江ノ島盾子にされてしまったコミュ障の悲哀【完結】 (焼き鳥タレ派)
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第一幕
プロローグ


私立 希望ヶ峰学園

一等地に巨大な敷地を誇る、政府公認の超特権的な学園で…

全国からあらゆる分野の超一流高校生を集め、

将来を担う“希望”に育て上げる事を目的としている。

誰かが希望ヶ峰学園について語る時、いつも、こんな言葉が付いて回る…

 

『この学園を卒業できれば、人生において成功したも同然…』

 

言っておくけど、これは冗談とか誇張なんかじゃない。

実際、様々な業界の第一線で活躍している人達の多くが

この希望ヶ峰学園の卒業生だし…

 

 

 

そこで僕は電源を入れ直した。間違えてNEW GAMEを選択してしまったから、

何の気なしにゲーム導入部分を読み返してみたけど、すぐに飽きた。

タイトル画面に戻ってLOAD GAMEを選択し、学級裁判の続きを始める。

 

「はぁ、この世に希望ヶ峰学園があれば、

超高校級の“ヒッキー”か“ニート”としてスカウトされる自信あるんだけど」

 

ここは一等地でもなければ超進学校でもない、田舎の団地街の一室。

その日も僕は中古のPSPソフトで、

代わり映えのない毎日を塗りつぶす生活を送っていた。

今、熱中してるのは、「スーパーダンガンロンパ2」。

ベッドの上でボロいPSPを握りしめて反論ショーダウンに挑んでる最中だけど、

一向に先に進めない。

 

「おかしいよこれ!終里の証言、全然斬れないんだけど。バグってたりしないよね。

コトノハは全部試したけど……」

 

改めて所持しているコトノハを確かめる。Lボタン連打で一周したけど全部使用済み。

でも、彼女のキーワードは斬れな……あれ?こんなもんあったっけ。

 

“絶望”

 

さっきまで影も形もなかったコトノハがひとつ。なにこれ。

これで「犯人とバトった」が斬れるとは思えないけど、

他に選択肢がないから、試してみる。

白の証言を切り刻み、終里が黄色のキーワードを発言した所で!

 

“その言葉、斬らせてもらっちゃうよ~ん!”

 

勘弁してほしい。いくら先の見えない展開が売りだからって、

取って付けたような急なキャラ変更は萎える。……うわっ、画面にひどいノイズが。

ソフトがバグったのかな、それとも本体が壊れたのかな。

どうしよう。もうPSP生産してないから新品は手に入りにくいんだよ。

 

とりあえず再起動しようとしたけど、電源が反応しない。

振っても揺すってもノイズが止まない。思い切ってバッテリーを抜こうか、と思った時、

画面から膨大な量の0と1の機械語が溢れ出してきて、僕の目に入り込み、

あっという間に脳を支配した。

 

逃げようとしても身体が動かない。助けを呼ぼうにも声が出せない。

僕は得体の知れない現象に見舞われ、恐怖に全身が凍りつくけど、

すぐに不安からは開放された。次の瞬間には気を失っていたから。

 

 

 

 

 

……ゆっくり目を開くと、ぼやけた視界が徐々に像を結ぶ。

目を覚ました僕は、手術台のようなベッドに寝かされていた。

首を動かして周りを見ると、近くに何かの波形を描くモニター、頭上に大きなライト。

部屋の奥には何かの肉片が入ったシリンダーがたくさん並んでる。正直気持ち悪い。

 

他にも、何かの実験器具や手術道具が置かれているけど、何に使うのかさっぱり。

帰ろう、こんな変なとこ。

ベッドから起きようとすると、何かにガクンと頭を引っ張られた。

その時、異変に気づく。

 

「いってえ!……ん、ん!?ひゃ、何これ!声がおかしい!!」

 

自分の声が、まるで少女のような高音に変わっていた。喉を潰されたのだろうか。

とにかく、頭を引っ張った犯人を取り除くため、両手を頭にやると、

また信じがたい事実に直面する。

僕の手が、やっぱり女の子のように白くて小さなものになってる!?

爪には真っ赤なマニキュアが!

 

思わず両腕を擦ると、いつもの毛むくじゃらの腕はすべすべした色白の細腕に。

それだけじゃない。足も、身体も、完全に女性化していた。

しかもご丁寧にミニスカートや、胸元を露出した派手なセーラー服まで着せられてる。

女装趣味はないんだけど。

 

「一体、僕、どうなって……」

 

少し低めの少女の声と自分の声のギャップに混乱しながらも、

とにかく悪趣味な展開から逃げたかった僕は、

また頭にくっついてる何かに手を掛けて、取り外した。

 

何本ものコードがつながったヘッドギア。

さっきはこれに頭がグーン!てやられたんだな、ちくしょー。

僕がヘッドギアを投げ捨てると同時に、

奇妙な部屋の奥の鋼鉄製自動ドアが開き、誰かが入ってきた。

 

「おい、お前!それは私の傑作のひとつなのだ。大事にしてもらわなくては困る!」

 

医者のような手術衣にマスクを着け、眼鏡を掛けた、髪がボサボサの……

多分高校生くらいの少年。背丈と声から想像しただけだけど。

もしかしたら現状について何か知ってるかもしれない人物に、話しかけてみる。

 

「あの、ここ、どこなんですか。

僕、ゲームしてたらここにいて、なんか身体も変なんです」

 

「変ではない!成功したのだ!

……とは言え、盾子様復活にはまだ進捗率80%と言ったところだがね」

 

神経質そうな少年はコンソールのキーを叩きながら返事をした。

 

「意味わかんないよ。江ノ島盾子は1作目でペチャンコになって死んだよ?

それで、君は誰?」

 

「頭の悪い奴だな、イライラする!死んだから復活させるのだろうが、バカめ!

まあいい、私の名は……」

 

 

○超高校級のマッドサイエンティスト

 

魔空院目白郎(まくういん めじろう)

 

 

「よく聞け!俺は物理屋だの、ハッカーだの、並レベルの“超高校級”じゃない!

あらゆる学問に精通し、世界すら掌握する、江ノ島盾子様の次に優れたナンバー2!

その名も魔空院目白郎だ!」

 

「魔空院、目白郎?そんなキャラ、1や2にはいないよ。

いや、V3に出てたのかもしれないけど、Vitaは持ってないんだ……」

 

「ああ、持ってなくて正解だったよ。おかげで盾子様の“再起動”に必要な、

脳の神経パルスにたどり着くことができたからな。

今時、あんなボロい端末を使っているのはお前しかいなかったよ。

一向に見つかる気配がなかったから、

いっそ猿にも手を広げて脳を開いて見ようかと思ったが、

猿はかえって調達が難しいことに気づいてやめた」

 

相変わらずキーを叩きながら話し続ける魔空院だけど、言ってることがよくわからない。

 

「それと僕が女の子になったことと、なんの関係があるの?あと、ここはどこ」

 

「いちいち、いちいち、うるさいなあ!!

俺の脳が一度に16のタスクを並行処理できていなければ、

スタンガンで黙らせてるところだ!

いいか?お前のようなボンクラにもわかるよう説明すると、

ここはお前の言うダンガンロンパ2の世界で、

その肉体は盾子様の毛髪から回収したDNAから復元した仮の器だ!」

 

え、なにそれ怖い。

人間がゲームの世界にいるとか、人体製造とか、言葉悪いけどキチガイの理屈だよ。

コンソールから離れた魔空院は、僕を指差しながら近づいてくる。

怒鳴るように彼が続ける。

 

「まったく、サンプルを手に入れるのには苦労した!!

信者共のアジトに乗り込んで、奴らを核融合式レーザーガンで黒焦げにして、

御神体として崇めていた一部を奪うのは!

殺人ロボの軍隊を連れて行っても一人では少々骨が折れた!

だが、その労苦も間もなく報われる!」

 

彼がポケットから、太いプラスチックっぽい筒を取り出した。

液体に満たされた内部に、金髪の髪の毛が浮かんでる。

ただの髪なんだけど、なんだか正体のわからない、不気味なものを感じる……

 

「江ノ島盾子が生き返った理屈はわかったよ。いや、正直良くはわかってないけど、

それは置いといて、どうして復元した身体に僕が入ってるの?」

 

「ふん、お前も自分の生きている世界が全てだと思い込んでいる阿呆か。

いいか、順を追って話すぞ?俺達が生きている世界はひとつじゃない。

それどころか、無限の並行世界が存在し、それぞれが微妙に干渉し合って運行している」

 

「うーんと、どういうこと?」

 

あまり飲み込みの良くない僕は、少し考える時間を貰おうとするけど、

彼は構わず続ける。

 

「聞けバカ。つまり、お前がゲームだと思い込んでいた世界は、

単にお前が別世界からボロいPSPを通じて主人公に命令を下していただけで、

お前が電源を切っている間は、漫画読んだりションベンしたりしてるってことだ。

そのことにはお前も主人公も気づいてねえ。

逆にお前が別世界の誰かに、別のゲーム機で操作されてない保証もないんだ。

……話についてこれてるか?」

 

「うん、今度はなんとか。

ゲームも僕の世界も、数ある世界のひとつに過ぎないってこと?」

 

「おーしおし。その調子で頼むぜ。俺だって、あんまり盾子様のお姿に、

バカだのアホだのクズだのカスだの言いたくねえんだよ」

 

「そこまで言ってなかった……」

 

「と・に・か・く・だ!

俺は無限の世界から、再生した盾子様の肉体の再起動に最適な脳神経を持つ人間を、

サーチして採取するプログラム・コスモバンディットPSY-Xを組み上げ、

24時間ぶっ通しで走らせて、39日11時間42分13秒でやっと探し当てたんだよ。

……それが、お前だ」

 

「またわからなくなったよ。結局、再起動って何?」

 

「おっと、これはバカには難しすぎたか。俺が作り出した盾子様の肉体は完璧だ。

でもそれだけじゃ目覚めてくださらない。

お前にわかるよう例えるなら……脳が健康な脳死状態だった」

 

「ちっともわからない例えだよ~」

 

頭を抱える僕。イケイケのギャルが目を回して弱音を吐く姿は滑稽に見えたと思う。

まぁ、それもいわゆる需要ってものがあるのかもしれないけど。

あ、髪がふさふさしてあったかい。

 

「ケッ、少しでも期待した俺がバカだった!

要するに、盾子様の脳は神経パルスが走ってない、エンジン停止状態なんだよ!

だから、彼女の脳細胞と構造が合致する奴から精神を構成する神経パルス、

つまりお前の心を抜き取って彼女に移植したのだ。

それがまさかショボい引きこもり野郎だとは思わなかったがな!」

 

「じゃあ、現実世界の僕の身体は!?」

 

「今言った、脳が健康な脳死状態だろうな」

 

愕然とする。確かに、死んだような人生を送ってたけど、本当に死にたくなんか無い。

脳死を人の死とするか、賢い人が話し合ってるけど、とにかく僕は帰りたいんだ!

 

「君が何をしたいのか知らないけど帰してよ、僕の世界に!」

 

「ダメだ。今から盾子様のいわば、……心をインストールする。

さっき進捗率80%と言ったな。残りの20だ。

分校での集団自殺、あのセレモニーの時に彼女から放たれた気迫を、

音声信号としてデータ化し記録しておいた」

 

「分校って、大勢の生徒が自殺した、あの事件?

ゲームでは少し触れられた程度だけど……」

 

「そう!睡眠前にリラックスするために個人的に保存していたのだが、

世の中何が役に立つかわからんものだ!

とにかくそれを元に、彼女の人格を復元したのだ。そろそろ始めよう!

上書き保存になるから、お前には消えてもらうことになるがな。

さあ、ヘッドギアを被れ」

 

「い、いやだ。僕、もう帰る!」

 

行く当てなんかいないけど、ここに居たら殺されちゃう!

逃げようとしたら、手術台の下からいくつもロボットアームが伸びてきて、

台に押さえつけられた。

魔空院がヘッドギアを拾って、無理やり僕に被せて、またコンソールに向かった。

 

「ああ、盾子様……どうか再び我らのもとに。

昏く眩い絶望の光で世界を満たしてください……」

 

マスクの向こうからでもわかる狂気じみた笑みを浮かべて、

待ちきれない彼は、もどかしそうな手付きでキーを叩く。

なんだか電気を流されてるみたいに、頭がピリピリしてきた。

 

「いやだー!助けてー!やめてよう!」

 

ビエエエ!と江ノ島盾子の姿で泣き喚きながら命乞いをする。

世界が小松崎類氏のスケッチような景色に変わる。

これって、もしかしなくても“おしおき”シーンだよね?

それに僕、こんな泣き方したっけ?彼女の身体に心が引っ張られてるのかな?

 

くだらない事考えてる場合じゃないよ!

徐々に、なにか、僕のものじゃない記憶が流れ込んでくる。

校庭中に転がる死体!殺す者、殺される者。日常が、死んでいく……

 

「いいぞ、いいぞ、進捗率88%……!!」

 

魔空院は、もはや僕の叫びは無視して食い入るように画面を見つめる。

首を伸ばして少しだけ見えた画面には、完了寸前のプログレスバーが。

だめだ、江ノ島盾子を上書きされて、僕は、死ぬ……

 

その時だった。

 

 

──動くな、未来機関だ!魔空院目白郎、両手を上げて大人しくしろ!

 

 

ドアを爆破して、コンバットスーツの隊員がなだれ込んできた。

彼らは装備したアサルトライフルを魔空院に向け、投降を呼びかける。

アメリカ軍?自衛隊?

 

「今すぐ実験を中止し、データを渡せ!10秒だけ待つ!」

 

「くっ、未来機関のクズ共が!盾子様復活にどれだけの時間を掛けたと思っている!

死ぬのは貴様らだ!」

 

魔空院は、とっさにコンソールに置いてあった奇妙な形の銃に手を伸ばすけど、

隊員が引き金を引く方が早かった。

いくつもの銃声と閃光が魔空院の身体を貫き、彼は何も言い残すことなく、

体中から血を流して絶命した。血が苦手な僕は青くなる。あ、やっぱりピンク色なんだ。

……どうでもいい事気にしてる場合じゃない。弱々しい声で必死に助けを求める。

 

「たすけてくださーい!パソコン止めてください、僕がしんじゃうんです!」

 

すると、突入した隊員達がヘッドギアを外し、工具でロボットアームを破壊し、

コンソールを操作する。間一髪助かった僕は、いつの間にかぽろぽろと涙を流していた。

 

「うぐっ……ありがとうございます。僕、死ぬところで……」

 

 

──なぜ殺したんだ!電撃弾を使えと言っただろう!

 

 

隊員にすがりついて礼を言おうとしたら、聞き覚えのある声が走った。

遅れて部屋に入ってきた人物に、僕は目を見張る。

 

「はっ、申し訳ありません!奴が銃で抵抗したのでやむを得ず……」

 

「しょうがない……データの回収は確実に」

 

「現在作業中です」

 

間違いない。黒いスーツを着た、頭頂部にツンと伸びた髪が曲がった少年。

初めて僕が見た時より顔に精悍さが宿っている。

急いで手術台から下りて彼に話しかける。

 

 

○超高校級の希望

 

ナエギ マコト

 

 

「苗木くん……苗木誠くんだよね!?よかった、主人公に会えたならもう安心だよ!

ああ、ごめん。僕のこと知らないだろうけど、その魔空院とかに」

 

「また会ったね……」

 

でも、苗木君は厳しい視線を僕にぶつけ、

隊員たちも彼に近寄れないように立ちはだかる。

 

「君があの程度で死んだとは、思っていなかった。

あのアルターエゴも、ボク達を欺くための囮だったんだね。

でも、もう逃さない……江ノ島盾子!!」

 

希望の糸がぷつんと切れた。

僕が言葉を失って、ただ手を伸ばしていると、足元から声が聞こえてきた。

死にきれなかった魔空院が、いつの間にか何かのスイッチを手に笑っている。

 

「へ…へへ……お前らに、渡すかよ。盾子様、ランダムアクセス、拡散……」

 

そして、スイッチのボタンを押した瞬間、異変が起きる。

 

「異常発生!アクセスを受け付けません!何らかのデータを送信しています!」

 

コンソールを調査していた隊員が叫ぶように報告し、乱暴にキーを叩くけど、

画面のコマンドプロンプトが滝のように何かの命令を流している。

 

「破壊しろ!」

 

苗木君の指示と同時に、隊員がサーバーや画面にアサルトライフルの銃弾を浴びせ、

穴だらけにした。コンソールは穴だらけになり、火花が散る。

 

「くそっ!魔空院は何を作ろうとしていたんだ!?」

 

苛立つ苗木君が壊れたコンソールを蹴る。

あんまり乱暴なことはしそうな感じじゃなかったんだけど。また彼に話しかけた。

 

「やめようよ、君らしくないよ……?」

 

彼に手を伸ばすと、隊員達が今度は僕に銃を向けた。慌てて手を挙げる。

まだ熱を持つ銃口が熱い空気を吐き出している。

 

「わー!ホールドアップだから!やめてよー!」

 

「……それは、新しいキャラかい?どうせすぐに飽きるんだろうけど」

 

「違う違う。江ノ島盾子に見えてるだろうけど、

僕、そこで死んでる変なやつに、精神を盗まれて、作り物の身体に入れられたんだ。

嘘じゃないよ。あいつが言ってたこと、説明する。きっとわかってくれるよ」

 

「連行しろ!」

 

「ちょっ、引っ張らないで!自分で歩くから乱暴しないで!」

 

屈強な隊員に両腕を掴まれ、引きずられるように連れて行かれた。

一回り以上小さくなった女子高生の身体では全く抵抗できなかった。

 

でも、未来機関に保護された。そして、ゲームの向こう側とは言え、

一緒に冒険した主人公に出会えた。それらの事実に、僕は希望を抱いていた。

 

“きっとわかってくれる”。その希望が打ち砕かれるとは知らずに。

 

 

 

 

 

未来機関支局。

 

「どうして信じてくれないんだよぉ!」

 

取調室に、僕の叫びが響いた。傍目には、補導されたギャルが泣きながら、

お巡りさんに叱られてるように見えたかも知れない。

そばに銃を持った隊員さえいなければ。でも、僕の問題はもっと深刻だ。

 

「江ノ島盾子の死体の一部、そして君のDNAが完全に一致したからだよ……」

 

味方になってくれると思った苗木君は、僕の前に座り、

何時間も答えられるはずのない質問をぶつけてくる。

やれ、どうやって世界に絶望を蔓延させたかだの、協力者のアジトだの、

1作目のおしおきから逃げ出した方法だの。

そんなのゲームで描写されてなかったし、彼女は本当に死んだ。

 

いや、絶望に関しては、

みんな江ノ島盾子の持つカリスマに当てられた、で説明が付くけど、

彼女がモノクマを初めとした大がかりな設備をどこから調達したかなんて知るわけない。

 

「だから、何度も言ってるけど、僕はゲームの向こうから君たちを見てたんだ。

その中のことなら答えられるよ。

例えば1作目の犯人!学校に閉じ込められてたときだよ。ええと、まず一人目は……」

 

「黙れ!!」

 

「ひっ!」

 

苗木君が怒声と共に机に拳を叩きつける。椅子から飛び上がるほどビビった!

そうだった。……最初の犯人に彼女が。

 

「……ごめんなさい」

 

言った瞬間に、今度は胸ぐらを掴み上げられた。

見た目より強い腕力に立ち上がるしかない。単に僕が弱くなったのかもしれないけど。

 

「“ごめんなさい”だと!?謝って済む問題か!今、何に謝ったんだ!

君が何を考えて猫を被っているのかは知らないよ。

だけど、君が仕組んだコロシアイや撒き散らした絶望のせいで、

何人が死んだと思ってる!それをごめんなさいの一言で片付けるつもりなのか!

……これを見ろ!」

 

苗木君は大きな茶色い封筒から、何枚も写真を取り出して、僕に突きつける。

崩壊した都市、戦争が起きたような悲惨な惨状。

 

「お前が扇動した狂信者が暴れた結果だ!」

 

「知らない、僕は……」

 

目を失った男の死体。

 

「誰かにやられたわけじゃない。自分でえぐり取ったんだ。

お前の目で絶望の世界を見るために!お前が彼を狂わせたんだ!」

 

「やめてよ!」

 

そして、シャワールームで腹を刺された少女の死体。

吐かずに済んだのは、血液がピンク色で現実感が幾分薄れていたからだと思う。

 

「これは……お前が仕組んだコロシアイの最初の犠牲者だ!

よく知っているだろう、ずっと監視カメラで悠々と見物していたんだからな!」

 

「ひぐっ、ぼくは、やってない……」

 

「くっ、そっちがその気ならいつまでも白を切っているといいさ。

君が外に出ることは永遠にないんだから……!」

 

そして、彼は僕を投げ捨てた。

パイプ椅子ごと後ろに転倒し、スカートがめくれてパンツ丸出しになる。

痛いし、これじゃ罪木蜜柑ちゃんと同じだよ……

誰も野郎のパンツなんてどうでもいいだろうけど。あ、今はギャルだ。

きちんと隠すべきかどうか考えていたら、

 

 

──そのくらいにしたら?苗木君。

 

 

今度は別の、聞き覚えのある声が聞こえた。

入り口にいつの間にか立っていた、苗木君と同じ黒スーツの女性。

紫のロングヘアを前髪で切りそろえてる美人。

 

 

○超高校級の探偵

 

キリギリ キョウコ

 

 

「もう5時間でしょう。気持ちはわかるけど、少し熱くなりすぎよ。一息入れたら?」

 

「うん……ありがとう」

 

彼女が机に紙コップのコーヒーを置く。やっぱり僕の分はなかったけど。

 

「霧切、さん……?」

 

彼女はまだパンツ丸出し状態で床にへばりつく僕をじっと見下ろして、

少し考えてから話しかけてきた。

 

「……別室で見てたけど、そのキャラはずいぶん気に入ってるみたいね。

幸薄い女キャラは結構好きだったんだけど、やってみてくれる?」

 

「ううっ、いま、泣いてるじゃないか……」

 

すると、霧切さんはまた僕を少し見つめて、苗木君に何か耳打ちした。

江ノ島盾子は耳も良かったみたいで、会話の内容を聞き取ることができた。

 

“苗木君、上層部に提案したんだけど(外部から雑音、しばらく続く)同意を得られた。

彼らに協力してもらう”

 

“……えっ!?危険すぎるよ。彼女の罠に決まってる!またみんなに何かあったら!”

 

“手は打ってある。今度は万一の事態に備えて、

スタンドアロン型「希望更生プログラムVer2.01」を用意した。

彼女から完全に力を奪って、修学旅行を完遂させるの”

 

“どうして、超高校級の絶望を助けたりするの?”

 

“助けるわけじゃない。

江ノ島盾子が地べたを這いつくばるように罪を償う姿を、世界中に見せつければ、

外に蔓延ってる絶望の残党達が、彼女に失望して絶望に対する信奉を捨てるはず。

世界復興の大きな一歩になるわ”

 

“それはわかるけど、本当に大丈夫?

みんなだって、ようやく立ち直りかけたところなんだ”

 

“関係者の身辺調査は徹底的に行なった。

独立プログラムにまたウィルスが侵入する可能性は、限りなくゼロよ”

 

“……わかった。僕は何をすればいい?”

 

“この件について、彼女にナビゲーション及び監視を。技術班との連携は私が。

……事情聴取の途中だけど、実行は早い方がいいわ。

尋問の続きは悪いけど生徒手帳でお願い。船を待たせてる”

 

“うん、ありがとう” 「……江ノ島盾子、立つんだ」

 

全部聞いてたことには気づかれてなかったけど、

何か良くないことが起きるのはわかった。これから僕は何かをやらされるらしい。

相変わらず仰向けに倒れたままの僕を、後ろの隊員が乱暴に起こした。

 

「痛いって!自分で立つから、腕握らないで!」

 

机にしがみついて、なんとかふらつきながらも立ち上がると、どっと疲れが出てきた。

涙でベタつく顔を洗いたいし……やばい、トイレ行きたくなってきた。

苗木君は霧切さんと何か喋ってる。

後ろの隊員はなんか怖いし……僕は思い切って2人に話しかけた。

 

「あ……あの!」

 

会話を止めて同時に僕を見る。無表情が逆に怖い。

 

「えっと、その……トイレに行かせてほしいんだけど。顔も洗いたいし」

 

隊員がまた僕を引っ張ろうとしたけど、霧切さんが手で制した。そして僕に念押しする。

 

「メイクが落ちるわよ」

 

「別にいいよ。僕は男だし」

 

彼女は一度左耳の髪をかき上げると、軽くため息をつく。

 

「……出て」

 

やっとこの息の詰まる部屋から出られると思うと、少し気持ちが楽になった。

重い鉄製のドアを開くと、いかにも秘密基地です、と言った光景が広がっていた。

 

広い空間に配置された大勢のオペレーターが、ホログラフ投影式のモニターに向かい、

忙しくキーボードを叩いている。天井にも四方に大きな液晶画面が設置されていて、

局員達がその情報に関して議論している様子も見える。

僕がその光景を珍しそうに見ていると、

霧切さんに後ろからさっさと進むよう指示された。

 

「何をしているの。お手洗いは右」

 

「あ、ごめんなさい。……うわっ」

 

驚いたのは、彼女の右手に拳銃が握られていたから。

もちろん狙っているのは僕、というより江ノ島盾子の背中。

 

「早くして。こっちにも都合があるの」

 

「うん、右に行けばいいんだね……?」

 

僕は慌てて情報処理ターミナルの壁を右手沿いに進む。

途中、遠巻きに僕を見ていた局員達の話し声が聞こえてくる。

 

“おい見ろよ、本物の江ノ島盾子だぜ……”

“ああ。なんかヘマこいて捕まったらしい”

“まさか生きてやがったとはな。今、殺したほうがいいんじゃないか?”

“死体じゃフェイクだと思われる。それにしても、思ったよりしょぼくれてるな”

“超高校級の絶望様も、所詮は小者だったってことだろ”

 

違う!って叫びたかったけど、後ろの拳銃がそうはさせてくれなかった。

黙って通路を進む。すると……困った事態に直面した。

廊下の突き当りが左右に分かれてる。右が男子トイレ。左が女子トイレ。どうしよう。

 

「ね、ねえ霧切さん。僕はどっちに入ればいいのかな……?」

 

「あなたが本当に異世界の人物という前提で聞くけれど、江ノ島盾子は男だった?」

 

「違うけど……」

 

「急いでって言ったはずよ」

 

霧切さんの構えたオートマチック拳銃が、内部で金属音を立てる。

追い立てられるように、僕は女子トイレに駆け込んだ。

真っ白なタイル張りの清潔なトイレ。

当然個室しかないし、手洗い場には、大きな鏡がある。

そこで僕は初めて自分の全体像を見ることになった。

 

たっぷりの金髪を大きなツインテールにして、黒のブレザーに赤のミニスカート。

白いネクタイの結び目がかなり下の方に下がってる。

何故かというと、なんていうか……デカすぎて。あと胸元からブラジャーが見えてる。

 

見てる方が恥ずかしくなってくるほど、派手。ゲームで何度も見た姿だけど、

いざ変身してみると、よっぽど自分に自信がないとこんな格好できないことに気づく。

 

でも、これが今の僕なんだよね。

違うのは、散々泣きわめいて充血した目と、涙に濡れた頬。

僕は鏡に向き合ったまま、不安に押しつぶされる少女の姿を眺めていた。

すると、霧切さんがコツコツとパンプスの足音を立ててトイレに入ってきた。

銃を持ったまま鏡越しに話しかけてくる。

 

「正直私は、あなたが本物なのか、そうでないのか。

結論を出すのは時期尚早だと思ってる。でもね、どちらにせよあなたを待つのは」

 

──絶望だけよ

 

その言葉に打ちのめされる。でも、僕を待つ本当の絶望はこれからだった。

 

 



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第1章 ジャバウォック刑務所へようこそ

僕を待つのは絶望だけ。

 

霧切さんの言葉にぞっとした僕は急いで顔を洗うと、

ポケットにあったハンカチで顔を拭き、仕上げにエアタオルで手を乾かした。

メイクが落ちるって言われたけど、大して何も変わってなかった。

すっぴんでこの顔なのか……綺麗だなぁ。

 

と、呑気に自分に見とれてたけど、大事な用をすっ飛ばしてたことに気がついた。

なんでトイレに来たのにトイレに行かないんだよ!

個室に向かうとトイレの男女選択以上の難問に直面する。

 

用の足し方がわからない。

 

やあ、リスナーのみんな、突然だけどこんな状況になったら、どうする?

特に男性からのご意見大募集です。今週のテーマ!

ギャルの身体に精神を移植されて、トイレに行きたくなった場合どうするか。

 

採用された方には僕の手持ちソフトから、ウォーシップガンナー2(PSP)をプレゼント。

ハリマが馬鹿みたいに強いから気をつけてね!

……脳内で一人DJをやって現実逃避していると、霧切さんに急かされた。

 

「何をしているの。早く済ませて」

 

冷たい声にギクッとする。こんなこと聞いたら撃たれるかもしれない。

けど、聞くしかないよね……両手を上げて思い切って打ち明ける。

 

「あのさ、撃たないで聞いてね。

何度も言ってるけど、僕は江ノ島盾子の身体に心を埋め込まれた男であって、

つまり、その……女性の身体でどうすれば用を足せるのか、

皆目見当が付かないわけでありまして、あの、だから……」

 

重苦しい沈黙。今洗ったばかりの顔に脂汗が浮かぶ。

見えないけど、彼女の呆れた表情が見えるようだ。

 

「……まず、個室に入って」

 

「わかりました」

 

「後はいつもと同じよ。さ、早く」

 

「それだけ!?

あの、続きをやるには、なんというか、下着に手を付けないといけないわけですし、

何かが目に入る恐れが大で、それが大きな心理的ハードルに……」

 

「……っ!わ、私に下ろせっていうの?あなたの身体は魔空院に造られた偽物、

その器にはあなたの心が入っている、だったら何を見ようが触ろうが問題ない。

それとも自分の言葉に責任が持てない?だとしたら、あなたの今後は保証できないわ!」

 

「ちがいます自分でやりますごめんなさい!」

 

今、ちょっと恥ずかしがったっぽい。一瞬詰まったし、急に言葉数が多くなった。

コミュ障の僕でもこれくらいは察知できるのです。

でも、これ以上待たせると本当にヤバそうなので、

さっさと中に入って、ドアを閉めました。

 

鍵を閉めて、深呼吸して、精神統一。そう、これは僕の身体、僕の身体……

一休さんのように、両手の人差し指で頭にぐるぐる円を書く。

すると、ふさっと大きなツインテールに手が当たり、はっとなる。

彼女も、江ノ島盾子にも、こんな人間らしい営みがあったんだよね……当たり前だけど。

 

少しだけ冷静になった僕は、洋式トイレを背に、

目をつむりながら、スカートに恐る恐る手を突っ込む。

そして、指先にさらさらした感触の布が当たると、

手探りで“それ”をゆっくりと下ろす。

重大なミッションを完了すると、ペタンと便座に座り、用を足す。

 

「ふぃ~」

 

膨らみきった膀胱がカラになり、この世界に来てから初めて心が安らいだ。

少し心にゆとりができて、今後について考える余裕ができる。

今回は小さい方でまだ助かったけど、違う方が来たら……考えないようにしよう。

スッキリしたところで、2度目となったパンツ操作にも少し慣れ、

今度は思い切り引き上げた。あ。

 

水を流した僕は、まさに絶望に満ちた表情で個室から出た。

あんまりひどい顔をしていたのか、霧切さんから声を掛けてきた。

 

「どうしたの。気分でも悪い?」

 

「……ちびってしまいました」

 

「もう、ちゃんと拭かないからよ……!」

 

「教えてくれなかった」

 

「知ってて当たり前でしょ、そんな事!行くわよ、本当に時間がないの!」

 

「待ってよー」

 

霧切さんは、僕に銃を向けるのも忘れて、先に行ってしまう。

ヒールの高いブーツが歩きにくいよ。

しかし!急いで追いかける僕は、確かに見た。クールな彼女の赤くなった顔。

嫌なことばかりでもないかも、この世界。

 

で、また情報処理ターミナルみたいなところに戻ると、

ガスマスクを付けた苗木君と戦闘員達が勢揃いしてた。

物々しい雰囲気に気圧されて、何も言えずにいると、霧切さんは彼らの後ろに周り、

隊員の一人が近づいてきた。

 

「あの……なんですか?」

 

「知る必要はない」

 

そして、彼が僕の顔にスプレーを吹き付けた。うわっ、芳香剤?

香りを確かめようと吸い込んだら、急に、意識、が、遠のい、て……

 

 

 

催眠ガスで眠りに落ち、ストレッチャーで運ばれる江ノ島盾子を見ながら、

ボクは霧切さんに尋ねてみた。

 

「……彼女のこと、どう思う?」

 

「どうって?」

 

「本当に人工的に造られた肉体に、異世界の男性の精神が埋め込まれただけなのか。

そんな事が可能なのかな」

 

「そうね……今の所、何とも言えないわ。

彼女もしくは彼の証言が本当だとすると、あの全てに怯えきった目も説明がつく。

だけど、江ノ島盾子は全てにおいて完璧。故に超高校級の絶望になってしまった。

要するに、まだ芝居を打っている可能性も捨てきれない。

やっぱりあの島で生活を送らせるしかないと思うわ。

それに、第二次江ノ島復活計画を進めていた魔空院を追っていたのは苗木君でしょう。

可能かどうかは、あなたのほうがよく知ってるんじゃない?」

 

「そうだよね……でも、もし本当に人間を人の手で作ることが可能で、

中身が別人だったら?」

 

「彼には気の毒だけど、最後まで協力してもらうわ。世界の絶望を打ち払うため……」

 

「みっともなく足掻く江ノ島盾子の姿を提供してもらう、か。

……いいさ、もしそうだとしたら、全てが終わった時、土下座でもなんでもして、

ボクが責任を取る」

 

ふふっ、と霧切さんが少し意地悪な笑みを見せる。

 

「ボクが責任を取る、ですって?そういうのは上の役目よ。

まだ“候補生”の苗木君が、いつそこまで出世したのかしら」

 

「それは……突入と彼女の捕縛を指示したのはボクだし、知らんふりって訳にも……」

 

彼女はまたクスリと笑う。

 

「ごめんなさい、冗談よ。今はまだ、状況を見守るしかないわ。

私達の見ている江ノ島盾子が本物かどうか。明らかになるのは当分先になりそう。

いずれにせよ、“人類史上最大最悪の絶望的事件”から世界が蘇るために、

彼女は不可欠な存在」

 

「そうだね。絶対彼女からは目を離さないようにしなきゃ」

 

ボクはすっかり冷めたコーヒーを一口飲んだ。おかげで高ぶっていた精神が落ち着く。

だけど同時に、冷静さが戻ったことで、心の奥底に漠然とした不安が沸き起こった。

ボクは何かとんでもない間違いをしているんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

寄せては返す波の音が意識に響いてくる。まだ脳に眠気が残る。

顔や露出した手足に、細かい粒の感触。強い日差しが目に痛い。

少しずつ目を開き、やがて光に慣れると、自分の置かれた状況がだんだんわかってきた。

 

それはあくまで視覚的なものであって、なぜ、どうやってここに来たのかはわからない。

とにかく、僕は、海岸の砂浜に放り出されていた。

 

「うう……どこ?」

 

うつ伏せ状態から立ち上がって、辺りを見回すけど、どこまでも広がる砂浜、青い海。

とりあえず服や身体の砂を払って、2,3歩あるいてみる。まだ足元がふらつく。

睡眠薬かなにかで眠らされたっぽい。酷いことするよ、まったく。

 

ピロロロ……

 

足元から大きな電子音が聞こえてきた。音量デカいな。

そばにスマートフォンみたいな携帯端末が落ちている。とりあえず拾ってみる。

持ち上げた拍子に画面に指が触れると、

“電子生徒手帳”という起動画面が浮かび上がった。

 

「あー、苗木君や日向君が使ってたやつね」

 

マップや他のみんなの通信簿。他には……それだけだ。

ウサミを育てるミニゲームとか、いろんな機能が削除されてる。

ちょっとしょんぼりしていると、また電子音が鳴って一瞬びっくりした。

後で音量下げとこう。探せば設定モードくらいあると思う。とにかく通話ボタンを押す。

 

──やあ、目は覚めたかい。

 

テレビ電話の向こうにいたのは、苗木君だった。

聞きたいことがありすぎて、何から話せば良いのかわからない。

戸惑う僕に、彼の方から話しかけてきた。

 

“いろいろ聞きたいことはあるだろうけど、

ボクから説明するより、みんなから聞いた方が理解できる。まずはホテルに向かってよ。

マップに座標を送っておいたから”

 

「あ、うん。あのね」

 

【通話終了】

 

一方的にガチャ切りされた。今更だけど、みんな僕に対する扱いがひどすぎる!

ブツブツ言いながらマップを開くと、

現在地が青いサークルで、目的地が赤いサークルで囲まれてる。

ええと、目的地は……ホテルか。ついでに設定画面を開いて音量を2段階下げると、

仕方なくホテルへ向かって歩き出した。

 

しかし、風でミニスカートがヒラヒラして太ももをくすぐるし、

直射日光が肌に刺さって痛い。

女の人のファッションって、割と実用性無視してるとこあるよね。

夏場は毎日ジーパンとTシャツで過ごしてる僕には耐えられそうにない。

心の中で一人雑談しながら、堤防を上り、道路を歩き始めた。

 

10分後。疲れた。お水飲みたい。

肉体は優れていても、精神がだらけていては100%の力は出ないようでござる。

おまけに、胸の大きなものが一歩進む度にボヨンボヨンと跳ねるから、

余計に疲れルンバ。汗だくになりながら、ただただアスファルトの道を歩いていると、

馬鹿みたいな語尾にもなるってものですよ。みんなに会うまでに修正しておかないと。

 

……あ。おしゃれな白い邸宅と、たくさんのコテージ!

ようやくゴールが見えて脳内でサライが流れる。徳光って毎年いくら貰ってるんだろう!

 

倒れ込むようにしてホテルのエリアに入ると、

ポケットの電子生徒手帳がピピッと音を鳴らした。

道路に寝転びながらマップを確認すると、

赤いサークルが消え、青いサークルだけが残る。

 

到着だー!と叫ぶ元気も残ってないんだけど、この先に“みんな”がいるんだよね。

状況は最悪だけど、ゲームのキャラに会えるのは最高。2次元万歳。

 

起き上がって、敷地を見回すと、大勢の人がプール脇の広いスペースに集まってる。

奇跡の出会いキタコレだよ!ダンガンロンパ2のキャラが勢揃いして、こっちを見てる。

心のテンションがMAXになって、疲れも忘れて大きく手を振りながらみんなに駆け寄る。

 

「おーい!はじめまーしてー!僕、(ノイズ)っていうんだ!よろしくねー!」

 

すると、メンバーの中から、ひとりが僕を出迎えに来てくれた。

なんか向こうから“よせ”だの“やめろ”だの聞こえるけど、気のせいだと思う。

 

わぁ、左右田君だ!黄色いツナギと黒いニット帽。なによりギザギザの歯が特徴的な彼。

僕、彼みたいなお調子者キャラは結構好きなんだ。なんだか憎めなくて。

 

「こんにちは、左右田君!

君は僕のことは知らないと思うけど、苗木君から連絡は来てるよね。

今日からここでお世話になる※△です、よろしくおねがいします」

 

僕は握手を求めて手を差し出す。初対面の人には当然の礼儀です。

 

「いんや、お前のことは知ってんぜ。……殺してやりてえほどな!!」

 

でも、帰ってきたのは手のひらではなく拳。

固いものが顔面に叩きつけられ、視界が揺れる。

左頬を殴られた僕は、地面に叩きつけられて、しばらく息ができなくなる。

突然の事態に何が起きたか認識するのに10秒。

さらにその2秒後に頬の痛みが遅れてやってきた。

 

皆さんに質問です。

アニメでも漫画でも何でも構いません。大好きなキャラに出会えたとして、

出合い頭に殴られたとしたら、自分ならどんな気持ちになると思いますか?

うん、僕の場合は最初に疑問、遅れて怒りと悲しみがやってきました。

 

「えうう……何するんだよう!!」

 

僕は頭が真っ白になって、泣きながら彼に反撃していた。

もっとも、ケンカなんかしたことがないから、

両手で胸を押すことしかできなかったけど。

すると、今度は胸ぐらを掴まれて、体ごと持ち上げられた。

 

「何をする、だと!?それはオレ達の台詞だよ!

お前の…お前のせいでオレは、ちくしょう、くそったれ、ふざけんなぁ!!」

 

「左右田、やめんか!

気持ちは分かるが、こいつには手出しせんと皆で決めたじゃろうが!」

 

「お願いです、そんな左右田さんは見たくありません!

いくら悲劇の元凶と言えど、女性を拳で殴るなんて!」

 

「ソニアさんでもこればっかりは聞けねえよ!

オレが今まで生きてきたのはよ、いつか世界中の絶望を皆殺しにして…自分も死ぬため、

そのためだけに生きてきたんだからな!」

 

「苦しい…やめてよ、左右田君……」

 

「苦しい?やめて?ざけんな!お前はテメエのせいで死んだり、傷ついた奴の命乞いを、

一度でも聞いたことがあんのかよ!?

ああ、そりゃ全部オレがやった事だよ、全部オレのせいさ!

だけどな、それはお前を許す理由にもならねえんだよ!!」

 

左右田君は持ち上げた僕を今度は地面に押し付けた。すると怒りがすっと引いていく。

彼は、泣いていた。大粒の涙がヒリヒリする頬に落ちる。

弐大君が後ろから彼を羽交い締めにして、僕から引き離した

 

「その辺にせんか!お前だけが奴を憎んでいるわけじゃあないのだぞ!」

 

「弐大も悔しくねえのかよ!オレ達や家族の人生をメチャクチャにされて、

犯人が目の前にいるのに、今度はそいつの尻拭いかよ!オレは認めねえ!

絶対にお前を《ジャバウォック刑務所》から出さねえからな!」

 

「頭を冷やさんか!誰か手伝え!こいつを倉庫にでも閉じ込める!」

 

喧騒の中、力づくで左右田君を連れて行く弐大君を、僕はただ見送っていた。

ダンガンロンパ2の世界に少し慣れていたことで忘れていた。今の僕は江ノ島盾子。

皆を絶望の虜にし、自分自身を絶望に追い込ませた。

 

家族を、友人を、恋人を、果ては自分を殺し、

彼女の遺体を奪い合い、狂気的な方法で江ノ島盾子と絶望を共有しようとした。

絶望は世界中に伝播し、人類社会は崩壊寸前までに追い込まれた。

そんな悲惨な状況を招いたのが、僕が宿る江ノ島盾子。

……左右田君も、きっと僕のせいで。

 

呆然と立ち尽くしていると、ポケットの電子生徒手帳が鳴った。

画面を点けると、コトダマに当たるアプリが“キーワード”という名前に変わり、

機能開放されていた。さっそく開くと、一つだけ新規ワードが追加されていた。

 

ジャバウォック刑務所。

 

さっき左右田君が叫んだ言葉だ。僕は画面をタッチして詳細を開く。

 

 

2.ジャバウォック刑務所

 

正式名称ジャバウォック島。

パロン共和国に属し、5つの独立した島々で構成されている。

 

江ノ島盾子に感化された、かつての“超高校級の絶望”達が暮らす島。

彼らは「希望更生プログラム」を施され、全員正気を取り戻している。

 

だが、カムクライズルによって仕組まれたコロシアイから生還し、

絶望の呪縛から解き放たれ、全ての真実を知った生徒達は、

過去の罪を償うため、自らを現実世界のジャバウォック島に閉じ込めた。

 

未来機関の研究班によって、

コロシアイで仮死状態となった者達の蘇生手段が発見されたが、

彼らも同様にジャバウォック島に留まる。

重い罪の意識を背負う彼らが、この島をジャバウォック刑務所と名付けた。

 

 

ジャバウォック刑務所……類稀な才能を持ち、日本の将来を担う、

羨望と憧れの的だった超高校級生達の吹き溜まり。

ゲーム画面から見えない“その後”に、こんなところがあったなんて。

いや、他人事じゃない。

ボクも今日から、ジャバウォック刑務所の囚人として生きていかなきゃいけないんだ。

江ノ島盾子の身体で、無実を証明する。その日まで。

 

何故かキーワード一覧から1番が抜けている電子生徒手帳を手にしたまま、

ぼーっと立っていると、僕の名前が呼ばれた。

はっと我に返ると、髪のてっぺんが苗木君のように曲がっている少年が、

僕を手招きしている。そう、彼は……

 

 

○囚人No.1・元超高校級の希望

 

ヒナタ ハジメ

 

 

このダンガンロンパ2の世界における主人公。会わなきゃ。

また電子生徒手帳が鳴ってるけど、今はそれどころじゃない。

まだズキズキする頬の痛みに耐えながら、集まった生徒達の間を縫って歩くけど、

みんな僕を無視するか、刺すような目で睨む。

そんな視線から逃げるように早足で進み、ようやく日向君の前に立った。

 

「遅かったな、江ノ島盾子……」

 

今度はいきなり殴られることはなかったけど、その態度は固い。

 

「あの、さっきも言ったけど、多分苗木君に連れて来られたんだ。

ええと、はじめまして。僕は……」

 

「やめろ。結果が出るまでは、俺達はお前を江ノ島盾子として扱う。

ここでの生活のルールを説明する。ついてこい、お前の囚人番号は《16番》だ。

これから必要になるから忘れるな」

 

「囚人番号ってなんだよ……!苗木君から聞いてくれたんだよね?

僕が人体実験で造られた存在だって!」

 

彼は僕を無視してどんどん先に行ってしまう。

16番。とうとう名前ですら呼ばれなくなる。また電子生徒手帳が再度鳴るけど、

確認してたら置いてかれる。

履き慣れないブーツに足を取られながら、ウッドデッキを進む。

すると視線の先に、ゲームでは見なかったものが。

 

三角屋根の大型テント。入り口の脇には江ノ島盾子の顔がドット絵で書かれている。

日向君が中に入ったから、僕も一緒に入った。そこで彼はようやく足を止める。

テントには簡易ベッド、パイプ椅子、折りたたみ机、緑色のコンテナ、

各種家電と言った、必要最小限のものだけが置かれている。

後は……1台の監視カメラ。

 

「座れ」

 

日向君が顎でベッドを示したから、僕は大人しく従った。

彼はパイプ椅子に座って、僕に向き合う。

 

「ここが、今日からお前が生活する家だ。シャワーとトイレはホテルのものを使え」

 

「えー、なんで僕だけテント生活?コテージはもうないの?」

 

「黙って聞け!」

 

「ごめんなさい」

 

怒られたから黙ります。駄々をこねても個室は貰えないだろうし、また殴られると思う。

お行儀よく背筋を伸ばして話して続きに耳を傾ける。

 

「……お前の話が本当である可能性が1%未満でも存在している以上、

一応改めて自己紹介しておくぞ。

俺は日向創。囚人番号1番。

このジャバウォック刑務所でリーダーをやってる。お前なら知っているだろうが、

ここは《希望更生プログラムVer2.01》の仮想空間だ。今度は俺達じゃない。

江ノ島盾子、お前から絶望を削ぎ落とすために造られた世界だ」

 

「だから、なんで誰も信じてくれないの?僕は江ノ島盾子じゃないんだ。

ただのヒッキーなんだよ!」

 

「鏡を見たことがないのか?

その姿で、私は別人だなんて言ったところで誰が信じる!……もういい、話を続けるぞ。

まず、お前の電子生徒手帳を見ろ」

 

「これ?」

 

ポケットから生徒手帳を取り出して画面を点けると、

いくつかのアプリにNew!のマークが着いて、新規情報が追加されたことを示している。

 

「左右田の通信簿を見るんだ」

 

「わかった。……開いたよ」

 

怒鳴られたり殴られたりするのはもう嫌だったから、

何でも素直に言うことを聞くことにした。後で質問タイムをくれるかもしれない。

通信簿の画面を開くと、メンバー全員の顔アイコンのそばにあるはずの、

希望のカケラゲージが赤いバツ印でロックされていた。

 

気になるけど、疑問は後にして左右田君のマークをタッチして通信簿を見ると……

変な項目がある。十字架×1。ゲームの中でこんなものはなかった。なんだろう。

 

「ねえ、変なのがあるよ。十字架」

 

「……それは、《贖罪のカケラ》。

江ノ島。お前はここで、俺達と一緒に罪と向き合い、贖罪のカケラを集めるんだ。

十分な数が集まったら、お前はこの希望更生プログラムから脱出できる」

 

「そんなの、どうやって集めるの?」

 

「人に聞くな!って言いたいところだが……俺から言えるのは、償いだ。

お前がばらまいた絶望に支配され、その手を汚してしまったせいで、

今もみんなは罪の意識に押しつぶされそうになってる。

それに対してお前ができることを自分で考え、実行し、許しを乞うんだ。」

 

「許し!?ねえ、どうすれば信じてもらえるのかなぁ!

僕は、超高校級のマッドサイエンティストが作った江ノ島盾子の身体に、

精神を移し替えられた一般人なんだよ!

こっちの世界じゃ希望ヶ峰学園なんてなかったし、

人類史上最大最悪の絶望的事件もなかった!

何もしてないのに、どう償えって言うんだよぉ!」

 

思わずベッドから立ち上がって、日向君に掴みかかるところだった。

また殴られるのが嫌だからやめたけど。話は変わるけど、日向君てケンカ強そう。

 

「……どうしてもとぼける気なら、こっちにも考えがある」

 

日向君は、自分の電子生徒手帳を操作して、メールか何かを送信した。

しばらくすると、突然僕の身体から力が抜け、

立っていることすらままならなくなり、その場に崩れ落ちた。

何が起きたのか尋ねようとしても、唇や顎を動かす筋肉まで力を失い、何も喋れない。

息をするのが精一杯で、必死に空気を吸い込んで、酸素を体内に取り入れる。

 

「どうしてこうなったか説明しておく。

今、ウサミに連絡して、お前の体力のパラメータを1に減少させた。

脳と肺以外まともに動かせないはずだ。

妙な真似をすると、こんなものじゃ済まなくなるぞ」

 

「なん、で……」

 

「……とりあえず、なんでウサミが存在しているのか、という疑問だと仮定して答える。

希望更生プログラムVer2.01で新たに造られた人工知能だ。

今度はウィルスの干渉なんか受け付けない、完全独立AIで、

たまに俺達の言うことを聞かないことだってある」

 

「ぜー、ひゅー、はぁ、すぅ……それじゃ、僕が16番目なのは?」

 

少しずつ体力が戻ってきた僕は、更に質問を続けた。さっきふと気になったこと。

 

「よく気がついた、と褒めるべきなのかはわからないけど……そうだ。

七海は囚人に含まれていない。

今の七海は俺達とコロシアイ修学旅行をさせられた七海じゃない。

モノミと同じく改良を施された新規AI。先代とは似て非なるものだ」

 

「やっぱり、七海さんも、贖罪のカケラを……」

 

「持っている。お前に処刑された記憶と一緒にな。

……AIならオマケしてもらえるとでも思ったか?」

 

「そんな事ない。そんな事ないけど……やっぱり僕は無実なんだ!」

 

「なら自分で証明するんだ。ただ、ここにお前の味方はいないと思え。

さっきの左右田みたいに、誰もがお前に激しい憎しみを抱いている。

人生を台無しにされ、大切な人を奪われたんだからな。彼を恨むのは筋違いだ」

 

「江ノ島盾子は、いや…そうじゃなくて、左右田君に何が起こったの?」

 

「お前が十分に償う態度を見せれば、つまり贖罪のカケラを集めれば、

そのうち話してくれるかもな。俺から話せることはないし、話すつもりもない」

 

だんだん腹が立ってきたから、思わず叫んでいた。

こんなに大声を出したのは、いつが最後だったのか思い出せない。

 

「みんな……どいつもこいつも勝手過ぎるよ!あの実験室を見たでしょ!?

人間作って、心を盗んだっておかしくないじゃないか!」

 

「勝手だと!?お前がそれを……!」

 

日向君が拳を振り上げたから、思わず目を閉じた……

けど、入り口から聞こえたのんびりした声に、拳が顔の直前で止まった。

 

──日向くん、お昼ごはんの時間だよ~

 

恐る恐る目を開くとそこには。

 

 

○超高校級のゲーマー

 

ナナミ チアキ

 

 

肩まで届く程度の薄桃色の髪を外に広げ、緑のフードが付いた上着を着て、

呑気な顔のネコのリュックを背負った少女。

やっぱり見覚えのありすぎる彼女が、眠そうに目をこすりながら、

ドアとも言えないジッパー付きビニールの入り口に立っていた。

 

「ああ。すぐ行く。……お前も心の準備ができたら後でレストランに来い。

食事は朝7時、昼12時、夜6時。遅れたら抜きだ。さあ、行こう七海」

 

僕を放ったまま日向君は、七海さんと一緒に行ってしまった。

取り残された僕は、まず今日からの住処になる、テントの中を改めて見回した。

本当に必要最低限の備品と、緑色のコンテナ。気になるのはそれくらい。

近づいて開けてみる。

 

中には江ノ島盾子の衣装2着、化粧品、王冠や眼鏡といった用途不明のアイテム。

本当のところは、こんなところ逃げ出して家に帰りたい。

そのために役立つものがないかと思った僕の期待はあっさり裏切られた。

あくまで江ノ島盾子として生きていけ。無言のメッセージに肩を落とす。

 

化粧品の中からコンパクトを手に取り開いてみる。

鏡に映るのは、左頬に無残な痣ができた、今にも泣き出しそうな江ノ島盾子。

実際、今日一日でどれだけ泣いたかわからない。

ぐぅ……お腹まで空いてきた。さっき七海さんは、昼食の時間だと言っていた。

レストランに行こう。さすがに食料くらいはくれるはず。そう思いたい。

 

そうだ。出発前に、まず電子生徒手帳をチェックしよう。

いろいろ更新のメロディが鳴ったけど無視してきたから、結構New!が溜まってると思う。

画面を点けて、キーワードの項目をタッチ。

レストランに行くのは、これを読み終えてからにしよう。

 

 

3.16番

 

ジャバウォック刑務所における、あなたに割り振られた囚人番号です。

いつ必要になるかわからないので、忘れないように。

 

 

4.希望更生プログラムVer2.01

 

江ノ島盾子によるコロシアイ修学旅行を引き起こしてしまった、

「希望更生プログラムVer1.0」の脆弱性を改善し、

いかなる侵入・改変も不可能にした次世代バージョン。

今回の被験者は、捕獲された江ノ島盾子のみであり、

彼女に仮想空間のジャバウォック島での修学旅行を送らせることで、

超高校級の絶望としての力を奪うことが狙いである。

なお、Ver2.01の運用には、

1度目の修学旅行でコロシアイに巻き込まれた生徒達の協力を得ている。

彼らにも同じ仮想空間にダイブしてもらい、

当時と同じ姿形で、江ノ島盾子と生活を共にしてもらう。

 

 

5.贖罪のカケラ

 

新型の希望更生プログラム内に登場するアイテム。

江ノ島盾子から生徒達との交流の中で、

贖罪、懺悔、絶望に対する決別を示す脳波が検出された場合、

その進捗具合を物体として可視化するもの。入手個数に上限はなく、

江ノ島盾子はプログラムの目的達成まで何個でも収集する必要がある。

何十個でも。何百個でも。何万個でも。

 

 

1.修学旅行のしおり

 

あなたの修学旅行をより良いものにするため、いくつかルールを設けさせてもらいます。

 

・島内の器物を故意に破損してはいけません。ゴミのポイ捨ても厳禁です。

 

・友達に暴力を振るってはいけません。コロシアイなんてもってのほか!

 

・島の各施設・備品の利用は自由です。

マーケットから生活用品やお菓子を持ってくるのもいいでしょう。

でも、仲間があなたを見ていることを忘れないで。何事もほどほどに。

 

・頑張って贖罪のカケラを集めましょう。自分の罪から逃げないで。

仲間と力を合わせて、心を綺麗にしましょうね。

 

・これらが守られない場合、仮想空間におけるあなたの存在、

すなわち現実世界でのあなたの精神を削除せざるを得ない場合があります。

 

・なお、修学旅行のルールは、***の都合により順次増えていく場合があります。

 

 

ポタ、ポタ、……液晶画面に涙が落ちる。僕は、閉じ込められた。

改めてその事実を突きつけられた。ジャバウォック刑務所の16番目の囚人として。

絶対に逃げられない仮想空間のアルカトラズ。

ここから脱出するには、贖罪のカケラを集めるしかない。無実の罪を償いながら。

霧切さんの言ったとおりだった。

 

僕を待つのは絶望だけ。

 

哀れな見た目だけのギャルは、ひとつ鼻をすすった。

 

 



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第2章 寄っといで デっかい島へ

ティッシュが化粧用品とみなされていたことだけが幸運だった。

何度も鼻をかんで、涙を拭いた僕は、

真っ赤な目をしたままテントから出て、レストランに向かう。

ウッドデッキを進み、プールサイドを歩いて、

ホテルの正面に到着したところで足が止まった。

 

ごくりと唾を飲む。中には、やっぱりみんながいるんだよね。

また、殴られたり酷いことされないかなぁ。迷ってるうちに時間だけが過ぎていく。

こうしちゃいられない。遅れたらご飯抜きだって日向君が言ってたし、急がなきゃ。

僕は慌ててホテルに入り、階段を上がった。

 

レストランのフロアは、とっても広々としてて、

三面がガラス張りで周囲の景色が一望できるから、更に広く感じる。

天井や家具も木で統一されてて、たくさん配置されてる大きな観葉植物が、

より南国らしい空間を作り出してる。

僕が立派なおしゃれなレストランに夢中になってると、誰かに怒られた。

 

「立ってねえで座れや!」

 

声の方を見ると、みんなが大きなテーブルに着いていたから、

僕は空いている端っこの席に近づいた。

けど、みんな前を向いたまま無表情…じゃないな。かなり不機嫌そうな表情で、

じっと待っている。

うう、待たせちゃったからみんな怒ってる……

なんとなく座りづらかったから、隣の人に声を掛けた。

 

「隣、座ってもいい?」

 

「座れつったのが聞こえなかったのか、てめえは。ああん!?

全員揃わねえと食えねえ《規則》なんだよ、さっさとしやがれ!」

 

「ごめんなさい!今座ります!」

 

慌てて席に着くと、宙を睨む九頭龍君の横顔が見える。

童顔で小柄。見た目はヤクザとしては可愛らしいと言えなくもないけど、

煮えたぎるような怒りを無理やり抑え込んだ今の彼と、

まともに目が合ったら震え上がるに違いない。

 

 

○囚人No.8・超高校級の極道

 

クズリュウ フユヒコ

 

 

ポケットの電子生徒手帳が鳴った。また何かのキーワードが追加されたっぽい。

慌てて確認しようとすると、別の席から落ち着いてるけど冷たい声が。

 

「食事中は生徒手帳の操作は禁止。こんなこと、規則になくても当然のマナーでしょ。

そんなことも教わらなかったの?」

 

 

○囚人No.12・超高校級の写真家

 

コイズミ マヒル

 

 

「ごめんなさい……」

 

赤いショートヘアとそばかすがチャームポイントの小泉さんに叱られて、

しょんぼりしながら電源を切る。

小泉さんの隣に座っていた人物が、その様子を見て、高校生にしては幼い声で笑う。

 

「アハハ!無理だって、小泉おねぇ。

こんなゲロカスゴミブタ以下の世界に見捨てられた

トラックに轢かれた猫の死体にたかる小バエに、

何言ったってわかりゃしないわよ~だ」

 

 

○囚人No.11・超高校級の日本舞踊家

 

サイオンジ ヒヨコ

 

 

「日寄子ちゃんも。食事中の私語は厳禁。規則で決まってるでしょう?」

 

「は~い」

 

僕を酷いあだ名で呼んだ少女は、この熱いのに着物を着てきちんと帯まで締めている。

暑くないのかな。熱中症にならなきゃいいけど。そう思った時、厨房のドアが開いて、

コックコートを着た小柄な人物が、何かを持って僕に近づいてきた。

 

小柄…というより、完全に背が低いね、こりゃ。ふっくら体型で、

コッペパンのように後ろに丸く巻いた髪の先端を遊ばせてる、独特なヘアスタイル。

その上にちょこんと小さなコック帽を乗せている。

ゲームの中ではいつもにこやかだった彼も、目を血走らせて僕を睨みながら、

ガシャンとアルミのトレーを僕の前に置いた。

 

「エサだあ、ざっざと食(ぐ)え」

 

 

○囚人No.6・超高校級の料理人

 

ハナムラ テルテル

 

 

トレーに乗ったものを見る。

アンパンかジャムパンかわからないけど、とにかくパンひとつ。あとは牛乳瓶1本。

それだけ。

隣の九頭竜君の皿を見てみる。

煮込んだ豆のスープ、トースト、サラダ、牛乳、スクランブルエッグ。

慌てて僕は立ち上がって、自分の席に着こうとする花村君を呼び止める。

 

「ちょ、ちょっと待って!

僕のメニューが明らかにみんなと違う気がするんだけど、どうしてかな……?」

 

「マーゲッドから持っちゃきたがらに決まっとるばっと。おみゃーにはそれで十分だべ。

おらの手料理さ食える身分だと思っでるだが?」

 

「ひどいよ、いくらなんでも。……こういう極限状態でやっちゃいけないことは、

食事に差をつけることだって自衛隊の…痛っ!」

 

「座れつっただろうが!ぶっ殺すぞ!」

 

九頭竜君に足を蹴られた。痛い。スネを蹴ることないじゃないか。

僕は半泣きでまた座る。

 

「よさんか、九頭竜。皆、こいつのせいで浮足立つのも無理はないが、

これでは全員で話し合った取り決めも意味がなかろう」

 

腕を組む弐大君が、重く静かな声で彼を止めてくれた。

今の所、僕を守ってくれそうなのは彼くらいだ。心の内はわからないけど。

 

 

○囚人No.7・超高校級のマネージャー

 

ニダイ ネコマル

 

 

「チッ、うるせえな。俺に指図すんじゃねえ。くそ、こいつのせいで飯が冷めちまった!

もう食おうぜ」

 

「うむ!では、全員手を合わせるのじゃあ!」

 

彼が音頭を取ると、みんな手を合わせる。僕も同じく手を合わせた。

 

「「いただきます」」

 

九頭竜君まできちんと食事を始める言葉を口にしていたのは驚いたけど、

それもここの決まりらしい。後で知ったことだけど。

そして昼食開始。みんな無言で食事を口に運ぶ。僕もパンをちぎって食べ始める。

中身はジャムだった。大きめのパンだったから腹を満たすには十分だったけど、

やっぱりみんなと同じものが食べたいよ。

 

とりあえず昼食を終えると、みんな皿を持って厨房に向かう。

なるほど、自分の食器は自分で返しに行くのか。

僕もトレーを持って列に並ぶけど、なんというか……針のむしろ。

みんな何も言わないけど、僕への敵意を全身から放ってくる。

 

しかも、前にはさっき僕を殴った左右田君。早くこの列終わらないかなぁ。

そわそわした不安な気持ちに耐えかねていると、彼がぼそっと一言吐き捨てた。

 

「……5番だ」

 

「えっ?」

 

「俺の囚人番号だ!その無駄に出来の良い頭に刻んどけ」

 

 

○囚人No.5・超高校級のメカニック

 

ソウダ カズイチ

 

 

「テメーは!?」

 

「僕?あ、うん。僕は16番なんだ」

 

「勘違いすんな。

お前を痛めつけて、化けの皮を剥がすのに必要になるかもしれねえ。そんだけだ」

 

「うん。でも……話しかけてくれて、ありがとう」

 

「やめろ、薄気味悪い……!」

 

どんな理由にせよ、向こうから僕に話しかけてくれたのはなんだか嬉しかった。

今まで暴力や罵倒や理不尽な要求しか受けてこなかったこともあるし、

単純に僕という存在を認識して言葉を交わしてくれた。

それだけで少し希望が湧いてくる。

彼と喋っている間に列が進み、いつのまにか厨房の中に入っていた。

 

 

“ごちそうさまでした”

 

“おぞまづざみゃーだよ”

 

 

囚人の皆が自分で食器を片付け、炊事係に挨拶をする。

同じ高校生なのに、立場の違いが厳格だ。本当にここは、刑務所なんだな。

わかってはいたけど、実際にその生活を目の当たりにして、

ようやく本当の意味で理解出来た気がする。

厨房には、手早く食器を洗いつつ、次の人から食器を受け取る花村君。

僕の順番が周ってきたけど、皿と牛乳瓶しか渡すものがない。

 

「ごちそうさまでした!お腹が膨れたら少し元気が出たよ。それじゃあ」

 

「待じんじゃらばってん!!」

 

トレーと牛乳瓶をシンクに置いて出ていこうとすると、不思議な方言で呼び止められた。

 

「え、なに?」

 

「おみゃー!おらにでんめのざらば、あらばせよかしつもがやで!?」

 

「なんとなくだけど、“僕にお前の皿を洗わせる気か?”ってことでいいのかな……?」

 

「んだ!」

 

「でもみんなは……いや、なんでもない。洗うよ、ごめんね」

 

花村君が血走った目で睨んでくる。ここで彼とケンカなんてしたくないし、

自分の皿を洗うのはある意味当然だから、僕は食器を洗い始めた。

まず牛乳瓶に少し水を入れてシャバシャバするのを2,3回繰り返し、

ひっくり返して乾燥機に立てる。

 

次にパンが乗ってた皿を洗おうと、スポンジを手に取った。

けど、いきなりその手をはたかれた。スポンジをシンクに落としてしまう。

 

「な、なにするの。僕、何かした?」

 

「おんみゃあ、よくもそのばっちいながながのまがいもんばでおらが調理場

よござんすよござんすかごんにゃめゆるさんばい!!」

 

「ごめん、今度はさっぱりわからない……」

 

興奮しきっていた花村君は、何度も深呼吸をして心を落ち着け、

ようやく言葉を標準語にして、怒っている理由を説明してくれた。

 

「その長く伸び切った不潔な爪でスポンジを触らないでよね!おまけにそのマニキュア!

ぼくには江ノ島さんみたいなドギツい女性の習慣なんて、わからないし興味もないけど、

万一塗装が落ちて皿に残ったらどうするのさ!それが次の料理に混ざるんだよ!?

そうなったらぼくの責任問題になるし、

何よりぼくの料理にゴミが入るなんて我慢ならないんだよ!」

 

「ああ、そうか……ごめん、テントに戻ったら切っとくよ」

 

「もういいよ!出てって!気色悪いけど、君の皿も洗っとくからさ!」

 

「ごめん……ごめん」

 

花村君にはっきり拒絶された僕は、うわ言のように謝りながら、厨房を後にした。

……全部、江ノ島盾子が悪いんだ!僕だって好きでこんな格好してるわけじゃないのに!

両手を見る。長く伸ばした爪はしっかり手入れをされていて、

丁寧に光沢を放つマニキュアが塗られている。それが逆に憎たらしい。

 

後でマーケットに行って、ジャージを探してこよう。

爪も髪も短く切って、みんなの神経を逆なでしてる江ノ島盾子の姿をやめるんだ!

そう決意した刹那、僕の首に剣閃が走った。あと1mmずれていたら喉を裂かれていた。

 

冷や汗を流しながら目だけを動かして、襲撃者の姿を見ると、

漆黒のセーラー服に、長い銀髪をおさげにした眼鏡の少女。

赤い瞳で彼女は冷ややかに僕を見る。

得物は竹刀だったけど、彼女が扱えば真剣同様の切れ味を持つだろう。

喉元に凶器を突きつけられ、口が利けない僕に、彼女が問う。

 

「ずいぶん大きな声が聞こえたが……貴様、花村に何をした」

 

 

○囚人No.15・超高校級の剣道家

 

ペコヤマ ペコ

 

 

「な、何もしてないよ。

ただちょっと調理場に入るのに相応しい格好じゃなかったから、怒られただけ……」

 

鋭い視線でじっと僕を見る辺古山さん。

3秒くらいだったけど、僕には何分にも感じられた。

 

「……ふん、だろうな。流石に花村も、お前には手を出す気にもならないだろう。

待たせたな日向。始めてくれ」

 

そして、竹刀を収めてテーブルに戻る。

 

「ああ。江ノ島、お前も早くテーブルに着け。ミーティングを始める」

 

「はいはい、ただいま!」

 

モタモタしてたら叱られる。僕は一瞬四つん這いになりながら、急いで椅子に向かった。

着席すると、ちょうど花村君も洗い物を終えて厨房から出てきた。お皿洗うの早いな。

これも超高校級の料理人の資質なのかな。彼も椅子に座ると、日向君が口火を切った。

 

「これで全員だな。じゃあ、スケジュール通りミーティングを始めるぞ。

議題は……わかってるだろうが、そこに座ってる江ノ島盾子の処遇についてだ」

 

みんなが一斉にこっちを見る。うっ、やっぱり怖い。

だって、10人以上の人に無表情か微妙に怒ってる目で見つめられるんだよ?

誰か、僕に笑顔をください。

 

「当然、彼女に俺達と同じ条件でこの修学旅行を送らせるわけにはいかない。

江ノ島盾子は……かつての俺達を上回る超高校級の絶望、

特Aクラスの重犯罪者なんだからな」

 

「だから待ってよ、もう何回言ったかわからないけど、

僕は怪しい実験所で造られた江ノ島盾子のクローンで、中身は別人なんだよ!」

 

「座れ。お前に発言は許可してない」

 

「ねえ、みんなおかしいと思わない?

本当に僕が江ノ島盾子だったら、またコロシアイとか計画してたし……」

 

「黙らんか馬鹿者!!」

 

「ひっ!」

 

根拠もなく味方だと思ってた弐大君に怒鳴られ、わずかばかりの希望が砕け散る。

僕は放心状態で椅子に腰掛けた。日向君が会議を続ける。

 

「まず、江ノ島の基本的な生活スタイルだけど、

行動範囲をこの島に絞るか、中央島とここを含む他の島5つ全ての行き来を許可するか」

 

「そんなこと……どうだっていいっすよ。何が戻ってくるわけでもないし」

 

発言したのは、いつもハイテンションだった彼女。

その見た目と違って、どこか疲れ切った雰囲気を漂わせ、

溌剌としていた姿は見る影もない。

膝下まで伸ばした黒髪を、トゲのように固めて、斜めに切った前髪をカラフルに染め、

どうやってセットしたのか、ツノのような二本の巻き髪が特徴。

 

 

○囚人No.14・超高校級の軽音部

 

ミオダ イブキ

 

 

「唯吹、帰っていいすか?なんだか昨日から身体がだるくて……」

 

「悪いけど、少しだけ我慢してくれ。

こいつに関して厳格なルールを作らないと、みんな安心できないだろ?」

 

「うぃっす……」

 

「話を戻すぞ。江ノ島を第一の島に留めるかどうか、多数決で決めよう。

この島に閉じ込めた方が良い、と思う人」

 

誰も手を上げなかった。いきなり結論が出る。

 

「……なるほど。江ノ島盾子の行動範囲は定めない。

そう決まったけど、理由を聞いておきたい。弐大はどうしてだ?」

 

「元々この島は全部自然の牢獄じゃあ。……ワシらもまた罪を償うためのな。

ましてはここは仮想空間。どこにも逃げられはせん。

ならば、島内での行動を許可して、贖罪の幅を広げた方がよかろう」

 

「オレもオッサンに賛成だ。そこのどう見ても運動不足女に見合う罰と言えば……

ジャバウォック刑務所100周マラソンしかねーだろ!」

 

恐ろしい提案を本気で口にする、褐色の肌が目を引く少女。

 

 

○囚人No.9・超高校級の体操部

 

オワリ アカネ

 

 

ブラウスに赤のスカートというシンプルな服装だけど、今の僕みたいに胸元が開いてる。

江ノ島盾子みたいに意識的なものじゃなくて、単純にサイズが合わないせいだ。

その……大きすぎて。

 

「それは“おしおき”のレベルに達するからダメだ。俺達まで奴と同じになる」

 

「ちぇっ、他に何かあるとは思えねえけどな」

 

日向君ありがとう。メチャクチャな刑罰を阻止してくれて本当にありがとう。

 

「次の議題だけど……」

 

「はいはいはーい!わたしに提案がありまーす」

 

西園寺さんが小さな体を伸ばして手を上げた。変なことじゃなきゃいいけど。

 

「どうしたんだ?西園寺」

 

彼女はむくれた顔で僕を見る。

 

「さっきからずっと気になってたんだけど、そのゴミカス女の“ボクっ娘キャラ”、

全然似合ってないっていうか、正直虫酸が走るー。今すぐ止めて欲しいと思いま~す」

 

「日寄子ちゃんたら……あ、やっぱりアタシもなんだか不愉快。

日向、これ議題に上げてもいいと思う」

 

「そうだな。

なんだか本質とズレてる気がするが、江ノ島のために誰かが我慢するなんて本末転倒だ。

江ノ島は今すぐ元通りの喋り方に戻せ。超高校級のギャルの方だぞ?」

 

急に理不尽な要求を突きつけられ、戸惑う。女言葉なんて喋れるわけない。

みんなに訴えるように説得する。

 

「お願いだよ、本当に信じて。僕は中身が男の一般人なんだ。

女性らしい喋り方なんて、できないよ」

 

「拒否権はない。言ったはずだぞ。喋り方を、戻せ」

 

「うふふ……“こっち”の世界に来る前に映像資料を見せてもらったんだけど、

江ノ島おねぇって、“七変化”ができるんだっけ?

