海と空との間で (坂下郁)
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Phase 01
01. 再出発


 「…はい、確認が取れました、司令官。すぐに迎えの艦娘が来ますので、そちらでお待ちください」

 

 その日の午後遅く、一人の司令官が那覇泊地に着任した。直立不動で敬礼の姿勢を取った守衛を務める海軍特別警察隊(特警)たちに比べ、司令官と呼ばれた男の返礼は、彼らに比べると形は合っているがどこかぎこちない。指定された場所へ向かい歩く後ろで交わされる、明らかに悪意がある会話を、彼は聞こえないふりでやり過ごす。

 

 「えらく優男じゃないか、今度の指揮官は?」

 「艦娘どもも喜ぶんじゃねーか?」

 「今度は佐官だから司令官殿、か。()()教えて差し上げて、また()()()()を作らねーとな」

 

 艦娘の運用拠点は、規模に応じて基地、泊地、警備府、鎮守府と分類され、提督と呼ばれるのは拠点長かつ将官に限られ、それ以外の拠点長は司令や司令官と呼ばれる。特警達の会話は階級を敏感に反映したものだった。

 

 

 突然現れた敵対者、深海棲艦に対し速やかな反撃に移った人類だが、通常兵器による攻撃が通用せず、あまりにも多くの犠牲を払ったにも関わらず、人類はシーレーンを喪失した。

 

 各国は急速に窮乏し、そこに暮らす人々は困窮の度を深めていった。海軍と空軍が死に物狂いで戦い続け磨り潰される中、軍産官学に宗教までを加え日本の総力を挙げた『天鳥船(あめのとりふね)プロジェクト』の成果として、艦娘が登場した。

 

 それは『素体』と呼ばれる人工的に開発され人間を遥かに凌駕する能力を持つ強化生体に、油や鉄を依代にして、在りし日の戦争で沈んだ軍艦の船魂や共に戦い共に死んだ兵士の想念を(コア)として宿らせ、その軍艦の能力を顕現する生体兵器。最先端のバイオテクノロジーと最深淵のオカルトロジーを融合させ生まれた、女性の柔らかさに鋼鉄の暴力、そして濃やかな感情を持つ、人の現身にして人と異なる存在。

 

 艦娘の戦線投入以降、戦局は一進一退ながら深海棲艦と互角の戦いを繰り広げ、戦場の主役が艦娘に移行した時期の終わり頃、それがこの世界の現況である。

 

 ゆえに、得体の知れない物と毛嫌いする者もいれば、件の特警達のようにその美貌に邪な情欲を抱く者、海の女神として崇める者、兵器として扱う者、人間として接する者…対応は人により立場により大きく異なる。要するに、人間は彼女達を生み出しておきながら、誰も明確に存在を定義できずにいる、ということだ。それは艦娘にとって奇跡と地獄の双方を等しく生み出している。

 

 艦娘の登場で、自衛隊の後継組織となる日本軍はさらに改組を受け、海軍は艦娘部隊と通常戦力部隊に分かれ、後者と空軍は艦娘部隊の支援組織として在り方を変えるに至った。そして全軍共通の深刻な課題は長引く戦争と艦娘運用における特殊な条件-妖精さんという不可思議な存在と意思疎通できること-がもたらした人材不足。

 

 見込みのありそうな人材は優先的に艦娘部隊に配属され、足りない分は軍の垣根を超えた人事異動や予備役招集、さらには民間登用で不足を埋めようとしている。怪我で除隊し予備役登録されていた元空軍のパイロットを、わざわざ引っ張り出してきたのもこの背景がある。当時の最終階級は空軍大尉だった彼を海軍に転籍させ、速成訓練を受けさせて上で少佐待遇のもと司令官として赴任させたのである。

 

 

 

 

 「…司令官ですか?」

 

 これが迎えの艦娘のようだ。どうみてもセーラー服を着た女学生にしか見えない少女が敬礼の姿勢を取りこちらの返事を待っているので、司令官も同じように右手を上げながら、先ほど感じたぎこちなさを気にしつつ、敬礼の姿勢を取り応える。

 

 「ああ、本日付でこの泊地に着任となった。君は…?」

 「はじめましてなのです、暁型駆逐艦の電、なのです。司令官、着任おめでとうなのです」

 

 電…自分を迎えに来た艦娘は、堅い表情のままそう名乗った。駆逐艦という言葉と目の前の少女の姿が一致せず戸惑う司令官を気にすることなく、電は彼の荷物を軽々と運び、執務室へと向かう。

 

 

 

 「それではご用がありましたらお呼びくださいなのです」

 

 敬礼のあとぺこりと大きく一礼すると、電は執務室を後にした。あるいは、特段の説明もなく司令官は取り残された、とも言える。広い部屋にぽつりと一人、手持無沙汰だがぼんやりしていても仕方ない、司令官は自分用に与えられた執務席へと移動する。

 

 整頓されているが山積みにされた資料…司令官心得、艦船図鑑、装備図鑑、建造マニュアル、開発マニュアル、資材目録、etc…その多さに呆然としつつも、まずは艦船図鑑を繰り始める。しばらく読み進むうち、司令官の表情は不審げに変化する。いったん艦娘図鑑を見るのをやめ、着任前に渡されていた資料を引っ張り出し、双方を見比べる。

 

 艦隊本部から渡された資料の作成日は約一か月ほど前。今自分が現地で見ているこの資料の更新日は一週間前。この一ヵ月程度でここまで状況が変わるものなのか? 恐らく同じ基礎資料を基にしたと思われるが、艦隊本部版資料に掲載される多くの艦娘に現地版では×印がついている。×印=いない、ということだろう。何より、先ほど会ったばかりの電にも×印が付いている。

 

 装備や資材も同じで、誤差と呼ぶにはあまりにも大きな数字の乖離がある。これほどの犠牲を出し、資源を大量消費した大規模作戦がこの泊地で行われたとは聞いていないが―――?

 

 受話器を持ち上げ、館内通信で電を呼び出すと、慌てて司令官室に駆けつけてきた。

 

 「もうお仕事を始めていたのですか!? 申し訳ないのです、司令官」

 「いや、謝る必要はないよ。さて、早速だが、この机の上の資料は、誰がまとめてくれたのか知ってる?」

 「…何か不都合があった、のでしょう、か……?」

 

 電自身がまとめた資料で、内容は当然把握している。あぁ、いきなり怒られちゃうのかな…と緊張しながら電が答える。

 

 「いや、不都合とかではなく、とても分かりやすかった。君が用意してくれたのか、ありがとう」

 

 司令官は席から立ち上がり彼女に近づく。直立不動の姿勢を取る電の緊張をほぐそうと、眩しそうに目を細め微笑みながら語りかけ、自分のデスクに来るよう促す。瞬間だけ重なった視線を逸らし、電は俯きながら司令官について歩く。司令官は自席に座り、電は机を挟んだ正面に立ち指示を待つ。司令官は机に両肘をつき顔の前で手を組みながら数瞬考えこみ、電に話しかける。

 

 「…電さん」

 「はい、司令官。ご命令をお願いします」

 「初任務として、俺とお話しようか?」

 

 

 

 司令官と電はソファーに移動し、向かい合って座る。テーブルには彼女が用意してくれたお茶とお茶菓子が並ぶ。

 

 「話と言うのは、この泊地にいる艦娘の艦種についてなんだ。艦隊本部から受け取った資料と、君が用意してくれた資料との間に大きな差がある。なぜこうなったのか、理由や原因を知っているかい?」

 

 電は目を伏せ、司令官からの問いに答える言葉を探す。司令官はお茶をすすりながら、決して答えを急かさない。優しい人…だと思える。でももし、この優しさが表面だけで、今自分の目の前にいる司令官が、以前の提督と同じような反応をしたら、どうすればいいのか…。

 

 電からの返事が無い事を気にする様子もなく司令官が話を続ける。

 

 「知っているかも知れないが、俺は元空軍でパイロットだった。幾度となく空に上がり、幾度となく敵と戦い、幾度となく仲間を失った。つまり、現地版の資料で×印が付いていた艦娘に…この1ヵ月でそういうことが起きたのかい?」

 

 電は俯いたまま、僅かに肩を震わせるが何も答えない。

 

 「その沈黙は肯定とも否定とも受け取れるが…。あるいは、別の『何か』があるとか?」

 「あ、あの…私、ご質問には、その…あの…」

 「…というか現地版の艦娘図鑑の通りなら、君は戦没しているんだが」

 「あの、あのっ…いえ…私…うん…そう、なのです…」

 

 司令官は無言で現地版の艦娘図鑑の、電が掲載されたページを示す。

 「私、自分で抹消しちゃったのです…あはは…」

 

 間違えるにしても程があるだろう、と呆れ顔の司令官に向け、電は笑顔を見せる。輝くような表情だが、その目は笑っていない。司令官はごくりと唾を飲みこみ、やっとの思いで問い返した。電は再び俯いたまま沈黙を続けていたが、やがてぽつりと告げる。

 

 「抹消(それ)でもいいのかな、って。司令官…私、色々もういいのです」

 「…一体、どういうことなんだ…?」

 「……………………………………」

 

 しばらく電からの言葉を待っていた司令官だが、ふと小さなため息を吐く。それに反応するように、電がびくっと肩を震わせる。

 

 「答えにくいなら仕方ない。資料がどうであれ、少なくとも君が今俺の目の前にいるのは事実だ。気が向いたら君の知ってることを教えてほしい。今日会ったばかりの俺に言いにくいこともあるだろうし。新米司令官だが、何とか信頼してもらえるように、これから頑張るさ」

 

 司令官は挙動不審な電の様子を気にしながら、これ以上問い詰めるような話はすべきではないと判断し、話をまとめようとする。すると、電が反応し始めた。

 

 「…資料がおかしい、質問に答えろ、って叱らないのですか? それに『信頼してもらえるように』って、私からってことですよね? …そんなこと、考えたこともないのです。今まで、わ、私たちは…ただの…」

 

 電は見るからに泣くのを堪えている様子だ。司令官は断りを入れてから電の横に移動する。司令官が横に座るのと同時に、電は声を殺しながら涙を流し始めた。悲しい泣き方をする子だな、そんなことを思いながら、司令官は電に優しく伝える。

 

 「私たちはただの兵器とか道具、とか言わないでほしいんだ。電さん、俺は今日この泊地に来たばかりだから、分かったような事は言えない。でも…せめて、君がそんな事を言わずに済むよう、俺に努力させてくれないか?」

 

 どうしていいか分からなくなった電は、肩を震わせながら、それでも俯くしか出来ずにいた。



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02. ぎこちない一歩

 -バタンッ

 

 ふいに執務室のドアが大きく開き、駆け込んでくる影。

 「どうした電!? お前…この部屋にいるって事は新任の司令官だな。ほぉ…で、早速電に何しやがった?」

 「見ちゃいました…セクハラですね! 決定的場面を押さえちゃいました!!!」

 

 電の声に反応し、執務室のドアをけ破るかの勢いで飛び込んできたのは、軽巡洋艦の天龍と重巡洋艦の青葉。怒りを露わにして艤装を展開し主砲を向けてくる天龍と、電を司令官から引き離しかばうように自分の背後に隠しながら、鋭い目でにらんでくる青葉。司令官は、唯一事情を知る電に助けを求める。

 

 

 

 「司令官、ほんっっっっっっとうに申し訳ないっ。この通り謝る!」

 「スクープじゃなくて心からホッとしてます、司令官。私も早とちりで恐縮です」

 

 電が二人に対し、ここまでの経緯を説明してくれたおかげで事なきを得た。ほうっと大きなため息をついた司令官は、改めて三人に着席を促し、話は深部へと向かい始める。

 

 「…なるほどね、ここの過去、か。あんまり楽しい話はねーぞ、司令官…」

 「そういうお話…気になるんですかぁ? そりゃ情報はありますけど…」

 三人の話を総合すると、過去…というか比較的最近までこの泊地は、犠牲を厭わず、限度を超えた出撃や艦娘への心身への暴行など、手段を選ばず艦娘を酷使する過酷な環境、そう呼ぶより他にない状況だった。遠くない未来、これら劣悪な環境の基地は『ブラック鎮守府』という不名誉極まりない名称で呼ばれる事になるが、それは先の話として。

 

 戦力は今に比べるとはるかに充実していた。強力な艦娘を保有することは戦果に直結し、先任提督が抜群の武功を上げ中将から大将に昇進、四大鎮守府の一つの佐世保鎮守府へ栄転した事でも明らかだ。着任したての艦娘を、訓練と演習と実戦を通して厳しく育て上げ、第一次改装、第二次改装へと時を置かず導く。そして戦い、勝つ。先任提督は優れた手腕の指揮官だったようだ。

 

 ここまでなら厳しくも優れた提督の話だが、司令官が不快感を露わにしたのは、それに続く話。

 

 先任提督は、超弩級戦艦や往時の戦争で赫奕たる武勲を持つ艦娘、あるいは入手方法が限られている艦娘を除けば、同型艦を常に複数在籍させ余念のなく練度向上に勤しんでいた。そして、高練度の艦娘ほど、裏で行われているオークションで秘密裏に売却されていた。その利益は全て先任提督の懐へ。売却された艦娘は、様々な理由や名目で徐々にこの泊地から記録を抹消し、艦隊本部の記録と辻褄を合わせていたらしい。落札先は、艦娘の育成にかかる時間と手間を惜しむ軍関係、艦娘を情欲の対象としてしか見ない民間資産家、生体実験サンプルとして内外の医療系や工業系の企業や研究機関など多種多様。共通しているのは、どこをとっても碌な所がないという事。

 

 「なるほどな。ここの立地条件を考えれば、やりやすかっただろうな」

 軍関係同士なら普通に落札先へ転属させる事もできる。だが民間への不法転売となれば話は別だ。その点では、この那覇泊地という立地が利いてくる。那覇港は本土と南方と繋ぐ中継基地の役割を果たし、軍民問わず多くの船舶が出入りし往来が盛んな場所であり、貨物として積み込むには最適な場所だ。後はいずれかのタイミングで戦没したことにして那覇から除籍すればいい。想像は容易にできるが、軍人として想像したい内容ではない…同時に、先ほどの電との会話で彼女が()()()()自分を登録抹消した理由に見当が付いた。

 

 「電さん、ひょっとして君は…?」

 「はい、司令官の想像の通りなのです。私のように見た目が幼くて小柄なのがいい、っていう民間の方がいたみたいなのです。前の提督さんの転属で、お話が流れるかなってちょっとだけ期待してましたが、特警さん達からは予定通りだ、って言われたのです。だから…先に登録抹消しておいてもいいかなって」

 

 天龍が悔しそうに顔をそむけ、司令官は一層苦い表情になり、怒りを露わにする。当の本人の電は、不思議そうな表情で司令官を見ていた。どうして無関係の私のために、この人は怒っているのだろう…? 微妙な空気に支配された執務室で、青葉がさらに話を続ける。彼女はこの泊地の広報担当として、表に出ない情報もいろいろ持っているようだ。

 

 この手の事はいずれ露見するものだが、先任提督は、儲けた裏金と艦娘を与える事で特警を買収していたらしい。海軍内の犯罪を取り締まるのが海軍の憲兵にあたる特別警察隊の役目だが、取り締まる側と取り締まられる側が一体では、証拠隠滅など思いのままだっただろう。特警隊を抱き込んだ先任提督は、拠点運営の模範的存在という噴飯ものの評価を特警本部から強く受け、お気に入りの艦娘たちとあらかたの有力な装備品や資源とともに佐世保鎮守府への栄転を果たした。当初、艦娘の異動は、転属先の戦力が揃うまでの期間限定移籍という位置づけらしかった。しかし、その再異動には先任提督の同意が必要、となれば艦隊の私有と何も違わない。

 

 『指名された艦娘は、私と共に転属するのだ、光栄に思え。無論所要の装備品、資源、資材も移動する。なに? 私たちはどうすれば? 次の司令官が近々着任するらしいぞ。その者とともに、特警隊の指示に諸事従うように。有象無象同士ちょうどよかろう』

 

 その言葉と抜け殻のような泊地と今いる艦娘達を残して、先任提督は去っていった。

 

 

 

 執務室に沈黙が訪れる。あまりの内容に、黙って聞いていた司令官も不愉快になる。

 「…つまり、その『次の司令官』が、俺というわけだ」

 

 もう一つ、司令官は先ほどから気にかかっていることを天龍に尋ね始めた。

 

 「今回は不問に付すが、上官に砲を向ける行為は、解体を含めた厳しい処罰の対象となる。君もそれは分かっているはずだ。…これは推測だが、以前に()()()()()()があり、実際に被害者も出た。だから条件反射的に体が動いてしまった、違うかい?」

 「特警の連中を許せるわけねーだろっ! あいつら…」

 激昂した天龍が立ち上がり、司令官に食って掛かろうとする。司令官は天龍を手で制しながら、正門前で出会った連中を思い出していた。なるほどね…妙にガラが悪い連中だと思ったら、そういう事か…濡れた雑巾で顔を拭われた様な不愉快さを覚えながらも、これだけはハッキリさせたい、と司令官は姿勢を正して話を続ける。

 

 「…君たちが来る前に電さんにも言ったことだが、今日着任したばかりの自分を無条件で信用することは、難しいと思う。でも、俺の言動で誰かが悲しむようなことは、俺も嫌だ。それは断言する。頼むから、それだけは分かってほしい。ああそれと電さん、君は那覇泊地の艦娘だ、どこにも行く必要はない」

 

 電はきょとんとして自分を指さし、それを見た司令官がうんうんと頷く。電の瞳が大粒の涙で濡れるのに時間は掛からず、顔を両手で覆い、肩を大きく震わせ、それでも声を殺して泣き出した。

 「電さん、泣きたければ思い切り泣いていいんだ、我慢することはない」

 それこそ子供がするように、電はこれまで抑えに抑えていた感情を爆発させ大声を上げ泣き始めた。

 

 一方で天龍と青葉は困惑している。自分たちが知っている()()の意味は、達成困難な命令を婉曲に強要する、それだけだ。だが目の前にいるこの新任司令官のそれは、全く違う。形のない、けれどとても大切なものを、分かってもらいたいという願い―――。

 「そんな風に()()()たらしょうがねぇな…分かったよ、司令官…。ありがとう」

 場を和ますよう、少し茶化すように天龍が答える。

 「…もう夕方か、全員解散していいぞ。また明日。あぁ、電さん、明日はこの泊地に所属しているみんなに会えるんだよな?」

 「はい、司令官。あの…私もお願いがあるのです。『さん』づけじゃなくて…電、って呼んでほしいのです」

 憑き物が落ちたようにすっきりとした表情で、でも泣き腫らして真っ赤な目をした電がそう告げ、逃げるように立ち去るのを、ニヤニヤしながら青葉と天龍が追いかける。

 

 

 

 その頃食堂では、泊地に所属する全艦娘が集まっていた。

 電がさっそく司令官に呼び出されたことも、帰りの遅い彼女を心配して天龍が探しに行き、それを青葉が追いかけて行ったことも、皆知っている。三人は食堂に戻り、電を中心に青葉と天龍が執務室での話を全て伝え、全員その話に耳を傾けていた。

 「新しい司令官さんは、きっと信じられる人なのです! 電は、少しでも司令官の力になるのに頑張るのです!! みんなも、先入観を持たずに司令官と話してください、きっと分かるのです!」

 

 食堂の空気はやっと…という安ど感と、それでも…という抜きがたい不信感が入り混じった複雑な物に変わったが、皆が明日の顔合わせの段取りを話し合っているとき、司令官が夕食を取ろうと食堂に現れた。

 

 「あ…司令官さん…」

 

 電がつぶやくと、全員の目の色が変わり、一瞬の静寂のあと声が上がる。

 

 「ほぉ、これが新しい司令官か。思ったよりは若かったな…」

 木曾が何とも言い難い声を上げたのを皮切りに、挨拶を一斉に受けた司令官は食堂の入り口で完全に固まっている。

 「ヘーイみなさーん、テートクが困ってマース。Be quiteネー」

 おそらくはリーダー格なのであろう、怪しげなイントネーションの日本語をしゃべる少女-金剛のひと声で、全員が静まり返り、再び視線が司令官に集中する。

 

 「あぁ…えっと、本日付でこの泊地に着任した司令官だ。これから、この泊地の一員として、君たちの仲間として、一緒に頑張りたいと思う。よろしく頼む。…まぁ、細かいことは、明日からゆっくり話そう」

 

 そう言いながら、内心司令官は困っていた。自分としてどうふるまえばよいのか、まったく分かっていなかった。だが、司令官としての一歩を踏み出したこと、目の前にいるこの少女たちと戦ってゆくこと、それだけは事実だ。



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03. 眠れない夜

 そしてなし崩し的に始まった歓迎会だが、何の準備もないまま、鳳翔と間宮が慌てて用意したありあわせの品がいくつか用意され司令官の前に皿が並ぶ。ありあわせと言っても、常に新鮮な食材が食堂にある巨大な冷蔵庫に保管されているため、一般的に言えば豪奢な品々があっという間にテーブルを飾った。

 

 顎に手を当て首を傾げむうっと唸る司令官の表情に、鳳翔と間宮は誤解をしたようだ。和装で包んだ小柄な体をさらに縮こまらせ恐縮する鳳翔、同じ姿勢をとりながらも豊満な体型の間宮は女性らしさを強調したようになる。むしろ意図してそうすることで自分に目を向けようとしているようにも見える。

 「し、司令官…お気に召しませんでしたか? 申し訳ありません、申し訳ありません…」

 「あの…もしお気に召さないようでしたら…その、鳳翔さんではなく私を…」

 

 一瞬で打ち解けかかっていた空気が固まり、艦娘達が固唾を飲んで司令官を見守る。自分の考えに没頭していた司令官はようやく状況に気付き、むしろきょとんとした顔で周囲を見渡す。

 

 「すまない、どれから食べようか考えていたんだ。俺が手を付けなきゃ皆食べられないか。………モグ…ん! 美味いっ! 訓練中に食べてたのは出来合いのものばっかりだったから。ああいや、比べるのも失礼だ。みんなもせっかくだから食べよう」

 

 近くにあった箸と取り皿を手にし、鳳翔の用意したオードブルを司令官は嬉しそうにあれこれ食べ始める。その様子を見ていた艦娘達は、比喩ではなく安堵のため息を漏らし、表情を明るくし料理へと集まり始める。

 

 鳳翔と間宮は顔を見合わせ、むしろどうしてよいか分からない、という表情になる。二人とも自分の腕には自信があり、今回の食材もいいものだ。それにしても準備時間が足りず、下拵えや調理時間に不足があるのは確かで、完璧と呼べる仕上がりではない。味覚が鋭敏で舌が肥えていた先任提督は、そういう細かな点も(ゆるが)せにしなかった。

 

 『我等は他者の命で己の命を繋ぐ存在だ。なればこそ、一切れの食材も無駄にせず、全身全霊を込め調理に当り、食さねばならぬ。翻ってうぬらの今日の皿、技に溺れた驕り、僅かに味に濁りがある。貴様らには命の重さ、分からぬのだろうよ。人らしく振舞っておるが畢竟ツクリモノ、詮無きなり。貴様ら、兵器として兵士として、生死の際を超え己の生を賭け、命の重さを学ぶが良い。愚者には体に刻むのが教育だ』

 

 そして身柄は特警隊に引き渡された…そこから先の事は言いたくない。泣く暇さえ与えられなかった。身体の傷は入渠で直る。でもいくら入渠しても記憶までは上書きしてくれない。

 

 

 ふいに司令官が自分達を見ていることに鳳翔と間宮は気が付いた。そして深々と一礼され、二人の混乱は頂点に達した。

 

 「本当にありがとう、俺なんかのために、忙しい中これだけの料理を用意してくれて。二人のその気持ち、本当に感謝する」

 

 

 -ああ、その言葉が聞きたかったんだ。

 

 唐突に鳳翔は理解した。今まで調理方法や手順、味を聞かれた事はあっても、それを作る自分たちの思いは一度たりとも聞かれた事が無かった。今回、確かに調理時間を短縮するためいい意味で抜ける手は抜いた。それでも、せめて心づくしを、と掛けられるだけの手は掛けた。その気持ちが嬉しいと、この司令官は言ってくれる―――。間宮も鳳翔が何を感じたのか気が付いたようで、目の縁を赤くしながら鳳翔の手を取る。司令官も二人の様子に何かを感じながら、それが何か分からない以上詮索はせず、重ねて礼を言うと、二人にも一緒に食べようと箸と取り皿を渡す。おずおずと鳳翔が手を伸ばし皿に指先が触れようとした瞬間、再び食堂の空気が凍りつく。

 

 

 「夜分に何を騒いでいるかと思えば。いかんなぁ…規則は守られねばならない! ()()()定めた施設の利用時間を四分も過ぎているではないか、ん~。首謀者は誰かっ! 名乗り出よっ」

 

 泥塗れのブーツで廊下や床を汚しながら、三人の特警が居丈高にことさら大声を上げ食堂に乗り込んできた。那覇泊地に配置される特別警察小隊は合計六名、その半数がわざわざやってきた。

 

 「首謀者って言い方は失礼ではないか? 彼女達は何も悪い事はしていない、俺の着任を祝して心ばかりのパーティを催してくれただけだ」

 

 こいつらが例のやつらって訳か…艦娘達の多くが怯え始めたり、攻撃的な雰囲気を纏い始めたのに気付いた司令官は、特警達に対応するため前に出ると、つとめて冷静に話し始める。すでに連中の一言で、この連中がどれだけ思い上がり、専横を振るっていたのか十分に理解できた。

 

 「おお、これはこれは司令官。さっそく艦娘達を手なずけパーティーを開催させるとはっ! さすがに色男はやることが違いますな。なるほど、そう言う事でしたら特例案件として会の延長を認めましょう。()()()には我々もご一緒させてもらいますよ?」

 

 特警小隊の隊長が意味ありげにニヤリと嫌な笑い方をすると、後ろの付き従う二人の部下も下卑た笑みを浮かべる。生理的な嫌悪感を押し殺しながら、司令官はさらに一歩前に進み出ると決然と対する。

 

 「何を言っているのかよく分からないが、まず、これまで先任提督の離任と俺の着任までの間、施設の利用時間…そのような些事まで()()()()定めなければならなかったのか、不便と苦労を掛けたがもう心配はないぞ。泊地本来の指揮命令系統は今日をもって復旧した、今後は()()諸事対応する」

 

 お前らの好き勝手にはもうさせないぞ。

 

 簡単に言えば司令官の発言はそういう意味であり、彼の後ろで怖々と状況の推移を見守る艦娘を驚かせるのに十分だった。虚を突かれたような表情を見せる特警小隊長が次の言葉を発する前に、司令官は畳みかける。くるりと艦娘達を振り返ると、宣言する。

 

 「艦娘の皆、今後泊地運営の方針を決定するため、明日より全員にヒアリングを行う。本当ならもっと皆と語り合いたかったが、わざわざこんな細かい事まで介入…ああいや、指示を出してくれた特警隊に敬意を表す意味で、今日はここでお開きにしよう。全員部屋に戻ってくれ。明朝〇七〇〇、またここに集合で頼む。明日の朝まで、君達は完全休養を命じる。部屋の施錠をしっかりとするように。また誰に呼び出されても対応しなくていい」

 

 それは明らかに特警隊への皮肉であり牽制であり、艦娘達の身の安全を図る発言。その意図は艦娘全員に伝わり、全員がびしっと綺麗に揃った敬礼で応える。司令官は眩しそうに目を細めるような笑みを浮かべ応えると、自分の予想とあまりに違う話の展開にぽかーんと口を開けている特警小隊長を振り返り、艦娘達に向けたのとは打って変わった厳しい表情で対する。

 

 「期待に添えなくて申し訳ないが、俺は司令官として本来すべき事をするだけだ。お前達と馴れ合う気はさらさらない。これまで通りに欲望のまま振舞えると思ってるなら、今のうちに考えを変えた方がいいぞ」

 「まあまあ、そういきり立たずとも。貴方とは()()()()を築きたいと思っているのですよ、司令官。今は貴方の顔を立てて引き上げるとします。気が変わったら何時でも言ってください、共存共栄…美しい言葉だと思いませんか? では今日はこれにて」

 

 殊更冷静さを装う特警小隊長は、伴った部下達を引き連れ食堂を立ち去ろうとしたが、司令官に呼び止められる。

 

 「待て。土足で汚した床を綺麗に掃除してから帰るんだ。『施設設備の取り扱いは整理整頓清掃清潔を旨とすべし』、泊地総則に明記されている。規則は守らねばならないんだろう?」

 

 さすがに冷静さを装いきれず憤懣やる方ない顏になり、ギロリと司令官を一瞥すると無言で足音も荒く、特警隊たちは今度こそ立ち去っていった。

 

 

 

 くいくい。

 

 くいくい。

 

 「あれー…本当に寝ちゃってるのかなー」

 「…なんですの? 起きてますわよ」

 

 艦娘寮は艦種別に分けられ、基本二人一組となる。ここ重巡寮の一室は最上型重巡洋艦の鈴谷と熊野が相部屋となる。部屋の真ん中を共用部として大きく取り、左右の壁に寄せたベッドという簡素なレイアウトの室内を、窓から差し込む明かりだけが照らす。パジャマを着た鈴谷は、壁の方を向いて眠っている熊野の掛布団をくいくいと引っ張り、躊躇いがちに声を掛けていた。返事がないので諦めて自分のベッドに戻ろうとした鈴谷に、壁を向いたままの熊野から声がかかる。鈴谷は跳びあがるほど驚きながらも、慌てて熊野のベッドににじり寄る。

 

 「何だよー、起きてたならさっさと返事してよー。ねえ、今度の司令官だけどさー、どう思―――」

 「鈴谷好みの顔立ちでしたね。嫌味なく鳳翔さんや間宮さんにお礼の言えるスマートさ、特別警察隊への毅然とした対応、何て言いますか…一本筋の通った殿方に見えますわね」

 「だっしょーっ!! もう怖い思いしなくて済みそうじゃーん!」

 

 「…見えるだけ、だったらどうしますの?」

 

 両手を胸の前でくねくねさせながら満面の笑みを浮かべていた鈴谷が、はぁ? という表情に変わる。改めて熊野の方を見れば、僅かに肩を震わせている。

 

 「私も同じですわ、鈴谷。新しい司令官を見て、思わず期待してしまいました。でも…でも…勝手に期待して裏切られて失望して…私はそんな思いをしたくありませんの。戦場でもないのに殴られたり蹴られたり…それも守るべき人間から…。もう、痛いのは嫌ですわ…」

 

 途切れ途切れに残す熊野の言葉が、彼女の置かれている境遇を如実に示す。ぎしっと音が鳴り、鈴谷が熊野のベッドに腰掛け、そっと伸ばした手で優しく髪を撫でると、熊野はそのまま声を殺して泣き始めた。

 

 すすり泣く声はどれだけ続いただろうか。やがて泣き声が静かな寝息へと変わった頃、ぼんやりと天井を見上げた鈴谷が他人事のように呟く。

 

 「…新しい司令官、とっけーの連中を敵に回すつもりみたいだけど、これからどーなるんだろう? …でも、きっと鈴谷の見る目は間違ってないと思うし。司令官、お願いだから負けないでね…って他人事じゃないし! …決めた、鈴谷、司令官のためになんかするよ! や、何すればいいかは、これから考えるけど」

 

 満足気ににひひ、と笑った鈴谷は、もう一度熊野の髪をさらっと撫でると自分のベッドに戻っていった。



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Phase 02
04. 通り雨


 早いもので司令官の着任からすでに約一ヵ月ほど経とうとしている。着任直後から対立関係になった特別警察隊だが、不思議とその後沈黙を守っている。このまま黙っている事はないだろうが、着任したてで万事目まぐるしい司令官にとっては、そのような暗闘に力を注がずに済んだ事は助かっていた。

 

 そんなある日、司令官は早朝からデスクで考え込んでいる。今後のことでいろいろ不足があるのは明らかだ。事実、未消化の任務が積み上がっている。

 

 着任してから取り組んだのは、まず全員と話し合う時間を設けたこと。訓練中にメンタルケアの重要性、特にPTSD対策と実例に基づくハラスメント防止は繰り返し講義を受けていた。が、事実は小説より奇なり、皆に話を聞く限り、この泊地では様々な虐待が横行していたようだ。司令官は魔法使いではなく、彼女たちのその傷を一瞬で癒せたりはしない。ただじっくり話を聞きくことしかできなかった。

 

 さらに目の前にある火急の課題は資源不足。最低限基地機能を維持できる程度の資源と資材で、文字通りゼロから鎮守府運営を余儀なくされていた。この財政で養わねばならない艦娘は三〇名程度。練度は、ある程度の艦娘が第一次改装以上第二次改装未満、あとは着任時期にもより多少の差はあるが総じて低い。そして司令官の着任以来、新たに着任した艦娘は…ゼロ。

 

 過去に那覇泊地で起きた事実はすでに艦隊本部に報告済だが、司令官は報告したからと言って、劇的に事態が好転する思うほど『軍』を信じていない。今頃艦隊本部では、現状と書類のつじつまをどう合わせるか知恵を絞っている事だろう。そして今に至るまで状況に変化はない。いや、多少の変化はある。悪い方にだが。

 

 那覇泊地向け定期補給便が()()深海棲艦に襲撃されたとの理由で沖縄を前に引き返す。艦隊本部に那覇泊地で過去に起きた事実を報告し、特警隊の処罰、行方不明の艦娘の捜索および発見時の返還を申し入れた時期を境に始まったこの状況を、偶然と思うほど司令官は呑気ではないが、何者かの意図が働いている事を裏付ける物証が得られない。結果、那覇泊地を支えるのは細々と続けている遠征で得られる資源だが、泊地の維持費を辛うじて賄えているだけで、本格的な建造や開発はどうしても躊躇われる。資源の枯渇は出撃をも制限し、ドロップで新たな艦娘が増えることもない。

 

 

 兵糧攻めで根を上げさせる…あのいかすけない特警小隊の隊長が好きそうなやり口だな、と司令官が考え込んでいた所に、ドアがノックされる。こちらの返事を確認した後、静かにドアを開け、今日の秘書官を務める扶桑型戦艦一番艦の扶桑が入室してくる。

 

 「おはようございます、司令官。艦隊本部から手紙が届いております。はい、こちらです」

 扶桑はそう言いながら、胸元から手紙を取り出す。なぜそこに…と突っ込みたい気持ちを抑え、平静を装い手紙を受け取る。扶桑の体温でほんのり暖められたその手紙は、確かに艦隊本部印で封されている。司令官はペーパーナイフで封を切り、中身を取り出す。

 「扶桑はそこのソファにかけていてくれ。とりあえずこの艦隊本部からの手紙…というか指令書を先に読むよ」

 「かしこまりました」

 「どうしました、司令官? 何か悪いことでも…?」

 「新しい任務が二つ、特務の類だな。一つ目は、達成報酬資材四種各一万トン。でも、いったんこれは保留にする」

 「す…すごいです、司令官っ! 私、そんな単位の資材、今まで見た事がありませんっ。あ…でも、それだけ大量の資材、保管しきれるのかしら…弾薬庫がちょっと心配です…」

 扶桑は目を白黒させながら、驚き、喜び、最終的には不安を口にしたが、司令官の結論に表情を変える。

 「えっ、保留…ですか? ということは司令官、私達では達成の難しい作戦なのですか?」

 「いや、達成条件はたった一つしかない」

 「なのに、司令官はあまり喜んでいるようには見えませんが……なぜでしょう?」

 

 確かに()()()()を切り取れば、躊躇わず受けるべき話だが、うまい話には裏がある。

 

 「………喜べないのは、行方不明の艦娘たちの捜索依頼を取り下げる、という条件付きだからさ」

 指令内容を聞かされた扶桑は、頭に血が上るのを感じ、我知らずテーブルに両手をつき身を乗り出しながら声を荒げるのを止められなかった。

 「なっ!! ……し、司令官は、どうされるおつもりなのですか?」

 「先手を打たれた、というのが正直な感想だ。こちらに十分な証拠が揃う前に、兵糧攻めの後に懐柔に乗り出してきた、ということだろう」

 

 扶桑の目が暗く曇りはじめる。司令官は、この申し出をどうするつもりなのだろうか。先任提督が自分たちに何をしたのか…扶桑自身はまだいい、欠陥品と罵られ無視され放置されただけだ。だがオークションに出されたり、無理な出撃の果てに沈んでいった仲間たちのことを思うと…。彼の対応によっては、私は…。司令官は扶桑の座るソファへと移動し、思いつめる彼女を現実に引き戻すように語り始める。

 

 「俺が今切実に欲しいのは、時間だ。資源はいずれ回復できるし、君たちの練度向上にも必要だ。何より、先任提督と戦うのに必要な二つのものを揃えられる」

 

 「二つの…もの、ですか?」

 「軍という組織はどんな時も建前と書類で動くんだ、扶桑。言い換えれば、その二つを揃えられれば、意外と無茶ができるもんだよ。ただ問題は、それを用意する時間をどう稼ぐか…」

 

 扶桑は司令官の言葉を受けて考え、理解した。先任提督を追及する材料、こちらには山のような証言はあっても決定的な証拠はまだ揃っていない。今これ以上騒ぎを大きくしても、大将にまで上り詰めた先任提督に握りつぶされるだろうし、艦隊本部もいい顔はしないだろう。その悪影響は確実にこの泊地に跳ね返ってくる。それでも、司令官ははっきりと『先任提督と戦う』、そう言ってくれた。ただそのために時間が必要だ、とも。

 

 扶桑は、自分の司令官が、正義感と現実感を併せ持つ男性であることを誇らしく感じていた。でも、この人は、自分の保身だと安全だとか、そういうことを度外視している。なぜそこまで私たち艦娘に肩入れするのか? いやもちろんそれは嬉しいし、感謝もしている。艦娘としてこの人のためなら戦える、信じて、いい…そう思い始めた。とはいえ、そんな風に上層部に楯突くようなやり方が上手くいくのか?

 

 けれど―――。

 

 目の前で顎に手を当て考え込む一人の男性を見ていると、ふつふつとある思いが浮かんでくる。国を守り国民を守るために再び甦ったこの身である。だが肝心の軍がこの有様だ。もし、自分たちがこの司令官とともにあげる声が、軍の在り方に一石を投じられるなら、どうせ失うものは何もない自分達だ、万が一事破れ処罰されることになっても怖くない。

 

 それでも、ひょっとしたらこの人なら、この人と一緒なら何かを変えられるかもしれない…扶桑は自分に芽生えた気持ちは心に秘めながら、司令官と一緒に、艦隊本部への返事を引き延ばす口実を夢中で話し合っていた。

 

 

 「コンコーン。何度もノックしたんだよ。でも返事がないから入室してるんだけど、構わないよね?」

 

 

 ハッとして司令官と扶桑が同時に執務室の入り口を振り返ると、見慣れない艦娘が立っている。

 

 「僕は白露型駆逐艦、『時雨』。本日付でこの泊地に来たよ」

 

 扶桑から『知ってたのですか?』と視線で質問されるが、司令官もまったく初耳の人事だ。無言のまま首を横に振ることで扶桑の疑問に答える。赤いタイ付の制服は、時雨の練度が第二次改装済であることを示している。この練度の高さは、どの拠点にとっても重要な戦力となる。だが、こんな高練度の艦娘をやすやすと手放す拠点があるというのか?

 

 時雨は珍しそうに執務室をキョロキョロ見回した後、司令官のデスクへやってきた。デスクの上に腰掛け、書類を眺め、一瞬だけ目を伏せ、何事もなかったように、ソファに座る扶桑へと向き直り、話しかける。

 

 「……この鎮守府にも扶桑がいたんだね。でも僕の知ってる扶桑とはずいぶん違ったから最初は分からなかったよ」

 いくぶん揶揄するようなニュアンスの時雨の口ぶりに、扶桑が露骨に嫌な顔をする。

 「…そうね、私の知っている時雨も、どこか不思議な娘でしたが、少なくともそんな喋り方はしませんでした」

 言い返しながら扶桑はソファから立ち上がり、時雨に近づく。

 

 艦娘が現界する形態は大きく二つ。古神道に道教の陰陽五行思想や、密教などの秘儀を習合し体系化された技術により召喚される船魂を、あるいはドロップと呼ばれる、戦闘海域で稀に回収される艤装とそこに宿る船魂を、建造により素体に定着させる。そうやって現界する艦娘だが、在りし日の記憶をベースに、環境に応じて独自の個性を備えた別の艦娘として生き、同時に同じ艦娘が存在できる。扶桑も、時雨も、もちろん他の全ての艦娘も。

 

 「『西村艦隊は任務』だって、僕が元々いた鎮守府の提督は言ってたよ。扶桑も山城も、最上も満潮も山雲も、みんな勇敢に戦って沈んだ。でも今僕の目の前にいる『扶桑』、君は…違う。さっき君がその司令官と話をしていた姿、なんだい、あれは?ただの『女』の顔だったよ。その司令官もまんざらそうじゃ―――」

 「無駄口はそろそろ止めにしたらどう? これ以上司令官への無礼は許しませんよ」

 

 赤い瞳が冷めた光を放ちながら扶桑は詰め寄るが、時雨はここではないどこかを見ているような目で、話を止めようとしない。



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05. 君はどうやらモテるんだね

 「僕だけが鎮守府に戻った時、任務失敗だ、って提督はひどく悔しがってた。改修資材を手に入れ損ねた、ってね。あははははは、僕らの命はネジ5個より安いんだよ扶桑、知ってた?…それとも、きっと君がしてるみたいに提督の言いなりになっていたら、もう少し大切にしてもらえたのかな? どう思う、扶桑?」

 「時雨っ!!」

 扶桑の苛立ちは限界を超えたようだ。右手を振り上げ、時雨を平手打ちしようとしている。時雨は微動だにせず、むしろ憐れむような目で扶桑を見続けている。

 

 パァンッ。

 

 「「え?」」

 

 頬が高く鳴り、体勢を崩しよろける司令官。とっさに時雨との間に割り込み、扶桑を止めようとしたが間に合わなかった。右頬を叩かれた司令官は、その勢いで机に腰掛けている時雨の方へ倒れ込む。

 

 「ふぅん、僕を守ってくれるんだ…。でも、そこはそんなに庇わなくていいよ。ちょっと恥ずかしいな」

 司令官をそっと支える時雨。言葉は淡々としているが、少し顔を赤らめている。倒れ込んだ拍子に司令官の手が、駆逐艦にしては比較的大きい部類の胸を覆うようにしている。

 「す、すまん、決してわざとでは…っ!」

 「し、司令官っ!! 申し訳ありませんっ! あぁ、私は何ということをっ、死んでお詫びするしか…」

 顔を真っ赤にして言い訳すると司令官と、元から白い顔色をさらに蒼白にしておろおろする扶桑をしり目に、司令官の手を取ると時雨は、軽く反動をつけて机から降り歩き出す。

 

 「司令官、さっき君と扶桑がしていた話、僕も興味あるな。ここだと邪魔が入りそうだから、ゆっくり話ができる場所に行こうと思うけど、いいよね?」

 返事を待たず、執務室の中でどんより落ち込む扶桑に声をかけると、時雨は司令官を引いて執務室を出て走り出す。

 「扶桑、ちょっと司令官借りるね。あとで返すから、よろしく」

 

 

 

 時雨と司令官は、今は港の先にある入江までやってきた。大きな岩場に三方を囲まれたこの場所は、泊地の本部施設に近いが目立たない、いわば死角のような場所だ。時雨に手を引かれ走りながら耳にした一斉放送を司令官は思い出し、事態の収拾を考え頭を痛める。

 

 -新任の艦娘、時雨が司令官を誘拐し逃走中。いまだ泊地内に潜伏している模様。在地の全艦娘は捜索にあたってください。全火器の使用を許可しますので、抵抗がある場合は全力で排除し、司令官を保護してください。

 

 「ふう、これだけ走ると少し暑いね」と時雨。こいつの目的はなんだろう、行動がまったく理解できない…不思議な生き物を見るような目で、司令官は時雨を見つめる。やや距離をおいて砂浜に立つ司令官からの視線に気づいた時雨が振り返り微笑み、口を開く。

 

 「やっと二人きりになれたね、司令官。そうそう、君には聞きたいことがあったんだ。僕はね、元の鎮守府でいらない、って言われて、再配属か解体処分かを決めるまでの間、特警本部で謹慎だってさ。何か悪いことしたのかな、僕…。でね、そこにいた時、君の話題を結構耳にして興味が湧いたんだ。それで…」

 

 今朝届いたもう一つの任務の謎が解けた。つまり時雨は勝手に飛び出してきたことになる。重大な軍紀違反だが、それでも時雨はケロッとしている。

 

 「あはは、大丈夫だよ。向こうにもちゃんと置手紙してきたから。『君たちには失望したよ』って」

 時雨はいったん言葉を切り、砂浜に立つ司令官の制服の袖をクイクイ引っ張る。隣に座れ、ということなのだろう。司令官は時雨の横に同じく体育座りで座り、時雨の次の言葉を待つが、何となく見当はつく。

 

 

 「…君は、本気で大将相手に戦うつもりなのかい? 何のために? 同情や正義感だけでどうにかなる相手だと思ってるのかい?」

 

 

 艦娘たちを踏み台にし、先任提督は大将の地位まで上り詰め、元帥の座さえ窺う勢いだ。彼が何のため地位を求めるのか、もちろん知らないが、それに比べて自分は? 空軍の除隊後、予備役登録はしたものの抜け殻のように生きていた。深刻化する人材不足で今度は即席の司令官として海軍にやってきた。そこで出会った艦娘達は、かつての自分と重った。傷つき使い捨てられ、誰にも顧みられない。命を賭けて戦うことは構わない、それこそ軍人の本懐だ。でも、怖さや痛み、悲しくない訳がない。ただ見せないだけだ。だからこそ、誰かがその傷に気付かなければ―――。

 

 「すまん、何を言いたいのか、自分でもよく分からない。君の質問への答えになってないよな」

 時雨は何も答えない。しばらく無言の時間が続いた後、時雨はつぶやいた。

 

 「ありがとう、司令官。分かったよ、君は僕なんだ」

 時雨はそう言いながら、横から司令官を抱きしめる。何がどう分かったのか分からないが、時雨はひどく納得しているようだ。もっと早く君と出会いたかったよ…時雨の囁きは、あまりにも小さく司令官の耳には届かない。

 「君は艦娘を守りたいと思っている。でも、君のことは誰が守るんだい? 決めたよ、僕が君を守る。僕の司令官は君だ」

 

 司令官が言葉を返そうとした瞬間、甲高い射撃音とともに砂浜に幾筋もの砂煙が上がりエンジン音が頭上を通り過ぎる。

 「やっと見つけた…。さっきのは警告です。次は外しませんよ、時雨。大人しく司令官を返しなさい」

 上空を旋回する複数の瑞雲。編隊長と思しき機体のスピーカーを通して扶桑の声がする。対する時雨は臨戦態勢を取りながら空を見上げるも、すぐに降参するかのように両手を軽く上げる。

 「分かったよ、扶桑。司令官と一緒に本部に戻るよ、それでいいだろ? 僕はもう満足したから。」

 「……意外ね。まぁいいわ。次にこんなことしたら…外さないわよ?」

 飛び去る瑞雲にベーッと舌を出した後、時雨が近づき司令官に手を差し出す。その手を取ると、司令官の腕はそのまま時雨に絡めとられた。

 

 「さ、行こう?」

 時雨はにこっと笑うと腕を組み、というか司令官に両腕でしがみつく。

 

 

 

 港の先の入り江で司令官発見、の報に多くの艦娘は胸をなでおろし、遠征に出かけている班を除き、出迎えのため正門前に集まっていた。

 

 「あーっ!、司令官さんなのですっ!!」

 

 電が声を上げると、皆の視線が一斉に集まり、笑顔と歓声がはじける。入り江から続く緩い坂道を司令官が…よたよた上ってくる。しがみついて離れない時雨のせいで、たどたどしい足取りだ。ほどなく司令官と時雨が正門に到着するが、歓迎ムードとは程遠い、ジトーッとした視線が二人に突き刺さる。

 「自己紹介は…省略してもよさそうなムードかな。それにしても司令官、君はどうやらモテるんだね」

 

 ムーッとした表情を浮かべた時雨は、より強く胸を押し当てるように強く腕を絡める。

 「ちょっ、何を言ってる、というか胸が当た―――」

 「冷たいじゃないか、朝はあんなに勢いよく君の方から触ってきたのに」

 

 ザワッ―――。

 ざわめきが険悪な雰囲気に変わり、幾人かの艦娘が前に出ようとするのを押しとどめ、一人の艦娘がツカツカと二人に近づく。

 「Hey テートクゥ、新入りの子をかわいがるのもいいけどサー、ほどほどにしないと、NO-!! なんだからne!!」

 片言の日本語で時雨と司令官をたしなめる、栗色の髪の艦娘。金剛型戦艦一番艦の金剛。

 「そんなささやかな胸をいつまでも当てられるとテートクが変な趣味に目覚めそうデース。さ、こっちに来るne」

 グイッと胸を張り、自信満々に近づき、司令官の空いてる方の腕を取り自分の豊かな胸に押し当てながら、泊地内へ歩きだす。そうはさせまい、と司令官を自分の方へ引き戻そうとする時雨との間で、司令官は振り回されている。

 「変な趣味ってなんだ、金剛?」

 「…Pedophilia、とか?」

 「なんでその単語だけ本格的な英語で発音するんだよっ」

 「ずいぶんと失礼な事を言われてるような気がするよ、僕は」

 多くの艦娘が付き合っていられない、とばかりに三々五々解散してゆこうとした時、突如、サイレンが鳴り一斉放送が響く。

 

 

 -緊急放送。民間の輸送船団から救援要請。深海棲艦に追尾され、当泊地近海海域へと退避中。繰り返します…。

 

 

 

 「榛名っ、状況報告をっ!」

 秘書艦の扶桑が司令官の捜索以外まったく仕事をしなかったので、やむなく金剛型戦艦三番艦の榛名が、秘書艦代行を務めている。

 「はい、司令官! 現在当泊地の南東一五〇キロに位置する、六隻からなる民間の輸送船団より救援要請です。深海棲艦の艦隊に発見されるも、いったんはスコールを利用して退避成功。ですが敵艦載機に再び発見され、現在追尾を受けている模様。…司令官は…どうされるおつもりですか?」

 

 執務室に集まる多くの艦娘も不安そうな顔をしている。無理もない、多くの艦娘が往時に艦載機による攻撃で沈められた記憶を持っているから…司令官はそう推測する。むざむざ民間人を見殺しにはできない。しかし、艦載機がいるなら敵は空母を展開している可能性が極めて高い。こちらの空母勢は、入渠中の瑞鶴、実戦練度とはいえない翔鶴、祥鳳は遠征中の第二艦隊に帯同中。この状況で取れる作戦は-。

 

 「司令官、僕が行くよ。僕の足なら全速力で約二時間半、相対速度を考えれば二時間弱で船団に合流できる。大丈夫、任せておいて」

 

 全員の視線が集中する中、時雨が静かに司令官に問う。

 「ねえ司令官、答えて。君は輸送船団を守りたいの?それとも見殺しにするの?」

 「もちろん救援したいっ! だが…」

 「分かった。僕は司令官が望むなら、どんなことでもする。だから…行くよ!」

 司令官の言葉を最後まで聞かず、時雨は駈け出して行った。

 

 「あのバカッ!!」

 

 瞬間あっけにとられた司令官だが、矢継ぎ早に指示を出す。

 「榛名、時雨と輸送船団に航路を指定、最短で合流できるように誘導っ。敵の規模は不明ながら、空母がいる可能性がある。由良は第二艦隊と通信を開け。遠征は中止、合流地点に急がせろっ。同時に祥鳳には輸送船団の直援を指示っ。この作戦は時間との勝負だ、急げっ!!」

 

 執務室は一気に騒然とする。

 

 敵勢力も不明な状況での輸送船団救援、司令官が着任してから最も困難な戦いになるかも知れない。部隊を出撃させた後、司令官は扶桑、山城、翔鶴を呼び出し、別な指示を与えている。



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06. 輸送船団救出作戦

 時雨が輸送船団に合流した時点で、すでに敵の第一波攻撃は終了していた。やはり敵空母が展開していた。一隻が機銃掃射を受け炎上するも消火に成功、ほか二隻が至近弾を受け速力低下。必死の回避運動が奏功したのか、この程度の被害で済んだのは幸運といえる。

 

 泊地の作戦司令室で報告を受けた司令官は、次の指示を出そうとするが、通信越しの時雨の声は諦めと決意の両方を感じさせるものだった。

 

 「司令官…分かったよ…って言いたいところだけど、ちょっと帰りは遅くなりそうかな…帰れたら、だけど。電探に感あり、敵第二波、一〇…いや一五機。時雨、これより対空戦闘に入るよっ!」

