優しい子たちと世界の果てで (あーふぁ)
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1.世界の果てで陽炎と過ごした3週間
世界は人類の敵である深海棲艦と長いあいだ戦争を続けている。
海を支配され、日本は資源不足で生活が苦しくなり、時々日本本土にも攻撃をされていた。その時に父と母がなくなり、俺だけが生き残った。祖父母に引き取られたものの、家計の負担を減らすために俺が士官学校に入って軍人になるのは当然だった。
そして22歳に提督になってから7年ものあいだ、一緒に苦楽を共にしてきた32人の艦娘たちの上司として本土周辺の近海警備、輸送船護衛の任務を続けていた。
だが戦況悪化に伴い、全艦娘が前線へと異動になった。
俺は部下だった艦娘たち、中には親友や妹のように接していた彼女たちに別れを告げる間もなく、軍上層部から来た人間がすぐに連れていった。突然のことで寂しさと悲しさを抑えきれず、1人きりになった人生への絶望と無気力感が出て軍人を辞めようと思った。
だけれど、一週間もしないうちに新しく軍から命令された指示書で提督を続ける理由ができた。
それは怪我をして前線では使えなくなった艦娘たちの提督だ。
手や足、または目や耳がダメになった、それぞれ違う身体障害を持つ5人の艦娘を任されることになった。任務の内容は今までやっていたのと同じ近海警備。
慣れている任務とはいえ、肢体不自由な艦娘たち相手では今までの指揮とは大きく違うと思う。
それぞれの艦娘に関する書類を受け取ったあとは部隊として艦娘たちが各所から集まって動けるようになるまでの間、障害に関する本を読んで民間の講習会にも参加した。
新しく勉強することは手間ではあるけれど、自分の幸せのためにしていることだ。だからやる気もある。それに俺に預けられた艦娘はふたたび前線へ行くことはないために取り上げられることもない。あらたな艦娘たちと共に生きていくことで俺は寂しさをまぎらわすことができる。
提督という仕事を続けることに喜びを感じ、新しい配属先の場所は俺たち以外の人がいない、海沿いにある山を切り開いた場所の小さな海軍基地だった。
そこは以前30人ほどの艦娘がいる場所だったが、人員は前線へとまるごと行ったために人はいなかった。そのために俺と艦娘の合計6人で基地の運営や警備、雑務をする必要がある。
港がある海軍基地の周りは結構前に深海棲艦に攻撃されて壊れたままの建物や道路がある。また襲撃される危険があることから、海軍基地周辺には人がいない。
遊ぶところや物を買うには大変不便だが、ここはとても静かな場所だ。気にするのは艦娘たちだけでいい。
自分たちしか頼れる相手がいない場所で仲良くやっていきたいため、また別々に呼ばれると俺が混乱するために5人の艦娘たちに俺のことを『提督』と呼ぶように統一させた。
そして海沿いの小さく静かな軍事基地で、障害のある5人の艦娘たちと艦娘寮で一緒に暮らし、俺の楽しくもある新しい日が始まっていく。
◇
新しく配属された海軍基地で働いて3週間。今は11月のはじめを迎え、少しずつ雪が降る時期が近づいてきている。
そんな寒い外と違い、執務室では暖炉の火で部屋を暖めているから過ごしやすい。
フローリングの執務室にあるのは俺が座っている椅子とセットである執務机、その机の上には電話がある。壁沿いには壁掛け時計とクローゼットに掃除用具が入ったロッカー、それと天井近くまである高さの本棚があるも本はまだ少ししか置いていない。部屋の中央には丸テーブルとそれを挟むソファーがひとつずつある。
あまり物がない部屋は寂しいが、これから少しずつ前にいた執務室と同じように増えていくだろう。
読書中、ふと見た寂しい部屋の光景に小さなため息と共に俺は椅子に深く背中を預けると、斜め後ろにある窓を見る。
ちょっと汚れた窓に映るのは俺自身の顔だ。
上司や同僚に見られることもないから髪も伸ばしたままになり、耳を覆う程度には長くなっている。
紺色をした冬用の第一種軍装を着て、革靴をしっかりと履いている。けれど、楽になりたいために帽子はこっちに来てからずっとクローゼットにしまったままだ。
体はたるんでいなく、腕立て伏せや走るなどの筋トレをして軍人と言えるぐらいには体を鍛えている。
そういう自分の体を見て悪くないと重いながら、ぼぅっと窓越しに青空と点々とした雲が広がる寒そうな空と穏やかな波を見る。
心がリラックスすると視線を地面へと移し、舗装された路面のところどころに小さな雑草が生えているのを見ると全員で草取りをやらなきゃと思う。
ここは手入れする人が自分たち6人以外にいないから、建物の掃除や補修と維持をしないといけない。
そんなだから、こっちに来てからは深海棲艦よりも気にするべきは自然だ。
つい2日前には基地の外に散歩に出た艦娘が、山から下りてきたカモシカにじっと見つめられて怖かったという被害が発生するほどに。
地面を見ると、つい考え込んでしまうためにまた空を見上げる。
そうして少しのあいだ、気を休めたあとは再び机に向かう。
読んでいる本は視覚障害に関する本で、障害関連のものを読むのは結構な精神力を使う。障害を負って苦労する点、支える人が気を付けるところ、法律や医療について。
5人の艦娘がそれぞれ違う障害だから、全員の障害を知るには中々に時間がかかりそうだ。本だけの知識では不安だから、ある程度の知識を持ったら民間の講習会に行く必要もある。
ゆっくりと本を読み、頭の中で時間をかけて整理していると執務室の扉を叩くノックの音が聞こえてくる。
顔をあげて正面にある扉に俺が返事をすると、入ってきたのは駆逐艦娘で陽炎型1番艦の陽炎だ。
身長は150前半で細めな体つきをして、白色のカッターシャツの上から薄い黒のブレザーベストを着て首元には黄緑色のリボンを着けている。
薄い赤毛の髪はヒジまで伸びていて、それを黄色いリボンで結ってツインテールにしている。
顔立ちはまだ幼く中学生ぐらいで気が強そうな目つきだ。手は白手袋をしていて、その手には10㎝連装高角砲を持っている。
スカートはブレザーベストと同じ色で、その下には以前履いていたスパッツは今はない。
スカートの下からはすべすべとした感じの健康的な肌が見え、太ももから下は両足共に義足をつけている。
その義足はスポーツ義足で、かつて膝があった場所には人工の膝。そこから伸びるのはカーボンでできた、板ばねを連想する湾曲した黒色の足。
「頼まれていた仕事は終わったわ」
「お疲れ様」
静かな声で報告をされ、硬い足音を鳴らしながら陽炎は部屋に入ってくる。そして部屋の中央にあるテーブルへと10㎝連装高角砲を置くと、暖炉の前へと行って足を放り投げるようにして床へと座る。
暖炉で体を暖めている陽炎にやってもらった仕事は、施設の中と外の見回りと工廠で使っていない艤装の錆取りと油を差すことだ。他の4人は警備のため出撃しているため、秘書である陽炎に仕事をしてもらっていた。
その陽炎が砲を持ってきたことに興味を持った。陽炎が何か言うのを待ったが、少し悲しそうな顔で火を見つめているだけだ。
俺は本を見るのをやめ、立ち上がってテーブルへと行って砲を持ち上げる。
表面は綺麗に磨いてあり、中身を開けてみるときっちり油を差していた。実弾も装填されていてよほど気に入ったものらしい。
わざわざ整備して持ってくるほどに気に入ったんだなと思っていると、視線を感じて振り向く。振り向いた先には小さな笑みを浮かべる陽炎と目があった。
「軽くていいでしょ。前に使っていた12.7㎝の連装砲より使いやすそうだから持ってきちゃった」
「使ったことがなかったのか」
「私は対空担当じゃなかったからね。これなら、きっと反動も軽くて足に負担は少ないだろうし」
それを聞いて、ここに来た艦娘たちにどれくらい戦闘可能かの攻撃練習をさせた時のことを思い出した。その中で陽炎が砲を撃ったときにバランスを崩して地面へと倒れていたのは印象深くて、よく覚えている。
その時に悔しそうな顔をした陽炎が、自主的に自分自身がどうやって戦えるようになるかを考えていくのは好感が持てる。
今日なんて使いやすい武器を自分から探してきたのは良いことだ。
「気に入ったら使っていいぞ」
「ん、わかったわ。あとで試し撃ちしておく」
そう言ったあとに陽炎は笑みを消して、さっきと同じ悲しそうなに火を見続けた。
その表情を見るのが俺には辛い。
出会ってから3週間。初めて会ったときから、陽炎はいつも寂しそうな顔をしていた。そんな陽炎が気になり、俺は優しく接していた。
陽炎を含め、部下となった他の艦娘たちにも優しくしている。理由は以前接していた子たちのように親密な関係になりたかったから。
それに陽炎には笑って欲しかった。きっと心からの笑顔を浮かべれば、すごくかわいい子なんだと思っている。でもそうなるには時間がかかるだろう。
陽炎の過去は書類に記載されていたが、少々重いものだった。
5か月前に艦娘12人で出撃して敵を殲滅して生き残った艦娘。足を食いちぎられた時に深海棲艦によって足を長時間、血で汚染されたために再生することができなかったと。翌日に陽炎が他の艦娘によって発見されたときは浮いている深海棲艦にしがみついていたらしい。
戦闘の詳細の詳しいことは本人がほとんど言わないため、これだけだった。他には今までの戦歴や怪我をする以前の性格のことについて。
軍とは別に、医者からの書類もあるが、そっちのほうは怪我の程度や義足に関することが。
