~結芽錯綜記~ (ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号))
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結芽錯綜記 既完済
第一話「眠り姫の目覚め」


開いてくださったのに、ごめんなさい。
初めて読む方は再構成した「異譚・神起編」から読むことをおすすめ致します。


一、

 その日、万世橋は得たいの知れない殺人によって、警察は戸惑いを隠せないでいた。

 日の落ちた橋上の紅く輝く無数の灯、橋の中央に建てられたブルーシートの小屋の中では、万世橋署の刑事たちが人の形を失った琥珀色の液体を見て、思わず首を傾げた。

「まさか、こいつはノロじゃ」

「鑑識」

 専用の測量計を取り出した男が、その数値を確認し刑事へと頷いた。

「衣服にこびりついたノロ、荒魂とあれば刀剣類管理局が気づいているはずだ」

「でも警部、今日の報告では東京都内での荒魂の出現はないそうです」

「仕方ない。刀剣類管理局にすぐに応援を呼べ、そして話の分かる奴を連れてくるんだ」

「了解しました」

 警部は鑑識が広げた鞄の中身を見ながらつぶやいた。

「この男は、こんなに刃物を持ってどのようにするつもりだったのだ」

 程なく、ノロの反応を知った刀使の巫女が私服姿で現場に現れた。

「あんたか」

「ああ、それはこちらの台詞だ、大得物ちゃん」

 その背中にあの長大な刀はないものの、低い背丈とその往々しい態度が言わずと知れた彼女であると教えてくれる。

「おあいにくさま、その大得物はここには持ってきてないがな」

「結構だ、話が聞ければ後はあんたたちのだ」

「それはどうも、あともう一つ、こいつの同行を許してほしい」

「ネネッ!」

 元気よく鳴いた頭の上に居座る生き物を、刑事は気にも留めなかった。

 目の前に倒れる人の抜け殻を見るなり、巫女である益子薫の顔が険しく、不安を身に纏っていた。

「またか」

「やはり、噂の」

「禍人だ、この男の素性は」

「新田啓介、二十八歳……」

埼玉県川口市在住の男で一人暮らし、二か月前までネットのチャット配信で生計を立てていたが、配信プロパイダとの契約内容でぱったりと契約が途切れ、以来自宅に閉じこもっていた。

都会のど真ん中で殺人という謡い文句で、テレビが新田の個人情報を流しまくっていた。もっとも、警察へひどく通報されていた男だった。

「精神面に不備があり、近所では子供たちを襲っていたということで噂になっていた。しかし、地元警察が捜査に入った時には、既に行方知れずとなっていたそうだ。それから四か月、こうしてノロだけになってここに居る。なぜ、この男は荒魂になってしまったのかな」

「禍人はまだ発生の条件は分かっていないが、荒魂に身を委ねた結果というのがうち等の見解だ。だが、それが正解であるとは言えない」

「それは」

「私の考えだ、正直、上も教えてほしいくらいだとよ」

「だろうな、だからこそどこに潜伏しているか教えてほしいもんだ」

 問うような刑事の視線に、薫は首を横に振った。

「見当がつかない、なにせ荒魂の測量機器に一切反応しないのだから」

「うむ、あと一ついいか」

「なんなりと」

「荒魂と分からなかった人間がどうして殺されたんだ」

「それは」

 衣服を持ち上げると、首元に一直線の小さな切れ込みが見つかった。

「刀使だろうな」

 現場の調査に刀剣類管理局の手が加わってからも、衣服の切れ込みを見ながら考え事をしていた。

 いくら写シを張った刀使といえども、人通りの多い秋葉・万世橋界隈を一瞬で一人の禍人を殺すことは難しい。

 彼女自身などは出来ようもない芸当である。

 なればこそ、刀を抜き、写シを張り、瞬時に突き殺し、その場から何事もなかったように立ち去る。

 幾人かそれができる刀使を知っているが、二人は岐阜、もう二人は会津、そしてもう一人は先ほど行動を共にしていた。

 犯行時刻には共に中野で食事をしていたのだから間違いはない。

 そして、折神紫は戦いの後遺症で以前ほどの実力はでない。写シも満足に張れないである。

「ネネェ…」

「そうだなネネ、タギツヒメの一件を思い出す、薄気味悪い。禍人のこと、この男のこと、謎の刀使に、そしてやけに真面目になってやがる自分もな」

 刀剣類管理局、対荒魂討伐突撃隊隊長、益子薫はタギツヒメとの戦いから半年、可奈美と姫和の帰還を経て、なんとか平穏の日々を取り戻しつつあった。

その日は梅雨明けの、蒸し暑さが肌につく季節が始まった日であった。

 

 

二、

 

 焼けるような悲しみと、灰のような後悔が薄れゆく視界を何度も駆け抜ける。

 勝とうが負けようが関係ない。

 やっと戦いたい相手が見つかった。心の底から本気で立ち合いたいとそう思えた。

 涙がほほを伝う感触が走った。

 

「お目覚めかい」

 白い空間に、白いベッド。窓らしきものは鏡のように彼女を映し出した。

「ん、あなた」

 やや、困惑のにじみ出る顔を傍らに立つ短髪の女性に目を向けた。

「あたし」

「そう、あなた。あなたの名前は」

「あたしは、あたしは、親衛隊…四席…燕…つば、くろ」

 驚きが走り、はっきりと自分の名を確かめるように呼んだ。

「燕結芽」

「ふぅん、ちゃんと言えたじゃない」

毛布を剥ぎ棄てると、素足で床に立ち、その冷たさを感じながら鏡の窓ではっきりと自分を見やった。

「死んだはずなのに、手も足も顔もあるって顔ね」

「じゃあ、死んだのあたし」

「死んだ。公にはそうなっている。ノロがあんたの体を再現しなければ、私もそう思っただろう」

「あなたは、誰なの」

 その問いに不敵な笑みを浮かべて答えた。

「防衛省戦略特殊部隊“第二課”所属、コードネーム『梅』だ」

 梅と名乗った女は傍らに刀を置いているところを見るに、彼女も刀使であるらしいことは確かだった。

それにしては、適任年齢を超えた歳に見える。

「さて、あなたはこうして生き返った、でも」

「でも」

「その体はノロによって再構築された肉体、つまりは人ではなくノロ、しいて言えば荒魂だな」

「わ、わたしはノロを支配して…」

「延命していた。でも事はあんたが一度死んだことでガラリと変わった。ノロはあんたの生命としての素体、肉体を利用して自らの延命を図ったんだ。あなたがノロを使ってそうしたようにね」

「嘘だ。それならなんで人間の、結芽のままなの」

「人のままなら、荒魂として支配も抑圧も受けないからさ、ノロにも自分の意思をもって人に挑みかかるものなんだよ。あなたがあなた自身と自覚しているものは、十の昔にノロに入れ替わっていたのかもね」

「そんな、そんなの嘘だ、絶対嘘に決まっているんだから」

 何度も首を横に振り、髪を搔きむしった。

「本来なら、人間になったノロは禍人と呼ばれ、人知れず消される運命。だが、私たち第二課はあなたに提案したい」

「あたしに、あたしに何、化け物扱いしていて何なの」

「その肉体が刀使としての能力を今だ保持しているなら、第二課の戦闘員として貴女を雇いたい。ノロになってでも生きたいのなら、とてもいい提案だと思うわ」

「断ったら」

 首を断つジェスチャーを何度もして、小さく笑った。

「時間がほしい」

「そんなものはない、生か死か、選べ」

「知らないよ!なんでまた自分の生き死にを決めなくちゃいけないの、時間がなかったから、私は私の望めることをなしえたかっただけ、あんたみたいな、あたしを知らない奴に決めろなんて言われたくない」

 彼女の顔に梅の拳が叩きつけられ、襟を引っ張られた。

「ごちゃごちゃうるせぇよ、決めろよ、もうお前は化け物だろ?たとえその自覚がなくても、その結果をいずれその目で見ることになる。私もノロだ。化け物同士で相手も自分も生を否定するんだ、滑稽だ」

「ふざけるな」

「なんて言った」

 結芽の右こぶしが梅の顔を襲った。

「私は化け物じゃない。ノロじゃない。あたしは人間なの、あんたと違って生きている人間だし、刀使だ。それを証明してやる」

「どうやって」

「第二課っていうのに入って」

「ふふふ、はははは、ひひ、あははははは」

 その瞬間、梅の頭突きを正面から受けた結芽は強く壁に叩きつけられた。

「おもしろい、おもしろいよ貴女、いいよ、雇おう」

 隠し扉が開き、髭を整えた精強な中年が結芽に近づく彼女を静止した。

「いい加減にせんか!これ以上、彼女を傷つけるのはよさんか」

「彼女?私のことは」

「ふん、何と呼んでほしい」

「ふふふ、冗談ですよ。少佐、見ての通りです。使えますよ」

刀を持ち、立ち去ろうとする彼女は結芽を一瞥し、部屋を後にしていった。

痛みをこらえながら、目の前に居る髪のない男を見上げた。

「っ、あいつ、超ムカつく」

「梅はああいう女だが、腕は立つ」

「アイツも刀使なの」

「君から見ればそれで間違いなかろう、身体は大事ないかね」

「…大丈夫、あんなの紫さまに比べたら」

 男は戸惑いながら、結芽はしだいに落ち着きを取り戻した。

「だから、一度死んだ身だから、気にしてない」

「そうか、手を貸そう」

 立ち上がると、男の圧倒的な巨体、そして堀の深い顔が彼女を見下げていた。

「自己紹介が遅れたな、“第二課”の課長、神尾渡少佐だ。よろしく」

「私は」

「知っているよ、全て調べさせてもらったよ、燕結芽くん。君の病気も、折神紫とのことも、そして君の最後も、君があの時死んでから、もう七カ月もの時が経っている。積もる話もある、さぁ食事でもしようか」

 

三、

 

 午後二時を過ぎ、施設内の食堂はガラリとしている。

 少佐の部下と思われる男女が付き従ったが、やや離れた場所で待機していた。

「長らく眠っていたのだから、なるべく優しいものを」

「このハンバーグ定食にする!ライス大盛ね!」

「いいのかい、自分の体はいたわるべきだ」

「平気、平気!結芽は刀使の中では一番強いから、身体も一番丈夫なの」

「そうかい」

 ただし、食堂長の特製豆腐ハンバーグであり、いずれ彼女の病室に持っていく予定だった。

 お盆に載せられたハンバーグは、色の濃いデミグラスソースにミニパスタとポテトサラダがつけられている。

 彼女は席に着くといただきますと挨拶を終えて、食事を始めた。

 少佐は既に昼を取っていたのか、インスタントのコーヒー一杯だけであった。

「さてと、食べながら聞いてほしい。が、何から聞きたい」

「全部」

「だろうね、では君が死んでからの話をしよう」

 少佐は、折神紫を支配していたタギツヒメが、三つに分裂したこと、三体の姫となった大荒魂を巡って国内を巻き込んだ抗争へ激化、最終的にタギツヒメが他の二体を吸収し、隠世と現世を一つにしようとしたが、あの反旗を挙げた六人と紫が協力してタギツヒメを隠世と現世の間への封印に成功させ、重要な封印の任を担った十条姫和と衛藤可奈美が、隠世から戻ってきたことを説明した。

 その頃には皿の上はきれいに食べつくされていた。

「ここまでが大本の出来事だ」

「ふぅーん、紫様と協力して封印したんだ、あの可奈美って子」

「まぁ、隠世に押し込んだが正解らしいのだが、とにかく刀剣類管理局を好き勝手にした君の上司たちが、責任を取る形で世間に顔を立て、刀使は未だに発生する荒魂を祓う役目を負っているということだ」

「そう、なんだ。全部終わっちゃったんだ」

「君からしたら、いや、刀使や機動隊の諸君ならそうなのだろうね」

「どういうこと」

 と、目の前に紅茶とシフォンケーキが出された。

「カイル」

「サービスだよ、眠り姫のお目覚めの記念に、あとはその食べっぷりに」

「ありがとう」

「まったく、粋な食堂長だ」

「どうも、少佐殿もどうぞ」

「いただこう」

 少佐に負けず劣らずの強面のコックはそそくさと部下たちにもケーキと紅茶を出して、裏に戻っていった。

「話、続けるかい」

「その話、さっき梅ってやつが言ってた、マガビトのこと」

「ふふふ、なるほど、君の予想通りだ」

 結芽はそれを理解していたように、ミルクと砂糖を多めに入れて、一口飲んだ。

「君たち、つまり折神紫の一派がノロの研究をしていた頃、私たち防衛省は外務省からの極秘の依頼で、海外で起きているある案件に関して調査をお願いされたんだ。それはアメリカからも同時に依頼協力をされた。

 それが、今現在判明している禍人という荒魂の一種だ。

 禍人は君と同じようにノロに肉体を支配された人間で、精錬技術が発達する以前では、西洋では悪魔や魔女と認識されていた。日本でも古くからその存在が認められてきた。しかし、よほど暴走をしない限り、放って置かれ、そのまま肉体の寿命によってノロだけが残り、大地へと消え去っていく、発生数は少なく、19世紀に入ってからは報告例がほぼなくなっていた。それが、突然近年になって急激に数を増やしている。おそらく、相模湾大災厄が世界各地のノロに目覚めを促したのかもしれん」

「それで、結芽はその禍人になったのだけど、自我はあるし体もこの通り、そんなあたしに何をしろと」

「やれやれ、話が長過ぎたらしい。

 とにかく第二課はその禍人の兆候と動向を調査し、必要と判断されれば祓うのが役目だ。だが、刀使の巫女は警視庁と刀剣類管理局の預かりもの、そうやすやすと極秘作戦に人を貸せなど許されない。そこで、君のような訳ありの刀使を雇うことにしたのさ」

「訳あり、つまり梅ってやつも」

「訳ありだ、詳しくは本人から聞くだろうから、私の口からは言わないが、何かしらの理由で刀使の巫女を辞めざるを得なくなった女性たちは、少数であれ必ず存在する。刀剣類管理局が保護する前にこちらで雇ったことにすれば建前がつく、これは本人たちにとっても望むべくもない話だと、私はおもっているよ」

 お互いに紅茶を一口飲むと、少佐は一息つきつつ、部下にあるものを持ってくるように指示した。

「ここで、働くかい」

「答えはさっきと同じだよ」

「そうか、ではさっそく本題に入ろう」

 出された書類に当たり前のようにサインし、流れるように自衛隊の制服に、黒い作業服と階級章が差し出された。

「本日より君は自衛隊の隊員だ、所属はここだが、公には特殊部隊と言わず関東方面の広報局の第三室所属だ。部隊のあらゆる事項に守秘義務が課せられる。破った場合、その隊員は処分されるからそのように」

 席を立って、作業服を広げると制服の上下が一体になったようなデザインに、腰には一体型のベルトが取り付けられていた。

「分かった、刀使として隊員としてやるよ」

「君の階級は一等陸士だ。それに、物事を分かった時は諒解といいなさい」

「諒解」

「よろしい」

「あの」

「敬語を使わんでもいいよ、梅も使わないからな」

「じゃあ少佐、結芽の御刀はどうなるの」

「ああ、そうだったな。君の以前使っていたのは」

「ニッカリ青江」

「それは、君がノロに消えてしまってから管理局が回収してしまってな、さすがに御刀は国の所有物だからおいそれと場所を移すことはできない。だからこそ、君には自衛隊の持つ数本の御刀の中から一振りを提供したい」

その言葉に結芽は笑顔でゆっくりと頷いた。

 

四、

 

それから施設を出て、車に乗るとまだ白い夏の夕空が流れゆく景色をたたえていた。

(帰ってきたんだ)

施設のある通りから、並木の続く通りを走っていく、帰りの小学生、カメラを構える女、談笑しながら赤ん坊をあやす夫婦、電話をしながら解けない緊張を抱える男、そのどれもが当たり前の景色であった。

そして今、彼女は静かに涙を流した。

「懐かしいだろ、自分の見てきた何もかもが」

 結芽は顔を赤くはらしながら、隣に座る梅を睨んだ。

「いいだろ、さっきはあんなことをしたが、これからは仲間なんだ。仲良くやろうや」

「あれが仲良しなの」

「ぷっ、あははは、そうだな、あれは挨拶だ、私流のな」

「そうなんだ、結芽もさっきあいさつしたけど、された回数に応じなくちゃね」

「いいね、私も新入りへの、あいさつをしてないわ」

「二人とも、止してくださいよ。車の中なんですから、やるなら訓練の時にでもしてください」

「いやねぇ彦さん、こういう強ーい奴には容赦は必要ない、やるなら徹底的にだよ」

「それでも十三歳の女の子相手なのですから、自重してください」

「あなた、誰なの」

 助手席に座る優し気な声の女性は、ゆっくりと結芽に顔を向けた。

 ポニーテールで、やや細目の優しそうな女性である。

「はじめまして、私は国府宮鶴、コードネームは彦、私も二課に所属する刀使よ」

「本名を先に名乗っちまうのかい、ええ、彦さんよぅ」

「隊内だけの秘密ですよ、それに刀剣類管理局にも、私たちの顔と名前を知っている奴らは居るんですから、気にしたって無駄ですよ。お梅さん」

「ふふ、まぁいいだろう。ところでこいつのコードネームは何にする」

 結芽の頭を何度も撫でて、叩き始めた。

「少佐」

「それならもう考えてある」

 叩いていた手を振りほどくと、少佐の言葉に体が止まった。

「黒、それが結芽、お前さんのコードネームだ」

「黒?」

 梅はニタニタ笑みを浮かべながら、その名の由来を聞いた。

「由来?結芽にも分かるようにして」

「少佐は必ず、私たちの境遇に合わせて名前をつけるの、ちなみに私は」

「彦、それは今度だ」

「いいじゃないですか、減るものじゃありませんし」

「なおのことだ、後で教えてやるから」

「はい」

「チェー、つまらない男、いや少佐殿」

 車は空自のある基地内へと入ると奥へ奥へと走っていき、

 やがて壮麗な社の前へと車が止まった。

「いつ見ても平和主義者が発狂しそうなほど立派だわ」

「仕方ないだろう、御刀を預かる以上、そうしろというのが社寺庁のお達しだ」

「まるでゴジラ様様の防衛庁みたいだ」

「否定はせんよ」

少佐の先導で社の奥へ進み、連絡を受けて待っていた神主が一行にゆっくりと頭を下げた。

その面長の優し気な瞳が吸い込まれるように結芽へと向かった。

「その方ですね、本日御刀を受け取られる刀使は」

「ええ、黒」

 結芽が前に出ると、神主はゆっくりと頷いて、自分についてくるよう手招きした。

「いや、朝から一振りの御刀がひどく震えるのです。私が祝詞をあげますと、子よ童女に剣を授けよ新たなる巫女の生まれを祝すために、と言葉がまいりました。もしや、貴女は望まれるべくしてここに来たのやも知れません」

「望まれるの、私が」

 厳重な倉は二重の構造で、神主は別々の鍵を開け、最後の扉が開くと彼女に先に入るよう手招きした。

 暗い蔵の中、にわかに白銀の灯が結芽の目の前でぼんやりと輝いた。

 そこには、既に拵えに覆われた一振りの御刀が置かれていた。

(あなたが、選ばれたのね)

「うっ」

 頭を抱えて膝を突いた結芽は、何度も悶えた。

 踏み入れようとした梅を神主が静止した。

「ならん」

「どけよ」

 二人の応酬をよそに、立ち上がった結芽は何かを呟きながら御刀を手にした。

「私は誰のいいなりでもない、私は私の守りたいものを守る」

腰に差した刀は美しい黒呂の鞘と染められた黒い鮫皮に金の目貫、渋い色褪せた銀色の鞘鐺、柄頭には獏の彫金がなされている。

所作どおりに抜き放たれた刀身は、太刀を磨り上げた一振りとは思えぬ美しい直刃、反りの少ない幅広の刀身には、やや浅い彫りが鎬に走っている。

そのあまりに頑強でありながら、まるで結芽の体躯に合わせたような一尺七寸九分刃長は、ニッカリ青江よりもやや短く、より彼女向きの刀であることをその身で伝えていた。

「嘘だろ」

 驚く梅を見て、当然だと神主は胸を張って言った。

「少佐」

「彦、私だって信じられんよ、久能山から預けられている護国繁栄の一振り『ソハヤノツルギウツスナリ』に選ばれるとは」

「神君家康公の御手を離れてから、誰の手もその力を引き出させず、使い手を選ぶことさえしてこなかった御刀が、お声を上げてまで彼女を選んだのだ。私はこれを喜ぶべきことと、信じてやまない」

 神主は涙ぐみながら、入ろうとした梅を静止した。

「まだ、終わってはおりませんよ」

 写シを張った結芽は、天頂から振り下ろし、何かが斬れる音が響いた。

 それは御刀を恐れ、抑えるための小さなしめ縄であった。

「『ソハヤノツルギウツスナリ』ほどの御刀はその力ゆえ、御神山以外の土地に安置すればその地に影響を及ぼしかねない。だからこそのしめ縄。しめ縄には御刀の力を封印する力がある。そして新たなる主を得た御刀は、封じていた縄を断ち切ることで、真にその力を解放する。

ただ、平城学館に安置されていた小鴉丸は新たなる主人を選ぶに際して、しめ縄を木っ端みじんに断ってしまわれたほどだ。その意味ではこの御刀は、新たなる使い手を静かに待っていたのやもしれませんな」

「ひたすらに、四百年分か」

 一同はそれぞれの面持ちで、御刀を持つ彼女を見つめていた。

 

五、

 

 車の前で立ち止まった神尾は三人に向き直った。

「さて、早速だが、例の川崎住みが女子高生を捕まえて部屋に監禁中だ」

「マジかよ…早すぎだろ」

「ノロに憑りつかれる以前から奴の兆候は顕著だったろ、やらないくらいに引きこもりだったのがきっかけを得た」

「ノロっていう麻薬に憑かれたか哀れな男が、哀れな女の子の生産にかかったと」

「リンチを始めるとしたら」

 梅はやや笑い、そして彦が声をとがらせながらそれに答えた。

「深夜ですね、計画的に、しかも連続的にやるなら」

「どういうこと」

 真剣な三人の目を見て、全ての状況と発した言葉の悪さを察した。

「黒、このコードネームは君が二度と白であることはない、漆黒のごとき闇に踏み込んでいることの証だ。彦は全てを失った者の名、梅は中に毒をはらんでいる。これから私たちは何をするのかな?」

「禍たれた人を…斬る」

「躊躇うなよ、絶対に」

結芽は黙したまま、頷いた。

 

 

 宵闇の風を吸うと結芽は口を一文字に閉じ、無線のスイッチを入れた。

「黒、配置につきました」

「梅どうぞ、こちらも位置に着いた」

「彦、狙撃位置を確保、亜音速弾装填」

「こちら長、梅のカウントで突入」

「梅、諒解、落ち着けよ」

 三人は黒い作業服に身を包み、顔を隠すために黒い覆面を着けている。

目標アパートの屋上から、結芽は息を殺して御刀を下げ緒でベルトに結び付けた。

「梅、五秒前」

 梅はアパートの向かい側の住宅の屋根から、既に御刀を抜きはらっていた。

「四…」

 彦はやや、離れたマンションの九階にある空き部屋から、サプレッサーを取り付けた対物ライフル『ゲパードGM6』を構えている。

「三…」

 長こと神尾は、所定の合流ポイントにエンジンを掛けたまま車を停車させた。警官の巡回は確認済みである。

「二…」

 写しを張ったと同時に縮地でベランダに立ち、黒は窓を二回たたいて隅に避けた。

「一…」

 厚いカーテンの隙間から目をくぼませた男が小さく顔を見せた瞬間、彦は引き金を引いた。

 叩き割れた窓とともに男の頭は抉れ、梅は写しを張った同時に迅移で部屋に飛び込んだ。

「零…」

 袈裟切りが男の体を断ち、首に持っていかれるように倒れた。

(やった)

「ちっ」

 バットを手にした男は飛ぶように立ち上がり、梅を突き放した。

 その瞬間、背中から脛骨を身幅の広い御刀が突いた。

ついでのように肩の神経が集中する急所も左右正確に突かれていた。

「やるな」

 急所を突かれた男はノロとなって溶け、切れた衣服を残して人の形が消え去った。

 黒は血振をして鞘に収めた。

 振り向くと、身体を縛られ気絶する女性の姿が見えた。

 幸い、まだ何もされてはいなかったが、恐怖に耐えきれず失神し、スカートがひどく濡れていた。

「行くぞ、黒」

 結芽は黙って、その言葉に従った。

 

六、

 

 施設に戻った彼女たちは、出来立ての料理を頂くことになった。

料理長は笑顔で三人の前に料理を出していった。

麦ご飯に、お味噌汁、漬物が少々、それにメインは茄子の煮びたし、お好みで使える四種の薬味がそえられ、憎たらし気に隅には小鉢がひっそりと置かれている。

「カイル、俺の分は」

「ないよ」

「え」

「冗談だよ、出すからその前に言うこといいな」

 そう言って、厨房に戻っていった。

 神尾は席に着いた三人に向かった。

「急ではあるがご苦労だった。これからも任務に勤しんでくれ」

「少佐」

「ん、まだ言うことがあったかな」

「いえ、そうではなくて、どうぞ少佐も席に」

「ん」

 振り返ると料理長が堅い面持ちで神尾を見ていた。

「なるほど、では失礼するよ」

 四人テーブルの鶴の隣に座ると、鶴はやや嬉しそうに微笑んだ。

 そうして料理長はようやく彼に食事を提供した。

「こいつ」

「ふん、すきっ腹で残したら、少佐が食ってくれるそうだ」

「必要ないね」

「結芽もそう思う」

 と、やや疲れ気味に梅と結芽が言った。

「では、頂こうか」

「いただきまぁーす」

 待っていたように結芽は元気よく挨拶した。

 

暫くして顔の堅い少佐の部下二人が食堂の隅に座ると、食堂長は同様の料理と、つまみにビールを置いていった。

 

 

 翌日、監禁事件が報道されたが、あの男は行方不明で捜索中という発表がなされた。

「それにしては」

 その部屋の荒れ具合と謎の金属音に関する住民からの情報提供、それらが多くの人に疑問符を与えた。

 刀剣類管理局も同様に、突然のノロに関する出現情報に驚きを隠せなかった。特に人体のノロ化事例は十年ぶりであった。

 

 燕結芽はその夜、何もなかったようにゆっくりと眠った。

 死んだことも、生き返ったことも、禍人を切ったことも、全てが夢であったように

 少女は静かに寝息を立てながら、眠っていた。

 



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第二話「再会と未練」

一、

 

「今なんて言った」

あれから十日、禍人の捜索に躍起になっていた神尾の手が、突然止まった。

「はぁ、黒が御刀共々、消えました」

「それはだ、つまり」

「逃げました」

 深いため息をつきつつ、何か小言を言いながら頭を抱えてしまった。

 梅は見透かすように神尾を見下す。

「どうするんだい少佐殿」

「なんでかねぇ」

「言ってよろしいですか」

「なんなり、と」

「いくら虎の子で、しかも公に伏せなくちゃいけないとはいえ、施設の裏で荒魂が現れてから外の目から伏せるために一週間缶詰め状態。おまけに大好きな稽古もずっとお取り上げ、私と彦は慣れていても、黙って待機任務に従うタマなもんかい。監視カメラぐらい付ければよかったろうにねぇ」

「甘かった…かね」

「もう少し考えを巡らすべきでしたね、あいつは生きてることに微塵も絶望しちゃいないのだから」

「そうだな、よく似てる」

「で、その甘チャン課長に提案があります」

 

 

 施設から数キロのやや大きめの街に出てきた結芽は、既に服を着替え、刀をギターケースに、アイスを片手にしながら通り行く人波を見つめている。なぜ身と御刀だけの彼女がこうしていられるかは簡単だった。

「おまたせ結芽ちゃん」

 その明るく朗らかな声に結芽は自然と笑顔になった。

「一日くらいなら泊まれる場所は用意できたよ」

「ほ、本当に」

「勿論だよ、ちょっと裏技を使ったけどね」

 彼女にとっては倒すことのできなかった最強の剣士にして刀使、衛藤可奈美であった。

「それにしてもこんなところで出会うなんてね」

「ねぇ、聞かないの、あたしがなぜここに居るのかを」

「うーん、それはね」

ギターケースに手を添えた可奈美が、それは御刀があるからだと言った。

「タギツヒメを封印してから、何か不思議なことが起きても、それは色々なことの積み重ねで、ちゃんと良くなるように動いていくんだって、そう思うようになったんだ。だから、燕ちゃんに何があったかは何も聞かない。でも、きっと話してくれると信じてる。

 以前、最後に戦った時に燕ちゃんは正直にしか剣を振れないように思えたんだ」

「正直、私は笑いながら戦っていたんだよ」

「あなたが本気を出す寸前、私を最後の相手に選んだんだよね」

 邪魔が入る寸前、結芽の顔から単純に楽しむことから、最後の一時をここで使い果たすことを決めていた。

 だからこそ、あの邪魔を入れた二人に心底怒りを覚えたし、殺意を抱いて終いには剣を鈍らせてしまった。

「そうだよ、だっておねぇさん、誰よりも強いもん」

「えへへへ」

「結芽、燕結芽。まだ、名乗ってなかったでしょ」

「そうだったっけ」

「覚えてないの」

「あの時の太刀筋くらいはね」

「でもおねぇさんらしいや」

「私は衛藤可奈美」

「じゃあ、かなねぇって呼ぶね」

「じゃあ、私は結芽ちゃんって呼ぶよ」

 そうして、二人は無邪気に笑いあった。

「おかしなの、剣を合わせてばかりで話なんてこれっぽっちもしたことないのに、かなねぇとはまるで」

「まるで」

「まるで」

「まるで」

「分かんないや」

「私も分からないよ、でも、刀使って時には試合で戦って、時には背中を預けるから、家族みたいなものかも」

「家族」

「そう、まいちゃんや、さやかちゃん、ひよりちゃんにエレンちゃん、薫ちゃんにネネちゃんも、刀使のみんな私の家族だよ」

「そっか…そうだね、きっとそう…だよ」

 結芽は心の底から沸き起こる温かなものに、肩の荷が下りるような、落ち着いた感覚が体を包み込んだ。

 可奈美は応援要請でこの街に来ていたが、荒魂を討伐したため関市に戻る前に、ある人に会うためにここへ来ていた。

「ふぅーん、なら結芽に気を取られてちゃいけないじゃないの」

「ううん、むしろ結芽ちゃんは会っておかなくちゃいけないから」

「どういうこと」

「そいつは私にも聞かせてほしいねぇ」

 結芽はその聞き知った声に可奈美の背中に逃げ込んだ。

 二人の頭上に大荷物を背負った、梅が立っていた。

「あの、結芽ちゃんをご存じなんですか」

「そうだよ、そいつの先輩だからね」

「先輩、つまり今結芽ちゃんをお世話している人ですね」

 可奈美の真剣な面持ちが梅に嘘をつけさせなかった。

「心配しないでも怖いことはしてないよ」

「嘘つきぃ」

「嘘つきだよ、嘘つかなきゃここに来れるもんか」

 やや、顔を出したことが不覚であったことに結芽は気が付いた。

「少佐から言伝、今までの働きの御褒美で一週間ほっといてやるそうだ」

「え」

「ただし黙って出ていった罰として、私が始終同行する」

「それ、保険ってやつ」

「いいや、あんたのお陰で稽古と酒飲みができる。利用させてもらった」

「私も稽古に参加していいですか」

 突然、目を輝かしながら答えた可奈美を相手に、梅はいつになくたじろんでいた。

「あのね、貴女。こっちはこいつにも、あなたにもいい提案をしているの、話のコシを折らないでほしいな」

「でも、結芽ちゃんと剣を合わせたいです」

(なるほど、タギツヒメでもこいつの相手はキツイだろうわ)

「いいですか!」

「好きにして、なんか滞在先も決まっているみたいだし」

「やったー、やったね結芽ちゃん」

「う、うん、うん」

 

 

二、

 

 梅が車で、可奈美の指示するある場所へと向かった。

 そこは町から二山越えた集落にある、昔ながらの民家らしかった。

「そろそろかな」

 後部席の可奈美が顔を前に乗り出させた。

「あ、ここを左にあとはこの坂をまっすぐです」

「はいよ」

 窓を開けると、やや日が傾き、すでに鳴き始めているセミが、集落にその鳴き声を響かせている。

「夏なんだ、もう」

「この鳴き声は、ニィニィゼミだな。あんた、美濃関なんだろ、岐阜ならもう鳴いているんじゃないか」

「あんまし、気にしてないです」

「セミなんかいいから、早く稽古したい」

「なんだ、私を嫌がってた割にはやけに素直じゃないか」

「うるさい、結芽はまだ強くなるの」

 そう言って、腹は空がらしく音を立てた。

「まずは腹ごしらえか、立派だ立派、あははははは」

 赤くなった結芽は返すに返す言葉もなかった。

「梅さん、ここですよ」

 ゆっくりブレーキをかけると、年月を感じさせる素朴な民家がやや高台に建っている。

「挨拶がてら、車を停める場所を聞いてきます」

「頼むよ」

 ドアが閉じると、ブレーキをかけ、エンジンを止めた。

「いい友達じゃないか」

「え」

「ほら、荷物出して運んだ運んだ、相手さんに失礼のないようにな」

「はぁーい」

 

 玄関で出迎えた長髪の少女は、その招いていない客人に顔をしかめた。

「可奈美、お友達が来るって言ったよな」

「そうだよ」

「泊まるのは二人と言ったよな」

「まぁ、友達の保護者もついてきちゃった」

「なら、お友達に自己紹介してもらっていいか」

「結芽ちゃん」

「はーい、お久しぶりですペッたんこの小鳥丸のおねぇさん。元親衛隊の燕結芽でーす」

「こんにちは、結芽の世話をしている梅と申します」

 頭を抱えかけた彼女は、とにかく家に上がるように言った。

 仏間に案内された三人は傍らに御刀を置いて座り、仏壇に一礼した。

 面立ちのよく似通った女性の写真が、彼女の血縁者であることを結芽に気付かせた。

 十条姫和、折神紫に反旗を翻し、可奈美と共に死地を潜り抜けて、最後は仲間たちと共にタギツヒメを隠世に封じた刀使である。

 当然、彼女は今起きていることに何一つ納得することができなかった。

「単刀直入に聞こうか」

「ひよりちゃん」

「何も聞くなという約束だが、度台無理な話だ。なぜここに死んだはずの人間がいるのか、それを聞きたい」

(もう聞いちゃっているし)

 しかし、結芽の面持ちは姫和に対して真っすぐであった。

「今は言えない。でも、いつかは全てを話す。今はただ、時間が欲しい。何もかもが突然に、せまっ苦しくて、考える暇もないくらいに怖かった。だから、少し、少しだけ居場所を貸してください。お願いします」

 その彼女らしくない、あまりに毅然とした態度に周りは驚き。

 結芽は静かに彼女に頭を下げた。

 しばしの沈黙が、可奈美の胸をどぎまぎさせた。

「いいだろう。ただし、家事をやってもらうから、そのつもりでな」

「ありがとうございます」

 可奈美は思わず安堵のため息をついた。

 

三、

 

 結芽と梅が荷の片づけをしている間、姫和は外の洗い場前に来るように言った。

「おまたせ」

「ああ、そこの大根を洗ってくれないか」

「合点承知!」

 割烹着を着た彼女は、料理の量を増やすべく裏から採ってきたのに気がついた。

 手を動かしながら、時々聞こえてくる鳥の鳴き声に耳を傾けた。

「姫和ちゃん」

「なんだ」

「ありがとうね」

「何のことだ、元々お前は泊っていく予定だったじゃないか、あいつは自分で頭を下げたんだ。それで十分だ」

「ううん、それもあるんだけどね」

 蛇口を止めると、可奈美の言葉が止まった。

「お前の考えている通りだ。あいつは少し似ている。母が亡くなってからの私に、血気に逸った私にな。でも、可奈美や多くの人たちに足止めされ、その分考えることも、見つめなおすこともした。そうして、少しずつ自分との折り合いをつけていった」

「だから、教えてあげたいんだよね」

「ああ、さぁいい夏大根が手に入ったからな、おいしいぞ」

「わぁい、姫和ちゃんの手料理、久しぶりだなぁ」

「いつも来たら食べてるじゃないか」

「だって、本当にそうなんだもん」

「こいつ…」

 

 家事は明日からと言い置かれ、結芽は庭先に出て御刀を腰に差した。

「まずは一の太刀からだ」

 梅は縁側に座りながら、結芽の基本動作の隅々に目を光らせた。

(やるな)

 足さばき、腰、太刀筋、所作、十三の少女が振るにはあまりに完璧であり、幾多の戦いを乗り越えたその剣は、もはや熟達の域に達していた。そしてその衰えを知らない剣は、今だ成長を続けている。

形が終わると、梅はすぐさま木刀を手に仕太刀に入って結芽の剣を肌で感じとった。

「そこ」

 二回り目の型が始まった瞬間、木刀の切っ先が御刀を弾き左腕を二回、軽く叩いた。

「相手を舐めた動きをするな、それがお前の剣を幾分も弱くしているぞ」

 同じ動きを繰り返すが、三度も結芽の太刀がはじかれたり、避けられたりした。

「あともう一度、いいか、遊ぶな、お前はもう急ぐ必要はないんだ」

「はい」

 可奈美はその稽古に懐かしさを抱き、そして結芽のあまりに純粋な剣が愛おしくも思えた。

 その時、結芽の突きがようやく梅の弾きをいなした。

「まだだ、癖が直り切るまでみっちりしごくからな」

「はいっ」

「威勢だけはいいな」

「何だって」

「くかか、さぁ次」

 だが、先ほどのように上手く太刀が入らず、隙あらば梅に転がされた。

「そいつはニッカリ青江か、違うだろ。その御刀の名は」

「…っ、ソハヤノツルギ」

「そうだ、御刀は稽古の刀や、特注の真剣でもない。お前が合わせられると信じて、お前を主人に選んだんだ。あまり下手な剣を振ると御刀はお前を振り回してくるぞ」

 気づけば全ての型を複雑に組み合わせた稽古に変化していた。

 それは梅が徐々に型を変質させ、結芽の体に染みついた剣術を、さらに順応させようとするものだった。

(マズい)

 その瞬間、梅は写しを張っていた。

 額の眼前で止まる切っ先がそこへ来たことに気が付かなかった。

 可奈美も梅が腕を斬られたと錯覚していた。

 そして、写しの腕がポロリと地面に落ちた。

「ようし、近づいてきたぞ」

 結芽は汗を噴き出させながら、激しく呼吸を繰り返した。

「落ち着け、ゆっくり、全部息を吐け、そして一気に空気を吸うんだ」

 そして、結芽は息を整えた。

「見失うな、登るというのはそういうことだ」

「はいっ」

「そろそろ飯ができるころだ、後にしよう」

「ありがとうございます」

 御刀を納めると、可奈美が結芽にタオルを差し出した。

「お疲れ様」

「うん」

 

 

四、

 

 シャクリ、その一口はやさしい温かみと味噌だれの甘辛さが、口の中に広がった。

「ほぉ、いい熱さ加減だ」

 梅はお好みで添えられたからしを乗せ、走る辛みのほど良さに箸が進んだ。

 旬の夏大根は、夏物のみずみずしさと食感が相まって、よい食材である。

 本来なら辛みとして添え物にしてもよかったのだろうが、ボリュームや栄養分を考えた結果なのだろう。

 さっぱりと煮た大根は十分に冷まされ、その変わりに甘辛の味噌だれが熱いうちにかけられる。

「やっぱり姫和ちゃんの料理が一番だよ、でもチョコミントはどうかと」

「まだ言うかこの口は、甘味くらい好きな味を食べていいだろう」

「それにしては繊細な味付けだよね」

「ほぅ、私に喧嘩を売っているのか」

「ペッタンコのおねぇさん」

「姫和だ、ぺったんはやめろ」

「うん、姫和ねぇさんは歯磨き粉の味が好きなの、じゃあデザートもチョコミントなの?」

「それはない、さすがにさっぱりとした料理に合わせるには」

「へぇ、随分と控えめだね」

「客人がいるから当然だろうに、まったく」

 大根の菜を使った和え物と、切り置きしておいたごぼうを使ったゴマの和え物。

 それぞれ小鉢にあり、野菜をふんだんに使った素朴な一善である。

 

 

 翌日、早朝に目覚めていた結芽は庭先に立ち、刀を腰に差した。

 ゆっくり息を吐き、静かに抜刀。

 その時、日の出の上りと同時に、声にならぬ声が響いた。

(あなたは、今の居場所、今の剣で何を守るの、自分を救おうとして救えなかった、貴女が)

 足の歩数を気にしながら、居るはずのない相手に答えた。

「それは分からない、だから今の場所で、やり残した一つ一つを確かめたい」

(その一つ、一つ、知りたいな)

「答える必要、あるの」

(貴女はきっと答えられるはず)

 昨日の動作が戻った瞬間、息が荒く乱れた。

「自分のこれから、別れた仲間や先生たちのこと、紫様のこと、体内のノロのこと、二課のこと、刀使のこと、そして両親だった人たちから聞いた、お母さんのこと」

(時間はあるのかしら)

「時間は取り戻す、たとえ偽りの体でも心があれば、きっと」

 と、目の前に御刀を手にした可奈美が立っていた。

「かなねぇ」

「おいで」

 御刀を抜きはらった彼女は、結芽と真っすぐ対峙していた。

 それに答えるように結芽は写しを張った。

「久しぶりだよね、こうして戦うの」

「うん、私ね、ずっと結芽ちゃんともう一度戦ってみたいって思ったの、全力の本気で」

「私も」

 はじかれる一撃、いなされる突きに返し、踊るように動く足は考えるよりも先に、隙を見つける一寸先に飛んでいこうとする。

 可奈美はずっとずっと強くなっている。

 紫さまなぞ目でもないほどに強い。

 だからこそ、追いつきたいと、越えていきたいと体が動く。

 追い抜いたらすぐに、追いかけたらすぐに、

「私がかなねぇに勝つんだから」

 お互いに同時に三段突きが入り、切っ先が両者の突きをはじいた。

(そこっ)

 だが、その時足が止まり、一振りが一歩届かず避けられ、そのまま左腕の写しが叩き斬られた。

 

 その結果に結芽はゆっくりと鞘に刀を戻した。

「やっぱり強いね、思った通りだよ」

 しかし可奈美は納得のいかないといった表情であった。

「あのね、結芽ちゃん」

「馬鹿」

 頭を殴られた結芽は頭を抱えた。

 梅はぶっきらぼうに結芽のうしろに立っていた。

「なぜ使わなかった、お前は可奈美に一番失礼なことをしたと、分かっているのかい」

「なんで」

「躊躇ったろう、最後の突きが走った瞬間、お前は可奈美のがら空きの胴を斬れた。だが、お前は踏み出るタイミングで考えた、お前自身が負けることを」

「っ」

 可奈美はそれを理解していたのか、残心を残さなかった。

 結芽はいずれの自身の行動振り返り、自身が負けを望んでいたことに気が付いた。

「呆れた」

 梅はそれから何も言わず、家の中へと戻っていった。

 

 

五、

 

 結芽は縁側に寝転がりながら、外の景色を遠く遠く見ている。

 名前の知らない鳥、どこからか鳴く声の聞こえるセミ、照り付ける日を受け止める簾が風に揺れ、風鈴が思い出したように音色を奏でている。

「呆れた、か」

 さんざん振り回した木刀も、汗だくになった道着も、見えなかった本音が全ての辛さや苦しみを上回った。

 ここに来て一日なのに、まるで何日も立ったような感覚だった。

「結芽ちゃん」

 目の前に来た可奈美が、結芽の額に冷たいものを置いた。

「冷たい」

 起き上がった結芽は、青く透き通った瓶を見て、その瞳を可奈美に返した。

「一緒に飲もう」

 開けるのに失敗しながら、二人笑いながら一口飲んだ。

「いやーっ、もう暑いね。そこで農作業を手伝ってたんだけど、雑貨売りさんが冷えたラムネを売りに来たの」

「すごいね」

「ん、元気ないね」

「うん」

「聞くよ」

「うん、なんだかね、今までの剣が私を否定しているように思うの、進むんじゃなくて、結果であればいいんだって、そう言っているようで、それでいいような気がしちゃったの」

「ふーん、でも私は結芽ちゃんに勝ったよ」

「かなねぇ」

「いいじゃん結果でも、その結果で前に進んでいく、私は今の結芽ちゃんに勝ったけど、でも結芽ちゃんはもっともっと強くなるから、今の私じゃ負けちゃうかもしれない。だから、今度はもっと強い結芽ちゃんに勝つ」

 そう笑顔で言って見せた彼女の顔を見て、涙が頬を伝った。

「いや、あの、だからね、その、これから一緒に農作業しない」

「え」

「だ、だってね、姿勢を低くして、黙々と一つ一つを丁寧に作業するんだよ。あんまりひどいと作物が痛んじゃうから、そういう心づくしが学べるんだよ。剣も自分と相手との心づくしなんだよ」

「ぷ、あはははは、ふふふ」

「そ、そんなにおかしかったかな」

「うん、とっても、でもうれしい」

 涙を拭った結芽はラムネを飲み干し、勢いよく立ち上がった。

「よし、結芽も行くよ」

「うん、そうでなくっちゃ」

可奈美もラムネを飲み干したが、直後に出た曖気に涙を滲ませた。

「痛いよ~、油断した」

 そんな彼女をみて結芽は、また元気よく笑った。

 

「疲れたぁ」

 結芽がぐったりと横になると梅が軽く額を叩いた。

「ご苦労さん、日が沈んだら庭先で稽古だ」

「ええっー、今日ぐらい休ませてよ」

「ふぅーん、休みたいのか」

「っぐ、やだっ」

「ならさっさと風呂入りな、私が沸かしといたから」

 姫和と入れ替わるように梅は仏間の方へ去っていった。

「ほら、着替えとタオルだ、可奈美も一緒に入ってくるといい」

「そうするよ、あと中村さんから」

 大目にザルに入った茄子が新鮮な色づきをしている。

「こんなに」

「結芽ちゃんが張り切って、明日までかかる作業を今日中に終わらせちゃったから、そのお礼にだって」

「なるほど、じゃあ今夜は夏野菜たっぷりのカレーだな」

「おおーっ、カレーだ」

「ほら、二人とも早く風呂に入ってきなさい」

「はーい」

「はい、はーい」

 仲良く風呂場に向かう二人を見送り、慣れた手つきで割烹着を着た。

「洗濯物は取り込みましたから、畳んでおきますね」

「お願いします、それにしても、頑なに梅と呼ばせるのはどうしてですか」

「気になる」

「ええ」

「まぁ、貴女が私の本当の名前を知っていればそれで十分よ」

「後悔しますよ」

「そうね、後悔なら何度しても変わらないわ」

 そう言って、梅は表情を見せなかった。

 

 

 

 

六、

 

「ありがとうございました」

 頭を下げる結芽を見て、姫和は照れくさそうにそっぽを向いて見せた。

「まぁ、ウチがようやく静かになると思えばひと段落できるというものだ」

「本当にありがとうございました、姫和さんには本当にお世話になりっぱなしでした。このお礼は必ずさせていただきます」

「かななぇにもよろしくね、姫和ねぇ」

「わかった、わかった、さっさと行け」

 

 先に立っていた可奈美は結芽に別れをいう時、二つの約束をした。

「一つは必ず私と再戦する。。今度は本当に強くなった結芽ちゃんを楽しみにしているからね」

「もちろん、かならず守るよ」

「二つは結芽ちゃんがピンチの時は絶対に駆けつけるから!」

「うん、きっと呼ぶから」

 そうして梅の目を盗むように、連絡先の書かれた手紙を手渡した。

 

 車に乗りながら、遠ざかる十条家を見つめている。

「寂しいか」

「少しね」

「ふぅん、少しなのか」

「私は刀使だから、自分の運命にも、使命にも真っすぐに当たっていく、だからくよくよしていられないの」

「ふふふ、立派になっちゃって」

 夕方になると雨雲が雷鳴を立てながら、雨を振り出し始めた。

 季節はより暑く、より日の匂い立つ夏の盛りへと移っていく、

 そんなひと時の、結芽にとって小さな出来事であった。

 

 

 

 

 

 



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第三話「横浜の踊り子」

一、

 

 結芽は頬杖を突きながら、目の前に広がる数字の羅列を、ぶっきらぼうに見下している。

「それでこの公式は、二つの公式に分かれるので、一回で解けなかったら手間はかかるけど二つに分けて計算してもいいですね」

「ねぇ彦」

「はいはい、あと二十分。文句が言いたいならこれを解いてください」

 結芽はやけになって指された問題を計算し、

「できた」

 そう言って目をつむった。

「んー、惜しいですね。ここは引き算ですよ」

「ええ」

「さ、途中から」

 鉛筆を持ち、下で計算直しを示すと、彦は満足そうに首を縦に振った。

「よろしいでしょう。でも今のようなニアミスは厳禁ですよ」

「はーっい」

「じゃ、約束通りに文句を聞きましょうか」

「あのね、なんで自衛隊に来てまで勉強しなくちゃいけないの」

「まぁ、子供も大人も一生勉強するからですよ」

「でも」

「話は最後まで聞きなさい。自衛隊員だって戦車とか、軍艦とか、戦闘機とかを使うために使い方を勉強しなくちゃいけない。そして、私はちゃんと学びましたよっていう、証をもらわなくちゃいけない。あなた、飛び級したけど中等教育終わってないでしょ」

「うっ」

「それに高等教育も」

「ううっ」

「だからこそ、あなたはお勉強しなくちゃいけないんですよ。みんなに堂々と常識溢れる刀使と言うためにね」

「わかったよ」

「まぁ、剣は梅さんから、それ以外は私から学べますから、そんじゃそこらの中学生に負けない学力は保証しますよ」

「でも、彦はそんなに色んなこと知っているのに、なんで第二課に居るの。普通の刀使じゃダメだったの」

「…」

 笑顔でありながら寂し気な顔をする彦の顔を見て、答えを求める気にはならなかった。

「まぁ、私は…ある人から逃げて来たんです。心から忠誠を誓った人から、怖くなって、逃げたんですよ」

「そう、なんだ」

「さぁ、話もここまでにして、今日は早めに終わりましょうか。お昼前には出かけるそうですから」

「例の」

「そうです、例のアレです」

 

 横浜市港区は神奈川県の顔にして、海からの関東の顔でもある。

 そして国内でもある料理の殿堂として名高い場所、横浜中華街がある。

「結芽、ここに来るの初めて」

「ほぅ、親衛隊に居たのに、美味しいものを食べてなかったのか」

「うっさい、任務に忙しくてとても行く暇はなかったもん」

「かかか、だろうよ。なら今日はいいもん食わしてやるよ、な少佐」

「あまり高いところは勘弁してくれよ」

「よっし、同善軒に行こう」

 中華街の表通りの中では古い店の一つ、しかしひどく高いわけでもなく、観光客のみならず地元住民も気兼ねなく訪れる中華料理屋である。

 ここの名物はチャーハンとチャーシューの盛り合わせ。

 数種類のチャーハンは海鮮もの、肉類を扱ったそれでは上品かつ中華街らしい美味の料理である。

「えびがプリップリ、味付けもほど良くてやさしい食べごたえ」

「黒くんも、随分と舌が肥えて来たな」

「だっておいしいものは大好きなんだもん」

「そう言って、すぐに太るぞ」

「むー、なんで梅は意地悪なの」

「はいはい、チャーシューだぞ」

 口に運ばれた一切れを満足そうに食べる結芽を見て、梅はいつまでも笑っていた。

 

二、

 

 深夜を回った倉庫街を一人の男が走っていく、

「はぁはぁ、はぁはぁ」

 時折聞こえる足音に吸い取られるように、少しずつペースが落ち込む。

「はぁはぁ、ひぃ、はぁ」

行き止まりのフェンスにたどり着き、男は声を発することもできず崩れ落ちた。

「心配するな、すぐに終わる」

「ふ、ふざけるなよ」

 男は立ち上がると、腰のベルトから45口径のM1911拳銃を取り出した。

「こうしてここに逃げたのはお前を一人にするためだ。殺し屋・李狼将よ」

 体をフェンスに預け、両手でしっかりと構えられた拳銃が暗闇に潜む男へ指向した。

「心配はいらん」

「ふふ、お前さんもここまでだ」

 引き金を引いた瞬間、銃は宙を撃ち、腕ごと後ろへと放り投げられた。

 悲鳴が走り、銃がフェンスの向こう側へと消えた。

「日本には良い武術がある。お前はそれを知っておくべきだったな」

「まだ、だぜ」

 今度は背中に隠されていた合口が空を斬った。

「くく、その通りだと思うぜ」

 その切っ先の輝きを見て、狼将は怪しく微笑んだ。

「では、気兼ねなく殺せるな」

 背中に負っていただろう薙刀が、鞘を振り払って僅かな光を受けて輝いた。

 その時、フェンスは裂かれ、男の頭上を刃が走った。

「そこっ」

 近間に入ったが、即座に石突が男の体を叩き、首を柄で殴り飛ばした。

「ああああああ」

 すかさず刃が首を跳ね飛ばすと、草むらを叩く音と共に水の流れる音が、いつまでも続いた。

「たわいもない、処理しろ」

 隠れていた男たちが肉体を回収し、痕跡を消していった。

 レンガ街のはるか奥で一連の光景を見ていた結芽は、ただひたすらに気配を消した。

「黒、目標を確認、とんでもない凄腕」

「梅、こちらも確認。彦、お前気づかれているぞ」

「こちら彦、目標の視線指向を確認。これより迂回ポイントに向かいます」

 静かに、そして気配を消しながら動き始めた結芽は、装置に懸架した御刀を水平にし、奇襲に警戒した。

 そして彦は、サプレッサーを取り付けたXM177E2を構えながら、指定されたルートを静かに歩いていた。

 ついに足音が後ろから近付いてきた時、奴が近づいていることに気が付いた。

「この匂い、刀使か」

 背筋に悪寒が走った瞬間、振り返って銃弾を撃ち込んだ。

 だがライフルは脆くも機関部から一刀両断されて、地面にバラバラと崩れ落ちる音がした。

「違ったか」

 赤く禍々しい光を帯びた男は、その後悔にも似た憎悪を彦に向けた。

「死ね」

 振り下ろされた一撃にとっさに御刀を抜き、後ろに弾かれながらも一撃を凌いだ。

「くくく、ははは、あっははははははは」

 彦の御刀を手にする表情は万弁の笑みであった。

「いいね、いいね、私に御刀抜かせるなんて、いいよ、あんた」

 お互いに笑いながら、双方の得物を構えた。

 その刃渡り一尺八寸四分の派手な彫りがなされた御刀は、荒々しい兼房乱れが走っている。

「やはり刀使」

 彦は振り下ろされる左右の二連撃をあっさり避け、それどころか柄をいなしながら腕を斬り、突き殺さんと激しく狼将の懐に入ってきた。

「そうだ、これだ」

 赤い光が狼将の体を裂くように走り、上段からの強烈な一撃に彦の張った写しが引き剥がされた。

 そして突きに入ろうとしたその時、結芽の左逆袈裟切りが狼将の真横に入った。

「うぐっ、くかかか」

「行くよ」

「じゃますんなよ、ったく」

 御刀を収めた彦は結芽と共に暗闇に消え去った。

 

三、

 

 横浜のビジネスホテルの貸し会議室に集合した四人は、ラフな服装であれどその顔に不安を滲ませていた。

「調査した通り、禍人で間違いない。しかもある程度自我をコントロールしている」

「いいえ少佐、あれは自我とノロが一体になっていると思われます。私と同じように、ある共通の目的をもって荒魂となっていると思われます」

「ふぅむ、彦。奴の目的は何だと思う」

「刀使だと思います。それも自分を探し出すであろう、実力のある刀使を待っているのだと思います」

「探し出して」

「戦いたいのだと、思います」

「彦」

「はい」

「笑っているぞ」

 彦はすぐさま口を塞ぎ込み、顔を伏せた。

「彦がそういうのなら間違いはないだろう」

「でも、少佐。彦は御刀を抜くと強いのに、なんで銃ばっかりなんですか」

「黒、こいつはな、御刀を握ると体内のノロが起こす殺人衝動を抑えられなくなるんだ。だから、最悪の場合にのみ御刀を抜かせるようにしている。お前も気をつけるんだ」

「私も」

「梅も然り、彦も、当然お前も、体内にノロを宿した人間はどうなるか、お前が一番よく知っているはずだ」

「む、諒解しました」

 そうして梅がゆっくり口を開いた。

「でもこれであの殺し屋を祓う理由ができた」

「ああ、某中華マフィアの殺し屋『李 狼将』、奴はいつからかノロを摂取し、急激に実力をつけていった。今まで殺した裏世界の人間はざっと二百人あまり、所轄の報告書には噂話とメモ程度にしか書かれていなかったが、全てが事実であり、こいつは俺たちが祓わなければならない荒魂と言うわけだ」

「でも、出方が分からなきゃ祓えないよ、剣を合わせちゃったし、私ら刀使が目的なら待ち伏せしているかも」

「心配するな黒、そのために俺がいる」

 少佐は自信ありげに胸を張った。

 

 

 夜は明け、少佐から待機を言いつけられた三人の内、彦は部屋に閉じこもったままだった。

 仕方なく朝食を済ませて海洋公園へと梅と結芽は足を延ばした。

「いいか」

「タバコ…まだ吸っている人がいるんだ」

「まぁな」

「好きにして」

「ありがとさん」

 喫煙用の廃殻入れを持ってきているあたりが、結芽には梅らしく感じた。

「気になるかい、彦のこと」

「まぁね」

 火を付け、一口すると彼女の唇を撫でるように煙が風に流されていった。

「結芽はね、ずっと紫様のお陰で生きてこれた。でも、それはノロを体に取り込んで、命を繋いだに過ぎなかった。私の周りには力を欲してノロを取り込んだ人、忠誠を示すために取り込んだ人、それをやるしか刀使でいられない人、それぞれに利用価値が違って、思うようにコントロールしきれなかった」

「所詮はノロを飲んだだけの紛い物か」

「そう、私もそうだった。たった僅かな時間にすがる。親衛隊最強の剣士」

「それは誰も否定しなかったろう」

「別にこだわってもいなかったよ。私は一番強い剣士でいたかった。それを証明するために全部利用したの」

「でも、結果は」

「散々だった。かなねぇとの決着を付けられなかった。ノロや荒魂に振り回されていたのは、私自身だった」

「でもこうして生き返った。その振り回してきた奴らを使って、あんたはどうしたい」

「そんなの決まっているよ」

 ベンチを立った結芽は街の方へと体を向けた。

「私のしたいように生きる、今までに会った人たちと、これから出会う人たちと共に」

「ふふ、それは大層な望みだね」

「私もそう思う」

 

 

 朝食の時間が終わっていたことに気付いた彦は、手持ち無沙汰にロビーに来ていた。

「彦」

 かかった声に笑顔で振り向いた。

「黒ですね」

「あたり、ところで朝ごはんは食べた」

「あははは、寝過ごしてしまったようです」

「じゃあこれから朝ごはん食べがてら、稽古に行かない」

「え、稽古」

「そう稽古、御刀を使って」

「それは」

「私が抑え込むんじゃあ不足なの」

「いえ、それなら私自身で抑えます」

「そうでなくっちゃ」

 

 歩いてすぐの場所にフィットネスジムがあり、そこには刀使向けの小さな武道場が設けられている。

 朝食を済ませた彦は、結芽のウォーミングアップを眺めながら、少しずつ体を慣らしていった。

「ところでさ、彦の御刀は何て言うの」

「兼房作無銘ですよ」

偽装のバイオリンケースからでた御刀を素早く目の前に置いた。

「ソハヤノツルギよりも短いですから、長脇差とは言い難いですね」

「変わった拵えだね」

「これはですね突兵拵えと言って、西洋風の軍服が普及した幕末。長州や薩摩といった官軍となる上級の指揮官や馬上の人、それに銃を主に扱う兵士に普及したスタイルで、長さ主に脇差程度のもので、銃砲を扱う邪魔にならないよう、腰下に佩くスタイルで身に着けたのです。

これは後に刀使の御刀懸架装置のモデルに」

「うん、わかったよ、彦が刀好きだってことは」

 彦は熱弁を振るっていたことに気が付いて、顔を赤くさせた。

「私は準備できたよ」

「私もすぐに」

 道着ではなく、黒い戦闘服にベルトに固定した状態で結芽の前に立った。

 結芽が写しを張った瞬間、目の玉を剥いた彦が懐から突きを放った。

 避けたのもつかの間、丁寧にかつ正確な突きが繰り返され、間合いを離す瞬間ができない。

 そして膝上からの写しが切られ、結芽のバランスが崩れた。

 その余りに露骨な彦の笑顔を見て、結芽は不敵に笑った。

 右上段から走ったとどめの一振りが鍔によって流され、すぐさま構えられた右腕の逆切りが鞘に受け止められた。

 腰を捻った結芽の脇から、突きが彦に走った。

 そして避けられたのを確認し、彦の写しの首を引き落した。

 尻から崩れ落ちた彦が満足げに御刀から手を放すのを見て、結芽も御刀を収めた。

「はぁ、はぁ」

「ふふふ、なんだ、強いじゃないか黒」

「当たり前でしょ」

 その時、写しの張っていない結芽に突きが走った。

(来た)

 やや左に避けつつ柄頭で御刀をはたき落とし、彦を床に叩きつけて柄で彦の後頭部を殴った。

「がっ」

「手癖が悪い」

 結芽は脇差を取り上げて、やや離れた場所に置いていた冷茶を一口飲んだ。

 仰向けになった彦と目が合い、そして笑いあった。

「ひどいって話じゃないよ、もう何でもしそうだよ」

「ふふふ、でもね、そうやって私を押さえつけれたのは、梅さんとあなたくらいよ」

「そうかもね、死ぬかと思っちゃった」

「冗談抜きで」

「本当に、冗談抜きで」

 

四、

 

 翌日、夜八時半。

 高級四川料理店『青』、二階の隅のテーブルで整った服装で席に座る二課の面々がいる。

「ここらのお偉いさんの話では、奴は三十年前に出稼ぎで日本に来た口で、不況になってからは帰る金がないので、都内のマフィアの鉄砲玉になった。それからは、運が良かったのか首を上げ続け、終いには実戦の技術さえも身に着けた」

「そんな奴が刀使やノロにどうして」

「一度だけ失敗したんだ。刀使に邪魔されてな」

「逆恨みか」

「いや、惚れたんだ」

「は」

 結芽はエビを口に運びながら思わず言葉が出た。

 神尾は遠い位置に、家族と席に着いた老人の姿を確認した。

「何でも十年前、荒魂に目標を殺され、その恨みに荒魂を追い詰めるも逆転、殺されかけたその時、そこに一人のやたら強い刀使が現れて荒魂を片しちまったそうだ。狼将は隙を見て逃げたが、獲物を殺されなかったことを幹部に睨まれてリンチされた。

そのうち奴は自分の得物を横取りし、自分を救った刀使を恨んだ」

「やっぱり恨んでいるじゃない」

「そして男は再び殺しに戻った時、こういったそうだ。あんたらや荒魂は終わらしてくれないが、次は刀使が終わらしてくれる。と」

「つまりは、私らに死への希望を見出す刀使の狂信者と、ほおっておかないかい」

「梅、俺も同じ意見だがそうはいかん。まるでそうなるように、奴の体内にはノロが居て、完全に結合しているのだからな」

「ふん、私らに餌を用意していたと」

「そういうことになる」

「ねぁ少佐、それならあいつは自力で荒魂を倒して、ノロを吸収していたの」

「黒、それはな」

 神尾の目に階段扉を開ける季節外れのウールコートに、ハットを被る男が目に留まった。

「来たぞ、平静を装え」

 同時に無線のスイッチを入れた。

「こちら長、来たぞ」

 狼将は老人の方に向かいながら、決して笑顔を絶やすことはなかった。

 彼の前に立ち塞がったSPが二言ほど立ち去るように言った。

「かしこまりました」

 そうしてSPの喉が割れ、まき散らしながら崩れた。

 血糊のかかった目の前の女性が叫んだ。

「人殺し」

 騒然とするフロアを混乱に拍車をかけるように、SPの持っていたサブマシンガンが狼将に向けて火を噴いた。

 銃声と人々の叫び声、逃げ惑う音と時折跳弾する音、暫くしてフロアは荒れ果てていた。

 泣き叫んでいた女の子を机の下に引き込むと、

 結芽は静かにするように少女に言って、裏の階段から彼女を逃がした。

 気付けばSP達も姿を消していた。

「手筈通り、老人は逃げた」

「ま、マフィアの巨魁だけどね」

「彦、やれ」

 彦はバラクラバを被り、

 トイレから出るなり56式自動歩槍を構えた。

「XM177の仇だ」

 腰だめで乱射される銃弾はインテリアを破壊しながら、狼将に放たれ続けた。

「おさ」

「二マガジン目を許可する。回れ」

 素早く再装填を終えると、

 今度は指切りによる疑似三点バーストで、移動しながら狼将に当てていく。

 しかし、三発ずつ受けていくごとに、笑顔から更に堀の深い笑顔へと変わっていく。

 彦はその不気味さに悪寒が走った。

「いつぞやは良かった、今夜はどうやって殺してくれる」

(気付いているよ、本当に)

 最後の一発が撃ち放たれた瞬間、覆面をつけていない梅と結芽が御刀を構えて狼将の間合いに突っ込んだ。

「来たか」

 コートが回るように脱がれ、それが結芽のほうに飛んだ瞬間、梅の怒号が飛んだ。

 直感が体を引かせた瞬間、その大ぶりの斬りつけがコートを裂いた。

 彼が手にするそれは、薙刀から短くした長巻であった。

「刀使が三人も、嬉しいね」

「へぇ、女の子と踊るのは楽しいかい」

「ええ、さぁどうぞ、リードして差し上げましょう」

「ご遠慮願うわ」

 梅の重く、しかし正確な太刀筋が長巻の一撃一撃と拮抗する。

 上段から、逆袈裟から、突きからの払い、互いに容赦のない打ち合いが続くが、

「うっ」

 思わぬ位置から石突が、梅の腰を叩いた。

 それを狙っていた結芽は、向かってきた切っ先を避けざる負えなかった。

 大ぶりに横に流れた一振りが結芽の写しを斬り剥がした。

「うそ」

 逃げるように間合いを離した二人は、あからさまに隙を見せる狼将に斬り込めない。

 梅は汗を滲ませながら狼将に目を向けた。

「あんなに激しい踊りじゃ、女の子に嫌われるわよ」

「君たちの激しさに比べたら、私のそれはロバの小躍りだろうな」

「っは、その通りだわ。訂正するわ、あんたはさっさと女の子を嫌いな」

「残念だが、俺は女神に愛されている」

「愛想突かされているの間違いでは」

 踏み込んできた大ぶりの一撃を避けながら、長柄を抑え込みながら狼将の顔を見やった。

「こんなもんかい」

「ほぅ足りんか、男を裂かれていそうな女には足りんか」

「てめぇ」

 梅は足で柄を押さえつけ、柄頭で何度も頭を殴りつけるが、彼は笑っていた。

 すくい上げられた体は天地逆転し、両足の写しを斬り落とされた。

「梅―っ」

 迅移を纏った突きは、その三度の突きと払いの一撃を一度に叩きつけ、狼将を壁へ押し付け、すぐさま間合いを離した。

 梅は写しを張り直し、結芽と目くばせして同時に突っ込んだ。

 彼は結芽に目標を移しながら、しつこく付きまとう梅の一撃を柄と刃で流していく、

結芽は一撃の重さが長柄に対して不十分であることを承知で、隙間なく払いと突きを繰り返す。

梅と結芽は徐々に間合いを詰めていく、焦った狼将は一番間合いの近い結芽を一振りで弾き飛ばし、梅の突きを受け止めた。

そして梅の御刀を強く握った。

「離してくれない、止めを打てないのだけど」

「それはできない」

 だが、狼将の刀を掴んでいた左腕が吹き飛び、梅はノロになる肉片を払って、間合いを保った。

 部屋の隅からゲパード対物ライフルを構える彦が、銃口を彼に向けていた。

「黒」

 二回の瞬きに、間を置いた一回の瞬きに結芽はうなずいた。

「邪魔をするな」

 一射目を斬り飛ばし、その勢いのまま脇から突っ込んできた梅を殴り飛ばす。

 そして二射目が狼将の左股関節を撃ち抜いた。

 だが、その剛力が彦に向けて長巻を投げ飛ばした。

 三射目が撃たれた瞬間、弾は長巻の刃を打ち砕き、

 狼将の体は急所の三点を正面から突かれていた。

「かかか、よき心地」

 溶け落ちた体が、机に滴り落ち、やがて机の上を零れ落ちていった。

 狼将の消えた机の上を、血振りし、納刀する結芽の姿がそこにあった。

「終わりたきゃ、自分で終わらせなよ。ほんと、迷惑」

 結芽は静かに言った。

 

五、

 

「お帰り、お嬢さん達」

 帰ってきた三人に、食堂長はやさしめのミルクティーと小さなシフォンケーキを出した。

「なんか、カイルさんにお帰りなさいって言われると、ね」

 結芽が言葉を梅に差し向けると、お茶を飲みながら肩の力を落とした。

「そうね、帰ってきたわね」

「ええ、帰ってきましたね」

「ふふふ、そいつはよかった。君たちにそう言ってもらえるのが男冥利に尽きるものさ」

「いつまで言ってもらえるかしらね」

 意地悪なその言葉に食堂長は小さく笑った。

「男っていうのは、それを永遠の幻想として命尽き果てるまで味わい続けるのさ、甘い思い出にね」

「じゃあ女は何をもらえるのかしら」

「さぁ、知らないな」

 二人の会話を不思議そうに眺めながら、結芽は茶を少し冷ましてから、一口飲んだ。

 

 

 

 

「せっかく中華街に来て、現場調査に立ち会いなんざ運が悪い」

「薫、任務だから」

 やや白髪がかった少女が背の低い彼女に諭した。

「そうだな、さっさと任務なんざ終えて物見遊山に行こうぜ」

「ほぅ、それは、それは、大層なご計画で隊長殿」

「こここ、これは本部長、このようなところまで」

「説教は後でゆっくり、な」

「は、はい」

 荒れたフロア、その中央に衣服に染み出すノロに真庭紗南は目を細めた。

 またしても見つかったノロが溶けだした人間。

 刀剣類管理局は各方面に調査するが、所属にない刀使の確かな証言、証拠は得られない。

 だが、余りに露骨に残された痕跡は、追って来いと言わんばかりのものだった。

「なぁ、これは私らにもっと深くに来いと言っているのじゃないか」

「深く、私たちは半年前に、この世の深淵を見たばかりだろう」

「もしかしたら、ノロと人の関係はこれが全てではないのかも、知れない」

「薫、これを見て」

 彼女が指した場所に三点の刺し跡がある。

 それは、先日の誘拐犯消失事件で見つかった衣服の傷と一致していた。

「本部長がここに来たっていうことは」

「警視庁から正式に捜査委任状が来た、必要とあればいくらでも協力するそうだ」

「どうも、臭うな」

 これは事態の始まりの始まりに過ぎない。

 それを彼女たちは知る由もなかった。

 

六、

 

「少佐」

 執務室に座る二人は、落ち着いた面持ちで対している。

「もう少し待て」

「その言葉、あと何回聞けばよろしいのですか」

「何度でもだ、今焦ったところで、お前さんの目的は達せっれないだろう」

「達成するとかそういう問題ではないのです。私にとって、生きていることが恨むに足る理由なのです」

「折神紫がか」

 彦の目を覗き込みながら、神尾は一枚の書類を出した。

「もう一度、折神紫にチャンスをやれんか」

「今なんと」

 首元の一寸前に置かれた切っ先が、少しずつ喉笛に近付く。

「奴は今度の刀使慰霊式典で全ての地位を降り、逃げた刀使の罪を釈免するそうだ」

「それが」

「お前さんは折神紫への忠誠を失っていない。少しばかり糸を引かれただけだ」

「何を引いたんですか、少佐」

「そこだよ鶴、お前さんは考え違いをしている」

「なんです、教えてください」

 その鶴の問いに、神尾は答えなかった。

「教えてください、少佐」

 頑なに口を閉ざし、目を見つめ続けた。

「お願いです。教えてください。私は」

御刀を投げ捨て、襟を掴んで神尾の胸に額を押し付けた。

「私は、どうすれば私を縛る糸を断ち切れるのですか」

 泣き崩れる彼女をそのまましながら、神尾は天井を見上げた。

「だから心配するな、俺が舞台を用意してやる。だから、今は我慢しろ」

ボタンが引き千切れる音がしたが、神尾は天井を見上げ続けた。

「な」

 

 

 

 



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第四話「一人の逃亡者」

一、

 あれから十日、万世橋でのノロ化人間の一件で刀使の関与が確信できたが、本部長はその答えを出せずにいた。

 報道への情報の規制はうまくいっているが、いつまでもそれは続かない。

 練武に記者らしき男が学生を名乗って来訪してきた。

 おおよその見当をつけて事件に関わりそうな先を探っている。

 警視庁の押し付けはある程度の責任回避と、自分たちからの捜査から目を逸らす目的だろうと、

 管理局内部では不信を利用されているという噂が飛び交った。

「流言飛語にもほどがある。第一、メディアには情報をリークしているし、ノロと化けた人間の動機には共通点はない。それを朝から晩まで報道しているのは何処だ」

「まぁそう焦らず。姿を見せない刀使は事態を未然に防ぎ、問題の方向性を私たちに示しています。私たちはそれを追って、公への対処を考えなければなりません」

 折神朱音は落ち着いた様相で、画面の映像に注視していた。

「そうですね、もしかしたらこの一件に死んだはずの刀使が関わっているのかも、しれませんから」

「二日前に自衛隊の特殊部隊から慰霊式への参加と、その後の技術交流会への参加表明が来た。

 同時に匿名のDVDが本部に届けられた。例の中華街の一件を映した監視カメラの映像」

 真庭本部長は映像を例の場所で止めるように指示した。

「可奈美さんや、獅童さんさんたちの証言は」

「二人とも一致して、燕結芽の太刀筋で間違いないそうです」

「そしてもう一人は」

「分かりませんが、水鴎流で間違いないでしょう」

「水鴎流、でも」

「まさか」

 二人は意見が一致したことを確認した。

 

 

「制服じゃなくていいの」

 結芽の着付けを整えながら、徴章と部隊章の位置を調整、名前と階級のパッチを腕に取り付けた。

「うち等にとって、この黒服が制服みたいなもんさ」

「いくら管理局や機動隊に痕跡を残したって、二課の活動に妨げになるんじゃない」

「いいや、むしろ強気でうち等に嚙みついてこなきゃ意味ないんだ」

「なんでだろ…待って、考える」

 梅は結芽の髪を整えながら、答えを静かに待った。

「分かった、私だ」

「正解」

「だから、なるべく私に止めを刺させたんだ」

「そういつもできなかったが、可奈美あたりが少しくらい口を開けば信ぴょう性が増す。お前さんが居ると分かれば、禍人のことも、あんたが生き返ったことも、それに彦や私のことも、必死になって調べ出すさ」

「教えてあげないの」

「それをしたら、わざわざ秘密にしてきた意味がない。余計な混乱を起こさないためにね、ほらできた」

 鏡から離れると御刀を懸架装置に取り付け、梅の前で一周して見せた。

「馬子にも衣裳」

「なんだってーっ」

 小馬鹿にしあう二人を見ながら、彦は自身の御刀を紙縒りで結び閉じた。

 何がなんでも御刀を抜かないという彦の堅い心構えがあった。

「さて、彦、黒、姿を見せないようイの一番に来たが、登場は最後の大取だ。心しろよ」

 ややうつ伏せ気味の結芽の胸を、梅の拳が叩いた。

「いいから、ただいまって言って来い。誰もお前を嫌がったりしないよ」

「うん」

 

二、

 

本部施設の裏手に位置する山のふもとに慰霊塔が立てられており、戦後からの荒魂退治で亡くなった刀使たちを慰霊するための施設である。

 こうして年に一度、全国の代表者が出席して式典が行われている。

 本部人員の遊撃隊隊員、上級幹部に、政府からの参列者、五箇伝から生徒の代表者、そして急遽参加表明した自衛隊隊員である。

 ほぼ一同が出そろっているが、自衛隊員たちは姿を見せない。

「特殊作戦二課か、まさか自衛隊が刀使を擁しているとはな」

 獅童真希は遊撃隊隊員として起立しながら、彼女らが来る席を見やった。

「でも、管理局と機動隊で把握されていない刀使は居ないはずですわ、タギツヒメの一件での礼を込めてでしょう」

「でも寿々花さんよ、これは礼をする態度には思えないぜ」

「ネネっ!」

「そうですわね、もしかしたら」

「もしか、するらしい」

獅童は屋根付きの階段から上がってきた黒い服の刀使たちに、目を見張った。

「結芽」

「真希さん」

 薫は予見した通りと落ち着いていたが、真希と寿々花の動揺は隠せなかった。

 それは結芽を見知る多くの人々も同様の反応を示した。

「落ち着け、式典が始まるぞ」

 式典が粛々と続く中、あるものは思考が止まり、あるものは驚きを隠せず、そして、これからの事態を冷静に分析する者に分かれた。

「薫さん」

「私語は厳禁だぜ」

「ええ、でも」

「なら一言だけ言い置く、あそこに居る黒服の三人はとっくに死んだとされる刀使だ」

 薫の冷静さに寿々花もゆっくりと平静を取り戻した。

 

式典は無事に終わり、来賓と幹部が退出すると、獅童の足が自然と結芽に向かった。

「結芽、結芽」

「ほら」

 梅に背中を押され、結芽は真希の前へと立った。

 言葉の見つからない彼女は、結芽の目の前でただ憮然と立った。

「真希、ただいま」

 その一言に真希は結芽を抱き寄せた。

「ああ、お帰り結芽」

 泣き続ける真希の頭を撫で、寿々花も結芽を優しく背中から抱き寄せた。

「寿々花、ただいま」

「まったくあなたって人は」

 

 交流会会場まで彼女たちは結芽を離さず、それどころか生き返ってからのあらましを、

 こと細かく聞いたが、それは結芽を含めた二課にとって好都合であった。

「まて結芽それじゃあ」

「ノロなしじゃあ生きられない体なんだ。自分は刀使の力を残した禍人で、正気が保たれているうちは生かされるんだって」

「そんな」

「心配しないでよ、結芽はそんなことで生きることを諦めたりしないから、刀使として任務を全うしたい」

「まったく、結芽にはいつまでたっても敵わないな」

「ふふ、だって結芽は親衛隊最強だもん」

「ほぅ僕だってこの一年で結芽よりも強くなったぞ」

「まさか」

「あら結芽さん、私も真希さんもあなた以上に強くなりましたわよ」

「そんなの私だって強くなったんだから、交流会は結芽の一人勝ちだよ」

「そう言うなら勝負だ」

「もっちろん、ところでさ真希、寿々花」

「どうした」

「夜見はどこに居るの、ノロの浸食が重かったから治療に時間がかかっているのかな」

 しかし、二人の暗く硬い顔が結芽の望みを砕いた。

「そっか、夜見いないんだ」

 抱き寄せた真希の傍らで静かに涙を流した。

 

 

三、

 

「結芽ちゃーん」

「かなねぇーっ」

嬉しそうに抱き着きあった二人はぐるぐる回りながら、武道場の真ん中で転げ落ちた。

「可奈美、結芽、交流会が始まるんだぞ、もう少し静かにできないのか」

「だってさ姫和ちゃん、こうしてまた結芽ちゃんに会えたんだよ」

「半月前に会ったばかりだろう、まったく」

「へぇー、半月前に会っていたんだエターナル」

「その呼び方は、やめろ」

 姫和と薫は互いを見やりながら、不敵な笑みを絶やさなった。

「なんか怖い」

「あの」

「あ、紗耶香ちゃんだ、久しぶり」

「うん、ひさしぶり」

 以前よりも物腰が柔らかくなった紗耶香を見て、嬉しそうにほっぺたをいじった。

「紗耶香ちゃん、かわいくなった」

「わからない」

「なったよなった、ずっと愛嬌があって結芽は好きだよ」

「おい!私らを蚊帳の外に置くな」

 結芽が再会のひと時を楽しむ中、

 梅は隠れるように本部の喫煙所で煙草を吸っていた。

「随分と昔にタバコはやめたはずだろう」

「紗南か」

 喫煙所の煙を煙たそうにしながら、梅の隣に座った。

「今さら、ここに何をしに来たんだ。恵実」

「何って、そりゃあ少しばかり若返ったから自衛隊で刀使やっているだけだよ。そして伝えに来た」

「禍人か」

「ああ、ウチの少佐殿が踏んだ通りなら、青子屋の人為的な行為で禍人は増殖している。いずれにせよ機動隊の力を借りなくちゃいけなかった」

「貸すとは限らんぞ」

「なら、こっちから貸し出すさ」

 真庭は梅の目を見て、彼女が本気であることを悟った。

「話は全てあの男から聞かせてもらう、それでいいな」

「それともう一つ、折神紫に国府宮を近づけさせるな」

 

 彦こと、国府宮鶴は館内を歩きながら、もの珍し気に廊下を見渡した。

「ふぅん、私がいたころと何も変わっていないですね」

 周囲には彦のコードネームで自己紹介したが、彼女に気が付いた女性がいた。

「居た、お鶴さん、あまりうろちょろしては迷子になりますよ」

「江麻先生」

「さぁ行きましょう」

「先生、紫様はどこですか」

 鶴は小柄を抜くと、紙縒りを切り取り、御刀を抜きはらった。

「鶴、御刀を抜いても今のあなたには答えられませんよ。紫様に会いたいなら、まずは御刀を納めなさい」

「ねぇ教えてください。紫様はどこ」

「鶴、聞きなさい」

 そう発した間もなく、羽島学長の右腕が斬られた。

「先生、私、紫様に会ってお話しするんですよ、あなたはどうやったら殺せますかって」

 鶴はゆっくり振りかぶりながら頭に狙いを定めた。

「教えてくれないと、次は先生の頭がぱっくり開きますよ」

 気配を察した鶴は右に二歩下がると、目の前を居合の一閃が流れた。

 すかさず放たれる二振り目に、鶴はゆっくりと間合いを取った。

「羽島学長、大丈夫ですか」

「ええ、ありがとう舞衣さん」

「あはははは、ははは、はは、折神紫の正体も知らないでのうのうと私を送り出したやつが、どうにも生徒に慕われているよ」

 笑いながら泣く鶴は写しを張り、隠剣の構えで舞衣に対峙した。

「あなたも刀使なら、斬るべき相手を間違えないでください」

「そう、私は選んだのよ、斬るべき相手は貴女ではない。私が斬らなくちゃいけないのは、折神紫とその取り巻きだ」

 短い分、深く飛び込んでくる鶴の剣に下がるしかない。

 だが下がれば下がる分近づかれる。

 必殺の一太刀も、隙を見つけなければ意味はない。

 だが、迅移で移動する場所を読み切って、不意の一太刀を受ける。

 ことあるごとに写しを剥がされ、また張れば反撃もする間もなく切り落とされる。

 もはや舞衣の間合いに鶴を捉えることはできない。

「マイマイーっ」

 懐に飛び込む金色の腕が、鶴の体を廊下奥の壁に叩きつけた。

「エレンちゃん」

「お待たせしました、監視カメラを見てばっちり飛んできましたネ」

「私は学長を連れて引きます、エレンさんも」

「諒解デース」

 しかし、舞衣と学長がその場を離れたのもつかの間、エレンは写しを引き剥がされて蹴り飛ばされた。

 彼女の腹を踏みつけた鶴は涙を拭うこともせず、切っ先を喉元に近づけた。

「邪魔するあなたが悪いのよ、恨まないでね」

「それは、こっちの台詞ネ」

 御刀を八幡力で殴り飛ばしたエレンは、鶴の額を頭突きし、足を掴んで壁に放り投げた。

「はぁ、はぁ、どうネ」

「プロレスしに来たわけじゃない」

「それは私も同感デース、っ」

 額から血を流しながら、エレンは八双の構えになった。

「どうしたの、写しは張らないの」

 エレンは黙して答えない。

「ふぅん、金剛身は僅かな時間だけ強度を上げる能力、しかしそれ故に持続性に乏しい。短時間で写しを張る体力もなくなったんだ」

「でも、私が来る時間は稼げたよ」

 連撃をいなしながら、鶴は間合いを引いた。

「こんにちはおねぇさん」

 結芽はエレンにそう声を掛けながら、平晴眼で鶴に対した。

「もう来ちゃった」

「彦、自我を抑えると言っていたのは噓だったんですね」

「あんたに何が分かるの」

 結芽は鶴の太刀をことごとく流しながら話を続けた。

「紫様がね、交流会の参加者を相手に、立ち合いをしてくれるそうよ」

 柄の持ち手がぶつかりながら、鶴は口を開いた。

「それは、本当」

「少佐からの言伝」

「少佐、少佐が」

 間合いを引いた鶴は写しを解除し、当たり前のように納刀を済ましてしまった。

「少佐が、そう言ったなら、そこで折神紫を倒そう。案内してくれるわよね、黒」

「勿論」

背中を翻すと、エレンに御刀を納めず付いてきてほしいと言い置き、

結芽は鶴を引き連れて武道場に向かい始めた。

 

 

四、

 

 三十分ほど前、少佐は梅と黒、それに強者の刀使たちに、幹部である朱音局長や真庭本部長、そして、はるか前に到着していた折神紫がその部屋に集まった。

「禍人の情報を交換する条件に、初代親衛隊第一席であった国府宮鶴と紫様との立ち合いを望むと」

「そうだ」

真庭は腕を組みながら、不満げに息を吐いた。

「刀剣類管理局と機動隊は構わない、しかし紫様の意思次第です」

 折神紫は静かに頷いた。

「私の咎だ、私が出ずに誰が出る」

「紫様」

「どうした結芽」

「彦、いや鶴は自分のことも、紫様とのことも、一切話してくれなかった。でも、酷く紫様に執着を持っていたのは剣を合したときに理解した。もう感情がノロを支配してしまっている。結芽には関係ないように思えないの、だから教えて、鶴と何があったのかを」

「わかった」

 折神紫は静かに語り始めた。

 二年半前、親衛隊が創設されてから三年。

 美濃関学園で小野派一刀流を剣技指導であったころの羽島学長から習い、

 五年間、御前試合で負け知らずと謳われた刀使が第四席にいた。

 国府宮鶴。

 彼女は卒業後、折神紫の召集を受けて親衛隊に所属。

 本部付きの刀使として、対処困難な現場に赴き、それは全国を飛び回る日々でもあった。

 紫は新しい人材の登用と、育てた人材の派遣のため、鶴を除いた親衛隊員は全国の機動隊に派遣された。

 鶴自身は先輩として、後輩を指導していく立場になると信じて疑わなかった。

 だが、本部周辺が紅葉に赤く染まった日、

 紫に呼び出された鶴は言葉を失った。

「ノロを強化剤に使う実験ですか」

「そうだ、かねてから効果の有無は議論されてきたが、アメリカ軍の実験で、ノロをドーピングに使う一例がその効果を実証した。近年、荒魂の大型化は目を見張るものがある。我々はより強みを目指さなくてはならない」

 鶴は椅子に座る紫の前で静かに立ちすくんでいた。

「降りても構わないぞ、危険が伴う」

「いえ、やります。やらせてください」

「いいんだな」

「私とて親衛隊の古参、後輩どもに軟な体と笑われては名が折れます。ノロなんて、赤子の手を捻るようなものでしょう」

「ああ、その意気だ」

 二日後、機動隊指揮官である雪那も同行のもと、初のノロの注射が行われた。

 始めはごく少量であったが、効果は抜群であった。

 刀使が二十人がかりで倒せなかった荒魂を、一人で破ってしまったのである。

「なるほど、まるで体が軽くなったみたい」

 一次データーの収集が終わると、今度もごく少量を摂取した。

 破壊力に変わりはなく、より写しの持続時間が伸びた、

 そして三回目の摂取が行われ、続いて四回目も行われたが変化はなかった。

 鶴は無問題だろうと五回目を摂取した時、変化の兆候が見えた。

 それは荒魂を一人で対処しているときであった。

(もっともっと斬ろう)

 今まで一太刀で荒魂を沈めてきた鶴が、何度も何度も荒魂を斬りつけ、ノロになってもなお荒魂を斬り続けた。

 それから鶴の情緒は不安定になり、御刀を持つと途端に破壊衝動を露骨にし、

 稽古の場面では写しを剥がしてもなお、相手を斬ったのである。

「とどめは刺さなきゃさ」

 その場にいた朱音の詰問に、笑顔で鶴は答えた。

 翌日、鶴は部屋から出てこなかった。

 ただ任務とあれば部屋を出て、また荒魂を残骸が残らぬ迄に斬り、

 部屋に閉じこもった。

 周囲との距離は開き、研究者の調査も紫に対して危険信号を出した。

 だが、紫は現状維持を指示した。

 そんな日々が繰り返される中、鶴は御刀を持たず紫の前に立った。

「どうした、精神を強く保てばノロは抑えれる」

「もう、やめましょうよ」

「お前のことだ、すぐに元通りになる」

「違うんです」

 血気迫るその声に紫は口を閉じた。

「なんか、こう、身体の隅々から聞こえてくるんです。斬れ、斬れって、御刀を握った瞬間、飛んで内臓を裂けだしそうな感情になるんです。

殺していいんだ、やったって喜ぶんです。こんなの普通じゃない。おかしい。だから、ノロの摂取なんてやるべきではないんです」

「いいや、お前は十分な結果を出した。再来月には新しい親衛隊の編成式がある」

 立ち上がった紫は静かに肩を叩いた。

「先輩として、胸を張れ」

 そして鶴は翌日、忽然と姿を消した。

御刀も、衣類も、私物も、全て部屋に残して姿を消した。

紫は何事もなかったように、鶴は任務中に死亡したと発表した。

彼女の要望で一人、任務に向かうことが多く、その現場には誰にも立ち入らせなかった。

 回収班は鶴が消えてからノロを回収していたので、

誰もそのことに疑問を持たなかった。

葬儀も行われ、慰霊碑には彼女の名がある。

この時期は紫への大荒魂による精神浸食も強まり、紫はただ鶴を見逃すことしかできなかった。

だがタギツヒメにとって、精神を保持できなかった鶴は用済みであり、

そして二代目親衛隊の結成前後、ノロのアンプル摂取が新たな刀使たちに行われた。

それから数カ月後、春の大会での暗殺未遂に端を発した大事件へと発展していった。

 

五、

 

 道場に着いた鶴は、一同が会する中で中央に坐する紫に目を向けた。

「紫様、お久しぶりです、私めを覚えていますか」

「勿論だ、鶴」

「ふふふ、懐かしい響きですね。昔を思い出しますよ。ところで、荒魂の一件が解決し、呪縛から解かれたこと大変におめでとうございます。

表から離れていた私ですが、ぜひ祝いを述べさせていただきます」

 少しずつ近づく鶴は、立ち止まり自身の首を掴み絞めた。

「紫様、逃げて」

 かすれ出た声は首を絞めていた手と共に、力なく垂れた。

 そして、万弁の笑みを浮かべながら御刀を抜きはらった。

「嬉しいですよ、こうして被害者になった紫様が、のうのうと私の目の前で生きているなんて、ふふふ」

 大笑いする鶴はある程度笑いを堪えながら、紫を真っすぐ見た。

「まったく、御刀もって逃げ出せば、もっと楽しいことになったのに、弱い弱い私は逃げるばかり、これじゃあ楽しめない」

「お前はいったい、何を楽しんでいる」

「それはもちろん、ギッタギタに切り刻むこと」

 鶴の一撃が、紫の抜き払いによって弾き飛ばされた。

 互いに写しを張った瞬間、激しい打ち合いが始まった。

 その光景を見ながら、結芽は両手を強く握りしめた。

「紫様を信じよう」

 可奈美の一言に、ゆっくりと頷いた。

 