 

 「時雨さん……大丈夫かな………?」

 不安を隠せない由良の声。由良だけではない、誰もが不安に押しつぶされそうな気持だ。

 

 

 

 「さぁ、ここは譲れない」

 一三号対空電探と高射装置付一〇cm連装高角砲を装備する時雨は、的確な照準で次々と深海棲艦の攻撃機を撃墜する。時雨を頼りとして必死に泊地を目指して逃げる輸送船団からも歓声が上がるが、やはり駆逐艦一人での援護には限界がある。時雨の対空砲火から逃れた敵機が、また一機また一機と輸送船団に迫り、さらに一隻が炎上、残り二隻も至近弾を受ける。全ての輸送船が損傷を受け、行き足がガクンと落ちる。時雨自身も決して無傷ではなく、射撃精度も回避運動も鈍くなってきている。

 

 「!! 電探に新たな感ありっ!? 第三波? みんなーーーっ、逃げてーーーっ」

 

 必死に叫ぶ時雨の脳裏には、往時に、そしてこの世界で、繰り返し体験した西村艦隊の最後の姿が、そして司令官の机の上にあった大本営の指令書がフラッシュバックする。敵の第三波に抗する力は自分には残っていない…時雨は自分の運命を受け入れるように、つぶやく。

 

 「最後に司令官のために戦えて、よかったよ」

 

 

 時雨の電探がとらえた第三波。それは第二艦隊に帯同している軽空母祥鳳から放たれた零式艦上戦闘機の姿だった。

 

 「お待たせしましたっ! 祥鳳航空隊、これより船団を護衛しますっ!!」

 敵機を蹴散らす零戦隊をぼんやりと眺めていた時雨は我に返り、傷ついた体にムチを入れ、零戦隊とともに輸送船団の護衛に加わり、敵第二波を全機退けることに成功した。

 

 泊地を必死に目指す一行。やがて、左舷後方より接近する艦娘達-神通を旗艦とし、睦月、如月、そして祥鳳で構成される第二艦隊と無事合流に成功した。

 

 「第二艦隊旗艦を務める神通です。よく一人でここまで戦い抜きましたね」

 

 時雨は、返事をするかわりにコクコクと頷く。もはや喋る気力も尽きかけている。

 「敵の軽空母はすでに撤退、これは捨て置いて、私たちは接近中の敵を相手として、これを叩きます! …まだ、動けますか? ならばこの神通の指揮下に入ってください」

 敵の軽空母は攻撃力を失いすでに逃走中。しかし、接近中の敵本隊を叩かない限り、輸送船団はやがて追いつかれ、沈められる。気力を振り絞り、時雨は答える。

 「やるよ、僕は」

 「その意気やよし、です。祥鳳さんは輸送船団を護衛しながら那覇泊地へ。第二艦隊水雷戦隊、神通に続いてくださいっ!」

 

 第二艦隊水雷戦隊は最大戦速で敵艦隊を目がけ突き進む。速力全開の反航戦、その相対距離は目に見えて縮まり、一歩間違えば正面衝突である。

 「合図と同時に面舵一杯、すぐに右舷魚雷全門斉射!」

 

 敵艦隊へ肉薄する四人は、先頭を行く神通の合図と同時に左へ大転舵、遅れることなく魚雷斉射。一瞬のすれ違いざまに、駆逐艦一轟沈、駆逐艦一中破、軽巡二を大破と小破に追い込むことに成功した。神通たちは敵を深追いせず、そのまま泊地方面へと一気に遠ざかる。

 「…殲滅、とはいきませんでしたか。それでも、あの状態では敵の追撃はないでしょう。今は輸送船団の護衛が優先です。全員両舷全速っ」

 神通は号令を発し、輸送船団との合流を急ぐ。

 

 

 

 「輸送船団から入電。貴泊地の救援により虎口を脱す。深甚なる感謝を捧ぐ、とのことっ!!」

 「作戦成功です、司令官っ!榛名、ほんっっとうに感激ですっ!!」

 

 弾む声で由良が告げ、言葉の通りの面もちで榛名がはしゃぐ。司令官も、安堵のため息をつく。大きな損害は受けたものの一隻の輸送船も失わずに作戦を完遂できたのは成功と言ってよいだろう。他の艦娘たちからも歓声があがる。

 

 「由良、輸送船団を誘導してくれ。扶桑、山城、翔鶴、君たちがこの作戦成功の最大の立役者だ、心から感謝する」

 司令官はそう言いながら、目の前にいる三人に頭を下げる。

 「し、司令官ともあろうお方が艦娘に頭をさげるなど…」

 翔鶴が慌てて制止する。扶桑はみるみる涙目になり、山城は顔が赤くなったのを見られないよう、司令官に背を向ける。

 

 綱渡りだった。限られた時間、限られた戦力の中で、司令官が立てた作戦のカギを握っていたのは、扶桑姉妹と翔鶴。粘り強く単艦で防空戦闘にあたった時雨と敵艦隊を撃破した第二艦隊の殊勲は大きなものだ。だが、扶桑姉妹が瑞雲を、翔鶴が二式艦上偵察機を、それぞれ大量投入し濃密な哨戒網を形成、艦隊の『目』として敵艦隊の規模と位置、中でも敵航空戦力は軽空母一隻であることをいち早く特定し、安全な退避航路の選定、第二艦隊の誘導を適確に行ったこと、それが作戦の成否を決したと言える。

 

 -今度は誰も失わずに済んだ。

 

 司令官は居ても立ってもいられず、港へと向かう。

 

 

 

 輸送船団救援作戦発令の際、多くの艦娘が不安な表情を浮かべた理由、それは先任提督が、かつて()()()()()()()()()()()()()からだ。国民の生命と財産を守るために存在する軍隊の自己否定。当時、艦娘たちは、深海棲艦に襲われ命を落とした民間人を思い、自らの無力さを思い、人知れず泣いた。

 

 

 時は流れ今、当時に比べ戦力は大きく劣る泊地に迎えた新たな司令官。

 

 

 劣勢を作戦でカバーし、輸送船団の救援を成功させた。その功を誇るどころか、真っ先に艦娘に対し礼を言う。さらに、帰投する艦隊を港まで迎えに行くと言い出し、作戦司令室を出て行ってしまったのだ。慌てて榛名が、遅れて他の艦娘たちと工廠の妖精さんたちも後を追いかける。

 

 

 突堤で輸送船団と第二艦隊の帰投を待つ司令官と榛名。

 

 輸送船団は那覇泊地で船の応急修理と怪我人の手当を行った後、本修理のため中城湾にある通常戦力部隊が駐留する沖縄海軍基地へと向かう。沿岸沿いに進み喜屋武岬を経由する短い航路だが、念のため駆逐艦娘を護衛につける予定だ。

 

 

 水平線に六隻の船団と、それを取り囲む艦娘たちの姿が見えると突堤に歓声が上がる。榛名はこっそりと誇らしげに司令官を見上げる。

 

 長身で細身、軍人にしては長い髪。自分が知っているタイプの海軍軍人とは違う…。的確で果断な作戦を素早く立案し実行に移したのは、才能とかセンスとか、そういう事じゃない。潮の香りのしない不思議な司令官、でもこの方は、きっと()()をよく知っている方なんだ…榛名の想像は翼を広げ始めた。

 

 気が付くと司令官に見られていた。見ている事を気付かれた上に、見られている事に気付かず見続けていたなんて―――。

 

 「やだ、こんな…榛名は大丈夫…じゃありません」

 目と目が合ったとたん、顔を真っ赤にして慌ててうつむきながら榛名が小さな声でつぶやく。

 

 

 -はるなさんがたいはしています

 -にんげんのことばで、あれは『おちた』というじょうたいのようです

 ―ふれんどりーふぁいあはほどほどにしたほうが。

 

 駆けつけた妖精さんたちも、半ばあきれ顔でヒソヒソと囁き合う。

 

 

 

 「…おかえり、よく無事に帰ってきてくれた」

 

 帰投した第二艦隊の面々は、司令官が自分たちを迎えに来てくれたことを理解し、みな喜びをそれぞれの方法で表現する。

 

 「帰りを迎えていただけるのは、こんなに嬉しいものなんですね」とさわやかに笑顔を見せる神通。

 「おぉー、睦月、感激ぃ!」と素直に喜びを表現する睦月。なんか猫っぽいな。

 如月は「司令官ったら…好きよ♡」と、小悪魔っぽくいたずらに言う。

 「司令官…やりましたっ!! 私、これからもがんばりますっ!!」と興奮気味な祥鳳は、ぴょんぴょん飛び跳ねている。

 鎮守府で待機していた艦娘達と無事に任務を果たし帰投した艦娘達。突堤は再会を喜ぶ笑顔と歓声であふれている。

 

 そんな輪に入るのをためらうように、おずおずと近づいてくる艦娘-時雨だ。

 

 「司令官……」

 

 浅瀬に立つ時雨。服はところどころ破れ露出した白い肌には火傷と傷が目立ち、艤装もあちこち損傷している。司令官からの言葉を待つ姿は、不安げな子犬のようにも見える。沈黙を守っていた司令官が問いかける。

 

 「なぜ、勝手に飛び出していった?」

 「怒ってるの? 言っただろ、僕は君の望むことなら何でもするって。それに、死んでもよかったんだ…」

 「……そんなことを俺が望むと思うのか? もし、本当に俺の望むとおりにしたいなら………何があっても必ず帰ってこいっ!! 俺は…部下を失うのは…二度とご免だ」

 司令官の言葉を聞いた時雨は、その場に立ち尽くし、ボロボロと大粒の涙を流しながら、大声で泣き出した。

 

 「司令官、僕は、僕はここにいてもいいのかい? 本当にいいの?」

 

 司令官は泣きじゃくる時雨に答える代わりに、突堤から浅瀬に降り、海水が白い軍服を濡らすのも気にせず時雨に歩み寄り、彼女の頭をなでながら、眩しそうに目を細めながら笑みを浮かべる。

 「にゃにゃっ。あれはなんとっ!」

 「いいなぁ…時雨さん」

 「次は私もやってもらおうかしら」

 時雨を安心させようとした司令官の無意識の行動だったが、艦娘達を大いに刺激したようだ。かくして、遠征や出撃の際は司令官が出迎えることが定着してゆくのだが、そんな騒がしい周囲を知らず、司令官は時雨を迎える。

 

 

 「おかえり、時雨」

 

 

 「…初めて僕の名前を呼んでくれたね。ありがとう…」

 そこまで言い、時雨は糸の切れた人形のように、意識を失い司令官にもたれかかる。戦闘がもたらしたケガ、出血、極度の疲労と緊張、ついに限界を超えたのだろう。

 

 「救護班っ!! 時雨が意識を失った、大至急入渠の手配をっ!!」



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07. 着任

 ―――執務室・夜。

 

 部屋の中では、司令官と輸送船団の団長が話し合っている。艦隊本部からの委託で民間企業が運営する戦時輸送船団。深海棲艦にシーレーンを掌握されている現状での海運業は極めて危険であり、破格の報酬が支払われるが全滅の危険と常に隣りあわせだ。今回も、救援が間に合わなければむざむざ全滅の憂き目にあう所だった。団長は今回の作戦と医療班の派遣に関して直接礼をしたいと、司令官に許可を求めていた。

 

 本来なら悩む必要のない申出だが、大いに司令官を悩ませることとなった。軍の定める規則-民間人と艦娘の接触規制を理由に、例の特警隊の隊長が嫌がらせの様に強硬に反対したのだ。規則上は特警側の主張に理があり、結果として輸送船団は多くの怪我人を抱えているにも関わらず上陸を認められなかった。しかし怪我をした民間人をそのままにできず、折衷案として泊地から医療班を派遣して対応、上陸は輸送船団の団長のみに許可された。

 

 統制上は三軍、事実上は艦娘部隊を含め四軍…それが現在の日本軍の在り方。組織上海軍は一つの軍組織だが、艦娘部隊を中核とする部隊と通常戦力を中核とする部隊に分かれている。後者は年々予算権限ともに縮小の一途を辿り、世間の評判としても海軍=艦娘と認知されている。それでも長年深海棲艦との序盤戦を空軍と共に血みどろの戦いを続けてきたのは紛れもなく通常戦力部隊で、軍内で依然として強い権力を有している。

 

 作戦統制上はすでに役割分担が出来上がっているが、艦娘部隊が奪還した海域の哨戒や民間人警護などに当るなど通常戦力部隊も活躍の場は多い。それゆえ艦娘達を快く思っていない者も軍部内にいまだに多く、艦娘の活躍を必要以上に世に知らしめない、その目的で接触規制は設けられている。具体的には、艦娘は戦闘中と許可された場合を除き、基本的に基地の外に出ることはできない。また、民間人が艦娘の写真や映像を所持することも認められない。発覚時には問答無用で没収、最悪の場合は禁固刑を科せられる。

 

 

 「彼女達に自分のしていることの意義を直接感じてもらういい機会なのですが、どうかご容赦ください」

 

 司令官は言い訳がましいとも思いつつ、そんな背景も含め、輸送船団の怪我人を泊地内に収容できないこと、さらに団長の艦娘達に直接お礼を言いたいという申出を断ることを丁寧に詫びたが、団長は手をひらひらさせ細かい事は気にするな、と言いたげな表情で応える。

 

 「いいってことよ、司令官。そんなに厳しい規則があるんじゃ仕方ねぇや。そうそう、頼まれていたものを忘れないうちに渡しておくよ。ほら、これだ」

 

 司令官は団長に対し、民間接触規制に基づいて、もし艦娘の写真や映像がある場合、()()()()提出することを要請していた。

 

 「この泊地にまさか助けられるとはね。上が変われば組織も変わる、って所か。俺も見習わねぇとな。じゃあな司令官、あの程度じゃ礼にもならんが、足しにしてくれ。CEOとも相談して今度改めて礼をさせてもらうな」

 「いえ、あんなに大量の資源を…」

 「止せ止せ、それ以上言うな。あのまま救援を得られなかったら、俺達は資源どころか命まで無くしてたんだ。いいか司令官、海の男はな、行動には行動で報いるんだ。俺達輸送船団は深海棲艦の襲撃を受け、積荷の内()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。司令官は何も受け取っていない、そうだろ?」

 

 にやりと意味ありげに笑う団長と、やれやれという表情で肩をすくめる司令官。簡単に言えば、積荷の内から相当な量に当る資源四種類を救援の礼として那覇泊地に置いてゆくと、輸送船団の団長は申し出ている。司令官としては、正式な補給でもなく遠征の成果でもない、あるいは寄付でもない、いわば存在してはいけない資源をどうするのか考えたが、現状の窮乏をしのぐにはまたとない贈り物なのは現実で、簿外在庫として処理する事に決めた。そもそも着任時に艦隊本部から渡された資料と現地版の資料に大きな乖離がある、万が一監査などで指摘されたら、誤差と言い切って抗弁する事にした。

 

 言葉の代わりに司令官が差し出した右手を、団長は力強く握り返す。そして立ち去る団長は、ふとドアのところで立ち止まり、くるりと振り返った。

 

 「そうだ、黒髪のお下げの嬢ちゃんに伝えてくれ。『あんたの大立ち回り、惚れ惚れしたぜ』って」

 

 そう言い残し団長が立ち去った後、司令官は提出された写真を確認し、ある一枚で動きを止め、満足そうに、これはいい、とつぶやき、大本営から届いていたもう一つの任務指示書に視線を向ける。

 

 

 『特別警察隊本部預かりの白露型駆逐艦時雨、精神に変調を来たし脱走、各拠点はこれを発見次第撃沈せよ』

 

 

 達成報酬資材四種各一万トンと引き換えに先任提督の追求を諦める特務と、時雨撃沈の特務、この二つが同時に届いた。二つの発令は偶然だが、どちらも『逆らう者は許さない』という艦隊本部の意思表示。

 

 「こんなのクソくらえだっ…って正面切って言えたらいいんだが、な…。海軍と空軍、艦娘とパイロット、女と男…立場は違うけど、扱われ方は大して変わらない…。いや、彼女達の方が…」

 

 

 暗然と沈み込んだ司令官の思考を止めるように、躊躇いがちにドアがノックされ、入室を許可すると扶桑と榛名が顔を出した。こんな遅くに二人してどうした? と司令官は訝しむ。

 

 二人はきっと司令官が書類処理を一人でやっているだろうと考え、その手伝いに来たのだという。

 

 そもそも今日は何の仕事も進んでいない。朝は時雨が突然泊地にやってきて司令官を半ば誘拐し、今日の秘書艦だった扶桑は提督の捜索だけに全力を挙げた。仕方ないので業務を引きついだ榛名も、輸送船団の救援作戦にかかりきりだった。作戦が終了し関連する業務がひと段落した夜になり、二人はようやく自分たちの役割を思い出し、執務室を訪れたのだった。

 

 「そうか…もう遅いから部屋に戻りなさい、と言いたいところだが、正直とても助かる。榛名はこっちの書類を、扶桑はこの書類のまとめを手伝ってくれ。二人とも申し訳ない」

 「はいっ! 榛名、全力で頑張りますっ!!」

 「かしこまりました、司令官。この書類ですか―――」

 司令官が手に持った書類、時雨撃沈命令を見た扶桑の顔が青ざめる。

  

 「え…司令官…これは…?」

 扶桑の震える声に、榛名も手を止め近づいてくる。そして書類を見てやはり青ざめる。

 

 艦娘に艦娘の撃沈を命じる任務が届いていたとは…。今にも泣き出しそうな表情の二人に、司令官は、時雨がこの鎮守府に来た経緯を簡単に二人に伝える。事情を聴き、一転し頭を抱える榛名と扶桑。

 

 「…はぁ………脱走ですよ、それは…。あの娘、何を考えてるのか…? それで司令官はどうされるのですか?」

 「時雨さんはすでにこの泊地の一員ですっ! 司令官…何とかならないでしょうか?」

 ほぼ同時に声を上げる扶桑と榛名。司令官はどこか楽しそうに見える。

 

 「今回の作戦報告書に、この写真を添えて提出するのさ」

 

 輸送船団の乗員が撮影した一枚の写真。そこには、敵機からの至近弾を浴び体勢を崩す時雨が写っていた。

 

 「艦隊本部の指令通り、第二艦隊が時雨を捜索中に、民間輸送船団からの救援要請を受諾、現場に急行する途中、脱走した駆逐艦時雨が深海棲艦の空襲を受け()()する場面に遭遇した。我々は敵勢力を駆逐し、輸送船団とともに無事帰投した、という内容でいいかな」

 

 いつもの眩しそうに目を細める微笑みではなく、ニヤッと司令官は笑い、なぜか誰もいないソファに向かい話し出す。

 

 

 「そして()()()()お前の建造に成功するんだよ。な、時雨?」

 

 

 ソファの下から、おずおずと時雨が出てくる。もう、榛名も扶桑も空いた口がふさがらない、とばかりに口をパクパクさせている。

 

 入渠終了後医務室で目覚めた時雨は、まっすぐ執務室にやってきたが司令官不在。手持無沙汰で待っていると、司令官と団長の声が廊下から聞こえてきて、他に隠れる場所がなく、ソファの下に潜り込んだ、ということらしい。

 

 「…いつから気づいていたの?」

 「まず机の上の配置が変わっていたから、誰かが来たな、と。誰かが部屋にいる、と確信したのは団長が帰った時だ。彼は、明らかに俺にではなく、ソファに向かって最後の言葉をかけてたしね。そしてあの内容で、誰がいるかも分かったさ」

 「さすがだよ。それでこそ僕の司令官だ」

 ピキッと音がしそうな青筋を立て顔を引きつらせる戦艦組を意に介さず、時雨はすたすたと司令官に近づき、一枚の紙を差し出す。

 

 「はい、これ」

 

 そこには手書きの可愛い文字で『これからもよろしくね 時雨』と書いてある。

 

 「手製の辞令っていうのもなかなか味があるもんだな」

 

 それを見た司令官は苦笑いをしながら受け取り、司令官は時雨に甘すぎです、などどブツブツ言っている扶桑を振り返り、楽しそうに言う。

 

「言っただろ、扶桑。『軍は建前と書類で動かすものだ』って」



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Phase 03
08. 妹と姉


 「改めて今日の訓練を説明する。移動目標への攻撃による戦技評価だ。攻撃順は瑞鶴、翔鶴とする」

 

 大発には、操船担当の妖精さんたちと、瑞鶴・翔鶴の空母勢二名と司令官が乗船し打ち合わせを行っている。泊地の沖合まで出て行うこの訓練で、司令官はそれぞれの長所短所を見極め、今後の育成に役立てようと企図している。

 

 現時点での練度は、着任順そのままに瑞鶴が一番高く、次いで祥鳳、翔鶴の順となる。ちなみに那覇泊地の空母勢の一角を担うもう一名、軽空母の祥鳳は、水上機母艦の千歳と千代田とともに別な訓練に参加している。

 

 「移動目標への攻撃訓練の目的は」

 司令官は風に負けないよう声を大きくする。今日の天気は快晴だが風が強く海は大きくうねり、断続的に大発が揺れ続ける。

 「不安定な足場と天候状況における攻撃隊の発艦速度および安定性を見ることだ。発艦後は対艦攻撃の基本戦術確認。迎撃側は三名、こちらには俺から少し―――」

 ツインテールが風に揺れながらすっと立ち上がる。説明を続ける司令官の前に手を伸ばし、立てた人差し指を左右に振りながら、瑞鶴が自信ありげな顔で宣言する。

 「こんな簡単な攻撃訓練よりも、演習にしようよ、司令官さん」

 「瑞鶴、まだ司令官が説明をされている途中で…」

 祥鳳は瑞鶴に声をかけるが、その声が終わるか終らないかのうちに、躊躇いがちに、それでもはっきりと瑞鶴が続ける。

 「こういう訓練は…その…翔鶴姉には必要かも知れないけど、私には時間の無駄というか…」

 司令官はすっと目を細め僅かに不快さを表に出すと、あわてて翔鶴が瑞鶴を窘めようとする。瑞鶴は姉にも食って掛かろうとするが、流石に少々バツが悪かったようで、不機嫌そうに横を向きしぶしぶ、といった様子で大人しくなる。

 「…分かったわよ、とりあえず話を聞けばいいんでしょっ!…きゃあっ!!」

 

 グラリッ。

 

 大発がひときわ大きくゆれる。その拍子にバランスを崩した瑞鶴は、姉である翔鶴の方へ大きくよろめいた。それを支えようとした翔鶴も一緒にバランスを崩し倒れてしまった。その際、思わず床に左手をついた翔鶴は、細い手首でまともに二人分の体重を受け止めることができず、結局姉妹揃って大発の床に尻餅をつくことになった。

 「何よもうっ!!」

 瑞鶴はカリカリしながら立ち上がり、意味もなく海面のうねりをにらみつける。一方翔鶴は左手首を抑えながら動かない。司令官は自席を立つと翔鶴の元へ進み、彼女の手を取る。すでに手首が腫れ始めている。申し訳ないと思いつつ、腫れている箇所に少し力を込め、痛む箇所を確認する。幸い折れてはいないが、かなりひどく捻ったようだ。入渠すればものの数分で治る程度だろうが、ここは大発の上であり、この船にある救急セットは唯一の人間である司令官用に用意されたものだ。

 

 「…痛っ…、これくらい平気ですので、続けてください。私は大丈夫ですから…」

 「しかし、この腫れ方だと訓練への参加は難しいだろう。いったん鎮守府に戻って入渠の手配をしよう。瑞鶴は海上で待機。訓練は俺達が戻ってきてから再開する」

 「司令官、いけません。私のために貴重な時間がもったいないです」

 

 司令官は翔鶴から離れ救急箱から湿布と包帯を取り出し戻ってくると、手首の腫れている箇所に湿布を貼り、その上から患部を固定するように少し強めに包帯を巻く

 「…人間用の薬が効くかどうか分からないが、何もしないよりはいいと思う」

 「……ありがとうございます…」

 翔鶴は少し頬を赤らめながら司令官を見やる。こういう場面とはいえ、男性に手を取られた経験などない翔鶴は、自分でも頬が熱くなっているのが分かる。長い銀の髪が顔を覆うようにして頬の色を隠してくれるのが助かる。

 「せっかくここまで出てきたのに、何もせず帰投するのは残念です。様子を見て訓練に参加できるようでしたら、途中からでも参加したいと思います。今は大人しく見学に回ります。見ることもまた大切な訓練ですので」

 「…いつまで翔鶴姉の手ぇ握ってるんですか?…なにやってんの!? 爆撃されたいの!?」

 思いっきり不機嫌そうな顔をした瑞鶴が刺々しく司令官に向かい物騒なセリフをぶつけてくる。

 

 「瑞鶴っ!!」

 先ほどより語気を強め、翔鶴が瑞鶴を強く窘める。気が強いのも度が過ぎれば刺々しいだけだ。実力、といってもこの鎮守府の数少ない空母勢の中で頭一つ抜けているだけで、実戦を潜り抜けた歴戦の勇士、という訳ではない。自分にもっと実力があれば諭すこともできるのに…翔鶴は自分の着任時期や練度の低さを思い、やるせなくなる。

 

 今度は返事もせず、瑞鶴はフイッと顔をそむけると、大発の艦首からふわっと海面に飛び降りると、司令官に向かい叫ぶように訓練の開始を急かす。

 「私からなんでしょっ、さっさと号令をかけてくれない?」 

 

 「…いいだろう、目標艦は回避行動を取りながら逃走する巡洋艦一と駆逐艦二。伝えてある通り、使用する艦載機の機数種類、攻撃方法は全て任せる。始めっ!!」

 ちなみに今回の敵艦役を務めるのは、軽巡が五十鈴、駆逐艦が睦月と如月である。

 

 「稼働機、全機発艦!…って、きゃぁっ」

 正面打起しの射法を取る瑞鶴は、射法に則り姿勢を作ろうとするが、うねり続ける足元にバランスを崩す。

 「…ってもう、なんなのよっ!!」

 安定しない足元にいらだちながら、しかし流れるように矢を離す。しなりのよい細い弓は速射に優れ、続けざまに矢を放つ。空を裂くように進む矢は、矢勢の頂点で光を放つと艦載機に姿を変え、さらに速度を上げ突き進む。全八四機を一気に発進させ終えると、瑞鶴は勝ち誇った顔を司令官に向ける。

 「まぁ見てなさいって。すぐに片付けて艦載機のみんなが帰ってくるから」

 

 

 

 「目標艦三名とも撃沈判定か…」

 「やったー! 見た? これが実力よっ」

 満面の笑みで得意げに司令官に言う瑞鶴はキラキラした目で称賛の言葉を待っている。戦闘詳報を見ながら、そんな瑞鶴をやや冷めた目で見ながら司令官が言葉をかける。

 「…その戦果と引き換えにこの一回の攻撃で、三隻の敵艦相手に君の航空戦力は約半数を喪失した。どういう意図で作戦立案したんだ?」

 「なっ…作戦の意図はもちろん敵艦の殲滅でしょ? ちゃーんと達成してるんだから、文句ないでしょっ!!」

 確かに五十鈴も睦月も如月も演習弾のペイントで全身を真っ赤に染め上げ、特に五十鈴は完全にむくれた表情になっていたが、司令官に促されて口を開き始める。

 

 「…そりゃ一気に八〇機以上もの攻撃隊だもの、勝ち負けだけ言えば勝ち目はなかったわよ。でも、司令官の策もあったし、十分に抵抗はできたんじゃないかしら」

 

 はぁっ!? という表情で、そんな話は聞いてない、と瑞鶴が司令官を睨みつける。

 「…これでも元搭乗員なんでね。飛行機乗りの習性というか、やりがちな事を少し話しただけだよ。それとも、敵はただ黙ってやられてくれるとでも思っているのか?」

 

 ぷるぷると俯き肩を震わせていた瑞鶴がキレた。

 「そんなのズルいっ!! 瑞鶴には思い通りやれって言うだけでほったらかし、五十鈴さん達にはしっかりアドバイスしてたの!? とんだ依怙贔屓ね、ズルいズルいズルいっ!!」

 

 「瑞鶴、司令官のお話を途中で遮ったのはあなたで…」

 「翔鶴姉まで司令官の肩を持つの? こんなの全然おかしいっ! 瑞鶴は全員撃沈判定だよ、結果を見てよ! 半分やられちゃったのは…そう、たまたまよっ」

 「実戦で第ニ次攻撃が必要だったらどうするつもりだ? 瑞鶴、君の能力なら個々の戦闘だけに囚われず、戦場全体を…」

 瑞鶴は全く納得できず、司令官に激しく反抗する。

 

 これが実戦だったら? 敵艦を三隻とも沈めているんだからそれ以上どうしろっていうの? 航空隊の損害? 最初からそう言ってくれればそういう風にしたのに! 自分で考えろっていっておきながら、後から文句言うなんて、さいてーだよっ!!

 

 要約するとこういう主旨を瑞鶴は言い募る。司令官は内心辟易していたが、一方で瑞鶴の能力は十分に評価していた。

 

 不安定な足場を苦にしない的確で迅速な発艦を見るだけでも、個艦としての高い能力がはっきりする。これで戦場全体まで視野を広げ、目の前の戦闘だけでなくその前後のことまで気を配り、僚艦や航空隊と緊密に連携して艦隊の中核となってくれたら、どれだけ心強いだろう。

 

 だが現実として、今自分の目の前で飽きることなくぎゃんぎゃん噛みついてくるツインテールの少女を見れば、その能力の発揮を妨げているのは、他ならぬ彼女自身である、そう言わざるを得ない。必死に努力しなくても、他と同等かそれ以上の結果をやすやすと残せてしまう。それを才能やセンスと呼ぶのは容易だが、周囲もそれを手放しに受け入れ、また戦時という特殊性もあり、今目の前で出ている結果をほめそやす。それゆえに、より高いところへ手を伸ばそうとしない。

 

 大発の上で激しく言い争う瑞鶴と司令官。一方翔鶴は、完全に困り果てた顔をしながら、おろおろと二人の間で右往左往している。何とか二人を、特に妹の瑞鶴を宥めたいが、何といえばこの勝気な妹を抑えられるか見当がつかない。さりとて司令官に譲歩を求めるような場面ではない。この言い争いにおいて、瑞鶴の幼さがはっきりと分かってしまった。

 

 「…気が済んだか? 君は少し頭を冷やす必要がありそうだ。これまではどうだったかは知らない、だが結果がよければ何でも許される訳ではない。戦闘は自己顕示のための競争の場ではない。瑞鶴、俺が良いというまで発着艦訓練をしていろ。泊地に戻ったら反省会だ」



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09. 姉と妹

 ゆらゆらと揺れ続ける大発の上。

 

 昼前になり、風はますます吹き荒れ、うねりと波は収まるどころかより強くなった。不毛な口論の後、とりあえず瑞鶴は大人しく命令に従い、発艦訓練に取り掛かっている。少し翔鶴と話をする時間を取ってもいいだろう、そう司令官は判断した。この際、前置きは抜きだ、単刀直入に聞こう-。

 「翔鶴、瑞鶴は君がしていたことに気が付いているのか?」

 「え…? 私は別に何も…」

 「君の思いやりが瑞鶴を間違った方向に増長させた一因になったことも?」

 「そんな…私は…違う…違うんです」

 明らかに動揺を隠せない表情の翔鶴に、司令官は指摘する。翔鶴が中破以上で長時間入渠を要する被撃破率は、瑞鶴と一緒の任務の時だけ明らかに高いこと-。

 「違う…そうじゃなくて…あの子は、瑞鶴は『幸運艦』なの…違う…」

 「『作られた幸運』は、いつか逃げてゆくぞ。その時、瑞鶴に何が残ると思っている?」

 翔鶴はがつんと殴られたような衝撃を覚えた。そして、泣くような笑うような、不思議な表情を浮かべながら、先任提督時代のことを話し始める。

 

 

 

 「こんにちは、翔鶴姉ぇ、会えてうれしいよっ! この泊地への着任は私の方が早いから、ここでは私の方がお姉さんかな♪ ねぇ知ってる? 瑞鶴って幸運艦なんだよ。提督さんが教えてくれたんだ。私の幸運で、翔鶴姉ぇのことも、みんなと一緒に守ってあげるからね! あ、ここ間宮さん、おすすめだよっ! 今度一緒に来ようねっ!」

 慣れない場所で緊張している私に、すでにこの泊地に着任していた瑞鶴は明るく話しかけてくれました。瑞鶴が泊地を案内してくれ、道すがらいろんなことを話しました。ぴょんぴょんと飛び跳ねるように、軽やかに歩く瑞鶴。この妹と一緒に、先輩空母のみなさんに一日でも早く追いつき、いつか泊地を支える艦娘になろう、そんなことを思ったりもしたものです。

 

 でも、前の提督がどのような方なのかを理解するのにさして時間は掛かりませんでした。演習ならまだしも実戦であっても、相手戦力に関わらず、瑞鶴の参加する部隊の空母は常に瑞鶴一人という編成でした。

 

 『生きるか死ぬか、その瀬戸際でこそ艦は育つ。死ぬるならそこまでよ』と、前の提督は口癖のように言ってました。

 

 私は提督に必死に頼み込み、瑞鶴とペアを組ませてもらう事になりました。このままでは瑞鶴はいつか大きな損傷を負ってしまいます。そうなったら、あの提督は瑞鶴のことなど顧みないでしょう。私は、密かに妹を守る決心をしました。ある時は瑞鶴を守るため敵の航空隊と戦い、またある時は砲弾や魚雷から庇いました。瑞鶴は、私が被弾するたび泣きそうな顔で私の身を案じてくれました。これでやっと妹を守ることができた、私は、私なりに納得していました

 

 そのうち、瑞鶴は戦果を上げても傷を負わない幸運艦として、私は、戦果を上げずに傷の絶えない被害担当艦、そう呼ばれるようになっていました。出会った時は同じだった衣装は、私はいまも変わらず白と赤、気が付けば瑞鶴は紺鼠と柿渋色のものに変わっていました。高速修復剤の使用は認められていなかった当時、損傷するたびに私は延々と入渠で時を過ごすことが多く、それは瑞鶴との練度の差をさらに押し広げました。

 

 -翔鶴姉、まだお風呂なの?というより、またお風呂なの?…まぁ、ごゆっくり-。

 

 半ばあきれたような目で私を見る瑞鶴の口からその言葉を聞いたとき、あいまいな笑みを返しながら、私は、自分が何を守っているつもりなのか、分からなくなりました…。

 

 そして提督が佐世保に栄転する際、瑞鶴は装備品を全て剥がされ、那覇に置いて行かれました。加賀さんがひどく反対した、と聞いています。今なら、きっと加賀さんなりの優しさだったと思いますが、あの子は…ひどくショックを受けていました。

 

 それからの瑞鶴は、もうやけっぱちというか、危なっかしくて見ていられませんでした。でも、本当に、瑞鶴はいい子なんです。私が…守らないと…でも私では力不足で…。

 

 

 

 自分では気づいていないだろうが、あふれる涙をぬぐおうとせず、淡々と話し続ける翔鶴。司令官は翔鶴の元に進み、席に座っている翔鶴に目線を合わせるためしゃがむ。

 「今まで良く頑張ってきたな、翔鶴。でも、何でも一人で抱えるのは、もう止めにしないか? たとえ辛くても、自分の道は自分で進むものだ。瑞鶴にも君にも、その時が来たと、俺は思う。でも、どうしても辛い時は、俺に言ってくれ。話くらいはいつでも聞くから」

 端麗な顔をくしゃくしゃにして、かぶりを振りながら子供のように泣きじゃくる翔鶴。

 

 一方で海上の瑞鶴は考える。落ち着いてみれば、司令官の言うことも勿論分かる。結局、前の提督に自分は認められなかった…その思いを振り払うように、今の司令官に認められたい、いや認めさせたい、そればかりを考えるようになっていたのではないか?

 

 瑞鶴はぼんやりとした自分の考えを振り払おうとする。とにかく、後で翔鶴姉と…司令官にも謝ろう。考え事をしながらでも、何万回と繰り返した動作は体に身に付き、手と足は忠実に動き、正確な発艦動作に乱れはない。

 

 っていうか、いつまでこの訓練するんだろう。止め、と言われてないから自分から止める訳にはいかない。大発を見れば、なんだか知らないけど深刻そうに話し込んでいる。

 

 …あれ? 島影から艦隊が急に現れたけど、この時間に帰投する遠征組って誰だっけ?

 

 …って発砲炎(ブラスト)!?

 

 

 

 ひとしきり泣いた後、翔鶴は泣きはらした目をしながら、短いが万感の思いを込め言の葉を紡ぐ。

 「………ありがとうございます。あなたが司令官で、本当に良かったです」

 泣きはらした目で、それでも笑顔を浮かべる翔鶴に向かい、眩しそうに目を細めながら微笑み、司令官は言葉をかける。

 「少しずつでもいい、前に進んでいこう。よしっ、瑞鶴を呼び戻して昼食にしよう。その後は―――」

 司令官の言葉は、瑞鶴から切迫した声で送られた緊急通信で遮られた。

 「敵襲っ!! 重巡軽巡駆逐艦各二の構成っ!」

 

 泊地のこんな近海まで敵が近づいてくるとは、まったくの予想外だった。おそらくは威力偵察、あわよくば遠征帰りの部隊の襲撃も念頭にあるに違いない。提督は直ちに指示を出し、撤退戦の準備に入る。

 

 「こっちは演習弾だけ…いや、実弾は…航空装備だけか。瑞鶴、大至急大発に戻り装備換装! 五十鈴、睦月、如月は砲雷斉射後、最大戦速で泊地に戻って装備換装、俺は泊地に連絡して応援を頼むから合流して迎撃に当ってくれ」

 

 演習弾しか装備のない水雷部隊では敵を倒すことはできないが、初撃は敵をひるませることができ、瑞鶴が退避する時間は稼げる。三名の水雷部隊は果敢に前に出て、一斉に砲撃と雷撃を加えて大回頭、最大戦速まで加速すると泊地を一直線に目指す。果たして敵部隊は雷撃と砲撃を躱そうと個別に回避行動に入り大きく陣形を乱し始める。その間に瑞鶴は必死に大発を目指し逃走を続ける。

 

 一時的な混乱を経て、こちらの状況に完全に気づいた敵艦隊が白波を蹴立てて突進してくる。彼我の位置関係からして、瑞鶴がまさに矢面に立つ。自分たちを沈めることだけを目的にみるみる近づいてくる敵の姿は、見るだけで足がすくんでくる。目の前で六隻が一糸乱れぬ艦隊行動で転舵し、瑞鶴に向け横っ腹を見せる。砲塔がこちらに向け動き出し、轟音と砲煙を上げ、砲撃が始まった。必死に後退する自分の周りにいくつもの水柱が立ち上る。そのうちの一発が左腿を直撃した。弾着修正中の砲撃に当ってしまうとはついてない。恐怖と痛みのあまり叫びだしてしまいそうだ。

 

 そして気が付いた。

 

 これが姉の翔鶴が見ていた光景なのだと。自分を守るために、この恐怖に耐えいつも傷つき、それでも自分には泣きごと一つ言わず、ただ黙って微笑んでくれた姉。自分はなんて傲慢な態度を取っていたのだろう、もし時間が戻せるなら、いっそ当時の自分に爆撃したいくらいだ。瑞鶴はいたたまれなくなった。悔しさのあまり流れる涙でぼやけた視界に、大発の姿を捉えることができた。ほっとしたその瞬間、背中にもう一発直撃を受けた。あまりの痛みに悲鳴をあげながら、たまらず海面に倒れ込む。

 

 そこに―――。

 

 海面に転がりながら見上げた空を、九十九式艦爆と九十七式艦攻の編隊が翔けてゆく。援軍!! と思い喜び、痛みに耐えながら立ち上がった先に見えたのは、ケガをしているはずの姉が艤装を展開し、大発の甲板に立つ姿だった。

 

 瑞鶴を助けるため、ケガを押して弓を引き絞った翔鶴を、司令官が背中から抱きかかえるようにし、その左手を翔鶴の弓に伸ばし、手に触れる。矢をつがえ、翔鶴の手を導くように弓を頭上に抱え、右手は弦を引き、左手はそのまま弓を前方へ押し引く。

 「……っ」

 すでに翔鶴の額には脂汗が浮かび、彼女の左手首の痛みの強さを物語る。心配そうな顔の司令官に、大丈夫ですよ、と柔らかく語りかけた後、翔鶴は凛とした声で発艦を宣する。

 「…絶対に、守りますっ! 全機発艦っ!」

 発艦を一気に済ませると、翔鶴は司令官の胸にもたれながら攻撃隊の制御を必死に行う。ここにきて突如現れた大規模な攻撃隊の前に大損害を受けた敵艦隊は退避を始め、やっと虎口を脱することができた。

 

 「翔鶴姉ぇっ!!」

 大発に乗り込んだ瑞鶴は、痛みに耐えながら慌てて姉と司令官に近寄る。翔鶴は司令官の胸に身を預け、司令官もまた宝物でも抱えるように翔鶴を包むように抱きしめている。翔鶴は瑞鶴に気が付くと、力のない青白い笑顔を見せる。

 「さすがに今はもう弓を引けないみたい。ごめんね、頼りにならないお姉さんで…」

 瑞鶴は子供のように泣きながらかぶりをふり、ごめんなさい、とひたすら繰り返し詫び続ける。全てが身に染みる。流す涙と共に、瑞鶴は本当の意味で艦娘として独り立ちした。

 

 その後の瑞鶴の成長には多言を要さず、那覇泊地の押しも押されもせぬ武勲艦として成長を遂げていった。



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10. 司令官の過去

 「それでは行ってくる。扶桑を司令官代理、秘書艦に榛名、秘書艦補佐として由良、神通の体制で泊地を運営するように」

 

 夜明け間近の突堤に立つ、司令官と見送りの艦娘達。司令官の斜め後には、私服に着替えた翔鶴が控える。彼女は司令官の護衛として、今回の出張に同行する。

 

 前回の作戦から約一ヵ月。件の輸送船団の親会社から招待され、司令官は九州南部のとある都市まで出向くことになった。民間接触規制の例外の一つ、司令官の用務の補佐外出。しかも今回は二人きり…榛名、扶桑、時雨は自分が同行すると言い張り、それに鈴谷や金剛、青葉や祥鳳が騒ぎに拍車をかけ、果ては多くの駆逐艦たちまでも巻き込む大騒動に発展した。そんな騒ぎを遠巻きに見ていた艦娘も少数だがおり、結局、そのバカ騒ぎがアダとなり、司令官の同行者は傍観していた艦娘の中から翔鶴が選ばれる結果となった。

 

 

 

 目的地の港では迎えの車が待っていた。そのまま会場となるホテルに向かい、指定された部屋へ向かう。そこでは輸送船団の団長が待っていた。

 「おう、司令官っ。久しぶりだな。今日はまたドえらい別嬪さんを連れてきな、おい。コレか?」

 気さくな団長は、ざっくばらんで遠慮のない口調で、小指を立てながら司令官に尋ねる。翔鶴は顔を真っ赤にして、顔の前で手を激しく横に振る。

 「残念ながら違います。彼女も艦娘で、私の護衛です」

 司令官の言葉に目を丸くする団長。

 

 「ずいぶん打ち解けている様子ですな、何より何より」

 老齢の紳士が三人に近づいてくる。

 「先日は私たちの輸送船団を助けていただいたこと、心よりお礼申し上げたく、無理を言ってご足労願った次第です。のちほど、昼時にはささやかな饗応の席を設けさせてもらいます。お口に合えばよいのですが」

 丁寧に礼を述べるこの老紳士こそ、世界有数の海運会社のCEOだ。深海棲艦との戦争勃発以来、海運業は壊滅的な打撃を受けた。だが今でもごく少数だが危険を顧みず海に乗り出し物資を運ぶ海運会社は存在する。ハイリスクハイリターン、命を賭け金にした危険なビジネス(ギャンブル)の結果、この海運会社は急成長を遂げた。さすがの艦娘も補給無しでは戦えず、この会社は今では軍部にも強い影響力を持つほどの存在となった。

 

 司令官と翔鶴は席に付くよう促され、コーヒーやフルーツなどでもてなされた。飛行艇内でも軽い朝食が用意されたが、早朝からの旅だったので正直小腹は空いているのでありがたい。当たり障りのない話題が済み、CEOが話し始める。

 「団長から話を聞いたときには、正直耳を疑いました。あの泊地が民間船団を助けたとは、にわかに信じることができませんでしたから」

 

 逆に司令官も耳を疑った。民間人を助けない軍があるというのか?

 

 「あの時も輸送船団が襲撃され、船長を務める息子は船と運命をともにした。救援要請は拒絶され、船団はなす術もなく沈んだんです。ここにいる団長は息子の息子、つまり私の孫です。もう一人いた孫は数年前に亡くなってますので、司令官殿がこれを助けてくれなければ、妻に先立たれた私は家族をすべて失う所でした。改めて御礼申し上げます、司令官殿」

 

 その一件は、翔鶴の着任以前に起きたことだが、自分の責任であるかのようにうなだれている。司令官は、励ますように翔鶴の手に自分の手を重ね、驚き自分を見る翔鶴に、眩しそうに目を細め微笑み返す。そして、はっきりとした口調でCEOに告げる。

 

 「私の力ではありません、ここにいる翔鶴をはじめとする艦娘の皆の力があってのことです」

 

 その言葉を聞き、翔鶴は胸に熱いものがこみ上げてくるのが分かった。

 「なるほど、部下を正当に評価する、いい上司ですね。第八航空作戦団第三飛行小隊の面々も、さぞやりがいがあったことでしょうね」

 司令官が固まる。第八航空作戦団、それは司令官が空軍時代小隊長として所属した部隊であり、彼が指揮を執った第三飛行小隊を含め、最終的に司令官以外全員が戦死した部隊だ。

 

 「失礼とは思いましたが少し調べさせてもらいました、司令官殿。戦技指揮ともにかなり優秀だったようですね」

 

 翔鶴も団長も驚いたように司令官を見る。司令官の表情が険しくなるが、CEOは気にすることなく言葉を続ける。

 

 「当時、司令官殿の小隊にいた少尉を覚えておいますか? あれは、私のもう一人の孫です。カムラン半島沖強襲作戦、あれは悲惨でしたね。司令官殿が参加した最後の作戦、あれで孫は戦死した。司令官殿は助かったが、パイロットを辞めざるを得ない重傷を負った…今はご健勝ですか?」

 翔鶴は全く予想していなかった話の展開に混乱している。噂程度で司令官が元パイロットということは知っていた。だが、過去にそんなことがあったとは…。

 「少尉は…いいパイロットでした。改めてお悔やみ申し上げます。でも………悲惨、ですか。人の過去を勝手に調べ、分かったような顔でペラペラ語るのは、あまりいい趣味とは思えません」

 

 司令官は口調こそ丁寧だが、怒気をはらんでいる。今度は翔鶴が、司令官を抑えるようにそっと手を重ねる。

 「おお、これは失礼した。そこの御嬢さんには寝物語でとっくに話しているものだと。年寄りは口が軽くていけませんな」

 「じいちゃん、何のために司令官に来てもらったんだよ」

 慌てて団長が口を挟む。

 「言った通り御礼がしたいんですよ。司令官殿、大将…那覇泊地先任提督の残した負の遺産にてこずっているようですね。挙句に最近では味方に兵糧攻めを受けているとか」

 司令官と翔鶴が固まる。泊地内部のことは完全な軍事機密だ。外側からどうやって知り得たのか…。司令官の疑問に先回りするように、CEOが答える。

 「こういう仕事を長くしておりますと、軍部にも()()()()鼻が利くようになりましてね、ええ」

 いくらか…ね。こりゃ相当な曲者だ…と司令官は警戒を強める。その気配を感じたかのように、好々爺然した表情を一転させたCEOが真剣な眼差しで、司令官に決断を突きつけた。

 「司令官殿…よく聞いていただきたい。私は息子と孫を失った。君自身は未来を失った。君の艦娘たちは希望を失った。全て誰のせいか?君が艦娘達を守るため大将と戦うというなら、私はグループをあげての援助を惜しみません。これが、私に唯一残された肉親を助けてくれた司令官殿への御礼ですが、お受けいただけますでしょうか?」

 

 

 「………………大将と戦い失脚させろと焚き付けられているようなものですね」

 

 

 長い長い沈黙のあと、司令官はそれだけをやっと絞り出した。翔鶴は、いつの間にか司令官と自分が手を握りあっていることに気が付いたが、そのままにしておいた。泊地は水面下で激動にさらされている…翔鶴は、知らなかった自分を恥じると同時に、知らされなかったことへの寂しさを覚えた。自分が死ぬまでには決心してください、とCEOはひとしきり高笑いした後、突然翔鶴に話しかける。

 

 「ときに、御嬢さん、司令官殿とはハートインチなのかね?」

 ハートインチとは旧軍用語でプラトニックラブを意味する隠語だ。

 「な、なにをおっしゃりゅのでしょか!? わ、私は上官として司令官を尊敬申し上げ―――」

 真っ赤になり噛みまくる翔鶴。旧軍用語が分からずポカンとした顔をしている司令官。

 「初々しいのも可愛らしいですが、少々じれったいですな。少しお節介を焼かせてもらいましょうか」

 わざとらしいため息をつくと団長を呼び、二言三言何かを言いつけるCEO。団長もニヤッと頷き、部屋から出る。

 「この後の予定はキャンセルし、お二人の帰りの便は、明朝に変更しました。宿泊も手配してあります、心配せずゆっくり楽しんでください」

 

 

 

 この街に一泊。

 

 言いたいことは山ほどあるが、帰りの足がない。『この街の交通機関は全て我々の関連企業でしてね。後は…もう分かるでしょう?』とまで言われてはどうしようもない。諦めて司令官と翔鶴はCEOの目論見に乗らざるを得ない。

 

 そして駅前に放り出された司令官と翔鶴。

 

 司令官は、会談中に無意識とはいえ手を握り続けていたことを翔鶴に詫びた。翔鶴も、私こそ…と同様に詫びる。そしてこれからのことを考える。どう言われようと現実に艦娘を制約する規制があり、かつ翔鶴も自分といても気詰まりだろう、と翔鶴にホテル内の施設で過ごすよう提案する司令官。翔鶴の顔がみるみる曇り、小さな声で答える。

 「ご命令でしたらそう…します。でも、私は、司令官と一緒にいて気詰まりなんて思ったことはありません…」

 その表情を見て罪悪感を覚えた司令官は、気持ちを切り替え、翔鶴はどうしたい、と彼女の意見を尋ねる。翔鶴の表情が、パアッと輝き、私ガイドブックを持ってますっ! と嬉しそうに取り出す。いつの間に…。そして二人は、この街にいる今日一日だけのルールを作った。

 

 翔とショウ。

 

 翔鶴の「翔」と少佐の「ショウ」。翔鶴が艦娘と知れれば、無用なトラブルが起きかねない。それを避けるため、司令官と艦娘の身分を隠し、お互いをそう呼ぶことにした。

 

 「私、こんな大きな街に来たの、生まれて初めてです」

 

 この街は、幸い深海棲艦の空襲を受けておらず、地域の中核として、いまも多くの人が行き交い、都会特有の喧騒に包まれている。戦場以外で泊地の外に出る機会が滅多にない艦娘にとって全てが目新しく、翔鶴は周りをきょろきょろと見回している。

 「しれいか…あ、ショウさん、私のこの格好、変でしょうか? みんなにジロジロ見られるのは落ち着きません…」

 バスを待つ間、多くの人の、特に男性の視線にさらされ、翔鶴は自分の私服のセンスがおかしいのだろうか、と見当違いな不安を感じている

 「そうじゃない、翔。その…とてもよく似合っている、と思う」

 司令官自身もお世辞ではなくそう思ったが、面と向かっては言いにくく、少し目を逸らしながらぎこちなく言葉にする。

 「あ、ありがとうございます…」

 翔鶴は恥ずかしさ半分嬉しさ半分で固まり、真っ赤になったまま微動だにしない。

 

 -遊園地行き、遊園地行き。ご利用のお客様は、順にお乗りください。

 

 「バスが来た。さぁ行こう、翔」

 「はい、ショウさん」



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11. 夜を越えて

 街の中心部からバスで三〇分ほど、海を見下ろす丘に遊園地はある。多くの家族連れやカップルでにぎわう光景は、今が深海棲艦との戦争中であるとは思えないのんびりとした雰囲気だ。だが同時に、三分の二程度のアトラクションが燃料不足のため動いていない光景は、シーレーンを閉ざされた国の窮乏を物語る。司令官と翔鶴は歩きながら、園内の様子を見る。アトラクションの多くが止まっているため、来場者の多くはレジャーシートを広げ弁当を食べたり、ボール遊びをしたり、ペットと遊んだりするなど、大きな公園としてこの遊園地を楽しんでいるようだ。

