ジョンの伝記 (ひろっさん)
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1章 武具大会
はじめての首都


白い漆喰で塗り固められた、広大な街を囲う城壁。

それは雲間から差し込む日光に照らされ、周囲の風景を神秘的に彩っていた。

外堀にかけられた跳ね橋を渡り、観音開きの城門を抜けると、都市を東西に貫く大通りが見渡せる。

石を積んで作られた街並みは色合いも明るく、雑多ながら人々の活発さを示すようにカラフルだった。

ただ、色合いで区画を分けているらしく、左側が黄色っぽく、右側が青っぽい。

建物の色で、慣れた人間ならすぐに分かるということなのだろう。

そのために、街並みがとてもよく管理されていることを、見る者に感じさせる

 

少なくともこの少年、ジョンは――。

そんなことに感心している余裕など、毛ほどもない様子だった。

車輪が破損した馬車の酷い揺れのせいで、見事に乗り物酔いしていたのである。

 

馬車は市場前で止まり、近くの宿に預けられる。

ジョンは馬車が止まった瞬間に転がり降りて、行商人が用意してくれた桶に――。

 

【しばらくお待ちください】

 

流れるテロップと共に花畑の映像が流れるような惨状を、ほうほうの体で片付けた後、なんとか代金を支払って宿に泊まる。

もちろん、この日はベッドから出られず、隣の部屋で何度か大きな物音がしても文句を言いに行く元気もなく、ひたすら耳を抑えて身体を丸めているしかできなかった。

 

 

 

片田舎から出てきた風体のジョンは、15歳の小柄な少年。

肌はやや浅黒く焼けており、髪の毛はやや薄い赤毛、瞳の色は赤茶色。

ここが日本ならば、不良認定されるだろうか。

しかしこの世界、マグニスノアには、まだ髪を染める技術というのが普及していない。

つまり彼の赤毛は地毛である。

 

赤毛というのは、地球では迫害対象だったことがある。

遺伝子的に劣性のため全体的に数が少ないことから、異物排除の原理が働いたのだろうとされている。

詳しい迫害状況は『赤毛のアン』など、文学作品にもなっているようだ。

だが。

この世界(マグニスノア)では迫害対象などではなく、普通に一つの人種の特徴として受け入れられていた。

 

 

 

翌朝。

ジョンは宿屋の1階の酒場に降りてきた。

酒場の2階が宿屋というのはファンタジーものにおいてはお馴染みだが、実は中世の田舎ではあまりそういう構造の家はない。

なぜならば、2階建ての家というのがそもそも珍しいからだ。

あるとしても、そこは屋根裏部屋であることがほとんどである。

 

ならばこの宿の構造が1階に酒場なのはなぜか。

ここが王都ルクソリス、近隣で最も巨大な都市だからである。

酒を飲んで酔っぱらった人間を介抱し、宿に泊めるということをする以上、酒場と宿は一体化している方が都合がよく、客の側も気兼ねなく酒が飲める場所であり、金を払っておけば少なくとも翌朝くらいまではある程度面倒を見てくれる場所は重宝された。

 

「体の方は大丈夫かい?」

 

宿屋の主に心配される。

 

「ああ、若い身体様々だぜ」

「嫌味か、この野郎」

 

冗談交じりに答えると、店主は豪快に笑う。赤毛の少年はカウンター席に座るとお金を払い、朝食を頼んだ。

酒場ではそこそこ人が入っており、そこかしこで食事しながら談笑が繰り広げられていた。

 

「しかし、よく見ると随分若いじゃないか。1人旅か?」

 

店主が簡単な料理を作りながら話しかけてくる。

 

「いや、昨日の行商人が師匠の知り合いなんだ」

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

 

宿屋の女将が、木製のコップに入った水をテーブルに置く。

 

「師匠って、どこかのお弟子さんかい?」

「しがない鍛冶屋さ。故郷を出て色々と見て回ったけど、やっぱり物作りの誘惑には勝てねえ」

「その歳で、旅をして回ったのか?」

「旅っていうか、ナンデヤナの街を見て回っただけだよ」

「おお、ナンデヤナか!また大きな街にいたもんだ」

「なんでやねん」

「……なんだ?」

「あ、いや、なんとなく……」

 

食事後、ジョンは宿の主に目的地の場所を聞く。

 

「シュッと行ったとこの大通りを右にビャーっと行った左に神殿があるから、そこの手前からサーッと行ったところにある広場の右手の方だ」

「なるほど、わからん」

 

地図を描いてもらった。

 

 

 

大通りを、街の中央へ向かって進んでいく。その内に大きな建物が見えてきた。大きいというよりも、背の高い建物だ。数百年は経過しているであろう、木造の神殿。

 

お堂の周囲を石柵で囲まれ、入口には赤く塗られた鳥居。その奥には左右に灯篭がある。さらにお堂の隣には注連縄が張られた杉らしき巨木。巨木の向こうには、石柵で隔てられた墓地が見えた。

なぜか、この国の神殿は皆こんな感じなのだ。理由は誰も知らない。

 

「ナイス神社」

 

ジョンはその前を通り過ぎ、大通りの横道に入る。すぐに職人ギルドを示す、ハンマーと定規を浮き彫りにした看板が目に入ってきた。

 

「こんな近ぇのに、説明の仕方で全然わかんねえもんなんだなぁ」

 

彼は変に感心しつつ、ギルドの入り口をくぐる。

宿からの道程(みちのり)は、およそ300mだった。

 

 

 

最初に見たのは、同じ赤毛の少年の背中。

 

「へっ、いつか偉くなって、テメエらなんか見下してやるからな!

それまでそこで陰口タラタラ、惨めに這いつくばってな!」

 

何かトラブルがあったらしい。捨て台詞を吐いて、ジョンにぶつかりながらギルドを出ていく。

 

「うおっ!?」

 

彼は自分で避けた勢いもあって当たり負けし、床に尻餅をついた。だが、なんとか持っていた麻の鞄の中身をぶちまけずに済む。

 

「あら、大丈夫?」

 

女性が駆け寄ってきた。エプロン姿の、年配の女性だ。

 

「あ、はい」

 

ジョンはすぐに起き上がる。

 

「今度はそのガキに貢がせる気か?」

「おうおう、手の早いことで」

「ボクちゃんもオトナのヒミツ知りたいなー」

「貢がせてポーイ、貢がせてポーイ」

 

カウンター近くの席にいる、ガラの悪そうな男4人が、昼間から酒を飲んでいた。

 

「そんな餌に釣られクマー」

「は?」

 

赤毛少年の言葉に、嫌そうな顔をしていた年配の女性は怪訝な顔になる。

 

「『かまってちゃん』の分かりやすい煽りに釣られたさっきのやつを、ひと言で表してみた」

「お断りだとよ!」

「また煽りが入ったようです」

「あん?なんだとてめえ?」

「説明しよう!煽りとは、他人を不快にしようという悪意の下に行われる誹謗中傷の類であり、いわゆる悪口である!」

 

ジョンはポーズを付けて話した。

 

「そういう問題じゃねえ!」

「じゃあ、ちょっと衛兵呼んでくる」

 

彼はギルドの外に出ようとする。

 

「なっ、なんでもかんでも衛兵に頼ってんじゃねえ!」

「そ、そうだ!男なら1人でかかってこいよ!」

「別に、俺、女々しい男だし」

 

ジョンは追いかけてくる男達の罵声を後ろに聞き流しながら、すぐ近くにある神殿に駆け込んだ。神殿の敷地内で暴力沙汰にでもなると、加害側はほぼ確実に牢屋行きなのだ。

それに、騒ぎになると衛兵も駆けつける。

 

「うわっ!?」

「きゃっ!?」

 

ただ誤算だったのは、なぜか神殿の入口にいた白いローブの人影にぶつかってしまい、互いに尻餅をついてしまったことである。

身長は同じくらい。声の甲高さから、少女だろうか。

 

「テメエ、このクソガキが!」

 

当然、追いつかれる。ただし、2人だけだった。もう2人は、まだギルドにいるらしい。

 

「あんなことしといて、ただじゃ済まねえからな、オラァ!」

「ぐふっ!」

 

ジョンは首根っこを掴まれて引き倒され、腹を踏みつけられる。さすがに15歳で大人が相手では、力負けしてしまう。

 

肺の空気が押し出され、息が詰まった。そこをもう1人が頭を踏みに、足を振り上げる。

屈辱と苦痛を味わわせ、自分の暗い欲望を満たすために。

 

「はぐぅっ!?」

 

しかし、次に悲鳴を上げたのは少年ではなく、大人の方だった。

白いローブの少女が、ズボンを穿いていても分かる、その華奢な脚を男の股間にめり込ませていたのだ。

ローブの裾は自分で少したくし上げていた。足首が見える程度まで。

 

男は物凄い顔で石畳に倒れ、悶絶する。

 

「テメッ、何しやがる!?」

「こんな大通りで喧嘩はいけませんよ。やるのでしたら、人気のない路地裏でやってください。それがクズの作法というものでしょう?」

 

フードを被ったまま、彼女は言った。なかなかいい性格をしている。

 

「そうだ、こいつは俺達を虚仮(こけ)にしやがったんだ!」

「……虚仮(こけ)にされたくないのでしたら、こんな朝からお酒を嗜むのはお止めになられた方がいいと思いますけれどね」

「うるせえ!喧嘩売ってんのかこのアマ!!」

「付近の方が衛兵を呼びに行く間の時間稼ぎですが、何かおかしいところはありますか?」

「なっ!?」

 

少女はシレッと自分の思惑を伝える。

 

2人の大人は顔を青褪めさせた。そして倒れた仲間を起こして背を向ける。

 

「あらあら、逃げるのですか?ではこの少年の主張が全面採用されることになりますよ?どのような冤罪が創作されるのか、楽しみですねえ」

「ぐっ、くっ……!」

 

一度は逃げ出しかけた3人は、一瞬その足を止めた。

完全に少女のペースである。彼女の言葉は的確に大人達の心をえぐり、判断を迷わせる。

しかし、恨めしそうに少女を振り返ったのも束の間、すぐに走り出し、人込みに消えていった。

 

「では、事情は説明していただきますよ?もちろん、衛兵の詰所で」

「あ、え?君も来るのか?」

「いけませんか?」

「いや、てっきり神殿で話するのかと……」

「あなた、ルクソリスは初めてですか?」

 

白いローブの少女は可愛らしく小首を傾げる。ルクソリスとは、この都市の名前。

 

「ああ、昨日の夕方来たばっかりだ」

「なるほど」

 

少女は納得する。そして言った。

 

「ではようこそ、水外(みずそと)3区庁舎へ」

 

説明しよう。

ルクソリスには、神殿の敷地内に様々な都市機構が存在した。だから、神殿に駆け込めば、大抵のことは何とかなってしまうのである。つまり、神殿の敷地内には、衛兵の詰所があるのだ。

 

「な、なんだってー!?」

 

ジョンは少女のフードに自作の猫耳をくっつけてから、驚きの声を上げる。

グーで殴られた。

 

「何をしやがりますか」

「あ、いや、ごめんなさい」

 

笑顔で怒られて、赤毛少年は平謝りした。

 

 




ルクソリス:現ハレリア王国首都。

総面積:約201平方km。人口:約200万人。人口密度:1万人/平方km。
(比較参考。概算、推計あり。
江戸:1750年頃(近代化以前、世界最大都市)
総面積約56平方km。人口約130万人。人口密度2.3万人/平方km。
パリ:1370年頃(中世ヨーロッパ最大都市)
総面積:約4.4平方km。人口:約8万人。人口密度:1.8万人/平方km)

都市の形状は円形、直径16km、外周約50kmに渡る外壁を持つ。
都市の中央をシドルファン大河の支流リリアニン川が東西に貫き、東京ドーム1個分(直径245m)程度の島を中心とした同心円上となるように3つの運河が形成されている。

構造は火(東)、水(西)、土(南)、風(北)と斜めに貫く大通りで等分されており、さらに外壁のすぐ内側の外域(そといき)が3分割、一つ運河を挟んで内側の内域(うちいき)がそれぞれ2分割されている。
さらに内側には貴族区が半円状に2つあり、中央の島には大神殿と王宮がある。
観光客へは、外周の城壁と内側にある三重の運河を合わせて、四重の同心円構造と説明される。

1千年前の神話の終わりに神族によって建設され、そこにハレリア民族が住み着いたのが始まり。
先に城壁と運河、中心の島に大神殿がある状態から居住用の家が建設されたという、異色の経緯を持つ、マグニスノア世界全体でも随一を誇る巨大都市である。
ただ、巨大な城壁は治安のいいハレリアでは珍しく、実際に城壁が役に立ったのは、外敵から守るためではなく、内部に入り込んだスパイの類を逃さないための封じ込め作戦のみというのが現状である。

都市区画の役割分担として、火区は軍関係、水は農業関係、土は建築関係、風は商業関係と地区ごとに分かれており、内域は優れた職人を囲い込むための工廠区、魔法研究を行うための錬金工房などが密集している。

それぞれの地域には共通して鍛冶工房と娼館があり、特にハレリアの民族性から、娼館が表通りに堂々と店を構えている。
広場に面した場所には、必ず神殿と役所と衛兵の詰め所がセットになった建物が並んでおり、しかも似たような構造の場所が多いため、よく迷子が発生する。

また、地下に上水道と下水道が整備されており、下水は勾配では下側となる水外区に設けられた巨大な池に流れ込み、それが水区で行われている農作実験用の田畑に利用されている。
さらに初夏には浮浪者を集めて川のゴミ拾いが行われ、中世初期と同レベルの文明度の社会にしては信じられないほど川が綺麗に保たれており、川で泳いで遊ぶ子供の姿が時折見られ、アユやボラなどの川魚が食卓に並ぶ。



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紹介状

衛兵の詰所には、刑事ドラマに出てきそうな取調室があった。

椅子(木製)に座らされ、机(木製)を挟んで鎧(鉄製)姿の中年衛兵が少年から事情を聞く。

壁や天井は石でできていた。逃走防止用だろうか、窓はなく、地下室らしいひんやりした空気を感じる。

あの白いローブの少女は、壁際に立っていた。室内でもフードを深く被ったままだ。声で同じ少女だと分かるのだが、ジョンはまだ彼女の素顔を見たことがない。

 

「さて、聞きたいことはただ1つ、君がなぜあの2人に追われていたのかだ」

 

中年衛兵の問いに、少年は得意げに答えた。

 

「真実はいつでも1つ!」

「ええ、ですからその真実が聞きたいのです」

 

白いローブの少女に真面目に返(マジレス)される。

 

「なんかね、職人ギルドの入口際のテーブルに男4人ほど座ってて、その4人が受付のおばちゃんに色々とえげつない悪口言ってたんだ。

だからつい、『衛兵呼んでくる』って言って出てきたら追っかけられた」

 

出来るだけ子供っぽい声を心掛けつつ、素直に話す。

声変わりしているため、子供っぽい声は無理で、ビデオレターに出てくる人みたいな、素人丸出しの演技になってしまったが。

そんな胡散臭い少年の言葉でも、ちゃんと聞いてくれているこの中年衛兵には感謝したいとジョンは思った。

 

「職人ギルドか……」

 

中年衛兵は腕を組んで唸った。虚空を見て考え事をしているようだが、焦点が合っていない目がこちらを向いていると、結構恐い。

 

「やはり、こちらの区画でも、同じことが起きていたようですね」

「同じこと?」

 

少年は首を傾げた。何やら、雲行きが怪しい。

 

「彼に話してしまうので?」

 

中年の衛兵は畏まった態度で少女に聞く。

 

「彼らを相手に知らぬ存ぜぬは通りません。知らないままに放り出してしまえば、ありとあらゆる手段で情報を引き出そうとするでしょう」

「え、もしかしてかなりヤバイ相手に喧嘩売ってたの、俺?」

 

ジョンが顔を青褪めさせた。

 

「大丈夫ですよ、私はもっとヤバイ人ですから」

「何をどう安心していいのかわからなくなった」

「このまま放り出されるのと、囮捜査に協力するの、どちらがいいですか?」

「笑顔で脅されてる!?」

「というのは冗談です」

「ひどい!ワタシとはお遊びだったのね!?」

「なんですそれ」

 

少女は可笑しそうにクスクスと笑う。

 

「とにかく、しばらく君にはここにいてもらおう。余所へ行くよりは安全なはずだ」

「どうしてこうなったし……」

 

赤毛の少年はテーブルに突っ伏して呟いた。

 

取り調べ後。場所を移して会議室。木造で、それなりに広い部屋だ。

ここには白いローブの少女と、さっきの中年衛兵、もう1人別の中年の衛兵がいるだけだ。

2人の衛兵はこの詰所の隊長と副隊長である。

 

「さて、状況の再確認は終わりました。私の初任務にはちょうどいいかもしれません」

「おお、それでは」

「ええ、おそらく前任者の策がそのまま通用するでしょう。まずはマディカン元帥に手紙を書きます」

「マディカン元帥に?」

「ええ。ルクソリスの外側を固めていただく必要があります」

「襲撃があると?」

「黒幕を逃がさないためです」

 

少女の口元が不穏な笑みに歪んだ。

 

 

 

翌日。

ジョンは神殿の客室で眠れぬ夜を明かした。衛兵や役人があわただしく動いていたようだが、少年には何も教えられていない。その音が気になって、あまり眠れなかったのだ。

 

「ふあ……」

 

欠伸をする。

窓から外に目を向けると、衛兵達はまだせわしなく動いているのが見えた。

 

しばらくして、青い神官服の男性がお湯を運んできてくれる。

風呂に入るという習慣のない地方では、こうやってお湯で体を拭くのが一般的だ。

銭湯というものもある。

この世界では湯を沸かす手段が割と簡単に手に入るため、特に巨大な水脈の上にあるナンデヤナでは、銭湯が商売として成り立っていた。

 

「ギルドの前に着替えを買うか」

 

清潔な場所で体を拭いたことで、ジョンは自分の服の臭いが気になり始める。

元々、ナンデヤナでそこそこお金を貯めて、この王都へやってきたのだが、あまり服に頓着していなかったせいで、着たきりの服はかなり汚れていた。

 

「時間はそこそこありそうだな」

 

少年は自分の鞄から、材料と道具を取り出した。以前、ナンデヤナにいた頃、自分で買って揃えたのである。手慰みにあるものを作るために。

 

まずは針金。これは自作のものだ。現代地球では簡単に手に入るものなのだが、設備がまだできていないこのマグニスノアでは、自分で金属を打ったりして作り上げる必要があった。

 

この針金を打って作るというのが、また難しかったりする。細い針金は、熱をかけると簡単に融けてしまうのだ。そうなれば台無し、ほぼ最初からである。

さらに、細いものをハンマーで叩いて成形していくため、力加減も難しい。

これを鍛鉄(たんてつ)のまま作ったことで、師匠から王都へ行く許可が出たようなものだ。

手作業でも小さなものを作るというのは、それだけ難しいことなのである。

 

ちなみに、鍛鉄ではなく少し強度の落ちる鋳鉄でいいなら、水の中に溶けた金属を流し込むという方法で針金は作ることができる。

それにしても、温度管理に神経を使うということに変わりはない。

太さを均一にするには、溶解した金属の温度を保たなければならないのだ。

そうしなければ、仕上がりにはどうしてもムラができてしまう。

 

ジョンは針金を木の板で挟んで曲げ、伸ばし、捻ったりして成形。

出来上ったのはカチューシャ。

現代地球でも、よくアクセサリショップで売っている、針金を曲げて作った、ヘアバンドのような髪飾りだ。

道具にあまりいいものがなかったため、少々不格好だが。

 

次は綺麗に洗った毛布の切れ端を三角に切る。そして縫い針と糸で、カチューシャに2つ、縛り付けていった。

 

「それは何ですか?」

「うほぁっ!?」

 

突然背後から声をかけられて、ジョンは座った姿勢のまま飛び上った。偶然そうなっただけのことなので、もう一度やれと言われてもできないだろう。

 

「な、え……?」

 

動揺も露わに振り返ると、あの白いローブの少女がいた。

なので、ジョンはとりあえずそのフード越しに、今できたばかりのネコミミカチューシャを着けてみる。

殴られた。腰の捻りが利いた、鋭くて重いストレートだった。

 

「なぜこのようなものを着けたがるのですか?」

 

彼女は頭からカチューシャを外しながら尋ねる。

 

「そこに少女がいるからさ!」

 

床に倒れ伏しながら、ついでにローブの下を覗きつつサムズアップすると、顔を踏まれた。ローブの下は、残念ながらズボンだった。

 

「私の仕事は大体終わりました。後は、明日の朝まで待つだけです」

「結局、何があったんだ?」

「では、説明いたしましょう」

 

椅子に座った少女はフードで顔を隠したまま、得意げに話す。

 

「昨日、貴方を襲ったのは、洗脳術で操られた付近の住人です」

「洗脳術?」

「いわゆる魔法ですよ。人を催眠状態にして、心に暗示を植え付けるのです」

「なにそれ怖い。割とマジで」

 

催眠術の応用である。

どうやら魔法で人を催眠状態にするのは、それほど難しいものではないらしい。後は、同じく魔法で暗示をかける。こうすることで本人の知らない間に思考が誘導され、様々な悪事を働かせることも可能なようだ。

 

地球でも、催眠術によって人を殺させようとした事件があったらしい。その時は『相手に向けて引き金を引く』という暗示を受けており、しかし凶器に指定された拳銃に弾が込められていなかったため、未遂に終わったという。

しかし、もしも弾が込められていたとすれば、本当に殺していた可能性が高いとか。それには長い時間をかけて暗示を深めていく必要があったというが、もしも魔法でその時間を短縮することが可能だとすれば、それは大変な脅威となる。

 

「まあ、そういう事件に対応するために、私のような頭脳労働系の治安部隊がいるのですけれどね」

「へえ、その歳で一人前なのか」

「幼少期から特殊な訓練を受けていますから」

 

声音が得意げだった。(※ この少女は特殊な訓練を受けています)

 

「ということは、黒幕を捕まえないとどうしようもないってことか」

「この事件の難しいところはそこです。お1人でしたら、衛兵に任せておけばそれでいいのですけれども」

「1人じゃねえのか?魔法を使えるやつが複数?」

「そういうことです」

 

少女は口に手を当てて愉快そうに笑う。

 

「そこでこちらも術士を繰り出しまして、今日一斉に暗示を解きました。洗脳が解けたことを知らせる術を確認しましたから、それを利用します」

「……ああ、仕掛けに追い込むわけか」

「頭のいい方は好きですよ」

 

愉快そうな微笑みの視線に、ジョンは心臓が高鳴るのを感じる。さすがに健康な若い身体は異性の笑顔に反応するのだ。

 

なので、思わず猫耳カチューシャをつけてみた。

目突きされた。

 

「ふぐおぉっ!?」

 

ジョンは痛みのあまりのたうち回る。

 

「懲りない人ですねえ」

「何度でも蘇るさ!そこに少女がいる限り!」

「あなたみたいな残念な人は初めてです」

 

呆れられた。

気を取り直して。大事な話はまだあった。

 

「明日は土外(つちそと)1区に移動していただきます。お隣の区画ですね」

「なんでまた?」

「今回は、貴方の行動を利用させていただきました」

 

少女の説明は以下の通り。

まず、ジョンが異常に気付いて、黒幕を嗅ぎ回っているという噂を流す。

これについては、彼がそこそこ頭の良い少年だと、トラブルがあった当時ギルドにいたメンバーが証言してくれた。

この印象が重要なのだ。ジョンという、黒幕にとっては謎の少年が、事件の真相に気付いた可能性を示唆できる。

 

次に、この少年が貴族の息子だという噂を流した。

通常、平民以下の身分の者は見下される。なぜならば、十分な教育がなされていないからだ。十分な教育がなければ、事件の真相に辿り着くことはないというのが、この時代の一般常識である。

 

だから、この嘘は黒幕を慌てさせることになる。

貴族の息子ということは、万一少年が真相に辿り着いた場合、彼の訴えで衛兵が動くことになる。

なぜならば、平民と違って後ろに権力がある上に、話の信憑性が平民とは桁違いだからである。

そうなれば衛兵の捜査次第で黒幕が発見される危険があった。

重要なのは、黒幕にそう思わせることだ。

 

黒幕は血眼になって少年を捜し回るだろう。

だが自ら捜し回る確率は少ない。洗脳した人々を使って、手分けさせるはずだ。それを狙って網を張り、洗脳された人々を捕まえる。

 

大抵の洗脳術は、洗脳が解ければ術者に分かるようになっているため、捕えた後に順次洗脳を解いていけば、それが術者に伝わることになる。

今回の作戦のように、ルクソリス全域の衛兵を動かしての大規模な網による行動となると、洗脳を受けたほとんどの住人は洗脳が解かれるはずだ。

そして、黒幕は騙されたことに気付く。

騙されたことに気付いた黒幕達は、どういった行動に出るだろうか。5割方、逃げるという選択をする。それが致命的なミスであることに気付かないまま、その判断を信じてそれを実行に移す。

 

「それを、ルクソリスを包囲するように展開していただいた、ハレリア本軍によって抑えます。1人でも捕えることができれば、後は逆に洗脳してお仲間のところに案内していただくことになります」

「ってことは、俺って貴族の息子ってことになってるのか?」

「そういうことですね。この区画でギルドに入ると、余計なトラブルを招くということです。貴方にとっても、私達にとっても、それはよろしくありません」

 

えげつない捕縛作戦については、ジョンはスルーした。地球の刑事ドラマでも、このくらいのことは日常的に行われているからだ。もっとも、最近は科学捜査に重点が置かれることが多いようだが。

 

「なるほど、理解した」

 

理解したので猫耳を付けた。スクリュー気味のフックが頬に突き刺さる。

 

「もしかして、そちらの趣味がおありで?」

「少女に猫耳、故に我あり」

「何一つ意味が分かりません」

「つーか、膝が絶賛抱腹絶倒中二病なんだが、もしかして体術の訓練とかも受けてるのか?」

 

要するにダメージが足に来て、膝が笑っているということである。

 

「そういう訓練は受けていませんが、私の一族は身体能力が高いと言われてはいます」

 

普通に答えてくれた。

ただし、少女は内心で「加減ミスりましたかね」とか考えていたりする。

 

「素朴な疑問ですが、部屋の状態から察しますと、もしかしてここで作ったのですか?」

「まあな、じっとしてるのも暇だったし」

 

ジョンは言われて部屋を見回して、道具類が散らばっているのを見て頷く。片付ける間もなく少女が入ってきたのだ。

 

「そういえば、職人ギルドに入ろうとしていたそうですね」

「師匠に紹介状を書いてきてもらった」

「紹介状、ですか……見せていただいても構いませんか?」

「ああ、いいけど、蝋封(ろうふう)なんてしてねえぞ」

「構いません」

 

彼は皮の鞄をごそごそとあさり、封筒に入った手紙を取り出した。

少女はその手紙を受け取って読む。「蝋封とは難しいことを知っていますね」とか考えつつ。

 

蝋封とは、手紙を入れる封筒の入口を蝋で固めることだ。

その手紙がすり替えられたりしていないことを示す、原始的なメールセキュリティである。状況や場所によって、割印などと使い分けられる。大抵は手紙を出した者の家紋を入れるようだ。

現代地球では、書類の割印やサインのようなものと考えればいい。

 

「……!」

 

息を呑む音が、やけに大きく響いた気がした。そして、震える声で少年に問う。

 

「あ、あなたは、何者ですか?」

 

ジョンは首を傾げた。一体どんなことが書かれていたのだろうか。

 

「内容は見てないんだ。なんて書いてあったんだ?」

「近い……」

 

少年は少女の手にある手紙を覗き込む。少女がちょっと顔を背けた。

 

手紙には一言。

 

『手に負えん』

 

とだけ書いてあった。

 

「しぃぃしょおおおおおおっ!!」

 

ジョンは思わず天に向けて絶叫する。

たった一言、しかもこの内容。これは酷い。

 

「イチイチ叫ばないでください」

「ごふっ」

 

ボディブローで黙らされた。白ローブ少女による赤毛少年の扱いも酷い。

 

「大体、鍛冶屋バラクといえば、有名な偏屈老人ではないですか。このくらいのことでイチイチ驚いていたら、キリがありませんよ?」

「あ、いや、なんとなくなんだ、すまない」

 

笑いの神に囁かれたようである。

 

「しかし、少々怪しいですね、この紹介状。毎年、何人かは偽物を持ってくるのですよ。バラク氏も非常に有名ですからね」

「参ったな。俺、さっさと自分の工房欲しいんだけどよ……」

 

ジョンは頭を掻いた。

 

「工房さえあればどうにかなるということですか?」

「おお、故郷にいた頃も、割と自分でカマドとか作ってたし」

「嘘おっしゃい。鍛冶師の修業は最低10年と言われます。まさか物心付いた頃からそんなことをやっていたわけではないでしょう?」

「物心って言うか、な……」

 

少年は口籠る。

 

「言っても信じてくれねえだろうけど。俺さ、前世ってやつの記憶があるんだ。しかも、違う世界の」

「胡散臭いですね」

 

少女はぴしゃりと断じる。

 

「やっぱそうだよなぁ。俺だって、最初は夢か何かだと思って、色々とやらかしたからな。兄貴の恋人に猫耳付けたり尻尾付けたり」

「今と変わらないではないですか」

「最終形はミニスカメイド服に猫耳と尻尾だー!!」

「近所迷惑です」

 

殴られた。

 

「そろそろ手が痛くなってきました」

 

床に倒れ伏す少年に少女は文句を言う。

 

「こっちもそろそろイケナイ何かに目覚めそうだ」

「術で蒸発させます」

「ゴメンナサイ」

 

不吉な詠唱を始めた少女に、ジョンは額を床に擦りつけて謝り倒した。

 

「ともかく、この紹介状と猫耳は没収します。話が進みませんし」

「はい」

「やけにあっさりしていますね」

 

少女は怪訝な顔をする。

 

「どうせ人生なんて、なるようにしかならねえし」

「人生諦めては、男色家に食べられてしまいますよ?」

「アッ――!」

 

少年は思わず尻を抑えた。

 

「それは冗談としまして。お金はどの程度あります?」

ナンデヤナ(あっち)でひと山当てたから、結構ある。最悪、この金で小さい工房を買うつもりで来た」

「なるほど、紹介状に頼る気はないということですか」

 

少女は感心する。

 

「では明日、土外1区へ案内するように、話を付けておきます」

 

この日はこれで面会が終わった。

 

なんだか色々と余計なダメージを負ったジョンは、ベッドに寝転がると、そのまま昼寝を決め込んだ。思ったよりダメージが大きかったらしく熟睡してしまい、夕食はかがり火が頼りの冷たいスープになった。

 

大人達にやられたダメージよりも、少女に殴られたダメージの方が明らかに大きい件について議論したいと思ったかどうかは定かではない。

 

 




獣耳:

実は人間の頭を動物のものにしたという神々や妖精、怪物は、世界中どこにでも存在する。
エジプト神話はほとんどの神が動物の頭を持っているし、チベットでも牛頭馬頭、孫悟空など、動物をモチーフにした妖怪は大昔から無数に存在した。

ただし、それらは獣耳という形では存在しなかった。
能の狐面のように、動物の身体や顔とセットだったのだ。
そのため、萌えパーツというよりも、宗教儀式や芝居で動物になり切るための小道具という側面の方が強かった。

それが少年少女の庇護欲をかき立てる、いわゆる萌えパーツとして発明されたのは、実は最近のことだと考えられる。
いわゆる漫画やアニメで、読者や視聴者を引き込むための要素として考え出されたもの、という解釈だ。

ただ、具体的に誰が発明したのかまでは判然としていない。
テレビが発明され、アニメという表現法が登場した時期に、子供むけに大量発生した擬人化キャラクターが元になっていると考えられるが、少女に萌え要素として、耳や尻尾のみを取り付けるという方法を考えたのが誰なのかは分かっていない。
ブームが発生する前後に、規模が小さくとも同人業界が誕生し、作品を持ち寄ってささやかな市場(いちば)を開いた(コミックマーケット)が、その辺りが発生源かもしれない。

ちなみに、最近ではリボンで獣耳を模したり、ヘッドホンを獣耳型にしたり髪飾りに獣耳を取りつけたりといった手法が発明されており、順調に進化しているようだ。



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包丁

ある貴族の邸宅。

 

「ポンサー卿」

「おお、姫様。此度の事件、無事解決したようですな」

 

老人男性のしわがれた声が、少女の涼やかな声に応える。いわゆる、読者には秘密の会話というわけだ。

 

「ハゲジジイ卿、姫なんてよしてください。今の私は行政官吏です」

「ホッホッホ、小さい頃から知っておると、どうも子供のように思えてしまいましてな」

「まあいいのです。それより調べていただきたいことがありまして」

「なんなりと」

「娼館に通った回数を」

「ファッ!?」

「冗談なのです」

「驚かさんで下され」

「最近は平均で5日に1回ですよね?」

「歳でしてな。公務もありますれば、そうそう行けませぬ。

……いえいえ、娼館の安全管理状況はこの目で確かめる必要もございますからな」

「そういうことにしておきましょう」

「して、どのような御用向きですかな?」

「よく見ると送り主も書いていないのですが、この紹介状が本物かどうかの調査と、持ち主の身辺調査です」

「転生者の偽者でも出ましたかな?」

「うーん、それなのですが……どうも嘘を言っているようにも見えなかったのですよ。こんなものも作っていますし」

「獣耳……ほほう……」

「……私に手を出そうとしたら殴りますからね?」

「め、滅相もない!」

 

 

 

「なあ、頼むよ。お金ならあるからさぁ」

 

土外(つちそと)1区の職人ギルドで、少年は受付に懇願していた。

ちなみに受付は男である。

 

「ガキが自分の工房を持とうだなんて10年早いんだよ!」

 

しかし、突っ撥ねられる。

 

「歳のせいで買い物もできねえなんて、嫌な時代に生まれちまったもんだぜ」

「グチグチ言ってる暇があったら、どっかの工房に弟子入りするんだな」

「弟子入りったって、ろくな奴いねえじゃねえか!実力飛んでるのに気付かずに一生弟子のまんまとか、嫉妬されて背中刺されるとか嫌だからな!?」

「人のせいにするんじゃない!ろくに修業も積んでない癖して、一人前に口だけは達者なやつだな」

「じゃあ、腕試しだ!ここで一番の職人と競わせてくれ!」

「だから10年早いって言ってんだよ!」

「何事じゃ」

 

奥から老人が出てきた。

 

「あ、マスター、このガキが自分の工房が欲しいって生意気なこと言いやがるんで」

「金はあるんだよ。ナンデヤナで儲けてきたし」

「失敗作も金で解決されちゃ、ウチの信用にかかわるんだよ!」

「だから、腕試しで確かめりゃいいだろ!」

「なるほど、するとボウズ。腕試しをして、負ければ工房の話はナシで構わんな?」

「ああ、その時は素直に弟子入りするよ」

「マスター!これを認めれば、同じ手を申し込むガキが増えて、大変なことになりますよ!?」

 

受付の中年男性は慌てるが、ギルドマスターらしき老人は落ち着いている。

 

「空いた工房くらい貸してやればよかろう。

じゃが、そういう事情もあるからのう。負けた時に素直に弟子入りするだけでは済まん。

材料費や炉を傷めた分の修繕費も払ってもらうぞ」

「わかった」

 

ジョンはその条件を呑むことにした。

どうせ、工房が手に入らなければ、貯めたお金も無駄になるのだ。

 

「期間は30日じゃ。その間に包丁の1本でも打つがよい。ワシらは数と質を鑑定し、結論を出そう」

 

ちなみに、この職人ギルドの反応は、決して理不尽ではない。

現代地球でも、弟子入りして学ばせてもらったお礼として5年間の奉公勤め、要するにタダ働きをするという伝統が残っており、中世では弟子入りするとそのまま永久就職になるケースも少なくなかったと考えられる。

 

だからこそ、ジョンは無理を通すためにお金を用意したのだが。

 

 

 

それから、個人用の小さな工房に案内される。

 

「お前がやってるのは、ギルドに喧嘩を売ってるようなもんだからな。厳しい結論は覚悟しろ」

「手は抜かねえ」

 

凄みを利かせる受付オヤジに、ジョンは物怖じせずに返した。

 

「その先にモテ期があることを信じて!」

 

ダメだこいつ、はやくなんとかしないと。

 

 

 

ジョンは市場で薪を買ってきて、炉にくべた。

まずは長く使われておらず、湿気た炉を乾かさなくてはならない。

 

その間に再び市場へ向かい、鋳型と木炭とクズ鉄を購入。木炭は自分で作っても構わないのだが、今回は時間がないため、市場で買ってくることにした。

保存状態によっては吸収された水分が原因で破裂、赤熱した炭が跳ねる爆跳(ばくちょう)という現象があったりして危険なのだが、贅沢は言っていられない。

 

クズ鉄というのは、現代地球では鋼材を加工した際に出る削りカスを、材料ごとに分別していないものを指す。しかし、中世のマグニスノアでは、単に折れたり曲がったりして使い物にならなくなった鉄製武具を指してそう呼んだ。

要するに、精錬の甘い鉄と思えばいい。

 

中世ヨーロッパでは、鉄製品といえば鋳造品である。その方が強度は低いが量産性が高かったために、次々に壊れても安価で替えを用意できるという要素が優先されたのだろう。武具も大体そうだし、農具などについてもそうだった。

 

通常、鉄の精錬を行うには、幾つかの段階がある。

鉄鉱石、天然の鉄は酸化鉄だ。これは錆を融かしてくっつけたとも呼べるもので、とにかく錆が酷くて強度が低い。

これを解決するために、大量の炭の粉を投入し、長時間加熱する。そうやって酸素を抜き取る還元反応を起こしたものを『銑鉄(せんてつ)』という。しかしこの銑鉄は、場合によっては50%近くも炭素を含んでおり、やはり脆くて弱い。

それを解決するのに、石灰を加えて長時間加熱する『脱炭』を行う必要があった。こうしてようやくまともな鋼が出来上がる。

 

しかし、還元や脱炭の処理が甘い鉄製品も少なくなく、また一から精錬する時間も、今のジョンにはなかった。そこで彼は、鍛錬による精錬法を行うことにした。

量産性に問題があるものの、窮めれば凄まじい性能の品物を作り出すことができる精錬法。それを『折り返し鍛練法』という。

 

折り返し鍛練法は日本刀の製法として有名だが、化学反応に頼った精錬が普及していなかった古代から中世、最も原始的な方法としてそれは世界中に存在していた。これは、単純にひたすら叩いて伸ばし、折り返して再び伸ばすを繰り返して、焼けた鉄内部にある不純物を叩き出すというものだ。

 

これは想像なのだが、不純物が叩き出されるのは、鉄とは融ける温度が異なるからではないだろうか。そのため、ハンマーで叩いた際に加えられる圧力で、液化した、あるいは固体のままの不純物が弾き出されていると考えられる。

 

砂鉄に含まれる不純物は、酸素の他に硫黄やリンなど、融ける温度が異なるものが多いのだろう。日本刀の鉄純度が高いという話も、それを裏付ける。そして一定以下の高い純度の鉄は、意図的に強度を下げた鉄合金でもなければ強度は高い。世界的にも優れた刃物とされる日本刀は、古代の技術に基くものにもかかわらず、意外と科学的にも理に適ったものなのである。

 

あくまで想像だが。

 

 

 

1ヶ月後。

 

「包丁4本だ」

 

少年は職人ギルドのカウンターに、出来上がったものをずらりと並べた。

 

「残念だったな、ウチは腕試しで市場で買ってきたものを出すようなガキはお断りなんだよ」

「そうか、残念だな。まあ、ろくに工房の手入れもしてないようなギルドに来た俺が悪かったんだ」

「なんだと?」

「そうそう、炉が崩れてたから、補修しといたぞ。壊れてた道具類も、崩れそうだった壁も、全部俺が(・・・・)自費で(・・・)直した(・・・)。だから、修繕費は無しでいいよな?」

「なっ!?」

「エムートはもっと酷かったぞ。炉も土探しから始めたし鍛冶小屋もなかった。買ってきたレンガを積んで炉にできるだけ、こっちの方が大分マシだったぜ。半端なことしてんじゃねえクソッタレ。

じゃあな」

 

呆然とするギルド職員を余所に、ジョンは包丁を鞄に片付けて、ギルドの建物を出る。

 

結論を言えば、このギルドは少年に勝ち目を与える気などなかったのだ。だから、ろくに作業などできないような、崩れかけの工房に案内し、その補修費と称して有り金をすべて巻き上げようとしたのである。受付がろくに見もせずに、4本の包丁を市場で買ってきたものだと断じたのもそのせいだ。

 

ちなみに。彼が4本もの包丁をどうやって作ったのか。

 

まず最初に、クズ鉄を加熱して折り返し鍛練を行い、精錬する。

次に叩いて成形。ここまでは鍛錬による作り方と同じだ。元々ある程度精錬されていたため、鍛練にかける時間は短くていい。

時間がかかるのは、この先の仕上げ、研ぎである。

焼き入れをするという工程があるため、包丁の刃は非常に硬くなる。そのため、研磨にも時間がかかってしまうのだ。

 

そこで彼は、焼き入れの前にある程度研いでおくというやり方を採用した。焼き入れる前ならば、鋼もそこまで硬くなっていないのは道理である。それから焼き入れを行えば、時間を短縮することができる。

 

ただ、それは研いで焼き入れして研ぐという、ある意味で二度手間を含むものだった。金属は、そう簡単に温度は上がらないし、水に浸しても簡単に温度は下がらない。だから、研ぐにつけて砥石の目が潰れない、鉄がある程度硬くなった温度で研ぎ始める必要がある。

その見極めが出来なければ、こんな真似はできないのだ。

さらにそれを複数本となると、温度の上下の時間をスケジュールで管理する、高度な計画性が求められる。

『折り返し鍛練』は、鋼を多層構造にすることに意味がある成形法のため、その層構造が加熱のしすぎで融けてしまうと、強度が大きく損なわれてしまうのである。

その管理を完璧に行ったからこそ、複数本の包丁を同時平行して作成できたのだ。

 

もちろん、それは職人としてかなり高い技術の持ち主である、一つの証明だった。

 

 

 

「お久し振りです」

 

少年は職人ギルドの建物を出たところで声をかけられた。

涼やかで甲高く、遠くまでよく通る声。彼はこの声に聞き覚えがあった。

そして振り向いた先には、予想通り、白いローブの少女。あの時と同じく、フードを目深に被っているせいで顔が見えない。

 

「くっ!?」

 

そんな少女に、少年は鞄に手を突っ込んで、絶望の表情を見せる。

 

「不覚、こんな時に猫耳を切らすとは……!」

「相変わらずの変態で安心しました」

 

少女は言いながら、フードの奥から深々と溜息をついた。

 

とりあえず、近くの食堂に移動する。

 

「この1ヶ月、大変だったようですね」

「若いってだけで、工房1つ買うこともできねえとは思わなかった」

「巡り合わせが悪かったのですよ。土外(つちそと)1区の職人ギルドは先のスパイ事件で商人ギルドの仕業を疑っていました。そんなところへ、明らかに子供が工房1つ買えるほどの大金を持って現れたわけです」

「そりゃ疑うわなって話か」

「そういうことです。それに受付の人も、例の陰湿なイジメの被害者でして、ノイローゼ気味だと聞いています」

「あちゃー、そりゃタイミングだなぁ……」

 

赤毛少年は天を仰いだ。

 

「師匠からは、割と融通が利くって聞いて来たんだけどな」

「それはもう1つ運河の内側、『内域』のことですよ。外域と違って、年功序列の通用しない場所があるのです」

「へー、そんなとこがあるのか。でも、身分がどうとかっていう、ややこしい話があるんだろ?」

「大丈夫ですよ。一定以上の実力と素性の確かさ。求められるのはその2つです。そして、貴方の素性に関しましては、こちらで調べさせていただきました」

「手が早いな」

「自分を転生者だなどという不審者を、そのまま野放しにはしておけませんよ」

「俺、不審者だったのか」

 

ジョンは愕然とした。

 

「少女と見れば猫耳を付けたがる変態という自覚はおありですか?

近くで女性と見れば猫耳飾りを付けて回って、3回ほど衛兵に怒られたそうではありませんか」

「少女に猫耳をつけてミニスカメイド服を着せるのは、男として一般常識じゃないのか!?」

「ありえません」

「なんというカルチャーショック!これが異世界ってやつなのか……!」

「なぜ3回も怒られておいて気付かなかったのですか……!」

 

うなだれる少年に少女はドン引きしていた。

気を取り直して。

 

「北のトトメテス伯爵領から西の国境を越えて山道を10日ほどの場所にある、エムートという空白地ですね」

「ああ、しばらくエムートにいたな。懐かしい……………………………………」

 

と、思い出し、彼は微妙な顔をした。

 

「どうかしましたか?」

「いや、思い返してみるとろくな思い出がねえ気がしてきた」

「逃亡奴隷が逃げ込んでくる場所ですからね。傭兵もそこそこ多いようですし」

「ああ、そういやそうか」

「で、その近くのヘホイ村の生まれ、と……」

「わざわざそこまで調べたのか。エムートでもすっげえ僻地なのに」

「辺境を超えて秘境にレベルアップしましたねメデタイ」

「めでたくない」

「国家の情報力を嘗めてはいけませんよ。それに、1ヶ月もありましたから」

 

そう言って少女は胸を張って見せる。

白いローブの下から、華奢な体躯の割に意外と大きな胸の膨らみが浮かび上がり、ジョンは思わず生唾を呑み込んだ。

そしてテーブルの下で足を踏まれた。

 

「いっ!?」

「視線がセクハラです」

 

以前よりも容赦がなくなってきている気がする。

気を取り直して。

 

「ただ1つわからないのは、貴方の目的です。バラク氏の紹介状については裏が取れましたが、それをあっさり破棄した行動を、私は理解できません。あれがあれば、今回についてもトラブルを避けることはできたでしょう」

「あのギルドの連中なら、目の前で破り捨てておしまいさ。まともに受け取ってくれるって期待するほど、こっちでの経験は浅くないつもりだ」

「なるほど、失礼しました。ただの馬鹿ではないということですね」

「褒めるかけなすかどっちかにしてくれ」

「では痴漢、変態、ロクデナシ、と罵っておきます」

(ろく)じゃねえけど7ではあるんだぜ!」

「では次のお話を」

「スルーしやがった!」

 

気を取り直して。

 

「貴方の目的は何ですか?」

「何か作っていたい。下らねえもんでも、何かを苦労して作る達成感が欲しい」

「それだけですか?」

「後は女の子にモテたい。前世童貞だったし。

猫耳ミニスカメイド服を着てくれる子がいればなおよし!」

「それは不可能です。見た目的にも性格的にも」

「チクショー!」

 

気を取り直して。

そろそろコメディに曲がっていく話を修正するのも疲れてきた。

 

「本当にそれだけですか?」

「俺の人生に自己満足以上の目標はねえよ」

 

ジョンは断言した。

 

「前に言ったが、俺は一度、魔法のない異世界で死んで、こっちに生まれ変わってる。その時に、なんか出世とか金とか、どうでもよくなっちまってな。

多分、前の人生で燃え尽きちまったんだろ」

「では、なぜ故郷を出てまで鍛冶師を目指すのですか?」

「燃え残りがあるからさ。物作りへの想いっていう、溶鉱炉でも融けねえ、頑固な燃え残りがさ」

「燃え残りというよりも萌えクズですよね」

「あれ、今俺カッコイイこと言ったはずだよな?なんで上手いこと返されてるの!?」

 

テーブルに身を乗り出すと殴られた。

 

「うるさいです。殴りますよ?」

「言う前に殴りやがって……」

「お約束です」

 

教えてくれ、あと何度『気を取り直して』と書けばいいんだ。

読者から『知るか』という返答を頂いたところで――気を取り直して。

 

「では真面目な話、つまり本題です」

「ようやく本題か……」

 

ジョンはテーブルに突っ伏して呟く。

 

「結婚して下さい」

「は?」

「冗談です」

「なんて嘘だ!一瞬本気にしちまったじゃねえか!俺の純情を返せ!そしてもっとやれ!」

「ではようこそ処刑台へ」

「冗談の方向が180°変わった!?」

「冗談で………………は、あります」

「一瞬ビビったじゃねえか!あんたにおちょくられると、俺の童貞ハートがすっごいビクンビクンするよ!」

 

3回目の出会いは、最早恒例と化したショートコントだった。

 

「貴方に内域(ないいき)への入居許可が下りました」

「内域?」

「簡単に言いますと、宰相府直轄の工廠区です」

 

彼女は言った。

 

 




この赤毛の少年、ジョンが公式に記録されたのは、星王暦1001年のことである。

()の観測では、エムート地方より都市トトメテスへ、そこから馬車にてナンデヤナへ向かい、鍛冶仕事について師匠を得て修業を積んでいたようだ。

なかなかヤンチャな少年であったようで、いつも師匠と喧嘩ばかりしており、時折奇妙な提案をしては周囲の人々を驚かせていた。
ただ、異世界転生者であるということを他者に語ったのは、ルクソリス担当の上級調停官の少女が初めてであり、私による観測記録のデータもこの頃から一気に増えていった。

私は少年本人が語ったことをそのまま信じたわけではない。
ナンデヤナやエムートにて提案される技術が、この世界における天才のものとは毛色が異なっていたからだ。
何より、発明に至る行動が異常に的確で、成功率も常軌を逸した数字である。
異世界転生者の候補の1人として、目を付けてはいたということだ。
そして、上級調停官の少女に語った時、嘘を言っているような生体反応は観測されなかった。
ここではじめて、本人の口から異世界転生者であることが確認されたわけだ。

しかし。
だからといって誰かに伝えることは控えた。
まだどのような性質の持ち主なのかは判然としておらず、これからさらなる観察が必要であると判断したからである。
幸い、周囲に特段の危険は観測されておらず、居場所も現地住民と契約した守護特区。
経過観察を続けるには都合のいい場所と言えた。

昔のように、わかりやすい端末を送り込んで無用の混乱を招くことは、避けなければならない。
何か手段を講じる必要がある。



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萌え道

ハレリア王国王都ルクソリス。

マグニスノアの言語、古代ラテナ語で、意味は『太陽の光』。かつては太陽信仰の中心地だったようだ。

 

しかし、建国王シドルファスが『魔物』の襲撃を受けた際に、そこにあった街は壊滅。家族がその巻き添えで死亡し、途方に暮れる彼の下へ、始祖ケルススが訪れた。2人が出会ったその時、『蛇王』という神が光臨し、その対となる神、『星王』の教えを授けていった。

それ以来、ルクソリスという場所は星王教の聖地となり、総本山として中央神殿が建てられたという。

 

「ルクソリスの構造は、中央神殿と王宮がある中央区を中心に、貴族区、内域、外域に分けられます。それぞれ運河と堤防によって隔てられていまして、橋と船着場にて移動制限が行われています。

1ヵ月前のようなスパイ事件は、外域でしか起こり得ません」

「3重の同心円構造ってわけか」

 

白いローブの少女は頷く。

 

運河なら泳げばいいと思うかもしれないが、泳げる人間というのが実はあまりいない。

現代地球では一般的に行われている水泳の授業だが、中世では水に縁のある民族でなければ、自分から泳ぐ練習をすることがほぼないと言えた。

日本でも、水泳の授業が全国で始まったのは、つい最近のことなのだ。

それも大きな水難事故がきっかけである。

 

つまりこのマグニスノアでも、泳ぐ習慣のある民族以外は泳ぐことを想定して訓練している特殊部隊くらいしか水泳はできないと考えていい。

 

「それぞれの円を東西南北に貫く大通りがありまして、この大通りを境に四大属性、風火土水、外域ではさらにそれを3つに分割し、水外(みずそと)3区や土外(つちそと)1区といった分け方をしています。

内域は四大属性を2つに分けています。外域に比べると幅が狭いですからね」

 

同心円とはいえ、同じ間隔ではないということだ。

 

「外域は一般平民が住む場所で、ポンサー伯爵が統治しています」

「王都なのに、王族が統治してるわけじゃないのか?」

「ハレリア王国の王族は、裏側のサポートや外交の仕事を主に行います。王族の意見で好きにできる土地は、壁の内側では王宮くらいのものですよ」

「へー、都知事みたいなのがいるのか」

 

これは中世としては珍しい政治形態である。

通常、この時期はすべての土地や財産は国王のものとしたり、強力に中央に権力や富を集中させるシステムを作るものなのだ。

どちらかといえば、江戸時代の武家政治のような、民衆の寄り合いで解決できないことを武士が解決するという形態に近い。

 

よく勘違いされているのだが、徳川幕府の下で武士が威張っており、『斬り捨て御免』が通じたのは、かなり初期の頃の話である。

なぜならば、武士が年貢などによって食糧を得るのに、領民は必要不可欠だからだ。その数を自ら減らしてしまうような浪人武士を放置すれば、経営が立ち行かなくなってしまう。むしろ何か問題があれば即座に駆けつけ、解決するくらいに領民を守っていなければ、士気の低下などであっという間に没落してしまうだろう。

 

「内域は、宰相府が管轄する工廠です。一定以上の才能、そして素性が確かで、あまり露骨な野心を持っていない人が招かれる場所ですね。先程も言いましたが」

「俺の素性って、そこまで信用されてんのか?知っての通り僻地だからな。情報が間違ってたとか言われねえよな?」

「エムート地方の農村ヘホイ、農家の出身、上に兄が2人。1つ上の方が幼馴染の方と、先月めでたくご結婚(ゴールイン)されたようです」

「マジかよ……あのアホ兄貴が!?」

「驚くのはそこですか」

 

少女は深々と溜息をついた。

ともかく、ジョンはこの1ヶ月で家族のことまで調べ上げられていたらしい。それはつまり、人質を取られているのと同じだ。

しかし彼は、その辺のことは特に気にしていなかった。

 

「エムートからトトメテス抜ける道って危ねえからな。みんなトトメテスに行く時は、通い慣れてる行商人についていくんだ。周りの山はハッグが出るから、山賊もいねえ」

「はぐれ術士ですか」

 

ハッグとは、地球西洋における山姥(やまんば)のような存在である。地球で言うと元は魔女で医者のようなこともしていたのが、後に人間を大釜で調理するという話が追加されるようになった。

キリスト教圏で魔女狩りが活発化する際に流布された、作り話に類したものだろうとされている。

 

マグニスノアでは、積極的に人を襲うほど凶悪な存在ではない。

というのも、錬金術師の世捨て人だからだ。錬金術師の中には、研究に没頭するあまり、他人との交流を疎ましく思い、人の営みから隔絶した場所に住みつく者がいる。そういう錬金術師を、この世界では『はぐれ術士(ハッグ)』と呼ぶのだ。

 

ハッグを怒らせると、魔法を使えない人間ではほぼ太刀打ちができない。だから、ハッグの住処近くを示す逆五芒星印を、人々は恐れるのである。

山賊行為をするために山に拠点を作ろうとして、うっかりハッグの住処に入ってしまうと、悪辣な罠によって最悪皆殺しの憂き目に遭うというのも、決して珍しいことではなかった。

 

「だから、山賊の拠点ってのは大体、山の麓近くにあるんだよ。で、そういう分かりやすいのは、傭兵が潰しに行く」

「なるほど、それで……」

「その行商人に聞けば、エムートから出る人については大抵のことはわかるはずだぜ。大体、危険を冒してまでエムートを出ようって奴は珍しいんだ。出るならハレリア方面しかねえし、自然と行商人を案内に頼むことになる」

 

話を戻す。

 

「素性はいいとして、野心はねえなあ。物作りができてりゃそれでいいし。後は、才能か?」

「それについても問題ありません。例の紹介状の裏も取れましたし。バラク氏から本物の紹介状を獲得したということでしたら、才能としましては十分以上です」

「あんな、内容が無い様な紹介状でよかったのか」

「ツッコみませんからね?」

「えっ?」

「えっ?」

 

どうやら、ジョンにダジャレを言ったという意識はなかったらしい。ツッコミを入れる側も、外すと案外恥ずかしいものがある。

 

「ってことは、資格があるとして、どこかに申請とか出さなきゃいけねえのか?」

「どこかにと言いましても、神殿しかありませんけれどね」

「そうだった」

 

ハレリアでは、神殿が役所を兼ねているのだ。

 

「本来はギルド経由で諸々の判断が行われるのですが、紹介状を含めて私が手配しておきました」

「なんか悪いな」

「いえいえ、現状、有能な方は咽喉から手が出るほど欲しいですから」

 

赤毛のショタっ子はおや、という顔をする。

 

「軍備を増強してるとかか?」

「それもありますが、経済的な理由の方が大きいです」

「経済的な理由?」

「どこかの国が裏で手を回して、このハレリアを潰しにかかっているのですよ。先月の洗脳事件などはその最たるものですね」

「あれって黒幕の黒幕は国だったのか」

 

ジョンは驚いていた。

魔法にはこんな使い方があるのだ。戦場で派手に炸裂させるだけが魔法の使い方ではない。魔法がある世界には、特有の戦いが存在するらしい。

彼が思っていたよりも、もっと大きな事件だったということである。

 

「ああいう産業基盤への攻撃が、近年絶えません。類似の事件としまして、優れた職人を洗脳して連れ去ったり殺したりする事件が多発しまして、それはもう解決したのですが、そのせいで職人の絶対数が減ってしまっているのですよ。

優れた職人の数が減れば、取引される品物の信用度が下がります。

それはハレリア王国全体の経済活動に大きな損失を招きます」

「えげつねえ真似してきやがるぜ」

 

少年は顔をしかめた。

 

「先月、あなたを囮にした捜査のおかげで、相当数の洗脳被害者を確保できました。しかしこれからも、似たような事件は続くでしょう。

対抗手段も考えていますが、それが効果を発揮するのはもう少し先です。

それまでに、なんとしてもハレリアの経済を持たせなければなりません」

「なるほど、だから1人でも優秀な職人が欲しいのか……」

「はい、そういうことです」

 

ジョンは腕を組んで考え込んだ。要するに、これはスカウトなのだ。だが、身の安全を確保するならば、断るという選択肢はない。しかし、ただ彼が内域に入っただけでは、小生意気な職人見習いが増えるだけの話である。

そして考えた末に、ある結論を導き出した。

 

「よし、猫耳とミニスカメイド服を作ろふ」

 

グーで殴られた。今まで割と加減されていたが、今回は2割増しで痛かった。

 

「今の話の流れで、どうしてそんな言葉が出てくるのですか!」

「いや、最後まで話を聞いてくれ!ちゃんと根拠があるんだ!」

「では、聞きましょう」

 

ジョンは説明する。真面目に説明しなければただではおかない、というオーラをビンビン感じながらの説明は、とても緊張した。

 

「このベルベーズ大陸の消費っていうのは、誰が握ってるのか。それは商人や貴族だ。

ハレリアはともかく、他の国での通貨は平民から搾取するためにあるって言っても過言じゃない。だから、平民からお金を吐き出させるって方法は無意味。なら、商人や貴族からどうやってお金を吐き出させるかが、今回の鍵になる。

耳障りな話で申し訳ねえが、要するに欲望を刺激しようってことさ」

「それが猫耳とメイド服、ですか?」

 

少女は呆れた様子で聞いた。

 

「その通り!連中は女の裸なんて見飽きてる。だから、ただの裸じゃ食指は動かねえ。日常的に見ていられるもの。見えそうで見えない!無いはずのものがある!そうやって新しいエロスの境地を発信してやるのさ!これによって冷え込んでいた夫婦仲は良好に戻る!

つまり、猫耳ミニスカメイド服の女の子は、究極に可愛いってことだ!!」

 

途中から演説になっていたジョンの叫びに合わせて、数人の男性客が立ち上がった。

ガタッ、と。

 

「お、教えてくれ。俺は娘に弟が欲しいって言われてるんだ。それなのに……」

「俺も、もう色々と工夫してるんだが、続けるのが辛くなっちまって……」

「猫耳って、あれか、猫の耳か。あの柔らかくてモフモフの」

「アタシだって欲しいわ!最近、彼氏が別の女の子にばっかり目線を向けるのよ!」

 

もう一度言うが、男性客ばかりである。男ばかりである。

 

「『萌え』の道は一日にして成らず!しかし歓迎しよう!ようこそ新世界へ!『萌え』は、来る者を一切拒まない!」

「おまわりさん、こつらです!」

 

白いローブの少女はたまりかねて叫んだ。

 

なお「おまわりさん」とは現代地球では地域をパトロールする警察官を指すが。

ハレリアにおいては衛兵のことである。

 

 

 

集まってくる人々に、1人の少年が教えを説いている。

それはまるで、救世主に教えを乞う信徒という、伝説の一場面のようだった。

 

しかし、内容を聞いて、伴侶の耳を引っ張って立ち去る女性の姿も少なくない。説いている内容は、あくまでも『萌え』なのだ。生きていく上でまったく必要のない、無駄な知恵なのである。

だが古人は言った。

 

『人を生かすのはパンのみにあらず』

 

と。

――この引用が酷い冒涜のように感じる読者の感覚は、おそらく正しい。

 

この騒動は、結局ジョンが白いローブの少女に耳を引っ張られ、引き摺られていったことで終結する。その光景に唖然とした人々は、自分がとてつもなく馬鹿馬鹿しい話を聞いていたことに気付いて、自然と散っていったという。

 

白いローブの少女は少年を神殿に引き摺って行き、内域への転居手続きを行わせ、ジョンは晴れて内域の住人となったのだった。

 

 



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2人の相棒

ジョンが与えられた工房は、小さなものだった。土外1区で案内された1人用の工房と、大きさは同じだ。しかしあちらと違って建物や炉がしっかりしており、湿気を抜くための薪も用意されていた。

寝床も近く、公的な宿舎のため、部屋は狭いが宿泊費が安く収納が完備している。大体の宿屋と同じく、2階が部屋で1階が食堂だ。

さすがに木造で防音設備などはないため、隣の声が丸聞こえだったりするが。

 

内域全体が巨大な工廠と言うだけあって、材料の買い出しは宿舎で行う。要するに、宿舎に役人がやってきて注文書を回収し、それぞれの工房の倉庫に搬入するのである。職人同士で道具の融通をすることもあるが、基本は役人経由だ。

こういうサポート体制は、ジョンにとってはありがたかった。現代地球でも、道具や材料の買い出しと加工作業は、基本的に別々の人間が行うことが多い。それが企業というものである。

 

ギルドでは普通に管理されていた依頼だが、ここではそんなものはない。やってくる役人が、掲示板に在庫の少ない武具を表示するのである。

在庫の少ない武具は買い取り値段が高くなり傾向にあり、皆それを目安に武具を作る。

兵器類の依頼は、ジョンが宿泊している近辺の少人数用工房には出されない。ちゃんとした大きな工房で、生産や整備などの依頼が出る。

 

中世にしては、結構しっかりとした体制ではないだろうか。

 

 

 

「お?」

 

朝食を終え、掲示板を眺めていたジョンは、ある札に目を留めた。

張り紙、ではない。

生産技術はあるもののまだまだ紙は高価なため、木の板に字を書いているのである。地球でも、木簡や竹簡といった、木の板や竹に字を書いて保存する文書媒体が存在した。古墳などから出土するものに、木簡が見られることもある。

紙が高価だった時代、木の板はお手軽な文字媒体だったのだ。ハレリアでは紙はそこまで高価でもないが、木の板よりも高価なのは確かだ。

ちなみに、ネットの大型掲示板のスレッドを『板』と呼ぶことがあるが、こちらは掲示()が語源であり、直接的な関係はない。

 

ともかく、ジョンが注目した札だ。

それには、

 

『武具大会エントリー開始日時は○×』

 

と書かれていた。

少年はカレンダーに目を向ける。

マグニスノアにおける暦は地球とはかなり異なるため、何月何日相当としてしまうと余計に混乱することになる。なので、詳しい暦を記載しないことをご了承いただきたい。

 

「20日後か」

「お、ボウズ、武具大会に出てみるのか?」

「賞金の額がないな」

「ああ、賞金自体は大した額じゃねえ。金一封ってのは、大会の収益金から幾らか出るってことだ」

「なんだ、この『ランクアップ』って?」

「確か昨日来たばかりか。じゃあ説明しようじゃねえの」

 

親切な職人仲間(オッサン)が教えてくれた。

 

「この内域じゃあ、上から20位までのランキングに載ると専属の役人が付くようになるんだ。さらに10位以内になると、錬金術師に依頼を出せるようになる」

「錬金術師って、どんな得になるんだ?」

「よしよし教えてやる。錬金術師は……あー、とにかく凄いんだ」

「そっかー、トニカクスゴイノカー」

 

赤毛のショタっ子が白い目で見ると、堪え切れなくなったオッサンは視線を逸らした。どうやら知らなかったか、忘れてしまったかのどちらかのようだ。

そこに、紺色の服を着た中年だが小ざっぱりとした格好の男性が現れた。札を架け替えに来たらしい。

救いの神ありとオッサンが助け船を求める。

 

「おい、錬金術師に依頼を出すと、どんないいことがあるんだったっけ?」

「錬金術師は、鉱石から純粋な鉱物を抽出できる。つまり、より良い素材が使えるようになるってことだ。

――前にも説明したじゃねえか」

「おう、そうだったな、すまねえ。縁がなくてな」

 

錬金術というのは、金ではない物質を金にする技術である。少なくとも、中世西洋ではそういう認識だったはずだ。だが、本気で金を生み出そうという錬金術師は、実際には少なかったとも言われている。

研究には莫大な資金を要するし、知っての通り金は元素の1つであり、他の物質から生み出すことなどできはしない。

まあつまり、大体の錬金術師は王侯貴族に錬金術の魅力を語って騙し、金銭を得るという詐欺師だったのだ。

 

普通、詐欺といえば卑劣な犯罪だが、時代背景を考えれば必ずしも非難されるべきものではない。なぜならば、錬金術が流行った当時、絶対王制や大航海時代の最中だったからだ。王国は国民に重税をかけ、植民地から富を搾り上げて、民衆を苦しめていた。

そんな王侯貴族に詐欺を働き、金銭を騙し取るのは、考えればそれほど大きな悪行とも思えない。許されることではないのは確かだが。

 

ともかく、魔法が実在するマグニスノアでは、錬金術の意味が少し異なるらしい。

 

「元素を抽出するのか……?」

 

ジョンはそれがとんでもなく、莫大な利益を上げることができるものであることに気付いた。

 

「なあ、錬金術師って、普段は何してるんだ?」

「資金になる金銀の抽出と、魔法関連の物を作ってる。星王器とか、騎士の武具とか」

「ああ、あの辺は俺達には手が出ないほど高い、貴族向けのもんだな」

「じゃあ、兵器とかは職人が作ってるのか?合作とかは?」

「ないな。錬金術師は警備の厳重な火内(ひうち)2区の錬金区画に隔離されている。錬金術師は錬金術師だけで、職人は職人だけで仕事をするのが普通だ」

「じゃあ最後に、もし武具大会で優勝すれば、錬金術師と一緒に仕事ってことは出来るか?」

 

少年がしたのは、とんでもない質問だった。

 

「何言ってんだ。大会には星王器を使う騎士だって出てくるんだぜ?術も使えねえような奴が出ても、ボコボコにされるのがオチだ」

 

鍛冶師の中年に、ショタっ子は返す。

 

「もしもの話だよ」

「ああ、可能不可能で言えば、可能だろう。ランキングでトップになった者の要求は、通りやすいって話を聞いたことがある」

 

役人は答えてくれる。ジョンは内心、ガッツポーズした。

 

「わかった、ありがとう。それで、資材の発注なんだが……」

「あ、ああ」

 

少年は必要な資材を発注して、工房に向かう。

 

 

 

とはいえ、最初は『湿気抜き』からだ。薪を放り込んで、ひと束の麦藁を丸めて火をつけ、炉に放り込む。

 

長いこと使っていなかった炉というのは、壁面に湿気が染み込んでいる。そのままでは湿気が邪魔をして、炉内の温度が上がりにくくなってしまうのだ。それを避けるために、一度炉に火を入れて空焚きする。これを『湿気抜き』と呼ぶ。

 

武具大会について。

現時点で判っているルールは、エントリーした職人に、サポートの役人と出場選手である兵士が1人ずつ付くということだけ。詳しいことは、担当になった役人に聞くということになるようだ。

 

「多分、エントリー時点で銑鉄から作ってたんじゃ、間に合わねえ。職人の腕を見るわけだから、買ってきたようなもんはアウト。実際に戦う奴って選べんのかな?」

 

彼は独り呟き、計画を綿密に立てていった。

 

 

 

20日後。

ジョンは大会にエントリーし、役人と兵士が工房にやってきた。

 

「えー、役人は主に不正防止の監視役だ。衛兵は役所で選んだ出場選手ってことになる」

 

赤髪の、少年とも言える若い役人が説明する。名はモーガンと言った。

その顔を見て、ジョンは首を傾げる。

 

「どっかで見た顔だな」

「ん?ああ!あんたもしかして、土外(つちそと)1区のギルドでトラブル起こしてたやつだろ!?そういやジョンって名前だったっけ……」

「そうだ、思い出した。お前、水外(みずそと)3区で偉くなってやるとか言ってた奴じゃねえか」

 

第1話参照。

ジョンが最初に入ろうとしたギルドで、トラブルが起きていた時の少年だ。この目つきの悪い悪人顔はよく覚えている。

 

しかしどうやら、外土1区のギルドにも来ていたらしい。こちらは2話参照。彼がいたという描写はないが。

 

モーガンは目を見開いて驚いた。

 

「えっ、なんでそれ知って……?」

「覚えてねえか?あの時、誰かにぶつかって行っただろ?」

「あ、まさかあれが?」

「そうだよ。あの後、色々あって結局、あそこにしばらく住めなくなっちまって、仕方なく土外(つちそと)1区に行ったんだ」

「そうなのか。あの騒ぎに巻き込まれてたんだな。それでか」

「そっちこそ。外域で役人見習いやってたんだろ?なんで武具大会の監視役なんかやってんだ?」

「なんでって、エラくなるために実力を見てもらうチャンスだからじゃねえか」

「ああ、役人も評価されんのか」

 

意外な顔見知りに出会い、世間話に花を咲かせる。

 

「そろそろ本題に入らないっすか?」

 

青年と言える年齢の、若い金髪兵士が声をかけた。

 

「僕はエルウッドって言います」

 

中々に礼儀正しい。そしてイケメン優男だった。

 

「イケメンなど滅べばいいのに」「イケメン死ね」

「ええっ!?」

 

ジョンとモーガンの突然の理不尽な罵倒に、エルウッドは思わず仰け反る。

 

「僕だって好きでイケメンに生まれたわけじゃ……。もうすぐ18なのに上も下も生えないし……。女の子達からも『弱そう』とか『イケメンなのは顔だけ』とか……。付けヒゲも似合わないって言われるし……」

 

何かブツブツと愚痴り始める。イケメンのわりに色々と苦労しているらしい。

 

「それで、役人は監視ってだけなのか?魔法使えねえ奴に何か助言とか、ねえのか?」

「ああ、聞かれた時だけ、ある程度調べて答えていいってことになってる。

微々たる優遇だけどな」

「聞かれた時だけってことは、魔法に勝つ方法を聞いて来いなんて言っても、調べてきてくれるのか?」

「そんなの、魔法の性能を上回れば勝てるとか、当たり前のことが出てくるだけじゃね?」

「ああなるほど、了解した。そこまで都合よくはできてねえってことだな」

「無視してないで聞いてよぉ!」

「うっせえ」「ちょっと黙ってろ」

「うぅぅっ……!」

 

すっかりギャグキャラとなったエルウッドは、即撃沈されて悲しみに沈んだ。

 

「じゃあとりあえず、エントリー前に用意した素材は使っていいのか?」

「あー、どうなんだろうな。ルールには確かにその辺決まってなかったと思う」

「それがアリだったら、鋳造金型2枚と片手剣……ボロいのでいいから4本ほどほしい」

「?……まあ、わかった。要るってんならしょうがねえ、じゃあ行ってくるぜ」

 

役人見習いの少年は、さっそく工房を出て役所に走った。

 

「でだ」

 

工房に残った青年兵士エルウッドに、ジョンは聞く。悲しみに沈んでいるのはお構いなしだ。

 

「これなら魔法に負けねえって特技は、何かあるか?」

「へぇ?」

 

ジョンは数いる騎士を打倒して、優勝するつもりでいた。

 

 




内域工廠について:

現在のような、工廠区として整備されたのは80年ほど前の話となる。
それ以前、内域には富豪や高級役人が住み、貴族用の高級店舗などが並んでいた。
防護策(セキュリティ)も今ほど強力なものではなく、運河の堤防も鉤爪尽きロープがあればよじ登ることができる程度のものだった。
外域とを繋ぐ橋も丸太を組んだ跳ね橋ではなく、レンガ造りの固定橋。

それが変更されるきっかけとなったのは、90年前にスパイが洗脳術を駆使して内域で様々な事件を起こし始めたからである。
問題になったのは富豪が直接客を呼び込むことで、客に洗脳されたスパイがいても、星王術士を雇っていなければ分からないことが多いのだ。

どんどん拡大する被害を抑えるため、ルクソリス領主より解決を依頼されたハレリア政府が提示したのは、一度内域の住民を追い出し、内域を空にしてしまうことだった。
反発も大きかったが、領主が住民達に理解を求め、政府が提示した解決策を断行。
なぜか内域に住んでいた富豪達が外域に出ると、被害がパタリと止んだ。

これは、人間が術で複数の他者を洗脳する際、そう複雑な命令ができないという性質を逆手に取ったのである。
今回の場合、場所を移しつつ内域に潜み、人目につかない場所を1人で通る人間を襲うように命令されていたと予想されており、それは後に正解だったことが判明している。

また、この事件を仕掛けたと予想された国では、上級平民と下層民の住み分け、差別を伴った身分制度が根付いており、ハレリアでこういった大胆な策が可能であると思っていなかったと考えられている。
そういう意味で、ハレリアの四重円構造は非常に分かりやすかったのだろう。
これ以降、富豪達は風外(かぜそと)地域に設けられた高級街区に移り住み、90年後の現在まで被害を受けていない。

ただし、代わりに今度は外域の優れた職人達が被害に遭い始めたため、今度は優秀な職人を優先的に内域に匿い、同時に10年ほどかけて防護策(セキュリティ)を強化し、さらに増えてきていた錬金術師の工房区を合わせて整備、宰相府が取り仕切る工廠として貸し出し、現在に至る。

ちなみに、火内、火外に軍の施設があったのは昔からで、軍の働きによってスパイや洗脳された人々は確保された。



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見習い娘

ハレリア王国王都ルクソリス内域、宰相府管轄下の工廠では、競争原理を働かせるためにランキング制が導入されていた。評価は作った品物の数と質によって決定する。また、全体に利益になる発明についても評価が行われ、ランキングに大きく影響した。

 

このランキングの頂点はここ数年で、ある工房が君臨し続けている。それはルクソリスで随一の鍛冶師、アブラハム・ハートーン男爵の工房だ。

自身が工房主を務め、腕前ではハレリア国内有数、6名ほどの弟子を抱え、作業効率の管理モデルを作り上げ、他の工房へもそのアイデアを広め、工廠全体の生産効率を向上させた。その管理能力を買われ、爵位を授けられている。

他にももう1つ、ここ数年でハレリアを中心に急速に広がり始めた、ある技術を彼は発明していた。それは、『鋳型(いがた)』である。

 

とはいえ、地球でも紀元前4000年から3500年のメソポタミアで発明された鋳型そのものを発明したわけではない。マグニスノアの技術は中世頃のそれだが、古代というほど発達が遅れているわけでもなかった。

彼が発明したのは、より金属製品の大量生産に向いた鋳造法、つまり鋳型の一種、『金型(かながた)』である。

剣などの単純な製品に関しては、型を取った後に砕く必要がある砂型や石膏型に比べ、何度でも再利用できるという点で、量産に向いていた。

もちろん、そのままでは金属同士が癒着してしまうため、表面に油を塗ったり、成型後に熱い内に取り出し、水に漬けて焼き入れすることも含めての発明である。

 

この画期的な技術だが、その発明を狙ったように職人の大量誘拐事件が発生した。そのため、技術が他国に流出、予想された利益の半分以上を、ハレリア王国は失っている。職人大量誘拐におけるの損害は、単なる人的被害だけではないのだ。

それ以降、人材の囲い込みは、それまで以上に積極的に行われることになった。その政策があったからこそ、ジョンはルクソリス内域での活動を認められたことになる。

 

そして、人材の囲い込み政策の一環として、事件の遥かに前から存在した一大イベントがあった。それが武具大会だ。

武具大会は3つの新人を発掘する場でもあったのだ。すなわち、役人、職人、兵士である。

 

武具大会は、火外(ひそと)2区にある練兵場で行われる。年に一度、この時だけ闘技場が建設され、一般開放されるのだ。貴賓(VIP)席も設けられており、周囲は厳重に警備される。

今日は武具大会、予選初日。

 

3人の少年の姿は控室にあった。トーナメントのブロックごとに分けられた控室の1つだ。

 

「なんか、超恥ずかしいんすけど!?」

「確かに場違い感が凄えな」

「俺が着るわけじゃねえから問題ねえ」

「酷いっ!?」

 

ワイワイと騒ぎながら、装甲を削って極端に軽量化された鎖帷子の着付けが終わる。それは胸と肩、それに腰を覆うだけものだった。しかもその上に白い外套(コート)を羽織っており、ともすれば普段着のようにも見えてしまう。

重装備が主流の武具大会の控室では、これ以上ないほどに浮きまくっていた。エルウッドの武器である槍だけは、立派に普通の槍だ。

周囲の兵士や職人達も、「何やってんだコイツら」といった視線を送る。

エルウッドは非常に居心地が悪そうだった。

 

「あ、エルじゃん」

 

そこへ、黒いローブの金髪少女が通りかかる。

 

「げえっ、アリス!?」

 

金髪優男が、逃走中に美髯公(びしゅうこう)に遭遇した丞相(じょうしょう)のような声を上げる。元ネタは横山光輝氏の歴史漫画『三国志』だ。

 

「げえって何よ、美少女な幼馴染に対して言うセリフ?」

「いやまあ、見れば分かるじゃないか。変な格好をしてる時は、あんまり知り合いに会いたくないものなんだよ」

「ああ、それ、ウェスター卿のを真似したんじゃないんだ?」

「いや、それも恥ずかしい記憶なんだけども」

「いわゆる黒歴史だな」

「今もクロ歴史が出来つつあるな」

「というわけで担当職人のジョンです」

「同じく担当役人のモーガンです」

「錬金術師見習いのアリシエルよ」

 

お互いにテンポよく名乗り合う。

 

「今からイケメンで女の子の親しい幼馴染のいるリア充を罵る系のお仕事があるのですが、ご一緒にどうですか?」

 

ジョンが提案した。

 

「リアジュー?」

 

黒いローブの少女が尋ねる。白いローブの謎の少女と違い、フードはせずに素顔を晒していた。金髪ツインテールの童顔で、小首を傾げる仕種がアホの子っぽくて中々に可愛らしい。

 

「説明しよう!

『リア充』とは、『リアルが充実している人』という意味の略語である!すなわち、恋人がいたり結婚していたり、親しい異性の幼馴染がいる人のことなのだ!」

 

ジョンは決めポーズで説明する。

 

「そうなのか。『リア』っていう種類の獣がいるのかと思った」

「リアっていう地名があって、そこにいる住人を延々罵るのかと思ったわ」

「っていうか、異性の幼馴染がいる人なんて、そこら中にいますよ?」

「やかましいリア充め」

「ああ、そういうこと。いいわねそれ」

「よし、俺も乗った」

「ええっ!?」

 

ドス黒いオーラを上げながら、童貞2人を含む3人が迫るが、運悪く壁際にいたエルウッドに逃れる術はなかった。

 

5分後。

3人がかりで延々と罵られ、悲しみに沈むエルウッドは放置して、お互いに世間話をする。

 

「なんで錬金術師の見習いがここにいるんだ?」

「錬金術師は大体、見習いがエントリーするからよ。当然、騎士と組むわ」

「騎士が出るのか?」

 

ジョンは首を傾げた。

騎士とは、普通は機動力を持った騎兵を指す。馬上では戦いにくいことが多いため、歩兵よりも実力の高い者がなるのが一般的だ。それに加えて錬金術師が組むということは、より実力に開きが出るということだった。

 

「ああ、ジョンはルクソリスに来て日が浅いんだったな。騎士ってのは、星王器を与えられた兵士のことだ。逆に言えば、衛兵とかから上がったばかりで、星王器の扱いに慣れてねえようなのもいる」

「戦い方が変わるわけよ。一応、近接戦闘にも対応できるように作るんだけどね。この大会で、騎士がどの程度星王器に慣れたか、見極める役目もあるの」

「それが錬金術師見習いの試験にもなるってわけだ」

「なるほど、ということは、騎士にとって錬金術師見習いは、むしろ足手まといになる場合もあるのか」

 

ジョンは納得する。

そして、白いローブの少女よりも幾分小柄で華奢な印象のアリシエルに、視線を向けた。彼女は慌てる。

 

「わ、私はちゃんと作ったわよ!足手まといになんてなったりしないんだからね!」

「では質問。担当してる騎士の得意武器は?」

「え、剣なら何でもいいんじゃないの?騎弓剣盾(ききゅうけんじゅん)って言葉もあるんだし、術なら剣を持ったまま弓を放つみたいなことができるって考えたんだけど……」

「マジかよ。得意武器も聞かなかったのか?」

 

モーガンは驚いていた。

 

よく勘違いされることなのだが、地球の歴史上、剣が戦場の主役になったことは一度もない。主役には常に槍と弓矢という、戦場の重鎮が居座っていた。剣は常にリーチで負けていたため、補助武器として腰に吊るされているのが常なのだ。

最初から剣を抜いて戦うような場面もあるかもしれないが、それは他に武器がないからか、もしくは槍を扱い慣れていないからと考えていい。さらに騎士によっては、戦鎚(メイス)星鎚(モーニングスター)戦斧(バトルアックス)といったものを持っていたために、剣を携帯していないことすらあった。

 

ならばなぜ武器として剣が目立っているのか。

1つは携帯性の高さ。長さを選択すれば取り回しがよく、小さい武器にしては殺傷性能も高い。特に平時、剣は護身用や暗殺用として多用された。また、戦場で剣に頼る時は大抵主武器が壊れた時であるため、最後に命を預けるのが剣となることが多かったようだ。

 

もう1つは推測だが、指揮官が馬上で振りかざすと、とても目立ったからだろう。戦場で指揮官が配下の者達を指揮する際、表面をツルツルに磨かれた剣は日の光を反射するため、よく目立った。そのため、戦意を奮い立たせて突撃する合図に多用された。そこから、勇気の象徴として見られたのではないだろうか。

 

決して男性の象徴だからという理由ではないと信じたい。

 

「なによぉ!あんた達だって見習いじゃない!」

「こいつはどうか知らねえけど、俺は一応工房主だぞ?」

「俺1人だけどな」

「えっ、マジで!?」

「マジなんだよこれが」

「本気と書いてマジと読む」

 

どうでもいい推測だが、この『マジ』というのは、『真面目な話』から転じた略語と考えられる。なのでおそらく厳密には『本気と書いてマジと読む』は間違いだろう。現在では『マジ』は慣用的に別の単語として使用されているようだが。

どちらも似たようなものだと言ってはいけない。

 

「どう見たって防具の性能が低そうなんだけど?っていうかこれ、まんま『疾風衣(ボレアス)』の偽物じゃないの」

「ボレアス?」

 

ジョンは目を丸くして聞き返す。

一応説明しておくと、ハレリアで使用されている言語は日本語ではない。アルファベットなど、英語に近いところもあるが、別言語だ。

転生前は英語も苦手だったジョンだが、さすがに毎日聞いていれば覚えることはできた。赤ん坊からやり直しになった際の、数少ない利点と言える。

人間が苦労もなく言語を覚えることができるのは、11歳までとされているのだ。

 

なぜ彼が驚いたのか。

『ボレアス』という単語に聞き覚えがあったのだ。ギリシア・ローマ神話、北風の神『ボレアス』。これは偶然だろうか?

 

「そういえばジョンって知らないんだっけか。『疾風衣(ボレアス)』ってのは、『風神』ロバート・ウェスター卿の高級武具だ」

「うっそ、ホントに知らないの?『風神』『雷神』『土神』『水神』『火神』って言ったら、ハレリア王国騎士団のトップ5じゃないの!」

 

ジョンが考え込む間にも、2人の話は進む。彼が絡まないだけで、会話の内容が平和になるのは気のせいだろうか。

 

「あ、ああ、フライドチキンなら昨日の昼に食ってきた」

「誰もそんな話してないわよ!なによフライドチキンって!意味わかんない!」

 

アリシエルがやかましい。

 

「知らないのか!?竜田(たつた)揚げも?(から)揚げもか!?」

 

ジョンは愕然としていた。

ハレリアには揚げ物文化というのがないらしい。揚げ物自体は歴史が古く、日本へは奈良時代とか平安時代には伝来していたようなのだが。

 

ちなみに。

『空揚げ』は『唐揚げ』と表記することが多いようだが、辞書などには『空揚げ』の方で載っている。

揚げ物が中国から伝来したのは確かなようだが、唐の時代のものなのかははっきりしていないらしい。もっとも、昔は大陸からの伝来品なら何でも唐物(からもの)と呼んで一緒くたにしていた部分があるようなので、正確な部分は分かっていないそうだ。

 

「まあまあ、2人とも落ち着いて」

 

そこへ1人の騎士がやってきた。

全身白銀の甲冑に、腰に佩いた剣から察するに、アリシエルと組んでいる騎士だろう。

長い金髪の、イケメンだった。体格はエルウッドよりも小柄で、優しい雰囲気がある。

 

「エド兄、どこほっつき歩いてたのよ!」

「ほらほら、あんまり人前で大声を出すんじゃない」

「むぅ……」

「ああ、エドウィン卿、あなたも出場されていたのですか」

 

いつの間にかエルウッドが復活していた。

 

「ははは、誰と組むかは完全に無作為のはずなんだが、まさか実の妹と組むことになるとは思わなかったよ」

「ランセレさんが絶好調のようです」

「ランセレ?」

「説明しよう!ランセレとは『ランダムセレクト』つまり無作為な選択という意味である!宗教的には天の差配という言い方もする、と、思う」

「思うだけかよ」

 

ポーズを決めながら説明するジョンに、モーガンがツッコミを入れた。

当然ながら、ランダムセレクトのことを宗教的になんと言うかなど、どうでもいい話だ。

 

「『ランセレさんが絶好調』というのは、無作為なはずなのに意図的にしか思えない偶然が発生した時に言われるセリフなのだ!」

「ははは、なかなか愉快な少年だ。彼はどこかの工房のお弟子さんかな?」

「それが信じられないことに、この歳で工房主なんだ。お1人様だけど」

「どうせお1人様(ボッチ)だよチクショウ!」

 

説明しよう。

『ボッチ』とは、『独りぼっち』の略語である。主に、友達のいない人に向けてよく使われる、隠語の一種だ。基本的に悪口の1つなので、あまり使っていると怒られるかもしれない。

 

「ほう、では、武具大会の洗礼についても知らないわけか」

「洗礼?」

「この武具大会では予選から騎士も参加する。戦闘力については基本的に考慮されず、順番は無作為に決定される。

さっき、君が言った『ランセレ』というやつだ」

「要するに、いきなり騎士と当たる可能性もあるんだろ?その辺はモーガンからも聞いてる」

「ああ、それなら心配ないかな」

「そりゃそうよね」

 

アリシエルは意地悪に笑う。

 

「今年は様子見で、来年から真面目にやろうってことでしょ?」

「何を言うか」

 

ジョンは言い返す。

 

「ちゃんと優勝できるように作ってある。後はエルウッド次第だ」

「ええっ?」

 

当のエルウッドが驚いていた。そしてジョンはアリシエルに猫耳をくっつける。

 

「ふむ……暇を見つけての急造品だが、雰囲気が猫っぽいからか、結構イケるな」

 

そして蹴られた。アリシエルに、向う脛を。思わず抑える程度には痛かった。

 

「これは一体、なんなんだ?」

「女性の魅力を3割増しにする魔性のアイテムだ」

「何かの術が?」

「魔法など甘えだ。見た目を彩るテクニックにこそ、それの真価はあべしっ!」

「エド兄もそんなのまじまじと眺めないの!」

 

弁慶の泣き所にいい蹴り(ローキック)が入って、片足で飛び跳ねながら悶絶するジョン。そこに金髪ツインテールによってエドウィンの手から取り上げられた猫耳が叩きつけられた。

 

「さ、もうすぐ開会式の時間だから、行くわよ!」

「やれやれ、すまないね」

 

と言ってジョンに声をかけてから、大股で会場へ向かう妹をエドウィンは追って行く。

 

「こっちも行くか」

「そうですね」

「ぬぅ……」

 

ジョンは叩きつけられた猫耳を片手に顎を触りながら唸る。

 

「着け心地の方も何か考えるべきか」

 

その残念な呟きは、周囲の喧騒に紛れ、消えていった。

 

 




民族ジョーク:ハレリア人編。

ハレリア人は星王教徒である。
なぜならば、何かがあるとすぐに星王神殿へ訪れるからだ。
旅人へも、何かあればとりあえず「星王神殿へ行け」が合言葉のように言われる。
ただし、敬虔な星王教徒は「星王神殿の隣にある役所へ」と言い、不信心者は「星王神殿の隣にある衛兵の詰所へ」と言う。
どうやら、この国では星王神殿を中心に物事が動いているようだ。
星王教そのものに関しては、話の話題にも上がらない。
最後に。
星王神殿には、よくその地域の土着神の像などが祀ってあり、よく地方独自の祭りや神事が行われる。
星王の偶像を、少なくとも私は見たことがない。

これはちょっとしたミステリーである。



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騎士の回答

「緊張はしてないみたいだな」

 

闘技場横の選手控室で、エルウッドにエドウィンが声をかける。

 

「ええ、僕の担当が2人ともあんな調子ですから」

「ところで、その装備は大丈夫なのか?」

 

エドウィンが心配しているのは、どう見ても主流の重装化という流れに反する、エルウッドの軽装だった。戦場ではどこから魔法が飛んでくるかわからないため、直撃さえ受けなければ死なないように、重武装で向かうのが常である。つまり軽装というのは、魔法が飛び交う戦場を想定していないということだ。

 

「大丈夫です。問題ありません」

 

エルウッドは答えた。

 

「ちゃんと考えてくれていますよ。戦場ではさすがに不安ですが、1対1のこの試合だと、流れ弾は問題ないっす」

「それは確かにそうだが……」

「それにこの外套(コート)でも、1発だけなら耐えられるそうです。もっとも、それを信用するしかないんすけどね」

 

苦笑する。

 

「そうか……。覚悟を決めてきたのは分かっているつもりだが、私も弟分が潰れるのは見たくない。あまり無理はするなよ」

「わかってるっす」

 

武具大会予選の試合形式は、トーナメントだ。参加人数が100人を超えるため、リーグ戦などをやっていては時間がいくらあっても足りないのである。

また、設備的な問題もあった。この闘技場は訓練にも使用され、無茶をしてもいいように、魔法を利用した設備がある。それを起動するのに星王術士が必要なのだが、1試合に1人という単位でしか、起動状態を維持できないのだ。

リーグ戦などすれば術士の動員数が跳ね上がり、費用がそれだけ多くかかってしまうことになる。

 

「使われてるのは『箱庭領域』っていう、儀装円(ぎそうえん)よ」

「儀装円?」

「儀式のために作られた、専用の道具ね。魔法円の形を銀で(かたど)って、それを使えば何度でも簡単に儀式ができるようになってるわ」

 

要するに、よく使う儀式をスムーズに行うための道具ということだ。

 

「ズボラ出血熱が蔓延(まんえん)しているようです」

「ズボラ出血熱って何よ?」

「説明しよう!ズボラ出血熱とは、作業のあまりもの面倒さに辟易した人々が罹る病気の一種である。

初期症状はサボり癖。末期症状は作業を楽にするための道具を、それ以上の労力や金銭()を使って作成することなのだ!

そしてそうやってできたものは、時として『誰がそこまでやれと言った』や『手の込んだ手抜き』と称賛されることもある!」

「それ褒めてんのか?」

 

決めポーズで説明するジョンに、モーガンがツッコミを入れた。

 

「病気って嘘っ八じゃないの」

「どうだろう。俺みたいなのを病気の人って呼ぶこともあるみたいだしな」

「ああ」「なるほど」

 

2人して納得された。

ジョンが悲しい気分になっていると、試合が始まる。

 

「長い槍と斧槍(ハルバード)ね」

「どっちも非魔法でも手堅いな。どっちが勝つと思う?」

「槍なんじゃない?」

斧槍(ハルバード)だ」

 

彼は断言する。

 

「魔法が絡まない戦いは原則、体の大きさと武器のリーチで有利不利が決まる」

「槍の方が長いじゃないの」

「使い手があんな馬鹿みたいに長い槍を扱い切れればな。確かにああいうのを使う戦術もあるにはあるんだが……少なくとも個人戦で使うようなもんじゃねえよ」

 

ジョンが言うように、その槍は5m近くもある長大なものだった。しかしそれゆえに槍がたわんでしまい、敵に向けるものの、穂先を一撃されて破壊されてしまう。動かすにも安物のプラスチック定規のようにたわんでしまって、上手く力が伝わらないのだ。たわむと言っても、5メートルで5センチ程度のものだが、振り回すとなるとこれでもかなり難しい。

 

この槍の名は『パイク』。

地球でも世界トップクラスの長さを持つ槍で、これと盾を持った兵士を横一列に並べ、前進させる『密集隊形』、あるいは『ファランクス』と呼ばれる戦術を考案したのが、東アジアへ大遠征したことで有名なイスカンダルことアレクサンダー大王である。

 

ちなみに、この槍の長さを文字通り半分にした『ハーフパイク』というものも存在するが、それでなお2.5メートルであり長槍の部類になると言えば、その馬鹿げた長さが実感できるかもしれない。

 

「あのたわみ(・・・)を利用する技もあるらしいんだが、あの使い手には無理だったみてえだな」

 

言った前で、槍使いの方が降参してしまう。

振り回した柄が抑え込まれてしまい、そのまま武器破壊されたのだ。

 

槍の穂先がキャップに鋲で留める方式なのだが、そのキャップ部分の長さが通常は20センチから30センチあるところを、軽量化のために5センチほどに短くしていたのである。

それによって接続部の強度が低下し、穂先を強打されるだけで折れるようになってしまっていた。

 

「こんな風に、自分勝手に武具を作ったりすると、勝負にすらならねえこともある」

「うっ、だってエド兄はどっちかっていうと術の方が強いんだもん」

「なるほど、もしかして、剣と盾か?」

「そうよ」

剣闘士(グラディエータ)スタイルか」

「それってどうなんだ?」

「作り手としちゃ初心者向けだな。アンチ武器とかもあるけど、それに当たらなけりゃ、とりあえずは戦えるって感じか。で、魔法が入るってことになると普通に強いと思う」

「へへーん!私だって――」

「胸を張るなつるぺったん」

「なるほどつるぺったん」

 

2人して蹴られた。黒いローブの下は残念ながらズボンだった。

ハレリアにはローブの下にズボンという、残念な風習でもあるのだろうか、と赤毛ショタは考える。

 

「まあ、こっちも使い手の技量任せになる。どっちかっていうと、得意武器が分からないなら『とりあえずこれにしとけ』みたいな手堅さのもんだ」

「だから『初心者向け』なのか」

「なんか、釈然としないわ」

 

アリシエルは唇を尖らせる。

 

「お、エルウッドの出番だ」

 

 

 

「始めっ!」

 

試合開始の合図。

相手は非魔法武具の兵士だった。エルウッドと違って重装甲の全身鎧。

ジョンの言葉を思い出す。

 

『慣れてないなら、刺そうとするな。殴るか転がせ』

 

とりあえず、正面からやり合うと防御力と重量の差で負ける。

それは理解できる。

しかし、そもそも槍である必要がないという作戦を伝えるとは、一体何を考えているのか。

 

そう思いつつも、エルウッドは槍で牽制を入れた。

相手は盾で受け流し、戦鎚で反撃してくる。重武装相手を意識した武器の中で、攻撃の通りやすい戦鎚はオーソドックスな方だ。

 

下がって避けると同時に右にサイドステップ。槍の石突を地面に付けて、棒高跳びの要領でジャンプした。軽装とはいえ鎧のせいで、そこまで高くはない。

しかしこれで十分だ。

 

一瞬見失った相手がエルウッドの姿を発見した時には、ドロップキックが兜越しに直撃していた。素人の棒高跳びと言った感じだ。そして目の前に来た攻撃を咄嗟に防御するには、その鎧は重すぎる。

 

『物っていうのは、上側に力を受けると、普通の何倍も横倒しになりやすい』

 

転倒した対戦相手が起き上がろうとするも、胴体を踏みつけたエルウッドが兜を脱がして槍の穂先を突きつけた。

 

「ま、参った」

 

あまりにもあっさりとした決着に、むしろ拍子抜けする。

 

『攻撃が当たらなけりゃ、防御力なんて必要ねえのさ。流れ弾がある戦場じゃねえんだからな』

 

ジョンが言っていたのはこういうことか、と彼は納得した。

偉そうなことを言う生意気なガキンチョだと思っていたが、意外にもその作戦や武具は理に適っている。武具大会は試合であり、魔法や弓矢が飛び交う戦場ではない。ならば、重くて手厚い防御力は、時として邪魔になるということだ。

 

特にエルウッドは、敵の攻撃は受けるよりも回避することに重点を置いて鍛練してきた。ならば、それを生かすように武具を作った方がいい。

画一的に見られがちな兵士だが、そこには確かに個性があり、得手不得手というものが存在するのである。

武芸百般にも個人差があるのだ。

 

 

 

「参ったな……」

 

戦いの様子を見ていて唸ったのは、長い金髪のイケメン青年騎士エドウィン。彼はジョンが何を考えてあのような軽装にしたのか、理解できてしまった。

 

「鎧を脱げば何とかなりそうだが、さて……」

 

これは武具大会である。使い手の腕よりも作り手の仕事を見るという意味合いが強い。そのため、ルール上は鎧を脱いで戦うということができない。

このルールは、錬金術師見習いと組まなければならない騎士にとっては、枷となる。それでも騎士が負けた例というのはゼロではないにせよ、それほど多くはなかった。

しかし今回は違う。

 

優勝できるように作ったという、あの少年鍛冶師の言葉は、ハッタリなどではない。エルウッドがそういう(・・・・)作戦を採るとすれば、それは俄然現実味を帯びてくる言葉だった。

 

「同じブロックだし、小細工でもするかな」

 

 

 

闘技場貴賓(VIP)席。

ここには、騎士団の幹部や貴族達が、集まってきていた。

 

金髪鎧姿の小柄な美丈夫は、険しい顔でエルウッドの戦いを見ている。装飾の施された鎧は、彼が騎士であることを示していたが、どちらかといえば優男といった体格だ。背中には白いマントを羽織っている。

 

「妙な癖がつかねばよいが……」

「やはり息子、長男の晴れ舞台ともなれば、心配にもなるか」

 

隣で豪快に笑うのは、金髪に黒い肌、立派な口ヒゲの巨漢。こちらも装飾が施された鎧に青いマントを着ていた。その姿は威圧感たっぷりで、威厳を感じさせる。

 

「さて、あの坊主はなかなか面白い職人と当たったようだが、どの程度勝ち抜けると思う?」

「さてな。騎士があれの弱点に気付けば、そこで負けるだろう」

「やはり気付かねば優勝まで行くか?」

「着眼点は悪くはない。私も一度は同じ手を使ったのでな。だが、それだけで確実に勝ちを拾えるほど、騎士は甘い存在ではない」

 

 

 

一方、エドウィンは兵士と当たった。

 

「何のつもりかは知らんが、もらった!」

 

術を使おうとしない彼に、相手のモルゲンステルンが掠る。接触し、鎧の一部が弾けた。

 

『モルゲンステルン』というのは、鎖が付いたトゲトゲの鉄球、ではない。トゲトゲの鉄球というところまでは正解だが、鎖ではなく長い柄がついているものだ。戦鎚の一種で、長柄武器なのである。

打撃武器が長柄になったことで、さらに攻撃力が向上しているものだ。しかし、それだけに扱うには相当に高い技量が必要となる。それにもう1つ、重量ゆえに動きが大振りになりやすいという弱点があった。

 

エドウィンは冷静に相手の動きを見て、致命的なダメージにならないように鎧で受けていく。そして動きを阻害しそうな部位、つまり足手(・・)まとい(・・・)になる(・・・)部分の鎧が破壊されていった。

 

「そろそろいいかな」

「ふざけるな!」

 

丁寧に鎧を壊したエドウィンの狙いに、さすがに相手は気付いた。

モルゲンステルンは威力が高い反面、大振りになりやすくて見切られやすい。エドウィンはそれを利用して、わざと鎧を壊させたのである。

 

ルール上、自分で鎧を脱ぐことはできないが、鎧が壊されればその限りではない。それでも錬金術師ならば直すことは可能だが、修復を拒否することも、また可能だった。

錬金術師が納得すれば、だが。そしてエドウィンと組んでいる錬金術師は、彼の実の妹だ。

 

盾でモルゲンステルンを逸らすと、肘の内側の隙間に剣を刺し込み、腕の腱を切断する。モルゲンステルンは重量武器なので、片手では重くて扱えず、動きが単調になる。

この時点で勝敗は決した。

 

 

 

控室。

ここでは戦闘を終えた武具の整備が行われる。

エルウッドの次の試合がエドウィンだったため、ここにはアリシエルとジョンがいた。ついでにモーガンも。

 

「ナイトのくせにえげつねえ真似しやがって」

 

修理を終えてやってきたエドウィンに、ジョンは苦々しい顔で悪態を吐く。

 

「えげつない真似って何よ。イチャモン付ける気?」

「悪いね。こっちも、簡単に負けてやるわけにはいかないんだ」

 

文句を言っていたアリシエルは、実兄の意外な言葉に思わず振り返った。

 

「えっ、エド兄、どういうこと?」

「あの槍は、穂先の切れ味が尋常じゃないんだ。中子型で重量のバランスもいい。この軽銀の鎧程度は軽々と貫通するだろう」

「エルウッド、触らせたのか!?」

 

ジョンはエルウッドに視線を向ける。

 

「すみません。僕にとっても兄のような人なので、どうしてもと言われると……」

「対戦前に格下の武器触るとか、汚えぞ!」

「騎士にとっては褒め言葉だね」

「騎士道どこ行った」

「婦人に対する口説き文句だよ、それは」

 

エドウィンは悪びれることなく肩を竦めて見せた。

 

「それに、このまま苦戦もなく優勝させるのは、エルのためにもよくない」

「――」

 

ジョンは、その言葉に対しては何も言い返せない。

確かにエルウッドのこれは、武具の力で勝っているようなものなのだ。騎士がそれに頼り切ってはいけない。そこについては赤毛少年にも理解できた。

 

「ねえ、私にも分かるように説明してよ」

「俺もちょっとわからない」

 

アリシエルとモーガンが説明を求める。

 

「それでは私が説明しよう」

 

エドウィンは頷いた。

 

「まず、重量のある鉄鎧に対しては、転ばせるという戦法が有効なのは既に実証済みだ。これには、身構えられれば簡単に転がせないという弱点がある。

彼の恐ろしいところは、そういう対策が織り込み済みということさ。体当たりに対応するために身構えれば、重い全身鎧ではあの槍は避けられない。

盾で受けるか鎧で弾くことになる。しかし、あの槍にはそういった防御を貫通できる威力がある」

「でも、それこそ術で近付けさせなければいいんじゃないのか?」

 

これはモーガン。

 

「そうだ。普通はそう考える。この武具大会に出ているような新人の騎士は術に頼りがちだから、大抵はそういう作戦を取るだろう。

ところが、次は身軽さという武器が脅威になる。開幕で『チャージング』をされると、武具大会で使われる2単語以上の術が間に合わないんだ。

どうやったところで、動きの遅い全身鎧では不利になってしまうんだよ」

「あ、だからさっき……」

 

鎧の修理を拒否されたことから、アリシエルも気付いたらしい。

 

『チャージング』というのは、槍をまっすぐ敵に向けて構え、突進する攻撃である。その速度と体重を上乗せされた時の槍の威力は、槍術の中では屈指の攻撃力を誇る。

馬上で使う『チャージング』専用の槍『ランス』が開発されるほどに、その威力は長く戦場で猛威を振った。

 

『チャージング』にはもう1つ利点がある。

始めの合図と共に戦う武具大会のルールでは、騎士が虎の子である術の詠唱を終える前に、初撃を当てることが可能ということだ。チャージングの威力が術の発動よりも早く到達し、エドウィンが言うとおり、生半可な鎧なら軽く貫いてしまう。魔法を使用してこないからと甘く見ていれば、それで勝負がつくのだ。

 

ならばチャージングを防ぐには。

簡単なことだ。避ければいい。まっすぐ突進してくるチャージングは、槍の穂先にさえ当たらなければ大したダメージはない。

問題は鎧が重いとそれを避けることさえできないということなのだが。

 

今のエドウィンは鎧が壊れた部分を外しており、身軽なのだ。初撃を避けることができれば、後は逆に距離を詰めれば片手剣の距離となる。

エドウィンは得意武器ではないとはいえ騎士で、エルウッドは得意武器だが騎士ではない。一応、互角以上の勝負に持ち込むことはできる。

 

「後はエル、お前次第だ。私を倒せば、優勝が見える。それは私が保証しよう」

 

エドウィンは弟分の肩を叩き、そう声をかけた。

 

 



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少年の解答

予選第1回戦が終わり、翌日から2回戦が始まる。

この日に2回戦と3回戦が行われ、3日目にそれ以降、本戦が行われる。大体の傾向として、2日目から観客が多くなる傾向にあった。

それはこのVIP席でも同じだ。

 

「曇天。一騎討ちにはもってこいのコンディションだね」

 

席に座って呟くのは、人の良さそうな赤髪の青年騎士。糸目の優男だ。

 

「おお、ゴードン卿」

 

背後から声をかけたのは、金髪痩身の中年騎士。昨日もVIP席で見ていた男だ。

 

「お久し振りです、ウェスター卿」

 

ゴードンと呼ばれた青年は、立ち上がってぺこりと頭を下げる。ウェスターと呼ばれた中年も、返礼した。

 

「私のいない間に動きがあったとか」

「いえ、大したものではありませんよ。いつもの小競り合いです」

「4千もの兵が動いたと聞いたが」

「その内正規兵は500程度でしたよ。後は数合わせの奴隷兵です。いつものようにお伽噺でお帰りいただきました」

「あれか、総長が視察に来ているとか、その辺の噂で引き返したのか」

「総長の名声は絶大ですから」

 

青年騎士はにやりと笑った。もちろん、それだけではないのだろう。

このゴードンという男はただの騎士ではない。

マグニスノアにおいてなかなか見られない驚くべき戦術を駆使する、ハレリア王国屈指の将軍なのだ。

 

「もちろん、間者はすべて確保して懐柔しましたよ。これもいつも通りです」

「イーズリー伯爵も、厄介な男を相手取ったものだ」

 

中年騎士は深々と溜息を吐く。

 

説明しよう。

中世西洋では、兵士のほとんどは傭兵だったとされる。華々しい活躍をした騎士団の大半が、国に雇われた傭兵という立場だったのがそれを如実に物語る。

そんなお金で雇われた傭兵は、負けが濃厚になると逃げるのである。負ければお金が支払われないからだ。これは割と現代地球でも似たようなもので、騎士団でこそないが、兵士とはお金で雇って訓練し、戦争に駆り出すものという認識がある。

この傭兵、何も負けそうなら逃げるというわけでもない。臆病風に吹かれて逃げ出す者も少なくないのだ。

 

具体的な例として、長篠の戦いを挙げよう。

織田信長が武田騎馬隊を打ち破った、歴史的な戦いである。この戦いで織田信長が用いた兵が、傭兵なのだ。それも、ただの傭兵ではない。流浪人や野盗、闇商人など、およそ真っ当とは呼べない人々である。お金で雇われただけで織田家に忠誠もない彼らは、怖くなれば一目散に逃げ出した。

 

一説によると、かなり陣地に攻め込まれたという話もあるが、それ以外にも武田軍の勢いに恐れをなし、4千人も逃げ出したとされる。

そうでなくとも軍隊というのは、結成したその瞬間から落伍や逃亡で緩やかに崩壊していくものと言われていた。

 

今回、敵側イーズリー伯爵はその性質を利用し、逃亡兵に紛れ込ませてスパイを放ったのである。正面からかかっては勝てないため、内側から崩そうというのだ。

結果は見事に見破られ、送り込んだスパイも色々な手段で懐柔され、いざという時に誤情報を送り込むために、二重(ダブル)スパイとして確保されている。イーズリー伯爵は作戦が完全に失敗したことすら知らない状況だ。

ゴードンの方が一枚上手だったと言えた。

 

「今年の出場者はどうですか?」

「2名ほど奇抜な方法を取る者がいるが、他はいつもと同じだ」

「へえ、2名も?」

「その2名のどちらかが、おそらく優勝に最も近い」

「それは楽しみです。こういう、身分にかかわらず好き勝手に武具を作って競争させるのは、ハレリアだけですからね」

「それは同感だ。最近は揃いも揃って重武装になる傾向にあるが」

「まったく、少しは実用性を考えてほしいものです」

 

2人の騎士は愚痴をこぼした。

 

「次だ。2人とも、私が一通り教えた」

「へえ、ウェスター卿の弟子ですか」

「そうだ。騎士と一般兵だが、どうやら武具は一般兵の方に分があるようだ」

 

2人が見ている前で、金髪のイケメン2人が闘技場の中央に進み出る。

 

「両方ともに軽装ですが、騎士の方が少し不格好ですね」

「仕方があるまい。重装だったのを、攻撃をわざと受けて軽装にしたのだ」

「ああ、なるほど。速攻対策ですか」

 

さすがにゴードンは、両方の考えを的確に読み解いて見せた。

とはいえ、これにも事情があったのだが。

 

 

 

「でやああああっ!」

 

試合開始と共に、エルウッドが突進攻撃(チャージング)を仕掛ける。馬の力を活かせない徒歩のため、馬ごと突き倒されるほどの威力は出ない。しかし下手に盾で受ければ、それごと貫かれかねないのも、エドウィンは知っていた。

 

だから剣で受け流し、踏み込んで盾で殴りつける。簡単なことではないが、自分の得意武器が相手ならばこういうことも不可能ではない。

 

「うっ」

 

エルウッドはそれを片腕で受け、視界が遮られるのを嫌って横にステップ。近くなり過ぎた間合いを調整する意味もあった。ところが、エドウィンは追いすがって盾で体を隠し、強烈な突きをお見舞いする。

避けられるタイミングではない。

 

「――っ!」

 

金属同士が擦れる乾いた音が鳴り響いた。

 

「なっ!?」

 

同時に、エドウィンの顔が驚愕に染まる。

軽装で手先や足、胸にしか装甲がなく、後は外套(コート)だけだと思っていたのだ。

動くたびに裾がヒラヒラと舞うコートである。胴体に剣の刺突を防げるような防御力はないと、そう思い込んでいた。

それが、防がれたのである。

 

「(何か、コートの裏に仕込んで――っ!?)」

 

動揺した隙にエルウッドが蹴りを放つ。それを鎧で受けたエドウィンが数歩たたらを踏んでよろめき、間合いが離れた。

 

舌打ちする。

槍ならば間合いを詰めれば有利になると思い、後はずっとその間合いを維持するつもりだったのだ。

既に槍の間合い。

術の詠唱などを始めれば、集中力の逸れたところを攻撃され、槍の餌食となるだろう。

 

「(一杯食わされたか!)」

 

エドウィンはそう思って思考を切り替える。

思えば自分自身が高説したことに対して、あの少年鍛冶師は正解とも不正解とも言わなかった。ただ、沈黙してその場を後にしただけだ。完全論破されて捨て台詞も出て来なかったのだと、エドウィンが勝手に思い込んでいたに過ぎない。

 

まさか、外套(コート)の裏に鉄板が縫い込んであるなどと、想像すらしなかった自分が悪いのだ。

だが、それならそれでやりようがある。一番の脅威だった突進攻撃(チャージング)はもうない。後は接近戦で上回るだけだ。

 

盾を前にかざすと、それを嫌がったエルウッドが攻撃の手を緩める。

 

「――」

 

ここであえて、エドウィンは術の詠唱を始めた。

それを阻止しようと、エルウッドが攻撃してくる。その、攻撃のために一歩踏み出したタイミングを見計らって、エドウィンは剣を投げた。

 

「んなっ!?」

 

胆をつぶしたのは、今度はエルウッドだ。

咄嗟に足を止めて、辛うじて弾く。その一瞬、エルウッドの姿勢が崩れた。その隙にエドウィンが踏み込み、盾を捨ててエルウッドを組み伏せる。そして腰から抜いた予備のナイフをエルウッドの咽喉に突き付けた。

 

「――勝負ありだ」

「……参りました」

 

 

 

再びVIP席。

 

「やるねえ。詠唱を囮に、相手の不用意な攻撃を誘発したのか」

 

赤髪の糸目騎士は笑みを深めながら、呟く。

 

「やれやれ、あれでエルウッドが勝ってしまったら、どうしようかと思った」

「エルウッド君って、ウェスター卿の長男じゃありませんでしたっけ?」

「だからだ。あれはまだ色々と未熟でな。装備の力に頼らせるのも、あまりよくない」

「色々と事情があるんですねえ……」

 

主に父親としての事情が。

 

「それにしても、今年はハートーン工房は出場していなかったと記憶していますが、飛び入りでもしたんですかね?」

「いや、ハートーン工房は出ていない」

「なんと!?両方真っ更ですか!」

「そういうことになるな」

「とんでもない新人が出てきましたね」

「まったく、同感だ」

 

 

 

一方その頃、控室では。

 

「まさか『コートオブプレート』とは恐れ入ったよ。考えてしかるべきだった」

「さすがに知ってたか。胴への薙ぎ払い対策が主だったんで、半端にしか縫い付けてないんだけどな」

 

と、ジョンはエルウッドの外套(コート)をめくり、裏側に縦に縫い付けた、長さ10センチ、幅2センチ程度の、長方形の鉄板を見せる。

 

鉄板付き外套(コートオブプレート)』とは、その名の通り服に鉄片を並べて縫い付けたものである。『ブリガンダイン』と言った方が通りはいいかもしれない。材料の入手と整備が簡単なため、古代から広く使用されていたらしい。

 

マグニスノアでは、その安さと軽さから、傭兵が好んで用いる鎧として有名だった。お金を貯めてプレートメイルを入手しても、少し改造すればその上から着ることができるため、無駄にならないのも人気の秘密だ。

 

こうしてプレートメイルの上から着るものを、総称して『サーコート』と呼ぶ。

防寒用に布だけだったり、『コートオブプレート』だったり、鎖帷子(チェインメイル)だったりと、様々な種類があるが、大体は用途に応じて使い分けられていた。

 

「あ、あの時の突きが弾かれたのって、そういうことだったの!?」

 

アリシエルが驚く。

 

「お前は気付けよ」

 

モーガンがツッコミを入れた。

 

「コートの裾に重量感がなかったから、惑わされてしまった」

「そう見えるように、あえて膝上まで裾を伸ばしてるんです。重量がある部分はベルトで留めてますし」

「性格わるぅ」

「アリス、お前もこの辺は見習いなさい」

 

エドウィンが悪態を吐いたアリシエルをたしなめる。

 

「でもさ、卑怯じゃないの?」

「ルールに違反してはいない。手の内を隠すことも、立派な戦術の1つさ」

「むぅ……」

 

むくれた。元が童顔の少女なだけあって、ちょっと可愛い。

 

「それに、他の工房のものに比べて、実用性も高い。この軽さで片手とはいえ私の突きを止めたんだ。防御力はなかなか侮れない。プレートメイルに並ぶかもしれない」

「この薄い鉄板1枚で……あれ?湿ってるのコレ?」

 

アリシエルはエルウッドの外套を掴んで確かめようとして、それが湿っていることに気付いた。

 

「試合で使うのって、大体火属性って話だったんでな。その対策だ。

1発だけなら、外套を脱ぎ捨てればダメージを防げる。とはいえ、結構ぶっつけだから、実際に防げるかどうかは分かんなかったんだけどな」

「……」「……」

 

アリシエルとエドウィンの兄妹はしばし絶句する。

 

「仮に術にこだわっていた場合、私は負けていたかもしれないな」

「その場合は最初の突進(チャージング)からの連続攻撃で決まっていたんじゃねえか?術対策はあくまで保険なんで」

「マジで下手すると優勝までいってたんじゃない?」

「本当に、とんでもない子が出てきたものだ。ジョン君がハートーン卿の弟子だと名乗っても、まったく違和感がない」

 

エドウィンが肩を竦めて言った。

 

「すげえ、大絶賛じゃんか!」

「ハートーン卿って?」

 

モーガンの歓声は無視して、ジョンが聞く。

 

「あんた、ハートーン卿知らないの?」

「そういやコイツ、王都に来てまだ2ヶ月半なんだぜ?」

「うっそ、マジでえ!?」

「マジですとも。それでハートーン卿ってどなたで?」

 

改めて聞いた。

 

「アブラハム・ハートーン男爵っていえば、ルクソリス工廠でランキングトップの工房主だぜ」

 

モーガンが答え、ジョンは得心する。

 

「ああ、それで有名なのか」

「確かもう1つ、鍛冶屋バラクの、この世で1通しかない紹介状を持っているとも聞くっす」

 

エルウッドが話した。

 

「バラクって、あの偏屈ジジイか?」

 

思いがけず出てきた名前にジョンが反応する。

 

「確か、もう55になる爺さんって話だ。偏屈かどうかは知らねえけど」

 

これはモーガン。

 

「貴族の間じゃ、偏屈爺さんで有名なはずよ。

でもその代わり、鍛冶の腕はハレリアどころか大陸でも随一って話ね」

「確かに、鍛冶の腕だけは凄い爺さんだったな」

「知ってるのか?」

「知ってるも何も、俺の師匠だからな」

「……」「……」

 

一瞬の沈黙の後、驚愕の絶叫が周囲に響いた。

エドウィンは苦笑していた。そして思い出したようにエルウッドに声をかける。

 

「そうそう、エル、これから師のところへ行くといい」

「え、はあ、今っすか?」

 

優勝を逃した青年兵は聞き返す。

 

「そうさ。VIP席にいると思うから、今行けば間に合うだろう。そこで、しっかりと叱られてきなさい」

「はいぃ?」

「さっきの試合、勝率は五分だったんだ。私には致命的な隙もあった。それにもかかわらず、エルは負けている。わかるね?」

「はい……」

 

諭すように怒気で威圧してくる兄貴分に、エルウッドはすっかり意気消沈し、とぼとぼとその場を後にした。

普段は優しいのだが、そういう人に限って怒ると怖いのである。

 

 

 

一方その頃、VIP席。騎士が集まっているのとは、別の場所。

 

「残念だったわね。とはいえ、あの兵士が迂闊だった面も大きいと思うけれど」

 

長い灰色髪にドレスの、妙齢の美女が言った。ドレスといっても普通のものではない。布製ではなく、赤黄青に染められた動物の皮を何重にも吊るし、フリル状にしている。

ファッションにしては奇抜なもので、非常に目立っている。

 

「致し方ありません。優勝でもすれば話は別ですが、今彼をトップに据えるのは難しそうですね」

「でも、可能性は見せてもらったわ。特別に、錬金術師の支援を受けられるように計らいましょう」

「ありがとうございます、マキナ様」

 

話している相手は、白いローブの少女だった。

 

「ところで、あれはなんなの?」

「えっ?」

 

マキナと呼ばれた女性が指差す先には、黒いローブ姿の金髪少女がいた。

なぜか頭には猫耳を付けて、顔を真っ赤にしながら、控室の通路から出てきて、客席に向かっている。

 

「心が動揺しているわよ?」

「……申し訳ありません。心当たりがあり過ぎました」

 

それは足を引っ張ったことに対する反省の色がないアリシエルに対する、兄エドウィンによるお仕置きなのだが、当然2人とも、そんなことは知る由もない。

 

 




ジョン少年観察記録中間報告、その1。

彼を観察していると、やたらと猫耳や兎耳といった獣擬装用のパーツが出てくる。
『萌え』について無駄に力説していたところを見ると、前世はオタクだったようだ。

本人が前世50歳まで生きたというから、相当なスケベオヤジだったに違いない。
異世界転生者というのは、スケベしかいないのか。

武具大会を観察していると、製法が近代的思想に基づいているものの、周囲の技術レベルに沿った普通の武具を製造していることがわかる。
ルクソリス担当の上級調停官には、少年がどこまでできるのか確認するように忠告したいが、もしも近代的な武器を作ったとしても、彼らならば十分に対処できると考えられるため、今は控えておく。

武器の種類がこの時代において普通のものであるということから、考察できることが幾つかある。

1つ目は、この世界の常識に染まっており、近代的な武器の製造に思い至らなかったパターン。
2つ目は、この世界への影響について手探り状態であり、あまり急激な変革を望んでいないパターン。
3つ目は、近代的な武器の製法をそもそも知らないパターン。

まだまだ観察を続行する必要がある。



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留学生

火内1区、軍の練兵場がある場所。

ここは兵器の実験場としての側面もあり、城門や城壁を模した、様々な実験施設が備わっている。強力な攻撃用儀式魔法の的として、実際の城壁を使うわけにはいかないというのと同じと考えればいいだろう。

 

武具大会が終わってから数日後。

数人の貴族や錬金術師、鍛冶師などの立会いの下、武具の破壊実験が行われていた。新人が作った武具の性能を見極めるのだ。武具大会で人間に合わせた機能性と重さについては、見極めることが出来ている。

ここで計測されるのは、鎧の最も重要な要素、防御力である。

 

計測方法は簡単だ。

3本の、(やじり)の違う矢で撃つ。それの刺さり具合などで、強度を測るのだ。

的は、鎧を着せた人形を台車に載せたもの。200近い参加者の鎧はほぼ重装に統一されているが、細かい部分で随分と違いがある。

 

基本は鎖帷子(くさりかたびら)板金鎧(プレートメイル)鎧用外套(サーコート)の3点セット。大きな工房でチームを組める場合はそれらが高いレベルで揃っているが、人数の少ない工房では鎖帷子のみや板金鎧のみという構成も目立つ。

それはそれで、同じ鉄装備相手には戦果を挙げているのだが、術が相手となると防御力がネックとなり、あっさり倒されてしまったケースもある。

 

まあ、はっきり言って魔法という飛び道具を扱う騎士の方が、剣の腕では上なのだ。鉄装備で戦う兵士は、どうしても不利な状況になってしまうのは避けられない。

主催側としては、それを突破するアイデアが欲しかったのだが……。

防御力を減らして身軽にすると、術にやられる。防御力を重視して速度を犠牲にすると、騎士の剣術に勝てないという、見事な構図が出来上がってしまっているのだ。

そんな中、1人だけ注目の集まった鎧があった。

 

乳白色の外套で全体が隠された鎧。一見すると、軽さを優先して防御力を無視したようにも見える。大会でも、この白い外套は目立っていた。

 

「構造は、板金(プレート)胸鎧(チェスト)と――」

 

白の混じった赤茶色の髪をした中年鍛冶師は、外套(コート)をめくって確かめる。

 

鎧用外套(サーコート)

 

鎧用外套(サーコート)とは、鉄片付き外套(コートオブプレート)の一種で、板金鎧(プレートメイル)のさらに上から着用するものを言う。本と辞書の関係に似ていて、鉄片付き外套(コートオブプレート)は外套に鉄片を縫い付けたもの全般を表す言葉だ。

 

「要所の保護(プロテクター)は最低限。しかも、鉄ではなく革。タイプとしては、やはり防御を捨てて身軽さを優先したもののようですな」

「内側に鎖帷子もなし。この薄い鉄片だけで、慣れない剣とはいえエドウィンの突きを止めたとは、俄かに信じ難い」

 

金髪の中年騎士も確認してみて、唸った。それから破壊試験、3種類の矢が近距離で放たれる。

 

ちなみに、この試験で一定以上の評価がなければ昇格は認められない。

それが武具大会における重武装化を招いていたのだが、やらないわけにはいかないため、ジレンマも抱えていた。

 

1本は(やじり)のない矢。

1本は銅でできた(やじり)のついた矢。

1本は鉄で出来た(やじり)のついた矢。

貫通力はそれぞれ、順に上がっていく。

 

弓矢は10メートル程度の近距離で最も威力が高くなる性質があり、(やじり)がないとはいえ、金属製でない鎧ではあっさり貫通してしまう威力を発揮する。最低限、(やじり)のない矢を止められないようでは、鎧として失格ということだ。

 

この点、ジョンの鎧は合格と言えた。

(やじり)のない矢は外套に傷を付けただけで、弾かれて地面に落ちる。

銅の(やじり)の矢では、外套に刺さってぶら下がった。鎧を貫通しなかった証である。

 

そして(てつ)(やじり)の矢は――。

――一瞬、鎧に突き立ったように見えたが、やがて矢羽根が下がり、外套にぶら下がる。

 

「強度は中の上。軽さも含めると、軽装鎧(ライトメイル)としてはすぐ実戦でも使えそうか」

「……失礼」

 

金髪の中年騎士が評価していると、隣にいたやや薄い赤毛の鍛冶師が鎧の状態を見るために、小走りで近付く。そして、当たった部分の鎧の厚さを確認し、「なんと」と驚きの声を上げた。

 

「いかがなされたか、ハートーン卿」

「ロビン卿、これはおそらく鍛鉄(たんてつ)ですぞ」

「――なんだと?」

 

この情報は即日、王宮へもたらされた。宰相府へ。

 

 

 

宰相府はハレリア国内の行政を司る機関。内域工廠は、この宰相府直属の機関でもある。工廠と言っても、年中武具を作っているわけではない。暮らしに役立つ発明品や、違う業種の工房のために道具を作ったりもする。

 

「……また、面倒なことになりそうだな」

 

ハレリア王国の宰相、カメイル・ロキ・ハーリア公爵は難しい顔をして呟いた。金髪口ヒゲの美中年である。服装は乳白色を基調に黒の刺繍が施された貴族服に、ハレリア王国の紋章である三日月と太陽を並べた模様の入った、腰までしかないマントを羽織っている。

今は執務室のデスクで、その報告を聞いた後だった。

 

「不正と聞いたが、それならば調べて潰せばいいのではないのか?」

 

報告を行った役人が退出した後、執務室にいるのはもう1人、黒髪の少女。身長は小柄で、紺色の上着(ブレザー)に同色のロングスカート姿。

 

「真面目なのは構わないが、不正という言葉に惑わされんことだ」

 

ハーリア公爵は、新しい羊皮紙を用意し、羽ペンを走らせながら言った。

 

「不正と一口に言っても、様々な種類がある。罪として重いものは確かに内域からの追放ともなろうが、今回は違う」

「なぜ断言できる?」

「通報者がハートーン卿だからだよ。

追放となるケースは、ハレリアの法律で賊と認定されるレベルのものだ。具体的には、対戦相手の殺害、工房施設の破壊、脅迫などの凶悪犯罪だ。彼は男爵位を持ってはいるのだが、役人や衛兵の統括者というわけではない。ゆえに、悪質な不正のケースではないとしか判断できんわけだ。

正確には、凶悪犯罪が絡んだ場合、宰相府ではなく神殿や軍への通報が優先されるということなのだがね」

「普通の国では、爵位を持った担当官なら、独断で片付けそうなものだが……」

 

少女は腕を組んで呟く。

この男は手を動かしながら、口も動かしている。ハレリア王国は実力主義と言うが、宰相になるには手と口を別々に動かす程度のことは標準で出来なければならないのだろうか。

と、彼女はどうでもいいことを考えていた。

 

「ハレリアは、他の国とは政治理念が異なるからね。爵位は行政階級に過ぎんのだよ。爵位は棄てることも剥奪されることもあるし、死罪未満ならば復帰することも可能だ」

「復帰が可能というのが、よくわからん。降格ならばともかく、一度爵位を剥奪されれば、通常は生涯そのままだと思うのだが」

「貴族による権力闘争というものが、ハレリア王国にはないのでね。貴族には、そういう政争が許されていない」

 

金髪の中年貴族は、早速1枚目の書類を作ってチェックを開始した。

 

「……とにかく、今回の件は重罪に値するケースではない。

ハートーン男爵は、役職的には空職だ。強いて言えば、内域工廠の職人の、代表とでも言うべき存在。ゆえに、彼が宰相府へ直接通報するとすれば、それは――うむ――」

 

ハーリア公爵はチェックを終えて頷いた。

今度は口と目が別々に動いている。同時に別々の物事を考える、並列思考(マルチタスク)と呼ばれる技能が存在するのだが、どうやらそれを習得しているようだ。中世の、時間に大雑把な時代の人間が習得しているような技能ではないはずなのだが。

 

「彼のような、爵位を持った一介の職人が通報するとすれば、それは技術的に不可能と断じたからだろう」

「技術的に不可能?」

「武具大会のルールとして、30日以内に登録した人員のみで仕事を行うこと、というものがある。新人発掘の場に師匠が出てくれば、それは武術大会と何ら変わりがないことになってしまうからね」

 

言いながら、彼はもう1枚羊皮紙を用意し、羽ペンを走らせていく。

少女は、その光景について深く考えることを止めた。

 

「それで、登録されている人数以内で作られているかどうか。これは担当する役人によって監視される。当然、監視する役人は、材料の用意などの業務も行う。

ルール上、役人は1つの工房につき1人と規定されている。人数が多いからと複数人を付けると、それもまたハンデになってしまうからね」

「どう考えても、大きな工房の方が有利なように思うんだが……」

「そうとも言い切れない。人数が多いと、意見がぶつかった際に無難なものを選んでしまい、勝ちを逃す可能性もあるのだからね」

「無難と言うと、あの重装か」

「最近の武具大会がなぜああなのかについては、ハートーン卿か軍の方に聞いてみなければわからんよ。私では、畑が違う。推測できなくはないが……余人の推測を君が信じてしまってもいかん」

「……では今回の不正は、登録された人数以上で作業を行った痕跡があるということか?」

「概ね、その通りだ」

 

彼は頷く。

 

「これに関しては、あくまで大会のルールなのだからね。ペナルティも、武具大会にまつわるもののみとなる。精々、大会に失格となり、多少悪質でもランキングが下げられる程度だ。

――本来はそうなるはずなのだが……」

「今回は違うのか?」

 

思わせ振りなセリフを聞き、少女は思わず訊き返した。

この辺はさすが宰相と言うべきか。セリフの誘導が上手い。

 

「迫害に発展するケースがあるということだよ。特に、内域に通す人物のレベルを下げている現状ではね。

――うむ――」

 

2枚目をチェックし終えたハーリア公爵は、黒髪の少女にその2通の命令書を手渡す。

 

「1通は緘口令の追認書、もう1通は役所への調査命令書だ」

「緘口令の追認?さっきの伝令は、そんなことはひと言も言っていなかったが……」

「ハートーン卿ならば出しているはずさ。彼は30年前の、バラク氏がルクソリスを去った事件を知っている。

さ、続きは後だ。行きたまえ」

 

彼は命じた。

 

「そうそう、君も今回の不正調査に同行したまえ。これも勉強だよ、エヴェリア君」

「了解した」

 

エヴェリアと呼ばれた少女は応え、丸めた羊皮紙を小脇に抱えて部屋を出る。

 

「さて、イリキシアの留学生か……。『大帝』殿の推薦とはいえ、ああも真面目では、ハレリア流の英才教育についてこれるかどうか、不安はあるのだがね……」

 

金髪の中年貴族は、机の上で手を組んで、黒髪少女が出ていった扉を見つめていた。

 

「とりあえず――ベルブ語の敬語が話せんのは、何とかせねばならんな」

 

 




マグニスノアの言語:
4000年前~1000年前までの神族支配期は統一言語というのは存在しなかった。
知性種の移動や異種間交流が皆無に等しく、唯一交流のあった超越者同士では共通言語が不要だったため、他民族に合わせる必要がなく、言語が発達してこなかったという事情がある。

それに一石を投じたのが2000年前に誕生した『人類文化の始祖』とも言われる『大賢者ケルスス』がもたらした、ラテナ語だ。
様々な事象、他民族との対話に対応し、よく練られたラテナ語は、ケルススの教えと共に人々に広められ、最初は少数による超越者のサポート付きでの交流から、一気に世界中に広がっていった。

それでも最初は各部族集落の主立った者しか習得していなかったのが、1500年前のベルベーズ大帝国の興亡、1700年前のナグルハ革命という、超越者の王権譲渡実験から始まる大事件を経て、多くの平民達に広まることとなった。
そこからさらに言語として練られ変遷し、最初にあったラテナ語は古代ラテナ語として残り、それぞれ地域の特色を受けた方言としてそれぞれの地域の言語が誕生し、発展することになる。

ただ、現在も日本における標準語のような感覚で現代ラテナ語が使用されており、ベルベーズ大陸、ロマル大陸、他の地域においても、ラテナ語を知っていれば大体言葉が通じる。

ベルベーズ大陸では主に北部でイール語、中部でベルブ語、南部でセナム語が使用されている。



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不正調査

「では説明しよう」

 

白髪の混じった赤毛髪の、優しそうな口ヒゲの中年紳士アブラハム・ハートーン男爵が言った。

 

場所はルクソリス土内(つちうち)1区。内域工廠を統括する大きな役所。その応接室である。そこで、ハートーン男爵はエヴェリアに今回の事件のあらましを語った。

ここにはもう2人、赤毛悪人顔の少年と、白いローブの少女がいる。

 

「そう肩肘張らずとも構わんよ。不正調査と銘打ってはいるが、おそらく新技術を表に引っ張り出すための調査となるだろう」

 

3人の少年少女の緊張を解すために、中年紳士は朗らかな笑みを浮かべて言った。

 

「新技術ッスか?」

 

悪人顔の少年が首を傾げると、ハートーンは鷹揚に頷いた。

 

「その通りだ。おそらく彼は何かの工夫を行っているはずだ。それが武具大会のルールに引っ掛かるかどうかの、グレーゾーンを調査するのだよ。それが不正に傾くか、逆の新技術に傾くか。それはまだ分からない。

それだけに、白黒付けるまでは、外部に情報を漏らさないでいただきたい」

緘口令(かんこうれい)()くほどの事件なのか?」

 

エヴェリアは尋ねた。

まさか、本当に緘口令を布いていたとは思わなかったし、たかが職人1人にそこまでのことをする理由も思いつかない。これは、彼女がハレリアの外の、貴族主義的な思考に慣れてしまっているからだろうか。

 

「グレーゾーンが新技術に傾いた場合、間違いなく大きな利益を生み出します」

 

白いローブの少女が呟く。

 

「しかし、現段階ではどちらにも転がりえます。つまり、噂が独り歩きして、民衆がそれを信じてしまう危険があるのですよ」

「その通り」

 

ハートーン男爵は頷いた。

 

「容疑者の名前はジョン。歳は君らと同じくらいの少年ながら、内域で工房主となっている。個人用の小さな工房だが、これは大抜擢と言っても差支えないね」

「……」「……」

 

なぜか、悪人顔の少年と白いローブの少女が顔を逸らす。中年紳士は気付いていたが、それを見なかったことにした。

 

「非常に若いというのは、この場合マイナスに働く。つまり、出る杭は打たれるということだ。誰が擁護しようが、民衆は何かあると考えるだろう。グレーゾーンの天秤は、容易に黒に傾く」

「そんなもの、事実を突き付けてやれば収まるだろう?」

 

エヴェリアは思わず言った。

目の前のハートーン男爵は、貴族なのだ。彼が睨みを利かせれば、一介の職人程度が何を言っても黙殺されることになる。彼女は本気でそう考えていた。

 

「私が言った程度で矛を収める者は、最初から問題など起こさんよ」

「今、ルクソリスでは、他国のスパイによる産業基盤攻撃が散発しています」

 

口を挟んだのは、白いローブの少女。

 

「それに対応するため、宰相府はより積極的に有能な人材の囲い込みを行っているのですよ。より積極的というのは、本来ならば弾かれる、人格に問題のある人々までをも呼び込んでいるということなのです。

彼らの中には自己の欲望を満たすためならば、何でも行う人間がいるのです。容疑者を襲撃したり、工房を破壊し、道具や資材を持ち去ったりもします。

今回の容疑者は、内域に招待されてから2ヶ月も経っていない新人です。グレーゾーンとはいえ、彼らには格好の標的ですね」

「実際には不正をしていないかもしれないんだぞ?」

「そんな事実は、彼らには重要ではありません。日頃の鬱憤を晴らす機会が訪れたことが重要なのです」

「馬鹿な、それではまるで――」

「――そういう人材を選ばねばならないほど、今のハレリアは追い込まれているのですよ」

「残念ながら……」

 

ここで中年紳士は口を開いた。

 

「ここ10年ほどで、内域に入ってくる職人の質が落ちているのは事実だ」

「マジで?そういうの初耳なんだけど……」

「……ああ、なるほど……」

 

エヴェリアは悪人顔の少年を見て納得する。

この空気の読まなさは確かに、職人だけでなく役人の質も落ちているようだ。

 

「なんか、すっげえ失礼なこと考えてねえッスか?」

 

少年は憮然とした顔をした。

 

「そんなわけないだろう。考え過ぎだ」

 

視線を反らして適当に誤魔化し、エヴェリアは話題を切り換える。

 

「具体的に、どういう部分が不正として疑われるきっかけとなったんだ?」

「武具大会のルールとして、登録された以上の人数で作業を行ってはならないというものがあるのだがね。ジョン君が作ったものは、1人で作るには達人の域でも難しいと、私が判断したのさ」

「なるほど、あくまで大会のルール上の話か……」

「つってもなぁ……」

 

悪人顔の少年は赤毛の後頭部を乱暴に掻き乱して呟く。

 

「別の誰かと作業してた風でもなかったぜ?」

「……」「……」「……」

 

3人の視線が1人の少年に集中した。

 

 

 

数分後。

簀巻きにされて床に寝転がされる、赤毛の柄の悪そうな少年。

 

「あれ、なんで俺縛られてんの?」

「ノリです」

「ひでえ!」

「しかし、逃がさんようにという意味では正解だと思うぞ」

 

少し調べ物をしていたエヴェリアは、再び応接室に返ってきた。

 

「それに、少し痛い目に遭っているくらいの方が、後々を考えると君に有利に働くと思うよ?」

 

ハートーン卿が言う。

どうやら、白いローブの少女が術を使って少年を簀巻きにするのを傍で眺めていたのには、何か意図があるらしい。

 

「モーガン、15歳。役人でも下っ端で、主に伝令と雑用として下働きしていた。いわゆる丁稚(でっち)というやつだな。

出身はホワーレンのヴェーン。ログノート事件で両親を(うしな)い、神殿経由でソムロウの役人一家に引き取られ、役人修行のためにルクソリスへ上京、現在に至る」

「ログノート事件か……」

 

中年紳士は険しい顔で呟いた。

 

「知っているのか?」

 

エヴェリアは尋ねる。

 

「あまりいい話ではありませんね。

ログノート事件というのは、エルバリア軍によるホワーレン領内の略奪事件です。エルバリア軍と言いましても、あの国の貴族の私兵、山賊くずれの傭兵ですけれども。

最終的に包囲され、壊滅しましたが、相当数の村や町で被害を出しました。

その際に中継地として作られた拠点を、彼らは『ログノート』と呼んだのです」

 

国境が地続きである以上、巨大な壁を建設でもしなければ侵入を阻止することはできない。

だが、兵隊と呼ぶほどの数が入り込むには、食糧を得るための村や町などの中継地が必要となる。ハレリア軍はその中継地になりうる村や町に、兵士を配備してすべて抑えていた。

 

ところが。

なんと、山中に自分達で複数の中継地を作り、そこを拠点として略奪活動を行ったのである。白いローブの少女が言った通り、自作の拠点に気付き、位置を特定して包囲殲滅するまで、相当な被害を出した。

それがログノート事件の顛末だ。

 

街道などには基本的に見張りが立っているため、エルバリア傭兵は道のない山中を突っ切ってきたことになる。

街道を使わずにエルバリアからホワーレンに到達するには、橋も何もない崖や谷を越える必要があり、そんなことをするとは、ハレリア軍は考えていなかったのである。

事実、送り込まれてきた傭兵団は50人で、内半数が道中で脱落、命を落としたという。

 

「それは侵略と何が違うんだ?」

「少なくとも、エルバリア貴族は他国を見下している。ホワーレンなどは、ハレリアに帰順する前は属国という扱いで、相当に酷いことをされていた。エルバリア王国は未だに、ホワーレンの帰属が自分達の方にあると主張していてね。

それゆえに、こういう略奪事件は後を絶たないのさ」

「よく戦争に発展しないものだ……」

 

ハートーン卿の話に、エヴェリアは眉をひそめて呟いた。通常、貴族の私兵の無許可侵犯は即開戦でもおかしくない。

 

「エルバリアは『神石』の供給を盾にしますからね。そしてそういう子供じみた主張には、ハレリア王国と契約している神族をけしかけると脅すことで対応し、着地点を探す作業に入ります。

それがここ10年だけで7回ほど起きています」

「『神石』か……」

 

