異世界に来たので逃げます。 (おどろおどろしい朧)
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第一章 人生が終わり、人生が始まる
プロローグ『逃げるって、結構面白いぜ?』
さて、突然だが皆さんに聞きたいことがある。
皆さんにとって『逃げる』とは、どういったことだろう。
臆病な行為?恥だけど役に立つ?恥だし役立たず?
まぁ、別に皆さんがどんな印象を持ってようが、俺には関係ないのだが。
え?じゃあなんで聞いてきたのか?
答えは至極簡単。こっからの話で、逃げるのが嫌いだって人はさっさと戻った方がいいからだ。
ここからは無双はおろか、タイマンすらも逃げるような話しかない。
それがストレスだという人もいるだろう。
サクサク話が進むのがいいという人もいるだろう。
だけど、そんなことは知ったことではない。俺は逃げるしかできないからだ。
相手は異世界でありがちな中途半端な強者じゃない。ガチで俺なんかより強い。
正直、なんでこうなったと今更言いたいぐらいだ。
顔面を殴りたくなるような胸糞悪い奴もたくさん出てくるが、俺だと腹を殴るだけで一苦労だ。
業火で人を焼き尽くすだとか、嵐で人を粉々にするだとか、そんな魔法も使えん。
ほとんど身一つしかなく、それでも俺は一般人レベルの力しかない。
チート能力だって貰わなかった。もともとチートってわけでもない。そんなもの要らないし興味もない。だけどさぁ?
周りとの格差が酷すぎて泣きたくなる。異世界なんてただただ疲れるし、辛いだけだと思うのは俺だけか?
これがゲームだったらバランスおかしいんじゃねぇの?とか言われて低評価押されまくるやつだよ?
廃人が3か月ぐらいやって、ようやく表ラスボスを倒せるとか、そんなレベルだよ?
まだ予約しておいた新作のゲームだって買ってないし、続きが気になってた漫画だってあるのに。
なんだっていきなりぶっ殺されて、相手の都合で勝手に意味わからん世界で生き返させられにゃいかんのだ。
俺の人権は完全無視ですか。普通に考えて殺してきたのなら元の世界で生き返させるのが筋ってもんだろう。
大体俺が勇者とか、今更考えても頭おかしいんじゃねぇのとしか思えん。たった一つの判断ミスと言ったところか。
まぁ俺は力なんて無くたって逃げりゃいいだけなんだが。
おっと、すまない。勝手に盛り上がって勝手に話し込んでしまって。
今聞いたのは全部本音だから気にしなくていいぞ。
とにかく今までの話を聞いて幻滅しなかった人は、どうぞ続きを読んでってくれ。
逃げるだけなら期待してくれていい。
俺は責任とらねぇけどな。俺は好き勝手やるだけだから。
ただ、一言だけ言わせてもらおう。
「逃げるって、結構面白いぜ?」
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第一話『よく逃げる少年です』
暑い夏の日。
「あー、あっつー。コーラ飲みてー...でも金がねー...」
人っ気のない路地裏で、だるそうに呟いているのは『
灰色のパーカーに黒のジャージという、至って普通のファッション。
若干天然パーマ気味の黒髪で、その眼はこの少年を象徴するかのように怠惰な印象を与える。
さて、この少年を説明するのに長い文章は全く必要ないのだが。今回は少しだけ詳しく説明させてもらおう。
そうなると、よくあるパターンで普通の少年と隼人を分けてみるのがいいだろうか。
では、こういうシチュエーションを貴方(貴女)は想像したことはあるだろうか。
学校の階段。上から女子が足を滑らせて落ちてしまい、下には自分がいる。
手を伸ばせば、おそらく助けられるだろう状況。男なら一度は思い描いたことは無いだろうか。
そんな状況で貴方(貴女)はどうするだろうか?当然助ける?手を伸ばそうとはしてみる?落ちてしまったのを見て、保健室の先生に助けを呼ぶ?まぁ、どんな形にしろ、心配したり最善を尽くそうということはするだろう。
この少年の場合―――
「あぶね」
「え、ちょ―――」
―――一歩引いて避ける。それだけ。
その後、助けを呼ぶこと無く、平然と日常に戻る。
何故か?私達には少し理解し難く、彼の中では当然の理屈であるのだが―――
―――いわゆる「めんどくさい」ということである。
下で助けるのも、保健室の先生に連絡するのもめんどくさい、とこういう理屈である。
彼はその両方の嫌な未来から『逃げた』わけである。
そう、彼を説明するのなんて、『よく逃げる少年です』だけで十分なのである。
ちなみに、さっきのシチュでは保健室の先生に手伝わされることからも『逃げた』と言える。
それが『静海隼人』であり、これ以上の言葉は不要なのである。
「ん...なんだ、あの子...」
さて、隼人が見た先には一人の白髪の少女。
白いワンピースを風にたなびかせ、俯いて立ち尽くしている。
何を思ったのか、隼人はその少女に近づいた。近づいてしまった。
隼人自身、何を思って近づいたのか分かっていなかった。まるで運命のように何も考えずに近づいたのである。
そういうのは一番やってはいけないことだと分かっていながら。
「おい、どうしたんだ?」
隼人は少女に向かって問いかけるも少女は無反応だ。
まるで石像であるかのように、ピクリとも動かない。
「...具合でも悪いのっ...か...?」
一歩―――たった一歩だけ隼人が前に足を踏み込んだ瞬間のことだ。
隼人は腹に重たい衝撃と眩むような激痛を覚える。
「は...?」
隼人は少女と同じように俯く。
当然、少女の方が身長が下なのだから、俯けば少女の頭頂が見える。
それと同時に自身の腹から滴り落ちる赤い液体の存在も。
「貴方は...ここで死ぬ」
「ッ!?」
ここで少女は初めて顔を上げた。
その眼は髪と同じく純白。どこも穢れてなどいない確かな白だ。
だがそれが、今の隼人にとってはとてつもなく恐ろしいものに見えた。
「貴方はこの世界と別れる」
そんな隼人の心情を無視し、少女は淡々と非日常のような事実を告げる。
「貴方は私と一緒に行くの―――」
「―――貴方は生き返って、世界を救うの」
壊れた機械のように。劇の操り人形のように。
何一つ映さない純白の瞳を隼人に向けながら少女は告げて行く。
「っくそ!」
隼人は痛みをこらえて、少女を引き離す。
少女の顔で見えなかった手に持っていたのは銀のナイフ。
だが、それは既に隼人自身の血で真っ赤に染まっている。
「はぁ...くそ...」
それを認識した瞬間、現実を理解したように意識が朦朧としてくる。
今までマヒしていたように感じていた激痛が、今頃になって津波のように押し寄せる。
息が荒くなる。眼の焦点が合わない。吐き気がこみあげてくる。
「さぁ...行きましょう?」
そんな中、少女はナイフを持ったまま、隼人に近づいていく。
「......」
それを隼人は、ただ見つめているだけだ。
痛みの元凶である腹に手を当て、気休め程度に止血もどきのようなことをしている。
「そして...この世界にさよならを」
少女がナイフを持った手を天に掲げ、それを振り下ろそうと―――
「あぁ...さよならぁ!!!」
―――した瞬間、隼人が動いた。
痛みなど忘れてしまったかのような疾風の如き速さで、少女の目の前で思いっきり手と手を合わせ、渾身の猫騙しを繰り出す。
「ッ」
爆音とは呼べないが、中々に人の神経に深く突き刺さる音。
それが少女の行動を幾分か遅らせる。
「ほらよ、プレゼントだ!」
その隙に隼人は赤く血に染まった地を蹴って少女から距離を取る。
それと同時にビリビリと何かが破れた音が響く。
「ッ、なんだこれは...」
その正体は、直後に分かった。
掛け声と共に隼人が破って少女の顔に向かって投げたのは、自身の服のパーカー部分だ。
絶妙な大きさの布切れが少女の視界を一時的に塞ぐ。
「こんな小細工を...」
だが少女がその布を振り払った時には、隼人は既にその場からいなくなっていた。
「......」
少女はそれを確認すると、無言で隼人を探すためか歩き出す。
その眼は虚ろのままに―――
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第二話『俺は逃げるしかできねぇんだよ、舐めんな』
「......」
少女は無言で歩き続ける。
隼人は腹部に傷を負っている、それもかなり重症だ。
おそらくは遠くに行けないはずだと結論付け、路地裏を歩いて回る。
少女は一回も路地裏など歩いたことは無かったが、その地形は完璧に把握している。
確実に、着実に、逃げ道と思しき所を探して回る。
「......」
しかし、隼人はどこにもいなかった。
自身が把握している地形上、路地裏は全て回ったはずなのにだ。
あの傷のまま大通りにでも出たのだろうか、と考えるがすぐにその可能性を頭から振り払う。
それは間違いなく、通りを歩いている人に傷を見られ騒ぎになる。普通の人だったら何も考えずにがむしゃらに逃げる可能性も考えられるが隼人は違う。
そもそも人に腹部を刺された状態で、あそこまで冷静に対処できる方がおかしいのだ。逆に隼人の方が精神異常者でもおかしくないようなものだ。
隼人の立場として考えられる可能性は、どうにかして路地裏で少女を撒き、ほとぼりが冷めるまで騒ぎを起こさないことだ。
それだというのに、どこにもいないのである。
「何か...見落としが...?」
そうとしか思えないのに、見落としらしい見落としは見つからない。
路地裏の歩いていて、少女とすれ違った数少ない人の中に隼人がいたのか。
だが、顔が違うどころか来ている服すら同一の人物は見つけていない。
隼人が別の服を持っていた様子もない。完全に手ぶらだったはずだ。
「......」
ふと少女の視界の端に一人の人間が見える。
緑の服を来て壁を背にして新聞を読んでいる人間である。
確かに服は違う。新聞で顔は見えないが首の後ろにパーカー部分が破れた痕跡もない。
というより色が違うし、腹部に血が付いているはずである。
「......」
少女はそこまで考えると、その場を離れて行った。
「...やっと行ったか」
そんな様子を見て、新聞を下ろしてほっと一息ついたのは―――誰であろう、『静海隼人』である。
その姿は緑の服で腹部あたりに血もついていないが、間違いなく隼人である。
「ちょっと危ない策だったけど、どうにかなったな...」
苦々しい顔で服の首の部分を引っ張り、中を確認する。
その服の裏の色は―――灰色だ。そして腹部でなく壁にもたれかかっていた背に血がついている。
仕掛けとしては至極単純なものである。
隼人が来ていたパーカーは表と裏で色が違うのである。
隼人は咄嗟に服を裏返しにして、血がついた方が背になるように反対側に着たのである。
つまり破れたパーカー部分が前になり、逆に背の部分についたように見える血は壁で隠れるわけである。
後は路地裏に嫌というほど捨てられている新聞紙を読んでるフリをすればいいだけである。
未だ腹部から流れ出る血は余った新聞紙で再び服に染みないように止血する。
これが隼人が考えた「他人のフリ作戦」である。
「とは言っても、まだ帰れねぇよなぁ...まだ路地裏を巡回しやがるだろうし。ここはもう少し様子を...」
「様子を見る必要はない」
「...は?」
思わず、持っていた新聞紙を地面に落とす。
その時聞こえてきた声に隼人は冗談だと思いたかったのだろう。
自分より後ろから―――あの殺戮少女の声が聞こえてきたのだから。
「てめぇ...!なんで...!?」
「...ジャージ」
「ッ!?」
当然の疑問。なんでバレたのか。
この少女はおそらく、離れたフリをして迷路に入り組んでいる路地裏を利用して後ろに回り込んだのだろう。
それは分かる。隼人も同様にこの路地裏のことは知り尽くしている。
だが、この即席の変装をどうやって見破ったのか―――その疑問に少女はたった一つの単語のみで答えた。
そう、ジャージが変わっていない。
しかも新聞紙で隠すことが出来ない。
痛みで朦朧としていたとはいえ、自分の計画のお粗末さに隼人は嫌気が指す。
それと同時に、次はどうするのかと泥臭く脳の全神経が勝手にフルスロットルで回転しだす。
「...何故逃げる」
「あ...?」
その矢先に新たな疑問―――今度は少女の疑問である。
だが―――
「俺は逃げるしかできねぇんだよ、舐めんな」
―――その部分だけは、この理解し難い少年だけの持つ特異性のようなものなのだろう。
隼人は至って冷静だ。痛みが重くのしかかっているのに。痛みで意識なぞ切れそうなのにだ。
貴方(貴女)なら、少女の疑問なぞ答えるわけもなく再度逃げるだろうか?逆上して襲い掛かるのだろうか?少なくとも私なら冷静でいられないだろう。
だというのに、この少年は絶体絶命の状況でも、しっかりと相手と対峙しているのである。
「俺は逃げきる...どんなしょうもない手を使っても逃げ切る...てめぇが何者だろうと!」
そう言い切った瞬間、隼人は地面に捨てた新聞を蹴り飛ばして再び視覚をある程度奪う。
ほんの数瞬だ。それで不意を突ける時間など。
それでも、それと同時に隼人は背を向け走り出した。
歯を食いしばり、痛みを必死にこらえる。地を踏みしめる度に腹部に痛みが走る。痛みが走ると意識が揺らぐ。
それでも走る。全くスピードを落とさずに。
だが―――
―――隼人が後ろに目を向けた瞬間、目の前が真っ白になった。
最後に見たのは、こちらに手を向けていた少女の姿と。
見えないはずなのに―――はっきりと感じ取った衝撃と『死』の予感だけだった。
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第三話『それが運命だって言い続けるのなら...俺はその運命とやらから逃げてやるからな...!』
「......何が起こった」
「お前は死んだ。そして生きている」
なんの変哲もない緑の草原に、少年と少女が向かい合って対峙している。
片方は純白の髪に純白の眼の少女。その服装は白のワンピースではない。いや酷似してはいるが、その服は伝承に語り継がれるような天使の羽衣だ。
片方は恐ろしく怠惰な眼。完全に静海隼人だが、その髪は不健康な濁った白髪だ。染めたというよりはストレスで勝手に色素が抜けた感じだ。
「何がどうなってここに居るのかとか、そもそもここはどこなのかとか、色々と聞かせてもらおうか...」
「...いいだろう」
隼人の問いを聞き、少女は静かに口を開いた。
最初から予定されていたように、あっさりと。
「ここは『表の世界』。貴方たちの世界でいう異世界というもの」
「はぁ?異世界って...」
もしかしたら知ってはならない事だったのかもしれない、と隼人は今更後悔した。
「貴方たちの『裏の世界』と『表の世界』は文字通り表裏一体。別々の文明を築き、別々の歴史を歩んできた。そしてそれは...決して交わるはずはない」
「交わるはずがないだぁ?てめぇのせいで俺はここに連れてこられたわけなんだが?」
イラつき混じりに隼人はそう毒づく。
「本当なら連れてくることなど出来ない。だから一回殺す必要があった。一度生命の輪廻に戻し...こちらの輪廻に組み込む。このプロセスが必要だった」
変わらず淡々と説明する少女は隼人の静かな憤怒に満ちた視線を受けても表情一つ変えない。
「それじゃあ最後に...なんでこんなところに連れてきた?俺がなんだっていうんだ、何かした覚えは全ッ然ないが?」
いきなり殴りかかったりしないところを見ると意外と冷静そうだが、その表情は無理やり笑顔を作り、その額には青筋が浮かんでいる。
だというのに少女の方は何一つ変わらない。まるで役者が観客の反応を見ても、台本を変えたりなどしないかのように。
「貴方は勇者だ」
「...は?」
隼人は絶句するしかなかった。
まず勇者という単語の非現実さ。そして自他共に認めるダメ人間である自分が、何かしら特別な存在だということが間違いなのではないかと思う。
異世界と言っても、ここまでテンプレな異世界転生があるのかと思う。何か仕組まれているような感覚。
自分でも妙な感覚だとは思うが、自身の四肢に糸でもついていて踊らされてでもいるのではと考えてしまう。
「『異世界より来たりし七人の勇者が不滅の魔王を現世より追放せし』...その七人の内、貴方は七人目...『揺らぐことなく燃える炎。絶対的な精神の勇者』...それが貴方」
「...本気で言ってんのか?」
「私に間違いはない。智天使が一人、キドエルの名において」
「智天使ってお前...」
隼人はもはや眩暈を覚えていた。いきなり情報量が多い。
『智天使』。天使のヒエラルキーにおいて『熾天使』に次ぐナンバーツー。
それが自分のことを勇者だと言っているのだ。
「キドエル...ヘブライ語のキドンと合わせて『神の矛』ってか?人殺して転生させるなんて汚れ役を買って出るとは恐れ入るな、あ?」
「汚れ役、とは違うな。神が与えたもうたこの命。私以外が受けようが喜んで遂行するだろう」
「...そうかよ」
だが、隼人も気圧されっぱなしではない。少しずつ相手の性質を読み始める。