 「翔」

 「ショウさん…あの…なんでしょう?」

 今日の二人は司令官と翔鶴ではなく、ショウと翔。最初こそぎこちなかったが、すぐに慣れ、今はお互いをそう呼んでいる。

 「家族連れやカップルがたくさんいるだろ」

 「はい、幸せそうですね。でも、それが……?」

 確かにそうだが、それは見ればわかる。司令官は何を言いたいのか翔鶴は分からず、首をかしげる。

 

 「あれが、君や君の仲間たちが命がけで守ってくれているものだ。改めてありがとう。いつか機会があれば、こういう光景を見てもらいたいと思っていたんだ」 

 「……はい、ショウさん。感謝いたします!」

 

 自分たち艦娘の存在している意味が、確かにここにある。それを明確に言葉にし、感謝された嬉しさを爆発させるように、翔鶴は司令官の手を取り走り出す。アトラクションをめぐり、ホットドッグを一緒に食べ、とりとめのないことを話すうちに、心の内側から欲求が湧きあがってくる。この人にもっと自分を分かって欲しい、もっとこの人を知りたい、もっと色んな瞬間を分かち合いたい…人間同士のカップルというのは、こんな感じなのかしら。ずっと「翔」なら、この時間もずっと続くのかしら…翔鶴はそんなことを徐々に考え始め、この感情をどう呼べばいいのか、唐突に思い当ってしまった。それこそ音が出るような勢いで顔が赤くなったのを見られたくなくて、司令官にくるりと背を向ると、早足で先を急ぎ始めた。

 

 「シ、ショウさん、喉が乾きませんか? わ、私、飲むものを買ってきます」

 小走りに売店に向かう翔鶴の後ろ姿を、ベンチに腰掛けながらぼんやり見る司令官。売店の入り口で、二人組の男が翔鶴に話かけている。やれやれ、またナンパか…司令官はベンチから立ち上がり、翔鶴のいる場所へと向かう。

 

 「あ、彼氏さんですか。いやー、お似合いのカップルですね。今回の企画主旨にぴったりだ。あ、すいません、申し遅れました、雑誌の取材にご協力くださいっ!!」

 二人組の男は雑誌社の取材班で、『街で見かけたカップル』なる企画に参加してくれる男女を探しているそうだ。翔鶴と司令官は、全く予想していなかった展開に思わず顔を見合わせてしまった。

 

 「どうでしょう? ご協力、いただけますか?」

 「はいっ!」

 「はい?」

 

 重ねて取材班から確認された翔鶴と司令官は、二人同時に同じ返事を違うニュアンスでしていた。

 

 

 

 取材を快諾してしまった翔鶴だが、司令官はその姿をどこか冷めた目で眺めている。民間接触規制がある以上、どこかで必ず検閲がかかり出版は差し止められるだろうな、と…。その間にも取材班はてきぱきと準備を整え、翔鶴は翔鶴で前髪を手櫛で直したりしている。

 

 「じゃぁ一回テストでポラ取ります。記念に写真をその場で差し上げてるんで。あ、本番はデジカメで撮影ですけど。…ハイ、チーズ!」

 

 シャッター音がし、写真がポラロイドカメラから吐き出されると、少しぎこちない表情の司令官と、彼と腕を組み満面の笑みを浮かべる翔鶴が写っていた。

 「これ、貰っていいんですか? 感謝ですっ!!」

 宝物のように写真を抱える翔鶴は、よほど嬉しいのか、何度も何度も写真を見ている。

 

 「じゃあちょっと簡単なプロフィール教えてください。まずお名前は? ニックネームみたいのでもいいですから」

 「翔です」

 「ショウです」

 

 「はい、では次の質問ですが、ご年齢は?」

 突如翔鶴が考え込み、不安そうな表情で戸惑い始める。今までの元気溌剌な態度から急に変わったので、司令官も怪訝な表情になり、見つめるしかできずにいた。躊躇いがちに翔鶴が口にしたのは―――。

 「…一九四一年? あ、じゃなくて…四か月前?」

 

 取材班の二人組がきょとんとした顔をし、司令官も呆気にとられた。一九四一年は往時の航空母艦翔鶴が竣工した年で、四か月前は艦娘の翔鶴が建造された時期だ。翔鶴から助けを求めるような視線を送られても、司令官もどうしようできない。翔鶴が何歳か、という設定までは考えていなかった。

 

 何となく困惑していた取材班だが、ふと何かに気づいたように助け船を出してきた。

 「んー、何か良く分かりませんけど、四か月ってのはお付き合いを始めてからの期間ってことですよね。まぁそれも後から聞こうと思ってましたので、いいとして。じゃ改めて、何歳か教えてもらってもいいですか?」

 

 怯え、そうとしか表現できない表情を浮かべ、翔鶴は後ずさると、くるりと背を向け走り出してしまった。突然の事にただ見送っていた司令官は、はっとした表情になり慌てて追いかける。 

 

 「取材拒否ってことで、他のカップル探そうか」

 頭をがりがり掻きながら取材班の一人がぽつりと呟き、もう一人もやれやれという表情で頷く。

 「まぁしょうがないな。にしても…まさか本当に一九四一年生まれとか? ンな訳ねーよな」

 

 

 「どうしたんだ…」

 しばらく走った後、はあはあと肩で息をしながら、司令官は翔鶴に追いついた。そのまま翔鶴が走り続けていたら完全に見失っていたかもしれないが、翔鶴は観覧車の前に立ちつくし、ゆっくりと回るそれをぼんやりと見上げていた。振り返った翔鶴は、これ(観覧車)に乗りたいです、と言葉を絞り出した。

 

 

 

 「…夕日が綺麗ですね、司令官」

 この遊園地の大観覧車は、海に沈む夕日が一望できる人気スポットらしい。二人きりの観覧車、翔鶴は『ショウさん』ではなく、普段通りの呼び方で司令官を呼ぶ。窓から見える景色に見入る様に、翔鶴は司令官に横顔を向けたまま、ぽつりと言葉を漏らす。

 「…急にどうした?」

 司令官は優しく翔鶴に尋ねる。翔鶴の態度が豹変した理由にまるで見当がつかない。

 

 「……翔とショウさん、普通の人間同士のカップルみたいでした。私、すごく幸せで、このままずっと『翔』でいたい、そんなことを考えたくらいです。けれど、さっきの取材で年齢を聞かれたとき、『翔』が何歳か、私には分からなかったんです。自分の年齢が分からない人間なんて、いませんよね。やっぱり私は艦娘で、ただの兵器なんです…」

 

 司令官は翔鶴の話を黙って聞いていた。翔鶴の言葉が胸に刺さる。

 

 「昼間見た家族やカップルを覚えているか? 彼らの幸せを守っていることを、君は喜んでいた。ただの兵器なんて言うな、他の誰かの幸せを喜べる君は、誰よりも優しい心がある。それが何か俺には分からないが、そんな君にふさわしい幸せがあるはずだ。それに、もし君が兵器だというなら、なぜ泣いている?」

 

 びくっと肩を震わせた翔鶴は、初めて司令官に正面から向き合った。赤く染まる観覧車の中、翔鶴の頬を流れる涙は、夕陽を反射し、きらきらと光っていた。

 

 

 

 家路につく乗客で込み合う帰りのバスに揺られ、司令官と翔鶴は駅前まで戻り、指定されたホテルへと向かう。そこでは最上階にあるスイートルームが用意されていた。司令官は翔鶴と同室に泊まることにかなり難色を示したが、最終的に翔鶴が司令官を説得した。チェックインを済ませ荷物を片づけて終えた頃に、ルームサービスでディナーが届けられた。

 

 テーブルを挟み向かい合い食事をとる二人。会話の無いまま時間が流れ、食事が終わる。ふと、翔鶴が沈黙を破る。

 

 「………聞いていいですか?」

 司令官はうなずく。

 「昼間、海運会社のCEOさんが仰っていた…空軍の時のお話。私にも教えてもらえませんか? あなたは私の気持ちを正面から聞いてくれました。私も、あなたのことが知りたいです」

 司令官は立ち上がると、部屋に備え付けのバーカウンターからウイスキーを取り出すと、一人グラスを傾けながら淡々と話を始めた。

 

 「……深海棲艦と満足に戦えるのは艦娘だけ。この事実を認めずに、通常戦力だけで戦果を上げ出世の糸口にしたい奴が、俺のいた部隊の作戦参謀だった。ある日俺達第八航空戦団に招集がかかった。君達に先駆けてカムラン半島沖の深海棲艦を強襲し武威を示せと命令されたよ。結果は、君も聞いた通り全滅だ。俺も撃墜され重傷を負った。我ながら良く助かったと思うが、助かっただけだ。二度と空で戦うことはできなくなった」

 

 司令官はグラスを一気に傾けるの見ながら、翔鶴の脳裏にはかつてのマリアナの記憶が甦ってきた。

 

 -当時の『私』から飛立った艦載機の子たちも、帰ってきませんでした。圧倒的な戦力で迫る米軍相手の戦い、あの時の『私』は潜水艦の攻撃の餌食になり…多くの仲間を失いました…。

 

 司令官はもう一杯グラスを空ける。離れて座っていた二人の距離を、翔鶴が縮める。

 

 「生き残った俺は、ただの死にぞこないだ。でも流される様に軍務に戻って、今度は海軍…艦娘のみんなの指揮官だ。軍はよっぽど人材に困っているんだな…。翔鶴、君たちが司令官と呼んでいるのは、こんな男だ。笑ってくれていいよ、情けないだろ?」

 

 翔鶴が静かに首を横に振り、長く豊かな銀髪が揺れる。決して、決して情けなくなんかない。死線を越え戦場に戻って来たこの人が情けなかったら、誰が勇敢だと言うのか

 

 ただ口から出た言葉は、艦娘としてのそれとは程遠かった。そして飲みこんだ言葉もある。

 

 「翔鶴…じゃありません。翔、ですよ」

 

 -私、あなたの下のお名前、知りません。聞いたら…今日なら…教えてもらえますか?

 

 責任者が各拠点に着任する際、艦娘に通知されるのは司令官の姓と階級のみである。艦娘が実戦投入された当初は海軍内部では相当紛糾した。兵器が使用者(人間)の名を知る必要があるのか、と。通常各拠点の責任者は一人であり司令官または提督と呼べば事足りる、というのが意見の大勢を占めていた。だが、軍全体を見れば同一階級の者が複数いるため、艦娘側からの個体認識のため階級に加え姓のみを通知する、それが決定事項となり、今も拠点責任者と艦娘を縛っている。

 

 「そっか…翔…ごめんな」

 一瞬きょとんとした表情になり、再び自嘲するように唇を歪め笑った司令官が、もう一杯グラスを空けようとする。翔鶴は司令官の隣にふわりと座り、グラスを取り上げ、テーブルに置く。司令官は、自分の隣にいる翔鶴がその目に涙をためていることに、そして自分も涙を流していることに、やっと気付いた。

 

 「…今日は泣いてばかりだな、翔…」

 「…あなたもですよ、ショウ…」

 

 翔鶴は、司令官の肩にもたれかかる。自分の気持ちに、心に、ただ素直に従う。自分が翔鶴じゃないなら…自分が翔なら、こうするべき、と。

 

 翔鶴の手が司令官の後頭部へとまわり、吐息のかかる距離まで二人の顔が近づく。司令官は麻痺したように動けず、翔鶴の唇が近づいてくるのをただ見ている。

 

 -ガシャン

 

 翔鶴が動いた拍子に、テーブルの上のグラスが床に落ちた。その音で二人は我に返った。

 

 「……っ。お、おれは向こうのソファで寝るよ。翔鶴も早く寝ろよ」

 「……っ。は、はいっ。し、司令官も、おやすみなさい」



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Phase 04
12. 波立つ心


 「…これ、どうすればよろしいでしょう?」

 ある晴れた日の朝。突堤の入り口に呆然として立ちつくす司令官と今日の秘書艦の綾波。司令官と翔鶴が出張から帰ってきた一週間後、大量の資源が例の海運会社から搬入され、資源四種各三万トンと食料品一〇コンテナが港に山積みにされている。司令官宛ての納品書には『ささやかだが、先般のお土産として』とだけ書いてあった。公式の名目は民間の篤志家による寄付。

 

 「『ささやか』でこれって、金持ちが本気だすと一体どうなるんだろうな?」

 「さぁ〜綾波には見当もつきません。とりあえず、天気も良いですしお茶にいたしましょうか」

 綾波は、司令官を見上げてニヘラッと笑い、司令官もつられてニヘラッと笑い返す。朝の潮風は心地よく顔をなでてゆき、綾波のサイドで束ねた長い髪が風に踊る。綾波は手提げの籠から、敷物、魔法瓶、湯呑み、茶葉、御茶請け、と取り出し、手際よくお茶の準備をする。

 「はぁ…癒されます…感謝ですね…」

 二人並んで突堤の入り口に腰掛け、海側に足を投げ出す。差し出されたお茶を一口飲み、両手で湯呑みを持ちひと心地着く。縁側に座る老夫婦のように、二人同時に同じ動作をする。

 

 「このクソ司令官っ、何もしてないのに癒されてるんじゃないわよっ!! 和んでないでさっさと指示出しなさいよっ!!」

 

 一緒に港までついてきた曙が司令官に文句を言う。どんな時でもクソ司令官呼ばわりだ。その割には、頬を赤くしながら色々手伝ってくれたりする。お茶も悪くないが、確かにこの大量の物品に港を占拠されたままだと、他の港湾作業に支障が出る。さっさと片付けてしまおう。司令官は手の空いている艦娘全員と妖精さん達に、搬入作業を手伝うよう指示する。妖精さんたちの活躍もあり、港を埋め尽くした大量の物資は、最終的になんとか倉庫に収納することができた。コンテナの上では、汗をぬぐうような素振りをしながら妖精さん達が話に花を咲かせている。

 

 -いきなりゆうふくになりました

 -なりきんです

 -しゅっちょうのせいかはじょうじょうです

 

 これで放置していた『もう一つの特務』にも方針が立つ。例のCEOの思惑通りに事が進んでいるようで悔しいが、今は現実に対処しよう、と司令官は考えを巡らせる。

 「クソ司令官、さぼるなっ!! そこのコンテナくらい運びなさいよっ!!」

 「無茶言うな、できる訳ないだろっ!!」

 

 

 

 ―――執務室。

 

 大量の物品搬入はなんとか午後までに終えることができた。昼休みがつぶれた艦娘達に遅い昼休みを取らせたが、司令官は執務室で書類作業を続け、秘書艦の綾波も遅い昼休みに行かせた。この一人きりの時間にやりたいことがある。

 

 二つの特務-大本営から脱走した時雨の撃沈とこの泊地の行方不明の艦娘捜索の取り下げ。前者はすでに問題ではなく、時雨はこの鎮守府で元気に暮らしている。後者の回答をまだ大本営にしていない。その返事を今から準備する司令官。

 

 「今回、民間の篤志家からの匿名の寄付により、当泊地財政は好転し、大本営から貴重な資源を融通いただくことは謹んで辞退いたしたく」

 

 補給を盾に取ることでは、那覇泊地の口を塞ぐことはできないぞ-この反論にどれだけの効果があるのか、あるいはさらなる圧力を招くか、それは分からない。そもそも正体不明の深海棲艦と戦争しているのに、軍の内部で足を引っ張り合うなぞ馬鹿げている。まして那覇には何の非もない。圧力を躱しつつ状況が許せば反撃に出る、司令官はそう腹を括った。

 

 一方、戦時下における兵站(ロジスティクス)を担う例の海運会社が、軍に対して想像をどれほど超える圧力団体であるか、司令官は正しく理解していなかった。

 

 この頃、海軍の兵站本部は恐慌に陥っていた。納入されるべき物資量が突如激減したからだ。理由は艦隊本部が那覇泊地に告げたのと同じ―――『深海棲艦の襲撃』。このままでは戦線を維持できなくなる拠点が出かねない、と慌てて軍の高官が海運会社へ向かい協議を重ねた結果、那覇泊地の特警小隊は全員罷免され、基地の警護は沖縄本島の東側、中城湾を拠点とする海軍の通常戦力部隊が担当、基地監査は巡回式へと変更となった。その決定と同時に、何故か深海棲艦の跳梁は収まり、物資の納入も再開されたのは不思議な物である。

 

 以後那覇泊地への定期補給は再開されたものの、所要量に遥かに満たない物量であり、依然としてハラスメントは続いている。だがすでに民間からの寄付で支えられる那覇泊地はビクともせず、資源資材で困ることは無くなり、結果、司令官への圧力は目に見えて軽くなっていった。

 

 

 

 たまっていた書類作業や、資源の使い道について計画を立てる司令官。今日は風を通すため執務室のドアを開け放している。そこに扶桑がやってきた。手にはおにぎりと沢庵の載った皿がある。扶桑の手作りで、遅い昼休みに、司令官が食堂に現れなかったことに気付き用意したものだ。

 

 「司令官…あの、これ、良かったらどうぞ」

 「助かるよ、扶桑。お腹が空いていたんだ。でも、多くないか、それ?」

 「ご一緒させていただこうかと…ご迷惑でしたか?」

 

 瞳のハイライトが消え背後に軽く陰を背負う扶桑を慌てて宥める司令官。いったん業務を中断し、ソファに移動する。二人向かい合いながら簡単な昼食を食べる。扶桑は食後のお茶を淹れている。

 

 「司令官、失礼します。間宮羊羹が手に入りましたので、ご一緒にいかがかと」

 

 今度は翔鶴が入室してくる。瞬間見つめ合い、司令官はさりげなく翔鶴を手招きする。出張以来、どうしても翔鶴を意識してしまう司令官だが、努めて表に出さないようにしている。そんな二人を見ていた扶桑は、瞳のハイライトが消え背後に闇を背負いながらお茶を持ってやってきた。やや乱暴に湯呑みが二つ載ったお盆をテーブルにおき、司令官の隣に座る。

 

 「あら、お茶のお時間だったんですね、ちょうどよかったかしら。私、羊羹を切ってきますね」

 そんな扶桑の様子を気にすることもなく、軽く鼻歌を歌いながら、嬉しそうに羊羹を準備する翔鶴。羊羹が数切れ載った小皿が3つ載ったお盆をテーブルに置き、司令官の正面に座る。

 扶桑は何も言わず立ち上がり、もう一つお茶を用意して戻ってくると、密着するように司令官の隣に座る。

 

 -なんだ、この扶桑から押し寄せる緊迫感は? というか、俺今日朝からお茶何杯目かな。

 

 

 (負けたくないの…)

 

 扶桑は、司令官と翔鶴が出張から帰ってきて以来、二人の間の空気が今までと違うのを感じており、焦っていた。何かは分からないが何かが違う。妙に二人が『しっくり』きているような…。自分はというと、いつも間が悪く空回りしているような気がしてならない。今だってそうだ。

 

 張り合うように司令官の隣に密着して座っても、翔鶴は何の反応もない。笑顔を絶やさずにゆったりと司令官の前に座っている。余裕すら感じられる。司令官の小さな仕草で一喜一憂している自分がみじめになる。はぁ…空はあんなに青いのに…。

 

 ちらっと翔鶴を見てみる。羊羹を食べ、嬉しそうに「ん〜っ美味しいっ」と司令官に微笑みかけ、そのまま愛おしそうに眺めている。彼女が自分の気持ちを隠しているつもりなら下手すぎるし、隠す気がないならそのままの意味なのだろう。

 

 「扶桑さん?」

 「はぃ?」

 突然話かけられ声が裏返ってしまった。顔を赤くしながら翔鶴をまっすぐに見る。

 

 「あの…羊羹、大きく切り過ぎたでしょうか?」

 一瞬何のことか、と思ったが、手元を見ると、無意識に切り刻んでしまったサイコロ状の羊羹がお皿の上に積まれている。

 

 「そ、そんなことはっ! た、ただ、司令官のお隣に座っていたので、司令官のことを考えていたのかしら」

 明らかに自分はどうかしている。が、そんなことを翔鶴に認めたくない。しどろもどろになり、半分本当のことをポロっとこぼす扶桑。

 「え…。俺のことを考えると、切り刻んでしまうのか?」

 「ち、ちがいますっ!!」

 

 つい大きな声を出してしまった。あぁ、私ったら…。

 

 翔鶴は、変な事を言ってごめんなさい、気にしないで、とまるで意に介さないようだ。その態度が、扶桑を微かに苛立たせる。

 

 (…負けたくないの!)

 扶桑が言い募ろうとしたとき―――。

 

 「綾波、ただ今戻りましたぁ〜。そろそろデイリー任務を片付けてしまいましょうか。あっ、やぁ〜りましたぁ〜! 間宮羊羹発見ですっ。」

 重くなり始めた空気を吹き飛ばす、天然の明るさと一緒に、綾波が執務室に戻ってきた。

 

 

 扶桑はお盆やお皿を戻すため食堂に向かっていた。任務が無ければみな自由に過ごしているが、多くの艦娘は食堂でくつろぐことが多い。翔鶴と瑞鶴の姉妹も、談笑している。扶桑はお盆やお皿を片づけながら、つい二人の会話を聞くとはなしに聞いてしまう。

 「翔鶴姉は最近雰囲気変わったよ。柔らかくなったっていうか…ますます綺麗になったよね」

 「瑞鶴ったら、何を言っているの。恥ずかしいわ。そんなこと司令官に聞かれたら-」

 「…翔鶴姉、気づいてる? どんな話題でも、翔鶴姉の話は、最後は司令官の話になるんだよ?」

 「えぇっ!? えっ、そう? そうかしら…?」

 「ねえ…聞いていい? こないだ二人で出張にいったとき、何かあったの?」

 

 どうしても気になる話題だ。日帰りのはずが突然一泊になった出張。戻ってきたあとの翔鶴の様子。他の艦娘達も、聞かないふりや他のことをしたりしながら、つい聞き耳を立ててしまう。艦娘とはいえ年頃の女子、興味を持つな、と言う方が無理だ。

 

 「私も気になります。翔鶴、あの時、司令官と出張に行った日、何があったの…?」

 

 扶桑が翔鶴と瑞鶴の座るテーブルの横に立ち、思いつめたような顔で翔鶴を見る。

 

 「なっ、何よ扶桑さんっ! 急に話に割り込んできて!」

 翔鶴が瑞鶴を手で制し、翔鶴も立ち上がる。

 「扶桑さん()本気なんですね」

 「…負けたくないの!」

 

 扶桑は、やっと本心を声に出す。そんな扶桑の本心に触れ、翔鶴も『あの日』のことを話し始める。

 「みなさんが想像しているようなことはありませんが、あの日は、司令官のことを深く知ることができた日だと、私が自分自身の気持ちに気づくことができた日だと、そう思っています」

 皆の想像している事は、紙一重で起きなかった。それでも何も無かった、と言い切ると嘘かも知れない。『翔』として過ごした一日は、翔鶴だけの大切な思い出、瑞鶴にさえ話していない。

 食堂にいる艦娘たちは、もはや聞き耳ではなく、扶桑と翔鶴の話にくぎ付けになっている。

 

 扶桑は、翔鶴の告白を聞きながら、自分は司令官の何を知っているのか、と自分に問いかけ、俯くしかできずにいた。



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13. 交錯する現在と過去

 「第一艦隊より入電。また…空振りだったそうです。これより帰投するとのこと」

 今日の秘書艦を務める由良が告げる言葉に、司令官が軽く唇を噛む。

 

 艦隊本部の強い要望で、司令官は南西方面諸島海域での作戦を展開している。同海域での深海棲艦の活動が急速に活性化しているとの偵察結果を踏まえ、日本本土の拠点としては最南端に位置し、すなわち南西方面に最も距離の近い那覇泊地に、南西諸島方面諸島海域のさらなる縦深偵察と防御的攻勢の指示が出た。簡単に言えば、後に続く部隊のために偵察をしっかりやってこい、さらにできる範囲で敵を減らしてこい、ということである。

 

 指示内容そのものに不審な点はなく、近いうちに進出を企図していた海域でもあり、司令官はこの指示を受諾した。一連の経緯があった艦隊本部にしては珍しく協力的で、索敵結果や敵の出現予想位置等の情報が提供され、その情報を活用してカムラン半島海域に進出し、敵の前衛艦隊と何度も交戦しているが、肝心の敵本隊とはいまだに会敵できない。出だしからこれでは先が思いやられる。

 

 「お偉いさんのやることなんて、昔からそんなもんだよ。相変わらずだなー」

 重巡の摩耶が明るく皮肉を言い、多くの艦娘が同意し頷く。彼女は今回の作戦遂行の途中で新たに艦隊に加わった。明るく元気で勝気な彼女は泊地のムードメーカーになっている。そこに再び由良の声が響き、状況が動き出す。

 

 「再度入電!! 帰投中に敵艦載機の空襲を受け、交戦中!」

 「またちょっかい出してきたね」

 「そろそろ止めを刺しちゃう?」

 と敵を見下すような声がささやかれる。敵がこちらの帰投中を狙って空襲を仕掛けてくる。おそらくは敵の本隊。群島が多い南西方面諸島海域は隠れる場所に事欠かない。徹底して姿を隠し、僅かでもこちらが隙を見せたら、小規模な空襲を仕掛け即離脱。決して深追いはしてこない。これまでは軽微な損害で済んでいるが、損傷した艦娘は入渠や整備休息などのため一定期間作戦から離脱する。もともと航空戦力の脆弱なこの泊地では、投入できる戦力にばらつきが出始め、膠着状態に陥っている。

 

 敵を見下す雰囲気と、増え始めた速戦即決の主張…司令官は泊地全体に漂う危うい雰囲気を危惧していた。

 

 「扶桑さん、扶桑さんっ! ………司令官、旗艦の扶桑さんと通信途絶っ」

 敵の攻撃が、いつものヒット&ランではなく、本格的な空襲であることが判明し、敵を侮り始めていた艦娘たちに冷や水が浴びせられた。その後何とか敵の空襲を振り切った、との連絡が入り、司令官は安堵した。だが、予定時刻を大幅に過ぎても帰投しない第一艦隊を、司令官と出迎えの艦娘達、工廠の妖精さんも損傷を受けた者のために待ち続ける。やっと、第一艦隊が帰投する姿が水平線に見えた。

 

 「ふ、扶桑姉様っ!!」

 山城が絶句し、出迎えの一群のざわめきが大きくなる。

 大きくひしゃげた艤装、ぼろぼろの衣装、特に左背中から脇腹にかけての傷や出血がひどい。意識はあるのか無いのか…。左右から筑摩と利根が途切れそうな扶桑の意識を引き留めようと、必死に呼びかけながら支えている。その二人も、大破すれすれの中破は確実だ。帯同させた祥鳳も中破状態。村雨、白露は、他の四人ほどではない、というだけで無傷とは程遠い。

 

 山城が司令官の胸にしがみ付き、悔しさや悲しさを叩きつけるように、両方の拳で胸元を叩く。

 「なんで正規空母を出さなかったのよっ!! 扶桑姉様をこんな目に合わせて……」

 

 扶桑は他の艦娘の助けを拒み、駆け寄る山城を制し、よろめきながらも自力で司令官の前までやってきた。乱れた髪が隠す顔を上げ、何か言おうと口を動かすが、そのたびに血泡が湧き出るだけで、言葉にならない。そのまま司令官の胸に、頭を預けるよう倒れる扶桑。司令官の白い制服に赤いしみが広がる。

 

 

 

 「司令官、全員揃いました」

 秘書艦の榛名が司令官に知らせる。食堂には先日の戦闘で大損害を被り入渠や休養中の艦娘と山城を除く全ての艦娘が集合している。

 

 「現在進行中のカムラン半島沖海域の攻略作戦だが、今日の出撃で決着をつけようと思う」

 司令官の言葉を聞き、集まった艦娘に緊張が走る。昨日の第一艦隊の惨状は皆の目に焼き付いている。

 

 「瑞鶴、翔鶴、神通、時雨、夕立、そして旗艦に榛名。やってくれるな?」

 泊地の全力を注ぎこんだと言える布陣に、集まった艦娘達にざわめきが広がり、司令官の強い意志が伝わってきた。金剛や鈴谷はあからさまに頬を膨らませつまらなさそうな表情を浮かべているが、泊地防衛にも戦力は必要で、残る艦娘達を束ね万が一の際には要となる、との説明にしぶしぶ納得していた。こほん、と咳払いすると、旗艦に選ばれた榛名が、声も高らかに宣言する。

 

 「この戦い、絶対に勝利します!」

 

 その一方で、山城は扶桑に付き添って医務室にいる。扶桑は緊急入渠で事なきを得たが、いまだ意識は戻らない。扶桑の血で汚れた制服のまま、司令官は高速修復剤や医務室の手配などで必死に駆け回っていた。ついさっきまで、扶桑のそばに一緒にいた。ほとんど寝てないだろうが、今日の作戦指揮を取っている。

 

 報告によれば、敵の艦載機が突然現れ、折悪しく索敵に出していた瑞雲の収容作業中だった扶桑は、成すすべもなく直撃弾を複数受けた。祥鳳の必死の防空戦で、何とか敵襲から逃れることに成功したが、被害は甚大だ。食堂で上がる歓声を遠くに聞きながら、姉の目が覚めた時に、司令官がそばにいてくれたら、と考える山城。悔しいが自分だけでは足りない…不幸だわ…。

 

 

 

 勇躍してカムラン沖を進む榛名率いる第一艦隊は、波穏やかな海を切り裂くように進んでゆく。

 

 普段なら敵の前衛艦隊が現れるポイントでは何も起こらず、第一艦隊は敵を求めて進軍している。瑞鶴と翔鶴は彩雲を放つが、何も発見できないまま、艦隊は群島が散らばる海域中奥部へと到着した。偵察機が二人の空母に知らせる光景は、巨大な樹木が生い茂る緑の島々、海の青、波の白、島々の緑。

 

 「なんだか絵みたいだね、翔鶴姉。日本の海と景色が違うってゆーか」

 「確かに綺麗ね…。でも瑞鶴、私達の役目は索敵、それこそが最大の武器、って」

 「『司令官が仰ってる』、でしょ? 翔鶴姉?」

 イヒヒ、という感じで笑みを浮かべ、姉をからかうように言う瑞鶴のもとに、彩雲から連絡が入る。敵艦隊発見の報告に、第一艦隊に緊張が走る。

 

 「榛名さん、瑞鶴の彩雲から入電。重巡一、軽巡二、駆逐艦三を南西方面に発見。指示をお願いっ!!」

 「分かりました。瑞鶴さん、翔鶴さん、航空隊全機発艦させてください。同時に、水雷戦隊前へ。第一艦隊、全力で参りますっ!! 」

 

 旗艦の榛名から、戦闘開始の号令がかかり、艦隊が動き出す。

 

 弓を引き絞り、次々と航空隊を発艦させる瑞鶴と翔鶴の横を抜け、神通・時雨・夕立からなる水雷戦隊が前に出る。だが、敵艦隊は、瑞鶴の航空隊に発見されたことを察知した時点で、逃走を開始した。瑞鶴と翔鶴の航空隊からの攻撃を必死に躱し、ひたすら逃げ続ける。

 

 決着をつける、そう宣言した司令官に勝利を届ける…その思いに付き動かされる榛名には、一隻たりとも敵を逃す選択肢はあり得ず、激しく敵を追撃する。やがて至近弾や命中弾を浴びる敵艦が増え、行き足が鈍る。瑞鶴と翔鶴は共同戦果で、撃沈駆逐艦二と軽巡一、中破軽巡一、小破重巡一の戦果を上げた。そこに現れた神通率いる水雷戦隊。左舷後方から急速に敵艦隊に迫り同航戦を仕掛ける。魚雷斉射後、速度を落とさず大きく回り込むようにして敵の反撃に備えつつ、左舷からの第二撃。

「油断しましたね。次発装填済みです」

 

 水柱と轟音、火柱。大破炎上している重巡一を残し、敵艦隊は姿を消していた。海に静けさが戻る頃、空が再び騒がしくなる。瑞鶴と翔鶴による第二次攻撃隊が接近している。前衛艦隊との交戦は、瑞鶴と翔鶴による集中攻撃で幕を閉じた。

 

 「第一艦隊、敵前衛部隊を殲滅、損害軽微。敵本隊を求めて進軍します」

 

 

 

 第1艦隊は敵本隊を求めカムラン半島沖の最奥部へ到達した。初めての海域であり、索敵を重視する司令官の強い意向により、時雨は一三号対空電探を、榛名は二二号水上電探をそれぞれ装備している。だが、榛名の水上電探は、多数の群島が散らばるこの海域では、島影が電波の邪魔をしてゴーストを多発、あまり有効に機能せず、今の所敵艦隊を発見するには至っていない。

 

 -()()()に似ている…目が利かない俺達は、気付けば囲まれていた。

 

 ズキズキと響くように痛む左眼の奥、その痛みが司令官に当時の事を嫌でも思い出させる。圧倒的な数の深海棲艦の艦載機に襲われ、逃げまどい一機また一機と撃墜されてゆく仲間達。自分も撃墜され、二度と空へと戻れない重傷を負った。

 

 それは深海棲艦との開戦からしばらく経った頃の話。試験運用を兼ねて前線投入された、初期艦と呼ばれる五人の艦娘が戦果を上げていると報じられ、艦娘の開発はいよいよ加速した。初期艦に並行して増加試作艦の扱いで様々な種類の艦娘が続々と戦場に投入された。磨り潰される様に護衛艦は撃沈され、航空戦力は撃墜され、入れ替わる様に艦娘の数は増えていった。

 

 当時の司令官の乗機はF-2支援戦闘機。政治用語を使わずに言えば戦闘爆撃機である。一方的に叩かれた水上戦闘と異なり、航空戦ではまだそれなりに戦えた。総合性能で深海棲艦の艦載機を上回る現用軍用機も、レーダーやセンサーを利したスタンドオフ攻撃が機能せず、絶対的優位の速度差を捨てた巴戦で戦うより他なかった。加速に優れ小回りの利く敵機と機関砲で撃ち合う-自分の利点を捨て相手の土俵に登った殺し合い。戦技と勇気と、そして運、それらが支配する海と空の間で、数多くのパイロットが空に散っていった。

 

 そしてあの時、カムラン半島沖で何が起きた? 敵は群島に隠すように作られた()()()滑走路からも発進していた―――!!



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14. シーソーゲーム

 扶桑の瑞雲が発見したのは、まさにその秘匿滑走路。それゆえ、扶桑たちは秘中の秘を漏らさないため執拗な攻撃を受けた。この海域の本質は艦隊戦ではない、縦深陣地の攻略だ。前衛艦隊との交戦位置は徐々に海域奥部にシフトしている。そして今回戦わずに逃げた前衛艦隊を第一艦隊は迷わずこれを追撃した。前衛艦隊の目的は、第一艦隊を本隊と群島の間まで引きずり込むこと。そして今、榛名率いる第一艦隊は完全に挟まれた。

 

 

 「俺こそが真っ先に気付かなきゃならなかった!! 第一艦隊、大至急撤退っ!!」

 

 突然叫んだ司令官に、作戦司令室の空気が凍りつく。一体何が起きたのか…敵の前衛艦隊を蹴散らし、今から敵主力を発見し叩こうとしているのに…。今までに見た事のない険しい、青ざめた表情の司令官に、由良が話しかけるべきかどうか逡巡していた時、翔鶴の彩雲が敵艦隊を発見し、規模も判明した。

 

 

 

 「南西に敵本隊発見。戦艦一、空母二、重巡一、駆逐艦二」

 総合戦力はほぼ互角、ならば瑞鶴と翔鶴の攻撃隊を発進させ、先手を取って敵の航空戦力を叩き、残存部隊を砲雷撃戦で沈める…榛名は余裕の表情を浮かべている。

 

 「司令官、ご心配なくっ! 必ず勝利と一緒に泊地に帰りますっ! それとも、この榛名を、信用していただけませんか?」

 

 一方、時雨の対空電探は、敵編隊の接近を捉えることで、それが正常に機能していることと、すでに先手を取られていることを明らかにした。

 「敵の方が先に動いていたようだね。艦隊まで、あと…一〇分もないくらいだ」

 「司令官、お話はまた後で! 今は一刻を争いますので!」

 榛名の表情に緊張の色が浮かび、瑞鶴と翔鶴に発艦を急がせると同時に、残りの全艦に対空戦闘の準備を指示する。

 

 「第一次攻撃隊。発艦始め!」

 「全航空隊、発艦始め!」

 一刻の猶予もない。瑞鶴と翔鶴は指矢の射法で矢を速射する。放たれた矢は光を放ち零戦二一型へと変わる。零戦を艦隊直援にあたらせ、続いて九十九式艦爆と九十七式艦攻から成る攻撃隊を、敵艦隊に向かわせるため発艦させる。攻撃隊の約半数を発艦させたところで、時雨が鋭く叫ぶ。

 

 「来るよっ!!」

 

 時雨を前衛に、神通を左翼、夕立を右翼、中央に瑞鶴と翔鶴、後衛に榛名が陣取る輪形陣。陣の外側には、直掩の零戦が舞い、一機たりとも敵を通さない構えを取る。敵編隊の多数は艦戦で構成され、少数の艦爆を伴う構成だが、その動きは奇妙とも言えるものだった。敵の戦闘機はこちらの直掩機を落とすことに躍起になっている。まるで、自軍の攻撃隊を守るのではなく、こちらの零戦隊を減らすことが目的であるかのように。零戦隊は敵の攻撃隊に近づけず苦戦を強いられたが、敵の直掩機をほぼ全滅した。それでも少数の敵艦爆隊が味方の直掩隊を突破し接近してくる。瑞鶴と翔鶴に緊張が走ったが、敵は輪形陣外縁の時雨に集中し、時雨は至近弾で対空電探を損傷。水上戦闘に支障はないが、対空戦闘力は大きく減殺されることとなった。 

 

 辛くも敵の攻撃隊を退けることに第一艦隊が成功した同時刻・敵艦隊上空

 

 すでに敵は瑞鶴と翔鶴の攻撃隊を待ち構えていた。急降下で迫る敵機と攻撃隊を守ろうとする零戦隊の間で激闘が始まる。優位から行われた敵の初撃で、瑞鶴と翔鶴の攻撃隊は、その数を減らしはしたが、まだ攻撃力は維持できている。

 

 何とか体勢を立て直し、敵艦隊へと迫る攻撃隊。猛烈な対空砲火を抜け、敵空母への攻撃を続ける。結果、撃沈空母一と駆逐艦一、中破空母一。第一艦隊直上での艦隊防空戦の結果と合わせると、敵の航空戦力の無力化に成功したといえる。その代償は大きく、攻撃隊に参加した瑞鶴と翔鶴の航空隊のうち、艦隊まで戻れたのは僅かだった。

 

 第一艦隊はさらなる攻勢を取るため、輪形陣から、ほぼ無傷の榛名を先頭とする単縦陣へと移行を始める。

 

 「榛名っ、撤退だっ!! 敵の狙いは陸海共同の挟撃作戦だ! 輪形陣維持、対空見張り厳としろっ!!」

 司令官の必死の呼びかけに、榛名は珍しく不満そうな声で返事をする。

 「ここまで来て撤退なんて…! 大丈夫です、敵の機動部隊は無力化しました。お願いです、司令官のために、榛名は…絶対に勝ちますっ!」

 

 そして…第一艦隊が砲雷撃戦に備え陣形遷移を行っている途中で、北の空に敵の第二次攻撃隊が現れた。敵本隊は第一艦隊の艦隊防空を無力化することが役割で、そしてこの第二波こそが、敵本隊から分派された主力部隊であり、扶桑が発見した群島の秘匿飛行場を発進した本命。その狙いはもちろん、瑞鶴と翔鶴だろう。

 

 「そんな…」

 「いったいどこからあんな大群が…」

 

 おそらくは綿密な罠。そこに自分たちは飛び込んでしまった。重ねて司令官が撤退を命じ榛名が我に返ったのと、敵の大編隊が攻撃態勢に入ったのは同時だった。

 

 「水雷戦隊、機動部隊の前にっ!! 榛名が三式弾で牽制している間に、防御陣形へ移行してくださいっ!! ………主砲、全門斉射っ!!」

 

 榛名から敵編隊めがけ放たれる対空弾の三式弾。敵編隊の眼前で炸裂し、大量の子弾が爆散、敵編隊の一角を葬り去った。だが、敵は損害をものともせず、瑞鶴と翔鶴に襲い掛かる。

 

 「勝手は! 榛名が! 許しません!」

 瑞鶴と翔鶴を後衛に下げつつ、榛名が、時雨が、夕立が、神通が、自らの被弾も顧みず対空戦闘を繰り広げ、辛うじて敵の第二波を退けた第一艦隊だが、大きな損害を受けていた。

 

 大破:翔鶴、神通、中破:時雨、小破:瑞鶴、夕立、損害軽微:榛名。

 

 全員疲労困憊の中、多数の轟音と水柱が遠くに立ち上がる。敵戦艦と重巡、駆逐艦が水平線から姿を現した。敵の第二次攻撃隊との戦闘中に、水上打撃部隊の接近を砲雷撃戦の距離まで許してしまった。執拗で巧みな連携攻撃に抗する力がどこまで残っているのか―――。

 

 「…っ! 全艦に命じますっ。榛名が敵を引きつけている間に戦線離脱、全速で泊地を目指してください」

 

 榛名は命令を下すと、三式弾を九一式徹甲弾に換装し、砲撃戦に備える。

 

 -榛名の判断ミスで艦隊を危機に陥れてしまうなんて…。司令官、榛名の命に代えてでも、他の五人は必ず帰投させます。これで少しは償いになるでしょうか…。

 

 大破した翔鶴に肩を貸す瑞鶴は空を見上げ悔しそうに唇を噛む。自分自身は小破で艦爆と艦攻はまだ残っており、あと一戦挑むことはできる。だが艦戦がほとんど残っていない。退避せざるを得ない神通と翔鶴の直掩にそれを回すと、攻撃隊は丸裸で敵に向かうことになり、攻撃の成功はおぼつかない。つまり、自分は健在だが無力だ。

 

 一方翔鶴も、瑞鶴に肩を貸されながら使い物にならなくなった飛行甲板に目をやる。甲板だけではなく矢筒も破壊され、胸当てにもひびが入っている。何発敵弾を躱したか覚えていない。我ながらよく動いたと思う。でも、死角から飛び込んできた一機を躱しきれない、と思った瞬間、咄嗟に庇ったのは飛行甲板ではなく、胸。胸当ての中にいつも忍ばせている一枚の写真を無意識にかばってしまった。…艦娘失格ね、これじゃ。

 

 

 

 「んふふ〜♪ これはもう♪ ステキなパーティするしかないっぽ〜い♪ 榛名さんには夕立が付き添うっぽい。ここからは水上戦闘、夕立がパーティの主役っぽい〜」

 赤い目がらんらんと輝く。並の駆逐艦を凌駕する攻撃力を手に入れ、早くそれを試したい、そういう風にも聞こえる。

 

 榛名は夕立の進言を受け入れ、二人で敵艦にあたることを泊地に連絡し、残りの艦隊を離脱させる。

 

 「榛名っ、聞こえているかっ? ここは引けっ!! 敵がここまで周到な罠をしかけていたのに気付けなかった俺の責任だ。お前が一人で責任を負う事じゃないっ!」

 

 司令官は何度も撤退を命じていた。でも、この人に勝利を…その思いだけで榛名は周囲が見えていなかった。もう二度と会えないかもしれない…せめて戦闘に入る前に、返事はしておこう。

 

 「司令官は優しいのですね。榛名にまで気を遣ってくれて。ですが、ここで引けば撤退部隊は追いつかれます。榛名は…大丈夫です」

 

 きっと司令官は自分の強がりに気づくだろう。これ以上、彼の声を聞くと決意が揺らぎかねない…榛名は通信を切る。水柱は徐々に自分たちに近づいてきている。敵が距離と方角を確実に修正している証左だ。榛名と夕立は眦を決し、同時に叫ぶ。

 

 「主砲! 砲撃開始!!」

 「夕立、突撃するっぽい」

 

 

 榛名と敵戦艦が遠距離で撃ち合う最中、夕立はまさに本領発揮といった戦いを繰り広げる。

 

 水面を高速で疾走しながら、緻密に計算された角度で酸素魚雷を斉射する。雷撃をを躱そうと単調な動きになった駆逐艦の懐深くまで飛び込むと、至近距離から一二.七cm連装砲B型改二と、一〇cm高角砲での水平射撃を繰り返す。

 

 「あと一撃で轟沈っぽい!」

 刹那、砲弾が飛来し駆逐艦に直撃し炎があがる。自分の顔の横を何かの破片が通過し、裂けた肌から血が流れる。駆逐艦にすでに救援の必要なしと見た重巡洋艦が、味方もろとも夕立に砲撃をしてきた。駆逐艦が爆発する爆風を利用して飛びのき、いったん体勢を整える。次の目標は重巡洋艦だ。赤く燃える目を敵に向け、夕立は力をため込むように体をかがめ、様子をうかがう。敵重巡からの発砲煙が見えた瞬間、一気にダッシュし射点に付く。

 「とびっきりの悪夢、見せてあげる!」

 夕立が占めた位置は、左必中射点と呼ばれる位置。直進か取舵なら左腹に、面舵なら右腹に、必ず魚雷が命中する。敵重巡は絶望的な悲鳴を上げ増速しながら左に急速転舵し必死に酸素魚雷を躱そうとするが徒労に終わり、左腹に三発の酸素魚雷を受け、真っ二つになりながら沈んでゆく。

 「こっちは終わったっぽい、榛名さんっ!?」

 

 榛名のすでに主砲は一基潰され、艤装もあちこち損傷が目立つ。疲れと損傷で敵弾を躱せなくなってきている。残弾数を考えても、そろそろ決着をつけないと敵の旗艦を取り逃がすか、最悪自分がやられることとなり、作戦は失敗に終わる。次で必ず決める―――。

 「主砲、全門斉射っ」

 残存の主砲が一斉に火を噴き、敵戦艦が水柱と炎に包まれ、完全に沈黙する。戦いは終わった。想定もしてなかった挟撃作戦で、艦隊は大きなダメージを負ったが、何とか敵本隊を殲滅し勝つことができた。

 

 「勝った…の?」

 力なく海面に女の子座りでへたり込み、涙ぐむ榛名の元に、夕立が満面の笑みを浮かべ駆け戻ってきた。



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15. 心の距離

 榛名がボロボロの体を引きずる様に帰途に就いた頃、瑞鶴、翔鶴、神通、時雨の四名が那覇港に入港してきた。敵本隊殲滅の報はすでに泊地にも届いており、司令官を始め多くの艦娘が大歓声で皆を迎え入れる。損傷の激しい神通は那珂と川内に付き添われ工廠直行、時雨も「さすがの僕も疲れたよ、もう寝る」とそのまま部屋に戻ろうとするところを、村雨と白露に工廠へと連行される。

 

 そして瑞鶴に付き添われた翔鶴が司令官の前で立ち止まる。大破とは言え、何とか自力で歩けるようだ。不幸中の幸い、と安堵の表情を浮かべた司令官に、翔鶴は明らかに無理に作った笑顔を見せる。

 「司令官! 私、大破しちゃいました。まだまだ『被害担当艦』ですね」

 いたずらっぽく言うが、目にみるみる涙があふれてくる。

 「私…私、敵の急降下爆撃を受けて、避けられないと思った瞬間、気が付いたら胸当てにいれた写真を守ろうとしていて、それで……ごめんなさい、私、弱くなっちゃいました…」

 後は言葉にならず、顔を両手で覆い泣き続ける。写真…その言葉で司令官は全てを理解し、何とも言えない表情へと変わり、躊躇いがちに翔鶴へと手を伸ばそうとする。そんな二人の微妙な距離感を感じ取った瑞鶴は、怪訝そうな顔で二人を見ることしかできなかった。

 

 翔鶴は、司令官と一緒にとった写真…一日だけの仮初めの二人の思い出を守ることを戦闘中に優先し、その結果大破してしまった。練度で言えば急速かつ確実に向上している。だが、戦闘艦としての心持ちより、一人の少女としての思いが優っている。そして自分がそうさせたことを、司令官は思い知らされた。

 

 鈍い音がし、鋭い痛みが司令官の足に走る。

 「女の子をいじめるのはダメなのです!」

 「こんな時にお説教しなくても…」

 電に思いっきり足を踏まれ、祥鳳には幻滅されたような目で見られる司令官。確かに、大破した艦娘を入渠もさせず説教して泣かせた鬼司令官の図に見えないこともない。

 「いやそうじゃなくて…瑞鶴、何とか言ってくれっ」

 瑞鶴も、司令官と翔鶴の間にある『何か』、それが大破の遠因となったと知り、司令官を疑わしそうに見るだけで何も言わない。

 「もっとまともな人だと思ってたのに、みんな、行こう行こう」

 数人の艦娘が翔鶴と瑞鶴を守るかのように工廠へ向かい、司令官は静けさを取り戻した港に一人取り残された。

 

 

 「まだここにいるの?」

 

 唐突に背後から声がかかり司令官が振り返ると、曙が立っていた。綾波型駆逐艦八番艦の彼女は、那覇泊地では少し浮いた存在になっていて、司令官も気に掛けていた。普段からとにかく口が悪いこの子に苦手意識を持つ子もおり、曙も七駆以外の艦娘とは距離を取っていて、普段はめったなことでは艦隊の出迎えに現れない。榛名と夕立の帰投までここにいる、と司令官が告げると、少しだけ肩を竦めながら、隣までやってきた。

 「今回は特別よ。あれだけ激しい戦いでの勝利だし、指揮もまあ…悪くなかったしね、労いの一つも…わ、悪いっ?」

 

 きっとこういう風にしか感情をだせない子なんだな、と司令官は理解し、ふっと軽い笑みを浮かべると首を僅かに横に振り、そのまま海を眺めつづける。再び静けさが戻った港で、曙は突堤に腰掛ける。沈黙が二人の間に流れ、先に痺れを切らしたのは曙の方だった。

 

 「……………着任早々特警の連中とやらかしてたけど…。どんな手を使って追い払ったわけ? まぁ…いいけどさ。あいつら…ほんっとクソだったから…いい気味よ」

 訂正。きっと、じゃない。感情表現がド下手くそなんだ、と司令官は理解し思わず微笑んだ。曙の発言は、要するに自分にお礼を言いたかった、と解釈して間違いないだろう。実際に軍に圧力をかけたのは例の海運会社だが、その辺の事情を艦娘達は知る由もない。ただ、最後の言葉に載せられた重さに、司令官はひっかかりを覚えた。

 「なっ!! 何なの、何がおかしいのよっ! 他の連中とは違うかなって…少しは信用してもいいかも知れない…って思わない訳でもないだけだし……いやぁっ!!」

 

 ばしんっ。

 

 何の意図もなく、たまたま手が曙の方へと動いただけだったが、司令官の手は思い切り引っ叩かれた。びっくりして曙を見れば、自分を守る様に体を強張らせ、怯えとしか表現できない表情でこちらを見ている。曙自身も自分の行動に戸惑っているようで、途切れ途切れの言葉は消え入りそうになる。

 「あ、あの…そ、そんなつもりじゃ…そ、その…ごめん…」

 

 おそらくは暴力によるPTSD…思わず司令官は顔を歪め、その表情が曙をさらに怯えさせる。

 

 -曙のように気の強い子の心を折り服従させる、そういうのが好きなのが、あの連中(特警)の中にいたってことか…ほんとにクソ、まさにそうだな…。

 

 悲しそうな色を僅かに宿しつつ、いつものように眩しそうに目を細める笑顔を浮かべると、司令官は曙の背中側に回ると、脇の下に手を入れてひょいっと持ち上げ、そのまま胡坐をかいて座りその中に曙を収めた。

 「な、ちょ、ど、どういうつもり…」

 

 暴れて逃れようとする曙の眼前に大きな掌が差し出される。

 「なあ…。握ったままだと手は拳だけど、こうやって開けば何かを包むことだってできるんだ。俺は、君達に拳を向けるつもりはない。簡単じゃないだろうけど、手にも色々あるってことだけは、分かってくれると助かる」

 

 ぴくっと肩を震わせた曙はそのまま大人しくなり、そのまま何も言わず黙り込んだ。ただ、体の強張りは少しずつ解け、躊躇いがちに司令官に寄り掛かり始めた。しばらくそのままにしていた曙だが、おずおずと司令官の右手の小指をきゅっと掴む。

 「か、勘違いしないでよねっ。夜は冷えるから…そう、それだけなんだから…」

 

 

 「曙ちゃん、デレてますねぇ〜」

 突然後ろから声がかかり、飛び上がるほど驚く曙。振り返ると、艦娘達が勢ぞろいしていた。

 「い…いつからいたのよ……?」

 曙がわなわなしながら、恐る恐る聞き返す。

 「さっきですよ〜。『勘違いしないでよね』のあたりですね」

 青葉がうんうんと頷きながら答える。いやぁ〜!! と叫びながら司令官の胡坐から飛び出すと、曙は頭をかきむしる。その光景を生温かく見ていた司令官が立ち上がると、青葉が近寄ってきてこっそり耳打ちする。

 

 「ホントは、司令官が手の話をしたあたりから、みんなで聞いてました。青葉、ちょっとウルッてきちゃいました」

 今度は司令官が照れくさそうにする番だが、この時間に改めて多くの艦娘達が集まったことで、その理由がピンときた。

 

 「君達が改めて集まったって事は…」

 「はいっ! 榛名さんと夕立さん、そろそろ帰投するって連絡がありました~。あっ! 見えてきましたっ!!」

 綾波が声を上げる。ようやく榛名と夕立が帰ってきた、これで全員無事に帰還したな…と司令官は心の底から安堵のため息をつく。ほどなく港に現れた中破し乱れた衣装の榛名と夕立。

 

 榛名が駆け寄ってくる。スカートの裾が焼け焦げ、巫女服のような上着は大きく破れている。サラシで隠されてるとはいえ、豊かな胸元が目立つ。自分の恰好を気にすることなく、司令官のもとにまっすぐ進む榛名だが、司令官はまっすぐに見る事が出来ず目を逸らしてしまった。一瞬きょとんとした榛名だが、すぐに自分の今の姿が男性にどう映っているか理解し、夜目にも明らかなほど顔を真っ赤にして、くるりと背中をむける。司令官も慌てて背中を向け、顔を隠すように制帽を目深に被る。

 

 柔らかな重みが司令官の背中に掛かり、榛名が司令官の背中に寄りかかるようにして体重を預ける。背中越しに、ぎこちなく帰投の報告が始まる。

 

 「榛名、ただいま戻りました。敵の本隊は殲滅しました…けれど…司令官の忠告に従わず、部隊を危険に晒し、甚大な被害を受けてしまいました。ごめんなさい…」

「いいんだ榛名、よく…よく帰ってきてくれた。ほんとうにありがとう。君が…君たち全員が無事に帰って来てくれた、それだけ十分だよ」

 「当然のことをしたまでです。そんなお言葉…榛名には、もったいないです」

 頬を赤らめながら、嬉しそうに榛名は微笑む。それきり無言のまま背中合わせの二人だが、榛名の手が何かを探すように所在なく動く。すぐに司令官の手を見つけ、おずおずと指先が繋ぐ先を求めて動き出し―――。

 

 「ただいまーっ、ねーねー司令官、夕立頑張ったっぽい、褒めて褒めて~」

 

 駆け出した夕立は、にぱっと満面の笑みを浮かべてそのまま司令官に飛びつくようにして抱き付いた。反動で押された榛名はよろけて司令官の背中から離れる。榛名が背中に残る温もりが冷えてゆくのを惜しむ反対側では、夕立が司令官の胸に顔を埋め臭いをかぐように顔をすりすりしている。

 

 ストレートに感情をぶつけられ戸惑いながらも、夕立の頭に恐る恐る手を伸ばすが、さきほどの曙の反応を思い出し、その手は何となく宙を彷徨っていた。気配に気付いた夕立が顔を上げ視線を上に向ける。そして伸ばした右手で司令官の手を摑まえると、自分の頭へと導く。

 

 「遠慮することないっぽい。好きなだけ撫でるっぽい。えへへ~♪」

 

 司令官はわざと少し乱暴に、夕立の亜麻色の髪をかいぐりかいぐりする。わわ~と言いながら、嬉しそうな形に目を細める夕立。そして司令官は二つの視線に気づく。

 

 一つは指を咥えて羨ましそうにこちらを見つめる榛名。空いてる方の手で手招きすると、ぱぁっと笑顔を浮かべて駆け寄ってくる。司令官は苦笑いを浮かべ、ついっと頭を差し出してくる榛名に手を伸ばそうとして、痛みに顔を顰める。

 

 -痛っ…。さっき曙に…。

 

 もう一つの視線の送り主は…曙。三人を羨ましそうに、そして悲しそうに見ていたが、くるりと背を向けて立ち去った。



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Intermission
16. 名も無き作戦


 深海棲艦との戦争で、人類は敗北を重ねほとんどのシーレーンを喪失した。だがなぜ現代の空海軍は深海棲艦に無力だったのか?