神石(かみいし)とは、星王器の必須素材である。

星王術を使用するのに必要になるのが星王器であり、魔法武具の必須素材でもあるため、重要は非常に高い。しかし、供給源も非常に偏っており、ベルベーズ大陸では、中央西部を南北に分断する巨大山脈、エルバース山脈でしか産出されていない。

エルバリア王国は、その南側の供給源を握る国なのだ。

 

北側の供給源を握るヒストン公国は国が小さく、軍事力に欠けるため、神石を安く提供することで安全を買っている部分があるため、そこまで問題視されていない。

だが、エルバリアは山岳国ながら十分な軍事力を持っており、おいそれと攻め滅ぼすことはできない。

だからこそ、中南部諸国は徐々に国力を削られると分かっていながらも、エルバリアの専横を許しているのが現状だった。

 

「まあそれはともかく、今は不正容疑の調査です」

「そうだね。エルバリアのことは、政府に任せておけばいいだろう」

 

白いローブの少女もハートーン卿も、今は話を打ち切る。後で色々と調べておこう、とエヴェリアは思った。エルバリアの話は、相当に根が深そうだ。

 

 

 

「……では、普通に役人としての監視では問題が見当たらなかったと?」

「だからそう言ってんじゃん」

 

簀巻きにされたままのモーガンは、ぶつくさと文句を垂れる。

 

「……まさかお前、私達が今何をやっているのか、気付いていないのか?」

 

その様子を見てエヴェリアは尋ねた。

 

「そういや、白い子がブツブツ言って術使ってるけど、何の術なんだ?」

「読心術に決まっているではありませんか。術士尋問ですよ。役人なら習ったでしょう?どうして知らないのですか?」

 

ブツブツ詠唱していた白いローブの少女が、詠唱を中断して呆れ気味に言う。

 

「ルクソリスへ来て2ヶ月の私でも知っていることを、なぜお前が知らないんだ……」

 

エヴェリアは頭を抱えた。

 

術士尋問とは。

基本的に術士と尋問者2人1組で行う、尋問である。

対象に読心術を使い、言っていることが嘘かどうかを見抜くと同時に、もう1人が心を読みやすいように対象の人物に質問を行うのだ。

分かりにくければ、本当に嘘を見抜ける嘘発見器による尋問と考えればいい。ハレリアに限らず、マグニスノアでは普通に行われている捜査手法である。

 

つまり、モーガンは本当にこの取り調べ手法について知らないか、覚えていおらず、心を読んでいたために白ローブの少女はそれが理解できてしまったのである。

ついでに、少女2人でエロい妄想をしていたことも。

 

「困ったな。私もついつい、君が術士尋問を知っているという前提で話を進めてしまった。本来は読心術の使用について、本人の許可を取ってから行わなければならんのだが……」

 

ハートーン卿も眉をひそめて唸る。ハレリアでは、読心術の使用には法的な制限があるのである。

 

「いいじゃん。どうせジョンに関してはやましいことは何もしてないし。あいつ扱き使ってくれたから、そんな暇もなかったし」

「ジョンに関しては……だと?」

「これは別件で聞くことがありそうですね……」

 

エヴェリアと白いローブの少女は、耳聡く反応した。

 

「え?」

 

少年は寝転がされたままで、自分がやらかした失言に気付き、顔を青褪めさせる。

 

「あ、ちょっと、何がまずったのかよくわかんねえけど、今のナシで。

………………ダメ?」

「ダメです」「ダメだね」「ダメだな」

 

似合ってないブリッ子顔をした悪人顔のモーガンに、3人が同時に返した。

 

結局、彼はジョンに支払われるはずだった報酬を幾らかちょろまかしていた事がバレて、罰を受けることになるのだった。

 

 




読心術のテクニック:

ミラーディアがモーガンに行った術士尋問の際、長々とブツブツ呟いていたが、もちろん読心術の詠唱である。
術士尋問では、連続で心を読む必要があり、詠唱を繰り返している。
実は詠唱以外の言葉も混ざっており、読心術発動のタイミングを相手に悟らせないためのテクニックが使用されていた。
ただし、術士尋問でこのようなことをするのは、諜報員としての側面を持つハーリア家の人間に限られる。

本当にやましいことのある人間に対しては、とてつもない圧力になることがあり、読心術の使用宣言をして意味の無い言葉をブツブツ呟くだけでも、怯えたり激昂したりするケースが多いため、状況と相手を選ぶ必要がある。

しかし、本当に怖いのは普通に会話している時に、その会話に詠唱を混ぜるというテクニック。
つまり、読心術の使用を宣言してブツブツ呟くのは、ハーリア家の人間にとってはパフォーマンスに過ぎない。
ハーリア家の人間は読心術の実用法や話術に長けているため、心を読まれたことに気付かないケースも多々ある。



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魔法の重鎮

ジョンの工房。

内域のしっかりした造りの個人用工房だ。

窓のスペースが壁片面に3つあり、光を取り入れると同時に室内の気温を調整できるようになっている。

とはいえ、薄暗く、焼けた鉄の臭いが漂っていることに違いはなく、そこがいわゆる鉄火場、鍛冶職人の仕事場であることを疑いようもない、決してきれいな場所ではないことを、見る者に印象付けていた。

 

「あら?」

 

そこへ踏み込んだ2人の少女達は、怪訝な表情を浮かべた。工房の主はどこかへ出かけているのか、姿が見えないのだ。

 

「せっかく、色々と秘密のお話も持ってきましたのに、空振りですか」

「まさか、私達の動きを察知して逃げたのか?」

「私達の動きを察知するくらいはできるかもしれませんけれども。今、彼が運河を越えようとすると、追手がかかるように命令が飛んでいます。彼自身もそのくらいのことは分かっているはずですけれど……」

 

白いローブの少女は考え込む。

 

「今、何か看過し難い情報が出てきた気がするが、とにかく仕事を優先しよう。

川を越えようとすると追手がかかるのなら、まずは神殿の方へ行くべきじゃないのか?」

「……」

「……どうした?」

 

てっきり、肯定にせよ否定にせよ返事があるものと思っていた彼女は、白いローブの少女が黙って考えに耽っているのに気付いて声をかける。

 

「……そうなると……まさか……」

 

口から独り言が漏れてくる。

その視線の先には、奇妙なものがあった。

 

黒鉄色に赤く錆びの浮いた金属製の鋳造型が2枚、背面側を合わせられており、ボロボロの剣が針金が巻き付いた状態で放置されていたのである。

まるで、2枚の鋳造型が動かないように、4本もの剣と針金で固定しているかのようだった。

さらに奇妙なのは、やけに切断され、しかもねじくれた針金が多いことだ。

 

「……」

 

白いローブの少女が気にしていなければ、この薄暗い工房の中、エヴェリアは気付かなかっただろう。

しかし一度気付くと、その奇妙さが浮き彫りとなる。この工房の主は、一体何がしたかったのだろうか。

いや、それよりも……。

 

「……厄介な人の影が見えてきましたね」

 

白いローブの少女が呟いたおかげで、エヴェリアは我に返った。

 

「何か分かったのか?」

「推測に推測を重ねたお話ですが」

 

と、彼女は断ってから話す。

 

「この奇妙なものは、何かの発明品なのだと思います。内容は分かりませんけれど、仮にそうだとして考えを進めますと、彼には逃げる理由がありません。

貴族に呼びつけられたか、何者かに拉致されたかのいずれかです」

「拉致だと?」

 

不穏な言葉に反応する。

 

「ええ、まあ。貴族に呼びつけられた場合は役所に記録が残りますから、拉致と考えるのが正解でしょうね」

「大変じゃないか!こうしている間にも、嫉妬のせいで殺されかけているかもしれないんだぞ!」

「それはありません。無理矢理拉致されたにしては、あまりにも現場が綺麗過ぎます。

騎士や術士でも、人を殺さず拉致するのに、何らかの痕跡を残すはずです」

「……前提が崩れたぞ?」

 

エヴェリアは怪訝な顔をした。

 

「ですが、お1人だけそれが可能な方がいらっしゃるのです」

「それは一体……?」

「シュレディンガー伯爵ですよ。彼女は『神族(かみぞく)』ですから」

神族(かみぞく)だと?なぜ神族(かみぞく)が彼に興味を示すというんだ?」

「私が紹介しましたからね――『異世界転生者』だと」

 

少女は苦々しく言った。

 

 

 

「拉致監禁なう」

 

簀巻きにされたジョンは呟いた。

応接室らしき場所のソファに転がされているため、それほど不快でもない。

 

応接室らしき、というのも、絨毯や調度品が明らかに粗悪品だからだ。ほぼ青赤黄の原色で彩られた、目がチカチカするような壷や花瓶、それに緑一色に塗られた絵が額縁に入れて飾られている。壷も、成形に失敗したまま無理矢理焼いた感が溢れ、作り手のものであろう手の跡がくっきりと残っていた。

 

「由緒のあるものではあるのだけれどね。今をときめく売れっ子芸術家達が、修業時代に遊びで作ったものよ。いわゆる、黒歴史というやつね」

「絨毯は1人じゃ作れねえんじゃねえのか?」

 

ジョンは、子供が描いたような絵で織り上げられた絨毯に視線を向ける。

 

「これはガランドー王国6代国王が幼い息子の絵を元に作らせたものよ」

 

そう話すのは、灰色髪の若い美女。

同じ青赤黄の三原色にそれぞれ染められた皮を縫い合わせてできた、モザイク模様のドレスを着ている。それも、四角の頂点同士を繋いでいるだけでの、スケスケ仕様だ。下には何も着けていないらしく、四角い隙間から遠慮なく肌が露出している。もうなんというか、下手な露出ファッションよりもエロエロしい格好だった。

 

「あんまり性的な目で見てると、食べちゃうわよ?」

「自覚あるんならその恰好止めればいいんじゃね?」

「嫌よ。若い子を引っ掛けるのなら、この方がいいもの」

「マジでそっち系の人でしたか!」

「むしろガチでそっち系よ。今貴方を食べちゃうと大事な話ができなくなっちゃうから、遠ざけてるのよ」

「うわーい、それって話が終わったらおいしく戴かれるってことじゃね?」

 

ジョンはガタガタと震え上がった。その様子を見たエロドレスの女性が眉をひそめる。

 

「――今、どうして頭からバリボリやられる方を想像したの?」

「いや、なんかその落ち着き方が魔女っぽいし。本当は怖いグリム童話みたいに、黒魔術の『素材』にされねえかとドキドキしてます。ハイ」

「さすがに重罪人でもない子を潰したりはしないわよ」

「ってことは、重罪人ならありうるってことでファイナルアンサー?」

「あるわ。抵抗できないように愉快なオブジェにしてから、死なない程度に色んなものを絞り取ったり」

 

灰色髪の若い女性は、愉快そうにクスクスと笑った。

要するに、魔法に必要な物を生み出し続けるだけの装置に変えてしまうという話だ。おそらく寿命が尽きるまで、解放されることも死ぬこともできなくなるのだろう。

それはとても恐ろしいことだが。どうしてか、ジョンには彼女が今それをするつもりには思えなかった。

それでも、何か機嫌を損ねればそうなる可能性もあるということなのだが。

 

「でも、どうしてそう心にもない怯え方ができるの?演劇みたいで見ていて面白いけれど」

「少なくとも俺がこれっぽっちも抵抗できない状況なのは、ご理解いただけますでしょうか?」

「簀巻き以前の話だから気にもしていなかったわ」

「主に魔法的な実力差で?」

「そうよ」

「返す言葉もありませんな。それはさておき――。とりあえず、命を握られた相手の機嫌を損ねないためには、演技でも怯えて見せた方がいいかと思いまして。

素人考えですが」

「素人考えね」

orz(オウフ)

 

ジョンは正面から断言されて凹んだ。

 

「そもそも私くらいになると、ほぼ意識せずに相手の心が読めるのだもの。そういう相手に表面を取り繕うのは逆効果よ」

「ぎゃー食われるー」

「……」

「……ゴメンナサイ、自分でもどうかと思うほど棒読みでした」

「ふふふ」

 

灰色髪の露出美女は口元を手で隠し、可笑しそうに笑う。

 

「人は誤る生き物だけれど、貴方の失敗は見ていて面白いわね」

「コミュニケーション能力は人並みですが、どうもデフォで一発かますのが癖になっているらしく」

「それは前世から?」

「なんですと?」

 

ジョンは目をしばたたかせ思わず聞き返した。

 

「私は、貴方が異世界転生者だと確信していたからこそ、拉致してきたのよ」

「なんと」

「あまり驚かないのね」

「あの白いローブの女の子なら、何やっててもおかしくなさそうなんで」

「あら、案外信用していたのね。名乗っていない、顔も見せていない人物を、手放しで信用するのはどうかと思うわよ?」

「声とか反応で分かりやすいし、他に頼れる人もいねえんです」

 

ジョンはルクソリスで色々と事件に巻き込まれ、外域では住み難くなってしまっているのだ。あの白いローブの少女を除いて、見知った後ろ盾などは当然いない。

 

「それで割り切れる人はまずいないものよ?」

「変わり者だって自覚はありますよ。どうせ、人生なんてなるようにしかならねえんで。俺は俺の仕事をするだけです」

「貴方はそれでいいの?」

「前世で50まで生きれば、十分こういうジジ臭い考えにもなりますよ」

「ああ、そういうこと。外見(そとみ)は子供だから、人生をやり直したいと考えるのかと思っていたわ」

「悟ってるってほど大層なもんじゃねえですがね。女にモテたいって願望はまだあるわけだし」

 

言うなれば、『体は子供、心は大人』といった感じだ。

 

「とりあえず、本題に入りましょうか。

私はマキナ・アルト・シュレディンガー、伯爵よ。役職は宮廷錬金術導師。錬金術師の教師ね」

 

灰色髪の女性は名乗る。

 

錬金術師は、はぐれ錬金術師(ハッグ)のような存在でもない限り、国家が囲っている。

星王器を生産する技能を有する錬金術師は、それだけ重要な存在なのだ。だから国が保護するのである。

その教師ともなると、常人には及びもつかないレベルの知識と経験が必要となる。それだけで、どれほどの重要人物か知れようというものだ。

 

「ジョン君が予想以上に面白そうだから、少し手を貸そうと思っているの」

「面白そうだからっすか」

「長いこと生きてるとね、多少のハプニングでもないと、つまらなくてやってられないのよ」

「長いことってどれくらいで?」

「ヒミツ」

 

マキナは小指を唇に当てて言った。長生きしているだけあって、その仕草も妙に様になっている。

 

「とりあえず、後の世に『淫魔』とかって呼ばれる人なのは理解できました」

「後の世も何も、多分私はそれまで生きてるわ」

「耳長族には見えませんぜ?」

「エルフの寿命なんて150年程度のものよ。あまり老けないし、他より多少長いから、不老長寿だなんて呼ばれてるだけね」

「なんと」

 

そもそも返事を期待していなかったジョンとしては、予想外の返答だった。

地球では、不老長命の種族として、エルフは有名な存在だ。正確なところは分からないが、元々エルフとは妖精の総称であり、ピクシーのような、(はね)の生えた小さな姿をしていた。それがトールキンの『指輪物語』などの影響から、人間の上位種的な種族として世間一般に認識されるようになったのである。マグニスノアの種族と根本的に違っても、なんらおかしくはない。

 

「エルフや他の亜人種も、結局は人間の派生種なのよ。少なくとも、マグニスノアではね。派生したのが6000年前とか言われているから、寿命もそこまで差がないらしいわ」

「もしかして、進化論とか地動説とかありますか?」

 

少年は疑問を口にする。

話していることが、あまりにもファンタジーからかけ離れてしまっている。どちらかといえば、科学の領域だ。

 

「4000年前に異世界の存在が持ち込んだ概念よ。両方とも」

「マジスカ。俺の他にも転生者いたんだ……。ていうか、4000年前って、よくそんな記録残ってたな」

「うふふ、そうねえ、記録(・・)が残っていたのよ」

 

何故か悪戯っぽい笑み。何か隠しているような。

 

「ヒミツ」

 

彼女はジョンの心を読み、質問に先んじて、再び唇に小指を当てて言った。

もしかしてこれは、地球では人差し指を唇に当てる仕草に相当するものなのだろうか。確かに世界や地域が違えば、そういった仕草の違いも当然のようにあるのかもしれないが。少なくとも彼は見たことがない。

 

「さて、そろそろあの子達が来るわね。ここから先は彼女らを交えてのお話になるわ」

「彼女()?」

 

ジョンが首を傾げたその時、タイミングよく応接室の扉がノックされた。

 

「入れなさい」

「は」

 

召使いが来客を告げるよりも先に、マキナは入室の許可を出す。

 

「やはりここでしたか……」

 

促されて入ってきたのは、白いローブの少女。

それに、長い黒髪と紺色の服装をした、小柄な役人の少女。アリシエルも小柄だったが、彼女はそれよりもさらにひと回り小さい。

当然、ジョンはその黒髪の少女のことを知らない。

 

「本当にもう、手続きのために宰相府まで行って来たのですよ?」

「それにしては早かったわね」

「馬を借りれましたから」

「権限のゴリ押しは感心しないわよ?」

「マキナ様には、マキナ様にだけは言われたくありません!」

 

非常に珍しいことに、白いローブの少女は怒り心頭といった様子である。

 

「それで、そっちの子が緊張で倒れそうなんですが、さっさと本題に入りませんかね?」

 

赤毛少年は黒髪少女が固まっているのを見て、口を挟む。

 

「緊張しているのではないわ。簀巻き2号を見つけて噴きそうになっているのよ」

「い、いえ、決してそのようなことは――」

 

マキナが指摘すると、面白いように動揺する。

 

「えい」

「ひゃやぁっ!?」

 

白いローブの少女が黒髪の少女の脇腹を触り、見た目通りの年頃の、可愛らしい悲鳴が上がった。

 

「ななな、なにをひゅるか!?」

「ああいけませんね、こうも可愛いと、ついつい苛めたくなってしまいます」

「ひゃぁっ、やめてぇっ!」

「いいではないですか、いいではないですか、減るものでもないですし」

「減る!減るから!色々と減るから!」

 

白いローブの少女は両手をワキワキさせながら、自分の肩を抱いて逃げる黒髪ロリに迫っていく。その様子はとても楽しそうだ。

少年はその様子を眺めて身じろぎした。

 

「ぬぅ、猫耳はあるのに体が動かん。なんという生殺し――!」

「ここにもあるわよ、猫耳」

 

と、マキナはなぜか簀巻きにされたジョンの頭にそれを装着する。なぜ持っていたのだろうかとか、色々とツッコミどころもあるのだが、装着された側にそんな余裕はなかった。

 

「ふむ……悪くないわね……じゅるり……」

「ギャース!食われるーっ!?」

 

結局、割と本気で怯える少年の悲鳴のおかげで、黒髪ロリは難を逃れたとかなんとか。

 

 



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白状

「……それで、なぜ彼は簀巻きのままなんだ?」

 

エヴェリアが誰とはなしに尋ねる。

 

「野放しにしておくと、色々とやらかしてくれますから。スムーズに話を進めるのに必要な措置なのです」

 

白いローブの少女はさも当然のように答えた。ジョンとしては何一つ言い訳のできない話だが。

 

「本題の前に、片付けておく話があるのね」

 

マキナのそのセリフは、質問ではなく確認だった。意識せずとも心が読めるというのは、嘘ではないらしい。

白いローブの少女は頷く。心を読まれるのも織り込み済みというわけだ。

 

「はい。ジョン君が早速やらかしてくれたようですので」

「ここへ来るまでに、一通り話は聞いてきた」

 

と、エヴェリアが調査について説明を始めた。

 

「今、彼には不正疑惑がかかっている。武具大会のルールでの話だから、そこまで重いものではないがな」

 

要約すると、ジョンが作った武具が、1人で作ったにしては異常な成績を叩き出したのである。

 

鍛鉄(たんてつ)――折り返し鍛練法によって精錬された鋼鉄――は、何度も折り返すことで結晶構造が引き伸ばされ、層構造を形成する。その層構造が、粘り強さと柔軟性に富んだ、強靭な刃金(はがね)の秘訣だ。だがその分、非常に時間と手間がかかるという欠点もあった。

 

まずは、温度が一定以上に上がってしまうと、鉄が融けてしまい、結晶構造がリセットされ、せっかくの層構造が台無しになってしまうということ。

鉄に限らず金属というのは、温度が上昇すると軟らかくなるという性質がある。常温ではビクともしない鋼も、1千℃程度に熱してやると、ハンマーでもそれなりに変形するようになるのだ。鍛冶というのは、この性質を利用した技である。

 

一定以上温度が上がると層構造が台無しに、そして一定以下の温度ではハンマーで叩いてもビクともしない。この辺の温度管理が要求されるのが、鍛鉄の難しさというわけだ。一人前の鍛冶職人と認められるようになるには、この温度管理技能は必須である。

 

この鍛鉄(たんてつ)による武具の生産には、技術の他に時間がかかる。ほんの少しでも、温度管理を誤ってはならないのだ。そのため、鍛鉄(たんてつ)製の武具は、熟練工が数人がかりで数ヶ月かけるのが通例である。

たった独りでとなると、今回のような軽装でも30日以内に収めることは、常識的に考えて不可能。

それゆえに、誰か別の者が手伝った可能性があると、ハートーン卿は判断した。

 

――というのが、不正疑惑の内容だ。

 

まだ容疑はどちらにも固まっていないが、ジョンが15歳で工房主として認められており、周囲から羨望の目で見られることも嫉妬の眼で見られることもある。だから一刻も早く疑惑を晴らし、不正容疑として噂になる前に解決したいというのが、ハートーン卿及び宰相府の意向なのだ。

 

「このままではジョン君は、嫉妬に狂った職人達から袋叩きにされてしまいます」

「そんな大袈裟な――」

「――宰相府直属の工廠に入る条件が緩い、とは思いませんでしたか?」

「――」

 

問われて、少年は黙る。

素性と野心の有無、それに一定以上の才能。同じ、白いローブの少女が語った、宰相府直轄の工廠である内域に招かれるための条件だ。

 

あの時、彼女は野心の有無について、魔法などで調べたわけではなかった。

口頭で尋ねただけだ。つまり、その部分だけはいくらでも誤魔化せてしまうのである。それを考えれば、『緩い』と言われればそうかもしれない。

いや。

あの時はスパイ事件の直後だ。ルクソリス内にスパイがいる可能性は十分にあった。

ジョンが潜在的に洗脳を受けている可能性も考慮せずに、ハレリア王国の産業の心臓部とも言える内域工廠へ入れてよかったのか。

疑問を持つべきだったかもしれない。

 

「外域でも説明しましたが、現在のハレリアは諸国からの産業基盤攻撃を受けています。優秀な職人の確保について、なりふり構っていられない状況なのです。人格的に問題のあるような方々も、今は内域に入れています」

「暴走する危険が、普通より高いってことか……」

 

白ローブの少女は頷いた。

 

「既に派閥化が始まっており、ハートーン卿を中心とした古参が抑えていますが、有能な新参職人が嫌がらせを受ける事件が数件発生しています。派閥の解体を行いたいのは山々なのですが、他の都市のスパイ対策にも人手を取られていまして、正直なところ人が足りません。現在は苦肉の策として、古参と新参、野心の有無を区域で分けている状況です」

「思ったよりのっぴきならない状況なんだな……」

「まあ、そういうわけだから、私達としてはこの調査を内々に片付けてしまいたいわけだ」

 

エヴェリアはそう言って、少年に詰め寄る。

 

「というわけで、さっさと吐け」

 

彼女は少年をソファに座らせた。

ずっと身動きが取れないまま寝かされていたため、鬱血(うっけつ)が気になりだしていたところだから、彼としては正直助かった。黒髪の少女が同じソファに座ったところを見ると、どうやら自分が座りたかっただけのようだが。

 

一方、ランクに響くとはいえ、少し本気でやり過ぎたかと彼は後悔していた。多少常識を突破した程度のことが、ここまで深刻な事態を生み出すとは考えていなかったのである。

 

「えーと……」

 

言いかけて、はたと気付く。

説明するのはいいのだが、これから説明する技術は中世には存在しない、近代頃の地球のものだ。それを応用しただけの話だが、まかり間違ってジョンが異世界転生者であることに辿り着くかもしれない。

そう彼に思わせる程度には、エヴェリアは知的で真面目に見えた。

 

「大丈夫ですよ、ジョン君が転生者であることは、彼女には話してあります」

 

白いローブの少女が助け船を出した。

 

「そうか、じゃあ遠慮なく説明しちまっていいんだな?」

「ええ、構いません。エヴェリアさんには、一枚噛んでいただく予定ですし」

「初耳だぞ?それに留学生に異世界の技術を渡してもいいのか?」

「理解できるのでしたらどうぞ」

「む……」

 

エヴェリアはジョンの工房で見た、意味不明な装置を思い出して言葉に詰まる。

例えば、魔法のある世界から現代地球に持ち込まれた新技術を、少し聞いた程度でどれくらいの人間が再現できるだろうか、ということだ。しかも今回、エヴェリアはジョンの前世の世界の法則が、マグニスノアと同じものかという前提知識すら持っていないのである。

 

「今回に関しちゃ、そこまで難しくねえぞ?」

「口頭説明で再現できる程度でしたら、渡ったとしても問題ありません。イリキシアには、国力を増強していただきたいですしね」

「うーん……それならまあ、いいか」

 

赤毛ショタは少し唸ってから、それならと説明を始める。

 

「結局、準備期間前の10日でデッチ上げたもんだから、そこまで大層なもんじゃねえんだが……」

 

そう断ってから言った。もちろん、簀巻きにされた状態で。

 

「要は、熱した鉄をハンマーで叩く代わりに、プレスしたんだよ。ある程度平板にできりゃあ、後は叩いて延ばして曲げりゃいいからな。それに、鉄が冷めるまで他の仕事もできる」

 

当然、鉄を潰して加工するには相当な重量が必要となる。人間が乗ったり鉄鉱石などを載せた程度では不可能だ。

だから、頑丈な鋳造用(・・・)の金型(・・・)を、外側に4本の剣(・・・・)を配して針金で固定、間の針金を別の棒で巻き取り、この時代では考えられない圧力で圧延したのである。

 

ちなみに切断されていた針金は、巻きつけた回数が少なすぎて切れてしまったものであり、失敗の痕跡だった。

 

「それでも、結局色々と間に合わなくってな。実質、まともに鎧として機能するのは、胸甲(チェスト)鉄片付き外套(コートオブプレート)だけさ。

後は全部、鋳造で薄くした鉄板で作った、ハッタリだ」

「そんなもので、下手すれば優勝できると豪語したのですか?」

 

白いローブの少女が驚きの声を上げる。

 

「槍だけはマジで作ったからな。槍の攻撃が当たれば勝てる。術の詠唱が終わるまでに攻撃を届かせれば、十分勝ち目があった」

単唱器(たんしょうき)は一人前になるための試験だから、武具大会には出て来ないものね。

確かに使い手が突進攻撃(チャージング)に慣れていれば、(ツー)単語(ワード)以上なら、十分届くわ」

 

マキナが補足で説明した。

 

単唱器(たんしょうき)とは、単語だけの詠唱で術を発動させるための、廉価版星王器である。

戦場では長々とした詠唱を唱えている暇はないため、詠唱の方を短く区切るのだ。これによって、武具大会の試合のような接近戦でもある程度対応できるようになる。ただ、詠唱が短い代わりに、威力が低い上に1つの設定された術しか行使できないという欠点があった。

 

これはジョンがモーガンから教わったことでもある。もっとも、見習い錬金術師が1単語の星王器=単唱器を作ることができないということまでは、モーガンも知らなかったようだが。

 

「詠唱にそんなランクみたいなのがあんのか。エルウッドは、本気で突進すれば詠唱前に届くって言ってたんだが」

「彼でしたらそうかもしれませんね」

「知っているのか?」

「彼の父親は『風神』ロバート・ウェスター卿です。足の速さと槍の腕で右に並ぶ者はいないとまで言われた、槍の名手ですよ。

彼の槍は、闘技場の距離では単唱器の詠唱すら間に合わないと言われています」

 

エヴェリアの問いに、白いローブの少女は答えた。

 

「……そっか、『疾風衣(ボレアス)』の真似がどうたらって、そういうことだったのか……」

「あの白いコートは意図したわけではなかったのですか?」

「うふふ、この子を驚かせるなんて、大したものね」

 

マキナは関係ないことでクスクスと笑う。

 

「茶化さないでください」

 

白ローブの少女は抗議の声を上げた。

 

「あのコート、色はなんでもいいって注文してたんだよ。一発限りの弾除けだったし、元々染める理由もなかった」

「一発だけ?」

 

苦笑するジョンにエヴェリアが尋ねる。

 

「術対策をするのなら、それこそ重装にした方がいいのでは?」

「それやっちまうと、エルウッド自慢のスピードが活かせなくなるだろ?

だから、苦肉の策さ。一発だけなら、運悪く当たっても仕切り直し出来るようにっていうだけの、お守りだ。その方が、最初の突進も遠慮なく行ける」

 

ジョンは説明する。

要するに、水上スキーをするのに、ライフジャケットを着込んでおくようなものだ。一定以上の安心感があれば、人は遠慮なく力を発揮できる。

ただし。

 

「本当に苦肉の策ね。それが良い方へ作用するかどうか、賭けでしかないわ」

 

マキナは問題点を指摘した。

安全が確保されていることで安心して無茶ができると考える一方、逆に危険を求める性質がある者に対しては逆効果なのだ。安心感は、気の緩みに繋がることもある。

 

「本当は、石綿を使うつもりだったんだが、間に合わなくってな」

「石綿?」

「燃えない布だ。鉱山で採れるって話なんだが……」

「おそらく『火鼠の毛皮』ですね」

「『火鼠の毛皮』だと?」

 

中世地球の特徴だが、割と理解できないことは架空の生物の仕業にしていた部分がある。例えばコバルトは、『コボルト』という妖精が銀を腐食させたものだと信じられていたようだ。

それと同様の流れで、石綿という燃えない布のことも、『火鼠』という架空の生物のものだと、ベルベーズ大陸では信じられていた。

つまり、『火鼠』なる生物はマグニスノアにも存在しないということである。

 

石綿とは、現代地球では公害の原因である、アスベストのことである。種類によっては容易に粉末状となるため、呼吸と共に肺に入り込み、金属障害を起こすものとして、取扱いには注意が必要だ。

現在も防火材、耐熱材、そして保温剤として、工場などで利用されており、公害病の原因とされてからは飛散しないように対策されるようになっている。

 

その歴史は意外と古く、古代ローマ時代には、ランプの芯として使用されていたという。それが量産されていたのかどうかは判然としないが、燃えない布のようなものに需要があったことは容易に想像できる。

 

ちなみに、ハワイ島のキラウェア火山から噴き出して固まった溶岩には、空中で冷え固まり、綿のようになって風に吹かれ転げ回るものが存在する。

それを調べると過去にどのような噴火が発生したのかが分かるため、貴重な資料になるという。

 

「まあ要するに、燃えないって保証付きの布が欲しかったってわけだ。

術を防ぐのに、鎧だけじゃどうしても熱が通っちまうからな。水を含ませた布で、熱を止めたかったんだ」

「水を含ませた布で、術を止めるだと?」

「実戦でも、低級単唱器で使った術では、一撃で相手を即死させることはできません。火達磨にしたり、爆発で行動力を奪うのが精々です。

そう考えますと、わりかし実戦でも有効な手かもしれませんね」

「いや、服が水を含ませ過ぎると動きが鈍くなる。それに、乾かねえようにずっと水を浴びせ続けるってのも、手間過ぎる。騎兵とかなら、ある程度はどうにかなるかもしれねえがな。所詮は武具大会専用のアイデアだ」

 

ジョン自身が白いローブの少女の考えを否定した。

未だに簀巻きになっているので、色々としまらないのだが。

 

「聞いていると、驚くアイデアはあるが、そこまで異世界らしくないというか……」

 

エヴェリアは失望した表情で呟く。

 

「さすがにこんな大会で俺が知ってるヤバイのをお披露目するわけにもいかねえっての」

 

赤毛ショタジジイはそんなことをのたまった。

同じソファに座っているエヴェリアは、簀巻きにされた少年に顔を近づけていた。

小柄とはいえ艶やかな黒髪からは、ここまで走ってきたであろう彼女の汗の匂いが香っており、それは肉体的に年頃の少年であるジョンのスケベ心をくすぐっている。

ここまで来ると、器量の良し悪しはあまり関係がなかった。

 

「……ヤバイのとは?」

「はいストップです!」

 

肌が触れそうな距離でエヴェリアが問い詰めるのを、さすがに白ローブの少女が止めに入る。

 

「何を色目で落とそうとしているのですか。人前で堂々と」

「チッ」

「まあ、酷い目に遭いたいのでしたら止めませんけれどね。エヴェリアさんには、イリキシアを発展させるという大事なお仕事があるのですよ?」

「なぜ彼のことが欠片も心配されていないんだ?」

「大衆の面前で白昼堂々と閨事(ねやごと)について熱く語る彼に、ついていく自信がおありですか?」

「なっ――!?」

 

黒髪少女はギョッとした顔になって少年から体を離す。ありていに言えば、ドン引きである。

 

「いやまあ、確かにやったけどさ。超下らんことを説法したって自覚はあるんだぜ?ちなみにきっかけは、その子が産業基盤攻撃対策について話したから、その対策に新産業をと思ってだな……」

「要するに、どんなことでも己の欲望に繋げてしまうということか?」

「ひでえ、あれでも俺、結構真面目に考えてたのに……うおっとばほぁ!」

 

動けないながらに蓑虫のように身悶えしていると、簀巻きにされている上体のバランスが崩れ、エヴェリアの方に倒れかけるが、それに気付いた彼女に殴られ、反対側に倒れてソファから落ちた。

 

「本当に油断も隙もない」

「いや、今の無理だから!俺簀巻き状態だから!バランス崩れたら倒れるしかねえから!だからヤメテッ!そんな汚物を見るような目で見ないでっ!」

 

当然、そんな主張は黙殺される。

 

 




国家ミステリー:ホワーレン王国編

ホワーレン人は手先が器用である。
だが、職人の数はそこまで多くない。
これはどこかに秘密の工廠があり、他国の脅威から優れた職人達を匿っているからだとされている。
隣国のエルバリア人がたびたび調査しているが、秘密の工廠は400年かけて探しても、見つからなかった。
ホワーレンを事実上の属国としているハレリア政府は一度も探していない。
理由は、秘密の工廠を丸ごと譲り受けたからであるとされる。
真実は誰も知らない。

ちなみに、ホワーレン人で大陸随一の鍛冶師バラクは、今もナンデヤナの街角で小さな工房を構えている。
(優れた職人を保護するための秘密の工廠に、最も優れた鍛冶職人がいないことになる)
これは大いなる矛盾だ。



解説:
実はこれは、ホワーレン人の中で職人と呼ばれる者が少ないだけである。
皆の手先が器用であるため、多少のことは自身で解決できてしまう。
その分、専門技術を持った職人に頼ることがむしろ少ないのだ。

現代地球で例えるにも、日本人には実感し辛いかもしれない。
というのも、日本製品というのは基本的に故障し辛いからである。
故障しないものを直す技術が一般に普及するわけもなく、故障するとメーカーに送って修理してもらい、費用を支払うことに疑問を抱かないことが多い。
しかし、海外では故障頻度が高く、そのたびにお金を払っていられないため、自力で修理しようと努力する一般人が多い。
そのため、特に自動車の修理技術に関して、海外人の方が普及率が高いと言われていた。

ホワーレン人の場合は、自動車ほど自力修理が難しいものが周囲にないため、多少の故障なら自力で直してしまう割合が他人種より高いのである。
そのため、相対的に職人が少ないのだ。
とはいえ、ホワーレン国内の職人数と、技術育成に力を入れるハレリア国内の職人数、合計を比べると、大した違いはない。

理由は、修理の方向ではなく生産の方向での職人が、ホワーレンの場合は多いからである。
包丁や鉄鍋、農具など、鉄製品の生産数はホワーレンが大陸随一なのだ。



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情勢予測

「では、本題と行きましょう」

 

白いローブの少女は言った。

 

「さっきも言っていたが……本題?」

 

小柄な黒髪少女エヴェリアは首を傾げる。

 

「ええ、元々、エヴェリアさんとジョン君のお2人に、伝えておくことがありました。今回の不正調査は、それに利用させていただいたのです。

マキナ様が介入してくるとは、思いもしませんでしたけれど」

 

白いローブの少女は苦笑しながら言って、ジョンが転げ落ちた後の場所に座った。彼自身は簀巻きで床に転がされたままである。助ける気はないらしい。

 

「それで、伝えておくことって?」

「これから起こること、周辺国からもたらされた情報をまとめた結果、判明した情勢の流れです」

「それはイリキシアも関係があるのか?」

 

エヴェリアは腕を組んで尋ねる。やはり祖国のことは気になるようだ。

 

「今は世界に大きな変革が起こりつつあります。まあ、要するにハレリアを中心とした、大規模な戦争の気配があるわけですね」

「戦争?」

「まずはブロンバルド王国です。

イリキシアを始めとする極北2国に、無条件降伏を迫っている国ですね。その成否にかかわらず、来年には大規模な侵攻を仕掛けてくると予想されています。

対象はハレリアしかありません。他の国は、手間の割に旨味がありませんから」

「大変じゃねえか!ブロンバルドって相当デカい上に、絶対王制の軍事国家だぞ?『洗脳軍団』相手に、どうやってやり合うってんだ?」

 

床に転がされたまま、赤毛ショタは声を上げた。

彼が数年前に住んでいたエムートは、ブロンバルドへ通じる山道の中継地点でもあったのだ。そのため、ブロンバルドがどういった国なのかは、ある程度知っている。

ジョンは絶対王制の軍事国家などという表現をしたが、もっと分かりやすく言えば軍が支配する独裁政権と考えればいい。ブロンバルドは国民に対して大規模に洗脳術を行使し、国民同士に不信感を持たせることで団結を防ぎ、支配を容易にしている部分があった。

 

そのせいで、ブロンバルド王国からの亡命者は酷い人間不信であることが多い。これは、ブロンバルド王国が国民に大々的に洗脳を施していることを隠しているためである。彼らにすれば隣人や家族が理由も前兆もなく突然裏切るため、誰を信用していいのかわからなくなるのだ。

これをマグニスノアでは『洗脳術統制』と呼ぶ。

 

大抵は一部の最下級民に対して行われるため表面化しにくいが、ブロンバルドはこれを自国内で大規模に行うことで、反乱を抑止していた。

そして彼らの心を救うのに、宗教の力を使うのだ。北方最大の宗教フェジョ新教の教えを説く聖職者は、洗脳術統制の対象外であるため、ほぼ無条件で信用されるのである。

 

こうして人々は、何の疑問も持たずに与えられた仕事をこなしていくようになる。宗教によって洗脳された彼らは、兵士としても死を恐れずに向かっていくため、他国からは『洗脳軍団』と呼ばれ非常に恐れられていた。

 

地球の歴史上、死を恐れない軍の恐ろしさを示すケースは幾つか存在する。

その代表例が第二次世界大戦の旧日本軍だ。もっと詳しく言えば、特攻兵器である。爆撃機に爆弾を積んで、片道だけの燃料で敵艦にパイロットごと突っ込むのだ。

 

実際はそこまでの戦果を上げなかったそうだが、一度だけ軽空母を1隻撃沈したという話がある。

当時、相手側からすればそれは常軌を逸した戦術だった。それが連日連夜繰り返されるものだから、連合側の兵士にはノイローゼになる者が出ていたという。

また陸上戦闘でも、死を恐れずに攻撃してくる旧日本兵に、連合側は震撼した。連合側の司令官が戦死したというのだから、その攻撃の苛烈さが伝わろうというものである。

 

ブロンバルドはそれを洗脳術という魔法で、意図的に行うことができるのだ。しかも、国土や人口はブロンバルドの方が上である。普通に考えれば、どう足掻いても絶望しか見えない。

 

「私はその辺は門外漢なのですが、ファラデー公爵もマディカン公爵も、一致して問題無いとおっしゃられていますから、大丈夫でしょう」

「そうねえ」

 

そこで、しばらく黙っていたマキナが口を挟む。

 

「まあ、いざとなれば『悪魔からの手紙』という方法もあるわけだし、問題無いのでしょうね」

「――」

 

エロエロしいドレスの美女が白ローブの少女に視線を向けると、少女の肩がピクリと動いた。

 

「だから、この話はマキナ様の前ではやりたくなかったのですよ……」

 

少女は苦々しく呟く。エヴェリアもジョンも、何の話かはさっぱりわからないのだが。

 

「次はエルバリア王国です。

ジョン君はご存知かもしれませんね。エルバリア貴族は、5年か10年に一度くらいの割合で、ホワーレンで略奪を行っていますから」

「ログノートの話くらいしか知らねえよ。なんせ田舎モンだからな」

 

ジョンはそう言ってふてくされた。

 

「あら、そうでしたか。では説明させていただきますね」

 

白ローブの少女は悪びれもせずに言ってから、話を始める。

 

「200年ほど前の、エルバリアで起きた宗教戦争以降、フェジョ新教国家となったエルバリア王国は、『神石(かみいし)』の数少ない供給源であることをいいことに、周辺諸国に対して横暴を働くようになりました」

 

『神石』とは、星王術を行使するための発動媒体、星王器の必須素材である。

マグニスノアで魔法と言えば星王術であるため、実質魔法の使い手を制限されているに等しい。

 

「フェジョ教は200年前の宗教革命で、旧教と新教に分かれた。

旧教は土着信仰から来る自然崇拝が、星王教によってまとまったものと考えていい。東壁山脈の妖精種達との交易も行っていた。それなのに、新教の連中はブロンバルドでの権力争いのために教えを捻じ曲げ、妖精種を邪悪な存在として迫害し、東壁山脈との国交を断絶させてしまった。それをきっかけに、禁忌とされていた洗脳術を駆使して勢力を伸ばして、旧教を駆逐しようとしている。

今までの例を見ても、降伏などすれば旧教の信徒は虐殺され、施設も破壊されるだろう」

「焚書坑儒かよ」

 

ジョンは呟いた。

 

焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)』とは、書物を燃やし、宗教家を生き埋めにするという、中国で行われた大虐殺を元にした故事成語である。

初めて中国を統一した秦の始皇帝が、その権勢を維持するために、施政方針に反することを民衆に説く宗教家や、それを広める目的で書かれた書物を抹殺するために行ったものだ。

当時、最も活発にそういうことを行っていたのが儒教だったため、儒教の書を燃やし(焚書)、儒教家を生き埋めにして殺す(坑儒)と表現された。始皇帝が特定の宗教に対してこれを行ったのかどうかについて、はっきりしない部分もあるが、とにかくある種の宗教弾圧と言える。

フェジョ教の新教勢力が旧教や異教に対して行っているのも、同様のことだ。

 

「エルバリアでも、同じことが起きました。というよりもフェジョ新教では、人間とそれ以外とで明確に扱いが異なるのです。新教での保護対象は人間のみで、教会から新教徒と認められなければ人間ではありません。つまり、奴隷や他国民は人間として数えられていないのです。

交渉を行うのに、踏み絵(・・・)をさせられるくらいには徹底して、他の宗教を駆逐しにかかっているわけですね」

 

白いローブの少女の話は、異世界だからと言って決して他人事ではない。

現代地球においても、白豪主義、ネオナチを始めとする白人至上主義が、様々な形で暗躍し、有色人種を駆逐するために活動を続けていると言われているのだ。

もちろん、日本右翼や左翼と同じで、全体から見ればほんの一部の話である。フェジョ新教は、その一部が大きな力を持ってしまったと考えれば分かりやすいかもしれない。

 

「まあ、そんなわけでして、エルバリアは同じフェジョ新教の国であるブロンバルドとは仲が良いのです。

ブロンバルドがイーザン平野を封鎖し、ヒストンから輸出されていた『神石』をも含めてほぼ独占し始めたのも、そういうことなのでしょうね」

「普通に『洗脳軍団』を相手にするよか大変なことじゃねえのかそれ?」

 

ジョンは思わず言った。相変わらず、簀巻きにされたままで身動きが取れないが、絨毯の感触は頬に心地良い。

下からの視線でスカートやローブの中身が見えるかと思ったが、紺色の服を着たエヴェリアも白いローブの少女も、ズボンをはいていた。

マキナは時折見せつけるように足を組み替えるが、そちらは見た瞬間襲われそうなので、視線は向けない。

 

「彼らは基本的に相手を見下しますから、どうとでもできますよ」

「エルバリアは、王国軍の数はそこまでではないからな。実質、『神石』を盾とした圧力外交しかできん」

「でも、『神石』の供給を制限されてるんだろ?」

「星王術は確かに戦術の大きな要素ですが、それだけで決まるというわけではありませんし、それだけに頼る相手に対して、ハレリアは幾つもの切り札を抱えています」

「その1つが、『悪魔からの手紙』とやらか」

「あまりそれを使い過ぎますと、問題も出てくるのですけれどね」

 

白いローブの少女はエヴェリアに指摘されて苦笑する。

 

「だが、効果は抜群なんだろう?」

「もう散々やってきたのですよ。ですが、どうも彼らにはなぜ自分達が壊滅的に混乱するのか、ご理解いただけなかったようでして。この度は分かりやすい力で叩き潰しておこうということになっています。

例えば、5大騎士団をすべてぶつけるとか――」

 

不穏な言葉を残し、彼女は次の話へと進む。

 

「最後は、大陸最南端のオートレス聖教国です。例のスパイ事件の首謀者、と言えばわかりますか?」

「例の、産業基盤攻撃ってやつか」

「そうです。現在進行形でハレリアにちょっかいをかけてきている国ですね」

 

白いローブの少女は頷いた。

 

「都市に潜入した術士が、そこに住む領民を洗脳術で操り、悪事を働かせたり連れ去ったりするという話だな」

「実は、地味ですが下手な戦争よりも大きな損害を出しています。最近の戦争による損害は、基本的に産業基盤にまでは届きませんからね。その点、産業基盤への直接攻撃は、確実に国力へのダメージとなってきます」

「下手な戦争よりも地味でいやらしい攻撃か」

「ですが、何度も同じ手を使っていますと、その内彼らは自滅するはずです」

「それって、協定的にどうなの?」

 

また、マキナが口を挟む。今度は返答次第ではただではおかないという雰囲気があり、その雰囲気に呑まれてエヴェリアが全身を緊張させる。

ジョンには何のことか、さっぱりわからなかった。

 

「まだ詳しくは聞いていませんが、おそらくハレリアの方で対処することになるかと。対抗措置で『悪魔からの手紙』なりを送り付け、内乱を誘発することはできますが、その場合は余計に危険な状況になる可能性が高いと考えられています。それでしたら、こちらの領域内で事件を発生させ、対処した方が危険度は低いのではないかと」

「あちらを立てればこちらが立たず、ね……。まあいいわ」

 

縫い合わせたモザイク状の皮の隙間から肌色が見える、セクシーを通り越したエロエロしいデザインのドレスの灰色髪の女性は、白いローブの少女に向けてウィンクして見せる。

相変わらず、何のことかはジョンにはさっぱりだが。

 

「それで、イリキシアを発展させる理由というのは?」

 

エヴェリアは緊張からか自分の長い黒髪の毛先を雪のように白い手で弄りながら、疑問を口にした。

 

「新教勢力を壊滅させる算段がありますので、ブロンバルドを極北2国で分割統治もしくはイリキシアで統治していただきたいのです」

 

白いローブの少女は答える。

 

「要するに、旧来の旧教圏を復活させていただきたいのですよ。星王教はフェジョ新教とは相容れませんが、旧教とは仲良くできます」

 

星王教は、ハレリア王国で主に信仰されている、星王を崇める宗教だ。規律の緩い宗教なため、星王神話という昔話が庶民の間で親しまれている程度である。

 

「それに、新教さえ排除できれば、『神石』の供給も平等に管理できますから、我々としましても他国にとっても万々歳なのですよ」

「しかしそのためには、まず来年の大規模侵攻に備えねばならないな」

「その通りです」

 

白いローブの少女は頬笑みを浮かべながら頷いた。

 

「エヴェリアさんには、宰相府とジョン君の橋渡しをお願いします。ジョン君は申し訳ないのですが、また工房を移っていただきたいと思っています」

「やることはやっぱ、兵器の開発か?」

 

ジョンは溜息を吐く。

 

「そうですね。ただし、今回は質より数なのですよ」

「戦いは数だぜ兄貴ぃ!」

 

ネタを口走ると踏まれた。

 

「……1年で揃えられるだけの弩砲を揃えてほしいのです。わかりましたか~?」

 

「ワカリマシタ」

 

下手なことを口走れば踏み砕くと言わんばかりの笑顔の圧力を受け、ジョンは踏まれていて頭を動かせないので、口で恭順の意を示す。

 

「よろしい」

「今になって彼が不憫に思えてきた……」

「うふふふふ、大丈夫よ。『我々の業界ではご褒美です』とかって思ってるくらいだから」

「ふんぬ」

「ひでぶ」

 

マキナが愉快そうに彼の頭の中身を漏らしたものだから、5割増しくらいの力で踏まれた。

頭が割れるかと思ったジョンだった。

 

 




30年前のバラク事件:

30年前の武具大会の際に、敗北した騎士が不正を訴え、その調査の最中、役人がその情報を一般に漏らしてしまったため、鍛冶師バラクがルクソリス内域で仕事ができなくなってしまった事件。

他の職人達による陰湿な職務妨害が行われた。
内容は工房の破壊、倉庫の素材や仕事道具が盗まれるなど。

最終的にバラクは人間不信に陥り、故郷のナンデヤナへ戻ってひっそりと工房を開き、その腕前からベルベーズ大陸随一の名工と称賛されるようになる。
――が、結局工房を大きくすることもなく、弟子にも厳しく当たって大半を辞めさせてしまうようになった。

なお、不正調査の結果、無実だと判明したが、その時には既に彼はルクソリスを去っていた。
今もスパイ対策の観点からルクソリスへ行くように説得を受けているが、頑として頷かない。

内域の役所では、この事件を歴史に残る大失態として語り継いでいる。
当然だが、職務妨害の指示者と実行犯は、探し出され大きなペナルティを受けて、内域を追放されている。



ちなみに他国で同様の事件があった場合、才能によっては最終的に貴族や王族が出てきて、無理矢理解決するだろうと考えられる。
つまり、貴族のお抱えにしてしまうわけだ。
王侯貴族の庇護を受けたからといって、気に入らない人間はいるだろうが、下手に手出しをすれば自分が職を失うことになるからである。

現代地球では、人間関係の破綻から退社し、自分で起業するケースが最も近いかもしれない。
あるいは、イジメ転校も近いか。



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2章 武術大会
貴族令嬢


ジョンを取り巻く環境はめまぐるしく変わる。

工房の場所などは、特に変化が著しい。この3ヶ月ほどで、これで3回目の引っ越しだ。

 

「なんか悪いな、手伝ってもらっちまって」

「武具大会における不正冤罪の噂への対処だからな、仕方がないさ。私も、ジョン殿が潰されるのは困る」

 

ジョンの引っ越しを手伝っていたのは、長く艶やかな黒髪に雪のように白い肌が美しい、小柄な少女エヴェリア。彫りの深い西洋系の顔立ちで、ゴスロリドレスなんかが似合うかもしれない。

今はハレリア役人の制服である、紺色の大きめなブレザーを着ているが、それでも気品に満ちているというか、仕種がイチイチ優雅で美しさを感じさせる。

 

容姿にあまり個性がなく、基本的に育ちの悪い赤毛ショタの成り損ないとは大違いだ。

 

「なんか、術も普通に使ってたし、実は結構いいところのお嬢様?」

 

実は彼女、大きな荷物も星王術を使ってスイスイ運んでいたりする。まだ自分の体を動かしながら使うというのは無理なようで、移動しては立ち止って、何度も詠唱し直していたが。

 

「そうか、そういえば言っていなかったな。私はイリキシア王国の東部コルス領を治める、ボナパルト公爵家の次女だ。フルネームはエヴェリア・オルナ・ヘール・ボナパルト。前にも言ったが、使者兼留学生としてハレリアに派遣されてきた」

「もしかしてご先祖にナポレオンって人いたりしねえ?」

「?……確かいなかったと思うが……」

 

ジョンが思わず尋ねたのは、まんま発音が『ボナパルト』だったからだ。異世界の言葉なのに、妙に知っている言葉があったりするのが不思議である。

 

「それにしても、特に何かやったってわけでもねえのに、この特別扱いってどうよ?」

 

少年は休憩室を見回して思わず言った。休憩室である。

この時代、普通の工房にはこんな部屋はない。精々が工房の端に椅子を用意して座る程度のものである。

 

「いや、休憩室というよりも設計室だろう?打ち合わせもできるように、テーブルと椅子や他の色々な道具も用意してあるだけだと思うが」

「それが異常だっつってんの。普通、こういうのは貴族の好事家が作るもんだぜ?」

「ここは宰相府直属工廠なのだが。設計室付き工房くらいは束でなければむしろおかしい場所だと思わないのか?」

「むぅ……なるほど」

 

納得したので、ジョンは少女に猫耳を着けてみた。

彼は殴られることを覚悟していたが、彼女は不思議そうに猫耳カチューシャを触っている。これは予想外の反応だ。

 

「なぜジョン殿は女子に獣人の格好をさせたがるのだ?」

「……可愛いから?」

「――」

 

エヴェリアはフイっと顔を背け、手鏡を取り出して猫耳を弄り始める。顔が赤くなっているところを見ると、照れているらしい。

 

「いや、こんなテンプレなセリフで照れんでくれよ!どんだけ攻略条件の低いキャラだって話だ!」

「攻略?」

 

素に戻った少女が小首を傾げた。

 

「では説明しよう!」

「なななっ!?」

 

ジョンが突然立ち上がり、変なポーズを取りながら叫んだので、エヴェリアは驚いて椅子ごと壁際までドン引きする。

 

「……さっき言った『攻略』ってのはー、異世界のゲーム用語でー、異性を恋愛的に振り向かせるゲームでゲームクリアー、つまりー、設定された架空の異性をー、自分に振り向かせることを指すんだー」

「なんだ、いきなりテンションが下がったな」

「そりゃもう、かなり予想外な反応だったんで。今まで大体、ポカーンとするかスルーされるかだったんで。なんていうか、俺が恥ずかしくなった」

「面倒臭い男だな」

 

赤毛ショタの出来損ないは蹴倒した椅子に座り直した。

 

「ひげあっ!?」

 

椅子は倒れたままなので、一度引っ繰り返ってから椅子を起こして座り直す。

 

「……」「……」

 

沈黙が痛い。引っ繰り返ったのは決してわざとではないのだが。

 

「……さっきの攻略の話だが――」

 

しばらくすると、壁際からテーブルに戻ってきたエヴェリアが、色々痛過ぎる沈黙を破った。

 

「攻略対象として見られるのはこの場合、私ではなくジョン殿だと思うぞ?」

「まさか、あのテキトーな説明でエロゲのなんたるかを理解したとでもいうのか!?」

「……ハーリア家や異世界転生者と張り合えるとは言わないが、貴族はそれなりに頭が良いものなんだぞ?特に娯楽方面にはな」

 

少女は渋い顔で頭を抱えて呟く。その言葉は事実である。

なぜならば、貴族の子女は学校がなくとも、様々な知識に触れる機会があるからだ。そもそも貴族の子女は、他家の養子として引き取られることも少なくない。だからこそ、どこに出しても恥ずかしくないように、教育はしっかりしているものなのだ。

 

西洋における発明品が実務者、つまり各業種の職人が発明したケースはほとんどない、と、作者は勝手に想像している。あったとしても、それは出資者、つまり貴族の功績となる、と、考えられる。これには幾つかのケースがあり、一番多いのが名を上げると他の貴族に妬まれることがあるため、出資者に面倒事を押し付けているケースだ、と、思う。つまり、西洋ににおける発明とは、教育を受けた貴族が家の財産を食い潰してロマンを求め、成功した結果なのだ。(※:あくまで想像です)

 

学校がなければ家庭教師を付ければいいじゃない。そして貴族の子供達は暇をもてあまし、同じ家庭教師に飽きたりして、色々とやらかすのだ。

それが多く語られる物語のテンプレというものである。

 

「それで、エロゲのなんたるかを理解した少女に聞くが……。俺が攻略対象って、なんでまた?」

「エロゲ……?とにかく、異世界転生者には、政治的にそれだけの価値があるということだ」

 

別にエヴェリアは、異世界で流行しているエロゲームについて理解したわけではないらしい。恋愛アドベンチャーゲーム、いわゆる『ギャルゲー』として理解したのだろうか。あのテキトーな解説で。

 

『適当』と漢字で書くと、『状況に合った』とか『適切』とかいう意味になるが、『テキトー』とカタカナにすると、意味が『適当(笑)』になる不思議。

 

「……俺、異世界転生者とか名乗ると不審者扱いされたんだが……」

「歴史上最後に登場した異世界転生者が、庶民に近しい男だったらしい。そのおかげで、それを真似て権力者に取り入ろうとする馬鹿どもが一時期増えた。

不審者扱いはそのせいだろうな。

その代わり、本物と分かれば、美女でも権力でも()り取り見取りだ」

 

少女は手鏡で猫耳カチューシャを弄りながら話した。

手鏡は現代地球のような、透明なガラスに化学処理をしたものではなく、青銅をピカピカに磨いて作ったものである。結構古いものらしく、表面に無数の細かい傷が入っていた。

 

「マジで?」

「マジだとも。本物と分かっていれば、密室に2人きりでいるだけで、令嬢の方から襲いかかってもおかしくない。祖国への異世界技術の無料提供が確約されていなければ、私もそうしたかもしれないくらいだ」

「それなんてエロゲ?つーか、政治に女の子を利用するとかどうよ?」

「何を寝惚けたことを言っている。我々貴族の特権は、そのためのものだ。祖国繁栄のために肉体を捧げるくらいなら、私だって喜んでやるぞ?」

「なにそれ、達観し過ぎてて怖いんですけど……」

 

今度はジョンがドン引きする番だった。が、エヴェリアは溜息を吐いてこう言う。

 

「とはいえ、ハーリアの娘が近くにいるのでは、抜け駆けはできん。イリキシア発展の約束ということで、釘も刺されてしまったわけだしな」

「あ、もしかして、さっき慌ててたのって、想像しちゃってた?」

「やかましい!ああそうさ、私だって女の子なんだ!伝説上の存在に憧れることだってある!言わせるな恥ずかしい!」

「なんていうか、その、ゴメンナサイ!」

 

小柄な美少女に赤い顔で涙目で怒鳴られて、少年はテーブルの上で土下座して謝り倒す。

どうやら、丁度そういうことで意識していたところを褒められたため、反応が過敏になっていたということのようだ。意識していた時にジョンが急におかしなことを始めれば、襲われると思ってもおかしくない。

つまりそういうことらしい。

 

「ところでなんで猫耳を嫌がらないのか。なんか、高そうだけどボロい手鏡で色々と調整してるし」

「……」

 

指摘すると、ぴたりと動きが止まった。

 

「……貴族は――」

 

しばしの沈黙の後、彼女は無表情(ポーカーフェイス)になり、ぽつりと話す。

 

「貴族の役割の1つは、特に貴族の子女の役割は、自分を高く見せることだ。どんな土地のファッションも取り入れ、その地域の価値観を理解して、自分に似合うように着飾る。そうやって、自分よりも高い身分の相手にも、釣り合う伴侶であることを示す必要がある……」

「着飾りたい年頃なんですねわかりま――んがっ」

 

木製のコップがジョンの顔面を直撃した。中身は飲み干されていたため、お茶がぶちまけられることはなかった。

 

「お前がよく踏まれている理由が分かった気がする」

「失敬な、あの時は簀巻きにされてて、丁度体が床に転がってて踏みやすかったからだろ。いつもは大体蹴られるか殴られるかだ!」

「……」

 

絶対零度の視線が変態的なことを口走った少年に突き刺さる。

 

 

 

「ところで、協定禁術については訊かないのか?」

「そうだった」

 

ジョンは床に落ちた木製コップを拾い上げて片付け、新しいコップにお茶を淹れてエヴェリアに差し出した。

 

「異世界転生者にも割と関係のあることだから、覚えておいた方がいい」

「協定禁術って、異世界関係あんの?」

「協定禁術の制定には、異世界転生者が深く関わっていると言われている」

 

彼女は受け取ったお茶に口を付けながら、こうも言う。

 

「確か異世界そのものは関係なかったはずだが、今までの異世界転生者は、例外なく『神族(かみぞく)』と深く関わり合っているそうだ」

神族(かみぞく)?」

 

少年は首を傾げた。それを見た黒髪少女は目を丸くする。

 

神族(かみぞく)を知らないのか?――ああ、そういえば最近ルクソリス(ここ)へ来たのだったか。田舎から出てきた平民暮らしでは、知らなくても仕方がないな」

 

誰に聞いたのか、勝手に納得して、説明を始めた。

 

「では説明しよう。

神族(かみぞく)とは、『神化の儀』によって、生物を超越した存在のことだ。寿命はなく、原則として不死身、さらに星王器を使わずに術を行使できる。術の威力や回数に上限はなく、最低でも高級器は超えるそうだ」

「何それチートくさい」

「フッ、このくらいでなければ、『神族(かみぞく)』だなどとは呼ばれんさ」

 

エヴェリアは相手の無知を鼻で笑いながら話を進める。

 

「まあ、とにかくその神族(かみぞく)が、1千年前に会合を開いて協定を結んだ。内容は国家への干渉制限と、神族(かみぞく)同士の争いが起きた場合の解決法。それに魔法研究のデッドラインを定めた、いわゆる『協定禁術』についてだ」

「協定って、その神族(かみぞく)同士の協定なんだろ?」

「基本はな。だが、協定禁術に関しては、『デッドラインを越えた場合、神族(かみぞく)が全力で潰しにかからなければならない』という内容だ。協定禁術の行使が国家命令だった場合、少なくとも首都が政府もろとも滅ぼされる」

「……マジで?」

「マジだとも。実際に、北東部のポテドン王朝が900年前にそれで滅んだ。たった1人の神族相手に、当時最強と謳われた軍隊が手傷の一つすら負わせることができなかったそうだ。それ以降、フェジョ教でもフェアン教でも、協定禁術を行使することは禁忌としている。もちろん、星王教もそのはずだ」

 

黒髪少女は優雅に肩をすくめて見せた。

やはり貴族ともなると、その何気ない仕種一つを取っても様になる。――その黒い頭に揺れる、猫耳までも。

手鏡を片手に色々と調整した結果、自分に似合うように仕立て上げることに成功したようだ。

 

「ふむ――次は尻尾か……」

「……まさか、外側で猫耳が流行っているのは、ジョン殿のせいではあるまいな?」

「――にゃん、だと……?」

 

ジト目を向けられ、ジョンは驚愕した。衝撃の事実である。

1ヶ月半ほど前に少年が場末の食堂で行った演説によって、ルクソリスを『萌え』が侵蝕し始めていた。

 

 



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四者対面

「……」「……」「……」「……」

 

その日顔合わせをした4人は、気まずそうに沈黙した。

まず1人目、肩まで伸ばした金髪に黒いローブの小柄な少女。名をアリシエルという。

武具大会でベスト4という好成績を残したのが評価され、修業の最終段階として工房の独立を許された、錬金術師見習いだ。

 

次に2人目、真っ黒な長い髪に役人を示す紺色の服とスカート姿の、さらに小柄な少女。その物腰は優雅で気品に溢れており、一目で高貴な出自であることがわかる。

名はエヴェリア・オルナ・ヘール・ボナパルト。イリキシア王国ボナパルト公爵家の次女で、このハレリアへは留学してきていた。

主に役所の仕事を勉強するために。

 

さらに3人目、赤毛で小柄な、悪人顔の少年である。

服装は役人を示す紺色の上下。名はモーガン。役人としての実力を認められて、若くして内域工廠に勤めているのだが、少し前に色々とやらかしていたことがバレて減給処分を食らったそうだ。

この場にいる4人目、ジョンの担当になった役人である。

 

最後にジョン。赤毛ショタジジイ。

彼は現在、丸1年後までに、できる限り弩砲を量産するように申し付けられていた。それをサポートするために、見習い錬金術師1人と、優秀な役人を2人用意されたという状況だ。

4人が集まっているのも、ジョンの工房の設計室である。

 

祖国に関わりのあるエヴェリアは仕方がないとはいえ、残り2人がいずれも知り合いなのは何の因果か。

 

「……宰相閣下からの伝言だ」

 

4人の中で泰然としていたエヴェリアが口を開いた。

 

「弩砲の量産には2つのルートがある。

1つはジョン殿が我々役人を利用して、ほぼ1人で作り上げてしまうこと。

もう1つは正規のルート、つまり工廠にある既存のルールに従ってランクを上げ、他の工房に手伝ってもらう方法だ」

「要するに、宰相閣下はこう言ってるわけか。『無茶振りできんのかどうか、はっきりしろ』って」

「そういうことだな」

 

ジョンの言葉に黒髪の少女は頷く。

 

「っていうか、エヴァりん、あのキツネオヤジとまともに会話できるの?」

 

これはアリシエルの質問だ。

 

「真意を理解できているかどうかは微妙だが……どういうことだ?」

「お父様が、『ハーリアの当主とは、会話を成り立たせることすら一苦労だ』って言ってたから」

「それはむしろ錬金術師の思考回路が一般的でないからだと思うが……」

「そうなの?」

「俺に聞くなっての」

 

訊かれた無関係者ジョンは渋い顔で突っぱねた。

 

「てか、この中じゃ一番内域暮らし長いはずだろアンタ?」

「逆に、星王術士や錬金術師以外の人と接する機会があんまりないのよ」

「じゃあ、それが理由でエヴェリアの回答が大正解じゃねえか」

「あ、そっか」

 

ジョンの指摘にアリシエルはなるほどと手を打つ。

 

「なんか、前よりアホの子になってねえ?」

「アホってゆうな!」

「ぶべらっ」

 

モーガンが口を滑らせ、隣のアリシエルに椅子ごと蹴倒された。

 

「錬金術の腕前だけは、同年代の見習いの中ではトップだと聞いているが」

「いわゆる、『専門馬鹿』ってやつか」

「うむ、錬金術以外のことを学ぶ場を与えようということでもあるんだろう」

 

エヴェリアはスルーしていたが、『専門馬鹿』という単語についてはよく分かっていなかったりする。

 

『専門馬鹿』とは、自分の得意分野に打ち込み過ぎて、他の分野がおろそかになっている人を指す。

馬鹿と付いているが、必ずしも侮蔑の意味を持つわけではない。それだけ1つのことに真剣な人物という意味も含むからだ。

 

「それで、返答は?」

「正規ルートで。異世界転生者だからって、何でもできるってわけじゃねえよ。そもそも俺、弩砲の構造から知らねえし」

「そうなのか?」「そうなん?」「え、マジで?」

 

三者三様に驚きを表す。

 

「前世の記憶があるっつっても、体は慣れてねえし人脈もねえ、ついでにやってることは俺が知ってる中じゃクッソ古い方法だ。小銭稼ぎにちょろっと図面描いた以外は、こっちで何かを本格的にやったことはねえよ」

「鍛冶師バラクの工房でも?」

「あの爺さん、やってることは純粋な刀鍛冶だぜ?あそこで機械もんに触ったことはねえな」

「あ、そうなんだ?」

 

アリシエルが意外そうに言った。

中世初期の文明度といえど、簡単な機械くらいはある。水車や風車がそれだ。

その手の機械には定期的なメンテナンスが必要で、それを専門に行う工房というのが存在するのだが。

ジョンの外見年齢が幼く、またその知識があまりに先進的だったため、子供の世迷い言と思われ、そういうものを扱う工房からは門前払いされてきたという事情があった。

だからこそ、本来畑違いな刀鍛冶の工房で修業する羽目になったのだが。

 

「ま、質より量だって話だからな。どっちにしろ、俺1人じゃあ1ヶ月に1つが限界だろ。それなら、多少時間かけてでもランクを上げて、人手を使って量産体制を作った方がいいってわけだ」

 

前世で50年生きた記憶を持つ少年は、にやりと笑う。

 

「そういうわけで、エヴェリアは宰相府経由で弩砲の設計図か現物を借りて来てくれ」

「了解したが、ランキングの方はどうする?」

「今あるんならくれ。並行できる作業は並行する」

「弩砲を作るのと一緒にやるの?」

 

アリシエルが目を丸くして尋ねた。

中世は割と時間にルーズで、人によっては仕事をせずにサボってばかりということもあった。現代のように、1日に詰め込めるだけ詰め込むなどという時間の利用法をしていたのは、フランス皇帝ナポレオンなどの極一部だけだったと言われている。

 

「あー、そうか、そうだな、これからやることを説明しとく」

 

ジョンは言ってからテーブルに身を乗り出した。

 

「これからやること?」

「弩砲を作るんでしょ?」

「チッチッチッ」

 

彼は顔の前で人差し指を左右に振って見せる。

 

「俺達がこれから作るのは、弩砲じゃねえんだよ」

「弩砲じゃないなら、何を作るっていうのよ?」

「俺達が作るのは『工場』だ」

 

 

 

宰相府。

エヴェリアは宰相、ハーリア公爵にジョンの選択について報告していた。

 

「選択は、正規ルートだそうだ」

「そうか。いくら異世界転生者といえど、できんものはできんか……」

 

金髪の中年紳士はやや肩を落とし、失望感を露わにする。

 

「思ったよりも失望感というものは強いようだ。はは、私も、年甲斐もなく、伝説の英雄候補とやらに過度な期待をしていたらしい」

「……そのことだが――」

 

黒髪美少女は身体の前で手を組み、落ち込むハーリア公爵に声をかけた。

 

「――もしかすると、失望するにはまだ早いかもしれない」

「なに?」

「彼は、今の時点から弩砲の設計図か現物を要求している。また、ランキングを上げる正規ルートも、同時並行で行うと言った。何か、案はあるそうだ。

もしかすると――」

「――異世界の技術を再現するのに、人手が要る――ということかね?」

「――おそらく」

 

エヴェリアは頷く。

 

「概要を聞けば、我々でどうにかできるかもしれんが……」

「それは言ったが、それでは最適化に何年かかるかわからないと言われてしまった」

「そうか。異世界で最適化された技術か……。確かに、一見遠回りのように見えて、それは近道なのかもしれん」

 

ハーリア公爵は顎を撫でながら呟き、1つ頷いた。

 

「それで、弩砲の設計図か実機ということだが、この場合は実機がいいだろう。こちらで手配しておこう。

正規ルートのお題についても話しておこうかね」

 

彼は執務机の引き出しを開けて、1枚の紙を取り出す。大きさは紙片程度、メモ用紙のようだ。メモを用いているところを見たことのないエヴェリアからすれば、これは非常に珍しかった。

 

「例の鍛造(たんぞう)設備とやらの設計図を役所に提出することが1つ。そして、半年後の武術大会にて、騎士部門における本戦出場。さすがに優勝しろとは言わない。

それらが成れば、皆も納得するだろう。ハートーン卿からの条件でもあるから、そのように伝えてくれたまえ」

「承知したが、それは途轍もなく無茶な条件なのではないのか?」

 

エヴェリアは怪訝な顔をする。

 

「我々の常識からすればね。しかしだからこそ、それを成し遂げたのならば、認めざるをえまい。普通は5年か10年はかかる信頼を得るという作業を、たった半年で終えようというのだからね。そのくらいの無理は通してもらいたいものだ。

異世界転生者という言葉には、貴族達はそれくらいには懐疑の目を向けるものなのだよ。有史以来、異世界転生者を(かた)る愚か者共が多過ぎたのだ。懐疑の目を晴らすために、多少の無茶を強いる程度は許していただきたい」

 

それは半ば、ハーリア公爵が自身に言い聞かせる言葉だった。

星王教、星王神話、その真実に最も近いハレリア王国の中枢にいるからこそ、異世界転生者には期待を抱くのである。それが過度の期待かどうかを判断するには、まだまだ時間がかかる。それなのに、早急な判断を迫られているのだ。

 

ならば、一時の感情を抑え、事務的に対処、つまり今までの偽物と同様に扱う他ない。本物ならば、何らかの方法で切り抜けることができるだろうという難題を吹っ掛けるのである。

 

「それに、娘が彼にご執心でね。どの程度出来るかを見極めたいという気持ちもある」

「娘……」

「妙な顔をするものではないよ。私だって子を持つ親だ。だからこそ――まあ、ハートーン男爵にお題を考えていただいたわけだがね」

 

どうやら、ハーリア公爵も、自分の娘と憧れが同時に関わってきた際に、判断力を保つ自信はなかったらしい。

 

「『神算』のハーリア公爵も、人の親ということか」

「政治家には、時として己の感情すらも欺くことが求められる。己の感情に振り回されて失政を行うようでは、無能の(そし)りは免れんよ。そして、無能な政治家というのは、その存在自体が害悪となる」

 

彼は言い切った。

 

「ゆえに、ハレリアでは世襲制というものが原則として存在せん。貴族が自分の子弟に跡を継がせようとするのならば、きっちりと教育せねばならんのだよ。

王族も例外ではない。王族は三派六家と分かれているが、上には常に優れたる者が立つようにできている。平民が下から上がってくれば、その平民の血を王族に取り入れることも辞さない。

我々はそれを『英雄の血』と呼んでいるのだがね」

「……ハレリア王族は多くの英雄の末裔だという噂は、無節操に優れた平民を王族に取り込んでいるからなのか……」

 

エヴェリアは仰け反る。

血統主義が横行していた中世では信じられない国家形態だった。

大抵の国々は、王権神授説に基いて王家支配の正当性を主張しているのだ。だから、神からその地域を支配する許しを得た王家の血が途絶えないように、さらに子孫が増えてくればその血を濃くし、より高貴な血筋とするために、多くの地域で近親婚まで行われた歴史がある。

 

日本も、天皇家の女性関係を紐解けば、平安時代以前の天皇家は母親と結婚したりという、近親婚が当たり前のように行われていた事実が存在する。

当然、近親婚は遺伝学的によくない。そのため、世界の流れとして次第に禁じられるようになったようだ。

 

外、平民や奴隷、犯罪者から無節操に遺伝子を取り込む王族など、聞いたこともない。

 

「星王教的に言えば、人間や亜人に貴賎はない。ヒトは等しくヒトであり、最終的に神族(かみぞく)を超えることを望まれる。少しでもその可能性があるならば、それが遺伝によって伝わる可能性があるのならば、星王教の信徒にはすべての血筋を集め、伝える義務がある。

だが、平民すべてにその役目を背負わせるのは酷だ。ゆえにハレリア王族がその英雄の血を集めるという役目を請け負っている。それがハレリア王族の血統における価値観の根幹なのだ」

 

ハーリア公爵はエヴェリアに語って聞かせた。

 

「フェジョ教、フェアン教も、いずれも星王神話を基礎とする宗教だ。オートレス宗教系と呼ばれる3つの宗教では、亜人は邪悪な存在ではなく、人間にとって良き隣人。彼らとの契約を逆手にとって裏切った新教や、聖教国を除いてはね」

「……」

 

エヴェリアは表情を硬くする。

支配のために洗脳術を取り入れるという、フェジョ旧教にとっての禁忌を犯した新教のことが、彼女は嫌いなのだ。そのように教えられたというのもあるが、妖精達までを洗脳支配しようとした彼らの行いが、どうしても許せないのである。

 

「その歳で喚き散らさんところは評価するが、政治家を志すのならば、その感情を表情に出さないようにすることも練習したまえ。一朝一夕にはできんだろうが、政治の場では必要となろう」

「……はい」

 

指摘され、彼女はうなだれた。

 

「それで、人手の要る異世界の技術ということだが――。規模はどの程度のものかね?」

「とりあえず、我々に流れを教えるために小規模から始めるとのことだ。人数はとりあえず7人程度、設備と倉庫を用意することから、敷地は広めにほしいと。

――『工場』という名称から察するに、異世界ではほぼ完成された技術と思われる」

「ふむ、なるほど……ひょっとすると、議会にかける必要があるかもしれんな……」

 

白い燕尾服の紳士は顎に手をやり、呟く。

 

 



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脱穀機

鍛造設備の設計と言っても、理屈を再現しての再設計となる。

なぜなら、現状は針金を棒で巻いて引き絞ることで圧力をかけるという、雑なやり方をしているからだ。

 

地球の製造現場では、トラブルが発生した場合、往々にしてこうしてありもので対応することがある。

これも仕組みを理解していればこそだが、所詮は応急処置に過ぎないため、後で専用の装置や工具を設計して導入することになる。

 

今回の設計は、その本格導入が主旨である。再設計は当然と言えば当然だった。

 

とはいえ、簡単なことではない。

何トンもの力をかけるとなると、人力ではどうしても省力装置が必要になるからだ。

 

これが現代地球ならば油圧ポンプでどうにかなる。

鋼材を溶接して枠を作り、その内側に油圧ポンプを設置して鉄板をプレスすればいい。

しかし、ここは中世初期レベルのハレリアである。

さすがに高い精度の金属加工が必要な油圧ポンプを実現するだけの技術力がなかった。

 

他に省力装置といえば、梃子(てこ)、滑車、歯車、などがある。

 

ただし、一つ大きな問題もあった。

それは、数トンものパワーを、この時代の技術者は体験していなかったということだ。

木材、石材、金属材があるのだが、この領域の力に耐えるのは金属材の中でも相当な強度が必要となる。

 

「まあ、鉄しかねえんだがな」

「そうなのか?」

「他のは強度が足りねえか、加工技術がねえ」

「それは確かにお手上げだな」

 

エヴェリアは唸った。行政畑の黒兎耳少女は、技術が足りないという事態に対処するにはやや経験が足りていない。

 

「結局、ハレリアでも足りない技術に対してできることは、技術開発の支援くらいのものか」

「技術が足りなきゃ、足りない部分は上手いこと回避して調整するのも行政の仕事だろ」

「それもそうか」

 

赤毛ショタジジイに言われて、考え直す。

 

「それで、対処法はあるのか?」

「ハレリアでできるかどうか、一か八かだな」

 

ジョンは言いながら、図面を渡した。

 

「これは?」

「『H鋼(エイチこう)』って言ってな、俺が前にいた世界じゃ当たり前にあったんだが、マグニスノア(こっち)じゃ見たことがねえもんだからよ」

「なるほど、了解した。確認だな?」

「ああ、頼んだぜ」

 

つまり、こちらの技術で製造できるかどうかの確認である。

 

いくら優れた技術を知っていようとも、それを実現可能な現代地球の最新設備が整っているわけではないのだ。

そのため、設計図を提出する際は他工房での製造の可否を確認する必要があるということを、ジョンはナンデヤナでの経験を経てよく知っていた。

 

 

 

「ぐぎぎぎ……!」

 

ジョンはハンドルを両手で握って渾身の力を籠める。

しかし、熱せられた鉄はほんの少ししか変形しない。

 

「針金で上手くいったのに、なんでコッチがダメなんだよ、チクショーめ!」

 

取り外した鉄の塊を見て、悪態が口から洩れてきた。

 

装置はH鋼で縦長のロの字枠を組んで溶接、その内側に、分厚い鉄板をロの字の内側を切るように溶接、別の鉄板を端をはみ出させる形で配置し、はみ出た部分に取っ手を取り付け、固定されていない方の鉄板を引っ張り上げるための省力装置を組み込んだものだ。

 

プレス加工と言えば油圧による押し圧縮を思い起こすが、こちらは引っ張り圧縮タイプである。

 

ジョンが失敗している原因は、針金を巻いて一部を巻き取る原始的な方法を上手く数式化できていないことにある。

原始的と侮るなかれ、ということだ。

現代でも、針金を束ねたワイヤーは1センチの太さのものが2本もあれば、1トンの荷重に軽く耐える。

針金の質の違いは当然あるだろうが、ジョンが実際に使用していた針金は、断面積で2センチ強に達していた。

これは現代地球で使用されているワイヤーの耐荷重に換算すると、約5トンの荷重に耐える計算である。

 

しかも、彼は針金を巻き取るのに、床に杭を打ち込んで固定し、クレーンの滑車でレバーとなる棒を引っ張り上げることをしていた。

最初になんとかやってみて、自身の種族的な非力さによって方針変更した結果である。

捨てられていた、切れた針金は、そこまでやった結果、力がかかり過ぎたことによる失敗の痕跡だった。

 

なお、数式化できない原因は、単純にワイヤー耐荷重の計算式を忘れているからだ。

 

 

 

「なかなか苦戦していらっしゃるようですね」

 

計算式を見直していると、巨乳白ローブがやってきた。

未だに名乗らずフードを目深に被って顔を見せないのは、何かやむにやまれぬ事情があるのではないか、と勝手に考え、ジョンは指摘もせずに放置していた。

他に白ローブなど見ないし、ゆったりとした白いローブの下からはっきりわかる双丘も、ここらではあまり見ない。

何より、人を食ったような胡散臭い言動が特徴的過ぎて、本人確認の必要がないほど分かりやすかった。

 

「私です」

「あなたでしたか」

「獣耳にロマンを求められるのもアレでしたが、いきなり丁寧になられるのも気持ち悪いのです」

orz(オウフ)

 

悩んで煮詰まっているところに畳みかけられ、致死量の毒舌を受けた赤毛ショタジジイは机に突っ伏した。

 

「これは?」

 

白ローブの少女は、机の上に散乱する、様々な文字が書かれた木片を手に取る。

 

現代地球(あっち)の計算式。マグニスノア(こっち)に生まれてから、思い出した数式を書き留めてんだよ。

言葉自体違うだろうし、さすがに見てもわかんねえだろ」

「確かに」

 

彼女は木の板を机に戻し、家主の許可なく自分も椅子に座った。

ある意味彼女は貸元だから、問題ないといえば問題ないかもしれないが。

 

設計室とはいえ無駄に豪勢なものではなく、引き出しもない机だ。家庭の食卓と違うのは、天板となる木の板が妙に硬いことだろう。ヒノキなどの頑丈な木材を使用しているのかもしれないが、ジョンはマグニスノアの木材について、そこまで詳しくはなかった。地球と同じような鉱物が手に入るのと、知っているとしてもヘホイ村近辺の森についてだけだ。

 

「上手く行っていないのですか?」

「多分、荷重の数値を間違えた。でも、何が抜けてるか分かんねえ」

「もしかして、理想を高く設定し過ぎて、結局全部ダメにしてしまうというパターンですか?」

「いや、ただのド忘れ。元の針金でやった時の荷重が、式を思い出せねえせいで数字にできてねえの」

「あらまあ……」

 

少女は少し考え、そして意を決して切り出す。

 

「では、気分転換にタイムリーなお話でもしましょうか」

 

言いながら、2枚の設計図を机の上に広げた。

少年はそれに見覚えがあった。

 

「『脱穀機』か。ルクソリスに来る前に俺が描いたやつだな」

 

脱穀機(だっこくき)とは。

名称そのものは、西暦1900年前後の地球はドイツにて発明された、農耕作業用の器械のものだ。

ドラムの外周に山型、逆Vの字に曲げた無数の針金をはんだ付けしたもので、クランクシャフトでペダルの力を回転に変えて勢いを付けることで、麦や稲の穂についた実を弾き飛ばす装置である。

 

地球産のものは金属製だったが、ジョンはマグニスノアの技術で簡単に作れるように、グレードダウンさせたものを設計図に描き起こしていた。

マグニスノアでもすべて金属で作ることも不可能ではないのだが、整備や保管などのことを考えると、この世界では維持が難しいだろう。

脱穀機の設計理由は商人に儲けさせることだから、性能は落ちても簡単に量産できる物の方がいい。そのため、下手をすると1年ごとの使い捨ても可能なレベルで、コストダウンを図った。

 

それを、ジョンはナンデヤナの商人に売り付けたのである。ルクソリスに来た際に持っていた、工房が買えるほどのお金というのは、この時のものだ。

ナンデヤナでひと旗揚げてもよかったのだが、割かし喧嘩ばかりしていた彼の師匠がルクソリスへ行くことを勧めた。物作りがしたいのなら、ルクソリスの方が色々と融通が利くという話で、寡黙な師匠から珍しく説得されたのである。お金があれば、強盗や詐欺にさえ気を付ければどうにでもなるだろうとも考えていたわけだが。

結果は御覧の通り、外見が若過ぎてナメられてしまい、色々とトラブルを引き起こしてしまっている。

 

世の中、考え過ぎるほど考えても、上手くいかない時は何も上手く行かないものなのである。

 

「この設計図を買ったコルボウス商会は、発注の際のミスで大量の在庫を抱え、途方に暮れていました。ナンデーナ伯爵が上手く捌いていなければ、保管場所を確保できずに、大量に投棄していたかもしれないそうです」

「……」

 

話を聞いて、ジョンは目を丸くしてポカーンとした。

 

「発注ミスって、どういうことだ?」

「数を指定しなかったのです。『出来るだけ多く』とか言ったのでしょう」

「まさか、原価が安くてたくさん売れるって、俺の謳い文句を全部信じたのか?」

 

嘘ではないが、商人にとってはあまりに美味過ぎる話であるため、ある程度調べてから生産数を調整するものと思っていたのである。さすがに作ったものが全部売れるほど、自惚れているとはジョンも思わない。

そして、収穫期の忙しい時期に農家で農具のセールスができるほど、世の中甘くもない。収穫期が終わってから、幾つか売り込むために実演して、さらにそこから販路を開拓するのが普通だ。さすがに売れるからといって、いきなり量産して在庫を抱えるとは、彼も予想していなかった。

 

「というよりも、ヤケクソだったのではないでしょうか。元から経営が傾いていたそうですし、藁にもすがる気持ちで、それに賭けたのでしょう」

「うお、マジで?全然気付かんかった!」

 

この少年には、特に商売に関する洞察力があるわけではないらしい。

 

「取引相手に気付かれるようでは、足元を見られるのが当たり前です。

まあ、それにつきましては大した問題ではありません。

こうして設計図を売り払ったおかげで、店も潰れずに済んだようですし。

赤字分は勉強代ということで収まるでしょう」

「問題って、不具合(クレーム)か?」

 

ジョンは尋ねた。

 

「ええ」

 

白いローブの少女は頷き、そして問題の中身を告げる。

 

異世界(・・・)の文字(・・・)、使いましたね?」

「………………………………………………………………………………………………………………………………あ」

 

彼女が指差したのは、現代地球の製図用語で、バルーンと呼ばれるものである。

 

バルーンとは。

図に描いた細かい部品が、組み立てた場合にどの位置に来るかを示したものだ。風船を模した円の中に記号を入れて、矢印で示された同じ記号に対応した部品の図を拡大するなどして、詳細を描き込む際に使用される。その記号は、多くの場合数字が使われた。

――『数字』である。

 

白いローブの少女には、使い方は分かっても読めないだろう。

それは記号として使われていたため、解読も不可能。長さはバルーンによって実寸を描き込むことで対処した。だから、『文字』と言ったのだ。

 

ジョンの方も、うっかりしていた。

マグニスノアの数字が、彼にとってあまり馴染みのないものだったというのも、原因の1つだろう。この世界で数字を扱うのは、商人か役人くらいのものだからだ。だから、ついうっかり、現代地球で最も一般的な、彼が使い慣れた数字を入れてしまったのである。

文字として読めないなら読めないで構わない、という理由で。

 

つまり。

アラビ(・・・)ア数字(・・・)を。

 

 




数字:

地球では、大まかに3つの数字がある。
アラビア数字、ギリシャ数字、漢数字の3つだ。

現代は一般的にアラビア数字が主流だが、理由は最も扱いやすいからである。
ギリシャ数字と漢数字は、桁ごとにXや十と名前を付ける必要があり、また並べた際に見間違えやすい数字が幾つかある。
多く並べることを前提としていないためで、そのために桁名は必要だった。

だが、アラビア数字には桁名が必要ない。
0から9まで独立していて、左が最も大きい桁、右が最も小さい桁と定まっている以外は桁名を記述する必要がない。
その利便性からヨーロッパでも広く採用され、現代地球の主流となっている。



マグニスノアにおける数字:

大まかに3つの数字がある。
リネント数字、ワジン数字、ケルスス数字の3種。

リネント数字は『星王』がもたらしたとされるナグルハ大半島を起源とする数字で、ロマル大陸で広く用いられている。
『星王』の伝承は長く途切れており、ナグルハ大半島を起源とする説にも疑問が呈されているが、その時代を生きた神族は残っておらず、資料も残っていないため、検証不可能。

ワジン数字はオートレスがワジン列島に訪れた際にもたらしたとされる異世界の数字で、ワジン皇国とロマル大陸の一部、ベルベーズ大陸南部で利用されている。

ケルスス数字はその名の通り『大賢者』ケルススがもたらした異世界の数字で、ベルベーズ大陸北部から現在はベルベーズ大陸全土に広がっている。

いずれも10進数で、それぞれ一長一短である。



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鍛造設備

「異世界転生者の見分け方、というのが存在しています」

 

白いローブの少女が言った。相変わらず、フードを目深に被っているせいで、口元しか見えない。

 

「これは千年前に出現した転生者、オートレスの行動に基いたもので、信憑性は8割と言われているものです」

「オートレスって、オートレス聖教の?」

「そういえばそうですね。皆、聖教国と呼びますから、すっかり忘れていました」

 

正式名称を忘れるというのは少し酷い、とジョンは思ったが、どうやら理由があるらしい。

 

「オートレス聖教の母体はロマル大陸ナグルハ大半島のナグアオカ教です。星王神話系という、同じ神が出てくる神話に基いていますが、あちらは神族(かみぞく)や異世界転生者を徹底的に嫌っています。聖教国は、その尖兵と考えて差し支えないでしょう」

「あれ?じゃあなんでオートレスって名乗ってんだ?転生者嫌ってんだよな?」

「転生者オートレスの人気が、ベルベーズ大陸の南方では絶大だからです。南方でオートレスを否定することは異端、つまり生贄の儀式や人体実験の肯定と同じかそれ以上に嫌われるのですよ。

フェアン教そのものはそこまで厳格ではありませんから悪口くらいは許していますが、ナグアオカ教のように弾圧までしようとしますと、住民からの反撃を受けて大陸から追い出されるでしょう」

「そんなことになってんのか……」

 

少年はその人気ぶりに感心していた。

 

「まあそういうわけでして、ナグアオカ教を布教する下地を作るのに、オートレスを騙って悪行を働き、オートレスの人気を失墜させる必要が、彼らにはあったわけです。あるいはオートレスを表向き受け入れるポーズとして、別の宗教を作り上げた感じですかね。どちらでも、大した違いはありませんけども」

「思惑筒抜けワロタwww」

「キモいですよ?」

 

少女はにっこり笑顔で彼をけなす。気を取り直して。

 

「それで、転生者の見分け方ですが。1つはずばり、異世界の言語です」

 

白いローブの少女は言って、ジョンが数式を書いていた木片を手に取った。最初の頃は炭で書いていたため、ところどころ汚れている。

 

「異世界転生者は、当然ですが異世界の言語を覚えています。それがふとした拍子に、こうやって出てくるのですよ。こちらのメモにつきましては、あまり見せる気はなかったようですけれど」

「ちょっと気になるんだが、なんでこれが異世界の文字だってわかるんだ?」

 

少年は質問する。

 

「マグニスノア全土の言語を、文字だけでも把握していれば簡単です。似た文字とそうでない文字が入り交じっていますが、文字ごとに別々の言語を使ったと考えるよりも異世界の言語と考えた方が早いでしょう」

「まさか覚えてたりすんのか?マグニスノアの文字全部」

「それこそまさかです。貴族でしたら、この手の早見表くらいは揃えているものですよ。気になる文字があれば、見比べるわけです」

 

と、白いローブの巨乳少女はアルファベットの並んだ本を懐から出して見せた。

当然だが、ジョンが知っている文字があれば知らない文字もある。

 

「エヴェリアからも聞いたんだが、それくらい異世界転生者が重要視されてるってことか……」

「そういうことですね」

 

彼女は口元に笑みを浮かべて頷き、そしてこうも言う。

 

「――迅速に対処しなければ、戦争の種にもなりますから」

「ファッ!?」

 

物騒な言葉に、ジョンは目を丸くして驚いた。

 

「異世界転生者の身柄を確保するということは、異世界の技術を独占できるということなのですよ。

オートレスは星王教の布教ついでに、南部へ農耕技術を伝達し、その技術のおかげで、文明の発達していた中部北部を一時は凌ぐほどの発展を南部は見せました。

もしもそれが軍事に偏っていれば、ベルベーズ大帝国の再来を実現させ、さらにロマル大陸までをも征服できてしまうかもしれません。

実際にできるかどうかではなく、それが可能であることを匂わせるだけで、人は簡単に狂うものなのですよ」

「……」

 

少年は絶句する。

まさか、自分が小金稼ぎのために描いた、大したものでもない図面が、そこまでの大事を引き起こす可能性を秘めていたとは、思いもしなかったのである。

 

「なんていうか、その、済まんかったな。俺が迂闊だったせいで、余計な手間をかけさせちまった」

 

ジョンは素直に頭を下げた。

自分のやりたいことのためにお金を稼ぐという目的で、安易な気持ちで異世界の技術を売ったのは確かだ。だが、少女は困ったように首を振った。

 

「いえいえ、政府側の準備が整わない内に情報が漏れては困るという、私達の思惑の話でもありますから、そう構えるものでもありませんよ」

「準備?」

「ええ、ハレリアがジョン君という異世界転生者の身柄を預かるための準備です。要するに、諸国諸侯に情報が漏れてもいいように、根回しをするのですよ。相手が代償を求めれば、支払えばいいのです。皆に同じような代償を支払えば、一応の義理は立ちます。そのためには、一度諸国首脳会議が必要になると思いますけれど」

「思惑って?」

「来年の戦争でエルバリアとブロンバルド、そして聖教国をすべて壊滅させますが、それ以前に諸国首脳会議を開きますと、確実にまとまりません。

ですから、それまでは秘密で通させていただきます」

「……思惑、思惑か……」

 

少年は座ったまま腕を組んで唸る。

要するに、敵国を仲間外れにすると色々と問題があるので、敵国を滅ぼしてからサミットを開催しようというわけだ。そうすれば会議がある程スムーズに動く他、異世界転生者を毛嫌いする勢力を排除できるため、ベルベーズ大陸全体で考えると、とても都合がいいのである。

結局、敵国を除け者にしようということには違いないが、国民に与える印象はかなり変わってくるだろう。

 

敵国が滅んでから、初めてハレリアは異世界転生者、つまりジョンのことを公表するのだ。

あたかも、つい最近発見したかのように。既に滅んだ敵国は、何も文句が言えない。健在な国も首脳会議で丸め込めば、ハレリアの戦略的政治的な勝利は揺るがない。すべてはハレリアの都合のいいように進んでいくだろう。

――今までの手腕を考えると、多少の不都合は彼女らなら解決してしまいそうだったが。

 

「仕方ねえっちゃ仕方ねえかなあ……」

 

赤毛ショタの成り損ないは後ろ頭を掻く。

ハレリアにだけ都合がいいというわけではない上に、敵国のやり方が彼にとっても気に食わないものであるため、それが綺麗な方法ではないと分かっていても、下手に口は出せなかった。

時間を指定して相手を滅ぼすという言葉がさらりと出ているなど、受け入れるには抵抗のある要素もあったが、代替案も思い浮かばない。

 

「――なので、ジョン君の設計図とこれらのメモ書きは、戦争が終わるまでは機密情報とさせていただきます。これから作る場合でも、渡す相手はモーガン君ではなくエヴェリアさんにしてください」

「わかった」

 

少年は右手を上げて了承の意を示した。

そして、少女が確認のために手に持っていた木簡を受け取る。それには、ある計算式が書かれていた。何の気なしにそれに目を通したジョンだが、その表情が見る見る内に引き()っていく。

 

「それでは私はこの辺で失礼させて――どうかなさいましたか?」

「……」

 

おそらく、話をしていて気分転換になったからだろう。

今まで見えていなかったものに、ジョンは気付いた。

 

「――これ、ワイヤーの計算式じゃねえか……!」

 

ミスとは案外、気付いてみるとなんでもない、馬鹿なミスであることが多いものである。

 

 

 

それから10日ほど後、鍛造(たんぞう)装置は完成する。

 

大まかに説明すると、H鋼の縦長の枠に鋳造の分厚い鉄板を溶接し、その下から同じく分厚い鉄板を配置して省力装置で吊り上げ、プレス加工するという方式である。

省力装置としてジョンが選択したのは、梃子と滑車だった。

長いアームを持ったレバーの途中に取っ手を引っかけて、レバーの先端をフック付きの滑車で引っ張り上げるのだ。

両方とも、地球では紀元前から使用されていた太古の省力装置であり、ハレリアにも当然存在していた。

また、普通の形状ではレバーの強度や取っ手の強度が持たないため、軽量化と強度向上のために細いH鋼が用いられた。

 

赤熱した鉄の塊を間に入れてクレーンを巻き上げ、しばらく待つと、冷えた鉄が少し平たく変形していた。現場では、これを数回繰り返し、板状に成型することになる。一度だけでは、冷え固まる時間の方が早くなってしまうのだ。

 

「おお……」「本当に延びてる……」

 

それを見た鍛冶職人達が驚きの声を上げる。お披露目は、ハートーン男爵の工房で行われていた。

 

「この取っ手は、大き過ぎはせんかね?」

「いえ、このくらいないでないと鉄が持たないんで」

「ほほう、なるほど……確かに力をかけ過ぎると剣でも折れたり曲がったりすることがあると聞く」

「ええ、かかってるパワーが馬とかの比じゃねえもんですから、壊れると人が死にかねねえんでさ」

「ふむ……」

 

ジョンに色々と質問していたハートーン男爵は思わず唸った。

 

「まさか君のような少年がそこまで考えるとはね……」

「え、えー……………………師匠から聞いたもんで」

 

少年は腕を組んで首を捻って、必死に言い訳を考えた。彼は異世界転生者で、前世は50歳で病死している。

経験値ではハートーン卿を遥かに超えていた。

 

「なるほど……そういうことにしておこうかね」

「すんません……」

 

咄嗟の嘘が速攻でバレたようだが、白髪交じりの赤茶髪の中年紳士は深く追求しないことにしたらしい。

ジョンからすれば、正直に転生のことを話してしまうわけにもいかないため、非常に助かることだった。

 

ここまでのパワーを持った非魔法系装置は、マグニスノアでは世界初のものである。

当然、この赤毛少年以外にそれを扱った経験のある者などいるはずもない。

 

 

 

しばらくすると、金髪の青年がハートーン男爵の下に詰め寄ってくる。そして、隣の少年を指差して叫んだ。

 

「なんでこんなガキが工房主なんてやってるんですか!?」

「落ち着くんだ、ベルナール」

 

白髪交じりの赤茶色の髪をした中年紳士がなだめる。どうやら、どこかでジョンが工房主をやっていることを聞きつけて、やって来たらしい。

 

「そんなに工房が余ってるんなら、俺にも回して下さいよ!そりゃ修行するのが難しくなるのは嫌ですけど、今のままじゃ暴走しそうな連中を抑えられませんって!連中の嫉妬に油を注いでどうするんですか!どこかの工房に弟子として入れるとか、方法はあるはずです!」

「お、お、落ち着け、落ち着くんだ。私に工廠人事の決定権はないんだよ。文句なら役所に、役人に言うべきだ」

 

まさかの正論にハートーン男爵もタジタジである。

 

「あー……うん、でもなぁ……」

 

少年は頭をひねった。

ベルナールと呼ばれた青年の言うことも、わからないではないのだ。ジョンが今のまま活躍すると、品行に問題のある若い職人達が嫉妬を募らせるばかりなのである。それを解決するには彼がどこかの工房の弟子になるしかないが。

ジョンは異世界転生者で、その事実は工廠においても機密事項。

迂闊に誰かと一緒に仕事をさせるわけにもいかない。

 

何より、ジョンが持っている異世界の知識は、うっかりで外に漏らしていいものではない。仕事にパートナーがいればはかどるのは確かだが、それは同じ知識を持っていればの場合だ。そうでないならば、はっきり言って他の工房に注文を出すのと何ら変わりがない。そういった仕事上のメリットと、機密漏洩のリスクを考えれば、やはり彼は1人でやっていた方がいいのである。

 

 

ハートーン男爵も、爵位を持っているからにはジョンの事情を知っているかもしれない。それでも、やはり話してしまうわけにはいかないのも確かなのだ。

 

 

つまり、少年の口から助け船を出すことができない。ハートーン男爵は、この後延々と弟子からの小言に反論もできずに聞き続ける羽目になることは、容易に想像できる。

 

ベルナールの心を抉る小言を右から左へ流しながら、いつか必ずこの埋め合わせはしようと、ジョンは心に誓った。

前世50年の経験がある彼には、今の赤毛中年紳士の心情が痛いほどに理解できたのだ。

 

 




ジョン少年観察記録中間報告、その2。

安定的変異体『マキナ・アルト・シュレディンガー』が少年と接触した。

私は彼女に少年の内面調査を依頼するか悩んだが、控えた。
『神は無闇に人の営みに干渉するべからず』というケルススの言葉が私を止めた。
ここは彼の領域だ。
確かにこの程度のことで通常業務以外の干渉を行うべきではない。

少年は、近代的思想に基づく鉄工設備、生産設備のアイデアに関しては広めるつもりのようだ。
ハレリアの管理者が要求したからというのもあるが、もしかすると政治的な判断はハレリオス王朝に投げるつもりなのかもしれない。
もっとも、今のところクオリティの面で見れば近代工業には程遠い代物でしかないのだが。

まだ経過観察が必要と判断する。



鋼材:
現代地球における鋼材について。

近代文明において、鋼材の断面はある程度研究が進み、鉄鋼所では特定の用途に適した断面の鋼材が生産されている。
中実丸棒、中空丸棒、H鋼、アングル鋼、I鋼、T鋼、コの字鋼、鋼板などがそれに当たる。

いずれも梁材で、断面形状から名付けられている。
理由は、梁材の強度の性質と値段が、材質と断面形状で決定するためだ。
今回は断面形状の話であるため、材質の話は考えないものとする。

中実丸棒はコイルバネ、動力軸等に使用される。
中身が詰まっているため大きな力が加わっても形状が変化し辛く、強度を維持することが要求される場所に利用される。
逆に強度に比して重量が嵩むため、軽量化が必要な場面ではあまり使われない。

中空丸棒は看板や標識の柱や街灯、電柱等に使用される。
中身が空であるため断面積、つまり重量に比して強度が高く振動にもある程度の耐性を持つ。
特にどの方向から曲げ力を受けても変形し辛いことが要求される場所に利用される。
日本では風雨、台風クラスの暴風が意識されることが多い。
逆に局所的な力やねじり力には弱く、円形であるため内部に手を入れることが難しい。

H鋼は建設現場にて多用される。
文字通りHの形の断面をした梁材で、特定の方向からの力に対しては最高の強度を誇る断面形状を持つ。
特定の方向とは、Hの横方向と、断面方向、つまり柱としての強度である。
大抵は押出し成型品が出回っているが、鋼板を組み合わせて現場で溶接することも行われている。
加工のしやすさ、手の入れやすさ、コンクリートを流し込んだ際の芯としての有用性など、使い勝手の良さから多くの場面で見かけるだろう。

ジョンが今回、これを選択した理由は、中世としては異常な梁材の強度を、H鋼で手軽に実現できるからである。
現代地球において、H鋼はプレス機によく利用されている断面形状であり、強い力のかかる場所はとりあえずH鋼と言われるほどの信頼と実績があった。
幅30センチ厚さ12ミリの鋼板を組み合わせたH鋼は、10メートル級のクレーンの梁に使用されており、5トンもの重量物の懸架に耐えるとされる。

なお、他の断面形状に関しては、スペースや値段との相談が主な内容となるため、説明は割愛する。



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災厄の報せ

ハレリア王都ルクソリス貴族区、ハーリア公爵家敷地内、宰相府。

 

「まだ彼の武術大会のパートナーは決まらないのか?」

「まだ選定中だよ。最悪、エドウィンという選択肢もあるが、彼ではベテランに交じって活躍するのは難しいだろうね」

 

ジョンの、武術大会の相方選びは、難航していた。

 

「異世界転生者と知らせてしまうわけにはいかないというのが、こうも大きく響いてくるとは……」

 

エヴェリアは険しい顔をして唸る。肌が若いので、眉間にシワが寄らないのがポイントだ。

 

「こればっかりは、事前に準備できるものではないからね。鉄装備でもいいという騎士が少ないのは予想していたのだが……」

 

ハーリア公爵も険しい顔をして、眉間にシワを寄せていた。

 

ジョンの実力を知らしめるには、異世界の知識に存在しない魔法関連はNG。かといって、非魔法武具で武術大会に挑もうという騎士は1人もいなかったのだ。そして、有名どころにはすべて、独自の作り手が付いている。

それでも、非魔法武具で出場しようという、奇特な人間が存在しないわけではない。ただ、ジョンが内域に入ってきて半年もなく、さらに若過ぎるという点がネックとなった。

 

要するに、仕事が信用されていないのだ。

鍛造(たんぞう)も役所を通じて普及が始まったばかりで、そこまで評判は広がっていない。まだ内域の工廠に慣れていない可能性もある若者に、自分の命運を預けるという者はいなかったのである。

 

「強権を発動するわけにはいかないんだろう?」

「騎士全体の士気に関わる。マディカン公爵が許さんよ」

 

宰相が口にしたのは、彼に比肩する強権の持ち主だ。

 

「ハレリア王国軍元帥か……」

 

エヴェリアは呟く。

 

元帥とは。

ひとことで言えば、上級大将の上の階級である。

軍では戦場で連携が寸断され、お互いや司令部、指揮官と連絡が取れなくなった場合、上の階級の者に従うというルールを作っておくことで、指揮系統の混乱による損害を最小限に留める工夫が行われていた。

これが軍で階級が作られた理由である。

 

兵卒、下士官、士官、佐官、将官と、平時に率いる兵士数に上限が設けられているのが一般的で、そのために、時に将官数名では受け止めきれない人数の兵士を率いる軍団が編成される際、そのトップとして上級大将という階級が置かれることがあった。

それでも受け止めきれない場合に置かれるのが元帥だ。

 

しかし、現代地球においてはその原則も崩れるケースがあり、単に軍における最高権威者、つまり箔付けの意味で用いられることがある。

 

ハレリア王国における元帥の称号はやや異なり、いわゆる国防大臣、あるいは軍務大臣が慣例的に軍を直接率いる司令長官を兼任することから、元帥という称号が使われていた。

つまり、単純に軍のトップという意味である。

 

「だが、抜け道はある」

 

ハーリア公爵は言った。

 

「――本来、このような一か八か(ギャンブル)は、為政者として好ましくないのだがね……」

「それで、抜け道とは?」

「騎士に対して強権を発動するのがまずいのはね、騎士の叙任手順が関わっているのだよ。

兵士から騎士になる場合は、単唱器を扱った戦闘への移行を要求され、星王術士から騎士になる場合は武器戦闘への移行を要求される。

武器戦闘に強いのは当然兵士から移行した場合なのだが、それが命令で単唱器の使用を禁じる戦闘を強要され、しかもそれがどこの誰とも知れない子供のためとなると、騎士全体の感情を害するのは当然というわけだね。

――ならば、まだ騎士となっていない兵士の中から選べば、問題はないということさ」

「しかしそれでは――」

「ああそうだとも。条件を満たすのは、より厳しくなるだろう。彼にそこまでの実力があるのを期待するしかない」

 

だが、エヴェリアは別のことを心配する。

 

「異世界の技術を大々的に使われでもすれば、そもそもの思惑が崩れないか?」

「それで勝てると思うかね?」

「弩砲をたくさん作れと言われて、弩砲ではなく弩砲を作るための施設を作ろうとするような男だぞ?」

「……」「……」

 

少女の指摘(ツッコミ)に沈黙が流れた。両者のこめかみに、一筋の冷汗が流れ落ちる。

 

 

 

『取り込み中申し訳ないが、『災厄の報せ』だ』

 

『私』は告げる。

執務室の机の上に座布団の上に鎮座していた黒い卵が、黄緑色の淡い光を放って明滅した。

 

『この部屋より南方5、0、16、水外1区、『魔物』と思われる、変異熱反応を確認した』

「マキナ様は動いておられますか?」

 

ハーリア公爵は、少し驚いた後に冷静さを取り戻し、聞き返す。

 

『動いているようだ。到着まで後205秒かかるだろう』

「それくらいでしたら、展開している『網』で持つでしょう。宰相府は事後処理に動きます」

『了解した』

 

黄緑色の光による明滅が消えた。黒い卵は黒い卵、と世界が定めた通りに。

 

「聞いての通りだ。我々行政は、事後処理を行う」

「い、今のが――」

「そう、『災厄の使者』とも呼ばれる、この世界(マグニスノア)最古の神族(かみぞく)、『蛇王の使い』だ。

――君のような者ならば、見たことはあると思ったがね」

 

呆然とするエヴェリアに、金髪の中年紳士は新しい紙を出して素早く手を動かして書類を作りながら言った。

 

「あ、いえ、父の執務室にも黒い卵が置いてあるのは知っていたが、実際に動くところは……」

「そうかね。まあ、イリキシアでは彼女が報せるような災厄は起きないのだろう。平和なようで何よりだ。

――それでは、これを持って水外1区へ走りたまえ。

おそらく混乱する現場は、軍と行政が入り交じるはずだ。マキナ様が指揮してくれればいいが……。彼女にそれを期待すると、後が面倒なのさ。

なので、今回は君に衛兵の詰所の方へ向かってもらい、ハレリオス家の手の者を遣わす旨を伝えてもらう」

「あ、はい、承知した」

 

長い黒髪の小柄な少女は、押し付けられた書類を慌てて受け取り、執務室を出て走っていく。

 

「頭が働いていない状態でも、命令されたことには従う、か。中々仕込みがよいね。さすがはボナパルト家と言ったところかな?」

 

ハーリア公爵は呟き、自らも執務室を出て、大臣達が集まっているであろう会議室へ向かう。軍は事件が終わるまでが仕事だが、行政は事件が終わってからが仕事だ。

それが未来永劫続くものであろうが、仕事は仕事なのだ。

 

 

 

数分前、水外1区。神殿前広場。

 

突如出現した真っ白な怪物に知性があるとすれば、首を傾げていたかもしれない。

兵士が警備に当たっていたからではない。そんなことは、この規模の都市ならば普通にあることだ。治安維持目的で、人の集まる広場に兵士を警邏させることなど、珍しくもない。

 

警備兵、自警団、衛兵、兵士。

それらの区分が曖昧だったこの時代、割と兵士なら誰でも良かったという部分があった。例えそれがより強い権限を持つ騎士であろうと、民衆が困っているのならば対応する。

そういう、騎士道がまかり通った時代が、地球にもあった。

だが、真っ白い怪物を生み出した術者――狂った哄笑を上げ、怪物を制御していたと思い込んでいたがゆえに、怪物に殺されるその瞬間、なぜ自分が生み出した怪物に殺されるのか、理解できなかった愚か者――も、この光景は想像していなかったに違いない。

 

広場一面の、人人人。

その半(・・・)数以上が(・・・・)鎧に身(・・・)を包み(・・・)剣や槍(・・・)などで(・・・)武装し(・・・)ている(・・・)。明らかに、警邏だの警備だのという規模を超えた数の、兵士や騎士が、そこにたむろしていた。

突然の怪物の出現に、一様に驚いた様子。

 

「伝令、走れぇぇぇっ!」

 

1秒か2秒後に怒号が響き渡り、数人が広場を後にする。

 

「衛兵隊は住民の避難誘導!」

「第18から第24歩兵隊及び第3騎士隊は、訓練通り隊列を組め!」

 

命令系統は2つあった。衛兵隊と国防軍。混線の危険よりも、住人の避難誘導を優先した結果である。

 

白い怪物を中心に、盾を前に、後ろから槍衾(やりぶすま)を展開。歩兵は身を低くして、魔法武具を構える騎士の射線を開ける。

マグニスノアでは一般的な、防御の頭越しに飛び道具である魔法武具で攻撃を仕掛ける防御陣形だった。単純であるがゆえに、これを破るのは非常に難しいとされる。ハレリアでは、この陣形を破ることが兵団長への昇進試験とされるほどだ。

 

だが。

寸胴でのっぺりとした、白い皮膚を持つこの怪物が相手では、そこまで鉄壁とは言えない。

 

「放てぇぃっ!!」

「ソレミタコトカァァァァァッ!!」

 

撃ち込まれた騎士の単唱術をものともせず、怪物は魔法を使った。

それは騎士の星王術よりも威力が高く、盾越しに受けた兵士達を、猛烈な風で空高く舞い上げる。幸い、鎧を着ていても即死するほど高くは飛ばされなかったが、防御陣形に大穴が出来上がった。

 

「穴を塞げ!負傷者を下げろ!動ける者は手伝――!!」

 

指揮官が怒号を上げる中、騎士達は援護のために次々と単唱術を撃ち込んでいく。なんとか陣形を立て直すも、それを嘲笑うかのように、怪物は正面から突撃を仕掛けてきた。

攻撃を受け止めようとした盾が、呆気なく引き裂かれる。そのまま怪物の異様に白い手は、兵士の鳩尾にめり込んで、背中に突き抜けた。

 

「う、オオオオオオオオオオッッ!!」

 

隣にいた大柄な若い兵士が、咄嗟に怪物を剣で攻撃する。全力で振り下ろされた剣は、白い怪物の、兵士を貫いていた腕にめり込んだ。切断には至らなかったが、衝撃で何かが折れる鈍い音とともに白い腕が抜ける。

その隙に腹を貫かれた兵士は別の兵士に救出され、治癒術士のもとへ運ばれていく。だが、若い兵士が振り下ろした剣は、半ばで折れ曲がってしまった。それでも、彼は構わずに折れ曲がった剣を怪物に叩き付ける。

 

怪物は避けることもせずに頭でそれを受け、剣が頭にめり込むのにもかかわらず、折れた腕で平然と反撃に出た。若い兵士は身を投げるようにして地面を転がり、すんでのところでそれを避ける。

 

「オオオオオオオオオオオオッッ!!」

「ソレミタコトカァァァァァッッ!!」

 

互いに雄叫びを上げ、再びぶつかる。

その隙に、崩れた陣形が2人を中心に組み直される。前に騎士が展開する。だが、若い兵士は下がらない。剣が異様に折れ曲がるのも気に留めず、何度も怪物に叩きつけていた。

 

数本の剣が投げ込まれる。

青年兵士は何度か、それを拾って怪物に叩きつけていたが、すぐに止めた。結局、剣が耐えられないのである。しばらく、メイスやハンドアックスなどが投げ込まれたが、どれもさほど持たない。

そして最後に、両手大剣(トゥハンデッドソード)が放り込まれた。刃が長くて幅広く、分厚い剣だ。単純に重くて取り回しが悪いという理由で、あまり兵士には好まれず、素振り用の剣として衛兵の詰所の倉庫に眠っていた品だった。

 

さすがに重さも長さも相当高いこの剣での一撃は、怪物の腕を切断するに至った。だが、いつの間にか折れていたはずの腕が再生している。その事実を意に介さないかのごとく、青年兵士は荒れ狂う暴風のように剣を振い続けた。それでも攻撃してくる白い怪物の身体を削り飛ばしながら、真っ白な肉体の再生を上回る暴虐が振るわれる。

 

大きなどよめきが起こった。

 

青年兵士がなかなか下がらないのは、功を求めた結果ではない。退避する隙を見出せないからなのだ。

白い異形の怪物はダメージなど無視して、痛みを感じないかのごとく攻撃を仕掛けてくる。一瞬でも背を向ければ、背中から心臓を貫かれるかもしれない。

そんな戦況に気付いたからこその、兵士達のどよめきだった。

 

しかし。

 

「まずい……騎士隊、援護用意!」

 

それに気付いた騎士隊の隊長が、声を張り上げる。

通常よりも遥かに幅広に、頑丈にできた両手大剣でさえも、徐々に表面の焼き入れされた鉄にヒビが入って剥がれ落ち、衝撃に耐えきれずに曲がり始めていたのだ。

 

「タイミングを合わせろ!勇士を死なせるな!」

 

しばらく見惚れていた兵士達、騎士達が、指揮官の声に我を取り戻す。

 

そして――。

 

 




星王神話:

5千年前から存在する伝承を、1千年前にオートレスとケルススが編纂し、書物にまとめたもの。
『黎明の大破壊』、『神族戦争』、『魔法黎明期』、『星王術の始祖』、『混沌の夜明け』の五大編、130以上の小編、数千もの章からなる超大作。

原典はルクソリス中央の星王大神殿地下書庫に納められており、毎年神官達が写本を作成して各国に配布している。

内容にはベルベーズ大陸だけでなく、東のロマル大陸、南のレッドラント大島など、例外なく全世界の出来事が細かく記載されている。
また、主要な物語については現象の規模や性質があまりにも人の想像力を超えている上に、土着の創世神話を否定する内容も含まれるため、信憑性に疑問を持つ声も少なくなく、研究の結果、新たな解釈を加えて派生した神話も多くある。

なお、1千年前に編纂されて以降に誕生、あるいは派生した宗教は、ほとんどがこの星王神話かその派生を基礎としており、今なおその影響力は高いと言える。

一通り読むだけで10年かかると言われるなど、写本があまりにも長いため、一般的な信者などは要点を抑えた解説書が作られている。
ただし、共通して創世神話の記述がないことから、創世神話についての記述が写本には意図的に書かれていないとする憶測が飛び交い、神学家が独自の創世神話を創作して発表し、新たな宗教が作り出される土壌となっている。



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ぱんつ

「最近、周囲で猫耳髪飾り(カチューシャ)が増えてきている気がするんだが……。

こっそり余所へ布教活動に行ったりしてないだろうな?」

 

朝、やってきた黒髪少女にそんなことを言われた。

その頭に揺れる黒地に白の猫耳は、ジョンが仕事の合間に、彼女に似合うように毛皮から特注した逸品だ。専用に作っただけあって、非常に似合っている。ただ、黒髪少女、つまりエヴェリアが弄り倒した結果、似合うように調整されているに過ぎないのだが。

 

「むしろ知らねえから流行ってんだろ」

「知らないからだと?」

「そりゃ、エヴェリアみてえな可愛い子がファッションとして着けてりゃ、真似する女の子も出てくるさ。貴族の習性って言ったっけ、着こなしっつーか、着けこなしが並みじゃねえから、異常なほど似合ってるし」

「むぅ……」

 

似合っていると言われたせいか、エヴェリアはやや照れる。

つまり彼女は知らず知らずの内に、いわゆるファッションリーダーとしての役割をこなしていたのだ。猫耳を作ったジョン自身も、意図していなかったことである。

 

「んじゃ、これ、『足踏み式回転砥石』の設計図な」

「……理屈では分かっていたが、まさか本当に一晩で描き上げるとは……」

「俺の世界じゃ、まだ検証も済んでねえ参考図ってことになるんだがな」

「このクオリティで参考だと……?」

「一応、動くようには作ってあるが、実際に作ったわけじゃねえから、どんなトラブルがあるかわかったもんじゃねえ。前みてえに、とんでもねえ計算違いとか、してる可能性もあんのさ」

 

人間である以上、不注意による間違いだけはどうしようもない。そのために何重にもチェック機能を用意するわけだが。問題は、現時点でジョン以外に異世界の知識を理解できる人間がいないことだ。

それに、この世界にある魔法という、彼にとって未知の要素が絡んで、発明品が思ったように動かない可能性もある。

だからこそ、できる限り実験してから量産するというわけだ。

 

「アリシエルがガチな錬金馬鹿じゃなけりゃ、数式を教えてチェックしてもらうんだがな……」

「あれは仕方がない……」

 

2人は遠い目をして呟いた。

今は、モーガンとエヴェリアの2人掛かりで、錬金術以外の一般常識について教えているところである。基本的な流通の原理から神石(かみいし)を節約しなければならない理由など、錬金術から少しでも外れた分野の知識が、田舎者の方がマシなレベルだったのだ。

 

その代わり、錬金術に関する知識は群を抜いていた。

本来、錬金術師として1人前になる年齢は20代半ばであり、武具大会で活躍できるのもそのくらいの年齢なのだが、アリシエルは17歳という若さでベスト4に輝いている。兄のエドウィンという、天才騎士と組むことができた恩恵があったとはいえ、なかなか出せない成績だ。

また、まだ単唱器を作ることができないというだけで、1人前の錬金術師でも難しいとされる、儀装円(ぎそうえん)の作成もできるという。

 

儀式魔法を行使するための銀製の円環、儀装円(ぎそうえん)は、錬金術には必須となる道具の1つである。儀装円(ぎそうえん)は通常、それが作成できる錬金術師が専門に作成を請け負っており、その作成技能は錬金術師にとって大きな利点(アドバンテージ)となる。

必要な儀式に合わせ、自分で好きなように専用の道具を作成することができるということなのだ。それが錬金術師として有利なのは言うまでもない。

 

「普通に接してると、アホの子だからな」

「言ってやるな」

 

あまり続けるとアリシエルが可哀想なので、次の話に移る。

 

 

 

数日後。

 

「武術大会のパートナーが決まった」

 

エヴェリアが話す。

 

「お、あのメンドクセえ条件に当てはまる奴がいたのか」

「武術大会出場希望者で、兵士出身の騎士かそれに準ずる実力者、さらに術を使わなくても構わないという人間。極めつけは、転生者の話は伏せておくこと。

今回のような幸運に恵まれでもしない限り、何十年に1人出るかどうかだな」

 

改めて口に出して確認する少女は、その条件の厳しさを再確認した。

だからこそ保留となっていたのだ。

 

「こんな大会でヤバイのをお披露目ってわけにもいかねえもんな」

「普通は術なしで騎士を倒すというだけでも、相当な腕の職人でも尻込みするんだがな……。この辺はやはり異世界転生者か」

 

エヴェリアはジョンの物言いに少し慄く。技術的な制限がなければ、素人でも騎士を倒しうる武器を作ることができると言ってのけたのである。

 

「なんでまた。武術大会って、原則何でもありなんだろ?じゃあ、弩砲でも持ち込んだっていいじゃねえの」

「それは――!……ルール上は問題無いが……」

「まあ、いいや。それで、俺のパートナーってどんな奴なんだ?」

 

とんでもないことを言い出した赤毛チビは、黒髪ロリに先を促した。

 

「近衛騎士の候補として今朝、認定された兵士だ。名前はマルファス。詳しくは役所の方で説明がある」

「役所?」

 

ジョンはキョトンとした顔で聞き返す。

 

「そうだ。正式にエントリーが決まるわけだからな、色々と手続きもある。

……というのは建前で、どういう男なのか、ひと目で分かるものが役所に届いている。トラブル、というよりも事件の結果として生み出されたものだ。

こっちに持ってくるわけにはいかなかった。ハートーン男爵の希望でもある。今から役所に来てもらえないだろうか」

「ぱんつ見せてくれたら行く」

 

椅子で殴られた。

 

「き、貴様はっ!こんな真面目な話をしている時に!ぱぱぱぱぱんつだとぉ!?」

 

顔を真っ赤にして、甲高い声を上げて喚き散らすエヴェリア。

 

「おおう、いきなりセクハラ発言したのは悪かったから、椅子振り上げるのはちょっと勘弁してくんね?