 鶴は紫の二刀の動きをものともせず、それどころか僅かな隙間から腕や胴を斬り、

 何度も紫の写シを引き剥がす。

「やっぱり」

紫の左脇を切り捨てると、左手で前方に押し飛ばした。

「タギツヒメと戦った後遺症が癒えてないみたいですね。ふふ、ふふふ」

 と、また鶴は自身を殴り、一歩下がった。

「私は、ここを離れてから、飲まず、食わず、湧き上がるすべての衝動を押し殺して、痩せて、汚れて、言葉を失った。でも」

 突然叫び出した鶴は誰かに語りだした。

「お前は、力を欲したから、私を使った。これは望んだ形、お前の持つ戦うための感情だ、鋼の精神なんてのよりよっぽど破壊的だ。なのに、身体がいうことを聞かないのに、お前はいつまでたっても私に委ねない。いいから、身体を全部よこせ」

「そうだ鶴、抗え、ひたすら抗え、すぐにお前をそいつから救い出す」

「救い出す、紫様、私は私ですよ」

「違うな」

「は」

「今の私は抜け殻だ、お前の忠誠を誓った存在はもういない。お前はもう必要ない」

「黙れ」

「一人の刀使を支配しえず、あまつやタギツヒメがいなくなって私に逆上した、哀れだな」

「黙れ」

「お前は国府宮鶴にはなれない」

「黙れ」

「お前はただのノロだ」

 突っ込んだ鶴の体から写しが剥れ落ちはじめた、

紫はすかさず二刀の刃を返して、彼女の体を何度もたたいた。

「人になりたかったのだろうが、ノロはノロでしかあれない。タギツヒメはそうして全てを諦めた」

「そんな、私は」

 寂し気な顔が激昂に変わり、御刀の刃を自身に向けたが刺せなかった。

「くそ、くそ、なんで私なんか」

 刀を払い落した紫は静かに彼女へ寄り添った。

「大丈夫」

 鶴の落ち着いた声が響く、静寂の中を多くの人は静かに見守っている。

「時間はかかったけど、私はこれでよかった。あなたが誰かへの憧れを守り続けてくれたお陰で、私はこうして表に出てこれた。あのまま、あなたを封じていたら、それで終わってた」

 歯ぎしりが暫くして、奥からひねり出すように声が出た。

「臆病者」

 激しい咳き込みを起こした鶴は、口からノロをすべて吐き出して倒れ込んだ。

「鶴、鶴―っ」

 紫の彼女を呼ぶ声が、遠く遠く響いた。

 

 

六、

 

 あの日から一夜を越した。

 静かに、落ち着いた寝息を立てる鶴を横に、紫は少佐の話を聞いていた。

「俺が彼女を見つけたのは、禍人の調査を始めたころだ。

富士樹海に奇妙な人影を見たと報告があり、当時要注意とされていた、貴女の元から逃げ出した刀使であると判明、救出に向かった。そして俺が彼女を見つけたとき、衣服は汚くいたるところが引き千切れ、木陰に座りながら長く伸びた髪を垂らして、始めは死んでいるのかと思った。だが」

 神尾は鶴の顔を見つめた。

「髪を除けて覗き込んだ彼女の眼は、澄んだ、美しい目をしていた。まだ何もあきらめてはいない。 

だが、心は強く保たれていても、身体が言うことを聞かないのでは意味がないだろうと、できたばかりの二課が彼女の療養専門部隊と化してしまった。

まぁ誰も文句を言わず、気づけば彼女はノロを完全に抑え込んで、禍人を探す任務にも出るようになっていた。まったく、大した奴だよ」

「神尾少佐」

「なんだい」

「鶴を救ってくれて、ありがとう」

 神尾は首を横に振った、

「俺は何もできなかった、最後はあなた方に任せてしまった」

「いいや、あなたがいなければ、鶴は自分を立ち返れなかっただろう」

「なぜ」

「自分を見てくれる存在が欲しかったゆえだ。頼るに頼れず、一人になるしか手立てがなかったのだから」

「そう、なのかな」

「ではあなたはなぜ、彼女の側に居続けた」

「男は、そういう寂しい生き物でね」

 やや目を見開いた鶴を見て、神尾は病室を出ていった。

 そして同時に駆けてくる音とともに、結芽たちが病室に入ってきた。

 最後に入った羽島学長が、舞衣に押されて鶴の傍らに座った。

「先生」

「お鶴さん、よく頑張ったわね」

「はい」

 手を強く握り返すと、胸を熱くするものが、頬を伝って流れ出した。

 

 

 

 



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第五話「湘南怪獣大決戦 江ノ島危機一髪」

一、

「ねぇー梅」

「うるさい」

「つれない」

「うるさい」

「講壇は読むんじゃなくて聞きたいの」

「うるさい、私もそうだから黙ってろ」

 二人と少佐のお付きが二人、

 机を囲みながら手分けして一枚一枚の書類に目を通していく。

「これいつまでやるの」

「そこの段ボールあと四個」

 それは全国からの通報の書類から、各地の所轄が放り投げたものを一件ずつ確認している。

 今までの禍人であった人間は幾度も通報はあっても、警察が危険性を確認しえなかったことで

 注意程度に終えてしまった案件であった。

 二課はその可能性のある通報を再度確認し、そこから調査を進めた。

 根気はいるものの、重要な通報が見つかることもあり、それがノロを人が取り込むルートの割り出しでもあった。

「それでも多すぎ」

「ストーカー、隣人不信、浮気、猫の糞や鳩の卵、お化けの目撃に、終いにはネッシーを見つけたまで、バリエーションには事欠かない」

「警察官って大変」

「一応お前も警察官だったんだぞ」

「知っているけど、そうだけど、荒魂倒すことしか知らなかった」

「刀使も大半は適任期間を終えたら交番勤務や、地方の所轄勤務、それに刑事になる奴もいる」

「じゃあこの情報はその人らから」

「そんなとこだ、刑事になっている奴らは特にノロの裏取引に警戒しているからな」

「禍人が捜査の糸口になるってわけね」

「話が分かったら、今度は関東だ」

「はぁ」

 書類数枚を撮り出すと、ホッチキス止めにされた書類が何件も姿を現した。

「荒魂の通報だ、しかも一か所から何度も」

 結芽は書類をめくりながら、それがどれも一か所でありながら荒魂の姿が一致していないことに気が付いた。

「黒、その書類、場所はどこだ」

「鎌倉市内」

「古谷二曹、恵土二曹、これを」

 一同が手を止めて書類に目を通し始めると、黒の持っていた書類にも目を通した。

「梅さん、これは当たりですよ」

「ええ、鎌倉市内でノロの強盗、それに合わせて姿が不一致な荒魂たちの出現、行先は決まったな」

 

「鎌倉に関しては実は機動隊からも応援要請が来ている」

「へぇ」

 梅は手渡された書類に一瞬で目を通し、結芽に渡した。

「あちらさんも鎌倉市内でずっと荒魂を探しているそうだが、珍しくスペクトラファインダーに反応しないそうだ。余りにも微弱なのか、それとも虚偽の通報だったのか、そこでだ私服任務に慣れ、顔も忘れ去られたお前たちなら真偽を明らかにしてくれるだろうとのことらしい。遊撃隊の応援つきだ」

「ま、大災厄以降の頻出のせいで、ある程度顔を覚えられているのは仕方ないか」

「鶴、いや彦は原隊に復帰すると言っているが、上の顔を立てなければならんから、二週間の謹慎を名目に故郷に帰らせた」

「彦が文句言ってたよ、少佐は私を甘やかしすぎだって」

「ま、お前たちと合流できるだろうから大丈夫だろう」

「おい少佐殿よ、あんたは行かないのか」

「ちょっと刀剣類管理局との談合があってな」

「はぁ、ま、私と黒が居れば、大抵はなんとかできるだろうがな」

「何か不満か」

「懐」

「おいおい、まさか」

「降ろしてくれますよね、二人分の休暇分も」

 梅は笑顔で少佐を見下ろした。

「分かった、好きにしろ」

 

二、

 

 鎌倉市、名所として名高いこの土地は刀使たちにとっても、ある意味で聖地と呼べる場所である。

 折神家および、刀剣類管理局のお膝元。

 由緒あふれる土地であることからも、観光客の絶えない土地だ。

「ここか、待ち合わせ場所は」

 鎌倉駅前のバス停の前。

 旅行鞄に、ワンピースと完全に観光目的の格好で、

手には目印になる刀袋に包まれた御刀を持った。

「すみません、梅さんと黒さんで間違いありませんか」

 その小さくぎこちない挨拶が、隣から聞こえてきた。

「あ、紗耶香ちゃん」

 夏らしいラフなスタイルに刀袋を持っている異常さは、二人とさほど変わりはなかった。

「で、後ろのでっかいもの背負っているのは」

「遊撃隊の益子薫だ、こっちはネネだ」

「ネネっ!」

「そこの小さなのはいつものとして、祢々切丸は目立つだろうに」

「仕方ないだろう、さっきここに着いたばかりなんだ、さぁバスに乗ろう」

 案の定、乗車を拒否されて、一同は歩き始めた。

「なんでこうなった」

「いいだろうが、ここから30分だ、並みの刀使ならお茶の子さいさい」

「いやな、薫さんよぉ、もっと身の丈に合った御刀を持つ刀使は呼べなかったのかい」

「仕方ないだろう、だって相手は体長二十メートルになるって話だ」

「いや、こっちの統計では体長三十五メートルって話だ」

「なぁ梅さんよぉ、荒魂退治って東宝特撮だっけ」

「うんにゃ、大映特撮だな」

「もう日活とか円谷とか何でもいいから、あそこでアイス買おうよ」

 音を上げた結芽が思わず立ち止まった。

指さした先にある駄菓子屋を見つめつつ、一同は即座に決断した。

「さっさと旅館行こう、ビール飲みたい」

「同感、風呂入りたいぞ」

「私はアイス食べたい」

「さ、紗耶香、裏切るか」

「薫、私にも限界がある」

「じ、じゃあ俺も」

「ネネッネ!」

「はぁ、わかったよ」

 梅は駄菓子屋の主人から釣銭を受け取ると、

好きなアイスを取らせて再び歩き出した。

 だるそうな梅と薫を横目に、結芽は紗耶香と隣り合って歩き始めた。

「紗耶香ちゃん、チョコミントなんだ」

「うん、これ、姫和が前においしいって」

「どうも周囲が毒されてきてるね、さすがに一度は神になった刀使、コワいコワい」

「結芽は」

「私は王道のバニラ、だって私は刀使で一番強いから、一番のアイスを」

「でもバニラって、スタンダードの一番じゃない」

「スタンダード、ふむじゃあ私はみんなのスタンダードになるんだね」

「ふふふ、おかしいね」

「ふふふ」

 楽し気な会話をよそに、旅館に到着早々に二人は部屋に倒れ込んだ。

「二人がこんなのじゃ、この先心配だよ」

「旅館の人に、挨拶してこなきゃ」

「そうだね、今回の件も最初に被害を受けたのはここらしいし」

「うん」

「ネネッ」

「ネネは旅館の人が怖がっちゃうから留守番してて」

「ネェ…」

 既に酒盛りを始める梅に一言断っておくと、

結芽と紗耶香はさっそく挨拶がてらに調査へと赴いていった。

 

三、

 

 翌日の昼、暑い中を旅館裏手の洞窟や切通しを、丹念に回っていた。

「黒、なぁ、時間あるし、江の島行って、しらす丼食べようぜ」

「それ、任務が終わってからでも大丈夫じゃん」

「お前はなめている、こういうことになると、大抵は調査の描写で間延びする。そこをだ、そこを観光シーンでカバーするんだ。俺たちが証拠見つけないと、本部人員は動かないけど」

「何の話しているの」

「今は吉永小百合が若いころの『伊豆の踊子』みたいな時代じゃない!もっと日本沈没みたいにフレッシュに行こう」

「梅さん、例えが不吉すぎるぞ」

「旅館の証言も十分に不吉だろうが」

 協力を取り付けた旅館の主人曰く、

女将が夜遅くに風呂に入ろうとした時、人間大の昆虫のような怪物が十何体も現れ、

彼女は気絶してしまった。

 そして厨房に入ったと思われる彼らは、砂糖を食い散らかして消えていったという。

「でっかい親玉でも居るんじゃないか」

「居るかどうかはこれからだぜ、梅さんよぉ」

 紗耶香は肩に乗るネネが何かを見つけたことに気付いた。

「薫、結芽、梅」

 切通しの端に落ちているビニール袋をつまみ上げた。

「砂糖の袋か」

「ねぇ薫、この傷あと、スッパリと切れすぎなんじゃない」

「うん、結芽の言う通りだ、まるで刃物で居合切りしたような見事さだ」

 梅は顔を上げると、道端に所々に散らばる白い砂状のものが、一本になっていることに気付いた。

「見ろ砂糖の道だ」

 四人が砂糖の道を遡っていくと、そこに人が一人通れる小さな穴があった。

「これは」

「大当たりかもしれんな」

「薫、どうするの?」

「どうするってそりゃあ」

 夜中を待ち、四人は洞穴の見える位置にバラバラに配置して、動きを監視した。

 梅は無線のスイッチを入れた。

「こちら梅、感度良好どうぞ」

「こちら薫、動きはあるか」

「紗耶香、今のところは」

「黒、何か出てきた」

 それは話にあった通りの姿で、アリのようなコオロギのような荒魂が、何匹も洞穴から姿を現した。

「こちら薫、指揮は梅に任せる」

「梅、諒解した。黒が最初に誘導地で襲撃、逃げようとしたところを洞穴前で紗耶香が止めろ、そして私は洞穴に入ってやれるだけやる」

「こちら薫、私は」

「あんたは散らすから待機」

「え」

「ネネっ」

「梅、黒はもう行きな」

「黒、諒解」

 突撃した結芽が三体の荒魂を即座に斬り捨てた。

 足が止まった残りの五匹は、紗耶香が立ち塞がって逃げ場を失って襲い掛かった。

「おやすみ、みんな」

 紗耶香と結芽は梅が洞穴に突入する前に、表の荒魂を片付けてしまった。

「よっこいせ」

 洞窟に入り込んだ梅は高ルーメンのフラッシュライトで、内部を照らし出した。

 そこでは残っていた八匹が、何故か麻雀に勤しんでいた。

「ふざけるな」

 処理が終わり、見分をする三人の前にやや切れ気味の彼女が、

麻雀牌を持って洞窟から姿を現した。

「なんで牌」

「私が聞きたい」

 

四、

 

ノロの回収が終わり、事後調査と言い訳をして彼女らの鎌倉観光が始まった。

「海だぜヒャッホー、事件も解決、荒魂も討伐、給料分働いて、給料分休んでハッピーっ」

 晴れ渡る空、海岸には多くの男女、

 青春の園、魂の洗濯場、四人の水着姿を見れば誰も文句は言うまい。

「久しぶりの海だーっ」

 浮かれる結芽をよそに、何か不安が解け切らない紗耶香は口を一文字にさせていた。

「どうしたの紗耶香ちゃん」

 心配になった結芽は梅と薫を先に行かせて、

 パラソルの下に並んで座った。

 どういうわけか結芽の頭の上にネネが居た。

「ふぅーん、まだ荒魂は居るかもってことね」

「うん、報告書にもあの虫みたいな荒魂の記述があったし」

「それに、それがでっかくなったみたいな奴や、カニみたいな奴とか」

「それがわかってて」

「分かってても、焦ってもしょうがないじゃん」

「私は早く荒魂を祓って、みんなを安心させたい」

「なるほどね」

「でも、たまには息抜きしないと」

「本当にそう思うの」

「うん」

「じぁあ泳ごう、泳いで夜は荒魂を探そう」

 結芽の手を取って立ち上がると、紗耶香は笑って頷いた。

 そして、二人の前に息を荒立たせる梅と薫が、何かを言いたげに二人に迫った。

「ど、どうしたの」

「あれ見ろってんだ、あれ」

「ネネッ」

 二人と一匹の指す方向を見ると、カニ型の巨大な荒魂が海岸前の海から姿を現した。

 その光景に呆然としながら、

 逃げ惑う人々の中で立ちすくんでいた。

「あー、確かにこれは、二十メートルあるわ」

「薫さんよぉ、御刀、あそこ」

「取ってくる」

 駆け出した薫に、結芽と紗耶香も追った。

「結芽も」

「私も行く」

「待ちなさいあんたら」

 

 やや静かになった海岸に向かって進むカニの荒魂に、四人が立ちはだかった。

「紗耶香の言うこと聞いておくべきだった」

「じゃあ、個別に休暇を潰された鬱憤をあいつに叩きつけろ」

 一斉に写しを張った時、カニはついに砂浜に足を踏み出した。

 だが、その一歩目を無慈悲にも梅の太刀が切り裂いた。

 反撃の大きな鋏が走るが、薫の雄たけびが叩き落された右腕に木霊した。

 そして海中から姿を出す数本の足を、紗耶香の村正が切り捨てた。

「止めだ」

 胴体に突撃する結芽を、口からの泡が動きを止めてしまった。

 次々と吐き出される泡に飲み込まれた一同は視界を失い。

 カニの荒魂は海の中へと逃げ去っていった。

 泡を脱した彼女たちは、砂浜に突き刺さった巨大な鋏を見上げながら呆然とした。

「逃がした、四人いて」

 梅は舌打ちして、海の家に残っていた店員にビールを注文した。どうも逃げおくれた様子であった。

「お、お嬢さん、刀使なの」

「そう、あいつが現れさえしなかったら、ただの水着ギャルで終わっただろうよ」

 そんな梅の独断行動を尻目に、鋏が動かないことを確認していた。

「紗耶香ちゃんの言う通り、荒魂はまだいたけど」

「まさか報告通りの桁違いなデカさだったとは、予想だにしなかったぜ」

「昨日の虫も、大きい個体がいるって」

「じゃあ、あのカニも小さいのが居るっていうの」

「俺の休暇プランが台無しだ」

「でも任務だよ」

「ごもっとも」

「ネネッ」

 

五、

 

 あれから二日が経過した。

「いやぁお待たせしました。各務原土産のひそまそクッキーです」

「ありがと」

 無愛想に土産を受け取ると封を開けて、結芽と食べ始めた。

「で、なんでも南海怪獣大決戦になっているそうですね、黒」

「いや、荒魂だよ」

 鶴改め彦は、旅館に到着早々に梅と結芽を合わせた三人での応酬が始まっていた。

「いやぁ地味な特撮表現って、結局地味なんですよね」

「鶴、言っていいことと悪いことがある」

「でもそうでしょう、アリ型巨大昆虫荒魂とカニ型巨大海中荒魂、絵面は地味なのにパニックとはこれ如何に」

「それでも私らは地球防衛軍然り、有事には対処しなきゃいけないの」

 結芽はタブレットに例の荒魂の痕跡を見せた。

「全部、刀使任せだもん、でも結芽は楽しいよ」

「だろうな、お前だったらギララの三作目で、増殖したギララを滅多切りにしているよ」

「それいいですね」

「のるな彦」

 一枚ずつめくる彦は、もしやと一枚の写真に目を止めた。

「この旅館は江の島方面とは逆方向、こちらに例のアリリがいたのですね」

「おい」

「で、反対方面の湘南にカニラが現れた」

「もういいよ、続けて」

「この二匹は、相争っているのでは」

「まだ特撮が抜けないらしいな、今度はVSシリーズか」

「なるほど」

「梅、ちょっと黙ってて」

「ここらは二十年前の大荒魂出没地域、その残り香に惹かれてアリリとカニラの一大勢力が対し、雌雄を決しようとしているのではありませんかな」

「はぁ、残り香ってなによ」

「大荒魂に関する何か」

「江の島に行けばわかるかな」

「じゃあ、江の島に行くか」

 いつの間にか梅の後ろに立っていった薫は、唐突に話に割り込んできた。

「今から」

「応よ、しらす丼食べに行こう」

「食い意地張るね」

「あんたもだろう」

「もちろん」

 

 一人を加えて五人と一匹になった一行は、夕時の涼み客の集まる江の島へと到着した。

「お待ちしておりました」

 静かに頭を下げた巫女を前に彼女らも頭を下げた。

「どうも、連絡を入れていた益子薫だ」

「存じております。私、鶴岡八幡宮に出立しております刀使の巫女、足利平子と申します。わざわざ益子隊長のお出向きには感謝に絶えません。ただ隊長さん糸見さんの他には、ここの事をご存じではないかと思います」

「ここのこと?」

「では着いてきてください。祠の中をご案内いたします」

 

 江の島の立ち入り禁止と書かれた二重扉を抜け、暗い中を平子の持つランプが先を照らす。

「ここはなんなの、足利さん」

 結芽の問いに、前を確かめながら話し始めた。

「ここは二十年前、大荒魂が侵食した地脈の跡です」

「ええ」

「ここが」

「大荒魂はタンカーから噴出し、この江の島上空で一体となり、周辺に大災厄をもたらしました。今は大荒魂は封印されましたが、高濃度のノロはこの江の島の内部に一部が封印されており、その力は通常の荒魂をゆうに超えると言われております」

「ここは昔、鎌倉の鍛冶たちがノロを安置していた場所で、今でもノロを祀る聖地なのさ」

「薫さんの言う通りです。なので大社は早い段階から、最悪を防ぐ措置を講じてきました。でも、強力な力のある大荒魂のノロを求める荒魂が、集まるようにもなりました」

「じゃあ、封印された大荒魂のノロが」

「ここにあります、島の中は四分の一がそうです」

「そ、それって、また荒魂化するんじゃないの」

「そのために私がいるのです」

 一同が着いた先には、抜き身を輝かせる三振りの御刀が、石戸の前に封じられていた。

「これは」

「ここには大荒魂のノロを封じる三振りの御刀があります、まず左手に平安期の御作と伝えられる菊花紋毛抜太刀、右手には室町期の奉納刀である諸刃の脇差、そして正面は源氏の重宝『髭切』です。本来なら国が宝とする重大な御刀ですが、こうしてノロの封印のためにここに封じております」

「なるほど、荒魂対策どころか封印も万全か」

「以前は毛抜太刀のみでしたが、調査のために持ち出して最悪の結果を招いたことがありますので、三振りとそれに私を着けているのです」

「だが、一人の強力な刀使が居ても、ここを離れれば隙ができてしまう」

「なるほど薫さん、そのための私たちってわけか」

「元々不確かな情報だったが、それでも俺たちが派遣されたのは、大荒魂に関わる全てのためなら、何でもありだからだ」

「じゃあ、私らがやることは一つだな」

 

六、

 

 その巨体が海岸から身を乗り出し、咆哮が響き渡った。

「こちら第三小隊、カニラが動き始めました」

 それに応えるように、暗闇の七里ヶ浜を巨体が素早く動いていく。

「こちら黒、アリリが動き出したよ」

「梅、各員は作戦どおりに、黒、観てるだけでも良かったんだぞ、ポップコーン食べながら」

「まさか、お祭りは始まったばかりだよ」

「ふふ、上等」

 カニラの前に躍り出た梅は、御刀を抜かず写しを張った。

 そして四股を踏んで、右拳を着くと自分を無視して進むカニラの腹を、空高く突っ張った。

「わお、どっちが怪獣かわかったもんじゃねぇ」

 刀使にはいくつかの戦闘術があり、

どれも御刀の神秘の力と、使い手の能力が無ければ使いこなすことが難しい。

 その難関な二つが、肉体の強度を上げる金剛身と、破壊力を向上させる八幡力である。

 短時間の持続こそ、どの刀使でも可能であるが、

「こちら梅、なんか言ったか薫さんよぉ」

「いやいや何でも」

「こっちは剣術よりも、練度が売りなんだね」

 さらに重たい張り手がカニラを前方へと吹き飛ばした。

 砂煙の巻き上がる中、ついに梅は鯉口を切った。

「こちら梅、ちっこいのは第一小隊に任せたよ」

「第一小隊玉城、諒解しました」

 錬府の制服を着た刀使たちが、

ひっくり返ったカニラから現れた、カニ型の小さな荒魂たちを斬っていく

「さて薫さんよ、準備いいかい」

「こちら薫、いつでも、ネネ頼むぜ」

「ネ!」

 カニラの腹に飛び乗った梅は、丁寧に堅い足を一本ずつ切り捨てる。

 苦しみの咆哮を上げるカニラが梅を挟みで攻めるが

 その大バサミを金剛身となって受け止め、次いで八幡力で弾き飛ばし、

 ついにその左腕を叩き斬った。

「今だ」

 急いで腹から逃げた梅は、月を背に輝く大きすぎる太刀の刃が輝くのを見た。

「キェ――――――――――――っ」

 胴体を一文字に割く大太刀が、カニラを斬り伏せた。

 動きが止まり、割れた胴体からノロが流れ出すのを確認すると、

「食べれなかった限定ジェラートの仇だ」

「ネッ!」

 そうカニラに文句を言った。

 

「来ましたよ、お二人とも一瞬しか動きは鈍りませんから、要注意ですよ」

「はい」

「はーい」

 彦は山からゲパードを構えながら、暗視照準眼鏡にアリリがはっきりと見えた。

「紗耶香ちゃん、一緒に」

「うん」

 七里ヶ浜を越え、海岸線沿いを突き進むアリリに向かって、

 迅移を発動した二人が真っすぐに突っ込んだ。

 対物ライフルの一発が前に出る足を撃ち抜き、

 走るペースが荒れだした。

 そして、アリリが二人に気付いたのもつかの間、左右八本の足が一瞬で斬られ、

 バランスを崩して線路と道路に火花を散らしながら滑った。

「紗耶香ちゃん、先にいくよ」

 結芽はすぐさま胴体を駆けのぼり、頭の触角を斬り捨てると、

 暴れる頭と口ばしを相手に戦い始めた。

 紗耶香は息を静かに吐き、『無念夢想』の発現とともに、

 アリリの胴体は尻から順番に輪切りになり、

 最後は暴れていた頭を斬り落とした。

(やっぱり、紗耶香ちゃんは強い)

「これで、おしまいだよ、もうおやすみなさい」

 その荒魂に呼び掛ける穏やかな声に、結芽は静かに御刀を納めた。

「いい夢を見てね」

 

 

 



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第六話「青子屋の女主人」

一、

 二体の荒魂が倒れた翌日の鎌倉、

 回収班が巨体の残骸を運び出す光景を一目見るべく

 観光客や地元民が群がっている。

 その中を一人の男がのらりと分け入った。

「そこのお嬢さん、あれは荒魂かい、随分大きいね」

「あら外国人さん、そうね、あの大きさが湘南の方にも出たってね、大騒ぎよ」

「しかし、バラバラだね」

「そりゃそうよ、だって刀使の巫女が倒したんだから」

「刀使の巫女ですか」

「自衛隊よりも強いわよ、なんだって荒魂を一刀両断ですから」

 男は夏に似合う白いジャケットに麦藁帽を被り、やや荒れ気味の肌が奇妙に動いた。

「おばさん、新聞おくれ」

 軒先で一面を読むと、ゆっくりと駅に向かいだした。

「やはり、恵実さんがいらっしゃる。それに、くくく」

 その手には細長い皮ケースが手にあった。

 

 

 時を変わって、今は深夜二時。

「黒、一太刀で決めろ」

 ここは大阪府堺市市街の路地、六角棒を片手にとある住宅の前に立った覆面姿の男は

 しばし周囲を見渡し、ゆっくりと門のノブに手を掛けた。

「駒込史郎、何をしている」

 男は振り返って、それは誰なのかと尋ねた。

「自分の名前は名乗るためにあるのでしょ」

「いいや、名乗る必要はない。ここで死ぬのだから」

 階段を降りる駒込の姿を見ると、結芽は足で隠していた御刀の切っ先を、彼へと向けた。

 飛び上がった駒込は、その棍棒を右手で高く振り上げた。

 その一直線の動きを避けながら、続いて振られる横なぎも避けた。

(単純じゃないの)

 結芽がしっかりとした足取りで斬りにかかろうとしたその時、

 振りかぶる勢いを生かしながら、神速の突きが彼女に走った。

 避ける術のない結芽は振り上げた御刀の柄を眼前に下げ、

 その重々しい突きを受けた。

 柄の割れる音が響いたのも気にせず、結芽は即座に急所を突き、男はノロとなって溶けていった。

「こちら長、合流地点に向かえ」

「梅、諒解」

 鞘に納めようとすると御刀は鍔鳴りを起こして、外れた目釘が地面に落ちた。

 

 神戸長田区にある小さな旅館『姫鶴』は、古くから刀使御用達の旅館であり、

 素朴で安価でありながら、数日を要する任務に対応できるようにとの、主人の心づかいがいきている。

 鶴の紹介で結芽と神尾、そして鶴がここに泊まっていた。

「これはもう柄が駄目ですね。目釘が落ちたのもそれゆえでしょう」

 広げられた御刀を手入れする結芽を見ながら、

 鶴は駒込によって叩き割られた柄を手にした。

「もったいないですけど、目貫は使い物になりませんね。でも、縁から刀身側の金具には問題はありませんから、柄師に新調をお願いするといいでしょう。結芽さんは鞘の扱いが丁寧ですから、十分に事足りるでしょうね」

「結芽が折神家の職人さんたちに、ニッカリ青江の拵えを作ってもらったようにかな」

「え」

「前の扱い手さんが、自分に合わせて金色の太刀拵えにしていたから、結芽の理心流の作法に合わなくて、紫様が拵えの新調を許してくれたんだ。結芽好みのかわいい拵えにね」

「うん、あのね、それってどんな風な拵え」

「うん、鞘にはウサギさんや猫ちゃん、それにハートや桜を書いてもらって、鍔はクマさんの形にしてもらったんだ。金色の金具にはいっぱいお花を彫ってもらったよ」

「頭を抱える職人さんたちの顔が見えるよ、私だって拵えの新調なんてさせてもらえなかったのに」

 神尾は小さく咳をした。 

「とにかく黒、ここは関西の拵師に預けよう」

「え、東京に帰るのじゃないの」

「まだ一つ、大事な用事が残っているんだ」

 首を傾げた結芽は、持ってきた白木の柄に茎を留め、白鞘にゆっくりと御刀を納めた。

 

 

 

二、

 

 大阪は心斎橋あたりにある、小さな刀剣店。

 店にはたったひと振りの数打ち物の刀が飾られているだけであり、

 客はおらず、ただひっそりとした暗い店内に銀髪の女が古書を読んでいる。

「ほう、これは数打ち物の刀に見えるが、これは一文字派への特注の一振りだな、室町の終わりかな」

 女主人はその穏やかに透き通るような瞳を、刀の方に向けた。

 そこには、髪は荒く四方に走らせ、その割には髭を丁寧に剃り上げ、

 のらりくらりとした気風とは別に、赤茶色の瞳が刀を見つめている。

「よく、こんなものが手に入ったな」

「骨董屋で無愛想に傘立てに差してあったわ、朽ちた拵えでね。刃は引かれていたから、主人が模擬刀か何かと勘違いしたのでしょうね」

「なまくらって呼んだら、四肢がバラバラになりそうだ」

「それにしても、珍しいわね。あなたがここに来るなんてね、金一」

 年季の入った古いスーツの袖をまくり、ポケットからタバコの箱が顔を出していた。

「まぁな、篠子さんの顔を見に」

「嘘お付き、大方、新しい錆刀を探してくれと言うのでしょ」

「はは、バレてたか」

「止しときな、今時の錆刀なんて大したものはない」

「おいおい、それじゃあ」

「赤羽刀にしときな」

「ほぅ」

 篠子は彼を奥に案内すると、そこにはいくつもの封印がなされた箱が積み重なっていた。

 そして彼の前に一つの箱を差し出した。

「一番古い赤羽刀でね、刀の来歴も飛びぬけて古い」

「おいおい、大丈夫なのかよ」

「何せ一千年もノロに封じられていたんだからね、江戸時代に荒魂が倒された地で発見されて、ずっとその地の名家に伝わっていたものが、値段をつけられないって最近、私に売りに来たのさ」

 封印を切ると、箱の中には一振りの直刀が姿を現した。

 その刀から伝わる力の強さに、金一は自然とはにかんだ。

「大当たりだ」

「なら、蘇生させたこいつをあんたにやろう」

「ただじゃないな」

 箱をとじると、篠子は別のさらに小さな箱を持ち出した。

「五日前、私が実験台にアンプルを渡していた奴が、刀使に斬られた」

「ふぅん」

「奴は既に三件の家に強盗に入って、少なくとも十二人は殺していた。それで尻尾を掴まれるなら奴のヘマだから気にしない。でも、今度のは奴が荒魂化していることを知っていて始末したみたいなのさ、これは以前ノロを渡していた中国マフィアの殺し屋も同じだった」

「狙いをあんたに定めているのか」

「もしかしたらね、私が興味あるのはその二人を斬った奴さ」

 小さな箱から出てきた写真の数々に驚きながら、少し笑った。

「恵実か」

「あと、こいつが恵実の娘だ」

「はは、生きてたか」

「金一」

「冗談だ。でも、これであんたの望みは叶うな」

「お前が言い出したことだろうに、まぁ十年前の志なんぞ、誰が大切にしているものかねぇ」

「物好きだね」

 篠子の黒い瞳が、時折赤く輝いた。

 彼女は静かに笑っていた。

 

 とある小さな霊園に、恵実は花束を手にする梅が、忘れ去られただろう一つの墓の前に座った。

墓石には『近衛武道館事件慰霊碑』と書かれていた。

「あなた、お義母さん、師匠、ただいま」

 花を添えると、静かに手を合わせた。

「恵実か」

 その聞き知った声に、おそるおそる振り向いた。

「相楽先輩」

 梅はしばし彼女に向き合ったが、目を離しその場を逃げようとした。

「待て」

 相楽の怒りに満ちた顔が、自分に何を言わんとしているのか理解できた。

「結芽をお前の復讐に巻き込むな」

「それは結芽自身が決めることです。私は一人ででもあの三人を殺す」

「それが亡くなった結城さんへの顔向けか」

 梅の真っ赤な瞳が、相楽を睨みつけた。

「結芽を救えなかったのは、お互い様です」

 そう吐き捨てるように言うと、梅はそこを立ち去っていった。

 

 

 

三、

 

 翌日、結芽は調査の合間を縫って、一人古巣である綾小路武芸学舎を訪れていた。

「結芽」

 振り返った先に相楽学長が立っていた。

「遅―いっ、結芽は約束の十分前から待っていたんだよ」

「今はその十分後だろ」

「へへ、そうだよ」

「まったく、変わらないな」

 やや物悲し気な気風ではあるものの、表に出して言う人でないこともあってか、結芽は何事もなかったように話を進めた。

「結芽のソハヤノツルギウツスナリはどこ」

「以前はここにいたのだぞ、刀匠課程に預けてある」

 教室棟の隣に立つ館は刀匠課程を学び、製作と研究をしていく棟であり、

 棟には名の知られた近畿の刀匠たちも指導と製作のために、ここを拠点にしている。

 三階右奥の拵師が工房を並べる廊下を二人は静かに歩む。

 そしてたどり着いた工房の扉を叩いた。

「はい、どちら様でしょう」

 出てきた痩せがちの男子生徒が相楽であることに気付くと、慌てて扉を開けた。

「高畑先生、学長がいらっしゃいました」

 中に案内されると、背筋の固まったような目の真っすぐな男が二人に向いた。

「どうぞいらっしゃいましたね」

「はい、今日は彼女の御刀の事で」

「ソハヤノツルギウツスナリですね、どうぞ」

 生徒の用意した椅子に腰を掛けると、高畑は御刀を納めたケースと拵えが一式揃え置いた台を、結芽の前に置いた。

「燕さんでしたね、お久しぶりですね」

「五日前ですけどね」

「では、柄の方は完成しています」

「随分と早いですね」

「ええ、丁度大きな依頼が済んで手隙でありましたから、それにソハヤノツルギウツスナリとなれば神君家康公の御刀、私としては全力を傾けたくなるものです」

 高畑は御刀を白鞘から取り出し、結芽に手伝ってもらいながら新たな柄に差し込んだ。

 そして微調整を済まし、目釘を入れると御刀を結芽に差し出した。

 柄は白鮫皮に平巻出で巻かれ、上品な小豆色に亀と鶴の目貫、

鵐目にはあの獏の彫金がなされた以前のものが使われていた。

 結芽は手にすると、そのあまりの手への親和性に驚いた。

「凄い、手が吸い付くみたい」

「五日前、あなたの握り手の癖を確認させてもらいました。以前の拵えは実戦用に用意したものだったのでしょうが、燕さんに合わせたものではないので完ぺきとは言えない状態でした。今回、貴女のお手に合わせて柄の形状、巻き方、そして長さからくるバランスを調整しました」

「これなら、どんな荒魂にだって負けない」

 そして、結芽は鍔が変わっていることに気が付いた。

「燕だ」

 やや小さめの丸鍔に二匹の燕が彫金され、無骨でありながら、穏やかな鍔である。

「その鍔は以前、刀使を引退された子が綾小路に御刀を返上するに際して、好きに使ってくれと拵えと共に譲りうけたものです。お名前にあやかってお付けしました」

「とってもいいと思う」

「では、実戦で使ってみましょう」

「え、もう」

「使ってみない事には、本当に体にあったかどうかは分かりませんからね。学長、お願いできますか」

「ええ、すぐに」

 

道場にはどういうわけか五箇伝それぞれの制服を着用する生徒たちが居り、

結芽は不思議に思いながらも、坐して正面に一礼し、

腰に差すと、ゆっくりと居合の動作から確認を始めた。

(気持ち軽くなっただけなのに、切っ先が真っすぐ私を引っ張る)

 相楽は彼女たちに話をしながら、共に結芽の型の演武を見ている。

「あの御刀、瀬戸内智恵さんの御刀を写した妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリでは、それにあの子は燕結芽」

 綾小路の制服を着る、木寅ミルヤは結芽の御刀の動きを目で追った。

「まさかここでお目にかかれるとは」

「え、ミルヤさん、あれはちぃねぇと同じ御刀なの」

 美濃関の安桜美炎は驚いき聞いた。

「正確には鎌倉時代の三池典太光世が作刀したと言われる、征夷大将軍坂上田村麻呂の佩刀ソハヤノツルキを写した御刀ですよ。神君徳川家康公の御刀としても名高く、数百年もの間、家康公以外の使い手を選んでこなかったという伝説があります」

「それじゃあ私が行くべきかしら、御刀どうしに縁があるみたいだしね」

「でもちぃねぇ、燕さんって元親衛隊だよ、とっても強いんだよ」

「心配要らないわ、それに舞草の一員としてあの子には借りがあるしね。よろしいですか相楽学長」

「ああ、いいだろう」

 結芽を呼び止めると、試合の立ち合いについて長船の瀬戸内智恵と話し、

 相楽が審判となって立ち合いを行うこととなった。

「双方礼、抜刀、写シ!」

 ソハヤノツルギウツスナリがやや震えるように感じた結芽は、

 相手の御刀が縁のあるものだと理解した。

「備え!」

 智恵の御刀は刃長一尺四分ほど、

小烏造りの諸刃の切っ先は、その御刀の古さをその身で伝えている。

「初め!」

 結芽からの上段からの斬りつけをいなし、すぐさま走る突きを流しながら、

 右後ろに転身する。

 そこに迅移で背中に回った結芽の太刀が走るが、すぐさま峰で受けるふりをして

 左前方に避け、動きを確認しながら間合いを離しつつ、

霞の構えで即応の一太刀を受け止めた。

(待ってた)

 智恵の返しが下りる瞬間、結芽は振り下ろされる腕を斬りにかかった。

(斬られる)

 その結芽の横一閃はあまりに素早く、智恵の眼前を通り抜けていった。

 そして返しの太刀が結芽の写シを斬った。

「そこまでっ」

結芽は静かに立ち上がり、元の位置に戻り礼をした。

「どうもありゃあ、譲ってもらったな」

「うん、ふっき―の言う通りだと思う」

「御刀の差はない、体格に差こそあれ、立ち合いは燕結芽の一方的な戦いだった。ただ、拵えの良さに彼女自身が着いていけず、そのまま斬られただけだった」

「つまり、あの燕ってやつは全力で戦ってない」

 結芽は静かに御刀を抜くと、光に透かし輝かせた。

 その傍らに背の高い智恵が共に御刀を見た。

「あなたの御刀もソハヤノツルキなのよね」

「え、そうだよ」

「私の御刀もソハヤノツルキなの」

 智恵が並び見せるソハヤノツルキに、結芽のソハヤノツルギウツスナリが震えた。

「あなたの御刀は、私のソハヤノツルキを名工光世が写した御刀」

「だから、ウツスナリなんだ」

「そうは言っても、写しが作られたのは七百年も昔だから、私たちには気が遠くなるような話よ」

二人が二振りのソハヤノツルキを並べる光景を見て、ミルヤは少し涙ぐんだ。

「ミルヤさん、だ、大丈夫」

「心配要らないわ六角清香さん、少し感動してしまっただけ、まさかこの目で二振りが並び立つ光景が見られるなんて」

 それから、彼女らと順番に立ち合いながら、

 時が経っていった。

 

 

四、

 

「いいのか、神戸まで送るぞ」

「ううん、それに大阪で調べごとがあるから、合流しなくちゃいけないの」

「分かった、体は大事にするんだぞ。何かあったら私を呼べ、なんとかして見せる」

「はい」

 相楽は心配であったが、携帯を持ち、

駅まで送れば大丈夫だろうと結芽の言葉を信じた。

 結芽は切符を購入し、ホームのベンチに座ると鞘鐺を靴の上に置くように、

 刀袋に包まれたソハヤノツルギを胸元に置いた。

 そして相楽から渡されたお菓子の封を開け、食べ始めた。

「お隣に失礼」

 髪を荒立たせている男は自身も手に刀袋を持っていた。

 しばらく黙ってお菓子を食べている結芽に、男が静かに声を掛けた。

「お嬢ちゃん、刀使なのかい」

 しばらく咀嚼しながら、うんとぶっきらぼうに返事を返した。

「君は有名人だよね。たしか燕結芽、だったね」

「そうだけど、おじさん誰」

「おじさんはね金一って言うんだ、金のはじめと書いて金一」

「じゃあそんな金一おじさんが、なぜ結芽の名前を知っているの」

「燕の家系に一人の天才がいるって有名になっただろう、もうお墓に名前が刻まれているけどね」

 結芽の口が止まった。

「よく知っているね、おじさん」

「そう、物知りな足長おじさんだ。ここにいるのは幽霊かな、それとも荒魂かな」

 御刀を手にベンチから離れた結芽は、

反対側のホームを見つめる金一に警戒した。

 二人しかいないプラットホームに次の電車の案内が鳴った。

「まぁそんなに怯えるな」

「結芽のことを知っている人なんて、そんなにいない。調べるような真似をしたら、別だけど」

「俺が何のために調べていると」

「ノロを取引するルートを邪魔する奴だから」

「ちがうな、おれはもう取引に関わってない」

「じゃあ、荒魂化した刀使を調べるため」

「あたり、一緒に来てもらえないかな」

「何で、おじさんには結芽と一緒に来てほしいな」

 結芽は刀袋の結びを解いた。

「うれしいね、女の子からデートのお誘いだ。でも君は知りたいはずだ。君が正体不明の不治の病にかかった原因、そして最後まで迎えに来てくれなかった、君の本当のお母さんのことを」

「知っているの」

「誰も教えてくれないんじゃないのか」

 車上の相楽に確かにそれを訪ね、相楽は言葉を濁して真実を言わなかった。

「俺は君と戦う気はない。ただ、多くの真実を知る人に会ってほしい。それだけだ」

 結芽は構えを解いて、刀袋の紐を結び付けた。

「案内して」

 

 夜の心斎橋は大勢の人込みにごった返している。

 その路地に入った、小さな灯りをつけた店は、

 『刀剣 青子』と書かれた小さな表札が壁にかけられている。

「ここだぜ」

 店に入ると、奥で古書を読みふける一人の女性が結芽を手招きした。

 既に御刀は刀袋から出され、その気になればすぐに抜きはらえた。

「いらっしゃい、まさか本当に来てくれるとはね」

「あなた達は何を知っているの」

「あなたの過去のあらかたを」

やや埃っぽいものの、手入れの行き届いた部屋には、

御刀を納めた無数の箱が高く積み上げられている。

奥から茶を持ってきた篠子は、金一が店の表に居ることを確認し、

結芽に対するように座った。

「懐かしいわね、その鍔」

 篠子は金色に輝く二羽の燕を見ながら、ゆっくりと挨拶を始めた。

「私はこの店の主人をしています。大日方篠子です。はじめまして燕結芽さん」

「単刀直入に聞く、あなたは私の何」

「仇よ、あなたのお父様を殺した」

「!」

「そして私は幼い赤ん坊であるあなたと、私の友人であったあなたのお母さんに、ノロを打ち込みました」

 篠子はしごく平然と結芽に言い放った。

「私は」

「あなたは原因不明の不治の病に体を蝕まれた。そして命を絶たれてしまった。その病は、あなたの体内のノロそのものよ、私は貴女とあなたのお母さんを荒魂化の調査のためにノロを打ち込み、生かした。そして、あなた達親子が敵討ちに来て、その力を推し量る予定であったのだけど、特祭隊の精鋭部隊である親衛隊に入ったと聞いた時は、私が相手するまでもなく全てが証明されたわ」

 御刀を抜きつけた結芽は、切っ先を篠子の喉先で止めた。

「青子屋、あんたたちが」

「青子屋は私が潰したの、そしてあなたのお父様は知りすぎたのよ」

「さ、最後に一つ聞く、お母さんはどこ」

「知らないわ、もしかしたら、あなたの側に居るのかもしれないわね、もう」

「殺す」

 その時、店の裏口から衝撃が起こり、箱が一斉に崩れ落ちた。

 結芽はその暗い中で視界を失った。

 

 

 

五、

 

「出てこい、大日方篠子いや、青子屋篠子」

 半壊した入り口を踏みつけながら、梅が赤い瞳を輝かせていた。

「あら、おしさしぶりね恵実、でもあなたに同田貫は似合わないわ」

「何度も斬らなきゃ死なない体質のあんたらに、言われたくはない」

 単衣についた埃を払い、壊れた箱から二振りの脇差を取り出した。

 そして体を赤い色の写シが包み込んだ。

 暗闇から突如飛びだした結芽が篠子を突いた。

 だが篠子は首から血を流しながら、結芽をにらみつけた。

(くるっ)

 どこからか腹を殴られた結芽は、間合いを引き下げられたのも構わず、再び間合いに飛び込んだ。

 が、篠子の離れる赤い写シが刀を伴い結芽に飛び込み、

 仕方なく梅の隣へと逃げ込んだ。

「梅、あいつ」

「邪魔をするな」

 梅は結芽を外へと放り込んだ。

「これは私の戦いだ」

「あらやだ、あの子がどんな子かわかっているの」

「お前らの理想の苗床にはしない」

「どうかしら」

 その重たく強烈な梅の太刀が、飛び込んでくる腕を、脇差ごと叩き斬った。

「八幡力、全快」

 飛び込んだ梅は上段から斬りつけるが、右ひざを押す力が彼女の態勢を崩した。

彼女の膝には赤い写シに包まれた腕が、後ろへと押し込んでいる。

「ほら、こっち」

 篠子は上段から叩き込む。

 しかし払いでその一撃をはじくと、梅は切っ先を右後ろに移し、一気に写シの腕ごと篠子の胴を切り裂いた。

 そして、袈裟斬りで生身の首を飛ばした。

 そして倒れた体の喉下に切っ先を打ち付けると、身体がノロとなって溶けていった。

「まず、一人目だ」

「梅」

 結芽は梅の名前を呼んだが、彼女が答えることはなかった。

 

 

 後から来た神尾と彦は、二人を回収し、神戸の旅館に向かっていた。

 車内は一転、静まり返っていた。

「黒」

「ある男が結芽の全部を知っているっていったの、だから警報を送って奴らのアジトを掴もうとしたわけ」

「だが、青子屋は十三年前に内部抗争で崩壊していた。組長の娘がノロの取引を継続していると、情報をもらったが」

「あの篠子って人だね」

「最近もノロを国内外に流していた。そして取引の代理組織は、俺と彦が調べて、警察と特祭隊に情報を流した。だが、本人はあそこで潜伏していたとはな、あの青子って店は刀剣愛好家には一見さんお断りの店だったそうだ」

「黒、その男の名前、わかりますか」

「うん、はっきり名乗ってた、金一って」

 梅は突然、結芽の襟を掴みかかった。

「あいつ、結芽のことを、いいか、黒、もしもう一度、金一に会ったら逃げろ」

「なんで、たかが禍人じゃん」

「あいつは、お前みたいな奴とは比べ物にならないくらいに強い、次に会ったら、死ぬぞ」

 梅のすがるような目に、結芽はただ頷くしかなかった。

 

 

 現場見分に来ていた綾小路の刀使たちは、その散らばる刀を回収しながら、驚きを隠せないでいた。

「水科さん、これを見てください」

 彼女は封印の解かれた十数振りの御刀に注視した。

「そんな、こんなに大量の赤羽刀がこんなところに」

 その錆刀のどれもが有名な刀工の作ばかりであり、

 一振り一振り、御刀としての能力は健在であった。

「いったい、なぜこんなに大量の御刀を集めていたの」

 後の調査により、大半が民間で伝承されてきた赤羽刀であり、刀使の始まりを実証する一振りも発見された。

 だが、奈良の山中にある集落で長らく伝承にあった、

 荒魂から出た直刀は、その赤羽刀の中から見つけることはできなかった。

 

 翌日、誰からも忘れ去られていた『刀剣 青子』は閉店した。

 

 

 

 

 



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第七話「宿命の刀使」

一、

 その日、第二課の駐屯施設に奇妙な客が来た。

 応接間に通された二人に、神尾と結芽が対していた。

「お久しぶりデス、鎮魂祭の式典以来ですね、ユメユメ」

「おねぇちゃんも元気そうだね、でも隣の人は」

「おいおい、以前は君の敵だったんだぞ」

「まったく分かんない」

「こちらは私のグランパ、リチャード・フリードマン博士デース。ずっと舞草の幹部だった、ノロ研究の第一人者デース」

「あとS装備の開発もしている。そして最近は禍人に関しても研究を進めている」

「博士、我々のデータは活用していただけますか」

「勿論だ。神尾少佐、あなたがこうして提示した三人のデータを過去のものと照合、いずれも荒魂が憑依するのではない、人為的な荒魂化であることがはっきりした」

 フリードマンは二人の前に診断結果の書類を出した。

「まず、国府宮鶴は、外部からの大量のノロを摂取、人格障害を起こした。彼女の吐き出したノロの量から、以前に最もノロを摂取していた皐月夜見より僅かに五パーセント少ない量、つまりは大量のノロを摂取していた。高津雪那の証言ではまさしくモルモット扱いであったようだ。

 次に燕結芽、君は体内に殆どノロを見つけられなかった。だが、以前にノロによって神経や臓器に傷をつけられた跡があり、今ノロが存在する場所も君の心臓と、摘出が難しい位置にある。現状を維持できるか否かは、今のところ不明だ。

 そして孝房恵実、彼女が最も危険だ。体の大半はノロに蝕まれ、精神を維持できているのが奇跡と言えるほどだ。長い時間もノロを体内に擁した結果、肉体の寿命は限界であり、下手をすれば人の形を失ってしまうだろう」

「じゃあ、結芽は、また長く生きられないの」

「分からない、そもそも君がなぜノロによって姿かたち、そして命を蘇させられたのか、そちらに興味があるね」

「もしかしたら、あの声かもしれない」

「声とは」

「時折聞こえてくるの、結芽に生き返って何をするんだって、私じゃない声が胸の底から聞こえるの」

「それは鶴も同じことを言っていたな。ずっと心の声、殺人衝動と会話をしていたと」

「明確な答えを出してあげられないが、君の体内のノロは、君自身の希望になりえるかもしれない。君がこれからどう振舞っていくかで、ノロは君を本当の意味で救おうとしているのかもしれないね」

「ノロが、私を救う」

 結芽は苦々しく、御刀を見つめた。

 

 地下の道場で立ち合いながら、彦は結芽の無駄な動きをいなしていく。

「ほら、伸ばすな、決めろ」

「ちょこちょこ動くから」

「口が動くね」

 竹刀が胴に入り、彦の固め技が結芽の倒れた体に入った。

「ギブ」

 締め付けが解かれると、結芽は体を仰向けに息を吐いた。

「こんなものかい、まだまだやるよ」

「ま、待って」

 苦しそうにしながらも、立ち上がって平晴眼に構えた。

「よろしい」

 理心流の檄剣稽古の再現ではあるが、始めて一時間、結芽は音を上げなかった。

 それどころか、道場の傍らで梅は壁にもたれていた。

(まさか、ここまでタフだとは)

 燕結芽は免許皆伝をなされる前に、病気が原因で道場から離れていたが、

 見て、その身で味わった技の全てを使いこなした。

 それどころか、親衛隊では紫以外のあらかたの刀使に勝利を収めた。

 しいて言えば、可奈美や姫和といった、まだ剣を合わせていない強敵と、立ち会っていなかっただけである。

(このふた月で随分と、まぁ)

再び組合となり、始めは結芽が優位であったが、スタミナの有り余る彦に再び押し戻された。

「ギブ」

「よし、ここまで、面を取って水分を取ってきなさい」

「はいっ」

 結芽が上の階に水分を受け取りに行く間、

 彦は汗を拭きとりながら梅のもとへと歩いた。

「お疲れ様」

「どうも、まったくこっちが音を上げたくなりますよ」

「へぇ、彦さんが」

「あんな素早い初太刀から、続いての激しい払いに、そして組み合い。考える暇もなく対応しなくちゃいけないから、そりゃあ勘弁してもらいたいですよ」

「ふふ、どうも彦さんよぉ、あたしらは完璧に土台だね」

「頼もしい限りです」

「そうだ、あんた学校の先生になったら、教員免許は任務の合間に取得してたんだろ」

「それは、まぁ、持ってますけど、死んだ扱いで失効なっているかと」

「大丈夫、少佐に口添えしとけば、さ」

「まったく、梅さんって人は」

 

 

二、

 

 施設は表向きでは、広報事務所ということになっている。

「こんにちは、こちら刀使部隊の事務所で間違いないですか」

 白いスーツの男は受付の自衛隊員に、ここは違うと案内されると、

 小さく、しかし響く声で笑った。

「おかしいですね、ここに入ってきたお客は広報とは無縁のはず」

 その一言に隊員は拳銃を抜いたが、すぐに組み手で奪い取られ、

 三発を頭部に撃ち込まれた。

「ほら、お客が来ましたよと、恵実さんにも言ってくださいな」

 

そのころ、三人は食堂で昼食を終え、静かにお茶を飲んでいた。

食堂長カイルは三回鳴った物音に、神経をとがらせた。

「梅さん、彦さん、黒さん、侵入者のようだ」

「侵入者」

「相手は梅さんの本名を名指しで呼んでいる」

「そうですか」

 梅は歯ぎしりをしながら、机をたたいた。

「梅」

「御刀を取りに行こう」

 結芽はそれに黙ってついこうとすると、カイルに一瞬引き留められた。

「黒、逃げるべき時には逃げなさい、いいね」

「心配ないよ」

 そう言葉を返して自室に戻っていった。

 

 

 革のトランクから、一振りの刀が現れ、それを剣帯にさげると鞘から抜きはらった。

 そして、彼の前に出てきた梅を見て、彼は高笑いを上げた。

「いや、いやはや、懐かしや、恵実さん。貴女の旦那さんをバラした時以来かな」

「そうだね、せめて四肢だけにしてくれりゃあね」

「そんな器用なこと、したくてもできませんから」

「じゃあ私がいまからしてやるよ」

 双方が写シを張った瞬間、梅は間合いを詰めた。

 通路で流れる突きをいなしながら、平突きで互いを押し合い、

 自然と間合いを離した。

「ふふふ」

 途端に写しが斬り剥がされ、腕を抑えられて柄頭が彼女の上半身と頭を何度も殴った。

 そして、彼に蹴飛ばされた彼女は立ち上がれず、御刀から手が離れた。

(ちくしょう)

「こんなものでしたかね」

「今度は私が相手だ」

「おお」

 結芽は平晴眼で、倒れる梅を見て自然と手に力がかかった。

 その一瞬、一段目の迅移で男の腕を斬り、二段目で脇を斬り、

 そして背中から突きにかかった。

(浅い)

 三段の突きが受けられ、額に触れた切っ先が結芽の写しを斬り剥がした。

 その瞬間、背筋が凍り付いた。

「いいですね、恵実さんとは段違いだ」

「うるさい」

 写シを張り直し、再び相手の間合いに飛び込んだ。

 だが、全ての斬りつけが紙一重で避けられ、致命傷が見つけられない。

 そして、彼女は深く後悔した。

「恵実さんの太刀筋を習ったのですね、どおりで強い」

 近い間合いで男はひたすら突きと払いを繰り返し、ついには蹴りで結芽を突き離した。

 結芽は尻餅をついたまま、近づいてくる男から後ずさりした。

「あなたもノロを抱く人間なら、まだこんなものじゃない」

 男の吸い込まれるような真紅の瞳を見た。

 流れるように続く様々な人の顔や声が目の前を走り抜ける。

(結芽、いい子でね)

 聞き覚えのある声が、結芽に御刀を握らせた。

「梅、黒」

 二発の通路に投げ込まれた手りゅう弾が発光し、煙幕を周囲にまき散らした。

 男の脇を抜けて梅をを抱え、上の階へと逃げていった。

 階段から棚が盛大な音を立てて階下に落ちると、

 銃を持った影が、落ちた棚にバイポッドを据えた。

「今度は何ですかね」

「花火だ」

 瞬く間に銃弾の雨が正面から叩きつけられ、彼は弾幕に足を取られて床に倒れた。

 MINIMI軽機関銃を構える彦は、背中のバックから新しい弾帯を引き出し、装填した。

 暫く弾をバラまくと、立ち上がってそのまま上の階へと逃れた。

 

 

三、

 

 結芽は恐怖に怯え、梅の腕にしがみついたままだった。

「分かる、怖いよな」

 梅はただ結芽の頭を撫でた。

 ここは少佐の執務室、ここには刀使が四人、フリードマンに少佐とお付きの二人が居た。

「カイルは隊員たちの退避を完了させたそうだ、だが、奴に見つかって食堂で接待をさせられているらしい」

「我が物顔ですね」

「敵がここに来たなら好都合デース、奴を払うのが私たちの任務。そして」

 エレンは梅に目を向けた。

「ここに来たのは事情を聴くためデス、お聞かせ願えますか、燕恵実さん」

「言っちまったよ、こいつ」

 静寂の中、梅こと恵実はゆっくりと口を開いた。

「あいつは、青子屋っていうヤクザの構成員だった奴さ。青子屋は江戸時代からノロを裏取引してきた組織で、裏の世界じゃあそれなりに名を知られていたんだ。刀剣類管理局とは犬猿の仲だった、でも青子屋は十二年前に消えた」

 十五年前、恵実は署内の円がきっかけで結婚、先輩勢を追い越しての早い結婚だった。

 相手は刑事で、ずっと青子屋の事を追っていた。

 結婚から翌年には妊娠、出産を控えて夫は帰りが遅かったが、義母らが彼女を支えた。

 そして一年後に無事に女の子を出産した。

 それから二年、子育てや家事に追われながら平穏な日々が続いた。

 だが、青子屋の事件が解決し、転属を願い出た恵実の夫は自宅で殺された。

 青子屋は警察によって崩されたのではなく、内部抗争によって自壊していた。

 そのことを知っていた恵実の夫は最後の残党狩りをしていたが、

 結果として後を付けられ、恵実と娘の前で殺された。

 体はバラバラにされ、さらに途中で帰ってきた義母をも惨殺した。

 その主犯格の三人の一人が、

「田中藤次、奴は笑顔で夫の臓器を持ちながら、私に挨拶したわ」

 結芽を彦の方へ突き飛ばすと、悶えながら目をつぶって唇を噛み絞めた。

「そして私と娘は、奴らの持っていたノロを打ち込まれた」

 前髪の間から覗く赤い荒魂の瞳が、一同を見渡した。

「奴らはノロを致死寸前まで打ち込み、秘術によって刀使同然の力を手にした。その効果を知っていた組織は、ノロの争奪を始めて瓦解。でも、力を手にした三人の禍人は、その事実を知る一人の男を殺した。そしてわざと私と娘を生かした」

 言い終えると、梅は気絶して床に倒れ込んだ。

「梅さん」

 彦が傍らによって、気絶しているだけであることを確認した。

 少佐は耳に手を当て、一言二言喋ると立ち上がった。

「料理長から連絡だ。その田中藤次とかいう奴が、話は済んだかと言っているそうだ」

 そしてエレンは御刀を手にして立ち上がった。

「恩には必ず報います、いいですかグランパ」

「お前の使命のままに戦いなさい」

 そして結芽は震える手を握りしめ、立ち上がった。

「結芽も行く」

「彦は博士脱出の援護をしてくれ」

「援護は了解しました。ですが少佐も一緒に逃げてください。いざとなれば差し違える覚悟はあります」

「それはいかん、黒、エレン君、くれぐれも、もしもの時は引いてくれ」

「はい」

「ハイ」

 

 

カイルは太刀を持ち、藤次と対していた。

「まぁ、息抜きには」

「青子の奴にそう言ってもらえるのは嬉しいね」

 カイルの右足から血が流れ出していた。

「こう見ても長い間、禍人相手に戦ってきたんでね」

「それでも刀使には遠く及ばない、男の持つ刀は所詮、お飾りだ」

「結構、お前さんよりはいい男でいたいのさ」

 そんな彼らの前に結芽とエレンが躍り出た。

「黒君、それにお客の」

「ほほう」

「食堂長は逃げてください」

「…わかった」

 食堂長が退避したことを確認すると、

 二人は逃げ口を確保しながら、藤次に向かい、構えた。

 藤次の持つ刀は切先が大きく、様があまりに真っすぐな勤皇刀である。

 身をせり出し、御刀を後ろ目に構えたエレンは、

 藤次に斬りつけると思わせ金剛身の蹴りが、藤次の両手ごと吹き飛ばした。

 そして添えられるように走った康継が藤次を斬る前に、

 エレンの両腕が斬られ、片手で壁へと叩きつけられた。

「タイ捨流ですか、でもまだまだ堅いですね」

「エレンさん」

「二人同時にかかってきてもいいのですよ」

 エレンが立ち上がると、結芽は彼女と目を合わせた。

 結芽が迅移を張り、即座に突きを入れると峰を添えながら、

 突き返そうとした。

 だが、彼の横に立ったエレンは即座に逆袈裟斬りで腕を斬り上げ、

 首の写シを叩き切った。

 すかさず突きで止めを入れようとした結芽は、

腹をけり上げられ床に転げ落ちてしまう。

「ユメユメ!」

「お遊びが過ぎた」

 腕を押さえつけられた瞬間、顔面に数発の殴打が走り、

 外腕捻りによってエレンは再び壁に叩きつけられ、止めの一閃が写シを斬り落とした。

エレンは立ち上がれず、壁にもたれかかった。

 しかし結芽は屈せずにもう一度立ち上がり、平晴眼で構えなおした。

「何でもいい、力を寄越せ」

「駄目!」

 琥珀色の光が結芽の瞳から輝く、その姿に藤次は微笑んだ。

「やはり、あの時の赤ん坊にノロを打ち込んで正解だった。最強の剣は悪魔との契約と同義だ」

「はあぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 結芽に藤次の動きがゆっくりに見えた。

 体の軽さを利用して腕、背中、右手を斬り捨てた。

 だが、藤次は笑顔を絶やさず、上段の一振りを受け止める。

「そうだ、ノロは全ての力の源だ、さぁ来い!」

 叫びながら今までにない速度に、体と刀が藤次に吸い込まれるように走った。

(それがあなたの剣か)

 突然に動きが鈍り、藤次は不満げに結芽を蹴り飛ばした。

「ユメユメ…」

 だが、写シは剥がれず、結芽はゆっくり立ち上がった。

「結芽は、強いんだから、だから、ノロが暴れたら、私は本気で戦えない!」

 藤次は無行の構えで結芽に相対した。

「やはり見込み違いだったか」

 体の痛む結芽は、やや呼吸を整え、平晴眼の構えで藤次をまっすぐに睨んだ。

 その瞬間、藤次の神速の一太刀は床を叩き、

 左腕の写シが落ちた時には首筋に二度の突きが入り、急所へ三度目の突きが走ろうとした。

(これほど)

 突きを避けて間合いを離すと、すぐさま窓を破って外に逃れた。

 結芽は激しく息を荒立てて床に倒れ込んだ。

 

 

四、

 

 前が分からない、でも世界は真っ赤に、黒く燃え上がっている。

 ひどく鼻をつく、目も鼻も開けていられない。

「私もこんなの初めてだもの、初めてだから困惑もするし、心配もする」

 赤く燃え上がる街の中を、黒い灰にまみれた少女が結芽に語り掛けた。

 そして突然に世界は、穏やかな景色を取り戻した。

「繰り返される記憶の世界で、私だけが時間を重ねている。あなたの中で意識を取り戻してから」

「あなたは誰なの」

「名前は分からない。ただ、あなたの御刀の片割れというべきでしょうか」

「御刀、ソハヤノツルギの」

「そう、三池典太光世作、ソハヤノツルキウツスナリは本来、兄妹刀であったのだけど、長い時間の中で別れ別れとなってしまった。一振りは貴女のソハヤノツルギ、そしてノロとなってしまった脇差のソハヤノツルキウツスナリ」

 黒髪の少女が手に持っていた脇差を見せた。

「そっか、ソハヤノツルギを手にしたときに声を掛けてきたヤツ」

 結芽のいきなりの抜きつけを、少女はあっさりと受け流した。

「ふざけるな、お前が、お前が私に」

「本当に私のせいだと思う」

「っ、うっさい」

「あなたの体に残っていたノロは貴女に力を貸さなかった。それどころか体の免疫を破壊しつくし、あなたを食い尽くそうとした」

「お前もそうだろうが」

「そうなら、今さらあなたの望みを叶えたりしない」

「私の望み」

「生きたいのでしょ、貴女はあなたを取り巻く人たちと少ない時間をもっと、長く過ごしていたい。そして、刀使として胸を張りたい。なら、私をどう使えばいいのかしら」

「え」

「決めなさい、あなたの事、わたしの事、そして貴女の母親のこともね」

 景色が霞み、何層もの虹の中を体が抜け、

そしてゆっくりと白い世界が目に移った。

「結芽さん、返事をしてください。結芽さん」

 鶴の声が遠く響く、そして間近に迫ったところで、泣き顔の彼女の顔がはっきり見えた。

「鶴さん、大丈夫だから、大丈夫」

「ははは、まったく無茶をして」

「ねぇ鶴」

「なんですか」

「梅は、お母さんはどこ」

 鶴は苦々しい顔でよそを見た。

「そっか、あいつを斬りに行ったんだね」

「あなたと似てね」

 

 あれから丸一日、

 梅こと恵実は一人で出立。

 そして、それを追うように二課の追跡部隊も出撃していった。

 結芽は鶴と共に施設に残っていた。

「少佐、そろそろ」

「待つんだ」

 結芽は耐えきれず机を叩いた。

「分かった、だがお前を一人では行かせん」

 部屋に入ってきたフリードマン博士とエレンは、二つの大きなトランクを机の上に置いた。

「博士に、エレンさん」

「体に大事はないようだね。今は禍人に相対する仲間だ、忘れないでおくれよ」

「どうもデース、私も快調ですよ」

「知ってる、おねぇさん誰よりも打たれ強いから」

「それはどういたしまして」

「さて、刀剣類管理局と二課の同盟の証として、最新型のS装備を受け取ってほしい」

「その話、待って」

 結芽はその話を遮った。

「少佐、教えて。なぜ梅は、お母さんはここに」

「博士」

「構わんよ」

「ふむ、我々の創設理由はノロを国内外に流通させていた青子屋の三人と配下を殲滅し、日本国内の全ての違法流通ノロを回収しつくすことだった。

恵実は創設時の取引で三人の抹殺を条件に隊員になった。その後に君がタギツヒメ事件の最中に命を落とした。梅は君が死にかけ、そして捨てられ、親衛隊としてさらに命を縮めたことを知った。彼女は大人しく任務にあたっていた。だが、君の墓参りに来ていた彼女の前に君が姿を現したとき、彼女は変わった」

「恵実さんは今のような気さくさは、ほとんどありませんでした。もっと殺伐としていたのが、あなたがここに来てから一変して、明るく振舞うようになりました。あなたが生き返ったことを喜ぶように」

「あいつの梅根性は大したものだ。ノロの浸食にも、足を見せない青子屋の三人を粘り強く、体の痛みに耐えながら探し続けた。だが、お前を救えなかった自分を梅自身は恨んでいた。だからお前を他人として扱おうとした。これが全てだ。ある意味、お前を忘れて復讐に走っていた。そんな彼女を母親と呼ぶのか」

「どいつもこいつも、勝手ばかり、嘘ばっかり」

 結芽は机を叩き、何度も叩いた。

 やがてその手で胸元を強く握りしめた。

「青子屋の反応がおかしいって分かってた。梅は、お母さんは、あえて結芽を突き放したことも、全部想像がついてた。でも、それでよかった。結芽は仇をとるためじゃない。荒魂を祓うために戦う。だって結芽は刀使の巫女だから!」

 神尾は立ち上がり、トランクケースを結芽に突きつけた。

「なら使え、ここにある全てを使い、お前の使命を全うするんだ!結芽」

 結芽はその澄んだ瞳を輝かせ、はっきりと応えた。

「はいっ!」

 

 

五、

 

 藤次はゆっくりと歩みを進めながら、朽ちた社に座る一人の男に目を向けた。

「よっ、息災かい」

「いいえ、大事なあと数回の写シを失いました」

「狂刀の藤次さんが、また」

「どうやら刀使も、禍人を越え始めているらしい。いや、禍人になったからかな」

「さぁ俺にはどっちでもいいよ」

 二人の赤い瞳が禍々しく光り輝いた。

「金一さん、あなたの目的は達せられそうですよ」

「俺の目的か、ははは、タバコがうまいよ」

「その火、もらえるかしら」

「お」

 恵実は階段を上りながら、その体からにじみ出る光が御刀の刃を赤く照らし出した。

「ほら」

 金一が煙草を勧めた瞬間、社の廃墟が吹き飛んだ。

「うぉ、荒々しい」

 何気なく着地した金一は、恵実の間合いでふてぶてしく立ちはだかった。

「嬉しいね。会いに来てくれたのか、ひまわりは咲いてたか」

「残念、雨だったよ」

「だれか泣いてたのかい、そうかい」

 突きを避けると、恵実の金剛身の拳が金一を殴りはらった。

 飛ばされた金一を眺めながら、藤次は笑ってビール缶のプルタブを空けた。

「あいかわらずアジャコングみたいな女だ」

 恵実は歩き進めながら、真っすぐに金一に目を向けている。

「やるかい」 

 金一は鞘を抜きはらい、その一撃を恵実に浴びせかけた。

 そして脇が開いたのを斬らず、そのまま蹴飛ばした。

「すまんね、足癖が悪くて」

 彼女の体は、少しずつ皮膚を裂かれ、荒魂化が進行していく、

 恵実は真っすぐ御刀を構えて迅移を発動した。

「お前たちさえ殺せば」

「満たされるよな、恵実」

 簡単に力を受け流されていることに絶望しながら、より体内のノロを放出する。

「お前の娘は出来なかったが、お前ならノロの力で人を越える」

「斬る」

「そうだ、来い」

「駄目っ」

 目の前に現れた結芽が恵実を階段に押し戻した。

「あれま」

 二人は階段を転げ落ちながら、鶴に受け止められた。

 その光景を見ながら、金一は追うこともせず二回手で空を切った。

「さてと、お祭りの始まりだ」

 彼らの後ろから無数の赤い光が輝いていた。

 

 

 

 



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第八話「導きの剣」

一、

 

「邪魔、してくれたな」

 恵実は柄頭を結芽の胸に押し当てながら、その赤く裂けた荒魂の体を結芽に見せた。

「梅こそ白状じゃん、あの時私の助けもなしに、一人で任務に向かうなんてさぁ」

 より強く鵐目を押し当てるが、その鋭い視線が恵実に走った。

「恵実さん、結芽さん」

「鶴は黙ってて、これは梅と私の決着だから」

 二人のにらみ合いに、彼女は静かに一歩引いた。

「あんたさ、墓の前からいきなり現れたんだよ。まるで見殺しにした私を笑うように」

「へぇ、私笑ってたんだ」

「死んだ時もそんな顔だったんだろうさ」

「ははは」

「はは、バカ」

 恵実は御刀を下ろしながら、結芽の背丈に合わせるように膝を突いた。

「お母さんはもう死んでんだよ、荒魂になって、こうして残留思念が私を動かしているに過ぎないんだよ」

「うん」

「だからね、私をお母さんだなんて思っちゃいけないよ。パパやママが見捨てても、あなたを守ってくれる人はいっぱいいるんだから」

「うん」

「結芽、お願い、私を一人で行かせて」

 荒れた顔に優しく、記憶の奥底に消えていた母の顔がそこにあった。

 だからこそ、結芽は引くに引けなかった。

「でもダメ、私も戦う」

「私はね、あんたにひどいことしたんだよ。あんたをほっといて、復讐するって言って、結芽のことを守らないで、生き返ったあんたを殴って、あんたに嘘ついて、終いにはあんたを一人で仇と戦わせた。だから」

「それでもね、結芽はお母さんが生きててくれて嬉しかった」

「え」

「私、全部なくなったと思ったの、でも私の周りにいた人たちは、ずっと結芽を大事に思っていてくれた。そんな人が一人生きていて、私のことを心の底から思ってくれていたことが、結芽にとっては一番の幸せなの」

 結芽は優しく母を抱きしめた。

「だから、最後まで一緒に居させて」

「結芽」

 恵実は涙を流しながら、少し笑って見せた。

「ひどい子、誰に似たのかしら」

 涙を拭い、額を合わせるといつもの気丈な彼女の目がそこにあった。

「絶対にあんたを死なせたりしないから」

「知っている」

「まぁ、あんたなら一人でどうにかできるのだろうけどね」

「あ、わかっちゃった」

「まったく、十四で私より剣の腕が立つのじゃあ、私に立つ瀬がないよ」

 結芽の屈託のない笑顔に、恵実の肩の力が下りた。

「もう終わったんじゃない」

 その聞き覚えのある声に、三人は後ろに振り返った。

「かなねぇ」

「あーあ」

「まったく」

「ごめん、バレちゃった」

 可奈美、舞衣、姫和、紗耶香、エレン、薫の六人が草むらから姿を現した。

「まったく可奈美さんは」

「すいません鶴さん」

「でも、どうしてここに」

「水臭いよ結芽ちゃん、ピンチの時は必ず来るって約束したでしょ」

「うん」

 鶴の手を借りて立ち上がった恵実は、呆れたのか小さくため息をついた。

「まさか、特祭隊から最強クラスの刀使六人が応援とは」

「ほんと、厄介な先輩たちだよ」

 恵実は一同の前に立ち、静かに頭を下げた。

「ご迷惑をおかけします。でも、刀使としてのお役目を完遂すべくお願いします」

 それに六人は黙ってうなずいた。

 

二、

 

 真庭紗南は状況を本部のモニターで確認しながら、黙って両手を握っていた。

「あいつも長かったな」

「結月先輩、私は無力です。あいつの先輩として、娘さえも守ってやれなかった」

 相楽は彼女の肩を叩き、首を横に振った。

「それは私も同じだ。結芽の体にあった真実を教えてやれなかった。そして守れなかった。だからこそ、あいつの最後を見届けなくてはいけない」

 ドローンに気付いた恵実が静かに御刀を天に掲げた。

「同田貫か、そういえば以前の御刀も同田貫だったな」

 S装備を着けた六人は、続いて結芽と鶴にも装着した。

 結芽と鶴の物は六人と違って、シンプルであるがより武具らしい、

 実用的なデザインに抑えられていた。

 そして、防刃使用の黒い羽織が着せられた。

「かっこよくなってる」

「何でもグランパに朱音様が苦言を呈したそうデース」

「ま、これはあまりにも無骨だからね」

「お母さんは着用しないの」

「もう体が荒魂だから、あまり意味がないのよ」

 人数の増えたことを確認した金一は、指を三回鳴らした。

「ショータイム、篠子の用意してくれた刀はここで消化できそうだ」

至る場所から、アリ頭を着けた刀を持つ荒魂たちが姿を現した。

 周囲に警戒を張りながら、八人は背中合わせになった。

「結芽ちゃんと恵実さんは上へ」

 舞衣の言葉を聞き、二人は階段へと斬り込んだ。

 その二人の前衛を張るように、鶴が三匹を一気に叩き斬った。

「これならまだ普通の荒魂の方が怖いね」

 鶴は以前のように破壊衝動に襲われることはなく、

しかし技の切れは以前にも増して威力を上げている。

「さすが鶴」

「どういたしまして」

 階段の下にいる彼女たちも百体以上いる荒魂に臆せず、

「薫」

「キェーーーーーーーーーー」

 紗耶香の引き付けた十数体が、大太刀に吹き飛ばされた。

「相手は烏合の衆です。落ち着いて対処してください」

 それどころか連携の真っただ中に突っ込む荒魂たちは、次々とその数を減らしていった。

 

そして三人は社のある山上へと再び足を踏み入れた。

「おまたせ」

「待ちわびたよ」

 鶴はその身を翻し、当たり前のように田中藤次に相対した。

「隊員の仇はとらせてもらう」

「どうぞ」

 藤次は鞘を口で抜きはらうと、その大帽子に薄い直刃の大刀が光り輝いた。

 鶴も藤次に向かって切っ先を隠し、御刀を構えた。

 写しを張った結芽と恵実は、直刀を肩に抱えたままの金一に切っ先を向けた。

「なるほど、二人がかりか」

 目を赤く光らせる金一の刃が結芽に走った。

 しかし、結芽は受けつつ、金一の押す力を利用して彼の隙を誘った。

 だが振り下ろされた恵実の一撃は受け止められ、

 当たり前のように二人を振り払った。

 そして迅移のごとき縮地の一撃が結芽の突きと払いをいなす、

 間隙を与えない二人の剣を何食わぬ顔で流していく。

「懐かしいな恵実、昔はこうしてよく稽古したな」

「そうだったか、すっかり忘れたよ」

「お前は俺の妹弟子で、おれは兄弟子」

「同じ道場、同じ師の下で学んだ。だが、力を求めた貴様は」

「そう、ノロに手を出したのさ」

 恵実の金剛身と八幡力を組み合わせた一撃が石畳を切り裂き、

 そのまま逆袈裟を斬りにかかると、流されつつ上段からの重い一撃で

 鍔迫り合いになった。

「縮地に、金剛身と八幡力を受け止めるあの技は」

「刀をよく見な」

「あの剣」

「自慢の御刀だ。俺は神代クラスの御刀を支配している」

「でも、どんなにノロを取り込んでも、男は刀使になれない」

そして恵実と間合いを強引に離した金一は、

直刀の肌に彫られた龍の刻印を見せつけた。

「男が刀使になるたった一つの方法、それはノロを身に宿し、御刀の力を無理やり支配する。密教から伝わる悪魔祓いの方法さ」

「密迹身、御刀の神通力を無理矢理自分のものにする力だ」

「結芽にもわかる、ノロを体に宿すのは禁術だって」

 金一は額から赤く穿たれた角を出し、その瞳を赤く輝かせた。

 

 

 

 

三、

 

 森を駆け下りながら、藤次の赤い影を追う。

(以前に聞いた密迹身では、自在に腕の写シを宙に飛ばして攻撃してきた)

 突然に間合を詰める藤次に冷静に対処しながら、

 間合いを一定に保持し続けた。

(なら、奴は動きを先読みする何かがある)

 鶴は丹念に藤次の動きを観察しながら、攻めと防御の入れ替えを加速していく。

「どうしましたか、もっと勢いのある方だと思いましたが」

 前方に押し出され、背中が木に当たったことで、

 完全に隙ができてしまった。

「物足りないですが、仕方ないですね」

 だが、藤次の突きは外れ、その右脇を斬られ、

 すぐさま向きを変えた刃が、藤次の右腕を斬り落とした。

 また一歩踏み込んで、首を撫で切り、

 そしてとどめの突きがその胸に突き刺さった。

 藤次の赤い写シが消えた。

「そんな、馬鹿な」

「あなたは技の貯蔵庫を持っている。それは人並みの量じゃない。それで剣を読む心眼の代わりにしていたのだろう。だが、あなたは相手が技を出せない瞬間では、技を読むことはできない。結芽が神速を越えた一太刀を、お前に浴びせたから分かったのさ」

「正解だ、さすがはあなたも禍人」

「残念ですね、ノロは全部吐き出してしまったんですよ」

「っはは、ははは、結局は生身か」

 鶴は物も言わず、切っ先を喉下の急所に突き刺すと、藤次はノロとなって溶けだした。

「所詮、ノロの力を借りても、紛いものの力だ」

 

 

 

「そろそろ分かったろう、藤次の奴は技の図鑑、篠子はどこへでも飛ぶ腕、そして俺はこのノリのいい足だ」

 二人ともそれはとうに理解していた。

 だが、息一つ荒立てず、その身を少しずつ荒魂化する金一は、まさに化け物と呼べる存在であった。

「まだ楽しませてくれるだろう、な」

 息切れを起こす二人を見ながら、静かに笑った。

「どうも、恵実よ、お前は器には役不足、娘は言語道断だ」

 その時、恵実の写しがはがれた瞬間に、二太刀目が彼女の生身を斬った。

「こんなものか」

「ぐ」

 倒れ込んだ恵実は力なく石畳に倒れた。

「お母さんを」

 持てる技の全てを使って金一を追う、

 あのノロの力を使った時に近い。しかし結芽の剣はより素早さを帯びている。

(そっか)

 金一が刃を受け止めにかかった瞬間、僅かながら八幡力を使い

 直刀を弾き、金一の左手を突き裂いた。

 金一の表情に一瞬の焦りが浮かんだ。

(結芽の剣はまだ先に進む)

 結芽の顔から曇りが晴れ、以前の快活な彼女の顔がそこにあった。

「嘘だ、ろ」

 金一の四段の突きを一歩引いていなし、代わりに三段突きで押しながら

 彼の剣を払いのける。

 彼は逃げるように間合いを離し、飛び込むが彼の正面の一撃を流し、再び左拳を叩いて使い物にならなくした。

 そして間合いを離すと平晴眼ではなく、やや左に寄った正眼の構えで金一と再び相対した。

 息こそ荒げないが、金一は自我をコントロールできなくなっていた。

「くそ、力だけ寄越せ」

「そんな紛い物の力は、どんな代償を払って得たところで、本物の力じゃない。お前を祓う私がそれを教えてやる」

「それはこっちの台詞だ」

 金一が踏み出す一寸前、既に結芽の剣は金一の右腕を断ち、三段の突きが彼の急所を正確に突いた。

 しばらく金一は静かに立っていたが、砕かれた左手で結芽を掴んだ。

「なら、お前を連れていく、全ての力の源、タギツヒメのもとへ」

 金一の狂った瞳が結芽を見た時、その荒魂の腕が彼女を隠世の門に引きずり込んだ。

「嫌だ、私は、私は」

 遠ざかる景色の向こうに母の姿が霞んでいく。

 そして世界は闇に包まれた。

 

四、

 

 静かに息を吐く、生きている。

「目を覚ましてください、燕さん」

 そこはひたすらに霧が青く包み込む森と湖。

 結芽は周りを見渡し、その声の主を見つけ出した。

「夜見」

 あの頃と変わらぬ姿だが、以前のような冷たさが感じられない。

 結芽は立ち上がって夜見の頬に手を触れた。

「夜見だよね」

「そうですよ」

「ここは」

「現世と隠世の間にある、魂の安らぎ場です」

 目の前の湖から聞こえてくる苦悶の声に思わず身構えた。

 湖面に浮かぶ金一は、既に体の至る場所がひび割れ、

 その肉体からノロが流れ出していた。

「大丈夫です。あの方は既に結芽さんの突きで命脈を断たれています。たとえ回復できたとしても、この隠世と現世の狭間では禍人は生きていくことはできません」

「なら結芽も」

 体の至る場所を触れても異常はなかった。

「あなたは、もう禍人ではありません。ノロの中に残った僅かばかりの珠鋼で命を繋ぎました」

「ソハヤノツルギの片割れ」

「私の本当の名は厳島宮けい、あなたの体を離れて、ようやく思い出しました」

 その美しい顔立ちに、誰かの面影を感じたが、それが誰であるかは分からない。

「待って、私にノロはないって」

「はい、体内のノロ、つまりは私自身を貴女の命として捧げました。ここに居る私はその残留思念です」

「そんなことも、あるんだな」

 金一は霞む空を見上げながら、口を開いた。

「ノロは珠鋼と違い、現世のあらゆるものを飲み込む。特に人の無念や叶わぬ思い、そして」

「後悔か、なるほどな。俺はノロに飲まれていただけか」

「金一、お母さんの兄弟子だったなら、なぜあんな真似をした」

「妬んだのさ、誰も救わなかった自分も、幸せそうにしている恵実も、俺は戦う術を知っていても自分の大切な一人を荒魂から救えなかった。それから、力を求めてノロを飲み、世話になった青子屋を守ったが、青子屋は俺と同じ奴を生み出していただけだった。だから、潰したんだ。その後だった、恵実が子供生んだって知ったのは」

 霧の向こうから、ぽつぽつと雨が降り出した。

「こいつは、荒魂になった人間の事も知らないで、荒魂に殺される人が増えることを知らないで、幸せそうにお前さんを抱いていた。だから、全部俺と同じようにしてしまえと、そうすれば俺は楽になると、でも、それがどうした」

「哀れだね、ほんと」

「あいつを器にして大荒魂を復活させるなんて言ったが、俺はそんなこと微塵も信じちゃいなかった。意地でお前さんをここに連れてきたが、俺はもう死ぬしかない」

「なら、お母さんの復讐は終わった。あんたの世迷言もつゆに消えた。私は刀使としての誇りを守り抜いた」

「立派だ」

 金一は目を閉じると、バラバラに土くれとなって

 水底へと沈んでいった。

 夜見は涙を流す結芽に、なぜ泣くのかと尋ねた。

「金一も、多くの荒魂になった人も、果たすことのできなかった、多くの思いを抱えて斬られ、死ぬ。結芽も荒魂にならないために誰かに斬られた。刀使は禍人を救うことはできない、だから祓うしかない。でも、私は誰にも死んでほしくなかった。だから、お母さん、死んでほしくないよ」

 泣き崩れる結芽を黙って受け止めた夜見は、静かに語り掛けた。

「いつか、そういう日が来てしまうのです。どんなに幸福でも、不幸な人でも、いつかは死が訪れてしまう。そのいつかは、誰にも分からない。でも、それぞれ最後なんて考えたくない。私も最後まで、これからも恩師のために生きることを胸に誓っていた。だから、結芽。あなたも最後まで、あなたの想いを失わないで、そのつながれた命で貴方らしくいてくれれば、死んだ多くの人は報われます」

 そして夜見はやさしく微笑んだ。

「大丈夫、あなたなら大丈夫」

「うん」

 結芽は強く彼女を抱きしめた。

「夜見、また会えてよかった。ねぇ」

「はい」

「一緒に帰ろう。真希や寿々花、高津のおばちゃんも元気にしている。紫様なんかタギツヒメを封印しちゃったくらい元気だよ、だから、ね」

 夜見は穏やかな顔で、首を横に振った。

「私はここでまだノロになった人たちを迎え、守らなくてはいけません。いつか現世に帰る多くの魂たちのために」

「そんな」

「私は紛い物の刀使でした。だからこそ、私は刀使として今のお役目を全うしたいのです」

 俯く結芽をそっと抱きしめながら、彼女の頭を撫でた。

「分かった。でも、絶対に帰ってきて、みんなのもとに帰ってきて、約束して」

「はい、約束します」

「ん、指切り」

 約束の指切りをし、結芽は涙を拭った。

 そして夜見は結芽の後ろを指さした。

「この川沿いをまっすぐ行けば、現世に帰れます」

「お別れ、だね」

「お元気で、高津先生にも、紫様も、皆様にも、よろしくとお伝えください」

「うん、結芽が絶対に伝えるよ」

 そしてけいも、結芽に別れを言った。

「ありがとう、私忘れないから」

「はい、私もあなたに出会えて本当に良かった。そして私を、多くの人たちを、過去の人にしないであげてください」

「うん、この命大事にする」

 

 

 しばらく歩いてから振り返り、

 また歩いてから振り返って、

 そんなことを繰り返していると霧の中に二人が消えていく、

 結芽は笑顔を絶やさず、二人に見えるように大きく手を振った。

 そして完全に姿が消えた。

「さようなら」

 結芽は真っすぐ、川に沿って駆け出した。

 しかし、それはすぐにゆっくりになって、

 彼女は大きく泣き出した。

 それでも、足は一歩ずつ、一歩ずつ前へと向かっていった。

 

 

 

五、

 

「あ」

 小さく、しかし少しずつ見開く目に、彼女を見つめる人たちの顔があった。

「た、だいま」

 目の前の獅童真希は、ただ静かに頷いた。

「あのね、真希」

「ああ、どうした」

「向こうで、夜見にあったよ、向こうでも、立派な刀使だよ、誰にも真似できないくらいに」

「そっか」

「夜見って、とっても、やさしいんだよ」

「そうだね」

「ねぇ、おかぁさんは」

 獅童の暗くなった顔を見ながら、結芽はまっすぐ彼女を見つめ続けていた。

「結芽は大丈夫だから、お願い」

「恵実さんは君が消えた後に、自ら急所を突いて、ノロになったよ」

「そう、だったんだ」

 結芽は獅童に寄り添い、泣いていいかと尋ねた。

「ああ、好きなだけ泣くといい」

 そして、彼女の声は外まで響き渡った。心の底に響くような声であった。

 

 

 

 

真庭と相楽、そして神尾と鶴は病院のフロントで静かに座っていた。

そしてカルテを見ながら、相楽は口を開いた。

「結芽が八幡の大社に姿を現したときは驚いたものだ。まるで私に迎えに越させたようだった」

「黒、いや結芽くんの体内のノロが完全消滅しているとは、本人の言う通りノロの意思が彼女を救ったのか」

 真庭は続いて出した書類を神尾に渡した。

「結芽の言ったノロの意思と名乗った厳島宮けいのことを調べさせた。太平戦争中、広島市内の刀使として勤務、その最中爆撃の被害にあい、家族を救いに行くと言って市内の中心に向かって行方不明。そのさい持っていた光世作の御刀も行方不明になったそうです」

「ノロになった刀使ですか、でもそれが結芽さんを引き留めた」

「いや鶴、おれは託されたと思っている」

「託す」

「ノロの意思は、決してタギツヒメのような生まれ得る自我だけではなく、ノロになった多くの意思も含まれているのだと、我々に伝えたかったと思う。俺は十年間、ずっと禍人を追ってきた。ひどい悪人もいれば、普通に暮らしていた子どもや老人もいた。そして恵実のように復讐を願って、命乞いをしてきた奴もいた。俺も、禍人たちを忘れてもらいたくないね」