 

  正しく言えば完全に無力だった訳ではない。攻撃が命中すれば効果はあったが、超アウトレンジ攻撃を前提に高度な電子兵装と誘導兵器をシステム化した兵器群が機能せず命中させることができなかった。面制圧を主眼とする弾道ミサイルによる飽和攻撃でさえ、広大な太平洋全域に神出鬼没の深海棲艦相手では後手に回らざるを得ず、徒に海洋汚染を広げるだけの結果に終わった。

 

 そう、深海棲艦との戦いで最大の障害となったのは、相手をレーダーやソナー、センサーで捕捉できない事である。

 

 そんな相手との戦いを現代兵器は想定しておらず、水上戦闘では一方的に叩かれた。航空戦は、当初互角以上の敢闘を見せたが、もう一つの障害-数の暴力には抗しきれなかった。湧き出るように現れる深海棲艦、母艦から大量に吐き出される艦載機を相手に、一時的には勝利を収めても、加速度的に損害を増やし、人類は劣勢に陥った。

 

 そして艦娘が現れた後、人類と深海棲艦との戦いの様相が変わった。

 

 艦娘が深海棲艦と互角以上に戦えることが分かると、すぐさまその運用に合わせて海軍は再編、空軍と合わせ海軍の通常戦力部隊は艦娘部隊の支援任務に当たる事となった。当初、両部隊は合同作戦で戦場に臨んだが、すぐに中止された。少しの間は戦果を上げたが、深海棲艦側が真っ先に通常戦力部隊を狙うようになり、艦娘はその護衛や救援に戦力を割かざるを得ず被害が続出したからだ。艦娘部隊側は合同作戦の中止を強く主張し、最終的に深海棲艦との戦いは彼女達の手に委ねられた。

 

 新設組織ながら艦娘部隊の発言力は圧倒的に高くなり、通常戦力部隊側にこれを面白く思わない者も当然いる。

 

 ―――空軍第八航空作戦団 ブリーフィングルーム。

 

 「静粛にっ!! 作戦の説明に入るっ!! 我々の武威を示す時が来たのだっ!!」

 甲高い声で叫ぶ作戦参謀。出世至上主義のこの男を皆嫌っていたが、軍は書類と建前、それと階級で動く組織だ、サルでも自分より上の階級章をつけていれば敬礼し命令を聞かねばならない。

 「南西諸島海域における定期掃討任務、これを我々の独力で成し遂げる。出撃は明朝マルヨンマルマル!」

 

 集まったパイロット達は騒然とする。総合性能に勝る現代の軍用機も、誘導兵器による攻撃ができない以上、航空戦では機体がはるかに小さく圧倒的な機動力の深海棲艦機とドッグファイトで対峙し、対艦攻撃では敵艦載機の直掩を抜け、敵艦隊の対空砲火を躱し、高機動で水上を駆け回る小さな移動目標に肉薄攻撃するしかない。パイロットの技量と運に全てを委ねた博打のような戦いで、戦果と犠牲の双方を等しく積み上げてきた。人命という替えの利かない費用を払って得られる効果の少なさから、空軍は本土防衛に徹するとの軍令が随分前に出ているのを、この参謀も知らないはずがない。

 

 「だ、黙れっ!! この作戦はすでに『上』の許可を取っている、道具は黙って俺の作戦に従えばいいんだっ!! 俺の作戦に間違いはないっ!!」

 一度解放した海域であっても、時間が経つと深海棲艦はまた湧き出てくる。そのため艦娘部隊が海域の定期的な掃討を行っているが、作戦参謀は南西諸島海域のカムラン半島沖を目標とし、この任務に割り込もうとしている。使用機材の航続距離を考えれば、ドロップタンクを装備してもギリギリの戦闘行動半径になる。

 

 喧騒はさらに大きくなった。部隊全体から信頼の厚い第三小隊長から、艦娘たちとの合同作戦を主張する声が上がると、作戦参謀は理性を失い叫びだした。

 「黙れ貴様らぁーーーーー!! 艦娘だとっ? あんな得体の知れない連中をのさばらせておくのかっ!! この作戦を成功させれば、軍で俺の発言力は増す、つべこべ言うなぁーーーーーっ!!」!

 作戦参謀は自分を見る部隊の視線に気が付いた。明らかに自分を蔑むように見ている。怒りで目がくらみそうだ。

 

 「これ以上話すことはないっ。命令する、天佑を確信し敵泊地に突撃せよっ!!」

 

 

 ―――作戦当日。

 

 第八航空戦団の一六機は予定より遅れて出撃、目標の敵泊地に到達する頃にはもう夜が明けているだろう。彼らの乗機は最優秀のレーダーやセンサーを備える準国産のF2戦闘爆撃機だが、その優れた()に映らない相手との戦いに勝たねばならない。先行していた偵察機からの連絡は途絶えている。すでに夜は空けた、敵は動き出している―――誰もが警戒を強める。

 

 「敵機直上っーーー!!」

 叫び声が通信機から飛び込む。待ち伏せされていたのだろう。太陽を背に急降下で迫るカブトガニのような形の深海棲艦機。一航過でこちらの四機が落とされ、さらに目標とする方角から、多数の深海棲艦機がこちらへ迎撃に上がってきている。部隊の残存機は編隊を解き散開し、目標地点のはるか手前で戦闘に突入する。

 

 怒号や悲鳴が飛び交い錯綜混乱する通信の中、第三小隊長の指示が耳に入った少数の機が、一気に急上昇し上昇力と最高速度の優位を活かして敵を振り切ると雲間に隠れる。結局第三小隊長に付いてきたのは彼の部隊だけだった。ほどなく雲の切れ間に深海棲艦の艦隊を発見した第三小隊に緊張が走る。敵機が次々と自分たちに向かってきていた。目標の海域最奥部はまだ先だが、眼下の敵がこのまま自分たちを見逃してくれるとも思えない。ならば―――。

 

 「敵艦隊発見!! 空母二を含む六隻編成! 第三小隊、対艦攻撃ミッション開始!!」

 

 激しい対空砲火で、空のあちこちに黒煙でできた雲が増える。丸くて白い艦載機群が途切れることなく空母から吐き出される。炸裂する対空射撃の弾幕を抜けるたび、タコヤキの群れを抜けるたび、第三小隊は減ってゆく。小隊長機は敵空母を目標に定める。大きな帽子のようなものを頭に乗せ、黒いマントを羽織った白い女。青と黄色のオッドアイが燐光を放っている。艦載機を飛ばしてくるから「空母」と呼んでいるだけで、こいつらが何なのか、全く分からない。ただ、散って行った自分の部下のためにも、せめて一矢報いたい。

 

 ついに小隊長機もタコヤキに捕捉され斉射を受けた。イジェクションレバーを引いたのと同時に、機体は制御を失いあさっての方向にバラバラになりながら落下する。風に流されながら落下傘で降下している小隊長。左目の視界は赤く染まりぼやけ、左肩からの出血もひどい。意識が遠くなる。

 

 「全機信号途絶っ。作戦参謀、失敗ですっ!!」

 

 第八航空戦団根拠地の作戦司令室を、重苦しい沈黙が支配する。個人の出世欲のため強行された、必要性さえ疑わしい作戦で部隊を全滅させたようなものだ。誰も口を開かず、批難の鋭い視線が作戦参謀に集中する。

 「作戦は完ぺきだった、あ、あいつらがヘタクソなのが悪いんだっ!! 俺は悪くないっ!!」

 震える足取りを隠すよう、傲然と胸を張り作戦司令室を退出する作戦参謀。当然この顛末は問題となったが、彼は逃げ去り、以後彼をこの基地で見かけることはなかった。

 

 

 

 時間は少し前にさかのぼる―――。

 

 ある泊地から、六人の艦娘が抜錨した。目標海域に差し掛かるとすでに空戦が始まっていた。このまま進めば自分たちも航空攻撃に晒されると判断した旗艦は、近くの小島に上陸し様子を見ることに決めた。見れば深海棲艦機の大群に次々と落とされる空軍機。上空に逃れたものの結局補足された小隊は、一矢報いるべく最後の攻撃を加えようとしている。

 

 「残り四機、全滅は時間の問題。気分が…滅入ってきます」

 青い袴の弓道着を来た艦娘が、無表情のままつぶやく。

 

 「知らない子たちですが…いい若鷲ですね」

 赤い袴の弓道着を来た艦娘が、悲しげに答える。

 

 「…だが長くは持つまい。多勢に無勢だ」

 褐色の肌、逆立った白髪、大きな胸元にサラシを巻いた艦娘が言う。

 

 「あんなのただのなぶり殺しよ。見てられないわ」

 そう言い、目をそむける茶髪ショートの艦娘。

 

 「……助太刀、してあげてもよいのでは?」

 長い黒髪をポニーテールにまとめ、日傘をさす艦娘が三式弾を取り出す。

 

 「止めろ。我々の任務に介入は含まれてはおらん」

 

 武人然とした佇まいの艦娘が、ポニーテールの艦娘を制する。長門を筆頭に、陸奥、大和、武蔵の戦艦四人、一航戦の赤城、加賀で構成される那覇泊地の第一艦隊、いずれも高練度の艦娘が揃う。旗艦の長門は、提督の冷酷なまでの命令を思い返す―――。

 

 『空軍が独力でカムラン半島沖の定期掃討任務に割り込んでくるそうだ。あそこはああ見えて存外厄介な海域でな、前衛の水雷戦隊に足止めを食う間に後方から次々と現れる航空戦力…縦深陣地の攻略と変わらぬ。連中は予算と装備と人命をよほど無駄にしたいらしい。…長門、第一艦隊を率いて行って来い。深海棲艦との戦闘は我々艦娘部隊の専権事項だ、友軍…と呼ぶのも憚られる阿呆どもだ、我々の攻撃中に巻き込まれてもいい道化役になろう。海と空の支配者は誰か、知らしめて来い」

 

 ともかく友軍の作戦なら、後押しするのが人としての道理ではないのか? 挙句に、我々に仲間撃ちを行えとは…。もっとも、我々の仲間をオークションで売り飛ばすような提督だ、人の情を期待する私の方が愚かか…。

 

 「あぁっ!!」

 「搭乗員は落下傘で脱出っ。こちらの方角に向かっています」

 最後の一機が撃墜されたのを見た大和が悲鳴を上げたのと、赤城が声を上げたのはほぼ同時だった。

 

 「終わったな」

 

 長門は帰投命令を発したが、みな納得のいかない顔をしている。往時の記憶-何度も見送った帰らぬ若鷲が、母艦である自分たちを失いむざむざ死なせた海鷲が、目の前の光景に重なるのだろう。長門自身も気分が晴れないが、命令は命令。

 

「あら、あらあら。第三砲塔が故障みたい、困ったわ。姉さん、少し様子をみてもいいかしら」

 困った様子もなく、陸奥が故障を申告する。陸奥の意図を瞬時に他の全員も理解し、長門に注目する。

 

 長門は一瞬虚を突かれたような表情をしたが、ニヤッと笑みを浮かべ指示を出す。

 「ふん、なら仕方ない。故障から復旧するまでこの場で陸奥を護衛だ。赤城と加賀は索敵および艦隊直掩、大和と武蔵は第三種警戒態勢…一航戦、急げよ。間に合わなくなるかもしれん」

 

 

 「搭乗員発見、意識不明」

 

 偵察機からの報告を受け、急行した大和が血まみれの搭乗員を抱え戻ってくる。第三小隊の小隊長だが、無論、艦娘たちはそれを知る由もない。呼吸が止まっている彼に、大和は、意を決したように人工呼吸を行う。何度目かのそれで、小隊長が息を吹き返したのを確認し、長門が改めて全員に命じる。

 

 「急ぎ泊地に帰投するっ! せっかく拾った命一つ、何としても死なせぬぞっ」

 

 

 

 那覇泊地に運ばれた小隊長は緊急手術の末に一命を取り留め、すぐさま内地の軍病院へと移送された。

 

 「バイタル安定、峠は越えました。認識票があればもっと早く身元が特定できたんですがね」

 「パイロットらしいが、復帰は無理だな。左目と左腕、完全には元通りにはならんだろう」

 

 空軍第八航空戦団第三小隊長-現在の那覇泊地司令官は、最後に参加した作戦で二度と空に戻れない重傷を負った。その意味で作戦は、死亡十六名の結果に終わったともいえる。



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Phase 05
17. 観艦式への招待状


 司令官が那覇泊地に着任し、約二年が経った。

 

 新たな艦娘も多く増え装備も充実、海域解放は西方海域までを完全解放する戦果を上げた。司令官の階級も大佐まで昇格し、何度か大海営から感状を下賜されることもあった。現在は、北方海域に部隊を展開するための準備を余念なく進めている段階である。予備役招集、しかも海軍以外の出身者としては異例の昇進スピードといえるが、長引く戦争の結果で空きポストが多い事、さらに海軍の公平性と透明性-戦果を挙げれば出自を問わない-を内外に示すロールモデルに利用されている側面は否定できない。司令官自身もそれは理解していたが、泊地運営にマイナス面はないので、特段の感慨は持たずにいた。そんなある日のこと。

 

 「司令官、こちらが艦隊本部から届いております。何でしょう、いつものよりずいぶん豪華な封筒ですね」

 秘書艦の翔鶴が手紙を差し出す。以前は日替わりだった秘書艦も、ここ最近は、翔鶴、扶桑、榛名でだいたい固定されている。

 「ありがとう、翔鶴」

 手紙を受け取り、ペーパーナイフで封を切る司令官。翔鶴も興味津々の面持ちで司令官を見つめている。書類を読み終えた司令官は、自分のデスクの脇に控える翔鶴に向かい、椅子を回して彼女の方を向く。

 「艦隊本部主催の観艦式への招待状だ。観艦式への参加は戦績抜群の拠点からの選抜。我々はその次のランク、戦績優秀だったから見学が許されるそうだ。司令官以下六名の艦娘を選抜し参加するように、とのことだ」

 「大変な栄誉ですっ!! 司令官の活躍が認められたんですねっ!! おめでとうございます!! ひょっとして…将官への道さえも? ああっ、今から提督とお呼びする練習をしておいた方がいいかしら」

 「いや、俺はどうでもいい。上がどう言おうと、この栄誉は君たちのものだ」

 そう言いながら、眩しそうに目を細めて翔鶴にほほ笑む司令官。その笑顔に安心ながらも、この人はいつもこうだ…と翔鶴は苦笑する。上手くいったら艦娘のおかげ、失敗したら自分のせい、ご自身への欲はないのかしら。だからこそ、この泊地の艦娘達は、司令官のために戦えるんですけど。

 

 「それで司令官、観艦式の予定はどうなってますか?」

 「ああ、来週末だな。土曜は予行、日曜が観艦式本番。俺達は見学組だから、土曜の午後に迎えが来て、その日は本土宿泊。日曜の本番終了後にこっちに戻ってくることになる」

 

 「………それで司令官、お連れになる艦娘は、その…もうお決めになられたのでしょうか?」

 

 翔鶴が真剣な顔で司令官に迫る。翔鶴が迫った分司令官は背もたれを倒すように体をそらす。司令官は翔鶴の意気込みに押されながら答える。

 「い、いや。決めるも何も、今受け取った招待だし、これから考えるよ。選抜と言われてるから練度は考慮にいれるべきだろうな。あとは…」

 

 「……あとは?」

 

 翔鶴がさらに身を乗り出し、司令官はさらに体をそらす。練度で上位六人、と言われると自分は当落線上にいる。でも、もし他の基準があるのなら、チャンスがあるかも知れない。その思いが翔鶴を駆り立てる。あとは外出先で問題を起こさない艦娘、と司令官は言おうとしたが、その前に椅子が二人分の体重を支えられず、そのまま大きな音を立てて後ろに倒れる。

 「いててて………」

 翔鶴に押し倒されるような格好で、司令官は床に伸びてしまった。

 「ご、ごめんなさい、司令官っ! 大丈夫ですかっ!?」

 

 「すごい音がしたのです! 司令官、大丈夫ですか?」

 「なになに、何ですか? 事件ですか〜?」

 床に横たわる司令官にまたがるような格好の翔鶴。執務室の入口で固まる電と青葉。四人の視線が交錯し、沈黙が執務室に流れる。

 「は…はわわわっ! ごめんなさいなのですっ。司令官と翔鶴さんが、絶賛情事中だなんて知らなかったのですっ」

 「これは大スクープですねっ!! 青葉、じっとしてられないな〜、これは」

 

 慌てて司令官と翔鶴は事情を説明したが、その代わりに観艦式の話はあっという間に泊地に広がった。色めき立った艦娘たちは六席を巡り、静かな、時には熱い戦いを繰り広げ始めた。

 

 

 

 土曜の午後、埠頭で迎えを待つ司令官と六人の選抜組と見送りの艦娘。紆余曲折の末、メンバーには扶桑、榛名、翔鶴、時雨、神通、夕立が選抜された。当初、練度優先で瑞鶴を連れて行くつもりだったが、瑞鶴は「ぎそうのちょうしがわるくなっちゃったー(棒読み)」と言いながら、姉の翔鶴を自分の代わりとして必死に訴えた。思う所はあるが、妹心を酌んで、翔鶴に同行してもらうことにした。

 

 やがて到着した迎えの大型飛行艇に、一行は皆に見送られながら乗り込んでゆく。それぞれ着席しシートベルトを締めると、ほどなくエンジン音が響き、するすると飛行艇は動きだし、本土への空の旅が始まった。安定した天候の下、飛行艇が巡航飛行に入ると、揺れが心地よく眠気を誘い、司令官はそのまま眠りに落ちた。

 

 司令官はふと右肩の重みで目が覚めた。一枚の毛布を分け合いながら、扶桑が自分にもたれて眠っている。おそらく自分に毛布を掛けにきて隣に座り、そのまま眠ってしまったのだろう。安心しきった寝顔を見ると、起こすのがためらわれ、そのままにしておいた。結構な時間眠っていたのかもしれない、目を覚ますとすぐ機長から着水体勢に入るアナウンスが流れ、扶桑も目をさました。寝顔を司令官に見られたことに気づき、真っ赤になり、司令官は悪趣味です、などとぶつぶつ言いながらシートベルトを締めはじめる。

 

 本土への短い空の旅が終わり、目的地に到着した一行。指定された大型ホテルは艦隊本部が貸し切り、今日の利用者は軍の関係者と艦娘しかいない。チェックインを済ませ、夕食までは自由時間として、それぞれが指定された部屋へと向かった。

 

 ドンドンドンッ

 

 ドアが激しくノックされ、司令官が慌ててドアスコープから外を見ると、六人が周囲を警戒するように立っている。ドアを開けると、全員がなだれ込むように入ってきて素早くドアを閉める。

 

 「司令官さんっ、このホテル、超気持ち悪いっぽいっ!!」

 夕立が涙目になりながら大きな声で訴える。他の五人も、嫌悪感や恐怖感、侮蔑感をむき出しにした表情をしている。

 

 ホテル内の見学に出かけた六人が目にしたものは、悲惨な光景…司令官や提督、あるいはその取り巻きたちが、艦娘と見れば場所も相手も構わず不埒な振る舞いをしている。六人は、しつこく追いかけてくる男たちから、ここまで逃げてきたのだという。

 

 ホテル内で目にした艦娘達は、諦め、悔しさ、悲しさ、怒り…様々な負の感情をまとった目で苦痛に耐えていた。自分たちも那覇泊地で特別警察隊の暴力に晒されていたが、司令官がその恐怖から泊地を救い、特警を追い払ってくれた。もし司令官が着任していなければ…目の当りにした光景は自分たちにもありえた将来だったかも知れない…。六人はそれぞれに不安そうな顔で、司令官を見つめる。

 

 「……泊地に今すぐ帰ろう。君たちにそんな思いをさせてまで、観艦式など参加する価値はないっ!!」

 

 司令官は心の底からの不快感を示し、皆にそう言い切る。自分の栄誉よりも、私たちの身を案じてくれる…司令官のその言葉に態度に、全員が目を潤ませる。同時に、自分たちの泊地がどれだけ幸せな場所なのか、そしてその外側でどれだけの艦娘が涙を流す世界が広がっているのかに気づき愕然とした。

 

 そしてそのどちらもが、人間たちにより作られたものだ。

 

 

 

 その夜は司令官のセミスイートの部屋に全員で泊まった。

 

 ホテルの中は依然として猥雑な喧騒と艦娘の涙で満たされているが、この部屋だけは違う。泊地と同じ、誰にも邪魔されない小さな楽園。他拠点との懇親も兼ねた大広間での夕食はキャンセルし、ルームサービスを頼む。パーティメニューを皆で囲んで大騒ぎ。明るいがうるさいタイプではない司令官も、罰ゲームありのカードゲームに参加して大いに盛り上がった。

 

 自分たちだけが良ければいい、という訳ではない。艦娘を慰み物にする状況を容認している海軍への怒りもある。だが、今の自分たちには誰かを助ける力はない。司令官と六人は、無力な自分たちへのやり切れなさを振り払うように、努めて明るく振舞った。そうしなければ、自分たちが保たなくなるから。

 

 さんざん騒いで疲れた後はキングサイズのベッドで全員雑魚寝。皆にベッドを明け渡しソファで寝ていた司令官は、知らないうちに榛名によりベッドまで運ばれていた。夜更けに目を覚ました司令官は、みんなの抱き枕になっている自分に気付いた。

 

 司令官は改めて泊地へ戻ることを強く主張したが、六人がそれを押しとどめた。海軍の公式行事をドタキャンしたら司令官にどれだけの不利益をもたらすのか、自分の身は自分で守れるから安心してほしい、そう司令官を説き伏せた。それでもここにはもういたくない、と夜明け前にホテルを出て、観艦式が行われる港へと向かう。階段状に作られた、水平線が見渡せる特設の観覧席があり、割り当てられたブースに陣取る。やがて太陽が昇り始め、全てのものが照らされ輝き始める。

 

 水平線に昇る朝日を見つめる司令官と六人の艦娘。

 

 榛名が朝日に向かい手を合わせ、目を閉じて祈る。それを見た他の五人もそれに倣う。朝の空気の中、昇る朝日に祈りをささげる六人の戦乙女-絵になる光景だな、と司令官は全員を誇らしげに眺め、自らも目を閉じ祈り始める。

 

 -誰一人欠けることなく、この戦争を乗り切れますように。

 

 司令官に思いを寄せる榛名、扶桑、翔鶴、時雨の四人。それぞれに司令官と心がつながっている自負と、何かが満たされない不安の両方がある。前日のホテルでの一件は、この上なく不快な出来事だった。だが、それによって分かったこともある。()()()()()()は、司令官としか想像できないし、したくない。というよりも、司令官となら、そういう関係になりたい、という自分の気持ち。

 

 司令官と過ごした約二年の時間は、想いをそこまで育てるのに十分な時間だったともいえる。ケッコンカッコカリというシステム…戦力強化の機能はともかく、指輪という装備品とその名称がどうしても艦娘達の少女性に敏感な影響を与えてしまう。それでも、司令官が誰かを選ぶなら、その相手は、願わくは自分であってほしい、それが四人の祈るような、本当の気持ち。



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18. それぞれの幕間

 司令官と選抜組の六名は観艦式へと旅立った。本来なら自分も選ばれていた。素直に嬉しかったが、誰が聞いても嘘丸分かりの口実で、司令官を強く慕う姉に機会を譲った。

 

 今、誰もいない司令官の執務室で、デスクの上にうつぶせているのが、私-瑞鶴。

 

 最初のころは、司令官さんはやけに翔鶴姉と仲がいいし、翔鶴姉を取られたような気分だった。でも今は、誰よりも司令官さんのことを知ってると思う。翔鶴姉が、司令官さんのことを、何でも話してくれるから。二人でするどんな話題も、最後は必ず司令官の話になるよね。司令官さんの好きな、色、食べ物、口ぐせ、仕草、機嫌、笑顔の微妙な違いなんて、翔鶴姉に言われるまで気付かなかったよ。

 

 そして、司令官さんの過去と現在。

 

 どうして司令官さんが私たち艦娘を大事にしてくれるのか、どうして翔鶴姉が司令官さんを好きになったのか、すごくよく分かった。私の知ってる司令官さんは、全部翔鶴姉の目を、耳を、心を通して知ったことばかり。あまりにもいろんなことを知ったから、まるで自分の心まで翔鶴姉の心と重なっているみたい。それに、司令官さんは見た目も…か、かっこいいし…。うん、やっぱり姉妹だから、好みって似るのかな?…ハッ、私ったら、何を言ってるの!?

 

 でもね。

 

 私は翔鶴姉に言ってないことがあるんだ。

 

 私が秘書艦になった日、司令官さんの私物の整理を手伝っていたら、昔の写真が出てきたの。日本じゃない景色。高い空と砂漠、赤茶けた岩山。司令官さんはその時の思い出を、懐かしそうな顔で教えてくれた。深海棲艦との戦争になる前は、自由にいろんな国に行けたんだって。

 

 -いつか戦争が終わったら、君たちも自由に色んな所へ行けるようになるさ

 

 そう言って司令官さんは、どこか行きたい所はある?、って聞いてきた。意外と私たち、昔はいろんな所行ったじゃない? ハワイ沖とか南太平洋とかマリアナ諸島とか…海の上ばっかりだし、いつも命がけだったけど。だから、えーと、えーと、行きたい所は―――。

 

 「い、一緒に行ってくれるかな? も、もちろん翔鶴姉と三人でね?」

 

 司令官は何も言わずに、眩しそうに目を細めて笑ってた。翔鶴姉が大好きだって言ってるあの笑顔。私も、いつの間にか大好きになってた。こんな些細な事、司令官さんは覚えていないと思う。でもこれは、翔鶴姉の、じゃなく、私の目で、耳で、心で感じた司令官さん。

 

 ごめんね、翔鶴姉、私にも一つくらい私だけが知っている司令官さんが欲しかったの。

 

 その代わり、言えないって辛い、って初めて知った。翔鶴姉、いつも隠さず全部教えてくれてありがとう。だからお礼に、司令官さんと観艦式に行ってきてよ。二人きりじゃないから、いまいちかも知れないけど。司令官さんも翔鶴姉のことを好きであってほしいし、そうだと思いたい…もしかして、そのうちお義兄さん、と呼ぶようになるのかな? でも…私は…ううん、きっとそれが一番いいんだよ。

 

 -あれ〜瑞鶴、こんなところで何してるの? 昼寝?

 呼びかける声に曖昧な返事をして、執務室を後にする。部屋を出る前に、目の端の涙はちゃんと拭った。

 

 「うん、大丈夫っ! 瑞鶴には幸運の女神が付いていてくれるんだからっ!」

 

 

 

 「はぁ…」

 つい深いため息をもらす。中庭のベンチに一人座り、物思いにふけるのは-祥鳳。

 

 はっきり言って、暇だ。

 

 司令官着任時には、この鎮守府特有の事情もあり、瑞鶴とニ人で第一線を支えた。けれど今は、翔鶴の成長も著しく、さらに何人かの軽空母が着任し、その育成が優先されている。あおりを受けて、とまでは言わないが、前線に立つことが減っているのは事実だ。

 

 ある日、気分転換に、自身の前身である潜水艦母艦・剣崎時代に好評だった料理を作ってみた。思いのほか評判も良く、自分としても楽しかったので、いつしか厨房にいることが多くなった。だがそれも、「叶うなら自分の店を持ちたい、夢ですけど…」という鳳翔の申出を司令官が許可したこともあり、自然と鳳翔がほぼ厨房専属、自分はその手伝いということになんとなく落ち着いた。

 

 「どうしたんですか? 」

 飛び上るほど驚いた。見れば鳳翔がいつの間にか横に座っている。盛大なため息を聞かれ気恥ずかしいものの、祥鳳は迷いつつ自分の思いを口にしてみる。

 

「〜〜〜…最近、出撃や遠征の機会が減っちゃったし、お料理も…その、鳳翔さんがいればいいのかな、って…」

 

 それをきっかけに思いの丈を鳳翔に打ち明ける祥鳳-自分はもう司令官のお役に立てないのかな?

 

 「私には任務のことはよく分かりませんが、司令官には深いお考えがあると思いますよ。お料理のことは…祥鳳さん、本当に気づいてないのかしら?」

 いたずらな表情を浮かべ、鳳翔が問いかえす。頭の中が疑問符でいっぱいの祥鳳。日持ちする根菜類を扱うことが多かった潜水艦母艦時代の名残で、自分が得意なのはじゃがいもを使った料理、でもそれが?

 

 「司令官は、肉じゃがをお出しすると、祥鳳さんが作った日は、必ず『今日は祥鳳だな』と、嬉しそうにされますよ? 私もこっそりお味を真似ようとしましたが、どうしても司令官には見破られます。…もしかして、本当に気づいてなかったのですか?」

 

 司令官は業務の都合もあり、自室まで出前を頼むことが多い。お互い手の空いている方が届けるのだが、司令官は自分にそんなことを言ったことはなかったと祥鳳は反駁する。

 

 「クスッ それは殿方ですもの、面と向かって褒めるのは照れくさいのでは?…司令官は、祥鳳さんが思う以上に、祥鳳さんのことを気にかけていらっしゃいますよ?」

 みるみる赤くなりながらうつむく祥鳳。知らない所でそんな会話がされていたなんて。

 

 「観艦式から司令官がお戻りになられたら、作って差し上げてはいかがですか? 食べ慣れた味は、きっとほっとされると思いますよ」

 

 

  

 ―――夜・青葉の部屋。

 

 青葉は、冷蔵庫からビールを取り出し、夕張の分のグラスも用意する。乾杯、と軽くグラスを合わせる二人。この二人、何かと馬が合うようで、よくつるんでいる。

 「泊地の雰囲気、最近変わりましたね〜」

 青葉がビールを舐めながら言う。彼女だけではない、それはこの泊地にいる多くの艦娘が思っていることだ。もちろんその中心にいるのは司令官である。広報担当とは名ばかりで、泊地内の情報収集を強いられていた青葉は、かつて艦隊新聞を作っていた。その頃『壁に耳あり障子に目あり・あなたの後ろに青葉あり』と言われ恐れられ取材の鬼から見ても、皆の変化は好ましいものに思える。いつかまた艦隊新聞を復活させたいなぁ…今ならみんな喜んでくれるかな…。

 

 「なんかこう、()()っぽい子が増えたよね」

 

 夕張がビールをぐいっと呷り、意味ありげない表情を浮かべる。アレっぽい…艦“娘”と言うくらいなので、精神生理は完全に若い女性のそれである。その女性がアレっぽいと言えば、色恋沙汰となる。夕張自分自身も司令官には好感を持っているが、それが愛や恋かというと、違う自覚がはっきりある。だがその一方で、司令官に思いを寄せる艦娘は増えている。工廠の妖精さんは、もはや恋愛相談のエキスパートというくらい相談を持ちかけられており、工廠にいることが多い夕張も、自然と情報通になる。

 

 「ねぇ青葉、お互い知ってる情報出し合ってさ、ちょっとまとめてみない?」

 「あ、いいですね〜。そういうの、青葉、じっとしてられないな」

 

 

 

 現時点で何らかの形で司令官と深くかかわり、明らかにLoveっぽい空気を出しているのは、扶桑、翔鶴、榛名、時雨。この四人は、自他ともに認めているので間違いない。

 

 次いで、金剛と鈴谷。金剛は、積極的な言葉と裏腹に今の所行動は控えめだ。先に妹の榛名がはっきり態度を示したのが影響しているかも知れない。鈴谷の場合、司令官を気に入ってるのは明らかだが、他の艦娘とは張り合おうとせず、今のところ一歩引いたポジションをキープしているようだ。

 

 祥鳳や神通も分かりやすいが、憧れの域を出ていないようにも見える。駆逐艦勢にも司令官に憧れている娘は多いが、こちらは年の離れたお兄さんへの憧れ的な感じで、夕立がそれに該当しそうだ。恋愛感情に近いのは、なぜか口を開けば悪態をつくツンデレ勢、司令官に会うたびに顔を赤くしている曙とか霞とか。

 

 他の艦娘たちも、司令官を上官として素直に敬い、好感を持っているので、任務によい影響を与える好循環にいる。この中には夕張も含まれる。中には、姉妹艦の姉を取られた、取られまい、と司令官に競争意識を抱いたり反抗的な態度を取っていた艦娘もいる。これには瑞鶴、山城、千代田が該当する。瑞鶴や山城はそれでもだいぶん冷静になってきている様子だ。

 

 「データはばっちりね! …といいたいところだけど、青葉、あなたはどうなのさ」

 夕張は目元がほんのり赤くなっている。酔い始めたようだ。

 「青葉ですか〜? …()()()ちゃいましたから、そりゃ信頼してますよ〜」

 キャスター付きの椅子の上で膝をかかえ、少しぼんやりした目で手にしたグラスを眺めている青葉もすでに頬が赤らみ、こちらも酔いが回っている。

 

 青葉と司令官は、オークションで売却された艦娘たちの行方を極秘裏に調べている。事が事なので、二人だけの秘密として、誰にも明かしていない。それだけの信頼を置かれていることが青葉にとって誇りであり喜びである。そりゃぁ翔鶴さんとか扶桑さんにはかなわないけど…って、あれ? もしかして私も…?

 

 「ふぅん…信頼ね…まぁ、そういうことにしておくよ」

 「はい、そういうことにしておいてください」

 夕張はもう一杯グラスを空ける。今日は泊まってくけどいいよね、と言い終わらないうちに、夕張は青葉のベッドに横になってしまった。

 

 招待された観艦式の会場で、艦娘達と司令官が外の世界の現実に直面していた事など想像できず、泊地の艦娘達もそれぞれの時間を過ごしていた。



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19. 憧憬

 舞台は再び観艦式会場へ―――。

 

 観覧席は、天幕に覆われた広めのブースで、中はラウンジのような造りだ。ミニバーまである。司令官は他の5人にはくつろいでいるよう伝え、榛名を伴い他鎮守府のブースにあいさつ回りに出かけた。司令官はいくつかのブースを回り他の拠点長と挨拶を交わしながら、多くの艦娘を目にし、違和感を覚えた。表情が乏しく、発言も型通りな、機械のような感じ。あるいは妙に生々しく扇情的な振る舞いで自分の司令官や提督に媚を売る、娼婦のような感じ。

 

 違和感を覚えたのは相手も同様だった。豊かな表情を浮かべ、機知に富んだ会話をし、仕草や振る舞いもきわめて自然で女性らしい榛名の姿を見て、一様に驚き、羨望や嫉妬を露わにする者も含め、決まって聞かれたのが

 ―――「大した調()()だ、コツを教えてくれ」

 

 榛名を連れてきたことを後悔し詫びる司令官に、榛名は柔らかく微笑みかける。

 「榛名は大丈夫です、司令官。榛名の司令官は、あなた以外にいません。それがよく分かりましたから」

 榛名は言いながら顔を真っ赤にしてしまう。本当はあと数ブース回る予定だったが、司令官は時間の無駄と判断し、榛名と自分たちのブースに戻った。

 

 そこでは騒ぎが起きていた。

 

 見知らぬ泥酔した男がブース内のソファーに陣取り、五人に対し、酌を求めて怒鳴り散らしている。一人夕立が皆を守るように立ちはだかり、他の四人はその後ろで固まっている。本来、艤装を展開せずとも艦娘の力なら酔漢の一人や二人や十人くらいは軽く亡き物にできるが、人間への加害を禁じられている以上、ただの少女と何も変わらない。

 

 昨日以来不愉快なことが連続していた司令官は我慢の限界だった。無言でブースに駆け入り、有無を言わさず酔っ払いを引きずり出し、文字通り背負投げで外に放り投げた。

 

 「大丈夫か、みんな」

 「だ、だいじょうぶっぽい…けど、ほんとは怖かったっぽい…ぽいじゃない、怖かったよ…」

 夕立がみるみる涙目になり抱きついてくる。他の四人も安堵のあまり涙ぐみ、集まってくる。そこに白い制服を埃まみれにし、酔っ払いがよろよろ立ち上がると、叫びだす。

 「き、きさみぁー、少将である私に何をするかぁ〜!! 所属、階級、名をなにょれっ! そこをうごくなっ!」

 呂律は回らず、痛む箇所を押さえつつ、ふらふらした足取りでブースに近づいてくる少将。

 「今申し上げても覚えてないでしょう、もし恥を知らないなら酔いが醒めてからもう一度おいでください」

 ブースの入り口を塞ぐように立ち、皮肉で応える司令官。階級差をタテに、司令官を直立不動で立たせ説教し謝罪を求める少将。何の騒ぎかと人が集まってきた。司令官には、目の前にいる男が、これまで見た軍の汚さの全てを体現しているように見えた。

 

 ブースの中から司令官の背中を見つめていた六人は、やがて、司令官が足を肩幅くらいに開き、背を少しずつそらし始めたのに気が付いた。そして―――。

 

 「もうしわけありませんでしたぁーーーっ」

 

 バネ仕掛けのように一気に勢いよく、頭を上体ごと深々とさげる司令官。その勢いで制帽が後ろに飛ぶ。同時に、ゴンッという低く鈍い音が響き、少将がその場に崩れ落ちる。司令官のヘッドバットをまともに受け気絶した少将が担架で運ばれていった。

 

 

  

 「ああいうのもいるのねぇ…ちょっと人間を見直しちゃった。姉さんもそう思わない?」

 「面白いものを見せてもらったが、このままで終わらんだろうな」

 「…ふっ、痛快だな、ああいうのは………ん? あの男は…そうか、アイツも喜ぶだろうな」

 騒動を遠巻きに見物していた三人の艦娘、陸奥と長門、武蔵。彼女達のそばにいた一人の巨漢が、人波を圧しながら司令官のブースに向かい、三人はやれやれ、という顔でその後に遅れてついてゆく。

 

 ブースでは司令官は痛むおでこを押さえながら全員に言う。

 「いろいろ思う所はあるだろうが、あれで許してもらえないか」

 許すも許さないもない、艦娘のため上官にヘッドバットする司令官なんて聞いたことがない。

 「……司令官はバカだね。あんな攻撃的な謝罪、初めて見たよ。でも、あれを嬉しいと思う僕もバカだね」

 時雨が泣き笑いするような顔で司令官に言う。

 「やっぱり、バカかな」

 笑いながら答える司令官に、他の全員もつられて笑い合う。

 

 「面白いことをするものよの、そこな若き司令官」

 ブースに現れた巨漢は胴間声で呼びかける。遅れてやってきた男は副官だろうか。

 

 その姿に、その場にいる全員に緊張が走る。

 

 大将-海軍の最高位にして、名目ではなく実力の面で全鎮守府中最強を謳われる佐世保鎮守府を率いる百戦錬磨の提督で、綽名は『西の元帥』。元帥とはそもそも「陸海軍大将ノ中ニ於テ老功卓抜ナル者」に与えられる称号で、日本を象徴する大君への軍務顧問を務める存在である。綽名と雖も口にするのは憚られる異称が公然と囁かれるのが、大将の権勢実力を示している。同時に、前任地-つまり那覇泊地から、多くの艦娘を私物のように引き連れ転任し、かつ艦娘をオークションで売却し私腹を肥やした張本人。

 

 司令官に、大将の副官を務める中将は前後の説明を求めてきた。話を全部聞いた中将は、またあいつか、と言わんばかりの複雑な表情を浮かべた。一方で大将は顎を撫しながら加虐的な色を視線に宿し中将に何事かを命じる。

 「ほお…貴様が那覇を治める大佐か。よくもカムラン沖の戦いを切り抜けたものよ、()()()()()()()()()()()()()()()()。それにしても興味深い…艦娘のために体を張ったと申すか。やつの…少将の酒癖の悪さは今さらだ、捨て置け。…とはいえ中将、成り上がりの大佐には()()が必要と思われるが、どうか?」

 

 「…歯を食いしばれよ」

 大将の言葉が終わらないうちに、司令官の顔が右に左に弾ける。中将からの鉄拳制裁が始まり、五回まで数えていた司令官だが、さすがに頭がぼんやりとしてきた。そこに次の鉄拳が飛んできて左目に火花が散る。

 

 「やめてくださいっ!! どうして司令官がそんな目に合うのですかっ!!」

 耐えられなくなった翔鶴が叫ぶ。扶桑は怒りを必死に抑え努めて無表情を装い、榛名は血がにじむほど唇を噛み耐えている。神通は中将に殴りかかろうと暴れる夕立を何とか抑え込み、時雨は涙をこらえながら、それでも司令官から目をそらさない。

 

 司令官を殴る手をいったん止め、中将が翔鶴を見下すように言う。

 「艦娘ごときが口を挟むなっ!! この愚か者の教育してやってるのだ!!」

 再度()()を再開しようと、拳を振り上げた中将の手首を、ふいに司令官が掴む。

 

 「……艦娘ごとき、だと? 命がけで戦っている彼女達に、ごときだとっ!?」」

 「は、はなせっ! 何をするかっ!!」

  

 ふいに目に入った光景に、司令官がぎょっとした顔で驚き、中将に言う。

 「…なぜ、艦娘が艤装を展開している? 殴るだけじゃ足りないのか?」

 

 大将の横にはべる艦娘、長門、陸奥、そして武蔵がそれぞれ艤装を展開している。

 「…正当防衛準備、かしら。自分の艦娘をよくご覧になったら?」

 陸奥が言う。言いながら思う。あら、あらあら? この司令官って…?

 

 振り向くと、扶桑が怒りに満ちた赤い目で艤装を展開している。夕立も同様で、酸素魚雷を振り回している。神通と時雨はいつでも飛び出せる体勢を取り、翔鶴は弓を構え速射の準備をしている。

 「是非も無し、です。司令官…扶桑は最後の瞬間までお伴いたします」

 「これ以上ない悪夢、見せてあげる!」

 司令官の制止も聞かず、怒りに駆られている扶桑と夕立。だが他の四人が冷静という訳ではなく、ただ二人に先を越されたに過ぎない。

 「…艦娘同士、それもかつて同じ泊地に属した者を殲滅したくはない。司令官よ、彼女達に手を引くよう言ってくれないか」

 長門が苦しげな表情で司令官に那覇の艦娘を諭すように促すが、そんな苦慮をよそに、武蔵はからかうような調子で声をかける。

 「大先輩よ、やりあってもいいが、また真っ二つになっても私は知らんぞ」

 往時のスリガオ海峡突入戦時の最期を引合いにだし、扶桑を嘲笑する。

 「突撃用意…懐に飛び込んでみれば、その余裕が本物かどうかすぐ分かります」

 武蔵に狙いを定めた神通が、冷静な口調で腰を落とし、いつでも飛び出せるよう徐々に重心を前掛かりにしている。

 

 一触即発の空気の中、突然、周囲を圧する大音量で大将が叫ぶ。

 

 「面白いっ! 蟷螂の斧を構える弱き艦娘たちよ、死ぬ覚悟と見たっ! 大佐よ、よくぞこやつらの精神を鍛え上げた、見事なりっ!! それに免じ少将との件は不問に付す。だが、秩序は秩序、貴様は一階級降格、観艦式への参加は認めぬ、泊地へ帰るがよい。貴様の手腕自体は認めておる…今日の不始末は他日とり返せよ」

 

 あっけに取られる周囲をよそに、大将は一人納得している。毒気を抜かれた那覇の六人は、とりあえず艤装を格納し、崩れるように座り込んだ司令官のもとに駆け寄る。それを見届けてから長門と陸奥も同じように司令官の元に歩み寄る。

 

 武蔵だけはそれに加わらず、元帥の腰に手を回す。元帥がケッコンカッコカリの相手に選んだ一人であり、佐世保内では他の艦娘はおろか人間の将官以上の地位を与えられている。

 「ふっ、大将がそういうなら仕方ない。見逃してやるさ。…おお、今までどこに行ってた? まぁいい、長門の所へ行ってみろ、面白いものが見られるぞ」

 

 「……司令官、大丈夫ですかっ!?」

 翔鶴がほとんど転ぶような勢いで司令官に駆けより抱きしめる。他の五人は、近づいてくる長門と陸奥から司令官を守るように立ちはだかる。

 

 「久しぶりだな…我々を覚えているか?」

 「あら、姉さんも覚えていたの?」

 

 二人は司令官に話しかける。ぼんやりとした視線を向ける司令官だが、二人が何を言ってるのか見当がつかない。無論六人も。

 

 もう一人、和傘を差しかけた、長い茶髪をポニーテールにまとめた艦娘が近づいてくる。空軍時代の最後の作戦で、撃墜され意識不明の重体だった司令官を助けたのは、長門と陸奥、そして―――。

 

 「…あなたは、いつもケガをしていますね」

 

 大和型戦艦一番艦、大和が懐かしそうに言葉を紡ぐ。



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20. 非理法権天恋

 大和は、まっすぐ司令官に向かっていき、彼の前で目線を合わせるようにしゃがむ。司令官の顔を懐かしそうに眺め、待っててくださいね、と、柔らかく微笑みながら立ち上がり、他の艦娘とは一線を画す威圧感を誇る艤装を展開する。

 

 「やっと…やっと貴方を守れるのですね」

 目の前で彼が撃墜されたのに何もできなかったあの日とは違う。

 

 大和の左脚のサイハイソックスに記された「非理法権天」の言葉。大将の鎮守府では強者が〝天〞であり、既存の権威や階級を超越する。中でも中核戦力を成す第一艦隊所属の艦娘には、人間の将官を上回る権限が与えられ、大将の片腕的存在の武蔵と、大将を父と呼ぶ〝箱入り娘〞の大和は、いわば治外法権の存在。中将は天の逆鱗に触れたことに気づき青ざめ、助けを求めるように大将を見る。

 

 大和は司令官に相対していたのとは対照的な冷ややかな表情で中将へ近づいたかと思うと、その顔を掴み、片手でそのまま高く持ち上げる。必死に中空で手足をばたつかせていた中将を、つまらない物を放り捨てるように大和が手を離す。どさりと地面に崩れるように横たわる中将は、顎関節を粉砕され変形した顔で悶絶している。

 

 一転、足元に転がる中将には目もくれず、艤装を仕舞うと、華やかな笑顔を浮かべ大和は司令官の元に戻ってきた。当の司令官はさっきから長門、陸奥、大和の言動がまるで理解できない。戻ってきた大和が、首元から古ぼけた認識票を取り出し差し出してきた。

 

 「それは…」

 空軍時代の自分の認識票だ。やっと理解した。なぜ大和たちが自分を知っている素振りをするのか。なぜ撃墜され意識不明の重体だった自分が助かったのか。

 「き、君たちが、あの時、俺を…」

 ぎこちない言葉を返す司令官。それに答える代わりに、大和は司令官を抱きしめる。

 

 「いつかまたお会いできると信じていました」

 

 話の成り行きにまったく付いていけず、呆然と大和の一連の行動を見ていた六人が、これは緊急事態、とようやく事態を飲み込んだ。

 

 「さぁ()()司令官、大将にも命令されちゃったし、那覇に…僕たちのおうちに帰ろうよ」

 時雨は臆さない。僕の、を強調し大和をけん制しようとするが、小首をかしげ、大和が初めてまともに六人に視線を向ける。

 

 「いいえ、この方は大和のものです」

 

 そして、最大火力で薙ぎ払う。

 

 「大和が初めて口づけを交わした方ですから」

 

 頬を桜色に染め恥ずかしそうにする大和と、記憶にない口づけで運命の人認定され蒼白の司令官。当時意識不明だった司令官は、大和の懸命の人工呼吸で息を吹き返したことを知る由もない。

 

 「はぁ…空が青いわ…」

 現実逃避をし空を見上げる扶桑。

 

 「司令官、君には失望したよ。僕の胸まで触っておいて…」

 憮然として頬を膨らませる時雨。

 

 「司令官にそんな人が…。私…もて遊ばれていたのかしら…」

 落ち込みしょんぼりと項垂れる翔鶴。

 

 「は、榛名ならいつでもお相手します! 何なら今からでもっ」

 焦るあまり暴走気味の榛名。

 

 「ぽい?」

 「何でしょう…聞いてるこちらの頬が熱くなってしまいます」

 首をかしげる夕立とドギマギしながら成り行きを眺める神通は、もはや観客と化していた。

 

 

 「戯れるのはそこまでだ、大和。観艦式の準備だ。位置に付け」

 

 騒がしい艦娘たちを一喝するように、大将が胴間声で大和を呼ぶが、手当てのため大和は司令官のそばを離れようとしない。重ねて、先ほどより厳しい声で大将は大和に命じる。司令官には観艦式の参加取りやめと泊地への帰投を命じてある。すっと立ち上がった大和は、大将の厳しい視線に一歩も引かず、凛とした声で断固として引き下がらない。

 

 「……お父様、大和の邪魔をするのですか? …分かりました、この方が出席しないのなら、大和も観艦式には出ませんっ! この方のお側にいますっ」

 武蔵は心底楽しそうに笑い、大将の肩をバンバン叩く。

 「ははははっ! 大将よ、ああなると大和はもうダメだ。頭が冷えるまで放っておくしかあるまいよ」

 

 

 

 行きは七名帰りは八名のフライトとなった飛行艇の中。三列シートを区切る可動式の肘掛けをすべて上げた簡易的なベッドに司令官は横たわる。痛み止めと麻酔でよく眠っている。七名の艦娘は、最初こそ話をしていたが、何となくそれぞれ離れた席に座っている。榛名、扶桑、時雨、特に翔鶴はそれぞれに複雑な表情を浮かべていた。

 

 那覇泊地に到着するや否や司令官は医務室に運びこまれ、面会謝絶となった。頭や顔を何度も強く殴られているため、万が一に備え、医療妖精さん達が集中看護で様子を見ることにしたのだ。

 

 -だれがあいてでもにゅうしつはみとめません

 -まんがいちがあってはいけません、ぜんりょくでかんごします

 -かんむすのみなさんにつきそわせるのは、ちがういみできけんです

 

 すでに観艦式での騒動は泊地にも知れ渡り、特に司令官と大和のキス問題で騒ぎが起きている。もともとこの泊地にいた大和の顔を知る者は多いが、交流は多くない。大将の秘蔵っ子として、他の艦娘とは明らかに違う優遇を受けていたためだ。

 

 「雰囲気が明るくなりましたね。何が変わったのでしょう?」

 久しぶりに訪れた泊地を珍しそうに見て回り、談話室も兼ねた食堂にやってきた大和のこの発言に、少なくない艦娘が固まる。木曽や天龍は大和に食って掛かろうとして、周りの艦娘達に抑えられていたほどだ。お前が父親と呼ぶ大将がこの鎮守府で何をしたのか知らないのか-純粋に強さだけを追求し、他とは隔絶されていた大和は、そんな空気にまったく気づかない。一方、この泊地に着任間もない艦娘たちには過去のしがらみはなく、ここに大和がいるだけでわくわくしている。

 

 「ねーねー大和ぉ、司令官がファーストキスの相手なんだって? なになに、どんなシチュで、どんな味だったわけ?」

 鈴谷がみなが気になってることをズバリ切り込むと、その場にいる全員の注目が集まる。突然の質問に頬を染めながら、大和はたどたどしく答える。

 

 「えぇっ……その……ファーストキスは……血の味がしました♡」

 

 全力で突っ込みたい気持ちを抑えながら、話の続きを待つ。まさかそれが重傷を負った司令官への人工呼吸とは誰もが思わなかった。

 

 -それ以上はやめて。

 

 翔鶴の顔色が変わる。帰りの飛行艇の中で、大和の口から語られた司令官との出会い。それは二人だけの時間に、自分が司令官の口から聞かされた、彼のパイロットとしての最後の瞬間でありながら、自分が知らなかった部分。

 

 -私の思い出を、あなたの思い出で上書きしないで

 

 「や、大和さん? ちょ、ちょっといいかしら?」

 

 続きを期待していた艦娘たちにブーブー言われながらも、翔鶴は話の腰を折り、強引に大和を食堂から連れ出していった。

 

 

 

 司令官は、医療妖精さんの完全看護のもと、強い眠気を伴う痛み止めで強制的に三日間寝かされていた。四日目の昨日、精密検査が行われ、その結果は妖精さん達から司令官に伝えられた。

 

 -むりをしなければいまはだいじょうぶです。

 ―けんこうしんだんにていきてきにきてください。

 -かんむすのみんなにもしらせたほうがよいのでは。

 

 心配そうに司令官の周りには、妖精さん達がふよふよと浮かんでいる。司令官は眩しそうに目を細めながら微笑みかけるが、最後の問いかけにだけは首を横に振ることで答えるだけだった。

 

 -あのほほえみはききますね。

 -もととうじょういん…えーすきゅうです。

 -でもほんとうにいいんでしょうか。

 

 

 とにかく司令官は様子見で一日休息し、今朝から無事執務に戻れる。夜明け前には医療妖精さんの手で「面会謝絶」のプレートが外されていた。早朝の医務室の前では、司令官が出てくるのを多くの艦娘が今か今と待ちわびている。静かな金属音とともにノブが回ると全員の視線がドアに集中する。白い制服に身を包んだ司令官が出てくると、歓声を上げる者、涙ぐむ者、それぞれに司令官の復帰に喜びを爆発させている。全員が司令官に近づこうとしたが、誰より先に胸に飛び込むように司令官に抱き着いたのは夕立だった。

 

 「おかえりっぽいっ!! もうどこも痛くないっぽい?」

 司令官の胸に顔をすりすりとして無邪気な笑顔を浮かべる夕立。一瞬先を超された、的な顔をした四人-榛名、扶桑、翔鶴、時雨を含め他の艦娘も、余計なことは考えず、提督をもみくちゃにするように集まり、笑顔と笑い声の輪ができる。

 

 

 観艦式からすでに四日が経ち、司令官の知らない所でいろいろな状況が変わり始めていた。

 

 観艦式で騒ぎを起した司令官とこの泊地は良くも悪くも一躍有名になった。そのため、公式非公式問わず司令官への連絡や面会希望も急増していた。

 

 ―――那覇泊地・埠頭。

 

 那覇港の埠頭に立つ司令官の脳裏に繰り返し浮かぶ『情報は役に立ったようだな』との大将の言葉。それはカムラン半島沖攻略時に艦隊本部から齎された情報が最初から正しくなかった、そう理解していいだろう。兵糧攻めが利かないとなると、深海棲艦を利用して那覇泊地の力を削ぐ…そこまでしなければならない理由は何だというのか―――?