やってみせてよ。ていうか、やれ、おら」

 

うっ…西園寺さん、君みたいな愛らしい娘がそんな目で凄むのは、

画的にまずいと思うんだ。

 

「その模様は俺の眼にも焼き付いているぞ。女王、キャリアウーマン、泣き虫女、等々。

バリエーションは666のペルソナを持つ俺様の足元にも及ばんが、

切り替えの速さは認めてやってもいい。

さあ!西園寺の求めに応じ、今こそ貴様の正体を見せるがいい!」

 

僕をまっすぐ指差し、この大仰な台詞で話すのは、やっぱり一人しかいない。

 

 

○囚人No.4・超高校級の飼育委員

 

タナカ ガンダム

 

 

片仮名に直ったらモロに出てしまいました。彼の特徴は、もう何が何だかわからない。

まず真っ黒なコートに長い紫のマフラーが目につくよね。

白のメッシュを入れたオールバックの髪を一房だけ柔らかく伸ばしてる。

左目に稲妻模様が走ってるけど、多分タトゥーシールか何かだと思う。

右耳だけに着けた金のイヤリングも忘れちゃいけない。

 

目下の問題に戻るけど、やれって言われたって、小道具もないし、

あんなに沢山のキャラを演じるなんて無理だ。そもそも、できたらできたで問題だよ。

本物の江ノ島盾子だってことになっちゃうんだから。

 

あっ……これってもしかして、西園寺さんの罠?

できたら僕は江ノ島盾子、できなくても僕の立場は悪くなる。

僕が目を泳がせていると、待ちかねた西園寺さんが囃し立てる。

 

「遅いぞー。やーれ、やーれ、やーれ」

 

小泉さんも止めようとせず、じっと僕を見てる。……もう、やるしかない。

小道具なしでできた人格がある。

意を決して立ち上がると、小さく“おおっ”と声が上がる。

足は少々内股に、両手を顎に当てて、目はパッチリ見開いて上目遣い。

 

「え…えへっ!場馴れしてないヒッキーによってたかって無茶振りしたら~

めっ!なんだゾ?きゃるん!」

 

気温は30℃を超えてるけど、心の温度は零下を記録しております。なんか言ってよ。

 

「2点。100点満点で」

 

西園寺さんの罵倒と軽蔑の目すら心地いい。

 

「江ノ島、お前ここに来るまでに頭でも打ったのか……?」

 

「だからできないって言ったじゃないかぁ!!」

 

もはや暴力と憎しみ以外なら何でもOKになってたと思ってたけど、

恥という弱点が残っていたとは、不覚……顔を真っ赤にしながら座る。

でも、何も収穫がなかったわけじゃない。

一部のメンバーの間で、ほんの微かに、こんな空気が流れているのを感じた。

 

“こいつは本当に江ノ島盾子なのか?”。

 

実際、田中君が珍獣を見るような目で僕を見ている。

江ノ島盾子ではなく、変な生き物として。行ける……!

このまま江ノ島盾子らしくない行動を続ければ、いつかみんな信じてくれる。

 

「まぁ……今のキャラは最悪だったが、

単にお前の芝居が下手になっただけの可能性が高い。

俺はまだお前を信じちゃいないが、一般的な女性らしくは振る舞ってもらうぞ」

 

やっぱり日向君は疑ってるけど、

僅かに状況が改善されて、後ろ向きな感情は少し和らいだ。

 

「もう、どうにでもしてください……今ので、一生分の恥をかきました……」

 

無意識に悲しみの少女キャラを出すところだった。危ない危ない。

 

「そうか。なら、ソニア。こいつにもう一度女性らしい振る舞いを教えてやってくれ。

みんなが背筋の寒くなる思いをしなくて済むように」

 

「ガッテン承知の助です。但し、わたくしのレッスンはスパルタ教育でしてよ」

 

「構わない。ビシビシしごいてやってくれ」

 

 

○囚人No.10・超高校級の王女

 

ソニア・ネヴァーマインド

 

 

説明の必要がないほど、文字通りの王女。

眉目秀麗で、美しいブロンドを後ろに流し、

頭のやや後ろを編んで大きなリボンを着けている。

スカートが短めの濃紺のドレスを着て、

胸元に結ばれた蝶ネクタイに付いたブローチがポイント。

 

「レッスンのスケジュールなんかはソニアの都合で決めてくれ。

江ノ島の用事と被ったら全部キャンセルさせろ」

 

「オッケーですわ。

……江ノ島さん。今後わたくしからのメールには1分以内に返信するように。

遅れたら、あなたが辛い思いをするだけですからね?」

 

「1分って、それ場合によっちゃ。わかりました」

 

無茶な要求の緩和を求めようとしたけど、

灰色がかった青い瞳で一瞥されると、考える前に言うことを聞いていた。

超高校級の王女、恐るべし。日向君が次の話題に移った。

 

「じゃあ、最後の議題だ。この島に置ける江ノ島の労役だ」

 

「労役?」

 

「当たり前だろう。ここは刑務所なんだぞ?

タダで飲み食いできると思ったら大間違いだ」

 

「そうは思ってないけど……ぼく、じゃない、私は何をすればいいんですか」

 

一人称を僕から私に変えた。ただそれだけなのに、大事な何かを失った気がする。

僕を構成する何かが。それが何かを考えている余裕は、今はない。

ただ言われた通りの事をするだけ。

 

「それを今から決めるんだ。

……みんな、江ノ島に何をさせれば、贖罪の足しになるか、いいアイデアはないか?」

 

「唯吹の部屋、片付けてほしいす。掃除すんのがだるくて……」

 

「えへへ、それくらいなら喜んで!」

 

思わずピースして引き受けようとした。

ピース?僕、嬉しいことがあっても絶対ピースなんかしないんだけど?

 

「だめだ。澪田、辛いのはわかる。みんな同じ辛さを抱えてる。

それを共有して償っていこうと決めたんだよな。

でも、自分で立ち上がらなきゃいけないときもいつか来るんだ。

ここで自分を甘やかしたら、二度と立ち直れなくなるぞ」

 

「……そうすか。じゃあいいっす」

 

澪田さんは相変わらず焦点の会わない目でテーブルを見つめている。

彼女は何を知って、どうしてこうなってしまったんだろう。

 

「小泉、後でコテージまで付き添ってやってくれ。……他に意見は?」

 

今度は弐大君が手を挙げた。

 

「やっぱり採掘や採集、掃除当番が妥当じゃろう」

 

「そうだな。特に採掘は重労働だ。刑罰としては最適だと思う。

じゃあ、江ノ島にこの労役を科すか、多数決を……」

 

「は~い!その前にわたしから提案だよ!」

 

「どうしたんだ、西園寺」

 

西園寺さんが椅子の上で跳ねながら嬉しそうに挙手した。

 

「素材集めもいいんだけどー。わたしとしては変態野郎の世話係がいいと思いまーす」

 

場の空気がざわっとなる。彼女が何かのタブーに触れたみたいで、僕まで不安になる。

日向君が何かに耐えるように目を閉じ、やがて決意を固めて口を開いた。

 

「そうだったな……今までは皆が交代で担当してたけど、江ノ島にやらせれば、

少しはみんなの負担も減るかもしれない」

 

「よろしいんですの!?江ノ島さんと彼を近づけるのは危険では!」

 

「奴が欲しがっていたのは、“超高校級の絶望を乗り越えた先にある希望”だ。

江ノ島単体では成り立たない。

ソニア、君だって奴に会う度に胸を痛めているんじゃないのか?」

 

「それは……」

 

日向君は七海さんに視線を送る。

彼女は会議に飽きているのか、眠たそうに大きなあくびをしている。

 

「みんな、この件に関してはリーダーとして独断で決めさせてもらう。

江ノ島盾子、お前には狛枝凪斗の食事係を命じる」

 

「え、食事係?それでいいの?」

 

「簡単なことみたいに言うな!!」

 

「すみませんでした!」

 

突然怒鳴られて、思わずでかいツインテールを抱きしめる。

だって日向君が大丈夫って言ったから……

 

「あのう、ぼ…私は何をすればいいの…かしら?」

 

「毎日食事時間30分前に、花村から食事を受け取り、

ホテル隣の別館にいる狛枝に運ぶんだ」

 

「わかりました」

 

どんなときでも、“わかりました”、“はいすみません”。

これさえ守ってれば、怒られたり叩かれたりする可能性を限りなく小さくできる。

うん、ここでの生き方がわかってきたよ!

 

「じゃあ、さっそくだが、今から彼に昼食を運べ。

会議ですっかり遅くなったが、あいつにも文句を言う権利はない。

初仕事だが、気を抜くなよ」

 

「わかったよ。彼は別館にいるんだね」

 

「そうだ。繰り返すが、気を抜くなよ」

 

気を抜くな。その言葉の本当の意味を、僕はこの後、思い知ることになる。

花村君から受け取った食事の乗ったトレーを持ってホテルから出た。

 

「気を抜いちゃだめだ。こぼしたら何をされるかわからないよ」

 

ホテルの隣にあるログハウス風の別館に入る。狛枝君はどこだろう。

厨房、倉庫、トイレ…は空室だった。最後に大ホールの扉を開く。

広さに対して十分な窓がないから、薄暗い。これじゃ食事を渡せないよ。

持って帰ったらまた怒られる……途方に暮れかけた時だった。

 

──やあ、遅かったね。ボク、もうお腹ペコペコだよ。

 

「ぎゃっ!」

 

暗がりから話しかけられて、思わずトレーの食事をぶちまけるところだった。

そりゃそうだよ、こんな男がぬっと現れたんだもん!

 

 

○囚人No.2・超高校級の幸運

 

コマエダ ナギト

 

 

このクソ暑いのにフード付きのロングコートを着て、

真っ白で滑らかな髪を無作為にいくつも立たせた男。

ベルトにドクロの飾りが付いたチェーンを垂らしていて、

それが一層彼の不気味さを際立たせてる。

 

「狛枝、凪斗君……?」

 

「うん、そうだけど。見ない顔だね。君は……えっ」

 

彼は僕の顔を見ると、まばたきもしなくなり、硬直したように動かなくなった。

死後硬直かと心配になった僕は声を掛けようとした。けど。

 

「くっ、あははははははははははは!!あっはははははははは、はぁ!!」

 

突然狂ったように笑い出す狛枝君。

怖くなった僕は、足元にトレーを置いて立ち去ろうとする。

でも、ガッと腕を掴まれ、逃げられなかった。

彼は狂気を孕んだ目で僕を頭から脚の先まで見ると、

その顔をくっつくかと思うほど近づけてきて、語りだした。

 

「すごいよ!やっぱりボクは超高校級の幸運だよ!

またボクの目の前に超高校級の絶望が現れるなんて!

微かな希望を信じて刑務所ごっこに付き合ってきた甲斐があったよ!」

 

「ち、違う!僕は江ノ島盾子のクローンに移植された別人なんだ!

中身はただのヒッキーで、超高校級の才能なんてないんだ!」

 

「ああ、わかってるさ。オリジナルの江ノ島盾子は死んだ。だってほら……」

 

狛枝君は、左腕の袖をまくって、僕に見せた。それは、明らかに、女性の左腕だった。

ゲームで知ってたとは言え、実物を目の当たりにするとその異常さに吐き気を催す。

 

「うっ!はぁ…はぁ…ぼく、もう、いくよ」

 

「ごめん、ごめん。いきなりこんなものを見せられたら、気分も悪くなるよね。

でも怖がることはないよ。これは君の腕なんだから」

 

まるで駄々をこねる子供をなだめるように、僕を落ち着かせようとする狛枝君。

僕は思い切り頭を振って否定する。

彼に自分の左腕を見せながら、叫ぶように声を絞り出す。

 

「僕の腕は!ここにある!それは偽物だ!」

 

「う~ん、どう言えばいいのかなぁ。どちらかと言えばそっちが偽物なんだけど。

これ、凄いんだ。オリジナルから回収して僕の腕にくっつけたんだけど、腐らないんだ。

普通は拒絶反応が起きてダメになっちゃうのに、不思議だよね」

 

こいつは何者?僕が江ノ島盾子じゃないってことをわかってるのか、わかってないのか、

全く捉えどころがない。なんだか、僕のほうがパニックになってきた。

 

「どこまで、知ってるの…?」

 

「質問が曖昧で返答に困るけど、オリジナルは死んで、死体からクローンが作られて、

別人の精神が埋め込まれたってところかな」

 

これは、喜んでいいのか?

僕が江ノ島盾子じゃないことを信じてくれる人が初めて現れた。

 

「み、みんなに説明して!僕が彼女じゃないってこと!」

 

「それはちょっと難しいかなぁ」

 

困った顔をして腕を組みながら、やんわり拒否する狛枝君。

死に物狂いで彼の肩を掴んで問いただす。

 

「なんで!?だったらどうして僕が江ノ島じゃないって分かるのさ!」

 

「まず1つ目。

ボク、ここでコロシアイが行われてた時、ちょっとはしゃぎすぎちゃってさ。

みんなの信用、ないんだよね。何を話しても君の絶望に魅せられたとしか思われない。

2つ目の問いだけど、ボクもこのバーチャル世界に来る時に説明は受けたからさ、

大体のことは知ってる。オリジナルと君のDNAは一致してて姿形も全く同じ。

……でもね。彼女と君には決定的な違いがある」

 

「なに、それ……?」

 

「それこそ超高校級の才能さ。彼女は、超高校級の絶望だった。君は……何者でもない。

そうだね。例えば、ベルトコンベアで巨大なプレス機に運ばれてるけど逃げられない。

そんな状況に陥ったら、君ならどうする?」

 

「そりゃあ、必死に助けを呼んだり、逃げ出す方法がないか探したり……」

 

「違う」

 

「えっ?」

 

「彼女ならそんな絶望的な状況を喜んで受け入れるだろうね。

絶望こそが彼女の悦びなんだから。

人が何に喜びを見出すか、他者に証明する方法なんてないよね」

 

「確かにそうだけど……結局君は僕の敵なの、味方なの?」

 

「大好きだよ。今のところはね……」

 

曖昧な答えを返した狛枝君は、僕に向き合って薄笑いを浮かべる。

 

「何が言いたいのかさっぱりわかんない!君は一体誰なんだよ!」

 

「知ってる通りの狛枝凪斗だよ。ひたすら希望を追い求める、ただの超高校級の幸運さ」

 

「言っとくけど、今回はコロシアイなんて起きないよ!

単に僕が虐げられてるだけのつまんないゲームだからね!」

 

狛枝君は、今度は顔の側で指を立てて、説き伏せるように語る。

 

「陳腐な言葉で申し訳ないんだけどさ、やっぱり歴史は繰り返すんだよ。

たまたまマッドサイエンティストが肉体を完成させた時に、別世界から君がやってきて、

同時に未来機関が復活した江ノ島盾子を手に入れた。

偶然にしては出来過ぎてるとは思わない?」

 

「その偶然が、君の幸運だって言いたいの?」

 

「そう。君が望もうが望むまいが、江ノ島盾子というファクターが再出現した以上、

再びかつてのような絶望が引き起こされる。

ボクはね、超高校級の才能を持つみんなが、己の罪、

そして江ノ島盾子(キミ)という絶望を乗り越える姿を見たいのさ。

一度は彼らに失望したけど、チャンスは再びやってきた。

その時に、皆が放つ輝きは、それは美しいに違いないんだ……!」

 

「僕は、絶望なんかじゃない!」

 

「だったら、その運命を乗り越えて見せてよ。

もし、それが実現したら、やっぱり美しい輝きを放つんだから。

……さて、そろそろ遅めの昼食を取らせてもらうよ。

さっきも言ったけど、ボクは要注意人物に指定されてて、ここから出られないんだ。

これから、よろしくね」

 

言いたいことを言うと、狛枝君は床に座ってパンを食べ始めた。やっぱり彼は狂ってる。

僕が絶望に?そんなことあるわけない。食事を続ける狂人を放って、僕は別館から出た。

仕事が終わったら少しの間、自由時間として過ごしていいって言われてる。

僕は伸びをして南国の潮風を思い切り吸い込んだ。

 

 

 

 

 

そして、食事を終えた狛枝凪斗は呟いた。

 

「彼女に言い忘れたな。僕の幸運は不幸とワンセットだって」

 

 

 

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6.規則

 

ジャバウォック刑務所において、受刑者達が自ら定めた生活上のルール。

起床就寝時刻、自由時間の行動制限、食事のルールを細かく設定し、

自分達を縛っている。いつかそれが “償い”として実を結ぶと信じて。

 

 



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第3章 戦わなければ生き残れない

ちょっとだけ休憩時間を貰えた僕は、テントに戻って、ベッドに座って休んでいた。

ついでに電子生徒手帳をチェックして、現状確認。

通信簿のアプリを開くと、ずらりとみんなのアイコンが並ぶ。

……お昼ご飯の時に、少しだけお話しできた左右田君の顔をタッチしてみる。

すると、“贖罪のカケラ”が2になっていた。……ひとつ増えてる。

 

「左右田君……」

 

液晶の黒い画面に映った江ノ島盾子がつぶやく。

もしかしたら、さっきお皿を運ぶ時に、少しだけお喋りしたおかげかも知れない。

憎しみ混じりとは言え、言葉を交わして互いを知ろうとしたから。

 

左頬の痣はまだ消えてない。さっきの今だから当たり前だけど。

いろんな事があったから、ずいぶん時間が経ったように錯覚してたけど、

この島に来てまだ2時間くらいだ。これからどうしよう。

昼寝をして無駄に過ごすのはもったいない。

こんな風にみんなに話しかけて……と思った時だった。

 

うっ!とうとうこの時がやってきた。

いつかはぶち当たると知りながら、目を背けてきた問題。

やはり現実からは逃げられない。

 

「お腹痛い……」

 

お昼ご飯の牛乳でも傷んでたのかなぁ。この暑さだもんね。

僕はテントを出て、フラフラとホテルに向かった。

テントにはトイレがないからホテルの物を使うしかない。

こりゃ下手に遠出はできないな。

今後は事前にマップを確認して行き先のトイレの場所を確認しとかなきゃ。

キリキリと痛むお腹をさすりながら、トイレに駆け込む。

 

これで3回目のパンツ操作だけど、気にしてられないほど痛い。どうにか間に合った。

便座に座ると、屋台の綿あめくらい大きなツインテールが壁に当たって、

両サイドから僕の顔をふかふかしてくる。わ、柔らかくてあったかい。

 

でも、そんな幸福感を強烈な腹痛が邪魔をする。お腹を絞られるような痛み。

もう準備はできてるから、用を足せばいいんだけど……

あれ?大腸に詰まっているものが出ない。それでもお腹は捻れるほど痛い。

 

小さい方が少し出てきたけど、そっちじゃないんだよ!

今度は同じ失敗を繰り返さないよう、トイレットペーパーを巻き取って、

ええと…拭き取って、便器に捨てようとした時。

 

うわああああ!!

 

顔面蒼白。ホテル中に響き渡る悲鳴を上げた。

だって、トイレットペーパーが真っ赤な、いや、ピンク色の血で染まっていたんだから!

もう、何が見えるとか気にしてる場合じゃない。

便器を覗くと、まだ血がポタポタと滴っている。どうしよう、止まる気配がない。

 

病気?怪我?左右田君に殴られた時、内臓を傷つけたの!?

とにかくなんとかしなきゃ、このままじゃ死んじゃうよ!

個室を見回して、老人向け救急ボタンが無いか確認。ない!便器は既に血だらけ!

なんなんだよ、これ!

 

パニックになった僕は、トイレットペーパーを巻けるだけ巻き取って、

パンツの中に入れると、叩くようにセンサー式水洗スイッチをタッチした。

水の流れる音を背後に個室を飛び出し、ホテルを出て、走ってテントに戻ってきた。

それで、どうするの?僕は何をやってるんだ!?

戻ったところで、状況が改善するわけでもないのに!

 

唯一自分が自由になるスペースに救いを求めてきたのだろうか。

下着の中を見てみると、トイレットペーパーはもう、

血液を含んでただの濡れ布巾になっている。

死の恐怖、恥ずかしさ、お腹の痛みに、僕はまた大声で泣き叫んでいた。

 

「うわああん!死にたくないよう!誰か助けてー!お願いだよー!何でもするから!!」

 

ティッシュを何枚も抜いて、ひたすら流れ続ける血を拭い続けるけど、

謎の出血は全く止まる様子を見せない。

そのうち、騒ぎを聞きつけたみんながテントの前に集まってきた。

誰彼構わず、なりふり構わず、助けを求める。

 

「なんだ、江ノ島。大声を出して。みんなを騒がせ……おい、どうしたんだこれは!」

 

日向君達が床に散らばる血だらけのティッシュを見てショックを受ける。

ゴミ箱に捨てる余裕もなく、放り投げた物。

 

「お腹が痛くて血が止まらないんだ!お願い、病院に連れて行って!」

 

「なんじゃあ!クソか?血便なのか!?」

 

「弐大君!?クソのほうがマシだよ!あああ、あの、おしっこするところから血が!」

 

「ならば血尿じゃのう!こりゃ、苗木に連絡を取って……」

 

──皆さんは帰ってください。

 

集団の中から女の子が出てきて、みんなにテントから出るよう促した。

ピンクの上着にエプロンを着けたミニスカートの少女。

黒のロングヘアなんだけど、毛先が短冊みたいに切られてて、長さもまちまち。

泣きボクロが似合う可愛い娘だけど、右脚に包帯が巻かれてて、左足にも絆創膏。

どこか怪我してるのかな。

 

 

○囚人No.13・超高校級の保健委員

 

ツミキ ミカン

 

 

「しかし……大怪我をしとるようじゃぞ?」

 

「い、いいから出てってくださぁい!」

 

勇気を振り絞って内気な彼女が叫ぶ。

その姿にみんなは困惑しつつも、それぞれの場所へ戻っていく。

 

「なーんだ。ゴミカス女が蛇玉みたいに、

のたうち回って死ぬところが見られると思ったのに~」

 

「まあ、保健委員の罪木に任せておけば大丈夫じゃろうが……頼んだぞ」

 

「生きよ、江ノ島。ラグナロクが訪れるその日まで、無為に魂を散らすことは、

魔神トールの申し子たるこの俺が許さん」

 

「いいから帰ってくださいよおお!」

 

罪木さんが、両手で髪の毛を掴み上げて、必死の形相で絶叫する。

 

「わわ、悪かった。皆、散れ散れい!」

 

彼女の一喝で皆、まだ残っていたメンバーが蜘蛛の子を散らすように去っていった。

普段怒らない人が怒ると怖い説は、既に説じゃなくて事実。

あ、そんな事考えてちゃダメだ。まだ出血は止まってない。

急いで何枚もティッシュを引き抜く僕に、罪木さんが近づいてきて、

そっと僕の側に座り込んだ。

 

「うう……罪木さん、助けて…癌じゃないよね、僕助かるよね……?」

 

「心配いりません。それは、女の子は誰でも経験することですから」

 

「ほへ?」

 

間抜けた声を出すと、彼女はポケットから、

手触りのいいビニールに包まれた何かを取り出し、僕にくれた。

 

「こういうときにはそれが必要なんです。使い方を教えますね」

 

「なんなの、これ」

 

すると罪木さんは、僕の耳にひそひそと、

ポケットティッシュみたいな物について説明してくれた。

段々顔が赤くなり、聞き終わるころにはゆでダコのようになっていた。

 

「……つまり、そういうことですから、

月一の状況に備えて、マーケットで必要なものを揃えて置いてくださいね」

 

「わかりました。本当にありがとうございました」

 

どうにか固い言葉でお礼を言うのがやっとだった。

保健体育で習ったことをまるっきり忘れて大騒ぎして、

ずっと年下の女の子に下の世話を……恥ずかしい。

さっきも言ったけど、本当にウィークポイント。恥。

 

「私にできるのはこれだけですから。失礼します」

 

去っていく彼女を見て、我に返る。慌てて彼女を呼び止めた。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

背を向けたまま足を止める彼女。

 

「どうして僕を助けてくれたの?

きっと、僕じゃない江ノ島盾子は、

罪木さんにも取り返しのつかないをしたと思うのに……」

 

「自分でも……」

 

「え?」

 

「自分でもわからないんです。

私の唯一の取り柄だった、“超高校級の保健委員”としての能力に、

まだしがみついているのか、心の底から傷ついている人を助けたいのか。

そんな事を願う資格すら私にはない。

……それだけは分かりきっているのに、つい身体が動いてしまいました。

今までは同じ囚人の皆さんの手当てだけしていればよかった。

それだけは許してもらえると思っていたのに……!」

 

「罪木さん……?」

 

握った白く小さな拳が震える。やっぱり彼女も左右田君と同じように……

 

「とにかく、差し上げられるのはひとつだけですから、

早めにマーケットに行ったほうがいいです。さよなら」

 

もう一度罪木さんを呼んだけど、今度はその声を無視して去ってしまった。

その背が見えなくなっても、しばらく外を見ていたけど、

やるべきことを思い出して頭を振った。

 

「こうしちゃいられない。マーケットに行かないと!」

 

僕は彼女に習ったとおりに生理用品を替えの下着にくっつけると、それに履き直して、

汚れたものをあまり見ないようにして洗濯機に放り込み、電源を入れた。

帰ってくる頃には洗い終わって、血もきれいに落ちてると思う。多分。

 

準備ができたから、僕はホテルの敷地外に出る。

そうそう、マーケットには別の用事もあったんだ。ジャージとハサミ。

この派手な服から着替えて、長い髪を切るんだ。

少しはみんなを刺激せずに済むようになると思う。

 

電子生徒手帳を取り出して、地図アプリを開く。マーケットは……ここから南だね。

同じ島内だから迷わずに済みそう。僕は地図のナビゲーションに従って進み始めた。

ゲームより詳細になってるな。いつの間にバージョンアップしたんだろう。

 

「わー、広いな」

 

必要なものをすぐ調達できるよう考慮されたのか、

ホテルからそう遠くないところにロケットパンチマーケットがあった。

近所のダイエーより大きい。比較対象がダイエーってところが田舎者丸出しだけど、

とにかく自動ドアをくぐって中に入る。

 

ドアが開くとエアコンの冷気が吹き込んできて気持ちいい。

中も広くて、サーフボードや水着と言った海水浴を楽しむための道具や、

ウォーターサーバーのタンクみたいな巨大ボトルに入ったコーラが嫌でも目に入る。

これ、炭酸が抜ける前に飲みきれるの?

 

おっと、どうでもいいこと気にしててもしょうがない。

いつソニアさんから呼び出しメールが来るかわからない。

ちゃっちゃと買い物を済ませよう。買い物カゴを持って店内を進む。

 

まずは、ジャージ。黒は日光を吸収して暑くなるから、ダサいけどえんじ色でいいや。

ハンガーから外してカゴに入れる。次はハサミ。日用品コーナーでゲット。

あと必要なのは……さっき大騒ぎして赤っ恥をかいたことを思い出して、

また顔が赤くなる。

 

同じく日用品コーナーで生理用品を見つけた。んだけど……どれ!?

銘柄が多すぎて何を取れば良いのかわからない。

 

「ちょっと思ったんだけど、いっそ大人用紙おむつの方がいいんじゃないかな?

もっと大量のものを吸い込むんだし」

 

独り言を漏らすけど、誰も返事なんかしてくれない。

“うん、そうだね!”って声がしたら怖いけどさ。

仕方がないから、一番多く並んでて、メジャーっぽい銘柄を3つほどカゴに入れて、

買い物終了。他に用事はないから早く帰ろう。

 

さっきも言ったけど、いつまでもブラブラしてると、何をされるかわからない。

自動ドアを通ろうとしたら、後ろからよく通る声で呼び止められた。

 

「おい、金くらい置いていったらどうなんだ」

 

振り返ると、お相撲さんもびっくり。

太っちょというレベルを超越した体型の、眼鏡を掛けたインテリ系少年が立っていて、

見下ろすように僕をじっと見つめている。

 

 

○囚人No.3・超高校級の御曹司(?)

 

トガミ ビャクヤ

 

 

サイズのLがいくつ必要なのかわからない白のスーツ。

服の大きさを除けば、わりと普通の装いだけど、彼が言っている意味がわからず戸惑う。

 

「あの……どういうことかな?お金って」

 

「フン、売買契約の基礎すら知らんのか、愚民め。お前が手に持っているものは何だ?」

 

「これ?えっと、僕、この服から着替えようと思うんだ。

それと、さっき色々あって……」

 

「違う、馬鹿者!

この十神白夜の目の黒いうちは、キャンディひとつだろうと万引きは許さん!」

 

そしてビシッと僕を指差す。ううっ、ソニアさんと似たようなオーラに圧倒される……

なんとか勇気を出して疑問を投げ返す。

 

「ゲームではみんな、マーケットから好きな物を持ってきてたと思うんだけど、

それじゃだめなの?」

 

「日向の説明や生徒手帳のキーワードが理解できなかったのか?

ここはかつてコロシアイが行われた、修学旅行の舞台ではない。

元超高校級の絶望達を収監するジャバウォック刑務所だ!

お菓子やアイス食べ放題。オシャレな服も選び放題。

そんな快適な刑務所が存在すると思っているのか?それに!」

 

彼が商品棚を指差す。なに、なに?

 

「お前にはあれが見えないのか」

 

買い物に夢中で気が付かなかったけど、

よく目を凝らすと、棚に小さな紙片が貼ってある。そこには手書きで値段が。

でも単位が気になる。“~枚”。何の枚数?1円だったら嬉しいな。

 

「値札、なの?」

 

「そうだ。このジャバウォック島を刑務所として作り直すために、

皆で商品に価格を設定し、好き放題に飲み食い贅沢ができないよう、値札を作ったのだ。

ちなみに、貨幣の単位はウサミメダルだ。

現実世界では瓶ジュースの王冠を使っていたが」

 

「ウサミメダルってなあに?」

 

彼はやれやれと呆れて首を振る。餅のような二重あごが、ぷるるんと揺れる。

 

「労役をこなすと与えられる、電子マネーだ。貴様はいくら持っている」

 

「電子マネー?そんな機能があるの?」

 

「はぁ。その様子では文無しなのだろうな。何も買えん。諦めろ」

 

「そんな……」

 

細い両腕で抱えた買い物カゴを抱きしめる。悲しそうにカゴの中身に目を落とす姿は、

万引きを咎められた女子高生にしか見えないだろう。

少しの間立ち尽くしていると、また十神君がため息。

 

「……お前は何を買おうとしたんだ」

 

「これだよ」

 

そっと買い物カゴを差し出す。彼は中身をゴソゴソと探り始めた。

 

「着替えは…だめだ。ハサミ?凶器になる恐れがある。これは…フン、いいだろう。

おい、生徒手帳を出せ」

 

彼はジャージとハサミをカゴから取り出した。

 

「え、うん。わかった」

 

なぜだかわからないけど、言われるままに電子生徒手帳を見せた。

十神君も生徒手帳を取り出し、何か操作してから、僕の手帳に近づけた。すると。

 

“チャリーン!メダルを受け取りまちた!”

 

僕の生徒手帳が、サザエさんのタラちゃんみたいな声を出した。ホーム画面を見ると、

いつの間にか“ウサミメダル”というアプリがインストールされてる。

立ち上げると、諸々の機能のアイコンと、画面中央に大きくウサミの顔が彫られた銅貨、

そして“残高10枚”の文字が表示されていた。

 

「ウサミメダルは囚人の間でやり取りが可能だ。

あまりに哀れだから今回は恵んでやる。感謝しろ。

さあ、わかったらさっさとレジに行け」

 

「ありがとう、十神君!でも、ジャージとハサミはどうしてだめなのかな。

みんなを怒らせてるこの格好をやめたいんだ……」

 

「自分がここに来た目的を忘れたのか?世界中に潜む江ノ島盾子の信奉者に、

お前が何も出来ず右往左往する情けない姿を見せて、絶望の呪縛から解き放つためだ。

ただのジャージ女を痛めつけても何の意味もないのだ!わかったら行け!」

 

「来たっていうか連れて来られて…いや、なんでもない。わかった」

 

江ノ島盾子をやめることは許さない。

そう宣言されて、僕は肩を落としながらレジに向かった。

ひとつしかないレジに着いたけど、誰もいない。

セルフレジでもなさそうだし、どうすればいいんだろう。

 

“いらっちゃいまちぇー!少々お待ちくだちゃーい!”

 

さっきのタラちゃん声と共に、なにか小さな物体が落下してきた!

天井から落ちてきた“それ”は、空中で巧みにバランスを取り、着地。

奇妙な存在が話しかけてくる。

 

「ふぅ~待たせてごめんでち。はじめまして。お買い物でちよね、江ノ島さん!」

 

「やっぱり……僕のことは知ってるんだね」

 

落ちてきたものの正体はウサミ。ゲームで見た。

本当の姿は序盤と終盤でしか見られないけど。外見は大きな白いクマのぬいぐるみ。

ピンクの前掛けとたくさんフリルの付いたスカートを履いてる。

その手にはハートと翼の飾りを着けたステッキ。

ヘンテコな格好だけど、ウサミは万能の力を持ってる。僕が絶対に逆らえない力を。

 

「そう!あちしは江ノ島さんのこと、ずっと待ってたでち。

あなたが、いい子いい子、になってくれるまで、全力でお世話するのが役目でち」

 

「僕は、江ノ島盾子じゃない……!」

 

中身が減った買い物カゴを、レジのレーンにドンと少し乱暴に置いた。

 

「まだまだ道のりは遠いでちね~。とにかくお買い物を済ませるでち」

 

ウサミはカゴの商品を一つ一つスキャンした。

まぁ、3つしかないからあっという間に終わったんだけど。

 

「合計で6ウサミメダルになりま~す。

そこのスキャナーに生徒手帳をかざしてくだちゃいね」

 

黙って電子生徒手帳を楕円形の台にかざすと、またシャリンと音が鳴って、

残高が表示されて4になった。

 

「お買い上げありがとうございまーちゅ!袋に詰めるからちょっと待ってくだちゃい。

あ、これは紙袋に……」

 

「いいよ、そんなの。普通の袋で!」

 

僕は商品が入ったビニール袋をひったくると、

足早にロケットパンチマーケットから立ち去った。

とりあえず帰ったらテントを掃除しよう。

血まみれのティッシュだらけでちょっとした殺人現場になってたからね。

 

ピロロロ…

 

生徒手帳から着信音。あ、メールだ。開いてみる。

 

 

差出人:ソニア・ネヴァーマインド

件名:レッスン開始

 

わたくしの作業が終わったので、今からレッスンを始めます。

ホテル1階のロビーまで来てください。3分で。

 

 

はぁ!?いくらマーケットから近めだからって、

ここからホテルまでは走っても5分は掛かるよ!急いで返信する。

 

 

件名:RE:レッスン開始

 

今マーケットにいるんだ、10分ちょうだい!

 

 

送信!…即座に返事が帰ってくる。

 

 

差出人:ソニア・ネヴァーマインド

件名:RE:RE:レッスン開始

 

3分

 

 

そんだけ。冷てえ!全速力でダッシュする。

今日だけで、現実世界にいた頃の数年分運動したと思う。

ホテルの白い壁が見えたときには、3分なんてとっくに過ぎていた。

入り口のドアを身体で開けると、そこにはソニアさんが待っていた。

暗い怒りを込めた無表情で。

 

「はぁ…はぁ…遅れてごめん、ソニアさん。あのね、僕……」

 

「お黙りなさい!」

 

ヒュン!と、しなる何かが風を切って僕の腕を叩いた。

 

「痛あっ!」

 

彼女の手にはムチが握られている……!何考えてるんだよ!

ていうか、どこから持ってきたんだよ!

 

「叩くことないじゃないか!メールでも伝えたよね!?

マーケットにいたから3分じゃ無理って!」

 

「……わたくしの祖国では、13分前集合に遅れた者は厳罰なのです。

まずは処分を受けていただきましょう。心配なさらないで。

このムチは打たれても痕が残らない素材で作られています。

激痛しか残らないのでご安心を……」

 

ソニアさんがムチを持ってにじり寄って来る。

 

「ちっとも安心できない!こんなの横暴だ!……そうだ、これが必要だったんだよ!

君も、女性なら、わかるでしょ?」

 

彼女にさっき買ったものを袋ごと見せる。表情を変えず中身をじっと見るソニアさん。

少し黙ってから、椅子に座った。

 

「……次からは、多めに買い溜めておくように。では、レッスンを始めます」

 

助かった……!まさか、ある意味騒動の種になった“これ”に助けられるとは。

でも、まだ安心は出来なかった。

ソニアさんからお嬢様らしい振る舞いを厳しく叩き込まれた。

まずはカーテシーという、スカートの両端をつまんで、左足を後ろに下げ、

腰から頭を深く下げる西洋のお辞儀。

 

「下着が見えています!そんな下品なミニスカートを履いているからですよ!」

 

「だって、この服以外着るなって十神君に。なんでもないです、ムチは許してください」

 

「もっと背筋を伸ばして!足元がふらついています!」

 

こんな感じで、他には笑い方とか。

貴族の女性がそうするように、笑うときは右手を口元に持ってきて、控えめな声で笑う。

ドレスを来た高慢ちきな女が高笑いしてるようなあれだよ。次は歩き方。

 

「両手を前に組んで、歩調は小幅に。また背筋が曲がってます!

……そう、頭に本を乗せても落ちないくらい、美しい姿勢を維持して」

 

「あのう、これ全部守ってたら、ソニアさんの呼び出しに応じられない可能性が大で……

いったあい!!」

 

「わたくしも、プライベートの時間を削ってあなたに指導しているのです。

それを全否定されると、とっても悲しい気持ちになって、

つい手に持ったものを弾いてしまいます」

 

「せんせいごめんなさい……」

 

 

 

「……はい、今日はここまで。少しはマブいスケになれたと思います。

家に帰っても復習を忘れずに」

 

「ありがとうございました……」

 

1時間の拷問…じゃなかった、レッスンを終えると、僕はソニアさんを見送り、

姿が見えなくなった事を確認すると、ダッシュでテントに戻った。

レッスンの成果?鬼教官がいなくなったら綺麗さっぱり忘れちゃったよ!

水が欲しい。乾いた空気でもう喉がカラカラ。

 

屋外用水道と洗濯機をつないでいるホースを外し、蛇口を開いて、

流れる水をゴクゴクと飲む。ああ、生き返る!

そう言えば最後に水分を摂ったのは昼食の牛乳一瓶だったっけ。

お腹がタプタプになるまで存分に水を飲むと、ようやく気分が落ち着いた。

 

本当に僕の味方はこのテントくらいだよ。

ベッドにポスンと座って改めて我が家を見回す。

外部コンセントに接続された洗濯機と何も入ってない冷蔵庫、

パイプ椅子と簡易テーブル。

あ、洗濯物干さなきゃ。とっくに運転を終えた洗濯機から洗い物を取り出す。

パンツ一枚なら、パイプ椅子の背にでも引っ掛けとけば乾くでしょ。

 

洗うのが早かったことと、生地の色の関係で、

完全に血の色がわからなくなったパンツを手に、パイプ椅子に近づいた。

……あれ?椅子に何か置かれてる。何かの紙だ。

二つに折られたA4サイズのコピー用紙を広げてみる。

 

 

なぐつてわるかつた れすとらんで まつ そうだ かずいち

 

 

殴って悪かった。レストランで待つ。左右田和一。

思わず顔いっぱいに笑みが広がる。左右田君が、僕を受け入れてくれた。

誰も助けてくれない、世界平和の名の下に、僕を袋叩きにするだけだった人達の中で、

初めて僕を一人の人間として扱ってくれた。自然に涙が頬を伝う。

それは、手に持ったコピー用紙をポタポタと濡らす。行かなきゃ。

 

手紙を握りしめて僕は走った。ただひたすらレストランを目指して。

ホテルに逆戻りし、階段を一段飛ばしで駆け上がる。

2階のレストランには、まだ誰もいなかった。ここで左右田君を待とう。

ん?真ん中のテーブルに何か置いてある。

 

とりあえず近づいてみると、奇妙な装置が置かれていた。

なんか通販番組で見たような、黄色い洗浄機っぽいもの。

う~ん、アタッチメントの細いホースが接続されてて……

先っぽに大きくてぶ厚めの風船が取り付けられてる。

はずれないよう、何重にも紐で口を縛ってあるな。これ、なんだろう。

 

はは~ん。さては左右田君のサプライズだな。

装置の周りはコサージュで飾られてるし、メッセージカードまで置いてある。

さっきと同じA4のコピー用紙だけど。

 

 

えのしま へ

ぷれぜんと

 

 

僕宛てってことはやっぱり左右田君だ!プレゼントってなんだろう。

きっとこの装置のスイッチを入れたら、

風船が割れて色とりどりの紙吹雪がパッと広がる。

そこでどこかに隠れてる左右田君が現れる、ってところかな~!

さっそく僕は洗浄機のスイッチを入れた。

 

少々うるさい駆動音と共に、洗浄機が空気を送り込み始めた。

ホース先端の風船が空気を送られ、膨らみ始める。

超高校級のメカニックらしい、凝った演出だよね!

風船はもうパンパン。割れるのがちょっと怖いから、指で耳栓をする。

 

──身を守れ

 

その瞬間、本能的に危機を察知して、両腕で顔をガードした。同時に風船が破裂。

そして、中から飛び出してきたものは。

 

「は……?あれ…?お…おかしくない?なんで……アタシが…………?」

 

無数の短い矢のようなもの。左腕に1本。腹に1本。

テーブルや周りの床にも凶暴な威力で突き刺さっている。ろくに悲鳴も出せない。

無意識に腹の一本に手が伸びる。ゆっくり握って、力を入れて抜いていく。

 

「いっ、ぎぎっ!いがああ……」

 

今度は激痛で涙が流れる。抜いた矢がカランと床に落ちる。

風船の破裂音を聞きつけたのか、階段から何人かの足音が近づいてくる。

 

「何事じゃ!!」

 

「オイオイ、爆発か!?」

 

「厨房でガス爆発?違うよねぇ!?」

 

みんな階段を上りきると、驚いた様子で僕を見る。

腕に矢が刺さり、泣きながら腹から血を流す江ノ島盾子を。

 

「なんじゃあ!江ノ島、一体何があった!」

 

「マジかよ!!お前、刺されたのか!?とにかく、横ンなれ!」

 

「ととととにかく、誰か罪木さん探してきてよ!」

 

「るせえぞゴラァ!……おい、何が起きてやがる!?」

 

いろんな人が駆けつけたけど、僕の目にはたった一人しか映ってなかった。

黄色いツナギとニット帽。

 

「左右田君、ひどいよ……」

 

涙を悲しみの色に変えると、直後視界が暗くなり、そのまま意識を失った。

 

 

 

“お腹の出血は停止!

私がダーツを抜きますから、同時にガーゼを押し当ててください!”

 

“ちくしょう、誰がこんなことしやがった!!”

 

“落ち着かんか!誰か苗木に連絡を取れ!”

 

“既に日向が状況を伝えている。状況によってはプログラムの中止もあり得ると……”

 

“辺古山さん、なぜなんですか!

わたくし達は彼女の力を奪えば、それで良かったはず!”

 

“んなモン!こん中に「クロ」がいるからに決まってんだろうがァ!”

 

“そんな!またコロシアイが始まってしまうんですか!?”

 

“江ノ島盾子1人をターゲットにした、な……けったくそ悪りぃぜ!!”

 

“やだ……ゴミカス女、死なないよね?”

 

 

 

眠りの中、意識だけでそんな声を聞いていた。けど、そんな事どうでもいい。

僕は、裏切られたんだ。

PSPの中で、ソニアさんにぞっこんだった、お調子者のムードメーカー。

彼の仕掛けたトラップにまんまと引っかかって、矢で串刺しにされた。とんだピエロだ。

 

違う。

 

なにが?お腹や腕に矢が刺さってすごく痛い。僕、ゲームの世界に来て今が一番辛いよ。

 

戦え。

 

誰と?左右田君を殺せって言うの?僕を酷い目に遭わせてる人達に復讐しろって?

 

お前には、力がある。

 

力?僕に何ができるってのさ。みんなにいじめられることしかできない僕に。

 

真実を、照らし出せ。

 

真実?しんじつ、真実、シンジツ……

はっ!!その時、アタシの全脳細胞に神経パルスが走り、

眠っていた思考回路が超高速処理を始め、脳が知性で満たされる。

 

なるほど、今の私様(わたくしさま)なら造作もないことねェ!

そろそろ目を覚まして、外の連中に真実とやらを見せてやるとしましょう。

 

 

 

 

 

「あ、目が覚めました!皆さん、江ノ島さんが目を覚ましましたよ!」

 

罪木のキンキン声がやかましい。アタシの思考から出て行け。

視線を左右に動かすと、病室らしき場所。アタシはベッドに寝かされている。状況把握。

こんなところで時間を無駄にしてられない。更なる状況把握が必要になるんだから。

 

ベッドから下りて立ち上がる。左腕と腹に痛み。出血が止まっているなら問題ない。

痛みで死ぬことはないのだから。

 

「ダメですよ!傷は浅いですけど、お腹に矢が刺さってたんですからぁ!!」

 

この女は何を慌てているのだろう。傷が浅いのなら問題ないでしょう?

包帯女を無視して病室から出る。

廊下には名前を並べ立てるのが面倒なほどの有象無象共が集まっていた。

 

「おお、江ノ島!もう動いても大丈夫なんかぁ!?」

 

大丈夫だから動いている。当たり前のことがわからない?

 

「江ノ島……なんつーかよう」

 

左右田和一が何か話したそうにしてる。あいにく時間がない。

クロがいつ証拠を隠滅するかわからないから。

 

「現場保存は?」

 

「えっ?」

 

「アタシが風船爆弾を食らった現場は誰も触ってないか、と聞いているのだけど」

 

「あ、ああ。全員でお前を病院まで運んだから、誰も触ってねーはずだ。

狛枝以外は……つか、“アタシ”ってお前」

 

「そう。じゃあ」

 

「おい、どこ行くんだよ!」

 

「捜査に決まってる」

 

「「捜査!?」」

 

有象無象が一斉に大声を上げ、更にアタシの思考をかき乱す。いい加減にして欲しい。

蹴飛ばそうと思ったけど、相手にしている時間が惜しいから、無視して廊下を進み、

病院から出ようとした。

 

「江ノ島、待て」

 

もう振り返るのも面倒だから、背中で聞く。この声は、日向とか言うアンテナ頭ね。

 

「非常事態が起きたから、未来機関と連絡を取って、

希望更生プログラムを中止するよう要請したんだ。

でも、Ver2.01はウィルス侵入を警戒する余り、プロテクトを強固にしすぎたせいで、

遠隔操作で停止できないらしいんだ。

停止するには、システムがある現実世界のジャバウォック島に、

直接エンジニアが出向いて、シャットダウンするしかない」

 

「手短に」

 

「ああ…悪い。エンジニア到着には船で3日かかる。

それまでお前を死なせるわけにはいかない。だから、今は無理せず俺達と一緒にいろ」

 

「また、アタシを袋叩きにするために?」

 

「そうじゃない!計画は一時中止だ。お前が十分回復するまで何もしない。約束する」

 

「……“クロ”が、アタシを放っておいてくれるとは思えないけど」

 

「「はっ!」」

 

今更連中が現実を受け入れる。

仲間だと思ってる存在の中に、抜け駆けしてアタシを殺そうとしている奴がいることに。

なんか別のキャラを試したくなった。意味なんかない。

 

「もう行ってもいいかい?ボクにはやることがあるんでね。それと、左右田君」

 

「……なんだ?」

 

「君がクロじゃないことはわかってる。じゃ、アディオス」

 

「江ノ島……」

 

彼のつぶやきとほぼ同時に、わたしはドアを閉じたんだ~エヘッ!

 

 

 

 

 

電子生徒手帳のマップを見ながら島と島を結ぶ橋を渡る。

手帳のバックライトだけがアタシの顔を照らす。すっかり暗くなった。ここは第3の島。

もうすぐ中央島だから、ホテルまでは15分くらいだろうか。

 

ところで、さっきから正体不明の物体が周りを飛び跳ねているのだが、

目障りな事この上ない。キャラに飽きることにも飽きた。人生ままならない。

 

「江ノ島さーん、無理したらダメでち!病院に戻りまちょう!」

 

「なら、あんたがアタシに代わって事件を解決してくれるのかしら。その無敵の杖でさ」

 

「それは……できないんでち。

2体目のあちしの能力は、超高校級の絶望の力を抑え込むことに特化してて、

こういう不測の事態を解決する力はないでち。

それに、まさか刑務所でコロシアイが起こるなんて想定外だったから、

江ノ島さんを治してあげることも……」

 

「だったら構わないで。アタシは忙しい」

 

「しょぼん……」

 

 

 

20分程度歩いたかしら。病み上がりの身体には少し堪えるわね。

でも、ようやくホテルに辿り着いた。さあ、犯人の足跡を追いましょう。

階段を一段ずつゆっくり上り、あのレストランへ。

 

例の高圧洗浄機を利用した風船爆弾の痕跡がそのまま残ってる。

アタシは仕掛けが乗せられているテーブルに近づく。

まず目につくのは、やはり高圧洗浄機。給水タンクを調べてみると、中はカラ。

こうしておけば空気だけを風船に送れるわけね。

 

○高圧洗浄機

バッテリー式でコードが要らない高圧洗浄機。給水タンクの水は抜かれている。

 

電子生徒手帳が鳴る。New!が表示されているキーワードのアプリを開くと、

“コトダマ”というカテゴリーが追加されていて、

今調べた高圧洗浄機がそこに分類されている。どういうことかしら。

 

「モノミ」

 

「ウサミでち……」

 

「コロシアイを想定してないなら、どうしてコトダマなんて機能が存在してるのかしら」

 

「Ver1.0の名残でち。Ver2.01は急ごしらえで、

1.0のベース、例えばホテルやコテージという建物や、

マーケットの物資と言った流用可能なものはそのまま使ってまちゅし、

削除する手間が惜しい、コトダマのような無害な機能はそのまま残ってるでちゅ。

巨大なプログラムは不用意に一部を削除すると、

何がきっかけでバグが発生するかわかりまちぇんから……」

 

「バカね。まあいいわ、おかげでクロの眉間をぶち抜けそう。

他にはめぼしいものと言えば、これね」

 

○割れたゴム風船

高圧洗浄機に接続されていた、分厚いゴムで出来た大きな風船。

割れる前は、何かを入れることができただろう。

 

○ダーツ

風船爆弾の凶器となったダーツ。被害者に2本命中し、残りは周辺に刺さっている。

先端のポイント部分は2cm程度で、確実に標的を殺害するには威力が低い。

 

矢だと思っていたのはダーツだったのね。そう言えば1階ロビーにあったような……

 

“もっと背筋を伸ばして!足元がふらついています!”

 

思い出した。ソニアの無意味なレッスンを受けている時に見かけた。

念の為、後で確認する必要がある。次は厨房を調べなきゃ。

他にも犯行に何かが使われたかもしれない。

そうそう、これも一応コトダマに入れておきましょう。

 

○左右田(?)の手紙

江ノ島盾子をレストランに呼び出す内容。

 

○メッセージカード

風船爆弾のスイッチを押させるトラップ。本文は以下の通り。

 

“えのしま へ

ぷれぜんと“

 

厨房に入ると、洗い場、調理台、大型冷蔵庫。特に変わったところもない。

……いや違う。調理台に無造作に置かれたカセットコンロ。

そばにガスコンロがあるのに、どうしてわざわざ?

つまみをひねってみる。点かない。ガスがないみたい。

 

○カセットコンロ(厨房)

調理台で見つけたカセットコンロ。ガスが切れている。

 

これ以上は何もない。アタシは場所を変える。もし、予想が正しければ。

階段を下りて、1階の娯楽室を兼ねたロビーで一旦足を止める。

隅に設置されたダーツボードを調べる。やはりダーツが一本残らず抜かれている。

凶器はここにあったダーツで間違いない。

 

それがわかったら、調べる場所は残りひとつ。狛枝凪斗のお家、別館。

ドアを開けると、真っ暗な通路の先に、何かが見える。

 

「ウサミ、明かりを」

 

「はいでち!」

 

何か、を見たまま命令すると、どこから持って来たのか、

ウサミが懐中電灯を持って後ろから廊下を照らす。

 

「あのさ」

 

「なんでちか?」

 

「アタシには天井に蛍光灯があるような気がするんだけど」

 

「そうでちた!今つけまちゅ!」

 

こいつに何かを期待するのはやめにしよう。明かりが着くと、突き当りに倉庫が見えた。

中に入って白熱球を点けると、ホコリ臭いスペースに、雑多な物が並んでいる。

 

棚を調べていると、ダンボール箱にパーティーグッズがあった。

風船爆弾を飾り付けていたコサージュや風船自体は、この倉庫で調達したみたいね。

棚には怪しいものは何もない。部屋を出ようとしたら、足に何かが当たった。

 

大きなタイプライター。かなり昔の物で、結構な重量がありそう。

しゃがみこんでよく観察すると……ホコリが積もっているキーと、

最近使われたらしい、指紋が付いたキーがある。使用されたキーを調べてみる。

 

なぐつてわるかつた れすとらんで まつ そうだ かずいち

 

えのしま へ

ぷれぜんと

 

アタシに送られた手紙、風船爆弾の側にあったメッセージカードの文面。

それぞれに使われた文字と一致する。犯人はこれで偽の手紙を作った。

 

○タイプライター

大昔のタイプライター。大型で重く、持ち運びは難しい。

犯人は筆跡を隠すため、これで手紙とメッセージカードに文字を打ち込んだ。

 

倉庫を調べ終えると、手近な事務所のドアを開ける。

調査した結果、証拠になるような物は見当たらなかったけど、

さっきのタイプライターは、昔ここで使われていたと推測できる。

 

トイレを見て回る。収穫はなし。更に廊下を進んで、厨房へ。

ここにもキッチンがあるのね。やっぱり調理用の設備や器具しか…と思ったら、

ホテルの厨房と同じ、カセットコンロが目についた。

 

こっちはちゃんと棚に並べられてるし、ホテルのものと同型。

取り出してつまみを回してみる。2,3回パチパチ鳴らすと、火が点いた。

ガスが残っているかどうかくらいの違いね。

 

○カセットコンロ(別館)

別館の厨房に保管されているカセットコンロ。ガスは残っており使用可能。

 

これで十分ね。そろそろ戦いの幕が上がるわ。

ホテルに戻ろうとしたら、ホール前にあいつが立って、

渦巻くヘドロのような目でアタシを見てる。

 

「やあ!生徒手帳の警告メールを読んだよ!

晩ご飯がなかなか来ないから何があったのかと思ったけど、

とうとう、とうとう始まったんだね!!

これがボクの幸運の代償なのか、さらなる幸運なのかまだわからないけど!

そして君は遂に覚醒した!超高校級の絶望として!ああ、なんて素敵なんだろう!

偽物だったけど、超高校級の生徒達が君を倒した時に放たれる光は、

形容のできない美しさで煌めくんだろうねぇ!」

 

「よく喋る男ね。絶望だの幸運だのどうでもいいわ。

……そうだ、一応あんたにも聞いておきたいんだけど、

夕方頃変な音を聞かなかった?カタカタ何かを弾くような音」

 

「う~ん……ボクは大抵いつもこの広いホールに居るから、

小さな物音には気づけない可能性が高いな。

あと、みんなボクを避けてるけど、

物置には用事があるみたいでしょっちゅう出入りしてる。

だから特定の物音を聞き分けるのは難しいね」

 

「隣接してる廊下や厨房は?」

 

「それくらいなら聞き取れるよ。ホール前まで来る人は稀だからね」

 

「……最後の質問。倉庫で灯火程度の光が漏れたとして、

あんたのいるホールから、気づくことができると思う?」

 

「無理だよ。ホール入口から倉庫までは角で死角になってる。

それこそ防火扉を閉められたら完全に暗闇さ。

……ひょっとしてボクのこと疑ってたり?」

 

「他に犯人がいるから聞いてるの。とにかくわかった」

 

○狛枝凪斗の証言

別館に常駐している狛枝凪斗は、いつもホールで過ごしており、

その広さと物置への人の出入りの多さから、小さな物音には気づけない可能性が高い。

ただ、ホール前廊下、隣接する厨房の音は聞き取れるとのこと。

仮に倉庫で小さな明かりが灯ったとしても気づけないだろう。

 

「わかったわ。あんたも来て。面白いものが見られるわよ」

 

狛枝は、渦巻く闇のような目を歪ませ、笑みを浮かべて喜んだ。

 

「ボクを誘ってくれるのかい!?ありがとう江ノ島さん!

ボクみたいな、何の価値もない人間を、狂乱の宴に招待してくれて!」

 

「機動戦士みたいなこと言ってんじゃないわよ。アタシはアタシ。江ノ島盾子じゃない。

ついてらっしゃい」

 

こうして、狛枝を別館から連れ出すと、道すがらウサミに尋ねる。

 

「ねえウサミ。他の連中を中央島にワープさせることって、できる?」

 

「あわわ、いけまちぇーん!勝手に狛枝君を連れ出して、しかも……」

 

「できるの?できないの?」

 

「……ごめんなちゃい、くどいようだけど、あちしの能力は超高校級の」

 

「なら、全員に中央島に集まるよう手帳にメールを送って。

見つけたコトダマとその内容もね。それくらいはできるでしょ?」

 

「中央島!?それってまさか!」

 

「早く」

 

「はい……」

 

ウサミがステッキを掲げてぐるぐると回す。メールひとつで大げさね。

CCで自分で送ったほうが早かったかも。全員分のメルアドは最初から登録されてた。

 

「終わったでちゅ」

 

「アタシ達も行きましょう。狛枝の言う、狂乱の宴にね」

 

アタシ達は道すがら、狛枝に事件概要を説明したり、

気になった点をウサミに確認したりしていた。

 

「……まあ、こんなところよ。せいぜい場を引っ掻き回さないでね」

 

「もちろんだよ!江ノ島盾子の活躍を間近で見られるんだもの!

邪魔なんてしやしないさ!」

 

「どうだか。ねえウサミ、今更だけどひとつ確認。

島中の防犯カメラに犯人が映ってる可能性は?」

 

「ごめんでちゅ。今回、江ノ島さん以外は善意の協力者だから、

プライバシーの侵害に当たる監視行為は行っていまちぇん。

カメラは自動的に江ノ島さんだけを追跡するようになってるんでちゅ」

 

「ホント、都合のいい偶然ね。あら、見えてきたわ。有象無象も集まってる」

 

橋の終わりに差し掛かるり、中央島に足を踏み入れると、

ラシュモア山の大統領像のようにそびえ立つ、

4つのモノクマの顔が彫られた巨大な岩が見えてきた。

 

他のメンバーは先に到着している。

更に歩を進めると、こっちに気づいたようで、

皆一様に驚いて、口々に叫び声のような音量で呼びかけてくる。

少しは怪我人をいたわってほしいものだけど。

 

「おいおい、狛枝までいんぞ?なんでだー?」

 

「アタシが連れてきたの。わかってもらえた?終里さん」

 

「おう、わかったぜ!!」

 

「くっ!俺というものが居ながら、またしてもこのような惨劇をっ……!」

 

「10円くれただけで十分助かったから」

 

「ふえええ、やっぱりその傷で動くのは無茶ですぅ。今すぐ病院に戻りましょう!」

 

「悪いけど後にして。それに見た目ほど深くない。知ってるでしょ」

 

「どこ行ってたんだよ!急に消えちまうから、その、慌てちまったじゃねえか!」

 

「もしかして、心配してくれてるの?左右田君。あれほど殺したがってたアタシを」

 

「そりゃー、そーだけどよぉ。なんつーか……」

 

「ふふっ、冗談よ。ごめんなさい」

 

「冗談って、お前なあ……」

 

「どういうことだよ、江ノ島!

コトダマってことはまさか!?なんで狛枝と一緒なんだ!」

 

「質問は一つずつ願いたいわね。そう、あなたが思ってるように証拠品を集めてた。

狛枝君は証人のひとりだと思ってくれればいいわ。

苗木君に連絡を取ってくれないかしら。できるんでしょう?あなたの生徒手帳なら」

 

「連絡って何のために……?」

 

「決まってるじゃない。法廷の使用許可を取ってほしいの」

 

「法廷って!まさか、お前は、やるつもりなのか!?」

 

「その通り。今夜中にクロを見つけるの。“学級裁判”でね」

 

アタシと狛枝を除く全員に戦慄が走る。

パンドラの箱を足で蹴り開けようとしているアタシは、口元だけで少し笑った。

 

「な、何を考えてるんだ!みんな地獄のようなコロシアイ生活で、

思い出したくもない悲惨な経験をしたんだぞ!それを今更……」

 

「このまま犯人を野放しにして、

アタシの死亡という形で希望更生プログラムが破綻すれば、

地獄どころの話じゃなくなると思うけど?」

 

「それは……」

 

──その通りよ。ウサミ、法廷へのアクセス権をオープン状態にして。

 

電子学生手帳が、勝手に喋りだす。画面を見ると霧切響子。

緊急回線でも使ってるのか、応答ボタンをすっ飛ばしてテレビ電話が起動した。

 

「……わかったでち。あちしのステッキがあれば今すぐできまちゅ」

 

『お願いね。……それにしても、江ノ島盾子』

 

「なにかしら」

 

『どういう風の吹き回し?あれほど自分は男だ、ただの一般人だ、と言っていたのに。

本当に江ノ島盾子みたいな…というより、正体不明の女性のような態度で、

殺人未遂事件の捜査に乗り出すなんて』

 

「江ノ島になれと言ったのはあなた達でしょう。

それに犯人を放っておけば、今度こそ殺されるかもしれない。

だから学級裁判で探し出す。何か問題でも?」

 

『いえ……ウサミから聞いただろうけど、ここからは遠隔シャットダウンができない。

犯人を見つけろとは言わない。身の安全を第一に考えて』

 

「モルモットに死なれたら困るから?」

 

『……そうよ』

 

ポーカーフェイスを装いつつ、一拍置いてから彼女は答えた。

 

「ふふっ。正直な人は好きよ、アタシ。じゃ、日向君のお手並み拝見と行こうかしら」

 

彼に全てを任せるつもりはさらさらないけど。

 

『ウサミ、そろそろお願い』

 

「了解でち!マジカルステッキ・く~るく~るピロロロリン、えい!」

 

ウサミがステッキを振りながら間抜けな呪文を唱えると、

モノクマ像の左から2つ目の口から、鋼鉄で造られた設備としてはありえない動きで、

エスカレーターが飛び出してきた。あの先に、法廷に続くエレベーターが。

 

『繰り返すけど、そのモノクマ像もVer1.0の名残。気をつけて。

……あと、ひとつ聞かせて』

 

「なに?」

 

『何があなたをそこまで変えたの?』

 

「アタシ決めたの。逃げて、耐えて、終わりを待つのはもう止めた。

誰も助けてくれないなら、アタシは戦う。

戦って真実をつかみ取り、この不条理な運命を打ち砕いて見せる」

 

『そう……そうしてくれると、こちらとしては助かる。

頑張るのもいいけど無理しない程度に。理由はさっきと同じ』

 

「あなた、自分で思っている以上に表情豊かよ。じゃあね」

 

『なんですっ……』

 

最後まで聞かず、切断ボタンをタップした。そろそろ始めましょうか。

おっと、こいつも必要ね。

 

○電子生徒手帳

 

スマートフォン型多機能電子生徒手帳。

校則、キーワードの閲覧。電話、メール、電子マネー機能等、

多様なアプリを搭載している。

 

アタシは、物理法則を無視した方法で現れたエスカレーターに足をかけた。

それが、狛枝の言う狂乱の宴の始まりだった。

 

 



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第4章 涙で夜が明ける

全員がエスカレーターを上り、モノクマロックの口から頭部に入ると、

大型エレベーターになっていた内部が、ガタンと動き出し、

アタシ達を地下深くに運び始めた。どこまでも、どこまでも。

 

壁に背を預け、ただ黙って腕を組むアタシを、他の連中が不安げに見ている。

何を怯えているのだろう。

あなた達がその気になれば、アタシを殺すことなんて簡単なのに。

 

やがて、エレベーターが地下階に到着し、ドアが開く。

そこには、天井の高い広大な法廷が広がっていた。

座る者など居ない傍聴席に囲まれるように、人数分の証言台が円形に並び、

天井には証拠品などを映す巨大モニター。

そして、かつてモノクマが学級裁判の判決を下した裁判長の玉座があった。

 

皆が無言でぞろぞろと証言台に着く。アタシも失礼して適当なところに収まる。

手元には、証言台の番号が割り振られたボタン。

……なるほど、これでクロだと思う奴に投票するわけね。

 

「うんしょ、うんしょ……」

 

ウサミが玉座をよじ登ろうとしている。万能のステッキで空でも飛べばいいのに。

アタシなんかに構ってるからこうなる。

やっと登りきって席に着くと、ようやく場馴れしていない様子で、アタシ達に宣言した。

 

 

【学級裁判 開廷】

 

 

「あ、あ、マイクテス。

これより、“江ノ島盾子さん殺害未遂事件”の学級裁判を行います!」

 

皆の間に冷たい緊張が張り詰めているらしい。もう少し肩の力を抜けばいいのに。

ただ、事実をひとつひとつ拾い上げていくだけなんだから。

 

「最初に、“学級裁判”について簡単な説明をいたしまちゅ。

学級裁判では、誰が犯人かを議論ち、その結果はみんなの投票で決まりまちゅ。

正しいクロを指摘できれば円満解決なんでちが、

間違った人を犯人にちてしまった場合は、冤罪という最悪の結果を招いてちまいまちゅ。

みんな、絶対に誤った判断をちないよう、発言には細心の注意を払ってくだちゃい!」

 

「始める前に確認しておきたいんだけどさ、正しいクロが見つかった場合、

その人はどうなるの?また“おしおき”?」

 

狛枝の言う通り、それはアタシも気になるところね。

ここ、仮想空間だからなんでもアリだし。

 

「とんでもありまちぇーん!そんなことをちたら、あの悲劇の繰り返しでち!

……クロに決定された人には、この希望更生プログラムから抜けてもらい、

現実世界の刑務所に入ってもらいまちゅ。

今度は自発的な島での生活じゃなく、未来機関が管理する、

本物の独房に収監されることになるでちゅ」

 

「よくわかったよ。うまく逃げ切れるといいね、クロの人。

もし捕まったら、一人ぼっちで、恐らく死ぬまで刑務所暮らしだから、さ」

 

僅かな動揺を含んだ沈黙が流れる。それを破るように、まずは日向が口火を切った。

 

「まずは事件の内容を整理しよう!

……江ノ島、お前が風船爆弾の直撃を受けるまでの経緯を説明してくれ」

 

脳が更に加速し、いくつものアタシを形成する。それぞれが好き放題に喋りだす。

でも、それでいい。それがアタシなんだから。

まず1人目が両手を腰に当てて胸を張り、堂々と演説を始める。

 

「よくお聞きなさい、平民ども!私様(わたくしさま)に手傷を負わせた兵がいたようだけど、

奴は日をまたぐことなく断頭台の露と消える運命なのよ!」

 

「お、お、おい…ありゃ完全に江ノ島盾子だぞ!いつの間に王冠被った!?」

 

「落ち着け左右田。奴もまた新たなペルソナに目覚めただけのこと……」

 

「黙りゃあがれ、ボケナス共!

アタシが喋ってんだから、耳の穴かっぽじってよーく聞きやがれ!

そう、アタシこそ、プレス機でミンチになった絶望でもなく、

ゲーオタのヒッキーでもない……その名も、新生・江ノ島盾子ちゃ───ん!!」

 

 

○囚人No.16・超高校級の???

 

エノシマ ジュンコ

 

 

皆が驚きで声を失う。そうよ、好きに暴れなさい、数あるアタシのひとり。

 

「新生、江ノ島盾子だと!?」

 

「うぅ~今度はワルのロック歌手みたいになっちゃいました~」

 

「会場の皆様、お見苦しいところをお見せしました。

これより順を追ってご説明しますので、落ち着いてご清聴賜りますようお願いします。

あれは私がソニア・ネヴァーマインド氏の、狂気地味たレッスンを受けた後の事でした。

時刻は4時前後。テントに戻り、洗濯物を干そうとした所、

パイプ椅子に手紙が置いてあるのを見つけたです」

 

「狂気って…わたくしだって一生懸命ご指導したのに、悲ピーです……」

 

「先生?OL?わかんなーい!」

 

「日寄子ちゃん、今は話を聞こうよ?」

 

「内容は生徒手帳のキーワードをご参照ください。左右田さん…を名乗った手紙です。

レストランに私を呼び出すもの。それに従い、指定の場所に向かった私は、

テーブルの上に奇妙な装置と、メッセージカードを発見しました。

キーワード“メッセージカード”と“高圧洗浄機”がそれに該当します」

 

「あと、“割れたゴム風船”や“ダーツ”も含まれるんじゃないかな。

爆弾の部品だったわけだし」

 

「狛枝さんのおっしゃる通りです。

犯人は高圧洗浄機でダーツの入った風船を破裂させることで、

日用品や遊具を殺傷能力のある爆弾に変えたのです」

 

「くうっ!なんちゅう卑怯な真似を!」

 

「……そこで、私はメッセージカードの内容から、

高圧洗浄機のスイッチを入れてしまったんです……

そして爆発した風船から飛び出したダーツが身体に……悲しいですよね。

あんなチャチな罠に引っかかる私の馬鹿さ加減が……」

 

「そんなことないよ!泣かないで…って、泣きたいのはわかるけど、

なんで頭にキノコが生えてるわけ?」

 

「……小泉さん、おひとつ、いかがですか……?」

 

「ごめん、ちょっと遠慮しとくわ……」

 

「じゃあ、オレが食う!

江ノ島に生えてるから、エノシマダケって名前にしたらどうだ?」

 

「食べないの!変な名前も付けない!」

 

「とにかく、事件当時の状況はわかった。じゃあ、本格的な議論に移ろう。

事件の流れを追いながら、不審な点をひとつずつ潰していくんだ」

 

「不審な点?例えば何だい、日向クン」

 

「江ノ島をレストランに誘導した手紙はいつ、誰に置かれたのか、だ」

 

とうとう始まったわ。アタシの戦い。アタシの存在を賭けた戦い。その為に必要な武器。

心の中でその手にフリントロック・ピストル(火打石銃)を形作る。

片手にピストル、唇にコトダマ。

 

弾丸(コトダマ)は、1発でいい。一撃で命中させる。6発も要らない。

必要な一発だけを装填して、誰かの無防備な発言を、撃ち抜く。

もう一度心に問いかけ、弾丸を装填した。そして、アタシを呼び覚ます。

さあ、来なさい。アタシの中の全てのアタシ。

 

 

■議論開始

コトダマ装填:○左右田(?)の手紙

 

弐大

ワシが知る限り、江ノ島のテントに人が集まったのは昼食後の会議が終わった直後、

確か[1時頃]だったのう。

 

田中

ああ、江ノ島盾子が謎の[大量出血]を起こした時だったな。

 

罪木

そ、その話はやめてくださーい。事件とは[関係ありません]!

 

九頭竜

ああ?なんでそんなことが言い切れるんだよ!?

 

ソニア

それはわたくしを含めた[女性陣全員]が保証します。

これ以上の追求は、わたくし達への宣戦布告とみなします。

 

九頭竜

お、おい。そこまでマジになることねえだろ……

 

花村

でも、手紙自体は[みんなが集まった時]に置かれたと思うよ。

 

 

──それは違うわねぇ!!

 

 

[みんなが集まった時]論破! ○左右田(?)の手紙:命中 BREAK!!!

 

心の中でフリントロック・ピストルが咆哮。コトダマが矛盾を孕んだ証言を打ち砕いた。

アタシが大声を張り上げると、皆の視線が一斉に集まる。

最初の一発としてはこんなところかしら。言ってやりなさい。アタシのだれか。

 

「江ノ島、何か気がついたのか?」

 

「フッ、日向君は、この手紙を読んで何か妙だと思わなかったのかい?」

 

「妙も何も、レストランに来いっていう、短い文章だ。

これで何がわかるっていうんだ?」

 

「……ああ、文面のことじゃないんだ。その書体だよ。

かすれがちで古臭いフォントは、明らかに現在のプリンターで印刷されたものじゃない。

もっと言えば、タイプライターで打たれたものだよ」

 

「今度は……ギアスのルルーシュみたいなポーズを始めたっす……はぁ」

 

「この世界でも放送してるんだね。澪田さんもアニメは見るのかい?