いや、さっきので割とマジで血が出てるから。冗談じゃなく撲殺されそうだから。ホントにゴメン!マジでゴメン!だからそれで殴らないで!」

 

椅子で殴られたせいで頭部の皮膚が破れ、ダラダラと血を流しながら、ジョンはジャンピング土下座を敢行した。

 

「ふー、ふー、ふー……」

 

必死に謝る怒りで興奮していた呼吸が落ち着いてきたエヴェリアは、なぜか再び顔を真っ赤にして慌て出す。

肌が雪のように白いため、ジョンなどよりも顔が赤くなっているのが分かりやすい。

地球でも、スラヴ人、白人などに多く見られる特徴だ。

 

一説によると、日本の鬼はこのような白人の肌の性質を表した妖怪だという。

お酒を呑むと体が赤くなり、恐怖などで血の気が引く様子を、日本を含めた多くの地域で『青くなる』という。その上、特にスラヴ人は体が大きく、当時かなり身長の低かった日本人からすると、見上げるほどの巨体に感じられたことだろう。

そして、体が大きいということは筋力が高い。

さらに言うと、鬼のイメージとして、なぜか金髪というものがあった。

ナマハゲのように黒髪というものもあるが、鬼が民話に登場するのは1000年以上前の話である。

その当時からシベリア、アイヌ地域経由で流れてきた白人種との交流の結果と考えているのが、その説のポイントだ。

 

「ぱんつ、ぱんつを見せればいいのか?」

「ゑ?」

「いや、しかし、ぱんつは……」

 

エヴェリアは何か、冷静になり切れていないらしい。目をぐるぐる回しながら黒髪を振り乱して頭を抱え、唸り出す。

 

「もしもーし?今の冗談だからね?マジになんなくていいから。だからとりあえず落ち着こうぜ、な?」

「うー、むー、るー……」

 

何事か、意味不明なことを唸り始めた。そして、白い顔を真っ赤にして、目を潤ませて、こんなことを言う。

 

「その……な、女子は、ズボンと同時にぱんつは穿かないんだ……」

「――」

 

ジョンは思わず顔を上げて、凍り付く。

 

「ぱんつはいてない……だと……?」

「………………………………………………………………………………うん」

 

長い長い沈黙の後、雪のように白い肌をした黒髪ロリは恥ずかしそうに、頷いた。

 

それでは説明しよう。

地球は中世ヨーロッパにおける、下着事情である。

 

最初は、適当な大きさの布か毛皮を腰に巻きつけたのが始まりとされている。それが、いわゆるフンドシ型と腰巻き型に分かれた。

話によると、古代エジプトのツタンカーメン王は、145枚のフンドシと共に埋葬されたという。何か宗教的な意味もあったのかもしれない。

 

日本では、このフンドシが男性用、腰巻きが女性用として、大正時代辺りで現在のショーツの原形が発明されるまで、昔ながらのそれらが着用されていたようだ。

 

古代ローマ帝国時代には一度、股と尻を隠すショーツ型の下着がローマ市民に広まったらしい。下着を隠すという文化もこの頃にはあったというから驚きだ。

 

しかし、中世になると毛や麻などの目の粗い織物から、柔らかい綿などの平織りの布が用いられるようになる。またゆったりとしたデザインが流行し、腰と太腿で紐で固定する、ブライズという下着が着用された。いわゆる『ドロワーズ』に近いものであり、両者の間に関連性がうかがえる形状のものだ。

 

また、豊かな者、貴族や富豪の男性はチャスズという、体にぴったりとした薄手のズボンを着用していたようだ。このチャスズというズボンは、隠されることがなかったため、厳密には下着ではないという議論もある。

ルネッサンス期に、男性が股間を強調するファッションをしていたということにも、理由がありそうだ。見せる下着、つまりスパッツのようなものと考えればいい。

 

さて。エヴェリアの服装を見てみよう。

 

女性役人用の、紺色の上下。上は普通に、綿のブラウスの上に、麻のブレザー。下はさすが古き良き時代の、足首が見える程度の奥ゆかしいロングスカート。靴も履いていて、短い靴下も履いている。靴は革製で、靴下は綿製の、足を収める袋といった感じである。

 

さて、その下の、足首に見えているズボンだが。

染められていない乳白色で、おそらく綿製、パッと見では薄手に見える。先の説明による、チャスズというものと呼べなくもない。本来男性用のものだ。

これは中世西洋の宗教文化的には男装のためアウトになるのだが、ハレリアにそのような縛りはない。

その辺を考えると、マグニスノアと地球は文化が違うということなのだろう。

 

だが思い出してほしい。チャスズは、下着かどうかについて、議論がある。つまり、下には何も穿かないのかもしれないのだ。

もしかすると、エヴェリアが言った『ぱんつ』とは、ブライズ、つまりドロワーズのことだったのかもしれない。ならば、ズボンとドロワーズを同時に穿かないというのは理解できる。

 

ここで紳士を自称する――大嘘だが――ジョンは、立ち上がって思考するポーズを取りながらこう思う。

 

「それが下着ならば、それもよかろふぎぃっ!?」

 

いつの間にか設計室に来ていたアリシエルに、容赦なく股間を蹴り上げられた。

思考がばっちり口から出ていた。

 

「引越しの作業が終わったから遊びに来たら、何なのよこの状況!?」

 

色々な勘違いから涙目なエヴェリアを背中に庇いながら、黒いローブの金髪少女は身構える。

股間というのは、実は男性器に直撃するよりも、肛門に直撃した方が痛みは大きい。

 

――そんな下らないことを考えながら、少年は床に崩れ落ちた。

 

 



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真実の痕跡

「簀巻きなう」

「この状態で連れてくる方が面倒だったでしょうに」

「いや、なんかジョン君がエヴァりんに襲いかかろうとしてた的な雰囲気だったから……」

「ジョン君?」

 

白いローブの少女は簀巻き状態のジョンに向き直った。フードの奥の笑顔が恐い。

 

「冗談のつもりの失言で予想外にパニクられたのは事実。

この場合、俺がどう思うかよりエヴェリアがどう思うかの方が重要だと思われ。簀巻き状態もいたしかたないかと思ってる」

「なるほど。それで、なんと失言を?」

「ぱんつ見せて」

「判決、死刑」

「アッ――!」

 

主人公である赤毛チビが愉快なことになっている間に、モーガンが役所の応接室の机に、例の品物を載せた。

 

「しっかし、なんだってこんなもんを回収してきたんだ?」

「……状況を説明するのに手っ取り早いと、シュレディンガー伯爵が……」

 

アリシエルのローブの裾を掴んだエヴェリアは、ボソボソと低い声で説明する。

 

実はこの大貴族令嬢な黒髪少女、いつも偉ぶっているが、根本的なところで14歳の少女なのである。貴族の令嬢としての心得を教わり、覚悟を決めていると口では言っていても、恐いものは恐いのだ。

だから、あからさまなセクハラなどを受けると、迫られていると勘違いしてパニックになることがあった。

 

「さすがに私達のように、とはいきませんか。とはいえ、政治家を目指すのでしたら、この手のセクハラには慣れなければいけませんね。

この状況を見るにいきなりというのも厳しそうですし、徐々に慣らしていきましょう」

「……わかった。すまない」

 

政治家への道は、険しく、厳しい。

 

 

 

とにかく、話を進めるために、5人で席に着くことにする。(ジョンは簀巻きから解放された)

 

テーブルの上には、マキナの指示によってエヴェリアと白いローブの少女が回収してきたという、剣のような何か。飴細工のようにねじ曲がり、(つか)(つば)も壊れている。

 

「さて、コレ(・・)について、エヴェリアさんが言った通り、主にジョン君に見せるために、現場から回収されました。まずアリス、錬金術師から見て、どう思います?」

 

場を取り仕切っていた白ローブの少女が、アリシエルに話を振った。

 

「さっぱりよ」

 

金髪黒ローブの少女は少し触れてみて、肩をすくめてはっきり言う。

 

「マキナ様が回収を指示したのなら、何かあるとは思うんだけど。精霊力の浸透率から見ても普通の鉄みたいだし……。

これが軽銀(アルミニウム)だったら、もうちょっと調べは付くんだけどね」

 

錬金術師的な見解と言えるだろう。

 

「錬金術師は素材の見分け方と、形状を考える以外に頭は使いませんしね」

「それって馬鹿ってことか?」

「馬鹿っゆうな!」

「なんで俺ー!?」

 

なぜか聞き返したモーガンを椅子ごと蹴倒すアリシエル。

 

「では、ジョン君はどうです?」

 

白いローブの少女は涼しい声色で、鍛冶師の少年に水を向けた。話を振られたジョンは、いつになく真剣な表情をして腕を組み、黙り込んでいる。

 

「……」

「ジョン君?」

「あ、ああ、悪い……いや、マジで聞きたいんだが――何があったんだ?」

「何か分かったの?」

 

モーガンを踏んでいたアリシエルが振り向いた。

 

「だってこれ、相手は(・・・)明らかに(・・・・)人間じ(・・・)ゃねえ(・・・)だろ(・・)

使った方も人間かこれ?正しく人間離れしてやがる」

「……」「……」

 

事情を知っているらしき白いローブの少女とエヴェリアが、顔を見合わせる。

 

「驚いた、大筋で当てたぞ」

「私も驚きました。ただの変態ではなかったのですね」

「え、どういうことなの?」

 

理解できていないアリシエルが尋ねた。既にモーガンは足の裏から解放している。

 

「これはな」

 

説明のために口を開いたのはジョン。

 

「――元々は、『ロングソード』だ」

 

『ロングソード』という名称には、2つの意味がある。

1つは、一定以上の長さを持つ片手剣の総称。

もう1つは、中世西洋で発明された、重量と強度、長さのバランスが整えられた、片手用長剣だ。

 

その使用目的(コンセプト)は、『馬上から歩兵を攻撃する』こと。

読者の中には、そんな馬鹿なと考える人がいるかもしれない。だが、ある理由で、中世前期までは『ロングソード』と同じコンセプトを持つ『片手剣』は存在しなかった。

 

その理由とは、精錬技術である。

精錬技術が未発達だったそれ以前、片手で扱える重量で、突きや斬撃に耐えられる強度で、さらに歩兵に届く長さを持った剣を、当時の鍛冶職人達は作ることができなかったのだ。それだけに、『ロングソード』の誕生は、戦争史ではなくテクノロジー史において、画期的な出来事だったと言える。もっとも、アルミニウムを錬金術によって抽出できるマグニスノアでは、そこまで画期的なものではないのだが。

 

ともかく。

異世界において『ロングソード』の分厚さや長さは、文明レベルを計る上での指標の1つと考えていい。

――閑話休題、ジョンの説明に戻る。

 

「鋳造品のロングソードは、使ってるとこんな風に表面が剥がれて、最後には大なり小なり曲がっちまって使い物になんなくなるもんだ。

精錬技術が甘いのを焼き入れ処理で無理矢理硬くしてるから、熱の通ってねえ中身の部分は弱いままなんだ。

表面が剥がれるってのは、中身と表面で硬さが違い過ぎるからだな。だから、力を受けて表面が剥がれてるこの剣は、間違いなく鋳造品って言える」

鍛鉄(たんてつ)も使われていない、ということですね?」

「ああ。間違いねえ」

 

白いローブの少女が確認した鍛鉄(たんてつ)とは、折り返し鍛練による精錬をしているか否か、ということである。折り返し鍛練による精錬を行えば、それを使って鋳造、あるいは温度管理を失敗していたとしても、普通の鋳造品よりはまだマシなものが出来上がるのだ。それでも鋳造品が普及しているのは、単にコストが低いからである。

 

「じゃあ、弱い鉄だったらどうして相手が人間じゃないの?」

 

アリシエルは、馬車の車輪などに巻き込まれた可能性を示唆する。だが、ジョンはそれを明確に否定した。

 

「打ち付けた部分がツルツルで丸くて、それが違う大きさで5回ほど重なってるからだ。

このツルツルになってんのは、相手に当たった時に、剣が使い手の力に負けたってことだ。鉄が強かろうが弱かろうが、どっちにしろ人間業じゃねえ。

武器に打ち付けたんなら、石膏型みてえに相手の、同じ武器の()が残る。5回も当たって全部違うってのは、相手が生身か鎧で受けてたって証拠だよ。

いや、鎧相手じゃねえな。もっと硬い何かだ。人間がこんなもん食らったら、下手すりゃ一撃でオダブツだぜ。

マジで生身だったら血もついてなきゃおかしい。この白いのが血だってんなら、それも人間じゃねえ証拠になるだろ。

……つーか、これ血だったら、よくて昨日か一昨日なんじゃね?」

「どうして?」

「いや、血がついてりゃ、2、3日で錆びるじゃん」

 

アリシエルの馬鹿な質問に答えたのは、モーガン。

 

「ふんっ!」

「ピギャッ」

 

また蹴倒されるモーガンだった。

なお、この錬金術師見習いの名誉のために言っておくと、普段鉄を扱っていないため、鉄の性質を理解していないということである。

彼女の鉄への認識は、浸透率の極端に低い金属、魔法や錬金術には向かない金属、という程度なのだろう。

 

「では、答合わせです」

 

白ローブの巨乳少女は言う。

 

「昨日の夕暮時、この街(ルクソリス)の水外1区にて、『魔物』が発生しました」

「『魔物』とは、瘴気(だまり)の濃い瘴気を吸い続けた生物が、変異を起こして別の生物になったものだ」

「なにそれこわい」

 

復活したエヴェリアの補足説明を聞いたジョンは身を震わせた。

 

「じゃあ、残骸(コレ)の使い手とやり合ったのが、その『魔物』ってやつなのか?」

「ええ。ですが、『魔物』は千年前の『混沌の夜明け』以降、自然発生はしなくなっています」

「つまり、今回の『魔物』発生事件は、誰かが『憑魔(ひょうま)の儀』を行使して『魔物』を意図的に発生させたということになるな」

「なにそれマジで恐いんだが。犯人って捕まったのか?」

「死体で見つかりましたよ。

憑魔(ひょうま)の儀』は、9割9分術者が最初に『魔物』に殺されますからね。今回もその例に漏れていません」

「ついでに言えば、それ以外の人的被害について、重体3名、死者はゼロだ。

コレの使い手が奮戦したというのもあるが、政府上層部が発生を予想していたというのが大きい。それでも、奇跡的な数字だが……」

「予想してたって、『憑魔(ひょうま)の儀』ってやつをか?」

 

不良顔の目を見開いて驚いたのは、モーガン。役人で(・・・)ある(・・)モーガン。

 

「……モーガン、お前は、宰相府から役所に送られた通達を見なかったのか?」

 

エヴェリアが呆れる。通達されていなかったわけではないらしい。

 

「大きな通達だったはずですが……。勤務態度がなっていないのは感心しませんね……?」

「ひぃっ!?」

 

白ローブの少女が笑顔ながら口調を堅くしていくと、そのプレッシャーにモーガンは怯え始めた。

 

「え、えと、ミラりん……」

 

アリシエルもガタガタと怯え始める。一体何があったのかは、誰も語らない。

――ということはなく、モーガンと、ついでになぜかアリシエルが必死に土下座して謝って、次からは気を付けるということで、訓告(説教)で収まった。

 

 

 

「まあ、大体の事態は分かったと思う」

 

エヴェリアが締めくくろうとする。

 

「割と話半分じゃなかったっけ?」

「む、そうか?」

 

ジョンからのツッコミに、彼女は小首を傾げた。頭に着けた猫耳カチューシャがヒョコ、と揺れる。

 

「しかし、後は聖教国が神族(かみぞく)に睨まれて、自滅するだろうという話だけだ。その話なら、前に聞いていたと思うが……」

「悪いんだが、俺は聞いたことを断片で繋いで組み立てて結論を出せるほど頭の良い政治家じゃねえんだ。どうやって『魔物』の動きを予想して、なんでそんな化け物相手に死人が出なかったのか、肝心なとこを聞いてねえ」

 

彼は剣の残骸に視線を向けた。

 

「それにつきましては私の方から説明いたしましょう」

 

2人への訓告(説教)が終わったのか、白いローブの少女がジョンの疑問に答えるようだ。

 

「『魔物』には、多くの人を襲う性質があるのですよ。

これはどういうことかといいますと、人が密集する場所に向かいやすいということなのです。今回はその性質を利用しまして、広場に兵を集中させました。意図的に人の密集地帯を作り上げたわけですね」

「そこにおびき寄せられた『魔物』を、集中させた兵士で叩くって寸法か」

 

ジョンは感心する。

 

「かなり古くから、この戦法は存在するらしい。

千年以上前から存在する古い都市では、この戦法のために人口が密集しやすい市場や商店街に隣接するように、衛兵の詰所が配置されているそうだ」

「『混沌の夜明け』以降は『魔物』が自然発生しなくなりましたから、今ではほとんど忘れ去られているのですけれどね」

 

白ローブの巨乳少女は苦笑した。

 

「実は、『魔物』と戦った経験のある人も、今ではまずいません。それくらいに『魔物』は発生しなくなっているのです。

ですから、今回、ベテラン騎士を配備した『網の目』に出て来られてしまいまして、『英雄の卵』が誕生していなければ、犠牲者が出ていたかもしれません」

「『英雄の卵』?」

「これの使い手です」

 

白いローブの少女は、白い指先で、剣の残骸をつつく。

 

「ついでに、ジョン君の武術大会の相方(パートナー)でもあります」

「……マジで?」

「マジですよ」

「マジで?」

「マジですってば」

「ちょっと心が折れそうなんだが……俺1人でやんの?」

「素材でしたら、少しくらいはアリスに協力させますが、それでも無理ですか?」

「いや、鍛鉄(たんてつ)なら問題ねえ。ただ、ざっと見ただけで太さが2倍とか3倍とか……。そういうのでなきゃ持たねえと思ってさ。できなくねえんだが、ぱっと考えただけで、正直面倒くせえ――」

「信用を得る作業を面倒臭がらないでください。私達だって、今までもこれからも、ジョン君が矢面に立たないように、奔走しなければならないのですよ?」

「……」

 

ジョンは顎に手を当てて少し考えて、そして言った。

 

「ぱんつ見せてくれたら考える」

「ワン、ツー!」

 

見事なジョブとストレートが、不埒なことを口走った少年の顔面に突き刺さる。

 

「――なるほど、ぱんつとは、こういう意味だったのか……」

 

黒髪ロリは真顔で顎に手を当て、フムフムと頷いていた。

 

パン(パンチ)(ワン)パン(パンチ)(ツー)

地球で一時期流行った古いネタだが、なぜハレリアで通じるのかは謎である。

 

 




ジョン少年観察記録中間報告、その3。

指定変異の発生から一夜明けた。
今回の指定変異レベルは2。
通常、術者の拘束を振り切って暴れ始めるのがレベル2で、処分のために安定変異個体の手を借りる必要のない段階でもある。

過去、最後にベルベーズ大陸にてレベル2が発生したのは36年前。
発生地点はマリーヤード王国北部。
対処したのはグレゴワール・シルヴァ。
後に追放されてハレリアに渡り、デンゲル家現当主となるマリーヤード騎士である。

そのためか、今回多くの兵士、騎士は対処経験がなく、拙い反応を晒してしまっていた。
一定以上の強さを持った騎士が配備されていない、誘因網の穴に指定変異体がやってきてしまったのも理由の1つだろう。
死者が出なかったのは奇跡的なことであると言える。

今回、対処したマルファス少年は、粗悪な武器を使い潰しながら戦った。
合計8本。片手剣6本、両手剣1本、両用剣1本。
すべて回収され、ジョン少年に事態を説明するための片手剣の1本を除いて、元帥府にて解析が行われることとなった。

ジョン少年は回収された剣の残骸を見て鋭く観察し、どういう使われ方をしたのか、何と戦ったのか、少ない情報の中から大筋で言い当てた。
この観察眼の鋭さは、転生者候補の1人、バラクを彷彿とさせる。
彼も幼少期から鍛冶仕事を多く経験し、若くして高い才能を開花させていた。
その特異な能力の1つが、この観察眼の鋭さである。
彼の弟子であるジョン少年にも、その極意が伝授されているのであろうか。
あるいは、そういった能力の持ち主でなければ、あの偏屈ジジイは弟子と認めないのか。

いずれにせよ、知識を除いた実力については確かめられたことになる。
それだけに、彼の思考を読み解く情報源が欲しいところ。
まだ、致命的な事態を引き起こすと断定するには早い。



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弩砲

数日間、ジョンはひたすら砥石を削っていた。

円盤状に(ノミ)で丸く削り、側面は平らに、中央には丸い穴を開ける。中央の穴にちょうど入るように軸を作って、はめ込む。軸と中央の穴には、滑り留めのためにキーとキー溝を作って、固定する。

 

このキーとキー溝というのは、現代地球でも、歯車(ギヤ)(シャフト)を固定するなど、回転の動力を伝えるのに重要な部品として、幅広く使われている。固定することで空回りを防ぐのだ。

もう1つ、鉄製の薄い円盤を固定するのにも、このキーが使われる。

軸も穴も、現代と違って固定できればよく、真円にする必要がないのがポイントで、それがより加工しやすくしていた。軸と穴のズレに、短く切った針金などを詰めることで、それがキーとキー溝の役割を果たすのだ。

 

鉄と砥石の円盤を繋いだ軸は、テーブルを改造した専用の机に設置される。鉄の円盤の端に穴を開けて、太い針金でペダルに繋ぎ、クランクシャフトとして、タイミングよくペダルを踏んだ力が、回転動力として軸に伝わるようにセットする。ペダルを踏む力が鉄の円盤に伝わり、それが軸で連動して、砥石の円盤が回転する人力動力となる。

 

『足踏み式回転砥石』である。

 

実は手回し式の回転砥石も古くから存在しており、そちらの方が簡単に作ることができるのだが、やってみるとジョンの腕ではとても疲れることが分かったため、急遽足踏み式に変更したという経緯がある。

 

 

 

「――あれが実物ですか」

 

白ローブの少女がやってきた。

一通り、『足踏み式回転砥石』の駆動部に獣脂油(ラード)を塗り終わった後だ。

獣脂油というのは、ハレリアでは割と簡単に手に入る。隣のホワーレンで牧畜が盛んなため、獣脂油はよく採れるし、ロウソクなどの燃料として有効なため、干し肉と共にそれなりの数が市場には出回っていた。

 

「おお、食うか?」

 

ジョンは、休憩のために設計室で食べていたものを、小皿に取り分けて差し出す。田舎者の鍛冶師が、分不相応だと言い出す程度には、色々なものが揃っている設計室なのだ。

 

「これは……?」

「『(イワシ)空揚げ(フライ)』だ。宿で作ってもらった」

「……では、失礼します」

 

白ローブの少女は、フォークで丁寧に切り分け、相変わらず目深に被って顔を見せない鉄壁のフード越しに、上品な仕種で口に運ぶ。かつて彼女は、自分を頭脳部隊のメンバーだと言ったが、それはつまり、割といいところのお嬢さんということなのかもしれない。

と、ジョンは思った。

 

「……B級グルメとしましては、もう1つですね」

「うーん……やっぱ、塩の仕込みかな?」

 

少女の感想を聞いて、中身オッサンの少年は首をひねる。彼自身、同じ感想を抱いたからだ。

 

ハレリアの特徴として、高級グルメがあまり発達していない一方、日本と同じようにB級グルメの発達が著しい。

そのためか、流通網が未整備である辺境以外のハレリア国民は舌が肥えているのである。

 

「まあ、それもありますが……。空揚げ(フライ)とは、中の水分を飛ばす過程で旨味を閉じ込める調理法です。塩漬けには合いませんよ」

「……あれ、揚げ物(フライ)って、こっち(マグニスノア)にあんの?」

 

赤毛ショタジジイはキョトンとした顔で首を傾げた。

 

「ありますよ。オートレスがもたらしたものの1つですが、ハレリアやホワーレンではあまり流行りませんでした」

「なんでまた?揚げ物(フライ)って、そうそう消える料理じゃねえだろ?」

「1千年前、『混沌の夜明け』の際に、そこにあった王国と共に壊滅したからです。新しい調理法の流行などを気にしている場合ではなかったのですよ。それから、なぜかオートレスが布教を行った南方で流行り始めまして。一度はハレリアへも逆輸入されたようですが、今度は大飢饉に見舞われまして……。

そんなこんながありまして、余所から輸入されるたびに、運悪く流行が途絶えてしまったのです」

「……そこまで不運が重なってると、揚げ物(フライ)が不幸を呼ぶとか言われてそうだな」

 

話を聞いたジョンは、なんだかいたたまれない気持ちになった。

 

「うーむ……これは是非とも揚げ物(フライ)を復刻してえもんだな……」

「不幸を呼ぶとか迷信的なことはいいですから、とりあえず、今は目の前のことをお願いします」

「あ、ハイ」

 

とりあえず、残っている空揚げ(フライ)を平らげることから。

 

ちなみに、揚げ物(フライ)の歴史というのは意外と古く、中国から日本へ伝来したのは奈良時代と言われている。最初に伝来したのは解き卵に米の粉を混ぜたものを表面に付けて揚げたもので、そこから様々な日本料理へと発展したとされている。

フリッターと呼ばれる洋風の天ぷらが伝来したのは、16世紀~17世紀。大体戦国時代から安土桃山時代、キリスト教の最初の伝来と同時期だったようだ。

 

徳川家康の死因が、その天ぷらの食べ過ぎだと言われているのは、有名な説である。高齢の身の上で消化に悪い天ぷらを食べ過ぎたことで、消化不良を起こしたのだろうと考えられているようだ。今日のように医学が発達する以前、そんななんでもないような原因で人が死ぬということは、そう珍しくなかった。

 

「それで、『足踏み式回転砥石』につきましては、他の工房にお任せする予定ではなかったのですか?」

 

白ローブの少女はジョンに尋ねた。

 

「設計した当初はそのつもりだったんだが、例の武術大会の相方が、結構ヤバめだからな。予定変更してここの設備を増強することにした」

「まあ、それはそれで構いませんか。その辺の判断についてこちらから口を出すようでは、本末転倒ですし」

「んで、今日はどんな用でこっちに来たんだ?」

「これですね」

 

赤毛チビに促された巨乳少女は、設計机の上に持ってきた図面を広げる。

 

「うわぁ、こっちのって数字とか全然入ってねえ……」

 

唸りながらも何とか読み解くと、どうやらそれは巨大なクロスボウ、つまりバリスタ、ハレリアでは『弩砲(どほう)』と呼ばれるものであるらしかった。いや、地球でも弩砲という言い方はするのだが。

 

「ああ、例の――」

「――ええ、できれば翌日にでも持って来たかったのですが、軍の方の手続きで時間がかかりやがりまして」

 

と、少女は珍しく愚痴を漏らす。

 

「現状、高級器が下手な兵器を上回っていますから、こういう兵器というのは防御的な使い方しかされていません。それにしたところで、ここ百年は技術の更新すらされていない有様なのです」

「なんか、トラブルでもあったか……」

「百年も変更なく作り続けられていますから、職人達がそれで覚えてしまっているのですよ。なので、ここ何十年も弩砲の設計図は書庫で埃を被っていたようなのです」

「そりゃまた……」

 

すなわち時間がかかったというのは、司書官が見失ってしまっていて、見つけ出せなかったということなのだ。現役の兵器の設計図をである。愚痴の1つも言いたくなる。

 

「……そうなっちまうと、これの射程距離って、もしかして百年前から一緒なのか?」

「そういうことでしょうね。それなりに技術も進歩しているはずなのですが……」

 

白ローブの少女は溜息をついた。

マグニスノアで弩砲と呼称されるもの。それはつまり、地球ではバリスタや床子弩(しょうしど)と呼ばれるものだ。

実を言うと、その歴史は紀元前に(さかのぼ)る。

 

バリスタは古代ローマや古代ギリシア時代、攻城戦や海戦で使用された。床子弩(しょうしど)は、古代中国。共に紀元前500年頃の発明である。

地球人類の主戦場とも呼べるヨーロッパと中国では、それ以外に投石機や、火薬を使った兵器類も多く登場した。

その中でも、投石機と並んで多くの改良を重ねられ、長い間戦場兵器の主役を飾ったのが、西洋のバリスタや中国の床子弩(しょうしど)なのだ。射程距離は、共に大体300m程度と言われている。

 

大きな特徴として、大型の発射台と弦を引くための機構が取り付けられていることが挙げられる。理由は簡単で、射程が長くなるにつれて弦の張りが強くなり、弓を引くのにもより大きな力が必要になるのである。当然、そういう機構のある弩砲の方が、射程距離は延びるし威力も高くなる。

しかしながら、弦を引く機構が存在することで、弩砲は使い勝手が悪くもなるのだ。考えてみれば当たり前のことだが、機構が増えると重量が増し、重量が増すと移動、そして狙いを定めるのにも大きなエネルギーが必要となる。

 

そのため、特に弩砲の系統は火砲兵器の発達に伴い、他の投石機などに比べて早いタイミングで戦場から姿を消している。

 

「だからって、こいつを異世界の技術で魔改造しちまうわけにも――いかねえんだよな……」

 

ハレリア王国政府の思惑として、来年に予想されている決戦の後、ジョンを発見したという体にしておきたいのである。今、あまり派手に異世界の技術を使うわけにもいかない。

 

「そうですね。御苦労をおかけします」

「気にすんなって。おたくらも俺を利用してるかもしれねえが、俺だって丸く収まるんならそっちの方がいいんだからよ」

「そう言っていただけると嬉しいですね。――もうちょっと扱き使ってもいいかもとか思ってしまいます」

「んがっ」

 

ジョンは名状し難い悲鳴のようなものを上げた。

 

「いや、今、俺いいこと言ったよな?なんで扱き使うとか、ひでえ話になってきてんの!?」

「思うだけならタダでしょう?ニヤニヤ」

 

とても愉快そうだ。これは何を言っても負かされる気がする。なので、ジョンは涙を飲んで泣き寝入ることにした。

せめて猫耳を付けることで、ささやかな反撃&紳士の癒しを得ることにして。

 

「せい」

「ぐほぁ」

 

当然、殴られた。

結局、いつも通りのオチに繋がるのであった。

 

 



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試し切り

火内1区。軍の設備が集中する場所だ。

火内2区の錬金術師区域と並び、宰相の直轄ではない区域でもある。新兵器や戦術の研究もここで行われており、区域は丸ごと柵で囲われていて、関係者以外立ち入り禁止の立札もある。

噂では、無断で立ち入るとどうやってか1分以内に兵士が駆けつけ、記憶を消されて塀の外へ放り出されるという。さらに、情報を盗み出す目的で侵入すると、とてつもなく強い騎士が差し向けられ、追いかけ回されるという話もあった。

 

「それで、君は一体どうしてここへ来たのかな?」

 

噂は本当だ、とジョンは思った。

いや、無断で侵入したわけではないのだが、案内の兵士からはぐれてしまったのである。それで、一度建物の隙間を通って広場の方に出ようと思ったのだ。その途端に兵士らしき誰かが出現し、捕まった。

ほんの1分かそこらの出来事である。

 

「試し切りを見せてもらおうと思って、剣を用意して来たんだが、案内の兵士とはぐれて迷った。広場が見えた方に行こうと思って足を一歩踏み出したら迷子案内の人に捕まった。

――イマココ」

 

後ろからポンと肩に手を乗せられただけで、頭以外は指一本動かせなくなっている。星王術を使ったのか、それとも関節技のようなものなのか、ジョンには分からなかったが、とにかく、命を握られたことだけは確かである。

相手の姿が見えないというのは、滅茶苦茶恐い。

 

「ああ、もしかして、君がジョン君なのかな?」

 

肩に乗せられた手がどけられる。

 

「ととと……」

 

立っている感触もなかったので足の力が抜け、転びかけるが、すんでのところで感触が戻り、壁に手を付いて転倒を免れた。

 

「えー、多分そのジョンです」

 

振り向くと、短い赤毛の青年が立っていた。

目が糸のように細められていて、着ているのは白銀の鎧。鉄特有の鈍い色ではない、軽銀(アルミニウム)だ。軽銀(アルミニウム)素材の鎧を着用することが許されるのは、騎士に任命された者のみである。

つまり、この青年は騎士なのだ。

 

「やあ、済まなかったね。洗脳術がかけられていないかどうか、確認したかっただけなんだ」

「ああ、それで……」

 

頭を下げる青年騎士に、ジョンは納得した。

つまり例のスパイ事件の後続が来ていないかどうか、確認していたのだ。どうも言い訳っぽいが。少年側にも隠し事はあるため、あまり深くは追求しないことにする。軍関係者なのだから、秘密の1つや2つあるのは当然だ。

 

「僕はゴメス・ゴードン。君の噂は聞いているよ」

「どんな噂っすか?」

「有名どころでは、武具大会での健闘ぶりかな。エドウィン君と当たらなければ、優勝していただろうね」

「エドウィン卿って、凄い人なんですか?」

「ハレリアでも20人もいない、二器使いだよ。要するに、星王術士でもあるってことさ。騎士と術士両方の才能が開花することなんて、滅多にないからね」

「なるほど、さっぱりわかりません!」

 

ジョンは無駄に胸を張って言った。

 

「いやそれ、胸を張ることじゃないからね?」

「いいツッコミありがとうございます」

「調子狂うなぁ……」

 

ゴードンと名乗った青年騎士は疲れた様子で肩を落とす。

 

「とにかく、試し切りだったっけ、話は聞いてるよ。僕が案内しよう」

「すんません、軍人さんって歩くの速くて、それで見失っちまったんですよ」

「なるほど、それは案内役に問題があるね。また今度注意しておこう」

 

赤毛の青年騎士は頷き、少年を連れて歩き始めた。

 

 

 

案内されたのは、錬兵場だ。

練兵場といっても、そこまで大きくはない。大体150メートル四方、学校のグラウンド程度だった。

 

用途は、主に戦術研究である。ここで歩兵や騎士を走らせ、兵器を用いたりして新戦術を研究するのだ。

兵器や術の性能実験に使う場所は、別にあるらしい。弩砲の有効射程距離(カタログスペック)が、メートル換算で300から400なのである。ここでは広さが足りない。

今現在、ここで何が行われているかというと……。

 

「ぬおおおおおおおっ!!」

「オオオオオオオオッ!!」

 

2人の戦士が訓練用の武器を使って、激しく打ち合っていた。

 

1人は白髪の混じった金髪に褐色肌の、初老の大男。鎧は白銀、武器は槍。

もう1人は、金髪の長身青年。いや、少年かもしれない。鎧は灰銀色、武器は両手用の大剣。

 

相手の武器を弾き、攻撃を叩き込み、その攻撃を弾かれて攻撃を叩き込まれ、さらに……。という繰り返しだが、目で追うのがやっとだ。

槍や剣は、僅かなタメ(・・)の間に減速する瞬間しか、目で捉えることができない。

 

「素人ってさ」

 

赤毛チビは呟く。

 

「割と目の良い奴がいたりして、そういうのが調子に乗ると兵士に勝てるとか思うこともあるらしいじゃん?」

「そうだねえ。一般兵なら、想像の中なら頑張れば何とかってところかな」

「でも、ありゃぁ無理だわ……夢にでも勝てると思えねえ……」

「ああ、なるほど……僕もあれは厳しいかな……?」

 

ゴードンは腕を組んで唸った。そこに、白いローブの少女がやってくる。

 

「お爺様、お客様のようですよ」

「む――フンッ!」

 

槍の穂先で大剣を弾き上げ、褐色肌の騎士は籠手に包まれた拳を金髪の少年兵士の腹に叩き込んだ。

 

「ごぼぅっ!!」

 

人体から発せられるとは思えない物凄い音と共に、少年兵士は体を『く』の字に曲げて倒れ伏す。

 

「あらあらまあまあ、マルファス様へのお客様ですのに……」

 

白目を剥いてピクピクしている人間を見ても慌てず騒がず、フードを目深に被った少女は白い手を頬に当てて、おっとりと困っていた。

 

 

「おお、これは失敗したか」

 

初老の巨漢も、困ったように頭を掻く。まるで、今までその人外級少年兵士に合わせて加減していたと言わんばかりである。

 

「じゃあとりあえず、回復するまで話を聞いておこうか。上役に話を通しておくのも大事なことだしね」

「頭撫でられたら首折れそうだよな……」

 

ジョンはそんなことを呟きながら、ゴードンの後に続く。

 

 

 

白いローブの少女がベンチに寝かせられた少年兵士を術で治癒している間、ジョンは初老騎士と対面することになった。

ちなみに膝枕である。膝枕である。

 

「総長」

 

ゴードンが、手拭いで汗を拭いている金髪褐色肌の初老騎士に声をかける。

 

「おお、ゴードンではないか、調子は良いようだな」

「おかげさまで。それで、彼が例の少年鍛冶師です」

「例のクソガキ鍛冶師ジョンです」

「わはは、面白いやつだ」

 

ジョンの冗談を、大男はご機嫌で笑い飛ばした。物凄い力で背中をバシバシ叩かれ、思わず咳き込む。

 

「ワシはハレリア騎士団総長、グレゴワール・デンゲルだ」

「マジっすか、ハレリア騎士団の頂点に20年も君臨し続ける、あの『雷神』グレゴワール・デンゲル!」

「おお、そうとも呼ばれる。いや、ワシも有名になったもんだわい」

 

大男は豪快に笑う。

 

『雷神』グレゴワール・デンゲル公爵。

ハレリア国民ならば大抵の者が知っている、ハレリアの生ける伝説である。極少数の騎士にのみ所持が許される、高級単唱器の使い手としても名高い。

 

もっとも有名なエピソードだけを紹介しておくと、ブロンバルドの洗脳軍団が襲来した時、敵5千に対して味方100という、50倍近いの戦力差の敵に、情報確認や作戦立案などを行わずに正面突撃を敢行、味方に1人の犠牲もなく敵を壊滅させたという。それ以来、『雷神』が出陣したという噂だけで、ブロンバルド軍は退却して砦に引き籠るようになったとか。

とにかく、ベルベーズ大陸全土に名が轟いている猛将なのだ。その猛勇さから、特に兵士の中で崇拝者が多く、『雷神』が戦場に出れば必ず勝てると信じられていた。

 

しばらくして、白いローブの少女の心尽くしの治癒術のおかげで、少年兵士は目覚めた。

ゴードンはジョンを案内した兵士を探しに行って、その場を離れたが、デンゲルは残っている。まだ訓練は続けるつもりらしい。

 

「すみません、せっかく来ていただいたのに待ってもらっていたなんて……」

 

金髪の少年兵士は大きな体を縮こまらせて、この中では最も小柄なジョンに頭を下げる。

 

「膝枕の感触はどうでしたか」

「やわらかくていい匂いが――」

「えい」

 

白いローブの少女が可愛らしい掛け声とともに、少年兵士の脇腹に()き手を食らわせた。鎧の隙間、しかも敏感なところに入り、大柄な少年兵士はビクッ、と体を跳ねさせる。

 

「おふっ」

「女の子の前でそういう話題はメッ、ですよ」

「す、すみません」

「――そうか、やわらかくていい匂いか……」

「あなたもです」

「ぐえ」

 

地獄突きが咽喉に軽く当たる。咽喉は人体の急所の1つで、軽く当たるだけでも結構なダメージになる。

 

「鍛冶師のジョンだ」

「え、ええと、自分は兵士のマルファスです」

 

大柄な少年は、緊張した様子で自己紹介し、握手を交わした。

そしてジョンは担いでいた剣を少年兵士マルファスに渡す。マルファスは剣を包んでいた布を取り払った。

剣の形状はロングソードだが、切っ先(・・・)がなか(・・・)った(・・)。それどころか、刃もついていない。

 

「これは……?」

「よーし、じゃーあ説明しよう!」

 

ジョンは張り切ってマルファスの疑問に答える――。

 

「ほぉ――『バラクの試し切り』とはな……」

 

その前に重厚なデンゲルの呟く声が漏れ響いてきた。

 

「その昔、鍛冶師バラクも、同じように刃のない武器で試し切りをさせたそうです。聞いた人はそれを馬鹿にして、試し切りをした人は信じました。その結果が、武具大会の準優勝という形となって、人々を驚嘆させたのです」

「いや、懐かしいものだ。あの時はゴランとバラクが反目しておって、それはもう大変だった」

 

金髪褐色肌の巨漢騎士は、遠くを見るような眼をして呟く。

 

「あの偏屈ジジイ知ってんですか?」

「おお、知っとるとも」

 

ジョンの質問にデンゲルは鷹揚に頷いた。

 

「その逸話でバラクを信じた使い手というのが、このワシなのだからな」

「……マジっすか」

「おお、マジだとも」

 

ノリの良い騎士団総長である。

 

「あやつの凄いところは、頑固に主張したことは、大体合っとるということだ。本人は口が下手で、他人に説明できんかったようだがな」

「感覚の人なのはわかりますよ。応用がちょっと足りねえのは、やっぱ偏屈してるせいなんじゃねえかと思いますがね」

「応用が足りんだと?」

 

デンゲルは目を見開いた。

 

「俺は理屈から入る方なんで。師匠がやってることは見てれば大体分かるから、応用することは難しくないんでさ」

「わっはっはっ!さすがはあのバラクが弟子と認めただけのことはある!」

 

デンゲルはご機嫌な様子でジョンの背中をバシバシと叩く。

 

「あ、あの……」

 

放っておかれたマルファスは、刃のない剣を持ってオロオロしていた。

さっさと試し切りをして、訓練に戻りたいのだが……。

 

「今の内に試し切りしてしまいましょう。的に向かって、剣を圧し折るつもりで、思いっきりやってしまって下さい。その結果が、いずれマルファス様の命を守るのです」

「は、はい……」

 

背中を物凄い力で叩かれて気絶した赤毛ショタジジイの耳には、その会話は聞こえていなかった。

 

 




ハレリア軍:

大きく分けて軍事力である『王立騎士団』と『王立歩兵軍団』、自衛戦力である『衛兵団』に分かれている。

王立騎士団はグレゴワール・デンゲル公爵が総長を務める、東西南北、それにルクソリスを守る5つの騎士団からなる。
騎士団に求められるのは圧倒的な武力であり、騎士が叙任の際に単唱器を与えられるのも、さらなる武力が求められているため。
ちなみに北方騎士団の団長は、『風神』ロバート・ウェスター。

ハレリア王立騎士団のこの制度が他国にも広まり、マグニスノアでは騎士が単唱器を持つものという常識がある。
この単唱器は騎士の命とも呼べるものでもあり、万が一紛失したりすると、奪還任務が言い渡される。
そしてそれに失敗、見失って諦めたりすると、騎士の位が剥奪されてしまう。
そういう単唱器はその性質上かなり希少であり、ほとんどは市場に出た瞬間に国に回収される。
極少数は国に回収されずに、マフィアや山賊などの裏の組織が保有していると言われるが、確かなことは誰も知らない。

王立歩兵軍団は、ヴェグナ・マディカン公爵が元帥を務めており、大都市に千程度の兵員が配置され領主の要請を受けて、山賊狩りやマフィア調査などを行う。
国境警備も王立歩兵軍団の役目で、歩兵軍団で対処出来なければ、騎士団がやってくることになっている。
階級の上ではヴェグナ・マディカン公爵がハレリア軍のトップとなる。
ちなみに、王立歩兵軍団、北辺国境警備兵団の兵団長はゴメス・ゴードン子爵。

衛兵団は、ハレリア国内の町や村、都市などを守る警備隊。
他の2つの軍団よりも地域に密着した性質を持っており、原住民が入団することも少なくない。
割かし雑用も多いが、国民からは最も信頼されている。
特に決まった命令系統はないが、希望しない限り戦場に駆り出されることもない。

ルクソリスやナンデヤナなどの大都市では貴族が出資して組織することがほとんどだが、他の小さな町や村では、自警団とさほど変わらない。
貴族に私兵にならないように命令規制があり、役所も国も、お願いという形でしか指示を出せないようになっている。
王立歩兵軍団のほとんどは、この衛兵団からスカウトされる。

ハレリアには傭兵が少ないが、主な理由は衛兵団の存在が大きいと言われている。
武力を必要とする大抵の面倒事は衛兵に頼めば解決してくれるため、傭兵の仕事がないのである。



他国では、荒くれ者の傭兵は戦争屋として重宝されているが、大抵略奪を働くため、国民からは蛇蝎のごとく嫌われている。
軍というものもあまり信用されていない。

これは兵士の数を揃えるのに国の税金だけでは足りないためで、地球でも中世近世の大抵の軍隊では略奪が許可されている。
ハレリア王国は大規模な穀倉地帯を3つ保有しており、さらに商業経済も充実しているため、食糧や報酬に関しては自前で支払うことができるため、兵士の数が多く、衛兵団のシステムなどから需要も少ないため、傭兵の数が少ない傾向がある。

現在、ハレリア、ホワーレン領内で傭兵が活動しているのは、北と西の国境近辺である。



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両手剣

「うーむ……」

 

ジョンは折れた剣を見て唸った。綺麗に、先の方だけ折れている。

 

「焼き戻しが足りんかったか……」

 

彼は呟いた。

 

説明しよう。

剣は折れるものという常識が根付いた原因として、その製法が挙げられる。

融けない程度に加熱して、水で一気に冷やすと、硬度が増す。これを『焼き入れ』と呼ぶ。

ロングソードに限らず様々な刀剣、金属類にこの焼き入れという熱処理が施され、強化されているのだが、この熱処理には硬くできる代わりに脆くなるという欠点があった。精錬が甘い時代は、それでも鉄の強化法として有効だったために、焼き入れのみの熱処理が流行った。

事実をはっきり言えば、それ以外の熱処理の方法が発明されていなかったのである。

 

wiki教授によれば、日本語の『刃(やいば)』とは、焼き入れした刃、つまり『ヤキハ』が元になっているそうだ。

 

ジョンが口にしたのは、『焼き戻し』だった。

これは、一度焼き入れした鉄をもう一度加熱し、空気中でゆっくりと冷却する方法である。これによって、硬くなっていた鉄の脆さを、ある程度改善することができる。硬さが落ちてしまうのは仕方がないが、武器に必要な衝撃に対する強さが得られるのだ。

 

他にも焼き(なま)しや焼き(なら)しといった熱処理があるが、いずれも常温で加工した後に、内部の歪み(加工応力という)を取り除くというものであるため、ここでは割愛する。

 

問題の焼き戻しだが、実は温度計もなしにいきなり行うのは非常に難しい。焼き入れに必要な温度は900℃で、これは鉄が軟化しハンマーで加工できるようになる温度だ。これは上限が割と広く、温度を維持しやすい。

だが、焼き戻しのためには、600℃程度を一定時間維持しなければならない。温度計もない、焼き戻しの概念すらないハレリアでは、ジョンはこの技法を、己の知識と感覚だけで一から開発しなければならなかった。彼には、前世でこうやって焼き戻しをした経験などない。

なぜならば、前世にはデジタルで設定すればその温度を維持してくれる、電気炉というものがあったからである。

 

 

 

「なんか、悩んでるな」

 

最近は影が薄い悪人顔の少年役人、モーガンがやってきた。

 

鍛鉄(たんてつ)の剣をブチ折られた」

「……マジで?」

「マジでマジで」

 

設計室のテーブルを挟み、割と軽いやりとり。この気安さがモーガンの良いところだとジョンは思っている。

 

「まあ、相手が例のマルファスだからな。ある程度は覚悟してたんだが……こりゃ焼き戻しをもっとシビアにやってた方が良かったか」

 

少年鍛冶師は、赤茶色の頭を掻いた。

 

「焼き入れすりゃ強くなるんだろ?」

「硬くなる代わりに、ある程度は脆くなる。本来ひん曲がるはずだったもんが、こんな風に折れちまったりするわけだ」

 

と、先の方だけ折れた剣を、ジョンは顎で示す。

実際、日本刀製作に使われる玉鋼も、全部位を焼き入れしてしまうと、金槌で叩くだけでパキンパキンと割れてしまうのだ。

 

「なんか、すっげー擦れた痕だな。何切ったんだ?」

「鎧を縦に、剣幅二つ分くらいいったらしい。切ったっていうか、潰しって感じか」

「すげえ……」

 

モーガンは嘆息する。

 

「もう普通に大剣作っちまえよ。なんか、『魔物』を相手にした時だって、最後に使ってたのは両手用大剣(トゥハンドソード)だったらしいぜ?」

「そうなのか?」

「マジでマジで。でも、結局鋳鉄製だったらしいし、やっぱ壊れちまったらしいけどな」

「壊れた、か……」

 

壊れたというからには、もう一見して武器として見られないくらいに、滅茶苦茶な壊れ方をしたのだろう。ジョンにはそれが容易に想像できた。

モーガンが言うには、剣の素振りの時も両手用の大剣を使っていたそうだ。それなのに常時、あるいは『魔物』と戦った時、ロングソードだった。

 

「なんかマルファスって、異常に武器の破壊率が高かったんだってよ。それで、上司からは壊してもいいように、素振り以外の訓練には安い武器使っとけって言われてたらしい」

「面倒くせえ話だな。結局、それじゃどっちを主に使ってんのか、わかんねえじゃねえか」

 

ジョンはぼやく。

 

「そんなの、剣なら片手でも両手でも一緒じゃねえの?」

「両手剣と片手剣ってのは、技術も戦術も全然違う、まったく別の武器だ」

「そうなのか?」

「では、説明しよう!」

 

モーガンの疑問に応えるべく、中身オッサンの少年鍛冶師は自慢げなポーズを取って説明を始めた。

 

「一般的に両手用って言われてんのは、実は両用剣(バスタードソード)なんだ。突きも斬りもできて、片手でも両手でも扱える。だから、必要な時だけ両手で使えば、それで十分なんだよ」

 

日本刀も、同じく両用剣に分類していいだろう。

現代、美術品として作られている日本刀の場合は、両手で扱うには刃渡りが短めに思うかもしれない。これは江戸時代に多く作られた打刀(うちがたな)が、大きな戦乱のない時期が長く続いたために、徐々に短くなっていったからである。

戦国時代の太刀(たち)は120cm前後、打刀(うちがたな)は75cm前後とされる。

 

また、刀の宿命として、いつでも使えるように手入れされており、そのために何度も研いでちびてしまい、江戸期以前に作られた刀は、残っていても大抵は短刀サイズになってしまうという。

 

「それに両手で剣を振り回すってのは、あれでかなり技量が要るもんだ。

槍を振り回すのとも、斧を振り回すのとも違う。それに、そんなに振り回すのが難しいのに、戦術的な意味がほとんどねえ。馬鹿でかい剣を最大限に振り回そうと思ったら、味方に当てねえようにしなきゃいけねえからな。で、味方が近付けなかったら、そんだけ味方の密度が減って、敵の密度が増える。それを避けるのに、槍は前で振り回せるし、剣は短く出来てんだ」

 

実際、両手専用の剣が最初に活躍したのは、ランツクネヒトと呼ばれたドイツ傭兵が敵兵の長槍の柄を切り落とし、接近戦を挑むのに用いた『ツヴァイハンダー(ドイツ語で両手剣の意味)』だそうだ。

敵を殺すのではなく、敵の武器を破壊するために用いたのである。そして後世、ツヴァイハンダーは槍のようにリーチを生かして突く用法が編み出された。そんなことをするなら、最初から槍を使えという話だ。

そんなわけで、地球でも両手専用の剣はそこまで流行らず、17世紀以降は衰退してしまった。

 

同じ両手用大剣の『クレイモア』も、ハイランダーと呼ばれたスコットランド傭兵に使われたが、最初は長大な剣だったのが最後の方は片手剣と変わらないサイズにまで短くなっていたという。

 

ちなみに『ツーハンデッドソード(英語で両手剣の意味)』もよく似た両手用大剣だが、英語圏でも『ツヴァイハンダー』というドイツ語読みの名称が用いられたことから、当時両者は区別されていたようだ。

 

「だから、両手専用の大剣なんてのは、ゲテモノ武器に分類されてもいいほどの代物なんだよ。そいつを戦場で振り回そうなんて、はっきり言って正気の沙汰じゃねえ」

「でも、マルファスはそれで『魔物』を倒したって言うぜ?」

「それとこれとは話は別だろ。要するに、両手専用の大剣と片手剣じゃ、武器としてまったくの別物だってことだ。

俺が行った時に使ってたのは確かに両手用大剣(ツーハンデッドソード)だったが、単に本気で振り回して持つ剣がねえってだけなのかもしれねえ。

判ってることは――この剣のままじゃいけねえってことだ」

 

ジョンは、視線を折れた剣に戻す。

 

「でも、ジョンが作った鍛鉄(たんてつ)の剣でこれなんだろ?後は太くする以外に、何か方法があるのか?」

 

モーガンが首を傾げた。

 

「俺が問題にしてんのは、分厚さとか幅じゃなくて長さだ。幾らでも太くしていいんなら、最悪硬鞭(こうべん)って方法がある」

硬鞭(こうべん)?」

「硬い鞭、金属製の棍棒だ」

 

硬鞭(こうべん)とは、中国独特の武器の1つである。

ジョンが言った通りの、金属製の棍棒で、破壊力を増すために、六角柱や八角柱にしたり、無数の節をつけたりといった工夫がなされている。

棍棒とはいえその威力は高く、状況によっては剣以上に使い勝手が良かったため、清の時代の終わり、つまり結構最近の、軍隊が近代化するまで用いられたそうだ。

 

ちなみに、『鉄鞭(てつべん)』とも言われるが、日本に存在した『かなむち』と呼ばれる武器と混同されてしまうため、ここでは『硬鞭』と表記している。

 

「そもそも、鋳造剣は切れ味なんてすぐ飛んじまうから、使い続けてりゃその内、嫌でも殴り殺すようになる。そうなるんなら、いっそのこと先が尖った棍棒だって一緒だろ?」

「それは極論過ぎねえか?」

「極論だろうが、要は使い手の力や技を引き出せればいいんだよ。性能とか考え方が(トン)がってても、勝てればいいってのが武器ってもんさ。

そして俺らは儀礼用じゃねえ、勝てる武具を作るのが仕事だ。量産するわけじゃねえ専用武具(オーダーメイド)で、使い手の性質に合わせるのも仕事だぜ?」

「一見、いいことを言っていますが――」

 

その時、設計室に白ローブの少女がやってきた。

入り口からテーブルの横にツカツカと歩いて来て、椅子に座っているジョンに視線を落とす。

 

「ジョン君」

「……はい」

「ジョン君がマルファスさんに会いに行っていた理由は、それですよね?」

「………………………………………………………………………………はい」

「……あ、コイツ、まさか自分のことを棚に上げて説教してやがったのか」

 

モーガンは、白ローブの少女が言わんとすることに気付いたらしい。

 

「私達行政側と軍は部署が違いますから、見学1つにも手続きが必要なのですよ?」

「ゴメンナサイ」

「しかし、一応言い訳も聞いておきましょうか。ジョン君が直接行って、肝心なことを聞けなかった事情に、私も興味があります」

「……?」

 

ジョンはぱちくりと目を見開き、不思議そうに首をひねる。

 

「あれ?その場にいなかったっけ?」

「え?」

 

モーガンは思わず少女の方に目を向けた。

 

「いませんでしたよ?

ここ最近は『憑魔(ひょうま)の儀』に関する諸々の調整をしていましたし。誰かと見間違えていませんか?」

 

白ローブの少女は首を傾げる。

 

「見間違えるも何も、俺は君の顔見たことないわけですが」

「ですが、私以外に白ローブの女子は、王都(ルクソリス)にはいないはずです」

「え、そうだったの?」

 

モーガンが思わず声を上げた。

 

「『魔物』事件の時、エヴェリアが現場で見たって言ってたぜ?あの時、宰相府に上がる情報の選別で、君はずっと役所にいたろ?」

「『魔物』事件の……」

 

白ローブの少女は小指を頬に当てて、考え込む。その様子から見るに、ジョンが火内2区で見たのは、本当に別人だったのかもしれない。

 

「……ですが、白ローブは政府の……あっ――!」

 

誰か、思い至ったらしい。

 

「心当たりがあるのか?」

「まあ、確かに、彼女なら間違えても仕方がありませんか……」

「誰なんだ?」

 

モーガンが尋ねる。

その質問は、下手をすると命に関わる詮索なのだが、本人は気付いていないようだ。ジョンの周囲には国家機密が溢れているのである。

 

「ジョン君は、彼女の顔は見ていないのですよね?」

「ああ、君と同じように、フードを目深に被ってたからな」

「では、私が明かしてしまうわけにはいきません」

「マジで教えてくれねえの?」

「モーガン、あんまり突っ込むと、知らなくていいことまで出てくるぞ」

「いや、ジョンが気付かなかったってことはあれだろ?デカいんだろ?何処がとは言わへぶ」

 

モーガンの眉間に巨乳少女の鉄拳が突き刺さり、彼は悪人顔を抑えて床をのた打ち回る。

 

「で、俺の言い訳なんだが……」

「聞きましょう」

「『雷神』デンゲルに背中叩かれてたら、気が遠くなって……。んで、気付いたらそこの役所だった」

「あちゃぁ……。うーん、あの方も、加減を知りませんからね」

 

白ローブの少女は額に手を当てて唸った。

 

「特に訓練の直後は、力加減がおかしくなるそうです。華奢な人では、骨折した事例もあるとか」

「お前、なんかやらかしたのか?」

「いや、めっちゃ上機嫌だったぜ」

「彼は、不機嫌な時ほど力加減に注意をします。力が入り過ぎると首の骨が折れたりするそうですから」

「マジかよ……『雷神』パネェ……」

 

モーガンが戦慄している間に、白ローブの少女は次の話題を口にした。

 

「今日は、マルファスさんについてお話をしに来ました。おそらく、武術大会に向けた情報として、参考になるかと思います」

 

 



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近衛騎士

「マルファスさんが選出された、近衛騎士候補というのはご存知ですか?」

 

白ローブの少女は言った。

 

「近衛騎士候補?」

「近衛騎士というのは、軍を司るマディカン公爵家に唯一所属しない、ハレリア国王直属の、現在12人の手勢です。国王を守る騎士隊と言っても構いません」

「12人?」

「たったそれだけ?」

 

ジョンもモーガンも首を傾げる。国王を守る騎士隊にしては、明らかに数が少ない。

そもそも、近衛兵というのは、国王や皇帝など、君主を直接護衛する部隊のことである。国によっては親衛隊と呼んだこともあるし、現代アメリカなどでは『シークレットサービス』と呼ばれたりもする。

 

実は、現実の地球で近衛騎士(・・)団などというものは存在しなかったらしい。

wiki教授に聞いても理由はよく分からなかったが、どうもほとんどは『近衛兵』や『親衛隊』など、『騎士』という兵科を示す言葉を外して呼ばれていたようだ。そのため、現在地球で使われている近衛騎士や親衛騎士などという名称は、おそらく語感の良さから、アニメやゲームなどの創作もので多く用いられているのだろうと考えられる。

 

しかし、マグニスノアでは近衛騎士や親衛騎士という呼び方も通用する。なぜならば、星王器、特に単唱器を持った兵士を、一般的に騎士と呼ぶからである。つまり、ハレリアでは国王、君主を警護する役目を持つから近衛兵、そして魔法武具で武装しているから騎士、というのは、マグニスノアにおいては両立してしかるべきなのだ。

 

それだけに、ハレリア王国に近衛騎士が12人しかいないというのは、どう考えてもおかしい。朝昼夜で交代すると考えると、王宮の防衛は4人しか当たっていないことになる。

これでは、失政に怒り狂った民衆が押し寄せたり、他の貴族達が反乱を起こしたりした場合、または暗殺者が送り込まれた時など、様々な敵から国王を守るのに、とても十分とは言えない。

 

「近衛騎士隊は、1人1人がデンゲル総長と同等の怪物達なのですよ。それでいて、戦場に出ると自分以外の兵のことなど考えられなくなる、そういう方々が近衛騎士に選ばれます。

要するに、人並みの兵士が無理についていこうとすれば、その怪物以外は全滅ということになりかねないわけですね。なので、兵の無駄な損耗を防ぐためにも、一見名誉職である、国王直下の護衛ということで、一般の騎士や兵士とは『隔離』されているのです」

「……その理屈だと、『雷神』デンゲルが真っ先に候補にならねえか?」

 

その質問は失礼になるかもしれないと思って、ジョンは言わなかったのだが、モーガンは気付いていない様子だ。

 

「あの方は、あれでも戦場で周囲に気を配ることができる人なのです。そうでなければ、ハレリアの騎士団総長は務まりません」

「後は力加減さえしっかりしてくれればな……」

 

赤毛ショタジジイはぼやいた。

 

「うふふふ、余程効いたと見えます」

「そのせいでもう一回聞きに行かねえといけなくなっちまったんだが……」

 

ぼやきついでに、ウサギ耳を白ローブの少女の頭に付けてみる。

 

「ついでにその妙な性癖も治ってくれればいいのですけれど、ねっ!」

「ぷげらっ」

 

頬をグーで殴られ、ジョンはもんどりうって床に倒れた。

 

「今度のは、毛布の切れ端を髪飾り(カチューシャ)の方にも巻きつけた、手触りと肌触りを重視した自信作だが、どうだ!?」

「……確かに頭を締め付ける感触が減って、しっかりした装着感の割には……って、何を言わせるのですか!」

「ハウッ!?」

 

椅子ごと床に倒れながらもガッツポーズするジョンの股間を、白ローブの少女は容赦なく踏みつける。

 

「なあ」

 

生まれつき悪人顔の赤毛少年役人はなぜか青い顔をして声をかける。

ジョンと白ローブの少女がドタバタしている間に、何かに気付いたようだ。

 

「まさか、『雷神』デンゲルが武術大会に出たりってことは……」

「ありえますよ」

「マジかよ……」

 

悪人顔の少年役人は、絶望の表情をした。

 

「……もしかして、予選から彼が出てくるとか思っていませんよね?

本戦は御前試合ですし、シード枠は4つ確保されています。本戦に出場しない限り、二つ名付きの高級騎士は出てきませんよ。高級武具も禁止されていますしね」

「へ?」

 

モーガンは間の抜けた声を上げる。

 

「そりゃそうだろ。『雷神』が相手になるんだったら、俺は異世界のヤバイ兵器に手を出さなきゃいけねえ。そりゃハレリアにとっても相当にリスクが高えはずだ」

「大正解です。なので、踏んであげますねー」

「ありがとうございます!ありがとうございます!」

「ジョン……お前……」

 

悪人顔の少年役人は哀れみを込めた目で踏まれる友人を見つめた。

 

「ローブの下のズボンと思ってるこれはな、実は分類的にはぱんつなんだぜ!」

「な、なんだとう!?」

「え゛っ――!?」

 

ジョンのひと言に、その場にいた男女2人ともが過剰なほどに反応する。

モーガンは椅子を蹴倒して立ち上がり、白ローブの少女はババッと物凄い勢いでローブの裾を抑え、2人から距離を置いた。

 

ちなみに。

日本紳士達の間でパンチラが持て(はや)され始めたのは、昭和中期である。大体、マリリン・モンローとか、ミニスカートが日本に上陸してきた頃だ。

それ以前、西洋風のヒラヒラスカートが流行り出した時期、日本ではぱんつを穿()く習慣がなかった。つまり、風が吹いてスカートがめくれ上がれば、ぱんつではなく○○○(いわせんなはずかしい)が直接見えていたわけである。その理由として大きいのが、それまでの日本女性の下着事情であると考えられる。

 

日本では、ご存知の通り、男性はフンドシだった。

そのイメージが世界でも先行し過ぎていて、女性がどんな下着を着けていたのか、あまり知られていない。

日本女性の古来の下着は、腰巻という、布を巻いて腰のところで紐で留める、内スカートのようなものが主流だったそうだ。間違ってもフンドシなどではない。

ところが、明治時代に入って西洋文化が入るようになってきて、日本にスカートが普及し始めた。その時に下着として何を着用するのか。

 

実は、腰巻という、股下に接触する部分のない下着に、日本女性が慣れてしまっていたため、西洋のズロースなどといった、現代のぱんつのご先祖様は敬遠されていた、過渡期と呼べる時期が存在したのだ。要するにヒラヒラスカートのまま、『ぱんつはいてない』状態で女性達は街中を出歩いていたわけである。

 

その後。ある事件経て、日本でもぱんつが普及し始めた。

その事件というのが、1932年、白木百貨店火災だ。この百貨店(デパート)火災の際、逃げ遅れた男女が14人焼け死んでいる。その理由というのが、集まった野次馬に○○○(こっちみんな)を見られるのを嫌い、ロープで地上に降りられなかったからだという。

それ以前、『パンチラ』は日本には存在しなかったのである。そしてそれ以降、ズロースやパンティといった女性用下着が普及し、『パンチラ』が誕生。

 

ところが、パンチラの誕生時、男性はパンチラには見向きもしなかったそうだ。なぜならば、『ぱんつはいてない(ガチ)』という状態に男性が慣れ過ぎたためである。今で言えば、スカートの下にスパッツや短パンをはいているのにも等しい、裏切り感があったと言うべきか。そんなこともあり、『パンチラ』が男性の間で持て(はや)され始めたのは、戦後しばらくしてからのこととなったのである。

 

ちなみになぜ戦後なのかというと。

第二次大戦中、女性は女性用のズボンとも言えるモンペの着用が推奨されたからだ。戦時中の日本からは、色気すらも贅沢として奪い去られていたのである。

(※ 贅沢と認識されていたかどうかは知りません)

 

なお、なぜハレリアで現代地球のパンチラ的な価値観が罷り通るのか、それは誰も知らない。というか、中世の女性は大体カボチャパンツのはずである。ハレリアもそうだ。それを見て喜ぶような男が、果たしているのだろうか?

――謎である。

 

 

 

「是非見せてくれ!できればそのおっぱいも一緒に!」

「待ていモーガン!」

 

白ローブの少女に襲いかかるところだった赤毛悪人顔の肩を、赤毛三枚目は掴んで引き留める。

 

「止めるなジョン!」

「いいや止めるね!」

「地獄へ行く覚悟なら出来ている!」

「じゃあ止めね」

「いよっしあべし!」

 

右ストレートが一歩踏み出そうとしたモーガンの顎に突き刺さり、一撃で床に平伏させた。その様子は、見ていたジョンに拳銃で頭を撃ち抜かれた人の倒れ方を連想させる。それくらいに無造作に、白ローブの少女はモーガンの意識を刈り取っていた。

 

「シャーッ!」

 

少女は気勢を上げてガッツポーズ。

 

「今の、マジで訓練受けてねえのか?」

「今のは術で身体能力を上げたのです」

「いや、ありえねえから!筋力とか上げたところで、今みたいなキレを出すの無理だから!」

「そうなのですかー?」

「それ、マジで訓練してる奴に張り倒されるぞ?」

 

とりあえずモーガンが完全に失神していることを確認したジョンは、モーガンを部屋の隅に移動させておく。

 

「意外と暴走しないのですね、ジョン君自身は」

「俺は前世で50年生きてきたオッサンだぞ?」

「その割には変態ですが」

「変態だとしても、俺は紳士という名の変態だ。女の子の愛でるべき部分は弁えてる」

「愛でるべき部分?」

「さっきのぱんつの話で言うとだな……。女の子は恥じらう姿こそに価値があるのであって、パンチラや猫耳やミニスカメイド服なんてのは、おまけってことだ。そういう反応的な部分がないんなら、人形を相手にしてるのと変わんねえだろ?」

「それは暴走しない理由にならないと思いますが……」

「要するに、本気で恐がらせちまうと、萌えるより先に気の毒に思っちまうってことだよ」

 

この辺はやはり、前世が日本人だからなのだろう。日本人は色々と控えめなのである。

 

「だからそういう目で見る時は、絶対に自分からは手を触れねえ。

それに、後に禍根が残るようじゃいけねえからな。場所も選ぶしやり方も選ぶ。反撃があれば、相手をスカッとさせるためにも甘んじて受ける!それが変態紳士ってもんだ!」

「……すみません、マニアック過ぎてよく分かりませんでした」

orz(オウフ)

 

ジョンはがっくりとうなだれた。

 

「orz」とは。

いわゆる絵文字の一つで、両手両足を地面につく四つん這いの状態を示している。

表形文字の一種として認識されているようだが、いつ頃発祥なのかはよく分かっていない。

 

四つん這いを示すだけで、どのような感情を示しているかは、読者の解釈次第となる。

精神ダメージを受けてうなだれていると取ることもあれば、土下座しているとも取れるし、精神的に屈服していることを示す場合もある。

 

こうした絵文字は日本発祥のものである。

日本には元々表音文字であるひらがなとカタカナがあり、そこに中国から表形文字、表意文字である漢字が入ってきたことで、3種の文字を組み合わせて表現する特殊な文字系が用いられている。

それによって今なお日夜造語が増え、発展を見せており、微妙な機微を表現することが可能な言語として知られている。

同時に、その表現の幅ゆえに、日本語は世界で最も難しい言語であると、他国からは評される。

 

絵文字は近年、パソコンやインターネットの普及によって、掲示板が発展したことで、アルファベットや記号を用いた新しい表現法として誕生し、発展してきた。

絵文字というと一般的に1行で表現するものを指し、感情を表現するものをその特徴から顔文字とする場合が多い。

さらに複数行にまたがるものを、AA、アスキーアートと呼ぶ。

 

遡ると、絵文字となる以前は漢字を並べることで情景を表現する試みが、1980年代の雑誌などで既に行われている。

この手の文字で遊ぶ文化の始まりは、いつが発祥なのかは実はよくわからない。

ただ、逆に絵によって熟語を表現するクイズ的なものは、江戸時代には『判じ絵』として既に存在していた。

 

日本以外にこういった文字で遊ぶ文化が存在したのかについては、長くなるためまたの機会としたい。

 

 



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設計図

弩砲――。

ハレリアではそう呼ばれる、弓矢の原理を巨大化、極大化させた装置。中世西洋ではバリスタ、中国では床子弩などとも呼ばれ、地球でも古来から各地で使用されてきた、兵器の一種だ。

射程距離は矢の形状にも依存するが、射程距離は300メートルにも達するという。

初期の火薬式大砲で200メートル程度しか飛ばせなかったというから、初期の火砲などよりもよほど信頼できる兵器として、使用されていたのだろう。もちろん、威力は大砲や投石機には敵わなかったのだろうが。

 

ジョンが要求した弩砲の実物が、工房の倉庫に運び込まれた。

倉庫は狭く、馬が入れなかったため、運び込むのは人力。その辺の力仕事は、赤毛の男2人(ジョンとモーガン)の役目だ。星王術が使えるエヴェリアも一緒にいたが、手伝いを拒否したのは男のメンツというやつである。

 

「つーかよ、武術大会の方は大丈夫なのか?確かに個人用にしちゃ広めだから、武具一式作るのに不便ってことはないのかもしれねえけどよ……」

 

設計室で一緒に来ていたエヴェリアが淹れたお茶を飲みながら、モーガンが訊いた。

 

「剣については訓練用のも送ったし、後は本番用を作るだけだ。鎧はサイズ待ちだから、まあ時間も余るだろ。鎧優先だから、しばらく置物になるけどな」

 

ジョンもお茶を飲みながら答える。何気に緑茶だ。

ハレリアは国土にホワーレンの山岳地帯から流れる多くの河川があり、土地は肥沃で農作物もたくさんとれる。だから、こんな高級嗜好品であるお茶などが、市場で普通に売っていたりもするのだ。それを、ジョンは定期的に購入して飲んでいた。

紅茶、ウーロン茶、緑茶。

この3つは、実は同じ植物の葉から作られている。紅茶は十分に発酵させ、ウーロン茶は半分発酵させてから蒸し、緑茶は発酵させずに蒸して作る。

 

エヴェリアの話によると、茶葉は大昔にロマル大陸から持ち込まれたものなのだそうだ。ロマル大陸とは、ハレリアのあるベルベーズ大陸の東側に位置する巨大な大陸である。

 

「しばらく弩砲は触らないのか」

「んにゃ、暇を見つけて、解体(バラ)してハンコにして図面に描き上げる」

「ハンコ?」

 

優雅にお茶(緑茶)を飲んでいたエヴェリアは小首を傾げ、頭の猫耳を揺らす。猫耳の揺らし方にまで凝っているのが、真面目に貴族(ファッションリーダー)をやっている彼女らしい努力の跡が感じられた。

 

解体(バラ)した部品の1つの面に(インク)を塗って、紙にべたーって押すんだ。イチイチ部品から寸法採るより手っ取り早い」

「あれを全部か?大きな紙を用意する必要があるのか……」

「?……角材とか丸棒なら、太さと長さでいいじゃん……?」

 

ジョンは言ってから、自分で首を傾げる。何か、意味が通じ合っていない気がしたのだ。そして気付く。

 

「ああ、もしかして、『型取り』とかってこっちじゃやらねえのか?」

「型取り?」

「紙とかに、こうやって形を写し取るんだよ。下手に定規とか使う必要もねえし」

 

ジョンは支給されたメモ用紙に、慣れた手つきで滑車の車輪を押し付け、それをなぞるように炭を走らせた。炭は、木炭に紙を巻いたもので、ハレリアでも鉛筆代わりに使われている。

ものの10秒ほどで、紙にその部品の形が写し取られた。

 

「な――」

 

まるで自分達の知らない魔法でも見たかのように、2人は唖然とする。

 

「これを木に張り付けて、この形に削れば木型になるし、紙自体を切って材料に合わせたりってこともある。形が複雑で、こんな炭じゃやってられねえって時は、この面にこうやって(インク)をベタ塗りして……こうだ」

 

別の紙とインク壷、それにボロ布を用意し、インク壷に布を丸めて突っ込み、さっきと同じ滑車の車輪の一面に(インク)を塗り付け、まるで印鑑のように紙に押し付ける。すると、見事に車輪の形が写し取られた。中央の穴までくっきりだ。

 

「これがさっき言った『ハンコ』ってやつだ。同じ部品を大量に作る時のテクニックだな」

「弩砲の量産にこれを?」

「そういうこった。今回はあんま改造するわけにもいかねえし、実物のまんまにしようかと思っててな」

「てーか、これって設計図いらなくねえ?」

「その設計図と実物が結構違うんだよ。多分、マイナーチェンジが図面に反映されてねえんだと思うんだが」

「は?」

 

真面目でそれなりに思慮深いエヴェリアが珍しく間抜けな声を上げた。

 

「おいおい、実物が来たのって、ついさっきだろ?」

「そうだ。それから設計室に来て、一度も弩砲の設計図を見ていなかったはずだぞ?」

「そういやお前ら設計図見てなかったよな」

 

ジョンは仕舞ってあった弩砲の設計図を、テーブルの上に広げる。

 

「ほれ、ここ、ウインチのレバーが片方になってるだろ?実物は両側だ」

「え、ちょっと待て――」

 

モーガンは慌てて部屋を出て、倉庫の方に確認に行った。そしてすぐに戻ってくる。

 

「本当だった……」

「設計図の内容を覚えていたというのか?」

「言っとくけど、俺が今言った内容って、素槍と十字槍くらいは違うからな?

そこまで違ってると、さすがにひと目で分かるっての」

 

ジョンとしても、こんなことで人外(チート)判定されるのは心外だった。

 

「そうは言ってもな……」

 

エヴェリアは人差し指を額に当て、難しい顔をする。

 

「こういう図面に慣れ親しんでいる職人は、マグニスノアにはそれほど多くはいない。大型の建築物や船などの、大勢で完成形を共有する必要のあるもの以外は、設計図などは使われないんだ」

 

年代別地域別で設計図の普及度を示すデータというのは、現時点では存在していない。

東洋についてはよく分からなかったが、西洋については中世中期から後期、ルネッサンス期にかけて多く普及していたようだ。それ以降、西洋科学の発展に伴い、多くの設計図や絵図面が作られていった。

だがそれ以前は、挿絵などの絵でそれが示されていることはあっても、物を作るための補助としての図面がいつ頃登場したのかは、定かではない。

 

古代建造物の代表格、エジプトのピラミッドなどでも、それを専門に考える技術者の一族がいて、その一族が言葉などを通じて完成形を共有、現場で建設を指揮していたという話がある。本当に設計図がなかったのかあったのか、現代地球を生きる人間には知る由もないが……。

 

「マグニスノアの場合は、星王術や呪紋法のおかげで、器械ものは発達していない。職人もそれだけ作り慣れていて、図面がほぼ不要なことが多いんだ。

改造する場合も、それぞれが状況に応じて自分なりに作り替えたりするから、設計図に頼ることはまずないと言っていい。描き方が分かる人間もほとんどいないだろう」

「そういや、ハートーン卿の図面は本人の説明が要るけど、ジョンの図面は必要なことが全部書いてあるから1人で読めるって、俺の上司が言ってたぜ」

「そもそも設計図が普及してなかったでござるの巻」

 

とんでもないオチを聞いて、ジョンはテーブルに突っ伏した。

設計図が普及していないため、その描き方から確立しておらず、その先の発展にも至っていないのだ。

だから、内域でそれなりに図面を見ているはずのモーガンやエヴェリアも、製図法の基本を知らなかったのである。

 

「こりゃ思ったより大変だ……」

 

ぼやきが口から出る。

 

 

 

「いいタイミングのようですね」

 

赤毛ショタの成り損ないがぼやいたタイミングで、白ローブの少女がやってきた。

 

「とりあえず差し入れです」

「お?」

 

カバンを開けると、香ばしい匂いが漂ってくる。その香りに釣られて、ジョンは顔を上げた。

 

「運河で獲れた(アユ)空揚げ(フライ)です」

 

白いローブの少女はてきぱきと小皿に分けて、それぞれの前に置く。

今回は切り身を小さくしているようだ。調理法を何度か試したのかもしれない。狐色の衣付きで、フォークで突き刺すと、いい感じにサクッという音がした。

 

「んむ……美味い!」

 

塩漬けほどではないが、塩がほどよく利いていて魚の旨味が見事に閉じ込められている。こうして食べてみると、やはり以前のものは塩が利き過ぎていたようだ。

 

鮎とは、日本の北海道から東アジア、ベトナム近辺に分布する川魚である。

地域によって30~10センチにて性成熟すると言われる。

川の中の岩などに付着した藻を主食とし、時折川の中に生息する昆虫を食べる。

ただし、海水に適応できないというわけではなく、数割は海まで降りて生活し、『海産鮎』として網にかかることがある。

 

日本において代表的な食用魚であり、塩焼き、空揚げ、煮物など、様々な料理法が存在している。

ただ、魚は生食が最上とされる日本において、唯一生食が推奨されない魚であり、寄生虫の心配があるとされる。

そのため、生食には塩や酢に浸けて処理を行い、酢飯と合わせる『鮎寿司』という方法が採られることもある。

 

「美味ぇ!なんだこりゃ!?」

揚げ物(フライ)、だと……?これが……はむ、むぐ……美味しいっ――!?」

 

エヴェリアは物珍しそうにそれを見て、ジョンがやったように、細めの切り身にかぶり付いた。食べている口を手で隠し、呑み込んでから話すのは、さすがに貴族令嬢らしい上品さだ。というか、白ローブの少女と同じ食べ方だった。

 

「すげえなこれ、外はサクサク、中はジューシィって、売れる揚げ物の謳い文句なんだぜ?温度計もねえのにそれを再現しやがった!」

「うふふ、喜んでもらえて何よりです。書庫を漁って秘伝のレシピを見つけた甲斐がありました」

 

どうやら彼女の手作りらしく、皆から褒められて嬉しそうだ。

 

揚げ物(フライ)というと、確かオートレスが南部に広めた料理の1つだな。まさか、これほど美味だったとは……」

「そういえば、北の方へは広まっていませんでしたね。もしよろしければ、私が王宮の書庫で発掘したレシピの写しを差し上げますよ」

「是非ともお願いしたい。……これでまた、父上への土産が増える」

 

エヴェリアは遠くを見る目になりながら、もう一口、鮎の唐揚げに被り付いた。故郷を遠く離れて留学に来ているためか、望郷の念は少なからずあるらしい。

 

「あ、でもこれは結局呪紋法のレシピですから、気温が変わると調整する必要があるかもしれませんね」

「気温で味が変わるのか?」

「よし、説明しよう!」

 

ジョンが両手の人差し指を向ける独特のポーズを取りながら、説明を始めた。

 

「木材に炭になる温度があるように、お肉や野菜にも美味しくなる温度というものがあるのです。

その温度にするのに、水で煮てもいいのですが、それでは旨味が水に溶け出してしまいます。その点、油に旨味は溶けませんし、油は水より高温になりますから、一気に内側まで熱が通り、旨味が食材に閉じ込められた状態に仕上げることができるのです。

逆に油でも高温でなければ、上手く水分を飛ばせずにジトッとしてしまいます」

orz(オウフ)

 

ジョンは説明セリフを横取りされ、悲しみに沈む。

 

ちなみに例を挙げて説明すると、冷凍食品を解凍せずに揚げるようなものであると言えばわかるだろうか。生の食品を揚げるのに比べ、火力や時間が必要になるのは当然のことである。

それを避けるために、一般的に別の手段で解凍してから揚げられるか、もしくは揚げた状態で冷凍されるかのいずれかの方法で調理が行われる。

 

 




オートレス聖教国:

オートレスの名を冠する、オートレス聖教を国教とする宗教国家。
元首はボブ・タシェンクレガー教皇だったが現在は空位。
国名に聖人の名を使うことから諸国から毛嫌いされており、大抵は聖教国とだけ呼ばれる。

現時点において、ベルベーズ大陸で唯一ロマル大陸との交易を行っている大陸間貿易国。
基幹産業は農業で、綿花や香辛料の栽培。
麻薬系植物を大量に栽培、加工しているという噂もある。

かつて星王教の聖人オートレスが大陸南部に星王教を広める旅に出た際、この地にて死んだとされる。
死因は諸説あるが、オートレス国内では山賊の仕業、国外では今の教皇に連なる当時の国王が謀殺したという説がそれぞれ有力視されている。
その相違が強い摩擦となり、ベルベーズ大陸の中では孤立している。

それが逆にナグアオカ教に近寄った宗教の誕生を招くという、皮肉な結果となった。

現在、協定禁術の使用に伴う『警告』によって首都トライアンフは壊滅しており、巨大な権力の空白が発生したため、大規模な内乱が発生している。



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武術大会

その日、大会予選試合を見ていた観客は、度肝を抜かれた。

 

武術大会。

それは、予選2日、本戦1日の日程で行われる、闘技場の中で1対1以外のルールがない試合。当然、ベテランの騎士が出場し、その強さを見せつけることになる。

武具大会では騎士が新人ばかりで、組むのも見習いの錬金術師のため、騎士が敗北するという可能性も少なからずあった。しかし、武術大会では、そんなことはない。単唱器という、騎士向けの星王器を使いこなし、武器の腕前も高い、戦い慣れたベテランが出てくるのだ。その中で魔法武具を使えないというハンデは、相当に大きなものと言える。

 

そんな中――。

黒い外套(コート)の大柄な少年兵士は、誰の目から見ても場違いで、奇異だった。黒い外套の下に鎧を着けているようだが、一般兵に支給される安物にしか見えない。武具大会でも、もう少しまともな鎧が出てくるものだが。

そして武器は、全長2メートル近い、長大な両手専用の大剣。

 

剣とは言うものの、その大きさゆえに高い技量を求められ、さらに使いどころも限られるという、ゲテモノ武器である。

しかし、この剣の刃渡りは130センチ、(つば)のような突起が付いており、さらにその手前側に20センチ近い、長い(つか)。どちらかというと、剣と槍の中間のような形状をしていた。地球で言えば、『ツヴァイハンダー』をさらに槍に近付けた感じと言ったところか。

刃の分厚さが約1センチ、刃幅が約10センチと、中央に溝が入っているとはいえ、相当に巨大な鉄の塊である。さらに、大き過ぎて鞘に入れても抜くことができないため、皮紐で背中に吊るしての登場となった。

 

「そんな装備で出てくるとは……嘗められたものだな」

 

相対した白銀の鎧の男――騎士が呟く。

 

お互いに武器を構え、審判の合図と共に試合が始まった。

 

炎よ(アツクナレヨ)!」

 

設定された単語で詠唱すると、騎士が構えた槍から、垂らされた灯油の表面を炎が走る音と共に、レーザーのような火線が放たれる。

少年兵士は軽快なステップを踏んでその火線を避け、間合いを詰めた。

 

炎よ(アツクナレヨ)!」

 

騎士は槍を振って、今度は水平に薙ぎ払うように火線を放つ。照射点が動くことで威力は落ちるが、それで相手を怯ませれば、その勢いを止めることができると考えたのである。こうやって探りを入れて相手の情報を読み取り、さらに良いタイミングで術を使ってやるのだ。それができるのが騎士というものである。

 

「うおおおおおおおっ!!」

 

少年が吠えた。あろうことか、刃幅15センチの剣を盾に正面突破したのである。しかも、薙ぎ払って威力が落ちていたとはいえ、それでも布なら火が付く程度の熱はあったはずなのに、黒い外套(コート)はまったくの無傷。

 

「な――」

「オオオオオオオッ!!」

 

驚愕が動揺となり、僅かに動きが止まったところに、大剣が袈裟に振るわれた。

槍で受け流すにも、最早遅い。それでも反射的に受けようとした槍の穂先を容易く圧し折り、さらに肩口から胸にかけて刃が食い込む。軽銀(アルミニウム)製の鎧をものともしない、凄まじい威力である。

 

「ぐあぁぁぁっ!?」

 

騎士は激痛に悲鳴を上げた。

蘇生に近い強力な治癒の術が常時起動しているとはいえ、痛覚を軽減するわけではない。刃が引き抜かれると、傷口はあっという間に塞がるが、痛みの残滓はまだ残っている。この痛みに耐えきれずに、気絶してしまう者も少なからずいるのだ。

――文字通り、死ぬほど痛いのである。

 

「それまで!」

 

審判が試合を止めた。

 

「アラン・アモールの死亡判定、よってマルファスの勝利!」

 

会場が湧く。

敗北した騎士は、決して弱くはなかった。魔法武具にしても、槍の扱いにしても、高い腕前を誇っている。にもかかわらず、結果は圧勝だ。

理由はただ1つ、武具の性能と使い手の身体能力が異常だったためである。

普通、鎧は剣を防げるようにできている。鎧ごと切るというのは、決して容易なことではないのだ。

 

 

 

「スゴイ……軽銀(アルミ)の鎧があんなにあっさり……」

 

客席で金髪黒ローブの少女が驚愕を露わにしていた。

いや、彼女だけではない。客席のあちらこちらで赤いローブ姿の人々が頭を抱えている。

 

「あの槍もあっさり切れてたけど、あれって鉄じゃねえのか?」

「魔法の基本となる精霊は、鉄を嫌う」

 

質問をしたのは悪人顔をした赤毛の少年で、応えたのは黒髪ロリ。両方とも、紺色の服を着ている。

 

「星王術を使う時、精霊の力を星王器に取り込む必要があるの。鉄は精霊を取り込むのを阻害してしまうから、十分な威力が出ないことがあるのよ」

 

アリシエルが補足説明を入れた。

 

「だから、騎士は武器も防具も軽銀(アルミ)を使うわ。精霊の浸透率が金並みに高くて、手に入りやすいの。錬金術師が作った軽銀(アルミ)武具は、普通に鉄並みには強度があるはずなんだけどね」

「へー……」

 

モーガンは感心する。

ちなみにマグニスノアでどうやってアルミニウムを入手するのかというと、ボーキサイトから錬金術で抽出するのである。こういう元素の抽出ができるのならば、アルミニウムは加工が容易な優良素材と言えた。現代地球でアルミニウムが鉄より高価なのは、精錬に大量の電力を消費するからなのだ。

 

なお、強度が鉄並みというのは、鋳鉄の精錬技術が中世前期並みのマグニスノアでの話である。構造用炭素鋼など、現代地球の技術で精錬された鉄は、基本的にアルミニウムよりも強度が高い。

 

「アリシエルってアホの子じゃなかったんだな」

「死ね」

 

金髪ツインテールは遠慮なく悪人顔の少年を蹴り倒した。

アリシエルが詳しいのは、英才教育を受けた魔法のエキスパートだからである。

専門バカであることは否定しないが。

 

「しかし、石綿とは凄まじいな。今の術でも無傷とは……」

 

エヴェリアも感心する。

蹴り倒された拍子にベンチの角に頭をぶつけて、白目を剥いてピクピクしているモーガンは、上品にスルーされた。

 

「石綿?」

「『火鼠(ひねずみ)の毛皮』を、ジョン殿の故郷では石綿と呼ぶそうだ」

「火鼠の毛皮って、ランプの芯?」

 

黒髪ロリは頷く。

 

「それを大量に入手して、外套(コート)に仕立て上げたものが、あの黒い外套(コート)だ」

「それって燃えないの?」

「銅や軽銀(アルミ)が融ける温度なら燃えるそうだが……まあ、見ての通りだ。

普通の布や毛皮と思っていると、痛い目を見ることになる」

「名前は火鼠の毛皮だけどな」

 

復活して早々に余計な茶々を入れたモーガンが、またもアリシエルに(むこ)(ずね)を蹴られ、悶絶する。

 

「今回は特別相性が良かったんだろう。『爆発』や『氷弾』なら、石綿だけでは無力だと言っていた」

「あの馬鹿でっかい剣なら、案外振り回せば叩き落とせるんじゃね?」

「『氷弾』なら問題無いと思うけど、『爆発』は厳しいんじゃない?『爆発』って、空気を圧縮したのを飛ばして、着弾点で解放するわけだから、鎧を着た人間でも簡単に吹っ飛ぶのよ。鉄装備でも、叩き落とすより避ける方が賢明ね」

 

闘技場では次の試合が行われていて、遠距離での撃ち合いから接近戦に移行、相手を蹴り倒して隙を作り、圧縮空気の解放による爆発で吹き飛ばして壁に叩きつけ、失神KOとなっていた。

 

「『爆発』って威力あるんだな……」

「あれは一発の威力を大きく設定してあるわね。

あの威力であれだけ連発してるとなると、勝った方もギリギリのはずよ」

 

アリシエルの言う通り、勝った方も満身創痍で、衛兵に肩を借りながら退場していく。

 

「星王術の宿命なんだけど、術の威力に比例して肉体の負担も大きくなる傾向があるの。軽減する方法がなくはないんだけど、結局時間がかかるわけだから、単唱器の持ち味を殺しちゃうのよ。

それに、それができるほど知識を持った騎士なんて、滅多にいない。儀式魔法が使えるって意味だから、それはもう星王術士として十分に通用するわ。

そういう、単唱器の疲労軽減方法まで実戦で使える人のことを、『二器(にき)使い』って言うの。星王術が発達してるハレリアでも、20人もいないって言われてるわね」

「それでもハレリアは多い方だろう。そこそこ大きな国でも、5人もいればいい方だからな」

「そんな少ないのか」

「そうなのよね。私もよく知らないけど、エヴァりん何か知ってる?」

「私はそういうことを学ぶためにハレリアに来た留学生なんだがな……」

 

エヴェリアは苦笑しながらも、答える。

 

「私が知る限り、二器使いが少ないのは、政治的にも軍事的にも需要がないからだと言われているようだ。

騎士と星王術士の一人二役というのは、傍から見れば便利そうだが、逆に言えばそれだけ1人に負担が集中するということでもあるからな。幾ら単唱器の疲労を軽減できると言っても、さすがに厳しい。そうなるくらいなら、騎士と星王術士を1人ずつ派遣するべきだろう。

軍でも、星王術士が必要なら術士兵を連れて行けばいい。わざわざ一人二役をする必要などない」

「でも、二器使いってみんな、そこそこ強くなるわ。高級器使いの一歩手前くらいはフツーにいけるみたいね」

「そうなのか?」

 

アリシエルの指摘に黒髪少女は目を丸くした。

 

「二器使いって、要するに星王術士になれるくらいには頭がいいのよ。だから、戦場ではすごく重宝されるんだって」

「……それは強くなるということなのか?」

「さぁ?」

 

アリシエルの主張に、2人は揃って首を傾げた。

 

試合は進む。

 

 

 

一方、貴賓(VIP)席。

 

「本戦までは問題なさそうですね。さすがにここでコケられてしまいますと、この先必ずトラブルになりますから、まずは一安心というところです」

 

白ローブの少女が溜息を吐く。

 

「あらあらまあまあ、『火線』を正面突破してしまいましたね」

 

もう1人、白いローブの少女がいた。こちらは柔らかな、おっとりした雰囲気だ。

 

「ところで、どうしてまだ白ローブのままなのですか?」

「可愛いでしょう?」

「可愛くありません。あなたはハレリオス家の人間なのですから、こういう場では正装してくるべきだと思います。見る人も混乱しますし」

「ただ面白いからという理由で顔を隠しているあなたには言われたくないものですよ。うふふふふ、最初は面白半分でも、例の殿方に顔を晒しにくくなりましたか?」

「むぐっ――!」

「ああ、でも、顔を晒していても問題がありますね。私とあなたの場合、ですけれど」

「む……確かにそうかもしれません。雰囲気は全然違うそうですけど」

「遺伝子の悪戯ですね。双子でもないのに、体形から声から顔までそっくりなんですもの」

「親は両方双子ですから、兄弟姉妹そっくりさんが多いですけれどね」

「似ていないのは父親の性格だけと言われていますものね」

「そこは教育の賜物でしょう。私の家とハレリオス家では、求められるものが違い過ぎます」

「そうですね、私の従妹がこんなに可愛く育ったのも、教育の賜物でしょう」

「私にそんなことを言うのは、あなたくらいですよ」

 

白ローブの少女の片方は、深々と溜息をついた。

 

「さて――」「さて――」

 

2人は同時に呟く。

 

「先程から獣耳の方がチラチラと目に入るのですが、知っていますか?」

「知らないとシラを切ることができたのなら、どれほど楽なのでしょうかね……」

 

白ローブの少女の片方は、フードの奥でやさぐれた表情になりつつ深々と溜息をついた。

 

 



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防護策

「大きな問題はなさそうだな」

 

控室にて、ジョンはマルファスの装備を調整していた。

 

「すみません、鎧の隙間を狙えれば、もっと傷も少なく済んだとは思うんですが……」

 

金髪の大男は申し訳なさそうに、自分の剣を研ぐ少年に謝る。

 

「あの系統の鎧に隙間なんかねえよ。大なり小なり、金属部分を切ることになる。むしろ腕や頭じゃなく、胴体を狙った方がいいってのはあるが――。

余計なことは考えるな。この剣は、どこを狙っても切れるし貫けるように作ってあるんだからな」

「はい」

 

マルファスは素直に頷いた。

 

「本戦まではこの調子で問題ねえだろ。問題は、二つ名を持ってるような、有名どころと当たった時だが……」

「……総長は純粋に恐いです。あの強さに勝てるかどうか……」

「心配すんな、『雷神』の術に対抗する方法はある。そっから先は接近戦だ」

「接近戦が一番怖いですね」

「小細工ならできるんだがなぁ……。それでどうにかなんのかって言われると、正直首を傾げちまう。まあ、言っちまえば卑怯臭い手だからな」

「それが、あの鎖が付いた鉄の棒ですか……」

「武器としちゃ相当に使い勝手が良くて、相手からすれば対処が難しい。ただ、マルファスや総長のレベルの話じゃない。作ってはみたもんの、役に立つかどうかは怪しい。使うかどうかは自分で決めてくれ」

「わかりました」

 

話は次の試合へと進む。

 

「次は圧縮空気を飛ばしてくる相手だ。弾が見えにくいから難しいかもしれねえが、避けられるんなら避けた方がいいな。爆発も、完全装備の人間が吹っ飛ぶってのは結構な威力だ」

「そうなんですか?」

「そうだ。一番怖いのが、急激な気圧の変動によって鼓膜が破れること。そうなると、身体のバランスを保つ器官がやられる危険がある」

「身体のバランスを保つ器官?」

「そう、内臓みたいなもんだが、こいつがやられても死にはしねえから、心臓や脳みたいに有名じゃねえんだ。でも、そこに受けたダメージの大きさによっちゃ立てなくなっちまう、戦闘には重要なもんだ」

「もし食らったら、どうすればいいんですか?」

「原則として、食らうな、全部避けろ。万一食らった場合だが……避けられないと思ったら地面に伏せろ。口を開けて息を吐くって方法もあるんだが、あっちも気休めだからなぁ……」

「わかりました。やってみます」

 

マルファスは素直に頷いた。

 

ちなみに。

戦時中の日本では、爆弾が近くに落ちた時は、親指で耳を、残りの指で目を塞ぎ、口を半開きにしろと教えられたそうだ。

 

 

 

そして次の試合。

圧縮空気の弾を連発してくる騎士に対して、マルファスは冷静に回避重視で臨んだ。

何度目かの攻撃で当たらないと見るや、足元の地面に当てて爆風に巻き込もうとするが、なんとマルファスは芯をずらして前に踏み込むことで、爆風を背中に受けて騎士に接近する。圧縮されていても空気なので、かなり見えにくいはずなのだが、彼にはあまり関係ないのかもしれない。

 

接近戦と見るや、相手は切り替えて槍で攻撃してくる。

それを大剣の刃のない部分で弾き、リーチの長さを生かして反撃、相手も受け流そうとしたが、受け切れずに槍の柄が半ばで折れ曲ってしまった。

そのまま戦意喪失の意を伝え、マルファスの勝利。

 

「なんだか、俺の助言(アドバイス)、あんま役に立たなかったな」

「いえいえ、口を開けて息を吐くっていう助言(アドバイス)がなければ、突っ込めませんでしたよ」

「そうきたか。別に避けてるままでも勝ててたと思うが……まあ、いいか」

 

ジョンも、アリシエルが説明したような、強力な術を使った際の消耗の激しさについては、1回戦目の試合を見て気付いていた。圧縮空気の弾を爆発させるという戦法は、集団戦においては無類の力を発揮するが、こういう1対1の戦いには向かないようなのだ。

術の強力さの割にシード扱いでないのは、その辺が理由なのだろう。

 

ともかく、予選初日は無事突破である。両手用大剣の破損もなく、予備に作ってあった武器の出番もなかった。

 

「じゃあ、とりあえず、明日に向けて今日はしっかり休め」

「はい」

 

 

 

火外(ひそと)2区にある練兵場で行われる武術大会の3日間は、一般客のためにも闘技場が解放される。

唯一、軍のセキュリティが甘くなる、ならざるを得ない3日間でもあった。そのためか、錬金術師や貴族を始めとするVIP達は、指定された宿に寝泊まりすることになる。なぜならば、その方が守りやすいからだ。ジョンのような隠れVIPも同様である。

 

「軍の大型施設ばっかだって聞いてたけど、こんな豪邸もあるんだな……」

 

ジョンが部屋を見回しながら呟いた。

2階建て、一部屋15畳近くの広さ、トイレは共同だが、絨毯やソファ、天蓋付きベッドなど、調度品は完備されている。ただ、天蓋付きベッドと言ってもそこまで上品な作りではないのだが。

 

「ここは元々騎士用の宿舎だったのを補修改築(リフォーム)した宿泊施設です」

 

同じ部屋に来ていた白ローブの少女が、自分で作ってきたという差し入れをつまみながら説明する。差し入れは(きじ)肉の唐揚げだ。地球でも西洋では定番のターキーである。小麦粉らしき衣が付いていて、ほどよいキツネ色にこんがり揚がっている。

 

「リフォームって聞くと解放感を求めたくなるな」

「老朽化していたのを補修したついでに、部屋割を変えて漆喰(しっくい)で整えただけですよ。

そもそも、この部屋に解放感を求めるのは、特別客を守るという観点からすれば本末転倒ですからね。高めの場所にあるガラス窓で我慢してください。

……なんですその顔は?」

「予想外の真面目な返答(マジレス)にびっくりした」

「冗談でしたか……」

 

白ローブの少女はがっくりとうなだれる。

 

「んで、他の奴らは?」

「エヴェリアさんは留学生ですから、武術大会を見物に来た貴族達に交じってパーティに出席しています。モーガンは武術大会の事務処理、アリスは錬金術師棟の方です」

「貴族と錬金術師で分かれてんだったか」

「ええ、ジョン君は万一にも他の貴族と接触されては困りますから、この地下迎賓室で、夜間は軟禁状態でお願いしていますけども」

 

ジョンとしても、それで余計なトラブルを回避できるなら特に文句はない。なので、彼は別の気になったことを訊くことにする。

 

「あれ?ハレリア貴族にも俺のことって秘密なのか?」

「武具大会ではあまり人が集まってきませんし、そこまで注意することもなかったのですが、武術大会では他国の貴族も見物するのですよ。それに、ホワーレン王国の貴族も来てますしね」

「ホワーレン?ホワーレンって、ハレリアに吸収合併されたんじゃねえのか?」

「やはりそういう認識ですか……」

 

ジョンは2年ほどナンデヤナで暮らした経験を元に話したのだが、少女は渋い顔をした。

 

「ホワーレン王国は、現在ハレリア王国が統治を代行しているだけで、ちゃんと国としての体裁を保っているのですよ」

「統治を代行って、そんなのが(まか)り通るのか?」

「お互いの事情が絡み合った結果ですね。

ホワーレンはハレリアの庇護下に入りたいし、ハレリアは領土を広げるわけにはいかない理由があったのです。そこで苦肉の策として、自治権を代行するという形となったのです。

ナンデヤナとルクソリスで行政の形態が少し違っているのは、それが大きな原因なのですよ」

「ああ、そういえば……」

 

ジョンは初めてルクソリスへ来た時のことを思い出す。

神殿の大きな敷地に、役所と衛兵の詰所があったのだ。彼はそれを知らなかった。それはつまり、ナンデヤナでは違ったということである。

 

「今は、少しずつ独立へ向けて動いている状況ですし、ホワーレン貴族も世襲制を復活させようとしています。特に現ホワーレン王は産業開発に力を入れていまして、ハレリアから優秀な職人や錬金術師を、登用(スカウト)して囲っているそうなのですよ」

「それに引っ掛かるとまずいってことか……」

 

彼は武術大会が始まる前から、弩砲の生産工場建設について話を進めていた。既に弩砲を部品ごとに作り上げる工場設備について、設計も済ませている。後は非魔法による武術大会本戦出場という快挙を行って名声を挙げ、職人の協力者を集め、施設を作り上げるだけだ。

 

ただ、設備も施設も問題無いと言っても、運営上のトラブルを解決するには経験者が必要である。そのため、前世に工場で働き、様々なトラブルを経験してきたジョンの存在は必要不可欠だった。

 

「うん、美味い」

 

少年は(きじ)肉の唐揚げを1つ口に放り込んで唸った。

 

「ところで1つ聞きたいことがあるのですが……」

 

白ローブの巨乳少女がジョンに尋ねる。

 

「ジョン君は、控室で『総長の術に対応するための策はある』とおっしゃったそうですね?」

「ああ、仕掛けはしてある」

 

中身オッサンな少年は頷いた。

 

「グレゴワール・デンゲル騎士団総長は、武におけるハレリアの切り札です。そういう対策があるとご存知なのでしたら、先に私達に教えていただきたいのですが……」

 

白ローブの少女が苦言を呈する。

 

「あー、そりゃそうだ。悪かった」

 

ジョンはばつの悪そうな顔をして後頭部を掻く。

 

「デンゲル総長が使う単唱器の属性は、電撃だろ?」

「ええ、究極にして不可避の属性です。最近までは高級器でしかその属性は使用不能でしたが、最近は威力も範囲も弱いながら、一般の単唱器でも使用できるようになってきています」

「その電撃、電気ってものは、原則として流れやすい方に流れる。鉄、石、木なんかだと、より流れやすい鉄の方に向かう。表面が濡れてたりすると、木の方に行くこともある。鉄で表面が濡れてたりすると、覿面(てきめん)だな」

 

彼は説明した。

 

「ですが、装備を見ますと剣は鉄ですよね?」

「その通り、両手用の大剣は鉄製だ」

「では、結局使い手が電撃を受けてしまうのでは?」

「人間の体に流れなきゃいいんだ。要は、鎧の表面で止めるってことだな」

 

ジョンは懐からメモ用紙と紙を巻いた炭の棒を取り出す。そしてまずは円を描き、その円に接する棒線を引っ張った。さらに、円の内部に棒人間を描く。

 

「円を鎧、この棒は剣と思ってくれ、中のは人間な」

「はい」

「普通の鎧だと、剣に流れた電気ってのはこう流れる」

 

赤毛偽ショタは剣から、円(鎧)に接している部分から人を通るように線を引っ張った。

 

「人体を通るわけですね」

「大きな理由は、汗だ。動いてれば人間は汗をかくからな。その水分が服や皮膚の表面を湿らせる。そういう水分ってのは、電気が流れる絶好の通り道だ」

「しかし、汗をかかないようにはできないでしょう?」

「ああ、だが、鎧と人体を隔離するってことはできる」

 

中身オッサンな少年は、円の内側にもう一重の同心円を描く。

 

「要は、鎧周りまで電気が流れる経路が届かなきゃいいんだ。そのために、綿入れ、軟皮、なめし革、鉄の層構造にした。鉄の鎧の内側になめし革を張り付けるってのが手間だったらしくて、相当に文句言われたけどな」

 

もっと詳しく言えば、防具を繋ぐ金具も、肌に接する部分はなめし革を使っているという、徹底ぶりだ。

 

「こんな革一枚で防げるものだったのですか……」

「革鎧だけじゃいけねえよ。革は電気が流れにくいから、武器から直接人体に流れる。革の外側に鉄なり銅なりの、電気が流れやすいもんが必要になるんだ」

 

日本なら、中学校の理科の授業で習うかもしれない。

鉄粉、鉄の輪、磁石を使った実験だ。

紙の表面に鉄粉を蒔き、裏側から磁石を近付けると、磁力線に沿って鉄粉が動く。だが、鉄の輪が表面に置かれていると、その内外で鉄粉の動きが隔離されてしまうのである。

磁気と電気は、同じ電子の動きによって発生するものなので、電気についても同じ、隔離作用が発生するのだ。

 

パソコンなどの電子機器を静電気から守る仕組みも、原理は同じだ。また、落雷時に飛行機、自動車、電車などの内部なら安全というのも、同じ原理によるものである。

 

「これは使えそうですね……。電撃属性は、今まで術以外の対抗策がなかったからこその、究極の属性だったのです」

 

白ローブの少女は顎に手を当てて呟いた。

 

「もし手に入るんなら、ゴムを鎧の内側に焼き付けてもいいかもしれねえ」

「ゴム、ですか?」

「ゴムの木から採れる樹液だな。俺がいた世界じゃ、南の暑い地方でそういうのがあったんだが……。マグニスノアじゃどこで採れるのか、俺はよく知らねえ」

「わかりました、探してみましょう」

 

少女は力強く頷く。

こうしてジョンの知識による様々な魔改造を経て、1つの奇跡に繋がるのだった。

 

 



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破損事件

翌日。

 

「なっ、なんじゃこりゃ!?」

 

闘技場の武器庫で大剣の調子を確かめていた赤毛偽ショタ野郎は、焦りの声を上げた。一体何をしたのか、大剣が大きく刃毀(はこぼ)れしていたのである。

 

「ああ、ジョン!」

 

その時、慌てた様子で声をかけてきたのは金髪の優男エルウッド。武具大会以来である。

 

「どうも昨夜、武器庫に酔った兵士達が入り込んだそうでして、武具を幾つか壊していったんです」

 

着痩せする青年兵士は事情を説明した。

どうやら、この刃毀れはアルミニウムを切ったためのもののようだ。マルファスの怪力に耐えられるように作られたこの剣は、熱処理によって頑丈さが増しているが、アルミニウムの武具を切っても刃毀れしないほどのものではない。そもそも、西洋剣は日本刀と違って切れ味を維持する武器ではないのだ。

 

いや、日本刀もたとえ人体であろうが、骨を切れば大なり小なり刃毀れはする。同じ場所で切らないことで切れ味を常に発揮させるのは、使い手の腕前である。

実は刃毀れを気にしなければ、紙でできた刃物で木材を切断することも可能なのだ。もちろん、たった一度で使い物にならなくなってしまうため、労力に対して効果が低く、誰もやらないことだが。

 

「一応、対応のために予選3回戦は開始が1時間ほど延期されます。錬金術師なら1時間で修復できるということですが、ジョンさんって……」

「俺は錬金術師じゃねえ。俺だけ不利になっちまうか」

「ですよね……」

 

エルウッドはがっくりと肩を落とす。

ちなみに、時間の単位に1時間という言い方を使っているが、実は現代地球のように1日を24等分しているのではない。日の入りと日の出を6時として、その前後をそれぞれ12等分しているのだ。

 

どういうことかというと、夏は昼間の時間が長いために1時間が長く、冬は昼間の時間が短いためにその分1時間が短くなるのである。これは古い時代の時刻の数え方で、現代地球では使われなくなったものだ。

武術大会中は春のため、そこまで1時間の変化はないのだが、マグニスノアでは季節によって1時間の長さに違いがあるというのは覚えておいてほしい。

簡単に言うと、1日を正確に区切る時計がないということである。

 

「ていうか、術もないのに武術大会の2日目に生き残ってるんですか!?」

「使い手が良けりゃこんなもんだ」

「スンマセンっしたー!」

 

この土下座する金髪イケメン青年兵士、武具大会でジョンと組んだのだが、大ポカをやらかして敗北してしまったのである。

 

「すみません、寝坊してしまって……」

 

その時、マルファスが巨体を揺らして小走りに駆け寄ってきた。防具は装着済みである。あの黒い外套(コート)姿だ。

 

「おお、しっかり寝れたか?」

「はい、今起きてきたところです」

「え、今?」

 

エルウッドが聞き返した。

 

「白いローブの女の人が、なかなか寝かせてくれなかったんです」

「……」「……」

 

絶句。

 

「なんだか半年後の戦争に向けて、色々と話しておくことがあるとか言われまして……」

「あ、ああ……」

 

ジョンは辛うじてそう返す。

そして、どうやらそこまで色っぽい話ではなさそうだとも思った。前世で何度も、(おとこ)になった顔つきの同僚や後輩達を恨めしげに見てきたのである。

マルファスの顔を見ると、そこまで大きな心境の変化があるようには見えなかった。長く生きていると、そういうのは雰囲気で分かるものなのだ。

おそらく、食堂でテーブル越しに話していたとか、そんなオチだろう。前世で50年独身だった少年鍛冶師は、半ばそう自分に言い聞かせた。

が、エルウッドは燃え尽きたように真っ白になって、口から魂が出ている。

 

「後輩に追い抜かれ……た……」

「え?」

「気にすんな」

「は、はぁ……」

 

マルファスは首を傾げながらも頷く。

 

「それで、武器なんだが、トラブルが起きちまってな……」

 

ジョンはトラブルについて説明した。

大剣の刃が大きく欠けてしまっているため、研ぎ直すのに1日かかるかもしれないことを告げる。

 

「ええっと、じゃあこの不思議な武器の出番ってことですか」

「コイツは、俺の創作武器だ。使い方は、先端に付いてる殻物(からもの)を無視して、棒の方でブン殴れ。それだけだ」

「え、それでいいんですか?」

「剣しか使えない奴が一朝一夕で別の武器を使いこなせるか。それなら剣として使わせた方がいいだろ。そのために、(つば)も付けてあるんだ」

「それなら普通に剣を作ればよかったんじゃ……」

 

復活したエルウッドがボソリと呟いた。だが、この小説においてそれは言わないお約束などではない。

 

「刃を付ける時間がなかったんだよ。そのままじゃどう足掻いても劣化版にしかならねえしな」

 

ジョンは素直に話した。隠してどうなるものでもない。

 

ちなみに。

彼は創作武器と(うそぶ)いたが、実はしっかりとモデルがある。

その前に形状に付いて説明しよう。

 

鉄製の槍のような長い棒に、剣のような(つば)が取り付けられており、先端には長い鎖で繋がった、棘の付いた拳大の鉄球。この武器は、いわゆる『モーニングスター』である。

起源は中国の流星錘(りゅうせいすい)――長い紐の両端に(おもり)を結びつけたものだと思われるが、定かではない。他にもヌンチャクや多節棍など、類型の武器は多くあるが、中国と西洋では明確な違いがある。

それは、玄人向けか素人向けかということだ。

 

ヌンチャクと言えば、今は亡きブルース・リーが映画中で使用したことで有名だが、素人が扱うと大抵は自分の頭を打って痛い目を見る。日本の武器で言えば、鎖鎌(くさりがま)が最も有名だろう。あれも、素人が使いこなせる類の武器ではない。

 

それに対して西洋の類型武器の中には、『ヒッター』や『フットマンズフレイル』など、素人が使っても大きな威力を出せる武器が幾つか存在している。

いずれも長い柄が特徴で、ヒッターの方は鎖の先の鉄球の代わりに様々なものが用いられたと言われている。フットマンズフレイルの方は、鎖の先が短い棒。

両方とも、長い柄で殴りつけることで、それぞれの鎖の先にある殻物が、自動的に追撃するという使用方法だった。特にヒッターは、農民戦争の際に数合わせで作られた、つまり戦闘の素人が用いたという文献が存在する。

 

ただし。

ジョンが作ったような全金属製のものは、地球のいずれの地域においても作られていない。理由は単純、重すぎるのだ。

そもそも、西洋の鎧は重いことで知られている。実際に西洋の鎧が飛び抜けて重かったわけではないようだが、相当に重装化が進んでいたのは確かである。その上に全金属製で長柄のモーニングスターなど、持ってはいられないということで間違いない。

 

「じゃあ、悪いが午前中は剣を研ぐのに内域まで行かなきゃいけねえ。エルウッド、手伝ってくれ」

「試合はどうするんですか?」

「3回戦目は強風でこっちの動きを止めてくるタイプだが、その装備の重さなら無視して突っ込める。

4回戦目は、多分電撃使いだ。けど、俺が作った装備に電撃は通じねえ。足の速さがあるから、後ろを取られないようにだけ気をつけろ」

「わかりました。必ず勝って本戦に出ます」

 

マルファスは力強く頷いた。

 

「しょうがないッスね。ちょっと待っててください、隊長に警備抜けるって伝えてきます」

 

エルウッドは苦笑して、会場警備の隊長の下へ向かう。

 

 

 

闘技場の裏口付近。スタッフ用の入り口だ。

 

「どうやら、上手く行ったようだな」

 

2人がかりで運び出されていく長大な剣を眺めながら、2人の男の片方が呟いた。

赤毛の青年。服装は金や銀の刺繍が施された、派手なものである。つまり、貴族だ。

 

「平民風情が……貴族の祭典を汚した報いだ。苦しむがいい」

「ハレリアの祭典ゆえに、もっと分かりやすく警告などということはできんのがもどかしいところだ」

 

もう1人は口ヒゲを蓄えた、同じく赤茶髪の中年貴族。

 

「しかし、ハレリア政府もなぜあのような(いや)しい者どもを、この名誉ある祭典に出したのか」

「所詮は、奴隷すら受け入れてきた、自らその貴い血を薄めてきた色情狂どもの考えることだ。次はあの、どこの馬の骨とも知れぬ者どもを迎え入れようということなのだろう」

「チッ、忌々しい。ナノカネズミどもが」

 

青年は吐き捨てた。

 

ナノカネズミとは、地球にいるよりも遥かに繁殖力の高いげっ歯類、(ねずみ)である。身体は小さいが、その分小さな隙間から食糧庫に侵入しやすく、穴がなくともその硬い歯で壁を食い破って侵入し、大切な食料を食い荒らすため、世界的に忌み嫌われていた。

 

ハレリアは身分制度が独特で、実力があれば平民から王族に迎えられることも少なくないため、他国、貴族主義者からすると信じられない法律が多く存在している。その、どんな血でも受け入れ、多くの子孫を遺すところから、ハレリア王族はしばしば爆発的な繁殖力を誇る(ねずみ)に例えられるのである。

 

「あらあらまあまあ」

 

その時、2人の背後から少女の声が響いた。

 

「……!」「……!」

 

2人は同時に振り向く。

そこにいたのは、2人の白いローブの少女。片方は頬に手を当てていて、柔らかな雰囲気に見える。両方とも、フードを目深に被っており、顔は見えない。

 

「マナタン男爵とカナタン伯爵ですね?」

「……ハレリア政府の犬か。何の用だ?」

「ここ10年間、同様の手口で武術大会を妨害してきておいて、バレていないとでも思いましたか?」

「黙れ。下賤な小娘どもが、我々貴族に口を出すか」

 

長身の青年貴族、マナタン男爵の方が2人を威圧しようとする。

 

「では」

 

その威圧をものともせずに、柔らかな雰囲気の少女が口を開く。

 

ハレリ(・・・)オスの(・・・)権限(・・)におい(・・・)て命じ(・・・)ますわ(・・・)悪魔の(・・・)力を(・・)振う(・・)ことを(・・・)許可し(・・・)ます(・・)

「……」「……」

 

2人の男は、一瞬何を言われたのか、理解できなかった。

 

「ハレリオス……だと?」

「代々、ハレリア国王を務めてきた一族の名を知らないなどというオチはありませんよね?」

「貴族を愚弄するな」

「では、その意味も分かるはずです。ハレリアやホワーレンのためというには、貴方はやり過ぎました。さすがに今回、放置しておくことはできません」

「放置できなければ、どうするというのだ?」

 

青年は威圧感を強めるも、平然としている2人に内心焦り始める。

 

「クスクス、マナタン男爵は初回ですし、色々と騙されているようですから、今回に限っては大目に見ますよ」

「なに?」

「ですがカナタン伯爵。貴方はダメです。甘いと言われるハレリアの法律でさえ、貴方の所業は極刑です」

「何の権利があって私を裁くというのだ。他国の貴族を、貴様らは裁くというのか?」

 

カナタン伯爵は余裕の表情だ。

今までこれといった罪を受けなかったため、調子に乗っている、といったところである。

 

「マナタン男爵、貴方のご両親は、昨年破傷風でお亡くなりになったようですね」

「……何が言いたい?」

「いえね、星王教の圏内で、破傷風で亡くなるというのは、とても不自然なのですよ」

 

破傷風とは、切り傷から破傷風菌に感染することで発症する病気である。

潜伏期間は3日から3週間ほどと言われ、発症すると全身の筋肉の硬直による痙攣などを経て、十分な医療技術がない場合は成人でも15%~60%で死亡する、恐ろしい病気だ。

 

地球では西暦1889年、北里柴三郎が世界で初めて治療法を発見しており、予防や治療などの研究も進んでいるため、発症例自体が減りつつある。

 

「貴様らが治癒の値段を吊り上げるからだろうが!」

「噂にでも踊らされましたか?神殿における治癒術の行使は、原則無料です」

「そんな馬鹿な!神殿の入り口に立っていた兵士に、俺は斬り殺されそうになったんだぞ!?」

「――そういえば10年前、神殿の治癒術の行使に税金をかけた貴族がいましたね。昨年にも同じ場所で同じことがあったそうです。いずれもカナタン伯爵による行政機関への介入ですよ」

「デタラメだ!こ奴らは嘘を言っておるのだ!」

 

中年貴族は顔を真っ赤にする。

 

「では、なぜ貴方は傭兵に神殿を占拠させたのですか?」

「それは、平民風情が貴族である私を後回しにするとほざきおったからだ!」

「神殿の占拠事件が発生し、鎮圧された時期に、マナタン男爵のご両親がお亡くなりになった時期が重なることについて、何か弁明はありますか?」

「偶然だ!私が悪いわけでは――!」

 

鈍い音が響いた。

 

「貴様か!貴様のせいで、貴様のせいで、父上は、母上はッ!!」

「何をするかマナタン!お前を爵位持ちの上級貴族に取り立ててやった恩をぐはっ!?」

 

マナタン男爵は、カナタン伯爵の上に馬乗りとなって、その顔面を執拗に殴りつける。カナタン伯爵も抵抗するが、あまり体を鍛えることをしてこなかったせいか、青年によってあっさりと抑えられてしまっていた。

 

「勢い余って殺さないようにしてくださいね」

 

激昂する青年貴族に、白ローブの少女は声をかける。

 

「ま、素手で殴り殺すには時間もかかりますし、治癒術を準備しておけばそうそう死にはしないですかね」

 

モザイクがかかるような流血の事態にも動じず、彼女は呑気にそんなことを呟いた。

 

「これで大体終わりですか。では――」

「お待ちなさい」

 

柔らかな雰囲気の少女がその場を立ち去ろうとするその肩を、もう1人の少女が掴む。

 

「さっきからそわそわしていたと思ったら、彼の応援ですか?」

「うっ……」

 

ハレリオスの少女が言葉に詰まると、もう1人の白ローブの少女は深々と溜息を付いた。

 

「彼の試合は後半ですから、もう少し時間がありますよ?」

「はぁい……」

 

胸が大きい方の少女はがっくりと肩を落とす。

 

「一度控室に顔を出したかったのですが……」

「あそこは関係者以外立ち入り禁止です。ハレリオスであろうとそれは同じです」

「いけずぅ……」

 

結局、マナタン男爵の怒りが鎮まるまで、2人はその場で待つことになったのだった。

 

 



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達人の仕事

事件を余所に、滞りなく試合は進む。

 

「やはり彼のことが気になりますか、総長」

 

貴賓(VIP)席で、白ローブの少女は白髪交じりの金髪に褐色肌の大男に声をかけた。

『雷神』グレゴワール・デンゲル。ハレリアが誇る騎士団の総長(トップ)でもある。

 

「気にしておるのは、ワシだけではない。そこかしこで噂になっとるようだわい」

「誰もが予想だにしなかった『魔物殺し』ともなれば、注目もされますか。

……だからこそ、標的となったのかもしれませんね」

「今回の事件、防ぐことは出来たはずだが……あれでよかったのか?」

 

初老の大男は少女の方を向いて尋ねる。

 

「ええ、武器の予備があることは知っていましたから。それに、今までもカナタン伯爵による妨害はあったのです。彼の場合だけこちらが手を出したのでは、過去の出場者達が納得しませんよ」

「本戦までに研ぎ直しができるかどうかで、今後の評価が変わってくるということか……」

「最悪、予備の武器の性能次第で本戦も戦うことになるかもしれません」

 

話している間に、マルファスの試合が始まった。相手は珍しい女性騎士である。

 

「今代のアリアは自分で風には乗れん。坊主が勝つだろう」

「風属性の極意は、風と共に走り、風と共に飛び、風と共に去る……ですか」

「もっとも、アリアの得意武器は弓矢。この試合は畑違いだがな」

「当代『鳶眼(とびめ)』のハリスティナ・アリアですね。予選から二つ名付きが参加しているという噂がありましたが、そういうことでしたか」

「自分が女だということに劣等感があるようだ。だから、無理をしておる」

「その辺は難しいですね。他人から言われてどうこうなるものでもありませんし」

 

試合は、一瞬で終わる。

 

女性騎士が渦型の突風を吹かせ、相手の動きを止めて槍を突き出した。そこを、マルファスは長柄モーニングスターで殴ったのである。柄だけでも鋼鉄製のため、相当に威力があるのだ。それを小枝のように振り回すのである。さらに棘付きの鉄球が一泊遅れて飛んでくる。

女性騎士は鉄球を避け損なって腕で受けてしまい、腕鎧ごと圧し折られるという結果となった。それでも槍ごと圧し折れそうな鉄の棒を、数回槍で受け流すという技を見せており、その技量の高さがうかがえる。

当然そこで勝負あり。

 

「ただの鉄の棒ならば、互角にやり合っておったかもしれん。風も、足を止める以上の役には立っておらんな。どちらかの天秤の触れ方次第で、アリアが勝っておっただろう。術と武器の性能に泣かされたな」

「不得手な環境であろうと、二つ名付きは強いのですね」

「予選に出た中では、唯一坊主の技量を超える相手だったわい」

 

2人は負けた女性騎士を称賛する。

 

 

 

「さて、次のマルファスさんの相手は、雷撃属性です。そして、私が総長に声をかけさせていただいた理由でもあります」

 

白ローブの少女は言った。

 

「ふむ?」

 

デンゲルは、まじまじと巨乳少女を見る。

 

「実は、あの装備には雷撃属性対策が施してあるそうなのですよ」

「雷撃属性は、術以外で対策出来ぬから究極なのではなかったのか?」

「彼が言うには、雷撃は流れやすい方に流れる性質があるのだそうです。それを利用して雷撃を地面に逃がしてやれば、雷撃は人を傷つけないとか」

「なんと……」

「低級雷撃器は、その対策によって使い物にならなくなるかもしれませんね」

「むぅ……」

 

55歳になる初老の騎士団総長は唸った。

 

「丁度、次は雷撃使い同士か……。どの程度の対策かで、情報を制限する必要も出るかもしれんのだな」

「それでお願いなのですが、もしも総長がマルファスさんと当たった場合は、単唱器を使用せずに戦っていただきたいのです」

「元々、ワシにとって低級雷撃器は雑魚掃除用だ。数を頼みに押し潰そうとする連中に対して、最も効果を発揮する。射程も剣2本分程度しかない。

隙を消す目的で使う者もおるようだが、根性でどうにかなる程度でしかない。

それに頼るようではあの坊主には勝てんわい」

 

空気とは、湿気の多い環境下でもそれほど電気を通すわけではない。静電気の空中放電が発生する場合でも、精々2、3ミリまで接近しなければならないのだ。その時の電圧は何十万ボルト。落雷の億単位には到底届かない。

 

星王術の場合も落雷ほど電圧は出ないため、その射程距離は大きく制限されてしまうのである。

大体、低級雷撃器(雷撃用の低級単唱器)で2メートル程度、高級雷撃器(雷撃用の高級単唱器)で30メートル程度。威力も低級ではスタンガンにも劣り、1発で無力化することができない。むしろ詠唱の隙を晒してしまう分、使用のリスクは大きい。

 

ちなみに、電撃の威力の単位にボルト(V)がよく使われるが、実際の破壊力の単位と呼べるものはアンペア(A)の方である。

0.5ミリアンペア(mA)が人体に感知できる最小の電流で、1ミリアンペアが痛みを感じる程度、5ミリアンペアになると相当な苦痛があり、10~20ミリアンペアを超えると筋肉が動かなくなり、50ミリアンペアを超えると死に至る危険があるとされる。そこに電圧の単位であるボルト(V)は関係がなく、落雷の青白い光も、アンペア(A)の大きさを示している。

威力がボルトで示されるのは、おそらく空中放電の際に電圧が高いほど電気が流れやすくなり、結果としてアンペアが高くなるからだろうと考えられる。

 

「そうでしたか……」

「他の属性についても、対策が出てきそうではあるな」

「一応、火に関しては昨日の試合で、『火線』の薙ぎ払いを突っ切って無傷という結果が出ています」

「ほう?」

 

デンゲルは目を見開く。昨日の試合は見ていないのだ。曲がりなりにも騎士団のトップである。予選初日から試合を見ているほど彼も暇ではない。

 

「あの黒い外套(コート)に、火鼠の毛皮(石綿)を使用しているそうです」

「ランプの芯か。そのような効果があったとは……」

「火鼠の毛皮に関しましては、半年前にも話は出ていたと思いますが……」

「そんな昔のことは忘れたわい」

「本当に大雑把なのですねえ……」

 

白ローブの少女は苦笑した。

 

 

 

一方、ジョン達は大剣を研ぎ直すために、運河を隔てた内域に大剣を運び込んでいた。

 

「たった1人でこれ研ぎ直すのか?」

 

途中で付いてきた悪人顔の赤毛役人が尋ねる。

 

「そのためのこれだ」

 

と、ジョンは(ほこり)避けに被せてあった布を取り払った。布の下にあったのは砂岩の円盤を軸に接着して、ペダルを踏む人力動力で回転させる装置。『足踏み式回転砥石』である。

 

「そっち側、持ってくれ」

「え、はい」

 

ジョンはエルウッドと一緒に改造されたテーブルごと、大剣が乗せられた馬車の荷台に近付ける。工房は1頭立ての馬車なら入れる程度には大きかった。

そして入口の天井から下がっているクレーンに大剣を結び付け、吊り下げる。その下に回転砥石を置いて、クレーンのロープを操作し、ゆっくりと下げた。ちょうどいいところで止めて、テーブルを動かして微調整し、完成だ。

 

「人間の手で剣を持って研ぐんじゃないんですね……」

「普通の剣じゃねえからな。そんなことしてたら体力が持たねえよ」

 

言いながら、ジョンはペダルをリズミカルに踏んで円盤砥石を回転させ始めた。大剣の刃の部分を当てると、ザリザリと金属が擦れる音を立てながら、荒削りが始まる。

 

「思ったより傷が浅い。これなら昼までには間に合いそうだ」

「昼まで!?」

 

エルウッドが驚きの声を上げた。

刃渡りで2メートルもある巨大な剣である。粗削りだけで1日費やしてもおかしくないほどに、刃もボロボロになっていた。それを半日足らずで研ぎ直せるというのだ。

 

「というか、さすがにひと晩でそこまで壊すのは無理じゃね?このボロボロ具合も、意図的にやらないと厳しいだろ」

「その辺の判断は白ローブの子に任せる」

 

モーガンの指摘も、バッサリである。

 

「いや、軍が動きますよ。行政だけに任せてはいられません」

「こまけえこたあいいんだよ」

 

話しながらも、赤毛チビ鍛冶は大剣の粗削りを進めていく。

 

「テーブルの方を動かすんですか?」

「運河の行き来だけで結構時間を食っちまうんだ。イチイチ吊り直しなんてやってられるか!」

 

しばらくして、荒削りが終わった。

 

「本当に早いですね……って、何やってんですか!?」

「昼までに終わらすのに、手でチマチマなんてやってらんねえよ」

 

ジョンはなんと、円盤状の砥石に、削り粉を振り掛けて手で押し付け出したのである。

そんなことをすれば、目詰まりを起こすのはエルウッドにも分かった。というよりも、さすがに武器の簡単な整備(メンテナンス)くらいは自分でやるのである。刃を研ぐことは何度もやってきたので、エルウッドは砥石の目詰まりも何度か経験していたのだ。

 

実はジョンの行動には理由がある。

目詰まりを起こすということは、砥石の目が細かくなることを意味するのだ。そのため、より目が細かい砥石に交換する僅かな時間をも省く効果があるのである。

もちろん、現代地球ではちゃんと別の砥石を用意する。目が細かくなると言っても、同じ鉄で鉄を削ることになり、電気動力などによる高速回転環境では、効率が著しく落ちてしまうからだ。

低速環境下でも効率は落ちるが、砥石の大きさの変化によってクレーンの長さを調整したりということにかける時間に比べれば、まだ目詰まりを起こさせた方がマシとジョンは判断したのである。

 

教科書には載せられない、現場のテクニックと言える。

 

「よく覚えとけよ、2人とも。ただルールに沿ってても一人前にゃなれねえぞ。結果を出すためのやり方ってのは、何通りもあるもんだ。綺麗な結果だけにこだわるのは、余裕がある時だけにしろ。

仕事ってのは、いつだって素材も時間もねえもんさ。足りねえ中で何とかやり繰りすんのが実力ってもんだぜ」

「……ああ」

 

モーガンが何か思いついたように手を打った。

 

「そういや今回、猫耳作ってねえよな?」

「余裕がねえからな」

「そういうもんなんですか……?」

 

なんとも締まらないオチである。

 

 

 

午前の試合、予選3回戦が終わった後。

エヴェリアは食事後の休憩中、なんとなく運河の船着き場に来ていた。運河は巨大な堤に囲まれていて、その水際に大きな浮き桟橋と共に詰所、そして造船所がある。ルクソリスの同心円状の運河には、東西南北十字に橋がかかっている。だが、闘技場は火外2区、つまり橋と橋の中間に位置するため、運河を渡るには船を使った方が早い。だから、ジョンが戻ってくるとすれば、ここだ。

 

「やはり、気になりますか?」

 

声をかけてきたのは、白いローブの少女。

だが、彼女はもう1人の、という枕詞(まくらことば)を付けるべきだろう。なぜか、雰囲気で分かる。エヴェリアには、それが仕草の中に溢れる気品だと気付いた。政治家を標榜していた別の白ローブの少女の方は、それを意図的に隠しているのだ。

礼儀作法を(しつ)けられながらも、人前ではそれを隠す訓練を受けている。

 

もっとも、それに気付いたのは直属の上司であるハーリア公爵の指摘があったからだ。『庶民に紛れるには、育ちの良さ、宮廷作法をあえて乱すところから練習するといい』と。しかし、目の前の少女は高貴な育ちを隠していない。

それに、全体的にふっくらしているし、胸も大きく、女性としてより成熟している印象があった。

 

「貴女はなぜここに?」

 

エヴェリアは問う。

 

「ここで良いことがあると、星王よりお告げを受けました」

「お告げ……?」

「ハレリオスは、占い師の家系です。お告げという言い方をしていますが、要するに勘ということですわ」

「勘なのか……」

 

ルクソリスでは珍しい黒髪少女は、ややげんなりした表情になった。

 

「勘というのは、人智の外側にあるものを感じ取る力です。心を鎮めて、丁寧に雑念を取り払います。

そうすれば、本来聞こえるはずのない遠方の音や、匂いを感じられるようになります。

それは、はっきりと音として聞こえるわけではありません。匂いとして香るわけではありません。

ただ、頭の中に僅かな情景が浮かぶのです。それを分析し、未来を言い当てる。

それがハレリオスという一族が訓練していることなのですわ」

「勘も、深く分析すればそうなるのか……」

 

エヴェリアは感心する。思ったより神秘学ではなく、論理的な説明が返ってきたからである。

 

白いローブの巨乳少女は、ふと運河の方に目をやった。勘に動かされたのだろうか。

 

「あらあらまあまあ……」

 

つられてエヴェリアも運河の方を見て、顔が引き()った。

 

「なっ!?」

 

今まさに向こう岸から出発した船に、1頭立ての馬車が1台載っている。

船には馬車が3台載る大きさなのだが、緊急だろうか、出航していた。問題はその小さな馬車に、見知った(ジョンと)赤毛2人(モーガン)の姿があったことだ。御者台にはエヴェリアが知らない、金髪兵士(エルウッド)の姿。

 

「なっ、なんだっ、何があった!?」

 

雪のような白い肌の黒髪ロリは思わず叫んだ。すると、モーガンの大声が返ってくる。

 

「剣できたぞー!!」

 

エヴェリアがそれを理解するのに数秒の時間を要した。そして理解した時、大きく息を吸い込んで絶叫する。

 

「はああああっ!?!?」

 

そのソプラノボイスは、向こう岸の船着き場の、さらに奥にまで届いたという。

 

「あらあらまあまあ……」

 

白いローブの少女は頬に手を当て、困った様子で周囲を見回す。

 

「幸い、休み時間で人通りも少ないですが、闘技場のゲートも今はお休みです。私達が一緒に乗り込んで、手続きを済ませてしまいましょう」

 

彼女は割と落ち着いていた。

 

 




占い:

ハレリアに限らず、マグニスノアでは占術は発達していない。

魔法では五感を強化するなどして遠方の情報を手に入れるのが精々である。
その距離も視覚で2キロメートル、聴覚で500メートル、嗅覚で200メートル程度。
しかもかなり慣れていなければ、視覚以外から情報を得るのは困難とされる。
これは人間が情報を得るのに視覚に8割頼っているためである。

占術が発達していない理由には多くの説がある。

1つ目は、様々な方法で未来を占うやり方が伝わっているが、神族(かみぞく)かそれに連なる者に直接聞いた方が、余程精度が高いからである。
身も蓋もない話だが、占いが最も多く必要になる政治においては、神族(かみぞく)の知見というのは非常に頼りになる。
なぜならば、神族(かみぞく)は人間よりも頭がいいからだ。
ただ、それまでに信頼関係を構築しておく必要があり、契約とまでは行かずとも、代償を支払うことで正しい予測を教えてもらえるようにしておかなければならない。
そうしなければ、神族(かみぞく)は嘘を教えるのである。

2つ目は、神族(かみぞく)という絶対的で理不尽な支配者がいるせいで、世界の覇権を握ることにそれほど旨味がないからである。
どんな野心家でも、神族(かみぞく)でなければ神族(かみぞく)を上回ることはできない。
その原則を覆す方法が現状存在しないために、野心家ならば国を動かして覇権を握るよりも、神族(かみぞく)になる道を選ぶのだ。
ゆえに、野心家による国家転覆など、難しい判断を迫られる事案は、地球に比べて激減している。
つまり、占いを行う必要性がそもそも薄い。

3つ目は、現代地球でも大きな需要を持つ『暦』が、『占い』というカテゴリにはないということである。
それは過去に転生者よりもたらされた『(こよみ)』という考え方により、暦学(こよみがく)として独立していた。
暦が一巡りする期間を算出した太陽暦と、月が一巡りする期間を算出した太陰暦が太陰太陽暦として併用されている。
これは1ヶ月を月の巡りに合わせ、1年の長さを何年かごとに閏月を挿入することで調整するもので、明治になる以前に日本で使われていた暦である。
ちなみに、地球の太陰太陽暦において月と太陽の公転周期が一巡するのは19年であり、地球の太陰太陽暦もそれに合わせて組まれている。

4つ目は、『天気予報』も『占い』というカテゴリにないことである。
行政において『天気予報』は行動予定を決定する上で重要な要素だが、今のところ『日和見(ひよりみ)』という魔法とは関係のない役職によって代替されている。
しかし、翌日、翌々日の天候を予報するのが精々であるため、長期的な予定を立てることができていない。
魔法でも『天気予報』を行えないか、色々と研究がおこなわれているが、今のところ、少なくともハレリアにおいて、人間が利用できるレベルで芳しい結果は出ていないのが現状である。
いずれにせよ『占い』というカテゴリでない以上、どれだけ発達しても『占い』が復興されることはない。

以上が、現在『占い』がマグニスノアにおいて発達していない原因における、通説である。



勘について:

これは科学的に検証されていない、感覚的な話である。

人間の思考は、基本的に五感に変換された情報を意識内で再現することによって行われていると考えられる。
5千年前頃に発明された文字は人間に、他者との意思疎通を容易にするツールとして普及した。
現代地球では、おそらく大半の人間がこの言語による思考を有していると思われる。

大半の人間は意識していないだろうが、この言語による思考に五感が用いられていないなどということはない。
どういうことかというと、文字は視覚情報であるし、言葉は聴覚情報だということだ。
人によっては他の五感によって言語による思考を行っているかもしれないが、いずれにせよ言語が五感を基礎に置いた意思疎通手段である限り、人間の思考も五感に根差していることに違いはない。

ここで問題になることがある。
言語による思考とは、コンピュータでいえば1と0と改行で構成された機械語を、人間に分かりやすいコンピュータ言語に変換している状態なのだが、慣れている人間でも自分の思考を完全に言語化するのは難しいと言わざるを得ないのだ。
ゆえに、齟齬が生まれる。

また、人間の場合、処理する情報が膨大なこともあり、言語化までに時間がかかることも少なくない。
そのため、職人など言語化にそれほど慣れていない人間は、五感による思考に重きを置いていることもある。
その言語によらない思考は、言語での表現が難しく、また言語の方が対応していない場合も多い。
そのため、そういうものを往々にして『勘』と表現することになった。

ちなみに。
『勘』、あるいは『山勘』の語源は、戦国大名、武田信玄の家臣、山本勘助が元だと言われている。



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末路

「うわーお、マ~ジですかー?」

 

白ローブの少女が闘技場の裏口に届いた大剣を確かめ、頭を抱えた。

 

「さすがにこれは予想外ですよマジで。渋顔ダブルヘッドなのです」

 

説明しよう。

渋顔ダブルヘッドとは、両手で頭を抱えるということである。

 

この困った時に頭を抱えるという動作は、地球でも全世界共通のものである。

というのも、個人差、個体差はあるものの人間や動物の手の平からは遠赤外線が出ており、それを頭に当てることで血流を促進し、思考をクリアにする作用があるからだと考えられる。

太古より、人々はそれを知って様々に利用してきたのだ。

だから、世界各地に『頭を抱える』や『額に手を当てる』のような定型句が存在している。

 

「部分焼き戻しが思ったより上手く行ってたみたいでな、傷が浅かったんだ」

「いやでもあの状況から半日でここまでピカピカツルツルにするのは、魔法でも使わないと無理ですよ?」

「鉄が相手じゃ錬金術でも無理よ」

「あーそーでしたねー」

 

アリシエルの指摘に半ば投げ遣りな少女。

 

「なんかまずったか?」

「ええ、それはもう。ぶっちゃけ騎士や錬金術師は何人か見てますしね。彼らは職人が何人か掛かりで、人海戦術でどうにかしたと思うはずです。でも、ジョン君を手伝ったという職人は一切出てきません。存在しないのですから当然ですよね。そこでホワーレン貴族がその噂を耳にすれば……」

「あ――!」

 

ジョンはそこで気付いた。

はっきり言って彼は今回、一刻も早く大剣を研ぎ上げるということしか考えていなかったのである。それがホワーレン貴族の目に留まって熱烈な登用(スカウト)合戦になることなど、想像もしていなかった。

 

「あらあらまあまあ」

「確かに、彼の事情に辿り着かれる可能性が出てくるな……」

 

猫耳ファッションがすっかり板に付いた黒髪少女エヴェリアも唸る。ジョンが異世界転生者だということに、現時点で気付かれるのはまずいのだ。

 

「幸い、ハル姉様が強権で押し通して下さったおかげで、研ぎ直しの完了を知っているのは私達だけです。今の内に隠してしまいましょう」

「了解!」

「悪いな。せっかく急いでもらったのに」

「大丈夫ですよ。ウチには白ローブに逆らってはいけないという家訓があるんで」

「私からも謝っておきます。さすがにこれは予想外でした」

 

なんやかんや言いながら、6人は両手用の大剣を闘技場の敷地に埋めて隠した。

壁際に埋めておき、夜に掘りに来る予定だ。思わぬハプニングである。

 

 

 

ちなみに。

試合の方は、事情を知らないマルファスが難なく電撃使いを下し、本戦への出場を決めた。素人目には電撃が使われなかったように見えたらしい。

元々、電撃は接近しなければ効果が低いため、マルファスに接近させて撃ったが、攻撃は止まらなかったのだ。マルファスの攻撃があまりにも速かったため、素人には見えなかったのである。

 

また、振り回した鉄の柄は止まっても、棘付きの鎖鉄球は止まらないため、結局電撃が通用しなかったことに気付いた者はそう多くはいなかった。

 

「柄の殴りにしっかり力が籠っとる。電撃のダメージは無いようだな」

「さすがマルファス様ですね!」

「そういう意味ではないのですけれどね……」

 

貴賓席では、デンゲルの横に座る白いローブの少女が増えていた。

横に並ぶと片方がややふっくらしていて、胸も大きいのがよく分かる。

もう片方がほっそりと痩せている、という見方もできるのだが、そこは好みによるところだろうか。

 

ともあれ、武術大会の本戦出場というハーリア公爵から異世界転生者ジョンへ課されたお題は達成されたのである。

 

 

 

王宮、地下牢。

 

「貴様ら、下賤な血の混じったナノカネズミどもが!このようなことをして、ただでは済まさんぞ!」

 

赤毛の中年貴族カナタン伯爵が、分厚い鉄の扉を叩いて喚き散らす。近付いてきた人の気配に反応して、彼は怒鳴り散らした。

 

神族(かみぞく)に尻を捧げて保身を願うクズどもが!」

「本当、清々しいほどの低脳ね。裁判なしの奴隷降格も納得だわ」

 

牢獄の入口から響いたのは、鈴やかな女性の声。

金属が擦れるような耳障りな音と共に開いた扉に立っていたのは、灰色髪の若い女性。モザイク状の四角い布を繋ぎ合わせた、露出度の高い格好をしている。本来は地下牢に着てくるような衣装ではない。

 

地下牢とは、砂埃(すなぼこり)が溜まりやすく、ネズミや虫などが生息していて、衛生的にもよくない場所なのである。特に、ウィルスの概念が考慮されない中世の牢獄は危険なのだ。地球でも、獄中で感染症にかかって病死した例など、掃いて捨てるほどある。

 

ただし。

このハレリアの地下牢はそんなイメージに反し、(ほこり)などがほとんどなく、虫やネズミなどもいない、清潔な場所だった。

理由は1つ。

この地下牢を使うような人間は、大抵が死刑囚か、彼のような奴隷降格者だからだ。死刑の時は大抵公開処刑であるため、病死などされては困るのである。死刑の執行1つですら、政治的なイベントにしてしまうのだ。

もっとも。

彼女、マキナ・アルト・シュレディンガー伯爵は、元々からしてドレスの汚れなど気にも留めないが。

 

「奴隷降格だと?高貴なる血筋の生まれであるこの私を奴隷にするだと!?

そのようなこと、陛下がお赦しになるものか!ハレリアはホワーレンの富を吸わねば生きていられん寄生虫であろうが!すなわち、実質的な支配者はホワーレン国王陛下!そのご意向に反することなど叶わぬであろう!」

 

得意げに話すカナタン伯爵に、マキナは薄笑いを浮かべた。

そして一言。

 

「それが本当なら――私はとっくにハレリアとホワーレンをまとめて滅ぼしているでしょうね」

「ハッ、どこの馬の骨とも知れぬ血筋の者に、高貴なるホワーレンは滅ぼせ――ぐぶべっ!?」

 

突然、カナタン伯爵の頭が床に押し付けられる。

 

「こおら、ジェイムズ」

「申し訳ありません。マキナ様への暴言、(ゆる)しておけませんでした」

 

マキナが静かな注意の声をかけたのは、彼女の背後に(かしず)いていた、金髪美丈夫の執事。

 

「頭を打ってはダメよ。人間なんて、少し加減を間違えるだけであっさり死んでしまうものなのだから。簡単に殺してしまっては――奴隷降格の意味がないわ」

「は……はっ、申し訳ありません」

 

ジェイムズは一瞬だけ驚いた様子でマキナの顔を見て、慌てて頭を下げた。

 

「貴き血統の生まれであるこの私に対してこの仕打ち、ただでは済まさんぞ!いずれ牢獄を出て――」

「ああ、それは無理よ」

 

起き上がったカナタンに、マキナはなんでもないように言う。

 

「貴方は、神族(かみぞく)への供物(くもつ)に選ばれたのだもの。

これからは術によって、思考の自由すらも奪い去られ、ただ食物を血液や体液に変換するだけの、生体器械になり果てるわ。早ければ5日、長く持ったとしても50日で人格が壊れ、肉体を戻せたとしても、貴方という人間は二度と戻らなくなるわね。

それまでに誰かが助けてくれると祈ってみる?」

「……そうだ、陛下ならば――」

「残念。奴隷降格、つまり人権停止は、ホワーレン国王ルブレム1世の要望よ」

「う、嘘だ!」

 

カナタンはマキナに縋り付こうとして、糸が切れた人形のように床に倒れ伏した。

 

「なっ、体がっ……!?」

「両手と両足を切断したわ。これで、貴方は喚くだけの人形」

「ひっ……!」

「動かない手足なんて、あっても邪魔でしょう?貴方が壊した使用人の女の子のように、芋虫になればいいわ」

「ひぃっ!?」

 

痛みはなかった。血も出ない。手足の感覚がなくなる膨大な喪失感に押し潰され、しかしカナタンは気絶することができない。壊れようとしていた心も、強制的に覚醒され、心身にかかる苦痛は継続する。

 

「貴方が破った条約は、ハレリアとホワーレンを守るための、最も重要なものだったわ。エルバリアの略奪部隊と気付かずに傭兵団を雇ったのも、到底貴族とは呼べない所業。

神殿を襲撃させた時、なぜ彼らは奴隷なり人質なりを残さなかったのか。

なぜ星王器を貴族であるあなたに売り払わずに持ち去ったのか。

考えもしなかったようね。よくそれで貴族を名乗ったものだわ。

ああ、家族は毒を盛って殺してしまったのね。傭兵団に罪をなすりつけて毒殺した時と同じ、ヤケミタカタダケの神経毒。

縁談の話も断られてしまったから、マナタン男爵を密かに養子にして結婚させ、その妻を手籠めにして血を残そうと思っていた……。

――ただの下種ね」

「あが、ぎひぃ……」

 

カナタンはあまりの精神的な苦痛に声にならない声を上げ、身をよじってのたうち回ろうとする。が、できない。芋虫のように鈍く蠢くのみで、自由を奪われた体は動かない。

 

「さ、引き出す情報は引き出したし、遊ぶのはこの辺にしましょうか」

「はっ」

 

執事はマキナの目配せに応え、カナタンの肉体を浮かせ、持ってきておいた籠に乗せる。その際、カナタンは口から泡を吹いて気絶していたが、その両手両足は健在だった。

 

マキナが魔法で治癒したわけではない。元々、切断されたと肉体に誤認させただけなのである。

これも星王術による洗脳の一種で、幻覚を見せたのだ。

だが。

カナタンの逃れられない将来の姿であるのも、また間違いないのだった。

 

 

 

地球でも、カナタン伯爵のような例は幾つか実在している。

強迫観念などの精神疾患によって判断を誤り、国を滅ぼしたり窮地に追い込んでしまった実例が存在するのだ。

 

元々、王権神授説によって成立している王制は血統主義的な側面が強く、王の血を引いていれば狂人であろうが殺人鬼であろうが暗愚であろうが即位することは可能だし、先代の遺言によっては立てていかなければならないのだ。それは往々にして周囲の人々の思惑によって実現し、そして悲劇を生むのである。

 

その原因と言われるのが、精神疾患の一種、偏執病(パラノイア)だ。

自分が特別な人間であり、自分を中心に世界が回っていると思い込んでしまうのが、世界で最も有名な症状として知られる。まあ、誇大妄想や被害妄想なども症状に含まれるため、一概には言えないのだが。

とにかくこの偏執病、周囲からちやほやされてきた貴族や王族の大半が罹っていた形跡があるという。

カナタン元伯爵の場合も、ホワーレン貴族の血統が特別なもので、その血筋をハレリアに利用されていると錯覚していたと見ることができるのだ。

 

実際は、ハレリア王政府は毎年ホワーレン国王に独立を迫っているのである。既に形骸化して久しいが、これはホワーレン王家にやる気がないのが問題なのであって、それでも支援しているハレリアの責任にはできないことだ。

 

独立になかなか踏み切ろうとしない理由は、エルバリア王国の脅威である。

戦力的な理由から、独立と同時にエルバリアに戦争を仕掛け、神石(かみいし)の採掘権をもぎ取らなければならないのだが、エルバリアは神石の大口供給源を握っているため、普通のやり方では絶対に勝てないのだ。そうやってまごついている内に、ずるずると300年もハレリアの代理統治が続いてきたというわけである。

 

最近、ホワーレンに新王朝が誕生し、ホワーレン軍を編成して独立しようという気運が高まっている。そんな時に、カナタン元伯爵が起こした事件のせいで、エルバリア軍が強化されてしまう事態となったのだ。今度からは、生半可な軍では太刀打ち、ホワーレン王国の維持も難しくなる。

つまり独立が遠のく。

これにホワーレン国王ルブレム1世は激怒し、カナタン元伯爵を厳罰に処するように、ハレリア王国政府に要請した。

そのため、ハレリアでは極刑である人権停止、つまり奴隷降格の判決が下ったのだ。

 

以上が後の世に言う『カナタン事件』の背景である。

 

 




法律:刑法編

中世初期の刑罰の決定法は大きく分けて3つある。

1つ目は宗教の聖典から引用する方法。
地球においてもユダヤ教、キリスト教、イスラム教の関連はこの方法による罰則が基本となっており、場所によっては現代も同じ方法で罰則の決定が行われている地域もある。
古来より受け継がれてきた掟などもここに含む。

2つ目は裁定者を選び、決定する方法。
村や町単位の規模の小さい領域にてよく行われた方法で、はっきり言ってしまえば選ばれた1人の人間が気分で決めるということである。
もっとも、裁定者は全員から信用された者が選ばれるため、どちらかというと直接民主制、あるいは現代地球における議院内閣制に近いかもしれない。
同時に時代が進むと賄賂を送って自分の有利になるように働きかけたり、人質を取って脅迫したりといった方法が発明され、数々の不正、腐敗の温床となった方法でもある。
逆に言えば、そのために法律、警察機関、要人警護などが発達したとも言える。

3つ目は複数の裁判官による多数決。
2つ目と似て非なる方法で、複数の裁定者を選び、彼らによる合議にて決定を下す方法。
現代地球の裁判制度に近いだろうか。
ただ、強権の持ち主は裁定者全員を抱き込むことができるため、より独裁色を強める方法でもあると言える。
現代地球ではこれに陪審員、民間裁判員といった、民間人が裁定に係わる方式を採用する国もあり、その意味では現代においても試行錯誤が続けられているということになる。

マグニスノアにおける刑罰の決定法も、この3つのいずれかに当てはまる。

ハレリアでは平民については2つ目、ただし事件が起こる都度、裁定者を選ぶ方式が採用されている。
その裁定者を選ぶのが、白ローブ、つまり宰相府が派遣した調停官と、その地域で活動する貴族である。
つまり、行政の権限を持つ両者は、司法に関して直接決定を下す権限がないのだ。
ただ、その知識量、情報量によって裁定者を説得することはできる。

不正が行われる可能性のある方法ではあるが、王族である白ローブは法律によって非常に厳しく縛られており、不正を行ったとしても、その地域にプラスになる不正しか行わないという特徴がある。



ハレリア刑法:
ハレリアは身分によって同じ罪でも重さが異なり、最高刑も異なる。

平民:最高刑:懲役
殺人による、1人当たり10年の労役義務が最高刑。
奴隷降格と異なり、労役中にも人権が保障される。

貴族:最高刑:奴隷降格
殺人の理由によっては死刑となる。
命令による殺人、判断ミスによる死者も殺人に含まれる。

王族:最高刑:奴隷降格
法律によって身分が保障されず、基本的に護衛もつかない。
平民の命を優先する義務があり、自国民はおろか他国民も、敵と認定された国の兵士でない限りは殺すと殺人罪となり、1人で懲役20年、2人で死刑、3人以上で奴隷降格となる。
自身の行動を遠因とする死者も殺人に含まれるが、刑罰を希望者が代替する制度があり、1度か2度だけなら、本人は助かる可能性がある。

奴隷:極刑の結果の身分
特に貴族や王族を対象に、死刑では足りないという裁定が下った際に行われる刑罰を受けている者を意味する。
内容は一切の人権を停止することで、ハレリアでは契約に基づき神族(かみぞく)素材(・・)として提供される。
奴隷となった者は例外なく、極度の苦痛による人格崩壊、自我崩壊などを起こしており死刑より重い極刑としての要件を十分以上に備えていると言える。

賊:緊急避難的、事後承認的に認定される身分
兵士や衛兵が平民の盗賊や山賊を討伐する際に行政に事前申請することで認定される指名手配犯、および、突発的な殺人事件、襲撃事件等の際に平民への被害を減少させるための行動に対する裁定により、事後承認的に認定される身分。
平民を守るために平民を殺すという矛盾を解消するための身分制度であり、原則として生きている限り一時的な身分である。
事後承認としての裁定には読心術による術士尋問が必要条件とされており、悪用できない仕組みがある。
賊認定を受けた場合、捕縛、あるいは自首の後、術士尋問を含む捜査が終了した際に、賊認定が解除される。
つまり、その後の裁判においては平民扱いとなり、平民同様の刑罰が下されることになる。
そのため、賊という身分の者に下される刑罰は定められていない。



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方針変更

夜、ジョンが宿泊している迎賓館の地下室。彼が昨夜に寝泊まりした場所でもあった。

今夜は、そこにジョンに関わる主要な人物達が揃っている。カナタン元伯爵による機密漏洩事件に伴って、軌道修正が必要になったからだ。

 

「ハレリアの最新型星王器がエルバリア貴族の手に渡ったという情報が、昨夜降りてきました」

 

カナタン元伯爵は、エルバリアの略奪部隊を傭兵として雇い入れ、神殿を襲撃したのである。

神族を擁するハレリアの星王術は周辺諸国に比べて進んでおり、星王器の作成にも高い技術が用いられていた。そのハレリア製最新型の星王器が奪われたということは、半年後の戦争の相手が質の良い星王器を使用してくるということを意味しているのだ。

 

「ハレリア王国の星王器は、マグニスノアでも有数の質を誇ります。それを解析され、模倣されるだけでも、戦力は大幅に変動します。あちらは必須素材である神石(かみいし)の生産地ですからね」

「それは相当にまずい話だな……」

 

話を聞いて、黒髪ロリも事態の深刻さに気付いたようだ。

 

「マグニスノアの戦闘は、神族(かみぞく)でも係わらない限りは星王術で決まると言っても過言ではない。もちろん、数や質、戦術も関係してくるから、一概には言えないだろうがな。彼女の言った通り、神石の保有数でこちらは絶対的に不利だ。この上に質まで近付かれれば、太刀打ちできなくなるかもしれん」

「実際は高級器の保有数で勝っていますから、そこまで悲観することではありません。

しかし、戦力が互角に近付き、戦争が長引けば、その分ハレリアの国力に大きなダメージが入ります。特にブロンバルドは洗脳術によって国民を簡単に動員できますからね。そうやって波状攻撃を仕掛けられれば、ハレリア王国は崩壊します。

『悪魔からの手紙』で止めることもできますが、その場合は政権に致命傷を与えなければ、高品質の星王器を揃える時間を与えるだけになるのですよ」

「つまり、勝つのがより難しくなったということだ」

「だから、方針変更ってわけか……」

 

赤毛偽ショタが難しい顔をして腕を組むと、白ローブの少女がフードの奥から彼に視線を向ける。

 

「まだ議論の最中なのですが、おそらく兵器で対抗することになるかと思います」

「つまり、弩砲か」

「それもありますが……。洗脳兵は、洗脳を解けば普通の農民や兵士ですから、出来れば生かしたまま捕らえたいのです」

「矢の方を改造すりゃいいだろ。そんな難しくねえよ」

「いえ、ブロンバルド正規兵を狙い撃ちにする、射程距離と精度が欲しいのです」

「んー……なるほど。ってことは、『工場』は今回は見送りってことでいいのか?」

「仕方がないでしょう。元々実験的な意味の強かったものですし」

「了解。アリシエルは借りていいか?」

「ええ、行くところまでやっちゃっても構いませんよ」

「ちょっ!?」

「了解。ちょっとボロボロになるかもしれねえから、神殿のお世話になるかもな」

「えーっ!?」

 

なにやら金髪ツインテール黒ローブ娘がやかましい。

 

「じょ、冗談よね?」

「あらあら、私は目一杯扱き使っても構わないといったのですよ?」

マグニスノア(こっち)の連中は、基本的に分単位の仕事なんて慣れてねえからな。俺の感覚で扱き使うと、ボロボロになっちまうかもしれねえ」

 

赤毛偽ショタと巨乳少女は、2人してニヤニヤ顔で真っ赤な顔のアリシエルをからかう。

 

「ぐぬぬぬぬ……!」

 

からかわれた彼女はテーブルをバンバン叩きながら唸った。エヴェリアは呆れた様子で眺める。

 

「2人していい性格だな」

「今の、どんな話だったんだ?」

 

真顔で首を傾げるモーガンに、思わず全員の視線が集まる。

 

「え、なんで?俺、変なこと言ったか?」

「い、いえ……」

「子供は龍が運んでくるというアレは、こっちでも通用するのか?」

「知らないわよ……」

「アリシエルが、扱き使うのと子供を作るのを勘違いしたんだよ」

 

少女3人がそれぞれ恥ずかしがる中、ジョンは恥ずかしげもなく言ってのけた。

 

「言っちゃったー!?」

「むむむ、扱き使うのと子供を作るのですか……その表現でしたらセーフかもしれません」

「というか、ジョン殿は恥ずかしくないのか?」

 

女3人寄れば(かしま)しいというが、大体その通りである。女性は男性に比べて会話に必要な脳神経が発達しており、相性が良い女性が3人も寄れば、いつまでも会話が続くと言われている。

 

「前にも言ったけどよ、俺ぁ前世で50年生きてたんだぜ?」

「50年も生きてこの変態ですよ!変態ジジイですよ!」

orz(オウフ)

 

目を反らしたい事実を述べられてジョンは落ち込んだ。単に50年も生きていれば、シモネタにも慣れるというだけの話である。

変態性は……弁明の余地もないが。

 

 

 

「さて、では人払いも済んでいるでしょうし、そろそろ大剣を回収してきますか」

 

白ローブの少女が皆に言った。

 

「了解、台車とスコップ用意してくる」

 

モーガンが早速動き、足早に部屋を出る。

 

「モーガンって動くの早いわよね?大丈夫かしら?」

「若い内はあのぐらいで丁度いいんだよ」

「時々大事なことが抜けていることもあるが、平民出身であの歳ならばあんなものだろう」

「エヴェリアさんも、あまり人のことは言えませんからね?」

「お前達のようなバケモノどもと一緒にするな」

 

4人はそれぞれ、こそこそと部屋を出て、昼間に埋めておいた大剣を回収してくるのだった。

 

 

 

「ふぇ~、ホントにツルツルピカピカね。これ、半日でやったの?」

 

部屋に戻ってきたアリシエルが呪紋石の明かりの下で大剣を確認し、驚きの声を上げる。

 

「いや、移動の時間も合わせれば、半日のさらに半分といったところだろう。

確かに転生者と疑われるには十分な仕事だ。私も、彼女に言われるまでその可能性を失念していたが」

「いやー、あの時は研ぎ直すので頭ん中一杯になっててな……」

 

ジョンは後頭部を掻いた。

 

「でも、相手が軽銀(アルミ)で錬金術でも1時間で結構ギリギリなのよ?手作業で1時間半って、ちょっと早過ぎない?」

「元々、傷がそこまで深くなかったんだ。やっぱ焼き戻しが上手く行ったからだろうな」

「焼き戻し?ジョン殿は何度も焼き入れをしていたのではなかったのか?」

「焼き入れは高い温度から一気に水で冷やすことで、硬くて脆くする方法だ。

全部脆いと、折れやすくなっちまう。普通の使い手だったらそんな心配はしねえんだが、相手がマルファスだしな。だから、一度焼き戻して刃だけ再焼き入れして、鉄の粘りを残してんだ」

「作業が早く終わった理由に、この剣の性能もあったのか……」

 

エヴェリアは話を聞いて感心する。

 

「おそらく、鉄製の剣としてはマグニスノアで最高の性能を誇るでしょうね」

 

その白ローブの少女の言葉には、誰も異論がなかった。たった1人、それを作ったジョンを除いては。

 

「錬金術なしでなら、今のところこれ以上はねえだろう。作る奴の腕次第だ」

「錬金術で鉄器なんて作れないわよ?」

「この間、俺が言ってマンガンを抽出しただろ?」

「ああ、うん、確かにそうだけど……」

「マンガンってのは、精錬した鉄に混ぜると強度が増すんだ」

「『合金』……ですか」

「異世界じゃ、鉄主体の合金ってことで『鉄合金』って言い方もする」

 

ジョンは頷く。

世界で最も多用途に使われ、加工も入手も比較的容易な『鉄』という金属は、現代地球においてそれだけで冶金学の中の1分野として成立するほどの、合金の種類の多さを誇っている。

 

「マンガン鋼で作った両用剣(バスタードソード)が、工房にある。試作品なんだがな、多分強度はコイツとどっこいだろ」

 

彼は目の前の大剣を示しながら言った。

 

「えー、それ持ってくれば研ぎ直ししなくて良かったんじゃ……?」

 

モーガンが頭をひねる。

エヴェリアも白ローブの少女も同意見だった。だが、それについてジョンは首を横に振る。

 

「ハートーン卿なら、見破るかもしれねえ」

「異世界の技術で作られた剣だぞ?」

「俺が知ってて一般的じゃねえからって、異世界の技術だって決めつけることもできねえんだ。実際、師匠は焼き入れが俺より巧い。焼き戻しも知識だけは話してるけど、受け入れなかったってだけで、俺より巧いんだろうぜ」

「そんな……」

 

エヴェリアにとって、それは衝撃的だった。異世界の知識を持つジョンよりも、鍛冶の腕で上回る人間が存在するというのだ。

考えてみれば当然の話なのだが。異世界の知識というのも、所詮は知識でしかないのである。何十年と研鑚を積んできた天才鍛冶師に、腕で勝るというわけではないのだ。

 

「ハートーン卿の工房で、銀色の延べ棒(インゴット)を見かけた。あれって軽銀(アルミニウム)なんだろ?」

「そりゃ、11年間ランキング1位の、不動の王者だぜ?錬金術で抽出した金属を使っててもおかしくない」

 

これはモーガン。

 

「そっか、ハートーン卿も錬金術の支援を受けてるって言いたいのよ。だから、マンガン鋼みたいな合金のことも知ってるかもしれないわ。

ハートーン卿みたいな貴族にバレると…………………………………………どうなるの?」

「そこで私に振りますか」

 

アリシエルに話を振られた白ローブの巨乳少女は苦笑する。

 

「実際は、そうそうバレるものではないというのが宰相の判断です。

しかし、もしも何の対策もとらなかったしますと、少々厄介なことになります。具体的には、ジョン君の優遇状況について、苦言を呈されるでしょうね。

ジョン君本人ではなく、役所へ向けた言葉として、ですが。権力者である以上、気付いていて黙っているというわけにはいきません。ハレリアは、権力者には常に相応の資質を問いますからね。

問題は、ジョン君を優遇している理由を、宰相府は説明できないということです。

錬金術の支援を受けられるのは、ランキング上位5位まで。ジョン君は急激にランキングを伸ばしているとはいえ、まだ23位なのです。

今回の本戦出場で一気に5位以上に浮上はするでしょうが、それ以前の時期に錬金術の支援を受けていたとあれば、それは大きな問題となります。明らかな依怙贔屓(えこひいき)なのですから、訴えられるのは当然です。最悪、その時点で異世界転生者であることを公表することになるでしょうね」

 

白ローブの少女は説明した。

 

「それってかなりまずいって話だったじゃん!」

「あくまで、バレた場合に対策を打たなければ、ですよ。それに、ハートーン卿も大々的に公表はしないでしょう」

「まあ、元々あの人、感付いてるっぽいからな。その上で黙ってくれてんだ、あんま迷惑はかけられねえよ」

 

この辺は、ジョンの日本人的な甘さとも言える。

 

「今、猫耳を作るために必要な針金の生産調整に追われているそうなのですけどね」

「ちょっと土下座してくる」

 

部屋を出ようとした彼は、当然のように取り押さえられ、簀巻きにされた。

具体的には、エヴェリアに転ばされ、白ローブの少女とアリシエルの魔法で一時的に眠らされ、モーガンが持ってきた簀によって簀巻きにされ、身動きを封じられたのだ。

 

 




ジョン少年観察記録中間報告、その4。

武術大会に参加した彼の剣を破壊しようとした兵士は、実はその作業を断念した模様を上司に報告していた。

私も観察していたが、理由としては単純に剣が破壊されにくいように、部分焼き入れが行われていたからだろうと考えられる。
焼き入れによって刃は硬く、脆くなるのだが、それを支える土台、つまり峰の部分に灰を混ぜた泥を塗り、焼き入れの熱が通りにくくしておくことによって、焼の入りを中途半端にする技法だ。
これは日本刀に使用される技法で、日本刀の切れ味と共に、信じられないほどの柔軟性を担保する技術として確立されていた。

ただ、ジョン少年ははっきりとこれを知っていたわけではなく、灰を混ぜた泥の代わりにアルコールを用いていた。温度が高まるごとにアルコールを塗り、揮発する際に熱を奪う作用を利用し、剣の峰を部分的に低温に保っていたのである。
それの実験と練習のために、彼はマンガン鋼の剣を作り、同じようにアルコールによる温度低下を利用した部分焼き入れを何度か行っている。

どちらかというと鍛冶師ではない、技術者としての彼の顔が出てきたと言っていい。
しかし、同時に火薬を用いる兵器を披露する気はないらしい。
それだけ無駄かもしれない苦労を重ねてでも、ある程度のアイデアで収まる範囲で解決するつもりのようだ。

おそらく予定されている世界会議の場で、ということになるだろうか、ハレリアにて予想されている大きな戦争が終了し、落ち着いたタイミングで、この地の管理者に打診してみようと思う。
どういった結果になるかは分からないが、彼がただの技術者でないのは明らかだ。
このまま何の対策も打たずに放置しておくことはできない。

そして、半年後のタイミングならば、諸国としても『ジョン少年を各国の王と同列に扱う』というこの提案を、真剣に考えることができるだろう。



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本戦開会式

翌日、闘技場。

季節は春、暖かくなり始めた頃。地球で言えば3月の終わり。闘技場は熱気に包まれていた。

 

『レディィィィィス、アン、ジェントゥルメェェェェェン!!