「さぁ、貴方に神の加護を授けよう...近くに寄って私の手に触れるといい。そして...伝承に従い、貴方は魔王を滅ぼす」
「...そうかい」
それだけ言うと隼人は俯きながらキドエルに近づいていく。
敬虔な信徒が神をかたどった銅像にかしずくために近づくように。
「さぁ...手に触れよ...」
「......」
乾いた音が草原に吹き抜けた。
その時―――キドエルは初めて『驚愕の表情』で隼人を見つめた。
隼人は手を―――キドエルの手を『払いのけていた』。
「ほらよ、手に触れてやったぜ。これでいいか?」
「......」
渾身の屁理屈と一緒にニヤリと笑う隼人と対照的に本当に何が起こったのか分からないといった様子のキドエルが数秒間、硬直したまま向かい合っていた。
「...何の真似だ?」
「何の真似だ、だと?それはこっちのセリフだ...!てめぇ何様のつもりだ!俺が勇者だと?魔王って誰やねん!色々ツッコミたい所はあるがなぁ―――、一番気に入らねぇのはてめぇが『俺が受け入れるのを何一つ疑っていない』ことだッ!!」
キドエルが疑問を投げかけた瞬間、これが答えだと言わんばかりに隼人は本音をぶちまけた。
「俺は勇者なんて高等な人間じゃねぇ!てめぇらに勇者なんて言われようがその事実は変わりはしねぇ!それが運命だって言い続けるのなら...俺はその運命とやらから『逃げてやる』からな...!」
「...本気で言っているのか?」
「本気も本気ッ!そんな『めんどくさいことに付き合ってられるか』!!少なくとも俺を殺してきたてめぇの言うことに従ってなどやるものかッ!!」
「貴様...」
そしてキドエルの『驚愕の表情』は次第に『憤怒の表情』へと変わっていく。
それを見た隼人はさっきまでと逆に自分の思い通りにでもなったかのように口元を歪ませて笑みを浮かべた。
「その表情だ...それがお前の本音だ。神とそれに跪く存在以外は愚かだと思い込んでるその考えがお前の全部だ!」
「貴様は...神の怒りに触れた...」
「あぁん!?人の怒りに触れるなんざいつものことだ!そっから『逃げて』数日後に知らんぷりしてまた『煽るために戻ってくる』のもなぁ!これが俺だ!てめぇが選んだっていう『勇者』だッ!よかったなぁ?俺はてめぇらなんかに『揺らいだりしねぇ』よッ!」
隼人は言いたいことを全部言い切ると、キドエルから飛び退いて距離を取る。
そして構える。それは武術の構えでもなんでもない。四肢に力を入れ、キドエルが動けばすぐさま背を向け走るために構えている。
「あの時俺を殺したのもどうせ魔術ってやつなんだろ?超常の力振り回していい気になりやがってッ!」
「言いたいことはそれだけか?どうせ死ぬのだ。もっと言えばいい」
「死ぬだとぉ!?んじゃ決めるかッ!?だがお前が俺を逃がしたその時!お前の名声は地に堕ちるッ!」
草原に似合わない緊張感が両者を包み込み、爆発寸前まで膨張していく。
キドエルの純粋な殺意―――気持ち悪いほど混じりけの無い殺意と隼人の不可思議な威圧感―――ただ『逃げる』と公言しているだけなのに、ただならぬ覚悟を孕んだ威圧感がぶつかり合う。
だが―――
「......」
「...なんだ?」
十数秒対峙した末にキドエルの殺意が瞬く間に霧散していく。
不自然な心変わりに隼人は動揺するしかない。
「神の命だ...お前とは戦わない」
「は...?てめぇ何て言った...?」
再び怒りを膨らませ始めた隼人の言葉に対し、淡々とキドエルは告げる。
「お前は神によって生き残る権利を得た」
「......」
「さらばだ。またいずれ会うだろう。その時...お前は運命に従うだろう」
それだけ言い残すと、キドエルは背中から純白の翼を生やし、天へと昇って行った。
隼人はそれを下から見上げるだけだ。
隼人は生き残った。それは『事実』だ。
「...あいつ...俺を...俺を『見逃しやがった』ッ...!!」
そして、その『事実』が隼人に『最も大きな侮辱』となる。
隼人はしばらくの間、受けた『侮辱』に対して、行き場のない怒りを蓄えるしかなかった。
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第四話『逃げてる奴を不用意に追いかけるとこうなるんだ。よく覚えときな』
「...あっつー...この世界も今は夏なのか...?それだったらマジでしんどい...」
最初に降り立った草原から十数kmぐらい離れただろうか。そんな場所にあった森に今隼人はいる。
残念ながら、あの草原から町らしきものは欠片も見つからず、それだったら狩人でも探して森に入るしかないかもしれない、というのが隼人の考えである。
正直なところ正解かどうか分からないらしい。というより入ってから気づいたけど悪手かもしれないらしい。
チラッと後ろを見やる。できるだけ睨みながら。
そこにはうなり声を低く響かせながら後ろをピッタリとついてくる大きなトラの怪物がいた。
「(あいつ、俺が気を抜いたら絶対襲い掛かってくる...そうなったら確実に終わる...色々終わっちゃう、R-18Gになる...幸いあれでも警戒心が強いみたいだから、このまま睨んでいこう)」
今はこの森から出るのが第一目標になった。
さて、そんな奇妙な心理戦(?)を三十分は続けて歩き続けた結果―――
「......おはよーございまーす」
余所見してたため石につまづいて追い詰められるという、なんとも間抜けなことになってしまった。
今の隼人には人間のご機嫌取りの伝家の宝刀『挨拶』をするしかなかった。
返事は捕食する気満々のうなり声だったが。
「おいおい、ちょっとこれハードモード過ぎんか...?」
最早引き攣った笑顔でそう文句を垂れるしかなかった。
確かに力を貰わなかったのは自分の自業自得かもしれんが、他人にへりくだるぐらいだったら逃げるを選択するのが隼人流だからしょうがない。
「でもまぁ...逃げるしかねぇなぁ...」
襲い掛かられる前にゆっくりと立ち上がって怪物を見据える。
所持品も何もなく怪物との距離はかなり近い。
この状況から逃げる方法は―――
「あーもう、木に登るしかねぇってすっげぇ古典的ぃ―――ッ!!」
超スピードでそこら中に生えてる木に登る。以上。
怪物は木に登り切った隼人を見ている。すっごい見ている。というよりその眼はさっきとは違ってなんか余裕ありげな眼になっている。完全に舐め切っている。
「くっそ腹立つな、あの眼...確かにもっと追い詰められた気がしないでもないが...」
今更ながら隼人はトラが木登りできる動物だと思い出す。この怪物も木登りできるとは限らないだろうが可能性は高い。
隼人はすぐさま飛び降りるための体勢をとる。怪物が木にへばりついた瞬間に飛び降り、他の木に登る。これを繰り返してるうちに怪物が他の獲物でも見つけて諦めてくれないかなぁ、という淡い願望である。
「運だなぁ...でも俺の運、今日はマイナスに振り切ってそうだしなぁ...」
絶望的状況だが、どうにかせねばなるまい。考えたパターンを繰り返していれば、きっと死ぬことはないだろう。きっととか多分とかは当たると信じる。
「さぁ来てみろトラもどき。ひとっ飛びで俺のところまで来れない限り―――」
とかトラ相手に煽ろうした瞬間――
―――バゴンッとかいう普通じゃありえない音が聞こえた。
「うぉぉっ!?」
それと同時に木を大きく揺らす衝撃。恐る恐る下を覗いてみる。
見ればトラの爪が木の幹を深くえぐっている。木の幹の太さが半分になるぐらい深くえぐれている。熊でも木の皮をペリペリ剥がすぐらいが限界だろう。
「......予想の斜め上を行っているんだが?」
そんな疑問に誰も答えてくれるはずもなく、木が自身の重さで傾き始める。
「た、倒れる!?ヤバいヤバいヤバいって!!」
咄嗟に木から飛び降りたが、体勢を整えていたとはいえ倒れ始めていた不安定な木の上でまともにジャンプできるはずもなく、仕方なく受け身を取ってダメージを最小限に抑える。
「い、いってぇ...あのクソトラァ...!」
すぐさま立ち上がるが所々体が痛む。受け身で地面を転がった時に刺さった木の枝が気に障る。
悠々と近づいてくる怪物に隼人は後ずさりをして間合いを取る。しかし後ずさりを続けているうちに背が木にぶつかってしまう。それを見た怪物はほくそ笑む。まるで人間のように。
「なんだぁ?その顔は...?」
膝についた土埃を払いながらトラを見据える。
その雰囲気に諦観や絶望といった負の要素は全く感じられない。
「勝ったって思ってるなら...それは違う」
トラが相手だというのに隼人は話す。隙だらけだ。それでもトラはゆっくりと捕食するために進めていた歩を止めた。
「俺はお前とただの獣だと思っていた...でも違うな?お前には『知能』があり、『感情』がある。それが少し歪んでいるものだろうが、そうなのだとしたらお前が諦めるまで粘るのはもうやめだ」
トラが本当に言葉を理解しているかは分からない。だとしても隼人は話し続ける。
「ただの獣だったらお前が諦めたら俺は万々歳だけどな...お前に『知能』があるのだとすれば...それは俺を『見逃した』ってことだからな...絶対的優位からわざとそのチャンスを『逃す』...それは俺にとっちゃ『最悪の侮辱』だ」
その不可思議な威圧感。もしかしたらトラはそれを感じ取ったのかもしれない。
「そんな『侮辱』は、あのクソ天使で『最後』だ...お前を不愉快な気分にさせて、『俺の方が余裕で逃げてやる』」
言い終わった瞬間、鎖につながれていた獣が解放された瞬間のように、トラは隼人に襲い掛かっていた。
トラは隼人に向かって、その丸太のような右前脚を横なぎに払った。
そこまでが隼人のシナリオだと分からずに。
再びバゴンッと音が響いた。二度目の爆音。爪で木の幹が爆発したかのようにえぐれた音。
「かかったなッ!?残念ながら俺には当たらなかったなぁ!!」
横なぎの軌道を微かに読んでいた隼人は咄嗟にしゃがんで回避する。
隼人の頭頂をかすめて行った爪は再び木の幹をえぐっていくのみだった。
「木を切る時っていうのは切る方向に気を付けるというが...」
それを見た直後、隼人はえぐれた木の幹を思いっきり蹴り付けた。
「自重で倒れてくるんだから切り付けた方に倒れてくるに決まってるよなぁ!?」
それはわずかな衝撃だったが、薄くなって脆くなった木の幹には十分すぎるほどの衝撃だった。
メキメキという音を立てて、すぐさま木がこちらに向かって倒れてきた。
トラの方は嵌められたことに驚愕してる様子だったが、隼人の方にそれはない。
安心しきった様子で未だにしゃがみこんでいる。
「なんだ?疑問か?すぐに分かる。既に分かっていないのは間抜けだと思うけどな?」
そして倒れてきた木がトラの頭を直撃した。だが隼人にはそんなことはない。『トラの方がしゃがんでいる隼人よりも高さがある』。トラが衝撃で気絶して倒れ込む数秒の間に、隼人はゆっくりと木の下から這い出た。
「逃げてる奴を不用意に追いかけるとこうなるんだ。よく覚えときな...はぁ」
気絶しているトラにそう言い捨てると、一つ大きなため息を吐いた。
「とは言っても絶対この森、他にも危険な奴いるだろ...これ以上こんなハードなことしたくないんだが?」
そんな弱音を吐いても誰も聞いている人物はいない。観念して再び歩き出そうとした瞬間、隼人は物音を聞いた。
「なんだ...?」
耳を澄ませると、ただの物音と言うよりは足音だということに気づいた。
その数も一つじゃない。複数だ。
「...嫌な予感しかしねぇんだけどなぁ」
十数秒後、その正体が分かった。
「なんだ?迷子か?へへ、よかったらその身ぐるみ全部置いてってくんねぇ?」
そう言ってくる筋肉質の男は皮製の薄く茶色の原始人みたいな服を着て、木でできたこん棒を持った―――
「あぁ、今度から俺は運頼みやめよ......」
―――テンプレな『盗賊』を見て、隼人は静かにそう決意するのだった。
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第五話『そんな無駄な努力するぐらいだったら俺は逃げる努力を選ぶね』
『盗賊』に見つかったあの後、隼人はあっさりと捕まった。
あのままがむしゃらに逃げれば逃げきれはしただろうが、既に道に迷っている状態でそれは自殺行為だろうということでやめた。
幸いにも、血に塗れて腹部に穴が開いていてフード部分が破れているような服なんて売れたりしないということで身ぐるみをはがされることはなかった。
あとポケットにスマホが入っていたがよく分からないということで、これも奪われなかった。
だが奴隷として売られるというんで今は目隠しされて腕を縛られて牢屋に突っ込まれそうになっているところだ。
「あのー、トイレ行きたいんですけどー」
「知るか」
「あのー、腹が減ったんですけどー」
「知るか」
「あのー、小腹がすいたんですけどー」
「知るかっつてるだろ!?ぶっ殺されたいのか!?」
「すいませんー」
まぁ、せっかく捕まったんだから煽っていこうという余裕あるスタイルである。
そんなやりとりをしてる間も、視覚以外で情報を得て行く。
歩いてきた道順。聞こえてくる喧噪。吹き抜けてくる風。
色んな情報が何も見えない隼人の感覚を刺激していく。
「ほら、早く入れ」
いつの間にか牢屋についたらしい。盗賊の下っ端らしき者は隼人を蹴り飛ばして牢屋に突っ込んだ。
「いって、もう少し優しく入れてくれん?」
とか言ってると、目隠しそのままで牢屋に鍵を掛けられる。
「え?あれ?目隠し取ってくれんの?」
「知るか」
「ちょ」
完全にキレられてしまったらしい。怒ったような声音でそう言い残すと戻っていってしまった。
「...どうしよ、これ」
この世界に来てからやってることがことごとく裏目に出てる気がする。
盗賊に捕まるなんてこと初めてだからしょうがない...しょうがないよね?と隼人は思い始めていた。
「あの...」
そんな時、不意に隣から声が聞こえた。どうやら隣の牢屋に人がいたらしい。
その声は一回聞いただけで分かる。女性の声だ。さっきのキドエルのこともあり隼人は少し身構えてしまう。
「新しい奴隷さん...ですか?」
「...どうやらそのようだ」
それでも二回目の声を聞いてみると本気で心配しているような声音だったので少し警戒を解く。
「あんたも奴隷ってやつか?」
「...はい」
「全くひでぇ話だなぁ。森で道に迷ってたら捕まっちまうなんてよぉ」
「...そうですね」
隼人の緊張感のないセリフを片っ端からちゃんと聞いてるのか分からない返事で叩き落していく女性。見ていて若干滑稽である。
「元気ねぇな。少しぐらいテンション上げてもさぁ?」
「...貴方はポジティブなんですね」
「そうかぁ?普通だと思うけど」
なんとなく噛み合わない会話が続く。この状況―――どちらがこの状況で正常なのか分からない。きっと大多数は女性の方が正常なのではないかと思うだろう。
「......」
「......」
その後はどちらも話題を切り出すことも無く、その日は何事もなく過ぎていった。
そのまま数日経つ。どうやら今もどこかの奴隷商人に売り渡す算段をつけている途中らしい。
「...暇だな」
その間、一回も目隠しを取ってもらってないが。
腕も食事の時以外縛られっぱなしで、自分で取ることもできない。
「......」
久しぶりに隼人の方から話題を振ってみるが、女性の方は無言だ。
「なぁ、久しぶりに話し相手になってくれよ」
「......」
変わらず女性の方は無言のままだ。それでも隼人は何かが違うような気がしていた。
「...なんかあったのか」
「...貴方には関係のない話です」
隼人の言葉が抱えてる悩み事にかすったのか、ようやく女性が口を開く。
「なんかあるなら聞いてやるけど?」
「関係ないと言ったはずです」
女性は突っ張った態度を崩さない。こうなっては隼人も黙るしかない。
「...なーんかネガティブだよな」
「なんですか、いきなり」
「そう思ったからさ。人生楽しくなさそうだな、と思った」
「...貴方、誰かからよく怒られたりしませんか?」
デリカシーガン無視というより若干煽り気味のセリフに女性はそう感じずにはいられない。
「よく分かったな。身内からも他人からもよく怒られる」
「...直そうと思わなかったんですか?」
自分には関係ないと言わんばかりの軽い言葉にちょっと食い気味に女性は質問する。
「なんで直さにゃいけねーんだよ」
「......なんでって...それは...」
何も見えない隼人には、今女性がどんな表情なのか分からない。
それでも女性が何を言いたいのかなんとなく分かる気がした。
「...自分が自分を直せるなんて、そりゃ『傲慢』ってもんだぞ」
だから隼人は先読みで自分の考えを話すことにした。
「自分が自分を全力で殴ることが難しいように、自分で自分の悪いところを直すなんて出来やしねぇんだよ」
「......」
「だから俺は自分の悪いところを直そうとは思わん。そんな『無駄な努力』するぐらいだったら俺は『逃げる努力』を選ぶね」