 

 そこに気軽そうな挨拶とともに現れたのは輸送船団の団長。かつて司令官の作戦で救出した輸送船団。その団長と親会社のCEOは、水面下で大将と戦う司令官の支援を続けている。

 

 「軍関係者の間で、どんな話になってるか知ってるか? 『艦娘を率いて観艦式に乗り込み、大将の第一艦隊と対決、大和と駆け落ちした男』がいるんだと。いやぁ、ほんとに有名になったぜ、司令官」

 

 にやにやしながら司令官の肩を叩く団長。司令官は唖然として声も出ない。

 「…大将を揶揄するのに海軍内の反大将派が意図的に流している作り話だがな」

 団長は司令官をからかうように言い、話を続ける。海軍はいくつかの統括部門…艦隊本部、技術本部、兵站本部、特別警察本部、監査本部等で構成されるが一枚岩ではなく、部門内の派閥争いを含め不穏な動きがあること、中でも大将が大きな影響力を持つ艦隊本部と特別警察本部と、監査本部と兵站本部の対立は深刻な状態で、それが大将が狙う元帥の座に手を伸ばす上で大きな障害となっていること―――。

 

 「…司令官よ、お前さんはこれからどうする? 今までみたいに艦娘のことだけ考えていればいい、ってわけにはいかなくなるぞ。じゃぁ、俺は行くよ。…ところで、向こうを見てみろよ? そろそろ誰かに絞った方がいいんじゃねーの? それとも噂の大和に乗り換えか?」

 

 あいさつ代わりにひらひらと手を振り、カッターに乗り込み輸送船に向かう団長。埠頭から港を見ると、扶桑、榛名、翔鶴、時雨の四人がこちらを見守っている。

 



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21. 強くあるという事

 司令官が医務室にいる間、泊地に自室を持たない大和は、司令官の執務室と寝室を勝手に使っていた。大和が手持ち無沙汰で執務机に突っ伏していると誰かが入室してきた。顔を上げると視線の先には司令官がいる。すぐに席を立ち、そばに歩み寄る。

 

 「……………………ケガをしてないお顔を、初めて見ました」

 

 確かにそうかと司令官も苦笑する。出発から数えれば約一週間、司令官は書類が山積みになっているのを覚悟していたが、日付順目的別優先度別に整理されているのを見て驚いた。この手の作業は扶桑や榛名が得意だが、それに勝るとも劣らない。

 「こちらが電話連絡を取りたい申出のリストで、こちらが面会希望のリストで…」

 箱入り娘どころか、よどみなく情報を整理する大和の仕事ぶりを見て、司令官は秘書艦経験の有無を聞いてみた。

 

 「いいえ、そんなのはしたことがありません」

 あっさりと否定しながら、大和の言葉が続く。

 

 「ですが、どうすれば司令官が楽にお仕事ができるようになるかを考えると、自然に体が動きました」

 微笑みながら、少し誇らしげにする大和。司令官はいつものように眩しそうに目を細めながら微笑み、無意識に他の艦娘にするのと同じように、大和の頭をなでる。一瞬驚いたような顔をした大和だが、すぐに頬を染め、司令官との距離を詰めるように近づいてゆくが―――電話の着信音をきっかけに司令官は大和から離れ、対応する。

 

 「……いえ、いいんですけど…」

 

 大和が口をとがらせながら不満を口にしている傍らで短い会話を終えた司令官は、固い表情で大和に呼びかける。

 

 「一五〇〇(ひとごーまるまる)に来客だ。一緒に来てくれ」

 

 

 

 時間通りに指定された港の先にある入り江にやってきた司令官と大和。そこで待つ人影が二つ-大将の第一艦隊に所属する赤城と加賀を見て、大和の表情が一気に険しくなる。

 

 「…お父様から言われてきたのでしょうが、大和は佐世保には戻りませんっ!!」

 不機嫌な顔と声で言い切る大和を加賀は無表情なまま無視し、司令官に向けて用件を切り出す。

 「大佐…ではなく中佐でしたね、大将から命令です。『戦艦大和を佐世保鎮守府から解任、那覇泊地にて解体または近代化改修の素材化を命じる』だそうです。これが命令書よ」

 赤城が悔しそうに唇を噛み締め大和から視線を逸らす。淡々とした口調で非情な命令を告げた加賀だが、よく見れば握りしめた拳が震えている。

 

 「そう…ですか…お父様がそのように…」

 

 無表情のまま、大和はゆっくりと振り返り元来た道を引き返してゆく。観艦式の日から今日にいたるまで、佐世保の大将からの連絡は一切なかった。大和は自分のために書類を整理していたのも確かだが、父と呼ぶ大将からの連絡を待っていたのだと、司令官は理解した。

 

 帰らないと強がれるのは、いつでも帰れると思っていたから―――そう信じていた大和は、見事に裏切られた。

 

 「……すでに大将は新たな大和の建造に成功しています」

 悄然と去りゆく大和の背中を見送り、加賀が表情を曇らせながら言った言葉に赤城も表情を歪める。

 

 「話がそれだけなら電話や書類で済むんじゃないか? なぜ二人が那覇まで?」

 予想していた中で最も厳しい処分を伝える使者としてわざわざ姿を見せた加賀と赤城。一体何が目的なのか、と司令官も身構えてしまう。

 

 「…大和が抵抗した時に撃沈するように、那覇が大和を庇う様ならこれも同罪として処断するように…そう命じられました。沖合には飛龍と蒼龍、伊勢と日向が待機しています」

 

 表情一つ変えず、司令官の目を見ながら加賀ははっきりと言い切った。内心の衝撃と焦燥を隠しながら、司令官はごくりと唾を飲み込む。一航戦二航戦による空襲と戦艦二人の艦砲射撃を受ければ、那覇泊地では到底支えきれない。だが、なぜ加賀は手の内を明かすのか…司令官の疑念は深くなってゆく。

 

 「佐世保の軍門に下るなら、悪いようにはされないと思います」

 「貴方の艦娘育成の手腕には、大将も一目置いているようです」

 

 加賀と赤城が声を揃えて、大将の目的を明らかにする。要するに自分の派閥に入れ、ということか。司令官の声は怒気を孕み、視線を外さず見つめてくる加賀の目を真っ向から受け止める。

 

 「大和を犠牲にして保身を図れ、そういう話か? …俺が大将の派閥に入れば…大和は解体されないのか?」

 「それとこれとは話は別です。大将は逆らう相手を…ましてどれだけ強力でも所詮艦娘、絶対に許しません」

 目を伏せた赤城は諦めを滲ませた声で司令官の反問をすぐに打ち消す。ふうっと息を吐き首を左右に振った司令官だが、すっと背筋を伸ばすと、僅かに憐れむような色を帯びた視線で静かに宣する。

 

 

 「どう生きるかは、大和が自分で選ぶことだ。彼女は大将の人形じゃないんだ、分かるだろう」

 

 

 「貴方は大和を庇う…そう言うの? …そう言ってくれるの?」

 赤城が大きくため息を吐き、力が抜けたように両膝に手をつく。加賀も珍しくそれとはっきりと分かる、安堵の表情を浮かべている。

 「大和に関する命令は確かに受領したわ。でも、命令の遂行を見届けろ、とはどこにも書いてないし、言われてもいない。貴方は命令通りにする、そうよね?」

 

 眩しそうに目を細めた笑顔を二人に向けると、司令官は大和を追いかけて走り去っていった。

 

 「上々ね」

 「それなりに…信用しています」

 

 

 

 狭いようでも人ひとり探すとなると泊地は広く、大和を見つけることは容易ではなかった。司令官と艦娘が手分けして泊地内を探しているが、なかなか見つけられず時間だけが過ぎていった。

 

 「…いつまでそうしてるつもりなの?」

 工廠の隅で膝を抱えて座っている大和に、諭すよう話しかける夕張。捜索のどたばたで、夕張が工廠を出たり入ったりしていた隙に、当の張本人が工廠に隠れていた。

 

 「…司令官が必死に探してるんだよ」

 司令官、という言葉を聞き、大和の肩が大きくビクッと震える。

 

 「探してい()、だ。…こんなところにいたのか…」

 

 肩で息をしながら、司令官が工廠に現れた。工廠の妖精さんが知らせてくれ、文字通り駆けつけてきた。司令官の声を聞き、一瞬だけ顔を上げた大和だが、またすぐに亀のように縮こまり、顔を伏せる。司令官は息を整え、ゆっくりと大和に歩み寄り、隣に腰を下ろす。

 「夕張、申し訳ないが今日の工廠作業は全て白紙にしてくれないか。あと、誰も工廠には立ち入らせないでくれ」

 

 工廠の天窓から差し込む光が夕方を知らせる中、司令官と大和は何もしゃべらず、隣り合って座っている。少しずつ、ほんの少しずつ、大和が司令官の方へ近づいてゆく。司令官は気づかないふりで、そのままでいる。やがて肩が触れ合う距離になり、大和が口を開く。

 

 「…………司令官が、初めての人だったんです」

 

 大将は強さ以外の価値観を大和に教えず、大将の目を気にして、取り巻きの将官はもちろん、他の艦娘でさえ、腫物を触るように、自分に話しかけてこない。自分が『人形』のように思えていた日々。そんな時に見た、圧倒的な数の敵に囲まれながら、死に物狂いで戦う一機の戦闘機。中には当然それを操る搭乗員がいる。あがく命、というものを初めて感じ、初めて何かを自分の力で守りたいと思った…大和がそう打ち明ける。

 

 またキスの話か、と思っていた司令官はすぐに自分の勘違いを強く恥じた。力及ばず撃墜され脱出した搭乗員を見つけた時には、その命は消えかけようとしていた。死なせてはいけない、この人を死なせると、自分の中に微かに芽生えた何かまで消えてしまいそうで、必死だった…大和は途切れ途切れの小さな声で続ける。

 

 -バシャンッ

 

 大きな機械音がしたと思うと、工廠の主電灯が自動で消え、代わりに仄暗い保安灯が灯る。大和がここまで話し終えたときには、工廠の天窓から差し込むのは月明かりに変わっていた。

 

 「だから、大和は最強の艦娘でなければならないのです。そうでなければ…司令官をお守りできません。でも…大和はもう…」

 天窓からの月明かりが落とす影が位置を変える。もう何時間こうしているだろう。たまに大和が思い出したように、自分の思いを語る以外、設備維持の機械音だけがする工廠内部。緊張が多少は和らいだのか、司令官の肩に頭を載せもたれかかる大和。司令官は何も言わず、大和のしたいようにさせている。

 

 強さの意味を、いわば自分自身のあり方を大将に委ねながらも、司令官を守りたい、という純粋な思いに駆られて動いた大和。感情のある兵器と意志のある兵器は似ていて異なる。大将が大和を切り捨てたのは、ある意味で当然かもしれない。大和もまた、これまで司令官が出会った艦娘とは違う形での兵器扱いをされていたといえる。

 

 「…どうして、何も言ってくれないのですか?」

 「これまでどう思っていたのかを君は教えてくれた。でも、これからどうしたいのかはまだ聞いていないから」

 肩に頭を預けたまま、上目使いで司令官を見上げる大和に、沈黙を守っていた司令官が答える。薄暗い工廠の中、大和には司令官の表情が読み取れない。

 

 「…大和が、どう、したいか…ですか?」

 「何のために、強くありたいんだ? 大将がどうとか俺がどうとかじゃなく、その強さで、君は何をしたいんだ?」

 「それは…」

 

 大和は答えに詰まる。考えたこともなかった。司令官は何がしたくて、何のために戦うのですか、そう聞き返すのが精いっぱいだった。

 

 「この鎮守府にきて二年以上経ち、艦娘のみんなと過ごす日々が、とても大切で、誰ひとりこんな戦争で失いたくない、そう思うようになった。そのためにできることをする、それが今俺のしたいことかな。深海棲艦との戦争が終われば、きっとなにもかも変わるだろう。その時、本当の意味で何をしたいのか、考えるんだろうな。ごめんな、聞いたくせに自分はこんな答えしか持ってなくて」

 

 大和はその言葉に答えず、再び長い沈黙が二人を支配する。

 

 「大和は、司令官の質問に今すぐは答えられません。でも、その答えを一緒に探してもらいたいです………………だめでしょうか?」

 司令官は答える代わりに、大和の肩を強く抱く。いつしか、大和は規則正しい小さな寝息を立てはじめ、司令官もつられるように、そのまま眠りに落ちた。

 

 

 

 司令官が目を覚ますと、大和が隣にいない。慌てて周囲を見渡すと、少し離れた場所に、工廠の天窓が差し込む朝日を見上げるように、きれいな姿勢で立っていた。大和はすぐに司令官の視線に気づき、今までとは違う、花が咲いたような笑顔を向ける。

 

 「空が、白み始めちゃいました。…素敵な夜を、ありがとうございます」

 その物言いに司令官は肩を竦めると苦笑いを浮かべたが、朝食を食べに行こう、と大和を誘い工廠を後にする。大和もそれに続き、司令官の制服の上着の裾を小さく掴みながら、背中に声をかける。

 

 「司令官、大和の練度が上限になるまで待っていて下さいね」



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Phase 06
22. 彼と彼女達の壁


 二年間というのは普通に暮らしていても長い時間である。閉ざされた泊地という世界で、生と死と実用主義が支配する時間は、普通の時間に比べれば比較にならないくらい濃密で精神的な繋がりも深く強くなる。鋼鉄の暴力と狂気に身を委ね戦場で戦い続ける生体兵器の艦娘も、女性としての精神性と肉体を持つ存在である。そんな環境下で自分たちと真っすぐに向き合い、自分たちのために理不尽と戦う男性-司令官がいれば…概ねオチる、むしろ日常での出会いよりも強烈に。那覇泊地も例外ではなく、今日も艦娘たちが司令官を話題に食堂でガールズトークに花を咲かせている。

 

 今日の話題は休暇についてから始まった―――。

 

 司令官には、任務に影響がない範囲なら好きな時に取得できる年間最大7日間の休暇があるが、どうやらそれを取得するらしいとのうわさが広がっている。艦娘たちは、外出や旅行にはぜひ自分をお供に、と有形無形のアピールを繰り返すが、曖昧な笑みで艦娘たちの誘いを躱し続ける司令官に対し、疑惑が持ち上がる。

 

 ケッコンカッコリというシステムー初期装備として各拠点に一組配備される“指輪”を装備した艦娘の練度上限を押し上げ、さらなる強さを齎すものだ。官給品であると同時に、拠点長が自腹を切れば購入もできるこのアイテム、複数の指輪を揃え複数の艦娘とケッコンする、財布と体力に自信のある益荒男と呼ばれる拠点長もいるが、自分達の司令官はどうなのだろう?

 

 もちろん那覇泊地にも支給され、司令官も一組持っているはずである。今のところ那覇に指輪を装備できる条件を満たす艦娘はいないが、数名はそう遠くない将来に到達可能である。けれども、指輪の有無に関わらず、お互いの気持ちがそうなら、そういう関係になるのが自然だと考え、思いを育て続ける艦娘も少なくない。にも拘らず、二年以上これだけ多くの艦娘たちと寝食を共にしながら、誰とも深い関係にならないのは、男性としての機能に問題があるのでは? との意見が同意を集め始めた。だがこれは観艦式に出席した六名により否定された。

 

 -す、すごかったです…。

 

 一際大きな嬌声が食堂に響く。観艦式で司令官と同室に泊まった六人は、その際に、旧軍用語でいう司令官の『モーニングスタン』を目撃している。目撃談であり信憑性は確かだ、ということで、司令官不能説は払しょくされた。不能でないなら?

 

 -司令官には、ひょっとして人間の恋人が内地にいるのでは?

 

 自分たちのことを大切にしてくれるが一定以上踏み込んでこない司令官の態度を裏付けるような、残酷だが妙に説得のある仮定。あれだけ盛り上がっていた熱気は霧散し、一人また一人と食堂から立ち去っていった。そう考えると納得のいくことはかなりある…司令官を強く慕う扶桑、榛名、翔鶴、時雨だけは、暗い目をしたまま何も言わず食堂に残り続けていた。話の輪に加わらず、離れた場所にある自販機でコーヒーを買っていた大和も、軽く目を伏せ考え込むような表情になっている。

 

 

 

 そんな食堂での話から数日後、六名の艦娘ー扶桑、榛名、翔鶴、時雨、瑞鶴、大和が司令官の執務室に呼び出された

 

 「呼び出して済まない。急な話だが、対外演習の申し入れがあった。相手は近衛部隊の横須賀鎮守府、どうしても我々と演習を行いたいとのことだ」

 

 六人がそれぞれ顔を見合わせ、表情を引き締める。国内に四か所ある鎮守府と呼ばれる艦娘の運用基地は、いずれも最高水準の練度と装備を備える強大な拠点である。西日本最大拠点の呉、史上最強を謳われる佐世保、戦術研究拠点の色が強い舞鶴、そして日本最大にして王城守護を担う近衛部隊の横須賀。分かりやすく、戦略の呉、戦術の舞鶴、攻めの佐世保、守りの横須賀とも言われる。

 

 その横須賀が、直々に那覇泊地に演習を申し入れてきた。申し入れておきながら横須賀に出向いてほしいというあたり、基地としての格の違いを見せつけているようでもあるが、往訪に要する資源や滞在費まで横須賀持ち、とまで言わると、演習以上に別な目的があるのか、と司令官は訝しむものの断る理由が無い。すでに自分を支援してくれている海運会社のルートや青葉のルートで情報収集は進めているが、少なくとも表に出ている情報に怪しいものがないのがまた怪しい。

 

 ただ、気になる情報はある。

 

 海軍内の派閥で言えば、佐世保と横須賀は対立している。艦隊本部と特警本部を取り込んだ佐世保に対し、軍内では監査本部、軍外では中央官庁とパイプの太い横須賀、の関係性。

 

 那覇泊地は微妙な立場にある。例の観艦式の一件以来反佐世保派・反大将派と見做されている一方で、敵対関係とも言える佐世保の大将は那覇を自身の影響下に取り込もうとしている。ここで反佐世保派の最大領袖の横須賀に出向くことがどのような結果に繋がるのか―――。

 

 こういった水面下での政治的な暗闘は艦娘に関係なく、巻き込みたくないと考える司令官は、それらを表に出さず演習とその後の予定について話を続ける。

 

 「君たち六人は那覇泊地の最高戦力だと俺は確信している。その君たちでも、正直に言って必ず勝てるとは言い切れない、それほど横須賀の練度は高いと聞いている。こちらは胸を借りる立場になるだろうが、全力を尽くし相手にひと泡もふた泡も吹かせてやってくれ」

 

 扶桑や榛名は厳しい表情で考え込み、勝気な瑞鶴はすでに翔鶴相手にどう戦うかをまくし立て始め、時雨は興味無さそうに頭の後ろで両手を組んでいる。そんな中、大和が小さく手を上げ前に進み出る。目線で発言を許可する司令官に対し、にやり、と不敵な笑みを浮かべ大和が言い切った。

 

 「でも司令官、別に倒してしまっても構いませんよね?」

 

 元佐世保の秘蔵っ子にして、那覇泊地でも有数の練度の高さを誇る超弩級戦艦は、傲然と胸を張ると、華やかで、それでいて凄みのある笑顔を浮かべる。その自信に司令官が圧倒されていると、大和は先ほどとは違う種類の、夢見る様なうっとりとした笑顔で呟く。

 

 「横須賀には練度上限を突破した艦娘が何人もいると聞きます。その子達をまとめて倒せば、大和も練度上限に近づきますねっ! そうすれば…指輪、頂けますよね?」

 ケッコンカッコカリの指輪を催促するように、すっと左手を立てて腕を伸ばす大和に、瑞鶴を除く四人がびきっと音が出そうな勢いで固まる。ちなみに現在の那覇泊地の艦娘を練度順に並べると、筆頭が大和、次席が瑞鶴、僅差で時雨、やや離れて翔鶴、扶桑、榛名、の順となる。

 

 一瞬の沈黙の後、一斉に騒ぎ始める四名と涼しい顔の大和。司令官がやれやれ、という表情で、あまり意味のない仲裁を入れて話を続ける。

 

 「ま、まぁ何だ、チームワーク良く戦えば横須賀にだって負けはしない、俺はそう信じているからな。ああそれと、横須賀との演習の後、休暇に入るから。俺たちの出発から俺の帰着までの間、由良を司令代行とする」

 

 ぴたっと喧騒が止むと、全員の視線が司令官に集中する。もはや演習の話などふっとんだ。数日前の食堂での会話が甦る。泊地内はすでに『司令官には人間の恋人がいる』説が事実であるかのように語られている。大和を除く四人は、いや、この四人だからこそ、それを信じてしまっている。一方大和だけは、本音はどうか分からないが、鷹揚に構え気にしてる素振りを見せていない。

 

 ごくりと唾を飲み込んで、意を決したように榛名が口を開く。他の面々も「おおっ、先陣を切った!」と熱い視線を送るが、榛名の口から出た言葉に皆がくりとうなだれる。そうじゃなくて…。

 

 「きゅ、休暇を取られるのですね、ゆっくりお休みになってくださいっ」

 「ああ、ありがとう。休暇は四日間、週末を絡めて日曜の夜に戻ってくる予定だ。それでは解散」

 

 誰一人動こうとしない。こういう時頼りになるのはやはり時雨かもれない。何気なく、明日の天気の話でもするような気軽さで司令官に核心を質問する。

 「ふーん、結構長めの休暇なんだね。どこに行くの? 一人だとつまらなく無いかな、ぼ―――」

 「プライベートの用事を済ませるだけだよ」

 

 時雨の言葉を遮る司令官の言葉。淡々とした口調だが、それ以上の質問を拒む色がはっきりと乗った、初めて聞く声。

 

 

 重い音を立て閉まるドア。執務室からは出たものの、全員ぼんやりと廊下で立ち尽くす。最初に反応したのは榛名だった。しゃがみこんでぐすぐすと泣き出してしまい、瑞鶴が慌てて慰めるように寄り添う。扶桑と時雨はハイライトオフの目でぼんやりと天井を見上げている。ふと、翔鶴と大和の視線が絡み合う。

 

 「…………」

 「…………」

 

 お互い何も言わず、その心中に何があるかは別として、無言のまま二人は自室に戻ってゆく。

 

 

 

 一人執務室に残された司令官だが、少し気まずそうな顔をしている。

 「……ちょっとキツく言い過ぎたかな。けど、な…」

 

 執務机に両肘をつき手を組み、口元を手で隠すように覆う脳裏に浮かぶのは―――。

 

 司令官がかつて空軍に所属していた事は以前も触れた。その彼が参加した幾多の作戦の内で決定的な負け戦が二つ。一つは彼の最後の作戦となったカムラン半島沖強襲作戦。もう一つは、今では第二次東京大空襲と呼ばれる深海棲艦の艦載機による夜間大規模攻撃への迎撃戦。この空襲で東京の東半分は壊滅した。奇しくも往時と同様に焼き払われた下町エリアには司令官の生家も含まれ、彼は父親、妹、そして婚約者…その全てを一夜にして失った。

 

 司令官の言うプライベートの用事、それは失った家族の墓参であり、彼が自分の過去と向き合うための時間。

 

 「…心配、してくれてるのかい? …ありがとうな」

 

 気付けば頭の上に妖精さんたちが載っていた。司令官が頭を動かしたの同時にふよふよと飛び始め、ぽんぽんと慰めるように頭を撫でている。



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23. 彼と彼らの隔たり

 横須賀鎮守府-古くは帝国海軍最大の拠点にして、今は設備の全てを艦娘の運用に特化させ一新された基地。進歩的な技術とは対照的に、外観は赤褐色の煉瓦で飾られ往時の雰囲気を色濃く漂わせるものである。

 

 帝国海軍の正統後継者を無言で演出した佇まいは、演習でこの拠点を訪れる外来者に対して巨大なプレッシャーとなり圧し掛かる。それは那覇からUS-2で約三時間半、猿島沖に着水し迎えのボートに乗り換えた司令官率いる那覇艦隊にとっても同じだった。中央に通路を通した左右二席一〇列のボートに、七人は何となくばらばらと着席している。

 

 「那覇よりはるかに大きな施設群ですね…」

 「ふ、ふんっ! こ、こんなの見掛け倒しってことも、あ、あるし…」

 緊張のせいで喉が渇いたのか、少し掠れたような声で呟く翔鶴に強気の発言で答える瑞鶴だが、噛みながらでは説得力にいまいち掛ける。扶桑と榛名はむぅっと難しい表情のまま腕を組み無言を貫き、時雨も同じように無言だがいつの間にか艤装を展開、格納筐から顔を出している魚雷を飽きることなく撫で続けている。

 

 そんな五人の様子を見渡せる最後尾の列に座っている司令官だが、ふと大和に視線を送る。何故か当たり前のように隣に座り、まったく気負った様子も緊張している様子もない。視線に気づき微笑み返す大和に、司令官はふと思いついたことを尋ねてみた。この余裕ぶりには何か理由があるのではないだろうか、と。

 「大和、君は……以前も横須賀と演習をしたことがあるのかい?」

 「はい、結構前になりますけど。あの時は勝負に勝って試合に負けた、そんな感じだったと思います」

 

 武蔵を旗艦に据え、大和が副旗艦として参加した六対六の演習で、大和本人は弾着観測射撃で戦艦一、重巡一を一斉射で倒したが、演習そのものは僅差で負けたのだという。

 「横須賀の子たち、いえ横須賀の提督の作戦は詰将棋、序盤リードしてても気付けば追い込まれる。相手の狙いさえ分かれば…私なら」

 

 そこで言葉を切った大和は、ラムネを一口飲む。喉が上下にこくりと動いた後、視線が前方に向かう。その先にいるのは扶桑と榛名。司令官が怪訝な視線を返すと、声を潜めながら大和が説明を始める。

 「航空戦艦としての柔軟な装備編成は扶桑さんの、高速を活かした機動力は榛名さんの、それぞれ強みですが二人とも装甲が薄く被弾に弱いので…。もし二人のうちどちらかが集中的に狙われ、私たちがカバーに入ると全体の連携が崩れます」

 

 大和の意見に頷きながら、司令官はふと第三者的な質問をしてみたくなった。

 「なるほどな…なら、大和は横須賀が勝つ、と見てるのか?」

 奇麗な形の指を顎に当て、大和は考え込むような表情に変わったが、ややあって真剣に回答する。

 「楽には勝てないでしょう、ですが楽には勝たせません。司令官、この演習に勝ったら…ご褒美、もらえますか?」

 

 司令官の左肩に両手を掛け、ぐいぐいと体を密着させるように迫ってくる大和だが、ふと司令官が顔を顰めたことで動きを止め、小首を傾げる。

 「どうされました?」

 「いや、その…何か硬いのが当たって痛かったというか…」

 慌てて体を離すと、かあぁぁっと真っ赤な顔になって大和は両手で胸を隠す。実際にかなりの大きさのある大和の胸部装甲、日常生活では勿論普通のブラを着けるが、演習や実戦では九一型徹甲パッド入りのブラを選ぶ。いくら入渠で消えるのが分かっていても、胸に被弾等で傷や跡をつけたくない女心である。

 「も、もうっ! 知りませんっ。司令官の………バカ」

 

 

 

 今回の那覇艦隊は、昼戦は何とか持ちこたえたが夜戦で叩かれ横須賀に敗北を喫した。

 

 横須賀:旗艦 蒼龍、副旗艦 皐月、古鷹、加古、初霜、雪風

 那覇:旗艦榛名、副旗艦 翔鶴、大和、瑞鶴、扶桑、時雨

 

 翔鶴と瑞鶴、そして扶桑が送り込んだ開幕の航空攻撃は、偵察機を除き直掩に全振りした蒼龍の航空隊、皐月と初霜の猛烈な対空砲火の前に壊滅的な被害を受け、翔鶴と瑞鶴は置物にされてしまった。

 

 横須賀の狙いは大和、そして扶桑だった。重装甲を楯に大和が壁役として立ちはだかる事は横須賀には予想の範囲内で、むしろそこに付け込まれた。徐々に、だが確実に削られ続けた大和は、砲戦終了時に僅かの差で大破判定。大和を夜戦から排除できたので、横須賀にはこれで十分だった。

 

 一方の扶桑は砲戦終了後の雷撃戦で仕留められた。高重心のため急角度での回避運動に入ると速度が急激に落ちる悪癖を狙われ、巧みに計算された射線に逃げ場を無くし集中雷撃で大破判定。夜戦参加可能数で見れば横須賀五、那覇四、さらに実戦力で見れば横須賀五に那覇二。この時点で勝負の行く末は見えた。

 

 横須賀/中破:蒼龍、皐月 小破:初霜、加古 無傷/カスダメ: 古鷹、雪風

 那覇/大破: 大和、扶桑 中破: 翔鶴 小破: 榛名、時雨、無傷/カスダメ: 瑞鶴

 

 上記の状態で始まった夜戦、時雨のカットイン攻撃で皐月を大破判定に追い込み一矢を報いたが、次々と繰り出される横須賀勢のカットイン攻撃の前に、瑞鶴を除く全員が大破判定を受け演習は終了、横須賀艦隊の勝利に終わった。

 

 

 

 舞台は慰労会へと移り、艦娘同士が演習を振り返りながら話に花を咲かせ、豪華な食事を堪能していた頃、横須賀と那覇、二人の指揮官は別室に籠り話を続けていた。

 

 

 「ケッコン艦が一人もいない艦隊にしては、よくやったと言うべきだろう」

 「はっ…ありがたきお言葉、きっと艦娘の皆も喜ぶと思います」

 

 横須賀の提督執務室は那覇のそれと比べると遥かに豪奢な作りで、調度品も見るからに高価な物が揃えられている。それでいて下品な感じにならないのは、選んだ者のセンスなのだろう。マボガニーの重厚な造りのデスクに寄り掛かりウィスキーグラスを軽く揺するのが、ここ横須賀鎮守府を指揮する提督である。対する司令官は両手を後ろに組み、わずかに脚を開き立っている。大将である横須賀提督の前に立つには非礼だが、当の横須賀提督が楽にしなさい、と言いつけた以上、()()()()意を汲みつつ礼を示す必要がある。

 

 「中佐、上辺の話は時間の無駄だ、本題に入らせてもらうよ。私も今日の演習を通して、君の艦娘育成手腕には驚かされた。それ故か、佐世保の大将には随分と見込まれているようだな」

 「いえ、そんな…」

 「私はね、あの佐世保の大将を排斥せねばならないと思っている。あの男は危険すぎる…戦うためだけに戦いを続け、優れた頭脳や政治力をその一点に注ぎ込む。あれは軍人でも政治家でもない、狂戦士(バーサーカー)だ。いや、本当に狂っているならまだマシだが…」

 

 注意深く司令官の反応を見ていた横須賀の提督が肩を竦めて話を続ける。

 

 「出世の都合上佐世保に異動したが、あの男は那覇に執着している。即席士官の君を自分の後任に据えたのも、特警経由で意のままに操ろうとしたからだ。上手くいかないと見るや作戦失敗の責を負わせ更迭しようと謀る。その間に君は艦娘の育成に優れた手腕を示し、海域解放も順調に進めた。となると今度は異例の抜擢で懐柔を図った…これは()()()()()()()()の一件で御破算になったようだが」

 

 思わず司令官は目を見張る。軍内で広まったという、佐世保の大将を貶めるための流言-出所はここだったのか…と、目の前の横須賀の大将を食い入るように見つめる。

 

 「中佐、一体那覇に何があるというのだ? 私も調べてみたが一向に判明しない。…私に協力しないか? 今後佐世保の大将から接触があった場合、あるいは君が那覇について知り得た情報を私に共有してほしい。共に軍のため力を尽くそうではないか」

 

 司令官は目の前の大将を観察する。明らかに自分を利用しようとし、それを隠そうともしない。軍のためと口にしているが、彼にとって目的ではなく結果としてそうなっていればいい、という程度なのだろう。司令官が返事をせずにいると、世間話でもするような気軽な口調で、司令官を追い詰め始めた。

 「私も那覇の建造システムには興味があるのだよ。なにせ建造したての時雨や大和がいきなり高練度だったりするようだからな。いや、横須賀も(あやか)りたいものだ」

 

 司令官の表情が強張る。艦隊本部を脱走した時雨、佐世保を追われた大和、この二人を匿いそれぞれ轟沈や解体を装って書類上処理、その上で建造の結果として二人を那覇の所属とした…目の前の大将はその経緯を掴んでいる、と遠回しに言っている。

 

 「監査本部を甘く見てもらっては困るよ、各拠点の不正を洗い出し綱紀粛清するのが役目だからね。だが君は見逃されてきた。何故か分かるか?」

 

 司令官を待たず、横須賀の大将は答合わせを始める。だがその答は司令官を納得させるものではなかった。

 

 「佐世保の大将が大和の件での命令違反を不問に附した理由は二つ。まずあの男は既に次の大和を建造済だ、もう一つは…中佐、君への貸しだろう。比べれば時雨の件は些末な問題だ…駆逐艦娘の一人や二人の得失は大勢に影響ない。いずれにせよ監査本部としては、命令違反として君を更迭する理由になる。…が、そうしなかった。反佐世保派としては、彼の意向に沿う必要がない。そして、那覇の謎を解くまで君には利用価値がある。たかが艦娘二人、費用対効果は十分だろう」

 

 たかが艦娘…この言葉を司令官が軍高官から面と向かって聞くのは二度目だ。一度目は観艦式の時、佐世保の大将との確執が対外的に広まったきっかけでもある。だが今回、搦手から身動きを取れなくする横須賀の大将に対し、司令官に選択肢はなかった。ならせめて―――。

 

 

 「…『たかが艦娘』、この言葉だけは訂正していただきたい。命を賭け戦い続ける彼女たちに、あまりにも失礼です」

 

 虚を突かれた表情になった横須賀の大将だが、すぐに冷笑を浮かべ司令官に近づくと肩をぽんぽんと叩く。

 

 「条件交渉でもするかと思ったが、欲の無い事だな。人は金で買える、犬は餌で飼える、艦娘は…上官()次第で変えられる。だが欲のない人間は変えられない。私はそういう種類の人間を身近に置きたくない性質でね。だが中佐、君とは適度な距離感で付き合っていこう。君が私に情報を齎すなら命令違反は私の胸に留め、さらに情報の質によっては例のオークションに出され行方不明になった艦娘の情報を教えてもいい。どうだ?」

 

 戦闘とは異なる、真綿で首を絞められるような敗北。バリバリと音がしそうなほど歯噛みし、司令官は悔しさを押し殺しながら無表情を装い、敬礼で応えるのが精一杯だった。



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24. 彼と彼女達の旅-1

 「………で、だ。これでバレないと思っていたやつ、手を上げるように」

 演習翌日、昨夜の横須賀の提督との会談は司令官の気持ちに影をさしているが、それでも休暇である。事前に申請し貸与を受けた大型SUVの運転席に座る司令官は、バックミラーに視線を送る。空席の後部座席のヘッドレスト越しにちらちら見える三列目のシートの人影、さらにその奥のカーゴルームで一生懸命隠れようとしている銀髪や茶髪などの頭。そもそも司令官は車に乗り込む時点で首を傾げた。誰も乗っていないはずの車が、まるで後部に重量物を載せたように後輪が沈み込んでいた。で、いざ運転席に乗り込むと、艦娘達が車内に隠れていた。

 

 「………ごめんなさい」

 三列目のシートとカーゴルームにひょこひょこ六つの頭が現れ、申し訳なさそうな顔を見せる。

 「結局全員乗ってる訳か。まぁ確かにこの車は七人乗りだけど…」

 「ならちょうどいいですねっ!」

 「だが俺は乗っていいとは言ってないぞ」

 榛名や瑞鶴は慌てて身を縮こまらせるが、感情表現が素直な時雨は、不満をはっきりと表に出して司令官に喰ってかかる。

 「司令官、ここまで来て僕たちに降りろっていうのかい? だとしたら、君には本当に失望するよ。司令官の恋人に…ちゃんと宣戦布告(ご挨拶)しないと、ね」

 サングラスを掛け目元ははっきりしないが、それでも口元に困惑をありありと浮かべながら、運転席から身を乗り出して後部座席を向いた司令官は、念を押すように六人に話しかける。

 

 「まったく…俺に内地に残してきた彼女がいるって話か…それはデマだ。今回休暇を取るのは、墓参りとお見舞いのためだ。言っただろう、プライベートな用事だって」

 

 墓参りとお見舞い。

 

 その言葉に六人が固まる。自分あるいは自分たちと司令官、という関係性でしか物事を捉えてなかった彼女たちは、司令官に司令官以外の世界があった事を意外なほど意識していなかった。そして今回、自分たちがうかうかと踏み込んでいい世界なのかどうか、と扶桑や瑞鶴は動揺し躊躇いを露に示していた。

 

 「…そうだったんですね、無遠慮に踏み込んでいけない領域だったかも知れません、ごめんな―――」

 

 ごん、と大きな音を立て、大和がカーゴルームにしゃがみこんで頭を押さえている。立ち上がり謝罪を口にしようとしたものの、自分の身長と車内高を考えなかったため、車のルーフに思いきり頭をぶつけてしまった。その間に時雨が思いの丈を精一杯口にする。

 

 「そういう事なら猶更だよ。僕の司令官は君だけだからね、どんな時でも一緒なのは当たり前じゃないか。ダメ、かな…」

 照れも何もなく時雨は真っすぐに司令官の目を覗き込む。司令官の目には、縋るよう目でこちらを見つめる扶桑と榛名、俯いたままの翔鶴を小さな声と手振りで何か言うように必死に促す瑞鶴の姿が映っていた。そして翔鶴がゆっくりと顔を上げる。

 

 「こんなに長く一緒にいても、知らない事がまだたくさんあるんですね。私は…私たちは、全て知りたいです、貴方のことを」

 

 ただただ自然な口調だが、そこに込められた意味を、司令官も含め全員が敏感に感じていた。

 

 -艦娘を、心を開き想いを重ねる相手として見てくれているのか、知りたい。

 

 軽い溜息を零すと、司令官は姿勢を直し前を向いて車のエンジンを始動させる。やや大きめの振動で大柄の車体がぶるりと揺れ、低く重いエンジン音が車内に伝わってくる。

 

 「…ちゃんと座って、シートベルトは必ずしろよ。…最初に言っておくけど、楽しい旅じゃないからな」

 

 

 

 「…それで司令官、まずはどこへ行くんだい?」

 「……病院。お袋のお見舞いに」

 助手席に座る時雨の問いに答える運転席の司令官。司令官の母親、と聞いて時雨を除く五人は慌てだした。しゃきっと背筋を伸ばし緊張した表情に変わった大和、手鏡を取り出し髪を整えだす榛名、ぶつぶつと挨拶の練習を始める扶桑、お母様好みの服ってどんなのかしらと荷物を探る翔鶴。バックミラーに映るそんな車内の様子に苦笑しつつ司令官が話を続ける。

 

 第二次東京大空襲の日、下町にある司令官の実家も被災し、母親だけが唯一助った。幸い一命は取り留めたものの、その精神は家族を失ったショックに耐えられず、心を閉ざしたまま今を生きている―――司令官の発言に車内が静まる。

 

 横須賀から三浦半島を北上、神奈川を抜け東京に向かった車は、やがて大きな総合病院の門をくぐる。受付を済ませ、病室へと向かう七人。司令官が個室のドアをノックし部屋に入ると、ベッドの上で上体を起こし、外を眺めていた老齢の女性がゆっくりとこちらを向く。こちらを見ているような見ていないような不思議な表情のまま、ぼんやりとしている。

 

 深海棲艦との戦争が残した傷跡を心に抱えたまま、生きる人がいる-六人の艦娘達は、自分たちの戦いの重さを改めて感じ、司令官の母に誠意と尊敬が伝わるよう、甲斐甲斐しく接し始めた。そのうち、扶桑は部屋に潤いがほしいと花屋へ、榛名と大和は飲み物を買いに売店へ、翔鶴と瑞鶴は洗濯籠を抱えランドリーへ、それぞれに向かい病室を後にした。結果、司令官の母の手をマッサージする時雨と司令官が残された。

 

 ぽんぽん、とベッド脇の丸椅子が叩かれた。司令官の母親が時雨を誘い、同じ動作を繰り返す。言われるままに移動した時雨が丸椅子に座ると、ゆっくりとした動作で、時雨の少し乱れた三つ編みをほどき、取り出したブラシで髪を丁寧に梳きはじめる。時雨はくすぐったそうな表情になりながらも、されるがままにしている。

 

 「………ねぇ、お母さん、って呼んでいいかな? 僕にはそういう存在はいないけど、そう呼びたくなったんだ」

 「…義母さんって呼んでくれるの? こんなバカ息子のお嫁さんに来てくれるなんて嬉しいわねぇ…」

 母親が初めて口を開き、発した言葉に、そっか、そっちの意味もあったんだね、と照れて真っ赤になる時雨。

 「司令官と僕と、お母さんで家族になるのかな」

 司令官と母を交互に見やりながら、時雨は言う。母親は穏やかな表情で、繰り返し時雨の頭をなで続けている。

 

 そっと部屋から出た司令官はドアに背中を預けると、天井を仰ぎ見ながら口元を覆い隠し必死に声を上げるのを耐えている。母親が口にした言葉は、自分が今は亡き婚約者を紹介した時の言葉そのままだった。母親の心は一番幸せだった時の思い出で止まっている。

 

 司令官がようやく気持ちを落ち着けると、やや離れた曲がり角で五人がこちらを見守っているのに気が付いた。

 「すいません、立ち聞きしてました」

 涙に濡れたままの顔を隠すことなく、司令官はいいんだ、と言いながらは眩しそうに目を細め微笑み、皆を誘って病院の中庭へと向かう。

 

 「お袋と時雨を、もう少しあのままにしておいてやりたいんだ」

 

 

 

 翌朝―――。

 

 遅めの朝食を済ませ、宿泊したホテルのロビーに時間通り集合した一行は、かつて鎮魂の社として全国的に有名だった神社へと向かう。神社という存在が深海棲艦の艦載機にどう映ったかは分からないが、空襲の際見事なまでに破壊されたが、現在では再建が進んでいる。深海棲艦との戦いは今も続き、慰霊碑の裏に刻まれる名はもちろん、新たな碑も増えている。かつて司令官が所属していた空軍の戦死者たちの慰霊碑もあり、そこに一行は向かっている。桜の名所でもあるこの場所には、多くの出店が並び、大勢の人でにぎわっている。雑然と行き交う人波で、お互いの位置を見失いそうになりながら、目的の場所へと向かう。

 

 クイッ。

 

 袖が不意に引かれる。思い振り返ると、小さな男の子が自分の服の裾を掴んだまま立っている。扶桑が子どもと目線を合わせるためしゃがむと、尋ねられる。

「…お母さん、どこ?」

 迷子だ。焦る扶桑は、男の子に名前や母親の特徴などを聞くが、なかなか要領を得ない。ハッとして周囲を見渡すと、司令官も他の五人もいない。

 「あのー…司令官? いらっしゃらないのかしら……司令官? 司令官!?」

 これでは自分も迷子だ。扶桑は子供を抱きかかえると、急いで警官を探し始める。

 

 「みんな、いるか?」

 混みあう通路をさけ、いったん脇にどけて集合する司令官たち。大和も翔鶴も榛名も時雨も瑞鶴もいる。………扶桑は? お互い顔を見合わせるが、みな首を横に振る。完全にはぐれた。司令官は集合する場所と時間を決め、全員で手分けして扶桑を探すことにした。一方の扶桑は、何とか警官を見つけ、男の子を引き渡し迷子であることを伝え、立ち去ろうとしたが、男の子は不安そうな顔で裾を掴んだまま離そうとしない。少しだけ逡巡し、扶桑は安心させるように微笑みかける。

 

 「お母さんが見つかるまで、お姉ちゃんと一緒にいようか?」

 男の子はそのまま扶桑の胸に甘えるように飛びついてくる。昔ながらの手遊びや唱歌しか知らない扶桑だが、かえって現代の子供には新鮮だったようで、飽きることなく扶桑と遊んでいる。その間携帯はなり続けていたが、子供との遊びに夢中になっていた扶桑は着信に気付かないままだった。しばらくすると警官の無線に連絡が入り、飛んでくるような勢いでやってきた母親に抱きしめられる男の子。何度も深々と礼を言われる扶桑は、親子に柔らかく微笑みかけ、別れを告げる。

 

 「バイバーイ、おっぱいのおねえちゃんっ!」

 時に素直すぎる子どもの発言に、気まずそうにする母親と思わず顔を赤くする扶桑だった。

 

 一人になり、あっと思った。携帯があったのよね…。慌てて取り出して見てみると着信とショートメールの山。あまりガジェットの操作が得意ではない扶桑は、覚束ない手つきでショートメールを一斉送信する。すぐさま司令官からボイスコールが掛かってきた。

 

 「はい…」

 司令官の声を聞くと、扶桑の気持ちは不思議なほど落ち着きを取り戻す。どうやら自分が一番目的の場所に近いらしく、続く寒桜の並木に沿って歩いていけばすぐらしい。目的地で集合、着いたらそこを動かないように、と言われ、扶桑はボイスコール相手に素直にこくりと頷いた。

 

 とりあえず元の目的地へ向かおうと歩き始めた扶桑は、桜並木に導かれるように大きな慰霊碑までやってきた。様々な種類の桜に囲まれた、空軍の戦死者のために建てられた大きな石碑。裏面にはびっしりと小さな字で戦死者の名前が彫られている。

 

 ふいに風が吹く。扶桑の長い髪が風に踊り視界が一瞬ふさがれる。目を開けると、風に舞う桜の花びらと、その先に立つ司令官が見えた。

 「おお、無事に着いたんだな。あんまり心配させるなよ…とにかくよかった」

 安堵の表情で近づいてきた司令官が自分に手を伸ばし、髪に付いている桜の花びらを取ろうとする。扶桑はその手に自分の手を添え頬に導き、そのまま司令官の胸に顔を埋めるように寄り添う。

 

 -私は…いつも自分の目指す所へたどり着けたことがありませんでした。でも……やっと…司令官にたどり着けました。例えあなたの目指す場所が…私ではないとしても、私は…。

 

 「お、おい」

 「………お願い、せめて今だけは…このままで…」



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25. 彼と彼女達の旅-2

 空軍の戦死者のための巨大な石碑の前、目を閉じ静かな祈りを捧げ続けた一行。黙礼と言葉なき対話はやがて終わり、一人また一人と目を開け、ほうっとため息を漏らす。

 

 ただ一人、大和だけは爽やかな風に長いポニーテールを揺らしながら、伸ばした手を石碑に当て一向に動こうとしない。結構な時間が経った後、ようやく大和は司令官を振り返った。待ちくたびれた者、その行動に特別な意味を感じた者…様々だが、後で戻ってきますね、と言葉を残し他の五人は連れ立って出店の方へと歩き出した。司令官も大和の行動の意図が掴めず、軽く揶揄うような口調で話しかけたがその返事に固まってしまう。

 

 「まるで石碑と話をしていたみたいだな」

 「はい、みなさんとお話していました」

 

 この石碑が空軍の戦死者のために建てられた物である以上、大和の言う『みなさん』はパイロットを指しているのだろうか。だが、そんなことが…怪訝そうな表情をする司令官に対し、大和は胸の前で手を組み、目を閉じて静かに語り始める。

 

 「今も昔も、戦い抜いた果てに散華された軍人達の魂は、静かで優しく…そして少し悲しい。第三小隊(フリゲートバード)の方々は、あなたの左目、以前より悪化してるってすごく心配されてますよ? そして…あなたを守って欲しいと、大和に繰り返し訴えています。私達艦娘に負けず劣らず、みんな、熱くて優しいですね」

 

 司令官は驚きのあまり言葉を失ってしまった。大和は自分の認識票を持っていた、だから根拠地や所属部隊を知っていても不自然ではない。だが部隊の通称、まして誰にも話したことのない、自分の今の身体の状態など知る訳がない。

 

 大和が話をしていたのは、やはり戦死した自分の部下―――そんな訳はないと打ち消したいが、大和の言葉は不思議と司令官の胸に響いた。そして気付いた時には、大和に抱きしめられていた。甘い香りが鼻腔を擽り、囁くような声が耳元で踊る。

 

 「大和に…あなたを守らせてください、その証をお見せします。だから今夜…お待ちしています」

 

 大和は司令官の頬に軽く口づけると、意味深な目線を送りつつ、他の皆を追うように走り去っていった。

 

 

 

 神社を後にし、一行を乗せた車はいったんホテルに戻る。この後、今日は特に予定はない。希望を尋ねる司令官に、意見は分かれた。司令官のご希望通りにという榛名、疲れたから部屋で休みたいという時雨と大和、鎮守府のみんなにお土産を買いたいという翔鶴とそれに同意した瑞鶴と扶桑。結局、夕食までの間は自由時間ということになった。

 

 瑞鶴を除く五人は、司令官を巡るライバル同士でもある。一方で生死を賭けた時間を共有する艦娘同士、共通する思いもある。誰か一人が選ばれるなら、この五人の誰かであってほしい。一方で艦娘特有のケッコンカッコカリのシステムに乗るなら、全員が選ばれることもある。それでも、“最初の一人”に選ばれることには特別な意味がある。

 

 ドアがノックされ、司令官はドアスコープで榛名が立っているのを確認し、ドアを開ける。

 「司令官、もし、お時間があったら、ご一緒していただきたい所があるのですが…」

 

 そして今、二人は榛名のたっての希望で、ホテル内のプールに来ている。

 「お待たせしました、司令官。榛名の水着姿、どうでしょうか……?」

 

 長い黒髪を揺らしながら、ビキニ姿の榛名が近づいてくる。男性からも女性からも注目を集める抜群のスタイルだ。顔を赤くしながらも自分から目を離せないでいる司令官の表情で、彼が何を言いたいかは分かった。でも、やっぱり言葉にしてほしい、と少しだけ不満に思いつつも、榛名も司令官の姿から目を離せない。引き締まった筋肉質の体に、左肩から上腕部にかけて幾筋も走る手術跡が人目を引く。人によっては怖がるかもしれないが、榛名にとっては一種凄みのある色気に感じられた。二人はプールサイドにあるカップル用の長椅子に移動し、ドリンクを注文し寛ぎ始める。

 

 「空軍時代の最後の作戦で、ね…。プールとか温泉とかでは気味悪がられることもあるから、正直来るかどうか迷ったんだ」

 榛名が気にしているのに気付き、司令官は自分から傷跡のことを話す。自嘲気味なその言葉に、榛名が反駁する。

 「司令官は立派なお方です。誰に何を恥じることがあるのですか。もし、司令官のことを少しでも悪くいう人がいるなら、榛名が許しませんっ!」

 榛名が上気した顔で勢い込んで話し出す。あまりの勢いに、司令官が口を挟めない。

 「…でも、司令官は分かっていません…。…榛名は司令官を独り占めしたい…その思いがあふれてしまいそうです…」

 隣の長椅子に寝そべっていた榛名が、自分の方に移動してきた。お互い限られた面積の水着だけを着ているのに、これは色んな意味でマズい。そして司令官は気が付いた。自分が注文したカクテルのハーベイ・ウォールバンガーがほとんど空になっていることと、榛名が酔っていることに。

 

 「司令官…榛名なら、大丈夫です…」

 寄り添う榛名が、熱に浮かされたような目で、迫ってきた。

 

 「…お客様、お取込み中申し訳ございませんが、続きはお部屋の方でお願いできますでしょうか」

 

 引きつった笑顔を浮かべたプールの監視員に注意され、平謝りの司令官は榛名を連れてプールを後にする。

 

 

 

 こんこん。

 

 ディナー後のゆったりとした夜、部屋のドアが静かにノックされる。ベッドに横たわっていた大和は、ゆっくりと身体を起こし、大きく深呼吸を繰り返し気持ちを落ち着けようとする。この時間に自分の部屋を訪れる相手に、一人しか心当たりがない。

 

 「司令官…来てくださったんですね…」

 

 きゅっと唇を噛み締め、ぺしぺしと頬を叩いて表情を引き締める。

 

 昼間、司令官を自分から誘った。今夜部屋で待つ、その意味はもう、それは一つしかない訳で。もちろんそんな経験もないし、はしたない女の子と思われたら…そういう不安がない訳ではなかった。でも、そう言わずにはいられなかった。そして実際にその時が来ると………緊張で思うように体が動かない。

 

 こんこんこん。

 

 お待たせしちゃってますね、と慌ててベッドから降りようとして、ブランケットに足を引っかけてしまい転げ落ちる。

 「いったぁ~いっ!」

 鼻を強打してしまった。痛む個所を涙目で擦りながら、真っ白いブランケットを体に巻き付けドアへと急ぐ。ドアの前でもう一度深呼吸。

 

 どんどんどんっ!