これより、第893回、武術大会本戦を開催いたします!!』

 

満天の青空に、超満員の客席から大歓声が上がった。

 

『司会は(わたくし)、謎の人物Aことアウル・ケリックスが務めさせていただきます!』

 

拡声の星王術を使用した淡い青色ローブの男性が拳を振り上げる。

 

「おい、名乗んなよ、謎の人物!」

 

赤毛チビのツッコミは大観衆の声援にかき消された。

 

『まずは来賓の皆様方のご紹介です!極北イリキシア王国は『城塞』ボナパルト公爵家第二公女、この度は留学生として遠路遥々、このルクソリスにやってまいりました!

エヴェリア・オルナ・ヘール・ボナパルト姫ェェェェェィ!!』

 

黒を基調に白いヒラヒラをアクセントにした、ゴスロリ風ドレスを着込んだエヴェリアが貴賓席のソファから立ち上がり、スカートの裾をちょいとつまんで優雅に一礼する。

長く艶やかな黒髪は高く結い上げられ、この日のためにジョンが調整を繰り返した、黒い猫耳カチューシャが揺れている。

 

雪のように白い肌に漆黒の髪を持つ彼女に白黒(モノトーン)のドレスはよく似合っており、さらに猫耳という装飾品(アクセサリ)がその可憐さを引き立てていた。

ジョンに芸術の才能(デザインセンス)はないため、プロデュースしたのは王宮のメイド達だった。観客の反応はまさかの総立ち(スタンディング)拍手(オベーション)である。

 

(なぜ自国の王族でもないのに総立ちなんだ……?)

 

予想外の反応に彼女は驚いたが、作り笑顔は崩さない。訓練の賜物だ。少し口の端が引き攣っていたが。

 

ちなみに。

ゴスロリ、すなわちゴシック・アンド・ロリータについて。

どうもwiki教授の調べによると、単なるファッションではないらしい。

 

『ロリータ』とは、ウラジミール・ナボコフが1958年に発表した小説に出てくる、12歳にして中年文学者ハンバート・ハンバートを一目惚れさせ翻弄し、破滅に導いた少女ドロレス・ヘイズのニックネームが語源である。そして作者ナボコフは、ロリータを年齢的に幼く、言動や容姿によって小悪魔的に男性を誘惑する少女と定義した。しかし、それが日本に上陸した時、意味がほぼ裏返ってしまい、実際には大人なのに童顔や服装で幼く見せている女性か、本当に性的な要素を宿していない少女とされるようになった。

ロリータ・ファッションとなると、中世のお姫様的なイメージを体現し、大人の女性を幼く魅せるものということになるようだ。なので、全体的に明るい色を基調とした幼げな服が多い。

 

次いでゴシックだが、これは元々は北欧で12世紀半ばに作り上げられた、建築様式である。

それを認めなかったイタリア人が、侮蔑を込めて『ゴート人の(GOTICO)』と呼んだのが始まりとされている。しかし、実際はゴート人はゲルマン民族の中の小さな一部族であり、建築様式とは関係がないようだ。

 

それがなぜゴシック・ファッションとなったのかというと、そういう中世のゴシック様式の城や館を舞台にしたホラー小説が流行ったところから来ている。『ドラキュラ』のように、白黒時代から何度も映画化されたような作品も数多く、その映画の中で当時を再現したファッションが、ゴシック・ファッションとして流行したのだろう。ただ、ゴシック建築の時代のファッションを再現したとは言い難く、ほぼオリジナルの様式となっているらしい。

元が白黒時代のホラー映画のため、人物を際立たせるために、顔を白く塗ったり、極端な色調を使ったりといった、特徴的で退廃的な雰囲気の、化粧を含めたファッションとなったようだ。

 

それらを合わせたゴシック・アンド・ロリータ、通称ゴスロリというファッション様式は、幼い少女の小悪魔的な可愛さと同時に退廃的な恐しさを兼ね備えたものとなるという。それはロックンロールなどと同じ生き(ざま)のようなもので、ゴスロリ愛好家は言動もファッションに合わせて変化させるとか。

そういう意味で、エヴェリアのドレスはあくまでゴスロリ()であり、厳密な意味でのゴスロリではないということになる。

 

なお、これはあくまでウィキ教授による説明であり、作者はファッションに詳しくないため、間違いも含まれているかもしれないが、激しい追及は平にご容赦願いたいと、予防線を張っておく。

 

 

 

『続きまして、我らがハレリア王国、ハレリオス王家第3王女、ハルディネリア・リウス・オルタニア・ハレリオス姫ェェェェェェッ!!』

 

輝く朝日の下に、長い金髪を結い上げた白い肌の少女が立ち上がり、にっこりと微笑む。あれだけ騒いでいた観客達が、一瞬静まり返った。

清純でありながら柔らかな母性を含んだ乳白色のドレス。そのドレスの下からもはっきりと分かる、ふくよかな双丘。

 

中世――。これは全世界で共通のようなのだが。

どうも『ふくよか』な女性こそが美しいとされていた節がある。

現在のような、痩せている方がいいというのは、かなり最近になってからの流行のようだ。しかし、実は好まれる体型に関しては、大して変化がないとも考えられる。

 

というのも、昔は男性も女性も痩せていて当たり前だったのだ。

現近代でこそ、食事は1日に3食、おやつも夜食も食べるという習慣が根付いているが、中世にそんな生活が出来たのは、王侯貴族などの権力者か、もしくは商売で成功していた富豪くらいのものだったのである。当然、その妻や娘達も同じように食事には困らなかっただろう。よく美しいと表現されるのは、そういう富豪や権力者の妻や娘であることも、この説を裏付けるものと考えられる。

 

では、でっぷり肥えて脂ぎった、と表現されるほど太った女性はいなかったのか。

答えは、まずいない、だ。

女性は自分を高く見せるために美と若さを追求した。その過程で、太く肥えているほどいいなどという極端な考え方は、真っ先に淘汰されることを知るのである。

中世も古代も、美的感覚にはそこまで極端な差がないのだ。

 

それに、貴族は自分が行う事業を視察したりする仕事のために、富豪も商売のために、それぞれ妻や娘を連れて移動することが多く、屋敷の中でさえも広大だったため、運動不足になるなどということはなかったと考えられる。

つまり。

現代人は全体的に運動不足、肥満気味になりつつあると考えられるのだ。もちろん、科学技術の発達によって各種の食糧を高い効率で生産できるようになり、さらに自動車などによって移動が遥かに楽になったためである。そのため、美女の理想形に近付けるためには、昔は太り、今は痩せる必要があるということになる。

 

そして、『ふくよか』なのがいいという裏には胸が、という意味も隠されている。なぜかというと、昔の絵や像に描かれた女性の姿には、大抵胸が大きく表現されているからだ。ただ、現代のエロ漫画によくある『奇乳』と呼ばれるほど極端な表現を行う発想はなかったらしい。美女には貧乳がいなかった、という程度の認識でいいかもしれない。

今も昔も、豊かな母性の象徴は男性を惹きつけてやまないということだろう。

 

さて、以上を踏まえてハレリア第3王女ハルディネリアの容姿について寸評を入れると、彼女は顔も体型(プロポーション)も、まさに理想的な美少女ということになる。

肌に張りがあり、顔の輪郭にやや幼さがあるのは、実際に若いからだろう。しかし、それを考慮に入れてなお、観客は彼女に圧倒された。何よりも、その存在感が際立っていたためである。

アイドルなどでも、その人気を示すのは、美貌だけではありえない。光って見えると言われるほどの、圧倒的な存在感が、ただの偶像(アイドル)人気者(スター)に押し上げるのである。

 

古来、『カリスマ』とも呼ばれる『存在感』は、ありとあらゆる指導者、権力者が、自分のものとするために研究を重ね、努力してきた。その秘密は、地球では今も分かっていない。

だが。

魔法、星王術、特に人の心を読んだり人を洗脳したりする技術の存在が、マグニスノアにおいて『カリスマ』の解明に一役買っていた。

 

つまり、星王術の技術が発達したハレリアでは、訓練によって『カリスマ』を意図的に演出する技術が存在するのだ。国を運営する上で最も重要で恐ろしい技術を、ハルディネリアは身に付けているのである。となれば当然、その父親であり国王でもある男も、その技術を身に付けていることになる。

 

 

 

『続いて最後に紹介しますは、ハレリア王国現91代目国王、トワセル・レ・ムルス・ハレリオス12世ェェェェェィィィィッ!!』

 

立ち上がったのは、白髪交じりの金髪に王冠を載せた、中年の男性。

白を基調とした服に金の糸で刺繍を施した服に、裏地が黒の白マント。マントにはハレリア王国の紋章である、赤い太陽と青い三日月の刺繍が施されている。

まさに、ハレリア王国を背負って立つ人物なのである。

 

が。

観客達の反応はそれほどでもない。ただ、鳴り止まない歓声と拍手があるだけで、総立ち(スタンディング)拍手(オベーション)とまではいかない。しかし、ここからがトワセル12世の本領発揮である。

 

彼は鳴り止まない拍手に対して、両手を掲げ、上から押し下げるような仕種をする。すると、拍手は徐々に静かになっていった。次いで下から押し上げるような仕種をする。すると、静まっていた拍手が盛り上がっていく。

また一旦静め、ゆっくりと右手側から観客席を示していくと、そちら側から波のうねりのように、拍手が闘技場の客席を端から端まで順番に盛り上がっていく。

 

まるでマスゲームの指揮者だ。

驚くべきは、これは別に訓練しているわけではないということ。ただ、割と毎年やっているため、慣れている観客に釣られて、初見の観客もやってしまうのだ。

 

「ま、毎年の風物詩ですね」

「ここの闘技場が訓練されたようです」

 

控室警備のエルウッドから話を聞いたジョンは呟く。

 

「なんですそれ?」

「あー、うん、今日もハレリアは平和だなってことでいいんじゃね?」

 

異世界人の赤毛ショタジジイは、適当に言葉を濁した。

 

ついでに説明しよう。

『ショタコン』とは、『正太郎コンプレックス』の略である。

ここで言う正太郎というのは、漫画『鉄人28号』の主人公、金田正太郎のことだ。

 

意味としては『ロリータ・コンプレックス』の逆で、少年に執着する女性を指してそう呼ぶ。

 

そもそも『ショタコン』の歴史は浅い。

 

西暦1981年にアニメ雑誌『ふぁんろーど』にて読者より提起された、『少女を好きな男性はロリコンと呼ばれるが、では少年を好きな女性は何と呼ぶべきか?』という質問に対し、編集長が『半ズボンの似合う少年』の代表として金田正太郎を挙げ、『ショウタロー・コンプレックス』と返答したのが始まりとされる。

 

当時、今現在もそうなのだが、同様の性的嗜好者を示す単語を代替する言葉は他に存在していないため、『ショタコン』は現代地球でも使用され続けているらしい。

 

ちなみに、西洋方面には少年に性的な目を向ける大人の男性を指して『ソドミー』という言葉が存在するようだ。

 

 



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風神の貫禄

武術大会、本戦1回戦。

 

『この火外(ひそと)2区闘技場、武術大会本戦当日は、例年通りの超満員となっております!』

 

司会の青ローブ男、『謎の人物A』ことアウル・ケリックスが拡声の術でアナウンスする。

 

『さて、第1回戦第4試合!まずは西側、非魔法武具による本戦出場という快挙を成し遂げた、マルファス選手の登場です!』

 

大歓声の中、大体いつも通りの赤毛大男が大剣を背負って登場し、東西南北の客席に向けて頭を下げた。これは闘技場で試合を行う際の作法だ。

 

『続きましては東側、優勝へ進むなら、逃れられぬ巨大な壁、優遇(シード)枠!

その二つ名は『風神』、高級騎士、ロバァァァァトォォォッ・ウェェエエスタァァァァァァァァッッ!!!』

 

どこのプロレスの入場アナウンスだ、とジョンは思った。

 

相手は白銀の鎧を着た、金髪のやや小柄な優男。しかし体格の小ささを感じさせないほど、その立ち居振る舞いには隙がなかった。その手には2メートルほどの槍。

 

「そういえば、兄弟弟子対決ですよね?」

「あん?」

 

一緒に控室から見ていたエルウッドの言葉に、ジョンは首を傾げる。

 

「マルファスとロバァァトォォが?」

「なんでそこを真似したんすか」

 

ジョークは置いておいて。

 

「作り手の方です」

 

エルウッドは言う。

 

「あの槍、鉄製なんですよ」

「はぁ?」

 

ジョンは思わず青年兵士の方を振り返った。この武術大会で、まさか魔法を使わない選択をしてくるとは思わなかったのだ。

 

「小さい頃に何度か触らせてもらったんで、間違いないです。あれはハートーン卿が10年前に作った槍です」

「なんで、んなことやってんだ?」

「親子なんで」

 

唖然とする。

そういえばそんなことも言っていたとジョンは思い出した。

確かにハートーン男爵はジョンと同じ、鍛冶師バラクの弟子だ。一緒に修業したことなどないが、兄弟弟子と言えなくもない。

 

「つーか、なんで鉄製?」

「多分、10年前の自分と同じ状況だからじゃないですかね。父も、鉄武装で武術大会に出たクチなんで」

「そ……」

 

ジョンは言葉を飲み込む。

10年前のハートーン男爵と組んで、おそらく兵士の身分で武術大会に出場したのである。

それはつまり。

近衛騎士候補とされてもおかしくないほどの、実力と才能を持っていたということなのだ。

 

鉄武装=非魔法武具で武術大会に挑むというのは、生半可な理由では許されない。なぜならば、参加者が増えて予選が長引けば、その分『箱庭領域』を起動する星王術士の負担が増えるからである。それでは、武具大会と半年で分けている意味がない。だから、武術大会に出場する資格があるのは、最低限騎士を倒せる者、という条件があった。

 

では。

武術大会で騎士を倒すのがどれほど難しいのかについて、説明しておこう。

 

まず、騎士は武術において一般兵よりも強い。

普通に魔法を使わずに戦うだけでも、一般兵より強いのだ。その実力を認められることが、騎士の叙任を受ける第一歩なのである。

 

さらに、単唱器による遠距離攻撃を持っている。

様々な制約はあるものの、初撃の射程距離は相当に大きな利点(アドバンテージ)となるだろう。それは銃という武器が証明している。

 

剣が戦場の主役になったことはない。そもそも剣は戦場における武器としてさほど優れてはいないのだ。どちらかというと、その精神性、象徴としての役割の方が大きい。

戦場における武器として最も活躍したのは、弓矢であり、槍である。そしてそれらの出番を奪ったのが、銃だ。

弩砲や投石機は、大砲に取って代わられた。

すべては射程距離の優劣である。遠距離攻撃は、それだけで大きな利点(アドバンテージ)なのだ。

 

つまり、騎士は接近戦においても遠距離戦においても、一般兵を上回るのである。槍や大剣を持たせたところで、そもそもの武術の実力で負けていれば、勝てるわけがないのだ。要するに、10年前のロバート・ウェスターは、非魔法武具でも騎士を倒せると判断されたがゆえに、武術大会への出場を許されたのである。

それはとんでもないことだった。

――ジョンが、近衛騎士候補だったのかもしれないと思っても仕方がないほどには。

 

 

 

試合は序盤から激しい打ち合いとなっていた。

足の速さを武器に巧みに動き回るロバート・ウェスター。それに追い付けないまでも、両手用の大剣を巧みに振って対応するマルファス。何度も槍が弾かれ、大剣も弾かれ、一進一退の膠着状態となる。

 

「疑問に思ってたんですけど……」

 

控室でエルウッドが尋ねる。

 

「なんで大剣なんスか?両手用の大剣って、あんまり良い武器じゃないって聞いたことあるんですけど……」

「よし、説明しよう」

 

闘技場に顔を向けたまま、赤毛ショタジジイは答えた。

 

「確かに両手用大剣は、味方が周りにいる環境で振り回すには向かねえ。実際の戦場じゃ使いどころに困るし、最終的に槍みたいな使い方をされた、残念武器だ。両手用だから盾を持てねえってのも致命的だな」

 

評価は散々である。

 

「ただ、1つだけ両手用大剣が猛威を振った戦場がある。それが、1対1の決闘だ。

周りに仲間がいなくても、そもそも敵も1人だから問題ねえんだよ。盾を持てなくても、相手が1人なら剣1本で防げる。むしろその威力とリーチに物を言わせて圧倒もできるしな。

局地的、この闘技場って環境で見れば、両手用の大剣ってのはむしろ優れた武器なんだ」

 

マルファスは大剣を小枝のように振り回して、鋭い槍の攻撃を打ち払っている。

 

「ついでに言えば、あの太さでなきゃ剣が持たねえ。

身体に巻き込むように振り回してんだろ?あれって、ものスゲー威力が出てるんだ。鎧の上から、一撃で人間を殺せるレベルだからな。それなら、リーチが長い方がいい。

片手剣だと、あの威力を出すのに腕を振り被らなきゃいけねえ。それだと、デンゲル総長みたいなバケモンとは打ち合えねえんだ」

「『雷神』基準スか!?」

「最低限、優勝が不可能じゃねえようには作ってある」

 

驚くエルウッドにジョンは言い切った。

 

「でも……チッ、やっぱ無理か……慣れてきやがった」

 

見ている先で、凄まじい剣戟が鳴り響く中、徐々にマルファスが押され始めている。なんと、ウェスターはほぼ背中逸らし(スウェイバック)で大剣を避けているのだ。そしてすぐさまに反撃に出る。

こうなると、マルファスも鋭い槍を回避するために徐々に後ろに下がらされていくしかない。剣筋が見切られている証拠だった。

一度大きく距離を取ろうとしても、速度はウェスターの方が上だ。しばらくして、マルファスは闘技場の壁際に追い詰められ、ついに脇腹に槍の攻撃を受けた。

 

「あっ、えっ!?」

 

エルウッドが驚愕の声を上げる。今度はウェスターが大きく跳び下がったのである。その隙に、マルファスは壁を背にした窮地を脱した。

 

「このレベルじゃあ気休めだと思ってたが……」

 

ジョンは溜息を吐く。

 

「――さすがはなんちゃってマクシミリアン式だ。多少は働いてくれたか」

「え、何やったんですか!?」

 

てっきり、今の一撃で仕留めたかとエルウッドは思っていただけに、ピンピンしているマルファスの姿に驚きを隠せていない様子だ。

隣で見ている赤毛の少年鍛冶師に訊く。

 

「槍が滑るように、鎧にわざとデコボコを付けたんだよ。突きってのは、ちょっとでも切っ先が滑っちまうと威力が半減するからな」

 

マクシミリアン式甲冑の発想である。あれは細かい溝を付けているのだが、そんな面倒な真似はしないジョンは、平たい山状の突起を無数に付けていた。

 

「……まさか、あの外套(コート)って……」

「火除けと、鎧のデコボコを隠すためのもんだ。相手が戸惑う余地を与えた方が、勝率は上がるだろ?」

「僕の時と同じ手ですか。相変わらずいやらしいというか……」

 

半年前にエルウッドの武具を作った時も、この少年は外套(コート)の裏に鉄板を縫い込んだのだ。それが分かりにくいように偽装まで施して。

マルファスの黒いコートも、同じ目的が隠れていると、青年兵士は気付いたのである。

 

「ただ、それでも速さと技でウェスター卿(おやじさん)の方が上だな。この程度の小細工じゃ、今の差を埋めるのは無理か……」

 

ジョンは険しい顔で溜息を吐いた。

言っている間にマルファスはなんとか限界を超えた動きで盛り返すも、手堅く慎重に立ち回るウェスターの前に、体力だけがどんどん削られていく。

そしてその内にまたも動きが見切られ、肩口に槍を受けた。やはり一撃目は浅かったが、鎧の壊れた部分に再び針の穴を通すような突きを受け、肩が上がらなくなってしまう。

それでも頑張って片腕で大剣を振っていたが、今度は太腿に同じく2連撃を受けてしまい、目に見えて動きが遅くなった。『箱庭領域』による治癒速度が、鉄装備のせいで若干落ちているのだ。

 

2人(・・)の健闘に敬意を」

 

中年騎士は呟く。

最後はもう片方の肩に狙い澄ました強烈な突きを受け、さすがに両腕が上がらなくなってしまい、審判が止める。その時にはウェスターは既に背を向けていた。

 

『試合終了!『風神』の名に(かげ)りなし!

ロバート・ウェスター卿、一度も術を使わずに堂々の勝利!!高級騎士の貫録をまざまざと見せつけての完勝です!!』

 

司会のアウル・ケリックスが観客を盛り上げた。

 

 

 

「どうだったね?」

 

ウェスターがジョン達のいる反対側の控室に戻ると、そこには白髪交じりの赤毛の中年貴族、アブラハム・ハートーン男爵がいた。

 

「君以外の鍛冶師に一杯食わされるとは、思ってもみなかったよ」

 

金髪の中年騎士は口の端を吊り上げて、にやりと笑う。

 

「3年前にも、外套(コート)で隠した鎧の表面に針金を鋳付けていた騎士がいた。あれを経験していなければ、もっとてこずったかもしれない」

「実戦用の武具とは、勝ちにこだわってこそさ」

「言ってくれる」

 

2人はお互いに笑い合った。

実はジョンと似たような防具を、ウェスターは相手にしたことがあったのだ。そのために、手応えの変化を一瞬で感じ取り、動揺も少なく対応して見せたのである。それでも動いている相手の鎧の僅かな傷に突き入れるというのは、神業に違いないが。

 

「今日は、美味い酒が飲めそうだ」

「飲むのかね?下戸の君が?」

「飲むさ。下戸でも、ほろ酔い気分を味わいたくなることはある」

 

こうして次の試合でデンゲルに高々と宙を舞わされた騎士に観客が歓声を上げる中、春先の一大イベントは過ぎ去っていく。

 

ちなみに『雷神』グレゴワール・デンゲルは、名だたる騎士達から、対策を諦めら(・・・)れて(・・)いた《・・》。

電撃は回避も防御もできない究極の属性ながら、低級のそれは威力も弱く射程も短い。高級単唱器が禁止されている武術大会で電撃を使う者は、特別なこだわりがあるのが普通だ。その勝率も、そこまで高くない。少なくとも、究極の属性と呼ばれるほどの絶対的な力は発揮されていなかった。

それでなお常勝を誇るこの老騎士は、文字通り格が違うのだ。

 

はっきり言ってしまうと、デンゲルが術を使(・・・)わない(・・・)なら彼(・・・)らにも(・・・)勝機が(・・・)見える(・・・)という、常識を飛び越えた強さを誇る男なのである。

 

今年も、白銀の騎士が宙を舞う。重すぎる槍の一撃を受け損なって。

 

 

 

武術大会を見物した客が故郷へ帰る頃、畑への種蒔きが始まる。

農業の季節が始まるのだ。猛獣も出始め、地元の衛兵や傭兵達が活動を始める。農具も武具も、この春先から需要が伸びる。

 

そしてジョンやハートーン男爵を始めとする内域の鍛冶職人達は、半年後の戦争へ向けて本格的に始動する。

 

 




高級騎士:

神族が製作した特殊な星王器、いわゆる高級器の保有者の中で、騎士である者。
高級器自体が稀少であり、最も多く保有しているハレリアでも、合計32個しか保有していない。
そのため、忠誠心、能力、経験など、総合的に判断し、所有に適していると判断された者にのみ与えられている。

ハレリアの高級騎士は18名。
他国は高級騎士の数が2桁に届かないことが多い中、これは驚異的な数と言える。

単唱器の場合、低級星王器は一撃で人を無力化することは難しい。
高級単唱器は、広範囲の敵を即死させる威力がある。
戦力的には、殺傷力を持った改造モデルガンとマシンガンくらいの違いがある。

高級騎士が他の騎士と一線を画すのは、そもそも低級単唱器に限定してさえ他の騎士よりも強いからである。
高級器の威力に頼って油断がちであったり武技が未熟だなどということは、どこの国でも基本的にありえない。
なぜならば、高級器を製作するには、現状少なくない代償を支払い、神族に作ってもらうしかないからである。
未熟者に高級器を与えるというのは、原則として国益を損なう行為なのだ。



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3章 ハレリア大戦
新型弩砲


武術大会が終わった翌日、赤毛ショタジジイは早速弩砲の改造に取りかかった。

 

「まっかいぞう~まっかいぞう~、たんのしっいたんのしっい、まっかいぞう~、とくらぁ」

 

調子の外れた歌を口ずさみながら、案を取りまとめていく。約半年後の戦争に間に合わせるために、一刻も早く設計図を完成させる必要があった。

 

弩砲の構造には幾つか種類がある。

 

まず1つ目はクロスボウを設置型にしたような小型のもの。

木材の弾力を利用する性質上、弦を張ったままにしておくと弓が傷んでしまうのは道理だ。そのため、使う時以外は弦を外して保存するのが一般的である。

『弓を外す』という、武装解除を意味する(ことわざ)が日本に存在するが、これは弓から弦を外すということに由来し、やはり弦を張ったまま保管することは、弓にとってあまりよくないとも言っているのだろうと推測される。

『弓を外す』を、30半ばまで『的を外す』という意味と勘違いして覚えていたのは、前世のジョンだけでいいはずだ。

 

ちなみに、このタイプのものは軽いという利点があるが、その存在意義を星王術、単唱器に食われてしまっており、稀に山賊が作成し、使用する程度だという。

 

射程距離はハレリアの単位で120馬身、メートル換算で240メートル前後。

なぜ射程距離が決まっているかというと、大抵は戦車に搭載し、水平射撃を行うからだ。仰角を付けることがほとんどないため、射程距離も一定なのである。まさしく大きめのクロスボウだ。

 

2つ目は、複数の弓を使って弦の張りを強化したタイプ。

地球でも中国で古くから『床子弩(しょうしど)』という名前で使用されていたようだ。時代を経るごとにどんどん大型化し、最終的には操作のために100人もの人員が必要になったという、嘘か真かわからないような話もある。そういうわけで、文献に載っている200~300メートルという射程距離も、おそらくただの目安に過ぎないと考えられる。

 

なお、発射体、つまり矢や弾については、また別に考える必要がある。なぜならば、その形状や質量によって、射程距離が大きく異なるためだ。これを実証した有名な実験として、ガリレオ・ガリレイがピサの斜塔の最上階から、大小2つの鉄球を落下させたことがある。

実験の結果は2つ同時の落着だった。

これは空気の抵抗が当時は考慮されていなかったためである。紙を伸ばした状態とクシャクシャに丸めた状態で同時に落とすと、落下速度が大きく変化するのは、この空気の抵抗が大きく影響しているからだ。

高速で発射される弩砲の弾も、空気の抵抗を考慮しなければならないのは同じである。

 

3つ目、中世、いや古代カルタゴにて最初に使用されたのが、いわゆるバリスタの原型。

これは、ねじり力というものを利用したタイプで、そもそもが木材のしなりを利用した弓ではない。

どういうことかというと、人毛や獣毛を太く束ねて強くねじり、その反発力を利用して腕を外側に開かせ、その腕の間に弦を張り、弓の代わりとして矢を飛ばすのだ。人毛や獣毛を束ねてねじり、その反発力を利用するというのは、中世西洋の投石機(カタパルト)でも同じ原理が採用されており、この頃には割と広く知られていたようである。

 

射程距離もこちらの方が長かったようで、ハレリアでは保守整備の容易さやその射程距離などから、砦や城塞の防御用に採用されている。

以前、ジョンは弓がどうとか言っていたが、ねじり力を伝える左右の腕に弦を張ると、パッと見で弓に見えるため、そう表現したに過ぎない。ジョン自身、少しは勘違いしていた部分が無きにしもあらずだが……。

とにかく、ハレリアで主流の弩砲が、このねじり反発を利用したタイプということだ。

 

ねじり反発式の利点は、何と言っても保守整備の容易さにある。

人間や動物の毛はいくらでも生えてくるものなので、特に入手に難はない。なんなら、自分達で半年か1年ほど伸ばしてもいいのだ。毛根が死滅していない限り、必要な髪は生えてくる。

 

次に、弦の張力の限界が弓のしなり、木材の限界ではなく、ねじり部分の限界に設定できる点だろう。つまり、ねじり反発の力に耐えられるほど頑丈ならば、いくらでも射程距離を伸ばせるのである。後でねじりを強くすればいいのだから。欠点は、射程距離や威力を重視すると、どうやっても大きくて重くなってしまうことだ。

しかし、ハレリアではそもそも機動射撃で星王術にお株が奪われており、拠点や陣地の防衛用にしか用途がない。しかも大抵の場合は風雨を凌ぐ小屋が建設されており、そもそも動かす必要のない使い方がされていた。

 

地球でも本来、城攻めのための兵器なのだが、敵が兵器を持ち出してきた場合に狙い撃ちするためには、やはり弩砲が有効だったそうだ。

現代の戦車のように、車輪の付いた(やぐら)の中腹に載せて移動させる兵器が存在したという話もある。ちなみにそれは、城側からの弩砲(バリスタ)の攻撃によって破壊されたという。

 

「なんですか、この……ねじり式のようなそうでないような何かは……」

 

設計図を見に来た白ローブの少女は思わず呟いた。

 

「おお、それな」

 

休憩のために工房から設計室に戻ってきた赤毛偽ショタは、自然な動きでウサギ耳を付けようとして鳩尾に拳をもらい、倒れ伏す。

 

「最近、殺気が減ってきましたね」

「ぬぅ……理想は気付かれずに服まで着替えさせることなんだが……」

「それ、押し倒した方が早くありませんか?」

「殺気を消すのに欲を消さなきゃいけねえ。押し倒しなんかしたら、欲が出ちまうだろ?」

 

残念なところで腕を磨く男である。

 

「――で、この魔改造型弩砲の話ですが……」

 

白ローブの少女は返答に窮し、とりあえず強引に話を切ることにした。

 

「み、ミラりんが押されてる……」

「余計なお世話です」

 

一緒にアリシエルも来ていたらしい。

 

「お、出来たか?」

「できたか、じゃないわよ」

 

金髪黒ローブの少女は口を尖らせる。

 

「加工が簡単な亜鉛でも、こういう細かい造形って難しいんだからね?」

「だから、多少時間かかってもいいって言っただろ?」

「その多少がタイト過ぎなのよ!」

 

当たり前のように時計のある生活をしている現代人の感覚でスケジュール進行すると、中世の人間にはかなり厳しく感じるのは当然である。

 

「何を作らせているのです?」

「これよ」

 

アリシエルが机の上に置いたのは、金属製の矢である。(やじり)に当たる部分が膨らんでおり、矢羽根まで金属製だ。矢羽根の形状は普通の矢のものではなく、ミサイルのそれに近い。いわゆる、水滴形というやつだ。

 

「矢……ですか?」

「飛距離を伸ばそうとして、矢に手を加えた結果だな。コイツを元に鋳型を作って、半年後の開戦までに量産する」

「とりあえずこれはこれでオッケー?」

「ああ、問題ねえ」

「じゃあ、次は問題のアレね……」

「アレ?」

 

苦虫を噛み潰したようなアリシエルの表情は無視して、白ローブの巨乳少女はジョンに尋ねた。

 

「俺がいた世界にも弩砲やクロスボウってのは存在したんだが、戦力強化のアプローチとして、『連弩(れんど)』ってのが研究されたことがあるんだ」

「研究された、ということは、成果が出なかったのですか?」

「成果が出るほど需要がなかったってのが正解だろうな。そんなにいっつもいっつも戦乱ばっかりだったってわけじゃねえんだ。

それに、成果が出る前にもっとヤバイのに取って代わられたってのもある」

 

連弩で最も有名なのは、三国志時代、(しょく)の軍師として名高い諸葛亮孔明が発明したと多くの人々が思っているものだろう。連弩の起源は紀元前4世紀頃とされ、三国志時代の2~3世紀頃に生まれた諸葛亮は、既にあった連弩の技術を発展させたとされている。

現在諸葛弩と呼ばれるものは、それを後世の人間がさらに再現したものである。この再現された連弩はレバーを引くことで片手での弾の装填が可能だったが、結局それほどの威力は出なかったようだ。ただ、機械式の兵器としては最も寿命が長く、最近では日清戦争でも使用されていたという話がある。

その他にも、1人で2つのクロスボウを操作できるようにしてみたり、1つのクロスボウで複数の矢を同時に発射できるようにしてみたりなど、様々なアプローチが繰り返されてきた。

しかし、そのいずれも単なる面白兵器以上のものではなく、すぐに戦場から姿を消したそうだ。

 

ちなみに、ジョンが言う『ヤバイの』とは、銃火器のことである。それがどれほどの威力を持っているのかは、改めて語るまでもないだろう。

 

なお、ジョンが地球の歴史について戦乱ばかりではなかったと語っているが、それはほぼ日本だけの話である。西洋では中世は戦乱だらけで、中には百年にもわたって続いた戦争もある。中国でも、移民族の流入や反乱が絶えず起こっており、何度も漢民族の帝国は興亡を繰り返してきた。

他の地域も、大体強力な指導者が出て、その地域が統一されては分裂して滅亡、というのが繰り返されている。

 

各幕府や一族の政権が興った後に百年単位で情勢が安定したのは、実は世界的に見ても日本やタイなど、ある程度隔絶した地域に限られた。

 

 

 

「それで、問題のアレとやらですが……」

「連弩ってものに、異世界(あっち)で俺が生まれた時代の知識からアプローチした、一つの答えだ」

 

ジョンは紙に絵を描いた。それは筒に矢羽根を付けたものと、その中に入る、先端が膨らんだ矢だった。

 

「コイツに鉄の投げ矢(ダーツ)を詰め込む。器の方は軽銀(アルミ)。発射すりゃぁ空気抵抗の関係から投げ矢(ダーツ)が飛び出て、バラけて飛ぶ。1本の矢による点の攻撃じゃなく、複数の矢による面の攻撃だ」

 

着想は、多弾頭ミサイルである。いわゆる、クラスター爆弾というやつだ。

敵国上空にて無数の子弾を切り離し、地上に降り注ぐ。

現在は使用を禁止されているが、迎撃が困難で広範囲を効率よく爆撃できる兵器として期待されていた。ただその分、誤爆率や不発弾率も高まるようだが。

ショットガンは発射時点で分離が始まるため、厳密には異なる点に注意。

 

「本体の方がどうやったって量産できるもんじゃねえし、かなりの割合で金属を使ってるから、クソ重くなる。その分、1基、1発での効率を上げたってことだ」

「うわお……ジョン君に反乱を起こされれば、ハレリア軍でも正攻法では勝てませんね」

「マジで?」

 

目を丸くするのはアリシエル。

 

「そりゃ、もっとヤバイもん作るからな」

「あ」

 

赤毛チビ鍛冶はさらりと言ってのけた。

さすがに銃火器ならば、マグニスノアで主流である星王術も危ない。さらに、ジョンには工場制手工業のノウハウがあるのだ。時間が経てば経つほど、様々な面で有利になっていく。

 

「ま、俺にゃ情報戦なんて無理だから、そっちで負けるだろ」

 

彼は言ってから白ローブの巨乳に視線を投げかける。

 

「それでも、『悪魔からの手紙』の効果に疑問が出る程度には、手強いと思っていますよ」

 

フードの奥から、少女はジョンに微笑みの視線を返した。

 

 



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試射

真夏の炎天下。

ハレリア中部、街の中を走る円形運河に囲まれた西洋的町並みの都市とはいえ、真夏は暑い。数人の騎士が気を利かせて魔法で風を起こしてくれているから、これでもなんとか動いていられるものの、そうでなければ外で動くには厳しい暑さだった。

まあ、日本ほど湿気が多くないのも救いか。

 

そんなうだるような暑さの中、赤毛の2人(ジョンとモーガン)は汗だくになりながら新型弩砲を操作する。

まずは発射の反動を抑えるために、弩砲本体と一体型になっている車輪に、木製の車止めを噛ませる。これは現代でも使用されているもので、古来からほとんど形を変えていないことから、その完成度の高さが知れる。

次に、弦を手で引いて留め金に引っ掛け、鋳造した矢をセット。

 

「えらく弦の張りが緩いようじゃな?」

 

そう問うのは、白髪の小柄な老騎士。

白く染められた革製の略式正装に身を包み、赤毛少年2人の作業を見ていた。他に数人の騎士や兵士も見ているが、声をかけた人物が最も高齢に見える。

この暑さの中でも、割と平然としていた。

 

「これから強くするんでさ」

「今ここでかね?」

「はい」

 

老騎士はさらに問う。

 

「人手は要るかの?」

「最低2人で最後まで操作できるように作ってあります」

 

ジョンはやんわりと拒否。

 

ねじり反発力を受けて弦を張る腕の付け根には、鉄製の軸と銅製の軸受け。

 

  ↓軸

/ ̄\←腕

 ̄ ̄ ̄←弦

 

従来型の弩砲では、軸にはねじり反発用の獣毛を束ねたものが来る。それだけでも、この新型弩砲の異質さが垣間見えた。

さらに、その軸には左右5つずつ、直径40センチ程度の大きな銀色の円盤が、軸に貫かれるように取り付けられていた。見たところ、その円盤がねじり反発力の源となるようだが。

 

円盤の外周には溝が入っており、そこに細い紐が巻かれている。その紐は、先を両脇に固定されている木の板に空けられた穴に通された後、金属製の輪に結び付けられていた。ジョンとモーガンは、それぞれ左右からその輪を持ち、固定されている木の板に足を当てる。

 

「1段目、行くぞ」

「おう」

「せぇい、のっ!」「ぬりゃっ!」

 

打ち合わせ通りに声を掛け合い、お互いに木の板を蹴り、力を込めて紐を引っ張った。引っ張った先には弩砲にありがちな固定用の骨組みがあり、ジョンとモーガンはその骨組みの留め金に、取っ手を引っ掛けて留める。

それを、残り4セット。

 

「この暑い中でやると、結構きついな……」

「ぼやくなぼやくな。後は狙いを付けるだけだ」

 

と、ジョンは照準器を覗き、弩砲を台車ごと木の棒で梃子の原理を利用して動かし、微調整。それを繰り返す。少々乱暴だが、昔の機械はこんなものだ。

仰角に関しては、半円状の大きな歯車と小さな歯車を組み合わせたハンドルが弩砲発射台の支柱に付けられており、それで細かく調整する。

 

「よし、こんなもんかな」

 

照準に満足し、赤毛ショタジジイは顔を上げた。

 

「それじゃあ、撃ちます」

「まあ、待てい。皆に確認しておくが……」

 

経験的にはわりと歳の近い白髪の老騎士がひとまず止める。

 

「組み立て式の弩砲に求められるのは、第一に射程距離じゃ。今までは術の限界射程である198馬身を超えておらん。ゆえに防御兵器としてすら、その存在意義を危ぶまれておった」

 

198馬身はメートル換算すると、大体396メートル。1馬身=約2メートルの計算だ。

馬の種類によって1馬身の長さが変わるため、大雑把なものと考えてもらいたい。

 

近世地球、正式に単位が定められる以前は、割とこのように人間の体などを基準とし、長さの曖昧な単位が多かったと言われている。

ヤードは鼻先から前に伸ばした手の先まで。

フィートは足の爪先(つまさき)から(かかと)まで。

インチは親指の第一関節から指先まで。

――といったように、現在の単位にもその名残がある。

 

「だが逆に言えば、古来戦術は星王術を基準に組まれておる。それ以上の射程を持った兵器の誕生は、想定されておらん。

『術を基準に戦うのが当たり前』。そう教えられた者も少なくはなかろう」

 

略式鎧の老騎士は演説する。

 

「ゆえに。もしもこの新型弩砲が術の限界射程を超えることができるのならば、古来脈々と受け継がれてきた戦術の理論が、根底より覆されるであろう」

 

彼はちらりと新型弩砲に目を向け、そして言った。

 

「見たところ、水平射撃じゃ。

この内域の練兵場は、向こうの塀まで300馬身ある。設置させた的はこれより198馬身。

――実に楽しみじゃ!」

 

そこかしこで小さな笑い声が湧き起こる。

あからさまにプレッシャーをかけたのである。同時にほんの少し邪魔を入れることで、失敗しても笑い話で済むように計らったのだ。さすがに16歳の少年に重い責任を負わせる気はないらしい。

 

「うむ、撃つがよい!」

「はっ」

 

ジョンはなんとなく、ノリ的に軍人的な返事を返してしまう。これも老騎士のカリスマだろうか。割と気さくな、近所のお爺さんと言った風情なのだが。

 

「せいっ!」

 

ジョンは大きめのハンマーで留め金に繋がる鋼鉄の棒を叩き、装填されていた矢を放つ。矢は、アリシエルが作成したモデルを元に鋳造された、空気抵抗を減らした新型である。

 

すぐに馬に乗った兵士が測定用の紐を持って飛距離を測定に行った。

 

「飛んだのう」

「いい飛びっぷりですね」

 

騎士兵士達がざわめき始める。その間、ジョンはモーガンと一緒に、引っ張っていた円盤の紐を戻していた。

 

「ふむ、戻してしまうのかね?」

「引っ張ったままだと、全体的に傷んでくるんで。それに張りが強過ぎて、普通の方法じゃ弦が引けねえんです」

「どれ」

 

のそりと『雷神』の二つ名を持つ巨漢の老騎士が歩み寄ってくる。

 

「いやいやいや!」

 

赤毛のチビ技術者は慌てる。

 

「総長基準でなんて作ってねえから!」

 

伝説に出てくる英雄の力自慢な逸話(エピソード)には、馬を持ち上げたというものがある。馬は小さな種類でも500キロ以上もあるため、過酷な訓練を積んだ軍人とはいえ、そうそうできるものではない。軍人には敏捷性も必要とされるため、余計な肉を削ぎ落として身軽にするものだからだ。ゆえに、敏捷性を保ちつつ馬を持ち上げることもできるという、グレゴワール・デンゲルの怪物性が浮き彫りとなるわけだが。

当然、多くの兵士に使用可能なようにできている新型弩砲が、一部の怪力人間を基準にできているわけがない。

 

それ(・・)は今のところそれ1台しかないんじゃぞ?」

「む――」

 

小柄な老騎士の一言に、『雷神』の動きがぴたりと止まった。

 

「まったく、事あるごとに馬鹿力を見せたがる癖を何とかせんか!」

「面目ない」

 

巨漢の騎士団総長が叱られて(しぼ)む。

そんなことができるのは、その小柄な老騎士が彼より上の立場にいるからであった。

騎士団を統べる人物の上にいる、つまり。ハレリア王国軍の頂点に立つ人物である。

 

「さすがは『鬼謀(きぼう)』ヴェグナ・テュール・マディカン元帥ですね」

 

いつの間にか来ていた白ローブの少女が声を挙げた。

 

「おお、来おったな」

「遅れてしまいまして、申し訳ありません」

 

彼女は優雅にローブの裾をつまんでぺこりと頭を下げた。

 

「構わぬ。世紀の瞬間を見逃しただけじゃ」

「それ、結構大きなことではありませんか?」

「なあに、世紀の瞬間など、ワシらの立場ではよく目にするものじゃ。1つ見逃したからと言って、うろたえるほどのものではないわい」

 

騎士達は笑う。割と楽しげである。

 

 

 

数分後、騎馬の兵士が戻ってきた。

 

「報告します!矢は的より15馬身半、超えた位置にありました!」

 

その報告を聞き、見物していた騎士達はざわめく。

15馬身半、約31メートル。合計で213馬身半、約427メートルだ。

(※ ジョンも正確に1メートルを覚えているわけではないため、細かい数値までは計算しないものとする)

 

「やりましたねえ」

「ほほう……やりおるのう」

 

マディカン元帥も白いアゴヒゲを撫でながら唸る。

 

これはマグニスノア全体の兵器史にとって、とてつもない結果だった。

今まで、120馬身240メートルが精々だった射程距離が、7割以上増えたのである。しかも水平射撃で。

これで仰角を付けて発射すれば、飛距離は大体4割増しだ。実に術の限界射程の6割増し。これは、機動性を犠牲にしても十分な効果が見込める数字だった。

通常よりも遠くまで届くという事実があれば、ハレリア軍ならば十分に活用できるのだ。

 

ちなみに。

ジョンは弩砲の名手でもなんでもない。なので、的になど当たるわけがない。設置された的は、ただの目印である。

 

「これは開戦までに幾つ生産できるのじゃ?」

「今んとこ俺しか作れないんで、頑張ってもあと2基です」

 

略式騎士甲冑の小柄な老騎士、マディカン元帥の問いに、ジョンは答える。

合計3基。野戦で使用するには数が足りない。敵に圧力(プレッシャー)をかけることはできるかもしれないが。

 

「ふむ……」

「マディカン公爵、ご心配なく。彼はとんでもない発想で数の問題を解決してくれました」

 

考え込むハレリア軍トップに、白いフードの少女が言った。

 

「とんでもない発想じゃと?」

「散弾はまだ試作段階なんだぜ……?」

「軍のトップが兵器の性能を視察をする機会なんて、滅多にありません。ここで実験してしまいましょうよ」

 

白ローブの少女に促され、ジョンは渋々準備を開始する。

 

「先に言っておきます。これはまだ調整ができてません。なんで、後で形状が変わる可能性があります」

 

言いながら、彼は試作型の散弾に使う矢をセットした筒を、弩砲に装填した。一応、用意はしてあったのだ。

何が始まるのかと、騎士達はざわざわしている。そんなざわめきをよそに、再びジョンとモーガンで両側から紐を引っ張り、弦を強く張った。

 

「装填と発射で3人いれば十分だな」「回転を考えれば、3人か」「従来型は弦を引っ張るだけで5人は要る」「ああ、人数が少なくてこの速さ、この性能なら十分だ」

 

新型弩砲の騎士達からの評価は高そうだ。

 

「だが、金属部品が多過ぎる」「そうだな。保守整備に性能以上の巨費をかけるようでは、兵器として失格だ」

 

新型弩砲の金属部品は多い。弓に当たる腕と一体型の軸部分は、すべて金属製だ。謎の円盤も金属製。さらに仰角を調整するための機構も金属製である。

金属でないのは、木製の発射台と支柱、それに台車くらいのものだった。

 

当然、彼らが問題にしているのは、錆びだ。中世頃は精錬冶金技術が甘く、鉄は錆びに弱いというのは常識なのである。それゆえに、錆びにくく金属としても優秀な軽銀(アルミ)が重宝され、それを唯一作り出すことができる錬金術師の価値を高めてもいた。

 

「発射します」

「うむ」

 

今度はマディカン公爵も演説はやらない。

ガシャン、という派手な音を立てて、装填されていた筒が舞った。筒には底があり、それが空気抵抗を大きくしたために舞い上がり、30メートルほど先に落ちたのだ。

 

「結構飛びましたね」

 

白ローブの少女が言った。

当然、装填されていた筒が、ではない。その中身が、だ。それは見ていた騎士達の動体視力に捉えられた。

 

「い、今のは……?」「矢が何本も飛んでいったぞ」「なんじゃありゃ!?」「筒に入っていた複数の矢を飛ばしたのか?」「おい、どこまで飛んだか見て来い!」「は、はっ!」

 

騎士達は驚きを以ってそれを見ている。先程飛距離を見てきた騎馬兵が、再び馬を走らせた。

 

「ほほう、一度に複数の矢を発射することで、生産性の不利を補うか……。面白い発想じゃ」

 

マディカン公爵はにやりと笑った。

 

「ただ、形状的にあんまり効率はよくねえ感じですね。一度の発射数も調整しねえと、下手すると肝心の飛距離が半減しちまうんで」

 

ジョンは円盤の紐を戻しながら言う。

 

「問題無いわい。最悪、アリアの娘に使わせることも考えておったんじゃ」

「『鳶眼(とびめ)』のハリスティナ・アリア、秘儀『風穴通し』ですか。

確かにあの技でしたら、射程距離の不利は多少でしたら引っ繰り返せるでしょう」

「そういうことじゃな」

 

要するに、ジョンの新型弩砲開発が多少失敗しても、どうにかなるような手段はあったらしい。ちなみに、武術大会の際に予選でマルファスに敗れた騎士と同一人物なのだが、ジョンはまだ知らない。

 

「これでは逆に、一方的な(いくさ)になるやもしれんのう」

 

老獪な騎士は、ホッホッホ、と声を上げて笑った。余程自信があるらしい。

 

なお、ジョンが言った通り、散弾の飛距離は120馬身《240メートル》程度だった。試作品とはいえ、従来型と同程度である。

 

 

 

「ところで、保守整備はどうするんじゃ?」

 

マディカン公爵は尋ねる。やはり、錆びは気になるのだ。

 

「最終的に鍍金(メッキ)するんで、軸とか歯車とか、そういう擦れる部分に油を差してもらうことになります」

 

鍍金(メッキ)とは、金属の表面に別の金属の被膜を形成させる技術のことである。大昔はこれを指して錬金術などと呼んだこともあるそうだが、詳しいことは定かではない。

水銀に金やスズを溶かし込んで、熱して水銀蒸気にし、金属に付着させるのが一般的だが、亜鉛と鉄など、融点に大きな開きのある金属同士の場合、融けた亜鉛に直接漬け込んで、表面に被膜を形成させることもある。これはドブ漬けと言い、現代でも利用されている鍍金(メッキ)法である。

 

「油のう……」

 

近代に入ってこそ、油は豊富に手に入るようになったが、中世頃はそれなりに貴重品である。量産できるようになったのは、1つは農業が発達、機械化したり合成肥料ができたりして、植物油を入手しやすくなったのと、もう1つは石油由来の工業用油が普及したためだ。中世の時代に石油などそうそう手に入るものではないし、精製する技術もない。

 

「油っていっても、刃物みてえに(ロウ)を擦り付けるだけでも大分違いますよ」

 

赤毛チビは言った。

(ロウ)とは、獣脂油を冷やして固めたもののことである。酪農によって入手された肉の脂身は何かと余りがちで、燃料や潤滑剤として利用されることがある。

 

「手入れのために油を塗ることは鉄製武具にて行われますが……」

 

騎士の1人が言うように、中世でも鉄製品の手入れ方法には油が使われる。

ただ、上記の通り植物油はそう簡単に手に入るものではないため、蝋が用いられるのが一般的だ。

鉄製品を原則用いない騎士がそれを知っているのは、騎士は兵士から剣の腕などを認められて叙任を受けるからだ。

 

ちなみに、錆び止めの蝋を塗り過ぎると敵の鎧を斬る際、刃先が滑ってしまうため、装備の保守点検1つにも使い手の腕前が必要とされたという。

 

「ふむ……まあ、そう量産するものでもないしのう。また考えておこう」

「今回は試作品の披露ですからね」

 

白ローブの少女がまとめ、その後は数人の騎士達が実際に試射してみる時間となる。

言うまでもないことだが、デンゲル騎士団総長は最後まで触らせてもらえず、しょぼくれていた。

 

 



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雑談

「……いつも不思議に思ってたんだけどよ。ハレリアって割と味噌とか醤油とか、調味料が発達してるよな」

「はぁ?」

 

アリシエルは昼食の味噌汁を飲みながら首を傾げる。

豆腐や海藻類は入っていないが、サヤエンドウやタマネギなどの野菜が入っている。それを西洋らしく、底の深いスープ皿で食べるのだから違和感もあろうというものだ。

 

「味噌も醤油も、確かオートレスが伝えたものだったはずよ」

 

金髪ツインテール黒ローブは答える。

オートレスとは、このベルベーズ大陸における宗教の祖とも呼べる存在で、今なお絶大な人気を誇る偉人だ。

 

「そのオートレスってのは、日本人だったのか?」

「知らないわよ。何よニフォン人って」

 

アリシエルは首を傾げた。

 

「知らねえか……」

「うーん……でも、確かオートレス系の技術はハポン工房の管轄だったはずよ」

「ハポン工房?」

「そ、星王神殿直属の工房の1つね。転生者が残した技術を研究して、世間に広めるための工房よ。

魔法なら研究が盛んなんだけど、調味料とかっていうのはどうしても二の次になっちゃうわけ。だけど転生者が残したものだから、星王神殿としては捨てたくないってこと。

それを完成させるために、オートレスの死後千年近く経った今でも、製法とかの研究が行われてるのよ」

「へー……」

 

ふと、ジョンは自分が残すことになる技術や概念も、千年以上研究されるのだろうかと考えた。そもそも合計2千年も国が続くかどうかという問題があるのだが、それについては忘れている。

 

「まあ、オートレスが作ったものが大き過ぎて、今実用化されてない技術なんて、調味料とか料理以外はほとんど見向きもされてないんだけどね」

「そりゃまあ、注目されてねえ分野だからこそ完成も遅れてんだろ。……大き過ぎるってのは?」

「星王教よ」

「あー……」

 

異世界転生者が編纂した教義によって作られた宗教。

それはベルベーズ大陸全土に広がり、北のフェジョ教も南のフェアン教も、その影響を大きく受けている。

 

「強力な宗教指導者だったってわけだ」

「オートレスは、宗教指導者ではありませんよ」

「あ、ミラりん」

 

白ローブの巨乳少女がやってきた。最近、ジョンが描いた設計図を検討しているとかなんとかで、しばらく姿を見せなかったのだが。

 

「オートレスって、大陸の南部に星王教を伝えもしたんぶげら?」

 

話の途中で少年がウサギ耳を少女に着けようとして、迎撃される。それはあまりにも自然な流れで、少女の方も慣れているからか、話を途切れさせずに続ける。

 

「正確には、それを受け入れる土壌を作り出したのです。

オートレスが行ったのは、原則人助け。権力者に治水工事を勧め、技術を提供したり、獣避け山賊避けに柵を作らせたり、農耕や林業を伝えたり、様々なことを行っていました。

布教活動は二の次だったのです。

ですからフェアン教はどちらかというと、オートレス自身を祀った宗教となっています。南方地域の人々は、200年近くも『星王(ほしおう)』という存在を知らなかったのですよ」

「そりゃまた……てか、それならそもそもなんで南に旅をしたんだべし?」

 

倒れ伏したジョンは、そのまま少女のローブの下を覗こうとして、踏まれる。やはり、自然な流れで行われており、会話は途切れない。

 

「その辺は謎が多いと言われていますね。

当時、大陸南部は未開の地だったそうですし、生贄の儀式があれば止めさせようとしたとか、説は色々とあります。

そもそもなんと言いますか、相当な変わり者だったそうでして……。杖の先に骸骨を載せて、町中を練り歩いたりしていたそうです。新年祭の日に」

「そりゃまた……」

 

白ローブ巨乳と赤毛の少年は、何事もなかったかのように椅子に座り、机を挟んで向かい合う。

 

「基本的にいい人なんだけど、露悪的っていうか、外面を気にしない人なのよね」

 

アリシエルは苦笑した。どういう意味の苦笑だったのか、それは本人のみぞ知る。

 

「それで、あと2ヶ月で2基の新型弩砲はできそうですか?――割と余裕がありそうですが」

 

相変わらずフードで顔を隠している白ローブの少女は、壁に並んでいる獣耳カチューシャを一瞥してひと言付け加えた。最近は各種動物の尻尾もある。

 

「まるで好事家の宝物室(コレクションルーム)ですね」

「『伸線加工装置』の試作してる時に作り過ぎちまってな」

 

ジョンは答える。

 

「半分はモーガンとエヴァりんが持ってったわ」

「さらに倍あったのですか……」

 

白ローブの少女は頭を抱える。

 

「何気に、ジェバンニ工房の毛布で出来てるのもあったりするのよ」

 

アリシエルがタレ耳を渡した。それは、ジョンが作ったにしては出来が違っていた。犬のタレ耳と女性の頭の比率を合わせて、サイズアップしてあるのだ。さらに、タレ耳が頭の横に自然に垂れ人間の耳が隠れるように、カチューシャ本体の形状を変えてある。色は薄い茶色、毛並みは短めだが、非常に肌触りがいいのは、ハレリア人の金髪に合わせたのかもしれない。

毛並みの調整というのは、ノウハウを持たないジョンにはできないことだった。

 

「ああ、それな。俺が作ったんじゃなくて、モーガンが持ってきたんだ」

「モーガン君が?」

「なんかね、大会の予選突破記念だって。役所経由で配ってるみたい」

「ジェバンニがひと晩でやってくれました」

 

なぜかジョンが得意げな顔をする。

 

「むしろやらかしてくれましたよ。

そういえばあそこの工房主は、代々こういうお遊びが大好きでしたね……。

まあ、今回は役所を通したようですし、大目に見ましょうか」

 

白ローブの少女は溜息を吐いた。

やらかしてくれるのはジョンだけではない。特に、内域では娯楽が少なめということもあり、遊び心を盛り込んだ小物を作るのも、決して珍しいことではなかった。もちろん、そういう遊びを許さない工房もある。

当たるか滑るか、いずれにせよランキングには関係がないのだ。

 

問題は、そのせいで仕事に無理がかかってしまう可能性があることである。

仕事の詰め込み過ぎによる疲労から病気になることもあり、魔法で治せるとはいえ、神殿が数日の休息を命じる場合がある。魔法も万能ではないのだ。

平時ならば特に問題無いのだが、今は2ヶ月後に戦争を控えていた。

 

「というか、ジョン君も弩砲の方はできるのですか?1つ作るのに4ヶ月かけているわけですが……」

「問題ねえよ。4ヶ月かけて作ってたのが生産設備(・・・・)だからな」

「まあ、そんなことだろうと思いました」

 

白ローブの少女はまたも溜息を吐く。

マグニスノア人と異世界転生者ジョンでは、考え方が異なるのだ。マグニスノアで開発と言えば、試作を含めてそのものを作ることを指すのに対して、ジョンは生産設備を作るのである。作るのが1つでいい場合はそのものを作る方が早いのだが、量産を考えているのなら話は別だ。

 

もっとも、ジョンにはまだ転生者であることを公に明かすことができないという制約があった。だから、この辺の開発作業は極限られた人数で行わなければならない。そう考えると、たった2ヶ月でほとんど金属でできている新型弩砲を2基というのは異常な速度だと言えた。

針金を作り過ぎたというのも、その生産設備の1つである『伸線加工装置』の試運転時のことである。

 

「そういえば、散弾はどうなりました?」

「幾つか軍の方に回して試射してるとこだ。最終的にどっか余所の工房に回すことになると思う」

「モーガン曰く、矢はエヴァりんが頑張ってるらしいわ」

「あの子は真面目ですからねえ……」

「そうでもねえぞ。俺に獣耳(ケモミミ)の要望を出してくるし」

 

彼としても、あの真面目な黒髪少女が獣耳を所望するのは予想外だった。

貴族はファッションに敏感でなければならないと言っていたが、どこか言い訳めいて聞こえたものだ。

 

「向上心が強いのでしょうね。お遊びのチェスでもあまり手を抜きませんし」

「チェスとかやんのか?」

「お遊び程度ですよ。本気で戦場を想定しているマディカン家が様々な変則ルールを作ってくれますから、新鮮なゲームには事欠きません」

「あれねー。マス目の数も変わるし、縦に伸びたり横に伸びたり、『射撃』っていうルールが追加されてたりするし、もう私の頭じゃ無理」

 

アリシエルは思い出したのか、頭を抱える。

 

「俺の知ってるチェスと違う」

「大体マディカン家のせいなのです」

 

巨乳白ローブは頬に手を当てながら苦笑した。

 

「彼らは、戦場が自分の思い通りのルールで動かないことを知っていますから、平時から変則的なルールに慣れようとしているようです。ルールをサイコロで決めることもあるとか」

「それも訓練の1つってことか……」

 

ジョンは唸る。

 

これは推測だが。

平面戦術の思考訓練としてのチェスや将棋の類は、戦争が多発した地域では多数のローカルルールと共に発達していったと考えられる。

日本人が知るチェスと将棋のルールだけでも、明確なローカルルールによる差が存在するからだ。

つまり、獲った駒を再度使用できるかどうか、である。

 

盤面自体は、おそらく同条件における平野戦が想定されており、戦争におけるわかりやすいぶつかり合いを示している。

実戦における整合性の高さは、一概にどちらが高いとも言えない。

どちらにも騎兵、僧侶、弓兵、戦車に相当する駒が存在し、また敵陣深くに攻め込んだことによる戦力の意味の変化も、『成る』というルールによって表現されている。

 

最大の違いは獲った駒を再使用できるかどうかだが。

短期的には再使用不可であるチェスの方が整合性は高い。

しかし、捕虜、戦争奴隷という労働力による国力の増強を考えた場合、将棋の方が整合性は高いと言えるだろう。

あるいは、チェスでは説得などによる兵士や武将の裏切りを、想定しなかったということなのかもしれない。

 

一方ハレリアでは、長い時間を経て人々が好む形に統合されるはずだったローカルルールに着目し、本来の平面戦闘における思考訓練を行うために、あえてローカルルールを統合せずに拡大させていた。

盤面のマスの数の変化は地形の変化、『射撃』は術を利用した攻撃。

駒の再使用の有無は裏切りや洗脳術などを考慮したもの。

 

世界が違えば戦場の事情も異なるため、チェスなどのルールも変化するのである。

しかしやはり、一般人は分かりやすいベースルールを好むようだが。

 

「でも、変な訓練してるって意味だと、ハーリア家も似たようなもんでしょ?」

 

アリシエルが白ローブの少女に水を向ける。

 

「どことも一緒ですよ。

デンゲル家では、幼少期より山野を駆け回って戦闘訓練を積んでいると言いますし。

マクミラン家は新人の執事(バトラー)侍女(メイド)ばかり受け入れて、庶民感覚というものを磨いているそうです。

政治や行政を受け持つハーリアが、毒の代わりに特製の調味料を入れるのも、教育として必要だからです」

「それを違う家の私にまで適用することないじゃん?」

 

金髪黒ローブ少女が文句を垂れた。前に何かあったらしい。

 

「あの時は何度も声をかけたのに無視されたからお仕置きしたまでです」

「む~……」

 

アリシエルがむくれ面になる。

どうやら、言葉では白ローブの少女には勝てないらしい。それでも挑んでしまうのは、未熟と言うべきか、子供と言うべきか。

 

修羅場になりそうな気がして、そそくさと仕事場に逃げるジョンは、そんなことを考えていた。

 

 




ハレリア軍:総勢2万

軍のトップはヴェグナ・テュール・マディカン元帥。
王族三派六家の一角、軍略を司るマディカン公爵家のトップが代々元帥を務める。
ナンバー2は騎士団総長グレゴワール・デンゲル。
デンゲル公爵家は、武力を司る。

北方国境警備兵団2千、北方『風神』騎士団1千。
西方国境警備兵団3千、西方『水神』騎士団8百。
南方国境警備隊5百、南方騎士団2百。(同盟国と接しているため)
東方海岸警備兵団2千、東方『火神』騎士団千5百。
ルクソリス王都駐留兵団2千、同駐留『雷神』騎士団5百。
ナンデヤナ王都駐留兵団5千、同駐『土神』留騎士団1千。
残りの歩兵5百、騎士団0は予備役。

ただし、この2万というのはいわゆる国軍の数。
各都市や町などに州兵のような存在である衛兵団が存在しており、推定80万人が治安維持、つまり警察のような仕事をしている。
なお、衛兵団は民衆を守るのが仕事の独立した機関であり、貴族や領主の私兵というわけではない。
有事の際にはこの80万人の衛兵団が、輸送部隊の護衛やその他の後方支援に当たる。
つまり、戦闘員2万人に対して後方支援が80万人ということになる。
中国三国志時代の魏軍は、100万人の兵を動員したと標榜していたが、実際はほとんどが後方支援で、戦闘員の数は10万人程度だったと言われている。
それでも当時としては相当な大軍とされていた。

ちなみに、武術大会と武具大会への出場資格のある者には、各地の衛兵団を含み、基本的に衛兵団から国軍にスカウトされる他、国軍に直接志願することもできる。
入隊条件は15歳以上で、日々の鍛錬についていくだけの体力の持ち主であること。



軍編制の形態は大きく分けて3種類存在する。

1つ目は平時は農民として働きながら戦闘術の鍛錬を行う、いわゆる民兵。
地方を治める豪族が動員する兵士の大半がこれで、強さにバラツキがあり、連携訓練が行われていることが少ないということもあり、個々人の強さ頼みとなる場合が多い。
また、自国農産業の働き手を戦場に送り込むため、あまり多く死に過ぎると国力が壊滅してしまうリスクが伴う。
その上に、作付けや収穫の時期は働き手を戻さなければならないなど、時期的な制約も強い。
日本では戦国時代のほとんどの国がこの形態だった。

2つ目はお金で放浪者や山賊などを雇い入れる、いわゆる傭兵。
中世西洋の貴族などが率いる軍隊、私兵は大半がこれで、民兵と違って時期的な制約がなく、死者が多くてもそれほど国力に対するダメージが大きくないというメリットがある。
ただし、略奪が横行したり、作戦を無視することがある、敵前逃亡、報酬の持ち逃げなど、忠誠心が皆無に等しく、ほぼ統制が取れないという大きな問題も抱えていた。
戦国時代に恐れられた織田信長の軍がこの形態で、当時織田軍は数は多くても弱兵で有名だったと言われている。
それでも恐れられた理由は、略奪の横行と時期的制約を無視して戦争を継続することができたためだとされる。

3つ目はいわゆる専業軍人、近代的な統率された軍隊である。
これは近代兵器の性質に合わせた訓練を受けた軍隊という意味であり、それぞれが戦術を理解して効率的に行動することから動きが機敏で精強であり、武器の差がなくとも専業軍人が他を圧倒する事例が多い。
逆に中世、近世の時期は訓練の仕方や戦術が最適化されていなかったということでもある。
古来、兵士は統率と機動性と士気が重要視されており、それらについて上回る近代軍隊が強いのは当然と言える。
ただ、支給される装備の高価さなどがあり、敵前逃亡が発生した場合、他の2例に比べて被害が大きくなるため、基本的に敵前逃亡や命令への不服従などには軍法裁判の後に極刑が申し渡される事が多い。
逆に、上官の命令には逆らえないため、机上論を振りかざすなどされても、押し切られた末に大勢の死者を出すなど、大きな悲劇を引き起こす事例もあるようだ。
ほぼ司令官が交戦中の最前線に立つことがないため、人の命が軽く見られる場合が多いのも問題かもしれない。



マグニスノアにおけるチェスのルール。

チェスと言いながら、基本はオートレスが持ち込んだ将棋。
9×9のマスに、歩9、飛1、角1、香2、桂2、銀2、金2、王1を並べて戦う。

マディカン家が考案した変則ルールが広まっているが、流行り廃りがある。

1つは、取った駒を打つことができず、飛と角に『射撃』が許されている。
『射撃』は対局中に1回ずつ限りで、置かれているマスから進行方向2マス離れた敵の駒を、手番を消費して除去できる。
ただ、『射撃』は平民には覚えにくいルールであるため、廃れつつある。

他にも、代々のマディカン公が様々な変則ルールを考え、部下にやらせている。
その中で優れたルールがあれば、余所でも流行るという流れになる。

これは思考訓練の一種で、味方に戦力が整っていないことの多い戦場で、効率よく思考を巡らせるための鍛練法として、マディカン家では取り入れられていた。
そのため、定跡が誕生するとルール変更が行われる傾向がある。



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伝書鳩

『伸線加工装置』は、ジョンが苦心の末に作り上げた加工機械の1つである。

 

理屈は単純で、入口が大きく出口が狭い金型に線材を入れ、出口から引っ張ることで成型する加工法だ。挽肉製造器(ミンチマシン)とこ(・・)ろてん(・・・)を思い浮かべるかもしれないが、厳密には異なる。なぜならば、あちらは液状の素材を線状に加工するのに対し、こちらは線状の材料をさらに細くする加工法だからである。

手加工ではどうしても太さが均一にならないところを、均一にするための加工法でもあった。

 

「そういえば元帥を含めて、まったく気付かれませんでしたね」

「そりゃ、形だけなら今の技術でできねえこともねえからな」

 

針金は、手加工でもできないことはない。廉価量産なら、金属をドロドロに融かして、水に垂らすという方法がある。

しかし、それでは組織構造が再成形されてしまい、どうしても強度が出ない。水に落ちる量を常に一定にしなければならないという難しさもあり、部分によって強さがまちまちになってしまうという欠点があった。

もう1つの手加工、ハンマーで地道に成形するというのも、同じく太さのばらつきという欠点を抱えている。

伸線加工に比べてしまうと、どうしても強度が落ちるのである。

この、弦の強度の問題を解決するために、実に2ヶ月の月日が費やされていた。

 

「それと、割と遠慮なく新技術盛り込んでる。作ろうったってそう簡単にゃ作れねえだろうが、俺のことがバレる証拠にはなっちまう」

「はい、わかっていますよ。元帥には、機密部隊に運用させる方向でお願いしています」

 

新型弩砲に盛り込まれた異世界の技術は、伸線加工だけではない。

強度を要求される腕関係の構造体には、マンガンクロム鋼が使用されていた。現在のマグニスノアの技術では、合金化することもままならない強力な合金である。

現在ハートーン工房で再現が依頼されているのだが、ジョンは知らない。

 

軸受には黄銅。油を塗布してあり、軸と腕はキーで留めて動かないようにしてある。

『足踏み式回転砥石』の際にも説明したが、キーとは、現代地球でも使われている技法だった。腕と軸、あるいは歯車を軸に固定する場合などに用いられる手法で、穴と軸の両方に小さな溝を掘ったり平面を作ったりして、そこに強い金属の板などをぴったりとはめ込み、空回りしないように固定するのである。

弩砲の腕と軸に、この技術が使用されていた。

 

また、軸に穴を開けて、そこに発条(ゼンマイ)の板を固定するということもしている。試射の時にジョンとモーガンが引っ張って回していた、謎の円盤である。あれは発条(ゼンマイ)が崩れたりしないように付けられた、青銅製のカバーだった。それを左右5対用意し、強力に弦を張るという構造だ。発条(ゼンマイ)の巻き板にも、マンガンクロム鋼が使用されている。

 

発条(ゼンマイ)とは、中世に発明された動力の蓄積装置である。

構造は0.3ミリ以下という薄い板を軸棒に巻いたもので、その反発力を利用して、主に回転力を蓄積することができる。オルゴールやカラクリ人形の動力源と言えば分るだろうか?現代から少し古い時代、多くの動く玩具にこの発条(ゼンマイ)が使用されている。

 

材質は地球においてはバネ鋼。鉄合金の中では最も弾性力の高い合金である。

配合はクロムとモリブデンとニッケル。地球では文字通り衝撃吸収装置(ショックアブソーバー)など、バネ系の部品に用いられている。

 

しかし、ハレリアにはモリブデンを加工する冶金技術が一般的に存在しないため、今回はマンガンクロム鋼が使用されていた。

問題は融点で、モリブデンの2500℃に達する加熱に炉が耐えきれないのだ。

 

「ゼンマイというのは、今までにないアイデアでしたね」

「逆に言やぁ、アイデア次第だった思うんだがなぁ」

「非魔法系の技術は停滞していますから。アイデア次第でも、発明まであと何百年かかるか分からないというのが実情なのです。魔法が便利過ぎまして、それに頼らない方法が発達しないわけですね」

 

高い技術力があっても、必要がなければ手を出さない。それは資源大国と無資源国とで如実に差が現れる。

日本などは無資源国であるがゆえに小型化や効率的に資源を消費する技術が発達しており、その手の技術では世界最先端を行くと言われる。逆にシベリア油田などを抱えるロシアでは、外貨獲得などを石油に頼り切っており、エコ関連技術が停滞していると言われていた。

 

マグニスノアでも、似たようなことが起きていたのだ。

軍事では主流の星王器を製造するために必要な神石(かみいし)資源が、地球で言う石油と考えればいい。そこには当然ながら巨大な利権が存在しており、ベルベーズ大陸においてそれを握る国の1つがエルバリア王国なのである。

 

「ジョン君以外に作れないと大見得を切っただけのことはありますね」

「技術の系統からして『浸炭処理』は無理だろうしな」

「あらまあ、それについては聞いていませんが……いつの間にか、また装置を作っていたのですか?」

「炭の粉の中で鉄を加熱すんのさ。極端に言えば、鍋と(かま)だけでできる」

 

『浸炭処理』というのは、熱した金属の表面に炭素を浸透させることで、表面を硬化させる表面処理加工法である。表面が滑らかになるため、摩擦を減らす効果がある。

現代地球では、ベアリングなどの軸受け、あるいは軸そのものに施されることがある。いずれも、摩擦の多い部品の代表格だ。

 

「聞いている限りでは、『焼き戻し』ともまた違いそうですね……」

「『焼き戻し』ってのは、少なからず表面を軟らかくしちまうんだ。軸がそれじゃマズいし、弦もあんま伸びねえ方がいい」

「硬いと伸びないのですか?」

「そういうことだな。変形しにくいって言い方するんだが、逆に変形が始まると壊れるまでは一瞬になる。金属で硬いってのは強い弱いってのとは別もんなんだ」

 

硬いと(もろ)く、軟らかいと粘り気が強い。強度などの違いはあれども、それは金属の宿命だった。

 

 

 

「アレだけのものをほぼ1人で、しかも2ヶ月で2基作ってしまうとは……」

 

矢の量産に奔走していた紺色服の黒髪ロリが、新型弩砲最後の1基を搬出すると聞いてやってきた。新型弩砲は荷馬車に積み込まれ、エルウッドを御者に運ばれていく。

 

「運ぶ時間15日間と、現地で試射訓練する6日間、きっちり間に合わせてきましたね……」

「逆にマジで21日後にきっかり開戦なんてことになるのか?」

 

同じく、新型弩砲の搬出のためにやってきたモーガンが尋ねる。

 

「鳥を飛ばしていたんだろう。私のところには、イリキシアからの情報も届いていたからな」

 

白ローブの少女は口元ににやりという笑みを浮かべた。

 

「正解です」

「鳥?伝書鳩かなんかか?」

 

赤毛ショタジジイが思わず尋ねた。

伝書鳩(でんしょばと)というのは、電波通信が普及する以前に主流だった高速通信手段である。鳩の帰巣本能を利用したもので、第一次世界大戦でも使用されていたという。とはいえ、生物任せのため不確定要素が大きく、一度に何羽も放し、その内1羽が無事届けばいいという、大雑把な利用法だったらしい。

 

もちろん、それが敵の手に渡る可能性もあるわけで、足にくくりつける手紙は暗号で書かれていた。それが解読される危険もあるため、時間をかけて解読していれば対処に遅れるような、緊急時に使用されたそうだ。当時から飛行機は存在したそうだが、おそらくスパイが利用していたのだろうと考えられる。

電波通信は暗号を使っても傍受の危険はあるし、発信したことが察知されてしまうため、第二次大戦くらいまでは伝書鳩が現役だった可能性は十分にあった。

 

「そうか、ジョン殿は軍用魔法技術については疎いのだったな」

「マグニスノアの魔法知識については一般人レベルですからね」

「錬金術以外はね……」

 

さすがに連日酷使したためか、疲れた様子のアリシエル。新型弩砲には錬金術もふんだんに利用されていた。主に、マンガンやクロムの抽出冶金に活躍したのだ。

さらに軸の加工のために、旋盤代わりとして酷使したということもある。

旋盤(せんばん)』というのは、材料を回転させて刃を押し付けることで加工するための加工機械である。回転しているために軸棒を真円に削りやすいという特徴があり、円形の正確さが問われる軸棒の加工には欠かせないものだった。

今回は、回転させるための動力の確保が間に合わなかったため、魔法に頼ったのである。地球での旋盤の走りは蒸気機関を動力としていたのだが、さすがにそれをゼロから作り上げる時間はなかった。

 

まあ、ジョンも彼女が疲れていることは分かっていたため、ここ数日は休ませていたのだが、まだ本調子というわけではないようだ。

 

「おそらく世界(マグニスノア)全土で共通していると思うんだが、鳥を洗脳して方角や図形を覚え込ませ、覚え込ませた図形へ向けて飛ばすという通信手段がある」

 

エヴェリアが説明する。

 

「大抵はわかりやすい図形、巨大な円だったり六芒星だったりを地面に描いておいて、そこに巣箱なり止まり木なりを置いて受け取る。図形のない場所へ届かせるのは難しいが、国家間や都市間の通信はこれで済ませることが多い」

 

わかりやすい図形が目印なのは、鳥が文字や言葉を理解できないからである。あと、記憶力が悪いのを鳥頭(とりあたま)と呼ぶように、鳥は非常に記憶力が悪い。

フェンス越しに置かれた餌を取るために、鶏は何度もフェンスに突撃するという。だから鳥に覚え込ませる内容は最低限にする必要があった。

エヴェリアの話からすると、帰巣本能の場所を意図的に改竄するような技術はまだないようだ。

 

洗脳鳥(せんのうちょう)と呼ばれるものですね。足の速い(つばめ)などの鳥を訓練することもありますし、野鳥を洗脳して簡単な文書を届けさせることもあります。

ハレリアでは、都市間の連絡によく用いられていますよ」

「イリキシアではシロワシだな。寒さに強くて目がいい鳥でなければ、冬には飛ばせん」

 

シロワシは羽毛が白い(わし)の仲間で、翼を広げると1メートルに達する大きな猛禽類だ。極寒地域に生息し、吹雪の中でも狩りをするほど寒さに強い鳥として繁殖研究が行われ、重用されていた。

また、豪雪地帯では一面真っ白な世界から目的の図形を探し出す、目の良さも必要になる。

冬の雪国でも狩りを行うシロワシは、陰影を他の動物よりもはっきり区別できる目を持っており、図形を探すなどの視覚能力に長けているのだ。

ちなみに、マグニスノアの固有種である。

 

「洗脳鳥には、伝書鳥以外にも偵察という役目がある。

遠隔操作ができんから何度も飛ばす必要があるんだが、要するに地上の様子を鳥の記憶から掘り起こすわけだ。軍事機密だし、決して簡単な魔法技術ではないんだがな」

「3歩歩けば忘れる鳥頭って言うもんな」

 

これはモーガン。

 

「大体その通りです。スパイを潜入させて、その辺の野鳥を洗脳して、片端から飛ばすのですよ。洗脳が粗いと目的地へ辿り着かないこともありますし、途中で猛禽に襲われて、記憶が飛んでいるなんてことも珍しくありません。

そんな鳥から目的の映像を掘り起こすのは、物凄く大変な作業と言われますね」

「へぇ……」「すげえな」

 

赤毛2人は唸る。

記憶に残っていた場合はいいのだが、残っていなかった場合、記憶の隅々まで調べなければならないのだ。

 

「じゃあ、あっちもそういう洗脳鳥(せんのうちょう)を飛ばしてくる可能性があるってことか?」

「その通りだが、一応鷹匠(たかじょう)が猛禽を飛ばして上空を警戒している。普通、一つの地域に鷹匠(たかじょう)が3人もいれば、ここまで情報が筒抜けになるということはない。

ただ、ブロンバルドはイリキシア基準だな。高空への警戒がまるでなってない」

「イリキシアには、洗脳鳥の記憶を掘り起こ(サルベージ)していては対応が間に合わないという、馬鹿げた機動性を持った騎士団がいるのですよ。

彼らはどこに敵がいるのかを知るために、(カラス)を飛ばします」

(カラス)は低空を飛ぶ鳥だ。低空を飛ぶ鳥は、敵の洗脳術士に捕まりやすい。それを逆に利用し、八方に飛ばして帰って(・・・)来な(・・)かった(・・・)方向に敵がいるとするやり方で、彼らは今まで戦ってきた」

「なんつー大雑把な……」

 

どこか自慢げな黒髪ロリの話に、ジョンをはじめ呆れ顔だ。

 

「それで何とかなってしまう多脚馬(スレイプニール)騎士団がおかしいのですよ。寒冷地域という制限がなければ、イリキシアが北部の覇権を握っていたでしょうね」

「待て待て、ハレリアの騎士団に言われたくはないぞ。騎士団で突撃すれば50倍差だろうが引っ繰り返せるとか、どう考えてもおかしい」

「城壁を馬で駆け上がる人々に比べれば、まだまだ常識の範囲内ですよ。それに、元々歩兵に対しては騎士が強いのは当然なのです。

『雷神』騎士団の精鋭部隊が飛び抜けているだけで、アレがハレリア騎士団の標準ではありませんからね?」

 

何やら言い合いを始める2人。

 

「お、おいおい……」

「どーすんだこれ?」

 

突然始まった論争に、ジョンもモーガンもついていけない。

 

「アホらし……」

 

アリシエルはそんな2人は放っておいて、さっさと帰ってしまった。

1時間後、呆然と眺めていた2人の少年に気付いた少女2人は、顔を真っ赤にして全力で走り去ったという。

その理由は、男2人にはよく分からなかったのだが。

 

 




まずはじめに、食事中にこの話を読むのはお控えいただきたいと忠告しておく。
なぜならば想像するに少々汚い話、トイレのことを語るからである。

考古学の分野では、『トイレ遺構(いこう)』という言葉が使われているが、その歴史は5千年も昔に遡る。
湖や沼などに桟橋を作り、その(へり)から用を足していたと推測されており、湖、沼などには、桟橋と共に堆積した排泄物の痕跡が見られることがあるという。
そうやってできた糞石、化石化した排泄物からは、貝塚などと同じく当時の食事事情が垣間見えるのだが、それについてはまた後ほど語るとしよう。

地球においてのトイレは古代ローマ時代、既に汲み取り式トイレや水洗式トイレが発明されていたというから驚きだ。
排泄物を農業に利用するために、『屎尿(しにょう)税』という名の手数料が課せられたのは有名な話である。
ただ、その時代以降、ヨーロッパではトイレから関心が失われていき、設備も酷く劣化してしまう。
中世頃には、パリやロンドンなどの大都市でも、排泄物は容器に排泄して窓から投げ捨てるのが一般的だったという。
町の通りから家に入るのに段差があるのは、そういった排泄物が家に入らないようにするための工夫だとか。
厚底のブーツが誕生したのもハイヒールが誕生したのも、そういった事情からだと言われている。

逆に、時代を経るごとにトイレを整備、発達してきたのが日本だ。
江戸の街は上下水道が完備していたし、それより前の平安時代ですら桶の水で排泄物を流す先の沼が汚くならないように、一度攪拌槽(かくはんそう)に貯めて、綺麗な上澄みだけを流す工夫がなされた設備が発見されている。
川の水を引いて、そこに用を足す高野山式のトイレなども、古くから存在した設備である。

では。
ハレリアはどうなのだろうか?

実は、首都ルクソリスは上下水道が完備されていた。トイレは平安時代の方式である。
運河の水を手桶で貯水槽に貯めておき、そこから手桶で水を汲んで流す。
排泄物は各地に上澄みを川に流す撹拌槽が複数あり、毎年発酵、乾燥、整備と使用箇所を入れ替えながら維持が行われているのだ。
もちろん、発酵乾燥された肥料は国内各地の農場に輸送され、肥料として利用される。

ここまで設備が整っている場所は少ないとはいえ、ナンデヤナなどの川が街を流れている都市には、必ずと言っていいほどこの手の設備があった。
当然、オートレスの仕業……かと思いきや、マグニスノアではケルスス式の上下水道と言われている。
他でも、最低でも汲み取り式のトイレが整えられており、中世西洋のようなトイレ事情の退化は発生していない。
これは、ベルベーズ大陸の北部中部を統一したベルベーズ大帝国が成立した時代に、トイレの整備が強力に推し進められたからだと言われていた。
1500年前のそれを、ほぼそのまま使っているということである。

地球の中世よりも、余程発達していることがうかがえる。



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大親征

「お前にも、子供らしいところがあったのだな……」

「申し訳ありません」

 

宰相の執務室で、白ローブの金髪巨乳少女は深々と頭を下げた。父親でもある宰相ハーリア公爵は金色の口ヒゲを撫でながら首を横に振る。

 

「いやいや、心配していたのだ。ある程度人間らしいところがなければ、庶民を理解できん。その辺の資質はマクミランやハレリオスの担当とはいえ、ハーリアでもある程度の理解がなければ、摩擦が大きくなり過ぎるのだからね」

「一応、教えの通りに自分を律してきたのですが……」

「だが、その分ストレスはかかるだろう?」

「……はい」

 

少女は素直に頷いた。この辺の自己分析については、訓練を受けている。

 

「ストレスは、貯め込み過ぎるといずれ自己の崩壊を招く。たまには遊郭で遊ぶなり、自分を曝け出してストレスを発散すればどうだ?」

「遊郭ですか……」

 

少女は乗り気のしない声で溜息を吐く。

 

「やはり、行く気になれんかね?」

「自分が異端だとは分かっているのですが……」

「ともかく、無理はせんことだ。休息中にまで気を張っていることはない。

お前には、その感性が我々よりも庶民に近いからこそ、彼を任せているのだからね」

 

そこから公爵の雰囲気が変わる。仕事の話、業務連絡だ。1人の父親から、行政の長、宰相の顔へ。

 

「明日、諜報部隊からの定時連絡がある。それを踏まえて明後日、最終的な戦略が決定される予定だ。一定以上の規模の戦争となれば、『大親征』の発令もありうる」

「オーバーキルなのでは?」

「今代では経験していない者も少なくなくてな。そういう意味でも発令の公算は高い。今の内に休みを取っておけ」

「なるほど、承知いたしました」

 

説明しよう。

『大親征』とは、ハレリア特有の制度で、国王をはじめ王族が戦場に出ることを意味する。国家元首が戦場に出るというのは、古来兵士の士気を高めるという意味があった。

 

地球でも親征という言葉には、国王を始めとする国のトップが、戦場で直接指揮をとるという意味がある。

 

話からすると、どうもそれだけではないようだが。

 

 

 

「そういや、ジョンは武具大会には出ないのか?」

 

ある日、モーガンがジョンに尋ねる。

 

「もうそんな時期か……」

 

開戦予定の日から18日ほど前。輸送の関係から、生産職(ジョン)にできることはもうない。そのため、今日は炉の火を落とし、新型弩砲のために作った加工機械の図面を引いていた。

戦争の後のことについて思いを巡らせるくらいしか、やることがないのだ。まあ、18日も休みが取れるほど、頑張ってきたのだが。

地球の北半球で言えば9月頃、遅めの盆休みと言える。

 

アリシエルは3日ほど出てきていない。

様子を見に行ったエヴェリアの話では、丸一日寝転がっていて、その後は適当に遊んでいるらしい。根を詰め過ぎてかなり疲れていたため、10日ほどは仕事を入れないように、ジョンは伝えてあった。

ついでに、エヴェリアにも休むようにと。あの真面目な黒髪お嬢様は渋っていたが。

 

そして彼自身も、しばらくは休んでいるつもりである。

設計図を描いているのはライフワークのようなもので、あれやこれや余計なことも考えながらゆっくりとやっていた。

というより、設計図の内容が新たな『萌えグッズ』のための小道具だったりする。

 

「つーか、武具大会開くのか?もうすぐ戦争だっつーのに」

「開くって話だぜ?俺が聞いたとこだと」

 

モーガンの言葉に赤毛ショタスケベジジイは頭をひねる。

 

「今年は多分無理じゃね?俺がゴタゴタしちまう」

 

今年はジョンが転生者であることが大々的に公表される予定だ。おそらく、本職とは違うところで忙しくなるだろう。慣れないことに臨むのに、あまり余計な予定は入れたくない、というのが彼の正直な考えだった。

 

「そっか、じゃあ無理ってことで」

「おう」

 

悪人顔の赤毛役人もあまり期待はしていなかったようで、強くは押さない。

 

 

 

王宮。

3階の一室、外からは見えない、内室の1つ、20畳程度の広さの部屋にて、5つの公爵家と1つの王家の会議、六家会議が開かれていた。

ハレリア王国の最高意思決定機関とも言える会議であり、予定された戦争についての情報を集め、それを元に戦略を決定する最後の会議でもあった。時間的に、これより遅れれば戦術も戦略も見直しができなくなる。

 

天井から無数の光源が提げられた部屋。

言葉にすると何やら怪しい雰囲気だが、ロウソクやランプではない。紋様の刻まれた青い石が白く輝き、周囲を強く照らしているのだ。そのおかげで光源がなければ闇に閉ざされる部屋でも、昼間の太陽のように明るい。

だが、そんな明るい部屋の中で、ハレリア王国を動かす6人の頂点は暗い表情をしていた。

 

「ハーリアとマディカン、それにファラデーの意見が一致した、か……」

 

長い金髪の美丈夫が、目の前のテーブルに置いた王冠を見詰めつつ呟く。背中のマントには、白地に朱色で丸い太陽、青で三日月の刺繍が施されていた。ハレリア国旗、太陽と月のマントは、身に着けることが許されている者は1人しかいない。

現ハレリア国王『天災』トワセル・レ・ムルス・ハレリオス。

眉をひそめて、難しい顔をしていた。

 

「これで連中の背後が明らかとなりましたな」

 

こちらは、すっかり白く染まった髪の老人。マディカン元帥よりも、デンゲル騎士団総長よりも、さらに高齢。白く染まったローブの胸元と背中に、紫色の月が刺繍されている。

ファラデー公爵家当主、『魔神』アルグ・ナト・マーリン・ファラデー術士総長。

他の者達が暗い顔をしているのに対し、どこか泰然としている。

 

「難しいな……さすがにあれを相手にすれば、どれだけ死ぬかわからん」

 

険しい顔をしているのは、黒い肌に金髪の初老巨漢騎士。高齢のはずだが、甲冑フル装備で平然としており、肉体の衰えを感じさせない。背中のマントは白地に赤い中抜き円。

言わずと知れた古今無双と名高き騎士、『雷神』グレゴワール・デンゲル騎士団総長。

 

「まさか、契約にあった最初の一度を、我々の世代で経験することになるとはのう……」

 

感慨深げに呟くのは、革製の略式甲冑に身を包む白髪の老騎士。背中のマントは、赤い三日月。

当初は圧倒的な数の差にもかかわらず、絶対的な自信を見せていた老将、『鬼謀(きぼう)』ヴェグナ・テュール・マディカン元帥。

 

「こうなっては本気で潰しにかかるしかないな。できれば、洗脳された奴隷は無傷で手に入れたかったのだが……」

 

溜息を吐くのは、金髪に白い背広姿、口ヒゲの男。背中には黄色い円。

国内外にその知謀を恐れられ、敵国を手紙一つで滅ぼすと言われる『悪魔からの手紙』の送り主、『神算(しんさん)』カメイル・ロキ・ハーリア宰相。

 

「やるしかないのでしょうねえ。どれだけの犠牲が出るかは分からないけれど、今まで研究し培ってきたすべてを出すべきよ」

 

最後に、白い神官服を着た金髪の老淑女。背中の紋章は黄色い中抜き円。

天手(てんしゅ)』フィール・ミセリ・コルデ・マクミラン大神官長。

あまり機嫌のよさそうな顔ではない。

 

神族(かみぞく)を相手に出し惜しみができるほど、研究し尽くしているとは言い難いのだしね……」

 

不穏な言葉と共に、会議は深まっていく。

だが、それがハレリア崩壊の序曲などではないのは、皆が承知していた。

 

 

 

炎のような暑さが和らぎ、秋に差し掛かろうという季節。

ハレリアという1千年続く王国、ベルベーズ大陸を席巻する星王教を駆逐するべく、彼らは持てる最大限の策を投入する。彼らは千年王国ハレリアの底力を正しく認識していたが、その脅威の真髄を理解してはいなかった。

 

「……では、予想される神族(かみぞく)との戦い、契約通り初戦は我らが引き受けましょうぞ」

 

カメイルはマキナに『大親征』の発令を伝える。

 

ハレリアが契約している神族(かみぞく)であるマキナに、直接拝謁を許された者は多くはない。それでも800人を下らないのがハレリアという国だったが。

神族(かみぞく)を怒らせれば、瞬きの内に殺される。それが1人ならマシだが、あまり無礼を働くと一族郎党をすべて殺されてしまう可能性がある。ハレリア王国としてそれは許容できるものではないため、接触できる人間を心得のある者に制限することで、神族(かみぞく)による『虐殺』を回避していた。

 

神族(かみぞく)が不快に思う行動も独特で、一般的な権力者や資産家と一緒に考えると痛い目を見ることになるのだ。

神族(かみぞく)とは、理不尽で気まぐれで、不条理な自然災害のような存在。人間を数で考え、特別な資質を持つ者以外は道端に転がっている小石も同然。そういう種類の超越者だからである。

マキナも、気が向けば契約しているルクソリスの人々を虐殺に走る可能性を秘めており、そういう危険性を認識した上で相対しなければならないのが神族(かみぞく)という存在なのだ。

 

「あなた達の行いは、『皆』が見ているわ。相手側の行いもね。

道半ばとはいえ、あなた達は『蛇王』の願いを遂げることに協力しているわ。私もそのように動くことを是としている以上、無闇に乱されるのも困るの。

だから――安心して逝きなさい」

「ありがとうございます」

 

カメイルはマキナに頭を下げる。

 

「では、これにて今生の別れですな」

「良い来世を」

 

説明しよう。『大親征』とは。

ハレリア王族が、持てる全力を尽くして敵を撃滅するまで戦うという、号令である。

持てる全力とは、命を落とすことも含まれる。

 

つまり、目標とした敵がいなくなるまで、死ぬまで戦え、ということだ。

 

――号令を発した当人達を含めて。

 

 



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18日前

戦争まであと18日。

内域にある神殿の一室にて、説明が行われた。

 

説明をするのは白ローブの巨乳少女。話を聞くのは、赤毛少年ジョンと黒髪兎耳の少女エヴェリア、さらに、ジョンの知らない、黒髪の少年。

黒髪少年は兵士らしく、黒い軽装鎧にその小柄な体躯を包んでいた。武器は持っていない。

 

「特に武器を持ち込んではいけないというルールはないのですけれども……」

「……こちらの問題だ。気にするな」

「……」

 

黒髪少年の低いトーンの言葉に、エヴェリアは額に手を当てて溜息を吐く。

2人は知り合いのようだ。それも当然かもしれない。病的に白い肌に黒髪というのは、ベルベーズ大陸ではイリキシア人にしかない特徴である。黒髪と言っても、地球でも色々とあるのだ。アジア系だけのものではない。

 

「すまんな、カッセルは優秀なんだが、見ての通りあまり融通が利かん」

「構いませんよ。……そういえばジョン君とカッセル君は初顔合わせですね」

「鍛冶屋ジョン、よろしく」

「イリキシア王国兵、カッセル・ヒルム」

 

互いに握手を交わす。

 

「カッセル君は、イリキシア王国の近衛騎士に相当するベルセルク兵です。その戦闘力は近衛騎士にも匹敵するそうですが、適正者が少ないという問題もあるようです」

「あのバケモノ達と一緒にしないでくれ」

 

カッセルは抗議の声を上げた。

 

「あら、近衛騎士隊の方々からは、中々の好評価でしたよ?」

「……」

 

少年兵は口をへの字に曲げて視線を逸らす。

 

どうやら、『雷神』と同等とされる近衛騎士隊と一緒に訓練していたらしい。ジョンも『雷神』本人の戦いしか知らないのだが、その凄まじさはよく知っていた。マルファスと打ち合っているのも一度見たことがあるし、武術大会のそれは圧巻のひと言である。

 

ほとんど分身しているようにしか見えなかった『風神』ウェスター卿の動きに対して、『雷神』グレゴワール・デンゲルはその凄まじい腕力と武術で、的確に追いつめていったのである。

傍から見ていてもただ大槍を滅茶苦茶に振り回しているようにしか見えなかったのだが、それがなぜか当たるのだ。速度では『風神』が上のため、ほとんど受け流すか回避されていたが、ウェスター卿も中々攻め込むことができず、小柄な体躯を観客席まで打ち上げられながら反撃しつつも、追い詰められていく。

 

決め手は、『雷神』がほんの少し見せた隙。

追い詰められつつあった焦りもあって、ウェスター卿はそれに飛び込んだ。背後の壁を走って上り、ほぼ真上から、文字通り。

見事『雷神』の肩口にひと槍入れたものの、筋肉に穂先を食われて槍を失ってしまう。巨漢の反撃に対して咄嗟に槍を手放して肩を蹴って宙返りし、観客席まで飛び上がって回避したのはさすがだったのだが、そこで闘技場に戻ったウェスター卿が降参、試合終了となった。

 

その試合、ウェスター卿は低級単唱器、風によって動きを加速する星王術を使用していたのだが、デンゲルは術を未使用。というよりも、ウェスター卿が上手く、術を使用できるタイミングがなかったと後で息子エルウッドが解説していた。

 

閑話休題。

 

 

 

「かなりまずいことになりました」

 

ステンドグラスの窓から差し込む色とりどりの光に照らされた室内で、白ローブの少女が話を始める。

 

「イーザン平原北のイーズリー砦にブロンバルド軍が集結しています。その数100万に上るということです」

「戦闘員の数は?」

 

エヴェリアは落ち着いて聞き返した。

 

「推定100万です」

「馬鹿な、それでは後方支援に1千万人の兵を動員していることになるぞ。

洗脳術統制は、奴隷が大量にいることが前提だ。1千万も動員すれば、使役するための奴隷が軒並み餓死してしまう。その影響はブロンバルド全土にまで及ぶぞ。麦や米の作付けができなければ、収入も激減するし、広大な土地を防衛することもできん」

 

どうやら、大変なことになるらしい。

ジョンはなんとなく想像できたが。実際どうなるのかについては理解が及ばない。100万の戦闘員に1千万の後方支援部隊というのは、それほどに途方のない数字だった。

 

中国の歴史の中で、人口の多い中央部を制した大国が、それくらいの人員を動員して対立する敵国と戦争をしたという記録があるのだが、それは戦闘員の数ではなく、また隆盛を誇示するために水増ししていたという説があった。実際に戦場で戦う戦闘員の総数は、精々5~10万人程度だったと言われる。それでも当時としては相当な大軍のようだ。

 

そして多くの戦闘員を動員し、十全な状態で戦わせるには、多くの食糧、武器、燃料が必要となる。食糧は馬や牛で運ぶことになり、そういった馬や牛に食べさせる(まぐさ)も運ばなければならない。

そういう事情があり、最低でも戦闘員に対して10倍から20倍の輸送部隊、後方支援部隊が必要となるのが常識である。(まぐさ)などと同じく、後方支援に動員した人々に対する食糧も確保しなければならないからだ。

 

「彼らには領土を維持する気などないのですよ。巨大な領土的空白を作り上げ、宗教思想の根幹を破壊し尽くして、戦乱を起こさせるのが狙いなのです」

 

白ローブの少女は語る。

 

「ガランドーとザライゼンをか?」

「現在のブロンバルド領すべてを空白にしてしまうのです。そうすれば、ハレリアとイリキシアが国境を接することになり、諍いを起こしやすくなるでしょう?」

「なっ――!?」

 

黒髪少女は目を見開いて絶句した。

 

「そもそも、フェジョ新教からして、対立を煽るための小道具だったのです。両者と相容れない敵を作り上げると同時に、妖精達に不義を働いて、妖精の介入を妨げました。

エヴェリアさんも知っていると思いますが、妖精との交流は大きな恩恵をもたらします。それを妖精と仲の良いフェジョ教総本山のブロンバルド貴族が破綻させることで、妖精達にフェジョ教全体が大きく方針を転換させたと印象付けました。その後、フェジョ教は新教と旧教に分裂しましたが、後の祭りなのです。一度失われた信用は、取り返すのがとても難しい。

加害者側と目されている人間達がその原因を知らないとなれば、なおさらでしょう」

「えげつねえ……」

 

ジョンは顔をしかめる。利益ではなく、不和こそが目的だったというのである。

 

「今回動員された100万の戦闘員と500万の輜重部隊は、神族(かみぞく)でなければ不可能な数字です。敵に神族(かみぞく)が参加していると考えれば、この無謀な数字もブロンバルドの洗脳術統制も、辻褄が合います」

神族(かみぞく)か……『竜騎士』レグロン辺りが例の反乱を起こしたか?……いや、それにしては……」

「反乱って?」

 

赤毛の少年が尋ねた。神族(かみぞく)関係の深い事情を、彼はほとんど知らないのだ。

 

「1千年前の『混沌の夜明け』以降、神族(かみぞく)は誰かの傘下に収まることになっています。大抵は『力ある九人』のいずれかということになりますが、中には他の神族(かみぞく)のやり方が気に入らず、武力で止めさせようという方もいるのです。協定に則した形での闘争が行われるのがほとんどですが、たまに軍団戦を仕掛けてくることがあるのです。

ただ、そういう時は死体や人形を使うのがほとんどですね。大量虐殺に対して反省が認められなければ、最悪殺されますから」

神族(かみぞく)が殺される?俺は神族(かみぞく)が不死身って聞いてたんだが……」

 

巨乳白ローブは頷く。

 

「ええ、他者が殺すことはできません。ただし、自殺は可能です。ですので、莫大な精霊力を削り切って、その上で自ら死を選ぶように屈服させる必要があります。

当然ですが、人間がどれだけ集まろうとも、次々補充される精霊力を削り切るには、相手が無抵抗でも数日はかかります。相手が攻撃の意思を見せれば、係わった人間はその時点で殺されるでしょう。つまり、自殺の手伝いをする以外のことが、人間にはできないのですね」

「……もしかして、結構ヤバい?」

「もしかせずとも、かなりまずい。どれほど未熟であろうと、神族(かみぞく)を撃退できたヒトの軍勢というものが過去に存在しないんだ」

 

エヴェリアは腕を組み、苦々しく溜息を吐く。

 

「ただ、今回気になるのが、人間の繁殖基盤を破壊しに来ているという点です。基本的に神族(かみぞく)にとって、人間や妖精種といった知性種は、退屈しのぎのための娯楽的な資源なのです」

 

現代地球で言えば、テレビやインターネットのようなものと考えればいいかもしれない。その面白さにどっぷり漬かっている人々からすれば、それの有無は死活問題なのだ。面白さが制限されるかもしれないという話が出た途端、大反発が起きているのはそういう、感情的なものが原因と考えられる。

白ローブの少女の『人間の繁殖基盤』という言い方は、価値観的に受け入れられない者もいるかもしれないが。

 

神族(かみぞく)というのは、見た目の年齢などの容姿を自在に変えることができる。男の姿を取っていたり、女の姿を取っていたりするのは、人間だった頃の名残に過ぎん」

 

兎耳黒髪ロリが説明する。

 

「ただしその分、精神性によっては容易に自分を見失うという、難儀な性質も持ち合わせている。それは若い神族(かみぞく)には特に顕著だと聞いたことがある。それを防ぐためにも、人間だった頃の姿を基本形にしている神族(かみぞく)は多いらしい」

神族(かみぞく)には『200歳の壁』というのがありまして、200歳付近を境に精神性が大きく変わり、人間とは大きく異なった価値観を持つようになるとのことです。名誉や権力に背を向けて、気に入らなければ即座に殺すなどという、直情的な行動をとるようになるのも、200歳以上の神族(かみぞく)の特徴です」

「その『200歳の壁』を越えるのに、神族(かみぞく)によっては人間に交じって生活することが必要になるという話だ。詳しいことは知らんがな」

「200歳以降は芸人などと同じ、多種多様な娯楽をもたらす存在、退屈しのぎができる存在として、ヒトという存在を重宝するようになるのです」

「長く生きてると、退屈が一番の敵だって言うもんな」

 

人類は神族(かみぞく)に搾取されるだけの存在。そんな夢も希望もない世界ではないのは、他ならぬ神族(かみぞく)が人間を必要とするからである。

 

「だからこそ、その数を著しく減らすことを目的とした今回のような行動は、理屈が合わないのですよ」

 

白ローブの少女が言った。

 

「『竜騎士』レグロンは、血の気の多い部類の神族(かみぞく)なのですが、兵士以外には決して手を上げません。現在のハレリアの体制に批判的なのも、ハレリアに野蛮さを求めているからなのです」

 

ハレリア王国は、現代地球の先進国並みに徹底した法治国家である。

法律の数や内容に未成熟だったり大雑把だったりする部分はあるが、軍や警察機構である衛兵団も、貴族も役所も、法律に基いて運用されている。そして、ハレリア王族も、憲法に基いて行動しているのだ。それは見る者からは、人間を巨大な機械の歯車にしていると受け取られても仕方がないものではあった。

 

「そして、神族(かみぞく)でしたら、こんな回りくどいやり方をせずに、片端から焼き払えばいいのです。人がいなければそもそも宗教も何もありません。新教と旧教に分裂させたり、洗脳術統制などという真似をせずとも、もっと早く確実に、この状況に持ち込むことができたはずなのですよ」

「確かにそうだが、なんだ、わけがわからなくなってきたぞ?」

 

エヴェリアは形のいい眉をひそめる。

神族(かみぞく)にしか為し得ない所業と、神族(かみぞく)ならば絶対に選択しないやり方。見事に相反する要素が重なり合っていた。

 

神族(かみぞく)にできること、弱点を研究し、しかしその行動原理の研究は未熟。ついでに、星王教や『蛇王(へびおう)』が大嫌いで、協定禁術すら平気で使用する。

1つだけ、これらを満たせる勢力が存在します」

 

白ローブの少女はある名前を告げる。

 

「ナグアオカ教、ロマル大陸最南端、ナグルハ大半島の国々です。聖教国と交易しており、その支援者(パトロン)と目されている勢力ですね」

 

聖教国というのは、ベルベーズ大陸最南端にある、オートレス聖教国のことである。ジョンがルクソリスへやってきた際に巻き込まれたスパイ事件、それと『魔物』襲撃事件の首魁とされる国だ。

 

「先の『魔物』発生の件で、聖教国の首都トライアンフは壊滅的な打撃を受けています。

今は政治的な空白を野心家達が利用しようとしていまして、要するに権力闘争が始まっていたりします。その関係で、教皇殺害とトライアンフ襲撃の下手人は、別人にデッチ上げられているようですね」

「現場は見ていないが、有力な神族(かみぞく)が行ったことは明らかだろう?

800年前のマルミウス王国滅亡でも、係わった者はすべて全身の血を苦しむように搾り尽くされていたという。協定禁術が係わった時の神族(かみぞく)の対応は分かりやすく苛烈だし、『罰』であることを強調するのが虐殺の目的のはずだ」

「その強烈なメッセージが分かる人ばかりではないということですよ。

残念ですが、人は正の可能性と同時に、負の可能性も同じ程度持ち合わせているのです。少し偏執的に思考誘導してやるだけで、後は破滅への道をひた走るなどという人も、決して珍しくはありません」

「思考誘導……!」

 

エヴェリアは愕然としていた。

 

「洗脳術の中でも、操った本人にそう思わせずに操るという、高度なものです。マクミラン家で医療用に研究されていまして、不眠や幻覚症など精神疾患の患者に対して、洗脳術の拒絶反応を抑える目的でそういった技術が利用されているそうです。

完全に本人に気付かれず、ということになりますと、神族(かみぞく)でなければ不可能と言われていますね」

 

白ローブの少女が説明した通り、思考誘導というのは洗脳術のテクニックの1つである。外科手術で言えば、洗脳術は開腹手術のようなもので、失敗すれば人格を破綻させてしまうことがある。

それに対し、そういったリスクを抑えようとして研究されているのが思考誘導だ。同じく外科手術に例えて言えば、腹腔鏡(ふくくうきょう)手術である。

肉体と精神という違いはあるものの、かかる負担は大きく異なる。

 

「火のない所に煙を立てて、延焼を防ぐための家の解体を他人にやらせるってか……」

 

ジョンは吐き捨てた。

 

「なあ、ハレリアって神族(かみぞく)と契約してるんだろ?そんだけえげつねえ真似してきやがるんなら――」

「ハレリア首脳部も馬鹿ではありませんよ。『大親征』を発令し、100万の戦闘員を撃滅する算段を立てています。その奥から、敵の神族(かみぞく)を引っ張り出すために」

 

白ローブの巨乳少女は口元を歪め、笑みを浮かべる。この絶望的な状況の中で、浮かぶのは笑みだった。

 

「敵側の神族(かみぞく)を引っ張り出すことができれば、私達の勝ちです」

「どういうことだ?」

 

黒髪少女は怪訝な顔をする。

 

「簡単なことですよ。おそらく出てくるとすれば、神族協定の中の、戦争参加規定を破るに違いないからです。

『事前にどの陣営でどういう戦いをするのか、加えて参戦理由を伝え、1日以上の逃亡猶予期間を与えること』。

ベルベーズ大陸から星王教徒を駆逐するためなんて、馬鹿正直に伝えてくるわけがないのです。ベルベーズ大陸中の神族(かみぞく)を敵に回してしまいますからね。その後は神族(かみぞく)同士のお話です。

下手をしますと、ナグアオカ教圏にまで責任問題が波及するかもしれません。

そうなれば、後の私達のお仕事は後始末だけとなります」

 

この世界は、超越者『神族(かみぞく)』が実在する『魔法の大地(マグニスノア)』である。一方的な物の見方を力で押し通そうとすれば、相応の代償を支払わされることになるのだ。

 

今回、ハレリア王国はこのルールを利用する。

 

 



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ハレリア大戦

イーザン平原北部イーズリー城塞に集結したブロンバルド洗脳軍団100万は、進軍中に奴隷の餓死者を多数出しながら、ハレリア王国領へ侵攻を開始。

戦闘員100万という未曽有の大軍に対し、ハレリア王国は『大親征』を発令してハレリア王族を戦闘に動員、2万5千の無勢を、かつてガランドー王国と国境を引いていたサラト川の対岸に簡易要塞を築き、そこに立て篭もった。

同時にエルバリア王国より5万の傭兵達が、国境線のログラン峠を越え、ホワーレン王国西部の山岳地帯へ侵入。こちらはマリーヤード傭兵500と、ホワーレン傭兵団4千――かつてのホワーレン正規兵の末裔――が罠を張って迎え撃つ。

 

後に『ハレリア大戦』と呼ばれる戦争が勃発した。

 

 

 

「ほっほぅ、壮観じゃな」

 

物見櫓から、どこか嬉しそうに平原を埋め尽くす敵陣を眺めるのは、小柄な老騎士。

ハレリア王国軍元帥、ヴェグナ・テュール・マディカン公爵。

ハレリア王国の『軍』を司る家の当主であり、『鬼謀』の二つ名を持った軍略の怪物である。

 

「勝てそうかね、御老公?」

 

隣に立つのは、短い金髪に口ヒゲの美中年。

ハレリア王国宰相、カメイル・ロキ・ハーリア公爵。

ハレリア王国の『政』を司る家の当主であり、『神算』の二つ名を持つ知略の怪物。

 

この2人、いや、ハーリアとマディカンの2家をして、人は『ハレリアの双巨頭』と呼んだ。

 

この2つの家が足並みを揃えて戦うなどというのは、とても珍しいことだった。内政と軍事というのは、お互いに反目するべきものだからである。内政を行うには人手が必要で、軍事行動が行われると少なからず内政がダメージを受ける。そのため、ハレリアでは兵士の数をそれほど揃えていないのだ。

ハレリア王国の人口、約6千万人に対して、正規兵は2万程度とかなり少ない。

 

通常、軍事技術に開きがあったり、他国の庇護があるような状況でもなければ、最低でも0.1%は確保しておくものである。例に挙げれば、現代日本で約1%程度、人口過多の中国が低くて0.3%、北朝鮮が高くて10%とされる。ちなみに、中世西洋においては平時に3~5%、民族存亡の危機の時くらいでなければ、10%以上などという数字は見られない。

 

ハレリアは後方支援を入れても0.05%である。これは、無資源でなおかつ大きな問題を抱えている国の数字だった。例えば、放っておけば自然災害で国が滅んでしまう、侵略すると逆にデメリットがあるなど。間違っても大国の数字ではない。

さらに、通常は数合わせのために義勇軍や民兵団を連れてくるものなのだが、ハレリアではそれをしていない。そのため、彼我の兵力差は実に50倍となっていた。

 

「このくらいの兵数差でなければ勝負にもならんじゃろう」

「ま、『大親征』を発令した以上はそうでなくては困るがね」

 

2人とも、このとてつもない兵力差に、しかし負けなど微塵も考えていない。

 

「我々の予想通りならば、むしろ戦後が本番じゃ。そちらの準備はどうじゃな?」

「もし抜かりがあるとすれば、追加(・・)が来ていた時に備えることができんところだね。判明してから18日、さすがにそちらに対しては時間がなかった。諸国や神族(かみぞく)達に、注意喚起の文書を送ったに過ぎんよ。

馬鹿でなければ、怪しい人物を監視するくらいのことはするだろうが……」

 

敵側の手口、つまり思考誘導などの洗脳術についての警告である。

『思考誘導』は洗脳術の高等テクニックなのだが、催眠術に似ていて、相手がそれを警戒しているとほとんど効果を発揮しないという弱点があった。そのため、言葉巧みに相手を信用させる話術がセットとなるのが基本形だ。

 

「ただ読めんところがあるのが、例の少年だよ」

「うむ、さすがに異世界の情報となると完全ではないのう」

「我々とは異なる思考回路というのが、これほど厄介だったとは思わなかった。オートレスやケルススに対応したという祖先の苦労を味わおうとはね」

「あれはあれで中々面白い坊主じゃがのう」

 

小柄な老騎士はにやりと笑みを浮かべる。

 

「娘の話によると例の新型弩砲は、異世界の技術を無理矢理弩砲の形に押し込めたものだという。言葉を一つ間違えれば、異世界の兵器が出てきてもおかしくはなかった。

彼が製造業専門の技術者で良かったよ。生産設備を作るのならば、まだ我々で対応できんこともない」

 

中年宰相は苦笑で返した。

後継者に対し、異世界転生者の扱いに特段の注意をと忠告したほどである。内政を司る者としては、今回のような外敵よりも、異世界転生者の暴走の方が恐ろしく、神経を使うものだったのだ。

 

なにしろ、宗教的には聖人である。

それが15、6歳で、マグニスノアの常識に染まり切らぬまま、異世界の技術力を抱え込んでいるのだ。あの少年が現状の扱いに不満を抱かないか、気が気でない。

もしもハレリア内域の扱いに不満を持ち、もしくはハレリアという国そのものに見切りをつけたりすれば、その技術が準備もなしに一気に全世界に広がってしまうことになる。

そうなれば、どれほどの混乱と戦乱を呼び起こすか、見当もつかない。

 

ナグアオカ教圏の連中の手に渡った時のことなど、考えたくもない。

彼らならば、喜々としてあの少年を洗脳し、その技術を引き出すだけ引き出して、さらに自分達に都合の良いように人格や記憶を改造して送り込んでくるだろう。星王教に語られる聖人となるであろう人物が、星王教そのものに致命的な亀裂を入れるために暗躍する危険があるのだ。そんなことになれば、間違いなく代償を払って神族(かみぞく)に動いてもらうことになる。

それ以外に解決策がないからである。

下手をすると殺害することになってしまうその結末が、どれほどの人々に理解されるだろうか?