少ない説明の記載で俺は陽炎の苦しみを想像する。
―――12人いた中で自分だけが生き残り、足を失った痛みに耐えながら他の艦娘の死体を見続けて助けを待ったことを。
陽炎は海に沈んだり浮かんだりしていただろう敵味方の死体や血を見ながら、動くことのできないままでいることは俺だったら生きるのが面倒になって自分から海に沈んで自殺してしまいそうだ。
助け出されたあとは自分の体にショックを受けただろう。足がなくなってしまったことに。
あくまでもこれは想像で、実際はもっと辛いことを考えているかもしれない。
陽炎本人が自分から言うまで俺は待つつもりだ。そして言ってくれた時には優しくしてあげたい。ただただ甘やかして。
10㎝連装高角砲をテーブルの上に置き、ソファーのまんなかへと深く腰掛ける。
陽炎のことを考えると、執務机に向かって本を読む気にはならなくなった。
今までの勉強で疲れたこともあって、ぼんやりと何も考え事をしないまま目の前にある砲を見る。
俺と陽炎はお互いに言葉を交わさず、暖炉で薪が燃える音だけが響く。
ぼーっとする時間が5分か10分ほど続いた頃に陽炎が立ち上がる音が聞こえ、俺のほうへと近づいて来るのがわかる。
首を動かして陽炎を見ると、俺から体ひとつ分あけて静かに座った。
そしてテーブルに置いてある砲を見ながら、ゆっくりと口を開く。
「提督はさ、なんで私たちを差別や腫物を扱うようでもなく、自然に優しくしてくれるの?」
「仲良くしたいから」
そう答えると陽炎は素早く俺へと振り向いて、ちょっとだけ目を見開いて驚いたもの、明るい笑みを浮かべる。
「うん、それは嬉しいわね。私たちの提督があなたみたいな人で本当に良かったわ!」
「そうでありたいね。陽炎が作り笑いや俺に気を遣いすぎないような人間に」
俺の言葉に陽炎は笑みを固め、5秒ほど経って今までの明るい笑みが表情からなくなった。
陽炎は俺の目をじっと見つめてくるが、それは俺が何を考えているかを疑うような。
「どうして私たちに優しくしてくれるの? 欠陥な艦娘と仲良くなってもいいことなんてないのに。……体が目当てなのなら、私は嫌がるわよ?」
そう言うとテーブルに置いてある10㎝連装高角砲を持った陽炎は砲身の先を自分の頭へと押し付けた。
今言った言葉には感情の抑揚がなくて冷たく、今すぐにでも死ぬ覚悟はできている目をしている。
この話でわかったことがある。陽炎は強く生きたいと思っていないことを。なんとなく生き続けているのだと俺は思った。そうでなかったら、自殺するより先に俺を殺すほうを考えるだろう。
俺に対し不信感で光を失っている目を見ながら、俺は陽炎たちと仲良くしている理由を言い始める。
「俺はただ、長い時間をかけて友人のような親しい関係になりたかったんだ」
「人と違うことを不気味に思われている艦娘と? 提督のあなたが?」
陽炎は砲を自分の顔からゆっくりと離し、砲を持った手を膝の上へと置いた。さっきまでと違い、ちょっとだけ俺に興味を持っているようだ。
「前にいた鎮守府では俺と仲良くしてくれる子たちが多くてな。中には俺を嫌いだと宣言していたのもいたが。それでも大事な子だった。今では連絡すら取れない、前線に連れて行かれたが」
「……その子たちの代用としてかしら、私たちは」
俺を睨んで低い声で聞いてくる陽炎に対して俺は首を横に振る。
「違うと言っても信じてもらえないだろうな。でも本当に仲良くしたいだけなんだ」
「言葉だけじゃ、なんだって言えるわ」
陽炎は俺から視線を外すと、義足へと手をかける。
深い深呼吸をし、辛そうな表情でひとつめの義足をはずしていく。
「義足をつける時、外す時は足を失った戦いのことを思い出すの。なんで私だけ生き残ったんだろうって」
それは強い後悔を思わせる静かで小さな声で言い、はずした義足を床に置く
陽炎の太ももから先はなく、なくなった足の切断面は綺麗な新しい皮膚で覆われていた。
「私は生きている価値があるのかと思って、死んでしまおうとよく考えるのよ。でも死ぬ決心まではまだいけないのが情けないかな」
自嘲の笑みを浮かべながらふたつめの義足を取りはずし、大きなため息をつきながら義足を床へと置く。
義足を取りはずした陽炎の両足は、どちらの足も膝上での同じ長さになっている。
「私の足を見てもさっきと同じことを言える? こんな気持ち悪くて、足の艤装をつけられない無能な私のことを」
悲しげな言葉に対し、俺はすぐに返事ができない。
初めて義足のない陽炎の足を見た俺が思ったのは『綺麗』と言うこと。切断面はすべすべとした皮膚で覆われていて、てっきりグロテスクな色や形になっていると思っていた。
陽炎のために読んでいた障害の本では、足の切断面がどうとまでは書いていなかったから、なおさら初めて見た印象は心に強く残る。それと足をさわるとどんな感触なんだろう、とそんなことばかりが頭の中で浮かんでくる。
「……口では仲良くしたいと言っても、あなたも他の人と同じってことかしら」
何も言わずに見ているだけを誤解したのか、がっかりとした声で陽炎にそう言われ、その言葉を俺はさわってもいいと解釈をした。
俺と陽炎の体ひとつぶん空いていたすぐに詰め、陽炎のすぐ隣へと移動する。
陽炎が何か言おうとする口を開く前に、陽炎の失った足、その切断面に片手を伸ばし、そっと優しくさわる。
その時に陽炎の口から息が漏れ、体を小さく震わせた。でもやめろと言われないから、そのまま撫で始める。
陽炎自身は気持ち悪いと言っていたが、俺はそうは思わない。人とは違うところはあるが、失った足は陽炎が戦闘で頑張った証でもある。俺が初めて見て綺麗に感じたのは、前もって勉強して知識を得ていたことと、陽炎の足に一目惚れしたからだろう。
でも他の人はいったいどうして人は足がないだけで気持ち悪く感じるのだろうか?
最初は戸惑うかもしれない。今まで見たことがないのなら。でも足がないという、普通の人と違う部分に慣れてしまえば気持ち悪くはない。
見た目の部分をのぞいても、足がないと艦娘の仕事ができないじゃないかと言う人もいるだろう。
だが、四肢がある人でも仕事ができない人ややる気がないのもいる。陽炎は足がなくても自分にできることを探し、頑張っている。
たとえ海に出れなくなっても、艦娘としての仕事はある。陽炎のことを無能と言う人は、陽炎をうまく扱えない言い訳をしているだけだ。
陽炎は気持ち悪くもなく、無能でもない。かわいい子で努力家で向上心があり、仲間のことを大事にする素敵な子だ。
「陽炎の足は綺麗で、気持ち悪くなんてない。仕事面でも無能でもない。秘書として頑張っているし、砲を持ってきては自分はどうすればよりよく働けるか向上心があるのを俺は知っている。だから、俺はそんな陽炎と仲良くしたいんだ」
足をさわる手を止め、じっと陽炎の目を見つめる。
陽炎も俺に目を合わせてくれ、次第に表情が変わっていく。恥ずかしさと嬉しさが入り混じった、照れている表情へ。それはいつもの無気力や作り物の笑顔と違い、心からの表情だ。
「あー、もう! わかった、わかったわよ。あんたが心から仲良くしたいって。だから、その手を早く離しなさい!」
そう言って、結構強めな力で俺の手を叩いてくる。
叩かれて痛む手を引っ込め、さらに叩かれないために体ひとつぶんの距離を取る。
俺が離れると陽炎は深呼吸をして赤い顔で俺をにらんでくる。
「俺の想いをわかってくれたか」
「ええ、それはもう。まったく、こんなにも恥ずかしくなるとは思わなかったわ。あんなに優しく撫でてくるし、さっきのような言葉を聞いていると私なんかが生きていてもいいと思えてくるわ」
「俺はお前と一緒に生きていきたいが?」
嘘でもなく本当に思っていることを言うと、陽炎は一瞬硬直したあと声に両手を上へと突き上げ、恥ずかしさと嬉しさが混じった表情で言葉になってない叫び声をあげた。そして、両方の手袋を脱いで俺へとぶつけてくる。
かわすこともせず手袋に当たるが、陽炎の感情の高ぶりはそれでも収まっていない。義足をつけないまま手だけで俺へと近づいてくると、両手を首に回して俺の足の上へと体を乗せてきた。
荒い息をつきながら、もう少しでキスができてしまいそうな距離で見つめてくる
「私のことを見捨てたら、提督を殺して私も死ぬわよ」
「そうなったら言葉通りにしてくれ」
少しのあいだ、見つめあったままだったが陽炎は小さく息をつくと俺の胸へと顔をうずめた。
「基地にも周りにも人がいない、軍から見放された場所であなたみたいな変わった人と出会えるなんて思わなかった」
「何が起きるかがわからないのが人生だからな」
「そうね。こんな世界の果ての、寂しい場所で退屈な時間が続くと思っていたから嬉しいわ」
「俺は楽しく、幸せな日々を作っていこうと決めていたよ。陽炎もやりたいことがあるなら好きにやればいい」
「私がやりたいこと……?」
不思議そうに俺を見上げ、少しのあいだ見つめあっていたかと思うと陽炎は俺からそっと目をそむけた。
「私と一緒に戦った、11人のお墓を作ってあげたいの。私自身の手で」
悲しげで小さな声の呟きはきちんと俺の耳に届いた。その想いは陽炎がずっと気にしていた部分なのだろう。自分だけ生き残ってしまった罪悪感や寂しさ、そして死んだ戦友のために何かしてあげたいという気持ちを感じる。
陽炎の優しさはとても素敵で、きっと死んだ11人の艦娘たちも嬉しいと思う。
「かわいいな」
「え、なによ、突然」
ちょっと恥ずかしげな陽炎の脇に手をやり、俺は立ち上がりながら体を持ち上げた。足を失った陽炎の体は軽く、これが陽炎の重さであり本当の陽炎を今日をもって見ることができて嬉しくなる。