「少佐、やはりあなたはとんでもないお人よしです」

「おい鶴、おれは鬼のカミって呼ばれていたんだぞ」

「本当ですか」

「神尾少佐」

「なんですか、真庭本部長」

「本当に約束を守ってくれるのですね」

「勿論です。我々の持つ禍人の情報、そして調査のパイプライン、人員も、特別祭祀機動隊にお譲りします。我々防衛省はあなた方と共にあると、保証しますよ」

 その言葉を聞くや、真庭は神尾に真っすぐに向き合った。

「今回の一件の全てにおいて、刀剣類管理局真庭紗南本部長は、ここに深く謝意を申させていただきます」

 真庭の深々と下げた頭に、神尾もとっさに頭を下げた。

「ど、どうぞ頭を上げてください」

「こちらも恵実と結芽がお世話になりました」

 相楽も深々と頭を下げ、神尾は照れくさそうに鶴の顔を見やった。

「こまったなぁ」

 二人が顔を上げてから静かに話を続けた。

「私たちは本来、荒魂を鎮める皆様に一件を隠し、あまつやドッキリの形で事態に気付かせようとした。禍人は表ざたにできなかった。青子屋の残党は一掃される。それでも、禍人は我々の目には見えぬ存在。だからこそ、刀使の皆様方に真剣に向き合っていただきたい。少なくとも恵実も同じ考えでしたよ」

「もちろんです。我々も全力を賭して、今後の対策に全力を投じます」

「いいえ、本当にありがとう」

 

 

 

 

 

六、

 

「え、綾小路に出戻り」

「そんな顔するな、証明書は破棄されてしまったし、いくら自衛隊に居たとはいえ、警察官しいては刀使としての再教育が必要だ。まぁ名目上はそういうことだが、学校に入れば以前の生活だ」

「でも御刀」

「折神家のご厚意でソハヤノツルギウツスナリは、綾乃小路預かりになった」

「ほんと」

 相楽の頷きに嬉しくなって、なんども飛んだ。

「待って、結芽はまた一年生から」

「さすがに中等三年からだ、それに中等部でも、高等部でも御前試合には出られるのだぞ」

「やった、かなねぇと戦えるんだ」

「まだ来年の春だ」

「ならそれまでに、もっと強くなるから」

 結芽の屈託のない笑顔に相楽は胸をなでおろした。

 

 それから、結芽は正式に刀剣類管理局に出向、所属も正式に機動隊と管理局の預かりとなった。

 遊撃隊への参入は保留で、まずは一年間、綾乃小路で中等教育を受けることとなった。

 特殊作戦第二課は人員と施設共々、管理局の預かりとなった。

 そのため神尾少佐は陸上自衛隊都内対荒魂部隊の駐屯地に派遣された。

「私を置いていく気ですか」

 神尾は鶴にプロポーズし、とにかく付き合うこととなったが、

 鶴は恩師である羽島江麻学長の依頼で、美濃関の剣術師範として岐阜に行ってしまう。

 結果、遠距離恋愛のスタートは知古の人々にしばしば話の肴にされた。

神尾としては何とかしたいと、周囲へ笑い半分に話をしている。

とにかくも、禍人は途絶えたわけではないが、ノロを裏取引で流していた頭目の日枝金一と田中藤次、大日方篠子は斬り祓われ、事態は一応の収束を見ることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七、

 

 あれから半年、山里は白く包まれながら、眼下の田園も遠く、雪の世界に埋もれている。

 ここは十条家宅。

 結芽はコタツで居眠りする可奈美を右隣に挟み、

 正面の姫和に目を向けた。

「みかんもう一個食べていい」

「結芽、もう幾つ目だと思っている」

「まだ六個」

「我慢しろ、明日の分もなくなるぞ」

「ええ、いいじゃん、また買ってこればいいじゃん」

「そのまま食べ続けると、春になるころには燕ではなくペンギンになっているぞ、少しは自重しろ」

 そう言いながらミカンを一つ手に取った。

「ねぇ、ひよりねぇ」

「なんだ」

「なんでひよりねぇはお母さんのこと知っていたの」

「それは、昔、母を頼って訪ねて来たんだ。母の後輩だった恵実さんは、自分の事をすべて話した。母には嘘はつけないと、荒魂化した人の存在も、恵実さんの話から聞き知った。ただ、その頃には母はもう病床にあって、恵実さんにはこの家を使ってくれと言ったが、あの人は翌早朝に出て行ってしまった。一つの置き土産を置いてな」

 姫和は傍らの小さな箪笥から、細長い桜木細工の小箱を結芽のもとに差し出した。

 その中には三羽の燕が彫金された、小柄が入っていた。

「娘であるお前に返す」

「ありがとう」

 姫和は照れくさげに蜜柑を剥き、その半分を結芽へ渡した。

「いいの」

「半分だけだ」

「私もちょうだい、ひよりちゃん」

 驚いた姫和は、可奈美がまだ眠っていることに気が付いた。

「可奈美、お前は夢の中でも蜜柑を食っているのか」

「ほんと、おかしなの」

「まったく、呆れる」

 二人は静かに笑いあった。

 

 

 

おわり



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外伝「雪夜の灯」

一、 

 

つま先から雪を踏みしめながら、きゅっと鳴る雪の音色に耳を澄ます。手編みのマフラーを巻きなおしながら、一人長い坂道を下りている。

錬府女学園は有名校ということもあり、横浜市内の高台に位置している。

 しかし、学園から寮までの距離は長く、幼くして寮住まいの身であることもあって始めは彼女も困惑した。

だが、気づけば当たり前のように往還路を歩き、その道すがらで何があったのかを気に停めさえもしなくなっていた。こうして季節が冬に移ったことに気が付いたのも、道に雪が降り積もっていたからであった。

 白銀の髪に幼さが滲む丸みのある顔、しかし快活とは言い難い堅く冷たげな表情。マフラーを巻いてはいるが、頬に赤みがさしている。錬府の制服から刀の懸架装置が外され、代わりに手には刀袋が握られている。

 道の傍らに一体の小さな雪だるまが置かれている。

 彼女はしゃがみ込んで、可愛げに赤い帽子を被る雪だるまを見て、小さく微笑んだ。

「あなたが糸見紗耶香ですね」

 笑顔は消え、関心のない目が声のする方へと向けられた。

 深い青を基調としたスーツを羽織り、その下には錬府の制服を着ている。

 やや怒気を帯びた表情に見えたが、それを隠すように女性の穏やかな顔立ちが優しさを感じさせた。そして左手には背丈に合わない長身の御刀が握られていた。

「なぜ、鞘に納めないの」

 その全長が五尺にもなる刀は、朱色の長い柄が特徴的であった。

「それはあり得ません。私は貴女を殺したいのですから」

「殺す理由がわからない」

「でしょうね。でしょうから、理由は分からぬまま死んでください」

 紗耶香は御刀袋の緒を解き、紫苑色の柄を露出させた。

 途端に、抜きつけた身がその長く続く刃を受け流した。

 写シを張ったと同時に、上段に振り上げた切っ先が止まった。

 女は写シを張らず、紗耶香の切っ先が下りるのを待っていた。

「勝負あった」

「本当に」

 返された刃が瞬時に二度も紗耶香の胴を撫で斬り、そして切っ先が舐めるように紗耶香の喉前に据えられた。写シはすでに無く、それでもなお天を指す切っ先は振り下ろすことができなかった。

「ごめんなさいね」

 切っ先が引いた瞬間、女は飛び込んできた影に道端へと押し倒された。

「あんた、ウチの後輩に何やってんだ」

「用があるの」

「なら、その御刀は荒魂が出る時まで納めときな」

 蹴り飛ばされたのもつかの間、腰に差していた二振りの短刀を抜きはらって間合いを離した。

 フード付きのパーカーを着る錬府の女学生は、無構えで大太刀の女に相対した。

「呼吹」

「よぉ、辻斬りに出くわすなんて、とんと運がないな」

「斬れるのに、斬れなかった」

「だろうよ」

 大太刀の女は雪を払いながら、太刀を隠すように車の構えで二人を睨みつけた。その穏やかな顔とは裏腹に、白目をむいた凄みのある表情を見せた。

「邪魔をしなければ」

 呼吹への叩き下ろしを鎬が流し、火花を散らしながら紗耶香の耳を劈いた。だが、長尺の刃が紗耶香の写シを斬り、御刀をあらぬ方へと弾いた。

「あぐっ」

「てめぇ」

 両者の懐に飛び込んだ呼吹が女の腕を柄で跳ね上げ、その胴を左右から鵐で殴りつけた。

 苦悶の声を聴いたと同時に、呼吹は紗耶香を伴って間合いを遠く離した。

 雪に膝を突くと突き上げる痛みに唇を嚙み絞め、紗耶香は女との間に転がる村正を見つめていた。

「無茶だ、逃げよう」

「駄目」

「ばか、死にかけたんだぞ」

「御刀は、命の次に大事だから」

「なら」

 突然の大太刀の女の大笑いに、呼吹は絶句した。

 急所を当て、立ち上がれるはずもないと考えていた彼女の前に、切っ先を引きずりながら持ち上げる女の姿があった。

「写シなしで、下手したら骨が折れているはずなのに」

呼吹は強引に紗耶香を引っ張った。

「紗耶香」

 だが、頑なに動かず。その一歩を村正の方へと進ませた。

「殺す、殺す、見たからには殺す。斬ったからには殺す」

 大太刀の女は上段に振りかぶり、息を一気に吸い取った。

(まずい)

 だが、女は息を吐き捨てながら歩み進め、脇を抜けて坂道を下っていった。息を殺していた呼吹が空気を一気に吸った。

「何、だったんだ」

 紗耶香は村正と袋に収まったままの鞘を回収した。

「まさか、噂の禍人じゃ」

「違う」

「なら」

「禍人から出る殺意じゃない。だから、簡単にいなすことができた」

「あと、見たから殺すって言ったよな、何か見たのか」

「わからない」

「だろうな」

「でも、調べれば」

 村正の鎬に走る傷を確認すると、抜き身を鞘に納めた。

 大太刀の女は強く降り出した雪の中へと消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

二、

 

「大太刀ですか」

 錬府内にも対荒魂任務時用の対策室があり、前学長である高津雪那が離れてからは、学長代理が指揮所兼学長室として利用していた。

「朱色の長い柄を使っているってなりゃあ、錬府にも使い手がいるだろう」

「でもね呼吹さん、いくら大太刀使い言っても、現存して尚且つ御刀として扱われている物は多くないんや、私が知っとるだけでも十本指に入ればいいくらい、それに使い手とは全員面識があるんやで」

 北海道出身の若い学長代理は、下手な関西弁もどきを喋りながら二人に向かい合っていた。

「湖衣姫学長代理、資料持ってきました」

「ありがとうね藤巻さん、特祭隊の任務表はこれやからよろしくな」

「はい、あれ、こんなに休みあっていいんですか」

「雪那さんが錬府でこだわっとった結果や、他校や本部付きにも警護任務回させたから気にせんとええんやからね。だからといって油断は禁物や」

「かしこまりました。藤巻失礼します」

「ご苦労さんなー」

 軽い足取りで退出していった彼女を見送りながら、資料の表紙を叩いた。

「北條学長、私の知るところでは」

「わかっとる、この錬府に大太刀の御刀はない。書類上では錬府預かりの大太刀も全部他校の大太刀使いに預けとる。フツノミタマノツルギの写しも錬府の護り刀として社に納めてあるからな。刀使の持てる大太刀は錬府にはないんや」

 短く整えられた黒髪を揺らしながら、気丈な面立ちの北條学長代理は資料を数ページめくり、ある項目を指した。

「もしかしたら、刀剣類管理局預かりの御刀リストにのっとるかもしれん」

三人は大太刀の項を丹念に見渡した。

「刃は直刃、反りは小さくて、柄は二尺前後、長さは五尺近かった」

「あの状況でよく見てたな」

「でも、見た目以上に重いはず」

「そうだな、まるで打刀を扱うような丁寧さだった。流派は」

「新陰流かも」

「え、示現流じゃねぇのか」

「あんなに近間でのいなし方は新陰流の派閥だけ」

「キューイって叫び声もなかったしな、だがよ新陰流で大太刀となりゃあ、錬府で名を知られてもいいんだけどな」

 結局は二人の見た大太刀は見つからなかった。

「次はその新陰流やな、でも錬府にも陰流はいっぱいおるからな、それからはこれから調べるとして、何か他に思い当たることはあらへんか」

「写シ、張っていなかった」

「ああ、俺も気になっていたんだ。それに、俺が近間に飛び込んだ時、大太刀がひどい鍔鳴りを起こしたんだ。刀身も手入れされているとは言い難かった」

「まだ正式な登録のない御刀ならありえかもしれへん」

「紗耶香、うちらで新陰流の使い手から聞き出さないか、首を突っ込んじまったらとことんのめり込むのがあたしなもんでよ」

「でも、遊撃隊の任務もある」

「そっちは私から口添えしときましょう。刀使が襲われたとなれば、本部も遊撃隊に捜索を頼むでしょうから時間の問題ですし」

「わかりました。糸見紗耶香、大太刀使いを追います」

 

 紗耶香と呼吹は授業と任務の合間を縫って、学園と鎌倉間を往復した。

 情報の収集をしつつ、呼吹が質問しての紗耶香自身への調査も重ねられた。

 そうして襲われてから三日目経っていた。

鎌倉の折神家本家を訪れた二人は、警護班の待機所を訪れた。

「綿貫さん」

「糸見さん、それに七之里も」

 茶に金の刺繡の入った豪華な制服を纏う女性は、去年度錬府を卒業し獅童真希の勧めで警備隊長兼指導の任に就いていた綿貫和美であった。

 その美人らしさを地で体現する彼女は、着こなしも完璧と言えるものであった。隊長を示す銀の飾り緒が輝いた。

「すまないが少し待ってくれ」

「綿貫隊長、蓮井と小池両名はこれより朱音様の付随警護に着きます」

「連絡ファイルと申請書を」

 綿貫は綿密に書類内容を確認し、続いて注意項目を口頭で確認。御刀の手入れ状況と制服の着付け状態も確認して、ファイルを彼女らに手渡した。

「今日の着付けと自己検査はまぁまぁですね。でも、任務を完遂するまでが本日であることを肝に銘じ、心して任務にあたりなさい」

「はい」

「はい」

 二人が退出すると、書類に名前と花押を書き記し、隊長用のファイルに書類を納めた。

「待たせたな」

「はい、聞きたいことがあってきました」

「教えられることなら何でも」

 事情を話し、そのうえで綿貫へと尋ねた。

「大太刀の技も使える新陰流使いをご存じではありませんか」

「ふむ、それなら心当たりがある」

「それは誰なんですか」

「いや、さすがに名前までは知らない」

「え、どういうことなんだ」

「今の錬府高等科三年生の間で以前流行ったんだ。長い木刀が寄贈されたから、それを使って有効な間合いを研究するというものだ。後輩の話では高等一年時の警邏科C組で流行ったというのを聞いた。紗耶香に勝てなかったにしても、大太刀を軽々と扱って見せたのか、ふむ」

「それどころか紗耶香から御刀を引き剥がしているんだぜ」

「そこまでか、だが私は錬府の全生徒に通じているわけではない。だから、新陰流の大太刀技を流行らせた張本人を紹介しよう」

「そいつはありがたい」

 

 翌日、紗耶香は御刀の手入れのために錬府内の工房を訪れた。

「ひどいわね、妙法村正にこんな傷をつけるなんて」

「ごめんなさい」

 青いバンダナを巻く女砥ぎ師は大きく首を横に振った。

「いえ、違うのよ。紗耶香さんは身を守るために仕方なくそうしたんだから、忌むべきは傷をつけた荒魂よね。でもそれにしては激しい傷跡だけど、そういうことだから、謝ることなんて一つもないから」

 白鞘に収まった村正を、自身の先生のもとへと持っていった。

 眼鏡をかけた砥ぎ師は村正の鎬を観察し、彼女に返した。

「青砥さん、もういい頃合いだ。やってみなさい」

「わ、私が、よろしいのですか」

「私は良い、だがこの御刀の主にも聞きなさい」

 紗耶香は気にしないと言い。青砥という生徒は全力を込めて砥いでみせると言い残して、自身の作業場に籠った。

 その間、彼女は北條学長代理から別に御刀を借り受けることとなった。

「心配いらへんで、刀使の中には数振りの御刀に選ばれる刀使は珍しくないんや。それに実は良い反応を示しそうな御刀が一振ここに」

 道場に引き出された御刀の納め箱の鍵を解き、既に赤銅色を基調とした拵えに納められた御刀が紗耶香へと手渡された。

 彼女は御刀の声にこたえて、即座に写シを張った。

「あなたの二振り目の御刀、『銘 関住兼定』よ」

 短めの打刀であり、村正よりも短いがそれを彼女は一切問題にしなかった。

 赤銅色の柄に、重々しい金具に包まれた半太刀拵えの深い黒橡色の真新しい鞘、鍔はやや小さめでありながら、紅葉文様の小さな透かし彫りがなされている。

「少し気になる話を聞いたんやけど」

 刃を鞘に納めた彼女は北條へと向き直った。

「あなたに関する噂話で、半年前に禍人と見間違えた人間を貴女が斬ったっていう話なの」

 半年前の夏、糸見紗耶香は頻出していた禍人を処理するために、横浜在住のある男を斬った。しかし、ノロは流れずただの人間であることが判明、管理局はその事実をうやむやにした、という噂話であった。

「初耳です」

「私もよ、でも指揮所の子たちが私に教えてくれたのよ。そんなのはデマだけど、今回の一件に関係があるかもしれないって」

「その斬られた男と大太刀の女に関係があるかも」

「もしかしたらだけど、燕さんなら何か知っているのじゃない」

「私が聞いてきます」

「なら私は引き続き御刀の方から調査するわ」

 道場に顔を出した呼吹は、紗耶香の手にある打刀に目を凝らした。

「よぅ、新しい御刀を手にしたって話を聞いたんでな」

「呼吹、行こう」

「なんだ、急かすことはないだろう」

「結芽が鎌倉に居るうちに会わなくちゃ」

 そう言って、御刀を懸架装置に取り付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三、

 

 雪の積もる砂利道を歩きながら、やや急かすように足を進ませる一人の少女がいる。

 鎌倉の中心街まで十分とないこともあって、余計に寒さから逃れるために急ぎ足にもなった。刀使ではあるようだが、黒く重々しい拵えの御刀を腰に急角度に差していた。

「おまたせ」

 本部敷地の正門に立つ二人に少女は微笑んだ。

「結芽、ひさしぶり」

「さやかちゃんも元気そう、あと両刀使いのおねぇちゃんも」

「おう」

 呼吹と握手を交わした少女は、しごく落ち着いた態度で二人に対した。

「ここじゃ冷えるから、そこの喫茶店に行こう」

 かつて折神紫の親衛隊第四席として剣を振るったが、持病はノロによる延命も無下に終わらせた。だがノロ内に残っていた珠鋼の意思が彼女を生き返らせ、こうして元の刀使として遊撃隊予備役の任に就いていた。

 喫茶『よりとも』は古い店であるが、昔から刀使に親しまれた店ということもあってスイーツが充実する店である。結芽の勧めるままに『ホイップタワーのパンケーキ』を人数分注文し、飲み物が来たところで話を始めた。

「真希から聞いたよ。紗耶香ちゃんが辻斬りにあったって」

「うん、そのことで大太刀使いの事を調べているの」

「でも、結芽は綾乃小路だから錬府の事は分からないよ」

「いや、私が聞きたいのは結芽の斬った禍人の事」

「え」

 噂話の内容を聞いてから、深く考え事をめぐらして何度も頷いた。

「たぶん、あの正義野郎かな」

「知っているの」

「勿論、あたしが斬ったんだもん。でも、あいつは間違いなく禍人だったよ」

 半年前、結芽が未だ自衛隊の部隊で任務をしていた頃に、横浜市内で目撃のあった犯罪者が次々と疾走、もしくは遺体が見つかる事件が続いた。

 それは横浜市外の街にも同様の事件が発生、でも現場に残っているのは多種多様な殺し方でどれ一つとして同じ手口はなかった。愉快犯であることには間違いはなかったが、同一犯である可能性を警察は見いだせなかった。

 ただ、防衛省の部隊にはスペクトラムファインダーに反応があるのにも関わらず、錬府の刀使が荒魂を見つけ出せない事態が立てつづいた。

 結芽たちはそれが犯行現場に一致することを確認し、横浜市内に潜伏していた手配犯を追跡し、ついに犯人らを襲っていた禍人の正体を突き止めた。

「弓家圭太、歳は二十四。犯人に自分は正義の執行者と名乗ってノロの力を使って人を惨殺していたの、私たちは手配犯に釘付けになった奴を斬り祓った。その留めを刺したのが私」

「背丈が低く、腕の立つ刀使、顔は隠してても身体的特徴は隠せないから、噂話の種になったってわけか」

「おまたせしました」

 テーブルに並べられたパンケーキにはうず高くホイップクリームが乗せられ、三人共用のシロップ類の入った籠が中央に置かれた。

「どうぞお好みでご使用ください。それではごゆっくり」

 結芽はいきなりメープルシロップを零れそうなほどかけて、切り分けられた一切れのパンケーキを口に運んだ。

「おいしいーっ、結芽はこれが楽しみで鎌倉に来るんだ」

「す、すごい質量だな。これで飲み物が付いて550円は破格だぞ」

「うん、おいしい」

「話を続けるけどよ、その弓家って男と大太刀使いは関係あるのかもな」

「弓家は二人兄妹で、父親も母親も健在。今でも弓家圭太は行方不明ということで捜索願が度々出されているって」

「兄妹」

「そう兄妹。もしかしたら妹は刀使になっているかも」

「どうも、聞き込みだけじゃ足りないレベルだな」

「でも、これで一つ繋がった」

「紗耶香ちゃん、一つ忠告しておくね。相手がノロの力を依り代に写シも張らず責め立ててきた。偶然に救われても、いずれは自分の信条が自分を殺すことだってある。躊躇ったら死ぬ、斬るときは斬らないと駄目だよ」

 

 

翌夕の五時近く、大きな包みを持った錬府の少女が目の前に立つ紗耶香を見て、足を止めた。

「弓家花梨さん、ですね」

 髪に隠れがちであるが優しさを感じられる。しかし感情の底が見えない。

「ははは、さすがに錬府ですから分かりますよね。口封じに来たのですか」

「違う、話すためにきた」

「何を話してくれるんですか」

 包みが解かれ、大太刀がはっきりとその姿を現した。

 しかし刀身は輝きを薄め、見には醜い斑点模様が散らばっていた。

「あなたのお兄さんは荒魂だったの」

「嘘、そうやって私も騙す」

「騙しっこない。だって本当のことだから」

「嘘だ」

 振り下ろされる刃に抜きつけを上段から鎬を合わせ、そして切っ先をぴったりと花梨の喉先につけた。

 そして紗耶香は写シを張った。

「あなたじゃ私に勝てない」

「でも斬れないじゃないの」

 一歩引いて突きにかかるが、再び鎬でいなされながら切っ先を喉の前に置いた。もはや花梨の間合いは無きに等しかった。

「私の兄は正義の味方になろうとしていた。そのために何でも力にするといった。私は兄が間違えているとは思っていない」

「まさか、知っていたの」

「兄が怪しい連中から強化剤を買って、それからとんでもなく強くなった」

「それが危険だと知っていて、なぜ止めなかったの」

「お前に何が分かる」

 顎を上げて柄で兼定の切っ先を叩き上げると、即座に紗耶香の写シを斬り捨てた。だが紗耶香はすぐさま間合いを離し、写シを張って切っ先をまっすぐ向ける本覚の構えで花梨の太刀に対した。

「私は強い兄が見たかった。なのに荒魂を斬れるのは御刀を扱える女である刀使だけ、機動隊に入った兄は荒魂に仲間と守るべき人たちを殺されて心をを失った。でも、兄は正義を取り戻すと決意した、なのに」

 即座に間合いに入り込んだ花梨は刃の間合いを生かしながら、紗耶香に懐へ分け入らせぬよう激しく突きと払いを繰り返した。

「お前は斬った、兄の正義も、私の愛も」

 紗耶香は廊下の突き当りに背を着き、身動きが取れなくなった。

「わかるか、私の兄を追うこの思いが」

 紗耶香は答えなかった。

 それが合図であるように、大太刀の切っ先が紗耶香の腹に突き立てられた。

 写シが剝がれる前に何度も遠間から突きを繰り返し、紗耶香は写シが剥がれたと同時に力なく倒れ込んだ。そして御刀から手が離れた。

「写シの代償は、一回に受けた傷が多いほど身体への影響も大きい。勉強になったわね。糸見紗耶香」

 大太刀が振りかぶられた瞬間、懐に飛び込んだ左手手が背首を掴み、右手が花梨の膝窩を持ち上げて、そのまま後ろへとひっくり返した。

「がっ」

 大太刀に頭を叩かれた花梨は立ち上がることもできず、床に伏せている。

 紗耶香は急いで兼定を手にし、写シを張りなおした。

 白い息が吐かれるたびに、落ち着いて刀を隠すように構えた。

花梨は悶えながら立ちあがり、窓ガラスを叩き割った。

意図に気付いた紗耶香が刃を返して飛び込むが、花梨の体に写シがかかり神速の一太刀が床を裂いて動きを封じられた。

そして窓から飛び降りると写シは霧となって消え、裏の森へと姿を消した。

「待って」

 紗耶香は体を駆け抜ける悪寒に意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四、

 

 保健室のベッドで目を覚まし、辺りを見渡した。

 今日も窓の外は雪が降り積もる。暗いのにも関わらず白くやわらかに輝いている。

 石油ストーブの上に置かれたやかんがコトコトと音を立てている。

「紗耶香、お目覚めかしら」

「高津先生」

 紗耶香の左傍らで似合わない縫物をしながら、彼女を見やった。

「心配要らないわ、写シの後遺症で少しばかり眠っていただけ、身体には大事ないわ、それより湖衣姫が私たちにって甘酒を置いて行ってくれたから、いただきましょうか」

「あの、ずっといらしたんですか」

「ええ、あなたを見つけてからずっと」

「ご迷惑おかけしました」

 雪那は縫物を隅に置き、甘酒を二杯分鍋に移した。

「いいのよ、錬府の名誉職なんていてもいなくても変わらないわ、こうして時々学園を訪れては、誰かを世話するのが好きなのよ。湖衣姫も学長にするにはまだ若いし、もう少し私が支えてあげなくちゃ」

 ほどよい暖かさにすると、湯呑に注いで紗耶香へと手渡した。

「あたたかい」

「よかった」

 自身も甘酒を手に傍らに座ると、窓から見える雪景色を見つめた。

 体に染み渡るような甘さに、紗耶香は全身の緊張が解けたような感覚になった。

寒さこそあれ、冬の穏やかさは何にも代えがたかった。

「紗耶香、あなたは無理をして彼女を追う必要はないのよ。無理をして関わればそれこそ私たちの世代のようになってしまう。あの子のことも、禍人の事も、大人に任せなさい」

「駄目」

「それは、どうして」

「あの人は、花梨さんは、私に助けてほしいのだと思う。追いつける背中に自分を斬るようにすがった。大事なものを失って、大事なものを守れなかった自分を斬ってほしかった。でも、私が斬れるのは花梨さんの弱さだけ、きっと誰よりも色んな人を愛している人だから、自分に甘えない人だからその強さを私は守ってあげたい」

「止めても、無駄ね」

 高津雪那は湯呑を置き、席を立って窓側へと向かった。

 そして刀掛から一振りの御刀を持ってきた。

「妙法村正の砥ぎは終わったわ。これであなたの守るべきものを守りなさい」

「高津先生」

 御刀を受け取ると、優しく微笑んだ。

「ありがとうございます」

「さ、行きなさい。既に遊撃隊が花梨の捜索に入っているわ。早く合流しなさい」

「はい」

 

 

 

 

都内も雪が降り、新宿も深夜を回れば車もなく静かなものだった。

西新宿ジャンクション下で、ナイロン布に包んだ大太刀を手に信号を待った。花梨は黄色い電灯に包まれる高速道路を見上げた。

さすがに風雨をしのぐ屋根など贅沢、今はひたすらに歩き続けることしかできない。

身の丈の小ささを改めて思い知った。

そこに上から一台の車と共に羽のついた荒魂が落ちてきた。

花梨は考えるよりも先に、車に乗っていた男女を車内から引きずり出した。

「あなた達しっかりしなさい、私は刀使よ」

「と、刀使だって、うわぁぁぁぁぁ」

 巨大な荒魂に男は絶叫を上げた。

「その女性は気絶しているみたい、その人連れて早く」

 起き上がった荒魂の一撃を大太刀で受け止めた。

「行きなさい、早く」

 花梨の気迫に押され、男は女を抱えて歩道側へと駆けて行った。

「それでいいわ」

 だが飛び上がった荒魂は羽の風と足を駆使して、花梨を寄せ付けない。

「はぁ、あなたさえいなければ、大人しく帰るつもりだったのに」

風に抵抗しながら一歩、また一歩と近づいていく、だがそれも御刀の力を得られないのでは止めを刺す力を得られない。

(やっぱり、錆刀じゃ)

 突如、高架から急降下してきた荒魂に腕と胴を叩かれ、雪の中を何度も転がった。止めを刺さんと二匹が花梨へと近寄った。

「まだ、死んでは駄目」

 超神速とも呼べる連続した迅移の一撃が二匹の荒魂を弾き飛ばした。

 その影は即座に無線のスイッチを入れた。

「こちら紗耶香、もう一体をお願いします」

「こちら呼吹だ、もうすぐ着く」

 黒い制服を着た雪のような色の髪の紗耶香は、隠剣の構えで荒魂に対した。

 再び低く飛び上がった荒魂が、加速して紗耶香へと突っ込んだ。

 その瞬間雄たけびとともに、荒魂が二振りの一閃によってコンクリートの地面に叩きつけられた。

「今っ」

 残像さえも残さぬ一閃が何十回も荒魂に叩きつけられ、微塵切りになった荒魂は既に鳥の形を失った。そして残骸はノロとなって溶けていった。

 紗耶香は血振りし、即座に納刀すると花梨のもとへと駆け寄った。

 花梨の体は至る部位が四方に捻じれ、息は吸って吐くこともままならなかった。

「今、助けるから」

「結構です」

「駄目、あなたを必ず救う」

「いえ、もう体の中に色んなものが刺さって、いるのに、痛くないんです。

だから、兄の大太刀の近くに、もっと」

「紗耶香」

 呼吹は紗耶香の無言の問いかけに、首を横に振った。

 そして傍に転がる大太刀の柄を花梨の手元に引き寄せた。

「ありがと」

 息が止まり、雪のように白くなり始めた。

 紗耶香はそっと瞼を閉じてやると、雪が降る高架を見上げた。

「守れなかった」

「仕方ない。だが、こいつは刀使の本分を果たした。それでいいんだよ」

「本当にそれでいいの」

「お前が信じたんだろう。こいつは最後まで強かった。自分の大切なものを守ったんだ」

「大切なもの、でも呼吹」

「うん、俺がもっと早ければ」

「ううん、私もっと強くなるから」

 呼吹は膝をつく紗耶香を袂に引き寄せた。

「ああ、もっと強くなろうぜ」

 

 

 

大太刀『銘 倫光作』は三十年前より行方知れずであったが、錬府女学院の故弓家花梨の手で発見され、修復し御刀としての力を取り戻したことで、正式に錬府預かりの御刀となった。

だが、糸見紗耶香は辻斬りの一件を後年も話すことはなかった。

 

 

 



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外伝「抜即斬・祢々切丸」

プロローグ

 

 それは突然に起きた。

 老人は駆け足で、刀剣類管理局局長たる折神朱音の懐に飛び込もうとした。

 護衛の益子薫は袂に輝くものを目にし、腰の脇差を抜きはらい。彼に立ちはだかった。

「止まれ」

「邪魔だ」

 刃を反す暇もなく、刃は持ち手を切り裂き、切っ先はまっすぐ老人の左胸に滑り込んだ。赤い血が吹き、やがてそれが琥珀色となり薫の前はノロに包まれていた。

 六月十日、その日は国会近くの与党会館でタギツ姫の一件に関する和解の最終合意が行われる日であった。

 そして、その与党会館の玄関で起こったこの事件とは関係なく、和解と処分に関する最終合意がなされた。

 各報道機関は、こぞって刀剣類管理局の幸先の悪さを書き綴った。

 そしてこの一週間後、タギツ姫事件の全容が世間に伝えられたのであった。

 

 

 

 

一、

 

 二日後、昼下がりのこと

「それで、ここに呼び出されたのは元親衛隊への処分が決定したからで、ありましょうか」

 局長執務室に坐する朱音に対し、何一つ悪びれることもせず、ましてや臆することなく、此花寿々花はまっすぐ立っていた。

「ふふ、それは本題とは異なりますが答えてあげましょう。元親衛隊隊員は現任務からの除外はなし、続任の意志あらば現任に徹するべし、異論は認めない。これで気は済みましたか」

 寿々花は肩の荷が下りたように、静かに息を吐いた。

「ご苦労様、あなたも色々あったでしょう。でも、刀使は一人でも必要なのは私も、世間もみな同じよ」

「はい、私めはただ任を果たして、贖罪をしたいだけなのです。それが果たせるのでありますなら、此花寿々花は身を粉にして任に邁進いたしたく存じます」

「頼りにしています。ところで、本題に移りましょうか」

 朱音が襲われた件について、世間では様々な憶測が飛び交っているものの、どれ一つとして事件の核心を突いたものはない。ましてや、警視庁でさえ彼がなぜ長たる朱音に刃を立てたのか、納得しがたかった。

「外事課。紫様が七年前より創設した部署で、主にノロの回収に関する自治体および、都道府県警所属の特祭隊指揮分隊との調整と書類作成の統括を一手に請け負っていましたわ。その前課長にして顧問であったのが大村喜之助」

 朱音は紅茶を一口飲むと、自身に座り対する寿々花に問いかけた。

「寿々花さんは、大村喜之助をどのような人物であると思っていました」

「底の見えない、老獪な方だと恐れていました。紫様にあだなす存在だと思っていましたけれど、同時に必要な人物であることも認識していましたわ。何せ紫様の先生であった方々も、押さえつけてしまわれましたから」

「現在の警視庁総監、警備部部長、神社庁長官に防衛省の関東荒魂警戒部隊の指揮官、全て喜之助が作り上げた人脈。でも、私は彼と外事課を信用してはいません」

「では、なぜ議員会館の前に」

「私が帯同を許可しました。交渉は全て私の息のかかった信頼できる方たちに任せました。そして喜之助が不要であることを、組織の内外に宣伝したのです。帯同要請は彼への退職勧告そのものだったんです」

「紫様の体制への粛清ですか」

「やはり、そう思いますか」

「私は正しいことであると存じています」

「高津幸那および相楽結月の刀使界からの追放、折神紫の影響力削減のため、ノロ回収と副次利用に関わった人々の処分。そして完全に舞草が刀剣類管理局を掌握したことを宣伝するロビー活動。舞草の活動に協力した人々への見返り、ノロ流出とタギツ姫顕現事件の責任を負わせる形で政変が次々と起こり、協力者たちが各所で覇を利かせているわ。来月には警視庁総監の首が飛ぶことになった、政治的には既に政界から引きずり降ろされた総理と密接だったことが災いしてね」

「結局、朱音様が管理局と特祭隊の実権を握っても、実のところは糸引く存在が変わっただけで以前よりも力は落ちただけですわね」

「タギツ姫は私たちに勝っていました。その意味では何もかもが手遅れだったのかもしれません」

「それで、私にどのような任務を」

「捜査をお願いしたいのです。外事課の仕事、大村喜之助の私を暗殺しようとした動機、それに関わる全てを」

「では、この一件の調査は朱音様と私めの肝いりの件でよろしいのですね」

「いえ、もう一人、貴女と調査を共にしてほしい方がいます」

 

 この鎌倉本部には大小いくつもの道場があり、流派や隊ごとでの稽古に頻繁に使われる。

 時を同じくした一室に、大ぶりの木刀で刃を合わせる二人と、それを見守る一人の刀使がいた。

「きぇええええええええええ」

 強烈な打ち廻りを素早く逃げていきながら、切っ先が背の低い彼女に走る瞬間が何度も起こった。

「ほぉらほらほら、いつにも増してかっこかわいいよ」

「ああもう!うっとうしい!」

 息を切らせた瞬間、青い髪の少女は切っ先を静かに滑り込ませ、のど元に二度軽くたたいた。

「ぐっ、参った」

 剣を置くと二人は汗をぬぐいながら、エレンが用意してくれたスポーツドリンクを口に流し込んだ。

「これで三勝一敗、どう?これで私とデートに行ってくれるかしら薫」

「えぇ~」

「じゃあ私がこれから五連勝したらデートでいい?」

「おい山城、俺は自顕流の大太刀使いだ。そう簡単に負けられるかよ」

「よし、約束だよ!いざ尋常に勝負!」

立ち上がった山城は木刀を手に素振りをはじめた。

「今日は随分と力が入ってますネ、力み過ぎとも言いマス」

「ああ、腕の振るえが、まだ収まらなくてな」

 エレンは小太刀ほどの木刀を薫に差し出した。

「なら、私に見せてくだサイ!」

 薫は大太刀の木刀を置くと、エレンから小太刀の木刀を受け取った。

「おい山城」

「何だい」

「お前が五連勝したらデートだな」

「もちろん」

「連勝が一試合目で止まっても文句は言わないな」

「ほぅ、自信があるんだ」

「少しな」

 薫は小太刀を腰に収めたまま、やや体を前傾にし、大太刀を構える山城を睨んだ。

エレンが試合開始を叫んだが最後、左手と木刀が空を逆に斬り、薫の小太刀は切っ先を喉笛下に滑り込ませていた。

「え、参った」

 薫がどうしても大太刀を使わざるをえない。それは彼女が祢々切丸を扱うことを定められていたからである。だが、彼女の副刀となった御刀は総じて脇差であった。そして脇差の御刀をわざわざ任務に使うことは無きに等しかった。

「斬りすぎちまうんだ。祢々切丸を使うのとは違って、祓う荒魂を傷つけすぎちまう。終わらせるときは一太刀じゃなきゃダメなんだ」

「なら、せめて御前試合の時くらいは虎徹使ってもいいんじゃないの」

「俺は刀使だ。人を斬る前に荒魂を払うことこそが大事。それだけさ」

「まぁ嫌いじゃないけど」

 結果、四勝一敗。もちろん薫の戦績であり、山城は小太刀を扱う薫の太刀筋に慣れていないこともあってか、一本を取るのが手一杯であった。

最後の一番が終わったところで、道場の出入り口に見慣れた顔がいることに気が付いた。エレンが彼女のもとに向かった。

「こんにちは寿々花サン!」

「こんにちは、今日は薫さんにお話しがありましてね」

「ん、俺がなんだって」

 タオルを首にかけたままであった。

「ええ、薫さんに昨日の件についてお話があります」

「ん、二人だけのほうが良さそうだな。すまないがエレン、山城」

「構いませんヨ」

 山城も木刀を片付けながら大きく手を振って見せた。

「わるいな」

 道着から着替え終えると、二人はロビー脇の休憩所で向かい合った。

「そういえば、ネネとご一緒ではないのですね」

「あいつは錬府にあるノロ研究室にいるんだ。本格的に荒魂の構造を解析するためだそうだ。紗耶香が世話を見てくれるから余程大丈夫だろう」

「さみしくはありませんの」

「まぁな、こうるさいのがいなくてちょこっとな」

「ふふふ、じゃあ」

「ああ、本題に入ろうか」

 寿々花はまず既に事情聴取の行われた暗殺未遂の一件について、当時の状況を薫に語ってもらった。

「朱音様が会館の入り口に歩みを進める中、組織の幹部陣に目を向けたら朱音様を見つめ続ける目があった。全員が朱音様に頭を下げていたんだから、すぐに目が付いた。その瞬間だった。大村は懐から短刀を抜き取った。安全と踏んでいたから、刀使の警護は俺一人、とうの休みだった寿々花さんならよくわかるだろう。だから俺は朱音様の背につき、脇差を抜いた。止まれと叫んだが、大村は全力で駆け込み、俺めがけて突進してくる。手始めに腕を叩き斬ったが、浅くて刀は抜け落ちず。逆手に突くように脇で構える動作を見て、後は命の危険を感じて、こう切っ先を滑り込ませた」

「そして、ノロが胸から吹き出した。手、震えていましてよ」

 薫は震える手でカップを手にし、紅茶を一口飲んだ。

「頭が真っ白になったよ。さすがに人がノロになるなんて初めて見たからな」

「お気持ちは御察ししますわ。でも、人となった荒魂が潜んでいた、そのことに疑問は感じませんでしたか」

「ああ、禍人が管理局内に潜んでいたとな」

 薫の問いかけるような目に寿々花は首を振った。

「私自身、大村喜之助が荒魂であったことは知りませんでしたわ。朱音様の手元にあるアンプル配布者の書類にも大村の字はありませんでしたわ」

「朱音様が」

「ええ、私とあなたに肝いりの調査を依頼されましたわ」

「ん、俺が」

「あなたでなくてはと、朱音様がおっしゃっていらしたので、もちろん貴女には拒否する権限がありましてよ」

「ううん、いや、手伝わせてくれ。納得できないまま日を費やしたくはない。それに俺たちには、まだ倒さなくちゃいけない敵がいる可能性が出てきたしな」

「本当によろしいのですね」

「刀使に二言はねぇ」

 それから日が沈み、寮に戻るまで寿々花から事件の経過と、今後の方針について話し合った。そして朱音に翌日からの方針を報告しに行く最中、廊下で一人の男性職員とすれ違った。

「今の」

「ええ、外事課の大村勘太ですわ」

「いや、あの人は片桐英充だろ」

「えっ」

「俺は去年、ノロの集積関連書類の回収であの男と会っているぞ」

「おかしいですわね、私はあの方が主任の大村勘太だと聞いてますわ」

「主任?ああ、外事課の現在の主任か、さっき話していた奴のことか、どうにせよ明日会うんだから、片桐か大村かは明日にしようぜ」

「そう、ですわね」

 帰宅前の朱音を捉まえ、報告を終えると二人も早々に帰途に就いた。

 

 

 

 

 

二、

 

 六月十三日木曜、やや霧がかかりながら明け方から降り出していた雨が、朝になっても続いていた。薫は本部近くの寮から出ると赤い傘を差した寿々花が遊撃隊の黒い制服を着て待っていた。

「おはようございます薫さん」

「おう、朝早くから熱心なこったな」

「長期の任務を預かった以上は、時間を有効活用しなくてはいけませんわ」

「ああ、だがその前に大社に参拝してからだ。行こう」

 本部への出勤の人込みを歩みながら、遊撃隊の本部室で朝礼、それから薫はしばらく学業から離れざるをえないので、学長兼特祭隊司令である上司の真庭に書類を提出する。

「朱音様から口添えはもらっているが、あくまで欠席扱いだから頑張るんだぞ薫」

「そ、そんな、おっ鬼、悪魔、おばさん!」

「おばさん言うな!」

 遊撃隊本部室に戻ってきた薫は自身の机に置かれた学生証を数ページめくり、ため息をついた。

「いつも休暇を欲しがるのは補修が嫌だからですの」

「その通り。土曜日が補修で埋まり、おまけに任務が飛び込んでこりゃあ補修は増える。タギツ姫の一件で余計にあるのに」

「五箇伝の生徒は任務の次は、学業が優先になりますもの、とうの私も現場に引っ張りだこで成績が落ちましたわ、それでも一般教養は何の問題もありませんわ」

「まぁいいや、後でたっぷりと休暇をせしめればいいだけだ、ククク」

「さぁ、外事課との面談時間が近づいてますか行きましょう。真希さん、しばらく留守にします。後をお願いします」

「ああ、応援も入るから心配いらないよ。ただ薫、君のサボり癖は重度だから、重々気をつけて」

「おいおい、どっちに言っているんだい真希さんよ」

「二人にだよ。行ってらっしゃい」

「おう、行ってきます」

 折神家邸近くの遊撃隊本部室から、管理局本部棟まで歩き、二階東棟の中ほどに外事課の執務室がある。この階はノロ回収に関する組織が部屋を連ねていたが、事件後の組織整理で解散となり、東棟二階は外事課を除いて部屋が使われていなかった。

「壮観だな」

 薫を気にすることなく扉をノックした。

「どうぞ、お入りください」

 一番奥の席に座る男が静かに立ち上がった。やや太く、重々しい瞼の下から瞳が輝いた。

「此花寿々花さんと益子薫さんですね。はじめましてお二人とも、私が外事課主任の大村勘太です」

 応接の席に勧められながら、自身の席で仕事をするあの男がいた。

「彼ですか、片桐君挨拶なさい」

 彼は静かに立ち上がり無愛想に自分が片桐英充だと名乗ると、早々に着席してしまった。

「すみません、今はこの外事課は他組織の解散作業の最終段階で、あと一週間でこの外事課も解散ですから、殺気立っておるのですよ。なにせ、私は朱音様にたてついた男の息子でありますから、わははは」

 長髪の女性職員が茶を置くと、勘太は一度軽く咳をしてみせた。

「それで、私めにどのような」

「待ってください。おこがましいと思いますが、外事課課長である貴方と外事課職員は、国家と国民のため警察職員の良心を守り、これから話すことに嘘偽りはないことを誓えますか」

「はい、我々外事課は全てを偽らず証言することを誓います」

「ならば大丈夫でしょう。ではまず課長はご自身の父親である大村喜之助に反旗の余地があったのか、聞かせてもらいたいのです」

「私は父が紫様を利用し、権力の拡充を続けているように思われたのです。高津雪那学長の要請で各地にノロ回収の警備を錬府に任せていましたが、実のところは父の息がかかった地方警察の上層部が引き受けていました。紫様の権威は届くが、息は届かない場所に枝を伸ばしていきました。同時に高津学長に行動の自由を保障し、彼女のしたいようにさせることで権威を上へと伸ばしました。でも、タギツ姫復活の一件で一転、舞草による懐柔が始まると私はすぐに朱音様に従属する意思を示しましたが、父は明確な意思を示しませんでした」

「それは高津雪那学長が拠点を綾小路に移したことと、関係があるのですわね」

「そうです。父は高津学長を政治面で支援。総理への面会を取り付けたのも父の采配があったからです」

「ではその時、あなたは何をしていらしたのですか」

「職員とともに、父の命令を拒否し続けました。今までの仕事に正当性がなくなった以上、正式な処分が決定するまで我々は今まで行ってきた職務を放棄すべきだと確信しました。もちろん、書類の提出にも同意しました」

「ああ、俺が直接受け取ったからな、舞草の調査では書類に不備は見られなかったという見解だ」

「ではつい直近まで彼が顧問として在籍を続けていたのですか」

「簡単には、追い出せんのです。年功序列で父は以前、神社庁に勤務し刀剣類管理局の要望で出向してきました。おそらく朱音様は高津学長に手を貸していたことに気が付いていたでしょう。でも、外事課が侵食した組織と人脈を更生するには時間がかかります。解散させるには父があまりに権限を増やしすぎたのです」

「でも、後押しをする存在がいなくなれば権威拡大もそれまで、解散するまでの責任者さえいれば、大村喜之助の生死は関係ない」

「私はそのように責任をとることを自覚しています。父に反抗した以上は当然のことです」

「では貴方が職務放棄を宣言してから、本当に職員は一人も欠けずに職務放棄に参加したのですか」

「はい、一人としてかけることなく、父を除いた三人全員」

「そうですか、しかしあなた個人では本当に全員が信用に足るとお思いですか」

「そうと信じております。何せ父は書類作成以外の仕事を我々にさせませんでしたから、誰かを側近につけて、いや、先日の与党議員会館への階段の折に父に同行した者がいます」

「ここにいらっしゃいますか」

「いえ、父に関わった可能性があるとして自宅に謹慎処分しております。名は熱海樹、ノロの回収総量の統計を担当していました」

「その方にもお話を伺う必要がありますわね」

 薫は手元の携帯電話から目を離し、口を開いた。

「あんたは本当に大村勘太なんだな」

「え、はい、そうです」

「ならいいんだ」

「では、お約束通りに職員名簿と提出前の勤務履歴を渡してもらえますか」

「はい、こちらに」

 封筒が渡され、薫が書類の管理を行う間に寿々花は質問を続けた。

「現在、熱海さんと連絡を取ることは可能ですか」

「はい」

「では本日の夕方に自宅を訪れる旨を伝えてくださいますか」

「もちろん可能です。ではメールを送りますので少し席を離れます」

「ええ、お願いしますわ」

 寿々花は茶を一口飲むと、薫の読み通す書類を覗き込んだ。

「大丈夫だろう」

「でも、朱音様は外事課を信用していませんわ」

「それは嫌でも精査することになるさ、次の奴が会うのが大変だから早々に行かなければならん」

「ですわね」

 薫は書類を元通り封筒に戻すと寿々花に手渡した。

「お待たせしました。本人から速答で大丈夫であると返事が来ました」

「ありがとうございます。聞くべきことは全て聞かせていただきました。ご協力に感謝いたします」

「いえ、こちらこそお役に立てれば光栄です」

 二人は大村勘太との握手をし、部屋を出た。

 階段に差し掛かり、ようやく寿々花が口を開いた。

「気に入らないですわ」

「何がだい」

「あそこにいた誰もかもですわ、スペクトラム計に反応は」

「いや、最新機でも反応はなかった。旧型のスペクトラム計は完全潜伏型の禍人を見つけられるらしいが、残っている旧型はタギツヒメが管理局を支配していたころに、ほぼ全て処分されたからな」

「いたとしても、彼らを追及できる証拠はない。でも、大村喜之助の手足だったのは間違いないですわ、彼らはあくまで紫様から命令のあった事を放棄したに過ぎないのですもの」

「高津元学長と熱海という男性職員を問い正してから、もう一度だけ大村勘太とあの二人の職員を事情聴取しよう。どうせ俺らが事件を追っていることは管理局内に話が広がっているだろうからな、ただし指示した人間はまだ噂程度のはずだ。それが効く間に手を打とう」

「ええ、それがいいですわね」

「寿々花さんよ、どうも俺らは刑事ドラマの主人公だな」

「悪い冗談はよしてください」

「ははは」

 

 

 本部棟食堂。

 今日のワンコインランチはチキンカツのトマトソースかけ定食。

 白米、みそ汁、さらに小鉢がついて五百円。ただでさえ荒魂退治に学業、給料がもらえるとはいえ、中高生なのでお小遣い性の学生が多く、食費の管理が厳しい刀使は多い。なので彼女たちのために多少はエネルギーのあり、さらに五十円単位で白米を増量できるオプション、小鉢を増やせるなど、意外と食べる彼女たちに向けたランチメニューが特徴的である。

 もちろん、寿々花と薫もその例に漏れない刀使である。

 寿々花は去年親衛隊になってから、自由になった金銭があるものの生活費は親から出ているものも少なくない。薫はまだ長船所属の学生であり、彼女はお小遣い制であり、後は食費しか出ない。

「でもな、貯金はあるんだよ、遊べるくらいの貯金が」

 二人はともにランチメニューを頼み、薫だけライスが大盛りであった。

「遊び行く暇がないのですわね」

「ああ、女学生は遊ぶもんだぜ、普通はよ」

「さぁ、私は刀使の使命に準じているだけですわ。その仕事の合間にささやかな休日を過ごせるなら、それ以上は望みようもないですわ」

「でもなぁ」

「別に時間は刀使でいる間だけではないですわ、重ねておくだけ損はないですわ。貯金も、経験も、信頼も、どれもかけがえのないものですわ」

「まったくその通りだよ」

「ほぅ殊勝な心がけだな、薫」

「がく、いやおばさん」

「学長でいいんだよ、学長で」

 薫の隣に座った真庭は、彼女も今日のランチメニューを頼んでいた。

「こんにちは真庭司令、ご機嫌いかがですか」

「まぁまぁだよ、政府内閣との和解も済んで、やることは多いがおおむね流れるに任せていいだろう。私はとにもかくにも、日々出てくる日本中の荒魂対策が本命だ。任せたわよ」

 ある程度食べ終えると薫のプレートにカツを三切れ載せ、席を離れていった。薫はそれを当たり前のように口に運んだ。

「いい人ですわね」

「当たり前だ長船の親分だぞ、俺の先生だぞ」

「ふふふ、あなた方を見ていると飽きませんわね」

「ん、何だって」

「何でもないですわ」

 食事を終えると、時計を確認しながら鎌倉市内へと向かっていった。

 

 

 

 

三、

 

「あなたたちが来るとはね。大方、大村喜之助のことね」

「お久しぶりです。まだ感は鈍っていないようですわね」

 熱海のやや奥へ行った住宅街に刀剣類管理局の職員家屋が並んでおり、錬府女学園の前学長である高津雪那はそこの一軒家で謹慎生活を送っている。

 未だに公安の監視がついているということもあってか、幹部であっても彼女に会うことは難しい。朱音がとりなしたものの面会時間は一時間しか与えられなかった。

「私はこうして歩けるようになったけれど、こうして結果が付いて回る以上は、大人しくしているのが朱音にとっても、真庭にも都合がいいわ」

「では、先ほど話にあった大村喜之助について」

「それは、少し長いわ。大事なことだけ話すわ」

「雪那さんにお任せしますわ」

「ありがとう」

 大村喜之助は紫の元に就く前は、神社庁に所属していたというが実は所属したという書類は存在しない。彼がそう組織提出の経歴書類に書いていただけである。

彼は自ら折神紫を訪ね、自身のノロに対する見地の広さと話術をアピール、回収量はより組織的な拡大を必要とする旨をアピール。彼女を支配していたタギツヒメは何を考えたか彼を登用。雪那の配下に置いたがその働きは異常なほどに順調に進んだ。わずか半年の間に、五年かかって集めたノロの総量を上回り、上司である雪那は彼のおかげもあって急速に権限を拡大させていった。

しかし、ノロ流出事件を機に舞草に支配が移譲すると、雪那のタギツヒメに従属する姿勢に同意し、その人脈と彼の権限下の部下を総動員し、朱音への政治的締め付けと、総理への面会およびタギツヒメのメディア公開を成功させる。だがタギツヒメが隠世に押し込まれたことで、事態はあっさりと決着し、外事課と大村喜之助の権力喪失は決定的となった。

「あれから半年、大村喜之助はいったい何をしていたのですの」

「わからないわ。既に今の地位から落とされることは確実なのに、朱音を殺してまで管理局にしがみつき続ける理由。そもそも彼が紫様に近づいた理由も聞いたことがない。大村喜之助は結果を残すことで、それを隠れ蓑に組織で大きな力を誇っていたわ」

「権力が目的じゃなければ、何が目的だったんだ。ん、ああ、そうか」

「薫さん、どうされましたの」

「喜之助は紫様に接触する前に、ノロを体内に取り込むことの効果を知っていたなら、わざわざノロの運搬と警備、それに書類作成に刀使を離した行為に説明がつく」

「それはおかしいわ、総量は紫様が厳格に管理していたわ」

「その紫様はタギツヒメで、雪那さん、あんたにも黙ってノロを奴に横流ししていたとしたら」

 考え込む雪那を横目に寿々花は薫に問いかけた。

「では、今のノロ回収関連組織の解散は逆効果とみてよろしいですわね」

「間違いない。偽装書類、裏帳簿が探しつくされ完全に処分されている可能性が高い。そして職員もノロを飲んで禍人になっている可能性が高い。大村喜之助の目的はノロの入手だ」

「もしかしたらかもしれないけれど、十三年前に裏社会でノロを流通させていた青子屋と関係があるかもしれないわ。タギツヒメは少しでも多くのノロを回収したかったわ。その回収を取り仕切った私が日本中をひっくり返してノロをかき集めたのだから、裏にも手を回していたことは安易に理解できるわ」

「高津さん、あんたは青子屋などの裏社会との関係は」

「ないわ、大村の真意を看破できなかった私が、十三年前に自壊した青子屋について知っていることは、あまりに少ないわ」

「そうか、なら過去の出来事を遡っていくしかあるまい」

「その前に私たちは外事課の一人に合わなくてはなりませんわ」

「罠、あるだろうな」

「それでも接触する利点はありますわ」

「あなた達、少しでも食べていきなさい。おにぎりになるけれど」

「雪那さん」

「謹慎中とはいえ、私も元は刀使よ。少しは手助けをさせてちょうだい」

 あまりに真剣な彼女を見て、二人は苦笑いを浮かべた。

「本当に戦支度だこりゃあ」

「二人とも、そこで聞いてなさい。禍人は刀使がなったものと同様に強力な力を得る。それは御刀の神力さえもゆがませてしまう。夜見は御刀に選ばれなかった、それをノロの力で強引に服従させたわ。そして、刀使の能力を最大に持つものが出来なかった能力がある。荒魂の自己生成。紫様が実権を握られる前に出現していた禍人には増殖する特徴があったわ、夜見のように一般人であればあるほど、ノロが現出させる能力も多い」

「そして、侵食率も刀使以上。同じ量を摂取していたのにも関わらず、荒魂化の進行は夜見が圧倒的でしたわ」

「もしこれから会う男が禍人であったなら、ノロの特殊能力を宿している可能性が高い。くれぐれも用心して」

「その時は叩き斬るまでさ」

「頼もしいわ、さぁできたわよ」

 おにぎりが二個ずつ、浅漬けとインスタントの味噌汁が彼女たちの前に置かれた。

二人は速やかに食事を終えると、雪那に礼を言い。駅へと向かっていった。

 

「ネネッ!」

「ん、その声は」

 駅を抜けると薫の胸にねねが飛び込んできた。そして飛んできた方向から夕陽を背に紗耶香が姿を現した。

「預かってもらってすまなかったな、紗耶香」

「ううん、ねねと居て楽しかった」

「そうかそうか、ここでピンチヒッターとは、ついてるぜ寿々花さんよ」

「でも私たちだけがいいですわよ」

「それでも不安だ。人手は多いに限る」

「どうしたの」

 あらましの事情を話してから、緊急に応援が必要である旨を紗耶香に訴えた。紗耶香は二つ返事で了承した。

そうして三人と一匹は、管理局職員のアパートに着いた。五階立てで築十年のコンクリート造りである。

 紗耶香は外で待機し、二人と一匹はエレベーターに乗った。

「熱海の部屋は」

「四階の四〇二号室ですわ」

「よし、四階だな」

「ネネッネネネネ!」

 ねねがボタンを押そうとした薫の右手を叩いた。

「来るのか」

「ネッネ!」

四階のボタンを押してエレベーターから出ると上に上がったカゴが、音を立てて潰れる音が響いた。

 二人は写シを張ると、御刀を抜きはらった。

「使うまいと思っていたが、虎徹を持ってきて正解だった」

「ええ、来ますわよ」

エレベーターの一階扉を叩き破った赤い光が二人の周りを通り抜けていく、その特徴的なシルエットが青空を背にくっきりと浮かび上がった。

「コウモリか」

 夕闇に溶け込む空を瞬く間に黒く、そして赤々としたコウモリの軍団が空を穿つように飛び回っている。

 やがて一つの塊となったコウモリはその閃光を二人めがけて走らせた。

 だがそれがどうしたというのだ。白銀の幻影が一太刀で赤き閃光を斬り散らせた。

「二人は行って」

「ネネッ」

「ああ、紗耶香を頼む」

 ねねは薫の肩を離れてすぐに大型化、ねねの咆哮が周囲に散るコウモリたちを掃き飛ばした。

 薫と寿々花は八幡力で一気に四階へ飛び上がると、いまだ閉ざされた四〇二号室の扉を叩き斬った。

「熱海樹、話を聞かせてもらおうか」

 玄関に立つ暗い影は怪しくその大きな瞳を二人に行き渡らせた。

「やはり、一筋縄ではいかないか、さすがは元禍人だ」

「知っていらっしゃるのですね、禍人を」

「お前たちを殺す」

数打ち物のあまりに姿見が真っ直ぐな長脇差が、壁を叩き斬り破片を彼女たちに打ち付けた。薫は突きを受けながら左腕を取り投げ飛ばした。

熱海は廊下からアパートの最上階に飛び上がり、薫から逃れた瞬間、彼の右腕が叩き落され、刀と右手が彼から切り離された。

寿々花は怯んだ熱海を一刀のもとに斬り伏せた。

「さぁ、話してもらいますわ」

「まだ、まだだ」

肉体の荒魂化を始めたことに気が付き、寿々花は仕方なく熱海の喉下を突くと、彼はノロとして衣服を残して溶け出していった。

「どうだ、寿々花さんよ」

「ダメでしたわ」

「これ以上被害が増えるよりはマシさ、所轄が来る前に部屋を探ろう。ここの警察も奴らの息がかかってないとは言い切れんだろ」

「それは考えすぎですわ」

「そうかな」

 紗耶香とねねはコウモリの掃討を完了させたころには、パトカーや救急車の赤ランプが周囲を包み、アパートの住民の救出を手伝ったこともあって時刻は十時を回っていた。応援の刀使に現場を引き継ぐと、三人と一匹は本部へと戻ってきた。

「おかえりなさい三人とも、それとねねもね」

 迎えた真庭の顔はどこか硬かった。

「ネネッ」

「学長、早急に報告したいことがある」

「待て、今日はもういいから、宿舎に戻りなさい」

「それはないだろうが」

「休息も休みの内だぞ、報告は翌早朝に聞く、私は朝の七時から指令室にいるから」

「ありがとうございます真庭司令。しかし事は早急を要しますわ」

「すまないが、警視総監から直々の指示だ。私にも帰宅命令が出されているほどだ。朱音様が抗議しているが、今回の事件が鎌倉市内で起きたことに丸の内でも動揺が起こっている。私はここで朱音様と対応しなければならない。本当に申し訳ない」

 しばしの沈黙ののち、薫は口を開いた。

「仕方ねぇ、おばさんの頼みは聞かなきゃな、行こう」

「おばさんはやめろ」

 そうしてあまりに慌ただしい一日が終わりを告げた。

 

 

 

 

四、

 

 朝刊の一面を読みながら、目の下に隈を浮かべる真庭は小さく欠伸をしてみせた。

「鎌倉市内に荒魂、管理局の警察力は十分なのか、か。好きに書いてくれるわね。まだ肝心のことを知らないでいてくれるから、かわいく思えるのだけどねぇ」

「なら俺のことも孫のように可愛がってほしいな」

「お前は娘のように思っているぞ、薫」

「それはうれしいね、泣きたいぜ」

 薫は真庭に淹れたてのコーヒーを勧めた。

「おはよう二人とも、ありがたくいただくよ」

「おはようございます。真庭司令。では早急にも」

「ああ、話を聞こう」

 昨夜、熱海を斬った後の短時間に、二人は彼のメモを発見。そこには外事課のある職員が書類の処分統括を指揮していたことが明らかとなった。

「異動になったノロの運搬部職員の刀使が、書類の保存と統括していたのが外事課の加瀬多美子であることを教えてくれた。昨日の午前中に彼女の姿を確認している」

「ところで外事課から提出要請のある資料は来ていますか」

「いいや、期限は来週の月曜まで、今日まで一枚たりとも提出されたものはない」

「やはりもう一度、訪ねるしかあるまい」

「ん、お前たち、本当に帰宅したのか」

真庭の問いに二人は顔を見合わせた。ねねは薫の肩で眠ったままであった。

「帰宅したさ、寮でノロ回収の関係者名簿をひっくり返して、電話片手に外事課が残る前に最後に解散になった組織を探し当てたのさ、何せ解散順の書類はまだ外事課が作成中だからな」

「まったく」

「それでも収穫はありましたわ。もう一度問いただす価値があると思います」

「分かったわ、思うようにやりなさい。でも一つだけ、今回のように誰かを巻き込むな。応援が必要なら私を通しなさい。いいわね」

「はい」

「はいよ」

 

朝礼のチャイムが鳴ると、遊撃隊本部室では紗耶香を入れた四人と一匹全員が、隊長である薫を中心に朝の点呼と今日のシフト確認を行い、朱音の警視庁への出張に紗耶香が警護に入り、本部警護の隊長代理に真希が入ることとなった。

薫と寿々花は変わらず専任捜査で通常シフトを抜けることとなった。

 だが、朝早く外事課を訪れた二人は出鼻を挫かれることとなった。

「加瀬多美子さんなら、昨日付で退職しましたよ」

 大村勘太のそっけない一言に二人は固まってしまった。

「彼女には書類の処分統括を指揮してもらいましたが、三日前の時点で最終提出の書類をまとめ終わりましたからね。彼女の退職届を期日通り処理しました。父の敷いた悪習ですが、我々で終わりですから大丈夫でしょう」

「そうですの」

「いやはや、昨日は彼女の退職祝いをしていたのに、熱海君はとんだ不幸にあってしまった。此花さん、もしかして熱海君は父の息がかかった人間に殺害されたのではありませんか」

「いいえ、アパートに侵入していた荒魂が彼を襲ったのです。それに大村喜之助、あなたのお父上は死んでおられます」

「そうですね。まったくその通りです。ところで、彼女にはどのような話で参られたのですか」

「書類作成中に大村喜之助の干渉がなかったか伺いたく思いましたので、できれば加瀬多美子さんが現在どちらにいらっしゃるかお伺いしたいのです」

「たしか、既にアパートの自室を引き払って、山形の実家に戻ったはずです」

「なるほど、すぐには会えませんわね。そちらから連絡をつけてもらえんすか」

「はい、たしかお渡しした名簿にも連絡先が書いてありますので、それからすぐに繋がると思います」

「ありがとうございます」

「それにしても、この刀剣類管理局はどちらへ向かうでしょうね。私は何となく先行きに不安を感じずにはいられないです」

「それぞれの場所で全力を尽くすしかないさ、そこででしかできないこともあるんだからな」

「私に何が出来ましょうか」

「そういう律義さでしょうな、大村さん」

「ふふ、私もまだ仕事があるようですな」

 部屋を退出し、二人は黙って廊下を歩んでいき、再び階段を降りながら、寿々花は思わず苦笑した。

「真実ではなく、事実に対しての律義さは、確かにこれからの私たちには必要ですわね」

「俺にはそういう繊細さはないからよ」

「確かに、先ほどの言葉は愚直に過ぎましたわ。でも、悪い気分ではないですわ」

「今度こそは尻尾をつかんでみせるぞ」

「ええ」

 二人はすぐさま真庭と朱音に報告、朱音は即座に二人に山形へ向かうように命令、真庭が書類と切符を用意し、二人は寮の自室に戻って二泊分の身支度を整え、昼前に鎌倉駅に集合した。

「お待たせしましたわ」

「おう、泊まるホテルも既におばさんが手配済みだ。加瀬多美子への連絡はどうだ」

「本人と直接お話した限りでは、いつでも彼女に会えるみたいですわ」

「そうか、なら行こうか」

 JR湘南新宿ラインに乗り、戸塚で東京駅方面に乗り換えをし、東京駅で降りると上越新幹線に乗り換え、新潟へと向かった。

「次は新潟駅で白新線の秋田生き特急に乗り換えますわ」

「さて、じゃあ弁当を頂くとしますか」

 乗り換えを済ませたのち、目的地である山形県酒田駅に着いたのは夕方五時半近くであった。

「先にホテルのチェックインを済ましてからでないと」

「間違いなく話が長くなるからな」

 と、寿々花の携帯に電話がかかってきた。

 しばらく話し込んでから、電話を切るとため息をついた。

「どうしたんだい」

「加瀬多美子からの電話ですわ、先の用事で帰りが遅れているために、明日にしてくれないかとのことですわ」

「ここは押し込むべきではないのかい」

「そうはいっても、加瀬家はこの土地の名家、おいそれと押し入りなんてすれば、関係ない人間が首を突っ込みかねませんわ。私たちはあくまで加瀬多美子の事件への関与を問いただすために来たのですわ」

「むぅ、仕方ねぇ!明日だ明日!」

「ネネッ」

 

 ホテルニュー酒田の三階奥の部屋に入り込むなり、薫とねねは布団に飛び込んでしばらく動かなくなった。

「昨日は日付が変わるまで、今朝は六時起床に電車移動ばかり、祢々切丸を持ってきているから、余計に疲れたし、だるい」

「夕飯を取りましょうか、幸い明日の朝まで今日は自由ですわ」

「なるほど、そうだな、ご飯を食べに行こう」

 暗くなった市街を歩きながら、小さな飲み街を通り過ぎた場所に、暖簾がかけられた山形ラーメンの店を見つけた。さすがに祢々切丸は店に入らなかったので、店先に縛り付けてもらった。

「すみません、私の大太刀を店先に置いてしまって」

「いいんだよ、刀使さんが来るなんて縁起がいいってもんさ」

 注文を済まし、暫しの待ち時間を静かにしていた。

「そういえば、こうして敵同士だった相手がこうして食卓を並べるなんて、不思議なこともありますわね」

「刀使は家族さ、そこに余計な理屈も必要ないんだよ」

「ふふ、薫さんらしいですわ。薫さん、年はいくつにおなりますか」

「ん、なんだよ質問ばかり、あと二日たてば十六歳だよ」

「それはめでたいですわね」

「なるほど、衰えが始まってんだな」

 寿々花はコップの水を一口飲んだ。

「そうですわ、医師の検査では本来はあと二、三年もしくは遅くて七年が刀使であることの限界といわれましたけれど、ノロによって肉体の損傷が激しくないものの、力を引き出す神経器官が限界に近付いているそうですわ」

「もって、何年だ」

「長くて、一年半。もっと早く終わるかもしれないと宣告されましたわ。ノロを取り込むことのリスクは、ノロを取り除いてなお続いている。次は何が起こるのやら、少し怖いですわ」

「誰か、他には話したのか」

「いいえ、貴女が初めてですわ」

「そうか」

 寿々花はねねを抱き寄せると、ほほを近づけた。

「あの時、本当に間違いを正すべきは親衛隊の仕事でしたのに、少しずつ刀使から離れていくことに焦りを感じてしまった。そうしてしまったら、あこがれていた背中に届かなくなる。以前の私は無謀ばかりでしたわ」

「でも刀使であり続けなくても道はある。そうだろ」

「そうです。確かにがむしゃらだったけれど、自分の行いの全てが間違いではないと、ようやく振り返ることができましたわ」

「どれもこれも明日に繋がっている。此花さんが自分の信念に従って生きていることは、俺だけじゃなくみんなが知っていることだ。気にするな、俺が言ってやれるのはそれだけだ」

「ありがとう、話して気が楽になりましたわ。それにしても、薫さんは本当に面倒見がよろしいのね。遊撃隊隊員のことをよく見てますわ」

「柄じゃねぇ、と言いたいが、どいつもこいつも自分から突っ込んで行っちまうからな、誰かが重しになって一歩引かせねぇとすぐに道に迷っちまう。

ほおっておけねぇんだよ、ヒーローみたいなやつばかりだからな」

「なら、私も薫さんのお世話に預かり続けるとしましょう」

「望むところさ」

 店主が二杯のラーメンとねねのために茶碗ラーメンを用意してくれた。

「たんと召し上がれ」

 寿々花は中華そば、薫は変わりものである、あんかけラーメンであった。

 二人は静かに食事をしている間、事態は新たな進展を始めていた。

 

 

 翌朝、ホテル二階のレストランで食事を終えると、徒歩で海岸側へと歩いて向かった。日本海が僅かに望むことができる高台に、やや大きな母屋づくりの家屋が顔を出した。

「ここだな」

 表札には『加瀬』の文字がはっきりと書かれていた。

「ごめんください。連絡を入れていた此花寿々花です」

「いらっしゃい、わざわざ酒田までご足労ありがとうございます。どうぞ、上がってください」

 客間に通された二人は、改めて加瀬多美子と面することとなった。

 さすがに育ちの良さからか、赤い長い髪を後ろに一つまとめた、すっきりとした面持ちである。先日の時には茶を出したこと以外に、気に留めることもしなかった。

 右腕の包帯も昨夜の用事とやらのだろう。

「加瀬さんは、以前は刀使だったのですか」

「はい、錬府で剣を習い、卒業後は御刀を手に青森、新潟、そして本部で刀使として任務にあたり、力が衰えたので本部職員となり、外事課に配属されました」

「主任であった大村喜之助から、どのような任務を仰せつかっていましたか」

「喜之助さんからは、ノロ回収に関する書類統括の任を与えられました」

「その書類とは具体的に」

「主に、神社庁への収容要請の認証書類、各社の収容同意書、収容するノロの容量と、回収後のノロ量の確認書類。それらを確認した帳簿を作成、片桐さんが数字の最終確認とデーターベースの確保、そして紫様への報告用書類を作成していました」

「では、解散令が出されてからの書類は」

「六つあったノロ回収関連の組織で既に解散したのは、運搬部、警護部、専門の財務部、保管に関する研究。

それらを解散させるにあたって、人事部は先の言った順番で解散を進めました。そして、これが一番難物でしたね。それらの職務書類製作を外事課が引き受けることになったのです。既に人事部は管理局人事部に吸収されていたので、異動者の書類を往還するのも外事課の仕事でしたから、私だけは過去書類の回収数値を一冊にまとめ、上層部への提出要求通りの書類を作成するのが仕事でした。結局、書類が完成したのは退職する当日でした」

「なるほど、加瀬さんは退職するまでずっと書類作成に追われていたのですね」

「そうです」

 薫は話に耳を傾けながら、必死にノートに話の全てを書き込んでいる。

「加瀬さんはなぜ退職を選んだのですか、まだ管理局内でその能力を生かせたでしょうに」

「私個人の贖罪のためです。折神紫様がタギツヒメに支配されていたことも知らず、自身の全能力を尽くしてノロを全集約する手助けをしてしまいました。テレビで事件の全貌が報道されていました。それまで、なぜタギツヒメが復活したのかも知りませんでした。もちろん他部署の同僚から引き留められましたが、私は退職を決意したのです」

 二人は彼女の言葉から怪しさを感じることはできなかった。それどころか、勘太が離さなかった組織の詳細な構造や、人間関係までこと細かく証言。

 彼女は大村喜之助から意図的に距離を置かれた、事務員の一人でしかなかった。

 それもあってか、喜之助の側近であった熱海について、あくまで仕事上の同僚であり、彼個人が誰に忠誠を誓っていたのかは知らなかった。

「では最後になりますが、書類の原本はどちらに」

「全て、外事課の倉庫に置かれています。解散時の統括された他部署の書類もすべてそこにあります。場所は東棟二階、外事課執務室のある建物の一番奥です」

 寿々花は薫が最後のメモを走らせ終えると、ゆっくりと頷いた。

「ありがとうございます。これで聴取は終わりです」

「お役に立てそうですか」

「おそらく、事件の全容解剖に一歩進みましたわ」

「そう、私もこうして二十五になるけれど、後輩たちの世話ができるのは本当にうれしいわ」

「それでは、私たちは急いで鎌倉に戻らなければいけません」

「あら、大変。荷物は大丈夫なの」

「まだ、ホテルに預けたままで」

「うちから車を出しましょう。あなた大太刀持ってきたのでしょ?大丈夫、商売用のトラックがあるからそれに乗せてあげる」

「加瀬さん、あなたのおうちは何を生業に」

「基本的には雑貨商だけど、分家が山形で色々な商売をしているものだから、正直何でも屋の性格が強いのよ、明治の中頃までは船の荷を中継する仕事だったそうよ」

「そうですの、家族はさぞにぎやかなのでしょうね」

「本当にそうで、年末年始はこの家が人で埋め尽くされますから、爺や、トラック出してちょうだい。この二人を駅まで送るわ、途中のホテルで荷物も拾うから」

「かしこまりました」

「加瀬さん、本当に申し訳ないです」

 右腕を横へ振った彼女は自然とほほ笑んだ。

「気にしないの、気にしない。私はこの土地でいい人を見つけて、静かに人生を生きるとするわ。また気が向いたら遊びに来なさい」

「ところでその腕は」

「ああ、これ?昨日、加瀬家の武術を志している人を訪れた時、お庭のワンちゃんに嚙まれてしまったの、この通り問題ないわ」

「なら、いいですわ」

 

 

 

 

五、

 

 朱音から大村勘太の遺体発見が伝えられたのは、新潟駅で乗り換えをする昼の二時過ぎであった。神奈川県の横須賀で発見された彼の遺体は、顔を除いた胸部が引き裂かれ、遺体は赤黒く染まっていたという。

「これから何もかも聞き出そうって時にこれだ、初めから手詰まりがあったがな」

「でもはっきりしましたわ、大村勘太は荒魂ではない。この事件の根幹に関して口封じをされたにせよ、ほぼ無関係の可能性が出てきましたわ」

「そう思うかい」

「全て、とは言い切れませんわ」

「クロと思われる人間はノロとなってしまったし、とりあえず大村勘太と喜之助のDNA照合が終わるまでやることがないな、ちくしょう」

「私の最初の疑問が正解を導くとは思えませんわ」

「そう思うが仕方ないさ、今は一から関係者にあたっていく以外に手はない。俺の感ではあるが、あの加瀬ってやつもクロだ。なぁねね」

「ネッ!」

 ねねは加瀬多美子との会話中、薫の背に隠れて出てこなかった。それは、ねねが多美子から本能的に危険性を感じ取ったからに他ならなかった。

「ではまず人間関係と人相の照合、そして禍人であった人間の確認ですわね」

「念のためだが、加瀬の同僚だっていう職員も調べよう」

鎌倉に着いたのは夕方六時すぎ、二人はその足で管理局へ向かった。

途中でエレンが二人の前に顔を出した。

「ヘェーイ!二人ともお帰りなさいデース!」

「おうエレン、息災か」

「もっちろんデース!今日は薫の代わりに本部警護に入っていましたけど、鎌倉は何もなく無事平穏です」

(伏せたか)

「そちらも一昨日から飛び回ってばかりですが、疲れてませんか」

「あぁ、そういえば疲れたかもな、寝たい」

 薫の頭に乗っかりながら、ねねは眠ったままだった。

「そんな二人にミルクコーヒーです!」

 手元に持っていた熱さの少ない缶のミルクコーヒーを渡した。

「ありがとう、いただきますわ」

「気を使わせてすまないな」

「いいえ、二人とも頑張ってください。あと、明日は薫のバースデーデース。鎌倉にいるメンバーでバースデーパーティーを開きますから、忘れないでくださいね」

「おう、楽しみにしてるぜ」

「それじゃ、グッナイ!」

「おやすみなさい、エレンさん」

 手を振りながら、二人は静かに息を吐いた。

「少し、肩が硬くなっていますわね」

「もう少しゆったりと物事を見つめなおそうか」

 休憩所でコーヒーを飲み、二人は朱音の待つ局長室に入った。

 朱音の顔は厳しく、硬いものだった。

「薫さん、いつ大村勘太に会いましたか」

「昨年の秋近く、舞草が管理局を掌握したときです」

「では、昨日も同じ顔だったのですね」

「どういうことです」

「以前、慰霊祭の折に大村親子を写した記念写真です。あなたたちが会っていた男は大村勘太ではなく、片桐英充です」

「はっ?」

「なんですって」

「寿々花さんの報告にも疑問がありました。薫さんの証言と私が立ち会った事件当時の状況が合致しないのです」

 朱音の見た事件状況は次のようであった。

 自身に向かってくる大村喜之助を見て、薫が立ちはだかり止まるよう警告した。喜之助は冷静に邪魔だと言い刃を薫に向けた。

薫は即応で左腕を斬ったが、勢いは止まらず合口の鵐目を薫の額に打ち付けた。約二秒の静止ののち、朱音のほうへ動き出した喜之助の胸を薫の脇差が一突きにし、彼はノロとなって溶け出していった。

「おかしい、反撃される前に突いたはず」

「喜之助は禍人、彼は能力で薫さんを操作した可能性があります」

「なるほど、通りで寿々花と認識が一致しなかったわけだ」

「整理しましょう、全てを」

 局長の机を大きく広げ、そこに人物の写真とそれぞれの名前を配置、名前がメモできるよう大きめの紙を写真の下に敷いた。

 そして、それぞれの認識や証言を照らし合わせ、組織の解散は一斉に行うものであったのが、外事課によって虱潰しに解散させられていたこと、書類の提出が暫時の指示が一括になっていたことが確認された。

「なんてことなの、私は重々確認を取ったはず」

「どこかのタイミングでもみ消されたんだろう。必要とあれば喜之助の操作とやらも仕事する。片桐以外の外事課職員はみんな禍人なんだろう。本物の大村勘太は行方知れず、大方行先は察しがつくけどな」

「実は此花さん、益子さん、ここに匿名で私宛に送られてきた書類があります」

 寿々花が封筒の中身を出すと、それは二人が見たノロの総量に関する別書類だった。そして書類にはノロと思われる液体も付着していた。

「薫さん、これ」

「ああ、各数量が受け取った書類と数パーセント多い」

 寿々花の持っていた書類と匿名の書類を比較、計算し、総量の約五パーセントが消えていることが判明した。そして、書類作成者のサインが加瀬多美子ではなく、境良美という別の職員が作成していた。

「さかい、よしみ、誰なんだ」

「調べましょう。私なら職員データーベースを持っていますから」

「お願いしますわ」

 

 夜八時を過ぎ、連絡を入れていた彼女は局長室に顔を出した。

「錬府女学園警邏科高等科三年生、境良美。出頭命令に従い、参上いたしました」

 物静かな、声色の高い女性が目線を前髪で隠しながらあいさつした。

「突然の出頭命令に従ってくれてありがとう。早速なのだけど聞きたいことがあるの、いいかしら」

「はい、何なりと」

「加瀬多美子さんをご存知ですか」

「もちろんです」

「どのような関係でしたか、詳しく教えてください」

 彼女は言葉に怒気を込めながら話を始めた。

「ちょうど去年の春でした。私はノロ回収の警護班に配属されていて、よく知らないうちに職務を外事課に集約する命令が出されて、外事課に権限が集約。出勤してもやることがない状態でしたから、課題をやったり、読書をしたりしてました。そんな警備課の執務室によく訪れる外事課の職員がいました。それが加瀬多美子です。

 私は彼女と話すうち、段々と心惹かれて、加瀬さんもその気だったのか、一月後には告白されて恋人となりました。

 それで終わればよかったのですが、彼女は多忙な仕事を手伝ってほしいと机を隣り合わせにして書類作成を手伝いました。好きでしたから、頼みもききますよ。でも、先週に一方的に別れを告げられて、理由を聞こうにも電話には出ず、本部では何度行っても会えず。アパートの部屋に行っても、もう引き払った後でした」

「アパートに行ったのは何日ですか」

「十二日です」

「あの女は私を利用したんだ。そうじゃなきゃ、私を捨てたりなんかしない」

「あなたたちの関係のことは分かりませんが、加瀬多美子は重大な事件の犯罪者である可能性があります。私事ではありますが、別れて正解だったと思います」

「はい」

 境良美を本部の警護員に送らせ、三人は再び書類と写真を睨みこんだ。

「こいつは本当の数字、そして加瀬のサインがあるこの書類が虚偽の書類。しかも数値は昨年回収した回収の数値に合致する。すでに早い段階からノロが横流しされていた証拠だ」

「ええ、この付着したノロに血液が混ざっているなら、これは誰から奪い送られたのかが分かります」

「待ってください朱音様、その匿名の書類がノロによって真贋が証明されるなら、なぜ書類の提供者は姿を現さないのです」

「もしかして加瀬はその提供者に斬られているんじゃないのか」

「薫さん、それが本当な、ら」

 寿々花は怪我で切ったにしては、大きく巻かれた包帯が目にうかんだ。

「もし一刀で腕を斬ったなら」

「あの包帯の巻き方なら、斜めに大きく斬られている」

「此花さん、薫さん」

「朱音様、この書類のノロを検査したうえで、私たちにもう一度、酒田へ出張させてください」

「わかりました、詳しく聞かせてください」

 三人の意見が一致し、朱音は密かに真庭と会議し、山形県警対荒魂指揮分室に連絡、出動に向けての作戦討議が行われた。

 そうして夜は暮れ、二人が帰宅したときには既に日付を超えていた。

 

 

 

 

六、

 

六月十六日、午前八時。

遊撃隊本部室は四人と一匹全員が集合し、いつになく物々しい薫の表情が部屋を張り詰めた空気に包ませた。

「おはようみんな、遊撃隊結成以来の初の全員出動だ。相手は荒魂になった人間、禍人だ。寿々花さん、みんなに説明を」

寿々花は先日の事件のあらましと、そして操作の経過について話をした。

 そして全て折神紫の陰で暗躍していた、大村喜之助の策謀であることを結論付けた。

「分かっていると思うが、俺たちは裏切り者を斬るとか、人を斬るためじゃない。荒魂を祓うために御刀を振るうんだ。そして、禍人は並大抵の力じゃない。どんな危険が待っているか分からない。だからこそ、俺に背中を預けろ、そしてお前たちも俺に背中を貸してくれ、そうして俺はいつものようにサボれる。頼むぜ」

「最後のはいらないね、薫隊長」

「悪かったな真希さんよぉ」

「ははは、さぁ行こうか」

 薫は笑顔で頷いた。

 

「薫」

「どうしたんだよ紗耶香」

 包みを持った彼女は照れ臭くなったのか頭を搔いて見せた。

「すまねぇ、せっかくなのにな」

「水臭いデース、薫!」

 背中から抱き着いてきたエレンに振り回されながら、彼女は紗耶香の正面に引き戻された。

「私から、誕生日プレゼント」

 渡された包みを解くと、中から丸い綿のついた黒いベレー帽が出てきた。

 拙い縫製だが姿見はきれいに作られていた。そして金色に輝く五箇伝のバッジがつけられていた。

「もしかして」

「うん、私が作った。舞衣に教えてもらった」

「紗耶香が、うれしいよふふふ」

 薫は頭に被り、くるりと回って見せた。

「似合うか」

「うん、似合う」

「可愛くなりましたネ」

 そしてねねはその綿に乗っかった。

「お前も気に入ったか」

「ネネッ」

 

酒田市内に着いたのは昼を過ぎたあたり、市内は既に避難が開始されていた。遊撃隊の黒い制服に身を包む四人は全国の刀使を代表し、尚且つ最強クラスの部隊である。酒田に派遣されてきた刀使たちが彼女たちに頭を下げた。

「またどうしたんだ、急にすぎないか」

 指導真希の問いに地元の巡査は空を指さした。

 そこには赤い瞳を輝かせる無数のコウモリたちが天を覆っていた。

「このコウモリ、二日前の」

「ああ、熱海樹のアパートを訪れた時と同じ奴だ」

「実は加瀬家宅に続く道が真っ黒なもんに覆われて、家の方の避難が終わってないのです」

「救出に行きます。加瀬宅までの近道を」

「それが、避難が終わったと同時にコウモリが道をふさいじまうんです。さっきも酒田署の機動隊員がこじ開けようとして二人も怪我したんです。

「では、途中まででいいので通れる場所を案内してくれますか」

途中まで案内してもらった場所は、右手に二つの寺が並び、二人が止まったホテルのある通りであった。

「どういうわけか、日枝神社までの一本道が通れるのです」

「案内ご苦労、あとは俺たちだけで大丈夫だ」

 薫は御刀を抜かず、まっすぐ歩きだすと、他の三人は刀を抜いて薫の背に続いていった。

「お気をつけて」

 黒い壁は次第に厚くなっていき、少しずつ四人を圧迫し始めた。

「邪魔だね」

「うん、斬り開かなくちゃ」

「ネネッ!」

 目の前に壁を作ったコウモリたちが、紗耶香と真希の一閃によって切り払われた。

「こいつらの相手は僕と紗耶香でする。二人は先へ」

 駆け出した薫と寿々花をコウモリの大群が追おうとしたが、紗耶香の一撃離脱の斬りつけが何度も叩きつけられ、散ったコウモリを真希の太刀が容赦なく追い散らされた。そして、再び集まろうものなら巨大化したねねが容赦なく踏みつぶした。

 石畳の坂を上がりきると、神社の参拝する坂に二人の人影を見た。

「よくここまで来たもんだ。俺も逃げるに逃げれなくなった」

 上の場所で座る男はそう言いながら、片手には長脇差があった。

「あなたが、正真正銘の大村勘太ですわね」

「いかにも、おかしいなぁ親父がそこのオチビさんの記憶を入れ替えたはずなんだがな、一部分だけをコロッと」

「周りの人間がお前さんの顔を知っていれば、俺でなくてもいずれ分かったさ」

「だろうよ、そうして時間稼ぎにはハマってくれたじゃないか」

「大村勘太、加瀬多美子、あなたたちの目的は」

「刀剣類管理局に政情不安を起こしたかったのさ、とにかく混乱が起きれば俺たちが出張る場所も増える。そうすればもう一度、刀剣類管理局を裏社会の手で回すことができる。タギツヒメが支配していたころは間違いなく、そうなっていただろう」

「ふっ、浅はかなことこの上ないですわ。そんなのじゃあ朱音様の体制を乗っ取ることも、禍人であり続けることもできませんわ」

「いいさ、進退窮まって策に出たが、結果は本当のご主人さまに見捨てられる。尻尾がないからかみつくしかないのさ」

「主人をもつ犬が他人に食って掛かるのか」

 薫の一言に勘太は立ち上がって階段を数段上った。

「来いよオチビ、上で勝負だ」

「ふん、望むところだ」

 彼に入れ替わるように、顔の半分が荒魂化した多美子が階段を下り、長脇差の切っ先を薫に向けた。

「もう終わりなのよ、さぁ死んでちょうだい」

 斬り込む寸前に寿々花は多美子の間合いに踏み込み、太刀を受け止めてそのまま別所へと押し出した。

「寿々花さん、頼むわ」

「はい、隊長命令とあらば」

「ありがとよ」

 立ち上がる多美子は寿々花をぐっと睨み込んだ。

「どうしましたの、貴女も元刀使なら写シを張ればよろしいですわ」

 しかし、歯ぎしりをするばかりで多美子は何もなかった。

「大方、力の衰えを認められず、ノロを取り込んだ結果、神通力を引き出す力も、御刀からの力も得られなくなったのですわね」

「あんたに何がわかるのよ!」

 突っ込んだ多美子の剣は単純にして粗暴、がむしゃらに剣を振るばかりで寿々花は鎬で受け止めるような真似をせずとも、いとも簡単に避けた。

 やや籠手返しを緩め、わざと鍔迫り合いに入った。

「何も分かりませんわ」

「あんたのような少し腕の立つ刀使が、紫様の近くにずっといて、私は地方を転々として、いつか鎌倉の本部で戦うことを夢見た」

強引に振りかぶった多美子の剣は空を斬り、前のめりに倒れ込んだ。

 寿々花は無理に動かず、ただ脇に避けて間合いを離しただけだった。

「そして、そしてやっと、やっと本部に配属になった。なのに、衰えが始まってしまった」

 起き上がった多美子は自身の左腕を斬りつけると、その傷口から無数のコウモリたちが飛び上がった。

「だから力が必要なのよ」

「それは本当に紫様やみんなが欲したあなたの力ですの」

「黙れ!」

コウモリは写シを張った寿々花を傷つけることはできない。だが、彼女の視界と行動を制限することはできる。

 だが、寿々花はあまりにも落ち着きを払っていた。

 コウモリの切れ目が一閃となった瞬間、多美子の視界に寿々花はいなかった。そして、一閃が抜けたわずか頭上を飛ぶ寿々花の姿を認めた時、多美子の右腕は体から切り離された。

 視界が明けると、両腕の不自由となって多美子は膝を地に突いた。

「そんな」

「加瀬多美子さん、あなたの信念、そして夢は叶えられましたわ。でも、いつかは後の代に譲らねばなりません。刀使は決して御刀で力を得続けることが、全てではありませんわ」

 顔を上げた多美子は寿々花のまっすぐな瞳に、何も返すことができなかった。

「負けよ、私は負けたわ」

 泣き出した彼女は、声が長く続いていくごとに、空が少しずつ灰色から青色を取り戻していった。

 寿々花は九字兼定を鞘に戻した。

 

 

 

 

 