まぁ、ゲーム機にブラウザが搭載されてるから、

動画サイトにでも接続すれば見られなくもないけどさ。おっとごめんよ、話が逸れた。

アタシが聞きたいのは、皆が解散してすぐに、大昔のタイプライターで打ち間違いなく、

すぐに偽の招待状を作れたのかなって事。あの場にいたメンバーにさ」

 

「たいぷらいたー?それってうめえのか?」

 

「で、でもそれは、事前に用意しておいたのかもしれないよ!?」

 

「それはありえないよ、花村君。十分な時間があるなら、

筆跡を隠すためにわざわざ慣れないタイプライターを使わなくても、

定規で線を引いたり、刑事ドラマの脅迫状みたいに新聞の切り貼りをすればいい。

要するに、犯人は突発的に犯行を思いつき、実行したんだよ」

 

「でも、そうなると結局、いつ誰が手紙を置いたのかは分からないままだよね。

ちなみにボクじゃないよ。

外を出歩いてるのを見られたら、江ノ島さんみたいな目に遭うからさ。アハハ」

 

「大体の時間は絞り込めるんだよ。

昼食後、アタシがテントに戻ったのが12時半頃、

その後醜態を晒したのが、弐大君の言った午後1時頃。

それからアタシはマーケットに買い物に行って留守にしてたんだ。

帰りにソニアさんの呼び出しを受けて、そのままテントには帰らず、

1時間ほど調教を受けて、ようやくテントに戻ったのが、午後4時頃。

つまり、あの呼び出し状が置かれたのは、午後1時から4時ってことだよ」

 

「もー!それじゃやっぱり誰が置いたかわかんないじゃん!正確な時間も謎のまま!

江ノ島おねぇ、なんにもわかってないのに仕切ってんじゃねーよ!

そのキャラは割と好きだけど!」

 

「ごめんよ。話が込み入ってるから、少しずつ詰めていくしかないんだ。

でも、誰が置いたのかも、ある程度は絞り込めるのさ」

 

「本当か!?」

 

「う~ん、本来なら日向君に最初に気づいて欲しかったんだけどな。……シフト表」

 

「まさか!」

 

「ここは本来刑務所で、皆は服役中に労務をこなしている。

……で!先に答えを言っちゃうと~?1時から4時の間、

テント及び事件現場付近で働いてた人が怪しいってことに、アタシ気づいちゃった。

キャハッ!」

 

「ちっ、ぶりっ子かよ」

 

「日寄子ちゃん、それは本当に嫌いなんだ……」

 

「ねえねえ、日向君。アタシにもみんなのシフト表見せてほしいな~。オ・ネ・ガ・イ」

 

「待て、すぐ生徒手帳に送る!」

 

ピロロロ……

 

○シフト表

ジャバウォック刑務所の受刑者全員の労務シフトが記されている。

犯行時間帯は、ほとんどの者が電気街にいた。

 

「ありがとー!でもこの着メロださ~い。後でカワイイの探さなきゃ。

えっと、シフト表はと……今日は大抵の人は電気街に行ってたみたいだね。どして?」

 

「ジャンクパーツやいろんな部品とかが足りなくなってきたから、

手が空いてるやつみんなで探しに行ったんだよ。

オレでも材料がなきゃ、電気系統の補修はできねーからさ。

そりゃ途中、何グループかに分かれて、交代で水飲みに帰ってきたけど、

居たのはせいぜい10分くらいだ。爆弾作って仕掛けたりする余裕なんかなかったぜ。

一緒に作業してた全員が証人だ。

そんで、オレ達の順番が来て帰ったときに、あの爆発を聞いたつーわけだ」

 

「すっごーい!機械が得意な男の人って尊敬しちゃ~う。キュン!」

 

「……それで、お前は一体何が言いてえんだ」

 

ゲームの中で笑顔だった頃の彼は、ソニアさんという想い人がいても、

こんなときには鼻の下を伸ばしていたんでしょうね。それも彼の人間味だったのに。

そろそろ次の戦いが始まりそう。新しい弾丸が使えるわね。

 

「ズバリ、1時から4時の間、犯行現場付近にいた人にアリバイを証明してもらいます!

具体的には、ソニアさん、花村君、十神君でーす」

 

「なんだって!?」

 

行くわよ。弾丸を装填し、銃を構えて。狙いを外さないで。

 

 

■議論開始

コトダマ装填:○シフト表

 

江ノ島(ぶりっ子)

では、皆さ~ん!一言ずつアリバイを、ヨロ!

 

十神

お前は馬鹿か!

その時間、俺は[万引きGメンの仕事]をしていて、お前とも会っただろうが。

頭の房に脳を吸い取られてるんじゃないのか!?

 

ソニア

江ノ島さん!やっぱりわたくしの事を恨んでいるのですか!?

あの時間は、一緒に[淑女になるためのレッスン]をしていたではありませんか!

 

花村

やめてよ!アリバイなんてあるわけないじゃない!

ぼくの担当は厨房で、お皿の片付けをしたり、夕飯の仕込みをしたり、

とにかく[厨房から離れられなかった]んだよ!

 

──それは違うわねぇ!!

 

[厨房から離れられなかった]論破! ○シフト表:命中 BREAK!!!

 

「違うって……どういうこと?」

 

「まずは、十神君とソニアさんには謝っておくよ。

2人を挙げたのは、犯人の候補から外すためだったんだ。済まないね」

 

「候補から外す、だと?どういうことか説明しろ!」

 

「2人に共通してるのは、証人がいるってことさ。つまり……アタシ」

 

「はっ!」「そう言えば!」

 

「その点、花村君のアリバイを証明してくれる人は、誰も、いない」

 

「だだ、だったらなんだっていうのさ!ぼくが犯人だって証拠もないじゃないか!」

 

「花村クン……ボクには何かが繰り返されてるような気がするんだ」

 

「狛枝くんは黙っててよ!とにかくぼくは関係ないから!」

 

「おーし、そんじゃあ日向に質問だァ!シフト表には花村が炊事係って書いてあるし?

実際、昼メシもテルテルの野郎が作ってたな!

なら、仕事中に厨房から一切出るなって規則でもあんのかァ!?」

 

「そんなものはない。炊事係はただ食事を作るだけじゃない。

生ゴミを捨てに行ったり、レストランの清掃や、食材の調達、

いろいろやることがあるんだ。

厨房に閉じ込めてたら仕事にならな……あ、すまん!花村」

 

「日向くん、君までぼくを疑うの……?」

 

 

──その推理はピンボケだよ!

 

 

遂に来たわね。

ほら、次のアタシ。心のジャックナイフを手に取りなさい。コトノハという刃を。

 

 

小泉

あんたさっきから言ってる事が曖昧過ぎるよ!置き手紙のことも、アリバイのことも!

 

江ノ島(女王)

面白い!何が不満なのか答えてごらんなさい!私様以上の推理ができるならね!

 

■反論ショーダウン 開始

>>電子生徒手帳

 

小泉

花村がやったって/いう証拠がどこ/にあるの?

アタシにはむしろあんた/のほうが怪しく/見えるんだけど!

自分を/可愛そうな存在に/して優しくして/欲しかったん/じゃないの!?

要するに自作自演/だったんじゃない/かってこと!

 

《発展!》

 

江ノ島(女王)

逆に花村が怪しくないという証拠はあるのかしら?

それに、同情を買うために無数の鋭いダーツが入った風船を、

破裂するまでじっと見ていられるほど、肝が座っている人間がこの中にいるとでも?

 

小泉

アタシ達は誓った/んだよ。あんたには/理解できない/だろうけど。

全てを/償うまで絶対に/この島を出ないって!

 

  だから花村もこれ以上[罪を重ねる/理由がない]んだよ!?

 

──その言葉、ズタズタにしてあげる!!

 

斬![罪を重ねる理由がない]論破! >>電子生徒手帳 BREAK!!!

 

 

「お前は、そもそも私様がここにいる理由を忘れているようねぇ?」

 

「どういうこと……?」

 

「電子生徒手帳を読み返してみなさい。キーワード4番、希望更生プログラムVer2.01」

 

「これが何だって言うのよ」

 

「……今お前は、一瞬でも本文に目を通してから口を開いたのかしら。

違うとしたら私様も見たことのない、希少生物に分類される間抜けだわ」

 

「なんですって!」

 

「希望更生プログラムVer2.01は、超高校級の絶望たる江ノ島盾子の力を奪い、

その弱さを絶望の残党に見せつける目的で造られた。

そこに参加するのはかつて、絶望に魅せられて、何某かを“やらかした”超高校級児達」

 

「まさか……それって」

 

「そう!ここにいるのは、江ノ島盾子のせいで、

大切な者を失い、殺し、そして自分をも破壊した、とっても気の毒な生徒達。

この中で、江ノ島盾子に復讐したくない奴は、狛枝くらいしかいないってことよ!」

 

「見事な斬り返しだよ、江ノ島さん。

そうだよね、動機がない人のほうが少ないもんね。

アハハハ……」

 

「あんたは黙ってて!……それじゃあ、花村のアリバイは」

 

「ないわね!」

 

「断言!?ぼくは、絶対、そんなこと!」

 

「……だったら、犯人やアリバイ云々は置いといて、

江ノ島さんの考えを聞いてみようか。今度は直接的な犯行手段について」

 

今まで船を漕いでいた七海千秋が、初めて口を開いた。

そうね。最も肝心な部分をつついて行けば、

犯人の足取りについてもはっきりしてくるかもしれない。

 

「それでは、私の考えをご説明しますね……犯人は皆さんがテントから解散した後、

タイプライターで偽の招待状とメッセージカードを作り、風船爆弾を作成・設置して、

私がいなくなった隙を見計らって、パイプ椅子に招待状を置いて、

アタシを誘い込んだのです……泣ける話ですよね」

 

「ちょっと待て!話がざっくりしすぎてるぞ!

そもそも、最初から当たり前のようにタイプライターって言ってるけど、

そんなものがどこにあるんだよ!」

 

あら、アタシったら大事なことを言い忘れてるわ。日向の疑問ももっともね。

タイプライターがあったのは……?

 

 

?→厨房

?→ホテルのロビー

?→別館の倉庫

?→ロケットパンチマーケット

 

──これで説明できるはずよ!! 別館の倉庫:正解

 

 

「私は……別館の倉庫で、古いタイプライターを見つけたんです。

伝えてなくて、ごめんなさい……」

 

「じゃが、本当に偽の手紙がそのタイプライターで作られたのか、

確証でもあるんかのう?

そもそも、ワシには風船爆弾を花村が作ったというのも、

論理が飛躍し過ぎとるような気がするんじゃが」

 

「それについて考えをまとめますので、少しだけ時間をください……」

 

「まったく、今度は何をする気だ?また俺が犯人だの言い出したら承知せんぞ」

 

涙を溜めた目を閉じて、アタシは集中力を限界まで高める。

自分自身の脳内にダイブし、シナプスの道路を走り抜け、回答を導き出す。

よく考えなさい。

犯人は確かに倉庫のタイプライターで文字を打ち、風船爆弾を仕掛けたのよ。

 

 

■ロジカルダイブ 開始

 

ホログラフのパネルで構成された道路が続いているわね。注意して進みなさい、アタシ。

と、言っても無駄なんでしょうね。本来はスケートボードに乗って走るのだけど、

凶暴なあなたの人格がそれをバイクに変えてしまった。

確か、ホンダのシャドウスラッシャー750ね。これは。

 

「行くぜオイ!今夜もノーヘルでガンガン飛ばしてくんで夜露死苦ゥ!

アヒャヒャヒャ!!」

 

3.2.1…DIVE START

 

「おっしゃあ!ラストまで最速ギアでぶっちぎるぜぇ!!」

 

QUESTION 1

偽の招待状が置かれたのは昼食の前?それとも後?

 

昼食の後 昼食の前

 

[昼食の後]

 

「ギア6でアクセル全開、突撃ィ!アタシは疾風(かぜ)になるんだよォ!!」

 

困った娘ね。とりあえず正解の“昼食の後”の車線に入ってくれたからいいけど。

不正解の隣の道は途切れてて、突っ込んでたら落下するようになってた。

 

QUESTION 2

花村に風船爆弾の材料を調達することは出来た?出来なかった?

 

出来た 出来なかった

 

[出来た]

 

「“出来なかった”ら、今までの話が全部おじゃんになるだろーが!

……おおっと、前方にジャンプ台はっけーん!飛ばすぜオラァ!」

 

うまく上り坂を利用して落とし穴を飛び越えたわね。

選択も問題ないけど、もう少しアタシ達の安全も考えて欲しいわね。

あなただけの身体じゃないんだし。

脳内の世界だけど、怪我すると精神的ダメージを受ける。

 

QUESTION 3

花村に犯行が可能だった理由を選べ。

 

目立たなかった 厨房に凶器が揃ってた 全て事前に用意していた

 

[目立たなかった]

 

「これ以外選ぶ奴、マジモンのバカだろ!ファイナルラップのゴールが見えるぜぇ!」

 

3問無事正解。どうなることかと思ったけど、これで突破口は開けるはず。

もうここに用はない。外の世界に戻りましょう。

 

──真実はアタシのもの!

 

 

精神世界から現実に戻り、目を開くアタシ。

 

「どうしたんじゃ?急に黙りこくって」

 

「失礼致しました。私が憶測だけで、

花村さんを容疑者に仕立て上げていると誤解させてしまったのなら謝罪します。

その点につきまして、今から納得して頂ける説明をさせていただく所存です」

 

「オイ、また七変化か?いい加減どれかひとつに絞れや、忙しねえな」

 

「申し訳ありませんが、それぞれの性格が勝手に出てくるので私には対応できかねます。

話を続ける前に、皆さん、電子生徒手帳のキーワードをご覧ください」

 

「これかー?ごちゃごちゃしててオレにはわかんねーんだよな。

それより、晩飯まだで腹減ってるんだよ。

早く終わらせてくれねえと飢え死にしちまいそうだ……」

 

「まず花村さんが誰にも怪しまれず、風船爆弾の材料を調達できた理由から。

それは……」

 

 

?→高圧洗浄機

?→割れたゴム風船

?→左右田(?)の手紙

?→タイプライター

 

──これで説明できるはずよ!! 高圧洗浄機:正解

 

 

「これって、別館の倉庫にある高圧洗浄機だよな?

でも、みんながしょっちゅう使うから、誰が持ち出してもおかしく……そうか!」

 

「お分かり頂けましたでしょうか、日向さん。

そう、この高圧洗浄機は、通販番組でお馴染みの、どんな場所でも掃除できる優れもの。

誰がどこで持っていてもおかしくありません。

犯人は人目を気にせず堂々と高圧洗浄機を持ち出し、レストランに持っていったのです」

 

「だが、タイプライターの件はどう説明する?

本当に江ノ島が発見したもので打たれたものなのか?

パソコンでそれらしいフォントを使用し、プリントアウトした可能性は?」

 

「辺古山さんの質問にお答えします。

私がタイプライターを調べた所、それは長く放置されていたらしく、

全体にホコリが積もっていました。……特定の場所を除いて」

 

「特定の場所?」

 

「はい。再度生徒手帳のキーワードを開き、

“タイプライター”の項目を参照してください」

 

「これがどうかしたのか」

 

「実は、一部のキーだけ使用された痕跡があったのです。

特定の文字をタイプした時に、ホコリが取れ、指紋が残っていました」

 

「特定の文字……まさか、お前が言いたいのは!」

 

「その通りです。“左右田(?)の手紙”、そして“メッセージカード”。

両方の文面を打つ時に使用されなかったキーには、ホコリが積もっていました。

倉庫のタイプライターが、偽の手紙の作成に使用されたのは間違いありません」

 

「そうでしたのね……でも、わたくし、どうしてもわからないのですが、

なぜわざわざ使い慣れないタイプライターを?

わたくし達の年代ですと、見たことすらない人の方が多いと思うのですが……」

 

「パソコンは設置されている場所が限られています。プリンターとセットなら尚更。

きれいにプリントアウトされた手紙を見れば、そこから印刷した場所が割り出され、

自分に疑いが及ぶ。その事を犯人は恐れたのでしょう。

しかしタイプライターは誰でも出入りできる倉庫に存在し、

使用者を特定することは困難」

 

「なるほど……」

 

「そうなれば、残る問題は簡単です。

犯人が風船爆弾の材料を調達し、偽の手紙を置くところまでをおさらいするだけ……」

 

「ちょっと待ってくれるかな」

 

「……なんでしょう、狛枝さん」

 

「材料を調達、と言っても、どこでどうやって手に入れたのかな」

 

「ダーツはホテルロビーの遊具から。

風船はコサージュと一緒に倉庫のパーティーグッズから……」

 

「それっておかしくない?

ボク、いつも別館にいるんだけど、面倒だから昼間は基本的に電気は点けないんだ。

倉庫やそこに続く廊下は真っ暗。

かと言って、天井の明かりを点けたらいくらボクでも気がつくし。

ほとんど何も見えない状況で、物音を立てずに目的の品を探すことなんて、

本当にできるのかな?」

 

仕方ない奴ね。引っ掻き回さないでって言ったのに。

まるでイタズラが成功した子供のような笑顔でアタシに視線を送る狛枝。

少しおしおきが必要ね。

 

「あーら、そんなこともわからないなんて、

さすが無意味で無価値で最低最弱無知無能を自負するだけのことはあるわねえ。

私様がここまで議論を進めてきたのは、ある人物の発言がきっかけだというのに!」

 

「ある人物?それは一体誰のことなのかな。無能なボクに教えてよ」

 

 

■怪しい人物を指名しろ

 

ヒナタハジメ→タナカガンダム→ハナムラテルテル→ペコヤマペコ→【コマエダナギト】

 

──アンタしか、いないのよォ!

 

 

「えっ!?ボク……?どうして……」

 

流石に彼も動揺を隠せないみたい。どう、びっくりした?

 

“花村クン……ボクには何かが繰り返されてるような気がするんだ”

 

「私様の優れた耳はアンタのくだらないツイートも聞き逃さないのよ!

そう、この事件では、かつての出来事が繰り返されている。

それが可能なのも、当然その最大の当事者。つまり、クロ!」

 

「ねえ!それじゃ、あんたには誰がクロなのかわかってるっていうの!?」

 

「当然でしょう。でも、そいつを吊るし上げる前に、

今回の犯行がどのようにして行われたか。それを先に説明する必要があるわ。

謹んで拝聴しなさい」

 

「い、言ってみなさいよ」

 

「まず、犯人は厨房からカセットコンロを持ち出し、別館に向かった。

ホテルから出る前にダーツを回収してね。

ダーツは簡単にポケットに入るし、カセットコンロは、ある事情から、

高圧洗浄機と同じく誰に見られても不都合はなかった。

続いて別館に入ったけど、中は暗闇。そこで登場するのはカセットコンロ。

犯人はコンロの火で光を得て、

倉庫の中のタイプライターで偽の手紙とメッセージカードを作り、

棚のパーティーグッズから大きめの風船を取り、高圧洗浄機を手に入れた。

でも、タイプライターの操作に時間を取られたのか、コンロのガスが切れる。

でも帰るだけなら問題はない。

必要なものを手に入れた犯人は、また事件現場に戻り、風船爆弾を作り、

偽の手紙とメッセージカードを置いて……ただアタシがスイッチを押すのを待った。

どう?おわかり頂けた?」

 

「でも、その言い方じゃあ、まるで……」

 

「そ、そうだよ!

名指しこそしてないけど、ぼくが犯人だって言ってるのと同じじゃないか!」

 

「フフン、いっそ自白したほうがよろしいんじゃないかしら?

私様が集めた数々の状況証拠の前に敗北する前に!」

 

「お、おお……おおおおお!」

 

「なあに?」

 

「おんみゃあばって!めらがへぼらずめげだどばずんば!!」

 

「この野郎!黙って聞いてりゃ勝手なこといいやがって!!と言ってまちゅ」

 

「え!?また花村が意味不明な方言を始めたよ!これって……!」

 

「そう、さっきも言ったでしょう。この事件は、“繰り返してる”のよ。オホホ!」

 

「いーだらば!いーだらば、でんごばりがずじめたらべ!」

 

「証拠は!証拠は、ちゃんと出せるんだろうな!でちゅよ、今度は」

 

「私様に勝てるかしら!最後の勝負よ!」

 

状況証拠じゃ足りない。心に構えたピストルで、必ず敵の弱点を貫きなさい、アタシ。

そして、全てを終わらせるの。

 

 

■議論開始

コトダマ装填:○カセットコンロ(厨房)

 

花村

はぁ…はぁ…君が言ってることは全部[想像]じゃないか!

 

[タイプライター]なんて触ったこともないし、[高圧洗浄機]も持ち出してない!

 

今日は別館に[用事なんてなかった]から、僕に爆弾が作れるはずなんてないんだ!

 

カセットコンロだって、僕が[きちんと管理]してるし!

 

 

──これで、とどめよ!!

 

 

[きちんと管理]論破! ○カセットコンロ(厨房):命中 BREAK!!!

 

 

「テルテルちゃ~ん。嘘はよろしくないわね、嘘は!」

 

「な、なんだよ嘘って!」

 

「手帳のキーワードの添付写真をよーく見なさい」

 

「ただのカセットコンロでしょ?何が変だっていうのさ……」

 

「調理台に無造作に置かれたカセットコンロ。そばにガスコンロがあるのに、

どうしてわざわざカセットコンロで調理する必要があるのかしら?」

 

「はびばっ!!」

 

「しかも、ガスボンベを取り付けたまま、

消えているとは言え火元の近くに置いておくなんて。

とても“きちんと管理”しているとは言えなくてよ?」

 

「うう、あわばばばば……」

 

「フフ…安心なさい。私様がきちんと確認しておいてあげたから。そうよ、そうなのよ!

このカセットコンロはガスが切れていたのよ!」

 

「「!?」」

 

「説明してもらおうじゃないの。

ガスコンロがある厨房で、わざわざカセットコンロを、

ボンベの中身が切れるまで何のために使っていたのかしら?」

 

「あぴらぴんぽろかろばれじだ……ブクブク」

 

「翻訳不可能でちゅ」

 

「未遂とは言え殺人犯も追い詰められると泡を吹くのね。さすがの私様もびっくりだわ」

 

「ねえ、ここで事件のおさらいをしようよ」

 

七海千秋がしばらくぶりに裁判の流れに加わった。

今まで珍しそうに法廷の設備を眺めていたのに。

生まれたて故の好奇心と高性能AIとしての知能。2つが同居してるみたいね。

彼女の言う通り、彼に現実を突きつけましょう。

 

 

■クライマックス推理

 

 

>クライマックス推理 開始

>推理を完成させろ

 

 

Act.1

まず、事件は私様がこのホテルに降臨したことから始まる。

私様の姿に、超高校級の絶望の面影を重ねた犯人は、復讐を決意した。

左右田とちょっとしたやり取りがあった後、その場は一旦解散する。

 

左右田

……ハッキリ言えよ。何の落ち度もないのにオレに殴られたって。

 

江ノ島(女王)

殴るっていうのは、傷にもならない撫でることを言うのかしら?

 

左右田

なっ……!お、お前なあ?

 

江ノ島(女王)

うるさい男ね、黙ってお聞き。

 

Act.2

下々の者が頻繁に利用する、高圧洗浄機を使用したトラップを考案した犯人は、

殺害計画に利用すべく作成を開始。

まずは材料を確保する必要があるけど、あまり派手に動くと目撃される恐れがある。

そこで犯人はシフト表を確認し、

付近にソニア、十神、私様しかいない事を確かめると、計画を実行に移した。

まずはホテル1階のロビーでダーツを回収し、

洗浄機と風船を回収するため別館に向かう。その手にカセットコンロを持ってねェ!

 

Act.3

別館に着いた犯人は、カセットコンロの火を頼りに、倉庫の中で風船と洗浄機を確保。

ここでもう一つやることが。偽の手紙とメッセージカード作りよ。

今時A4の紙なんて、ない所の方が少ない。

ましてや倉庫に補充用コピー用紙の類が全くないほうがおかしい。

とにかく犯人は紙をタイプライターにセットして、慣れない手付きで文字を打った。

私様を呼び出す文面と、風船爆弾のスイッチを押させるメッセージ。

2通の作成に手間取っているうちに、カセットコンロのガスはどんどん減っていく。

 

Act.4

とうとうガスボンベを使い切って、また別館は暗闇に包まれるけど、

まっすぐ来た道を逆戻りすることくらいはできる。

手に入れた品物と、カセットコンロ、高圧洗浄機を持ってレストランに戻る。

仮にこの時、誰かに見つかったとしても、誰もが使う高圧洗浄機や、

才能の特性上から持っていてもおかしくないカセットコンロは、

気にも留められず、すぐに忘れられたでしょうね。

 

Act.5

後は厨房にでもこもって風船爆弾を作り、

レストランのテーブルにメッセージカードを添えて置く。

後は私様に爆弾を食らわせるため、人目のないタイミングを見計らって、

左右田の名を使った手紙を私様のテントに置く。

これが終わればコテージで待機していれば、ドカンよ。

風船の破裂音を聞きつけたふりをして、たまたま休憩に戻ってきた左右田達と、

何食わぬ顔で現場に戻ればいい。

ここまでの事を実行できたのは、刑務所の炊事係で超高校級の料理人であるお前だけ。

 

そういうことでしょう?花村輝々!!

 

 

──これが事件の全貌よ!  COMPLETE!

 

 

「ぱびゃあああああ!!」

 

「ぱびゃあああああ、だそうでち」

 

「いや、もう訳さなくていいから……あ、繰り返すって……」

 

「それではみなちゃん……お手元のボタンで、クロだと思う人を投票してくだちゃい」

 

結果:花村輝々 GUILTY

 

ここまでみたいね。みんな、今日のところは彼に任せて眠りましょう。

 

 

【学級裁判 閉廷】

 

 

そして僕は意識の主導権を取り戻した。

記憶はあるし、意識もあったのに、身体や口が勝手に動いてた。

たくさんの江ノ島盾子が現れて、それぞれの性格が僕に宿ったんだ。

全員に共通しているのは、頭の回転も洞察力も並外れていること。

 

例えるなら、僕は電車の運転手で、

レールが予定とは別方向に向いていることに気づいたけど、

操縦を受け付けないまま電車は進んでしまう。でも、なぜか正しい到着駅に着いた。

下手な例えだけどそんな感じ。

 

今それはいいとして、法廷は重苦しい沈黙に包まれていた。

頭を使いすぎたのかな。風邪でもないのに額がすごく熱い。

 

「悲ちいでちゅ……どうちて、花村くんがこんなことを……」

 

「何故じゃ!何故なんじゃ!!答えろ花村!ワシらの誓いを忘れたのか!

それとも、江ノ島盾子なら殺していいとでも思うたのか!?」

 

「ちがうよ……殺すつもりなんてなかったんだ……」

 

「舐めた口利いてんじゃねぇぞコラ!

あんだけ手の込んだ爆弾作っといて、何が“殺す気はなかった”だ!!」

 

「ほんとうなんだ…ダーツくらいじゃ死にはしないって……」

 

「何言ってるんですかぁ!

目に刺さってたら、脳に届いて死んでたかもしれないんですよ!?

実際、腕で顔を守らなきゃ、危うく左目に飛び込んでたところだったんです!」

 

「えっ、そうなの……!?ぼく、なんてことを……あ、ああっ!……」

 

「花村、貴様……お前は何のためにジャバウォック島に留まったかを忘れたのか!

そして、俺達が何のためにこの仮想空間に来たか!

強制されたわけではない、世界の安定を取り戻すため、

罪滅ぼしの一環としてプログラムに参加したのだろう!

それを私怨で徒労に終わらせようなど……万死に値する!」

 

十神君達が花村君を激しく糾弾する。

 

「ゆ、許せなかったんだ……ぼくだって最初は協力するつもりだったんだ……

でも、江ノ島盾子がホテルに現れた時、呑気に手を振って駆け寄ってくる彼女を見たら、

憎しみが抑えきれなくなって、頭が真っ白になって、完全に自分を見失ってた……

ぼく達の苦しみを少しでもわからせてやる、その一心で……」

 

「花村君……」

 

そうだ。あの時、僕が浮かれて楽しそうに手を振ったりしなければ。

彼も超高校級の絶望、つまり僕じゃない方の江ノ島盾子に全てを奪われたんだ。

花村君に歩み寄ろうとした時。

 

──終わったみたいだね。霧切さんから事情は聞いてる。

 

苗木君が頭上の大型モニターに現れる。

 

『学級裁判の様子は一部始終見させてもらったよ。

江ノ島さん。今回のことで……ますます君のことがわからなくなったよ。

でも、クロを見つけてくれたことには感謝する。

プログラムの円滑な運用を進めることができるよ』

 

「それって、やっぱり……」

 

『直ちに現実世界のジャバウォック島に局員を派遣して、

花村クンをシステムから切り離す。後のことはボク達に任せて』

 

「いやだ!!」

 

反射的に叫んでいた。そして花村君に向かって走る。

膝をついて背の低い彼に目線を合わせ、両肩を掴む。

 

「江ノ島、さん……?」

 

「まだまだ話したいんだ!だってそうでしょう!?出会ってまだ一日も経ってないのに、

大好きなゲームのキャラが独房行きになってお別れなんて、絶対にいやだ!」

 

『何を言ってるんだ!彼は君を殺そうとしたんだよ!?』

 

「そのつもりはなかったって言ってるじゃないか!

確かに、考えが足りなかったかもしれないけど。それに僕にだって責任はある。

彼の言ったように、軽はずみな行動で花村君を追い込んだのも原因なんだ。

……そうだ、プログラム参加者が減ったら、贖罪のカケラ集めに遅れが出る!

苗木君達だって困るはずだよ!?」

 

『それはそうだけど……』

 

『待って、彼女の言うとおりよ』

 

今度は霧切さんがタブレットを持ってフレームインしてきた。

タブレットを苗木君に見せるけど、こちらからは裏側になってて画面が見えない。

苗木君は、悩んだ末こう言った。

 

『今、無理に花村クンと江ノ島さんを引き離すと、悪影響の方が大きいみたいだね。

……後悔は、しないね?』

 

「当たり前だよ!」

 

改めて僕は花村君と向き合う。涙とよだれで顔をぐしゃぐしゃにして彼はひたすら謝る。

 

「ううっ、江ノ島さん、ごめんよう……ぼく、とんでもないことしちゃったよ……」

 

そんな彼にできることは。

全くの人違いで、意味のないことだけど、

それでほんのわずかでも彼の心の闇が晴れるなら。

超高校級の絶望の姿を借りた僕にできることはひとつだけ。

 

「……本人でもない僕がこんな事を言っても虚しいだけかもしれない。

だけど、聞いて。今だけ絶望の江ノ島盾子になって謝るよ。

花村君。君の人生を、大切なものを踏みにじって、本当に、ごめんなさい。

謝って許されることじゃないけど……ごめんなさい」

 

「江ノ島さん、えのしまさん、……えのしまさあああん!!」

 

大声で泣き叫びながら僕に抱きついてくる花村君。

彼が泣き止むまで、僕も少女の柔らかな身体で彼を抱きしめ、背中を撫で続けた。

周りにいたみんなも、ずっと、待ち続けた。

やがて彼は落ち着きを取り戻すと、語り始めた。

 

「んぐっ、ううっ……コロシアイの後……目が覚めたら、未来機関の人に聞いたんだ……

花村食堂は、ひっく、お母ちゃんは、どうなったのって……」

 

「どうだったの?」

 

「教えてくれなかった……!」

 

「どうして?」

 

「高濃度放射能汚染区域につき調査不可だって……!お母ちゃんも行方不明だって!」

 

「放射能!?核戦争でもあるまいし、なんで、そんな事が?」

 

「わからない。放射性物質を手に持って、死の運命に囚われた自分に絶望しようとした、

研究員か誰かがいたんじゃないかって、未来機関の人が言ってた……」

 

「一体どうなってるんだよ、この世界は……!」

 

苗木君から写真で見せられて少しはわかっていたつもりだったけど、

想像以上にこの世界は絶望に毒されていた。

 

死に至るほどの放射性物質なんて、よっぽど頭のいい科学者くらいしか扱えないのに、

そんな人達まで、高校生の女の子一人に魅了されてしまったなんて、

それこそ絶望的な話だ。

 

……でも、僕は諦めない。絶対絶望なんかしない。

心の中で改めて決意すると、花村君が身体を離した。

そして、今度は彼が僕の目を真正面から見た。

 

「江ノ島さんには、話しておくよ。……絶望に踊らされていた頃の、ぼくの罪を」

 

皆が一気にざわめく。目を背けたり、後ろを向いてしまう人もいた。

絶望に染まった超高校級児達の罪。存在は知っていた。

でも、具体的に何をしていたのかは何も聞かされていなかった。

世界を破滅寸前に追い込むほどの罪は一体何なのか。

唾を飲んで、覚悟を決めてから、言った。

 

「花村君が話してくれるなら、聞くよ」

 

「ぼくの罪。それは、“食育”だよ」

 

「食育?バランスのいい食事とか、食べ物に含まれる栄養素を子供達に教える、あれ?」

 

「そう。ぼくは、スーパーでも簡単に手に入る調味料や食材を特殊な方法で調合し、

化学反応を起こして、毒性を持たせて色んな人に食べさせたんだ……

とっても栄養のある料理だって言ってね。

みんな苦しんで死んでいった……料理は科学でもあるんだ。

ぼくは自分の誇りである料理を穢すこと、

そして、ぼくの料理を美味しいと言ってくれた人達を殺すことで、

更なる絶望を追い求めていった……」

 

愕然となる。

目の前の愛嬌のある小さなコックさんが、毒物で虐殺を行っていたなんて。

やっとのことで一言尋ねた。

 

「途中で、やめられなかったの?」

 

「ダメだった……一度でも江ノ島盾子の纏う絶望の薫りに魅了されると、

本能がそれを求めて身体が勝手に動くんだ。

ほんの一瞬だけ正気に戻ることもあったけど、身体の自由が利かなくて、

際限なく絶望を求めて……く、うう、うう……」

 

再び涙を浮かべる花村君。僕はハッと気がついた。決めたばかりじゃないか。

僕は戦う。

この不条理な運命と。そして、未だにみんなを縛り付けている江ノ島盾子の亡霊と。

また花村君を抱きしめた。

 

「江ノ島さん……どうしてこんなぼくを……?」

 

「僕は諦めない。僕だって母さんに会いたいよ。だから、花村君も諦めないで。

いつの日か、花村食堂青山支店と麻布支店にお母さんを迎えるんだよね。

君の罪の意識が消えることは、きっとないと思う。でも、諦めることなんてないんだ。

ジャバウォック刑務所を出たら、たくさんの人に花村君の手料理を振る舞ってよ。

どこかにいるお母さんが気づいてくれるように」

 

「ありがとう……江ノ島さん、ありがとう……!!」

 

僕たちは強く抱きしめ合う。すると、胸に柔らかい感触が。

というより、柔らかい胸が持ち上げられてる。

 

ぽよん ぽよん

 

「う~ん、Fカップってところかな?例えるなら、夕張メロンの特秀品だね!」

 

思わず苦笑して、彼の額をつつく。

 

「もう、何やってるんだよ、このシチュエーションで。

普通女の人にこんな事したら怒られるんだよ?」

 

「この密着した状況だからこそじゃないか!この微かに香る甘い匂いは……」

 

そしてやっぱりというか、僕の代わりに怒る人が現れた。

 

「花村ァ!!あんたって奴は、本当スケベね!信じらんない!

今すぐその手を離さないと、頭の中先割れスプーンでかき回すわよ!」

 

小泉さん。そう言えば僕が小学生の頃にも、こんな委員長タイプの子がいたっけ。

法廷に笑いが響く。学級裁判が笑顔で終わるなんて、誰が想像しただろう。

一度は冷え込んだ空気が、緊張から解き放たれ、暖かなものに変わる。でも。

 

「あーあ。しっかし、花村クンには本当に、心の底から、どうしようもなく失望したよ」

 

「狛枝君……」

 

彼が冷たい目で花村君を見下ろしながら、気だるげに言い放つ。

 

「次はもしかして成功するんじゃないかと、少しでも期待したボクがバカだったよ。

元絶望とは言え、超高校級の能力を持つ君なら、

今度こそやってくれるんじゃないかと思ったけど、ダメな奴は何をやってもダメだね。

しかも一度ならず二度までも同じ手口の繰り返し。学習能力がないのかな、君。

こんな出来損ないが、誰かの希望になるなんて、分不相応な願望だよ。

君は死ぬまで刑務所暮らしが性に合ってるよ」

 

「うう……狛枝くん」

 

「耳を貸しちゃ駄目だよ」

 

僕は花村君の前に立ちはだかる。小泉さんも狛枝君に詰め寄る。

 

「ちょっと狛枝、何言ってるの!空気読みなさいよね!

あんたの変態的な絶望論なんて誰も聞いちゃいないから!!」

 

「ねぇ、狛枝くん…悪いんだけど黙っててくれるかな?」

 

七海さんから彼女にしては厳しい言葉を掛けられても、彼は喋るのをやめない。

 

「その点、江ノ島さんは素晴らしいよね!

孤立無援の状況で見事クロを探し当てたんだから!

やっぱり元超高校級児が立ち向かうに相応しい無敵の存在だよ!

キミという大きな壁を乗り越えて、希望の光を見せてくれるのは一体誰なんだろう!

その日が来るまで、ボクはこのプログラムの世界で待ち続けるよ!」

 

「……僕は誰かの壁でもないし、狛枝君の狂った願いを叶えるつもりもない。

みんなと争ったりもしない。だから君の願いは叶わない」

 

「フフ、今はそれでいいよ。今はね」

 

「いい加減にして!もう帰りなさいよ!

せっかくのいい雰囲気が、あんたのせいで台無しじゃない!」

 

「言われなくても、ボクはお先に失礼するよ。次は、楽しみにしてるからね……」

 

そして、狛枝君は一人でエレベーターに乗って帰っていった。残された僕達。

みんなが僕と花村君の周りに集まる。

 

「江ノ島……」

 

「日向君」

 

「どう言えばいいか。俺も苗木と同じで、ますますお前がわからなくなった。

裁判でのお前は、明らかに俺達の知る江ノ島盾子だった。でも、今は……

済まない。言葉が見つからない」

 

「いいよ。

難しいことはわからないけど、どうにかして未来機関の人を納得させてみせる。

それまでは諦めない」

 

「そうか……結論が出るまで、必要最低限の生活は保証する。今言えるのはそれだけだ」

 

「十分だよ、ありがとう」

 

その時、人混みの中から、ポケットに手を突っ込んだまま、左右田君が出てきた。

彼はいろんな方向を見ながら、僕に言ってくれた。

 

「あのよう、お前ん家、テントだから雨風とかちょっとくらい入ってくんだろ。

冷蔵庫とか壊れたらオレに言えよ。

……アレだよ!日向の言ってる最低限の生活のアレだかんな!?

オレはお前を認めてねー!」

 

「うん!ありがとう。……ありがとう」

 

「フッ、貴様の魂に宿る数多の守護神、しかと見届けさせてもらったぞ。

だが、それに驕らず鍛錬を怠るな!

さすれば、アスモデウスとの戦いに勝利する日も遠くはないだろう!」

 

「うん!さっぱり意味がわからないけど、とにかくありがとう!田中君」

 

「学級裁判が、こんな平和な形で終わるなんて、あちし思っても見なかったでちゅ。

本当に感激でち。ら~ぶ、ら~ぶ……」

 

『そうね。それに関しては同意見だわ』

 

また頭上モニターが点いて霧切さんの顔が映し出された。

 

『連絡事項。江ノ島さんの要望が通ったわ。花村輝々は現状維持。

希望更生プログラムに継続参加すること』

 

わっ、と声にならない喜びが辺りを包む。

 

「やったね、花村君」

 

「うん!江ノ島さんのおかげだよ。ぼく、諦めなくていいんだね……」

 

『そして、江ノ島盾子には重要な連絡が』

 

反射的に再びモニターを見上げた。湧き上がった喜びが、ものの数秒で静まり返る。

学級裁判で暴れたから何か罰でも……?

 

『……あなたの方がよっぽど表情豊かよ。それじゃ』

 

それだけ言い残して向こうから通信を切られてしまった。もう、びっくりさせないでよ。

みんなもほっと息をつく。

 

「ねー、もう帰ろうよ。わたし眠い!

ていうか、晩ご飯食べそこねたからお腹ペコペコ!」

 

「じゃあ、みんな戻ろっか。

日寄子ちゃん、アタシのコテージで買い置きのパン一緒に食べよう?」

 

「わーい、小泉おねぇ大好き!」

 

「ふゆぅ……江ノ島さんは病院に来てくださいね?

腕とお腹の傷はまだ治ってないんですから」

 

「あ、そうだった。思い出したら急に痛くなってきた。あたた……」

 

「リーダーの権限で、完治するまで労役は免除する。治るまでは、その、ゆっくり休め」

 

それから、僕達はエレベーターに乗って、モノクマロックの前に戻った。

法廷に缶詰状態だったから時間の流れを感じなかったけど、

かなりの長時間討論してたらしい。

海の水平線の向こうから、ほんの少し、朝日の光が漏れ出ている。

 

この島に来てやっと一日なのに、なぜかずいぶん長く戦ったような錯覚に陥る。

でも、本当の戦いはこれからなんだ。必ず僕は自由を掴む。

自分を縛る江ノ島盾子の身体が、同時に武器となると解った以上、

今の姿に泣き言を言うのはやめた。

僕は大きなツインテールを一度手で払うと、

病院で怪我を癒やすため、大きく足を踏み出した。

 

 




CHAPTER 1 CLEAR

ハナムラ テルテル ノ
ショクザイ ノ カケラ ×150 ヲ ゲットシマシタ


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第5章 死神の子守唄

学級裁判の後、病院で改めて罪木さんの治療を受けた僕は、病室のベッドで眠っていた。

この世界に来て一日で、大変なことが連続して疲れ切ってたせいで、眠りも深い。

そのせいか、夢の中で奇妙な存在と出会った。

 

 

“……お疲れ様。たくさんのアタシの相手は疲れたでしょう”

 

“あなたは……誰?”

 

僕に話しかけてきた不思議な人。まるで貴婦人。

裾が床まで届き、身体のラインがよくわかる、紫を基調としたドレス姿。

胸にはバラを飾っている。長いブロンドを左肩にかけたその女性は、僕に少し微笑んだ。

優しく落ち着いた雰囲気の美女に笑顔を向けられ、少し照れる。

 

“アタシは、ひとつの可能性”

 

“可能性?”

 

“あなたに宿っている江ノ島盾子達の行き着く結末。その可能性のひとつ”

 

“それって、じゃあ……”

 

“そう。アタシもまた、江ノ島盾子”

 

目の前に居る女性は、成人した江ノ島盾子だった。

それじゃあ、彼女が生き延びて大人になる未来もあり得るってこと?

僕の心を読み取った彼女が答えた。

 

“それはまだ分からない。あなたの選択次第では、別のアタシが現れるかもしれないし、

そもそもこの歳まで生きられないかもしれない”

 

“……ねえ、あなたにこの身体を返すことってできないかな。

こんな僕でも、元の世界で待ってる人がいるんだ”

 

彼女は少し寂しそうに小さく首を振る。

 

“例え造り物だとしても、その肉体は元々あなたのもの。

その身体からあなたを引き剥がす方法は、少なくともアタシにはない。

他の娘達も、あの爆発で覚醒して、後から生まれた精神体。

あくまで肉体の管理者は、あなたなの。アタシは数多の江ノ島盾子、そのひとり。

できるのはせいぜい、他のアタシに助言することくらい”

 

“もう、僕には元の世界に帰る方法はないの……?”

 

“ごめんなさい。それもアタシにはわからないの。

でも、その身体は紛れもなく江ノ島盾子を再現した物。だからアタシ達が生まれた。

ただし、絶望でも希望でもない、まっさらな状態。

最後に何が描かれるかは、あなたが選ぶの”

 

“わけがわからないよ。一体どういうことなの?”

 

“今、全てを話している時間がないの。時々会いに来るわ。

癖の強い娘達だけど、うまく付き合ってあげてね。さようなら”

 

“待って!もう少し……”

 

思わず彼女に手を伸ばしたところで目が覚めた。次に見えたのは天井の照明。

身体を起こすと、いつの間にか入院着に着替えさせられていた。

 

「あいたた……」

 

左腕とお腹はまだ痛むけど、一晩ぐっすり眠ったからだいぶ楽になった。

コンコン。ノックの後にドアが開く。

食事の乗ったトレーを持った罪木さんが入ってきた。

 

「おはようございます。あ、まだ寝てなきゃだめですよ。

朝食が届きましたから、ここに置きますね」

 

罪木さんがベッドに設置されたテーブルをスライドして、僕の前に置いてくれた。

 

「おはよう、罪木さん。ありがとう。わぁ、美味しそう!」

 

ラップを掛けられた朝食は、

まだ温かい焼き立てトースト、牛乳、サラダ、ソーセージ、スクランブルエッグ。

昨日の昼食とは全然違う。

 

「花村さんが腕によりを掛けて作ったそうです。もちろん全員同じメニューですけど。

もっと腕を磨いて、花村食堂を世界に名だたる三ツ星レストランにするんだって、

意気込んでましたよ」

 

「そっか。彼、立ち直ってくれたんだね……」

 

「江ノ島さん」

 

「なあに、罪木さん」

 

「食べ終えたら、食器はそのままテーブルに置いておいてください。それと……」

 

「どうしたの?」

 

彼女が一瞬ためらって答えた。

 

「隣の病室に澪田さんが入院しているんですが、彼女を刺激しないでくださいね?」

 

「どういうこと?いや、何かしようってわけじゃないけど」

 

「……私達が一度目のコロシアイの後、

全ての記憶、つまり絶望だった頃の記憶を取り戻して、

最も精神的ダメージを受けてしまったのが、彼女だったんです。

まともに労役もできないほどに。だから、彼女はずっとここで入院生活を送っています」

 

「こんな事聞いて良いのかわからないけど……

絶望に冒されていた彼女はどんな姿をしていたの?」

 

「わかりません。私達のほとんどは別々の場所で未来機関に確保されましたから。

とりあえず何度もカウンセリングを重ねてわかったことは、

今の澪田さんは、誰の言うことでもなんでも聞くことで、

罪を償おうとしているという事です。

自分のことにも全く無頓着で……あの髪型を再現するのには苦労しました。

いつも私がセットしてるんです。

せめて外見だけでも元に戻すことで、

彼女が自分を取り戻してくれるきっかけになるかもしれませんから。

でも、ちょっとしたきっかけで、過去の記憶がフラッシュバックして、

パニック状態に陥るんです……なので、あまり彼女とは関わらないほうがいいです」

 

「そうなんだね……わかったよ。とにかく澪田さんはそっとしておくよ」

 

「そうしてくれると助かります。じゃあ、冷めないうちに食べちゃってください」

 

「ありがとう、罪木さん!」

 

「いえ。これも保健委員の仕事ですから……」

 

「でも、ありがとう。罪木さんのおかげで傷の具合も良くなったよ」

 

「あまり……私達も近づきすぎるのは止しましょう。

あくまで患者と看護婦の関係ということで。それでは」

 

「あ、そう…だよね。ありがとう、すぐに食べるよ……」

 

昨日、出血が止まらなくて完全に混乱していた僕を助けてくれた、

罪木さんの様子を思い出す。

 

“自分でもわからないんです。私の唯一の取り柄だった、

“超高校級の保健委員”としての能力に、まだしがみついているのか、

心の底から傷ついている人を助けたいのか“

 

彼女も、自分自身の罪と戦ってるんだな。そんな罪木さんが、

心は別人でも肉体は絶望の江ノ島盾子と変わらない存在の世話をする。

きっと僕には到底理解できない葛藤があるんだろうと思う。

 

罪木さんは後ろ手にドアを閉めると、早歩きで廊下を進んでどこかへ行ってしまった。

その顔に暗い笑みが浮かんでいたことに、僕が気づくはずもなく。

 

ああ、せっかくの温かいご飯が冷めちゃうよ。僕はさっそく朝食に手を付けた。

すると、サラダの小鉢のそばに1枚のカードが。読んでみる。

 

“おはよう!ぼくの手料理で元気になってね!夜の方も! 花村”

 

一人苦笑いをする。相変わらずだなぁ、彼は。でも、料理は本当に美味しかった。

パンは柔らかくて何も付けなくても食べると甘みが出たし、

スクランブルエッグもふわふわ。

ソーセージも絶妙な茹で加減で、一口噛むと肉汁が口の中に広がる。

まともな食事をしてなかったことも相まって、あっという間に平らげてしまった。

 

罪木さんの言葉に甘えて、トレーをそのままテーブルに置くと、

僕は朝の空気を吸うために、ゆっくりベッドから立ち上がり、そばの窓を開けた。

南国の温かい潮風が吹き込んでくる。

ジャバウォック島の自然がパノラマ写真のように広がり、思わず目を奪われる。

遠くの山々や透き通るような海を眺めていると、どこからか歌声が聞こえてきた。

 

 

“かーらーす なぜなくの……”

 

 

ふと、声の方向を見ると、すぐ隣の窓から澪田さんが、“七つの子”を口ずさみながら、

僕と同じく風に吹かれつつ、景色を見ていた。

……いや、見ているかどうかはわからないな。

その目は虚ろで、何にもピントが合ってない。

罪木さんには刺激するなって言われたけど、世間話くらいは大丈夫だよね?

 

「童謡、好きなの?」

 

話しかけると、澪田さんがゆっくりこちらを向いた。

見ているようで何も見ていなかった目が少しだけ光を取り戻す。

 

「盾子ちゃん……とうとう捕まったっすか……」

 

「まぁ、端的に言えばそうなんだ」

 

今の彼女に、心は別人だの、異世界から来ただの言っても仕方がない。

それこそ刺激するだけだ。

 

「童謡も歌うの?今の歌、ちょっと悲しげなところが童謡らしくて良かったよ」

 

彼女は黙って首を振る。

 

「こういう歌しか、歌えなくなったっす……誰でも歌える、聴ける……大丈夫な歌」

 

「せっかく超高校級の軽音……あ、なんでもない。僕もちょっと歌ってみようかな」

 

「どんな歌、好きなんすか……」

 

「気に入った曲はジャンル問わずにリピートしてるけど、特に昭和歌謡が好きなんだ」

 

「昭和歌謡……?古い歌ってことっすか?」

 

「昭和の時代に流行った歌だよ。ちょっと古くさいかもだけどこんな感じ」

 

ちょっとこっちに興味を示してくれたよ。お気に入りの曲を歌ってみた。

 

“下駄を鳴らして、奴が来る……♪”

 

僕は、かまやつひろしの“我が良き友よ”を1番だけ歌ってみた。

 

「変な歌っす……でも、なんだか新鮮す」

 

「うん。澪田さん達の世代じゃないから、かえって新しく感じるのかもね。

僕、流行りの歌はよくわからないんだ。毎月たくさん新曲が出て、とても追いつけない。

その点、昭和歌謡は絶対新曲が出ないから、のんびり良い曲を探せるんだ」

 

「他に、なんかないんすか……?」

 

「え、聞いてくれるの?やった。じゃあ、僕のお気に入りその2、行くね」

 

“ハチのムサシは死んだのさ……♪”

 

今度は、平田隆夫とセルスターズの“ハチのムサシは死んだのさ”を歌った。

澪田さんは窓の桟に頬杖をつきながら、

若い人は興味を示さないだろう曲を最後まで聞いてくれた。

 

「ふぅ、やっぱり若い人向きじゃないね、アハハ。聞いてくれてありがとう」

 

「ううん……唯吹には、未知の領域す。童謡ぽいけど、微妙に違う。

これ、売れたんすか?」

 

「ミリオンとまでは行かなかったけど、なかなかのヒットを記録したよ」

 

「へえ……“償い”ができたら、新曲に昭和の味をプラスしたいっす。

……出来たらの話しっすけど。アンコール」

 

僕は黙って、最後の一曲を歌うことにした。

“きっと出来るよ”なんて根拠のない無責任なことは言いたくなかった。

 

「これはどこかで聞いたことあるかもしれないよ?タイトルは知らなくても」

 

“知床の岬に……♪”

 

加藤登紀子が歌ったミリオンセラー、“知床旅情”を彼女に捧げる。

 

「あっ……これは知ってるす。知ってるっていうか覚えてるっていうか」

 

「色々CMやドラマで使われたりしたからね。耳にしたことはあるって人は多いよ」

 

「タイトル初めてわかったっす……あ、蜜柑ちゃんが呼んでる……」

 

そう言うと、彼女は部屋に引っ込んでしまった。

空いた窓から2人の話し声が聞こえてくる。

 

“お皿、下げますね”

 

“ありがたいっす。唯吹、何するのもダルくて……”

 

“心の問題はゆっくり焦らず治して行きましょう。

外で先生もそう仰ってたじゃないですか。

それじゃあ、私は江ノ島さんのところに行きますね”

 

“ういっす……”

 

ヤバイ、罪木さんが来る!別に悪いことはしてないんだけど、

あんまり動き回ってた事が知られたら、無意味に不安がらせることになる。

僕に何かあったら彼女の責任になるんだし。

急いでベッドに戻ると同時に、またノックが聞こえた。

 

「失礼します~」

 

「ど、どうぞ」

 

彼女は食事のトレーを下げながら僕に訪ねる。

 

「澪田さんと話が弾んでいたようですけど、楽しそうでしたね」

 

「ごめん、ちょっとお話だけするつもりだったんだけど……聞こえてた?」

 

「いいんですよ。

澪田さんが、童謡以外の歌を落ち着いて聞くなんて、ちょっと驚きましたけど。

未来機関に保護されていた頃、彼女のCDを聴かせたことがあるんです。

……悲惨な状況でした。大声を出して暴れまわって、血が出るまで頭をかきむしって、

最後には自分の目を潰そうとまでしたので、

局員さんが4人がかりでどうにか彼女を押さえつけたんです。

それ以来、彼女に童謡以外の歌は厳禁だったんですけど、

さっきの様子を見て驚かされました」

 

「そうだったんだね……これからは気をつけるよ、ごめんなさい」

 

「いいえ、逆なんです!

これからも、彼女に江ノ島さんの歌を聴かせてあげてくれませんか?」

 

「僕はいいけど……それって危険なことなんじゃ」

 

「そうかもしれません。

澪田さんには失礼なのはわかってますけど、あえてこう言います。

廃人同然の彼女を救える可能性があるとしたら、あなたの歌声だけなんです。

あんなに大人しく歌に聞き入っていた彼女は初めて見ました。

罪の意識という殻に閉じこもってしまった彼女を、助けられるかもしれないんです。

お願いします!」

 

助ける。いつも明るく、誰にでもハイテンションで飛びかかるような彼女が、

生きること自体を諦めてしまったかのように、心の力をなくしてしまった。

贖罪のカケラがどうこうじゃなくて、出来ることなら、元の澪田さんに戻って欲しい。

 

「わかったよ。これからもさりげなく話しかけてみる」

 

「あ、ありがとうございますぅ。

私、心療内科は専門外で、澪田さんのことは手探りで進めるしかないんです」

 

「他にも何かできることがあれば言ってね」

 

僕は笑顔でそう答えた。そう言えば、江ノ島盾子の服から着替えたのは初めてだな。

なんとなく背負った重圧が軽くなった気がする。髪型は相変わらずだけど。

大きなツインテールに手を通しながらそう思った。

 

 

 

 

 

オレは山ン中で、鉄を求めてひたすらツルハシを振り下ろしていた。

ツナギを上半身だけ脱いで、シャツ1枚で作業をしてるけど、やっぱ暑ちーよ、ここ。

でも……何もしないよりマシだ。余計なこと考えなくて済む。

 

“左右田君、ひどいよ……”

 

風船が爆発した時、あいつは泣きながらオレに言った。

……なんで江ノ島盾子が泣くんだよ!

あいつなら、信じたやつに裏切られた絶望すら喜んで受け入れたはずだ。

なのにあいつは、本当に悲しそうに。

 

「くそっ!」

 

地面にツルハシを刺して、一旦休憩を取る。

木の陰になってる岩に腰掛けて、しばらく涼んでいると、

後ろからスッとペットボトルの水が差し出された。

 

「汗をかいたら水分補給。

ここは暑いですから、きちんと体調管理をしないとすぐにバタンキューです」

 

「ソニアさん。……あざっす」

 

ソニアさんの差し入れを受け取ると、キャップを開いて一気に飲み干した。

冷たいミネラルウォーターをゴクゴクと喉を鳴らして飲み込むと、

火照った身体が冷えて、水分が行き渡る。

一息ついて冷静になると、またあいつの顔が頭に浮かんできた。

 

どうして、江ノ島盾子はこんなことをしてんだ?

自分は男だの、異世界から来ただの、到底信じられるはずのねー嘘をついて。

オレに殴られようが、どんな酷い扱いを受けようが、その主張だけは絶対曲げねえ。

 

もしかしたら?と一瞬思っちまったが、頭を振って馬鹿馬鹿しい考えを捨てた。

あいつが江ノ島盾子じゃなかったら誰なんだ。

ちくしょう、じっとしてるから変なことばかり考える。

オレは立ち上がると、またツルハシを手にとった。

 

「もういいんですか?あとしばらく休まれたほうが……」

 

「ああ、いいんすよ、ソニアさん!オレ、調子出てる時に一気にやる方が効率いいんで!

危ないんで離れててもらっていいっすか」

 

「……はい」

 

笑顔を作って彼女に返事をすると、またツルハシで硬い土を掘り砕く作業に戻った。

 

 

 

 

 

「汗をかいたら水分補給。

ここは暑いですから、きちんと体調管理をしないとすぐにバタンキューです」

 

「ソニアさん。……あざっす」

 

左右田さんは、水を受け取ると、言葉少なに礼を言って、

あっという間に500mlを飲みきってしまいました。そして、再び作業に没頭します。

以前の彼なら、わたくしが何かを渡したら……

 

“ソニアさんの差し入れ!?マジっすか!うっひょー!オレ、一生大事にするっす!”

 

“もう。飲まなくては意味がありませんし、緑色の変なものが生えてきますよ。

スコングが湧いてきたら取り返しがつかなくなります”

 

“何を喚いている、騒々しい。

破壊神暗黒四天王がハーデス降臨と誤認して暴れだしたではないか”

 

“うっせ、うっせ!ソニアさんからの愛が込もったプレゼントだぞ!?わかってんのか?

こいつがあればハーデスだろうが七つのラッパだろうが怖くねー!”

 

“なにっ!左右田、貴様っ!いつの間に旧世界のロストテクノロジーを……!”

 

“意外と……田中さんの喋り方についていけるんですね。アハハ……”

 

こんな風に、皆さんとの他愛ないお喋りが始まったのに。彼は変わってしまいました。

コロシアイ修学旅行が終わり、全ての真実を知った時から。

そして、江ノ島盾子さんが現れてから。今、彼の視線はずっと彼女を捉えています。

それが殺意に基づくものであろうと。

 

正直に申し上げると、わたくしは江ノ島さんに妬いています。

初めて合った頃の左右田さんは、ただの同級生でしかありませんでした。

それどころか、しょっちゅう、わたくしに構ってくる彼が少々疎ましくすらありました。

でも、危険に満ちたコロシアイ生活を送る中で、王女ではなくソニア個人として、

わたくしに好意を寄せてくれる彼に、

次第にわたくしからも興味を持つようになったのです。

 

王国にも、確かにわたくしを“好きだ”と言ってくださる殿方はいらっしゃいました。

しかし、それは超高校級の王女だから好きという意味。

もっと露骨になると、わたくしを人とすら見ず、

王女の地位・特権目当てだけで言い寄ってくる方もいました。

 

ですが、左右田さんは違いました。

純粋に、ソニア・ネヴァーマインドとしてのわたくしを好きになってくれたのです。

時々わたくしに近づきたいあまり、極端な行為に走ることもありましたが、

いつの間にかそれも、苦笑い一つで許せるようになっている自分に気が付きました。

 

でも、今の左右田さんは別人のようになってしまいました。

獲物を狙う狼のような目で、江ノ島盾子さんだけを見つめています。

わたくしにも以前のように頻繁に接してはくれなくなりました。

挨拶や二言三言の会話くらいしかしてくれません。

彼が自分自身に向けていた憎しみを、別に向ける対象が新たに現れてしまったから……

 

「……危ないんで離れててもらっていいっすか」

 

いけません、考え事をしていて彼の言葉に気づくのが遅れました。

とにかく、わたくし達が抱える罪に関しては、自分から言い出さない限り、

囚人同士でも触れることは御法度。それも刑務所の規則ですから、

わたくしには彼が元の自分に戻ってくれることを願うことしかできません。

 

「……はい」

 

それだけの返事をすると、彼はまた何かを忘れようとするかのように、

ただ黙々とツルハシを振る作業に戻ったのです。

そんな彼にこれ以上話しかけることができず、

わたくしも花を採取する仕事を再開するため、その場を離れました。

 

 

 

 

 

数日入院して、すっかり回復した僕は、明日にも退院できる事が決まった。

その間、澪田さんと色々お喋りしたり、僕の下手な昭和歌謡を披露したりして、

少しだけど仲良くなれた気がする。

 

“……追い越せ引っこ抜け♪”

 

「クス……間奏の早口すごいっすね。なんて曲っすか」

 

「ソルティ・シュガーの“走れコウタロー”だよ。

これをマスターしたくて一人カラオケに通ったんだ」

 

「一人カラオケ……本当にやる人いるんすね……」

 

「最近じゃもう珍しくないよ。

さすがに金曜の夜や大型連休なんかは避けるけど、開店直後はガラガラだよ」

 

その時、僕の部屋の方のドアがノックされた。確かめるまでもなく罪木さんだ。

 

「澪田さんごめん、また後で」

 

「いいっす。すぐにこっちにも来るはずっすから……」

 

「それじゃあ……はーい、どうぞ」

 

「失礼しますね」

 

罪木さんが、お昼ご飯の食器を下げに来てくれた。作業をしながら僕に話しかける。

 

「もうすっかり仲良しさんですね~。澪田さんと」

 

「単に昔の歌が珍しいだけだよ」

 

「実は私もなんです」

 

「どういうこと?」

 

「ごめんなさい。江ノ島さんの歌、少し立ち聞きしちゃいました。

“知床旅情”が耳から離れなくって……ああ、ごめんなさい、本当にごめんなさい!」

 

罪木さんがごめんなさいモードになりかけたから、慌ててフォローする。

謝る回数では僕といい勝負だ。

 

「いや、いいって別に!音痴な僕の歌で良かったら、本当。

それに、澪田さんが昔の歌を聞いても落ち着いてるのは、何ていうか……

嫌なことを思い出させるものがないからじゃないかな。

曲がリリースされた時には生まれてもいなかったわけだし。

もっとたくさん昭和の曲を聞いてもらえば、歌への情熱が戻ってくるかもしれない。

マーケットにCDは置いてたかなぁ」

 

「ライブハウスにいっぱいレコードがあったと思うんですけど、

ここには再生する機材がないんです。

あんまり澪田さんを歩かせるのもよくないですし……」

 

「そうだね。退院したら自分で探してみる。

これからも時々彼女に会いに来てもいいかな?」

 

「はい、そうしてあげてください。澪田さんもきっと喜ぶと思います。……そして私も」

 

「どうしたの?」

 

「あ、いえ、なんでも……」

 

「とにかく、今までありがとう。お世話になりっぱなしで。

これからどうするかは明日、日向君と相談することになってるんだ」

 

「無理はしないでくださいね。治ったばかりなんですから」

 

「うん。罪木さんに迷惑かけない程度に頑張るよ」

 

「迷惑だなんて……私の取り柄は手当や介助だけですから」

 

「ひとつあれば十分だと思うなぁ。

僕なんて、子供の頃から何も人並みにできたことないもん。

プールでも泳げないし、逆上がりもできなかったよ。アハハ」

 

「ふみゅう……それ、私もできません……」

 

「ご、ごめん!あと、書道も下手だし読書感想文も書けなかった!」

 

「冗談ですよ、ふふ。……江ノ島さんて、本当に変わったんですね」

 

「僕は言い続けるよ。僕は江ノ島盾子じゃない。肉体に別人の精神が宿った別の存在」

 

「まだ手放しには信じられませんが、

今のあなたに復讐しようだなんて思ってませんから」

 

「それでいいよ。証明する方法は自分で探す。みんなにも、未来機関にも」

 

「はい。その時を待ってます」

 

「ありがとう……」

 

「あ!すっかり話し込んじゃいました。お皿、下げますね!」

 

罪木さんは慌ててトレーを手に取る。なんか仕事の邪魔しちゃったな。

 

「いや、僕も喋りすぎちゃった。ごめんなさい」

 

「いえいえ。私、ちょっと用事があるんで、もう行きますね」

 

「気をつけてね」

 

彼女が部屋から出ていくと、また僕は部屋でひとりになった。

窓を覗くと、もう澪田さんもいない。わざわざ呼ぶのも悪いと思い、

大人しくベッドで寝て時間を過ごすことにした。そう言えば、明日の私服どうしよう。

身近な問題に気が付き、横になりながら対応について考えていると、

いつの間にか眠ってしまった。

 

 

 

 

 

目を覚ますと、もう日が暮れようとしていた。

まずい、少し寝すぎた。今夜はきっと寝付けない。

身体を起こすと、夕食がテーブルに置かれていた。味噌汁に口を付けると、冷めている。

夕食の時間は確か6時だから、もうとっくに通常の食事時間を過ぎてる。

入院中じゃなかったら何を言われてたか。と、思った瞬間。

 

キャアアア!!

 

絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。この声は、罪木さんだ!外から聞こえてきた!

電子生徒手帳に着信、じゃなくてメールだ。何だよこんな時に!

 

 

差出人:罪木蜜柑

CC:(全員分のメールアドレス)

 

助けて澪田さんが病院です

 

 

慌てて書いたらしい、句読点のない短文。早く行かなきゃ!

食事をそのままに、スリッパで外に出ると、すっかりうろたえている罪木さんがいた。

 

「どうしたの、罪木さん!?」

 

「あうう、江ノ島さん、澪田さんが大変なんです!」

 

彼女が指差した先を見ると、病院の屋上のへりに立つ澪田さんの姿が!

夜風に吹かれて入院着をはためかせながら、彼女は宣言した。

 

「唯吹はー!今からー!自殺するっすー!」

 

「なんで!なんでこんなことになってんの!?

澪田さーん!今すぐ部屋に戻って!危ないよ!」

 

「やれって、言われたから、無理っす!」

 

「誰にそんな事言われたのさ!?」

 

「言えねーす!」

 

「一体どうしたんだ、あのメールは!」

 

そして、ホテルのある第1の島から、日向君達が駆けつけてきた。

罪木さんが状況を説明する。と言っても、屋上を見れば一目瞭然なんだけど……!

 

「なんだって!……澪田、馬鹿な真似はやめろ!」

 

「駄目っす……唯吹は、ちゃんと言われた通りに……そうすれば、きっと……」

 

「思い止まれ澪田!まだお前の力では、ジュデッカの果てに赴いたところで、

百億万の邪悪なる悪鬼には太刀打ちできん!」

 

「今度は澪田おねぇなの!?わたし、もうやだよ!」

 

「大丈夫だよ、日寄子ちゃん。絶対なんとかなるから!」

 

僕も日向君に状況説明を終えた罪木さんに尋ねてみる。

 

「ねえ、罪木さん!この病院、屋上への階段なんてあったっけ!?」

 

「階段はありませんが、

給水タンクや屋上メンテナンスのための作業用ハッチがあるんです!

確か2階の廊下天井に、屋上への出入り口が!」

 

「今すぐ行こう!」

 

「いかん!下手に近づくと何をするかわからん!時間もない……終里、一気に行くぞ!」

 

「任せろ、オッサン!」

 

弐大君が腰を落として両手で足場を作る。

 

「うおおおお!!」

 

そして終里さんが助走を付けて、その足場に飛び乗る。

その瞬間、弐大君が全力で彼女を持ち上げ、終里さんが強靭な脚力でジャンプした。

病院の屋上まで。

 

「うおりゃあああ!!」

 

「はうっ!?」

 

「おっしゃあ!捕まえたぜ、大人しくオレのエサになれ!」

 

”食ってはならんぞ!”

 

そして見事澪田さんを捕まえ、押し倒して取り押さえた。

澪田さんは抵抗するけど、力持ちの終里さんに捕まえられて身動きが取れない。

さすが超高校級のマネージャーと体操部!

二人の協力のおかげで、澪田さんの自殺は無事未遂に終わり、ほっと胸を撫で下ろした。

だけど。

 

 

 

 

 

あれ、おかしいな。なんだかこの状況、デジャヴというか、

僕がこの世界に来たばかりのころとまるっきり同じなんだけど……?

僕は病院会議室でパイプ椅子に座らされ、事情聴取を受けていた。

 

目の前には日向君、弐大君、十神君が折りたたみ式の長テーブルに着いている。

他のみんなは、僕を逃すまいと周りに立って円を描く。

疑わしい目で見る者、ただただうろたえる者、ニコニコ笑っているのがひとり。

恐る恐る質問してみた。

 

「あのう、どうして僕はここに……」

 

「黙れ、貴様は俺の質問にだけ答えろ!俺の許可なく口を開くな!」

 

「すみません」

 

僕の問いは、あっさり十神君にかき消された。

 

「よさんか、十神。澪田は、ワシが軽く当て身を食らわせたら大人しくなった。

そこで、終里が彼女の入院着を調べたら、こんなものが出てきた」

 

弐大君がテーブルに小さな液晶の付いた装置を置いた。

ポケットに入れても目立たない小型の機械。それは。

 

「ICレコーダー?」

 

「そう。次はこれだ」

 

今度はくしゃくしゃになったメモ書き1枚。その内容は、“しにたい”。

 

「これって……澪田さん、自殺を考えてたの?」

 

「とぼけるな!貴様が澪田をそそのかして、自殺に追い込んだのは分かりきっている!

つまり、自殺教唆の容疑が掛かっているのだ!」

 

とんでもない結論を必死に否定する。

 

「僕が!?違うよ!そんな事をして何になるのさ!」

 

「……江ノ島、俺もここで殺人未遂が行われたとは考えたくない」

 

「君は、日向君は、信じてくれるの!?」

 

「だけど、こんな証拠が出てきたら仕方がないんだ」

 

彼はICレコーダーの再生ボタンを押した。

 

“畑の日だまり土の上……♪”

 

「“ハチのムサシは死んだのさ”?ただの歌じゃないか」

 

「本来は、な。だが、これを聴かせた瞬間、また澪田が自殺をしようと暴れだしたんだ。

今度は鎮静剤で眠らせたんだが、注射を打った罪木に聞いたんだ。

お前、普段からこの歌を澪田に聴かせていたらしいな」

 

「そ、それだけで僕を疑うの?」

 

「お前さん、罪木から聞いて知っとったそうじゃのう。

澪田は誰の言うことでも何でも聞いてしまう。それでワシらはこう考えたんじゃ。

どこかからICレコーダーを調達したお前さんは、自分の歌を録音し、

タイマー機能で歌が流れるよう設定し、偽の遺書と共に澪田のポケットに入れた。

そして、こう命令した。“夜になったら自殺しろ、自分との関係は絶対喋るな”とな」

 

「そんな!僕が澪田さんを殺して何になるんだよ!

彼女が気に入ってたから歌っただけだよ!」

 

思わず立ち上がって3人に訴える。

 

「座れ、馬鹿者が!」

 

十神君が食べかけのローストチキンで僕を指す。夕食の途中だったらしい。

無駄に抵抗しても状況が悪くなるだけだ。大人しく席に戻る。

 

「違うよね?江ノ島さんはそんな事しないよね……?」

 

花村君が一歩前に出て不安げに手を差し伸べてきた。当然即座に返事をする。

 

「当たり前だよ。澪田さんとも、友達になれたと僕は思ってるんだ!

スクランブルエッグ美味しかった!」

 

「江ノ島……今回の件で、こんな不安を抱く者も現れてるんだ。

この前の花村への態度は単なる芝居で、俺達に取り入ってから本性を現し、

また絶望に叩き込むんじゃないか。そう考えているらしい」

 

これにばかりは僕も頭に来た。3人を見据えて口を開く。

 

「ふざけないで。僕はいいよ。

でも、花村君がまんまと絶望の踏み台に利用される間抜けみたいな言い方はしないで」

 

「江ノ島さん……」

 

「そこまでは言ってないだろう?俺達はただ」

 

──ちょっといいかな

 

そこで口を挟んで来たのは、やっぱり、彼。

狛枝凪斗が、いつもの人畜無害そうな笑顔を浮かべながら話し始めた。

 

「このまま言い争いをしても、水掛け論になる可能性が高いと思うんだよね。

だったらさ、いっそ納得行くまで話し合おうよ。学級裁判で、さ」

 

「な、なんじゃと!?」

 

「前のコロシアイと違って今回は、法廷の使用は割とフリーだし、

揉め事を徹底的に議論するにはもってこいだと思うんだけど」

 

学級裁判。その言葉を聞いた時、僕の頭脳が徐々に回転数を上げ始めた。

熱が出て座っているのも億劫。

周りで何か言い争っているけど、すごく遠くで喋っているようにしか聞こえない。

徐々に精神が、底の見えない真っ暗な空間に落ちていって、

浮遊感が頂点に達した時、“彼女”が姿を表した。

 

「そんな必要はない!話し合うまでもなく……」

 

──お黙りなさい、ボンレスハム!

 

有象無象が驚いて私様に視線を集める。当然よねェ。

この容姿端麗完全完璧万全万能の私様の姿を、

2度も目の当たりにすることになったんですもの!