「陽炎が俺のところに来てくれて本当によかった。こんなにもいい子だなんて嬉しいよ」
笑みを向ける俺に対し、陽炎は降りようと抵抗するが俺は頑張って持ち上げ続ける。
「待って、恥ずかしいセリフは禁止よ! あと私を降ろして! なんか恥ずかしいから!!」
本気で恥ずかしがっている陽炎を、俺は仕方なくソファーに降ろす。
降ろした途端に陽炎は義足を置いてある場所まで急いで移動すると、ちらちらと俺の様子を見ながら手早く義足をつけていく。
「まったく私だけ恥ずかしい思いをするなんて不公平よ! いつか提督にも恥ずかしい思いをさせてあげるわ! だから、これからも私を秘書にし続けて油断することね!」
義足をつけながら大きな声でそう言い、最後には立ち上がって俺へと指を突きつけた。
恥ずかしがっていたさっきの姿と違い、今の強がっている姿もかわいいと思いながら俺は立ち上がると陽炎に手を差し出して握手を求める。
陽炎は俺の手をじっと見てためらっていたが、恐る恐る手を伸ばしてきて優しく手を握ってきた。
「これからよろしく頼むよ」
「こっちこそよろしくして欲しいわ、私の提督」
出会って3週間。偽りでなく、心からの笑みを浮かべる陽炎に俺は安心する。今までつまらなそうに生きるのではなく、これからは日々を一緒に楽しく生きていけそうだと。
陽炎がさっき言った、世界の果てと呼ばれるこの場所で俺と艦娘たちは新しい生活を始めていく。
軍からはじかれた者たちが仲良くやっていけそうなことに、俺は喜びと安堵の気持ちを得て。
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2.世界の果てで由良と過ごした4週間
執務室で陽炎と仲良くなった日から2日後。
今日は出撃もなく、俺と5人艦娘たちは穏やかな時間を過ごしながら施設の補修をする予定だった。
だが、その一部の時間を使って陽炎がやろうとしている墓作りをみんなで手伝うことに。
そのきっかけは、昨日の陽炎が前よりも楽しそうに過ごしていることを他の子たちに疑問に思われ、俺と話したことを全部言ったためだった。
話したことは陽炎の過去のこと、俺を寂しがり屋で障害がある未来のない自分たちなんかと仲良くしたいバカですごく優しい人と説明をした。
俺のことをそうまとめられるのがちょっと不満だったが、だいたいは間違っていないのでよしとした。細かい説明が欲しければ、あとで聞きに来るとも思って。
それらの話で4人は涙が出そうなほどに感動したらしく、休みの日でも陽炎の墓作りに協力すると言ってきた。
特に急ぎの任務も仕事もないため、艦娘たちがやりたいことをやらせてあげたいと思う。もちろん俺も少しは協力をする。
俺は収入や支出の確認、陽炎は墓のデザイン、由良は施設内でどれくらい老朽化しているかの確認。残りの3人は陽炎が墓を建てるのに理想とする場所探しだ。
そのために今、俺は暖かい執務室で机に向かって書類を見ながら悩んでいる。それはどうやって墓の資金をやりくりするかだ。はじめに考えていた御影石で11人分ともなると、かなりの値段だ。だから、安くあげるために木でできた十字架のもどうかと試算をしている。
多くの場合において、お金に余裕があって困ることはそんなにはない。
だが、そのお金を出すためにご飯の食材を減らすと反乱を起こされるだろう。他に思いつく節約は施設の老朽化を犠牲にしてメンテ費用を少なくするのがある。そのために今は由良に施設を調べてもらっている。
部屋に一緒にいる陽炎はソファーに座っていて、テーブルに紙の束を置いては墓のデザインを真面目に、でも楽しそうにやっている。
そんな様子とは正反対の俺は机にヒジをついて頭を抱えていると、執務室に軽いノックの音が響き渡る。
そのノックに陽炎が俺の代わりに返事をして、入室を許可した。
入ってきたのは軽巡洋艦で長良型4番艦の由良だった。
150㎝後半の身長で上半身は薄い水色と白色のセーラー服を着て、スカートは薄い水色で膝ほどまでの長さで、黒いブーツを履いている。
薄いピンク色の髪は膝に届くほどに長く、さらさらと風になびく美しい髪をポニーテールにして黒いリボンでぐるぐると巻いている。
高校生ぐらいのまだ幼さが残る顔つきだが、すべすべとした白く綺麗な肌でかわいいと美人の間ぐらいだ。目は薄い黄色で優しげな表情を浮かべて俺を見ていた。
その由良の腕はヒジから先がなく、その先にあるのは黒いカーボンを素材として見た目がいかにもなロボットの腕をしている国産の筋電義手(筋電電動義手)だ。
筋電義手は筋肉が収縮する際に出る微弱な電流を機械で把握し、それに合わせてモーターを動かして義手が動くというものだ。かなり便利に見えるが、腰に巻いているベルトにバッテリーがついていて物がたくさんある場所で動くのは不便で、バッテリーは2日程度しか持たない。
「言われていた仕事、きちんとやってきました。他に何かありますか?」
そう言って、執務机の前にまでやってくると、手に持っているクリップボードを差し出してきた。
「ありがとう。今、頼めるような仕事はないんだ」
「わかりました。でも小さなことがあったら由良に任せてくださいね?」
俺は由良からクリップボードを受け取ると、由良は少し俺に迫ってそんな仕事熱心なことを言うと、絵を描いている陽炎の向かいのソファーへと行き、ゆっくりと座った。
絵を描く手を止め、陽炎は由良に笑みを向けていた。由良も笑みを返して「ただいま、陽炎ちゃん」「はい、おかえりです由良さん」との挨拶をしてから仲良く話をし始める。
ふたりの仲がいい姿を見届けたあと、俺はクリップボードに挟まれている紙を読む。
由良に任せた仕事は施設全体の簡単な状態報告で、今いる艦娘の中で最も繊細で細かいことによく気づく由良だからこその仕事を任せた。
紙に書かれていたことは元から古いものを修復や修理を重ねた建物。基地にあるすべての機械は古く、そのために艤装の整備や食堂での料理を作る効率が悪くなっているとのことだった。それと電球など消耗品の在庫ももうすぐ尽きるとのこと。
クリップボードの報告書見るとため息しか出てこない。予算に余裕がないうえに、施設の維持費すらも足りないだなんて。
今までは潤沢に与えられた資源や資金でやっていた。だが、なにもかもが足りないここでは、陽炎が作りたいという墓のためになんとかしてお金の余裕を作り出すしかない。
落ち込んだ気持ちで陽炎を見ると、生き生きとした様子で微笑む由良に考えたデザイン案を見せながら描いている。
そんな楽しそうな陽炎に『墓を作るのをやめよう』と言葉にすれば、今悩んでいるものはすぐ解決するが1度言ったことは簡単にはやめるわけにはいかない。それに陽炎があんなにも嬉しそうなのを止めるなんてしたら、強い罪悪感を得てから侮蔑の目で見られることを考えると猛烈に胃が痛くなりそうだ。
名案が思い浮かばないかと、ふたりの姿をぼぅっと眺めていると陽炎が急に難しい表情をして顔を紙に近づけた。
何があったのかと思っていると、義足の足をばたばたと動かして床に当たる硬い足音が部屋へと響く。
「問題でも起きたのか、陽炎」
「絵なんて作戦案の図を描くぐらいしかなかったから苦戦してるのよ。ほら、これ見てよ!」
少しいらだっている陽炎はソファーに座ったままで俺へと描いた紙を見せてくるが、距離が少しあることもあって細かいのが見えない。それでもわかることと言ったら、紙いっぱいにたくさんの何かを描いてあるのがわかる程度。
陽炎自身、何を描きたいかはわかっていないみたいだ。情熱だけが先行し、それが考えていることに追いついていない。
口を開き、陽炎の問題点について言おうとしたがそれより早くに陽炎は由良に新しい紙とペンを渡そうとする。
「由良さんお願い!」
「えっと、私が描いていいの?」
「由良さんじゃないとダメなの。うちの提督に頼ろうにも絵心がないし」
急に話題に出され、ふたりの視線が俺へと向く。
昨日、陽炎から俺の画力が見たいと言ってきたから真面目に描いたのだが、それを見て微妙な顔をしていたのが強く印象に残っている。
そのためにこうやって今、陽炎のため息をついた残念な人を見る目と、由良のおつかれさまです的な優しい目を向けられて何も言えない俺は目をそむける。
「じゃあ、描いてみようかな」
と、俺が目をそむけている時に話が進んでいく。以前、由良から絵を描くのが趣味と聞いていたから放っておいても安心ができる。
紙にペンが走る音が聞こえてから俺はそむけた目を戻すと、難しい顔で線を描いていく由良とわくわくしながら笑みを浮かべている陽炎の姿が。
ひとまず俺に対して興味を失ってくれたなら、からかわれなくて済むと安心する。
再び報告書に目を通し、予算について考え始めていると「あー、もうっ!」と由良のいらだった叫び声が聞こえてきた。
驚いて顔をあげると、由良は義手からペンを離していて、今は両足のブーツを脱いでいる。
いったい何をやるのかと見ていると、ブーツも靴下も脱いだ足にペンを持たせると絵を描き始めた。
足を動かすときにちらちらとスカートの中からすべすべした白い太ももと黒いパンツが見え、すぐに視線をずらして陽炎に視線を固定する。
見えてしまうスカートの中身は少しばかり刺激がある。由良に対して性的な興味はないものの、スカートの中身を見るという男としての宿命に逆らうことはなかなかに難しい。
あまりにも見すぎて艦娘たちからの信頼を損なわないよう、まだ色気のない陽炎に集中した俺を褒めてやりたい。