 階段を登り切った先で勘太が笑みを絶やすことなく待っている。

「御刀、抜いたらどうだい」

「必要ない」

 大村勘太は抜き身の長脇差を肩に負い、そして蜻蛉の構えに移った。

「俺もな、薩藩の示現流でな」

「俺は薬丸自顕流だ」

「そうかい、残念だ」

薫が鞘を水平にしようとした瞬間、雄たけびをあげて俊足の一歩が薫の間合いに入った。

(勝った)

「きぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ」

 勘太の上半身が既に真っ二つに斬りたたかれ、それが下からの一撃であることを理解する前に大村勘太はノロとなって周囲に飛び散った。

 その一撃は境内の石畳をそっくりそのまま引きはがし、

祢々切丸の七尺一寸の刃は地面を数メートル掘り起こしたが、刃こぼれ一つ起こさず、地肌は天頂を包む澄んだ青空を写し込んでいた。

「お前と一緒にするな、馬鹿野郎」

 そして形状をわずかに保っていた鞘はばらばらと地面に砕け落ちていった。

 

 今日は益子薫、十六の誕生日。

 あまりに慌ただしい数日の中で、

ただ彼女は黙々と、

その日、その日を生きたに違いなかった。

 

 

 こうして再び、惰性の日々が始まる。

 彼女とともにある、多くの人たちとともに

 健やかで、平穏なる日々を

 

 

 



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各話解説

思い付きではありましたが、楽しく書くことをモットーにしました。少しばかり今までのお話を振り返りたいと思います。

 

第一話「眠り姫の目覚め」

 可奈美と姫和が隠世から戻ってきて四か月、結芽ちゃんもあの世から帰ってきてしまったという妄想を文章化。新しい居場所、新しい仲間、戦う理由、一周回って丸くなってしまった彼女はどこへ行くのか、そんな第一話です。

結芽ちゃんには新しい御刀『ソハヤノツルギウツスナリ』としましたが、実は選定に迷い、刀剣図鑑から結芽の背丈に合う名刀を選びました。そして、指摘されるまでちぃねぇの御刀であることをとんと忘れていました。ワシ情けない。

 

第二話「再開と未練」

 実は可奈美と結芽のからみがもっと見たいという願望の第二話。これが書きたかっただけだろ、そんなお話。もちろん、丸くなった結芽がどうやって鍛え抜かれていくか、周りの人間はどうやっても結芽ちゃんを救えないのか、最終話のプロットから多分に影響がある話となりました。

 

第三話「横浜の踊り子」

 荒魂と化した殺し屋を第二課が倒す!と、カウボーイ・ビバップを見ながらプロット書いてたせいで、こんなお話になりました。この回から結芽ちゃんは柔術を組み合わせた戦闘スタイルに変化していきます。道場で見て、体験したことを全て自身の能力にする、結芽ちゃんのポテンシャルを再見する回でもあります。

 

第四話「一人の逃亡者」

 アニメ本編を見ていて、親衛隊は先代が存在し彼女たちは実験台としてすりつぶされたのでは?という考察をし、誕生させたのが初代親衛隊の国府宮鶴さんです。もちろん、彼女も訳ありで入ったから、少佐は『仕掛人・藤枝梅安』の全てを失い仕掛人となった彦次郎から彦というコードネームを付けました。と言っても本作で一番幸運なのは鶴さんなのですがね。本当は御前試合で何度も刃を合わせた獅童真希とのギャグシーンを足したかったが、やらずじまいでした。

 

第五話「湘南怪獣大決戦 江ノ島危機一髪」

 はい、ギャグ回です。書いてて一番楽しかったです。ただし、ここからがこの物語の本筋となっていきます。彼女たちの友情関係も次回へつながっていきます。

 

第六話「青子屋の女主人」

 本当は敵組織の大親分の登場回!だけど梅さんがあっさりと倒しちゃいます。

ここから装備(柄)が一新し、結芽ちゃんも心機一転、ここから始まる大災厄に立ち向かっていくことになります。ちなみにちぃねえさんの御刀は清水寺に奉納さている『騒速』という言い訳がましい後付けをしました。でも『騒速』数振りに、さらに『漆黒剣』を腰に帯びて東日本に眠る怨念が具現化させた荒魂軍団を仲間とともに斬り祓う…カッコいいなぁ、それで一本書きたいですね。

 

第七話「宿命の刀使」

 結芽ちゃんを両親が見舞いに来ない理由をあれこれ考えて、一番極端な例を本作の設定に採用しました。そして生まれたのが梅こと燕恵実。彼女の過去が全て『結芽錯綜記』の根幹であり、結芽の人生を最初から狂わした原因とも言えます。私にとっては結芽ちゃんの宿命そのものを書きたかったから、宿命の象徴である肉親を描くことはテレビシリーズ本編を観てきて自然と書きたくなったことでもありました。

 

第八話「導きの剣」

 夜見さんを出したい。コタツでぬくぬくしてほしい。そうして出来上がった最終回。結芽ちゃんの成長は続いていくけど、きっといいおねぇさんになってくれるだろうなと、再びアニメ本編を観るとつらくなってくるよ…。

女の子は涙の分だけ強くなれる。とじともでは結芽ちゃんの成長見守り隊。失礼しました…。

 

外伝㊀「雪夜の灯」

 紗耶香ちゃんかわいいよね。それだけのお話です。

 ちなみに錬府の新学長ってことで設定した湖衣姫学長は、実は鶴さんの先輩で初代親衛隊隊長と設定してみました。何かと世話見の良さは先輩譲りであることもあって、本編終了後は初代親衛隊と遊撃隊との懇親会を開きトラブル発生、あとで朱音からこっぴどく叱られるのですが、そういう話を書いたら趣旨が変わるので断念。

 

外伝㊁「抜即斬祢々切丸」

 お話は結芽が復活し、目を覚ます直前の出来事。薫と寿々花が青子屋の脅威と戦うお話。実のところ、薫が大太刀で抜き打ちをするところを書きたかっただけなんです。

 

外伝③については「神起編」本編への組み込みのために削除しました。



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完全版『異譚・神起編』邂逅之章
第一話「混乱」


『異譚・神起編』は以前執筆した結芽錯綜記本編および外伝を再構成したSSです。6割は内容が重複していますので、それでもよろしければお読みください。
内容は基本的にアニメ一期をベースに、とじともの内容を含む形になっていますが基本的にはアニメに準じた時間軸で話が展開します。
どうぞみなさん、よろしくお願いします。


 序

 

 あれから二か月、というのは正確ではない。

 春の演武大会から一か月半、夏に入って梅雨の終わりもあと少しという時期になった。

 それだというのに濃い水臭さが空を覆い、コンクリートの地面を湿らそうとしている。

 匂い立つ季節、言い知れぬ不安かられて薫は脇差の副御刀の懸架具合を見た。

 ここは与党議員会館、あの鎌倉漏出事件からほぼ一年がたとうとし、新政権となった新与党との正式な和解と情報開示が発表されようとしている。長い交渉の末にようやく公的に刀剣類管理局はその独立性を取り戻すことになる。折神朱音の護衛である彼女は、黒と白の遊撃隊制服に隊長を示す徽章を付け、張り詰めた空気に顔は強張る。

 報道カメラの嵐のようなフラッシュと、けたたましい質問の嵐。

 朱音はただ落ち着いて、今日が刀剣類管理局の再出発の日であることを喜ばしく思うと言って見せた。

 そして会館の入り口に差し掛かった時、薫は殺気を感じて元来た道を振り返った。朱音の背中めがけて走る礼装の老人の、手に握られた短刀が目に入った。

「止まれっ!」

 老人はすぐに警官の三名に抑えられたが、老体には似合わぬ軽やかな身のこなしで警官たちの体を斬りさばいた。

 彼女は一瞬のためらいをはらって虎徹の切っ先を老人に向けた。

 悲鳴とフラッシュの嵐、その輝きの中で老人の身を纏う赤い、赤い幻影が見えた。

「何をしているんだ。その合口を捨てて投降しろ! 今なら御刀を振るわずに済む」

「できまいだろうに……」

 ためらいもなく飛び込んできた老人は低く薫の横を跳ね飛び、朱音に狙いをめがけた。

「大村さん……なぜ……?」

「状況がな!」

 とうとう写シを張り、老人の胴に一太刀を加えた。だが勢いを崩しながらも、老人は薫を斬りつけ、その刃が顔をすっぱりと縦一文字に斬った。

 まるで取り組みの一場面を撮るようにフラッシュが幾十閃と焚かれる。

 そして、虎徹の切っ先が胸に走り、老体は琥珀色の液体となって衣服とともに薫の体にかかった。

「おい、どういうことだ」

 目の泳ぐ薫を朱音は手を取り、議員会館の中へ連れ込んだ。

 

 

 

 

 雨は降りだした。永田町のビル群は深いグレーの底に沈んだように東京の空に溶け込む。赤いランプと、記者の声が雨音と合わさってけたたましく鳴り響く。しかし和解の協定は滞りなく進行し、政府与党はついに事件の全貌解明という公約を果たすことになる。

 

 

 

 

 1

 

 同日の夕刻、鎌府女学院より長谷駅へ抜ける長い坂道、ここは元々切通しであった道で大規模な工事の末にそれらしいものは岩をくり抜いた短い隧道だけである。一人、刀袋を片手に高徳院近くの鎌府寮を目指す幼さのある少女は、今まで気にもしていなかった切通しを一直線に貫く青空を見上げていた。

 何もかもが通り過ぎるだけ、自分らしいものと言えば御刀を振るうこと。気にも留めず過ぎ去ってきた景色には、静けさを讃える朝顔の澄んだ色が季節の営みを伝えようとしている。自分にはこれほどに世界が溢れ、その中からの僅かばかりの輝きを集め、大事にだいじに手の中に包むことができる。これほどの幸せがあるのだろうか。

 彼女の白い絹のような髪を風がそっとなぜる。

「紗耶香、糸見紗耶香、五番目の子、私の妹」

 毛を逆なでするような声に紗耶香は振り向いた。

 その白く長い髪はプラチナのように金の混じった輝きをし、その優しくも寂しげな顔が下に立つ紗耶香を見つめている。その手にした二つの刀が両刃となった剣を持っている。

「誰?」

「忘れたの? なら、それでいいわ」

 飛び込んできた刃は刀袋と鞘を撫ぜ斬り、紗耶香は咄嗟に石突で彼女を突き飛ばした。その隙を見て刀袋を鞘ごと払い捨てた。

「やめて、戦いたくない」

「戦う? 必要ないわ、今すぐここで死んで!」

「なんで」

 写シを張った瞬間、両刃の突きが脇を抜け刃を鎺で受け止めながら、彼女の懐に飛び込んだ。

「あなたはあの高津雪那によって完成された存在」

「わからない」

「だから完全体になる前に、死ななくちゃいけないのよ!」

 困惑しながら刀使としての彼女はその大ぶりの剣を完全に抑え込み、三歩引いて隙を産んだ瞬間に大剣は地面を叩き、切っ先が彼女の眼前に置かれた。

「お願い剣を収めて、大事な話ならちゃんと聞くから」

「やさしいのね、でもそれが!」

 強引に振り上げられた剣が紗耶香の腕を斬り、そして左袈裟で写シを斬り剥がした。

 紗耶香の目にははっきりと赤く輝く写シが見えていた。

「さようなら!」

 切っ先が引いた瞬間、女は飛び込んできた影に道端へと押し倒された。

「うちの紗耶香に、何してんだ!」

「用があるの」

「なら、その御刀は荒魂が出る時まで納めとけってんだ!」

 蹴り飛ばされたが慣れた足取りで、腰に差していた二振りの短刀を抜きはらい、間合いを離した。

 フード付きのパーカーを着る錬府の女学生は、無構えで大太刀の女に相対した。

「呼吹」

「よぉ、立てるか?」

「うん」

 だが赤い写シに守られてか、女は静かに立ち上がった。

「なんなんだありゃあ」

「わからない、でも私を殺すって」

「殺す……また物騒な……ん」

 呼吹の表情は硬く、女への嫌悪感をあらわにした。

「なんで生きているんだ? 高津のばぁさんに処分されたはずだろ」

「呼吹、四番目の姉妹になれなかった子」

「やっぱり覚えているか」

「あなたを斬る理由はない。帰って」

「は! 悪いけど俺のダチに手ぇ出しといて見逃せなんざ、虫が良すぎるぜ花梨!」

 八双の構えから呼吹への叩き下ろしを妙法村正の鎬が流し、火花を散らしながら紗耶香の耳を劈いた。だが、長尺の刃が紗耶香の写シを薙ぎ斬り、御刀をあらぬ方へと弾いた。

「てめぇ」

 両者の懐に飛び込んだ呼吹が女の腕を柄で跳ね上げ、その胴を左右から鵐で殴りつけた。

 苦悶の声を聴くと同時に、呼吹は紗耶香を伴って間合いを遠く離した。膝を突くと突き上げる痛みに唇を嚙み絞め、紗耶香は女との間に転がる村正を見つめていた。傷つくはずのない御刀にはくっきりと刀傷が走っている。

「逃るぞ」

「駄目」

「ばか、死にかけたんだぞ」

「御刀は、妙法村正は命の次に大事だから」

「なら」

 突然女の大笑いに、呼吹は絶句した。

 急所を当て、立ち上がれるはずもないと考えていた呼吹達の前に、切っ先を引きずる女の姿があった。

「写シなしで、下手したら骨が折れているはずなのに」

「違う、赤い何かを纏っている」

「写シ? んなら!」

 呼吹は強引に紗耶香を引っ張った。

「紗耶香」

 だが、頑なに動かず。その一歩を村正の方へと進ませた。

「妙法村正ですか……あの高津雪那との絆とでも」

「違う、誓い。もう何も失わない、失わせないための誓い」

 紗耶香の瞳はまっすぐに女の瞳を覗いた。幼さとは違う、彼女らしい決意を秘めた目。

「じゃあ紗耶香、私と来て。あなたは普通じゃない。いずれかそのことを知った人間にいいように使われる。その前におねぇちゃんとどこか遠い所へ」

 その差し伸べられた手に小さく首を横に振った。

「わからない。私はあなたがわからない」

「紗耶香、聞くんじゃねぇ」

「あの頃、あなたはもっと小さくて、実験体としてあまりにもか弱く、能力付与の初期のモルモットになるはずだった」

「無念無想のこと」

「おい!」

「無念無想はまだ完成されていない。あなたにもそれがわかるはずよ」

 記憶にちらつく雪那ではない、やわらかな影に目の前の女が重なった。

「誰? あなたを私は知っているの?」

「思い出して、私は二番目の家弓花梨」

 叫び声がして、その一撃が花梨を壁に叩きつけた。さらに、播つぐみは不慣れながらその一閃で、両刃剣を舗装路に食い込ませた。

「やっと追いつきましたね」

「え、どうしてつぐみが」

 彼女の肩に見覚えのある小さな獣が元気よく紗耶香に手を振った。

「ねねさんの調査が一区切りしたので間に合うかと思ってきたのです」

 紗耶香は妙法村正を手にし、呼吹とともに再び花梨へと相対した。

「四対一では不利、紗耶香、また会いましょう」

「待って」

 引き抜いた剣で腕を斬りさばき、そこから流れた血が十数体の荒魂となって三人に襲い掛かった。

 三人は密集し応戦しながら、花梨が飛び去って行くのを横目に見ているしかできなかった。

 バラバラになった荒魂を見つめながら、紗耶香は悶々と花梨の姿を過去のうちから必死に探した。だがわからなかった。彼女の手には傷ついた御刀の姿があるのみだった。

 

 

 ────────────────────────

 

 

 真庭紗南は画面に映し出されるニュースを丹念に見ている。時折動画のスクロールを戻し、薫が斬られ硬直した瞬間を何度も確認した。

「真庭司令」

 お茶を持ってきた気品のある声に身を引き締めた。

「此花、大村喜之助が朱音様を襲った。いや、襲ってしまった」

 お茶の礼を言うと一口飲んで無理に肩をやわらげた。

「どうしても組織の刷新のため、動かなかった一部署を解体しようしただけでこうもなるのは、不可解なことですわ」

「大村という人間、どうなんだ」

「紫様に、いえタギツヒメにノロを短期間で収容する計画を提案し、わずか三年で従来の回収量の五倍の量のノロを集めました。私は計画のためには必要な方と思っていましたが、同時に紫様にあだなす老獪な人物であるとも見ていました」

「大村喜之助の外事課……ノロの効率的な収集を目的とした総合部署。そして、舞草体制での粛清対象」

「必要なことと存じています」

「ありがとう、だがなぜ朱音様に? しかもあんなに目立つ場所で? しかもまた禍人が現れた。頭が痛い」

 

 鎌倉の本部では各方面からのひっきりなしの問い合わせ、関係組織との協議、これに日付変更とともに公表される『タギツヒメ事件』の全容報告書。十分に重ねてきた準備が全て台無しとなった。

 

 しかし、荒魂が発生すれば刀使たちは事態の是非に関係なく出動しなくてはならない。今日も奈良と三重の県境で数人の刀使たちが荒魂を追い詰めていた。

「可奈美さん! そのまま群の後方へうさぎ跳び! 私たちは農道を伝って道を塞いで!」

 岩倉早苗の怒号とともに美濃関と平城の混成部隊が展開、可奈美は迅移で谷間の森に分け入った。その間に隊は広く広く群を囲い込み、それぞれの持ち場で荒魂たちを森側へと押し込んでいく。

「よし!」

 早苗は高く掲げたスターターピストルの引き金を引き、音が鳴り響いた瞬間に可奈美が包囲の抜け穴に飛び込み、一気に八体の荒魂を切り伏せた。

「今です!」

 群に飛び込んだ彼女たちは小型の荒魂たちを一気に殲滅し、あっという間に戦闘が終わった。

「姫野さん、待機の回収班を呼んで」

「はいはーい、あと地元機動隊にも任務完了の報告しとくね」

「ありがとう、お願いね」

 駆け寄ってきた可奈美に早苗は嬉しそうに彼女の手を取った。

「可奈美さん! 今日は本当にありがとう! 私の無茶を聞いてくれて」

「ううん! 作戦もタイミングも完璧! 一人じゃこうはいかないよ」

 電話がかかり、可奈美に断って応答した。

「はい岩倉です。はい、はい、え、はい、そう伝えます」

 一変して真剣な眼差しの早苗に自然と背筋が伸びた。

「緊急で私と可奈美さんに明日香村へ向かってほしいそうだよ、すぐにヘリが来るって」

「うん、でも何だろう」

「とんでもない赤羽刀が出てきたから護衛を頼むって」

 

 

 



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第二話「神刀」

 奈良県警所属のヘリが二人を乗せて夕暮れの落ちきった奈良県、明日香村に到着した。

 二人は地元警官から事情を聴き、さらに新たに現地に到着した刀使と合流した。

「可奈美~! こっちー!」

「美炎ちゃん、それに智恵さんにミルヤさんまで」

「メンバーは足りないですが調査隊がここの発掘現場で赤羽刀が出たというわけで、昼から埋文の方々と一緒にいるのですが」

 ミルヤの彼女らしくない濁し方に可奈美と早苗は互いに顔を見合わせた。

 見ればわかる。そう言われて工事用ライトに包まれた発掘現場に入るなり、二人は息をのんだ。

 銅鏡や貝飾りの並ぶ中に三振りの錆に覆われながらも輝きを保った鉄剣と直刀が並び、その威圧的な力に早苗が一歩怯んだ。

「私にもわかる。あれは普通の赤羽刀じゃない」

「三振りともは古墳時代によく見られる物です。でも、形状と文様から日本で珠鋼が作られる以前のもの……中国からやってきた神代の御刀だと思われます」

 ミルヤの言葉に信じられず見まわすが、先に来た三人、そして可奈美の表情が嘘をつかなかった。

「ほぅ見事なものですね」

 何食わぬ顔で入ってきた白衣姿の女学生に瀬戸内智恵は肩をすぼませた。

「エミリーさん、来たなら来たっていってほしいわ」

「いやごめんなさいね。異動前の最後の赤羽刀の調査ですから、スキンシップは最小限にしたいのです」

「まったく」

 学芸員の案内で御刀の傍に降り立つと、そっと地中から御刀を掘り出した。そうすると刀身に薄っすらと白い輝きが纏っている。一同が息を飲む中、渡邊エミリーは笑顔で状態を舐めるように確認した。

「ふふふ、火傷しちゃいそうですね~」

「エミリーさんこれはどういう御刀なのかしら」

「来歴はともかく、隋の時期に大陸でも珠鋼とノロが存在した。しかし仙人たちは荒魂の発生そのものを消すために珠鋼から神力を抜き取り玉鋼にしてしまった。だが、同じ時期に珠鋼の製法は日本列島に渡り、今は日本でしかノロと荒魂はない。つまり日本国内外で作られた世界的に貴重な作例なのですよ!」

「なら! すぐに特祭隊本部に連絡しないと」

「それができないのよ美炎ちゃん」

「え」

「学長たちは一斉に鎌倉での会議に向かってる。理由は」

「与党議員会館前の刃傷沙汰未遂事件ですね」

 早苗、可奈美、美炎は初耳であった。それにエミリーは拍車をかけた。

「だからこそ、皆さんにはこの御刀の回収と長船への護送をお願いします。これは学長、学長代理からも命じられていますんで」

 と傍にいた学芸員の男性が気になることを言い出した。

「この石室は上面を覆う蓋が存在していたとみられますが、この古墳の発見時、石室が内側から掘り返されたような跡があったんです」

「盗掘ではなく?」

「盗掘があったら副葬品が全て残っているはずがありません。しかし蓋がなく、それでいてわざと埋め戻したと思しき周囲の盛り土。今までの発掘例ではありえないことです」

 ミルヤはいぶかし気に周囲を見渡すが蓋らしきものはない。

「もしかしたら、この規模。蓋は酒船石では?」

「ここから西の場所ですよ!?」

「もう少し調査をお願いします。今は三振りの御刀を回収します」

「わかりました。何かわかれば早めにお教えしましょう」

 御刀は厳重な箱に収められたが、威圧的な空気は箱を越えて彼女たちに浴びせかかった。

 美炎はその威圧的な空気の中に、ほんのりと、何か違和感があることを感じ取った。

「不思議な感じ、まるで誰かを探し続けているような雰囲気」

「誰か?」

「うん、ほら可奈美たちが鎌倉へ向かう直前に世界が歪むような感覚があったじゃん? それと似ているけど……これは力じゃなくて声のように感じるの」

 問いかけるような目に可奈美は首を横に振るしかなかった。

「私にはわからない。でも美炎ちゃんは私と違う感じ方をしているから、この御刀の由来を解くヒントになるかも」

「この遺跡といい、御刀といい、不可解なことばかりです。ですから、私たちはそれが大事に及ばぬよう対処していくのが任務。必ず解き明かして見せましょう」

「はい!」

「さっすがミルヤさん!」

「じゃあみんな、ヘリに向かうわよ」

 彼女たちが東京と鎌倉での一件を知ったのは長船の寮でであった。

 

 

 2、 

 

 この特祭隊本部には大小いくつもの道場があり、流派や隊ごとでの稽古に頻繁に使われる。

 時を同じくした一室に、大ぶりの木刀で刃を合わせる二人と、それを見守る一人の刀使がいた。

「きぇえええええええええええ」

 強烈な打ち廻りを素早く逃げていきながら、切っ先が背の低い彼女に走る瞬間が何度も起こった。

「ほぉらほらほら、いつにも増してかっこかわいいよ」

「ああもう!」

 息を切らせた瞬間、青い髪の刀使は刃を静かに滑り込ませ、のど元に二度軽くたたいた。

「ぐっ、参った」

 剣を置くと二人は汗をぬぐいながら、古波蔵エレンが用意してくれたスポーツドリンクを口に流し込んだ。

「これで三勝一敗、どう? これで私とデートに行ってくれるよね薫」

「えぇ~」

「じゃあ私がこれから五連勝したらデート、いい?」

「おい山城、俺は遊撃隊隊長だ。そう簡単に負けられるかよ」

「よし、約束だよ! いざ尋常に勝負! しょーぶっ!」

 立ち上がった山城は木刀を手に素振りをはじめた。

「随分とパワフルですネ、力み過ぎとも言いマス」

「ああ、腕の振るえが、まだ収まらなくてな」

 エレンは小太刀ほどの木刀を薫に差し出した。

「なら、私に見せてくだサイ!」

 薫は大太刀の木刀を置くと、エレンから小太刀の木刀を受け取った。

「おい山城」

「何?」

「お前が五連勝したらデートだな」

「おお! そうだよ」

「連勝が一試合目で止まっても文句は言わないな」

「ふふん、自信あるんだ」

「ちょっとな」

 薫は小太刀を腰に収めたまま、やや体を前傾にし、大太刀を構える山城を睨んだ。

 エレンが試合開始を叫んだが最後、長い木刀は宙を舞い、切っ先は彼女の喉笛下に滑り込んでいた。

「え、参った……そ、そんなぁ~!」

 薫がどうしても大太刀を使わざるをえない。それは彼女が祢々切丸を扱うことを定められていたからである。だが、彼女の副刀となった御刀は総じて脇差であった。そして脇差の御刀をわざわざ任務に使うことは無きに等しかった。

「斬りすぎちまうんだ。祢々切丸を使うのとは違って、祓う荒魂を傷つけすぎちまう。終わらせるときは一太刀じゃなきゃダメなんだ」

「なら、せめて御前試合の時くらいは虎徹使ってもいいんじゃない?」

「俺は刀使だ。荒魂を払うことこそが大事。それだけさ」

「うーん、かっこかわいい……」

 結果、四勝一敗。もちろん薫の戦績であり、山城は小太刀を扱う薫の太刀筋に慣れていないこともあってか、一本を取るのが手一杯であった。最後の一番が終わったところで、道場の出入り口に見慣れた顔がいることに気が付いた。

「こんにちは寿々花サン!」

「こんにちは、薫さんにお話しがあって」

「ん、俺がなんだって」

 タオルを首にかけたままであった。

「ええ、薫さんに昨日の件についてお話があります」

「ん、二人だけのほうが良さそうだな。すまないがエレン、山城」

「構いませんヨ」

 山城も木刀を片付けながら大きく手を振って見せた。

「次こそはデートに付き合ってーぇ!」

「わるいな、こんどな」

 本部指揮所ロビー脇の休憩所。周りに人はなく二人で向き合った。

「そういえば、ネネとご一緒ではないのですね」

「あいつは鎌府にある研究室にいるんだ。本格的に荒魂の構造を解析するためだそうだ。紗耶香が世話を見てくれているし大丈夫だろう」

「さみしくはありませんの」

「まぁな、こうるさいのがいなくてちょこっと」

「ふふふ、じゃあ」

「ああ、本題に入ろうか」

 寿々花はまず既に事情聴取の行われた暗殺未遂の一件について、当時の状況を薫に語ってもらった。

「朱音様が会館の入り口に歩みを進める中、組織の幹部陣に目を向けたら朱音様を見つめ続ける目があった。全員が朱音様に頭を下げていたんだから、すぐに目が付いた。その瞬間だった。大村の懐からかがやく短刀が見えた。安全と踏んでいたから、刀使の警護は俺一人、周りに十人も警官が張っていたんだ。だが、大村を押さえつけた警官があっという間に斬られた。だから俺は朱音様の背につき、脇差を抜いた。止まれと叫んだが、大村は全力で駆け込み、俺めがけて突進してくる。手始めに胴の急所外を斬ったが。逆手に突くように脇で構える動作を見て命の危険を感じ、こう切っ先を滑り込ませた」

「そして、ノロが胸から吹き出した。手、震えていましてよ」

 薫は震える手でカップを手にし、茶を一口飲んだ。鎌倉の澄んだ空を見上げた。やや白い。

「頭が真っ白になったよ。さすがに人がノロになるなんて初めて見たからな」

「でも、人となった荒魂が潜んでいた、そのことに疑問は感じませんでしたか」

「ああ、禍人が管理局内に潜んでいたとはな」

 薫の問いかけるような目に寿々花は首を振った。

「私自身、大村喜之助が荒魂であったことは知りませんでしたわ。朱音様の手元にあるアンプル配布者の書類にも大村の字はありませんでしたわ」

「それでおばさんや朱音様が?」

「ええ、私とあなたに肝いりの調査を依頼されましたわ」

「ん、俺も」

「あなたでなくてはと、朱音様がおっしゃっていらしたので」

「ううん、いや、手伝わせてくれ。納得できないまま日を費やしたくはない」

「本当によろしいのですね」

「刀使に二言はねぇ、それに管理局が必死に取り戻してきたものに泥をかけるような真似をされたのが一番気に食わねぇ」

「私も思いは同じですわ」

 二人は息をそろえたように立ち上がった。

「まずは資料調査といきますか」

 

 



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第三話「再会」

 京都の駅近くの商店街、私服の可奈美はキャリングケースと刀袋を持ち、商店を見て回る。

「へぇー、ここならいい食材がそろいそう!」

「でしょ! あとこのアーケードの出口の方に抹茶を使った絶品のソフトクリームがあるからおすすめだよ。じゃあ私は任務があるからここまで、十条さんによろしくね」

「ありがとう早苗さん、またね!」

 可奈美はしばらく歩きながら、馴染みのない食材に目を輝かせた。ここは京都の味覚の中心地、地元の人間からプロの料理人までありとあらゆる人が買いに来る。

 と、正面からフラフラと手に長い袋をもち、深くフードを被った女の子が来た。可奈美に気にする素振りも見せず通り過ぎたが、可奈美は何かに気が付き呼び止めた。

「な、なに……?」

「あなたも剣術習っているの? 薬指のタコでわかるよ」

「え」

「ねぇここらへんに剣術道場あったりしないかな? 友達との待ち時間が長いから、勉強に行きたいの!」

「知らないよ……だってここ初めてだし、だいいちおねぇさん誰?」

「私? 美濃関学園の刀使、衛藤可奈美だよ。よろしくね」

 フードの中から覗く驚きの表情に可奈美は目を丸くした。

「え、燕さん……?」

 フードの少女は踵を反して人込みの中を走り出した。可奈美は彼女を追おうとするが荷があるために動きずらい。彼女がやっとのことで商店街の出口に出た時、少女は弱弱しく膝をついていた。

「お腹すいた……もう走れない」

 可奈美は少女の背中に抱き着き、そのまま体を起こした。

「何かたべよっか! 私もお腹すいちゃったし」

「お、おねぇさん……?」

 昼食を終えて、早苗に教えてもらったアイス屋に入った。

「おまたせ燕さん」

「結芽でいいよおねぇさん」

「じゃあ結芽ちゃん! アイス食べよう!」

「うん」

 ややぎこちないが嬉しそうにアイスを受け取った。

「一日くらいなら泊まれる場所を用意できるよ」

「ほ、本当に」

「うん、ちょっと裏技を使うけどね」

 互いにとって倒すことのできなかった最強の剣士にして刀使、衛藤可奈美とそして燕結芽が向かい合う。

「それにしてもこんなところで出会うなんてね」

「ねぇ、聞かないの、結芽がなぜここにいるのかを」

「うーん、それはね」

 刀袋に手を添え、それは御刀があるからだと言った。

「タギツヒメを送ってから、何か不思議なことが起きても、それは色々なことの積み重ねでちゃんと良くなるように動いていくんだって、そう思うようになったんだ。だから、結芽ちゃんに何があったかは何も聞かない。でも、きっと話してくれると信じてる。前に戦った時、結芽ちゃんは正直にしか剣を振れないように思えたんだ」

「笑いながら戦っていたんだよ、楽しんでいたんだよ?」

「あなたが本気を出す寸前、私を最後の相手に選んだんだよね」

 邪魔が入る寸前、結芽の顔は単純に楽しむことから、最後の一時をここで使い果たすことを決めていた。だからこそ、あの邪魔に入った二人に心底怒りを覚え、殺意を抱いて終いには剣を鈍らせた。

「そうだよ、だっておねぇさん、誰よりも強いもん」

「ごめんね」

「どうして?」

「あんな形で勝負をないがしろにして」

「いいよ、おねぇさんにも大事なことがあったんでしょ? 結芽はどうしようもできないことだったもの、気にしてないよ」

「ありがとう結芽ちゃん。ねぇ、私の事かなみって呼んでほしいな」

「ええ! ん、うーん、かなねぇ! どうかな」

「いいと思う!」

 そうして、二人は無邪気に笑いあった。

「おかしなの、剣を合わせてばかりで話なんてこれっぽっちもしたことないのに、かなねぇとはまるで」

「まるで」

「まるで……」

「まるで?」

「分かんないや……」

「私も分からないよ、でも刀使って時には試合で戦って、時には背中を預けるから、家族みたいなものかも」

「家族」

「そう、まいちゃんや、ひよりちゃんにエレンちゃん、薫ちゃんにネネちゃんも、みんな私の家族だよ」

「そっか……そうだね、きっとそう……だよ」

 今まで見たこともない心の底から沸き起こる温かな表情に、可奈美は自然と絆されていた。

「さ、溶けちゃうから食べよう!」

「うん!」

「私も一緒によろしい? ク・ロちゃん」

 結芽はその聞き知った声に可奈美の背中に逃げ込んだ。二人の頭上に大荷物を背負った灰色の髪の女性が立っていた。

「う、梅……見つかっちゃった……」

「あの、結芽ちゃんをご存じなんですか」

「そうだよ、そいつの今の上司だからね」

「上司、つまり今、結芽ちゃんをお世話している人ですね」

 可奈美の真剣な面持ちが梅という女性に嘘をつけさせなかった。

「心配しないでも怖いことはしてないよ」

「嘘つきぃ」

「嘘つきだよ、嘘つかなきゃここに来れるもんか」

 やや、顔を出したことが不覚であったことに結芽は気が付いた。

「大尉から言伝、先の任務の御褒美で一週間ほっといてやるそうだ」

「え」

「ただし黙って出ていった罰として、私が始終同行する」

「それ、保険ってやつ」

「いいや、あんたのお陰でお前の稽古と酒飲みができる。利用させてもらったよ」

「私も稽古に参加していいですか」

 突然、目を輝かしながら答えた可奈美を相手に梅はたじろんでいた。

「あのね、貴女。こっちはこいつにも、あなたにもいい提案をしているの、話のコシを折らないでほしいな」

「でも、結芽ちゃんと手合わせしたいです」

 梅は大きくため息をついた。

「好きにして、なんか滞在先も決まっているみたいだし」

「やったー、やったね結芽ちゃん」

「う、うん、うん」

 

 

 梅が車で、可奈美の指示するある場所へと向かった。そこは町から一山越えた京都寄りの集落にある、昔ながらの民家らしかった。

「そろそろかな?」

 後部席の可奈美が顔を前に乗り出させた。

「あ、ここを左にあとはこの坂をまっすぐです」

「はいよ」

 窓を開けると、やや日が傾き、早すぎるセミの鳴き声が山谷の奥へ、奥へと響かせている。

「夏なんだ、もう」

「この鳴き声はニィニィゼミだな。随分と早いな。あんた美濃関なんだろ? 岐阜ならもう鳴いているんじゃないか」

「あんまし、気にしてないです」

「セミなんかいいから、早くが稽古したい!」

「なんだ、私を嫌がってた割にはやけに素直じゃないか」

 ハンドルを手に梅は後ろへ振り返ることはしなかった。

「うるさい、結芽はまだ強くなるの」

「あははははは! 昨日まで死んだような顔をしてたのに、なんだ? 生きる気になったか? 立派! 立派!」

 赤くなった結芽は返すに返す言葉もなかった。

「梅さん、ここですよ」

 ゆっくりブレーキをかけると、年月を感じさせる素朴な民家がやや高台に建っている。

「挨拶がてら、車を停める場所を聞いてきます」

「頼むよ」

 ドアが閉じると、ブレーキをかけ、エンジンを止めた。

「また……来てしまったか」

「え、なに?」

「ほら、荷物出して運んだ運んだ、相手さんに失礼のないようにな」

「はぁーい」

 玄関で出迎えた長髪の少女は、その招いていない客人に顔をしかめた。

「可奈美、お友達が来るって言ったよな」

「そうだよ」

「泊まるのは二人と言ったよな」

「うん、友達の保護者もついてきちゃった」

「なら、お友達に自己紹介してもらっていいかな」

 身を震わせながら苦笑いで二人を見た。

「結芽ちゃん」

「はーい、お久しぶりですペッたんこの小鴉丸のおねぇさん。元親衛隊の燕結芽でーす」

「こんにちは、結芽の世話をしている梅と申します」

「あなたはどこかで……まぁいい、上がってくれ」

 仏間に通された三人は傍らに御刀を置いて座り、手を合わせた。

 面立ちのよく似通った女性の写真が、彼女の血縁者であることを結芽に気付かせた。

 十条姫和、折神紫ことタギツヒメに反旗を翻し、衛藤可奈美と共に死地を潜り抜けて、最後は仲間たちと共にタギツヒメを隠世に封じた刀使である。

 当然、彼女は今起きていることに何一つ納得していなかった。

「単刀直入に聞こうか」

「ひよりちゃん」

「何も聞くなという約束だが、度台無理な話だ。なぜここに死んだはずの人間がいるのか、それを聞きたい」

(もう聞いちゃっているし……)

 しかし、姫和に対して真っすぐに向き合っていた。

「今は言えない。でも、いつかは全てを話す。今はただ時間が欲しいの、何もかもが突然で、暗くて何も見えなくて、すごく怖かった! 今も怖い。だから、少し……少しだけ居場所を貸してください。お願いします」

 その彼女らしくない、その真っ直ぐな態度に梅は驚いた。

 結芽は静かに彼女に頭を下げた。しばしの沈黙が、可奈美の胸をどぎまぎさせた。

「いいだろう。ただし、家事をやってもらうから、そのつもりでな」

「ありがとうございます」

 可奈美はようやく安堵のため息をつけた。

 

 結芽と梅が荷の片づけをしている間、姫和は外の洗い場前に来るように言った。

「おまたせ」

「ああ、そこの大根を洗ってくれないか」

「合点承知!」

 割烹着を着た彼女が、料理を増やすべく裏から採ってきたのに気がついた。

 手を動かしながら、時々聞こえてくる鳥の鳴き声に耳を傾けた。日は傾き、夕暮れの赤い輝きが青い空を染めようとしていた。

「姫和ちゃん」

「なんだ」

「ありがとうね」

「何のことだ、元々お前は泊っていく予定だったじゃないか、あいつは自分で頭を下げたんだ。それで十分だ」

「ううん、それもあるんだけどね」

 蛇口を止めると、姫和の手が止まった。

「お前の考えている通りだ。あいつは私に似ている。自分しかいない、皆のためには一人でなくてはならない。たとえこの身がどうなったって、だれかが覚えててくれればと思った。でも可奈美やみんなに手を引かれて、自分の事や両親のことに向き合うことができた。そして分かったんだ。私はつくづく無鉄砲だったって」

「だから、教えてあげたいんだよね」

「ああ、さぁいい夏大根が手に入ったからな、おいしいぞ」

「わぁい、姫和ちゃんの手料理、久しぶりだなぁ」

「いつも来たら食べてるじゃないか」

「だって、本当にそうなんだもん」

「こいつ」

 

 

 結芽は庭先に出て御刀を腰に差した。

「まずは一の太刀からだ」

 梅は縁側に座りながら、結芽の基本動作の隅々に目を光らせた。

(やるな)

 足さばき、腰、太刀筋、所作、十三の少女が振るにはあまりに完璧であり、幾多の戦いを乗り越えたその剣は、もはや熟達の域に達していた。そしてその衰えを知らない剣は、今だ成長を続けているように見える。

 形が終わると、梅はすぐさま自身の御刀を手に仕太刀に入って結芽の剣を肌で感じとった。

「そこ」

 二回り目の型が始まった瞬間、切っ先が結芽の御刀を弾き左腕の手前で刃が止まった。

「相手を舐めた動きをするな、それがお前の剣を幾分も弱くしているぞ」

 同じ動きを繰り返すが、三度も結芽の太刀がはじかれたり、避けられたりした。

「もう一度だ、いいか、遊ぶな、お前はもう急ぐ必要はないんだ」

「はい」

 可奈美はその稽古に懐かしさを抱き、そして結芽のあまりに純粋な剣が愛おしくも思えた。

 その時、結芽の突きがようやく梅の弾きをいなした。

「まだだ、癖が直り切るまでみっちりしごくからな」

「はいっ」

「威勢はいいな、威勢だけは」

「何だって」

「ふふふ、さぁ次!」

 だが、先ほどのように上手く太刀が入らず、隙あらば足蹴にされた。

「そいつはニッカリ青江か、違うだろ。その御刀の名は」

「……っ、ソハヤノツルギ……ウツスナリ」

「そうだ、御刀は稽古の刀や、特注の真剣でもない。お前が合わせられると信じて、お前を主人に選んだんだ。あまり下手な剣を振ると御刀はお前を振り回してくるぞ」

 気づけば全ての型を複雑に組み合わせた稽古に変化していた。

 それは梅が徐々に型を変質させ、結芽の体に染みついた剣術を、さらに順応させようとするものだった。

(マズい)

 その瞬間、梅は写しを張っていた。

 額の眼前で止まる切っ先がそこへ来たことに気が付かなかった。可奈美も梅が腕を斬られたと錯覚していた。

「ようし、近づいてきたぞ」

 結芽は汗を噴き出させながら、激しく呼吸を繰り返した。

「落ち着け、ゆっくり、全部息を吐け、そして一気に空気を吸うんだ」

 そして、結芽は息を整えた。

「見失うな、登るというのはそういうことだ」

「はいっ」

「ここまで、続きは明日だ」

「ありがとうございます」

 御刀を納めると、可奈美が結芽にタオルを差し出した。

「お疲れ様」

「うん」

 食卓には既に料理が並び、四人は席に着いた。 

 シャクリ、やさしい温かみと味噌だれの甘辛さが口中に広がった。

「ほぉ、いい熱さ加減だ」

 梅はお好みで添えられたからしを乗せ、走る辛みのほど良さに箸が進んだ。

 旬の夏大根は、夏物のみずみずしさと食感が相まって、よい食材である。

 本来なら辛みとして添え物にしてもよかったのだろうが、ボリュームや栄養分を考えた結果なのだろう。

 さっぱりと煮た大根は十分に冷まされ、その変わりに甘辛の味噌だれが熱いうちにかけられる。

「やっぱり姫和ちゃんの料理が一番だよ、でもチョコミントはどうかと」

「まだ言うかこの口は、甘味くらい好きな味を食べていいだろう」

「それにしては繊細な味付けだよね」

「ほぅ、私に喧嘩を売っているのか可奈美」

「ペッタンコのおねぇさん」

「姫和だ、ぺったんはやめろ」

「うん、姫和おねぇさんは歯磨き粉の味が好きなの? じゃあデザートもチョコミントなの?」

「それは、希望があればそうする」

「へぇ、随分と控えめだね」

「客人がいるから当然だろうに、まったく」

 大根の菜を使った和え物と、切り置きしておいたごぼうを使ったゴマの和え物。

 それぞれ小鉢にあり、野菜をふんだんに使った素朴な一善であった。

 



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第四話「後悔」

 翌日、早朝に目覚めていた結芽は庭先に立ち、刀を腰に差した。まだ夜闇の消え切っていない薄明の空。

 ゆっくり息を吐き、静かに抜刀。

 その時、日の出の上りと同時に、声にならぬ声が響いた。

(あなたは、今の居場所、今の剣で何を守るの、自分を救おうとして救えなかった、貴女が)

 足の歩数を気にしながら、居るはずのない相手に答えた。

「それは分からない、だから今の場所でやり残した一つ一つを確かめたい」

(その一つ、一つ、知りたいな)

「答える必要あるの」

(貴女ならきっと答えられるはず)

 昨日の動作が思い出した瞬間、息が荒く乱れた。

「自分のこれから、別れた仲間や先生たちのこと、紫様のこと、体内のノロのこと、二課のこと、刀使のこと、そしてパパとママのこと」

(時間はあるのかしら)

「時間は取り戻す、たとえ偽りの体でも心があれば、きっと」

 と、目の前に御刀を手にした可奈美が立っていた。

「結芽ちゃん、もう教えてくれないかな?」

 伏し目がちではあるが小さく頷いた。

「おいで」

 御刀を抜きはらった彼女は結芽と真っすぐ対峙していた。それに答えるように上段で構えた。

「結芽はね、ノロを使って延命していたの」

「うん、聞いたよ」

「あの日、命絶えた結芽は寿々花おねぇさんの手でノロとなってこの世から消えた。でも」

 軽い型合わせのはずが、複雑な剣さばきが互いに繰り返される。可奈美は一切の油断もできないが、しかしお互いひどく落ち着いている。

「ノロは結芽の、私の体を復元した。意思や記憶もこうしてある」

 鍔迫り合いになり、結芽の悲し気な御刀の震えに手が止まった。

「そして結芽はある組織に回収されて、今は刀使もどきのことをやっているの」

「嫌なの? じゃあまた」

「ダメなの、みんなの前に出ていけない。結芽は死んだの」

 間合いを離し、結芽は写シを張ったが、可奈美は写シを張らない。

「ねぇおねぇさんと決着、つけたいな」

「いいよ!」

「じゃあ写シを張ってよ」

「ダメなんだ、このままやろう」

 ならばと、同じ土俵に立つため、互いに木刀に持ちかえた。息を吐き可奈美を睨んだ。

「じゃあ……行くよ!」

 はじかれる一撃、いなされる突きに返し、踊るように動く足は考えるよりも先に、隙を見つける一寸先に飛んでいこうとする。

 可奈美はずっとずっと強くなっている。紫さまなぞ目でもないほどに強い。

 だからこそ、追いつきたいと、越えていきたいと体が動く。

 全く同時に三段突きが入り、切っ先が両者の突きをはじいた。

(そこっ)

 だが、その時足が止まり、一振りが一歩届かず避けられ、そのまま左腕の前にピタリと刃が止まった。

「やっぱり強いね、思った通り」

 しかし可奈美は納得のいかないといった表情であった。

「ごめんね、結芽ちゃん」

 その一言に結芽は大きく顔を横に振った。

「どうしたの? かなねぇ……まるで」

「そうだよ、もう時間が無いんだ」

 可奈美の澄ました笑顔を結芽はまっすぐ見れなかった。

「馬鹿」

 頭を殴られた結芽は頭を抱えた。

 梅はぶっきらぼうに結芽のうしろに立っていた。

「なぜ使わなかった、お前は可奈美に一番失礼なことをしたと、分かっているのかい」

「なんで」

「躊躇ったろう、最後の突きが走った瞬間、お前は可奈美のがら空きの胴を斬れた。だが、お前は踏み出るタイミングで考えた、自身が負けることを」

「ううっ」

「呆れた」

 梅はそれから何も言わずに立ち去った。

 

 3、

 

「大太刀ですか」

 鎌府内にも対荒魂任務時用の対策室があり、前学長である高津雪那が離れてからは、学長代理が指揮所兼学長室として利用していた。

「朱色の長い柄を使っているってなりゃあ、鎌府にも使い手がいるだろう」

「でもね呼吹さん、いくら大太刀使い言っても、現存して尚且つ御刀として扱われている物は多くないんや、私が知っとるだけでも十本指に入ればいいくらい、それに使い手とは全員面識があるんやで?」

 北海道出身の若い学長代理は、下手な関西弁もどきを喋りながら三人と一匹に向かい合っていた。 

 とノックとともに本部警護の刀使が書類を持って入ってきた。

「湖衣姫学長代理、頼まれた資料持ってきました!」

「ありがとな藤巻さん、特祭隊の任務表はこれやからよしなに」

「はい、あれ、こんなに休みあっていいんですか?」

「雪那さんが鎌府でこだわっとった結果や、他校や本部付きにも警護任務回させたから気にせんとええんやからね」

「かしこまりました。藤巻失礼します!」

「ご苦労さんなー」

 軽い足取りで退出していった彼女を見送りながら、資料の表紙を叩いた。

「北條学長、私の知るところでは」

「わかっとるよ播さん、この錬府に大太刀の御刀はない。書類上では錬府預かりの大太刀も全部他校の大太刀使いに預けとる。フツノミタマノツルギの写しも錬府の護り刀として社に納めてあるからな。刀使の持てる大太刀は錬府にはないんや」

 短く整えられた黒髪を揺らしながら、気丈な面立ちの北條学長代理は資料を数ページめくり、ある項目を指した。

「もしかしたら、刀剣類管理局預かりの御刀リストにのっとるかもしれん」

 三人は大太刀の項を丹念に見渡した。

「でもあの御刀、刃が二つ両刃のように向き合っていて、刀というより剣みたいでしたね」

「ねねっ!」

「あの状況でよく見てたな」

「でも、見た目以上に重いはず」

 紗耶香はメモ用紙に手書きで刀の姿を描いて見せた。

「これは刀やのうて……なんやろう……ファンタジー系ゲームの剣?」

「こんな御刀は他に見たことがありません」

「あの」

 紗耶香の気がかりと言わんばかりの表情に湖衣姫は何かと尋ねた。

「私を五番目の妹って言った。呼吹は知っているみたい」

 わざとらしくそっぽを向いて見せたが、隠しきれないとわかってか頭を掻いた。

「高津のおばさんの研究所で五番目の候補者の意味だ。私は三番目で、花梨は二番目だった」

「ん、何の研究の順番や」

「無念無想だ、それ以上はアタシだって知らねーよ」

「ふむふむ」

 湖衣姫は脇の机の棚を引っ張り出し、奥に入っている一冊の書類を出した。

「無念無想はノロによる干渉で高い耐久力と写シの潜在能力を全て引き出す能力。管理局に届けられていた報告書にはそう書いてあった。でも、どのようにして能力を引き出すかはわからなかった」

「あのうさん臭い博士はどうしたんだ?」

「もしかして、この人かな?」

 書類の関係者名簿に白髪交じりの堅物な男の写真があった。

「この人、知ってる」

「紗耶香さんもか!」

「学長代理、この方は何をしていた方なんですか」

 湖衣姫はめぐみへ書類に挟まっていたメモを手渡した。

「有群誠一、S装備理論の実証、ノロの干渉による人体の強化、御刀を依り代にしたノロの実体化現象」

「禁忌の研究をしていた博士や、今は行方知れず」

「では研究所関連の資料から花梨さんの資料を探しましょう」

「そうやな、あと無念無想についても調べてほしいんよ」

「なら高津学長に」

「ん! それじゃあ三人には任務の合間に調査をお願いしますわ。永田町での一件もあって私もやることがいっぱいやから、堪忍な」

「わかりました。糸見紗耶香、家弓花梨を追います」

 

 

 



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第五話「顕現」

 結芽は縁側に寝転がりながら、天井の板の目を見つめる。

 名前の知らない鳥、どこからか聞こえるセミの声、照り付ける日を受け止める簾が風に揺れ、風鈴が思い出したように音色を奏でている。

「呆れたか」

 さんざん振り回した木刀も、汗だくになった道着も、見えなかった本音が全ての辛さや苦しみを上回った。

 ここに来て一日もないのに、まるで何日も立ったような感覚だった。

「結芽ちゃん」

 目の前に来た可奈美が結芽の額に冷たいものを置いた。

「冷たい」

 起き上がった結芽は、青く透き通った瓶を見て、その視線を可奈美に返した。

「一緒に飲もう」

 開けるのに失敗しながら、二人笑いながら一口飲んだ。

「いやーっ、もう暑いね。そこで農作業を手伝ってたんだけど、雑貨売りさんが冷えたラムネを売りに来たの」

「すごいね」

「ん、元気ないね」

「うん」

「聞くよ」

「うん、なんだかね、今までの剣が私を否定しているように思うの、進むんじゃなくて、結果であればいいんだって、そう言っているようで、私もそれでいいような気がしちゃったの」

「ふーん、でも私は結芽ちゃんに勝ったよ」

「かなねぇ」

「いいじゃん結果でも、その結果で前に進んでいく、私は今の結芽ちゃんに勝ったけど、でも結芽ちゃんはもっともっと強くなるから、今の私じゃ負けちゃうかもしれない。だから、今度はもっと強い結芽ちゃんに勝つ」

 そう笑顔で言って見せた彼女の顔を見て、涙が頬を伝った。

「いや、あの、だからね、その、これから一緒に農作業しない」

「え」

「だ、だってね、姿勢を低くして、黙々と一つ一つを丁寧に作業するんだよ。あんまりひどいと作物が痛んじゃうから、そういう心づくしが学べるんだよ。剣も自分と相手との心づくしなんだよ」

「ぷ、あはははは、ふふふ」

「そ、そんなにおかしかったかな」

「うん、とっても、でもうれしい」

 涙を拭った結芽はラムネを飲み干し、勢いよく立ち上がった。

「よし、結芽も行くよ」

「うん、そうでなくっちゃ」

 可奈美もラムネを飲み干したが、直後に出たおくびに涙を滲ませた。

「痛いよ~、油断した」

 そんな彼女をみて結芽は元気よく笑った。

 今までにないほどにゆっくりと時間が動いている。その中で見えることと、見えないものがある。そう結芽は思い、可奈美のあの表情の意味を理解しようとした。畑の雑草をとりながら、隣で作業する彼女の顔を何度も見た。

 そして一つのことに合点がいった。可奈美はいま焦っているのだと。

「疲れたぁ」

 結芽がぐったりと横になると梅が軽く額を叩いた。

「ご苦労さん、日が沈む前に庭先で稽古だ」

「ええっー、今日ぐらい休ませてよ」

「ふぅーん、休みたいのか」

「むっ、やだっ」

「ならさっさと風呂入りな、私が沸かしといたから」

 姫和と入れ替わるように梅は仏間の方へ去っていった。

「ほら、着替えとタオルだ、可奈美も一緒に入ってくるといい」

「そうするよ、あと中村さんから」

 大目にザルに入った茄子が新鮮な色づきをしている。

「こんなに」

「結芽ちゃんが張り切って、明日までかかる作業を今日中に終わらせちゃったから、そのお礼にだって」

「なるほど、じゃあ今夜は夏野菜たっぷりのカレーだな」

「おおーっ、カレーだ」

「ほら、二人とも早く風呂に入ってきなさい」

「はーい」

「はい、はーい」

 仲良く風呂場に向かう二人を見送り、慣れた手つきで割烹着を着た。

「洗濯物は取り込みましたから、畳んでおきますね」

「お願いします、それにしても、頑なに梅と呼ばせるのはどうしてですか」

「気になる」

「ええ」

「貴女が私の本当の名前を知っていればそれで十分よ」

「あえて何も問いません。でも、このままだと後悔しますよ」

「後悔なら何度しても変わらないわ」

 そう言って、梅は表情を見せなかった。だがその背中は小さく震えていた。

 

 

────────────────────────

 

 四人の携帯端末が一斉にアラートを吐き、飛び起きた。

 この村の谷下に荒魂の発生を告げるスペクトラムファインダーからの知らせであった。

 だが梅は結芽を静止し、自分たちは行けないと告げた。

「それも、結芽がここにいる理由なんだな」

 結芽は黙して答えなかったが、姫和は黙って道を駆け出した。

「それじゃ、ぱぱっと終わらせて戻ってくるね」

 見送る二人を背中に、可奈美の俊足は姫和の左後ろにぴったりついた。

「妙だな」

「二人の事?」

「それもある。だがこの地域で荒魂が現れることが今までなかったから……不思議でな」

「え、荒魂が出ない?」

「この地は古くから柊の一族が守ってきた土地、山上の社がある限り、この地域に踏み込んでくる荒魂は皆無だ」

「とにかく荒魂を払おう! 話はそれからだよ」

「ああ!」

 二人が谷下の川に辿り着いたとき、その青く輝き、胴のいくつにも連なった琥珀色の巨体がジッと二人を待ち構えていた。

「鹿型、角が長い、霊力の強いタイプ」

「まったく寝起きに荒魂とは災難だ」

「私は正面から攻撃をいなしながら注意を引き付けるから!」

「相分かった! 任せろ!」

 茂みの中からゴーグルをつけた老人が荒魂に対する二人を見つめている。彼の端末は四方のカメラの映像を記録し続け、鹿型荒魂の胴体に輝く一筋の線を指先でなぞった。

「実験開始だ」

 巨体の前足を駆使し、可奈美に襲い掛かった荒魂は、角から大きな瘴気を集め二人に浴びせかかった。

 ならばと、前に出でて鹿型の視線を右へ左へ離しながら、うさぎ跳びで蹄の一閃を避けていく。荒魂は可奈美に釘付けとなり、姫和は霞の構えとなり鹿型の急所に狙いを定めた。それに呼応して可奈美は胴を飛び上って荒魂の頭上の枝に掴まった。

「こっちだよ! ん、あのお爺さんは?」

「行くぞ!」

 必殺の一の太刀が荒魂の胸を縦一閃に斬りさばいた。だが姫和は弾かれた感触に気づいた。

「御刀?」

 切り口から輝く赤錆びた刀身の姿がはっきりと見えた。

「いや、赤羽刀!」

「なら」

 姫和は迷うことなく小烏丸の刃を荒魂の後ろ脚に流し、自重に乗って荒魂は川面に横倒しとなった。

 だが、荒魂に駆け寄った可奈美から写シが消えた。

「まだだよ!」

 赤羽刀を手にした可奈美は足をかけて踏ん張った。荒魂が悲鳴をあげ、瘴気を集めた。

「かなねぇーっ!」

 その素早い一閃は瘴気の塊、巨大な二本の角を一瞬のうちに断ち切った。そして小烏丸の鵐が頭部を打突。

「よっこいせーっ!」

 錆刀が川に放り出され、荒魂はしばし手足を暴れさせてから動かなくなった。

「ふむ、御刀未満にしては上々か、それに面白いものを見つけた」

 表情も変えず空笑いすると、老人は森の中へと去っていった。

 可奈美は川の中から一振りの赤羽刀を取り出した。そのあまりに身のまっすぐなか細い刀に二人と目を合わせた。

「長脇差か、正式な御刀に入れない。準弐級御刀」

「じゅんにきゅう?」

「知らないのか、御刀は私たち刀使の扱う壱級御刀、民間で刀剣類管理局の扱いではない民間預かりの弐級御刀、そしてそれにさえ及ばない準弐級御刀。本来は神力さえも持たない刀のことを言うんだが」

「大型が突然に現れたから、この赤羽刀には」

「力がある……」

 と、山上の方から轟音とともに噴煙が上がるのが見えた。

「姫和おねぇさん!」

「お社のところだ、可奈美! 結芽!」

「もう写シ張れるよ!」

「急ごうよ!」

 迅移の俊足は谷底から山のふもとへと飛ばし、三人は参詣の石階段の崩れを目の当たりした。

 そこに梅と見も知らぬ眼鏡をかけた女性が赤い影を纏わせ、二振りの脇差を手にしていた。

「梅……どういうこと?」

「みんな、そこ動かないで」

 梅は刃を隠し、低く低く構えて女の懐に飛び込んだ。女は脇差の間合いに入ってから刃を走らせ、一歩前へ出るとその長大な御刀を受け、刃を彼女の頭上に留め置いた。女の首元に迫った乱刃が怪しく輝いた。

「あら、恵実どうしてか腕は鈍ってないようね」

「あんたがあそこから飛び逃げなければ、あそこでお前を殺せたんだ」

「だって、まだ足りなかったもの。でも」

 女の目線は三人のもとに走った。

「やっとすべて揃った」

「篠子ーォ!」

 ずらされた刃が首元から離れ、しかし振り下ろされた一閃を弾き、女は咄嗟に間合いを離した。だが梅の勢いは止まらず脇が前から懐に入る。

「斜影離真!」

 女の写しが腕だけ離れ、その手の脇差が梅の背中を斬った。

「うぐっ!」

「今日はここまでにしてあげる」

 だが梅は女の懐を無理やり引き、その袂から一巻の書物が落ちた。

「余計なことを」

 梅を殴り離すと、落ちていく巻物を追うがそれを可奈美が拾い上げた。

「これ以上はさせない!」

 三人が構えたのを見て、女は不満げに背を向け森の中へと消えていった。

 梅を支えた結芽は悲し気に背中を隠そうとした。

「待て! 傷口を」

「ダメ! 見ちゃダメ!」

 その傷から琥珀色の輝きが見えた。そして傷は何事もなかったように閉じた。

「まさか……」

「そうだよ、これが生き返った代償だよ」

 鳥の鳴き声もなく、あるのは林のさざめく風の声だけ、だが雲間からぽつり、ぽつりと雨粒が落ちる。満月が結芽を青々と照らし出した。

「おい黒、いくぞ」

 立ち上がった梅は崩れた石段を滑り降りた。

「人が集まってくる。いつまでも柊の屋敷にはいられない」

 梅についていく結芽の背中を見ながら、可奈美は姫和の顔を見た。

「ダメだ」

「でも、姫和ちゃん」

「そういう約束なんだ。それに、それにな」

 姫和の憂いに可奈美は踏み出せない。踏み出せるはずもない。

「いま焦っても、また一人で突出してしまう。だから可奈美、手伝ってほしい」

「……うん! もちろんだよ!」

 そう、ようやく彼女の表情が和らいだ。

 

 梅と結芽は荷物を整え、その衣服は漆黒の見たこともない制服であった。

 二人が裏口に立つと、駆けてきた可奈美と姫和へ頭を下げた。

「お世話になりました」

「いいから、行け。すぐに特祭隊が集まってくる。この山へ向かう裏道を使えば、そこから大きな街に出られる」

「あとこれを」

 可奈美から結芽へと包みが手渡された。まだほんのり温かい。

「お夜食だよ、町まで長いから。結芽ちゃん。また立会いしようね!」

 彼女の屈託のない笑顔に顔を何度も、何度もぬぐった。

「かなねぇと姫和おねぇさんに何かあったら絶対に助けに行くから、約束だよ!」

 二人の影が遠く、遠くへと消えていく、姫和と可奈美はいつまでもその背中を見つめていた。



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第六話「毒舌」

 その夜はまだ終わってはいなかった。

 

 赤々と光る木々を見るなり、寮のロビーにいた智恵は駆け出した。本部棟から校舎、そして校庭の脇に建てられた施設が炎に包まれていた。この長船きっての技術の英知を集めた研究棟が赤々と黒煙を吹き出している。

「ちぃねぇ!」

 三つのケースを抱える美炎が炎の中から飛び出し、それに続くように何かから間合いを離さんとミルヤも研究棟から出てきた。

「美炎ちゃん、これは!」

「み、ミルヤさんが……研究棟に入る人影を見たから……確かめに行って」

「襲われたのね? あの男に」

 カンカン帽を被り、白いジャケットについた灰を払う男のいかにも潔癖といった身とは裏腹に、その傷だらけの鵜ノ首(うのくび)造りの勤王刀が荒々しい遍歴をあらわにしている。

「赤い……写シ?」

「刀使の皆さんを傷つけたくありません。その発掘された赤羽刀を渡してください」

「お断りします。この御刀は刀剣類管理局が預かった国の宝です。見も知らぬ人間においそれと渡しません」

「くくく、それもそうですね。では力づくで」

 ミルヤが運べと叫んだと同時に変則的な斬りつけが彼女を追っていく。

 男のそれは剣術ではない。だが、明らかに剣術の刀を振る全ての所作を理解している。

 無鉄砲を装った玄人だ。ミルヤは汗ばみながら刃を反す。しかし、そうすればするほど手首や足首の写シに浅い斬りつけが加えられる。

「美炎ちゃん本部棟まで走って!」

「でもちぃねぇ、あれじゃ」

「遊ばれてる……ミルヤさんが」

 飛び込んだ短い一閃が僅かに男を斬る。ミルヤは智恵と男の動きを見ながら、斬り込もうとするがあっさりと弾かれた。

(やはり、この二人はスタイルが似通っている。いけるか?)

「しかし」

 智恵の低い姿勢の一撃を流し、手を取ると彼女の体を地面へと叩きつけた。

「たとえ独自に剣を編んだとて、編んだという意識さえあれば転び方が見えてくるものです」

 ゆっくり歩み寄り、智恵の写シを切り払った。男の目線は本部棟へ駆ける美炎の姿を追った。ミルヤを無視し美炎を迅移のごとき速さで追いつき、彼女に手を伸ばした。

 だが、その手には御刀のケースがない。

「這い寄るような気配で!」

 下から突き上げるような切込みから、(はばき)を切っ先に添えて男の懐に入るなり赤い影を清光の刃が添え切った。

「おお!」

 赤い影が消え、男は背中から倒れ込んだ。

「清香! 今だよ」

 ケースを持った六角清香は御刀を片手に迅移であっという間に二人の視界から消え去ろうとした。が、清香の胸にあの鵜ノ首が顔を出し滑り落ちた。

「どちらを見てるのですか」

 男の合口が美炎の懐を切り刻み、写シが剝がれて膝をついてしまった。強烈な吐き気に襲われながら、清香へ手を伸ばした。

 だが男は勤王刀を引き抜いて彼女の写シを引きはがすと、ケースを二つ持った。

「確かに頂きました。また殺しあいましょう」

 ミルヤの迅移の一閃を避け、片足で蹴り転ばすと男は闇夜のなかへ飛び去って行った。

 美炎は清香の傍に膝をつくと、意地らしく一つのケースを抱きしめる彼女の顔をみて安心した。

「清香、あいつ行っちゃったみたい」

「あんなことが、あるんですか」

「とーっても強かった! だから、だから悔しい」

「うん、ここまで完璧だったのに」

 清香は支えて起こしてもらうと、鍵の破損したケースを慌てて置いた。ミルヤは半開きのケースから白い輝きが走るのを見るなり、何かに急かされるようにケースを開け放った。

「三人ともまずは応援を呼んでこな……い……と」

 四人は戦慄した、昨夜まで錆だらけだった直刀が真っ新な鋼の輝きを見せている。昨夜の比にならぬほどの覇気を轟々と打ち放っている。赤羽刀にはありえないことが起きている。

「普通じゃない。ミルヤさん、これは本当に御刀なの?」

「それは」

 わからない。わかるはずもない。古代刀が七支刀や七星剣のごとく力を取り戻したことはあった。だが、それは常識の範囲の能力しか持っていなかった。だからこそ、ミルヤははっきりと理解し、鑑定して見せた。

「まさか十束剣」

 知恵は柄にもない空笑いをして、ミルヤの顔を覗き込んだ。

「嘘よね、今は失われた神代の御刀なんて言わないわよね」

「おやおや、木寅さんの鑑定眼はやはり素晴らしい」

 衣服は炭で真っ黒になっているが、脇に抱えた資料がエミリーも必死であった事を匂わせた。

「純度、鍛錬の形跡ともに同年代の中国の神代刀に匹敵もしくはそれ以上の造り込みがなされている。現段階でそれ以上の御刀は日本創世期の十束剣以外にありえない。私の判断は間違っていなかった」

「でも渡邊さん、赤羽刀だったものから自力で復活したりできるの」

「できませんよ、一度半減した力は元に戻ることはあり得ません。しかしですね、その御刀に意思があって、触媒となるエネルギーが干渉し目覚めたとしたら」

 エミリーは赤く燃える研究棟を見て微笑んだ。

「炎か」

「おそらく、御刀が作られた時、もしくは御刀にまつわる何かが炎なのでしょうね。しかし残念です。私の研究はここまで」

 エミリーは書類の中から一冊のファイルを智恵に渡した。

「出向が今日の早朝なんです。後をお願いしますよ」

「待って渡邊さん」

「何ですかな安桜さん」

「持っていかれた後二本の御刀も意思があるのかな」

「それは、ありえるかもしれませんねぇ、確証はできかねますが」

 エミリーの微笑みが不気味に揺らめいて見えた。

 

 4、

 

 やや霧がかかりながら明け方から降り出していた雨が鎌倉に降り続いていた。薫は本部近くの寮から出ると赤い傘を差した寿々花が遊撃隊の黒い制服を着て待っていた。

「おはようございます薫さん」

「おう、朝早くから熱心なこったな」

「長期の任務を預かった以上は、時間を有効活用しなくてはいけませんわ」

「ああ、だがその前に大社に参拝してからだ。行こう」

 本部への出勤の人込みと部下たちの挨拶の中を歩みながら、遊撃隊の控え室で朝礼、それから薫はしばらく学業から離れざるをえないので、学長兼特祭隊総副司令である上司の真庭に書類を提出する。

「朱音様から口添えはもらっているが、あくまで欠席扱いだから頑張るんだぞ薫」

「そ、そんな、おっ鬼、悪魔、おばさん!」

「おばさん言うな!」

 遊撃隊控え室に戻ってきた薫は、自身の机に置かれた学生証を数ページめくりため息をついた。

「いつも休暇を欲しがるのは補修が嫌だからですの?」

「その通り。土曜日が補修で埋まり、おまけに任務が飛び込んでこりゃあ補修は増える。タギツヒメの一件で余計にあるのに」

「五箇伝の生徒は任務の次は、学業が優先になりますもの、とうの私も現場に引っ張りだこで成績が落ちましたわ、それでも一般教養は何の問題もありません」

「まぁいいや、後でたっぷりと休暇をせしめればいいだけだ、ククク」

 寿々花は書類にタブレット端末を持ち、席を立った。

「さぁ、外事課との面談時間が近づいてますから行きましょう。真希さん、後をお願いします」

「ああ、本部警備隊の応援も入るから心配いらないよ。ただ、先日のこともあるから重々気をつけて」

「おいおい、どっちに言っているんだい真希さんよ」

「二人にだよ。行ってらっしゃい」

「おう、行ってきます」

 折神家邸近くの控え室から、管理局本部棟まで歩き、二階東棟の中ほどに外事課の執務室がある。この階はノロ回収に関する組織が部屋を連ねていたが、事件後の組織整理で解散となり、東棟二階は外事課を除いて部屋が使われていなかった。

「壮観だな」

 薫を気にすることなく扉をノックした。

「どうぞ、お入りください」

 一番奥の席に座る男が静かに立ち上がった。やや太く、重々しい瞼の下から瞳が輝いた。

「此花寿々花さんと益子薫さんですね。はじめましてお二人とも、私が外事課主任の大村勘太です」

 応接の席に勧められながら、自身の席で仕事をする若い男が目についた。

「彼ですか、片桐君挨拶なさい」

 彼は静かに立ち上がり無愛想に自分が片桐英充だと名乗ると、早々に着席してしまった。

「すみません、今はこの外事課は他組織の解散作業の最終段階で、あと一週間でこの外事課も解散ですから、殺気立っておるのですよ。なにせ、私は朱音様にたてついた男の息子でありますから、わははは」

 長髪の女性職員が茶を置くと、勘太は一度軽く咳をしてみせた。

「それで、私めにどのような」

「ではまず、課長はご自身の父親である大村喜之助に反旗を挙げた理由を聞かせてください」

「私は父が紫様を利用し、権力の拡充を続けているように思われたのです。高津雪那学長の要請で各地にノロ回収の警備を錬府に任せていましたが、実のところは父の息がかかった地方警察の上層部が引き受けていました。紫様の権威は届くが、息は届かない場所に枝を伸ばしていきました。でも、タギツ姫復活の一件で一転、舞草に私はすぐに朱音様に従属する意思を示しましたが、父は明確な意思を示しませんでした」

「それは高津雪那学長が拠点を綾小路に移したことと、関係があるのですわね」

「そうです。父は高津学長を政治面で支援。総理への面会を取り付けたのも父の采配があったからです」

「ではその時、あなたは何をしていらしたのですか」

「職員とともに、父の命令を拒否し続けました。今までの仕事に正当性がなくなった以上、正式な処分が決定するまで我々は今まで行ってきた職務を放棄すべきだと確信しました。もちろん、書類の提出にも同意しました」

「ああ、俺が直接受け取ったからな、舞草の調査では書類に不備は見られなかった」

「では、つい直近まで彼が顧問として在籍を続けていたのですか」

「簡単には追い出せんのです。年功序列であります。父は以前、神社庁に勤務し刀剣類管理局の要望で出向してきました。おそらく朱音様は高津学長に手を貸していたことに気が付いていたでしょう。でも、外事課が侵食した組織と人脈を更生するには時間がかかります。解散させるには父があまりに権限を増やしすぎたのです」

「でも、後押しをする存在がいなくなれば権威拡大もそれまで、解散するまでの責任者さえいれば、大村喜之助の生死は関係ない」

「私はそのように責任をとることを自覚しています。父に反抗した以上は当然のことです」

「では貴方が職務放棄を宣言してから、本当に職員は一人も欠けずに職務放棄に参加したのですか」

「はい、一人としてかけることなく、父を除いた三人全員」

「そうですか、しかしあなた個人では本当に全員が信用に足るとお思いですか」

「そうと信じております。何せ父は書類作成以外の仕事を我々にさせませんでしたから、誰かを側近につけて、いや、先日の与党議員会館への会談の折に父に同行した者がいます」

「ここにいらっしゃいますか」

「いえ、父に関わった可能性があるとして自宅に謹慎処分しております。名は熱海樹、ノロの回収総量の統計を担当していました」

「その方にもお話を伺う必要がありますわね」

 薫は手元の携帯電話から目を離し、口を開いた。

「あんたは本当に大村勘太なんだな」

「え、はい、そうです」

「ならいいんだ」

「では、お約束通りに職員名簿と提出前の勤務履歴を渡してもらえますか」

「はい、こちらに」

 封筒が渡され、薫が書類の確認を行う間に寿々花は質問を続けた。

「現在、熱海さんと連絡を取ることは可能ですか」

「はい」

「では本日の夕方に自宅を訪れる旨を伝えてくださいますか」

「もちろん可能です。ではメールを送りますので少し席を離れます」

「ええ、お願いしますわ」

 寿々花は茶を一口飲むと、薫の読み通す書類を覗き込んだ。

「大丈夫だろう」

「でも、朱音様は外事課を信用していませんわ」

「それは嫌でも精査することになるさ、次の奴が会うのが大変だから早々に行かなきゃよ」

「ですわね」

 薫は書類を元通り封筒に戻すと寿々花に手渡した。

「お待たせしました。本人から速答で大丈夫であると返事が来ました」

「ありがとうございます。聞くべきことは全て聞かせていただきました。ご協力に感謝いたします」

「いえ、こちらこそお役に立てれば光栄です」

 二人は大村勘太との握手をし、部屋を出た。

 

 

 長い廊下から階段に差し掛かり、ようやく寿々花が口を開いた。

「気に入らないですわ」

「何がだい」

「あそこにいた誰もかも、スペクトラム計に反応は」

「いや、最新機でも反応はなかった。旧型のスペクトラム計は完全潜伏型の禍人を見つけられるらしいが、残っている旧型はタギツヒメが管理局を支配していたころにほぼ全て処分されたからな。司令に探してもらってはいるんだが」

「いたとしても、彼らを追及できる証拠はない。でも、大村喜之助の手足だったのは間違いないですわ、彼らはあくまで紫様から命令のあった事を放棄したに過ぎないのですもの」

「高津元学長と熱海という男性職員を問い正してから、もう一度だけ大村勘太とあの二人の職員を事情聴取しよう。どうせ俺らが事件を追っていることは管理局内に話が広がっているだろうからな、ただし指示した人間にはまだ噂程度のはずだ。それが効いてる間に手を打とう」

「ええ、それがいいですわね」

「寿々花さんよ、どうも俺らは刑事ドラマの主人公だな」

「悪い冗談はよしてください」

「ははは」

 



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第七話「記憶」

 父を真似ての青のバンダナをつけた少女が紗耶香を正面に妙法村正をじっと見つめる。

「ひどいわね、こんな傷をつけるなんて」

「ごめんなさい」

 砥ぎ師の青砥陽菜は慌てて首を横に振った。

「いえ、違うのよ。紗耶香さんは身を守るために仕方なくそうしたんだから、忌むべきは傷をつけた荒魂よね。でもそれにしては激しい傷跡だけど、そういうことだから、謝ることなんて一つもないよ」

 白鞘に収めた村正を手に、作業場へ入ってきた湖衣姫学長の顔を見た。

「青砥さん、もういい頃合いやし。一人でやってみなさいな」

「わ、私が、よろしいのですか」

「私はええんやで? 腕は信用しとる。だけどこの御刀の主にも聞きなさいね」

 紗耶香は気にしないと言い。暫しの深呼吸ののちに仕事は責任をもって果たすと、誓うように言って見せた。

 そのやり取りを見て、湖衣姫は脇に置いていた御刀のケースを紗耶香の前に引き出した。まさかと思っていたのか紗耶香は首を傾げた。

「心配いらへんで、刀使の中には数振りの御刀に選ばれる刀使は珍しくないんや。それに実は良い反応を示しそうな御刀が一振ここに」

 納め箱の錠を解き、既に赤銅色を基調とした拵えに納められた御刀が紗耶香へと手渡された。

 彼女は御刀の声にこたえて、即座に写シを張った。

「あなたの二振り目の御刀、『銘 関住兼定(めい せきずみかねさだ)』、以前の持ち主は遠桜兼定(えんおうのかねさだ)と名付けていたわ」

 短めの打刀であり、村正よりも短いがそれを彼女は一切問題にしなかった。

 赤銅色の柄に、重々しい金具に包まれた半太刀拵えの深い黒橡色の真新しい鞘、鍔はやや小さめでありながら、紅葉文様の小さな透かし彫りがなされている。

 作業場に顔を出した呼吹とねねは、紗耶香の手にある打刀に目を凝らした。

「よぅ、新しい御刀を手にしたって話を聞いたんでな」

「呼吹、行こう」

「なんだ、急かすことはないだろう」

「高津先生が鎌倉に居るうちに会わなくちゃ」

「ネネっ!」

 そう言って、御刀を懸架装置に取り付けた。

 

 

 

 本部棟食堂。

 今日のワンコインランチはチキンカツのトマトソースかけ定食。

 白米、みそ汁、さらに小鉢がついて四百円。ただでさえ荒魂退治に学業、給料がもらえるとはいえ、中高生なのでお小遣い性の学生が多く、食費の管理が厳しい刀使は多い。なので彼女たちのために多少はエネルギーのあり、さらに五十円単位で白米を倍増できるオプション、小鉢を増やせるなど、意外と食べる彼女たちに向けたランチメニューが特徴的である。

 もちろん、寿々花と薫もその例に漏れない刀使である。

 寿々花は去年親衛隊になってから、自由になった金銭があるものの生活費は親から出ているものも少なくない。薫はまだ長船所属の学生であり、彼女はお小遣い制であり、後は食費しか出ない。

「でもな、貯金はあるんだよ、遊べるくらいの貯金が」

 二人はともにランチメニューを頼み、薫だけライスが大盛りであった。

「遊び行く暇がないのですね」

「ああ、女学生は遊ぶもんだぜ、普通はよ」

「さぁ、私は刀使の使命に準じているだけですわ。その仕事の合間にささやかな休日を過ごせるなら、それ以上は望みようもないですわ」

「でもなぁ」

「別に時間は刀使でいる間だけではないですわ、重ねておくだけ損はない。時間も、経験も、信頼も、どれもかけがえのないものですもの」

「まったくその通りだ」

「ほぅ殊勝な心がけだな、薫」

「がく、いやおばさん」

「学長でいいんだよ、学長で」

 薫の隣に座った真庭は、彼女も今日のランチメニューを頼んでいた。

「こんにちは真庭司令、ご機嫌いかがですか」

「まぁまぁだよ、政府内閣との和解も済んで、やることは多いがおおむね流れるに任せていいだろう。私はとにもかくにも、日々出てくる日本中の荒魂対策が本命だ。任せたわよ」

 ある程度食べ終えると薫のプレートにカツを三切れ載せ、席を離れていった。薫はそれを当たり前のように口に運んだ。

「いい人ですわね」

「当たり前だ長船の親分だぞ、俺の先生だぞ」

「ふふふ、あなた方を見ていると飽きませんね」

「ん、何だって」

「何でもないですわ」

 食事を終えると、時計を確認し湘南方面へと向かっていった。

 

 

 

「あなたたちが来るとはね。大方、大村喜之助のことね」

「お久しぶりです。まだ感は鈍っていないようですね」

 湘南のやや奥へ行った住宅街に刀剣類管理局の職員家屋が並んでおり、錬府女学園の前学長である高津雪那はそこの一軒家で謹慎生活を送っている。未だに公安の監視がついているということもあってか、幹部であっても彼女に会うことは難しい。朱音がとりなしたものの面会時間は一時間しか与えられなかった。

「私はこうして歩けるようになったけれど、こうして結果が付いて回る以上は、大人しくしているのが朱音にとっても、真庭にも都合がいいわ」

 とそこへインターホンが鳴り、雪那が開けた先に紗耶香と呼吹が立っていた。

「先生、家弓花梨(いえゆみかりん)について聞きに来ました」

 彼女はしばらく紗耶香の顔を見つめ、静かに頷いた。

「益子と此花も来ているから、あなたたちも話を聞きなさい」

 部屋に通されると薫が嬉しそうに手招きした。そしてねねは彼女の頭に乗っかった。

「では、先ほど話にあった大村喜之助について」

「長い話になる。大事なことだけ話すわ」

「雪那さんにお任せしますわ」

「ありがとう」 

 

 大村喜之助は紫の元に就く前は、神社庁に所属していたというが実は所属したという書類は存在しない。彼がそう組織提出の経歴書類に書いていただけである。

 

 彼は自ら折神紫を訪ね、自身のノロに対する見地の広さと話術を披露し、回収量はより組織的な拡大を必要とする旨をアピール。彼女を支配していたタギツヒメは何を考えたか彼を登用。

 雪那の配下に置いたがその働きは異常なほどに順調に進んだ。

 わずか半年の間に、五年かかって集めたノロの総量を上回り、上司である雪那は彼のおかげもあって急速に権限を拡大させていった。

 しかし、ノロ流出事件を機に舞草に支配が移譲すると、雪那のタギツヒメに従属する姿勢に同意し、その人脈と彼の権限下の部下を総動員し、朱音への政治的締め付けと、総理への面会およびタギツヒメのメディア公開を成功させる。だがタギツヒメが隠世に押し込まれたことで、事態はあっさりと決着し、外事課と大村喜之助の権力喪失は決定的となった。

 

「あれから半年、大村喜之助はいったい何をしていたのです?」

「わからないわ。既に今の地位から落とされることは確実なのに、朱音を殺してまで管理局にしがみつき続ける理由。そもそも彼が紫様に近づいた理由も聞いたことがない。大村喜之助は結果を残すことで、それを隠れ蓑に組織で大きな力をもっていたわ」

「権力が目的じゃなければ、何が目的だったんだ。ん、ああ、そうか」

「薫さん、どうされましたの」

「喜之助は紫様に接触する前に、ノロを体内に取り込むことの効果を知っていたなら、わざわざノロの運搬と警備、それに書類作成に刀使を離した行為に説明がつく」

「それはおかしいわ、総量は紫様が厳格に管理していたわ」

「その紫様はタギツヒメで、雪那さん、あんたにも黙ってノロを奴に横流ししていたとしたら? もしくは鎌府の研究用のノロが第三者によって上前をはねられたとしたら」

 考え込む雪那を横目に寿々花は薫に問いかけた。

「では、今のノロ回収関連組織の解散は逆効果とみてよろしいですの」

「間違いねぇな。偽装書類、裏帳簿が探しつくされ完全に処分されている可能性が高い。そして職員もノロを飲んで禍人になっている可能性もある。大村喜之助の目的はノロの入手だ」

「紗耶香、あなた湖衣姫から定時報告の書類を」

「預かってきています」

 雪那はそれを広げるなり頭を抱えてよろめいた。

 それもそうである。彼女は折神紫のためにノロを使うあらゆる研究を許可し、回収された赤羽刀やノロを研究施設に入れていた。ノロによる人体の強化、その兆候が明らかになったのは今から十四年前のある出来事がきっかけであった。

「出来事?」

「十四年前、関西から全国に展開する青子屋という暴力団が存在していた。彼らはノロの裏取引とノロの人体強化の実験をしていた。だが、内部でノロの人体強化の技術をめぐる抗争が起き、組織は内部と警察による外部の介入で瓦解した。私は大村喜之助の提案を容れてその研究をしていた人間を鎌府にスカウトしたわ」

「ふざけてやがる……」

「そしてここからは紗耶香と呼吹にも関係するわ。主任の有群誠一はノロと御刀の共鳴による人体の覚醒、『無念無想』計画を提言。承認した私は五人の候補を四人集めた。一人目は初代親衛隊のメンバーで任務中に亡くなった国府宮鶴、二人目は家弓花梨、三人目は播めぐみ、四人目に七之里呼吹、そして五人目の糸見紗耶香」

「そんな……どうして国府宮さんが!」

「寿々花さん、頼むから静かにしてくれ」

 言いかけた言葉をひっこめた、薫の目線が雪那から離れ、その力んだ握りこぶしが小さく震えている。

国府宮鶴(こうのみやつる)は実験途中で任務で消息を絶ち、播めぐみは適格とは言えず。呼吹はノロとの適合率が低かったので外された。数値がよかった家弓と紗耶香で干渉実験が始まった」

「そして花梨はノロの干渉によって禍人化し、処分された。だが紗耶香は干渉を乗り越え」

 紗耶香は身を震わせながら、首を横に振った。

「高津先生、りんおねぇさんのことだよね? おねぇさんは刀使をやめたって! そう」

「言ったわ、あなたからしがらみを除くために」

 しばしの静寂を挟み、冷静さを取り戻した薫は力なく座る雪那に問いかけた。

「その有群って奴は今どこに」

「タギツヒメに付き従って、封印されてからは完全に消息が分からなくなったわ」

「そうか……高津さん、あんたは青子屋などの裏社会との関係は」

「ないわ、大村の真意を看破できなかった私が、十四年前に自壊した青子屋について知っていることは少ない。あるとすれば、組長の娘が元刀使ぐらいよ」

「そうか、なら過去の出来事を遡っていくしかあるまい」

 未だに打ち震える紗耶香を横目に薫と寿々花は話を進めざる負えなかった。面会の時間は残り少ない。

「その前に私たちは外事課の一人に合わなくてはなりませんわ」

「罠、あるだろうな」

「それでも接触する利点はありますわ」

「あなた達、少しでも食べていきなさい。おにぎりになるけれど」

「雪那さん」

「謹慎中とはいえ、私も元は刀使よ。少しは手助けをさせてちょうだい」

 あまりに真剣な彼女を見て、二人は苦笑いを浮かべた。

「本当に戦支度だこりゃあ」

「薫、私も行く」

「お前……わかったよ」

「四人とも、そこで聞いてなさい」

「ちょ! アタシも入るのかよ!」

 手に塩をまぶし、まだ熱い白米を握り始めた。

「禍人は刀使がなったものと同様に強力な力を得る。それは御刀の神力さえもゆがませてしまう。夜見は御刀に選ばれなかった、それをノロの力で強引に服従させたわ。そして、刀使の能力を最大に持つものが出来なかった能力がある。荒魂の自己生成。紫様が実権を握られる前に出現していた禍人には増殖する特徴があったわ、夜見のように刀使から遠いほど、ノロが現出させる能力も多い」

「そして、侵食率も刀使以上。同じ量を摂取していたのにも関わらず、荒魂化の進行は夜見が圧倒的でしたわ」

「もしこれから会う男が禍人であったなら、ノロの特殊能力を宿している可能性が高い。くれぐれも用心して」

「その時は叩き押さえるまでさ」

「頼もしいわ、さぁできたわよ」

 おにぎりが二個ずつ、浅漬けとインスタントの味噌汁が彼女たちの前に置かれた。

 呼吹は大きくため息をついておにぎりを一つ手に取った。

「紗耶香」

 彼女の隣に着いた雪那は言いにくそうに、だが押し出すように口を開いた。

「無念無想はまだ完成していない、完成の条件を伝えるわ」

 



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第八話「接敵」

 四人と一匹は、管理局職員のアパートに着いた。五階立てで築十年のコンクリート造りである。

 紗耶香と呼吹は外で待機し、二人と一匹はエレベーターに乗った。

「熱海の部屋は」

「四階の四〇二号室ですわ」

「よし、四階だな」

「ネネッネネネネ!」

 ねねがボタンを押そうとした薫の右手を叩いた。

「来るのか」

「ネッネ!」

 四階のボタンを押してエレベーターから出ると上に上がったカゴが、音を立てて潰れる音が響いた。

 二人は写シを張ると、御刀を抜きはらった。

「使うまいと思っていたが、虎徹を持ってきて正解だった」

「ええ、来ますわよ」

 エレベーターの一階扉を叩き破った赤い光が二人の周りを通り抜けていく、その特徴的なシルエットが青空を背にくっきりと浮かび上がった。

「コウモリ型か!」

 夕闇に溶け込む空を瞬く間に黒く、そして赤々としたコウモリの軍団が空を穿つように飛び回っている。

 やがて一つの塊となったコウモリはその閃光を二人めがけて走らせた。

 だが笑顔の呼吹が一軍を瞬時に斬り散らした! 反転する群を紗耶香の兼定が散々に払う。

「二人は行って」

「荒魂はアタシのだぁーっ!」

「ああ、紗耶香を頼む」

 二振りの短刀があっという間にコウモリを掃き飛ばしていく。

 薫と寿々花は八幡力で一気に四階へ飛び上がると、いまだ閉ざされた四〇二号室の扉を叩き斬った。

「熱海樹、話を聞かせてもらおうか」

 玄関に立つ暗い影は怪しくその大きな瞳を二人に行き渡らせた。

「やはり、一筋縄ではいかないか、さすがは元禍人だ」

「知っていらっしゃるのですね、禍人を」

「お前たちを殺す」

 数打ち物のあまりに姿見が真っ直ぐな長脇差が、壁を叩き斬り破片を彼女たちに打ち付けた。薫は突きを受けながら左腕を取り投げ飛ばした。

 熱海は廊下からアパートの最上階に飛び上がり、薫から逃れた瞬間、彼の右腕が叩き落され、刀と右手が彼から切り離された。

 寿々花は怯んだ熱海を一刀のもとに斬り伏せた。

「さぁ、話してもらいますわ」

「まだ、まだだ」

 肉体の荒魂化を始めたことに気が付き、寿々花は仕方なく熱海の喉下を突くと、彼はノロとして衣服を残して溶け出していった。

「どうだ、寿々花さんよ」

「……」

 震える寿々花の肩を強くたたいた。

「これ以上被害が増えるよりはマシさ、所轄が来る前に部屋を探ろう。ここの警察も奴らの息がかかってないとは言い切れんだろ」

「それは考えすぎですわ」

「そうかな、わるい」

「ねーねっ!」

 紗耶香と呼吹がコウモリ型荒魂の掃討を完了させたころには、パトカーや救急車の赤ランプが周囲を包み、アパートの住民の救出を手伝ったこともあって時刻は十時を回っていた。応援の刀使に現場を引き継ぐと、四人と一匹は本部へと戻ってきた。

「おかえりなさい四人とも、それとねねもね」

 迎えた真庭の顔はどこか硬かった。

「ネネッ」

「学長、早急に報告したいことがある」

「待て、今日はもういいから、宿舎に戻りなさい」

「それはないだろうが」

 低くしかし押し殺しきれない感情が薫の内からこみ上げている。しかし、それは真庭も同じことだった。

「休息も休みの内だぞ、報告は翌早朝に聞く、私は朝の七時から指令室にいるから」

「ありがとうございます真庭司令。しかし事は早急を要しますわ」

「すまないが、警視総監から直々の指示だ。私にも帰宅命令が出されているほどだ。朱音様が抗議しているが、今回の事件が鎌倉市内で起きたことに丸の内でも動揺が起こっている。私はここで朱音様と対応しなければならない。本当に申し訳ない」

 しばしの沈黙ののち、薫は口を開いた。

「仕方ねぇ、おばさんの頼みは聞かなきゃな、行こう」

「すまない」

 そうしてあまりに慌ただしい一日が終わりを告げた。

 

 

 

 〔こちら梅、奴さんが物を渡した〕

 〔長、こちらでもモニタリング。画像解析結果は赤だ〕

 〔こちら彦、目標移動開始。指示通り仲介人をやります〕

 〔こちら黒、前方から的が来たよ〕

 〔長、状況開始だ〕

 スーツを着たサラリーマン風の仲介人と呼ばれた右足が吹き飛び、琥珀色となって地面に散らばった。だが片足で立ち上がり、周囲を見まわした。

「まさか! 禍狩り!」

 低く飛び込んできた黒い影が大きく片足、両腕を斬りさばき、靴底を口に突っ込んだ。

「おっと間違っても自害なんかするんじゃねぇぞ、トカゲの尾っぽ!」

 角を過ぎたあたりで物を受け取った男は強い風を感じ、周囲を見回した。すると体は琥珀色の液体となり舗装路上に飛び散った。

 〔黒、任務完了〕

 〔彦、合流地点に向かいます〕

 〔梅、目標の確保に成功。回収を求む〕

 やってきたワゴン車に乗り込んだ覆面の少女は、口当てを脱ぎ空気を大きく吸った。

「やっぱりこれ息苦しいよ」

「まぁまぁ黒、我々は死んだ刀使なんですから、見えてはいけないんですよ」

「でもさぁ彦はビルから狙撃じゃないの? 結芽は人目を盗んで証拠を残す仕事って、これ隠密の意味ある」

「おい黒、捕虜がいるんだぞ」

 梅は低く奇妙な笑い声をあげた。

「大尉殿、ばっちり耳栓つけて自殺対策の猿ぐつわもつけてますからご心配には及びませんよ。それに聞くこと聞いたらさっさと死んでもらうんだから、それが遅いか早いかの問題でしょ?」

「冗談じゃない、が、その通りだ。残党を処理しない限り、先には進まない」

「先ね、さきさき」

 黒はコードネーム、燕結芽は黒い制服を身に纏い、窓から夜闇をじっと見つめた。

「さっき連絡があった。刀剣類管理局も禍人と青子屋の存在に感づき出した」

「随分と時間がかかりましたね」

「だがこうしてあぶり出しを続けてきた甲斐があった。黒には古巣のおびき出しをしてもらった。近いうちにお前の友達の口から俺たちの存在が見えてくる」

「そうすればみんな思い出すんだよね。ノロと人の関係を」

「そうだ、だが明日香村から発掘された刀をなぜ盗んだのか? それが問題だ」

 車を走らせて三時間後、名古屋市内の自衛隊の広報事務所と書かれた大きな施設の敷地に入り、車はガレージのなかへ収納された。

 そこに黒い制服に白衣を着流す少女が車を出迎えた。

「お帰りなさいみなさん、さぁみなさんまずは濃度検査機のチェックを受けてください」

「だるい、もう寝たいよエミリー」

「我慢してください黒、それに私はコードネーム麿ですよ」

「はぁい、はい」

 三人が施設に入っていくと、最後に大尉を出迎えた。彼にタブレットに表示した情報を差し出すと、満足げに頷いた。

「さすがだね、わずか半日でスペクトラムファインダーで禍人を探せるようになるとは」

「いえいえ先行研究を続けてきた方々のおかげです。皆さんのサンプルのおかげで数字の入力のみでしたからね」

「以前なら不信の証にするが、今はいつ渡せるかが問題だな」

「人は情動の生き物、いまさら何を変えられまして? それでサンプルは」

 大尉はトランクルームを開けると四肢の口から、ノロのこぼれ出る男が体をばたつかせていた。

「尋問は?」

「不要、バラシてノロの構造データーの分析をしてくれ」

「畏まりました」

 男の目隠しを外したエミリーは笑顔であった。

「大尉殿が欲しいのはノロの特性がもたらす数値差、そこからくる実測データ。日本、そして世界中に散らばったノロを探し出すカギになる。さぁデータの採取を始めましょうか。ご心配なく、殺しませんから」

 

 

 

 5.