 

「ボンレスハムだと!?俺はそんな2口で食べられるような貧弱な肉ではない!

体重800kgの神戸ビーフに訂正しろ!」

 

「怒るとこそこか!?」

 

「江ノ島さんが、また女王になっちゃったよー!ついでにぼくをハイヒールで踏んで!」

 

「狛枝とか言ったかしら。お前の言う通り、受けて立とうじゃないの。学級裁判をね!」

 

「「ええっ!」」

 

細かいことにいちいち驚く連中ね。そんなノミの心臓じゃ、この先やっていけないわよ。

 

「何を驚いているのかしら。裁判を受ける権利は日本国憲法でも保証されていてよ?」

 

「そういうことじゃない。江ノ島は、真犯人が他にいるって言いたいのか?」

 

「そうでなくては、裁判を開く意味がないでしょう。

少しはアンテナの感度をお上げなさいな」

 

「こ、これはアンテナじゃなくて」

 

「配膳係、私様の服を持ちなさい!」

 

「は、配膳係って私のことですかぁ……?」

 

「急ぐ!」

 

「はひいぃぃ!」

 

罪木とかいうメイドに私様の服を持って来させると、着替えを始めようとした。

……まったく、気の利かない連中だわ。

 

「私様は、着替えをしようとしているの。お分かり?」

 

「う、うむ。すぐに出る。じゃが、念の為女子を見張りに置いていくぞ。

それは構わんな?」

 

「好きにおし」

 

男連中が出ていくと、私様はいつもの正装に着替え、クラウンを被り直した。完璧だわ。

ダサさを極限まで追求した入院着からようやく解放された。両腕を広げ、深呼吸。

薬臭い空気を思い切り吸い込んで、最低な気分で今回の私様をスタートした。

すると、銀髪のセーラー服が話しかけてくる。

 

「お前は……あの江ノ島盾子なのか?」

 

「“あの”と言われても“どの”江ノ島盾子なのかわからないわ。

代名詞を多用するようになったら、オバサンの始まりよ」

 

「なにっ!?……だ、だから!先日学級裁判で現れた江ノ島盾子なのかと聞いている!」

 

「ああ。それならまさしくお前の目の前にいる私様よ。

またお目にかかれたことを光栄に思いなさい。さあ、そろそろ行こうかしら」

 

「行くってどこへ?」

 

「カメラ女も付いてらっしゃい。

私様の優雅な捜査を写真に収める権利を、特別に与えるわ」

 

「えっ?まあ、学級裁判に捜査は付きものだけど……」

 

私様は出入り口を開けて部屋から出る。廊下には男連中が待機していた。

それにしても辛気臭い場所だわ。次からはレッドカーペットを敷いておきなさい。

女子全員も部屋を出て、全員が集まったところで宣言する。

 

「聞きなさい、皆の者!

今から私様が今回の事件の調査を行い、学級裁判で真犯人を見つけ出す。

今度こそ縛り首は免れないから覚悟しておきなさい!」

 

……やっぱり僕は動けない。みんなの驚く顔が見えるだけだ。

でも、やっぱり江ノ島盾子は事件解決に向けて動き出してくれた。

僕の望む結末。それは、誰も傷つかない、失わない、最後には笑顔になれる、

そんな結末。お願い、僕に芽生えた江ノ島盾子。

 

 

 

 

 

未来機関支局 大会議室

 

 

私は、プロジェクターでパワーポイントの資料を投影し、

幹部達に経過報告を行っていた。

 

「現在のところ、江ノ島盾子の活動による絶望の残党、

彼らの反応には3パターンあります」

 

「3パターン?正気に戻るか、抵抗するかの2つではないのかね?」

 

「主だった残党の組織を偵察すると、予想とは異なる結果が見られました。まず1つ。

江ノ島盾子に失望し、絶望を捨て去り、まともな価値観を取り戻した者。つまり成功例。

2つ目、未だに江ノ島信仰が根強い者。これは今後の彼女の“活躍”次第でしょう。

そして3つ目ですが……

神格化していた江ノ島盾子が絶望を捨て去った事実に絶望し、

さらに絶望の深みにはまっている者。

こちらに関しては彼らの絶望を悪化させてしまった副作用と言えるでしょう」

 

「「ふむむ……」」

 

希望更生プログラムの思わぬ結果に、幹部達から息が漏れる。

 

「となると、3つ目に関しては手遅れ、武力行使もやむなしと言ったところか」

 

「しかし、激しい抵抗が予想されますぞ。

自衛官にも絶望の穢れがこびりついている者が多数いる」

 

「もっと江ノ島盾子を痛めつけることはできんのかね。

協力者に指示して、徹底的にあの女を弱らせる」

 

なんてことを。私は幹部の過激な提案に反論した。

 

「お言葉ですが、彼女は既に入院が必要なレベルの怪我を追っています。

協力者のひとりによって。

これ以上の攻撃は、江ノ島盾子の死に至るリスクがあります」

 

「ううむ……効果は現れているが、思ったよりスピードが遅い。

本来我々は世界の復興に力を注がねばならんのだ。

なんとかプログラムの進行を早める方法を考えてくれたまえ」

 

「はい、全力を上げて」

 

「そろそろ、時間だな。解散しようではないか」

 

「そうですな。汚染区域の除染可能性について、元超高校級の地質学者と会議がある。

放射性物質の半減期を短縮する方法について議論しなければ。

私は、失礼させてもらいますぞ」

 

ひとりが席を立つと、次々に幹部達が退室していった。

全員を見送ると、私はプレゼンの資料の片付けを始めた。

電源をオフにしたプロジェクターが、

内部を冷却して完全に動作を終了したのを確認したところで、彼が会議室に入ってきた。

革靴で歩を進めて近づいてくる。

 

「霧切さん、お疲れ様。プレゼンはどうだった?」

 

「上は結果を早く求め過ぎ。江ノ島盾子の可能性があるとは言え、彼女も人間なのに。

あまり残酷なことばかりしていると、

“未来機関こそ悪、人権侵害の温床”って噂が立ちかねない」

 

「そうだね。ボクもこの間の事件には驚いたよ」

 

「苗木君の方はどう?現状、上手く行ってる?」

 

「それがね……」

 

「どうしたの?」

 

「また学級裁判が始まるみたいなんだ」

 

 



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第6章 怪奇を暴け

■捜査開始

 

複数人の盾子のうち、次にお鉢が回ってきたのはボクだから、

手始めに、今ある証拠を確認しておくことにしたのさ。

まずは例のICレコーダーから行ってみようか。

 

「弐大君、でよかったかな。さっきの証拠を精査したいんだ。

あのICレコーダーと遺書を見せておくれ」

 

「ぬぅ、また人格が変わりおったな。これが澪田の持っていたものだ」

 

「確かに。再生するけど、構わないよね?」

 

「待て!俺が操作する。こっそりデータを消去する可能性があるからな!」

 

「ふう……じゃあ、十神君、お願いするよ。最初から最後まで全ての音声を、ね」

 

彼はICレコーダーを操作して、全てのファイルを再生した。古臭い曲が数曲流れる。

全く、ボクの声を変なことに使わないでもらいたいな。

とにかく全ての音声を聞き終えたボクは、

電子生徒手帳に、複数のコトダマが記録されたことを確認した。

 

○ICレコーダー。

 高性能な集音機能を持つICレコーダー。江ノ島盾子の歌声が録音されている。

 タイマー機能付き。

 

○「我が良き友よ」

 かまやつひろしのヒット曲。不器用で男臭い旧友に思いを馳せる歌。

 

○「ハチのムサシは死んだのさ」

 平田隆夫とセルスターズの名曲。

 太陽に戦いを挑んだ向こう見ずなハチが焼かれ死ぬという歌詞。

 これを聞いて澪田が暴走したらしい。

 

○「走れコウタロー」

 ソルティ・シュガーのコミックソング。競馬に生活を賭ける男の曲。

 

○「知床旅情」

 加藤登紀子が歌ったミリオンセラー。

 北海道知床半島の美しさと別れの悲しみがテーマ。

 

次は、これだね。犯人は偽造した遺書で、

ボクを犯人に仕立て上げようとしたというわけだね。

 

○遺書

 澪田の文字で「しにたい」とだけ書かれたメモ。歪んだ字。左手で書かれた可能性。

 

そうそう、大前提となる事柄も記録しておく必要があるね。

 

○澪田の病状

 澪田は一度目の希望更生プログラムに起因する精神的ダメージが大きく、

 誰の言うことでも何でも聞くことでいつか許されると信じ切っている。

 

○緊急メール

 全員に送信されたメール。澪田の自殺を止めるため協力を要請する内容。

 送信時刻6:30

 

○澪田の叫び

 澪田は自殺直前、誰かに命令されたと言っていた。

 

最後についてはちょっと確認しておく必要があるね。

少しバタバタしてたから、みんなが認識していたかどうか怪しいし。

 

「全員に聞きたいんだけど、

澪田さんが自殺しようとしていた時、こんなことを言っていたんだ。

“やれと言われたから自殺する”、“誰に命令されたかは言えない”

……当然命令したのは真犯人だけど、

この声はみんなが聞いてきたという解釈でいいのかい?」

 

皆が戸惑った様子で当時の光景を思い出すけど、記憶が曖昧らしい。

当然と言えば当然だけどさ。そんな状況を見た日向君が代表して答えた。

 

「正直なところ、澪田の声については、俺達はよくわからない。

罪木から緊急メールを受け取って、駆けつけた時には、

もう飛び降りる寸前だったからな」

 

「わたくし達も慌てていましたので、そこまで細かくは……皆さんはどうですか?」

 

「アタシもソニアちゃんと同じ。

全速力で走ってきたから、遠くの声までは聞こえなかったよ」

 

「なるほど。それなら澪田さんの叫びはボクと罪木さん以外は聞こえなかった。

そう割り切ったほうが、かえって事実の整理が付きやすくなりそうだね。

それじゃあ、最後の手がかりを確認するとしようか。罪木さん、案内を頼むよ」

 

「ふえ?案内ですか?」

 

「鈍くさいんだよゲロブタ!あんたが言ってた屋上への入り口に決まってるじゃん!」

 

西園寺さんに蹴られる罪木さん。

ああ、気の毒に。とは言うものの、ボクにしてあげられることはないんだけど。

 

「きゃうっ!ご、ごめんなさぁ~い!

ハッチはここから角を曲がって廊下を進んだところですぅ!」

 

「さっさと歩いてよ、後ろが使えてるんだから!ゴミカス女より使えねーな!」

 

「……落ち着きなよ。急がなくてもハッチは逃げないんだからさ」

 

「指図すんな、キザ野郎!」

 

ストレスで苛立ってる西園寺さんをよそに、

皆でぞろぞろと罪木さんを先頭についていく。目的のハッチまでは本当にすぐだった。

さっきまでボクが監禁されていた病院会議室から右に真っ直ぐ進み、

角を曲がると開いたままのハッチがあった。

真下に出入りに使用したと思われる脚立があったから、尚更わかりやすい。

 

○メンテナンス用ハッチ

 人が入れる正方形の蓋。屋上へ上がるほぼ唯一の方法。

 そばに出入りに使用した脚立があった。

 

「ハッチはここです。これは……病院スタッフルームにあった脚立ですね。

ほとんど物置みたいになってるんですけど」

 

「念の為、屋上も調べておきたいんだ。上らせてもらっても、いいかい?」

 

「は、はい。もちろん!」

 

「失礼するよ」

 

ボクは脚立を上って屋上を目指す。

 

「よし、俺達も行こう!」

 

「おっしゃ、行くぞい日向!」

 

後ろの日向君達も後に続くけど……はぁ、頼むよ。

 

「ねえ日向君」

 

「どうした?」

 

「こんな喋り方だけど、ボクも一応女なんだ。遠慮してくれると助かるんだけどな」

 

「えっ?…ああ!わ、悪い」

 

さっさと脚立を上って屋上に辿り着いたけど、

2階で日向君が西園寺さんから罵倒を受けてる。なんだか悪いことしちゃったかな。

 

“日向おにぃの変態、パンツ覗き、エロガッパ!”

 

“ち、違う!少し気づくのが遅れただけだ!”

 

それは置いといて……コンクリートの天井を歩いて、

自殺しようとしていた澪田さんが立っていた場所に近づく。

しゃがみこんで地面を見下ろすと、セメントで固められた歩道や石畳。

たった2階だけど、頭から落ちたら即死だっただろうね。

後ろから残りのメンバーの声が聞こえてくる。

 

「ワシらも証拠探しを手伝うぞー!」

 

「オレらは江ノ島のいる辺りを探してくる。

オッサン達は給水タンクやアンテナの方調べてくれよ。いかにも何かありそうじゃん?」

 

「応!」

 

せっかくだけど、今回屋上の設備は無関係だと思うよ。

肝心なのは、2階分の高さだけでも凶器になり得たという事実だけだから。

 

「なんか見つかったかー?あと、パンツくらいで騒ぐんじゃねえ」

 

終里さんが後ろから話しかけてきた。

 

「物的証拠という点では何も。

ボクが確かめたかったのは、ここから落下したら確実に死に至るかどうか。

つまり、犯人が明確な殺意を持って澪田さんに命令を下したか、ってことなんだよ。

……さっきのことについては、ボクが良くても他の江ノ島盾子に怒られるから、

そうそう見せるわけにも行かなかったのさ」

 

「そんで結果はどうなんだ?」

 

「真っ逆さまに落ちたら即死。

もしくは頚椎損傷で死ぬまで寝たきり生活ってところかな。

上手く横に落ちても複数箇所の骨折は免れない」

 

「じゃあ、オレが今お前を蹴飛ばしたら、最悪死んじまうってことか……?」

 

「……そうなるだろうね」

 

なんとなくボク達の間に緊張らしきものが走った気がする。彼女の視線を背中に受ける。

けど、殺す気ならわざわざ断ったりはしない。まぁ、子供でもわかる理屈だよ。

実際彼女もカラカラと笑ってこう続けた。

 

「冗談だって!

オレだって、周りにみんなが居るのに、殺人事件なんて起こすわけねーよ。

そこまで馬鹿じゃねえし」

 

「誰もいなかったら、やっていたってことでいいのかな?」

 

「わかったよ、悪かったって!本当にそんな事しねえよ。

……オレ達は、誓ったんだよ。弐大のオッサンとも。

二度と罪は重ねねえ。償いが終わるまで、島の外には戻らねえ。

他にもたくさんあるけど、お前に言ったってしょうがないしな」

 

「“償い”で気になっていたことを思い出したんだけど、

君達は労役と称して、毎日採掘や採集に精を出しているね。

そこで得られたものは一体どこに行くのかな」

 

「定期的に船で回収に来る未来機関に収めてる。

まだ崩壊した世界の修復には資材が足りてねえみたいだからな。

その代金として、マーケットに商品を補充したり、水道とかの設備を補修してくれてる。

江ノ島は知らねえだろうけど、

現実世界のマーケットは、あんなに綺麗で商品いっぱい並んでねえぞ。

大抵の菓子やうまい肉なんかは、一旦売り切れたら次の入荷は1ヶ月待ち。

医療品や生活必需品が最優先だからな。

まー、オレ達は贅沢できる身分じゃないから、しょうがねえんだけど」

 

「フッ、明日…いや、明後日以降はボクも斧で木を切り倒したり、

鉱山でツルハシを振るうことになりそうだね」

 

「ハッハッ、心配すんな!慣れるまでは植物の採集やら、

他のやつが取ってきた材料で何か作ったり、割と楽な仕事しか回ってこねえよ」

 

「そう願うよ。そろそろ行こうか。

あっちを調べてくれてる日向君達には悪いけど、多分何も見つかってないはずだよ」

 

それから、日向君達と合流したけど、

やっぱりめぼしいものは見つからなかったみたいだよ。

初めからわかっていたことだけどね。

 

「こっちには何もなかった。給水タンクに何か仕掛けてあるかと思ったんだが……

そっちは?」

 

「何も。というより、ただこの高さから落ちたらどうなるか、

上からも確認したかっただけだから、その点に関しては十分な収穫だったよ」

 

「それで、どうだったんだ?」

 

「結論から言うと、落下させれば澪田唯吹を殺害するには十分。

運良く生き残っても再起不能になってた。ボクの見立てではね」

 

「それでは、やはりお前が澪田に暗示を掛けて殺害しようと……!」

 

辺古山さんが背中の竹刀に手を伸ばす。

 

「う~ん、

今の辺古山さんに“違う”と言っても、

“違う”という答えしか返って来ないだろうから、まだ否定も肯定もやめておくよ。

答えはやっぱり学級裁判で出そうじゃないか」

 

「やめとけ、ペコ。奴の言うとおりだ。

今はそいつがやった証拠もやってねえ証拠もねえんだ。

この件は裁判でナシ付けるって決まっただろ」

 

「……はい。失礼しました、ぼっちゃん」

 

辺古山さんが九頭竜君の後ろに下がった。そろそろ終わりにしよう。

ボクは重要な点を確認して、学級裁判に備える。

 

「罪木さん。ひとつ聞きたいんだけど、

澪田さんに打った鎮静剤はどれくらいで切れるのかな」

 

「え、はい。え~と、3時間ほどですから、

今夜しっかり眠れば朝には完全に抜けているはずです」

 

「そう……なら、余裕を見て、開廷は明日の正午にしよう」

 

「あの、じゃあ、もしかして、澪田さんも参加するんですか?」

 

「当然じゃないか。危うく殺されかけた被害者なんだよ?

彼女が証言しなくてどうするんだい」

 

「ふん、自分が容疑者だということを忘れているようだが、

澪田の安全はどう確保する?お前の逃走を防ぐ手段は?

そして何より……晩飯の続きと明日の朝食はどうする気だ!?」

 

きっと十神君は、一番最後のことが一番気になってたんだと思うよ。

 

「びょ、病院には簡単な給湯室しかありませんし、食材もないんですぅ……」

 

「材料がないとぼくでも料理は作れないよ!一旦ホテルに戻る?」

 

「駄目だ。今の澪田を罪木ひとりに任せるわけにはいかんし、

事件解決まで江ノ島は監視下に置く必要がある。ここの警備を手薄にはできん」

 

「澪田さんには女子の見張りを数人付ければそれで済むし、

ボクについても同じ方法で問題解決じゃないか。食事くらいは我慢すればいいだろう?」

 

「馬鹿か貴様は!デブは一食抜くと死ぬ、という金言を知らんのか!

もういい、誰かこれでありったけの食い物を買ってこい!肉類や炭水化物を中心にだ!」

 

十神君が近くにいた終里さんに生徒手帳を投げると、

(彼にとって)狭いハッチから身体を押し込めて病棟内に戻っていった。

置いてきぼりになったボク達も、これ以上屋上にいても仕方がない。

 

買い出しに行った終里さん、辺古山さん、弐大君を病院会議室で待つことにしたのさ。

ボクも同行を申し出たけど、断られたというか禁じられた。

理由は言うまでもないだろう?

 

30分後。空腹でイライラが頂点に達していた十神君は、

一杯食料が詰まったレジ袋を両手に持った3人が戻ると、その一つを奪い取って、

中身を手当たり次第にモリモリと食べ始めた。さすがにボクも苦笑したよ。

 

戻った3人が簡易テーブルの上に買ってきた品物を並べ、みんなに配り始めた。

ボクは最後にミネラルウォーター1本とおにぎり一つを選んで、

両手にサンドイッチと山賊おにぎりを持って交互にかぶりついてる十神君に一声掛けた。

 

「いただくよ、十神君」

 

「もが…きはま、なんらそれは!」

 

「おにぎりと水だよ。おっと、ツナマヨが食べたかったのかい?」

 

「ゴクン。違う!たったそれだけで食べたうちになど入らん!」

 

「そういう事か。ボクは少食なのさ」

 

「軟弱者め。そんな量では、おやつにもならん。

棒きれのようなお前に、俺と同じ量を食えという方が無理な話だが、

せめておにぎりを後2つ食え。それがノルマだ」

 

「勘弁しておくれよ。本当に少食なんだ」

 

「その程度の炭水化物で、明日まともな裁判が出来ると思っているのか!これは命令だ。

いいか、最後に頼れるのは脂肪と糖質。

貴様がクロだろうがシロだろうが、栄養失調の人間の証言など信用できん」

 

「君は大げさだな……わかったよ、食べるよ。じゃあ、遠慮なく」

 

こうしてボクは、3つもおにぎりを食べる羽目になった。

その後、病室に戻って“彼”にバトンタッチしてからもお腹がいっぱいで、

喉が乾いて何度も起きることになったらしい。

その度に見張りの女子を起こすことになってしまったから、

彼女達には申し訳ないと思っているよ。

 

ともかく、食事を終えたボク達は、今夜はもう休むことにしたんだ。

澪田さんは2グループに分けた見張りの女子と罪木さんに付き添われて元の病室へ。

 

ボクも、もう片方の女性陣に囲まれてベッドに入ったんだけど、

みんなを他の病室から持ってきたマットやシーツの上で寝させてしまった。

 

せめて人数分のストレッチャーでもあればよかったんだけど。

男性諸君は廊下に待機して交代で仮眠を取りながら、病室の出入りを見張ってる。

さて、そろそろ……ボクも休ませてもらおうか。

 

「じゃあ、外に出るときは必ずアタシ達の誰かに声を掛けること。いいわね?」

 

「うん。なんかごめんね。僕だけベッドで寝ちゃって」

 

「あんた、そっちに戻ったの!?」

 

「ずっと江ノ島盾子のままだと、熱で脳にダメージを受けちゃうんだ。

彼女達もそれは知ってて、必要がなくなるとすぐに帰るんだ」

 

「その話が本当だとして、明日はどの江ノ島盾子が来るの?」

 

「わからない。……その時にならないと」

 

「まあいいわ。どうせ裁判が始まればコロコロ変わるんだし。お休み」

 

「お休み、小泉さん」

 

お休み、とは言ったけど、

あんまり良く寝られなかったのは、さっきの江ノ島盾子が言ったとおりだよ。

翌朝を迎えた僕は、澪田さんが本調子になるのを待っていた。

そうだ、大事なことを忘れてた。

 

「ねえ、モノミ」

 

「ウサミでちゅー!」

 

何もない空間から、ポンとウサミが現れた。

 

「ごめん、ごめん。ゲーム本編の名前がずっとそうだったから。……お願いがあるんだ」

 

「……察しは付きまちゅ」

 

「なら話が早いね。モノクマロックの入り口を開けておいてくれないかな」

 

「また、始まってしまうんでちゅね……」

 

「うん。でも、きっと彼女達なら、何ていうか、いい方向に持っていってくれる。

僕には願うことしか出来ないけど」

 

「わかったでちゅ。

この間の裁判からアクセス権はオープン状態のままになってまちゅから、

あちしのステッキひとつですぐに使用可能になるでちゅ。

みんなはそのまま中央島に来てくれれば、もう入り口が開いてまちゅ」

 

「わかったよ。ありがとう」

 

「では、あちしは一足先に向こうでまってまちゅ」

 

すると、ウサミはまた煙のように消えてしまった。時間はまだ9時半。少し寝すぎたな。

江ノ島盾子になって頭を使い過ぎたせいだと思う。

僕はベッドから下りてみんなに声を掛けた。

 

「みんなおはよう」

 

「おはよう、じゃないでしょ、呑気なやつね!

みんなとっくに起きてるのに、揺すっても叩いてもグースカ寝てるんだから」

 

「ご、ごめん!すぐ顔を洗ってくるね!」

 

「待った。アタシ達の監視付きよ」

 

「ああ、そうだった」

 

僕は洗面所で歯を磨くと、顔を洗い、ハンカチで顔を拭って、

エアタオルで手を乾かした。

みんなが待ってるから、急いで終わらせた。所要時間約5分。

鏡を見ると、青い瞳とブロンドが綺麗な江ノ島盾子。やっぱり、いつも通りだよね。

わかってたけど。

 

「おまたせ、小泉さん!辺古山さん!あれ、ソニアさんは?」

 

「皆に招集を掛けている。そろそろ中央島に向かったほうがいいだろう」

 

「そ・れ・に!」

 

小泉さんがズイっと顔を近づけてくる。彼女のそばかすがはっきり見える。

 

「な、なあに?」

 

「あんた……それでスッピンなの?」

 

「え、うん、そうだよ。僕、化粧の仕方なんてわからないし。あの、何か変かな?」

 

「ふん、べっつにー。ほら、アタシ達もさっさと行くわよ!」

 

「え、なになに?教えてよー」

 

そのまま小泉さんは何も言わずに早足で病院の外まで行ってしまった。

ブーツの僕は追いかけるのに一苦労だった。

病院玄関正面には、もう全員が集まっている。日向君が皆に呼びかける。

 

「みんな、全員揃ったから、予定より少し早いけど中央島に出発しよう」

 

「よし、点呼を取るぞい!1番、ワシ!」

 

「さっきソニアが数えてくれたから問題ねえって。オッサン」

 

「全く、どいつもこいつも緊張感というものはないのか!ろくに朝食も取らんと!」

 

「オメーが食い過ぎなんだよ!江ノ島の分まで食っちまいやがって!

いや、あいつは別にいいんだけどよ……ぜ、全員で食うのが規則じゃねえか!」

 

「左右田の発言にしては的を射ている。その点に関しては俺も遺憾だ。

しかし、遅れてきたのは江ノ島だし、規則で決まっている以上、

食事の時間は守らなければならない。

……くそっ!やせ細ったあいつを、指をくわえて見ていることしかできんとは。

奴にはもっと肉が必要だというのに!」

 

「ああ……ごめんね?気を遣わせちゃって。

十神君の言う通り、寝過ごした僕が悪いんだから、気にしないで」

 

「控えおろう!!」

 

そんな僕らの馬鹿話を、ソニアさんの鶴の一声が遮った。

 

「皆の衆、ごちゃごちゃ騒ぐのはやめにして、出発しましょう!中央島へ、いざ出陣!」

 

「「はーい」」

 

全員が雑談をやめて中央島へ歩き出す。さすがは超高校級の王女。

声だけでみんなを従わせたよ。……僕も勝手に足が動いてたんだけど。

で、みんなと歩いていて気になったんだけど、一人だけ異質な存在がいる。

……隣にいる罪木さんに尋ねた。

 

「ねえ、罪木さん。澪田さんの頭、どうしたの?」

 

彼女のヘアスタイルが、いつもの2本角が特徴的なロングヘアじゃなくて、

髪をターバンみたいに巻き付けて、目と鼻と口しか見えない。こりゃひどい。

 

「あう…緊張して手が震えて、うまくセットできなかったんです。特にツノが難しくて」

 

「他の人に手伝ってもらえばよかったんじゃ……」

 

「彼女の特殊な髪型は、ずっとお世話している私にしか再現できないんです……

ごめんなさい、ごめんなさい!

上半身裸で三点倒立してお尻でデンデン太鼓を叩きますから、許してくださぁい!」

 

本当にエプロンを脱ぎ捨てようとしたから慌てて止めた。

 

「余計困るよ、そんな事されたら!緊張するのは仕方ないって!

罪木さんは、事件の当事者なんだから」

 

「本当に、許してくれるんですか?」

 

「許すも許さないも、罪木さんは何も悪くないじゃないか」

 

「えへ…ありがとうございます。少し勇気が出てきました」

 

「うん、今度の学級裁判も必ず誰も犠牲者なんか出させないよ。……僕の別人格がね」

 

僕達は中央島へ繋がる道を歩き続ける。

そして、僕が視界にモノクマロックを捉えた瞬間、

アタシは三日月のような笑みを口に浮かべて、中央島に足を踏み入れたんだよねー。

 

 

 

そんで、アタシ達がモノクマロックの麓にたどり着くと、早速田中が叫びだした。

 

「フハハ、これで揃ったな!

堕天使の首領を討ち滅ぼすべく、冥界への門に集いし17人のクルセイダーズがっ!!」

 

「田中うっさい。いちいち脳内翻訳するの面倒なんだけど。

堕天使だのルシファーだのベルフェゴールだのアスラ王だのバッカみたい」

 

「な、何だと!?次なるペルソナは命を刈り取る殺戮天使の波動を感知する……」

 

「田中うっさい。これには同意!ふざけてないでエスカレーターに乗って!」

 

「うむ……」

 

小泉に叱られた田中が、

寂しそうに4匹のハムスターを指先で撫でながらエスカレーターに乗る。

本当こいつら、個性がトンガリ過ぎててアタシに刺さってくるからマジ迷惑。

ツインテールを指で巻きながらため息をつく。

 

「あ、あの…今は江ノ島盾子さんなんですよね……?私達もそろそろ行きませんか?」

 

「アタシ最後でいい。また誰かにスカート覗かれちゃたまんないし?」

 

「あれは偶然だって言ってるだろう!誰がお前のスカートなんか……!」

 

「ウシシシ……じゃあ、日向おにぃは誰のパンツなら興味があるのかな?

“1回目”はたくさん集めてたよね?」

 

「西園寺もからかうなって!あれは、みんなの贈り物だから……

ああくそ!そんなに嫌なら先に行くぞ!」

 

「あー、待ってよ。パンツコレクターの日向おにぃ~」

 

もう、ちょっとからかっただけじゃん。マジになることないのに。

しょーがない。もう行こうっと。罪木と何も喋らない澪田コンビが乗り込むのを見ると、

アタシもエスカレーターに足を乗せた。どんどんモノクマの口が近づいてくる。

モノクマ。その縦半分が白黒に分かれていたらしいクマの彫像を見て、アタシは……

 

「ダサっ」

 

一言だけつぶやくと、興味を失った。

 

 

 

広いエレベーターに全員乗り込むと、勝手に扉が閉まって地下へと下りていく。

アタシ、エレベーターで下りるときのフワフワ感、結構好きなんだよねー。

あの感覚、生物学とかで名前付いてんのかな。どーでもいいけど。

 

気持ちいいような悪いような不思議な感覚が1分半くらい続くと、

ようやくエレベーターが止まった。どんだけ地下深くまで掘ってんだって話。

ドアが開いたから、今度はアタシが一番乗り。

 

うわあ、無駄にデカい。

客なんか来ないのに傍聴席なんか作って何がしたいわけ?

バカなの?死ぬの?

とりあえず一番近い証言台に着くと、他のやつらも同じく好きなとこに立つ。

そういやアタシ、何しに来たんだっけ?

思い出すまでもなく、裁判長の席にちょこんと座っている、

モノクマのパチモノっぽいウサギが教えてくれた。

 

 

【学級裁判 開廷】

 

 

「お集まりの皆ちゃん。

これより、“澪田唯吹さん自殺教唆事件”の学級裁判を行いまちゅ!

……あちしはとっても悲しいでちゅ。

今度こそ仲間になれたみんなが傷つけ合い、また学級裁判で争わなきゃいけないなんて。

二度とこんな事が起きないよう、みんなで必ず正しいクロを「つーかさあ!」」

 

長ったらしい前口上をぶち切ってやった。こっちにゃもっと重要なことがあるっての。

 

「アタシ達の中では、この超高校級のギャルが基本形態なわけ。わかる?

それがなんで2回目になってようやく初登場なんだっつー話!

1回しか言わないからよーく聞きな!

あくまで江ノ島盾子は超高校級のギャル!

あくまで江ノ島盾子は超高校級のギャル!大事なことだから2回言った!」

 

「落ち着け、江ノ島……今は裁判の途中で」

 

「今アタシが喋ってんでしょーが!

黙らないとそのアンテナねじ曲げて、アナログ放送しか受信できなくするわよ!」

 

「これはアンテナじゃない!」

 

カンカン!

 

ウサミが大きな肘掛けに用意した木槌を鳴らした。うるさいわね。

 

「不規則発言は慎んでくだちゃーい!ここは神聖な法廷なんでちゅよ!?」

 

「はいはーい」

 

「わかったよ……まずは何を話し合うべきか決めよう」

 

「今回ボクはあんまり協力できそうにないことを断っておくよ。

血も流れてない自殺未遂なんて、どうしても興味がわかないんだ。

誰がクロでもつまらない結果にしかならないだろうからね」

 

「狛枝、お前なぁ!」

 

「放っておけ日向。邪魔されるよりはマシじゃ。

まずは事件当夜のことを振り返ってもらおう。罪木、頼めるか?」

 

「は、はい。私でよければ……」

 

「そんな必要ないって!

江ノ島おねぇが澪田おねぇを殺そうとしたに決まってるんだから!

あんたなんか、深爪こじらせて死……」

 

「日寄子ちゃん!!」

 

「う……ごめんなさい」

 

嫌に素直じゃん。ああ、こいつら“死”に対して過敏になってんのね。

アタシにはよくわかんないけどー?

 

「あの、話を続けさせてもらいますね……

昨日の夜は、ちょうど6時に江ノ島さんと澪田さんに食事を届けたんです。

それから20分ほどして様子を見に行ったら、

江ノ島さんは寝てたまま手付かずだったんで、そのままにしておいたんです。

でも、澪田さんの部屋には誰もいなくて……

慌てて外に探しに行ったら、屋上に立って今にも飛び降りそうな澪田さんがいたんです」

 

「で?それが、おめえからの緊急メールが届いた6時30分だったってことかァ?」

 

「はい。必死に呼びかけながら打ったんで少し乱れてますが、その通りです。

それから江ノ島さんも外に出てきて、一緒に止めてくれたんですが……

“自殺しろって言われた”、“誰に命令されたかは言えない”の一点張りで」

 

「それに関しては、全員が聞いたかどうかが不明瞭だから事実としては扱わない。

そう決まったな」

 

「澪田さんが叫んでからすぐに日向さん達が駆けつけてきて、

弐大さんと終里さんが、彼女を助けてくれました。それが昨日の出来事です」

 

あいつも肝心な時に昼寝こいてんじゃねーっての。

だから面倒くさい裁判なんかやる羽目になんのよ。

仕方なしにコトダマを選んで、心のピストルに装填する。

なんで1発しか入らないボロい骨董品なのかわかんないんですけどー?

まぁ、アタシなら百発百中だから別にいいけどね。

 

油断しないで。裁判も2回目となると、相手もどんな手を打ってくるかわからないわ。

 

わかってるってオバサン。盾子ちゃんに任せときなって。

 

……貴女も通る道なのよ?

 

「そんじゃさあ、あんたらはアタシが犯人だってことにしたいみたいだから、

まず罪木が犯人じゃないことから証明しましょうか」

 

「そんなヤケになることはないだろう……」

 

「いや、貴様にしてはいい提案だ。

罪木、事件発生時の行動をもう少し詳しく説明してくれ」

 

「詳しくって言われても、今話したこと以上のことは」

 

「さっさとしろゲロブター!!」

 

「はひぃ!」

 

 

■議論開始

コトダマ:○メンテナンス用ハッチ

 

罪木

あ、あれはお話した通り、[6時20分頃]のことでした…

 

まず[1号室の江ノ島さん]の様子を見て、寝ているようなのでそっとしておきました。

 

でも次に[2号室の澪田さん]の部屋を見たら、突然いなくなっていたので驚きました。

 

[病院中探し回った]んですけど見つからなくて、外を探そうとしたら、

 

屋上に飛び降りようとしている[澪田さん]の姿が…

 

そして慌てて皆さんに[緊急メール]で助けを呼んだんです!

 

・ふーん、なんつーか、この娘らしいポカだわ。

・病院全体を探したのなら、あるものについて言及がないのはおかしいわね。

 

REPEAT

 

罪木

あ、あれはお話した通り、[6時20分頃]のことでした…

 

まず[1号室の江ノ島さん]の様子を見て、寝ているようなのでそっとしておきました。

 

でも次に[2号室の澪田さん]の部屋を見たら、突然いなくなっていたので驚きました。

 

[病院中探し回った]んですけど見つからなくて、外を探そうとしたら、

 

──それは違うわねぇ!!

 

[病院中探し回った]論破! ○メンテナンス用ハッチ:命中 BREAK!!!

 

 

アタシが叫ぶと、全員の注目がアタシに集まる。

ま、しゃーないわよね。アタシ、超高校級のギャルなんだし?

 

「な、何が違うんですか……?」

 

「あんたさぁ、病院中探したって言ったけど、1階も2階も隅々まで探したワケ?」

 

「そうですけど……」

 

「そこで変わったものは見なかった?」

 

「いいえ……特に何も」

 

「はーい、全員、生徒手帳のキーワード、“メンテナンス用ハッチ”を確認!添付写真」

 

「これは……!?」

 

「ひくっ!」

 

全員がざわつき、罪木がなんかにビクついてる。

 

「そう。病院全体を探したのなら、あるものに気が付かなきゃおかしいわけ。

つまり、メンテナンスハッチに上る“脚立”。

豚の丸焼きが乗っても耐えられる、頑丈な脚立に全く触れてなかったけど、なんで?」

 

「そっ、それは……!」

 

「豚の丸焼きだと!?俺は松坂牛の一頭買いだと何度言えばわかるんだ!」

 

「豚足ちゃんうるさいよ!ゲロブタはさっさと答えろ!」

 

「あの、それは、慌ててたから気が付かなくて……」

 

「はぁ、マジ?その真上に今にも自殺しようとしてる澪田がいたんだよ?

不自然な脚立を見て、せめて顔だけ出して様子を見ようとか思わなかったわけ?」

 

「ごめんなさい、うっかりしてて気づきませんでした。

ごめんなさい、許してください!」

 

マジでムカついてきたんですけど!

アタシのシャープシュートを“ごめんなさい”で無効化しようとしてる人がいまーす!

 

焦らないで。貴女はひとりじゃない。味方になってくれる人が必ずいる。

その人の言葉を拾い上げて。

 

イミフなんだけど。味方つーか全員敵!

 

今に分かるわ。

 

「まあ、切迫してた状況だから仕方ないとして、次からは、頼むぞ?」

 

「はい……すみませんでした」

 

「でも、これじゃあ罪木さんの無実を証明できないね。

ぼくが常駐して食事を作るべきだったのかな……」

 

「それではお前の仕事量がオーバーフローしてしまう。どうしようもなかったんだ」

 

「ありがとう辺古山さん……やっぱり黒のTバックはいい人ばかりだ」

 

「そ、それは今関係ないだろう!」

 

カンカン!

 

「不規則発言及びセクハラ発言は絶対ダメでーちゅ!」

 

「とにかく!今度は犯行の手口について再確認しよう。証拠品をもう一度調べるんだ」

 

「わたくしも日向さんに同意します。

遅れて駆けつけてきたわたくし達も状況をはっきりさせておきたいので」

 

もー、味方って誰!こん中の誰!

 

落ち着いてみんなの発言に耳を傾けて。貴女に有利に傾く情報があるはずよ。

 

 

■議論開始

コトダマ:○ICレコーダー

 

ソニア

犯人が使用した凶器、というより証拠品は、〈ICレコーダー〉でしたね。

 

日向

それで澪田にいつも歌って聞かせていた[ハチのムサシは死んだのさ]を流して、

事前の命令通り自殺を実行させようとしたんだ。

 

罪木

他にも[我が良き友よ]もありましたね……

 

十神

[知床旅情]などもあったが、

それらを聞かせても無反応だったから、〈本件とは無関係〉だろうな。

 

・は?なんか変な発言が出てきたんだけど、なにこれ?おせーてオバサン。

・だから、貴女もいつかこうなるの。……さっき言った、味方よ。必ず命中させて。

 

REPEAT

 

ソニア

犯人が使用した凶器、というより証拠品は、〈ICレコーダー〉でしたね。

 

 

──そうだと思うわよ!!

 

 

賛!〈ICレコーダー〉同意! ○ICレコーダー:命中 BREAK!!!

 

 

アタシが放ったコトダマが、証言のウィークポイントを破壊せずに、なんか融合した。

なにこれ。また2回言っちゃったけど。

 

貴女は、心のピストルで証言の矛盾を打ち砕くだけじゃなく、

“同意”することもできる。これが味方という意味よ。

さあ、新たな事実が明らかになるわ。

 

 

「わたくしの意見、ですか?」

 

「そー。ソニアちゃんの言う通り、

犯行にICレコーダーが使われたっていうのは既出ネタ。

問題はそのICレコーダーがどっから出てきたかってことよ、べらぼーめ」

 

「そうか!病院にICレコーダーなんて不釣り合いなもの、一体どこにあったんだ?」

 

「うむ……警察の証拠集めでもあるまいし、

治療の現場に必要になることはあるのか?罪木」

 

「へっ?私ですか!?ななな、ないと思いますけど……」

 

「ならやっぱり江ノ島が犯人なンじゃねえか、コラ!」

 

「アタシの身長の3分の1しかないお坊ちゃまは黙ってろっつーの」

 

「あんだとテメェ!!」

 

「あー、マジウザい!わかりやすく説明すると、

怪我の治療中でしょっちゅう罪木の手当てや食事の介助を受けてたアタシが

どこにあるとも知れないICレコーダーを誰にも見咎められず探しに行くのは

無理だってことよわかったらはいって言えこのタコ助」

 

「おーし、表出ろや頭パイナップル女!!」

 

カンカン!

 

「そこまでにしてくだちゃい!

不規則発言を繰り返す人は、議論への参加権を剥奪しまーちゅ!」

 

「チッ!」

 

「それじゃあ、江ノ島さんが言いたいのは、

病院を抜け出してICレコーダーを調達するのは、

あなたには無理だったってことでいいのかな?」

 

「そーいうことー!やっと出番が回ってきてよかったじゃん、七海ちゃん!」

 

「だったらICなんとかは結局どこにあったんだ?

オレ、食い物の事以外はさっぱりわかんねえ」

 

「心当たりなら、ある……」

 

「左右田。心当たりってどこなんだ?」

 

「5番目の島にある電気屋だ。

仕事がてら趣味でガラクタ漁ってたら、その手の電子機器がボロボロ出てくんだよ。

MP3プレーヤー、中古のスマホ、デジカメ。

その中にICレコーダーがあっても不思議じゃねえ」

 

「そうか!なら犯人は電気屋で見つけたICレコーダーで江ノ島の歌を記録して、

タイマーをセットして、6時過ぎに澪田にそれを聴かせた。

澪田はそれをきっかけに、事前に刷り込まれた命令、つまり自殺を実行しようとした。

そういう事だったのか……」

 

「一人納得してないでさ、重要なことも発表してよ。

アタシに犯行が不可能だったってことー」

 

「ああ……確かにそうなるんだが……」

 

法廷がガヤつく。こうなるとアタシ以外に犯行が可能なのは……

 

「ええっ、皆さんどうして私を見るんですかぁ!?」

 

「病院内で犯行が可能だったのは、罪木さんしかいらっしゃらないからです、はい。

なお、先程までの私は“飽きた”そうなので眠りにつきました。

以後、私が江ノ島盾子を担当させて頂きます。皆様、宜しくお願いします」

 

「今度はメガネか!オメーって本当おもしれえな!」

 

「私じゃないですぅ、信じてください、お願いですから、許してください~」

 

「あくまで犯行を否定なさるおつもりですか」

 

「ぐすっ、どーして私が、澪田さんを殺さなきゃいけないんですか~!

一生懸命お世話してきたのに~!」

 

「一生懸命世話を、ですか。

思うところのあるセリフですが、この裁判は少し長引きそうです。

一旦休憩を取りましょう。裁判長、よろしいですね」

 

「はいでちゅ。皆さんトイレは今のうちに済ませておいてくだちゃいね~」

 

カン!

 

【学級裁判 中断】

 

 



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第7章 滝に打たれて 2人目が

「前回の澪田唯吹さん自殺教唆事件に関する学級裁判について、

軽くおさらいしておきましょう。

まず事件当夜、病院全体を探したと言うにも関わらず、

大きな脚立を見落としていたという矛盾の指摘を、

罪木蜜柑はごめんなさいという意味不明な一言で否定。

続いて、ソニアさんの挙げたICレコーダーに関するキーワードに同意することにより、

レコーダーは電気屋で入手できる可能性が極めて高いことが判明。

電気屋を往復できるのは彼女しかいないのですが、

それでもやはり罪木さんは関与を否定しました。ここまでで前回は中断。

では皆様、引き続きご観覧をお楽しみください。では。……失礼、その前に」

 

○左右田の証言

 ICレコーダーは電気屋で入手可能。電気屋までは5番目の島まで移動する必要あり。

 短時間での往復は不可能。

 

■コトダマゲット!!

○左右田の証言 を生徒手帳に記録しました。

 

 

【学級裁判 再開】

 

 

「私じゃないって言ってるじゃないですかぁ~どうして信じてくれないんですか!」

 

「罪木さんが何ら具体的な反証をしてくださらないからです。

むしろ我々はあなたの無実を証明しようとしているのですが」

 

「だったら何とかしてくださいよ……なんだか私が怪しいみたいな感じになってます~」

 

「でしたらあなたもご協力を。電子手帳のキーワードを見てお気づきの点があれば、

提示して頂けると私としても大変助かるのですが」

 

「キーワード……あっ、これです!」

 

「何か、具体的な証拠でもございましたか?」

 

「“遺書”と“澪田の叫び”です!

澪田さんは本当に自らの命を断つつもりだったんです!」

 

「しかし、バンシーの悲鳴については全員が耳にしたかがあやふやなため、

証拠としては扱わないと決まったはずであるが……」

 

「でも、私と江ノ島さんは確かに聞いたんです!

あの、ひとつ試してみたいことがあるんですけど……」

 

「もー!言いたいことがあるならさっさと言ってよ、ゲロブタ女!」

 

「すみません!つまり、澪田さんの自殺は突発的なものであって、

歌を聞いたときに暴れだしたのは、何かの偶然が重なった結果なんじゃないかって」

 

「今更何を言い出すんだ、罪木。ならば澪田がICレコーダーを持っているはずがないし、

2度も同じ歌で暴れだすのを偶然と片付けるには無理がある」

 

「同じ歌って“ハチのムサシは死んだのさ”だったよね?辺古山さん」

 

「ああ、酷い暴れようだった。七海はあの音声ファイルを聴いてどう思った?」

 

「今の所なんとも。ただの昔の歌としか。もう少し議論を進めなきゃ」

 

「あ、あの。それについてはやっぱり、

彼女にとって刺激が強かったんじゃないかと思います。

歌詞の中に澪田さんのトラウマを引き起こす何かがあって、最初は平気でも、

何度も聞くうちに、自殺願望を引き起こしてしまったと考えられなくはないですか?

ICレコーダーのことはわかりませんが、

彼女、時々綺麗な小石や花を拾ってくることがあるんで、もしかしたら……」

 

「あんだと!?ならやっぱり江ノ島のせいってことになるじゃねえかよ!!」

 

「だから、確かめたいことがあるので、皆さんに協力してもらいたいんです」

 

「協力?何をしたいんだ」

 

「もう一度“ハチのムサシ”を聴いてもらうんです。

日向さん達に澪田さんを抑えてもらって、また暴れるようなら裁判を続けましょう。

でも、反応がないなら、彼女は本当に自殺したかった。それで決まりにしませんか?」

 

明らかに何か企んでいるようです。

あからさま過ぎて、かえって怪しく見えている事に、彼女は気づいているのでしょうか。

 

様子を見ましょう。弐大君達が澪田さんの周りに集まったわ。

 

「ワシらは準備万端じゃ。絶対澪田に怪我はさせん。

澪田、少し窮屈な思いをさせるが我慢してくれ……いいな?」

 

「……」

 

「あのぅ、まだ鎮静剤が残ってるみたいですね」

 

「……」

 

「わかった……小泉、歌を流してくれ」

 

「オッケー!」

 

ハチのムサシは死んだのさ…♪

 

……静寂、ですね。

曲が終わりましたが、澪田さんはやはり虚ろな目で前を見続けるだけです。

 

「ぬっ、何も起こらんではないか!昨日は確かにこの歌で澪田が暴れだしたのだが……」

 

「一体どういう事なんだ……?澪田、何か気分が悪いとか、そういった事はないか?」

 

「……」

 

「ねっ!?あれはただの偶然だったんですよ!歌はまだ澪田さんには早すぎたんです!

でも江ノ島さんを責めないでください!

彼女のために歌ってあげて欲しいとお願いしたのは私なんですから。

少しでも回復の手助けになると思った私の判断が甘かったんです……」

 

なぜ歌に反応しないのかは不明ですが、とにかく強引に幕引きを図ろうとしています。

 

そうみたいだけど、あなたをかばおうとしているのが気になるところね。

だったら何故こんな事件を起こしたのかしら。とにかくみんなを引き止めて。

 

「ケッ、人騒がせな連中だぜ!時間の無駄だ、帰るぞペコ」

 

「はい、ぼっちゃん」

 

「皆さん証言台にお戻りください。まだ議論は尽くされていません」

 

「あんだとクソメガネ!まだイチャモンつける気か!?」

 

「ぼっちゃん、それは、私にも……」

 

「はい。全ての事実が明らかになるまでは、

何度でもイチャモンつけさせて頂く所存です」

 

「……面白え。

次の議論で何も出なかったら、指の1本でも詰める度胸はあンだろうな?」

 

「何本でもどうぞ。

あなた方の職業で、詰めた指を何に使用しているのかは不明ですが、とにかくお戻りを」

 

「逃げんじゃねえぞ」

 

 

■議論開始

コトダマ:○遺書

 

九頭竜

歌を聴いても[反応がなかった]のに、裁判続ける意味はねえと思うがな!

 

江ノ島(メガネ)

それは全く同じ条件で曲が流れた場合の話です。

 

罪木

[同じ条件]ってどういう意味ですか?

 

七海

文字通り、事件当時と全く同じかってこと。今日の澪田さん、[ちょっと違う]よね。

 

終里

おう!あの[澪田の髪型]、玉ねぎみたいでうまそうだよな!

 

・とりあえず言弾(コトダマ)を装填しましたが、

どのウィークポイントも破壊できそうにありません。

・大丈夫。そういう時は、誰かの意見を記憶して新たなコトダマにできるの。

力を持つ言葉に意識を集中して。

 

REPEAT

 

九頭竜

歌を聴いても[反応がなかった]のに、裁判続ける意味はねえと思うがな!

 

江ノ島(メガネ)

それは全く同じ条件で曲が流れた場合の話です。

 

罪木

[同じ条件]ってどういう意味ですか?

 

七海

文字通り、事件当時と全く同じかってこと。今日の澪田さん、[ちょっと違う]よね。

 

終里

おう!あの[[○澪田の髪型]]、玉ねぎみたいでうまそうだよな!

 

REPEAT

 

九頭竜

歌を聴いても[反応がなかった]のに、裁判続ける意味はねえと思うがな!

 

江ノ島(メガネ)

それは全く同じ条件で曲が流れた場合の話です。

 

罪木

[同じ条件]ってどういう意味ですか?

 

──それは違うわねぇ!!

 

[同じ条件]論破! ○澪田の髪型(MEMORY):命中 BREAK!!!

 

 

・なるほど。言弾(タマ)がなければ拾えば良いじゃない。極めて論理的な発想です。

・これからも手持ちのコトダマで手に負えない時は、誰かの証言から探してみて。

 

 

「あの、違うって何がでしょうか……」

 

「皆さんのほとんどが開廷から見て見ぬ振りをしているアレです。澪田さんの髪型!」

 

○澪田の髪型

 普段は罪木がセットしている。ツノの形を作るのが難しく、罪木以外に再現できない。

 

■コトダマゲット!!

○澪田の髪型 を生徒手帳に記録しました。

 

「ぷぷっ、日向おにぃより飛び出してるよね、色々」

 

「飛び出してるってどういう意味だ!……悪い、何が言いたいんだ?」

 

「事件当時と大きく異なる条件で歌を聴かせても意味はありません。

その条件となっている人物がこの中にいるということです」

 

「や、やめましょうよぅ。また何がきっかけで……」

 

「やめません。

私は指を詰めるという、何がしたいのかわからない行為を賭けて発言しているのです」

 

「おめえ、さっきから微妙に極道馬鹿にしてねえか?」

 

 

■怪しい人物を指名しろ

 

ハナムラテルテル→ニダイネコマル→ツミキミカン→ソニア→[ミオダイブキ]

 

 

──アンタしか、いないのよォ!

 

 

「えっ、唯吹ちゃん!?あの娘自身が条件って、あんた何が言いたいのよ?」

 

「小泉さん。今、彼女の頭部に何が見えていますか?」

 

「何よ、急に」

 

「5秒以内に答えられない方は馬鹿とみなします。5,4,3,2…」

 

「わかったわよ!目、鼻、口……耳!?」

 

「そう、大きな玉ねぎ頭に隠れた耳。そこにヒントが隠されています」

 

「ああ…はうあう…」

 

「征け、破壊神暗黒四天王!サルガッソーのアギトから、未知なる世界を掌握せよ!」

 

田中さんが飼っているハムスター達が、澪田さんに飛びつき、

雑にセットされた髪に潜り込みました。

さすがに彼女もくすぐったかったのか、時折ふひっ、と妙な声を出していましたが、

それはさておき……出てきました。小さなシリコン製の物体2つ。

 

「よくやった、サンD、マガG、ジャンP、チャンP!む、何だこれは!……耳栓か?」

 

「「耳栓!?」」

 

○耳栓

 完全に雑音をシャットアウトする高性能な耳栓。

 

■コトダマゲット!!

○耳栓 を生徒手帳に記録しました。

 

「江ノ島さんが言ってた条件の違いって、この事だったんだね。

聞こえてないなら、いくら音楽を流しても意味ないよね」

 

「七海さんのご明察通り、

耳栓なら患者の安眠を確保するために、病院にひとつはあってもおかしくない。

そして、今日澪田さんに耳栓をつけるチャンスがあったのは……

彼女の髪をセットしていた罪木さん、あなただけです」

 

「え……」

 

「そうですね?罪木さん」

 

 

──それは……違うよ

 

 

江ノ島(メガネ)

黙りこくっていたと思っていたと思えば、何が違うのでしょう。

出来れば永遠に黙っていてほしかったのですが。

 

狛枝

あんまりにも議論が迷走してるからつい、ね……

 

 

■反論ショーダウン 開始

>>左右田の証言

 

狛枝

なんだか/江ノ島さんは罪木さんのせいに/したいように/ボクは思えるんだけど、

ICレコーダー/にしろ耳栓にしろ……/彼女が用意した/って証拠はないよね。

ボクは彼女が言う通り/澪田さんが/突発的に/自殺を図ったとしか/思えないんだ。

 

《発展!》

 

江ノ島(メガネ)

ICレコーダーと遺書らしきものを澪田さんに持たせることができたのは、

私と罪木さんしかいませんし、

逆に当日私にICレコーダーを用意できなかったのは先程申し上げたとおりです。

やはり罪木さんに十分な説明を求めるべきかと。

 

狛枝

やだなあ。それは/罪木さんも同じ/じゃないか。彼女も仕事で忙しい/わけだし。

5番目の島まで出向いて/ICレコーダーを探す/時間なんてあるわけない/じゃないか。

結局/何が言いたいかと/言うと……

 

  罪木さんに[犯行は不可能/だった]ってことなんだよ。

 

──その言葉、ズタズタにしてあげる!!

 

斬![犯行は不可能だった]論破! >>左右田の証言 BREAK!!!

 

 

「何かボクの反論におかしな点でもあるのかな?」

 

「ありすぎて何から挙げれば良いのか困るくらいですが……

罪木さんにも犯行は可能で、ICレコーダーを探すチャンスもあった、ということです」

 

「ちょっと待ってほしいな。

ここから5番目の島の電気屋までは徒歩で大体20分。走っても往復30分。

さらにICレコーダーを探していると、少なく見積もっても1時間は掛かるんだよ?

そんなに長い間病院を抜け出したら、きっと患者が不審に思うよ」

 

「ICレコーダーは本当に電気屋でしか発見できないのでしょうか。

また、その時間もなかったのでしょうか。私にはそうは思えません。

ある人物の存在がそれを証明しています」

 

「へえ……それって誰の事だい?」

 

 

■怪しい人物を指名しろ

 

ヒナタハジメ→ソウダカズイチ→コマエダナギト→ソニア→[ハナムラテルテル]

 

──アンタしか、いないのよォ!

 

 

「ええっ、ぼく!?」

 

「ご安心ください。

あなたを犯人として槍玉に挙げて縛り上げ、

全員でしばき回すつもりは一切ございませんので」

 

「み、みんなでぼくを縛り上げ……そんな素敵なっ!」

 

「花村君がこの件にどう関わっているのか、ボクとしてはその説明が欲しいんだけど」

 

「うん、唐突に彼の名前が出てきたから、私達も戸惑ってるんだ」

 

「七海さんが驚かれるのも無理はありませんね。

その前に左右田さんにひとつ確認したい事が」

 

「オレに?一体何だってんだよ」

 

「ICレコーダーは本当に電気屋でしか入手できないのでしょうか。

それとも別の場所で手に入る可能性は完全にゼロ?」

 

「ああ、間違いねえと思……あ、そうか!電気“屋”じゃなくて3番目の島、

よーするにこの島にある電気“街”でも、落ちてる可能性がなくはねーぞ!

花村指名したのはそういう意味なのか?」

 

「そういう意味なのです」

 

「二人で納得してないで、俺達にも説明してくれよ!」

 

「少々お待ち下さい、日向さん。

更に事実を詳細に整理いたしますので、お時間を頂戴します」

 

そこで私は自らの心に問いかけ、脳内の世界に飛び込みました。

あの江ノ島盾子とは正直、気が合わないのですが、

直接顔を合わせずに済むのがせめてもの救いでしょう。

 

 

■ロジカルダイブ 開始

 

ウヒャヒャヒャ!本日も最っ高にイカれたスピードの祭典、スタートだぜェ!!

さっさと始めろや、腐れスタートシグナル!!

 

お願いだから事故には気をつけてね?問題文近くでは徐行運転。

 

うっせババア!最初から最後までフルスロットルで爆走だァ!!

 

本当にこの娘達ったら……

 

3.2.1…DIVE START

 

QUESTION 1

ICレコーダーがあったのはどこ?

病院の中 病院の外

 

 [病院の外]

 

「見よ!この華麗なコーナリング!!」

 

ほぼ直線道路じゃない。

 

QUESTION 2

犯人がICレコーダーを手に入れたのはいつ?

事件当日 事件発生以前 事件発生以降

 

 [事件発生以前]

 

変な風車もアタシのハンドリングで見事に回避ィ!他、選んだ奴全員バカ!

 

口は悪いけどそうなるわね。

 

QUESTION 3

犯人がICレコーダーを手に入れたのはどこ?

電気屋 電気街 病院

 

 [電気街]

 

前回の記録を0.47秒更新してフィニーッシュ!!

 

よくやったわね。さあ、表の世界に戻るわよ。

 

 

──真実はアタシのもの!

 

 

「どうした。まただんまりか?」

 

「うっせえぞ、百貫デブ!今から俺がまとめてやった事実をご披露してやっから、

逆立ちしながらよーく聞きやがれ!」

 

「はひゃあぁ!今度は凶暴な方の江ノ島さんになっちゃいました……」

 

「もう2回目なんだから慣れろっつーの。まず、ICレコーダーの入手経路。

これは病院の外で間違いねえ!

次、ICレコーダーは電気屋か電気街以外では手に入らない。

そこでテルテルの野郎が出てくるってわけなんだよ!」

 

「そ、それと、ぼくに何の関係があるの?ぼくが犯人だとか言わないよね?」

 

「だかあっしゃあ!お前に出番はねえよ、安心しろ。もう用済みだから卓に戻んな」

 

「はい……」

 

「肝心なのは一週間ほど前にテルテルが起こした爆弾事件だ。

全員そん時の状況をよーく思い出せ!」

 

「フフッ、自らクロに指名した彼の古傷をえぐるなんて、さすがは超高校級の……

ああ、なるほどね」

 

「あの事件が起きた時って確か……あんたまさか!?」

 

「わかったかァ!あん時は数名を除くほぼ全員が“電気街”にいたんだよ!!」

 

「そーか!そーだよ!オレ含めた手の空いてる奴全員で、

ジャンクパーツ集めに行ってたんだ。

金属片とか重い鉄くずとかで怪我したやつが出た時のために、

確か罪木にも来てもらってたんだよな?」

 

「えうう……そうですけど…違います…私じゃ……」

 

「そこで!クロはICレコーダーを見つけ、今回の犯行を思い立ったんだろうよ!

可能性が高けーとは言え、確実に見つかるとは限らないICレコーダーを、

計画的な犯行に組み入れるのは無理があるからよう!」

 

「信じて…お願い…許して……」

 

「左右田さん、その時電気街で罪木さんはどんな作業をしてたんですか?

わたくし、ホテルで作業をしていたので現場の状況がわからなくて」

 

「万一に備えて“待機”っすよ。

罪木まで手伝わせて医療班が怪我したら意味ねっすから」

 

「じゃあ、ICレコーダーがクロの手に渡ったのは、

犯行日時のずっと前だったってことなのか!?」

 

「うんうん、日向君の言う通り、必然的にそうなるね。

ちょうどボクが風船爆弾で入院した時、だと考えていいよ」

 

「もー最後までそのキャラで行ってよね!

江ノ島おねぇの中じゃ、あんたが一番マシなんだし?」

 

「すまないけど、目立ちたがり屋がうるさくてね。最後まではご一緒できないよ」

 

「さっすが江ノ島さん!いきなり議論吹っかけちゃってごめんよ。

退屈な裁判だったから、君という絶望的に巨大な存在に、

ちっぽけなボクがどこまでやれるか、つい試してみたくなっちゃったんだ!」

 

「……おイタはよしなよ。さっきの江ノ島盾子だったら、コトノハじゃなくて、

本物のナイフでサクッと行ってたかもしれないから、さ」

 

 

──勝手な事ばかり言わないでくださいよおおおぉ!!

 

 

突然響いた絶叫に全員が思わず目を奪われる。

そこには、髪を振り乱し、長さのバラバラなロングヘアを握りしめて、

恐ろしいまでの形相を浮かべる罪木さん。

普段の彼女とは似ても似つかない風貌に、皆が戦慄する。

 

「さっきから、皆さんで、私を、責め立てて!どうせみんな、私が人殺しをするような、

バイ菌ウジ虫口臭女だと思ってるんでしょう!?」

 

「落ち着け、罪木が犯人だなんて結論はまだ出てないじゃないか。俺達はただ……」

 

「そうだ。口臭女は1人でたくさんだ」

 

「うるさぁい!!」

 

「「……っ!?」」

 

「……あーあ、もういいです。結局皆さん私を仲間外れにしたいんですね。

なら好きにしてください。でも私、犯人じゃありませんから。

あと勝手にやってくださーい」

 

今度は全てを投げ出し、心の闇を孕んだ表情で、どこか諦めきったように宙を見る彼女。

一種の現実逃避だと思っていいのかな。だけど、それで追撃をやめるボクじゃないのさ。

 

そう。今の彼女を放置してはだめ。これは救いでもあるの。彼女の闇と向き合って。

 

 

■議論開始

コトダマ:○澪田の髪型

 

罪木(狂気)

私がなんかした[証拠]でもあるんですかー?

 

[ICレコーダー]が怪しいんですかー? [耳栓]が怪しいんですかー?

 

警察みたいに[指紋でも調べた]んですか!?

 

耳栓だって、探せば[病院の外]にもあるじゃないですか!!

 

[ハチのムサシ]だって、江ノ島さんが直接聴かせた可能性もあるのに、

 

どうして私ばかり疑うんですか! もう、許してくださいよぉぉ!!

 

・最後は曲撃ちみたいな芸は必要なさそうだね。

・そう。弱った彼女の隙を撃ち抜いて。あなたならできるわ。

 

REPEAT

 

罪木(狂気)

私がなんかした[証拠]でもあるんですかー?

 

[ICレコーダー]が怪しいんですかー? [耳栓]が怪しいんですかー?

 

──これで、とどめよ!!

 

[耳栓]論破! ○澪田の髪型:命中 BREAK!!!

 

 

「で?それがなんだっていうんですかー?証拠見せてくださーい」

 

「君の言う通り、耳栓が怪しいってことだよ」

 

「そんなの、マーケットのどっかに……」

 

「おや、失礼。耳栓そのものじゃなくて、誰にそれを取り付けることができたか。

それが重要なのさ」

 

「えっ……?どういう、意味ですか」

 

罪木さんが少し怯える。正気を取り戻そうとしてるみたいだね。

 

「事件発生当時から、澪田さんは常に誰かの目が届くところにいた。

駆けつけたみんなで病院は寿司詰め状態だったからね。

そんな彼女の耳にこっそり仕掛けができるのは、

普段から彼女の髪をセットし、今日もそうしていた罪木さんしかいないんだよ」

 

「そ、それがなんなんですか!?

仮にそれが私だったとしても、事件が起きた後のことです!

澪田さんの自殺とは何の関係もありません!

それに……江ノ島さんだって怪しいじゃないですか!

ひょっとしたら、いつものように窓から直接彼女に歌を」

 

「それはありえないんだよ。

事件が起きた時、ボク…の肉体の持ち主がぐっすり眠っていたことは、

君自身の証言通りだよ」

 

「ううっ……違います…私、なんにも悪いこと……許して…お願い」

 

わかってるだろうけど、ここで罪木さんを“許す”ことは、何の解決にもならないわ。

 

ああ。向こうの盾子もお待ちかねだから、ボクはそろそろ引っ込むよ。女王様、どうぞ。

 

「オッホホホホ!!許す、許さないは、私様(わたくしさま)が決めること。

平民は黙って最終審判に耳を傾けていればいいのよ!」

 

「とうとう、終わるんだね。江ノ島さん……この事件を、ゲームオーバーにして」

 

「なんだ、キノコじゃねえのか。さすがに王冠は食えねえな」

 

「皆の衆、私様がお前達でも理解できるよう事件のまとめをしてあげる。

実に単純でくだらない結末を期待して待っていなさい!」

 

 

■クライマックス推理

 

 

>クライマックス推理 開始

>推理を完成させろ

 

 

Act.1

事件の始まりは約一週間前。爆弾騒ぎがあった当日のこと。

私様を含む約3名を除いて、ほぼ全員が電気街へ赴き、

ささやかな財を求めてゴミあさりに精を出していた。

緊急時の役割があるとは言え、そうそう不測の事態が起こることもなく、

暇を持て余していた犯人は、辺りをブラブラしていたんでしょうねえ。

そこで犯人はあるものを見つける。

 

Act.2

そう、それが犯行に使われたICレコーダー。

犯人もその時は何の気なしにポケットに入れた。

後で戦利品の一つとして左右田にでも渡すつもりだったんでしょう。

でも、その日に事件が起きた。あの風船爆弾よ。

そこで負傷した私様の姿を見た犯人は、今回の犯行を思いついた。

つまり、全治約1週間の私様に、澪田唯吹への自殺教唆の容疑をなすりつける。

 

Act.3

入院中の私様と澪田のやり取りを見ていた犯人は、

後に濡れ衣を着せる目的で私様に澪田の病状を伝え、

その上でICレコーダーを使い私様の美声を無断で録音。

ハイスペックな集音機能を持つレコーダーなら、

廊下に響く歌声を捉えることは簡単にできたでしょうね。

実際犯人はそれを聞きつけてこのトリックを考えたんですもの。

もし、私様が歌を歌わなくても、日常会話をこっそり録音して代用すればそれで済んだ。

わざわざ歌を利用したのは、私様への疑いをより濃いものにしたかったからでしょうね。

 

Act.4

とうとう犯人は計画の最終段階に入る。

あらかじめ用意した偽の遺書と、

タイマー機能で6時20分頃に歌を再生するようセットしたICレコーダーを、

澪田の入院着のポケットに入れる。

その時の澪田は、何でも言うこと聞いちゃうロボットちゃん状態だったから、

口止めするのは極めて簡単。そして夕方6時20分。

タイマーが作動して、ICレコーダーが流した歌を聞いた澪田は、

犯人から受けていた命令を実行する。

“ハチのムサシが流れたら自殺しろ”、“自分のことは絶対喋るな”。

 

Act.5

あとは素知らぬ顔で、自殺しようとする澪田を止めるふりを続けていればいい。

仕上げにメンバー全員に緊急メールを送ってね。

目論見通り、私様が病院の外に出てきた時、飛び降りようとする澪田を目撃。

直後に駆けつけた日向達が、人間離れした方法で澪田を取り押さえて計画はご破算。

ジ・エンドってやつよ。

 

ここまでの手順を誰にも怪しまれず、全て実行できたのは、病院の主であるお前だけ。

 

そういうことでしょう?罪木蜜柑!!

 

 

──これが事件の全貌よ!  COMPLETE!

 

 

「きゃああああ!!」

 

事件を解決して満足した江ノ島盾子が僕の中に帰っていく。

同時に罪木さんが悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。

 

「結論が出たみたいでちゅね……

みなちゃん、お手元のボタンで、クロだと思う人を投票してくだちゃい」

 

結果:罪木蜜柑 GUILTY

 

「罪木が、犯人だと……!?」

 

「確かに意外な人物だね。

辺古山さんほど驚いてはいないけど、ボクも動機だけは気になるかな」

 

「やっぱゲロブタが犯人だったんじゃん!」

 

「罪木さん!?どうして澪田さんを殺すなど!

あんなに一生懸命お世話をされていたではありませんか!」

 

「う…あぅ……違います…私、殺すつもりなんて……」

 

「その続き言いやがったら女だろうとぶっ飛ばすぞ!

最近の半端な連中は皆“殺す気はなかった”で言い逃れようとしやがって!

人の(タマ)取るなら人生賭ける覚悟決めろや!」

 

熱でふらつきながらも、僕は罪木さんのそばに向かう。

 

「みんな……まずどうして罪木さんがこんな事をしたのか聞こうよ……」

 

「くっ、未遂とは言え罪木まで!ワシらの誓いは、なんだったんじゃあ!!」

 

「冷静になって、弐大くん。江ノ島さんの言う通り、動機がまだだよ?」

 

以前より七海さんの口数が多くなった気がする。

今度彼女について日向君に聞いておかなきゃ。でも、今は罪木さんだ。

床に座り込む彼女の前に僕も座って、

深呼吸してから、できるだけ落ち着いた声で問いかける。

 

「どうして、こんな事をしたんだい?」

 

「それは……」

 

「それは?」

 

「江ノ島さんが……」

 

……やっぱり、彼女も僕のことを。

 

「カワイ過ぎるからじゃないですかぁ!!」

 

えっ!?と声を出す間もなく、罪木さんが思い切り抱きついてきた。

ちょっと待って!顔に大きなものが当たってるっていうか挟まれてる!

もがきながら、なんとか立ち上がるけど、彼女は決して離れようとしない。

 

「何言ってるの?さっぱり意味がわからないよ!」

 

「言葉通りの意味ですよぅ!動機?

そんなの、江ノ島さんを私だけのものにしたかったから!他に何があるんですか?」

 

やっと彼女の拘束を振りほどいてその顔を見る。今度は別の狂気に満ちていた。

恍惚感に満ちた笑顔を紅潮させ、よだれが垂れるのも構わず、潤んだ目で僕を見てる。

彼女が何を考えているのかわからない!

 

「罪木!お前、まだ絶望が抜けきっていなかったのか!?」

 

辺古山さんが竹刀を抜くけど、罪木さんは僕以外何も見えていない様子で、

たどたどしい歩調で僕に近づいてくる。

 

「絶望?ああ、そんなの、とっくに忘れちゃいました……

これは、純粋な“愛”なんです!」

 

「あ、愛?」

 

「はい。確かに、最初は皆さんと同じように、

江ノ島盾子への憎しみと恐怖の入り混じった感情を抱いていましたが、

実際あなたと会って、一気にどうでもよくなりました。

みんなにいじめられてる、弱虫の江ノ島さん。

月のものでパニックになって、わんわん泣いて私に助けを求める泣き虫の江ノ島さん。

その姿を見て私は……胸がキュン、となっちゃいました!」

 

「そ、それが、どうして澪田さんを殺すことになるのさ!」

 

「うふふ……言ったじゃないですか。殺す気なんて初めからなかったんです。

私は命令したのは“自殺するふりをしろ”ですよ?澪田さんだって愛してるんです。

私のお願い、なんでも聞いてくれますし、絶対私をいじめたりもしません。

今回は江ノ島さんを私だけのものにするために、

少し協力してもらっただけです。あはぁ…」

 

「うげ、ゲロブタ女マジキモ……」

 

「この病院を3人だけのユートピアにするのが夢でした。

この裁判でクロになって、ますます立場が悪くなった江ノ島さんが、

いじめられて泣きながら帰ってくる。私はそんなあなたを抱きしめて慰める。

その後は、いつもいい子の澪田さんと3人で一緒にご飯を食べるんです。

そんな慎ましやかな生活をいつまでも送りたい。

それは許されない夢なんでしょうか……?」

 

「ふざけないでよ!澪田さんにあんな危ない真似させて、何が愛してるだよ!

屋上には湿った落ち葉やビニールのゴミが溜まってて、

いつ足を滑らせてもおかしくなかったんだ!

下からは低く見えるだろうけど、

あの高さでも落ちたら大怪我や死につながってたんだよ?」

 

「え…“死”?……」

 

死というキーワードに罪木さんが若干冷静になる。

 

「誰かの命と引き換えにしてまで、本当にそのユートピアが必要だったのか、

よく考えてみて!」

 

「あ、ああ……私、殺したくなんか……ただ、必要だった……」

 

「ユートピアが?」

 

彼女はただ頭を振る。

 

「私の、居場所……誰も私をぶったり、いじめたり、罵ったりしない。

ただそれだけの場所が……江ノ島さん。私の髪型を見て、どう思いますか?」

 

「どうって……個性的だと思う、よ?」

 

「切られたんですよ!私は幼稚園の頃からずっといじめを受けて育ってきたんです!

