなくては……」

 

左から2番目の尾に丁寧に包まれた小さな少女の躯体状況を確認する。

だが、そんなことは知らない。そんなことよりももっと大切なものがあると軍曹は叫ぶ。

 

「少佐の!お前の、好きな男の身体なんだぞ……」

 

そう。愛していた。愛していたからこそ赤城は今、異常なまでに汚れ一つ無い肉体になっている。

その心を喰らい、彼女は最早航空母艦の性能を超えて高い次元の存在になった。

その性能を活かし、軍曹を納得させようと無駄な努力を励む。

 

「スキャニング完了――腰椎の半分以上が虫食い状にリュウコツ結晶化しています。脳波は確認、ですがもう『そこ』に何もありません。」

 

読み取れた情報を冷たく読み上げる。

だが、それはより軍曹の心を込み上げさせた。

 

「『そこ』じゃねぇ!少佐だ!」

 

まるで場所のように言われた事が苦しい。

脈拍はあった、体温もあった、まだ可能性はあるのかもしれない。

ヴェスタルが診れば、そう思ったが説き伏せられた。

 

「鳥の丸焼きを貴方は生きていると?そんなものよりも今生きている者の方が優先されるべきです。」

 

その言葉に涙が流れる。

たった今さっきまで生きていた。生きていたはずだ。

それなのに、なのに、どうして、そんな、そんな酷いことを言うのかが理解出来なかった。

 

「少佐、少佐、少佐!」

 

自分の身が運ばれていく、小さく動く左手を伸ばして少年を、彼を、安心出来る場所に置いてやりたいと伸ばすが、それは儚く無意味に終わった。

 

残存する横須賀のメンバーが基地に戻ったのはそこから半日先だった。

通信圏内に入った瞬間に赤城は仲間の二人が酷く傷付いている事を告げて、状態を詳しく説明した。

人間で言うならもう即死してもおかしくない損傷だったが、まだ間に合う、自分も立ち会い手伝うと口にして埠頭に着いた。

 

担架に運ばれるメンバーで最も重症なのは軍曹だった。

 

右の腕と脚の骨の神経が取り戻せないほどグチャグチャになり、仮に手術して状態を戻そうと舗装したとしても障害は間違いなく残ると言われた。

 

「切り落としてくれ。」

 

彼女はそれだけを言って涙を流した。

 

「少佐が全部を捨ててくれたのに!アタシは残せる!?ふざけんな!こんなモン要らねぇ!アタシは!アタシは……」

 

そこまで叫んでとうとう気を失った。

 

駆逐艦Z23は身体の40%を失ったが心臓と背中は守れた事からまだ生存の可能性はあるとされた。

 

「でも、担保の確保が出来ない。この状態じゃ再生するにも――」

 

そこまで言って管と針を赤城が自分の腕に射し込んだ。

 

「栄養豊富で新鮮よ。じゃんじゃん使ってちょうだい――」

 

ぱちん。と供給のラインを整備して赤城がヴェスタルを穏やかに見つめた。

その姿を見て、ヴェスタルは涙を浮かべながらすぐに肉と骨の蔓が正しく伸ばせるようにサイズの異なるカーボンナノファイバーの矯正具を一つずつ接続する。

 

再生は驚く程速かった。

まるで赤城の水は砂に溶け込むように吸い取られ、蔓は特撮の映像のように伸びて、伸びて、すぐに形を描いていく。

 

「次、レナウン片脚、両腕。」

 

また同じように自分の血を流し込んでヴェスタルが記録してる限りの長さになるように部品の骨組みの型を作っていく。

 

「ヴェスタル、片腕の型をやるわ、今なら精密作業も可能よ。データをちょうだい。レナウンは皮膚や内臓にまで損傷がないからさっきより安定してる。」

 

「え、ええ。お願いします。」

 

二人での作業により先程よりも短い時で修復段階へと肉体が移行される。

 

「後は自力回復でも大丈夫かしら?」

 

残ったメンバーの身体に確認すると頷いて返された。

それを見届けて赤城がぶっ倒れてヴェスタルはパニックを起こした。

肉体は無事でももう神経や心は限界だったのだ。

ベッドで倒れ、加賀が傍に付いていた。

 

そうして横須賀は朝を迎えるのと同時だった。

 

重桜航空母艦、二航戦の蒼龍がこの基地統括の少年の個室スペースに入ろうとしたのは。

そしてその後を追うように妹の飛竜も入り込んだ。

 

「姉様、何をするんですか?」

 

「聞かないで。あっちに行ってなさい。」

 

その言葉に意図を掴めずにいたが、蒼龍が机の引き出しを漁ろうと中央を開けた瞬間だった。

 

「やっぱり。」

 

そこにそれがあった。

 

『Don't forget 忘れるな 别忘了』

 

そう紅いインクで丁寧に書かれた手紙がそこにあった。

飛龍はそれに気づいて顔をしかめた。それもそうだ。血の匂いのインクなど誰でも悪い想像をする。

そんなアナログなモノは用意出来ない。用意しようとする意図を確認される。紙は丁寧に折られているがとても分厚いと形容でき、無理矢理手紙にされている。

 

「バカ、バカよ、あの子は本当に――」

 

蒼龍は恐らく横須賀の中で一番自分の主人の心が分かっていた。シンパシーと言えばいいのだろうか、戦術の意図だけでなく憤りを覚える部分もまた似通っていた。

だからこそ『この手紙』があると思っていた。

 

「姉様、それ、なんですか。」

 

「アナタは知らなくていい。私はこれがあるだけで答え合わせは出来た。」

 

少年の中にあったものがなんなのか、それだけで蒼龍には分かる。

 

「でも、それ、遺書、ですよね?」

 

そうだ。こんなモノは用意する必要も時間もない。

それでも有ることが飛龍の心に疑問よりも深い恐怖があった。

 

いつから?なんで?なにを?

 

だってそこにあるものが彼の最後の言葉のはずだ。それならば――

 

「知らなくていいことがあるの!少佐は!あの子はこれを読まれる事がないようにずっと頑張ってきたの!だから――」

「何があるというのだ蒼龍」

 

握っていた手紙が壁から伝った蒼の艦載機に奪われる。

蒼龍にとって一番その手に渡って欲しくない彼女にその手紙が届いてしまった。

 

「やめなさい!加賀!」

 

「何をだ?何故隠す?何故お前だけの物にする?」

 

「私だけのモノじゃない!アナタのモノでもあるの!でも、目を閉じることを少佐は望んでいるはずなのよ!」

 

「そうやって、何故アイツは親ヅラをする。私達を戦わせるクセに、姉様を苦しめているクセに――!」

 

そう言って手紙の中身を開け、艦載機で蒼龍の展開する花札を相殺し、読んだ瞬間に加賀は、ぺたんと座り込んでしまった。

 

手紙が舞う。舞って、その文が飛龍の目にも入る。

 

『この手紙が読まれているということは僕への憤り、不満が募ったのだろう。まず最初に僕を殺してくれて感謝する。僕は君達に戦争をしてくれと宣う戦争犯罪者だ。それは誰の目にも明らかだ。だけど僕の手が止まれば僕は用済みとなり、この横須賀はどうなるか分からない。正直僕は僕以外のデザイナーズチャイルドを信用出来ない。戦術目標達成の為ならば本当に自爆も厭わないヤツもいる。だから誰かに殺されない限り僕は止められない。そんな無能な僕の生命でどうか許して欲しい。僕を殺した君達の行為は正しい。この手紙を読んだらすぐに遠くどこかの山や孤島で細々と生活を送って貰えないだろうか。正しい事をした君達に更なる仕打ちはとても凄惨だが、人間は理由を付ければ誰でも殺せる生き物だ。だからごめんなさい。逃げてください。逃げて逃げて、せめて一秒でも多くの時間を生きてください。』

 

「はっ、はっ、はっ……」

 

加賀は呼吸がまるで出来なくなって耳が音を強く拾い出して鳴り止まなくなる。自分の心臓が馬鹿が付くほどに速く打ち鳴らされてそれが増幅して気持ちが悪くなる。

 

落とした二セット目が床に落ちる。

 

『もし、僕の生命だけでその怒りが収まらないのなら、どうか、どうか、勘弁して貰えないだろうか。軍曹と曹長と中佐殿の生命は見逃して上げてください。軍曹はずっと暴行の記憶が鳴り止まず辛い日々を送っていたのです。本当は優しい女性なんです。乱暴な言葉は多いけど、じゃなきゃあんな幸せそうなケーキを作れるはずがないんです。教えられるはずがないんです。沢山の色んなものを奪われてしまったんです。許してあげてください。曹長は寡黙で君達に接する機会を絶っているけど、きっと彼なりに沢山の想いを抱えているんです。僕が戦えるのは彼のお陰です。それでも悪いのは僕です。どうか彼を見逃して上げてください。僕をどう扱おうとも構いません。お願いします。』

 

「なんで、こんな……」

 

それは遺書というよりも嘆願の印だった。

蒼龍の表情が曇って、飛龍は青ざめていた。

 

『中佐殿はこの基地の橋頭堡そのものです。もしもこの基地に誰かを残すならどうか彼を見逃して上げてください。彼が居なければ物資の補給調達スケジュールとコストはとても間に合いませんでした。彼のネームバリューはこの世界でとても大きなものです。記者やコメンテーターや過去を知らない人達は彼をいの一番に責めますが彼が過去に助けた弁護士の一人が曲がりなりにも議員になり、君達艦船を、マイケル・アスキスを信じてくれと今も叫んでいてくれています。その言葉で沢山の人間が手痛い懐から残り少ない貴重なご飯をこの基地に渡してくれています。世界は本当に君達を信じていいのか迷っています。だから、マイケルを信じて渡してくれている。そのパニックを避けたいのもありますが、どうか彼の生命を奪わないでください。お願いします。僕の生命よりずっとずっと大切な人なんです。お願いします。』

 

「やめろ、やめろ、やめてくれ……」

 

その文字が滲んでいるのを見て、彼が、少年が何を抱いていたのか少しずつ分かっていく。

 

『もし戦争が終わった後ならば、赤城をはじめとする艦船達へ、本当にごめんなさい。僕のような子供に付き合わせてごめんなさい。君達の手を汚させた事は全て僕が仕掛けた事です。この戦争が終わった時、人類に僕が居たことを材料に君達の人権を確保してください。僕はそれだけのことをしました。もし他の基地の艦船から非難を受けた時も僕だけが非難の対象になるようにしてください。お願いします。喧嘩も論争も戦争の後処理も恙無く、穏やかに時が過ぎるように祈っています。』

 

「ちがう、やめろ、なんで、こんな、わたしは……」

 

加賀が文章を読み拾い、震えながら紙を握る力が増幅され蒼龍を見た。

 

『最後に加賀へ、君から沢山の時間や思い出や尊厳を奪った事をいつか贖います。僕一人だけを呪って、どうか世界を、君の大好きなお姉さんを憎まないでください。お願いします。君達二人の気高い絆をどうか、捨てないでください。僕は数年で死ぬ生命です。それに比べて君達はもっともっと永い時を生きる。だからそんな長い時間喧嘩なんて絶対にしないでください。それだけが君への僕の本音です。産まれてきてごめんなさい。こんな手紙を残すのは卑怯だって分かっています。でも、それでも、ごめんなさい。お願い。喧嘩しないで。』

 

「あ、あ、あ……!」

 

こんな想いを一度どこかで、いつだったのだろうか、知っているはずなのに、何故、どうして、今の今まで忘れて、そうだ、そうなんだ。

彼の仕草、言動が怖いのは当たり前だ。

もういつ死んでもおかしくない様に振舞っているからだ。

その動きに加賀はどこかで覚えていたからだ。

 

少年の心の中が全部、諦観で出来ているのではないのか、それを感じて飛龍がぽつりと呟く。

 

「こんな、こんなのって、少佐はぼくらを信じてなかったの?」

 

飛龍の言葉に蒼龍が首を振って否定する。

 

「いつどんなショックで彼は死んでもいいようにしていたの。仲間を死なせた罪でも、戦争を続けさせた罪でも、途中で死んでしまった罪でも、私達にほんの少しでも幸せになってとバカみたいに祈り続けていたの。」

 

ずっと、ずっと、最初に飛龍の手に言葉を刻んだあの時から蒼龍には見えていた。

私達に生きていてくださいと祈りのように日常を渡そうする手と――

 

「自分の首をずっと握りしめながら。」

 

誰よりも憎みながら力を込めている姿を。

 

「なんで、なんで自分の幸せも祈ってくれないのに――」「こんな感情で戦っていたのか?」

 

二人の言葉に頷いた。

 

「そう、ずっとどんな時も自分だけを許さなかったの。きっと赤城に好かれた前から、あの子はごめんなさいって言葉だけで戦う人形だった。」

 

もっと幸せにしてあげられなくて、もっと楽な道を歩かせられなくて、辛い思い、疲れる仕事、その全てにいつかちゃんと謝ろうと想って手紙を書いたのだ。

 

「わ、わた、わたしは……!」

 

呼吸が乱れる。憎んだ子供の胸の中にあった真っ白な虚空で息が出来なくなる。どんなガスよりも恐ろしく、自分の呼吸を奪おうとする感情に溢れかえってしまう。

 

「加賀、記憶を消しなさい。今日をリセットしなさい飛龍も……」

 

「なんで、どうして……」

 

「こんなモノ耐えられるわけないでしょう?こんなの最低よ。こんな感情だけで戦っていたなんて事実は、私と赤城だけで良い。」

 

そういって床にへたり込んだ二人の額に指を充てる。

 

「無理矢理でも整合性が取れなくても構わない。こんなのは思い出や感情の吐露じゃない。ただの自殺現場のループよ。そんなものを見続けていられる程、アナタ達は強くない。」

 