 

 朝刊の一面を読みながら、目の下に隈を浮かべる真庭は小さく欠伸をしてみせた。

「鎌倉市内に荒魂、管理局の警察力は十分なのか、か。好きに書いてくれるわね。まだ肝心のことを知らないでいてくれるから、かわいく思えるのだけどねぇ」

「なら俺のことも孫のように可愛がってほしいな」

「お前は娘のように思っているぞ、薫」

「それはうれしいね、泣きたいぜ」

 薫は真庭に淹れたてのコーヒーを勧めた。

「おはよう二人とも、ありがたくいただくよ」

「おはようございます。真庭司令。では早急にも」

「ああ、話を聞こう」

 昨夜、熱海を斬った後の短時間に、二人は彼のメモを発見。そこには外事課のある職員が書類の処分統括を指揮していたことが明らかとなった。

「異動になったノロの運搬部職員の刀使が、書類の保存と統括していたのが外事課の加瀬多美子であることを教えてくれた。昨日の午前中に彼女の姿を確認している」

「ところで外事課から提出要請のある資料は来ていますか」

「いいや、期限は来週の月曜まで、今日まで一枚たりとも提出されたものはない」

「やはりもう一度、訪ねるしかあるまい」

「ん、お前たち、本当に帰宅したのか」

 真庭の問いに二人は顔を見合わせた。ねねは薫の肩で眠ったままであった。

「帰宅したさ、寮でノロ回収の関係者名簿をひっくり返して、電話片手に外事課が残る前に最後に解散になった組織を探し当てたのさ、何せ解散順の書類はまだ外事課が作成中だからな」

「まったく」

「それでも収穫はありましたわ。もう一度問いただす価値があると思います」

「分かったわ、思うようにやりなさい。でも一つだけ、今回のように誰かを巻き込むな。応援が必要なら私を通しなさい。いいわね」

「はい」

「はいよ」

 

 朝礼のチャイムが鳴ると、遊撃隊控え室では紗耶香を入れた四人と一匹全員が、隊長である薫を中心に朝の点呼と今日のシフト確認を行い、朱音の警視庁への出張に紗耶香が警護に入り、本部警護の隊長代理に真希が入ることとなった。薫と寿々花は変わらず専任捜査で通常シフトを抜けることとなった。

 だが、朝早く外事課を訪れた二人は出鼻を挫かれることとなった。

「加瀬多美子さんなら、昨日付で退職しましたよ」

 大村勘太のそっけない一言に二人は固まってしまった。

「彼女には書類の処分統括を指揮してもらいましたが、三日前の時点で最終提出の書類をまとめ終わりましたからね。彼女の退職届を期日通り処理しました。父の敷いた悪習ですが、我々で終わりですから大丈夫でしょう」

「そうですの」

「いやはや、昨日は彼女の退職祝いをしていたのに、熱海君はとんだ不幸にあってしまった。此花さん、もしかして熱海君は父の息がかかった人間に殺害されたのではありませんか」

「いいえ、アパートに侵入していた荒魂が彼を襲ったのです。それに大村喜之助、あなたのお父上は死んでおられます」

「そうですね。まったくその通りです。ところで、彼女にはどのような話で参られたのですか」

「書類作成中に大村喜之助の干渉がなかったか伺いたく思いましたので、できれば加瀬多美子さんが現在どちらにいらっしゃるかお伺いしたいのです」

「たしか、既にアパートの自室を引き払って、山形の実家に戻ったはずです」

「なるほど、すぐには会えませんわね。そちらから連絡をつけてもらえんすか」

「はい、たしかお渡しした名簿にも連絡先が書いてありますので、それからすぐに繋がると思います」

「ありがとうございます」

「それにしても、この刀剣類管理局はどちらへ向かうでしょうね。私は何となく先行きに不安を感じずにはいられないです」

「それぞれの場所で全力を尽くすしかないさ、そこででしかできないこともあるんだからな」

「私に何が出来ましょうか」

「そういう律義さでしょうな、大村さん」

「ふふ、私もまだ仕事があるようですな」

 部屋を退出し、二人は黙って廊下を歩んでいき、再び階段を降りながら、寿々花は思わず苦笑した。

「真実ではなく、事実に対しての律義さは、確かにこれからの私たちには必要ですわね」

「俺にはそういう繊細さはないからよ」

「確かに、先ほどの言葉は愚直に過ぎましたわ。でも、悪い気分ではないですわ」

「今度こそは尻尾をつかんでみせるぞ」

「ええ」

 二人はすぐさま真庭と朱音に報告、朱音は即座に二人に山形へ向かうように命令、真庭が書類と切符を用意し、二人は寮の自室に戻って二泊分の身支度を整え、昼前に鎌倉駅に集合した。

「お待たせしましたわ」

「おう、泊まるホテルも既におばさんが手配済みだ。加瀬多美子への連絡はどうだ」

「本人と直接お話した限りでは、いつでも彼女に会えるみたいですわ」

「そうか、なら行こうか」

 JR湘南新宿ラインに乗り、戸塚で東京駅方面に乗り換えをし、東京駅で降りると上越新幹線に乗り換え、新潟へと向かった。

「次は新潟駅で白新線の秋田生き特急に乗り換えますわ」

「さて、じゃあ弁当を頂くとしますか」

 乗り換えを済ませたのち、目的地である山形県酒田駅に着いたのは夕方五時半近くであった。

「先にホテルのチェックインを済ましてからでないと」

「間違いなく話が長くなるからな」

 と、寿々花の携帯に電話がかかってきた。

 しばらく話し込んでから、電話を切るとため息をついた。

「どうしたんだい」

「加瀬多美子からの電話ですわ、先の用事で帰りが遅れているために、明日にしてくれないかとのことですわ」

「ここは押し込むべきではないのかい」

「そうはいっても、加瀬家はこの土地の名家、おいそれと押し入りなんてすれば、関係ない人間が首を突っ込みかねませんわ。私たちはあくまで加瀬多美子の事件への関与を問いただすために来たのですわ」

「むぅ、仕方ねぇ! 明日だ明日!」

「ネネッ」

 



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第九話「精霊」

名古屋名鉄百貨店の半地下になった食品フロアは、この地を往来する人々にとっては見慣れた場所である。この土地の銘菓・名品がそろい名古屋に来たらここで夕食を買っていくというのも珍しくない。電話に答えながら久しく見る名古屋の食べ物を見て回っていた。

「うん、じゃあ御座候の今川焼、みんなの分買っていくね、じゃ後でねお父さん」

 兄もたんと食べるだろうと八個買い、表へ出ると長い包みを持った赤い髪の少女が高島屋の高いビルを見上げていた。そんなに珍しいものなのだろうかと可奈美も首を伸ばしてビルを見上げると、少女はなぜなのと可奈美に問いかけた。

「わからない、なんでだろう」

「ここに生きとし生きる限り、人なるものは生存空間の合理性を天に向けるのか。この下を通る電車なるものもそうだ。いつもこれだけ得て、これほどのものを築いて、なお命は求めるのか、私にはわからない」

「んー」

 何かを思いついて今川焼を一つ少女に差し出した。

「生きることを求めるからじゃないかな?」

 出来立ての今川焼を半分に分けると香ばしい香りが立ち、少女の目が輝いた。

「こ、これは?」

「今川焼、つぶあんが一番おいしいの!」

 一口食べると、夢中になって食べ終え、可奈美が差し出したもう半分もあっという間に食べつくした。

「美味だ。なるほど、求めてしまう性なのだな。名は何という?私はヲノツチだ」

「衛藤可奈美、変わった名前だね」

「名は単純が良い、今の者は華美に過ぎる」

 ヲノツチは可奈美をじっと見つめ、その手の長い包みで地を叩いた。その瞬間、熱いものが可奈美の前身をするりと抜けた。目を点にしてヲノツチの顔をじっと見つめた。

「ほぅ、こんな所で精霊の卵を見るとは…心配いらん至って健やか、失うものは何もない。むしろ得たいものが手に入るやもしれん」

「でも、みんな大変なのに一人で抜けていっていいのかな。私にしかできないことがあるのかもしれない。でも、私は刀使としてみんなと居たい。ごめん、何を言ってるんだろうね」

「時には孤独になる。それが共にあるということでもあるぞ」

 再び包みで地を叩くと、軽やかに駆け出す。それは風そのものであった。可奈美はその奇妙な光景をただ見送るしかなかった。

 

 

 ホテルニュー酒田の三階奥の部屋に入り込むなり、薫とねねは布団に飛び込んでしばらく動かなくなった。

「昨日は日付が変わるまで、今朝は六時起床に電車移動ばかり、祢々切丸を持ってきているから、余計に疲れたし、だるい」

「夕飯を取りましょうか、幸い明日の朝まで今日は自由ですわ」

「なるほど、そうだな、ご飯を食べに行こう」

 暗くなった市街を歩きながら、小さな飲み街を通り過ぎた場所に、暖簾がかけられた山形ラーメンの店を見つけた。さすがに祢々切丸は店に入らなかったので、店先に縛り付けてもらった。

「すみません、私の大太刀を店先に置いてしまって」

「いいんだよ、刀使さんが来るなんて縁起がいいってもんさ」

 注文を済まし、暫しの待ち時間を静かにしていた。

「そういえば、こうして敵同士だった相手がこうして食卓を並べるなんて、不思議なこともありますわね」

「刀使は家族さ、そこに余計な理屈も必要ないんだよ」

「ふふ、薫さんらしいですわ。薫さん、年はいくつにおなりますか」

「ん、なんだよ質問ばかり、あと二日たてば十六歳だよ」

「それはめでたいですわね」

「なるほど、衰えが始まってんだな」

 寿々花はコップの水を一口飲んだ。

「そうですわ、医師の検査では本来はあと二、三年もしくは遅くて七年が刀使であることの限界といわれましたけれど、ノロによって肉体の損傷が激しくないものの、力を引き出す神経器官が限界に近付いているそうですわ」

「もって、何年だ」

「長くて、一年半。もっと早く終わるかもしれないと宣告されましたわ。ノロを取り込むことのリスクは、ノロを取り除いてなお続いている。次は何が起こるのやら、少し怖いですわ」

「誰か、他には話したのか」

「いいえ、貴女が初めてですわ」

「そうか」

 寿々花はねねを抱き寄せると、ほほを近づけた。

「あの時、本当に間違いを正すべきは親衛隊の仕事でしたのに、少しずつ刀使から離れていくことに焦りを感じてしまった。そうしてしまったら、あこがれていた背中に届かなくなる。以前の私は無謀ばかりでしたわ」

「でも刀使であり続けなくても道はある。そうだろ」

「そうです。確かにがむしゃらだったけれど、自分の行いの全てが間違いではないと、ようやく振り返ることができましたわ」

「どれもこれも明日に繋がっている。此花さんが自分の信念に従って生きていることは、俺だけじゃなくみんなが知っていることだ。気にするな、俺が言ってやれるのはそれだけだ」

「ありがとう、話して気が楽になりましたわ。それにしても、薫さんは本当に面倒見がよろしいのね。遊撃隊隊員のことをよく見てますわ」

「柄じゃねぇ、と言いたいが、どいつもこいつも自分から突っ込んで行っちまうからな、誰かが重しになって一歩引かせねぇとすぐに道に迷っちまう。

ほおっておけねぇんだよ、ヒーローみたいなやつばかりだからな」

「なら、私も薫さんのお世話に預かり続けるとしましょう」

「望むところさ」

 店主が二杯のラーメンとねねのために茶碗ラーメンを用意してくれた。

「たんと召し上がれ」

 寿々花は中華そば、薫は変わりものである、あんかけラーメンであった。

 二人は静かに食事をしている間、事態は新たな進展を始めていた。

 

 

「んーわけが分からないよぉ」

「そうね、いくら十束剣といっても時代によって解釈がばらばらだから一振りの剣を指すのか、それとも同じ時代に存在した同じ力を持った剣の全体を示す呼称なのか、どれ一つとして確証がないわ」

 美炎、知恵、ミルヤ、清香の四人は長船の図書から関係のありそうな神話や伝承の記録を確認する。しかしこれと言って三本の御刀を封じる理由は分からない。

「もう一振りの直刀は草薙ではと仮定して、もう一振りの鉄剣が不可解ですね」

「草薙の剣は一度後世に失われているけれど、その失われた剣も草薙剣の本物とは限らなくて、写真に撮ったこの刀の象嵌にヤマタノオロチの尻尾から出たって書かれているんですよね」

「おそらく御刀を依り代にした荒魂。そこから出た赤羽刀を刀に直したのが本当の草薙剣。そう考えられます」

「じゃあこの剣は?」

「彫金は秦代のもの、でも装飾のデザインが明らかに商・周時代のもの」

「しょーしゅー?」

「古代黄河流域に出た中夏文明の王朝よ。あれ、先週世界史の小テストがあったって」

「あははは…赤点でした」

「調査隊のエース失格ですね、私がこんど教えて差し上げましょう」

「ど、どうかお手柔らかにお願いしますぅ~」

 みんなして笑ったところで、ミルヤはもう一度十束剣をこの目で確認しようと提案した。

「実物にはまだヒントがあるかもしれません。それに、確かめたいことがあります」

「確かめたいこと?」

 長船の研究棟が燃えてしまったが、地下の御刀の保管庫は無事であり、警備員の何重ものロック解除を抜けてようやく十束剣の保管庫に入った。長船所属の神官が長船の上級生の警護のもとに管理室へと刀を収めた箱が運ばれてきた。ミルヤが調査隊の責任者としてタブレットに署名し、開錠。昨夜も見たまばゆい輝きを放つ御刀が目の前にあった。

「安桜美炎さん」

「はい」

彼女は白手袋をすると、十束剣に手を触れた。その瞬間、視界が消し飛び暗闇に光彩を放ちながら波が美炎の意識を駆け抜ける。

何が起きたのかも判然としない。しかし、心に触れる暖かなぬくもりに気づき、その存在を見据えんと手を伸ばした。

長く美しい赤の髪の女性が美炎の意識にはっきりと姿かたちとなって表れた。

「わかるよ、このあたたかさ」

「私にもわかります…輝く珠鋼の意思が、あなたの優しさが…」

「清光が」

「はい、私の声に答えてくださったのもその方です」

動きの止まった美炎の髪が赤々と輝き出し、十束剣から小さな炎が現れた。

「あ、あなたの名前は、ホムラノチ、ホノカグツチから生まれし、炎の子」

「ホムラノチ…それが御刀の神力の正体か」

 ミルヤの感嘆とは裏腹にホムラノチは美炎に願った。

「止めてほしい?鬼八を?わかったよ」

 小さな炎は美炎の胸に入り、力が収まった途端彼女は崩れ落ちるように倒れた。十束剣から発せられていたまばゆい輝きはなくなり、他の御刀と変わらぬ状態になった。

「美炎ちゃん、美炎ちゃん!」

 知恵の問いかけに美炎は大丈夫だと答えた。

 

 

 

 翌朝、ホテル二階のレストランで食事を終えると、徒歩で海岸側へと歩いて向かった。日本海が僅かに望むことができる高台に、やや大きな母屋づくりの家屋が顔を出した。

「ここだな」

 表札には『加瀬』の文字がはっきりと書かれていた。

「ごめんください。連絡を入れていた此花寿々花です」

「いらっしゃい、わざわざ酒田までご足労ありがとうございます。どうぞ、上がってください」

 客間に通された二人は、改めて加瀬多美子と面することとなった。

 さすがに育ちの良さからか、赤い長い髪を後ろに一つまとめた、すっきりとした面持ちである。先日の時には茶を出したこと以外に、気に留めることもしなかった。

 右腕の包帯も昨夜の用事とやらのだろう。

「加瀬さんは、以前は刀使だったのですか」

「はい、錬府で剣を習い、卒業後は御刀を手に青森、新潟、そして本部で刀使として任務にあたり、力が衰えたので本部職員となり、外事課に配属されました」

「主任であった大村喜之助から、どのような任務を仰せつかっていましたか」

「喜之助さんからは、ノロ回収に関する書類統括の任を与えられました」

「その書類とは具体的に」

「主に、神社庁への収容要請の認証書類、各社の収容同意書、収容するノロの容量と、回収後のノロ量の確認書類。それらを確認した帳簿を作成、片桐さんが数字の最終確認とデーターベースの確保、そして紫様への報告用書類を作成していました」

「では、解散令が出されてからの書類は」

「六つあったノロ回収関連の組織で既に解散したのは、運搬部、警護部、専門の財務部、保管に関する研究。

それらを解散させるにあたって、人事部は先の言った順番で解散を進めました。そして、これが一番難物でしたね。それらの職務書類製作を外事課が引き受けることになったのです。既に人事部は管理局人事部に吸収されていたので、異動者の書類を往還するのも外事課の仕事でしたから、私だけは過去書類の回収数値を一冊にまとめ、上層部への提出要求通りの書類を作成するのが仕事でした。結局、書類が完成したのは退職する当日でした」

「なるほど、加瀬さんは退職するまでずっと書類作成に追われていたのですね」

「そうです」

 薫は話に耳を傾けながら、必死にノートに話の全てを書き込んでいる。

「加瀬さんはなぜ退職を選んだのですか、まだ管理局内でその能力を生かせたでしょうに」

「私個人の贖罪のためです。折神紫様がタギツヒメに支配されていたことも知らず、自身の全能力を尽くしてノロを全集約する手助けをしてしまいました。テレビで事件の全貌が報道されていました。それまで、なぜタギツヒメが復活したのかも知りませんでした。もちろん他部署の同僚から引き留められましたが、私は退職を決意したのです」

 二人は彼女の言葉から怪しさを感じることはできなかった。それどころか、勘太が離さなかった組織の詳細な構造や、人間関係までこと細かく証言。

 彼女は大村喜之助から意図的に距離を置かれた、事務員の一人でしかなかった。

 それもあってか、喜之助の側近であった熱海について、あくまで仕事上の同僚であり、彼個人が誰に忠誠を誓っていたのかは知らなかった。

「では最後になりますが、書類の原本はどちらに」

「全て、外事課の倉庫に置かれています。解散時の統括された他部署の書類もすべてそこにあります。場所は東棟二階、外事課執務室のある建物の一番奥です」

 寿々花は薫が最後のメモを走らせ終えると、ゆっくりと頷いた。

「ありがとうございます。これで聴取は終わりです」

「お役に立てそうですか」

「おそらく、事件の全容解剖に一歩進みましたわ」

「そう、私もこうして二十五になるけれど、後輩たちの世話ができるのは本当にうれしいわ」

「それでは、私たちは急いで鎌倉に戻らなければいけません」

「あら、大変。荷物は大丈夫なの」

「まだ、ホテルに預けたままで」

「うちから車を出しましょう。あなた大太刀持ってきたのでしょ?大丈夫、商売用のトラックがあるからそれに乗せてあげる」

「加瀬さん、あなたのおうちは何を生業に」

「基本的には雑貨商だけど、分家が山形で色々な商売をしているものだから、正直何でも屋の性格が強いのよ、明治の中頃までは船の荷を中継する仕事だったそうよ」

「そうですの、家族はさぞにぎやかなのでしょうね」

「本当にそうで、年末年始はこの家が人で埋め尽くされますから、爺や、トラック出してちょうだい。この二人を駅まで送るわ、途中のホテルで荷物も拾うから」

「かしこまりました」

「加瀬さん、本当に申し訳ないです」

 右腕を横へ振った彼女は自然とほほ笑んだ。

「気にしないの、気にしない。私はこの土地でいい人を見つけて、静かに人生を生きるとするわ。また気が向いたら遊びに来なさい」

「ところでその腕は」

「ああ、これ?昨日、加瀬家の武術を志している人を訪れた時、お庭のワンちゃんに嚙まれてしまったの、この通り問題ないわ」

「なら、いいですわ」

 

 

 森の奥深く、そこへいざなわれるようにカンカン帽を被った男は二振りのケースを手にしていた。

 朽ちた小さな社にやさしい橙の輝きが内から外へと流れ込んだ。

「田中藤次か、全ての回収はできなかったのか?」

「ヲノツチ様、申し訳ございません。十束剣は」

 ケースを開け放ち、彼女に見えるように差し出した。

「ならよい、この八千矛と草薙に分景があれば往時の力の半分は出せよう。して何を願う?我の果たすべき使命がお前たちに何の理がある?」

 祠の裏から顔を出した眼鏡の女が、ただ一言だけ結果のみと言った。

「結果?おぬしは全ての答えを得たろうに、まだ何かあるのか?お前の体はとうの昔に壊れておろうに」

「いいえ、まだ一つ、私が惰性を得続ける理由がございます」

 その得体のしれぬ微笑みとは逆に、ヲノツチは彼女から空しさを感じていた。

「好きにすればよい」

 分景と呼んだ鉄剣を手にすると、彼女の手から炎が起こり、錆はあっという間に消し飛び、精緻な彫金が姿を現した。

「うむ、青子屋篠子よ。保険をかける。人が作り出した神を目覚めさせ、隠世の扉を開けさせよ」

「はい、向野、家弓」

 森の中から肉付きの良い男と白い髪の家弓花梨が現れた。

「糸見紗耶香を進化させろ」

 向野という男は素直に頭を下げたが、花梨は頑なに動かない。

「私は紗耶香に力を使わせないために、あなたたちに協力している。だからこそ殺すことも」

「でも情は動いた。ある者が言っていた。人は生きることを求めると、ならお前の妹がどういう存在であるか、その妹にも妹の周りに居つく者にも知らしめてやれば良いのではないかな?私は扉が開けばよい、閉じてしまうものに興味はない。お前にとっても、私にとっても良い機会となせ家弓花梨」

 花梨は渋々と頭を下げた。

 だがヲノツチは満足そうに頷き、祠の向こう側にある高く雲を煙らせる山を見上げた。

「もうすぐですよ、母様よ」

 

 

 

 



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完全版『異譚・神起編』覚醒之章
第十話「強襲」


 6

 

 翌の昼を越した時間帯。

 東京都新宿は最も賑わう時間となり、往来の中を二人が合間に入った。

 新宿駅甲州街道口、バスターミナルへのエスカレーターを横に向野と花梨は高くそびえるドコモタワーを見上げた。

「博士、どうぞお願いします」

 携帯をポケットに入れた瞬間、タワー上部が弾け飛び噴煙の中から壁を突き破る巨大な物体が姿を現した。頭の六角形の突起を左右へ振ると、壁面がばらばらと崩れ落ちた。写真を撮る人込みの中で花梨の冷めた目が周囲を見渡し、やがて冷静さを失い始める群衆が出口へと駆けていく、早期警戒警報の中で向野は小さく笑い続けている。

「あれが有群博士の新作、打突面獣か、なんてデカさだ」

「茶番だな」

「茶番? ふふふあっはははは! 間違いない大茶番だ! さぁ我々も茶番をはじめよう」

 花梨はその巨大な包みから剣を取り出し、腕を切り裂いて血をまき散らせた。

「行け」

 血は実体化、あらゆる形の荒魂となって駅構内を猛然と暴れ出した。向野は赤い写シを纏い、合口で床を砕きぬいた。

「六枝吸魂」

 甲州街道口前の道路に幾本もの巨大な枝が飛び出し、走ってくる車を次々と破壊していく。人々は混乱にただただ狂い動き、新宿はにわかに混乱の様相を見せ始めた。

「早く来なさい、紗耶香」

 

 新宿の都庁にある東東京市対策室から緊急警戒警報と刀使への出撃が発令され、特祭隊本部指令室に一気に緊張が走った。

 真庭は薫との回線を優先で繋いだ。

「薫! 寿々花! 大宮から直接でいい新宿で先頭に立ってくれ」

 〔了解、それと遊撃隊の全隊員出動を許可してほしい〕

「理由は」

 〔報告の荒魂が従来型じゃない。通常部隊の刀使からけが人は出るのは避けたい〕

「わかった! これより特祭隊司令真庭紗南の特別災厄対策第四令を発動し、遊撃隊を新宿へ投入する!」

 すべての刀使に遊撃隊の出動が伝えられ、タギツヒメ事件以来の大事件になっていることが想像できた。あれからまだ半年もたたずに災厄は起きた。だが本部からの遊撃隊精鋭陣の名前に彼女たちは不思議と勇気つけられた。

「この全力出撃は虎の子だ。なにせ遊撃隊予備の可奈美と姫和を呼びつけるんだ。下手したら、西日本と中京のパワーバランスが崩れる」

「でもそうしなければならない事態と判断したのでしょ? 薫隊長」

「ああ、突然すぎる。スペクトラムファインダーのデータに偽りがなければ」

「新宿駅周辺は」

「そうだ完全に機能停止している」

「ねねっ……!」

 新宿に到着したとき、巨大な荒魂が線路を駅へと向かう光景に出くわした。寿々花の取り出したタブレット端末を見ながら被害中心地域の荒魂発生状況を報告、即座に真庭と警察隊、遊撃隊の先発隊に荒魂掃討地域の区割を指示した。

 〔隊長の益子薫だ。今回が俺たちの初めての全隊出撃だ。時間は五時間! 五時間以内に掃討を完了し新宿を即時復旧作業へとバトンを渡す! 時間は厳守! 俺の背中は任せたぞ! 〕

 先発隊の中にいた紗耶香は到着し、区割りを再度確認し、アルタ前から甲州街道口の巨大荒魂掃討へ向かう旨を隊員に告げて駆け出した。

「次から次へと……寿々花さん、真希さんと合流して靖国通りの区割りから掃討を」

「隊長はどう?」

「あそこのバカでかいのを祓う、紗耶香と合流次第、最も荒魂の多いここを担当するから、任せたよ」

「では!」

 薫は線路上に降り立つと、祢々切丸の鞘を砕き破り、正面から向かってくる打突面獣に向かって左蜻蛉の構えで向き合った。

「なぁねね」

「ね?」

「あれブタじゃないか」

「ねーっ!」

「だよなあいつの名前は豚型にしよう」

 一気に打突面獣の懐に入るなり、町中に響き渡る猿叫、瞬時の一撃が巨体を縦真っ二つに叩き斬った。

「きぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 気合が木霊し、持ち場で戦う刀使たちは自然と笑顔になった。紗耶香もその一人だった。だが燃え盛る車の前に大ぶりの剣をもった女が姿を現した。紗耶香は自然と鯉口を切った。

「家弓花梨……まさか」

「不本意だけど、あなたが自分の身を弁えないのだったら」

「ここで、倒す!」

 遊撃隊投入から二時間、陽は暮れはじめてドコモタワーの崩れた間から有群が眼下の新宿駅を見下げていた。東口に展開させた荒魂がことごとく掃討されたが、かれは端末で靖国通りを指示した。

 靖国通りは文字通りの最悪であった。逃げ遅れた民間人を守りながら、続々と集まってくる奇妙な形状の荒魂に対して動けないでいた。その長く伸びた鼻から次々と矢が放たれ、写シで受けながら矢を履く作業に終始していた。

 〔寿々花! 回り込みは〕

 〔気づかれましたわ、こちらも前へ進めません! 〕

「なんて荒魂だ!」

 写シの剝がれた刀使が退避すると、すぐさま回復した隊員が盾に入る。

「柳瀬麻衣! 頼みがある」

 応援に入ってきた舞衣へと真希は叫んだ。

「はい!」

「今すぐ甲州街道口へ! 隊長と紗耶香と通信ができない! 応援へ!」

「でも!」

「たのむ!」

 舞衣は頷き、真希は一列に並ぶ矢吹型荒魂の前列に飛び込んだ。

「なめるなぁー!」

 集中する矢を気にも留めず、前列を斬りさばいていく、

「真希さん……! 高架を這って突入するわよ!」

「寿々花様! ビルの壁面に!」

 隊の頭上に四体の壁面ガラスに張り付く、矢吹型の姿があった。

 真希へと集中する矢を見ても、隊は前進を阻まれて助けにいけない。車を盾にしている隊員は歯ぎしりした。

「ねぇ、状況は?」

「状況? 見ての通り、救助に手一杯で」

「やっぱり、結芽がいないとダメダメだね」

「はぁ? あなた何を言って……!」

 その黒いバラクラバを取った少女の目を見張るような桜色の髪に目を見張った。

 迅移で飛び込んだ閃光はあっという間に中央を突破し、左翼の矢吹型をあっという間に切伏せた。

「真希おねぇさん、今のうちに矢を抜いちゃいなよ」

「結芽」

 〔こちら黒、ごめんなさい〕

 〔こちら長、バッカ野郎! まだフードは取っちゃいかんだろうが! 〕

 〔はいはーい〕

 真希は必死に矢を抜き取り、写シが剥がれると一気に息を吐いた。

「本当に結芽なんだな」

「どうだろう? 早く立って! まだいっぱい来るよ!」

「ああ!」

 立ち上がった真希は写しを張り、結芽とともにガード周辺の荒魂を切り伏せていく。

 

 ビルの屋上からアサルトライフルの弾丸が三体の矢吹型を壁から引きはがし、飛び降りて脇差を抜きはらいざまに一体を切り伏せ、寿々花たちの前に降り立った。その黒いバラクラバから覗く細い目に寿々花は見覚えがあった。

「寿々花ちゃん、無理強いできなかったら戻るのも選択肢なんですよ?」

「その声、国府宮さん……!」

「ほら、まだ来るよ気を抜かないで!」

「は、はい!」

 

 



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第十一話「覚醒」

 線路上では打突面獣の胴を盾にしながら、縦横無尽に走る枝から薫は必死で逃げていた。

「ねね!」

「ダメだ! あいつを探しているタイミングで狙い打ちにされる!」

「ねねっねねっ!」

 左手首のない向野は笑いながら薫の軌道を追っていく、彼女はバラバラになった荒魂の体の上に昇った。

「ちくしょう! ねね、あれをやるぞ」

「かっはははは! どうした! たかがガキ一人にちょこまかと、動くなってんだろーっ!」

 祢々切丸が弾き飛ばされたが、薫はがむしゃらになって向野の懐に飛び込み彼の顔を蹴り込んだ。そして彼女めがけて祢々切丸がとびその勢いを得て縦一文字の一閃が砂煙を巻き起こした。

「薫!?」

 紗耶香は凪ぐように繰り返される連撃を丁寧にさばきながら、強烈な斬撃を受けて間合いを離した。もう一時間以上も斬りあいを繰り返してなお、互いに呼吸が乱れることも、剣が鈍ることもない。だが周りの状況が見えないことに、紗耶香は明らかに焦っていた。

「あなたはまだ本気を出していない。いや目覚めていないのね」

 花梨が袂から投げたものを紗耶香は手に取った。

「ノロ……!」

「さぁそれを打ち込んで、あなたの力どれだけ危険かを確認なさい」

「ダメっ!」

 迅移とともに抜き打ちが花梨を叩き、その芯の強い太刀が花梨の半端な受け身を弾いた。やむを得ず離れた花梨の視界に美濃関の制服を着た舞衣が切っ先を向けて立っていた。

「まい」

「大丈夫だよ紗耶香ちゃん、私が守って見せるから」

 舞衣は花梨を鋭く睨んだ。

「あなた、紗耶香ちゃんのおねぇさんなのに刃を向けるんですね」

「紗耶香の力は今の世にあってはならないもの、それを理解できるものが、そのものに出来ることは自ずと決まっているのよ」

「違う、他にも可能性があるのに、あなたは逃げることに甘えている。刀使の家族は守り切って見せる」

「守る? 私を生み出し、あまつや捨てておいて! 今更家族か!」

「ならなぜ紗耶香ちゃんを守ろうとしたんですか!」

「守っていないだろうが」

「わからずや!」

 飛び込んできた大剣をいなしながら、刃を反すが、花梨は鵐で腹を殴り勢いを殺したところで、孫六ごと地面に叩きつけた。しかし姿勢を低くし、居合の要領で花梨の腹を斬り、踏み込みの勢いに乗って両こぶしで打突し花梨の体は後ろへ投げ出された。左足をふんじばって舞衣の追撃を受け、隠剣の構えから孫六を薙いで大ぶりの連撃が繰り返され、その一閃が写シを剥がすが怯まずに鍔迫り合いに押し入ってから写シを張った。

「舞衣、いま」

「おっと」

 地面からツタが伸び、紗耶香の体をがっちりと捉まえた。向野は両腕からノロを垂れ流しながら紗耶香の前に現れた。

「君は動いてはダメだ、まだケガをしてはいけねぇ」

 追いついてきた結芽がその光景を見て、向野に飛び込もうとした瞬間、頭上から矢がふり彼女の動きを止めてしまった。

「しつこい」

〔長だ! なんとしても無念無想を完成させるな〕

〔わかってる! 〕

 花梨の体はにわかに光彩を放ち始めた。

「無念無想!」

 その見覚えのある輝きに気づいた瞬間、舞衣の体は後ろへはじき出され宙に舞う彼女の胴を斬り、隙も与えず留めの袈裟懸けを浴びせかけた。地面を転ぶ舞衣にもはや写シを張る力はなかった。

「刀使が、刀使が!」

 向野は枝を張り、舞衣の首を縛りもち上げた。

「やめて、お願い」

 息も絶え絶えとしている舞衣を見て向野は微笑んだ。

「てめぇら刀使が俺に勝とうなんてするからだ! 死ね」

 紗耶香はもう何も考えなかった。無念無想で枝を払い、ノロのアンプルを腕に打ち込んだ。

「向野! もうやめろ!」

 花梨が激高したその時、枝に包まれていた紗耶香の体が白く輝き、その頭に二本の角、そして白い装束、琥珀色の瞳が向野を見据えた。

【挿絵表示】

 

 その体に重なる無念無想の光彩は強靭な七色に輝く。

 枝は裁かれ、向野はノロとなって吹き飛び、切り落としを受けた花梨の手から剣が飛び、結芽を囲んでいた荒魂を切り払った。

 一瞬の出来事に花梨は死を悟り、目をつぶった。

「ダメっ!」

 飛び込んできたソハヤノツルキの鵐は紗耶香の動きを止め、結芽は写シを裂かれて転げ落ちた。

 正気を取り戻した紗耶香から無念無想の輝きが剥がれ落ち、膝を突いて空を見上げた。空に空いていた黒い大穴が赤夕に閉じるのを見て、兼定の刃を自身に向けた。

「だから、ダメだよ」

 歩み寄った結芽に刀を引きはがされ、その肩を何度も揺すぶられた。

「紗耶香ちゃんは生きてるんだよ。もっとそれを大事にしてよ」

「でも、私はいま」

「馬鹿野郎なにやってんだ」

 駅から姿を現した薫は語気を強めて紗耶香に言い放った。

「舞衣がケガしてるんだ。早く助けてやらねぇか!」

「でも」

「うるせぇ、四の五の言わずに動け」

「ねっね! ねねね!」

 結芽へと頷いた紗耶香は舞衣のそばに駆け寄り、首に巻かれた枝を取り払った。息はある。

「おい、燕結芽」

「結芽だと思う?」

「夢でもいい、ありがとう」

 微笑んだ結芽は力なく膝を突く花梨へと目を向けた。

「隊長さん?」

「益子薫だ」

「じゃあ益子のおねぇさん、家弓花梨を預ける。時が来たら全てに決着を」

「全て?」

「すぐにわかるよ」

 結芽は迅移で駆け出すと、ビルを飛び越えていき北へと遠く遠く飛び去って行った。

 

 時刻は既に夕刻を回り、緊急で到着した可奈美と姫和は現場の指揮に入った。薫は禍人との戦闘で消耗、紗耶香は病院へ送られる舞衣に同伴。真希は靖国通りの掃討を完了させると倒れてしまった。まともに現場統率をできるのが寿々花だけだった。

 歌舞伎町のゴジラロードには現場指揮所のテントが立ち並び、そこへ遊撃隊制服を着た可奈美が顔を出した。

「ご苦労様です。今から駅の復旧作業が始まります、それまでは作業の警備に移ります」

「ふぅーっやっとですね。みんな奥の休憩所で待ってて」

 可奈美は真希班のメンバーを休ませると、寿々花に手招きされてパイプ椅子に座った。

「二人ともお疲れ様デース! 区役所の方からミルクコーヒーをもらってきました!」

「ありがとうエレンちゃん」

「いただきますわ」

 忙しく人が飛び交う中、寿々花はうとうととしながらもタブレットに来る連絡のメールを処理していた。

「寿々花さん、休んだ方がいいですよ」

 彼女は無理に笑顔を取り繕って見せたが、無理は顔に出ていた。

「そうデース! 私がいますから暫くは任せてください」

「でも、薫さんも真希さんも、紗耶香さんもいないのに」

「それには及びませんヨ! 薫は病院で『働かせろって』うるさいそうなので、こういう時こそ体を休ませてください!」

「薫さんが? ふふふおかしなの、そうですね、わかりました……」

 寿々花はエレンへ端末を手渡すとそのまま寝入ってしまった。それに気が付き、苗場和歌子は緊急用具の中から毛布を取り出し、彼女にやさしく掛けた。

「みんなずっと大変だったのに、すごいな」

「薫は禍人を大勢の前で、サーヤは自分の過去に追われ、寿々花と真希は初めて現れた形状の荒魂に悪戦苦闘し、みんな事件を解決しようと頑張っていたのに、あんまりデス」

「色んなことがあって、何もかもめちゃくちゃで、ただ足掻くしかない」

「そうです……そうデース! 燕結芽が現れたんデース!」

「しっ、エレンちゃん!」

「す、すみません」

 二人は顔を近づけ、小さく話し始めた。

「やっぱり?」

「? カナミンまさか」

「別のところであったんだ。ノロによって体が復元されて、今はどこかの組織にいるって」

「組織とは?」

「わからない。でも同じ境遇の人が寄り集まっているみたい」

 エレンはいぶかし気に目を細めながら、タブレット端末内の監視映像のスクリーンショットを引き出した。

「燕結芽といっしょに国府宮鶴という人も出たそうです」

「国府宮先輩が」

「ご存知ですか?」

「うん、美濃関で一番強かった人で小野派一刀流の脇差使い。一年半前に任務中に行方不明になったって」

 わざとフードを取った結芽、話をかけてきた鶴。

「何かを伝えようとしている? そしてサーヤの覚醒を止めようとした。なぜ?」

 可奈美は何かを思い出したように天井を見上げた。エレンも不思議と天井を見た。

「急行するヘリの中から小さいけど隠世の門が開くのが見えた」

「サーヤの強大な力が自然と扉をこじ開けた……燕結芽はその阻止に、禍人たちは開けるのが目的だった。最初から狙いはサーヤ」

「でも何のために開けたんだろ」

 可奈美の携帯のブザーが鳴り、真希班との合流を思い出した。

「ごめんエレンちゃん行くね」

「大丈夫ですヨ」

 座ったまま可奈美を見送ると静かに寝息を立てる寿々花を見て、深呼吸した。

 禍人や荒魂が襲い掛かってきた理由は紗耶香の覚醒、だが覚醒させて隠世の門を開ける理由がわからない。それを阻止するために同じ禍人と思しき刀使が干渉してきた。ここ一か月続く人間のノロになって発見される怪事件と何か関係があるのか? 

 エレンは顔を強張らせたまま、一口飲んだ。

 



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第十二話「横浜」

 7

 

 あれから一週間がたった。新宿は翌日には復旧し、今となっては事件は過去のことであると言わんばかりに世間の頭からすっかり消えていた。

 

 結芽は頬杖を突きながら、目の前に広がる数字の羅列を、ぶっきらぼうに見る。

「それでこの公式は、二つの公式に分かれるので、一回で解けなかったら手間はかかるけど二つに分けて計算してもいいですね」

「ねぇ彦」

「はいはい、あと二十分。文句が言いたいならこれを解いてください」

 結芽はやけになって指された問題を計算し、

「できた」

 そう言って目をつむった。

「んー、惜しいですね。ここは引き算ですよ」

「ええ」

「さ、途中から」

 鉛筆を持ち、下で計算直しを示すと、彦は満足そうに首を縦に振った。

「よろしいでしょう。でも今のようなニアミスは厳禁ですよ」

「はーっい」

「じゃ、約束通りに文句を聞きましょうか」

「なんで自衛隊に来てまで勉強しなくちゃいけないの」

「まぁ、子供も大人も一生勉強するからよ」

「でも」

「話は最後まで聞きなさい。自衛隊員だって戦車とか、軍艦とか、戦闘機とかを使うために使い方を勉強しなくちゃいけない。そして、私はちゃんと学びましたよっていう、証をもらわなくちゃいけない。あなた、飛び級したけど初等教育終わってないでしょ」

「うっ」

「それに中等教育も」

「ううっ」

「だからこそ、あなたはお勉強しなくちゃいけないんですよ。みんなに堂々と常識溢れる刀使と言うためにね」

「わかったよ」

「まぁ、剣は梅さんから、勉強は私から学べますから、そんじゃそこらの中学生に負けない学力は保証しますよ」

「でも、彦はそんなに色んなこと知っているのに、なんで特五に居るの。普通の刀使じゃダメだったの」

「……」

 笑顔でありながら寂し気な顔をする彦の顔を見て、答えを求める気にはならなかった。

「私は……ある人から逃げて来たんです。心から忠誠を誓った人から、怖くなって逃げたんですよ」

「そうなんだ」

「さぁ、話もここまでにして、今日は早めに終わりましょうか。お昼前には出かけるそうですよ」

「例の」

「そうです、横浜へ行きますよ!」

 

 

 横浜市港区は神奈川県の顔にして、海からの関東の顔でもある。

 そして国内でもある料理の殿堂として名高い場所、横浜中華街がある。

「結芽、中華街に来るの初めて」

「ほぅ、親衛隊に居たのに、美味しいものを食べてなかったのか」

「うっさい、任務に忙しくてとても行く暇はなかったもん。あたし神戸の出身だし」

「かかか、だろうよ。なら今日はいいもん食わしてやるよ、なぁ大尉」

「あまり高いところは勘弁してくれよ」

「よっし、同善軒に行こう」

 中華街の表通りの中では古い店の一つ、しかしひどく高いわけでもなく、観光客のみならず地元住民も気兼ねなく訪れる中華料理屋である。

 ここの名物はチャーハンとチャーシューの盛り合わせ。

 数種類のチャーハンは海鮮もの、肉類を扱ったそれでは上品かつ中華街らしい美味の料理である。

「えびがプリップリ、味付けもほど良くてやさしい食べごたえ」

「黒も、随分と舌が肥えて来ましたね」

「だっておいしいものは大好きなんだもん」

「そう言って、すぐに太るぞ」

「むー、なんで梅は意地悪なの」

「はいはい、チャーシューだぞ」

 口に運ばれた一切れを満足そうに食べる結芽を見て、梅はいつまでも笑っていた。

 

 

 深夜を回った倉庫街を一人の男が走っていく、

「はぁはぁ、はぁはぁ」

 時折聞こえる足音に吸い取られるように、少しずつペースが落ち込む。

「はぁはぁ、ひぃ、はぁ」

 行き止まりのフェンスにたどり着き、男は声を発することもできず崩れ落ちた。

「心配するな、すぐに終わる」

「ふ、ふざけるなよ」

 男は立ち上がると、腰のベルトから45口径のM1911拳銃を取り出した。

「こうしてここに逃げたのはお前を一人にするためだ。殺し屋・李狼将よ」

 体をフェンスに預け、両手でしっかりと構えられた拳銃が暗闇に潜む男へ指向した。

「心配はいらん」

「ふふ、お前さんもここまでだ」

 引き金を引こうとした瞬間、銃は宙を撃ち、腕ごと後ろへと放り投げられた。

 悲鳴が走り、銃がフェンスの向こう側へと消えた。

「日本には良い武術がある。お前はそれを知っておくべきだったな」

「まだ、だぜ」

 今度は背中に隠されていた脇差が空を斬った。

「くく、その通りだと思うぜ」

 その切っ先の輝きを見て、狼将は怪しく微笑んだ。

「では、気兼ねなく殺せるな」

 背中に負っていただろう薙刀が、鞘を振り払って僅かな光を受けて輝いた。

 その時、フェンスは裂かれ、男の頭上を刃が走った。

「そこっ」

 近間に入ったが、即座に石突が男の体を叩き、首を柄で殴り飛ばした。

「ああああああ」

 すかさず刃が首を跳ね飛ばすと、草むらを叩く音と共に水の流れる音が、いつまでも続いた。

「たわいもない、処理しろ」

 隠れていた男たちが肉体を回収し、痕跡を消していった。

 レンガ街のはるか奥で一連の光景を見ていた結芽は、ただひたすらに気配を消していた。

「黒、目標を確認、とんでもない凄腕」

「梅、こちらも確認。彦、お前気づかれているぞ」

「こちら彦、目標の視線指向を確認。これより迂回ポイントに向かいます」

 静かに、そして気配を消しながら動き始めた彼女は、装置に懸架した御刀を水平にし、奇襲に警戒した。

 そして彦は、サプレッサーを取り付けた89式改を構えながら、指定されたルートを静かに歩いていた。

 ついに足音が後ろから近付いてきた時、奴が近づいていることに気が付いた。

「この匂い、刀使か」

 背筋に悪寒が走った瞬間、振り返って銃弾を撃ち込んだ。

 だがライフルは脆くも機関部から一刀両断されて、地面にバラバラと崩れ落ちる音がした。

「違ったか」

 赤く禍々しい光を帯びた男は、その後悔にも似た憎悪を彦に向けた。

「死ね」

 振り下ろされた一撃にとっさに御刀を抜き、後ろに弾かれながらも一撃を凌いだ。

「くくく、ははは、あっははははははは」

 彦の御刀を手にする表情は万弁の笑みであった。

「いいね、いいね、私に御刀抜かせるなんて、いいよ、あんた」

 お互いに笑いながら、双方の得物を構えた。

 その刃渡り一尺八寸四分の派手な彫りがなされた御刀は、荒々しい兼房乱れが走っている。

「やはり刀使」

 彦は振り下ろされる左右の二連撃をあっさり避け、それどころか柄をいなしながら腕を斬り、突き殺さんと激しく狼将の懐に入ってきた。

「そうだ、これだ」

 赤い光が狼将の体を裂くように走り、突きに入ろうとしたその時、結芽の左逆袈裟切りが狼将の真横に入った。

「うぐっ、くかかか」

「いつまで戦ってるの? 行くよ!」

「じゃましないでよ、ったく」

 御刀を収めた彦は結芽と共に暗闇に消え去った。

 

 ────────────────────────

 

 ホテルの一室に集合した五人は、ラフな服装であれどその顔に不安を滲ませていた。

「調査した通り、禍人で間違いない。しかもある程度自我をコントロールしている」

「いいえ大尉、あれは自我とノロが一体になっていると思われます。私と同じように、ある共通の目的をもって禍人となっていると思われます」

「ふぅむ、彦。奴の目的は何だと思う」

「刀使だと思います。それも自分を探し出すであろう、実力のある刀使を待っているのだと思います」

「探し出して」

「戦いたいのだと、思います」

「彦」

「はい」

「笑って、いるぞ」

 彦はすぐさま口を塞ぎ込み、顔を伏せた。

「彦がそういうのなら間違いはないだろう」

「でも長。彦は御刀を抜くと強いのに、なんで銃ばっかりなの?」

「黒、こいつは御刀を握ると体内のノロが起こす殺人衝動を抑えられなくなるんだ。だから、最悪の場合にのみ御刀を抜かせるようにしている。お前も気をつけるんだ」

「えあたしも?」

「梅も然り、彦も、当然お前も、体内にノロを宿した人間はどうなるか、お前が一番よく知っているはずだ」

「親衛隊第三席、皐月夜見。あの方は高津雪那の証言から、彼女の強烈な意思が一点にあったからこそ肉体崩壊が起きなかったと考えられています。しかしそれが何かのきっかけでタガが外れれば、肉体がなくなるだけでは済まなくなるやもしれませんねぇ。どうか重々気をつけてくださいよ」

「りょ、諒解……」

 そうして梅がゆっくり口を開いた。

「でもこれであの殺し屋を祓う理由ができた」

「ああ、某中華マフィアの殺し屋『李 狼将』、奴はいつからかノロを摂取し、急激に実力をつけていった。今まで殺した裏世界の人間はざっと二百人あまり、所轄の報告書には噂話とメモ程度にしか書かれていなかったが、全てが事実であり、こいつは俺たちが払わなければならない荒魂と、言うわけだ」

「でも、出方が分からなきゃ祓えないよ、剣を合わせちゃったし、私ら刀使が目的なら待ち伏せしているかも」

「心配するな黒、そのために俺がいる」

 少佐は自信ありげに胸を張った。

 

 

 夜は明け、少佐から待機を言いつけられた三人の内、彦は部屋に閉じこもったままだった。

 仕方なく朝食を済ませて海洋公園へと梅と結芽は足を延ばした。

 海との柵に軽やかに座ると、梅は袂から小さな箱を取り出した。

「いいか」

「タバコ……まだ吸っている人がいるんだ」

「まぁな」

「好きにして」

「ありがとさん」

 喫煙用の廃殻入れを持ってきているあたりが、結芽には梅らしく感じた。

「気になるかい、彦のこと」

「まぁね」

 火を付け、一口すると彼女の唇を撫でるように煙が風に流されていった。彼女の髪の色によく似た灰色の煙だ。

「結芽はね、ずっとノロのお陰で少しだけ長く生きた。でも、それはノロを体に取り込んで、命を繋いだに過ぎなかった。私の周りには力を欲してノロを取り込んだ人、忠誠を示すために取り込んだ人、それをやるしか刀使でいられない人、それぞれに利用価値が違って、思うようにコントロールできなかった」

 結芽のさみしげな顔を横目に吸殻を灰皿に突っ込んだ。

「所詮はノロを飲んだだけの紛い物と」

「そう、私もそうだった。たった僅かな時間にすがる。紛い物の今」

「でも最強の剣士だって証明したんだろ」

「別にこだわってもいなかったよ。私は誰かの記憶でいたかった。忘れられないために嫌がれることも迷わずやった」

「でも、結果は」

「散々だった。かなねぇとの決着を付けられなかったし、寿々花おねぇさんに最後の止めをさせちゃった。ノロや荒魂に振り回されていたのは、私自身だった」

「でもこうして生き返った。その振り回してきた奴らを使って、あんたはどうしたい」

「そんなの決まっているよ」

 遊歩道に立った結芽は街の方へと体を向けた。

「私のしたいように生きる、今までに会った人たちと、これから出会う人たちと共に」

「ふふ、それは大層な望みだね」

「私もそう思う」

 

 ────────────────────────

 

 それは遡ること一か月前、彼女は一面ガラス張りの部屋で突然に目を覚ました。

 自分が何者か、自分がどうして死んだのか、何から何まで覚えていた。そして脇に立っていた灰色の髪の女は笑っていた。

「死んだはずなのに、手も足も顔もあるって顔ね」

「じゃあ、死んだんだ」

「死んだ。公にはそうなっている。ノロがあんたの体を再現しなければ、私もそう思っただろう」

「あなたは、誰なの」

 その問いに不敵な笑みを浮かべて答えた。

「防衛省第五特殊作戦班“禍狩”所属、コードネーム『梅』だ」

 梅は結芽に『禍人』つまり荒魂と化した人間になっていることを告げた。荒魂が自身の生存のために再現した『結芽もどき』であり、もう人として普通に生きていくことはできない。この場で死ぬか、禍人を狩ることを専門とした部隊『特五』に入るか、結芽に選択肢を与えた。

「知らないよ! なんでまた自分の生き死にを決めなくちゃいけないの、時間がなかったから、結芽は結芽の望めることをなしえたかっただけ、あんたみたいな、あたしを知らない奴に決めろなんて言われたくない!」

 結芽の顔に梅の拳が叩きつけられ、隙も無く襟を引っ張られた。

「ごちゃごちゃうるせぇよ、決めろよ、もうお前は化け物だろ? たとえその自覚がなくても、その結果をいずれにしてもその目で見たんだ。私も禍人だ。楽しいなぁ、化け物同士で相手も自分も生を否定するんだ、滑稽だろ?」

「ふざけんな」

「なんて言った」

 結芽の右こぶしが梅の顔を襲った。

「私は化け物じゃない! 禍人じゃない! あたしは人間なの! あんたと違って生きている人間だし、刀使だ! それを証明してやる」

「どうやって」

「特五っていうのに入って」

「ふふふ、はははは、ひひ、あははははは」

 その瞬間、梅の頭突きを正面から受けた結芽は強く壁に叩きつけられた。

「いいよ、雇おう」

 それから禍人を探し出し、その処理をする日々を送った。

 自衛隊は戦前から続いていたノロを使った実験の後処理をGHQなどを騙して活動を続け、今はアメリカなどからの支援を受けて禍人の発生とその原因を探る専門の部隊を作った。きっかけは相模湾大災厄以来、禍人に関する事件が減少したことに端を発しているらしいが、隊長である神尾篤紀大尉はそれ以上は答えなかった。

 禍人には刀使から外れた者が適任。扱いは悪くなかった、わざわざ自衛隊預かりの御刀『ソハヤノツルキウツスナリ』を渡されるほどだったが、自分自身に対する扱いは極端に低かった。

 

 

 



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第十三話「特五」

 朝食の時間が終わっていたことに気付いた彦は、手持ち無沙汰にロビーに来ていた。

「彦」

 かかった声に笑顔で振り向いた。

「黒ですね」

「あたり、ところで朝ごはんは食べた」

「あははは、寝過ごしてしまったようです」

「じゃあこれから朝ごはん食べがてら、稽古に行かない」

「え、稽古」

「そう稽古、御刀を使って。麿に部屋を取ってもらったの」

「それは」

「私が抑え込むんじゃあ不足なの」

「いえ、それなら私自身で抑えます」

「そうでなくっちゃ」

 歩いてすぐの場所にフィットネスジムがあり、そこには刀使向けの小さな武道場が設けられている。

 朝食を済ませた彦は、結芽のウォーミングアップを眺めながら、少しずつ体を慣らしていった。エミリーはカメラを三脚に立てながら、何か嬉しそうにニコニコとしている。

「ところでさ、彦の御刀は何て言うの」

「兼房作無銘ですよ」

 偽装のバイオリンケースからでた御刀を素早く目の前に置いた。

「ソハヤノツルギよりも短いですから、長脇差とは言い難いですね」

「変わった拵えだね」

「これはですね突兵拵えと言って、西洋風の軍服が普及した幕末。長州や薩摩といった官軍となる上級の指揮官や馬上の人、それに銃を主に扱う兵士に普及したスタイルで、長さ主に脇差程度のもので、銃砲を扱う邪魔にならないよう、腰下に佩くスタイルで身に着けたのです。これは後に刀使の御刀懸架装置のモデルになったんですよ」

「うん、わかったよ、彦が刀好きだってことは」

 彦は熱弁を振るっていたことに気が付いて、顔を赤くさせた。

「私は準備できたよ」

「私もすぐに、って麿は何をしているんですか……」

「いえいえお二人の動作から新装備開発の資料にしようと思いましてね。こう見えて専門は素材開発が専門なので」

「まぁいいんですけど」

 道着ではなく、黒い戦闘服にベルトに固定した状態で結芽の前に立った。

 結芽が写シを張った瞬間、目の玉を剥いた彦が懐から突きを放った。避けたのもつかの間、丁寧にかつ正確な突きが繰り返され、間合いを離す瞬間ができない。そして膝上からの写しが切られ、結芽のバランスが崩れた。

 その余りに露骨な彦の笑顔を見て、結芽は不敵に笑った。右上段から走ったとどめの一振りが鍔によって流され、すぐさま構えられた右腕の逆切りが鞘に受け止められた。

 腰を捻った結芽の脇から、突きが彦に走った。そして避けられたのを確認し、彦の写シを引き落した。

 尻から崩れ落ちた彦が満足げに御刀から手を放すのを見て、結芽も御刀を収めた。

「はぁ、はぁ」

「ふふふ、なんだ、強いじゃないか黒」

「当たり前でしょ」

 その時、写しの張っていない結芽に突きが走った。

(来た)

 やや左に避けつつ柄頭で御刀をはたき落とし、彦を床に叩きつけて柄で後頭部を殴りつけた。

「がっ」

「手癖、悪っ!」

 結芽は脇差を取り上げて、やや離れた場所に置いていた冷茶を一口飲んだ。

 仰向けになった彦と目が合い、そして笑いあった。

「ひどいって話じゃないよ、もうあたしをめっためったに斬りさばきそうだった」

「ふふふ、でもね、そうやって私を押さえつけれたのは大尉さんとあなたくらいよ」

「そうだろうね。死ぬかと思っちゃった」

「え」

「死にたくないそう思っちゃった」

 

 

 翌日、夜八時半。

 高級四川料理店『杏花村』、二階の隅のテーブルで整った服装で席に座る特五の面々がいる。

「ここらのお偉いさんの話では、奴は三十年前に出稼ぎで日本に来た口で、不況になってからは帰る金がないので、都内のマフィアの鉄砲玉になった。それからは、運が良かったのか首を上げ続け、終いには実戦の技術さえも身に着けた」

「そんな奴が刀使やノロにどうして」

「一度だけ失敗したんだ。刀使に邪魔されてな」

「逆恨みか」

「いや、惚れたんだ」

「は」

 結芽はエビを口に運びながら思わず言葉が出た。

 神尾は遠い位置に家族と席に着いた老人の姿を確認した。

「何でも十年前、荒魂に目標を殺され、その恨みに荒魂を追い詰めるも逆転、殺されかけたその時、そこに一人のやたら強い刀使が現れて荒魂を片しちまったそうだ。狼将は隙を見て逃げたが、獲物を殺されなかったことを幹部に睨まれてリンチされた。そのうち奴は自分の得物を横取りし、自分を救った刀使を恨んだ」

「やっぱり恨んでるんじゃない」

「そして男は再び殺しに戻った時、こういったそうだ。あんたらや荒魂は終わらしてくれないが、次は刀使が終わらしてくれる。と」

「つまりは、私らに死への希望を見出す刀使の狂信者と、ほおっておかないかい」

「梅、俺も同じ意見だがそうはいかん。まるでそうなるように、奴の体内にはノロが居て、完全に結合しているのだからな」

「ふん、私らに餌を用意していたと」

「そういうことになる」

「ねぁ長、それならあいつは自力で荒魂を倒して、ノロを吸収していたの」

「それはな」

 神尾の目に階段扉を開ける季節外れのウールコートに、ハットを被る男が目に留まった。

「来たぞ、平静を装え」

 同時に無線のスイッチを入れた。

「こちら長、来たぞ」

 狼将は老人の方に向かいながら、決して笑顔を絶やすことはなかった。

 彼の前に立ち塞がったSPが二言ほど立ち去るように言った。

「かしこまりました」

 そうしてSPの喉が割れ、まき散らしながら崩れた。血糊のかかった女性が叫んだ。

「人殺し」

 騒然とするフロアを混乱に拍車をかけるように、SPの持っていたサブマシンガンが狼将に向けて火を噴いた。

 銃声と人々の叫び声、逃げ惑う音と時折跳弾する音、暫くしてフロアは荒れ果てていた。

 泣き叫んでいた女の子を机の下に引き込むと、結芽は静かにするように少女に言って、裏の階段から彼女を逃がした。

「手筈通り、老人は逃げた」

「ま、マフィアの巨魁だけどね」

「彦、やれ」

 彦はバラクラバを被り、56式自動歩槍を構えた。

「89式の仇だ」

 腰だめで乱射される銃弾はインテリア、狼将に放たれ続けた。

「おさ」

「二マガジン目を許可する。回れ」

 素早く再装填を終えると、

 今度は指切りによる疑似三点バーストで移動しながら狼将に当てていく。

 しかし、三発ずつ受けていくごとに、笑顔から更に堀の深い笑顔へと変わっていく。彦はその不気味さに悪寒が走った。

「いつぞやは良かった、今夜はどうやって殺してくれる」

(気付いているよ、本当に)

 最後の一発が撃ち放たれた瞬間、覆面をつけていない梅と結芽が御刀を構えて狼将の間合いに突っ込んだ。

「来たか」

 コートが回るように脱がれ、それが結芽のほうに飛んだ瞬間、梅の怒号が飛んだ。

 直感が体を引かせた瞬間、その大ぶりの斬りつけがコートを裂いた。

 彼が手にするそれは、薙刀から短くした長巻であった。

「刀使が三人も、嬉しいね」

「へぇ、女の子と踊るのは好きなの」

「ええ、さぁどうぞ、私がリードして差し上げましょう」

「ご遠慮願うわ」

 梅の重く、しかし正確な太刀筋が長巻の一撃一撃と拮抗する。

 上段から、逆袈裟から、突きからの払い、互いに容赦のない打ち合いが続くが、

「うっ」

 思わぬ位置から石突が、梅の腰を叩いた。

 それを狙っていた結芽は、向かってきた切っ先を避けざる負えなかった。

 大ぶりに横に流れた一振りが結芽の写しを斬り剥がした。

「うそ」

 逃げるように間合いを離した二人は、あからさまに隙を見せる狼将に斬り込めない。

 梅は汗を滲ませながら狼将に目を向けた。

 踏み込んできた大ぶりの一撃を避けながら、長柄を抑え込みながら狼将の顔を見やった。

「こんなもんかい」

「ほぅ足りんか、男を裂かれていそうな女には足りんか」

「てめぇ」

 梅は足で柄を押さえつけ、柄頭で何度も頭を殴りつけるが、彼は笑っていた。

 すくい上げられた体は天地逆転し、両足の写しを斬り落とされた。

「梅―っ」

 迅移を纏った突きは、その三度の突きと払いの一撃を一度に叩きつけ、狼将を壁へ押し付け、すぐさま間合いを離した。

 梅は写しを張り直し、結芽と目くばせして同時に突っ込んだ。

 彼は結芽に目標を移しながら、しつこく付きまとう梅の一撃を柄と刃で流していく、

 結芽は一撃の重さが長柄に対して不十分であることを承知で、隙間なく払いと突きを繰り返す。

 梅と結芽は徐々に間合いを詰めていく、焦った狼将は一番間合いの近い結芽を一振りで弾き飛ばし、梅の突きを受け止めた。

 そして梅の御刀を強く握った。

「離してくれない、止めを打てないのだけど」

「それはできない」

 だが、狼将の刀を掴んでいた左腕が吹き飛び、梅はノロになる肉片を払って、間合いを保った。

 部屋の隅からゲパード対物ライフルを構える彦が、銃口を彼に向けていた。

「黒」

 二回の瞬きに、間を置いた一回の瞬きに結芽はうなずいた。

「邪魔をするな」

 一射目を斬り飛ばし、その勢いのまま脇から突っ込んできた梅を殴り飛ばす。

 そして二射目が狼将の左股関節を撃ち抜いた。だが、その剛力が彦に向けて長巻を投げ飛ばした。

 三射目が撃たれた瞬間、弾は長巻の刃を打ち砕き、狼将の体は急所の三点を正面から突かれていた。

「かかか、よき心地」

 溶け落ちた体が、机に滴り落ち、やがて机の上を零れ落ちていった。

 狼将の消えた机の上を、血振りし、納刀する結芽の姿がそこにあった。

「終わりたきゃ、自分で終わらせなよ。ほんと、迷惑」

 

 大阪は心斎橋あたりにある、小さな刀剣店。

 店にはたったひと振りの数打ち物の刀が飾られているだけであり、

 客はおらず、ただひっそりとした暗い店内に女性が一人で古書を読んでいる。

「ほう、これは数打ち物の刀に見えるが、これは一文字派への特注の一振りだな」

 女主人はその穏やかに透き通るような瞳を、刀の方に向けた。そこには、髪は荒く四方に走らせ、その割には髭を丁寧に剃り上げ、

 のらりくらりとした気風とは別に、赤茶色の瞳が刀を見つめている。

「よく、こんなものが手に入ったな」

「骨董屋で無愛想に傘立てに差してあったわ、朽ちた拵えでね。刃は引かれていたから、主人が模擬刀か何かと勘違いしたのでしょうね」

「なまくらって呼んだら、四肢がバラバラになりそうだ」

「それにしても、珍しいわね。あなたがここに来るなんてね、金一」

 年季の入った古いスーツの袖をまくり、ポケットからタバコの箱が顔を出していた。

「まぁな、篠子さんの顔を見に来たのと、ヲノツチ様の話を伺いに」

「嘘お付き、大方、新しい赤羽刀を探してくれと言うのでしょ」

「はは、バレてたか」

「止しときな、今時出てくる赤羽刀なんて大したものはないよ。いいのは全部管理局が持っている」

「おいおい、それじゃあ」

「でもいいのはあるよ」

「ほぅ」

 篠子は彼を奥に案内すると、そこにはいくつもの封印がなされた箱が積み重なっていた。

 そして彼の前に一つの箱を差し出した。

「一番古い赤羽刀でね、刀の来歴も飛びぬけて古い」

「おいおい、大丈夫なのかよ」

「何せ一千年もノロに封じられていたんだからね、江戸時代に荒魂が倒された地で発見されて、ずっとその地の名家に伝わっていたものが、値段を着けられないって最近、私が買い取ったもんさ」

 封印を切ると、箱の中には一振りの直刀が姿を現した。その刀から伝わる力の強さに、金一は自然とはにかんだ。

「大当たりだ」

「なら、蘇生させたこいつをあんたにやろう」

「ただじゃないな」

 箱を金一へ差し出すと、篠子は別のさらに小さな箱を持ち出した。

「五日前、私が実験台にアンプルを渡していた奴が、刀使に斬られた」

「ふぅん」

「奴は既に三件の家に強盗に入って、少なくとも十二人は殺していた。それで尻尾を掴まれるなら奴のヘマだから気にしない。でも、今度のはノロの運び屋も殺された。これはノロを渡していた中国マフィアの殺し屋も同じだった」

 興味がないと言いたげに直刀の刃を丹念に観察した。

「篠子の姐さんがヲノツチにご執心なのに気づいている」

「もしかしたらね、私が興味あるのはその二人を斬った奴さ」

 小さな箱から出てきた写真の数々に驚きながら、少し笑った。

「恵実か」

「あと、こいつが恵実の娘だ」

「はは、生きてたか」

「ただ刀剣類管理局を揺さぶって、目線をヲノツチ様に向けようとしているのは面白くない。猿吉の内部工作は完全に失敗している。自分の政治的ミスを私への忠誠と言ってごまかす」

「じゃあ切り捨てるんだな」

「ええ、せいぜい時間を稼いで、恵実とその娘との決着の時間を用意してもらうわ」

「笑ってるぜ、嬉しそう」

 篠子の黒い瞳が、時折赤く輝いた。

 

 

 



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第十四話「迷走」

 8

 

 

 朱音から大村勘太の遺体発見が伝えられたのは、退院して鎌倉の本部に戻ってからだった。神奈川県の横須賀で発見された彼の遺体は、顔を除いた胸部が引き裂かれ、遺体は赤黒く染まっていたという。

 薫は不満げに口を真一文字に閉じた。

「これから何もかも聞き出そうって時にこれだ、初めから手詰まりがあったがな」

「でもはっきりしましたわ、大村勘太は禍人ではない。この事件の根幹に関して口封じをされたにせよ、ほぼ無関係の可能性が出てきましたわ」

「そう思うかい」

「全て、とは言い切れませんわ」

「クロと思われる人間はノロとなってしまったし、とりあえず大村勘太と喜之助のDNA照合が終わるまでやることがないな、ちくしょう」

「私の最初の疑問が正解を導くとは思えませんわ」

「そう思うが仕方ないさ、今は一から関係者にあたっていく以外に手はない。俺の感ではあるが、あの加瀬ってやつもクロだ。なぁねね」

「ネッ!」

 ねねは加瀬多美子との会話中、薫の背に隠れて出てこなかった。それは、ねねが多美子から本能的に危険性を感じ取ったからに他ならなかった。

「ではまず人間関係と人相の照合、そして禍人であった人間の確認ですわね」

「念のためだが、加瀬の同僚だっていう職員も調べよう」

 遊撃隊控室から本部へ向かう道すがら、舞衣が二人へと声をかけた。

「おう、もう大丈夫なのか」

「はい、あの時も写シを剥がされて気を失っていただけだから」

「そうか、で、紗耶香に会いに来たんだろ」

 舞衣の心配そうな顔を見て薫は笑顔で心配ないと言って見せた。

「控室にいる。たまには一緒に買い物にでも行ってこい」

「それは隊長の許可? また真庭司令に小言を言われますよ」

「そうだな、じゃ」

 舞衣と寿々花は互いの顔を見た。いつもの優しさのある悪態が返ってこない。それどころか増々直情的になっている。

 ひたひたと進んでいく薫の背中を追いかけ、寿々花は不安になった。

 控室に着いた舞衣は席で黙々と勉強する彼女の後ろに回り、目を隠した。

「だーれだ」

「わ、あ、舞衣」

「正解」

 笑顔の紗耶香に安心し、バックから手作りクッキーを取り出した。

「一緒にお茶しよっか」

「うん」

 舞衣の持ってきた紅茶を飲みながら、紗耶香は我慢しきれずに心配になっていることがあると言った。

「家弓花梨さんのこと」

「それもある、でも薫のことが一番心配。病院から退院してきてからいつも通りにするかと思ったら、いきなり寿々花さんと事件の調査に向かって、帰ってくるたびに口数が減って、なんというか怖いの」

「さっき私も薫ちゃんに会って、同じことを思ったの」

「薫、この事件から離れるべきじゃないかな」

「たぶん、いいえ、薫ちゃんならそういった曲がったことを許せないいから、今はこのまま支えるしかないと思う」

「うん」

 

 だがその日の調査にも確証が得られず、寿々花は朱音に報告し終えると薫の姿がなかった。そこにはねねが泣きそうな顔で寿々花を見上げていた。

「ねねさん! どっちに行ったか分かりますか?」

 彼女の肩に乗ったねねは尻尾で行く先を示した。

「もしかして海?」

 江ノ電は鎌倉駅の地下道に差し掛かり、祢々切丸の位置をずらして下り始めると、そこには自分と同じ大太刀を佩く少女が立っている。

「山城か、今日は勘弁」

「益子薫」

 由衣らしくない強い口調に薫は戸惑った。

「どうした?」

「とぼけないでよ! 妹の移った病院に荒魂が侵入したこと、私にわざと黙っていたって!」

「何言ってるんだ」

「あなたが隊長ならと信じた。でも仲間を動かすためにそうやって平気でうそをつく!」

「いま、なんて言った」

「何度でも言う、お前は嘘つきだ」

 山城の目に輝く小さな赤い光に薫は気付かない。その光景を見ていた男は小さく笑みを浮かべた。

「その頭、叩き直してやる」

「どうやって?」

 その瞬間、舗装と天井が地から天へ砕け舞い上がり、地下道が吹き飛んだ。土煙の中から蜻蛉の構えになった薫が倒れる人影に狙いを定めた。

「ダメですわ薫さん!」

 彼女を抑えにかかった寿々花は、その力であっという間に振り落とされた。体格差をものともしない薫は寿々花を見下した。

「バカヤローッ、それでてめぇの気が晴れていいのか!」

 ねねの尻尾の顔が喋り出し、抵抗する表の顔を噛みついて押さえつけた。

「ねね……」

「益子薫がこんな見え透いたことに踊らされるな! よく見ろ! そこにいるのは誰だ!」

 振り返るとそこにはなぜかマネキンが転がっていた。

 薫は崩れ落ち、拳を自身の頬に殴りつけた。そして頭上の惨状を見上げた。

「畜生……俺はどうしちまったんだ」

 と荷物を持った美炎が薫を抱きしめた。突然のことに驚いたが、美炎の胸から輝く炎が薫に囁いた。

(この胸の中にあなたじゃない魂がいる。それを払いのけます)

 小さな灯が薫の胸に入り、赤く歪んだ赤い影が背中から吐き出された。その影はうっすらと人の形になり薫を見た。

 寿々花は怒気を込めて人影の名を叫んだ。

「大村喜之助!」

 美炎の胸に灯が戻ると、彼女の後ろからミルヤ、智恵、清香に由衣が追いついてきた。

 御刀を抜いた寿々花は切っ先をその赤い人影に向けた。

「ちぃ、なぜ見抜かれた。刀使程度ではワシを見つけることはできんはず」

「それは私とともにいる炎の精が写シから伝わる卑しい心に気付いたからだよ!」

「炎の精……! この世にはもうヲノツチ様だけのはず。ぐっうう、こうなれば」

 赤い影の手先が鋭利になり薫へ襲い掛かったが、寿々花の太刀が影を三つに斬りさばいた。

「あなくちおしやァァァァァァァァァァァァァ!」

 消し飛んだ影は霧となり、跡形もなく消え去った。

「……もうわけわからねぇよ」

 薫はそう苦し気に悪態を吐いた。

 

 局長室に集まったところで薫は小さく座っていた。

「本当に海を見に行っただけでしたのね!」

「はい、流木でも拾って打ち稽古でもしようかと」

「はぁ、全部薫さんだけで背負い込まないでください。紫様もそうでしたけれど、皆さんもう少し周りを頼ってほしいですわ」

「ごめんな、らしくねぇな」

「本当に、もう」

 朱音の顔は厳しく、硬いものだった。

「薫さん、いつ大村勘太に会いましたか」

「昨年の秋近く、舞草が管理局を掌握したときです」

「では、先日あった時も同じ顔だったのですね」

「どういうことです」

「以前、慰霊祭の折に大村親子を写した記念写真です。あなたたちが会っていた男は大村勘太ではなく、片桐英充です」

「はっ?」

「なんですって」

「寿々花さんの報告にも疑問がありました。薫さんの証言と私が立ち会った事件当時の状況が合致しないのです」

 朱音の見た事件状況は次のようであった。

 自身に向かってくる大村喜之助を見て、薫が立ちはだかり止まるよう警告した。喜之助は冷静に邪魔だと言い刃を薫に向けた。

 薫は即応で胴を斬ったが、勢いは止まらず切っ先は薫の額を撫で切り。約二秒の静止ののち、朱音のほうへ動き出した喜之助の胸を薫の脇差が一突きにし、彼はノロとなって溶け出していった。

「おかしい、反撃される前に突いたはず」

 美炎の髪がにわかに赤く輝きだし、彼女でない声が薫に向けられた。

「あの写シは人の肉体にではなく、魂に写シを張っていた。それが薫さんの心で好き勝手に動いていたのです」

「炎の精だったか」

「はい、私はホムラノチ、ホノカグツチの分身です」

「だが俺は何もなかったぞ」

「では記憶を移し替えられていたことに今違和感がありますか、いなかったはずの仲間に出会ったり」

「山城だ。山城だと思ってたのに、そこにはマネキンがあった。俺はあの時から操られていた」

「いえ、怪しまれないように記憶を操作していたのでしょう。都合の悪いことを見させないために」

「ぐ、隊長失格だ」

 薫は朱音の前に立つと深々と頭を下げた。

「申し訳ありません。血気にはやり仲間のことを忘れ、あまつや駅構内を破壊してしまいました。でも、たとえ隊長職を辞することになっても、事件解決に当たらせてください。お願いします」

 彼女らしくない行動に朱音は満足げに頷いた。

「では罰として遊撃隊隊長の任期を完遂しなさい。事件にもこれまで通りに対応を」

「朱音様」

「意地の悪い、今あなた以上に隊長を務められる刀使はいません。あなたはまだ成長しているんです。こんなことでめげたりなんてしないでくださいよ? 益子薫隊長」

「はい……! ありがとうございます!」

 顔をぬぐう薫の小さくも大きな背中を見て安心した寿々花は、厳しい表情に戻った。

「整理しましょう、もう一度全てを!」

 局長の机を大きく広げ、そこに人物の写真とそれぞれの名前を配置、名前がメモできるよう大きめの紙を写真の下に敷いた。

 そして、それぞれの認識や証言を照らし合わせ、組織の解散は一斉に行うものであったのが、外事課によって虱潰しに解散させられていたこと、書類の提出が暫時の指示が一括になっていたことが確認された。

「なんてことなの、私は重々確認を取ったはず」

「どこかのタイミングでもみ消されたんでしょう。必要とあれば喜之助の操作とやらも仕事する。片桐以外の外事課職員はみんな禍人なんだろう。本物の大村勘太は行方知れず、大方行先は察しがつくけどな」

「実は此花さん、益子さん、ここに私宛に送られてきた書類があります」

 寿々花が封筒の中身を出すと、それは二人が見たノロの総量に関する別書類だった。そして書類にはノロと思われる液体も付着していた。そして手書きの見覚えのある字のメモもあった。

「時間が無かったので証拠を取ってきたよ。あとはよろしくね……か、あいつ」

「薫さん、これ」

 智恵が指示した書類に目を見張った。

「ああ、各数量が事前に受け取った書類と数パーセント多い」

 寿々花の持っていた書類と匿名の書類を比較、計算し、タギツヒメ時代に集積していた総量の約五パーセントも消えていることが判明した。そして、書類作成者のサインが加瀬多美子ではなく、境良美という別の職員が作成していた。

「さかい、よしみ、誰なんだ」

「調べましょう。私なら職員データーベースを持っていますから」

「お願いしますわ」

 

 

 篠子は暗闇の中、受話器を取った。

「猿吉ね」

「親父がやられた。刀使が炎の精を得ている」

「ツチノヲ様の他にね。ふぅん、であの益子薫から引き出された喜之助はどうした」

「その場で切り捨てられた」

「そう、それだけ」

「ええ」

「嘘お付き、あんたら『禍狩』に見つかったろう?」

「それは」

「部下を殺して完全に隠れたつもりだろうけど、肝心な追っての処理に失敗している。私らより遥かに優秀な諜報員があんたをマークしている。いつも言ってるやろ? 追っては八の字に回って背後を取れと、でも状況を起こすのに夢中で背中も前もがら空きだった」

「篠子の姐さん、どうか」

 彼女の眼鏡が赤い光に輝いた。

「気安く姐呼びするんじゃねぇ!犬の落とし前は犬がつけな」

 回線を切ると、懐から小柄を投げやった。店の外で人が倒れた。

「こうやって、時々ネズミは払わないとねぇ」

 革のジャケット来た男は深々と刺さる小柄を引き抜き、走り出そうとしたとき、頭上のカーブミラーに写る赤い光に戦慄した。

 彼は小さなグロック42を引き抜いたが、手ごと体から切り離され、切っ先でへそ下を貫き持ち上げられた。

「がっ、うう」

「『禍狩』の捜査員さん、都合が悪いから店の中に入ってよ」

「てめぇは結城さんを、恵実さんを! 娘さんを! 仇だ! 仇!」

「うるさい」

 もう一振りが喉笛をつらぬいた。店の中に押し入れると、血濡れた刀で腕を切り、流れた血が数匹の小さな荒魂となった。

「食べつくしなさい、骨の一本まで」

 

 



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第十伍話「酒田」

 夜八時を過ぎ、薫と寿々花を除いたメンバーを寮に帰らせた後に、連絡を入れていた彼女は局長室に顔を出した。

「錬府女学園警邏科高等科三年生、境良美。出頭命令に従い、参上いたしました」

 物静かな、声色の高い女性が目線を前髪で隠しながらあいさつした。

「突然の出頭命令に従ってくれてありがとう。早速なのだけど聞きたいことがあるの、いいかしら」

「はい、何なりと」

「加瀬多美子さんをご存知ですか」

「もちろんです」

「どのような関係でしたか、詳しく教えてください」

 彼女は言葉に怒気を込めながら話を始めた。

「ちょうど去年の春でした。私はノロ回収の警護班に配属されていて、よく知らないうちに職務を外事課に集約する命令が出されて、出勤してもやることがない状態でしたから、課題をやったり、読書をしたりしてました。そんな警備課の執務室によく訪れる外事課の職員がいました。それが加瀬多美子です。

 私は彼女と話すうち、段々と心惹かれて、加瀬さんもその気だったのか、一月後には告白されて恋人となりました。

 それで終わればよかったのですが、彼女は多忙な仕事を手伝ってほしいと机を隣り合わせにして書類作成を手伝いました。好きでしたから、頼みもききますよ。でも、先週に一方的に別れを告げられて、理由を聞こうにも電話には出ず、本部では何度行っても会えず。アパートの部屋に行っても、もう引き払った後でした」

「アパートに行ったのは何日前ですか」

「十二日前です。あの女は私を利用したんだ。そうじゃなきゃ、私を捨てたりなんかしない」

「あなたたちの関係のことは分かりませんが、加瀬多美子は重大な事件の犯罪者である可能性があります。私事ではありますが、別れて正解だったと思います」

「はい」

 境良美を本部の警護員に送らせ、三人は再び書類と写真を睨みこんだ。

「こいつは本当の数字、そして加瀬のサインがあるこの書類が虚偽の書類。しかも数値は昨年回収した回収の数値に合致する。すでに早い段階からノロが横流しされていた証拠だ」

「ええ、この付着したノロに血液が混ざっているなら、これは誰から奪い送られたのかが分かります」

「待ってください朱音様、その匿名の書類がノロによって真贋が証明されるなら、なぜ書類の提供者は姿を現さないのです」

「もしかして加瀬はその提供者に斬られているんじゃないのか」

「薫さん、それが本当な、ら」

 寿々花は怪我で切ったにしては、大きく巻かれた包帯が目にうかんだ。

「もし一刀で腕を斬ったなら」

「あの包帯の巻き方なら、斜めに大きく斬られている」

「此花さん、薫さん」

「朱音様、この書類のノロを検査したうえで、私たちにもう一度、酒田へ出張させてください」

「わかりました、詳しく聞かせてください」

 三人の意見が一致し、朱音は密かに真庭と会議し、山形県警対荒魂指揮分室に連絡、出動に向けての作戦討議が行われた。

 そうして夜は暮れ、二人が帰宅したときには既に日付を超えていた。

 

 翌午前八時。

 遊撃隊本部室は四人と一匹全員が集合し、いつになく物々しい薫の表情が部屋を張り詰めた空気に包ませた。

「おはようみんな、遊撃隊結成以来の二度目の五人全員の出動だ。相手は荒魂になった人間、禍人だ。寿々花さん、みんなに説明を」

 先日の事件のあらましと、そして捜査の経過について話をした。そして全て折神紫の陰で暗躍していた、大村喜之助の策謀であることを結論付けた。

「分かっていると思うが、俺たちは裏切り者を斬るとか、人を斬るためじゃない。荒魂を祓うために御刀を振るうんだ。そして、禍人は並大抵の力じゃない。どんな危険が待っているか分からない。だからこそ、俺に背中を預けろ、そしてお前たちも俺に背中を貸してくれ、そうして俺はいつものようにサボれる。頼むぜ」

「最後のはいらないね、薫隊長」

「悪かったな真希さんよぉ」

「ははは、さぁ行こう!」

 薫は笑顔で頷いた。

「ごめんなさい! 朝礼は!」

 可奈美と姫和が控室へと入ってきた。

「いいや、今ちょうどやっているところだ。急ですまねぇな」

「心配いらない。お前にこうやって頼ってもらえるのはうれしいことだ」

「恥ずかしいこというなよ、エターナル」

「いまこのばできさまをきろうか?」

「ふふ、うれしいぜ」

 面々が続々と駅に向かう中、大鳥居の下で紗南が薫を呼び止めた。

 何も言わない紗南に薫は笑顔のまま胸を張った。

「行ってきます先生」

 背中を向けた薫の代わりに、ねねがいつまでも紗南へと手を振っていた。

 

 

 酒田市内に着いたのは昼を過ぎたあたり、市内には避難警報が発令されていた。

 遊撃隊の黒い制服に身を包む六人は全国の刀使を代表し、尚且つ最強クラスの部隊である。酒田に派遣されてきた新潟警察本部属の刀使たちが彼女たちに頭を下げた。

「またどうしたんだ、急にすぎないか」

 指導真希の問いに地元の巡査は空を指さした。

 そこには赤い瞳を輝かせる無数のコウモリたちが天を覆っていた。

「このコウモリ、一週間前の」

「ああ、熱海樹のアパートを訪れた時と同じ奴だ」

「実は加瀬家宅に続く道が真っ黒なもんに覆われて、家の方の避難が終わってないのです」

「救出に行きます。加瀬宅までの近道を」

「それが、避難が終わったと同時にコウモリが道をふさいじまうんです。さっきも酒田署の機動隊員がこじ開けようとして二人も怪我したんです」

「では、途中まででいいので通れる場所を案内してくれますか」

 途中まで案内してもらった場所は、右手に二つの寺が並び、二人が止まったホテルのある通りであった。

「どういうわけか、日枝神社までの一本道が通れるのです」

「案内ご苦労、あとは俺たちだけで大丈夫だ」

 薫は御刀を抜かず、まっすぐ歩きだすと、他の五人は刀を抜いて薫の背に続いていった。

「お気をつけて」

 黒い壁は次第に厚くなっていき、少しずつ四人を圧迫し始めた。

「罠だと思うか?」

 姫和のその問いにだからどうと? と言い返した。薫の覚悟を感じた。

「邪魔だね」

「うん、斬り開かなくちゃ」

「ネネッ!」

 目の前に壁を作ったコウモリたちが、紗耶香と真希の一閃によって切り払われた。

「こいつらの相手は僕と紗耶香でする。隊長と寿々花は先へ!」

「姫和ちゃんと私は市街の中央から向かうよ!」

 駆け出した薫と寿々花をコウモリの大群が追おうとしたが、紗耶香の一撃離脱の斬りつけが何度も叩きつけられ、散ったコウモリを真希の太刀が容赦なく追い散らされた。そして、再び集まろうものなら巨大化したねねが容赦なく踏みつぶした。

 石畳の坂を上がりきると、神社の参拝する坂に二人の人影を見た。

「よくここまで来たもんだ。俺も逃げるに逃げれなくなった」

 上の場所で座る男はそう言いながら、片手には反りの深い打刀があった。

「あなたが、正真正銘の大村勘太ですわね」

「いかにも、おかしいなぁ親父がそこのオチビさんの中で記憶を入れ替えたはずなんだがな」

「周りの人間がお前さんの顔を知っていれば、俺でなくてもいずれ分かったさ」

「だろうよ、でもそうして時間稼ぎにはハマってくれたじゃないか」

「大村勘太、加瀬多美子、あなたたちの目的は」

「刀剣類管理局に政情不安を起こしたかったのさ、とにかく混乱が起きれば俺たちが出張る場所も増える。そうすればもう一度、刀剣類管理局を裏社会の手で回すことができる。タギツヒメが支配していたころは間違いなく、そうなっていただろう」

「ふっ、浅はかなことこの上ないですわ。そんなのじゃあ朱音様の体制を乗っ取ることも、禍人であり続けることもできませんわ」

「いいさ、進退窮まって策に出たが、結果は本当のご主人さまに見捨てられる。尻尾がないからかみつくしかないのさ」

「飼い犬が主人に食って掛かるのか、他人を盾に」

 薫の一言に勘太は立ち上がって階段を数段上った。

「来いよオチビ、上で勝負だ」

「ふん、望むところだ」

 彼に入れ替わるように、顔の半分が荒魂化した多美子が階段を下り、長脇差の切っ先を薫に向けた。

「もう終わりなのよ、死んでちょうだい」

 斬り込む寸前に寿々花は多美子の間合いに踏み込み、太刀を受け止めてそのまま別所へと押し出した。

「寿々花さん、頼むわ」

「はい、隊長命令とあらば」

「おう」

 立ち上がる多美子は寿々花をぐっと睨み込んだ。

「どうしましたの、貴女も元刀使なら写シを張ればよろしいですわ」

 しかし、歯ぎしりをするばかりで多美子は何もなかった。

「大方、力の衰えを認められず、ノロを取り込んだ結果、神通力を引き出す力も、御刀からの力も得られなくなった」

「あんたに何がわかるのよ!」

 突っ込んだ多美子の剣は単純にして粗暴、がむしゃらに剣を振るばかりで寿々花は鎬で受け止めるような真似をせずとも、いとも簡単に避けた。やや籠手返しを緩め、わざと鍔迫り合いに入った。