この髪だって本当は真っ直ぐだったんですよ!?

でも高校に入る前に、みんなが面白半分でメチャクチャにしたんです!

女の子が髪をここまで伸ばすまでどれだけ掛かるかわかりますか?

家だって私の居場所なんかじゃなかった。学校で殴られ、お家でも殴られ……

私は、一体どこに行けばいいんですか!?」

 

「どうしてここのみんなを信じられなかったんだよ!一緒に罪を償う仲間を!

居場所なんてこの島……そうじゃない。僕なんかにすがらなくても、

みんながいるところなら、どこだって罪木さんの居場所だったのに!」

 

「え、へへ……どうせみんな裏切るに決まってます。

友達になってくれる条件に毎月5千円を要求してきたあの女の子みたいに……」

 

「ここじゃ誰も!」

 

「何ふざけたこと言ってんだよ、このブス!」

 

僕の言葉を遮って、西園寺さんが罪木さんを扇子で指しながら、罵倒を浴びせる。

 

「ここにも外にもお前の居場所なんかねえんだよ、変態女!クソレズ、毒ヘビ、

嘘つき女、VXガス、腐った牛乳、能無し、ジメジメ女、ボウフラ、要らない子!」

 

「要らない子……?」

 

黙って西園寺さんの悪口を受け続けていた彼女が、最後の言葉で明らかに動揺した。

顔が青ざめ、目に涙が浮かぶ。

そして、少しの物音でかき消えそうな小さな声で否定する。

 

「要らない子なんかじゃ、ない……」

 

その反応を目ざとく見つけた西園寺さんが、再び罵倒を繰り返す。

 

「要らない子!要らない子!罪木蜜柑は要らない子!1カゴ100円でも売れませーん!」

 

「いや……いや……お願い。謝りますから、許して……」

 

彼女を止めなきゃ。僕は西園寺さんに早足で近づく。

途中、ソニアさんの証言台に置かれていたムチを手に取る。

多分、ゆうべのメールを見て、非常時に備えて念の為持ってきたんだろうけど、

今はどうでもいい。

 

「ごめん、借りるね」

 

「あの、何を……?」

 

何も答えず、僕は歌うように罪木さんを侮辱する西園寺さんの前に立った。

 

「ん、なに?江ノ島おねぇも一緒に歌う?ほれ、罪木蜜柑は……」

 

パシン!

 

心臓がバクバクする。振るった手も震えてる。

だって、女の子の顔を張ったことなんて人生で初めてなんだから。

 

「え……?叩いた?う、う、びえええん!江ノ島おねぇがぶったー!

小泉おねぇ、助けて!」

 

初めは何が起きたかわからず、左頬に手を当てるだけだったけど、

だんだん状況がわかってきて、大声で泣き出した。

小泉さんがすかさず守るように彼女の前に立つ。

 

「何してるの、この娘に近づかないで!」

 

僕は何も言わずに、手にしたムチを見て、覚悟を決めた。

 

バシイイィン!!

 

法廷に響き渡る、何かが破裂するような大きな音。意味不明な僕の行動に皆がざわめく。

彼女と同じ左頬を打つつもりだったんだけど、

手元が狂って顔全体に思い切り斜めにムチを叩きつけてしまった。

この世にこれほどの痛みがあるのかと思うほどの激痛で、涙が出そうになる。

というか泣いてる。

 

「江ノ島…おねぇ……?」

 

「あ、あんた何がしたいのよ!?」

 

「江ノ島さん!全力でそのムチを使っては!」

 

僕は痛みを堪えながら改めて西園寺さんに向き合う。

 

「西園寺さん、叩いたりしてごめん。これで許して。

でも、これだけは聞いて欲しいんだ。

はなクソ、ボケナス、ゴキブリ、うすのろ。

この中で付けられて嬉しいあだ名って、ある?」

 

「あ、あるわけないじゃん!」

 

「じゃあ、その中に“ゲロブタ”を加えたら?」

 

「なによ……それじゃあ、わたしのせいであいつがこの事件を起こしたっていうの!?」

 

返事をしようとした瞬間に、全身からガクンと力が抜ける。視界もぼやける。

きっとウサミのステッキの力だと思う。

だけど、僕はわずかな力を振り絞って、床を這いながら彼女に訴える。

 

「それは、ちがうよ……でも、つみきさんには、あやまって。

つみきさんは、ぜつぼう、なんかじゃない。いらなくなんか、ない……」

 

「な、なんなの!?来ないでよー!」

 

「……江ノ島さん?どうして、私なんかのために……」

 

この時、罪木さんの顔からは狂気が抜け、ただ涙を流す女子高生がいるだけだった。

後で聞いた話だけど。

 

「ただの、きっかけなんだ、きみの、わるぐちは。

……つみきさんは、ずっと、みんなに、たたかれたり、ひどいことを、いわれつづけて、

いたみを、かんじなくなってた。

でもそれは、へいきだから、なんかじゃない。

こころが、ちまみれになるまで、きずついて、いたいことにも、きづけなくなってた。

だれかに、“たすけて”って、いうことも、できないくらい……」

 

背後で誰かが裁判長席に向かって何かを告げたような気がした。

すると、身体に力が戻り、立ち上がれるようになった。

何にせよ、これでまともに喋れる。

 

「お願い西園寺さん。

言葉はコトノハ以上に人を傷つけることもあるんだ。

それだけはわかって、頼むよ」

 

「日寄子ちゃん……」

 

小泉さんにそっと背中に手を当てられた彼女は、しばらく、そっぽ向いていたけど、

小さな声で確かに言った。

 

「わかったわよ。……ごめん、罪木おねぇ。もうゲロブタとか言わないから、許してよ」

 

「西園寺、さん……?はい、もちろんです!」

 

「ただ殴って叱るのではなく、自分も同じ痛みを受ける覚悟で語る執念。

……これぞ漢じゃあ!」

 

「ツッコまないわよ」

 

「フン……ケジメの付け方くらいは知ってるみてえだな」

 

ほっとしたら、さっきの無茶が今頃出てきた。顔はまだまだ痛いし、全身クタクタ。

 

「はぁ…窒息するかと思った。

生きるのに最低限必要な呼吸しかさせてくれないみたいだね、あれ。ははっ」

 

「笑ってる場合じゃないでしょう!アタシ達の心臓止めるつもり!?」

 

「ふふ、ごめんね。あ、ソニアさん、ムチ返すよ。勝手に借りてごめんなさい」

 

「それは構いませんけど……顔は大丈夫ですか?」

 

「正直大丈夫じゃない。本当に激痛だけが残るんだね、これ」

 

ツヤのある証言台で顔を見るけど、痕は全然残ってない。こんなにジンジン痛むのに。

その時、罪木さんが立ち上がって、みんなに語り始めた。

 

「……皆さん、今回は私の欲望に皆さんを巻き込んでしまい、

本当に、申し訳ありませんでした。特に謝らなければならない、江ノ島さん。

最悪の場合、全てを明かすつもりだったとは言え、

あなたを犯罪者に仕立て上げてしまったことは、許されることではありません……」

 

「僕は、許すよ。

罪木さん、途中で自殺は偶然だってことにして、僕をクロから外そうとしてくれたし。

もうひとり、謝りたい人がいるんだよね。さあ」

 

「ありがとうございます……」

 

彼女はポロポロと涙を流しながら皆に頭を下げ続けている。

そして、彼女が謝りたい人物に向かう。

 

「澪田さん。あなたの命を危険に晒すようなことをして本当に」

 

──イヤッフオオオーーオィ!!

 

「ぐほっ!」

 

その時、カラフルな影が僕に体当たりしてきた。

爆弾でも爆発したのかと本気で思ったよ!で、その爆弾の正体は……

 

「おはようございまむ!澪田唯吹、満を持しての大復活っすよー!ペロリン!」

 

「「なんで!?」」

 

そりゃ、一斉に同じ声も出るさ!今までボーッとしてた玉ねぎ頭が、

テンションMAXで法廷中を飛び回る勢いでジャンプしながら皆に手を振るんだから!

 

「澪田さん、回復したんですか!?」

 

「蜜柑ちゃんが看病してくれてたから体調バッチリっす!

それにしても、このヘアスタイル、大胆な一本角もイカしてますなあ!

それともコレ玉ねぎ?唯吹わかんねっす!タハハ!」

 

「玉ねぎでいいと思うよ?たまねぎ剣士は最強だから」

 

「千秋ちゃんもおひさ~!ゲームもいいけど唯吹とセッションもどうっすか?

予備のギターで一緒に練習するっす!」

 

「私は、音ゲーでいいよ」

 

「くぅ~!大人しそうな千秋ちゃんのルックスに、

派手なエレキギターのアンバランスさが映えると思ったんすけど、惜しい逸材っす。

まぁ、そんなわけで完全復活を果たした澪田唯吹をこれからも応援よろしくっす!」

 

なんというか……このままだと、法廷が澪田さんに支配されてしまう!

僕は何故か回復した彼女に話しかける。

 

「あの、澪田さん。君が治ったのはもちろん嬉しいんだけど、

どうして治ったのかを僕達は知りたくて……」

 

「あー!盾子ちゃん!会いたかったよー。かませて!」

 

「うん、僕も君の元気な姿…痛っ!本当に噛んだ!

“まかせて”を君なりに、もじっただけだと思ってたのに!」

 

「ふむふむ、盾子ちゃんのお耳はミディアムレア……と。

挨拶はここまでにして、唯吹も盾子ちゃんに聞きたいっす!」

 

「今までの挨拶だったの?それで、聞きたいことってなあに?」

 

「どうして、盾子ちゃんがここにいるっすか」

 

急に真剣な面持ちになって、本質的な問いをぶつけてくる。そうだった。

彼女も未来機関で説明は受けてたんだよね。江ノ島盾子の存在、その正体も。

何から説明すればいいんだろう。困っていると、日向君が助け舟を出してくれた。

 

「澪田。どうして江ノ島盾子がここにいるのか、それについては複雑なんだ。

後で俺からゆっくり説明する。念の為、今日はコテージに泊まって身体を休めてくれ。

長い裁判で疲れただろう」

 

「了解っす!」

 

「それでだ。今度はお前に聞きたい。どうして今になって元気さを取り戻せたんだ?」

 

「う~むむ……」

 

彼女は腕を組んで考え込む。そして答えが出ると、はーい!と思い切り手を挙げた。

 

「ぼーっとしてた唯吹の意識に、激しいロックの(ソウル)が流れ込んで来たっす。

自分をムチでぶっ叩くセルフSM、

地べたを這いつくばりながら腹の底から絞り出すメッセージ、

そしてフィニッシュは美少女の涙!これでハートが燃え上がらない方がおかしいっすよ!

それに……」

 

「それに?」

 

「盾子ちゃんの歌ってくれた歌。

なんでかわかないんすけど、初めて聞いたのに懐かしい感じ。

初めての感覚にインスピレーションが刺激されて、

居ても立ってもいられねーって感じで、気がついたら飛び出してたっす!」

 

「じゃあ、心の傷は癒えた、と思って大丈夫か?」

 

「……いいや、唯吹の罪が消えることはないっす。

ただ、こうして受け身になって、誰かの命令を聞くことが、

償いになんかならないことに気がついたんすよ。

これからはみんなと一緒になんかやるっす!なんかが何かは未定なのである!」

 

「ふふ、これから忙しくなるぞ」

 

「唯吹頑張るっす!……それと、盾子ちゃん」

 

すっかり置いてきぼりにされていた僕に、澪田さんが近づいてきて、僕の両手を握った。

 

「今は盾子ちゃんの立場とか、難しいことはわかんねえっすけど、

唯吹はあの歌で立ち直れた。それだけは事実なんす。だから、ありがとう……」

 

「本当に、元の澪田さんに戻ってくれて、僕も嬉しいよ。

あと一人、君と話がしたい人がいるんだ」

 

「わかってるっす。……蜜柑ちゃん」

 

「ごめんなさい。謝っても謝りきれませんけど、澪田さんに「ゲッチュウ!」」

 

「きゃぶっ!?」

 

また澪田さんが親指を立てながら罪木さんに体当たり。彼女自身は痛くないの、あれ?

 

「湿っぽいのは唯吹嫌いっす。

それに、ボケっとしてたけど、命令されたことはちゃんと覚えてたんすよ。

蜜柑ちゃんこう言ってたっすよね。

“自殺するふりだけして。落ちないように気をつけて”って。

だから、唯吹は屋上に行っただけーってことでヨロシクっす!」

 

「澪田さん……ありがとう、ありがとうございます……」

 

彼女の目からまた大粒の涙が。それは静かに頬を濡らす。

その様子を見守っていたウサミが、裁判の完結を宣言する。

 

「……2回もしこりを残すことなく学級裁判が終わるなんて、

あちしは信じられないです。こんな嬉しいことはありまちぇん。

みなちゃん、また一緒に明るい南国生活を送りまちょう。

それでは、今回の学級裁判を終わります」

 

カン!

 

 

【学級裁判 閉廷】

 

 

ウサミの木槌で学級裁判は終了した、かに思えた。

 

「ちょっと待ってくれないかな」

 

彼だ。狛枝凪斗が顔のそばで人差し指を立てながら、若干不満げな表情で告げる。

 

「クロが見つかったのに、このまま何もなしで終わるのかい?

それってちょっと納得行かないかな」

 

「な、なにが言いたいんでちゅか?」

 

「学級裁判の最後にはさ、必ずあるでしょ。“おしおき”」

 

一同がざわめく。“おしおき”とはつまり処刑だけど、

今回のプログラムにそんなものあるはずない。

 

「何を言っとるんじゃ狛枝!ワシらは江ノ島を……調査するために」

 

「でもさ、罪木さんは未遂とは言え自殺教唆を実行してるんだよ?

それについて何の罰もないって変じゃない?

だったら、この島では犯罪行為し放題ってことになっちゃうと思うんだけど」

 

「じゃあ、アンタはどうしてほしいのよ!

唯吹ちゃんと……盾子ちゃんも許すって言ってるのに!」

 

「こんなのはどうかな。

クロはおしおきとして、“絶望”だった頃の自分の罪を告白する」

 

「なんじゃとう!?」

 

「残酷でちゅ!

罪と向き合い贖罪に心血を注いでいる、みんなの心の傷に塩を塗り込む行為でちゅ!」

 

「残酷?みんなが無実の人達にしてきたことの方がよっぽど残酷だと思うけどな。

まぁ、僕の才能は単なる幸運だから、

大したことはしなかった、というよりできなかったんだけど。

それで?やるの、やらないの?」

 

「……わかりました。皆さん、聞いてください。私の罪を」

 

「蜜柑ちゃん!?こんなバカの言うこと聞かなくてもいいって!」

 

「いえ、いいんです!確かに狛枝さんの言う通り、自分のしたことには、

何かの形で決着をつけなくちゃ、何でもやりたい放題になってしまいます。

二度と学級裁判なんて起きないよう、こんな事は私で最後にしないと……!」

 

「そんな……」

 

「そう来なくちゃ!花村君はやり遂げたんだし、できるよね?」

 

「あわわ…どうちてこんな酷い事が!」

 

「では、私の罪を懺悔します。私の罪は“治療”です」

 

「治療?どういうことだい」

 

「崩壊した世界で絶望の残党と戦う、傷ついたレジスタンスの方々に、

私は治療を施してきました」

 

 

………

 

“ううっ!ここは…どこだ?”

 

“ふふっ、お目覚めですか?あなたは脚にひどい怪我を負って、倒れていたんですよ~”

 

“そうだった!モノクマの群れに足をやられて……はっ!無い!俺の脚がない!”

 

“ああ、それですか。あ~んまり症状が酷かったんで、処置しておきました!”

 

“なんだと……?ちくしょう、返せ!俺の脚を返せよ!”

 

“もちろんお返ししますよ、ほらここに!

ノコギリで切断して傷口を焼き潰したので、もうくっつくことはありませんけど”

 

“うあ、あ……くそったれ!殺してやる!”

 

“は~い、患者さんは車椅子で大人しくしててくださいね。

死ぬまでこの地下壕でお世話して差し上げますから、安心してください。

そうそう、3号室の患者さんにも処置を施す時間ですね。

ワックワクのドッキドキです!”

 

“待て!待て、このイカレ女!俺の人生を返せぇ!”

 

 

 

“んー!まべぼ!んぐー!”

 

“はぁ…はぁ…ごめんなさい。あんまりあなたが暴れるんで、

ベッドにテープで巻き付けるしかなかったんです……

もう大丈夫ですから、心配しないで”

 

“んがー、ふがー!”

 

“あなたの目、ちょっと濁っているので、処置をさせてもらいますね。

チクッとしますけど、少しの我慢ですから。

最近の注射は針が細くて痛くないんですよ~”

 

“んー!んー!はぶべべー!”

 

“うふふ……じっとして。眼球への注射するのは初めてなんです。

わぁ、綺麗な瞳に針が……”

 

ダァン!

 

………

 

 

「そこで、突入してきた未来機関のエージェントに取り押さえられました。

“処置”自体は適切でした。

脚はガス壊疽を起こしていて、一刻も早く切断しないと命に関わる状態でしたし、

眼球には細菌が侵入し、直ちに薬を直接投与しないと失明するところでした。

……でも、そんな事何の言い訳にもなりません。

患者さん達にそれらを伝えず、身体を失った絶望、恐怖に染まった顔を見て、

私は悦んでいたんですから……!!」

 

「わかったよ!もういいから!」

 

そこで強引に彼女の話をやめさせた。罪木さんというより、僕自身のために。

絶望。それが目の前の女の子を変質的異常者に変えてしまうなんて。

ゲーム機の向こうからでも空恐ろしかったのに、

本人の口から真実を聞くと、細かい震えが止まらなかった。

 

「これが、私の償うべき罪なんです……」

 

“自分でもわからないんです。私の唯一の取り柄だった、

“超高校級の保健委員”としての能力に、まだしがみついているのか、

心の底から傷ついている人を助けたいのか。そんな事を願う資格すら私にはない“

 

あの時の彼女の言葉を思い出す。

超高校級の保健委員として使命、自分の抱える罪、方向を誤った欲求。

罪木さんはこんなに重い荷物をたくさん背負ってたんだね……

 

みんなも黙り込んでしまった。

さっきまでの明るい空気は暗く淀み、皆の呼吸を辛くするものに変わった。

沈黙はなおも続く。だけど、そんな暗闇を打ち破ったのはやっぱり彼女だった。

 

「みんなー!唯吹の歌を聴くっすー!!

“ハチのムサシは死んだのさ2018 in ジャバウォックアイランド”!

エアギターバージョンでお送りするっす!」

 

嫌でも澪田さんに注目が集まる。そして彼女は激しく歌い出した。

 

♪おいらはハチさ 太陽めがけ

空を駆け抜け 急上昇 (Stand by READY!)

いつか アイツの ハートを射抜く

自慢の針が 貫くぜ (Armor Piercing!)

おいらが怒れば Everybody is DEEEAD!!!

 

“嵐を呼ぶ男”は歌ったことないんだけどな……思わず苦笑いが出る。

でも、沈み込んでいた空気が一気に軽くなった。

澪田さんのおかげで、みんなも過去に立ち向かう勇気を得られたみたい。

 

「ほら、変態男。気は済んだでしょ。アンタはさっさと一人で帰って!」

 

「わかってるよ。やっぱり今回はあんまり盛り上がらなかったな。

江ノ島さん、次こそ君を倒せる強者が現れるといいね」

 

僕は何も答えずに、エレベーターに向かう狛枝君の背中を見つめていた。

彼の姿が見えなくなると、澪田さんも気が済むまで歌ったようで、

オーディエンスに挨拶した。

 

「みんなありがとう!またこの島で歌えるなんて、正直思ってなかったっす!

唯吹に力を分けてくれた二人、聴いてくれたみんなに、マジ感謝っす!」

 

ウサミを押しのけ、玉座に立って語る彼女は、本当に活き活きとしていた。

 

「ここでの生活を楽しんでいいのかは、わからないんすけど、

今の唯吹はメチャハッピーっす!

えっ、アンコール?しょーがねーっすねえ!

それじゃあ、以前も大好評頂いたナンバー、“君にも届け!”」

 

「「うっ……行こう、行こう」」

 

澪田さんが頼まれてもいないアンコールに応えようとすると、

みんなエレベーターに殺到する。例のアレか……!僕も逃げなきゃ。

 

「あ、待つっす!今回は特別にユーロビートVerで……」

 

諦めた澪田さんが最後にエレベーターに乗り込むと、僕達は法廷から外に出た。

もう入院患者はいないから、罪木さんも一緒にホテルのある第1の島に戻る。

長い道路を歩いていると、彼女が僕の隣に寄って、話しかけてきた。

 

「江ノ島さん。本当に、ありがとうございました。

私、生きることに少し自信が持てたような気がします。

結局、私が皆さんを信じていなかっただけだったんですね。

だから、あんな馬鹿なことを……」

 

「ねえ罪木さん」

 

「はい」

 

「“ハチのムサシは死んだのさ”だけど、後年になってリメイクされたんだ。

ハチのムサシは生きていて、長い月日を耐え抜き、

折れた剣を振るって風に舞うって内容だよ。

僕は、みんなにも、そうあって欲しいと思うんだ」

 

「……私、必ず耐えて、いつかは…きっとその時が来るのを待ち続けますね」

 

「僕も、ここから飛び立てる日を信じて待つよ」

 

「江ノ島おねぇ!澪田おねぇに変な歌教えないでよね!」

 

いつの間にか隣にいた西園寺さんから文句が飛んできた。

 

「新しい音波兵器作られたら、たまったもんじゃないし!」

 

「やっぱりそんなに凄いんだね……」

 

澪田さんには内緒にしておこう。ハチのムサシにディスコアレンジも存在することは。

 

「あと……」

 

「なあに」

 

「顔は、大丈夫なの?」

 

「うん。もう痛みは引いたよ。叩いて悪かったよ。

やっぱり手を上げるのはよくないよね」

 

「それは……わたしのせいでもあるし?」

 

「……偉いね、西園寺さんは」

 

「うっさい、子供扱いすんなー!」

 

「ごめん、ごめん。でも、本物の僕はみんなより年上なんだよ?」

 

そんな他愛ない言葉を交わしながら、僕達は夕陽で朱に染まった道路を歩き続けた。

 

 




CHAPTER 2 CLEAR

ショクザイ ノ カケラ

ツミキ ミカン ×200
ミオダ イブキ ×150
サイオンジ ヒヨコ ×50 ヲ ゲットシマシタ


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第8章 (非)日常編 前編

ピロロロ……

 

朝6時。電子生徒手帳のアラームで目を覚ました僕は、

洗濯機用の水道で顔を洗って、さっと髪を濡らしてクシで梳いた。

それだけなんだけど、コンパクトの鏡でおっきなツインテールを整えるのには苦労した。

 

身支度を終えると、ベッドに座って、生徒手帳の通信簿を見る。

わぁ……なんだかいつの間にかたくさん贖罪のカケラが貯まってる。

でも、安心はできないな。

キーワードには僕が無実の罪を償うまで、何万個でも集めさせるって書いてたし。

 

いや、弱気になっちゃ駄目だ。花村君や罪木さん、唯吹さんからも一杯カケラを貰った。

これって僕を少しは信じてくれてるってことでいいんだよね。

気持ちを切り替えて僕は立ち上がった。

 

入院中にできてなかった仕事をするため、

出入り口というか、ジッパーの付いたシートを開けて外に出た。

みんなまだ寝てるか、着替えをしているらしく、敷地には誰もいなかった。

よーし、頑張るぞー。

 

 

 

 

 

俺は、レストランでひとり、リーダー専用の高機能電子生徒手帳で、

苗木誠とテレビ電話で通話していた。もちろん、用件は江ノ島盾子についてだ。

 

「……苗木、そっちの状況はどうだ。この希望更生プログラムの中間報告を頼む」

 

『良くなったとも言えるし、悪化したとも言える』

 

「どういうことだ?」

 

『まず、絶望の残党についてABCの3パターンに分類するよ?

Aは、江ノ島盾子の変わり果てた姿を見て、絶望に価値を見いだせなくなり、

正気に戻った成功例。

Bはまだ現実を受け入れられない者。つまり江ノ島盾子の変貌を認めることができず、

混乱に陥ってる。これに関しては、まだどちらに転ぶか分からない。

更に江ノ島への信仰を深めるか、Aパターンに戻ってくれるか。

そしてCは……絶望の象徴であった江ノ島盾子を失った絶望で、更に異常行動に走る者。

自殺、殺人、破壊行為が激しさを増している。

それは未来機関の実働部隊が鎮圧に当たってる』

 

「話が違うだろう!

江ノ島盾子に刑務所生活を送らせれば、絶望の残党が順調に数を減らしていく。

そういう説明だったはずだ!」

 

『こちらとしても残党の動きが想定外なんだ!

今、こちら側で出来るのは、Cパターンを排除して、

BパターンをAに変えるよう働きかけること。そのためには、まだ江ノ島盾子が必要だ』

 

「急いでくれ。

いくら相手が江ノ島だろうと、生身の人間を痛めつけるのは精神的な疲労が大きいんだ。

……みんな償いのためとは言え、心をえぐるような思いをしている」

 

『それについては日向クン達にも、もうひと頑張りして欲しいんだ。

この作戦についてあまり良くない兆候が現れてる。……これを見てくれないか』

 

電子生徒手帳にzipファイルが送られてきた。解凍して中のpdfファイルを開く。

 

 

江ノ島生活生中継について語るスレ part167

 

1 名前:超高校級の名無し

引き続き語りましょう。学級裁判実況、兵員募集、危険区域情報は該当スレで。

 

173 名前:超高校級の名無し

未来機関が絶賛放送中の江ノ島いじめってどうよ?

 

174 名前:超高校級の名無し

やりたいことは分かるんだけど、なんか陰険っていうか…

 

175 名前:超高校級の名無し

学級裁判2回戦、マジ燃えた。おまいら、どの江ノ島が好き?

泣き虫盾子ちゃんに俺の松茸食べさせたい。

 

176 名前:超高校級の名無し

>>175 空気嫁ks そのシメジしまえよ。

 

177 名前:超高校級の名無し

小さなレジスタンスのリーダーをやってる者だが、あのやり方は正直理解できんな。

 

178 名前:超高校級の名無し

別の方法があるなら迷わずそっちに飛びつく罠

つか、本当に別人ならヤバイってレベルじゃねーぞ

 

 

ファイルを閉じ、またテレビ電話の画面に移動した。

 

『読んでくれたかい?まだ生きている通信アンテナを使って、

絶望の残党やモノクマと戦ってる人達が、掲示板を作って情報交換をしているんだ。

見ての通り、味方であるはずの彼らも、ボク達の活動について疑問を抱いているんだ。

無理を言ってるのは承知しているけど、

彼女の贖罪のカケラ集めを早めるよう協力して欲しい』

 

「早めろだと!?これ以上何をどうしろって言うんだ!

劣悪な条件で生活させて、2回も学級裁判を押し付けて、今日からは労役も始まる!

これ以上江ノ島盾子を虐待すれば、未来機関に対する反感を買うだけだ!」

 

 

 

どうしよう。

狛枝君の食事を取りに、レストランを通って厨房に行かなきゃ行けないんだけど、

なんか日向君が電話の相手とケンカしてる。やだなあ、行きたくないな。

だからって、グズグズしてたらみんなの朝食時間になっちゃうし。

 

ちょっと様子を覗き込むと、木の床が軋んで、音を立ててしまった。

隠れる間もなく、日向君がこっちを見た。そして、強引に話を打ち切って電話を切る。

 

「……とにかく!俺達もやれることはやるが、

そっちも江ノ島盾子の再調査を急いでくれ!切るぞ」

 

「あ、日向君……」

 

「江ノ島か」

 

「ごめん、聞く気はなかったんだけど、狛枝君の食事を取りに行かなくちゃいけなくて」

 

「……そうだな。それがお前の仕事だったな。

入院中は今まで通り交代で運んでたから忘れていた」

 

「じゃあ、行くね?」

 

「ちょっと待て」

 

日向君が僕を手招きする。なんだろう、また怒られるのかな。

不安な気持ちで彼に歩み寄る。

 

「江ノ島、お前の生徒手帳を出せ」

 

「生徒手帳?うん、はい……」

 

言われた通りにすると、日向君が自分の生徒手帳を僕の物に近づけた。

 

“チャリーン!メダルを受け取りまちた!”

 

「メダル?100枚も、どうして……」

 

「2度の事件解決。

つまり学級裁判でクロを発見し、なおかつ円満に終わらせた事に対する、

未来機関からの褒賞金だ」

 

「ありがとう!今度こそマーケットで地味な服を」

 

「悪いがそれは駄目だ。お前にはあくまでお前でいてもらう」

 

「しょんぼり……じゃあ、僕は、じゃなかった。“私”はもう行くわね。

ごめん、初日に言われてたこと完全に忘れてた。わ」

 

「……江ノ島」

 

「なあに」

 

「辛いか?」

 

「そりゃ、辛くないって言ったら嘘になるけど、ぼ…私はここで戦うって決めたから。

ちゃんとみんなにわかってもらえる方法を探すよ」

 

「もし、見つからなかったら?」

 

「そんなことは考えない。私は絶対このジャバウォック刑務所から出てみせるわ。

……よし、ちょっと慣れてきた」

 

「そうか……引き止めて悪かった。もう行け」

 

「また後でね!」

 

一度日向君と別れた僕は小走りで厨房に向かい、ドアをノックした。

 

「花村君、おはよう!狛枝君の朝食を取りに来たよ!」

 

すると、“はーい”という返事と共に、中から食事のトレーを持った花村君が出てきた。

 

「おはよう、江ノ島さん!これが彼のご飯だよ。

どうぞ、お受け取りくださいませ!ははーっ!」

 

突然彼が片膝をついて、献上するようにトレーを渡そうとしてきた。

意味不明な行動に一瞬戸惑ったけど……そうは行かないよ。1歩後ろに下がった。

 

「スカート覗こうったって駄目よ。

小泉さんか辺古山さんに同じこと出来たら見せてあげる。

終里さんはあんまり気にしなさそうだし」

 

「チッチッチッ。辺古山さんの中身はもう把握済みだよ!

小泉さんは……ちょっとハードル高いかな。

いや、ビンタされるのは別にいいっていうか、ぼくの業界じゃご褒美で、

何が言いたいかっていうと問題なのは技術的難易度。

あのスカートは例えるなら鉄のカーテン……」

 

「あ、もういいっす。食事もらってくね。とりあえず飲食業の人全てに謝っといて。

じゃあ!」

 

「ああっ、江ノ島さ~ん!」

 

 

 

 

 

全く油断も隙もないんだから。僕は食事を別館の狛枝君に運ぶ。

やっぱり中は暗いな。廊下くらいは電気点けてもいいと思うんだけど。

ここにはトイレがあるけど、お風呂がないから、

僕と同じくホテルのものを、決められた時間帯に使ってるらしい。

大ホールのドアを開けて、彼を探す。

大きなテーブルがたくさんあるし、やっぱりここも暗いから探しにくい。

 

う~ん、どこだろう。と思ったら、突然暗がりから伸びた手が僕の腕を掴んだ。

思わず悲鳴を上げてトレーをひっくり返すところだった。

 

「うわあっ!何するんだよ!

……おっと。いけない、いけない。何するのよ、どういうつもり?」

 

「その喋り方も、みんなにやれって言われたのかな?江ノ島さん」

 

暗闇の中、色白の彼の笑顔が不気味に浮かぶ。

 

「そうよ。そりゃ、僕…私だって違和感があるけど、

それで絶望の残党が減ってるのも事実なの。

だったら少しオカマを演じるくらい気にしないわ。あ、だいぶ自然な感じになってきた」

 

「わからないな。どうしてそこまでして、この世界のために君が尽くす必要があるの?

君がその気になれば、君を虐げている奴らを、

もう一度絶望の底に叩き落とすことだってできるんだよ?」

 

「……意味がわからないわ。そろそろ手を離して。私は尽くしてるつもりなんかないわ。

元の世界に戻るために、必要なことをしてるだけ」

 

「ああ、ごめんごめん。

江ノ島盾子に食事の世話をしてもらえるなんて、やっぱり僕は幸運だよ。

それで、もう一度聞くけど、君は本当に自分の力に気づいてないのかな」

 

僕、じゃなくて江ノ島盾子の能力。何を言ってるんだろう。やっぱり彼は分からない。

これ以上話しているとおかしくなりそうだ。

足元に食事を置いて、さっさとその場を立ち去ることにした。

 

「江ノ島盾子の力なんて知らないよ。いつまでも狛枝君と雑談してもいられないんだ。

トレーは夜にまとめて取りに来ることになってるから。それじゃあ」

 

彼に背を向けた時、また腕を引っ張られて抱き寄せられた。

逃げようともがくけど、長身の彼の力に、女の子の筋力では抗えない。

 

「忘れちゃったなら、思い出させてあげるよ。君は既にたくさんの力を手にしている。

なら、ボクを叩きのめして逃げ出すことくらい簡単さ!」

 

「やめて!何するんだよ!」

 

狛枝君が僕を押し倒して胸をまさぐり、太ももを撫で回す。

ぞわわわ、と背筋に悪寒が走る。

 

「今から君に乱暴しようと思う。

早く思い出さないと……取り返しのつかないことになるよ?」

 

「やめてよー!誰か助けて!」

 

「ここで叫んでもホテルに声は届かないし、

聞こえたとしてもみんなが来る前に全てが終わってるよ。

江ノ島さんが覚醒しない限り、ね……」

 

今度は僕の首筋に唇を這わせる。

とうとうスカートの中に手を入れようとした時、狛枝君の言葉を無意識に反芻していた。

 

“みんなが来る前に”

 

みんな、みんな、みんな!!

 

ジャバウォック刑務所のみんなの顔がフラッシュバックする。

 

……次の瞬間、僕は狛枝君の服を掴んで、自分と彼の重心を上手く移動させて、

最小限の力で後方に投げ飛ばしていた。

 

「うわ!」

 

さすがの彼も視界が一回転して、床に叩きつけられ、動きが止まった。

その隙に、素早く立ち上がり、みぞおちを踏みつける。

 

「ぐうっ!!」

 

そして、トレーの食事を蹴飛ばし、彼の顔を踏みにじった。

僕の意思とは無関係に、“超高校級の体操部”の能力が発現し、窮地を脱した。

でも、暴走した僕の身体は動きを止めない。

狛枝君をブーツで踏みながら、また“彼女”が!

 

「ミジンコごときが、私様(わたくしさま)を欲しがるなんて、身の程知らず知らずもいいとこね。

罰として朝食は抜きよ。どうしても食べたければ、

床に落ちたものを犬のように四つん這いになって貪ることね。オホホホ!」

 

やめて、君は今出てきちゃいけないんだ!

 

「は、ははっ……そう、それでこそ超高校級の絶望……

みんなが乗り越えるべき試練なんだ。ボク、本当に幸せだよ。

君という存在を、間近で見ることができる世界に来ることができたんだから……」

 

「私様から直に誅伐を受けることが幸せだなんて、

分かりきったことを言うものではないわ!

お前には“野良犬”の称号を与える。今後は私様のために粉骨砕身尽くしなさい。

……あら、肝心な私様の朝食の時間だわ。次に来るまでに床を綺麗にしておきなさい」

 

「ふふっ、わかったよ、女王様……」

 

足が勝手に玄関に向かって進む。このままホテルに行くのはマズい!と思ったけど、

別館から出ると同時に、江ノ島盾子の人格は僕の中に戻った。

ハプニングのせいで、朝食まで時間がない。走りながら考える。

……さっき、狛枝君にされたこと、日向君に言うべきかなぁ。

監視カメラには映ってないはず。“協力者”の狛枝君と一緒だったから。

 

でも、なんか口にするのが恥ずかしいし、変な現象についても説明しなきゃならない。

迷った末、やめておくことに決めた。

またピンチになったら、江ノ島盾子の誰かが助けてくれる、はず。

 

ホテルに入って階段を上がり、レストランに駆け込んだ。時計を見ると、ギリ5分前。

だけど、ほぼ全員もう席についてるから、

僕は急いで空いている椅子に座ろうとしたけど……

やっぱりみんなが僕に向けてる視線で座りづらい。

初日のような怒りや憎しみじゃなくて、困惑。

 

こいつが江ノ島盾子であることは(恐らく)間違いないが、

どうしてすっかり気弱で大人しくなってしまったのか。

その癖、学級裁判が始まると複数の人格を使い分け、率先して解決に導いていく。

そんな謎の存在に、皆どう接していいかわからない。そんな様子だった。

 

だからと言って、僕にもどうすることもできないから、仕方なく座る。

……その前に、隣の九頭竜君に声を掛けた。

 

「ここ、失礼するね?」

 

「……食事ン時の席は、囚人ごとに決まってる。そこは、テメーの席だ」

 

「う、うん。ありがとう」

 

怒鳴られないか心配だったけど、彼は表情を変えずに前を向いたまま教えてくれた。

椅子に座ると、既にテーブルに朝食が置かれていた。

トレーには、コーンスープ、焼き立てフランスパン、牛乳瓶1本、ベーコンエッグ。

みんな花村君のお手製だ。美味しそう!

 

「やあ、みんなお待たせ!フライパンに卵が焦げ付いちゃってさ。

あれはもう駄目だね、買い換えなきゃ。日向くん、これって予算で落ちるよね?」

 

「ああ、皆にとって必要なものだからな」

 

「よかった。じゃあ、ぼくもいつもの席で……」

 

「おい、花村」

 

その時、九頭竜君が口を開いた。

やっぱりテーブルに目を落としたまま表情を変えることなく。

 

「江ノ島の食事がずいぶん豪華になったじゃねえか。……情にほだされたか?」

 

ただでさえ微妙な空気が更にざわつく。あわわ、なんか僕のせいで良くないことが……

小泉さんが声を上げる。

 

「九頭竜、アンタねえ!アタシだって盾子ちゃんを信じ切ってるわけじゃないけど、

別人の可能性が高くなった以上……」

 

「待って、小泉さん。

九頭竜くん、みんなの食事はぼくが決める。それが炊事係の権限だし、

彼女のメニューが変わったのは、

一人だけ違う食事を用意するのがかえって手間だからだよ。

決して夕張メロンを持つ人に悪人はいないっていう、ぼくの哲学に基づくものじゃない」

 

「花村も!本当に男子共はどうしようもないわね!」

 

「……フン、冗談だ。真に受けんな。弐大、始めてくれ」

 

「う、うむ。では全員、手を合わせるのじゃあ!」

 

そして弐大君の号令に合わせて全員手を合わせる。

 

「「いただきます!」」

 

さすが、超高校級の料理人の作った朝食は美味しかった。

できたてで温かいこともあるし、塩加減や焼き加減が絶妙で、

一口ごとに舌が幸せになる。

 

フランスパンは固すぎず柔らかすぎず、

コーンスープもまろやかなコーンとクリームの甘みがたまらない。

ベーコンエッグも、ベーコンが程よくカリカリで、

卵も半熟と固焼きの中間程度の焼き具合。

口の中でベーコンと塩味と卵の優しい味が混ざり合って、噛む度に適度に舌を刺激して、

今日一日を過ごすための活力を与えてくれる。

 

一流シェフの作った料理をあっという間に食べてしまい、

みんなが食べ終わるのを待っていたけど、

他の人も美味しい朝食に無言でがっついてたから、それほど待たずに食事は終わった。

 

そして、厨房にトレーを持って行く。

みんな列に並んで、手早く食器を洗い続ける花村君に挨拶して、

洗い場に皿やトレーを置く。

 

「ごちそうさまでした」

 

「おぞまつざみゃーだよ!」

 

忙しいと方言が出るみたいだね。次は僕の番だ。

 

「ごちそうさまでした。とっても美味しかったわ」

 

「え、どうしたの!その女性的な喋り方っ!

まさか“あなたの女になりたいの”ってメッセージじゃ」

 

「ないの。忘れてるんだろうけど、初日の会議で決まったことじゃない。

お皿はここに置けばいいのよね。またお昼」

 

“コテージの鍵はいつでも開けておくからねー!”

 

苦笑いしながら厨房から出た僕。

彼は本当に揺らがないというか、スタイルを崩さないというか。悪い意味で。

さて、朝食も済んだし、これからどうしよう。あ、そうだ。今日から労役が始まるんだ。

 

何をすればいいのかな。日向君に聞いてみよう。レストランには……いない。

ホテルの中を探してみよう。

階段を下りようとすると、僕の前に3人の女の子が立ちはだかった。

 

小泉さん、西園寺さん、ソニアさん。

みんな腕を組みながら微妙に不機嫌な目で僕を見てる。

何っ?僕、怒られるようなことしてないよね?

 

「ご、ごめん、ちょっと通してもらえない、かな?」

 

「それはできないよ、盾子ちゃん!」

 

「江ノ島さん、今からわたくし達と来てもらいます」

 

「どうして?僕、じゃなかった、私はこれから日向君と話が……」

 

「問答無用!やっちゃえー!」

 

西園寺さんが扇子で僕を指すと、

後の二人が両脇から僕の腕を掴んで、どこかへ連行する。

なんで!?何か変なことしちゃった、僕?

 

「ね、ねえ!どこに行くの!私、今日から働くことに……」

 

「いーから黙ってついてくる!」

 

「言葉遣いが少し女性らしくなりましたが、まだまだ自覚が足りません」

 

「どういうこと!?お願い、離して!謝るからー!」

 

僕の叫びも虚しく、小泉さんとソニアさんに引きずられて、

何処とも知れないところへ連れ去られていった。

 

 

 

 

 

はい、その結果が今の状況です。場所はソニアさんのコテージ。

なんというか、とっても豪華。ごめん、僕の貧弱な語彙だとそれが全てなんだ。

王女様に相応しい天蓋付きベッド、大型液晶テレビ、シャンデリア、等々。

これだけ扱いに違いが出てもクレームが出ないのは、

やっぱり彼女がこの部屋に相応しい、超高校級の王女だからなんだろうなぁ。

 

呑気に解説してる場合じゃないね。僕は今、ドレッサーの前に座らされてます。

3人に後ろを固められて、逃げられそうにありません。

鏡に映った小泉さんが、呆れた表情で僕を見てます。

 

「本当、朝食の時から気になってたけど、そんなボサボサ頭でよく外に出られたわね。

無精なオタクじゃあるまいし、髪くらいはきちんとして!」

 

「そうは言うけど、私が江ノ島盾子の格好じゃないと、みんなが色々困るらしくて、

この髪型は変えられないの……」

 

「そうではありません。

江ノ島さん、今朝起きてからきちんと髪のセットはなさいましたか?」

 

「うん。ちょっと濡らして、クシでささっと寝癖を直したよ」

 

だめだこりゃ、と言った感じで3人が天を仰ぐ。え、なんか変?

 

「あのね。それじゃセットしたことにはならないの!

ソニアちゃん、ちょっとヘアスプレーとかドライヤー借りるね?」

 

「はい!わたくしもスタイリング剤を用意してますから、いつでもバッチこいです!」

 

「わたしは江ノ島おねぇが逃げないようにドア見張ってるね~」

 

「え、なになに!?お願い、怖いことはやめて!」

 

「はい、じっとする」

 

「江ノ島さん。これも“レッスン”のひとつです。

暴れたり逃げ出したりしたら……どうなるかはわかっていますね?」

 

ニッコリ笑って腰に差していたムチを取り出す。

 

「わかりました、じっとしてます、だからムチはやめて!」

 

「よろしい。では、始めましょうか」

 

「やっと大人しくなったわね。

いい?ちゃんとやり方を覚えて、明日からは自分でなんとかするのよ?」

 

「はい……」

 

それから僕は、ドライヤーで髪を乾かしたり、

なんかのスプレーを吹き付けられたり、なんかのクリームを髪全体に塗られたりした。

正直、何のために何をされているのか、ちっともわからない。

2人に髪をいじられること約15分。

 

「ふぅ……こんなとこかしらね。大きなツインテールが手こずらせてくれたけど」

 

「まあ!これで言葉も髪も美しくなって、イケてるチャンネエになりましたね!」

 

「へぇ~江ノ島おねぇの髪ふわふわ。触っていい?」

 

「うん」

 

「わーい!すっごく柔らかい!」

 

「これが、私なんだ……」

 

「2人とも楽しそうね。写真撮ってあげようか」

 

西園寺さんが僕のツインテールを綿菓子のように両手で包み込むように触れる。

その感触が頭に伝わってくるし、見た目もさっきとは全然違う。

全体的に膨らみを得てボリュームを増し、艶を帯びてる。

綺麗だなぁ、と思わず自分に見惚れるほど。

鏡の中の江ノ島盾子がボーッと自分の姿を見つめてる。

あ、でも喜んでる場合じゃないな。今日から仕事だったんだ。

 

「みんな、ありがとうね。明日からは髪もちゃんとするわ。

コンテナの化粧品に髪をセットする道具がないか探しとく。

でも、今日から労務が始まるからもう行かなきゃ」

 

「心配ゴム用です。日向さんからお仕事は預かっています。

ここの4人で花飾りを作ること、それが今日の作業です」

 

ソニアさんが、部屋の隅からダンボールを引っ張り出してきて、

中から各部品の入ったビニール袋を床に置く。

 

「わたくしが作り方を説明しますので、同じように作ってください」

 

「そうだったんですね。最初に言ってくれればよかったのに。ソニアさんも人が悪いわ」

 

「ちょっとその前に。……盾子ちゃん、今気になること言ったわね。

“コンテナの化粧品”って何?」

 

「うん。私のテントに置いてあった箱なんだけど、着替えと化粧品が色々入ってたの。

使い方がわからないから完全放置なんだけど」

 

「それも後で調べる必要があるわね……とにかく、今は内職を片付けちゃいましょう」

 

それから2時間。僕達は他の人達が集めた素材で花飾りを作り続けた。

最後の1個を作り終えたら、みんな単調な作業から解放されて、

目頭を押さえたり伸びをして身体をほぐした。

 

「皆さん、お疲れ様です。納品分の商品が全てできあがりました」

 

「終わったー。内職系は体力的には楽だけど、時間の流れが遅く感じるのよね」

 

「わたし、この作業嫌い!

まだ山で木を変態野郎だと思って切り倒すほうが爽快感あるよ!」

 

変態野郎。今朝狛枝君にされたことを思い出す。

 

「……そうだね。本物を切り倒すともっと爽快よ、きっと」

 

「え、何……?江ノ島おねぇが言うと笑えないんだけど」

 

「ごめん、悪い冗談だったわね。とにかく、今日はみんなありがとう。

髪のこととか、仕事を教えてくれて。[私はこれで失礼するわ]」

 

「ちょっと待ちなさい!」

 

 

[私はこれで失礼するわ]論破! ○コンテナの化粧品:命中 BREAK!!!

 

 

「えっ、どうしたの?」

 

「さっき言ってたわよね。コンテナに化粧品があるって。それ全部見せなさい」

 

「多分大したものは入ってないと思うわよ?江ノ島盾子を維持するためのものだから」

 

「だったら尚更、放置状態じゃ意味ないでしょうが」

 

「よっしゃー!今から江ノ島おねぇの家に突撃よー!」

 

「そうですね。考えれば、江ノ島さんのことについて、わたくし達は何も知りません。

江ノ島さん。よろしければ、あなたの家に招待してはもらませんか?」

 

「それは構いませんけど、エアコンもない殺風景なところですよ?」

 

「ごちゃごちゃ言わない。この際、お化粧の仕方も教えてあげるから」

 

 

 

ソニアさんのコテージを出て、

ウッドデッキの先端に位置する僕のテントに辿り着いた3人。

中に入って小泉さんがまず言ったこと。

 

「あり得ないよ……!」

 

「なんにもないけど、座ってください。なぜかパイプ椅子だけは5つもあるんです」

 

みんな、かろうじてドアの役割を果たしているシートのそばで愕然としている。

 

「……本当に、なんにもないんだね。あ、ごめん。本当になんにもなかったから、つい」

 

「女の子が一人で過ごす仮住まいとは思えませんわ……」

 

「何これ!?

アフリカで焼け石に水程度のボランティアしてる連中が使ってるテントみたい!」

 

「あはは……到着するなり随分な言われようだけど、とにかくここが私の家なの。

ちゃんと冷蔵庫と洗濯機、あと小泉さんが気になってたコンテナは奥よ」

 

「見せて、もらうわね。……冷蔵庫には、何もなし。

コンテナは後で見るとして、トイレとお風呂、あと洗面台は?」

 

「トイレとシャワーはホテルのものを使ってる。

洗面台もないけど、喉が乾いた時なんかは、洗濯機につないでるホースを外して、

蛇口から直接……」

 

慣れた手付きでツインテールを頭の後ろに回し、水道の口から水を飲んでみせた。

さすがに水は命に関わるから、完備されてたんだよね。

 

「お願い、もうやめて。涙が出てきそう」

 

「世界にこれほどまでに恵まれない方がいらしたなんて、マジ卍!?」

 

「アフリカでワクチン配ってる連中は、まず江ノ島おねぇを助けるべきなんだよ!!」

 

「……ありがとう。でも、みんなの優しさで逆に傷ついてるから、

とりあえずコンテナを見てくれないかな」

 

僕は緑色のコンテナを開けて、中身を全部見せた。

さっきも言ったけど、使い方がわからないから放ったらかしだった。

彼女達ならどうすればいいのかわかるかもしれない。

さっそく3人がゴソゴソと中身をあさり始めた。すると、皆が異変に気づく。

王冠、メガネ、カビの生えたキノコ。

……僕の中の江ノ島盾子が装備(?)しているものだ。

 

「ねえ、これって……」

 

「そうなの。私の中の江ノ島盾子が使ってる道具。

取り出した覚えがないのに、どうして学級裁判でホイホイ出てくるのかは、

私にもわからないの」

 

「アハハ!江ノ島おねぇ、このキノコ食べてみてよ!案外おいしいかもよ?

毒キノコでもわたしは知らないけどっ!」

 

「う~ん、今はこれについて考えても答えは出そうにありませんわね。

まずは江ノ島さんの化粧用品を見せてもらいましょう」

 

「これなんだけど、着替えの服以外はどうしていいのかさっぱりで「あー何これ!」」

 

いきなり小泉さんが何かに驚いた様子で大声を出したから、こっちまで驚いたよ。

 

「わっ、どうしたの?」

 

「ヘアスプレーやドライヤー、ブラシもちゃんと揃ってる。それだけじゃない!

ショネルブランドの口紅やファンデーション!グッチェの香水まである!

これを意味不明だから放ったらかしなんて……許せなーい!」

 

「あらあら、わたくしの王室御用達の品もたくさんありますね」

 

「あ、なんかごめん……いるならいくつか持っていって」

 

「駄目!」

 

小泉さんがギン!と恨めしさの混じった鋭い視線を僕に突き刺す。思わず動けなくなる。

 

「はーい、小泉おねぇ、セッティング完了!」

 

いつの間にか後ろに回っていた西園寺さんが、パイプ椅子を広げる。

慌てる間もなくソニアさんが僕の肩を掴んで強引に座らせるという連携プレー。

そして、化粧品の数々を手にした小泉さんが僕ににじり寄る。

 

「今度はお顔のセットが必要みたいだね……別人みたいにして写真に収めてあげる!!」

 

「いやいやどうかそうお気遣いなく」

 

「とりゃー!」

 

小泉さんが化粧道具二刀流で飛びかかってきた。

僕は為す術もなく、彼女に身を任せるしかなかった。

うう、唇に何か塗られてる感触がなんかこそばゆい。顔や目にも何か塗られてる。

今の自分がどんな状況なのか見当もつかないよ。

 

「……よし、終わり。いいよ!」

 

ずっと目を閉じてたから何分だったのかわからないけど、目を開けて、

コンパクトの鏡で恐る恐る自分の顔を見た。驚きで声が出ない。

何もしなくても江ノ島盾子は顔が整ってたから、そのままでいいや、と思ってたけど……

化粧ひとつでこんなに変わるんだね。

 

「わぁ……」

 

「どう、驚いた?」

 

「うん。すごいよ、これ!」

 

マスカラで瞳の青が更に際立ち、肌の色もファンデーションで明るくなった。

控えめな赤の口紅で口元が全体と調和して、

小泉さんの言った通り、別人になったみたい。やば、男だけど何かに目覚めそう。

 

「こっち向いて~」

 

「え、なに?」

 

パシャッ

 

いつの間にかカメラを構えていた小泉さんが、変身した僕の写真を1枚。

 

「現像できたらあげるから、ちょっと待ってて」

 

「ありがとう。本当にありがとうね……みんな」

 

「お気になさらず。わたくし達も、ただ貴女が知りたかっただけですから」

 

「まー、これで髪のセットも化粧もできない娘が江ノ島盾子な訳ないって、

みんなに報告できるよ。

むしろこのテントの劣悪極まりない環境をなんとかしろって、

日向に言う方が先だってことがわかった」

 

「ウシシ、水道から直接水飲んでる江ノ島おねぇ、ホームレスみたいだったよ」

 

「日寄子ちゃん!」

 

「アハハ、いいの。でもね、最近はホームレスの方がずっといい生活してるわよ。

大学時代に見たドキュメンタリーに登場したホームレスなんて、優雅なものだったわ。

頑丈な大型テントに、毛布、携帯テレビ、ラジカセ、缶詰、ワンカップ、

とにかく色々持ち込んでごろ寝生活を満喫してた」

 

「じゃあ、おねぇもマーケットでワンカップ買ってくればいいじゃん。

あ、お金がない江ノ島おねぇはなんにも買えないんでした~残念!」

 

「いや、ウサミメダル自体はあるの。

十神君が恵んでくれた10枚と、今朝日向君から支給された学級裁判の成功報酬100枚。

まぁ、6枚は買い物に使ったから、今は104枚ね」

 

「げ。世話してやった哀れなホームレスが実は腐れ金持ちでした、ケッ」

 

「もう、日寄子ちゃんたら。

それなら当面の間、足りなくなって困るものはない、ってことでいいよね。

明日からはちゃんと顔も髪も整えること。女の子の身だしなみだからね?」

 

「わかった。頑張るよ」

 

「では、わたくし達はこれで。

明日の労役からは一人になりますが、指示通りにこなしていけば大丈夫です」

 

「うん。今日は本当にありがとう!」

 

「それじゃ、アタシ達はもう行くけど……

そうだ、お金に余裕があるなら、海岸のモノモノヤシーンで運試ししてみたら?

ガラクタか役に立つもののどっちかが出てくるよ」

 

「アレやっぱりあるんだ。私、クジ運悪いからあんまりやったことないの……」

 

「無理にとは言わないけどね。ガラクタは本当にどうしようもないガラクタだから。

じゃあね」

 

「わたくしもこれで。無駄遣いなどなさらぬように」

 

「江ノ島おねぇ~日寄子おこづかいほしーな「日寄子ちゃん!」は~い、またねー」

 

「みんな、バイバイ……」

 

僕は手を振ってみんなを見送った。1日目とは全然状況が違う。

まるでみんな友達みたいに接してくれて、本当に嬉しい。

絶望の残党がいなくなって、みんなが現実世界に戻れるなら、

お化粧くらい頑張って覚えよう。……ちょっと楽しいし。

 

 

 

 

 

というわけで、やってきましたモノモノヤシーン。

ヤシの木に猿が捕まってて、設置されたモノクマの口に、

ウサミメダルをスキャンするシステムになってる。すごく怪しい。

ガチャガチャ(僕の田舎ではそう呼んでた)に、

当たりなんて入ってないことは学習済みなんだけど、

目の当たりにすると回さざるを得ないのが悲しいサガ。

 

ウサミメダルアプリを立ち上げて、受け渡し金額を1枚に設定。

とりあえず10回だけチャレンジすることにした。重複率とかはこの際無視で。

ドキドキしながらモノクマに電子生徒手帳を近づける。

 

結果。

 

本当にガラクタばっかりじゃないか!どうにか役に立ちそうなものは……

ブルーラムっていうジュース、明太フランスパン、そんだけ!

残りの錚々たるメンバー見てよこれ!

 

シークレットブーツ?ブーツは間に合ってる!

超技林第二版?えらく懐かしいもんが出てきたよ!

多面ダイスセット?すごろくの気分じゃない。ギャグボール?いらない!

動くこけし?ノーコメント!

 

アンティークドール。女性なら喜んだんだろうけど、僕は…あれ?ちょっと欲しいかも。

一応コンテナにしまっておこう。

壊れたミサイル?なんか凄いもん出てきた。壊れててよかったよ。

冗談みたいに軽いから、多分偽物なんだと思う。

葉隠流水晶?当たりを出せとは言わない。ゴミは入れないで!

 

残念な結果に終わったモノモノヤシーンを後にして、僕は砂浜を去った。

ガラクタを背負ってホテルへの帰り道にを歩いていると……左右田君だ。

午前の力仕事を終えたようで汗だく。向こうも僕に気がつくと、露骨に目を逸した。

 

このまま歩くとちょうど門の前で鉢合わせになるんだけど、それは何だか気まずいな。

……そうだ、プレゼント!ダンガンロンパでお馴染みのシステムだよ。

お喋りした相手にプレゼントを渡せるってこと思い出した!

 

モノモノヤシーンのまともな賞品に、キンキンに冷えたブルーラムがあったっけ。

僕はガシャガシャと背中の荷物を鳴らしながら、左右田君に駆け寄る。

彼の前に立つと、睨むような視線で僕を見つめてきた。

その鋭さに思わず後ずさりしそうになったけど、お腹に力を入れて、

思い切って話しかけた。

 

「おかえりなひゃい、左右田君!疲れたでしょう、これ飲んで元気出して!」

 

「……要らねーよ」

 

あ、あれ?PSPで何度かプレゼントにチャレンジした時、

割と気に入ってもらえたはずなのに。そうか……今の僕は。

缶のプルタブを開けると、一口飲んで、また差し出した。

 

「毒なんて入ってないわ。お願い、受け取って」

 

「オカマ言葉にプレゼント?何してーのか全然わかんねー。どけよ、疲れてんだ」

 

「あ、待って……!」

 

僕を無視して、コテージに帰ろうとする左右田君を追いかけようとした拍子に、

背負ったガラクタの山を落としてしまった。

物音に思わず振り返った彼が、あるものを見て目を見開く。壊れたミサイル。

明らかにブルーラムと反応が違う。

それでも左右田君は舌打ちして立ち去ろうとするけど、

僕はミサイルを持って追いかけた。

 

「左右田君!これが必要なら受け取ってよ!

多分偽物だけど、超高校級のメカニックの君なら……」

 

「本物だ」

 

「えっ?」

 

「ミサイルに限ったことじゃねえ。

兵器や電子機器、例えばケータイなんかは世代を重ねるほど高威力、軽量化されんだろ。

どこの国が作ったかしらねーが、そいつはとんでもなく強力で軽くて、

少量の燃料でスゲー遠くまで飛ぶ代物だ。……直ればの話だけどよ」

 

「直してよ!これで絶望の残党を殺してなんて言わない。

でも、どこかの街で大量のモノクマが暴れてるって苗木君に聞いたんだ!

左右田君の発明でそいつらをやっつけて、お願い!」

 

「甘っちょろいこと言うな。モノクマみてーなロボットだけじゃねえ。

オレは絶望を皆殺しにする。

それはつまり、こいつがお前の頭に降ってくるってことだ。それでもいいんだな?」

 

「それまでに、私が別人だってこと証明してみせるわ。だから、これをあなたに託す」

 

「……後悔しても知らねえぞ」

 

左右田君は、豆のできた大きな手で、壊れたミサイルに力強く手を掛けた。

 

「仮想空間の世界で手に入れたもんは、当然現実には持ち帰れねえが……

内部構造を記憶して、現実世界で再現することは可能だ。

これならクソ野郎共を基地ごと粉々にできるだろーよ」

 

彼はさっそくミサイルの分析を始める。

破れた外殻から内部を覗き、誘導システムや尾翼の形状を観察する。

急に手持ち無沙汰になった僕は、

結局受け取ってもらえなかったブルーラムをちびちび飲みながら、

ホテル敷地の塀に、もたれていた。

すると、ミサイルの分析を続けていた左右田君が話しかけてきた。

 

「オメーってさあ、マジで意味わかんねえよな」

 

「ど、どういうこと?」

 

「どう見ても江ノ島盾子してるくせに、何されてもやり返して来ねーで泣くばっかだろ。

その癖、学級裁判では俺達の知ってる江ノ島盾子に大変身だ。

……お、弾頭をEMP爆弾にすれば、建物壊さずにモノクマ共ぶっ壊せるかもしれねえ。

電気系統はボロボロになるけど、更地になるよりマシだろ」

 

「僕…私は、江ノ島盾子のクローンに精神を移植された、ただの引きこもりだよ。

学級裁判の江ノ島盾子は、風船爆弾の事件の時に覚醒した人格なんだ」

 

「それ抜きにしてもよー。お前の行動脈絡なさすぎだっつの。

今日に限ってサラサラヘアーで化粧までしてやがる。

また別館でパーティーでもやんのか?」

 

「これは、小泉さん達がやってくれたの。女の子の身だしなみだって。中身は男だけど。

私に女性らしく喋らせることは、1日目の会議で決まったじゃない」

 

「あー、そんなことあったな。完全に忘れてた。

でもよう、なんで無敵のお前が律儀にそんなもん守ってんだ?」

 

「私が江ノ島盾子でいることで、残党は確実に数を減らしてる。

そのためなら、しばらくの間女になるくらい平気だよ。……いや、ちょっと大変だけど。

それに、私は無敵なんかじゃ」

 

その瞬間、今朝の出来事を思い出した。狛枝君に襲われた時、

知らないうちに分析・習得していた“超高校級の体操部”の能力が発動して、

彼を叩きのめした。僕は、この身体は、どうなってるんだ?

 

「急に黙んな。調子狂うだろ」

 

「ごめん、なんでもない……」

 

「まーいいけどよ。コイツに関しては礼を言っとく。

仮に、お前の言ってることが本当なら、復元したミサイルにふっ飛ばされないうちに、

証明する手段を探すこった。……にしても、暑ちーな。一口くれ」

 

左右田君が手を差し出した。

胸に喜びが湧いて、彼の手に飲みかけのブルーラムを握らせた。

 

「はい!全部飲んでいいよ」

 

「一口つったろ。んぐ……かぁっ!ほらよ」

 

「うん、ありがとう!」

 

「なんでオメーが礼を言うんだよ。本当わかんねーな。……まぁ、サンキュ」

 

「私を示す方法、必ず見つけてみせるわ」

 

「それはそうと……」

 

「なあに?」

 

「電化製品の調子は」

 

「えっ?ああ、洗濯機や冷蔵庫ね。何も異常はないわ。冷蔵庫は入れるものがないけど」

 

「そーかよ。オメーよくあんな吹きっさらし同然のとこに住んでるよな。

前にも言ったが、なんか壊れたらオレに言え。あばよ」

 

「左右田君……ありがとう」

 

また少し、ほんの少しだけど、左右田君に歩み寄れた気がする。

なぜだかわからないけど、僕は彼と分かり合う必要がある気がするんだ。

それは他の人も同じだけど、あの日彼が流した涙が忘れられないからかもしれない。

僕は、ガラクタを拾い集めて、コンテナにしまうため、一旦テントに戻った。

行きたくないけど、狛枝君の昼食を届けなきゃ。

 

 




ショクザイ ノ カケラ

コイズミ マヒル ×20
ソニア      ×20
サイオンジ ヒヨコ×20
ソウダ カズイチ ×40 ヲ ゲットシマシタ



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第9章 (非)日常編 後編

「うりうり、よ~し、今日から君の名前はマリーだよ。ふふっ」

 

左右田君と別れて、テントのコンテナや冷蔵庫に荷物を下ろした僕は、

水色のドレスを着せられたアンティークドールをベッドの枕元に飾って、

少しの間遊んでいた。寝そべりながら、人差し指でマリーの頬を撫でる。

やっぱり女の子の身体に心を引っ張られてるのかな。

好みや言動も変わってきてる気がする。

 

この陶器製のかわいい人形も、

ゲームの世界に来るまではきっと見向きもしなかったのに。

それが良いことか悪いことは、今は考えないようにしよう。

僕の現状が変えられるわけじゃないんだから。……もう行かなきゃね。

 

「行ってくるね、マリー」

 

小さな人形に少し手を振る。

殺風景にも程があるテントに家族ができたみたいで、ちょっと嬉しくなった。

左右田君とも話せたし、人形だけど帰りを待ってくれる娘もできた。

ホテルに向かってウッドデッキを若干明るい気持ちで進む。

すると、コテージの前でソニアさんが何かを待っているかのように、

少し暗い表情で立っていた。

 

どうしたんだろう。話しかけようと近づくと、僕に気づいたソニアさんが、

一転して明るい表情になって、彼女の方から声をかけてきた。

 

「ごきげんよう、江ノ島さん!」

 

「こんにちは、ソニアさん。もうすぐお昼ご飯よね。

花村君のご飯はいつも楽しみなの!」

 

「そうですね。誰彼構わず手を出そうとする癖はともかく、

彼の料理の腕は祖国のシェフも顔負けですから。……ところで江ノ島さん。

さっき左右田さんと楽しそうにお喋りされていましたね。

ホテル入口の方から声がしたもので」

 

「そうなの。私の気のせいかもしれないけど、

ちょっとだけ彼と距離が縮まった気がする。プレゼントも受け取ってくれたし。

8割ガラクタだったけど、モノモノヤシーンに挑戦した甲斐があったわ」

 

「プレゼント……?」

 

なんだろう、南国なのに一瞬冷たい空気が通り抜けたような?まあいいや。

 

「うん。景品の中にオモチャだと思ってたミサイルがあったんだけど、

実はそれが本物だったの。

左右田君ならそれを修理して、モノクマと戦う強力な武器にできるんだって。

彼って凄いわよね。ミサイルまで修理できるなんて」

 

「そう……本当に、凄い人ですね」

 

あれ?ソニアさんの笑顔が一瞬固くなった気がするけど、思い過ごしかな。

 

「じゃあ、私はもう行くね。嫌だけど、狛枝の食事を運ばなきゃ。またレストランでね」

 

「お待ちなさい!」

 

「はい王女様何でしょう!」

 

威厳あふれる彼女の命令で即座に振り向いた。

 

「……何か、あったのですか?」

 

なんでバレたんだろう。今朝の出来事を嫌でも思い出してしまう。

 

「別に、なにも……」

 

「嘘、ですよね?」

 

「ごめんなさい」

 

「あなたが謝る必要はありません。ただ、何かお悩みなら力になりたくて。

よかったら、話してくれませんか?」

 

どうしよう。言おうかな、止めとこうかな。ソニアさんは僕の返事を待ってる。

本当の所は、あまり騒いで大事にしたくないけど……やっぱりダメなものはダメだ!

奴が他の娘に同じことをしないとも限らない。あいつの考えはとにかくわからないから。

 

「えと、ちょっと込み入った話になると思うんだけど、聞いてもらって、いいかしら?」

 

「モチのロンです。中でお話しましょう」

 

ソニアさんがコテージのドアを開けて、また彼女の部屋に入れてくれた。

これから口にすることを考えると、ついさっきまで、

小泉さんや西園寺さんとで、てんやわんやしてたのが、何時間も前に思える。

 

「とりあえず、座りましょうか」

 

「ありがとう……」

 

僕達はソニアさんの豪華なベッドに座り込んだ。

マットが凄く柔らかくてお尻が沈み込む。

 

「あの、これから私にとって割と大事なことを話すけど、

みんなには内緒にしてて欲しいの……」

 

「はい。ではその前に、準備が必要ですね」

 

「準備?」

 

彼女が部屋の隅に設置された監視カメラに向かって、人差し指でバッテンを作る。

すると、本体のランプが緑から赤に変わった。

 

「こうしておけば、カメラがダミーの映像を繰り返し流し続けるので、

秘密が漏れる心配はありません」

 

「どうして?ソニアさん達は協力者だから、監視なんてされないはずなのに……」

 

「わたくし達は島全体に結構な人数がいますよね。

そこにあなたが行く度、中継を切っていては、このプロジェクトが成り立ちません。

ですから、カメラ自体は残しておいて、

見られたくない状況、例えば着替えなどのときだけ、

合図を送ると一時的に撮影を中止することができるのです。

当然、あなたは例外ですが……

わたくし達もある程度、私生活が見られることは承知の上で参加しています」

 

「そうだったのね。全然知らなかった」

 

「あるいは、意図的に伏せられていたか、ですわね。

さぁ、江ノ島さん。これで安心してお話しして頂けます。リラックスして」

 

「うん、実はね……」

 

とうとう僕は、意を決して今朝の出来事を打ち明けた。

狛枝君に食事を持っていったら、危うく犯されそうになったこと。

その瞬間、運動経験もないのに、何らかの力が発動して、

彼を投げ飛ばして事なきを得たこと。

江ノ島盾子の本当の力だの訳の分からないことを言っていたこと。

 

話を進めるうち、ソニアさんが綺麗な顔をそのままに、激しい怒りをその身に宿す。

隣にいた僕が冷や汗を流すくらい。これは……アレが出そうだ!

彼女はゆらりと立ち上がると、私物の棚から例のムチを取り出し、

外に出ようとしたから慌てて止める。やっぱり出た!

 

「ちょっと待って、ソニアさん!どこに行くの?」

 

「狛枝さんには……女性との付き合い方に関する“レッスン”が必要だとわかりました」

 

「落ち着いて!

揉め事になったらソニアさんまで危ないし、みんなに色々知られちゃうから……」

 

「ふぅ…そうでしたわね。すっかり我を忘れてしまいました。すみません。

本当に、なんともなかったんですね?」

 

「大丈夫。なんともあったら、今頃大声で泣いてる」

 

「なら良いのですが……しかし、この状況を放置して置くわけには行きません。

日向さんと相談して、あなたを食事係から外してもらうようお願いしなくては」

 

「でも、何て説明しよう……」

 

「それはわたくしにお任せあれ。とにかく日向さんのコテージへ行きましょう」

 

「わかったわ」

 

それから、ソニアさんが今度は監視カメラに人差し指と親指で丸を作ると、

カメラが通常の動作を再開。

彼女がそれを確認すると、コテージを出て、一緒に日向君のコテージを訪ねた。

呼び鈴を鳴らすと、彼の足音が近づいてきて、ドアが開かれた。

僕とソニアさん。意外な組み合わせに少し驚いた様子で、尋ねてくる。

 

「ソニアと……江ノ島か。どうしたんだ、いきなり」

 

「実は、折り入って大事な話が。中に入れて頂けないでしょうか」

 

「ああ。入れよ」

 

「お邪魔します……」

 

日向君の部屋は、片付いていてこざっぱりとしていた。

右奥に雛壇のようなものがあるけど、何も置かれてない。

あ、思い出した。隠れモノクマの設置台だ。

初めて訪れる彼の部屋に気を取られていると、向こうから用件を聞かれた。

駄目だ、何やってんだ僕!自分の問題なのに!

 

「それで、大事な話って何なんだ?」

 

「あの、言いにくいことなんだけど……」

 

僕が言い淀んでいると、ソニアさんが凛とした態度で要望を告げた。

 

「日向さん。単刀直入にお願いします。

何も聞かずに彼女を狛枝さんの食事係から外してください。

後任に女性を任命することも、やめていただきたく思います」

 

「それってまさか!」

 

「ストッピ。そこまでお分かりなら、事情は聞かないでください。

それで、聞き入れていただけるのでしょうか」

 

「……ああ、わかった。あいつの食事は花村に頼むことにしよう。

なら江ノ島。彼の仕事が増えることになるから、代わりに生ゴミの廃棄を頼めるか?