足で描いていく由良の姿はよく見えないものの、驚きと感動の表情が浮かんでいる陽炎を見るといい感じな絵を描いているみたいだ。
由良の様子が気になり、そっと視界の中に入れると、楽しそうに足で描いている姿が見える。
なぜ足で描いているのか疑問を覚えたが、以前調べたときに義手の性能はドイツが1番だと知った。だが、深海棲艦によって貿易ができなくなると入手できないために国産になったが、国産義手は細かな動作がやりづらいらしい。きっと足のほうが描きやすいのだろう。
それに由良も義手を手にいれたのが4か月前で、腕を失ってから3年が経っている。そのあいだに足で描く技術を得たはずだ。
その3年の月日で思い出したが、今の明るい由良と違って腕を失った頃はひどく無気力で放っておくと今にも自殺してしまいそうだったと書類に書いてあった。
由良が腕を失ったときは5人の駆逐の子たちを連れて敵の偵察部隊を攻撃するために出撃していた。でもそれは罠で、深海棲艦によって包囲された。はじめは士気高く戦っていたが、勝ち目がないと判断した由良は駆逐の子たちを逃がすために2体のレ級と死闘を繰り広げた。
その際にレ級の尻尾部分にある怪物を殺すために、2回、単装砲を装備している腕を口の中へと突っ込んで砲撃。レ級に大打撃を与えるもその際にヒジから先を噛み切られた。
辛うじて撃退し、両腕を失った状態で海の中へと沈みかけていたが、援護にやってきた味方に助けられる。その後は鎮守府に戻って治療をしたものの、深海棲艦によって汚染された腕を元に戻すことはできなかった。
逃がした駆逐の子たちは由良がレ級から逃がしたあとに鎮守府へと戻っておらず、捜索をしたが見つからずに作戦行動中の行方不明として扱われた。
そのことを聞いた由良は、自分のしたことが無駄だったと思ったのか、半年は無気力になって放っておけば食事もしない状態になっていたらしい。けれど、1年が経つ頃には次第に元のように明るくなったが、かなりの世話焼きとなった。
ここの新しい基地に来てからもそれは続き、他の艦娘たちに困ったことがあれば助けてあげる。
それは俺に対しても同じようで、朝に起きるのが遅ければ起こしに来て、洗濯や掃除もやってくれている。毎日やってもらうのはダメな人になりそうで断ったが、とても寂しそうな顔で見上げてくる顔に負けて週に2回で妥協してもらっている。
「……こんな感じでどうかな?」
「うん、いいわね。あ、由良さんペン貸して? ありがとう。あとはこう細かく彫刻したいんだけど……」
由良と陽炎の言葉で絵を描き終えたのを知り、安心して由良と陽炎の姿を見る。
大まかなデザインが決まり、あとは陽炎が微調整をするだけで完成しそうな気配だ。
もう問題がなく進みそうで、由良が持ってきた報告書を見ようと下を見た瞬間に陽炎の「できたー!」という大きな声と同時に俺のほうへとやってきては机の上に紙を差し出してくる。
その紙に描かれていたのは、大理石と注意書きされた四角い石の板に艦娘の名前が書かれた墓石だった。墓の周りには死んだ艦娘が好きだった花や木などの植物を植えると文字で書かれている。
絵の美しさ、発想に自然と感心する声が漏れ出てしまう。
「どう、これなら提督も許可出してくれるわよね!?」
「あとは大きさが何cmかの詳細な設計図を描けば大丈夫だ」
そう言うと陽炎は両手を思い切り横に広げ、部屋の中でくるくると回転しては喜びを表現している。
そのあまりの喜びに連られて俺も笑みを浮かべていると、ブーツを履いた由良がいつのまにか横に来ていて穏やかな笑みを浮かべている。
「提督も困りごとがあれば、この由良がお手伝いしますよ?」
「いや、特にはない。あとは俺がやる仕事だけだからな」
そう言うと由良から笑みが消え、悲しそうな表情で小さく開いた口からささやくような言葉が出てくる。
「……由良は提督の役に立っていますか。由良が任された仕事は意味のあることですか。……提督にとって由良は必要ある存在ですか?」
静かに、けれど力強くまっすぐに俺を見つめてくる目。俺は由良を見つめ返し、決して視線をそらすことはしない。
ここに来た艦娘たちは全員が大切な存在だ。俺にとって大事な部下であり、まだ短い期間しか一緒に過ごしていないが、ゆくゆくは家族のような暖かい関係になっていきたいと思うほどに。
言葉でそのことをどう伝えればわかってもらえるか。考えても言葉が浮かばず、由良と見つめあったまま気まずい空気になっていく。
その時に、回転し続けて気持ち悪そうな陽炎が俺の机へと倒れこんできた。
言葉にならないうめき声をあげている陽炎に、俺は由良から目を離してはあきれたため息をつく。
「陽炎、お前は食堂に行って飯を作ってきてくれ。由良、陽炎を連れていってくれないか?」
「はい、提督が言うのなら」
言葉を聞いた陽炎は気持ち悪そうにしながらもふらつきながら部屋の外を出ていき、由良は陽炎の後を追っていく。
その後ろ姿は落ち込んでいるように見え、このままにしておくのは悪い気がする。
「由良」
「なんでしょう?」
俺の声を聞いて振り向いた由良。その後に続く言葉なんて頭になく、どこか遠くに行ってしまいそうに感じて声をかけてしまった。声をかけたからには何かをする必要があり、でも言葉が思いつかない俺は立ち上がると由良の目の前まで歩いていく。
由良の正面に立つと、意味もなく口を開くがやっぱり言葉は思いつかず、握手をしようと手を差し出す。
「由良がいつも頑張っているのはわかっているつもりだ。その丁寧な仕事にはいつも感心しているよ。他の子たちも由良は親切で優しいと言われているのも知っている。そういう頑張り屋な由良が俺のところに来てくれてよかった。由良がいると俺は安心できるんだ」
俺の言葉を聞き始めた頃は戸惑っていたが、すべてを聞いたあとの由良は俺の手を恐る恐る握ってこようとしたが、握る寸前で手を引き戻した。
嫌われたかと思っていると、由良は左腕で右義手のバッテリーと義手をはずして床に置き、ヒジから先を切断された腕を俺へと向けてくる。
何も言わず、静かに、でも力強く何かを訴える目で見てくる由良に対し、俺は割れ物を扱うかのように優しく腕を握る。
切断された由良の腕。その切断面は肌で覆われている。そこに、そっと優しく指を当てて撫でる。
由良はくすぐったそうにしながらも、どことなく安心した様子だ。
「俺は由良を信頼しているし、今までと同じように俺を助けてくれると嬉しい」
「はい、これまで以上に提督に忠誠を」
「由良が疲れない程度に頼むよ」
真面目な表情で言ってくる由良に苦笑しながら手を離すと、ちょっと寂しそうな顔で俺の手を目で追ってくる。
そこでいたずら心が沸き、驚かそうという考えが浮かんできた。
俺は由良に見つめられたまま、しゃがみ込んで義手を手に取ると、そのまま片膝をついて義手を両手で持って差し出す。
その姿は昔の映画でよくあるような、紳士がレディの手の甲にキスするかのような姿勢で。
「レディ、どうか腕を」
ほんのり顔を赤くした由良は落ち着きなくあたりを見回したあとに、そっと義手の中へと腕を入れていく。俺は立ち上がって義手を固定していき、床に置いてあるバッテリーを取って由良の後ろへと回って取り付けていく。
ちょっとしたおふざけが終わり、改めて由良と向き合うと急に自分のしたことが恥ずかしい。由良も何も言ってくれず、どう言葉を出せばいいか困って視線をあちこちにさまよわせると、廊下側の扉から顔を半分だけ出している陽炎と目があった。
その陽炎はにやにやとした笑みを浮かべていて『提督の恥ずかしい姿を見た』と言いたげだ。
あとで必ず陽炎がからかってくるのが容易に想像でき、かといってここで追い払っても俺への被害が悪化するだけだ。
だから、由良に全部を任せて事態を打開してもらうことにする。
「由良、陽炎が見ているぞ」
「えっ?」
扉を指差し、その指先の向こう側へと目を向けた由良は硬直したあとに勢いよく陽炎めがけて全力で走りはじめた。それを見た陽炎は慌てて逃げていく。
開けっ放しになった扉からは、由良と陽炎の走る足音が聞こえてきた。
これでやっと落ち着けると小さくため息をつき、執務机のそばまで歩いてきたところで走ってくる音が部屋の中までやってきた。
振り向くと息を荒くした由良がいて、俺の目をしっかりと見つめてくる。
「えっと、提督、その、ありがとう!」
そう言うと由良はすぐに部屋から走っていなくなった。
その言葉の意味はきっと、俺が信頼してくれたことに嬉しくなったからだと思う。正確な答えはわからないが、そうだったら俺は嬉しい。
そんな由良とも、今日のような仲がいい関係を続けていきたいと強く思う。
続きは未定。
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3.世界の果てで陽炎と過ごした1か月
ふと、執務室でひとりぼんやりして気づいたことがあった。それはこっちに来てから基地の外に出て自然を楽しんでないことにだ。
ここでは急ぐ仕事もなくて上司がやってくることもなく、多くの艦娘たちがいて弾薬やスケジュール管理でいっぱいだったりもしない。
けれど勉強や料理に家事、掃除に施設の補修に艦娘たちと話を楽しむなどで多くの時間が取られてしまう。
休暇の日でも周囲にはお金を使うような場所もなく、気になるからと施設の修理や錆取りをやっているが、ここのままではいけない。
冬がすぐ近く、このあたりは雪が結構積もるらしいために秋のうちに見たい自然を見るべきだと思う。