「何も分かりませんわ」

「あんたのような少し腕の立つ刀使が、紫様の近くにずっといて、私は地方を転々として、いつか鎌倉の本部で戦うことを夢見た」

 強引に振りかぶった多美子の剣は空を斬り、前のめりに倒れ込んだ。寿々花は無理に動かず、ただ脇に避けて間合いを離しただけだった。

「そして、そしてやっと、やっと本部に配属になった。なのに、衰えが始まってしまった」

 起き上がった多美子は自身の左腕を斬りつけると、その傷口から無数のコウモリたちが飛び上がった。

「だから力が必要なのよ」

「それは本当に紫様やみんなが欲した、あなたの力ですの」

「黙れ!」

 コウモリは写シを張った寿々花を傷つけることはできない。だが、彼女の視界と行動を制限することはできる。

 だが、寿々花は落ち着いていた。

 コウモリの切れ目が一閃となった瞬間、多美子の視界に寿々花はいなかった。そして、一閃が抜けたわずか頭上を飛ぶ寿々花の姿を認めた時、多美子の右腕は体から切り離された。

 視界が明けると、両腕の不自由となって多美子は膝を地に突いた。

「そんな」

「加瀬多美子さん、あなたの信念、そして夢は叶えられましたわ。でも、いつかは後の代に譲らねばなりません。刀使は決して御刀で力を得続けることが、全てではありませんわ」

 顔を上げた多美子は寿々花のまっすぐな瞳に、何も返すことができなかった。

「負けよ、私は負けたわ」

 泣き出した彼女は、声が長く続いていくごとに、赤黒い空から灰色を取り戻していった。

 寿々花は九字兼定を鞘に戻した。

 

 階段を登り切った先で勘太が笑みを絶やすことなく待っている。

「御刀、抜いたらどうだい」

「必要ない」

 大村勘太は抜き身の刃の厚い剛刀を肩に負い、そして蜻蛉の構えに移った。

「俺もな、薩藩の示現流でな」

「俺は薬丸自顕流だ」

「そうかい、残念だ」

 薫が鞘を水平にしようとした瞬間、雄たけびをあげて俊足の一歩が薫の間合いに入った。

(勝った)

「きぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ」

 勘太の上半身が既に真っ二つに斬りたたかれ、それが下からの一撃であることを理解する前に大村勘太はノロとなって周囲に飛び散った。その一撃は境内の石畳をそっくりそのまま引きはがし、祢々切丸の七尺一寸の刃は地面を数メートル掘り起こしたが、刃こぼれ一つ起こさず、地肌は天頂を包む淀んだ空を写し込んでいた。

「お前と一緒にするな、馬鹿野郎」

 そして形状をわずかに保っていた鞘はばらばらと地面に砕け落ちていった。

 

「可奈美!」

 矢吹型荒魂の群れに直上から飛び込んだ可奈美は一気に切り伏せ、さらに迅移で飛び込んできた姫和の一撃が荒魂の群を切り飛ばした。

「ここはこれで全てかな」

「ああ、みんなに合流しよう」

 と商店街の入り口に置かれた獅子面の後ろから拍手が鳴る。

「いやいや素晴らしい、さすがは神に近づいた刀使」

 カンカン帽の男は笑顔で二人の前に姿を現した。

「あの避難しないと」

「まて可奈美、あいつの腰に」

 剣帯に佩いた革に巻かれた鞘に目がいき、可奈美は一歩引いた。

「いやぁあいつが処理に成功したときの保険で来たのですが、君たちとでは相手にならない。ただこのまま帰るのも面白くないので、相手してください」

 藤次は赤い目を輝かせ、彼の体を赤い影が覆った。

「どうです? 男でもノロを使えば神力を引き出せる」

「密迹身か」

「おお!ご存知ですか」

「あの日の夜、女が落としていった巻物、あれは柊の一族が封印した禁忌を後世に伝えるための、その禁忌こそノロを全身の入れ墨でコントロールし無理やり神力を引き出す力、密迹身」

「篠子さんはハズレを引いたか、でもまぁ戦う理由ができましたね」

 姿見のあまりに真っ直ぐな勤王刀が抜かれ、その突きが可奈美に走った。刃の返しを見切りながら互いの斬りつけをいなし、避ける。藤次の脇を抜け、互いの切り落としが落ち、火花が散って刃は空を斬った。隙を見て姫和に飛び込んだ刃も神眼にもとまらぬ速さの返しで藤次の額に小さな切り傷が生まれた。彼は急ぎ間合いを離しながら、刀取の手から逃げ切った。

「この人、強い!」

「ああ、まるで動きを全て読まれている感覚だ」

 額の縦傷に触れ、残念そうにしながら笑顔は絶やさない。

「一度傷つくと消えないんですよ。あなた方の写シとは違って少しばかり都合が悪い」

 銀色に輝く腕が小烏丸ごと弾き飛ばし、一の太刀による刃が走った途端、藤次が霞の太刀になっているのに気付いた。

「でたらめ!」

 がら空きの胴に斬り込むが可奈美の太刀は余りにも浅かった。

「見えるんですよ!」

「なら!」

 姫和は右手を引き絞り、突きが彼の首元を貫いた。だが、それは彼のシャツの襟であった。

 藤次は飛びのいて襟の状態を見た。

 可奈美は彼の目が明らかに姫和の動きを追えていないのに気が付いた。先ほども可奈美の迅移の動きを、動いてからしか対応しなかった。

「あなたは見ていない!」

「どういうことだ可奈美」

「私と同じ、技の動きがわかるんだ! 姫和ちゃんの突きを避けられなかったのが証拠だよ」

「あはははは、わかってしまいましたか。そうです私は技がわかるんです。ただそれだけ、あとは実力のみ」

 飛び込んできた藤次の二度のカウンターを払い、腕に一閃が入った。

 分かってしまえばと可奈美は迅移で予備動作を加速、隙を与えず細かに技を組み合わせていく。その動きは結芽の迅移一体の動きそのものだった。だが自身の体から写シが消し飛ぶのに気付いた。

「え」

「どうっ」

 重い蹴りが脇腹に入り、可奈美は路面を転がった。今までにない激痛に彼女は腹を抑えて起き上がれない。

「可奈美!」

「あらあら、衰えですか。残念」

 可奈美に駆け寄った姫和は、意識の飛んだ彼女の肩を何度も揺さぶった。口から血が溢れ出す。

「写シの張れないあなたに興味はありません」

「きっさまーっ!」

「ごきげんようさようなら」

 立ち上がった姫和の前にコウモリが舞い降り、視界がなくなってしまう。それを何度も何度も払いながら、やがてコウモリも藤次も姿を消してしまった。

 可奈美を抱き上げ、迅移で駅の方へと飛び上がった。

「畜生! 可奈美! 今助けるから! 死ぬんじゃないぞ!」

 日は照り、日本海にも夏が来ようとしている。

 確かに決着はついた。

 だが、薫はこれだけではないことに嫌気がさしていた。事態は明確になりながら、新しい問題ばかりが積み重なる。だが酒田の街を涼やかな風が雲とともに流れ去っていった。

 空は美しい青色を取り戻していた。

 



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第十六話「会議」

 刀剣類管理局の警備隊は遊撃隊所属であるが、管轄は分けられており、薫とは別に警備隊長も選出されている。

 この日の夜、酒田での一件も醒めやまぬ合間に、次々と五箇伝学長と関東近辺の刀剣類管理局の地方司令たちが会議室へと集まっていく。隊長の錦貫和美は親衛隊の茶の制服に銀の飾緒をつけ、無線のこまごまに連絡を入れながら、鎌府女学園代理学長の湖衣姫優実と遊撃隊隊長益子薫へと頭を下げた。

「ご苦労様やな」

「はい、湖衣姫先輩も」

「薫ちゃんたちが仕事してくれたおかげで私らも本腰を入れられる」

「期待しています」

「うんうん、しといてな」

「いいや、もっと面倒ごとになるかもしれねぇぜ」

「薫さん、そう悲観的にならんと」

「益子隊長! そういえば帰ってきてばかりでしょうに」

「心配いらねぇ、帰りの新幹線で米沢牛弁当食ったから元気いっぱいだ」

「ならよかった」

 

 議場には五箇伝の鎌府学長代理兼神奈川県刀剣類管理局県支部長・湖衣姫優実、美濃関学長・羽島恵麻、綾小路学長・相楽結月、長船学長兼特祭隊本総副司令・真庭紗南、これに長船学長代理で総九州刀剣類管理局対荒魂司令室長の嘉納大海がテレビ電話で参加。そして東京、千葉、群馬、埼玉、静岡、栃木各県警の刀剣類管理局各都道府県支部長、警視庁捜査部一課13係(ノロ関係特科部署)係長そして遊撃隊隊長益子薫が集合した。

(まるで同窓会やわ)

 そう思った湖衣姫は画面越しの嘉納大海と目が合い、互いに微笑した。

 刀剣類管理局局長及び折神家当主及び特別祭祀機動隊総司令の折神朱音が入室すると全員が起立し、注目した。

「みなさんご足労様です。どうぞ座ってください」

 幹部たちへの報告はまず連日の外事課に関する一連の事件についての現時点での詳細報告、新潟県警の協力で外事課職員で事件に関わった加瀬多美子の神奈川県警への移管が決定した旨を発表し、今後の問題としてノロの民間への流出とそれを用いた犯罪の増加傾向について、刀使十条姫和からの柊家文書の盗難未遂とノロを用いた密迹身について議論が持たれた。

「ノロのアンプルは数ミリリットルでも絶大な効果を持つ、全国から集めたノロを全国に打ち上げることになってしまったタギツヒメ事件の裏で、その3パーセント、約280リットルが行方不明になった。その経路については一つの証言が加瀬多美子の口から出た」

 紗南は端末でスクリーンに新聞記事を表示、十三年前の一月二日のものだった。

「また随分と前の事件やないの」

「ええ、大村喜之助は頻繁に多田篠子なる人物へ接触していた」

「多田……まさかな」

 結月はいぶかし気にしたが、話は続く。

「彼女の本名は青子屋篠子、十三年前に壊滅した暴力団青子屋の総元締めの娘だった。彼女はノロを使った人体強化の実権を父親のバックボーンに進め、組が壊滅してからも彼女は部下を使い、刀剣類管理局にコネクトを作ることで研究組織を生き永らえさせてきた」

「それが大村喜之助だったのね」

「はい恵麻先輩、自分の息子とともに当時ノロの回収に躍起になっていたタギツヒメに協力、代価としてノロを得ていたと考えられます。そもそも青子屋が壊滅したことも、ノロを使った人体強化の話が原因で内部瓦解したという噂がある。現に大村喜之助は遊撃隊隊長益子薫に斬られることにより、魂だけで彼女の精神に侵入し記憶操作などをしていた。それも密迹身の能力が成せること」

「しかし真庭学長、密迹身とは普通のノロ服用とどう異なるのです?」

「それは私が説明しますわ」

 湖衣姫は資料を各幹部の端末に転送、その内容は薫の端末を経て、遊撃隊控室の寿々花の端末へも送られた。

 四人は輪となって椅子に座り、寿々花の読み上げに耳をすました。

「全身に呪文を彫り込み、時間をかけてノロを流し込むことで人体とノロを一体化させ、御刀の神通力を強引に引き出す。ただ、十条姫和の柊一族は戦国時代終わりに貴重な神力を有する御刀を多数消耗、最悪刀身が折れることが相次いだため折神家とともに密迹身の技術を抹消した。その能力はノロ服用者の持つ荒魂の生成能力の他に、個体の潜在能力を具現化する力を持つ」

 真希、紗耶香、姫和の面持ちは暗かった。

「今度の敵もまた人か」

「僕たちはどうしていつも後手何だろうね」

「今回のことも考える暇もなかった。ずっと無我夢中だった」

「今までよりも相手がはっきりしていますわ、でも、大村喜之助のヲノツチとはなんでしょう? 安桜美炎さんと共にいるという炎の精と関係があるのかしら」

 紗耶香は大きく深呼吸し、ポケットに入ったままだったあの空のアンプルケースを取り出した。

「それが新宿の時のか」

「うん、体を検査してもあの時打ち込んだノロは見つからなかった。高津先生の言ったことは正しかった」

「ノロを消化しそれを糧に神化状態になる。それが完成された無念無想」

「やっと自分のしたことの意味を自覚した。これは禁忌の力」

「でも舞衣の命には代えられなかった。私は責めない」

「姫和」

「あの場で人を斬る選択を最後まで選ばずにいた末だったんだ。だれも紗耶香を責めれない」

「でも私は背負う、そして会う。花梨のおねぇちゃんに」

 その言葉に真希は声を荒らげた。

「会って聞くんだな」

「うん、自分の事そしてノロで何をしようとしているのかを」

 彼女の硬く決意した表情は、タギツヒメとの戦いの時よりも強さを感じさせた。

「それで会議は」

「今は刀使殉職者慰霊祭の通常開催、参加関係省庁に自衛隊の第五特殊作戦班が参加するそうですわ」

「来る、あの子が」

「ああ、結芽が来る。十条は新宿以前に会ったっと聞いたが」

「獅童さん、あいつには優しくしてやってくれ、結芽は恐らく禍人の討伐をしている。荒魂ではない」

 真希は静かに頷いた。

「ねぇ姫和、可奈美の様子は」

「打撲による一時的な気絶、病院のベットに寝かせるのに一苦労した」

「よかった」

「だが、あいつはもう写シを」

 各々の表情がまたも暗く落ち込んだ。

 会議は民間流出ノロの回収対策室設立の計画、および青子屋残党捜査への協力要請、七月初めの殉職者慰霊祭および演武交流会の開催、その参加刀使の選定を機関に任せる旨を決定し、会議は終了した。

 

 9、

 

「はぁーっ」

 呼吹の大きなため息に書類を書いていた智恵の手が止まった。

「どうしたの呼吹ちゃん、お腹すいた?」

「ちげぇよ! どうしてまたこの調査隊が全員集まってるんだ。解散じゃなかったのか?」

「あれは一時的にですよ七之里呼吹」

 ミルヤが美炎、清香とともにお茶とお菓子を運んできた。

「4月に入れば進級、卒業に部署替えがあります。その庶務のために書類上では解散にしたのです。でもほぼ一年に渡り活動してきた我々を折神朱音様が手放したがらないのですよ」

「手放さないぃ?」

「それなりに成果を挙げて、五箇伝や管理局の人事に左右されず動ける部隊だったから、私たちは頼りにされているのよ呼吹ちゃん」

「チチエは高等部卒業したんだろ? ならなんで長船の制服着ているんだよ」

「長船所属の刀剣調査員になったのよ、真庭学長隷下のね。今後は時期を見て遊撃隊所属になるけどそれまでは長船の所属だからよ」

 美炎が運んだお茶に礼を言った。

「ちぃねぇが遊撃隊か、しかも小隊長なんでしょ?」

「私、そうなるんじゃないかと思っていたんです」

「瀬戸内さんはメンバーへの世話身が良く、実力も今年度長船卒業生主席、あなた以上に頼りにできる人はいませんよ」

「ありがとう美炎ちゃん、清香ちゃん、ミルヤさん」

「なぁ、あたしが聞きたいのは、なんで集められたかだよ」

「それは~私とお泊り会だからぁ~だー!」

 呼吹に抱き着いた山城は彼女が、暴れられないほどに固く締め付けた。

「うわぁあ! おい見てないでこいつを!」

「ミルヤさん、頼まれたものを刷ってきましたよ」

「ありがとうございます鈴本葉菜さん」

「無視するんじゃねーよ!」

「尊い犠牲だよふっきー」

「呼吹ちゃんのこと、おねぇさん忘れないわ」

「どうか安らかに」

「ちぃーん」

「お前ら! 勝手に殺すなぁー!」

 着席した隊員にミルヤはすぐにプリントした冊子を配った。題には『調査隊鬼八法師対策資料』とある。

 鬼八法師は九州の伝承に出てくる妖怪で、霞を操り、不死体質の猛威を振るった存在。討伐こそされど、その怨念を恐れて九州の地域には鬼八法師を祭る風習が存在する。

「でも、ヤマトの朝廷は故意に記述を変えている。それを美炎さんの魂にいる炎の精ホムラノチが証明してくれた」

「おい! 初耳だぞ」

「順を追って説明します。我々が明日香村の古墳から奇妙な御刀が見つかった旨を受けて、最初は安桜美炎さん、瀬戸内智恵さん、そして私の三人で向かい、そこで古代の三本の御刀が発見されました。資料の三がそれです。御刀には神代の力がまだ残っており、三本の御刀を回収し長船の研究所に運びました。しかし、三本の内二本が強奪され、私たちは辛うじてこの十束剣を守り切りました。この十束剣が美炎さんの魂、清光の玉鋼と共鳴する可能性があり」

「共鳴して御刀の精が出てきたってか」

「そうです。仮称で彼女の名はホムラノチ、古事記で母神イザナミを殺すきっかけになった子神ホノカグツチの分身。ホノカグツチが斬られるとき父の手にしていた十束剣に付着、そのまま剣の守護精になったと聞いています。そうですね安桜美炎」

「はい、ホムラノチも間違いないと言ってます」

「ほぉー、では九州の妖怪である鬼八法師とどのような関係が?」

 鈴本葉菜はお茶を一口飲みながらミルヤに尋ねた。

「ホムラノチは自身は三本の宝剣を支えに明日香の地に鬼八法師を封印したと」

「ん? 九州の地で討伐されたのですよね?」

 ミルヤは次のページを示し、そこには酒船石の写真があった。

「鬼八という妖怪は討伐されたと見せかけ、四国伝いに関西、朝廷のあった飛鳥の都を襲ったのです。大神の社の巫女が朝廷の守護剣であった十束剣、草薙剣、分景を用い、ホムラノチの協力を得て御破裂山西部に封印した」

「なら、この写真や学芸員さんの話でははるか前に石室の蓋が無くなっていたって」

「瀬戸内智恵、この御破裂山西部に用途不明の古代石があります」

「酒船石!」

「そうです。ホムラノチと三本の宝剣は封印の力を持っていた、しかし鬼八法師は体を気の遠くなるような時間をかけて霞にし、封印を抜けて酒船石を破壊し脱出。だがその時代には鬼八が封印されたことを覚えているものはおらず、宝剣と古墳は埋めるに任せるしかなかった。鬼八を今一度封印し、その事実を知っていた強奪者の存在を明らかにするのが私たちの新たな任務です」

「荒魂なんだな」

「ええ、間違いなく」

 微笑んだ呼吹にミルヤは静かに頷いた。

 会議終了と同時にすぐに彼女たちは西へと出発した。

 



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第十七話「逡巡」

 病室に入ってきた柳瀬舞衣に可奈美は万弁の笑みで出迎えた。

「病院の先生に許可もらってクッキーもってきたよ!」

「わぁい舞衣ちゃんのクッキーだ!」

 ベット付けにされているとはいえ、特に体調不良は感じられず。有り余った元気の行先を動画サイトの剣術演武の研究に費やしていた。

「可奈美ちゃんらしいな」

「ねぇ舞衣ちゃん」

「なぁに?」

 見てほしいということでベットの側に置かれた千鳥を手にし、鞘を抜きはらった。深呼吸し、全身に力を込めたが体には何も変化が起こらない。

「写シがでないの……千鳥からの声も聞こえない」

「そんな、早すぎる」

 可奈美はそうじゃないと首を振った。

「実は全国大会が終わってから、写シが途中で剥がれ落ちることがあって、妙子先生には衰えが始まっているって言われた。刀使それぞれには刀使でいられる時間があって、それが遅いか早いかは人それぞれだって。覚悟はしてたんだ」

 刃を鞘に納め。そっと目を閉じた。

「でも羽島先生はこのまま剣術研究で管理局に残っていいらしいから、高等部にはそのまま進むつもりだよ」

「そっか、みんな可奈美ちゃんの分まで頑張らなくちゃいけないね」

「でも、あともう少しみんなと前に居たかったな、まだ大変な時期なのに」

 舞衣は黙って可奈美を抱き寄せた。

「くやしいね」

「……うん」

 翌日には退院となり、任務の合間を縫い、舞衣が彼女を迎えに来た。写シが張れない以上、任務から外れ美濃関に戻り学業に邁進する。そうして進むべき場所を決めてきた先輩を何人も見てきただけに、彼女は多少は心持を軽くして帰途に着けた。同級生の舞衣もいる、美炎だっている。遠いところには結芽だっているのだと、ひどくあっさりとあきらめがついてしまった。

 名古屋駅から岐阜、岐阜駅から美濃太田乗り換えで長良川線に乗り、美濃関学院前に着いた。

「寮には戻らないの?」

「うん、少し休みをもらったから、実家に」

「わかった、じゃあいつでも電話して、何かあったらすぐに駆け付けるから」

 不安げな面持ちの舞衣に可奈美は無理に笑って見せた。

「大丈夫、メールするよ」

 バスを見送る舞衣に手を振りながら、姿が見えなくなると手元の千鳥に目が行った。

「あなたとはいろんなことがあったよね。お母さんの御刀で、姫和ちゃんと逃げて、タギツヒメと戦って、でも決勝戦で姫和ちゃんの突き留を受けちゃって、ありがとう千鳥」

 見慣れた関の山々の景色と澄んだ青空、バスに揺られながら今まで気にも留めなかった景色がまざまざと流れていく。梅ヶ枝のバス停で降り、津保川沿い衛藤家に着いた。見慣れた庭は母との稽古の記憶、不器用な母が父に支えられて作った弁当を持たせてくれた玄関、階段は決まって兄が家事の苦手な私に小言する場所、扉を開けてからそんな事ばかりを思い出した。

「おかえり可奈美」

 兄の父似だが、目元が母に近い雰囲気、手に持った掃除機が彼らしかった。

「どうした」

「え、あ、ただいま!」

「おう、さっさと上がって母さんに挨拶してきな」

「うん」

「あとチョコケーキがそろそろ焼けるぞ」

「やった! あんにーのチョコケーキ!」

「あ、手洗いうがいも忘れんなよ!」

「はーい!」

 任務の合間に帰省していたが、兄はあまり帰ってこないと小言を言う。寮生活を始めてから男で二人の生活、ただし母と次女にまるで生活力がなかったため、家はいつも奇麗で、可奈美の部屋も埃一つないほどに綺麗されていた。

「おかあさんただいま」

 仏壇の遺影にそう語り掛け、御刀を刀台に置いた。

「もう刀使を引退になりそう。とりあえず美濃関に残ることにしたけど、どうしようかな」

 リビングでケーキを切り分けていた衛藤安竜の手が止まった。

 ソファーに腰かける妹を一瞥し、ケーキを皿へと移した。

「そうか、お疲れ様」

 彼女の前にケーキと紅茶を置き、向かい側に自身も座った。

「いただきます」

「じゃあ学業に集中するようになるのか」

「うん、あと剣術の研究は続けたいから、そっちの方面に進むかも」

「母さんみたいだ。父さんの話だと大学でも剣術のことしか頭になくて、いつも世話してたらそのまま結婚してしまったって聞いたよ。構わないけど、俺は世話してやれんぞ」

「もぅ! 私だって料理や家事出来るよ!」

「できることが問題じゃなくて、習慣の問題だよ。柳瀬さんや安桜さんに世話してもらっているのは父さんも知っているぞ」

「な、うう、ぐうの音もでないよぅ」

 

 父の紫龍が帰ってきてから改めて刀使の能力が無くなり、御刀を後日返還する旨を伝えた。紫龍はわかったと一言いい、それ以上刀使をやめることについて問うことはなかった。

 その夜、姫和とメールのやり取りをしながら窓を開けて夜風に当たった。

 彼女の文面からは愚直なほどの思いは伝わってこなかったが、家族に話したことを送るとしばしば返事が遅くなった。

 眠れない。窓際で顔を伏せながら、指で剣の動きを描き、返しの剣を考える。

 もう来ないだろう返事を待つように、目を瞑った。

「そんなところで、風邪ひくわよ」

 その見知った声に振り返った。

「タギツヒメ……いや、おかぁさん」

「やっ」

 と、タギツヒメは首を振った。

「勝手に出てくるではない美奈都! 気持ち悪いわ」

 美奈都とは違う、タギツヒメの尖った声が響いた。

「え、どうして現世に?」

「どうもこうもない、いま隠世と現世は層が重なっている状態にある。本来は多重の層で行き来はできないが、どういう訳か直接行き来できるようになっておる。だが別に珍しいことではない本来なら一年ほどで完全に元に戻る」

「でも違うんだね」

「誰かが治りかけの層をこじ開けおった。そのことを人間に伝えに来た」

 と、急に顔が笑顔になった。

「そういう訳で私と篝もタギツヒメに乗ってきたわけ!」

 タギツヒメは急に頭を掻いて、大きくため息をついた。

「力を分けるから、分離しよう」

 彼女の体が三つに分かれ、柊篝と藤原美奈都が姿を現した。

 呆然とする可奈美のほっぺを軽くつねった。

「ほら、夢じゃあないよ」

 タギツヒメは肩の力を抜いて、可奈美のベットに腰かけた。

「はぁ世話がかかるのう、少しは篝の気持ちがわかった気がするわ」

「おつかれさま、タギツヒメ」

 美奈都は可奈美に連れられ、安竜の部屋に忍び込んだ。

 眠る彼の顔を見て、その頭をそっと撫でた。

「んん……母さん?」

 寝ぼけた息子の顔がなんとなく自分の面影が見えた。

「いつも可奈美をありがとうね」

「ん……母さんと同じで心配事ばっ……か……起こす……少しは……自重……して」

 寝落ちた安竜から可奈美へと振り向いた。

「わたし、結婚しても生活力なかったの」

「そうだけど、それがどうしたの」

「ということはこのまんまか! 紫龍に世話されっぱなしだった……のか」

 階段を降りながら、頭を抱える母を見て小さく笑った。

「ん、やっと笑った」

「だって、刀使だったころから何も変わってない、私の大好きなお母さんなんだもん」

「ふふ、言ったねぇ、さすがは私の娘」

「へへ」

 父の紫龍の顔を見て、美奈都は不思議そうに彼の顔を見回した。

「あんたが私と結ばれたおかげで可奈美って立派な子が生まれたよ、ありがとうね紫龍」

 ベランダの窓際に二人腰かけ、チョコケーキを母へと持ってきた。

「ん、おいしーっ! やるじゃない安竜!」

「私も料理ダメで、いつもお父さんとあんにーの二人に作ってもらってるの」

「ダメだぞ、たぶん私は料理は下手だったろうけど、紫龍に泣きついて頑張ってただろうから」

「そうだよ、弁当ができるまでに始業しそうな勢いだった」

「うぐっ、末恐ろしい子。容赦ないわ~」

 可奈美の口から写シが張れなくなったことを聞くと、忘れ物を届けに来たんだと美奈都の千鳥を差し出した。

 仏間から千鳥を持ってくると、白く輝く千鳥が一つに重なった。可奈美は下駄をはいて、御刀を抜きはらったが写シは現れない。

 震える可奈美の体をそっと包み込んだ。

「大丈夫」

「いや、写シは張れんだろう」

 だがタギツヒメはそれだけではないと言葉を続けた。

「だが張れないことを悔やむのが正解ではない。衛藤可奈美、そして十条姫和は違う。もはや我を越えつつある。写シの有無は関係ない。あとはお前がその先の答えを出すことだ」

「どういうこと?」

「考えな、可奈美は無くなったんじゃない。一度終わったんだ。ここからでも希望は残ってるよ」

 美奈都は木刀を手にし構えた。

「迷ったら?」

「当たれ!」

 木刀を手にした可奈美は美奈都へとぶつかっていった。彼女の剣は乱れを知らない、だが美奈都は少しづつ後ろへと押されていく、可奈美の実力を肌で感じ、面一本を取られた。

「強くなったね」

 

 翌朝、朝食をとりながら安竜は変な夢を見たと言った。

「母さんが出てきたんだよ、可奈美の事ありがとうって言ってたけど母さんがもうちょっとしっかりしてたらなぁ」

「実は俺もなんだ、丈夫な子ができたけど、もう少し生活力があったらなぁ」

「そういえば朝ごはん作っている時にお母さんがお父さんに泣きついて、なんて言ったか覚えてる?」

「卵焼きが爆発した」

 三人は思わず大笑いしてしまった。

 

 

 

 御破裂山の東、古墳から一キロ上り下りしたところでミルヤは丹念に周りを見回した。

 彼女とあたりを見回す由衣と葉菜は共に来た地元の学者とやや小高い場所から、形状が抉れた木々を指示した。

「このあたりだね。江戸時代の地元の記録に御破裂山から大きな破裂の音が鳴って、村人が来た時には北東に向かってほら、あの歪んだ木、一直線に木々が折られていたそうだ」

 丘を降りて歪んだ木々の一本一本を見た。

「人のやれることではない、妖怪の仕業ではと折神家の刀使に来てもらったが、結局わからずじまいだったそうで」

「江戸時代の荒魂かもしれないけど、それが鬼八とどう関係あるの?」

「さっき聞いた話から考えますが、鬼八という妖怪、いや仮に荒魂だとしたら、あり得るかもしれないと」

「これはどこまで続いてますか」

「稜線を越えた竜門岳の途中まで、後は記録にはないですね」

 タブレットの地図に赤い線を描き、学者の修正を受けておおよその方角が定まった。

「直線を引いて、伊賀、長島、木曽三川ですね」

「次は伊賀で聞き込みですね。ありがとうございます泉先生」

「ええ、お構いなく。それにしても、鬼八法師はなぜこの大和に来たんでしょうね」

「最初は間違いなく、飛鳥京を狙ったでしょう。でも彼の目覚めたと考える江戸時代に鬼八らしき妖怪が現れた記録はない。この周辺の大和の痕跡、京都にさえ被害があった記録もない」

「少しばかり考えたんです。彼は何か目的があったのではないでしょうか? 飛鳥京に向かうにはあまりに長い道程を越えてなおの理由が」

「わかりませんが、なるほど興味をそそります」

 同じころ、反対側の西部にある酒船石遺跡には智恵、呼吹、美炎、清香が来ていた。

「大きいですね」

 自分の体を遥かに超える造形物に清香は目を見張った。

「さて、私たち以外いないわよね?」

「うん、大丈夫だよ」

「本当にいいんだな?」

「お願い呼吹ちゃん、清香ちゃん」

 二人は写シを張ると、八幡力を発動して酒船石を横に立てた。

「えぇ!」

「これは……ノロ」

 石の裏にびっしりっとこびりついた琥珀色の輝きに目を見張った。

「スペクトラムファインダーがようやく反応したぞ」

「この石が外部も内部もノロを完全に遮断する力があるんだ……美炎ちゃん」

「うん! ホムラノチさん!」

 ノロのこびりついた壁面に髪を赤く輝かせる美炎が手をかざした。三人の視界に美炎に重なるホムラノチの姿が見えた。

「間違いありません。これは鬼八の体の一部です。この石は表の文様にノロを流すことで、封印した荒魂の体を石に張り付けにする呪物。長い時間の中で忘れられてしまったようですが、効果はたとえ遠くに投げ飛ばされても有効であったようです」

 美炎の声だが明らかに異なる語調で語り掛けた。

「鬼八は霞そのもの、でも本体は霞を生み出す炎の肉体。それを細分のノロに溶かして私から逃れた。眠りについていた私の落ち度です」

 奈良県警刀剣類管理局支部のノロ回収班が合流し、その護衛には岩倉早苗の姿もあった。

「そうなんだ、あそこには荒魂が封印されてたのかもしれないんだ。すごいなみんな」

「え」

「いつも明らかになってない事件を紐解いていく! 刀使の間じゃ有名だよ!」

「ゆ、有名なんだ! 照れるね!」

「照れるも何も、いつもがむしゃらにやってたら、いつの間にか渦中に飛び込んでた。ねぇミルヤさん」

「はい、でもそれがこの隊の強さになっています。岩倉早苗さん、かならず鬼八を探し出して見せます」

「はい! 武運を祈ってます!」

 

 

 



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第十八話「予兆」

 12、

 

 新しい四本の高柱を持った社が森の中にあり、その階段の途中から自身へ頭を下げる藤次を見下した。

「顔を上げい田中藤次、貴様らしくもない」

「はい、ヲノツチ様」

 額の傷は痛々しく、しかし彼はどこか嬉しそうにしていた。

「あたらしいおもちゃを見つけたという顔だな」

「ええ、極上の刀使を見つけましたもので」

「そうか、どうもこの時代の巫女は次の段階へ歩み出しているようだからな。楽しめよう」

「私をお呼びしたのは如何に」

 彼の前に降りたヲノツチは八千剣の鞘尻で大地を叩くと、そこから草薙剣が現れた。

「ワシの分身で、一度はこのヤマトの国を滅ぼしかけた鬼八頭という精がおる。だが奴は刀使によって封印され、つい二百年前に封印を解いたが肉体の損傷が激しく、また封印されてしまった。そいつを取り込み、己が力とせんか?」

「しかし、意思は拮抗するものですよ」

「心配しておらん、お前は奴を気に入る。奴はお前を受け入れるだろう。草薙剣は餞別だ。それを己が体内に埋め込めば」

「より世界は享楽に満ち溢れる。かしこまりました、ヲノツチ様には感謝に堪えません」

 剣を受け取った彼を背に、ヲノツチは再び階段を上がり始めた。

「田中藤次、お前はなぜわが願いの成就に協力する」

 藤次はカンカン帽を被り、その赤く瞳を輝かせ微笑んだ。

「以前、親子にノロを打ち込んだことがありましてね。その親子が復讐のために私や篠子を追っている。これからヲノツチ様が作る世界で復讐の狂気を味わいたいのです。死よりも残酷で、生きることが無意味な狂楽。それが私の望むものです。もう甘い味には飽きました」

 ヲノツチは大きく笑い、彼も大笑いした。

「お前も空っぽか、いやのっぺらぼうだな!」

「お褒めの言葉にございます」

 

 慰霊祭の当日、調査隊はほぼ一日をかけて伊賀でさらにさまよう妖怪の記録を発見。

 その足取りはやや北に昇り、木曾三川の海津町は治水神社へと来ていた。

 川を一望できる場所から美炎は指をさした。

「西は揖斐川、東に長良川、その堤を越えて木曽川だよ!」

「久しぶりに来たけれど圧倒的ね」

「これって確か平成になっても洪水があったって有名ですよね。日本史の教科書に出てきました」

「江戸時代に薩摩藩が治水工事したことで有名ですね」

「あー、読んだよ薩摩義士伝」

「ははは、呼吹さんよくそんなハードな漫画を読めますね……」

「葉菜は読んだのか?」

「ひえもんとりでダメでした」

 由衣は資料と睨めっこしながら、その中から記述を見つけ出した。

「あったよ! ここに薩摩義士が妖怪を追い払った話」

 五人が寄ってたかって資料を除き、由衣は喜びの笑みを浮かべた。

 ただ一人外れていたミルヤは、葉菜の読み上げに注意深く耳を傾けた。

「工事が終盤に差し掛かったころ、高須輪中の土手で朝稽古をしていた四人の薩摩藩士のまえに赤く輝く妖怪が現れ、驚くまもなくとりあえずと四人で斬りかかり散々にしたが死なずに川に逃げた、代官には奇妙な六つ足だったと答えたそう」

「薩摩で示現流、大荒魂も生きた心地はしなかっただろうなぁ……」

「しかし、どこへ向かったのでしょうね」

「ここには代官には木曽川を越えて上流の方へ行ったって書いてあります」

 タブレットを取り出したミルヤはGPSで高須輪中の場所を確認し、そこから上流に線を引いた。

「木曽川上流へ愛知から岐阜の各務原、そして犬山から登り、美濃太田駅」

「じゃあ次は」

「関市に行きます。美濃関のお膝元へ!」

 愛知県側に入り名鉄尾西線から名鉄一宮、JR線に乗り換えて岐阜駅、そこから美濃太田乗り換えで長良川線の美濃関学園前へと着いた。

「だぁー! 一週間ぶりだ!」

「ここずっと調査や、本部への事情説明とかでなかなか戻ってこられなかったものね」

「ちょうどいいでしょう。関市で一日休息を取りましょう。あと安桜美炎さん」

「はい」

「美濃関に資料調査ができる方はいますか? 特に地域史専門の」

「なら一人心当たりがあります!」

 美濃関周辺は古くからの鍛冶、そこから発展した刃物メーカーが連なりまた学生街としての側面も持っている。関市は南の各務原と並んで県の産業起点として機能している。それもあり関駅からの大通りはいつも人で賑わっており、鉄道も岐阜駅への直通運転がなされている。美濃関からそう遠くない公園に市民図書館が併設されており、美炎はそこである人を探した。

「あ、いたいた! 福田さん!」

「美炎ちゃん、めずらしいね図書館にいるなんて、今日はタケミカヅチでも攻めてくるのかしら」

「いや今日は福田さんに協力してほしくて来たの」

「ん~?」

 と、頃合いが良いだろうとミルヤが顔を出した。

「どうも、綾小路高等三年、調査隊の隊長をしています木寅ミルヤと申します」

「こんにちは木寅さん、それで私にどのような」

「実は大荒魂の足跡を調査してまして」

 一通りの説明を聞くと、福田はごくごく当たり前のように書籍の山をミルヤと美炎の前に積み上げた。

「東濃と中濃の各地域の風習や伝承の風土記、地域史や関係者の書籍です。私も手伝いますので鬼八のルートを確定しましょう。あ、ここ六時までなので明日も作業することになるかと思います」

「……ミルヤさん」

「一日休息は明日に回します。鈴本葉菜さん、全員呼集してください」

「あ、はい」

 当然のように集合した全員は三人を除いたメンバーが地名や地理を理解しきれていないが、ともかくも荒魂の復活時期である江戸時代にポイントを絞り、各地域の伝承を調べつくした。途中で呼吹が脱走し、智恵によってあっさりと捕縛された顛末を加えつつ時計の針とページは先へ進んでいく。

 閉館間際の五時半、清香が東濃地域の二つの資料から記述を探し出した。

 そこは関市から北南60㎞先にある恵那市の岩村の伝承であった。

「こ、こんな奥まで行ってるの?」

「んで、清香。大荒魂の足跡はそこで止まってるんだな」

「はい、まずこの岩村城城下に傷だらけの荒魂が発見、関の刀使を擁していた加納藩から刀使を派遣してもらって、祓い分割しようとしたが死なずに回復するため、代官は山の修験者に封印の祠を作ってもらい術符で肉体を封じ」

「祠に封印した」

「でも確実に生きているってことじゃん」

 由衣はどさくさに紛れて清香にほほ寄せながら、史料に載る祠の写真をよく見た。

「でもこの祠に封印されたのが鬼八と限らないわ」

「いや、不死であることと散々に痛めつけられ意識がなかったこと。これだけあれば鬼八は満身創痍で岐阜に辿り着いたと考えられます」

 葉菜は一通りをメモし終えると、どのようにして戦うのかと一同に問いかけた。

 鬼八は不死、そして霞そのもの、このまま封印し続けるのが得策ではないかとミルヤは答えた。

「それは違います」

 美炎の髪が赤く輝き、その声色はホムラノチのものだった。

「封印していても、いずれはその能力を回復させ完全に復活します。鬼八はきっかけを欲しているはずです」

「ホムラノチさん、きっかけって何でしょう」

「鬼八の能力を欲する誰かが、わざと封印を解くことです。密迹身を用いた者たちが神代の力を欲すれば」

「我々と同じように形跡を辿る。しかし、鬼八にどう戦えばよいのですか? 不死というまだ見ぬ能力に手立てがない」

「一つ方法があります。美炎さん」

 美炎は立ち上がると、机中央に白紙を置き六足の胴体の中央を切り開き、回復を阻止しながらこの中心を突くことを示した。

「ホムラノチさんは人間の禍人と同じ喉下にあるノロの集結点がここにあって、ここさえ切り払えば肉体は崩壊して、ノロに還るって言ってる」

 だが同時に鬼八の尋常ではない回復を視野に入れなければならない。そのために御刀の能力で傷口を広げ続ける必要がある。

「なら私にいい考えがあるわ」

 智恵は一堂に笑みを浮かべた。

 

 その日の夜、智恵は長船学長代理の嘉納大海に電話した。

 〔なるほどな、それで十束剣とソハヤノツルキ二振、副御刀の黒漆剣が使いたいわけか〕

 〔はい! ソハヤノツルキ三振りは対荒魂特性の強い御刀です。私はその三振りと黒漆剣から扱い手として認められています。これを生かすのには今を置いてないと思います〕

 〔よしわかった! 明日すぐにでも取りに来い! 真庭学長からは全力で支援しろって命令されとる、心配はいらんで〕

 〔ありがとうございます〕

 電話を切るとミルヤたちに頷いた。

「明日は一日休みとしましたが、瀬戸内智恵さんには働いてもらってばかりですね」

「いいのよミルヤさん、私はもう生徒じゃないし、管理局の職員。おねぇさんとして頑張り時だから!」

「ちぃねぇ! わたしも一緒に行くよ」

「でも」

「いいから、鬼八を退治するまで一人での行動はなし! ね」

「私からもお願いします」

「わかったわ、お願いね美炎ちゃん」

 

 

 岐阜県恵那市の山中にある岩村、古い城下町であり、今もレトロな街並みが残っていることで有名である。

 その古風な旅館を一人の男がのらりと入ってきた。

 男は夏に似合う白いジャケットに麦藁帽を被り、やや荒れ気味の肌が奇妙に動いた。

「予約してた田中です」

「はい、お待ちしてました。お夕飯は部屋にお持ちしましょうか」

 藤次は人当たりの良さそうな顔でお願いするとおかみに言った。

「あと夕刊を」

 部屋で夕涼みしながら一面を読むと、囁くように笑った。

「やはり、恵実さんがいらっしゃる。それに、くくく」

 彼の側には細長い皮ケースがあった。

 



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第十九話「証言」

 力なきものに力がないとは限らない、
 失ってもなお力を得続けることもある。
 それは願いであり、記憶、そして次の世界への鍵。
 時は満ちる、かの者は願望を現実にするべく
 時は満ちた、かの者たちと復活を祝して
 時は満たす、かの者の心の器に涙酒を
 
 心は最後まで通じていた、後は言えるかだ、思いの全てを



 10、

 ここは名古屋市内の陸自駐屯地にある広報事務所、だが表向きはそうであって内実は対禍人特化部隊『第五』特殊作戦班の拠点である。エミリーは自室の研究書類の間にタブレットを立て、ヘッドセットの回線を入れた。

「もしもし聞こえますか博士」

「ああ、感度良好。秘匿は十分かな」

「不要かと、なにせ『特五』御用達の専用回線から連絡していますので」

「ふむ、特五が急に協力的なったことに不安がある。一つ理由を聞きたい」

「慰霊祭ですよ。防衛省名義で参加して、刀使たちに秘蔵っ子たちをお披露目するんですよ。あともう一つありますよ」

「ぜひとも聞きたい」

 あの大村喜之助率いる外事課を壊滅させ、特五が加瀬多美子から強奪した資料を折神朱音に送り付けた。そして幹部はようやく青子屋残党と民間流出ノロに目を向けるようになった。

「うちの大尉は念入りに準備してました。おそらく大村は内部から工作活動を展開し、残党の思う通りに追手の足が遅くなるのを期待した。実際に途中まで泳がせて、我々はばらまかれたノロと関係者の処理。そして管理局への熱烈なアピールをしました。全部、こちらのシナリオ通りに展開してます」

「なるほど、禍人の研究はタギツヒメが折神紫を使って管理局を掌握したと同時に停滞した。いや、わざと止まらせた。その代わりにノロを使った人体強化研究に邁進、その研究者に私もいた。そして有群も」

「有群誠一、六一才。在野のノロ研究者、実体は青子屋でノロを使った人体実験をしていた胡散臭い男。だが博士の構築したS装備理論実証に貢献し、ノロを干渉させることによる人体強化『密迹身』その完成形『無念無想』を成功させた。今は青子屋のブレーンとして荒魂と禍人の研究にご執心と考えられます」

「彼は優秀な科学者だが、人間の進化のためにはあらゆる犠牲を強いた男だった。私は彼の人を嫌っていたよ」

「そうでしょうね。で、まぁ大尉はこれからは刀剣類管理局に協力的に動いていくと思いますよ」

「なぜかな、今まで世間の裏で動いてきたのにも関わらず」

「大尉はノロと禍人の問題は、もはや一部隊が処理できる限度を越えつつあると考えています。それに青子屋残党の動機がいまいちはっきりしないことに業を煮やしているのも事実です」

「ふむ、時がきたという訳だな」

「そうと捉えています。それで今回の三人のノロ分布図と計量表です」

 慣れた手つきでデータを送信すると、画面越しにふぅむとうなる声が聞こえた。

「ご苦労さま、また分析結果が出たら送ろう」

「はい、では我々『特五』は『舞草』とともにあります。大尉よりの伝言です」

「ん、『舞草』は君たちと共に」

 通信が切れると、後ろに立つ神尾に目を向けた。

「準備は整いました。それで許可は下さるんですか?」

「ああ、新型S装備の製作を許可する」

「ありがとうございます!」

 エミリーはにやりと笑った。

 

 鎌倉の管理局本部奥、折神家の御社にあるかつてのノロ貯蔵庫。ここは改装されてタギツヒメ級荒魂が来た時の隔離施設が置かれ、一面、白の壁面の大部屋、その中央にベットと机があった。

「そうなんだぞ、あいつはこっちが本やビデオやタブレット、色々持って行ってやるのに、決まってこれは私への罰のために不要です。って言うんだぞ! その人の善悪を知るためには、まずは行動を知ることって孔子さまも言ってたぞ!」

「まぁまぁ藤巻、あいつだって反省してるなら俺はいいことだと思うぞ」

「それはそうだけど! なんか! なんか!」

 そうこう藤巻ちなみが言っているうちに隔離室の門前に着いた。

 紗耶香はゆっくりと扉の前に歩を進めた。戻ってきた妙法村正は薫へと預けた。

「じゃあ俺と藤巻は隣でモニタリングしてるから、よろしくな」

「うん、行ってきます」

 あの日から避け続けてきた。自分の過去にも、自分自身のこれからのことも、だけどもう逃げない。

 扉が開くと、椅子にもたれ、その長い銀髪を床に垂らして目を閉じていた。

 足音に気が付くと、静かに立ち上がった。

「紗耶香」

「本当にかりんおねぇちゃんなの?」

「そうだよ、でも髪は茶から真っ白になって、あの頃よりも細くなってしまったから」

「わたし、あの頃のこと覚えてるよ。両親がいなくなってから、施設に預けられて、空っぽだった私におねぇちゃんはいろんなことを教えてくれた。突き放そうとしても私の手を取って、時には真剣に怒ってくれた」

「紗耶香は生真面目で器用貧乏だから、よく知ってるよ」

 表情の和んだ紗耶香は、トートバックからクッキーとお茶を取り出した。

「お茶にしよ」

 紅茶を一口飲み、花梨の顔はひどく落ち着いていた。

「はじめからこうすればよかったね。自分が自分を追い詰めてばかりで、大切な人の声に傾けようとしてこなかった。私にあの人が言ったの、わからずやって、本当にそうだった」

 クッキーを一枚手にし食した。

「あらおいしい。あなたが焼いたの?」

「その舞衣が焼いてくれたクッキーだよ」

「あの人が、舞衣さんって言うのね。私はもう逃げないわ、全てをあなたに教える」

「うん」

 一年半前の赤羽にある鎌府の研究所、ここに管理局に適性があると判断された子供と刀使が集められた。一人目が途中で行方不明、候補者二名が適正値の低下で除外。ここに鎌府女学園高等一年の家弓花梨、鎌府への入学が決まっていた孤児の糸見紗耶香が選ばれ、それぞれ一号計画、二号計画に分けられた。一号はノロを直接注入し御刀の神力を干渉させて肉体の順応による覚醒促進、二号は赤羽刀にノロを干渉させそのエネルギーで人間の防衛本能を覚醒させる実験だった。

 一号被験体の花梨は体内にノロを注入、御刀四本による祓いの効果は強力過ぎであり、髪は白く色は抜け、体も以前よりも痩せっぽちになり、無念無想を発動させることができるが、ノロを体内流し込み続けないと対ノロ能力が体内を破壊することが分かり、完全覚醒を果たすことは不可能と判断され、研究所地下の廃棄場にほぼ捨て置かれた。

 彼の目的は人でタギツヒメ級の神的生命を生み出すこと、その器を満たせない私は用済みだった。

 暗い個室で死を待つばかりの私にノロを分け与えたのは、御刀と荒魂の融合実験の末に生まれたスルガという荒魂だった。彼女は私たちの存在を弄ぶ刀剣類管理局とその首魁である折神紫を恨んだ。後にタギツヒメの存在を知り、奴をこそ憎んだ。私は容姿ゆえに動けないスルガの代わりに調査のために鎌府の研究所を探し、奴らを倒す方法を探した。

 でもタギツヒメはスルガを処理し、研究施設はことごとく追手が回り、得たものはノロと御刀を融合させた『ディオブレイド』を手に入れたことだった。この際、あの高津雪那だけでも殺そう。でも、そう考えていた私はノロ不足となり森の中を這いまわった。その時だった、あのヲノツチ様に出会った。ヲノツチ様は神力で体内の対ノロ作用を抑え込み、ノロの服用が必要のない体にしてくれた。

「そして私はヲノツチ様の計画に乗り、そしてあなたの無念無想・神化を封じるために戦うと決めた」

「高津先生が言ってたノロを消化してエネルギーにする」

「ノロは絶対不滅の霊物、祓うことはあっても完全に殺すことは許されない。でも、あの有群はノロの神力をわが物にできる、ノロで人を進化させれると私を説得したわ」

「そしておねぇちゃんは」

「私は復讐とあなたの能力の悪用をさけるために、殺すことをいとわないと決心した」

「ねね!」

 モニター越しに話を聞いていた薫が隔離室へと飛び込んだ。

「おいねね! 今いいところなんだ!」

 ねねを追いかける薫に、あなたが益子の後継者かと尋ねた。

「そうだ」

「じゃああなたがねね、スルガが言っていたわ。この世には人と生きることを選んだ荒魂がいるって」

 笑顔の花梨を見て薫は照れ臭げに頭を掻いた。

 と、ちなみは扉を開けて椅子とカップを薫に手渡した。

「おい藤巻」

「あんなしんみりとした顔で控室に居ても邪魔、一緒にいるのが一番だゾ」

「ねねーっ」

 振り向いた先で花梨はねねとあいさつしていた。薫はあきらめてカップと椅子を運んだ。

「やれやれ……」

 カップを尻尾と手を器用に使ってお茶を飲むのを見て花梨は拍手した。

「実はな話聞いてたんだ。すまねぇ」

「いいんです。そうしてもらえたらと思ってましたから」

「それでおねぇちゃん」

「はい、ヲノツチ様のことね」

 彼女は一転してカップの紅茶に写る自分の顔を見た。

 

 

 富士樹海、このコンパスの効かない土地は古くから霊場として恐れ奉られてきた。

 その奥地の人の来ない場所に忘れられた社が朽ちていた。

 ヲノツチは包みをはぎ取り、二本の宝剣を地に突きたてた。

「炎の母 斬り落ちたるは 御富士山 われ恩讐 はたさぬべきや」

 宝剣とヲノツチは宙を舞い、一気に富士山の火口に辿り着いた。その地中に入っていき、八千矛はヲノツチの強靭な炎に溶け出してその中から滴る琥珀色の矢が地の奥深くへと沈んでいく。八千矛は長い鉄剣に生まれ変わり、ノロは富士の火口の奥の奥へと沈む。

 作業を終え、社に戻ってくると八千剣で木を切り、その樹皮を斬り剥がして四本の長柱を立てた。ヲノツチは力を込めて振り落とすと、朽ちた社は一瞬のうちに消し飛んだ。

「あともう少しだ。わが母、ホノカグツチを斬り裁いたイザナギ! 奴はこの大地となり高天原の神話を築いた! だが、そんなにも母を殺した子が憎かったか! 我が母を年端も行かぬうちに殺して満足か! なら私は母の分身として、貴様の築いたこの地を消す!」

 

「何言ってるんだ」

「ヲノツチ様は、神代の精、いわば私たちが神と呼んだ存在であり概念。すでに神とされた存在は世界そのものに順化してしまったが、ヲノツチ様はこの世界に復讐を果たすために生き永らえてきた。私はその復讐に賛同した」

 薫はあからさまに取り乱しそうになり、ねねにほほを叩くように頼んだ。

「ねー、ねっ!」

 両頬を強烈な打突が入り、痛みに涙をにじませながら花梨と紗耶香の顔を見た。

「嘘じゃない」

「ヲノツチ様は自分だけがこの世界を破壊する術を知り、生きとし生きる者に苦しみを知らせられると言っていた。そしてその儀式を完成させるためには、隠世と現世の干渉を去年の状態に戻す必要がある。そのために紗耶香を覚醒させ」

「こじ開けたのか」

「ならおねぇちゃんはなぜ私たちに」

 お茶を飲み、静かに息を吸った。

「紗耶香がこの世界に残り続ける、私は構わないと思ってた。けど、私は私さえ救えないのに誰かを救うことができて? その現実を私は拒否した。もう十分に色んな人をを傷つけた。もうやめにしたいと思ったの」

「いいんだな、もう」

「はい、それにスルガからも、そしてねねさんにも、私はまた違った生き方があると教えてもらいましたから」

 あの復讐に取りつかれた瞳はもうそこにはない。焦っていたのは誰か、それがようやく紗耶香にはわかった。

 

 彼女との対面を終えた薫は朱音から新たな大荒魂『鬼八』の存在を示され、それを今は調査隊が追っていることを聞かされた。薫は逆に家弓花梨にもう敵意がないこと、そして『ヲノツチ』の存在を示した。二人の見解は一致していた、昨年の末と同規模、それ以上の災厄が起こる。そしてその収束の鍵は炎の精『ホムラノチ』にあると。

 

 



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第二十話前「彦」

 その日の夜『特五』の拠点食堂では夕食前に隊員を集めてのミーティングが行われていた。

 神尾は彼女たちに鎌倉本部東の慰霊塔で行われる『刀使殉職者慰霊式典』および『技術交流会』への参加を発表した。

「これで晴れて俺たちは白日の下に晒されるわけだ」

「でもそうしないと青子屋の裏にいるやつを探し出せない」

「そうだ黒、いま管理局には奴らの側にいた加瀬多美子と家弓花梨がいる。間違いなく正体を暴いているだろう『ヲノツチ』の存在をな、これで一蓮托生にする。それには、彦。お前が衝動を抑えられるかにかかっている」

「来るのですね、紫様も」

 結芽は先の暴れた彦を思い出した。

「覚悟してるんだよね」

「もちろん……ですよ黒、これを待ち望んでいましたから」

「わかった」

 神尾は彼女たちの表情を見て、小さく頷いた。

「二日後の六月三十日、夜明け前に出発する、以上だ。ふぅ、夕食にしようか」

 強面のアメリカ人料理長は笑顔で三人の前に料理を出していった。

 麦ご飯に、お味噌汁、漬物が少々、それにメインは茄子の煮びたし、お好みで使える四種の薬味がそえられ、憎たらし気に隅には小鉢がひっそりと置かれている。

「カイル、俺の分は」

「ないよ」

「え」

「冗談だよ、出すからその前に言うこといいな」

 そう言って、厨房に戻っていった。

 神尾は席に着いた三人に向かった。

「ご苦労だった。これからも任務に勤しんでくれ」

「大尉」

 彦はそうではないと訝しんだ。

「ん、まだ言うことがあったかな」

「いえ、そうではなくて、どうぞ大尉も席に」

「ん」

 振り返ると料理長が柔らかい面持ちで神尾を見ていた。

「なるほど、では失礼するよ」

 四人テーブルの彦の隣に座ると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 そうして料理長はようやく彼に食事を提供した。

「こいつ」

「ふん、すきっ腹で残したら、大尉が食ってくれるそうだ」

「必要ないね」

「結芽もそう思う」

 と、やや疲れ気味に梅と結芽が言った。

「では、頂こうか」

「いただきまぁーす」

 待っていたように結芽は元気よく挨拶した。

 

 暫くして顔の堅い少佐の部下二人が食堂の隅に座ると、食堂長は同様の料理と、つまみにビールを置いていった。

 

 

 11、

「制服じゃなくていいの」

 結芽の着付けを整えながら、徽章と部隊章の位置、名前と階級のパッチを肩に取り付けた。

「うち等にとって、この黒服が制服みたいなもんさ」

「いくら管理局や機動隊に痕跡を残したって、特五の活動に妨げになるんじゃない」

「いいや、むしろ強気でうち等に嚙みついてこなきゃ意味ないんだ」

「なんで、待って、考える」

 梅は結芽の髪を整えながら、答えを静かに待った。

「分かった、私だ」

「正解」

「だから、なるべく結芽に援護へ出させたんだ」

「そういつもできなかったが、可奈美あたりが少しくらい口を開けば信ぴょう性が増す。お前さんが居ると分かれば、禍人のことも、あんたが生き返ったことも、それに彦や私のことも、必死になって調べ出すさ」

「教えてあげないの」

「それをしたら、わざわざ秘密にしてきた意味がない。余計な混乱を起こさないためにね、ほらできた」

 鏡から離れると御刀を懸架装置に取り付け、梅の前で一周して見せた。

「馬子にも衣裳」

「なんだってーっ」

 小馬鹿にしあう二人を見ながら、彦は自身の御刀を紙縒りで結び閉じた。

 何がなんでも御刀を抜かないという彦の堅い心構えがあった。

「さて、彦、黒、姿を見せないようイの一番に来たが、登場は最後の大取だ。心しろよ」

 ややうつ伏せ気味の結芽の胸を、梅の拳が叩いた。

「いいから、ただいまって言って来い。誰もお前を嫌がったりしないよ」

「うん」

 

 

 本部施設の東に位置する山のふもとに慰霊塔が立てられており、戦後からの荒魂退治で殉職した刀使たちを慰霊するための施設である。こうして年に一度六月末、全国の代表者が出席して式典が行われている。

 本部人員の遊撃隊隊員、上級幹部に、政府協力機関からの参列者、五箇伝から生徒の代表者、そして急遽参加表明した自衛隊隊員である。ほぼ一同が出そろっているが、自衛隊員たちは姿を見せない。

「防衛省第五特殊作戦班か、まさか自衛隊が刀使を擁しているとはな」

 獅童真希は遊撃隊隊員として起立しながら、彼女らが来る席を見やった。

「でも管理局と機動隊で把握されていない刀使は居ないはずですわ、タギツヒメの一件での礼を込めてでしょう」

「でも寿々花さんよ、これは礼をする態度には思えないぜ」

「そうですわね、もしかしたら」

「もしか、するらしい」

 獅童は屋根付きの階段から上がってきた黒い服の刀使たちに、目を見張った。

「結芽」

「真希さん」

 薫は予想した通りと落ち着いていたが、真希と寿々花の動揺は隠せなかった。

 それは結芽を見知る多くの人々も同様の反応を示した。

「落ち着け、式典が始まるぞ」

 式典が粛々と続く中、あるものは思考が止まり、あるものは驚きを隠せず、そして、これからの事態を冷静に分析する者に分かれた。

「薫さん」

「私語は厳禁だぜ」

「ええ、でも」

「なら一言だけ言い置く、あそこに居る黒服の三人はとっくに死んだとされる刀使だ」

 薫の冷静さに寿々花もゆっくりと平静を取り戻した。

 

 式典は無事に終わり、来賓と幹部が退出すると、獅童の足が自然と結芽に向かった。

「結芽、結芽」

「ほら」

 梅に背中を押され、結芽は真希の前へと立った。

 言葉の見つからない彼女は、結芽の目の前でただ憮然と立った。

「真希おねぇさん、ただいま」

 その一言に真希は結芽を抱き寄せた。

「ああ、お帰り結芽」

 泣き続ける真希の頭を撫で、寿々花も結芽を優しく背中から抱き寄せた。

「寿々花おねぇさん、ごめんね」

「まったくあなたって人は、ううん、お帰りなさい結芽さん」

 

 交流会会場まで彼女たちは結芽を離さず、それどころか生き返ってからのあらましをこと細かく聞いた。

「まて結芽それじゃあ」

「ノロなしじゃあ生きられない体なんだ。結芽は刀使の力を残した禍人で、正気が保たれているうちは生かされるんだって」

「そんな」

「心配しないで、結芽はそんなことで生きることを諦めたりしないから、刀使としてお役目を全うしたい」

「まったく、結芽にはいつまでたっても敵わないな」

「ふふ、だって結芽は親衛隊最強だもん」

「ほぅ僕だってこの一年で結芽よりも強くなったぞ」

「まさかぁ」

「あら結芽さん、私も真希さんもあなた以上に強くなりましたわよ」

「そんなの私だって強くなったんだから、交流会は結芽の一人勝ちだよ」

「そう言うなら勝負だ」

「もっちろん、ところでさ真希おねぇさん、寿々花おねぇさん」

「どうした」

「夜見はどこに居るの、ノロの浸食が重かったから治療に時間がかかっているのかな」

 しかし、二人の暗く硬い顔が結芽の望みを砕いた。

「そっか、夜見おねぇさんいないんだ」

 抱き寄せた真希の傍らに顔を埋めた。

「結芽」

 真希の声に顔を上げるとイチゴ大福の付け根を結芽に手渡した。

「ずっと預かっていたから返すよ」

「ありがとう真希おねぇさん」

 顔をぬぐって笑顔を見せた。

 

「結芽ちゃーん」

「かなねぇーっ」

 嬉しそうに抱き着きあった二人はぐるぐる回りながら、武道場の真ん中で転げ落ちた。

「可奈美、結芽、交流会が始まるんだぞ、もう少し静かにできないのか」

「だってさ姫和ちゃん、こうしてまた結芽ちゃんに会えたんだよ」

「半月前に会ったばかりだろう、まったく」

 と彼女の背中に忍び寄るように薫が顔を覗かせた。

「へぇー、半月前に会っていたんだエターナル」

「その呼び方は、やめろ」

 姫和と薫は互いを見やりながら、不敵な笑みを絶やさなった。

「なんか怖い」

「あ、結芽」

「紗耶香ちゃんだ、久しぶり」

「うん、ひさしぶり」

 以前よりも物腰が柔らかくなった紗耶香を見て、嬉しそうにほっぺたをいじった。

「紗耶香ちゃん、かわいくなった?」

「わからない」

「なったよなった、ずっと愛嬌があって結芽は好きだよ」

「おい! 私らを蚊帳の外に置くな」

 結芽が再会のひと時を楽しむ中、梅は隠れるように本部の喫煙所で煙草を吸っていた。

「お前は結婚前も煙草を吸わなかったろう」

「紗南先輩か」

 喫煙所の煙を煙たそうにしながら、梅の隣に座った。

「今さら、ここに何をしに来たんだ。恵実」

「何って、そりゃあ少しばかり若返ったから自衛隊で刀使やっているだけだよ。そして伝えに来た」

「禍人か」

「ああ、ウチの少佐殿が踏んだ通りなら、青子屋の人為的な行為で禍人は増殖している。いずれにせよ特祭隊の力を借りなくちゃいけなかった」

「貸すとは限らんぞ」

「なら、こっちから貸し出すさ。時間が無いんだよ……時間が!」

 真庭は梅の目を見て、彼女が本気であることを悟った。

「話は全てあの神尾っていう男から聞かせてもらう、それでいいな」

「それともう一つ、折神紫に国府宮鶴を近づけさせるな」

 

 彦こと、国府宮鶴は館内を歩きながら、もの珍し気に廊下を見渡した。

「私がいたころと何も変わっていないですね」

 周囲には彦のコードネームで自己紹介したが、彼女に気が付いた女性がいた。

「居た、お鶴さん、あまりうろちょろしては迷子になりますよ」

「江麻先生」

「さぁ行きましょう」

「先生、紫様はどこですか」

 鶴は小柄を抜くと、紙縒りを切り取り、御刀を抜きはらった。

「鶴、御刀を抜いても今のあなたには答えられません。紫様に会いたいなら、まずは御刀を納めなさい」

「ねぇ教えてください。紫様はどこ」

 明らかに動きが変化し、幽鬼のごとく体をよろつかせた。

「鶴、聞きなさい!」

 そう発した間もなく、羽島学長の右腕が斬られた。

「先生、私、紫様に会ってお話しするんですよ、あなたはどうやったら殺せますかって」

 鶴はゆっくり振りかぶりながら頭に狙いを定めた。

「教えてくれないと、次は先生の頭がぱっくり開きますよ」

 気配を察した鶴は右に二歩下がると、目の前を居合の一閃が流れた。

 すかさず放たれる二振り目に、鶴はゆっくりと間合いを取った。

「羽島先生! 大丈夫ですか」

「ええ、ありがとう舞衣さん」

「あはははは、ははは、はは、折神紫の正体も知らないでのうのうと私を送り出したやつが、どうにも生徒に慕われているよ」

 笑いながら泣く鶴は写しを張り、隠剣の構えで舞衣に対峙した。

「あなたも刀使なら、斬るべき相手を間違えないでください」

「そう、私は選んだのよ、斬るべき相手は貴女ではない。私が斬らなくちゃいけないのは、折神紫とその取り巻きだ」

 短い分、深く飛び込んでくる鶴の剣に下がるしかない。だが下がれば下がる分詰められる。

 必殺の一太刀も、隙を見つけなければ意味はない。だが、迅移で移動する場所を読み切って、不意の一太刀を受ける。

 ことあるごとに写シを剥がされ、また張れば反撃もする間もなく切り落とされる。

 もはや舞衣の間合いの中に鶴を捉えることはできない。

「マイマイーっ」

 懐に飛び込む金色の腕が、鶴の体を廊下奥の壁に叩きつけた。

「エレンちゃん」

「お待たせしました、監視カメラを見てばっちり飛んできましたネ」

「私は学長を連れて引きます、エレンさんも」

「諒解デース」

 しかし、舞衣と学長がその場を離れたのもつかの間、エレンは写しを引き剥がされて蹴り飛ばされた。

 彼女の腹を踏みつけた鶴は涙を拭うこともせず、切っ先を喉元に近づけた。

「邪魔するあなたが悪いのよ、恨まないでね」

「それは、こっちの台詞ネ」

 御刀を金剛身の力で殴り飛ばしたエレンは、鶴の額を頭突きし、足を掴んで壁に放り投げた。

「はぁ、はぁ、どうネ」

「プロレスしに来たわけじゃない」

「それは私も同感デース、っ」

 額から血を流しながら、エレンは八双の構えになった。

「どうしたの、写シは張らないの」

 エレンは黙して答えない。

「ふぅん、金剛心は僅かな時間だけ肉体を強化する能力、しかしそれ故に持続性に乏しい。短時間で写シを張る体力も使ってしまった」

「でも、結芽が来る時間は稼げたよ!」

 連撃をいなしながら、鶴は間合いを引いた。

「こんにちはおねぇさん」

 結芽はエレンにそう声を掛けながら、平晴眼で鶴に対した。

「もう来やがった」

「鶴おねぇさん、抑えると言っていたのは噓だったんだ」

「あんたにさ、何が分かるの、裏切られ捨てられたものの心が!」

 結芽は鶴の太刀をことごとく流しながら話を続けた。

「紫様がね、交流会の参加者を相手に、立ち合いをしてくれるそうよ」

 柄の持ち手がぶつかりながら、鶴は口を開いた。

「それは、本当」

「大尉からの言伝」

「大尉、大尉が」

 間合いを引いた鶴は写しを解除し、当たり前のように納刀を済ましてしまった。彼女は笑みを浮かべている。

「大尉が、そう言ったならそこで折神紫を倒そう。案内してくれるわよね、黒」

「勿論」

 背中を翻すと、エレンに御刀を納めるず付いてきてほしいと言い置き、結芽は鶴を引き連れて武道場に向かい始めた。

 

 

 話を一通り聞いた長髪の女性は、神尾の神妙な顔を見た。

「禍人の情報を交換する条件に、初代親衛隊第一席であった国府宮鶴と紫様との立ち合いを望むと」

「そうだ」

 真庭は腕を組みながら、不満げに息を吐いた。

「刀剣類管理局は構わない、しかし紫様の意思次第です」

 折神紫は静かに頷いた。

「私の咎だ、私が出ずに誰が出る」

 道場に入った紫は、一同が会する中で中央に坐する鶴に目を向けた。

「紫様、お久しぶりです、私めを覚えていますか」

「勿論だ、お鶴」

「ふふふ、懐かしい響きですね。昔を思い出しますよ。ところで、荒魂の一件が解決し、呪縛から解かれたこと大変におめでとうございます。表から離れていた私ですが、ぜひ祝いを述べさせていただきます」

 少しずつ近づく鶴は、立ち止まり自身の首を掴み絞めた。

「紫様、逃げて」

 かすれ出た声は首を絞めていた手と共に、力なく垂れた。

 そして、万弁の笑みを浮かべながら無名の御刀を抜きはらった。

「嬉しいですよ、こうして被害者になった紫様が、のうのうと私の目の前で生きているなんて、ふふふ」

 大笑いする鶴はある程度笑いを堪えながら、紫を真っすぐ見た。

「鶴、ここにいるみんなにお前と私の真実を伝えたい。少し時間をくれないか」

「ええ、大歓迎ですよ」



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登場人物と所属組織リスト

◇〔美濃関学園〕

・衛藤可奈美(中等三年・遊撃隊予備)

・柳瀬舞衣(中等三年)

・稲河暁(高等二年)

・羽島恵麻(学長)

 

◇〔鎌府女学院〕

・播めぐみ(高等三年)

・藤巻みなき(高等二年・鎌倉本部警備隊所属)

・青砥陽菜(高等三年・刀匠課程委員長)

・高津雪那(前学長)

〇湖衣姫優美(学長代理・神奈川県刀剣類管理局県支部長・旧親衛隊一席)

 

◇〔平城学館〕

・十条姫和(高等一年・遊撃隊予備)

・岩倉早苗(高等一年)

・姫野志保(高等一年)

・五條いろは(学長)

 

◇〔綾小路武芸学舎〕

・相楽結月(学長)

 

◇〔長船女学園〕

・古波蔵エレン(高等部二年)

・真庭紗南(学長兼特祭隊総副司令)

〇喜納大海(学長代行・総九州刀剣類管理局対荒魂司令室長・旧親衛隊二席)

 

◇〔特別祭祀機動隊遊撃隊(親衛隊)〕

・益子薫(長船高等部二年・遊撃隊第一席兼隊長)

・獅童真希(平城出身・遊撃隊第二席・前親衛隊一席)

・此花寿々花(綾小路出身・遊撃隊第三席・前親衛隊二席)

・糸見紗耶香(鎌府中等二年・遊撃隊第四席)

・苗場和歌子(鎌府高等二年・寿々花小隊副隊長)

・錦貫和美(鎌府卒業生・本部警備隊長)

 

◇〔特殊案件赤羽刀特化調査隊〕

・木寅ミルヤ(綾小路高等部三年・隊長)

・瀬戸内智恵(長船卒業生・刀剣類管理局長船付赤羽刀対策課・副隊長)

・安桜美炎(美濃関中等三年)

・七之里呼吹(鎌府高等部一年)

・六角清香(平城中等三年)

・山城由衣(綾小路中等三年)

・鈴本葉菜(綾小路高等一年)

〇ホムラノチ

 

 

◇〔刀剣類管理局・特別祭祀機動隊〕

・折神朱音(局長・折神家当主・特別祭祀機動隊総司令)

・折神紫(前局長・刀使殉職者慰霊財団会長)

〇刀剣類管理局都各道府県支部長(東京、千葉、群馬、埼玉、静岡、栃木)

〇警視庁捜査部一課13係(ノロ関係特科部署)

 

◆〔刀剣類管理局・外事課〕

〇大村喜之助

〇大村勘太(猿吉)

〇片桐秀充

〇加瀬多美子(鎌府卒業生)

〇熱海次郎

〇境良美(刀使・旧職員)

 

◆〔防衛省第五特殊作戦班『禍狩』〕

・燕結芽(コードネーム黒、前親衛隊四席)

〇河内恵実(コードネーム梅)

〇国府宮鶴(コードネーム彦、旧親衛隊四席)

・渡邊エミリー(コードネーム麿、長船卒業生、長船素材開発部門属)

〇神尾篤紀(コードネーム長、大尉)

〇カイル(コック・スティーブン・セガール)

 

◆〔ヲノツチ一派(青子屋残党)〕

〇ヲノツチ

〇多田篠子(青子屋篠子)

〇日枝金一

〇田中藤次

〇家弓花梨(元鎌府刀使)

〇向野英男

〇有群誠一

 

 

◇〔その他〕

〇衛藤安竜(地元商業高校三年・可奈美の兄)

〇衛藤紫龍(刃物メーカーのサラリーマン・可奈美の父)

・藤原美奈都(可奈美の母)

・柊篝(姫和の母)

・タギツヒメ

・イチキシマヒメ

 

 

▼このリストは可奈美と姫和が戻ってきた年に進級したことを踏まえたものです。

▼「〇」のついた人物はオリキャラです。

▼「◆」のついた組織はオリ組織です。

 



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第二十話後「帰還」

 折神紫は静かに語り始めた。

 

 

 二年半前、親衛隊が創設されてから三年。

 美濃関学園で小野派一刀流を剣技指導であったころの羽島学長から習い、初優勝目前だった真希を降した第四席の刀使にいた。

 国府宮鶴。

 彼女は卒業後、折神紫の召集を受けて親衛隊に所属。

 本部付きの刀使として、対処困難な現場に赴き、それは全国を飛び回る日々でもあった。

 紫は新しい人材の登用と、育てた人材の派遣のため、鶴を除いた親衛隊員は全国の機動隊に派遣された。

 鶴自身は先輩として、後輩を指導していく立場になると信じて疑わなかった。候補者の此花寿々花、獅童真希の任務に同行し、その任務への指導や、戦闘後のフィーリングをし、早いころから彼女たちに目をかけていた。

 だが、本部が紅葉に赤く染まった頃、紫に呼び出された鶴は言葉を失った。

「ノロを強化剤に使う実験ですか」

「そうだ、かねてから効果の有無は議論されてきたが、ノロをドーピングに使う一例がその効果を実証した。近年、荒魂の大型化は目に余るものがある。我々はより強みを目指さなくてはならない」

 鶴は椅子に座る紫の前で静かに立ちすくんでいた。

「降りても構わないぞ、危険が伴う」

「いえ、やります。やらせてください」

「いいんだな」

「私とて親衛隊の古参、後輩どもに軟な体と笑われては名が折れます。ノロなんて、赤子の手を捻るようなものでしょう」

「ああ、その意気だ」

 二日後、機動隊指揮官である雪那も同行のもと、有群博士による初のノロの注射が行われた。

 始めはごく少量であったが、効果は抜群であった。

 刀使が二十人がかりで倒せなかった荒魂を、一人で破ってしまったのである。

「なるほど、まるで体が軽くなったみたい」

 一次データーの収集が終わると、今度もごく少量を摂取した。

 破壊力に変わりはなく、より写しの持続時間が伸びた、

 そして三回目の摂取が行われ、続いて四回目も行われたが変化はなかった。

 鶴は無問題だろうと五回目を摂取した時、変化の兆候が見えた。

 それは荒魂を一人で対処しているときであった。

(もっともっと斬ろう)

 今まで一太刀で荒魂を沈めてきた鶴が、何度も何度も荒魂を斬りつけ、ノロになってもなお荒魂を斬り続けた。

 それから鶴の情緒は不安定になり、御刀を持つと途端に破壊衝動を露骨にし、稽古の場面では写しを剥がしてもなお、相手を斬ったほどである。

「とどめは刺さなきゃさ」

 その場にいた折神朱音の詰問に、笑顔で鶴は答えた。

 翌日、鶴は部屋から出てこなかった。

 ただ任務とあれば部屋を出て、また荒魂を残骸が残らぬ迄に斬り、部屋に閉じこもった。

 周囲との距離は開き、有群も紫に対して廃棄すべきと具申した。

 だが、紫は現状維持を指示した。

 そんな日々が繰り返される中、鶴は御刀を持たず紫の前に立った。

「どうした、精神を強く保てばノロは抑えれる」

「もう、やめましょうよ」

「お前のことだ、すぐに元通りになる」

「違うんです」

 血気迫るその声に紫は口を閉じた。

「なんか、こう、身体の隅々から聞こえてくるんです。斬れ、斬れって、御刀を握った瞬間、飛んで内臓を見たい、そんな感情になるんです。殺していいんだ、やったって喜ぶんです。こんなの普通じゃない。おかしい。だから、ノロの摂取なんてやるべきではないんです」

「いいや、お前は十分な結果を出した。再来月には新しい親衛隊の編成式がある」

 立ち上がった紫は静かに肩を叩いた。

「先輩として、胸を張れ」

 そして鶴は翌日、忽然と姿を消した。

 御刀も、衣類も、私物も、全て部屋に残して姿を消した。

 紫は何事もなかったように、鶴は任務中に行方不明になったと発表した。

 彼女の要望で一人、任務に向かうことが多く、その現場には誰にも立ち入らせなかった。

 回収班は鶴が消えてからノロを回収していたので、誰もそのことに疑問を持たなかった。

 この時期は紫へのタギツヒメによる精神浸食も強まり、紫はただ鶴を見逃すことしかできなかった。

 だが鶴は用済みであり、本命である二代目親衛隊の結成、ノロの摂取が行われた。それから数カ月、春の大会での暗殺未遂に端を発した大事件へと発展していった。

 全てを話終え、ざわめく会場内に鶴の笑い声が低くしかし大きく響いた。

「まったく、御刀もって逃げ出せば、もっと楽しいことになったのに、弱い弱い私は逃げるばかり、これじゃあ楽しめない」

「お前はいったい、何を楽しんでいる」

「それはもちろん、ギッタギタに切り刻むこと」

 鶴の一撃が、紫の抜き払いによって弾き飛ばされた。互いに写しを張った瞬間、激しい打ち合いが始まった。

 その光景を見ながら、結芽は両手を強く握りしめた。

「紫様を信じよう」

 真希の一言に、ゆっくりと頷いた。

 鶴は紫の二刀の動きをものともせず、それどころか僅かな隙間から腕や胴を斬り、何度も紫の写しを引き剥がす。

「やっぱり」

 紫の左脇を切り捨てると、左手で前方に押し飛ばした。

「タギツヒメと戦った後遺症が癒えてないみたいですね。ふふ、ふふふ」

 と、また鶴は自身を殴り、一歩下がった。

「私は、ここを離れてから、飲まず、食わず、湧き上がるすべての衝動を押し殺して、痩せて、汚れて、言葉を失った。でも」

 突然叫び出した鶴は誰かに叫んだ。

「お前はッ、力を欲したから、私を使った! これは望んだ形、お前の持つ戦うための感情だ、鋼の精神なんてのよりよっぽど破壊的だ。なのに、身体がいうことを聞かない! お前はいつまでたっても私に委ねない! いいから、身体を全部よこせ!」

「そうだ鶴、抗え、ひたすら抗え、すぐにお前をそいつから救い出す」

「救い出す、紫様、私は私ですよ」

「違うな」

「は」

 紫は確かな足取りで鶴へと近づいていく、彼女はあからさまに一歩、また一歩と逃げた。

「今の私は抜け殻だ、お前の忠誠を誓った存在はもういない。お前はもう必要ない」

「黙れ」

「一人の刀使を支配しえず、あまつやタギツヒメがいなくなって私に逆上した、哀れだな」

「黙れ」

「お前は国府宮鶴にはなれない」

「黙れ!」

「帰ってこい! 鶴!」

 突っ込んだ鶴の体から写しが剥れ落ちはじめた、紫はすかさず二刀の刃を返して、彼女の体を何度もたたいた。

 鶴は床に崩れ落ちた。

「人になりたかったのだろうが、ノロはノロでしかあれない。タギツヒメはそうして全てを諦めていた」

「そんな、私は」

 寂し気な顔が激昂に変わり、御刀の刃を自身に向けたが刺せなかった。

「くそ、くそ、なんで私なんか」

 刀を払い落した紫は彼女の両手を握った。

「大丈夫」

 鶴の落ち着いた声が響く、静寂の中を多くの人は静かに見守っている。

「時間はかかったけど、私はこれでよかった。あなたが誰かへの憧れを守り続けてくれたお陰で、私はこうして表に出てこれた。あのままあなたを封じていたら、それで終わってた」

 歯ぎしりが暫くして、奥からひねり出すように声が出た。

「臆病者ッ」

 激しい咳き込みを起こした鶴は、口からノロを吐き出して倒れ込んだ。

「鶴、鶴―っ!」

 紫の彼女を呼ぶ声が、遠く遠く響いた。

 

 

 あの日から一夜を越した。

 静かに、落ち着いた寝息を立てる鶴を横に、紫は少佐の話を聞いていた。

「俺が彼女を見つけたのは、禍人の調査を始めたころだ。伊豆の山中に奇妙な人影を見たと報告があり、諜報員が報告した『ヲノツチ』ではないかと踏んで捜索に向かった。そして俺が彼女を見つけたとき、衣服は汚くいたるところが引き千切れ、木陰に座りながら長く伸びた髪を垂らして、始めは死んでいるのだと思った。だが」

 神尾は鶴の頬に手をふれた。

「髪を除けて覗き込んだ彼女の眼は、澄んだ、美しい目をしていた。まだ、何もあきらめてはいない。だが、心は強く保たれていても、身体が言うことを聞かないのでは、意味がないだろうと、できたばかりの特五の拠点が彼女の療養専門棟と化してしまった。まぁ気づけば彼女はノロを完全に抑え込んで、禍人を探す任務にも出るようになっていた。まったく、大した奴だよ」

「神尾大尉」

「なんです」

「鶴を救ってくれて、ありがとう」

 頭を下げた紫に神尾は首を横に振った、

「俺は何もできなかった、最後はあなた方に任せてしまった」

「いいや、あなたがいなければ、鶴は自分を立ち返れなかっただろう」

「なぜ」

「自分を見てくれる存在が欲しかったゆえだ」

「そう、なのか」

「ではあなたはなぜ、彼女の側に居続けた」

「男は、そういう寂しい生き物でね」

 やや目を見開いた鶴を見て、神尾は病室を出ていった。

 そして同時に駆けてくる音とともに結芽たちが病室に入ってきた。

 最後に入った羽島学長が、舞衣に押されて鶴の傍らに座った。

「先生」

「お鶴さん、よく頑張ったわね」

「はい」

 手を強く握り返すと、胸を熱くするものが、頬を伝って流れ出した。

 

 



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完全版『異譚・神起編』雷火之章
第二十一話「青子」


 あれから2日後の翌深夜二時。

「黒、一太刀で決めろ」

 ここは大阪府堺市市街の路地、六角棒を片手にとある住宅の前に立った覆面姿の男は

 しばし周囲を見渡し、ゆっくりと門のノブに手を掛けた。

「駒込史郎、何をしている」

 男は振り返って、それは誰なのかと尋ねた。

「自分の名前は名乗るためにあるのでしょ」

「いいや、名乗る必要はない。ここで死ぬのだから」

 階段を降りる駒込の姿を見ると、結芽は足で隠していた御刀の切っ先を、

 彼へと向けた。

 飛び上がった駒込は、その棍棒を右手で高く振り上げた。

 その一直線の動きを避けながら、続いて振られる横なぎも避けた。

(単純じゃないの)

 結芽がしっかりとした足取りで斬りにかかろうとしたその時、

 振りかぶる勢いを生かしながら、神速の突きが彼女に走った。

 避ける術のない結芽は振り上げた御刀の柄を眼前に下げ、その重々しい突きを受けた。

 柄の割れる音が響いたのも気にせず、結芽は即座に急所を突き、男はノロとなって溶けていった。

「こちら長、合流地点に向かえ」

「黒、諒解」

 鞘に納めようとすると御刀は鍔鳴りを起こして、外れた目釘が地面に落ちた。

 

 神戸長田区にある小さな旅館『松永』は、古くから刀使御用達の旅館であり、

 素朴で安価でありながら、数日を要する任務に対応できるようにとの、

 主人の心づかいが効いている。

 鶴の紹介で結芽と神尾、そして鶴がここに泊まっていた。

「これはもう柄が駄目ですね。目釘が落ちたのもそれゆえでしょう」

 広げられた御刀を手入れする結芽を見ながら、

 駒込によって叩き割られた柄を手にした。

「もったいないですけど、目貫は使い物になりませんね。でも、縁から刀身側の金具には問題はありませんから、柄師に新調をお願いするといいでしょう。結芽さんは鞘の扱いが丁寧ですから、すぐに製作してもらえますよ」

「折神家の職人さんたちに、ニッカリ青江の拵えを作ってもらったように?」

「え」

「前の扱い手さんが、自分に合わせて金色の太刀拵えにしていたから、結芽の好みに合わなくて紫様が拵えの新調を許してくれたんだ。結芽好みのかわいい拵えにね」

「うん、あのね、それってどんな風な拵え」

「うん、鞘にはウサギさんや猫ちゃん、それにハートや桜を書いてもらって、鍔はクマさんの形にしてもらったんだ。金色の金具にはいっぱいお花を彫ってもらったよ」

「頭を抱える職人さんたちの顔が見えるよ、でもいいなぁ私は拵えの新調なんてさせてもらえなかったよ」

 神尾は小さく咳をした。 

「とにかく黒、ここは関西の拵師に預けよう」

「え、名古屋に帰るんじゃないの」

「まだ一つ、大事な用事が残っているんだ」

 首を傾げた結芽は、持ってきた白木の柄に茎を留め、白鞘にゆっくりと御刀を納めた。

 

 

 

 とある小さな霊園に、花束を手にする梅が、忘れ去られた一つの墓の前に座った。

 墓石には『近衛武道館事件慰霊』と書かれていた。昼の陽もここだけは木陰で優しい光が差し込む。

「あなた、お義母さん、師匠、ただいま」

 花を添えると、静かに手を合わせた。

「恵実か」

 その聞き知った声に急いで振り向いた。

「相楽先輩」

 梅はしばし花を手にした彼女に向き合ったが、目を離しその場を逃げようとした。

「待て」

 相楽の怒りに満ちた顔が、自分に何を言わんとしているのか理解できた。

「結芽をお前の復讐に巻き込むな」

「それは結芽自身が決めることです。私は一人ででもあの三人を殺す」

「それが亡くなった結城さんへの顔向けか」

 梅の真っ赤な瞳が、相楽を睨みつけた。

「結芽を救えなかったのは、あなたも同じです」

 そう吐き捨てるように言うと、梅はそこを立ち去っていった。

 

 ────────────────────────

 

 三日後、結芽は調査の合間を縫って、一人古巣である綾小路武芸学舎を訪れていた。

「結芽」

 振り返った先に相楽学長が立っていた。

「遅―いっ、結芽は約束の十分前から待っていたんだよ」

「今はその十分後だろ」

「へへ、そうだよ」

「まったく、変わらないな」

 やや物悲し気な気風ではあるものの、表に出して言う人でないこともあって結芽は何事もなかったように話を進めた。

「結芽のソハヤノツルギウツスナリはどこ」

「以前はここにいたのだぞ、刀匠課程だ」

 教室棟の隣に立つ館は刀匠課程を学び、製作と研究をしていく棟であり、

 棟には名の知られた近畿の刀匠たちも指導と製作のために、ここを拠点にしている。

 三階右奥の拵師が工房を並べる廊下を二人は静かに歩む。

 そしてたどり着いた工房の扉を叩いた。

「はい、どちら様でしょう」

 出てきた痩せがちの男子生徒が相楽であることに気付くと、慌てて扉を開けた。

「高畑先生、学長がいらっしゃいました」

 中に案内されると、背筋の固まったような目の真っすぐな男が二人に向いた。

「どうぞいらっしゃいましたね」

「はい、今日は彼女の御刀の事で」

「ソハヤノツルギウツスナリですね、どうぞ」

 生徒の用意した椅子に腰を掛けると、高畑は御刀を納めたケースと拵えが一式そろえられた

 台を目の前に置いた。

「燕さんでしたね、お久しぶりですね」

「五日前ですけどね」

「では、柄の方は完成しています」

「随分と早いですね」

「ええ、丁度大きな依頼が済んで手隙でありましたから、それにソハヤノツルギウツスナリとなれば神君家康公の御刀、私としては全力を傾けたくなるものです」

 高畑は御刀を白鞘から取り出し、結芽に手伝ってもらいながら新たな柄に差し込んだ。

 そして微調整を済まし、目釘を入れると御刀を結芽に差し出した。

 柄は白鮫皮に平巻出で巻かれ、上品な小豆色に亀と鶴の目貫、鵐目にはあの獏の彫金がなされた以前のものが使われていた。

 結芽は手にすると、そのあまりの手への親和性に驚いた。

「凄い、手が吸い付くみたい」

「二日前、あなたの握り手の癖を確認させてもらいました。以前の拵えは実戦用に用意したものだったのでしょうが、燕さんに合わせたものではないので完ぺきとは言えない状態でした。今回、貴女のお手に合わせて柄の形状、巻き方、そして長さからくるバランスを調整しました」

「これなら、どんな荒魂にだって負けない」

 そして、結芽は鍔が変わっていることに気が付いた。

「燕だ」

 やや小さめの丸鍔に二匹の燕が彫金された無骨でありながら、静やかな鍔である。

「その鍔は以前、刀使を引退された子が綾小路に御刀を返上するに際して、好きに使ってくれと拵えを一式譲り受けたのです。鍔はその方のものです」

「とってもいいと思う」

「では、実戦で使ってみましょう」

「え、もう」

「使ってみない事には、本当に体にあったかどうかは分かりませんからね。学長、お願いできますか」

「ええ、すぐに」

 

 瀬戸内智恵と安桜美炎がとなりの柔道場で、複数の御刀を眼下に見ている脇を結芽は素通りし、板間に坐して正面に一礼。御刀を腰に差すと、ゆっくりと居合の動作から確認を始めた。

(気持ち軽くなっただけなのに、切っ先が真っすぐ私を引っ張る)

 相楽は二人に話をしながら、共に結芽の型の演武を見ている。

「あの御刀、妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリじゃない、それにあの子は燕結芽」

 結芽の御刀の動きを二人は丹念に目で追った。

「え、あれはちぃねぇと同じ御刀なの?」

「正確には鎌倉時代の三池典太光世が作刀したと言われる、征夷大将軍坂上田村麻呂の佩刀、今ここにあるソハヤノツルキを写したとされる御刀よ。神君徳川家康公の御刀としても名高く、数百年もの間、家康公以外の使い手を選んでいない。だから自衛隊内の御社預かりって聞いたけれど」

「なぁ二人とも、結芽と立ち会ってみないか」

「え!」

「面白そうね」

「でもちぃねぇ、燕さんって親衛隊だったし、とっても強いよ」

「心配要らないわ、それに舞草の一員としてあの子には借りがあるしね。私が相手になります相楽学長」

「ああ、いいだろう」

 結芽を呼び止めると、試合の立ち合いについて長船の瀬戸内智恵と話し、相楽が審判となって立ち合いを行うこととなった。

「双方礼、抜刀、写シ!」

 ソハヤノツルギウツスナリがやや震えるように感じた結芽は、相手の御刀が縁のあるものだと理解した。

「備え!」

 智恵の御刀は一尺四分ほど、小烏造りの諸刃の切っ先は、その御刀の古さをその身で伝えている。

「初め!」

 結芽からの上段からの斬りつけをいなし、すぐさま走る突きを流しながら、右後ろに翻る。そこに迅移で背中に回りこんだ一閃が走るが、すぐさま峰で受けるふりをして結芽の左前方に避け、動きを確認しながら間合いを離しつつ霞の構えで即応の一太刀を受け止めた。

(待ってた)

 智恵の返しが下りる瞬間、結芽は振り下ろされる腕を斬りにかかった。

(斬られる)