「『逃げる努力』...?」
「おう...嫌なことから『逃げる』。めんどくさいことから『逃げる』...それを続けてたらこうなってたよ」
なんかネガティブなようなことを話しながら隼人の声音は実に誇らしげだ。
「なんで...そんな...?」
それが女性にはとても不思議なことに思えてしょうがない。
「なんで、そんなに...『自分に自信を持っていられる』んですか...?」
「...なんでってそりゃあ―――」
隼人の考えを聞いたからか、女性から少しだけ漏れた『本音』。
なんでこんなカウンセリング染みたことをしているのか、ちょっと隼人は自分で自分に疑問を持った。
「―――自分の『やりたいこと』やってんのに、不安がってるのはなんか損だろ?」
それでも隼人は即刻そんな疑問を捨てた。
「『やりたい...こと』...?」
「あぁ、人を煽って逃げて何もお咎め無しってのも...嫌いなことから逃げて寝て一日過ごすってのもさ...」
何故ならきっと―――
「なんかある意味『人生謳歌』してるみたいで、かっこいいだろ?」
―――きっとそれは自分が『やりたいこと』だから。
「......」
女性は再び押し黙る。
今度こそ隼人は表情だけでなく、女性が何を考えているのかも分からなくなってしまった。
今の話から何を考えたのか―――隼人には分からない。それは女性が話してくれるのを待つしかない。
「......貴方は今も『やりたいこと』をやってると言えるんですか...?」
「そうだな...まぁ、そうなんじゃねぇの?」
再び女性の質問。隼人の真意を女性も図ろうとしている。
「...捕まって...もう未来もないのに...?」
きっとそれは敵意ではなく不安から来るもの。同じ境遇にいる人への遠回しなサイン。
「それはちょっと違うな」
「何が違うって言うんですか...?」
分かってはいるが隼人も隼人でこういう時どんな言葉をかければいいのかなんて分からない。なんだか前にも同じようなことがあったような気がするが、その時もベタな励ましはしなかった。
「未来が無いってとこだよ。だってさ―――」
あの時かけた言葉はもう忘れてしまったが、今思いついた言葉は―――
「―――逃げ場がないなんてことはないんだから『いつだって逃げれる』。だからネガティブに考える必要もない」
「......」
見えないが、きっと女性は唖然としているのだろう。
この状況から逃げるなど普通に考えて現実的ではない。逃げ道も分からないのに、腕だって縛られてるのに、目隠しだってされているのに。
絶体絶命としか思えないのに、この少年は何と言ったのか。
「ハハ、バカらしいか?それでもあるんだよ。考えてりゃ意外と見つかるんだ。これが」
「...そんなの...あるわけ...」
例えどんなに隼人が自信ありげに笑っても、女性は重苦しい声で否定する。
今の状況から逃げ出すなんて現実的ではない、と女性が考えたその時―――
―――ボキッと何かが折れる音が響いた。
「...え?」
「だから俺は...今から『逃げよう』と思う」
隼人がすっと立ち上がると、隼人の腕を縛っていた縄がするりと落ちた。
そして縛られていた腕の内、左腕の関節が変な方向に曲がっていた。
「ほ...骨を...折って...?」
それを見た女性は怯えるしかない。
縛られていた腕を折って縄をほどくなんて。
「逃げるためならこれぐらいなぁ?俺にとっちゃ『痛く』はあるが『苦痛』ではないね」
隼人は軽々とそう言ってのけた。まるで何でもないかのように。
だけど女性にも一つだけ隼人のことが分かった。
「...『痛い』んですね......その腕」
「...そりゃな。折れてるんだから」
例えどんなにおかしい理論を持って、おかしい行動を取ろうと、その歯は食いしばり、その肌は汗が滲んでいる。
どんなに痛くても、この少年は我慢しているのだということを女性は理解した。そしてそれは―――彼の『やりたいこと』のため。『逃げる』ということのため。
確かにこの少年は何かがおかしい。それでも―――自分のために怯えずにそんな手段にまで出れる彼のことが―――女性は少し羨ましくなった。
「なぁ、ちょっと頼みを聞いてくれんか?」
「...え?」
そう言いながら、隼人は女性の方に近づいて行って、部屋を分ける格子に背を預け床に腰かけた。
「この目隠し取ってくれ。片方の腕じゃ取りづらいんだよ」
「...は、はい」
眼は隠れていたが、苦々しく『やっちまった』と言う感じの表情の隼人を見て、割と間抜けなのかな?と女性は思ってしまった。
格子は人の腕なら少し余裕で通るぐらいの大きさで、女性はなんなく目隠しを取ることが出来た。
「ありがと。ふー、やっと色々見えるぜ...」
隼人は解放された視覚で初めに見たのは、石の壁に木の格子の牢屋だった。そして次に見たのは―――
「...あんた、それは......」
「......」
猫の耳に猫の尻尾を生やした女性の姿。一番目を引くのはその銀髪だった。
キドエルの純粋な白髪とは違って、薄汚れてはいるが鈍く光を反射するその銀髪は隼人にはこの女性の髪の方が数段綺麗なものに見えた。
「あんたみたいなのって本当にいるんだな」
人の容姿に感想を言ったりしない隼人にもこのぐらいの言葉は出て来たらしい。
「...こんなもの...要らなかったのに」
「......」
今隼人はこの女性―――いや猫耳少女の心の奥の歪みの元が見えた気がした。
「...いや、大切にしときな。どうせ持っちまったんだからな」
「......持ってても...今更...」
「...あー分かった。そうやって言うなら分かった」
「......?」
ヤケクソ気味に分かった分かったと言うは隼人を少女は不思議そうに見上げる。
「お前、俺と一緒に逃げろ」
「...え?」
「今更っていうなら、俺がてめぇに未来をくれてやる。その後は知らん。だが時間かけてその耳や尻尾の価値を探してろ。目隠し取ってくれた礼だ」
「......」
少女は隼人を見つめるしかなかった。
少女が隼人を見て分かったのは、その眼は『本気』だということだけだった。
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第六話『最後に逃げ切ることは変わらねぇよ』
「...なぁ」
「あ?」
食事を届けに来た下っ端に隼人は声をかけた。
「ちょっと頼みがあるんだが」
「お前の言うことなんて...」
聞かんと下っ端が言おうとすると、隼人は一つの『ある物』を取り出した。
「これ、覚えてるか?あんたらがよく分からんとか言って盗らなかったやつ」
隼人が取り出したのはスマホだ。下っ端は取り出されたスマホをまじまじと見ている。
「これが何だって言うんだ」
どうやら少し興味を持ったようで、これは何だと聞いてくる。
その様子を見た隼人は少しほくそ笑み―――
「これはな...カモフラージュだ。この中に宝石を隠してある」
「は、はぁ!?」
―――嘘っぱちを言い始めた。
「俺の頼みはただ一つ。これをくれてやるから俺を出してくれんか?どうせ買い取ってくれる商人もいないんで、めんどくさいとか思い始めてる頃だろ?」
「ぬ、ぬぅ...」
「今なら...この中の宝石をお前だけのものに出来るぞ?」
「ッ!!」
悩んでいるなら背中を押してあげようと言わんばかりのテンプレ誘惑言葉。
それで効果抜群というのだから隼人には心中で笑うことしかできない。
「よし分かった。だが本当に宝石が入っているか確かめさせてもらうぞ」
「それはいいが俺を牢屋から出してからにしてもらうぞ。こっちだって命がけなんでな」
「...いいだろう」
ちょっとだけ迷った様子を見せたが下っ端は了承した。この世界でもこんな儲け話はそんなにないらしい。
下っ端は持っていた鍵を使って牢屋の扉を開ける。そして隼人は牢屋から出たと同時にスマホを下っ端に投げ渡した。
「ん...これはどうやって確認すればいいんだ?」
下っ端は貰ったスマホを床に置いてしゃがみこんでうなっている。
「ぶっ壊しちまって構わんよ。それ自体に『価値』はない」
そう言うと同時に隼人は足の指で下っ端の髪を掴み―――
「へ?」
「ほら、こんな風に」
「へぶっ!?」
―――思いっきり髪を引っ張り、頭を蹴り飛ばし牢屋の格子に顔面を何度もたたきつけ始めた。
下っ端の顔面からどす黒い血液が飛び散って牢屋に花のような模様を咲かせる。
全く耐性の無い人だったら既に吐いていたかもしれないほどに血の匂いが広がる。
ちなみに、それを見ている少女は絶賛ドン引き中である。
「あぶっ!!ひぎゅっ!!へぶっ!!」
「まだ気絶しねぇのか?めんどくせぇな」
「ストップ!あ、あの...もうきっと気絶してますから!」
余りの凄惨さに横やりが入るほどである。
ゆっくりと足で掴んでいた髪を放すと、案の定血まみれになって気絶していた。
「本当に気絶している。まぁそれなら鍵を貰うか...」
隼人は遠慮なく下っ端から牢屋の鍵を強奪する(ついでにスマホも回収)。そして迷いなく少女の牢屋の鍵も開けた。
「...本当に助けてくれるんですね」
「なんだ?俺が言うだけ言って『逃げちまおう』とかやるやつだと思ってたのか?流石にそこまでかっこ悪いことはしねぇよ」
「...本当ですか?」
「そこは俺の『感情』の問題だ。自分の中で嫌な記憶として残るような『逃げ方』はしねぇ。これは俺の中で最低限守るべきことって感じかな...」
こともなげに隼人はそう言うが、それが出来る人がこの世界に何百人いるだろうか?
それでもこの少年だったら、本当にやってそうだと少女はそう思った。
「ほら行くぞ」
こんなところに長居は無用と、さっさと出ようと歩き出す隼人。
「あの...」
「どうした?」
しかし見れば少女が隼人の裾を引っ張っている。引き払おうとも思わず隼人は歩を止めた。
「名前を...教えてくれませんか?」
少女は尋ねた。名を。
「...静海隼人だけど」
「えっと...?シズミ...?ハヤト...?」
きっと次は会えないから―――出来るだけ記憶に残るように―――正確に。
「...ハヤトでいいよ」
「分かりました...私の名はフェリル、フェリルと言います...」
「フェリルな...覚えた」
そして名乗った。少年の方にも、少しだけでいいから覚えてもらえるように。
「そんじゃあ脱出経路なんだけど...」
「は、はい」
名も名乗り終わったので、早速本題に入る。
「一応通ってきた道は覚えてるから、そこを通っていけばいい」
「す、すごいざっくりしてますね...誰かと鉢合わせでもしたら...」
「大丈夫、俺ステルスゲー得意だから」
「(なんだろう...ステルスゲーっていうのよく分からないけど、すごく不安になってきた...)」
開始前から間抜けの片鱗を見せる隼人に、ちょっと期待が薄れつつあるフェリル。
「ここは洞窟の中にアジトを作ったような物らしいな。ここから入り口までは遠くない、そして恐らくアジトの大きさ的にそんなに人数もいないだろう。15人ぐらいか、もう少しいるぐらいかな」
「は、はぁ...」
と思ったら、冷静な分析力を瞬く間に発揮する。下げてから上げるのは狙ってやってるのではと疑い始めるフェリル。
「抜け出すのは案外簡単。そしてこのボロッボロの扉からあんまり喧騒が聞こえてこないってことは、廊下通ってる奴も少ない。足音立てなきゃ楽だろう、多分」
「...最後でまた不安になりました」
なんだか隼人と一緒にいると気分の波の差が激しくなりそうだと直感が走った。
それがいいことなのか悪いことなのか今のフェリルには分からないが。
「流石に百パー逃げられるって人に言うのは無責任だろ。俺は正確に多分ってつけてるんだよ」
「つまり『逃げてる』んですね。後で非難される前に」
「よく分かったな。この数時間の間で俺のことを理解してきたということか」
遠回しに言ったことをジト目でズバリ言い当ててくるフェリルに少し驚く隼人。
「あれだけ『逃げる』『逃げる』言ってれば...それは、まぁ」
「それだけしかやってこなかったんでね。それじゃ行くぞ、今なら声も聞こえない」
扉に耳を付けて聞き耳を立てながら隼人は返答する。そして聞こえないことを確認して出発の合図を出す。
「......」
フェリルは無言でこくりと頷き、先を歩き始めた隼人の後ろをぴったりとついていった。
隼人が言った通り廊下には誰もいなかった。
隼人はそんながらんどうの廊下を迷わずに足音を立てず歩いていく。
そのスピードは普通の歩くスピードと変わらないぐらいなのに、驚くほど音が出ないのだ。
「...うぅ」
対照的にフェリルは隼人の半分程度のスピードなのに気を抜いたら何かを踏み抜いて音を出してしまいそうなほど不安定な足取りだ。
それを見かねてか、隼人は所々で立ち止まって人が来ないか聞き耳を立てているようだった。
「......」
それを見ていたフェリルは申し訳ない気分になる。
助けてもらっておいて、結局はこの人に何もできないことを今更痛感させられる。
「もう少しだ、頑張れ」
隼人は小声でそう言ってフェリルを励ます。そして洞窟のぽっかりと開いた出口から光が差し込んできているのがフェリルにも見えた。
「...は、はい」
フェリルも小声で返事を返す。出口が見えているとはいえペースを崩すようなことはしない。これまでの全てを瓦解させるようなことは出来るわけがなかった。
「さて、後は一気に走って駆けるかな」
出口を抜けて少しだけまだ足音を立てずに歩き、十分に遠くまで来たと判断した隼人はそう宣言した。
「本当に...逃げ...れたんですか...?」
「あぁ、見りゃ分かるだろ」
こんぐらいなんでもないと言わんばかりに真顔で言ってのける隼人。
それでもフェリルはまだ信じられないとばかりに、空に浮かぶ太陽を見ていた。
太陽の光を浴びて本当にあの盗賊のアジトから抜け出たのだと実感するために。
隼人もそんな様子のフェリルを見て、早くしろなどと急かす気にはなれなかった。
ちょっと危ないが、気が済むまでそうさせてやろうと思った。
「ほら、そろそろ行くぞ。まだ『逃げ切り』じゃねぇんだ」
数分経って、フェリルも少し我に返ってきたところで、そう声をかけた。
「は、はい...!」
二人はアジトとは反対方向に走り出した。
それは小走りのようなスピードだったが、確実に、着実にアジトからは離れていく。
このまま『逃げきれる』と、両者思っていた。
その時だ―――
「ッ!?」
―――木の影から、いきなりナイフが隼人目掛けて飛び出してきた。
「いっつ!?」
「え...ハヤトさん...?」
余りに急すぎる攻撃で回避することも出来ず、なすすべなく右の腕を切り付けられた。
手首の大動脈こそ無事だが、相当量の血が腕から滴り落ちて行く。
「おいおい、なんでてめぇら奴隷がこんなところにいるんだ?あ?」
木の影から現れたのは二人が最も会いたくなかった『盗賊』だった。
血の付いたナイフを持ってニタニタと笑っている。
「クソッ!こんなところでッ...!」
右腕の傷を折れた左手で抑えられるはずもなく、血をだらだら流しながらも盗賊と距離を取る。
「は、ハヤトさん...腕が...!?」
「どうやら...完全に誤算だったみてぇだな」
隼人はいつもの声音で減らず口を叩いているが、そんな額には冷や汗が浮かんでいる。
「何ごちゃごちゃ言ってんだ?てめぇらもっかい牢屋にぶち込んでやるよ...」
そんな二人を見て余裕の表情の盗賊がだんだんと近づいてくる。
そんな盗賊相手に隼人は―――
「......」
「...何の真似だ?」
―――身構えていた。それも『逃げる』ためじゃない。明らかに『戦う』ために。
「ハヤト...さん?」
「...別によかったんだ。こんなところでお前と出会おうが」
不安そうに隼人を見ていたフェリルの呼びかけが聞こえていないのか、聞こえているが無視しているのか分からないが隼人は喋り出した。
「腕を切り付けられようがこのまま『逃げる』ことは出来た。だが...それは『俺だけ』だ。『こいつ』もじゃない」
隼人はそう言って切り付けられた右腕をなんとかして動かしフェリルを指さす。
「『俺達』が『逃げる』ためには...どうやらお前をぶっ飛ばさなきゃいけないらしい」
「そ、そんな...ハヤトさん。それなら私なんて『見捨てて』...」
そんな見るからに痛々しい隼人にフェリルは悲痛な提案をするが―――
「んなバカげたことするわけねぇだろ。アホ」
―――隼人は断固としてそれを切り捨てた。
「いいか?そこの盗賊もフェリルもよく聞いとけ。俺はどんなに追い詰められた状況からスタートしようが絶対に逃げ切ってみせる」
隼人は自分の胸を親指で突きながら―――
「『逃げる側』が百人だろうと、『追いかける側』が千人だろうと変わらねぇ。腕が切り付けられる回数が増えたって、体調崩す確率が上がったって、最後に『逃げ切る』ことは変わらねぇよ」
―――まるで『勇者』のように言い切った。本人にそんな気は一切無いのだろうが。
「馬鹿な事言ってんじゃねぇ!てめぇは血まみれにして牢屋に帰してやるぜ!」