今はもう11月の半分を過ぎていて、これからはもう葉っぱが落ちていくだけだ。だから紅葉が綺麗な山、その中で大きなイチョウがあるところに行こうと思う。
そう1度考えると、行きたい気持ちを抑えることはできなかった。
出かけることを伝えるために、工廠に集まって、壊れた艤装や使わない物を細かくリスト化している艦娘たちに声をかけた。
陽炎は「私も行きたい!」と強く言ってきたが、他の皆は笑顔で「いってらっしゃい」と言ってくれる。
陽炎だけを連れていくのはどうかと思ったが陽炎の期待している笑顔に抵抗することは難しく、連れていくことに。他の艦娘たちには、あとで何かの埋め合わせをするとも言って。
昼飯を食べたあとの午後1時。俺は紺色の軍服の上にジャンバー、背中には食べ物や水に雨合羽が入ったリュックを背負い、いつもの軍服姿な陽炎を連れて建物の外へと出ては車に乗った。
外は透き通るような綺麗な青空が広がり、窓を開けるとひんやりと感じる冷たい空気は気分をはっきりとさせてくれる。
車を走らせて20分ほどで登山道がある、標高300mちょっとの山へとついた俺と陽炎は、気分よく山を登り始めた。
―――そして登り始めてから10分が経過した今。
雑木林と杉がある登山道を一緒に歩いていたはずだが、俺は陽炎を背中に背負って汗を流しつつ歩いている。
わずかな胸のふくらみ、すべすべとしている太ももの感触を俺に感じさせてくれている陽炎は、気分よさげに俺の首に手を回しては気分よく鼻歌を歌って楽しそうだ。
俺が着ていたジャンバーとリュックサックは歩きやすくするために陽炎に身に着けてもらっているが、背負うというのは中々に疲れるものだと実感してため息が出てしまう。
そもそも今こうなっているのは俺の見通しの甘さがあった。
陽炎の足、スポーツ用義足だと山道の落ちた葉っぱですべりやすいというのを考えていなかった。だから、陽炎が1度すべって転んでからは心配になった俺が背負って歩いている。
少しばかり体に負担はかかるものの、紅葉している木々や風に吹かれて落ちる葉っぱを眺めながら歩いていく。
目的地は事前に調べた大きなイチョウの木だ。樹齢が結構あるとかで実に見ごたえがあるに違いない。
そのためには多少の苦労があろうとも秋であるうちに行く必要がある。
「陽炎、山は楽しめているか?」
「ええ、紅葉がこんなにも綺麗だとは思わなかったわ。4年ぶりの日本だからかな」
「綺麗なものがわかるのはいいことだ。これから行くところはここよりもっと綺麗だと思うから楽しみにしてくれ」
「本当? なら提督に頑張ってもらわなきゃ!」
山道を登っているために荒くなった息で話をしていると、俺に頑張ってもらいたい陽炎は、俺のすぐ耳元で応援する声を色々とかけてくる。
少々うるさくもあるが、これぐらいは許容の範囲内。陽炎は少しうるさいぐらいでちょうどいい。
時折、陽炎の体を背負いなおしながら深海棲艦の爆撃によって道にできた穴を乗り越え歩いていく。
途中、山道が広くなった場所に着くと陽炎を降ろし、俺は枯れ葉が敷き詰められている地面へと大きく息をついては体を投げるようにして座り込む。
「おつかれさま、提督」
陽炎はねぎらいの言葉と共にリュックサックからタオルを出すと横に座ってくる。そして俺の顔から出ている汗をごしごしとふき取ってくれる。
俺はされるがままになり、荒い呼吸が落ち着いていくのを待つ。
10分ほど座って休憩していると呼吸も落ち着き、汗もふきとり終わるとしゃがみこんで陽炎に背を向ける。
「行くか」
「私、歩こうか? 艦娘は丈夫だから転んだぐらいじゃなんともないし」
申し訳なさそうな顔をする陽炎に俺は無言でにらみ、何も言わずに背を向けたまま乗るように催促する。
それを見て陽炎はゆっくりと俺の首に手を回してくると、俺は陽炎の太ももを持って立ち上がり歩き始める。
「お前がまた転んで倒れるのは気分が悪い。今度、別タイプの義足を買おうか」
「でも新しく義足買う場合は、軍からの補助は受けられないって言われたんだけど」
「俺とお前の給料を半分ずつ出せば、高い義足でも買えるだろ」
「私なんかのために必要のないお金は出さなくてもいいのよ?」
陽炎はいつも遠慮が少なく、何かと俺に構ってくることが多いが義足に関することだけはとても遠慮深くなってくる。俺としては部下であり、家族のように思う陽炎にはあまり気にして欲しくはない。
それにお金を使うのならば、役に立つ使い方をしたいと俺は思っている。
変な遠慮をしている陽炎に俺は体を2度ほど強く揺らす。
「ちょっと! 危ないじゃないの!」
「俺が買いたいと言っているんだ。お前は素直に好意を受け入れればいい」
そう言って静かになった陽炎を背負ったまま歩き続けていくと途中に分かれ道があり、看板にイチョウの木があると書いてある方向へと進んでいく。
お互いに話すこともない時間が続いていたが、陽炎が喋る気配がしたので意識を陽炎へと集中する。
「おにいちゃんって呼べばいいのかしら」
「なんだ、それは」
「前に仲良くしたいって言ってたじゃない。だから親愛の意味を込めるならこれかなぁって」
言われ慣れない、おにいちゃんという言葉に一瞬だけ胸が高鳴り恥ずかしくなったが、一呼吸分時間を置いてから俺は斜め上な発想にあきれたため息をつく。
俺のあきれた様子を見た陽炎は軽く首をしめてきた。俺は抵抗もせずにちょっとのあいだ、それに耐えているとしめてきた腕をゆるめてくれる。
「提督でいいさ。時々こうして一緒に出掛けるぐらいの仲でありたいんだ、俺は」
「今のような関係ぐらい?」
「もうちょっとだけ仲良くなれると俺は嬉しい。……よし、着いたぞ」
陽炎と話をしながら着いた場所は、山の中なのに半径10mほどの小さく水平に開けている場所だった。
杉と雑木林で囲まれた場所には見上げ続けるには首が痛くなるほどの高さである大きなイチョウの木があり、幹は大人8人ぐらいが手を広げて届くぐらいの太さだ。近くの看板には樹齢1100年で高さが30m、幅が14.5mと書いてある。
イチョウの葉っぱはあざやかな黄色で満ちていて、地面にはたくさんの落ちたイチョウの葉っぱがある。
地面はイチョウの落ちた葉っぱで土が見えないほどに敷き詰められ、黄金色に輝く姿は幻想的だった。
俺も陽炎も言葉を失い、ただぼぅっとイチョウの木を見るだけだった。少しして陽炎が俺の肩を叩き、そっと陽炎を地面へと降ろす。
地面へと降りた陽炎はリュックサックからタオルを取り出し、俺のタオルを軽くふいてくれたあとはタオルを俺に渡してイチョウの木のそばへと歩いていく。
黄金の風景のなかで陽炎が歩いて近づいていく姿は非現実的に見え、さっきまで背中に感じていた陽炎の暖かさは夢だったのかと錯覚してしまいそうだ。
陽炎はイチョウの大きな木に手をあて、ゆっくりと木の周りを歩いていく。そして木の裏側に行き、少し待つが陽炎の姿は現れない。
俺と仲良くしてくれる陽炎が突然消えてしまったことに俺は恐怖してしまう。
「陽炎、陽炎!」
と、焦った声で名前を呼ぶと木の裏からひょいと不思議そうな顔を出しては俺の元へと滑らない程度に走って目の前までやってきた。
「どうかした?」
「……いや、なんでもない」
「そう? なんでもないならいいけど。もう帰るのかと思っちゃった」
「まだ帰らない。もう少し見てからだ」
陽炎は俺の言葉を聞くと、リュックサックを地面に降ろして着ていたジャンバーを脱ぎ、俺に手渡してくる。
「私は丈夫だからいいけど、そのままだと風邪ひいちゃうよ」
「優しいな、陽炎は」
その優しさに自然と笑みが浮かび、陽炎は照れた様子で俺から目をそらすと体を木の方に向けて静かに見始めた。
俺もジャンバーを着てから、陽炎と並んで黄金色のイチョウの木を見る。
風で木々の葉がこすれる音、山の中から聞こえる鳥の声。自然を感じながら、綺麗なものを見るのは素晴らしいことだと感じる。
「イチョウがこんなにも綺麗だなんて思わなかった。……生きていてよかった」
最後の言葉に驚いて陽炎の横顔を見ると、寂しげに微笑んでいた。
その顔を見ていると、生きていれば素敵なことともっと多く出会えると言いたい。綺麗なものを綺麗と感じられる素直な心があれば、人生はより豊かになるとも。
でもそんなことを言うと俺にはわからない陽炎の悩み、心を傷つけてしまいそうな気がした。今の陽炎は最前線にいた頃、または死んだ戦友のことを思い出したのかもしれないから。
「春になったら何か育てようか。プランターや新しく畑を作ってもいいだろうな」
「育てるなら食べられるものがいいなぁ」
「綺麗な花をつける桜や今見ているイチョウでなくていいのか?」
不思議に思って陽炎を見ると、陽炎も俺を見てきて袖を軽く引っ張ってくる。
「綺麗なのが見たくなったら、また提督が連れてきてくれるでしょ?」
俺を信頼してくれる笑みを浮かべた陽炎はそう言って俺を見つめてくる。少しのあいだ見つめあった俺は「ああ」と短い返事をした。
陽炎は俺の服の袖から手を離し、地面に落ちたイチョウの葉を両手ですくい上げ、それを俺に見せながら宙へと放り投げる。
イチョウの葉っぱは左右に揺れながら、ひらひらと舞い落ちていく。
「人が手入れをしない自然っていうのも綺麗だと思うのよ」
「放っているからこその美しさか」
俺も陽炎と同じように落ちている葉っぱを両手で拾い上げ、胸のあたりの高さから手を離す。手から離れた葉っぱが地面へと落ちる最後までが新鮮に感じて、つい見届けてしまう。
そうしたあとは静かにイチョウの木のすぐ前まで行っては見上げ、陽炎も俺の隣に並んで見上げる。