 しかし結芽の横一閃はあまりに早く、智恵の紙一重手前を通り抜けていった。

 そして返しの太刀が結芽の写シを斬った。

「そこまでっ」

 結芽は静かに立ち上がり、元の位置に戻り礼をした。

「ちぃねぇ、勝っちゃった」

 結芽は静かに御刀を抜くと、光に透かし輝かせた。

 その傍らに背の高い智恵が共に御刀を見た。

「あなたの御刀もソハヤノツルキなのよね」

「え、そうだよ」

「私の御刀もソハヤノツルキなの」

 智恵が並び見せるソハヤノツルキに、結芽のソハヤノツルギウツスナリが震えた。

「あなたの御刀は、私のソハヤノツルキを名工光世が写した御刀」

「だから、ウツスナリなんだ」

「そうは言っても、写しが作られたのは七百年も昔だから、私たちには気が遠くなるような話よ。それでなぜ手を抜いてくれたの」

「ごめん、柄を新調したばかりで慣れなくって、まさかこんなに早く振れるとは思わなかった」

「え、手を抜かれてたの」

 驚いた美炎に智恵はスマホで写真を撮ってくれと言った。

「じゃあミルヤさんに送ってあげて」

「なんで?」

「明日わかるから」

 

 叡山電車鞍馬線・綾小路武芸学舎前駅まで送ってもらった結芽は相楽にお菓子の詰まったトートを手渡された。

「いいのか、京都駅まで送るのに」

「ううん、それに大阪で調べごとがあるから合流しなくちゃいけないの」

「分かった、体は大事にするんだぞ。あと……隊の人によろしくな」

「はい」

 結芽はマナカで入場し、ホームのベンチに座ると鞘鐺を靴の上に置くように、

 刀袋に包まれたソハヤノツルギを胸元に置いた。

 そして相楽から渡されたたまごパンの封を開け、食べ始めた。

「お隣に失礼」

 髪を荒立たせている男は自身も手に刀袋を持っていた。

 しばらく黙ってお菓子を食べている結芽に、男が静かに声を掛けた。

「お嬢ちゃん、刀使なのかい」

 しばらく咀嚼しながら、うんとぶっきらぼうに返事を返した。

「君は有名人だよね。たしか燕結芽、だったね」

「そうだけど、おじさん誰」

「おじさんはね金一って言うんだ、金のはじめと書いて金一」

「じゃあそんな金一おじさんが、なぜ結芽の名前を知っているの」

「燕の家系に一人の天才がいるって有名になっただろう、もうお墓に名前が刻まれているけどね」

 結芽の口が止まった。結芽は封を閉じてバックに突っ込んだ。

「よく知っているね、おじさん」

「そう、物知りな足長おじさんだ。ここにいるのは幽霊かな、それとも荒魂かな」

 御刀を手にベンチから離れた結芽は、反対側のホームを見つめる金一に警戒した。

 二人しかいないプラットホームに次の電車の案内が鳴った。

「まぁそんなに怯えるな」

「結芽のことを知っている人なんてそんなに多くないし、つけられていたのにはなんとなく気づいてた」

「俺が何のために調べていると」

 金一ははじめて結芽の顔を見た。不気味な笑みを浮かべている。

「ノロを取引するルートを邪魔する奴だから」

「ちがうな、おれはもう取引に関わってない」

「じゃあ、荒魂化した刀使を調べるため」

「あたり、一緒に来てもらえないかな」

「何で、おじさんには結芽と一緒に来てほしいな」

 結芽は刀袋の結びを解いた。

「うれしいね、女の子からデートのお誘いだ。でも君は知りたいはずだ。君が正体不明の不治の病にかかった原因、そして最後まで迎えに来てくれなかった君の本当のお母さんのことを、別の両親の事」

「知っているの」

「誰も教えてくれないんじゃないのか」

 車上の相楽に確かにそれを訪ね、相楽は言葉を濁して真実を言わなかった。

「俺は君と戦う気はない。ただ、多くの真実を知る人に会ってほしい。それだけだ」

 結芽は構えを解いて、刀袋の紐を結び付けた。

「案内して」

 

 夜の心斎橋は大勢の人込みにごった返している。

 その路地に入った、小さな灯りをつけた店は、

『刀剣 青子』と書かれた小さな表札が壁にかけられている。

「ここだぜ」

 店に入ると、奥で古書を読みふける一人の女性が結芽を手招きした。既に御刀は刀袋から出され、その気になればすぐに抜きはらえた。

「いらっしゃい、まさか本当に来てくれるとはね」

「あなた達は何を知っているの」

「あなたの過去のあらかたを」

 やや埃っぽいものの、手入れの行き届いた部屋には、

 御刀を納めた無数の箱が高く積み上げられている。

 奥から茶を持ってきた篠子は、金一が店の表に居ることを確認し、結芽に対するように座った。

「懐かしいわね、その鍔」

 篠子は二羽の燕の彫金を見ながら、ゆっくりと挨拶を始めた。

「私はこの店の主人をしています。青子屋篠子です。はじめまして燕結芽さん」

「単刀直入に聞く、あなたは私の何」

「仇よ、あなたのお父様を殺した」

「それは」

「そして私は幼い赤ん坊であるあなたと、私の友人であったあなたのお母さんに、ノロを打ち込みました」

 篠子はしごく平然と結芽に言い放った。

「私は」

「あなたは半年前、原因不明の病に体を蝕まれた。そして命を絶たれてしまった。その病は、あなたの体内のノロそのものよ、私は貴女とあなたのお母さんを荒魂化の調査のために十年前ノロを打ち込み、生かした。そして、あなた達親子が敵討ちに来て、その力を推し量る予定であったのだけど、特祭隊の精鋭部隊である親衛隊に入ったと聞いた時は全てが証明されたわ」

「も、もう一つ、パパとママは」

「あなたの体内のノロを突き止めようとしたので、殺しました」

 御刀を抜きつけた結芽は、切っ先を篠子の喉先で止めた。

「あんたがパパとママを!」

「あなたの本当のお父様も知りすぎたのよ、青子屋のことを」

「さ、最後に一つ聞く、お母さんはどこ!」

「知らないわ、もしかしたら、あなたの側に居るのかもしれないわね」

「お前を……おまえを!」

 その時、店の裏口から衝撃が起こり、箱が一斉に崩れ落ちた。

 結芽はその暗い中で視界を失った。

 

「出てこい、多田篠子いや、青子屋篠子」

 半壊した入り口を踏みつけながら、梅が赤い瞳を輝かせていた。

「あら恵実ね、でもやっぱりあなたに同田貫は似合わないわ」

「御刀を捨てたお前に言われたくはない」

 単衣についた埃を払い、壊れた箱から二振りの脇差を取り出した。

 そして体を赤い色の写シが包み込んだ。暗闇から突如飛びだした結芽が篠子を突いた。

 だが篠子は首から血を流しながら、結芽をにらみつけた。

(くるっ)

 腹を殴られた結芽は、間合いを引き下げられたのも構わず、

 再び間合いに飛び込んだ。

 が、篠子の離れる赤い写シが刀を伴い結芽に飛び込み、仕方なく梅の隣へと逃げ込んだ。

「梅、あいつ」

「邪魔をするな」

 梅は結芽を外へと投げ飛ばした。

「これは私の戦いだ」

「あらやだ、あの子がどんな子かわかっているの」

「お前らの感情のはけ口にはさせない」

「どうかしら」

 その重たく強烈な梅の太刀が、飛び込んでくる腕を、脇差ごと叩き斬った。

「八幡力、全快」

 飛び込んだ梅は上段から斬りつけるが、右ひざを押す力が彼女の態勢を崩した。

 彼女の膝には赤い写シに包まれた腕が、後ろへと押し込んでいる。

「ほら、こっちだ」

 梅の背中が蹴りつけられ、バランスを崩した彼女はその場に倒れ込んだ。

「またな、お前の娘と一緒にまた探し出しな。そのときには素敵なパーティーになっているからよ」

「金一、待て」

 当然のように逃げていく篠子と金一を外で待ち受けていた、鶴がゲパートGM6の8倍スコープ越しに捉えた。

「逃がさない」

 二発の弾丸を見た金一はあっという間に四つに切り分けて弾道を乱れさせた。さらに飛んできた赤い腕がその手の脇差で対物ライフルを三つに斬りさばき、鶴が車の裏に隠れた時には敵の姿はもうなかった。

 

 後から来た神尾は三人を回収し神戸の旅館に向かった。

 車内は一転、静まり返っていた。

「黒」

「ある男が結芽の全部を知っているっていったの、だから警報を送って奴らのアジトを掴もうとしたわけ」

「実は諜報員があの場所で行方不明になっていたので、ある程度予想はつけてたんです」

「あまり立派な店じゃなかったけど」

「最近もノロを国内外に流していた。そして取引の代理組織は、俺と彦が調べて、警察と特祭隊に情報を流した。だが、本人があそこで潜伏していたとはな、あの青子って店は刀剣愛好家には一見お断りの店だったそうだ」

「黒、その青子屋篠子といた男の名前、わかりますか?」

「うん、はっきり名乗ってた、金一って」

 梅は突然、結芽の襟を掴みかかった。

「あいつ、結芽に接触しやがった……! いいか、黒、もう一度、金一に会ったら逃げろ」

「なんで、あいつらは結芽のパパとママを殺した。本当のお父さんも、だから」

「うるさいよ! 金一はお前みたいな奴とは比べ物にならない実力がある、あんたは死んじゃいけないんだ」

 梅のすがるような目に、結芽はただ頷くしかなかった。



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第二十二話「美炎」

 13

 

 明智鉄道は岩村駅の年季のあるホームを出て、長く続く城下町のゆるやか坂道をひたすらに歩く。

 いくら手分けしているとは智恵は騒速剣を三振、美炎は十束剣と黒漆剣、それに自身の清光。日は暮れだして山々が赤く輝いている。

「さすがにみんなに手伝ってもらうべきだった」

「で、でももう宿を取っているって言ってたから、すぐに休めるわ」

「そう言って~、乗り換えで散々に疲れたのはちぃねぇでしょ」

「美炎ちゃんも人の事言えないわよ」

「あーこの緩やかな勾配が地味にくる」

「わかる」

 高札場のある鍵道で足を休めると、夕陽によって濃いコントラストに包まれる東濃の山々とまっすぐ伸びる城下町が二人の疲れを消し飛ばした。

「きれい、岐阜にこんなにいい場所があるなんて知らなかったわ」

「一度おじいちゃんと来たけれど、こんなに夕陽が綺麗だったんだ」

「ふーたーりーとーもーお疲れー! 3日ぶりだねー」

 美炎は飛び込んできた由衣に振り回されながら、ミルヤと清香の姿を見た。

「ごめんなさい十束剣の移送に神社省からストップがかかって、あと綾小路で黒漆剣の受け取りにも時間がかかっちゃったわ」

「致し方ないことです。それより並べた写真送っていただいてありがとうございます。できたらこの目で見たかったものです」

「そうかなと思って送ったの、喜んでもらえてよかったわ」

「後生大事にします」

「そんなに……」

 二人の到着まで時間があったため、おやつにと松浦亭のカステラを買っていた。

 坂をさらに上った場所にある『右田屋』という旅館の、二階に7人の泊まる部屋が用意されている。

 仲居さんに頼んでカステラを切り分けてもらい、机を挟んでお茶も用意した。

「なんかこうみると大所帯だよな調査隊って」

「ええ、呼吹ちゃんがみんなでいるのを意識してる」

「いつもしてるわチチエ! ったくこういうの苦手なんだから」

「へーそうなんだ。ほらカステラ、あーん」

 あからさまな美炎の行動にこらえて差し出したカステラを食した。

「ん、素朴で、おいしい」

「かわいい」

 由衣のその一言に完全に呼吹はだれてしまった。

「ぐ……か……かわ」

 軽く咳ばらいをしてからミルヤは話し始めた。

「さて、二人も合流して明日から本格的に調査を開始します」

「ようやく本命ですね」

 清香のその緊張感のにじんだ言葉に自然と智恵は背筋を張った。

「実戦になった時の戦術は昨日メールで送った通りに行きます。しかし現状はもしもでしかないので、覚悟はしておいてください」

 全員が呼吸を合わせたように了解と言い、ミルヤは満足そうに頷いた。

 

 ────────────────────────

 

 山の夜風が吹く窓際、美炎は月明かりの下で可奈美へとメールを交わす。

 いろいろと悩み、まだ可能性がある限り御刀の返還は少し伸ばし、その上で先のことを考える。だからもう迷わないと来た。

「よかった、変に悩む可奈美は可奈美らしくないもん」

(不思議ですね。そうやって遠くの人の思いをやりとりできるというのは)

「うん、時々伝わらないけど、ちゃんとわかるときもあるよ」

(口から出た言葉でさえ通じないことがあるのです。私はよい時代だと思います)

「ホムラノチは鬼八を倒したあとどうするの」

(姉を探します。私と同じように生まれた姉で、彼女はあることを目的に別れ別れになって、でももしかしたら生きてるかもしれない。だから会って話がしたいのです。兄弟は他にもいましたが、みんな大地になって存在も意思もなくなってしまいました)

「手伝うよ。おねぇさんを探すの」

(いいんですか、長い旅になるかもしれませんよ)

「大丈夫だよ。どんなに時間がかかっても思いは繋がっていくから」

 と、城山の方角から大きな音が鳴り、全員が一斉に飛び起きた。窓に乗り上げて街を見ると噴煙があがり、町屋に次々と人が出てくる。

「みなさん、着替えたら御刀を持って裏口に集合!」

 五分ほどで裏口に集合し、智恵の腰には長大な漆黒剣と三振りのソハヤノツルキ、美炎の肩には十束剣が掛けられている。

 岩村城跡の大手道に差し掛かったところで川伝いに、長大な荒魂が街へと入っていくのが見えた。さらに山が霞がかり、あの噴煙も白ぼけて見えなくなった。誰もが最悪の事態を予感した。

「騎兵隊とうちゃーくだーっ!」

 そこに息を切らせながら、ライダースーツにジャンパーを着る稲河暁現れた。

 彼女は川を這う荒魂を目にし、バイクに装着していた御刀を手にした。

「稲河さん、どうしてここに」

「嘉納先輩からの依頼だ! 以前も岐阜の山奥で荒魂を発見したときに、美濃関からの派遣に時間がかかったことがあったからな! 親父のninjaでかっ飛ばしてきたのさ!」

 不敵な笑みをうかべながら、腰に御刀を帯びた。

「心強いです。鈴本葉菜! 稲河暁は住民の避難を駐在に任せ荒魂討伐を優先! 残りは鬼八を討つ!」

 

 長い石階段を駆け上がり、霧をかき分けながら石垣の要石が外れた箇所に気が付いた。

「間違いないここだよ」

「え、でも写真ではもっと上だって」

「ホムラノチが言っているの、この中に大きな空間があって、その中央に」

 穴から風が吹き出し、その威圧的な雰囲気を全員は感じていた。

「まちがいねぇ、とんでもねぇ大物がいやがる」

「行きましょう」

 御刀を抜き、穴に飛び込んだミルヤは広大な空間の底に降り立った。

 壁は昼間のように明るく輝き、その中央に六足の巨体に人間の上半身が付いた荒魂がいる。

 体の切れ目からは赤い輝きが走り、手には鋼色に輝く草薙剣の姿があった。六人はその姿に呆然としながら、顔を見た瞬間に智恵は思い出した。半月前に調査隊から二本の御刀を強奪した男だった。

「どうもこんばんは刀使のみなさん、こんなに来ていただいて実に光栄です。私は田中藤次あらため鬼八と申します」

 呼吹は人と荒魂の合体した姿に歯ぎしりをたてた。

「おま、ふざけんな! なんで人と荒魂が一緒になってるんだ!」

 その言葉に田中は小さな笑い声を立てた。

「いいえ神人一体こそが正解。ヲノツチ様から生まれた鬼八頭も神の力を持つ、今は心を一つにし、私たちは完全なる存在に生まれ変わった」

 ミルヤの表情は冷静であったが、叫んだ言葉に怒気がこもった。

「ふざけるな! 陣形展開!」

 最前衛は呼吹、バックアップに美炎と由衣、智恵を最後方に彼女を守る形でミルヤと清香が立った。

 虫の居所の悪い呼吹はすぐさま六足の右前二足を斬ったが、足を巧み組み合わせて呼吹を懐から蹴り出し、背中へ飛び込んだ美炎の振り落としを草薙剣が受けた。由衣は背中真後ろに飛び込み急所のある一点を二回斬り込んだ。

「べらぼう!」

 由衣の眼前には傷口がなく、正面を向き剣を振り上げる鬼八の姿しかなかった。

「め?」

 その一撃を鐔で受け止めた由衣は壁に叩きつけられ、写シが消し飛んだ。螢丸の大鐔が割れ落ちた。

 呼吹は間髪入れず傷口を狙うが、飛び上がった巨体は一回転して彼女を頭上から地へと叩きつけた。だが二振の短刀を盾にその攻撃に踏ん張った。

 「一式ぃ! 神居っ!」

 美炎の炎の一閃が鬼八の体に浴びせかけられた。

 だが、背中は透明な霞の触手に守られ、それは枝のように複数の腕となり美炎の体を殴り飛ばした。

 だが、清香がその隙に背中へ取りつき、傷口をさらに押し広げた。

「今です!」

 清香の声に応えて投げられたソハヤノツルキが傷口に突き刺さり、清香は飛び上がって美炎を抱えるように距離を離した。

 由衣と呼吹が鬼八をはさむように展開し、息を整えた美炎は清光を構えなおした。

 巨体の傷はあっと言う間にふさがったが、ソハヤノツルキが刺さった三分の一ほどの口だけは開いていた。

「効果はある」

 ミルヤの確信の言葉に悠然と刺さるソハヤノツルキへ手を伸ばした。

「おもしろいですね。では抜きましょうか?」

「ダメ!」

 大きく飛び上がった美炎は髪を紫炎に輝かせ、天井近くで鬼八の背中を見据えると清光に炎が纏った。

「三式っ! 神居ぃぃぃっぃぃっ!」

 美炎の攻撃が始まった瞬間、ミルヤは指示を飛ばした。

「山城! 七之里! 飛び込め!」

 二人が鬼八の腹に飛び込み、美炎の放った三連の炎が重なって流星のごとく強烈な散弾となって降り注いだ。

 その衝撃に耐えんと足を張った瞬間をすかさず由衣の大太刀が大きく斬り込んだ。

 鬼八の顔が僅かばかり強張った。

「味な真似を!」

 足蹴にされ吹き飛んだ由衣にかまわず、呼吹は山城の裁いた傷口に飛び込んで斬り続ける。

「瀬戸内!」

 投げ込まれた刀を弾かんと動く鬼八へ、美炎は頭上への叩き下ろしで動きを抑え、呼吹はソハヤノツルキをキャッチし傷口の奥深くに刺し込んだ。

 鬼八の霞が呼吹を傷口に抑え込もうとし、智恵は飛び込んで黒漆剣で霞を斬りさばき、ミルヤは知恵と呼吹を引きずり出すと足蹴を体に受けて壁に叩きつけられた。

【挿絵表示】

 

「下がって!」

 清香は叫びながら冷静な剣運びで霞の追撃を退け、美炎は間合いを離しつつ鬼八の死角に入り込んだ。

 動かない由衣を横目に二か所の傷口を開けられても悠然とする鬼八に悪寒を感じた。

 清香は苛立ちを込めて言い放った。

「化け物……」

 だが鬼八は楽しげに清香を見下ろした。

「それは誉め言葉ですよ」

 ミルヤは無理に立ち上がり、剣を構えた。

「総攻めだ。かかるぞ!」

 鬼八はミルヤたちを無視して、ゆっくりと後ろに振り向いた。

「そうでしょう」

 鬼八は死角から這ってきた美炎を蹴り飛ばし、俊敏な体さばきで一気に袈裟斬りを浴びせた。

 写シは斬られ、出るはずのない血が弾け、清光は真っ二つに折り切れた。

「え?」

 壁に叩きつけられ、彼女はぐったりとうなだれた。

 智恵はたまらず叫んだ。

「美炎ちゃんっっ!」

 四人は呆然となった。あの美炎が、清光が、写シごと斬られた。

 鬼八はその光景に高笑いした。

「これが草薙剣! 文字通りに写シさえ斬りはらってしまう! なんとすばらしい!」

「ざけんじゃねぇぞ」

 呼吹は何度も懐に飛び込み、ミルヤと清香が援護するが、由衣と美炎の攻撃力を欠いた部隊は攻め手がなく、霞による打突が何度も智恵を襲う。滲んだ汗に、呼吸は乱れ、呼吹はついに足蹴を食らって智恵のもとに転がった。

「お返しです」

「呼吹ちゃん!」

 防戦になり始めたことにミルヤの思考は攻めに転じられなくなっていた。

 形勢は既に目に見えるものとなっていた。

 

 

 美炎は家族の記憶の中にあった。母のこと、父の事、祖父の事、刀使の仲間たちの事。流れる記憶の中で自分がなぜこうしているかを思い出そうとする。記憶の波間に揺られ、先が見えない。

 なんだったろうか? 

 私は何をしたかったのだろうか? 

 それらが全て磨り潰れていく。その感触は決して悪いものではない。だが、空しい。

 まるでそれが迎えであるような、心が波間に溶け込み、体は土の奥深くに消える。

「まだだめよ、美炎」

 手を強く引く存在が見えない。さらにもう二つの手が美炎の手を強く握りしめた。

 そのあたたかさを感じた瞬間、大切な人々が彼女の名を呼ぶ。

「そうだ、思いは繋がっている!」

「思いは私を繋ぎ、あなたは私に出会った!」

「帰ろう! みんなの所へ! 」

 美炎の背負っていた十束剣が宙に浮き、彼女の胸から眩いばかりの輝きを放つ炎が立ち現れた。

 彼女は身を起こし、折れた清光を天高く持ち上げると、刀と十束剣が豪火に包まれる。

 鬼八はなに食わぬ顔で美炎を見下ろした。

「何が起きても怖くありませんよ!」

 美炎に向かって無数の霞が襲い掛かるが、振り落とした炎が触手たちを一瞬にしてかき消した。

 立ち上がった彼女の清光は切っ先が修復され、以前ではあり得ない完全な刀になっている。

 炎の渦の中で、紫炎に輝く髪と光彩を放つ清光の刃が揺らめいた。

 状況の転換にミルヤは仲間に向かって叫んだ。

「瀬戸内はこの場で! 六角は山城を叩き起こせ!」

「は、はい!」

 美炎は息を吐き、瞬時に鬼八の正面に飛び込んだ。振り下ろしたその一撃が草薙剣に受け止められた。が、その一撃は鬼八の巨体を押し込み、後足がついに折れた。美炎は間髪入れず縦一文字に炎の嵐を叩きこんだ! 

「神居! 零式!」

「がぁぁあぁぁぁぁ」

 顔を焼きつぶされた鬼八は悶えた。それを狙って呼吹が背中の傷に取りつき一気に斬り広げ、智恵に向かって叫んだ。

「ねぇさん! 今だ!」

 飛んできたソハヤノツルギが傷口に突き刺さり、呼吹はさらにそれを押し入れた。

「やめろぉ!」

 霞が呼吹を殴りつけ吹き飛ばすが、美炎が彼女を受け止めた。

「大丈夫ふっきー?」

「おう、ほのちゃんもな」

 由衣のもとに駆け込んだ清香は叫び呼びかけた。

「起きて! 由衣さん! 起きて!」

「うぅきついよ……」

「今は立って! なんでも一つ言うこと聞くから」

「なんでも一つ……?」

 二人に狙いを済ました霞を蛍丸が一蹴した。

「じゃあ帰ったらデートだぁ!」

 ミルヤはすぐに山城に檄を飛ばした。

「山城! 腹だ!」

 由依はがら空きの腹部に飛び込み、先に刺したソハヤノツルキに沿うように渾身の力で縦一文字に斬りさばいた。

「まだまだぁーあ!」

 傷口に突き立てた切っ先は背中から顔を覗かせた! 

「これ以上は! 小娘ぇー!」

 鬼八は的確に指示を飛ばすミルヤを目標につけた。

 ミルヤに迫る霞の触手は、またもや清香が飛び込んで斬り払い、さらに押し込むように全てを斬りはらった。

 呼吹は死角から背中に飛びき、ニヤリと笑った。

「ここが霞の出入り口だな」

 背中の四つの口を斬られると、猛威を振るっていた霞はただの霧となって消し飛んだ。

「今だ!」

 背中の傷口に切っ先を突き、そのまま清光は鬼八のノロの中枢をあらわにした。

「どぅおりゃあああああああ」

「いっけえええええええええ」

 見切りをつけた蛍丸と清光の刃が上下から中枢機関を断ち斬った。

 鬼八の巨体は崩壊をはじめ、その中を三人の刀使が切り払う。

「なるほど、これが刀使、私は所詮、私でしかなかった、か」

 崩壊し、破裂したノロは壁面に飛び散り、草薙剣と三振りのソハヤノツルキが地に突き刺さった。

 息も絶え絶えに、彼女たちはようやく写シを解いた。

「勝ったよ……みんな、勝ったよ」

 美炎は息を乱し、呼吹に寄りかかってそのまま意識を失った。

 

 通りでようやく百足型の荒魂を切り伏せた稲河と葉菜は息を切らせながら尻餅をついた。

「やったぞ! 毒がしつこいっての」

「おかげで時間がかかってしまいましたね」

「おう! みんなの援護に行こう、立てるか」

「はい、大丈夫です」

 二人が大手道を登り、段々の石垣が並ぶ本丸虎口の階段を降りる六人の姿が見えた。

 由衣が大きく手を振り、二人は彼女たちのもとに駆け寄った。

「お前ら倒したのか大荒魂を」

「はい、一時はどうなるかと思いましたが」

 呼吹の背中で寝息を立てる美炎を見てため息をついた。

「また美炎ちゃんが勝利を切り開いたわね」

「え、服破れて、血もついます!」

「塞がっているんです。恐らくホムラノチさんがほのちゃんを治したのかも」

「さて、鈴本葉菜さん、私の端末が破損したので至急回収班を呼んでください」

「俺がやる! みんなは旅館で休め! 葉菜はもう少し付き合ってくれや!」

「任せてください!」

 夜明け近く、稜線の向こう側は白みはじめ、彼女たちは旅館に戻ると一斉に寝落ちた。

 稲河は旅館の女将に静かにしてやってくれと一言言い置いて、葉菜とともに現場に戻っていった。

 



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第二十三話「姫和」

 14、

 

 昼すぎ、鎌倉駅に可奈美と彼女の私服を着たフードを深く被る少女が降りた。

 地下道は応急修理がなされており、『不用意に御刀を振り回してはダメ!』と書いた張り紙が張られていた。

「何かあったのか」

「あー、ちょっとトラブルがあったらしくて」

「ほぉう、そういうことにしておこう」

 可奈美は誰かに気が付き、その少女に手を振った。

「ひよりちゃーん、こっちー!」

 彼女は怪訝な顔で可奈美たちの前に立った。

「おまたせ」

「なんでお前はいつも…」

「小烏丸の刀使か、半年ぶりなのかのぅ」

「ほ、ほんとうに、そうなのか」

 フードから覗かせた顔に思わず頭を抱えてしまった。

「あーもう! なんであんなに必死で押し込んだのにあっさり現世に帰ってきているんだ!」

「帰れるような状態に戻っている、からでは不服か?」

 顔を上げた姫和はやや雲のかかった空を見上げた。

「もしかして、開いているのか?」

「正しくは層の干渉が深くなっている。今この世界はあらゆる層の力を呼び込める状態にある。それを伝えに来た。あと」

 急に声色が変わり、優しい眼差しが彼女に向いた。

「娘のために動くのは母として当たり前、でしょ? 姫和」

「え、お母さん」

「驚いた? 実はタギツヒメさんの体に乗って二人も現世に来ているんだよ」

 目を点にして、好きにしてくれと歩き出した。

 

 

 本部の局長室に呼び集められた朱音、紫、薫、寿々花、真希、紗耶香はフードを払ったその姿に驚いた。

「久しいの折神紫」

「タギツヒメ…」

「美奈都と篝が言って聞かんのでな、お前たちに危機を伝えに来た」

 タギツヒメは三人に分離し、それぞれに可奈美に話した世界の現状を伝えた。

 あの紗耶香の覚醒がトリガーとなり現世への隠世の干渉が去年の状態に戻っていること、そして富士にノロの集合体が出来つつあることを伝えた。

「またヲノツチか」

「ヲノツチ? なるほど我と同じ万物の概念体か、ノロを生み出せるなら炎の権化といったところか」

「そいつが隠世のあらゆる層から力を抜き取っているんだよ、タギツヒメがしたようなことが現世でまた起きてれば、異変だってすぐにわかるわ。それにまた御刀の千鳥を通して魂が共鳴、私が復元された。実は篝も小烏丸、タギツヒメも紫の五剣から同じように復元されたんだ。なら、これを使わない手はないと思ってね。現世に降りてきたわけ」

「では美奈都さん、また大災厄が起きるんですね」

「そう! 今度のも江の島の時に引けを取らない大災厄が」

 

 ────────────────────────

 

 その日の夜、ついに遊撃隊全員呼集の号令がかかった。

 〔美炎ちゃんたちも招集が? 〕

 〔うん、まだ鬼八を倒したばかりで落ち着かないけど、ホムラノチさんが急がないといけないって言いだしたから、本当に大変なことが起きる気がして〕

 〔うん、タギツヒメが現世に降りてきてからやっと実感が沸いたの〕

 〔でも可奈美は〕

 〔…まだわからない。タギツヒメは前に居れば道は開けるって言っていたけれど〕

 〔か・な・み! またウジウジしてるよ! 〕

 〔あ! 〕

 〔いいから! ぶつかれば答えは出るんでしょ! 諦めないで! 私は何度だって可奈美に言ってあげるから〕

 〔ごめん! 悪い癖でちゃった! 〕

 〔それじゃあ、また後でね〕

 〔うん〕

 脇に居た姫和は電話を終えた可奈美に目を向けた。

「私は反対だ」

「怪我したらみんなの足並みが乱れるし、それに今度のも簡単にはいかないから」

「なら」

「ありがとう、でも私の気持ちは変わらないよ」

「…馬鹿」

 黙って控室を出た姫和は庭先に出ると、欠け出した月を見上げた。

「今度はダメなんだ、なぜそれがわからないんだ可奈美」

 と、彼女の前に紫が五本の御刀袋を携えて現れた。

「紫様」

「姫和、お前が先鋒だろう。そのために必要なものを渡す。ついてこい」

 彼女は紫についていくまま、あの御前試合会場に来ていた。

「一年前だったな、あの日タギツヒメに反旗を翻し、全てを正すきっかけになった。私は姫和に感謝している。ありがとう」

「い、いえ、私は全てを分かっていたわけではありません。仲間がいなかったら今頃は」

「そうだな篝」

「ええ」

 顔を出した篝は目を丸くさせる姫和の傍に着いた。

「どうして一緒に」

「あなたに力を託すためよ」

「力?」

「私の心にはもう一人いるのわかるかしら」

 混乱する姫和に見覚えのある声が彼女にかかった。

「面倒だが私を守ってくれたもののためだ。今一度、力を貸すのは当然であろう」

「イチキシマヒメか!」

「母と私と共に戦ってくれ、必要な力は私たちが技術は紫が教える」

 姫和は静かに目を閉じた。可奈美を前に出させないためにはこれしかない。

「分かった」

「姫和、手を!」

 篝は姫和の手を握り、体は白い輝きとなり娘の体を包み込んでいく。やがて体に光が溶け込むと、無数の雷が起こり、天高く登った。

 姫和の左目には青い雷光輝きが宿った。

「よし再び神人一体となった。だが小烏丸だけでは本物には対抗できない。だからこそ」

 刀袋から獅子王・丙子椒林剣・数珠丸・骨喰藤四郎・鬼丸国綱が出され、姫和に全ての御刀と繋がれと呼びかけた。

「タギツヒメはノロの力で強引に御刀の力を引き出していた。だがお前なら六本の御刀と繋がれるはずだ」

「私にできるのか」

「できる! 意識を集中させろ! 声に!」

 それぞれの声、繋がる心、かき乱されそうになる精神に焦る。だが大丈夫だと、篝は姫和の背に額を当てた。

(小烏丸が知っているよ)

 雷に導かれた御刀たちが彼女の周囲に纏い、結界のごとく彼女の傍についた。

「ありがとう小烏丸。お前が私を見ていてくれたんだな」

 紫は頷くと、自身の大包平と童子切安綱を抜きはらった。

「香取神道流は?」

「皆伝はまだだが、両刀術は全て」

「なら結構だ」

 

 



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第二十四話「飛燕」

 前が分からない、でも世界は真っ赤に、黒く燃え上がっている。

 ひどく鼻をつく、目も鼻も開けていられない。

「私もこんなの初めてだもの、初めてだから困惑もするし、心配もする」

 赤く燃え上がる街の中を、黒い灰にまみれた少女が結芽に語り掛けた。

 そして突然に世界は、穏やかな景色を取り戻した。

「繰り返される記憶の世界で、私だけが時間を重ねている。あなたの中で意識を取り戻してから」

「あなたは誰なの」

「名前は分からない。ただ、あなたの御刀の片割れというべきでしょうか」

「御刀、ソハヤノツルギの」

「そう、三池典太光世作、ソハヤノツルキウツスナリは兄妹刀であったのだけど、長い時間の中で別れ別れとなってしまった。一振りは貴女のソハヤノツルギ、そしてノロとなってしまった太刀のソハヤノツルキウツスナリ」

 黒髪の少女が手に持っていた脇差を見せた。

「そっか、ソハヤノツルギを手にしたときに声を掛けてきたヤツ」

 結芽のいきなりの抜きつけを、少女はあっさりと受け流した。

「ふざけるな、お前が、お前が私に」

「本当に私のせいだと思う」

「っ、うっさい」

「あなたの体に残っていたノロは貴女に力を貸さなかった。それどころか全身を破壊しつくし、あなたを食い尽くそうとした」

「あんたもそうなんでしょ!」

「そうなら、今さらあなたの望みを叶えたりしない」

「私の望み」

「生きたいのでしょ、貴女はあなたを取り巻く人たちと少ない時間をもっと、長く過ごしていたい。そして、刀使として胸を張りたい。なら私をどう使えばいいのかしら」

「え」

「決めなさい、あなたの事、わたしの事、そして貴女の母親のこともね」

 景色が霞み、何層もの虹の中を体が抜け、そしてゆっくりと白い世界が目に写った。

 窓から差し込む朝日に目を細め、ベットから体を起こした。

「黒! 大変です」

「どうしたのぉ彦」

「梅さんがいなくなりました」

「え」

 

 ────────────────────────

 

 大尉の部屋には彦こと国府宮鶴と結芽、それに神尾大尉もいた。エミリーは電話のために部屋を出ていた。

「あいつのコードネームの梅は、梅根性の『梅』だった。青子屋をもう十二年も追い続けているあいつが、とうとう一人で行ってしまった」

「ねぇもう隠すのはやめてよ」

「……まぁ黒と彦がいれば当面は」

「お母さんは! お母さんは、なぜここに来たの?」

「結芽さん」

 喋りそうになった鶴を神尾は止めた。

「黒、いや結芽。あいつは俺に見つけられた時には死んでいたんだ」

 立ち上がった結芽の顔を神尾はじっと覗き込んだ。

「禍人の捜索をしていた時に恵実の存在を知り、ちょうど三年前に見つけたんだ。体のあらゆる場所からノロが流れ出し、心臓はとっくに止まっていた。だったが」

 彼女は喋り、神尾に縋った。娘がまだ生きている。だが彼女もいずれ自分と同じ運命を辿る、夫の復讐のため、娘のために自分は戦い続けなければならない。まだ殺さないでくれと、彼女は涙を流して彼に縋った。

 それから特五に刀使の隊員一号である恵実、コードネーム「梅」が加わった。

 彼女は既に荒魂そのものだったが、彼女の頑強な精神とそれに応えた御刀が彼女の肉体を保持していた。

 十三年前、結婚から翌年には妊娠、出産を控えて夫は帰りが遅かったが、祖母らが彼女を支えた。

 そして一年後に無事に女の子を出産した。

 それから二年、子育てや家事に追われながら平穏な日々が続いた。

 だが、青子屋の事件が解決し、転属を願い出た恵実の夫は自宅で殺された。

 青子屋は警察によって崩されたのではなく、内部抗争によって自壊していた。そのことを知っていた恵実の夫は最後の残党狩りをしていたが、

 結果として後を付けられ、恵実と娘の前で殺された。体はバラバラにされ、さらに途中で帰ってきた母そして父をも惨殺した。

 その主犯格の三人、田中藤次、青子屋篠子、彼女の道場での兄弟子だった日枝金一。恵実と娘は奴らの持っていたノロを打ち込まれた。

 恵実は娘を義妹夫婦に預けた。

 だが、九年後、その娘はノロによってついに病に倒れた。すくすくと育ち、刀使となった彼女のことを知っていた。だからこそ、治す手立てはないかと、自身の先輩である相楽に手紙を何度も送り、頼んだ。

 だが娘を見ていたのは自分だけではない、青子屋も彼女を監視し続けていた。

 義娘夫婦が娘の病の原因を突き止める方法を探し出したタイミングで、それを阻止するために抹殺した。

「パパとママを」

 神尾はためらいながら頷いた。

「二人に会うために来ていた恵実は、家で惨殺された夫婦を見つけた」

「そんな、そんなの」

「そして娘を救う方法もないまま、相楽はノロでノロを押さえつけたが、それも長くなかった」

「お母さんを一人にしたのは、結芽」

「だが、だがな、恵実がお前の墓に来た時、そこでお前を見つけたんだ。あいつは特五でどうにかするって言って聞かなかった」

「恵実さんは今のような気さくさは、ほとんどありませんでした。もっと殺伐としていたのが、あなたがここに来てから一変して、明るく振舞うようになりました。あなたがいることを喜ぶように」

 鶴の懐に飛び込んだ結芽は、どうしてと、どうしてなのかと何度も叫んだ。

「なんで、こんな形でしか出会えないの? 会いに来てくれればよかったのに、なんで、なんで」

 入ってきたエミリーは大型のトランクケースを持ち、その後ろにはリチャード・フリードマン博士がついていた。

 泣きはらした結芽をみてエミリーもためらったが、咳払いして卓上に二つのケースを置いた。

「はじめまして神尾大尉、刀剣類管理局荒魂研究所『舞草』のリチャード・フリードマンだ」

「ええ、いや、ようやく会えましたね」

「GHQに居た頃に君たちの存在を快く思っていなかったが、今は一番頼りにしている存在だ」

「ありがとう、前任者たちもその言葉に喜ぶでしょう」

 顔を拭った結芽は不思議そうにフリードマン博士の顔を見た。

「結芽」

 神尾の呼び声に結芽は立ち上がった。

「どうする? お前次第だ」

 あの夢のなかでの言葉が甦る。余りにも重くのしかかった事たちがパズルのピースのように綺麗に当てはまっていく。だが彼女の心はもう決まっていた。

「結芽は刀使としての本分を果たして、お母さんを安心させたい」

 その硬く決意した瞳は、その小さな体に入れ込むには余りにも大きすぎる過去が見えた。だが悲壮感はない、彼女は背負うと決めたのだから神尾は自分ができることは全てなさねばと、固く、固く心に誓った。

「なら使え」

 神尾は結芽へトランクケースを差し出した。

「ここにある全てを糧に進め、燕結芽」

「はいっ!」

 




 彼らの物語が始まろうとしている。
 彼らから始まる長い物語が始まろうとしている。
 心の奥に秘めた願いが、再び人を傷つけ、そして繋げる。
 残酷なまでの運命に命は宿り、続いていく。
 春を越え、夏に笑い、秋に憂い、冬に想う。
 そして桜は花をつける。
 
 めぐりくる季節に思いを乗せて、風は流れる。


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第二十五話「出撃」

 15、

 

 

 富士樹海の深い闇の中に白木の小さな社が建ち、その扉を開けた赤い髪をおさげに結んだ少女は、二本の宝剣を侍らせて階下の赤い輝きたちを見下ろした。

「ご苦労だ、今宵ついに儀式は完成される。邪魔者は確実に来るのだろうが我は一切関知しない」

「はい、ヲノツチ様、下々の相手は我々の仕事であり、本望であるゆえ」

 赤い光の中からゴーグルをつけた有群が進み出てきた。

「人はすでに新たなる段階に踏み出している。私の願いは既に達せられました。なればこそ、感謝を込めてこの一万二百体の人工荒魂の軍団をヲノツチ様に献じます」

「ほう、呪いを打ち出すのもいるのか、期待通りだ」

 体は宙に浮かび上がり、彼女は八千剣を手にその切っ先を富士の山頂へ向けた。

「さぁ、はじめよう『復讐』を!」

 

────────────────────────

 

 薫は鎌倉本部講堂に終結している全刀使を終結させた。

 まず遊撃隊の真希小隊、寿々花小隊、紗耶香小隊、新設の姫和小隊、これにミルヤを隊長とした調査隊を入れた四個小隊をまとめた一個中隊が主力となる。

 バックアップに本部警備隊二個小隊、鎌府女学園一個中隊、美濃関学園一個中隊、綾小路武芸学舎一個中隊、平城学館一個中隊、長船女学園一個中隊。警視庁対荒魂機動隊一個中隊、自衛隊中央即応連隊からレンジャー隊、防衛省第五特殊作戦班一個小隊。関東、甲府、東海地区の管理局支部の回収班および医療・補給班が後方兵站を維持、他の刀使は通常ローテーションでの任務遂行を厳命。

 マイクを手にした薫は隊員たちの顔を見回し、話し始めた。

「ここに集められたのは刀使の中の最精鋭中の最精鋭だ! 対災厄要請で出動してくれた中央即応連隊レンジャー隊には感謝に堪えない! 俺たちはこれからタギツヒメと同レベルの大災厄に立ち向かう! だが今の俺たちは違う! 二つの大災厄を三世代に渉って耐え抜き! 勝利してきた最強の世代だ! 家族のため、親しい人のため、仲間たちのため、そしてこの世界を生きる次の世代のために! 俺たちは必ず勝つ! いくぞお前ら! 特祭隊総出撃だ!」

 講堂中で木霊する奮起の叫びを聞き、薫は鼻息を荒らげた。

 

 目標は富士樹海、そしてヲノツチのいる富士山火口。

 各員が次々と乗車していく間、可奈美は薫を呼び止めた。

「可奈美、お前は来ちゃいかんだろ」

「でも、きっと役に立てるから、お願い」

「んーどうしようかねね」

 尋ねたねねはしばらく考えて、可奈美の目をじっと覗き込んだ。

「ねー! ねねねねっー!」

「おうそうか、じゃあ可奈美には遊撃中隊本部ねねのお守り役に任じる。行こうぜ」

「ありがとう!」

 可奈美の頭に飛び移ったねねは真希たちがあるものを持っているのに気付いた。

「薫隊長」

「お前らどうしたんだ」

 真希は赤に金色の五箇伝バッチのつけられたベレー帽を手渡した。

「さっき真庭副指令から」

 真希、寿々花、紗耶香はベレーを被り、最後に薫がベレーを被った。

「うん、みんなカッコいい」

「紗耶香もだぞ、似合ってるじゃねぇか。さてと」

 感慨深そうに四人と一匹の顔を見回し、大きく頷いた。

「行こうぜ!」

 

────────────────────────

 

「じゃあかなねぇはお留守番か」

 ねねをいじくりまわしながら結芽は可奈美に尋ねた。

「それで終わればいいけど、なんとなく悪い予感がするの」

「当たりそう! 気を付けよ!」

「ねぇ~」

 ここは富士山青木ヶ原樹海のリゾート地にあるスキー場のレストラン。オフシーズンだがオーナーの好意で現場の本部施設となっている。

 刀使たちは小隊単位、GPSで各コースを正確に探索、敵発見次第通報の作戦で進行していた。

 その証言者として家弓花梨がおおよその位置を感覚で示した。彼女はヲノツチからの導きで社に辿り着いていた。その位置を裏付けるようにレンジャー連隊の指揮官が以前に朽ち果てた祠の存在を示し、探索ルートが確定する。

 各小隊に自衛隊のレンジャー連隊隊員が付いて行動している。

「荒魂が現れました! 西のF班が矢吹型に遭遇したそうです」

「ん~いっぱいいるやつか、虎の子だが結芽行ってくれ」

「諒解、西F班の救援に向かいます」

「頼む」

 よろめくねねを可奈美の肩に乗せてやると、結芽は黒い和風のS装備に防刃使用の羽織を着せられた。

「私が改良したS装備更改です! 対御刀を想定した防刃装備に加え、ノロと人体の親和性を個人に合わせて調整することで、装備持続時間を丸一日に延ばすことに成功させた傑作です。燕さんのおかげですよ~」

 エミリーはスマホで一通り写真を撮ると、御刀を結芽へと手渡した。

「実戦データーを楽しみにしてます!」

「はい、はーい、行ってきます」

 写シを張り、結芽は西側へと一気に飛んでいった。

 だが薫は机の上に置きっぱなしにされた携帯に気が付いた。

「あいつGPS端末忘れやがった。梢、無線でバックアップ! 通信機のマーカーが使えるからそれで誘導」

「はい!」

「あと隣区域のE班の玉城に状況を知らせて警戒させろ」

「やってます!」

 その携帯を可奈美へと渡した。

「後で渡してやってくれ」

「はーい薫隊長!」

「ねねーっ!」

 

 ほぼ中央を進むC班は富士スバルライン道に差し掛かり、そこで一人の男性が立っているのに気がついた。

「そこの方ーっ、避難指示が出ているんですよーっ!」

「知っているかね? 生み出したら、それを消費せねばならないのだよ」

 有群の顔に気が付いたエレンは急いで下がるように指示した。

 反対側から六角の顔を持った荒魂が突進し、三人を吹き飛ばした。

「構えてください! 応戦しまース! 丸山さんは三人をお願いします!」

「まだこれだけではない」

 有群の後方を打突面獣と一隊となった矢吹荒魂がふもとに向かって突進していく。

 その数は一千をくだらない。

「これは……クレイジーでーす……本部こちらC班!」

 応答した播めぐみはすぐに進路をモニタリング、隣D班も確認し迎撃を求めてきた。

「このルートだと間違いなく本部狙いですね。エレンさんは千は間違いないと言っているのでここは壊滅しますね」

「やれやれ……各班長に伝えてくれ……中隊本部班は出撃する。指揮は……」

「私がやる。待たせたな薫」

「せんせ……いや、おばさん」

「わざわざ訂正せんでいいんだ!」

 真庭紗南はすぐさま状況をめぐみから説明され、指揮に入ると宣言した。

 薫は隊員をまとめて先に前線へ向かわせると、可奈美にねねを任せるといった。

「実はな、ねねは可奈美が切り札だから置いてくなって言ったんだ」

「え、でも今の私は」

「ねね、可奈美を頼んだ!」

「ねっ!」

 そういうと祢々切丸の鞘を打ち払い、前線へと飛び込んでいった。

 



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第二十六話「雷切」

 

 荒魂の軍団を確認した姫和と紗耶香のAとB班は真庭からの合流の指令を受け、スバルラインの前で顔を合わせた。

 だが道路沿いに待ち伏せしていた矢吹型は班めがけて矢を射かけてきた。

「これじゃ向こうに渡れない」

「私が飛び込んで足を封じれば」

「ダメ! 不用意に出たら摩滅するだけ」

「ならどうしろと!」

 と紗耶香と姫和が言いあいしている間に隊員の一人が指をさした。

「人が飛び込んできた!」

 あっという間に矢吹型が倒され急いで向かった姫和たちの前に皮膚の間に琥珀色の輝き、頭から角を生やした梅こと恵実が立っていた。

「恵実さん……なぜここに」

 恵実は正面を向き、道路の坂を上ってくる人影に切っ先を向けた。

 その単衣に一振りの長脇差に合口、そして全身を包む赤い影が怪しく光っている。

「あんたらは、あんたらの目的を果たせ」

「しかし」

「私の分まで結芽を頼みます」

 飛び出していった恵実から目をそらし、進もう! 姫和はそう叫んだ。

 

 F班を阻んでいた荒魂に飛び込んだ結芽の動きは実に警戒であり、迅移を発動しながらの機動は班員たちの目にとめることができない。

「こいつがラスト!」

 最後の一体を切り伏せ、班員へ手を振った結芽は森の奥から来る気配に警戒した。

「どうしたのですか結芽さん」

 寿々花が追いついてきたとき、その奥に樹木の色ではない建物のシルエットが見えていた。

「もうここまで来ちまったのか!」

 その声に寿々花は周囲を見回したが姿は見えない。

「さすがの博士自慢の荒魂軍団でも恵実の娘ひとりを止めることは無理か」

 建物のシルエットに交じって日枝金一は姿を現した。

 結芽は強烈なまでの憎悪が沸き出した。

「あいつが、お母さんを、パパとママを」

「結芽さん!」

 寿々花の叱責に結芽は一度深呼吸をした。

「あいつは青子屋の幹部、日枝金一。あいつは私が相手する」

「いいのですね」

「もちろんだよ、さっさと倒してきちゃうから先に進んで」

「必ず追いついてきてください」

 別の方向から社に向かった寿々花を背に、結芽はゆっくりと金一の前へと進み出た。

 写しを張った結芽は直刀を肩に抱えたままの金一に切っ先を向けた。

「なるほど」

 目を赤く光らせる金一の刃が結芽に走った。

 しかし、結芽は受けつつ、金一の押す力を利用して彼の隙を誘った。

 だが振り下ろされた結芽の一閃は受け止められ、当たり前のように彼女を振り払った。

 そして迅移を越える縮地の一撃が結芽の突きと払いをいなす、間隙を与えない結芽の剣を何食わぬ顔で流していく。

「懐かしいなぁ、恵実との稽古をを思い出すよ」

「ふざけるな!」

「あいつは俺の妹弟子で、おれは兄弟子」

「ならなんでお母さんを! パパとママを!」

「ノロはとても魅惑的でね」

 結芽の金剛身と八幡力を組み合わせた一撃が根を切り裂き、そのまま逆袈裟を斬りにかかると、流されつつ上段からの重い一撃に相殺されて鍔迫り合いになった。

「縮地! 素敵な能力をノロはくれたんだ。そうだろ!」

「紛い物だ!」

「なら、なぜ俺は生きてる! なぁ燕結芽!」

 結芽との間合いを強引に離した金一は、直刀の肌に彫られた金剛迹の刻印を見せつけた。

「男が刀使になるたった一つの方法、それはノロを身に宿し、御刀の力を支配し守護する。密教から伝わる悪魔祓いの方法さ。大昔に封印されたが、うちの篠子の姐さんがヲノツチと一緒に見つけ出してね」

「そんな禁術で御刀を従わせた力を! 結芽は否定する!」

 金一は額から赤く穿たれた角を出し、その瞳を赤く輝かせた。

「んなら俺に勝ってからそうしろよ」

 だが憎悪そのものの恵実とは違う澄んだ瞳に、笑みが立ち消えた。

 金一が飛び込んだ瞬間を見る前に返しの剣を走らせ、木を足場に三次元のなかで剣が駆ける。

 あのノロの力を使った以前の感覚に近い、しかし結芽の剣はより素早さを帯びている。

(そっか)

 金一が刃を受け止めにかかった瞬間、僅かながら八幡力を使い直刀を弾き、金一の左手を突き裂いた。

 彼の表情に一瞬の焦りが浮かんだ。

(結芽の剣はまだ先に進む)

 彼女の瞳は彼の縮地を完全に見切り、その額に一閃が打ち込まれ、彼は勢いを失した。

「嘘だろ」

 金一の突きを一歩引いていなし、代わりに三段突きで押しながら彼の剣を払いのけ、のけた瞬間に左腕の骨を断った。

 結芽の後方を飛ぶ自身の左拳を見て、逃げるように間合いを離そうとするが、彼の背首に切っ先が突き抜け、結芽は彼の真後ろに立った。

 晴眼ではなく、やや左に寄った平晴眼の構えで金一と再び相対した。

 息こそ荒げないが、金一は自我をノロに浸食させたため、激しい感情による体の赴く先をコントロールできなくなっていた。

「くそ、力だけ寄越せ」

「どんな代償を払って得たところで、本物の力じゃないない限り力に飲まれてしまう。お前はもう結芽に負けたんだよ」

「負けた? それはお前の方だろうが!」

 金一が踏み出す一寸前、上からの突きが彼の体勢を崩し、三段の突きが彼の急所を正確に突いた。

 力なく直刀を落とし、結芽は最後の突きを引き抜いた。だが金一は彼女の胸元を掴み最後の力で小さな隠世への門を開いた。

「お前も連れていく、全ての命の行きつく場所! 死の根源へ!」

 金一の狂った瞳が結芽を見た時、その荒魂の腕が彼女を隠世の門に引きずり込んだ。

「嫌だ、私は、結芽は!」

 遠ざかる景色に母の顔が重なり、そして世界は闇に包まれた。

 

 

 16、

 

「燕結芽! マーカー消失! ありえません!」

「結芽ちゃんが」

 立ち上がった可奈美は富士山から中央の方からの轟音に気付いた。

 樹海を深くまで突破しつつある群は前へ、前へと進み出てくる。

 中央で応戦する薫ら7人の刀使とレンジャー小銃分隊5名は、その次から次へと来る荒魂に飛び込んでいく。

「佐藤分隊! 各員の特5.56の残弾は!」

「60!」

「60と15!」

「スタマグ60!Pマグ30!」

「弾帯に24! 拳銃弾24!」

「俺は30……おい中村! スタマグ1個よこせ! あの子たちは最前線だぞ!」

 薫は体力を振り絞り、打ち廻りで打突面獣を根こそぎ切り倒していくが、6人の援護が回り切らず、矢傷を負って木に隠れる。

 珠鋼の力を吸収させた弾丸が彼女を援護するが、既に六波の波状攻撃を退け、体力も弾薬も底を尽き始めていた。

「ちくしょう……もうひとっ! 踏ん張り!」

「まて薫隊長! 息が荒いぞ!」

「だめだぜ、なんとしても本部を守らなきゃ、あいつらが市街地へ一直線に行っちまうのは! 避けなきゃいけねぇんだ!」

「分かった! もう一度射角を確保してくれ」

「頼りにしてます……!」

 写シを張り、一気に飛び込んで前方をかき分け進む三体の打突面獣を斬り飛ばした。

「きぇええええええええええええええええいああああああああ!」

「今だ!」

 二脚を立てての全力射撃が浴びせられ、駆け降りる矢吹型は次々と部位が弾け倒れていく。その光景に奮起されて木を盾にしながら刀使たちも次々と矢吹型、百足型を切り倒す。

 だが正面から来た一体の打突面獣に殴り飛ばされ、薫は本部目の前の芝生に投げ出された。

 既に本部は眼前、紗南は起き上がろうとする薫へ進み出る巨大な鹿型の荒魂を見上げた。

「まだ……だ……こいつが……たぶん……親玉」

 写シを張るが、目の前が霞む。

 角には紫に輝く瘴気が集められていく、それをまともに食らえば写シを貫通し薫は死ぬ。

「薫ーっ逃げるんだ―ぁ!」

 叫んだ真庭の目に薫の前に進み出る可奈美の姿が見えた。

「馬鹿ーっ! 今のお前じゃ無理だーぁ! 衛藤ーっ!」

 薫は見覚えのある背中にかすれかすれに怒気を張った。

「どけ……おまえは……おれが……」

「ありがとう薫ちゃん、みんなのおかげでやっとわかった」

「ねねーっ!」

「うん、ねねちゃんはここで薫ちゃんを守って」

「可奈美ぃ! 写シがないのにどうするんだぁー!」

「いらないよ、そうだよね千鳥! いや雷切丸!」

 放たれた瘴気は可奈美の振り落とした一閃で完全に消し飛んだ。

 写シを張っていない、だが可奈美の刀使としての力はある。飛び込んだ可奈美は一撃を受けながら、返し刃で鹿型の胸にある赤羽刀を断ち切った。

「どういう……ことだ」

「写シが消えた時、写シがなくても怪我がほとんどなくて、むしろ治りが早くなってたの。酒田の時に折れてたはずの鋤骨がそっくりそのまま治ってたのもこれが理由だった。私の体が御刀そのものになっている、今はそう思える」

「じ、じゃあ千鳥は」

「千鳥は不要になった写シの力で、今みたいにエネルギーそのものをかき消せるようになったって言ってるから信じたんだよ」

「雷切の能力が完全になった……? 写シのいらない体だから……? はぁー、なるほどわからん」

 可奈美は迅移さえも発動し、後ろに控えていた二体の打突面獣を切り払った。

 その光景に本部人員は呆然と眺めていた。

「衛藤にあんな力が」

「あの子はもう刀使を越えてる。剣の精霊、人が進める次の進化形態」

「美奈都先輩!」

「や! 紗南! タギツヒメとあの子たちを助けに来た。けど、たぶんいらないかな」

「精霊になるって、はぁまた分からないことが増えた」

「まぁまぁ、あの子がそれを背負うと決めたんだから、その覚悟に報いなくちゃ、じゃ元気でね!」

 美奈都の体は霧となり、可奈美の体に纏うと巫女の装束へと姿を変えた。

「あれは美奈都先輩の祭祀礼装・禊じゃないか!」

 装束は矢をことごとく跳ね返し、矢と共に来る瘴気や毒をその身で弾きながら群団の先頭を斬りはらった。

 勢いづいた部隊は一気に攻め込み、残りの荒魂たちを倒した。

 合間をぬって薫のもとに戻ってきた可奈美は、彼女を守る巨大化した祢々を見上げた。

「やったよねねちゃん! ねねちゃんの言う通りだったよ」

「ネネェー!」

「あは、あははははは、切り札か、下手したら人類の切り札だな、こりゃ」

 可奈美の手に掴まり起き上がった薫は、安心したように息を吐いた。

「行け、後ろは任せろ」

 互いに拳を合わせ、祢々とも拳を合わせると飛び上がって梢づたいに富士山へと向かっていった。

 可奈美はその身の巫女装束に手を置いた。

(わたしからの贈りものだよ可奈美)

「ありがとうお母さん、今行くよ姫和ちゃん、結芽ちゃん!」

 

 



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第二十七話「昔話」

「他愛ない」

 寿々花は階段の壇上に立つヲノツチを目の前にして体を起こせないでいた。

「なんて……強さ……」

 剣を従え、軽やかに歩み出した足はあっという間に富士の山を駆け上っていく。

 あたかも少女が野原を駆けるような、現実離れした光景を見ながら寿々花は無線のスイッチを入れた。

「申し訳ありません……ヲノツチは私たちF班を倒し、富士山頂へ向かってます」

 応戦していたA・B合同班の紗耶香はその知らせを聞き決意した。

「姫和、行って! ここは私たちが抑える」

 彼女も既に覚悟あってか、紗耶香の両肩を叩き、笑顔を見せた。

「行ってきます」

 進み出た姫和の周りを佩いていた御刀たちが包み、姫和からの雷が隊の前方を占めていた荒魂群を焼き払った。

 

 一歩を踏み出したと同時に姫和の姿は見えなくなり、紗耶香たちの眼前には尾を引く雷光の輝きが見えた。

 その時、富士山はにわかに光に包まれ、火口を中心に花が開くように琥珀色の輝きが八弁の亀裂から漏れ出した。

 家弓花梨は本部棟からその光景を見ていた。

「ヲノツチ様はホノカグツチ神の仇を討つ願いをかなえるために、ノロに自身の炎を宿らせ、富士の山に巨大な噴火口を形成しようとしている。最初の噴火でできた火口の約十倍の規模の火口。それは文字通り、日本列島いや世界を噴煙に包み込み」

「大氷河期を招く」

 真庭紗南の言葉に花梨は頷いた。

 

 ────────────────────────

 

 あれは20年ほど前

 

 昔はたしかに平凡な女子中学生だった。

 

 江戸期から大阪で刀剣鑑定をしてきたという多田家に生まれた私は、自然と家に出入りする人々から剣を習い、そして鑑定の知識を養ってきた。当然、自分も鑑定士になると疑わなかった。

 

 そんな私が刀使としての道を歩み始めたのは、近所に住むある少女の誘いであった。

 

 中学二年生になるまで、刀使などというものに気を留めることもなく、先のことなど一寸も考えが及んでいなかったのだから至極当然のことだろう。相模湾岸大災厄も遠い世界の出来事に思えたくらいだ。

 その少女というのが私の一つ年下で、近衛武道館という道場の一人娘、明るさだけが取り柄でしかないような女の子。既に綾小路に入学し刀使としての一歩を踏み出しており、名前を恵実という。

 

 あれは二年生の終わり、冬の寒さが足の裏を直に伝う年明けの一月の日だった。

 

 久しく帰省していた恵実が道場で形稽古をしていた私に声を掛けてきた。さほど言葉を交わしたこともなかったので、お互い困惑しつつ恵実は一つの話を切り出してきた。

 

「篠子さん、刀使になりませんか、あなたのような剣士が今の日本に必要なのです」

 

 あまりに唐突な始まりだった。

 

「私が刀使なんてありえないわ、あなたが居れば事足りるのじゃないかしら」

「いえ、今でも荒魂は増加傾向にあります。荒魂が人を殺す事件も発生しています。一人でも多くの人たちを守るには、一人でも腕の立つ刀使が必要なんです」

「そうしたら、私に刀使の素質があるというのかしら」

「はい」

「にわかに信じられないわね」

「なら私と立ち会えば分かりますよ」

「嘘おっしゃい、あなたとは何度当たっても私は勝てなかったじゃないの」

「それは何度も勝ちを拾っただけなのであって、私は篠子さんに何度も倒されかけました。今から一本勝負をしてみればわかりますよ」

 そうして私は彼女との立ち合いに勝利した。

 彼女は決まったように逆袈裟の一太刀を打ち込むタイミングを、何度も同じ瞬間に打ち込んできた。そこに刃を添えて返すだけであった。

 今まで勝つことのできなかった相手は、私よりもずっと私自身の死角を観察して、しかし自身の太刀筋を変えられずに私の即応の一太刀を受けてしまったのだ。

「言った通りでしょ、私はまだまだ未熟者です」

 

 何となく大きな存在に感じていた彼女が、等身大の少女となって私に万弁の笑みを送っているのである。

 

「分かったわ、考えてみる」

「はいっ!」

 

 それからであった。

 

 父が鑑定業の傍ら、裏社会の人間として大阪に縄張りを持つ青子屋の元締めであることを知った。

 むしろ後者が本命であるのは間違いなかった。

 いつからか知ってはいたが、刀使になることを快く思わなかった父がその事実を自らの口で語らなければ、私は後の事を引き起こすことはなかっただろう。その細面にくっきりと沈み込む両眼が、私を深く覗き込んだ。

「篠子、それでええなら刀使になってもいい、ひいばあ様も刀使だったからな、だが青子屋は刀剣類管理局とは犬猿の仲や、お前がどない扱いを受けようと、わしは知らんぞ」

 昔から私を娘とも思わぬ態度は、父自身が未だ母を許していない証であった。出入りをしていた舎弟と寝た母を恨み、私に繰り返し母を殺したのは自分であると言っていた。

「お許しさえいただければ一向に構い立ていたしません」

「ふん、やはりお前は母に似た、ようワシに歯向かおうとするところが特にな」

 私が四つの頃に亡くなったという母は、プライド高く、いつも私から目を背け、母親らしさは微塵も感じられなかった。

 

 父が母を盾にして父親面をしているのが、ばかばかしくて仕方がなかった。

 

 そうして難関の編入試験を越え、綾小路に入った。

 私を選んだ御刀は『籠手切正宗』。朝倉家に伝えられていた由緒ある刀で南北朝時代、朝倉氏景が弓手の籠手ごと腕を斬り落としたという謂れがある。

 実を言うと、私はこの正宗が気に入っている。

 それはこの刀の経歴にある。朝倉家が攻め滅ぼされる以前、この刀は籠手切貞宗という銘であった。貞宗は正宗の弟子ともされる人物で、彼の作は正宗の作に勝らぬとも劣らぬとされた。後に正宗の作と鑑定され、『籠手切正宗』という名になった。

 鑑定士見習いとしては縁を感じずにはいられなかった。

 

 

 寮生活が始まり、それなりに人付き合いをしながら、時折寮を訪れる父の従者を追い返し、恵実と稽古を重ねる日々が続いた。

 

 世の中は不景気を背に、暗く重たいものに満ちた世界に見えた。

 

 人の心は誰かの死にすべからく無関心で、自らに対してひたすらに残酷であった。

 

 父がそんな世界で何をしているかは微塵も知らない。

 私自身、命あればなんとやらと、任務に出動し荒魂を斬った。

 時には凄惨な光景に出くわすこともあったが、未熟な私の中に芽生えていた正義感が怒りを奮い起こし、荒魂を斬り続けた。

 さして剣術の腕に自信などなかったが、対荒魂におけるスコアは恵実や大荒魂討伐の英雄である相楽先輩のそれに及び始めていた。

 自然と稽古での容赦のなさから、鬼篠子と本来は先輩であろう後輩たちから言われるようになった。

 

 そうした稽古中の一幕、忘れられない出会いがあった。

 

「そこ!鍔迫り合いで休むな!」

「はいっ」

「ちょっと力みすぎじゃない」

「これくらいで丁度いい、死ぬよりはマシよ」

「極端だね」

 見知らぬ声に振り返ると、おさげの物静かそうな子が私に微笑んだ。

「こんにちは、私は警邏科の同学年で4組の飯沼彩希よ、あなたが鬼篠子さんね」

「その言い方よして、そこっ休むなら端に行きなさいっ」

「ふふ」

「何かおかしなことがあって」

「いいえ、でも厳しいのやら優しいのやら」

「私はみんなに無理をさせるのは好みじゃないわ、でも真面目にやるならそうしろと行動で言っているだけよ、それで何かご用ですか飯沼さん」

「任務です。今日の出撃編成は貴女と私、そして恵実さんなのですよ」

「あらそう、それで任地は」

 

 それからスリーマンセルでの私たちの任務が始まった。

 

 私は家の事を何もかも忘れて任務に打ち込んだ。

 まるで刀使になったのは当然の事であり、疑う余地のないほどに私は正義の味方であるような錯覚に襲われた。

 

 この小さな良心はおそらく欠点しかない父と、自身と親しくなった同年代の少女たちに向けられ、育まれたものであった。

 

 私はこの頃ほど夢中で、この頃ほど幸福を感じた瞬間はないだろう。仲間の背中を守り、人々を守った達成感、刀使として学校に居場所を見つけ、私は刀使の役目を返上したら教師になろうと思っていた。

 私に刀使を勧めてくれた恵実に対しても、別クラスでありながら親友になった彩希に対して、それが当然の恩返しであり私の望みでもあった。

 

 一年以上が過ぎた秋の頃、二人が部屋を訪れたあの日が忘れられない。

「おったんじょーびおめでとーう」

「え」

 恵実の放ったクラッカーに驚き、そんな私を見て彩希が笑った。

「あなた、誕生日はいつだったかしら」

「あ、今日だわ」

「大成功ね、お誕生日おめでとう篠子」

「あ、えっと、ありがとう」

 私が面と向かって感謝を述べるのがそんなに良かったのか、二人は嬉しそうにお菓子やらプレゼントを取り出して三人で祝った。確か誕生日を教えたのはこの二人くらいであったと思うし、こうして祝ってもらうのは初めてだった。

「はい! これ彩希さんと選んだの!」

 

 二人のくれたプレゼントは二羽の燕が彫金された静やかで、少し小ぶりな丸鍔であった。

 

「ありがとう大事にするね!」

 きっとこれが私の最後の幸せであったと思う。

 

 

 誕生日から十日過ぎた夜中。

 スペクトラムファインダーに強い反応があったという報告を受けた私たちは、京都の人混みの失せた二条で探索機を手に歩いていた。

 三人手分けをして、荒魂を見つけたらポケベルで連絡。発見者が監視と足止めを実行し、二人が駆け付け次第、荒魂を殲滅するという作戦。

 反応のある地区は機動隊が道路封鎖を実施し、住民の退避も終わっていた。

 なおかつ、互いの実力に信頼を持つ三人組であったから実行した。

 

 それが決定的なミスと思いがけない敵と相対する原因となった。

 

 角を過ぎた辺りで彩希が人影を発見した。彼女は仕方なく通りに立ちつくす男性に呼び掛けた。

「こんばんは特祭隊です。ここは避難指定地区になっています。私が誘導しますので早く避難してください」

 呼びかけに答えない男性に、御刀を納めながらゆっくりと近づいた。

「必要ない。俺が殺した」

 彩希は男性の目の前に散乱する荒魂の残骸と飛び散った琥珀色のノロに目を見張った。

「どういうこと」

「なぁあんた刀使なんだろ。なら、俺がどれくらい強くなったか試させてくれよ」

 彼の手に持っていた刀らしき物体が彩希に向かって振り下ろされた。

 写しを解いていた彩希は肩を強打され、その場に打ち崩れた。

「あっぐ」

「やっぱり刀を抜いてくれなきゃダメだな、ほら」

 男は距離を離し、おおっぴろに刀を振って見せた。

「これなら刀を抜けるし、身を守るために戦ってくれるだろう」

「いいえ、どうかやめてください。私は刀使です。荒魂の討伐が任務であり、人を斬ることは一切しません」

「何を言っているんだい。死ぬよ」

「そんな模造品で何ができるのですか」

 折れ曲がった模造刀を手にその目を真っ赤に輝かせた。

「知ってるかい。このノロを飲むとね」

 男は地面にたまっていたノロをなめとった。

「とっても強くなれるんだ」

 彩希はとっさに写しを張ったが、男の振り落とした一撃がいとも簡単に写シを剥がし、そして折れ曲がったそれで何度も彩希の頭を殴った。

 始めは悲鳴を挙げたが、叩かれる回数が増えるごとに声は消えていった。

 悲鳴を聞いて私はようやく彩希の探索区域に入った。

「彩希」

 私が応援に駆け付けた頃には、飛び散る赤と琥珀の液体が電灯のもとで歪な輝きを放っていた。

 赤く染まった彩希の体に男が馬乗りになっていた。

 

「遅いよ。もう殺しちゃった」

 

 折れた模造刀を投げ捨て、彩希の御刀を手にして私へと飛び込んできた。

 当のわたしは彩希の潰れた頭を見て頭が真っ白になっていた。

 

 だが体は当たり前のように斬りつけを避けて内臓を薙ぎ、前かがみになった男の首筋をすっぱりと斬り落とした。

 

 謂れのとおり『籠手切正宗』は一切の刃こぼれを起こさなかった。

 

 



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第二十八話「贋作」

 あの後の処理は至って簡単であった。

 府警と特祭隊からの事情聴取ののち、綾小路の寮に戻された。噂に聞いていた荒魂になった人間『禍人』に遭遇してしまったのだと分かったのは、学長から正式な説明があったころだ。

 

 私は仲間を見殺しにし、あまつや人を斬った。

 

 同情の声もあったが、私を恐れる声も少なからずあった。

 本物の鬼と化した私にはもはや綾小路に居場所はなかった。

 

「篠子さん、本当に行ってしまうのですか」

 寮を引き払い、御刀返上に向かう向かう私を恵実が引き留めた。

「仕方ないわよ」

「篠子さんは何も悪くない」

「知っている。でも、私は許してはいけないの、私自身がこの責を負わなければ気が済まないのよ」

「だからって」

「ごめんなさいね、私の最初で最後の我儘なの、どうか通させてちょうだい。貴女のことはずっと見守っているから」

「それは、ないじゃないの!」

「さようなら」

 

 あれから振り返りもしなかった。

 ただ、電車に乗るとき、綾小路へ向かう入り口に目を向けた。無人のホームには自分以外の人影は認められなかった。

 

 

 自宅に戻った私は地元の中学と高校で勉強し、その傍らで父のヤクザ業の仕事を手伝い始めた。父は文句を言わなかったし、私が禍人を斬ったことをどこからか聞き及んでいた。

「お前ももう戻れんな」

 父は親子ともに同じ道筋を生きることをことのほか喜んでいた。

 

 そして、青子屋は代々ノロの裏取引をつかさどってきたことも知った。

 

 殺し殺して、騙し奪っていく日々の中で殺伐とした、人の生き死に関心を示さなくなった。

 私は二十歳を越した。鑑定家業を継ぎ、ノロの能力を調査する部署の部長に任ぜられ、私は青子屋での地位を確固たるものにした。

 

「こんにちは、篠子の姐さん」

 いつからか組織の実験台としてノロを服用していた男が、鉄砲玉として敵対勢力を一掃する活躍をしていた。

 男の名は日枝金一。

 元々は恵実の実家の道場で修行していた男だが、いつの頃からか力を追い求めはじめ青子屋のノロによるドーピングを施すことを条件に、青子屋の用心棒となった。

「また、折ったのね」

「察しがいいや、新しいのが欲しいね」

「正真正銘の村正の豪刀を折るなんて、いったいどんな使い方をしたのよ」

「例の疑似写シの実験でね。丸太ほどの厚さの鉄柱を叩き斬ったんだ」

「それで」

「実験は大成功、ただし朱印村正は折れた」

 机に出された折れた刀身を観察し、私はため息をついた。

「密迹身の代償は御刀に負担を強いることね。確かにノロを単純に服用するよりも倍以上の能力を得られることが分かった。ただ、それはノロの力で珠鋼の力を無理やり引き出しているに過ぎない」

「元刀使としてはどうなんだい」

「ん」

「密迹身で刀使を殺せるのかい」

「当然よ」

 

 私たち研究部門が探し出した秘術は、かつては戦国時代までの多くの密教門徒に力を授け、江戸時代に変わるにあたって折神家と柊家が滅ぼした力だった。奈良のとある寺跡から複数の経塚を盗掘、経文の裏地に張られていた秘術の伝承を解析したことで秘術『密迹身』の再現にこぎつけた。

 

 

 私はこの成果に喜んだ。私の目的があと少しで成就する。

 

 

 季節はまだ寒さの続く十二月、まだ大店の頃であった『刀剣 青子』で鑑定をしていた私を訪ねる一人の女性があった。

 

 柊篝、元々は特務隊の副攻撃手であり、相模湾岸大災厄の折は隊の任務から離れていたと聞く。だが、しばらくの間は特祭隊の戦術指南として関西方面の討伐部隊の支援をし、引退後は結婚したと話に聞いていた。

 

 出産を控え、お腹は大きく膨らんでいた。

「ひ、柊先輩。わざわざおいでにいただかなくとも、私から参りましたのに」

 篝先輩が出産間近という時にこられれば、私としては心配せざるをえなかった。

「大丈夫、お腹の子は今静かにしてくれているから、それに私は本家のほうで出産するから、丁度良かったのよ」

「信用なりません。お帰りは店の送迎車で私自らお家までお送りしますからそのように」

「ごめんなさいね」

「それで、今日はどういった御用で」

「お腹の子のお守り刀を用意してほしいの」

「なるほど、とにかく奥の部屋にどうぞ」

 篝さんは近々関西を離れて、夫の実家である十条家に移り住むこと、その前に友人たちや世話になった先生方に挨拶すべく関西を回っていることを伝えた。私のところへ来たのもそれが理由だった。

「そういって、藤原先輩にこっぴどく叱られたのでしょうに」

「美奈都先輩も妊娠しているって聞いた?」

「え、いえ」

「じゃあ結婚した話も」

「それはうかがってます。でもお二人そろってなんてめでたいですね」

「ええ、実はもう一人結婚する子がいるのよ」

「へぇ、それは」

「恵実さんよ、今は燕って名乗っているって」

「恵実が」

「あなたがいなくなってから、二年後に刀使を引退して警察署勤務。そして署内恋愛で結婚することになったって」

「恵実が、そうなんですか」

「会いに行ってあげて、きっと喜ぶわ」

 

 篝先輩のお子さんに用意したお守り刀は私が各方面から選りすぐりの職人に頼んだ一品で、皇室に収められるそれに勝るとも劣らないものになった。短刀は銘 武州江戸越前康次。刀剣類管理局の折紙付き。

 蝋色塗りの合口拵えで、各所に縁起の良いモチーフと立身出世の鯉の目貫があつらえられた一振り。私の送れる精一杯の誠意を込めた。

 

 この仕事が終わると、篝先輩に教えられた住所を訪ねた。

 

 燕の一文字の表札を確認し、インターホンのボタンを押した。

「はい」

「あの、多田篠子です」

 慌ただしくドアを開けた恵実は、十年前よりもずっと大人びて奇麗になっていた。

 お互い話す言葉が見つからず、とにかく恵実は家の中へと私を案内した。

 あれから道場にも顔を出さず、また任務に忙殺される恵実を察して私は彼女から自然と距離を置いていた。それは恵実も同じであった。

「ごめんなさいね、連絡もよこさずに」

「ううん、私も篠子さんに手紙の一つも出さなかったから」

「結婚するって」

「うん、刀使をやめてから警察勤務に入って、それで署内恋愛で」

「篝先輩から聞いたわ」

「ふふ、意地が悪いの。来年の春には挙式を挙げるよ。相手は燕結城、神戸で刑事をしているの」

「そう、よかった。そう言えばあんた奇麗になったわ」

「ん」

「恋する乙女は何とやら、女は結婚する時が一番きれいなのよ」

「おほめにあずかって光栄だわ、篠子も鑑定業が軌道に乗っているって聞いているわ、何でも刀剣類管理局に幾振りか収めたって」

「あまりにも価値がありすぎて値段がつかないものを、手に余るからって刀剣類管理局に押し付けただけよ。私の手に収まるのは手のひらに収まるそこそこの刀だけよ」

「変わらないね」

「変わったわよ、そうじゃなければこうして恵実に会いに行けなかったもの」

 私の心中に何かがほころぶような、奇妙な感覚に襲われた。

 涙を流す恵実の手を取り、ただ静かに寄り添い続けた。

 

 

 事態は突然に動き出した。

 

 

 ノロの服用によって、たとえ男性であっても御刀の力を引き出すことができるという研究結果が、青子屋の組織内に流出したのである。

 この研究は私に任された父肝いりの研究であり、内外の抗争に力が利用されることを恐れ、一部の幹部のみが知る極秘事項だった。

 

 その日のうちに本家で会議が開かれたが、誰も自信が関わったということを明かさず、それどころかその研究を隠されていた幹部たちにとっては、父である組長への疑念の目が向けられた。

 

 とうの私は一人その喜劇の内容にほくそ笑んだ。

 

 父はこの研究を、本家筋を守る強力な鉾にしたかったに違いない。

 だが私からすれば父のそのあまりにも臆病さを嘲り、彩希を殺す原因となった彼を殺したかった。とうとうその時が来た。

 事前に父から距離を取られている地方や他人種幹部を説得。

 私が名代に立つにふさわしいことを彼らが認めたことで、『密迹身』の話はあっけなく即日に全組織を走り抜け、それどころか内外のスパイたちに青子屋の危険性を伝える伝導力になった。その最たるのが、特祭隊と密接である警察組織であった。

 

 組織にスパイに入っていた刑事に交換条件を突きつけ、その代わりに青子屋の取り締まりに関して後継者である青子屋篠子は、一切関知しない旨を約束した。

 わずか一週間のうちに父は研究組織を解散、幹部に事情を説明し対警察への協力を仰いだが、その一週間のうちに地方組織の脱退宣言。そして私が後継者に名乗りを上げる瞬間を待った。

 

 なるはずもないのに

 

 

 四月十一日、報道もなされない水面下での戦いが続くさなか、私は研究チームの主要であった数人を引き連れて本家の入り口に近づきつつあった。

 一人は日枝金一、もう一人は関東方面支部の若頭を務め、研究の被験者であり後援者でもあった田中藤次。私のお付きであり、ノロの流通管理をしていた大村喜之助。そして大村の息子であり研究の助手をしていた大村勘太。あと二人の構成員を連れ、手には刀と拳銃を持ち、ついに本家へとなだれ込んだ。

 

 女子供もいたが、残らず斬り捨てた。やがて組長の逃走用口を封じ、彼を長廊下の真ん中に追い詰めた。

「お前が何をやったか、わかっとんのか」

「ええ、これで青子屋は長い歴史に終止符を打ちます」

「かか、お前を担ぎ出すはずだった老人どももひっくるめて警察に処理させるとはよう考えたわ、でもなノロの流通を管理してこそ秩序が存在しとるんや、わしらは必要悪なんやで」

「言いたいことはそれだけか」

「は」

「私にとってあんたは死んで当然や、この皺革袋が」

 そうして父の首を切り落とした。

 時々こうしていたこともあって、青子屋の誰よりも首切りに手練れていた。だが、斬った後のこの不思議な感覚は忘れるに忘れられなかった。何度斬っても同じ感覚がよみがえってくる。

 達成感にも似た高揚感と感情の抜け落ちた罪悪感が、体を何度も行ったり来たりする。だが、彩希の顔が浮かぶたびに現実に引き戻された。

 

 

 そうして、頭目を失った組織は分裂。私は身を隠し、地方組織は互いに主導権を相争い、自滅していった。そしてノロの大量保有の疑いでついに全国の組織に手入れが入り、青子屋はついに消滅したのであった。

 そんな青子屋の事情などはよそに、『密迹身』の研究を続行。

 私自身が刀使の力を失ったこともあって、ノロを刻み込んで赤い写シと体から写シが分身として飛ぶ『写影離脱』の能力を手にした。

 

 同じころに恵実の結婚式があった。

 

 事情を知る特祭隊や管理局の現幹部からは渋い顔をされたが、事情を知らない先輩、同輩、後輩たちとのしばしの再開を喜び合った。

 

 だがやはり彼女たちは表の世界に生きている住人達、裏の世界で生きている私には違和感しかなかった。

 

 私は復讐を果たした。

 そして愛していた人を殺した。

 

 やりたいように事態を動かし、目的を達し、変わりつつある眼下の光景を見つめながら、私は自身のなすべきことを失ってしまった。

 

 何か自分のすべきことはないだろうか、私はまだ殺し足りないし、人を貶めきれていない。満たされない感情が月日を重ねるごとに沸々と湧き上がってくる。

 

 そして鬼となった自身の宿命を呪い始めていた。

 

 結婚式の日から二年半、降りかかる火の粉を振り払いながら、力を求める日々が続く中、恵実経由で私のもとに彼女の夫が訪ねてきた。

 はじめこそ二歳になる娘のためのお守り刀の注文であったが、次第に彼の顔が強ばっていった。

「あなたが青子屋甚吉さんの娘ですね」

 燕結城。本来であれば神戸署の刑事であるが、青子屋専任捜査官の一人に任命され、彼の名は仲間内から聞き知っていた。

 しかし恵実の夫であるため、心なしか捨て置いていた。

「私にお聞きしたいこととは何でしょうか」

 

「単刀直入によろしいですか」

 

 燕結城の細目は大人しさを感じさせながら、強い意志を感じさせるものがあった。

 

「ああ、父殺しことですか」

 

 私の頭がこの男を殺すことに移っていた。

 それを理解しつつ、なおも燕結城は質問を止めなかった。

 

 長く主防犯と目されていたのが私であり、彼女の周囲にいた人間たちが一斉に消えたことを不審に思い。私を探し続けていた。

 そして『刀剣 青子』という誰にも知られない場所で店を再開している胸を知った彼は、私が何をしてきたのか全て知っているようであった。

「今、貴女の殺しを実証するものは何もありません。でも、あなた自身はことの全てをひた隠しにしている」

「例えば」

「あなたが既に禍人である可能性だ」

 彼は卓上に旧式のスペクトラムファインダー計を置いた。

 わずかであるが、私に向かってノロが反応を起こしていた。

 

「どうか、妻の友人として、元刀使として、全てを明かしてくださいますことを切に願います」

 

 燕結城はスペクトラムファインダーを使って禍人のあぶり出しをしている。これは私にとって許さざるべきことであった。

 だが、彼のいうことは正しかった。すでに十分すぎる人間を殺戮の渦に巻き込み、もはや私が殺せる人間を失うほどであった。

 

 私は殺す人間を一人見つけた。そしてその人間は妻子をもち、その妻である恵実は友人である。考えもしなかった。

 

 自身が誰かの標的になり、復讐者の相手になる。

 

 きっと楽しいに相違ない。誰かの凶刃が自身を殺す瞬間を、首を長くしながら待つのである。私がするべきことはただ一つ、恵実の前で燕結城を惨殺することである。あとは長く逃亡生活を送りながら、恵実に自身の足跡を追わせ部下を殺させ、鬼と化した彼女に殺されるだけである。

 

「目が赤いぜ、篠子さん」

 計画を話していた私は笑みを浮かべながら、目を赤く輝かせていた。

「どうかしら」

「どうかしているぜ」

 最後の一本をふかすと、空になった煙草の箱を握りつぶした。

 金一は笑っていなかった。

「もっと、気の良くなる手段も加えよう」

「ほう、で」

「母子にノロを打ち込むんだ。致死量の限界まで打ち込み、禍人になった人間が若さを保ち、尚且つ刀使の力を保持し続けられるか試すんだ」

「あなたも人のことは言えないわね」

 

 金一が何を考えていたかは知らない。

 ただ、久しぶりに道場を訪れた彼が、娘を抱く恵実をその目で見たことが何かを決意させたらしかった。

「これは実験さ、誰も幼いうちからノロを打ち込んだことはないだろう。それに」

「それに、恵実が私以上の殺人鬼と化す姿が見られると」

「わかっていらっしゃる、くくく」

 

 計画は翌日にも決行されることとなり、私は夫妻に伝えたいことがあるから一人で訪れたい旨を伝えた。夕食も出すそうである。

 恐らくあの気の良い男は警護を侍らすような真似はしない。かならず夫婦で私に相対するはずである。

 

 討ち入りのための長脇差の刃や拵えを確認しているときだった。

 幼い赤子を抱く恵実が、頭の中で何度も微笑みかけてきた。

 

 やめろ。

 

 あんたがそうして私の何もかもを許したって、私はもう帰れない。彩希も、父も、みんな帰ってこない。

 私はこうして自身を背負い続ける以外に術はないんだ。

 

 と、刀の身に顔が映り込んだ。

 醜く皺を引きつり、目は丸々と見開いていた。

 

 門のインターホンを押し、玄関へと進んだ。

 その時、私は心地よい感覚に襲われた。

 罪悪感と達成感に奪われた、風が胸を透き通るような感触。

 何も考えずとも、自身と多くの死んだ人間が私を責め立てて一人にさせてくれない。でも、本当は独りぼっちなのだ。

「どうぞ上がってください。篠子さん」

 燕結城の招きに従って私は鯉口を切った。

 

 そうして玄関は赤く、赤く染まった。

 

 

 篠子の父を、恵実の夫とその両親の血を吸った刀の名は『贋作・南泉一文字』と言う。

 

 彼女からの愛着を受けない贋物の刀は、今やササラのように細くなっている。

 恵実と同田貫による強靭無比の切りつけが密迹身を貫通して刀を消耗させているのだ。十年間も戦い続けた彼女は力の源である刀を折りにかかかる。

 恵実の正確な斬撃が宙を行く赤い手を斬り捨てると、同時に篠子の腕には傷口がパックリと開いた。 

 ノロの輝きが顔を覗かせる。

 たとえ自我を失っていても、心と御刀は復讐を果たさんとする強靭さを持ち、剣技はさらに冴えわたっていた。

「篠子ぉぉぉぉっぉぉっぉ!」

「じゃあかしいんじゃああああああ」

 篠子の宙を走る合口が恵実の背中を貫くが、振り下ろされた同田貫は篠子の左足を真っ二つに砕いた。。

 恵実は深く刺し込まれる合口を気にせず、さらに近間から袈裟切を二度も浴びせつけた。

「痛いじゃない!」

 篠子は力の加減を変え、突き刺した合口を横にずらして胴から胸へと切り捌いた。溢れるノロをその身に浴びながら、恵実の目を切っ先で舐めるように切り流した。

 篠子の勝利は目前、だがその顔に余裕はない。彼女はわざとらしく強く歯ぎしりをたてた。

「まだ、まだよ」

 だが、恵実は力なく膝を突き、そのままうな垂れて動かない。

「立ちなさい恵実……私はここだ! お前の夫を殺し、娘に呪いを与え、大切な肉親を殺した仇だぞ!」

 だが、恵実は篠子を見ようともしない。恵実の呼吸はひどく落ち着いている。篠子は絶えず呼び掛けた。

「どうしたの? 早くしなさい、早く!」

 恵実はかすれかすれに言葉を発した。

「そうですね、もう時間が……ない」

 恵実の振り上げた同田貫に篠子は安心したように顔が和らいだ。だが、その切っ先は恵実の首下を貫いた。

「何を……なにをしているのよ!」

 音を立てて倒れた恵実に這い寄り、彼女の体から同田貫を引き抜ぬいた。篠子は息を荒らげながら、無理やり恵実の手に合口を握らせた。

「さぁやりなさい! あなたの手で」

「ごめん、篠子さん、ごめん」

 篠子は彼女の優しい声を13年ぶりに聞いた。

 彼女の背中に悪寒が走る。

「聞かないわよ、あなたがやらなきゃ!」

「私、私が、あの時、手を引っ張って、いれば」

「やめて!」

 恵実の手から合口が抜け落ち、篠子の手にやさしく触れた。

 篠子の手は小刻みに揺れている。

「彩希との、約束、篠子さんとの、約束、私、やぶった」

「お願い、もうやめて、私が、私のせいだから、私が逃げたんだ! 私は自分に甘えて、何もしなかった…!」

 篠子は強く恵実の手を握った。

「ごめんね……篠子さん、ごめんね……あなた、ごめんね……結芽」

「だめっ!」

 篠子が呼び掛けた時、掴んでいた手はなかった。

 足元に広がる衣服にはあふれんばかりのノロに浸っている。

 だが、篠子の手にはまだ感触がある。

 ぽろぽろと落ちる涙は、ほほを伝って落ちていった。

「なんで…なんで…!なんでいつまでも私を斬らないの? 殺さないの? ねぇ! 起きてよ! わたしが馬鹿だったから! 謝るから! だから……だから……死んじゃやだよぅ……恵実」

 

 富士の山は赤く輝く、篠子はいつまでもノロにまみれた服に縋りついていた。



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第二十九話「二刀」

 17

 

 

 ヲノツチは火口に立ちながら、頭上を覆う天を覆わんばかりの赤い空を見上げた。

「いつの世も悲しみは願いととに流れていく、命ある所には必ず寄り添うものだ。だが、命はそれを乗り越えてしまう。乗り越えようとする。その結果がたとえどんなに残酷であっても、その意思はあり続ける。なら、たんと味合わせてやらねばな」

「いいや、今ここで乗り越えてみせる!」

「ほう、それがたかが刀使にできようて」

 火口に歩みを進める姫和は数珠丸と丙子椒林剣を手にした。

「私だけならばそうだろう、だが一人ではない!」

 雷に乗せて入った斬りつけをヲノツチはあっさりと受け止め、隙も無くたたき込まれる剣を二本の宝剣を取り換えながら受け流す。返し刃が姫和の体を斬らず、逆にヲノツチの胴を斬らんと二刀が走った。だが、それさえも宝剣は受け止めていた。

「なるほど、御刀もといノロたちの力を借りて疑似的に神化したか」

 互いの連撃が重なり、自然と間合いが離れた。

「これが私たちの今だ!」

「ぬるいな」

 姫和は骨喰藤四郎と鬼丸国綱を手に突出、二振りの御刀の激しい食いつきがついに分景が火口外に弾き飛ばされた。狙いを澄ました骨喰の刃が胴に走るが、ヲノツチの軽快な足取りは姫和の背中へと取りついた。

「やるではないか!」

「まだ!」

 鬼丸国綱で受けたが、その見た目に反した重々しい一撃に飛ばされ、今度はヲノツチが間髪入れず斬撃を叩きこんだ。受け身のまま、押され押されていき、その隙に忍び寄って彼女の頬を八千剣が掠めた。

「避けおった、はは!」

「はあっ!」

 八千剣の峰に沿わせて持ち替えた獅子王の刃がヲノツチの左袈裟を添え斬った。傷も気にせず飛びのいたヲノツチの体に斜めに走った傷口がはっきりと見えた。だが彼女の顔色は変わらない。雷を飲み込むように炎を帯びた剣が姫和を地面に叩きつけた。