 

 ………ムード台無し、です。どれだけ欲しがりさんなんですか…と溜息をつきながら大和がドアロックを外しキーを解除すると、待ちわびたようにドアが力強く開かれた。

 

 

 「大和ひゃんっ、抜錨でしゅっ! おしゃけの海へ、いざ、しゅつげき~♪」

 

 

 酔っぱらってこの上なく上機嫌の榛名が満面の笑みでフラフラしながら立っていた。見れば榛名の背後には全員揃っていて、司令官も苦笑しながら微妙な表情を浮かべている。もう一度、はぁっと深いため息をついた大和は、一瞬だけ司令官に意味ありげな視線を送る。むしろ、どこかほっとしている自分を感じた大和は、肩を竦めてぺろっと舌を出す。

 

 -言ってるほど、心の準備…できてませんでしたね。

 

 「みんなでパーティですか? 着替えますので、ちょっと待ってくださいっ」

 

 

 

 翌日。

 

 東京から車で数時間の所にある隣県の寺に、司令官の今は亡き婚約者の墓所がある。旅の途中で語られたその話―――。

 

 第二次東京大空襲の日、司令官の実家を婚約者が訪れていた。結婚まで秒読みと誰もが思っていたが、その日は永遠に来なかった。空を埋める深海棲艦の艦載機の跳梁を止められず、司令官の生家のある東京の東半分が灰塵と化したその夜、当時の司令官は東京上空で必死の防空戦を繰り広げていた。

 

 墓所の中を、司令官は迷わず目的の場所へと向かう。その後ろを言葉もなく付いてゆく六人の艦娘たち。司令官はとある墓所の前に立ち止まると、そこに誰かがいるように語りかける。

 

 「…元気かい、と聞くのもバカな質問だよな…。俺は結局戦っているよ。何一つ守れたことのない俺を、それでも信じて一緒にいてくれる艦娘のみんながいるんだ。…君を亡くし、撃墜され重傷を負い空にも戻れず、流されるように生きていた俺だけど、今は彼女達のために何が出来るか、そればっかり考えてるよ。俺は前に進む、君との全てはきっと思い出になるけど、許してくれる、よな…」

 

 司令官を後ろから見守る全員が泣きはらした目をして、声を上げるのを必死に堪えている。どれだけの思いで、司令官が自分たちと接してくれていたのか、初めて本当の意味で分かったように思う。車に戻る道すがら、翔鶴が忘れ物をした、といい、元来た道を逆戻りして走ってゆく。何かあったかな、と思うが、すでに翔鶴は行ってしまった。車で待ってるぞ、と司令官は背中に呼びかける。

 

 墓前に戻ってきた翔鶴だが、忘れ物など本当はない。ただ、かつて司令官が想いを寄せた女性に、今司令官に想いを寄せる女性として、どうしても伝えたい事があった。

 

 「……司令官は、貴女のことを忘れないと思います。それでも構いません。私は、司令官を愛しています。貴女との思い出ごと私は共に翔び続け、何があってもそばにいます」

 

 翔鶴は墓石に向かい深々と一礼をし、元来た道を引き返してゆく。

 

 

 

 深夜、司令官がちょっとした買い物を済ませ部屋に戻ってくると、ドアの前に誰かが立っている。司令官に気づき、微笑みながら小さく手を振る長い銀髪の女性。翔鶴だ。

 

 「……お礼が言いたくて…。今回の休暇にご一緒させていただいて、本当にありがとうございました」

 「いや…お礼を言うのはこっちの方だ。本当に…ありがとう」

 眩しそうに目を細めて微笑む司令官の笑顔に、翔鶴の胸は自然と高鳴ってしまう。

 

 「もう遅い時間だ、部屋に戻った方がいいぞ、()

 司令官はいたずらっぽく翔鶴に言う。翔鶴と司令官だけが知っている暗号のようなもの。

 

 「――、あなたが私を守りたいと思う以上に、私もあなたを守りたいのよ」

 

 司令官が固まる。翔鶴が知る由も無い、自分の下の名前とそれに続いた言葉。それは、軍人だけが戦ってる訳じゃない、と勝気な亡き婚約者の口癖。翔鶴も訳が分からず、あたふたと戸惑っている。まるで誰かが自分の口を借りたかのように、不自然に自然とその言葉が口をついた。

 

 司令官の目から伝う一筋の涙を見て、翔鶴はもう自分を抑えられなくなった。司令官を乱暴にドアに押し付け、胸元に顔を埋め強く抱きしめる。

 

 「…私、こんな気持ちになったのは初めてで、どうしていいか分かりません。でも…私は貴方の事しか、考えられません…」

 

 抱き返される腕に力が籠ったのを翔鶴は感じ、びくっと震える。知識として知っていることは勿論あるが、経験はない。もうどうなってもいい…そう思いながら、司令官の温もりがあまりにも心地よく、翔鶴は時間を忘れて身を委ねていた。



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Phase 07
26. ぎこちない問いかけ


 ―――空母寮。

 

 瑞鶴は非番の今日、少し遅めに起きた。すでに同室の姉・翔鶴は着替えを済ませ、床にぺたんと座り自分の世界に入っている。司令官の休暇に同行して以来、はっきり言って…変だ。ぼんやりしてるかと思えば、なんとも言えない色っぽい目で唇をなぞったかと思うと目を伏せたりの繰り返し。見てるのも飽きたので、とりあえず声をかけてみる。

 

 「…かく姉ぇ、翔鶴姉ってばっ!」

 「ひゃいっ!! なんでしょう、司令官っ!?」

 びっくりしたように急に姿勢を正し、きょとんとした顔でこちらを見る翔鶴姉。まったく…司令官さんのことしか頭にないのかな…。

 

 「…ここは私たちの部屋で、私は妹の瑞鶴。ダイジョウブデスカァ?」

 最後はからかうように片言っぽく言ってみる。手早く身支度と着替えを済ませ、二人で食堂へと向かう。

 

 二人分の席を確保してから列に並び、朝の定食を受け取る。翔鶴姉はじっとお盆の上の献立を眺めている。翔鶴姉、混んでるから先に進まないと、と声をかけると、我に返ったように、伸びた列に向かい軽く頭を下げて、席へと向かった。

 

 「いただきまーすっ…モグモグ……やっぱり鳳翔さんのご飯、おいしいね」

 声をかけても何かを確かめるようして食事を続ける翔鶴姉。…具合でも悪いのかな…。

 「…翔鶴さん、どうされました? 何かお気に召さなかったでしょうか?」

 厨房を預かる鳳翔さんが私たちの席までやってきた。翔鶴姉の様子が気になっていたみたい。翔鶴姉は、少し躊躇ったあと、鳳翔さんに少しいいですか? と同席をお願いした。

 「……私…簡単なお料理なら作れるのですが、鳳翔さんみたいにはとても作れなくて…せめて、司令官の好物くらいは美味しく作って差し上げたいのですが…その、自信が無くて…」

 …心配して損した。翔鶴姉らしいや。鳳翔さんも安心した顔をしている。自分の作った料理に何か問題があったのでは、と心配していたんだね。同時に、翔鶴姉に優しく微笑みかける。

 「司令官は鶏肉を使ったお料理がお好きなようですよ。あとは肉じゃがですが…こちらは祥鳳さんの味付けがお好みのようですね」

 翔鶴姉はもはや私の存在なんか関係なく、一生懸命鳳翔さんの言うことをメモしている。いつもそんなの持ち歩いていたっけ? 鳳翔さんは口に手を当ててくすくす笑いながら素敵な提案をしてくれた。

 

 「私としては、司令官がケッコンカッコカリのお相手に選ぶのは空母勢であってほしいですから、ご協力させていただこうかしら。そうですね…お料理は実際に手を動かすのが一番なのですが…。でしたら、こうしませんか? 翔鶴さんが非番の時で、昼か晩のお食事時間の後で厨房に来ていただけたら、私で良ければお教えしますよ?」

 翔鶴姉は、満開の笑顔で鳳翔さんにお礼をいい、さっそく予定を打ち合わせたりしている。…誰かを好きになるのって、こんなに人を変えるんだね。いつか私もあんな風に、誰かのために一生懸命になれるのかな…。

 

 「ありがとうございます、鳳翔さん。それでは、瑞鶴と二人でお邪魔しますね」

 

 …………え? 今なんと言いました、翔鶴姉?

 

 「だめよ、瑞鶴。あなたも女の子なんだから…。カレー以外のお料理も作れるようにならないと…。せっかくの機会だから、あなたも一緒に勉強しましょう、ね?」

 

 

 

 そんな食堂の一幕から数日が経ったある日、早朝から司令官と青葉は打ち合わせを行っていたが、二人の表情は揃って冴えない色が浮かんでいた。

 

 「二年がかりでも、ここまで特定するのがやっとだったのに、横須賀の大将はもっと詳細な情報を持っているだなんて…」

 

 青葉が悔しそうに言う。泊地の作戦運用を裏から支える重要な役割として、分析官がいる。暗号の解読を含め内外問わずどんな些細な情報でも収集し、内容やその関連を読み解く情報解析の専門家(スぺシャリスト)、それが青葉の役割。司令官の手元にあるファイルは、佐世保の大将がオークションで売却した艦娘達の行方を追跡したものだ。追跡はしたが、必ずどこかで消息が途切れてしまい追いかけきれなかった…生でも死でもなく、行方不明の記録だけが積み重なった記録。

 

 「青葉、こんな仕事に関わらせて、本当に申し訳ない。だが、君の力無しではここまでたどり着けなかった。ありがとう」

 司令官は深々と青葉に頭を下げる。この人が最初から那覇泊地の司令官だったら、どれだけ良かっただろう…青葉はその姿を見ながらつくづくと思ってしまう。一方で司令官も、例の海運会社の支援を受けながらよくここまで掴んだものだが、これ以上那覇泊地単独で深入りするのは無理がありそうだ、と思っていた。沈黙が二人の間を支配していたが、青葉が口を開きかけた時に―――。

 

 コンコン

 

 「こんにちは司令官さん。お昼ご飯持ってきたよーっ!…あ、青葉さんもこんにちはっ!」

 「食堂においでにならなかったので…お忙しいですか?」

 青葉が熱弁をふるおうとした所でドアがノックされ、翔鶴と瑞鶴が、料理の載ったお盆を持ってやってきた。翔鶴と司令官の仲を目の当たりにしたようで、青葉は一瞬だけ寂しそうな目をしたが、誰にも悟られずに表情を切り替えることに成功した。

 「おお〜、おいしそうですね〜。見てたら青葉もお腹が空いちゃったから、鳳翔さんの所に行ってきまーす」

 

 司令官のデスクには、和風チキンソテーと、ほうれん草のお浸し、糠漬け、みそ汁と白いご飯が並べられ、翔鶴と瑞鶴が期待と不安のまなざしで、箸を取る司令官を見つめている。

 「ん! おいしいな、これ。さすが鳳翔さん」

 「へっへー、だっまさっれたー♪ 実は翔鶴姉が作ったんだよっ」

 自分が作った料理であるかのように瑞鶴が誇らしげに薄い胸を張ると、司令官が驚きと称賛の声を翔鶴にかけ、翔鶴は頬を赤らめながら、味の濃さや肉の焼き加減を尋ねている。

 

 新婚夫婦のラブラブっぷりに当てられて逃げ帰るみたいですねー…執務室のドアを開け立ち去ろうとした青葉だが、三人の会話を背中越しに聞いていると、ふと意地悪をしたくなった。

 

 「そうそう、司令官。大和さんが第三突堤で待っているみたいですよ? お約束ですか? いいんですか、のんびりしていて」

 

 ぱたん、と後ろ手で閉めたドアに寄りかかる。ドア越しにはなぜか翔鶴ではなくて瑞鶴が騒ぐ声と、司令官があたふた言い訳している事が聞こえる。

 

 「イヤな子ですね、青葉は…」

 

 青葉はそのままの姿勢で、天井を見上げたままはぁっと息を漏らし、寂しげに笑うと首を二度三度振って、自分の部屋へと帰ってゆく。

 

 

 

 「あれは大和、か…? だが、随分早い帰投だな…最大戦速で戻ってきたっていうのか…?」

 

 大和以下戦艦部隊は長駆北方海域まで進軍し、無事作戦目標を達成したとの連絡があった。作戦終了後に整備補給のために立ち寄った大湊警備府司令官のたっての願いで、同地に滞在し対外演習の相手を務める事になり、そこで約束が生まれた。大湊の演習五戦で全勝したら、お願いを聞いてほしい、と言われていた。結果、弾みに弾んだ声で勝利を告げられたのだった。

 

 「司令官、全勝です全勝っ! 約束、覚えてらっしゃいますよね? それでは今から全速力で帰りますっ! ん? そっか、司令官はご存知ないんですね。大和の一六万馬力二七ノットは主機八割での能力です。大切なお話があるんですから、本気の最大戦速で帰投しますっ!」

 

 つまり普段は最高でも八割の力で流している、と言っているようなものである。それでいてあの破格の性能、やはりケタが違う。それにしても帰投が早すぎないか、と首を傾げていた司令官に、那覇港の第三突堤に一人で立つ大和は気が付いたようだ。

 

 艤装がなければどこからどう見ても大和撫子である。国名じゃなくて大和撫子(そっち)が命名の理由じゃないのか、と思わせるほど。緩やかな潮風に長いポニーテールをなびかせ、柔らかい微笑みを投げかけてくる姿には、思わず司令官もどきっとしてしまう。

 

 「お、おかえり。随分早く帰投したんだな」

 「は、はい」

 「ん? 他のみんなはどうした?」

 「は、はい…その…」

 

 あぁ…と得心が言ったような表情で、司令官は大和を揶揄うような口調で話しかける。

 「さっさと補給に行ってもらった、って所か。で、大切な話があるって言ってたよな。だから、か…」

 

 困惑したように表情をくるくる変えながら、胸の前で両手をきゅっと組んでいる大和の姿。司令官も怪訝な表情になる。普段は天真爛漫なまでに自分の感情を素直に出してくる大和だが、今日は明らかに様子が違う。よほど重要な話なのだろうか。ふむ…と顎に手を当て考え込んだ司令官は、そのまま突堤に腰掛け海に向かい足を投げ出し、ぽんぽんと自分の右隣の地面を軽く手で叩く。

 

 「…座ったらどうだい? 演習明け、それに全力帰投で疲れているだろ?」

 

 戸惑いを隠せずおずおずと、腰が引けた感じでちょっとずつ司令官に近寄った大和は、手を伸ばしても届かない程度に距離を空け、司令官と同じように突堤に腰掛けた。

 

 

 

 とは言ったものの―――。

 

 話があると言ったのは大和の方で、彼女の方から話を切り出してくれなければ進まない。辛抱強く待っていた司令官だが、流石に痺れを切らし話題を振ろうとしたところで、大和が意を決したように口を開き始めた。

 

 「あのっ!」

 

 その声にいつもとは違う、思い詰めた様子を感じ取った司令官は眉を顰める。

 

 「司令官は…那覇泊地の事をどうお考えでしょうか?」

 言うまでもなく自分の任地である。二年以上も濃密な時間を過ごしているうちに、第二の故郷のような感覚を覚えているのも確かだ。大変なことも多かったが、この泊地に着任できてよかったと思ってる、そう答えた司令官に、んーと少し困ったような表情を大和は見せる。

 

 「そう…なんですね。では、出世とか、もっと大きな拠点で指揮をとってみたいとか、そういう事はお考えにはならないのでしょうか?」

 司令官は思わず眉を顰めてしまう。まじまじと大和を眺めていたが、違和感を覚えずにはいられなかった。



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27. ≠

 -出世とか、もっと大きな拠点で指揮をとってみたいとか、そういう事はお考えにはならないのでしょうか?

 

 「どこであっても自分のやることをやるだけだよ」

 

 拍子抜けした、と言ってもいい。大切な話、と言われれば確かにそうかも知れないが、全く想像していなかった方向からの質問を受けた司令官は、大和の意図を図りかねていた。

 

 「で、ですがっ! 艦娘の育成に関して司令官の力量は並みならぬものがある、と。その力を存分に発揮してみたい…とか、思わないのでしょうか?」

 「俺が育成した? よせよ、みんな元々力はあるんだ。適切な機会さえあれば、遅かれ早かれみんな自分の力で強くなっていったよ。せいぜい…そうだね、もし俺が何かしたというなら、補給を万全にして、きっかけとか気付きを与えた、ってことくらいじゃないのかな」

 

 身を乗り出すようにして食い下がってくる大和。離れていた二人の距離が少し縮まる。そんな必死なまでの表情に、司令官の違和感が強くなる。

 

 「男の方として生まれて、その力の先にある物を見てみたいとは思わないのでしょうか?」

 「艦娘として甦った君は、その力の先にある物の果てを…かつての戦争で見たんじゃないのか?」

 

 今度は一転、丁寧だが挑発するような口調でずいっと近づいた大和は、司令官から間髪入れずに皮肉めいた口調で返され、ぐっと顔を歪める。離れていた二人の距離がさらに縮まるが、司令官の違和感がますます強くなる。

 

 

 -俺は、一体誰と話をしている?

 

 

 言うまでもなく目の前にいるのは大和である。嬉しければ笑い、悲しければ泣き、時には照れて赤くなったり…そんなくるくると表情豊かに感情を現す普段の大和とはまるで違う。誰かの言葉を自分の言葉として喋っているだけで、自分の意志を感じさせないような姿。そしてあの物の言い方、どこかで聞き覚えがある…だがどこだっただろうか―――?

 

 そんな司令官の様子に気付いたのだろう、そして話の進め方をしくじったことも悟ったのだろう、大和は見ているのが気の毒なくらいに動揺している。そして距離が近づいた分、司令官は大和の違和感の正体に気が付いた。小さな、たった一つのそれに。

 

 -………まさか、な。だが、試してみるか…。

 

 「もう俺は、第三小隊(キングフィッシャー)の時のように空に上がれない。それでも、君のおかげでかつての部下が、今も俺を案じていてくれていると分かったんだ。ありがとうな」

 「きんぐ、ふぃっしゃぁ…? そ、そうですね。でも今は海軍の方がいいんですよね、それはよかったです。司令官、それならなおのこと、より大きな舞台で経験を積みましょう。例えば…そう、佐世保とかどうでしょうか? 大将の軍門に下るなら、悪いようにはされないと思います」

 

 ぽんと胸の前で手を叩き、無邪気な笑顔で笑う大和を見て司令官は確信した。ここにいるのは、自分の知る大和ではない、と。自分が所属した第三小隊の愛称は()()()()()()()()で、那覇の大和なら間違うはずがない。何より、大和が肌身離さず首に掛けているはずの自分の古い認識票をしていない。そして思い出したのは、以前出会った佐世保の加賀の言葉―――。

 

 『……すでに大将は新たな大和の建造に成功しています』

 

 目の前にいるのは、佐世保の、()()()()()大和に違いない。彼女の発言内容や言葉の選び方を、ようやく思い出した。それは佐世保の大将が好んで使う時代がかった喋り方。

 

 なるほど、ね…と司令官は肩を竦める。離島防衛の弱点をまさか身内の海軍から突かれるとは思ってもみなかった。かつての軍艦サイズならともかく、人間サイズの艦娘が単独または少数の部隊で夜陰に乗じて進入されると防ぎようがないのは明らかだ。港湾部や重要拠点は防備を固めているが、沖縄本島の全周に渡る海岸線の全てを二四時間監視できるはずもなく、しかも上陸後に艤装を展開せず私服に変装でもすれば、艦娘はただの可愛らしい女の子だ。誰も警戒しない中で、突然艤装を展開し攻撃に転じた艦娘を止められる訳がない。

 

 -非対称戦…テロリストとして用いるのなら、これほど強力な存在はいないな…。

 

 目的は分からないが、佐世保から送り込まれた艦娘が何かを企んでいる…それは確かだろう。だが分からないのは、どうして佐世保の大将がここまで那覇に固執するのか。ここに何かがあるのか、あるいはここで何かをしようとしているのか。それよりも何よりも、目の前の大和に事を起こさせるわけにはいかない。

 

 「大和、教えてくれ。()()()?」

 

 佐世保の大将が那覇に送り込んだ艦娘は何人だ、の意味だが、大和はすぐにその意図を理解すると同時に、完全に自分が誰かバレてしまったことを悟った。立ち上がると、うーんと背筋を伸ばしてにこっと微笑む。瞬間、司令官の背中に冷や汗がどっと流れる。暮れ始めた日の光を反射して鈍く輝く、鋼鉄の暴風を象徴する力の結晶-大和の身体を左右から守るように広がる艦首を二分割した様な装甲、腰の左右と背中から伸びる太いフレキシブルアーム上の台座に据えられた、巨大な三基九門の四五口径四六センチ砲が司令官を睥睨する。

 

 「三人です。大和の護衛の二人が、今はあの沖合の島に隠れています。那覇泊地の破壊が目的ならもう少し数がいた方が万全でしょうが、大将の作戦目標は、司令官の懐柔、叶わなくば殺害なので、私に…大和に勅命が下りましたが、一人でも十分でしょう。大人しく説得されて欲しかったんですけど…。ここで砲撃などすれば、すぐに那覇の艦娘達が駆けつけますし。一対一なら誰が相手でも遅れは取りませんが、さすがに一人で泊地全体の艦娘を相手取るのは、ちょっと…面倒です」

 

 思わず乾いた笑いが出て、司令官は顔を引きつらせてしまった。あまりにもステージが違い過ぎる圧倒的な力の差を前に、逃げる気さえ起きず、自分の死を既定事項として淡々と受け入れるしかやる事がない。それが妙に可笑しかった。だが大和は別な意味に受け取った様だ。かぁっと頬を紅潮させ、司令官にずいっと迫る。

 

 「な、なにがおかしいのですか? まさか…勝てるとでも思ってるのですか?」

 「勝つとか負けるとかじゃない。()()大和だというなら、教えてくれ。その強さで、君は何をしたいんだ?」

 

 かつて那覇の大和にも問いかけたのと同じ言葉。その時、答えは得られなかった。それでも、その答えを司令官と一緒に探したいと彼女は言った。外見だけを比べれば、二人の大和の間に全く差はない。顔の作りやパーツの配置、背の高さ、手足の長さ、胸の大きさや腰の細さ、髪の毛の長さまでも寸分狂わずまったくの同一。それは建造という謎システムに基づく製造ラインで現界する艦娘の一つの特徴を如実に示している。そうやって現界し、いわば同一モデルが複数存在する艦娘だが、在りし日の記憶をベースに環境に応じて独自の個性を備えた別の艦娘として、それぞれの生を生きてゆく。なら、佐世保の大和は何を求めるのか?

 

 「それは…」

 

 佐世保の大和も、やはり答えに詰まる。考えたこともなかった。繰り返し聞かされる、自分の前に存在していたという、優美さと強さを兼ね備えた大和。佐世保の武名と悪名の両方を体現する、最強にして最凶の武蔵。なら自分は何を求められているのだろう? ただ佐世保の大将の命ずるままに撃ち、壊し、屠る。自分が四六センチ砲を操っているのか、四六センチ砲が自分を従えているのか、気持ちの境界線があいまいになっていた。

 

 「もし君が答えられないなら」

 「答えられない、なら…?」

 

 大和がゴクリと喉を鳴らす。おかしい、追い詰めているのは自分のはずだ。なのにたった二言三言の言葉のやり取りで、自分が追い詰められているような錯覚に陥った。ふと司令官が場の空気を変えるように、眩しそうに目を細めて笑う。その笑顔に、佐世保の大和も思わず引き込まれてしまう。

 

 「自分でよく考えるんだな。君は大将の人形でもなければ、戦うだけの兵器でもない。まぁ…だからといって艦娘が何か、までは俺には答えられないけど…。君には自分で感じる心があるんだ。それは、他の誰でもない君だけのものだ」

 

 今自分のもとにいる大和が、あのまま佐世保の大将のもとに居たなら、おそらくはこうなっていたのだろう…と、司令官はまじまじと目の前にいる佐世保の大和を眺めてしまう。きょとんとした表情で、『こころ…』と一言だけ呟いた大和は、嬉しそうに目を閉じると胸のあたりを手で押さえている。

 

 -きっと、()()()()()()もこんな気持ちになったのかしら? だから那覇へ…いえ、この司令官のもとへ…。

 

 だが、次に目を開けた時の微笑みは、喜びではなく寂しそうなものに変わってた。大和は艤装を格納すると、つつっと司令官に近づき、上目遣いの潤んだ瞳で問いかけ始めた。

 

 「あなたは…少し前に海軍内で飛び交っていた噂を、ご存知ですか?」

 内容と真偽を問わなければ、噂話の類はそれこそ売るほどある。大和がどの話を指しているのか定かではない。

 

 「あなたと大和()が…駆け落ちしたっていう噂、です」

 知っているも何も、話の当事者である。ただそれは、佐世保の大将を貶めるために横須賀の大将が広めた流言。もう一人の当事者は大和だが、この大和ではない。ややこしいな、と思わず苦笑した司令官に対し、大和はどこまでも真剣な表情で、目を逸らさずに全門斉射を敢行する。

 

 

 「その噂………真実にしてみませんか?」

 

 

 はい?

 

 

 「大和には自分で感じる心がある…そう言ってくれましたよね? だから、大和はその通りにしてみたくなりました。あなたは大和の説得に応じてくれませんでした。けれど、私はもうあなたのことを撃ちたくない。だから、大将の命令を遂行できないんです。大和のことを変えた責任……取ってくれますか?」



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28. 出会いと別れと

 

 『―――だから、大将の命令を遂行できないんです。大和のことを変えた、責任……取ってくれますか?』

 

 これも作戦とか駆け引きなのだろうか、と思いっきり怪訝な表情を浮かべる司令官。ふいに表情を引き締めた佐世保の大和は、左耳に手を添えるようにし視線を遥か沖合へ向ける。一瞬だけ寂しそうに目を伏せた後、てへっと舌を出して誤魔化すように微笑むと、すっと距離を取る。

 

 「失敗しちゃったなぁ。最初っからこっちの路線で行けば良かったのかな。けれど時間切れみたいです。帰投中の那覇艦隊が第二哨戒線まで近づいてきたって報告が入りました。これ以上ここにいると、帰りがけに彼女達の電探で探知されちゃいますから。…那覇の大和(もう一人の私)がいなければ、私は…大和はこの基地に置いてもらえたでしょうか? そうすれば私は、心が感じた通りに…ううん、何でもありません」

 

 太陽は沈み始め、照らすもの全てをオレンジ色に染める中、大和は司令官の言葉を待たず突堤に沿って歩いてゆく。突堤の先端でくるりと振り返った大和は、儚げに微笑む。微風に表面を揺らされる海面に夕日はきらきらと乱反射する。海だけでなく、大和の目の端の涙にも。

 

 「駆け落ちも悪くないかな、って思ったのはほんとですよ。でも……さようなら」

 

 とーん、とつま先で突堤の端を蹴り、ふわりと後ろに跳ぶ。思わず駆け寄った司令官が見たものは、海面に波紋を広げながら奇麗な立ち姿で立つ、世界最強の砲を備えた艤装を纏う戦艦娘の姿。夕日を遮るように傘を差しかけ、振り返らずに海面に航跡を描いて去ってゆく。視線の先では、自律型砲塔を周囲に走らせる黒髪をポニーテールにした背の高い駆逐艦娘と、白い弓道着に青いミニスカートを揺らすサイドテールの空母娘が合流し、一気に速度を上げて遠ざかる。

 

 「あれは加賀と秋月…」

 

 司令官が佐世保の加賀の姿を見るのは今回が二度目。前回は、今那覇に居る大和の解体命令を届けに来た。今回は新たに佐世保で建造された大和の護衛、おそらくは監視役も兼ねてだろう。そして司令官は唐突に思い出した。

 

 『大将は逆らう相手を…どれだけ強力でも所詮艦娘、絶対に許しません』

 

 命令通りに自分を懐柔することもできず、殺すこともできなかった佐世保の大和。帰投した先で、彼女を何が待っているのだろうか? 叫びだしそうになった所で、司令官は大和の言葉を振り返る。

 

 -駆け落ちも悪くないかな、って。

 

 佐世保に戻れば何が待っているのか、きっと見当がついているのだろう。そして自分の言葉に司令官が頷くことはないと、見当がついていたのだろう。いっそ二人で逃げちゃいませんか…心で感じたことがそうだとすれば、あまりにもやり切れない。

 

 「悪くない、か…」

 

 佐世保の大和は帰投を選択した。その理由は彼女にしか分からない。世の中は綺麗事だけで成り立っておらず、四大鎮守府の中でも最強を謳われる佐世保を統治し、元帥の座さえ窺う大将を相手取るには、軍事力も政治力も、那覇泊地は小さな存在。唯一世界有数の海運会社からの個人的支援(資材と情報の提供)は相応にあるが、相手も善意だけで支援を続けている訳でもなく、何より政治的な強権を軍部に振るわれればどうなるか分かったものではない。

 

 そんな中で、僅かな時間で短い言葉を交わしただけの一人の艦娘に何ができるのか。

 

 艦娘は濃やかな情感と傷つきやすい心を確かに持っている。そして精神的に成長を続け、それが彼女達の強さに繋がる。そんな彼女達艦娘の献身に、果たして人間は値するのだろうか。深海棲艦との終わりの見えない戦争なのに、いや、そんな戦争だからこそ好機なのだろう、軍内部での抗争にこそ、よほど真面目に力を注ぐ上層部。何よりも、それが分かっているのに何もできない自分。空を仰ぎそのまま立ち尽くしていた司令官は、一言だけ残して埠頭を後にした。

 

 「変わらなきゃならないのは、俺達人間の方じゃないのか…」

 

 

 

 手作りの昼ご飯が司令官に好評ですっかり嬉しくなった翔鶴は、晩ご飯も用意しようと考え、ふと時計を見た。午後執務室を後にした司令官が、夕方を過ぎても戻ってこない。何の気なしに瑞鶴に『司令官を見なかったかしら』と何気なく聞き、その何気ない問いが、さざ波のように広まり、泊地全体がざわざわし始めた。そこに北方海域への出撃部隊が帰投、報告のため執務室を訪れた大和と出迎えた翔鶴や青葉、さらに他の艦娘達の会話で、ついに騒動へと発展した。

 

 「あれっ!? 大和さん、お昼頃に戻って来てましたよね!? え? え?」

 「え? 大和は今帰ってきたんですけど…? それよりも司令官はいらっしゃいますか?」

 「え? 第三埠頭で待ち合わせてたじゃないですか?」

 「え? そんな素敵な約束してないですよ? 司令官、お出迎えにも来てくれないし」

 「は?」

 「は?」

 

 噛み合わない話を辛抱強く解きほぐした結果、状況の奇妙さと深刻さが発覚した。

 

 青葉が昼前に会ったという港で待っていた大和と、今執務室にいる出撃から戻ってきた大和。つまり那覇泊地の所属ではない、もう一人の大和がいたことになる。演習や補給要請などで他拠点の艦隊が寄港することは間々あるが、艦娘単独で、しかも公式な連絡もなく那覇にいる事はあり得ないと言っていい。あり得るとすれば元いた拠点からの逃亡。それなら真っ先に保護を求めてくるはずで、さも那覇の大和のように振舞う必要などない。そして帰ってこない司令官…そこまで考えが至ると、執務室にいた艦娘達は大騒ぎになり、ただちに司令官捜索が始まった。

 

 

 基地としては大きい規模ではない那覇泊地も人ひとり探すとなると難題である。入れ代わり立ち代わり現れる艦娘達に引っ切り無しに連絡が入る通信機。執務室で捜索の指揮を執るのは翔鶴を中心とする那覇泊地の中心メンバー達、そして…ひどく悄然とした青葉と、明らかに不機嫌極まりない表情の大和。

 

 「つまり…青葉さんは()()()()()で、司令官を所属不明の()の待つ場所に行くよう促した、と?」

 「あ、青葉、き、恐縮です……」

 冷ややかな大和の言葉に、青葉がますます肩を縮こまらせ、今度は仲裁に入ろうとする榛名に大和は食って掛かる。

 「大和さん、そこまで言わなくても…青葉さんだって悪気があった訳じゃ…」

 「悪気があってもなくても、司令官に万が一のことがあったらどうするんですかっ!」

 空気が険悪になり始める中、秘書艦席に座っていた翔鶴が静かに立ち上がると、ひどく真面目な顔で独り言のように淡々と語り始めた。

 

 「かくなる上は…戒厳令を発令して那覇泊地を封鎖、徹底的にお探しするべきでしょうか」

 

 普段物静かで大人しい人ほど、いざとなると大胆で苛烈な行動に打って出る。さすがに戒厳令は…と大和と榛名が唖然としているのを気にも留めず、いっそうっすらと微笑みながら、翔鶴はマイクのスイッチを入れ泊地全体に通達を出そうとしている。止めるべきかそのままにすべきか、誰もが中途半端に翔鶴に向け手を伸ばした所で、執務室のドアががちゃりと開く。

 

 「………何してんだ、みんなで?」

 「「「「し…司令官―――――っ!!」」」」

 

 まるで普通に、ちょっとコンビニにでも行って帰ってきたような気軽さで司令官が戻ってきた。きょとんとした顔で、居並ぶ艦娘達にしゅたっと手を上げて笑いかける。司令官をわなわなと震える指で指さしながら、艦娘達は一斉に叫び、再び執務室が大きく揺れる。

 

 

 

 「よ、よかった…」

 と腰が抜けたようにぺたんと女の子座りで座り込む榛名。

 

 「那覇泊地でこんな不始末が…はぁ…」

 とがっくり項垂れる扶桑。

 

 「し゛れ゛いか゛ーん、よ゛か゛ったぁー」

 「司令官、分かりますよねっ! 私が大和ですよっ!」

 司令官の顔を見た途端安心のあまり大声で泣き出した青葉に、自分が()()だと主張し(何を以て本物とするかはともかく、那覇所属であることは事実だ)司令官に捲し立てる大和。

 

 無事を確認し終え一息つくと、当然のごとく皆から説明を求めて詰め寄られた司令官だが、彼にしては極めて珍しく曖昧ではっきりしない返事に終始し、艦娘達の苛立ちを招いていた。

 「司令官、所属不明艦(アンノウン)がいたんですよ? 何をそんな悠長に…っ!」

 「同じ艦娘、だろ。とにかく俺が話をして穏便にお引き取り願ったから、そんなに殺気立つなよ」

 

 特に納得できない大和がさらに詰め寄ろうとした所で、沈黙を守っていた翔鶴がすっとドアに向けて歩き始める。殺気立った雰囲気の中、一人だけ温度の違う行動をとったことで注目が集まるが、意に介することなく、翔鶴は笑顔を浮かべる。

 

 「私は…晩ご飯のご用意をしてきます。司令官にしか分からない何かが、きっとあったんだと思います。必要な事なら、きっとお話ししてくださるはずですから」

 

 

 

 「…ほんとに用意してきたんだ?」

 「そう言ったと思いますけれど?」

 

 夕食と呼ぶにはあまりにも遅い時間、両手でお盆を持った翔鶴を司令官は執務室に迎え入れた。執務机にお盆を置くと、柔らかく微笑みかける翔鶴に対し、司令官は無言のまま箸を取り食事に一礼してから食べ始める。

 

 静かな、時折食器が鳴る微かな音だけがする執務室。翔鶴もまた何も言わず静かに司令官の執務机の横に立っている。不意に司令官が箸を置き、何か不都合があったのかと翔鶴が小首を傾げる。

 

 「…大和に……佐世保の大和に、会ったんだ」

 「はい…」

 「佐世保に従えって、さ」

 「…はい」

 「でなきゃ殺すってさ。でも…彼女はできなかった」

 「………」

 「守るはずの人間(相手)にそんな事を言わなきゃならない…いや、そんな事を艦娘(君達)に言わせるなんて…俺達人間は一体何なんだろうな…」

 

 「目の前にいるのが…そこまで私達を思いやってくださる方だと、分かるだけで十分です。だから…ご自身を責めないでください…お願いです…」

 

 ゆっくりと一言ずつ言葉を選ぶように語り終えた翔鶴は、そうするのが自然であるかのように、司令官を背中からそっと抱きしめる。



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Phase 08
29. ターニングポイント


Phase 8には、MISARA様の『Re:-瑞の約束- 』のメインキャラが登場します。MISARA様、ありがとうございます


【登場人物の補足】

鞍馬大佐
色々秘密の多い呉鎮守府の司令官。『Re:-瑞の約束- 』では海軍改革のために動く。

瑞鶴
鞍馬大佐のパートナー。


 那覇泊地の()()と佐世保鎮守府大将の対立が明るみに出たのは、大将が主催した観艦式での出来事まで遡る。あろうことか双方の艦娘が艤装を展開して対峙、一触即発の事態にまで至ったのだ。騒動の責任を取らされる形で降格の憂き目にあった那覇の司令官が、意趣返しとばかりに佐世保の大将の秘蔵っ子・超弩級戦艦大和と駆け落ちした一件(事実は異なるのだが)は、ある一派には眉を顰める不祥事として、またある一派には留飲を下げる痛快な出来事として、今も軍内での語り草となっている。

 

 元々政治的に敵が多いのが佐世保の大将で、こうなると反佐世保派の人身御供(旗印)として那覇の司令官を利用しようとする勢力が黙っていない。公式非公式の別を問わず、那覇の司令官には接触が続いている。中でも横須賀鎮守府は反佐世保派の急先鋒で、大和や時雨の那覇着任の経緯-背景は違うが、両者とも書類手続きを誤魔化して()()を装った-を掴み、佐世保の大将が那覇泊地に拘る理由を司令官に探らせてようとしているほどだ。

 

 そしてまた一人、司令官への接触を試みる---。

 

 

 「…海がすっごい青いよっ!! ほら、見て見て!」

 「…お前はいつも海の上だろうが、見飽きないのか」

 「そうじゃなくって!! なんかこう…私を見て言う事ない訳!?」

 

 周囲を海に囲まれ天然の美しいビーチが至る所にある沖縄といえども、このご時世にキャッキャウフフとはしゃぎ合って砂浜で水を掛け合うようなカップルの姿を探すのはなかなか難しい。だが何事も例外はある。基地航空隊が展開する那覇空港のすぐ南にある瀬長ビーチは、現在一組の男女の貸し切り状態となっている。

 

 ビーチボールを小脇に抱え黒ビキニを着こんだ女は、翔鶴型航空母艦二番艦の瑞鶴。トレードマークのツインテールを潮風に揺らしながら、デッキチェアに寝そべる同行者にむくれて見せている。どこまでも抜ける高い空、エメラルドグリーンの輝く海、そして美脚全開の美しい恋人…これだけ揃っているのに、男は手元の書類に目を奪われている。

 

 男は、鞍馬大佐という。

 

 年功序列の傾向が強い海軍にあっても赫々たる実績は、若くして彼を四大鎮守府の一角を担う呉の司令長官へと押し上げ、那覇の司令官とはまた違う意味で良くも悪くも目立っている。そんな彼がある日司令官に申し入れたのは、『プライベートで那覇に行く、ハネムーンだ。ついては那覇でおススメのデートコースを紹介してほしい』というもの。

 

 勿論、()()として。

 

 まさかこの戦時下に一軍を率いる将が、秘書艦とイチャイチャ旅行に気軽に出かけるはずがない。つまりいかにもあり得ない理由で那覇に行くというのだ、当然相手も何かあると察するはず。その上で申し入れを受け入れるなら---。

 

 「しっかし本当にビーチ貸し切りにするとはね。この後は…ウェルカムランチって話だが…うわっぷ! 瑞鶴、テメコノッ!」

 

 ばっしゃーんと盛大に海水を浴びせられては、さすがに書類を読み続けられない。デッキチェアから起き上がった鞍馬大佐は、そこでようやく頬を膨らませ不機嫌顔の瑞鶴の姿に気が付いた。目に入るのは、瑞鶴の細い首、綺麗なデコルテ、ささやかな胸、細い腰、すらりと伸びた長い脚…。

 

 「見てって確かに言ったけど……目がやらしすぎるっ! 全機爆装、目標、目の前の鞍馬大佐っ!」

 

 人間離れした運動能力、あるいは手加減か、ともかく瑞鶴の放った彗星一二型甲の急降下爆撃を華麗に躱す鞍馬大佐だが、脳裏は依然として別な事を考え続けていた。

 

 『変に策を弄さずに、正面から話せば何とかなるか―――』

 

 海軍という巨大組織は決して一枚岩ではなく、様々な思惑・目的で様々な派閥が合従連衡を繰り返している。この鞍馬大佐もまた、深海棲艦との戦いを通して知った現実、あるいは否応なしに知らされた事実に真正面から向き合い、軍の改革を目指す海軍若手グループの重要人物の一人。彼と彼のグループが極秘裏に進める『理想郷』計画実現のため、信頼できて、かつ有能な仲間を必要としている。鞍馬大佐は目星をつけた候補の一人・那覇の司令官の勧誘に自ら動き出していた。

 

 

 

 那覇泊地からやや離れた小さな集落、といっても深海棲艦との戦争の勃発により住民は強制疎開させられたため無人で、その一角にある古びたビストロ(正確には元、だが)に、司令官は鞍馬大佐を招待していた。もちろん妖精さんの手による魔改造で内外装ともリニューアル済み。

 

 「いかがですか? 沖縄は新鮮な魚介類の宝庫です。素材の良さと技巧の両方をお楽しみいただくのに今日はフレンチを選びました」

 

 器用な手つきでナイフとフォークを動かし、伊勢海老のテルミドールを味わっているのは那覇泊地の司令官。同行者として陪席している榛名は、「すみません、お箸をいただけますか」と厨房に向かって訴えている。テルミドールとは、オマールや伊勢など大型の海老の身を半割にし、クリーム系のソースをかけ、チーズなどをふって焼き上げたもので、披露宴などのパーティによく登場する古典的なレシピ。

 

 長いテーブルの向こう側では、鞍馬大佐が司令官に返事もせず伊勢エビと格闘しもりもりと食べている。その隣、瑞鶴はナイフ&フォークでの食事に慣れていないようで悪戦苦闘しているが、切り分けた身を口に入れた瞬間、ん~っ!!と言葉にならない喜びを満面に浮かべている。そんな鞍馬大佐と瑞鶴(ゲスト二人)の様子を眺めながら、結果的に無視された司令官は苦笑で肩を揺らしている。

 

 「お料理に夢中になっていただけるのは嬉しい事です。お待たせしました榛名さん、はい、こちらを。お客様はいかがしますか?」

 

 厨房から姿を現し、くすくす笑いながら榛名に箸を渡したのは鳳翔で、今日の料理を一手に引き受けている。和食のイメージが強い彼女だが、実は和洋中いずれも造詣が深くフランス料理であっても並みならぬ技量は遺憾なく発揮される。ちなみにテルミドールは、ハネムーンということでしたら、と鳳翔が選んだ一品となる。

 

 「いや、大丈夫です。てかホントうま…美味しいです。こんなの初めて食べました」

 「ほんと凄いっ! もっとこういういいお店に連れてって欲しいなぁ~」

 

 気心の知れた仲の鞍馬大佐と瑞鶴の交わす軽口を、司令官は柔らかな笑みで見守っていたが、その目は相手に気取られない程度に笑っていない。本来なら那覇泊地に案内してもよいのだが、四周を海に囲まれた沖縄本島において外来者はとにかく目立つ。憶測を広めない意味でも、鞍馬大佐の目的がはっきりするまで泊地には通さない、と司令官は決めていた。

 

 

 

 贅を尽くしたコース料理を終え、締めくくりのコーヒーがテーブルに並んだところで、司令官が切り出した。

 

 「なぜか最近は面会の依頼が増え、対処に苦慮しています。こちらも事情があるので、全てお断りしていたのです。会えば()()を求められますので…」

 年齢は司令官の方が上だが、階級は鞍馬大佐の方が上のため、司令官は丁寧な物言いに終始している。どうせ反佐世保派に味方しろ、という話だろうが、自分の政治利用は諦めろ、と鞍馬大佐に遠まわしに釘を刺した。なにせ行方不明の艦娘を人質にとられているようなものだ。

 

 出だしから牽制された格好の鞍馬大佐が一瞬鼻白むが、だからといって引き下がれない。目の前にいるこの少佐を引き込めるかどうか、重要な問題だ。ただ、司令官の言う『事情があるから断る』とは、事情が許せば断らない、とも受け取れる-脈がない訳じゃなさそうだな、と大佐は遠回しに本題に入ろうとする。

 

 「…なら、どうして、お…私の会談依頼は了承してくれたんだ…ですか?」

 慣れない丁寧語で噛む鞍馬大佐に、司令官は苦笑いしながら応える。

 

 「それは…『おすすめデートコース in 那覇』をお知りになりたいんですよね? そういう申し出は今までなかったので興味が湧きまして」

 

 -いきなり政治的な題目で誘っても引かれるだろ。だが、それだけのためにわざわざこないだろ!