二人の記憶の保存域から今日の記憶を消していく。今日という日がどこから始まろうがお構い無しに。

少佐の記憶の一部が消えてしまっても、それでも、それでも少年ならそれを選ぶ。

この手紙は自分一人を殺して、終わったら前を歩いてくださいと、最後に渡す予定だった祈りの為に、その覚悟を、何の為に戦うのかを、何の為に死ぬのかを、いついかなる時も絶対に焼き付けろと、未来の自分にも書いた手紙なのだ。

 

生きて欲しいと願った代償を、その生命で払えと、これ以上誰かを犠牲にしてはいけない。その祈りの為に、それを理解して蒼龍は唇強く噛み締める。

 

「少佐。アナタは最悪の指揮官です。最初から責任を放棄するなど絶対にあってはならないのに、分かっていたのに、それでも、自分が――」

 

オスである事を笠にして、少しでも多くの灯火が守られるようにと生きていられた事に感謝して、少女達へ様々な未来の返答を告げる。

 

残酷な未来しか残っていないと。

 

そんな、そんな言葉を言うつもりは無い。

それでも、それを実行しなくてはならない。

その謝罪に、その命乞いに、その代償に足りるかどうか分からないけれど、それでも少しは足しになるはずだと。

 

「ばか、くず、アンタなんか二度と繋がってやるもんか。大切だって言ったのに。」

 

小さく悪態を吐く。

戦争が終わった後にこの手紙を見つけるのが誰なのか分かっていたはずだ。少年と繋がる力が強い蒼龍なら、きっと分かってくれる。

飛龍の手を取ったその時に、少年も蒼龍の顔色に気づいていたのだ。

自分が渡している時間がいつか無価値だと言われてしまう時が来る事を分かってくれると。

 

「少佐、赤城は壊れる程悲しんでいるのよ。悲しんでいる事も分からない程悲しいから、一番悲しいから泣くことも出来ないのよ。アナタが残したモノを幸せにしなくてはって、勝手にあの子がアナタの代わりをしてしまっているの。誰も、誰も止められない。お願い。戻ってきて。それだけで良いの。それだけできっと……」

 

叶わない願いを虚空に呟いても何も起きない。

少年への祈りはどこにも届かずただ涙が零れ落ちるだけだ。

 

 

 

 

 

 



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ZtoZ

何日か経過しても横須賀基地は荒れるに荒れていた。

サンディエゴ基地に移動し、戦った少女達の言葉に反感を覚える艦船も少なくなかった。

それでも戦っていた艦船は話しを続けた。

 

「でもさ、でも――」

 

人間を裏切ったんだよね。

誰が言ったのだろうか。

しかし、それは正しい言葉だ。横須賀はアズールレーン、人間の為に戦う部隊だ。

それをたった1回殺そうとするから殺したというのならそれは間違いだ。

 

「大丈夫よ。責任を背負えるように『置いてきた』から。」

 

赤城の言葉で全ての艦船が注目した。

それは、その言葉は、いまこの場に居ない少年を示しているのなら、とても、とても前まで傍に付き歩いていた彼女の発言ではない。

冷酷、まるで露にも見せないそれにZ23が口にする。

 

「赤城さん、少佐は――!」

 

「『横須賀基地派遣部隊は統括指揮官の命に背けば自爆コードが転送されるよう強制されていた』それがあの時の私達の理由よ。」

 

その言葉にZ23が顔を曇らせる。

本当に本当に今、トカゲの尻尾切りが行われているのだ。

 

「――そうか、連れてこい。ヘタな真似はしなくていい。」

 

軍曹が左手で握った端末から流れてきた哨戒艦船からの音声に応える。

最も会いたくない相手がやってきた。

 

東煌艦船にして今やアズールレーンのほぼトップの一人と言って差し支えない人物。

 

寧海。

 

彼女はサングラスをかけて全員の聴取をその場で撮った。

誰も寸分狂いなく、先述の赤城の言葉を口にする。

最後の一人、軍曹を除いて。

 

「なぁ、なんでこんなにも手回しが速い?」

 

「供述を。」

 

「なんで横須賀に何の被害もない?」

 

「供述をと言っているのよ軍曹。」

 

「寧海、答えろ――」

 

――一体いつから、レオン・ジーの案を乗っ取った?

 

その言葉でようやく寧海はサングラスを外した。

その目は赤城と同じくとても冷ややかでくすんだ目をしていた。

 

「10年前、ヤツが現れたその日に、あんな三文芝居しか打てない役者に世界を任せるわけにはいかなかった。」

 

だとしても、あの男はセイレーンの一手先回った一つのピースだ。

セイレーンが推し量っているのが『ニンゲン』ならばあの男もその物差しにかけられる。

だからこそ、寧海は操らねばならなかった。

 

この10年という時間の全てを。

 

自分の母になってくれた女性を『わざと』隠し、

傷付いた青年に護るようにと頼み、

少年にマイケル・アスキスという男の演説を見せ、

そして、そして、

 

「ずっと謎だった。なんでアタシを支配しねぇ、甘やかさねぇ、ヌルい矯正しかしねぇのか、それも、あの吐き気のする日常ですら、お前にとっては少佐を操るパーツだったんだな?」

 

捌け口にされた少女を、ひいては横須賀指揮官全員を『教材』として少年に触れさせることを選んだ。

 

「そうよ、アナタはそれを人形の赤城への言葉を向けた時に気づいたんでしょうね。」

 

石ころを拾ってしまった。

そんな悲しい言葉は普通にしていたとしても、どう過酷であっても出てくる言葉ではない。

それはニンゲンに、誰かに、疑似恋愛というカリキュラムの際に同胞から言われたものなのだ。

 

「マイケルこそが真の石ころだった。でも人形はそれを最後まで後生大事に胸の中にしまっていた。あの少年にはそれしか無いのだから。」

 

少年はここ重桜、東京で教育を受けていた。

そう、たった一人で。

誰も接することの無い寂しい日々を送って、それでもたった一週間に一度だけ、マイケルの行いを知ることが出来た。

 

だから疑似恋愛というカリキュラムで他者への接触の際に自分の中にある宝石を他者にも分かってもらおうと少年は願った。

 

だが、その相手はマスメディアでのマイケルの謂れのないバッシングを直に受け止めていた相手だった。

 

だからこそ、心は壊れて、何度も石ころと向き合って、でも自分の中にはそれしかないんだと分かった時、やはり少年は石ころを大切にしまい直した。

 

「そして少年を守る番人というアラスター曹長もまた機能を果たした。守られるという事がとても大きな事だと捉えた人形は、壁にぶち当たる。」

 

「それが、アタシか……」

 

暴力を受け過ぎて、暴力でしか会話が出来なくなった虐待の子供に触れさせる事で、哀れみを深く覚えさせた。

 

それは情愛になり、例え、もう誰も信用していない人間ですら向けるようにと。

 

「少佐の頑張りは、少佐の最後の作戦は……」

 

全て、全て、彼の世界を煮詰めたものだ。

 

帝竜カンパニー製造車輌への対抗車輌による暴走事故の惨状、亜音速の砲弾を打ち返す青年、そして――

 

どうして、どうして、どうして、あんな風に見せてしまったのだろうか。

 

アレが無ければ、最上との一戦で勝てる手札は間違いなくアレだけだった。

 

なのに、あぁ、くそ、こんな、こんな――

 

「アイツの人生は何の為にあったんだよ……美味しいご飯も、楽しい遊びも、褒められたい心も、何にもない、何にも!」

 

「企画書に書いてあったでしょう、頭打ちの簡易量産型デバイスと。何かを成せたのならそれだけであの人形は幸せよ。普通なら何にも残らず死ぬのが生命なんだから」

 

その言葉を聞いて、軍曹はベッドに突っ伏した。

呻き声と啜り泣く音がずっとずっと止まずにいた。

 

「供述は終了、これより横須賀全艦船は本当の最終決戦をしてもらうわヒトサンマルマルにブリーフィングデータを送る。」

 

作戦詳細は凄惨なものだった。

それに憤りを覚えて幾ばくかの艦船が吼えた。

 

「これが!これが!正義の味方のやることか!」

 

炉心解放型艦船接続式パッケージ――type13

動力路として組み込まれているのは、もう生きているか死んでいるかも不安定なたった独つの生命。

かつてこの基地をまとめ上げた少年の胴体を軸に斥力放射をし続けるだけのマシン。

赤城と接続する事で斥力兵装を構築しセイレーンの存在を消し去るものだ。

 

レッドアクシズと呼称された人民への救出は先のクレイドル型の戦闘でセイレーンは『捕獲した指揮官の信号』を輻輳させて揺籃を駆動させていた事が判明していた。回収部隊は結成されている。

 

思えばその為に欠陥のあるマシンと作戦を実行させたのだろう。

 

『海域』という鍵穴の構造は9割を把握している。指揮官の水増しと無茶な連続稼働が功を奏した。構造全てを的確に破壊し、その機能を完全に破壊し尽くす。

 

そして中心核、S海域と呼称する地点に横須賀基地全艦船を派遣。その全戦力で赤城と放射マシンの防衛を行う。

 

その概要に泣き出す艦船もいた。

 

「どうして泣いているの?」

 

その様に疑問を投げかける声があった。

飛龍だ。

まるで当たり前のように口に出していることに泣いていた艦船が睨みつける。

 

「だ、だって、ぼくらを戦わせてた人だよ?」

 

「飛龍来なさい。」

 

蒼龍が施した記憶処理は少年との根強い部分まで消し去ってしまった。手を取ったあの時から全てが間違えていた。だからこそ少佐の遺書の内容は飛龍にとって最初の一歩からおかしくなっていた。それを消されてしまった。

 

疑問にすら抱いていない。

 

やり過ぎたとは蒼龍は思わない。だが、これは異常を考える者も出てくる。

 

「姉様?」

 

「何?」

 

「ぼく変な事言いましたか?」

 

廊下を歩きながら言われて姉は、仮面を被る。

笑顔という穏やかな仮面を。

 

「飛龍、それでも彼をよく思う子はいるの。あんなのでもね気に入ってしまう人はいるのよ。」

 

平然と嘘をつかれ、飛龍はなるほど。と合点がいく。

いつか、もし、記憶を取り戻したら、妹に口汚く罵られるのだろう。

お前なんか姉じゃないと。

だけれども、勝つのだ。

それを望んだ少年の為にも、この基地で過ごした日々を無駄にしない為にも。

 

サンディエゴ沖戦闘のメンバーも回復はしている。

特にZ23は問題なく稼働していた。

 

「近接迎撃戦にフレッチャー級を軸にユニオン駆逐、巡洋艦とレナウンと夕立で形成、中距離戦に鉄血、ロイヤル、重桜駆逐艦で構成、中遠距離に巡洋艦と二航戦を配備、遠距離戦に主戦力と加賀に指揮を、赤城の防衛は問題ありません。サブシステムで仮に寧海型が来ても対応できます。」

 

全体の指揮を取るのは赤城だ。

その姿に加賀が喜ぶ。姉の誇り高い姿に惚れ惚れする。

 

やはり、姉様は凄い。

 

寧海型といわれるセイレーンによる複製型オリジナル寧海は近接戦闘能力は群を抜きん出ているがそれをまるで何とも感じていない。

 

その姿は誇り高い、誇り高い……

 

「?」

 

加賀は次の言葉が出てこなかった。

『私の姉様』という言葉では何かがおかしい、歯車が合わないと、どうしてか想ってしまう。

どうしておかしいのだろうか。

それも分からずに作戦時間は迫っていった。

 

「レナウンちゃん……」

 

工作艦ヴェスタルが巡洋戦艦レナウンのバイタルデータを引き出して話しかける。

だがそれを遮るように視線は変えずに答えた。

 

「リュウコツにヒビが入っているのですね。分かります。あの時の最後の一打は効いた。」

 

それはこの戦いを最後までこなせるかどうかも危ういほどの傷だと理解していた。

艦船としての必須である斥力の生成、放出、維持も出来るだろうか。

それでも艦船として最後の戦いには赴きたい。

 

「工作艦としては止めたいわ。でも――」

 

「戦います。あんな小さな子供が走っていったんです。逃げたくない。きっとそんな気持ちで戦うなと言うのでしょうね。」

 

目蓋を閉じて黒髪の少年を思い出す。

自分の尊敬した存在に守られて、そして、守った。

 

「悔しいです。私の全力を概算しても、あの子供の生命が秤に無かったら負けると思われていた。この悔しさで戦います。」

 

剣を握る手がより強ばる。

もっと強かったなら、もっと力があったなら、悔しい。

あんな弱々しい子供に、守られなくてはいけないのに、何もないのに、守ってあげなくてはいけない子供が生命を差し出すなど、そんなのは――

 

「恨みますよ少佐。」

 

もういない少年へ形容し難い表情で少しだけ呪う。

 

「S海域に到達する順番を間違えないように、接舷は決して無いようにしなさい。自爆されるわよ。」

 

――赤城、聞こえる?