夜か早朝にまとめて廃棄場へ捨てに行くんだ。花村には俺から話を通しておく」

 

「念の為言っておくと、手遅れにはなりませんでしたから」

 

「何ともなくてよかった。狛枝についてはカメラを止めて弐大達と話し合っておく。

具体的な事案については伏せてな」

 

「ありがとう、日向君、ソニアさん!頑張るわ!」

 

「ご理解いただき、感謝します。

では、そろそろ昼食ですから、みんなでレストランに行きましょう」

 

「そうだな。もうそんな時間か。行こう」

 

そして、僕達は3人でホテルのレストランに向かった。

2人の後についていきながら考える。ソニアさんって優しい人だなぁ。

中身はどうあれ、江ノ島盾子の僕をここまで助けてくれるなんて。

やっぱり超高校級の王女は、庶民に救いの手を差し伸べてくれるんだね。

 

レストランに着くと、朝食時と同じように、みんなが決まった席に座っていた。

お昼は和食だった。ご飯、味噌汁、豚しょうが焼き、しば漬け。

やった、しょうが焼き大好き。いつものように、いただきますをして、静かに食べる。

 

食べ終えると、列になって厨房にお皿を持っていく。

すると、左右田君がタイミングを見計らって、僕の後ろに並んで話しかけてきた。

 

「なあ、江ノ島」

 

「あ、左右田君。どうしたの」

 

「お前さっき言ってたよな。モノクマで溢れてる街があるって。それってどこだ」

 

「塔和シティーって言うらしいわ。なんかもう凄いビルがたくさんあって、

モノレールとか走ってて、

とにかく未来的でなんかもうすごい未来です~って感じなの!聞いた話だけど!」

 

「あのなぁ……学級裁判のときみたいな理路整然とした説明はできねーのかよ」

 

「ああ、ごめん。身体の持ち主の僕はこんななんだ……」

 

「しょうがねーやつだな。とにかく、ミサイル復元・改良の目処が付いた。

陸海空、どこでも狙い撃ちできる代物がいつでも作れる」

 

「もう!?さっき渡したばかりなのに……やっぱり超高校級の人って凄いよ!」

 

「へ、へっ……!一番凄くて厄介なのが何言ってやがんだか」

 

左右田君と順番を待ちながら言葉を交わしていると、

ふと視界の端にソニアさんの姿が見えた。なんだかこっちを見てたような気がするけど、

思い過ごしだよね。用があるなら話しかけてくるはずだし。

 

列も進んで厨房に入ると、日向君が花村君になにか耳打ちしていた。

彼も皿を洗いながら黙ってうなずく。きっと僕の問題なんだと思う。

ありがとう、日向君もリーダーの仕事で大変なのに、僕を気遣ってくれて。

 

食事を終えてホテルを出ると、こんな気持ちが湧いてきた。何かお礼がしたい。

憎むべき相手の姿をしている僕を受け入れてくれて、

2つの事件解決にも協力してくれたみんなに。

そうだ、モノモノヤシーンで手に入れたガラクタにも、

喜んでくれそうな人がいる物があった。

 

「マリー、ただいま!」

 

目的を手に入れて晴れた気持ちでテントに戻ると、

さっそく明太フランスと超技林第二版を……いや、待って。

ゴミみたいな物でも、人によっては役に立つかもしれない。

左右田君のミサイルだってそうだった。

一応ガラクタもシーツを風呂敷代わりにして包んで、出発した。

 

「行ってきまーす」

 

マリーに挨拶すると、とんぼ返りして島の探索を始めた。

まずは居場所が分かってるあの人から訪ねてみよう。

 

 

 

 

 

ロケットパンチマーケット。店内はやっぱり冷房が効いていて涼しい。

目的の人物は、探すまでもなく視界に入ってきた。

大きな彼が、今日も万引きGメンとして目を光らせている。彼に歩み寄って声を掛けた。

 

「こんにちは、十神君」

 

「なんだ、お前か。さっそく褒賞金でステーキでも買いに来たか?」

 

「アハハ、知ってるのね……でも、買い物じゃなくて十神君に用があって来たんだ」

 

「俺に?どうでもいいがさっさとしろ。

こうしている間にも、万引き犯がポケットに風船ガムを忍ばせるかもしれんからな」

 

「お店、ガラガラよ?じゃ、なかった。仕事の邪魔してごめんなさい。

ちょっと差し入れ持ってきたの。

冷蔵庫に入れてたから少し冷たいけど、おやつにレンジで」

 

……と、言い終わる前に、差し出した明太フランスは手の中から消え失せ、

彼の口の中に最後の端っこが飲み込まれようとしていた。

 

「むぐむぐ……悪くない。お前にしては賢い選択だ」

 

「店内での飲食はご遠慮くださいって入り口に書いてたわよ。

とにかく、喜んでもらえてなによりだわ。それじゃあ」

 

「待て」

 

思いがけず呼び止められて振り返る。

 

「お前、一体何のつもりだ。

まさか、この歯ごたえあるフランスパンと塩味の効いた明太子のマリアージュで、

俺を懐柔できると思っているのか」

 

「だとしても、普通食べてから聞く?みんなに何かお礼がしたいの。

十神君には、前にメダルを分けてもらったし。あの時は本当に助かったわ。ありがとう」

 

「……ふっ、まあいい。

どうせお前も、なぜ俺が万引きGメンなどをしているのかが知りたいのだろう」

 

「確かにそれは気になるわ。

こんな住人20人足らずの島で、万引きGメンなんて大げさだと思うの」

 

「お前は知らんだろうが、現実世界のジャバウォック刑務所は、

慢性的な物不足で皆、娯楽に飢えている。

それが刑罰だと知りながらも、日用品を買いに来た時、

ふと棚にぶら下がったお菓子が目に留まる。人間の良心など脆いものだ。

その気がなくても、気づけば商品を懐に。一度魔が差せば人は抗うことができん。

俺が採掘や採集でなく、この仕事を任されているのは、つまりそういう事だ」

 

「仲間を疑わなきゃいけないなんて、辛い仕事ね……」

 

「だからこそ有能かつ高潔な精神を持つ俺が選ばれたのだ。

俺がいる限り、誰一人として道を踏み外させはしない。……十神の名に賭けて!」

 

「うん。十神君、頑張って!」

 

「お前に言われるまでもない。もう行け。他の連中にも何か配るのだろう。

自動販売機で何か買っていったらどうだ」

 

「自動販売機?そんなのがあるの?」

 

十神君は大きくため息をついた。やっぱり顎の肉が揺れる。

 

「お前の目は節穴か?入り口の脇にあっただろう」

 

「えっ、買い物や十神君を探してて気づかなかった。えへへ……」

 

「呆れた奴だ。買うならさっさとしろ」

 

「うん、ありがとう。じゃあね!」

 

十神君の言う通り、入り口から少しだけ離れたところに自動販売機が設置されてた。

品物は、ミネラルウォーターやティッシュとかの日用品や食べ物、雑貨。

あれ、これは……ひまわりの種だ。

後は無難なものをいくつか買って、みんなのところを回った。

 

 

 

 

 

七海さんとは一度話しておきたかったんだ。

最初は使い道がないと思ってたんだけど、ゲーム好きの人にはこれしかないよね。

ダイナーでジュースを飲みながら携帯ゲームに熱中する彼女に話しかけた。

 

「あの、七海さん。ちょっといいかしら」

 

「待って。後少しでオートセーブだから。……よしできた。

こんにちは。江ノ島さんと学級裁判以外でお話しするのって、初めてだよね?」

 

「ごきげんよう。そうなの、私ってみんなにお世話になってるのに、

まだ直接話したことがある人が少なくて。

今日はたまたま時間が出来たから、忙しくなる前に、

挨拶がてらお喋りしようと思ったの。今、少し付き合ってもらえる?」

 

「そうなんだ。いいよ。私でいいなら」

 

「ありがとう!そうだ、これを受け取って。モノモノヤシーンでゲットしたの。

ゲーム好きの七海さんなら、使ってもらえるかと思ったんだけど……」

 

馬鹿みたいに分厚い、超技林第二版を差し出すと、彼女はゲーム機を放り出して、

僕の両手を掴んできた。鼻息荒く超技林を隅々まで眺めると、大切なものを扱うように、

そっと手に取った。

 

「これは……既に絶版されて久しい超技林!しかも状態良好!

第二版だけどゲーマーの間では伝説の書だよ!

こんな良いもの、もらっちゃっていいの!?」

 

「うん。七海さんなら気に入ってくれると思って。

それって、裏技集としてだけじゃなくて、ゲームカタログとしても眺めてて楽しいよね。

昔のSFCソフトって新品で1万円以上するのもあったって、その本で知ったの」

 

「そうだよ!今ならPS4ソフトの限定版買ってもお釣りが来るほど高かったんだよ!?」

 

「しかもデータが消える恐怖からはFC時代から逃げきれてない」

 

「う…その話はやめて。3つの0%がトラウマなの……」

 

「マイナーだけど魔神転生2も大概よ。

20年以上前のゲームとは思えないほど都会的で洗練された世界観なんだけど、

肝心のシミュレーションゲームが鬼畜で龍王が……」

 

その後もゲーム談義で七海さんと時を過ごした。

 

「……で、超技林にはCD-ROM版もあったけど、

私的にあれは邪道だと思うんだよね。ふんふん!」

 

「私も買ったけど、同意だわ。

パラパラとページをめくって知らないゲームについて知るのが醍醐味なのに、

データベースにしちゃったら、それもできないし、

検索かけて知ってるソフトを探すのがイマイチ不便だし、単純に面倒くさかったわ。

なぜかBGMはやたら良かったけど」

 

「そうだよね。そうだ……江ノ島さんにはちゃんと話しておこうかな」

 

「なあに?」

 

「私のこと。私がAIで、造られた存在だってことは、

日向くん辺りから聞いてると思うけど」

 

「……うん。今の七海さんは“2代目”だって」

 

「そう。初代は狛枝くんの罠にかかってクロとしてデリートされたんだ。

ウサミちゃんと一緒にね」

 

「あの、無理には」

 

「お願い聞いて。

だけど私は造られて間もない存在なのに、時々”初代”のことを思い出すの。

ほんの断片的にだけど。一度目のコロシアイ修学旅行でみんなと過ごした日々。

そして……人だった頃」

 

「人?どういうことなの?七海さんは元々プログラムじゃなかったってことかな」

 

「ごめん。そこのところがよく思い出せないんだ。

でも、江ノ島さんとこうしてお喋りできて、ぼんやりとだけど、

何かが掴めそうな気がしてきた。まだ“気がする”程度だけど。

……よかったらまた声を掛けて」

 

「もちろん!私も七海さんとお話できて楽しかった。またお喋りしてね」

 

「うん。他の人のところにも行ってあげて。

もうここしばらくの生活で、みんなの江ノ島さんへの警戒心もほぐれてきてるから」

 

「七海さんがそう言ってくれるなら安心だわ。それじゃあ」

 

 

 

 

 

七海さんと別れると、今度は病院へ。

シフト表によると、罪木さんは今の時間帯、病院で勤務ってことになってた。

つまり診察時間ってことだね。

3番目の島へ渡ったんだけど、う~ん、何を渡そう。

玄関から覗くと、罪木さんがクリップボードに何かをメモしている。

 

手持ちのものは、水やティッシュといった、貰って特別嬉しくも嫌でも無いものと、

昨日ガチャガチャで当てたガラクタ。

何を渡そうか迷っていたら、彼女が僕に気づいたらしく、

受付カウンターから外に出てきた。

 

「江ノ島さん!また、会いに来てくれたんですね……」

 

「うん!ご飯時にしか会ってないから、罪木さん元気かな、と思って」

 

「ふみゅう……嬉しいです。もう会いに来てくれないと思ってました。

江ノ島さんを陥れようしたばかりか、過去の罪まで……」

 

「待って。その話はやめよう?あの事件は学級裁判で全部解決したんだし。

私も会ってくれて嬉しいの。

そうだ、みんなにお世話になってるお礼を渡してるんだけどさ……」

 

僕は風呂敷代わりのシーツを漁る。無難に行くか、チャレンジするか。

常識的に考えれば、あって困らないティッシュなんかにしとくべきだったんだ。

でも、気がついたら手に収まったブツを彼女に渡していた。

さっきの十神君の言葉を思い出す。“魔が差せば人は抗えない”

 

「これ、面白そうだと思うの。受け取ってくれないかしら」

 

ギャグボール。認識した瞬間血の気が引いた。一体何をしてるんだ、僕は!?

慌てて引っ込めようと思った時には手遅れだった。既に罪木さんが手に取った後。

彼女はそれをじっと眺める。言い訳が見つからない。

あ、あ、と声にならない声を出すので精一杯。

 

「……江ノ島さん。あなたとは、友達に、なるような、気がしたんですが」

 

罪木さんが感情を抑え込んだ声で一言ずつゆっくり口にする。終わった。

きっと集めた贖罪のカケラも砕け散ってマイナスに……

 

「これじゃあ友達を飛び越して“恋人”になっちゃうじゃありませんかぁ!!」

 

えっ!?と驚いた瞬間、顔を赤らめた彼女が抱きついてきた。なんかすごいデジャヴ!

怒ってはいないのは確かだけど!

 

「これってクールな江ノ島さんからのメッセージですよね!

“ボクのペットにおなりよ”という、激しい愛のコトノハ!」

 

「クールって、あのキザな江ノ島盾子!?とにかく違うよ!

逆クーリング・オフお願いします!」

 

「だめです。もらっちゃったんですから、これは私のものです。

いつかまた、彼女が現れたら伝えておいてください。私は心の準備はできてますって!」

 

「不純同性交友はいけないと思います!」

 

喜びで力のリミッターが外れた罪木さんを振りほどけないでいると、

派手な色の人影が病院から出てきた。

 

「おんやあ?綺麗な百合の花が咲いていますなぁ。盾子ちゃんの女たらし」

 

「澪田さん!冗談言ってないで助けてよ!プレゼントに喜ばれすぎた!」

 

「意味わかんねーっすけど、蜜柑ちゃんを弱らせれば良いんすね?ならば!

唯吹の新曲、“過払い金請求で頼った弁護士から思い切りふんだくられた”!」

 

「え、待って!私まで」

 

──♪!!?♫!?!?♪?!!

 

その後の展開は予想していただけると思う。

僕も、罪木さんも、怪音波で脳を揺さぶられて、しばらく地面に横たわっていた。

元気なのは一曲歌い終わって活き活きしてる澪田さんだけ。

地面がわからない。世界が回ってる。

 

「キャッホーイ!思い切り歌って、人の役に立つなんてサイコーっすね!

……あれ?なんで盾子ちゃんも寝てるっすか?」

 

「うう、澪田さん、私まで巻き込んだでしょ……」

 

「大丈夫っすか~?顔色悪いっすよ」

 

「大丈夫なわけないじゃん!見てよ、この有様!

もう、これあげるから罪木さん介抱しててよ……私は、もう行かなきゃ」

 

どうにか立ち上がれるようになると、

風呂敷からとりあえずティッシュを取り出して、澪田さんに渡した。

 

「うひょー、マジ助かるっす!

唯吹、しょっちゅう泡吹いたり鼻水や涙出したりするからありがたいっす!

盾子ちゃんサンクス!ウヒャヒャ!」

 

「喜んでくれてなにより……さよなら~」

 

ほうほうの体で病院を後にすると、電子生徒手帳でシフト表を確認し、

現在労務時間から外れている人や、休憩中の人から順番にプレゼントを配っていった。

だけど、澪田さんから食らった、歌という名前が付いた超音波でまだ少しクラクラする。

 

自殺行為だとは思うけど、彼に変なものを渡せば殴ってくれるかもしれない。

その痛みで意識がはっきりするかも。

当時の僕の判断能力はそこまで低下していたんだよ……

 

 

 

 

 

「……テメエ、俺の休憩時間邪魔するとはいい度胸してやがんな。あぁ?」

 

「つ、疲れてるのにごめんなさい!九頭竜君にこれをプレゼントしたくて……」

 

例によって風呂敷から割とマシなものを選んで、

不機嫌さを隠そうとしない九頭竜君に渡した。

殴っては欲しいけど、殺して欲しくはないから、これで程よい痛みをください。

 

「……」

 

彼は黙って多面ダイスセットを手の中で転がす。

まずい、指を詰められるっていう可能性を忘れてた!

急いで弁解しようとしたら、九頭竜君がニヤリと笑った。

 

「へっ、ちょっとは“こっち”のこと、分かってるみてえだな」

 

「どういうこと……?」

 

「とぼけんなって。九頭竜組が裏カジノやってること、知ってんだろ?

普通使わねえ、こんなサイコロ渡したってことはそういう事だろうが。

確かに、今時半丁博打や花札だけじゃアガリが取れねえ。

俺達はいろんな廃ビルや空き家買い取って、地下にカジノ作ってんだよ。

って、今更お前に説明しても分かりきってるだろうけどよ」

 

なんだかとんでもない誤解をされてる……

 

「ま、もしお前がシャバに戻ることがあって、

ちょっと稼ぎたくなったら俺の名前出せよ。フリーパスだ。だが……」

 

「な、なあに?」

 

「ペコにも何かあンだろう?

まさか俺だけのご機嫌伺いに来るなんて、シケた女じゃねえよな。

そこんとこ俺に見せてくれよ、な?」

 

九頭竜君が肩に手を回してくる。岩の足場に乗って。

 

「も、もちろんよ!辺古山さんは今、大丈夫かしら!?」

 

「おう。休憩時間、俺と一緒だからな。……おーい、ペコ!ちょっと来てくれ」

 

「はっ、なんですか、ぼっちゃん!」

 

どこから現れたのか。まるで忍者のように素早い動きで九頭竜の前に現れた辺古山さん。

 

「こいつが今からいいモンくれるんだと。

気に入らなかったら遠慮なく斬り捨てていいとよ」

 

「いいもの?」

 

そんなこと言ってないよ!本当、馬鹿なことしちゃったなぁ。

改めて自分に正常な判断能力が欠けていた事を思い知る。

泣きそうになりながら風呂敷を漁って、自販機で買ったボージョボー人形を抜き取った。

せめてもの悪あがきに、ニッコリ笑って解説しながら渡した。

 

「はい、どうぞ!サイパンで作られている伝統工芸品なの。

つる草の実で出来た2つのお人形の結び方によって、いろんな願いが叶うのよ!」

 

「……」

 

辺古山さんが無表情でボージョボー人形を受け取ると、

軽く揺らしてみたり、手を組ませてみたりしてる。緊張感でお腹が痛くなりそう……

 

「おいペコ、どうなんだ。そいつァ九頭竜組に相応しい貢ぎ物なのか」

 

「……ありがとう」

 

「おっ、やるじゃねえか。厄介事が全部片付いたら、お前、組の舎弟にしてやるよ!」

 

大声で笑いながら、僕の肩をバシバシ叩く九頭竜君。

痛いよ。あ、痛さを求めてきたからこれでいいのか。

でも、今の緊張ですっかり正気に戻ってたから若干手遅れだったかな。

要するに、叩かれ損。長居は無用とばかりに早々に退散することにした。

 

「じゃあ、私はもう行くわ。忙しいのにごめんなさいね」

 

「おう!お前、意外と話がわかる奴だな。

江ノ島盾子か……またなんか見つかったら来いよ、江ノ島」

 

九頭竜君と辺古山さんに手を振りながら別れたけど、

去り際に江ノ島盾子の耳がこんな会話を捉えていた。

 

(組なんざ、残ってたらの話だがな……今じゃお前と二人きりだ)

 

(ぼっちゃん……)

 

(ところでよう、それ本当に気に入ったのか?お前がいいなら別に構わねえけどよ)

 

(……かわいいです)

 

 

 

 

 

気を取り直して、次に訪ねたのは田中君。彼にはひまわりの種を渡した。

これは喜んでくれる確信があった。だって、彼が大切にしているのは……

 

「何だと……?貴様、俺にこれを渡すことが、

どのような結果を引き起こすか知っての行動なのだろうな」

 

「どうもこうも、田中君のハムスター」

 

「神界の知恵の実を奪い喰らう、我が破壊神暗黒四天王に、

アビスの結晶を与え、さらなる混沌を求めるか……底の知れぬ女よ」

 

「“ハムスターのエサをありがとう”ってことでいいのかしら」

 

「だが、今まだその時ではない。これ以上四天王に冥府魔道のカルマが注がれれば、

その災厄は世界を覆い尽くし、俺の左腕の封印を解かねばならなくなるのだ!」

 

「“エサをあげたばかりだからお腹いっぱい”なのね。

うん、今度ハムスターちゃん触らせてね。お邪魔しました。さよなら~」

 

「再び相まみえようぞ!光と闇の間で揺れるアフロディーテよ!」

 

 

 

 

 

どんどん行こう。次は終里さん。

彼女の好みがよくわからないから、とにかく喉を潤してもらおうと思ったんだけど……

 

「う~ん、水かぁ。確かに喉乾いてたからありがたいっちゃありがたいんだが……

もっと腹に溜まるやつがいいなぁ」

 

ミネラルウォーターを受け取ってはくれたけど、あんまり喜んでもらなかったみたい。

 

 

 

 

 

弐大君はどうだろう。もうアイテムがほとんどない。無難なこれにしとこう。

 

「弐大君。つまらないものだけど、これ、もらってほしいの。

たくさんあって困るものじゃないと思うから」

 

「おお、ティッシュか。うむ、ティッシュがあればなんでもできる。

鼻水・涙の除去、掃除、怪我の応急処置、クソの……」

 

「トイレに流したら詰まるからね?」

 

「ト、トイレットペーパーのことじゃ!とにかく、恩に着る」

 

うん、今度はそこそこ気に入って貰えた。さて、アイテムも残り少ない。

風呂敷もすっかりしぼんじゃった。次は誰にしよう。

 

 

 

 

 

……彼にだけ何もあげないわけにはいかないよね。

はっきり言ってうんざりしながら、レストランの厨房に向かう。

都合よく彼の喜びそうなものが残ってる。これを渡すのかぁ……

僕は厨房のドアの前で一度立ち止まって、頭を振って覚悟を決め、ノックした。

 

“はーい”

 

ドアが開かれると、笑顔の花村君が出てきた。守りたくない、この笑顔。

 

「は、はは……実は花村君を初めとしたメンバー全員に、

日頃の感謝の気持ちを込めてプレゼントを渡してるの。だから深い意味はないし、

気に入らなかったら突き返してくれて全然構わないから。……はい」

 

とうとう渡してしまった。動くこけし。

田中君風に言うなら、冥界の門を開いてしまった。

嗚呼、花村君が目をウルウルさせてる。

 

「江ノ島さんっ……!

こんなに素敵なものを受け取った以上、ぼくにはそれを最大限活かす義務があるよね!?

おっと、いけない、いけない。江ノ島さんの意向を聞かなくちゃね!

挿す、挿されるどっちが」

 

バタン!

 

耐えきれなくなってドアを閉めた。罪木さんといい花村君といい、

隠れ変態がいるからコミュニケーションひとつにも油断できないよ!

いや、花村君はちっとも隠れてないけど!

 

“怖がらなくていいからねー!ぼくのコテージはいつでも……”

 

「うるさーい!」

 

逃げながら叫ぶ。くそっ、渡したのは僕だから花村君を責められない!

彼がこの事をみんなにバラしたら、僕も変態の仲間入りだ……泣きたい。

ホテルから飛び出して、走って海岸に行くと、膝に手をついて呼吸を整えた。

 

大粒の汗が砂浜に滴る。やっぱりこの服は運動に向いてない。

油断するとスカートがめくれそうになるし、ブラもずれてくる。

だけど、実は考えなしにここに来たわけじゃないんだ。

 

モノモノヤシーン。もう一度挑戦しに来たんだ。残るプレゼントの相手は、3人と彼。

今朝、向こうから訪ねてきて、

女性らしいヘアスタイルのセットや、お化粧の仕方を教えてくれた人達。

こんな立場の僕を、わざわざ気にかけてくれた小泉さん達には、

特別なものをプレゼントしたいんだ。

今度は投入金額を20枚に設定して、やっぱり重複率は無視。20回チャレンジだー!

 

お願い神様仏様。私利私欲じゃないんだ。お礼がしたいだけなんだ。

え、葉隠流水晶とシークレットブーツ?

割れた水晶は誰にも愛されない感が僕にも伝わってきたし、

シークレットブーツは、今のブーツを洗濯した時に、

乾くまでの場つなぎに自分で履くことにした。

 

おっ、カプセルが20個連続で出てきた。結果から言うと、

良いもの2割、良いか悪いか判断できないもの5割、明らかなガラクタ3割。

まぁ、ガラクタとは言え、壊れたミサイルの例もあるから、一応保管はしておくけど。

 

さて、“良いもの”から3人に似合いそうなものを選ばなきゃ。

ここで選択をミスったら、メダルを20枚つぎ込んだ意味がない。

ええと、これは……小泉さんへのお返しにちょうどいいかな。

こっちは?西園寺さんにピッタリだよね!

 

あとソニアさんには……この美味しそうなパンはどうだろう。

高級な厚紙を二つ折りにした説明書きにこう書いてある。

 

“マリーアントワネットの好物として知られるパン。

名前には僧侶帽という意味がある”

 

これはもう、超高校級の王女のソニアさんで決まりだね!

 

僕は大半の賞品を風呂敷に包んで背負い、3つの贈り物を抱えてコテージに向かった。

プレゼントって送る方もワクワクするけど、今の気分は最高潮。

みんな喜んでくれるといいなぁ!

 

 

 

まず、訪ねたのは小泉さん。呼び鈴を押すと、

夕陽も沈みかけて暗くなりだした頃にやって来た僕に、驚いた様子だった。

 

「ちょっと、盾子ちゃん。どうしたのその格好!?それに聞いたよ。

今日、みんなのところを回って色んな物、配り歩いてたらしいじゃない。

一体何がしたいの?」

 

「えへへ、季節外れのサンタさん」

 

「真面目に答える」

 

叱られちゃった。

 

「ごめんなさい。……なんていうか、みんなにお礼がしたくって。

ほら、今でも私が江ノ島盾子だって疑いは消えてないのに、

危険を承知でみんなが少しずつ私を受け入れてくれてることに、お礼がしたかったの。

特に小泉さん達は、わざわざ私に女性らしくあるための方法を教えに来てくれたわよね」

 

「それは……盾子ちゃんがあんまりにもあんまりだったから……」

 

あ、ちょっと照れて目をそらした。渡すなら今!

 

「それでも私は嬉しかったの。

ずっとこの世界でひとりぼっちだと思ってたけど、そうじゃないんだってわかった。

だからこれは、せめてものお礼。お願い、受け取って」

 

仮装のコンパクトを小泉さんに手渡した。彼女の目が驚きで開かれる。

 

「盾子ちゃん……こんなの、どこで手に入れたの!?」

 

“こんなの”がどういう意味かでこの作戦の成否が決まる!さあ判定を!

 

「……本当に、もらってもいいの?」

 

やった!むしろもらってくださいお願いします!

 

「もちろんよ!小泉さんもそのコンパクトでお化粧すれば、もっと綺麗になるわ!

ああっ、私にそんなの言えたことじゃないのは分かってるけど、

テントの化粧品どんどん使っていいから!ドアっていうかジッパーはいつでも全開だし」

 

「ううん、これ以上は悪いよ。ありがとう。ありがとう……」

 

小泉さんがコンパクトを握って抱きしめるように胸に当てる。

そして、少しずつ言葉を紡ぎ出した。

 

「どうして、こうなっちゃったのか、アタシにはわからないよ。

目の前に居るのは、確かに江ノ島盾子なのに、盾子ちゃんのこと憎めない。

許しちゃいけないって、わかってるのに……」

 

彼女が静かに涙を落とす。

 

「それでいいの。許しちゃ駄目!

みんなを本当に傷つけた超高校級の絶望は、絶対に許しちゃ駄目なの!

確かに私は江ノ島盾子の肉体を持った、ただの別人で、

そうは思ってくれない人の方が多いことはわかってる。

だけど今の不条理な状況は、私がなんとかする。

この身体と頭脳が武器にもなるとわかった時に、そう決めたの。

だから小泉さんは、自分を苦しめてるものとの戦いを諦めないで!」

 

「盾子ちゃん……わかった。アタシ、必ず罪を償って、

許されるなら、絶望の残党と戦うよ。ふふっ、今の顔はちょっと写真には残せないかな」

 

「……小泉さん。頑張ろうね」

 

「うん。ちょっと顔洗ってくる。もうすぐ夕食だから、またレストランで」

 

「一度、バイバイだね」

 

小泉さんは、僕に手を振って、ドアを閉めた。次は、西園寺さんだね。

まるで彼女のためだけに用意されたようなプレゼントを持って、

彼女のコテージを訪ねた。呼び鈴を鳴らして呼びかける。

 

「こんばんはー。西園寺さん、江ノ島だけど、ちょっといいかな」

 

“なにー?”

 

ガリャリと小さな身体でドアを開けると、遅めの昼寝をしていたらしく、

寝ぼけ眼をこすりながら玄関先に出てきた。

 

「んもー。江ノ島おねぇじゃん、どうしたの?せっかく気持ちよく寝てたのに。

くだらねー用事だったら、おねぇでも付け爪、本物の爪ごと剥がすから」

 

「ごめんね。今朝のお礼に、これをプレゼントしたかったんだ」

 

僕は、朱色に塗られた扇面に金箔で河を描いた高級扇子、疾駆守扇子を彼女に渡した。

途端に彼女の細目が真ん丸に見開かれる。

 

「どどどどうしたのコレ!?平城京の霊媒師の末裔が作ったと言われる伝説級の扇!

わたしのギャラでもとても手が出ないのに!どこで盗んで来たのさ!」

 

「アハハ……頑張ってモノモノヤシーンを回したんだ。

これが似合うのは超高校級の日本舞踊家の西園寺さんしかいないと思ったんだ」

 

「そ、それは常識的な判断だけど~?……どうしてこんな良いものを?

日向おにぃなんて、くっだらねーもんしかくれた試しがないのに」

 

「う~ん、単純な理由だけど、“優しくしてくれたから”。

多少馴染んできたけど、私って、まだみんなとの間に微妙な壁があるよね。

でも、西園寺さん達はちょっと強引なくらいに私に構ってくれた。

それって凄く嬉しいことだったの。

この島でひとりきりだと思ってた私にとって、それは救いと言ってもいいくらいだった。

これにとびきり高い値段が付くのなら、

それくらい私の“ありがとう”が大きいと思って?」

 

「そうじゃないよ……」

 

「え?」

 

「ひとりぼっちだったのは、江ノ島おねぇだけじゃないよ。わたしもそうだった。

まだ世界がまともだった頃だって、わたしの居場所なんてなかった。

西園寺流の次期当主候補だったわたしは、

小さい頃に当主のおばあちゃんの家で暮らすことになったんだけど、

わたしに生きてて欲しい奴なんて一人もいなかったの。

他に跡目を狙ってる奴らから嫌がらせを受ける毎日。

靴に剣山を入れたり、舞台の邪魔をする嫌がらせは当たり前。

食事に毒を入れられたりすることも珍しくなかった」

 

黙って彼女の話に耳を傾ける。

 

「おまけに、次期当主の権力を目当てに、

子供みたいなわたしを手懐けようとする連中が大勢すり寄って来る始末。

そんな奴らを追い払うために厳しい態度を取ってたら、

いつの間にか汚い言葉が止まらなくなって、ろくに友達もできなくなってた……」

 

「でも、今は違うよね?」

 

彼女は黙ってうなずく。

 

「例え何がきっかけでも、この島に集まったみんなは、

西園寺さんを傷つけたり、のけ者にしたりしない。

それは、とっても素敵なことだと思うの。

あなた達が今日、私にしてくれたのは、それと同じこと。とても暖かな気持ちになれた。

この扇子はその証なの。私のためにも、受け取って」

 

「うっ、ひくっ…ありがとう……」

 

「こすっちゃ駄目よ。赤くなるから」

 

ハンカチを取り出して、彼女の目をポンポンと優しく叩いて涙を吸う。

 

「……ねえ、中に入って。お礼に良いもの見せてあげる」

 

「良いもの?」

 

「ほら早く~」

 

西園寺さんに手を引かれて、コテージに入ると、彼女はドアの鍵を閉めた。

 

「フシシシ、他の連中には見せてやんない。江ノ島おねぇだけのための舞台なんだから」

 

「じゃあ、良いものって……」

 

「ほら、おねぇはそこに座って!では、わたしはこちらに……」

 

部屋の中央に座ると、

西園寺さんがお風呂前の広めのスペースに正座し、深くお辞儀した。

思わず僕も正座になる。

 

そして、彼女の舞が始まった。

音もなく立ち上がると、疾駆守扇子をバッと広げ、すり足で動きつつ、

身体の各部を巧みに動かし、狭い空間で大きく舞う。

日本舞踊なんてガラじゃないけど、彼女の技術が優れていることは素人目にもわかる。

 

舞は静かに激しさを増す。扇と着物と身体の動きを目一杯活かして、

小さな身体でこの場の全てを魅了する。時に穏やかに、時に荒々しく。

僕は完全に彼女に魅入られていた。

歌も何も流れていないけど、そんなことは問題にもならない。ただ、美しい。

 

夢のような時間は、あっという間に過ぎてしまった。

きっと浦島太郎が龍宮城で見た舞も、こんなに美しかったことなんだろう。

彼女は再び正座し、お辞儀する。僕は、しばらく放心状態で拍手を続けていた。

たっぷり1分も経って、ようやく感情を言葉にできた。

 

「美しすぎて、言葉が出なかったわ……」

 

「エロい服着てるくせに、日本舞踊の良さがわかるなんて、江ノ島おねぇもやるじゃん」

 

「エロいとか言わないでよ……結構恥ずかしいんだから。西園寺さん、ありがとうね」

 

「な~んで江ノ島おねぇが礼言ってんだか。こ、これで貸し借りなしだかんね!」

 

「うん!こんなに素敵なものが見られるなんて、思わなかった」

 

「わたしもこの扇子で舞える日が来るとは思わなかったから、マジびっくり」

 

「いつか、みんなにも見せてあげたら?」

 

「イヤぷ~!これは江ノ島おねぇだけの舞台だって言ったじゃん!」

 

「ふふ、そうだったわね。

嬉しいような、みんなに悪いような気がするけど、もう行くね。少し寄る所があるから」

 

「えー!?一緒にレストラン行こうよー」

 

「ごめん。もうひとりだけ大事な人がいるの。ほら、小泉さんとあと一人、ね?」

 

「む~!早く来てよね!」

 

「すぐ行く!じゃあね!」

 

西園寺さんのコテージが出ると、最後にプレゼントを渡したい人のコテージを訪ねた。

何だか、王女様に謁見するようで緊張した。いや、実際これから王女様に会うんだけど。

呼び鈴を押すと、小さな歩調の足音が静かに近づいてきて、ドアが開いた。

 

「あら、江ノ島さん。その格好どうなさったの!?」

 

「たくさんのハズレと1つのアタリ!

モノモノヤシーンを大量に回してようやく手に入れたの」

 

「一体何が欲しかったんですか?」

 

彼女が首をかしげて青い瞳をぱちくりさせる。本当に美人だなぁ。

 

「私が使うものじゃないの。今朝のお礼がしたくて」

 

「お礼?」

 

「みんなでいろいろオシャレの仕方を教えてくれたよね。あれ、とっても嬉しかったの。

だから何か形でお礼をしたくて。……これ、受け取って」

 

クグロフを差し出すと、彼女がパッと明るい笑顔を浮かべた。

よし!3人全員に喜んでもらえたぞ!

 

「まぁ!クグロフはわたくしの大好物なんです!ありがとうございます!」

 

「よかった!私も喜んでもらえて嬉しい」

 

「でも……もうすぐ夕食の時間ですね。今は食べられそうにありません。

明日のおやつにさせてもらいますね」

 

「うん。今食べたら、夕飯が入らなくなっちゃうからね」

 

「わたくしは少し支度がありますので、先にレストランに行ってくださいな」

 

「わかった!また後でね」

 

ソニアさんと別れた僕は、達成感と幸福感で有頂天になっていた。

一旦テントに荷物を下ろしに戻ってから、スキップでホテルに向かった。

みんなに変な目で見られたけど、そんなことどうだっていいや。

 

みんなと少しでも距離が縮まったこと、

顔を合わせてお話しできたことが嬉しかったんだ。

この後花村君と嫌でも接近することになるけど、僕はちっとも気にしない!

 

ちなみに、日向君にはアメリカンクラッカーを渡したけど、微妙な顔をされた。

やってみると面白いんだけどなぁ。世代じゃないからしょうがないか。

 

 

 

 

 

……わたくしは、監視カメラに人差し指でバツ印を作り、動作を止めると、

テーブルに置いたものに目を向けました。

皿に乗ったクグロフ。

それを手に取るとわたくしは、ゴミ箱に思い切り叩き込んだのでした。

 

 




ショクザイ ノ カケラ ヲ ゲットシマシタ

トガミ ビャクヤ ×30
ナナミ チアキ  ×50
ツミキ ミカン  ×50
ミオダ イブキ  ×30
クズリュウ フユヒコ ×30
ペコヤマ ペコ  ×30
タナカ ガンダム ×50
オワリ アカネ  ×10
ニダイ ネコマル ×30
コイズミ マヒル ×50
サイオンジ ヒヨコ×50
ヒナタ ハジメ  ×10


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第10章 それは淡雪のように

「まだ、続けるつもりか……?」

 

『言ったはずだよ。世界から絶望を消し去るまで。

あるいは……江ノ島盾子の姿をした何者かが潔白を証明するまで、

このプロジェクトを中止するつもりはない。未来機関全体の方針だ』

 

通話の相手は苗木誠。未来機関の幹部候補生、らしい。

俺達はまた電子生徒手帳で江ノ島への対応について話し合っていた。

話し合いと言っても、これまで主張が噛み合ったことは殆どない。

 

「苗木。前に江ノ島の修学旅行について、掲示板のログを俺に見せたよな?

今、テレビで中継されてる江ノ島が本物かどうか、

あるいはこの方法が正しいかどうかを疑問視する者が多かった。

こっちでも同じことが起きてる。あいつが江ノ島盾子には間違いないにしろ、

本当に絶望の江ノ島なのか、多くの仲間が疑問を抱き始めてる。

前に頼んだ再調査はどうなってる?

双子がいたとかそういう可能性は全くなかったのか?」

 

『双子ならいたよ』

 

「なんだと!?」

 

『もう亡くなってるけどね。

78期生のコロシアイ学園生活に、江ノ島盾子に化けて紛れ込んでたんだけど、

江ノ島自身に殺された』

 

「くそ、他には!」

 

『以前話した事と変わらない。江ノ島盾子のDNAが彼女のものと完全に一致。

やはり再調査でも、そちらの江ノ島は世界を絶望に陥れた張本人だという結論に至った』

 

「苗木も中継は見てるんだろう!お前はどう思う?

あいつが本当に大勢の人間を狂わせ、殺し合わせたと思うのか?」

 

『ボクの主観では……そうは思えない』

 

「だったら!」

 

『でも、1%でも可能性が残っている限り、

このプロジェクトの中止を具申するつもりはないよ。

あの学園生活のような事態が世界中で起こっている今はね。

絶望から解放されたAグループが順調に割合を広げている現状では、なおさらだ』

 

「可能性について言及するなら、自分達が危ない橋を渡ってることに気づいてくれ!」

 

『どういうことだい?』

 

「もし彼女が本当に別人だったら、未来機関、いや、世界は……終わりだぞ」

 

『……それについては上に伝えておくよ。それはそうと、今日は慰労会の日なんだろう?

一日くらいゆっくり休んでくれ。日向クンは日頃働き詰めなんだから』

 

「話をそらすな!Cグループはどうなってる!

絶望の深みにはまって、殺すしかなくなった人間は!?」

 

『目下対処中だよ。日向クン、顔色良くないよ。

心労が溜まっているなら、引率は弐大君にでも任せて、君はコテージで一日……』

 

「もういい!」

 

俺はテレビ電話の通話を切った。もう江ノ島盾子が来てから半月が経った。

初めは彼女に対して激しい憎しみを燃やしていたみんなも、

2度の学級裁判や交流を経て、徐々に態度を軟化させていった。

一部には熱狂的なファンすらいるらしい。

まぁ、そこまで行くと稀な例外と無視したほうがいいだろうが。

 

苗木の言い分もわかる。“それが罠だから油断するな”。

だが……俺には、ドジでいつもみんなにいじられてる彼女が、

絶望の化身だとはどうしても思えない。

あいつにもここに来て彼女と直接話をしてもらいたんだが。

……そろそろ行こう。みんなを待たせてもいけない。

 

 

 

 

 

「るるるるる~ん、のタリラリラン♪」

 

今日は楽しい慰労会。

いつもは汗ですぐ流れるから軽めに済ませてるお化粧も、バッチリ決めてるよ。

最初は四苦八苦してた髪のセットやお化粧も、江ノ島頭脳の覚えの早さで、

初日みたいに深夜3時に起きてギリギリ間に合う、なんてことはなくなった。

 

あ、慰労会っていうのはね、月に一日だけ日曜以外に囚人の労役が免除される日なんだ。

それで、ここからが肝心。ただお休みになるだけじゃなくて、

全体が遊園地になっている、4番目の島が開放されるんだ!

そこでは閉園時間まで遊び放題!よーし、遊びまくるぞ~。

まずメリーゴーランドで肩慣らししようかな。それともいきなり絶叫マシンかな。

 

……ダメダメ、夢に浸ってないで、早く準備しなきゃ。

みんなとはホテル正門前で待ち合わせだから、

早く大きなツインテールを毛先まで入念に手入れしなきゃ。

しっかりドライヤーをかけたブロンドに、ヘアスプレーをまんべんなく振って、

丁寧にヘアブラシで梳く。

その時、入り口に誰かの気配。

一応着替え用の仕切りが立ててあるから、ここからは見えない。

大きく後ろに反って入り口を覗き込む。

 

「江ノ島さん、大体皆さん集まられましたので、あなたもそろそろ来てもらえますか?」

 

「ああっ、ソニアさん。ごめんね、すぐ行く!

私、遊園地に行くの初めてだから楽しみなの」

 

「フフ、慌てなくても大丈夫です。とても楽しいところですよ。色々と」

 

ソニアさんが迎えに来てくれた。早くしなきゃ。

手早く髪を梳くと、立ち上がって出発の支度を整えた。

 

「お待たせ!じゃあ、一緒に行こうよ」

 

「ええ、行きましょう。……やだ、わたくしったら。

ハンカチを洗濯したまま忘れてしまいましたわ。先に行っててくださいますか?」

 

「わかったわ」

 

「では、また後で。……あら、それは?」

 

彼女がベッドの隅に座っているアンティークドールのマリーに気がついた。

さすがに気恥ずかしくて頭をかく。

 

「ア、ハハ。見られちゃったね。

モノモノヤシーンで手に入れたんだけど、妙に気を引かれちゃって。

マリーなんて名前まで付けて家族みたいにしてるの。

……いい年して、子供っぽいわよね?」

 

「そんなことはありません。女の子らしいかわいい趣味ですわ。

さ、急がないと皆さん行ってしまいますよ」

 

「あーそうだった!また後でね!」

 

そして僕はホテル入り口まで駆け出した。

ソニアさんはアンティークドールが珍しいのか、少しの間テントにいたみたいだけど。

 

「……ふーん。本当、女らしい」

 

 

 

ホテルの門の前には殆ど全員が集まっていた。合流するなり怒られる。

自分ではだいぶみんなと馴染んできたと思ってるんだけど、

しょっちゅう叱られることだけは、なぜか変わってないんだ……

 

「ごめーん、みんな!待った?」

 

「盾子ちゃーん、オイッス!」

 

「澪田さんオイッス!じゃなくて、遅れてごめんね!」

 

「遅いぞ、愚か者め!この十神白夜を待たせるとはどういう了見だ!」

 

「ごめんよ、ごめんなさい!」

 

「無謀な行為だぞ江ノ島盾子!あと5分到着が遅ければ、時の女神ノルンが暴走し、

現在・過去・未来は融合!宇宙を支配する時の理が結合と反発を繰り返し、

死者は蘇り生者は土に還り、世界の破滅が」

 

「本当にごめんなさい!“みんな待ってるぞ”ってことだよね?ごめんなさい!」

 

「豚足も中二病もうっせーんだよ!

責めるならまだ来てない日向おにぃを責めろっての、脳内遊園地野郎が!」

 

「日寄子ちゃん、落ち着いて。でも確かに日向、遅いね。それにソニアちゃんも。

珍しいよね」

 

日向君はわからないけど、ソニアさんには会ったばかりだ。

ついさっきのやり取りを小泉さん達に説明する。

 

「ソニアさんなら、ハンカチを忘れたから取りに行くって言ってたわ。

すぐに来ると思う」

 

「そうなの。じゃあもうすぐね」

 

彼女が手持ち無沙汰になって足元の小石を軽く蹴り始めると、

“おーい”という声が聞こえてきて、日向君が走ってきた。

同時にソニアさんもコテージのエリアから現れた。これで全員合流だね!

 

「悪い、ちょっと連絡があって遅くなった」

 

「すみません、皆さん。わたくしのせいで遅くなってしまって」

 

「遅いー!開園時間に間に合わなかったら、

日向おにぃは頭のアンテナで、ヨーヨー釣り100個やってもらうからね!

もう、早く行こうよ!」

 

そう言うと、誰の返事も聞かずに、西園寺さんが先に走り出してしまった。

 

「なんで俺だけ……おい、待てってー」

 

そして彼女を追いかける日向君。

微笑ましい光景を目に、日頃の重責から解き放たれたみんなが小さく笑う。

僕達は歩いて2人についていく形で、4番目の島に向かった。

労役の途中、遠くの景色に見たことだけはあるテーマパーク。

楽しそうだけど、いつもは橋の入り口に柵が建てられてて近づけない。

でも今日だけは別。内心ワクワクしていると、罪木さんが話しかけてきた。

 

「えへぇ。江ノ島さん、今日は一段とお化粧も綺麗で、素敵ですぅ。

遊園地に着いたら、一緒に行動しませんか?」

 

「ありがとうね。せっかくのお誘いだけど、きっと“彼女”は出てこないと思うわ」

 

「それでも江ノ島さんと一緒に遊園地巡りをしたいんです。駄目ですか……?」

 

「いやいや、そういう意味じゃないの!私でよかったら、一緒に遊びましょう」

 

嫌だと言っても彼女が腕に抱きついて離れそうにない。

あと、柔らかいものが2つ押し付けられてる。

妙な世界にのめり込まないよう、精神を強く持たなきゃ!

 

そんな感じで個性豊かすぎるみんなと雑談をしながら、道を歩くこと約20分。

中央島を経由して、とうとう4番目の島に着いた。

ジェットコースター、観覧車、ゴーカート。見渡す限りのアトラクションに心が弾む。

 

「わぁい!遊園地なんて、子供の頃、宝塚ファミリーランドに行ったきりなの!

間近で見ると広いねー。どこから行こうかしら」

 

「宝塚…どこ?江ノ島おねぇ微妙に貧乏くさいし、はしゃぎ過ぎ」

 

「え、知らないの?確かにもう潰れちゃったけど、近畿地方で知らない人はいないよ?」

 

「さも常識みたいに語られてもわかんないよ!

もういいから、とにかく一緒にアトラクションに行こうよ!

開園時間は限られてるんだし!」

 

「あぁ~待ってくださーい!私も江ノ島さんとデートが……」

 

今にも走り出そうとする西園寺さんを、僕や罪木さんを追いかけようとした時、

日向君が皆に呼びかけた。

 

「みんな、すぐ遊びに行きたいだろうが、少しだけ話を聞いてくれ」

 

「ゲッ、もういいって。毎回同じこと言ってるじゃん!」

 

「大事なことなんだ。

これを伝えるのもリーダーの務めだ。すぐ終わるから我慢してくれ。

まず、ここで遊べるのは午前9時から午後5時まで。

1分でも過ぎると、罰金として大量のウサミメダルが、

自動的に生徒手帳から差し引かれる。払えない場合は毎月の給与から天引き。

1月で支払える金額じゃないってことだ。

くれぐれもアトラクションは計画的に回ってくれ。

あと、お菓子やジュースの類は無料だが、全部セルフサービスだ。

当然スタッフなんかいないから、

ソフトクリームを作る時はこぼさないように気をつけろ。

そして、ドッキリハウスは立入禁止。違反者は時間を問わず島から強制退去だ。

俺からは以上だが、最後に。……みんな今日は遊びまくれー!!」

 

うぉー!と男子も女子も雄叫びのような歓声を上げて遊園地に散っていく。

誰もがさっそくパーク内の巡回路面電車や、観覧車に乗って楽しそうだ。

僕もジェットコースターに乗ろうと乗り場に向かうけど……

やっぱりさっきのメンツが僕の取り合いをする。

 

「江ノ島おねぇはわたしとゴーカートに乗るんだよ!

ゲロブ…罪木おねぇは引っ込んでろ!」

 

「いくら西園寺さんでもこれだけは譲れません!

彼女は私と観覧車の中で、そう、密室で、逃げ場のない空間で……えへへへ」

 

「小泉おねぇ!罪木おねぇがなんかキモい!こいつを叱ってよ、追っ払ってよ!」

 

「ケンカしないの、順番。

2人でジャンケンして勝ったほうから一緒に遊ぶの。いいわね?」

 

「まぁ、小泉おねぇがそう言うなら……負けないわよ、包帯女!」

 

「わ、私だって、必ず愛を勝ち取って見せまーす!」

 

「じゃあ、アタシが合図するわよ。じゃーんけーん……」

 

ここまで一切僕の要望を聞いてくれる人はいなかったけど、

それで丸く収まるなら別にいいよね?世界が平和でありますように。

昔、そんなプレートが到るところに貼ってあったんだけど、めっきり見なくなったね。

誰が何の目的で設置したのか、それは未だにわからないんだ。

というわけで、現実逃避をしてる間に、勝負が着いたみたい。

 

「やったー!江ノ島おねぇは、わたしとゴーカートに決定!」

 

「うう……せめて、一緒に遊んでもいいですよね?」

 

「ケッ、来んのかよ」

 

「日寄子ちゃん、いじわる言わないの。

ソニアちゃんも誘いたいんだけど……さっきから見当たらないのよね。

まぁ、きっと他の誰かと遊んでるわよね。行きましょう」

 

「うん、行こう行こう!」

 

こうして、久しぶりに発言した僕は、みんなとゴーカートのエリアに向かった。

 

 

 

「行けー!罪木おねぇをクラッシュさせろー!」

 

「あう~私にぶつけないでください~」

 

「罪木さんもやり返せばいいと思うわよー」

 

「無理ですぅ~運転するので精一杯で……」

 

「ほら、みんな、こっち向いてー」

 

車体に分厚い安全用ゴムクッションが付いた低速の車を操縦して、

なんだかんだ言って僕も楽しんでいた。

小泉さんはコースの外から、僕達の様子を写真に収めてる。

やっぱり超高校級の写真家の彼女は、みんなの笑顔を撮る方が楽しいのかな。

他のメンバーも色んなアトラクションで思い思いに楽しんでたみたい。

後から聞いた話だけど、みんなの様子を紹介するね。

 

 

 

 

 

♪~♫~♪~

 

「……」

 

「なあ、ペコ」

 

「なんでしょう、ぼっちゃん」

 

「お前、本当にコレに乗りたかったのか?」

 

「はい。正確には、ぼっちゃんと一緒に、ですが」

 

「お前のことだから絶叫マシンの方が趣味だと思ったんだが。

まあ、お前がいいなら俺は構わねえけどよ」

 

「ぼっちゃんを付き合わせてしまい、申し訳ありません」

 

「気にすんな。別に何か損するわけでもねえんだし」

 

(まさかペコ、俺がメリーゴーランドに乗ってみたいことを察して、

自分が乗りたいとか言い出したんじゃねえだろうな……?)

 

(ぼっちゃん、お許しを。あなたがそう思うのを逆手に取って、

ファンシーなメリーゴーランドに乗る口実にしてしまいました。

本当はただ乗りたかっただけなんです。

私のキャラ的にも年齢的にも、それはあまりに体裁が悪くて……)

 

気を遣い合う二人だったけど、

結局メリーゴーランドに乗りたいのは一緒だったらしいよ?

 

 

 

 

 

スナックコーナーで慌ただしく動き回る人が2人。

 

「うおおお!何回来てもここは天国だぜ!アイスも、ジュースも、食い放題、飲み放題!

今だけ、今だけ、現実を忘れてもいいよな?

次はポップコーンキャラメル味Lサイズを……」

 

「いかんぞ終里!」

 

「え、どうしたんだよ、オッサン?」

 

「糖分と炭水化物だけでは肥満の原因になる。

体型維持のためには、緑黄色野菜もバランス良く摂取しなければならぬ!

故にコレを食え!」

 

「これは?」

 

「ワシが焼いた、

30種の山盛り野菜の上に激辛シシケバブを乗せた、特製巨大クレープじゃ!

各種ビタミンのバランスが取れた野菜と、

発汗を促し自律神経を整える作用のあるスパイス、

そして肉のタンパク質を同時に摂れる、栄養満点のアスリート向けクレープ!」

 

「おお、美味そう!んぐんぐ……うめえ!

オッサンにこんな才能があったなんて知らなかったぜ!」

 

「フッ、トレーニーに必要な栄養源を確保できないようでは、

マネージャー失格であるからな」

 

「モゴモゴ…あと2つは食いたいからもっと焼いてくれよ!」

 

「おし来たぁ!野菜を食って、快食快便じゃあ!!」

 

このコンビはいつでも息ぴったりだね。

 

 

 

 

 

アトラクションにも乗らず、パーク内をうろついている花村君。

それを不思議に思った日向君が彼に声を掛けた。

 

「どうしたんだ花村、乗り物にも乗らないで。せっかく羽を伸ばせる一日なのに。

一緒に遊ぶ人がいないなら俺が……」

 

「違うよ!勝手にぼくを寂しい人にしないでよね!

ロマンを探して夢の国を散策してるんだから!」

 

「ロマン?」

 

「えへへ……ねえ、日向くんは、

あの観覧車やタワーから落下する絶叫マシンを見てどう思う?」

 

「どうって、楽しそうだと思うぞ?」

 

「わかってないなぁ。実にわかってないよ、君は」

 

「話が見えないぞ」

 

「そう、見えないんだよ!普段は鉄壁の盾でガードされていてね。

でも、今の状況なら突破できる可能性が僅かにあるんだ。

つまり!観覧車を下から覗くと!絶叫マシンを真下から眺めると!

角度の関係や風圧で無防備になったスカートの中身が」

 

「聞くだけ無駄だった。多分、その辺のことは遊具の設計者も織り込み済みで、

絶対見えないようになってると思うぞ。じゃあな」

 

「はびばっ!?じゃあ、ぼくの努力は一体……」

 

本当にぶれない、決してぶれない。彼は本当に。

 

 

 

 

 

僕が乗りたかったジェットコースターに一番乗りしたのは、このメンバーだった。

 

「キャッホーイ!“サイクロンマッハデスコースター”!

唯吹、これに乗るためだけに来てるようなモンっす!」

 

「ここは一体どうなっている!

身長制限ならともかく、“体重制限で乗れません”とはどういうことだ!

責任者を出せ!」

 

「だーかーらー、ここは無人だっつってるだろ。諦めて他のアトラクション乗れよ。

あ……ここが駄目なら他も駄目なんじゃねーの?」

 

「うむ、左右田の言う通り、

七つの大罪“暴食”の化身たる貴様が、ノアの方舟に乗ることは許されない。

だが、諦めるにはまだ早いぞ!堕天し、翼を得るのだ!

さすれば漆黒の翼は貴様を天に舞い上げようぞ!

神との戦いは熾烈なものになるだろうが、恐れるな!」

 

「よーするに“痩せろ”っていうことっすよね!唯吹いっちばーん!」

 

「あ、待てよ。操作は最前席のタッチパネルでやるんだ。俺に触らせろよ。

ここの仕組み、高度に自動化されてて何回見ても飽きねーんだ」

 

「では参るとするか。冥界へと続く、死出の旅路へ!」

 

「待て、まだ話は終わってない……!」

 

“間もなく発車致します。安全バーが下りていることを確認してください”

 

「貴様ら、この十神白夜を」

 

“阿鼻叫喚の絶叫地獄へようこそ。当園は命知らずのお客様に臨死体験を提供致します”

 

「……」

 

その後、十神君はスナックコーナーで弐大君の料理をやけ食いしてたらしい。

ちょっと気の毒だな……

 

 

 

 

 

ゲームセンターにはたった一人奮闘する少女が。

 

「今度こそ、閉園時間までに、100億点オーバーしなきゃ」

 

弾幕系シューティングに命を賭ける七海さんは、

画面を埋め尽くす無数の敵弾を、絶妙なコントロールで避け続けていた。

一度だけプレイしてみたけど、人間の能力の限界を超えてる。あれは。

 

 

 

 

 

……わたくしは、連れ合いもなく、ただ一人テーマパークを散策していました。

店舗、アトラクション、備品の設置状況。全て予定通りです。

偶然通りかかった巨大な建物。ネズミー城というらしいです。

西洋の城を真似たようですが、似ても似つかぬゲテモノ。

ゲートではピンク色のネズミのキャラクターが、間抜けな顔をして笑っています。

 

わたくしの祖国にこんなものを造ったら即座に不敬罪で死刑でしょう。

祖国。思い出すと腸が煮えくり返る思いです。……いえ、考え方を変えましょう。

このふざけた城をあの女の墓標にするのです。そう、あの女に相応しい死を。

 

 

 

 

 

ゴーカートも観覧車も乗り終わって、結局目につく乗り物全部に立ち寄っていたら、

後回しになっていた僕の順番がようやく回ってきた。そろそろお昼ご飯の時間かな。

 

「ねえ、次はジェットコースターに行ってもいい?

私、どうしてもあれに乗ってみたいの……」

 

「そうだね。日寄子ちゃんも蜜柑ちゃんもそれでいいでしょ。

盾子ちゃんのリクエストも聞いてあげなきゃ。

あ、苦手なら見送ってくれるだけでいいからね」

 

「オッケー!次はサイクロンマッハデスコースターに突撃ー!」

 

「わわ、私は遠慮しておきます~

あんなの、事故が起きたら死んじゃうじゃないですか~」

 

「んなもん、どのアトラクションでもおんなじだろうが!

江ノ島おねぇ、こんなビビリ放っといて早く行こうよー」

 

「ちょっと待って」

 

「どうしたの、盾子ちゃん」

 

「ソニアさんはどこかな。彼女にも声を掛けて、できれば一緒に行きたいな」

 

「そう言えば、ここに来てから姿を見てないよね。

アタシも誘ってみようとはしたんだけど、結局見つからなかったの……

じゃあ、まずはみんなでソニアちゃんを探してみようか」

 

「そっか。ソニアおねぇもいないと寂しいもんね」

 

「あ、あの、私は路面汽車の辺りを探してきます……」

 

「お願いね。アタシはネズミー城の方を当たってみる」

 

「わたしは小泉おねぇと一緒に行く~」

 

「私はお土産品コーナー前の広場を探してみるね。

えと、見つからなくても15分後にここに集合ってことでいい、かしら?」

 

「そうしましょ。それじゃあ、一旦解散ね!」

 

そして僕達はソニアさんを探しに散らばった。

ここから広場までは少し距離があるけど、走れば3分ほどで着く。

休憩スペースでもある広場には、多数のベンチや、

ジュースや軽食の包み紙なんかを捨てるゴミ箱が並んでいる。

ベンチの一つに、見慣れたブロンドとグリーンのドレスが。ビンゴ!

 

「ソニアさーん」

 

呼びかけながら彼女に駆け寄ると、ゆっくりと彼女が振り返って微笑んだ。

よかった、すぐ見つかって。

 

「こんにちは、江ノ島さん。初の慰労会、楽しんでいらっしゃいますか?」

 

「うん!みんなと一緒にゴーカートや観覧車とか色々乗ってさ。

でも、ソニアさんが見つからなくて、誘えなかったの。ごめんなさい……」

 

「いえいえ、気になさらないでください。

ちょっと一人でぶらぶらしたい気分だったので、人の少ない所を歩いていたんです」

 

「そうだったんだ。

今からみんなでジェットコースターに乗ろうって話になってるんだけど、

ソニアさんもどうかしら」

 

彼女は目を閉じて額に手を当て、首を振った。

 

「すみません。気分が優れなくて、乗り物には乗れそうにありません……

日差しに当たりすぎたようで」

 

「えっ、大丈夫?」

 

「少し休めば大丈夫です。あの、すみませんが、お水を頂けないでしょうか。

あのお土産品コーナーでジュースも提供しているので……」

 

「待ってて、すぐ行ってくる!」

 

僕は、小さな店舗に走ると、店の奥に入り、

大きめの紙コップに適量の氷といっぱいの水を注いで、

急いでソニアさんのところに戻った。

 

「はい、どうぞ。足りなかったら言ってね」

 

「ありがとうございます」

 

彼女は一口水を飲むと、ひとつ息をついてパークを眺める。

つられて僕も改めて広大な4番目の島を見渡す。

 

「ふぅ……ここは本当にいいところですね。まるで夢の国みたい」

 

「うん!みんな楽しそうだし、私も楽しいよ。

慰労会がこんなに素敵だなんて思わなかった。

みんな明日から頑張ろうって気になると思うわ」

 

「ええ、そうですね。そして美しい景色。

あのジェットコースターに乗ってる澪田さんから、

粉雪のようなものが降り注いでいます。

まるで季節外れの雪のような儚さがありますね」

 

「雪?」

 

ジェットコースターを見ると、澪田さんがぐったりして盛大に泡を吹いてる。

開園とほぼ同時に乗り込んでるのを見て、羨ましいと思ってたけど……

ひょっとして今までずっと乗りっぱなしだったの!?

大変だ!僕は広場の真ん中に飛び出して、誰かいないか探しまわる。けど、誰もいない。

 

「おーい!澪田さんが大変だよ!今すぐコースターを止めてー!」

 

応答なし。こういう時には……

 

「ウサミ!緊急事態だよ!早く来て!」

 

「はいでち!」

 

ポン、と空間に突然出現したウサミ。僕は即座に用件だけ告げる。

 

「澪田さんがジェットコースターの乗り過ぎで死にそうなんだ!

今すぐマシンを停止して!」

 

「あわわわ!澪田さんが泡を吹いてるでち!

あ、今のは“あわわわ”と“泡”をかけたわけじゃ……」

 

「お願い急いで!私は罪木さんを呼んでくるから!」

 

考えれば、体調を崩しているソニアさんにも治療が必要だね。

でも、急いで彼女のところに戻ると……僕はとんでもないものを見た。

 

一筋の血を吐いて地面に倒れているソニアさん。

 

思考が停止する。すぐ罪木さんを呼んでこなきゃいけないのに、

余計な疑問が頭を埋め尽くし、膝が笑って足を動かせない。

 

「あ、あ……」

 

なんで?テーマパークで人が?事故?殺人?助けなきゃ、でもどうやって?

迷っているうちに、後ろからバタバタと数人の足音が近づいてきた。

 

「どうした江ノ島!むっ、なんじゃあこれは!!」

 

「ソニア!?どうしたんだよオイ!」

 

「お願い、誰か、救急車を……」

 

そんなものあるはずないのに、つい現実世界の癖で口走る。メンバーが更に集まる。

あ、リーダーの日向君も来てくれた!思わず彼にすがりつくように訴えた。

 

「どうしよう日向君、ソニアさんが血を吐いて大変なんだよー!」

 

「ソニアが!?なっ……これは一体!ウサミ、来い!」

 

「澪田さんの救護は終わったでちゅ。単なる過労だったでち!まったく人騒がせな……

はわわ!ソニアさんが血まみれでちゅ!」

 

「罪木さんだ、罪木さんを呼んでこなきゃ!僕、戻って探してくる」

 

「待て江ノ島!」

 

「どうしたの、急がなきゃ!」

 

「こういう時のために、ウサミには《強制システム変更プロトコル》が備わってる。

非常事態が起こった時に、リーダーである俺の承認で、

ウサミのステッキが一時的に、この希望更生プログラム内の人・物問わず、

あらゆる要素に干渉可能になる。つまり、ほぼ何でも出来るようになるってことだ」

 

日向君は電子生徒手帳を操作しながら早口で説明する。

 

「ウサミ、権限を送った。メンバーを2グループに分けて転送してくれ。

Aグループはソニア、罪木を含む医療班。Bグループは捜査班だ。急げ」

 

「了解。強制システムプロトコル実行。管理者日向創による一時的権限の移譲を確認。

プログラムに接続中ユーザーの強制転送を実行します」

 

突然機械的な口調になったウサミがステッキをバトンのように一回転させると、

ソニアさんや弐大君達が消失し、広場に数人のメンバーがワープしてきた。

ここに残ったのは、

僕を含めて、日向君、七海さん、田中君、西園寺さん、小泉さん、終里さん。

 

転送が終わると、日向君がまずは一段落、と言った様子で額の汗を拭う。

楽しい雰囲気が一転、流血の惨事になってしまった。僕は恐る恐る日向君に尋ねる。

 

「……ねえ、ソニアさん大丈夫かなぁ。

私がちょっと目を離したら、こんなことになってて。

それに医療班はわかるけど、捜査班って?」

 

「まず、強制システム変更プロトコルについて説明するぞ。

今のような非常時には俺の権限でウサミの能力を大幅に拡張できるんだが、

その機能にシステムが多くの処理能力を割くから、

セキュリティシステムの性能が一時的に落ちる。

だから、おいそれと使うわけにはいかないんだ。

お前が来たばかりの時、あの事件で使えなかったのは、そのためだ。

なんというか、あの頃はまだお前にプログラムの命を預けるべきか、

判断できなかったからな……すまない」

 

「そんなことどうでもいいよ!ソニアさんは助かるの?助かるよね?

さっきの何とかプロトコルでソニアさんを治してよ!」

 

「悪いが、それは、できないんだ……」

 

「どうして!?」

 

「言っただろう?強制プロトコルは諸刃の剣なんだ。

ウサミを全能の神に出来る代わりに、希望更生プログラム自体を危険に晒すことになる。

実際、この世界は今でも24時間、絶望の残党からサイバー攻撃を受け続けてる。

さっきの転送も本来なら危険な行為だったんだ。

気持ちは分かるが、今は罪木を信じるしかない」

 

「そうなんだ……じゃあ、捜査班って何なの?どうして2班に分けたの?

そりゃ、私達が行ったってソニアさんが治るわけじゃないけど……」

 

日向君はメンバーを2グループに分けた。1つは言うまでもなくソニアさんの救助。

もう一つは。

 

「これが、殺人事件だからだ。俺達は現場の捜査に当たる」

 

「えっ?」

 

と、しか言えなかった。

突然血を吐いたソニアさんが、何か病気に罹ったとばかり思っていたから。

震えた声でどうにか彼に疑問をぶつける。

 

「殺人事件?どうして、そんなことが、わかるのかな……?」

 

そして日向君は、苦々しい表情で、ソニアさんが倒れていた辺りを指差した。

 

“16 ハンニン”

 

ドクン、と心臓が一回跳ねた。16。つまり僕の囚人番号。

明らかに僕に殺されたと示すダイイングメッセージ。

 

「俺も初めから江ノ島が犯人だと決めつけたくはない。

だが、ソニア本人がこんなメッセージを残している以上……

大きな可能性から検証していくしかない。わかるな?」

 

「……わかる、わかるよ、でも違うんだ、お願い信じて!!」

 

「落ち着け。だから捜査班を編成したんだ。

とにかく、この辺りを全員で徹底的に調べるんだ。

お前も無実を証明して、真犯人を捕まえたいなら、自分の足で証拠を探すんだ」

 

「う、うん!やってみるわ……!」

 

 

■捜査開始

 

 

それから広場一帯での捜索が始まった。

まず一つ目の証拠は、僕が犯人であることを示すようなダイイングメッセージ。

 

○ダイイングメッセージ

“16 ハンニン”

ソニアが自らの血で書き残した。

 

「どうして!なんで盾子ちゃんが犯人なわけ!?」

 

「だ、大丈夫よ小泉さん。きっと何か別の意味があるのよ。何かはわからないけど……」

 

「アタシ、行ってくる。盾子ちゃんが犯人じゃないって証拠を探しにね!」

 

「ありがとう小泉さん……」

 

彼女の後ろ姿を見送るけど、途方に暮れる僕は何も出来ずにうろうろしていた。

すると、足に何か軽いものが当たった。これは……ソニアさんが水を飲んだ紙コップ。

手に取ると、底のほうにまだ少し水が残っている。

 

「貸して」

 

鈴のような小さな声に気がつくと、いつの間にか七海さんがそばにいた。

彼女が手を伸ばしているから、黙ってコップを渡した。

そして底に溜まった水に人差し指を付けると、水を舐めた……と思った瞬間、

ペッと唾のようなものを吐き捨てた!

 

「な、何やってるの!?」

 

「うん。やっぱりソニアさんは毒を盛られたんだよ。舌がピリピリする」

 

「危ないこととドッキリすることはやめてよ、心臓に悪い……」

 

事件捜査の一貫とは言え、

七海さんみたいにかわいい娘が道に唾を吐くのを見ると、ドキッとするんだよ……

 

○水のカップ

毒の混入した水が入っていた紙コップ。底に残っていた水から毒薬が検出された。

 

他のメンバーも、それぞれ広場の捜索を続ける。

終里さんは、お土産品コーナーのキッチンを適当に探していた。

 

「ちくしょー、ここは盲点だったぜ。

野菜やフルーツがゴロゴロ入ったスムージーを置いてやがる。

スナックコーナーには普通のジュースしかなかったんだよな。

……一杯くらい、いいよな?」

 

紙コップを手に取り、

ジュースやスムージーのサーバーが並んでいるスペースに近寄ると、

足元に何かが落ちていた。

 

「なんだこりゃあ?一応後でみんなに見せるか」

 

○ラップ

白い粉末が付着している、15cm四方のラップ

 

その頃、西園寺さんは、そこら中にあるゴミ箱を覗いて、

何か犯人に繋がる手がかりがないか、懸命に探していた。

前面の投入口を開いて、中身を調べる。

 

「江ノ島おねぇが犯人なわけねーんだよ!

きっとソニアおねぇは、知らないうちに何か病気に罹ってた。それが常識なんだよ!」

 

キーンコーンカーンコーン♪

 

[間もなく閉園時間です。

園内のお客様は、15分以内にお帰り頂ますよう、お願い申し上げまーす]

 

「うっせえ!こっちは急いでんだよ!お前の声イラッとくるし!」

 

○開園時間

遊園地の開園時間は午前9時から午後5時まで

 

○園内設備の利用ルール

・アイスやジュースはセルフサービス。飲み放題食べ放題!

・アトラクションは備え付けのタッチパネルで操作してね。簡単だから大丈夫!

・滞在時間は守りましょう。

 閉園時刻を過ぎても残っている人には罰金を払ってもらいます。

 

「どうしよう。犯人が何か隠すとしたらゴミ箱なのに、調べきれないよ……」

 

あまりにも多いゴミ箱に挫けそうになる西園寺さんに、彼の高笑いが。

 

「フハハハ!諦めるな、放浪の探求者よ!

我が下僕、破壊神暗黒四天王とその同胞(はらから)の軍勢にかかれば、

真実をひた隠す悪魔の胃袋に風穴を開けることなど容易いこと!

征くのだ、神に背を向けし血塗れの獣達よ!」

 

「そっか!田中おにぃのハムスターなら、あっという間にバカみたいに多いゴミ箱を!」

 

○園内のゴミ箱

遊園地内に多数設置されているゴミ箱。閉園までに全て調べきることはできなかった。

 

[閉園3分前です。間もなくカウントダウンが始まります。3分前]

 

「できませんでした……」

 

「あんだよ役に立たねえな!大体ゴミ箱多すぎなんだよ!

そんなに汚されたくなかったら最初から作んな、こんなとこ!」

 

身も蓋もないことを言って、西園寺さんはゴミ箱のひとつを蹴飛ばした。

とりあえず、アナウンスを聞いた全員がそれぞれ4番目の島を後にした。

まだ証拠品が残ってるかもしれないのに……!