星王教は巨大な火種を抱えることになってしまう。それは、悪意100%で作られたフェジョ新教の比ではない。

 

他にも様々な最悪のケースが頭をちらつく中、ハーリア公爵は異世界転生者を娘に託した。

ハレリア王族では珍しく、公爵の実の娘である。ハーリア公爵家の後継者とは別に、ハレリア宰相と同じくらい重要な仕事を任せることにしたのだ。

それとは別に、逃亡対策として兵を配置することも忘れず。

 

「もう少し肩の力を抜けい」

 

そんな心配をする中年紳士に、老騎士が笑みを見せた。

 

「エムートの兵を信用せぬか。

ブロンバルドとエルバリアの奴隷を逃がすために整備した拠点じゃ。あそこには、新教の悪評しかない。その評判を聞いてハレリアへ来たのじゃろう?」

「あそこの管轄は宰相府ではないのだがね……。ここは御老公に責任を押し付ける方向で考えましょうぞ」

「それでこそじゃ」

 

中年紳士が浮かべた意地の悪そうな笑みに、老騎士は満足そうにうなずいた。

 

 

 

その日の午後、まだ日の高い青空の下。

幅20メートル前後のサラト川の片岸に築かれた丸太の長城の、櫓の上から一本の矢が発射された。それは魔法の限界射程198馬身の外側を偵察していた騎兵の胸を貫き、即死させる。

 

平原で約396メートル。目の良い者ならばどうにか見える距離だ。

偵察では、あまり近付くと星王術で撃たれるが、距離150馬身300メートル程度ならば、魔法でも撃たれたのを見て避ける程度のことができる距離だった。

星王術、単唱器は、言ってしまえば射程距離の長い弓同然なのである。弓矢の射程距離は、ロングボウでも最大で100メートルあるかないか。だが、肝心の命中率はそれほどではなかった。弓兵を多く並べ、数撃って弾幕を張るのが正しい用法だ。

一部の英雄譚のように、長い距離の標的へ一撃で当てるというのは、まず不可能である。相当に練習しても、30メートル先の人間の急所に当てることすら容易ではない。

 

限界射程を越えた射撃を成功させたのは、白銀の鎧を着た金髪の女性。

弓の名手で、星王術を併用して限界射程以上の射撃を可能とした技を持っている。使用したのは金属製の弩砲だが。

 

「この距離を一発で当てるとは……」

「中々難しい子よ。力が強過ぎて、シビアにセットしないとまっすぐ飛ばないし、限界射程以上の風を読むのは慣れないと厳しい」

 

女性騎士は話す。

 

「これが当代の『鳶目』か。素晴らしい腕前だな」

 

アゴヒゲの小柄な騎士が称えた。

 

「私より、こんな怪物を作った職人を褒めるべきね。『風穴通し』の技も、所詮道具の力を引き出すことしかできないのだから」

「その道具の力を引き出すのも、そう簡単なことではない。この新型弩砲もそうだし、弓や槍もそうだ。(きわ)めるほどに奥深い」

「ハレリア随一の槍の使い手だからこそわかる境地ってやつ?」

「君はハレリア随一の弓の使い手だ」

 

女性の皮肉に、ウェスターは真顔で返す。

 

「私は、槍の使い手になりたかったんだけどね……」

 

彼女の呟きは、そよ風に流れて消える。

 

ハレリアは、実力主義社会である。実力を示せば示した分の役割が与えられる。それは、必ずしも本人の希望通りとはいかないこともあるということだった。

 

貴族の子は、地盤や地元についての地理、知識や知恵という利点がある。だが、必ずしも貴族になれるわけではない。それらは役人の子ならば普通に持っているものだからだ。

並み居るライバルから抜きん出た実力を示してこそ、貴族という高みに達することができる。それには、才能だけでは不足だった。

 

彼女、ハリスティナ・アリアは、高い射撃の才能を持っていた。勝ち気で槍の腕も本物。ただ、槍よりも射撃の才能の方が上回っていたのだ。だから、単唱器も『横旋風(ゼピュロス)』を与えられた。渦のような強い風を吹かせて、矢をより遠くへ運ぶ星王術である。

 

空を飛ぶ(とび)の目を射抜くと謳われたアリア家でも、随一の腕前を誇った。だから、槍の達人というよりも、弓の達人として見られることの方が多いのだ。

彼女自身は、それに劣等感を持っていたのだが。

 

「この新型弩砲の噂を知っているか?」

「誰が作ったのか、誰も教えてくれないわね」

「転生者が作ったのだという噂がある」

「それは――!」

 

ハリスティナは言葉を失う。知らない者からすれば、眉唾物でしかない。

だが、『風神』騎士団団長ロバート・ウェスターの表情は真剣そのものだった。

 

「――そう考えれば、辻褄も合うし、重要なものを任されていると思えるだろう?」

「……ウェスター卿は、嘘が下手ね」

「……」

 

黙り込む。図星だった。

武術のみに半生を捧げ、他のことはおろそかになっているとも言われる、ハレリア騎士によくいる武術馬鹿の代表格だ。最早からかわれ過ぎて慣れてしまったが。

 

「ま、ウェスター卿の槍の腕は次元が違うものね。弓の家に生まれた少女を魅了するほどの槍捌き、また見せてもらえるかしら?」

「私は常に本気だよ」

「ふふふ、楽しみね」

 

2人の怪物は微笑み合った。

 

ハレリア大戦の緒戦はイーザン平野にて始まった。

広大で肥沃な草原地帯で、かつてはカランドー王国と南北に二分していた、巨大な穀倉地帯である。ガランドー王国が滅んだ170年ほど前からこちら、十数年に一度大規模な侵攻が行われており、その影響で付近にあった農村は大半が引き払われてしまっていた。

ここでの戦いは『第7次イーザン戦役』、あるいは『イーザン全滅戦』と呼ばれることになる。

ハレリアという国がどれほどの底力を有するのか、それが世に知らしめられた戦いとも言われた。

 

 



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イーザン戦役

第7次イーザン戦役。

戦闘はブロンバルド王国軍奴隷兵の総攻撃から始まった。サラト川の対岸にある長城へ向けて、50万に上る奴隷兵が次々と狭い川に飛び込んで、渡河を開始する。

 

4ヶ月ほどで構築された、木製の丸太を立てた簡易長城は、随所に隙間があった。これは神族(かみぞく)との契約によって領土を拡大できないハレリアが独自に開発した防御陣地で、あからさまな隙間には仕掛けが施してある。それは本来、敵の突入に合わせて持続性及び殺傷力の高い儀式魔法を使用するものだが、今回は洗脳術の上書きを行う儀式を発動させる。

 

本来、神族(かみぞく)の操る精霊力で行使される魔法に対して、人間が扱える程度の魔法では干渉できないのだが、今回は熟練度や範囲や人数が桁違いで効力が弱まっており、専用の儀式を組めば洗脳術の上書きも通用するという見込みがあった。

 

「こっちだ!動きを止めるな!食料と水を受け取ったら、そのまま先へ進め!武器はそのまま持って行け!」

 

洗脳を上書きされた奴隷兵達は、ハレリア兵の指示に従い、ここまでの行軍でろくに与えられていなかった食料と水を与えられ、さらに後方に設営されたテントにて寝かされ、その後に洗脳を解かれることになる。その戦闘以外、炊き出しや奴隷の誘導などの任務を担うのは、80万の後方支援部隊、及び衛兵団。

 

開戦の18日前に敵奴隷兵の数の情報を得ていたハレリア宰相府は、100万人が3日食べられるだけの食糧を集めてあり、今回の奴隷兵救出作戦を準備していた。ただし、集まった食糧は、奴隷兵すべてを賄うにはギリギリの数字である。

また、操る正規兵や奴隷兵の数が少なくなった分、洗脳術の強度を挙げてくることが考えられるため、これで救える奴隷兵の数は、精々20万人程度だろうと試算されていた。実際、異変に気付いた敵軍が兵を退かせており、今日戦闘に参加した50万すべてを救出とはいかなかった。

 

「なんとか上手くいってくれたか」

「川で溺れた者もいたようだが、この濁流の中では助けには行けぬ」

「諦めるしかないのう」

 

どれほど反則的な才能があろうとも、できないものはできない。

圧倒的な数を誇る敵の奴隷兵を、すべて漏らさず救い上げることなど、土台不可能なのだ。

今回の策も、過去に誰も試したことがないもので、対神族(かみぞく)用に開発された戦術の応用であり、料理の器や水筒、鍋などが足りなくなって即席で作ったり使い回したりと、様々な問題が発覚し対応を迫られていた。

 

幕僚達の報告を聞いた限りでは、この日だけで10万近い奴隷兵の救出に成功しているようだ。

ハレリア軍2万5千の戦闘員の出番はまだ先である。

 

第7次イーザン戦役初日。

ハレリア軍、負傷者2名(転倒)、死者0名。

ブロンバルド軍、負傷者3023名(転倒)、死者381名(転倒に伴う圧死、水死)、洗脳上書きによる無力化9万7210名。

 

 

 

ブロンバルド王国軍陣地、総大将天幕。

 

「くそっ!」

 

若い銀髪の青年は悪態を吐いた。

たった一度の合戦で、事実上10万の兵を失ったのである。相手は後方支援を合わせても、ブロンバルド軍の戦闘員にも足りない数。そう思い油断していた結果がこのザマだ。あるいは、神族(かみぞく)に等しい力に自惚れていたか。

 

だが、今回のハレリア攻めを任されただけのことはある人物だ。まだ彼は冷静さを失ってはいなかった。

 

「奴隷兵の洗脳術を上書きして、そっくりそのまま持って行くとは……」

 

この蝋燭の光の揺れる天幕には、数名の伝令兵の他は誰もいない。その伝令兵も、目が虚ろで表情が抜け落ちていた。

幕僚や軍師、術士長など、建策を助ける人間の姿はない。『天使』である彼には必要ないのだ。人間を超越し、不老不死となり、知能も飛躍的に高められた人間。ただの人間の意見などは、雑音にしかならない。

 

「まさか、我々の目的を読まれている……?」

 

考えたくないことだったが、ここまで綺麗に奴隷兵を救出、保護するように待ち構えられていると、それを疑わざるを得ない。そうなると、当初考えていた、大勢の術士に『憑魔の儀(ひょうまのぎ)』を使用させて逃げる作戦は、自分や自分を派遣した者にまで累を及ぼすことになってしまうのだ。

あれはオートレス聖教国では背後を悟らせないように、洗脳に気付かせなかったからこそ行うことができた部分がある。

 

彼らの背後にいるナグアオカ教は、神族(かみぞく)に対して様々な対抗策を練ってきた宗教だ。神族(かみぞく)が何を嫌うのか、そして何をどこまでできるのか、研究し尽くしている。

 

神族(かみぞく)傀儡(かいらい)に甘んじる蛮族などに、この俺が劣るわけがない……。

そうだ。奴隷兵の流れに乗せて、騎兵を突撃させればいい。奴らが奴隷兵を救おうとすれば、騎兵の突撃には対応できん」

 

青年は自分の中の違和感に気付かずに暗く笑った。

 

 

 

翌日。

奴隷兵の濁流に紛れて、騎兵が簡易長城の繋ぎ目を攻めた。味方の奴隷兵を蹴り殺しながら、騎兵は長城の繋ぎ目を抜けようと馬を走らせ、長大な壁に迫る。

 

が、サラト川に入って足が鈍ったところを、騎手が弩砲によって射抜かれた。多少の弓矢ならば跳ね返すほどの鎧を着込んでいたのだが、弩砲の威力の前にその程度の防御力は紙切れ同然である。

味方の奴隷を踏み殺しながらの騎兵の突撃は、それでも幾らかは長城の内側に入り込んだ。

 

しかし、彼らがハレリア兵に損害を与えることはなかった。

白いマントを翻す『風神』ロバート・ウェスター率いる『風』系の術を操る騎士団が、『風』の力で奴隷の頭を飛び越え、敵の馬を足場に敵騎兵を倒したからだ。浮遊や飛行まではいかないが、跳躍力を補助する程度のことは低級単唱器でも可能なのである。

 

その際は突き殺すと肉に槍を取られかねないため、蹴り落としたり槍で殴ったり斬ったりするのが注意点だ。攻撃しているのは身軽な人間のため、槍の扱いを誤ると自分も奴隷兵の濁流の中に落ちかねないのである。

 

「むっ――!?」「うわっ!?」「馬がっ!?」

 

ところが、今度は主を失った馬が暴れ出す。

敵は馬に洗脳術を仕込んでおき、馬上の兵士を殺させて、馬の方を暴れさせる2段構えだったのである。このために洗脳術を上書きされないように強化もしてあった。

 

草食動物の中ではキリンや象に次ぐ大きさを誇る陸上動物が馬である。

それが人の意思によって操られ、人間に殺意を向けてくるのだ。生半可な兵士では対抗もできない。術を使用できる騎士ならばなんとかと言ったところだ。

 

「近衛及び義勇兵前へ!」

 

ここでハレリア側は、とっさの判断で王族部隊が前に出て、兵士の損耗を食い止めるという行動に出た。義勇兵というのは王族部隊のことで、知らない兵士達に混乱が起きないように、呼び名や格好に配慮がなされている。

 

洗脳術の解除ができないほど強く洗脳されていては、この急場では殺してしまうしかない、という判断でもあった。

神族(かみぞく)でなければ助けることができず、しかもその神族(かみぞく)がこの場にはいない。いたとしても、わざわざそのために神族(かみぞく)が動くかどうかは未知数である。そしてそのために無理をして味方に損害を出していては、何をしているのか分からなくなる。

 

ウェスターは命令を聞いて部下に呼びかけつつ、暴れる馬の脳天を貫きながら、自分も後退する。

高級器を持つ彼1人なら戦えなくはないが、身軽な『風神』騎士団では馬の相手は少々厳しい。

 

「ぬぅんっ!」

 

デンゲルは槍を振って馬の眉間に槍を振り下ろして、絶命させた。人間の都合で殺さなければならないために、せめて痛みを感じる間もなく一瞬で殺そうというのだ。

通常は馬の正面に立つと身体の大きさから馬の勢いに負けてしまうのだが、彼には関係なかった。そのまま突っ込んでくる馬の巨体を肘でいなし、横倒しにしてしまう。その後から向かってくる次の馬に、迅速に対応するために。同様に、各所に配置された近衛騎士や王族が、洗脳馬への対処を行う。

 

絶命した馬は、当然そのまま起き上がることはない。洗脳術とは、所詮は人間や動物の脳機能を利用したものだからだ。だからこそ手軽で、恐るべき術なのである。もっとも、それゆえに思考停止的な突撃が行われており、奴隷兵の余計な損耗も招いていた。

 

第7次イーザン戦役2日目。

ハレリア軍、負傷者8名(骨折、他軽傷)、死者0名。

ブロンバルド軍、負傷者3万2532名(転倒、騎兵との接触)、死者1万1234名(転倒に伴う圧死、水死、騎兵突撃による轢死、戦死)、洗脳上書きによる無力化6万4564名、戦闘外死者8923名(餓死)。

 

 

 

同日、ブロンバルド王国軍、総大将天幕。

表情のない伝令兵達が立ち尽くす、異様な光景の中。

 

「弩砲……弩砲だと……?」

 

銀髪の男が顔に手を当てて、苛立ちを募らせていた。

ハレリア軍が随所に建てられた櫓に弩砲を設置しているのは知っていた。未だに非魔法兵器などを使用していると(さげす)みを込めて、要するに軽視していたのだが。それに見事にしてやられてしまった。

 

馬の洗脳に気付かれた時点で、弩砲は狙いを馬に切り替えたのである。

多少の弓矢ならば洗脳で恐怖を取り除けばものともしない馬だが、弩砲によって撃ち出されてくる大型の矢『ボルト』を直撃されると、さすがに致命傷を受けるのだ。弩砲など、さほど重要視されないために訓練がおろそかになっているケースも多いのだが、ハレリア兵はきっちりと訓練してきていた。

 

騎兵の突撃は、敵に疲労、あるいは損耗を強いるのが狙いだったのに、2日目が終わってもハレリア軍に損害を出すことができないでいる。毎日、敵軍の20倍以上の兵力で、弱点を集中攻撃しているにもかかわらず、である。しかも、ハレリア軍は未だに洗脳上書きの儀式魔法以外に、大規模な儀式魔法を使用していない。

こうまで作戦が不発に終わると、さすがに自信がなくなってくる。

 

「俺自身が出るか……?いや、ダメだダメだ!」

 

そう考えたとたんに強い忌避感が働き、頭を振って額に手を当てた。

その急激な動きによって空気が動き、蝋燭の火が揺れる。

 

「だが、これ以上は無理矢理壁を越えさせる力攻め以外にない……。クソッ、結局正攻法しか選べんとは……!」

 

悪態を吐き、自分の不甲斐なさに銀髪の男は歯噛みするしかない。

 

 

 

だが、彼は3日目になって愕然とする。

奴隷兵の半数ほどが、ほとんど働かなくなったのである。

立って歩く、走る、といった基本的な動作は可能だが、転倒の発生率がそれまでよりも桁違いに高い。倒れたまま、動かなくなる者も相当数に上っている。

 

「クソッ、動け、動けってんだよ!このポンコツどもが!」

 

既に餓死者も相当数に上っていたことからも分かる通り、原因は栄養不足である。イーズリー砦への集結までも、最低限の食事と水で行軍させられてきたのだ。開戦時点でまともな戦力に数えることもできないほど、彼らは疲弊していた。それを洗脳術で無理矢理動かしてきたのが、ここへきて限界を迎えていたのである。

 

働くことができないならまだしも、中には病人もいた。満足に治療されない環境、栄養の偏りによって発生しているのは、2種類の病気だ。

1つは免疫力低下によるウィルス性疾患。

もう1つは、栄養失調。

 

ウィルス性疾患の恐ろしさは改めて語るまでもないだろう。

中世西洋にて黒死病(ペスト)は猛威を振い、何百万もの死者を出したと言われている。原因はネズミと言われ、童話『ハーメルンの笛吹き』がその惨状を示したものとする説がある。最後に子供を連れ去ったという話が、実は黒死病(ペスト)によって子供が皆死んでしまったことの隠喩だというのだ。

当時西洋で流行った言葉『死を想え(メメント・モリ)』も、あまりにも有り触れ過ぎていた死というものを恐れてのことだとされる。

 

マグニスノアにおいては、治癒術によって大半の病気や怪我を治療できるとはいえ、体力の回復に関しては休ませる以上の効率を発揮することができないため、重病人が治癒術で回復したからといって、すぐに動けるようになるということはない。

つまり、マグニスノアの魔法にも限界があるのだ。

 

もう1つの栄養失調は、中世では原因不明の死病とされていた。有名どころでは脚気と、壊血病。

 

脚気はビタミンB、壊血病はビタミンCの欠乏が原因とされる。栄養学、微粒子の存在も認知されていなかった時代、人々は栄養失調の原因を突き止めることができなかった。新鮮な野菜が不足しがちな大都市にて流行することが多く、日本では『江戸病』、あるいは『船乗り病』という名前で恐れられていたそうだ。

 

マグニスノアでは、ウィルス性の疾患は魔法で治療可能である。ゆえに、感染症は滅多に流行しない。『天使』の力を持ってすれば、たとえ数十万人であろうと完治させることは可能だった。

だが、体力の消耗や栄養失調の方はどうにもならない。科学が未発達なこの世界では、ただの栄養不足による症状も、満足に原因を突き止めることができないのである。

そして、魔法でどうにかならないことに関しては、神族(かみぞく)や銀髪の男のような『天使』では無力だったのだ。

 

3日目は奴隷兵を無理矢理動かすも、それまでの勢いは確実に落ちており、ハレリア軍の長城に辿り着く前に倒れる人数の方が多かった。前日の反省を踏まえ、洗脳馬だけを突撃させるも、弩砲で馬の方が狙われ、損害を出すこともできない。

 

「チッ」

 

銀髪の男は舌打ちする。

 

一見隙だらけに思えるハレリア軍の簡易長城。しかしそれは、50倍の戦力を相手にしても小揺るぎもしないほどの堅牢さで、ブロンバルド洗脳軍団を阻んだ。しかも、時間をかければかけるほど、危機的状況に陥るのは数の多いブロンバルド側である。

 

奴隷兵の餓死上等で無理矢理行軍させてきたツケか、残り70万以上の奴隷兵が、ここへきてほとんど使い物にならなくなってしまっていた。

かといって、正規兵は精々3万程度しかいない。長くブロンバルドを洗脳支配してきたために、正規兵すら思考能力をほとんど持っていない。それでも最低限言葉を話せればどうにかなるため、適当に教育させて使ってきたのだ。

はっきり言って、ブロンバルド兵は弱い。洗脳術による統制によって敵国住民を呑み込むことをしなければ、ハレリア王国どころか小国の寡兵にすら負けかねない。

自業自得の部分が大きかったのだが、最早彼自らが先頭に立つ以外に、敵に損害を与えることすら満足にできそうになかった。さらに、ベルベーズ大陸に火種と共に星王教徒駆逐の芽を植え付けるという目的も、これでは中途半端に終わってしまうかもしれない。

 

彼は、自分が戦術で完敗するという耐えがたい事実を、受け入れようとする。しかし、そのたびに強い忌避感が邪魔をするということに、ついに気付くことができずにいた。

 

 




ジョン少年観察記録中間報告、その4。

ジョン少年が開発し、製作した弩砲が随所で活躍を見せている。
しかし、実は射撃兵器としては非効率なものだ。

ピアノ線を弦とし、それを張るためにマンガンクロム鋼の発条を左右合計6つ用いたものとなっている。
矢は全鋼鉄製で、流体力学によって大雑把に計算された、先がやや膨らんだ特殊なものが用意された。

最大射程:581メートル(射角45度)
発射間隔:約1分20秒
本体重量:58kg(高速射撃装置、固定台含むと118kg)
最大射出重量:28kg

だが、21世紀初頭の地球の科学技術を弩砲の形にしたものとするには、ハレリアの技術が追い付いていないと言わざるを得ない。
やはり半年程度の準備期間では、現地の技術に合わせた加工技術の制約があったようだ。



ちなみに、彼は選択しなかったようだが、この時点で銃火器を開発するということもできた。おそらくジョン少年の知識を総動員すれば、半年で数丁の火縄銃を製造することはできたと考えられる。
銃弾の形状を工夫すれば、400メートル程度の有効射程を得ることもできただろう。
当然、兵器としての取り回しは、こちらの方が断然上である。

おそらく、彼はこの世界に与える影響、魔法文明を破壊することを懸念して、銃火器の開発を避けたと考えられる。
無軌道に火薬兵器が世に放たれていた場合、私はこの地の管理者にその危険性を通告する必要があった。
その理由については、まだ語るべきではない。



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ログラン峠

ハレリア大戦、ログラン峠。

山間の狭い道で、エルバリア王国の傭兵軍団5万と、マリーヤード傭兵500とホワーレン傭兵4千の連合軍が激突する。

そこに参加していたのは、ゴメス・ゴードン子爵率いる200名のハレリア工作兵部隊。

総大将はホワーレン国王、ジャッカル・ホズ・ルブレム1世。28歳、属国の王ながら軍略を含めた多方面に才能を発揮する若き実力者である。自分の代におけるホワーレン王国自立達成を目指し、精力的に動いていた。

 

「……卑怯という気がせんでもないが……。この兵力差を覆すには、そのくらいのことはせねばならんか……」

 

雄ライオンの(たてがみ)のような目立つ髪形の赤毛男性は、ゴードンが提案した戦術に舌を巻く。

 

「『不戦』の不名誉に陛下を巻き込むことになってしまいますが、どうぞご了承下さい」

 

糸のような目つきをした赤毛の青年ゴードンは、軍議のために集まったメンバーに、深々と頭を下げた。総大将のジャッカル王とは同い年で、北方国境警備兵団長という、軍の要職に就いている若き実力者だ。

二つ名は『不戦』。彼が参加すると、戦闘が極端に少なくなることから付けられた。

 

彼が率いるのは、たった200名の工作兵部隊。出身地の名を取って『メドッソ隊』と呼ばれる、元々衛兵団だった兵士達だ。戦争の経験もほとんどない田舎者ばかりで、戦闘力もはっきり言って低い。そのため、戦闘を行わない精鋭部隊という、不名誉な蔑みを込めて『不戦』という二つ名でゴードン共々呼ばれることが多かった。

だが、これまで6度もブロンバルドの洗脳軍団を退けてきた北方国境警備兵団の中に、蔑視の目で彼らを見る者は誰もいない。それは、たった2千名の国境警備兵団で、時には10倍もの敵兵を退けてきたという実績があるからである。

 

伝説は10年前、第5次イーザン戦役に始まる。

当時のブロンバルド軍は、5千の兵を別動隊として、イーザン平原に点在するハレリアの砦を迂回させ、後方に進撃させようとしていた。

目標は砦が建設中で防御も手薄なメドッソ村。戦略的にそれほど重要ではなかった土地のため、不意を突かれた形となる。

 

その時のメドッソ村には、戦力と呼べる戦力は砦建設の指揮官でハレリア王国軍から、技術士官として派遣されてきた騎士のゴードンが1人で、他は治癒術士2名とメドッソ村の衛兵団が300名のみ。

メドッソ村は林業の盛んな大きな村で、衛兵団も害獣狩りには罠を使い、山賊が出ないことから対人戦の腕もほとんど磨いていなかった。実質の戦力はほぼゴードン1人と言ってもいい状況だったのだ。相手がどんな弱兵でも、数に差があり過ぎるため、まともにぶつかって勝てる見込みはない。

 

だから、ゴードンは敵兵の進軍を徹底的に遅らせる遅延戦術を採ることにした。

ありったけの資材を集め、敵軍5千の進路に無数の罠を張ったのである。この作戦によって戦場で役立たずのメドッソ衛兵団は超精鋭へと変貌した。先にも述べた通り、彼らは害獣を相手に数多の実戦を経験してきた、罠のエキスパートだったのである。

 

敵の司令官のテントが設営されそうな場所には、決まって発見されにくい落とし穴や、テントを引っ繰り返す吊り縄などの罠が仕掛けられており、4千の兵を動かす司令塔をピンポイントで負傷させていった。神経をすり減らし、思考能力の低下した敵の司令官は、喚き散らして影も見えない罠師(イタズラ)集団を探させ、時間を浪費する。

 

実に10日。

敵軍迂回の報せを受けて王都ルクソリスより出陣した『雷神』騎士団が、足の速い100騎を到着させるには、十分な時間だった。そしてその先頭に『雷神』グレゴワール・デンゲルが駆け、疲労も限界に達しつつあった敵部隊は、たった一度の突撃で5千の部隊が総崩れとなり、敗走を余儀なくされたのである。

これは国内外で『雷神』の武勲として喧伝されることが多いのだが。

 

この件は、ゴードンがメドッソ隊の得意技を上手く扱い、彼らの土俵で働かせたのが勝因だとも言われている。

そして、それは彼とメドッソ隊が北方国境警備兵団に配属された後の第6次イーザン戦役にて、恐るべき戦果を挙げた。なんと、当時戦場では絶対の力を持つとされてきた騎士団や術士隊が、彼らの罠の前に手も足も出なかったのである。

どんな強大な魔法であっても、相手がいなければ無意味で、罠が発動した時にはどんな魔法も間に合うことがないのだ。それが即死に至るようなものであれば、大損害は免れない。

最も恐ろしいのは、そういった大規模な罠を、メドッソ隊は1昼夜で仕掛けてしまえることである。こと森林戦において、これほど頼りになる技術もない。

 

イーザン平野では2ヶ月前まで長城の建設をしていた彼らは、実際に戦闘が始まってしまうとやることがほとんどない。それに今回は『大親征』の発令も噂されていたため、あまり殺傷力の高い罠は仕掛けていないのである。どちらかというと、マディカン家で研究されていた、儀式魔法を使った待ち伏せ戦術に合わせたものとなった。

代わりにその本領を発揮することを許されたのが、西部のログラン峠というわけだ。

 

北方国境警備兵団の指揮は、元々大部分を副官に任せていたこともあり、ゴードン自身はあっさりと指揮権をマディカン元帥に返上、同様に厳しい兵力差のあるログラン峠へ、メドッソ隊を率いて向かった。

ホワーレン王国軍正規兵団との共同任務だ。

 

 

 

そんなゴードンが今回準備し提案したのは、やはり罠である。そしてその仕掛けと発動に、敵味方両軍が度肝を抜かれた。

 

「砦だと!?」

 

エルバリア傭兵軍団の団長が集まった軍議の場で、伝令兵がもたらした報告に動揺が広がる。

 

「要路ロアン街道を塞ぐ形で、一昼夜にして砦が出現しております!」

 

ロアン街道とは、国境のログラン峠からエルバリア側に続く街道のことである。

今彼らがいるのはログラン峠からホワーレン側に続くロガル街道だ。

 

「冗談ではない、あの街道は一本道だぞ!?」

「輜重部隊は!?どれだけこちら側にいる!」

「いや、大多数が抜けていたとしても、都市部へ攻め込むにはとても足りん」

「本国が落とすために兵を出してくれると思うか?」

「……」「……」「……」

 

青髪の屈強なエルバリア人傭兵達は、皆一様に顔をしかめた。

 

「皆、略奪部隊を経験してきたと思うが、エルバリア貴族は互いに牽制し合って、領地から兵を出そうとしたことはない。その代わりに金を使って俺達傭兵を前に出してるってわけだが……」

「ないな」「ああ」「あるわけがない」

 

エルバリア貴族は、見事に自国民の人望すらも失っていた。

 

「金払いだけはいいんだがな」

 

誰かが愚痴をこぼす。

 

「今回も、俺達はハレリア騎士団がイーザンに行ってるって聞いたから参加してんだ」

「特に、今回はホワーレン全部取れば、貴族様になれるっつってな」

「そうそう、実質ホワーレン全部山分けできるってことだ」

「傭兵の戦果は早い者勝ちってルールだ」

「で、誰が後ろの砦を落としに行く?」

「……」「……」「……」

 

場に沈黙が降りた。

皆、報告にあった砦が罠だと分かっているからだ。この辺の読みは、歴戦のベテラン傭兵達だからこそと言える。しかしそれゆえに、互いを牽制し合って身動きが取れなくなっていた。落としたところで戦果には数えられないことを、皆が経験してきているからである。

エルバリア貴族や王政府の人望のなさが、5万の大軍に亀裂を入れ始めていた。

 

「あんまやりたくねえが……それぞれの傭兵団から何人かずつ差し向けるか。ホワーレンは戦果に応じて山分けってのは変わらずだ。500も送れば事足りるだろう。傭兵団そのものの戦力を低下させないように、役立たずを中心に送ってやれ」

 

砦が罠で、ほとんど無人だと看破していたからこその提案、言ってしまえば次善策である。送った混成部隊の連携などは度外視だ。力攻めで問題無いからこその策である。

 

「それしかねえな」「しょうがねえ」「ああ、それで行こうぜ」

 

大多数が渋々とだが、全員が賛成の意を示した。

言いたいこともなくはないが、言っても意味がないということを、皆が知っているのだ。

 

 

 

谷底の街道を塞いでいた砦の撤去は予想外に難航した。

砦と見えていたのは表面のハリボテだけで、内側にはびっしりと空の樽や木箱が詰められていたのである。人間だけが通るならなんとかできなくはないが、瓦礫の山を越えるようなものだ。食糧を持ってなど、とても越えられない。

 

しかも、撤去が終わろうという時になって、同じ谷の別の場所にまた別の小砦(バリケード)が建設される。業を煮やして手っ取り早く燃やしたが、その間に輜重部隊が襲撃を受け、今度は奪われた食糧で小砦(バリケード)が築かれた。

燃やすと、香ばしい匂いでそれに気付く。

 

「なんだってんだ畜生!」

 

にわか結成された500の傭兵部隊は、いつまで経っても食糧を前線に届けることができないことにイライラを募らせ始めた。そして、前線でも食糧が不足し始める。

1千の余りもの傭兵が追加されるが、人を子馬鹿にしたような小砦(バリケード)の建設ラッシュが収まる気配がない。

 

さらに山狩りを行おうと山に入ると、至るところに罠が仕掛けられており、部隊の損耗を増やしていくのだ。

これでは兵士を見える範囲に一列に並べて進ませる、ローラー作戦もできない。

 

 

 

一方の前線では、敵の恐るべき狙いが発覚していた。

 

「村が全部引き払われて、畑も食糧も焼かれてやがる……」

 

中世西洋、傭兵や兵士を十全に働かせるのに、莫大な金銭が必要となった。というのも、大元である国が、十分な食糧を用意できなかったからである。ではどうしたのかというと、近隣の村や町で略奪を働いたのだ。

傭兵などは、そのために軍に参加することがほとんどだったという。要するに、人を働かせるために、食糧や女性、奴隷の略奪を基本とした現地調達が認められていたのである。

 

だが、それに対して最も効果的な戦術が登場した。

 

フランス皇帝ナポレオン・ボナパルト1世による、ロシア大遠征。その時にロシア軍を率いた将軍が仕掛けたのが、『焦土戦術』だ。つまり、敵に麦の一粒も与えなず、略奪を許さないのである。輸送で退避できない分は、自軍で焼くという徹底ぶりだった。食糧不足に陥ったフランス軍は、ロシアの寒さと食糧不足のために崩壊。

撤退を始めたところにロシア軍の逆襲を受け、壊滅した。

 

ゴードンが提案したのが、まさにその焦土戦術である。

後方から食糧が届かない状況で、現地調達ありきで行軍したため、エルバリア軍はかなり食料を消費してしまっていた。

 

「クソッ、姿を見せやがれ!臆病者!」

 

森へ向けて怒鳴り散らすも、返事はなく事態は解決しない。

 

「このままじゃ俺達は餓死しちまうぞ!」

「一度例の谷へ退くべきじゃねえのか?」

 

傭兵というのは、旗色が悪くなればさっさと逃げる。目的がほぼ略奪なので、命を危険に晒してまで勝つことは考えないのである。この状況で数の利を唱えようという者は1人もいなかった。

予想だにしなかった戦術によって、傭兵ならではの直感が警報を響かせ始めたのだ。

 

「そうだ、罠でもなんでも、全員で下手人をぶち殺して街道の安全を確保しなけりゃ、とても都市部を攻め落とせねえ」

「畜生め、なんで俺らが衛兵みてえなことしなきゃいけねえんだ……」

「ラドウ……!」

「わーってるよ!この先食糧が調達できる場所なんて、城砦でも落とさなきゃ手に入らねえ。俺達は全員で敵の罠に飛び込むしかねえんだ!」

 

先を見通せない不気味な静寂の中、彼の叫びがエルバリア軍5万の状況を如実に表していた。

 

敵はおろか、町や村の人々も、未だに姿を見せていない。

 

 



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ハレリア大戦開戦より8日後。

ジョンはルクソリス内域の星王神殿に寝泊まりしていた。要人保護という意味もあって、エヴェリアとカッセルも一緒だ。3人が星王神殿に保護されているのは、他の貴族や王族などと違って、確固たる後ろ盾が存在しないからである。

 

「ログラン峠のエルバリア軍5万は、退却を開始したようです。見せかけ(ハリボテ)小砦(バリケード)に焦土戦術という思い切った作戦で、一戦も交えずに退却させました。

諜報部からの情報では、再侵攻するだけの食糧がエルバリア本国では確保できないそうで。

これでエルバリア方面は心配なさそうですね。味方の損害はほぼゼロに終わりました」

 

戦況は、逐一白ローブの少女が教えに来た。

 

「ログラン峠の方は、10倍以上の兵力差があったと聞いていたが……」

 

猫耳カチューシャの黒髪少女はコメカミに指を当てて聞き返す。

 

「『不戦』ゴードン卿とメドッソ隊の力が大きかったそうです。北方国境警備兵団から、一時出向ということになっていたのですが……」

「『不戦』か……騎士を相手に手も足も出させなかったとかいう噂なら聞いたことがある。てっきり敵の士気を落とすためのプロパガンダだと思っていたが……」

「まあ、そういうこともやる人だというのは否定はしませんよ。その辺にまで頭が回るからこそ、彼は軍の所属でありながら爵位も持っている貴族なのですから」

 

白ローブの少女はフードの奥で苦笑して見せた。

 

「確かハレリアの貴族というのは、行政階級だったな。王族以外は血筋が無視されるという、信じられん法律があるとか」

「行政階級?」

 

黒髪ロリの言葉にジョンが尋ねる。

 

「軍では、緊急時に備えて階級がありまして。まあ、場合によっては指揮官がボコボコ死んで、命令系統が寸断されてしまいますからね。行政においてもそういうことがまったくないとは言えません。そういう緊急時にこそ、行政の力が特に必要になってきますし。

ですからそういう災害や戦争、事故などに備えまして、役所長や領主などの貴族には、咄嗟の時に誰をトップにして判断して動くべきなのかという順位を、評議会を開いてあらかじめ決めていただいているのですよ」

 

まるで、現代地球の行政形態のようである。いや、ハレリアではそれよりも序列を細分化し、緊急時の責任の所在を明確化していた。

現代地球の行政形態では、平、係長、部長、課長がいわゆる平民職で、それ以上、議員や首長などが貴族職に当たると考えればいい。

 

ハレリアの場合はそれぞれの中にも2つ階級があって、昇進が近い者とそうでない者に分けていた。実力や向上心など、様々な要素から判断され、順番に階級を上げていくという仕組みだ。

特に通信技術が発達していない文明レベルだからこそ、大災害などの緊急時、現場の命令系統というのは確保する努力をしなければならない。

 

「ゴードン卿に戻りますが、騎士で貴族というのは、稀有な存在ですよ。騎士には武力以外は要求されませんから。グループの中で一番強い人が隊長で、賢い人が副長をするのが通例ですが、行政に意見ができるほどの頭を持っている人はほとんどいないのです。騎士団4千の中でも、20人いるかどうかですね」

「それにしても『不戦』だなどと、普通は呼ばれんだろうがな」

「『戦わざる』将軍、ねえ……」

 

ジョンは呟いた。

軍人としては相反する二つ名である。彼は最初に聞いた時、てっきり後方支援専門の指揮官かと思ったほどだ。

 

白ローブの少女からして、宰相府のエージェントである。

中世程度の文明の国にそんな変わった特別職のあるハレリアならば、そういうのもいるかと思ったのだが。よくよく考えると後方支援には行政が動けばそれで事足りてしまうのだ。街道の警備などは衛兵団に任せればいいし、宰相が直々に後方支援を行うのならば、それ以上の適材はいないだろう。

 

「イーザンの方はどうなっている?」

 

エヴェリアが尋ねた。

 

ちなみに、黒髪少年カッセルは彼女の後ろに立ったまま、会話には参加せずにじっとしている。時折、ちらちらとエヴェリアが視線を向けているが、反応を返す気配がない。武器の片手半剣(ハンドアンドハーフソード)は鞘に入ったまま部屋の隅に置いてあった。

白ローブの少女が部屋の外にあったのを持ってきたのだが、どうあってもこの4人の時は武器を手にしたくないらしい。そこまでハレリアを信頼しているのか、はたまた武器なしでも対応できる自信があるのか。あるいは、けじめのつもりか。

『護衛の観点から、武器は目につく場所に置いてほしい』という白ローブの少女の要望に、渋々頷く形で部屋の隅に置いてあると言ったところだ。

 

「洗脳の上書きで30万の奴隷兵を救出しました。まあ、敵側の死者負傷者数ばかりが増えていまして、ハレリア軍の損害は未だにゼロのままです」

「100万の兵を相手に1人の死者も出ないとはな……」

「なんか、途方もなさ過ぎて現実感がサッパリねえな……」

「ふふふ」

 

頭を抱える2人に白ローブの少女は微笑む。

 

「ハレリア王国は、神族(かみぞく)への対策が最も進んでいると自負しているのですよ。契約のために制限が大きく、また身勝手な彼らとその都度交渉しなければならないとはいえ、抵抗を諦めて傀儡と化してしまうことを、彼らは嫌いますからね。

交渉の大原則は、互いにとって無視できないだけの力を保有していることなのです。ゆえにハレリアは建国以来1千年間、神族(かみぞく)に対抗するためのあらゆる研究を行ってきました。

物量対策は、その基本ですね」

 

人間の最も恐ろしい性質は、その数だと言われる。人が多く集まれば、それは力となる。国力においても軍においても、数は力だ。そして、その中から優秀な人間を抽出して国を作り上げると、多くの意見が必要となる。

中には相反する意見も出てくるだろうが、意見が少なければ組織が硬化してしまい、(もろ)く崩壊を始めてしまう。組織の運用には柔軟性が必要と言われるが、そのために必要なのが多くの意見、発想なのである。

 

「だがそれは、根本的な神族(かみぞく)対策とは言えんぞ?」

「分かっていますよ。だからこそ、攻勢ではなく守勢における物量対策なのですから」

「そういうことか」

「どういうことだってばよ?」

 

エヴェリアは分かっているようだが、ジョンは政治や軍にそこまで詳しくないため、ちょっと専門用語が出てきたりすると、ついていけなくなる。

 

「はっきり言って、神族(かみぞく)は騎士や術士兵ばかりを100万集めても勝てる相手ではないということだ。もっとも、今回のように洗脳による軍団戦を仕掛けて来んとも限らんから、無駄ということはないようだがな」

「イーザンのハレリア軍は木製の長城に篭って守勢に徹しているのですが、これには理由があります。要するに、攻勢に出て間違って敵の神族(かみぞく)に攻撃を加えてしまいますと、相手に反撃の大義名分を与えてしまうということです。その場合は、あちらは堂々と参戦宣言してハレリア軍を壊滅させることでしょう」

「攻撃側に交じって主戦場にいた時点で戦争参加の意思ありってことになるのか?」

「その通りです」

 

白ローブの少女は頷いた。

 

「さすがに人間同士の戦争という名目がある以上、殺し合いの最中に無理矢理入り込んで、間違って攻撃されたから片方の軍を滅ぼしましたというのは通じません。それができるのでしたら、神族(かみぞく)はもっと人間の戦争に介入してきていますよ」

「いつ敵軍に神族(かみぞく)が交じるかもしれないなど、人間側としては考えたくもない話だ」

 

エヴェリアは顔をしかめる。白ローブの少女も首肯した。

 

「要するに、衝突中の一般兵に交じって移動(・・)していたら攻撃を受けたから反撃、なんてことを神族(かみぞく)に許しますと、迂闊に防衛戦もできないということなのです」

「無茶苦茶な理論だな」

 

いつ神族(かみぞく)が敵側につくか、知れたものではない。そしてそれを考慮すれば迂闊に動けず、神族(かみぞく)を味方につけていても、結局は神族(かみぞく)同士の戦いで勝負が決してしまう。

それは人間の士気に係わり、容易に人類文明の衰退を招くのだ。

 

神族(かみぞく)とは、それほどに理不尽で不条理な存在なのですよ。千年前、『混沌の夜明け』以前は、社会が神族(かみぞく)を中心に回っていたそうですし。当時の人類は神族(かみぞく)の横暴に疲弊し、人口も現在の千分の1程度に激減させていたそうなのです。前に言った通り、神族(かみぞく)にとって人間は遊び道具ですからね。

その士気を十分に確保できなくなってきたところに、『蛇王の遣い』が天から降りて神族の会合を開き、神族(かみぞく)協定を結びました。

『混沌の夜明け』以前、人間の社会というのは、神族(かみぞく)のご機嫌伺いがすべてだと言っても過言ではなかったのです」

「そして、神族(かみぞく)というのは往々にして人間の都合、取り決めや契約というものを無視する。大きな代償を支払うだけでは、契約を結んでも無視されるのがオチだ。神族(かみぞく)を惹き付ける強い魅力を示せなければ、契約の維持はできん、か……」

 

どこかで習った内容らしい。黒髪ロリが呟く。

 

「ハレリアという異常な国が出来上がるわけだ」

「異常?」

 

ジョンは聞き返した。

確かに色々と地球にはない、珍しくもしっかりした体制のある国だと思っていたのだが、異常とは思っていなかった。情報として知らないことが多いというのもあるし、政治としてあまり考えたことがないというのもある。

 

「今のイーザン平野の戦線には、いつ神族(かみぞく)が出てくるかわからないんだぞ?『大親征』とやらを発動したということは、国王がそこへ行ったということだ。

神族(かみぞく)の理不尽さと不条理さは、今説明した通りだ。神族(かみぞく)癇癪(かんしゃく)を起こせば、国1つ程度は丸ごと消えてなくなる可能性だってある。協定はあくまで協定であって、自分の何かを引き換えに体制を破壊するのなら、別に守る必要もない」

 

法律はテロリズムを止める直接の役には立たない。

武器の持ち込みをチェックしたり、危険な場所に立ち入って捜査する警備員や警官こそが、テロリズムを未然に防ぐのだ。法律はそんな役人や警官に、大義名分を与えているだけなのである。

そして、テロリストが公務員を圧倒的に上回る絶対的な武力を持っていれば、ただ退避するか、眺めているしかない。

 

「そんな、兵の壁や魔法による障壁も役に立たない存在が敵にいると判明している戦場に、国の中枢たる国王が直接赴いている。防戦で相手の協定破りを抑えようとしているようだが、それは協定が破られると同時にハレリア軍が壊滅する、つまりハレリア国王が死ぬ可能性も高いということだ。

ハレリア首脳部は、こんな簡単なことも分からんようには見えなかったがな?」

 

エヴェリアは仏頂面で、白ローブの少女をじろりと睨んだ。

 

「本当は、戦争が終わってから伝えようと思っていたのですけれどもねえ……」

 

水を向けられ、巨乳少女は苦笑を返す。

 

「エヴェリアさんのお考えの通りです。

26日前の王族六家会議の時点で、国王および重鎮達の死を計算に入れた上で、イーザン平野の戦いは計画変更されました。既に有利な誤差は出ていますが、そろそろ計画の後半部、敵の神族(かみぞく)と一戦交える段階にさしかかる頃です。

――その一戦では、国王を含む王族が前面に出て戦い、敵神族(かみぞく)を抑え込み、消耗を強いることで軍の壊滅を防ぐことになっています」

「王族が何人いるか知らないが、そんなことは不可能だ!真冬に雪を融かし尽くすようなものだぞ!?倒せないからと言って、目標のレベルを下げてどうにかなるほど、神族(かみぞく)は甘い存在ではない!」

 

エヴェリアは白ローブの少女の胸倉を掴んだ。身長差があるとはいえ、貴族の娘らしく中々の迫力だ。

 

「わかっていますよ」

 

白ローブの少女は平然とした口調で、いや、幾らか違和感程度の固さを持った声で返す。掴まれた胸倉を離させようともしない。

 

「5千の王族部隊は神族(かみぞく)と戦い、壊滅します。ですが、敵が神族(かみぞく)協定を破った時点で、戦争は終わるのです。お父様や伯父様達は、無駄に死ぬのではありません!」

 

普段から地の感情を表に出さない白ローブの少女が、声を震わせた。

 

「お前……!」

「……あっ……!」

 

それを間近で見ていたエヴェリアが驚いた顔で目を見開く。

白ローブの少女はそれを見て自分の顔に手を当てて、頬を伝う涙に気付くと、黒髪少女の驚きで緩んだ手を振り払って、部屋を走って出て行った。

 

「くっ……なんてことだ……」

 

エヴェリアは思わずその小さな拳を壁に叩き付け、呻いた。

 

 

 

しばらく、3人は黙って部屋に留まっていた。

 

「彼女は……」

 

長い沈黙の後、椅子に座りなおしたエヴェリアがポツリとつぶやく。

 

「宰相府のエージェントは、諜報員であると同時に政治家の卵だ。政治の判断力を鍛え上げられ、各都市に派遣される。そこで、貴族の監視と同時に頭脳として活動するのが仕事だ。そうやって実地の経験を積んで、優れた者が大臣や宰相の後継者に選出されるという仕組みだと聞いている」

 

修業期間が設けられているということである。白ローブの少女はその政治家としての修行中だったのだ。

 

「ハーリア公爵は、彼女がかなり高い才能を持っていると言っていた。何事も起きなければ、次々代の宰相に選ばれてもおかしくはないと……。

だが同時に、異端児でもあると言った。ハーリアの手の者としては、似つかわしくない資質の持ち主だと……」

 

そこまで言って、再び黙り込む。段々、ジョンにも自体が呑み込めてきた。以前、あの白ローブの少女は言っていたのだ。

 

『政治家を目指すのでしたら、この手のセクハラには慣れなければいけませんね』

 

と。

つまり、それは彼女が幼少期から感情制御の訓練をしてきたということなのではないだろうか。

だが、ここへ来て身近な者の死に直面し、感情の制御が限界を迎えた。その現場を、他者に見られたくなかったのだ。

だから、思わず走り去ってしまったのである。

 

平気な顔をしていても、それは表面を取り繕っているだけ。考えればすぐに分かることだった。表情に出ないのと、心の中の負荷(ストレス)は別物なのだ。

むしろ抑え込んでいた分だけ、一度崩れ始めると感情の爆発も大きくなる。あの白ローブの少女も、根本的なところで16歳の子供だったのである。

 

宰相となりうる資質とは、冷たい判断力。黒さ、冷酷さとも呼べる、機械同然の凍れる心。似つかわしくない資質、というのは真逆、他者を労わり慈しむ優しさ。人の死に涙し、守ろうとする人間らしさ、モラルの高さ。

そんな相反する資質を、その身に併せ持ってしまった。だから異端児。

 

「無理しやがって……」

 

静かな室内で、ジョンは呟く。

 

 



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サラト長城防衛戦

ハレリア大戦、9日目に入り、状況は終盤に差しかかる。

この頃になると、ブロンバルド軍側は丸太の杭でできた長城を強引に撤去することで、ハレリア軍に有利(アドバンテージ)をもたらす要素を排除しにかかる強攻策を続けるようになっていた。そこを弩砲や魔法、弓矢などで狙い撃たれ、奴隷兵を中心に餓死や疫病などで日に日に数を減らしながら、ブロンバルド洗脳軍団は連日サラト川要塞を攻め続けた。

そしてその日、ついに長城の一部を崩すことに成功する。

 

この時ハレリア軍は、疲労などで術士を中心に800名近くが休養を余儀なくされていた。犠牲が出ていないとはいえ、さすがに100万の兵を相手にするのは過酷だったのである。

 

対してブロンバルド軍は既に10万近くまでその数を減らしていた。ハレリア軍が30万もの奴隷兵を救出し、50万ほどが餓死及び病死、10万が無謀な突撃と長城破壊作戦のために戦死している。

だが、ブロンバルド正規兵、及び騎士、星王術士は、まだ予備戦力として1万5千が健在だった。

 

第7次イーザン戦役10日目。

崩れた長城の一部に向けて、ブロンバルド騎士団が突撃を仕掛ける。今までになかった星王術士による援護も受けて、長城の向こう側へなだれ込む作戦だ。それは勢いに任せた1点突破。しかし、壊れていない部分へも奴隷兵を突撃させ、敵の手数を分散させる。

この作戦にハレリア軍は、あえて壊れた長城の残骸を撤去し、そこに国王率いる王族部隊を配置。

 

「白の太陽を背負え!敵方は灰色!敵と見なば馬ごと殺せ!彼ら救うにあたわず!涙を呑んでこれを殺せい!我らは太陽の一族!星王の教えの守護者なり!

この一戦、命を捨てよ!世に幸あれ(ハレルヤ)!」

「「世に幸あれ(ハレルヤ)!」」

 

5千の兵達の大喝采の後、ハレリア国王トワセル12世は、両手に剣を持って敵側に向き直った。左隣には盾と剣のハーリア公爵、右隣には十字槍のマディカン元帥。

 

「……今じゃ!」

 

迫る敵の大軍が何気に置かれていた岩に差し掛かった時、老騎士が合図を出し、トワセルは表面を磨き上げられた剣を高く掲げる。岩は一定間隔で置かれた、星王術を使用するタイミングを測るための目印である。

ブロンバルド軍は、それに気付かなかったようだ。

 

「唱えーい!!」

 

前面に展開している術士兵達が、星王器を発動させるための合言葉(キーワード)を口にする。それが終わったのを見計らって、マディカン元帥の合図を見てトワセルは合図の剣を振り下ろした。

 

「放てーい!!」

 

星王術による『火球』の一斉射撃。

敵が限界射程に接近するタイミングに合わせているため、発動は敵騎士の術攻撃よりも早い。何より、威力が桁違いだった。

火球がすぐ目の前の地面に着弾し、熱や爆風、事前に地面に蒔かれていた砂利などを飛ばして多数の騎士を殺傷。後から走り込んで火球の直撃を受けた騎士が、馬ごと吹き飛ばされ、5メートルほど宙を舞って地面に叩きつけられ、500キロもある馬の下敷きとなり即死する。武具大会や武術大会で使用された星王器とは、明らかに威力が違う。これは術士兵が持つ威力特化の星王器と、騎士が持つ速度重視の単唱器の違いだった。

 

騎士は近接戦闘も可能なように、咄嗟の使用を主眼に作られている。だから、合言葉(キーワード)も短く設定されている。

だが、それではあまり大きな威力が出ないのだ。合言葉(キーワード)の長さだけで威力が決定するわけではないが、合言葉(キーワード)の長さが術の威力に大きく影響するのは確かなことなのである。

 

「前衛、前へ!我に続けーい!!」

 

宰相、元帥と国家の重鎮達を従え、トワセルは先陣を切ってサラト川を渡ってきたブロンバルド騎士団に徒歩にて突撃を敢行する。その後ろに続くのは、それぞれの鎧に身を包んだ、年齢も性別もバラバラな兵士達。

1つ言えるのは、子供がいないということ。上は66歳の老人、下は25歳以上。

それぞれが自分の武器を手に、数で圧倒的に勝る敵へ突撃するのである。しかも、相手が騎兵なのに対し、こちらは歩兵だ。

 

近世以前の戦場において、歩兵は原則として騎兵に弱い。突撃銃とゲリラ戦術が登場するまで、その原則に変化はなかったとされる。だが、そんな原則を覆す光景が繰り広げられた。

 

トワセルが振う幅広片手剣(アネラス)が馬の前足を切り落とし、もう片方の刺突剣(エストック)が騎士を鎧ごと突き殺す。

宰相カメイルは蹄を回避しつつ、西洋版長刀(グレイブ)で馬の喉笛を斬り裂き、落馬した騎士は後続がトドメを刺す。

元帥ヴェグナは西洋版十字槍(ショヴスリ)で馬の足を突くことで転倒させ、トドメは後続に任せる。

後続が慣れていない馬を重点的に狙うことで、敵騎士の突撃力を殺して味方の有利に展開させているのだ。

他にも、2メートルもある巨大な剣で馬ごと両断したり、馬の突進を盾で押し返し、転倒したところにトドメを刺すなど、とてつもない力技を披露する剛の者もいた。

 

王族部隊に無双を誇る近衛騎士が混じっていたということはない。ただ純粋に、王族部隊個々人の実力だ。

王族部隊というのは、その名の通り身体能力の高いハレリア王族の血を継ぐ一族で構成された部隊なのである。積極的に英雄の血を取り入れ、その力を保持してきた彼らの基礎戦闘力は、巨体を誇るマリーヤード人にも匹敵した。

 

ここでブロンバルド軍がサラト川の向こう側から星王術の一斉射撃を行う。

まだ川の長城側にはハレリア軍の一斉射撃による土煙が舞っていたが、お構いなしだ。もちろん、味方に当たることなど考慮の外である。氷塊、火線、圧縮空気、それらを後押しする突風など、様々な魔法が放たれ――。

 

「精霊よ!」「今です!」「水の壁を!」

 

突如サラト川から盛り上がった水の壁に阻まれた。

 

説明しよう。

魔法の大地(マグニスノア)』とは、無数の(・・・)魔法が(・・・)誕生淘(・・・)汰を繰(・・・)り返し(・・・)ている(・・・)ことから付けられた名前である。

 

『星王術』は自傷(バックファイア)などの危険度も低く、合言葉(キーワード)を唱えるだけで、勝手に体力を減らして発動してくれる。武術一筋の騎士達、言ってしまえば言葉自体が理解できずとも、口真似だけで発動する初心者向けの魔法なのだ。

『呪紋法』は魔法と認識されていない地域もあるが、青い石に文様を刻むだけで永続的に単純で弱い効果を得られる、便利な魔法である。

魔法の大地(マグニスノア)』という名を冠するこの世界に、魔法の種類がその2種類しかないなどということは、決してない。

 

川幅20メートル程度のサラト川の水を利用して水壁を形成したのは、『精霊術』である。基本的に、そこにあるものを使って行使される魔法と考えればいい。

威力を高めるためには星王術のそれよりも長い詠唱が必要だったが、元からあるもの、つまり自然を利用する限りその威力は星王術のそれを超える。また、星王術が苦手な魔法効果を一定時間維持させるなども、精霊術の得意分野だった。

通常、妖精種と呼ばれる、精霊に馴染んだ人種が使用する魔法なのだが、人間に使用できないこともないのだ。

 

これによってブロンバルド軍は、サラト川を境に前後に分断されてしまった。援護が届かず、水の壁に弾かれて向こう岸に渡ることもできない。

サラト川を渡ったブロンバルド軍は2千ほど。

馬も込みとはいえ、身体能力の高い王族部隊を相手に、一方的に殲滅される。ブロンバルド側は、横列を伸ばして前後の距離を詰めて突撃させ、今度は5千の騎士を渡河させることに成功したが、王族部隊の前にあっさりと全滅させられ、攻撃を断念せざるを得なくなった。

 

ハレリア軍、負傷者961、死者3。

ブロンバルド軍、負傷者2万0315、死者5万2943。

 

ハレリア王国軍、残り約2万5千(騎士団4千、王族部隊5千)。

ブロンバルド王国軍、残り約6万(騎士団8千、正規兵1万)。

 

初めての正面衝突にもかかわらず、さしたる戦果もなく。ブロンバルド軍はこの日、戦略、戦術的に敗北が決定的となった。

 

 

 

その夜。

 

「全滅……だと……!」

 

洗脳伝書鳥の報せを受けた銀髪の男は声を震わせ頭を抱えた。

ハレリアとブロンバルドなど北部を結ぶ道は、2通りある。

1つは広大なイーザン平野を通るルート。

もう1つはザライゼン方面の山岳地帯スレイカンにある街道から、脇道に逸れて険しい山の中を通り、エムートを経由してトトメテスへ抜ける裏回りルート。

 

エムートへは脱走奴隷が洗脳統制から逃れることがあり、それを支援するために100人ほどの傭兵が活動していた。

それは知っている。だから、脱走奴隷に洗脳術士を紛れ込ませ彼らの拠点であるエムートを奪取し、正規兵1千ほどを裏回りルートで進ませ、トトメテスに奇襲をかける作戦も立てていたのだ。奴隷兵を合わせて100万もの戦闘員を動員したのは、そちらの作戦を気取られないための偽装(カモフラージュ)でもあったのである。

だが、結果は散々だった。

 

あっさりと洗脳術士の洗脳を解除され、作戦が露見、千の兵も洗脳の上書きで対処された。エムートを拠点としている傭兵に、それなりの腕の術士がいたのだ。星王器は基本的に国によって管理されており、一介の傭兵が持っているなどという可能性はまずない。つまり、ハレリアが星王術士をエムートに派遣していたということになる。

 

そうだとしても、それは非常に危険だ。

そんな辺鄙な場所に派遣するとなれば、星王器が傭兵に奪われる可能性を考えなければならない。奪った傭兵がブロンバルドなりに持ち込めば、星王器の技術をハレリアの優れたそれに更新することもできるだろう。実際、エルバリアでは略奪で奪ったハレリア製星王器の技術を解析して自軍に適用し、戦力を増強していた。

それはブロンバルド軍にももたらされ、技術の更新が行われている。もっとも、それだけのことをやっていても、100万の内の94%を失うという結果に、今現実に陥っているのだが。

 

「馬鹿な……ハレリアとは、ここまで強い国だったというのか……!

ここまでやっても、なお足りんと……この私が、敗北――ぐっ!?」

 

脈打つような激しい頭痛と共に、銀髪の男が呻き声を上げる。しばらく頭を抑えて痛みに耐えていると、やがて彼はゆらりと立ち上がった。そして命じる。

 

「……兵に自害せよと伝えろ。輜重隊にも伝令を回し、自害させろ」

「はっ」「承知」「畏まりました」

 

自殺の伝令を命じられた伝令兵達は、洗脳ゆえに何の疑いも抱かずに、命令を遂行するためにその場を去る。

 

「クックック……俺が負けるはずがないのだ……何人であろうとも、この『天使』が敗北など、神に力を与えられし我らに敗北などあり得んのだ!」

 

他に誰もいない天幕に哄笑を響かせる彼の顔は、今までにはない、狂気に彩られていた。

 

 



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決戦

朝焼けの空に洗脳鳥が盛んに飛び回り、敵陣地の情報を持って舞い戻る。

ブロンバルド軍はサラト川の長城より1千メートル離れた位置に陣地を構えていた。

 

戦闘の開始より13日が経過したその日の早朝、洗脳した燕を飛ばしていたハレリア側の洗脳術士が異変を察知する。

 

「敵、動きが見られず。いえ……敵陣地に動くものが認められません!」

 

飛ばした燕の鳥頭から記憶の断片を引き出し、繋ぎ合せた術士がもたらした情報は、この戦争が最終盤に突入していることを示していた。

 

「さて、当初の予想通りならば、そろそろ敵の神族(かみぞく)が出てくるだろう」

「ならば一般兵を下げようかのう。予定通りに」

 

6人の首脳は、あくまで落ち着いている。既に、敵の動きは予想され尽くしていたのだ。様々な情報を集め、統合して状況を判断し、敵の動きを事前に読み切る。それができるのは、軍略のマディカン公爵と、政治のハーリア公爵、ハレリアの双巨頭と呼ばれる2人があってこそ。

 

「今一度確認するが……思い残すところはないな?」

 

国王トワセルが皆に問う。

背の白いマントには赤い日の丸の裏側に重なるような黄色い三日月。

 

「フン、死に時が分からんほど耄碌(もうろく)はしとらぬゾイ」

 

白地に紫の満月を纏う老人アルグは鼻を鳴らして意気を語る。

 

「まあまあ。やっぱり、トワセルには確定死の作戦は早かったのかもしれないわねえ」

 

これは当代の王族六家の中で現在唯一の女性当主、神官服の老女フィール。

白い神官服の背中には、白地に黄色の中抜き円のマント。

 

「今回だけでも私が代わろうか、頼りない兄上よ?」

 

宰相カメイルが実の兄に毒を吐く。

背中のマントには黄色い円。

 

「こんな時でもひと言余計だな、お前は」

「毒舌家は生まれつきでね」

 

国王に対し、皆悪びれもしない。

 

「そもそも、心残りがありそうなのは私ではない。そうだろう、グレゴワール?」

 

トワセルが名を呼び、皆そちらへ顔を向ける。

難しい顔をして腕を組んで黙っていた、褐色肌の巨漢老騎士。

背中のマントには中抜きの赤い円。

 

彼は、ただ1人だけハレリア人ではない。その強さでハレリア王族の仲間入りを果たしたのだが、ハレリア王族の異常な流儀について来れるのかというと、疑問があった。

 

「どうしたのじゃ、『雷神』よ?」

「いやなぁ……」

 

国内外にその勇名を知られる男は、マディカン元帥に促され、口を開く。

マディカン家の紋章は赤い三日月。

 

「せっかくの機会だ、一騎打ちをやれんもんかと思ってなぁ……」

 

一瞬の沈黙の後、他5人が一斉に噴き出した。

 

「さすがにそれは考えんかったわい!」

「古今無双と名高い英雄は、一味違うのう」

「くっくっくっくっく……」

「うふふふふ……」

 

それぞれ、大いに笑う。

 

それは、地球の価値観で言えば、台風に勝負を挑むようなものである。人間と神族(かみぞく)の間には、それほどの力の差があるのだ。

そういう存在と、正々堂々と一騎打ちがやりたい。もう、笑うしかない。

 

「じゃが、ここまで予想通りの展開ならば、不可能ではないかもしれんの」

 

人外の頭脳を持つ1人、小柄な老騎士が言い出す。

 

「鉄器でなければ、おそらく攻撃は通らぬ。守りもまた然り」

 

老術士アルグが意見を出した。

 

「元々、対神族(かみぞく)用に30年前の装備を持ってきているのだろう?」

「うむ」

 

巨漢の老騎士は頷く。

 

「なんだ、やる気満々ではないか」

 

トワセルが呆れ顔を向けた。

 

「どうせ死ぬんだもの。古今無双の『雷神』と神族(かみぞく)の一騎打ち、最後に目に焼き付けておきたいわ」

 

フィールも乗り気だ。

 

「やるのは構わんのだがね。せめて一瞬で敗北などということはやめてくれたまえよ。兵が見ているのだからね」

 

カメイルも毒は吐くが止めはしない。

 

 

 

数時間後、薄く空を覆う雲によって、太陽が隠れ始めた頃。

 

銀髪の男が圧倒的な威力の雷撃で目の前を遮るサラト川の長城を灰にした時、すでにハレリア兵は王族部隊を除いて陣を下げていた。

ちょうど一騎打ちができる程度の広場、たった1人ハレリア最強の騎士が男の前に立ちはだかる。その後方50メートル程度の距離に、王族部隊。さらに後方にハレリア兵達。

 

その鎧の色は灰色にくすんでいた。一般的に騎士の鎧に使われている軽銀(アルミニウム)ではない、鉄の色だ。

 

「一騎打ちのつもりか……!」

「おうよ!」

 

鉄鎧の巨漢が応える。その身の丈に合った巨大な槍を軽々と振り回し、銀髪の男に迫った。互いに名乗りもしないが、そんな茶番に乗るほど、銀髪の男は甘い考えを持っていないし、おそらく巨漢も期待していない。

 

見た目だけならば、完全武装の巨漢と旅人装束の優男。勝負になどなるはずもない。だが、むしろ銀髪の男が圧倒的に有利なのは、王族部隊の者ならば誰もが知っていた。

 

「死ね」

 

始まりはたった一言。それだけで、圧倒的な強さの青白い光が巨漢を塗り潰す。破裂音は遅れてやってきた。

 

高級星王器、通常よりもはるかに高い威力を発生させることが可能な星王器に匹敵する、即死級雷撃の威力だ。神族(かみぞく)ならば、この程度の威力の術を操る程度はわけもない。一騎打ちなどという茶番に付き合う気はない、という意思表示でもあった。

ついでに、低級星王器には難しい高威力の雷撃というのは、その閃光、音の大きさから、武威を誇示する効果もある。

 

「ぬふぅ……!」

「――!?」

 

――だから、巨漢が首を振りながらもしっかりとした足取りで再び走り始めるのを見て、銀髪の男は少し動揺した。

効いていない。いや、正確には足を止める程度には効いているが、それだけなのだ。低級星王器程度に軽減されている。

目の部分を除いて鋼鉄の鎧に包まれた巨漢騎士は槍を振り回し、銀髪の男に叩き付ける。銀髪の男は大きく飛び下がってそれを避けた。

 

「チッ、鉄か……それに、何か仕掛けをしているな……!」

 

防御のために張っていた薄い水の膜が容易く切り裂かれたのを見て、優男は舌打ちした。

魔法は鉄を嫌う。だが、鉄のフル装備だからと言っても、『天使』の雷撃をここまで軽減できるほどのものではないのだ。それに、これではもしも高級星王器を持っていたとしても、その威力も半減してしまう。

 

「ぬおおおおっ!!」

「くっ!?」

 

さらなる追撃を、咄嗟に腰から抜き放った剣で受け止める。

武器を使うことはないと思っていたのだが、出鼻を挫かれたのと勢いに押されて使わされた形だ。体格に差があるとはいえ、膂力は優男の方が魔法で強化している分、遥かに高い。すぐに落ち着きを取り戻し、反撃に出る。

決着を急がなければ、『天使』という存在を侮られかねない。

 

「はぁっ」

「ふん!」

 

大振りの横薙ぎは図体に見合わぬ巧みさで受け流された。

だが、態勢(バランス)の崩れを強化された脚力で無理矢理引き戻し、人間にはありえないタイミングで追撃する。巨漢は反応はしたもののそれを受け切れず、槍ごと大きく吹き飛んだ。

 

「ぬぅっ!?」

まぐれ(・・・)はもうない」

 

銀髪の男がかざした手から、再び雷光が転倒していたグレゴワールに直撃、轟音が周囲に響き渡る。だが、『雷神』は頭を振って起き上がった。

 

「なんだと?」

 

銀髪の男は眉をひそめる。

雷撃は魔法以外では回避も防御もできないために、『究極の属性』と呼ばれていた。

『土』の中の電子を集め、『火』により通り道を固定、『風』と『水』を混ぜて大電力を発生させる。基礎となる4つの属性をすべて利用した、魔法の1つの到達点なのだ。

 

防具を無視する性質や派手な音や光などから、雷撃は高級単唱器に多用されてもいた。

5人ほど横に並べて高級単唱器を使用すれば、その大音響に驚いて、兵の制御を失うこともあるという。ゆえに、高級単唱器の使い手は、多くは雷撃使いなのだ。

『雷神』とあだ名されるグレゴワール・デンゲルもその1人である。

 

それだけに、『天使』が使用する雷撃を受けて2度も立ち上がったことに、銀髪の男は疑問を感じていた。幾ら鉄装備とはいえ、これでは威力を何千分の1以下に軽減されているのではないだろうか。

 

「強いもんだのう」

 

さらに武器を交えつつ、巨漢は言った。顔を覆う(フルフェイス)の兜を装着しているためか、声はくぐもっている。

 

「無理を言って一騎打ちさせてもらった甲斐があったわい」

「ふざけるな!」

 

強化された筋力で強引に剣を引き戻し、叩き付ける。今度は籠手で逸らされた。代わりに、籠手も外側の装甲がひしゃげ、はじけ飛んでしまったが。

 

筋力では圧倒しているのだが、技量で銀髪の男が負けている。そう感じたからかもしれない。彼は次第に苛立ちを覚え始めていた。

人間では反応できないはずの攻撃に反応し、鎧の装甲を飛ばしながら、槍の柄の木材を削られながら、決して退かずに戦い抜くその姿に。

――何かを、感じ始めていたのだろう。

ゆえに苛立つのだ。それが分からない自分自身に。

 

「消えろ!」

 

至近距離で、それまでで最も大きな雷鳴が轟く。最初は効率を考え、雷撃の威力を落としていたのである。2度目は本来の威力。今度はフルパワー。

 

「ぐぬおおおおおっ!!」

 

身体を電撃が駆け抜ける痛みに、巨漢は声を上げた。そして、痺れて感覚のない身体を無理矢理動かし、槍を横薙ぎに振う。

それは銀髪男の右目を切り裂いた。本気で魔法を使用したために、一瞬優男の動きが止まっていたのである。

だが、敵の右目の代償もまた大きなものだった。今度こそ、全身から湯気を立ち昇らせて、『雷神』はうつ伏せに倒れ伏す。

 

『雷神』を守っていたのは、鎧だった。

ジョンが武具大会で使用した、銅を使って電気を地面に逃がす構造を盛り込んだ鎧である。さらにゴムを利用して肉体とも絶縁し、生半可な雷撃は通らないようにできていたのだ。

当然ながら、鎧が壊れれば絶縁性は十分に発揮されない。最後の雷撃は、先程盾に使ったグレゴワール・デンゲルの右腕を黒く炭化させていた。

 

はっきり言って、それでなお動いたというのは奇跡である。

 

「……クッ、グゥゥッ――!」

 

一方、銀髪男も膝を付く。

至近距離に雷撃を撃った余波を受けたからではない。原因不明の頭痛が彼を襲ったのである。

そして動きが止まったその瞬間、彼の胸を、1本の矢が貫いた。

 

「ぐはっ!?」

 

矢の勢いに押され、地面に叩きつけられる。

その矢は、最初から長城の櫓に設置されていた、ジョンが作った弩砲。射手は女性騎士、秘儀『風穴通し』の使い手、『鳶目』ハリスティナ・アリア。

一騎打ちが始まってすぐに、別の(やぐら)から移動してきて取り付いたのである。補助の兵士達と共に。

 

「突撃ぃぃぃぃぃっ!!」

 

一騎打ちを見守っていた、トワセル他の王族部隊も、決着がついたと見るや攻撃を仕掛けてきた。元より、一騎打ちで勝てば戦争が収まるなどという取り決めは行っていないし、何よりそんな約束があったとしても、銀髪の男自身守るつもりがない話。

卑怯だなどと言えるほど、彼我の力関係は平等ではない。

 

(くそっ、戦わなくては……!)

 

戦うことを考えると、すっと頭痛が消えていく。

最強の騎士が見せた最期の意地は、右目という重要な部分を奪っていった。

それは今の彼には治すのに時間がかかってしまう部位だ。この戦いの間は片目で過ごすことになるだろう。だが、肺を貫く鉄らしき矢に関しては、力ずくで引き抜けば即時に治せそうだ。

 

大分消耗してしまったが、戦いはまだまだ始まったばかりである。

 

 

 

1対5千。

数では圧倒的にハレリア側が有利だったが、実際の戦力ではブロンバルド側、銀髪男が圧倒的に優位だった。

不死身、複雑な箇所でなければ、即時傷を治して戦える。それは戦闘において大きな利点(アドバンテージ)となる。

RPG風に数字で言えば、HP50万の怪物にHP100程度の人間が群れで挑んでいるようなもの。しかも、攻撃力にも防御力にも100倍以上の差がある。

 

国王トワセルは既に3度ほどフルパワーの雷に撃たれ、黒焦げになって死亡していた。宰相カメイルも胴を真っ二つにされ、元帥ヴェグナも心臓を貫かれて即死。だが、ハレリアの王族部隊は勢いを落とさない。

もう3時間も戦っているのに、もう4千もの屍が野に晒されているというのに、一向に勢いが落ちない。

 

面倒なことに、全体的に雷撃が通じにくい。雷撃を直撃させても、動きを止めるのは音などで気絶しているからという印象が強かった。

ハレリア軍は、何か雷撃対策を実用化したということか。銀髪の男はそんなことを考えつつ、様々な武器で身を裂かれながらも、群がる敵を倒していく。

 

老人、女性、あまり若い者がいないだけで、装備を含めて統一感がまったくない。

戦斧(バトルアックス)戦鎚(ウォーハンマー)、剣、槍、スパイクシールド、斧槍(ハルバート)鎖鉄球(フレイル)

武器が統一されていればある程度は対処法を覚え、慣れることもできたのだが、相当数を斬り殺しつつ、どうしようもなく消耗していくのを感じていた。それも、一撃で即死させなければ、後退して短時間で治療し、また戦線に復帰してくる。

防御に意識を割くほどに、相手の手数は増えていき、消耗を強いられる。

女性でも銀髪男の腕力から繰り出される一撃を受け流すだけの技量を持つ、1人1人が相当な使い手だった。

 

(ハレリアがこれほどの隠し玉を持っていようとは……!)

 

英雄クラスの難敵を5千人相手にしているようなものだ。しかも、10人ほどこの中でも桁違いの技量を持った相手がいる。さらに、敵がまったく死を恐れず、一糸乱れぬ連携で攻撃を仕掛けてくる。これほど訓練された兵士は、彼の記憶にもなかった。

 

「ぐっ!」

 

攻撃を防いだ瞬間、後ろから首筋を切り裂かれる。まるで、先程の巨漢の老騎士を複数相手にしているかのようだ。瞬きほどの油断もできない。

 

「ぐふっ!?」

 

そして、わずかでも動きが止まると、正確無比に飛んでくる鉄矢。

味方への誤射も辞さない、乱戦のただ中への射撃。どこから飛んでくるのかは、確認する暇もない。この矢を警戒するために、攻め切れないのも事実。

すでに30本近く撃たれており、半分程度は回避するか撃ち落とした。だが、動きが止まった隙を突かれると、こうやって受けてしまうほどに鋭いのも事実だ。威力があり、弾速も通常の弩砲に比べるとかなり速い。

 

「そこだ!」

「しまっ――!」

 

矢に貫かれて動きを止めたところに、斧槍(ハルバート)が振り下ろされ、剣を持った利き腕が斬り落とされる。回収し、治癒している暇などない。カウンターで逆の腕で顔面を殴って首を折り、次の矢が来る前に移動する。

 

「今だ!」「押し潰せ!」

 

だが、周囲の動きが変わった。武器を突き刺して、動きを止めようとしてくるのだ。死を恐れぬ特攻に対して片手の徒手空拳では限界がある。

フルパワーの雷撃を連打して対処するも、もう片方の腕も切り落とされ、足が槍で地面に縫い止められる。身動きができなくなってしまったのだ。

危機腕を斬り飛ばされてからでも40人は命を落としているはずだが、同士討ちも辞さない捨て身とも言える戦法に動きを封じられてしまった。

 

雷撃を自分自身に撃てば脱出することもできなくはなさそうだが、一瞬躊躇してしまった。

空を舞う虹色の光に、一瞬気を取られたのだ。

 

そして、その呟きを聞いてしまう。

 

「シェラザード……!」「アイリーン……!」「マクルウェル……」「ハイネ……」

 

槍や剣で自分を貫く者達が、何者かの名前を呟いたのである。

 

それは。――遺してきた者達の名前。

 

「な――」

 

絶句。

彼らは、洗脳されていない。洗脳もなく、圧倒的な死そのものを前にこれほどの連携を維持していたのだ。

 

いや、果たしてそれは連携だったのか。

あまりに見事な流れだったために勘違いしていたが、それぞれが自分で考え、それぞれの攻撃を阻害しないこと、傷つけば後方に下げて治療させることを考えて動いた結果、そのサイクルがあまりにも短かったため、連携に見えていただけではないのか。

 

瞬間、周囲はまばゆい光に包まれ、銀髪男を中心に何もかもが消えてなくなった。

 

『ゼウスの雷霆』と呼ばれる戦略儀式によって、13日に及んだイーザン平原の決戦は終わりを告げる。

 

第7次イーザン戦役、最後の戦い『サラトの神族戦』において、ハレリア軍王族部隊の被害は4893名に上った。

決戦に参加した4946名中、生き残りはわずか53名。

 

 




『ゼウスの雷霆』:戦略儀式

50メートル級の儀装円を使用する戦略儀式。分類は魔導術。

周囲300メートルの範囲内の水分を集め、雷雲を発生させて極限まで帯電。
大気中の水分を操作し、また電気の通り道となる場所の気圧を下げ、電気抵抗を可能な限り低減。
最後に目標地点の地中電位を操作し、一気に放電させ、目標地点をピンポイントに焼き尽くす。

銀髪の男が見た空の虹色の輝きは、これらの作用の補助を行わせるために使用された精霊銀の粉末である。

一連の作用による威力は、通常の落雷によって発生する電流20万アンペアの30倍、600万アンペアにも達する。

通常でも落雷によって石や木が破壊されることがあるが、これは内部の水分が瞬間的に加熱され、水蒸気となって爆発を起こすことに起因する現象である。
人間の電気抵抗では通常、そのようなことは起きず、全身が火傷したり、体内電流を乱されて感電死することが多い。

しかし、落雷の30倍ともなると、人間の表皮が持つ電気抵抗でも、体内水分が一気に蒸発して肉体が破裂などということになる可能性はあった。
無論、銀髪の男も水の膜による防御を行ってはいたが、今度は周囲を超高圧電流が流れたために内部が灼熱化し、焼け焦げてしまったのである。

ただし、防護の外にいた周囲の人間は落雷の影響を免れず、半径50メートル以内にいた者達が、即撃雷などにより感電死している。

そして、魔導術には安全装置がなく、注意しなければすべての体力を吸い取られて命を落とす危険があった。
今回は、安全装置のない青天井を逆用して威力を極大化しており、術者の他にも手伝いの者が巻き添えを食って死亡している。



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戦後

ジョン達を匿っている大神殿の一角。

 

「その……色々と取り乱してしまいまして、すみません」

 

白ローブの少女は3人に頭を下げた。

 

「こちらこそ、無神経なことを言った。すまん」

 

黒髪少女も、頭を下げる。さすがに獣耳は外している。

白ローブの少女は数日間、3人のいた一角から離れていた。その間に何があったのか、聞くのは野暮というものだろう。

 

ちなみにその間ジョン達は、様子を見にきた神官が持ち込んだ変則チェスに頭を悩ませていた。マディカン公爵家が、頭の体操にと広めたゲームである。例の、射撃ルールがあるやつだ。

エヴェリアはそれなりに対応して見せていて、ジョンはかなり勝率が低かったが、時折彼女の見落としを突いて逆転勝利することがあり、それなりに楽しんでいた。

どちらが強いということはない、どちらも未熟なために勝率が極端に偏っていないだけである。

 

「女の子が泣きたい時に泣けねえなんて、この国はどうなってんだ?」

「他の国も大差ないぞ。心の弱さが表に出る人間は、人の上に立つ資格なしとされるのが一般的だ」

「そんなもんかねえ……」

「あの……」

 

白ローブの巨乳少女が口を挟む。

 

「何か勘違いされているようなのですが……」

「なにが?」「違うのか?」

 

彼女は苦笑しつつ説明を始める。

 

「まず、あの時は悲しみを隠す必要がある場面ではありませんでした。そういう時にまで涙を流すことが許されないほど、ハレリアは間違った狂い方をしてはいません」

「狂っているのは認めるんだな」

「後でお話ししますが、ハレリアほど狂った国はありませんよ。

――それで話を戻しますが、私は珍しく、ハーリアとハレリオスの資質を両方備えているのです」

「ハレリオスって、王家の?」

 

ジョンの疑問に白ローブの少女は頷いた。1千年続くハレリアの国王の名である。武術大会では散々聞かされた名前でもあった。

 

「はい。ハレリア王族三派六家には、それぞれ司る資質がありまして、ハーリアは『知恵』、ハレリオスは『直感』となっています。ハレリオスの『直感』は、超常的な知覚とお考えください。まあ、簡単に言ってしまいますと、私には『双子の共感』を持った人がいるのですよ。

その子の強い感情が、私に届いてしまうことがありまして……」

 

時折、感覚を共有する双子が生まれることがあるという。遠くに離れても、片方に異変があれば、その異変にもう片方が影響されてしまう。

 

『コルシカ兄弟』という有名な話では、兄弟の片方が死ぬと、同時に遠く離れたもう片方が変死してしまったという。

原因は不明。ただ、小説の話なので創作である可能性が高いとも言われる。それをネタにした創作物は数多くあるが、結局のところ実在したという話はない。

おそらく、古来より多く報告されていた、肉親の危機を感じ取る『虫の知らせ』という現象が様々に解釈されてきた結果、創作物として誕生したのが『コルシカの兄弟』なのではないだろうか。

 

魔法があるマグニスノアならば、そういうこともあるかもしれないとジョンは考えた。

 

「片方が死ぬともう片方も死ぬってやつか?」

「いえ、あくまで感情を受信するだけですから、死にはしませんよ。いつもいつも、なだめるのに苦労させられるのですけれども」

「もう片方をなだめるのに、数日の時間を取られていたということか」

「ええまあ。今回は事情が事情ですからね……」

 

白ローブの少女は溜息を吐く。苦労しているらしい。

エヴェリアの推測は外れていたということか。

 

「それで、戦争はどうなったんだ?」

「はい、今から説明させていただきます」

 

促され、彼女は話を始めた。

 

 

 

「敵の神族(かみぞく)が、予定通りに捕えられたようです。ただ、ハレリア王族部隊の攻撃でかなり消耗していたようで、神族同士の戦闘とはなりませんでした。そして私達が予想していた通り、敵の神族(かみぞく)は200歳以下の『成り立て』でした。

ただ、宗教などで洗脳したのではなく、洗脳術で洗脳されていたというお話なのです」

「術で神族を洗脳?」

 

エヴェリアが聞き返す。

 

「普通でしたら不可能ですが、『神化(しんか)の儀《ぎ》』を行う前、人間の時から術で洗脳していれば、そういう神族(かみぞく)を作ることも不可能ではないとか」

「作る……?」

 

ジョンは眉をひそめる。なにやら不穏な話だ。

 

神族(かみぞく)の強さの一端は、自己改造にあります。

肉体を魔法に最適化させ、自身を1つの星王器にしてしまうわけなのです。自分自身を好きなように改造できますから、汎用性も強弱も自由自在。そうなった神族(かみぞく)を洗脳するのは、同じ神族(かみぞく)でも困難を極めるそうです」

「つまり、自己改造をさせなければ、洗脳は可能ということか」

「はい、そういうことです。本来『神化の儀』は、自分の意思で行わなければ『200歳の壁』を越えられないと言われていますから、ベルベーズではそういうやり方はしないのですよ。自己改造を一定に留めれば、当然強さも精神性も半端に留まります。私達は『成り立て』と呼びますが。

神族(かみぞく)を兵に仕立て上げようという意思が、ありありと伝わってきますね」

 

死を恐れない兵、従順で不死身の兵士。異世界でも、考えることは皆同じ、ということか。

 

神族(かみぞく)としては半端でも、兵としてはこれ以上はない。なかなか面倒な相手だな……」

「ところが、今度は神族(かみぞく)であるという点がネックとなり、神族(かみぞく)協定に引っ掛かってしまいます。『警告』が行われれば、これまでのように大っぴらに神族(かみぞく)の兵を投入することはできないでしょう」

 

あちらを立てれば、こちらが立たず、である。マグニスノアも、割と上手く出来ているのだ。

 

「それで、ハレリア軍はどうなった?」

「……」

 

エヴェリアの質問に、白ローブの少女は少し沈黙した。だが、すぐに口を開く。

 

「死者4896名です。騎士団を含めた主力2万の死者は3名、ほぼそのまま残りました」

「王族部隊とやらか。5千人の部隊とすればほぼ消滅だな……」

「はい。予定通りだったとはいえ、神族(かみぞく)を抑えるのに大半が死亡、動きを封じてからの戦略儀式でほぼ消滅となりました」

「戦略儀式?」

 

ジョンは尋ねる。それが、あまりにも不穏に聞こえたからだ。

 

「魔導術という、大規模な儀式に特化した魔法がある。普通は城攻めに使うものだが、結局限界射程を越えられないから、使いどころが難しいそうだ。

魔導術という意味ならば、武術大会や武具大会で使用されていた『箱庭領域(アークガーデン)』もそうだな」

「ええ。また、魔導術は多量の精霊力を消費します。威力の調整を誤れば、術者が死亡する危険な種類の魔法です。そのリスクとコストから、民間ではまず使用されません。

箱庭領域(アークガーデン)』はその辺を調整していまして、武術大会も武具大会も1対1としています。当然ですが、魔導術は使用が規制されている国がほとんどです」

「だが、そのくらいのものを使わなければ、神族(かみぞく)に打撃を与えることはできんだろう。それにしても、やりきれんな……」

 

エヴェリアが表情を曇らせる。

 

「なあ、本当に5千人も死ぬ必要あったのか?」

「はい。今回に限っては、ですが」

 

と、眉をひそめるジョンの疑問に巨乳少女は説明を始めた。

 

「ハレリア王国と神族(かみぞく)との間の契約にはこうあるのです。

『最初の一度目に限り、ハレリアを攻める神族の相手はハレリア軍が行うこと』と。

その最初の一度目が、たまたま今回の戦争だったというわけなのですよ」

「それは、今回たまたま『成り立て』が相手でなければ、ハレリア軍が全滅してもおかしくなかったんじゃないのか?」

 

これはエヴェリア。

 

「その契約に限ってはその通りどころか、結局ルクソリスに攻め込まれるまで、味方の神族(かみぞく)が動かないなんてこともあり得ますよ。ですから、契約してから7百年の間に、神族(かみぞく)を直接相手にするのは1日の間だけという条項を新たに設けました。最悪、ハレリア軍が全滅したとしましても、ハレリア国内が再起不能なほどに荒らされるのは防げるようにしたのです。

……それでも、名前を使って敵の神族(かみぞく)を牽制する以上のことはできないでしょうね。まあ、ハレリアに限ってはそれで十分なのですけれども」

「十分というのは?」

 

またも黒髪少女が尋ねる。

 

神族(かみぞく)協定の中心地が、この王都ルクソリスだからですよ。一国の首都、一宗教の総本山。それ以上の意味がこのルクソリスにはあるのです。ルクソリスを攻めてはならないという、神族(かみぞく)同士の不文律があると思っておいてください。

そして、そのルクソリスの維持管理を任されているのが、始祖ケルススの末裔であるハレリア人、ハレリア王族なのです。価値観として、どちらかといえば神族(かみぞく)の従僕です。だからこそ、今回のように死ぬと分かっていても、平気な顔で神族(かみぞく)に挑むということができるのですよ」

「まさしく、狂った一族か……」

 

黒髪ロリは眉をひそめた。

 

「……ちょっと待ってくれ」

 

ここで赤毛ショタジジイが2人の少女の話を止めて、口を挟む。

ある可能性が頭をよぎったのだ。

 

「俺の思い過ごしかもしれねえんだけどよ、王族部隊ってのは何人までハレリア王族なんだ?」

「……普通に考えれば、国王の名の下に集まった義勇兵だろう。戦争に参加するような王族は、多くて10人かそこらのはずだ」

 

エヴェリアが話したのは、一般的な見識である。しかし、ハレリアはお世辞にも一般的とは言えない国だ。

 

「エヴェリアさんの一般常識も含めていい質問ですね。お答えします」

 

巨乳少女はそう前置きしてから、言った。

 

「王族部隊の4946人はすべて王族、1人残らず王位継承権の持ち主です」

「は?」

 

エヴェリアが両目を見開き、ポカンと口を半開きにして間抜けな声を上げた。

ジョンも同じ気持ちだ。

神族(かみぞく)の従僕が、ハレリア人であり、ハレリア王族である。

彼ら彼女らがこの巨大都市ルクソリスの維持管理を任されているとすれば、最低でも数千人はいなければおかしい。

管理者というのは、基本的に住民を除いた職員を言うからだ。

 

「ハレリア王族は、血筋の者と外からの受け入れが認められた者がいまして、政府が把握しているだけで、現在約2万4千人存在しています。戦争前は3万人近くですね。

始祖ケルススの末裔、建国王シドルファス・ハレリオスと、神の眷族リリアーナが31人の子供を作りました。その31人がハレリア人の始まりなのです。そこからマナム族やアルトン族など8部族を呑み込み、現在のハレリア民族を形成しています。ハレリア人の血が少しでも混じっていればハレリア国王になれますから、血筋や資格というくくりで言えば、ハレリア人は全員がハレリア王族の資格の持ち主なのですよ」

「……」

 

黒髪少女は絶句している。さすがに予想外だったらしい。

通常、王位継承権を持っているのは1つの国で50程度、王位継承権を持たない末端レベルで200程度と考えられる。多くても500人は行かない。

現代で最も多いイギリス王家においても、王位継承権の持ち主は5000人に上るとされる。

 

しかし白ローブの少女の言葉をそのまま受け取るのならば、ハレリア王国の王位継承権の持ち主は、ハレリア人すべて、国外へ移住した者も含めると10億人は下らないことになるのだ。

まさしく、桁違いである。

 

「血筋に寛容とかってあんま深く考えてなかったけど、そもそも民族全部王族だったでござるの巻」

「ふふふ、一応、その中で政府が認定する条件に合致している、現在約2万4千人を、通称(・・)ハレリア王族と呼び慣わしていますね」

 

ハレリアという国は、想像していたよりももっととんでもない国だったらしい。

 

「まあ、そんなに王族がいるのには大きな理由がありまして、1つは全世界に遺伝子を広める必要があるからなのです。そのため、毎年500人以上が平民となり、世界各地へ旅に出ています。毎年、それだけの子供が生まれているということなのですよ」

「500人以上の既婚女性が毎年子供を産んでいるとでも言うのか?」

 

真面目な黒髪少女は怪訝な顔をした。ほんのり顔が赤いのは、話題が話題だけに照れているのだろうか。

 

「ハレリア王族に結婚という制度はありません。半分の女性の、さらに3分の1、3千人は娼婦なのです。そういう方々がハレリア各地でどんどん子供を作ります。

生まれてすぐに王宮に預けられ、5歳くらいまでは後宮で基礎教育を受け、それから資質試験を行い、六家へ送られます。それはまあ、中には本当に公爵や国王など要人の子もいますが、はっきり言いまして血縁で区別されることはありませんね。

血縁が分かっていましても、資質の関係で別の家へ送られることも少なくありませんし」

「それは血筋に寛容というよりも……」

 

話が進むにつれ、顔色をコロコロ変えるエヴェリアは、今度は青ざめている。

白ローブの巨乳少女は頷いた。

 

「ええ、国王の資質の認定者ですら、100人単位でいるのですよ。

今回の戦争で王族六家は当主がすべて死亡しましたが、ハレリア王国としては痛くも痒くもありません。だからこそ、彼らは平気で命を捨てに行くことができるのです」

「異常な国、か……」

 

呟く赤毛少年にとって救いなのは、白ローブの少女がそれをあまり快く思っていないということだった。少なくとも、彼はそう感じていた。

 

「君はどうなんだ?」

「私ですか?」

「ずっと、鉄壁のフードで顔隠してたろ?それって、顔を見せるのがまずいってことなんじゃね?」

 

指摘された少女はフードの奥で渋い顔をする。

 

「……まあ、タイミング的には問題無いですかね」

 

彼女は鉄壁だったローブのフードを脱いだ。

緩くウェーブのかかった、輝くような金色の長髪。端正で清楚に整った彫りの深い顔立ちは、どこかで見たことがあった。

彼女は少し恥ずかしそうにしながら名乗る。

 

「私は、ミラーディア・ニジ・ゲヴュン・ハーリアと申します。ハーリア公爵家第3位。

現ハレリオス王家第2位、つまり次期国王候補であるハルディネリア・リウス・オルタニア・ハレリオスの、実の従妹に当たるのです。

まあその……顔がそっくりなのですね」

 

言われて思い出したのが、半年前の武術大会本戦開会式である。

王女ハルディネリア。大勢の観客を一瞬、静寂させたほどの美貌の持ち主。

見ればその端正な顔立ちは、やや痩せているとはいえ、従姉と呼ぶに相応しい美貌だった。

顔を出して歩けば、目立つなんてものではない。要らぬトラブルを必要以上に誘発してしまうだろう。

だから、いつも顔を隠しているのだ。

 

「つーか、次期国王の従妹って、割とマジでお姫様じゃねえか!」

「ちなみに、父は前国王トワセルの双子の弟で、母親も双子同士です」

「普通の国なら間違いなく、王位継承権が発生する血筋だ……」

「えー!俺割と遠慮なくセクハラしてたよ!ぱんつ覗いたり猫耳付けたり!」

「責任とって結婚していただきましょうか?それとも処刑台に送りましょうか?」

 

慌てるジョンに、ミラーディアは愉快そうに笑った。

落ち着くために赤毛少年は美少女である彼女に白い猫耳を装着。

 

「……うむ!」

「ふんぬ」

「ごふぅ」

 

グーで殴られた。

 

「いかん、余計興奮してきびゅる」

 

床に倒れてからついでとばかりにローブの裾に頭を突っ込むと、割と本気で踏まれる。

 

「やはり変態でしたか……」

「変態は元々だろう」

 

少女達は2人して呆れた。

 

 




ハレリア王族の顔の造形:

三派六家の三派によって異なる。
英雄を取り込んできたとはいえ、英雄にも種類がある。
そのため遺伝的に政治に向いた者と、研究に向いた者、武術に向いた者など、様々な資質が発現する。

同じように、様々な英雄の血を取り込んだハレリア王族は、顔の造形もある程度似た者が出てくることがある。
ミラーディアに似た顔の女性はそれなりに多い。
とはいえ、見分けがつかないほどということは滅多にない。

つまり、国王に似た顔の者は結構いる。
それが見分けがつかないほどの場合、間違われないようにヒゲの有無、服の色や種類などで変化を付け、見分けやすいようにするのが通例である。

ミラーディアとハルディネリアの場合、ミラーディアは通常業務として白いローブを着用しており、見分けやすいように身体をやや細身に絞っている。
フードを被っているのもその一環。
つまり、ハルディネリアが白ローブ姿でジョンの前に現れたのがイレギュラーなのである。
ちなみにハルディネリアの標準スタイルは白いドレス。



ハレリア王族三派六家の紋章:
単純な造形が多く、それぞれに天文現象の意味がある。
国家としての形が整ってきた900年前に制定され、そのまま使われ続けている。

ハレリオス:王家
赤い月と重なる黄色い太陽。
日食の様子を意匠化したもので、よく赤い太陽と黄色い三日月に間違われる。
太陽の光がハレリア王国のシンボルであるため、太陽と月で2倍太陽の光を象徴するということで日食となった。
ハレリア王国の国旗でもある。

ハーリア:宰相家
黄色い太陽。
ハレリオスの紋章における勘違いのせいで、こちらも黄色い満月と間違われることが多い。

ファラデー:王宮術士長
紫色の月。
満月と勘違いされることが多いが、新月である。
紫は闇を意味するため。

マクミラン:王宮神官長
黄色の中抜き円。
金冠日食を意味する。

マディカン:元帥家
赤い円。
満月を意味する。

デンゲル:騎士団総長
赤い中抜き円。
皆既月食を意味する。



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NGの理由

会談は続く。

 

「それでは今後のことについてお話があります」

 

赤毛ショタエロジジイを椅子に縛り付けて、ミラーディアは話す。もちろん、セクハラ対策だ。

 

「そういや、転生者(オレ)のこと公表して国際会議を開くとか、そんなこと言ってたな」

「はい。準備が必要ですから、1年後のことになるかと思います。その間、異世界転生者だと分かるような、超技術の産物を作ってください」

「例の新型弩砲は異世界の技術で作ってあるぞ」

「もっと分かりやすいものをお願いします」

「なるほど、了解」

 

ジョンは頷いた。依頼と考えればいい。

遠慮なく異世界の技術を盛り込めるということでもあった。

 

「それと、さらにその後のことなのですが、ジョン君にはどこか他の国に移っていただくことになるかと思います」

「ハレリアは転生者を手放すというのか?」

 

エヴェリアが怪訝な顔をした。

転生者の確保はその国にとって、大きな権益となりうる。それを自ら手放すというのだ。首も傾げたくなる。

 

「1つは、ハレリアが神族(かみぞく)に匹敵する戦力を保有していることを、今回の戦争で示してしまったことにあります。いくら神族(かみぞく)との契約で領土を拡大できないと言いましても、それを破棄して領土拡大に転じる可能性はあるのですからね」

 

ミラーディアの説明にエヴェリアは唸る。

 

「正直、『成り立て』とはいえ神族(かみぞく)に対抗できる手段は、軍事強国と言われるイリキシアにもない。研究はされているが、まだ神族(かみぞく)の足元に届くほど完成してはいないのが現状だ」

 

エヴェリアは、背後に控えるカッセルにちらりと視線を向けた。そこにいるのは相変わらず、腕を組んだまま直立不動で黙っている黒髪少年。

 

「ベルセルク兵は、数を揃えるのが難しいという問題があるようですね」

「なんだ、知っていたのか」

「詳しくは知りませんよ。ただ、数さえ揃えば、イリキシア軍単独でブロンバルドを攻め落とせた可能性があるという噂を、お聞きしたことがあるのです」

「……まあ、そういうことにしておくか」

 

拘泥しても仕方がない、と黒髪ロリは内心で呟いていたが。

今しているのはマグニスノアの歴史を塗り替えるかもしれない、もっと重要な話だ。

 

「要するに、このままではベルベーズがハレリア一強になるということか」

「はい。そうなりますと、特にベルベインがいい顔をしないのですよ」

「ベルベイン皇国か。大陸南部に教えが広がっているフェアン教の総本山で、マリーヤードと長年領土を争ってきた国だな。神通術(じんつうじゅつ)という厄介な術を使い、マリーヤード軍と互角以上に戦ったとも聞く」

 

エヴェリアが説明したのは、少し遠い国の知識に乏しいジョンに聞かせるという意味が大きい。ミラーディアが嘘を教えないようにという牽制でもあった。

もちろん、ミラーディア自身もその意味でエヴェリアを同席させているのだ。

 

「マリーヤード人って、デフォで超強いんだろ?」

「身体能力が高いというのはその通りだ」

「ええ、身体能力は訓練されたハレリア王族と同等かそれ以上と言われています」

「それは知らんが……1500年前のベルベーズ大帝国時代、皇帝クリストファ・バシファネルドの南進を妨げたのが、マリーヤード人だと言われている。当時の南部はまだ未開地で、戦術も発達していなかったのに、それでも苦戦を強いられたようだ」

「騎士の選定は、どこともマリーヤード一般兵が基準ですしね」

 

それほどに、周辺諸国にとってマリーヤード人は脅威なのである。

ちなみに、ベルベーズ大帝国というのは、ベルベーズ大陸の北部を統一し、しばらく後に崩壊した巨大国家である。地球で言えばモンゴル帝国のようなものと考えればいいだろう。

 

「そんなマリーヤード人に喧嘩売ってんのが、その、ベルベインって国なのか?」

「神通術というのが、それだけ厄介なのです」

 

ミラーディアの後に、エヴェリアがジョンの疑問に答える。

 

「神通術には、『結界陣』というものがある。分かりやすく言えば、敵の魔法だけを阻害する術だ。しかも、限界効果時間がかなり長い。神通術は星王術と違って、発動までに少々時間がかかるが、それを差し引いても費用対効果(コストパフォーマンス)が高くてな。

ベルベインがマリーヤードと食い合いをしていなければ、大陸南部の勢力図は大きく変わっていたはずだ」

「大体彼女の言う通りです」

 

巨乳少女は頷いた。

 

「はっきり言いまして、ベルベインとマリーヤードが手を組むと、非常に厄介なことになります。神族(かみぞく)よりもとは言いませんが、ブロンバルドの100万の洗脳兵よりは確実に厄介です。何より、大きな戦争が終わったすぐ後に、そんな火種を抱えてなどいられません。

今までは聖教国のスパイの影を警戒して、ルクソリス内域にジョン君を匿っている必要がありましたが、もうその必要もなくなりますしね」

「そうだな、最終的にどこに居を構えるかは、国際会議で決めればいい。

――ルクソリスなら問題無いと思うがな」

 

エヴェリアは視線を向けると、白ローブの金髪少女は首を横に振る。

 

「いえ、ハレリアで彼を抱えるのは辞退しますよ。少なくとも、私は次代の宰相にそう進言します」

「なぜだ?スパイ防壁的な意味でも、ルクソリス貴族区ほど整っている場所はそうはないはずだ」

「ハレリアという国の法律に問題があるのですよ。または、ハレリアという国そのものの性質に問題があると言いますか……」

 

ミラーディアは渋い顔で小柄な黒髪少女の疑問について説明する。

 

「ハレリア王族が多産なのは、すでにお話した通りです」

 

毎年500人以上が生まれており、希望者は王族位を返上して平民になる。つまり現在進行形で、ハレリア人は王族を中心にどんどん増えていた。

 

「元々は千年前の建国王シドルファスとその妻リリアーナから始まりまして、ハレリア人はたった2人から現在の4千万人に増えています。同時期に星王教が作られた関係上、ハレリア民族の価値観の規範となる星王教には、性モラルに関する記述がありません。

異民族であろうとも、特に英雄ならば王族に祀り上げられることもあります。今回の大戦で戦死された『雷神』、グレゴワール・デンゲル総長も、マリーヤード騎士を追放された生粋のマリーヤード人ながら、武力を認められてデンゲル家当主となりました。

まあ、問題が出ればどこかで制限はかけるのでしょうね。今はまだその気配はありませんけれど」

「それに、どんな関係がある?」

 

初心なエヴェリアは、嫌そうな顔で聞き返す。

 

「貴族や王族の稀少価値は、制限された数にあるということなのですよ。普通の国に比べ、千倍近い王族がいるハレリアでは、王族であるという利点(アドバンテージ)はほぼありません。他国貴族からは『ナノカネズミ』と揶揄(やゆ)され、私達自身でも『畑で採れる英雄』と比喩(ひゆ)するほど、数が多いのです。

その中の1人が国王になるわけですが、先程も言いましたが国王になれる資質の持ち主でさえ、100人単位で認定されています。また王族六家という教育機関(・・・・)も充実していまして、優秀な人材は掃いて捨てるほどいるのです。

それを端的に表すのが、ハレリア王国の法律です」

 

ミラーディアはいったん言葉を切って、ジョンとエヴェリアの様子を窺いつつ、先を続けた。

 

「ハレリア王国の法律には、平民を守る条項が存在します。

平民が裁判の後に死刑になることはありません。不届き者に対処する危険な任務に就く兵を守るために、『賊認定』という事後承認制度はありますけれども、認定されると討伐時に生きていれば労役か投獄とされ、反省した後は平民に戻り釈放されます」

 

洗脳術、読心術があるからこその刑罰の緩さである。

 

「相手が攻撃してくれば反撃していい、だったか」

「原則その通りです。どちらが先に手を出したのか、厳密なところまで調べますから、何らかの方法で相手の攻撃を誘発しておいてなどというやり方は通じませんけれども」

 

要するに、自分で火を付けて自分で消すことで評価を受けるという、マッチポンプは通用しないということである。

裁判で術士尋問が行われ、つまり読心術で記憶を調べられ、罰せられることになる。心を読む魔法が存在するために、嘘が通じにくいというのはマグニスノアの特徴かもしれない。

 

「貴族は、一応は爵位を持っている間に限りましては、ハレリア政府によって身分が保証されます。ただ、大きな権限が発生する以上は責任が重く、裁判の後に死刑というのがあり得る身分でもあります」

「まあ、ハレリアの刑法は全体的に甘いんだがな。

わざと人を死なせたりしなければ、例え公金を横領しても一定期間の権限の制限や平民降格で済む。復帰の目は残るわけだ」

 

高い身分には重い責任。この辺はハレリアという国の特徴かもしれない。

貴族に重い刑罰を科すことで、平民の死を忌避している。徹底して人口を拡大し、民族の血を世界に広めようとしているのだ。

 

「問題は王族です。はっきり言いますが、ハレリアの法律には、王族を守る条項が存在しません。

裁判沙汰となれば、軽くて平民降格か死刑、重ければ極刑――奴隷降格となります。攻撃されても、反撃――この場合は殺すことに限定されますが、王族に限ってそれはダメです。敵国の兵以外を殺すことは、何があろうとも許されません。

ハレリア王族は、自分の命よりも平民の命を優先することを、義務付けられているのです」

「……」

 

ミラーディアの話を聞いて、エヴェリアは目を見開いて沈黙した。

今までの経験から思い出してそれが事実であると理解し、絶句しているのだ。

 

「ハレリアにおいて、王族の命は平民や貴族のそれよりも遥かに軽いのです。

だからこそ、先の大戦では王族部隊は5000名近くが戦死しました。平民の兵士は戦死者が3名です。

平民ができるだけ死なないように、代わりに王族が死ぬように、仕向けられました。

先の大戦における結末として、平民の死者を3人に抑えたことは、ハレリア王族としては最上に近い結果と評価されています」

「……」「……」

 

狂った国。狂った一族。

いつ死ぬか分からない、『平民のために死ね』と命じられることもある。

生まれながらにそんな宿命を背負わされ、慣れさせられてきた。

 

「ハレリア王族は何でも受け入れます。

敵国の国王でも、山賊でも、傭兵でも、孤児でも、貧民でも。

それが英雄であるなら、積極的に取り込もうとさえします。

もしもジョン君がハレリア王族になったのでしたら、おそらく内域から出ることができなくなるでしょう。

暗殺も誘拐も、ハレリア王族は自分で退けなければならないからです」

「馬鹿な。護衛を付ければいいだけの話ではないのか?」

「その護衛が平民だった場合、護衛が死ぬと間接的に係わったことになります。

平民を保護する条項があって王族を保護する条項がないというのは、そういうことなのです」

「なっ……!」

 

エヴェリアの理解不能な領域である。

 

「王族が王族を護衛するってのは?」

「ジョン君の場合、技術を広める関係で他国へ赴くことが多くなります。

その時に行った先々の国が護衛を付けるわけですが……」

「敵国の兵士以外はそれもダメってか」

「そういうことです」

 

技術を広めに行くということは、敵国ではありえない。

さらに、異世界転生者はナグアオカ教系列からは目の敵にされており、誘拐や暗殺が発生しやすい。

そのための護衛だが、ハレリア王族になると、同じハレリア王族からしか護衛されることができないのである。

自衛能力が常人レベルな異世界転生者のジョンにとって、それは致命的な問題だった。

 

「ジョン君の英雄としての資質は、かなり高い方です。

先代『雷神』故グレゴワール総長に匹敵するほどでしょう」

「マジか。あの人に並ぶって?」

「言っておくが、ジョン殿の発明品は、今あるものが広まるだけでも、十分にマグニスノアの歴史が変わるほどのものだからな?」

 

黒髪ロリは呆れた表情で言う。

 

「前にも言ったが、異世界転生者というだけでも、抱えておくメリットは大きいんだ。

加えて高い技術力と知識、難題をあり合わせで解決できる突破力もある。

各国の王が第一王女クラスの女を送り込んでも不思議はない」

「名前に惚れられてもなぁ……」

「変態のくせに面倒臭いのですね。変態のくせに」

「なんで2度言ったし」

「大事なことですから」

 

ミラーディアは目を細めて笑った。

 

「エヴェリアさんも言いましたが、今から気を付けるべきなのは誘拐や暗殺ではなく籠絡です。

ハレリア王族については、1年は私が止めておきます。

その1年というのが世界会議までという意味で、それ以降は本格的な争奪戦が発生することになるでしょう」

「探りを入れて本物かどうかを確かめていたのが、本物であることが確定するわけだからな」

「そして、籠絡においてハレリア王族ほど恐ろしい一族は、このマグニスノア全土を探しても他にありません。残念ながら、これは断言できます」

「王候補が100人以上いるということは、選ばれるのがたとえ現役の女王であってもハレリア王国としては構わないということだ。好みの問題もあるだろうが、頑張っても権威的には第一王女しか出せない他国とは、出発点が違い過ぎる」

 

エヴェリアは苦々しく呟く。

 

「王族の娼婦が3000人以上いるのです。

露出狂からSM、痩せ型の人、筋肉さん、幼い少女、熟女さん、荒い人から大人しい人、おしゃべりさんから無口さんも、老若男女のラインナップが豊富すぎるのですよ。

もちろん、私のソックリさんやアリスのソックリさんもいます。

ディープなお付き合いからライトなお付き合いまで、錬金術師に鍛冶師という子も揃っています」

「……」「……」

 

2人はあんぐりと口を開けて聞いていた。

ハレリアは、色々な意味で人材が豊富すぎる。

 

「なんか、下手なエロ本よりかエロ設定じゃね?」

「他国の重要人物を籠絡するためとはいえ、やり過ぎじゃないのか?」

「エロ本は読んだことがありませんけども。

籠絡のために娼婦を用意しているのではなく、機会があればエロエロしたがる人が多いという印象ですね。

戦地で兵士を相手にするのが結構人気があるようでして、今回も1000人くらいは従軍しているそうです」

 

従軍慰安婦といえば性奴隷の代名詞とされているが、ハレリア軍の場合は割と勝手についてくるのが多いため、性病が流行らないように場所や施設を整備しているだけで、募集も徴用もしていない。

治癒術で治るとはいえ、術士を無駄に疲労させると、肝心な時に怪我を治せない可能性が出てきてしまうという点もあり、自分でそういうものを治療できる王族の娼婦はそこそこ重宝されていた。

 

「ただ、ハレリア人の若い子の相手には気を付けてくださいね。

加減ができずに腹上死させてしまうというケースが結構多いようですから」

「意外すぎるぞその死亡フラグ!?」

「……」

 

ミラーディアは涼しい顔を、割とにこやかな顔をしていたが。

エヴェリアは思わず壁際に立った黒髪少年の方を振り向いて、顔を真っ赤にして、耳を塞いでうつむいた。

こういう話に免疫のないカッセルが、顔を赤くして視線を逸らしていたからである。

 

エヴェリア15歳、ジョン、ミラーディア、カッセルが16歳。

青春と呼ぶには少々きついエロトークだった。

 

 



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遊郭

戦争につき、大神殿にて軟禁状態だった措置が解かれ、ジョンはまず自分の工房の様子を見に行く。

さすがに1ヶ月も工房を空けていると、色々と整備が必要になっていた。一応、各種装置には錆び止めの油を塗り、埃よけに布を被せてあったのだが、それでも金属部分はところどころ錆びが浮いている。

外から砂埃などが入らないように、入口の扉を閉めてあったのだが、それにしても綺麗になっている印象があるのは、誰かが掃除に入っていたのか。

 

(多分、モーガンだな。アリシエルは……やるかなぁ?変にプライド高そうだし)

 

赤毛ショタジジイはそんなことを考えつつ、炉の点検を始めた。

 

炉は毎日軽く煤を払って綺麗にしている。が、それだけとも言えた。

内側にこびり付いた金属の融けカスなどは、冷え固まった後に叩けば簡単に砕けるので、使う時に掃除することにしている。

融けカスはまだ残っていた。金槌で軽く叩いて砕き、乾いた雑巾(ぞうきん)で拭き取る。

 

次は(ふいご)

木炭などの燃焼を促進させるために空気を送り込む道具である。最初期は木製で、箱の中ほどに紐などで浮かせた板を、足で踏んで空気を送り込んでいたようだ。日本古来の製鉄法として有名な『たたら吹き』にも使用され、文明の発展を陰から支えた立役者でもある。

ここにあるものは、中世西洋で開発された、牛皮を使ったもの。長く使えるが消耗品でもあり、倉庫に予備がある。

 

同じく足踏み式回転砥石も、油を()して回転の具合を確かめ、表面を軽く針金ブラシで擦ったり、小さい金槌で側面を叩いて、音を確かめる。現代地球でも行われている点検方法である。正常なら澄んだ音だが、内部にヒビなどの異常があれば、くすんだ音がするのだ。

足踏み式程度ならそこまで問題無いのだが、これがモーターなどの機械動力によって動いていた場合、砥石の破損は文字通り致命的である。回転中に砕けた破片によって、地球では死亡事故も発生している。

 

倉庫にはアルミニウムが2樽、銅が1樽、鉄が3樽、マンガン、クロム、ニッケル、炭の粉、亜鉛、マグネシウムが少量ずつ。燃料の薪は倉庫の半分を占有していて、温度を上げるための木炭も5樽に詰まっている。

鉄はかなり消費が激しく、最後に確認した時は樽に半分しか残っていなかったと思ったが、モーガン辺りが補充したらしい。

 

今日は各種装置の点検と整備、それに湿気抜きだ。

 

 

 

「やっほー」

 

点検を終えて湿気抜きのために炉の火を見ていると、黒ローブの金髪少女がやってきた。

アリシエルである。2人はいつもの設計室に移動し、世間話を始めた。

 

「1ヶ月振りね」

「こっちは今朝まで神殿にカンヅメだった」

「ああ、間諜(スパイ)とか送ってくる可能性あるって話だっけ。神族(かみぞく)が出てきたってことになると、さすがに内域も安全じゃないし」

「そっちはどうだ?」

「普通に、錬金術師見習いの通常業務よ。軽銀(アルミ)の抽出と、騎士鎧の整備ね。あと研究」

 

いつも通りの様子だ。

 

「あ、それで武具大会の話聞いた?」

「モーガンが言ってたやつなら、俺はエントリーしなかったぞ。これから微妙な立場になってくわけだからな」

「ああ、そうなんだ?私、毎年強制参加だから、ちょっと相談したいんだけど……」

「お前な、錬金術のことなら自分の師匠に聞けよ」

「いつもはぐらかされてばっかりで、答えてくれないんだもん」

 

少女は口を尖らせる。

ちなみに、既にエントリー期間は終了しており、30日の準備期間に入る少し前だ。

 

「去年、俺が話したこと守ってれば、そうそう負けねえんじゃねえのか?」

「まあ、普通の新米騎士だったら問題無いんだけど……」

「?」

「噂で、マルファス君がエントリーしてるらしくって……」

「あいつ、近衛騎士になったんじゃねえのか?」

 

ジョンは首を傾げた。

 

「たった半年で正規の近衛騎士になれるわけないじゃない。まだ見習いよ。ハルちゃんもそう言ってたし」

 

よくよく考えてみれば分かることなのだが、『大親征』によってそれまで集められていた近衛騎士は、12名全員が死亡している。もしも13人目の近衛騎士となっていたならば、あの戦争に動員されていた可能性が高く、死亡していた可能性も高いのだ。そうなっていたならば、戦争直後の武具大会に参加などできるわけがない。

 

正規の近衛騎士の他に見習いが何人かいて、彼らが後任の近衛騎士となるのだ。ほぼお飾りの隔離地位とはいえ、ゼロになるとそれはそれで困るのだから。とはいえ、今回の件で繰り上がったのは3人か4人程度だが。

『雷神』とまともに打ち合えるクラスの戦士が、いつでもそう何十人も出現するわけではないのだ。

 

「で、軽銀(アルミ)であの子の腕力に耐えられるようにって言ったら、大きさが凄いことになっちゃうわけよ」

「あー、さすがにな。アルミ銅合金じゃきついか……」

「――だからさ、『ジュラルミン』、使ってもいい?」

 

アリシエルは尋ねた。

 

説明しよう。『ジュラルミン』とは。

『デュレンで作られたアルミニウム』の合成語で、ドイツはデュレン地方のアルフレッド・ウィルムが発明したとされる。

アルミニウムに銅や亜鉛、マグネシウムを用いた合金であり、加工からの時間経過によって硬度や強度が増す、『時効硬化現象』が発見された後に実用化された、最初の合金でもある。

それが地球で活躍したのは昭和期で、主に航空機に多用されていた。第二次大戦時は日本でも零戦に使われていたという。

 

ジョンが言った『アルミ銅合金』は、『時効硬化現象』が発見された時の、実用化される前の合金だ。アルミニウムに少量の銅を混ぜた合金で、熱処理によって鉄に匹敵するほど強度が増す。ハレリアでは、これが騎士の鎧に用いられていた。

鉄の精錬技術が未熟なのと、魔法全般が鉄を嫌うため、それなりに魔法との親和性があり、精錬の甘い鉄に匹敵するアルミ銅が、騎士の鎧には多用されるのだ。

 

ちなみに、『アルミ銅合金』というのは、同じアルミニウムと銅の合金でも銅の比率の高い『アルミ黄銅』と区別するために、作者が適当に付けた名称である。

 

ジョンは新型弩砲の発射台の部分に、『ジュラルミン』を多用していたのだ。その関係で、手伝っていたアリシエルも『ジュラルミン』の配合率(レシピ)は知っている。アルミ銅の時効硬化による硬度の上昇率を、さらに高めたのが『ジュラルミン』だ。だから、『ジュラルミン』ならばマルファスの腕力に耐えられる可能性があった。

 

「ま、転生者の知識を前面に出すもんを作れって依頼も来てるし、問題はねえと思うぜ」

 

異世界の知識について、許可を取るくらいなら別に構わないかと、彼は適当に頷いた。

 

「あ、いよいよなのね」

 

以前、ある程度はジョンに関する話を聞いていたアリシエルは、これからのことについて、大体理解する。

 

「ミラりん、どこまで話してるの?」

「ハレリア王族が色々おかしい一族だっつーことかな。

8分の1が娼婦とか、あんだけ死んでもまだ2万4千人いるとか。あとあの子、ミラーディアが王様の姪だったってことも聞いた」

「国王の姪とか娘だからって、特別扱いされないってことは?」

「聞いた」

「ふーん……結構話してるんだ?」

 

金髪ツインテール少女は鼻を鳴らして呟く。

 

「アリシエルもそうなのか?」

「ええ、そうね。そうよ。フルネームはアリシエル・クモ・エイル・ファラデー。

王族六家の『魔』を司るファラデー公爵家の千、え~現961位。

数字の多さは、それだけ王族の錬金術師が多いんだって思っておいて」

 

王族の錬金術師というのは、一人前の、という意味だ。まだ一人前と認められていない彼女は、それらより順位が低いのである。

 

「ミラーディアは3位って名乗ってたっけな」

「あの子は天才だからよ。あの歳で大人も差し置いて一桁上位とか、普通はありえないんだから。稀少技能持ちっていうのも順位の高さに関係してるかも知れないけど」

「ああ、そんなこと言ってたな」

 

双子の共感の話はさすがに印象が強かった。

 

「ジョン君、今だから言うけど、あの子に惚れる時は気を付けた方がいいよー?」

「王族にされるとか、そんな話なら聞いたぞ」

「違うわよ。あの子ってば、遊郭に行ったことないみたいなのよ」

遊郭(ゆうかく)?」

 

初めて出てくる単語だった。

いや、娼館のようなものだというのはジョンにも分かるのだが。それなら普通に娼館でいい気もする。

 

「聞いてる通り、王族っていつ死んでもおかしくない一族じゃん?

だから、死の恐怖(ストレス)を発散するために、マクミランが王族向けに専用の場所を作ってるのよ。洗脳術で理性を取り払って本能を剥き出しにするの。

だから、そこに限ってどんな失言しても暴れてもオッケー。もちろん、エッチもね。

ただ、理性を取っ払ってる間はほとんど意識とか飛んでるから、記憶に残らないんだけど」

「お前、なんかとんでもねえこと口走ってねえか?」

 

赤毛の鍛冶少年は渋い顔をする。

 

「私、処女じゃないわよ。ていうか、特に政略結婚用にハレリオスで育てられてるような子じゃない限り、処女なんて滅多にいないんじゃない?

私もミラりんとハルちゃん以外は聞いたことないし」

「よ、予想以上にとんでもねえぜこいつはぁーっ!!」

 

ジョンが物凄い濃い顔で叫んだ。爆弾発言である。

普通、サブヒロインっぽいポジションの未成年の少女が、暗い過去持ちでもないのに非処女などというのは考えられないことだった。

――そんなメタい話は置いておいて。

 

「まあ、そんないつ死ぬか分かんない環境でストレスも発散しないで処女のままいるってことになると……」

「爆発した時はとんでもねえことになるってことか……」

「そういうことね」

 

アリシエルは頷く。

非処女と聞くだけで、若干小柄で幼い容姿の金髪ツインテール少女に少しエロスを感じるというのは、赤毛ショタジジイが肉体的には辞書で性的な用語を調べてしまうような思春期真っただ中だからだろうか。

――そんな心底どうでもいい話は置いておいて。

 

「ああ、ファラデー(ウチ)はそこまで死の危険が大きいわけじゃないわ。そもそも、命令で死ねって言われることがあるのって、25歳以上だし」

「なるほど、な……」

 

納得した。

25歳前後というのは、地球では医学が発達して平均寿命が大きく延びる以前は、結婚適齢期を過ぎる、つまり『行き遅れ』と呼ばれ始める時期である。中世は14、15歳から結婚適齢期となることが多く、その頃から縁談が舞い込み始める。最近の創作物で女子が16歳に結婚するというのは、現在の法令で制限されているという部分が大きいだろう。

 

色々と極端なハレリア王族は、その結婚適齢期を過ぎた王族を容赦なく切るのだ。そうすることで、組織の新陳代謝を活発にしているのである。組織の新陳代謝という意味で、王族にだけは厳し過ぎる法律は、むしろ理に適っていた。

 

異常な国。

まさにその通りだ。ここまで王族の命が安い国も、そうはないだろう。

徹底している。徹底し過ぎている。

 

こんな国の王族になりたいなどと思うのは、余程追い詰められているか、相当な命知らずだけだ。この国の王族にならないように、というミラーディアの配慮は、ジョンとしてはむしろありがたく感じるほどだった。

 

「とう」

「てい」

「~~~」

 

アリシエルに猫耳を付けると、向う脛を蹴られる。ジョンはいつも通り足を抱えて床を転げ、悶絶した。いつも通りでも、痛いものは痛い。

 

「疑問なんだが」

「何よ?」

「今みてえにケモ耳を嫌がるのはなぜ?遊郭とやらで経験してねえのか?」

「さっき、そこでの記憶はないって言ったでしょ?

ストレスを解消するのが目的なんだから、そこでやったこと全部覚えてたら、慣れるまで肝心の仕事ができなくなっちゃうわよ。だから、何やったのかっていう記憶は残ってても術で消してもらうの。そうやって、心だけはまっさらで純情な女の子に戻るってわけ」

 

古い言い方で『生娘(きむすめ)』ともいう。

 

「星王教って、性モラルに関して何も教義がないのよ。フェジョ教みたいに処女性が重要視されるとか、そういうこともないわ。だから、遊郭みたいな場所ができたんだと思う。セクハラを嫌がるのは、仕事上の問題もあるし、気分的な問題もあるわね」

「気分?」

「ジョン君ってぶっちゃけ好みじゃないし、変質者だし、オタクだし、仕事じゃなきゃ近寄りたくもないわ」

「いっそ清々しいほどにばっさり!」

 

赤毛少年は見事に撃沈した。いや、別にその気があったわけでもないのだが。

 

ちなみに、地球で処女性に関して言及されている宗教は、実はそれほど多くはない。

日本に処女性の大切さを求める思想が入ってきたのは明治時代のことであり、おそらくキリスト教が公に広まったのがきっかけだろうと考えられる。それまでは女性の地位や権力が高かったために、男性側から強く言えなかったと思われるのだ。それを示す代表的なものが、『大奥』だろう。

女性が時として、国政にすら強く口を出していたのが、江戸時代なのだ。

 

「ああ、あとね、ハレリア人って性欲がスゴいから、あんまりセクハラとかしない方がいいわよ」

「ふぉぇい?」

 

変な声が出た。

 

「特に若い子は危ないの。性欲に振り回されて、自分で制御できなかったりすると、相手を腹上死させちゃうこともあるんだって。だから、それを知らない人がセクハラしてると、殴って抑え込む必要があるのよ。

乱暴かもしれないけど、腹上死を予防するにはそれが手っ取り早いって聞いてるわ」

「マジかよ……」

 

ジョンは愕然とした。

ただギャグ的にセクハラしたりイタズラしたりしては殴られていたのだが、彼はそれが軽いコミュニケーションの一環だと思っていたのだ。まさか、彼の命を救うという重要な意味があったのだなどと、考えもしなかった。

 

「私の見立てだと、ミラりんは多分危ないわ。

あの子、たまに『結婚か処刑台か』って言い方するでしょ?

あれって、『加減できないから、手を出すと多分死ぬよ』って意味の言い回しなの。

だから、ホントに気を付けた方がいいわよ?」

「……一体どう気を付ければいいのでせうか」

 

ジョンが聞き返すと、アリシエルは顎に指を当てて少し考え、あっけらかんと言った。

 

「……うん、無理ね。ジョン君の方から行ったりしない限り、しばらく大丈夫だと思うけど。向こうから襲いかかってきたりしたらその時は多分、アウトね」

「そうならないことを祈りマス」

 

今度から、セクハラは控えようと心に誓った赤毛ショタジジイだった。

 

 




ハレリア王族について:

今も紡がれ続けている星王神話において、シドルファス・ハレリオスとその妻リリアーナを祖とし、千年前に誕生した民族であり、人種。
リリアーナは『蛇王』によって、『魔物化』に耐性を持つように遺伝子改造された人造人間。
このことから、ハレリア人は『神の眷族の末裔』とも呼ばれる。

リリアーナは遺伝子を広めるために、性欲を強く設計されており、生涯で31人もの子供を産んだとされる。
そこから1千年の間に4千万人強まで人口を増やしており、周辺の8の民族を呑み込んで勢力を拡大、現在のハレリア王国を形成するまで、わずか3世代ほどだったとされる。

リリアーナに施された遺伝子改造は大きく分けて3つ。
1.『魔物化』に対する耐性。
2.性欲の強化。
3.生命力の強化。

もっとも、『魔物化』に対する耐性を除いては、遺伝子を広めるためのものであり、それそのものはそれほど重要ではない。実際、2、3番目の性質が残っているのは、特に血の濃いハレリア王族の中でも1割程度に過ぎない。
しかし、ハレリア王族は高い身体能力を持つことが多いが、それは人間が本来持っている、優れた遺伝子を求める性質によるものである。
もっと言えば、英雄を伴侶に求める性質を、立場などによって阻害してはならないという、星王教の影響によるものである。
ハレリア王族に結婚という制度がないのもその1つ。
そのため、落胤、隠し子、私生児という概念がない。
もちろん、同性愛も制限されない。

ゆえに、優れた遺伝子、つまり英雄を積極的に一族に取り込んできたため、全体的に基礎能力が高い傾向がある。
最初期は遺伝子改造による影響も少なからずあったが、今では英雄の遺伝子の力の方が大きくなってきているようだ。



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余話

本編とは完全に離れた裏話で、長いので分離。
順番設定のため1分ズラして投稿。


ナグアオカ教総本山、ナグリタリヌ教皇国、聖都ナグール。

赤土レンガの古びた街並みに住むのは、ほとんどが宗教関係者と、街を維持する様々な職人達である。炭鉱都市のように、1つの職業を支えるために人が集い、1つの都市を形成していた。

それほどにナグアオカ教というのは、この地にて絶大な権勢を得ているのだ。

 

その総本山のナグール大聖堂に、今1人の賊が侵入していた。

 

「止まれ!これより先は下賎の者が通ることは罷りならん!」

 

賊と言いながら、正面正門から堂々と歩いて入る。

身長は140センチ程度、薄汚れた灰色のローブに身を包み、フードで顔を隠している。

 

制止されても、歩みは止めない。

 

「警告はした。死ね!」

 

大気を震わせる音と閃光。噴き上がる土煙。

衛兵は、人間ではなかった。ナグアオカ教で言う、『天使』である。

ゆえに、人1人を即死させる雷撃を放つなど、造作もない。

 

だが。

小柄で華奢な人影は、もうもうと立ち込める土煙から、何事もなかったかのように歩み出る。

ローブには焦げ目1つない。無傷、である。

 

「馬鹿な!?」

「術で防いだか、ならば!」

 

その場で衛兵をしていたもう1人の『天使』の男が、剣を抜く。

 

「この件は精霊銀製!内側より焼き尽くしてくれる!」

 

叫ぶと人影に剣を突き刺して、剣を通して雷撃を叩き込んだ。

 

青白い閃光が迸り。

ただ、それだけだった。ローブが燃えることもなく、人影はただ歩み続ける。

そうすることでより剣が深く刺さることなど、意にも留めない。

 

剣が刺さっているということは、それを持つ『天使』の男はすぐ近くにいるということだ。

攻撃を無視して歩いてきた人影に不意を突かれた。といっても、人影はただ歩いて、その通り道にいた衛兵に接触しただけである。

『天使』が相手でもただでは済まない、強力な攻撃をしてもまるで通じないという事実に衝撃を受け硬直した『天使』の兵が、それを避けられなかったのだ。

 

普通ならば、よろめくか尻餅をつくだけで済むだろう。

だが、まるで10トントラックにはねられたかのように、男は吹き飛んだ。

そして大聖堂の壁面に叩きつけられる。

だが、大聖堂の壁面には傷一つない。

白銀の全身鎧姿の男が10メートルもノーバウンドで吹き飛び、激突したにも係わらず、傷一つない。

 

吹き飛ばされた拍子に抜け落ちた剣にも、血は一滴も付いていない。

最初に雷撃した『天使』の男が見れば、胸を背中まで貫かれたはずのローブには、焦げ目1つ、切れ目1つ残っていなかった。

常識では考えられないレベルで、無傷。

 

「くっ……!」

 

自分も剣を抜き、歩き続ける人影に向けて振るう。

 

「どんな生物も、首を切れば死ぬはずだ……『天使』でも、首を切られればさすがに死ぬのだぞ……!

同じ精霊銀の剣に熱を纏わせれば、傷口が焼かれ、再生にも時間がかかるようになる……!」

 

しかし。

 

「手応えは、あった、はずだ……骨を断つ手応えが……なぜだ……!?」

 

人影の首が落ちることもなく、ただ幻のように大聖堂の奥へ奥へと歩みを進める。

フードごと切ったはずなのに、フードにも切れ目1つ入らない。

剣は、彼の言う通り確かに首の骨ごと何者かの首を通り抜け、切断したはず。

なのに、ただ悠然と人影は意にも介さず、そんなことがあったという事実にすら気付かないといった風に、歩みを進める。

 

ただ歩いているだけ。

防御も攻撃もしない。

バリアなどを展開している様子もない。

 

「ば、バケモノめ……!」

“下がれ”

 

その時、衛兵の脳内に、念話が響いた。

 

「げ、猊下、しかし……!」

“貴重な『天使』を無駄に損耗するわけにはいかん。その者は通せ”

「は、ははっ」

 

彼らの主人は、それ(・・)が何なのかを知っているらしい。

少なくとも、『天使』をして勝ち目のない存在であると。

内心、忸怩たる思いを募らせながら、衛兵をしていた2人の『天使』の男は、その人影を黙って見送ることしかできなかった。

 

 

 

謁見の間。

天井にはナグアオカ教にある神託の様子が大スケールで描かれており、祭壇の中央で白く切り抜かれた何者かが、多くの拝謁者達を見下ろしている。

また、柱の間に垂れ下がる旗布には、ナグアオカ教の神獣、人間よりも小さいドラゴン『リンドブルム』が描かれていた。

 

「ナグアオカ教とは、『星王(ほしおう)』を尊崇する宗教である。

人間の側に立つ神を崇めるという意味で、星王教とは対になる。

そして、星王教の名の意味を知らぬ者の、なんと多いことか」

 

嘆きを語るのは、銀髪褐色肌の、整った顔立ちをした若い男性。

白い布地に金の縁取りを施された神官衣をまとい、教皇の玉座から立ち上がって前へ進む。

赤い絨毯の敷かれた上座より降り、謁見の間に入ってきた小柄な人影の眼前に歩み出た。

 

「それが『鴉の女王ゴモリ』の意思ならば、それは君らの成果であろう」

 

薄汚れたローブの人影は、はじめて立ち止まり、目深に被っていたフードを脱いで声変わりもしていない、甲高い声を発する。

その顔は、シミ1つない白い肌の、現実離れした美貌の少年。背中に流れる長く明るい金髪の両方の側面から、長く尖った耳が付き出ていた。

いわゆる、エルフ、という種族だ。

 

「『力ある九人』、オロバス御自らお出ましとは、恐悦至極」

 

もしもナグルハ人がそれを見たならば、衝撃のあまり茫然自失となるだろう。

ナグアオカ教の教皇が、片膝を付いて深々と頭を下げたのである。

それはそのまま、オロバスと呼ばれたエルフの少年と、教皇の力関係を示していた。

 

「君の研究について、少し話さなければならないことができてしまってね」

「ほう、『天使』の誤動作だけの話ではないと?」

 

青年教皇が怪訝な表情で顔を上げ、立ち上がる。

元より礼儀作法などは、両者の関係を知らない他人に見せるためのものでしかない。

ゆえに、人に交じり慣れている者はついやってしまうのだが、それで会話を止めるほど、この2人は浅い付き合いではなかった。

 

「いや、まさにその話なのだ、ラウム・マグニス君」

「ふむ?」

「かの『堕天使』が、50年足らずの時にして『バケモノ』と相成った」

「なんと!そのようなことになっておったとは……」

 

ラウムと呼ばれた教皇の男が両腕を広げて驚きを表す。

 

その時、謁見の間に16人の衛兵――『天使』が入ってきて、盾を構えて壁際に並んだ。

 

「そのおかげで、ベルベーズ中の神族(かみぞく)が皆読みを誤り、浮足立っている」

「なるほど、説明が必要だな。……まったく、このような事態を予想したのか、『鴉の女王ゴモリ』は5日前に休眠に入ってしまいおった」

「まったく……あの娘は……」

 

苦り切った顔の褐色青年教皇の言葉に、オロバスも美貌の眉をひそめる。

 

そして、さも旧知の仲のように2人が話していた間に、光の帯が床を走っていった。

それは円を組み合わせた図形となり、聖都ナグールの道を奔る巨大なものとなる。

壁際に立っていた『天使』達の顔色がさっと青褪める。

『ゼウスの雷霆』など、比べ物にならないほどの巨大規模の儀式魔法が発動しようとしているのだ。

 

「げ、猊下――!?」「こ、これは――!」「身体が動かぬ――!?」

 

儀式魔法を止めに動こうとした『天使』達は、盾を構えたまま何者かの念力によって身体を固められ、動けない。

 

「委細承知した。元々、洗いざらい語るつもりであった――」

 

話の最中に、それは発動した。

 

周囲に強固なバリアを展開し、その内側を溶岩が水蒸気爆発を起こす数十万度に加熱する儀式魔法『ゲヘナの火』だ。

特徴は、込める魔力によって際限なく火力を上げることができることにある。

 

オロバスもラウムも、バリアに閉じ込められた段階でなお、気付く素振りも見せなかった。

 

「げ、猊下ーっ!!」「ば、馬鹿な……!」

 

何者かに動きを封じられた中、『天使』達は自らの主が侵入してきた何者かと共に焼かれ、ほんの数秒で灰になっていくのを眺めているしかできない。

 

果たして、それに気付いたのは誰が最初だったのか。

 

服を焼かれ、皮膚がただれ、筋肉や血管も蒸発し、内蔵が炭化して燃えていき、骨までもが熱で崩れてしまった、わずか数十秒の出来事を、彼ら『天使』は死ぬまで忘れないだろう。

その後(・・・)の衝撃(・・・)と共に(・・・)、記憶に残り続けるに違いない。

 

もちろん、こうなっては不死身とされる『天使』でも助からない。

いや、『天使(・・)程度の(・・・)不死身(・・・)度では(・・・)、と言うべきか。

 

「――『天使』とは、知っての通り神族(かみぞく)の『成り立て』に洗脳を施し、そのままバケモノへと至らせる研究のための実験体だ」

 

骨も砕けて消えたその後、教皇ラウムの声が変わらずに響き続けていたのだ。

 

「な……!」

 

盾を構えた『天使』達は衝撃に言葉を失い、呆然とその光景を眺めていた。

 

「残念ながら、その試みは始めてからの800年、一度たりとも成功しておらん。

あの壁際に並ぶ16名、内7名が500歳を超えておる」

「なるほど、これは先が長くなりそうだね」

 

教皇ラウムだけではない。『天使』視点では怪しい侵入者であるオロバスの声も響いてくる。

 

「まさか、幻で……?」

 

それは、1人が呟いた希望的観測だった。だが、彼ら『天使』の優れた知覚が否定する。

確かに、今も内部が数百億度のプラズマの光に輝くバリアの中に、2人は存在していたのだ。

 

「実は、周囲3国に2名ずつ『天使』を貸し出しておったのだ。

ヒトに使われる中でバケモノに成る者が出ればという、苦肉の策だがな」

「なるほど、見えてきたようだね」

「そう、その内の1人をして、『渡し守』カロンを従わせようと巣へ行かせたらしいのだ。

その時にカロンの奴が『神族(かみぞく)の闘争』を仕掛け、それで予の術が途切れて追跡できなくなってしまった。

慌てて探し回ろうとしたが、大きな戦争の中、予自らは動けなんだ。ヒトに任せてしまった。

それが仇となったのであろう」

 

話している内にプラズマの光が収まり、『ゲヘナの火』の効果が終わる。

熱が引いて、物理バリアが解除される。

 

その瞬間、それは始まった。

 

「調べると、ナーゲロンがハレリア侵攻のために、海路ベルベーズ南部へ派遣しておったらしい」

 

破壊を逆巻きにするように、灰が集まって大小の人間の骨格を形作る。

それぞれの言葉に合わせて顎骨がカタカタと動き出す。

 

「その地でオートレスの末裔を名乗る者を教皇の座につけ、それ以降は各地で暗躍し、エルバリアを脅した後はブロンバルドに長く留まっておった」

 

土気色の血管が形成され始め、血管内に血液が通り、文字通りの血色が戻った。

 

「というのも、どうやらハレリアをオートレスとエルバリアとブロンバルドの3国で包囲する計画であったのだ」

 

筋肉、内臓が形成され、耳や目玉ができ、褐色と白い肌が張り始める。

 

「だが、計画の途中で使役者が引き継ぎされずに死亡し、最後の『ルクソリスを破壊せよ』という命令ただ1つに、20年も従っておったようだ」

 

さらに、頭や顔に毛が生え揃う。

 

「ふむ……では、フェジョ新教とは……?」

 

燃えて灰と消えていた服が、着ている状態で再形成され、元の教皇服の銀髪褐色肌の青年と、薄汚れたローブのエルフ少年が、何事もなかったかのように会話を続ける。

 

「確かなことはまだだが、7割方オートレスの偽子孫の仕掛けであろう。

今の教皇とは血統が異なるが、300年前に遠大な計画を立てておったらしい。

その計画に不可欠な要素の1つが、洗脳政策の流布であったようだ」

 

足元、バリアの内側にあって燃えていた赤絨毯、さらに下で蒸発していた大理石の床までもが元通りに復元された。

 

「なるほど、では、少しこちらで追跡調査を行うが、構わんね?」

「無論。ゴモリが眠っておる以上、止められる者もおらぬ。

予も高位の神族(かみぞく)による正確なる調査内容を知っておきたい」

「承知した」

 

オロバスは先程の大儀式の直撃など、少しも気にかける素振りもなく、ラウムに対して背を向けた。

しかし数歩で歩みを止め、肩越しに振り向く。

 

「そうそう、ラウム君」

「む?」

「我々神族(バケモノ)がどういうものかを教えるのは構わんが――仕事のある若者達をからかう(・・・・)のはほどほどにしておきたまえ」

「フッ、肝に銘じておこう」

 

美貌の褐色青年教皇は、親に叱られた子供のようにばつの悪そうな笑みを浮かべた。

 

 

 

オロバスが去った後。

壁際に待機していた『天使』達は、ラウムに声をかけられ、その前にかしずく。

 

「すまぬな」

 

最初に謝罪。

 

「先に予の余興について少し語っておくべきであった。

『ゲヘナの火』を発動したのは、予自身だ」

 

彼は語る。

 

「貴様らがアレに挑む危険があることを、失念しておったのだ」

「恐れながら……」

「申してみよ」

「あの者は一体、何者なのでございますか?」

 

『天使』の質問に、ラウムは鷹揚に頷き、答える。

 

「あれが『妖精王』オロバス。

『大賢者』ケルススと並び、この世に2人しか残っておらぬ、2千年級の神族(かみぞく)よ」

「2千……!」

 

それは途方もない数字だった。

簡単に言えば、今を生きる神話の登場人物なのである。

1千年級の神族(かみぞく)でさえ、今の『天使』では束になっても絶対に歯が立たないと言い含められているのだ。

 

「しかし、それでは猊下の攻撃は――」

「攻撃ではない」

 

ラウムは断言する。

 

「肩に羽虫(・・)が止まったとて、怒り狂う理由にはならぬ。避け、防ぐ必要すらない。神族(かみぞく)の不死身とは、そういうものなのだ」

「は……」

 

それは言外に、他の神族(かみぞく)にとっても相手にならないということを示していた。ベルベーズ大陸で1千万人規模の死者を出した『天使』が、神族(かみぞく)にとっては羽虫ほどの脅威ですらないと、彼は断言したのである。

 

「彼は神族(かみぞく)全体の中でも、慈悲深い方の人格なのだ。

だから、貴様らに思考誘導をかけ、攻撃方法として洗脳術を選択させなかった。

他の者ではこうはいかん。

貴様らが『神族の闘争』たる洗脳術によるを選択した瞬間、灰も残さず滅されておったであろう」

 

『天使』達は、一様に顔を青褪めさせた。

自分達がどれだけ危険なことをしていたのか、今更ながらに気付いたのだ。

相手が優しい性格でなければ、彼らの主が止めていなければ――。

彼らは一瞬で全滅していた可能性すらあったのである。

 

相手の洗脳、思考誘導に気付かないというのは、それだけ彼我の実力差が隔絶したものだったということに他ならない。

 

「……これより、一層精進せよ」

「ははっ!」

 

声を合わせて一斉に頭を下げる『天使』達に、しかしラウムは心中に不満があった。

 

「(バケモノに『成り果てる』者は皆無、か……。

なるほど、仕事、命令を理由に集めたのは失敗だったかもしれん)」

 

神族(かみぞく)とは、理不尽で不条理な、災害が形を持ったような存在である。

 

 




時は遡る。
総勢5千名近くが戦死した直後の戦場へ。

幾百のハレリア王族が塩の柱と化した戦場において、たった1つ黒く炭化したものがあった。
それを中心として、集まる男女。

「驚いた」

呟いたのは、『竜騎士』レグロン。
衣服は腰鎧のみで、引き締まった肉体美の上半身を晒している男。
今は目を縦に裂けた肉食動物のそれに変えて、黒く焦げた神族(かみぞく)の若者を観察している。

「こやつ、生きておるぞ」

レグロンが声を上げる。

「『成り立て』ではなかったのか?」

疑問を呈するのは、『土術士』マリアン。
薄汚れたローブを身に纏う、錬金術師上がりの大柄な女性。

「私にもそのように見えた」

頷くのは、『霊士』グレン。
旅の装束にマントを羽織った尖った耳をしたエルフ。
エルフは小柄で小奇麗な肌をしており、体型や肌の質感に変化が乏しいため、誰も彼もが一律に美少年に見える。エルフは女性も美少年に見えるのだ。

「だが、遠目に様子がおかしいようにも見えた」

グレンは言葉を接ぐ。

そこへもう1人やってきた。
四角い皮を繋ぎ合わせた、露出度の高いドレスを身に纏った灰色紙の女性。
女性として見えてはいけない場所が見えるのもお構いなしに、高空から降りてくる。

「お爺様の話が長くて遅れてしまったわ」

文句を垂れるのは、『人形遣い』マキナ。

「回収するのか?」
「気になることがあるの。一通り記憶を抽出してみるわ」

レグロンの問いにマキナは頷く。

「私も知りたいことがある。コピーで構わない」

要望したのはグレン。

「統治の関係?」
「そうだ」
「了解。いつも通りマトンでいいかしら?」
「ああ、それで頼む」

快く頷いた。

神族(かみぞく)同士、特に役職を持った神族(かみぞく)同士が(いさか)いを起こすことは滅多にない。それが無駄で、酷くつまらないもので、害にしかならないということを、お互いに知っているからだ。

仕事を持っているならば、下手に神族(かみぞく)同士の闘争を行うと、後生大事に守ってきたものでさえ破壊してしまいかねない。
だから、同ランクの神族(かみぞく)同士のやりとりというのは、非常に淡白であることが多いのである。

「グレン、粛清を行うならば、俺を呼べよ」
「まったく、神族(バケモノ)になってまでも戦争好きが治らんとは、度し難いぞ、レグロン」

グレンは溜息を吐いた。レグロンは面白そうに笑う。
珍しく人間味が残っていると言うべきかもしれない。

「なあに、ルクソリスの『魔物』発生の時は、準備中だったゆえに出遅れてしまったのでな」
「約束はできん。『妖精王』に報告せねばならんかもしれん」
「まあそれで構わんか」

話している内に、マキナは炭化しながらなお生きているそれの肉体を、完全に炭となった部分を削ぎ落して瓶に詰める。
それは、脳すら半分焼失してしまった、あの銀髪男の肉片である。
ガラス瓶は、その場で土中のケイ素を抽出して焼成していた。
滅菌保存液も自分の体液から作り出したものを、指先から流し込む。
神族(かみぞく)ならば、錬金術なども当たり前のように無詠唱準備なし、しかも高速で使用できるのだ。
肉体内で化学薬品を合成するのもお手の物である。

「土壇場で『成り果てる』だなんて、難儀な宿命を持ってしまったものね」
「我々には、見ているしかできんな」
「願わくば、数奇な宿命を背負ったこの若者が、我らが使命の後継者たらんことを」

4人の神族(かみぞく)達の呟きは、他の誰に聞かれることもなく、風の中に消えていった。
そしてその姿も、やがて消えゆく。



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4章 貴族議会
スプリガン種


ミラーディアは内域よりさらに内側にある、貴族区に来ていた。自分の考えをある人物に伝えるためだ。

 

その人物の屋敷は、近付けばすぐに分かる。

周囲に弟子達――大半はハレリア王族ファラデー家の者――を住まわせる宿舎が軒を連ね、研究施設となる塔、実験場である広場もある。屋敷そのものも、中央に塔が建っており、なぜか斜めに円筒形の部屋が浮かんでいたり、上下逆さまの建物があったり。景観を損ねているとか、そういうレベルではない混沌とした雰囲気を醸し出していた。

 

知り合い曰く。この混沌具合は、神族の精神を顕わしているとか。

別の知り合い曰く。神族の精神というものに慣れてしまっても困るから、あえて崩しているのだとか。

さらに別の知り合い曰く。単にこれを見た客人が当惑するのを見て楽しんでいるだけだとか。

最後に、亡き父曰く。全部正解で全部間違いであり、そもそも設計した本人もどういうつもりで作ったのか忘れてしまっているため、確認のしようがないのだとか。

 

世の中、所詮こんなものであるという、好例だった。

 

「お待ちしておりました。ミラーディア様」

 

執事の金髪優男が、待っていた玄関で一礼する。

 

「こんにちは。私を待っていたのですか?ジェイムズさん」

 

思わず巨乳少女は聞き返した。

一応、連絡はしたが、『彼女』がまともに待っていることなど滅多にない。以前は重要人物を拉致していったのを追いかけてのことだし、大体は訪問してもどこかに出かけているか、研究室に篭っているか。執事の中では最も長く、神族に近いとも言われる彼は助手で、そういった研究の手伝いをすることも少なくない。つまり、今この屋敷の主は応接室か、それに類する場所にいることになる。

 

寝室という選択肢がないのは、神族がそもそも睡眠を必要とする場合、数ヶ月単位から数年単位で眠るからである。もちろん専用の場所があるのだが、それはこの屋敷ではない。

 

「先程不意の来訪者がありまして。彼は去られましたが、その件にてお伺いするところだったのでございます」

「あらまあ。下手をしますと、すれ違いになっていたかもしれないのですね」

 

これは互いに苦笑するしかない。ちょうど、お互いに用事があったのである。

 

ミラーディアは白ローブ、つまり宰相府の特派員で、その行動は神出鬼没だ。会おうと思えば、会談の申請を出す以外はある程度足を使って探し回る必要がある。広範囲の人間の心を読める神族(・・)でもなければ。だからこそ、目的の人物が近付いてきていることを察知し、こうしてジェイムズに迎えさせているのである。

仕事をしていれば稀によくある、偶然だった。

 

 

 

ミラーディアは応接室に案内された。由緒ある駄作揃いの調度品でしつらえられた、悪趣味な部屋。

 

ソファに座って膝を突き合わせるのは、屋敷の主。

四角い布を角だけ繋ぎ合わせ、ドレスの形に仕立てた、いつもの露出度。気分によっては時折見えてはいけない部分が見えていることもあるという、正真の変態淑女だ。灰色の髪の長さは気分で変わるようだが、今は腰に届きそうなほど長い。

 

「あなたの用事にこうも見事に重なってくるとなると、爺様が絡んでいるのではないかと疑いたくなってくるわ」

 

開口一番、呆れの溜息と共に彼女、マキナ・アルト・シュレディンガー伯爵は呟いた。

明らかに、まだ誰にも話していないミラーディアの考えを、知っている口振りだ。心を読まれるのはいつものことだから、そこは気にしない。というよりも、この程度で動揺するようでは、マキナとの謁見の許可など下りないのである。

 

「珍しいですね。先に読まれるなんて」

 

ミラーディアは素直に口にする。

 

「正直、彼の知識に興味がないと言えば嘘になるわ。でも、あなたの言い分も頷ける。無理に留めて私の預かりにすることはできるけれど、それでは彼の自由な発想を阻害してしまいかねないのね」

「はい」

 

正直に頷く。

頷く必要すらないのだが、この辺りは幼少期から仕込まれている礼儀作法だ。相手が息をするように心が読めるからと言って、説明の手間を省こうとしてはいけないことも、大人達から言い付けられていた。

 

「転生者は、オートレスに会ったことはないけれど、爺様の方はよく知っているから、私は賛成よ。人選も申し分ない。ただ、この構想の中核……多分、不可能に近いから抜けているのね」

神族(かみぞく)サイドの意見者。欲しいのは確かです」

「でも、神族(かみぞく)は奔放で、素直に意見をくれると確約できる相手がいない」

「はい」

 

頷く。どうしようもない話だ。

神族(かみぞく)は、個人で契約を結ぶには、どうしようもなく荷が重い。ゆえに、ミラーディアの構想はまだ、中途半端なものでしかなかった。

 

「ああ、やっぱり爺様の差し金のような気がしてきたわ」

 

マキナは額に手の甲を当てて天を仰いだ。

この灰色髪の美女がこんな顔をするところを、ミラーディアはあまり見たことがない。

まるで――。

 

「まるで、独裁で腐敗させていた国に、神様が直接やってきて国王に意見をし始めたかのような……」

「言葉に出さないの」

「失礼」

 

苦笑で咎められ、ミラーディアはぺろりと舌を出す。

これはハーリアの資質を示すちょっとした予定調和のため、マキナも本気で怒ったりはしない。

大体、彼女を本気で怒らせたその時は、その時点でミラーディアの命は終わるのである。マキナ――神族(かみぞく)とはそういう存在だ。

 

「先程の来訪者というのはお爺様だったのですか?」

「違うわ。『妖精王』オロバスよ」

「あらまあ、『力ある九人』の1人ですね」

「『警告』の帰りに、ちょっと寄っただけだと言っていたけれど」

 

『警告』という単語で、ミラーディアは大体のことを理解する。

神族(かみぞく)が警告で済ませる案件など、最近は1つしかない。それは亡き父が予測していた通りのことでもあった。それによって、数百年単位の時間を稼ぐことができたのだ。『ハレリア大戦』という、未曾有の大戦争も、巨大な宗教戦争の前哨戦に過ぎなかったのである。

『神算』カメイルの策略は、死してなお歯車を動かし続けている。地球では伝説に数えられるであろうというほどの、遠大な計画だった。

 

ちなみに、『妖精王』オロバスというのは、文字通り妖精種の統括者という意味を含む。

妖精種と言っても千差万別で、住む地域も気候も、住める場所も違う。そんな妖精種達の唯一の王として君臨しているのだ。

もちろん、神族(かみぞく)であり、その中でも特別な存在である。並みの神族(かみぞく)では太刀打ちできないほどの、強大な力の持ち主。『力ある九人』とは、そういう特別な9人の神族(かみぞく)を示す言葉であった。

 

「とても嫌な予感がします」

「でも、逆らえないわ。私も、あなたも」

「はい」

 

お互いに、眉をひそめる。ミラーディアにも、それが理解出来たのだ。

より大きな力を持つ者には逆らえない。お互い、歯車の一部になることを選んだ以上は、その枠組みの中で望みを果たすしかない。

 

マキナは手をソファの背もたれの後ろに回し、何かを掴んでミラーディアに見せた。

それは1匹の子猫。首根っこを摘ままれて、手足をばたばた動かしながらぶら下がっている。毛並みは白地に黒と茶色の三毛猫。

 

「みー」

「あらまあ……――!」

 

少女が手を伸ばそうとして凍り付いたのは、短い尾が二股に分かれていたからだ。自然にそのような、二叉尾の哺乳類が発生したりはしない。

たとえ魔法の大地(マグニスノア)であったとしても。

 

「もしかして、スプリガン種……ですか?」

「里から逃げ出していたのを偶然拾ったそうよ。彼の護衛に、だって」

 

マキナは少しふてくされた顔で言った。

 

 

 

「……」

 

そして、ジョンの赤毛の上に鎮座する子猫。下ろしても、そこが定位置と言わんばかりに駆け上る。

普通、子猫は成年より筋力が弱く、ジャンプ力も大したことはないのだが、160cm前後の赤毛ショタジジイの頭まで一気に駆け上がる辺り、普通の子猫ではないらしい。

 

「一応説明しておきますと、その子はワジン列島のスプリガン種『ネコマタ』。

名前はリユです」

 

『ネコマタ』。漢字で書くと『猫叉』。日本の様々な妖怪の中でも、割と有名な部類に入る。特徴は複数に枝分かれした尾。

ジョンは今まで10メートルもある巨大な鳥や、毛のない凶暴な兎に遭遇したことはあったが、いずれも猛禽、猛獣の類だった。妖怪のような特殊な能力を持った生き物には遭遇してこなかったのである。

人間、あるいは神族(かみぞく)は除く。

 

「スプリガン種ってのは初耳だ」

「それはそうでしょうね。普通に暮らしていれば、名前も聞くことはないでしょうし。私も今回初めて見ました。

スプリガン種というのは、簡単に言えば神族(かみぞく)の末裔です」

神族(かみぞく)?聞いた限りじゃ、神族(かみぞく)ってのは『神化の儀』って儀式でなるもんなんだろ?」

「たった1人だけ、とても特殊な生まれ方をした神族(かみぞく)がいるのですよ」

 

ミラーディアは語る。

 

「起源はディリーナ・キルト・スプリガン。

妊娠中に『神化(しんか)()』を行った母親から生まれた、つまり生れながらの神族(かみぞく)なのです。

彼女は意中の人間の夫と子を成し、9人の子供を産みました。なぜ子供を産むことができたのかは、今なお分かっていません。

本人は夫が寿命で亡くなるとその後を追って自殺し、亡骸は東壁山脈のどこかにあるという世界樹の根元に、夫共々埋葬されたと聞いています。その後、9人の子供達が世界各地に散って隠れ里を作り、細々と血を繋いでいるとか。その隠れ里は、噂では神族(かみぞく)が保護していまして、最低限血筋が絶えないように管理されているとのことです。

一度絶えてしまえば、再度復活させることができない血筋でして。稀少性で言えば、各国王族の比ではありません。そのため、神の種、『神種(しんしゅ)』という言い方をすることもあります」

神族(かみぞく)の末裔ってことは、魔法とか使えんのか?」

 

ジョンは尋ねる。

 

「この子がどの程度なのかはわかりませんが、確かスプリガン種は『変化の法』という、肉体を変化させる魔法が得意と聞いたことがあります。そもそも人型の種ですから、元々が人型のはずなのですけれども……。

すみません、私も本で読んだのと、マキナ様から聞いた以上の情報がないのですよ。人間がスプリガン種に接触した記録というのがほとんどありませんし、戦闘の事実や記録というものが存在しませんから」

 

白ローブの金髪美少女は申し訳なさそうに告げた。

 

「ジョン君の護衛に、ということですから、それなりの戦闘力があるのだと思いますけれども。多分、政治的な防壁という意味合いの方が大きいですね」

「ふぁ……」

 

子猫はジョンの頭の上でふてぶてしく欠伸をする。

 

「あれか、神族(かみぞく)の後ろ盾って意味の?」

「はい、その通りです。

おそらく、国家主導の暗殺や誘拐に関しましては、完全遮断(シャットアウト)できるかと。スプリガン種に喧嘩を売るということは、中堅以上の神族(かみぞく)に喧嘩を売るということでもありますからね」

「中堅ってことは、『成り立て』を超えた神族(かみぞく)ってことか」

「はい。先の大戦で戦った神族(かみぞく)がもし中堅級でしたら、おそらく被害はあんなものでは済まなかったはずです。最も緩い予測でも、王族部隊を含めたハレリア軍2万5千は、1人残らず全滅することになっていました。