 足を踏んじばり、小烏丸を手に雷よりも早く姫和はヲノツチの胴を斬った。

 だが、八千剣の刃も姫和の胴を添え斬っていた。

「もう始まっているものを、どうやって止めるのだ」

「それはまだ私がいるから」

 振り向いた先に紫炎に髪を輝かせる美炎が、その背に炎で象られた人型を侍らせていた。

 その人型ははっきりと顔となってヲノツチを見つめた。

「ホムラノチか」

 火口に降り立った美炎は姫和と目配せした。

「お姉さま、どうかもうやめてください! 復讐など母様が望みになれません」

「子を殺した父を許せと?」

「イザナギ様は十分に罰を受けました。その末にこの大地の苗床になることを選ばれたのです! それに、ホノカグツチ様は父たる存在に逆らうを良しとしないでしょう。それは道理でもあるのです」

「なら、なぜ私の胸にこの憎悪は溢れるのだ? それは母が望んだことであったからではないか?」

「お姉さまは母様に縋り続ける、そのことをその母様がお望みになりますか」

「お前に何が分かるか! この感情に支配され続ける私のことを分かってか!」

「お姉さま」

「お前は優しさだ。誰かを包むことを知り、包まれることも知っている! だが私は包まれたら内から切り裂き、包んだら切り刻む! 自分の願いのためにあらゆること打ち捨てることを私は定められてしまったのだ! 一度こうしてしまったことを」

 ヲノツチはその巨大すぎる炎の渦を剣に纏わせ、美炎めがけて構えた。

「誰が変られるんだ!」

 だが、放たれた炎はある一点で消し飛び、その点は大きく炎を払いのけた。

「変えられる! 自分が生きている限り!」

 美炎はその姿に喜び、姫和はやや残念そうに微笑んだ。

「可奈美!」

「お待たせ美炎ちゃん、姫和ちゃん!」

「まったく、本当に来てしまったのか」

「だって、ジッとしていられないんだもん」

 ヲノツチは渾身の一撃がかき消された。その事実に驚いているが、それよりもあの時の少女がここに立っていることに驚いた。

「久しいな、よもやお前が来るとは」

「名古屋であった以来かな! できたての今川焼、おいしかったよね!」

「不思議な奴だ。心が淀んでいたときにお前は現れた。時々思い出す、あれはおいしかった」

「でしょ」

「だが、それとこれとは話が違う。私は復讐を果たすのだ、命がどうなろうがその命の力の有り様でしかない、何もしてやれない。お前が私と戦うことに意味はない」

「でもヲノツチさんは強いんだよね! 戦ってみたいとおもった気持ちは本当だよ! 」

 無邪気な可奈美の言葉に、一瞬だけ憎悪が消えたのに気が付いた。

「癪に障るヤツ! もうしゃべるな!」

「うん、じゃあ私から行くよ!」

 

 ────────────────────────

 

 三人の突入をモニタリングしていた播めぐみはエミリーを呼び出して状況を見せた。

「富士山の噴火口直下に枝のようにノロが張られていて、それが荒魂化して山そのものを掘削しているようなんです」

「ふふ、これほど大規模な荒魂は初めてですね、規模で言えば江の島を覆ったタギツヒメ大型体のそれを遥かに上回ります。超超大型荒魂ですね」

「どうします」

「無理でしょ、もう人智でどうにかできるレベルを超えています。もうこれを止められるのは」

 めぐみの指した画面にはスペクトラムファインダー計が表示され、色別表記が真っ赤になっていた。

「どういうことです? ノロ濃度値がこの山頂の四人だけでタギツヒメの値の約十一倍の数値」

「このスペクトラムファインダー計は従来のノロの合体指向性を利用したものと異なる、ノロ内のごく微量な珠鋼を検知する方式に変えられました。金属探知は人類科学の賜物ですしね。なのでソフトの識別を変えれば御刀も感知できる。なので、これを、こうしてと」

 彼女がコードを書き換えるとスペクトラムファインダー計に全身の白い人影がくっきりと表れた。

「この珠鋼の化身ならあるいは……この状況を変えられるやもしれませんねぇ」

 本部は騒がしくオペレーターたちが連絡を交わす。

 荒魂軍団は中央を囮に両翼から総攻撃を開始し、最後方の市街地前にいた刀使たちが応戦を開始していた。

「で、どうする?」

 薫は渋い顔で真庭と自衛隊の指揮官の顔を見た。

「悪いが、調査に行かせた部隊はE班を除いて包囲の最後方の攻撃に当たらせている。正直、頭さえ抑え切れば一網打尽にできるんだ」

「だけどな薫、後方部隊は市街の避難活動と出入り道路での戦闘で手一杯。一班でも多く回せないか」

「無理だ、俺の本部班だけだ」

 そこへ空自作業服に大尉の襟章を付けた神尾が鶴、フリードマン博士と共に入ってきた。

「その本部班だけで充分だ」

「考えがあるんだな」

 丸い頭が机中央の地図を覗き込んだ。

「まずさっき許可の下りた中央即応部隊の16式起動戦闘車を両翼に一小隊ずつ前衛を包むように配置、これに君たち本部班を二つに分け、後方の綾小路一個小隊を両翼の刀使攻勢部隊に編制し、攻撃に転じる」

「それだけじゃあもたないぞ」

「だから短時間での効率を上げるために、虎の子を二匹持ってきた」

「ほしいな」

「たかいよ」

 作戦は即決で始動。部隊転換を行いながら、後方部隊は本部の許可を得て機動隊の築いたバリケード線まで後退。

 あの防刃羽織にやや具足風に直されたストームアーマーを着て、薫は左翼防衛線衝突地に部隊員とともに展開した。同時刻の右翼でもS装備を纏う鶴隊長の部隊が配置を完了させていた。

 〔ただいまより対災厄出動令二〇一を発令! 全機動戦闘車にTりゅう弾頭105mmの使用を許可する! 〕

 機動戦闘車のライフル砲が夜闇を劈く砲火を放ち、その弾は一瞬の飛翔ののちに無数の弾丸となって荒魂に襲い掛かった。たちまち前衛の二百体ほどが吹き飛び、ノロとなった。

「T弾、対荒魂を想定し開発がすすめられた珠鋼を使用する砲弾です、しかし、珠鋼の数が少ないので、今回の任務でカンバンになりますよ」

「だけど、この威力なら行ける」

 真庭はタイミングを見計らい、刀使たちを前進させていた。

「砲撃中止! 益子隊! 国府宮隊! かかれ!」

 猿叫をあげる薫と祢々たちが突撃し、動きの鈍った荒魂たちを一気に押し攻める。

 S装備の恩恵もあり、薫の打ち回りはより長く、より強力に攻撃を展開する。彼女の脇を祢々が次々に追い払っていく。

「さ、さすが薫隊長だ……強すぎ」

「きえええええええええええええええええい」

 地図では圧倒的なスピードで軍団をならし、再び厚い攻撃に阻まれれば16式機動戦闘車が前衛を押しつぶす。

 薫は作戦の成功を確信しながら、赤々と輝く富士山を見た。

「頼んだぜ」

 

 紗耶香は崖を一人、迅移で駆け上がってきたが、体力がもたない。たとえ完成された無念無想を持っていたところで自分は人間なのだと、つい考えてしまった。あの三人についていって、足手まといになるだけじゃないか? そういった考えも浮かんできた。

「おまえはここで何をしているのだ? もう可奈美たちは火口だぞ?」

 彼女の隣にタギツヒメが立っていた。紗耶香はその場で膝を突いてしまった。

「もう追いつけない……今の私じゃあ」

「なら、私の体を使うがよい」

 差し伸べられた手に紗耶香は反射的に首を横に振った。

「おぬしの『無念無想』は紫の体に居た時からよく知っておる。ノロならここにたんまりとある」

「でも『無念無想』はノロを」

「消化する。言われずと知っておる」

 顔を上げた紗耶香は、膝を折って同じ目線になるタギツヒメにたじろいだ。

「我は望んでそうするのだ。この世には禍根を残しすぎた、長く居ることは望まない。それに、我のたった一つの願いを聞き届けてほしいと思ったのだ」

「願い?」

「我々ノロ、そして荒魂は常に負を外へ吐き出さんと一体となり暴れる。だがそのことをノロの愛嬌と思って、これからも付き合い続けてくれんか?」

 タギツヒメの手が優しく紗耶香の手を取った。

「我もそうだが、ノロというのは寂しがりでの、ついノロはノロ同士とくっつきあいたくなる。そして、人にも興味を持ってしまう。それが人間たちにとっては卑しいことだろう。だからと言って嫌いになってほしいと思ったことはない。この思いが人を傷つけるなら、言葉のあるうちに誰かに伝えてほしくなった。本当の気持ちというやつをな、聞き届けてくれるか糸見紗耶香よ」

 紗耶香はその言葉に黙って頷いた。

「う、何と言ったかな、いつも美奈都に言われてた……そう、ありがとう」

 タギツヒメの体が白く消し飛び、その輝きたちが紗耶香の胸に入り込んだ。

「きっと、きっと私がその願いを叶え続ける。この身がある限りかならず!」

 紗耶香の頭上には白い二本の角、そして白と黒の巫女装束に身を包み、その瞳は琥珀色に輝いていた。

 

 

 ノロの輝きが天を穿つ中、刀使たちはひたすら有群の生み出した荒魂軍団に応戦し続けていた。

 有群はその光景を見下ろし、天へ昇っていく紗耶香の姿を見つけ、嬉しそうに大笑いした。

「そうだ! これだ! 私の願いは既に叶ったんだ!」

「ドクターアリムラーっ!」

 登山道を上がってくるリチャードフリードマンに親しみの笑顔を向けた。

「君は自分のしたことを理解しているのか!」

「無論だ、人は困難の渦中にしか己が生存の道標を見つけることはできないのだ、フリードマン博士」

「だが、これでは次に来るのは崩壊だ」

「何を言う、これは試練にもならない戯れだ。崩壊を食い止める鍵は十四年前に既に完成し、後はそれを促してやるだけであったからな」

 有群の願いは自分と同じもの、だがそれを叶えるためにあらゆるプロセスを強引に進めた。それをフリードマンは許すことができなかった。

「フリードマン博士、君は慎重だ。堅実に論理と倫理を構築してからでしか前に進まない。これからはそれでいい」

 有群の足元に裂け目が伸び、大地が崩れていく。

「ドクターアリムラ! 戻れ! まだ君は世界に」

「駄目だね。私の義務は終った。これからは心に従い、贖罪の旅へ出かけるのだ」

 彼を止めに行こうとしたが、フリードマンについていた鶴は彼を必死に引き留めた。

「アリムラーっ! アリムラー!」

「すまなかったね」

 裂け目に飛び込んだ彼の姿は見えなくなった。

 するとフリードマン博士の端末が起動し、大量のデータが送り込まれてきた。

「ああ、あああ」

 崩れ落ちたフリードマンを支えながら、鶴は目の前で起こる現実離れした光景にただ呆然とした。

「まだ終わっていない」

 

 



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第三十話「水底」

 

 姫和とは勝手が違う、ヲノツチは可奈美の剣さばきにたじろぎ、自らの炎で攻撃しても一瞬でかき消される。その彼女独特な複雑窮まる剣技は今まで見たこともなく、例え見えたとして防戦で手一杯になる。

「そうか、剣か!」

 可奈美の体は彼女の声そのもの、返せば、相手の感情の乱れを剣越しに感じることができる。思いを汲み取られ、思いを伝えられる。ヲノツチはそれを理解させられていることにも気が付いた。『剣聖』だ、まちがいなく彼女は覚醒している。人の身を越えて、前へ進んでくる。

「だが、それを信じたらいけないんだーっ!」

 ヲノツチの体は炎の渦に包まれ、その身は巨大な八首を持つ龍へと変身した。

「でも伝わったよ。煩わしさを感じても、お母さんを愛しているって」

 ヲノツチの集めた瘴気が走り抜け、可奈美の腕を取って大きく振り回した。

「可奈美!」

 美炎は瘴気を払い、龍の頭突きを正面から受けて壁面に叩きつけられる。

 姫和は雷を纏わせ、剣を持ち替えながら瘴気の嵐を弾き、胴へ一閃を叩きこんだ。

「ここからは私たちも手伝う! いいな!」

「もちろん! まだ伝え足りないことがあるし!」

「うん! ここは私が切り開く!」

 美炎は壁を蹴り飛ばし、ヲノツチの正面に出て剣を振り上げた。

「ホムラノチ! 二式! 神居ぃ!」

 重なった炎の刃が瘴気を押しのけて、巨体を突き上げる。そこへ姫和が飛び込んで一ツの太刀を五剣とともに発動、だが悲鳴をあげさせるだけでヲノツチを現世から動かすことはできない。

「それでいい! 可奈美!」

 明らかに力のバランスが崩れたヲノツチは、炎と瘴気の力が安定しない。

 可奈美は千鳥の刃を反して正面の真ん中の頭を叩いた。

「めっ!」

「ふざけているのか!」

 瘴気が地を這い茨となって、三人を縛って地面に叩きつけた。

「私にかまうなああああああああああああああ」

「嫌だ! 私はもっと! もっとヲノツチさんに!」

 大きな塊となった瘴気が三人に打ち放たれたが、白い閃光がそれを受け止めた。

 代わった巫女装束だが見覚えのある優しい顔が三人に向けられた。

「紗耶香ちゃん!」

「間に合ったね」

 紗耶香は瘴気を受け止める妙法村正の切っ先に集中し、彼女の名を呼んだ。

「タギツヒメ」

 彼女の背中から現れたタギツヒメは両手で包むと、瘴気をあっという間に小さくしてしまい、握りつぶしてしまった。

「馬鹿な!」

「ヲノツチよ、我は紛い物の神だった。だがそのおかげでよく我というものを知った。時には鏡に映る己を愛することも大事だ、振り払うことも互いにとって大事な時がある。長い時の中でそうして我々は生きてきたのだ。なぁそうであろう? 刀使ノ巫女よ……」

 腕からタギツヒメの体はバラバラに砕け散り、白い霧となってあたりに飛び散った。

 その霧の中から可奈美と姫和が飛び込み、胴を斬り、そのまま尾を返して背中からもう一撃を叩きこんだ。巨体を構成していた岩石が砕け散り、ヲノツチはその中を降りたって四人の姿を見た。

「我の全力さえ効かぬのか」

 ヲノツチの肩から力が落ち、可奈美へと優し気な表情を浮かべた。

「なんという子だ」

「誰かの思いが重荷にあることもある。苦しくなって、逃げ出したくなる。でも、相手もそれを背負っているんだってこと忘れてほしくないんだ。間違いを重ねても、例え互いを嫌いになっても、命は命を分かってあげられる。私はそれを信じたい」

「それは、負の道だぞ。我はそうして数千年を費やした、その積み重ねを年端もゆかぬお前に斬られた。すべからく世界は残酷ぞ? それでもか」

「うん、それでも、歩み通して見せる」

「分かった。私の負けだ」

 

 ─────────────────────────

 

 

 静かに息を吐く、生きている。

 

「目を覚ましてください、燕さん」

 そこはひたすらに霧が青く包み込む森。

 結芽は周りを見渡し、その声の主を見つけ出した。

「夜見」

 あの頃と変わらぬ姿だが、以前のような冷たさが感じられない。

 結芽は立ち上がって夜見の頬に手を触れた。

「夜見おねぇさんだよね」

「そうですよ」

「ここは」

「隠世から死との間にある、魂の安らぎ場です」

 目の前の湖から聞こえてくる声に思わず身構えた。湖面に浮かぶ金一は、既に体の至る場所がひび割れ、その肉体からノロが流れ出していた。

「大丈夫です。あの方は既に結芽さんの突きで命脈を断たれています。それに、たとえ回復できたとしても、この隠世と死の狭間では禍人でさえは生きていくことはできません」

「なら結芽も」

 体の至る場所を触れても異常はなかった。

「あなたなら、もう禍人ではありません。ノロの中に残った僅かばかりの珠鋼で命を繋ぎました」

「ソハヤノツルギの片割れ」

「私の本当の名は厳島宮けい、あなたの体を離れて、ようやく思い出しました」

 その美しい顔立ちに、誰かの面影を感じたが、それが誰であるかは分からない。

「待って、私にノロはないって」

「はい、体内のノロ、つまりは私自身を貴女の命として捧げました。人とノロの一つのあり方であるあなたのために」

「そんなことも、あるんだな」

 金一は霞む空を見上げながら、口を開いた。

「ノロは珠鋼と違い、現世のあらゆるものを飲み込む。特に人の無念や叶わぬ思い、そして」

「後悔か、なるほどな。俺は自分自身に飲まれていたのか」

「金一、お母さんの兄弟子だったなら、なぜ?」

「妬んだのさ、誰も救えなかった自分も、幸せそうにしている恵実も、俺は戦う術を知っていても自分の大切な一人を荒魂から救えなかったんだ。それから、力を求めてノロを飲み、世話になった青子屋を守ったが、青子屋は俺と同じ奴を生み出していただけだった。だから、潰したんだ。その後だった、恵実が子供生んだって知ったのは」

 霧の向こうから、ぽつぽつと雨が降り出した。

「こいつは、荒魂になった人間の事も知らないで、荒魂に殺される人が増えることを知らないで、幸せそうにお前さんを抱いていた。だから俺と同じようにしてしまえと、そうすれば俺は楽になると、でも、それがどうした」

「なんでこうなっちゃたんだろうね、ほんとに」

「ヲノツチは復讐を果たすと言ったが、俺はそんなこと微塵も信じちゃいなかった。意地でお前さんをここに連れてきたが、俺はもう死ぬしかない」

「なら、お母さんの復讐は終わった。あんたの世迷言もつゆに消えた。結芽は刀使としての誇りを守り抜いた」

「立派だ」

 金一は目を閉じると、バラバラに土くれとなって

 水底へと沈んでいった。

 夜見は涙を流す結芽に、なぜ泣くのかと尋ねた。

「金一も、多くの荒魂になった人は、果たすことのできなかった、多くの思いを抱えて斬られ、死ぬ。結芽も荒魂にならないために斬られた。だから刀使は禍人を救うことはできない。私は誰にも死んでほしくなかった。なのに、この手で殺してきた。幾人も、でも、そんな私は願ってしまう。お母さん、死んでほしくない……」

 泣き崩れる結芽を黙って受け止めた夜見は、静かに語り掛けた。

「いつか、そういう日が来てしまうのです。どんなに幸福でも、不幸でも、いつかは死が訪れてしまう。そのいつかは誰にも分からない。でも、それぞれの最後なんて考えたくないでしょ? 私も最後まで、これからも恩師のために生きることを胸に誓っていた。だから結芽さん、あなたも最後まで、あなたの想いを失わないで、この命ある限り抱き続けてくれれば、死んだ多くの人は報われます」

 そして夜見はやさしく微笑んだ。

「大丈夫、あなたならきっと」

「うん」

 結芽は強く彼女を抱きしめた。

「夜見おねぇさん、また会えてよかった。ねぇ」

「はい」

「一緒に帰ろう。真希や寿々花、高津のおばちゃんも元気にしている。紫様なんかタギツヒメを封印しちゃったくらい元気だよ、だから、ね」

 夜見は穏やかな顔で、首を横に振った。

「私はここでまだノロになった人たちを迎え、守らなくてはいけません。いつか現世に帰る多くの魂たちのためとともに歩めるように」

「そんな」

「私は紛い物の刀使でした。だからこそ、私は今の役目を全うしたいのです」

 俯く結芽をそっと抱きしめながら、彼女の頭を撫でた。

「分かった。でも、絶対に帰ってきて、みんなのもとに帰ってきて、約束して」

「はい、約束します」

「ん、指切り」

 約束の指切りをし、結芽は涙を拭った。

「今、みなさんが現世を守るために戦っています。ほら、空を見上げて」

 空に空いた隠世への門から、奥で赤く花を開かせる富士山の姿が見えた。

「あそこには開きつつある裂け目を閉じられる方が二人いますが、ノロはそれと関係なく大地を侵食しています。それを一つにすくい上げて、ここまで打ち上げてください。あとは私がどうにかします。それを皆さんに伝えてください」

「分かったよ、夜見おねぇさん!」

 笑顔の夜見は結芽をそっと空へと持ち上げ、そのまま体は隠世の門に向かっていった。

「約束! ぜったいだよっ!」

 門に吸い込まれた途端に夜見とけいの姿は消え、体が急激に下方向へと落ちていく。

 結芽は必死に目を開けて、富士の火口に立つ人影を見た。

「かなねぇ、ひよねぇ!」

 だが体が液体状の空間に投げ込まれ、息が続かず前へと進めない。

「だめ、苦しい!」

「ほら」

 結芽の左腕を握り、その影は液体空間から次の層へと投げ出した。

「お母さん?」

 

 

 可奈美は空を見上げ、開きつつある隠世の門に目を凝らした。

「結芽ちゃん!?」

「何!」

 空を見てすぐに落ちてくる人の姿が見えた。

「かなねぇー!」

「受け止めるよ!」

 彗星のごとく落ちてきた彼女を四人は全力で受け止め、足元にはクレーターができた。

 可奈美は笑いながら、姫和は結芽の頭を軽くたたいた。

「なんて奴だお前は、とにかくお帰り結芽」

「はーい! ただいまひよりねぇ、かなねぇ!」

 起き上がった結芽はすぐに夜見の言った対処方法を五人に伝えた。

「裂け目を閉じられる二人って」

 その紗耶香の問いに、ホムラノチは頷いた。

「お姉さま、もういいでしょう」

「ええ、この子たちに今少しばかりの感謝を」

 ヲノツチの体に移ったホムラノチは彼女と一体となり、さらに輝きを増した。

「今から我が裂け目を閉じ、入れ込んだノロをありったけここに持ち上げる。あとはそなたらの力で門の向こうに届けよ」

「帰ってくるよね、ヲノツチさん!」

「それは無理だろう。だが私はこの大地となり、お前を見守っている。我が愛しの衛藤可奈美よ」

 八千剣と一体となったヲノツチは、突き刺した剣を伝って噴火口の奥へと飛び込んだ。

 可奈美、姫和、美炎、紗耶香は円陣を組み、剣の刺さる中心へと切っ先を向けた。

「結芽!お前の後ろ向こうに剣が落ちてる!必要になる!」

「拾ってくるよ!」

「十条さん! 来るよ!」

 円陣の中心に火口から沸き円球状にノロが集まっていく。四人は集中してノロを抑えこむ。やがて球体は円陣の数倍はあろう巨大なノロの球体となった。

(あとは任せるぞ)

 可奈美はヲノツチの最後の言葉を聞き、叫んだ。

「みんなぁ! 打ち上げるよ!」

 渾身の力を込めて切っ先を高く天に突きあげ、ノロ球は隠世の門に突っ込んだ。だが、三分の二が入ったところで現世に戻り始めてしまう。

「ぐぅう、なんて重さなの!」

「支えきれない」

「踏ん張れ、紗耶香! 美炎! 可奈美!」

 思い出した可奈美は悲鳴のように叫んだ。

「結芽ちゃーん!」

 結芽は分景剣を手に飛び上がり、球体を突き押した。彼女は迅移を全開で発動してさらに押し込むが、ノロの重さにより体が潰されそうになる。

 だが腰を踏ん張り、瞬時にソハヤノツルキウツスナリを抜きはらった。

「もう一丁!」

 切っ先が分景の鵐を正確に突き、ノロ球はついに門の向こう側に押し込まれ、飛んでいった。

 山の裂け目から赤い光が消え、それを埋めるように土砂が沸き起こって蓋をし、隠世の門は何重もの光彩を放ちながら一点の輝きとなって消えた。

 その向こう側には雲一つない、澄んだ美しい青空が広がっていた。

 陽は登り、光が富士山をいつものように照らし出した。

 

 そう、いつもの朝がやって来た。

 



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『異譚・神起編』 エピローグ

 

 

 陽のほがらかな、夏のはじまりの日。

 

 結芽は教えてもらいながら作ったクッキーを手に、高い壁に囲まれた病院の入り口に立った。

「行こう」

 相楽に付き添ってもらい、三階の鍵つき扉の病棟に入った。

 804号室、名前の欄に多田篠子の名前がある。

「こんにちは、しのこさん」

 外を眺めていた彼女は笑顔を見せた。

「あら、いらっしゃい結芽ちゃん」

 

 彼女が見つかった時には、言うことが虚ろでほとんどの記憶がなくなっていた。聴取では、ひたすら中学の思い出や恵実の結婚式の話ばかりし、終始明るく朗らかであったという。

 

「クッキーを作ったのね!恵実も料理が上手だったから、お母さん似ね。あ、お母さんに手伝ってもらったんだーぁ」

「……うん!そうだよ!」

「食べていい?」

 彼女のちょっぴりいびつなクッキーは、ほんのり甘さが強かった。

「おいしい?ちょっと砂糖の分量まちがえちゃって」

「大丈夫、アレンジが効いてて私好み、ねぇ相楽先輩!」

「ああ、これからもっと良くなる」

 結芽と篠子はお互いに笑いあった。

「むかし、一度友だちがいなくなって、刀使を辞めたの、でもね恵実はあの時も今も、私に笑顔だったわ。とても優しくて、どこか意地っ張り」

 篠子はもう治らない下半身に手を置いた。

「治ったら、会いに行かなくちゃね」

「きっと喜ぶよ!退院の日は自慢のお料理をたんと用意してね!」

「うふふ、楽しみだわ!」

 結芽は思い出して、ポケットから一通の手紙を取り出した。

「手紙は後で読んでね、あと頼まれてた写真もってきた」

 それは篠子の誕生日に三人で撮った写真だった。恵実の遺品から出てきた、三枚の写真の一枚であった。

「ありがとう!恵実、彩希。わたし、一度だって二人のことを忘れたことはないんだから……」

「多田」

「ごめんなさいね……なぜかしら、涙が」

 結芽は立ち上がり、篠子をそっと抱いた。笑顔にぽろぽろと流れる涙が小さな胸をしっとりと濡らした。

「いいよ、篠子さんは苦しかったんだよね。だからもう、いいんだよ」

「いいの?」

「結芽は生きてるよ、お母さんの分まで」

 

 それから一週間後、彼女は自らノロに還った。

 結芽はその知らせに一晩中泣いた。

 

 真希の懐で泣きつかれて寝るまでずっと、ずっと泣いた。

 

 

 ────────────────────────

 

「行ってしまった」

「うん、数週間のことだったのにもっと長かった気がする」

「美炎も? 実はわたしも」

 夏の山開き、富士山頂から火口の中心に刺さる八千剣を紗耶香と美炎は見つめていた。

「二人ともぉ! ごはん買ってきたわよぉー!」

 智恵は舞衣と共に風呂敷包みに入れてごはんと飲み物を持ってきた。

 富士山の広大な眺めを眼下に、四人は温かいみそ汁を一口飲んだ。

「はぁーあったまるぅ」

「行ったことない子とのんびりしたいって言ったのに、山登りをするなんて思わなかったわ」

「でもこうやって智恵さんに美炎ちゃんと一緒なのもいいと思うよ」

「うん、二人にはお世話になったから」

「サーヤ~固いよぉー」

「え、うーん、友達だからもっと一緒に居たいって思った」

「ふふ、紗耶香ちゃんらしくて好きよ」

 照れ臭げにする紗耶香と笑い交えながら、四人は再び火口へと目を向けた。

「ヲノツチさんとホムラノチさんは大地に還った。そして今も私たちと一緒にいる」

「美炎ちゃん、本当にもう声は聞こえないの?」

 智恵の問いに黙って首を振った。

「私たちも、御刀も、ノロも、そして精霊も、この世界を生きる命。そんな大事なことが身近にあるのに、すぐに忘れてしまう。でも私、可奈美ちゃんを信じてた。きっと可奈美ちゃんなりに答えを探し出すって信じられた。こんなにうれしいことはないよ」

「舞衣、この体にはタギツヒメの思いが残っている。私はノロと人がもっと分かりあって、一緒に生きていける世界を作りたい」

「そうだ、俺たちはまた前のように祓うだけがノロとのあり方じゃない」

 と、ガタイに見合わぬ大きなリュックを背負い薫が四人の前に現れた。

「薫ちゃんも?」

「いつもトレーニングで登るんだが、見覚えのある人影があったもんだからもしかしたらと思ったら」

「偶然なのね?」

「おうよ、な、ねね」

 ジャングルハットの中からねねが顔を出した。

「ねぇー!」

「そうね、私たちは新しい道を探していける」

 太平洋側へ目を向けると、陽は高く、雲は足元を泳いでいる。

 薫は標高を気にもとめずに叫んだ。

「初めの一歩だ! 気合入れねぇとな! あー! 給料分働いて、給料分休んでハッピーっ! だけど働くのだーりーぃーっ!」

「あきれたわ」

「でもでもー」

「いつもの薫らしい」

「ねねーっ!」

 

 ───────────────────────

 

 あれから半年ほど、山里は白く包まれながら、眼下の田園も遠く、雪の世界に埋もれている。

 結芽はコタツで居眠りする可奈美を右隣に挟み、正面の姫和に目を向けた。

「みかんもう一個食べていい?」

「結芽、もう幾つ目だと思っている」

「まだ六個」

「我慢しろ、明日の分もなくなるぞ」

「ええ、いいじゃん、また買ってこれば」

「そのまま食べ続けると、春になるころには燕ではなくペンギンになっているぞ。それに今年の年越しは真希さんたちと一緒じゃなくていいのか?」

「いつも一緒にいるし、親衛隊の時も一緒に年越しだったから、今年ぐらいは他のみんなとって寿々花お姉さんに薦められたの」

「そうか」

 窓からしんしんと降る雪を眺めながら、結芽はあの時、自分を引っ張り出した母の姿を思い出した。

「ねぇ、ひよりねぇ」

「……なんだ」

「なんでひよりねぇはお母さんのこと知っていたの」

「それは、昔、母を頼って訪ねて来たんだ。母の後輩だった恵実さんは、自分の事をすべて話した。母には嘘はつけないと、荒魂化した人の存在も、恵実さんの話から聞き知った。母は恵実さんにはこの家を使ってくれと言ったが、あの人は翌朝に出て行ってしまった。一つの置き土産を残してな」

 姫和は傍らの小さな箪笥から、細長い桜木細工の小箱を結芽のもとに差し出した。

 その中には三羽の燕が彫金された、小柄が入っていた。

「娘であるお前に返す」

「ありがとう」

 姫和は照れくさげに蜜柑を剥き、その半分を結芽へ渡した。

「いいの」

「半分だけだ」

「私もちょうだい、ひよりちゃん」

 驚いた姫和は、可奈美がまだ眠っていることに気が付いた。

「可奈美、お前は夢の中でも蜜柑を食っているのか」

「ほんと、おかしなの」

「まったく、呆れる」

 

 ────────────────────────

 

 穏やかで、どこか騒々しい彼女たちの日常が続く

 どこかで、ここで、彼女たちの幸せを祈っています。

 命ある限り、続いていく人生の道端で

 私はいつまでもあなたの背中を見守ります。

 心ある限り、あなたとともに、

 あなたの大切なものとともに、いつまでも。

 

 And I shall sleep in peace until you come to me.

 

                       (了)…



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【-異端・神キ編-】
第参拾壱話「結芽、始まりの土地へ」


 [ハ世-FIRST-W1]

 

 三人は野山を駆ける、ここは京都と滋賀の県境近くにある里。里は長く人がおらず、しかし冬のこの時期に顔を出す動物もなく、静けさを讃える深い、深い枯れ木の声が谷に木霊する。

「ここだ! 楠木神社、目的の物はここに!」

 美炎は振り向き、坂道の奥から草木の声でないものに耳を澄ませた。

「美炎ちゃん!」

「先に行って! 目標物を回収したら水道橋まで」

 振り返った彼女の眼帯にチラチラと赤く燃え立つものが見えた。

「諒解した、先に行くぞ」

 姫和と可奈美の遠ざかる背中も遠くに、晒しに巻かれた左腕の下からボロボロになった拵えが顔を覗かせた。

 彼女の制服下に着たスーツのデバイスが反応し、首元から立体映像が映し出された。

「こっちに真っ直ぐ上がってくるのが二体、敵はSK-1Sタイプ」

 清光を抜きはらい、駆け出した彼女は闇夜から飛んでくる二本の矢弾をはじき返した。だが矢は糸を吐いて清光に絡みついた。

「ノロ侵食型!」

 眼帯の内部機構が開き、シャッター機構が僅かばかり開いた。

「趣味、悪っ! 神居!」

 刀身に火が纏い、それが糸ごと矢を焼き払った。

 正面には鹿型大型荒魂の頭部に足、角の代わりに矢を発射する機構が備わっている。

 美炎は迷わず二体を斬り捨てた。

「二人はっ」

 ディスプレイに作戦成功を示す『GD』の記号が出て、彼女は周囲を警戒しつつ固着薬をノロへと放り投げた。

「少ない」

 スペクトラム計が巨大な赤の波長を検知し、警笛を弾かせた。

「荒魂! どこに!」

 荒れ果てた田畑から鹿型の角を連結させた、蛇型の荒魂が姿を現した。

 画面には『SK-H+O』の名が表示されていた。

「どうりでここまですんなりと来れたわけだ。イドF90まで解放」

 美炎の髪がほんのりと紫炎を輝かせ、その足は八幡力で高く直上へと跳ね上がらせた。

「神居! 三式!」

 三度の斬撃が一体となり、一塊の散弾が地面を叩いた。だが、渦巻く骨の体が天に昇り、骨の合間から矢を隙間なく撃ち放った。

 彼女は炎を全身に纏うが、それを貫通して彼女の写シに突き刺さっていく。

「神居で溶解しない!」

 清光を振り回すが、骨の渦は彼女の頭上で閉じようとしている。

「こうなったら、ここで時間を稼ぐしかない! F50までの解放を!」

〔許可できん! 意地でもそこから抜け出せ! 〕

「可奈美たちの持った天都風土未記を届ける方が大事!」

〔死ぬ気か! 〕

「遅いか早いかじゃない!」

 美炎を覆う炎は眼帯の機構が開放に向かうごとに、より大きくなっていく。

「死なば、もろとも……」

 最後を悟った彼女の視界に、四枚の羽根を持つ黒い鳥が人影を連れて降りてくるのが見えた。一輪の後光が輝く。

「燕……結芽?」

 人影は刀を抜くなり、写シも張らず骨の胴を切り裂き、背骨部分を伝って迅移で鬼型の頭を突き砕いた。

 H+Oは崩壊し、眼帯の機構は自動的にシャッターを閉じた。

「燕結芽が荒僕を殺した?」

 美炎は、力なく地面に倒れた彼女に向かって清光の切っ先を振り上げた。

「お前さえ……お前さえいなければ!」

 だが、結芽の体に降り立ったあの鳥が美炎をまっすぐ見据えた。

「……? どけっ!」

「なりません」

「は?」

「この本来の燕結芽も、禍神の燕結芽も殺してはならない」

「なぜ? こいつには、悲しみと恨みの全てを受けてもらわなきゃいけないんだ!」

「神居の娘よ、あなたは本当に人を殺してはならない。たとえそれが偽りの存在であっても」

 美炎は刀を降ろし、その鳥を睨みつけた。

「私はあなたたちが天都の書に辿り着く日を待っていた。そうすれば私は……」

 鳥は後光を失い、その身は両手に収まるほどの小さな体となった。

「また、敵が増えるのか」

〔美炎! 応答しろ! ヘリがお前を探している! 〕

「諒解、マーカーはイエロー」

 ポケットから取り出したペンライトは煌煌と緑に近い黄色の光を放った。

 

【ウ世-SECOND-W-AW1】

 

 目の覚めた彼女はその見覚えのある光景に困惑した。

 それもそうである、あの富士での決戦の狭間で垣間見た光景であったからだ。

「ここは死と隠世の狭間」

「そうです」

 傍らに座る皐月夜見に、自身の身を見た。特五の戦闘服にソハヤノツルキウツスナリ。

「制服は返したはず」

「私が記憶を頼りに復元しました。ソハヤノツルキは向こうから拝借してきてもらいました」

「復元? 拝借? 何言ってるの夜見おねぇさん」

 彼女の悲しみに沈んだ顔に、結芽はこらえきれず手を取った。

「ねぇ、結芽は、やっぱり駄目だったの?」

「違う……違うのです! 結芽さんはたとえ私の知っているあなたでなくても、優しくて、思いやりのある私の結芽です。でも、それは世界にあってはならないことなのです」

 そこで世界は真っ黒に包まれた。

 

 [ハ世-FIRST-W2]

 

 ようやく見開いた世界はあまりにも限定的であった。

 ベットに拘束された体、檻の向こうでケースに封じられるソハヤノツルキの姿が見えた。

 檻の向こう側にいた女性が、結芽を見るなり赤い受話器を手にした。

「目覚めました。荒魂の傾向はみられず、神化の角も見られません」

 自由に身動きの取れない結芽は諦めて天井の照明を見た。

「夜見おねぇさん、何が言いたかったんだろう?」

 檻の鍵が開くと、見覚えのあるサイドテールの少女が結芽の前に立った。

【挿絵表示】

 

「たしか、調査隊の」

「え? 私が調査隊にいたことはありませんよ。仮称『燕結芽』さん」

「仮称?」

「えーと」

 端末を持った彼女は結芽に『検体Y・TUBAKURO-NOT?』という呼称がついていることを告げた。

「記憶はしっかりしているようですね。ところで、あなたは誰ですか」

「何言ってるの? 結芽だよ、燕結芽」

「ふむ、ちゃんと自身を燕結芽と判断している」

「ねぇ」

「ちょっと待ってください」

 タブレットでの細かな入力をし、情報を送信した。

「私は鈴本葉菜です。旧調査隊の誰かと勘違いしたのでしょ?」

 葉菜は彼女の腕に腕輪を装着し、端末で封印を有効にすると慣れない手つきで拘束を解いた。

「変わった制服ですね、記章は旧自衛隊のみたいですが」

「何言ってるの? 特五の制服だよ」

 

【挿絵表示】

 

「とくご?」

「ほら、禍人処理をしてた防衛省第五特殊作戦班の服だよ」

「禍人? 新しい荒魂ですか、それに旧自衛隊にそんな組織ありましたかね」

 葉菜の何気ない返しに、結芽は首を傾げた。

「記憶に混乱がある? 燕結芽さん、お誕生日は」

「3月3日」

「今年でいくつ?」

「13だよ!」

「おかしい」

「おかしくないよ!」

「あなたは12歳で死んだんですよ。なぜ歳を重ねている自覚があるのですか?」

 それは正しい、でも違う。何かが違う。

 と、廊下の奥から姫和と可奈美が歩いてきた。

「かなねぇ、ひよねぇ!」

「こ、こんにちは燕さん」

「ん? なんか固いよ! いつものように結芽でいいんだよ」

「やめろ!」

 いつもと違う、険悪な空気が姫和から発せられる。可奈美はそれを止めることもしなかった。

「どうしたの? 昨日も鎌倉の本部であったばかりだよね」

「お前は何を言ってるんだ! 1年前、自分で鎌倉を破壊しただろうが!」

「え、何を言ってるの」

「十条さん!」

 葉菜は結芽の側を立ち、二人の前に立って小声でいくつかのことを言い、その場を去らせた。

 結芽はスカートを握りしめ、目を泳がせた。

 葉菜は大きなため息をついた。

「あの人もあれさえなければ」

「ねぇ鈴本のおねぇさん、結芽は知らないところで、何をしてたの」

 葉菜はわざとらしく端末の画面をスクロールさせてから、スリープモードのボタンを押した。

「一つだけ事実を言うとすれば、今年は2021年1月、あなたは15才のはずです」

「え? 今日は、ええと、2020年2月10日でしょ?」

「そうですか」

 葉菜はぶっきらぼうに返事すると、檻の扉を出でて閉めた。

 結芽は叫ぶように問いかけた。

「ねぇ! どうして結芽はここに入れられているの!」

 葉菜は困ったといった表情で、結芽から目を離した。

「さぁ、あなたは本当に燕結芽なのですか?」

 

 [ハ世-FIRST-W3A]

 

「おかしいなその報告」

 寿々花に手渡された端末には『彼女は我々の知る彼女ではない可能性大』と締められた報告文があった。

「安桜を救い、殺されそうになったところを四つ翼の大カラスに救われ、こうして保護されている。ちゃんちゃらおかしいですわ」

 薫は旧式のPCが居並ぶテント内で、黄色く劣化した画面に映るドローンの映像を見つめ続けた。

「黒い制服、俺たちどころか国防軍さえ知らない部隊のもの。そこに燕結芽はいた、か」

「どうします? 隊長の裁可があれば封印環ですぐに」

「そうだな、お前にあいつは殺させんよ」

 寿々花は冷めた目を彼女に向けた。

「まだ、そうやって情で動くつもり?」

「寿々花さんや、あんたはそこまで落とすのは嫌だね」

「薫さん!」

「真希との約束だ。作戦、はじめるぞ」

 薫はヘッドセットを付け、回線を繋げた。

〔鎌倉上空よりの偵察は続行! 今より現世空間層の復元を開始する! 〕

〔了解、回転翼特戦班およびオペ実行部隊突入する。〕

 寿々花もヘッドセットをつけると、ブラウン管ディスプレイに流される情報を読み流していく。

「薫司令、隠層に鹿頭型式、SK-1FF(鹿頭1型戦闘機)一個中隊が侵入してきます」

「来たか、もう気持ち悪いとも思わん。壮観の一言だ」

「撤退すべきと具申します。たった一個小隊では貴重な解層部隊を失います」

「いいや、美炎にS3改で出させろ。試作の層境飛走装置もつけてな」

〔もうやってるよーっ〕

 

【挿絵表示】

 

 美炎はトラックの荷台から降りると、洗練されたS・A(ストーム・アーマー)三号改のワインレッド色、美濃関の制服の下にはノロの補助を得るS・S(ストーム・スーツ)が着こまれ、ヘッドセットが彼女の頭回りに立体映像を表示した。

「S3改の初陣でLS(レイアー・スカイ)の初実戦か、薫も無茶言うよ」

「ほのちゃん! LSは急上昇の時に層の物理干渉でフレームアウトしやすいから勘で補正して!」

「え? プログラム組む話どこ行ったの?」

「四の五の言わずに行って! 任せたよ!」

「はぁい、六角親衛隊隊長」

 演算とスペクトラム計のデーターをリアルタイムで同調、琥珀色の回転装置が両腰の装置から飛び出し、彼女の思考回路がLSと一体化。美炎の体は小田原から茅ケ崎海岸を飛び立ち、まっすぐ境界の中和地帯を突破して、異層のなかへと飛び込んだ。

 三機のBK117の傍に着きながら、スペクトラムレーダーの端に写り込む群影にSK-1FFの表示が示された。

〔安桜はSKの邀撃に向かいます〕

〔了解、オペは必ず成功させる〕

「よし」

 美炎は背中のウェポンラックからMMK(マイクロミサイルカノン)を持ち、上空で射程に入る標的を次々とロックオンしていく。そしてレーダー内に標的がいっぱいになったところで引き金を引いた。

 発射装置から四方八方へ白い閃光が尾を引いて走り、上空を羽で飛んでいた鹿頭の荒魂たちがことごとく消し飛んでいく。七割が消し飛んだところで、彼女は今までの刀装具らしくない工業製品的な拵えの清光を抜きはらい、終結しつつある群体へ飛び込み一体を斬り裁いた。

 ヘリは御社への参拝道の真ん中に降り立ち、事前に鎌倉各所に打ち込んでいた八本のTH柱(珠鋼)の位置を確認。

「安桜が派手にやってくれてる、今のうちに」

 短髪の古波蔵エレンは頷き、研究チームと共に端末を用いてのTH柱との同調を開始した。

「主任、状態レベルD。隠世の侵食が激しすぎます。が、理論上は復元はできます」

「結構! プログラム起動は210秒後、一秒前まで誤差修正作業を続けてください」

「はい!」

 上空を見上げた木寅ミルヤは不穏な空気を感じて、端末のスぺクトラム計の反応に中止した。

 わずかだが、小さくしかし大きくなる波長をレーダーは読み取っていた。

〔本部、こちら木寅。海上に巨大な反応がある。艦砲射撃を求む〕

〔了解、これより護衛艦艇による砲撃を開始する〕

 平面体を合わせたような護衛艦『にっしん』は127mmオートメラーラを指示海域に射撃開始。その時、海上を横断する瘴気の閃光が一本のTH柱を飲み込み、森ごと消し飛んだ。

 艦砲の着弾地点には大きな破裂が生じ、焼夷の噴煙が大きく立ち上った。その中に鹿型の骨で作られたカタパルトレールのような巨大な構造物が姿を現した。

〔こちら安桜、海上に偽装型荒魂を発見、SK-RK1と断定、海中には動力供給特化のSK-4Aが二体〕

「はじめから逃がすつもりもねぇらしい。美炎、頼めるか」

〔了解、MMKコンテナ廃棄、F85までの解放を〕

〔許可する〕

 エレンは冷静にプログラムの改定作業に終始し、ミルヤは海岸側から来る荒魂たちに目を向けた。

「通常型鬼頭型の群体だ、特戦班! 迎撃準備!」

 

 

 



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第参拾弐話「迷える炎、その名は美炎」

 [ハ世-FIRST-W3B]

 

「結芽は変な夢でも見てたのかな」

 ベッドに突っ伏しながら、ポケットを探ると一本の飴が出てきた。

「でも、昨日、真希おねぇさんにもらってそのまま持ち帰って、ううんやっぱりおかしくなってない」

 また夜見の姿が蘇り、その後ろから四枚の羽根が降り立ってくるイメージが重なった。

「あの時、夜見おねぇさんは何て言ったんだろう」

 部屋のインテリアが大きく揺れ出し、建物らしきものが大きく揺れているのに気付いた。

「地震!?」

 葉菜がその手に箱を持ち、携帯で連絡を続けながら、結芽の檻の中へ箱を置いた。

「どうしたの」

「ま、荒魂が来たんです。すぐ倒せますから心配せず」

 そう言った彼女の予断を許さないといった表情が嘘をつかなかった。

「大人しくしててください!」

 駆け出した葉菜は曲がり角で姿が見えなくなった。

 ここは建物ではなく船、それも国防海軍の艦艇である。

「まさか軽空母をピンポイントで攻撃してくるなんて」

 艦橋で激しく通信が交わされる中、軍服を纏った朱音は葉菜へと視線を向けた。

「まさか、鎌倉は囮」

「そうかもしれません……柊家文書の解読も終わっていないのに、大胆です」

「幼い心ゆえに、大人の心の余裕を突けるのでは」

「今は退避を優先。薫さんたち解層班は任せましょう。それにしても無邪気に過ぎます」

 相模湾を飛んでいた同じ個体のSK-FFが、青空に黒い大穴を開けている。いや、光さえ通さぬ群衆である。

 軽空母『かが』を中心とする護衛艦艇群は迎撃を開始、群は急速に数を減らしていくがCICのスペクトラムレーダーのオペレーターが声を荒げて報告した。

〔群の中に巨大な物体あり! これは……RD-OS(リプロダクション・オオシカ)! 〕

「群団のコアをわざわざ海上で? まさか、乗り込む気」

 身長150mはあろう鹿型大荒魂の複製体。この荒魂が群の脳であり、中心である。また群の中で最強を誇る荒魂である。

 群より投下された巨体の足が、艦隊最前衛の『まや』に降り立ち船が喫水線をさらに越えて、甲板まで海面下に沈む。そこから二本脚で飛び上がり、右後方の『あきづき』に着地、上部構造物がことごとく破壊され、火を噴いた。

 その様子を見つつ、艦隊司令は朱音と意見を同じくして艦隊を散開させつつ、SK-FFの迎撃を優先。ただし、主砲は大鹿へと向けた。

 だが表皮に炸裂する砲弾をもろともしない。

「T弾頭127㎜徹甲弾……効果なし」

「ついに珠鋼を克服した。あれを倒すには百人の刀使が必要……」

「対艦ミサイルは近すぎて使えません、このまま艦の安全を優先します」

 爆音と海中を伝う音が艦を通して結芽にも伝わっていた。

「ここ船なんだ、なら海上でも襲ってくる荒魂……危険すぎる」

 しかし、ここは檻の中壁に備えられたライフセーバーに手が伸びなかった。

「でも、今の結芽じゃ」

 ベットに横になった彼女は目の前で暴れ出した箱に飛び起きた。

 鳥らしき鳴き声に結芽は箱をそっと開くと、飛び出した影が天井近くで四枚の羽根を広げた。

「うわぁ!」

 だが驚く彼女を気にせず、落ち着いた雰囲気の鳥は彼女の腕に降り立った。

「ヤゥタ! ヤタ!」

 その翼を畳んだ姿は小さなカラスそのもの、しかし三本の足が見た目としては奇妙だった。

「あなたは」

「ヤタ!」

「ヤタ……ヤタガラス!」

「ヤゥタ!」

「へぇー! 本当にいたんだヤタガラス!」

 だが彼女は格子を見て、肩を落とした。

「でも、もしかしたら一緒に沈んじゃうかもね」

「ヤ?」

「出られれば、結芽がなんとかするのだけど」

 ヤタは飛び上がると、格子の前に降り立ち、そのくちばしで扉をつつき始めた。

「無駄だよ、誰も来な……い」

 突いた場所から格子の金属が溶解し始め、それは赤く広がり、扉の部分だけがそっくり溶け落ちた。

「ヤーっ」

 扉を出たヤタは続いて、ソハヤノツルギを収めた箱も破壊して見せた。

 御刀を手にした結芽は自身の肩に乗ってきたヤタをまじまじと見つめた。

「あなたはいったい」

「ヤターっ! ヤ!」

「戦えってこと?」

「ヤ!」

 結芽は御刀を腰に差し、ヤタへと頷いた。

 大鹿は集ってきたSK-FFの力を借りてついに『かが』の飛行甲板に取りついた、

 その巨体の長く伸びた角から呪詛を含んだ瘴気を集中させる。だれもが死を覚悟し、甲板を逃げ回る中に肩にヤタを連れた結芽が進み出てきた。

「あ、どうやって檻から!」

 角から何のためらいなく放たれた瘴気の塊は、写シを張った結芽の一閃で海上へと消し飛んだ。

「うそ、あの一撃を」

 結芽は固い面持ちから呆れたように大鹿を見上げた。

「なんか、言うほど強くない。たぶん赤羽刀の力を得てないから力は並み程度なんだ」

 ならばと、飛び上がった結芽は迅移と八幡力を細かに組み合わせて、首筋にあるノロの中枢を断ち切った。

 巨体はゆらりと左右に振れてから海のなかへと落ちた。

 水しぶきが上がり、虹がかかる甲板の上で結芽は御刀を鞘に納めた。

 そして、彼女の周りを銃を持った兵士が取り囲んだ。

「燕結芽さん、あなたは本当に何者なのですか?」

「結芽は結芽だよ、刀使ノ巫女の結芽でもあるけど」

 御刀を構えた葉菜は切っ先を結芽の首元まで近づけた。

「ヤターっ!」

「大丈夫だよ」

「その鳥、なんです」

「質問ばっかり、たぶんヤタガラスだと思う。ね」

「たぶんって……」

 御刀を鞘ごと腰から抜くと、葉菜へと差し出した。

「結芽の御役目は果たした。戻してもらえるなら、戻る」

「それは不要です」

 進み出てきた朱音は葉菜に刀を収めるように言い、結芽は反射的に頭をさげた。

「あ、朱音様」

「私に頭を下げてくださるのですね」

「当然です。折神家当主、刀剣類管理局局長であらせられますから」

「なるほど、久しぶりにその肩書で呼んでもらえました。あなたがどういう存在であれ、私たちはあなたに二度も助けられました。お礼を言います」

「そ、そんな、やめてください。結芽は刀使の本分を果たしたまでです」

「だからこそです。今の世は刀使が本来の役目を十分に果たせない世界なのですから」

 そこに立つ朱音の言葉に疑問はあったものの、いつもの穏やかな人柄に胸をなでおろした。

 

 [ハ世-FIRST-W3A]

 

「いっけえええええええええ、神居! 零式!」

 美炎が海中から振り上げた一閃は、海水を急激に沸騰させ、巨大な砲台型荒魂をそっくりそのままひっくり返した。

 砲台の瘴気を集めるむき出しの中枢に清光を突き立て、ノロが四方へ吹き出して機能は完全に停止した。

 その水蒸気の大柱を横目に、処置チームは残り四本で時間いっぱいまで誤差修正を終えた。

「滞在限界時間一分を切ってます。即時に発動します!」

 四本の柱がその巨大な刀身を解放、そこから発せられる写シの衝撃波が瞬く間に隠世の層を現世から引きはがした。

「はぁ、はぁ、ふふ、やりましたネ」

「ええ、ご苦労様でした古波蔵さん。離層完了! 私たちの鎌倉を取り戻したぞ!」

 鎌倉上空にはあの黒灰の空が消え、美しい青空が蘇った。

「成功ですわね」

「ああ、やっと一勝だ。即座に物資回収班を飛ばして御刀とノロを確保しろ! その他物資は指示通りに回収すべし!」

「薫隊長! 仮本部の『かが』が強襲を受けたようです!」

「何!」

「ですが……えっと」

「いいから、落ち着いて報告なさい」

「はいっ! 敵大鹿型を燕結芽が一人で撃退したそうです! 朱音様から映像が送られてきてます!」

「スクリーンに映せ!」

 画面の監視映像には結芽が瘴気を斬り、飛び掛かって中枢を正確に斬る姿が映っていた。

「なるほど、大鹿のノロ中枢はここにあって、ここを断つには御刀の刃でしか通らないわけか」

「ゆ、結芽さんがこんなに正確な戦い方はしません」

「やっぱり、あそこにいる結芽とは別の結芽じゃないか」

「そ、それが現実にあり得ると」

「なら、人の魂を母体とした荒魂が逆に人に飲み込まれて禍神と化し、その禍神の放った荒魂群と隠世の干渉で世界の半分が異層に沈んだこの世界、あり得ないことを受け入れないよりも先にすべきことがある」

「その現象を解読し、次への糧とすべしと」

「絶対に理由があるはずだ」

 

【ウ世-SECOND-W-AW2】

 

「結芽さんは、いえ、裏の結芽さんは元気にしているでしょうか」

 彼女の後ろから光り輝く四枚の羽根の巨鳥が舞い降りてきた。

「燕結芽はこの世界に紛れ込み、我々の想像を超えた成長を遂げた。向こうの私もいる。アマノウズメは彼女に託すべきと決めている」

「私の愛した人よ、私の袂に帰れ、私の愛した人よ、彼の袂に帰れ。結芽さんどうかご無事で」

 

 

 [ハ世-FIRST-W4]

 

「朱音総司令」

 葉菜の落ち着いた表情に、彼女はしごく落ち着いた様子で艦橋の椅子に座っていた。

「まだ気がかりですか」

「ええ、抜けきるのは不可能かと、でもきっかけは得られたと思います」

「話してくれましたか」

「はい、燕結芽が辿ってきた全てをこの耳に、その上で朱音様にお願いがあります」

 

 ほぼ半日ぶりの食事にありついた結芽は、カレーを食しつつその一口を傍らのヤタへ分け与えた。

「おいしいカレーだね」

「海軍カレーです。分かりやすく言うなら毎週金曜日の海自カレーでしょうか」

「へぇーレシピ教えてもらいたいなぁ」

「燕さん」

 改まった雰囲気を感じたが、結芽は黙って首を振った。

「結芽でいいよ、私も葉菜おねぇさんって呼ぶから」

「では結芽さん、どこか行きたくないですか」

 彼女はスプーンと器を置いた。

「もう一人の私に会いたい」

 やはりそうなのかと、と葉菜はそれを覚悟してか静かに頷いた。

「でも、どうして」

「結芽はいろんな人に好きになってもらった。愛してもらった。たとえこの身がどうなっても、それが小さな私の矜持と信じてやまなかった。なのに、もう一人の私は自分自身が愛したものを壊しまわっている。なんでそんなことをするのか問い詰めたいの」

「問い詰めて」

「殺さないよ。結芽はどうして二人いるのかその意味が知りたいの」

「変わってますね」

「変わったんだよ。さっきもそう言ったでしょ?」

 幼さの中に芯の通った、まっすぐな瞳が葉菜に向けられた。

「分かりました! ただ旅には私も同行しますから、それだけはお忘れなく、後これを」

 結芽へと拳銃とホルスターが差し出された。

「あ、グロック19だ、懐かしい」

「え?」

 結芽は慣れた手つきで銃を分解し、各種部品の状態を見た。

「扱ったことあるんですね」

「うん、特五に居た時簡単には、クリーニングキットはある?」

 

 強襲揚陸艦『ましゅう』に戻ってきていた美炎はすぐに司令官室へと通された。

「ふざけているの」

「ふざける必要もありません。適任と判断したまでです」

 スクリーンの前に立つ葉菜を睨み、彼女は諦めて端末を操作し次へと進めた。

「タギツヒメの大災厄がトリガーとなり起きた、世界落層事件。その始まりの禍神、第二のタギツヒメを生んだ魂こそが」

「燕結芽だ」

「でも、なぜこの世に二つも燕結芽の魂が存在するのか、あなたは考えていますか」

「決まっている! あいつは今度は邪魔をする刀使から根絶やしにしようとしているんだ」

「あなたは私怨で動くと」

「決まっている! みんな……みんな……隠世に飲み込まれて大切な人を失ってしまった」

「これはあなた自身の話です! あなたは刀使の役目を全うするのですか! 復讐のために人を殺すのですか! 智恵さんがそう望まれるのですか」

「気安くちぃねぇの名前を出すな!」

 向かい合った二人はしばらく黙り、朱音は大きなため息をついた。

「なら、今回の任務に同行できますね」

 一度朱音へと目を向けたが、すぐに目をそらした。

「あいつはなぜ自分に会うって言ったんだ」

「はぁ、あの子ははっきりとなぜ愛するものを傷つけるのか、それを問うと、それが燕結芽という刀使の御役目だと言いました」

 朱音は席を立ち、美炎の手に蓋の付いた小さな装置を手渡した。

「その時はあなたの手で燕結芽を殺しなさい。あなたにあの子の命の裁量権を与えます」

「封印環の神化殺し」

「朱音様!」

 葉菜のその目に、朱音はただ首を振った。

「命を背負えないものが、人の生き死にを語るなどあったはならない。常識ある刀使の一人であると、安桜美炎さんを信じます」

 頭を掻いた葉菜は深呼吸し、改めて美炎へと向き合った。

「出発は明朝5時、黒板前に時間厳守です」

 美炎は装置を手に、ただ立ち尽くしていた。

 

 

 



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第参拾参話「心の守り人、葉菜」

 [ハ世-FIRST-W5]

 

 結芽は荷物と新しい懸架装置に御刀を佩くと、波音のひたすら響く朝明けの海が一面に広がっていた。

「よぉ、綺麗だろ」

 薫は何げなく結芽へと話しかけた。

「うん、みんなで見に行った初日の出を思い出す」

「江の島か?」

「そうだよ」

「ああ、あそこからの眺めは絶品だ」

「でも」

「気にするな。ここにいるお前さんがそうしたわけじゃねぇ、それに現世は俺たちが取り戻す。すぐにまた行けるようになるさ。実は昨日な、鎌倉を荒魂から奪還してきたんだ一年かかったよ」

「でも、道は開けた。あとは為すべきと信じたことを続けるだけだね」

 薫は驚いたように結芽の顔を見て、納得したようにもう一度太陽へと目を向けた。

「そういえばねねは?」

「あ……まぁ元気にしてるだろう。探してはいるんだがな」

「きっと見つかる」

 奥の扉から出てきた葉菜が結芽へと手を振った。

「見つかるかな?」

「結芽はずっと探してたよ、そして見つけられた。だから、今度も見つけ出して見せる」

「そうか……話せてよかった。見つかるといいな。あ、これ」

 薫はイチゴ大福の値付けを結芽に差し出した。

 結芽は思い出して栗型に結び留められたイチゴ大福を見せた。

「なるほど、じゃあこいつを届けてやってくれ、ずっと真希が預かっていたとな」

「うん! またね益子のおねぇさん!」

「おう!」

 葉菜のもとへ向かう結芽の背中を見送りながら、扉の影に立つ寿々花に気付いた。

「なぁ寿々花さん、あいつ見てると、なんか帰れそうな気がするな」

 しかし声もなく、寿々花は艦内へと戻っていった。

「おまたせ葉菜おねぇさん! あれその制服」

「ええ、結芽さんの格好に合わせて親衛隊の服を拝借しました」

 そこへと昨日と変わらぬ美濃関の服に、深紅のSアーマーを着た美炎が進み出てきた。

「時間通り来ましたね。結芽さん、彼女も同行します」

 あの姫和の時と同じ不信の眼差しがあるものの、どこか疲れた雰囲気も漂っていた。

「美炎おねぇさん」

「まだあんたわ信用したわけじゃない。裏切ったら殺す」

 甲板に駐機するオスプレイへと先に乗り込んだ彼女の背中を見ながら、結芽と葉菜は互いに顔を見合わせた。

「今回の大戦力なので彼女抜きでは行けないのです」

「もう一人の結芽がいるところって」

「大江山、かつて酒呑童子が根拠を構えた巨大なノロ集結地。今は禍神となった燕結芽の牙城です」

 数時間の飛行ののち、オスプレイは福井県小浜市の北部に到着した。

「ここからは大江山との最前線が近いので船で舞鶴港に向かう必要があります。舞鶴から内陸の道を通り、最前線司令部のある天橋立。そして目的地の大江山に行きます。日本海側は層の侵食が比較的軽微なのでレベルB域なら一日程度の滞在は問題ありません」

 接収した民間船に乗り込み、三人は早々に小浜を出た。それもそのはず、隠世の侵食から逃げてきた避難民が町中に溢れ、治安は落ち、現地警察は標的にされがちな刀使に早々の退去を勧告する。それも、オスプレイが到着してすぐのことだった。

「気持ちは分かるのですが、刀使も慢性的に人手不足、もう少しいたわってほしいところです」

「現世層の復元プログラムが日本を完全復元するまでに最低三十年。それに隠世からのノロの侵入で大型荒魂とその下っ端の軍団と戦うことをいれて」

「五十年以上かかる。本当に世界は」

「そうだよ、隠世に侵食されて、元に復元しても人間には禍神への覚醒リスクが伴う。その象徴が燕結芽、あんただ!」

「美炎さん!」

「事実を言ったまでだよ、じゃあなんだ! 鈴本は生涯刀使でいられると思っているの!?」

 窓から外を見ると、海岸にはボロボロの衣服を纏う子供たちが釣り糸を垂らすが、その先には餌がない。

「刀使は代を入れ替えることで人間とノロの関係を保ってきた。それは古代の人間が自分たちの力を封じるそのためのものだった。なのに、人もノロもどうしようもないほど自分勝手で、気付いたら簡単に世界は破壊できてしまった!」

「どうしようもならない私の過去、それがこの世界」

 子供に交じって、骨と皮ばかりの大人が混じっていることに気が付いた。

「ヤタ?」

「ううん、なんでもないよ」

「これが現実なんて、ひどすぎるよちぃねぇ……」

 頭を抱える美炎を無視するように端末を操作しているが、葉菜の手はあきらかに震えていた。

 だが端末がアラートを吐いた瞬間、窓から海上を見た。

 視界には海面を跳ねるエイのような物体に、頭部には鬼頭がついていた。

「新型のOK-SD! 海中をゆくタイプ」

 荒魂は船を無視して小浜の港へ一直線に向かっている。

「あいつ! 倒さないと避難民を襲う!」

 葉菜はためらったが、結芽は彼女の名を呼んだ。

「はい?」

「まずは荒魂を討伐、でしょ」

「しかし、時間も資材も足りません」

「私が倒してくる! 船は適当に回しておいて」

 LSの装置を稼働させると、両腰の装備から琥珀色の二つの球体が飛び出し、美炎は海面すれすれに飛び上がった。

「すごーいっ! 空を飛んでる!」

「結芽さん! 御刀持って甲板へ!」

「うん!」

 船は美炎を追いかけながら、水中を跳ねる荒魂が間合いに入ろうとする姿が見えた。

 その時、跳ねた体は宙を一回転し、美炎の左腕をくわえて水中に飛び込んだ。

「美炎おねぇさん!」

「弱らせるためにもう一度出てくる!」

「無茶する?」

「おおいに無茶です」

「やるよ!」

「ヤタ!」

 水中でもがく美炎は徐々に砕ける左籠手を気にしながら、振り落とされそうになる清光を必死で握った。

 業を煮やした荒魂は海面に急上昇し、高く高く飛び上がった。

 だが、鬼頭を一突きにする影が飛び込んできた。

「もういっちょー!」

 柄を叩くと、頭は真っ二つに割れ、荒魂の頭部からノロが弾け出た。

「飛んで!」

「うるさい!」

 美炎はLSの主機を全力回転させ、荒魂から結芽が離れた瞬間を狙ってその巨体を空へと放り投げた。

〔腹の下の口見えますよね? あの上の先端を斬って! 〕

 体勢を直そうとするまだ生きている荒魂へ、清光の一閃が叩きつけられた。

 肉体からノロが吹き出し、海面へと没していった。

「葉菜おねーさーん! 前にーっ!」

 結芽の目の前に海が近づいてくる、と一寸前で体が宙に抱き留められた。

「え?」

「戻る」

 美炎は彼女を抱えて船へと戻ってきた。

 

 

 [ハ世-FIRST-W6]

 

「燃料不足で美浜で降りろ……て、それはないでしょう?」

「仕方ないでしょ? 私も行き倒れは勘弁。とりあえず燃料を調達するのに二日かかる、待ちます?」

 結芽と美炎の顔は葉菜に任せると書いてあり、彼女はため息をついた。

「舞鶴まで歩きましょう。一日あれば山を越えられます」

 さすがに三人とも刀使としては体力派とあって、背中に大荷物を背負っても何食わぬ顔で坂を上がっていく。

 夜になるころには山の中も視界が無くなり、三人は自然公園と書かれた場所で一泊を取ることにした。

 インスタントのコーンスープと乾パンをかじり、空を覆う広大な宇宙を木々の隙間から見上げた。

「空はどうなっても変わらないんだ」

「私たちがこうしているのが、なんだか小さなことのようですね」

「人の明かりが少なくなれば、そりゃ見えるでしょ」

 そう悪態をついた美炎は黙ってテントの中に入っていった。

 

 その夜、ヤタが鳴き、結芽はうつらうつらに起き上がって外に出た。

「なにぃ、まだ朝じゃないよ」

「ヤーっ!」

「ん?」

 ヤタの横に並んだ影にライトを照らすと、結芽の眠気は消し飛んだ! 

「ねね!」

「え、うそ!」

 葉菜と美炎を叩き起こした結芽は自身のテントに引き入れた

「ねねーっ!」

 そこには身は土汚れているが、特徴的な両目が三人をまじまじと見ていた。

「ね、ねね! 生きてたんだね!」

「ねーっ!」

 嬉しそうに美炎に飛び込んだ小さな獣に彼女は涙を流した。

「よかった、元気で、本当によかった」

「ね……」

 ねねに余った乾パンをあげると、美炎はねねが行方不明になった理由を教えてくれた。

「大江山への攻撃は二回、つい三か月前に薫司令の東方方面軍と大江山との戦いを継続する北方方面軍で攻勢にでた。でもその時に相手をしばらく行動不能にまで追い込んだけど、消耗しすぎて散り散りに天橋立まで撤退したの、その時に薫を守るためにねねは殿に出て……よかった、生きててくれて」

 ねねを離さない美炎を嫌がることもせず、静かに彼女の傍についていた。

「とりあえず、寝ましょう。話はあらためて朝にでも」

 

【ウ世-SECOND-W-AW1】

 

「ここで得たものは本当は結芽が得てはいけなかったもの……ねぇよくわからないよ」

 夜見は穏やかであった。だが、それ以上に語るすべがないこともはっきりしていた。

「私がお話ししましょう」

 霧の空から降りてきた後光を輝かせるヤタガラスに結芽は呆然とした。

「わたしはみなさんがヤタガラスと呼ぶ概念。人は時に神と定義しますね」

 結芽はその存在があのヲノツチに似通いつつも、それを超える覇気を感じた。

「あなたはこの世界の燕結芽ではないが、同時にこの世界の燕結芽になりえる存在です」

「それは、どっちなの?」

「あなた方が世界と呼ぶ循環の中ではどちらもそうであるからです。しかし、あなたはここに来るときには燕結芽ではなく新しい命にならねばならなかった。人格と記憶はあなたの前にいた空間でのみしか機能しえないのです。それがそのままここにあるのは異常なのですよ」

「何を言ってるの?」

「いずれ分かります。この世界に人として復活を果たし、成長したあなたなら、それを理解しえます。だからこそ、戻った先で命を貫き、ふたたび我々の世界に一つの魂として命を安定させてください。それがあなたの刀使としての御役目になりえましょう」

 世界は途切れ途切れになり、目が覚めた。

 

 [ハ世-FIRST-W7]

 

 ねねを加えて三人と二匹は山を下り舞鶴港に入った。

 だが西舞鶴の方向には、黒灰の空が空間を穿つようにそびえていた。

「あれが、隠世の緩衝地帯なんだね」

「そうです。あれが世界中、日本中にあります」

 しかし東舞鶴は生きており、軍港もそのまま機能。小浜と違って、避難民でも職にありつける街ではあるためか活気があった。

「そういえば世界が大変なのに、ねねとヤタはこのままでいいのかな」

「心配ないです。ノロには我々に味方している意思たちも多いので、美炎さんの装置も味方のノロが制御を手伝っているんです」

「本来はそういう関係なんだ、当然よ」

「ねぇー!」

「燕……」

 結芽は反射的に拳銃を構えると、額にピタリと銃口がついた。

 その9㎜拳銃を構える白く幼い表情は、よく見る彼女の顔と異なりくたびれていた。

 しばし構えあい、結芽は大人しく拳銃をおろした。

「本当に、私の知ってる結芽と違うんだ」

「そうだよ、結芽にもよくわからないけどね、紗耶香ちゃん」

「ねねーっ!」

「ねね! 生きてたの」

「ねーっ!」

 銃をホルスターに戻した紗耶香はやわらかな笑顔で三人に向き合った。

「朱音総司令から迎えの任に来ました。親衛隊北部派遣隊隊長の糸見紗耶香です」

「随分なお出迎えですね」

「ええ、仕事なものですから」

 レンガ街を抜け、駐屯地敷地に入ると久しぶりの普通の昼食が待っていた。

「今日はロシアの方から物資が届いたからタコライスと果物の盛り合わせ」

「さっすが日本海側! 緩衝地帯だらけの太平洋とは違うなぁ」

「ただ地域によっては密輸や海賊も出るから、早く小浜港と酒田港の復旧を願っているんだけど」

「大江山からの水中荒魂のせいでうまくいかない」

「出くわしたの?」

「うん、小浜に向かっていたのを一体」

「なんとか天橋立の戦力を海に回せればいいんだけど」

 昼食を終えて、しばらくしてから船に乗り込んだ。

 西舞鶴から山側の一帯が隠世化し、海を隔てる赤いブイが年月を感じさせた。

 赤錆びた警戒艇は舞鶴湾を出て、宮津湾に近づくと結芽は強烈な悪寒を感じた。

「なに、あれ」

 大江山から高くそびえたった塔は赤く光を放ち、その先端から隠世の層が干渉している。ノロの輝きに見えるが、明らかに光の波長が異なっている。

 ヤタはそれに向かって大きく鳴いた。

「わかるの」

「うん、あれは普通のノロじゃない! まったく別物!」

「最近の研究で、奴らが使う普通のノロとは違う。ノロを従わせる赤黒いノロの存在がはっきりしたの」

「そうです、そうなんです、だから刀使は禍神に敗れた。赤黒いノロは中枢を絶たなければ倒せない。以前のような荒魂との戦い方が通用しない。悪意に満ちた荒魂」

「それを、もう一人の結芽がやったんだね」

 三人はその問いに何も答えなかった。

 宮津に入った一同は、市街に設けられた北方方面軍司令部の指揮所に入った。

「な、なぜこいつがここにいるんだ!」

「可奈美さん……話してなかったんですか」

「あははは、さっき聞いたばかりで」

 配置図を前に葉菜は朱音が、結芽を鍵に禍神第二次酒呑童子を討つ計画を出した。

「結芽さんには騙してすいません」

「最初からわかってたよ、話続けて」

「はい、我々は少数精鋭。一人で軽く百は対応できる刀使六人と余力としてねねさんにもついてもらいます」

「そいつも来るということか」

 納得のいかない表情の姫和の前に、美炎は装置を突きつけた。

「もしもの時は私が殺す、それで文句はないでしょ」

「美炎ちゃん!」

「可奈美!」

 眼帯の中から黄色い輝きが何度かきらめいた。

「もう疲れたよ、疲れたけど、私は可能性がある限り前に進みたい! いつまでもちぃねぇの遺品を抱えたままじゃいけないんだよ!」

 美炎は胸からペンダントを取り出した。中には黒ずんだ炭らしきものが少しばかり入っていた。

「たったこれだけしか持ち帰れなかった。だから、私の決意は変わらない! 十条姫和! お前は押せるか! わけもなく引き金を引けるか!」

 結芽の目にあんなにも頼りにしていた二人の背中が小さく見えた。

 俯いた二人を無視し、美炎は装置をポケットにしまい込んだ。

「臆病者、それで、燕結芽の監視役であるあんたと、そいつが禍神の懐へ送る算段だな」

「はい、結芽さんにはある意味決着をつけてもらうことになります」

「うん、行くよ。みんなのために」

 出撃するメンバーは安桜美炎、糸見紗耶香、衛藤可奈美、十条姫和、鈴本葉菜、そして燕結芽である。

 

 [ハ世-FIRST-W8]

 

 その日の夜、結芽は一人で桟橋近くの岸壁で寝転がり、天を覆いつくす星の海を見上げた。

「あそこには私がいる。夜見おねぇさんの知っている、本当の私がいる。そして、結芽は本当の結芽の生きた世界に帰ってきた。理屈ではわかったけど、納得できない」

 伸ばした手にヤタがとまった。

「ヤタ?」

「あー、結芽は星を見てるんだよヤタ」

「燕さん」

 可奈美は結芽の隣に座り、星空に輝く水面を遠く、遠く見ていた。

「元気ないね、可奈美おねぇさん」

「うん……ねぇ結芽ちゃんは、ええともう一人の結芽ちゃんがなぜ禍神になったと思う?」

 結芽はヤタの背中をやさしく撫で、頭を撫でると気持ちよさそうな顔になった。

「寂しかったんだと思う。一度死んで、誰かが覚えててくれればと思ったけど、本当に誰かとの絆を感じられなくなったら、私を思ってくれている気持ちにも気づかなくなる。人って、言ったり、互いの顔を見ないと本当のことはわからないと思う」

「そうだね、自分の気持ちだってわからないもんね」

「パパとママの本当はどうしてたとか、どこに行ったとか、本音はいつも遠くにあるのに、すぐそばにある」

「なんか不思議、燕さん大人みたい」

「燕さんって、やっぱり嫌だなぁ、結芽でいいよ」

「じ、じゃあ、結芽ちゃん。私、これからどうしようかな」

「わかんない! けど」

 結芽はまっすぐに可奈美の顔を見た。

「どんなに不思議なことがあっても、よくなるように動いている。ねぇ稽古しない?」

「え?」

 立ち上がった結芽は側のソハヤノツルキウツスナリを手にした。

「大好きだよね剣術! 結芽もすきだよ!」

 笑顔の結芽を見て、可奈美のほほに一筋の水滴が走った。

「うん、やろう!」

 裾で顔を拭い、可奈美は千鳥を抜いて写シを張った。

「行くよ!」

 そうして二人は夜中、ずっと剣を合わせた。たとえ世界がどうなっても、やはり可奈美の剣は衰えず。何度も結芽は押され、拮抗し、一本を取られた。そうしていると自然と可奈美から笑顔が出た。

 

 

 



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第参拾肆話「愛するあなたへ送る」

【ウ世-SECOND-W-AW1】

 

「やっと始まったばかりなのに、なんでこんなことばかりなの」

 かつて金一が沈んだ池を覗くと、奥底の見えない深い青の世界が広がっていた。

 その中に水面に写る自分の姿が見えた。

「向こうの私は天岩戸を破壊した、そしてあなたはここに記憶もそのままにしてやってきた。でも、向こうの私は破壊の代償に魂を失った。記憶だけがヤタガラスを通して私へと来た」

「夜見おねぇさんはどうして」

「寂しさです。自分のいた場所でも、自分を頼ってくれた人にも、この上ない心の寂しさがあった。それを一心に受け止め続けて、彼女は人格と記憶がなくなり、本当の意味で孤独となるのを拒否した。その意思がノロと結び付けられ」

「禍神になった」

「私は大馬鹿です。少し立ち止まって、もう一度出会いたいと願えば再び出会うこともできたでしょうに、失うことに縋るなんて」

 夜見のうな垂れた背が静かに泣いていた。

 

 

 [ハ世-FIRST-W9]

 

「封印壁第七から第九まで開城。これより三十分間の援護射撃を開始し、以降は二種警戒態勢に移行する」

 六人を乗せたハンヴィーが進み出ると、厳重な扉が開放され、その先にはさらに壁が立つ。

「対酒呑童子特化北部絶対防衛線天橋立都市要塞か、舌噛みそう」

「免許なんて、葉菜おねぇさん持ってたんだ」

「まぁ、こういう事態になっていろいろ入用でしたから」

 最後の壁を越えると、その先はのどかな田園地域が山のふもとまで続いている。

「あれから三か月、ここが放棄されて二年半か」

 そう言いながら、美炎は銃座から流れる景色を横目に真っ直ぐ大江山を見た。

「美炎ちゃん、第二次攻勢の時はどこにいたんだっけ」

「陽動で鎌倉の大イタチ型と戦闘、倒したけど復旧は先日になった」

「そうだったね、あとこれ」

 手渡されたタブレット端末を手にすると、彼女は熱心に読み始めた。

「天都風土未記の解読、終わったんだ」

 そこには二人目の禍神の誕生、それから隠世が落ちてきたこと、生き残った人々が戦うこと、そしてヤタガラスが降りてくることが書かれていた。

「八咫の大鳥、現世に降臨す、しからば偽りの禍神を還す。そして、正しきそのものは現世の道を示さん。傷癒えた大鳥は世の理を正す。しからば世を百有余年の再生へ弾ません」

「ヤター!」

 車の後ろから来た八咫は美炎の肩に乗った。

「ちょっと、驚かせないでよ……」

 美炎はヤタの姿をまじまじと見て、顔を出した可奈美にタブレットを返した。

「可奈美、これ読んだよね」

「うん」

「どう思う?」

 腕に乗った八咫の背中をやさしく撫でた。

「姫和ちゃんはまだ信じきれないみたい。でも、ヤタガラスは確かに降りてきた。本物かわからない子を連れて」

「ヤタ?」

 

 荒魂が踏み鳴らした道路はコンクリートは剥げているものの、なんとか通れるといった体である。

「そろそろかな?」

「安桜さん! ミニミはどうですか?」

「特5.56mm弾、たっぷりもらってきたからどこへでも!」

「諒解です! じゃあ入ります」

 山の中に入った瞬間、周囲に散乱する鹿型、鬼型の頭部が道路周辺を埋め尽くした。

「ここからは10式三個小隊さえ撤退した地域ですから」

 前方から赤黒い影が見え、鬼型の四足歩行荒魂が密集して迫ってくる。

「鈴本、速度はそのままでね。さてと」

 機銃座の後ろにあるビニールシートを引き剥がすと、MMKが二機置かれている。その一つを手に、美炎はS装備の同調装置を稼働させ、レーダーに映る群に片っ端からロックをかけていく。

「ざっと千四百体か、この一波で二機ともカンバンになるか、ヤタ! 中に入ってて!」

 頭上を飛んでいたヤタを無理やり姫和の袂に放り込んだ。

「わ! わ! 暴れるな! 私はあまり鳥は!」

 美炎はMMKを両手に持ち、正面にむけて両腕を突き出した。

「撃っ!」

 発射されたミサイルは一斉に前方の波へと飛んでいき、一気に爆炎を上げた。道のかなり先まで噴煙に包まれているが葉菜は構わず炎の中を分け入り、荒魂の残骸が音を立ててハンヴィーの進行を妨害する。

「たとえ生き残りがいてもこの車の重量なら一発です! ポジティブに行きましょう」

 打ち終えた二機のMMKを放り捨てると、据え付けられたミニミ軽機関銃を構えた。首横のレーダーにははっきりと新たな群が迫っていることを告げていた。

「ねぇ葉菜おねぇさん、これどこまで続くの」

「ざっと一キロ、ミーティング通りです」

 美炎は迷いなく引き金を引くと、はじける荒魂の琥珀の輝きが見えた。

 

 約三十分かけて、ようやく天に高くそびえる塔の見える場所まで来た。

「やっとついた」

「でも、本当にたどり着けるなんて」

「三か月前の戦いのおかげだ、あの時地道にノロを回収したおかげで絶対量が低下しているんだ」

「行こう!」

 可奈美と姫和は元来た道を振り向き、御刀を抜いた。

「さっきの奴らが来てる。先に行ってくれ」

 葉菜はただ任せると言って前を向いた。

「燕結芽」

「なに、ひよねぇ」

「あいつを私は救えなかった。だから」

「任せて」

 結芽は山道を歩きながら、振り返ることもしない。

 頂上近くに立つと、塔は根を張るように山に深々と突き刺さっていた。

 そしてそれを守るように大鹿が四体立ちはだかった。

「じゃ、私はここで倒す」

 紗耶香は進み出て、迷わず正面の一体を斬り、注意を引き付けた。

「先へ」

 美炎の一斬りで閉ざされた空間に入ると、そこは天へ高く続く空洞であり、螺旋の道があの隠世の空間まで高く続いていた。

 だが、このロビーらしき空間には九本の刀が突き刺さっていた。

「イドF85まで開放……神居……」

 刀を包むようにノロが沸き上がり、それは刀を持つ人型になろうとしている。

「二人とも走って」

 結芽と葉菜が駆けだした瞬間、神居の炎が人型を振り払うように放たれた。

 その衝撃波で壁に叩きつけられた隙に、二人は螺旋の道を駆け出した。

「御刀を使う荒魂、か」

 二人の姿が見えなくなったところで、九体の人型荒魂は仮面を付けた温かみのあるが冷たい姿になった。

「人の魂を弄ぶな……」

 美炎は迷わず正面の一体を袈裟切に伏させ、喉下に欠けた切っ先を突き立てると、肉体はノロとなって崩壊した。背中から俊足の居合が流れたが美炎は刃を反してその頭を真っ二つに斬った。割れた仮面の下には人の顔があった。

「……舞衣……」

 震える手に力を籠め、留めの一突きを刺した。

「舞衣はもう、いない」

 美炎は涙をにじませながら、もう一体を急所ごと斬り捨てた。

 だが、それを狙った俊足の一撃が背中に入った。

「ちぃ」

 その一体の持つ御刀の間合いの外から突きを何度も繰り出し、振り上げて面を斬ったが浅かった。

 だが、そこに現れた顔に美炎の構えが乱れた。

「ちぃねぇ」

 生気のない表情だが、記憶の底から暖かな表情が幾重にも重なった。

 しかし、荒魂は容赦なく胴を二度斬って、美炎の写シを剥がした。

「コード65578241……ID・F……0!」

 左眼帯のレンズシャーターが解放され、その下から橙に輝く黄金の目が姿を現した。

「限定二分の解除、神居完全開放」

 その膨大な炎が清光の刃に吸収されていく、それに恐怖した八体が飛び込んできた。

「神居、零式」

 階段を上がっていた二人は、下から突き上げてくる強烈な熱風を浴びた。下方は目を開けていられない炎に包まれていた。

「F0、絞り開放の神居完全開放!」

 二人は駆け上がっていくと、そこには下と同じく刀が三本突き刺さっていた。

「結芽さん、上へ」

「でも!」

「どうか! お願いします……」

 今までになかった寂し気な表情が結芽に向けられた。

「もう、終わりにしたいんです。あなたが道を切り開いてくれるなら、私は悪魔に魂だって売れます。たとえ、これから世界が本当に滅びても」

「ふざけないでよ! 結芽はまだ生きてるし、まだ大人にだってなりたいの! 葉菜おねぇさんのそのお願い、結芽は聞けないからね!」

 結芽とヤタは黙って階段の続きを走っていった。

 葉菜の前には人型の三体の荒魂が立ちはだかっていた。

「籠手切正宗……どうか、私にも未来を見せて!」

 

 辿り着いた結芽は広間の高い空に、隠世の黒い空が浮かんでいるのを見上げた。

 その中に明らかに黒ではない、桜と深紅の輝きが見えた。

「結芽だ」

 親衛隊時代の服に、髪結びも失って長く流れている。そして額に長く伸びる赤い角が彼女の禍々しさを一層引き立てた。

 その赤い瞳が結芽に向いた。

「ヤタ……いや、八咫烏さん」

「はい、わかっていますよ」

 小さな体は結芽を越えるほどの巨体となり、その四つの翼を広げて後光が輝いた。

「会いに来たよ」

「もう一人の……結芽」

 八咫烏は飛び上がり、隠世と現世の間で一点の光の渦となり二人を飲み込んだ。

 そこはどこまでも闇の広がる、隠世の世界であった。

「また、闇だ。そうやって、そうやって結芽を一人にする。少しでも早く私を忘れるために」

「違うよ、魂はめぐるの、あなたが生きたいと願うほどに、それは新しい肉体の中で光り輝く」

「じゃあ誰か私の手をとってよ! 私を導いてよ! 死んでいく私に大人もみんなも、くれたのは死ぬ事実だけ! しかも口で言いもしない! 私の好きにさせる!」

 鬼結芽の手に赤錆びた南无薬師瑠璃光如来景光の姿があった。

「真希おねぇさんも、寿々花おねぇさんも、夜見おねぇさんも、紫様も、千鳥のおねぇさんも自分の守れるものしか守れない! 私に嘘しかつかない! 私はいつも、いつも! 正直で! 誰にも嘘をつかなかった! 自分にも皆にも!」

 鬼結芽はゆったりと、うな垂れた顔を左右に振りながら結芽へと迫った。

「ねぇ、助けてよ。結芽いい子にしてたよ」

「うん、うんと甘えたかった。けど、誰かの重荷になりたくなかった」

「喋るな!」

 俊足の抜き打ちが景光の刃を弾き、突きと払いが写し鏡のように走り、結芽は体を返しながら籠手に狙いを定めた途端に、鬼結芽はその隙を狙って結芽の首筋に突きを走らせた。刃を添えて、景光をあらぬ方へ流すと慣れた足取りでソハヤノツルキの刃を回して、鬼結芽の打突を冷静に受け止めて見せた。

「自分が誰かの心のうちにあればと願えば、それは誰かへの呪いに変わる。パパとママがそうして苦しめば」

「悪いっ? 私が、そう願って……何が悪い!」

「願えば願うほど、自分が嫌いになる」

 鬼結芽の体は前へ投げ出され、振り返った先で結芽は無構えで立っていた。

「結芽はたった一つだけ嘘をついたよ」

「やめてっ!」

 三段の突きは逆袈裟の刃で勢いを失い、鬼結芽の頭の上でピタリと切っ先が止まった。

「最後まで私が大っ嫌いだった」

 崩れ落ちるように、景光を落として涙を流した。

「結芽を一人っきりにしてくれればいいのに、なんで、なんで結芽なんかと一緒にいてくれるの……それじゃ……死にたくないって思っちゃうよ」

「ごめん、こんな結芽で、わがままで、やせ我慢ばっかりして、なのに本当の気持ちを言わないでいた。でも、もう嘘をつかないで、たった今ついた嘘は本当は」

「みんな大好きだから、だから傷つけたくない」

 その言葉を聞いた結芽はそっと手を掲げた。

「ヤタガラスさん!」

 光の中にそっと姿を現した八咫烏が結芽の手に止まり、二人の結芽の間に八つの白い輝きが走り抜けた。

「その気持ちを忘れないで! 私の記憶と! 私の大事な人たちと! これからも生きていける! さぁ手をとって」

 鬼結芽はその手を取ると、頭から角が消え、泣き跡がほほにくっきりと現れた。

「いい? 真希おねぇさんにはやさしく! かなねぇには元気に! みんなに笑顔を!」

「あなたはいったい……」

「結芽だよ、あなた自身の燕結芽」

 懸架装置からソハヤノツルキウツスナリを結芽へと手渡した。

「ありがとう」

「なんで、私、やっと素直になれたばっかで」

「すぐにわかるから」

 八咫烏が結芽の姿に重なり、一つの閃光となって門の奥の奥へと消えていった。

「燕結芽さん」

「ヤタガラスさん」

「ここでお別れです。世界は荒廃したままですが、人という命は私たち神に意思を与えるほどの不思議な力を秘めた生命です。生きている限り、再生し、道を歩み続けていけるでしょう」

「さようなら! ヤタガラスさん! 元気でね、もう一人の……わたし」

 空に隠世の門が開き、黒い空を吸い込んでいく。彼女たちはその黄金に輝く後光を負った四枚の羽を見上げ、相手していた荒魂たちは膝を突いて攻撃をやめてしまった。

 塔は形状を失い、ノロとなって山に降り注ぐ、やがて羽根が消えてなくなると八つの花弁の紋章が浮き上がり、門は閉じていく。

「落ちる!」

 葉菜は結芽によって腕をとられ、互いに手を繋ないだ。

「大丈夫だよ!」

 起き上がった美炎は小さな隠世の門から白く輝く鳥に掴まり、舞い降りてくる二人の姿を見つけた。彼女の前に降り立つと、白い鳥は姿を消し、一振りの赤羽刀となった。

「結芽さん! あの子は」

 手にとった錆だらけの南无薬師瑠璃光如来景光が、鈍く輝いた。

「行ったよ、ただのさびしがりな私だった」

 結芽の穏やかな表情を見て、心が和らいだ。

 と、あの装置を手に美炎は結芽の前に立った。

「あ、安桜さん!」

 コードを入力し、スイッチを入れると、結芽の腕から封印環が外れ落ちた。

「帰ろう、結芽」

 今までにない美炎の優しい顔に、結芽は大きく頷いて笑顔を見せた。

「まったく……」

 呆れつつ、葉菜は静かに鞘へ収めた。

 

 

 

 雲は静かに青く澄んだ空を泳いでいく

 誰かの思いを乗せてどこまでも、遠い、遠い場所へ

 私の思いを乗せてくれるなら

 もう一度だけ私に伝えて

 

 さようならに愛を、あなたに夢を

 

 時は遥かに遠く過ぎた夢を追いかける

 あなたの思いを乗せてどこからか、青い、青い空より

 私の願いを乗せてくれるなら

 もう一度だけあなたに伝えたい

 

 さようならに夢を、あなたに愛を

 

 ありがとう。言えなかった言葉は彼方のあなたへ送る。

 

 

 

                      

 結芽錯綜記 完

 

 

 

 

 




 あとがき


 最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。
 ラストの四話でひどいとっ散らかりようだと思ったでしょうが、おおむね書きたいことは全部第三十話まででやってしまったので、エヴァQのから得たアイディアを用いて刀使ノ巫女の世界観の歪みを描いてみようと試みました。
 そして見事に前半で力尽きました。ほんとに力不足です。

 ではOVAととじとも本編、そしてあるか二期?を楽しみに、結芽のフィギュアは出ないのかとツイートするとします。それでは、また別の作品でお会いしましょう。

 あ、いっそ自分で作ってしまいますか…


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