悔しい気持ちを抱えながら、橋の前で全員集合し、見つけた証拠品を持ち寄った。

 

「うん…そうか、大したことはないんだな。わかった、伝えとく。罪木にもよろしく」

 

日向君は電子生徒手帳で誰かと通話している。電話を切ると、僕達に告げた。

 

「みんな、ソニアは助かった。罪木の分析によると、毒を盛られたのは間違いないが、

薬品の毒性は弱くて、命に関わるほどのものじゃないそうだ。意識も回復してる」

 

今日ほど、ほっとした気持ちになったことはないよ……

それはみんなも同じで、一斉に息をついた。

 

「さて、病院に向かう前に、俺達にできることをやっておこう。

何か見つけたなら貸してくれ。俺が保管しておく」

 

「じゃあ、さっきお土産品コーナーでこんなもん拾ったんだが、役に立ちそうか?」

 

終里さんが日向君に透明な小さなシートを渡した。

 

「ラップ?なにか白い粉が付いてるな。一応預かっとく。ありがとう。他には?」

 

今度は七海さんが紙コップを渡す。

 

「はい。ソニアさんが飲んでた水のコップ。やっぱり残ってた水に毒が入ってたよ」

 

「入ってたって、なんでそんなことわかったんだ?」

 

「舐めてみたから」

 

「何やってんだ!強力な毒だったら、死んでたんだぞ!?青酸カリとか!」

 

「それは私も驚いたの。七海さん?私、気が小さいから、無茶は止めてね。お願い……」

 

「う~ん、これから気をつけるね」

 

「ごめん、アタシは収穫なし。ネズミー城とか怪しかったんだけどな」

 

「小泉おねぇは悪くないよ。悪いのは役立たずの田中おにぃ!」

 

「くっ……ここが俺様の造りしアストラルフィールドであれば、

左腕の力で時の概念をねじ曲げ、あらゆる黒鉄の門をこじ開けられたものをっ!」

 

「気を落とさないで。

田中君達の様子を見てたけど、あんなにたくさんのゴミ箱を全部調べるなんて無理だよ。

……待って、全部のゴミ箱を調べきれなかった?何か引っかかるな」

 

「気づいたことでもあるのか、江ノ島?」

 

「えと、ごめん。その状況に意図的な何かが絡んでるような、そんな気がするんだけど、

ぼんやりしてて上手く説明できないの……」

 

「もー、江ノ島おねぇもしっかりしてよ!おねぇの無実が賭かってるんだよ?」

 

「ごめんね。なぜか今日は江ノ島盾子が来てくれなくて、賢くなれなくて……」

 

「まぁ、それは後で考えがまとまったら教えてくれ。

とにかく、俺達も病院に行こう。ソニアの容態を確かめないと安心できないからな」

 

「うん、行こうよ!」

 

それから僕達は、3番目の島にある病院に向かった。

それが事件の本当の始まりだとは知る由もなく。

 

 

 

 

 

廊下には救護班のメンバーが待機していた。

大勢が病室内にいると、ソニアさんがゆっくり静養できないからだと思う……んだけど、

なんだか皆がチラチラ僕を見ているのは気のせいかな。

 

「罪木、ソニアの状況は?」

 

「毒物というか化学物質による、

胃のただれに伴う吐血、めまい、吐き気に襲われていたようです。

今は出血も止まって、意識もはっきりしています。元々弱い毒だったみたいですね」

 

「そうか……今、彼女と話せるか?」

 

「はい。でも、まだ体力が戻っていないので、あまり大勢の人は……」

 

「わかった。俺と江ノ島だけ病室に入る。

外のみんなにも状況が聞こえるよう、少しだけドアを開けておいてもいいか?」

 

「それなら大丈夫です。さあ、どうぞ」

 

病室に入ると、ベッドに座っているソニアさんが笑いかけてきた。

本当に、助かってくれてよかった。部屋の隅には弐大君が立っている。

 

「みなさん、ご心配をおかけしました。

おかげさまですっかり元気モリモリ夢がモリモリです」

 

「災難だったな、ソニア。とにかく無事でなによりだ」

 

「あぁ~本当に良かったよ。目の前で倒れちゃうから、びっくりしちゃった。

ソニアさんに万一のことがあったら、私どうしたらいいか……」

 

ソニアさんが、彼女の無事な姿を見て安心する僕を見て、苦笑いを浮かべた。

 

「江ノ島さん。とても言いにくいことなんですが、そういうのは、やめにしませんか?」

 

「やめる?どういうこと?」

 

彼女の発言が何を意味しているのかわからない。

 

「この際はっきりさせましょう。わたくしに、毒を盛ったのは、あなたですよね?」

 

思わぬ人物からの思わぬ疑いを掛けられ、不安と焦燥で青くなる。僕が、犯人……?

 

「え、江ノ島が犯人だって?ソニア、詳しく説明してくれないか?」

 

「だって、そうじゃないですか。

わたくしがお水を入れてくれるよう頼んだのは江ノ島さんですし、

当時周りには誰もいなかったんです」

 

○アリバイ

事件発生当時、江ノ島とソニアは二人きり。

他の皆はアトラクションで遊んでおり、江ノ島の無実を証明できる者はいない。

 

「どうして。それだけ?ひどいよソニアさん。僕はなんにもしてないんだ……」

 

「続きはワシから説明しよう、江ノ島。

済まんが、お前さんのテントを調べさせてもらった。

そしたらコンテナからこれが出てきたんじゃ」

 

弐大君が差し出したのは白いプラスチック製の大きなボトル。

ラベルの説明文は英語で読めないけど、

どぎつい赤の三角にドクロのマークが描かれていて、素人目にも毒薬だとわかる。

 

○毒薬のボトル

江ノ島のコンテナから発見された毒薬のボトル。

白い粉末状で毒性は低いが、大量に飲めば死に至る。

大さじ一杯程度なら軽い吐血、めまい、吐き気などの症状が現れる。

ラベルの説明文は英語だが、大きなドクロマークが書かれており、

誰でも毒薬であることがわかる。

 

「貸してくれ!」

 

日向君がボトルを受け取り、キャップを開ける。

 

「これは……さっき終里が見つけたものに付着していたものだと考えて間違いないな」

 

○ラップ(情報更新)

毒薬を運ぶために使用された。毒薬が少量残っている。

必要量を包み、ソニアのカップに入れるために使用された痕跡。

お土産品コーナーで発見された。

 

「きっと犯人は必要な分だけ毒薬をラップに包んで、

隙を見てソニアのコップに入れたんだろう」

 

「待って、違うの!私、ソニアさんに毒なんて……!」

 

「江ノ島さん」

 

ソニアさんが真剣な表情で僕を見つめる。思わず僕も弁解をやめてしまう。

 

「確かに、あなたのしたことは本来なら許されることではありませんが、

わたくしもかつてあなたに酷いことをしました。

レッスンの最中、何度もあなたをムチで叩きましたよね。

あれで叩かれると言葉にできない痛みが走ることは、わたくしも知っています。

その恨みを忘れられなくても当然といえば当然。

体罰を繰り返したわたくしにも、それに対して毒で報復した江ノ島さんにも、

お互い非があります。

ですから、ここは二人共怒りを水に流して、またお友達に戻りませんか?さあ……」

 

あくまでソニアさんは優しく微笑み、僕に手を差し伸べる。彼女は許すと言っている。

どうすればいいんだろう。僕は犯人じゃない。でも、それを覆すだけの証拠がない。

大した毒でもなかったんだし、認めてしまえば、また3人で仲良く……だったら。

無意識に彼女の手を握ろうとした瞬間、心の中からけたたましい笑い声が。

 

 

 

──ギャハハ!やっぱお前って底抜けに最高のバカだろ!

 

江ノ島盾子!?

 

──こんな見え見えのトラップに引っかかるようじゃ、

  ボク達も安心して肉体を任せられないかな。

 

だって、こんなに証拠が……

 

──難しいことは私達にお任せください。

  あなたの知能でこの状況に対処できないことは分かりきっていますので。

 

また、やるつもりなの?

 

──当然でしょう!女王たる私様(わたくしさま)に噛み付いた凡人貴族には、

  教育を施す必要があるわねぇ!

 

信じて、いいんだね?

 

──早く……決めてください。あなたの優柔不断さは、涙が出るほど、悲しいです……

 

わかったよ。君たちのこと、忘れてごめん。僕は、戦うって、決めたんだ。

 

 

 

パン……

 

病室内に緊張が走る。僕はソニアさんの手を、振り払っていた。

 

「江ノ島!お前、何をして……」

 

「……それが、あなたの答えなんですね?」

 

彼女は暗い笑顔を浮かべたまま、僕に問いかけた。

 

「当たり前でしょう。ソニアさん、あなたの優しさは偽物よ。

“冤罪を受け入れろ”なんて言っといて、何が水に流す、よ」

 

「なるほど……動かぬ証拠がこれだけあっても、なお足掻くおつもりですか?」

 

「ええ、そうよ。学級裁判で、クロの判決が出るまではね!」

 

「「なんだって!!」」

 

病室内外から、驚きの声が上がる。日向君が肩を掴む。

 

「おい、正気なのか!?また学級裁判をやるなんて!」

 

「被害者の彼女は私をクロだと言ってる。でも私はクロじゃない。

互いの主張が平行線なら、戦うしかないじゃない!」

 

「くそっ、また、始まるのか……!」

 

「ごめん。またみんなに協力してもらうことになるけど、

真犯人を取り逃がすことは、別の犯行を許すってことなの。日向君……お願いね」

 

「……そこまで言うなら。ウサミ、わかってるな?」

 

「うう、どうちてこんなことが3回も……とにかく、法廷の準備は任せるでちゅ」

 

「じゃが、ソニアはどうする。今の身体じゃあ、裁判なんぞ……」

 

「いいえ、参加します。江ノ島さんが頑張ろうって言ってるのに、

わたくしだけ寝ているわけには参りませんから」

 

「えうう……でも、病み上がりで無茶は」

 

「お黙りなさい!」

 

罪木さんが彼女を止めようとしたが、いつもの威厳ある声で中断された。

 

「今夜はもう遅いことですし、裁判は明朝10時に開廷。よろしいですね?」

 

「……もう決まったなら、仕方ないな。それで行こう」

 

ソニアさんの鶴の一声で、日向君も段取りを決めた。

後は出たとこ勝負。やっぱり戦うのは江ノ島盾子だけどね……

 

 

 

 

ソニアさんと罪木さん以外は解散して、コテージやテントに戻り始めた。

すっかり日は沈み、ジャバウォック刑務所に夜の帳が下りる。

道を歩いていても、誰も口を開く人はいなかったけど、僕はあえて堂々と先頭を歩いた。

 

背中に痛いほど視線を受けているのがわかるけど、ここで引いちゃ駄目なんだ。

今なら分かる。あの時、うっかりソニアさんの申し出を受けていたら、

ずっとこの視線を浴び続けることになっていた。

僕はなんてバカなんだろう。今になってそんなことに気づくなんて。

 

そして、やっぱりみんな無言のままそれぞれのコテージに戻り、

僕もテントのベッドに倒れ込んだ。

遊園地で遊んだ疲れと、殺人未遂事件のストレスで、すぐにまぶたが重くなった。

シャワーも浴びず、ベッドの隅の相棒に、お休みしてから眠りについた。

 

「マリー、力貸してね……」

 

 

 

 

 

>新規キーワードが追加されました。

 

7.強制システム変更プロトコル

 

ジャバウォック刑務所リーダーである日向創が、

運用補助AI“ウサミ”に管理者権限を一時的に移すことにより、

起動が可能になるシステム。

希望更生プログラムVer2.01内のあらゆる事象に干渉できるが、

実行中はセキュリティシステムが一時的に脆弱化するため、

使用には慎重な判断が求められる。

 

 



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第11章 阿修羅のごとく

唇にキュッとルージュを引き、ファンデーションで顔の表面を軽く整え、

ビューラーでまつげをカールさせる。顔の化粧が終わると、

トレードマークの大きなツインテールをドライヤーやスタイリング剤で丁寧にセット。

 

化粧やヘアスタイルの調整を進めるにつれ、気が引き締まる。

昨日は帰るなり寝てしまったから、朝のうちにシャワーも浴びておいた。

これで気合は十分!

 

最後に、江ノ島盾子の予備の服に着替える。

これで準備万端だけど、決してお洒落なんかじゃない。戦いに赴くための戦装束なんだ。

……そう、この技術を教えてくれた人と決着をつけるためのもの。

身支度を終えると、僕は覚悟を決めてテントを出て、

モノクマロックのある中央島へと出発した。

 

どうして彼女がこんなことをしたのかわからないけど、僕は勝たなくちゃいけない。

ここで負ければ、僕は破滅だし、みんなと離れ離れになる。そんなのは絶対に嫌だ。

決意を胸に橋を渡っていると、段々熱っぽくなって、足元が少しふらつき、

肉体の主導権が“彼女”に移る。来た、江ノ島盾子だ。

これから僕は傍観者でいるしかないけど、きっと彼女ならやってくれる。

 

「なんか納得いかなーい!

女王様とキザ女君ばっかり表に出て、わたしのこと忘れられちゃってるかも!

わたしだって学級裁判でおしゃべりしたいのにぃ。というわけで、モノミちゃん」

 

「ウサミでちゅ!」

 

「あはは、やっぱりワープしてきた!バーチャルリアリティーの世界って便利だよね?

いろいろ面倒な描写すっ飛ばせるし?

“物陰からふらりと異様な姿が”とか、

“真っ白で小さく、しかし生きていることを示す鼓動がどうの”とか!」

 

「メタな発言は駄目でちゅ!それで、何の用でちゅか?」

 

「えーっとぉ、法廷に行く前に確認したいことがあるの」

 

それで、わたしはウサミちゃんに、

必要かもしれないし必要ないかもしれないことを確認したの。テヘ!

 

「……確かに、皆さんはあくまで協力者。

囚人としての規則以外に縛られることはないでちゅ。

この中継も基本的には江ノ島さんだけを追跡するんでちゅが……

どうちて今更そんなことを?」

 

「う~ん、それはね?……教えてあげないよ、ジャン!

キャハハ、ごめん、冗談だって。

必要になったら発表しちゃうからさ~

その頃には別のわたしに交代してるかもだけど!」

 

 

■コトダマゲット!!

○修学旅行のしおり を生徒手帳に記録しました。

江ノ島盾子にのみ配布された希望更生プログラムのしおり。

 

○監視カメラ を生徒手帳に記録しました。

基本的に江ノ島のみを追跡し、プログラム協力者は撮影しない。

ただし、江ノ島と協力者がそばにいる場合は、協力者も一緒に撮影する。

着替えなどを見られたくない場合は、カメラに合図を送ることで、

協力者のみ一時的に撮影を中断することが可能。

 

 

「江ノ島さん。仮に学級裁判で江ノ島さんがクロになれば、

わずかとは言え積み上げてきた信頼は、地に落ちることになるんでちゅよ?

絶対に、勝ってくだちゃいね」

 

「わたしが負けちゃうとかありえなくない?あ、みんなもう入り口に集まってる。

ヤッホー!」

 

モノクマロックの前にみんなが集まってる。

う~わ。エスカレーターがモノクマのベロみたいで、相変わらずキモいんだけど~

次からはレストランでジュース飲みながらまったり話し合わない?

 

「お待たせ~今日の学級裁判、一生懸命頑張って、必ずクロを袋叩きにしようね~!」

 

「何を考えてるんだ貴様は!

自分の運命が賭かっているのに、遅刻して来るやつがあるか!」

 

十神君に怒られちゃった~。イヤン

 

「わたし馬鹿じゃないモン。悪いのはお化粧に時間掛けすぎた“彼”なんだしぃ?」

 

「チッ、(どれ)かと思えばぶりっ子かよ!ハズレ!」

 

「日寄子ちゃん、これはそろそろ慣れようよ……」

 

「あろあろ~西園寺さんも小泉さんも元気?学級裁判がんばろーね!

江ノ島的には、みんなのご意見大募集!みたいな?」

 

「付き合ってらんない、わたしもう行く!」

 

「ああ、一人で行っちゃ危ないわよ?」

 

あらら、西園寺さんと小泉さんが先にエスカレーターに乗っちゃった。

さて、それじゃあ、わたしも行くとしましょー。

エスカレーターに足を乗せると、どんどんモノクマロックの口に近づいてくる。

 

やだー、わたしったらうっかり。これじゃ下からスカートの中が見えちゃう。

とっさに両手でお尻を押さえたから間に合ったけど。

カバンでスカートを隠しながら階段上るくらいなら、

ミニスカートなんか履くなって言う人がいるけど、

それはお門違いな意見なんだよ?なんだよ?

 

大きなエレベーターに全員乗り込むと、勝手にドアが閉まって下の階に降りていく。

それにしても……みんな黙り込んじゃって、雰囲気暗いよ?リラックスリラックス!

暇つぶしに近くの人に話しかけてみよ~っと。

 

「辺古山さんも怖い顔しないで~?せっかくの美人さんなのに。スマイルスマイル!」

「お前こそもう少し緊張感を持ったらどうだ?自分の運命が……」

「ウサミにも言われたよん、勝てば官軍わたしは官軍、江ノ島はいつでも官軍なのだ!」

 

「ねぇ~え?田中君。今日のメイクどう思う?晴れ舞台の日だから張り切っちゃった~」

「お、俺の左腕に手を回すとは命知らずめ。

瘴気を浴びた戒めの邪気に中てられても知らんぞ!」

「照れてる?照れてる?か~わいいんだ~」

 

「江ノ島さん……ソニアさんと付添いの罪木さんは先に法廷で待っていまちゅ。

くれぐれも彼女を刺激しないように」

「わかってるって」

 

エレベーターが止まって、ドアが開くと……いたいた!

背の高い椅子に座って証言台に着く彼女!

ソニアちゃんが罪木さんと何か話してるから、大声で呼びかけた。

 

「おーい、死に損ないのソニアちゃん!江ノ島盾子だよ!また会えて嬉しいヨ!キャッ」

 

「……ごきげんよう江ノ島さん。ここは人一人の人生の行く末を決める法廷なので、

あまりはしゃぐのはよろしくありませんよ?」

 

「かしこまり!

ねぇねぇ、九頭竜君。キミは今日のわたし、どう思う?めいっぱいオシャレしたの!

九頭竜君が辺古山さんラヴなのは知ってるけどぉ~……

わたしのことも、ちょっといいと思わない?」

 

「やめろ、この馬鹿!おめえもさっさと証言台に行けやアホが!ペコは関係ねえ!」

 

今度は九頭竜君におっぱい押し付けてちょっかいを掛けてみま~す。

ちょっぴり顔が赤いぞ?そしたら。

 

バキッ!!

 

「ひゃうっ!ソ、ソニアさん、落ち着いてくださ~い……」

 

「わたくしは、落ち着いてますよ?うふふふ……」

 

わ~お、握った肘掛けの先が砕けてる。それに完全にキレてる人の笑顔だしぃ?

チョー怖いから離れたところに行こうっと。

でもね、でもね、わたしだって、ただふざけてたわけじゃないんだ~

ソニアさんって頭良いから、まともにやり合うと厳しそうじゃない?

すこ~し挑発して冷静さを奪っちゃおうって魂胆だったり。

キャハ、わたしってズルい女だね~

 

「江ノ島さん!おふざけはそこまでにしてくだちゃい!早く証言台に立つのでちゅ!」

 

「わっかりました~!」

 

みんながいつものように円を描く証言台に立つと、

いつの間にか玉座に座っていたウサミちゃんが、開廷を宣言。木槌を鳴らす。

なんかこれって裁判みたいだよね、だよね!

 

カンッ!

 

 

【学級裁判 開廷】

 

 

「これより、ソニアさん殺害未遂事件の、学級裁判をはじめまちゅ。

どうしてこんなことが起きてちまったのか。あちしにはわかりまちぇん。

起きた事件をなかったことにはできまちぇんが、せめて正しいクロを見つけて、

動機を聞き出す必要がありまちゅ。

場合によっては、クロは生活上、狛枝君と同じ扱いを受けてもらうことになりまちゅ」

 

そーいえば狛枝君いないね?ひとつだけ証言台が空いてる。

すると、ウサミちゃんの玉座の影から、電動車椅子に縛られた狛枝君が現れて、

自動操作で男の子達の間に収まったよ。

 

「詳しい事情は明かせまちぇんが、狛枝君は、許されないことをしまちた。

よって、安全確保のため、拘束した上、弐大君と田中君の間に着いてもらいまちゅ!」

 

法廷内が、ざわざわ、ざわざわ。まるでどっかのギャンブル漫画みたい。

まー、女の子に無理やりエッチなことしようとしたんだから当然だよね~

 

「許されないこととは一体なんだ!答えろ、狛枝!」

 

「辺古山さんストーップ!その件に関しては、この事件と関わりはありまちぇん!

リーダーの日向君と裁判長のあちしが保証します」

 

「そうか……ならいいが、そんなやつを参加させて大丈夫なのか?」

 

「別にいーじゃん。変なこと言い出したら、

辺古山さんがお尻ペンペンしてくれたらいいんだから、もう始めよ?ねっ」

 

「ボクの事は気にしないでよ……

電子生徒手帳に、事件のあらましや証拠品は送られてきてるからさ、

少しは議論に参加できると思うよ。今度は誰がクロなんだろうね。

昨日、事件概要を夢中で読んでたら、とうとう眠れないまま朝になっちゃったよ。

ボクには到底無理だけど、今度ばかりは江ノ島さんも油断すると……危ないよ?」

 

「無駄口を叩くでない。日向、早速裁判を初めてくれい!」

 

「ああ。まずは議論の方向性を定めよう。事件当時の状況を再確認する。

……ソニア、議論の途中でも、気分が悪くなったらすぐに言ってくれよ?」

 

「ありがとうございます、日向さん。

でも、わたくしはクロを見つけ出すまで、ここから出る気はありません。

どんな手を使ってでも」

 

ソニアさん笑顔だけどやっぱり怖~い。何かに例えるなら……おばけ?

 

「そ、そうか。じゃあ、なるべく早く結論を出そう。

みんなもそのつもりで協力してくれ」

 

 

■議論開始

コトダマ:○ダイイングメッセージ

 

ソニア

わたくしが事件に巻き込まれたのは、[ちょうどお昼ごろ]のことでした。

 

一緒に遊ぼうと[江ノ島さん]が誘いに来てくれたのです。

 

でも、その時は気分が優れなかったので、彼女に[お水を持ってきて]もらいました。

 

カップ一杯に入った水を飲み干すと、[意識が朦朧として気絶]しました。

 

おそらく、その[水に毒が入っていた]のだと……

 

・明らかに怪しいけど、あれを撃てばいいのかな~?

・そうね。これはきっとあなたがクロだということを印象づけたい彼女が、

 わざと隙を見せてるの。本番はこの後よ。

 

REPEAT

 

ソニア

わたくしが事件に巻き込まれたのは、[ちょうどお昼ごろ]のことでした。

 

一緒に遊ぼうと[江ノ島さん]が誘いに来てくれたのです。

 

でも、その時は気分が優れなかったので、彼女に[お水を持ってきて]もらいました。

 

カップ一杯に入った水を飲み干すと、[意識が朦朧として気絶]しました。

 

──それは違うわねぇ!!

 

[意識が朦朧として気絶]論破! ○ダイイングメッセージ:命中 BREAK!!!

 

 

「あら、何かわたくしの発言に問題でも?」

 

ソニアちゃんがニッコリ笑って問いかけてくる。とりあえず論破したけど~……

やっぱり効いてないみたい!というわけで、わたしは逃げる。ドロン!

 

……まったく、論破したウィークポイントくらい片付けてから帰ってほしいな。

どうしてボクが後始末をしなきゃいけないんだか。

 

「ふぅ。君は今、水を飲んだ直後に気絶したと言ったよね。それはありえないのさ」

 

「あはぁ…思い焦がれた貴女、出てきてくれたんですね。

聞き分けのない私を躾けるために……」

 

「ごめんよ罪木さん、そっち方面の趣味はないんだ」

 

「はうっ!?あんなものまで渡しといて、生殺しですぅ……」

 

「やったー、当たりが出てきた!」

 

「くじ引きみたいな言い方はよくないよ、日寄子ちゃん……」

 

「ありえない?それは何故?」

 

「残されたダイイングメッセージには犯人を示す文言が記されていたんだけど、

水を飲んですぐ気を失ったのなら、そんなものを書く余裕はないはずだから、だよ」

 

ボクとソニアさん、そしてもうひとり以外のメンバーが動揺する。

ソニアさんは笑顔を浮かべたまま、予定通り、という余裕を見せつつ、

こちらを見つめている。

……彼が冷静に状況を見ているのが救いかな。

 

「確かに一瞬でぶっ倒れたなら、血文字なんか書く余裕はないっすねー?」

 

「ソニア、どうなんだ?

あのダイイングメッセージは確かにお前が書いたものなんだろう?」

 

澪田さんの発言を受けて、日向君が確認する。

 

「あら、わたくしったら!すみません……

なにぶん毒を盛られた時の意識がはっきりしていなかったので、

大事なことが記憶から抜けていました」

 

「あ、あのう。それは、無理もないことだと思いますぅ……

毒性が弱いとは言え、あの薬品にはめまいや吐き気を起こす作用もありましたから」

 

「そうなのです……今後は正確な発言を心がけます。申し訳ありませんでした」

 

「しょうがないよ、ソニアちゃんは、被害者なんだから……」

 

なるほど?皆の心証が彼女に傾いてる。これが狙いだったんだね。

なら、ボクも攻め続けるまでさ。

 

「では、改めて正確な発言とやらをお願いできるかい?事件当時の状況について」

 

「もちろんです。記憶の整理ができました。

わたくしがお水を飲んだ時の状況はこうです」

 

 

■議論開始

コトダマ:○アリバイ

 

ソニア

先程は失礼しました。事件が発生したのは、[間違いなくお昼ごろ]です。

 

〈江ノ島さん〉が来てくれた時刻にも間違いありません。

 

そして彼女に[お水を持ってきて]もらったのですが……

 

江ノ島さんからもらったお水を飲むと、〈意識がぼやけ倒れ込んで〉しまったのです。

 

血を吐き、死を覚悟したわたくしは、無我夢中で[犯人の囚人番号]を自分の血で。

 

なぜこんなことにが……わたくしに〈殺される理由などありません〉。

 

・急に難易度が上がったね。困ったな。

・大丈夫。落ち着いて発言を見て。攻めるだけが突破口じゃないわ。

・少し無理があるけど、これなら行けるかな?

 

REPEAT

 

ソニア

先程は失礼しました。事件が発生したのは、[間違いなくお昼ごろ]です。

 

〈江ノ島さん〉が来てくれた時刻にも間違いありません。

 

そして彼女に[お水を持ってきて]もらったのですが……

 

江ノ島さんからもらったお水を飲むと、〈意識がぼやけ倒れ込んで〉しまったのです。

 

血を吐き、死を覚悟したわたくしは、無我夢中で[犯人の囚人番号]を自分の血で。

 

なぜこんなことが……わたくしに〈殺される理由などない〉というのに。

 

──そうだと思うわよ!!

 

賛!〈殺される理由などない〉同意! ○アリバイ:命中 BREAK!!!

 

 

「ええ、そうです。わたくし、誰かに殺されるような恨みなど……」

 

「肝心なのはそこじゃないんだ。屁理屈こねるようで恥ずかしいんだけどさ、

殺される理由がなくても、“死ぬ理由”ならあるんじゃないかな」

 

またも法廷がどよめく。慌ててウサミが木槌を鳴らす。

やっぱり彼は注意深く状況を観察してる。大詰めで頼りになりそうだね。

 

カン!カン!

 

「皆ちゃん、落ち着いてくだちゃーい!

江ノ島さんは発言の意図を明確にしてくだちゃい!みんなが不安がってまちゅ!」

 

「簡単な話だよ。事件当時、現場にはボクとソニアさんしかいなかった。

誓ってボクは犯人じゃない。だから仮にボクをクロから除外した場合、

水に毒を入れることができたのは彼女だけ、そういうことにならないかな」

 

「あはは…わたくしに自殺願望があったとでも?

それはいくらなんでも無理がありすぎませんか?

だとしたら、ダイイングメッセージを残す必要などないはずです。

……正直に申し上げて、わたくしには江ノ島さんが法廷をかき回して、

罪を逃れようとしているようにしか思えないのです」

 

「そうかい?ならボクがクロだと仮定した場合、どうすれば犯行が可能だったのか、

今度はみんなも参加して議論しようよ。きっと面白い事実が出てくるから、さ」

 

「面白い事実?何なんだ、それは。

だけど、ソニアの言った通り、今のお前の立場は決して良いとは言えないぞ。

遊んでる余裕はないと思うんだが……」

 

「構わないさ。始めようか、日向君」

 

 

■議論開始

コトダマ:○修学旅行のしおり

 

ソニア

犯行の方法なんて……お土産品コーナーで[ジュースのカップ]に水と毒を入れた。

それだけじゃありませんか。

 

終里

実際、オレが毒の粉を包んだ[ラップ]を見つけたんだ。[床に落ちてたぜ]。

 

罪木

わ、私が調べたら、ラップに着いてた粉は、[見つかった毒薬と同じ]ものでした。

 

ソニア

やっぱり、[江ノ島さん]が私に毒を盛った。そう考えるしかありませんね。

悲しいですが。

 

左右田

……死ぬ理由なんか、〈いくらでもある〉と思うがな。

 

・左右田君が良いこと言ってくれたけど、彼の出番はまだなんだ。

・ええ、今は彼女を黙らせないと。基本に立ち返れば簡単よ。

 

REPEAT

 

ソニア

犯行の方法なんて……お土産品コーナーで[ジュースのカップ]に水と毒を入れた。

それだけじゃありませんか。

 

終里

実際、オレが毒の粉を包んだ[ラップ]を見つけたんだ。[床に落ちてたぜ]。

 

──それは違うわねぇ!!

 

[床に落ちてたぜ]論破! ○修学旅行のしおり:命中 BREAK!!!

 

 

「えっ、何が違うんだ!?オレはスムージーなんか飲んでねえ!」

 

「ふん、何かと思えば、今朝貴様から送られてきたキーワードだろう。

肝心の本文が省略されていたが、こんなものに時間を取っているから集合に遅れる」

 

「まあ、そう邪険にしないでおくれ、十神君。

このキーワードに重要な事実が隠されてるんだ。

スムージーについては本件とは無関係だから検証はしない。安心しなよ」

 

「ア~ハハ…お前いいヤツだな!」

 

「いいから答えろ!毒の付着したラップがお前の提示したキーワードと、どう繋がる!」

 

「その質問に答える前に確認しておきたいことがあるんだ。

この修学旅行のしおり、希望更生プログラムの被験者であるボクに

送信されたものなんだけど、みんなは同じものを持っているのかな?」

 

「いや、そんなはずはない。

このプログラムは、あくまでお前から絶望的カリスマを奪うために構築されたものだ。

みんなはあくまで協力者で、囚人としての決まりを除く、しおりの規則には縛られない。

だから、しおりのデータを持っているのは、

囚人の情報を全て把握しておく必要がある俺とお前だけだ」

 

「ありがとう、日向君。これではっきりした。みんなにもしおりの一部を送るよ。

読んでもらえれば、ボクの言いたいことがわかると思うよ。……コピペ、送信、と」

 

法廷に全員の電子生徒手帳の着信音が響く。

皆、慌てて内容を確認すると、ボクの真意に気づいた者から驚きの声を上げる。

 

 

■コトダマゲット!!

 

○修学旅行のしおり(一部抜粋)

江ノ島盾子にのみ配布された希望更生プログラムのしおり。その一部。

 

・島内の器物を故意に破損してはいけません。ゴミのポイ捨ても厳禁です。

 

 

「こ、これはっ!」

 

「わかってもらえたようだね、十神君。ねえ、ウサミ。

仮にボクが修学旅行のしおりに書かれている規則を破ったら、どうなるのかな?」

 

「島中に響き渡るほどのサイレンが鳴るでちゅ!

これはVer1.0のシステムを一部流用ちたもので」

 

「それで十分。ボクがお土産品コーナーのキッチンにラップを捨てていたら、

大音声のサイレンが鳴っていたと言うことなのさ。納得してもらえたかな?」

 

「ふむ……天網恢々疎にして漏らさぬ神秘のヴェールを大地に横たえたのは、

江ノ島盾子ではありえぬということかっ!」

 

「そうなるね。

ちなみに今のは、“毒を包んでいたラップを捨てたのはボクじゃない”って意味さ。

ソニアさん、君は、これについてどう思う?」

 

「えっ!そ、それは……えと、わたくしには、あの」

 

かなり焦ってるね。流石に効いたみたいだよ。

何しろ全く予想外の証拠が出てきたんだから。

 

そうね。でも、手負いの獣は危険よ。早くとどめを刺して。

 

「毒薬をラップに包んで持ち運ぶことが不可能なことが証明されたけど、

まさかあの大きな毒薬のボトルをそのまま持ち歩いた、なんて言わないよね。

こんな短いスカートのポケットになんてとても入らない」

 

「……ソニアおねぇ、違うよね?ソニアおねぇが自作自演なんて、そんなの嘘だよね?」

 

「自作自演かはともかく、少なくともボクがクロじゃない事はわかってもらえたかな」

 

「……なさい」

 

「毒薬を運ぶ手段がない以上、ソニアに毒を盛ることもできんからのう」

 

「…りなさい」

 

「ハハハ、今度ばかりは絶体絶命かと思ったけど、

やっぱり江ノ島盾子の不敗伝説はまだ終わりそうにないね」

 

 

──黙りなさい平民共おおおおおぉ!!

 

 

その声は天井の高い法廷に轟いた。その声の主は、

顔を興奮で真っ赤にして、目を血走らせ、怒りの波動で髪を宙に揺らめかせた──

 

「黙って聞いていれば王族のわたくしを差し置いて勝手な事ばかり!

平民風情が身の程を知りなさい!!」

 

ソニア・ネヴァーマインドその人だった。

彼女のあまりの変貌ぶりにボクとひとりを除いて、皆言葉を失ってる。

怒ってる人には落ち着いてる人が適任だね。おっかないからボクは引っ込むよ。

 

マイペースな彼女なら、これからの戦闘も耐えきれそうね。お疲れ様。

 

「ラップが落ちていたからなんだと言いますの!?

わたくしは確かに毒を飲まされて罪木さんの治療を受けたのです!

彼女自身が証人じゃないですか!……そうですわね?」

 

……ソニアさんのギョロリとした目で見つめられて……罪木さんがビビってます。

確かに、気色悪いです……

 

「はひい!確かにウサミさんに転送された後、即座に胃洗浄を施して、

止血剤を経口投与しましたぁ!」

 

「よろしい。

……そうですわ!ボトルで思い出しましたが、毒薬のボトル!あれが動かぬ証拠!

あなたが住んでいるテントのコンテナから見つかったそうですね?

江ノ島盾子が犯人だという物証に他なりません!」

 

「痛いところを突かれて……とても、苦しいです……涙があふれるほど」

 

「それ見たことですか!」

 

「というのは、真っ赤な嘘なんです……嘘つきで、ごめんなさい……」

 

「なあ、やっぱりそのキノコひとつ味見していいか?」

 

「我慢せい。キノコも江ノ島のコンテナにあったから、後で分けてもらえ」

 

「じゃあ、あなたが持っていた毒薬についてはどう言い逃れるつもりなんですか!?」

 

「入手経路……」

 

「え?」

 

「あの毒薬のボトルがどこにあって、

なおかつ私に入手できるかがわかっていないんです……何もわからない哀しさ……

あなたにわかりますか?」

 

「罪木さん!!」

 

「あうう…あの毒薬は本当に毒性が弱くて、

微量なら胃に繁殖した病原菌除去に使われるくらいなんで、

病院でもドラッグストアの調剤室でも手に入りますぅ!」

 

「だったら、誰にでも入手できて、

こっそり私のコンテナに入れることもできたってことですよね……私以外には……」

 

「私以外?どういうことですか!?

あなた以外に誰が毒薬を持ち出す必要があるというのですか!」

 

「ぐるぐる回るの……やりたくないんですけど……」

 

 

■議論開始

コトダマ:○監視カメラ

 

ソニア(激怒)

毒薬が必要になるのは、[江ノ島さんしかいない]ではありませんか!

 

終里

でもよう、それを〈持ち運ぶ方法がない〉んじゃしょうがないぜ?

 

澪田

あ、そーだ!いっそ[素手で握り込んでた]ってのはどーっすか?これで決まり!

 

九頭竜

朝から犯行時刻の昼までずっとか?〈アホか〉お前は。

 

・正直……最後のウィークポイントに同意を撃ち込みたいです……

・だーめ!簡単な問題でしょう?

 

REPEAT

 

ソニア(激怒)

毒薬が必要になるのは、[江ノ島さんしかいない]ではありませんか!

 

終里

でもよう、それを〈持ち運ぶ方法がない〉んじゃしょうがないぜ?

 

──そうだと思うわよ!!

 

賛!〈持ち運ぶ方法がない〉同意! ○監視カメラ:命中 BREAK!!!

 

 

「だよなぁ?ラップが使えないなら……」

 

「そうじゃ、ないんです……

私には、そもそも毒薬を入手することが、できないんです……

無力ですよね、私って……」

 

「往生際が悪いですわよ!なら、コンテナのボトルは……」

 

「監視カメラ」

 

「えっ……?」

 

「お忘れですか?島中に設置された監視カメラ……

私の私生活を余す所なく生中継するために存在する、

視聴者の変態的欲求を満たす道具……」

 

「あのー江ノ島さん?決ちて未来機関はそんな目的で監視はしてまちぇん……」

 

「目的はどうあれ……私は常に衆人環視の目に晒されているのです。

そんな状況で、怪しいボトルを持ち出せると、本気で思われるのですか……?」

 

「はっ……!」

 

「加えて、私のテントは悲しいほどにボロくて汚くて、

入り口もジッパーの付いたシートだけ。つまり誰でも出入り自由……

真犯人が忍び込んでコンテナにボトルを入れることが簡単にできるくらい

貧相な作りなんです……」

 

「オレも見たけど、雨風で中の家電が壊れねえか心配になるくらいだからな、あそこは」

 

「そ、左右田さん!?あなたまで、わたくしを……!?」

 

どういうわけか、何気ない彼の発言に今までで一番ショックを受けています……

あなたも、悲しいんですね……理由はわかりませんが。

 

「……まがりなりにも重要な裁判で隠し事したくないだけっす。ただでさえオレは……」

 

左右田さん……間もなく別の嵐が吹き荒れるので……その時は、お願いします。

 

「……わかりました、いいでしょう。まったく、どいつもこいつも、どうしようもなく、

わたくしをコケにしないと気が済まないようですね!!」

 

泣いてる……憤怒の形相で隠れてしまいましたが、私は、見ました。

彼女の目から、一筋だけ、涙が……泣きたいのは私なんですが……

 

「王族を侮辱した者が、どのような裁きを受けるか、

身をもって思い知らせて差し上げます!!」

 

 

■ソニア・暴走モード突入!!

 

 

はじめましてこんにちは。わたくしめが希望更生プログラムVer2.01における、

ナビゲーションを担当させて頂きます。

今回限りでさようならになる可能性もございますが、今後共よろしくお願い致します。

 

早速ではございますが、学級裁判における新システムのご説明を致します。

恐縮ですが、今しばらくのご辛抱を。

 

さて、裁判が進展し、クロと思しき人物が追い詰められると、

“暴走モード”に突入する場合がございます。

暴走モード中の人物は、コトダマを撃ち返してきたり、4択問題を突きつけてきたり、

悪あがきの限りを尽くします。

 

あなた様はそれらを隙のない発言でやり過ごしたり、

正しい選択肢を選ばなければなりません。

被弾したり不正解の選択肢を選ぶと、皆様の心証が悪くなり、

最悪の場合あなた様がクロに認定されかねません。

 

暴走モードを能動的に解除する方法はなく、

敵の攻撃手段がなくなるのを待つしかありません。もしくは…ゲフンゲフン。

それでは、ご武運を。

 

 

彼女の怒りのオーラが激しさを増しました……

背後にライフルを構えた彼女の生霊まで見えます……

 

これから発言には特に注意を払って!向こうも言弾を放ってくる!

被弾したらみんなからの疑いが強まるわ!

 

「なんだか、ソニアさんがFCソフト“甘い家”のラスボスみたくなっちゃったね……」

 

七海さんの言うことも……よく意味がわからないです……どうでもいいですけど……

 

「江ノ島さん……

あなたには、赦しではなく、裁きが必要であることがよくわかりました。

やはりあなたは絶望の江ノ島。今、確信が持てました。

この、ソニア・ネヴァーマインドが月に代わって“おしおき”します!」

 

女王様……バトンタッチ……

 

ああ、逃げないで。行っちゃったわ。悪いけど、あなたお願いね。

 

「面白いじゃないの!女王たる私様に平凡貴族が敵うとでも?さあ、いらっしゃい。

その貧相な銃で私様の眉間を貫いてごらんなさい!」

 

「では遠慮なく!

まず、あなたが毒を持ち運んだ方法から暴いていきますから、覚悟するのです!

そもそも、あのラップがどこにあったものかをはっきりさせましょうか!?」

 

 

■犯人がラップを手に入れた場所は?

?→厨房

?→ロケットパンチマーケット

?→レストラン

?→江ノ島のテント

 

それはもちろん……!

 

待って、本当にその選択で正しいかもう一度考えて?

 

お黙り。他に何があるというの。

 

──これで説明できるはずよ!! →レストラン:正解

 

「フフ……うっかり“厨房”を選んでくれると嬉しかったのですが、

さすがにこの程度の問題でつまづきはしませんね」

 

「小娘のお遊びに付き合ってるほど暇じゃないの。さっさと全力を出しなさい。

私様に敗北するためにねぇ!」

 

「では、その根拠を示してもらいましょうか、あの人に!」

 

 

■怪しい人物を指名しろ(暴走ソニア)

 

ナナミチアキ→ヒナタハジメ→オワリアカネ→ツミキミカン→【ハナムラテルテル】

 

 

「ええっ、ぼく!?」

 

「なぜ、厨房でなくレストランなのか、13秒以内に答えてください。

このムチがうなる前に」

 

「まま待ってよ!ええと、証拠品、証拠品……あ、これって。

確か食事に出してるサラダの小鉢に、虫が付かないよう被せてるものだよ。

これならみんなに行き渡るし、わざわざ厨房に忍び込む必要はないね。

でも、よく考えたらソニアさんのムチなら嬉し」

 

「よくできました。

もっと言えば、厨房にもカメラがあるので、侵入してラップを盗むことは不可能、

ということですね」

 

「暇じゃないと言ったはずよ。

お前は王を刺す気概のある奴隷にすらなれないのかしら?」

 

「つくづく、口の減らない女ですね……!

では、江ノ島さんを守っている物証であなたを倒してみせましょう」

 

「早くおし」

 

 

■議論開始(射手:暴走ソニア)

コトダマ:○ラップ

 

江ノ島(女王)

私様を守る物証?それは何かしら。[毒薬のボトル]?[ラップ]?

 

お前は人の[時間を浪費する]のが趣味なの?迷惑この上ないわ。

 

[アリバイ]に意味がないことも証明されたし、

 

毒の入手も[監視カメラ]で見られていては不可能。

 

残る証拠品は[水のカップ]くらい。後は[園内のゴミ箱]。これが何の役に?

 

──脇が甘いですよ……

 

[園内のゴミ箱]論破! ○ラップ:被弾 DAMAGED!!!

 

 

・ソニアの生霊が放ったコトダマが、私様に命中ですって!?

・もう、だから気をつけてって言ったじゃない!

 

「なんですって、この私様が、被弾……?ゴミ箱の、何が怪しいと言うの!」

 

「クス…自分が提示した証拠品が持つ意味もわからないんですか?

早く園内のゴミ箱について再確認したらどうなんです?」

 

「なんという屈辱!園内のゴミ箱?……まさか、お前が言いたいのは!」

 

「そう。テーマパークに多すぎるほど設置されているゴミ箱。

この中に何を入れても“ポイ捨て”にはなりませんよね。

江ノ島さん、あなたは毒を包んだラップをゴミ箱のひとつに隠し、

わたくしが一人になるチャンスを待っていたのです」

 

「肝心なことを忘れているわねぇ!私様は監視カメラで撮影されていて、

毒の入手はできなかった。それをどう説明するつもり!?」

 

「さっきのように下品な色仕掛けで、

異性のどなたかに持ってこさせたのではありません?

あなたらしい方法で実に納得が行きます!」

 

「論理も何もあったものじゃないわね!

まっとうな証拠を提示できないなら、一生黙っていなさいな!」

 

お願いだから落ち着いて!周りを見てちょうだい!

みんながあなたを疑いの目で見始めたわ!

 

今は私様が喋ってるの!アンタは引っ込んでいなさい!

 

“共犯者がいるなら……犯行は可能だよ、ね?”

“ならば、その共犯者探しから始めようではないか”

“でもでも!それって江ノ島さんが犯人って前提で議論することになるよね!?”

“うぬう…この状況ならば、仕方あるまい”

“というか、誰か唯吹に最初からわかりやすく説明してほしいっす……”

 

 

……ソニアさんと江ノ島が、今も喧々諤々と議論という名の罵り合いを続けてる。

オレは、こんなもんを見るためにプログラムに参加したんじゃねーよ。

ツナギのポケットに手を突っ込んで、中のマイナスドライバーを握りしめ、

愛用の工具に精神を集中する。そして。

 

 

──あまーい!!

 

 

オレの叫びが法廷に反響し、ガヤついてたみんなが驚き黙り込む。

もちろんソニアさんも、江ノ島も。

 

「左右田さん!?どうしてあなたが!」

 

「誰かと思えば左右田じゃないの。何の真似かしら」

 

「すんません。オレ、今みたいなソニアさんは見たくねーんすよ。

だから……全力でソニアさんを止めます」

 

「まさか、本気でわたくしより江ノ島さんを選ぶとおっしゃるのですか!?」

 

「……江ノ島盾子を倒すのはオレ。それだけっす。

邪魔するってんなら、俺はソニアさんでも倒します」

 

「そんな……どうしてっ!」

 

 

■反論ショーダウン 開始

□>監視カメラ

 

ソニア(暴走)

左右田さんも/わたくしを/裏切るのですか!?/わたくしより/あの女を信じると?

江ノ島盾子が犯人なのは/明白なんです!/この証拠品の数々を/見てください!

毒の付いたラップ、/水を入れたカップ、/そしてコンテナに入っていた/ボトル!

 

《発展!》

 

左右田

それ、何も証拠になってないっす。

ラップは床に落ちてた時点で証拠能力がなくなったし、

カップも事件が起きたなら存在して当たり前。

それ単体で誰かを特定することはできないんすよ。

毒のボトルにしても、江ノ島が言っていた通り、

誰にでもコンテナに入れるチャンスがあった。

 

ソニア(暴走)

どうして信じて/くださらない/のですか!/わたくしは確かに/江ノ島盾子に

毒の入った/水を飲まされ/たのです!左右田さんは/味方だと信じて/いたのに!

だったら一体/誰が犯人だと/おっしゃるのですか!?

 

 [客観的な/証拠]を見せてくださいよ!!

 

──その言葉、バラバラにしてやるぜ!!

 

斬![客観的な証拠]論破! □>監視カメラ BREAK!!!

 

 

「あの……もしかして、なにか、証拠をお持ちなんですか……?」

 

「なあ、ウサミ。メカニックとしてちょっと気になってたんだけどよー。

監視カメラの映像って、録画してて後から見たりできんのか?」

 

「あ、できまちゅ!

江ノ島さんの監視だけじゃなくて、防犯カメラの役割もありまちゅから、

24時間分の映像をローテーションで録画して、いつでも見られるようになってまちゅよ!

もちろん普通は公開されることはありまちぇんが」

 

「うそ……」

 

「今すぐ録画を停止してくれ。あと、キーワードにこんな文言があったよな」

 

“ただし、江ノ島と協力者がそばにいる場合は、協力者も一緒に撮影する。”

 

「起動条件。つまり“そばにいる”が適用される有効範囲は大体何mくらいだ?」

 

「やめて……」

 

「約15m前後でち。あまり範囲が短すぎても、

その……江ノ島さんが協力者に危害を及ぼす危険性を抑止できない、

という未来機関の判断でちゅ」

 

「だったらギリ映ってるはずだぜ。さっきは誰でも出来るって言ったけどよー。

オレはクロが江ノ島のテントで毒のボトルを入れたのは、

昨日の慰労会の朝、ホテル前に集合した時だと思ってる。

確かに物理的にはいつでも入れるぜ。鍵もねえシートがドア代わりなんだからな。

でも、江ノ島がいない隙を狙ってコテージのあるエリアをうろついてたら、

その姿は完全にカメラに残る。やるとしたら全員が一ヶ所に集まる昨日の朝だろ」

 

「お、お願いですから……」

 

「こっちは微妙だが、事件現場の映像だ。広場のベンチとお土産品コーナー。

ベンチの位置によっちゃ、江ノ島から15m以内にいたソニアさんが何をしてたか……

タイミングによっちゃ、本当に“すぐそば”にいただろーから、

何をしてたか、確認する意味はあるだろーよ」

 

「すぐ映像をピックアップするでちゅ!」

 

「やめてえええ!!」

 

 

■暴走モード解除

 

 

「映像の抜き出しが完了したでちゅ」

 

「……ああ、やってくれ」

 

「ううっ……ぐす、ひっく……」

 

「あう…ソニアさん、泣かないでくださぁい……」

 

観念したソニアが高い椅子の上に座ったまま、両手で顔を覆って泣いているわね!

罪木が慰めようとするけど、泣き止む様子はない。

まったく、あの娘と同じくらい泣き虫だとは。

間もなく全員の電子生徒手帳に、動画ファイルが配信されてきた。さあ、お見せなさい。

 

そこに映っていたのは……

昨日の朝、私様が去った後、真っ赤なラベルが目立つボトルをコンテナに入れるソニア。

お土産品コーナーに毒の粉末の付いたラップを捨てるソニア。

私様の目を盗んで、水にラップに包んだ毒を入れるソニア。

最後に、治療の際、所持品を探られないように、

そばのゴミ箱に使用済みのラップを捨てるソニア。

 

閉園間際でゴミ箱を調べきれないことを計算に入れた上での犯行だわね。

用意周到だこと。それをまさか左右田に先に見破られるなんて、私様一生の不覚だわ。

今回はほとんど語ることもないけど、最後の仕上げだけはやっておきましょうか。

 

 

■クライマックス推理:

 

>クライマックス推理 開始

>推理を完成させろ

 

Act.1

事件の始まりは実は慰労会より前のこと。

クロは事前に病院かドラッグストア、まあ出入りの容易なドラッグストア辺りで、

毒薬のボトルを手に入れていた。

語学が堪能らしいクロはラベルの英語など、母国語より楽に読めたんでしょうね。

あくまで協力者であるクロは監視カメラに映される心配もない。と、思っていた。

証拠としては残らなかったけど、この勘違いが後々自分の首を絞めることに。

 

Act.2

次に2つの物を準備する。入手した毒薬の粉をまぶしたラップ。

そして、致死量に至らない程度の毒を包んだラップ。準備したのはたったこれだけ。

あとは慰労会の日を待つ。

 

Act.3

慰労会当日。クロは私様を迎えに来たふりをして、忘れ物をしたように装い、

私様をホテル前に集まったメンバーの元へ追い出し、

急いで自分のコテージに戻って毒薬のボトルを持ってきて、

無人になったテントにあるコンテナの中に仕込む。ここで誤算が。

自分には反応しないと思っていた監視カメラが、

中途半端な距離にいた私様に反応して、その姿を撮影されてしまった。

 

Act.4

場所は変わって4番目の島。

まず、お土産品コーナーのキッチンに毒薬をまぶしたラップを捨て、

ゴミ箱に近いベンチに座る。

そこに偶然私様が現れ、それを好機と見たクロは、

厚かましくも私様に水を汲んでくるよう命じ、

隙を見てラップに包んだ毒薬を水のカップに入れる。

余った証拠、つまり使用済みラップはゴミ箱へ。

まぁ、私様が広場に来なくても、

メールで秘密の相談があるとか伝えて呼び出せば済んだ話。

 

Act.5

毒入りの水を一気に飲んだクロは身体に毒が周り、地面に倒れ込むと、

吐いた血でダイイングメッセージらしきものを書き残す。

そう、囚人番号16番。つまり私様に罪を着せるためにね!

こんな荒業ができたのは、ボトルのラベルを読んで毒性の弱さを知っていたクロだけ。

 

そういうことじゃない?ソニア・ネヴァーマインド。

 

 

──これが事件の全貌よ!  COMPLETE!

 

 

「きゃあああああ!」

 

結果:ソニア・ネヴァーマインド GUILTY

 

……江ノ島盾子は帰っていった。いつもの熱によるふらつきに見舞われ、

証言台に手をつき、そのままどうにか言葉を紡ぐ。

 

「どうして、どうしてなの、ソニアさん!?

どうしてこんな自殺みたいな真似しちゃったの!」

 

すると、彼女が泣きはらした目で僕を睨む。

 

「憎いからに決まってるじゃないですか!花村さんと同じですよ!

わたくしも彼と同じ、江ノ島盾子に全てを奪われた者の一人なんです!」

 

「だから違うの!私は本物の江ノ島盾子じゃ……」

 

「お黙りなさい!このストレイキャット!!」

 

彼女が真珠のような涙を振り散らしながら、僕に憎しみをぶつける。

 

「泥棒猫って言いたいの……?」

 

「わたくしだって、信じてみようか迷っていたんです。

2回の裁判を通して、あなたが本当に絶望の江ノ島盾子なのかわからなくなったから……

でも、やっぱりあなたはわたくしにとって絶望でしかなかった!」

 

「い、意味がわからないわ……どうして、一度は信じようとしてくれたのに」

 

「フ、フフ……まだ白を切るつもりですか。

わたくしが気づいてないとでも思ってるんですか。

あなたが、この世界に来てもなお、わたくしから奪おうとしていることに!」

 

「奪うなんて!一体ソニアさんから何を奪うっていうの?」

 

「現実世界のジャバウォック刑務所にいた頃の左右田さんは、

わたくしだけを見てくれる大切な人だったんです!

でも、あなたが未来機関に捕らえられ、

このプログラムに来てから変わってしまいました!

わたくしではなく、ずっとあなたを見つめて!

それだけじゃありません……そんな彼を、あなたは卑劣な色仕掛けで!」

 

「ちょっと待って!い、色仕掛けなんて、そんなこと私に!」

 

「だったら開廷直前のあの態度はなんだったんですか!」

 

「それについては本当にごめん!

あの時の江ノ島盾子が、強敵のソニアさんから冷静さを奪うために、

わざと挑発したんだ!」

 

「どうだか……それに、実際わたくしは見たんです」

 

「見たって何を……?」

 

「あなたがモノモノヤシーンの景品を持って帰って来た時の様子、実は見ていたんです。

江ノ島さん。あなたはちょうど同じ頃帰ってきた左右田さんに、

ジュースを渡していましたよね……

毒味をするふりをして、さりげなく、その、間接キスを」

 

「ち、違うわよ!

本当にあれは毒味の意味で、最初は受け取ってくれなかったし!」

 

「でも、結局最後は飲んでしまった。しかも、その後プレゼントまで。

気弱なふりしてずいぶん積極的なんですね……」

 

「そうじゃないよ!あれは、モノクマと戦うための、世界を救うために必要な……」

 

「うるさい!!」

 

「っ……!」

 

「それだけじゃないですよね!?おまけにその後、他の皆さんもプレゼントで手懐けて、

わたくしの仲間まで奪おうと企んでたじゃないですか!」

 

「あれは、ただ私を受け入れてくれたみんなに感謝を!」

 

「そんな嘘っぱち、信じません!!」

 

「私を信じろなんて言わないよ!でも、どうして左右田君や他のみんなを信じないの?

手土産ひとつで私の操り人形になるなんて考えちゃうんだよ!!」

 

「黙りなさい、黙りなさい、黙りなさい!!全部、あなたが悪いのよ!

あなたなんて来なければよかったのに!」

 

「ソニアさん、もういいっす」

 

「えっ?」

 

「俺は、ソニアさんを、愛してません」

 

突然、頼りにしていた左右田君から突き放されたソニアさんが、しばし放心状態になる。

 

「そんな……うそ、です……やっぱり、また、奪われて」

 

「すんません、言い方が悪かったっす。

俺には人を愛したり、愛されたりする資格なんかねーんすよ。

そんな、人間らしい幸せ掴むなんて……」

 

「メロドラマもいいけどさ、そろそろやってくれないかな。

ソニアさんの、“おしおき”」

 

左右田君が何か言おうとした時、やっぱり彼が。狛枝君。

僕にはやっぱり君がわからない。ただ、味方じゃないことは確かだ。

 

「はっ……!今、ですか?左右田さんの前で……?」

 

震える声で慈悲を乞うかのように問うソニアさん。

 

「今やらなかったらいつやるの?

まさか花村クンや罪木さんの過去は聞いておいて、自分は秘密、なんて通らないよね」

 

「お願いです!せめて、左右田さんには!」

 

「心配ないっすよ。多分、俺の罪が最悪ですから。

俺には誰かを軽蔑する資格も、ねーんす」

 

「う、うう……あああっ!」

 

しばらく涙を流し、罪木さんに背中をさすってもらい、

落ち着きを取り戻したソニアさんは、少しずつ語り始めた。

 

「わたくしの罪は、“狩り”です。狩猟は貴族の嗜み。

そういうしきたりがあると教育を受けていたから、

あんな凶行に及んだのだと思います……」

 

 

……

………

 

《絶望ビデオ》を観せられた後、絶望に狂ったわたくしは、

彼らのように人間をハンティングしたい欲求を抑えきれず、

すぐ殺し合いが行われた生徒会室に向かいました。

無残な生徒会員達の死体を踏み越えて、教室に入ると、

思った通り、使われていない武器が残されていたのです。

 

“まあ素敵!お父様にねだっても買ってもらえなかったスナイパーライフル、

中学校以来触っていなかったショットガン、グレネードまでありますわ!

よりどりみどりとは、このことですね!”

 

そして、わたくしは狩りを始めました。

絶望に冒された者、まだ正気でいる者、人間なら区別なく。

 

“ああ、君!ここは危険だ!何かがおかし……!”

 

ズダァン!

 

“ごぼっ、げっ……きみも、なのか……”

 

“やったぁ!一人仕留めました!近距離射撃はショットガンの醍醐味ですね!”

 

 

 

“全員どこかに隠れろ!女が狙い撃ちしてくる──”

 

チュイン!

 

“わぁ!ヘッドショットが大命中!お父様にもお見せしたかったです!

次の獲物は……あの仕切りに隠れてるつもりの誰かさん!

グレネードは初めての体験で、ドキがムネムネしちゃいます。ピンを抜いて、えいっ”

 

手榴弾を投げた一拍後、爆発音と共に、脚のちぎれた死体が空に舞い上がり、

わたくしの興奮は最高潮に達しました。

 

“まあ、とっても汚い花火ですこと!ウフフフ、アハハハハ……”

 

 

その後も、学園を飛び出し、

通りすがりのお婆さん、事態の鎮圧に当たる警察官、状況すら分かっていない小学生を、

まるで狩猟スポーツを楽しむように、撃ち殺して行ったのです……

何の理由もなく命を奪われる彼らの絶望は、

まるで柔らかく暖かい魂を吸い取るように甘美なものでした。

弾切れになって、時々警官の死体から銃を拾い、

あてもなく街から街へさまよい続けているうちに、未来機関に確保されたんです。

 

………

……

 

 

ひどすぎる。心で思っても口には出さなかった。

彼女は今、胸の痛みに耐えつつ心の傷から過去をえぐり出している。

それを責め立て、さらに傷つける資格もまた、僕にはなかった。

みんなも黙ってソニアさんの話に聞き入っている。

 

「そして、お父様も絶望に毒されてしまい、

国民を使った大規模な狩りをしていたんです。国境を封鎖して民を閉じ込め、

戦車に乗り込んで、病院、学校、デパート。

とにかく人が集まる場所に榴弾を撃ち込んで、無数の国民を殺害。

やがてそれでは飽き足らず、軍を動かし、無意味に虐殺を続けるうちに、

ノヴォセリック王国からは国家を維持できるだけの人間がいなくなりました。

愛する民を自らの手で殺めた絶望、守り続けた国が滅びた絶望に突き動かされ、

最後は自分の命を失う絶望を求めて、自殺しました。

未来機関の調査結果を聞く限りでは……」

 

ふと、左右田君を見る。その顔に表情は無い。ただソニアさんの話に耳を傾ける。

 

「生まれ育った国も、人間として生きる資格も失った。

そんなわたくしに残されたジャバウォック刑務所は、いわば帰ることのできる、

ただひとつの家だったのです。そこで一緒に住む仲間を奪われる。

そんな恐怖に駆られたわたくしは、今回の犯行に手を染めてしまったのです。

江ノ島さん、ごめんなさい。皆さん、裏切り者のわたくしを許してください……」

 

「ソニアさん、今回の事件は私の行動にも原因があったし、

左右田君のおかげで丸く収まったよ。

だから私には謝らなくていいけど、お願いがあるの。また、みんなを信じて。

罪を告白したからって、絶対君を避けたりしない。

みんな、同じ傷を抱えてると思うから。よそ者の私が言うのも、おこがましいけど……」

 

「わたくしを、許してくれるんですか?」

 

「もちろんだよ。他のみんなだって」

 

「……少なくとも、オレは裏切られたとは思ってねーっすから」

 

「左右田さん……?」

 

「江ノ島に罪を着せたいだけなら、

他のやつに毒を飲ませることだってできたってことっすよね。

毒性が弱いとは言え、量を間違えれば死ぬようなモンを自分で飲んだってことは、

ソニアさんがそれだけオレ達に、

リスクを背負わせたくなかったってことだと思うんすよ」

 

「うぅっ……うくっ、左右田さん……!ありがとう、ございます!」

 

「ほーら、ソニアちゃん、もう泣かないで。綺麗な顔が真っ赤だよ?」

 

「そーだよ!化粧してなかったころの江ノ島おねぇより酷い」

 

「それ、あんまりじゃない?」

 

法廷内に笑いが響く。よかった。3回も悲劇を乗り越えられて。

 

「あと江ノ島。オメーに言っとくことがある」

 

「えっ、どうしたの左右田君」

 

「さっきの話だ。いつまでも自分を”よそ者”とか言ってんじゃねー。

オメーが来てから何週間だよ、嫌われようが嫌われまいが、

もう新入りの時期は過ぎてんだよ。

3回も学級裁判に関わっといて、今更第三者みてーな面すんな」

 

「左右田君……ありがとうね」

 

「ま、左右田の言う通りだな。てめえの立場くらいは正しく認識しとけ」

 

「九頭竜君……わかったよ」

 

思いがけず暖かい言葉を受けると、

床に座り込んでいたソニアさんが、立ち上がって僕に歩み寄ってくる。

彼女は僕の両手をぎゅっと握って、真っ直ぐ目を合わせて言った。

 

「江ノ島さんにはもうひとつ謝らなくてはならないことがあります。

実は、わたくし……あなたの真心が込もったプレゼントを、捨ててしまったのです。

あの時は憎しみや恐怖に取り憑かれていて……バカな女だとお許しください」

 

「それくらい……いや、それに関しては償いをしてもらおうかな」

 

みんなが驚いて一斉に僕を見る。

 

「や、やめようよ、江ノ島おねぇ?」

 

「お願い、ソニアちゃんを許してあげて?怒るのはわかるけどさ……」

 

だけど僕はイジワルな笑みを浮かべて続けた。

 

「えへへ。私なら何でも許すと思った?

食べ物を捨てるのは悪いこと、悪いことには償いが必要なのです!」

 

「……どうぞ、なんなりと。ムチで叩いてくださっても構いません」

 

「それについては、外に戻ってから説明するよ。

ウサミ、とりあえず裁判閉廷の宣言をお願い」

 

「はい……今回は完全にハッピーエンドとは行かなくて、あちし残念です」

 

「ボクとしてはかなり満足の行く結果だったけどね。

まさか左右田君が膠着状態を突き崩す鍵になるなんて、正直キミを見くびってたよ。

ひょっとしたら、江ノ島さんを倒して眩い栄光を手に入れるのは、

左右田君なのかもしれないね」

 

「言ってろ、希望中毒が。

オレは絶望の残党と自分を殺すためだけに生きてる。それだけだ」

 

「とにかく……学級裁判はこれにて閉廷としまちゅ」

 

カン!

 

【学級裁判 閉廷】

 

そして、ボクと狛枝君以外の全員は決して幸せそうでない顔で、

エレベーターに乗り込んで地上に戻っていった。

 

 

 

 

 

そして、後日。

厨房に女の子らしい黄色い声が楽しげに響いていた。

 

「うう~どうして私の生地が膨らんでないの~?」

 

「もう、不器用なんだから。ちゃんとドライイーストの量計った?」

 

「アハハ、江ノ島おねぇの生地ネバネバ~」

 

「花村、こんなものでいいだろうか」

 

「うん。辺古山さんはバッチリ。あとは生地を20分ほど休ませようね」

 

「20分~?オレそんなに待てねえよ……」

 

「あちし感激でちゅ。あの裁判の後、どうなることかとハラハラしてまちたから……」

 

「食べなかったものは、作り直してちゃんと食べる。これが正しい償いだよ」

 

何をしてるのかって?僕達は女性陣と花村君に協力してもらって、

食べてもらえなかったクグロフを再現してるところなんだ。

 

「江ノ島さん……」

 

三角巾にエプロン姿のソニアさんが神妙な面持ちで、

ドライイースト注ぎ足しでリカバリーできないか試行錯誤してる僕に近づいてきた。

 

「あなたに迷惑どころか、いわれのない罪を着せようとしたわたくしを、

こんな形で許してくれて、本当に、なんてお礼を言えばいいか……」

 

「駄目だよ。レストランで待ってる左右田君達に、

美味しいクグロフを食べてもらうまで許さないからね。

……まぁ、私のは無理っぽいけどね、ははっ」

 

ベタベタになった生地をどうすることもできなくて、どよ~んとした表情になる。

そんな僕を見てソニアさんが微笑んだ。

 

「くっ、ふふっ」

 

「もう~笑わないでよ……」

 

「うふふ、ごめんなさい。なんだか、幸せで。信じられる仲間が居ることが、幸せで」

 

「私もこうしてみんなと一緒にお菓子が作れるようになるなんて思っても見なかった。

幸せよ。この失敗作以外はね!」

 

僕は、指にへばりつくネタネタの生地をどうするべきか迷いながら答えた。

 

 

 

 

 

>新規キーワードが追加されました。

 

8.絶望ビデオ

 

世界に絶望をもたらし、人類史上最大最悪の絶望的事件を引き起こしたビデオ。

希望ヶ峰学園の生徒会員達が凄惨な殺し合いを繰り広げる内容。

ネットワークを通じて世界中にばら撒かれた。

人間の視覚や聴覚を通じて直接脳に作用する、特殊な映像を見た者は絶望の虜となり、

更に絶望を求めて、虐殺、自傷、自殺、破壊行為を繰り返すようになる。

ジャバウォック刑務所の囚人達も、絶望ビデオに精神を汚染され、

償いきれない罪を犯した。

 

 




CHAPTER 3 CLEAR

ショクザイ ノ カケラ ヲ ゲットシマシタ

ソニア ×150
ソウダ カズイチ ×50

*閃きアナグラム(改)、パニックトークアクション、スポットセレクトを
文章で表現することができないため、オリジナル要素で代用しました。
何卒ご容赦ください。


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第12章 (非)日常編

江ノ島生活生中継について語るスレ part217

 

1 名前:超高校級の名無し

引き続き語りましょう。学級裁判実況、兵員募集、危険区域情報は該当スレで。

 

61 名前:超高校級の名無し

(建前)江ノ島が本物かどうか本格的に怪しくなってきた件。慎重な行動観察を要す

(本音)えのじゅんハァハァ。妹かお姉ちゃんにしたいお!

 

62 名前:超高校級の名無し

学級裁判3回戦も熱かったー!まさか左右田が事件解決のダークホースになるとは

いつ始まるかわからんから目が離せんわ、マジで

 

63 名前:超高校級の名無し

しかし、未遂とは言え、狛枝が江ノ島レ○プしたのはさすがにヤバイんじゃないか?

放置してる未来機関も何考えてんだ

 

64 名前:超高校級の名無し

>>63

それ!警察組織が生きてたら未来機関も摘発されるレベルの人権侵害だよ!

同じ女性として激おこぷんぷん丸!

 

65 名前:超高校級の名無し

俺としては、その時江ノ島が超人的な身体能力を見せたことも気になる。

いずれにせよ、未来機関は江ノ島とされてる人物ともう一度サシで話した方が良いな。

そして>>64よ、いつの言葉を使っている。

 

 

 

……ボクは、掲示板の書き込みに一通り目を通すと、目薬を差して強く目を閉じた。

何時間パソコンに向き合っていたんだろう。彼らの言う通り、

希望更生プログラム内にいる江ノ島盾子が絶望の江ノ島である可能性は、

日を追うごとに小さくなっている。

 

ボク自身、本当にこれでいいのかと思うことも少なくない。

パソコンチェアに座って腕を組み、難しい顔をしていると、

霧切さんがやってきて、ボクのデスクにコーヒーを置いた。

 

「また、根を詰めすぎ。一度部屋に戻ってシャワーを浴びてきちんと寝なさい」

 

「そうも行かないよ。向こうの世界で3回目の学級裁判が起きたばかりだし、

未来機関の江ノ島盾子に対する処遇について、批判の声が高まってる。

プログラムの続行自体に異論はないけど、上層部に今の状況を報告して、

せめて彼女の生活条件を改善するよう具申するつもりだよ。

だからなるべく早く上申書を作成しなきゃ」

 

「複雑な状況になっているものね。まさか、自分自身を傷つける者が現れるなんて……

ちょっと失礼するわね」

 

霧切さんがボクのパソコンの前に身を乗り出し、マウスを操作し始めた。

紫のロングヘアが微かないい香りを放つ。

ああもう!だめだ、だめだ、そんなこと考えてちゃ。

今は重要案件について議論してるんだから。

 

「なるほどね。

確かにあの件については、狛枝凪斗を協力者から外すことも検討されたけど、

突然彼がいなくなったら、それもまた憶測を呼ぶ。

結局ウサミや協力者に、彼の監視や必要な場合の拘束を任せるしかなかった」

 

彼女は語りながら気になった別スレにざっと目を通す。

 

 

 

未来機関による虐待行為を糾弾せよ! part85

 

1 名前:超高校級の名無し

江ノ島盾子への私刑は未来の前借り。

日本国憲法第31条に反する人として許されない行為です。偽物議論は他スレでどうぞ。

 

2 名前:超高校級の名無し

偽善者が集まるスレはここですか?文句あるならテメーらが絶望止めてみろ雑魚

 

3 名前:超高校級の名無し

いきなり荒らしかよ氏ね。>>1乙です。

偽物だろうが本物だろうが、彼女にもちゃんとしたコテージを用意するべき。

 

4 名前:超高校級の名無し

1乙ー。

彼女の状況も改善されてきたけど、協力者の善意あってのことだよな?

未来機関の放置プレイマジえげつない。

 

5 名前:超高校級の名無し

おーい、未来機関の中の人、見てんだろ?

江ノ島に扇風機のひとつもよこさない理由を教えてくれ。

 

 

 

「確かにこの状況を放置しておけば、各抵抗組織の協力を得ることも難しくなりそう」

 

「特に実働部隊は人手が足りないからね。

装備はこちらが上でも、それを使う人員がいないと話にならない……」

 

「……戦死者も出てるしね」

 

「うん。だからボク達は、人類史上最大最悪の絶望的事件の爪痕から、

一刻も早く立ち直らなきゃならない。でも、そのためには江ノ島盾子を……

迷ってる暇なんてないことは、分かってるけど」

 

「苗木君」

 

「何?」

 

「自分のしてきたことは、間違ってると思う?」

 

「そ、そんなことはないよ!偵察部隊の確かな調査で、

江ノ島盾子の肉体を収集してるマッドサイエンティストのアジトを突き止めて、

一気に突入して、確かにそこには魔空院と江ノ島盾子がいたんだ……

ボク達を殺し合わせたあいつが!」

 

「だったら。自分が正しいと信じるしかないじゃない。それに、仮に人違いだったなら、

土下座でも何でもして責任を取ってくれるんでしょ、苗木君っ?」

 

霧切さんがボクの両肩にポンと両手を置いた。それだけで心の緊張が一気にほぐれる。

 

「それはそうだけど……」

 

「心配しないで。その時は私も付き合うわ。彼女の靴でも何でも舐めて」

 

「霧切さんにそんなことさせられるわけないじゃないか!

突入作戦の責任者はボクだったんだから!

やっぱりボク仮眠を取ってくるよ。また、後で」

 

彼はコーヒーを一気飲みすると、足早にオフィスから出ていった。

少し驚かすと、ようやく休む気になってくれたみたい。

でも……私自身、希望更生プログラムで、

江ノ島盾子がむしろ協力者に罪と向き合う力を与えているように感じているのも確か。

 

苗木君はまだ気づいていないみたいだけど、局内にも江ノ島の正体を疑う者がいるの。

それどころか、ジャバウォック刑務所に自らを縛り付ける元絶望の残党達の心を解放し、

彼らを絶望と戦う戦力にしてくれると期待する者すらいる。

 

私も、苗木君と同じ。わからないの。

 

 

 

 

 

「に~い、さ~ん、し~い……」

 

「はぁ…はぁ…うう、きついよ~」

 

「頑張ってください、江ノ島さん」

 

僕は今、ゴルゴダの丘を登るイエス・キリストのように、丸太を背負って、

西園寺さんが地面に書いた円を回っています。なんでそんな目に遭ってるかって?

七海さんにリバーシ(オ○ロ)で負けたからだよ!

 

「は~ち、く~、じゅう!おねぇ、もう下ろしていいよ」

 

「終わったー!!」

 

「こんくらいでへばってんじゃねえよ、もっと体力付けろ」

 

「何なら、終里と一緒にワシのトレーニングを受けてみるか。ん?」

 

「……遠慮しときます。午後の作業に響くわね、こりゃ」

 

ようやく罰ゲームを終えて丸太を下ろすと、地面に崩れ落ちた。

昼休み中のみんなが笑い声を上げる。

昔っからアレ弱いのに、超高校級のゲーマーの七海さんに勝てるわけない。

ボードゲームならもしかして?と思った僕が馬鹿だったよ。

 

「アハッ、江ノ島おねぇ腐った牛の死体みたーい!」

 

「お疲れ様です。あらまあ、汗だく。これを飲んでください」

 

「ありがとう、ソニアさん!」

 

ソニアさんが笑いながらよく冷えたミネラルウォーターをくれた。

すかさずキャップを開けてゴクゴクと飲む。

 

「あー、生き返る!テントの水道はぬるくって。この後の作業も頑張れるわ」

 

「江ノ島さんったら、どうしてこんな無茶をしたんですか?