契約している神族(かみぞく)が早めに動いてくれれば、それだけの被害で済みますけれども……」

 

それ以上は、言葉に出す必要もない、とばかりに少女は言葉を途切れさせた。

 

「前にエヴェリアが言ってた、百万の兵士より神族(かみぞく)1人の方が恐いってやつか」

「はい」

 

実際、ハレリア大戦のハレリア軍側死者数の内訳は、神族(かみぞく)との戦いにおける犠牲が圧倒的多数を占めている。

『成り立て』という、未熟な神族(かみぞく)でさえ、制御なく暴れればそれだけの被害を出すのだ。

 

もっとも、今必要な情報は神族(かみぞく)の脅威ではない。

 

「外に出るんなら、その辺の護衛戦力も必要ってことか」

「一応、世界会議で話し合うつもりでいたのですよ。ハレリア一国で決めていいことでもありませんし。

その機先を制して、神族(かみぞく)サイドの護衛第一号がこの子というわけなのですね」

 

巨乳金髪少女はほっそりとした手を伸ばし、二股尻尾の子猫リユの頭を撫でる。リユが頭の上にいるジョンは、自分の頭を撫でられている気がして、少し動悸が高まっていた。

精神年齢は高いとはいえ、肉体年齢は年頃の少年である。

年頃の少女の香り体臭を感じれば、精神はどうあろうと肉体は反応するのだ。

そんなとき、少女は何かに気付いて声を上げる。

 

「あ、角度によってはジョン君の猫耳っぽいですね」

「にゃん、だと……!」

 

ミラーディアは天才だと思いかけて、誰得だと思い直した赤毛ショタジジイだった。

 

 




スプリガン種:
神族と人間の混血種。
人間より遥かに優れた身体能力と魔法に対する適性などを持つ。
見分けるには、在来種には存在しない部位を確認するしかない。
8種が神族の管理下で隠れ里に住んでいる。
祖である神族ディリーナ・キルト・スプリガンから、スプリガン種と名付けられた。
動物形態の通常の進化の結果からかけ離れた容姿が特徴。
人型形態と動物形態の年齢が一致する。

ネコマタ:ワジン列島南部、ムロト
二股に分かれた尻尾が目印の猫。

スクヴェイダー:東壁山脈最北部、インダーミル
翼のある兎。

シームルグ:セウム王国東部、アンマブル
輝く極彩色の翼を持つクジャク。

カーバンクル:レドラント大島南部、ヒンムル
額に赤い宝石を持つマングース。

リンドブルム:ナグルハ大半島北部アプシル山脈中央部、アプシル
全長0.5馬身(1メートル)程度のドラゴン。

虹蛇:ダイトー砂漠東部ノクタリヤ近辺、オブスクル
全長1馬身(2メートル)程度の虹色の蛇。

ナインテイル:ロマル大陸北部ノマロック大森林、ラナル
九つの尾を持ったキツネ。

カプリコーン:ヌシド海峡北端海域、クルセトル
山羊の頭を持ったイルカ。



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武具大会前

「マーガレットって知ってるか?」

「――っ!!」

 

モーガンがひと言訊いた瞬間、ジョンの身体に悪寒が走り、椅子を蹴倒して思わず立ち上がった。

 

「お、おい、どうしたんだ?」

「……あー、いや、俺の早とちりかもしれねえ。続けてくろえぁ!?」

 

キョロキョロとあちこちに視線を飛ばしたり、若干挙動不審になりながら、少年は椅子に座り直す。

――座り直そうとして、椅子が倒れていることに気付かずひっくり返るまでがテンプレである。今は頭に乗っていた子猫が、腹の上に三回転着地を決めるのが追加されている。

 

「大丈夫か?マジで」

 

悪人顔の赤毛少年は心配そうに腰を浮かせ、鍛冶少年を覗き込んだ。

 

「い、いや、大丈夫だ。別人って可能性もあるんだ。決めつけちゃいけねえよな。差別ダメ絶対」

「大丈夫に見えねえぞ?変なこと口走ってるし」

 

モーガンが出涸らしの紅茶を淹れ直し、差し出すと、ちゃんと椅子を立てて座り直したジョンが飲み、落ち着く。三毛の子猫リユはその頭に座り直した。

 

「さあ、ドンタコス!」

「あー、うん、まあいいや。それで、マーガレットってやつのことなんだが……」

 

生まれつき悪人顔の赤毛少年役人は色々面倒臭くなって無理矢理話を進める。

 

「どっかの貴族の令嬢にでも手ぇ出したか?」

「間違ってねえけど……よく分かったな」

「本人だ。間違いねえ……!」

 

ジョンは頭を抱えてテーブルに突っ伏した。

 

「マリーヤード人の傭兵団がルクソリスに来ててな。士官ついでに武具大会に出るんだってよ。そんで、エヴェリアが担当になって、見るなり襲いかかったって話だ」

「背骨折れたりしてねえだろうな?」

「いや、その辺は知らね。傭兵団の団長が捕まえたって話は聞いたけど」

「……大足(ビッグフット)か」

「そうなのか?いや、エムートから来たって言ってたから、ジョンなら知ってるかと思ったんだ」

 

まさかこんな反応をするとは、モーガンとしては予想外だったが。

 

「『運送屋』っつってな、エムートの問題児集団だよ。団長と副団長は本名じゃなくて通り名で呼ばれてる。大足(ビッグフット)が団長で、下っ端死神(ゲーデ)ってのが副団長だ。

その2人は人格者なんだが、団員の3人が色々と問題児過ぎるんだ。しかもクッソ強い」

「そんなに強いのか?」

「多分、団員でもマルファスといい勝負するんじゃね?」

「マジでか」

 

マルファスは近衛騎士候補であり、近衛騎士は一般兵に混ざるには強過ぎるという理由で隔離されている兵士でもある。マルファス自身も候補生とはいえ、武術大会で何人もの騎士を倒しているのだ。

そんな近衛騎士候補と同等ということは、その手に合う武具さえ作ることができれば、武具大会なら簡単に優勝できる可能性があった。武具大会は、ルールとして一般兵が騎士を倒しうるまでに、騎士の力を抑えるようにできているのだ。

組む錬金術師に、そこまで腕のいい者が出場しないからである。

 

「そんなもんだから、他にいた傭兵も手ぇ出せねえの。特に末娘のマーガレットは小さい物好きで、俺も何度背骨折られかけたことか……」

 

ジョンは思い出したのか、頭を抱えた。要するに、力加減を知らないのである。

ちなみにジョンの身長は161cmで今も小さいが、エムートにいた頃は9歳であり、もっと小さかったことは想像に難くない。

 

「ベルナールも大変な相手を引き当てたものだ。……私もか」

 

ブツブツ呟きながら、小柄な少女が設計室に入ってきた。

いつもの長く艶やかな黒髪に、それなりに日に当たるはずなのに雪のように白い肌、紺色のベストと同色のロングスカートは、役人の制服である。モーガンの服装も紺色で統一されている。

 

「おお、災難だったな、大丈夫だったか?」

「ああ、大丈夫だ。顔見知りだからと油断していた私も悪い」

 

エヴェリアはモーガンの心配に応え、しっかりとした足取りで自分で紅茶を淹れてテーブルに着く。きっちり新しい茶葉で。

 

「顔見知り?マーガレットと?」

 

ジョンは目を丸くして尋ねた。

 

「そういえば言っていなかったな。私はイリキシアから、護衛のカッセルと一緒に旧ブロンバルド領を縦断してきた。イーザン平野が封鎖されていたから、山道を通ってエムート経由でハレリアに来たのさ」

 

エヴェリアは説明する。

 

「ブロンバルド領通ってきたって?そりゃすげえな」

「ミラーディアへはルクソリスへ来た時点で話していたんだが、まともに町や村に入れば必ず事件に巻き込まれるという、酷い有り様だった。食糧を手に入れるために山に入っても、そこに潜伏している人々に遭遇して剣を向けられたりな」

 

なかなか壮絶な経験をしてきたらしい。

 

ブロンバルドという国はほぼ完全に滅亡した。各都市は貴族が圧政を敷いており、脱出しようとした住民は捕まって殺され、城門の前に晒される。小さな村でさえ、会合を開くとその内容が筒抜けとなるため、住民は互いが互いを監視するようになり、人間不信が広がっていた。

 

さらに、イーザン平野に進軍する百万人を支援するために6百万以上動員されていた奴隷兵達は、捕えられた神族(かみぞく)によって自殺させられていた。それはイーザン平野を封鎖していた城砦都市イーズリーにも波及しており、10日経過した現在も、死体の処理が未だ追い付いていない状況である。

政府中枢やフェジョ新教などの詳細はまだ判然としていないが、これからさらなる惨状が判明するだろうことは、想像に難くなかった。

ここから元のブロンバルド王国を取り戻すのはほぼ不可能というのが、各国の一致した意見だ。

 

「まあ、そんな酷い旅のせいで疲れていたこともあってな、あの時は抵抗も何もできなかった。

私もカッセルも、歩くのがやっとというほどに弱っていたからな。大足(ビッグフット)が止めてくれていなければ、どうなっていたか」

 

エヴェリアは渋い顔で言った。

 

「どうしようもねえよな、それ」

「人は調子によって、発揮できる能力(パフォーマンス)に大きな開きができる、ということを、身を以って思い知らされたよ」

 

黒髪ロリは一口お茶を飲み、自嘲気味に呟く。

 

 

 

「幾つか、話がある。1つは戦後処理についてだ。

洗脳術政策の影響を除去するのは一筋縄ではいかん。

そこで妖精族に協力を仰ぐことになった。まあ、この辺は以前から議論され、計画が練られていたことだ。それが計画の通りに動いていると考えてくれればいい」

 

洗脳術統制、洗脳術政策は、魔法による洗脳を前提とした民衆支配の方式のことだ。民衆を疑心暗鬼、人間不信に陥らせて、結束を断つことで反乱を防ぎ、その上で恐怖による圧政を行うのである。

 

地球では魔法こそないものの、北朝鮮の支配体制がこれに近い。

家々を幾つかまとめてグループにし、その中から脱走や反乱などがあった場合、計画に係わっておらずとも連座の罪で罰するというものだ。計画の情報を密告した場合、密告した家は罪を免れる。こうすることで、反乱や脱走などの情報を入手し、未然に防ぐのである。

ただし、当然ながら互いが互いを監視する生活のため、民衆は強い人間不信に陥ることになる。

 

マグニスノアでは洗脳術や読心術が存在するために、いつ誰が密告者になるのか、当人にすら分からない。ゆえに、あまり他人と繋がりを持てば、その他人を知らず殺してしまうことになる。また、変な勘違いをされれば、自分が殺されるかもしれない。

そのため、まともに会話すらできなくなるような、疑心暗鬼に陥るというわけだ。

 

だから、逆に人間とはまったく価値観の違う種族に協力を仰ごうというのだ。その手の異文化コミュニケーションに慣れている種族に。

 

 

 

「2つ目は、世界会議の件だ。

ハレリアもそうだが、イリキシアがブロンバルドの戦後処理にかかりきりになることが予想されている。だから、私とカッセルがイルクシス8世陛下の世話役をすることになるだろう。

イリキシアは軍事力はあれど、人員の絶対数が少ない。軍事力も多脚馬(スレイプニール)騎士団の力に頼り切っている部分が大きいからな」

「要するに、忙しくなるからこっちに顔出せなくなるってことか?」

「そういうことになる。調整が始まるのは世界会議の1ヶ月前くらいだが、先に言っておこうと思ってな」

 

エヴェリアは頷いた。

 

「てか、世界会議の話って、俺にも関係あることなんだよな……」

「ジョン殿の方はミラーディアがなんとかするだろう。1年かけて細かいところを詰めていけば、彼女なら上手くできるはずだ。後宮(ハーレム)建設なんて噂もあるようだから、気を付けるに越したことはないがな」

「お、おう……」

 

ジョンは口籠る。ハーレムは男の夢。

確かにそういう願望がないこともないのだが、彼としては転生者としてではなく、ジョンという一個人を見てもらいたいという気持ちが大きいのだ。ゆえに、自分だけのために女性を無差別に集めるハーレムの建設に、全面賛成というわけではない。

 

それよりも気を付けるべきなのは、ハレリア王族がハーレムに交じる可能性だった。

若いほど危険、ハレリア王族は元々性欲が強い。その他の様々な情報から、最も危険なのがミラーディア自身であるというのも、大きな注意点だろう。

命を落とす原因が腹上死というのも、なかなか無い話だ。

 

 

 

「……最後に、武具大会についてだ」

 

似非ではなく純で初心な黒髪ロリは、さっさと話を切り上げて次に移った。

 

「私はマーガレットに余程好かれているようでな」

「ちょうど背が小さいし、綺麗な顔してるもんな。マーガレットはそういう子が大好物なんだ。俺も9歳頃はもっと背が低かったし、鍛冶仕事で肌が焼ける前だったし」

「う、うむ……それで何度か試したが、まともに話ができん」

「あー……」

 

ジョンは頭を抱える。エムートにいた頃、散々頭を悩ませていたことである。

 

「職人の方に直接話してもらうってことはできねえのか?それが無理ならゲーデを捕まえるしかねえんだが……」

「いや、得意武器については私抜きの対話で解決しているのだが、マーガレットの戦い方が少々破天荒でな」

「ああ、なんとなくわかる……あ~……なるほど、そりゃ悩む」

 

赤毛の鍛冶少年は大きく溜息を吐き、天を仰ぐ。

 

「どういうことなんだ?」

 

モーガンが尋ねる。

 

「武器を投げて、防御と回避の二択を迫るんだよ。で、メインの攻撃は素手で殴るか蹴る。大型の獲物を仕留める時の常套手段だ。小動物なら自分が突っ込んで、後で武器を投げるんだが、エムートで手に入る武器なんて、大したもんじゃねえからな。

マリーヤード人が素手で殴る方が、下手な武器使わすより威力があるんだよ。咄嗟のときにゃ、そういう風に身体が動くように鍛えてんのさ。ついでに人間相手でもそれが通じる」

「おいおい、それ武具の意味ねえじゃん」

「だから悩むんだろう」

 

エヴェリアは渋い顔をして言った。

 

「これが武術大会ならば、そこまで悩む必要はないんだがな」

「まったく、とんでもねえ野生児だぜ」

「一応、デンゲル家の者に見てもらったが、相手にすることはできても、今から武具主体の戦法に鍛錬し直すのは無理だと言われてしまった。武具大会に間に合わせるのは無理だと」

「無理かぁ……」

 

デンゲル家は、王族六家の中で『武』を司る公爵家である。

そこでは様々な武器や、それらを使った武術が開発されていた。異種武術による訓練も日常的に行われており、ありとあらゆる戦術に対応できるように、鍛練が行われている。

 

「なあジョン」

 

ここで悩む2人にモーガンが口を出す。

 

「殴る武器ってのはねえのか?」

「ん?戦鎚(メイス)とかか?」

「いや、そうじゃなくてよ。ほら、南部でやってる拳闘って、拳に皮のベルトを巻くって言うじゃん」

「ああ、グローブな。『ナックルダスター』とか、『バグナウ』とか……」

「なんだ、それは?」

 

エヴェリアが目を丸くして尋ねる。

真面目な少女はこの1年ほどで色々と勉強していたのだが、まだベルベーズ大陸南部について知らないことも多い。その辺は庶民派のモーガンの方が詳しかった。

 

「説明しよう」

 

ジョンが座ったままポーズを取って話を始める。以前、派手に恰好を付けてドン引きされた反省を踏まえて、アクションは控えめである。

 

「『ナックルダスター』ってのは、拳を保護するために巻く革のベルトに、金属を縫い付けたもんだ。拳の保護機能を損なうことなく、攻撃力を上げる目的のもんだな。

一応、鍛練で同じような硬さの拳を持つってことも不可能じゃねえんだが、何年もかかっちまう。だから、手軽にそういう硬い拳を作るってわけだ。

もちろん、重装鎧の籠手なんかも同じような機能がある。あっちは刃物に対して手を守るってわけだから、原則金属製だな。猛獣を殴り倒せるような拳打(パンチ)ができるやつなら、そのまま殴っても『ウォーハンマー』辺りで殴ってるのと変わらねえ威力があるだろうぜ」

「フムフム……」

 

エヴェリアは相槌を打ちながらメモを取る。

書いているのは薄く削られた木の板、いや、(かんな)の削りカスと言った方がいいほどの木片だった。

 

「『バグナウ』は、いわゆる『鉄の爪』ってやつだな。取っ手を握ると、指の間から刃物が出る形になる。それで殴ると、拳より先に出てる刃物が相手を傷つけるってわけだ」

「要するに、素手で殴るという部分を武器による攻撃にしてしまうわけか」

「その通り」

 

赤毛ショタジジイが話したのは、そこまで突飛なアイデアではない。ベルベーズ大陸南部で実用されている武器を参考に示しただけだ。

 

「ま、最終的にどういう形にするかは、職人の判断に任せることになるんだろうけどな」

「だが、有意義な話だった。感謝する」

 

黒髪ロリは頭を下げる。

堅実で真面目で有能な彼女ならば、この情報を存分に生かせることだろう。

 

 



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ハルディネリア

ジョンが寝泊まりしていた宿舎が変った。

中世の寝床というのは、基本的に倉庫に近い雰囲気の場所に、ベッドやテーブルに椅子が置いてあるだけの粗末なものだ。

風呂に入る習慣もなく、代わりにお湯の入った桶に手拭いを浸けて、体を拭くのが一般的な庶民の暮らしである。

古代ローマでは、庶民でも風呂に入ることはできたという。ただし、ローマ内だけのことなのか、他の地域でも庶民向けの浴場が作られていたのか、それはわからない。

 

宿の大きさは村や町の大きさによって決まっていることがほとんどである。小さな町村では、宿というよりも空家と言った方がいいような、一戸建てで酒場もないような建物。大きな町になって、やっとファンタジーにおけるイメージに合致するような、宿屋として特別に建築された建物となる。

貴族向けの高級ホテルなどは、別荘地か都市でもなければ存在しなかっただろう。その辺は今もさほど変わらないというわけだ。

 

ルクソリス内域では、職人などが寝泊まりする専用の宿舎がある。

大体2階建てで、1階が食堂兼酒場、2階が宿泊用の部屋。それが一定の区画をカバーするように建設されており、大体歩いて5分以内に1つは宿舎があるようになっている。場所による等級と言うには少々複雑なのだが、鍛冶職人のいる土内(つちうち)区の中では、錬金術師が囲われている火内(ひうち)2区に近い方が、より等級が高いという認識があった。さらに内側の貴族区に近い方が、さらに等級は高いといわれる。

 

実は等級に関しては誤解が多分に含まれているのだが、工廠ランキングトップのハートーン工房の宿舎が貴族区と内域を隔てる運河の際にあるという偶然が、誤解を広めていた。

当たり前のことだが、宿舎が変わるということは工房が近くなったり遠くなったりするということで、同時に工房の位置も変わるような大きな話でもなければ、そうそうあるものではない。要するに、ハートーン工房の宿舎は、15年前の最初からそこだったのだ。さすがの彼も、鳴り物入りであろうとも、最初からランキングトップに君臨していたわけではない。

人に歴史あり、である。

 

ジョンが移った宿舎は、ハートーン工房の職人が多く集う宿舎である。

誤解から生まれた等級は、最高級。誤解に拍車をかける原因となっている出来事も、今まさに食事中のジョンの目の前で起きていた。

 

「大戦終結に伴い、例の新型弩砲が王都に戻ってくるという噂です」

「ほう、転生者が造ったという……」

 

食事中の赤毛紳士ハートーン男爵と話しているのは、金髪の青年。金色の装飾が施された白いスーツ姿のイケメンだ。身長はそこそこ、体形は引き締まっている。

 

「時期としては武具大会が終わってからになるだろうが、軍の機密工房にて再現される予定でしてね。その際には是非ともあなたの力をお借りしたい。ハートーン男爵」

「その時は喜んで協力させていただくよ。デイビッド卿」

「ありがたい」

 

まあ、要するに、貴族区から貴族やら王族がやってきて、日常的に職人達と接しているのだ。おそらく、地理的に近いからという理由で。

 

 

 

「王宮から徒歩で通える距離というのは、とても便利なのですわ」

 

ジョンの目の前では、金髪の美少女が食事をしていた。ミラーディアによく似ているが、別人だ。

白いドレス姿で、ややふっくらした体のラインがくっきり出ているが、肌の露出は低い。粉チーズを散らしたスパゲッティを、フォークで巻いて口に運んでいた。食べ方は上品だが、食べているのは思いっきり庶民食である。コース料理でもなんでもない。美味なのは美味なのだが。

 

ちなみに、二又尾の子猫は同じテーブルの上で、皿に入った羊乳を舐めている。

 

「こんなお姫様が王宮から徒歩でここまで来るって、すっげぇ違和感なんですが……」

「ハレリアでは、それが普通です」

 

ジョンの食事が終わるのを待つ間、頼んでいた軽食だったため、すぐに食べ終わり、ナプキンで丹念に口の周りのチリソースを拭く。ミラーディアもエヴェリアも上品だったが、こちらは見蕩れるほど優雅で、一挙手一投足が気品に溢れていた。

家が違う、というのはこういうところに表われるのだろうか。

 

「ミラーディアも、馬車に乗ることも少なくはないのですが、基本的に徒歩ですね」

「あの子って宰相府の調停官なんだろ?」

「あらあら、私だって王家の調停官ですわ」

 

ミラーディアの役職は、正確には議会議員に近い。

普段は雑多な情報を集めながら役所や貴族の相談に乗る顧問のような立ち位置で、時に権限ゆえに難しい問題についてアイデアを出したり、時に大きな権限を代行して権限ゆえに上げることができない声を拾って届ける役割を持つ。

また、貴族や役所の暴走を監視する役割も負っていた。

 

現代地球では、ここにさらに立法の決定権を与えられて、議会制における議員となる。

しかし、貴族による議会を持つハレリアでは、そもそも必ずしも議員という存在は必要なかった。

代わりに、政務におけるかゆいところに手を届かせる役割を持った、上級調停官とでも呼ぶべき役職が存在しているのだ。

 

「あ、そうなのか。次期国王がどうたらって聞いてたんだが……」

「まあまあ、あの子ったら、そんなことまで話していたのですね」

 

少女はクスクスと笑う。話し方も柔らかで自然で、仕種の端々から優雅さと気品と色香を感じさせる。

 

「実際に当主に選ばれるかどうかは、順位はあまり関係ありませんわ。次の時代を担うのに相応しいかどうか、という方が重要ですもの」

 

ハレリオス王家の第2位、ハルディネリア・リウス・オルタニア・ハレリオス。

1位が当主、国王ということならば、第2位というのは、普通に考えれば後継ぎである。王太子、王女、などと呼ばれる身分だ。

 

「それで、俺にはどんな御用向きで?」

「ミラーディアが気に入った子について、もう一度よく見ておきたくなりまして」

「気に入ったって?」

 

赤毛ショタジジイは首を傾げる。

仮にも王女とか公女と呼ばれる身分の女性が惚れる要素のある人間だと思うほど、自分で自惚れてはいない。

もっとも、これは彼自身が女性からまともな好意を向けられることに慣れていないという事情もあった。前世を含めて童貞なのだ。

 

「ハレリア王族は、伴侶を強く求めます。いなければ探します。

その気が強い子達は、平民に下って他国へ行きますね。時には女の子1人で山賊や海賊のところへ飛び込むこともあるとか。

ただ、それで見つかるかどうかは結局運試し。残って見つかるかどうかも運試し。

幸運に恵まれなければ、遊郭に通うこともあるようですわ」

「遊郭か……」

 

王族という、重圧。平民とは決定的に異なる身分は、幸せばかりではない。貴族とも異なる立場は、時としてその命を奪うこともある。

そんな重圧を逃れることができる、精神への負荷(ストレス)を発散する唯一の場所。

 

ここでは話に出なかったが、ハレリア王族の精力、性欲の強さを解消する目的で、遊郭に通う者もいるようだ。もちろん、男女問わず。

 

「そして、伴侶を見つけましたなら、その恋を全力で成就しようとします。その瞬間は、とてもロマンチックで、蕩けるように甘い一時であると、血が教えてくれますのですわ」

 

顔の前で手を組み、頬を紅潮させて目をキラキラと輝かせて。

ミラーディアと同じ顔ながら、雰囲気が全然違う。その差は表情の豊かさにある、とジョンは思った。偶像性というか、表情による感情の表現力が違うのだ。笑顔の輝きが違うというべきか。

 

「ただ、あの子はその後のことまで考えているようですね。真面目と申しましょうか、手を抜けない性分と申しましょうか……。いえ、もしかすると怖いのかもしれませんわ」

「怖いって?」

「そう、ありのままの自分を曝け出すことで、肝心の伴侶が去ってしまうことが……」

 

ハルディネリアは少し悲しげな顔をして、すぐに悪戯っぽい笑みを見せた。

 

「実際に本人を前にしてみますと、少し考え過ぎという気もするのですけれどもね」

「そりゃまあ、根っこのところで女の子ってことなんだろ」

「身体は動揺していても、心はある程度落ち着いていらっしゃいますね」

「……よく分かるな」

 

ジョンは食事を終えた子猫リユの背中を撫でながら、心臓を落ち着かせようとする。

 

「俺は前世とこっちを合わせて66だ。もう青春なんて歳でもねえのに、体は若い。女の子に微笑みかけられたりすると、反応しちまう。でも、心はそれを冷たい目で眺めてるんだ。その内、折り合いがついてくるんだろうけどな」

 

赤毛ジョタジジイは頭を掻いた。転生による心と肉体のギャップは、彼を苦しめてもいたのだ。

もっとも、それが彼自身の人格を歪めるほどの苦痛ではなかったが。前世の青年期に、似たような経験をしてきたからである。前世50歳まで生きたというのは、伊達ではない。前世を含めて童貞だが。

 

――というわけで、ハルディネリアの頭にウサギ耳を着けようとして、鼻の頭に裏ビンタを食らって悶絶した。

 

そこに軽くでも打撃をもらうと、余程痛みに強いか慣れてでもいなければ、鼻から脳天に抜ける痛みに涙が出ることになる。いわゆる秘孔(ツボ)である。電気が走って体内から爆発四散したりはしないが。

 

「あまり枯れていては、あの子が可哀想ですよ?あなたは王侯貴族ではないのですから」

「なんで今のでそんな結論が出るし」

 

とはいえ、心に刺さるひと言であるのは確かだった。

全力で聞かなかったことにしようとするが、この手の心理分析の専門家には無駄だろう。人間の成熟具合に文明の高低は関係ない。

どんな知識を持とうと子供は子供だし、どれだけ知識が少なかろうと大人は大人なのだ。時によっては実年齢、精神年齢すらも関係がないこともある。

 

「うふふ、誠実そうな方で安心しました」

 

どうツッコむべきか迷っていると、ハルディネリアは椅子から立ち上がる。

 

「これからも、ミラーディアをよろしくお願いしますね」

 

笑顔でウィンクをして、指先でちょいちょいとリユの頭を撫でてから去っていく。その颯爽とした足取りは、とても機嫌がよさそうに見えた。

 

「王家……ねえ……」

 

人の上に立つべく教育されてきた中でも、トップクラスの才媛。

一般的にイメージされる王族には似つかわしくない行動もあったが、その中にもきっちりと頂点、旗頭に相応しい資質を感じさせた。色気があり、華があり、力強さを感じさせ、恰好良い。男女問わず、他者を惹き付ける魅力を感じさせる。

 

「やっぱ、ミラーディアより一回りデカイなぐぎゃ」

 

俯き加減に余計なことを口走ると、子猫リユに眉間を一発叩かれる。

子猫の癖に頭が割れるほど痛く、思わず額を抑えてうずくまった。神族(かみぞく)に近い種というだけあって、割と人語を理解しているらしい。

 

ついでに、とんでもない怪力だということを、赤毛のスケベショタジジイは身をもって知った。

 

 




ナンデヤナ。
ホワーレン王国王都にして、ベルベーズ大陸最大の工房街を持つ城塞都市。
その規模はルクソリス内域以上、実に都市の半分を工房街が占める、鉄工業の一大拠点である。

現在、工房街は活気付いていた。
エルバリア軍を10分の1の兵力で撃退することに成功した上に、その戦いに自ら参加しサポートした国王ルブレム1世が、そのやり方を盗んで自分達の部隊を作り上げることに決めたのである。
これはつまり、ようやくホワーレンが本格的な独立に動き出し始めたということを示していた。

ハレリア王国はこれを歓迎し、メドッソ隊の半分を教導隊としてホワーレン王国軍に貸し出すことを決定。
他にもサポートのための人員、神石と共に錬金術師などを派遣し、補佐を命じた。

通常、国の軍事力の根幹を担う錬金術師の他国への派遣などはまず行われない。
同盟国内で先端技術を融通する場合でも、文書でやりとりするのが通例だった。
その通例を破って錬金術師を派遣したというのは、それはつまり、ハレリアは本気でホワーレンを独立させようと考えているということを意味している。

そんなナンデヤナの工房街の一角。
貴族服を着た、禿頭の老人が部下を連れて、ある工房にやってきた。

「鉄の一つも打てねえ根性無しが、鉄火場に入ってくるんじゃねえ!」
「くっ……!」

白髪、窯焼けした褐色肌、左目の色が少し薄くなっている老人が怒鳴り散らし、工房に入ろうとした若い男は悔しそうな顔をしてどこかへ走り去って行く。
それに眉を潜めつつ、禿頭の老貴族は工房の入口から工房主の老人へ声をかけた。

「相変わらずじゃな、バラク」
「あん?」

薄く変色した左目を閉じて工房主が振り返ると、知り合いの顔を認めて苦い顔をする。
左目の変色は、片目を閉じて鉄の色を確かめ、輻射熱で目を焼かれることで起こる鍛冶師の職業病だ。

地球でも、古くからこの職業病は認知されており、その名残として単眼の神の伝承がある。世界中に存在する単眼あるいは隻眼の神は、ほぼすべてが鍛冶にまつわる権能を有しているのだ。
古代の資料が少ない中、ファンタジーが入っているとはいえ、伝承の中のこの統一性は何らかの真実が混じっているからだと考えられる。

ちなみに、マグニスノアの治癒術といえど、細胞分裂の限界を超えて治癒することはできないため、バラクのような生涯鍛冶職人で通した老人は、完全に失明とまではいかずとも、片目が薄く変色することがそれなりにあった。
もちろん、それ相応に視力も低下している。

「ゴランか。いい身分じゃねえか。こんなところで油売ってても――」
「正直、お前の憎まれ口は、こんな時でなければもう少し聞いていたいところなんじゃがな」

片目老人の減らず口に被せたのは、そうしないと話が進まないからだ。
禿頭の老貴族はそれをよく知っていた。

「なんでえ?」
「グレゴワールが死んだ」
「……んな馬鹿なことがあるかい。ありゃ100まで生きる奴だ、この間みてえなデカイ戦争でだって、アイツだけは最後まで生き残る。ありゃそういう奴だぜ?」
神族(かみぞく)と一騎打ちでもしなければ、じゃな」
「……」

老紳士の指示で運び込まれたのは、鋼鉄製の武具一式だった。
大きな全身鎧と、それに見合った大槍。
ところどころ、鎧は大きくへこんでいて、槍も刃毀れが酷い。
鎧の内側には薄茶色いゴムが薄く焼き付けられているが、その左腕の半ばが黒く焦げていた。

これを身に着けていた戦士は、もう生きていない。
そう思わせるのに十分なほど、それはボロボロだった。

「……」「……」

老人達は、黙ってそれを眺める。

「逝っちまったか」

工房主の老人、バラクは呟く。

「時間がなくて、勝手に改造したんじゃが、すまなんだ」
「しょうがねえ。神族(かみぞく)ってのは、そういうもんだ。そうだろ、ゴラン?」
「そうじゃな」

禿頭の老紳士、ルクソリス太守ゴラン・ノス・ポンサー伯爵は頷いた。

「最期は、コイツだったか……」
「ああ、懐かしいもんじゃ」
「もう30年前だぜ?」
「そうじゃなぁ……」

30年前の武具大会で、後のデンゲル家当主、ハレリア最強の座に上り詰める男をサポートした2人は、震える声で昔を思い出す。

武具大会にて、並み居る騎士達をモノともせずに薙ぎ倒した、伝説の立役者達。
その、悲しき晩年の一幕だった。



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それぞれの

「これは酷い……」

 

黒髪の男は呟く。

薄い山吹色の甲冑をまとい、6本足の馬を歩かせながら、惨状を見て回る。そこは、かつて農村だった場所。田畑は背の低い草に征服され、そこかしこに白骨化した死体が転がっていた。

 

イリキシアとブロンバルドが所有権を争っていたグランディーク、聖地であり流血の絶えない因果の地。その理由の1つが、この地域――ディーク平原が、比較的温暖で農耕に適した土地であるというのがある。

極寒の地イリキシアにとっては、ここを入手するかどうかというのは死活問題なのだ。それゆえに、ブロンバルドがおかしくなる前から、ここをフェジョ教宗主国ブロンバルドから借りていたし、その後もここを奪取しようと、何度も戦争を仕掛けて、押したり押し返されたりを繰り返していた。そのたびに土地は荒らされ、住民が減っていたのだが。

 

「ハレリアに攻め込むに当たり、洗脳術で自害させたか、それとも食料をすべて奪って行ったか……」

 

彼は呟く。

税率を120%に設定、つまり飢え死ぬほどに、何も残さず供出させたということである。元々、ブロンバルドを乗っ取っていた神族(かみぞく)は、ベルベーズ大陸の人間を死滅させるのが目的だったのだ。神族(かみぞく)自身も洗脳されていたという情報を、彼は聞いている。

 

だが、神族(かみぞく)という絶対者が大っぴらに君臨していた頃は、この程度のことは普通にあったとも聞いていた。

自分の意に反する国の国民を、見せしめのために皆殺しにするのだ。そうやって恐怖で心を縛ってしまえば、洗脳もやりやすいのだとか。その再来を感じさせる光景ではあった。

 

男は手綱を握る拳に力を込める。

 

「我々の存在に、意味などあるのか……?」

 

気が向けば、これをなしうる神族(かみぞく)

強大な軍事力を持っていても、その気まぐれによって滅ぼされてしまう。人間は、神族(かみぞく)にその頭を抑えられながら生きていくしかなかった。

ゆえに、覇権争いは起きない。

不届き者を討伐する以外は、こうやって神族(かみぞく)が背景にいなければ、大きな戦争は起きない。

神族(かみぞく)が存在感を示すだけで、名誉も権威も吹き飛んでしまう。たった1人の気まぐれによって、どんな軍団も消し飛ばされてしまう。

 

「意味ならあるさ」

「ボナパルト閣下……!」

 

突然声を掛けられて、俯き加減だった背筋がピンと伸びる。

貴族で公爵。しかもイリキシアでは広大な地域の統治を任されるなど、大きな権限を持った貴族である。

イリキシアでは、要領のいいだけの無能に権限を与えるほど余裕がない。つまり、かの国における大きな権限は、実力と人望の証なのだ。

 

神族(かみぞく)にも、出来ることと出来ないことがある。その1つが、人々に恐れら(・・・)れない(・・・)ことだ。彼らが直接統治すると、その内自動的に恐怖政治になってしまう。

千年前に、それでは人間が死滅してしまうと、『蛇王』は警告された。それ以来、彼らは私達の統治そのものに口を挟んでいない。それはつまり、ヒトに生きていてもらわなければ、彼らが困るということなんだよ」

 

ただし、それ以外に人間や他の知性種が生きている意味というのは確認されていない。

それについては、ボナパルト公爵は言わなかった。

 

黒髪に病的な白い肌、優しそうな美形の中年男性。

黒く染められ、赤で装飾された鎧を着込んでいる。黒と赤は顔料で、白銀の世界で目立つように、少しでも太陽の光を吸収するように、指揮官や司令官は黒地に原色の装飾が多い。

馬は同じく6本足。スレイプニール種という、多脚馬の一種だ。

ボナパルト公爵の馬は、同じ色合いの馬鎧が着せられていた。

 

「どこから手を付ければいいのか、わからないほど荒れているね。正直、私にもどこからどうすればいいのか、最善の回答は出せない。

しかし、とにかくどこからでもいいから手を付けよう。間違っていれば、後で直せばいいさ。間違いを認めることは恥ではない」

「はっ」

 

言われて、今するべきことを思い出した男は、馬上で敬礼すると、少し馬を早める。

今は、復興計画を立案するための情報収集の最中である。

 

 

 

ハレリアでは、武具大会が開催された。

各々、職人や錬金術師見習いが、己の鍛練と経験の粋を尽くして、1ヶ月で最高の武具を作成する。同じく、兵士と新米騎士が、大会に向けて鍛練を行う。いわゆる準備期間だが、職人達にとってはこの期間が本番だった。

そのため、工房は修羅場と化す。

 

「やっぱ、胸デカイな……」

「マリーヤード人女性には専用に作らないとダメですね」

「胸はスイカップを自称している!」

「はいはい」

「むぅ……」

 

女性の胸の話だが、別に性的な意味ではない。

今、金髪褐色肌の筋肉娘が採寸を受けていた。鎧のサイズを決めるための採寸だ。

 

「しかし、本当に全裸でなくていいのか?」

 

マーガレットは尋ねる。

 

「どうせ鎧の下に綿入れを着けるんだから、綿入れを着込んだ状態って意味で服の上から採寸する方がいいんですよ」

 

敬語なのはベルナール。このハートーン工房で一番若い。

兄弟子と2人で武具大会にエントリーしていた。ルール上、工房1つにつき何人でも1つのチームとして登録できる。

たった1人で鎧から武器まで作り上げたジョンが異常なのだ。

 

「採寸と聞いて、全裸であちこち触られるものだと思って、楽しみにしていたのだが……」

「誰だそんなデタラメ吹き込んだ奴は」

「エムートにいた時に、鎧を作った奴がいて、そいつが採寸した時は裸だった」

「エムートって、鎧を作る鍛冶屋なんてあるんですか?」

 

エムートは辺境中の辺境で、行き来に馬が使えないため、徒歩で20日も歩かなければならないという交通の便の悪さから、空白地となっているような場所だった。少なくとも、民衆にはそう思われている。

 

「4年前はあった。彼の前で全裸になる趣味は止められなかったなぁ。何度も服を着ろと言われたが、趣味だったから仕方がない。

あの時の彼が顔を真っ赤にして嫌がっているのを……うへ、うへへへ……」

「……そいつ、苦労してたんだな……」

「ですね……」

 

身長2メートル近く、金髪に褐色の肌、野生で鍛えられた肉体は引き締まっていて、触れてみると女性の肌の軟らかさを保ちつつ、奥に筋肉の動きを感じる、筋肉質で健康的な肢体。

それなりに整った顔立ちだが、胸囲はどちらかというと筋肉によるもので、あまり色気はない。性格が腐っていることもあって、あまりお近付きになりたいと思えない残念な少女だった。

 

ちなみに、身長が高く筋肉質なのは、マリーヤード人の典型である。この大柄な肉体が、マリーヤード人の強さの秘密でもあった。鍛えれば巨躯に見合わぬ俊敏さを発揮し、腕力から繰り出される一撃は、鎧を着込んだ兵士を吹き飛ばすほどに重い。

 

よく英雄譚では体の小さい者が身体の大きな者を倒しているが、あれは体格の差を引っ繰り返すだけの技量を示すエピソードとして紹介されているだけである。

現実は大きさは攻撃の重さであり、リーチの長さであり、体格の差は戦闘力の差に直結した。

 

 

 

「ふむ……」

 

アブラハム・ハートーン男爵は、羊皮紙に書かれた注意文を読んでいた。

火内2区の練兵場にて、これから新型弩砲の再組み立てが行われる。

 

「丁寧な説明書だね。確かに、これなら問題無く組立てができそうだ」

「軍の技術者の1人が、解体の際に指を飛ばしたと聞いておりますぞ」

 

立ち会っている、禿頭の老貴族が注意を促した。

 

「それについても注意されています。いつもの弩砲の感覚でやると、痛い目を見るということでしょうな」

 

赤毛紳士は眉をひそめて溜息を吐く。

 

「しかし、少々考え過ぎに思えるほど細かい」

「ふむ、丁寧に読めば、私にも扱えそうなほどですな」

 

「細かい」というハートーン男爵の言葉は苦言である。

はっきり言って、説明書1つが外に漏れるだけで、この新型弩砲のコンセプトが知られてしまう危険があった。前に一度、役所と自分の不手際で、機密情報を漏らしてしまったことがあるだけに、彼はこういうことには敏感なのだ。

 

「とにかく、始めましょう」

 

今は、説明書に注文を付けている場合ではない。新型弩砲を組み立ててみて、自分の力で再現できるかどうかを調査しなければ。

 

 

 

新型弩砲は、射程距離を延ばすために、随所に金属部品が用いられている。

 

まず、重要部は(ゲン)だ。

これは張りが強過ぎて普通の針金では持たないため、展伸加工を施した、太さが均一なものを使用している。何度も使用する上で、太さにムラがあるとどうしても強度が落ちてしまうのだ。

実物はピアノ線のようなものを想像していただければいいだろう。材質を完璧に再現するには至っていないのだが、太さ的にはかなり近い。

 

針金を作るだけならば、小さな穴を開けた容器に融けた金属を流し込み、穴から流れ出た溶融金属を水で冷やすという方法で作成可能である。金や銀などといった、装飾に用いられる金属は、ハレリアでもこの方法で針金が作られていた。

だが、それでは弦に必要な0.5ミリクラスの針金を作ることができない。

なぜならば、穴が細くなれば、流れにくくなるからである。

高温の溶融金属は粘度が高く、圧力を加えなければ小さな穴からは流れ出さないのだ。そうやって圧力を加える技術がハレリアではまだ未熟なため、それ以上細くするには手加工が必要になり、手加工は太さのムラの原因である。ゆえに、0.5ミリクラスの針金の製作には、ジョンが専用に作った『伸線加工装置』が必須となってくる。

 

もっとも、その『伸線加工装置』も、原理を知っていたからといって簡単に作れるものではない。0.5ミリクラスの円錐穴を空ける手段が、ハレリアにはないのだ。鋳物ではそんな大きさの穴を残すことができないし、鍛練による手加工でも不可能。手で何とかできるサイズではない。

 

ならばどうしたのかというと。

チタン製のドリルを作ったのである。鉄でなければ、ある程度錬金術で加工可能なのだ。ならば、鉄以外の素材で工具を作ればいい。

 

そして、現代地球では必須の動力も、魔法に頼る。

どうやったのかというと、空気圧による動力装置を作ったのである。

電気を作る際、火力発電や原子力発電では、取り出したエネルギーで水を加熱し、沸騰して蒸気になった圧力をタービンの羽根車に受けて軸を回転させ、コイルの中の磁石を高速で前後運動させることで電気を取り出している。

ローレンツ力とかフレミングの法則とか、その辺の電気物理学を利用して、無理矢理電力に変換しているのが現状だ。その方が送信しやすいという事情があるのだが、それは電線などの設備が十分に整っている場合の話である。

 

ハレリアにはそれがない。

しかし、噴射される空気の圧力が十分ならば、そのままタービンなり羽根車をドリルに必要な回転動力に直結してしまえばいい。『空気圧式動力』というわけである。それに必要な風を起こすために、星王術はそれなりに有用だった。

1人では少々体力的に厳しいものの、一度穴を空けてしまえば壊れない限りずっと使用し続けることができる。

そのためにアリシエルが酷使されたのは、彼女にとっては少々つらい思い出だったかもしれないのだが。

おかげで無事に『伸線加工装置』は完成したわけだ。

 

ちなみに材質は炭素、マンガン、ケイ素をそれぞれ少量ずつ。現代地球でピアノ線に用いられる鉄合金の成分だ。錬金術などによって単体金属を抽出できるため、冶金そのものは難しくない。ジョンが細かい数字を覚えていなかったため、それぞれ1%ずつとせざるを得なかったが。

ただ、脱炭層という、強度を著しく損なう問題もある。要するに、材質の混ざり方にもムラがあってはいけないのだ。

それに関しては、折り返し鍛練によって元から層構造にすることで解決した。金属組織の層の向きを縦に固定することで、均一に炭素の層を分配したのである。これによって針金は、金属の組織構造が凝縮され、高い強度を持つようになる。ただ、温度管理はかなりシビアになってしまったが。

現代地球のピアノ線に比べて出来は悪いだろうが、それでも他の方法では再現不可能なほどの強度を誇るのだ。

 

他は、弦を張る弓の部分は軸部分と一体化でクロムマンガン鋼。

軸受にはアルミニウムを混ぜた銅主体の合金。

弦を張るための力を伝える謎の円盤の中身は、マンガン鋼の発条(ぜんまい)

そして、矢が滑る発射台と台座部分が、強度と軽さを兼ね備えた、アルミニウム主体に銅を混ぜたジュラルミン。

 

発条(ぜんまい)は質に差はあれど、地球でも中世には存在していた動力蓄積装置である。薄い板を巻いて、その戻り反発力を動力に替えて利用する。今ではオルゴールや玩具に使われているのが有名だろうか。

当然だが、巻く板が分厚く、材質が高い弾性力を持っている方が、大きな力を蓄積できる。その辺を考慮して、力の蓄積を6回に分散することで、中世レベルとしては信じられないパワーを発揮させることができたのだ。

 

言ってしまえばアイデア次第なのだが、現代地球の技術者が知識の粋を集めれば、ある程度ハレリアの技術レベルに合わせても、ここまでのものを作り上げることができるのである。

 

「なるほど……素晴らしい。凄まじく緻密な計算の下に出来ていますな。感動すら覚える。

これが、異世界の技術……」

 

説明書を見ながら組み立てたハートーン男爵は、興奮気味に呟いた。

 

 




多脚馬種:スレイプニール種

ベルベーズ大陸、東壁山脈北部を原産とする、6本脚、あるいは8本脚の馬のことである。

安定性、走破性が非常に高く、鍛えれば崖を走って登ることも可能。
また、皮下脂肪が多く寒さに強いため、極寒で氷河地帯である極北地域では移動手段、あるいは軍馬として重宝されている。

特にイリキシアではスレイプニール種を乗りこなすことが騎士の条件の一つ。
種の名を冠したスレイプニール騎士団500騎はベルベーズ大陸でも最高の機動力を持った最強の騎馬隊として知られる。

他にも通常種、大型種、小型種と種類が豊富にあり、平地の多い大陸北方では民衆が幼い頃から馬に慣れ親しんでいる。

ただ、どうしても維持費がかさんでしまうため、ブロンバルド王国の台頭による草原地域との交易断絶は、極北地域にとってかなり厳しい状況だった。



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武具大会

「ジョン君は貴賓席です」

「お、おぅ」

 

前年と同じく一般席に座っていたジョンは、フードを被ったミラーディアに腕を引っ張られてVIP席へ連れて行かれる。

 

今日は武具大会の本戦である。

ジョン自身は参加していないのだが、様々な知識人から意見を聞くことができるため、アリシエルとエヴェリアの招待もあって見に来ていた。

 

「あなたもです」

 

一般席で闘技場を見回していた黒髪黒兎耳(ウサミミ)ロリ美少女も、捕まった。

 

「私は留学生なんだが……」

「今年はイリキシアへの支援を大々的に発表しますから、このタイミングで一般席にいられますと、観衆への心象がよろしくないのです」

「む、確かにそうか……」

 

説得され、大人しくついてくる。その後ろには一瞬ためらったカッセルの姿も。

 

 

 

座る順は、カッセル、エヴェリア、ミラーディア、ジョン。ジョンの膝には子猫リユ。

 

「そういや、カッセルは参加しなかったのか?」

「彼はイリキシアの騎士なんだ。それも、新人に混ぜるには強過ぎる」

 

赤毛ショタジジイの質問には兎耳黒髪ロリが答える。

 

「彼は1年ほど、近衛騎士見習いの鍛練に交じっていたそうです。いわゆる、英雄の卵というやつですね」

「ってことは、マルファスと同列ってことか……。

あれ、マルファスって武具大会に参加するとか言ってなかったっけ?」

「出ないそうです。デンゲル家からストップがかかりました。武具の性能を無視して優勝する可能性があるからだそうです」

「あー……」

 

赤毛の鍛冶屋少年が思い出すのは、『魔物殺し』の一件だ。見るも無残な剣の残骸。あんな真似ができるのなら、相手によっては武具の性能はほぼ関係ない。

 

「剣の性能が悪くても、単純に本数用意すりゃいいもんな」

「武具大会は武具の性能を試す試合でもあるからな。その点、アレはアレで微妙なんだが……」

 

黒髪少女が微妙な顔で見る先には、金髪のショートヘアに褐色肌の大柄な女性がいた。

 

 

 

前日までの予選で16人にまで絞られたメンバーに、知った顔もあった。

 

その1人が大柄筋肉乙女マーガレット。

ジョンは噂を聞いただけで、今まで本人の顔を確認したわけではなかったが。

 

「しっかし、なんでまたマーガレットは仕官する気になったんだ?」

「私もそれは不思議に思っていた。話によると、どうも両親の勧めだそうだが……」

 

赤毛ショタジジイの疑問にエヴェリアも首を傾げる。

 

「少し私の耳に入った話ですと、平和というものを教えるためだとか」

「私の印象では、エムートはそこまで殺伐としていなかったがな」

「むしろ平和を乱してたのは『運送屋』の三馬鹿兄妹だったしな」

「いえ、ですから噂ですって。多分、何かの口実なのだと思いますよ」

 

2人のツッコミに白ローブ巨乳は苦笑で返した。この2人は割と分かってやっていたりして、ミラーディア自身もなんとなくそれを感じていた。

 

「まあ、あそこはかなりの危険地帯と聞いていますから」

「危険地帯?」

 

エヴェリアが怪訝な声を上げた。その疑問にはジョンが答える。

 

「まず、南東(ハレリア)側の山にはぐれ錬金術師(ハッグ)がいる。

北東(ブロンバルド)側は確かなんとかって凶暴な猛獣の巣がある。

西(エルバリア)側は崩れやすい崖の道。

危険地帯っちゃぁ危険地帯だな」

「なるほど……案内がいなければ命の危険があるというのは、そういうことだったのか……」

 

少女は納得し、闘技場が盛り上がり始めた。試合が始まるのだ。

 

 

 

武具大会、本戦1回戦、第1試合。早速マーガレットと、新米騎士。

 

マーガレットは軽装に投擲用槍(ジャベリン)、両手はトゲのついた籠手(ガントレット)。事前にエヴェリアが相談に来た時に想定されていたのと、そう大差ない装備である。

頭はケットルハットという金属製の帽子。マーガレットの短い金髪と褐色肌の顔が衆目に晒されていた。

 

新米騎士の方は対称的に全身鎧の重装で、盾と(スピア)を構えている。

鎧に加えて盾も構えているため、攻撃力はともかく防御力は高そうだ。

 

「“凍れ(スッテーン)大地よ(コロリーン)”!」

 

騎士が放った水の塊が地面に着弾すると、そこを中心に直径1馬身(2メートル)程度の地面が氷り付く。氷っているのは表面のみで、地面を支えに薄い氷の膜が張っている状態と考えればいい。

 

「滑る床戦法か!」

 

エヴェリアが思わず言葉にする。

 

「地面に薄く氷を張って、滑りやすくする戦法ですね。

武具大会から軽装鎧短射程を駆逐し、重装長射程化を招いた要因だとか。接近戦用の武装にこの術で、お互いの足を止めて殴り合うわけです」

 

言っている前で、マーガレットは氷の張った地面に遠慮なく足を踏み出した。普通は滑る地面に足を取られるのだが……。

 

「ま、あの野生児がそんなセコい戦法でコケるわきゃねえんだけどな」

 

一瞬、足を取られそうになるも驚異的なバランス感覚で持ち直し、そのままさらに加速する。

実際はスケートリンクのように立てないほど滑るわけではないのだが、雨などで濡れたマンホールの蓋で滑るようなものと考えればいい。あの程度ならば、運動神経が良ければどうとでもなるのだ。

 

予想外に加速して突進してきた相手に、慌てて盾を構える新米騎士だが、突いた槍は弾かれ、懐に飛び込まれて殴り倒される。

マーガレットはマリーヤード人らしく長身で大柄。筋力も高い。金属製の籠手(ガントレット)で保護された拳による一撃は、打撃武器のそれに匹敵する。

 

さらに転倒した相手に彼女は跳びかかって馬乗りになり、拳で相手の頭を兜越しに一撃。

 

「む……」

 

そこで手を止め、兜を脱がせる。新米騎士に動く気配はなく、見事に伸びていた。兜越しとはいえ、その衝撃と音は人を気絶させるのに十分だったのである。

 

「そこまで!騎士アラン意識不明!勝者マーガレット・グラットン!」

 

審判が試合の結果を伝え、観客は沸き上がった。マリーヤード人とはいえ兵士になったばかりの若い新人が、騎士を倒したのである。

普通に考えれば大金星だ。

 

 

 

「グラットン?」

 

黒髪ロリが首を傾げ、隣の赤毛少年に視線を向ける。

しかし、視線を向けられたジョンも首をひねった。

 

「アイツそんな名字あったのか?」

「父親の本名ですね。イヴァン・グラットン。元マリーヤード騎士の家系の人ですから、名字があるのですよ」

 

ミラーディアが説明する。

 

ハレリアを含め、マグニスノアにおいて名字、姓(ファミリーネーム)というのは一般的ではない。

日本でも似たようなもので、国民全員が名字を持つようになった明治以前は、『○○村の太郎』など、出身地が名字代わりに使われていたという。

ジョンの場合は『ヘホイ村のジョン』となる。彼の出身地を覚えている読者も、最早少ないと思うが。

 

これは中世西洋などでも似たようなもので、今でも名字にその名残りが見られる。分かりやすいのは『シューメーカー(靴屋)』、『ブッチャー(肉屋)』、『メイスン(大工)』など。

中世では奴隷を代々特定の職に縛り付けるやり方が中東や西洋では流行っていたそうだ。それとこれらの名字が関係していると考えるのは、穿った見方だろうか。

 

「へー、父親ってことはビッグフットか。そんなシャレた名前だったんだな……」

「ちなみに母親ゲーデさんの本名はアンナリーゼ、旧姓マディカンです」

「マディカンだと?」

 

これはエヴェリア。

マディカンというのは、ハレリアでは大きな意味を持つ名前である。具体的には王族六家の1つマディカン公爵家。

 

「はい。私もこの間の戦争で知ったのですが、マディカン家が兵士や傭兵のまとめ役として派遣していたそうです。ハーリアから役人も派遣していたようですが、いずれも極秘でして。

ジョン君もご存知の行商人の男性がそうだったというお話です」

「マジかよ……全然気付かんかった」

「私もだ……」

 

衝撃の事実である。

 

「あそこは元々、裏回りルートとして警戒されていたということだそうで。

そこに国境を接する3国の領主が密約を結んで相互監視していたのですが、ザライゼンが滅び、エルバリアは政変から敵対し、裏回りルートが使用される可能性が高くなっていたとのことです。そこで兵士や傭兵を派遣し、警戒ついでに敵の情報を手に入れるための拠点として活用していたとか」

 

スパイの活動拠点のようなものと考えればいい。山の中、森の中にこのような拠点を作ることは、地球でもそこまで珍しくない。

 

「実際、先の大戦でエムートにブロンバルド兵が派遣されていましたが、エムートに陣取っていたハレリア兵達が対処しました。何人かの敵兵は猛獣の巣に迷い込み、死体で発見されたそうですけれども……」

「洗脳されてたんだろ?じゃあ、危険があるって分かってなかったのかもしれねえな」

「あるいは、危険があると分かっていて、強行させられていたか、だ」

「ひっでぇ話だぜ」

「私の知るブロンバルドはそういう国だった」

 

エヴェリアは実感の籠った声で吐き捨てた。

 

 

 

「さて、お次はデイヴィッドですね」

 

ミラーディアは闘技場に目を向ける。

 

「知り合いか?」

 

ジョンが尋ねた。

 

「軍の文書庫司書の1人ですよ。要するに、例の弩砲の図面が必要になった時に、大慌てで探し回った1人なのです。先月晴れて騎士になったばかりでしてね」

「ああ……」

 

8ヶ月も前の話である。

弩砲の図面がなかなか見つからず、ミラーディア自身が愚痴を言っていた時の担当官なのだ。100年も更新されていなかった図面のため、さもあらんとジョンは思っていたのだが。

 

ここで黒髪ロリが首を傾げた。

 

「む?それは文官の仕事じゃないのか?」

「未来の参謀職なのですよ。様々な職種を経験していなければ、将軍職の補佐などは務まりませんからね。技能の幅を広げるために、軍では文官の仕事も兵士が行うことがあるのです」

「なるほど。で、強いのか?」

「弱いです」

 

ばっさりである。

 

「ただし、術士兵として戦うのでしたら、その限りではありません。しかも、組んでいるのがアリスなのですよ」

「なるほど……要望通りに作るってだけ(・・)ならアリシエルは天才的だからな」

「そうだな。いつ正規の錬金術師に認定されてもおかしくない腕前だ。……そこだけならな」

 

ジョンが『だけ』を強調し、エヴェリアも余計なひと言を付け加える。

まあ、ミラーディアとしても反論できない事実だったし、反論する気もなかったのだが。主に自分のことではないので。

 

「まあつまり、今回頭でっかちのデイビッドが勝てているのは、適材適所が可能なドリームチームだからなのですね」

 

話している間に試合が始まった。

 

 

 

デイビッドは流行りの全身鎧にショートソード、盾はない。ミラーディアが言った通り、装備が近接一辺倒で、中長距離を術に頼る構成である。

 

相手の騎士は同じく全身鎧で、小さめで丸い盾に長柄の鎖分銅(フレイル)。『ヒッター』というものだ。柄が木製だが、武術大会の際にジョンが予備武器として作ったものと、武器の種類は同じである。

 

「始め!」

 

審判が合図を出して、試合が開始される。

騎士同士の戦いは、呪紋詠唱から始まる。遠距離で撃ち合い、しかる後に接近して殴り合うというのが通例だ。

今回もそれに外れず、むしろ教科書通りの試合運びとなった。

 

「“礫よ(バルス)敵を撃て(メガメガァ)”」

 

相手の騎士が地面の土を飛ばして攻撃する。スコップで掬った土を振り回して飛ばす感じだ。

デイヴィッドは慣れた動きで腕で頭を覆い、防ぐ。

 

「『土煙(つちけむり)』。小石や砂を高速で飛ばす『土』属性の常套手段、いわゆる目潰しだな。頭をすべて覆う兜(フルフェイスヘルム)とはいえ、ほんの少しでも隙間はある。それを狙われれば防いでも確実に足が止まる上に、着弾型の術なら相殺もできる。接近戦に持ち込むための術だな」

 

エヴェリアが解説を入れたその前で、今度はデイヴィッドが反撃に転じる。

 

「“風よ(ダイソン)衝撃と(キュウインリョクノ)なって(カワラナイ)敵を(タダヒトツノ)仕留めろ(ソウジキ)”」

 

彼が放ったのは、圧縮された風の礫。武術大会の際に見たのと同じ、圧縮空気弾である。

 

5単語(ファイブワード)詠唱(キャスティング)ですね」

 

ミラーディアが怪訝な表情で呟く。

 

5単語詠唱というのは、要するに詠唱の際に用いる単語数が5つであるという意味だ。当然だが、詠唱の単語数が増えると術の発動も遅くなる。

 

圧縮空気弾は周囲の砂塵を呑み込みつつ、迫ってきていた相手の足元に着弾し、爆風を生み出す。

それは武術大会で見た圧縮空気弾よりも、さらに高い威力で全身鎧の騎士を吹き飛ばした。騎士は数メートルも舞い上がり、壁に叩きつけられて動かなくなる。

箱庭領域(アークガーデン)』の強力な治癒のおかげで死んではいないはずだが、気絶してしまったのだろう。

 

「戦闘不能判定、それまで!勝者、デイヴィッド!」

 

審判が試合の終了を告げる。

 

「なんだ、術士兵用の星王器じゃないか」

 

兎耳黒髪ロリが腕を組んで呟いた。赤毛ショタジジイが首を傾げ、そちらを向く。

 

「術士兵用?」

「一般の星王術士と区分するための、兵科としての訓練を受けた術士が用いる星王器です」

「騎士と比べると武術で劣る分、戦闘時の術の扱いに長けている。

単唱器を持った騎士でも、戦場では術の行使が頭から抜け落ちたりするんだ。だから、騎士の単唱器は打撃ではなく遠距離から撹乱に使われることが多い。接近してしまえば、高級器でもなければ武術の方が強いからな」

 

武器はリーチが長い方が基本的には有利だが、例えば拳銃とナイフの場合、拳銃には弾数に制限があり、密着状態になるとナイフの方が有利になることがある。

同じことが、魔法と武術にも言えるのだ。星王術をはじめとする魔法には、どうしても使用回数に制限があるのである。それに、あまり距離が近いと自分を巻き込んでしまう。

 

「逆に、術士兵は術を使用してありとあらゆる戦況状況に対応する必要がある。時には、直接殺すことを目的とした術の使用もありうるわけだ。

だから術士兵用の星王器は、威力が高くて最低限のことは何でもできるようになっている。術に慣れているから、多少単語数が多くても戦場で扱い切れるということだな」

「中には『二器使い』と言いまして、冷静に両方を使い分けることができる人もいますけれども」

「武()と星王()の両方を扱い切れる。特殊な例だがな。ともかく、騎士用の星王器と術士用の星王器は違うとだけ覚えておいてくれ」

 

並列思考(マルチタスク)が得意かそうでないか、という話である。

調子が良ければ同時に2つのことを考えるくらいはできそうに思うが、案外完全な並列思考ができる人間は少ないものだ。だからこそ、人間の思考や計算を補佐するためにコンピュータが開発されたのである。

 

閑話休題。武具大会は続く。

 

 



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エルウッド

武具大会も進み、本戦1回戦も最後、第8試合となった。

 

『東、王都守護兵団第4中隊所属、エルウッド・ウェスター!』

 

武術大会に比べ、紹介アナウンスは控え目。御前試合ではないが、本戦にのみアナウンスが付く。まあ、御前試合がどうのこうのは、ハレリアでは単なる箔付けに過ぎないのだが。

 

「え、エルウッドぉっ!?」

 

赤毛ショタジジイが素っ頓狂な声を上げた。

 

「あらまあ」

「知っているのか?」

 

頬に手を当てて困り顔の白ローブ巨乳に兎耳黒髪ロリが尋ねる。そういえば、顔は合わせていても名前は紹介していなかったとジョンは思い返した。

 

「半年前の武術大会の際に、ジョン君の武具を運んでいた兵士ですよ。去年の武具大会では、彼とジョン君とモーガン君の3人で組んでいたのです」

「ああ、騎士を相手にいいところまで行ったエルウッドとは、彼のことだったのか……」

 

昨年の武具大会は、留学生である彼女も話を聞いていたらしい。

 

「ええっと、本戦に出たってことは、予選で騎士を倒してきたんだよな?」

「私は予選は見ていません」

「私もマーガレットの試合しか見ていない。正直、変なことをやらかさないかという心配で頭が一杯だった」

「ああ……」「なるほど……」

 

2人はスゴく納得した。

 

 

 

エルウッドは軽量鎧に槍。

鎧の種類は下腹部から胸の上辺りまで、前面を防護する前掛けのような鎧、『腹当て』。日本で多く用いられた歩兵用の簡易鎧である。

その上に輪を連ねて作った『リングメイル』。隙間が多く刺突には弱いが、その分軽くて斬撃に対しては通常通りの強度を発揮する、ハレリアでも古い時代の鎧だった。地球では『鎖帷子(チェインメイル)』の前身となった防具と言えば、歴史的には分かりやすいかもしれない。

 

突きに対しては『腹当て』で防ぎ、その他に対しては『リングメイル』で防ぐ。さすがに重装鎧ほどの防御力は発揮できないが、エルウッドのような軽量ファイターにはこれで十分だ。

ちなみに頭は鉄の額当てを縫い付けた布の帽子。新撰組で有名な、鉢巻きに薄い鉄板を付けたものと効果は同じと考えるべきだろう。

 

「相手は、重装鎧に斧槍(ハルバート)。武具大会では典型的な構成か」

「一般論でしたら、騎士が勝つと言うべきなのでしょうけれどもね」

「1年前と同じ、軽装からの突撃ができるってわけだ」

 

ジョンは呟いた。

 

「ふむ、開幕突撃に慣れていれば、速度で2単語詠唱に間に合う計算か」

 

エヴェリアも唸り、試合が始まる。

 

 

 

「!」

 

ジョンは開始前のエルウッドに、目を見開いた。

 

開幕突撃とは、言い換えればスタートダッシュである。スタートダッシュの正しいやり方は、陸上競技を知っている人間ならばすぐに思い浮かぶだろう。

片膝を立てて、両手を地面に付き、両腕を支えにして腰を上げて、倒れんばかりの前傾姿勢。いわゆる、『クラウチングスタート』というやつだ。

エルウッドが取ったのは、まさしく『クラウチングスタート』の姿勢だった。槍は右手の下に寝かせてある。

 

『始め!』

 

開始の合図とともに、エルウッドは鍛え上げた脚力で地面を蹴り、爆発的に加速する。

 

「なっ!」

 

その加速にエヴェリアが驚きの声を上げた。

 

「“炎の(メラン)礫を(メーラメラ)”……!」

 

騎士が使用したのは、炎の礫を撃ち出すオーソドックスな術。

だが、詠唱が完成したその時には、エルウッドは眼前にいた。星王器の作用で炎が形成され始めると同時に、槍が騎士を貫く。

 

「グアアッ!?」

 

突進攻撃(チャージング)の勢いもあって、槍は右脇腹に深々と刺さった。炎の礫はエルウッドの背中にて完成され、背後の壁に発射される。間に合わなかったのだ。

 

「ぬぅっ……!」

「!」

 

脇腹を貫かれてなお反撃しようとした騎士を、エルウッドは反射的に体当たりで突き飛ばす。斧槍(ハルバード)は万能な武器だが、長柄武器のため身体同士が触れるような密着状態では威力を発揮しない。

騎士は脇腹の痛みもあって踏んばることができず、仰向けに倒れ込んだ。

 

『それまで!ジョンストン・ターナー死亡判定により、エルウッド・ウェスター勝利!』

 

審判が決着を申し渡す。

騎士は腹に槍が刺さったままなんとか立ち上がろうとしていたが、死亡判定の宣告を聞いてがっくりとうなだれた。エルウッドが槍を抜くと、相手は溜息を吐いてから立ち上がり、しっかりとした足取りで闘技場を去って行く。

魔導術『箱庭領域(アークガーデン)』の効果で、即死する傷も一瞬で治るのだ。

 

相手が何か声をかけたようで、エルウッドが照れていたが、ジョン達の位置からは聞こえなかった。

 

 

 

「ジョン君が1年前に想定していた決着ですよね?」

「ああ、大体そうだ」

 

ミラーディアに声を掛けられて、赤毛ショタジジイは頷いた。

 

「あの突進姿勢はジョン殿が教えたのか?」

「俺も教えたんだが、元からそういうやり方があるって話だったぜ?」

「ウェスター卿、『風神』の得意技の一つですよ。『武走襲(ぶそうしゅう)』と言いまして、15年前に武具大会で準優勝した技です。武術大会でも相手によっては有効ですから、たまに見られますよ」

「単唱器が相手でもか?」

「風の後押しがあればなんとかと言ったところです」

「……なるほど」

 

風の抵抗というのは存外に大きいもので、それを操ることができれば、僅かながらも加速することができる。単唱器の、短い詠唱に間に合わせるには、その差は非常に大きく作用するのだ。

 

「しかし、術が関係ない技なら、真似をする者も出てきそうだがな」

「エルウッドの話じゃ、武器持った状態だと、相当練習しなきゃ無理だって言ってたぜ?あの距離で走りながら槍を構えるのも、特訓しなきゃ相当難しいんだってよ」

「む、そうなのか」

 

どれほどの難度なのかは、陸上のリレー競技や駅伝を見るといい。受け渡しの練習をしているはずの競技選手でさえ、本番では緊張からか、割とバトンや(たすき)の受け渡しに失敗するのだ。

スタートの際の失敗はあまり聞いたことがないが、重さが砲丸級となると話が変わってくるのは当然であるし、余計なもののない素槍といえど、リレー用のバトンに比べると取り回しについては雲泥の差だ。

それを20メートルの間に、十分な威力を発揮できるように構えるというのは、決して簡単なことではない。

 

「ということは、この1年であれをモノにしたということですか」

「そうなんだろうな」

 

ただの脇役だと思っていた金髪イケメン優男も、この1年で鍛錬を積み、成長していたということである。

 

「1年前のジョン殿と似たような戦術ということは、役人が仕事をしたということか?」

「まあ、そういうことなのでしょうね」

 

またぞろハレリア王族だったなんてオチか、とジョンは思ったが、そうとも限らないかと思い直し、黙っていた。

 

彼の膝の上では、三毛二股尾の子猫リユが後ろ足で首筋を掻いている。さすがにこういう場では頭の上に乗らないらしい。単なる気分の話かもしれないが。

 

 

 

午前中の8試合が終わって、午後は決勝まで7試合、表彰式まで一直線だ。

とりあえず、御前の試合が終わった時点で1時間程度の昼食休憩となる。

 

「やあミラーディア、今日も綺麗だね」

「草むしりは間に合っていますよ。泥んこ遊びをしたいのでしたら、お1人様でどうぞ」

 

当然のように食堂に現れたデイヴィッドに、白ローブ巨乳は開口一番毒を吐く。

 

「農場はまだしも、運河の底ざらいはちょっとなぁ……」

 

金髪青年騎士は苦笑する。どうやら何かの隠語(スラング)だったようだ。

 

「うーん?」

 

ミラーディアと一緒のテーブルにいたジョンは首を傾げた。

 

「どしたの?」

 

デイヴィッドと一緒に来たアリシエルが同じテーブルに座りながら尋ねる。

ちなみに、食堂というのは高級レストランである。丸いテーブルが幾つも並んで、高そうな絨毯が敷き詰められ、天井から下がるシャンデリアには、呪紋石の淡い燐光が灯っている。

 

ジョンも、それなりに小奇麗な恰好をしていた。とはいえ、現代地球では割とカジュアルに分類される服装だが。

少し暖かい地域では、一般市民がほとんど服を着ていないなど当たり前なので、現代地球のような普通の服を着ているだけで、それなりに見られるのである。

 

「いや、どっかで見た顔だと思ってよ」

「?、そうかな?」

 

デイヴィッドは首を傾げる。

 

「ま、思い出せねえってことは大したことじゃねえんだろ」

「ふむ、そうかもしれないね。ハレリオスでもあるまいし、そういうことが重要になる仕事でもないだろうしね」

 

ちなみに、お互いに本当に覚えていなかったりするのは、無理からぬことである。読者も、ジョンの宿が変わった時に、ハートーン男爵と話していた青年のことなど覚えていないだろう。それこそどうでもいい話である。

 

「一応紹介しておきますね。こちら噂の少年鍛冶師ジョン君です」

「なるほど、噂の彼か」

「噂のエロ坊主ジョンです」

「それほどでもないでしょうに」

「娼館の色ボケに比べればまだまだよね」

「なん、だと……?」

 

自分で大概だと思っていたために、赤毛少年は衝撃を受けた。

 

「一般人と娼館勤めを比べるのはどうかと思うよ?

ちなみに私はデイヴィッド・クラスト。戦術開発局の兵器部門に所属している。例の弩砲の輸送と解析を担当していてね」

「ならばミニスカメイド服を開発せねばなるまい!全裸では醸し出せない、最高のエロをごふぅっ!?」

 

立ち上がって宣言しかけたところ、膝の上にいた子猫(リユ)に「余計なこと言うな」とばかりに鳩尾を一撃されて、体をくの字に曲げて悶絶する赤毛スケベショタジジイ。

 

「えーと……?」

 

あまり特徴のない金髪青年騎士が握手のために差し出した手が、相手を失い空を握る。色々と予想を飛び抜け過ぎていた。

 

「あ、紹介しますね。この子猫はリユ。ジョン君の護衛です」

「なんで子猫が……あ、もしかして噂の『ネコマタ』?ていうか、その護衛にKOされたんだけど?」

「何分、まだ子供だそうですし」

 

アリシエルのツッコミに、ミラーディアも苦笑い。

 

「あ、もしかしてこれ以上は聞いちゃダメなパターン?」

「別に構いませんよ。1ヶ月ほど前にマキナ様のところへ訪れた『妖精王オロバス』様が、ジョン君の護衛にと預けて行ったのです」

「思ったより話がぶっ飛んでた件について小一時間問い質したいんだけど?」

「マキナ様に聞いた内容しか私には分かりませんよ?」

「だよねー」

 

金髪ツインテール黒ローブはがっくりとうなだれる。

神族(かみぞく)が係わると、出来事についての考察も推理もどこかへ飛んで行ってしまうというのはこの世界の常識だった。

 

「もうちょっと加減しないとダメだよ?その力で殴っていると、当たりどころが悪いと死んでしまうかもしれないからね」

「みー?」

 

デイヴィッドはジョンを介抱しながらリユに加減を教えていた。

 

「加減……の、前に、殴んな、って……がくっ」

 

本作の主人公である赤毛少年が弱いというのもあるが、人間と神族(かみぞく)奇跡の混血(ミラクルハーフ)であるスプリガン種がそれだけ強いというのもある。それをここで魂を吐いている少年に伝えても仕方がないし、護衛対象をKO《ノックアウト》するべきでないというのは、その通りなのだが。

 

ちなみに、二又尾の子猫は首を傾げながら猫パンチを素振りしている。

もしかすると加減を間違えたのかもしれない。

 

オチが付いたところで午後の試合である。

 

 



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術士兵

武具大会本戦、午後の試合はベスト8から。第1試合はマーガレットVSデイヴィッドである。

 

マーガレットは軽装で突撃しつつ槍を投げ、回避と防御の2択を迫る遊撃戦法。

デイヴィッドは重装で待ち構えつつ、高威力の星王器で直径3メートル程度を吹き飛ばす砲台戦法。

客席でエヴェリアとミラーディアが勝敗を予想する。

 

「順当に行けば、マーガレットが勝つだろうな」

「どこが順当なのですか。騎士対兵士ですよ?」

「なら何か賭けるか?」

「マーガレットさんが勝ちますよ」

 

あっという間の手の平返しである。これで賭けは成立しなくなった。

 

「そんな差があんのか?」

「マーガレットは訓練されたマリーヤード人相当だ。それだけで騎士に匹敵する戦力とみなされる。

それに加えて、特殊な戦法というのが実戦では厄介でな。特に詠唱が遅い場合、槍の投擲がこれ以上ないほど生きてくる」

 

飛び道具には飛び道具。実に単純な理屈である。

 

「単唱器でしたら、それに対応できる可能性はありますけれどもね」

「単唱器なら確かに間に合うな。槍を弾いてからでも、マーガレット本人が接近するまでに少し時間がある。

とはいえ、照準して詠唱することを考えると、やはり2単語以上では間に合わん。それに、そういう速攻を仕掛けて来ないという前提での5単語(ファイブワード)戦法だ」

 

いずれにせよ、接近を許せば終わるという点は一致しているらしい。

 

 

 

試合が始まる。

 

「フンッ」

 

褐色筋肉娘は、デイヴィッドが詠唱を始めたと見るや、思い切り地面を蹴飛ばした。

闘技場の地面は踏み固められた土で覆われているのだが、同じ場所で何度も試合をしていれば、多少は地面が削れて砂になる。さらに星王術によってあちこち抉れている箇所も少なくないのだ。定められた場所から開始するこの大会では、選手同士を結ぶ直線上は特にそれが顕著だった。ゆえに、そのつもりで地面を蹴飛ばせば、盛大に砂埃(すなぼこり)が舞う。

 

卑怯と言ってはいけない。大会と銘打っているが、これは実戦を想定した訓練の一環でもあるのだ。

実戦とは、結果がすべてである。正々堂々と戦ったとしても、敗死した場合は正々堂々と戦ったという事実すら捻じ曲げられ、勝者が行った悪行のすべてを押し付けられることさえあるのだ。それまでの実績や功績なども、一切関係なく。

それは地球においても同じである。

 

むしろ、トウガラシの粉末などを投げつけて目潰しによる失明を狙って来ないだけ、まだまだ可愛い方と言えた。

 

「“風よ(ダイソン)衝撃と(キュウインリョクノ)なって(カワラナイ)敵を(タダヒトツノ)仕留めろ(ソウジキ)”」

 

予想された槍による邪魔が入らなかったため、デイヴィッドの詠唱はそのまま完成する。

圧縮空気による高威力の爆風。着弾点から直径3メートル前後を吹き飛ばす術で、直径4メートルの圏内でも大ダメージは免れない。その上、術は弓矢の速度で飛ぶ上に、足元を狙ってくるため、爆風の影響を免れるのは困難だ。

 

砂埃(すなぼこり)で姿を隠したとしても、術士兵ならば動く標的に当てる訓練をしているため、マーガレットの動きを予測することは容易だった。近付かせなければいいなら、砂埃の手前でいいのだ。砂埃を突っ切って突進してきた場合、確実に足を止めるか巻き込む位置。

仕留め切れなかったとしても、次の詠唱を行えばいい。単唱器と違って、5単語詠唱もしていればそれほど体力は奪われないのだから。

だが、デイヴィッドが術を放った直後、砂煙を突っ切って槍が飛んできた。

 

「――っ!」

 

術を放った直後は、どんな術士でも騎士でも、僅かな隙ができる。

もちろん、そこを狙って突けるのは、至近距離にいる時だけだ。兜の下から詠唱が聞こえる距離と言い換えてもいい。また、星王術は詠唱さえすればいいのであって、高らかに叫ぶ必要はない。ゆえに、接近されれば術は使用しないのが常識なのだ。

だがしかし、それは逆の常識ともなっていた。

 

これは格闘ゲームにおける、飛び道具を放った隙と言った方が分かりやすいかもしれない。

大技は外せば隙ができるのは当然で、十分に近ければその隙を突いて攻撃することもできる。つまり、術(飛び道具)を放った直後の隙を遠距離から狙撃されるなどというのは、通常想定しないのである。

相手が神族(かみぞく)でもない限りは。

 

そのため、金髪青年騎士はその槍を避けることも叩き落とすこともできなかった。

ところがここで、マーガレットにとって予想外のことが起きる。

 

「ぐっ……!これなら、まだ……!」

「!……」

 

投擲された槍はデイヴィッドの胸に僅かに刺さりはしたものの、浅かったのだ。

 

マーガレットは、地面に着弾した圧縮空気弾を迂回するように大回りして走る。彼女は最初から、砂煙を突っ切ってなどいなかったのである。

投擲武器は失われたが、まだ手甲(ガントレット)は残っていた。試合はまだ終わっていない。

デイヴィッドも相手の動きに反応し、次の詠唱を開始する。

 

「“風よ(ダイソン)衝撃と(キュウインリョクノ)なって(カワラナイ)敵を(タダヒトツノ)仕留めろ(ソウジキ)”」

 

辛うじて詠唱は完成し、圧縮空気を放つ。接近戦で勝つなどとは、彼は欠片も考えていなかった。今までの試合を見て、マーガレットがただのマリーヤード人兵士よりも強いことを知っていたからだ。

あまり見ない戦法とか、そういう問題ではない。対応力が尋常ではないのだ。

普通、思いもしないような方法で、攻撃を仕掛けてくる。騎士になるために訓練も実戦も積んできた彼でも、いや、だからこそその動きを予想できない。

その上に、近付かれればその圧倒的な腕力で殴り倒される。

 

今のこの距離は突撃されてデイヴィッド自身が術に巻き込まれないギリギリ。しかしそれゆえに、回避は困難。逆に、これを凌がれれば負けが確定する。

――ここが勝負の分かれ目だ。

そう思って放った起死回生の圧縮空気が、なんと放った直後に爆発した。

 

「ぐあっ!?」「――ぬぅっ」

 

かなり接近していたマーガレットも爆風を受けてバランスを崩し、横向きに転倒する。デイヴィッドはまともに吹き飛んだ。重い鎧を着込んでいて、なおも味わう浮遊感。壁に叩きつけられ、一瞬意識を失う。

そして気付いた時には、マーガレットが馬乗りになっていた。

 

振り上げた拳で殴りつけられ。

 

「痛っ」

 

なぜか慌てて拳を引っ込めた。拳である。裸拳とも書く。

それでもそこそこ衝撃があったのは、さすがマリーヤード人といったところ。

 

「そうか、ガントレットを投げ――」

「フンッ」

 

手甲(ガントレット)が残っている方で兜越しに殴られ、デイヴィッドは今度こそ意識を飛ばした。

 

 

 

「……」「……」「……」「……」

 

4人は静まり返る。事前の予想通り、順当な結果のだが。

色々と考えることはあった。あきらかにおかしな出来事が発生したのである。

 

「確か、マーガレットさんの、あの槍を作った人は、ハートーン男爵のお弟子さん、でしたよね?」

「そうだ。留学生で、ソーレオのコリンドン工房の次男坊。腕は確かだし、頭もいい」

「ベルナールって、ハートーン卿に食ってかかってたやつか」

 

以前、ぐうの音も出ない正論で師匠を問い詰めていた金髪青年鍛冶師である。あの時のことは、さすがに印象に残っていた。主に、ジョンのせいでもあったからだ。

彼が個人用の小さなものとはいえ工房主になれたのは、かなりの特例であり、当時はその特例が火種となりかねない状況だった。

 

「仕事は見た限りそう悪いものではなかった。1つ1つの作業にしっかり時間をかけていて、何より真面目で丁寧だ。

あの槍は決してナマクラではない。ジョン殿が作るようなおかしな性能ではないものの、そこそこ高い品質のものではある。それは試し切りで確認した」

「なんでや、俺のも普通の武器やったやろ!」

 

思わずおかしな発音(イントネーション)になったジョンの抗議の声は黙殺された。個人用の武器は常識を超えない範囲でちゃんと普通に作っていたのに。

 

「ということは……」

「原因はデイヴィッド卿の鎧の方か」

 

そう、ありえないこととは、マーガレットが――マリーヤード人が全力で投擲した槍が、デイヴィッドの鎧を貫き切れなかったことだ。

マリーヤード人の腕力ならば、貫通しているはずなのに。

 

「ふむ……ジョン君」

「な、なんでせう?」

 

ミラーディアにフードの奥からドス黒い笑顔を向けられ、赤毛ショタジジイは怯える。美人は笑うと綺麗とは限らないが、怒ると怖いのは確かだと彼は思った。

 

「そういえば、アリスから何か相談を受けていたそうですね?」

「……ハイ」

「その内容は?」

 

誤魔化せる雰囲気ではなかったため、ジョンは正直に話す。

 

「マルファスと当たった時に、ジュラルミンを使いたいと言い出しまして……」

「それだ」

 

兎耳黒髪ロリは確信の声を上げた。

 

「ミラーディアなりに確認しろと念を押さなかったな?」

「ああ、うん。マルファスの時だけって聞いてたし」

「覚えておいた方がいい。錬金術師というのは、基本的に自分の研究以外のことは頭から抜け落ちる人種だ。そうやって行われた研究の成果が、国家にとって多大な利益となる。だからこそ、ある程度のそういう部分は許されているがな。

そういう部分がなければ、はぐれ錬金術師など出たりはしない」

 

その辺は、ハレリア王国でも同じである。

 

「まったく……錬金術師脳とは困ったものなのですよ」

 

ミラーディアは愚痴を呟いた。

 

「ですが、今回ばかりは刑罰が必要になるでしょうね」

「け、刑罰?」

 

ジョンは驚いているが。

 

「実は、新合金(ジュラルミン)を勝手に使用したこと自体は、そこまで問題ではない」

「問題といえば問題ですけれどもね。ジョン君が転生者であるという威光(インパクト)を示す方法として、合金系が使えなくなってしまいましたし」

「それより大きな問題は、錬金術師が関係者を騙しにかかったことだ」

 

エヴェリアは言った。

 

「錬金術師はその性質上、魔法についてかなり深いところまで知っている。

憑魔の儀(ひょうまのぎ)』のやり方も知っていて、隙あらば人体実験をやろうという奴もいる」

「もちろんですが、『憑魔の儀(ひょうまのぎ)』関連の人体実験は基本的に禁止されています。『魔物』が発生してしまいますと、神族(かみぞく)への対応次第では首都虐殺が発生してしまいますから。場合によっては処刑されることも少なくありません」

「だから、今回のようなことが発覚した時点で、何らかの刑罰が必要になる。政府が錬金術師にナメられていれば、あっという間にモラルは崩壊するからな」

「……うん、まあ、うん」

 

ジョンは納得することにした。

すべてはわからないが、思ったより問題が大きそうで、わからない人間が口を出していいことではなさそうだからだ。

 

 



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決勝戦

武具大会決勝戦。

 

「マーガレットさんVSエルウッドさん。実に147年振りとなります、非魔法武具同士の決勝ですね」

「そうなのか?」

 

ジョンは聞き返す。

 

「てっきり、500年単位で騎士が勝ってんのかと思ってた」

「基本的に未熟者が参加する大会だからな。当たり外れの加減次第では、鉄装備が勝つこともあるだろう」

「優勝者は役人以外は次から出場不可、新人も5年で出場できなくなります。

次々と強者が抜けていきますから、鉄装備の兵士が優勝することもあるのですよ」

「へー」

 

感心した。

新陳代謝の激しい大会なのである。最強やベテランが次々と抜け続ける限り、勝率の流動性が消えることはないのだ。

だからこそ、武具大会には多くの職人の弟子達が参加するのである。

未熟な錬金術師が作った武具に足を引っ張られているのならば、新人騎士ならば倒しうる。そこに賭けて、名を上げようとするのだ。

 

「ちなみに、8年前にも鉄装備の人が優勝しています。滑る床戦法が流行りまして、重装化の傾向を決定付けた大会ですね」

「大体、5年に一度はマーガレットみたいなのが出ると言っていたな。30年に一度くらいは重なりそうだが」

「それでも相手が騎士ですし、そう簡単に鉄装備同士とはなりません。ですから、鉄装備同士の決勝というのは相当なレアケースなのですよ。

そして、意外かもしれませんが、故『雷神』グレゴワール・デンゲルと現『風神』ロバート・ウェスターは、武具大会で優勝していません」

「マジで?ロバァァァァトォォォッの人優勝してねえの?」

「それは私も初耳だ」

 

赤毛少年の渾身のギャグを流して、黒ウサ耳の少女が驚きを示す。

 

「『雷神』の方は30年前に故ヴェグナ・マディカンに負けていまして、ウェスター卿は15年前にゴードン卿に負けているのです」

「それでも、負けたなら2回目出場できるだろう?」

 

エヴェリアが指摘したのは、優勝しなければ5年以内なら出場できるルールについてである。

 

「そのまま近衛騎士隊に推薦されるレベルの人が、2度も出場することはありませんよ。大会の趣旨を逸脱してしまいますから」

「そうか、そうだった……」

「そりゃそうだ」

 

要するに、マルファスとカッセルの武具大会出場にストップがかかったのと同じ理由だ。一度だけは出場できて、しかも優勝できるわけではないというのが、ハレリアらしいかもしれない。ハレリア民族の血統システム上、どこにダークホースが眠っているか分からないのだから。

 

話している内に、試合が始まる。

 

 

 

マーガレットはガントレットによる打撃を含めた投げ槍使い。

エルウッドは瞬発力による突進の一撃必殺を狙う槍使い。

同じ軽装の槍使いながら、その方向性は大きく違っていた。

 

開幕、双方が前に出る。互いに勢いのある突進だ。それで何度も対戦相手を倒してきた実績がある。

 

「――!」「……!」

 

マーガレットが槍でエルウッドの攻撃を弾き、エルウッドは足を止めずに駆け抜けたことで、初撃は互いにスタート位置を入れ替えただけに終わった。

マーガレットは勢いのままに振り向きかけていたが、エルウッドのスピードが投擲の狙いを定めさせない。もしもエルウッドが慌てて急制動をかけていれば、マーガレットの槍投げの餌食になっていただろう。

 

エルウッドの鎧は軽装にリングメイルであり、突きにはさほど強くない。至近距離でマリーヤード人の腕力による槍投擲を受ければ、身体を貫通されていた可能性が高かった。

 

少し離れた位置まで走ったエルウッドは、立ち膝になって急制動をかける。槍の石突を地面に突き刺して、より短時間で勢いを殺す。そしてまた『武走襲』(クラウチングスタート)の体勢へ。

 

それを見たマーガレットは、槍を投げるのを途中で止め、防御姿勢に移った。投げた後も武器としてガントレットがあるとはいえ、リーチのある武器を投げるにはリスキーな相手だと考えたらしい。ついこの間まで山野を駆け巡り、狩りや戦いをして生活していたため、意識は生き延びる方向に向きやすいのだ。

 

ここまで、双方互角の戦いである。しかし、次の1合で試合が動く。

 

エルウッドは最初と同じく、クラウチングスタートからの突進技『武走襲(ぶそうしゅう)』の構え。

マーガレットは両手に槍を握り防御の構え。

 

若き金髪兵士がスタートを切り、褐色肌の筋肉娘が待ち構える。

その一瞬に起きたことを、どれだけの人間が理解できただろうか。

 

まず、マーガレットがガントレットを投げた。槍を掴んでいると見せかけて、ガントレットを外していたのだ。デイヴィッドの時と同じ戦法である。

しかし、エルウッドは意に介さずに正面から突っ込んだ。帽子の額当てに接触し、一瞬だけ頭に衝撃が走り、帽子が脱げてしまったが、無理矢理突っ切る。怯まずに足を踏み出す。

 

一方のマーガレットは、半歩だけ踏み込んでいた。

そこから、槍を逆袈裟に跳ね上げ、エルウッドの槍を弾き飛ばそうとする。ほんの少しだけ相手の目線を隠し、距離感をずらして、とっさの対応時間を減らしたのである。また、ガントレットを外すことで片手は素手になるため、より細かい力の調節ができるようになる。もっとも、それが威力を発揮したのかどうかは、本人達も分かっていなかったが。

エルウッドは突き出した槍を一撃されて少し穂先を弾かれるが、手放さない。そのままマーガレットの脇をスレスレで駆け抜ける。

 

また仕切り直しかと思われるが、今度は少し事情が違った。マーガレットが向かってこなかったため、エルウッドは壁際まで走ることになったのである。

 

「――うっ!?」

 

今度はマーガレットがエルウッドの後を追った。

エルウッドが膝立ちと槍の石突で急制動をかけつつ、背後に視線を送る。すぐ後ろに迫る2mの巨体を目にして、すぐに闘技場の壁に手を付き、殺し切れていない身体の勢いを横に向けた。金髪褐色肌大柄娘は逃げるエルウッドに追いすがる。

突進を使わせない距離まで間合いを詰めれば、マーガレットの勝ちだ。

 

エルウッドもそれを理解しているが、ここで壁際の攻防となる。走る勢いで木製壁の僅かな凸凹に足を引っ掛け、壁を2mほど駆け上がり、マーガレットの頭上を取って槍を振り下ろした。

思わぬ反撃に、マーガレットからも槍を向けるが、間に合わない。

 

「ぬぅぅっ!」

 

とっさに両腕で防御するも、ガントレットを投げた方の腕を貫かれ、エルウッドの身体に体当たりされて押し倒されてしまった。その拍子に腕を地面に縫い止められ、エルウッドが馬乗りになったことで身動きが取れなくなってしまう。

 

だが、マーガレットも諦めない。マリーヤード人の筋力で、ブリッジしてエルウッドを跳ね飛ばす。跳ね飛ばされたエルウッドは、咄嗟に掴んだマーガレットの槍を奪い、距離を取った。寝技では邪魔になるからと、マーガレットが手放していたのだ。

 

「ぐっ……!」

 

そして、すぐに起き上がって距離を詰めていればまだ勝負は分からなかったが、地面に刺さったエルウッドの槍が一瞬それを阻んだ。

地面と腕から槍を引き抜き、起き上がった時には、エルウッドは身体を倒して武走襲(ぶそうしゅう)ではない、普通の突進の構えを見せていた。マーガレットに構える隙を与えないつもりだ。

ところが、彼女は相手の姿も見ずに横へ身を投げ出した。一瞬でも後ろを振り向いていれば、回避が間に合わなかっただろう。

エルウッドの槍がすんでのところで空を貫く。ギリギリの攻防だ。

 

態勢を立て直したマーガレットが片手で槍を突いて反撃に出るが、エルウッドは地面を蹴って跳躍することで回避する。そして壁に足を付いて身体と槍を回転させた。上からの薙ぎ払いである。

 

マーガレットは一瞬の出来事に回避できず、槍を放してガントレットで受けた。そのまま体重の乗った跳び蹴りを胸に受け、転倒する。が、先程とは違って腕を地面に縫い止められたりしていないため、そのまま後転して距離を取った。

 

今までと違うのは、マーガレットが武器を失ったことだ。しかも、壁から下りた勢いに乗って、エルウッドが追撃を入れる。

 

「ぐぬっ」

 

ガントレットで受けるが、勢いの乗った槍はガントレットごとマーガレットの掌を貫いた。おかげで、それがマーガレットの身体に届くことはなかったのだが。

槍を受け止めた彼女は、傷ついた素手でエルウッドに殴りかかる。腕を貫かれて十分に力が出ないとはいえ、マリーヤード人の筋力から繰り出される拳打である。防具もない頭に受ければ、十分に戦闘不能になりえた。

 

エルウッドは槍を放して両腕で拳を受け、その勢いで飛び下がり、マーガレットが落としていた自分の武器を掴み直した。その間に、マーガレットはガントレットに刺さった自分の槍を引き抜こうとして、諦めた。傷ついた手では思ったように握力が出ない上に、それよりもエルウッドの攻撃の方が早いと判断したのだ。

 

そして、彼女は壁際のエルウッドに接近しようとする。突進技を使われては、現状では回避も防御も厳しい。それゆえに、接近するしかないのである。

エルウッドはマーガレットが接近してくるのを見て、壁に後ろ足を付けて、蹴った勢いで槍を構え、突進する。その速度は、あの突進技にも匹敵した。

 

まさかこの距離で突進技が来ると思っていなかったマーガレットは、とっさにガントレットを振る。そこに刺さっている、槍の柄を。そんな反撃が来るとは思っていなかったエルウッドは、コメカミに直撃をもらった。

しかし僅かに間に合わず、エルウッドの槍がマーガレットの胸板を貫く。

エルウッドも、防具のない頭に槍の柄の一撃をもらって脳震盪を起こし、その場に倒れ伏した。

 

相打ち。だが、判定はこうだ。

 

『そこまで!マーガレット・グラットン死亡判定!エルウッド・ウェスターの勝利!』

 

客席が沸いた。

 

 



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茶刑

武具大会も無事閉幕した翌日。錬金術使用の宿舎の食堂にて。

 

金髪ツインテールの黒ローブ少女はボーッとテーブルに肘を付いていた。ほんのり顔が赤いのは何か事情があるのか。

寝惚けているのか、正面に白ローブの少女が座っても、それをきっかけに周囲の人々の視線を集めていても、気付いた素振りはなく。無反応、無関心、上の空。一体、その脳裏にはどんな情景が思い浮かべられているというのか。

 

そして、差し出された木製コップに入った水を、何の疑いもなく口に含み――。

盛大に引っくり返った。

けたたましい音と共に吐き出しながら椅子から転げ落ちる。さらに差し出された、別の木製コップに入った水で口を洗おうとし、思い切り噴き出す。それはもう、ちょうど窓から差し込む朝陽に照らされて、綺麗な虹がかかるほどに、見事な吹きっぷりだった。

 

 

 

「説明しましょう」

 

白ローブの少女が言った。周囲の人々が何事かと視線を集中させる中、彼女は語り始める。

 

「アリシエルは見習いとはいえ錬金術師の身で、他者を騙そうとしました。その危険性を考慮し、今回『茶刑』に処しました」

「うわぁ……」「茶刑か……」「しばらく残るんだよなぁ」

 

周囲から、溜息とともに納得の呟きが漏れ聞こえてくる。

それは、同情半分、実感半分である。自分達も、同じ罪を犯せば大体同じ目に遭うのだ。ただ時間を奪われる投獄や労役などよりも、ある意味で過酷な刑罰。

それが『茶刑』である。

 

それは大抵、錬金術師という特権職に胡坐を欠き、管理側の危機感を甘く見た結果、体験するもの。ゆえに、錬金術師は大体が、それが命に危険の及ばないものであることを知っていた。

錬金術師は簡単には殺されたりしないし、投獄もされない。なぜならば、彼らは貴重な国家の魔法系産業の担い手だからだ。

ただ、見せしめは必要となる。

司法が機能していると知らしめるために、後遺症も基本的にないこともあって、その刑罰は制限をかけられず、割としょっちゅう行われていた。

 

 

 

「説明しましょう」

 

そしてミラーディアは必死に井戸水で口を洗うアリシエルに呆然とするジョンに話す。子猫リユはテーブルの下で皿に入ったミルクを舐めている。

 

「茶刑というのは、ワジン皇国から伝来した『ムチャック茶』を飲ませることなのです。『ムチャック茶』は少々味が個性的ですが、とても身体にいいお茶です。ただし、間違った淹れ方をしますと、その個性的な味が数百倍に濃くなってしまうのです。

600年ほど前からこちら、その間違った淹れ方の破壊力(・・・)を利用しようと、ハーリア家で研究が重ねられていまして、20年ほどで刑罰として認められるほどのものに仕上がりました。それが600年の時を経てハーリアに伝わっているのです。

研究は今でも続いていまして、身体に良い効用を留めたままに破壊力(・・・)が高められています」

「なぜベストを尽くしたし」

「ホントにホントよ!エルとの後味が台無しじゃない!」

「えっ?」「うえっ!?」

 

ジョンのツッコミに便乗したらしいアリシエルが、とんでもない爆弾発言をやらかした。

 

「昨日の夜、もしかして遊郭に行きました?」

「えっ、なんでそれバレて……」

「いや、今、後味がどうたらって自分で言ったじゃん」

 

指摘してやると、彼女は口に手を当てて少し考えた後、そのまま顔を真っ赤にしてひっくり返る。自分の失言に気付いたらしい。要するに、ニャンニャンしてきたのである。

 

「なるほど、遊郭では融通が利くからって、好きな人を指名したのですか」

「遊郭って、理性がぶっ飛んでて何やったのか覚えてねえんじゃねえのか?」

「知りませんよ。そんな方法があるというのも、今はじめて知りましたし」

 

ミラーディアは少し唇を尖らせた。彼女は遊郭を利用したことがないのだ。そのため、その場所の利用法について、知らないことの方が多い。

 

遊郭とは、死と隣り合わせの生活を強要されるハレリア王族が、重圧に耐えるために日頃のストレスを発散するための場所である。魔法によって理性が吹き飛ばされ、何を叫んでもどのような行いをしても、そこにいる限りは許される。当然、性的な事由も含まれる。

そんな性的な行為をするのに、相手を選ぶことができるのだ。兵士や役人など、命令1つで出向させることができる人間に限られるのだが。そして、相手が平民の場合は拒否権がある。

王族は美男美女揃いのため、拒否する者は滅多にいないのだが。

 

「てか、前にエルウッドってモテたいとか言ってたけど、もしかして両方とも記憶飛んでんのか?」

「知りませんってば。ただ、意図的に部分的な記憶を削除するのは、洗脳術の熟練者でなければ難しいそうです。遊郭で現在どういう術が使用されているのかは知りませんけれども、もしかすると相手を命じられた辺りを含めて記憶が飛ぶとか、そういうこともあるのかもしれません」

「なーる、前にエルウッドを悪口でやり込めた時に、なんか熱が入ってると思ったらそういうことだったのか」

 

つまり、好きな人との愛の語らいなどを、相手がまったく覚えていないのである。個人差によるものである為、多少は仕方がないのだが、理屈として理解はできても感情として納得はできないのかもしれない。

 

「その場にいなかったことが悔やまれるのです。トドメを刺すいいネタがたくさんあるのですから。『風神ごっこ』関連は有名ですし」

「そういやアリシエルもそんなこと言ってたな」

「14歳くらいには、色々と技を考えて名前を付けていたというお話です。一度人前で披露して、父君にしこたま叱られたとか」

「まさか、その名前が全部筒抜けだったりすんのか?」

「ええ。ウェスター卿が捨てたエルウッドさんのノートが、今アリスの部屋にあります」

「えー!?それ初耳なんだけど!」

 

金髪ツインテール少女が叫び声に似た大声を発する。

 

「アリス、あなた、寝室のロッカー、あまり掃除していないでしょう?いつ気付くかなと思いまして、手押し(ピン)で天井に留めていたのですけれども。まさか4年間も気付かないままというのは少々予想外でした」

「うぐぐぐぐ……!」

 

唸るアリシエル。

 

「てか、結局両方抉ってんだな」

「ハーリアはコレだから嫌われるのよ」

「意地悪大好きな子が集まって育てられますからね。私はその中で第3位なのです」

 

ミラーディアは胸を張る。白いローブの下から、盛り上がりが強調される。

 

「ふむ……」

 

ジョンは紳士ぶった仕種でまじまじと眺めた。

そしてウサギ耳を手に取る。ジェバンニ工房の新作だ。そろそろ、獣耳ブームの震源地がジョンの工房からあちらに移りつつある。

 

「てい」

「ぐふ」

 

その綺麗な金髪に装着しようとすると当然、グーで阻止される。

ジョンも慣れており、転倒してから受け身を取り、流れるように起き上がり、しっかり椅子を起こして座り直す。

 

「3位ってのは、結局意地の悪さってことか?」

「それを含めた政治適性ですね。政治の舞台で有能で活躍しそうな人の順位なのです」

「その割に胸を張って立派なモノを強調する癖があるんじゃねえかと思うわけですが」

「う……」

 

白ローブの美少女は胸を抑えて言葉に詰まる。そして、困った様子でこんなことを言った。

 

「一応、胸を張っても目立たないように、あれこれ工夫はしているのですけれどもね。どうも、予想外に大きくなりつつあるのですよ。昨年は急に大きくなり出して困っていましたし」

「うらやましい……」

 

アリシエルが羨望の目で見つめる。

 

「胸を大きくする術でも使ってるんじゃないの?」

「必要以上に大きくなられても困ると聞きますし、ハル姉様と区別を付けるためにも、この辺で抑えておきたいところなのです」

「ねたましい……」

 

アリシエルが嫉妬の目で見つめる。

実はミラーディアが特別大きいだけで、金髪ツインテールもそれなりにある方である。ただし、制服であるローブ越しに目立つほどではない。

 

「胸は揉むと大きくなるって聞いたことはあるけど、なんかガセらしいしな。

結局どうなってんのか、よくわかんねえんだよな」

「あら、異世界でも胸が大きい女性がもてはやされるのですか?」

「男はあんま気にしてねえよ。気にするのは女の方さ。それも、俺が住んでた国でそんな傾向があったってだけで、それが世界的なもんなのかってことまでは知らねえし」

「そんなこと調べたりするの?」

「その辺で適当に聞いて回るだけだな。統計学がどうのこうので、何千人に聞けば信用できるって基準があるって話も聞くけど、その数字に信憑性があんのかってとこから分かってねえの」

「いい加減ねえ」

 

金髪黒ローブの少女は呆れるが。

 

「行政の意識調査的なものでしょう。私も、人の集まる場所を回って、住人の考えを聞いて回ることがあります。

ただまあ、その区域の情報通を重点的に調べますから、意見の偏りがあるのは間違いありません。何万人規模になりますと、調査内容によりましては人を使ってもやっていられませんし、何百人で済ませることがあるのも確かですね」

「それって手抜き?」

「女性何歳とか、男性何歳とか、年齢を限定しての調査は、そもそも人数がそんなにいませんから、何百人で十分なこともあるのです。大抵、それが何回かのセットになりますし、結局1万人に届いたりすることもありますけれども。それを行政以外に適用しますと、国全体でも1件何千人で済むのかもしれませんね」

「あー、てか、まともに答えてくれねえ奴とかもいそうだもんな」

「いますね。役人だからと法外な要求をしてきたりする人も」

 

一筋縄でいかないことは確かである。なにしろ、治安が良くアンケートなどに協力的な現代日本ではないのだ。電話などのインフラも整っていない。そのため、アンケートを取るには、街頭や酒場で聞いて回るか、各家庭を訪問するしかない。面倒さは現代日本の比ではないだろう。

 

それでも意識調査をきっちり行う辺りが、ハレリアのハレリアたるゆえんかもしれない。別に民主主義国家ではないのだが、住民を尊重した独裁を行うためには、こうした調査は必要なことなのだ。数字に囚われ過ぎてもいけないというのが、難しいところだが。

 

 

 

「エルウッドさんが騎士の叙任を受けることになりました」

 

ミラーディアが話す。

 

「術無しでマーガレットに勝ったしな。最後ほとんど相討ちだったけど」

「英才教育を受けた兵士を相手に、ほぼ直感と身体能力だけの猟師があそこまで粘ったという評価もありました。両方が強かったという事実に変わりはありませんが、1つの側面ですね」

「そういやそうか。壁を走ったり駆け上がったりしてたもんな」

 

赤毛ショタジジイは頭を掻いた。

 

「そのまま名前の通り『壁走り』という技法だそうです。

ウェスター卿が武術大会の時に使用していたもので、エルウッドさんは元々それがお得意だったとか。ゆえに、『壁際の軽業師』などとも呼ばれたことがあるというお話です」

「そっちが元々得意だったってことか……」

「あれも、そう簡単にできる技ではないようですね。

父君が鍛錬していたのを見て、幼少期から真似をしていたというお話です。本人は幼少期の遊びとして覚えていたもので、兵士となってからはあまりそういうことはしなくなったとか」

「なーる……」

 

ジョンは溜息を吐く。

 

「それが使うようになったってのは、何か心境の変化でもあったってことか」

 

自分の時は手を抜いていたとか、そういうことは言わない。

戦いなど、その時の細かい条件やメンタルなどで、如何様にも変わってくるものだからだ。戦いのために心の在り様まで捻じ曲げて臨むベテランと一緒にしてはならない。

 

「マーガレットさんも、基礎教練、一般常識を教え込む訓練が終わり次第、騎士の叙任を受けることが決まっています。デンゲル家の方で、対人戦用の戦闘法の手解きも受けるそうです」

「一般常識を教え込むってのが一番苦労しそうだな」

「そこはデンゲル流にお任せですね」

 

あの変態野生児がこれからどうなるのか見物だとジョンは思う。

 

「……結局あんま変わんねえ気がしてきた」

 

そして苦虫を噛み潰した顔で頭を抱えるのである。その頭に、ミルクを飲み終えたリユが背後から飛び乗り、彼の赤毛で口元のミルクを拭いた。

 

 



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世情講座

「ミラーディア、ハートーン卿からこんなものが届いているけど、先代から何か聞いている?」

 

宰相の執務室。

新しく宰相となった金髪白ドレスの中年女性に問われ、白ローブの少女は首を傾げる。定例報告の後のことである。

 

「ええっと……ああ、多分ジョン君の工房にあったものですね。先代(亡父)の命で回収して、ハートーン卿に分析と再現を依頼していたのです」

 

ミラーディアが受け取ったのは、一振りの剣だった。

片手剣には長く、両手剣には短い。両用剣の一種『バスタードソード』である。半年程前にジョンが話していた、マンガン鋼の剣だ。マルファスに持たせた両手用大剣と同等の強度を誇るとは思えないほど、細い。

とはいえ、こちらも結構な大きさなのだが。

 

「一応、錬金術師の協力を得て、合金として活用できるだけの態勢を整えることはできたみたい。ただ、ほとんど鉄だから有用性は限定的。例のジュラルミンの方が有用性は高そうよ」

「アリスの不手際のおかげで、配合表(レシピ)を公開せざるを得なくなりましたからね」

「ただやっぱり、その配合表(レシピ)をして異世界転生者と断定させるのは難しいわ」

「ただの発明と見られる可能性が大、ということですか」

 

ミラーディアは、先代宰相から出されたこのお題が、予想外に難しそうだということを予感し始めていた。『ジュラルミン』でさえ、現在のハレリアからすれば画期的なものなのだ。だが、それをもってしても異世界転生者と断定させるには、インパクトが足りない。

 

「まあ、時間がないわけではないし、焦ることはないわ」

「やや呑気な気もしますけれども。エリザ叔母(おば)様」

「こちらはこちらで難題が上がってきてるのよ」

 

新宰相エリザは話す。

 

「1つはブロンバルドの話」

「新たに事実が判明したのですか?」

「ブロンバルド首都と周辺都市の教会で、真っ黒な僧侶ばかりが自決せずに残ってるわ。フェジョ新教の洗脳政策に沿うように教育されててね。

『星王教徒が最終的に世界を滅ぼす。その証拠にブロンバルドの文明は末端から破壊されつつある』って、吹聴しまくってるって話よ」

「うわぁ……」

 

ミラーディアは顔をしかめた。とてつもなく面倒な問題だけを残していったというのである。政権を潰すためだけに先鋭化した政党を残して、他の政党が壊滅してしまうようなものと言えばいいだろうか。

彼らもブロンバルド文化を担ってきた人々ではあるのだ。そして、洗脳政策のようなやり方を好み、魔法によって他者を裏切らせる。放置しておけば、またナグアオカ教と結び付きを強め、神族(かみぞく)を招いて第二のハレリア大戦を引き起こすだろう。

 

実はそう簡単に次は起こらないのだが、彼女らはそれを知らされていない。

 

「ややこしい部分はハレリアからも政治顧問団なんかを送って対処するわ。ガランドーとザライゼンを復興する必要もあるし」

「そのために両国の王家の血筋を残し、代々教育してきたのですからね」

「ただ、元々ブロンバルドっていうのは唯一ヒストンからの直通の大動脈があったからこそ、文化文明の中心地として栄えた国よ。それはベルベーズ北部地域における大きな急所としての性質も備えている。そこを何とかするためには、もう1つの大動脈が必要になるわ。海はエルバリア以上のノウハウがハレリアやイリキシアにはない。ハレリアはノシツキ湾を出られないんだからね」

「出口が塞がれてしまっているせいですね」

 

金髪白ドレスの中年女性は頷いた。

 

「もう1つの大動脈の方は、ザライゼン西のスレイカン山地に街道を建設する案。大雑把に調査したところ、少なくとも1箇所は幅150馬身の谷越えになってしまうんだけど」

「それも面倒そうですね」

 

ミラーディアは両肩を竦める。

 

「もう1つ、つい先日、面倒そうな話が舞い込んできたわ。先代も予想していなかった、ワジン皇国からの使者よ」

「あらまあ」

 

白ローブの少女は口に手を当てて驚きを示す。それくらいに、歴史的なことだったのだ。

 

 

 

「そしていつもの世情講座である」

「聞いておいた方がいいということには違いはないがな。少なくとも、判断材料にはなる」

 

いつものジョン工房の設計室兼休憩室。

紅茶を飲みながらジョンとエヴェリアはミラーディアの話を聞くことになる。

今日の差し入れは、マツリボラの胃。

現代日本でもボラの胃は珍味として庶民に食されている。

ボラは川魚で、津軽以南の川に生息しているため、全国的に食べられているという。

ハレリアでも珍味として庶民に親しまれていた。

 

「まず、ザライゼンとヒストンの間にあるスレイカン山地についてです。

位置的には、エルバース山脈を境にエムートの向かい側にある場所ですね。エムートと同じく天然の要害で、ブロンバルド洗脳政策の手が届いていない場所でもあります。ここに逃げ込んだ人々もいまして、大小の集落を形成しているとか」

 

地図を広げながら、白ローブ巨乳は説明する。

 

「先住民族との摩擦がありそうだが……」

「現時点で聞いた限りは、そんな話はありませんね。おそらくですが、200年の間に解けて消えてしまったのではないかと思います」

「200年か……」

 

エヴェリアは顎に手を当てて遠い目をする。悠久の時に思いを馳せているのか。

 

「そんなスレイカン山地に、街道を建設する計画が立ち上がってきています。

今まで、エルバリアとブロンバルドを抑えるだけで神石の流れを遮断できてしまうわけですから、考えてみればベルベーズ大陸は大きな急所を抱えていたということになるのですね」

「何十年とかかる大工事だろうな。

また神族の『成り立て』を洗脳して送られて来れば、同等の文化破壊を許すことになる。そう考えると、是が非でもやらねばならんか」

「もう1つ、それに対する解決策になりそうなお話があります」

 

ミラーディアは告げる。

 

「ワジン皇国からの使者が、今ハレリア最大の港町ボンジールにやって来ているそうなのですよ」

「ワジン皇国から?」

 

ジョンが尋ねたのは、ワジン皇国について情報を持っていなかったからである。

 

「はい。詳しいことはまだ聞いていないのですが、交易を求めているとか」

「確かワジン皇国とは、400年前と150年前にやりあっていたらしいな」

「その通りです。

いずれも陸地に上陸させてから撃破したとのことですが、結局のところハレリア海軍がワジン海軍に勝つことができていません。ですので、ノシツキ湾の出入り口を抑えられ、ハレリアは湾内にて接するソーレオ以外の国と海運交易ができない状況が続いているのです」

 

ハレリアが強いのは陸軍であって、海軍はそれほど強くないのである。

 

「ワジン皇国は、ベルベーズ大陸の東岸からさらに海に出た位置にある島国だ。元々海賊が多く、それらを平定してワジン皇国が成立したと言われるほどで、海軍力が非常に高い。また、ハレリアと同じく、皇王政権が千年近く続いていることでも有名だ。王室が続いているだけで、実権を握っているのは宰相という話もあるがな」

 

エヴェリアが補足を入れる。

 

「お詳しいですね」

「イリキシアは大陸最北端にある。東壁山脈を北の海から迂回できる位置だ。海が凍り付く冬に、犬ゾリで海を渡って東壁山脈の向こう側にあるスピリス港に移動し、そこから船でワジン皇国と交易するルートがある」

「あらまあ」

 

エヴェリアの説明に、ミラーディアは素直に驚きを示した。

ハレリア王国とワジン皇国の間には国交がなく、ワジン皇国の内情もほとんど分かっていないのである。

 

「言い訳させていただきますと、今までワジン皇国はハレリアに交易を求めて来なかったのですよ。私達は、それがてっきり選民思想的なものが原因とばかり思い込んでいたのです」

「私も直接ワジン人と話したことはないが、誇り高い民族ではあれど、異民族や異文化に対しては寛容を通り越して貪欲だと聞いている。自分の暮らしを豊かにするためならば、異文化だろうがなんでも利用する民族だと。

……言ってみるとおかしいな」

 

黒髪兎耳ロリは首を傾げる。

 

「交易とは、自分達が持たない品物や知識、知恵を得るために最適なものだ。

特にハレリアは星王術において一日の長があるし、輸送や農耕などの他の技術も高い。それを戦争で分捕るよりも、交易で友好的に取り引きする方が互いのためになるはずだ。

実際、ブロンバルドがイーザンを封鎖する以前、ノスラントやイリキシアもハレリアと交易して利益を上げていたのは確からしい」

「つまり、今まで何百年も交易の話すらなかったってのは、不自然ってことか」

 

ジョンは話の流れを理解した。

 

「ワジン皇国がハレリアと交易しなかったのは、何か別の理由があるということですね」

「おそらく。そして、今になって交易を申し込んできたというのは……」

「その理由を押してまで、交易をする必要に迫られているということですか」

 

思ったより、深刻な流れである。

 

「もしくは、だ」

「はい?」「なに?」

「今まで交易できなかった理由を、解決できたのかもしれねえ」

「まあ、それもあり得ますか」

「希望的観測だな」

「あれま」

 

ジョンはがっくりうなだれた。

 

これは単に、政治家行政屋と、鍛冶師との意識の違いである。鍛冶師は世情判断に際し、希望低観測を挟むことがある。だが、それに結果を求められる政治家や行政屋は、常に最悪を予測から排除しないのだ。ありとあらゆる情報を集めて、天才的な頭脳集団が世情を予想したとしても、常に予想外は起こりうるのだから。

 

「そういや、リユってワジン列島のスプリガン種だっけ?」

 

ジョンは頭の上に陣取る二股尾の子猫を机に降ろそうとする。だが、リユは両手でジョンの赤毛を掴んで、断固として降りようとしない。しばらく試していたが、ジョンもこんな若い時から毛が減るのは嫌なので、すぐに諦めた。

 

「オロバス様がどこからこの子を連れてきたのかは知りませんけれども。多分ワジン皇国の内情を知っているわけではないと思いますよ?」

「スプリガン種というのは、神族(かみぞく)が人目に触れない場所で秘密裏に匿っているものだというからな。人と接することすら稀だろう。政治経済の話が分かるとは思えん」

「ダメかー」

 

赤毛ショタジジイはがっくりうなだれた。

 

「ワジン海軍ほどとは言いませんが、まともな海軍戦力がハレリアにありましたら、その造船技術をヒストンに伝えることで、まだ交易路の開拓の方をどうにかできる可能性がありましたけれども」

「ワジン人の海賊も私掠船も、ノシツキ湾には入って来ないようだからな。同じ湾内海域を利用するソーレオは同盟国だ。ノシツキ湾内に海賊はおらず、商船や輸送船が襲われたことはない」

「こちら側の最奥部に砂浜がある以外は、湾を出るまで港を設営できるような地形ではありませんからね。ノシツキ湾を出るのに、風に乗っても丸2日かかるというのも理由でしょう」

「要するに、ハレリア海軍には交戦経験がほぼないということか。陸戦では古今無双と言っていい程なんだが……」

 

意外な欠点である。周辺国に比べ、飛び抜けた国力を誇る国が、海に接しているにもかかわらず、海軍力に乏しいというのだ。

 

「それっておかしくね?」

 

ここでジョンが首を傾げた。

 

「なに?」「どういうことです?」

「陸地でもよ、山賊が出るってくらいで商人の往来が止まるか?海の上ってのは、何にもねえように見えて、天気によっちゃかなり視界も悪くなるんだ。ワジン皇国の私掠船ってのがどのくらいいるのか知らねえけど、まったく通れねえなんてことはあるわけがねえだろ」

「それは、近くにワジン皇国以外の交易拠点がなければの話だな」

「……あ!」

 

ミラーディアが何かに気付いて声を上げる。

 

「そうですよ。山賊や海賊が出るのは、襲撃するべきものがあるからなのです!」

「なに?どういうことだ?」

「ノシツキ湾の入口には、ハレリアかソーレオの商船以外に、私掠船が襲撃する目標がないのですよ。定期的に偵察に送っている小型船が戻らないことがありまして、それをして海軍はワジンの私掠船の仕業だと推定していたのです」

「海の上で小型船なんて、よっぽど近付かなきゃ見えねえぞ。波が荒けりゃ、大型船でも波に隠れちまうんだからな」

 

ジョンが情報を付け足す。

 

「そうか、南部の聖教国は、ナグルハ諸国以外と交易していない。イリキシアも間接的にとはいえ、海路ではワジン皇国本土としか交易していない。ワジン皇国以外に相手がいない以上、ノシツキ湾の入り口を封鎖する理由がないのか……!」

「というか、ジョン君、海の上の船の見え方とかよく知っていますよね?」

「前世島国の生まれだったんだよ。船に乗る仕事してたわけじゃねえから半端だけど、船に乗ったことがねえってわけでもねえし」

 

ミラーディアもエヴェリアも、海のことをほとんど知らないのである。穏やかな内海であるノシツキ湾のことくらいしか、わからない。

対して前世日本人だったジョンは、テレビやネットなどで、自然と海や船の情報を持っていた。

異世界云々はほぼ関係ないが、意外な知識差と言えるだろう。

 

だが、ここでミラーディアが首を傾げた。

 

「ですが、これって何か問題になるのでしょうか?」

「わからん」

「俺もそこまで考えてなかった」

「……」「……」「……」

 

3人して、盛大に溜息を吐く。

 

ノシツキ湾の出入り口。そこに何かがあるのは確かなようだ。しかし、ハレリアかワジンのいずれかが把握していれば、使者との会談で自然と問題視されるだろう。つまり、急いで上に伝える必要というのがないのである。

 

そして、もしも詳しい状況が知りたければ、洗脳鳥でも飛ばせばいいのだ。敵はいないのだから、時間をかけて低空を何度でも何羽でも飛ばせばいい。その程度のことをハレリア海軍が行っていないとは、さすがに思えなかった。

 

 

 

「……ということを話していたのですが」

「私は元々ボンジールの担当で、今まで交易がなかった理由についても承知しているわ」

「ですよねー」

 

ミラーディアは溜息を吐いた。あの議論はほぼ無駄だったのである。ただ、自分が海のことを知らないということが露見しただけだった。

 

「知らないということを知るのは重要なこと、肩を落とすのはまだ早い」

「はい」

「それと、今年の貴族議会にその話を出すことになってるから、もしかすると彼の力を借りることになるかもしれないわ」

「それほどに難しい話なのですか?」

「あそこには問題が2つあってね、1つは私達でどうにかできるけれど、もう1つが下手をするとマキナ様にお願いすることになるかもしれないの。例の留学生の子にも議会に出席してもらうから、2人には伝えておいてね」

「わかりました」

 

一難去って、また一難。ジョンの前に、また難題が立ち塞がる。

もっとも、それは彼の力を世に示す機会でもあった。

 

 



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貴族会議

「ついに王宮に呼び出されて、色々聞かれんのか……」

 

馬車の中で、赤毛ショタジジイは呟く。

 

馬車はサスペンションこそないものの、座席のクッションが利いており、あまり揺れを感じない。少なくとも、中で話しているだけの余裕があった。ジョンがルクソリスに来る際に乗ってきた商人の馬車とは大違いである。

路面が整備された石畳ということもあってか、酔わずに済みそうだ。

 

酔う理由としては、1つに馬車の構造がある。この時代の馬車はゴムが使われておらず、衝撃吸収用の機構もない。また軸と車輪が木材で構成されており、人力車のような大きさのものでさえ、摩擦のせいで人間が動かすのは困難を極めた。

それゆえに人間を遥かに超える筋力を誇る馬に頼るのだが、潤滑油を注したとしても、どうしても木同士で擦れるため、平坦な道でも振動する。それがわずかな段差によって不規則な揺れとなり、乗り心地をより酷いものとしているのだ。

 

今ジョンを乗せている馬車は、車輪の軸受けに銅を用いていた。これによって多少は摩擦が減り、乗り心地が向上するのだが、所詮は気休めである。軸に使用する木材を真円に機械加工するための装置がまだなく、手加工ではどうしても軸の向きがブレるからだ。速度が出ると、その僅かなブレが振動となる。

 

「そういえば、やはり名門貴族というのもいるんだろう?」

「全体で見ればそれなりにいますが、行政部門では少ないですね」

 

エヴェリアの質問にミラーディアが答える。

 

「貴族の認定や爵位というのは、知恵者の称号なのです。

必要だから権限と、それに伴う責任を負っていただいているという意味ですので、相応の実力は当然要求されます。

子供を貴族にしたければ、相応しい英才教育と修業を施せというわけですね。

その辺の教育環境を整えるのに、貴族の収入や立場があれば有利なことは否定できませんけれども。

割とそういう、修行や教育を嫌がる子供も多いと聞きます」

 

馬車は貴族区から中央区、ルクソリスの中央を貫く川の中にある小島へ渡る橋を越える。貴族議会の日ということもあって、周囲には大小数多くの馬車がひしめいていた。

 

「今は静かですが、何かトラブルがあれば、ハレリア貴族は馬車から一斉に飛び出してきます。貴族区では、老衰以外で死人が出ないと言われるほど、決断力や行動力に溢れた人が集まっているのです」

「……事故死もなしか?」

「はい。近くの神殿から治癒術士を抱えて走ってきた貴族、というエピソードもあるほどですから。何かあれば、貴賎貧富の区別なく、彼らは動くのです。それこそ、思考するよりも早く身体が動くと言いますし」

 

これも極端な話である。

実際、おそらく地球の中世西洋でも、様々な物語で悪役とされるような、外道な貴族というのは少なかったと考えられる。ただ、ここまで行動力に溢れているのがデフォルトかというと、それも違うと思えるのだが。

 

「だが、そうかも知れないな。ハレリアでは貴族は元平民だ。王族が最も過酷で、貴族はその次に過酷。そんな国で貴族になろうという物好きは、そんな馬鹿者ばかりなのかもしれん」

 

馬車はハレリア中央区にそびえる巨大な建物に向かう。正確にはその荘厳な建物の前で曲がって、その裏手へ。

 

「あれっ!?これ王宮なんじゃねえの!?」

 

窓から外を眺めていたジョンが思わず声を上げた。天を衝く巨大で荘厳な宮殿のため、てっきりこれが王宮だと思っていたのである。

 

「やはりそう思うだろう。私の反応は間違っていなかったんだ……!」

 

黒髪兎耳ゴスロリが何やら拳を握りしめて震えている。

 

「いやー、割と間違える人が多いのですけれども、あれは星王大神殿なのです。観光案内で普通に紹介されているはずなのですけれどもね」

「ぐぬ……!」

「第一、星王教の総本山なのですから、一番大きな星王神殿があるのは当然なのですよ」

「他は割と小さいけどな」

「『星王(ほしおう)』はただそこにあるだけなのです。世界を支配しているわけでも、頂点に君臨しているわけでもありません。

まあ、星王大神殿は分かりやすいシンボルですから、それを目立たせるという意味で、王宮を小さ目にしているという事情もあるのですけれどもね」

 

悔しげに歯噛みする黒髪少女を尻目に、ミラーディアが得意げに話した。

 

「ってことは、先に大神殿ができてたのか」

 

普通は、王国が最初にあって、ある宗教を推奨することで巨大神殿や大聖堂が建てられるものなのである。順序が逆というのは珍しいかもしれない。

 

「というより、ハレリア人が民族として成立する以前に、神族(かみぞく)によってこのルクソリスは無人のまま建設されたのです。同時に星王大神殿も建設されました。そこを王都としてハレリア王国が建国されたのですよ」

「無人の王都が建設されてから、王国が建国されたというのも珍しいな。ということは、ルクソリスはそれ自体が巨大な遺跡でもあるということなのか」

 

エヴェリアは感心する。どうでもいいが、中々に復活が早い。

 

 

 

王宮は、大神殿の裏手にある背の低い石造りの建物である。

2階建ての、それなりに大きな建築物なのだが、印象は大神殿に完全に食われていた。大神殿をメインに据えたため、わざとそうしているというミラーディアの話が正しければ、その試みは成功していると言えるだろう。

 

何より、生垣である。

通常、王宮と言えば盗賊などの不届き者が入り込まないように、高い塀が設けられているものなのだが、ルクソリスにあるこの王宮には侵入者を防ぐための壁がない。周囲は視線を隠すために植えられた笹竹で覆われていた。

 

「王宮には3つの建物があります。

1つは謁見宮(えっけんきゅう)。文字通り、他国の使者や貴族が国王に謁見するための場所です。国政における儀式場としての性格の方が強い建物ですね。

もう1つはこれから訪れる大議事堂。貴族議会や様々な会議や発表会が行われますし、国王の執務室もここです。国政における実務を担う建物ですね。

最後は後宮です。

妊娠して一時的に働くことができなくなった王族女性や、一線を退き引退することを許された老人達が、王族の子供達を5歳くらいまで育て、教育する場所となっています。私もここで、色々なことをして育ちました」

 

懐かしそうに目を細める白ローブ巨乳。

 

「――そう、ぐっすり寝るアリスの顔に『彼女募集中』と落書きしたり、チェスに熱中しているデイヴィッドの背中に『彼氏募集中』と張り紙をしたり」

「何をやってるんだ。割と本当に」

 

黒髪兎耳ゴスロリは頭を抱えた。

 

「3歳の頃にお婆様達から教わりまして。皆の反応が愉しくて、色々とバリエーションを考えていましたね」

「そういえばアリシエルは18だったな。デイヴィッドも王族で18か」

「デイヴィッドは今年で21です。マディカンの家から、たまに遊びに来ていたのですよ」

「5歳下の子供に手玉に取られてたのか……」

「間違いなくハーリア家の人間だな」

「割とハル姉様も一緒になって悪戯していましたけれども。ハル姉様はなかなかいいフレーズを考えてくれていましたよ。『ロリコンは最高だぜ!』は姉様の傑作なのです」

「マジかよ……」

 

ミラーディアがいい笑顔で昔話をしたところで、馬車は止まる。

 

 

 

王宮というのは、通常は権威付けのために荘厳さが求められ、それゆえに巨大に建造されることが多い。しかし、ハレリア王宮は星王大神殿の景観を損なうまいと、そっと寄り添う形で建築されていた。

 

入口は広く、数多くの馬車を停めるスペースがある。

 

「正面入り口を入ってすぐが、謁見宮(えっけんきゅう)です。左手奥の広い敷地が後宮、右手のドームが大議事堂です」

 

ミラーディアの案内に従い、ジョンとエヴェリアは後を付いていく。

 

他にも老若男女の貴族やその付き人達が歩いていくのだが、その服装はバラバラだった。一応きっちり貴族服に整えている者もいるのだが、見るからに薄汚れた普段着に、申し訳程度に小奇麗な丈の短いマントを羽織っているような者もいる。だが、見るからに美しく貴族服やドレスに身を包んで着飾っている人間は本当に少数だった。

 

エヴェリアは武術大会の時のゴスロリドレス。

ジョンは新品の普段着(・・・)である。つまり、丈夫なシャツと上着、脛丈のズボンに皮を縫い合わせた靴。

ミラーディアはいつもの白ローブで、フードを目深に被って顔を隠している。

 

「武術大会の時は、侍女(メイド)達に着せ替え人形にされた。結局、実家から持ってきたドレスが一番似合っていたわけだが。ここではむしろ浮いている気がするな」

「それはまあ、大体がホワーレン人かハレリア人ですからねえ。

ガランドー王家とザライゼン公家の人も来ますけれども、ハレリア人に近い風貌ですし。人種が違えば似合う服装も違いますから、浮いて見えるのは当然と言えますね」

「服装を気にしてる奴なんて、いそうにねえけどな」

「彼らが気にするのは、煌びやかさではなく個性です。色はほぼ固定ですから、アクセサリなどで変えてきているのです。見分けがつかないと不便な場所ですから。煌びやかさだけで個性を主張しない人には、誰も見向きもしません」

 

3人は人の流れに沿って大議事堂へ向かう。人込みの中ではぐれてしまうなどというアクシデントはなかった。所々に衛兵が立っており、道案内の看板を持っている。

 

「1つ聞いていいか?」

 

議事堂に入ってすぐ、エヴェリアが声を上げる。

 

「はい、なんでしょう?」

「武器を携帯している者もいるようだが、チェックはされないのか?」

「議事堂内を見張る完全装備の近衛騎士に勝てるのでしたら、どうぞトラブルを起こして下さいということです」

「……」「……」

 

ミラーディアの返答に揃って絶句。

 

「ちなみに、内は近衛騎士3名、外は『雷神』騎士団500名と術士兵団300名が固めています」

「数は少なくとも、十分すぎる戦力だな」

「また思い切ったことしやがるし……」

 

2人とも、苦笑いするしかない。

 

「それもこれも、たまに抜き打ちで神族(かみぞく)が参加したりするからなのですよ」

「ハレリアが契約している神族(かみぞく)がか?」

「いいえ、近隣に居を構える神族(かみぞく)や、何か困ったことを解決してほしい神族(かみぞく)がやってきたりするのです」

「なかなか面倒だな。積極的に会議で要求してくるとは……。そうか、ハレリアでは武器の携帯で恐怖心を和らげようとしているのか」

「イリキシアもそういうことあんのか?」

「『大帝』――『力ある九人』の配下や弟子が見物していくことがある。しかも大抵はこっそりな。後になって気付くことがほとんどだ。どうも彼らは政治というものについて勉学を重ねているらしいという、噂がある。だからまあ、議会の内側に配備される兵士は、避難誘導の名人が主なんだ」

神族(かみぞく)というのは、何をきっかけに暴れ出すか、わかりませんからね」

 

ミラーディアも苦笑する。

 

大議事堂は大きめの建築物で、天井が高い。円形の座席の外周に2階の通路があるため、吹き抜けのような形をしているようだ。その2階の通路に、三方完全武装した大男3人が立っていた。あれが近衛騎士なのだろう。

 

天井には、ルクソリスの全景が描かれていた。3重の同心円に、西から東へ貫くムルス河、中央の中洲に建造された星王大神殿。神話の一節など、芸術的な絵画が描かれることの多い天井画には珍しい。

 

「都市として人が入る以前のルクソリスです」

 

白ローブ巨乳が話す。

 

「先にも話しましたが、ルクソリスは神族(かみぞく)によって建設されました。ルクソリス自体が神話の遺物なのです」

 

王都ルクソリスが、王都となる以前。そういえば、中央の星王大神殿以外に建物が描かれていない。それどころか、夜になると通行止めとなる特徴的な跳ね橋もない。

 

ルクソリスの橋は、河の中ほどに橋があり、その始点と終点に跳ね橋を繋ぐことで、通行可能となる、珍しいタイプの橋である。どちらか片方が跳ね上げられてしまうと、通行できなくなるのだ。しかも、運河に落ちると数百メートル離れた船着き場まで登ることができる場所がなく、船着き場も夜には門で閉ざされる。

これが他国の間諜(スパイ)を退ける、防諜システムの一端を担っていた。運河を越えて秘密裏に出入りするのが、非常に難しいのだ。

それが描かれていないということは、建設された当初は、人が住むことを想定していなかったことになる。運河を越える方法というのが、船以外になくなってしまうからだ。

 

「ヒトが生活するための建物や橋などは、ハレリア王国の基礎が形作られてから建設されたそうです。

当時は『混沌の夜明け』によって、神族(かみぞく)がヒトに星の支配権を開け渡した直後ですから、まだ神族(かみぞく)の庇護という謳い文句は絶大でした。

ハレリア人が住み付き、神族(かみぞく)の庇護を騙ることで、周囲の部族民族は一斉に100人いなかったハレリア民族に帰順したのです」

「なんかズルいな」

「神話なんてそんなものですよ。それに、実際には血筋を分け与えて回ったわけですし、それは神族(かみぞく)の意に沿った行動でもありましたし」

 

普通は人質を要求するところ、逆に嫁入り婿入りをさせてハレリア民族の血筋を浸透させ、生活圏を拡大したのである。血なまぐさい戦乱とは無縁の勢力拡大だったのだ。

 

話している内に、ほぼ全員が大議事堂に入り切った。間もなく、貴族議会が始まる。

 

 



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安全ピン

ルクソリスの全景を描いた天井画に見下ろされながら、大議事堂で議会が始まる。

 

新しく貴族に推薦されたり、爵位を推薦されたりといった人事から、街道の整備、収益金の融通、農林水産業の状況、娯楽の流行まで、実に様々な報告が行われる。それだけで丸1日費やしてしまっていた。

もちろん、ジョンの紹介も行われたが。

 

そして貴族達はそれぞれ馬車に乗って、貴族区に建設されている大きな宿に向かい、ディナーの後に寝泊まりする。ディナーは精力の付く高級食材が取り揃えられており、味もなかなか、何より短時間で満腹になるように工夫されていた。

食事後、ジョンがそのことについて口にする。

 

「味よりも満腹感を優先させてるって、なかなかねえよな」

「ハレリア貴族というのは、とにかくせっかちだという。食事の時間さえ切り詰めて視察から厄介事の対処を行うから、当然と言えば当然かもしれん」

「パーティーでも、細々とした情報交換の場としては貴重ですからね。食事をほどほどで切り上げてしまう人が多いのですよ」

「コース料理が流行らないわけだ」

 

エヴェリアは苦笑する。どうやら、他国では普通にコース料理があるらしい。

 

「それより、議会の方で気になったことが幾つかあるんだが」

 

黒髪兎耳のゴスロリドレス少女は尋ねる。こういう場では、兎耳も特注の高級品である。細部に至るまで作り込まれ、ファッションとして少女の頭を飾り立てていた。(※ ジェバンニ工房の作品)

 

「はいはい」

「『税金』という言い方はしないのか?」

「はい。ハレリアには制度としての税金がありません。各都市で行われる事業利益や土地代などを収益金として、中央政府に集めずに融通し合う形式なのです。

まあ、各地域に派遣される白ローブや軍の恩恵を受けるために、それなりの寄付金が支払われますが、義務を課してはいません。ゆえに、国全体における予算会議もありません」

「信じられん……」

 

税金、予算というシステムを用いずに、大陸随一とも言える大国を維持しているというのである。

 

「国内で食糧が溢れているからこそ、こんな真似ができるのですよ」

「食糧自給率が100%超えで、人も技術も金も溢れてるってことか」

 

赤毛ショタジジイは呟いた。

そんな国はなかなかない。人間は満ち足りた状態ではそれ以上働こうとしなくなるものだ。生物の進化も、数回の大絶滅が原因で促進されているのである。

あれもこれもを持った国など、まずないと言っていい。

 

「国民の士気をどうやって高めているんだ?」

「幾つか理由はありますが、大きいのは神族(かみぞく)の存在です」

 

エヴェリアの質問に対し、ミラーディアは話す。

 

神族(かみぞく)は娯楽としてヒトを欲しています。ゆえに、穀倉地帯では大虐殺を行いません。下手をしますと、餓死という間接的なものによって、数百万単位の人間が死んでしまいますから。

その影響力を伸ばせば伸ばすほど、神族(かみぞく)はそこでは暴れ辛くなります。もしくは、行動を起こした神族(かみぞく)に対して、ヒトの大量死を嫌う神族(かみぞく)が横槍を入れる可能性が高くなります。それは一種の庇護と言ってもいいでしょう。

自分達の安全を担保するために、穀倉地帯では食糧が過剰生産される傾向があるのです」

「なるほど……確かにナグアオカ圏のような連中でもなければ、滅ぼし尽くしたりはせんだろうな」

 

イリキシアも、穀倉地帯を巡ってブロンバルドと対立していたのだ。

そこに住む農民を虐殺などしてしまえば、肝心の食料が生産できなくなってしまう。土地に農民を入植したところで、まともに農産物を生産できるようになるには数年かかるのだ。

その土地の癖や危険地帯などの事情を知る現地農民の存在は、とても大きい。彼らの信用を得るために、迂闊に殺して回ったりはできないのである。

 

「もう1つは、脱走奴隷の流入ですね。脱走と言いますか、例のエムートに派遣した兵士達が、エルバリアやブロンバルドに潜入し、奴隷だった人々を救出、あるいは誘拐してきていたのですよ」

「また無茶なことを」

 

黒髪ゴスロリが苦言を漏らす。

実際、他国民を拉致しているようなものである。現代地球ならば、国際問題となってもおかしくはない。

 

「エルバリアにつきましては、リンドブルム辺境伯が協力してくれたそうですから、そこまで大きな危険はありませんでした。

ブロンバルドもあまりそういう対策はされていなかったそうでして、洗脳術士を縛り上げて、村単位で人々を脱出させるのは難しくなかったと聞いています」

 

言いながら、ミラーディアも苦笑した。先の大戦が終わるまで、聞かされていなかったのだ。露見すれば大問題となるため、秘密にされていたのはある意味当然なのだが。この辺、ハレリアも国家としての闇を抱えていると言えるだろう。

 

「他にも移民の流入というのがありまして、その中で手に職のない人々は、大体が農地に向かいます。そもそもからして食糧が過剰生産されていますから、農地を手伝いながらのんびりと暮すことができるのです。

そうやって移民の流入が人手を増やすことになり、農民として教育を受けた移民は、さらに食料を過剰生産するようになるという仕組みでして」

「そっか、逃げてきた奴隷って大体農奴だもんな」

「神族の脅威から逃れうると聞けば、嫌でも働くな」

「そういうことですね」

 

白ローブ巨乳は頷き、さらに話す。

 

ちなみに農奴とは、奴隷階級の農民のことだ。

平民と違い、ただ人足、数合わせとして働かされ、満足に給料や食料も支給されず、大抵は過酷な労役の末に病気などを患い死んでしまうことも多い。また奴隷商人によって物同然に扱われ、数も把握されていない。

これは中世地球の中上流階級の者達が、奴隷という存在を家畜か何かと同じように扱い、関心を持たなかったからだと言われている。

 

ハレリア以外ではそのような状況がある国も多い。

地球では、実はフランス革命で王制が倒れ、民主主義が広まった後も、民衆の中で元奴隷に対する差別や迫害は続いた。最近でさえ、自由と平等を標榜するアメリカ合衆国において、元奴隷人種への差別が深刻な社会問題となっており、解決の目途は立っていない。

 

「ブロンバルドがおかしなことになる以前は、ハレリアはこの過剰生産分を輸出することによって、平和を担保していました。エルバリアが神石の供給を背景に専横を働いていたのと同じように、攻め込まれないための影響力を保っていたのです」

「なるほど、特にイリキシアなどの食料生産量が少ない国は、敵対したいとは思わなくなるな」

「全部分捕るって考えはしねえのな」

 

これはジョン。

 

「……そうだな。神族(かみぞく)という要素がなければ、そういう戦争がもっと増えていたかもしれん」

「覇権や領土拡大といった概念が台頭した1500年前、ベルベーズ大帝国の興亡と共に、わずか20年で覇権主義はしぼんでいきました。

当時は『力ある九人』の支配権の境目が問題となり、今はハレリア王国と契約する神族(かみぞく)の存在がネックとなっています」

「要するに、国同士で本気で喧嘩をすれば、最後に勝つのはハレリアだということだ。

国土を広げることである程度影響力を発揮することもできるだろうが、結局のところ神族(かみぞく)の存在がネックとなる。

野心家からすれば、領土的野心を満足させようとするのは、馬鹿馬鹿しいこととなる。自分が神族(かみぞく)になった方が手っ取り早いと考えるほどだ」

「野心家が通る道として、割と一般的ですね」

「へー……」

 

赤毛ショタジジイは感心した。

マグニスノアでは、領土的野心を満たすよりも、国民の衣食住を満たす方が優先されるというのだ。

 

神族(かみぞく)ってのも、戦争を止めてるって考えりゃ、一概に悪い存在ってわけでもねえんだな」

「……まあ、そうかもしれんがな」

「毎年、神族(かみぞく)が原因とされる死者が、ハレリアだけで数百人出ていますが」

「正直スマンかった」

 

彼は素直に失言を詫びる。

 

大きな災害も、良い部分はあると言っているようなものだ。それが通用したのは、肥料が発見される以前の古代までである。昔は、川の氾濫によって山の土が流れ込み、土地の栄養分が補充されていた。それがなければ、瞬く間に土地が痩せ、多数の餓死者が出ただろう。川の氾濫によって毎年のように死者が出ようとも、それは全体にとって利益だったのである。そうでなければ、古代宗教において生贄が流行ったりはしなかったと考えられる。

 

権力者に厳しいハレリアにおいてでも、人の命はそこまで軽いものではない。当然、現代地球においても人の命は重いものだ。

逆に、それゆえにだろう。いつの世も、戦争は悲惨なものだ。

第一次世界大戦と第二次世界大戦では、それぞれ数千万人の死者が出ているのは知られている通り。

冷戦においても冷戦後においても、戦争が発生するとそれだけで数万人の死者が出る。

最近では、テロによる死者数がうなぎ昇りだ。

 

中世西洋、戦争による死者は毎年10万人以上に上ったという。

毎年の死者数は平均で50万程度と言われているが、その大半はペストや天然痘などの伝染病によるもの。餓死がそこそこ。戦死者こそ数百から千人足らずだった時期もあるようだが。

 

戦争による影響を甘く見てはならない。中世、略奪は国家によって推奨されていたのだ。ゆえに、末端の兵士や傭兵が戦場近くの村や町を襲って、現地調達という名の略奪や人身売買を行っても、罪には問われなかった。

抵抗すれば殺されるが、略奪された場合、一体どうやって次の収穫までを持たせるのか。略奪は、証拠隠滅のために、往々にして家に火をかけられるのだ。兵士達の通り道になったり戦場になれば、農地は容赦なく踏み荒らされる。

 

家も食料も農地も失った農家が、一体どうやって生き延びるのか。奴隷になって貴族なりの庇護を受けたり、自分達で城塞を築いて略奪から身を守ったり、色々とあるが。何割かはどうすることもできずに餓死する。

ゆえに、戦死者と戦争による死者は、分けて考えなければならないのだ。

現実とはかくも無情である。

 

こういう話は、地球においては今なお起こりえた。ゆえに、神族(かみぞく)が戦争を減らす作用を担うと聞いて、ジョンはポロリと言ってしまったのである。

 

「お詫びに尻尾の試作品を進呈したい」

「尻尾?」

 

赤毛ショタジジイは懐から取り出す。

それは、細く短い布切れに柔らかな毛束を立たせた、兎の尻尾だった。同じく、細く長い布切れに短く柔らかな毛束を立たせた、猫っぽい尻尾もある。

 

「また『萌えグッズ』というやつですか……」

「尻尾は、留める方法がないから、縫い付けることになるんじゃないのか?」

 

エヴェリアは興味津々にそれを手に取り、眺めている。

 

「それについて色々と悩んだんだけどよ。『安全ピン』で留めればいいかなって思って、試作してきたんだ」

「安全ピン?」

「ここの、これ」

 

ジョンに言われて確認すると、針金でできた小さな金具があった。

 

説明しよう。

安全ピンとは、布同士や装飾具を留め合わせる金具のことである。

原型は紀元前のミケーネ文明にまでさかのぼる。ミケーネ文明で使用されていた『フィブラ』と呼ばれるマントなどの留め具がそれで、弓の形をした金具に、弦に当たる部分に細い棒を渡して固定する方式だった。

イメージ的には、鎖のU字留め具や南京錠の形が近いだろう。

 

ゴート人やゲルマン人によって中世ごろまで使用されたようだが、その後1849年7月にアメリカの発明家ウォルター・ハントによって再発見されるまで、数百年単位で忘却されていたという。

 

ジョンが作ったのは、『伸線加工装置』によって加工された、細く均一な針金をバネの形に曲げて、針を収めるケースをはんだ付けしたもので、現在のものに近い形状をしていた。

まあ、仕事の片手間に作っていたため、多少不格好ではあるのだが。そして、安全と言いながら割とよく指に刺さるまでがテンプレである。

 

ハレリアでは、古代型『フィブラ』は使用されていたが、現代型の『安全ピン』は存在していなかった。普通の針金ではどうしても強度が足りないためで、ピアノ線ほど細い針金を作ることができなかったのである。

つまり、これも『伸線加工装置』による副産物と言えるのだ。

 

「ここの先に針が納まってるから、こうして、こうすると布地に引っ付く」

「ほう……こうか……なるほど、これは凄いな……」

 

赤毛少年は実演のために、ドレスの袖にウサギの尻尾を付ける。すると、真剣な目で黒髪少女は何度も試す。

 

「ところでエヴェリアさん、お詳しいですね?」

「文化を発信するのも貴族の勤めだ。ハレリアのファッションについてもよく調べている」

「特定の個人にアピールするためではないのですか?」

「い、いや、そんなことは……!」

 

黒兎耳ロリはあからさまに動揺した。兎の尻尾を付ける手元が狂い、床に落ちそうになるが、それはジョンが回収し、またエヴェリアに渡す。

 

「あらあらまあまあ、随分面白そうなお話をなさっているのですね」

 

そこに、抜群のプロポーションを白いドレスに包んだ、一際目立つお嬢様がやってくる。

 

「気になりますよねえ、ハル姉様」

「もちろんですわ、ミラーディア」

「ひぃ、な、なんだタイミングが良過ぎるぞ……!」

「留学生と異世界転生者が話しているのですから、聞き耳を立てるのは当然ですわ」

「そうよねえ」

「さ、宰相までっ?!」

 

白いドレスの年配女性エリザの出現に、エヴェリアは目を剥いて驚いた。動転して敬称が抜けているが、それを気にする者は、この場にはいなかった。兎の尻尾を胸のところに持って涙目になる美少女が良い目の保養になっていたのである。

ハレリアの王侯貴族は、女性も男性もしたたかで図太く、他人のこういう姿は滅多に見られないのだ。

 

「さあ、私達が大好きな恋のお話、聞かせてくれるかしら?」

「だ、だれか助け――」

「逃がしませんよ」「逃がしませんわ」

 

身の危険を感じて逃げようとしたところ、右腕をハルディネリアに、左腕をミラーディアにそれぞれがっちり抱えられ、逃げ場を失ってしまう。そして、すっかり貴族の仮面の剥がれた黒髪少女は、悲痛な悲鳴を上げ、ハーリアの手練手管により、すべてを聞き出されるのである。

 

ジョンは、エヴェリアが捕まった辺りで両手を合わせると、そんな修羅場からさっさと逃げ出していた。

その内、飛び火してくるのは間違いないと、前世の経験が告げていた。

だから童貞なのだが、本人は気付いていない。

 

 



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鋼鉄の難題

翌朝、再び馬車で大議事堂へ移動し、貴族議会が始まる。

 

「2日目は外交政策についての議論です。ここで最終決定するわけではありませんが、議論した内容は六家会議にて選定され、最終的な国政や外交政策となります」

 

ミラーディアは説明する。

 

「こないだのワジンの使者とかの話も出てくるってわけか」

「そういうことですね」

「……………………」

 

2人が話している間、黒髪兎耳ゴスロリはうつむき、顔を赤くして両手で顔を隠していた。

 

「大丈夫か?」

「昨日はジョン君は逃げていましたからねえ。通算70近くにもなりますと、さすがの逃げ足と言いますか」

「自慢できることじゃねえけどな」

「昨日は、皆で彼女の好きな人の攻略法を考えていたのですよ。結婚というシステムのないハレリア王族でも、平民や貴族の恋愛相談を受けることは多々ありますから」

「そんなことまでやってんのか?」

「気兼ねなく働いていただく上で、かなり重要なことですし。それに、ハレリア人は血を拡散させる使命を持った人種です。時代と共に移り変わる恋愛事情を研究するためにも、少しでも多くの情報を欲しているのですよ。

後、恋バナというのはドキドキして楽しいですし」

「それが本音か……!」

 

まだ顔の赤いエヴェリアがミラーディアの頬を掴んで引っ張る。

 

「あなたは良い友人(ゆうひん)らと思っていまひたが、あなたが可愛いのがいけにゃいのれすよー。うふふふふはにゃはははは、何をするですかー!」

「くぬ、くぬ……!」

 

だが白ローブの少女は堪えた様子を見せないため、掴みかかってくすぐり始める。

 

「謀ったな、ウィーアー!」

 

ジョンは合いの手を入れた。2人は何のことか分かっていない様子だったが。

 

ちなみに、議会が始まる前だったこともあり、少女同士のイチャイチャは咎められることなく、生温かい目で見守られていた。

 

 

 

まずは、国としての形を失ったブロンバルドについて、中間報告が行われた。

 

現在、大戦終結より1ヶ月半が経過、各国が連絡を取り合いながらブロンバルド領内の調査を行っている。その中間報告だ。

同じ内容の報告が、調査に参加した各国に送られているらしい。

 

まず、現時点で死者は1千万人を超えたことが確認されている。

大きな町や都市は死体で埋め尽くされており、生き残りはハレリア人による保護を徹底的に嫌い。死体の山をハレリア人の仕業と叫んでおり、ハレリア人を死滅させなければ世界は滅ぶと叫んでいるという。しかも、洗脳術ではなく洗脳教育によるものであるため、術による対処は難しい。

 

最終的に復興の邪魔になるようなら幽閉するしかないが、ややこしいのは、彼らはブロンバルド、フェジョ旧教の地域ごとの文化を記憶に保持しており、迂闊に殺せば各地の特色である文化が失われてしまうということ。

書物には残っていないため、その地の古い文化を保護するならば、面倒でも生かしておく必要があった。

ブロンバルド支配地域の古い文化か、今後の復興か。どちらを選んでも、確実に禍根が残る。禍根なく処理するためには、数年かけて洗脳教育の影響を除去する必要があり、処置を施す施設が必要になる。人も多く必要になり、さらに技術的にも人員的にもそれを引き受けることができる唯一の国ハレリアを、彼ら自身が拒絶してしまう。

まさしく最悪な置き土産だ。

 

ただ、朗報もある。

小さな山奥の村などは、見向きもされなかった影響か、洗脳政策や集団自殺の影響が及んでいないようなのだ。実際、洗脳政策から逃れた人々が山奥に集落や村を作っているのが、幾つか発見されている。今後、そういう場所は増えるだろうと予想されており、まだ現地住民による復興の道は閉ざされていない。

 

 

 

次は、ワジン皇国からの使者である。

ワジン皇国とは、ハレリア建国以来一度も国交を結んでいない。そのワジン皇国から、国交正常化の打診が来たのだ。

 

ここで、長らくハレリア東部ボンジール港町でエージェントを担当していた、エリザ新宰相が事情を説明する。

 

「まず1つ。今まで国交を結んでいなかったのは、互いの国の敵対心が原因ではないということ。

ハレリア海軍が貧弱で、ノシツキ湾から外に進出できないという話は有名だけれど。逆に世界最強と謳われるワジン海軍が、ノシツキ湾に入って来ない理由というのは知られていない。

原因の1つ目は、世界一潮流の速いヌシド海峡。ノシツキ湾からすぐ出た場所を流れる海流は、同じくノシツキ湾の出口にあるヌシド群島にぶつかり、ワジン人の船乗りも迂闊に近付けない、複雑な海流を産み、世界有数の海の難所となっているわ。

原因の2つ目は、そこが大海蛇(シーサーペント)の巣になっていること。人が入らないから大繁殖してしまっていて、近隣海域にまで出没、ちょうどノシツキ湾の出入り口を塞ぐ形で縄張りを形成していて、通りかかる船をほぼ残らず襲ってしまうの。ゆえに、そこを航路に交易することはできなかったということ」

 

ここでいったん言葉を切る。

 

「今回、ワジン皇国の使者は、人魚(マーマン)の力を借りてここへ来たわ。緊急時に、数年に一度だけ利用できる、大海蛇(シーサーペント)を寄せ付けない護衛を伴ってきたというわけね。

つまり、彼らの本国の事情は、それだけ逼迫していると見ていい。

逼迫している理由は、ワジン列島の向こう側、ロマル大陸のアクバ帝国。最近勢力を伸ばしてきていて、つい先日ワジン皇国が交易していたロマル大陸のジーナ王国がアクバ帝国に滅ぼされているの。それに対抗するために、少しでも国力を補いたいワジン皇国の、苦肉の策と見ていい」

 

一難去ると、三難増えたという感じである。まあ、国家運営などこんなものだろうが。

 

「ちなみに、ワジン皇国は神石の生産国であり、妖精種と一般交流を持つわ。

さっき言った、人魚(マーマン)族ね。部隊を組めば大海蛇(シーサーペント)を退けるほどの戦闘力を発揮する一方、集団で天候を操作して嵐を呼び、地上を荒らすことがあるそうよ。性格は陽気な乱暴者と言えばいいかしら」

 

天候操作。単純に、晴れと雨の時期を操作する方法と言って差支えない。

現代地球でも天候操作のために研究が重ねられ、装置まで作られているが、効果のほどは都市伝説の域を脱していないとされる。

 

古代地球において、天候操作というのは神の仕事、それも主神級の業とされることが多かった。実際にすべて主神の力とされたわけではないが、無名な下級神の力とされることは少なかったらしい。

地球の数多くの古代神話では、主神に太陽神、嵐の神、雷の神など、天候に関する神が配されることが非常に多い。これはつまり古来地球において、天候の予知という分野がそれほどに重要視されたことを示していると言えるのだ。

 

ちなみに、現代地球において気象衛星を飛ばすなどして天気予報が行われているが、気象予報の計算というのは今なお大学教授達を悩ませている。

かなり正確性が増していると言われるが、未だに完全正答と言える法則を構築できていない、難しい分野でもあるのだ。はっきり言ってその地域の漁師など、日和見(ひよりみ)と呼ばれる天気読みの技能を持った人間には未だに敵わないのが実情であるらしい。

 

マグニスノアにおいても、天候操作は魔法における重要な研究項目の1つだった。ゆえに、天候操作が可能という事実は、錬金術師や星王術士にとって、大きな魅力となる。それはつまり、王族六家会議において『魔』を司るファラデー公爵家が、それを理由にワジン皇国との交易に賛成する可能性が高いことを示していた。

 

使い道は色々とある。

天候の確定予測は災害の予知に繋がるし、定期的に雨を降らせることができれば、水の安定供給に繋がる。雨のあまり降らない地域に意図的に雨を降らせることができるならば、砂漠地帯の緑化も容易なものとなる。逆に、雨の多い地域では、雨を減らすことが利益に繋がる可能性を持っていた。

 

戦争においても、天候というのは大きな要素だ。

雨が降れば視界が狭まるし、有効な術が大きく異なってくる。無風の炎天下で全身鎧を着込んで戦うのは、大人でも辛い。あまりに風が強い中でマントを羽織っていたりすると、風にあおられて身動きが取れなくなってしまう。

火を使う戦術を使用する際、当然ながら雨になると作戦変更を余儀なくされる。

 

このように、天候操作というのは国家運営において非常に大きな意味を持っていたのだ。

 

 

 

最後に、ヒストン公国とザライゼン公国の間の険しい山岳地帯に街道を建設する計画だ。

 

ハレリア大戦において、先代ハレリア国王を含めた約5千の王族に犠牲を強いた神族(かみぞく)は、尖兵に過ぎなかったという情報がある。ナグアオカ教系の勢力は、未だに勢力を少しも衰えさせてはいない。

しかし、妖精王オロバスが直接向かい、『警告』を行った。内容は様々だが、『力ある九人』という、神話の時代から存在する最高峰の神族(かみぞく)による脅しだ。ゆえにすぐに後続を送り込んでくるような真似はしないと考えられている。

だが、今回のことでベルベーズ大陸北部地方を容易に揺るがしかねない、致命的な弱点が見つかった。それが、神石の流通ルートの少なさだ。

 

現在、ヒストンから真北のブロンバルド本国に向かい、そこから各地へ流れる大動脈が存在する。

ヒストンは国が成立してから、神石の輸出と引き換えに各国と不可侵条約を結んでおり、それによって国土の安全を担保してきた。ゆえに、エルバリアのような輸出制限などを行えば、即座に攻め滅ぼされる。

しかし、直接ヒストンを押さえずとも、ブロンバルドという重要な中継ポイントを押さえられてしまったために、ノスラントやイリキシアは国力が減衰し、イリキシアは軍事強国であるにもかかわらず、膠着状態を維持するしかできなくなってしまっていた。

さらに洗脳戦術によってザライゼン公国とガランドー王国が為す術もなく崩壊。

ブロンバルド1つを抑えられたがために、今回の凄惨な大戦争を巻き起こしてしまったと言えた。

 

その弱点を解決するには、少なくとももう1つ、別の交易ルートを構築する必要がある。

それが今回、大雑把に洗脳鳥を飛ばして調査した結果構築された、スレイカン山地を通るルートの建設計画である。まだ今から詳しく調査する必要があるのだが、ここに街道を建設することができたなら、大陸北部の弱点を少なくとも1つは潰すことになるだろう。

 

ハレリア大戦のような惨劇が起こる確率を少しでも減らすために、スレイカン街道の建設は絶対必要なことなのである。

 

 

 

旧ブロンバルド領の復興、ワジン列島に繋がる交易路の開拓、スレイカン街道の建設。

この3つは、後に『鋼鉄の3難題』と呼ばれた。

 

歴史家達の研究によって、当時のハレリアの技術では解決不能か、非常に時間がかかると判断されたのである。もちろん、異世界転生者という要素がなければ、だが。

 

「『萌え』の文化で新教の影響を塗り潰せないか?」

 

話を聞いていた黒髪兎耳ゴスロリが呟く。

 

「それは……どうなんでしょう?」

「ブロンバルド人の生き残りが星王教の要素を拒絶するというが、薄く広く拡大していった星王教に浸かった私達に、逆に星王教の要素のない文化というものが判断できないんだ。唯一、確実に星王教の影響のない文化と言えば、『萌え』しか思い浮かばない」

「異世界の文化ですけれども。洗脳された彼らが、星王教の要素について判定基準を持っているとは思えません。ハレリア人から聞いた、ハレリア圏から広まったということで、自動的に拒否するのであれば、どんな文化を考え出しても無駄ということになります」

「だが、試してみる価値くらいはあるんじゃないか?このまま放置していれば、特大の禍根になりかねないんだろう?」

「……それは確かに、一理ありますね」

 

貴族同士で激論が交わされていた中、エヴェリアの思いつきは、流れを変えた。

 

「『萌え』か……」「巷で流行ってるらしいな」「『萌え』って?」「犬耳やウサギ耳で女性を飾り立てることらしい」「……ああ、なるほど」「なんだか、心の底から湧き起こるものがあるな」「YESロリータ!NOターッチ!」「それはただのロリコンだ!」「『萌え』には作法があるらしい」「そう、セクハラの後は女性に殴られごふぅ!」「どこ触ってんのよ!」「ああ、新しい扉が開く……!」「いかん、そいつには手を出すな!」「なんか目覚めたぞ!?」「俺も殴ってくれ!ぶべら」「何してんのよ!この変態!」「どうだ?」「なんか……なんか、イイ!」「貴族議会が訓練された!?」「この変態どもがーっ!」

 

今まで『萌え』に懐疑的だった貴族達に、その文化はあっという間に伝播し始めた。

なんだかんだでストレスを溜めてきたのだ。新たな快楽には、とても敏感である。

 

一部では加減を間違えた女性によって流血沙汰に発展していたが、近衛騎士達は腹を抱えて笑っていた。

ちなみに、流れに乗ったジョンがミラーディアパンチに一発KOされ、騒動が終わる間際まで伸びていたのは秘密である。

 

こうして、『鋼鉄の3難題』の1つの大きなネックとなっていた問題は解決した。

……というのは冗談だが、解決に大きく一歩前進したのは確かだった。

――過程はともかく。

 

 



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ブレインストーミング

貴族議会2日目の午後。やはり議会は紛糾した。

今は10人程度の小グループに分かれて、それぞれ討論を行っている。

ただし、同じ大部屋でだが。

 

「いわゆる、ブレインストーミングってやつか」

「ブレインスト……?この無秩序な会議がか?」

 

赤毛ショタジジイの呟きに、隣で聞いていたエヴェリアは小首を傾げる。

 

「説明しよう!