「来いよ、怪我人に負けるってことがどれほど屈辱的なのか教えてやる」
ナイフを持って突進してくる盗賊に対して、隼人は薄ら笑いを浮かべて構えるだけだった。
どこまでも不敵な笑みで。
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第七話『逃げれるなら逃げるのが俺のやり方よ!』
「喰らえぃ!!」
「ッ!?」
予想外のスピードで突っ込んで振り下ろされたこん棒の一撃。直撃したら間違いなく粉砕骨折コースだろう。
「シャレになんねぇぞ、これはぁ!?」
隼人は思いっきり右に吹っ飛んだ。すぐさま残っていた右腕で受け身を取って起き上がるが、力を入れた瞬間鈍い痛みが右腕から全身へと響いてくる。
「いって...!」
「ほらほら逃げ回れよなぁ!?」
痛みで止まっている暇もなく、盗賊は遠慮なく隼人に向かってこん棒を振り回してくる。
隼人には少しずつ後ずさりしながら、こん棒を躱し続けるしかなかった。
「いい加減に...しやがれぇッ!!」
たまらず隼人は土を蹴り上げて盗賊の顔面にぶつける。
「うげっ!?ぺっ...こ、こいつ...」
「(今だッ!!)」
運がいいのか隼人の蹴り上げた土は盗賊の口に入ったようで、盗賊は口に入った土を吐き出し始める。
それを隙と見たのか、隼人は右手の人差し指と中指を折りたたんで第二関節で盗賊の顔面―――いや眼球に向かって二つの指を突き出した。
隼人お得意の追跡者撃退攻撃方法。いわゆる『目つぶし』である。
「あぁん!?甘いんだよッ!」
しかし、それを見越していたのか盗賊はこん棒を持っていない左腕で隼人の二つの指を掴み折った。
「いぃってぇ!?クソ野郎ォ―――ッ!!!」
痛みを誤魔化すように大声を出しながら、右足で盗賊の腕を蹴りつける。
「いっつ」
とても痛そうには思えない声を出しながらも隼人の指を放す。放されて蹴るために上げた足が地に着くと同時にバックステップで距離を取る。
「(ちゃんと思いっきり蹴らねぇと痛がりもしねぇのかよ、つくづくクソだなこの世界!)」
隼人は内心毒舌吐きまくりだったが、それでもちゃんと作戦を練り続ける。
あの盗賊のあの体格的にこの力が普通なのか、この世界の人の力は前の世界の人よりも強いのか、前の世界でもアスリート番組を見たりしていない隼人には分からなかったが、今の自分より圧倒的に強いことだけは目に見えていた。
この劣勢をひっくり返すには、やはり相手の急所に向かって全力の攻撃を繰り出すしかない。だがそこで問題が起こる。
隼人の十八番であり常套手段でありたった一つの選択肢である『逃げる』を使うのが、どう考えても悪手なのである。
「(今ここで逃げても、奴がそれを報告しに戻ったらほとんど詰む...それに今はムカついてて相手の方からこっちに来てるが膠着状態で冷静になられて戻られても詰み...)」
このことを考えても、できるだけ自分の方から攻撃しないといけないのである。そしてそれは恐らく対処されて傷を負うだけ。
「きっつ...これ本当...本当だったら終わった後三週間ぐらい家で引きこもってても誰も文句言わねぇよなぁ?ほんとこの世界クソ...」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇって言ってんだよ」
ぶつぶつと不満を垂れてる隼人に再び盗賊は近づいていく。
「はぁ...本当...色々辛いわ」
そう呟くと隼人は今も不安げに涙目で見ているだけしかできないフェリルの方をちらっと見た。
最初盗賊と対峙した時、一瞬で思いついた手。おそらくは勝てるだろう一手。
「......やるか、ほんと辛い」
「なんだぁ?まだ策があるのか?今の所目つぶししようとして返り討ちにあってるだけだがぁ?」
弱音交じりに呟いた言葉を聞き、ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべながら近づく。
「あぁ、こっから俺の真骨頂を見せてやる」
そう言うと隼人はまるでステップを踏むかのように軽くジャンプし始めた。
「なんだ?」
「フフフ...なんだろうな?」
そして次の瞬間―――
「あ...!?」
―――隼人の姿が消えた。
「あの野郎どこにいった...?」
そんな隼人を盗賊がキョロキョロと探す中―――
「今のは...」
―――少し遠くから見ていたフェリルだけはどうやって隼人が盗賊の視界から『逃れた』のか見ることが出来た。
隼人はジャンプを繰り返すことで盗賊の視界を自然に上の方へと向けて、あるタイミングで斜め下へと移動しながら木の影に隠れた。
ステップによりある程度の足音も立っていたので、隠れる際に若干物音がたってもあまり気にならない。いわゆる手品などで使われる『ミスディレクション』というものだ。
だが―――
「...出てこねぇな」
「......」
そう、隼人はそれっきり出てこない。
フェリルも隼人が隠れる際の初動だけは見えたものの、隠れた後の動きは全く分からない。
「ッチ、あいつ一人で『逃げたか』...こりゃさっさと報告に戻った方がよさそうだなっとその前に~?」
「ひっ...」
隼人を見失った盗賊はしたり顔で今度はフェリルに向かって歩いていく。
「お前は今捕まえておかねぇとなぁ...ひひ、あんな奴置いてさっさと逃げてりゃこんなことにならなかったのになぁ?」
「う...こ、来ないで...」
フェリルは涙目で後ずさりしていたが、それで距離が離れるわけではなく、ずっと同じ距離のまま縮まったり離れたりもしない状態が続いた。
「あの男はお前を置いて逃げちまったし...お前は結局捕まっちまう『運命』だったってことだな」
「そんな...」
ついに恐怖に耐えきれなくなったのかフェリルの目じりから涙が零れ落ちた。
「やっぱり...私は...」
今までの隼人の言葉がどんどん薄れていく。
結局、人は我が身可愛さで動くのだとこの時改めて実感させられた気がフェリルにはしていた。
少しおかしかったが、それだけに無意識に期待していたのだ。何か変えてくれるのではないかと。それでも違った。
「...やっぱり私は...?」
盗賊にではなく『虚空』にフェリルは問うた。
『やっぱり私は要らない子だったのか?』と。
『虚空』に向かって。居るはずのない『運命』を定めた『神』に問うた。
当然そんなものに返答は返ってこない。すぐさま『虚しさ』がフェリルの中を埋めた。そのせいか隼人への恨みや怒りは自然と沸いてこなかった。
それはきっと最初からどこかで諦めていたからで―――それでもなんでだろうか。
「なんで...?」
『なんでこんなに涙が出るのだろう?』。そんな言葉が胸の奥で暴れているのだ。
「はは、確かにお前は明日には奴隷として売られるんだったな。それでちょっとした可能性に賭けたんだろうが、残念だったな?ひひ...」
「......え?」
盗賊は笑った。そんな『運命』に翻弄された少女を。だが少女はそんな盗賊を見てはいなかった。
「戻ってきてやったぞォ―――ッ!!寝首を掻きになァ―――ッ!!!」
大声を張り上げて盗賊の後ろから飛びかかったのは―――ちゃんと見るまでもない。『静海隼人』だ。
「...本当に救いようのないバカだなぁ!?」
その声を聞いてすぐさま盗賊は振り向いてこん棒を振り下ろした。
だが―――今度の『誤算』は盗賊の方だ。
「は...?」
飛びかかった隼人は『構えていない』。つまり最初から攻撃しようとしていない。
ただただ隼人は空中で体を捻って振り下ろされたこん棒を避けた。
「初撃の攻撃は『逃げる』気だったよ...!」
隼人の足が地に付くのとそのセリフは同時だった。
当然すぐさま振り返る。両者とも。
だが早く振り向いたのは『想定内』の隼人だ。
『想定外』の盗賊は、隼人より数瞬だけ遅れた。
「お、お前の拳なんて...」
「馬鹿だな...そんなもんで攻撃するわけねぇじゃん」
苦し紛れの盗賊の減らず口を速攻で否定する。
盗賊は最後の最後で目撃した。
「そんなんで攻撃したら...手が痛くなるだろうがァ―――ッ!!!」
折れた左腕に黒い布が縛りついている。その布は縛った片端だけまだ布が余っている。
そして余った布は振り返るのが遅れた盗賊の首あたりふわりとついた。
その瞬間、隼人は右手で―――残った指で思いっきり布を引っ張り盗賊の首を締めあげた。
「うぐあぁぁ...ぁ!?」
「そんな痛いの...俺は本当は『嫌』だからなぁ...ッ!!『逃げれる』なら『逃げる』のが俺のやり方よ!」
盗賊は苦しそうに呻きながら首の布をどうにかしようと首を掻くが、『逃れられなかった』。
「ぐぅぉ......」
ほどなくして盗賊は気絶した。血管を締め上げられて、顔中を青くしながら。
「...俺の...勝ちだ......逃げた奴を追いかけるのをやめりゃ...いつか痛い目見るに決まってんだろうが...」
肩で息をしながら、しっかりと勝利を声に出して確認する。
「あ、あの...ハヤト...さん」
「...あー、悪かった」
「え...?」
フェリルは謝ろうとした。たとえ心の中でだろうが、確実に一回隼人に失望してしまった。
本当のこの人を―――最初から、出会った最初からずっと見ていたはずなのに。
だが、謝ろうとするフェリルよりも先に隼人の方が謝った。
「真っ先にお前を囮にしちまって悪かった。しかも何も言わずに...殴っていいぞ?」
「え...でも...」
「いいんだよ。不安になってたのが隠れる前から分かってた。それなのにそれしかやることがなかった...全く、俺の非力さには毎度呆れるね」
「...ハヤト...さん」
なんという人がいたのだろうか。
あそこまでのことをやっておきながら、自分を悪だとして、そして自分を卑下している。
彼は『本音』を隠すということをしていない。
煽り文句だって心から思っていることだろうし、今の自分への文句だって本当に自分を責めているのだろう。
彼は捻くれている。人だったら真っ先にするだろうことをしない。だというのに本当に『自分に正直』だ。いいことも悪いことも。
「...じゃあ、殴る代わりに...一つ私の話を聞いてもらっていいですか...?」
「あ...?文句か?説教か?いいよ、何でもいいから言ってくれ」
だからそのまま言ったって、きっと納得しないだろうとフェリルは直感で理解した。
「...ハヤトさん」
「なんだ?」
納得せずに、自分のせいだと密かに自分を責めるのだろう。だから―――
「本当に...ごめんなさいッ...!」
「...は?」
隼人に了承を取って『逃げ場』をなくしてから謝ることにした。
「私...最後まで信じられずにッ...私ッ」
「は、はぁ!?な、泣くな泣くな!それが当たり前だろうが!」
「でも...そのせいでハヤトさんは自分を責める...」
「んなこと気にしなくていいんだよ!お前は俺なんかのことを考えなくても―――」
「じゃあ...ハヤトさん、自分のことを『なんか』とか言わないでください...!」
「え」
「約束...してください...」
そして隼人の方は隼人の方で『逃げ場』を潰されてなすすべなくフェリルの謝罪を受けてしまっていた。
そもそも隼人の『自虐』はそこまで深刻な意味を含んでいない。
確かに隼人自身そう思ってはいるが、それが心の奥底に残ったりしているなんてことはあまりない。つまりは最初から吹っ切ってしまっている。昔々の『傷』がちょっと形になって残ってしまっているように、単なる癖のようなものなのだ。
更に今まで言われたことも無いような約束を迫られている。
隼人自身、今の状況を完全に把握できていないが、これは中々に『ピンチ』なのでは?と思い始めていた。
それでも―――
「...あーもう分かったよ!...分かった。約束してやるよ...もう自分の事『なんか』とか言わねぇ」
「...本当ですか?」
「あぁ、しょうがねぇけど...本当は今すぐ『逃げたい』けど約束してやるよ」
―――フェリルの誠心誠意の謝罪は―――何故か少し嬉しいような気がしないでもなかった。
こんな小さな『傷』さえも心配してくれるような、心優しい人がこの世界にもいるのだということが。
「全く...慣れねぇことはするもんじゃねぇな。やっぱり人を助けるなんて『めんどくさい』ことは最初からよせばよかった...」
そんなネガティブっぽい言葉も、何故か陽気に聞こえるのだった。
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第八話『いつもの。つまり戦術的撤退。直訳を逃げると訳す』
「腕痛ぇ...指痛ぇ...本当にこの町に治せる人いるの...?」
「は、はい...確かいたと思います」
さっきからぶつぶつぶつぶつと文句ばっかり垂れている白髪のニート一直線のような容姿をしている静海隼人と、綺麗な銀髪をたなびかせた少女フェリルはある町の前まで来ていた。
この状況の出発点は盗賊を倒したところまで遡る。
「んじゃ...これで俺とお前の協力関係は終わりだ」
盗賊を倒して満身創痍な隼人は急にそんなことを言い出した。
「え、でもハヤトさん...そんな体じゃ...」
当然フェリルは拒否しようとするが、隼人は首を横に振った。
「元々逃げ切ったら『勝手』にしろって話だっただろ?お前は自由なんだ...後は勝手にすればいい」
「...だ、だったら」
フェリルは強い意志を感じる表情で『だったらハヤトさんと一緒に行きたい...』と意を決して言おうとした時だった。
「あ、いや...ごめん」
「え?...はい?」
「俺、町までの行き先知らねーんだ」
「えぇ!?」
「......いや、ほんとごめん...すみません...道案内してください、お願いします...!」
まさかの隼人が速攻で折れるという、なんとも情けないことになってしまった。
ということで協力関係続行。ついでに隼人のなけなしのカッコよさもすぐに霧散してしまうこととなった。
「そういえば、お前って猫耳隠せるんだな」
フェリルの銀髪を見ながら気になったことを聞いてみる。さっきまではピコピコ動いてたと思う猫耳と尻尾がいつの間にか消えている。
「えっと、隠蔽魔法のようなものです...エンチャントの一種ですね」
「...そのエンチャントとか知らんのだけど」
いきなり魔法の中で専門用語っぽいのを出されてもよく分からない。この世界の一般常識なのかもしれないが勝手に連れてこられた身としては勉強する気とか起きない。
というより、隼人の中で魔法=クソ天使のイメージが死んだとき定着してしまってムカついてくる始末だ。
「俺の傷も魔法で治んの?」
「魔法では治らなかったはずなんですけど...治癒する技術を持った人がいるんです...すごく有名な人が」
「ふーん」
適当な返事を返しつつ、それなら早く治してもらおうと隼人が歩を進めようとした時だった。
フェリルが無意識なのか震えて固まってしまっているようだった。
まるでこの先に進んだらトラウマが再発するのが分かっているかのように。
「...どうした?」
「あ、いえ...すみません、行きましょう」
出来るだけ気丈に振舞おうとして無理やり笑顔を作っているが、今にも崩れてしまいそうな表情だ。
今の隼人にはその原因が何なのか知る術はない。
「...あぁ、そうだな」
それでも、ここまで案内してくれた礼として、何かあったら力になろうとは思ったが。
「活気ある街だな」
隼人が適当に見ていて感じた第一印象はそんな感じだった。
異世界転生というワードで思いつく印象とその街は完全に同じで、中世ヨーロッパのような雰囲気だった。
それでも、意味不明な防具や服を身に着けた人もいたりで、それだけがこの世界のオリジナリティを支えているような気がした。
「はい...ここは『アルカード』という町で...元は廃れた村だったらしいですけど、最近になって一気に城下町みたいになったとか...」
「ふーん...最近ってどんぐらい前なん?町単位だから10年とかそういうのか」
隼人は適当に答えていたが、政府とかそういうのが関わっていない限り、文明化なんてそれぐらい時間がかかるのではと思った。
「二年でこうなったとか...」
「...適当に答えたけど、早いのか遅いのかわっかんねーな、やっぱり」
自分の興味あることや適当なところで聞いた雑学だけは無駄にある隼人は、普通に自分のものさしが乏しいことを今更ながら悟った。
「あーいう意味わからなん服着てるのは、なんなんだ?」
「あれは...『冒険者』さんですね...この町はギルドも置かれて冒険者さんには人気があると聞いています」
やはりそうかと、内心予想が当たりまくって怖くなってくる隼人。
自分が勇者だという話もそうだが、この世界は都合のいいような異世界が現実になっているような感じがする。
リアル感に欠けるというか、何かが違うという違和感が心の奥底からぬぐい切れない。
「ギルドなんてものもあるのか...怖そ...近寄らんどこ...」
「本当に人気がある理由はそこじゃないと思いますけど...」
「は?んじゃ...」
隼人はフェリルがぽろっとこぼした、地味に重要そうな情報を真剣に考えてみる。すると不思議なことにぽろっと結論が浮かんだ。