「今度は皆で来たいわね」
「留守番は俺がするから、由良か誰かに車を運転させて行ってくるといい」
時々は艦娘たちだけで出かけて、俺への愚痴や何かを言い合うのもいいストレス発散になるだろう。と、俺が5人のためにそう考えているのに陽炎は義足で俺の足を軽く蹴ってくる。
義足の素材であるカーボンの足は結構痛く、何か不満があるみたいだ。
「陽炎は何が言いたいんだ」
「わからない? 私は、私たちは提督と一緒がいいのよ。他の皆もそう思うわ。6人全員がいたほうがきっと楽しいと思うの」
ちょっと恥ずかしがっている陽炎の言葉に俺は感動し、艦娘たちに嫌われていないことがわかって安心する。
だから、これからも艦娘たちの障害をよく知り、彼女たちと話をして今までのように仲良くやっていきたい。
そして、彼女たちに何かやりたいことや欲しいものがあるなら、できうる限り叶えてあげたい。
話の終わり方が思いつかないまま3話を書いてしまった。
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4.世界の果てで由良と過ごした1か月と1週間
昨日、陽炎と一緒にイチョウを見てリフレッシュした俺は、基地に戻ってから仕事をする元気が満ちていた。
艦娘たちが基地内で集めて売って大丈夫そうな物を5日ほどかけて俺と陽炎が車を使い、友人の修理工場のところへ車で往復して軍にばれないようにこっそりと売った。
自分たちがいる基地への予算配分はとても少ないため、自分たちで稼いでいかないとやっていけない。そうでないと苦しい生活になってしまう。
物を売って得たお金は陽炎の墓以外にも他の艦娘たちのためや生活の充実のために使おうと考えている。
物を売り払ったあとの帰りは、陽炎が欲しがっている大理石の墓石を11個注文し、陽炎が彫る練習用として適当な大きさの大理石も購入した。だが、彫るのは基地で教えられる人がいないためにしばらくのあいだは石材店で彫りの基礎を学ぶ必要がある。
はじめは全部を店の人に任せようとしたが、名前だけは自分で彫りたいと言ったためにお店の人一緒にやることを条件として任せることにする。
名前以外の部分である、部隊名や戦没地と日時は彫る人にお願いした。
墓石の購入と彫りの勉強、彫ってもらう予約を入れたあとは陽炎と外食をしてから基地へと戻り、到着した時間は午後の1時。
眠そうな陽炎を部屋まで送ったあとに執務室へ戻ると、部屋の中は暖房でしっかりと暖められており、ソファーに座っている由良は帰ってきた俺と目を合わせるとにっこりとした笑みを向けてくれた。
「おかえりなさい、提督さん」
「ただいま。何も問題はなかったか?」
「はい、何も。でもちょっと見てもらいたいものがあって」
執務机のところにある椅子に座ると、わくわくしている様子で由良が机の前にやってきては1通の封筒を置いてきた。
その封筒は少し古びていて、何年間か放っていた時間を感じる。
由良の視線に催促され、封筒を開けると中身には1枚の手紙が入っていた。
その手紙の文章を読むと、あきれたため息が出る。文章には『宝を隠した。提督と一緒にふたりだけで行動し、この手紙に従って宝を探せ。最初は執務室の暖炉の煙突にある』と書いてあるイタズラな手紙だ。
「由良、これをどこで手に入れたんだ?」
「前に売る物を探すために基地内を探したでしょう? その時に寮の空き部屋に入ったら、部分的に色が変わっている壁をさわったら外れたんです」
いつも落ち着いている由良だが、今だけはきらきらとした目をしながら義手が手を握ったり開いたりという動作を繰り返して興奮している様子に俺は意外さを感じる。それほどに宝探しという言葉が魅力的なんだろうか。
俺としては探しても何もなさそうな気がするが、そう言っても由良は強い不満を感じるだけだと思う。
だから、この手紙にあるとおりに探して何もなければ由良も落ち着いてくれるだろう。
「探したいか?」
「はい! 提督さんも由良と一緒に探してくれますか?」
「……いいだろう。だが、暖炉の煙突に何もなかったら終わりだ」
ため息をついて言う俺に、嬉しそうに何度も強く頷く由良。
俺は立ち上がると暖炉の前へと行き、暖炉のそばに置いてある火ばさみを手に取ると暖炉内の赤々と燃えている薪を隅っこに分散させる。次に灰取り用のスコップで中央に溜まっている灰を薪へとかぶせていく。これで火は消えていく。
あとは暖炉内の熱がなくなるまで待つだけだ。そのあいだは由良と一緒にソファーに隣り合って座り、墓石を買ってきたことや陽炎が彫りの勉強を始めるといった今日の出来事について話をした。
そうして20分ほど時間が経った頃には暖炉の熱もなくなってきて、執務机の引き出しから懐中電灯を取り出して暖炉の煙突の真下へと行く。
そこから上へと照らすと、真っ暗な煙突の中に、箱のようなものがくっつけられているのを見つける。
「由良、あったぞ」
「あ、手紙に書いてあったとおりですね」
狭い暖炉の中、俺と由良はかがむような姿勢で体をくっつけながら煙突の中を見上げる。
その箱以外は他に何もなく、ススで真っ黒になっているだけだ。
「電灯を貸してくれませんか?」
由良にそう言われ、すぐに渡すと俺の止めるまもなく立ち上がると、顔を煙突の中へと手を突っ込み、手を伸ばしてはススで汚れた金属の箱を取り出した。
黒いススで汚れた顔と手を見て、俺は急いでポケットからハンカチを出して顔を丁寧に優しく拭いていく。
「いきなり取るな。由良の顔が黒くなったじゃないか。俺が軍手を取ってくるまで待てばよかったんだ」
「でもそうすると提督が汚れちゃうでしょ? それに私なら義手だから汚れてもいいし、箱がとがっていても痛みはないからいいかなって」
「準備すれば回避できることなのに突っ走るな。もっと自分を大事にしてくれ。俺の精神に悪い」
由良の顔をふいたあとは、由良の手から金属の箱を取って床に置く。そうしてからススで汚れた義手を丁寧にふいていく。
俺に手を取られ、ふかれていくのを見ているだけの由良は申し訳なさそうな顔をして俺と目を合わせてはくれない。
「由良の我がままに付き合ってもらっているんだから、手ぐらい汚れていいかなって」
「次からはそういうのをやめてくれ。俺に変な気を使わなくてもいい。義手でも由良の手なんだから大事にして欲しい」
「……提督にとって由良の手は大事に見えるの?」
「ああ。由良にとっては感覚がない手だが、それでも危ないことはして欲しくないな」
「提督さんの言うとおりに痛みも何も感じない手だから、危ないことがあれば私を好きなように使って欲しいなって思うんだけど」
由良はしっかりと俺の目を見つめ、そう力強く言ってくる。
俺たちはお互いに相手を大事に想うあまりに、意見が違ってしまう。
由良の意思も強そうで、無理に止めたとしても言うことを聞かなそうだ。由良は自己犠牲の精神が強すぎるのに困ってしまう。
もう少し自分を大事にして欲しいが、今は結論を出すことができない。
由良の義手をふき終わり、汚れたハンカチを持ったまま床に置いた金属の箱を手に取って執務机の上に置く。
引き出しから未使用な雑巾をひとつ取って箱をふいていく。
ススが取れた箱は鈍い金属の光を反射し、簡単な留め金がついていた。
「箱を開けてくれるか?」
そう言って由良に声をかけると俺に頼られたのが嬉しいのか、笑みを浮かんで箱を開けていく。その箱の中には1枚の手紙があった。
由良がその手紙を持ち、声を出して読み上げていく
「次は食堂入り口そばの壁、とだけ書いてありますね」
それを聞いて俺は脱力する。これは手の込んだいたずらじゃないかと。でも由良は新しい手紙を見ても目が輝いている。
この調子だと次も手紙が入っていそうで、かなりの時間を使いそうな予感がする。その手紙の言うとおりに探していくのは面白いかもしれないが、そういうのはとてつもなく暇な時にしてほしいものだ。
「俺は仕事に戻―――」
「次にいきましょう、次です!」
と、嬉しそうな声をあげながら俺の手を胸元にまで持ち上げ、義手の動きを見ながら慎重に掴んでくれる。
そのとても嬉しそうな由良に俺は苦笑し、付き合うことにする。考えてみれば、ここでやめたとしても気になってしまって頭の片隅にずっと残り続けてしまいそうだ。
暖炉周りの片づけは後回しに、俺は由良に手を引かれて次の場所である食堂へと行った。
その食堂でもやっぱり手紙はあり、工廠、売店、基地の正門と俺たちが歩かされて得たものは手紙だけ。
今は提督の私室と書いてあった手紙のとおりに移動し、今は使われていない空き部屋である部屋だ。
俺と由良はほこりしかない部屋を探すが、変わった色の壁や床は見当たらない。
軽く探したあと、俺と由良は部屋の中央に行っては部屋をぐるりと見渡す。
「この部屋に来れたこと自体が宝って可能性はないか?」
「ここがですか?」
「提督の部屋に来るなんて難しいだろ。だから手紙の指示に従って、ということなら入る許可を与えるかもしれない。今までの手紙の目的は、艦娘の誰かが提督と仲良くしたかっただけなんじゃないか?」
最初の手紙には提督と一緒にふたりだけで行動と書いてあった。それで指示に従いってここにたどり着いた。だから、俺が思ったことは自然的に考えられることだと思う。
でも由良は違うようで、首を傾げては悩み、天井をぼぅっと見上げて考えているようだ。
「ちょっとしたかわいいイタズラだったな、これは。もう他に何もないようだし帰るか」
そう言って由良に声をかけるが、由良は黙ったまま、ふと天井を見上げる。