ブレインストーミングってのは、会議のやり方の1つだ。アイデアを並べる時に、邪魔になる要素を排除するのが特徴で、企画会議の時なんかによく使われる。

4つの原則があり、1つは結論を出さない、もう1つは粗野で奇抜な意見を歓迎すること、さらに意見は質より量を求める、最後にアイデアの結合と発展を認めること。

ただまあ、こんな大人数揃って大部屋でやってんの、俺も初めて見たんだが」

「面白そうなアイデアは、ああやって壇上に掲げられるのですよ。

それに影響を受けてアイデアを出し合い、アイデアを発展させていくわけです。小耳に挟んだアイデアがあっという間に伝播し、大騒ぎになるのは午前に見ていただいた通りなのです」

 

巨乳白ローブが指差す先では、(のぼり)のような垂れ幕が掲げられていた。それには、今まで出てきたアイデアが、マグニスノアの文字で書かれている。

 

アイデアを聞いてメモに書く係、それを見て判別するのは宰相エリザで、それを通ったアイデアが大きな紙に書く係に伝えられ、魔法で紙に焼き付けられ、(のぼり)が加わる。

たまに単語の綴りが間違っていたりするのはご愛嬌だろう。やっているのは人間なのである。

 

「アレ、一昨年までは毛筆で太く見えやすいように書かれていたのです。ジョン君のハンコでしたっけ、それが伝わり、研究されて時間短縮のために用いられるようになりました」

「マジでか」

「あの仕事、人数を集めていても大変ですからねえ」

「伝統よりも効率を優先させるべきケースということか」

 

ハンコというのは、以前、ジョンが実物から設計図を作る際に用いた技法の1つである。

部品の平面を印鑑に見立て、インクを塗って紙に押し付けるという方法だ。

それに着想を得た結果、一文字ずつ金属製の型を当て、星王術にて弱い炎の熱で焼き焦がすという方法で印字する方法に辿り着いたのだ。まるで、版画を刷るような作業だが。

 

「なるほど、星王術は威力を一定させるには最適な魔法だ。それで、紙が燃えてしまわない威力に保っているわけか」

「そうなのか?」

「星王器は作ったその瞬間に、威力や効果が決まってしまうのですよ。鍵となる単語を知ってさえいれば、簡単に発動させることができますから、星王器を作った分だけ星王術士が増えるのです」

「その手軽さこそが、扱いの難しい精霊術が戦場から駆逐された理由でもある」

 

例えて言うならば、銃が剣や槍を駆逐したのと似ているかもしれない。

 

「精霊術って聞いたことねえな」

「精霊術士はあまり一般には出て来ないんだ。一般的な人間の生活と折り合いが悪いからな」

「精霊術で使役される精霊は、特定の金属、特に鉄を嫌うのですよ。そのため、鉄器をよく用いる人間の生活とは相容れないのです」

「へー……」

 

ジョンは感心した。

魔法には、そういう問題もあるのだ。それでなお星王術が一般的となっているということは、それだけ星王術の利便性が高いということでもあった。

 

閑話休題。

 

「それで、3つの難題について、ジョン君の意見をお聞かせ願いたいところなのですけれども、よろしいですか?」

「あ、ああ、そうか、そうだよな」

 

異世界転生者としてジョンの存在感を示すのである。彼が貴族議会に呼ばれたのは、そのためなのだ。

 

「街道建設と復興については、建機とかの便利なのを作る以外にどうしようもねえ」

「まあ、そのケンキとやらがどの程度の威力を発揮するかで、工事期間がかなり違ってくるわけだが」

「普通にやりますと、スレイカンは推計で最低でも50年かかると言われていますからね」

「マジで?そんなにかかんのか?いや、建機がないんならそんなもんか。地図で見た限り、かなり長いもんな」

 

議会の初めに、ほぼ全員に必要な部分の地図や海図が配られている。A4程度の大きさで、木版画だ。

 

「加えて、スレイカンといえば険しい山岳地帯で有名だ。未開地も多く、どんな部族が住み着いているのか、わかっていない部分も多い」

「エリザ叔母様は、数百年単位で長引くとナグアオカ系の国から第二陣が送られてくる可能性があると言っていました。代替わりを挟み、準備が整う50年後が目安だそうです」

「じゃあ、まず建機だな。動力が人力か馬力だから不安もあるけど、作るだけ作ってみるか」

「ところで『ケンキ』とはどういうものだ?」

 

黒髪兎耳ゴスロリが尋ねる。

そこが分かっていなかったらしい。確かに、いきなり略称で呼んでいたため、知らない人間には分からないのかもしれない。

 

「建設機械っつって、まあクレーンとかを建設現場で使えるように移動式にしたり、重石を落として地面を()き固めたりする機械だ。今まで人力でやってたのを、機械でやるわけだな」

「ああ、いつもの『生産のための機械』を、今度は建築に応用するわけか」

「間違ってねえけど、なんか釈然としねえなその言い方」

「いいではないですか。硬さが取れてきたのですし。女の子は柔らかい方がいいと昨日言っていましたし」

「それ、もしかして意味分かってねえよな?」

「態度が柔らかい方がいいと聞いていますが」

「そりゃ男もだ」

「あらまあ」

「……」

 

ミラーディアは、変なところで主に男女関係の知識に乏しかったりする。異性と恋愛したことがないため、当然かもしれないが。

逆に、意味が分かってしまったらしく、顔が真っ赤なのはエヴェリア。どうも、昨日の夜に色々とアドバイスされた時のことを思い出しているようだ。

 

「ですが、喫緊(きっきん)の課題は、まずはヌシド群島の方です」

「そりゃあ、俺が思い付くって言ったら、巣になってる岩礁とかをぶっ壊して、大海蛇(シーサーペント)ってのを散らすことくらいだな」

「水の中に干渉するのは、魔法では非常に難しいと言われています。水中の大海蛇(シーサーペント)を攻撃するには、高級器が必要と言われているほどなのですよ」

「水系のも駄目なのか?」

「あまり詳しいことは知らないのですが、そうでなければこんなことは言われないと思います」

「空中と水中じゃ減衰率が違うってことか」

 

ジョンは適当に自分で納得した。

 

「ちなみに、水棲の妖精種は海や湖では絶対的な戦力とされています。私達は、水中では満足に戦えませんから。水中では単騎で水練に長けた兵士50人相当で計算されるそうです」

「ってことは、大海蛇(シーサーペント)ってもしかしてかなりキビしい?」

「はい。最強の海軍を持つワジン皇国でさえ手も足も出ないほどに、海獣の巣というのは人間にとって最大クラスの危険地帯なのです」

 

水棲種は陸に上がると弱くなるというのはファンタジーな世界観では常識だが、逆に陸上種が水中に入ると、単に逆転した以上の力の差ができるのがマグニスノアの常識なのである。

 

「じゃあ、魔法でどうにかってのはかなり厳しいってことか」

「魔導術も、所詮198馬身の壁を超えることができませんから、陸地から離れた場所を攻撃するには、やはり高級器を使用するか、船に儀装円を持ち込むしかないのでしょうね」

「で、それを大海蛇(シーサーペント)に攻撃されると……」

「残念ながらその通りです」

 

2人は溜息を吐いた。

 

「ってことは、『爆薬』か、『火薬』か……」

「はいぃ?」

 

ミラーディアはジョンの方を振り向き、目を丸くする。至極普通に、まるで最初から結論があったかのように、少年がその単語を口にしたからである。

 

「水中を攻撃しなきゃいけねえんだろ?術に頼れねえ状況で」

「はい。その通りですが……あるのですか?そんな方法が」

「ぶっちゃけ、馬鹿みてえにシンプルで、馬鹿みてえな大問題になっちまう代物がある」

「大問題?」

「戦略級儀式だっけ?そういうクラスの威力が、魔法無しで、しかも素材が規制されてねえ今なら個人で作ることも不可能じゃねえって言えば、ヤバさは分かるか?」

「……」

 

巨乳白ローブは珍しく絶句した。

 

「そいつが、俺がいた世界の戦争ってやつを一変させちまった。

剣で斬り合ったり、矢で射ち合ったりする熱い戦いから、一方的に敵を殺戮する冷たい戦いになった。しかも、一般にまでそういう武器が出回っちまって、新興宗教とかがそれを使って人々を従わせるために人を殺しまくるんだ。

大国の政府要人だって例外じゃねえ。アレのせいで、暗殺が誰にでも手軽にできるようになっちまったからな」

「それは……確かに、大問題ですね……。ぶっちゃけ、ヌシド群島の大海蛇(シーサーペント)が小さく思えるほどの大問題なのかもしれません」

 

ミラーディアは、絞り出すように呟く。

 

「悪いけど、さすがに俺の一存じゃ決めらんねえよ。使うかどうか、また上の方の人らに相談してきてくんね?」

「わかりましたよ。異世界の闇とも呼べるもののようですからね。使えば大海蛇(シーサーペント)の問題を解決できる可能性があるとはいえ、慎重になる必要があります」

 

それが発展したものにこそ問題があるのだが、ジョンは言わない。

『火薬』の発明が地球の歴史を一変させた。それは間違いのないことだからだ。

人類史上3大発明品に数えられる『火薬』は、その負の側面が極限にまで発達し、世界を滅ぼしかねないほどの兵器(あくい)を人間から引き出したのである。

 

 

 

「ん~……じゃあ、代替案も考えなきゃな……」

 

ジョンは腕を組んで呟く。

 

大海蛇(シーサーペント)の活動領域がノシツキ湾の出入り口を塞いでしまっているのが問題なわけですからね。少しでも隙間があれば、通り抜けることができるのですが……」

「隙間ねえ……あん?」

「どうされました?○○(ピー)ぱいの形でも見つけましたか?」

「お前が俺をどう思ってんのか、よーく解ったよ」

「あれ、違いましたっけ?」

「違ってねえよ畜生め!」

 

そんなやり取りの後、赤毛ショタジジイは地図の一か所を指差した。

隕石でも落ちたかのように円状に抉れた、巨大な入り江の細長くなっている場所。

 

「ここってさ、でっかい岩山だったりすんのか?」

「確か違ったと思います」

 

ミラーディアは首を傾げながら言った。

ジョンはマグニスノアの地図が読めないのである。というよりも、A4大の紙にそんな細かい部分の地形について記されてはいない。

 

「ノシツキ湾は、1千年前の『魔王』出現実験の際、発生した『魔王』を消滅させるため、『蛇王』が力を振った痕跡です。その影響で東壁山脈が融解して分断され、1千年もの長い年月を経て風化して砂へと変わりました。

ですから、この辺りは砂で覆われているのが基本で、岩があっても非常に脆いと聞いています」

「じゃあ、『運河』って方法はねえの?」

「『運河』ですか……調査は必要ですが、調査してみる価値はあるかもしれません……」

 

そう話し合って、ふと壇上を見ると、そこにはしっかりと『運河建設』の垂れ幕があった。

 

「あったか」「あらまあ」

「さすがに皆、考えることは同じか……」

 

いつの間にか復活していたエヴェリアが呟く。

 

「ちぇい」

「わひゃっ!?」

 

その脇腹を、ミラーディアがつつき、取っ組み合いともじゃれ合いともつかない、微笑ましい何かに発展。

 

「ここにキマシタワーを建てよう(提案)」

「とぅ」「ふぬ」

 

そして、鼻の下を伸ばしたジョンは余計なことを呟き、2人に鉄拳制裁を食らって、爽やかな顔で椅子から転げ落ちた。彼の膝の上で船を漕いでいた子猫は、逃げ損なって赤毛ショタジジイの下敷きとなるが、平然とした様子で少年の身体を引っ繰り返し、出てくる。

2人とも言葉の意味は分かっていなかったが、多分セクハラ発言だという確信があった。

 

ちなみに、大海蛇(シーサーペント)の巣をどうにかする方法として、ここで大勢を占めた迂回案、運河建設が採用されることとなる。

 

 



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ドリル

貴族議会から数日後。

ジョンは久し振りに工房に戻っていた。ただし、設計室で図面とにらめっこである。

 

「何コレ?」

 

そこへやってきたのは、黒ローブの金髪ツインテール、アリシエル。ジョンが描いていた図面を見て、合金のレシピを見て、眉をひそめる。

 

「まず説明しよう」

「またなんか変なこと始めた!」

 

アリシエルが何か言うが、子猫を頭に載せた赤毛偽ショタは無視して話を進める。

 

「『ドリル』とは、丸い穴を開ける工具である。(キリ)の延長って考えてくれていい。あっちは基本的に人力で加工するためのもんだが、『ドリル』は動力に接続して使うのが基本だ。

まあ、加工跡が結構綺麗になるから、普通に手で使うこともあるけどな。

ちなみに、(キリ)は基本的に柔らかい素材、木に穴を開けたりするのに使うが、『ドリル』は石とか金属に穴を開けたりする時に使う」

「金属に?(たがね)じゃなく?」

「アレじゃ綺麗な円形にゃできねえじゃん」

 

(たがね)とは、金属用の(のみ)のようなものである。

取っ手も金属でできており、非常に硬く、後ろから金槌で打つことで金属や岩を削る用途で使用される。古来、原始的な加工には(たがね)が使用されていた。

フライス盤など、機械動力による加工機械が普及する以前は、昭和期でもこれが現役だったという。廃れたのは、技術が難しいのと、削った破片が飛び散るためで、加工者が常に危険に晒されるのが原因と言われる。

当然、マグニスノアでは未だ現役である。

 

少女はまじまじと眺め、少し考え、そして首をひねった。

 

「ねえ、コレ、刃先ついてなくない?」

 

彼女が違和感を覚えたのは、どこにも尖っている部分がなかったからだ。具体的には鋭角になっている部分が、このドリルの刃先には1つもない。

 

「直角刃だ。今回は水車動力使えねえし、風車動力で何とかするしかねえから、こういう形にしてある」

「え、水車無理なの?」

 

アリシエルは驚いた。

新型弩砲を作った際、金属の加工のためにわざわざ運河の際に水車小屋を建設し、水車動力を使った工作機械を作っていたのである。他の加工機械も合わせ、普通に作れば3ヶ月とかかかるのを、1ヶ月に短縮して見せたのだ。

彼女としては、あの水車小屋を移動させて使うような事態にならないことを祈っていたのだが。使用した合金のレシピや形状をシビアに作り上げる作業が面倒過ぎる。

 

「スレイカン街道の建設計画って知ってるか?」

「昨日なんか言ってたのは知ってる」

「そっちの時間短縮に、色々と作ることになっちまってな」

「マジで?じゃあこれって岩とか削るの?」

「そういうことだ。普通の刃物じゃ文字通り歯が立たねえからな。(たがね)なんて使ってたら、平らにするだけでも日が暮れちまう」

 

できないことはないのだが、尋常ではない時間がかかる。それを何とかするのが、今ジョンが設計している代物だ。

 

「ちょっと待って、水車小屋のアレみたいなのを、岩盤のあるとこに建てて、削ったらまた違うとこに建てるってこと?」

「ちげーよ」

 

ジョンは呆れ顔で否定する。

 

「2頭立ての馬車1台分に詰め込むんだよ。そんで必要なとこを削ったら、馬車を動かして削ってってやんの。

それに、今回一番面倒なのは木工職人だぞ?

馬車に積むんだから、あんま金属ばっかでやるわけにいかねえからな」

「どうするの?てか、木工職人?」

圧密木材(あつみつもくざい)を使う」

「圧密木材?」

「杉とか(ひのき)を熱湯でふやかし(・・・・)て、圧縮すんのさ。色々と制約はあるんだが、軽くて金属に匹敵する強度が出る素材になる」

 

圧密木材は、現代地球でもクワやスコップの柄に使用されている他、椅子などの家具に使用されることがあるようだ。

 

「マジで?木材が金属に勝つの?」

「そりゃまあ、削り耐性がどうしても弱いからなぁ。金属と一緒にゃできねえんだが、風車とかの機械部品に使うんなら、性質に気を付けてりゃ十分だ」

「えぇ……?」

 

アリシエルは胡散臭げな顔をする。

 

「ていうか、それって木工職人の人達大丈夫なの?」

「ハレリアって元々林業が盛んだろ?だから、圧密木材のアイデアを渡そうって考えはあってよ、その設備の設計だけはしてたんだよ。それで、昨日設計図だけミラーディアに投げて、試作してもらってる。

……ま、例によって前世で直接作ったことがあるってもんじゃねえからなぁ」

 

赤毛ショタジジイは溜息を吐いた。

 

設計技師だったからと言って、なんでも設計していたわけではない。

石油タンクや食品加工ライン、エンジンもあれば鉄工機械の設計も専門性があるのだ。大体、電気動力のない環境で機械を作ることなど、想定して機械を設計してきたわけではない。

例の新型弩砲も、かなり手探りで進めてきたのである。

 

今回は、結局ジョン自身では感覚的に分からないことも多々あるため、本職の木工職人の力を借りていた。大丈夫かと質されると、上手く実用化できるのかと問われると、彼自身ですら首を傾げざるを得ない部分がある。

だから、時間をかけて開発するのだ。

 

「このドリルだけの話じゃねえしな。風車動力を使って、色々と作んなきゃいけねえもんもあるし」

「てか、その風車動力はもうできてるの?」

「一応設計だけはな。それも試作なんだが、多分大量生産することになるから、例の『工場』で生産する最初の品物になると思うぜ」

「しかもここから1年で、異世界転生者だって示す品物を作れってことよね?」

「そりゃ……『工場』でいいだろ」

「そうなの?」

「今の内域工廠ってのは、役人が上手く回してるとは思うんだが、幾つか足りねえもんがある。そいつを足して1つの建物にまとめて、手順を踏んで最適化したのが『工場』だ」

「え、それって……」

「出来そうに思うだろ?」

「う、うん」

 

アリシエルは素直に頷く。

話を聞くと、単に1つの品物を作るために先鋭化しただけのように思うのだ。

それは今ある内域工廠に多く存在する工房とあまり変わらない。

 

「足んねえもんは動力だ。一日中連続で回転させる持続力と、いつでも回せていつでも止められる制御性、それに金属を削れるだけのパワー。水車動力じゃ足んねえのさ」

「うぅーん……」

 

唸る。唸らざるを得ない。

新型弩砲を開発した時、ジョンは旋盤のために水車小屋を建設したのだが。そうせざるを得なかった理由に、マグニスノアにおける魔法の性質が大きく関与していた。

 

「魔導術ってのは、長く使うとヤバイんだろ?」

「武具大会の『箱庭領域』も、6人で起動して1試合ごとに交代してるし。長時間精霊力に身を晒す魔導術は、『魔物憑き』のリスクが一番高いのよ。ていうか、星王器に精霊力の加工を肩代わりさせる星王術以外は、『魔物憑き』のリスクはあると思ってた方がいいわ。

その星王術も、一度作ると融通は利かないけど、詠唱するだけで発動して、瞬間的な効果なら大体できる、最低限の汎用性がある。代わりに、ずっと効果を発揮させ続けるとかっていうのは苦手。

洗脳術も、記憶を書き換えるって処理をするから持続するってだけだし。読心術も、その瞬間に考えてることを抜き出すんだし」

 

アリシエルはしょんぼりした様子で話す。前に一度、水車小屋を建てる際に聞いた説明だ。つまり、錬金術を除いて、魔法による金属加工は常用には向かないと思っていい。そしてその肝心の錬金術も、様々な問題を抱えていた。

 

「錬金術も、『盛り付け』して『溶かし』てってする加工法だから、あんまり細かい作業はできないわ」

「確か硫酸とか王水で溶かすんだっけ?」

「そ。それを熱や電気で加速して、いいところで止めるのよ。細かいところは、結局手加工ね、それも結構術に頼るけど。それに、鉄が混じるとさらに精度が落ちるわ」

 

逆に言えば、現在主流で加熱によって硬化する性質のある『アルミ銅合金』にとっては、術による加工は割と適した加工法でもあった。主流となるにはそれなりの理由があるのだ。

 

「鉄ってのは、産出量も多くて優秀な金属なんだけどな……」

「魔法は鉄を嫌うっていうのは、星王術だけの話じゃなくて、全般的にそうだから、こればっかりはしょうがないわね」

 

少女は肩を竦める。

 

「しょうがねえな。当面は手工業でなんとかするか」

 

ジョンは溜息を吐いた。

 

「その動力っていうのがなんとかなれば、異世界転生者だって示すものが作れるの?」

「ぶっちゃけ、『産業革命』になっちまうからな」

「サンギョウカクメイ?」

「物作りの常識が一変するってことさ。一度『脱穀機』であっただろ?作り過ぎってのが」

「そうだっけ?え、作り過ぎ(・・・・)?」

 

アリシエルが目を丸くする。

作り過ぎ、大量の在庫を抱える。現代地球では普通に発生しうることだが、中世レベルの世界では、それは異常なことである。

 

中世では、食糧や水、資源、領土などの奪い合いが多発しているのだが、その奪い合いに用いられる武器の供給すら、十全に行われていたとは言い難いのだ。足りていたのは工具類や農具の類で、それも場合によっては足りないことが少なくなかった。その農具、工具類についても、需要に対して供給が完全に追い付いていたとは言い難い。そのため、人々は自分で道具を作り、使っていたのである。

ハレリアのように国お抱えの鍛冶師集団が良質な農具を生産して供給するのは、中世の地球ではほとんどなかったと言っていい。腕のいい鍛冶師といえば、大抵の場合武器を作る刀鍛冶を意味するからである。

 

つまり、中世レベルの文明国であるハレリアにおいても、作り過ぎというのは基本的に滅多なことでは発生しないのだ。

 

「1年がかりで試作を繰り返して、設計図を最適化したんだよ。そうやって開発された設計図を使えば、簡単に作り過ぎちまう。その設計図の力を、最大限に引き出すのが『工場』だって思ってくれ。

ぶっちゃけ、鋳造ナイフでいいんなら、この工房の10倍くらい敷地がありゃ、ハレリアで要求されるくらいの量は賄える」

「……」

 

アリシエルはゴクリと生唾を呑み込む。

それまで聞いていて、想像していたのと、レベルが違う。『工場』がもしもジョンの言う通りの生産力を発揮するのならば、それはもう異世界転生者がもたらした技術や概念によるものと断定していいだろう。内域工廠ですら、彼の世界では時代遅れのシステムなのだ。

彼女はそう考えた。実際には、それは間違いなのだが。

 

「言っとくけどよ、『工場』、工場制手工業の施設を作ろうとしたのって、ここに内域工廠って実例があるからだからな?」

「はえ?」

 

金髪ツインテールは目をしばたたかせ、変な声を出した。

 

「いくらなんでも、石器時代の原始人引っ張ってきて『工場』作ってチート無双なんざできるかっての。ある程度『工場』ってもんが理解できる奴らがいるから、やろうって気になってるだけなんだぜ?」

「つまり、ハレリアの技術的な基盤が優れているからこそ、『工場』とやらを実現できるということでいいのか?」

「あ、エヴァりん」

 

そこに黒い兎耳を揺らしながらやってきたのは、紺色の役人服姿のエヴェリア。

ぴょこぴょこと頭の動きに対して兎耳の揺れ方が激しくなっており、作り手の工夫、アイデアの進化が垣間見える。

 

「おう、大体そんな感じだ。ってか、こっちの人らって、魔法じゃねえ技術がもう1つってだけで、割と頭いいしな」

「ハレリアに限定されるがな。平民の初等教育の制度自体は諸国に広がっているが、上手く行っているのはハレリアだけだ」

 

黒髪ロリは言ってから、難しい顔をする。

 

「スレイカン街道の建設について、調査班から洗脳鳥が来た」

 

洗脳鳥とは、野鳥を術で洗脳し、足に伝言を結びつけて飛ばすという、マグニスノア独特の遠距離通信手段である。

 

「なんも問題なかったら飛んで来ねえって言ってたな。つまり、トラブルか」

 

赤毛ショタジジイの言に、エヴェリアは頷いた。

スレイカンからヒストンまで、調査終了の報告には早すぎる。

 

「例の150馬身(約300メートル)の谷越えが、確実になった。しかも、橋を架けようにも泥岩質の地層が脆くて難しいらしい」

 

『鋼鉄の三難題』本格的な実態が明らかになろうとしていた。

 

 



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ブロック

「建築家を伴っての地質調査の結果がこれです」

 

白ローブの少年が持ってきた地表の断面図が、ハートーン工房の設計室に広げられた。

事態はジョン個人で責任を負うようなものではないため、設計ができる数人の技術者が集合している。ジョンやハートーン卿は建築については門外漢なのだが、そもそも技術者自体の数がそれほどではないため、広く意見を集めるという意味で参加していた。

 

なお、ハレリアにおいては鍛冶師と建築家は分業されているが、古代地球においては大技術者という職種があり、それが鍛冶師や発明家、建築家を兼ねていたという。もしかすると、古代の著名な発明家が建築した建物が、現存していたりするのかもしれないと考えるのは、夢を見過ぎだろうか。

 

「表層だけでも、1馬里も粘土層か……」

 

1馬里とは、1000馬身、約2キロメートルである。

谷を含んだその間は地面が柔らかく、杭を打ち込んでも強い力がかかると抜けてしまうというのだ。

 

「この長さのロープを用意して、吊り橋にするのか?」

 

不精髭の金髪中年男が呟いた。

 

「そりゃ難しいぜ。マーダック」

 

ハレリア随一の建築家マーダックに意見するのは、赤毛の中年男。

 

「1馬里って長さのロープを野晒しになんかしちまったら、すぐボロボロになって千切れちまう」

「だよなぁ、イムホテプ」

 

マーダックはうんうんと頷く。どうやら、2人は既知の仲らしい。

 

「吊り橋は無理にして、橋桁を積むか」

「それしかねえな。150馬身は無理だ」

「じゃあ、山を削らなきゃな」

 

2人の相談の中に、自然とジョンが口を挟んだ。

 

「そいつが問題だな」

 

イムホテプと呼ばれた赤毛の中年は頷いた。案外、お互いにやることを理解しているため、無茶な意見を潰しているだけなのかもしれない。

 

「大きな橋桁とするわけにはいかんのかね?」

 

疑問を口にしたのはハートーン男爵。建設については畑違いだが、彼も一応工房の建設に1枚噛んだ経験がある。

それでも、専門家ではないため、頓珍漢(とんちんかん)な意見を口にすることがあった。

 

「地盤がしっかりしてる保証がねえんでさ」

 

マーダックが答える。

 

「地盤がしっかりしてなきゃ、基礎をしっかりしても、その下から傾いたり沈み込んだりする」

 

日本において度々発生する地震において、震源地より被害の大きい場所がよく発生するのだが、それには地盤の安定度が大きく係わっている。岩の上に家を建てるのと、砂の上に家を建てるのとでは、安定性に大きな開きがあるのは当然ということだ。『砂上の楼閣』の(ことわざ)の通り、何かのきっかけで崩れてしまう。

専門的には地震によって土台が地面に飲み込まれる現象を、『液状化』という。

 

今回の橋桁についても、同じことが言えた。

レンガを積んで橋にする場合、当然橋にはそれなりに重量が発生することになる。それを支える橋桁は、基礎をしっかりする必要もあるが、あまり大きくすると、地盤が橋の重量に耐えきれず、基礎ごと沈み込んでしまう危険があるのだ。だから、崖を削って橋を低くし、重量を減らす必要があるのである。

 

「そうすっと、結局この辺は石でもレンガでも敷き詰めなきゃいけねえな」

「それでも雨風で減っていくだろうが、その都度修理していくしかない」

「いっそのこと、ブロックでも入れるか」

 

この中で唯一の未成年の呟きに、他の者達が反応する。

 

「ブロック?」

「漆喰に、砂とか砂利を入れて固めるのさ。要するに、切り石をその場で作っちまおうって話だ」

 

ジョンが言ったのは、現代地球で川の護岸工事などにてよく見られる、コンクリートブロックのことである。太古から続く煉瓦(れんが)という発明品を、現代の科学で発展させたものと考えればいい。

 

ちなみに、レンガに用いる赤土は、加熱によって固まり、断熱性や吸湿性がよくなるために、多く広く用いられているが、コンクリートに比べると強度が落ちるため、現代では表層の装飾に用いられるのがほとんどである。

それでもその耐久性が過去のものとなっているなどということはない。材質や作り方による環境適応性についても有用な、優れた建材である。

科学の波に呑まれないだけのポテンシャルを持った、偉大な発明品と言えるだろう。

 

「そんなことできるのか?小僧」

 

マーダックがジョンに尋ねる。

 

「できるとも」

 

赤毛ショタジジイは力強く頷いた。

 

 

 

「本日より私はジョン君専属になりました」

「なんか、専属って響きがエロいな」

「ふんぬ」

「ごふぅ」

 

翌日、いつも通りのセクハラ発言からの反撃でジョンは沈むが、すぐさま少年は置き上がる。無駄にいい動きで。この辺の流れはお互いにもう慣れた。

 

「ってことは、あのショタっ子が後釜ってことか」

「ウィリアムですね。その通りです。ただ、彼は22歳なのですけれども」

「マジで?てっきり年下だと思ってた……」

「まあ、外見と実年齢が一致しない人というのも、結構いますからねえ。ちなみに、昨年15歳で王都担当の白ローブになった私は、かなり異例の抜擢だったそうです」

「去年?」

「はい。あのスパイ事件は、私が最初に解決に当たった事例だったのですね。前任者が内偵を進めていてくれましたから、解決はかなり楽に済んだ方ですが」

「そのまま前任者が解決しなかったのか?」

「彼女は妊娠出産に伴い後宮に引っ込みました。来年の春に復帰する予定です。調停官(白ローブ)ではなく、宰相府のデスクワーク組に入るそうですけれども」

「あー……」

 

遊郭利用におけるデメリットと言えるかもしれない。

ストレス発散のためとはいえ、避妊もせずに何度も利用していれば、妊娠するのは当然だ。魔法で一時的に理性を飛ばしているため、行為の最中に避妊を行う判断力が残っているとも思えない。そして、ハレリア王族はその使命から、そういう事態をある意味で歓迎している。

なにしろ、代わりが千人単位で存在するのだ、気にする必要はあまりない。

急死と違って、仕事の引き継ぎができるのもポイントが高い。

 

「建築家の会合では大見得を切っていましたけど、本当に可能なのですか?」

「できるとも。ってか、俺がいた世界で元々使われてたんだよ。化粧板がねえのが面倒臭いんだが、まあなんとかなんだろ」

 

かなりいい加減にジョンは語った。

ちなみに、今は窯の湿気抜きの最中だ。その間に、新たに設計図を描いてもいる。ミラーディアが持ってきた差し入れをつまみながら。

 

今日は新鮮な生野菜のスティックに味噌ベースのソースを付けて食べる、サラダだった。

味噌を作るには糀菌(こうじきん)に米を発酵させる工程が必要で、それにはかなりシビアに湿度や室温を管理しなければならないはずなのだが。

 

ジョンが以前聞いたところによると、精霊術士の村というのが存在し、そこで精霊術を用いて作っているという。魔法万歳である。

もっとも、こういう用途に適した精霊術でなければ、味噌造りやお酒造りのようなシビアな温度湿度の管理は不可能なのだとか。

 

「そろそろお手伝いさんが必要になってきますか?」

 

巨乳白ローブは問いかける。

今でも、設計図と工房の管理でかなり忙しそうにしているのだ。さすがに1人では厳しいだろうと、半年ほど前から打診していた。

 

「うーん、そうだな……今はまだいけるんだが、建築用機械が数必要になってくる。『工場』の方も、ここにいる内に稼働しなきゃいけねえし、そろそろ2、3人入れて、教育しなきゃいけねえな」

「戦争前はドタバタしてましたしね」

「幸いってか、アリシエルが慣れてくれたから、後は技術者の方に色々教えるだけだ」

「一応、ご要望は中堅級技術者数人と、管理者になる人が1人でしたよね?」

「ああ、俺は来年にはここを離れることになってるからな」

「なんか、すみませんね」

「いいって、俺も色々迷惑かけてんだしよ」

 

工場管理者1人とそこで働く専門職が2、3人というのは、『工場』の概念を伝えるための最低限の人員である。

 

 

 

10日後。

工房の敷地にて、コンクリートを流し込んだ金型を、ジョンはゴム板を張り付けた木槌で連打する。専用の振動装置(バイブレーター)があればこんなことはしなくていいのだが、残念ながらマグニスノアにそんなものはない。

 

何をやっているのかというと、振動を与えて固まる前のコンクリートを液状化させ、隙間なく型に詰め込んでいるのである。コンクリートに水を加えればこの作業が楽になるほど柔らかくなるが、乾いて固まった時に水分があった場所が空洞になるため、その分強度が落ちてしまう。

現代日本で生コンクリートに水を混ぜる工事の不正が取沙汰されるが、それによってコンクリートの強度が下がってしまい、設計通りの強度が保障されなくなってしまうことが問題なのだ。そういう話は、数年に一度ニュースになることがあるが、大抵はバブル期の建設ラッシュ時の話と言われる。

 

「コイツがコンクリートブロックってやつだ。

漆喰に砂と砂利を混ぜたやつを、こうやって型に入れて、鋳造の要領で隙間なく詰める。それを型に入れたまま乾かして完成だ。

型は再利用するのが基本だが、型ごと熱して乾かす時は、焼き過ぎに注意してくれ。ツナギで漆喰の強度を上げてるだけだから、弱点は漆喰と一緒だ」

「ほぉ……よっ、むんっ!」

 

マーダックは、説明を受けてから完成品を弄り、持ち上げてみたり、地面に投げ落したりしてみる。強度や重さ、扱い易さを見ているのだ。

 

「悪くねえな……」

 

金髪の中年建築家は呟いた。

 

煉瓦(れんが)を積んで漆喰で表面を塗るってやり方も結構使われるんだが、それに近いな。大きさを統一できるってことは、石灰を現場に持って行けば、そこで切り石を作るって真似もできるってことか」

 

ハレリア随一とされる建築家は唸る。

 

「ただ、結局コンクリート自体の量産ってか、保存は難しい」

「固まる前に使い切らなきゃいけねえってことだろ?」

「ああ」

 

ジョンは頷いた。さすがはベテラン建築家だと感心する。

コンクリートそのものの扱いについても、すぐに理解したようだ。漆喰やソレに砂を混ぜたモルタルという既存の建材に砂利を混ぜただけというのが、彼らにとっては分かりやすかったのかもしれない。

 

『漆喰』とは。

 

『漆喰は、水酸化カルシウム・炭酸カルシウムを主成分としており、もとは「石灰」と表記されていたものであり、漆喰の字は当て字が定着したものである。

 

風雨に弱い土壁そのままに比べて防水性を与えることが出来るほか、不燃素材であるため外部保護材料として、古くから城郭や寺社、商家、民家、土蔵など、木や土で造られた内外壁の上塗り材としても用いられてきた建築素材である。面土や鬼首などの瓦止めの機能のほか、壁に使用される場合には、通常で3 - 5ミリ程度、モルタルなどへの施工の場合は10数ミリ程度の厚さが要求されている。塗料やモルタルなどに比べ乾燥時の収縮は少ないものの、柱などとの取り合い部に隙間が生じやすいため、施工の際には留意が必要である。

 

主成分の水酸化カルシウムが二酸化炭素を吸収しながら硬化する、いわゆる気硬性の素材であるため、施工後の水分乾燥以降において長い年月をかけて硬化していく素材でもある。水酸化カルシウムは硬化後、炭酸カルシウムとなるため、当初から炭酸カルシウムを骨材として含有するものが漆喰とされる場合もあるが、一般には水酸化カルシウムが主たる固化材として機能するものに限定されている。

 

近年では化学物質過敏症の原因の主たるものとされる、ホルムアルデヒドの吸着分解の機能があるものとして注目を浴びている。

 

顔料を混ぜない(で用いる)白い漆喰のことを、「白漆喰」という』

(wikiより引用、『漆喰』原文ママ)

 

同ホームページによると、起源は5000年前の古代エジプトとされる。

 

ちなみに。

ジョンが今回作ったのは、20cm×30cm×40cmの直方体に、持ち手となる窪みをつけただけのものである。ウィキ教授によると、間知(けんち)ブロックという、石垣に用いられる間知石の代用品となるらしい。

 

設計当初は直方体ではなく、現代地球で用いられているのと同じ複雑な形をしていたのだが、それを用いる場合コンクリートを裏打ち、ブロックの裏面を生コンクリートで固める作業をしなければならず、大量のコンクリートに触れた経験のない人々に要求できるものではないと気付いたため、直方体に持ち手を付けた今回のような形としたという経緯があった。

 

「重さはどうだ?」

「無茶な持ち方しなけりゃ大丈夫だ。しかし、こいつはその内石工が食いっぱぐれるな」

「んなこたぁねえよ。天然の石ってのはやっぱ強度もデザイン性も違うもんさ。それに、金型を量産するってことになると、サイズのズレが出てきちまう。それを直すのに、どうやったって石工は必要になる」

「そんなもんか」

「そんなもんさ」

 

ハレリアでは建築と鍛冶で分業されているため、建築家マーダックも鍛冶仕事については門外漢である。

 

この、異世界転生者ジョンとハレリア随一の建築家マーダックが手を取り合い、互いの知識の不足を補うことで、スレイカン街道の建設事業は進められることになった。

 

 



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宿題

ジョンは工房を引っ越すことになった。

さすがに個人用の工房では手狭になってきていたのである。

そして、ついに彼は弟子を取って、同じ工房で働くようになった。

 

「噂の5人分の仕事の秘密がこれか……」

 

ベルナールは運び込まれた機械群を見て唸った。

昨年の今頃から、話題になってきていた工作機械である。魔法偏重の傾向が強かったハレリアでも、最近多くの工房で導入されていた、作業を簡便にする機械達。

 

まだたったの1年ということもあり、割とすべて導入している工房は少なかった。費用については宰相府が出すため、そこまで気にしなくていいのだが、製品の生産効率がかえって落ちてしまう可能性について懸念されていたのだ。

 

職人というのは、慣れた仕事については割と目を瞑っていてもできてしまうことがある。それだけ身体に動きが染み付いているため、逆に別の動きに対応できないことがあるのだ。そのためより便利になると言われても、新しい道具を導入することに抵抗を持つ者が多い。

その傾向は年寄りには顕著で、だから時代を変えるほどの技術が導入されると、年寄りはそれについて行けず、取り残されてしまうという現象が発生する。

それはハレリア、マグニスノアにおいても同じだった。

 

ただ、ハートーン男爵のような、技術者としても腕を振っていたような鍛冶師ならば、新しい技術についていくことはできるらしい。事実、ハートーン工房ではジョンが発明した加工機械が、ほぼすべて導入されている。そのハートーン男爵の手伝いをしていたこともあって、ベルナールは技術者としての知識と経験を備えていたし、5年間師事していた師匠から、転生者の工房へと推薦もされた。

 

しかし、ジョンとハートーン卿は違う。ベルナールは新しいジョン工房に入ると、それを明確に意識させられる。マグニスノア人の天才技術者と、異世界転生者の違いをまざまざと見せつけられる。

 

「なんじゃこりゃ」

 

ホレイショが眉をひそめた。

ホレイショはナンデヤナから来た、赤毛のホワーレン人技術者見習いだ。内域工廠ではコンラッド工房の弟子として名が知れていた。

ちなみに、今年の武具大会で優勝したコンラッド工房のチームの1人で、ベルナールのライバルである。年齢的には、この工房の主であるジョンも同じくライバルと言えたが。

 

ホレイショの視線の先には、大量の針金が回転する樽に巻きつけられていた。

 

「これは……!」

 

ベツナールの背筋がゾクッとする。

針金は水中に融けた金属を垂らす形なら、大量に作ることができる。それにしたところで、100馬身(約200メートル)以上もありそうな長さを作るのは非常に難しいと言わざるを得ない。

 

その上に、それは非常に細かった。麻糸の半分か、それ以上に細い。

ハートーン卿の話によると、手打ちの針金を直径1ミリもない麻糸と並べて、5馬身(10メートル)分も均一に成形することが、鍛冶師バラクの紹介状を手に入れる試験なのだとか。今のベルナールにも可能は可能だろうが、他の仕事をしながらとなると、かなり時間がかかってしまう。

 

なら、これは何だ?そのさらに半分程度の細さ、しかも均一で5倍もの長さがある。

 

「その針金、まだ冷めてねえから触んなよ」

 

これを作ったと思しき人物、赤毛少年が声をかけてきた。

赤毛に小柄な体躯は、典型的なホワーレン人。見覚えがあった。以前、鍛造設備の試験のためにハートーン工房へやってきた少年鍛冶師ジョンだ。

 

彼は異世界転生者。

異世界の知識を駆使し、様々な機械を発明して内域工廠の様相を一変させた張本人。

 

「『工場』の話は聞いてるか?」

「ああ」「おう」

 

ベルナールとホレイショは頷いた。一応、一通りの説明は役所で受けてきている。『工場』なるものを建設し、それを稼働させるために、今からジョンの下で訓練するのだ。

『工場』は内域工廠と似て非なるものだというが、詳細はまだ分かっていない。実際に稼働させてみれば、一発で違いがわかるというジョンの言葉に従って、とりあえず作ってみようということになったらしい。

 

「まずお前らには、ここにある機械に慣れてもらう」

「全部か?」

「全部だ」

 

ホレイショの質問にジョンは頷いた。

 

「ぶっ壊すかもしんねえぞ?」

「そんときゃとんときだ。むしろ失敗の条件と修理(フォロー)の仕方を覚えるにゃ、多少無茶してぶっ壊してくれた方がいい」

「そいつは剛毅なこった」

「ただし、死んじまうようなことはすんなよ?機械は直しゃいいが、命ってのは魔法で治せねえって話だからな」

「そりゃもちろん」

 

ホレイショは頷く。ベルナールも頷く。誰だって死にたくはない。痛い思いをするのも嫌だ。

今はまだ2人、『工場』で発生したトラブルを解決するリーダー役として、ここで訓練。後で5人ほど追加して、最終的にその人数で『工場』を稼働させる。

 

役人として2人に説明した黒髪少女の説明によると、『工場』というのは内域工廠で行っている職人のサポートを一歩進めるもので、間違いなく世界初と断言できる、画期的なものなのだという。

その最初の『工場』に従業員として参加できるというのだから、職人としてはとても名誉なことである。

 

――と、思っていた。

ジョンが渋い顔で、その行き着く先を語るまでは。

 

 

 

「機械ってのは、良い面も悪い面もある」

「悪い面って、危ないってことか?」

 

ベルナールが問う。

ジョンは、口が酸っぱくなるほど、普段から加工機械というものの危険性を説いていた。特に水車動力に繋がった『旋盤』は、まだ誰も触らせてもらっていない。

 

金属の丸い棒をセットして、先に硬い金属の刃を『ロウ付け』した、金属用の(かんな)で丸く削る。ただそれだけのことだが、この1ヶ月ほどで2回も(かんな)が壊れていた。水車動力のパワーに、(かんな)が耐え切れなかったのだ。

 

「それもまあ、あるっちゃあるんだが、技術が発達すりゃどうにかなる問題だ」

「技術が発達すれば、そりゃ大抵のことはどうにかなるだろうよ」

 

赤毛ショタジジイに言葉を返したのはホレイショ。今は休憩室で休憩中のため、3人で一緒にいる。

 

「ホレイショ、機械を使ってみた感想はどうだ?」

「ありゃ便利なもんだ。今まで汗水垂らしてやってたのが馬鹿馬鹿しく思えてきちまう」

「それがもう一歩踏み込むとな、もっと楽になる。技術が発展して、機械が発達して――その内、人が要らなくなっちまう」

「はぁ?」

 

ホレイショは素っ頓狂な声を上げた。

 

「人がいなきゃ、どうやって物を作るってんだ?道具が勝手に動き出すってか?」

「大体そんな感じだ」

 

ジョンはあっさり頷く。

 

「おいおい、異世界じゃ、独立型の魔法が実用化されてるってのか?」

「あー、なんて言えばいいもんかな……?」

 

異世界転生者の赤毛ショタジジイは頭をひねった。

 

『過度に発達した科学は魔法と見分けがつかない』などという言葉があり、さらに科学、化学(ばけがく)などは錬金術から発達したとも言われているため、現代地球における科学は魔法の延長とも言えるのだ。

ただ、あえて区別するとすれば、魔法の『魔』とは『わけのわからないもの(ファンタジー)』を意味する言葉であり、その時代に未解明な謎にまつわる技術と考えることができるかもしれない。

 

だが、ここで問題になるのが、マグニスノアにおける魔法など、現代地球における科学では未解明だが、マグニスノアではほぼ解明された技術である場合だ。それはマグニスノアでは魔法と呼ばれているが、上記の定義ではどちらかというと科学に分類されるのである。未解明ではないらしいのだから。

そうでなければ神族(かみぞく)などは誕生しなかっただろうし、神族(かみぞく)が誕生してから4千年もの歳月を経て、魔法の仕組みそのものが未解明だなどとも考えにくいのだ。

 

いずれにせよ、『魔法』の定義というのは、そもそもからして曖昧なものであるため、科学とはっきりと区別を付けることは難しいと言えるのかもしれない。

 

「……旋盤なんてそうかもな。今は水車が動力だから、大した力もねえ。動力を分散させたりすりゃ、水車が摩擦に負けて止まっちまう。ただ、その辺を克服できるんなら、ネジを使って道具と一緒に材料を動かして削るってこともできる。

その辺までなら、まだ人がついてなきゃいけねえんだけどな。

それでも、今まで何日ってかかってた仕事を時間短縮できちまう。10人の内、1人2人くらいは要らなくなっちまう。技術が一歩進めば、また1人2人――。

そうやって人が余って――仕事を失くしてくのさ」

「……」「……」

 

ベルナールとホレイショは、その状況を想像する。

 

「そりゃ、楽でいいが……」

「いや……多分、それが内域工廠だったら、工廠そのものの規模が縮小されるんじゃないのか?」

「ベルナール正解。ま、ハレリアならまた別の職を用意するんだろうけどな」

 

ジョンが頷くと、2人は顔を青褪めさせる。

 

ハレリア王国は、政治や行政の面でかなり成熟しており、現代地球のような、腐敗を克服した国と言っていい。ゆえに、何らかの対処を考えるだろうとジョンは予想していた。

文明レベル、非魔法系の技術レベルこそ低いものの、教育制度が充実しており、『工場』に準じたサポート体制を整えているなど、システム面では現代地球と同等かそれ以上と評価することもできる。

魔法の存在が科学や機械の発展を遅らせているだけで、それ以外は現代地球と比べても遜色ないのが、今のハレリア王国なのだ。

 

だが、もしそれに失敗した時、ハレリア王国が時代の変化を読み損ねた時、近代化に伴う歪みに対処し切れなくなる可能性はある。

 

「俺がいた世界にゃ、ハレリアみてえな国はねえからな。ひっでえ有様さ」

 

技術に発展によって多くの失業者が街に溢れたのが、産業革命以降の近代である。その溢れた人員が、最初は公共事業に向けられていたが、次第に戦争に向けられるようになったのが近代という時代でもあった。

 

「その話、役所にはしてるのか?」

「一応な。それとは別に、デカイ技術革新があるとどうなんのかってことで牽制入れといたから、多分今頃お偉いさんが頭ひねってるはずだぜ」

 

牽制というのは、『火薬』の件である。

 

「本当に、とんでもない宿題ですよ」

 

いつもの巨乳白ローブが、渋い顔で休憩室のテーブルにバスケットを置く。

どうやら、様子を見に来たらしい。

 

「差し入れです」

 

今日の差し入れは、エビフライだった。卵に溶かした小麦を付けたエビにパン粉をまぶし、菜種油でキツネ色に揚げた品だ。ジョンが提案した、揚げ物(フライ)のバリエーションの1つである。珍しく海産物だった。

 

「宿題って?」

 

ホレイショがエビフライをかじりながら尋ねた。こういうところは遠慮がない。

 

「誰もが割と簡単に利用できる、都市や城塞を完全粉砕する方法について、提示されているのです」

 

ミラーディアは答える。さすがに細かいところはぼかして。

 

「そんな方法が本当にあるのか?」

 

ベルナールが血の気の失せた顔をジョンに向ける。

 

城塞を完全粉砕する方法。しかも誰もが、知っていれば簡単に利用できる。そんな方法が世の中に出回れば、世界は大混乱に陥るだろう。力を持ってはいけない種類の人間が力を持ち、自分勝手な理想を振りかざして、せっかく落ち着いてきた社会構造を破壊する。

特にハレリアに関しては、平民に優しく貴族や王族に厳しい法律が平民に安寧をもたらしている。先のハレリア大戦でも、死者の大半は王族で、平民に関してはいつもより少し忙しくなった程度だったのだ。近代国家というのは、そういう完成された地域秩序を武力で破壊して利益を貪り尽くしてきた一面を持っていた。

 

「その前に、ジョン君に訊きたいことがあります」

「訊きたいこと?」

「『工場』もそうですが、例の話、マグニスノアでいつ頃(・・・)発明(・・)される(・・・)と考えていますか?」

「……?」「……?」

 

弟子2人は、揃って首を傾げた。

 

「そりゃ難しい話だな……だが、『工場』に関しちゃ200年か300年くらいで発想が出てくるんじゃねえかって思ってるよ」

 

ジョンも、正確に未来図を予測しているわけではない。しかし、いつかは必ず出てくるとは考えているし、考えなければならない。それが技術革新というものだ。

技術革新には、良い面も悪い面もある。それを呑み込んで、人類というのは前に進むものなのだから。

 

「お父様が生前、ジョン君を恐れていたというのは、そういうことでしたか」

 

巨乳白ローブは険しい顔で唸った。

もう一度言うが、ジョン自身、未来図を予想し切れていないのである。なにしろ、魔法のある世界でそれがいつ発明されて、どのような発展を遂げるのか、そこまで魔法に詳しくない彼には、予想が付かないのだ。

 

そして、ジョン、異世界転生者は星王教では聖人であり、その行動を極度に制限するわけにはいかない。もしも彼がその辺の配慮なく危険な技術を世の中に広めていれば、世界は今頃大混乱に陥っていただろう。その技術の危険性を、魔法が前提として頭にあるハレリア人では、認識し切れない。

 

もしもジョン自身がその影響について予測し切れるというのなら、ハレリアとしてはそれはそれで構わなかった。神族(かみぞく)が起こす数々の理不尽に対処してきたのだ、それが多少増えたところでそこまで慌てるほどのものではない。

 

しかし、ジョン自身がその影響を予測し切れていないとすれば?

その最終到達点にハレリアの滅亡、ルクソリスの破壊も含まれるとすれば?

神族(かみぞく)よりルクソリスの守護と保全を任されたハレリア王族として、それは決して甘く見ていていい事態ではなかった。何がどう作用して、どのような結果となるのか、自分自身で予測を付けなければならない。

 

今までは神族(かみぞく)の手の平で踊ってきたが、そこには『ルクソリスの破壊はない』という不文律が、暗黙の了解が存在していた。だから、ある意味で気楽に対処できていたのである。ところが、ジョンがハレリア上層部に突き付けた『宿題』には、そんなルールはない。彼自身、それでどうなるのか、予測できていないのだから。

特別な知識を持った異世界転生者といえど、ヒトの領域を飛び越えた神族(かみぞく)に匹敵するほどの未来予測能力を備えているわけではない。

 

そして。

もしもジョンがそれを発明(・・)しな(・・)かった(・・・)としても、その発明品はいずれマグニスノアに出現する可能性が高く、世界に大きな技術革新と混乱を引き起こす。それまでに対処法を練り込んでおくのが、ジョンがハレリア上層部に託した『宿題』の全容だった。

 

それは今後数十年先の話ではなく、数百年先の話なのだが。

 

「まさか、俺らってとんでもねえ知識を教えられんのか?」

「今更ですよ。異世界転生者が為すであろう偉業を支えるのですから、良くも悪くも歴史に名を残すことになるでしょうね」

「マジか……」

「気楽に行こうぜ。ここなら小難しいことは上の連中が考えてくれるんだし」

 

責任の重さに震えるベルナールとホレイショに、ジョンは気楽に笑って見せた。

 

 




夢のような曖昧な意識の中、彼が思い出すのは、こうなる直前の瞬間。
大勢の戦士達が自分に刃を突き立て、動きを封じる。

この瞬間、彼には2つの選択肢があった。
1つは、素直に死ぬこと。
もう1つは、生きるために足掻くこと。

果たして、自分はこのまま死ぬことに満足できるだろうか。
その瞬間、思考に靄がかかった。

――殺せ、滅ぼせ!

何かが思考を塗り潰そうとする。
彼は抵抗した。
抵抗して、抵抗して。

はたと気付いた。

――自分は、なぜ抵抗しているのか。

その根源は、それが自分の思考ではないからだ。
最初はそう思った。

しかし、自らの意思で命を捧げ、神殺しを果たそうとする勇士達の意思に触れ、その考えを否定する。

勇士達の最期に感動した。
彼らの散り際は見事なものだった。
命を惜しむ者は1人としておらず。
誰に強制されたわけでもなく。
自分の意思で命を代償とし、強大な敵を打ち倒す。

――何のために?

『天使』という脅威から、愛する者を守るために。

彼には、守るべきものがあった。
だが、潰えた。
理不尽によって滅ぼされ、慰み者、晒し者と成り果てた。

失意の彼を洗脳し、取り込み、力を与えた者がいる。

――死にたくない?
――なぜ?
――自分であり続けたい?
――なぜ?
――なぜ、自分は彼らと戦っている?
――なぜ?
――なぜとは?
――なぜ?なぜ?なぜ?

答えが出ない。
今までは答えが出ていたのに、今になって答えが崩れる。

もっと、もっと、自分の奥底には何かがあるはず。

大義名分など必要ない。
善悪論は所詮外付け。
宗教は大勢を納得させるための道具に過ぎない。
自分が正義である必要すら、ない。
ならば、悪である必要もまた、ない。

もっと深くへ、人理の領域よりも、もっと深くへ。

ならば、自分が人である必要もない。

――人が持つ本能?
――死にたくないと願う、すべての生物が持つ本能?
――そうかもしれない。
――違うかもしれない。

まだ、足りない。
もっと深くへ。
人理を越え、本能の領域も越え、さらに深く。
ただ1つ、真理が残る領域まで。

――なぜ、生物は生きようとする?
――なぜ、人は生きようとする?
――なぜ、死んでまで生かそうとする?
――なぜ、理不尽に立ち向かう?

宗教観、社会通念、善悪論、子孫を残したいという本能、家族を守りたいという本能。

ありとあらゆる意思の根源。

――自分。

それは――。

――自己満足。

ヒトである必要も、ない。



意識が浮上する。

「あら、お目覚めね」

声をかけられた。

「……」

何をするにも億劫で、声も出せない。

「最初はそんなものよ。まだ『成り果てた』ことに慣れていないのだもの。
制御で手一杯なだけ。その内、肉体の創成や精神の認識の仕方まで、自然と覚えていくわ。
私達もそうだったもの」

声の主がわからない。

「ああ、そこは現実とは違う場所よ。精神世界とでも言うべきかしらね。
私はその世界の外側から声を届かせているわ」

不可思議な体験は、まだまだこれからが本番らしい。

そして、微笑むような声音で声の主は囁いた。

「ヒトからバケモノに『成り果てた』気分はどう?」



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5章 工場
実験


「よし、解放してくれ」

「おっけー」

 

円環を繋ぎ合せたような形をした銀製の円環の中央に配置された骨組みの上に乗った装置を操作し、赤毛の少年が離れる。

 

それは半球を繋ぎ合せた球体の形をしていた。

半球の接合面には円盤が溶接されており、円盤が8ヶ所、ペンチのようなもので挟まれ、リングが溶接された持ち手が太めの針金で固定されている。

球体の数ヶ所にパイプ、流体の移動を固定する弁が配置されており、パイプの内の1ヶ所はレバーで開閉できるバルブになっていた。

 

工房の薄暗い屋内で行われるその実験を、7人の弟子達は壁際で固唾を呑んで見守っていた。

後の世界初となる『工場』の従業員達。

 

先行してこの工房に入ってきたベルナールとホレイショの2人も、今回は手出しを許されなかった。

 

黒ローブの金髪ツインテール少女が何事かを呟き、一瞬銀製の儀装円の四隅が光った。

そこには『精霊銀』と呼ばれる、魔力の増幅物質の粉が配置されている。

 

静まり返った工房内。

魔法の儀式が行われて、世界初となる実験が行われ。

 

ドンッ、と鈍い爆音が響いて、球体が大きく揺れ動いた。

 

「だ、ダメだったの……!?」

 

儀式魔法を使う関係で一番近くにいた金髪ツインテールの少女が慌てて離れる。しかし木製の骨組の上に載せられた球体は、揺れて台座から落ちそうになった後、辛うじてバランスを取り戻し、台座の上に戻っていった。

 

「……ああ、そりゃそうか」

 

工房主である赤毛少年は頭を掻きながら、自分1人で球体を点検していく。

これに関しては、ジョン自身が最初に弟子達に言ったことだ。

危険がないことを確認するまでは近付くな、と。

 

「え、どういうことなの?」

 

金髪ツインテール少女アリシエルは尋ねる。

 

「風を解放するのって、武術大会で見たようなのと同じで、爆発みたいになるんだろ?

その中心が装置の中心とズレてたから、動いたんだろうぜ。

――なんとか大丈夫そうだな」

 

この中では最年少なジョンは装置に異常がないことを確認し、大きく溜息を吐いた。

 

そして、苦心の末に完成させたレバーバルブを少し開く。

ブシュゥゥ、と文字通り空気が抜ける際の摩擦音が響き、近くにいたアリシエルと弟子達数人を飛び上がらせた。

 

「よし、実験成功だ」

 

すぐにバルブを閉じ、満足げに頷く。

 

「なんだったんだ今の……?」

「よーし、じゃあ、説明しぶっ!」

 

この中では最年少16歳で工房主という、チグハグな肩書を持ったジョンはいつものポーズを取り、背後から巨乳白ローブの細い手にはたかれた。

もしものための治癒術要員として建物の陰に隠れていたのである。

 

「セクハラしてねえぞ」

「なんとなくです」

「なんとな……ごふっ」

 

目深にフードをかぶって顔を隠した少女は、文句を垂れる赤毛ショタジジイを黙らせ、球体の表面を撫でる。

 

「危険な実験とは聞いていましたが、また無茶なことをしますね」

「分かるんですか?」

 

金髪青年ベルナールが目を丸くして聞いた。

 

「井戸や鉱山に風を送る際にこの、『爆風』の儀式が用いられるのです。いわゆる『瘴気散らし』ですね」

 

狭い地下というのは割と危険な場所である。

現代地球においても、縦穴に降りた際に底に溜まった二酸化炭素を吸い込んで意識不明になり、悪くするとそのまま死亡するという事故が発生することがあった。

 

二酸化炭素は重い気体で、下に溜まる性質がある。つまり地下は二酸化炭素が溜まりやすい。それはドレッシングの油分が分離するように酸素を上に押し退け分離する、流体として当然の性質を備えていた。

ある程度風が通るような広い場所ならば空気が拡販されるため、そう大きな危険はないのだが、狭い地下は空気が攪拌(かくはん)されにくいため、もろに二酸化炭素が溜まり続ける危険があるのだ。

 

一酸化炭素ほどではないものの、二酸化炭素も猛毒のガスである。

急に倒れた仲間を助けようと地下に降り、自分も大量の二酸化炭素を吸って倒れてしまうという事故も、決して珍しいものではない。

 

それを避けるためには何らかの手段で空気を攪拌してやればいい。

現代地球ならば長いホースで空気を送り込む『送風機』という専用の装置が存在しており、マグニスノアでは『爆風』の儀式、もしくは風系の術がそれに該当した。

 

「ただ、地下で『爆風』の儀式を行う場合、加減を間違えますと、出口で物凄い突風が吹くことがあるのです」

「ああ、耳がイカれるとか、結構聞く話だな」

 

ホレイショが頷く。

彼はホワーレンの鉱山都市ホロワーズの出身である。

おそらく、体内と外気の気圧差の急激な変化による影響を言っているのだろう。

 

「一方で、それを利用しようという実験が行われたことがありました。

失敗した際の突風で、風車を回すわけですね」

「話を聞いた時は馬鹿な実験だと思っていたが、まさか異世界にこんな形で存在していたとはな」

 

巨乳白ローブの後ろから、黒髪ロリ役人が姿を現した。

さらにその後ろから、悪人顔の赤毛少年役人が出てくる。

 

「あれって、確か失敗したんだろ?」

「そうよ。儀式の関係で術者が間近にいなきゃいけないから、耳がやられるわ何回も使わなきゃだわで、滅茶苦茶負担が大きかったんだって」

「まあ、原理は一緒だな。その空気圧を圧力容器に封じてんだから」

 

ジョンは頭を掻いた。

皆、実験が失敗した時のために、つまり怪我人が出た時のために待機していたのだ。

ちなみに、弟子達は実験の模様を見せるために、工房の中で見学させていた。

 

「じゃ、じゃあ、もし今回失敗したらどうなってたんだ?」

 

弟子の1人が恐る恐る声を上げた。

 

「今回圧縮した風の規模からすると、工房内にいればほぼ確実に耳がやられていたんじゃないか?」

「一番恐いのはこいつ自体がスゲー勢いでブッ飛んでくることさ。

下敷きになるだけで骨とか折れそうだしな。壁との間に挟まったりすりゃ、悪くて挽き肉だ」

「……」「……」「……」

 

弟子達は顔を青褪めさせて絶句する。

そんな危険な実験だったと、知らされなかったわけではないのだが。

今になって改めて、危険性を認識したのである。

ジョン自身、それを狙ってあえて発生する確率の低い話を口にしていた。

 

「これでどうにかなりそうですか?」

「ああ、『空力動力』はなんとかなるぜ。コイツ自身、もうちょっと改造しなきゃいけねえけどな。来月くらいにゃ試運転できるんじゃねえか?」

 

ミラーディアの問いに、ジョンは力強く頷いた。

 

今回、『工場』の動力源確保に『空力』を利用するために、この実験が行われている。

ハレリアにある風車水車の既存動力では、パワーが足りないのだ。

また、空気圧というのは他にも、製品に付いた埃を飛ばすなどの利用法があった。

 

そして、危険な実験と銘打っておきながら、ジョンが思い付いた中ではかなり安全な部類の動力でもある。

 

1つは内燃機関、自動車に搭載されているようなエンジン。

揮発性の高いガソリンを燃焼させて回転動力にする装置は、動力としては非常に強力だが、振動とガソリンの取り扱いという問題があった。

いずれ精密加工を行うことを前提とした工場に、大きな振動を起こすエンジン直結型の動力はNGである。ガソリンの危険性は改めて語るまでもない。

 

もう1つは電気動力、つまりモーターだ。

これもかなり高いパワーを発揮できるが、残念ながらジョンは乾電池、蓄電池について知識が薄く、レモンに銅板と錫板を突き刺して電極で繋ぐ果物電池くらいしか、作り方を知らない。

 

大体、現代地球で使われる電源には、何らかの発電施設が必要なのだ。

設計までできる技術者だったとはいえ、発電所を建造できるほどの知識を網羅していたわけではないし、発電所を作るにはかなり長い開発期間が必要になる。

最も単純な火力発電でさえ、タービンの精度や耐熱素材、耐高圧電流素材の開発など、『工場製品』を少なからず必要とするのだ。

もちろん、感電して死亡する危険があり、何よりジョンに詳しい知識がないため、危険度は他の二つより上と言えるかも知れなかった。

 

また、『蒸気機関』についてだが。

燃料と水を投入し続ける限り際限なく水蒸気が生産されるため、タンクがその圧力に耐え切れなくなると、大爆発を起こすのだ。

その爆発の殺傷力は、空力用のタンクが爆発した際の比ではない。

 

 

 

分厚い皮製のミトンを使い、取っ手を開いてゴムの棒を取り出す。

 

炭の粉を混ぜたからか、色は真っ黒。

銅板を巻いた杵と石臼で硫黄と混ぜ、金型で細長い棒に固める。

それを切って、糊でリング状に繋ぎ合わせる。

 

「ふむ……」

 

小柄な赤毛のヒゲ紳士は唸った。

 

ジョンが『工場』を作る際、これが必要になるという。

油を封入する場所に使うというが、どうもイマイチ、ピンと来ない。

 

理屈としては、馬車の車軸に油を垂らすようなものだという。

ハレリアでは馬車の車軸は木製だ。油は木に染み込むため、一度垂らしておけばしばらくは補充しなくていい。

その軸を金属にする場合、要するに潤滑油を保持する機構が必要になるわけだ。

 

例えばジョンが作った新型弩砲の場合、『ホワイトメタル』というよく滑る金属を軸受として使用し、軸はマンガン鋼を利用した。

それは蝋、つまり固化した獣脂を塗って、錆び止めと潤滑の役目を担わせたらしい。

それは元々からしてあまり高速で動かす必要がないから、錆び止め程度で十分なのだそうだ。

 

ところが、今回は高速で継続的に動かす必要がある。

例えば、馬車の車軸のように。それ以上に。

ジョンが言うには、馬車の3倍は早く動かすらしい。

それには、蝋燭の蝋を塗りたくるのでは到底足りない。

油菜のような植物油を要求するのも、液体でなければスピードを維持できないからだという。

 

「まあ、やれるだけやってみよう」

 

ハートーン男爵に依頼が来たのは、金型の加工だった。

傷のない、ゴムのリングを作る方法を考えてくれとのことだ。

 

この南方から輸入したゴムという今までとは勝手の違う素材に、四苦八苦することになるのだが。

自分の発明である金属の鋳型の技術情報が漏洩した事件以降、研鑽を重ねてきた金型の改造に光が当たったというのが、この赤毛の中年技術者にとっては嬉しかった。

 

異世界の飛び抜けた技術の持ち主に認められたのである。

それは生きた伝説に褒められるようで、今までの苦労が報われたように思えて。

今まで扱ったことのない素材の加工にも、難しい金型の加工にも、熱が入るのだった。

 

「しまった、取り出すのを忘れていた……」

 

窯で焼き過ぎて表面が硬くなってしまったゴムを見て、赤毛のヒゲ中年はがっくりと肩を落とす。

 

ゴムの成型温度は160℃から200℃。

それを直火で行おうとすると、鍛冶師達にとってはかなり難しい温度管理を迫られることになる。

鉄を打つのに900℃、青銅で600℃。

温度の振れ幅も金属なら100℃以上あり、赤熱しないため目で温度帯を見分けられない難しさもさることながら、温度の振れ幅がシビアなため、大量の失敗作を出すことになる。

 

現代地球では高温の水蒸気に圧力をかけて、温度計を使って温度管理を行っている。

直火に比べて300℃以下の温度管理がしやすい。

難易度は雲泥の差だった。

 

それで成型を成功させる方が奇跡的なのだ。

 

 



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爆風

「『工場』の中で危険なものは3つある」

 

休憩室で弟子達を相手にジョンは語る。

 

「1つは『重量物』。人は一定以上の重い物の下敷きになったら死ぬ。分かりやすい危険だな」

 

現代地球でも、そこそこの頻度で死亡事故が発生する、落下事故や崩落事故の類である。

 

「もう1つは『熱』。他の工房で修業してたんなら、知ってて当たり前の話だな。鋳造も鍛造も別の工房に任せてんだが、ここにも熱が出るもんはいくらでもある」

 

これも現代地球でそれなりに発生している事故である。

熱した金属を頭からかぶって死んだという話の他に、パイプが破裂して高圧水蒸気を浴びて死亡したなどという事故も存在していた。

 

「さらにもう1つが『回転体』だ。

これが一番ピンと来ねえはずだ。だからこそ一番危ねえ。文字通り回転するもんに巻き込まれて死ぬってケースだな。風車でも水車でも、デカイのはパワーがあって、巻き込まれると結構危なかったりするんだが。

今回作った『空力動力』のパワーはそれよりもっと強い。下手な触り方したら、死ぬこともある」

 

身近な例で言えば、エスカレータである。

人を軽々と持ち上げる動力で動いているのだ。巻き込まれた場合、死ぬこともある。もちろん、死亡事故も過去には発生している。

現代地球の工場内において、新人教育の際に必ず言われるのが『回転体』に対する注意である。

先述の2つと違って、感覚的に分かりやすい危険ではなく、現代地球で用いられるモーターなどの動力で動くそれは、人間など一瞬でミンチに変えてしまうだけのパワーがある。

 

「そして最後に『薬品』だ。これは分かりやすい毒を扱うってだけじゃねえ。

金属の中には、仕上げでヤスリをかけた時に出る粉を吸い込むのもダメってのがある。

ていうか、普通の鉄でもあんまり毎日吸い込み続けてるとダメなんだぜ?

治癒術でその辺のも治るから、割と無視されてるみたいだけどよ」

 

ジョンの説明に対して、ホレイショは言っておかなければならないことに気付いて口を開いた。

ジョン自身が気付いているのか、いないのか、それはわからない。

 

「それ4つになってんじゃねえか」

「まだあるぞ」

「最初に3つって言った意味って……?」

「ねえよ、んなもん」

 

 

 

何度目か、『爆風』の儀式でタンクに空気を圧縮した時のこと。

重石と共に針金で台座に固定されているため、最初に比べて衝撃による揺れがかなり低減されていた。

 

「これ、『工場』が動き出したら、毎日やるの?」

 

アリシエルが声を挙げる。

 

「1日1回で済めばな。『旋盤』とか、結構回しっぱなしになってくるから、今の調子だと下手すると1日2回ってことになるかもしれねえ」

「これ、1日1回以上ってことになると、結構きついんだけど」

 

今、『工場』で使う設備を開発中で、改良しては試運転を繰り返している。

空圧の噴射を受けて動力を得るための『タービン』を開発中だ。

プロペラは何をどうしても消耗品になるため、量産の方法を確立しておく必要があった。

 

そのための軸と軸受けを作るのに、水車動力による『旋盤』が必要になる。

『タービン』は薄い板を角度を付けて軸に無数に取り付けたもので、羽根の枚数と長さがそのまま出力、回転速度やパワーに直結した。

もちろん、現代地球のような、1つの軸に20枚以上の羽根を付けるのは、ハレリアの技術では不可能である。

だから、先に風の受け口を作っておき、軸に等分した印を付けて、そこに羽根を取り付けていくわけだ。

 

羽根の取り付けは、『ハンダ付け』で行う。

融点の低い鉛を主成分に用いるハンダ合金は、こういう細かい作業にある程度都合がよかった。

一般的に『ハンダ付け』というと、ハンダ合金をワイヤー状に伸ばしたものを『ハンダ(ごて)』、熱したもので融かして、目的のものに溶接するというイメージがある。

しかし、前世に経験があり、半年ほど前にも経験のあるジョンでさえ、この作業は失敗を繰り返した。

プロペラの回転軸に中心を合わせる作業、いわゆる『芯出し』が非常に難しいのだ。

少しでも軸がぶれると、振動や異音の原因になる。

『旋盤』などは精密動作を要求される工作機械であり、機械全体が振動などすると、どうしても精度が落ちてしまう上に、装置にもダメージが入ってしまう。

 

この『芯出し』の方法を確立するのに、最も時間をかけた。

そんな最中の、アリシエルからの苦言である。

 

「きついってのはどういうきつさだ?」

「研究の時間が取れなくなるの」

「おいおい、錬金術師だから研究優先かごふぅ!?」

 

ホレイショが口を挟み、ジョンがその脇腹に肘を入れた。

 

「確認するぞ。研究の時間が取れないってのは、つまり錬金術が使えなくなるってことか?」

「そうよ。理論を煮詰めて組み立てるって研究もするにはするけど、やっぱり確認するのに実践は必要になってくるわ」

「あー……」

 

赤毛ショタジジイは天を仰いだ。思わぬ問題が発覚したのである。

 

「今は『工場』の完成を優先しなきゃいけねえ時なんだろ?研究なんて後回しにしろよ」

「ホレイショ。『工場』で使う合金がどうやって作られてんのか、言ってみろ」

「そりゃ、錬金術で――あ」

 

要するに、問題点というのはそこだ。

 

分かりやすく言うとMP的なものが、1日2回も『爆風』の儀式を発動させると、ほぼ尽きてしまうのである。

そして、『工場』ではジョンが配合表(レシピ)を持ち込んだ各種合金が使用される予定だ。それらの合金は、この世界の現状において科学的な精錬技術が確立していないものがほとんどであり、代替として錬金術での抽出によって補われることになっていた。

 

『爆風』を使用する錬金術師が肝心の錬金術を使用できなくなってしまうと、どう考えても『工場』の運営に支障を来たすことになる。

錬金術師の性質として、合金を作る研究はしても、合金を量産することはあまりしないため、師匠命令で手伝っているアリシエルのような見習いでなければ、そう簡単に手伝いを引き受けないのだ。

 

実はアリシエルはそこまで深く考えておらず、士気、モチベーションの問題として言っていたが。

たかが気合いの問題と甘く見てはいけないのを、ジョンはよく知っていた。

そこに何が潜んでいるかについて深く考えずに進めるだけ進めた結果、発生するのが『公害』というものだからだ。

 

「できるだけ錬金術師増やしたくねえんだがなぁ……」

 

ジョンは唸った。

 

「どうして?」

「錬金術のごり押しって思われるとまずいだろ?

ただのアイデア品になっちまったら、異世界転生者の証明にならねえのさ」

「あー……」

 

錬金術師というのは、普通は雇うことができない。

国家が囲い込み、研究を手伝うことで成果物がもたらす技術や利益の一部を国が利用しているだけなのだ。

そして、錬金術師というのは大抵のものは自分で作るか手に入れるかしてしまうため、よほどの体制を築かなければ手伝いにならない。

ハレリアのように正規の錬金術師だけで900人以上という国はほぼなく、見習いを含めて500人いればいい方だ。

 

また、魔法の知識において頂点の職業である錬金術師が協力するなら大抵のことができてしまうため、錬金術師が係わっているなら、事業主や発案者などの功績は無視して考えられてしまいがちなのも、マグニスノアという世界ならではの事情だった。

だからこそ、鍛冶師と錬金術師はあまり協力しない。

手柄を持って行かれるのを、鍛冶師側が嫌がるからだ。

錬金術師は社会不適合者が多いため、その協力を苦労して引き出して、苦労して意思疎通して、その成果の所有権を持って行かれてしまうのでは、あまりにも割に合わない。

 

「星王術士に頼めば?」

「星王術士って魔導術使えるのか?」

「魔導術は知識のある術士が準備をしておけば、発動自体は別の人でもいいのよ。それが一番の大問題なんだけどね」

「大問題って?」

 

ジョンの問いにアリシエルは答える。

 

「精霊力を励起させるために体力を使うんだけど、その設定をミスったりすると、余計に体力を持ってかれるの。

悪くすると、術者が死んじゃうだけじゃなくて、足りない分の体力を周りの人から勝手に吸い上げていくこともあるのよ。

だから、巻き込まれて死ぬって話、昔話だけでも結構あるの」

「マジかよ、やべえなそれ」

 

話を聞いてホレイショが慄いた。

 

「魔導術の儀装円は、1馬身(2メートル)を超えるかどうかで扱いが異なります」「出た!」

 

どこから聞いていたのか、白ローブのフードを被った巨乳少女がやってきて説明する。

 

「今回の『爆風』は1馬身以下の扱いでして、見習い錬金術師が許可を得て持ち出すことが許されるのですよ。

1馬身を超えますと、今回のような場合でも正規の錬金術師による付き添いが必要になります。

役所で許可できるのは3馬身以下、正規の錬金術師が対策を立てて、ギリギリ1人に収まる大きさまでという基準があります。

武術大会や武具大会で使用される『箱庭領域』は15馬身以下、使用計画書にファラデー家当主が許可したというサインが必要で、それ以上は戦略儀式となりますから、実験を行う場合も国王の裁可が必要となります」

 

あくまで行政処理の話だが、今のジョンが最も欲しい情報がきっちり含まれている辺り、さすがの頭のキレである。

 

「おお、ちょうどいいとこに来たな」

「何か御用が?」

「アリシエルがよ、1人で1日1回以上はきついって言い出してんだよ」

「ちょうどいいですね。そのことでお話があったのです」

「話?」

 

赤毛ショタジジイは目を丸くする。

 

「ファラデー家に確認してきたのですが、『爆風』程度の儀式でしたら、星王術で再現できるそうですよ」

「えっ」「えっ」「えっ」

 

三者三様の驚きがそこにはあった。

 

「他2名はともかく、なぜアリスまで驚くのですか?」

「え、えっと……」

 

ミラーディアに笑顔で詰め寄られ、アリシエルは脂汗をダラダラ流しながら全力で視線を反らす。

 

「魔導術って、時間かかる代わりに威力がダンチだって話じゃなかったっけ?」

「ええ。『爆風』がそれだけ弱い部類だからこそ、星王術で再現できるというお話です」

「でも、高級器はダメなんでしょ?

神族しか作れないようなのを使うんだったら、錬金術師の数を制限する意味ないじゃない。

低級器にしても、400単語(カルテットハンドレッド・ワード)とかっていう頭のおかしいのを作らなきゃなんないし。

1ヶ月付きっきりで調整しなきゃいけないのよ?」

「私が聞いた話ですが」

 

巨乳白ローブは金髪ツインテール黒ローブを睨みながら、話す。

 

「『爆風器(ゼピュロス)』という、実験のために作られた393単語の低級器が現存(・・)しているそうです」

「……………………………………………………………………………………あ」

 

皆の視線が、脂汗をダラダラ流すアリシエルに集まった。

 

「有名な話のようですね。威力だけは魔導術に匹敵するのに、詠唱するのに20分以上かかる星王器。

結局お蔵入りになったそうですが、実験そのものはとても有意義で、今も術実験の手本としてファラデー家の教本に載るくらいだとか」

 

後世、馬鹿みたいな実験だと言われていても、実験の手順そのものについては手本とされているものもある。

 

おそらくほとんど意識している人間はいないだろうが、基礎実験とその結果から考察を重ね、検証のためにさらに実験を行うという手法を用いて人間が物理法則の解明を試みたのは、西洋においては中世末期に入ってからのことである。

 

ガリレオ・ガリレイという名前くらいは聞いたことがあるだろう。

彼は西洋の暗黒時代以降で初めて、自然現象の観察ではなく、室内で専用の実験器具を用い、独自の単位を作ってまで物理現象の検証実験を繰り返した人物である。

その過程や手法、考え方は、現代の最新技術の実験においても用いられていた。

 

「まったく、教訓として大事なところを覚えるのは当然ですが、自分の仕事に係わる部分のチェックはきっちりしておいてほしいものです。

私が『爆風』の星王術化について、ファラデー家に問い合わせていなければ、『爆風』を星王術士とアリスの4人ほどで回すことになっていたのですよ?」

「うー……」

 

結局、いつも通り涙目で説教を食らう、迂闊なアリシエルだった。

 

 



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御巫

タービンのプロペラは、16枚つけることになっている。

鋳造で作った筒の表面を旋盤で綺麗に削り、その表面に紙を巻いて、それに沿って針金で罫書(けが)き線を入れる。

その線に沿って金属用に作ったノコギリで溝を入れ、その溝にプロペラの羽根を差し込んでいく。

 

羽根の枚数16というのは、8方向に2段という意味で、これ以上詰めるとジョン以外に整備ができなくなる。

 

ハンダ付けで一部を仮留めし、回転させて重量のバランスを見る。

圧縮空気が流れてくる場所は円錐状の部品で流れを乱さないように工夫。

ただ、空気の流れに対して効率のいいプロペラの曲げ方について、ジョンは知識がないため、平面である。

 

また、タービンの軸受けはすべり軸受け、今まで使っていた方式のものとした。

理想を言えばベアリングやコロを使う方がいいのだが、ただの鉄球を作るのに比べて、桁違いの精度を要求されるのだ。

さすがの錬金術も、そこまで高い精度の加工はできなかったため、こちらもメンテナンス性を考えてランクを下げることになった。

 

どうしても軸受けの幅が狭くなり、摩耗率が高くなってしまうが、仕方がない。

ジョン以外が整備できないのでは、異世界の技術の意味がないのだ。

 

 

 

そんな冬の一日。

ハレリアはベルベーズ大陸中部地方にあり、標高も低く比較的温暖な気候の土地だ。

西にホワーレンという高原地帯があり、そこから吹き下ろしてくる冷たい風でそこそこ冷えるものの、標高2000メートル級のホワーレンや標高8000メートル級のエルバース山脈ほどではない。

 

少なくともホワーレンと同等かもっと寒いエムート地方出身のジョンは、寒さにはそこそこ強かった。

 

「そんな格好で大丈夫なのか?」

「厚着して汗かいた方が辛いんだよ。建屋の中だとそんな極端に冷えねえし、動いてりゃちょうど良くなる」

 

寒がりなベルナールにそう返すのはホレイショ。

ホレイショはホワーレン出身で寒さにそこそこ強く、南のソーレオ出身のベルナールは逆に暑さに強くて寒さに弱い。

 

ソーレオはハレリアに気候が似ているが、東壁山脈の低い部分により近く、また西は山岳越しとはいえ亜熱帯気候のマリーヤードに接しており、幾らか気温が高い傾向があった。

そのためソーレオの出身者がハレリアに来ると、まず冬の寒さに驚くのだ。

ホワーレンなどになると寒い地方なので備えるが、ハレリアはすぐ隣で気候もほぼ一緒なため、油断しがちなのである。

 

去年までは仕事場が鍛冶工房だったため、そこまで気にしていなかったが、工場には炉に火が入っていないことも珍しくない。

 

「あそこのチビッ子も結構薄着だぞ」

「あれって赤ローブじゃないか。そこそこ質が良いって評判の……?」

 

やり取りしながら赤毛青年に続いて休憩室に入った金髪青年は気付く。

 

「シッ、シッ、シッ」

 

濃い青髪の少女が、二又尾の子猫リユに、その辺に生えていたネコジャラシをぺしぺしぶつけていたのだ。

リユも後ろ足で立ち上がり、両手で迎撃しており、時折熱中して顔を近づけた瞬間、ネコジャラシの房を激しく叩き、青髪赤ローブの少女の顔面にぶつけて反撃する。

ムキになったらしき少女がさらに激しく攻撃を始める、の繰り返し。

 

「ホレイショ、あれってエルバリア人じゃないのか?」

 

ベルナールが思わず同僚に訊ねた。

ソーレオ出身者でハレリアにはルクソリスにしかいたことがないということもあり、彼はエルバリア人を話でしか知らないのだ。

 

エルバリア人は、ホワーレンで見かけることがある程度で、ルクソリスにはほとんどいない。

エルバリア本国が覇権主義、差別主義を掲げているため、エルバリア人という人種にもあまりいいイメージがないのが、エルバリア人を知らない人間の一般的な印象だった。

ベルナールもそれに漏れない。

 

「間違いなくエルバリア人だ」

「なんでこんなとこにいるんだ?」

「そりゃ純血じゃねえからだろ」

混血(ハーフ)?」

「そ。エルバリア略奪部隊が散々暴れてった後、殺されずに救出された女が産むことがあるんだと」

「――」

 

ベルナールは絶句した。

つまり、ホワーレン人であるホレイショがエルバリア人を示す青髪を見て冷静でいるのは、あの少女が被害者側だと思っているからなのだ。

 

「いえ、彼女は純血ですよ」

「えっ」

 

ミラーディアが声をかけてきたことに驚く。

ホレイショとベルナールは気付かなかったが、ジョンを始め他の弟子達も揃っていた。

黒兎耳と尻尾を付けた黒髪ロリも一緒に、紅茶と一緒に差し入れを食べている。

 

本日の差し入れは、ニジマスのフライである。

ニジマスは塑性回遊性、つまり海にまで出ることもある海水適応力を持った淡水魚だ。

亜種を含めると世界の多くの河川に生息しており、日本では1877年、明治10年にアメリカはカリフォルニア州から輸入され、放流されたのが最初とされる、自然定着した外来種である。

1926年、大正15年から養殖が開始されており、現在は稚魚、成魚、卵、稚魚と人間の手でサイクルを管理する完全養殖と、網を張った海面に放して育てる海面養殖が行われており、食用魚としてサーモントラウト(商品名)の材料となるなど、広く世界の家庭で親しまれている魚だ。

 

「ちょっと落ち着いてお話がしたいので、まずはお1つどうぞ」

「お、おう」

「いただきます」

 

白ローブの少女に言われるがまま、チーズと塩の利いたフライを食べ、紅茶を飲んで、2人は一息吐いた。

 

先程まで熾烈なバトルを繰り広げていた青髪少女は、自分のフライを半分に千切って、少ない方をリユに与え、残りを自分で食べている。

案外、優しい性格なのかもしれない。

 

ちなみに、塩味の付いたついたものを人間と同じ感覚でペットに与えるのはNGである。

人間とは塩分の必要量が違うのだ。

特に小動物の場合は、容易に塩分過多となってしまう。

なので、尻尾のごく小さい部分を与えるというのは、決して間違いではない。

 

そして、それぞれが差し入れを食べ、エヴェリアが淹れた紅茶を飲んで一息吐いたところで、ミラーディアは話を始める。

 

 

 

「エルバリアのパヴロワル王朝が倒れました」

 

巨乳白ローブが告げたのは、まさしく青髪少女、つまりエルバリア人に大いに係わることだった。

 

「先の大戦にて撤退した5万の傭兵団は、エルバリア国内で歓迎されませんでした。

食い扶持減らしの意味が強い派兵でしたから、そっくりそのまま戻ってこられるのは、エルバリアにとって最悪と言える事態だったのです」

「あんだけ略奪しといて、まだ足りねえってか?」

 

ホレイショが吐き捨てる。

何度もエルバリア略奪部隊の噂を聞いていれば、エルバリアに対して良くない感情を抱くのは当然だった。

 

「略奪したからこそ足りなくなったというのが真実のようです。

元々、エルバリアという国は、食糧生産に適した土地が限られているのですよ。

起伏の激しさに関してはホワーレンと大した違いがありません」

「要するに、神石専横と略奪によって潤った結果、人口が増え過ぎたのさ。

さらに今まで大事な取引相手だったブロンバルドは壊滅し、支援していた聖教国も『警告』によって首都トライアンフが壊滅した。取引相手がそれどころではなくなった以上、どれだけ神石や黄金があろうと餓死するだけ。

そのシワ寄せが5万もの傭兵、つまり、間引き目的の略奪部隊というわけだ」

 

黒髪ロリは兎耳尻尾の可愛らしい格好で、表情を歪めて吐き捨てた。

 

「今までの略奪部隊ってのは、エルバリアで食い扶持にあぶれた山賊だったってのか……」

「それが5万にもなりますと、尋常な数字ではありません。エルバリア国内の経済は破綻寸前だったはずです。

しかも、そんな状態にも係わらず、エルバリアは分裂状態にありました。分裂と言いましても、辺境の領土を封鎖していただけなのですけどもね。

東エルバース領リンドバーグ辺境伯。

神石専横と略奪に反対し、それに頼んだ人口増加政策を受け入れなかった中で、最大の領土と権力と財政を持ったエルバリア大貴族です。

エムートを経由する裏回りルートを抑え、略奪によって連れて行かれたホワーレン人を救出する作戦を実行していた一族でもあります」

 

悪名高いエルバリア貴族の中で、数少ない良識派ということだ。

 

「先の大戦の後、逃げ帰ってきた5万の傭兵は、半分がエルバリア国内で山賊化しました。

残りの半分はリンドバーグ辺境伯が引き受けています。

彼は険しい土地を農地として切り開く方法を発明していまして、兵士としての適性の低い人々をその仕事に割り当てました」

「元々、農家や商家を追い出された者達だったからな。

食い扶持さえあれば、暴れることもなく仕事に従事する者がほとんどだったのさ。

その性質を見抜いて引き受けたのは慧眼と言える」

 

エヴェリアからは高評価のようだ。

彼女はイリキシア王国の大貴族令嬢で、政治家の卵としてハレリアに留学している。

 

「しかし、対立していたパヴロワル王朝の王党派は、リンドバーグ辺境伯のそれを反乱準備として討伐命令を出しました」

「ここまで来ると、さすがにおかしいと感じる。

エルバリアは元々、お互いに攻めるのが難しい地形だ。大部隊の移動など不可能に近い。5万の傭兵軍団も、国境近辺の広い場所に集めてから送り込んだんだろう。

だが、この季節にエルバリアで大部隊を動かすとどうなるか、そんなことは議論するまでもない。

山岳地帯では、1箇所の城塞の攻略に動員できる兵数には制限が出る。

それを超えた兵を動員などすれば、食糧の輸送が間に合わなくなる」

「ログラン街道はハレリアの感覚で言うと隘路、狭い道の部類に入ります。

しかし、1頭立ての馬車がすれ違うのがギリギリな道でも、ホワーレンやエルバリアでは大動脈たりえるのです。

どんなに数を動員したとしましても、道が細ければ輸送量に限界は出ます。

部屋を出入りするのに、扉が小さければ時間がかかるのと同じです。

それはエルバリアでは体感的に覚えるものなのです」

「そこでリンドバーグ伯爵は、洗脳術を疑った」

 

思い出されるのは、ブロンバルドである。

洗脳術士を中継してとはいえ、数千万人を神族が1人で洗脳していたことがあるのだ。

そうして実に1千万人もの人員を動員し、100万人もの戦闘員をイーザン平原に送り込んだ。

 

「実際は、ナグアオカ教の派閥、オルビス教団が唱えた説を信じるように洗脳されていたのです」

「私も今回話を聞くまでは知らなかったが、今回の騒動はそのオルビス教団が中心にいたらしい。180年も前に壊滅したようだがな」

「だからこそ、色々と宙ぶらりんとなり、必要以上の死者を出すことになったのです。エルバリアも放っておけば破綻し、ブロンバルドの二の舞になるところでした。

要するに、何を犠牲にしようともルクソリスに隠された秘密を奪ってしまえば千年の繁栄が約束されると信じ込まされていたのです」

 

無能な王がそういう与太話を信じたのが戦争の始まりというのはよくある話だが、マグニスノアでは洗脳術が存在するため、有能な王であったとしてもそういうことが起こる可能性が大いに存在した。

 

「そのために、短期に軍備を増強するために行われたのが他国の略奪、つまり神石専横だったというわけだ。

そして、まさか1つの国が同盟国を失うほどなりふり構わずに軍備増強したのに、ハレリアの国土すら踏むことができないとは思わなかったのさ。

で、ならもっとだ、他国も巻き込め、となる。その結果作られたのがフェジョ新教だった。

フェジョ新教自体は上手くはいかなかったが、オルビス教団がブロンバルドの国王を洗脳して同じことをさせたようだ」

「オルビス教団本部がロマル大陸の本国で『憑魔の儀(ひょうまのぎ)』をやらかして壊滅するまでは、イリキシアやノスラント、マリーヤードなどを巻き込む予定だったそうです」

「もしそうなっていたらと思うと、ゾッとする話だな」

「短期間で終わるはずだった軍備増強計画は200年続き、エルバリア国内もブロンバルド国内もボロボロになっていきました。

それでなお大したことができなかったというのは、結局のところ全体を統括する司令官がいなくなっていたからなのですね」

 

だからこそ、洗脳された神族が派遣され、オートレス聖教国に利用されて、さらに暴走を始めるまでは派兵しても大した数ではなく、国境を封鎖して略奪部隊を派遣するくらいのことしかできなかったのである。

 

「今回、その流れをリンドバーグ辺境伯が解明しました。

ハレリアの諜報員を迎え入れ、洗脳術が使用されている現場を押さえ、略奪によって利益を得ていた王党派貴族達に公表したのです」

「そうなると、どこまで洗脳術の影響が広がっているかはわからん。

常態化していた洗脳術の影響が消えるまで、時間をかけて処置を行う必要がある。ここまで来た以上、信用問題からも旧王朝の存続は不可能だ」

「実際は、その発表を信じない貴族達が結構な数いまして、メーテール王城を占拠しました。そして起こったのが、王城内における内乱です」

「話を信じるならば、目の前に傀儡としては最も都合のいい権力者が、実権を握ったまま転がっているわけだ。

1人でも野心家がいれば、甘い蜜を皆で少しずつ分けるなどということはしない。独り占めして、あわよくば自分が国王に上り詰めようと考えるのは当然の帰結と言える」

「ただ、もう1つの動きとしまして、エルバリア国内に散って行った5万の内残り半分、2万5千の山賊が各地でリンドバーグ辺境伯の名前で挙兵し、王城に立て篭もった貴族達の領土の半分近くを占拠。

リンドバーグ辺境伯は呼びかけによって止めさせましたが、王権など無関係にエルバリア国内で最も影響力の高い人間の名前が国民達に印象付けられ、王城で流血を伴う権力闘争に明け暮れる貴族の親族達が、当主を見捨ててリンドバーグ辺境伯に帰属するという事件が多発しています」

「まだまだ情報は錯綜しているが、この流れはもう止まらんだろう」

 

ここでミラーディアは子猫とじゃれていた青髪少女に目を向けた。

 

「この子の名はリディヤ・ゾラ・リンドバーグ。リンドバーグ辺境伯の孫娘です」

「近い将来、高い確率でエルバリア王女と呼ばれるであろう人間でもある」

「そんな子がなんでこんなところに?」

 

ベルナールが尋ねる。

 

「留学生という名目で、近々発生するだろうエルバリアの内乱から逃がすためだ」

「戦乱が発生した状況でこの子の才能が(おおやけ)になりますと、大変なことになりますからね」

「大変なことってのは?」

 

これはホレイショ。

 

「いわゆる『御巫(みこ)』なのですよ」

「ミコ?」

「色々と呼び方があるのですけども、異世界の知識に手が届く天才児とお考えください」

「そりゃすげえな」

「本当に異世界転生者に匹敵するんですか?」

 

ベルナールが思わず聞き返した。

 

「『御巫(みこ)』とは、『天と対話する者』、『神と繋がった者』、『神業の体現者』とも呼ばれる。

魔法技術の飛躍の7割が彼女らから発生したと言われるほど、その功績は大きい」

「異世界転生者は千年に一度、50年ほど、世界の常識を変えるほどの影響力を発揮して去っていきます。

しかし、『御巫(みこ)』は何十年かに一度現れ、異世界転生者ほどではなく、解読や解析が必要とはいえ、大きな影響を及ぼします。

異世界転生者が出現する千年単位で考えた場合、『御巫(みこ)』が及ぼす影響力は異世界転生者と同等以上と言えなくはありません」

「最近、と言っても800年にもなるが、その性質を調べ上げて意図的に作り出す研究が行われている。

もしも成功すれば、その国が世界の覇権を握るだろうとさえ言われるものだ。

1人でも異世界転生者に準じる影響力を持った人間というのも確かだな」

「ちょっと待ってくれ、意図的に作り出すだって?」

 

ホレイショの言葉に、ミラーディアは答える。

 

「『御巫(みこ)』は話が半分も通じない。好き勝手させ、それをサポートしていることで、その産物あるいは副産物が結果として技術を発展させる。

頭の中に技術以外のことが入らないようになっているだとか、異界から知識の断片を拾ってくる能力と引き換えに意思疎通能力が極端に低いだとか、色々と推測は語られているが、仕組みは良く分かっていない。

御巫(みこ)』そのものを再現できているとは言い難い。

だが、そういった性質を真似ることで、結果が出ているのも確かだ」

「つまり、錬金術師(・・・・)です」

 

アリシエルの性質を思い浮かべるといい。

魔法のこと以外はほぼ頭になく、一般常識、社会通念すらも抜け落ちていることがある。

だが、魔法や錬金術のことに関しては一流で、まだ見習いとはいえ魔導術の使用や合金作成などに大いに力を発揮していた。

 

「リンドバーグ卿の娘である以上、いつ敵方からの標的にされるか分からん。

他の子供達と違い、そういった理由で失うにはあまりにも惜しい人材だ」

「だからこそ、以前から協力関係にあったハレリアを頼ったのでしょうね」

「先に言っておくが、下らん差別で怪我などさせた場合、ハレリアではお前達を庇えないだろう」

「逆になんでここに連れてきてんだ?」

 

ジョンが首を傾げた。

警告するならもっと安全な場所に連れていけばいいのだ。

 

すると、巨乳白ローブがすいっと視線を逸らしてこう言った。

 

「ここが一番安全だからです。英雄特性がとても強い子ですし、錬金術師の工房を併設する予定もありますから」

「ああ……なるほどなぁ……ハレリア王族か……」

 

ある種の疲労感と共に、赤毛ショタジジイは納得する。

 

つまり、性的な意味で危険だから、その方面の防備が整っているここへ送られてきたということらしい。

リンドバーグ辺境伯にとっては予想外な意味で、ルクソリスは彼女にとって危険だったのだ。

 

 



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ゴム焼成

「例えば、崖の中腹に落ちた旅人がいたとする」

 

休憩室で、赤毛ショタジジイは皆に話をする。

 

「崖上からそれを見つけた奴が居て、旅人を助けようとした。

そのためにロープを作ったんだが、頑丈な方がいいってんで、10年もかけて月を引っ張れるロープを作っちまった」

 

彼はよくこういう例え話をしていた。『工場』に関する理念を伝えるためだ。

 

「おいおい、そりゃねえぜ」

「じゃあホレイショ、何が問題になる?」

 

満足げに笑みを浮かべながら、ジョンは声を挙げた赤毛青年に聞き返した。

 

「崖から落ちて怪我してたって、10年も経ちゃ死ぬか治っちまう。そんな御大層なロープ作ってる間に自力で上ってくらあ」

「そう、つまり『納期』に間に合わねえってことだな」

 

ジョンは頷く。

 

「月に届くロープ、森1つじゃ足んない」

 

これは青髪赤ローブの少女。

 

「森1つ消えると大変ですね。この辺は林業も盛んですから、勝手に斬り倒してはいけないということも結構あるようです」

 

金髪好青年が少女の後に付け足す。

 

「つまり、『価格』だな。人1人助けるのはいいが、そのせいで借金地獄ってことになっちまうと、何のために助けたのかって話だ」

 

ジョンは頷いた。

 

「もう1つ問題があるんだが、わかる奴はいるか?」

 

彼は生徒達に呼びかける。

 

『生徒』というのは比喩ではない。

工場を作るに当たって解決しなければならない問題について教えるために、ジョンはそこに集まった彼らに話をするのだ。

 

「……」

 

生徒達でざわざわと話し合いが行われた後、子猫を抱えた青髪少女リディヤが手を挙げた。

 

「ロープ、太すぎ」

「正解」

 

ジョンは少女を指差して笑顔を見せる。

他の生徒達はあっと驚いた。

 

「月を引っ張れるってのは、俺が知ってるどんな材質の合金だろうが無茶だ。

そりゃ今マグニスノアで知られてる合金の2倍3倍の強度がある合金ってのもあるにはあるんだがな、それでも月を引っ張るってことになっちまうと、その太さは家並みで済むかどうかってところになる」

「異世界の技術でも無理なんですか?」

「異世界っつっても、魔法がねえからそれ以外が発達してるってだけだからな」

「……」「……」「……」

 

質問した金髪好青年以外は、絶句していた。

彼とリディヤ以外、太さなど想像すらしていなかったのだ。

 

「そんなぶっといロープに掴まって引っ張り上げる。無茶もいいところだぜ?

そもそもからして、依頼者の要求を無視しちまってんのさ。

どんなにロープ自体の性能が高かろうが、そんなもんは『品質』が低いってことになっちまう」

 

そして、ジョンは話をまとめる。

 

「納期、価格、品質。この3つを満たしてはじめて依頼者の満足が得られる。

まあ、工房も大雑把に言や一緒だ。

品質を度外視して納期を短く価格を抑えることもあるし、逆に品質を高めるために価格と納期を度外視することだってあるんだが、そういうのは依頼者の要求で決まることだ。

もちろん、高い品質の品をより早く安くって理想に届かせる努力も必要だが、納期、価格、品質の基本を忘れて独りよがりになっちまったら、依頼者からのダメ出し、やり直しってやつが増えるだけだ。

ま、依頼通りにちゃんと作ってても、仕様変更とかで作り直しになるってこともあるんだがな。

できるだけそうなんねえように話を詰めるのが、上に立つ人間の仕事でもある」

 

今のところ、『工場』のトップ、『工場長』の有力候補はベルナールとホレイショの2人である。

2人とも、部下をまとめる能力も、工作機械で品物を加工する能力も高い。

ジョンとしてはどちらを選ぶか悩ましいところだったが、最終的には行動力や交渉力などで決めようと考えていた。

 

『工場』は1つ作って終わりではない。

その性質上、無数に乱立していくものなのだ。莫大な利益を生むものに、人は群がるからである。

他者が真似をする際、危険や問題点を正しく指摘できるように、ベルナールとホレイショの両方を鍛える必要があった。

教えることができる知識を、残り約半年で叩き込まなければならない。

それは決して容易なことではなかった。

 

 

 

工場の建屋に併設された錬金術の工房で、リディヤとアリシエルが錬金術の研究を始めた。工場のある地区と錬金術工房のある地区が隣り合わせとはいえ、何度も往復していると時間がかかって仕方がないからである。

 

また、リディヤはジョンがやっている科学的、工学的な開発に興味を持ち、たびたび休憩室や工場内に見学に来ていた。

 

「重くなる」

「重くしてんだよ」

「?」

 

今回は仮称『魔導式空気圧縮機』の設計についてあれこれ質問してくる。

ジョンも、他の弟子達に聞かせる目的で、ちゃんと相手をしていた。

さすが御巫(みこ)だけあって鋭い質問が多く、弟子達が驚くこともしばしば。

 

御巫(みこ)とは、すなわち天才である。

現代地球では『天賦の才』『神の贈り物(ギフト)』とも呼ばれ、様々な分野において技術の飛躍を起こしてきたという。

 

「『爆風器(ゼピュロス)』で解放の中心点がズレるのはしょうがねえからな。

端っこで解放しても装置自体がぶっ飛んだりしねえように、重くしてんのさ」

「私なら中心、合わせられる」

「『工場』作るたびにリディヤみてえな、できる奴を引っ張ってくるわけにゃいかねえよ。

それに、何回もやってりゃ失敗ってのがどうしても出てくるもんだ」

「むぅ……」

 

天才には弱点もある。

それは、『才能のない人間』のことが分からないことがあるのだ。

どうして理解できないのか、どうしてできないのか、自分は簡単にできてしまうために、わからない。理解が及ばない。

 

本当の天才は勉強などしない。

大抵のことを想像で再現し、かなり正確に予測することができてしまうからだ。

その予測にも精度はあるが、その精度を高めるために見識を広げる意味で本を読んだりもする。しかし、一般的な意味における、知識を詰め込むための『勉強』とは意味合いがかなり異なると言っていい。

 

また、御巫(みこ)とはいえ17歳のリディヤは若く、経験が浅い。

前世で30年の工場勤務を経験したジョンの豊富な経験量には、まだまだ敵わなかった。

だからこそ、ジョンがこうして教えているという面もある。

 

 

 

「ジョン、ちょっといいか?」

「おお、どうした?」

 

ある日の休憩中、モーガンがやってきて言った。

下っ端から少しは昇進したらしく、紺色の役人服が似合ってきている。

異世界転生者担当の役人を、いつまでも下っ端のままにしておくことはできないという意思も働いているのかもしれない。

 

「ハートーン卿からコレ渡してくれって頼まれたらしいんだけどよ」

 

悪人顔の赤毛少年が持ってきたのは、黒い紐のようなもの。

 

「なんだこりゃ?……ゴム……?……!!」

 

渡されて、触ってみて、ジョンは目玉が飛び出るかと思うほど驚いた。

 

「マジかこれ、あの人、自力でコレ作ったってのか……!」

「なに?」

 

物知りな赤毛ショタジジイがとても驚いているのを見て、青髪少女が寄ってきた。

黒いゴム製の紐を一束持ち、伸ばしてみたり握ってみたり、噛んでみたりして確かめる。

 

「ぶにぶに?」

「コレがなんだってんだ?」

 

青髪少女と一緒に触っていたモーガンがジョンに訊く。

 

「天然ゴムの樹液を乾かした粉に硫黄と炭の粉と混ぜて焼き固めてあるんだ。

ブヨブヨなのは半流体っつって、ゴムってやつの性質だ。

水が沸騰するよりちょっと高いくらいの温度で20分ほど焼くとこうなる。

ハートーン卿に成型用の金型の作成を依頼しててな。

理論は説明してたんだが、まさか直火で成功させるとは思ってなかったぜ」

「直火って、湯煎でもすんのか?」

「当たらずとも遠からずだ。高圧水蒸気を通して、いい温度になるように調整すんのさ。これもそんな簡単なもんじゃねえんだが、直火でやるよかマシでな」

「そんな難しいのか」

「直火だと火の当たり方とかで焼きムラになっちまうからな。

本来、鉄が融ける温度の10分の1くらいで焼くもんだから、直に炉になんざ放り込めば焼け過ぎて灰になっちまう」

 

中世初期の西洋レベルの文明とはいえ、アイデアが足りていないだけで、腕前や頭の良さ自体はしっかりしている場合というのがあるのだ。

そういう条件が揃えば、時として現代科学では再現が難しい、オーパーツ的な技術が発生することもある。

 

アステカの遺跡で発見されたとされる『水晶ドクロ』、インド・デリーにある『錆びない鉄柱(アショカ・ピラー)』、ペルーにある『ナスカの地上絵』など、驚くべき古代技術の産物が地球には現存している。

オーパーツの多くは超古代文明や宇宙文明に絡めて紹介されることがあるが、中には現代では失われてしまった技術というものが存在しており、オーパーツの語源である『場違いな工芸品』の意味にそぐわないものもある。

 

人類の文明は一度大規模な衰退を迎えており、その際に情報の散逸などによってそこにあった文明や技術の証拠が失われ、現代では何もなかったことになっている、という場合があるようなのだ。

ゆえに、中世初期レベルの文明だからと言って、より先に進んだ技術の持ち主がいないとは限らず、さらに現代地球のアイデアを伝えるだけで苦心の末に再現してしまう、高いレベルの技術者が存在しないとも限らない。

 

少なくとも、ハレリアにはアブラハム・ハートーン男爵がいた。

技術者であり同時に行政階級としての爵位を与えられた彼の実力は、決して伊達ではない。

 

「これ、もしかして理屈とか色々詰めとけば、あっちで作れるかもしんねえな」

「あとな、明日、ちょっと見せたいもんがあるんだってよ」

「おう、行く行く。」

 

ジョンは思わず了承していた。

おそらく歴史的な発見があったのだ。

ジョン自身、ゴムの専門家というわけではないため、知らなかったことが。

 

 

 

翌日。

ハートーン工房にて、ジョンは説明と共にその現象を目撃した。

 

「水が沸騰するより少し上の温度だと聞いたのでね。こうしてヤカンを載せて、沸騰するタイミングを見計らうことにした」

 

問題は、ヤカンの中に落とした生ゴムの欠片である。

水が沸騰する温度より上がらないはずなのに、融け、泡立ち、そして固まったのだ。

つまり、ゴムを生から化学反応が効率よく進む温度に達したのである。

 

金型による圧縮はされていないため、固まる頃には細かい穴だらけのスポンジ状になっていたが、反応を見るだけならば問題無い。

 

「うわー、マジかこれ」

「おそらく、君が知っているゴムとは種類が異なるのではないかな」

「あー、なるほどなぁ。そりゃそうか、他で結構色々と違うのに、これだけ同じってこともねえわな」

 

進化の過程が異なるのか、マグニスノアと地球では、特に動植物の性質に異なる点が多く存在した。

今まではそれを覚える意味でも色々と見て回ったり、自分がこちらの世界で扱ったことのない素材についてはモーガンやエヴェリアに聞いたりしてきたのだが。

 

ゴムはハレリアで初めて扱う素材である。

一度、兵士の鎧の裏側に焼き付けられたことはあったが、ゴムの性質を保っている必要はなかったため、温度を細かく調整されることはなかったのだ。

だから、正確にどの温度で効率よく反応が進むのか、誰も調べていなかった。

その調査をジョンが行おうとしていたのだが、ハートーン男爵が先に幾らか実験し、そしてこの、地球では反応がそれほど進まないはずの温度でしっかりゴムの加硫反応が進むことを発見したのである。

 

それもそのはず、ジョンが覚えていたのは、一般的な工業用ゴム、石油由来の成分を合成してできたものだったからだ。

石油由来のゴムはモノにもよるが大体150~250℃程度で20~40分程度加熱するのに対し、ゴムの木由来の天然ゴムは75~90℃で30分程度で済んでしまう。

 

今回は直系5ミリの紐状でそれほど大きなものではなく、生焼けが発生しにくいこともあって、鍋の中で金型ごと煮込むでも十分だったのだ。

嬉しい誤算と言うべきだった。

それでも、熱による化学反応の理屈を少し話しただけでほぼ自力でこの性質に辿り着いた、ハートーン男爵の大発見には違いないが。

 

 



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お祭り

冬の寒さが過ぎ、春がやってくる。

 

「『工場』に限らずなんだが、どうしても忙しい時期ってのはある」

 

ジョンは休憩室で弟子達に語った。

 

「工房でもありますね。年3度の大型連休前は、どうしても仕事が詰まってきます」

 

ベルナールが答える。

 

「『工場』なら、多分しばらくは大丈夫だろうが、限界の成果を求められるようになると、忙しさの桁が違ってくるんだ」

 

ジョンが計画している工場は、しばらくすると真似をする者が出て、乱立し始めると予想されていた。

そうなると求められるのは成果だ。

工場の生産力を頼みに商業的な成果、つまり金銭的な利益を得るために工場の建設が進められるようになる。

上層部がさらに上を目指すようになると、少しでも利益を出すために工場をフル回転させるようになる。

依頼が少ない時期ならまだしも、ベルナールが言ったように連休前になると依頼が殺到するため、少しでも利益を挙げようと、少しでも多くの依頼をこなそうとする。

 

いわゆる、『デスマーチ』という期間だ。

最初は決算前の3月という、追い込みをかけるために忙しくなる時期を指していたが、今は単に殺人的に忙しくなる時期という意味で使われている。

 

「今は機械に慣れるためにゆっくりやってんだが、いずれ工場がフル回転する時も来る。

トップになろうってやつは、忙しい時期に従業員が限界を超えねえように気を付けろ。

俺らが今から扱う工作機械ってやつは、油断すると死ぬ機械だってのを忘れるな。

死なねえまでも、1人でも脱落ってことになっちまうと、全部止まっちまうのが工場ってやつだ」

 

現代地球でも、たった1人の死亡によって会社自体が潰れてしまった例はいくらでもある。

工場において従業員はただの部品ではないのだ。

特にベテランとなるとその損失は計り知れず、元に戻すのに何年、何十年とかかることもあった。

 

ジョンが言うように生産効率が高い代わりに、工房に比べて人間の脱落による影響が大きいのが工場である。

 

「逆に言えば、まだ忙しくない。トラブルはあれどな。

こういう時に暇を見つけて遊ばせるのも上に立つ人間の仕事だ」

「遊ぶ?」

 

二又尾の子猫を抱えたリディヤが首を傾げる。

 

「みんなで武術大会行こうぜ」

「ああ、そういやそんな時期か」

 

 

 

冬の終わり、稲や麦の作付けが行われる前に武術大会が行われる。

まだ少し肌寒い時期だが、これから行われる祭りの熱気の中ではそれほど気にならなかった。

 

「武術大会の開催中、外域は全体がお祭り騒ぎになります。

観光客が大勢来ますから、武術大会そのものに限らず色々なイベントが開催されるのもこの時期の特徴です」

 

赤毛ショタジジイの隣を歩きながら、巨乳白ローブは解説する。

 

レンガ造りの整備された町並みは美しく、周囲は行き交う人々であふれていた。

通りには露店が並んでおり、食べ物やハレリア全土から集められた品物がそれぞれの店で売られている。

 

「そういやこうやって外域歩くのって、1年半ぶりだな」

 

大きな土手と運河で隔てられたルクソリスの内と外。

ジョンが運河の外側に滞在していたのは、わずか1ヶ月と10日のことである。

 

「大半工房に籠っていたのに、3つも猫耳を作って配っていたのですよね」

「確か、あそこの定食屋で萌え文化の演説してたりしてな」

「あの時、声が大き過ぎて店員さんが睨んでいたのですよ?」

「マジでか、全然気付かんかった……」

 

しばらく歩いていると、獣耳の髪飾りを売っている露店があった。

 

「お――」

「ホワーレン人の少年は、程よく非力で背も低く、あまり野蛮さがないことから優良物件と言われています。

それにほら、こういう場所は張られ(・・・)ていま(・・・)すよ(・・)?」

「え……?」

 

ホワーレン人の赤毛偽ショタは言われて周囲を見回す。

すると、いつの間にか近くで立ち止まっていた金髪の女性や少女が数人、あからさまに視線を反らした。

 

「以前にもお話ししましたが、確かにハレリア人の少女は命の危険がありますが、だからと言って年齢が高くなると襲わないというわけではありません。

また、男女の区別もありません。同性に襲われる事件も、この時期は増える傾向があります」

 

ただし、ミラーディアは言わなかったが、彼ら彼女らは白ローブ、つまりミラーディアに視線を向けていたのである。白ローブの意味を知らない者も多く、単に白いフードを目深に被った少女が珍しかったのだ。

 

そんな事情を話さなければ、今の話はジョンにとってここが危険地帯であるという誤解を生じさせる可能性が高い。

ただし、実際にここはそれなりに危険な場所だった。

 

獣耳尻尾飾りが流行しているという割には、通りを歩いている人々で装着率が低く、まばらにしか見られないのである。

見ている間にも、数組のカップルが成立してどこかに去っていくのが見えた。

そうやって自分達で楽しむのだ。だから、通りには獣耳飾りを装着した人々の数が少ない。

例外は、幼い子供や親子連れくらいのもの。

 

「……しょうがねえな」

 

赤毛ショタジジイは白ローブの巨乳少女に視線が向いていた可能性も考慮して、ここは苦笑しつつ通り過ぎることにした。

ミラーディアはその後について行く。

 

実はジョンも、視線がミラーディアに向いている可能性も考えないではなかったのだ。だが、ならばなおのこと危険地帯に足を止めて、護衛兼案内の少女を余計な危険に晒すわけにもいかない。

トラブルは少ない方がいい。

というわけで、遠回しに嫌がる彼女の思惑に乗ることにした。

 

決して頭の上で前肢を振り上げた二又尾の子猫リユが恐かったからではない。

それには別の意味があったのだが。

 

「ふはははは、いただきひでぶ!」

 

折よく振り上げられていた前肢は、横合いから赤毛少年に向けて、ルパンダイヴで飛びかかってきた2メートルあろうかという巨躯に振り下ろされた。

 

スプリガン種の腕力で無理矢理進行方向を逸らされた金髪褐色肌の少女は、勢いのままバランスを崩し、顔面から地面に落ちながら首の力で態勢を立て直し、勢いを殺そうとしたが間に合わず、そのまま通りに面した用水路に落下、盛大な水柱を上げる。

 

ただし、反動で赤毛少年も尻餅をつく。

さすがにマリーヤード人との腕力のぶつかり合いを逃がし切ることはできなかったらしい。

半人半神のスプリガン種ネコマタとしての限界か、あるいは単にリユがまだ幼く、経験が足りなかったか。

それはリユ本人か、スプリガン種に詳しい神族しか知らない。

 

「えーと……」「……」

 

ジョンが固まる中、優秀なエージェントであるミラーディアはいち早く我に返り、そして死神の鎌を振り下ろした。

 

「おまわりさーん!あいつでーす!」

「ハッハァーッ!」

 

その声に出てきたのは、金髪に黒い肌の大男。

古びた軽装鎧を身に付けており、兵士というよりも傭兵という印象を強く受けた。

先に襲いかかってきたマリーヤード人の女性よりもさらに背が高い。220センチはあるだろうか。

鎧上からでも鍛え上げられ、盛り上がった筋肉が見て取れる。故グレゴワール・デンゲルを彷彿とさせる筋骨隆々っぷりだ。

 

用水路から巨躯の少女の首根っこを掴み、そのまま片腕で軽々とぶら下げて颯爽と駆け抜けていった。その筋肉は飾りなどではないらしい。

 

「あたしは必ず戻ってくるぞぉーっ!!」

 

嵐のような騒ぎが去り、固まっていた人々が動き出した。

 

「ま、マーガレットに、『大足(ビッグフット)』!?」

「あ、彼が例の父親ですか。衛兵にしては動きが洗練されていてびっくりしました」

「あの調子だと、騎士になるための訓練って上手く行ってねえのかな?」

「デンゲル家は割と規律について緩い傾向がありますからね。

あるいは休暇のおかげでタガが緩んでいるのかもしれません」

「どっちにしろ、落ち着くのはまだまだ先って感じなのか」

 

話しながら、ミラーディアは尻餅をついているジョンを引き起こす。

女の子の割に力強さを感じてしまう赤毛少年だった。

 

「行きましょうか」

「おお、せっかく出店が出てるんだから、どっかでなんか買おうぜ」

「はいはい」

 

随分と注目されてしまったため、別の場所に移動することにする。

 

 

 

次に向かったのは、通りの向こう側、水外1区。

 

「よく見るとここって、娼館が広場に面してんだな」

 

赤毛少年は、以前は気付かなかったことに気付き、呟く。

現代地球では、娼婦が多く住むような場所は、ほぼ必ず中央広場から離れた、分かりにくい入り組んだ場所にある。

日本では、ラブホテルをはじめとする風俗店は営業場所に規制があり、学校の近くでは許可が下りないことがあった。

 

が、ルクソリスでは堂々としたものだ。

美男美女が広場の一定の場所で露出度の高い服装を着用し、歌ったり踊ったりして観光客を誘っている。

 

「前は気付かなかったのですか?」

「ああ、例のトラブルのせいで、ちょっと見えてなかったんだな」

「先程も言いましたけれども、結構な危険地帯なのですよ」

「わかってるって……あれ?」

 

白ローブ少女から注意を受け、苦笑しながら適当に返した後、面白そうな店を探すために視線を巡らせたその時。

見知った赤毛、悪人顔の少年の姿を見つけた。

 

休暇中なのか、いつもの紺色の役人服ではなく、赤を基調としたホワーレン人の民族衣装だ。

ルクソリスでは宗教的な意味合いをそのままに、より赤毛で小柄なホワーレン人に似合うようにアレンジされたものが流行っており、彼が着ているのもそのアレンジバージョンのものである。

 

ちなみに、ジョンは普通のあまり目立たない普段着だった。

ミラーディアのコーディネートによるもので、町中で余計なトラブルを引き起こさないように、人々の中に溶け込むデザインのものを着込んでいる。

至って庶民向けの、長袖のシャツとズボンだ。

 

「モーガン?」

 

なぜか真っ白に燃え尽きた風に娼館の柱に寄りかかって座っている少年に、ジョンは声をかけた。

 

「お、おお、ジョン……俺はついにやったぞ……ガク……」

「???」

 

やり遂げた満足げな顔で意味不明なことを呟くモーガンに、ジョンは首を傾げる。

 

「要するに、一番危険な場所に自分から突撃していったということなのでしょう」

「娼館、満足げ、燃え尽き……あっ(察し」

 

友人がついに大人の階段を上ったことを察したジョンは、周囲の娼婦達が精根尽き果てたモーガンに興味を示さなくなっていることから、そのままそっと離れようとした。

 

「介抱はしないのですね」

「いっぺん痛い目見た方がいい。祭りで浮かれてるっつってもうかつ過ぎだぜ」

「弁護のしようがありませんね。普段のジョン君を見ていると意外ですけれど」

「俺の周りって、あんまヤバいのいねえじゃん」

「そうでしたっけ?」

「アリシエルはエルウッドにゾッコンだろ?