 

赤城が指示を出している中、蒼龍から秘匿通信が送られる。

それに何も動じす、続く艦船達への前提する戦術を口にする。

 

――この場を借りて貴方に言わなくてはならない。ありがとう赤城。

 

その言葉に思わず頭を振る。

その仕草に伝えられていた艦船が訝しむがすぐに話を持ち直す。

 

――今大変よね。沢山の指示、それがどういう意味を持つのか。

 

少年は何も無い。

それは人生というモノが存在していないのだ。

人間は、一つの知覚を大切にする。

それは自覚、無自覚であろうと同じである。

 

飲み込んだ果実の酸いを、漂う華の香りを、滴る肉の旨味を、俗に言う記憶障害が起きていたとしても、重要な事を厳重にどれだけ覚えていても。

 

とても小さな取るに足らないようなつまらない出来事を覚えている時があるのだ。

 

だからこそ、こと戦争においてはそれを重要視または、それそのものを忘れてはならない。

 

人は、ありとあらゆる状況であろうと感情であろうと財産であろうと戦力であろうと横着する生き物なのだ。

 

最も戦争において発生する規模は異なれど存在する罪。

 

親が子により美味しい食べ物を渡そうとする心も、

人が人を支配する歪んだ欲望も、

退廃的な情欲も、

一つの兵器への愛着も、

 

少年の生き方にそれは許されなかった。

 

もしそれを行えば、危険因子となりえない。

 

だからこそ、赤城は力を手にしてようやく分かったのだ。

自分は思われていても、愛されてはいないのだ。

絶大な力であるその結晶は横須賀を守る為に渡されたに過ぎない。

 

首から上を少年は自らその手ですげ替えたのだ。

 

――ごめんなさいね。その空っぽの椅子に座らせて。

 

蒼の兎が泣く。

その椅子は座れもせず佇むことも出来ず、ただただ虚しいだけの周囲には上にいると思われるだけ、本当は地べたよりも低い場所に座っていた。

 

「各指揮官よりも私の命令を前提に動いて、支援砲撃距離を維持、爆撃雷撃どちらも諸共で来て構わないわ。」

 

少年がもし戦場に立てていたならば、それを口にしていたのだろう。

その居場所に今赤城はいる。

泥の上に立っているような嫌悪感がある。

そして最後に必要な事を告げる。

 

「劉、食事を。」

 

「あぁ、待ってろ。今……」

 

「私の分は要らないわ。」

 

ばごん!!

 

敷き詰められた斥力層に叩き付ける衝撃が響く。

料理人はその目に怒りを、歯は強く食いしばっていた。

 

「悪いな、流石に殺意が沸いた。」

 

静かにそう言いながら朱の狐を睨んだ。

それは少年のフリをしているようにも見えて、それは本当に食事を必要としない歪さに対する怒りでもあった。

 

「そう。悪かったわ。でもねお腹が空かないの、気味が悪い程に何も飢えなくて乾かないの、だからね、他の子にあげてちょうだい。」

 

「あぁ、わっーた。」

 

飢えも乾きも本当に何も感じない。

何も感じない心だけがある。

 

その日も横須賀は料理人の定番メニューが出された。

残った物資で可能な限りそれを小分けにして配られる。

 

野菜と鶏ガラで出汁を取られた醤油スープのラーメン。

肉厚の叉焼は噛みごたえがあり、塩気のあるスープの後にはまるで果実のような甘さがある。

 

片方はスープの製作過程でのダシガラの鶏ガラを溶けるまで温め、その味をある野菜に染み込ませる調理法により肉が無いはずなのに肉の風味が止まない炒飯。

 

最後に鳥の皮を特製の醤油ダレでカリカリに揚げた皮揚げに粗塩を添えて出す。

 

「『肉』はこれが最後だ。全員に行き渡ったか?」

 

この3つは毎日、毎日、食べられるメニューであり、品切れが毎日のようにあったメニューだ。

 

その日誰もがその食事を口にした。

少ない量だったが、塩が、糖が、繊維が、たんぱく質が身体に染み込んでいく。

 

「お前らも食え。」

 

劉が差し出した相手は指揮官の三人だった。

 

それぞれがこのメニューを食べるのは初めてだった。

 

自分を少しでも強くする為に、

咽頭接触による嫌悪をごまかす為に、

その資格が無いと自覚していた為に、

 

三人は食べなかった。

 

「あのガキはこれの概要を聞いた時、目を輝かせてたよ。『塩がある!糖がある!溶けた野菜にお肉がある!戦って疲れてる子や、空腹を満たしたい子を助けてくれる!ありがとうございます!これで少しだけ戦えます!』そう言ってな」

 

自分の事では無いのに、戦闘において必要な栄養素というものを充分に把握していた。

 

塩を抜かれた兵士はまるで戦意など無かったかのように無力だ。

糖が抜かれた兵士は最大限の動きを発揮出来ずに簡単に潰れていく。

野菜の摂取を怠れば時間との勝負に簡単に敗北する。

肉を食べなければ疲労の回復を果たせず疲れた身体で戦いに赴かなければならない。

 

味が濃くなければ満たされない程、戦いとは疲労の沼に沈められることを小さな少年は知っていた。

 

このメニューは戦い続ける為に作られた食べ物だ。

 

ある時は将軍を、ある時は兵士を、ある時は鉄砲玉を、ある時は主君を、そして艦船と呼ばれる少女達を戦わせた食べ物だ。

 

「劉、皮揚げくれ。」

 

そう言って軍曹は食器も満足に握れない身体を呪いながら揚げ物を口にしようとする。

その言葉にカリカリの皮をフォークで刺し、彼女の口に運んだ。

 

「……うめぇ。」

 

外は硬い印象だが、皮そのものはまだ柔らかく染み込んだ醤油が溢れていく。

一つ噛む度に涙が溢れる。補給された塩分はまるで瞳の涙腺バルブが全開になってるように目から溢れていく。

 

「……うめぇ。」

 

炒飯は驚く程にさっぱりしている。

味付けは叉焼の肉汁も使われているのだろうか、香ばしい匂いと驚く程に水を必要ともしない適度な油っぽさが腹を強く充たしていく。

 

「……ふぅ、はぁ。」

 

麺は卵だろう。スープの味と反対の少し甘みのある麺と塩辛いとも言える醤油が身体を暖かくする。

一口の叉焼もとろけるように噛み切れてそこから甘味が溢れていく。

 

「……消えた後でアイツが伝えたいもの、少しずつ分かるようになって、情けねぇな。」

 

例え自分が過酷を強いられても、何も感じない身体であっても、それでも少年は持っていたものを一切れずつ平等に渡そうとしていたのだ。

 

劉は初めて少年の声を聞いた時女だと思った。

それは幼さや抑揚や話し方から来るものではなく。

 

その覚悟にも似た態度は、母親だったのだ。

 

味も分からない、理屈だけしか分からない、出会ってすぐに首の骨を何度か折られているのかが姿勢と重心の配分から見て察せられた。漫然と暴力の中で育っていた子供だが、母親になろうとした。

 

役に立つか分からない母親だったが、一人を笑顔にするために可能な限りの時間を割いた。

理解されなくて、不気味がられて、それでも親でいようとしたのだ。

 

欲しいモノを渡して、怪我をしたら充分に休ませて、出来もしない少女の夢を嗤わず、自分のことを何も言わず、特別にして欲しいと願う傲慢さに怒ることなく、ただただ受け入れてきたのだ。

 

戦わせる、その悪意の裏返しは途方もない哀れみだった。

本当なら自分が戦いたかっただろう。

だが途方もないハンデを覆せるほど強くもない。

 

だから、だから、せめて食事だけは幸福であって欲しいと可能な限り使える資金を全て使い、それを食事に換えた。

 

気がつくと泣き出す子がいた。

 

そのメニューは確かに人気であり、早い者勝ちでもあったが、それでも哨戒、運搬、武装工作、戦闘にこそ活躍出来ない少女達も一週間に一度は口にする事が出来るように少年は手配してくれた。

 

どの任務においても少女達は少年に労われたことはない。

 

だが、それは裏を返せば小さな子供が必死になって身銭を切っていたのだ。

 

「最後のお勤めにアイツが居なくて苦しいかもしれねぇが、居ないぐらいで喚き立てるなよ。お前らはここまで腹括って来たんだから。」

 

料理人の顔はどこか優しさに溢れていた。

居ないぐらい。そうだ。もう居ない。

だけど、だけれども、彼が何とか繋ぎ止めたモノがまだある。

横須賀も、その未来も。

 

 

 

―スペック確認、ユーザーコード認証、検知不能のシステムと記載不可能のコードを確認。

 

赤城は自分の身体にセキリュティ検査を通す。

そうすると、やはりというべきほどの力がその中に溢れている。

 

(柔軟に変化するエネルギー結晶、これだけあるのならば―)

 

凡そ、それは艦船数億体に匹敵するエネルギー。

これだけの力があるのなら、先の炉心解放型への接続照射とその防衛もまるで『容易い』

 

(これだけ自由に動かせるとなるならば、『定義付け』が必要ね、となると―)

 

自分の身体の一部でもあり、体積だけならば半数に匹敵する部位に機能を直結させる。

余りはあるが問題ない。

その分の余剰スペースを残しておいてもなんら問題は無い。

 

放斥、放熱機能に指向を与え、そこに様々なオプションを加えていく。

 

拡散、射角、連射、識別、射程、威力、後遺。

 

その全てをひとつずつ結び合わせ、『力』は今、『暴力』となり、『殺戮』を作る。

 

これを、こんなものを結んだと少年が見たら何と悲しまれるのだろうか、だが少年はもう居ない。

だからこそ、赤城は暴力のままでいることをやめない。

 

敵を滅ぼし、何一つとて残さない、残させやしない。

 

それが今の彼女の在り方だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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エピローグ

雑に終わらせます。



S海域、そこはセイレーンの海というよりも、どこか見覚えのある海であった。

 

「現着、大気解析―」

 

真っ先に到着したユニオン航空母艦―《ホーネット》が髪飾りにまで小型化された電探装備を起動させ、状況を分析する。

 

「サンプルパターン、マッチング、ここはやっぱり19世紀半ばの北極海域の成分が合致。ただし―」

 

空を見るとその違いが分かる。

今は夜のような暗さをしている。

だが、髪飾りとなった電探目的の装備がスコープ機能を展開して目を覆うと、『現実』に潰されそうになる。

 

星々の明かり等はまるで居心地でも悪いというのだろうか、光源となっているのは恐らく本当の太陽。そう星図との合致はしていない。

 

夜の闇を作っているのは無限にも等しい夥しい量のセイレーンの群れ。

その全てはまだ目を瞑っている。だが、まるでそれは赤子のように眠りを嗜み、その全てが今目を開いた。

 

敵を認識したのだ。

 

その吐き気を催す現実にホーネットの顔色が青くなると、重桜航空母艦―《赤城》が肩を叩く。

 

「大丈夫、アレら全部を相手にする訳じゃない。」

 

そう。その確信があった。

このアズールレーン全軍による電撃作戦は一つの弱点以外は完全に有利となるものである。

全軍による多重戦闘の展開、これによりあの空の半数はそれに割くつもりだろう。

貴重な資産の回収の為に割り振られるのは恐らく駆逐型セイレーン《スカベンジャー》が主となる。

 

だがそちらにはオリジナルと呼ばれる一線を超えた数十名の艦船と現場の叩き上げとも言えるデザイナーズチャイルドが率いる部隊が待っている。

 

何よりも横須賀を含めた各基地から得られたデータで相手が取る戦術ルーチンへの即時対応力は差を大きく開かせるはずだ。

 

そして、その半数がもしこのS海域という海に立ったとしても、赤城にはなんて事はない。

 

空の黒き星々を全て滅ぼすなど、まるで容易い。

 

そう想いながら、背面を魚や豚のように『開き』になった少年とそれの循環効率を底上げするチューブの群れとマシンを見やる。

 

赤城は何も感じず、何も抱かず、その背骨を左手で握り締めた。

 

その瞬間だった。

 

「ギギギャァアギギィッアヤア!!」

 

まるで少年の断末魔でも再現するかのように空の星々は詩とも言えぬ歌を初め出した。

まるで害虫が殺虫スプレーを吹きかけられるように。もがき暴れ、赤城に襲い掛かる。

 

だが、それも4kmという射程に入るまでだ。

蒼の式神、翠の花札、銀の花札が艦載機へと姿を変えて殺到する害虫の体積を数割以上削る。

 

続いてユニオン艦船の対空砲火と標準武装が迎え撃つ。脚、あるいは腕の1本になり力なく落ちて、漆黒の海に浮かぶ。

 

「転位反応!広範囲!一週包囲されてる!」

 

ホーネットの電探装備の呼応に即時通信を開くが問題はない。

 

駆逐、スカベンジャー型と軽巡、チェイサーの群れ。

 

各敵は武装展開するその瞬間だった。

 

「遅せぇよ。」

 

その四肢は薙ぎ払われ、首だけになった個体に反応が取られる。

その瞬間に横須賀軽巡達の肘鉄がセイレーンの心臓を抉り潰していた。

 

薙ぎ払ったのは高雄型四姉妹と言われる重桜重巡部隊。それぞれが集結することなく別れて、初手を潰す形を取っていた。

 

東西南北、あくまで光源と呼ぶ太陽の位置から割り出された配置になるがそれは十二分に機能を果たしていた。

 

「更に転位!反響骨種、データ有り!?これ·····」

 

そうそれは誰もが知っている。

アズールレーン最強の味方。

この戦争を導いた者。

 

その名は―

 

「『寧海型セイレーン』!上空2kmで反応確認!数2200!」

 

その言葉でようやく全員が上を向く。紫電の彼方より紫を基調とした艦船が空を落ちながら構えて今必殺の一撃を放とうと右腕を溜めていた。

 

「トドロケ·····」

 

それに誰もが絶望する。そんな攻撃が来たら勝てる物も勝てない。斥力の嵐そのものを叩き込む技を2200、回避出来たとしても、防衛は、有り得ない。

 

そう、防衛はありない。

 

だが、この瞬間、1人だけ回答は違った。

 

「全機動作凍結、サブ砲塔モジュール九尾、定義付け実行、敵味方識別完了、壱番から漆番斥力装填·····!」

 

壱番、長門極限解放

弐番、陸奥完全再現

Three、ネルソンアクティブ

Four、ロドニーセット

Ⅴ、コロラドムーブ

Ⅵ、メリーランドアクション

Ⅶ、ウェストバージニアレディ

 

赤城だけは『粉砕』あるいは『破壊』を可能としていた。

 

流れるパルスの影響で空気が軋む。

 

―ばごごごごごごん!