「あぁ、治癒できる人がいるからか。魔法で治癒出来ないんだっけ?」
「はい。えっと魔法の詳しい説明は私もよく出来ないんですけど...この町にいる人は不思議なことに治癒が出来るんです...」
治癒というのはこの世界でもかなり貴重であるらしい。あの森がアルカードに近かったのは運がよかったのか。本当に運がいいなら異世界転生なんてしないと思うが、と隼人は内心毒づく。
数分間フェリルと一緒に歩いてきて分かったが、フェリルの足取りに迷いが一切ない。
普通人探しなんて適当に寄り道のように右往左往しそうなものだが。
そのまま歩いていくと、ある大きな建物に向かっているのがなんとなく分かった。
「あの『教会』か?向かってるのって」
「あ、はいそうです...きっとあの建物に居るはずです...」
隼人が特段でかい教会を指さすと、フェリルは頷いて同意した。
「んじゃ、俺は適当に人間観察でもしてますかね」
目的地も分かって人を探す必要もなくなったということで、隼人は本格的に好奇心で色んなものを見始めた。
歴史なんて好きでも何でもないが、こうやって間近で見ると本当にこんな建物や乗り物。生活習慣で過ごしている人たちがいるんだとある種の関心がある。
だが色々なものが見えると、見たくないものまで見え始める。
「......」
「......」
二人はここから無言になってしまった。
二人とも知っている。ここは嫌悪も同情もしてはいけない。それは両方ともある種の侮辱だ。
一見活気があるように見えるが、ところどころに明らかにまともな生活が出来ていない者たちがいる。
隼人はこの様子を見ながら、自分の数少ない授業の記憶を思い出していた。
西洋の大産業革命とやらの時はこのように金持ちが更に金を蓄えていく中で貧乏人がさらに増え、本当にこんな都市が増えたらしい。
今の隼人にはあの少年少女にどんな声をかけたらいいのかなんて分からない。ただ、優しい言葉も諦めたような言葉も今考えるのは間違ってるような気がした。
ふとそんな影の部分から目線を外して今度は光の部分を見てみる。
「やっぱり、その剣かっこいいねー!」
「おう、そうだろ?遺跡の隅っこで眠ってた業物ってやつよ!」
「そんなの手に入れちゃうなんて、やっぱり運命かなー?」
「はは、もしかしたら勇者になっちまうかも!なんて!」
ただ目線を逸らして、ある冒険者の一団の姿を見ただけなのに自然と聞きたくもない会話内容まで頭に入ってきてしまう。
「なぁ、『勇者』ってお前知ってるか?」
そして本物の勇者の隼人はふと気になってフェリルに聞いてみることにした。
「『勇者』...ですか?はい、凄く有名な話ですし...『七人の勇者』さん。どんな人なんでしょう...」
「そうだな、どんな奴らなんだろうな」
「ハヤトさん...?」
「...悪い、ちょっと考え事だ」
この時、自分がイラついていたのに気づいたのはフェリルが自分の顔を覗き込んできた時だった。
『七人の勇者』。どんな話なのかは未だに分からないが、自分が勇者だというのは今も間違いじゃないのか、いや間違いであってほしいと思っている。
だが―――
「......なんか哀れだよな。あーいうの」
―――本物の勇者らしい自分が運命から『逃げたい』というのに、ちょっとした運で力をつけ、それを運命だという奴らに隼人はバカにするどころか吐き気にも似た嫌悪感を覚えていた。
「あーいうの...とは?」
隼人は冒険者に指さして感想を述べたが、当のフェリルはあまり考えたことも無いらしい。あんな冒険者が横行していて考えても無駄だから考える人がいないのか分からないが。
「まぁ、あれは表裏の一面なんだろうけどさ。あいつらきっと自分の望む結果じゃなかったら『そんなの間違いだ』とか言い始める。そんで望む結果になれば『これは運命だ』と言って、他の奴らを自分と無理やり比較し始めるんだよ。自分がどんだけ優れてるかって。そーいうのムカつくを通り越して哀れに思えてくるよな」
「...ハヤトさんは運命はお嫌いですか?」
フェリルは不安そうに返答してくる。きっと嫌悪しているのが顔に出ているのだろう。
「嫌いってわけじゃなくて...それを盾にされんのが嫌いなんだ。さっき言った逆もしかり。そんな考えの上流階級の奴らに抑圧されてた下の奴が、力付けた瞬間同じ理論を振りかざして逆襲したりするのも嫌いなんだ。はぁ...」
ついに耐えきれないとばかりに大きなため息を吐いて隼人は言った。
「そんな『自分の正義』に重みを持たせられる奴なんざ...『運命』なんて『蜘蛛の糸』にすがるバカじゃなくて、『人生』っつー『土台』を積み上げてった奴だけなのにさ」
ため息交じりに呟いたそんな隼人の言葉は、フェリルには本当に『重く』聞こえた気がした。
したのだが―――
「「「おい、俺達がなんだって?」」」
「「...え」」
いつの間にか、話題になっていた冒険者の一団が後ろから睨んでいた。
どうやら―――いや、確実に聞こえていたらしい。フェリルは隼人の方を再び見るが、隼人は『完全にやらかしたオーラ』全開で『言葉の重み』もへったくれもなかった。
「あ、あのー...ははは」
「笑ってごまかそうとしてんじゃねぇよ。俺達がなんだって聞いてるんだ」
「そうよ、私には『私達が哀れ』とか聞こえて来たけど?」
「哀れなのは腕ケガしてるあんたじゃないの?」
冒険者の一団―――というか男一人、女二人のグループは口々に言って、隼人の惨状を笑い始めた。
本当に傍から見て、どっちが哀れなのか分からない状況である。
「あ、あの...ハヤトさん...」
「あ、あぁ...こうなったら『いつもの』を...」
『いつもの』。つまり『戦術的撤退』。直訳を『逃げる』と訳す。
二人は冒険者に背を向け、同時に走り出そうとするが。
「おい待てよ、そっちの可愛い子」
「えっ...」
そんな二人の中で冒険者はフェリルの腕を掴もうとして―――
「させねぇって、そんなこと」
ひょいっと隼人が先にフェリルの腕を引っ掴んで引き寄せた。
「おい、何すんだよ」
そんな隼人を睨みつける男と汚物を見るような目で見る女二人。
「うっせぇよ、どうせ『逃げる』から言わせてもらうけどな。その剣だっせーよ」
「はぁ!?てめぇ、どこに目ぇつけてんだ!殺されてぇか!?」
「眼つける場所は見失ってねぇつもりなんだけどな。剣のかっこよさが+でもお前がだっせーから合計が-なんだよ、はっきり言わせんな恥ずかしい」
『逃げる』側になると途端に煽り始める隼人。よく聞きなれた人とかはネタで言ってんだなとか分かるんだろうが、この典型的な冒険者には本気で馬鹿にされてると思ったらしい。その額にはよく見るまでもなく青筋が浮かんでいる。
「ぶっ殺す!」
「物騒な奴だな、出来るなら―――」
この時、隼人は何か異質なものを感じ取った。
「殺し合いはいけません」
それは背後から。はっきりとしたリズムの足音が背後から近づいてきていた。
その足音の主を見た冒険者は動きを止めた。取り巻きの女冒険者二人も驚愕していた。
フェリルも既に後ろを見て驚いていた。だがそれよりも―――
―――フェリルには何か恐れのようなものが強く見えた気がした。
そして隼人も後ろを向く。
そこには神官らしき人物が立っていた。
黒いキャソックを身に着け、黒のロングヘア―をたなびかせた好青年といった感じだ。 その眼は細いを通り越して目をつぶっているのではと思わせる。
「殺し合いなど、神が悲しみますよ...?貴方は神に背けますか?神の悲痛な声が聞きたいのですか?」
「い、いえっ...そんなことは...」
さっきまで完全に殺気だっていた冒険者が完全に委縮しきっている。
「ならば、ここは手を引きなさい...たとえ、名誉が汚されたとしても、そのような方法で汚名返上をするのは間違っています」
「は、はい...」
男冒険者は女冒険者二人を連れて、急いで逃げるようにどこかに行ってしまった。
それはライオンなどのように常に危険な者から逃げる感じではなく、いつもは平気なのに、今回はその人の逆鱗に触れてしまい迂闊に会えなくなってしまったという感じだ。
「さて、ご無事ですか?」
「は、はい...」
神官はそんな様子の冒険者たちの姿が見えなくなるまで見送ると、隼人とフェリルの方を向いて話しかけてきた。
フェリルの方も、冒険者たちが行って安心しきってはいるが、なんとも言えないような複雑な表情をしている。
「......」
隼人の方は去った冒険者たちのことなどどうでもよく、神官をまじまじと見ていた。
「おや貴方...ケガをしているようですね」
神官はそんな隼人の様子はガン無視で、隼人のケガを見つけるとゆっくりと手で傷に触れ―――
「この者に神の奇跡を...」
ただそう言っただけなのに、淡い光が神官の手から漏れ出て隼人の左腕に流れ込んでいった。
「あ...?今何を...」
「貴方の骨折を直しただけです...おや、右指もですか...」
見れば確かに左腕の骨折が治っている、後遺症のようなものもない。そしてそのまま右指の骨折も治してしまった。
本当に奇跡のような所業を目の当たりにした隼人だが、そんなことよりもこの神官のことが気になった。
この数分の間見ただけだが、それだけで本当に聖人だと分かる。隼人にも善の塊のような奴だと分かった。
それなのに、また何か引っかかるのだ。
致命的な何かが―――
「さて貴方たちは初めまして、ですね。では自己紹介をしなければ」
―――いや、その何かはすぐに分かった。
「私は『アルカード聖教会』の司祭。そして―――」
その時、神官はにこりと笑った。
「ッ!?」
「―――僭越ながら、神の御言葉により『五番目の勇者』。『民に救いをもたらす御手。絶対的な信仰を持つ勇者』となりました...」
その純粋な笑顔には記憶がある。それもかなり最近の記憶。
「
あの『天使』の怖いほど純粋な『意志』と同じモノがこの男にあるのを一瞬で感じ取った。
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第九話『...やっぱり逃げていいですか』
傷を治してもらった隼人だったが、どうにも神居への不信感がぬぐい切れない。
自分をこの世界に連れてきたキドエルと同じ雰囲気。
「それで、貴方たちのお名前もお伺いしたいのですが」
「あ、えっと...私はフェリルといいます...」
慌てて名乗るフェリル。そして今度は隼人に向かって神居は隼人の方を向いて笑みを浮かべる。
この男に名を名乗ることを本能は拒否していたが、このまま名乗らないわけにもいかず、仕方なく口を開く。
「...静海隼人だ」
「フェリルさんに隼人さんですか。どうやらアルカードには初めて来たようですが、どうかこの町を堪能していってください」
神居は隼人の名を聞くと更に笑みを深めてそんなことを言った。観光者に向けたテンプレートのような言葉。隼人にはそこに全く『意志』を感じなかった。全く別の事を考えているかのように。
しかし、そのテンプレートのような言葉を聞き、隼人の中に決して無視してはならない問題が浮上した。
「...金、無い」
「...はい?」
「あ...」
今までの数日間を盗賊に捕まって、地味に食事を貰ったりしてたため全く危機感を覚えていなかったが、今の隼人は無一文である。
早いところバイトでも探して金を稼がないと本当に死んでしまう。フェリルも今分かったとばかりに冷や汗を出していた。
「ご、ごめんなさい...ハヤトさんの傷を治さないとって...お金のこと忘れてました...」
「いや、お前のせいじゃねぇし...」
どうやらフェリルは何かと隼人に負い目を感じているらしい。そんな涙目のフェリルを隼人がなだめていると、神居が口をはさんでくる。
「ふむ、無一文ですか...隼人さん、フェリルさん、今日は私に任せてもらえませんか?」
「は...?」
隼人とフェリルは内心疑問符だらけだったが、何か出来るわけでもないのでついていくことにするのだった。
その日の夜。隼人は神居がとってくれた宿のベッドに寝転がって、ぼんやりと天井を見上げていた。当然フェリルとは別室だ。
「あいつ、本当に何がしたいんだ...?」
隼人にとってはありがたいことこの上ないが、どうにも神居の意図が分からない。
というか色々と無視していたが神居は言っていた。
『五番目の勇者』と。
「...色々と整理してかないと重要なことを忘れそうだな」
というわけで隼人は現状で考えられる要素をまとめていく。
「まず『異世界から来た七人の勇者が魔王を滅ぼす』...だっけ?細かい言い回しは覚えてないけど。そんでその内の二人は俺とあの神官...」
つまり、最初から感づいてはいたが神居も元の世界からこの世界へやってきた『転生人』ということだ。そして神居もこちらがそうだと見抜いただろう。
「俺としては魔王ってのが気になるんだが、つまりはあれだよな...初日に遭ったトラの怪物のボスってことでいいんだよな...?」
そう言ってはみるものの、『魔王』なんていうのは伝承や神話でいくらでも変わる。ここが本当にテンプレ異世界であっても、固定概念は捨てるべきだろうと考える。
「そんで、『魔王』を倒すために『天使』が『勇者』を呼ぶ...全くもって腹立たしいな...自分らでやれっての」
身もふたもないことを言いながら、『魔法』以外で整理すべきはこれぐらいだろうか、と区切りをつける。
「...こんなにのんびりしてんのも久しぶりな気がする」
今まで少しハイテンションだったり、有無を言わさず捕まったりしたからだろうか。こうやって冷静に考えて、本当に前の世界じゃないんだと、今更認識させられる。
もちろん、今まで怪物だったり盗賊だったり猫耳少女だったり冒険者だったりを見てきて、異世界だということは十分に認知していた。
そうじゃなく、前の世界と同じようにベッドに寝ころんだ時に、急に違いが分かった気がしたのだ。体に染みついた前の世界の『見えない情報』。慣れというものが、これは前と違うという違和感を覚えさせてくる。
「前の世界でも時間進んでんのかな...」
父も母も友人も、何もかもを置いてこんな所に来てしまった。隼人は知っている。こんな自分を心配してくれる人が前の世界に割とたくさんいることを。
「帰りてぇな...」
これが隼人の本音だ。この世界がもし自分の理想郷であったとしても、そう思っただろう。
この世界はテンプレ異世界だ。この世界は厳しく、上と下に明らかな差がある。もしなんとかして成り上がりでもすれば最高の暮らしが出来るのだろう。
だが隼人が望むのはそうではない。何故なら隼人は恐ろしく怠惰だ。そこまでの高望みをする気も資格もない。
それに元の世界に小さな幸せがあることを知っている。あの世界は―――ある意味寛容なのだ。善いことも悪いことも。上も下も。隼人はそれを知っている。
「......」
数十分はそんなことを考えながらぼーっとしていただろうか、このまま寝てしまおうと隼人が目をつぶった時だった。
「隼人さん。お邪魔しますよ」
「...何しに来た」
入ってきたのは、今の所意図がさっぱりな神居だった。
隼人はめんどくさいとばかりに覇気が全く感じられない声音で用件を尋ねた。
「少し聞いてもらいたい話がありましてね...少しお付き合いしていただけませんか?」
「...いいだろう」
隼人には正直嫌な予感しかしなかったが、何をすればいいのか分からない現状で少しでも情報を仕入れておきたかったため了承した。
断って『逃げても』めんどくさいことになりそうだった、というのもあるらしいが。
隼人は神居について歩く。夜の街は昼と違い全く人がいない。
明かりがついている家もあるにはあるが、それはごく一部で、大半はすでに寝ているのだろう。
今の時間帯は元の世界だったら、まだ外に出ている人もいるだろう。電気が無い時代というのはこんなものなのか、と隼人は付いて行ってる間何もやることが無いので考えていた。
「ふふ、新鮮ですか?異世界の夜は」
「...そうだな。つーか本当に何が目的だ」
「聞いてもらいたい話があると言ったでしょう?本当にそれだけです、それ以上でもそれ以下でもありません」
神居はそう言うが、全く表情が変わらない顔を見ていると、それがポーカーフェイスで、やっぱり何か隠しているのでは?という疑問が生まれてくる。
「...やっぱり『逃げて』いいですか」
「ダメです」
そんな不気味な奴の話など本当は聞きたくない隼人の命乞いを神居はばっさりと切り捨てる。
そんなやり取りをしていると、神居は教会の前で止まった。
「ここです、どうぞお入りください」
「......」
隼人は元の世界の教会に一回だけ入ったことがあった。
この教会も前見た教会とあまり変わらず、木の長椅子がずらりと並べられ、奥には大きな天使の像があり、本物の天使が鎮座しているかのようだった。
神居は隼人が入ったのを見ると、教会の扉を閉めた。
「...何の真似だ」
「いえ、ただの戸締りアンド部外者に聞こえないようにするため、ですよ」
「さっさと本題に移れ」