エヴェリアも口では色々言ってるけど、別に俺を恋愛の対象に見てるわけじゃねえじゃん」

「しいて言えば私くらいですね。セクハラ被害の回数で言えば一番多いのも私ですけれども」

「あー……」

 

何も言い返せない。

 

あからさまなボディータッチの類はしていないのだが。

確かに色々と育っているミラーディアに対しては、セクハラの回数が多くなっているかも知れなかった。それは返しに殴られたり踏まれたりした回数でもあるのだが。

 

「やっぱ介抱してくる」

 

自分の行動を省みた結果、やっていることは大して違わないことに気付いたジョンは、モーガンのところへ行って介抱し始めるのだった。

もっとも、すぐに衛兵がやってきて、モーガンは神殿の方に運ばれて行ったが。

 

すごすごと戻ってくる赤毛少年を見てやや上機嫌な白ローブ少女は、護衛兼案内を続行するのだった。

 

 



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エヴェリア

エヴェリアは浮かれていた。

ジョンが武術大会に合わせて工場の従業員に休暇を与えたため、彼女は別の仕事に回ったのである。

その仕事というのが、かつてブロンバルド縦断の旅に護衛として連れてきていた護衛カッセルの、武術大会出場支援だ。

 

弱冠16歳ながらイリキシア騎士であるカッセルは、ある事情から昨年の武術大会出場を辞退していた。

その事情というのが、公の場で晒すことができない術を使用するからである。

危険なもので、下手をすると武術大会そのものを潰しかねない。

今回は1年半をかけ、対策を練ったからこそ、参加させようということになっている。

イリキシアとハレリアの友好を民衆に印象付ける良い機会でもあったため、ハレリア側も尽力していた。

 

ところで、フェジョ旧教は星王教の流れをくむ宗教である。

教えを広めた教祖となるのは星王教の祖ケルスス。

当時は全世界の人口が激減していた時期だったこともあり、性モラルに関してはそれほど厳しくない宗教だ。

精々、結婚は処女童貞同士が好ましいとされている程度。

好ましいというだけで、それが絶対ではない。

それでも非処女非童貞を嫌がる感情があるというだけ、星王教や南部のフェアン教に比べると厳しい方と言えるのだが。

 

むしろ厳しいのはイリキシアやノスラントの法律の方だ。

両国ともに人の住める土地が少なく、イリキシアは10万人規模の都市が2つしかなく、ノスラントに至っては2千人規模の小さな町の集合体という有様。

どうしても養える人口には限りがあり、旧ブロンバルドの洗脳戦術によってディーク平原と最大の都市グランディークを奪われてからは、出生制限をかけることで食料問題を乗り切っていた。

それで乗り切ったと言えるのかどうかはこの際重要ではない。

 

問題は今、その出生制限の解除が現実味を帯びてきたということだ。

一応説明しておくと、旧ブロンバルド全土をイリキシアが手中に収めたわけではない。

ハレリアはそれでも良かったのだが、厄介な負の遺産が残された土地を治めるには、圧倒的に人手が足りないという、単純にしてどうにもならない問題が横たわっていた。

 

ゆえに、旧ブロンバルド本国が、イリキシアとノスラントの共同統治という形となる。

ハレリアへの嫌がらせとして洗脳政策を行う端末となる貴族達や、星王教に不都合なデタラメを刷り込まれた聖職者が残されていたが、イリキシアの場合、面倒なものは武力で解決していくことになった。

ハレリアのような平民への殺害制限がないためだ。

 

相手が話し合いの振りをして洗脳することを前提にする限り、迂闊に話し合いもできない。ならば、殺すしかない。

一応、ハレリアから洗脳対策が持ち込まれていたが、それもイリキシアでは限界があったため、選択の余地はなかった。

 

雪解け、つまりもうしばらくしてから、イリキシア軍は旧ブロンバルド本国に攻め込み、平定する予定となっている。

その際、肥沃なディーク平原と北部最大の都市グランディークを取り戻せば、食糧問題が一気に解決し、出生制限が取り払われる可能性が高い。

 

その旨を伝えられたエヴェリアとカッセルは。

 

「……」「……」

 

滅茶苦茶お互いを意識し合っていた。

 

元々、旧ブロンバルドを縦断するという過酷な旅の最中、若い男女が2人きりで、時には息のかかる距離で過ごしていて、一線を超えなかったというのがおかしな話なのである。

もちろん、出生制限をかけている側、貴族がそう簡単に誘惑に負けるわけにはいかないという、意識的な制限もあったのだが。

それでもお互いに我慢が出来たというのは奇跡的な話だった。

 

中世西洋では、宗教的な性モラルの取り締まりが厳しかったというのは有名な話だ。

だがそんな中、民衆は色々と詭弁を使って様々な形で性行為に及んでいたという話もあった。

 

これは基本的に世界共通だったようなのだが、戦場において性モラルなどあってないようなものだったという話がある。

国が抱える騎士や正規兵というのは、戦場における兵士の総数に比べると半分以下だったという。

それ以外はすべてお金で雇った傭兵で、傭兵というのは闇商人や山賊だった。

彼らに言うことを聞かせるには生活を賄うだけの金銭が必要だったが、当時の国にはそんな資金はなかったようだ。

 

そこでどうしたのかというと、1つは公的に略奪を推奨したのである。

つまり、敵国に攻め込んだ先の町や村で略奪を行わせ、傭兵は収奪品を自分の懐に入れて儲け、国軍はそうすることで敵国の国力基盤を破壊して敵を屈服させ、傘下に収めるという目的に近付けることができる。

中世はそうやって戦争が行われていた。

 

戦利品は食料や土地、金目のものばかりではなく、捕えた村人などを奴隷として売り払うことによる収入も含まれており、特に荒くれ者が中心である傭兵達は性行為を行って奴隷に心の傷を負わせてから売り飛ばすことも多かったという。

これは地球の大陸諸国だけの話ではなく、日本においても同様の話が資料に残っているようだ。

 

性モラルに関する問題はもう1つの方。

要するに、多少の性トラブルには目を瞑ったのである。

今でこそ性行為とは男女関係を示すものとなっているが、近代に入るまでは何も男女だけのものではなかった。

 

日本において有名なのは、織田信長が戦場へ行く際に森蘭丸という小姓を連れていたことだろう。

日本の場合は戦場に女性を連れて行くとよくないことが起きると信じられていたという迷信的な理由もあり、戦場で性欲を処理するいわゆる従軍慰安婦の役割を男性が担っていたようだ。

 

西洋において異性関係は宗教によって厳しく定められていたが、同性による性行為は規制の対象外だった。

ゆえに、優男の美男子は同性にもかなりモテたという話も残っている。

 

こうして並べていくと、3ヶ月の旅の中で一線を超えなかったエヴェリアとカッセルの例がどれだけ稀有なのか、御理解いただけたと思う。

生命の危機と胸のトキメキを勘違いする、いわゆる『吊橋効果』をも何度か体験した2人は、お互いに綺麗な部分も汚い部分も見せ合ってきた仲だ。

 

そしてこれはかなり重要なことだが。

 

「エヴェリアさんは公爵令嬢で、平民上がりの騎士であるカッセル君が彼女と結婚するには越えなければならない壁がありますわ。

しかし逆に、カッセル君がそれを越えている現状、両親の公認もあり、結婚への最後の障害はお互いの気持ちのみですのよ」

「――!!」「……!」

 

いつの間にか控室に入ってきた白ローブの女性に言われて、2人は肩を震わせ、顔を真っ赤にして俯いた。

ジョン専用になったミラーディアの後にルクソリス担当のエージェントに復帰した、レベッカである。

胸の大きな妙齢の金髪美女、年齢は23歳。経産婦。

 

「あらあら、ヤッている最中かと思っていましたのに。イリキシアの子は慎み深いのですわね」

「な――ななにゃっ!!」

 

黒髪ロリが何か言い返そうとするが、舌がもつれて言葉が上手く出て来ない。

 

「良いですわね。ハレリア人は免疫が強過ぎて新鮮味に欠けることが多いのが欠点ですの。

恥じらう乙女の姿なんて、ここではとても貴重ですのよ。

この髪飾りもとっても可愛らしいですわ。

あなたの想い人は自慢していい」

 

言いながら、黒髪少女の頭に揺れる黒い兎耳を外し、櫛で長く艶やかな黒髪を梳き直してから髪形を整え、兎耳を付け直した。

 

そして今度はカッセルに目を向ける。

武術大会の出番を待つ彼は、今は全身鎧姿だ。

他の騎士の鎧に比べるとややくすんだ白銀色なのは、それが鉄製だからである。

 

別に対術用に鉄鎧を作ってもらったわけではない。

これがカッセルが本気で戦う時用にイリキシアで作られた装備である。

星王器を使う武術寄りの戦闘員である騎士は、威力の低い単唱器の効果を少しでも上げるために、術の効果を阻害しにくい軽銀(アルミ)製の装備一式で戦うことが多い。

 

だが、カッセルはある事情から逆に術の効果を抑える目的で鉄製の装備を標準着用していた。

 

「カッセル君、あなた達はまだまだ若いですわ。ワタクシ達のように急ぐ必要もないのかもしれませんね。

ですが――。タイミングを逃してはいけませんわよ。今この時がいつまでも続くという思い込みを、神は最も嫌うのですから」

 

説明しよう。

それはマグニスノア特有のことわざだった。

神というのは神族(かみぞく)と運命の両方の意味があり、つまりいつ何が起きるか分からないから、やらなければならないことは先送りし過ぎるな、ということである。

 

現代地球に残る童話や故事ことわざにも同様のものが多数ある。

日本で代表的なものは、『天災は忘れた頃にやってくる』だろうか。

こちらは災害大国ゆえの油断を戒める意味の強い言葉だが。

西洋には『農家は晴れの日にできるだけのことをする』というものがある。

これは単純に昔、天気予報の技術が発達していなかった時代、いつ振るか分からない雨に備えるという意味があった。

 

もっと近い警句として、中世ヨーロッパで流行った言葉がある。

『メメントモリ』という言葉を聞いたことがあるだろうか。

『死を想え』という意味のラテン語で、これは当時の時代背景を語ると意味がよく分かる。

 

日本の中世、近世、最も多く人が死んだのは、天明に起きた富士山の大噴火からなる天明の大飢饉と言われる。

死者数は50万人を超えたそうだ。

 

同年、フランスでも同じくらいの人間が、ペストや天然痘、飢饉、戦争で死亡している。

偶然ではない。

確かに日本の飢饉と直接的な関連はないのだが、偶然などではない。

フランスを始めヨーロッパ諸国では、その1年を切り取るまでもなく、当時毎年のように同じくらいの人数が死んでいたのである。

一説にはこの時期、地球全体が寒冷化し、農作物の不作が続いたからだとする説もあるようだが、今は置いておこう。

 

ともかく、中世近世辺りのヨーロッパでは、死はそれだけ身近なものだったのである。

ゆえに『死を想え』という警句は、いつ死ぬか分からないから、思い残すことのないようにしろという意味も含まれていると考えられる。

マグニスノアで使われる、『神は停滞を嫌う』という言葉に最も近いと言えるだろう。

 

ヒトの身ではどうにもならない、病気や事故などの天災と、超越者にして理不尽の体現者神族(かみぞく)は、いつどんな理由で人から当たり前にあるものを奪っていくか、わからないのだ。

 

だから、自分にやりたいことがあったならば、機会を逃してはならない。

自分を抑え過ぎることなく、時には刹那的な行動も大切であると、レベッカは説くのである。

 

そして、カッセルの出番が来る。

 

 



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次世代

ジョンとミラーディアは、武術大会の最終日、本戦トーナメントを貴賓席で観戦する。

 

「今年は5つの騎士団の長が全員出場します」

「新代総長、東方騎士団『火神(かじん)』ギャリック・スルト・デンゲル」

 

金髪イケメン、白い革の略式鎧の青年デイヴィッドが指差す。

 

その先には30代後半長身の金髪男性騎士。

十文字槍を振り回して、隣の女性騎士に鎧越しに蹴られていた。

 

「南方騎士団『水神』リラ・ガヴラス」

 

デイヴィッドは蹴った小柄な金髪女性騎士を指差す。

持っている武器は薙刀。

日本では女性や僧兵によく使われた長柄武器だ。

年齢は20代後半。

 

「西方騎士団新代『地神(ちじん)』ブルーノ・マロウ・デンゲル」

 

逆隣で豪快に笑っている金髪の小柄ながら筋肉質な男。

20代後半、武器は盾と柄の上下に切っ先のついた槍。

 

「中央騎士団新代『雷神』フレッド・フツノ・デンゲル」

 

大柄な金髪褐色肌のイケメン騎士が、子供のように観客席に向けて手を振っている。

武器は斧槍(ハルバード)

 

「北方騎士団『風神』ロバート・ウェスター」

 

1人、静かに佇む、口ヒゲの金髪中年騎士。

いつもの素槍を持つたたずまいには隙がなく、ベテラン騎士らしくとても様になっていた。

ただ、それだけに哀愁が漂うように見えてしまうのは気のせいだろうか。

 

「見事にまとまりねえな……」

 

ジョンは苦笑する。

 

「5つの騎士団は、それぞれ担当地域の気風に沿った長が選ばれる。

担当地域の住民と親密な関係を作ることができなければ、各地域の守護に支障が出るからね」

「本来各騎士団長の選定はデンゲル家が行うべきなのですけれども。

マディカン家が行っているのが現状なのです。

そのため、デンゲル家はマディカン家の配下と言われることもあります」

「まさかミラーディアは、デンゲル家に騎士団の人事を任せていていいと思っているのかい?」

「まさか。それは二重の意味で危険ですよ」

「危険って?」

 

膝の上でだらける子猫を撫でながら、赤毛少年は尋ねる。

 

「まず、デンゲル家は『武勇』を司る。個人的な強さ以外は求められていないんだ。

だから、ハレリア人以外が当主になる確率も高いんだけどね。

問題は、単独では5千の大軍に300騎で突撃なんて真似をするほど猪突猛進なことが多いということさ」

「……なんてこった」

 

ジョンは唖然とした。

 

「じゃあ、『運送屋』の兄妹はそいつらよりひでえってことか」

「そっちなのかい?」

 

金髪イケメンは眉をひそめる。

 

「ほら、半年前の武具大会でデイヴィッドがボッコボコにやられた野生児ですよ」

「いや、覚えてるから。忘れるわけないから」

「あらそうでしたっけ」

 

今日もミラーディアは嬉々として青年騎士の傷をえぐった。

 

「あの兄妹は、この半年でそれなりにはなっているよ。

身体能力や戦闘センス、それに戦闘の基礎はとても高い。

さすがイヴァン・グラットンと元マディカンの人間が鍛えただけはある」

「で、最低限言うこと聞くように教育できたのか?」

「いや、まあ、もう少し時間がかかるらしいけど……」

「でしょうねえ。つい先程、マーガレットさんに襲われかけましたし」

「知っていて聞いたのか……ジョン君もどうやらハーリア寄りだね」

「そうなのか?」

「割といい性格をしているとは思いますよ。

ただ、嘘を吐くことはしないようなのですが」

「それはそれで扱いやすいということなのかな?」

「それがですねえ。自分の技術がどれだけの影響を及ぼすのか、自分で計算し切れないという大問題があるのです」

 

デイヴィッドとしては皮肉のつもりだったのだが、白ローブの少女は渋い顔で返した。

 

「それはまあ、ハレリア王族ではないから、かな?」

「ちげーよ。俺が技術屋だからだ」

 

赤毛少年は語る。

 

「前世でそれなりに長く生きてた分、仕事上係わることもあってな、行政の話も多少はわかる。

でもな。

そりゃ前の世界の話だ。この世界じゃ俺は16の田舎モンなのさ。

知らねえこともたくさんある。そんなんで大事な判断ってことになると、俺の一存で出来っこねえ。

俺の本職が政治家や行政屋だったらまた別なんだろうがな」

「これは凄い」

 

金髪の青年騎士は膝を叩いて賞賛した。

 

「ハートーン卿と似たことを言うんだね。技術者の英雄は皆こうなのかな?」

「そうなのか?」

「ええ、ハートーン男爵は、内域の統括者という役職を蹴って現場にいるのです」

「『どんな勇壮な戦士も善良なる王も、鉄火場に立てば素人となる。逆もまた然り』」

 

ミラーディアとは別の少女の声が聞こえてくる。

 

「ひゃわっ!?」

 

突如、白ローブの少女の胸が背後から鷲掴みにされた。

 

「ハートーン卿の有名なお言葉ですわ」

「ひぅ、ちょっ、ハル姉様……!」

 

純白のグローブに包まれた繊細な手が、最近ローブの下に隠しきれなくなってきた巨峰の形を変える。

ローブの上から器用に胸の抑えが外され、ミラーディア本来のFカップの実りがローブ越しに晒される。

背後から回された手がそのたわわな丘を下から持ち上げたことで、さらにその大きさが強調された。

 

「あらあらまあまあ、また大きくなりましたの?」

 

細い両腕にかかる乳房の重みから、純白のドレスに身を包んだ少女ハルディネリアは、必死に抵抗しセクハラから逃れた従妹の胸のサイズを口にする。

 

一方ミラーディアは、外れてしまった胸の抑えをローブの袖から腕を引っ込めて、その場で手早く直す。

ものの10秒もかかっていない、早業だった。

それだけに外す方も簡単に外れるような仕組みなのだろう。

 

逃れる際にローブのフードが外れて、ジョンははじめて、2人の顔を見比べることができた。

ハルディネリアはミラーディアよりも全体的な肉付きがいいだけで、骨格などは本当にそっくりだ。

両親が双子同士というから、こういうことも普通に起こりうるのだろう。

 

胸元の開いた白いドレスの、胸の大きさが強調されたGカップの美少女は、少し距離を取っていたデイヴィッドとミラーディアの間に割り込んで座った。

 

青年騎士はさらに距離を開ける。

それは、紳士的な配慮というよりも、ハルディネリアを恐れているから、とジョンには感じられた。

 

「いきなりなにをするのですか!」

「あらあら、いきなりでなければいいのだそうですわ、ジョン様」

「みゃっ!?」「うぇっ!?」

 

この返しには、普段からよく舌の回るミラーディアも顔を真っ赤にして二の句を失う。

おっとりとゆったりしたように見せて、弁舌は的確に急所に刺さる。

こうかはばつぐんだ!

 

「さ、さすがはハーリアの天敵……!」

 

デイヴィッドの呟きが聞こえた時、ジョンは理解した。

 

前から、宰相家ハーリア公爵家の力が大き過ぎるように感じていたのだ。

国内行政を握り、政治力もジョンが知っている日本の政治家とは桁違い。

ハーリア家としての活動は、各地各都市に派遣された白ローブ、宰相府直属のエージェントによるもの。

地域の役所では解決できない様々なトラブルを解決して回るのが通常業務だ。

その影響力は絶大と言えた。

 

ならば、その上に存在している王家、ハレリオスとは一体どのような存在なのか、と。

単に特殊な能力を持っているから王家に祀り上げられているだけで、ハーリアが実質実権を握っているのか。

 

事実はそうではなく、絶大な影響力を持つハーリア公爵家の天敵として、万一の暴走をも抑えることができるから、ハレリオス王家は頂点なのだ。

さらにデイヴィッドの反応を見るに、ハレリアの双頭と呼ばれるハーリアの政敵マディカン公爵家にとっても、天敵として君臨しているらしい。

 

その白いドレスの膝の上には、なぜか二又尾のトラ柄子猫の姿があった。

頭の上を確認すると、いつもそこに陣取っていた子猫リユがいない。

 

「いつの間に……」

「ハレリオスの力は神種にすら有効だというのですか……」

 

ミラーディアの呟きでジョンも気付いたが、子猫は身体を撫でられて気持よさげに眠っているようだ。

 

世にも珍しい神族(かみぞく)の末裔スプリガン種。

それは超越者神族(かみぞく)自身にも再現不可能な、超常の種である。

能力は神族の劣化版であれど、人間を遥かに超える能力の持ち主であることに違いはない。

 

なのにどうだ、ハルディネリアの膝の上で、普通の子猫のように丸くなって眠っている。

 

「ジョン様の警護で、少し疲れていたようですから」

「全然気づかんかった……」

「この辺の意味不明さは、さすがハレリオスなのです」

 

最も付き合いの長いジョンですら気付かないような子猫の変化に気付き、大女のタックルを弾き返す怪力の小動物をわずかな時間で手懐ける。

理屈を超えたその力は、理屈を突き詰めることに特化した他の公爵家の頂点に相応しい存在感を放っていた。

もちろん、突き出た(Gカップ)も。

 

「どうしてか、機嫌がよさそうなのですね、ハル姉様」

「うふふ、わかりますか?」

 

白いドレスの美少女は、少し頬を赤らめ、輝くような笑顔を従妹に向けた。

それはもう、抑えきれない、という喜びの感情を込めて。

傍から見ていてもわかるほどだった。肌などはもうツヤッツヤである。

よほど嬉しいことがあったのだろう。

 

「ん?」

 

そして、この中で唯一の女性であるミラーディアが、変化に気付いた。

 

一般的に女性は男性に比べて様々なことに敏感で、臭いの変化を気にする傾向がある。

それには理由があるのだ。

 

女性は生物として見た場合、子供を守り育てるという、人類が繁栄する上で必要不可欠な役割を担っている。

そのため、子育てに必要な機能として、様々なことへの敏感さと臭いを気にする傾向を獲得していると考えられる。

 

敏感さは、つまり危険の察知能力だ。

野生において他の動物に捕食される危険がある以上、重要な能力であることは間違いない。

そして、臭いを気にするというのは、細菌や毒への拒否反応である。

細菌は増殖すると異臭を放ち、自然環境に存在する毒も異臭を放つものが多い。

 

毒は言うまでもなく、細菌は生殖機能にダメージを与えることがある他、免疫機能が十分ではない赤ん坊にとって致命的な病を引き起こす危険があった。

そのために、より多く子供と接する機会の多い女性は、臭いに敏感なのではないだろうか。

 

逆に一般的に男性は比較的様々なことに鈍感な傾向がある。

野生において男性は、女性や子供のために傷つき、場合によっては命を投げ出すのも役割であり、また自分自身を病から守る必要もそこまで重要ではないため、様々なことに鈍感な傾向があるのではないかと考えられる。

 

だから、この場において唯一ミラーディアがハルディネリアの変化に気付いたのは、ある意味で必然だった。

 

もちろん、臭いという意味で、である。

 

「遊郭なんて、利用はしませんよね?」

「もちろんです」

「お相手はマルファスさんですか……」

「あらあらまあまあ、ばれてしまいましたわ」

 

白いドレスの少女は、それはもう嬉しそうに困った表情を作っていた。

本気で困っているようには見えない。

 

その問答で、さすがに経緯を理解した両隣の男子2人は、黙って目を逸らすしかない。

 

「それはもう、激しい夜でしたわ。思い出すだけで……」

「あーっと、なんかカラフルなローブのやつが観客席に多くねえか!?」

 

誰も聞いていないのにど真ん中アウトな惚気話を始めようとしたハルディネリアのセリフを遮って、わざとらしく大きな声で赤毛の少年は観客席の状況について尋ねる。

それにデイヴィッドが同じくわざとらしく乗った。

 

「ローブは一定以上の術の使用を許された術士の証さ!

黒が半人前、青が星王術士、赤が錬金術師、緑は精霊術士、白は王族六家所属、黄色は呪紋士、茶色は滅多にいないが無所属、あるいははぐれ錬金術師を意味する」

「術士勢揃いってわけか。なんでまた?」

「カッセル君が出場するからですよ」

 

ミラーディアもジョンの話題逸らしに乗って、説明する。

ハルディネリアがやや不機嫌になるが、付き合っていられない。

 

「協定禁呪スレスレの術を使用するそうです。

彼らは万が一の場合の備えでもあります」

「え」

「ただ、興味本位という方も多そうではありますね」

 

彼女が苦笑する視線の先では、白いローブにマントの老女と老人が議論という名の口喧嘩を始めていた。

 

 



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黒い少年

「もし制御に失敗して暴走を始めたことを、どうやって見極めるのかね?」

「貴方が降りて攻撃されれば暴走されているでよいのではありませんか?」

「検証には優秀な観測者が必要だとは思わんか?」

「ええ、これだけ優秀な観測者がいらっしゃるのですから、1人くらい減っても構わないでしょう?」

 

お互い、にこやかな笑顔で火花を散らす。

 

「あらあら、お互い、元気が有り余っているようでなによりですわ」

「……っ!」「げ」

 

白いマントに法衣の老女はとっさに言葉を呑み込んだが、白いマントに白いローブの老人男性の方は遠慮なく、あからさまに嫌そうな声を挙げた。

 

2人の背後から声をかけたのは、白いドレスにマントの中年女性。

 

「ところでエリザを御存じありませんか?朝から宰相府にも姿が見えないのです」

 

ドレスの中年女性は2人に尋ねる。

 

「宰相でしたなら、壁の外の農業区を視察すると連絡がございました」

「農業区?何用だというのだ」

「なんでも、北の方で育てる農作物を選定する作業を視察に行くのだとか」

「ああ、急ぎだと言っていた件ですね」

「農業区はマクミランの管轄であろう?」

「流通はハーリアの管轄でありますわ」

 

ここで、少し離れた場所で聞いていたミラーディアが声をかける。

 

「あー、マリエル叔母様」

「あらミラーディア、デートはどうでしたかしら?」

「エリザ叔母様でしたら、先程(きのこ)取りに行かれたのですよ」

「あらあら、そういえば今もデートの真っ最中でしたわね」

 

少し離れた場所で、ジョンは微妙な顔をした。

 

「話、通じてんのか……?」

 

ちなみに、『(きのこ)取りに行く』というのは、女性がトイレに行くという意味のハレリアにおける言い回しである。

日本で言う『花を摘みに行く』に相当する言い回しで、林業が盛んなハレリアならではの言い方でもあった。

 

日本語では『トイレに行く』という意味での『花を摘む』は、女性が山で用を足す際の姿がそのまま、花を摘んでいるように見えたことに由来すると言われる。

男性の場合は『雉撃ちに行く』となる。

 

他にも『手水に行く』、『御手洗に行く』、『化粧直しに行く』、『はばかり』など、様々な言い回しがある。

直接表現すると、相手がショックを受ける、嫌悪感を持つという可能性に考慮し、婉曲で上品な言い方が考案されたと言われている。

 

なお、英語にも『自然が呼んでいる』、『1ペニー使ってくる』などという言い回しがあり、表現に気を付けるのはどの地域でもそう変わらないらしい。

※ 1ペニーというのは、昔のイギリスにおける有料トイレの使用料である。

 

 

 

「さすがに六家勢揃いなのですね」

 

白ローブの巨乳少女が戻ってきた。

もう1人白いドレスに白いマントの年配女性がやってきて、4人で色々と話し合っている。

 

「ハレリア王族三派六家当主には、公の場ではそれぞれ紋章入りの白いマントの着用が義務付けられている。

ハレリオスは赤い月と黄色い太陽の日食。

ハーリアは黄色い太陽。

マディカンは赤い満月。

デンゲルは赤い皆既月食。

ファラデーは紫色の新月。

マクミランは黄色の金冠日食」

「マジで?俺、てっきり赤い方が太陽だと思ってたぜ」

 

白ドレスの巨乳美女はクスクスと笑う。

 

「民間では間違える人も多いようなのですわ」

 

太陽や月のイメージカラーが何色なのかについては、地球でも地域でかなり違う。

これは各国の国旗を見るとよく分かる。

 

日本は白地に赤い円、通称『日の丸』と呼ばれ、太陽を示していると言われる。

バングラデシュは緑地に赤い円で、同じく昇りはじめた太陽を示す。

台湾は赤地の左上に四角い青、その青の中央に白い円と白い12の三角が配されており、はっきり太陽と分かるデザインとなっている。

ウルグアイは白と青の9つの帯と、左上に黒で縁取りされた黄色い『五月の太陽』が配されている。

 

「まあ、大陸の北方と南方でも違いますから、ハレリアのような文化の中間点で勘違いが発生するのは、致し方のないことなのでしょうね」

「そりゃそうか」

 

ミラーディアの説明に、ジョンは頷く。

 

「そういや、新国王っていうか、新女王か?なんで宰相を探してたんだ?」

「マキナ様が来られるからなのですよ。

武具大会や武術大会を観覧されるかどうか、気分で決める人ではあるのですけれども、今回は珍しく事前通告がありましてね。

こういう時は大抵、ハーリア家当主が応対を任されるのです」

「それだけ、イリキシアの対神族(かみぞく)技術が注目されているということさ」

 

大会の準備は整い、いよいよ試合が始まる。

 

 

 

「続きまして西側、遥か遠くイリキシア王国より参加いたしますは、昨年ご紹介させていただいたエヴェリア・オルナ・ヘール・ボナパルト姫のブロンバルド縦断行をたった1人で警護してきた、勇敢なるイリキシア人少年兵!

麗しのエヴェリア姫と恋仲とも言われる彼の実力やいかに!

そして恋人にいいところは見せられるのか!?

カッセェェェェェル・ヒィィィルゥゥゥゥムゥゥゥゥゥゥッ!!」

 

相変わらずの自称『謎の人物A』ことアウル・ケリックスのアナウンスである。

 

闘技場の東側、対戦相手は白銀の鎧を身にまとった金髪褐色肌の巨漢。

デイヴィッドが説明する。

 

「相手はブランダール・ムニン・デンゲル。先代総長の6男に当たる。

武器は『トライデント』。『ウィングドスピア』の一種だね。

三叉槍(トライデント)の利点は2つある。

1つは高い威力で突き刺しても、抜けなくなるほど刺さり過ぎないこと。

もう1つは、中央の穂先が的を外しても、両側の穂先が相手を傷つける、あるいは突き倒すことができるということ。

単純に攻撃面積が増えると考えればいい」

「うふふ、それではデイヴィッド、先代『雷神』が大槍だった理由や、現『風神』が直槍である理由はどうなのでしょう?」

 

白ドレスの少女が尋ねた。

 

「はいはい。わかったよ」

 

イケメン青年騎士は苦笑しながら答える。

 

大槍(おおやり)はそもそも深く刺さるほど細くない。刺さる前に、腕力か重量のどちらかが負けるんだ。

先代総長の体格に合わせた太さにした結果、深く刺さることへの対策が必要なくなったというところさ。

逆に現『風神』が直槍(すやり)なのは、極限まで軽くするためだ。

彼の足鎧の裏には地面を噛み込むためのスパイクがついていて、胸甲以外はなめし革でできている。

風に乗るために、不要な肉を削ぎ落した分の面積を鎧で補っているらしい。

爪先分の重量でも、彼の速度域では生死を分けると言われている。

そのために、威力が高いと深く刺さりすぎるという問題は度外視されているんだ」

「ほー、さすがだな」

 

ジョンは感心した。

デイヴィッドだけではない。ハルディネリアについてもだ。

特に何気ない質問のように見えて、ある程度はそちらの知識がなければできない内容だったのである。

 

ちなみに、地球においては、ウィングドスピアはトライデントの()に発明された武器である。

マグニスノアでは1千年前くらいまで人間同士の戦争自体が衰退していた時期があり、その関係で武具や戦術の開発が一気に始まったため、開発時期が前後したという事情があった。

 

 

 

試合は、カッセルが圧されていた。

 

「カッセル君の武器は『ハンドアンドハーフソード』。片手半剣とも言われる。

片手剣の一種だけど、頑丈さと重さを求めて大型化した剣でもある。

彼の体格だと、両手剣に等しいサイズだろうね」

 

デイヴィッドが解説する通り、小柄な黒髪少年は今は両手でそれを扱っていた。

 

「でも、見たところブランダール卿を相手にできるほどの腕力も技術もない。

まあ、あの歳で素で互角以上に戦われると、ブランダール卿も面目丸潰れになるだろうけど」

「マルファス君とは比べてはいけないというやつですね」

「私のマルファス様ですもの!」

「はいはい」「はいはい」

 

 

 

相手のブランダール卿は一旦距離を取り、カッセルを挑発する。

 

「その程度で終わりではあるまい?

今、この時において、全力を出し、私を打ち負かすのは君の義務であると知れ!」

「――!」

 

言われて、少年は観客席にちらりと視線を走らせる。

おそらく、警備に立っている兵士に、近衛騎士を示す赤いマントの騎士が混じっているのを確認したのだろう。

もっとも、貴賓席に交じっている灰髪エロドレスの女性1人が、それらすべての備えを上回ってしまうのだが。

 

「なるほど。確かにこれなら止まるか……」

 

呟くと、彼は剣を握り直し、目を閉じて詠唱した。

 

「“運命が(ドゥム・)許す(ファータ・)限り(シヌント・)嬉々として(ウィーウィテ・)生きよ《ラエティー》”」

 

そして、彼我の戦力差は覆る。

 

「さあ、イリキシアの研究がどれほどのものか、見せてもらおうかしら」

 

灰髪エロドレス女は面白そうに呟く。

その視線の先では、一転して小柄な黒髪少年が押し始めていた。

 

 

 

軽銀(アルミ)にしてはくすんだ色の鎧で、地面を蹴って瞬間移動に近い速度でブランダールの眼前に迫る。

 

「オオオオオオッ!!」

 

雄叫びと共に片手半剣を振るう彼の目と肌は、赤い血色をまとっていた。

古代日本人が、北から渡ってきたスラヴ人を別の種と勘違いして鬼と称した説のままに、人外に化身したかのように変色している。

 

「ぬぐっ……!?」

 

その一撃は先程までとはうって変わって、力任せの粗雑なものでありながら、金髪褐色肌の巨漢はわずかに受け損なって呻く。

それからも、まるで体格の差を入れ替えたかのように、ブランダールは防戦一方になった。

 

その攻撃を受けた三叉槍の穂先の1つが折れ飛び、次の攻撃で巨体が大きくよろめく。

それでも金属で補強された柄で受けたのはさすがと言えるが、ここから引っ繰り返すことは、今のブランダールにはできなかった。

結局、武器を破壊されて降参。

 

カッセルは地面に剣を突き刺して、肩で息をする。

すると、肌の色が徐々に元の白へと戻っていった。

試合終了の合図と共に、控室から紺色スーツ姿の黒髪ロリが駆け寄る。

 

 

 

「あらあら、すべてを引き出すには、まだ相手が弱かったようね。

そこは次に期待しようかしら」

 

マキナは呟いた。

 

「カッセル少年の側にもまだ地力が足りなかったようだな」

 

これはヒゲの金髪中年騎士。

 

「あらあら、それでも実年齢17歳としては奇跡的ですわ、アラン」

 

三日月に欠けた黄色い太陽と赤い満月をマントに背負う白いドレスの中年女性、新女王マリエルが返す。

 

「次はあの少年も全力を出さざるを得ないわ。相手が『地神』ブルーノだもの」

 

黄色い太陽を背負うエリザは楽しげに笑った。

 

 



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地神ブルーノ

「なんだ、今の?」

 

赤毛ショタジジイは思わず身を乗り出していた。

ありえないことが起きたのである。

 

「強化術だね」

 

金髪イケメン騎士が言った。

 

「強化術?」

「そう、筋力を強化する術さ。その威力は見ての通り。

大体、5倍から10倍は筋力が上がると言われている」

「そんなすげえ術があんのに、誰も使ってるとこ見たことねえのはなんでだ?」

「それは、戦場であんなことをやったら、自爆特攻になってしまう。

それくらい消耗が激しいんだ」

 

言っている間、闘技場では黒髪少年兵に肩を貸しながら、黒髪ロリが半ば抱えるような形で控室に戻っていくのが見える。

消耗が激しいというのは間違いないようだ。

 

「適性の持ち主もかなり少ないし、制御できるのは5分程度。

使った後は治療されなければ確実に長時間意識を失う。

しかも、あれでもまだハレリアの近衛騎士の方が強い」

「そうですわね。まだ今のマルファス様なら、勝てると思いますわ」

「少なくとも、対神族(かみぞく)用の研究成果とするには足りません」

 

3人がそれぞれ評価する。

 

「でも、何をするのかについて、想像はついたかな。

――本当に、信じられないことを考える」

 

デイヴィッドは何かに戦慄していた。

 

「それで、俺にも分かるように説明してくれよ」

「つまりですね」

 

巨乳白ローブは言う。

 

「精霊を肉体に取り込み、全身の筋力増強に作用させたのです。

分かりやすく言いますと、『魔物』とならないように調整された『憑魔の儀(ひょうまのぎ)』を行ったのです」

「それって、協定禁術とかってやつじゃねえのか?」

 

ジョンは、『魔物』という単語を凄まじく不穏なものとして記憶していた。

 

「自分自身の肉体に使用する限り、『魔物』には至りません。

神族(かみぞく)が動くのは、『魔物』が発生したその時です。

いわゆる、裏技ですね」

「まあ、リスキーなことには違いない。

『魔物』が発生するには、最低でも30日は拘束したまま抑えておく必要があるんだ。

制御を失う前に精霊の取り込みが解除されるように星王器をセッティングしておけば、最悪でも本人が死ぬだけで済む」

「それでも死ぬことがあるのかよ」

「それはまあ、戦いの最中に使用するわけだからね」

「ああ、そういうことか」

 

つまり、戦闘の最中に致命傷を受ければ普通に死ぬということだ。

人である限り、当たり前のことである。人である限り。

人でなくなれば、その限りではないということでもあった。

無論、1年と数ヶ月前のように『魔物』となってしまったなら、人の範疇ではなくなる。

 

「と、まあ、強化術でしたら、ある程度はハレリアでも研究されているのです。

実用化するには、少なくとも中堅騎士が使用した際に、近衛騎士を倒せなければならないという大きな壁がありまして、実用化には至っていません」

「今のを見ても、強化術を使ったカッセル君が近衛騎士を超えているようには思えなかった。

数を揃えれば神族(かみぞく)の『成り立て』に対抗できると宣伝するには、まだまだ足りないね」

「ってことは、まだあの先に何かあるのか?」

 

ジョンは震えを覚えた。

一体、対神族(かみぞく)のために、どれだけのことをやらなければならないというのか。

 

「そういえば、デイヴィッドは予想がついたと言っていましたね」

「自信はないかな。状況証拠を集めて問題なさそうだというだけで……」

 

話している間に、次の試合が始まろうとしていた。

 

「あらあらまあまあ」

 

白いドレスの少女は、次の出場者を見ておっとりと驚く。

 

 

 

「武術大会本戦、1回戦第1試合、東側より。

デンゲル家の要請により参加することとなりました、騎士の身分は固辞し、未だ傭兵。

しかしながら、かつてハレリア軍に雇われ、エムートの守りを任され、20年もの間、空白地エムートを守り抜いてきた、傭兵団『運送屋』の団長『ビッグフット』。

さらにその正体は、なんと今は亡き先代総長グレゴワール卿の直弟子!

イヴァァァァァン・グラットォォォォン!!」

 

『謎の人物A』ことアウル・ケリックスの紹介に合わせて、鎧の下のブ厚い筋肉を強調するように、両手を上げてポーズをとる。

 

鎧は鎖帷子の上から肩と胸と太腿の要所を守る金属板を装着したもの。

変則的なものだが、地球でも武器防具というのは、長く使われると変則的な改造を施されることは少なくなかった。

見た目を揃える必要のある儀礼用でない限りは。

 

武器は左手に胴体を守る丸く大きな盾、右手にその体格に見合った短めの大槍。

胴体部の防御が薄いのは、左手の盾で防御するのが基本だからだろう。

 

ちなみに、盾には削り取られた跡があった。おそらく、かつては家紋のようなものが刻まれていたのだろうと考えられる。

 

「うわー、まじか、大足(ビッグフット)参加すんのかよ。

ていうか、先代総長の直弟子?」

「どうやらそのようです。なんでも、リンドバーグ辺境伯の要請に応じて、信用できる傭兵ということで雇われ、派遣されたのだとか」

「そうそう、奥さんは元々、そのサポートでエムートに行くことになっていたらしいね」

下っ端死神(ゲーデ)か……。そういや、他の連中は見えねえな」

 

ジョンは観客席を見回して呟いた。

 

「ああ、1人はあそこだよ。あの全身鎧の近衛騎士。ミノスと言ったっけな」

「うっそだろ、なんかあると屋根に登って叫びまくるやつが、今まで静かにしてたなんて信じらんねえ!」

「あれは母親が近くにいるから大人しくしているようだよ」

「なら納得だ」

「あらあらまあまあ」

 

当人達をよく知らないハルディネリアは苦笑するしかない。

彼女の知る各家の者達もなかなかに濃い面子なのだが、『運送屋』の面々も負けていないのだ。

 

「残る長男のタロスさんはどうなっているのです?」

「確かに強さは近衛騎士級だったけど、父親と同じく騎士のスカウトは蹴ったよ。

父親の伝手で、マリーヤードで仕官するんだそうだ」

「へー……」

「ちなみに、タロスさんはどのような人物だったのです?」

「とにかく喧嘩好きで、いつも『大足(ビッグフット)』かミノス相手に喧嘩してる奴だった。

戦闘狂ってのかね。それ以外はまだまともだったような気もする」

 

なにしろ5年以上も前の話だ。記憶に曖昧なところもある。

 

「では、兄妹の中で一番まともなのはタロスさんということですか」

「末の妹さんは名前も挙がってないようだけど」

「マーガレットさんには今朝、襲われましたからね」

「ああ、んで、リユに撃退されてビッグフットに連れてかれてた」

「なるほど……」

 

ハルディネリアの膝に座って耳の裏を掻いている二又尾の子猫の怪力は、デイヴィッドも以前目撃していた。

この子猫はスプリガン種という、神族(かみぞく)に近い力を持った種族なのだ。

 

「お、相手は『地神(ちじん)』ブルーノ卿だね。

武器は似ていて、縦長の盾と槍。あの両方が尖っている槍は、『ハスタ』という種類だ」

「現総長の『火神』とも互角と言われる御仁ですね」

「騎士団総長の選定基準は強さの安定性だから、どこへ行っても強い『火神』が選ばれたんだよ」

「へー」

 

両者定位置に付き、試合が始まる。

 

 

 

ブルーノは相手が腰に構える全白銀色の大槍の意味を知っていた。

しかし、そのために躊躇うこともしなかった。

 

「“吠えよ(アボーン)”」

 

一瞬、前傾したブルーノの足元が斜め前に浮き上がった。

1秒か2秒という短時間、人間を浮き上がらせるほどのパワーで石や土を浮かせるのがこの星王術だ。

通常は、拳大の石や5つ6つの砂利を飛ばす使い方をする。

しかし、ブルーノはそれらと異なる用法によって戦術を確立したために、『地神』とされた。

 

その使用法というのが、自分自身を飛ばすというものだ。

もちろん、武術大会で使用が許可されている低級単唱器では、人間を浮き上がらせても20センチか30センチほど。

だが、それで十分な場合というのがあった。

それが、思った方向に勢いを付ける場合である。

 

スタートダッシュ、緊急停止、慣性を無視した方向転換。

単純な機動性では『風神』の方が上であるものの、小回りという意味ではブルーノの方が上回っている。

 

「ぬうううううんっ!!」

 

急加速して迫るブルーノに対し、イヴァン(ビッグフット)は大槍を片手で振り回した。

槍という武器は突きが外れると不利になるため、相手を殴って姿勢を崩させるのが基本的な使用法となる。とはいえ、突きをおろそかにしていいものでもなく、突く必要がある時のために突きを鍛錬するのも武術には必要なことと言える。

 

「“吠えよ(アボーン)”」

 

ブルーノはしゃがんでやり過ごす振りをし、術で一瞬勢いを殺して大男が槍を持った右手の方へと方向転換。

槍を振るった勢いを引き戻す必要があり、通常はここから左手の盾を構えるには、ブルーノに対して下がる動きを取る必要があった。

それはつまり、相手に勢いを与えるという意味だ。

 

戦いというのは何が起きるか分からない部分があった。

相手の体調、なぜか起こる動きの乱れなど、実力がある程度近ければ、そういう運の要素が大きく勝敗を左右することがある。

ゆえに、常勝などというものは、よほど実力が離れていない限り、ありえないことなのだ。

 

だが今回、勝敗の天秤は最初から片方に傾いていた。

 

「ぐっ!」

 

無事最も危険な大槍の穂先が逆側を向いたことで安心していたということはない。

なにしろ、あの常勝を誇った先代『雷神』の一番弟子と紹介された人物である。秘境エムートで何があったのかは知らないが、元とはいえマリーヤード騎士が、環境が多少変わった程度で自己鍛錬を止めるなど、ありえないことだった。

 

だから、攻め込もうとしたところに大槍の石突が飛んでくるのは想定内。

どうにか弾き、攻めを継続しようとする。

 

「“吠えよ(アボーン)”」

 

さらに右手側、イヴァンの背面へ。

一瞬前までブルーノが立っていた場所を、イヴァンの巨体が通り過ぎる。

単に体当たりを仕掛けただけである。通常なら相手を突き飛ばしての仕切り直し。ところが、元とはいえマリーヤード騎士がそれを行うと、小柄なブルーノは数メートルは軽く飛ばされる。

 

「(あのジジイに吹っ飛ばされた時のことを思い出しちまった)」

 

あのジジイというのは、先代『雷神』のことである。

訓練されたマリーヤード人の拳は戦鎚のそれに匹敵すると言われる通り、こういったラフプレイの威力が体格差、体重差のせいで酷いことになっていた。

何より、相手は武術大会で常勝を誇った先代『雷神』の直弟子と言われた男である。

そのタックルの鋭さは、見ただけで分かった。

 

ちなみに、この手のラフプレイは実戦的な武術において、当然の如く使用されるものである。綺麗なものでないことは確かだが、卑怯と言われるほどのものでもない。

 

そして、ブルーノが背面に回ろうとしたところにタックルが来たため、彼の目の前には巨漢の左手にあった大きな盾が姿を見せていた。

 

「(まずい、予想外に組み立てが上手い)」

 

一度間合いを開くことを考える。

最初の加速からの攻勢の勢いは、最早完全に止まっていた。

筋力と体重は相手が上で、さらに技術において拮抗している。

このまま近い間合いで戦うのは不利だ。勝負のあや(・・)を期待して一撃離脱にシフトした方がいい。

 

いいのだが。

 

「(やばい、下がったら術が飛んでくる)」

 

ブルーノの勘が囁いた。

どんな術かは分からないのだが、自分はもう3回も術を使用している。回避が難しい系統の術である場合、そのまま相手に攻勢を許すことにもなりかねない。

低級単唱器とはいえ、術を使うのもタダではないのだ。

 

とっさに彼は判断する。

 

「“吠えよ(アボーン)”」

 

前へ。

本来、マリーヤード騎士を相手に、その懐に飛び込んではいけないとされる。

それは相手が怪力を誇るからだ。組み付かれて勝てた者はほとんどいない。

 

だが、今は目の前に盾があった。

それに向かって蹴りを入れれば、盾が邪魔になって相手からはほとんど見えない。

盾をどかせれば、また槍と槍の戦いだ。ブルーノは攻勢を続けることができる。

 

ただし、それが読まれていなければ。

 

「“ジェノサァァァイ(逆巻け)”」

「しまっ!?」

 

竜巻のような突風がブルーノの身体を2馬身(4メートル)ほど浮き上がらせた。

強力な上昇気流を発生させる、消耗の大きいタイプの術だ。

 

そして、相手を浮き上がらせた一瞬で崩れていた体勢を立て直すと、巨漢は大きく踏み込んで左手の盾を振りかぶる。

 

「“吠えよ(アボーン)”」

 

しかし、ブルーノも反応する。今度は後ろへ。

浮き上がった勢いにプラスして右斜め後ろに飛んだため、盾で殴りつけるのならば空振りするはずだった。

巨漢がそれに反応して投げつけた盾が直撃しなければ、まだ反撃の目はあっただろう。

 

ブルーノ自身は槍の柄で盾を弾いて無事だったのだが、槍が半ばで折れ曲がってしまい、続く大槍の横殴りで完全に折れた。

 

「クッソ~、『鬼謀』のジジイが安心して裏回りルート任せるわけだぜ……」

 

さすがに自分の得物が壊れてなお勝算が残っているとは思えず、彼は両手を挙げて降参の意を示す。

 

「術の使い過ぎでござる」

「わかってるよ」

 

ブルーノは指摘を受け取った。

最後、短時間での術の連続使用による消耗によって、わずかに反応が遅れたために、槍の柄を破壊されるという失態をやってしまったのである。

短期決戦を挑んだ弊害でもある。防戦になった時点で敗北することを覚悟して、術を連発したのだ。

 

だが、お互いに常勝とはいかない相手であるということも、認識していた。

筋力では確かにブルーノが劣るのだが、彼も彼で筋力に勝る相手に努力を重ねてきた高級騎士なのだ。結果から見るほど、2人の差は開いていない。

 

そもそも、100回戦って100回勝つなどというのは、戦闘ではよほどの実力差がない限りありえないことである。

互いに採る作戦の相性が最悪だった場合、または勝負の綾が発生した場合など、多少の実力差ならば覆ることが往々にしてある。

だからこそ、試し合うのだ。

 

短期決戦ながら瞬き1つ許さない激しい攻防を演じた2人に、観客席からは惜しみない拍手が贈られた。

 

ブルーノは一礼し、イヴァンは筋肉を見せつけるようにポーズを決めてから、闘技場を去っていく。

 

 



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ベルセルク兵

「『地神(ちじん)』、負けてしまいましたね」

「こういうことがあるから、武術大会は注目が絶えないんだ」

「すげえな……」

 

ジョン自身、兵士ほど実戦に詳しいわけではないのだが、今の試合で単純にどちらが強いのかというのは分からなかった。

『地神』は決して弱くない。

その二つ名に似合わず高速移動を繰り返し、巨漢はよくそれに反応した。

 

「あの盾投げはビッグフットの得意技なんだ。

あんなデカイ盾をブン投げてこられると、大抵は避けるか受けるかしちまう。

相手が飛び道具持ってても、盾が全部防いじまうし、距離を取ろうとするとそれに合わせてくる」

「『剣盾(けんじゅん)二刀流』というやつですね」

「少し変則的だけど、術対策型の『剣盾二刀流』だね」

「『ケンジュン二刀流』?」

 

聞き慣れない言葉に、赤毛ショタジジイは首を傾げる。

 

剣闘士(グラディエーター)スタイルの発展型でね。

盾を積極的に武器として活用するスタイルなんだよ。

専用に刃物のついた盾なんかも開発されていて、死角のない攻防一体の戦法として広まっている」

「ただし、高い技量を要求されますから、採用している騎士はそれほど多くないとも聞きます」

「二刀流は元々難易度が高いのさ」

 

デイヴィッドは肩をすくめて見せた。

 

二刀流と言うと、両手に武器を持つということで強そうに聞こえるが、かなり鍛錬を積まなければ、両方の剣を別々に動かすことなど不可能である。

理由は、片手で剣を振るった際、人間の体はもう片方の手でバランスを取ろうとするからだ。だから、剣の種類では圧倒的に片手剣が多く、次に両手用剣と二刀流用剣が並ぶ。

二刀流用剣というのは、相手の剣を受け、捕まえて折ることに特化した短剣のことで、西洋では『マンゴーシュ』や『ソードブレイカー』、日本では『十手』が該当する。もっとも、『十手』は片手で使われることが多かったようだが。

 

ちなみに、地球では両手に様々なものを持った武術が存在する。

宮本武蔵が両手に刀を持った例が有名だが、琉球古武術には(さい)という二刀流用剣が存在し、アイルランド神話には槍を両手に持った英雄の物語があり、中国の英雄譚にも斧を両手に持ったり、鞭を両手に持ったりという例が存在する。

 

 

 

試合は進み、いよいよ2回戦。

イヴァン・グラットンVSカッセルとなる。

 

武術大会2回戦では異例の、部外者同士の戦いとなった。

ちなみに、イヴァン・グラットンは元騎士の移民(平民)で、カッセルはイリキシア王国軍所属の騎士という身分である。

 

「始め!」

 

試合開始の合図。

 

金髪褐色肌の大男は大盾と大槍を構えて、じりじりと間合いを詰める。

 

対して黒髪の少年騎士カッセルは、開幕に詠唱を始めた。

 

「“自分を(シービ)支配する(インペレアーレ)ことは(エスト)支配の中で(インペリオールム)最も大きい(マクシマ)”」

 

カッセルの小柄な肉体に、何か虹色の光が吸い込まれていくのが見える。

それを見た観客席は、ざわめいた。

 

デイヴィッドが立ち上がりかけたのを、ハルディネリアが抑える。

ハルディネリアの膝の上の子猫は顔を上げたが、立ち上がりはしなかった。

ミラーディアは何か手を上げかけて、下ろす。

ついでに隣から押し込まれて赤毛少年と肩が触れそうになっていたため、従妹側をやや力を入れて押し返した。

 

ジョンは何かとてつもないことが起きているような予感がして、ざわめく観客と、不安そうに闘技場を見つめている騎士達や術士兵達、それにマキナやハレリア新首脳部にそれぞれ一瞬だけ視線を走らせる。

 

新首脳部である六家の5人(1人は控え室)は落ち着いたもので、新元帥のアランは不安に駆り立てられて走り回る若い伝令兵を落ち着かせるのに苦慮していた。

その内、若い伝令兵はベテラン騎士にゲンコツを落とされていたが。

他、若い騎士の間に数名、武器を構えて飛び込もうとして同僚、おそらく先輩に止められている者がいたが、逆に術士兵は落ち着いていて、赤ローブの錬金術師は興奮気味にざわめいていた。

 

その間に、カッセルの身体は赤黒く変色する。

その姿は、魔法で強化しているというよりも、人間の形をした怪物と言った方が正しいという印象があった。

 

「うむ」

 

金髪褐色肌の大男は、1つ唸ったのみ。

 

カッセルは強化術以上の筋力で地面を蹴り、盛大に砂埃を上げて大男に片手半剣の一撃を叩き込んだ。

それを大男は盾で打ち払い、体ごとぶつかってきた黒髪少年の勢いを上手くいなして逸らす。

 

ジョンには遠目からも全く見えなかった。

あれでは盾で受けるだけでもかなりの技量を要求されるだろう、ということだけは理解できた。

 

カッセルは突進の勢いを逸らされたことで、壁に激突する寸前で壁に向かって垂直に『着地』することに成功し、そのまま再度突進を敢行。

今度は大男は身を低く盾を構え、その外側から大槍による反撃を試みる。

 

ジョンからすると、その構えがカッセルの突進に間に合うことが奇跡のように思えたのだが。

 

「ぬぅん!!」「がぁぁっ!!」

 

2つの咆哮が重なる。

 

大男は大きく低く飛び下がり、カッセルは壁の上の方、観客席に近い位置に『着地』。

さらに攻撃態勢に移ろうとしたが、剣が持っていた右手から離れていることに気が付き、それを拾うために一瞬地面に降り、それからまた突進攻撃を繰り出した。

 

カッセル自身、自分の筋力を完全に制御できているわけではないのだ。

 

ただ、今まではここまで食い下がる者がいなかったのだろう。

時間をかければかけるほど、ボロが出始めていた。

 

とはいえ、ビッグフットの方も無傷ではない。

まともに受けたらしき盾が少し抉られ、肩口を浅く切られていた。

白銀の鎧を着込んでいたのだが、そんなものは超絶な筋力の前に、あってなきが如しである。

 

今度は大槍の穂先で逸らすことに成功していたが、こちらもギリギリだ。

どちらの神経が参るか、集中力を切らすか、という戦いである。

 

4度目、今度はカッセルが弾き飛ばされた。

 

「『シールドバッシュ』……!」

 

隣でデイヴィッドが小さく叫んだ。

 

ジョンにはほとんど見えなかったのだが、どうやらあの速度に合わせて盾殴りを敢行したらしい。

 

盾殴り(シールドバッシュ)』とは、地球にも古くから存在する戦闘技法であり、『剣盾二刀流』の元となった技である。

『シールドスラム』、『シールドチャージ』などとも呼ばれ、上手く決まれば高い威力を発揮する定番攻撃の一つだ。

現代地球においても、機動隊が暴徒鎮圧の際に実戦使用することがある。

ちなみに、それ専用の盾、『スパイクシールド』などもあり、古来から『シールドバッシュ』が戦術として頼りにされていたことが伺える。

 

ただし無理をしたためか、大きな盾がさらに抉られており、角度を気にしなければ盾の役割を果たせなくなっていた。

 

5度目、盾の損傷が大きく、大男が負けるかと思われたその時、当たり前だが誰もが考えなかったことが起きる。

 

「“ジェノサァァァイ(逆巻け)”」

 

大男(ビッグフット)が術を使用して竜巻のような突風を吹かせ、カッセルの突進の勢いを相殺したのである。

ジョンからしてもほとんど瞬間移動しているようにしか見えない突進を5度目にして見切り、それに術を合わせたのだ。

 

『盾殴り』を合わせるのとはわけが違う。

なにしろ、単唱器の詠唱時間よりもカッセルが30メートルを駆け抜ける方が早いのだ。

突進の構えを見てからでは遅い。

突進の構えを取るタイミングから見切る必要があった。

 

いずれにせよ、人間業ではない。

 

「見てから昇竜かよ……!」

 

ジョンは思わず呻いた。

なぜか隣から押されて巨乳少女と肩が触れているのに気付いたため、さりげなく離れる。

 

 

 

術によって突進の勢いを殺されたカッセルは、ヒットアンドアウェイから接近戦に切り替える。

 

足を止めての殴り合いとまではいかないが、大男の方がジリジリと下がりながら、上手く間合いを取って致命傷を避けていく。

そして、ビッグフットからの反撃も行われ始めた。

 

巨大な円盾に幾つもの切り込みが入り、お互いの鎧が双方の怪力によって引き裂かれる。

この領域になると鎧が布きれ同然の役目しか持たなくなり、戦場の常識から逸脱してくる。

何度も食い込む武器も、持たなくなりつつあった。

 

両者傷だらけになりながら戦い続け、そしてほどなく終わりを迎えた。

 

「グガ……ゴォッ……!」

 

カッセルの赤黒い肌に白っぽい色が混じり始め、そこからの攻撃が強化術の範疇を越えたのである。

 

「“ゴォォッ”!!」

 

カッセルが吠えると、大男の動きが突如として鈍くなった。

鎧の破片が不自然に土の中へ潜り、砂埃が急速に収まっているのを見ると重力を操っているようにも見える。

 

その隙に少年は飛び込み、渾身の突きを繰り出す。

 

「“ジェノサァァァイ”!!」

 

そこに、大男の方も踏み込んだ。

自分で起こした突風の後押しを受け、圧し掛かる重力を筋力で跳ねのける。

 

突きは盾を貫かせて逸らし、ほとんど刃が潰れていた槍を杖代わりに、脚を振り上げハイキックを放った。

それは少年の側頭部に命中し、ダンプカーにはねられたがごとく、ポーンと吹き飛ぶ。

 

そして、少年がそれでも受け身を取ったところで、死亡判定が言い渡された。

 

「それまで!

僅差ながら、カッセル・ヒルム死亡判定、よってイヴァン・グラットンの勝利!」

 

地面に膝を付く大男の脇腹には、盾を貫通した片手半剣が深々と刺さっていた。

 

ほぼ相討ち、ということである。

 

 

 

試合の終わりと同時に、濃紺スーツの黒髪少女が控室から出てくる。

 

その顔面は蒼白で、慌てた様子で少年に駆け寄り、闘技場内で処置を開始した。

治療、とは少し違う。

赤黒い肌をしたままの少年を座らせ、その周囲に銀でできた円を組み立て、詠唱する。

 

よく見ると、カッセルは赤黒い肌に血管が白く浮き出ており、それが普通の状態ではないことをジョンに感じさせた。

 

 

 

一方、貴賓席のハレリア首脳部。

 

「あれが『ベルセルク兵』か……。

理論上は可能であると知ってはおったが、数を並べるとなると、適性検査の方法を確立するまでに、数万人を使い潰すことになる。

このハレリアにおいてはそこが難しいがために、断念せざるを得なんだ」

 

白いマントに紫色の新月を背負った老人が呟く。

 

「ハレリア王国でそれが許されるのは、極刑の人権停止となった者に限るのであります」

「そして奴隷降格となった者は神族(かみぞく)への供物となる。

分かっとるわい。……それが真に気に入らん者はルクソリスに残ったりはせん」

「あらあら、ノルドったら、素直にこの国が好きだと言えばよろしいのですわ」

「……」

 

老人は苦虫を噛み潰したような、照れているような、何とも言えない複雑な表情をした。

歳の差はあれどマリエルが苦手というのは間違いないらしい。

 

「とはいえ、彼らが未熟なのか、技術が未発達なのか、問題は山積ですな」

 

ヒゲの中年騎士が神妙な顔で評した。

 

「伝令の教育も含めてね」

「ははっ、確かに」

 

エリザに指摘され、アランは渋い顔をする。

 

彼らが見ている前で、魔導術の儀式が行われ、血管の白い変色が赤黒く戻り、それから元の白い肌へと色が抜けていった。

 

黒髪少女は自身もフラフラになりながら、意識を失ったカッセルの身体が倒れるのを受け止める。

しかし、そこで力尽きたらしく、共に地面にへたり込んだ。

 

そんな2人を、自分で腹から剣を引き抜いた大男が両脇に抱え上げ、控室に戻って行く。

観客席からは、惜しみない拍手が送られた。

 

 



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進まない関係

「ありゃ、一体どうなったんだ?」

 

ジョンは、誰にともなく尋ねる。

 

「『魔物憑き』は知ってるかな?」

「ああ、一応な」

「アレは、精霊力が過度に集中することで精霊汚染が発生しているんだ。

人の密集地に発生することから、昔は『街の瘴気』なんて呼ばれていたらしい。

症状は、正気を失って暴れ出すこと。

その際、なんでも脳に異常が発生して、筋肉の保護を行わずに暴れてしまうから、すぐに筋を切ったり骨を折ったりして、肉体がボロボロになってしまう」

 

デイヴィッドが説明を始めた。

 

「精霊汚染の程度が低いと、適性のある人間は短時間だけ『魔物憑き』の筋力を制御することができる。

その現象を利用したのが強化術だ。

短時間だけで解除するように星王器に仕込み、しかも使い手が筋力に慣れていれば、肉体を破壊せずに立ち回ることだってできる。

それが強化術の仕組みさ」

 

軍事の専門家であり、さらに術士兵でも騎士でもあるため、彼はある程度のことを知っていた。

 

「精霊汚染の程度が深い場合、術のような現象が発生して、取り押さえるのが妨害されることがあるらしい。

それは治癒術だって使えるかもしれないってことでね。

生身で取り押さえる際は、手足を切ったり折ったりしても油断ができないそうだ」

「確か……『魔物』を発生させる際、地属性の術で拘束する他に、洗脳術が通じたりしますよね」

 

頬を引き攣らせつつ、ミラーディアが呟く。

 

「正解よ」

 

赤毛ショタジジイを白ローブのフードを被った巨乳少女の方へ押しつけるように押し退けつつ、灰色髪のエロドレス美女が座った。

 

必然的に、逆側から押されていたミラーディアとジョンが、肩と腰が触れる形で密着することになる。

 

「あらあらまあまあ」

「ハル姉様っ、押さないで!ひゃぁっ!?」

「うふふふ」

「何年生きててもコイバナっていいものねえ」

「ああ、シリアスがどこかに行った……」

 

それまで真剣に語っていたデイヴィッドが頭を抱えた。

 

 

 

「このマグニスノアで使われている魔法というのは、すべて精霊を利用しているわ。

ああ、地域や時代、説によって、妖気とか魔力とかって言う呼び方もあるけれど、その辺は長くなるから割愛するわね」

 

マキナは説明を始める。

 

この間もジョンとミラーディアは密着させられていた。

さすがに本格的に危ない恰好になっているわけではないが、服越しに身体の柔らかさ、体温や体臭を感じているだけでも、年頃で憎からず思っている相手と密着しているというのは、かなり心臓に来るものがある。

 

しかも、逃げようとしても魔法か何かの力で抑えつけられた。

カッセルの重力っぽい術を、ビッグフットは持ち前の筋力で跳ね除けていたが、ジョンは鍛冶仕事で鍛えているとはいえ、非力なホワーレン人である。

 

「なんか、ミラーディアの体温がめっちゃ上がってるぞ、大丈夫か?」

「大丈夫ですわ。気絶しましたら、デイヴィッドが抱えて行きますもの」

「……まあ、やれと言うのなら」

 

ハルディネリアの的外れな返答に、デイヴィッドは苦笑で返す。

 

「説明を続けるわよ」

 

マキナは目の細かい四角い穴の無数に空いたパッチワーク模様の長手袋に包まれた手を叩いて、注意を引き戻した。

 

「魔法というのは、この精霊にエネルギーを与えて活性化し、ある種の信号を与えて様々な現象を引き起こす技術よ。

その関係上、生物の体内に作用する治癒術や洗脳術と、とても相性がいいわ。

ただ、魔法の種類によっては、精霊を直接体内に取り込むことになるの」

 

ジョンは少女の柔肌をローブと服越しに感じ、なかなか話に集中できなかった。

 

「今回の場合重要になるのは、体内に入った精霊がどう振る舞うか、ね。

第1段階、体内の精霊の量が一定を越えると、血液から脳に到達するわ。

そこで、その生物に強力な破壊衝動を与えると共に、脳機能の幾つかを停止させるの。

停止される脳機能の1つに、筋力のリミッターが含まれる。

この第1段階が『魔物憑き』よ」

 

密着させられ、声も出さずに震えていた少女から、力が抜けていく。

気絶したようだ。

それを感じ取ると、ハルディネリアは身体全体で圧し掛かるように押していた従妹のぐったりした身体を逆に引き寄せ、頭を白いドレスに包まれた自分の膝に載せた。

 

そこにいた虎柄の子猫は、入れ替わるように赤毛ショタジジイの頭の上に駆け上がり、居場所を主張するように座る。

 

「『魔物憑き』の第一症状には個人差があってね。

まずは破壊衝動の程度。完全に、物理的に精神を支配されてしまうまでの時間。

それと、もう1つは脳機能停止の順番よ。

問題は、物理的な支配に達するまでの時間が長くて、最初に筋力のリミッターが停止される場合。

筋力のリミッターを解除した状態で、自分の意思で動くことができる時間が存在することになるの。

コレを利用して戦力化しようとしたのが強化術というわけ。

彼は、活性化した精霊の活動を全身の鉄装備で抑え込んでいるわね。

そのおかげで、ある程度は完全に正気を失うまでの制限時間を延ばせるようよ」

「じゃあ、あの色はマジで鉄装備だったからなのか……」

 

ミラーディアが気絶したことで、ジョンもマキナの説明に耳を傾け、まともに頭を回すだけの余裕が出てきた。

 

「洗脳術が通じるってのは?」

「洗脳術の中の、『憑依支配』ね。

あれの原理は、術者と直接脳波を繋げて、リアルタイムで思考の結果を書き換えるというものなの。

つまり、破壊衝動に支配されていても、洗脳術者が判断の結果を書き換えてしまえば、その行動の制御はできるというわけ」

「どブラックだな……」

 

赤毛ショタジジイは呟く。

 

「ふふ。やっぱり面白いわね、あなた達」

 

マキナは一瞬驚いたような顔をして、それから優しく微笑みを浮かべた。

 

「今は一方通行だけれど、好きになった相手は間違っていないわ」

「恋愛に間違いなんてあんのかい?」

「ミラーディアの勘に言っているのよ。

この子の期待通りの相手なんて、一生見つからないと思っていたもの」

 

彼女はそれから説明を続ける。

 

「エヴェリアとカッセルは、お互いが近くにいないと生きていくのが難しいくらい惹かれ合っているわ。

こっちは両想いね」

「惹かれ合うのは素晴らしいことですわ」

 

ハルディネリアがうっとりとした表情でつぶやく。

 

「ただ、肉体関係はまだね。

イリキシアは食料が制限された土地だから、あまり子供を増やせないの。

逆に、燃え上がる時はド派手でしょうね」

「ああ、いいですわねえ……」

「……」

 

ジョンは複雑な顔をした。

遠慮なく恋愛の深い話を聞かせてくる2人に閉口したというのもあるのだが。

 

イリキシアの出生制限は、国家として死活問題で、窮地に立たされていたことを意味していた。

旧ブロンバルドは、イリキシア本土に攻め込むことをしなかったが、それでも十分以上にイリキシア王国を追い詰めていたのである。

ミラーディアは『発展してもらう』と言っていたが、イリキシアからすれば、かつての国力を取り戻すというのが正解だろう。

 

「ハレリアに限らず大抵の国の星王術士は、教育の一環として1度だけ『魔物憑き』を体験させるわ。

目的は、ただ言葉で危険性を教えるだけでは、『魔物化』まで踏み込む子が出るからよ」

「それで、はぐれ錬金術師が『憑魔(ひょうま)()』の研究を避けるってことか?」

「その通りよ。

ジョン君が『魔物憑き』の戦力化について懸念していたことは大正解でね。

技術的にはハレリアでも可能は可能なのだけど、幾つかの理由で研究を進めることができないの。

その1つが、精霊によって精神を破壊衝動に塗り潰していく感覚が、ほとんどのヒトにとって受け入れ難いものだから。

だから、適性検査用のデータを集めるだけでも、死刑囚や人権停止の判決を受けた人間が、数万人必要になるわ」

 

研究に数百年かけるとすれば、死刑囚が1年に数十人出なければならない計算になる。

ハレリアは特に平民を死刑にする法律がなく、人権停止されると神族(かみぞく)に研究材料として捧げられるため、人員の確保の問題で研究は限りなく不可能に近かった。

 

「それでイリキシアの出生制限ってわけか」

「そうよ。イリキシアは食料問題から、そういう人体実験についての志願者がとても多いの。

特にブロンバルドに押し込まれていた時期は、とても食糧のかかる多脚馬(スレイプニール)騎士団は維持が難しくて半減させられていたそうよ。

そして、より少ない数でより高い戦力を確保できる『ベルセルク兵』の開発に踏み切った、というわけね」

 

ただ非人道的な人体実験が行われていたわけではない。

それを必要とする土壌が、分かっていてもやらなければならない理由が、イリキシアには存在したのだ。

 

「でも、さすがにアレが完成というわけではないわ。

準備時間が長い上に、『憑依支配』の届く範囲から出ると制御を失う。

『魔物憑き』の状態で精霊術を使うと1段階強化されるというところまでは知っていたようだけれど、『成り立て』に届くほどではないし。

何より、剣術がまだまだ拙いわね。

お互いに15歳では仕方がないのかもしれないけれど。

まあ、自力で『魔払いの儀』ができるというところは評価しようかしら。

『魔物憑き』戦力化の最低条件だし」

「全体的にひでえ評価だな」

「それだけ発展途上ということよ。

本格的に研究を始めたのも数百年前のようだし、さすがに技術的に未完成な部分も多いわ」

「数百年か……きっついな……」

 

ジョンは呟く。

数百年もかけて開発してきた軍事技術を、まだまだ未完成と断じられたのである。

 

戦争が人類の文明を発達させてきたという説がある。

現代地球の文明を支える様々な技術は、軍事技術を元にしているのは有名な話だ。

ただ、それも十分な国力と経済力を持っている場合に限る。

十分な予算と資材を確保できなければ、さすがに軍事技術を急速に発展させるのは難しいということだ。

 

というのも、軍事技術というのは基本的に、国家という最大組織が必要に迫られて準備するものだからである。

時として一定の国力や経済力を犠牲にすることもあるが、そういった判断を行うのも国家でなければできないことだった。

ゆえに、軍事技術というのは潤沢な予算を投じて開発されるのが常であり、それゆえに発展する時は急激に発展し、時としてそこで開発された技術が民生品に転用されるということもある。

 

これが、戦争が文明を発展させてきたという、大まかな理屈である。

 

ならば国力と経済力に制限を受けたイリキシアのような国が、必要に迫られて軍事技術を開発したならば、どうなるだろうか。

答えは、どうしても予算に制限がかかり、何かを犠牲にしなければならなくなる、だ。

 

「結局、その辺がエヴェリアとカッセルがハレリアに送られてきた理由ね。

ハレリアの技術力で『ベルセルク兵』の問題点を解決したいし、表向きの軍事同盟、ブロンバルドを巡る周辺諸国の同調も重要なこと。

ハレリアの国土拡大制限そのものは想定外だったようだけれど。

後、ついでにあのじれったい2人が危険な旅でくっついてほしいというのもあったようよ」

「最後のはいらんかった……」

 

ジョンは渋い顔でうなだれた。

 

「洗脳術で理性を飛ばしてしまえば、することはするようになると思うのですけれども」

「エヴェリアが洗脳術のエキスパートというのがネックねえ。

『憑依支配』はそう簡単な技術ではないわ。

あの2人の場合、カッセル側がエヴェリアを信頼して、わざわざ鍛錬までして抵抗をゼロにしているけれど、エヴェリア側も『魔物憑き』を制御しつつ自分で動き、『魔払いの儀』までやり遂げるというのは、ヒトの身では相当な鍛錬が必要よ。

遊郭で『理性停止』を使っている程度の術士では、術が跳ね除けられてしまうかもしれないわ」

「結構真剣に考えるんだな、そういうこと」

 

赤毛ショタジジイは苦笑するが。

 

「あら、ジョン君自身も当事者ですのよ。

こちらはこの子が自分でお膳立てを頑張っていますから、外野が手出ししていないだけですわ。

触ってみますか?」

 

ハルディネリアは、膝の上の従妹のローブの胸元をひょいと指で広げる。

衆人観衆の前、さすがに見えるほど広げたりはしなかったが、いつの間にか下着の戒めを外していたらしく、解放された膨らみによってできた谷間が強調されていた。

 

「なんでそんなとんでもねえことやりやがんだよマジで」

「ハレリア王族が大体こんな感じで、奥手のミラーディアが特別なだけよ」

「ここにできた王国が訓練されてやがる……!」

 

ジョンはさりげに形を変えるたわわな胸を目に焼き付けつつ、頭を抱える。

 

 



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リディヤの休日

武術大会の翌日は休み、都合3連休である。

一応、仕事に響かないように、最後の日は宿舎でゴロゴロしているように伝えたものの、工場で教えてきた弟子達が皆若いため、なかなか不安もある。

 

パッとしない顔の小柄な赤毛少年転生者ジョンは、朝食後工場の建屋へ向かっていた。

工場の建屋は資材搬入と動力、水確保の都合で、火内(ひうち)2区と土内(つちうち)1区の間の大通りに面した外側、運河の手前に建てられている。

より内側の貴族区に近い場所にあった以前の工房からすると、宿舎からより遠くなってしまっているのだが、今の宿舎が内域工廠の重鎮が集まり交流する場となっているため、多少の不便を呑んででも宿舎を変えられない訳があった。

 

だから、片道1キロの道のりを、えっちらおっちら歩くことになっているのだ。

 

現在、内域はスパイ対策の観点から優れた職人を囲い込む場として利用されている。

元々いた商人達は運河を挟んで外側の水外区に移住しており、交通の利便性からそちらに定着していた。

そのため、現在はルクソリス領主から政府へ、この内域は半ば貸し出されている。

 

だからか、周囲は木造の工房ばかりが目立った。

ハレリアでは林業が盛んなため、建物は基本的に木造だが、中には木の柱とレンガや漆喰を混ぜたものもあり、防腐塗装なども合わせて、特に外域では赤白黒の色とりどりの建物が並ぶ。

 

内域は大抵が木造の平屋。

鍛冶工房、鋳造工房は酸化アルミニウムが混ぜられた、白っぽい耐熱レンガの煙突があるから分かりやすい。

さすがに火を扱う工房を木造にはできないため、薄茶色の土壁か赤いレンガ造り。

それ以外は黒い防腐剤が塗られた木造で、例外的に役所は白い漆喰を塗られた2階建て、そして神殿が木製の柱に赤い耐火剤を塗り付けた木造家屋である。

 

赤い耐火剤は、マリーヤードで栽培されているフネンという木の葉をすり潰して抽出したもので、最初はオレンジ色だが、酸化して表面に皮膜ができると鮮やかな赤に変色する性質がある。

この赤は金属化合物の酸化によるもので、900℃の高温にならなければ発火しないという性質があった。

 

ちなみに黒い防腐剤はハレリアで植林されているボフンという木を乾留した際に採れる液体(木タール)である。

乾留というのは、要するに加熱して炭にするということだ。

その際に分離する液体を利用するというのは地球でもよく見られるもので、乾留液、またはタールという名前で呼ばれ、様々に利用されている。

 

子供の姿などはない。

いるとしても役人の服を着ていたり、未熟な術士を示す黒いローブを着ていたり、何らかの仕事を与えられている者ばかり。

そして、外見が子供だからと言って、本当に子供だとは限らない。

 

ついこの間、領地に1人派遣される調停官、白ローブの幼い少年を見かけたが、なんと実年齢は22歳だという。しかも、その幼い外見年齢が警戒されにくいことを認識して利用しており、なかなかやり手の調停官として活躍しているそうだ。

 

 

 

工場の建屋に到着する。

工場と言っても、今のところは空圧動力を使った工作機械のある工房に過ぎない。

 

この建物の主である赤毛少年は、なんとなく各機械の点検を始める。

別に今日は休みなので、明日弟子達の練習がてらもう一度行うことになるのだが、本当になんとなく、意味もなく彼は点検を行っていた。

 

「そういや、前の世界でも、休日になんとなく来て機械の整備とかしてたっけなぁ……」

 

そんなことを呟きながら、旋盤の木製カバーを開き、軸受けの削れ具合をチェック。

 

この軸受けはホワイトメタルという銅合金でできている。

(スズ)を主成分に銅を10%混ぜたもので、耐摩耗性を持つ、軟質で低融点の合金であるため、すべり軸受けに使用される合金として相性がいい。

1839年にアイザックバビットという人物が発明したためバビットメタルとも呼ばれるこの金属を、丸い輪に鋳造し、水車動力によって動くドリルで加工、紙に接着剤を塗って砂をまぶした紙ヤスリで仕上げたものとなる。

 

紙ヤスリは、ハレリアで作られている紙では強度が不足しており、すぐに破れてしまうため、麻布で代用している。

接着剤の質が悪いせいか、折り曲げようとすると割れてしまうのだが、なんとか騙し騙し使用していた。

 

軸受けに専用の金属を使用しているのは、軸受けも軸も、使っている内に摩耗してしまうからである。

硬い金属を使用すればいいと思うかもしれないが、今度は加工の手間と強度との戦いになる。

軸として丸く加工するのと、それに合った穴を空けるのとでは、断然軸として加工する方が容易であるため、軸を硬い金属、軸受けを軟らかい金属で造るのが常識である。

ただ、現代地球では、より接触面積が少なく、滑らかに動く転がり軸受が発明されており、特に回転速度の速い部分にはそちらが使用されている。

 

いずれも定期的な点検、整備が必要であることに違いはなく、今は弟子達にその方法を教え込んでいるところだ。

もちろん、軸受けの製法も合わせて。

 

 

 

一通り目視点検を終えて、休憩室から設計室の様子を見る。

滑らかに加工された、板ガラスの天盤を持ったテーブルに、設計図や強度計算書を収納するための棚が並んでいる。

もちろん製図用の道具、各種定規やコンパス、コンテにインクや白紙の紙なども常備されている。

 

大体はジョンの手製で、ルクソリスへ来てから1年半で作り上げてきたものである。

マンガン鋼にクロムを混ぜて錆びに強くした鉄合金を作るのに、アリシエルの手を借りたりして、それなりに苦労して作ったものだ。

マグニスノアに製図用具がなかったわけではないのだが、単位の正確性に欠ける上に、大抵は木製のため、使っている内に削れたりして直線や円が不正確になってしまうため、自作することにしたのである。

 

今は、それを使って赤ローブをまとった青髪少女が、書きかけの図面にコンテと定規を手にうんうん唸っていた。

 

「にゃあ」

 

虎柄の二股尾の子猫リユが赤毛少年の頭の上に駆け上ってくる。

工房にいる時も、工場にいる時も、邪魔にならないように建屋には入らないのだ。

その間、どこにいるのかは知らないが。

やはり、しゃべらないだけで人間と同じかそれ以上に知能があるのだろう。

セクハラ発言など、下手なことをしゃべると小さな前足ながら信じられない怪力で殴られるし。

 

ジョンは書きかけの図面を覗き込むと、少し顎に手を当てて考え、休憩室に戻ってお茶を入れてきた。

 

ハレリアには『ムチャック茶』のような特殊なものを除くと、『トー茶』と『カー茶』の2種類の茶葉が流通している。

どちらも、お茶という文化がハレリアに入り込んできた600年前に、東壁山脈の麓に作られた専用の農村トトカカ村で栽培、品種改良が行われたもので、それが今は大陸中に広がっており、それぞれ異なる効能で人々に重宝されている。

 

『トー茶』は気分を高揚させる作用がある、塩辛さを持つお茶。

興奮剤というほど効き目が強くないのがポイントで、不意の恐怖に判断力を鈍らせにくくなる効果があると重宝されており、兵士や衛兵に好まれている。

処理の仕方は発酵させる紅茶タイプ。

 

『カー茶』は逆に気分を落ち着ける鎮静作用のある、苦みのやや強いお茶。

やはり効用は弱く、鉄火場などでささくれ立った気分を落ち着けるために、職人や役人が好む傾向があった。

処理の仕方は発酵させない緑茶タイプ。

内域の休憩中に飲むといえば、大抵これだ。

 

苦みを打ち消すために、好みで蜂蜜を入れることがあり、特に年齢層の低いこの工場では、イーザン平原の穀倉地帯で飼育されているハリントビーという蜜蜂から採れる蜂蜜が常備されている。

蜜蜂は農作物の授粉を助ける益虫であり、ハレリアでも古くから取り入れられていた。

 

青髪少女リディヤは蜂蜜入りのカー茶が大好きで、休憩時間になると必ずここへ飲みに来る。

 

「口、出しちゃダメ」

「代わりにお茶を出すぜ。ほら」

「む……」

 

そこでお茶の香りに気付いたらしく、少女は顔を上げてお茶の入ったコップと敷物(コースター)を大人しく受け取った。

 

何をやっているのかというと、自力で設計図を書こうとしているのだ。

つまり練習である。

慣れているジョンなら、間違いも簡単に指摘できるとはいえ、途中なのに横から口を挟んでいては練習にならない。

だから、練習の(・・・)やり方(・・・)、あるいは設計図(・・・)を書く(・・・)際の心得(・・・・)を教えることにしたのだ。

 

単に知識があるだけでは出てこないものがある。

 

「脳味噌が疲れた時に休憩すると、休憩時間中に考えがまとまるってことが結構あるんだ。

経験則だが、これがなかなか馬鹿にならなくてな。

だから、体力仕事じゃなくても、1時間とか1時間半で10分休むってサイクルを採用してるところが多い」

 

近代地球、ドイツ出身の科学者にアウグスト・ケクレという人物がいる。

彼は芳香族と呼ばれる化合物が持つ特殊な化学式、いわゆるベンゼン環の提唱者である。

その際の話が、『ケクレの夢』として逸話に残っている。

 

それによると、彼は大学の教授として教科書を執筆している最中に、ストーブの近くでうたた寝している最中、3匹の蛇が互いの尾を咥えた形の夢を見て、炭素原子同士が互いに結び付いた六角形の、現代地球でベンゼン環と呼ばれる形を思いついたのだという。

 

他にもアルキメデスが風呂に入った際、溢れ出るお湯を見て、複雑な形状の物体の体積を計測する方法を思いついたという有名な話も、見方を変えれば休憩中にアイデアが閃いた事例の1つと見ることができる。

 

現代地球における脳科学では、休息時に目を閉じるなどしてボーッとしている時にこそ脳が最大限に活性化しているとされており、ボーッとしている時の方がアイデアを閃きやすいという、科学的な根拠があるようだ。

 

「あ」

 

お茶を飲んだリディヤはしばらく机に頬を押し付けてボーッとしていたが、唐突に声を挙げると、頭を起こして猛烈に図面を描き始めた。

 

完成図を添削したジョンは、実はそれが何なのかよく分からなかった。

鋳物用の坩堝を加熱する炉のようにも見えたが、なぜか燃料を燃やす燃焼室と床の間に隙間があり、柱で浮かされている。

その隙間が何なのか、何のためのものなのか、よく分からなかったのだ。

 

後にその設計図を元に作られた装置が、ジョンが持つ異世界の知識、経験と合わさり、マグニスノアの歴史を変えることになるのだが、この時の赤毛ショタジジイはそこまでは考えていなかった。

 

いくつもの歴史を作ってきた異世界転生者と並び称される『御巫(みこ)』の頭脳は、伊達ではない。

 

 



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ハレリア人のルーツ

「昨日はすみませんでした。相談したいことがあると聞いていたのに……」

 

巨乳白ローブの少女は設計室で深々と頭を下げる。

ちなみにここは工場に隣接する休憩室とは別に作られた設計室で、ジョンとミラーディアは2人きりで話し合っていることになる。

 

すっかり定位置となった赤毛少年の頭の上に乗っている、二股尾の子猫を除けば、だが。

 

「『体調管理も仕事の内』って普通だったら言うんだけどなぁ。

なんか、アレルギーみてえな熱の上がり方だったから、心配したぜ」

 

体調管理を完璧に行おうとしても、どうしようもない病気というものがいくつか存在する。

1つは遺伝関連、母体からウィルスをもらっていたり、癌になりやすい、あるいは臓器が弱い体質など。

もう1つはアレルギー系、食物アレルギーは言うまでもなく命に係わるし、現代地球でもアレルギー物質がどの食品に入っているのかなど、完璧に成分を表示できるのは先進諸国くらいなものである。

それらとは別に化学物質過敏症、シックハウス症候群、花粉症など、様々なアレルギー疾患があり、中世レベルのハレリアでは、発覚しても治癒が間に合わずに死んでしまうなどという事例もたまに耳にする。

 

「アレルギーというのは、ある意味言い得て妙ですね」

 

形のいい眉をややひそめつつ、彼女は語る。

 

「ハレリア人のルーツは、星王神話の『混沌の夜明け』の話に登場する神造人間リリアーナから始まります。

そもそも『混沌の夜明け』というのは、それまでマグニスノアの各地で多発していた『魔物』がそう簡単には発生しないようにする、複数の神族(かみぞく)による大儀式『混沌の夜明け』が完成するまでを描いたものです」

 

道教の『破天荒』、日本神道の国産み神話、ギリシア神話のカオス、フィンランド神話『カレワラ』のイマルタルなど、地球上の創世神話の中にはあらゆるものが混ざり合って区別がつかなかった状態、いわゆる『混沌』という概念が存在する。

 

しかしマグニスノアにおける星王神話には、そういう『混沌』の概念は存在しない。

神話に登場する重要な大儀式の名前として、ある人物が洒落た名前を付けただけであり、基本的に『混沌』の概念とは無関係である。

 

「大儀式『混沌の夜明け』は、『魔物』の原因となる瘴気の不活性化を行うもので、一時凌ぎに過ぎないと言われています。

維持に少なくない労力がかかるようで、永遠に維持し続けるというわけにはいかないのだそうです。

そこで、ヒトの側を改造し、『魔物』が発生しないように、瘴気に耐性をつける方法が考案されました。

その結果、生み出されたのが神造人間リリアーナ。ハレリア建国王シドルファスの妻にして、ハレリア人の始まりです」

 

ミラーディアは話を続ける。

 

「そのリリアーナは、全世界にその遺伝子を行き渡らせるという使命を持っていました。

そのために、母体としてはかなり丈夫で、身体能力が高く、性欲が強かったと言われています。

おかげで、生涯に31人の子供を作ったとか」

「ちょっと待ってくれ」

「はい?」

「そのリリアーナってのは、誰が作ったんだ?」「にゃ?」

 

赤毛少年の疑問に、彼の頭の上で我関せずと寝そべっていた虎柄二股尾の子猫が顔を上げて首を傾げた。

 

「確かスプリガン種ってのは、神族(かみぞく)でも再現できねえ種族だから、神族(かみぞく)が直接管理してるんだろ?

だったら、それまでに長年かけて交配してきたとか、リリアーナってのがスプリガン種の里から連れて来られたってことにならねえか?」

「面白い着眼点だとは思いますが、連れてきたのが『蛇王の遣いスティーナ』様ですからね。

神族(かみぞく)と同じとは考えることができないと言われています」

「『蛇王』って、『星王』と対になってるって、アレか?」

「はい。

神族(かみぞく)の間でも解釈が割れているそうで、存在と行動原理が確定している以外はまったく謎なのだとか。

どうも、『蛇王』自身は、不老不死の方式が神族(かみぞく)とは異なると語ったことがあるようです」

「はー……」

 

赤毛ショタジジイは感嘆の溜息を吐く。異世界はまだまだ謎だらけのようだ。

 

「話を戻しますよ。

神造人間リリアーナには、もう1つ重要な性質がありました。

ヒトというのは不思議なもので、文明や文化が発展すると、性欲を抑制する傾向が強くなります。

それまでは必要になれば神族(かみぞく)の洗脳によって解決していた問題なのですけれども、神族協定の成立に伴ってリリアーナから始まる新人種への直接的な干渉を控える方向に、神族(かみぞく)の行動指針が転換されることになりました。

そこで、『蛇王』は保険をかけたのです」

 

少女は少し俯き加減に、しかし冷めた顔で言った。

 

「つまり、ハレリア人の5人に1人くらいは、少し気になった程度の異性に接触するだけで、『肉体が作り変わる』と言われるほど、強烈に反応してしまうのですよ。

それを『血が求める』とか、『惹かれる』とかいう言い回しをします」

「あぁ、そんなことも聞いたなぁ……」

 

ジョンは呟く。

ミラーディアと顔がそっくりな彼女の従姉、ハルディネリアが以前言っていた。

 

「でもよ、じゃあ逆になんで今まで大丈夫だったんだ?

そもそも遊郭とか行かねえから、溜まってたりしねえのか?」

「なかなか踏み込みますね。まあいいですけれども。

私の場合ですが、ハル姉様の影響か、レズっ気があるのです」

「ホァッ!?」

 

赤毛少年は変な声を上げた。

 

「アリシエルは気付いていないようなのですが、普段からハル姉様にお相手していただいていまして。

そのせいで、『遊郭に通わない異端児』なんて言われることもあるのですね」

「マジか……」

「突発的に危なくなると、エヴェリアさんにちょっかいをかけて発散していたのです。

最初の異性を殺してしまう可能性は、無いわけではありませんからね」

 

ミラーディア側でも、そこのところは気を付けていたのである。

 

「マジでキマシタワーだった……」

 

少年は頭を抱えた。

 

「まあ、気を付けていたせいで、今のこの、困った状況が生まれているのですけれども」

「困った状況?」

「失礼」

 

白ローブの巨乳少女は、おもむろに少年の手を取る。

まだ若いとはいえ、日々の仕事でゴツゴツしており、細かい傷も無数にあった。

 

多少は神殿へ行くなり、ミラーディアやエヴェリアに治してもらっているとはいえ、特にエムート時代やナンデヤナ時代、まともな道具もないこの時代の技術に慣れていない時期がなかったわけではない。

そのため、大小の切り傷や火傷痕が手を中心に幾つか残っていた。

顔も鍛冶焼けでやや黒くなっており、逆に手袋をしている手は白く、手袋が途切れている肘のところが褐色になっている。

 

そんな手を白く繊細な指先が触れて、包み込むように握る。

 

相手は妙齢の美少女で、ジョンは同性愛趣味があるわけでもない健康な若者。

よく近くにいてもスキンシップなどはほぼない環境で、異性から手を触れられるというのは、なかなかドキドキした。

 

「やはり、大丈夫ですね。

これでダメでしたら、本格的にマキナ様にお願いする必要がありましたが」

 

ミラーディアが言っているのは、つい先程自分で説明した、『肉体が作り変わると言われるほどの強烈な反応』が発生しないことについて、である。

ジョンは言われて、今彼女がその実験をしたのだとすぐに気付いた。

 

「なんか、裏技か?」

「ええ。薬で反応を抑えています」

 

彼女は少年の手を放して頷く。

 

「症状がいつ誰に出るか分かりませんから、ハーリア家が抑制剤を開発していたのですよ。

特に外交官などは、仕事中に重要人物との接触を避けるというわけにはいきませんからね」

 

ただ、とミラーディアは続けた。

 

「その薬は『エロストップス』。鎮静系ですが、麻薬の一種なのです。

副作用は長年の研究によって可能な限り抑えてはいますけれども。

それでも、常習性と禁断症状の抑制は完全ではありません。

長く使い続ければ続けるほど、強い禁断症状が出ることになります」

「麻薬か……」

 

感慨を込めて呟く。

 

その響きは、現代地球の日本ではアウトローの象徴だった。

麻薬と聞くだけで拒否反応を示す者も少なくない。

 

ただし、麻薬には禁止されているものと規制されているもの、規制されていないものの3種類が存在することを知った上で議論する必要がある。

 

禁止されている麻薬の代表格は、最初は万能薬としてドイツのある製薬会社から売り出され、社会的な大問題を生み出すまで放置された。

快感、精神的依存、身体依存のすべてが最高レベルという、危険なその薬物は、今なお全世界中に蔓延し、多数の死者を生み出し続けている。

『ヘロイン』。

ギリシャ語の英雄を意味する言葉を冠した、史上最悪と言われる、現代における麻薬のイメージを形成した薬物である。

 

規制されている麻薬の代表格は、麻酔薬と呼ばれ、医療現場で患者に投与処方される薬物となる。

全世界で様々な効能のものが開発されており、興奮剤、鎮静剤などが存在する。

『モルヒネ』などが医療利用される麻薬としては代表的だろうか。

 

規制されていない麻薬の代表格は、お酒と煙草(たばこ)である。

もちろん程度によっては中毒となる場合もあり、消費抑制のために税金が課せられ、20歳を基準に制限されているのを規制と考えることもできなくはないが、致死量を特殊な資格なしに合法的に入手可能、という意味では、規制などあってないようなものとも言える。

 

中世における麻薬の用途は、主に宗教儀式と苦痛の軽減である。

宗教儀式としては、幻覚作用によって大いなる存在をより身近に感じやすくなるという作用に期待してのもの。

苦痛の軽減としては、病人や怪我人の苦痛を軽減する作用、鎮静剤としての効果を期待してのもの。

 

ただし、現在のように蒸留したり成分調整したりする技術がなかったため、成分が含まれた植物を燃やして煙を吸ったり、少量を口から摂取させたりしていたようだ。

そのため、『ヘロイン』や『コカイン』のような副作用、禁断症状などが生じることは少なかったと考えられる。

 

ミラーディアが使用したものは、医療用に拙い技術ながら800年以上という長い時間をかけて開発されてきたもので、性欲や極度の興奮状態を抑制する、鎮静剤としての効果を持つようだ。

 

「本来は私のようにならないように、ある程度の年齢に達すると、異性への免疫をつけさせるため、遊郭へ通うことを推奨するのだそうです。

そこまで強く言われるわけではないですし、少々時間をかけて慣れていくことで、反応を抑えることもできなくはないのですけれども」

「あー……把握した。つまり、ミラーディアなりにゆっくり身体を馴らしてたわけだ。それを……」

「そういうことです。

背中越し、服越しでの接触だったとはいえ、長時間密着していたものですから、一気に反応が起こってしまったのですよ」

 

少女は渋い顔で深々と溜息を吐いた。

 

「ただ、予想外に事態が早く動いてしまいまして、ゆっくり時間をかけている暇がなくなってしまったのも事実なのです」

「ん?」

「それでですねえ、いっそのこと、強壮剤を飲ませて今押し倒してしまえって言われることもあったのですよ」

「強壮剤?」

「マクミラン印で生産しているもので、主に腹上死を回避するために使用されるものです。

『ホジュース亀の煮凝り』や『バジリス蛇の牙毒を煮詰めたスープ』なんて有名ですね」

「そんなのがあったのか」

 

日本では(マムシ)の毒や(スッポン)料理などが有名だろう。

腹上死、いわゆるテクノブレイクの主原因は強すぎる快楽による心臓停止であるため、強心剤、強壮剤といったものが有効なのである。

 

「まあ、今まで男性とそれほどスキンシップを取って来ませんでしたから、オスを感じることに免疫が少ないという自覚はあったのですよ。

16歳で結婚適齢期とはいえ、なにしろ経験がありませんから、私が自分を制御できずにジョン君を腹上死させてしまう可能性についても自覚していました。

なにより、一度経験してしまえば、過剰反応に馴れるという話も聞いていましたから、いざという時にはそうするのも視野には入れていたのです。

ですが、その……」

 

そろそろ、ミラーディアの話が言い訳めいてきていた。

 

「ええ、まあ、散々他人を煽ってきておいてなんですが、結局、踏ん切りがつかなかったのです……」

「わかった、わかったから、な?

こういうのは焦って急にやろうとしたって、上手くいかねえもんなんだ。

ミラーディアはミラーディアのペースでやればいいさ」

 

少女は頷く。

 

「……わかりました。とりあえず、ジョン君が持つ(・・)ように肉体改造するための薬物を仕込んだ差し入れは、完了するまで継続しますね」

「その話、詳しく」

 

最後の最後に、とんでもないカミングアウトが飛び出してきた。

今まで彼女が何かと持ってきた差し入れは、ほぼすべて少年の貧弱な肉体を、性的な意味で強靭に改造するためのものだったようだ。

 

どうやら、ハレリア王族というのは予想以上にエロに強い一族らしい、と赤毛ショタジジイは認識を新たにするのだった。

 

 



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会議

同心円上に建設された巨大都市の中央。

リリアニン川の中洲には、2種類の敷地があった。

1つはハレリア王国の中枢たる王宮、もう1つが星王教の総本山たる星王大神殿。

 

古代ギリシアのパルテノン神殿を思わせる、白亜の石材を積み上げて様々な彫刻が施された、古びた荘厳な巨大神殿。

 

否、積み上げた、という表現は正しくない。

なぜならば、一枚岩を神族(かみぞく)の力でこの形に成形しているからである。

現代地球の技術では不可能な、魔法のある世界ならではの力技による建造は、1000年もの間の風雨災害によく耐える建物を実現して見せた。

 

もしも一枚岩の家があるとすれば、それは鉄筋コンクリートよりも遥かに強く、長持ちすると考えられる。

実際に地球においても、人工物は100年もすれば老朽化し、保全や建て直しを要することが多い。

しかし、石に刻んだ文様や天然石を削り出して作られた遺跡などは、数千年前のものが現在もその形を残している。

場所によっては、野外に存在する岩に描かれた古代の絵が、数万年も消えずに残っているのが発見されているほどだ。

天然の洞窟などが数万年ではきかない年月を経て存在し続けている事実も、天然石の強靭さを物語る話に加えていいだろう。

 

内部には意外と小さな礼拝堂の、右手には主に病気の治療室、左手に治癒術の研究室があり、奥には物置などの準備室が設置されている。

礼拝堂が小さいのは、星王教の教義にある『神よりも隣人に目を向けよ』という言葉によるものである。

つまり、祈るよりも先に困っている人間を助けろ、ということだ。

そのため、ハレリアでは特に神に祈るという行為は軽視される傾向があった。

 

ただしこの星王大神殿、本当の主は地下に居を構えている。

 

広いとは言えない暗室、黒い卵を中心に半円状に並べられた凹凸なく磨かれた白い大理石に、7人の姿が映し出されていた。

 

「ヒトの世界では、半年後に、少なくともベルベーズの各王を集めて会議を開くようじゃ」

 

白い髪とヒゲに埋もれた老人が、各々に語りかける。

 

“妾も話は耳にしておるぞよ。

マリーヤードはワリモリにて集まる方向であると”

 

最初に答えたのは、巨大なアフロの褐色貧乳少女『亡者の女王レブラ・デビルゾロウ』。

鮮血で染め上げたような赤いドレスは、細い布を肩から提げて腰の紐で留めたようなデザインであり、少し動かすと褐色の艶めかしい太股が大胆に足の付け根まで露出するようになっていた。

今は室内で椅子に座って足を組んでいるだけだが、屋外で風などが吹けば大変なことになるだろう。

ベルベーズ南部担当の協定管理者である。

 

“吾輩『大帝クリストファ・バシファネルド』は出向くことを宣言するのである。

かように面白き催し、ジジイを通しての事後報告で済ませるなど、我慢ならぬ!”

 

今度は白髪に蒼い瞳の、金色で縁取りされ、装飾が施された黒い鎧姿の老人『大帝バシファネルド』。

ベルベーズ北部担当の協定管理者である。

 

「ジジイはお主もじゃろうに」

“空気の読めぬ頑固ジジイめ!”

 

2人の老人は睨み合う。

 

“その国際会議に集まり、ナグルハの話をしたい”

 

そう言ったのは金髪長耳の美少年『妖精王オロバス』。

ベルベーズ大陸東部、東壁山脈の協定管理者である。

東壁山脈は中部がノシツキ湾によって分断されているが、その両方を担当する。

 

“なるほど、ただの転換点にしちゃ面白くなりそうさね”

 

こちらは短い黒髪の小柄な女性『死の女王レイア』。

真っ黒い、ボロボロなイブニングドレスに身を包んでおり、言葉遣いと所作に勝ち気で荒っぽい性格が滲み出していた。

ロマル大陸北部担当の協定管理者である。

 

“ナグルハより、この私が代理として行かせていただこう。

説明も二度手間となろうが、事の当事者ゆえに行かぬわけにもいかぬ”

 

これは銀髪褐色肌の青年『教皇ラウム・マグナス』。

領域の担当者が休眠中であるため、代理として出席している。

ロマル大陸南部、ナグルハ大半島担当の協定管理者『鴉の女王ゴモリ』の代理である。

 

“ゴモリはしばらく出て来ぬか”

 

骨と皮だけのミイラのような風貌の老人が、渋い表情でしわがれた声を発した。

白い法衣をまとい、紫色の袈裟を首からかけている。『僧王ケタリ』。

ロマル大陸西部からワジン列島までを担当する協定管理者。

 

“いずれにせよ、ヒトの国の線引きについては私に一任されておりましてな”

“放っておけ。あのねぼすけ娘め、このような面白き行事を見逃したことを後悔するがいいわ”

 

黒髪褐色肌の半裸の大男。『黒陽エジャリ』

筋肉が浮き出ているものの、見た目の年齢は50代とかなり年配である。

ロマル大陸東部担当の協定管理者だ。

 

協定管理者というのは、神族(かみぞく)達を治める8人の王であり、大雑把に区切られたそれぞれの地域での、神族協定関連のトラブルを解決する最終責任者である。

 

“私からも、相談事がある”

 

『私』が声を発すると、場が静まり返った。

黒い卵が緑色に明滅する。いずれの石板(スクリーン)にも姿はない。

 

“このたびの転生者について、できれば皆の意見を聞いておきたい”

“そやつについて、詳しい者は?”

 

ケタリが尋ねる。

 

「ワシと、オロバスじゃな」

“私はルクソリスへ寄った時に、少し観察した程度だがね。

なかなか面白い者だったよ。確かに転生者に相応しく、我々にはない発想の持ち主だ”

「職業は技術者じゃ。ジョン・ヘホイ。

エルバース山脈東端エムートの出身、ホワーレン人じゃな。

後は、そうさのう……」

 

老人がもっさもさのヒゲを撫でる。

 

「ハレリアの流通を破綻させうるモノを作っておる」

“ほう……”

“確か、ハレリアの流通といえば、我らの無茶振りにかなり耐えうる仕組みであったはずだが……”

 

エジャリが口にしたのは懐疑的な言葉ではあるが、彼を含めた全員が期待に目を輝かせている。

彼らにとっての表情というのは、顔文字のようなものである。

性質上、無意識に表情を浮かべるということはありえず、顔は個々の見分けを付けるのと、感情を『見せる』ための道具の1つになり下がっているのだ。

 

つまりこの時点で、この場にいる全員が会合に直接出向くことが決定した。

 

 

 

内域区から運河を一つ挟んで内側にある、貴族区の一角、宰相府。

 

「工場で何作ろうか相談したら、宰相府に呼び出された件」

 

赤毛少年が呟く。

 

「ジョン君は、設計図1つでトラブルを引き起こしたことを忘れたの?」

 

金髪に白いドレスの中年女性、現宰相エリザに指摘され、ジョンはうぐ、と言葉を詰まらせた。

 

彼が以前に設計した『脱穀機』は、マグニスノアに転生してから最初に作った、本格的な設計図である。

市場調査、よく使われる加工道具、どのような手間がかかるのかなど、様々な情報を設計図に集約していた。

実際はジョンの謳い文句を信じて設計図を買った商人の発注ミスもあったとはいえ、事態が収拾された後に指摘されてようやく気付いたという、失態の前科が彼にはあるのだ。

 

しかも、トラブルの内容がこの時代には異例な作り過ぎ(・・・・)である。

そしてこれから稼働させようとしているのは、異世界の技術を盛り込んで量産能力に特化した施設、『工場』だ。

 

そこで何を作るのか、為政者側が要人を集めて慎重に検討するのは当然と言えた。

 

「それにしてもよ……」

 

少年は部屋を見回す。

 

十数人が集まって議論するには十分な広さの部屋に、椅子とテーブルが置かれた場所。

 

ただ、調度品の類はあまり気が使われていない。

赤い絨毯は古く、剥げてしまっており、会議用の小物が入った木製の棚も、表面に塗られた黒い漆が剥げている。

鉄製の黒いシャンデリアには、蝋燭(ろうそく)ではない、何かの石が淡い光を放っていた。

 

これなら、まだ内域にある役所の会議室の方が立派だろう。

 

「そいういえば、この絨毯もそろそろ30年になるわね。

大体1年ごとに入れ替えてはいるのだけど、使用が激しいせいで傷むのも早い」

「先代は穴が開いてから捨てるようにしていましたな」

 

額から頭頂部が禿げた、白い燕尾服の中年男性、内域工廠の統括者であるファクトル伯爵が返す。

 

ジョンとしてはあまり聞きたくなかった、大国ハレリアの宰相府の内情だった。

 

「ここには権威を気にする人はいませんからね。他国の要人用には王宮で間に合っていますし」

「見栄より機能と実務を優先するのは、ハレリアらしいといえばらしいところだが」

 

紺色役人服の黒髪少女は呆れ顔である。

 

だが、むしろ周囲の人間が彼女を見てやや呆れていた。

 

「あ、戻ってきましたね」「そうだな」

「なっ、言いたいことがあるならはっきり言ってくれ」

「コイビトとの逢瀬は楽しめましたか?」「ゆうべはおたのしみでしたね」

「むぐ……!」

 

エヴェリアは顔を真っ赤にして言葉を詰まらせる。

実際、朝に呼び出されて馬車に乗った時から、ずっと頬を紅潮させて上の空だったのだ。

 

そしてこの反応が、休日の間に何があったのかを如実に物語っていた。

つまり、ラノベで言うと主人公の恋人候補から外れたということだ。

この小説の主人公が誰なのかと言われると、少し考えなければならないが。

 

もっともジョンからすると、落ち着くべきところに落ち着いたという感じである。

相思相愛の2人を引き離して略奪恋愛するような趣味は、彼にはなかった。

ついでに、相手が誰なのか、察することができないほど鈍感でもなかった。

 

「ついにやることをやったか、めでたいことだ」

「なんだかんだ、幸せそうな子らを見るのは気分が良くなりますなぁ」

「うぐぐぐ……」

 

少女はさらに顔を赤くして、俯く。

 

「そ、そんなことより、早く会議を始めないか?今すぐ、そうするべきだ」

 

エヴェリアは耐えかねて話を逸らした。

 

「そうね。からかう気持ちは分からなくはないけれど、時間は有限よ。さっさと本題に入りましょう」

 

エリザは会議を始める。

 

 

 

「議題は異世界転生者の知識で整備された量産設備で作る品物。

第一希望は、転生者であることの証明になるだけの騒動を発生させるもの。

第二希望は、作り過ぎとなっても経済にとって致命的にはならないもの。

以上よ」

「制御できるようなものなのですかな?」

 

ファクトルが尋ねる。

 

「個数制限してくれりゃいい」

 

ジョンが答えた。

 

「量産っつっても、個数制限しちまえば『作り過ぎる』なんてことにゃならねえさ」

「供給量を制限するわけですか」

 

少年は頷く。

普通、この程度は考え付きそうに思えるのだが、中世初期に『作り過ぎ』によるトラブルへの対応ノウハウなど、経験のある者はほぼいない。

あるとすれば貨幣の流通についてだけである。

 

「ま、工場の本質はおんなじもんを数作って、従業員の慣れも含めて設備を特化するように調整することだからな。

あんまり少ないと、工房と何も変わらなくなっちまう」

「ということは、恒常的に数が必要な、いわゆる消耗品を挙げていけばよろしいですかな?」

「ああ、そういうのでいい」

「ところで、まずはジョン殿の世界での心当たりを参考までに教えていただきたいのだが?」

 

略式鎧に似た白い服に身を包む大柄な金髪美丈夫、流通大臣のユウソーロ侯爵が言った。

 

「あっちの世界で量産品っつったら、紙系とか服とかが多い。あと菓子系の加工食品」

「加工食品の系統は、リスクもあるのではない?」

 

これは企業倫理ではなく、国家を運営する者だからこそ出てきた疑問だった。

 

「ああ、手違いで毒みたいなもんが入っちまったら、その日に作ったもんが全部ダメになる。

腐るまでに食っちまう必要もあるしな。もし腐っちまったら、全部捨てることになる」

 

なにしろ、やろうと思えば不特定多数を毒殺することができてしまうのだ。

それが不作為に発生する環境を放置するのは、働ける人間の数(イコール)国力を旨とする国家の為政者にとっては非常にまずい。

食品を巡る『公害』ということになると、治癒術士の数が足りなくなる可能性も出てくる。

 

ジョンとしても、工場の運営に慣れた者がいない内は、そうしたリスクは避けておきたかった。

現代地球でも、異物混入や集団食中毒などの問題は多く発生している。

 

「服や紙は間に合っていますね、今のところは」

「ええ、北西部の山間地で行っている林業にて伐採される間伐材から炭を焼いたり、麦藁などから紙を製造しております。

南東部シドルファン河流域では綿花や麻も栽培しており、マクミランが糸や服を量産する仕事に乞食や浮浪児を集めておりますな」

「そうなんだよなぁ……」

 

以前、そういう話を聞いたことのあるジョンは唸った。

 

地球において、近代の始まりである産業革命、蒸気機関による動力を取り入れた工場で最初に何を作っていたのかというと、糸なのである。

産業革命は紡績業から始まり、多くの失業者を出して多くのトラブルを発生させ、様々に発展し続けていった。

 

ここで糸、服の量産をゴリ押ししてしまうと、現在ハレリア三派六家の良心であるマクミラン家が行う事業を潰しかねない。

そうして路頭に迷うのは、マクミラン公爵家が保護しようとしている社会的弱者達なのである。

ハーリア家が行政を握って好きにしていられるのは、マクミラン家が民衆の不満を吸収しているからという面もあり、ハーリア家としてはなかなかマクミランの事業を潰すようなことができないのだ。

 

だから、ミラーディア達為政者サイドがNOと言ったなら、ジョンとしても無理に推すつもりはなかった。

 

「では、アイデアの列挙に移る。いつもの貴族議会方式ね」

 

この中で最も権限の高い宰相エリザが議長となって仕切る。

 

要するにブレインストーミングということだ。

ネガティブな意見はとりあえず封印し、アイデアを列挙、混合も含めて羅列していく。

 

それから、第一希望を満たすもの、第二希望を満たすものを選り分ける。

さらに一つに絞るために、ブレインストーミングではない手順として、それぞれのアイデアに対してネガティブな意見を羅列していく。

 

そうすると、1つの傾向が見えてきた。

 

「いずれも流通がネックになりますな」

「消耗品には消費期限がある、ということですね」

「唯一流通に問題がないのは……」

「馬車」

「つまり、流通そのものか。面白い結果になったな」

 

そうして、皆の視線が肉体年齢においては最年少の赤毛少年に集まる。

代表してエリザが口を開いた。

 

「馬車、あるいは馬車の性能を改善する、改造用のパーツ。できる?」

 

精神年齢最年長でもある彼は、力強く頷く。

 

「なんとかするとも」

 

 



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ハワードの日記

「余話」と同じく、長いので分離。
順番設定のため1分ズラし。


○○月、○○日

 

俺、ハワード・ウト・ガズ・ハーリアは調停官(白ローブ)としてイーズリーに派遣された。

ハレリア大戦が終結した後、ガランドー王国再建のために派遣された行政顧問団の一員だ。

今回の行政顧問団は、ガランドー王国旧来の支配体制を研究維持してきたメンバーで構成されており、いつでもガランドー王国を再建できるように、血筋の維持も含めて完璧な準備を整えてきた者達だった。

 

俺の役割は、イーザン平野北部にある城塞都市イーズリーでの調停官だ。

 

イーズリーはまっすぐガランドーに至る道と、ザライゼンへ向かう道が交差する交通の要衝で、ブロンバルドによる洗脳浸透でガランドー王国が陥落した後、ブロンバルド王国のハレリア攻めのために城塞都市として城壁が増築された経緯がある。

そして、先の大戦で侵攻拠点として利用され、神族(かみぞく)による洗脳の影響が届いていた場所でもあるため、住民は自決命令によって全員が死んでしまっていた。

 

つまり、エムート経由で連れてきた元奴隷や、イーザン戦役で救出された30万の奴隷兵の何割かを再入植させる必要があるわけだ。

ご丁寧に倉庫に火がかけられ、延焼によって街の5割ほどが燃やされてなくなっていたことから、その辺の再建も併せて行う必要があった。

 

任務を完遂するには、まず人材、次に資材が必要となる。

幸いにして、人材も資材も、ハレリアには豊富に存在していた。

今すぐ人口が回復するということはないが、年数をかければどうにかなる状態ではあった。

 

今回の調停官としての俺の役目は、行政の実戦としては不慣れなガランドー貴族のサポートである。

ブロンバルドによるガランドー侵略は、200年も前の話なのだ。

幾らか想定して、対策を練ってきたと言っても、机上論と実践では違うことも少なくない。

特に今回、洗脳による集団自決などは想定外だった。

 

生き残っているのはハレリア、星王教を邪教とするフェジョ新教の信者や僧侶ばかり。

連中はそれを理由にハレリアを攻撃する過激思想を先鋭化させている。

他の住民が無事に生き残っていたなら賊認定するなり、ガランドー新国王の勅命で処刑してしまえばいい話だが、そうもいかない事情があった。

 

つまり、彼らもこのガランドー王国の古い文化を残す貴重な生き残りなのだ。

ある程度洗脳はさせてもらうが、神族(かみぞく)の洗脳によって刷り込みが行われているため、俺達のようなヒトでは洗脳を上書きするのが難しいのが現状だ。

言葉で説得できるようなら、それこそ俺、『知』を司るハーリア家の出番なんだが、ハレリア人と見た時点で門前払いでは話もできない。

そもそも疑心暗鬼で、知らない人間と会おうともしないしな。元住民であろうが問答無用。

 

まったく、厄介な置き土産だ。

 

俺の目下の仕事は、連中から古い文化を『抜き取る』ことにある。

確かにそれはハーリアの得意技だが、どこまでできるのかはかなり個人差があるということを知っておいてほしいものだ。そして俺は不得意だ。ということは、求められているのはそこじゃないんだろう。

まずは復興。そこには俺も賛成だ。

 

 

 

××月××日

 

ルクソリスから洗脳ツバメの急報が届いた。

神族(かみぞく)や各国の王や宰相が持つ『黒い卵』を除いて、最速の通信手段だ。

 

急報の内容だが、俺がルクソリスへ求めた問題解決のための許可申請に対する返答以外は、こう書かれていた。

 

『工場生産物、馬車に決定』。

 

うん?

ええっと、工場って、アレだよな。異世界転生者が作ろうとしてるというやつ。

工房の凄いヤツって説明なら聞いたんだが、どの程度のものなのかは知らない。

いや、内域工廠で作業速度が劇的に変わったって話は聞いたことがある。

確か、アレも異世界転生者が作った機械なんだよな?

 

異世界の技術を詰め込んだ機械で、馬車を作るわけか。

馬車の方もきっとすごいんだろうなぁ。

……まさか、馬車の『運行表』を塗り替えたりしないよな?

 

……やばい、ありえる。

 

倉庫の再建を急がせよう。輸送網の構築も必要だ。

とりあえず、ハレリア式の輸送網でいいか。合わないなら後で弄ればいい。

周辺から馬と(まぐさ)を集めて……ああ、厩舎も再建しなければ。

 

復興優先だというのはわかってたが、こうきたか。

今度の転生者は、魔法の射程限界を超える弩砲を開発した男だ。

油断できる相手じゃない。

 

それと、ハレリアの流通網を考えると、イーズリーで捌かなければ、ここで大渋滞を起こすだろう。

今はザライゼンもガランドーも、大量の物資を必要としている。

特に食料は、ここで停滞させて腐らせるわけにはいかない。

 

ザライゼンやガランドーの各都市へも、受け入れ準備を優先するように連絡を入れておこう。

あっちで腐らせてたら、何をしているかわからない。

 

 

 

△△月△△日

 

倉庫の再建と輸送網の整備を急がせたおかげで、なんとか間に合った。

 

4頭立ての馬車8台、予定通り2台はここで荷降ろしし、2台が西のザライゼン方面、2台がガランドー、2台がガランドーを通り抜けてブロンバルドまで向かう。

ここではそれぞれ、今まで運んできた馬を交代させる。

 

住民のほとんどが自殺していたということで繋がれたままの馬がかなり餓死していたため、集めるのに苦労した。

イリキシアに要請して馬を分けてもらわなければ、到底足りなかっただろう。

 

御者の話では、ハレリア北国境からイーズリーまでの間に、山賊らしい人影を見かけたという。

彼らは武器を持って野営地で待ち構えていたが、新しい馬車のおかげで野営地を1つ飛ばせるようになったものだから、止まらず素通りしていく馬車に、何もできずに見送っていたらしい。

 

そうか、こっちでは出るのか。

 

ハレリアでは、ゴメス・ゴードン卿が広めた、山賊のアジトに畑を整備して村にしてしまう方法のおかげで、山賊はほとんど出ないのだ。

 

なにしろ、食料は過剰生産のおかげで有り余っているからな。

様々な保存食に加工して、他国へ輸出している。

 

そんな食料を手土産に、討伐ではなく支援するのである。

もちろん、山賊などしなくてもいいように、という自立支援だ。

元々隠れ潜むのに適した場所が、集落、村落になる。

余った食料の有効活用ができる上に、山賊が潜む場所を潰す目の役割も担わせる、一石二鳥の策だった。

 

元々、先々代宰相の発案で、当時は短期間で土木工事を行う工作部隊という発想がなかったために、戦闘の可能性がある地域へ兵士でもない平民を送り込む必要があるという事実がネックになり、一度は没になったようだ。

それが、それを成し遂げる可能性を持った『不戦』ゴードン卿の手勢、メドッソ隊の出現によって、一度は廃案となった計画に再び光が当てられた。

そして計画は練り直されて再始動し、ハレリア国軍各兵団に工作部隊が新設され、彼らの経験値稼ぎを兼ねて自立支援が行われることになる。

 

結果、この10年で山賊はほとんど出なくなった。

計画完遂の立役者であるゴードン卿は、ハレリアにおける知恵者の称号である爵位と、北方国境警備兵団の兵団長という地位が与えられた。

29歳という若さにおいては異例の抜擢である。

 

今、彼らメドッソ隊はザライゼン方面で都市の再建を行っている。

あちらの担当者の話では、下手な役人よりも頼りになるそうだ。

 

 

 

◇◇月◇◇日

 

馬の数が足りない。人員が足りない。

なんてことだ、想定外だった。

 

まさか、『運行表』が役に立たなくなってしまうとは。

今まで、馬車の性能向上から時間を一つ繰り上げる程度の調整はあったんだが、従来の受け入れ態勢では追いつかなくなってしまった。

 

というより、ルクソリスへ向かった馬車に、すべて新型の装置が取り付けられて戻ってくる。

話を聞くと、イーズリーよりもよほど整備されているハレリア国内でも、新型馬車の性能による混乱が発生しているらしい。

 

おいおい、神族(かみぞく)の『馬車1000台分の鉱物』という無茶振りにも耐えきった輸送網だぞ?

あの時はあの時で大変だったが。

 

こちらもこちらで大変だ。

次々と馬車に積まれた物資が届く、その量が尋常じゃない。

今は過剰労働(オーバーワーク)で対処していて、役所に人員と馬をかき集めてもらっている。

 

神族(かみぞく)の無茶振りに対処するための方法で、過剰労働(オーバーワーク)させて治癒術で回復させるというやり方がある。

当然、いつまでもは続かない。

 

神族(かみぞく)の無茶振りは一時的なもので、終わりがあるんだが、こっちは終わりが見えないのも問題だな。

時間が経てば馬車の性能が落ちるというわけもない。

 

宰相には一刻も早く大ナタを振るって収拾をつけてほしいところだ。

 

 

 

@@月@@日。

 

治癒術士が倒れた。

人員が足りない、馬も足りない。馬が疲れて足を折る事例が増えてきている。

倍増しても足りないとは。

 

このままでは破綻する。

俺も対処に回らないと。治癒術が使える以上は、穴埋めできるなら穴埋めしたい。

 

新型馬車は増える。

もうほとんど置き換わってしまった。

新型が出てきてから2ヶ月、3ヶ月だったかな。もう時間の感覚もないが。

 

働き詰めで時間が足りない。

まともに睡眠がとれる時間が恋しい。

性欲が強くて娼館入りした連中が恨めしい。

 

ねむい。

 

 

 

**月**日

 

きがつくと、ベッドだった。

なにをやっていたのか、おもいだせない。

なにもやるきがおきない。

ねむい。

 

スープ、うまい。

 

 

 

◎◎月◎◎日

 

最近、肉や芋の形が崩れてなくなるまで煮詰めたスープが流行っているらしい。

1週間ほど寝込んで、どうにか調子を持ち直した。

 

『運行表』が復活し、色々なところから引き抜いてきた人員が戻っていった。

宰相府から、想定外の事態についての謝罪文が来た。

 

今回の、新型馬車が引き起こした事態を説明する。

いや、新型馬車というよりも、『工場』だな。工房や内域工廠の凄い版と考えていたが、甘かったということだ。

 

実のところ、馬車に代わる画期的な移動手段でも少数生産か、あるいは時間がかかるものに限っていたなら、ここまで酷いことにはならなかったのだ。『運行表』も、騎士などが早馬に乗って駆けるような場合とは切り離して運用されている。

 

当初は旧ブロンバルド領の復興のために、内域工廠で馬車を増産していたらしい。

それを『工場』で改造し性能向上させて、試運転がてら物資を積んでこちらへ回す、という予定だったようだ。

 

しかし、『工場』の試運転が重なったのがまずかった。

『工場』というのは、量産してこその試運転だということで、とにかく用意されていた馬車を2週間ほどですべて改造してしまったという。

 

試運転のための馬車が足りなくなったことで、とりあえずルクソリスの役所で使っている馬車を回して改造し……。

ということを繰り返している内に、1ヶ月ほどでルクソリス全域の馬車が置き換わってしまった。

その改造済みの馬車を他の都市に回して試運転している内に、持ち込まれる馬車が次々と改造されていき、ハレリア全土で馬車の置き換えが発生。

なんと3ヶ月ほどでハレリア国内で使われていた馬車の3割が置き換わってしまった。

今回の混乱はそれが原因である。

 

3ヶ月で馬車を集めた宰相府に呆れるべきか、『工場』の能力に呆れるべきか。

それとも、これでまだ『工場』としては試運転(・・・)の域に収まっているという事実に戦慄するべきか。

 

今、業務が落ち着いている理由は、輸送先の各地各都市の倉庫が一杯になってしまったからである。

消費もされているため、ある程度は稼働しているが、平時運転で問題ないレベルに落ち着いてきていた。

どれほど輸送手段が高性能となっても、輸送先が一杯になってしまったら、常時フル稼働させる必要はなくなる、ということだ。

 

『工場』について、現在は試運転で見つかった不具合を調整するために休止状態となっているそうだ。

もしも本稼働を始めたらと思うと、空恐ろしく感じる。

 

異世界転生者が持ち込んだ概念は歴史を変えると言うが、まさしくこれから生活の様式を一変させてしまうのだろう。

それを予感させるには十分な出来事だった。

 

 



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例の薬

「『工場』の調整が完了しました。本稼働を開始できます」

 

宰相の執務室で、ミラーディアがハレリア宰相エリザに報告する。

 

「了解」

 

金髪の中年女性は報告書を受け取った。

 

「あちらは大変だったそうですね」

 

白ローブの少女は声をかける。

 

「今までよりも遥かに高性能なものを量産してくるとは、さすがに思わなかったということ。

彼が言った個数制限をしても、ハレリア国内では一時『運行表』が破綻したわ。

イーズリーの方は倉庫がパンクして、担当者が倒れたそうよ」

「ハワードさんでしたら、連絡が来た時点で倉庫を増築していそうですけれども」

「増築は間に合ったけれど、それでも足りなかったのよ」

「あらまあ……」

 

ミラーディアは渋い顔で嘆息した。

 

「ただ、本国からの応援はギリギリ間に合ったから、最悪の事態だけは避けられたわ」

「不幸中の幸いですねー(棒読み」

「白々しい」

「首謀者が言いますか」

「あなたも悪よねえ」「お互い様です」

 

他愛のないやり取りをしながら報告書に目を通していた宰相エリザは、自分も渋面を見せて呟く。

 

「残念ながら、行政側の対応はまだ完了していないわ。

とりあえず、ジョン君には3ヶ月後の世界会議についての準備をお願いしておいて。

それと、今回の件を見ても、やっぱり彼が行った後しばらくは高級役人を付けた方がよさそうね」

「引継ぎですか?」

「ええ、1人白ローブを送る」

「了解しました」

 

ついにこの時が来た、とミラーディアは期待と不安が入り混じった複雑な感情を持つことになった。

ジョン専属の調停官として、本格的に動くことになるのだ。

 

「あの薬、『エロストップス』の条件、わかっているわね?」

「過度な接触は控えること。5日に一度は治癒術を使用すること。それから……行為なしに薬を抜く際は、死を覚悟すること」

「分かっていればいい」

 

エリザは目を閉じて頷く。

 

「世界会議が終わるまで、少なくとも3ヶ月から4か月。そのくらいなら持つわ。

でも、それ以上使い続けるなら、治癒術による常習性のキャンセルも効果が薄くなってくる。

禁断症状が致死に達する期限は、2年と言われているわね」

「はい」

 

ミラーディアがジョンには言わなかった、薬の裏技と危険性である。

ハレリア人の強い性欲を強制的に抑える薬。それは劇薬でもあったのだ。

 

現代地球にも、薬物投与による去勢などという医療法が採用されている国があった。

つまり、性欲を感じる部分を薬の作用で不活性化してしまうのだ。

もちろん、代償がないわけではない。

 

そしてこの時代、まだ性欲抑制の代償が軽い薬が開発されていなかったということだ。

 

「ともかく、決断は尊重する。後は自分で決めなさい」

「はい……ありがとうございます」

 

少女はぺこりと頭を下げた。

 

 

 

「……そういうわけで、あっちは大変だったそうだ」

「なんとかなるって判断だから俺も乗ったんだが、あんま何回もはできねえってことか」

 

ミラーディアがいつものように休憩室へ行くと、頭に子猫を載せた赤毛ショタジジイが黒兎耳少女と話し込んでいた。

 

「ちょうどイーズリーの話、で、よろしいですか?」

「ああ、その話だ」

 

テーブルに差し入れの玉筋魚(いかなご)の煮干しを置いてから声をかけると、エヴェリアがそれに手を伸ばしながら頷く。

 

「スケジュールだが、2ヶ月後にイリキシア国王陛下がこちらへ来られると連絡が来た。

1ヶ月前には、私も準備のためにルクソリスを離れることになる」

「カッセル君もですね」

「……そうだ」

 

一瞬、からかわれているのかとも思ったエヴェリアだが、ミラーディアが真顔だったため、思い直して真面目に答えた。

 

「了解いたしました。

こちらは『工場』の方へ新しい白ローブが送られてくるそうです。しばらくは業務引継ぎですね」

「そっか、ミラーディアも世界会議に一緒に行くんだっけ」

「はい。そのまま交渉がまとまり次第、ハレリアに戻って引継ぎの後に王族の位の返上となります」

「え、そうなのか?」

「そうですよ。そのために篭絡策をブロックしていたのですから」

「あ、そうか。そういやそうだったな」

 

赤毛少年は煮干しを食べながら、少し頬を染めて頭を掻く。

晴れて、ミラーディアの恋慕が実るのだ。

 

さすがにここまで来て、彼女の気持ちに気付かないほどジョンも鈍感ではなかった。

 

「ところで、彼女はどうする?」

 

エヴェリアが、設計室に視線を向ける。

 

その中では今、青髪少女錬金術師リディヤがジョンの添削を受け、異世界の製図法を練習しているところだ。

御巫(みこ)』という、異世界の知識を持ち、出現するたびにその時代に大きな影響を及ぼす転生者に並び称される評価を受けているだけあり、真綿が水を吸う如く様々な技術を習得していく。

そういった天才性を発揮するのも、基本的に整った設備があってのこと。

つまり、あまり何度も動かすのは彼女の才能を活用する意味でもよくないのだ。

 

だから、普通はこの内域工廠に置いていくという選択になるのだが。

それはジョンという教師がこの場に居続けることが条件である。

 

「連れて行きます」

「理由は?」

「エルバリアから、父親がやってくる公算が高いからです」

「ああ、そういうことか。

確かに今のエルバリアに向かうことを考えると、マリーヤードのワリモリへ向かった方が道も整っているし、治安面で安全だな。

今は留学生の身分だが、ジョン殿についてハレリアを離れるとなると、今の内に父親に会わせるなり、相談しておいた方がいいか」

「はい。その辺は本人次第となりますけれども」

 

ミラーディアは、自分も煮干しをつまんで口に入れた。

 

「そういや、コレもそうなんだろ?みんなでつまんでるけど、いいのか?」

 

ジョンは煮干しの差し入れをつまんで、巨乳白ローブに尋ねる。

 

ちなみに玉筋魚(いかなご)というのは北半球の陸地沿岸に生息する小魚である。

稚魚が西日本で『新子(しんこ)』、東日本で『小女子(こうなご)』。

成長したものは北海道で『大女子(おおなご)』、東北で『女郎人(めろうど)』、西日本では『古背(ふるせ)』、『加末須古(かますご)』、『金釘(かなぎ)』などと呼ばれる。いわゆる出世魚の一種だ。

 

食物連鎖底辺を支える重要な種で、食性はプランクトンと言われる。

釜揚げ、煮干し、佃煮、魚醤など、様々な料理に加工されて食卓に並ぶことも多い。

 

近代になり、コンクリートに混ぜる砂の採取のために一部の漁場が壊滅しており、新しい漁法による乱獲もあって、一時期に比べると漁獲量が激減しているという。

 

「いわゆる例の薬というのは、結局は体調を整えるための栄養剤ですよ。

段階を踏んで栄養を調整することで、肉体改造効果があるというだけのものになります」

 

ミラーディアの返答を聞いて、話を知らないエヴェリアは首を傾げた。

 

「例の薬?」

「初夜に腹上死させないために利用している調整剤です」

「ぶはっ」

 

自身もそれなりに食べていた黒髪少女は盛大に咳き込む。

 

「あれか、中国拳法とかで、内功がどうのこうのってやつ。あんまり詳しく知らんけど」

「栄養状態、健康状態が良ければ、肉体の動きや性能、持久力もよくなるという、単純な理屈を頼みとしたものです。

さすがに異世界で何と言うのかまでは知りませんけれども」

 

中国拳法には、食事や薬による肉体改造まで行い、強さを手に入れるという手法が存在する。

他の地域には基本存在しないもので、不老不死を目指す道教系の思想を取り入れているものと思われる。

そのため、肉体改造の目的の一つに肉体の打たれ強さ、持久力や耐久力を高めるというものがあり、確かに腹上死対策として一定の効果を見込むことができると言えた。

 

健康状態が良ければ肉体の動きが良くなり、肉体そのものの耐久力が増すのだ。

それはちょうど、怪我人、病人が外科手術を受けた後、点滴や病院食によって必要な栄養を補給し、自然治癒力を高めることで生活水準を元に戻すのに似ているかもしれない。

内功が普段から自然治癒力を高めるのに対して、外科手術後の点滴や病院食は、怪我の後に一時的に自然治癒力を高めるということだ。

この自然治癒力、生命力という抽象的な言い方をされることもあるものは要するに健康状態であり、一定より低いと手術による肉体への負担だけで死に至ってしまうこともあった。

普段の健康状態というのは、いざという時にそれだけ大きな影響力を持つのである。

 

現代的に言うなら、サプリメントと言っていいかもしれない。

 

「まあ、他の人が食べてまずいようでしたら、差し入れという形ではなく食事に盛りますよ」

 

と、ミラーディアはさらに自分で煮干しを口に放り込んだ。

 

「……」

 

ジョンは微妙な顔をする。

自分の食事に薬を盛る話など、あまり聞いていて気持ちのいいものではないのだろう。

 

この辺りは、やはり価値観の違いかもしれない。

ミラーディアは、神族(かみぞく)に勝手に記憶を覗かれたり、記憶を弄られたりするのが当たり前の環境に適応してきたのである。

知らない間に食事に薬を盛られる程度は、覚悟し慣れていた。

 

転生者であるかどうか以前に、平民と王族とであまりにも生活環境、教育環境が違い過ぎる。

 

ジョンが何も言わずに堪えていられるのは、やはり一度死んだ身だからだろうか。

死を経験すると、それだけヒトの意識は変化するのだ。

 

「(ま、俺だけの話だからな……)」

 

指摘した方がいいのかどうか少し考えあぐねていたが、彼は結局流すことにした。

 

「そういや、猫って例の薬大丈夫なのか?」

 

定位置、ジョンの頭の上から降りた二又尾の子猫が煮干しを噛んでいるのを見て、赤毛少年は呟く。

犬類や猫類は、人間にとっては単なる食料、薬にもなるようなものがダメだったりするのだ。

有名なところで、イカ、ネギ、チョコレートなど。

それぞれに独特の習性があり、もちろん価値観も異なるため、飼育する場合は注意が必要である。

ある意味、異文化への入り口とも考えられるわけだが。

 

「多分大丈夫だと思います。スプリガン種は、元は人型の種だそうですから」

「ああ、そういやそうだっけ」

 

そんなことに思慮が回るというのは、この少年は案外余裕があるのかもしれない。

 

エヴェリアは子猫リユの頭を撫でながら、そんなことを考えていた。

 

「カッセルって激しそうだし、幾らか融通してもぎゅ」

 

子猫が自分が食べていた煮干しの残りを少年の口に叩き込んで発言を封じた。

 

「……!」

 

それから、最近少年からのセクハラ発言がなく油断していたためか、数秒後になってその意味に気付き、顔を真っ赤にして部屋を出て行くのだった。

 

「あらまあ、久しぶりですねえ、この感じ」

 

ちなみに、エヴェリアは後で散々悩んだ挙句、体調を整える方の薬は幾らか融通してもらうことにしたようだ。

それがカッセルに使われたかどうかは、秘密である。

 

 



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すべては動き出す。

 

ジョンは世界会議のために、マリーヤード王国の都市ワリモリへ。

同行するのはモーガン、リディヤ、ミラーディア。

他、役人数名と護衛の兵士達。

 

イリキシア王と共に、その世話役としてエヴェリア、カッセル。

 

当然、宰相エリザ、国王マリエルも。

 

そして、エルバリア暫定トップとなったリンドブルグ辺境伯が、諸侯に挨拶回りをしつつ世界会議に参加するために出立したことを、『私』は確認した。

 

他諸王もそれぞれ、交通手段の未整備な中、ワリモリへ集結しようとしている。

 

死者1千万人を数えた未曽有の大戦は終わりを迎えた。

しかし、ジョン少年にとっての苦難はまだ、ここからである。

 

むしろ、異世界転生者の技術者としては、ここからが本番であろう。

世界会議での、各地の管理担当者の話し合い次第では、『私』自身も深く係わっていくことになる。

 

『混沌の夜明け』より1千年の節目、また一つ時代は進み、人類の再生は間もなく終わりを迎える。

 

この『マグニスノア』――『魔法の大地』と名付けられたこの地に、『私』が流れ着いて、もう4千年もの月日が流れた。

『私』が新たなる役目を負うまで、まだ長い時間が予想される。

 

しかし、待とう。

『私』に焦りという概念はない。

 

他星系に比べ、特異な事情を持つこの星の生態を、これからも観察していこう。

いつの日かこの『記録』が、『私』の『所有者』となった者の、判断の一助となることを願う。

 

 

 

そして、『萌え文化』の浸食がじわじわと、ベルベーズ大陸全土に広まりつつあるのを、『私』は一体誰に伝えればいいのだろうか?

 

ルクソリス発のこのローカル文化は、ハレリア人の行商人やルクソリスを訪れた貴族一行などにより、ハレリア各地へと伝播。

北部は復興中のザライゼンやガランドー、南部は同盟国ソーレオからセレム、マリーヤードを南下中。

西はホワーレンで広がりを見せており、東はワジン皇国から訪れる使者の荷物に忍ばされている。

 

伝播経路、予測は把握できているが、明らかに異世界からもたらされたこの文化を、止めるべきか否か、誰に相談するべきか、『私』は判断に迷っていた。

 

いや、性欲を全体的に強く設定したハレリア人の他種混血を推進する立場である以上、ある意味手遅れであることは分かっているのだが。

 

ゆえに、こんな事例も予想の範疇にある。

 

 

 

ジョンの工場の、いつもの休憩室。

いつもの、と言うには、既に3度も変更されているのだが、物語内では9ヶ月以上が経過していた。

 

そこに、金髪ツインテールの黒ローブ少女が、珍しく神妙な面持ちでやってくる。

 

「当面はベルナールさんとホレイショさんのツートップで回していくことになりますね。

錬金術師はアリスと、もう1人。役人も補助に2人付けます」

「ほうほう、例の御巫(みこ)さんは?」

「彼女の私用で連れていくことになりました」

 

白ローブの少女と、青年。

 

「回しているとわかると思いますけれど、物凄く資源を食いますから、事前準備が必要不可欠です」

「インフラと組んでこその『工場』というわけか」

「そんな感じです」

 

ジョンが世界会議のためにこの『工場』から抜けるため、打ち合わせを行っているのである。

そこに割って入るのは、今は特にとても勇気を必要とした。

 

しかし、ここで言わなければ、後になるともっと大変なことになる。

それが分かっていたため、アリシエルは勇気を振り絞り、告げる。

 

「あの、ミラりん」

「何かトラブルですか?」

 

ミラーディアは、同家の者の前だからか、やや硬い口調だった。

 

「その、ね……」

 

アリシエルは、少し顔を赤くしつつ、モジモジしながら、深呼吸する。

 

「デキちゃったみたいなの」

 

その言葉を理解するためだけに、珍しくミラーディアは10秒ほど沈黙した。

 

それは、非常に珍しいことに、彼女が激情を表に出した事例となった。

 

「……!」

 

ミラーディアが息を大きく吸い込み、手を振りかぶって、青年がその手を止める。

 

それが信じられなかった。

ミラーディアが感情に任せて、暴力を振おうとしたのだ。

 

止められて、やっと自分で気付いて驚愕した。

 

ハーリア家の高順位者ということは、政治家として高い資質を有するということである。

ならば、本来は暴力一つも計算し尽くされたパフォーマンスの一部であるべきなのだ。

そう教育されている。

 

殴りたくとも殴らず、殴りたくなくても殴れ。

ハーリアではそうした、抑制的な教え方をする。

 

しかし、それがその人間にとってストレスにならないかというと、そんなことはない。

だからこそ、ハレリアでは一定の年齢まで自由を与えるのである。

王族として留まるも、平民として下野するも自由。

 

王族として留まるメリットは、命が保証されない抑圧的な環境と引き換えに、衣食住が保証されるということ。

どのように育てたとしても、耐えられない者は耐えられない。

ゆえに、数を育てて資質を確保するというやり方なのだ。

 

本能を抑圧しなければならない環境に耐えられない者は、必ず存在する。

だからこそ、ストレスを解放する専門施設である遊郭が、ハレリアには存在している。

 

「……」

 

ミラーディアは、がくりと膝をついた。

 

今まで、何度か感情を制御できなくなったことはあった。

しかし、それらをすべて乗り越えてきたつもりだったのである。

 

ところが、今のはハレリアの体制を否定する、やってはいけない事だった。

 

ハレリアは多産混血を推奨する国家だ。

子供ができたなら、それは喜ぶべきことなのである。

 

それを、理由はどうあれ、感情のままに殴り飛ばそうとした。

ハーリア家高順位の者として、やっていいことではなかった。

 

こういう事態を防ぐために、ストレス発散用の施設、つまり遊郭が存在しているのだ。

 

そして、ミラーディアは様々な理由をつけて、遊郭を利用してこなかった。

遊郭を利用せずに済んだ理由の中で大きなものが、「今まで耐えられていたから」である。

 

これからは、もうその言い訳は通用しない。

 

 

 

「あの、面白い娘はアレでええのか?」

「あら、爺様(・・)。面白いとおっしゃるなら、分かっておられるのでは?」

「後の時代にはアレの方が安定するのは分かっとるワイ。

しかし、それは余計なモンが南からやって来ぬ限りにおいてじゃゾイ」

「……まさか、動きが?」

「動きも何も、ワリモリに皆で集まるんじゃ。あやつが来ぬ道理もあるまいて」

「あ……」

 

もちろん、『私』にとっては想定内、というよりも、どうでもいい話である。

 

『私』の目的は、目についたマグニスノア人の個々人を導くことではない。

この星の住人全体の滅亡、荒廃を防ぎ、次点として文化、文明を発展させることである。

 

大きな『イベント』の結末が悲劇に終わろうとも、究極的に言ってしまえば関与することではない。

また、今更歴史に関与するには、『私』の影響力は大きくなり過ぎていた。

 

 



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