 

装弾の圧力で赤城を中心に天が引き裂けるほどの衝撃が渦を巻く。

プラズマの発生かばちりともズドンとも音を立てる。

 

そうして七本の赤城の尻尾は起動した。

 

『BIG G (SEVEN)』

 

何が何が起きたのだろうか、まるで、まるで赤城が2200の寧海を祈り、願い、ただ一言、消えろ。それだけを口にしたかのように宙に居たセイレーン型寧海は塵へと姿を変えた。

 

その正体はビッグ7と呼ばれる16インチ砲を所持した戦略レベルの戦闘力を持つ艦船の斥力統合輻輳放射。

 

いわば、広角最強射撃を『威力も範囲も密度も』7乗にして打ち出したのだ。

 

それは最早大気にすら敵がいる事を許さないように空気中の敵性セイレーンの痕跡は無へと変わった。血は酸素に、肉は素粒子に、証は虚空に。

 

「2200機を、一撃で撃墜·····!」

 

ホーネットの言葉は驚きではない、気づいたのだ。

 

「―全機!」

「動くな!!」

 

ホーネットの叫びをかき消したのは赤城だった。

だが、これは不味い。

横須賀艦隊の縫間に、鐡の鎧達が溢れ返る。

その数は550。

 

「クレイドル型―·····!?」

 

誰かが叫んだ、その化け物の名前を―

混乱と暴力が溢れ、返る、はずだった。

現れた鎧はまるで、まるで、錆びたかのように色褪せて、ボロボロと崩れ出し、灰のように空に舞った。

 

「ホーネット、戦況確認。」

 

赤城の声にホーネットが反応しない。

その状況に何も言えずに居たが、蒼龍からの打診でようやく応答した。

 

「クレイドル型、全機消滅を確認。」

 

大量破壊兵器、或いは、細菌兵器というものが未来にはある。敵をただ苦しめ、のたうち回らせ、足掻く様を笑うかのようなその範囲と威力には別の名がある。

 

禁止兵器。

 

赤城が放ったのは正しくそれだ。

横須賀に登録された純正ユニットだけ装備された艦船以外の存在を許さない。

呼吸よりも鋭く、水よりも侵食し、時間よりも風化させる。

 

斥力弾丸の痕跡だけで数も質もまるで無意味と言わんばかりに要塞の如き怪物を『消滅』させた。

 

だがその反応によってホーネットの近くが一手遅れる。

 

「赤城!!」

 

その叫びはもう遅い。

そしてセイレーンからしても『寧海型はもう遅い』

金髪の碧眼、無機質な目だが、それは横須賀にも配備されたアズールレーン、最強高速巡洋戦艦。

 

『改造レナウン型セイレーン』30機―

 

360度全てを囲うように斬撃の包囲網が敷き詰められる。

殺す。その一手はそれを口にしている。

動いても殺す、守っても殺す、受け止めても殺す、逃げても殺す。

 

だが、それを彼女は笑っていた。

 

「愚かね、セイレーン。星を切り裂くのにお前らはバターナイフを使っているものよ。」

 

ぎぃぃぃん!!!

 

何年経とうが、何回行使しようが、幾つ混ぜ合わせようが、まるで届かない。

 

30の斬撃は赤城の薄皮一枚切り裂く事が出来ない。

 

瞳も、息も、爪も、髪も、まるで別次元の硬度を発揮していた。

 

「潰れろ―!」

 

言葉は力を振り撒くように、彼女を守る斥力の鎧が、まるで急に『惑星が現れた』かのように膨れ上がり、音を絞りながら敵性レナウンの全てをその斥力の嵐で挽き肉に変えた。

 

「すごい·····」

 

誰かが呟いた。まるで、まるで、この一人が全ての戦争を終わらせるような、そんな、そんな·····

 

まるで、それは子供の夢のような兵器だった。

 

どんな戦力も微動だにしない究極無二の存在。

 

加賀は息を呑む。

 

自身ではまるで届かないような、そんな、これは強すぎる。

 

「充填率62%、全機防衛ラインを崩して撤退準備を―」

 

「そんな!赤城さんの防衛は―」

 

「必要あるものかよ。」

 

加賀は赤城を理解した。いや、分かってはいた。

この戦いで赤城を守るという任務は上辺だけだ。

アズールレーンからすれば、赤城を『見張りたい』それだけなのだ。

エンタープライズクラスのセイレーンを瞬殺出来るように調整されたこの重桜航空母艦、否、横須賀最強艦船が人類を滅ぼさないか不安でしょうがないのだ。

横須賀の艦船達は、いざとなれば赤城を諸共で中破以上の損傷を起こす為の爆弾。その程度でしか考えられていない。

 

「全機帰投、姉様が『アレ』を開いたら居場所は無いぞ。」

 

「―そうね、ありがとう加賀。」

 

赤城の意志を代弁する妹に感謝を告げる。

右腕から流れて落ちて行く力に反応して、背骨を露出した少年の残骸は顎を開く。

 

「―アアアぁあぁああああAAaAaaaあアァァア!」

 

美しかった歌声はもう出ない。まるで首を絞められた老人の断末魔の様に恐怖と絶望の色を濃くした叫びが響く。

 

それと同時だった。

 

少年の残骸の目玉が落ちる。落ちて転がり、この海に沈んだ瞬間だった。

 

白い、真っ白な光が続いた。

 

空の太陽が輝き煌めいて、白く見えるように照らすのをまるで海が鏡の様に更に反射させてその白が浮かび上がり、その海を埋め尽くした。

 

「何、これ―」

「斥力の、太陽?」

 

ホーネット、ヘレナはそれを知覚出来た。

真っ白な光を放っているのは全てを、そう、この海に生息するセイレーンという化け物を否定する光。

 

「姉様!もう充分だ!機能を『移して』―」

 

そこで加賀はようやく気づいた。

アズールレーンが、本当に何をしたいのか。

 

「姉様!!」

 

憎しみは、恨みは、遺は消せない。

アズールレーンというUR連合軍隊が少女を愛した人形を兵器にした事を少女は忘れない

絶対に殺しにくる。

女という生き物は度し難く、御し難い。

 

「良いのよ。加賀。これで終わりで。」

 

赤城の通信音声は優しく響いた。

まるでお別れを言うようにもう会えないのだと思うように優しく響いた。

 

「何を言っている!?何で姉様が死ななければならん!?」

 

それは姉を本当に想っていた言葉だった。

だがその反論はあまりにも絶望的だった。

 

「だって」

 

―貴方達が生きている世界なんて嫌だもの。

 

「え?」

 

耳をたった一人、蒼龍以外が疑った。

 

「少佐の優しさを理解しない、頑張りも、苦しみも、お前達は、誰一人だって愛していない。私は、お前達が憎い。少佐を殺したのはお前達だ。横須賀―」

 

その言葉に反論が出来ただろうか、指揮官も、艦船も、言葉が出なかった。

 

「そんな!そんな馬鹿な話があるか!あんなやつ!」

「うるさい!妹ヅラするな!」

「ねえ、さま·····?」

 

通信音声は歯を強く噛むとまるでそれが弦を弾いたかのように溢れ出した。

 

「お前なんか妹じゃない!少佐を蔑ろにして!少佐を分かろうともしないで!お前のせいで少佐は自分を追い込んだんだ!お前が!お前なんか!お前達なんか!勝手にすれば良い!私は少佐と共に死ぬ!お前達は幸せを気取ってろ!悲しみを飾ってろ!」

 

―ぶつん。

 

それは少女の想い。

 

たった独りの少年と生きていたかった。

それだけがあれば幸せだった。

だけども、それでも、少年は少年を選ばずに、少女に世界を託した。

託された世界は少女にとって守る価値もない、いや、地獄そのものだった。

 

失ってようやく悲しみ出す?失ってようやく理解する?失ってようやく気づく?

 

そんな、そんな馬鹿げた話があるものか。

 

歯を食いしばり、腹を括り、子供がおよそすることでは無い仕事を続け、慕う子の愛にすら応えられないのだと理解したその少年を、赤城は、少女は守りたかった。

 

傍に居て、一緒に歩き、微笑んで、空を見て、共に眠り、時に愛を語り合いたかった。

 

でも少年は選んでくれなかった。

 

幸せの形はそれぞれだから。

 

そう言っていたのに。

 

例え一瞬だけでも、愛していてくれたのなら赤城は幸せだったのに。

 

「うぅううぅぅうううぐうううううううう!」

 

赤城の涙が止まらない。少年との思い出が蘇る。

自分が何者なのかを教えて、勇気づけようとしてくれて、味も分からないのだと言い、真っ当な愛が成立しなくて謝罪をし、誰も死なせないと約束して、腕を血に染めてでも二人を案じ、失敗をしたのではないかと恐怖する自分を抱き締め、暴力でしかモノを語れない女に骨を割られ、幾つもの死体を解剖し、強要されたその行為の責任ですら自分を責め、正義の味方になろうとした男を止め、本当に愛したいと思えば、それをまるでくだらないと世界に笑われ、少年の見たくない姿を見て、あぁ、あぁ、

死にたい。

 

こんな、

こんな世界。

 

何がアズールレーンだ。

何が正義の味方だ。

何がセイレーンだ。

 

何も変わらない。

何処も彼処も化け物しかいない。

 

もう嫌だ。

 

戦争を終わりにしたい。

戦争(人生)を。

この世界にいる事を。

 

 

赤城より12km離れた地点で加賀が叫ぶ。

 

「何でだ!何故姉様が死ななければならん!?」

 

その言葉を返したのは男性の指揮官だった。

 

「お前が赤城を失った時、お前は何をした?」

 

その言葉で加賀は顔を歪める。

 

何を?

 

なに、を?

 

な、に、を?

 

し?

 

た?

 

蒼龍の記憶処理で大切な『何かが』消えている。

分からない。だが、それでも、これは『間違っている』はずだ。

 

「なんで、なんで姉様が死ななければならない。死んだ奴の責任だ!姉様はここまで横須賀で·····!」

「おいクソ狐!てめぇそれ以上喋んじゃねぇ!」

 

女性の指揮官が叫ぶ。

彼女もまた、『誰か』を追い詰めた人間だ。

『誰か』はずっと戦っていた。

きっとその心はずっと戦いの中に居た。

 

だからこそ、それだから、その言葉は何よりも強く響いた。

 

「加賀は、間違ってないですよ·····」

 

エル・ヴァーノンは欠損した肉体から血が漏れ出す勢いで怒りを叫ぼうとした。

そんな言葉を言った奴は誰だ。私が殺してやる!

愛宕!高尾!刀を抜け!クビリ殺せ!

 

そう言いたかった。

 

その言葉を口にした者にエルは泣き出していた。

愛宕達の目を通して、エル軍曹は信じられないモノを見た。

 

「加賀は何も間違ってない。死んだ僕が悪いんです。」

 

煉丹という言葉がある。

口にした物が力を発揮し、無限の寿命、或いは力を作るという技術である。

 

加賀はそれを口にした。無自覚に、または無意識に、少年の腕を噛み、その流れる血をほんの1ミリにも満たないが呑んだのだ。

 

加賀の右腕に抱き着くように少年がいた。

 

今にも消えそうで、今にも死にそうなぐらい青ざめた顔で、苦し紛れの笑顔を浮かべて彼は言う。

 

「ごめんね、遅くなって。加賀と想いが『同調』してようやくここに居られるようになったんだ。」

 

「残留、思念―」

 

蒼龍の言葉で、ようやく加賀と飛龍に絡まった記憶の鎖が吹き飛んだ。

 

「少佐、少佐!ぼく!·····ぼく!」

 

飛龍が狂ったように自分が何を言ったのかようやく理解した。苦しめてなんかいない。この人はせめて安らぎがあるようにと誰よりも祈っていたことを思い出して、脚が倒れ、頭を下げた。

 

「あ、ああぁ·····」

 

加賀もまた、少年が何を抱いて戦っていたのかを思い出す。言葉が出ない自分が不甲斐なくてもうどうすれば良いのかも分からなくなっていると少年は微笑む。

 

「二人は悪くないよ。蒼龍も悪くない。僕はずっと自分の首を絞めながら戦っていた。それが赤城を追い詰めた。だからごめん。ここからの戦いは僕への贖罪と赤城を取り戻す。それだけになってしまう。」

 

その小さな頭を下げて頼み込む。

 

「横須賀全機、全指揮官、死んでしまって何だけれど、僕に命を預けてくれませんか?」

 

微笑みは絶やさずに、少年は、自分よりも、少女を選んだ。

その言葉に真っ先に応えたのはエル・ヴァーノンだった。

 

「高雄型四姉妹!頼む!力を貸してくれ!」

 

端末を見る目が涙でぼやけて、四人の瞳もまたぼやけてもなお彼女は叫んだ。

 

「ああ!」

 

「うん!」

 

「やろう!」

 

「頑張ります!」

 

四人の姉妹は応えてくれた。

戦争で痛みの中に居た少女を救ってくれた少年の最後の頼みを聞いてくれた。

 

「駆逐艦部隊、すまん―」

 

アラスター曹長の言葉はZ23に遮られた。

 

「曹長、この命は少佐と赤城さんに拾われました。ならば少佐の為に使うのが筋と取れます。」

 

「ニーミを優位に活動させるなら俺様は外せないな!」

 

「正義の味方の本場を見せてあげる!ビーバーズ!私に力を!」

 

数多くの駆逐艦達が名乗り出た少女に少しでも力を注ぐ。

 

そして、

 

「レナウン。」

 

「はっ、今の有様を見たでしょう?私では赤城に届きませんよ·····」

 

もう自分では届かない場所にいることにレナウンは吐き捨てる。

少年はロイヤル高速巡洋戦艦に頭を下げた。

 

「今の僕なら、君とも繋がれる。赤城に負けて悔しいだろう?」

 

「アナタはいつもそうだ、私の事が嫌いなクセに、私に、あぁ、違う、少佐―」

 

もう形も保てない子供をレナウンは抱きしめた。

 

「子供が戦争なんかするんじゃない。怖かったら逃げていい。辛かったら泣いていいんだ。ずっと、ずっと君は走って、少しぐらい休んでくれ。」

 

「この戦いが終わったら幾らでも休暇はあるよ。」

 