隼人はいつの間にかイライラしていた。おそらく神居の態度が無意識のうちに気に入らないのだろう。
そんな様子の隼人を見て、神居はやれやれと言った感じで『本題』を話し始めるのだった。
「では隼人さん...私が崇拝せし『神』のために『生きる』か...『神』のために『死ぬ』か、選んでください」
「...は?」
それは神居だけでなく、『勇者』としての『在り方』の『本題』でもあった。
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第十話『俺は...てめぇの思惑の全部から逃げきってやる』
「『生きる』か『死ぬ』か選べ、ねぇ...」
「ふふ、『本題』はそれですよ...『前置き』を聞きますか?」
「...あぁ」
隼人はどんな流れでこの話に行きつこうが、答えは決まり切っている気もするが、とりあえず『前置き』も聞いてみることにする。
「とは言ったものの...そうですね、どこから話しましょうか。貴方はこの世界に呼び出された理由は御存じで?」
「『魔王』を倒すため、って聞いたが?」
「確かにそうですね。しかし...それは『手段』です。『目的』は別にあります」
「は?」
隼人は神居が何を言っているのかまるで分らなかった。
つまり『魔王』とやらを倒すのは、その『魔王』という存在が邪魔というわけではなく他の理由がある、と言っている。
「うーん、この『前置き』は本当に説明が難しい...もっと他のことから話しましょう」
そう言って、神居は別の話題を切り出した。
「...貴方は私の『治癒』がどういったものかは分かっていますか?」
「は...?んなもん分かるわけねぇだろ」
一回見たとはいえどうやって『治して』いるのかなんて分かるものではないだろう。と、隼人が考えていると―――
「『そういうもの』だから治ったのですよ。私の『治癒』は『傷を治すもの』、これが『本質』であり『全て』なのです」
「さっきから言ってることわっかんねぇぞ...『そういうもの』って...理論的に説明するでもなく、解明できていない、でもないって...」
―――神居が斜め上のことを言いだす。隼人はもはや考えるのをやめてしまいたかった。
「これが私の『権利』です。『権利』というのは理論があるわけでもなく、こういった『権利』だから、こういった『結果』を得られる...そういうものでしょう?これが『神』により与えられた『権利』なのです」
「わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇよ。もっと分かるように説明しやがれ」
頭パンク寸前にまでなった隼人を見て、神居は一瞬話す内容を考えたのか顎を手で触った後、再び話し出した。
「ふふ、この話は難しく考えれば考えるほどダメなのですよ。もっと素直に言葉を鵜呑みにすれば分かります」
「うっせぇ、さっさと説明しろ」
「さっきまでのも十分説明なんですがねぇ。では先に『この世界』のことを話しましょう」
「では...貴方を連れてきた『天使』が空を飛んだ場面を見たこと無いでしょうか?」
「ある。翼が生えて飛んでったな」
「あれが『飛翔の権利』。『治癒の権利』と『飛翔の権利』は『天使』の誰もが持っています。『権利』というのは『神』によって与えられた『この世界でこういった現象、事象を無条件で引き起こすことが出来る能力』、と考えればいいでしょう。あれだけではありませんよ?他にも『権利』は山ほどあります」
「つまり例えるとあれか?火には少なくとも酸素と燃焼物が必要だが...『火を起こす権利』っていうのは『火を起こすもの』だから、そんなものなしで『火を起こせる』...ってことか?」
「そうですね、端的に言えばそうです」
若干分かっていない頭で適当に例えてみた隼人だったが、どうやらいい線に行っていたようだ。
「『火』とは『そういうもの』です。氷を水の中に入れても発火しないように『そういうものだと定められている』のです。少なくともこの世界は。ですが『氷を水の中に入れると発火する権利』ならそれが可能です。言ってしまえば『権利』というのは『定められた法則というルールを無視できる』と考えていただければ」
「...『社会』の中の『特権身分』ってことか。...こういう『権利』だから、これが『出来る』...。でもそれって『魔法』じゃねぇのか?」
「ふふ、この世界の『魔法』はちゃんと理屈があるのですよ。こうすればこうなるという法則が。まぁ、今説明すると脱線するので言いませんが」
ふとした疑問をぶつけてみるが、どうやら違うらしい。ますます頭がこんがらがってくるようだった。
「『この世界』もそうなのです...『この世界』は『こういう世界』です。それ以上でもそれ以下でもありません。『この世界』の全ては『神』が定められたのです」
「は?」
それでも隼人は神居が今言ったことを―――なんとなく理解して、そして信じられなかった。
「『この世界』が『中世ヨーロッパに酷似している』のも、『魔法』という文化があるのも、『奴隷制度』があるのも、『魔王』がいるのも...私達がいた『裏の世界』では『人間が歴史を築いてきました』...でも、この『表の世界』では『神が今の文化を定めたからこうなった』のです。そこに『年月』はあっても『歴史』はない...何故なら、その『歴史』すら『定められている』のだから」
「......」
隼人が今まで抱いていた、不自然な違和感。
まるで『作り物』のように感じるほどのテンプレな異世界。
当然だ。何故なら本当に『作り物』だったのだから。
そしてキドエルの、あの『異質さ』。
当然だ。何故なら『そういう風に作られていた』のだから。
「ですが『神』ですら『人間』を完全に『定める』ことは出来なかった...いや、しなかった」
「何?」
「それは『信仰』のため。『力』を得るため。より『高次元の存在』になるため。です」
「おい、勝手に話進めてんじゃねぇよ。どういうことだ、それは」
どうやら長文を話しているうちに、神居に熱が入ってしまったようだ。
隼人は不本意ながら、それを指摘し疑問点を答えさせようとする。
「ふむ、いいですか?『神』は『信仰』させる『天使』を作り出すことができます。『神』の力の原点は『信仰』です。ですが『信仰させる存在』を『力』を作って生み出しても無駄でしょう?そこから『貰える力』など『使った力』より弱いのだから。だから『自発的に信仰する存在』が必要だったのです。そして...それが『この世界の人間』」
「......そういうことか」
隼人の中で、点と点が線でつながり始める。と、すれば『魔王』を倒す『意味』もおのずと見えてくる。
「つまり『信仰』が欲しいんだな...?『七人の勇者』の伝承の出所なんて『神』って認知されてるに決まってる...!つまり...『俺達に魔王を倒させて、結果的に神自らが信仰を得る』のが目的...!」
隼人の中で黒い感情が奥底から滲み始めた。それはイラつきなんてものを超えた『怒り』。
『ここまであからさまでふざけた侮辱は初めてだ』、と。
「そう!まさにその通り!いいですか?『裏の世界の人間』というのは多少なりとも『神の手から離れた存在』!『世界の法則』を『解析』し、そして『利用』するまでに『進化』してきた!ゆえに『表の世界の法則に違和感』を感じることが出来る!それは違うと!故に!私達『七人の勇者は魔王を倒せる』のです!」
「黙れ...!!」
「ッ...」
再び熱がこもり始めた神居は、今になって隼人の『怒り』に気づいたらしい。
隼人の焼き殺すかのような烈火の視線を受けて、一瞬硬直するもすぐさま元の調子を取り戻す。
「やれやれ...やはり貴方もそうですか。...私と『一番目』以外は、皆拒んだようです。『ふざけるな』と。何故ですかね?」
「てめぇこそ、なんでそんな『神』とやらを『崇拝』してやがるんだ。明らかにおかしいだろ。そして『お前はそれを分かってる』んだろ。なのになんでだ...!」
隼人は神居の疑問は無視して質問をぶつけた。隼人にはもはやこの男がまともとは思えなかったが、それでも隼人は『何故か』と問うた。
この問いで確信しているのは―――神居が『まともじゃない答え』を返した時。自分は何をするか分からないということだけだった。
「何故って...もし『神』が完全にこの世界を掌握した時...それは『私にとっての理想郷』となるからです」
「...何を言ってやがる」
「もし『この世界の人間』も全てが『定められた』としたら...それは『何も間違いがない世界』だ。『神』が『より高次元の存在』になれば、今度こそ『人間』を『定める』でしょう。その時...『絶望』など一欠片もない『完全な世界』が出来るのです」
「......」
神居は答えた。どこまでも純粋に真剣に。そしてそれはキドエルのように不自然なものではない。隼人は―――密かに考えを改めた。しっかりと見て取れたのだ―――
「貴方も...いや『勇者は全員』そうでしょう?人に譲れない『ナニカ』があるでしょう。私もこれのみは...『譲れない』のですよ」
「...そうみたいだな。今のお前の表情で分かったよ。それが『てめぇの正義』だ。ちゃんと『人生』を積み上げた奴の...」
―――神居の中に『自分の正義』を。
「それでは最後に聞きましょう。私が崇拝せし『神』のために『生きる』か...『神』のために『死ぬ』か、選んでください」
「...どっちも『クソ喰らえ』だ」
だからこそ、隼人もしっかりと答えた。
『相手の正義』には『自分の正義』をぶつけるしかないと知っているから。
「...では、私は貴方を殺すとしましょう」
「あぁ来いよ。どうせぶつかったなら、どっちかの『正義』が壊れるまで戦うしかねぇんだ。お前が殺すっていうなら、俺は『逃げる』。絶対にお前の『思い通り』になんてなってやらねぇ。俺は...『てめぇの思惑の全部から逃げきってやる』。お前が戦いたくないって言うなら俺から喧嘩ふっかける。お前がなんか計画でも立ててんのなら、知った瞬間それを邪魔するために動いてやる。今は...殺されないように『逃げる』だけだがな」
どこまでも真っすぐに『逃げる』と言い切る隼人を見て、神居は薄ら笑いを浮かべ―――
「おっと...一つだけ言うことを忘れていました」
「...は?」
―――その瞬間、神居の周りの長椅子が四つだけ『浮いた』。
「『権利』はですね...一人三つまで授かることができます。共通の『権利』は『飛翔』と『治癒』ですが...もう一つ『個人で違う権利』を、ね」
神居は浮いた長椅子を見て驚愕している隼人を見て、更にその笑みを深めて説明していく。
「今...私は『自身の魂を分割して長椅子に分け与えました』...」
「んだと...?」
それはまさに―――神の奇跡を自在に賜っているようだ。
「これが『魂分割の権利』です」
これが『五番目の勇者』の『信仰』の『真骨頂』。
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第十一話『余裕でいることを続けろ。プレッシャーから逃げろ』
「...寝れない」
フェリルは寝付けなかった。今もなお、奴隷から一般人に戻れたという事実が信じられなかった。まぁ、貧乏人なのに変わりはないのだが。
たった数日前に出会ったあの不思議な少年。自分より1、2歳ほど年上なだけの少年、静海隼人。
同じ絶望のどん底で出会ったはずなのに、自分とは全く違う―――『本当の意志』を持っていた。
自分は今まで何をしていたのか。虐められないために耳を隠す隠密魔法を覚え―――罰を受けないために従順となり、逆らうことを忘れてしまった。
「いつか...近づけるかな」
どんな逆境でも軽口を叩き、自分に正直な隼人のように―――自分も何か出来るようになるのだろうか。そんなことをフェリルは考えていた。
「やっぱり寝れないや...」
ずっとベッドに寝転がっていても退屈なだけなので、少し話でもしようと隼人のところへ行くことにした。
結構うやむやになっているが、これからどうするかも話し合わなければいけない。隼人はそっち方面では間抜けっぽいところがありそうだが。
「ハヤトさん、いますか?...少しだけお話でも...」
隼人の部屋の扉をノックして返事を待つ。しかし少し待って見ても返事がない。
「寝ちゃったのかな...」
そう思って少し中を覗いてみると、そこに隼人の姿は無かった。
「あれ...どこに行っちゃったんだろう」
その時、フェリルは少し不安になった。昼での冒険者との一件もあるし、何か因縁でもつけられていたら―――
「ん、嬢ちゃん。どうしたんだい?」
―――そう考えていると、でっぷりと太った宿屋の主人が心配そうに声をかけてくる。
「あ、あの...この部屋に泊まっていた人...どこに行ったか知りませんか?」
「んー...あぁ、思い出した。確か神居さんとどこかに行ったよ」
「え...?」
隼人が神居と一緒にどこかに行った―――それだけでフェリルは猛烈に嫌な予感がした。
この『事実』がフェリルの本能の危険信号を発し続けていた。
「ッ...!」
「あ、嬢ちゃん!?どこにいくんだい!?」
フェリルは飛び出さずにいられなかった。何が出来るのかは分からない。それでも、と。
それは―――少女が初めて強く持った『本当の意志』。
それと同時刻。隼人は神居の『魂分割の権利』によって浮いた長椅子を見て、後ずさりをしているところだった。
その後ろには教会の扉がある。神居は扉は閉めても鍵をかけたような動作はしていない。
扉を閉めてまで隠蔽しようとしているのだから、外で騒ぎを起こそうなどとは思っていないだろうと結論付けて隼人は出来るだけ気づかれないように扉との距離を近づけていく。
「『行きなさい』」
だが、そんな簡単にいくわけもなく、神居が浮かせた四つの長椅子をけしかけた。
「ッチ、もうバレた...!」
隼人はすぐさま背を向けて長椅子よりも先に扉を開けようとする。
長椅子のスピードは自転車が急ぎ気味で突っ込んでくるような速度だが、大きさも重量も全然違う。
元々自転車でも正面から突っ込まれたら命の危険がある。長椅子なんか飛んで来たら九割ぐらいで死ぬだろう。もちろん一発だけの場合の話だが。
「クッソ、間に合わねぇ...!」
そして、割と隼人と神居の距離は離れていない。
隼人が扉に手をかけるよりも早く、長椅子が隼人に到達した。
長椅子が教会の床に激突し砕け散った。破片が飛び散り埃が舞う。毎朝掃除しているとはいえ、この教会は昼間多くの人が出入りしているので埃が多い。
「ふむ、あっけなかったですかね?」
あのままぶつかっていれば、良くてあばらが5、6本持っていかれ、悪くて『死』だ。その二択は避けられない。
当たっていればだが。
「(あ、あぶねー...あれまともに喰らったら重傷だって重傷!)」
隼人は咄嗟にすぐそばの浮いていない長椅子の下に隠れていた。
飛び散った破片が腕に刺さって、そこから微量ながら血が流れている。でも万が一物音が出たらと考えると破片を抜くことが出来ない。
「おや、やはり生きていますか」
「ッ!おいおい...冗談って言ってくれよ...」
しかしそんな地味な努力もむなしく、隼人が隠れていた長椅子が浮き上がり、神居に生存がバレる。いや、生存していると思ったから長椅子を浮かせたのかは知らないが。
「そのまま椅子の脚で踏みつぶしてあげましょう」
「んなもんごめんだっつのッ!!」
すぐさま起き上がって、地面を蹴ってその場を飛んで離れるのと、浮き上がった長椅子が急降下してきたのは同時。
わずかな差で長椅子が地面に激突する前に離れ切ることが出来た。
「む...その方向は...」
「へへ、気づいたかよ...『遅い』けどな」
隼人が回避し飛んで行ったのは、ちょうど扉のある方向だ。
すぐさま隼人は扉にタックルするかのようにぶつかりながら急いで扉を開けようとするが―――
「あ、開かねぇ?」
全く持って開かない。ビクともしない。
「確かにあのタイミングじゃ少し『遅かった』ですねぇ。だからこそ既に『準備』してあったのですが」
「ッ!!」
神居は扉を閉めるときに既に魂を扉に入れておいていた。だから鍵を閉めなかったのだ。
「さて、まだまだ椅子はありますからねぇ?どうぞ座っていってください。天の座する神のお傍に着くまでの間...!」
「クソ...反則だわ反則...」
減らず口を叩きながら、今も相変わらず作戦を練っている頭がある。隼人はそれを自覚しながら、いい加減頭を休めるぐらいの休暇が欲しいと嘆く。
隼人が思い描いたのは、この扉自体を破壊する作戦だ。
神居の長椅子は見た通り、結構な破壊力がある。これを寸前で避けて扉を破壊させる。単純だが、今の自分にはこれしかない。この教会の道具を使おうにも魂を入れられれば神居の支配下だ。武器は自動的に封じられる。
「喰らいなさい...!」
神居が再び長椅子を突進させてくる。隼人は紙一重で避けるために四肢に力を入れた。
だが―――
「え...?」
―――隼人は一瞬何が起こったか理解出来なかった。
ただ、隼人は後ろから背中を押されただけなのだ。
では―――誰に?