 

 司令官のようなのらりくらりとした対応を苦手とする鞍馬大佐は、だんだんイラつきはじめ、本題に切り込み始める。

 

 「少佐も元は戦闘機乗りなんだろ? 一瞬の判断に命を賭けて戦うんじゃないのか? 回りくどい話はやめようぜ」

 鞍馬大佐は普段通りのややラフな口調に戻り、腹を割ろうと誘うが、司令官は乗ってこない。

 

 「…鞍馬大佐、お言葉を借りるなら、私は…艦攻乗りでしょうね。必中射点に目標を捉えるまで、耐えてでも隠れてでも、機会を窺います」

 

 明らかにいらいらした表情で乱暴に頭をかきながら、ついに鞍馬大佐は先に本音を言わされた。

 

 「少佐、率直に言う、俺達の『理想郷』計画に参加してくれ。海軍は生まれ変わらなきゃならない、少佐もそう思うだろ?」

 

 熱弁をふるう鞍馬大佐に、うんうんと力強く同意する瑞鶴。司令官は疑わしそうにそんな二人の情熱を冷めた目で眺め、榛名と鳳翔は目を白黒させて対照的な二人の指揮官を交互に見るしかできずにいた。

 

 沈黙を守る司令官だが、泊地の情報官を務める青葉が入手した、いくつかの断片的な情報が一気につながったのを理解した。自分が思っていたのより、大掛かりな事態が急速に進行しているのか…? そんな司令官の懸念を余所に、鞍馬大佐は、少なくない数の海軍の若手が参加すること、軍が秘密裏に行っている数々の非道な生体実験など、青葉の情報網でも知り得なかった情報を次々と披露する。司令官も、そこまで海軍が腐っていたのか…と驚きを通り越し言葉も出なくなってしまった。

 

 「………どうだ?」

 

 鞍馬大佐は席を立つと、司令官の元まで歩みを進め手を差しだす。承諾の返事として握手を、ということなのだろう。

 



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30. 嫌な予感

 呉の鞍馬大佐は那覇に爆弾を持ち込んだようなものだ。単なる派閥の合従連衡に留まらず、海軍中枢の変革を目的とする若手軍人集団への参加要請…ここまで聞かされた以上、返事として許されるのは「はい」か「イエス」だろう。それでも---。

 

 「…申し上げた通り、こちらにも『事情』があります。しかもこんな大きな話にハイそうですか、と乗れると思いますか?」

 

 海軍に歪みがあり、そのしわ寄せが現場と艦娘に押し付けられていることは司令官も十分に理解している。中でも佐世保の大将とは対立状態にあり、横須賀の大将には利用されている現状…行方不明の艦娘の件さえなければ、軍の正常化というトピックは非常に興味深い。一方で鞍馬大佐の行動は、一歩間違えれば反乱と見做されかねない危険なものだ。やる以上成算はあるのだろう、だが加担して万が一失敗すれば、企てに参加した将兵は言うまでもなく処分、艦娘も間違いなく解体されるだろう。

 

 現状を良しとはできないが、正義は勝者が行う結果に対する理由付けに過ぎない…司令官が逡巡を明らかに表情に出している傍らで、榛名は最早状況に付いてゆけずにいる。素直で生真面目な性格の彼女にとって、いくら腹立たしい存在とはいえ軍上層部に反旗を翻すなど、想像力の限界を超えていた。不安を少しでも和らげようと、司令官を見上げながら彼の腕に取りすがっている。

 

 鞍馬大佐も、司令官が自分たちの計画に容易に乗らない理由に見当はついていた。佐世保の大将が那覇泊地在任時に行った数々の不法行為の中で目を引くのは、所属艦娘をオークションまがいに売り払って大金を手にしていた事。現任司令官-目の前にいる那覇の少佐が行方不明の彼女達を追跡している事も知っている。苦し気に表情を歪めた鞍馬大佐は、それでも告げねばならないと腹を括る。事実を事実として受け止められないようでは、那覇の少佐を仲間に迎え入れることはやめた方がいいだろう。

 

 「…そちらの榛名さんの様子を見ていると、少佐が艦娘から信頼されているのはよく分かるよ。けど少佐、那覇さえ…自分の艦娘さえ守れればそれでいいのか? 」

 

 今度は司令官は顔を歪める番となった。自分さえよければそれでいいのか、そう問われている。鞍馬大佐は持参したファイルを取り出し、司令官に手渡す。あまりにも凄惨な内容なので、瑞鶴にさえ見せていない。

 

 「少佐の『事情』も俺はかなり把握している。海と空の通常戦力部隊が裏で動いていて、今も数名の艦娘がその島に拘束されているらしい。相当イカれた相手のようだな…」

 

 ぱらぱらと捲ったファイルを流し読みする間に、みるみる司令官の表情は青褪めていった。効果を完全に認識した上で司令官に情報を渡した鞍馬大佐も、流石に気まずそうに目を伏せる。だが『理想郷』計画実現のために、那覇泊地の占める役割は大きい。穏便に政治的に決着を付けるつもりなのは言うまでもないが、だからといって武力行使をタブーとしている訳でもない。

 

 万が一そういう段階になれば、九州方面に進攻するにせよ、東南アジア方面から進んでくる敵対勢力を迎え撃つにせよ、那覇は攻防両面での要石となる。あるいはそんな混乱した状況で深海棲艦が侵攻してきた場合、当然その抑えは必要になる。目を伏せたまま、司令官が言葉を継ぐ前に断定的に言う。

 

 「どうするかは任せるさ。よく考えて…その上でどうするか知らせてくれ」

 

 それだけ言うと、鞍馬大佐は瑞鶴に目で合図をして帰り支度を始める。司令官が動けばよし、動かなければ自分たちでやる。

 

 「…お待ちください」

 

 司令官が鞍馬大佐と瑞鶴を呼び止め、自分が持っていたファイルと車のキーを鞍馬大佐に向け差し出す。

 

 「…せっかくなのでこちらをお使いください。車は帰るときに港湾事務所に預けて頂ければ構いません」

 

 鞍馬大佐と瑞鶴がファイルを覗き込む。鞍馬大佐は苦笑し、瑞鶴は目がキラキラと輝く。那覇泊地の艦娘達から情報収集して作った『おすすめデートコース in 那覇』は、実在した---。

 

 

 

 泊地に戻ると司令官は雰囲気にすぐ気がついた。艦娘のみんながどこか殺伐としているように感じられる。

 

 

 「そりゃぁそうですよ司令官。私たちにおすすめデートスポットを聞いておいて、突然出かけたと思ったら、榛名さんと鳳翔さんと帰ってきたわけですからねぇ~。スキャンダルですよ。……で、一言取材よろしいですか?」

 

 青葉がからかうような口調でチクチク非難する。つまりデートに誘う口実として行きたい所を聞かれた、みなそう思ったという訳か―――言われてみりゃそうだよな…とアチャーっと顔を顰める司令官に、「自業自得ですね」と他人事のように声を掛けた青葉だが、それでも少しは気の毒だと思ったのか、最低限のフォローには協力すると言い残し、すたすたと立ち去っていった。

 

 「翔鶴さんと、できたら大和さんのフォローはしておいてくださいね~。他のみんなは青葉の方でなんとかしますから」

 

 

 同日夜―――。

 

 司令官の執務室に集められた翔鶴、榛名、大和、扶桑、時雨、神通。背景-鞍馬大佐との会談-を知る榛名は硬い表情を崩さない。全員が揃ったのを確認した司令官は、思い詰めたような表情を変えず本題に入り始めた。集められた六名は那覇泊地有数の練度を誇る精鋭、そしてこの場にはいないが青葉と鳳翔には共通点がある。性格的に口が堅い、もしくは司令官に絶対の信頼を置いていて、これから話すことを口外する心配がない---。

 

 「………ここから話すことは、何があっても極秘にしてほしい。君たち六人には、特務として俺と一緒に作戦に参加してもらう」

 

 司令官自ら前線に赴く、の発言に全員が反応するが、皆の声を無視するように司令官は無言で資料を用意し、会議の準備を整えている。顔を見合わせていた六人だが、淡々と語られる司令官の言葉に、顔色を失い、やがてそれぞれに異なる反応を示す。

 

 「はぁ…空が青く晴れる日は…来るのでしょうか…」

 「止まない雨はないって思ってたけど…」

 

 短く嘆息すると暗い目を伏せるのは時雨と扶桑、そして完全に言葉を失い青ざめた表情の神通。両手で口を覆い目に涙を溜め、それでも司令官から視線を逸らさずにいる翔鶴。

 

そして---。

 

 「……次の作戦は特務ですね。通常戦力部隊……つまり人間の部隊を相手に戦う、そういうことですか?」

 

 胸の下で両手を組んだまま、困惑を隠さずに大和が司令官を問い詰める。苦しげな表情に変わった司令官は、振り絞る様に答えを返す。

 

 「施設接収と関係者の拘束が第一目標となる。戦力差を見せつけて降伏を勧告、が妥当な線だろう、必ず戦うと決まった訳ではない。明日払暁より現地情報の収集と機材の準備に入る。実行は情報の精査を踏まえた上で決定する」

 

 

 

 那覇泊地の北東約二五〇kmに位置する上ノ根島、有史以来人が居住した記録がないこの無人島だが、コードネーム『黒い妖精(Hell Hound)』、略称H2機関と呼称される()()の研究施設が設立され暫く経つ。

 

 改めてこの世界における艦娘という存在を振り返ってみよう。素体と呼ばれる、人工的に製造された人間を凌駕する能力を備えた強化生体に、古神道や密教などの秘儀により召還された在りし日の戦争で沈んだ軍艦の船魂や共に戦い散った兵士の想念を(コア)として宿らせた生体兵器。艦娘の魂がオカルトロジーの精華なら、その器となる素体はバイオテクノロジーの極致である。前者については古神道の神職・中臣浄階の理論を元に『建造』という手法が確立され、後者については生化学の国際的権威であり、複数の博士号を持つ鬼才・西松教授を中心とする開発グループのモデルが採用されたという。

 

 ここまでは現状の再確認となるが、問題は勝者がいれば必ず敗者がいる事。

 

 艦娘が深海棲艦との戦争における主力となった現在だが、ここに至るまで技術的な紆余曲折は当然のようにあり、試作開発競争に敗れた研究者グループもいる。上ノ根島のH2機関は、そういう艦娘開発のメインストリームから外された技術者や学者と、復権を諦めない海空軍の一派-艦娘の登場とその後の活躍により、対深海棲艦との戦争から締め出された通常戦力部隊-が手を組み発足した。

 

 現用兵器群が深海棲艦に抗しえない理由、それは最大の武器となる誘導兵器による超アウトレンジ攻撃の要となる電子兵装が敵を捉えられないことにある。空軍の航空戦力も海軍の戦闘艦艇も、設計思想上想定していない有視界戦闘で壊滅的な被害を受けた。言い換えれば、現用兵器のレーダーやソナー、センサーで深海棲艦を捕捉できさえすれば、通常戦力部隊の兵器システムは効果を発揮する。発想それ自体は決して間違いとは言えないが、問題は方法だ。

 

 元空軍のパイロットとして通常戦力で深海棲艦と戦ったから理解できる--深海棲艦を補足できるレーダーを開発し、通常戦力を強化する意味。

 

 那覇泊地の司令官となった今だからこそ、受け入れられない--通常戦力強化のために艦娘を犠牲にして素材に用いる人間のエゴ。

 

 空海軍の通常戦力部隊が背後にいるとはいえ、H2機関がどうやって艦娘を入手したのかなど、謎はいまだ残る。知りたいなら自らが前に出るしかない…こうして異例ともいえる指揮官が前線に出る作戦は決断された。



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31. 遠い空

【登場人物の補足】

間宮大尉
『Re:-瑞の約束- 』呉鎮守府の司令官・鞍馬大佐の盟友。F14Dトムキャットを駆る凄腕パイロット。


 轟音を響かせ、一機の戦闘機が着陸態勢に入る。メインギアの接地からブレーキ、ノーズギアの接地まで、流れるようなスムーズさで着陸する、胴体下に八四〇kgにもなる戦術航空偵察ポッドを抱えたF14Dトムキャット。開発国のアメリカでも退役し最早目にすることの少ない機体だ。

 

 司令官は翔鶴を伴い、このF14のパイロットと会うため、那覇空港を訪れている。

 

 -バタンッ

 

 案内されたガンルームで目的の人物の登場を待っていると、乱暴にドアが開き早足に一人の男性が入室してきた。

 

 「待たせたか? そんじゃぁさっさと話を済ませようぜ。時間がねぇんだよ、とにかく」

 

 挨拶も自己紹介もないぞんざいな態度に翔鶴が眉をひそめる。この男、間宮 翔(まみや かける)大尉は、呉鎮守府の鞍馬大佐の片腕的存在。そんな彼は今回、鞍馬大佐の特命を帯びて沖縄を訪れた。依然として自分たちの計画に明確な返答をしない司令官の動向を探るのが目的となる。

 

 「で、どれだけの艦娘を回せるんだ? 」

 いきなりの切り口上に、翔鶴は露骨に嫌な顔を見せる。それ以前に那覇泊地が鞍馬大佐の計画に参加することを前提とした物の言い方が気に入らない。翔鶴を目で制した司令官は、改めて間宮大尉に回答する。

 

 「那覇泊地は、以前鞍馬大佐から提供された情報に基づき、上ノ根島に設置されたH2機関の接収、必要があれば戦闘を行うべく準備を進めています。翔鶴、大和、榛名、扶桑、時雨、神通からなる精鋭を特務部隊として編制、他の艦娘は那覇の防衛のため留め置きます」

 

 司令官に那覇の精鋭の一人、しかも筆頭に名前を上げられ思わず笑みが漏れる翔鶴。それを見ながら、間宮大尉は両目を閉じるように伏せながら言う。

 

 「なるほどね…俺たちの計画よりも上ノ根島、ね…。びびって腰が引けたか?」

 

 含みがあるように言いながら、間宮大尉は密かに心を痛めていた。上ノ根島に関する情報を調べ上げたのは他でもない彼であり、あの地で起きたことは掴んでいる。それでも現象よりも原因-目の前で起きている問題よりも、問題を生み出した根本を正す…それが『理想郷』計画で、ここからの戦いはさらに過酷になり、かつ負けられない…その思いが口調に棘を帯びさせる。

 

 だが、びびったとまで言われては黙っていられず、翔鶴が思わず気色ばみ立ち上がる。

 

 「なっ…!! あまりにも失礼ですね、間宮大尉。私たちがどのような思いでこれまで戦って-」

 「知ってるさっ! だからこそ、だ。おい司令官よ、本当に腹ぁ括ってるんだろうな?」

 

 翔鶴の言葉を遮り、大きな声で被せる間宮大尉。艦娘達に献身と犠牲を強いることでしか得られない艦娘達の未来。その重い責任を負う覚悟がない相手なら、これ以上話すのは時間の無駄、とさらに言い募る。

 

 翔鶴が肩を震わせながらうつむいている。徐々に肩の震えが大きくなり、怒りを堪えているようだ。キッと顔をあげた翔鶴の瞳は涙をため、頬はすでに流れ落ちた涙で濡れている。

 

 「…どうして、大尉は司令官のことをそんな風に…何も…何もご存じないのに…… 」

 

 両手で顔を覆いしゃくりあげるように泣く翔鶴の肩を抱きながら、じとーっとした目で間宮大尉を見据える司令官。

 

 「………泣かせた」

 

 あれ? 俺完全に悪者じゃね? だらだら冷や汗をかき始める間宮大尉。この男、口は悪いが女の涙には弱いようだ。

 

 「…………悪かったよ、言い過ぎた」

 

 間宮大尉は気まずそうに頭をがりがり掻きながら、翔鶴に詫びる。視線の先では、翔鶴の頭をなでる提督と、まだ目に涙をためながら彼を見上げる翔鶴。

 

 そんな二人を見ながら、心が通い合ってる者同士を見るのはいいものだな、間宮大尉はそう感じていた。旦那は嫁艦に全幅の信頼を置いて選抜艦隊の筆頭にあげ、嫁艦は自分のことじゃなく、旦那が悪く言われた事で泣くんだもんな…目の前の光景は、人と艦娘の濃やな絆を、鞍馬大佐と瑞鶴とはまた違った形で間宮大尉に告げ、彼の舌鋒と表情を和らげる効果をもたらしたようだ。

 

 「まぁ…司令官、あれだ、その。とにかく、よろしく頼んだぞ。那覇泊地がH2機関の件を優先するなら、細かい事は鞍馬大佐と詰めてくれよ。けれど予定くらいは立ててるんだろう?」

 「配備を要請している機材がいまだに到着しないので…それさえ揃えば、という所ですが…はっきりできず申し訳ない」

 

 今回の特務では前線指揮を執るため移動用の通常艦艇の配備を要請しているが、一向に目処が立たない…と、司令官は困った表情で間宮大尉に状況を説明する。()もグタグタだからなぁ…と同情気味の間宮大尉は「その件はまかせとけ」と軽い感じで呟くと、ヘルメットを取り上げながらガンルームを出て行こうとする。

 

 「見送りますよ、F14も見たいですし」

 一線を退いたとはいえ元パイロットの血が騒ぐのか、司令官は間宮大尉と並んでハンガーまで歩いてゆく。

 

 おそらくは飛行機の機動を模しているだろう、身振り手振りを交え、熱く語り合い盛り上がりながら歩く司令官と間宮大尉。当初ぎくしゃくしていた二人の男も、『空』という命がけの共通項で打ち解けたようだ。二人から少し遅れて歩く翔鶴は、子供のような二人を眺めながら、微笑ましい気持ちになる。

 

 「今日はこれで帰るが、やろうぜ、模擬戦(これ)。しばらくデスクワークだから体が鈍ってるだろ? 俺が鍛え直してやるよ」

 照れかくしも含め、間宮大尉は再び手をひらひらと動かしながら誘うが、その言葉に司令官は寂しげに誤魔化しながら答えるしかなかった。

 

 「乗機がありませんよ」

 「…そういうなよ。ところでお二人さん、結婚式は呼んでくれよ、F14(こいつ)と一緒にどこからでも駆けつけるぜ」

 音が出そうなくらい勢いよくVサインをビシッと決める間宮大尉と、それをポカンとした顔でお互いの顔を見る司令官と翔鶴。

 

 「だって、お前らアレだろ、ケッコンカッコカリなんだろ?」

 どう見てもそうとしか見えなかったのだが…そんな二人の様子を不審げに眺める間宮大尉。ちなみに『理想郷』計画には、法改正の上で人間と艦娘のケッコンカッコガチを認めることも含まれていたりする。

 

 だがよく見れば、二人とも指輪をしていない。顔を真っ赤っかにしながら両手を頬に当ててチラチラと司令官に視線を送り続ける翔鶴と、だらだら冷や汗をかき無言を貫く司令官。

 

 「女を待たせるもんじゃねーぞ?」

 

 じとーっとした目で司令官を見据える間宮大尉は、ふっと相好を崩し、別れの言葉を司令官と翔鶴にかける。そろそろ発進の時間だ。

 

 「また近いうちにな」

 

 

 

 『また近いうちにな』、そう言い残し間宮大尉は沖縄を後にした。だが---。

 

 

 「近いうちすぎませんかね、これは」

 「そう言うなよ。今日はお土産つきなんだ」

 

 その翌々日、再び那覇空港に呼び出された司令官は、意気揚々と姿を見せた間宮大尉に苦笑交じりで皮肉をぶつけてみた。が、当人にはまったく堪えてない模様。しかも土産付き-格納庫(ハンガー)には間宮中佐の乗機F-14D トムキャットに加え、かつての司令官の乗機・洋上迷彩塗装のF-2 支援戦闘機が翼を休めている。二機が翼を連ねて上空に姿を見せた時の司令官の複雑な心境は、()()()者にしか分からない…。

 

 「約束通り、やろうぜ模擬戦(これ)()空軍第八航空作戦団第三小隊隊長…悪ぃが徹底的に調べさせてもらったぜ」

 むふーっと鼻息の荒い間宮大尉に対し、さすがに司令官の顔が歪む。

 

 「…言いたくなかったのですが、俺の目はダメなんですよ」

 「報告書には治療済みってあるぜ? 飛ばない言い訳は聞きたくないね。一緒に飛べば、お前がどういう男か全て教えてくれる。それとも、怖いのか?」

 同行したF2のパイロットがおろおろする眼前で、間宮中佐が司令官に詰め寄り、二人はにらみ合う。

 

 「だいたい、何でそんなに俺にこだわるんだ?」

 「んなことも分からねぇのか!! 俺が一緒に飛びたいからだっ!! それ以上何の理由がいる!?」

 

 呆れた単純さだ、と司令官は唖然とする。単純な分、熱い。だからこそ司令官も正面から答える―――。

 

 「治療済みってのは、視力ゼロじゃない(それ以上できる事がない)、って意味だ。最近また悪化してさ…こんな至近距離じゃなきゃ、俺の左目は焦点が合わないし視力だってひどいもんだ。遠近感のないパイロットに何ができるっ!? いい加減分かれよ、飛ばないんじゃない、()()()()()()()()!!」

 

 心底悲しそうに、間宮中佐は項垂れながら頭を何度も振っているが、辛うじて言葉を絞り出した。

 

 「…ほんとにダメなんだな………。だから海なのか…」

 「きっかけは妖精さんが見える、それだけで予備役招集されたんだ。それにこれじゃぁ、前線指揮官としても遠くないうちに退く事になるかも知れない。だから俺には君らの言う()()()()()()()()、そういうことさ。それまでの間、那覇(ここ)は必ず守る。今は第二の故郷で、艦娘のみんなは掛け替えのない家族だから。誰ひとりこんな戦争で失いたくない、そのためにできることをする」

 

 パイロット、司令官、そしてその先の覚悟…それを聞いた間宮中佐は、みるみる顔を歪め、その眼にはうっすら涙を浮かべている。

 

 「分かったよ…鞍馬には俺からよく言っておく…。けどよ…いつか必ず目を治して俺と翔べ、いいな? それまでそこのF2、お前に預けとくぞ」

 

 轟音を響かせながらテイクオフするF14Dを、今ではすっかり身になじんだ海軍式の脇を閉めた敬礼で、司令官はいつまでも見送っていた。

 

 -期待には応えられないかもしれない、けど…ありがとう。



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Phase 09
32. Hell Hound


 日が経つにつれ集積された上ノ根島の情報。執務室では司令官と特務艦隊に選抜された六名により情報の分析が行われている。

 

 彩雲を駆る妖精さんが捉えた航空写真には、様々なものが写っている。各種施設、倉庫や宿舎、それらを取り囲む高い塀、正門前に立つ銃を持った警備兵。だがそれらよりも、目を引くのは施設の中心部に設置されている複数の電探と各所に設置された、長いドラム缶を六個束ねたような形状の装置、円筒状の物体から突き出た砲身を持つ装置など--。

 

 「……何が民間施設だ…。明らかに海軍の通常戦力部隊の装備じゃないか……」

 

 司令官はいったん言葉を切る。地対艦誘導ミサイルにCIWS…どれも見覚えがあるが、深海棲艦に通用しないのは明らかだ。厳密に言えば、命中すれば効果はある。だが、レーダーやソナー、センサーで捕捉できない相手に命中させようがない。それはこれまで人類が深海棲艦に重ねてきた敗北の歴史で明らかだ。なのに、これらの武装を備えているということは---?

 

 顎に手を当て考え込んでいた司令官の懸念は、ある日最悪に近い形で現実のものとなった。

 

 より詳細な情報を求め一二機もの彩雲を投入して行われた偵察は、一一機が信号途絶、墜落寸前の状態で辛うじて一機だけが帰投する惨憺たる結果。さすがにこれには、翔鶴はもちろん司令官も顔面蒼白になった。命からがら帰ってきた妖精さんの話によれば、上ノ根島五km圏を超えた所で、突如として島側から高速のロケット砲のようなもので正確無比な攻撃を受けたとのこと。

 

 「いったい…何が起きたのでしょうか…?」

 翔鶴が不安そうにつぶやく。司令官によれば、上ノ根島に配備されているのは通常兵器。であるなら、その最大の長所である高性能レーダー+誘導兵器での超アウトレンジ戦は自分たちや深海棲艦には通用しない。

 

 だが---現実に多くの偵察機が未帰還となった事実を無視するわけにはいかない。しかもこれは軍の哨戒活動に対する明らかな敵対行為。それでも残る疑問、なぜ相手は突然態度を豹変させたのか?

 

 「使える目処が立った、あるいは俺たち相手に実戦テスト…そういうことだろう」

 

 苦りきった顔で提督が絞り出した声が執務室に漂う。戦いを恐れる艦娘など那覇泊地にはいない、けれど戦う相手はこれまで自分たちが命を懸け守り続けてきた人間…その予感が特務艦隊に参加する六名に重くのしかかった。

 

 

 

 間宮大尉が去り際に残した『その件はまかせとけ』の言葉は、時を置かず実現した。ミサイル艇PG824(はやぶさ)が、特殊部隊一〇名を含む各科科員と一緒に那覇に到着したのだ。これで作戦準備は完了、司令官はすぐさま作戦行動開始を指示した。

 

 翔鶴、榛名、大和、神通、時雨が、二五ノットを維持した輪形陣で海を進み、その中心には司令官と扶桑が座乗するはやぶさが陣取る。低速艦の扶桑は現地到着後に展開する段取りとなる。着任以来司令官が前線に艦娘と共に赴くのは初めてだ。というより本来司令官はそんなことはしないのだが、それだけ今回の作戦は特別といえる。

 

 『艦娘並びに関連兵装の不法占有容疑により、施設接収及び関係者の拘束を命ずる。抵抗がある場合はこれを排除、実力を持って所定の目的を完遂するものとする』

 

 事前警告は黙殺されたまま、部隊は上ノ根島へと近づいている。相手の沈黙が意味するものは--艇長室で思い詰めた表情で身じろぎせず椅子に座る司令官の横に立つ扶桑は、ちらりと視線を落とす。視線に気づいたのか、それでも司令官は扶桑の方を見ずに、淡々と言葉を紡ぎ始めた。

 

 「…時雨が着任した時、扶桑とは色々話し合ったよな。あの時は軍上層部からの圧力をどう躱すか、って話だった。あれから時は経ったが、やっぱり俺達人間はロクな事をしていないんだな…」

 「そんな---」

 

 巫女服の白い袂がふわりと踊ると、扶桑は艇長席に寄り添うように膝立ちとなる。一括りにして言わないでほしい…他の人間は知らないが、少なくとも司令官の事だけは分かるつもりだ、と扶桑はふるふると頭を振る。長い黒髪が揺れ、ふわりと甘く濃厚な香りが司令官の鼻をくすぐる。扶桑が思いの丈を口に上らせようとした瞬間---。

 

 はやぶさの艇内に警報が響き渡る。ロックオンされたことを知らせる緊急警報で、同時にCICから連絡が入り、司令官と扶桑は騒然と駆け出す。その間にもはやぶさは防御態勢を整え、自動でECMが作動するとフレアチャフが放たれる。レーダーには上ノ根島の方角から高速で飛来する物体が二つ映し出され、進入方向から見て輪形陣を成す艦娘が狙われていることが窺える。

 

 目視できるがレーダーに捉えられない艦娘に対する正確な攻撃に、はやぶさの艇内が騒然とする。レーダースクリーン上の輝点の移動速度から、接近する飛翔体の速度は時速一〇〇〇km強。偵察結果を踏まえれば、地対艦誘導ミサイルSSM-1だろう。ならば着弾まで五分強。

 

 艦娘達も、突然現れ、自分たちに向かって高速で接近してくるミサイルに驚き棒立ちになり、はやぶさから放たれたチャフフレアをぼんやりと見送っている。

 

 「全員艇の右舷に緊急退避っ! 」

 

 司令官の声で我に返った艦娘達は、命令通り速やかに右舷に回り込み艇を盾にするように身を伏せる。はやぶさは深海棲艦には抗すべくもないが、相手が現用兵器だと話は別だ。ECMの電波妨害とチャフにより一基のミサイルはあらぬ位置へと着水し爆発した。残り一基は、七六ミリ六二口径砲の狙撃ともいえる砲撃で破壊された。

 

 これではっきりした-相手は、深海棲艦…ひいては艦娘をも捕捉可能なレーダーの開発に成功し、誘導兵器とセットで運用を行うことができる。

 

 

 そして―――明確に自分たちと戦う意思がある。

 

 

 

 司令官は矢継ぎ早に指示を出し、海上に展開した扶桑は仲間との合流を急ぎ疾走を続ける。

 

 「戦闘開始! 敵の電子兵装ははやぶさのECMで抑える、翔鶴は位置そのままで攻撃隊を展開しSSM-1を叩け! 大和、榛名、扶桑、有効射程距離まで前進し艦砲射撃準備!! 敵打撃力を無効化した後に威嚇砲撃、降伏を勧告する。神通は大和たちの護衛、時雨ははやぶさと翔鶴の護衛に当たれっ」

 

 司令官の指示を受け、翔鶴は弓を構え攻撃隊を次々と発艦させる。その間に戦艦部隊と神通が艦砲射撃の射程に上ノ根島を捉えるため全速で前進を始めた。はやぶさは電子戦と主砲による対艦ミサイル迎撃にあたる。攻撃隊が目標に到達するまで約五分、ECMで敵をどの程度抑えられるか不明だが、SSM-1の次弾の到着と入れ違うような形になるはずだ。どちらが先になるか--翔鶴の攻撃隊がカギを握っている。

 

 上ノ根島の攻撃に向かわせたのは四八機の流星改と二四機の紫電改二。敵にたどり着くまでに三分の一は被害を受けるだろうと翔鶴は覚悟していたが、何事もないまま攻撃地点上空に差し掛かる。ECMが効いている証拠だろう。島の北側の起伏のない緩斜面の大部分を占める設備群、そこからやや離れた位置に陣取る目標のSSM-1と大型電探、それを守るようにCIWSが、さらにその前面に短SAMが展開しているが、邪魔をするなら、もちろんこれも叩く。敵の対空兵器が不思議なほどの沈黙を守っているが、大人しくしてくれているのはいいことだ。今のうちに目標を潰す。

 

 先頭を行く編隊長機が翼を三度バンクさせた。突入の合図だ。四機一組で編隊を組み、波状攻撃を仕掛ける。先陣を切る四隊が急降下で迫る。SSM-1の周辺にいた担当員らしき人間たちが慌てて逃げてゆくの見て、航空隊の妖精さん達は安堵しつつ照準環を睨む。

 

 計一六発の二五〇kg爆弾が投下されたのと、キャニスターから六発のミサイルが発射されたのは同時だった。ミサイルのブースターの激しい炎が消えやらぬ中、次々と着弾する爆弾により、大破炎上するSSM-1の発射装置。大型電探にも損害を与えたのは間違いない。

 

 

 「司令官っ、敵誘導兵器の破壊に成功しましたっ。ですが、最後に六発の斉射を許してしまいました、申し訳ありませんっ!!」

 

 翔鶴から報告が入った内容ははやぶさのレーダーでも捉えている。

 

 「上出来だ翔鶴、SSM-1ははやぶさで対処する。心配するな」

 「司令官…うち三基がこちらに向かってきますっ!! 目標…本艇ですっ!!」

 

 はやぶさ内に緊張が走る。ECMの発信源であるはやぶさを叩くため、三基のSSM-1が突入してくる。

 

 一基の欺瞞に成功したがこれでチャフは使い切った。残り二基のうち一基は主砲で撃墜した。だが、最後の一基が主砲射界の死角となる右舷後方、真後ろに近い位置から突入してきた。回避行動に入れば、間違いなく翔鶴か時雨が狙われる。

 

 時雨は、はやぶさの、いや、司令官の盾になる決心を瞬時に固め、接近するミサイルへと向かおうとする。そんな時雨の気持ちを見透かすように司令官は優しく、そして厳しく命じる。

 

 「すぐに命を粗末にしようとするのは悪い癖だぞ、時雨。敵弾の未来位置演算はこちらで行う、指定位置に対空弾幕形成っ」

 

 はやぶさの射撃管制に基づいて時雨が対空射撃を集中展開し弾幕を張り、そこにミサイルを飛び込ませる-これでだめなら直撃を受ける。司令官は背中にびっしょりと冷や汗をかきながら、その時を待つ。

 

 果たして---ミサイルが弾幕を通過する。誰もが失敗した、と思った瞬間、ミサイルは不安定な挙動を示す。飛行制御ユニットにダメージを与えたのだろう。直撃コースを飛翔していたSSM-1ははやぶさから逸れたものの、左舷中央あたりの空中で爆発した。強烈な爆風と火炎、ミサイルの破片に襲われたはやぶさの艇体が激しく動揺する。



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33. IT -イット-

 「おい、しっかりしやがれっ、あれくらいで。それを貸せっ!!」

 

 H2機関の研究棟内--白衣を着た研究員と思しき男が、ヘッドセット式のゴーグルを付け、手には大型のジョイスティックを持っている。すぐ横には、大量のコードが付属するヘルメット状の装置をかぶせられた金髪の少女-IT-がいる。隠された目や耳の位置から出血し、呼吸も途切れがちだ。コード類は男が奪ったゴーグルとジョイスティックにつながっている。

 

 IT(イット)…文字通り『それ』とだけ呼ばれるのは、空海軍の一部勢力から資金援助を受け、理性のタガを外した技術者の執念が生んだ歪な果実。不採用となった艦娘建造方法で生み出されたITは、部分的には正式採用となった現行の艦娘に勝る部分はあるものの、総合的な性能は大きく劣るものだった。

 

 人型の外見を除けば情緒も性能も不安定で、期待された性能は発揮できなかった。ならば、とIT(失敗作)は高性能化を目指す--不正入手した艦娘(成功作)生体解剖(リバースエンジニアリング)し、得られた知見をフィードバックする。その過程で得られた、このプロジェクトに関わる技術者達にとって、いわば『ついで』の技術が軍関係者の耳目を集めた。

 

 現用電子兵装との接続成功ーーーー後に『生体レーダー』と呼ばれる、誘導兵装システムの制御ユニットとしてITは運用試験を重ね成果を上げ続けた。性能的には現行軍用レーダーの二世代前程度、ECM耐性も低く誘導方式もSARHになるが、それでも今まで捕捉不能だった深海棲艦を捉えられるのは画期的な成果といえる。そして深海棲艦が捕捉できるということは、同じ理屈で艦娘もレーダーに捉え誘導兵器で攻撃することができる。

 

 

 

 はやぶさに向かった三基のSSM-1にSARH用の情報を送信したところで、接続している大型レーダーは翔鶴の航空隊の攻撃で破壊された。それにより、この少女の機能も損傷を受けたが、白衣の男は少女の様子は気に掛けず、残り三基のSSM-1をまだ生きているIT(少女)の『目』を通して手動標定で操作するのに夢中になっている。

 

 

 そして今、この男が目を付けたのは、打撃部隊の先頭を進む大和。

 

 

 大和以下三人の打撃部隊と護衛の神通も、島の上空に展開する翔鶴の攻撃隊、それに続く爆発とミサイルの発射は目にし、そしてSSM-1が自分たちに向かっていることも理解している。

 

 「司令官っ、あのロケット砲は何番相当ですかっ?」

 

 大和はミサイルを強力なロケット砲と理解し、情報を求めてはやぶさに通信を繋ぐ。帝国海軍は爆弾のキロ数を番号で呼んでいたため、その通りに大和は尋ねている。SSM-1は弾頭重量と炸薬量の合計で約二五〇kgくらいのはずだとの司令官からの答に、大和が不敵に微笑んだ。

 

 「二五番ですね。そんなのは大和の装甲に通用しません! 三人ともこのまま陣形を維持、全速前進!!!」

 

 SSM-1は大口径主砲の徹甲弾のような貫通力を持たないが、炸薬量は多く爆発力はけた違いだ。ミサイルの運動エネルギーまで加味すると単純に二五〇kg爆弾と同じとはいえない。大和といえども当たり所が悪ければ戦闘力は損なわれる。まして装甲の薄い榛名や扶桑、神通なら深刻な被害に繋がりかねない。

 

 果たして、突入してきたミサイルを主砲砲塔を動かし装甲天蓋を盾として受け止めた瞬間、大和は激しい火炎と黒煙に包まれ、爆風で海面を転がりながら後方に吹き飛ばされた。

 

 「ひゃっほーっ!! 直撃ぃ!! 俺って天才?」

 件の男が下卑た叫びをあげ、さらに大和を追撃するため、ジョイスティックで残りのミサイルを操作する。だが、少女の状態は悪化し、男のゴーグルに投影される、ミサイルのカメラと接続された彼女の『目』は、まぶたを閉じる様に視界が狭まる。

 

 「ちぃっ、ブラックアウトかよっ! 仕方ない、あとは成り行きだっ!!」

 

 単縦陣の最後尾まで弾き飛ばされた大和。迫る二基のミサイルは、いずれも大和から逸れて着水し爆発した。よろよろと立ちあがる大和―――三基の主砲は健在、装甲にも損傷は見られないが、両腕は袖が千々に破れ火傷やキズを負い、それ以外でもあちこちにミサイルが爆発した際の破片で生じたキズや出血、火傷が見られる。

 

 「痛た……甘く見た訳じゃないんだけど…」

 

 それでも再び前進を再開した大和。これ以上の追撃はない、今度は自分たちの番だ。射程距離まであと五分もない―――大和が不敵な凄みを湛えながらにやりと笑う。

 

 

 

 左舷中央、艦橋に近い空中で爆発したSSM-1の強烈な爆風と火炎、ミサイルの破片に襲われたはやぶさ。爆風で破損した窓ガラスが、ミサイルの破片が、それにより破壊された船体の破片や機器類が、高速の凶器となり艦橋内の乗員に襲い掛かる。それだけではない、ミサイルの破片ははやぶさ全体に降り注ぎ、確実に損傷を与えていた。

 

 司令官が薄暗いCICから状況確認の指示を飛ばす。スプリンター防御で守られたCICに被害はないものの、各管制官からの報告内容は決して明るいものではなかった。

 「NOLR-9B破損っ。ECM展開できませんっ」

 「艦橋内死傷者多数、医療班が向かっていますっ!」

 「機関部にミサイルの破片直撃っ! エンジン一基停止っ!!」

 

 艇自体はまだまだ活動可能だが、敵の攻撃を抑えてきた電子戦能力を奪われたのは痛すぎる。それに神崎少将配下の人員に犠牲者が出たことも。司令官は唇をかみしめる。

 

 

 再びH2機関・施設内―――。

 

 

 ジョイスティックを操り一喜一憂しながら叫ぶ同僚を冷ややかな目で見つめるもう一人の白衣の男が、次の手を打とうと淡々と行動を始める。

 

 「SSM-1の発射装置はやられましたか。でもECMが消えたということは、敵の旗艦に損傷を与えた訳ですね。攻撃隊を片づけてもう1台のSSM-1発射装置を搬出設置しましょう。ほら、あなたの出番ですよ、上空を綺麗にしなさい。艦娘が相手ですよ」

 

 先ほどの金髪の少女よりも多数のコードが接続されたヘルメットを被る黒髪ショートの少女がもう一つの椅子に拘束されている。男は少女の片袖を乱暴にめくり腕を露出させ、もう片方の手に持った、何らかの薬剤が入った注射器を近づける。もう何十回と注射しているのだろう、少女の肘の内側は変色している。遠慮なく注射針が突き立てられた瞬間、大きく背中をそらせた少女は体を震わせていたが、やがて暗く沈んだ、粘着質な声で笑い始める。

 

 「……艦娘…ふふふ、うふふ、ふふふふふ…」

 

 

 上ノ根島上空・翔鶴航空隊―――。

 

 攻撃隊の妖精さん達が、纏わりつく暗い目で見つめられたような悪寒に突然襲われた次の瞬間、地上から轟音と炎が上がり、猛烈な勢いで対空ミサイルが打ち出された。はやぶさのECMが消え、レーダー誘導を取り戻した短SAMが攻撃隊に牙を剥き始めた。直撃を受けた攻撃隊の編隊長機は爆散、散開し回避行動を取った流星改も次々と撃墜され、続けざまに放たれる対空ミサイルが空を乱舞し始める。

 

 この数瞬の交戦で、一五機以上の流星改を失った攻撃隊だが、まだ攻撃力は保持している。翔鶴は、司令官の指示通り多方面からの同時突入を行うため部隊を誘導する。損害を出しながらも編隊が上空に広がり、短SAMの発射装置とその制御を担う大型電探を取り囲む。

 

 再び悪寒が翔鶴航空隊を包み込むと、電探近くに設置された白い円筒状の設備を上部に持つ六連装の砲身が攻撃隊に向けて動き出した。初速一〇〇〇m/秒、毎分三〇〇〇発のタングステン弾を打ち出すCIWSが咆哮する。

 

 次々と爆散し炎に包まれ流星改は撃墜されてゆく。すでに当初想定どころか半分以上の機が空から姿を消した。なのに敵に与えた損害はゼロ。

 

 航空隊の妖精さんを通して現地の状況を掴んでいる翔鶴の表情がみるみる青褪めてゆくが、このまま何もできずに終わる訳にはいかない。相手の弾薬の補給作業の隙をつき、何機かの流星改が急降下爆撃の体勢に入り、機銃掃射を行う紫電改二がそれを援護する。だが、機体を操る妖精さん達は、慌てたように機を引き起こし投弾せず上昇してゆく。訝しんでいた翔鶴だが、妖精さんからの報告で状況を把握した。

 

 「し…司令官、目標地点に人間がいますっ!! あ…()()()()攻撃できませんっ!!」

 

 翔鶴の言葉に司令官は眉を顰める。相手は自分たちを殺すための武器を操作しているんだぞ? 正規軍ではないが民間人でもない、いわばゲリラのようなものだ―― はやぶさの陰で、翔鶴は真っ青な顔でガクガクと震え始め、膝に力が入らないのか海面にうずくまり、背中を波打たせ激しく嘔吐している。

 

 「…司令官、僕たちが人間と戦えるのは、刀とか銃とかで武装している相手が()()危害を加えてきた時だよ…。翔鶴さんの話だと、弾薬の補給をしてる()()だから…」

 

 時雨が悔しそうに言いながら、懸命に翔鶴の背中をさすり介抱を続けている。司令官はモニター越しにそんな二人の様子を眺め、暗澹とした気持ちになる。時雨の話は続く--ごく限定的な事由を除き、艦娘が人間と戦えないよう、そういう状況に至れば強烈な負荷を脳にかける制御プログラムの存在。

 

 現状で唯一深海棲艦と戦える、意志と感情を持つ艦娘を是が非でも制御下におきたい人間のエゴ--予備役招集からの促成訓練のため、そんな処置が艦娘に施されてるとは知らずにいた司令官は、自分の無知さ加減に絶望したくなった。最大限の皮肉の矛先は、彼自身を含む全ての人間に向けられた。

 

 「……つくづく、艦娘を苦しめることには知恵が働く…」

 

 翔鶴が動けない間に攻撃隊の被害は拡大し、ついに損耗率が三分の二を超えてしまった。このまま航空隊の潰滅は時間の問題と思われたとき―――。

 

 

 「残存の攻撃隊を緊急退避させてくださいっ!! 四〇秒後に艦砲射撃を始めますっ!!」

 

 

 大和の凛とした声が通信から響く。ついに戦艦部隊が上ノ根島を有効射程に捉える位置まで進出した。どうにか翔鶴は航空隊を操り、上空がクリアになる。そしてきっかり四〇秒後、大和が右手を大きく振り出す。

 

 「目標捕捉、全主砲薙ぎ払え!」



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34. 裁く者、裁かれる者

 戦場を圧倒する轟音が響き渡り、対地制圧のため零式通常弾を装填した四六cm三連装砲三基の一斉射撃が続く。短SAM、制御用電探、CIWS、各種施設群…大和の言葉通り全てが薙ぎ払われてゆく。

 

 「そんな! 威嚇射撃じゃなくて…!?」

 「や、大和さんっ!? 翔鶴さんからの報告ではっ…」

 「大和っ!! 誰が対地攻撃を行えと言ったっ!?」

 

 榛名と扶桑、もちろん司令官も慌てて大和を止めようとする。警告も威嚇もなく、何より司令官が攻撃命令を出していない砲撃。翔鶴は確かに敵地に非武装の人間がいたと報告してきた。非武装と言っても制御プログラム上の定義であり、実際は間違いなく戦闘員だが、直接的に危害を加えられてない榛名と扶桑には撃つことができない。なのになぜ大和は---?

 

 「()()()()()()()()()()()? お二人も安心してくださいね」

 花が咲くような笑顔で、榛名と扶桑を振り返る大和。

 

 小さな島には過剰すぎる数度に渡る四六cm砲の全門一斉砲撃により、地形を含めあらかたの物は原型を留めなくなったが、大和は止めとばかりに三式弾による砲撃で上ノ根島地表を焼き払う。榛名と扶桑はその光景を見守るしかできずにいた。

 

 「大和、いい加減にしろっ!!」

 

 短く、怒りを滲ませた司令官の声が届く。

 

 航空攻撃で敵の攻撃手段を排除した上で威嚇砲撃を加え、降伏を勧告するのが作戦の基本的な骨子で、対地攻撃は最後の手段だった。後に分かった事実として、大和の行動は間違いではなかった。はやぶさの損傷で電子戦の手段を奪われた味方に対し、敵はまだSSM-1を有し反撃の余力を残していた。だがそれは結果論であり、現時点で砲撃に踏み切った大和の行動は命令違反だ。

 

 まるで手向かう者は許さないといわんばかりに。何より、時雨の話では、艦娘は人間に攻撃ができないよう制御されている。それは翔鶴の姿が証明しているというのに---。

 

 「はい、()()()()()()()()()()

 

 対照的に涼しい声の大和が事も無げに応答したのと時を同じくして、はやぶさにH2機関から降伏を求める入電が入り、上ノ島攻略戦は那覇泊地特務艦隊の勝利で幕を閉じた。

 

 

 

 「司令官…戻ったよ」

 

 はやぶさのCICに、力ない時雨の声がする。覚束ない足取りの翔鶴に肩を貸し、身長差からよろけながらの登場である。

 

 白い肌から血の気が失せ、透き通るような顔色の翔鶴は呆然とし、口元や白い弓道着、胸当ては血の混じった吐瀉物でひどく汚れている。時雨は先に翔鶴の身嗜みを整えさせようとしたが、時雨には聞き覚えの無い名前をうわごとのように繰り返し口にする翔鶴の姿を見て、司令官に指示を仰ごうとCICに直行したのだ。それに…時雨には別な考えもあった。自分達艦娘に施されている制御がどのようなものか、司令官にも分かってほしかった…。

 

 戦闘は終わったと判断できるが、本番はこれから。H2機関の施設を接収し関係者を確保するため、司令官と神崎少将の派遣した特殊部隊は上ノ島に上陸しなければならない。小さくない損傷を受けたはやぶさは応急処置と上陸準備のため誰もが忙しく動き回り、CICに現れた儚げな二人の艦娘に注意を払う余裕もない。ただ一人、司令官を除いて---。

 

 CICの入り口近くに所在なさげに立つ時雨と翔鶴に向かい、司令官が近づいてゆき、二人の前で立ち止まる。

 

 「済まなかったな時雨…それは俺の役割だ」

 

 言葉の意味が分からなかった時雨は、きょとんとした顔で司令官を見上げるが、すぐに理解した。時雨から優しく奪う様に、翔鶴を支えようと司令官は腕を伸ばしてきた。俯いていた翔鶴は司令官の気配に気づくと顔を上げ、もう一度名前を口にすると、力なく司令官に向かって倒れ込むように身体を預けた。

 

 「ああ…俺はここだ」

 

 白い第二種軍装が汚れるのも気にせず翔鶴を抱きとめる司令官が、翔鶴の頭をくしゃくしゃと撫でる。俺はここだ--その言葉に時雨はあっと声を上げる。

 

 「翔鶴さんが口にしてたのは…そっか…司令官の名前なんだね…」

 

 

 

 一〇名の特別警備隊と司令官が乗り込む六.三メートル型複合型作業艇(RHIB)がはやぶさから発進し上ノ根島へ向かう。時雨が付き従い、途中、警戒を続ける戦艦部隊と合流する。無事の再会を喜び合う艦娘達の姿を遠巻きに見つめる司令官の視線に気づいた大和は、にっこりと微笑み返しRHIBに近づき、たんっと海面を蹴って艇に飛び移ると、先頭に座る司令官の横を占領する。激しい風切音と防音など考慮しないエンジン音は、お互いの耳に口付けるような距離でようやく会話を成立させた。

 

 「………大和、君は……ひょっとして…」

 「…どうしました? ラムネで乾杯しましょうか?」

 

 呑気そうに軽口を叩く大和の姿を見ていると、先ほどまでの苛烈な砲撃を上ノ根島に叩きこんだ姿が上手く重ならない。司令官はひょっとして、に続くはずだった言葉を苦く呑み込んだ。

 

 -君は……ひょっとして…制御プログラムを()()()()()()()()()()()()?