俺は由良が見ている視線の先を追って天井を見上げると、そこには天井の色が他と違う部分があった。
天井には手を伸ばしても届かず、あの高さにまで手を伸ばすなら脚立が必要だ。
俺が脚立を取ってこよう、と言おうとして口を開くより先に由良が口を開いた。
「由良に肩車して欲しいな?」
その上目遣いで甘える声に俺はとても大きなため息をつく。どうやら由良はさっき俺が言ったことを覚えていないようだ。
「由良、危ないことはするなと言っただろ。待っていろ、脚立を取ってくる」
そう言って部屋を出ていこうとするが、由良が俺の服のすそを掴んでくる。振り返ると、由良の顔はほんのりと赤みがあって恥ずかしそうにしている。
いったいどうしてそうなっているかがわからず、由良の言葉を待つことにする。
10秒も経つと由良は落ち着いてきて、深呼吸したあとにしっかりと俺の目を見つめてきた。
「次のも由良が取りたいなと思って。でも脚立だと登るときにスカートの中が見えちゃうでしょ? だから肩車がいいかなって」
それを聞き、女性と接するときのことを忘れていた。由良と出会ってからは仲良く過ごし、最初の時以外は性別のことをあまり気にすることはなかった。
脚立だけを持ってきて、俺は部屋の外に出ているというのも考えたが、それだと俺に遠慮することが多い由良が気にしすぎてしまうだろう。
俺は天井の色が変わっている部分の真下に来ると、片膝を床についてしゃがみ込む。
「ほら、乗っていいぞ」
「えっと、お邪魔します……」
小さな声でそう言い、恐る恐るといった様子で俺の背後に来ては慎重に俺の首へと足をまたがせていく。
そうして準備が整ったあと、俺は由良の太ももに手をかける。その肌は見た目どおりにすべすべとしていて、鍛えている健康的な足の感触を感じながらゆっくりと立ち上がる。
「あ、もう1歩前、ほんのちょっと右、うん、大丈夫です」
肩車している状態では俺はうまく顔をあげられず、上にいる由良の指示に従っていく。俺の上から聞こえてくる音は天井の一部を外しているのが聞こえ、そのまま作業が終わるのを待つ。
由良の体は適度に重くて持ちやすく、由良は俺に無理をさせまいと体を大きく動かそうとしていないから態勢が楽だ。
そのまま待っていると、突然由良が大きく体のバランスを感じると同時に俺の頭へと固い何かがぶつかってくる。
「ごめんなさい!」
「態勢を戻せ!」
頭の痛みを我慢し急いでそう言うが1度崩れたバランスはすぐには戻らず、踏ん張る俺の努力とは無関係に体が後ろへと倒れていく。
由良だけでもなんとか倒れる痛みを減らそうとして由良の足から手を離して受け身を取れるようにし、先に俺の体が床へと落ちていく。そのすぐあとに由良が落ちた音が聞こえた。
「大丈夫か?」
背中の痛みを我慢し、すぐに慌てて体を起こして振り向いた。が、両手を床に広げて倒れている由良はなぜか楽しそうに笑みを浮かべて笑い声をあげていた。
急いで四つん這いになって由良の体の上へと行き、頭を強く打ったかと心配していると段々と笑い声が収まっていく。
「楽しいね、提督さん」
「……今のどこが楽しいのか理解に苦しむな」
「一緒に痛い思いをするのって新鮮な感じがするの。それに肩車をしてもらったときに足をさわってもらったのが嬉しくて」
「嬉しい?」
「前に1度、切った腕にさわられたときにも思ったけれど、人とふれあうのってやっぱりいいなぁって。感触があるって幸せなことなんだって思ったの。それに肩車をしてもらうのは仲がいい関係だと思って」
言われて俺は気づく。1度だけ腕にさわった以外は義手としか由良とふれあったことはない。
由良の言うとおりに、お互いの肌の感触や体温の暖かさを感じることによって仲が良いものと思えくる。
俺も笑みを浮かべ、由良の後頭部をそっと静かにさわりると由良はくすぐったそうにするだけで痛みがなくて安心した。
それから由良の上から体を横へと動かして立ち上がると、由良を起こすために手を伸ばす。
「ほら、しっかりと手を握ってくれ」
由良は俺の手へと手を伸ばして握ろうとするが、その寸前で戸惑い、伸ばした手は止まってしまう。
「気にするな。由良になら、多少の痛みぐらい笑って許せるさ」
戸惑っていた由良の手はしっかりと俺の手を握り、力強く握ってきた。握られた手の痛みが強いほどに俺への信頼の証と感じ、勢いをつけて由良を立ち上がらせる。
だが、立ち上がっても由良は俺の手を握り続けていた。
「ありがとう、提督さん」
嬉しそうに言う由良の目は少しうるんでいて、俺の手を強弱つけて握ってくる。それを何度かやったあとに手を離し、俺の頭へと手を伸ばしてくる。由良が撫でてくるのは落ちた物があたった位置で、優しく撫でてくるのが恥ずかしくてすぐに1歩後ろに下がってしまう。
由良の物足りなさそうな表情を無視し、床に落ちた箱を見る。落ちた衝撃によって箱の中身はばらまかれており、中にあったのは今までの手紙ではなく写真だった。
それはいくつもあり、中には古いのも新しいのもある。そのどれもが提督と艦娘たちの集合写真だ。
床に散らばっているうちの1枚を手に取ると、その写真に写っている全員が楽しそうな笑みを浮かべている。
「確かにこれは宝と言えるものだな」
「どの写真も幸せそうですね」
由良も写真を1枚手に持って、そんなことを言った。
俺は他に落ちた写真を全部拾い、由良が持っているのも合わせると全部で4枚。それぞれの写真は違う提督と艦娘たちが写っていて、長い歴史を感じる。
全部の写真を眺めたあと、手に持った写真を箱にしまってフタをする。
艦娘たちと仲良い写真を撮った提督がうらやましく思え、俺もやってみたくなる。
「由良」
「はい、写真撮影ですね?」
「ああ。みんなを執務室に集めてくれ。俺はフィルムカメラを取ってくる」
由良は俺が考えていることをすぐに理解し、俺は全員で初めての写真を撮るということにテンションが上がりながら部屋を出ていく。
それから40分が経ったあとに執務室に俺と艦娘5人全員がそろった。
4人の艦娘たちには由良と発見した宝のことを説明し、写真を撮って自分たちも記録を残そうと言うと残りの4人は撮影を承諾してくれた。
みんなが集まるのに少々時間がかかったが、シャワーを浴びて着替えをするなどの身だしなみに時間がかかるのは仕方がない。男の俺とは違い、髪や肌の手入れに手間がかかるのは当然なのだから。
俺を含め全員が綺麗な制服を着て整った姿なのを確認すると、俺は持ってきた三脚付きのフィルムカメラを扉の前に置いてセルフタイマーをセットする。そうしてからから早足で執務机の前へと立つ。
位置は俺を中心とし、右には陽炎と由良。左には瑞鶴、長門、時雨の3人が。5人全員が愛おしい部下である艦娘たちであり、家族や友人のような関係の子もいて仲良くやっている。
写真撮影を終えたあとに写真は現像し、宝の箱に一緒に入れる予定だ。入れたあとには手紙は元の場所に戻し、俺がいなくなったあとに来る提督や艦娘たちが宝への手紙をきっかけにして仲良くなって欲しいと願う。
そして宝を見つけ、俺たちや以前の提督たちがここにいたことを覚えて欲しいとも願って。
次の陽炎の話でいったん終える予定。
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5.世界の果てで陽炎と過ごした2か月
陽炎が墓石の彫り方を勉強し始めて1か月が経った。
石材店の人に手伝ってもらいながら11人分の名前を掘ることができ、残りの部分は教えてくれた人に彫ってもらった。
陽炎が彫った多少不格好な文字だが、陽炎が自分で彫ったということにその意味はある。
一方の俺はというと、陽炎が頑張っている1か月のあいだに俺のほうは墓石を置く場所について手続きをしていた。
墓石と言っても遺体はないために実質的には墓ではないため、記念碑的な扱いだ。
陽炎は以前から基地周辺を色々探していたが、やはり海のそばである基地内がいいという結論に達して、俺は由良に基地を任せては軍の偉い人のところへと行った。
上官にあたる人にお金というプレゼントと共に3人ほどの担当者相手に全部で1週間ほどの交渉と手続きをして土地の使用許可が降り、陽炎が彫り終わる前にできたことに安心する。
この許可があれば、俺が提督でなくなったあとでも簡単には撤去できないだろう。
そして12月第3週の朝の今日、俺は灰色のツナギに着替え、首にタオルを巻いてから基地の隅っこで剣先スコップを少し固い地面に差して穴を掘っている。
由良たち4人は警備で出撃し、明日の朝までは帰ってこないから2人で穴を11個掘っていく。穴の形は墓石に合わせて、長方形で薄くたいらなものだ。
陽炎も剣先スコップを持ち、俺と交互にやっている。
青空が広がり、寒い空気の中で体だけは熱くじんわりと汗をかいている。
メジャーを使って均等の距離を開けて穴を掘りながら時々休憩をし、持ってきた水筒からお茶を飲んでいく。
その5度目の休憩のときに、ふと陽炎が不思議そうな声で話しかけてきた。
「提督はさ、色々無理してない?」
「……この肉体労働はすぐに筋肉痛になりそうだな」
「そうじゃなくて。ここの土地の使用許可とか」
「提督ってのは便利でな。これぐらいならどうにかできる」
俺がこっそりと陽炎に隠れて裏でやったことがばれそうな気がして、俺にとって嫌な会話の流れから逃げるため、少し急いでスコップを持って6個目の穴を掘り始める。
横目でちらりと陽炎を見ると、俺と同じようにスコップを持っては手伝ってくれる。