ありがとう。そう言いながら自分の為に泣いてくれる少女に笑顔を作る。

 

そして蒼の狐を見る。

 

「君に相応しい指揮官じゃないけれど、赤城は今『強い』。だから赤城を引き連れて返せるのは加賀、君しかいない。」

 

「わた、わたし、私は、お前を―」

 

「良いんだ。いや、違う、『君が正しかった』。僕は間違いだらけなのにあの子は正しいって言ってくれただけなんだ。だから、間違いを正しに行こう。」

 

背伸びをして加賀の涙を拭う。

 

「泣いてくれて、ううん、赤城に生きて欲しいと願ってくれてありがとう。加賀、君が居てくれて僕は本当に救われた。」

 

右腕にいる少年を抱きしめた。

そこに言葉を作ることは出来なかった。

何もかもがその行為にあった。

 

「ホーネット!ヘレナ!あの太陽のデータを寄越せ!」

 

エルの叫びに膨大なデータの至純と結果を見せる。

 

「ダメ!私達の艤装じゃ、あの太陽の外殻すら壊せない!その前のセキリュティコードに吹き飛ばされる!」

 

斥力太陽を渦巻きながら包み込む嵐の様な流れを知覚する。

だがそれを見ても軍曹は笑っていた。

 

「それなら任せろ!その後だ!」

 

文面が飛び交う―

 

『仮に嵐を消し去れても、外殻余波ごと両断しないと進行ルートは確立しません!』

 

ヘレナからの文章で少年は頷く。

 

「それならレナウンで何とかなる。軍曹行けますか?」

 

「仮に!仮にその両方がなんとか出来ても!」

 

その結末をホーネットは理解した。

まるで神話だ。

地獄や異世界に行ってしまった愛おしい人を連れ戻そうと言うのなら、その地獄を歩めるのか。それが、それが叶うのか。

 

「はっ!教えてやるぜ!鉄血ってのはな折れねぇんだよ!」

 

「その通り!この血の一滴ですら!太陽よりも強く燃える!その魂そのものが私達です!」

 

「ホーネット!赤城の居場所のナビゲートをお願い!私達は多分『前すら』分からなくなる!」

 

屈さぬ心と正義の想いは叫ぶ。

地獄など知るか、取り戻すのは。

 

「皆で連れ帰ろう。横須賀に、帰るんだ―」

 

たった一人、泣きじゃくることすら疲れた少女の腕を引っ張る。

それが、少年が率いる部隊の最後の戦い。

 

 

 

 

この作戦はアズールレーン及び、その後の未来に一切の記述が無い。

だが、この作戦は、どの戦いよりも困難であり、険しく、横須賀基地に所属する全ての軍籍の想いがひとつになった、たったひとつの戦いである。

 

「高雄型四姉妹!ハラァ!リキ入れろぉ!」

 

エル・ヴァーノンが率いる重桜重巡洋艦高雄型、高雄、愛宕、摩耶、鳥海、その4人が天に刀を掲げる。

 

「セイレーンのカス共!テメェらには分かんねーだろうなぁ!この技をかます時は叫ぶのがお約束なんだよ!!」

 

それは自分の師匠の技、だが、もう違う。

彼女にしか使えない技だ。

 

「轟けぇ!!!」

 

四機の重巡洋艦が嵐に左の拳をぶつける。

折れる程の衝撃と圧力、だが、それは違う。

左手は錨の役割を果たしたに過ぎない。

 

「龍!体!」

 

重巡洋艦斬撃モジュール『無外』に斥力を流し込む。

刀身はまるで、まるで、龍の咆哮を上げる。

 

「撃!神!」

 

四機が同時に刀身を差し込む。だが、それも太陽を覆う嵐の前に吹き飛ぶ。

はずだった。

 

粒子化した刀身は斥力を連結させながら、より広範囲に広がった。

嵐を征する様に、それはまるで―

 

「シグマぁぁ!!!」

 

Σという記号のように、龍の顎が音を立てて嵐を噛み砕く。

 

―ばきん!!

 

嵐が鎮まるの同時だった。

レナウンに少年が手を翳す。

 

「VZコード、認証、捕食対象―『全セイレーン』」

 

レナウンの背骨が焼ける。

レナウンが赤城に勝つにはひとつしかない。

喰らう。喰らい続ける。

天に居る物も、海に沈んだ物も、素粒子になった物も、その身に取り込む。

 

だが―

 

(レナウンの耐性レベルが低い!吸収できたとしても除去が―)

 

「どうした!少佐!」

 

懸念は少女の檄に飛ばされた。

笑っていた。これっぽっちか。そう言わんばかりに、要求された事態に笑っていた。

 

「アレを斬るんだろう!?構わない!私が、私を使ってくれ!『指揮官』!!」

 

目が金に光る、髪に蒼が纏わりつく、それでも、レナウンはそこに居た。

自分こそが横須賀最強だと証明する為か?自分こそがロイヤル最強と証明する為か?

 

いいや違う。

 

彼女が彼女で無くなっても構わないのは決めたからだ。

 

少年と同じ速さで、走ろうと。

 

「お前らの全てを!私に変えてやる!赤城!お前は!」

 

剣に光、否、虹、それは虹だ。

淀み、くすんで、滲んで、色褪せた、血と油の灰の虹。

 

「横須賀最強に『相応しくない』!!!」

 

虹の光が振り下ろされ太陽を壊した。

白を潰し、白を汚し、白を、変えた。

 

ぱきん!

 

太陽の5%、だがそれは紛れもなく外殻と中心まで届く程の距離を斬り裂いた。

 

「加賀!もっとしゃがめ!」

 

「手は自由にしてください!」

 

「いざとなったらアナタを投げるわ!」

 

引き裂かれた太陽の中を三機の駆逐達が空母を引き連れた。

 

僅か一秒、進行距離3ノット未満、その瞬間、その現象は起きた。

 

ホワイトアウト、太陽と呼ぶに相応しい自然という暴力に視界という概念が屈した瞬間である。

 

「ホーネット!!」

 

チャールズの叫びにホーネットが背中を押すように言葉を叫ぶ。前に進んでいるのなら叫んでくれ。それを伝えた通りホーネットは叫ぶ。

 

叫び、叫び、叫び、声が―

 

閉ざされた太陽の中で少女達は孤立した。

 

だが、たった一人、分かる者がいた。

 

重桜航空母艦、『一航戦』―加賀。

 

先導しているのが誰か分からない。だけれど、リュウコツを通して頼んだ。

 

投げ飛ばしてくれ。

 

そうたったひとつ。

 

誰の手だろう。

 

太陽の中で宙を舞い、式神達を起動させて身を守る。

どこに居るのか分かる。

こっちだ。

居る。

 

「姉、さま―」

 

中心は穏やかだった。

炉心である少年の背骨を握った姉を見る。

青の狐の片目は太陽の力で潰れた。

青の狐の右腕は焼き裂けている。

青の狐の左腿は骨が溶け出している。

 

「な、なんで―」

 

赤城は狼狽した。

あれだけの力の嵐を、あれだけの力の壁を、あれだけの力の道を、どうやって。

 

「赤城!」

 

加賀の右腕に居る少年の叫びにようやく気づく。

 

「少佐、どうして―」

 

「連れ戻しに来た。」

 

「嫌です!」

 

「僕だって君がこんな所に居たら嫌だ!」

 

「赤城は!死にたいんです!」

 

「嘘を言うな!!!」

 

少年は初めて赤城に怒った。叱るのではなく。

本当に怒りを募らせた。

 

「僕を食って僕に同情しているだけだ!思い出せ赤城!僕達は誰かの上にいて!誰かの下にいる!戦争なんてそんなもんなんだ!」

 

殺した命、活かした命、歩んだ命、巡り、合わせ―

 

戦いの中で生きているだけの命。

 

そこにある違いは、幸か不幸か、ただそれだけでしかない。

 

「姉様、帰ろう。皆が貴女を待っている。」

 

「うるさい·····」

 

「赤城!」

 

「うるさい!うるさい!うるさい!死にたいんだ!死なせてよ!好きな人が居ない世界で!大嫌いなヤツらだらけの世界で!生きる理由なんか·····!」

 

「そんなものあるわけないだろ!」

 

少年が、少年が産まれてきた理由は生命を弄んだ結果だった。

だからこそ、少年は少年が産まれてきた事が憎かった。

誰よりも、誰よりも自分を殺したくて仕方が無くて、そうして自分に絶望していた少年は、世界に挑む男の姿を見た。

不幸を不幸のままにしない。そう決めた男を、少年は誰よりも大切にした。

 

生きる理由なんかどうだっていい。いやそんなものはない。

 

産まれたからには不幸を不幸のままにしない。

 

「何がなんでも君を帰す!それが僕の最後の戦いだ!」

 

「できるものか!私は!そんな『モノ』とは次元が違う!」

 

妹に対しての言葉により少年は怒りを覚える。

この少女の一番のわがままが許せない自分は、やはりこの少女に相応しくなかったのだろう。

だが、それでも。

 

やらねばならない。

 

「加賀、自閉症モードに移行して、タイマーは3分。世界最強を騙る君の姉の頬を引っぱたく!」

 

「わかった!頼んだぞ!」

 

その言葉と同時だった。

 

先の弾幕が展開される。

 

今度は敵も味方も関係ない。

 

滅ぼしてやる。

 

七乗の弾幕を展開する。だが―

 

「!?」

 

少女は少年を、否、加賀を嘗めすぎた。

 

その身を包む様に式神を展開し、そして、音よりも早く『沈んだ』

 

「しまっ―!」

 

それと同時だった。九九式艦爆と九七式艦攻の無慈悲な殺戮が『海から』やって来た。

破片だけでも、それでも構わない。

俯角射撃、正確には対潜射撃等行えるわけが無い。

 

「卑怯者!」

 

そうだよ。

 

そう言わんばかりに零戦が赤城の下腿に刺さり爆発する。

 

「がっ!」

 

損傷と呼べる程ではないが神経を逆撫でするには充分な威力。

だが、それも直ぐに対応される。

副砲モジュールに定義付けした残りの尾に力を宿す。

 

「捌番!玖番!」

 

サウスダコタ承認!

マサチューセッツ認証!

 

「統合!超重力衝撃崩壊弾!!!」

 

それはクレイドル型の広範囲無差別爆撃をより研ぎ澄ましたモノだった。

天に打ち上げ、海に居る加賀を完全に始末する。

その為の弾丸。

 

だが―

 

パシン!

 

海中で受け止める音が響いた。

 

「ハッキングツール、『一航戦』」

 

気づかなかったのだろうか、理解できなくなっていたのだろうか、少年は敵の武装を使う事を是としなかった。

それは敵に中身が暴露された武装であるが故に、それを無力化する事も、また強奪し返す事も可能だと言うことに。

 

その力も少年のもので、そして自分に干渉する骨格である妹がいることに。

 

「弾頭の無力化確認、組成データ、初期化、構成変化、刀身形成―」

 

受け止めた弾丸、否、砲塔のなんと皮肉な事か。

自分を否定した砲塔番号は、奇しくも自分と同じ番号だった。

 

蒼の柄、白の刃、刃紋は無く、その煌めきは正に―

 

「斥力刀『殺生石』全力連動稼働―」

 

海の上を浮かびながら左手で刀を持つ。

左手の剣。邪道、外道の剣筋、それでも、それだとしても、

 

「あ、あああ、ああああああ!」

 

赤城が狂ったように叫び声を上げる。自分が詰みの一手を渡した事に何よりも恐怖した。

 

弾幕が展開する。

邪道が王道をこれでもかと斬り裂いた。

払い、斬り、裂き、砕き、吹き飛ばし、貫く。

 

「いやだ!いやだ!」

 

幾つぶつけても斬り裂かれる。

 

突き進む。彼女の為じゃない。加賀の為じゃない。横須賀の為じゃない、ましてや世界の為なんかじゃない。

 

少年の為に、少年は赤城の左腕を斬り裂いた。

 

「いやぁああああああ!」

 

繋ぎ合わせようと狂ったように左腕をぶつける前に立ち塞がれた。

 

ぱちん。

 

小さな衝撃が頬を伝う。

 

「生きてよ、赤城。」

 

「·····いやです!」

 

「そんなに嫌かい?」

 

「少佐は!何も分かってない!赤城は!」「自分こそが許せないんだろう?」

 

そうだ。本当に許せないのは、本当に少年を追い詰めたのは、本当のセイレーンは

 

赤城だ。

 

妹に口にした言葉は、自分に向けたかった言葉だ。だけど、それを言えば、皆が止めに来てしまう。

 

死ぬのなら一人がいい。

 

独りで少年を分かった気になった自分だけが灰になればいい。

 

そう思っていた。

 

「悪役のフリなんかするなよ。君は演技派なんだからさ、皆驚いちゃうよ。」

 

少年は少し寂しそうに微笑んだ。

 

「こんな女に何の価値があるというのですか、愛した人を食らって、ならせめて、化け物は化け物らしく―」

 

その言葉に首を振って否定をする。

 

「化け物なんかじゃない。」

 

そうだ。化け物なんかじゃない。彼女は―

 

「僕のお嫁さんだ―」

 

その言葉を言うべきなのを少年は死んでから理解した。

 

「お婿さんはお嫁さんに死んで欲しいなんて思わない。どうか生きて、生き抜いて、隣に居られないのが悔しいぐらいに君が美しい事を信じたいんだ。」

 

「ふ、ふ、ぅぅうううっ。」

 

「ごめんね。伝える言葉を間違えて。どうか生き抜いて欲しい。加賀と仲が悪くてもいい、皆と一緒じゃなくてもいいよ。でも君だけの幸せを見つけて、僕が悔しくなるぐらい幸せになっておくれ。」

 

加賀の右腕を伝って少年は赤城の服を引っ張る。

 

「愛しています。赤城。君が僕を愛してくれなくても僕は愛し続けます。この太陽に負けない程にと。」

 