 

 そう考えると過去に見せた数々の言動も説明がつくが、強大な力を自分の判断で振るう艦娘がいるなら、それは人間の手に余る存在だ。いったい佐世保の大将は何を考えていたのか…。司令官が深く考え込むような表情になったのを見逃さず、大和は司令官の耳元で囁く。

 

 「気づかれちゃいました? 内緒ですよ?」

 

 驚いて仰け反る司令官に、大和はウインクしながら、人差し指を口に当て綺麗な唇がシーッという形に動く。

 

 

 上ノ根島に上陸した一一人の人間は、世界最大最強の四六cm砲九門による艦砲射撃の凄まじさに息を飲んだ。目に入る全ての地表が焼き払われたり大きくえぐり取られたりしている。無論そこに存在していたであろう設備や兵装は軒並みスクラップに姿を変えている。

 

 変わり果てた地形のため行軍は想定より時間を要することになったが、一行はついに目的のH2機関の中核施設に辿り着いた。火災はすでに消し止めたようだが、様々な物が焼け焦げた異臭が辺り一面に漂っている。奇跡的に、本当に奇跡的に半壊以上全壊未満で持ちこたえた施設の入り口には白衣の男が二人立ち、無抵抗であることを示すように両手を上げ一行を出迎える。

 

 「クソどもが、次やるときは絶対負けねぇからな」

 「口を慎みなさい、最初に全力を挙げてはやぶさを叩かなかった時点で、一〇〇歩譲って戦艦娘に接近を許した時点で、我々は負けたんです。…ようこそ、那覇泊地司令官とご一行様」

 

 対照的な挨拶で出迎えるH2機関の二人を先導役に、一行は施設内部へと進む。安全確認と抵抗排除のため特殊部隊が先行しつつ、他の研究員の拘束や守衛の武装解除を行いながら先へと進む。やがて中核施設と思われる棟にたどり着き、施設の捜索が本格的に始まると--。

 

 

 「司令官、この男が隠れていました。どうやらここの所長のようです」

 特殊部隊の一人が、甲高い声でわめきながら必死に逃れようとする軍服姿の男を連行してきた。

 

 司令官はこの男-空軍第八航空作戦団の()作戦参謀-を知っている。部隊に成功の見込みのない作戦を強いて壊滅させ、自分から空を、仲間からは生命を奪った男。そして今また、艦娘に犠牲を強いて自分の前に立ちはだかった。それでも司令官の心中に不思議と憎しみは湧いてこず、むしろこんな生き方しかできないこの男を心底憐れに思う。

 

 「人間でも艦娘でも、貴様は他人を苦しめることしかできないのか…」

 

 

 

 生き残ったH2機関の職員たちの拘束は順調、施設の捜索も進んでいる。押収すべき資料や不法実験の証拠となる物も多く、榛名や扶桑、神通や時雨は特殊部隊とともに搬出を手伝い忙しく行ったり来たりしているが、大和は司令官の護衛として傍を離れずにいる。

 

 施設内を険しい表情で見まわしていた司令官は、拘束される職員のうち、自分達を出迎えたリーダー格と思われる研究員と目が合った。目が合うと、纏わりつくようなイヤな笑顔を見せた男は、勝手に喋り始めた。

 

 「あなた方の攻撃で、ほら、貴重な生体レーダーが二台も壊れてしまいました。でもIT(消耗品)はまた作れますからご安心を」

 

 中核施設内には、全六脚の椅子とそこに拘束されたIT(少女)達がいて、いずれも大量のコードが付属するヘルメットを被せられている。うち二人、金髪の少女と黒髪ショートの女性はすでに事切れているようにピクリとも動かない。

 

 「消耗品、だと…?」

 「そうです、生体レーダーシステムの制御用パーツ」

 

 司令官の非難の声を興味の表れと受け取った男は、聞くもおぞましい実験や虐待の様子を、自己顕示欲の赴くままに長口舌を振るい始めた。

 

 「…生体レーダーはいまだ現行の軍用レーダーや誘導システムに及ぶ性能ではありません。ですが技術はある一定の地点を超えると、爆発的なスピードで進化します。我々だけが成しえたこの技術は、まさにブレイクスルーの直前まで来ているのですっ!」

 

 傲然と胸を張り、同意を得られるのが当然とばかりに演説を行う男に、司令官は冷ややかに応える。

 

 「…それを聞いて安心した。貴様らを拘束すればこれ以外の犠牲者が出ないことが分かったからな」

 「このレーダーが実戦配備されれば、もう一度我々が軍の主役となるのだっ! そうすれば艦娘なんぞにデカい顔をされずに済むっ! おい()()、さっさとこの手錠を解け。そうすれば空軍に復帰させてやるっ。さぁ早くしろ!!」

 

 あえて司令官を当時の階級で呼び、自分の優位を示そうとする耳障りな甲高い声を無視して、司令官はくるりと男に背を向ける。男が喋るほどに、H2機関に空海の通常戦力部隊が深く関与していることを暴露する。

 

 司令官の傍にいる大和は対照的に、今まで見せたことの無いような冷ややかな目で艤装を展開する。腰背部の基部から艦首を二分割したような装甲が伸び、据え付けられた巨大な砲塔が動き出す。重苦しい鋼鉄の動く音はそこにいる全ての者を驚愕させるのに十分だった。

 

 「何をしてる、大和っ!?」

 「……罪には罰を以て報いるべき……この人があなたから空を奪った……!」

 

 そして響く轟音が、上ノ根島での戦闘を最後の局面へと導いてゆく。



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35. ねがい

 砲撃で揺さぶられた建物で、これまでの戦闘で脆弱になっていた壁の一部が崩れ始め、拘束されていた研究員の職員の多くと数名の特殊部隊ががれきの下敷きになる。そこに血相を変えて飛び込んできた榛名と神通が現れ切迫した表情で叫び声をあげる。

 

 「司令官! この島からの緊急退避を進言しますっ!! 扶桑さんが食い止めていますが、もうすぐここにもやってきます!!」

 

 砲撃の元は扶桑なのかと驚いた司令官だが、依然として榛名が何を言ってるのか分からずさらなる説明を求める。その間にも断続的に砲撃音は続いているが、聞き覚えのある四一cm連装砲の砲声よりも、聞き覚えの無い砲声の方が多い。

 

 「榛名にも分かりません! ですが…正体不明…深海棲艦ではありませんが、艤装らしき武装をまとう何かからの攻撃が!! 数が多く支えきれません! 無事だった艦娘五人は保護しました、さぁ、早くっ! はやぶさの皆さんもっ!!」

 

 説明というよりは断片的に事象を話す榛名も切羽詰まっている。とにかく逃げてください、と榛名に強引に引っ張られ、司令官は宙を飛ぶような勢いで連れて行かれる。ぎしっと鋼鉄を軋ませ主砲を元の位置に戻した大和もそれに続く。

 

 難を逃れた特殊部隊の面々は状況が把握しきれずにいる。だが自分たちの役割は施設接収、資料押収、関係者の拘束で、いずれもまだ完了していない。それに目の前でケガをしている大勢を放ってはおけない。瓦礫に挟まれながらも、所長や多くの研究所職員、そして特殊部隊の数名は生きているのだ。無事な面々は必死に救出活動をしていたが、何かを引きずるような音が近づいてくるのに気付いた。

 

 その場にいる全員が不安そうに顔を見合わせる中、それは現れた。IT-艦娘になれなかったそれは、地下の処理場に廃棄していたはずだが、度重なる砲撃でゲートが破壊されたのか、外にさまよい出てきた。

 

 濃やかな愛情と海を守る信念が息づく艦娘と違い、癒されない憎悪と怨念、飽くなき破壊衝動に突き動かされている。素体()は作れても、(中身)が決定的に異なり、生み出されながら役に立たないと廃棄されたそれが、求めるのは---。

 

 「…うわぁぁぁぁぁぁ――――!! た、助けてくれ、助けてくれぇっ!!」

 「所長、こんな時まで騒がないでください。私たちに助かる余地がない、と子供にでも分かりそうなものですが」

 

 虐殺は続き研究棟に悲鳴が満ちていたがそれもいつしか止み、怨嗟とも慟哭ともつかない悲しい声だけが遠く響いていた。

 

 

 

 上ノ根島の沖合約一〇kmに停泊するはやぶさの上部甲板に立つ翔鶴は、潮風に長い銀髪を預け祈るように思い詰めた表情で海を見つめている。帰投直後に比べれば顔色もよくなり、汚れた着衣の着替えも既に済ませている。元々戦闘による損傷ではなく、過度な負荷を強制的に脳神経に掛けられた事による一時的な神経耗弱状態であり、時間の経過とともに体調は回復した。だが司令官の厳命で同行は許されなかった。

 

 「……ご無事で…」

 

 上ノ島攻略戦の終盤はほとんど覚えていない。大和からの通信を受けて必死に攻撃隊を退避させたあたりで意識が途切れ、気が付けばはやぶさのCICで司令官の腕の中にいた。時雨から聞いた話…うわごとのように司令官の名を呼んでいたらしく、思い出せば出すほど恥ずかしさで顔が赤くなる。

 

 翔鶴のそんな煩悶は、戦闘が終わったはずの島に響く砲撃音で強制終了させられた。舷側に駆け寄り上ノ根島の方向に目を向けると、明らかに砲撃のものと分かる黒煙と発砲炎(ブラスト)がいくつも立ち上っている。何より---那覇の特務艦隊が後衛を務めながら六.三メートル型RHIBが全速力ではやぶさに向かい疾走してくる異様な光景。

 

 「一体何が……?」

 

 戸惑いと不安に彩られた翔鶴の瞳は、あっという間にはやぶさに接舷したRHIBと、収容のためはやぶさの乗員が駆け付け作業を手際よく進めるのをぼんやりと映していた。

 

 

 

 那覇泊地の特務は、厳しく言えば失敗に終わった。戦術的にはH2機関側の攻撃をさばき切り抵抗を排除したが、戦略的には空海軍通常部隊の不法行為を明かす物証を部分的に押収したものの、関係者を確保することが出来なかった。

 

 通常戦力部隊の暗躍も問題だが、何より艦娘部隊の側にも不法に艦娘を引き渡す役割を担った者がいなければ起きえなかった事件で、この問題がどれほどの範囲まで広がっているのか---深い問題の根を掘り起こしきれなかった。そしてIT…名前さえ与えられなかった、ヒトの形をした艦娘ではない何かが島にいる。

 

 帰還した司令官と仲間たちが明かした上ノ根島での惨状に、はやぶさの乗員たちはRHIBに司令官と艦娘しか乗っていなかった理由を理解し衝撃を受けていた。それでも彼らもまた精鋭である、戦闘はまだ終わっていないと即座に気持ちを立て直し各自の持ち場に戻ってゆく。そして---。

 

 「上空からの偵察では生存者がいるかは分かりません。ただ、その……所属不明艦(アンノウン)、動きは緩慢ですが島の東側へ移動中です。このまま進むと海へ出ることに…」

 

 躊躇いがちに翔鶴が上げる報告に、はやぶさのCICを緊張が覆う。帰投した司令官から話を聞き、翔鶴が即座に発艦させた彩雲が上ノ根島上空を旋回し、艦隊の目として齎した情報は深刻さを増している。

 

 H2機関がこの島で何をしたのかのを示す証拠、どの程度の戦闘能力を持つのかは不明だが、敵意と殺意は明確で対話による投降は期待できないIT(相手)…それが大挙して海に出ようとしている。CIC中の視線を一身に集める司令官は、苦渋の表情で無言のままでいる。

 

 特務を真の意味で成功させようとすれば、数に勝る正体不明の相手と戦い、数体を生きたまま捕らえる必要があり、那覇艦隊にかかる負担はあまりにも大きい。あるいははやぶさの速度なら相手を振り切って那覇に帰投できるが、海に出た相手はどこに向かうか分からない。本土に増援や迎撃を要請できるが、こんな話をいきなり持ち出して信を得られるとは到底思えない…決断が責任者の役目だが、どちらを選んでも生じるリスクが大きすぎる。だが、何もしない選択肢だけは存在せず、司令官が重い口を開きかけた時---。

 

 

 「……全機、突撃!!」

 

 凛として、それでいて語尾の震えた翔鶴の声がCICに飛び込んできた。何を考えている、と吐き捨てるように言い残した司令官は、CICを飛び出し翔鶴のいる上甲板を目指して駆け出していた。

 

 

 

 荒い息の司令官が上甲板に着き目にしたのは、逆ガルの翼を連ねて空を行く八四機の流星改が急速に小さくなる姿と、儚げな後ろ姿の翔鶴だった。

 

 「翔鶴っ!! …一体、何をするつもりだ!?」

 

 聞かずとも見れば分かる、偵察の彩雲さえ呼び戻し、全搭載機を攻撃隊に充てた全力投射。翔鶴は上ノ根島のITを海に出る前に殲滅しようとしている。手数を重視し各機とも二五〇kg爆弾二発を装備した大規模空襲。上ノ根島は地形の関係で海に出られるポイントが東側の抉れて小さな湾になった場所に限られ、ITの群れはそこを目指している。翔鶴の技量なら、狭い場所に密集した大群に急降下爆撃を叩きこんで殲滅も十分可能だ。

 

 問いに答えず、無言のまま銀髪を揺らして翔鶴は振り返り、止まることの無い涙を琥珀色(アンバー)の瞳から流しながら初めて司令官と目を合わせた。涙を流しながら精一杯装う笑顔の痛々しさに、訥々と語られる翔鶴の思いに、司令官の胸も痛む。

 

 人の手で生み出され、人のために戦い、やがては海に還るだろう艦娘(自分)、同型艦が複数併存しアイデンティティさえもあやふやな、そんな存在(自分)を、海水と吐血と吐瀉物で汚れた翔鶴(自分)を、躊躇わずに抱きしめてくれた貴方がいる。その想いだけが自分を自分でいさせてくれる。けれど---。

 

 「私を含む艦娘に施される制御プログラム……あの時の自分は…不快感や恐怖感、あらゆる負の感情を掻き集め頭に一気に叩き込まれたように神経が苛まれ動けなくなったんです。でも私には司令官が…私が私でいられる全てを教えてくれた人がいる。もし…IT(あの娘)達にあるのが、あんな苦しさだけで抱きしめてくれる人がいないなら……。司令官、私のしたことが正しいとは言いません。でも、あの娘達が救われるのは……」

 

 「死ぬことだけ」

 

 司令官は翔鶴が口に出せなかった最後の言葉を引き取った。深くうなずいた翔鶴は、これ以上ない悲しい笑顔で司令官に向かい合う。

 

 「貴方は優しいから、分かっていてもこんな命令は出せない。だから私が…私の全てで、貴方の全てを守る盾になります」

 

 自分はここまで思われる価値がある人間なのだろうか--独白を聞いて自問自答していた司令官だが、気が付けば翔鶴を強く抱きしめていた。一瞬だけ目を大きく開いた翔鶴は目を閉じると、同じように司令官を抱きしめ返し、少し背伸びをして司令官の耳元に囁きかける。囁きは司令官により一層力強く翔鶴を抱きしめさせた。

 

 「もし私が…あんな風に壊れてしまう日が来たら…司令官の手で解体…してください。貴方になら…」

 「もし君が…あんな風に壊れてしまうのを恐れるなら…いつだって俺は抱きしめる。二度と解体なんて口にするな」

 

 

 上ノ根島攻略戦--小さな無人島に隠れて行われた、空海軍通常戦力部隊による艦娘を犠牲にした技術開発は中止に追い込まれた。背後にいる首謀者を追求する物証はあらかた消失し、記憶から消すにはあまりにも悲痛な事件は、誰が勝者とも言えない苦い結末を迎えた。不法な生体実験の犠牲となる前に五人の艦娘--霧島、響、北上、大淀、明石-を救出できたことを僅かな救いとして…。

 



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Phase 10
36. ホットミルク


 約1年ぶりの投稿になります。


 上ノ根島攻略戦は終えた艦隊は那覇港に帰投した。連絡を受け出迎えのため港に勢ぞろいした艦娘達だが、青葉を除けば徹底して秘匿された特務に対し、程度の差はあるが不満げな表情を浮かべている。

 

 特務に参加した六名は那覇泊地でも上位の練度だが、彼女たち以外の高練度の艦娘――泊地トップクラスの練度を誇る金剛、特務が決まってから姉が何も話してくれなくなった山城、そしてその両方が重なった瑞鶴あたりは、とにかくムクれている。口が軽いとまでは言わないが、秘密を秘密のまましまっておけない三人なので、司令官はこの三名を特務部隊から除外せざるを得なかった背景がある。

 

 「はぁ……司令官が頼りにしてるのは、やっぱり翔鶴(ねぇ)、かぁ。練度なら私の方が上なんだけど―――あぁっ! 帰ってきたって!!」

 

 唇を尖らせて自分と姉を比較していた瑞鶴だが、放っていた艦上偵察機から入った報告に色めき立ち叫び声を上げる。その声に導かれるように、港に集まっていた艦娘達の視線が一斉に水平線へと注がれ――――入港してきた傷ついたはやぶさの姿を見て、誰もが言葉を失った。

 

 司令官が前線に赴くだけでも異常事態なのに、艦娘が守っているにも関わらず座乗する旗艦が損傷を負う……激戦を示す状況に誰もが息を呑む中、接岸したはやぶさからタラップが伸び人影が下りてくる。

 

 冴えない表情の司令官を先頭に、いずれも固い表情で疲れを露わにした特務参加組の六名。え? 海域邂逅? それにしては人数が多くない? ……と、六名に守られている霧島・響・北上・大淀・明石(五人もの艦娘)に視線が集まり、大きくなるざわめきは一部で爆発した。

 

 「……え? え? き……きたかみさぁ~んっ!!」

 「My Gosh!! き……霧島ぁーーーっ!?」

 

 建造という謎技術で同一の艦娘が併存し、軍艦だった時代同様に同型艦は姉妹として縁が繋がる世界だが、同じ泊地でともに過ごした、いわば“本当の姉妹”に対する絆は深く、姿形が同じでも明確に“違う”。その差を鋭敏に感じ取った大井と金剛は驚愕の表情で叫び、駆け寄ろうとして特務組に制止される。

 

 「なるほど、な……極秘任務なのも頷ける」

 「司令官は……やってくれたんだ……やってくれたんだ!!」

 

 公然の秘密と淡い期待――――元々那覇泊地にいた艦娘なら知っている、暗い過去。先任提督が特別警察隊を抱き込み行っていた、裏ルートでの艦娘の不法売却により多くの仲間が作戦、遠征、護衛、転任……様々な名目で姿を消した。一方で、現在泊地にいる全ての艦娘の輿望。現在の司令官は、軍の上層部からの圧力を受けながら行方不明の仲間の捜索を続けていた。

 

 相手は元帥の座をも窺う佐世保の大将。軍と言う巨大組織の頂点に近い相手に、時には正面から、時には強かに、硬軟交え挑み続ける司令官の苦闘。この人なら……という声にならない願いは、部分的とはいえ、ついに叶えられた! 多くの艦娘はそう感じ、ざわめきは収まり自然と敬礼を司令官に送ることで満腔の謝意を示しだす。

 

 古巣に帰ってきた五名だが、喜びの表情はかけらもなく、皆怯えたような顔をしている。迎えの艦娘達をかき分けながら、五人を守るように足早に医務室へと向かう一行。その光景を遠巻きに眺める三人の艦娘がいた--驚きの声を上げた電、涙声で精いっぱい強がる雷、堪え切れず号泣する暁。

 

 

 

 帰還組五名には医療妖精さんの手で念入りな検査が行われ、入渠後は絶対静養が必要と診断された。特に体ではなく心のケアが必要な状態とのこと。

 

  ――からだのきずはもんだいではありません。けれど……。

  ――とくにおおよどさんとあかしさんは、こころをとざしています。

  ――おねがいです、しばらくのあいだはやすませてあげてください。

 

 無論司令官に異論はない。くれぐれも彼女達のケアを最優先に、と司令官と医療妖精さんたちが医務室の前で話していると、六駆の三名がやってきた。雷と電はお菓子やジュースを、暁は古ぼけた白い戦闘帽を持っている。

 

 「司令官、響ちゃんのお見舞いに来たのです。入ってもよろしいでしょうか?」

 

 三人を代表して電が司令官に尋ねる。響……第二次改装を経ている彼女は正確にはヴェールヌイだが、三人にとってはあくまでも『響』なんだろうな、と司令官が考えているうちに、妖精さんたちが残念そうな表情をしながらはっきりと面会を拒絶し、司令官も補足で説明を加える。

 

 「ごめんな電、雷、暁。今はヴェー……響を休ませてあげた方がいいみたいだ。それに他の艦娘達もいるんだ、静かにしてあげよう」

 

 目線を合わせるため中腰になりながら、電の頭をなで、司令官は眩しそうに目を細め微笑む。くすぐったそうに電は目を細め、雷は残念そうに肩を落とす。長姉の暁はむぅっとした表情だが、話の主旨は理解したようで話を纏めに入る。

 

 「分かったわ司令官、今はそれが大事なのね。会えるようになったら絶対教えてね!」

 

 北上と霧島に会わせろと医務室に強行突入しようとして、妖精さん達に返り討ちにあった大井と金剛にも見習ってほしいものだ……と、司令官はため息を零す。

 

 その頃医務室では、ベッドに横になる響の枕元で別な医療妖精さんたちがふよふよと飛び回っていた。

 

  ――ひびきさん、きぶんはどうですか?

  ――のどがかわいてませんか?

  ――さあさあ、おみずをどうぞ

 

 「放っておいてくれないかな」

 

 ぼんやりと天井を見つめていた響だが、静かな、それでいて暗い拒絶の声を上げ、ブランケットを引き上げるとすっぽり頭まで覆うように潜り込んでしまった。ベッドの中で響が零した、小さな、壊れそうな呟きは誰にも届かなかった……。

 

 「……やっぱり私には、愛とか恋とかは、分からないよ……」

 

 ケッコンカッコカリの相手から、再転売される際に指輪を取り上げられた事を思いだし、響は声を殺しながら涙を流す。

 

 

 

 医療妖精さんの許可が出て、帰還組の五人が日常生活への復帰が決まった。

 

 メンタルの安定を優先し各自と縁の深い艦娘と同室になるように司令官は指示を出し、艦娘宿舎では少しだけ引っ越しが行われた。霧島は金剛型の三人と、北上は大井に拉致られ、明石は夕張と、同型艦のいない大淀は香取と、そして響は六駆の三人と同じ部屋で暮らすことになった。

 

 復帰後初めて部屋に入った響は、何の違和感もなく、物の在り処で困ることもなく、ごく自然に振舞っていた。

 

 だが、以前のように打ち解けられない。

 

 響だけでなく、電も雷も暁も同じことを感じていた。元より物静かで淡々とした所のある響だが、以前に増して無口になり、ぼんやりと視線を中空に彷徨わせている。時折つぶやく司令官、の言葉が那覇泊地(自分たち)の司令官でないことは分かる。

 

 要するに、厚い心の壁がある。六駆の三人も、すでにどういう状況で響たちが保護されたか聞いている。今は響にとって気持ちと体を休める大切な時期だ。じれったく思いながらも、響のためと思い、余計な事は聞かず、息をひそめるようにしている。

 

 

 そんな薄皮を纏ったような日常の、ある日の深夜。

 

 

 「……こんな時間に何をしてるんだ、響?」

 「司令官こそどうしたんだい、こんな夜更けに?」

 

 押した仕事の中休みに、見回りを兼ね散歩に出かけた司令官は、窓から差し込む冴えた月明かりの他は保安灯だけが光る作戦司令棟の廊下で、響とばったり出くわした。

 

 医療妖精さんからの報告によれば、体の回復は順調、だがすっかり無口になってしまった響は不眠症になっているようだ。それを裏付ける深夜の出会い。聞いても答は分かってはいるが、聞かざるを得ない。

 

 「……ちゃんと眠れているか、響?」

 「たまに意識と記憶が飛んでいる時間があるから、そこは寝ていることになるんだろうね」

 

 元々抜けるように色白な響だが、蒼白に近い顔色で、目の下のクマも色濃い。少し話そうか、と司令官は少し強引に響を自室へと誘う。最初は警戒するそぶりを見せた響だが、すぐに諦めるように司令官について歩き出す。

 

 司令官が執務室内のミニキッチンで何かを用意し戻ってきた時、ソファに座っていた響は虚ろな目で制服の上着を脱ごうと手をかけていた。湯気の立つマグカップを載せたトレイをもったまま、司令官は一瞬固まってしまった。

 

 「……どういうつもりか、聞いていいか?」

 「……そういうつもりで、呼んだんだよね?」

 

 やれやれ……という態で首を振った司令官は、明確に響の誤解を否定し、改めて本来の目的通りマグカップを響の前に置く。

 

 「これ飲んで。眠れない時にはいいらしいぞ」

 

 ホットミルク。響はバツの悪そうな表情で司令官を見上げマグカップを両手で持ち、口をつける。

 

 「……あたたかいな……」

 

 しばらくして、響は訥々と言葉を零し始めた。先任提督の転任時に連れていかれた事、ほどなく別な拠点に売却された事、その地の司令官とケッコンカッコカリの間柄になった事。そしてその司令官の手でH2機関に引き渡された事……司令官は口を挟まず、折々深く頷きながら響の話を聞いていた。

 

 「ねぇ司令官、どうして……取り上げるのなら指輪なんか渡したのかな? 私は……それでもあの人を信じて、い、た……」

 

 言いながら響はソファで静かに眠りに落ちていった。

 

 「体は心に引きずられるが、心も同じだ。無理にでも寝ないと……もたないぞ」

 

 司令官は手の中にあった睡眠薬の瓶を片づけると、響を六駆の部屋まで運んでいった。

 

 

 翌日目を覚ました響は、いつになく体が軽くすっきりしているのを感じた。そんな自分を嬉しそうに見守る暁、電、雷を見渡しながら、心を決めた。

 

 ようやく今まであったことを話した。三人は泣いたり怒ったりしながら、常に響に寄り添い続けた。ひび割れた心が癒えるのは容易ではないが、少なくとも心の壁は消えていった。

 

 そんな四人と廊下ですれ違った司令官。

 

 「司令官、待ってくれないか。……お願いがあるんだ」

 

 明らかに昨夜とは違う表情の響に、司令官は眩しそうに目を細め微笑みながらうなずき、響は少し照れたように、精一杯背伸びをして司令官の耳元でこっそりと言う。

 

 「……次は、ホットミルク(昨日のあれ)に、睡眠薬じゃなくウォッカを入れてくれないか」

 



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37. 忘れられない

 最近秘書艦グループの様子がおかしいと司令官は思っていた。那覇泊地では翔鶴・榛名・扶桑で構成されるグループが持ち回りで秘書艦を務めている。一週間七日を三人で割ると一日余るが、そこは立候補制で任意の艦娘が担当する。事務処理能力を平均的に担保するのが狙いだが、やはり那覇の秘書艦といえば、この三人、中でも翔鶴が筆頭と目される。いずれも第二次改装を経た泊地の中核戦力であると同時に高い事務処理能力で司令官の多岐にわたる業務をサポートしているのだが――――。

 

 「秘書艦を外れても、榛名は大丈夫で……す」

 榛名がぎこちない笑顔の中に、目の端に涙を光らせたある日。

 

 「いつかこんな日が来ると思っていて、同じだけ来なければいいと……」

 目から完全に光が消えた扶桑が、ぶつぶつと呟いていたある日。

 

 「多分必要ないかと思いますが、引継ぎの資料は用意しておきます」

 遠回しだが、自分が秘書艦を外れることを前提とした翔鶴の言葉に驚愕した今日。

 

 「ちょっと待て翔鶴。一体何を言ってるんだ? いや、君だけじゃない、榛名も扶桑も似たような事を……」

 

 椅子から半ば腰を浮かせ立ち上がりかけた司令官は、堪らず大きな声を出してしまった。三人の発言に共通しているのは、彼女達が秘書艦から外れる点。

 

 気まずそうに目を逸らす翔鶴の長い銀髪が揺れ、表情を隠すが感情は隠しきれず背けた肩が細かく震えている。もちろん司令官に彼女達を秘書艦から外す意図などなく、それが揃いも揃って役目を退こうと言うのだ。むしろ何らかの理由で自分の方が見限られたのではと考え、司令官は顎に手を当てむぅっと唸り、意を決したように翔鶴に語り掛ける。

 

 「指揮官としてまだまだ未熟な俺だが、いきなり秘書艦を退く結論に行く前に話し合えないだろうか。気になる点があれば遠慮なく言って欲しい、改善できるよう努力するつもりだ」

 「そ、そんなっ! 気になる点だなんて……。司令官ほど私達艦娘のことを思いやってくださり、それでいて確実に戦果を上げる方はいらっしゃいません! 先日の戦いだって……貴方がいなければ、きっと……」

 

 即座に反応した翔鶴は驚きを満面に浮かべ振り返り、慌てて司令官の言葉を否定する言葉を重ね始める。ならどうして……と司令官の疑念は晴れず、堂々巡りのやりとりが続いた後で、ようやく翔鶴が口を開いた。

 

 「大淀さんが復調された以上、あの人が秘書艦になるものだと。私は……ううん、私達三人が束になっても、彼女の処理能力には及びませんので……」

 

 そういうことか、と司令官は納得した。確かに大淀の情報処理能力は群を抜いて優れている。艦隊司令部機能を有することも関係しているのだろうか。だからといって――――。

 

 「君達を秘書艦グループから外すなんて考えたことは無い」

 「ほ、本当ですかっ!? ……でも、君達、なんですね

 「ああ、そうだ。……君は特に、だ

 

 ぱぁっと笑顔の花を咲かせながら、少し唇を尖らせ拗ねたように小さな声で呟いた翔鶴に、眩しそうに目を細めて微笑みかけた司令官は、滑らかな銀髪が飾る頭をぽんぽんとし、業務に戻る。去っていった手の重さを確かめるように、自分の頭を押さえていた翔鶴も、えへへ、と嬉しそうな表情で秘書艦席に戻る。お互いぼそりと言い添えた小さな呟きは、お互いの耳にちゃんと届いていたようだ。

 

  --大淀もそこまで復調したか……。

 

 司令官はここに至るまでの道のりを一人思い出し始めた。

 

 

 地獄のようだった上ノ根島から生還して暫く経つが、帰還組の五名の状況は大きく異なる。

 

 姉妹艦と同室になったのが奏功し、響と霧島の精神状態は安定の方向に向かっている。北上の場合は、元気を取り戻さないとおはようからおやすみまでべったりくっつく大井を振り切れない、と逆効果的な立ち直りを見せている。

 

 一方、医療妖精さんの指摘通り、大淀と明石の状態は芳しくないようだ。これまでの事情聴取を踏まえた報告を聞いた司令官は、暗澹とした表情で苦し気に頷くことしかできなかった。

 

 艦娘への生体実験、海空軍の通常戦力部隊と技術本部を追われた非主流派の技術者が独自開発した艦娘もどき(IT)、そのITを制御ユニットに用いる生体レーダー……上ノ根島で行われたこれら実験の実働部隊に、明石は強制的に加担させられていた。帰還後は那覇で業務を共に担当していた夕張にケアを頼んでいるが、明石は工廠に近寄ろうとせず自室に引き籠っている。

 

 大淀は当時の那覇泊地の秘書艦として、先任提督による艦娘の不法売却に関する情報を知るものとみられる。が、彼女の場合、帰還後の診察で解離性健忘症―強いストレスの原因となった過去の出来事や感情の一部や全てを思い出せない状態-が判明した。医療妖精さんによる催眠療法が慎重に行われた結果、症状は改善した反面その分思い詰めることが増えており、同室の香取から強い懸念が寄せられている。

 

 ここにきて那覇を巡る絵図面は朧気だが全容を示し始めた。艦娘への非合法実験を行ったH2機関、その背後にいる復権を目論む空海の通常戦力部隊、当時の那覇泊地は艦娘の供給元にされたと見て間違いない。背後の背後でこの連中と結託していたのが、当時の那覇泊地司令官で現在の佐世保鎮守府提督ということになる。

 

 「だが……一体何が目的で……」

 

 これまでの長い暗闘の末に、司令官はある確信を得ていた。佐世保の大将は金銭のような私欲では動かず、まして通常戦力部隊の下風に立つこともない。ならば一連の出来事は全て過程や手段でしかない、と。何を目指しての事なのか……? 思索を断ち切る様に、執務室のドアがノックされ、司令官が入室を許可する声を掛ける。

 

 「失礼致します。お願いの向きがあり参りました」

 

 綺麗でよく通る声だが、抑揚はない。執務机を挟んで目の前に立ち敬礼する艦娘――大淀型軽巡一番艦の大淀。

 

 長い黒髪を青のヘアバンドでまとめ、青い瞳を隠すアンダーリムの眼鏡……立ち姿はまさに有能な秘書である。ただ能面のような無表情にじぃっと見つめられ、これは聞いていた以上に深刻かもしれない、と司令官は内心で考え込む。

 

 「お願いです、私を……解体してください」

 

 は? 司令官は完全に虚を突かれ、ぽかんとしてしまった。解体は言うまでもなく人間の死と同義で、処分後に多少の資源を残しその艦娘は無に帰す。大淀は司令官の返事を待っていたが反応がないので、もう一度同じ言葉を繰り返した。

 

 「俺が了承するとでも?」

 「それだけの罪があります」

 

 過去と現在の繋がりを自己の中で取り戻した大淀だが、その結果で行き着いた答が解体(それ)なのか。しかも罪とまでの強い表現で自分を苛みながら。返答に窮する司令官を気にすることなく、大淀は自分自身に言い聞かせるように語り始めた。

 

 「拠点及び艦隊を指揮官と一体的に運用し、意思疎通を図りながら、その指揮言動を客観的に判断し、必要な意見具申により補佐、時には是正する……それが秘書艦の役目ですが、私は全うできす、そればかりか…………」

 

 大淀の声が徐々に震えだし、言葉に詰まる。眼鏡の奥に見える青い瞳にはうっすら涙が浮かんでいるようにも見える。

 

  ――刺激するな、と言われているが……。

 

 医療妖精さんの助言を思い出しながら、それでも司令官は大淀が飲み込んだであろう言葉を引き受ける。

 

 「そればかりか、艦娘の不法売却に関与した、とでも言いたいのかな?」

 

 大きく息を呑んだ大淀が、項垂れるように力なく頷く。

 

 「……忘れられないんです」

 

 『任務娘』の二つ名を持ち、秘書艦としての適性で翔鶴が白旗を上げる大淀は、艦娘の耐久力や攻撃力、艦砲の射程、航空機の航続距離、電探の索敵距離……拠点と艦隊の運用に必要な全てのデータを記憶している。そして、それらデータと同様に、だれをいつどこにいくらで……艦娘の不法売却に関わる取引の全てを彼女は記憶しているという。

 

 「全てが司令官、いえ、先任司令官のためと信じて……でも、その行き着く先が……あの島での惨劇だとすれば……私は、何を以て償えばよいのでしょう」

 

 映像記憶――大淀の高度で高速な情報処理を支える能力。視覚で捉えた情報を写真のように精緻に記憶し、本人によれば毎分六万字相当の情報を処理可能で、一度記憶した情報を忘れることは無いと言う。その優れた能力は、彼女に()()()ことを許さなかった。忘れられないなら、せめて思い出さない――それが大淀の解離性健忘症の原因。

 

 淡々とした口調に込められた、血を吐くような激情……大淀の必死の告白を前に、司令官は顔を歪めてしまう。青葉の調べた情報と、大淀の情報を突合すれば必ず答が出て、それは佐世保の大将を追い詰めうる貴重な武器となる。彼と対立する横須賀の大将あたりに情報を流せば狂喜するだろう。

 

 だが――――司令官は自問自答する。こんな戦争で誰も死なせたくない、そのために出来る事をする、それが自分の答のはず。大淀が那覇を舞台とした艦娘の不法取引に関係がないとは言わない。だがそれを罪として背負い、自らの命で贖うと言う大淀もまた犠牲者ではないのか。裁かれるべきは、佐世保の大将……いや、彼女をここまで追い込んだ人間そのものなのだから。

 

 すっと椅子から立ち上がった司令官は、威儀を正し大淀に向き合う。項垂れていた大淀も気配に気づいて姿勢を正す。

 

 「大淀、君が不法取引に関与したのは、君の中では変えられない事実なのだろう。だが君にその行為を命じた首謀者……つまり佐世保の大将を特別軍事法廷に引きずり出さねばならない。君に処分が必要なら、その時に確定するだろう。なので君の申出は却下する。以上だ」

 

 自分を許せなくなっている大淀の感情に訴えても受け入れないだろう。ならば強引で無理筋だとしても理屈で押し通すしかない、と判断した司令官は、凛とした声で一気に告げると、着席し別な報告書を手に取り読み始めた。

 

 呆気に取られていた大淀は、ふるふると首を振ると司令官に反論したが、淡々と問い返され言葉を失った。

 

 「君はそんなに死にたいのか?」

 「……………………しに、たく……ない、です……。でもこんな狡いこと、許されない……」

 「君が自分を受け入れられなくても、俺が受け入れる。今はそれでいいだろう」

 



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38. フラジャイル

 執務室のドアがノックされ、デスクワークの手を止めた司令官は顔を上げ返事をしようと口を開きかけたが、やれやれ、という表情に変わる。

 

 返事を待たずに開いたドア、すたすたと室内に入り込んできた、ブレザーを模した制服にライトブラウンの長い髪をポニーテールにした艦娘-ー最上型重巡洋艦四番艦の熊野がきょろきょろとしている。

 

 「ごきげんよう司令官、私、鈴谷を探していますの。今日は秘書艦を務めていたのでは?」

 「……ごきげんよう熊野。返事を待ってからドアを開けてほしいのだが。鈴谷なら各種資材の実棚のチェック中だが、急ぎの用事かい?」

 「いえ、急ぎというほどではありませんけど。そ、そうでしたか。いえ、べ、別に鈴谷がいないから寂しいとか、そういうことではありませんのよ、ええ」

 

 ちなみに実棚とは実地棚卸、システム上のデータと倉庫や工廠の現物在庫の差異を確認する作業となる。秘書艦グループのローテーションの谷間に、はいはいはいーっと喜び勇んで立候補したのが鈴谷だが、タイミングが悪かった。二か月に一回行っている実棚とかち合ってしまい、執務室で早朝に打ち合わせをした後は倉庫と工廠に行ったきりになっている。

 

 ぷいっと横を向いた熊野は、小さな声でぶつぶつ言いながら何か考え込んでいるようだ。熊野については、司令官には気がかりなことがあった。

 

 熊野の目を見たことがない。

 

 正確には目を合わせたことがほとんどない。着任以来演習や作戦で何度も指揮を執っているが、円らな青い瞳はいつもぎこちなくおびえたように視線を逸らしてしまう。

 

 「そろそろお昼ですし、鈴谷を誘いにきましたが、仕方ありませんわね」

 「後で連絡させようか? それか、もう少しで戻ってくる頃だと思うから、ここで待っていても構わないぞ」

 

 朝からの事務作業で固まった背中をほぐそうと、司令官は席を立ち背筋を伸ばす。執務室内のミニキッチンへと向かいながら身振りで熊野に応接のソファに座るよう示すと、インスタントコーヒーを二つ用意する。一つは勿論自分に、もう一つは熊野に。熊野は困ったような表情のまま立ち尽くしていて、司令官は手にしたコーヒーを渡そうと手を伸ばす。

 

 --ビクッ

 

 体を震わせ、すでに涙目になりながら顔を背ける。この反応……最初は緊張のせいだと思っていた。しかし時を経ても一向に熊野の様子は変わらない。事情を聴きたくても当の本人がこの調子では……。

 

 「そ、そうでしたわ! わ、私、用事があるのを思い出しました。それでは失礼します」

 

 コーヒーを持った手をさまよわせる司令官を残し、逃げるように熊野は執務室を後にした。

 

 

 

 入れ替わるように鈴谷が実棚から戻ったので、熊野が探していた事を告げた司令官だが、意外な反応が返ってきた。

 

 「そっかぁ。でもまだ書類関係終わってないからやっちゃおうよ? 熊野とはいつでもお昼食べられるし」

 

 秘書艦にそう言われては断る理由がない。切りのいいところまで終えようと、司令官は仕事を続けることにした。

 

 「そういえばね、工廠で明石さん見かけたよ。声かけようとしたらすごい勢いで逃げてったけど……」

 「明石を? そう、か……」

 

 上ノ根島からの帰還後は自室に籠り切りだった明石が工廠へ? 前向きな反応ならいいのだが……考え込む司令官を怪訝な表情で眺めていた鈴谷が、徐に秘書艦席から立ち上がる。

 

 「なーんか暗っ。悩み事なら鈴谷に話してみ?」

 「俺の悩みを解決する気があるなら、まず机に座るな。そして仕事の手を止めないでくれ」

 

 上ノ根島での特務に関わる事は、依然として多くの艦娘には秘密のまま。これ以上この話題を続けたくないと思い、司令官は話の行き先を変え、雰囲気を察したのかどうかは不明だが、鈴谷が乗っかってくる。

 

 「鈴谷倉庫で頑張ってたもーん。なのに昼休みになっても休憩もなし? ねー、間宮アイス食べたいー。たーべーたーいっ!!」

 「書類の上に横たわるなっ! とりあえず午前中にやらなきゃならない物だけは片づける。終わったら間宮さんの所に行ってもいいぞ」

 「やった! もちろん司令官のおごりね☆」

 

 一方的にアイスのおごりが決まった瞬間、鈴谷は仕事を再開する。

 

 「ねー、これ間違ってるよ、はい、やり直し」

 「む……確かに」

 「えへへー、やるでしょ、鈴谷。褒めていいよ」

 「はいはい」

 「あー、真面目に聞いてない。鈴谷、傷ついたー」

 「俺の話は真面目に聞かないだろ……」

 

 やる気にさえなってくれれば優秀なんだが……司令官は鈴谷の仕事ぶりを見て思う。実際、午後までかかるかも知れないと思っていた仕事にきっちり目処が立った。ちらっと時計を見ると昼休みも半分を過ぎた頃。

 

 「よし、鈴谷。仕事のキリが良さそうだ、間宮さんの所に行こうか」

 「あ~司令官、鈴谷をさぼらせようとしてる? 不良だふりょー」

 「嫌なら行かなくてもいいぞ?」

 「なにしてんの? おいてくよ?」

 

 すでに鈴谷は執務室のドアの辺りで、司令官を手招いている。だから俺の話も聞けよ、とは言わず飲んだ司令官は、苦笑しながら鈴谷の後を追い、間宮へ向かう。

 

 

 

 「いつ来ても何食べても、間宮さんのランチ、まじやばいから」

 「……鈴谷、椅子の上で片膝立てるな、行儀悪すぎだ」

 「ん?」

 司令官に言われ、鈴谷は自分の格好に気づく。提督側からはスカートの中が見えても不思議はない。顔を真っ赤にしながら慌てて足を椅子から下すと、鈴谷は照れ隠しのように司令官を冗談めかしてからかう。

 

 「司令官も男じゃーん? 鈴谷に興味津々? どうする? なにする?」

 

 そんな掛け合いをしながら、明石の事を思い出していた司令官はふと無口になり、その落差を鈴谷は見逃さなかった。

 

 「どしたの? 鈴谷のぱんつ思い出してんの?」

 「ん、いや、そうじゃなくて。あ……熊野の事を、なっ-ー」

 

 口を突いて出かかった明石の名を飲み込み、代わりに無意識に口に出したのは熊野の名。朝のやりとりを含め気に掛かっているのも事実だ。するとテーブルを乗り越え、目の前に鈴谷が身を乗り出し、ほとんど顔がくっつきそうな距離まで迫ってきた。

 

 「鈴谷といるのに他の女のこと考えてて、しかもそれをヘーキで言う? まじありえなくない?」

 「他の女って、妹だろう?」

 

 フンッとふくれっ面で横を向き、すねる鈴谷。ややあって司令官をジト目で見ながら尋ねる。

 

 「で、何かあったの? 聞いたげるよ?」

 

 司令官は熊野の態度について気になっている点について鈴谷に話し、コーヒーを渡そうと手を伸ばした辺りにさしかかると、鈴谷がテーブルの向こうから手を伸ばして話を遮る。

 

 「はいアウト。司令官、やっちゃったねぇ……」

 

 いつもの軽口ではなく、真面目な表情になり、アイスを食べながら鈴谷は話を続ける。

 

 「熊野は、男の人が怖いんだよ」

 

 以前曙もそんなことがあった。ということは特別警察隊絡みかと、司令官は顔を顰めてしまう。無法に振る舞っていた特警が那覇泊地から追放され随分時が経ったが、記憶は容易には消えない、ということか……司令官の推測に、あんみつを食べながら鈴谷が答える。

 

 「んー、ぶっちゃけまだ……ダメみたいってゆーか、いろいろ我慢はしてると思う。でも、熊野なりに司令官のことは信用してるみたいだけど」

 

 ……そうだったのか。それにしても一体何がそうさせているのか? 鈴谷は店員を務める妖精を呼び止め、クリームソーダを注文しながら、その問いに答える代りに言う。

 

 「本人じゃないと分かんない部分もあるしねー。司令官が自分で聞いたら……って司令官も男の人かぁ、う~ん。でも、そーいう過去のトラウマ的な? 何かって、最後は自分じゃなきゃ超えられない部分ってあるじゃん? そりゃ鈴谷も気にはなってるけど……何も、してあげられないし、無理強いもできないじゃん?」

 

 鈴谷は表現や立ち居振る舞いが軽く見られがちで誤解を受けやすいが、物の本質を理屈ではなく感覚であっさり掴む。その鋭さに驚きを隠せない司令官に、鈴谷は続ける。

 

 「司令官の気持ちは分かったけど、簡単じゃないと思うよ? じゃ、鈴谷はもう行くね。午後の予定変更しといて。ちょっと熊野が心配だから様子見に行くよ。また後でお部屋に顔出すから。あとこれもよろしく~」

 

 伝票をひらひらと目の前で動かし、言いたい事だけ言って鈴谷は立ち去ろうとする。

 

 「なっ、お前…」

 

 再びズイッとくっつくくらい近い距離に顔を寄せる鈴谷。

 

 「熊野のこと、心配してくれてありがと。こんな話するの、司令官だけだからね。ほんと、ありがと。今度は鈴谷のこと、うーんと心配してもらおっかな」

 

 じゃーねー、と手を振りながら、鈴谷は明るく間宮を立ち去っていった。

 

 

 

 「…………………………」

 

 結局熊野を見つけられなかった鈴谷は、グラウンドの端にある鉄棒の上に腰掛け、足をブラブラさせながらぼんやりと前を眺める。陸上用のトラックでは、暁、響、電、雷の四人が、お互いを励ましながら周回している。出撃や演習、遠征などの予定のない艦娘は、自主練習を欠かさない。

 

 「あー鈴谷だー」

 「やぁ」

 「こんにちは、なのです」

 「今日は秘書艦じゃなかったの?」

 

 予定のメニューをこなしたのか休憩か、六駆の面々は鉄棒に腰掛ける鈴谷を見つけ、体操服姿で汗だくのまま集まってきた。

 

 「んー、ちょっと訳ありってやつ。お子様たちには難しいかな?」

 

 水飲み場によく知っているポニーテールの艦娘がやって来たのに気がついた鈴谷は、肘を少し曲げ、伸び上がる反動で鉄棒からふわりと降りる。

 

 「……見えた?」

 「……見えてはいけないのが見えたのです」

 「Хорошо さすがにそれは……凄いな」

 「す、鈴谷、はしたないわよっ! ……ところで、それ、どこで買ったの?」

 

 鈴谷が鉄棒からふわりと降りる際、スカートもふわりとめくれ、四人に中が見えてしまうが、気に留める様子もない。

 

 「また今度遊んであげるからねー」

 

 きゃーきゃー騒がしい四人にひらひらと手を動かしながら鈴谷は鉄棒を後にする。向かう先の水飲み場には、同じく自主練習のあとなのだろう、汗ばみ上気した顔の熊野がいる。



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39. 迷子

 何かひらめいた鈴谷は口を手で隠しながら二ヒヒと笑みを浮かべ、後ろにいる六駆四人を振り返り、人差し指を口に当てシーッとポーズを取り、熊野に忍び寄る。上体を屈めて上向きに向けた蛇口から出る水を飲んでいる熊野は、背後から近づく鈴谷に気づかない。

 

 「熊野ー、元気~?」

 

 いきなり後ろから抱きついてモミモミ。むぅ? 分かってたけどこのサイズ、鈴谷の圧勝は間違いないし。

 

 「きゃぁ――――――――っ」

 鈴谷の奇襲を受けた熊野は叫び声とともにしゃがみこんでしまった。

 

 「く、熊野?そーやってしゃがまれると、手、抜けないんだけど……イヤマジスミマセン」

 

 想像以上に過敏に反応され、鈴谷は熊野が落ち着くまでしばらくの間宥め続けることになった。

 

 鈴谷の奇襲セクハラで熊野は半泣きになり、叫び声で駆け付けた六駆にもやりすぎを責められた鈴谷は、お詫びということで間宮アイスを全員分買ってきてくれるよう頼んだ。

 

 「いやー、ごめんねー。あんなに敏感だとは思わなくて♪」

 グラウンド横のベンチの上に、あぐらをかきながら座る鈴谷。

 

 「い、いえ…。ちょっとびっくりしただけですわ。驚かせてしまったかしら」

 警戒しているのか、熊野は少し鈴谷から距離を取りつつ同じベンチに腰掛ける。制服姿の鈴谷に臙脂色の芋ジャー姿の熊野、帰宅部と運動部の生徒のような取り合わせとなる。

 

 「熊野にさー、ちょっち聞きたいことがあって」

 「改まってどうしたんですの? ……まぁいいですわ、よろしくってよ」

 「熊野はさ、司令官のことどう思ってるの?」

 「どうって…。元々海軍出身の方ではない、ということを考えても、とてもよくやってらっしゃるのではないでしょうか。私たちとの意思疎通も積極的に図ろうとしてますし、まともな指揮官だと……鈴谷?」

 

 『どう』という曖昧な問いが生む予想と異なる反応に、鈴谷はかすかな苛立ちを覚えながら熊野の話を聞いている。対する熊野も怪訝な表情で鈴谷を見つめる。聞かれたことに答えたのにどうしてそんな顔なのか、という熊野の表情を見て、鈴谷は自分の苛立ちが顔に出てたのを悟った。だがもう後戻りはできない。指で頬をポリポリとかきながら鈴谷は続ける。

 

 「まともな指揮官、か……うん、そうだね。いや、ってゆーかさ、好きか嫌いか、って聞いたら、どーよ?」

 「司令官として好感の持てる方だと、と思いますわ」

 

 鈴谷の苛立ちが募る。好感か……なんか私と温度差なくない?

 

 鈴谷は昼休み中の会話を思い出す。なぜ? と思うが当事者が理由を明かさない以上、姉妹として、いや、姉妹だからこそ聞くのは避けていた。鈴谷の中でモヤモヤがどんどん広がる。

 

 「好感の持てるって方ってことは、好きってことじゃん? なら……例えば手をつなぎたい、とか思ったりしない?」

 

 瞬間、熊野の顔がこわばる。ぎこちない笑みを浮かべながら、遠まわしに鈴谷の問いを否定する。

 

 「鈴谷なら手ぇつなぎたいっていうかー、もっと過激なことでもOKだけどなー、好きな相手なら。ねぇ、何で嫌なの?」

 

 鈴谷なんて、ぱ…ぱんつ見られたよ? イヤかなり恥ずかったけど……。それに明らかに男性を怖がっている熊野が好感が持てる、とまで言うのは、それはもう司令官を好きってことでしょ? 

 

 熊野は何とか話題を変えようとするが、鈴谷はそれをさせない。押し問答がやや続き、鈴谷が失敗だな、これは……と思い始めたとき、熊野の表情が明らかにそれまでと違うことに気付いた。げ、マジやっちゃった? 熊野を宥めようと慌てて声をかける鈴谷に、熊野が唐突に話し始める。

 

 「……手をつなぐ、ですか……。この熊野に向けられた手は、頬を殴る握り拳でしたわ。それを過激な触れ合いというなら、そうかもしれませんけど」

 

 鈴谷の言葉を所々用いながら抑え気味に話してはいるが、熊野の声がだんだんと震え始める。

 

 「いくら姉妹でも、貴女に言ってないことも沢山ありましてよ?」

 

 熊野は話を続ける。その眼は暗く、目の前の鈴谷を見ているようで、別な何かを見ているようでもある。

 

 

 

 ある日先任提督に執務室に来るよう命じられた熊野。

 

 呼び出される心当たりはある。姉妹艦の鈴谷とほとんど同時に着任し、練度もどちらかが上回ればどちらかかが上回り返す、といった具合に競い合い高めあってきた。ペアで運用されることが多かったが、あの日はそれぞれ別の部隊に編制され出撃した。結果、鈴谷のいた部隊は無事作戦を成功させたが、熊野のいた部隊は作戦失敗に終わった。それも熊野の索敵ミスにより敵の探知が遅れ、とどめに熊野の大破で撤退を余儀なくされたという、ありがたくないおまけつき。

 

 

 急いで廊下を歩いていると、敬礼がなってないとかなんとか、居丈高に人を呼びつける目の前の特警の一人に、思わず溜息を零してしまった。軍人にしては小柄で、本人もそれをコンプレックスに思っているのが丸わかりのその男。戦艦勢や正規空母勢ほどではないが、スレンダーで背の高い熊野とは頭一つほどの差がある。いつも反り返るほどに背筋を無理やり伸ばし、艦娘に対して常に怒鳴り散らすので、艦娘の皆から敬遠されていた。

 

 「その溜息は何のつもりだ? 分を弁えろっ」

 「……」

 

 また始まった、と熊野はつくづく辟易した。そうやって艦娘(誰か)を見下すことでしか自分を保てないつまらない人間……こんなのの相手をして、提督に呼び出されているのに遅参しようものなら、それこそ何をされるか分かったものじゃない。

 

 「私、急いでますの。お説教でしたら用事が終わってからで――――!!」

 

 突然膝を外側から蹴られた熊野は膝を折りがくんと崩れ落ちかけたが、頭だけが勢いを止められる。首の痛みに耐え顰めた顔の真正面には件の特警の男の顔。体勢を崩した熊野のポニーテ-ルを鷲掴みにした男は、目が合った瞬間に熊野の頬を拳で思い切り殴りつけた----。

 

 

 

 「守るべき人間(相手)……いえ、軍の方ですから、共に戦う人間(仲間)と思ってましたのよ、あんな方でも」

 「……分かったから」

 「そうそう、こんな話もありましてよ――」

 「もう分かったからっ!!」

 

 鈴谷は熊野の心に不用意に踏み込んでしまったことを心底後悔した。自分で司令官に言った言葉を思い出す――何も、してあげられないし、無理強いもできないじゃん?――。だが自分がしたのはその逆で、姉妹という関係性に甘えて、何もできないのに無理強いした。

 

 ――ごめん司令官、鈴谷やっちゃったみたい……ん? ちょっち待った……。

 

 ある仮説に気づき、鈴谷の苛立ちはぶり返した。

 

 「……熊野、そんなヤツと司令官を同じだと思ってるわけ? ありえなくない、それ? 鈴谷はね、司令官の手のあったかさ、大好きだよ。知りもしないで決めつけないでよっ!」

 

 熊野の男性恐怖の理由も今なら分かるが、鈴谷は司令官を侮辱されたような気がしていた。それでもこれ以上感情の昂ぶりをぶつけてはいけない、と必死に堪えた。二人の間に、重い沈黙が横たわる。

 

 「「「「いくよ……せーのっあいす、あいす、まみやのあいす~♪」」」」

 

 そんな所に、六駆の四人が間宮アイス六個を携え、妙なメロディの歌を歌いながら戻ってきた。

 

 「……お話はそれだけですの、鈴谷? 私、帰りますわ」

 

 「熊野、アイスいらないの?」

 「あの、あのっ、アイス食べないのですか、鈴谷さん?」

 

 呼びかけに応えず、熊野はベンチから立ち上がり、グラウンドを後にする。

 

 呼びかけに応えず、話の途中からすでに立ち上がっていた鈴谷も、熊野とは反対方向に行く。

 

 

 「二人とも、泣いてたね……」

 

 

 

 「……という訳なのです、司令官」

 「熊野が『言ってないことも沢山ありましてよ?』って言ったあたりから、お話は聞こえてたの」

 「とにかく空気を変えなきゃって必死だったわ」

 

 縋るような目で訴えた電の話に、暁と雷が加えた補足--六駆の四人は相談の末、司令官に助けを求め執務室を訪れていた。

 

 彼女達なりに何とかしたい……その思いが切々と伝わる反面、自分の着任前の出来事がここまで尾を引いているのかと、司令官は鉛を飲み込んだような暗澹とした気分になる。隣に立つ秘書艦の翔鶴に『知っていたのか?』と目で問いかけたが、翔鶴は曖昧な表情で顔を翳らせ、苦し気に呟く。

 

 「特警の方々の横暴ぶりは勿論。でも個々の詳細な事情までは……。戦艦や正規空母(私達)の扱いは、比べれば多少はましでしたが、他の子を庇う余裕は……ごめんなさい……」

 

 自分に非がないことを翔鶴は悲し気に詫び、六駆の面々も嫌な記憶を思い出したように俯き涙ぐみ始める。

 

 「ねぇ司令官」

 

 いつの間にか翔鶴とは反対側の司令官の隣に来た響が、変えられない過去に対する怒りで、固く握られ膝に置かれた司令官の拳にそっと手を重ねる。

 

 「司令官なら何でも解決できるなんて思ってはいないんだ。でも……きっかけは作ってほしいんだ。私にそうしてくれたように……お願い」

 

 

 解かれた拳は掌に変わると、響の小さな震える手をきゅっと包み込んだ。

 

 

 

 とは言ったものの――――。

 

 放置できる問題ではないが妙案もない。六駆の四人が退出してから、司令官は考え込んでいた。無言を続け、時折思い出したように「どうしたものかな……」と繰り返す姿を見かねて、翔鶴は強制的に司令官を応接のソファに座らせると、自分は執務室内のミニキッチンへと向かう。

 

 「こちらをどうぞ。甘い物でも取って気分転換してください」

 

 テーブルに置かれたのは、涼やかなガラスの器に盛られたコーヒーゼリー。手頃な大きさに切り分けられた黒く柔らかな塊には、とろりとした白いソースが掛かっている。

 

 「六駆(あの子達)のくれたアイス、溶けてしまいましたが勿体ないので」

 「ありがとう翔鶴、君も一緒に食べないか?」

 「はい……実は二人分用意しちゃいました」

 

 小さく舌を出した銀髪の秘書艦は、司令官の隣に座ると頭をこてんと肩に預け、嘆息しながら思いを紡ぐ。

 

 「心を預けられる方がいるだけで、私達艦娘はどこまでも強くなれる。貴方なら熊野にそれを気づかせてあげられると……信じてます」



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