一瞬が経ち、隼人の脳は後ろを見ずに何が起こったのかようやく理解した。
『扉』がひとりでに動き、自分の背中を押した―――それだけだった。
既に扉は神居の魂が入っている。考えてみれば当然の結末だった。
背中を不意に押されて体勢が崩れた隼人に前方から迫る長椅子を避ける術はもうない―――
「あ、あぶないッ!?」
「はッ...!?」
―――はずだったのだが。隼人はまたも不意に体を引っ張られ、ギリギリ長椅子を回避した。
では―――誰に?
今度は一瞬経たずとも分かった。
「フェリル!?なんでここにいる!?」
それは宿屋にいるはずのフェリルだった。『なんでここにいるのか』と聞かれたフェリルは―――
「か、神居さんと一緒にどこかに行ったって聞いたから...それで...ていうか、何がどうなってるんですか!?」
―――説明するはするが、かなりテンパっている。その証拠に隠密魔法がかかっているはずの耳も尻尾も出てしまっている。
「そ、それはだな...」
「ふむ...意外な助っ人ですね...『マーナガルム』ですか...」
「あ?」
フェリルの疑問に対し、隼人が言い淀んでいると、その様子を見ていた神居がその耳と尻尾を見て呟いた。
「『マーナガルム』...つまりは人狼系の『亜人』ですね。隠密魔法で隠していたようですが...」
「...そうです。私の種族は『マーナガルム』...出来損ないだって言われましたけど...あ、ハヤトさん立てますか?」
フェリルが神居の言葉に同意しながら、隼人が立つのを促す。
「あ、あぁ...」
色々と状況が数秒の間に動いて、内心何が何やらの状態になっている隼人だったが、人の問いに返答できるぐらいは余裕があったようだ。フェリルの手に捕まりながら立ち上がる。
「どうやら私が扉で隼人さんの背中を押している間の、扉が開いている時に入ったようですね...そこまでして入ってくるとは中々の度胸をお持ちのようですが......『震えて』いますよ?大丈夫ですか?」
「ッ...」
見ればフェリルの足がガクガクと震えている。もう少し震えが強かったなら生まれたての小鹿とでも言えただろう程に。
「フェリル?...本当にどうしたんだよ...?」
確かにあんな攻撃を見たら普通怖がるものだが、フェリルの震えは尋常じゃない。必死に隠してはいるが、その眼も明らかに怯えを含んでいる。
「ふふ、隼人さん。無理からぬことなのですよ、彼女が私に対して恐怖心を抱くのは。この世界に『亜人狩り』という風習が存在するのは御存じないようですね?」
「は...?『亜人狩り』って...」
「文字通り、『魔女狩り』の『亜人』バージョンのようなものですよ」
神居がなんでもないように言った言葉に隼人は驚愕する。
『魔女狩り』。古代からあったとされる妖術などを使う人を強制的に裁いたり、迫害する風習。
つまり、彼女は迫害対象だ。だが、それと神居とは何の関係もない―――と思った隼人だったが―――
「私がこの町に『亜人狩り』を広めました」
「......そういうことかよ」
―――だが、神居が真実を話した瞬間、妙に納得した。
『亜人狩り』がどういったものなのか詳細は今の隼人には分からない。
だが、それで『神』への『信仰』が強まるのだろう。実際、『魔女狩り』の本質は、魔女がキリスト教の転覆を計っている、などという考えから行われたものだからだ。
そして、結果が得られるのなら、この神官は何でもするだろうと、隼人はこの短時間でそう思うまでに神居の事を知ってしまっていた。
「さて、フェリルさん...貴女は何故、隼人さんを助けようと思ったのですか?」
「何故...ですか」
「私のことを分かっていて、それでもなお何故隼人さんを助けたのです?」
フェリルは一瞬考えた。本当なら今は考える時ではないのかもしれないが、それでも彼女は考えた。
それは―――何か凄く大切なことかもしれないと思ったからで―――
「それは...」
―――隼人をチラッと見れば、隼人がなんだか複雑というか訳が分からなくて混乱しているような表情をしていた。そんな隼人を見ていたら、助けようとした理由なんてすぐに浮かんできて―――
「私は...ハヤトさんに助けてもらいました」
「ほう?」
「奴隷として生きていくことを受け入れてしまっていた私に...こうやって『今』と『未来』をくださいました」
―――本当に感謝の念を込めて、フェリルはゆっくりと言葉をつづっていく。それを神居と隼人は聞いている。さっきまであんなに殺気立っていたのに。
「たった数日の出会いです...まともに話したのなんて今日が初めてです...でも、それだけでハヤトさんは私の憧れになりました...こんな風になりたいと本気で思える初めての人だったんです...」
それは―――フェリルの中に二人とも『本当の意思』を見たから―――これを汚すことは―――『侮辱』することはしてはいけないと知っているから。
「でも...ハヤトさんはおっちょこちょいです。所々間抜けです...見て分かります」
「え、ちょ...いい流れだったのに、それ酷くない?」
「だから...!!」
フェリルは隼人の言葉をもかき消す大声で―――自分の震えをもかき消す鼓舞で―――宣言した。
「私が...ハヤトさんを支えます...!これが私の助けてくれた恩であり―――今、『私にしか』出来ないことです...!」
「......」
「それが...『理由』ですか」
「...はい」
その時、自然とフェリルの震えは止まっていた。
その様子を見た隼人は少しだけ微笑み、フェリルと一緒に並んで神居に対して構えた。
「ハヤトさん...?」
「全く...言ってくれるじゃねぇかフェリル。でも...『助かった』」
「...はい」
隼人は少しだけフェリルに『背中を預け』ながら、元の世界の事を思い出していた。
『お前といるのは疲れねぇし、嫌いじゃない』
そんな嬉しくもないことを言ってくれた友人。
『隼人君は日ごろの行いが悪いから、そうやってトラブルに遭うのよ...』
そんな説教じみたことを言ってくれた友人。
『この世界は意外と寛容だからね...きっと許されるよ。いや許してくれる人が見つかる』
こんな自分に未来をくれた『自分の憧れの人』。
そんな人が元の世界にいてくれたから―――今の自分がいる。それは分かっている。
「...フェリル、『余裕』で行け」
「『余裕』...ですか?」
今の自分は―――フェリルの中でそんな人たちのようになっているのだろうか?
隼人はそのことだけ、本気で気になった。
「あぁ、空元気でもいい。『余裕』でいることを続けろ。『プレッシャー』から『逃げろ』。それが危機の時、一瞬の考える時間を、一欠片の動く体力を残してくれる」
「わ、分かりました...!」
「...アドバイスは終わりましたか?」
そして、ようやく神居が再び動き出す。
「あぁ、終わったよ。来い」
教会の全ての長椅子が浮き―――まるで殺意を持っているかのような圧迫感を放ってくる。
「フェリル...『頼むぞ』」
「はい...『任せて』ください」
それでも、今の二人には―――押し返すまでもない微小なものだったが。
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第十二話『生憎、諦めるなんて逃げるよりかっこ悪いことをする趣味は無いんでねッ!』
「『終わらせましょう』」
今までとは比べ物にならない数の長椅子が隼人とフェリルに殺到する。
「フェリル!俺とは反対方向に『逃げろ』!絶対に捕まるな!」
フェリルはこくりと頷くだけして、すぐさま走り出した。
それを確認した隼人は反対方向に向かって走り出す。
二人は部屋の壁に沿って、教会の中央にいる神居の元へ近づいていく。
長椅子はそれに追従するように二手に分かれて二人を追いかけ始めた。
「は、速い...!」
「怯えるなッ!どうやれば『逃げられる』か、考え続けろッ!」
すぐに追いつかれそうになり、弱気になるフェリルだったが、その様子を見かねたのか、隼人の叱責が飛ぶ。
フェリルはその言葉の通り考えた。
しかし―――
「(お、思いつかない...!)」
自分にはどうしても無理だ、と考えた結果分かった。
そんなことを考えている間にもどんどん長椅子は迫ってくる。
その時、フェリルはある前提を思いついた。
「(ハヤトさんは...既に切り抜ける策を考えてるのかな...)」
そう思ったフェリルは見た。走りながらギリギリまで隼人の動きを見続けた。
隼人は横移動を駆使している。逃げられないと感じたらすぐさま横に飛ぶ。それを繰り返している、また客観的に見れば分かる。長椅子の動きはひどく単調だ。それに大きさで数の有利を活かせていない。
その姿を見れば、別々の方向に逃げさせたのも理解できる。どれだけ操れるものが多くてもそれを操る人は一人。更に自分らが離れれば離れるほど、詳細に相手の動きを知るのが難しくなる。単純な理屈だが、それ故に目に見えて効果がある。
「(わ、私もッ...!)」
フェリルも隼人と同じように横移動で躱し始める。しかし慣れない。隼人のように隙を見て神居との距離を詰めることが出来ない。
「ふむ...彼女は『余裕』じゃないみたいですね?隼人さん」
「ッチ、俺に言うな俺に。なんか意味があんのか」
隼人は努めて『余裕』を崩さないようにしている。元々、この作戦は一人の方に集中的に攻撃されたら終わるのだ。隼人にもフェリルにも片方が集中した時、片方がやられる前に神居を倒せるほどの能力は無い。神居がその事実に気づくまでにできるだけ近づかなくてはいけない。
「では、先にフェリルさんから始末するとしますか」
「ッ!!」
しかし、そう思った矢先のこの最悪の状況だ。今の位置状況的に、後は壁から離れて、横に移動すれば神居の元へたどり着けるというところなのに。
「『行きなさい』、我が魂」
次の瞬間、隼人を追従していた長椅子が一転して全てフェリルの方へ向かって行く。今から長椅子でフェリルが潰される前に神居を殴り倒せるか?無理だ。そんなものは無理だ。
しかし、それと同時に思い浮かぶ、ある一つの策。それは博打。きっと思った以上の。
見れば、フェリルがこっちを見て頷いていた。きっと俺の考えをなんとなく察したのだろう。そんなに俺って顔に出る性格なのだろうか、と隼人は疑問に思った。
しかし、今回は全力で出来る―――フェリルに遠慮する必要もなくなった。
「クッソがぁぁ!!どうにでもなれやぁぁぁぁぁ―――ッ!!!」
「ッ...!?」
力一つ残さず全部出し切る雄たけびにも似たヤケクソな大声。それと同時に隼人は掴んだ。フェリルの元へ向かう長椅子を。掴んだ腕が引きちぎれるかのような衝撃が走るが、隼人はそれを放さない。そのまま隼人の体が長椅子に引っ張られていく。
「神居ィ!!てめぇも道連れじゃああぁぁぁ―――ッ!!」
そして隼人はもう一つの手を必死に伸ばした。それこそ長椅子を掴んでいる方の腕と同じぐらいの痛みが出るまで、必死に伸ばし続けた。そして掴めた―――
「なッ...まさか...ッ!?」
神居のキャソックの袖を掴むことが出来た。フェリルは隙を見て前進できないと言っても、回避行動をとるまでは前進し続けていた。割と神居に近い位置にいたのだ。神居のいた位置は多少ずれていても隼人とフェリルを結ぶ直線状にいたのだ。まっすぐ長椅子が飛んでいくなら、この状況に出来るチャンスはあった。
「おのれ...!なんという不屈なのでしょうッ、貴方の精神はッ」
「生憎、諦めるなんて『逃げる』よりかっこ悪いことをする趣味は無いんでねッ!」
こうなったら神居は長椅子を止めるしかない。このまま自分の命ごと隼人たちを倒すことは可能だ。しかし、自分にはやるべきことがある。その『意志』が『全員』の『延命』を選ばせる。
しかし止まったのは隼人が捕まっている長椅子だけだ。
「クソ...!意外に冷静じゃねぇか!」
「当たり前でしょう!貴方たちと同じで、こっちも『余裕』を崩すほど『弱く』はありませんよ!」
「は、ハヤトさん...!」
フェリルの『余裕ない』声。もはや体力も限界に近付いているようだった。
だが隼人も神居と同じだ。ここで終わるなんて一欠片だって思っちゃいなかった。
「それじゃ―――」
「なっ...!?」
隼人はすかさず神居の襟首をつかみ上げて、そのまま地面に突き倒した。
「見えるか!?フェリルのいる位置がッ!!」
「クゥ...ッ!!」
人間はちょっと予想外の動きをさせられただけでも方向感覚が一瞬狂うものだ。自動操縦でない長椅子は正常に追従しない。更に倒れ伏したことで普通に視界が限定される。
「ハヤトさんッ!!」
そしてフェリルからの脱出完了を告げる声が聞こえる。それと同時に隼人は神居を引っ張り上げて、神居を盾にするようにして扉の方へタックルしていく。
「このままッ!お前のあばらをいくらかへし折って気絶でも何でもさせてやるッ!」
「ッ、簡単にはさせないと言っているでしょうッ!!」
それを阻止するように神居は隼人の服に魂を分割した。隼人の服が隼人自身を後ろに引っ張り、遂にはその歩を止まらせた。
だが―――
「え...」
「ハ...ヤトッ...さんッ!!」
その隼人の後ろにはフェリルがいた。フェリルは隼人を押し―――隼人は再びを歩を進め始める。
「お、お前...!」
「歩を...止めないでください...!」
「分かってるッ...つーのぉ!」
また一歩―――一歩―――どんどん、歩む感覚は短くなっていく。
「こんな...ことが...ッ」
神居がそう呟いた瞬間、頸木が切れたようにハヤトの走るスピードが元の速さに戻った。
「終わりだぁぁ―――ッ!!!」
隼人の感情の任せの振り絞った大声が三人しかいない教会に響き渡った瞬間だった。
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第十三話『いや、逃げるが勝ち...俺達の勝利だ』
アルカードの夜は静かだ。
しかし、アルカードを歩いていた一人の女性の耳に、ある少年の大声が聞こえてきた。
それは本当に微かに、それでいて覇気でも含んでいるかのように重くのしかかってくるような感覚を覚えさせてくる。
「今の声......」
その白衣を着た黒髪ロングの女性はこの声を聞いたことはない。
だけど、何故か聞いたことがあるような―――既視感とでも言うのだろうか。全く関わったことなどないはずなのに、そう思った。
『どうかされましたか?』
どこからともなく彼女に対して問う声が聞こえる。
「いや、なんか引っかかることがあったんだけど...ねぇ」
『なんでしょうか?』
「面白そうじゃない?何か分かんないけど」
女性は薄く微笑むと、声がかすかに聞こえた方向を見据えた。
この町で最も大きい建物―――教会を。
「てめぇ...」
「......」
神居はまだ意識があった。多少ダメージは受けているが。
隼人が神居を扉にタックルで叩きつけようとした直前に、扉に入れていた魂を戻した。
叩きつけられた扉は衝撃で開き、神居にダメージが行くのを防いだ。もし扉を完全に閉じたままだったら気絶していただろう。