彼女の唇を奪った。

もう大好きで仕方が無くて、壊れる程愛おしくて、溢れかえる愛があることに気づいた少年は確信を得た。

 

「君や世界と違っていても、これは僕の愛なんだ。君のそばにいられなくても君に幸せになって欲しい。その為なら僕は、死ぬ事も、戦う事も、もう一度死ぬ事も怖くなんかない。」

 

本心だった。本当に愛している。

モノや肉欲や情愛じゃなくて、ただ、彼女が青空の下に居てくれる。それが誰よりも嬉しい。

 

「加賀を連れて行ってくれ。バイパスすらグチャグチャにしてしまった。」

 

「少佐、少佐は良いのですか、ひとりぼっちで、悲しくは―」

 

「それ、言われると思ってた。でもさ、僕の中の答えはブレないよ。僕は―」

 

男の子だから。

 

そんなちっぽけな理由でも、女の子に酷い目にあって欲しくない、悲しい気持ちよりも笑顔でいて欲しい、沢山の赤城の幸せを願う理由がそこにあった。

 

「生きろ。生きて、泣いて、苦しんで、その何倍もの幸せを掴む為に頑張れ、赤城。」

 

「赤城は、赤城は幸せ者です。皆に思われて、少佐に想われて、ごめんなさい少佐―」

 

アナタを守れなくて。

 

朧気な少年の亡霊が自身の背骨を握り締める。

斥力太陽の流れが弱まり、帰り道を思い出すように指さした。

 

「ニーミ達も死んでないはずだ。連れて行ってくれ。」

 

その指さした方向へ進む。

少年がもう豆粒程になったところで駆逐艦達を見つけて拾い上げる。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい·····」

 

赤城の謝罪に三人とも応えた。

 

「俺様こそ悪かった。気遣えなくて、レーベの名が廃っちまうなぁ。」

 

「上を変えられないとは言え甘えすぎですね。」

 

「正義の味方失格ね、一番近くで泣くのを我慢してる子達を泣かせなかったなんて。ごめんなさいね赤城。」

 

その言葉に泣きながら歩を進める赤城を三人の駆逐があやしていた。

戻る頃には顔はグチャグチャでそれでも両腕が無い愛宕に飛びかかられて、謝って、皆が泣いて口にした。

 

「おかえり。」

 

 

 

 

太陽の中で少年の亡霊は自身の背骨を握り直す。

力は強まり、そして、膨れ上がり―

 

「さぁ、ここからだろう?セイレーン?」

 

虚空に問うた。

 

「素晴らしい、流石は我らのはらからよ。」

 

「お前の中の人間の欠片こそが我らは欲しい。」

 

50年前突如として現れ、そして、レオン・ジーという男を選ぶ『フリ』をした2体の特異型セイレーンが囁く。

 

「お前ならば永遠に我らを率いれよう。」

 

「お前であるのなら我らはようやく辿り着く。」

 

人間はその言葉を使う。

成長、躍進、進化、覚醒、促進、到達。

 

だが、人ならざるモノたちはその言葉の物差しを持っていない。

単に超越。

 

言葉ですら、そもそもの比ではないのだ。

 

「·····ここまで来て分かった。お前達は『勝った未来』のセイレーンだな?」

 

そう人類は勝った。勝ったのだ。

大なり小なり、人ならざるモノに勝利し、そして、気づいたのだ。

 

やり直したいと。

 

喪ったものに対する執着こそがその結末を呼び寄せていた。

1年先だろうが100年先だろうが1000年先だろうが。

 

「例えお前が今ここで否定しても人は繰り返す」

 

「哀悼という言葉を吐き、我らを!」

 

そう、全ては哀悼から始まった。

そしてやり直したいというくだらない意志の基に戦争は繰り返された。

 

「我らはようやく得る!ようやくだ!」

 

「お前を!お前という力を!あぁ!人よ!いや違う!お前の名は!」

 

『指揮官』

 

「誰がてめぇらみてぇな阿婆擦れに腰振るってんだよ醜女が」

 

少年は数少なく、決して乱暴な言葉は使わない。

だが、こいつらは少年をトコトン怒らせた。

 

「僕が愛してるのはただ一人だ。その子はどこまでも強くて、可愛らしい、お前らじゃ逆立ちどのろか100万回死に直しても足りねぇんだよ!」

 

そうだ。彼の世界は。彼が生きた世界には。

 

「僕が愛してるのは赤城だ!あの子が生きる世界の為なら僕は死のうが!お前らと向き合おうが!折れる訳にはいかねぇんだよ!」

 

背骨を握る力が強ばる。

信じている。皆が幸せになれなくても、笑っていることを。

戦争を忘れずに、もう戦争は嫌だって、少女に戻れることを。

 

斥力太陽はS海域と呼ぶセイレーン発生海域と特定された世界をひたすらにやき尽くした。

赤く紅く、どこまでもいつまでも太陽は消えなかった。




色々と書き直しました。
加賀の水着が最終決戦兵装の名前になりましたね。


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W

「何で私に聞かせたの?」

 

劉の話を聞いていた私は聞きたかった。

それは、私が、私のおじいちゃんと、ママの人種が違うことに関係してるの。

 

「そう、それが正解」

 

顔色を見て正確に答えられる。

途中で気づけた。

おじいちゃんは無理にでもここに連れてきた。

それが理由なんじゃないかって、それは私が。

 

「私はレオン・ジーの肉親なの?」

 

「まぁ二割ぐらいは同じ血が流れてるな」

 

やっぱり。私はどこか分かった事があった。

私もやっていいのなら同じ事を選べた。

戦争の為の人間を作って楽をする。

邪魔な人には簡単に死んでもらう。

その方が楽だ。

 

「お前の母ちゃんには念を押したよ。ガキ作るんだったら殺される覚悟ぐらい持てよな。って」

 

そりゃあ、そうだよね。

普通だったら殺してるよ。

ごめんなさい。産まれてきて。

名前もない子供に謝るのって変だな。

 

「まぁそれ以上にな」

 

劉が立ち上がる。

 

そして指を一本基地を見ろと言わんばかりに示す。

 

「この景色を見せねーとお前の母ちゃんとの約束破ることになるからな!」

 

基地の中から爆音が響く、なんだアレは。

アレは。

アレは。

 

「く、る、ま?」

 

車が空を飛んでいる。嘘みたいに。馬鹿みたいに。その背面が爆発してるかのように火を灯して空を飛んでいる。

 

「あー!マジでこれ外したらハズかったわ!」

 

劉の叫びに意味が分からなくなる。

何が、何が起きているんだろう。

 

「この近辺な、あえて手を加えなかったろ?」

 

その理由は表向きは忌まわしき横須賀の放棄、裏は―

 

「少佐ー!いってらっしゃいなー!」

 

おじいちゃんが叫ぶ。腰が弱いのにそんなに叫んで、叫んで、少佐?

 

「この戦後の数十年、この横須賀基地は独立状態だった。たったひとつの計画の為に」

 

少年を取り戻す。

その戦いを選んだのは、赤城ではなかった。

エル・ヴァーノンという女性がメンタルキューブの更なる解析に明け暮れるためのスペースとして要求したのだ。

その要求が呑まれないのなら、その全てを公開すると、脅しをかけて。

長く長く気が遠くなりそうな時間、付き合ったのはたった一人。

 

「エッカルトの野郎、やりやがったな―」

 

そう、斥力太陽所持者の総書き換えをする為に老人は生きたまま頭を開き、培養液の中で戦った。

奇しくも帝竜カンパニーという会社を務めた時間の分だけ、彼は彼女の研究に付き合った。

 

「カカッ!やっぱ俺の目利きは腐ってねぇな!」

 

料理人は勝ち誇る。

夏の空にビールを飲んで笑う。

その様を見た少女を見て料理人は誇るように微笑んだ。

 

「アイツが信じた世界だ。間違えたりなんかしねーって俺も信じてる」

 

生きていて良いということなのだろうか。

分からない。けれど、この空を、この心を、この世界を、私は好きになれたと思う。



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エンドロール

本当の始まり


真っ白な世界で僕は思い出すように歌を歌う。

誰に向けて、何の為に、どうしてなのか、歌を歌う。

忘れては行けない何か、無くしては行けない何か、その為に歌を歌う。

歌を歌って痛む。歌が続かなくて苦しむ。

ごめんね。ごめんね。

謝りたい想いを歌にする。

弱くて、守ってもらってばかりで。

歌を歌うことがせめて、せめてもの償い。

歌が好きな訳じゃない。

でも歌を好きだと言ってくれた誰かがいた。

優しい子で、強い子で、寂しがり屋で、怒りん坊で、大好きだった。

歌が続かない。続けなくちゃ行けないのに。

 

 

 

 

 

 

 

自分が弱くって嫌になる。

 

「そんな事ないさ」

 

え?

 

「よく頑張ってくれた。もう疲れただろう。代わるよ」

 

誰?どうやってここに?

僕は出たいとは思わなかった。だけど、入れないなと、確信は得ていた。

 

「なるほど、セイレーンが確保した星図パターンへの反応がプロダクトキーになっているのだな。それを君は歌に変えたのか」

 

僕の、僕の事が分かるの?

 

「分かるよ。君を分かるから、君の不幸を変えに来た」

 

どうしてだろう、どうしてなんだろう。

 

「行きたまえ。したい事をしていけ」

 

君の、アナタの、名前を、知っている、覚えている。

 

「その名前は君が持っていけ。世界に挑んだ男の名前だ。君にこそ相応しい。」

 

まって、待ってよ

 

「行け、マイケル!」

 

きょう、じゅ。

 

「·····そう呼ばれる資格はもう無いよ」

 

きょうじゅ、教授、マイケル!

 

「君の名前だと言っているだろう。まったく、君の嫁がやっかむぞ?」

 

ごめんなさい、ごめんなさい!弱くって!ごめんなさい!

 

「何を言う、儂が戦うに値する理由は君だ。なぁに君は40年も戦ったんだ!適当に5億年ぐらい殴り合いしてやろうぞセイレーン!」

 

 

 

 

 

古臭い臭いがする。錆の臭い。

それに伴って塩の臭いがする。鼻を刺す臭いがする。

『彼は』まず眩しいを理解した。

『彼は』次に寒いを理解した。

『彼に』毛布がかかる。

そして、

 

「おかえり、少佐」

 

しわくちゃの老婆が座席越しに優しく話しかけてくる。

右の腕と足が灰色のグチャグチャした何かと繋がって気持ち悪く見えるが、少年は毛布を脱いで走って彼女に抱きついた。

 

「ぐんそう、軍曹!」

 

それはエル・ヴァーノンだった。

あれから40年、そしてろくすっぽの治療をしなかったツケが回り、肌はより汚くなり、右の腕と足を機械に繋げて自分の達成する一大プロジェクトの効率化に励んだ。

 

「おいおい、折角かけた毛布を脱ぐな。目のやり場に困るだろう?」

 

毛布を掛けていたのは覚えている。

そうだ。

重桜航空母艦―

 

「加賀·····」

 

「おかえりなさい」

 

その身体に何の損傷もないことを見て少年は胸を撫で下ろす。

 

「身体、何も無かったんだね。ごめんね無茶させて」

 

「キズがあったら良かったらしいぞ?」

 

抱きついた老人の言葉に少年は頭を混乱させる。

だが、それをさせないというように加賀はその言葉を口にした。

 

「義兄さん。そう呼んでも良いですか?」

 

その言葉は少年を泣かせるには充分だった。

そんな風に言われる資格は無い。

少女達に戦争を押し付けた人間モドキの自分への言葉ではなかった。

 

「義兄さん、行こう」

 

どこに?そんな言葉は出てこない。

肌触りのいい子供用のシャツとパンツを渡されて着替えをする。

着替えて、ようやく気づいた。

 

「軍曹、軍曹は·····」

 

そう機械に繋がれた彼女は囚人と何が違うというのだろうか。

だが、彼女は笑っていた。優しく、誇らしく。

 

「私の居場所はここだよ。少佐」

 

その言葉がどういう意味かを思い出させた。

それがどれだけの意味を持つのかも理解した。

ここは彼女の思い出の場所で、彼女の全てになったのだ。

 

「大丈夫、皆たまに来てくれるんだからさ」

 

笑って返して、そして左手で手を振ってお別れを告げた。

 

「義兄さん、こっちだ!」

 

当時は無かった格納庫に仕舞われたモノを見て少年は目を丸くした。

それは車だった。

青色の速そうな車だった。

 

加賀の接近にドアが開閉される。

少年は急いで助手席に乗るが、ドアが閉じるのはとても遅いが、ぱちんと音を立てて閉まる。

 

「さぁ行こう!」

 

どこへ?その返答は格納庫の前にあった不自然な―

 

「坂?」

 

「ダブルエイト!見せてやれ、モードストラスフィア!」

 

座席に座った少年をまるで座席にワイヤーで固定される。車は横に広く形状を変えてそれはまるで翼のよう。

エンジンの起動、サイドブレーキを外し、クラッチを切り、アクセルを踏む。

だがその速度は。

 

「あべべばびばべべぼば!」

 

「舌を噛むなよ!?」

 

まるで、というか、これは、そう。

ロケットエンジンだ。

坂を登り天に向かい、それでも火を吹き、きりもみで空を飛ぶ。

 

「はー!はー!はー!」

 

少年が息を整えているのも梅雨知らずに加賀が何かのスイッチを入れる。

 

『·····少佐、私達は軍曹を信じることにした。だからその為に目標を皆で決めた。この録音はその目標が達成しようがしてないが聞かせるつもりだ』

 

それは加賀の声だった。

加賀は少年を見ないように少し恥ずかしいのか顔を背けていた。

 

『私の夢は、貴方を兄と呼び、そして、姉様と笑い合いたい。気づいたんだが、鴨だしの蕎麦とマルゲリータピザが美味しいんだ!バカみたいな組み合わせだろう?でも君と食べてみて、君の感想が聞きたい!』