けれど、陽炎は言葉を止める気配がない。
「私もそう思ってたんだけど、本当かどうか由良さんに聞いたら意味深な笑顔を浮かべるだけだったのよ」
由良に任せて基地を出ていくときには誰にも言わないでくれ、と言った。そしてそのとおりに由良はやってくれていた。
そのとおりにやってくれてはいたが、陽炎の時だけはわざと何かあるように思わせたのは何の理由だろうか。
俺はただ、必要以上に陽炎が気を遣わないようにと配慮していただけなのに。
陽炎は優しいから、俺が苦労した分を自分がなんとかすると言いだしてしまうかもしれない。
「それは由良が普通に笑っていただけだろう」
「でも由良さんが答えてくれないのは私が勉強をしにいっている間にあった1週間分の提督のことだけなのよね」
陽炎の言葉を最後に俺たちはそのまま掘り続け、少し空気が悪くなったまま6個目を終える。
1度深呼吸をし、7個目を掘ろうとしたときに陽炎の手が俺の手を掴んでくる。
「答えて欲しいんだけど。私のために無理していない?」
そう言って俺を見上げてくる陽炎の目は怒りや寂しさ、不安が入り混じった目をしていた。
そんな目をされると、このまま黙ったままでは陽炎に強い不信感を持たれるだけだろう。
隠すのに諦めた俺は大きく息をついたあとに言いはじめる。
「無理というほどではないが、記念碑を建てるから、これから先ずっと建てたままでもいい許可をくれと言っただけだ」
「それだけ?」
「ああ。書類1枚であっさり終わったさ」
俺の言葉に不満そうな表情を浮かべたが、何も言わずに穴を掘り始めた。
その様子に安心し、俺も陽炎に続いて掘り始める。
「私ね、提督に感謝しているのよ?」
手を休めずに穴を掘りながら陽炎はそう言ってきた。
「足がない私を差別することもないし、過剰な気遣いもない。足の艤装がつけられなくて海に出れないのに艦娘として扱ってくれる。そんなあなたに私は本当に感謝しているの」
陽炎は掘る手を止め、さっきと同じように、けれど力強く俺を見上げてくる。
その目を見た瞬間に俺の手は止まり、どう言い訳しようか頭を動かすがこれ以上言葉を重ねても陽炎が納得する気配がない。
「私は提督を1人の人として尊敬しているわ。だから、そんな人が私に隠し事なんてしないと思うの。この意見についてどう思う?」
「失望されたくないから言いたくないんだが」
「大丈夫よ。すごく悪いことしていても、私だけは味方でいてあげるわ!」
人の悪そうな笑みを浮かべ、はじめから俺が悪いことをしていると決めつけていることに苦笑してしまう。
でも陽炎の思っているとおりに賄賂という悪いことをした。でもばれなければ罪にはならない。なったとしてもそれは俺だけの責任となり、悪くて提督という役職を辞めさせられるだろう。
「心配してくれるのか」
「そりゃもちろん。秘書として2か月も一緒にいるし、優しくしてくれるから気にして当然だと思うのよ」
「それはありがたい。……なに、悪いことといっても賄賂を贈って
「……別にそこまで無理しなくてもいいのに」
ひどく大きなため息をつき、陽炎は冷たい地面に仰向けに倒れた。
呆れたような、バカな人を見たような諦めの表情に俺は気分を悪くする。
「そんな顔を見たくないから言いたくなかったんだ」
「一言確認を取って欲しかったわ。確かに今やっていることはとても大事なことだけど、提督であるあなたも大事なの。わかってる? 私があなたを気に入っているってこと」
「わかってるさ」
そう言って1人、穴を掘るのを再開する。
陽炎は普段から俺のことを心配してくれていた。でも陽炎にとって大事なことは俺自身のことよりも優先しただけのことだ。
確かに自分の身はかわいいが、俺はただ陽炎の助けになりたかった。
最前線で戦い続け、戦友を亡くし、足を奪われてしまった陽炎に。
はじめは同情からだったが、今は大切な家族のように思えている。
掘り続けていると途中から陽炎が穴掘りを再開してくれて、11個全部の穴を掘り終えた。
そこで休憩とし、もう少しで12時になるから飯を食うことにした。昼飯は俺が作ろうとしたが、陽炎がどうしても作りたいというので朝の残りを利用した昼ご飯を食べた。
昼飯の時間も入れ、1時間ほどして作業を再開。
再び穴を掘る作業をしようとしたときに、気づいたことがある。
「陽炎、穴を掘ったあとに砂利か何かを入れるんだったか」
「あー、どうだったかなぁ。でもこの土は粘土質でもないから大丈夫な気もするし、それにダメだったら直せばいいじゃない」
「そうか。ダメだったらやり直せばいいか」
今までほとんど多くのことを1度でやるべきだと思ってしまっていた。あとでやる、ダメだったらやりなおすというのはどうも頭から抜け落ちてしまう。
今回は失敗しても自分たちの問題だけだから、周りに迷惑はかけず、陽炎自身もやり直せばいいと言ってくれている。
失敗しても次がある、と理解すれば気が楽になってくる。
艦娘たちのため、というのを口実にすべて自分だけで頑張っていた。1度でできうる限りの完璧を。
ここの基地に来てから、艦娘たちと一緒に掃除や料理をして一緒に頑張ることの大事さを勉強していたというのに。艦娘たちのことについては提督である自分が全部やるべきだと思っていたが、ここでは皆でやることを分担してやっている。
陽炎の一言で自分の今までの固まった考えを修正する必要があるなと思い至った。
「難しい顔してるけど、私、なにか変なこと言った?」
「いいや。何も問題はないさ。ほら、やるぞ」
気分がさっぱりし、陽炎とふたりで午後も掘り続け、11個の穴全部が完成する。
その後は、石碑を積んでいる車を持ってくる。大理石の石碑を1個、陽炎と身長に運んでいく。それからメジャーや水平儀で高さや角度を調整しつつ石碑を埋めていく。
その途中に陽炎がスコップで土を掘った穴に戻しながら言ってくる。
「これって石碑で登録したのよね?」
「ああ。墓だと却下されるだろうし、それにこれは……」
「遺体はないからね。墓とは呼べないし。もう登録した時の呼び方にしよう」
その時の陽炎の表情はさっぱりとした落ち着いた表情で、墓石、いや今から
「陽炎がそれでいいのなら」
「うん、ここまでしてくれて本当に感謝しているから」
石碑を撫でた時の同じ感情が乗った声が俺は寂しく感じながらも次の石碑を建てていく。
午前の時よりも長い休憩を時々入れながら、11個全部の石碑を建てたときはもう日が落ちていく夕方になっていた。
今は立て終わった11個の石碑を前に陽炎と並んで立っている。でも朝から続けて作業をしていたために、体の全身が疲れていて立っているだけでもかなりの疲労を感じてしまう。
お互いに会話もなく、冷たい風が体を冷やしていくときに陽炎が背を向けて1歩、2歩と歩いては立ち止まる。
「これで私のやりたいことは終わったわね。……ねぇ、提督。なにか私にして欲しいことはないかしら。なんでもいいのよ?」
「ない。今までのように俺と仲良くしてくれればいいさ」
後ろにいる陽炎を見ると、灰色の雲が広がる中で、雲の隙間から夕日の光を浴びて陽炎の髪が淡い赤色を反射姿は美しく、汗に濡れた肌が輝いているのに一瞬だけ見惚れてしまう。
今までも子供っぽさはなく、大人と呼べる美しさが俺の目にうつっていた。けれど俺へと振り返った顔はまだ幼さを感じ、陽炎は陽炎のままでそう変わらないものだと安心する。
「それは私自身も同じ気持ちだから別ね。なんでもいいから言ってみてよ」
そう言われても陽炎にして欲しいことなど思い浮かばずに困ってしまうが、陽炎も俺と同じように困った表情を浮かべているのが気がかりだ。
今日は陽炎のやりたかったことを終え、すっきりとした様子になっていてもおかしくはない。なのに今まで一緒に過ごしてきた中で初めてみる表情だった。
「ねぇ、何もないの?」
「あぁ……いや、そうだな」
陽炎から視線をずらし、夕暮れの空を見上げて考える。陽炎がこう言いだしたのには理由があり、それは今までやりたかったことである戦友11人の生きた記録を残すということを達成したせいで言っているのだと考える。
目的を達した今、何のために生きているかがわからなくて死に急ぎそうな気が強く感じる。そこで陽炎自身にやってもらいたいことを思いついた。
「じゃあ、陽炎のこれからの目標をひとつ決めてくれ。目標を終えたあとの、新しい生き方を」
「新しい生き方……?」
陽炎は自分の口元に手を当てながら、じっと地面を見て考えている姿を見た俺は悩む姿に安心しながら地面に置いてある道具を片付け、車に載せていく。
それらが全部終わったあとも陽炎は考えていて、俺の様子に気づく気配もない。そのまま答えが出るまで待つのもいいが、汗が冷えていた体が寒くなっていくだけだ。
あと5分は待つかと思って車に背中を預けて陽炎を見ていると、小さな雪が風に流されながら降ってきたのに気付く。
雪が降るともう今年も終わりかという気持ちになり寂しくなるも、ここに来てからの2か月は毎日が充実していた。
自分たち6人で基地の維持や整備、食料の調達。その合間に出撃なんていうのは忙しくも皆が楽しくやっていた。そして、これからも同じようにやっていくだろう。
ひどく静かで海の音と風の音しか聞こえない、この基地で。1人でいると世界の果てだなんて悲しい気持ちになるが、陽炎たちと一緒に生きていくことができるからいい場所だ。
みんなが仲良く、自分らしく自由に生きていけるのが。
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