「ッチ...」
隼人は神居を教会の方へ投げるようにして服の襟首を放した。そのまま隼人は教会の中から飛び出すように出る。
フェリルも隼人と一緒に外に出て、神居を見て不安そうな表情を浮かべている。
「...引き分け、ですかね」
「いや、『逃げるが勝ち』...俺達の『勝利』だ」
「手厳しいですね...」
あくまで『引き分け』だと言い張る神居の主張を一蹴して隼人は背を向けずにゆっくりと神居から距離をとる。
「元々、俺達はてめぇをぶっ飛ばすのがあの時の『目的』じゃなかったからな...どうにか扉を開けさせれば、俺の目論見通りよ」
「ふふ、そうでしたね...完敗なようです...」
隼人の主張を聞いて、あっけなく自分の敗北を認める神居。その姿は神官というよりも武人に近いような気もした。
「別にまだ戦えるんだろ?まだ負けてねぇんじゃねぇのか」
「いえ...ここで騒ぎになれば困るのは私なのです...貴方もそれを感覚的に理解しているから何が何でも脱出したのでは?」
「そうだな。この町の信用を損なってはいけない『ナニカ』がお前にはある。それが後に自分には必要だ、とお前は考えている...」
「えぇ...」
隼人の推測を神居は肯定した。この戦いの後の何とも言えない時間が、まだ闘いが終わっていないのではないかという感覚を全員に分け与える。緊張感を強制する。
「んじゃ、俺達は逃げさせてもらうからな」
「えぇ...ご自由に。ですが...一つだけ」
言うだけ言ってから去ろうとした隼人だったが、神居はそれを引き留めた。フェリルはまだ何かあるのか、と警戒しているが、隼人は警戒はしなかった。
「隼人さん...人間は弱いですねぇ...」
「...どうした、急に」
いきなり脱力しきった様子でそんなことを言い始める神居に、隼人は怪訝そうな顔をするしかない。
「人間はその弱さ故に過ちを起こし...それを繰り返す。そしてそれを止めようとすればするほど、人は自分の弱さを露呈させねばならず、そして人はそれをよしとしないのです...」
「......」
「隼人さん...貴方も『弱い』。そして私も」
「...そうだな」
隼人は肯定する。その主張も、自分の弱さも、神居の弱さも。
「でも...貴方と私は違う。私は弱いですが...奇跡なら人間をどうにかできると、そのために...力を得ようと努力しました」
「......」
「貴方はそうじゃない...隼人さんは『弱さ』と『共存』することを選んだ...違いますか?」
「さぁな」
神居の問いに対して、隼人は適当な返答をする。だが、それが逆にお見通しだったらしく、神居は自虐気味にククッと小さく笑った。
「私は『弱さ』をどうにかしようとした...でも貴方は、そんな『弱さ』にも何かあるだろうと...必死に模索した。それが『逃げる』ということだったんじゃないですか?」
「......」
「隼人さん、私たちの根っこは同じです。『弱者』から始まった同士なのです。だけど、私たちは相容れません。絶対に」
「...そうだな」
再び肯定した。きっとこれからどんな紆余曲折があろうと、絶対に互いが互いを受け入れたりしないだろうという未来予知にも似た直感。
「また会いましょう。『決着』をつけるために」
「あぁ。『次』は、お互いの『全力』で...な」
相手がチンピラだったら『次』なんて『逃げていた』だろう。だが、隼人もこれだけは『退けない』ことを知っている。
『弱者』が『弱者』から『逃げる』ことだけは―――してはいけないことを。
「隼人さん、フェリルさん。ご武運を祈っておりますよ」
「余計なお世話だ。行くぞフェリル」
「は、はい...」
今までの話を静かに聞いていたフェリルに呼び掛けて、隼人は今度こそ背を向けて走りだす。そしてフェリルもそれについていく。
神居も背を向けて、教会の奥に入っていった。
「...『次』...私も貴方も生きていればいいですが...いや、不吉なことを言うのは止めましょう...」
神居は独り言を呟きながら、教会の奥の天使像に近づき仰ぎ見た。
「...神よ、貴方はとんでもない人を『勇者』として選んでしまったのかもしれませんね...」
神居の呟きを『神』が聞いていたのかどうかは―――誰にもわからないだろう。
「はぁ...はぁ...で、ハヤトさん!」
「あぁ!?なんだ!?」
一応追手が来る可能性も考えて町を走っている隼人たち。
「今からどこに行くのか、考えているんですか!?」
「......」
そういえば考えてなかった、の表情をしながら立ち止まる。
それをフェリルはどことなく知ってた、という感じの無表情で眺めるしかない。
「ねぇ、貴方たち、ここで何してるの?」
その時、二人に女性が話しかけてきた。
服は白衣をだらしなく来ており、その黒のロングヘア―はボサボサで手入れもあまりされていないようだった。
「え?いや別に...」
まさか他人に話しかけられるとは思っていなかった隼人は、少し焦って何でもないように振舞うが、その様子を見て女性は微笑んだ。
「...?」
そんな訳の分からない女性に隼人とフェリルが戸惑っていると、女性は隼人の耳元で―――
「西の出入り口に行きなさい。付近にいる行商人たちに声はかけてあるわ。そこから『アマリリス』という国へ行くといいわ」
「は...?」
自分たちの今の状況を知っていることに彼女に対する疑念と不安が隼人を襲うが、それでいて隼人はそれとは違う感情を抱いた。
「あんたは...?」
「...さぁね、でも手助けしてあげたくなったの。裏も何もないわ。貴方と私は『他人』よ」
「......」
何か懐かしいような、忘れてはいけないような声。抱いた疑念と不安も、隠れてしまうような優しいようで心強いような声。一回も聞いたはずの無い声なのに、確かにそう感じたのだ。
「ハヤトさん...?その人とお知り合いなんですか?」
会話内容が聞こえていないフェリルは不安そうな表情で女性のことを言及してくる。
「...ふふ......」
その様子を見た女性は微笑ましそうに目を細めた後、何も言わずにその場を去った。
「いや...『他人』だよ」
去っていった女性の後姿を見ながら、女性の代わりに隼人が答えた。
フェリルは隼人を不思議そうに眺めるしかできなかった。何故なら隼人の表情が―――とても穏やかに見えたから。
女性はそのまま夜の街を散歩していた。
『何故、あの少年に肩入れしたのですか?』
どこから聞こえるのか分からない声が女性に問うた。
「...彼のこと見たでしょ?あの『五番目の勇者』と話してるところ」
『えぇ』
「分かったのよ、あれで私。彼は『やりたいこと』を『やってる』んだってね」
『......』
不思議な声が喋ったのはそれっきりだった。でも、女性の方は最後に一言だけ、声の主に向かってか独り言かは分からないが、一言言った。
「それに...懐かしい気がしたのよ、あの子」
その言葉は奇しくも、隼人が抱いたのと同じような感情が―――穏やかな気持ちが乗っているような気が声の主にはしたのだった。
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第十四話『俺にとって逃げるってのは誇りだ』
女性から行くべき場所と思しきところを教えてもらった隼人は、あっさりと言われたことに従った。
本当にこれからどうすればいいかも分からなかったし、どうせ行かなくても後々詰みそうだった、というのが理由である。
不安も当然あったが、行ってみれば女性が言った通り、行商人が『アマリリス』という国に連れて行ってくれるという。
夜の間に出発すれば明日の昼には着くということで、今は馬車の荷台にフェリル共々押し込められている。
「......」
「......」
眼を閉じると鮮明にわかるような気がする、荷台の揺れ。
心地いいようで、気を抜くと酔いそうな揺れに身を任せて二人は眠ろうとするが、目をつぶっても眠れなかった。
今日だけでどれだけのことが起こったのだろうか。盗賊から逃げて、ケガを治してもらったと思ったら、いきなり『勇者』と戦うことになって―――
―――特にフェリルは自分以上に何が何やら分かっていないだろうと隼人は思った。
「ハヤトさん、少しお話しませんか?」
「...いいぞ」
何かしら説明すべきだろうか、と隼人が思っているとフェリルの方から話を切り出してきた。
元々フェリルの方は隼人と話そうと助ける前から思っていたのだが。
「......」
「...いや、何か喋れよ」
まぁ、何を話そうかは考えていなかったようだが。
「あ、あのッ...ハヤトさんは、なんでそんなに『逃げる』ってことに執着するんですか...?」
「なんかいきなり俺の九割を占めるようなことを聞いてきたな」
フェリルがずっと気になっていたこと。隼人にとって『逃げる』とは何なのだろうか、とずっと考えていた。
隼人は唸るように数秒考えた後に口を開く。
「...昔な、俺もお前と同じようなことがあったよ」
「同じ...?」
「家の中っつー『牢獄』に自分から引きこもって、もう誰とも会いたくねーって。丁度10年ぐらい前かね」
「なんでそんなことに...?」
「ま、早い話がいじめられてたんだよ。恥ずかしい話だけどな。そんで引きこもった、もう何にもしたくないって。思考を停止してだらだらと毎日過ごしてたよ」
「......」
フェリルは、これは隼人にとって辛い話しなのではないか、と思った。
しかし、当の隼人は至って平気な顔だ。眠そうな表情を隠そうともしていない。フェリルは今度はそれが気になった。
「...辛くないんですか?」
「ん?まー、その辺は後だろ。まずは話を全部聞きな」
隼人に窘められてフェリルは黙った。黙ったのを見ると隼人は再びゆっくりと話し始める。
「んで、そんなことを1か月続けた時だったかな。ある人に出会っ...いや、出会っては無いな。まぁ、文通みたいなものだよ、知らない人と、メールっつー文通を」
「はぁ...」
メールという言葉はよく分からないフェリルだったが、言いたいことは何となく分かった。
「んで、その人が最初に送り付けてきたのは何だったと思う?」
「え?わ、分かりません...」
「『人生謳歌してますか?』っていきなり送り付けられたんだよ、しかも知らねー人にな。そん時はムカついた、この人は何を言ってるんだって」
「......」
その時、フェリルはなんだか既視感を覚えた。今日の朝型、盗賊のアジトの牢屋の中で同じような感じで隼人に話しかけられたことを思い出していた。
「そんで怒りに任せて返信した。『ふざけんな、お前に何が分かるんだ』って。正直、俺が言った内容はあんまり覚えてないけどな」
「それで...どう返ってきたんですか?」
「うん、まぁ...そしたら......ぶわぁーっとあっち側の不幸話が津波みたいに書き綴られた文が届いたんだよ、たった五分でな。そんで最後に『そういう君は私のことが分かるのかな?』って書いてあった。正直それを見た瞬間、俺の不幸は何だったんだって思ったね。考えるよりも先にそう感じちゃったよ」
「そんな人が...?」
フェリルは、なんというかにわかには信じられなかった。
そんな人がいることも。そんな人が『人生謳歌してますか?』なんて聞いてくる意味も。
「その後、俺はその人と言い合うことも忘れて聞いたね。『なんでそんなに元気そうに、『余裕』そうな文章送ってくるんだって。俺はどうすればいいのか』って...」
「...返ってきましたか?」
「あぁ、書いてあったよ。『私は『やりたいこと』を『やって』生きてます。『やりたいこと』で生きてるんだ』って」
「ッ...」
その時、フェリルは分かった。隼人の原点、そのルーツを。
「そんで、夢中になったね。その人が言うことに。『趣味でゲーム作ってようが、それを売り出せば生きられる。どんなに好き勝手、仕事とは思えないような事でも生きていける』とか『それほど世界っていうのは、思ったよりも寛容なんだ』とかな」
「......」
「俺は羨ましくなって...なんつーか憧れた。こんな風に生きれる人になってみてーなって...今まで塞ぎこんでたのも忘れてそう思えた。そんで考えた。俺が今『やりたいこと』はなんだって」
「もしや、それが...?」
「あぁ...俺は『逃げたい』と思った。いじめっ子から『逃げる』だけでいい。それだけで俺はきっと救われるんだって、思いついた瞬間に理解した気がしたよ。そんで『やりまくった』。『逃げて』『逃げて』『逃げた』。色々と考えたよ『逃げる』ってことを」
その時、フェリルは分かった。自分を助けてくれた理由のようなもの。それはきっと―――
「そんで究極的に、自分の心に少しでも引っかかりが残るような『逃げ方』...『自分に嘘をつく逃げ方』って奴が、最もやっちゃいけないことだってことは、なんとなく分かった。最近になって、だけどな」
―――きっと、あの時の自分と、昔の隼人が似ていたからなのだと。自分を見てほっとけないと思ったからなのだと。
「色々と考えて...考えて考えて考えて...考え抜いた結果、どうせ『逃げる』なんてしょーもないことするなら、失うものなんて全部ない、完全な『逃げ切り』をしようって結論に至って...いや、これは今話さなくていいか?まぁ、とにかくだな―――」
ただ思っただけなのだ。今、見捨てたらきっと後悔する―――嫌な未来から『逃げ切った』ことにならない、と。
「俺にとって『逃げる』ってのは『誇り』だ。どんだけネガティブでしょーもないことでも、俺にとっては10年も考え続けてきた、俺の『核』だ。俺の『人生』の半分以上だ。だから俺にとってはネガティブなことでもなんでもねー、俺の...いや『俺自身』なんだよ。これが執着する答えだ」
「......」
本当に隼人の言う通りなのだろう。これが答えで―――『隼人自身』でもあるのだ。
隠し事など一切ない、隼人の『本質』100%が今の話なのだろう。
「ま、そんなところだな」
「...ハヤトさん、ありがとうございました」
「別に...こんな恥ずかしい話でよければいくらでも話してやるよ」
「はい...」
話はそれっきりだった。
その後はフェリルも隼人も何も言わない。
話をしていた間もしていない時も馬車は淡々と目的地を目指す。
フェリルにはそれが、自分がこれから歩む『未来』へ近づいてきているような気がしてならない。
フェリルは隼人に憧れた。彼のように自分に自信を持てるのだろうか、と。
でも隼人は今―――その名も知らぬ人にどんな感情を抱いているのだろうか。
もしかして、今もなお憧れを抱いているのだろうか。いや、きっとそうだろう。
隼人は今も『逃げている』。自分が認められない嫌な未来から必死に。それが答えなのではないだろうか。
きっと今も近づこうと、必死に努力しているのだ。
フェリルは目をつぶった。これでやっと眠れそうであった。
一緒に憧れの人に近づこうとする人を知れたから。『一人』でないと知れたから。
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