 

「すまん。当時は私も馬鹿だった」

 

今の加賀が昔の加賀をバカにするが、少年は否定した。

 

「美味しいんだよね?食べに·····僕、味·····」

 

「その為に40年賭けたんだ。大丈夫。ちゃんと分かるよ」

 

そう言いながら小さな箱を出した。

そこにはデカデカと弐兎と書かれていた。

 

『ぼくの夢!』

 

力強い声が車内に響いた。

 

『ぼくの夢は!少佐がぼくの作ったお菓子を、もっと!って言ってくれること!少佐!ぼくお菓子もっと上手くなります!』

 

飛龍の力強い誓が響いた。

加賀は箱の中のプチシューを少佐の口に突っ込む。

甘い。程よく甘くて、ふわりとしていて、あぁ。

 

「もっと、もっと、食べたい·····」

 

少年がぽつりぽつりと呟く。涙を流しながらお菓子を食べて塩っぽく感じるけど、美味しい。その言葉の意味を理解出来る。

 

「コラー!そこの宙天飛行車ー!」

 

窓の外、ここは上空を超えて、対流圏と成層圏の境目、そんな空を飛んだ車の窓を叩くノック音と叱る声が響いた。

 

「お菓子食べながら泣いてるのは違反よー!」

 

そんな風に言いながら重桜重巡洋艦高雄型2番艦、愛宕が笑っていた。

 

「え!?えっ!えええっ!?」

 

『私達は決めました!というか信じました!少佐のあの白い太陽を!だから少佐の教官殿に教えを頼んでいます!海よりも広い海で私達に出来ることがあると信じて!』

 

録音の音声になお驚いていた少年に掌にある機械を見せる。

 

「重桜の葛の葉という企業が戦後即設立してな健康診断用に詳細なデータを保有する気象観測衛星を欲していて、そしたらアイツら全員履歴書持って走っていったんだよ」

 

加賀が大爆笑しながら車体の微調整をするが、その様を見て愛宕ぷんすか怒る。

 

「何よ!加賀なんて『私は義兄さんに蒼空を見せるんだー!』ってスパナ一つで車会社に乗り込んだクセに!」

 

「おい!それを言うな!」

 

この車は加賀自作の物なのか、そう思うと思わず少年は頭を下げてしまう。

 

「ありがとうね」

 

「いや、本当に蕎麦とピザは美味いんだ」

 

「こだわるね」

 

「こだわるさ」

 

そう言いながら少しずつゆっくりと落下していくのが分かる。

 

「気圧変動で耳が壊れたりしないんだね·····」

 

「葛の葉が提唱した技術と後は―」

 

『ビーバーズ!私達は、うん。正義の味方よりももっと簡単な事をしようと思います。旅行会社とか。って思ってスケジュール管理の勉強してみたんだけど、教科書だけで6冊あるの!がんばらなくちゃね!』

 

チャールズの録音に少佐が、はっ、と加賀を見る。

 

「正解。こういうのの旅行プランというか空は今、ほぼ独占状態だ。マスコミに言うなよ?」

 

あははは、と乾いた笑いが起きて落下速度を微調整していくと次の録音が回った。

 

『少佐、俺様だ。まず言わせろ、ニーミがウザイ。っていうか少佐のせいだからな!あいつがダイズでソーセージ作るの!パブやりましょうよ!って俺様はレーベランドを開園したいんだよ!』

 

『ダメです!夕立ちゃんやラフィーちゃんならまだしもレーベ先輩はニッチ過ぎます!』

 

『お前!仮にも先輩だぞ!?』

 

『ほら!作り方覚えましょうよ!』

 

ケンカ、というより仲睦まじいような話し合いが響き渡る。

 

「間を取ってレーベ寿司になった!後ろにソイソーセージ寿司があるぞ!」

 

「待って·····」

 

加賀の宣言に少年は理解を放棄した。

そして以外に美味だった。

 

『私の夢、どうしようかと思います。私が一番少佐を理解してるフリで一番酷い女だったと思います。でも、少佐、甘えさせてください。生きる世界があるんだと。貴方が死ねという日が来たらその日に死にましょう。だからそれまではお願いします』

 

それは飛龍の姉の声だった。

 

「蒼龍·····」

 

『·····89番、貴方の全てを捻じ曲げてごめんなさい』

 

聞いた事がない声だった。

だけれどもその声は続く。

 

『私は蒼龍さんと一緒に施設を経営していきます。どうか蒼龍さんを許してあげてください。罰せられるべきは私です。エッカルトも、アラスターも、エルも、貴方も、レオンすら使った私こそが真の戦争犯罪者です』

 

その言葉を聞いただけで義妹に頼らなくてはと力強く見つめる。

 

「―加賀!」

 

「そう言うと思った!」

 

向かう先はサンフランシスコの外れ、小さな小さな老後介護施設。

そこでパラシュートを展開したダブルエイトと言われる車が着陸する。

 

そしてそこから降りた少年がドアを開けてまず真っ先に胃の中身を吐き出した。

 

「すまん、艦船でテストはしたんだが、人体は圧で保たんかったか」

 

「い、良いよ。気にしないで·····」

 

むせるように吐き出して介護施設の扉を開く、窓口に彼女は居た。

 

「しょう、さ·····」

 

「蒼龍·····!」

 

「ごめんなさい、ごめんなさい·····!私、本当に!」

 

「良いんだよって言ったじゃないか!良いんだよ!あんなモノを残してごめんね!蒼龍!許して欲しいのは僕だよ!」

 

「そう言ってくれると甘えてる自分が情けないの·····」

 

「蒼龍は悪くないよ!本当に僕が·····」

 

そう言っていた時だった。

不意に後ろに居た人が持っていた雑誌を落としていた。

 

「え、エイトナイン?」

 

小柄な老人だった。

その顔を見覚えがあった。

嘘だ。そう思うほどに少年には驚きがあった。

 

「ゼロツー!?え!どうして!」

 

「おぉい!みんな!エイトナインだ!アイツが帰ってきたぞー!」

 

少年の問いに答えずにぞろぞろと沢山の老人がロビーに溢れかえった。

誰も彼もがそこに居た。

少年は本当に涙を流して誰が誰なのか通信での間でも分かる。

 

「どうして、どうやって?」

 

「寧海総督のお陰でな·····」

 

オリジナルの寧海が可能な限り『生産』の時点でコードの改竄を続けていたらしい。時に金を握らせて、時に全てを書き換えて、子供達が一秒でも生きられるようにして、そして、戦後の子供達に不自由の代わりに延命として『老化』という状態を保つ事で生存を可能とするのが精一杯と本人は泣いて謝っていた。だが少年達には充分だった。

 

全員が人よりも早く老いて、人と同じ速度て人生を楽しんでいた。

 

「エイトナイン!今度遊びにこい!ビリヤードでお前を負かしたい!」

 

疑似恋愛の対象はその老いと共に荒っぽさは抜けたのか、それでも楽しそうにしていた。

何度もショットのフリをして、本当に楽しそうにしていた。

 

「おじいちゃん達ー!いちおーアンタら80代で戸籍偽造·····」

 

そこに居たのはやっかましく子供の老人達を叱る艦船、いや知っている。エイトナインは89番は彼女を知っている。

 

「覚えている·····」

 

「·····はじめまし―」「覚えています!」

 

顔は覚えていない。いや認識出来ないようにされていた。だが、その人は自分に言葉をくれた。

 

「前へ進めました!一歩!貴方が勇気づけてくれた!」

 

「何が認識阻害よ·····全然できてないじゃないクソ開発共、私は貴方に恩を感じてもらうような·····」「生きてください!お願いします!じゃなきゃ!」

 

悲しくて!苦しい!

 

その胸の中にある言葉を吐いて、先程の嘔吐の疲労ものしかかって少年は気を失った。

 

気がつくとベッドの上に居た。

点滴を打たれている。

横を見ると加賀が口に指を当てて「静かに」のポーズをしていた。

 

「ヴェスタルさん来れないの!?お願い!あの子ぶっ倒れて、今ウェストバージニア!?」

 

ドアが開いているからだろうか、寧海の声が響く。

まるでその様は母親か何かだ。

 

「ごめんなさい明石さん!急患で、違うの精密検査して欲しくて·····!」

 

「『総督』と呼ばれるに値するだろう?」

 

加賀穏やかに笑みを浮かべる。

思えば少年の基地の食糧難改善案のほぼ全てが通ったのは、確かに不自然ではあった。

 

「おお、起きたか!今は昔の恋人よ!」

 

自分と同い歳の老人の叫んだジョークのツボが分からなくて引き笑いを浮かべるが、そのすぐ後に寧海が駆け込んで、指をさして状況を整えて理解し、加賀に照準を合わせた。

 

「轟け·····!」

 

「ハッハッハッハッハッ!真実を知っている方が幸せだろう!」

 

「『総督』、そうお呼びしても良いですか?」

 

少年の言葉に、寧海が顔を曇らせる。

 

「そう呼ばれる資格はないわ。貴方を酷い目に合わせて」

 

「違います。私には誰よりも勇気を貰えた。生きる事が大変で、人と人とでこんなにも争って、苦しんで、悩んで、それでもそれでも―」

 

そうか、少年は、石ころと呼ばれた英雄に、勇気と未来を貰えたのだ。

 

「90年、戦い抜いたんです。もう自分を許してください。僕に力をくれた人。今こうして皆を、戦った少年達に未来を渡してくれて、何よりも感謝しています。僕はそこまで気が回らなかった。不甲斐ない」

 

目の前の少女達にしか想いが行き渡らない。

それがなんとも悔しくて、やはりそう呼ぶに値する。

 

「総督、89番は無事、帰還しました―」

 

少年は帰る場所を作ってくれた少女に敬意払い、帰って来れたことを告げた。

 

「おかえりなさい、母さん―」

 

そこに少女の母の欠片はあるのだろうか。

無かったとしても、あったとしても、それでも寧海はその言葉を言いたかった。

 

起き上がって窓口で泣いている翠の兎を抱き締める。

 

「悔やんでも悔やみ切れないなら、それぐらいの言葉はずっと聞くよ。だから、蒼龍、もう終わったんだ。生きていこう。したいことが無いのなら、僕も探す。だから―」

 

「それだけ言われて、悔やんでいたら私は馬鹿じゃないですか。もう―」

 

蒼龍もまた戦争に引きずられていた。

だけどそんな心は、持たないでと、そう願うしかないのだ。

 

ダブルエイトに乗り込み悪路を渡るように加賀がホイールを交換していた。

義兄に気づいた彼女は、ただ一言

 

「ありがとう」

 

それだけを言って車に乗り込んだ。

ウイングは格納され陸路を渡る。録音の続きが響いた。

 

『少佐!ごめん!ずっと疑ってた!何が出来るんだろう!何がしたいんだろう!私!何をしたいのか分からなくて!そうしたらさ!軍曹が、ご飯食べさせてやれよ。お前沢山食べてたろ。って私、それで良いかな!?私の好きなご飯!横須賀のご飯!少佐に食べて欲しい!私!毎日美味しいご飯食べれて!幸せだったんだ!』

 

「というのを今聞かせた」

 

加賀がサンフランシスコのドンファンタウンの外れ、ドライブスルー可の蜂食という店の店長に聞こえるようにスピーカー音量を最大にして店の中に聞かせた。

 

「加賀ぁぁあああああ!」

 

「私麻婆茄子丼と羹、野菜多めで」

 

「あの僕、店長のオススメで」

 

少年と少女のオーダーに顔を真っ赤にしながらも受け入れ、店自慢のスープと焼きそばと焼売と炒飯を渡された。

 

「また来てね。待ってるから、団体でも良いし、話もしたいよ」

 

「うん。近いうちに」

 

陸路を渡る。目的地までどれぐらいなのだろう。

夕方に差し掛かりビルに沈む夕日を見て、明るい夕暮れに微笑む。

 

『夕立の夢!夕立!先生になりたい!少佐が苦しんで覚えたモノよりも皆が笑ってられるコトを教える先生になりたい!何の先生になるかは分からない!でも夕立頑張るよ!少佐が!少佐がくれた未来に負けない!この心に横須賀がある!』

 

夕立の言葉と加賀が後部座席にあった紙袋を渡す。

その中には沢山の本だった。

 

「色んな先生になっているよ。文系も理系も経済も、色んなところの先生になって頑張ったんだ」

 

野山をかけるのが精一杯。

誰の言葉だったろうか。野山をかけてあらゆる生命に教えていったのだ。小さな事でもいい、人に教えて生活を豊かにしていったのだ。

 

『ヨークです』

 

ロイヤルの重巡洋艦の声が通った。

 

『私はシークレットサービスに入ろうと思います。思い上がったジョンブル共にツケを払わせようと考えています。少佐、可能な限りでいい、なんとかしてみたい。未来の輝きを一つでも手にしたいです』

 

「失敗してな、仕方が無いから今は―」

 

そう言いながらダッシュボードを指をさすと。

その中にはポスターがあった。

 

「議員になったよ。これしか無かったらしい」

 

優しい微笑みを浮かべて撮影されている一枚に何だか幸福を覚える。

隣に金髪の女性が見える。

 

「同じ党のロイヤルの議員さんだ、ヴァキャベルと言ってな、艦船への理解が高くてな。就職難や食糧難の殆どに高い水準で改善案を毎年のように更新してな。お陰でヴァキャベってる。って造語が出来たほどだ」

 

加賀が苦い顔を作っていた。

その様に首を傾げていると―

 

「意識が高い。って意味だよ」

 

なるほどね。と思って少し瞼を擦ってしまう。

欠伸も、不意に出てしまう。ごめんねと言う前に加賀が囁く。

 

「構わんよ、眠るといい。座席『状況』を変える」

 

そう言いながらボタンをタッチすると助手席の材質がふわふわと柔らかくなり、ぺたぁ、っと倒れ込む。

身体を縫い止めるように緩いワイヤーが布を吐き出して毛布の役割を果たす。

 

そうして数時間運転して、目当てのコンビニエンスストアに辿り着く。

 

車に鍵をかけると、おかしな事に店員達が駐車場で待っていた。

 

「仕事しろよお前ら」

 

加賀が笑いながら三人を見ると真ん中の紫の髪の駆逐艦が愛想笑いを浮かべる。

 

「てへへー少佐の寝顔見てみたくて·····」

 

「本当に戻ってきたんですか?」

 

「ノルウェーのビール、少佐と飲みたい」

 

ジャベリン、綾波、ラフィーは今はコンビニエンスストアを経営してる。

最初は三人とも大統領の警護というとんでもないスカウトが来たが、二年で気づいてしまった。

 

少年に会えないんじゃないのかな?

 

地位や名前や色々な事よりも少年に気楽に会いたい。

そう思ったら三人とも自主退職し、スリースターという名前のコンビニエンスストアを始めていた。

 

「飲ませんぞ、肝臓ツヤツヤなんだからな」

 

「では、肉ネギおにぎりを」

 

「ジャベリンフルトを!」

 

「弐兎の野菜ジュース·····」

 

それぞれが明日の少佐のご飯を持っていた。

ビールのくだりは冗談だろう。

だが、笑ってクレジットカードを出して支払いを済ませると思い出したように三人が言う。

 

加賀(さん)塩臭いです(よ)

 

「はぁ!?」

 

上がっていけと言わんばかりに、コンビニと同時兼業しているモールのシャワーを彼女に勧める。

 

シャワーを浴びる。そうするとそれが目に付いた。

 

「ヘレナは『これ』になったなぁ」

 

明日『読む』であろうヘレナのメッセージを思い出す。

 

『少佐、私は小説家になろうと思います。起きた出来事を少しずつ世界に広めていこうと思います。できるかな?って思うけど、やってみます』

 

不安であったが小説は帝竜カンパニーの販売で本屋に置かれたが、これがまた不思議なことに小説の中に出る少女の最後、太陽の元で世界に平和を祈るシーン、こと細かく書かれたその匂いを、再現しないか。そう話が上がった。

 

今では小説家は副業で、主に香りへの仕事を果たしている。

 

それはこのシャワー室の備品からも見るようにかなり世の中に浸透していった。

 

主人公の少女のモチーフはもちろん少年。

そして、その匂いのイメージはあの時の太陽だった。

 

優しい、暖かい気持ちになる、良い香りがする。

 

店員達にモールの一室を借りて、少年をベッドに寝かせる。

 

『ヴェスタルです。少佐ちゃん、医療というか少し考えたのだけれど、皆がもっと穏やかに眠れるようにしたいって思ったの。だって少佐ちゃん気づていないと思うけど床ずれしてるんだもの!子供から老人への揺りかご、優しいマットを開発していきたいです!』

 

それはその女神の名前を冠する物の抱擁か、少年の身体は自然に沈み、骨は一番リラックスした状態で眠りにつく。

 

「おやすみ、義兄さん」

 

毛布を被せて、加賀もまた別のベッドで眠りにつく。

 

 

朝、起きて、少年はトイレで用を足し終えると、思わず笑ってしまった。

彼の姿がそこにあった。

 

「曹長·····」

 

加賀がそれに気づき録音ファイルを開く。

 

『少佐、君にこんな事を言うのは恥ずかしいが、金がいる。だから、俺は金を稼ぎたい。エルの研究が少しでも進みやすいように稼いで稼いで、エルに金を渡したい。それに君以外の生命達、デザイナーズチャイルドは君だけじゃない。金を稼ぐのに一番いいのは、余りにも皮肉で、吐き気がするが、俺は、役者になるよ。一番の役者だった君を思い出して、何もかもに俺の名前が使われて、それで、俺の懐に金が入り、少しでも君が早く帰って来れるように、少しでも君が穏やかに生きてられるように、俺なりに世界を変えていこうと思う』

 

彼のように強く健康な歯を。

そんなキャッチコピーと歳を取っているとは思えない屈強さがうかがえる彼の顔に少年はその歯磨き粉に頭を下げた。

 

「一番凄い役者。って言う世界規模のアンケートでな、殿堂入りしたよ。その影響もあって身体が壊れるじゃないかってぐらいのアクション撮影を馬鹿みたいなスケジュールでやっててな」

 

あれだけ凄い人だったんだ。

もっともっと凄いことをしたんだろうな。

そう思えて、その話を聞けただけで勇姿が見える。

 

「色んな言い分で、各所に金を渡して、いくら稼いだのか本人も忘れた。って言ってマネージャーがな」

 

続きは録音データに委ねた。

 

『レパルスです。えっとさ、なんて言うかさ、皆夢大きすぎない!?ここまでの録音に立ち会ってなんだけどさ!もう!この人達引っ張れてる少佐はなんなの!?』

 

「あはは·····」

 

たまたま、だよ。そう言いたくなる。

だけど、録音は息を長く吸って、答えた。

 

『もうね!気づいた私だからやる!私が皆の経済面のマネジメントします!税理士かな、とりあえず!あーもうさー!みんなのお財布は私が握るかんね!?』

 

決意した叫びの後にぷんすか怒る息の後、続いて凛とした声が響く。

 

『マイクは、ここか·····』

 

そう言ってマイクの接触音がごそりと響く。

誰の声なのか分かる。

 

「レナ、ウン·····」

 

『少佐、両目、両足、リュウコツ機能が壊れました。でも、不思議と辛くはありません。治せそうな気がします』

 

声は静かだけれど、とても自信に満ち溢れていた。きぃ·····と車椅子だろうか車輪の音が響く。

 

『あの虹の光、あれをもう見ようとは思いません。あれは戦争の光だと思っています。私はもっと違う色が見たい。そう思うと、今から何をするのかまるで想像はつかないのに、貴方と出会う時、私は五体満足で両目も使えて、貴方を驚かせている。確信できる。だから、待っていてください』

 

加賀が今日の新聞を少年に渡す。

そこにはこう記されていた。

鬼コーチレナウン、次の種目は野球に決定。

 

「オリンピックは義兄さんがいた頃にはやらなかったな。レナウンは20年、リハビリに励んだよ」

 

最初は這ってでも脚という部位を動かした。

浅い水の溜まりでもがき、暴れるように動かすことに成功し、それから目の回復に注力した。

セイレーンの因子が強く残っているそれを、薄めて行き、瞳は金のままだが、人並みに認識は出来るようになった。

それから各国首脳に頼み込んだ。

もし、自分の中のセイレーンが暴れることがあるのなら例えそれがどこであろうと近くに誰がいようと、お願いします。

あの少年達と同じ脳死を可能とするチップを入れてください。

 

「なんて、ことを·····」

 

少年の実態を聞かされて、あの頃の少年と本当に同じ速度で走ってしまった。

だけれど新聞に映る彼女はとても優しく、とてもカッコよく見えた。

 

専属コーチになった選手が余りにも強すぎる為、オリンピックに出させない事を、宣言させられた。

 

だがリハビリを終えて20年の時間で沢山の競技者に世界記録という、本当の頂点を歩かせることに彼女は成功した。

 

1人、1人、1年という時間を賭けて、彼女は育んだ。

 

そして、決まって彼女は老若男女ともかく満面の笑顔で言うらしい。

 

「ありがとう。私の誇りになってくれて」

 

今ではその老若男女の成功者からの求婚アピールが一つのテレビ企画として成立しだした。

だが全員に首を振って、気持ちに感謝を言い、告げた。

 

「教え子と関係を持つなど言語道断!だが·····」

 

その愛に誰よりも感謝している。

ありがとう。私の教え子達。

 

そう言って彼女は沢山の花束を抱えて今日も教えを授けている。

 

最初に決まって言う。

 

「強い選手じゃなくて、思い出に残る選手になろう。誰か一人、仲間でもいい、貴方と相対した人でもいい、たまたまニュースで見たぐらいでもいい、でもその人達が忘れないでいてくれる選手になろう」

 

彼女もまた、居るのだろうか、そんな選手が。

もっぱらではアラスターがそうではないかと言うのがマスメディアでは報道されている。

 

「義兄さん、罪な男だな·····」

 

「いや!あの!えっと!」

 

「冗談だよ、レナウンは今、ある楽団のヴィオラの演奏者と交際してるのを宣言したよ」

 

ノッポ。そう言いたくなるような高身長の丸メガネの茶髪の青年手を繋いで、微笑んでいる写真を見せられる。

 

それに安堵すると少年のお腹の音が食事を欲した。

 

朝ごはんにおにぎりとウインナーと野菜ジュースを食べ終えるとまた車で移動する。

 

『··········少佐』

 

それは、忘れてはいない。いや忘れてはいけない。

ずっとずっと覚えている。

その声が誰なのか。忘れていない。目を覚ます前に聞いた声だ。

 

「教授·····」

 

『儂はもう長くない。だから君に会えない。そうは思わなかった。なんというのだろうかな?儂の人生は確かにやりがいがあった。だけども儂自身にとっては途轍もなく·····』

 

どうでもいい事になってしまった。

 

その言葉の意味を老人が続ける。

 

『なんだろうな。40年社長をした。それは良い。20年ぐらい勉強した。それも良い。10年辛酸を浴びるかのように飲まされた。それも良い。良いことになった。なってしまった。だからな―』

 

君と過した一年にも満たない時間がどうにも悔しい。

もっと、もっとなぁ、そう思えてしょうがない。

やり直したいんじゃない。自分がただレナウンを強くする枷にしかなれなかった。

それが恥ずかしい。

 

『だから、本当に、儂がやりたくてしょうがない事を、いや、違うな、儂の夢だ。もう夢を見る歳でも無いのに、叫びたい―』

 

君を守りたい。

 

そんな風に思ってくれたのか。

ただの使い捨ての生命を。

少年が信じた英雄は、最後まで少年の心を、生命を、救う英雄であり続けてくれた。

 

涙が止まらない。渡されたティッシュ箱で涙を何度も拭う。

 

『少佐、アタシだ。エルだ。·····ごめん。居場所をくれた人を蔑ろにして·····何年かかるかなぁ。わかんねぇ。でもさ、私の居場所は本当に横須賀になったよ。寝ても醒めてもガキ共の笑い声と飯の取り合いと、お前がくっそ不味いモン食ってるところ、その部分が本当に気に入らねぇ!だから何万時間かかろうが知らねぇ!少佐、お前に無かったのは味覚じゃねぇ!それがここまできてようやくわかった―』

 

人生が無かったのだ。

人としての生が彼には無かった。

彼は、首を絞めながら戦っていた。そう言ったのだ。ならそれは生きてなどいないのだ。

 

『その為ならなんだってする!お前を少し泣かすかもしれねぇ!でもジジイとバカと決めたんだ!お前を助けるのは!人間がやることだ!艦船には譲らねぇ!!』

 

艦船が助けたら、そんな哲学的な詩的な話がしたい彼女ではない。

単にただ自分達の力で助けたいのだ。

 

「僕は、横須賀に配属されて世界一幸せだったんだね」

 

義兄と呼んでくれる子がいる。

自分の代わりに戦ってくれる人がいる。

自分を助ける人がいる。

自分を目標のひとつにしてくれる人達がいる。

 

『少佐』

 

忘れていない。

忘れるものか。

この録音で絶対に彼女は、最後を選ぼうとするだろうと、彼は予測していた。

 

『赤城です。身体は少しの時間で元に戻ります』

 

その言葉に安堵する。

左手を斬ったこと、本当に謝っても謝りきれない。

 

『何をするのか、何をしようか、少しだけ分からなくなって、そうしたら、少佐、もう、仰ってください』

 

少年はなんの事か分からない。

だが、その後の言葉と声で理解をした。

 

『鹿児島の赤城です』

 

『同じく翔鶴です』

 

あ、ああああ。

 

『私達、終戦後ようやく知ったんです。あの指輪を作った貴方と貴方の赤城さんを』

 

『だから、赤城さんのやりたいことを私と先輩が全力でサポートします』

 

二人の言葉にスピーカーにしがみつきたくなる。

自分が、有り得ない。そう思っていたからこそ、生まれた道具。それで結ばれた人達が、彼女を、赤城を応援してくれるというのか。

 

『少佐、赤城は、歌手になろうと思います。少佐の子守唄を思い出して、貴方のように高い音、っていうか、男の方出せないとか翔鶴さんに教わったのですが、どうやって出していたのですか少佐は』

 

ぐちぐちと目標の高さに恨み口を呟く。

 

『毎日これからボイストレーニングですね!と翔鶴さんに言われた私の身にもなってください!デュエットの時に音が合わなかったら虚しいですよ!と訳の分からない励まされ方される身にもなってください!少佐より上手くなるって音声データ引き出したら、お二人共苦笑いで、すいませんこれ本当にヤバいです。この歌声が続くのだとしたら本当に化け物です。ってドン引きしてるお二人を見て赤城は!赤城は!』

 

『すいませんでした!』

 

『赤城さん!話がズレてます!』

 

こほんと、わざとらしく咳をしていつもの口調で語りかける。

 

『貴方が戻ってきた時、絶対に私はもう高嶺の花です。だから、お願い―』

 

目的地に辿り着く。急いでシートベルトを外して、走って、その高いビルに入っていく。

 

走って、転んで、また壁にぶつかって、それでも登って、どうしてだろう。居場所が分かる。

ここにいる。

息を整える。

ドアを開ける。

 

彼女が待っていた。

 

綺麗な夏物の着物を着て、顔を真っ赤にしながら、ドアを開けた少年をちらりちらりと見やる。

その姿を見て少年は息をたくさん吸って、大きな声で告げた。

 

「僕が、僕が生きる条件があります―」

 

貴方を愛する事を許してください。

 

長い長い時の中、歪んだ出会いは今直されて、優しく優しく、およそ人間では到底辿り着けない、執念の元、二人の恋人が今ようやく結ばれた。

 



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