七海さんにゲーム勝負なんて」

 

「ロビーの隅にあったから、たまたまというか、

いつものようにゲーム機で遊んでた七海さんと勝負しようってことになったんだ。

……あ、ありがとう」

 

苦笑いしながらカラのペットボトルを受け取るソニアさん。

もうとっくにわだかまりは解けてる。

 

「俺様もあの激闘を見届けた者の一人だが、

光と闇のコロシアムは瞬く間に闇が支配し、一切の光が消え失せた。

邪眼を持たぬ者にはわからぬであろうが、お前がその生命を贄に闇を呼び寄せ、

世界を塗りつぶしたことは明々白々たる事実。

やはり、どこまでも暗黒を求めし存在で在り続けるのだな……江ノ島盾子よ!」

 

「普通に“黒にボロ負けしてた”って言えばいいじゃないかぁ!

どうせ五目並べだって勝ったことないよーだ!」

 

「リバーシも五目並べもコツがあるんだよ?

2,3手先でいいから、相手が欲しがりそうな位置を読むことを考えてみて?」

 

「江ノ島モードじゃない私はそんな芸ができるほど頭が良くないのよ……」

 

キーンコーンカーンコーン……

 

「おお、そろそろ午後の作業が始まるのう。バリバリ働くぞい!」

 

「おーし、とっておきの海の幸取ってきてやるぜ!」

 

「わたしは牛の乳搾り。牛が暑さで疲れてるからミルクがあんまり出ねーんだよねー」

 

「ふむ、ならば魔獣使いたるこの俺が、

純白のミノタウロスが失いしマナを再び現世に降り立たせようぞ!」

 

「牛さんの治療、頑張ってね。私は森で木の伐採の続きよ。

正直丸太はもう懲り懲りなんだけど……」

 

それぞれの仕事場へ散っていくみんなを見て、ソニアさんが独り言のようにつぶやいた。

 

「皆さん……以前より活き活きと労務に励むようになりました」

 

「えっ、そうなの?」

 

森に出発しようとしたら、ソニアさんがそんなことを言い出した。

 

「はい。以前までわたくし達は、過去の罪に溺れながら、

贖罪というわずかな空気を求めるように、ただひたすらにもがくだけでした。

でも、江ノ島さんが来てから変わったんです。

あなたがご自分の運命に立ち向かう姿を見て、

わたくし達も自らの罪に真正面から向き合う勇気をもらったんです」

 

「そんな、言い過ぎよ。

私は、なんと言うか、その時々の状況になんとか対応してるだけで……」

 

「いいえ。例え学級裁判の時に現れる姿が、わたくしの知る江ノ島盾子だとしても、

全てが解決した時、いつもあなたは傷ついた者に手を差し伸べてくださいますよね。

わたくしもそれにどれだけ救われたことか。周りの人も同様です。

こんな自分すら救ってくれる人がいるんだ。そう考えることができたんですから」

 

「救うだなんて……あっ」

 

ソニアさんがそっと僕の両手を握る。

 

「散々酷いことをしておいて虫のいい話だとは承知しています。その上でお願いします。

どうか、皆さんを、救ってください。

あなたの懸命な姿を見て、皆さん、希望を取り戻しつつあるんです!」

 

僕も彼女の手を握り返した。

 

()に誰かを救うなんて、大それたことはできないけど、

身の潔白を証明するために、みんなと一緒に生活することが役に立つなら、

喜んで引き受けるよ」

 

「……ありがとうございます!」

 

「じゃあ、私はもう行くわ。また丸太を担ぎにね~」

 

「ふふっ、江ノ島さんたら。引き止めてすみません。わたくしは遺跡で芋掘りです。

頑張りましょうね」

 

「ええ。また後で」

 

ピロロロ……

 

その時、僕の電子生徒手帳が鳴った。通話じゃなくてメール。

開いてみるとこんな文面だった。

 

 

送信者:日向創

件名:話がある

 

俺のコテージに来てくれ。午後の作業はいい。

 

 

労務をストップしてまで話したいことってなんだろう。

とにかく僕はホテル敷地に逆戻りして、日向君のコテージに向かい、呼び鈴を鳴らした。

足音が近づいてドアが開く。

 

「呼び出して悪いな。上がってくれ」

 

「お邪魔しまーす」

 

すっかり履き慣れたブーツを脱いで部屋に上がる。

そう言えば、彼のコテージに来るのは2度目だね。

 

「まあ……座ってくれ」

 

「ありがとう」

 

日向君に席を勧められて小さな椅子に座ると、彼も向かい合うように腰掛けた。

なんだか彼の表情が固い。どうしたんだろう。

 

「午後の作業を中止するほどの話って、何かな?未来機関からなにか重大な発表でも?」

 

「いや、そうじゃないんだ。

ただ、江ノ島。お前に話しておかなきゃいかないことがあってな。

今まで色々あって、改まって話す機会がなかった」

 

「うん」

 

日向君は話しづらそうに時々口ごもる。僕は黙って続きを待つ。

 

「まずは、俺達がジャバウォック刑務所に収監された時の、“誓い”についてだ」

 

「それは……

確か、学級裁判が終わった時に、弐大君が口にしたのを聞いたことがあるわ」

 

「そう。希望更生プログラムVer1.0から脱出して全てを思い出した俺達は、

絶望の残党だった頃の罪も同時に思い出した。絶対に許されない、血塗られた過去。

花村や罪木、ソニアが語ったような」

 

「……」

 

何も言わずに彼の言葉に耳を傾ける。

 

「だから俺達は恥を忍んで、処刑ではなく、

ジャバウォック島を刑務所とした終身刑にして欲しいと、未来機関に頼み込んだんだ。

苗木誠の協力もあったし、日本の再建にこの島の豊富な資源が必要な、

未来機関側の意向もあって、その願いは通った。

その時、刑務所での生活を始めるに当たって皆で決めたのが、弐大から聞いた、

俺達囚人の“誓い”だ」

 

「どんな内容なのか、教えてもらっても、いい?」

 

「ああ、もちろんだ。

まず、俺達は仮釈放のない囚人。死ぬまでここで償い、被害者に詫び続ける。

次に、Ver1.0内で起きた殺人事件については、クロも被害者も許し合う。

共に償う仲間として。

続いて、これ以上罪は重ねない。どれだけ些細なことであろうと。

マーケットの十神には会ったろう?」

 

「うん。ちょっとした出来心を防ぐために、万引きGメンを務めてるって聞いたわ」

 

「その通り。現実世界のジャバウォック刑務所には、殆ど娯楽がない。

俺達は囚人だから当たり前なんだが、人間だから、どうしても欲しくなる。

だから一番適任の十神がマーケットに常駐しているんだ。

……“誓い”についてはこんなところだ。

俺達がどんな経緯でジャバウォック島に留まっているか、

お前に知っておいて欲しかった」

 

終身刑。まばたきをしばらく忘れた。知っているはずの言葉が、重くのしかかってくる。

みんなが、青春どころか、人生の全てを、

この人口20人にも満たない島に捧げようとしているなんて。

 

「話してくれて、ありがとう。……でも!ひとつだけ言わせてもらってもいいかな!?」

 

「わかってる!こんな島に閉じこもって、わずかばかりの資源を納め続けたところで、

償いになんてなりっこない。死んだ人たちは帰ってこない!……わかってるんだ。

でも、今更俺達が快適な日本に帰れると思うか?

何人、何十人、何百人もの命を奪った俺達が、

食事やライフラインの保証された未来機関の収容所に!」

 

「それだったら……いや、なんでもない」

 

「なんだ?遠慮なく聞いてくれ」

 

「本当になんでもないの。気にしないで」

 

うっかり“みんなも絶望の残党と戦おうよ”なんて、バカなことを言うところだった。

みんなは自分の才能で罪なき人々を殺した。

例え相手が残党だろうと、その力でまた人を傷つけろ、なんて無神経にも程がある。

 

「それより、話はそれだけかしら?」

 

「そうだな……話というより、頼みがあるんだ」

 

「頼み?私にできることならなんでもしたいけど、

江ノ島盾子が現れないと、できることってほとんど無いの」

 

「今のお前にしかできないことだ」

 

「今の私?それってなあに?」

 

「七海と、話をしてやって欲しい」

 

「よかった。それなら今でもできるわ。

私も七海さんとじっくり話したのは1度きりだから、

またお話ししたいなって思ってたところなの!」

 

「七海が、ウサミと一緒に希望更生プログラムを管理する、

AIだってことは知ってると思う」

 

「うん。今の七海さんは二代目なんだよね?」

 

でも、日向君は首を横に振る。その顔に苦しみ、悲しみ、自責の念を浮かべて。

 

「彼女は……“三代目”なんだ!」

 

「三代目?」

 

意味がわからない。希望更生プログラムが運用されたのは今回を含めて2回だけのはず。

 

「一代目は、俺の友達だった七海千秋。生身の人間だったんだよ……」

 

「え……?」

 

「どこから話すべきかな。七海は希望ヶ峰学園の本科生で、俺は予備学科だった。

予備学科っていうのは、なんていうか、才能を持たない生徒でも入れる、

希望ヶ峰学園のブランドが欲しい落ちこぼれの集まりだったんだよ」

 

軽く自嘲気味に笑う彼。本科と予備学科についてはゲームで知ってた。

ただ、嫌な予感がする。僕は返事もせず彼の話を聞くことしかできない。

 

「そんな俺達が出会ったのは本当に偶然だった。初めは少し会話する程度だったけど、

親しくなってくると、会う回数も増えていった。

いつの間にか、毎日のように噴水の前のベンチで、

一緒に対戦ゲームをするようになってたよ」

 

「その七海さんが、どうして……?」

 

「人類史上最大最悪の絶望的事件の事は知ってるよな?

あの事件が起きた日に、彼女は……死んだんだ」

 

「と言うと、事件に巻き込まれて?」

 

「ある意味、そうとも言えるな……

希望更生プログラムVer1.0に存在した七海のAIは、

希望ヶ峰学園の生徒、“超高校級のゲーマー”七海千秋を元に作られたんだ。

人間だった彼女は、俺と組んだ江ノ島盾子に──殺された。

クラスメイトや先生を助けようとして、

江ノ島が用意したトラップだらけの迷路で切り刻まれて、串刺しにされて、

死んでいった……」

 

心が現実を拒み、頭の中が空白になり、彼の言葉を拒んでいる。

口だけが勝手に一言だけ。

 

「うそだ」

 

「嘘じゃない。これが、彼女の生きた証だ」

 

日向君がポケットから何かを取り出した。8bitゲーム、“ギャラオメガ”のヘアピン。

七海さんの髪飾り!どうしてここに!?

 

「七海の死に立ち会った俺は、

既に絶望に冒されていて、おぞましい化け物に成り果てていた。

それでもあいつは!あいつは俺を友達だと信じて、最後まで諦めなかったんだ……!」

 

 

 

 

 

俺は、トラップで致命傷を負い、死に行こうとしている七海に近づいた。

何一つ心を動かすことなく。彼女は俺に気がつくと、かすれた声で呼びかけてきた。

 

“日向…君……うん、日向君…だね?”

 

“……それは、以前のボクのことですか?”

 

“やっぱり……覚えてないんだ、ね……もう、思い出せないの?”

 

“不可能です。以前のボクの記憶は完全に消去されていますから”

 

“なんだって出来るよ…日向君、なら。……ほら、やればなんとか、なるってやつだよ”

 

七海は血だらけになって苦悶の声を上げながらも、必死に立ち上がろうとしていた。

そんな彼女を、俺は、ただ見ていたんだ。

 

“やっぱ…だめだね。日向君の、助けには……ごめん、ね”

 

“こんな状況になっても、あなたは誰かを守ろうとするんですね”

 

“だって、私は、みんなが、好きなんだもん……いやだ、死にたくないよ……

私、まだやりたいことが……みんなと、クラスメイトでいたかったよぉ……

も、もう一回、日向君と、ゲーム、したかった、よ”

 

 

 

 

 

「そんな……いやだ……七海さんを!僕が!江ノ島が!ハァ…ハァ、ハァ、ハァァ……」

 

うまく呼吸ができない。僕の中に宿る江ノ島盾子が、七海さんを!?

無意識にテーブルのボールペンを手にして、思い切り振り上げ──

 

「うあああああ!!」

 

左手に突き刺そうとしたところで日向君に押さえつけられた。

 

「やめろ!落ち着け!」

 

「うるさい!触るなよ、怪物め!!」

 

「っ!?」

 

日向君を押しのけると、思い切り彼を睨みつけて、思いつく限りの罵声を浴びせた。

ボールペンを両手で握りしめ、彼に向けながら。

 

「この、人殺し!人食いめ!

今から七海さんに会わせようって奴に、よくそんな話ができたな!

彼女を見殺しにしたくせに!彼女を殺した絶望だったくせに!」

 

あふれる涙が、悲しみか怒りかわからない。

 

「そうだ……俺が七海を殺したようなものだ。

俺はここで朽ちて死ぬ。それが俺にできるただ一つの償いだ。

でも、お願いだ!七海にだけは力を貸してやってくれ!

まだ人格が完成していない彼女の助けになってほしいんだ、頼む!

せめて一人の女の子、七海千秋になった彼女に謝りたいんだ!」

 

「おためごかしなんか聞きたくないよ!

結局七海さんへの罪の意識を背負いきれなくなって、

彼女に押し返したいだけじゃないか!

……それに、日向君。まだ何か隠してるよね!?」

 

“不可能です。以前のボクの記憶は完全に消去されていますから”

 

「“記憶を消去”ってどういうことだよ!どうせそれも絶望と関係あるんでしょう!

答えろよぉ!!」

 

泣き叫びながら、感情の赴くまま日向君を問いただす。

 

「それについては今は言えないんだ!本当にすまない、時間をくれ!」

 

「うるさい!僕にしろ、どうせ江ノ島盾子の力を利用してただけなんだろう!

用済みになったら未来機関に処分させるつもりだったんでしょ!?

もういいよ!君なんか顔も見たくない!僕の中の江ノ島盾子も大嫌いだ!」

 

「待て、江ノ島!」

 

「黙れよ!僕をその名で呼ぶな!」

 

僕はボールペンを彼に投げつけてコテージを飛び出した。

腕で涙を拭いながら走り続ける。足は自然とホテルのロビーに向いていた。

そこにはいつもと同じく、アーケードゲームに向かう七海さんの後ろ姿。

彼女は明らかに異様な僕に気がつくと、取り乱すことなく、

まだプレイ中の自機を放って、歩み寄ってきた。

 

「七海さん……」

 

「ブーツの紐、解けたままだよ?」

 

涙を流し鼻をすする僕の足元にしゃがみこんで、七海さんが靴紐を結んでくれた。

 

「うん。これでいいよ。……江ノ島さんにしては珍しいね」

 

「何が?」

 

「ケンカ。ここまで聞こえてきたよ。

私にはよくわからないけど、

こういう時は頭が冷えたら早めに仲直りしたほうがいいんだよ?」

 

「……ケンカなんてもんじゃない。日向君は今まで僕や七海さんを裏切ってたんだ!

まだ隠し事までしてる」

 

「隠したいことなんて誰だって一つや二つあると思うけどな」

 

「それが、七海さんや僕の運命に関わることでも?」

 

僕達は自然とロビーの椅子に並んで座っていた。

放置されたアーケードゲームがゲームオーバーを告げた。

 

「ふむふむ、私や江ノ島さんの運命に関わることかー。難しい問題だよね。

私は日向君に裏切られた覚えはないけど、江ノ島さんはどうしてそう思ったの?」

 

「それは……ちょっと、言えない。残酷すぎるよ……」

 

「ほら、ひとつ。江ノ島さんだって言えない事情が、ある」

 

「あっ……そうだけどさ。

きっと七海さんを傷つけるようなことを隠してるに違いないんだ!」

 

「じゃあ、基本に立ち返って考えてみようか。

私は希望更生プログラムVer2.01の運用を任された人工知能。

造られた物なら、人間の都合で傷つけたり、裏切ったり……

消し去ったりしても構わない。違う?」

 

「そんなの違うに決まってるじゃない!七海さんは、大事な仲間だ!

確かに目の前にいて、僕の靴紐を結んでくれた!人間と何も変わらない!

身体を作ってるものが違うからって、物みたいに扱えるわけないじゃないか!」

 

七海さんは静かに微笑んで続けた。

 

「……ありがとう。それがヒトの優しさなんだね。大切なことを学習したよ。

今度は、質問を変えるね?今、江ノ島さんが言ってくれたこと。

私を傷つけちゃいけない理由って、何?」

 

「言ったじゃないか。僕達は仲間で……」

 

「ううん。そうじゃない。もっと現実的な問題。私が消えると何かトラブルが起きる。

そのトラブルってなんだと思う?」

 

「そりゃあ、希望更生プログラムの運用ができなく……そういうこと、なの?」

 

「そう。私の使命はこのプロジェクトをサポートすること。

そのために必要なデータは全部搭載されてるんだ」

 

はっと気がつく。そんな彼女が受刑者のことを何も知らないはずがない。

 

「まさか、一代目の君に起きたことも承知で、今まで日向君と生活してたの……?」

 

「うん。オリジナルの私は残念なことになっちゃったけど、

私は今の日向君を敵だなんて思ってないよ?」

 

「どうして……あんな惨いことをされたのに。江ノ島と組んで……」

 

「それは江ノ島さん(あなた)が教えてくれたじゃない。仲間だから。

日向君もあなたも、コンピューターの中でしか生きられない私にとって、大切な仲間」

 

「七海さんは、優しいんだね……」

 

「その優しさを教えてくれたのは、江ノ島さんだけどね」

 

思わず笑いが出てくる。

何も知らないくせに大声で騒ぎ立てて、勝手に七海さんを被害者にして、

果てしなく重い罪を背負い続けてる日向君に酷いことを言った。僕は、最低だ。

 

「ごめん七海さん。行かなきゃ」

 

そして僕は立ち上がる。

 

「うん。私は大抵ここにいるから、またお喋りしてくれると嬉しいな」

 

「きっと、すぐ戻ってくることになると思うよ」

 

海岸目指して僕は走り出した。

七海さんがしっかり巻いてくれた靴紐のおかげで、動きやすい。

風を浴びながら走ると暑さも気にならない。

むしろ清々しいくらいだけど、それは風のせいだけなんかじゃなかった。

 

 

 

 

 

もう来ることはないと思ってたけど、また来てしまった。

ヤシの木型のガチャガチャ、モノモノヤシーン。

電子生徒手帳をそっとカプセル排出口にかざしてみる。

残りのウサミメダルは3回目の学級裁判の褒賞金を含めて100枚ちょっと。

今の重複率は、28%くらい。

行けるかどうか微妙だけど、お願い、どうしても必要なんだ!

 

信じて回す、回す、回しまくる。重複率はどんどん上がる。

この際、ボロボロの水晶でもいいから。……ごめん嘘ついた、やっぱそれは嫌。

ちょっとした記念になるものでいいんだ!人生のクジ運を全部ここで使ってもいいから!

 

何か良さげなものが一つ出てきた。これ、もうひとつあればひょっとして!

重複率が60%を超えた。十分狙える!メダルはあと20枚!神様お願い……!

 

とは言うものの、そんな調子のいいことそうそう起こるはずもなく、

最後のウサミメダルを使ってしまった。落胆を隠せない僕。

そりゃ、さっきは記念品程度でいいって言ったけど、人間は欲が出る生き物であって。

 

──ラッキー!

 

その時、電子音声と共に、追加で一個カプセルが出てきた。それを開けると……

 

「嘘でしょ!?」

 

運がいいのか悪いのか、中には小さくて綺麗なものが入っていた。2個目。

これで、なんとかなるはず!

前回と同じく、風呂敷代わりにしたシーツに、ハズレというか必要ない景品を包んで、

昔の泥棒みたいに担いでホテル敷地に戻った。置き去りにしたらポイ捨てになるからね。

 

 

 

 

 

「荷解きは後!大事な用が先なんだ!」

 

ベッドに荷物を放り出すと、手に持っていた肝心なもの2つを持って、

まずはホテルのロビーに向かった。

やっぱり彼女は昔ながらのテーブル型アーケードゲームに熱中していた。

 

「ごめん、七海さん。プレイしながらでいいから聞いて欲しいことがあるんだ」

 

彼女は振り向くと、さっきと同じくゲームを放ったらかしにして、笑いかけてくれた。

 

「悩みとか、吹っ切れたみたいだね」

 

「七海さんのおかげだよ。

そのお礼と言ったら何なんだけど、これを、受け取ってくれないかな」

 

僕はモノモノヤシーンで引き当てた2つの物の片方を彼女に渡した。

 

「わぁ……なんだか、オリジナルの、いい思い出ばかりが蘇ってくる気がする。

胸が、あったかい。ありがとうね……」

 

「よかったー、喜んでもらえて。返却食らったらどうしようかと思ったよ。

図々しいかもだけど、それ、しばらく着けておいてくれないかな。

後で特別な意味を持つから」

 

「そのつもりだけど……特別な意味って?」

 

「それは内緒!また夕食の時に!」

 

「うん……じゃあね?」

 

キョトンとした表情の七海さんをロビーに残して、次は日向君のコテージに向かった。

だけど、呼び鈴を押す指が止まった。彼は許してくれるだろうか。

あれだけ酷いことを言って、暴れておいて。

 

……逃げるんじゃない。手の中の物を渡して、ちゃんと謝るんだ。

意を決してボタンを押す。部屋の中でメロディが流れると、

ドアの向こうの気配が近づいてきて……尋ねてきた人物に驚きを隠せない様子だった。

 

「江ノ島!?……ああ、そうじゃないな。どう呼べばいいのか。ちょっと待ってくれ」

 

「江ノ島でいいよ!日向君……さっきは、本当にごめん。

七海さんと話して気づいたんだ。

君も苦しんでいたことにちっとも頭が回らなくて、君を化け物呼ばわりなんかして、

本当に、ごめんなさい!」

 

彼に深く頭を下げた。目には見えなくても彼の困惑する様子が見える。

 

「頭を上げてくれ。……お前の言う通り、俺は最悪な人間だったんだ。

その上、今まで重要な事実を黙っていた。

そればかりか、元気な七海の姿を見るのが辛くて、

お前にまでその重荷を背負わせようとした。本当、俺はどうしようもない奴だよな。

だから謝る必要なんてないんだ」

 

「そんなことないよ。もし許してくれるなら、これを受け取って欲しいんだ」

 

そして、2つのアイテムの片割れを差し出す。

彼が受け取ってくれれば、僕なりのけじめは着けられるんだけど。

 

「これは……希望ヶ峰学園の校章!?」

 

七海さんと日向君に渡したのは、“希望ヶ峰の指輪”。

その名の通り、希望ヶ峰の校章が刻まれた指輪だよ。

お揃いの記念品ならなんでもいいと思ってたんだけど、

1個目を引いた時、二人の絆をつなぐには、これしかないと思ったんだ。

 

「うん、どうかな……?」

 

「素晴らしいものだとは思う。でも、俺がもらっていいものなのか?

本来何かの形で詫びなければならないのは俺なんだぞ?」

 

「納得できないなら、条件を付けるよ」

 

「条件?」

 

「少なくとも、夕食時まで、ずっとそれを着けていてほしいんだ。理由は聞かないで。

後で特別な意味を持つから」

 

「特別?わかった、ありがたく受け取るよ。……ありがとうな」

 

「それじゃあ、僕のこと、じゃなかった。私のこと、許してくれるって事かしら……?」

 

プレゼントを受け取ってもらえたことで、喜びと冷静さがやってきた僕は、

コテージでパニックを起こしてから、ずっと男言葉に戻っていたことに気づく。

 

「当たり前だろう。それと、お前の喋り方だが……嫌ならやめてもいいんだぞ?

リーダーの権限で皆に」

 

「大丈夫!もうすっかり慣れちゃったし、また元に戻す方が大変。

じゃあ、夕飯をお楽しみに!」

 

「お、おい待てよ!……行ってしまったけど、何なんだ?特別な意味って」

 

とりあえず指輪をはめた日向君は、コテージの中に戻ったみたい。

 

 

 

 

 

テントに戻った僕は、

ハズレというより、用のないモノモノヤシーンの景品をベッドに広げた。

なかなか良さそうなのもあれば、用途すらわからないものもある。

そう言えば、1回目のチャレンジの時の不用品も余ってるんだよね。

みんなが喜びそうな物を選んで、また配ろうかな。

いい加減にしろって怒られるかもだけど。

 

「江ノ島、少しいいか」

 

「はーい。どうしたの、辺古山さん」

 

彼女が僕のテントに来るなんて珍しいな。

 

「もうすぐ夕食の時間だ。レストランに来てくれ」

 

「呼びに来てくれたの?ありがとう。すぐ行く……」

 

その時、僕は彼女の視線が時々ベッドに向いていることに気づいた。

女性の勘は鋭いっていうけど、こういう僅かな変化を無意識に捉えてるのかもしれない。

江ノ島盾子の身体に宿っているから出来た芸当だと思う。

僕は、ダブったアンティークドールを赤ん坊のように抱えて、辺古山さんに尋ねた。

あ、やっぱり人形が気になるみたい。

 

「辺古山さん、ちょっといいかしら」

 

「なんだ?」

 

「人に話すのは恥ずかしいんだけど、私、お人形に名前を付けて可愛がってるの。

あの娘はマリーって言うんだけど、この娘にはまだ名前がないの。

辺古山さん、何かぴったりな名前を付けてあげてくれないかしら?」

 

「人形に、名前、だと?」

 

「アハ、子供っぽいわよね?でも、名無しのままじゃ可哀想なの。

お願いできないかしら?」

 

気恥ずかしさで頭をかく。すると、辺古山さんは顎に指を当てて考え始めた。

うんうんうなって色んな方向を見ながら悩むこと3分。

 

「……ハルナ。それでいいか?」

 

「ハルナちゃん!和風で素敵な名前だと思うわ。ね~ハルナちゃん?

今日からこの人があなたのママよ」

 

「マッ、ママだと!?」

 

「そう。名付け親になってくれた辺古山さんに可愛がって欲しいって、

この娘が言ってるの。お願い、この娘のママになって?」

 

「い、いいだろう。

人間ならともかく、人形なら名付け親として責任を取らないこともない。

……本当に、いいんだな?」

 

「もちろん。ハルナちゃんが一緒にいたいって言ってるんですもの」

 

人形オタクを装って強引な理屈を押し通す。

 

「そうか。では、遠慮なくこの娘は引き取って行くぞ」

 

「ちなみに、名前の由来を教えてくれないかしら」

 

「旧日本海軍の戦艦榛名だ。

戦艦の強さと、名前の美しさを併せ持つ、相応しい名前だと考えた」

 

「まあ素敵!綺麗なお名前貰えてよかったね。ハルナちゃん!」

 

「贈り物に礼を言う。

私は一旦コテージに人形を置いていくから、江ノ島は先に行っていてくれ」

 

「わかったわ。ハルナちゃんバイバイ」

 

で、僕はざっと残りの荷物をベッドに整理してからレストランに向かった。

途中、辺古山さんのコテージの前を通った時に、

“ハ~ル~ナちゃん♪”という明るい声が聞こえた気がしたけど、

何も聞かなかったことにした。

 

 

 

 

 

「「いただきます!!」」

 

その日の晩餐はいつもと様子が違っていた。食事中の私語は規則で禁じられてるけど、

3名を除くみんながニヤニヤしている。笑っちゃいけないとは言われてないもんね。

日向君は、“やりやがったな!”と言わんばかりに、真っ赤な顔で僕を睨み、

僕は明後日の方を向いて知らんふり。

そして七海さんは、時々指輪を見て、頬を朱に染めている。

 

“ふみゅう……愛はデータの壁を超えるんですねぇ……”

 

“耳は塞いでおくから、今夜は激しくしてもいいよ!!”

 

“女神エロスの刻印を手に入れたか……フッ、神に背を向けた男には関係のない話だ”

 

“七海おねぇも日向おにぃも、や~らしいんだ~ププッ”

 

“あの二人がそこまで進んでたなんてね。さすがにアタシも見抜けなかったわ”

 

“ペコ、お前気づいてたか?”

 

“いえ全然……”

 

“結婚式は唯吹がド派手なロックで盛り上げるっす!”

 

無言でも、みんなの心の内が聞こえてくるよ。

そりゃあそうだよね。男女がペアの指輪してたら、婚約指輪と思われるのが普通。

初々しいカップルを冷やかすのって、初めての経験だけど、とっても楽しいです正直。

後でテントに乗り込んできた日向君に柔らかいスリッパでしばき回されたけど。

学級裁判もない、こんな平和な日々が続いて、

僕もみんなも揃って現実世界に戻れる日が来るといいな。

 

 

 

 

 

塔和シティー・地下研究室

 

 

緑色の髪をツインテールにした少女が、キーボードを叩きながら愚痴をこぼす。

 

「もう~何が超高校級なんだか。本当に役立たず。

送ってきたデータは破損だらけ、ほとんどモナカが1から作り直したようなもんだし~?

やっぱり大人に近くなっちゃった人間なんて、淘汰されていく運命なのかな?

コレが送られて来たってことは、もう死んでるってことだし。でも……」

 

モナカという少女が一旦手を止めて背後を見る。

SF映画のコールドスリープで使われるような、人間が一人入れるポッド。

何者かが中にいる。

 

「モノクマちゃんがいればほとんどの事はどうにでもなるけど、

お姉ちゃんの欠片だけは足りなかった。

そのせいで“片方”しか作れなかったけど、モナカは諦めないよ」

 

彼女は体格に対して大きめなパソコンチェアを回して、後ろを向くと立ち上がり、

淡く緑に光るポッドにそっと手を置いた。

 

「盾子お姉ちゃん、すぐ助けてあげるからね……」

 

 




ショクザイ ノ カケラ ヲ ゲットシマシタ

ヒナタ ハジメ ×100
ナナミ チアキ ×100
ペコヤマ ペコ ×50


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第12.5章 番外編なの。色々あったわ。

「オメーはよう、一体オレに何をさせてーんだよ!?」

 

意図のわからない質問に、プレゼントを差し出したまま首をかしげる。

 

「え、何って。

この景品、私には使いこなせそうにないから、左右田君に使って欲しくて……」

 

「そーじゃねー!お前はモノクマをぶっ壊してほしいのか、宇宙戦争に勝利したいのか、

どっちなのかを聞いてんだよ!」

 

「なんでそんな話になるの!?」

 

「それだよそれ!そいつは縮退炉つって、

ブラックホールを発生させてエネルギーを取り出すバケモンだー!

しかも持ち運び可能な小型!」

 

「ええっ!そんな物までガチャガチャに?未来機関ってそこまで技術力があるの?」

 

「まぁ…いや、流石にまだ研究段階に入ったとこだろーよ。そう思いてえ。

試作品なら俺達への景品として十分だと思ったんじゃねえか?

オレがジジイになる頃には完成してるだろうが」

 

「そっか。危険なものじゃなくてよかった~

事故って地球が飲み込まれたらどうしようかと思ったわ」

 

未来機関 遊び心が 過ぎますよ? 江ノ島 心の俳句

 

「じゃあ、この小型縮退炉、受け取ってくれる?」

 

「ああ。……ありがとよ、また奴らと戦う武器が増えた」

 

左右田君は小型縮退炉を手に取り、

ドライバーでフレームの一部を外し、内部を覗き込んだ。

しばらく真剣な表情で内部を分析すると、何か納得した様子でうなずく。

 

「ブラックホールは無理だが、

動力の軸になってる水素核融合なら、実現できるかもしれねえ。

タダ同然の燃料で無限に近いエネルギーを得られる。

オレでも2,3年は掛かるだろうがな」

 

「えっ!それって凄すぎるわよ!地球のエネルギー問題、一気に解決じゃない!

う~ん、超高校級のメカニックってチート能力だと思い始めてる、私」

 

「褒めてもなんも出ねーぞ。

あと、もらっといてこんなこと言うのもアレなんだけどよう……」

 

「なあに?」

 

「あんまりホイホイ良いもん配るのも考え物だぜ?」

 

「どうして?独り占めはよくないし、みんなに喜んで欲しくて……」

 

「悪りぃが……その辺の事情は察してくれ。

コレについては、本当サンキューな。あばよ」

 

「うん、さようなら?」

 

左右田君の言葉の意味がわからないまま、とにかくコテージに戻る彼の背を見送った。

事情ってなんだろう。考えてみたけど、さっぱりわからない。

仕方なく、次のプレゼントを手に田中君を探して、彼に話しかけた。

 

「田中くーん!待ってー!」

 

「……人の子が造りし偽りの世界に舞い降りた、頭に翼を持つ堕天使か。

あまり虚空の覇者たる俺様に関わると、波動の共鳴が起こり、天は裂け地は破れ、

不可逆的カタストロフィが地球を覆い尽くすだろう。努々気をつけることだ」

 

「あー!今回は翻訳不可だけど、“頭に翼” はわかった!

今、私のツインテール馬鹿にしたでしょ~。そんなに大きくないもん、ひどい!

せっかく田中君にピッタリのピアス、プレゼントしようと思ったのに」

 

「俺様への供物か。やはり危険な女だ。

選択を誤ると、ラグナロクの開戦を早めることに……!?

それは、エル・ドラードの宝物殿に安置されていると言われる、

伝説の“破邪のピアス”!

フッ、そうか、ようやくわかったぞ。

江ノ島!お前の真の才能は、超高校級の神器管理官」

 

「気に入ってもらえないみたいだから、片付けるね……」

 

 

 

そんな二人の様子を影から観察する者達が。

 

“あ、やっぱり受け取ってくれるんだ。よかったー”

 

“……ありがとうございます”

 

「江ノ島はまだ戻る様子はない。距離も十分。やるなら今だと思うが」

 

「そうだな。あいつが困らない程度に、少しだけ。少しだけだからな?」

 

「くっ、自分に負けた自分が、許せない……!」

 

そして、謎の人物達は周囲を警戒しつつ、江ノ島のテントに入っていった。

 

 

 

 

 

テントに戻ると異変に気づいた。コンテナの蓋が、急いで閉めたように、

角のひとつが引っかかって閉まりきってない。

すぐに蓋を開けて、中身を確認すると、ほんの数点だけど、アイテムがなくなっていた。

 

「……」

 

僕は、電子生徒手帳を取り出して、頼れる人物にメールを送った。

 

 

送信者:江ノ島盾子

件名:相談したいことがあるの

 

ちょっと相談に乗ってもらいたいんだけど、今いいかしら。

声が漏れるからテントじゃ話せない。コテージで話を聞いてほしいの。

 

 

返信はすぐに帰ってきた。

 

 

送信者:日向創

件名:RE: 相談したいことがあるの

 

ああ、構わないぞ。俺のコテージに来い。

 

 

 

 

 

俺は机に向かって、来週の労務シフトを作成していた。

 

「こんなもんだろう。弐大にばかり力仕事をさせるわけにもいかないし、

細かい室内作業にも慣れてもらわないとな」

 

すると、電子生徒手帳にメールが着信。江ノ島からだ。珍しいな。

……俺に相談?しかもテントじゃ話せないようなこと、か。俺はすぐに返事を送った。

 

 

 

日向君のコテージに着くと、呼び鈴を押した。

ドアが開くと、彼が手招きしたから、上がらせてもらった。

相変わらず片付いていてキレイ。僕がゲームの外にいた頃とは大違いだ……

と、感心してたら。

 

スパン!と、昔とん○るずがしょっちゅう使ってたようなスリッパで、また叩かれた。

 

「あたっ!」

 

振り返ると、黙って希望ヶ峰の指輪を見せる無表情の日向君。まだ根に持ってるよ~

 

「うう……もう許してよ。それに七海さんは気に入ってくれてるよ?

なんだかんだ言って日向君も着けてくれてるし、やっぱり二人は赤い糸で……

あああ、ごめんなさい、もうしませんから!」

 

「本当にお前って奴は……!」

 

思わずツインテールで頭をかばうと、

日向君はスリッパを放り出し、椅子を出してくれた。

彼もソファの端に座ると、本題に入った。

 

「それで、相談したいことってなんだ?」

 

「うん。それがね、実は……」

 

僕はさっき気がついた出来事を説明した。

今日は日曜で労務がお休みだから、みんなとお喋りしたり、

プレゼントを渡したりしてたんだけど、

外から戻ったら、コンテナの様子が変だから調べてみると、

アイテムが数点なくなってた。

 

なくして困るようなものじゃあないんだけど、

誰かが盗んだとしたら、そんな人がいることは悲しいし、

ひょっとしたらあの人が?なんて思いながら、これから共同生活を続けていくのは嫌だ。

話を続けるうちに、日向君の表情も徐々に真剣なものになっていった。

 

「そうだったのか……それは、すぐ対処すべき問題だな」

 

「別に犯人を捕まえて吊るし上げようってわけじゃないの。

ただ、どうしてこんなことをしたのか聞きたくて。

ひとこと言ってくれれば、いくらでも持っていってくれてよかったのに……」

 

「盗まれた品物は何なんだ?」

 

「“百年ポプリ”と“麦飯パック”の2点よ。所持品管理アプリと数が一致しない」

 

「欲しがりそうなやつは見当が着くが、決めつけてかかるのは危険だ。

また、学級裁判で話を付けるしかないだろう。ウサミー?」

 

「ダメでちゅ!」

 

やっぱり空中でポンと弾けるように現れたウサミに、開口一番拒否られた。

 

「どうしてだ。こういう揉め事を解決するための法廷だろう?」

 

「Ver2.01では使用のハードルが低くなってまちゅが、

法廷は誰かの人生を左右する重大な事件を扱う場所なんでちゅ!

お友達同士のトラブルくらい、

レストランかどこかで本人同士で話し合ってくだちゃい!」

 

「そんな言い方はないだろう?江ノ島だって真剣に悩んで相談に来たのに」

 

「ダメなものはダメなんでちゅ!システム管理者の一人として、ここは譲れまちぇん!」

 

「いいよ、言ってみれば私個人の問題なんだし。

たまには自分の力で事件を解決してみる」

 

「自分一人でって……大丈夫なのか?」

 

「任せて!日向君は1時間後に、レストランに集まってくれるよう、

みんなに連絡してくれるかしら?」

 

「それはいいが、無理だと思ったらすぐ戻って来いよ?」

 

「ありがと!行ってくるね!」

 

急いでブーツの靴紐を結ぶと、日向君のコテージを飛び出した。

短期決戦で解決しなきゃ。

せっかくみんなと仲良くなれたのに、アイテム2つで台無しにしたくない。

終わりの始まりは小さなほころびっていうからね。ゲームのセリフだけど!

 

 

■捜査開始

 

 

まずは状況整理。盗まれたものは……

 

○コンテナ

江ノ島の私物や手に入れた大量のアイテムが入ったコンテナ。

鍵は付いておらず、誰でも開閉が可能。

 

○百年ポプリ

花やハーブ、果物の皮を混ぜ合わせて熟成させた、香りを楽しむアイテム。

 

○麦飯パック

米と大麦を混ぜた麦ごはん。食物繊維などの栄養も豊富。牛タンにも合う。

 

事件発生時刻は、お昼ご飯を食べて、テントにプレゼントを取りに戻ってから、

みんなに会って、また戻ってくるまでの大体2時間以内。

小型縮退炉とかを取り出した時には異常はなかった。

 

○事件発生時刻

推定犯行時刻は、昼食後から約2時間以内。12:30~14:30。

 

こんなところかな。次は聞き込み調査!

とりあえずプレゼントを渡し終えてからみんなと遊ぼうと思ってたから、

贈り物をした人から順に話を聞いてみよう。左右田君のコテージを再び訪ねる。

 

「何回もごめんね。日向君から連絡はあったと思うんだけど」

 

「わり、まだメール見てねえわ。で?またヤベーもん持ってきたんじゃねーだろうな」

 

「違うよ!実は、大きな声じゃ言えないんだけど……」

 

事情を説明すると、彼はニット帽を直しながら、少しばかりその顔に後悔をにじませた。

 

「チッ、やっぱり……ちゃんと言っとくべきだったのかもな。

もうその時には手遅れだったのかもしれねーが」

 

「それって左右田君の、プレゼントを配りすぎるな、っていうアドバイスのこと?」

 

「ああ。起こっちまったなら仕方ねえ。

何が言いたかったかは、裁判の時にわかるだろーよ。

それまでは、お前もその意味を考えといてくれ。

自分で気づければそれだけでも意味はあるからな」

 

「やっぱりよくわからないけど……ううん、ちゃんと考える。

あと、もう少し聞きたいことがあるの」

 

盗まれたものについて、必要としてそうな人に心当たりはないか聞いてみた。

やっぱり仲間を疑うみたいで嫌だったけど。

 

「百年ポプリは意外と男にも人気あるぜ。

前に西園寺がモノモノヤシーンで当てて自慢してたから、匂わせてもらったんだがよ、

あの香りはヤベーぞ。

なんか変なクスリでも混ぜてんのかと思うくらいリラックスできて、

ストレスもすっかり吹っ飛んだんだ。

その日の晩は、まるで寝る前に温かいミルクを飲んで20分のストレッチをしたみてーに、

ほとんど朝まで熟睡だった」

 

「そんなに凄いものだったんだ……」

 

「誰が欲しがっても不思議じゃねーな、これは」

 

○百年ポプリ(情報更新)

花やハーブ、果物の皮を混ぜ合わせて熟成させた、香りを楽しむアイテム。

男女両方に人気がある。

 

「まあ、麦飯に関しちゃ大食いのやつが持ってったんじゃね?

これには別に思い入れはねーよ。普通の飯だ。俺はパン派だし」

 

「わかったわ。ありがとう。大きな手がかりになったわ」

 

「後でな」

 

左右田君から思わぬ手がかりを得た僕は、百年ポプリを持っている西園寺さんを尋ねた。

居るかなぁ。呼び鈴を鳴らすと、小さな足音がトテトテと。

 

「あ、江ノ島おねぇじゃん!犯人の野郎ひでーよね!

おねぇの家がボロくせーのを良いことに、盗みを働くなんて最低だっつーの!」

 

「さりげなく酷いこと言われたけど、同情してくれてありがとう。

その事でちょっと聞きたいことがあるの」

 

「なーにー?」

 

西園寺さんが百年ポプリを持っていることを聞いたから、

その特徴を知る必要があると伝えて、実物を見せてくれないかと頼んだ。

 

「いいよ!手に入れた時に見せびらかして以来、

普段は小泉おねぇ以外の連中には見せないんだけど、

江ノ島おねぇには特別にわたしの宝物見せてあげる。上がって!」

 

「ありがとう。おじゃましまーす」

 

和風テイストの西園寺さんの部屋に来るのは2度目。彼女の舞い、綺麗だったな。

少し前の思い出に浸っていると、

西園寺さんがリボンで口を結ばれた、小さなかわいい袋を持ってきた。

 

「これだよー。嗅いでみてー」

 

「うん、ちょっと見せてもらうね」

 

小袋を手にとって、香りを確かめる。……こ、これは!?

乾燥したハーブやフルーツの香りが絶妙に混ざり合い、嗅覚が脳を刺激する。

まるで香りが脳をマッサージしてくれるようで、リラックス効果は抜群。

左右田君の言ってたことは大げさじゃなかった。これは、誰だって欲しい。

 

「あは、えへへへ……」

 

「江ノ島おねぇ!?こっちに帰っておいで!その川は渡っちゃ駄目だよー!」

 

「はっ!ごめん、ごめん。あんまりいい香りだから、うっかりトリップしちゃった」

 

「顔赤くしてよだれ垂らして笑ってて、頭のイカれた人みたいだったよ?」

 

「ウヒヒごめんね~。これ返すわ。じゅる。でも、本当にいい香り。

なのに部屋に広がらないのは不思議ね」

 

「そこがキツい臭いを撒き散らす安物の芳香剤と違うとこだよ。

手元だけにそっと、だけど上品かつ存在感のある香りを長く漂わせる一級品だからね。

わたしは枕元に置いてるんだけど、これのおかげで毎朝寝覚め最高だもん!」

 

「確かにこの一品なら男性も欲しがるのも納得ね。

ところで、このアイテム、他に持ってる人はいないの?」

 

「いないよー。持ってるだけで羨望の的だし、だからって、

なけなしの給料でモノモノヤシーンに連コする度胸のある奴なんていねーし!

中途半端に余ったお金で挑戦して、見事ゲットしたわたしだけの贅沢だよ!」

 

今、西園寺さんが少し気になることを言ったな。ちょっと詳しく聞いてみよう。

 

「ねえ。こんなこと聞いていいのかアレなんだけど……

みんな、あんまりお金に余裕ないの?」

 

「ないない。みんなクソ貧乏だよ。まぁ、わたしも人のこと言えないんだけどさ。

給料が月20ウサミメダル、現実世界じゃ王冠20枚ってシケてるよねー!

それはしょうがないんだけどさ……」

 

これ以上突っ込むのはやめておいた。ここの住人は囚人で、贅沢は許されない。

つまり、そういうこと。ここから先はみんなの罪を掘り返すことになる。

 

○ポプリの香り

百年ポプリは手のひらや枕元にそっと効果の長い香りを残す慎ましやかな存在。

絶妙に調合された乾燥ハーブやフルーツがかわいい小袋に詰められた一品。

その香りは人をあらゆるストレスから解放し、安らぎをもたらす。

 

○西園寺の証言

百年ポプリを手に入れるには、僅かな給料でモノモノヤシーンに挑戦する必要があり、

入手は非常に困難。所持しているのは西園寺だけと考えて間違いない。

 

「ありがとう、西園寺さん。重要な手がかりが得られたわ」

 

「もういいの?じゃあ、レストランで待ってるから」

 

「私の都合に付き合わせてごめんね、必ず解決するから」

 

「んなもん、犯人が悪いんだよ!見つけたら思い切り弁慶の泣き所蹴飛ばしてやる!」

 

「アハハ、お手柔らかにね?また後で」

 

西園寺さんのコテージから出たところで、電子生徒手帳に設定したアラームが鳴った。

日向君のコテージを出てから1時間。

時間切れだし、これ以上調べ回っても、何かが出てくるとは思えない。

覚悟を決めてレストランに足を向けた。

 

 

 

全員、いつも食事を取っているテーブルに座って、プチ学級裁判の開廷を待っている。

テーブルには冷たい麦茶が入った保冷ポットがいくつか等間隔に置かれ、

それぞれ自由に飲んでいる。僕は立ち上がって、宣言した。

 

「みんな、今日はせっかくの休みなのに、私の都合に付き合わせてごめんなさい。

確かに盗まれたのはたった2つの品物だけど、

それでこの中の誰かを疑い続けるのはどうしても嫌だったの」

 

「御託はいいンだよ!誰がそんなくだらねえ真似しやがった!

とっと見つけて落とし前、着けさせんぞ!」

 

「まさか盗みがマーケットの外で行われるとは……この十神、一生の不覚!」

 

「そうだね。早く話し合って、結論を出そうよ。アタシもこんな状況やだ」

 

「その通りです!彼女のテントがオンボロ屋敷であるのをいいことに、

勝手に所持品を持ち去るなど、言語道断横断歩道です!

わたくしの祖国なら、しっぺ1万回の刑に相当します!」

 

「慰めてくれて、ありがとう……ハハ」

 

「はぁ、こんなどうでもいい事件じゃ、

誰がクロだろうと希望の光なんて見えやしないよ。ボク、帰ってもいいかな?」

 

「アンタに拒否権はないの!大人しくそこで座ってなさい!」

 

「フハハハ!案ずるな。古の伝説によると、17人の怒れる信徒が集いし時、

轟く雷鳴が咎人を照らし出し、総ての邪悪なる」

 

「ありがとう。じゃあ、始めよう!」

 

 

【学級裁判 開廷】

 

 

仮の法廷とは言え、学級裁判のスタートを切ってくれるのは、やっぱり日向君。

 

「江ノ島が集めた情報によると、犯行が行われたのは、昼食の後。

大体12:30~14:30だったな?」

 

「うん。みんなとお喋りしたりプレゼント渡して、

テントに帰ってきたらコンテナが微妙に開いてたから、

中を調べたらアイテムが2つなくなってたの……」

 

「なくなったのは、百年ポプリと麦飯パック。間違いないな?」

 

「そうなの。百年ポプリはともかく、なんで麦飯パックと一緒だったのか、

どうしてもわからなくて」

 

「なら、まずその点から突いて行こう。どうして犯人はその2つが必要だったのか」

 

日向君の言葉に、フッと意識が暗転。

“彼女”が大げさに左腕の上に右腕を立て、顔を隠すように右手の指を被せる。

 

「……そうだね。それぞれのアイテムの関連性がはっきりすれば、

自ずと犯人の足取りも見えてくるはずさ」

 

「アタリおねぇが来た」

 

「え、江ノ島さぁんっ……!」

 

 

■議論開始

コトダマ:○事件発生時刻

 

日向

百年ポプリは[誰にでも人気がある]から、これ単体では手がかりにならないな。

 

左右田

だからって[麦飯パック]とセットにしても意味わかんねーぞ。

 

終里

犯人は[腹が減ってた]んじゃねえの?百年ポプリのついでに食おうと思ったんだよ。

 

辺古山

別に邪魔になるものでもないが、[共通点なども見当たらない]な。

 

・ボクも暇人じゃないんだ。こんな揉め事で叩き起こさないで欲しいよ。

・“彼”の今後の人間関係に関わるの。協力してあげて。お願い。

 

REPEAT

 

日向

百年ポプリは[誰にでも人気がある]から、これ単体では手がかりにならないな。

 

左右田

だからって[麦飯パック]とセットにしても意味わかんねーぞ。

 

終里

犯人は[腹が減ってた]んじゃねえの?百年ポプリのついでに食おうと思ったんだよ。

 

──それは違うわねぇ!!

 

[腹が減ってた]論破! ○事件発生時刻:命中 BREAK!!!

 

 

「その意見には同意しかねるよ。終里さん」

 

「えっ、オレなんか変な事言ったか?」

 

「事件発生時刻は昼食直後。長く見積もっても、約2時間しか経っていない。

わざわざ盗んでまで食べるほど、

犯人は腹が空いていなかったと考えるほうが自然なのさ」

 

「そう言われりゃあ、そうだ、なぁ……」

 

「コンテナの中にはガラクタの方が多いとは言え、他にも有用なグッズが色々ある。

あえて麦飯パックを選んだのには理由があると考えるべきだと、ボクは思うんだけどな」

 

「なるほど。麦飯パックでなければならない理由……次はその点を議論しよう」

 

「ハァハァ…やっぱり江ノ島さん、素敵ですぅ」

 

「罪木おねぇキモい」

 

 

■議論開始

コトダマ:○コンテナ

 

九頭竜

麦飯パックが欲しい奴?そんなの、[昼飯が足りない]大食い野郎しかいねえだろ。

 

十神

言っておくが俺ではないぞ。仮にも[万引きGメン]である俺が盗み食いなど!

 

弐大

ワシでもない。[天に誓って]盗みなど働かん。それに食い過ぎは[肥満の元]じゃ。

 

終里

オ、オレじゃねーよ!飯の量だって[我慢できてる]し、人の飯まで盗らねえよ!

 

・こんなところで、久々にアレが必要になるなんてね。

・ええ、今の言弾じゃ威力不足ね。

 

REPEAT

 

九頭竜

麦飯パックが欲しい奴?

そんなの、[[○昼飯が足りない]]大食い野郎しかいねえだろ。

 

十神

言っておくが俺ではないぞ。仮にも[万引きGメン]である俺が盗み食いなど!

 

弐大

ワシでもない。[天に誓って]盗みなど働かん。それに食い過ぎは[肥満の元]じゃ。

 

終里

オ、オレじゃねーよ!飯の量だって[我慢できてる]から、人の飯まで盗らねえよ!

 

──それは違うわねぇ!!

 

[我慢できてる]論破! ○昼飯が足りない(MEMORY):命中 BREAK!!!

 

 

「ま、またオレか!?」

 

「言葉尻をとらえるようで申し訳ないんだけどさ、“我慢してる”ってことは、

九頭竜君が言った、“昼飯が足りない”ことに通じると思うんだけど、どうかな」

 

「えっ、いや、それは言葉の綾ってやつだよ、ほら」

 

「ふふっ。くだらない裁判ごっこだと思ってたけど、少し面白くなってきたね……」

 

「それに3人の中で具体的根拠がないのはキミだけさ。

盗まない理由を、もっと明確な形で示して欲しいな」

 

「……どうなんじゃ?終里」

 

「あー、あれだよ、ほら!一緒に盗まれた百年ポプリ?

アレっていい匂いだけど、飯と一緒にしちまうと飯の方の食欲が失せるっていうか、

食うために同時に持ってくのはなんか不自然だと思うんだよな、オレとしては!」

 

「適材適所って奴っすねー!唯吹も車の中でハンバーガー食ってる時に、

車用芳香剤の臭いで食う気失せるってことあるっす!」

 

「なるほどのう、麦飯を食いたい奴がポプリまで一緒に持っていく理由が見当たらんな」

 

「(百年ポプリに話が向いた時、ある人物の目尻が少し動いた。

“彼”が学んだ女の勘さ)

少しいいかな。今、新しい可能性に思い至ったんだけど、

それについて考えをまとめたいから、ボクはこれで失礼するよ。アディオス」

 

「ああ~あの人が行ってしまいました」

 

「新しい可能性?それは何だ」

 

「すぐに目を覚ますよ、ペコちゃん。次の盾子ちゃんが説明してくれる」

 

 

■ロジカルダイブ 開始

 

あんだよこのクソつまんねえコースは!!自動車教習所の方がまだマシだっつーの!

 

あなたは安全運転を学び直した方が良いわね。無事故無違反でお願い。

 

こんな赤ちゃん向けコース、事故りようがねえっての!行きゃいいんだろ!!

 

3.2.1…DIVE START

 

QUESTION 1

犯人が品物を盗んだのは、昼食の前? それとも後?

 

昼食の前 昼食の後

 

[昼食の後]

 

「やる気出ねえ!ああ、やる気出ねえ!!」

 

居眠り運転はやめてね。叫ぶ元気があるなら大丈夫だろうけど。

 

QUESTION 2

犯人の真の目的は? 百年ポプリ? 麦飯パック? 片方はカモフラージュ? 両方?

 

百年ポプリ 麦飯パック カモフラージュ 両方

 

[両方]

 

「うっし!マシなコーナーが現れやがったぜ!ファーストイン・ファーストアウトォ!」

 

一度でいいから言うことを聞いて、お願いだから……

 

QUESTION 3

犯人は単独犯?それとも複数犯?

 

単独犯 複数犯

 

[複数犯]

 

「ヘイ、ラストぶっちぎるぜぇぇ!オレに追いつくグラマン無し!!」

 

あなたいつの時代の人?

 

──真実はアタシのもの!

 

 

「皆様、大変長らくお待たせしました。事件の大枠が掴めましたので、ご説明致します」

 

「おお、江ノ島が目覚めおったぞ!」

 

「アハハ、やっぱおもしれー七変化だな!」

 

「大変恐縮ではございますが、終里様は笑っている場合ではないと存じます」

 

「えっ、どういうことだ……?」

 

「私の考えを申し述べますと、

今回の犯行は2人以上、つまり複数犯によって行われたと思われるからであります」

 

「複数犯だって!?江ノ島、詳しく説明してくれ」

 

「では、日向様のご要望にお応えして。先程、終里様が仰ったように、

飲食物と香りの強いポプリを同じ手で持ち去るのは決して好ましい行為ではありません。

でしたら、例えば2名が1つずつ持ち去れば物品の質を損なわず盗み取ることが可能」

 

「そうか!犯人が複数なら目的の品も別々。2つの間に共通点がないのも当然だ!

でも、どうして急に複数犯なんて説を思いついたんだ?」

 

「それは、とてもいい香りが漂ってくるからです。……辺古山さん、あなたから」

 

「なにっ!そんな馬鹿な!?そんなはずは……!」

 

「はい、ありません、嘘です、ブラフです、ハッタリです。

私としても、このような知性に欠ける行為は不本意だったのですが、

2対1の状況に少々強引な手段を取らざるを得ませんでした。何卒ご了承下さい」

 

終里さんと辺古山さんがただテーブルに視線を置いています。そろそろ終演でしょうか。

 

「終里!どうなんじゃ?」

 

「ペコ……まさかお前」

 

「違う」「違います」

 

「違うと言っても、江ノ島の理屈は……」

 

「違う」「違います」「違う」「違います」「違う」「違います」「違う」「違います」

「違う」「違います」「違う」「違います」「違う」「違います」「違う」「違います」

 

──私・オレじゃない!!

 

 

■暴走モード突入!!

 

 

どうやらそうではないらしいですね。

追い詰められた終里さんの背後にはリボルバーを持った彼女の生霊、

辺古山さんの背中にはサブマシンガンを構えた彼女の生霊が取り憑いています。

この恐ろしい姿、他の皆様には見えていないのが救いでしょう。

 

 

■議論開始(射手:暴走終里)

コトダマ:○事件発生時刻

 

江ノ島(メガネ)

何が違うというのでしょうか。[麦飯パック]を必要としていて、

 

なおかつ[変質させず入手可能]なのは、あなただけなのです。

 

[事件発生時刻]も私がテントを離れていた時と一致します。

 

[昼食の量が足りていない]あなたの犯行としか考えられません。

 

──負けるかぁ! ○事件発生時刻

 

[昼食の量が足りていない]狙撃! 

 

暴走終里

要するにお前が言いたいのは、

 

事件発生時刻にオレが麦飯パックを盗んで食ったって事だろ?

 

オレは言ったはずだぜ、昼飯の量は我慢できてるって。

 

だから盗む理由なんかないんだよォ!

 

江ノ島(メガネ)

それは我慢できるでしょうね。なぜなら、もう食べてしまったんですから。

 

昼食の後、更にご飯もう1パック。大抵の女性なら食べきることすらできないでしょう。

 

その事実はあなたの容疑を否定できるものではありません。

 

○事件発生時刻:回避 DODGE!!!

 

「くそっ……何か、反論できねえのかよ」

 

彼女が言弾による銃撃戦に慣れていない事が幸いしました。

もっとも、そんなものに慣れているのは我々くらいのものですが。

まだ安心も出来ません。次に強敵が待ち構えています。

 

 

■議論開始(射手:暴走辺古山)

コトダマ:○百年ポプリ

 

江ノ島(メガネ)

先のソニア氏に関する事件で、監視カメラの[15mルールを知っていた]あなたは、

 

江ノ島盾子の動きを観察しながら[テントに忍び込むことができた]のです。

 

そうなると、[百年ポプリ]の盗難に手を染めたのは、

辺古山さんということになります。

 

貴重品であるポプリを盗む理由は[いくらでも挙げられます]。

 

──覚悟しろ!! ○百年ポプリ

 

[いくらでも挙げられます]狙撃! 

 

暴走辺古山

さっきは随分汚い手を使ってくれたな。その割には雑な理屈で欠伸が出る。

 

お前の言う通り私が監視カメラの隙を突いたというのなら、

 

それはそのまま私がテントに入った証拠がない、という証明になるのではないか?

 

ポプリに興味があるのは誰でも同じ。理由をいくつ挙げても何の意味もない。

 

お前は詭弁を弄して場を乱しているだけだ。

 

この事件自体、自作自演という可能性も出てきたぞ?

 

江ノ島(メガネ)

やはり先の事件から何も学ばれていないのですね。自作自演はあり得ません。

 

江ノ島盾子は立場上、不用品を捨てたり自宅外に隠したりすることができないのです。

 

そのようなことをすれば島中でサイレンが鳴り響きますから。

 

ポプリを求める理由が多すぎるなら1つにまとめましょう。“欲しい”。以上です。

 

○百年ポプリ:回避 DODGE!!!

 

「それは、そうなのだが、いや、待ってくれ……」

 

まさにマシンガンのような言葉の嵐をどうにか回避できましたが、

心臓に大変な悪影響を及ぼすので、二度と御免被ります。敵兵二人は沈黙。

さあ、そろそろ起床の時間です、女王様。

 

 

■暴走モード解除

 

 

「おっほっほ!二人共ぐうの音も出ないようね!

敗者を高みから見下ろすのは実に気分の良いことだわ!」

 

「盾子ちゃん!椅子に立たないで、見えちゃう!」

 

「……では、私様が短いながら、この事件の真相を整理してあげようじゃないの」

 

(よかった、大人しく座ってくれて……)

 

 

■クライマックス推理

 

>クライマックス推理 開始

>推理を完成させろ

 

Act.1

このしみったれた事件は2人のクロの利害が一致したことで始まった。

つまり、私様の所有する宝が欲しい。

計画を主導したのがどちらかは知らないけど、

とにかく一方が自分達と私様が15m以上離れていて、

監視カメラが作動していないことを確認しつつ、テントに侵入。

 

Act.2 

お互い目的のブツを手に入れたら、即座に退散。それぞれのコテージに持ち帰った。

偶然か示し合わせていたのかは、この際どうでもいい。

二人が別々に宝を持ち去ったため、麦飯パックにポプリの匂いが付くこともなく、

片方のクロは満足行くまで貪り食った。

もう一方は何らかの理由で求めていた百年ポプリを手に入れて目的を達成した。

 

Act.3

その後、日向創から学級裁判という名の愚痴り大会開催のメールが届くと、

ポプリを入手した方のクロは焦った。いくら洗っても微かにポプリの匂いが手に残る。

仕方なく2人のクロはそのままレストランに現れた。

 

そういうことよねェ!? 辺古山ペコ、そして終里赤音!

 

──これが事件の全貌よ!  COMPLETE!

 

 

「ここまで、か……」

「ちくしょう、ちくしょう……」

 

遂に観念したクロ2人。だけど、今回ばかりは私様にもミスがあったわね。

女王たる者、そこは素直に認めるわ。

 

「全員に言っておく事があるの。

この事件、最初から互いの手を嗅いでいれば解決していたのよ。

この身体を管理しているボンクラに思考の足を引っ張られたの。

では、皆の衆、さらば!」

 

ぼんやりした意識の中で、“おい、待てよ!”と僕に叫ぶ日向君の姿を見た。

少しずつ視界がはっきりしてくる。

 

 

【学級裁判 閉廷】

 

 

そして。犯行動機となった品を持ってくるため一旦コテージに戻った2人は、

再びレストランの席に着いていた。

辺古山さんの前には、この前プレゼントしたアンティークドール“ハルナ”。

何かの紐で作ったリボンや、手編みの刺繍で可愛くおめかしされている。

終里さんの前には食べ終えた麦飯パックのカラ。

 

「終里ィ、この馬鹿もんが!!」

 

パシィ!

 

「つっ!」

 

「よせ弐大!暴力はだめだ!」

 

「魔神トールの荒ぶる力は人の子には余るぞ!」

 

弐大君が終里さんの頬を張った。隣の田中君と日向君が慌てて止める。

 

「終里よ!お前まで、お前まで“誓い”を!ワシらは、何のためにここに集った!!」

 

終里さんが呆然として見上げる弐大君の目から、滝のような涙。

彼の握りすぎた拳からは血がポタポタと。

 

「オッサン……すまねえ。すまねえ!」

 

「……ペコ。九頭竜組の看板に泥塗った落とし前つける覚悟、出来てんだろうな?」

 

「指でも腹でも切る覚悟で御座います……」

 

テーブルの上で九頭竜君に土下座する辺古山さん。

彼女はそばに置いた竹刀を手に取り、すらりと抜く。だめだ、止めないと!

 

「待って!待ってよ二人共!」

 

「江ノ島、うちのモンが迷惑掛けた。九頭竜の頭として、オレも指つめらぁ。

それで、手打ちにしてくれや」

 

「叩いたり、指切ったり、そんなことはやめようよ!

それで何が解決するっていうの!?」

 

「ウチのケジメだ。頼むから、こればっかりは口出さんでくれや。

[全部ペコの不始末だった]んだからよ」

 

──それは違うわねぇ!!

 

[全部ペコの不始末だった]論破! ○西園寺の証言:命中 BREAK!!!

 

「今回の事件で、一番責任を負わなくちゃいけないのは、私なの……」

 

「お前さんに、じゃと?」

 

「どういうことだ?説明しろ」

 

「西園寺さんから聞いたの。みんなが労役で得る収入は、決して多くないって。

だから欲しいものも我慢して、生活に必要な物を買って、

余ったお金でやっと好きなものを買える。

私、そんなことも知らなくて、学級裁判の褒賞金を独り占めしていたの!」

 

「江ノ島、あれはあくまで未来機関からの……」

 

「言わせて、日向君。

私、学級裁判が終わる度に、褒賞金として大量のウサミメダルを受け取っていたの。

それこそ50枚、100枚と。でも、それっておかしいわよね?

学級裁判って、みんなが議論してこそ解決に向かっていくものなのに、

最後に賞金をもらうのは私だけ。協力者のみんなは相変わらず我慢の生活」

 

弐大君が腕を組んで黙って聞き入っている。

 

「それを知らずに私、モノモノヤシーンで湯水のようにお金を使って、

たくさんアイテムを抱え込んでた。挙句の果てには、みんなの気持ちも知らないで、

仲良くなりたい一心でプレゼントを配り歩いた。

ただ物欲を刺激して、辛い思いを増すだけなのに!」

 

「おねぇ……」

 

「今日、左右田君がそれとなく忠告してくれたの。私の間違いについて。

でも、遅かった。辺古山さんや終里さんに悲しい罪を背負わせてしまったの!

謝らなきゃいけないのは、私!みんな、本当にごめんなさい!!」

 

そして深く頭を下げた。

辺古山さんや終里さんを含む全員が、声も出さずに驚きながら僕に注目する。

 

「江ノ島、それはお前さんのせいじゃない。終里の心の弱さ、ワシの鍛え方の甘さ……」

 

「ううん……もっと早く気づくチャンスもあったの。最初にプレゼントを配った時、

弐大君や澪田さんが、ティッシュ1箱であんなに喜んでくれたことを、

おかしいと思うべきだった。メダル1枚でも惜しいみんなの事情も考えずに……!」

 

「もういい、もういいよ!

江ノ島おねぇは、傷つけるために贈り物をくれたんじゃないよね?この扇子だって!

貴重なものだから嬉しかったんじゃないよ。やっぱりそれもあるけど、

おねぇがわたし達との思い出を、

それほど大事に思ってたからって言ってくれたじゃん!」

 

「そうだよ!

アタシにだって、一緒に過ごした時間を形としてお礼にしてくれたんじゃない!」

 

「それにあなたは!愚かな間違いからその気持ちを捨ててしまったわたくしにすら、

もう一度感謝の気持ちを受けるチャンスをくれたではありませんか!

お金で買えない形で!」

 

「実際ティッシュマジ助かるっすー!タハァ!」

 

「お前の捧げし宝物。無垢なる精神を持たざる者には視ることすら出来ぬ品々であった。

つまり……そういうことだ」

 

他の仲間からも次々声が上がる。みんなを見回すと七海さんと目が合った。

彼女は微笑んで指にはめた希望ヶ峰の指輪を見せた。

 

「ほれ見ぃ。誰もお前さんを責める者はおらん。もう頭を上げい。

お前さんは、ちゃんとみんなに取り分を還元しておったんじゃ」

 

「還元……?」

 

思わぬ言葉に無意識に頭を上げて立ち上がる。だったら。

その時、テーブルの方から声が聞こえた。

 

「……ペコ、いい加減下りろ。そこは座るとこじゃねえや」

 

「ぼっちゃん……」

 

「おい、テメーらよく聞け。なんかいい雰囲気ンなってるとこ悪りぃがよう、

やっぱ2人にはケジメを着けてもらう。そうじゃねえと、この場は収まんねえ。

そうだろ?」

 

「九頭竜さん!どうしても、彼女達に罰が必要なのでしょうか……?なんとか穏便には」

 

「ならねえな。

じゃねえと、今まで学級裁判で“おしおき”をこなしてきた連中に、

なんて言えば良いんだ。だろ?」

 

「それは……そうなのですが」

 

「まぁ、慌てんなよ。オレだって鬼じゃねえ。

この学級裁判が本番じゃなかったってことを踏まえると……」

 

 

 

 

 

 

再び全員がテーブルに着いた。

えー、これより辺古山さんと終里さんの“おしおき”タイムを開始します。

 

「ここはオレが仕切らせてもらうぜ。江ノ島は茶でも飲んで休んでてくれ。

こいつらの“おしおき”、それは、“なんでこれを盗んだか全員に発表すること”だ」

 

既に周りからクスクスと笑い声が聞こえる。

僕もニヤける顔を麦茶を飲んでごまかすのに苦労してるよ。

 

「そーだなぁ。終里の方は見りゃ分かるから後に……と思ったが、

俺は楽しみは最後に取っとく主義でよぅ。まずお前から行ってみるか」

 

終里さんはバツが悪そうに、麦飯パックのカラを手に取ると、ポツポツと語りだした。

 

「えと、オレは、人より腹が減りやすいタイプで、

みんなと同じ量じゃ、次のメシまでに腹が鳴っちまうんだよ……

そんな時、江ノ島が山ほど物を背負ってテントに戻るのを見たんだが、

うまそうな食い物もたくさんあった。それで、つい、手が出ちまった……」

 

「うまかったか。ん?」

 

「うまかった……です。すげえ腹にたまって、満足でした」

 

ブッ!と誰かが吹き出し、別の誰かにたしなめられるのが聞こえた。

やめてよ僕までつられるじゃないか!でも、飢えって甘く見ることはできないんだよ?

旅慣れた渡世人でも苦しめられるくらいだから。木枯し紋次郎で言ってた。

 

「おーしおし、次はペコ。お前だ。

ん~?ずいぶん可愛いお人形さんを持ってるみてえだが」

 

「ぼっちゃん後生ですお許しを!」

 

わっ!とテーブルに崩れ落ちる辺古山さん。イッツ・ショータイム。

 

「だーめだ。終里はやり遂げた。まず、その人形はどこで手に入れた?」

 

「江ノ島から、もらいました」

 

「本当か、江ノ島」

 

「うん、私、お人形さんに名前を着けて可愛がってるんだけど、

モノモノヤシーンで2体目が出たの。

だから偶然訪ねてきた辺古山さんに名付け親になってもらって……

ちなみにハルナちゃんって名前なんだけど、二人がとっても仲が良さそうに見えたから、

連れて帰ってもらったのよ!」

 

“江ノ島さんはともかく、辺古山さんって意外と乙女……”

 

“意外と、は失礼でしょ。でも普段のイメージとはギャップはあるわね”

 

“ププッ、ハルナちゃ~ん”

 

下を向いて顔を真っ赤にする辺古山さん。でも、公開処刑はまだ終わらない。

 

「なるほど?そこんとこはよくわかった。

だが、その可愛らし~いお人形と、百年ポプリ。どう繋がんだ?説明しろ」

 

「その前にひとついいかしら」

 

「どした、江ノ島」

 

「ハルナちゃんだけど、辺古山さんにお迎えしてもらった時より、

ずいぶんおめかししてもらってるみたいなの。

菓子箱か何かに巻いてあった紐でリボンを着けたり、服に刺繍をしてもらったり。

当時と状態が違うから、本当にあのハルナちゃんなのか、

わからなくなっちゃったわ~ん」

 

辺古山さんが顔を赤くしたままギッ!と睨んできた。怖いから顔を背ける。

それにしても九頭竜君の言葉責めがえげつない。

 

「ほーう。江ノ島の知ってるハルナちゃんと違うなら、

コンテナから別に持ち出した可能性が出てきたなぁ。

その疑いを晴らすためには、状態が変わった理由を説明しないと、

学級裁判のやり直しになっちまうぜ?」

 

「ううう……このハルナちゃんは、確かに江ノ島から譲り受けたものです……

状態が異なっているのは、かわいい格好をさせたくて、私が手を加えました。

リボンを結ってあげたり、服にハートを縫ってあげたり……」

 

“激萌えっす!ハルナちゃんとペコちゃんに!”

 

“あう、ちょっと怖い人かと思ってましたけど、辺古山さんへの親近感が増しました~”

 

「なるほどな。かわいいハルナちゃんだ。そりゃお洒落させてえよな。

そっちの疑いは晴れた。

最後の質問だ。百年ポプリとハルナちゃんって、何の関係があんだ?」

 

こればかりは本当にわからない。九頭竜君も同じみたい。

 

「あの一度味わった香りが、忘れられなかったのです……

ハルナにあの小袋を持たせて、枕元に置いたら、

きっと、その、ハルナが寝かしつけてくれるようで幸せだろうと……」

 

みんなの心がひとつになった。辺古山さんは、かわいい。

 

「おっしゃわかった。お前も“おしおき”達成だ。お疲れィ!

お前ら、ペコが騒がせちまったな!これでお開きだ!」

 

皆がファンシーな気持ちで立ち上がろうとした時、

大事なことを思い出してみんなを呼び止めた。

 

──ちょっと待ってくれるかな!

 

 

 

 

 

また少し時間が経って、所は再びレストラン。その一角。

 

「寄ってらっしゃい見てらっしゃい!獲得品の大放出祭のはじまりだよ!」

 

「「うおおおお!!」」

 

床に敷いたシーツの上には、

モノモノヤシーンで得たアイテムが所狭しと並べられていて、

僕はそれを売る露天商のように、シーツの端に座っている。

 

あの後ね、弐大君達に手伝ってもらってコンテナのアイテムを全部持ってきたんだ。

それから、厨房の割り箸で番号を書いたくじを作って、全員に引いてもらった。

 

もう何がしたいかはわかるよね?

くじの番号順に、みんなに好きなアイテムを持っていってもらおうってイベントだよ。

みんなワクワクしながら順番を待ってる。

 

「スタート!」

 

そして開始を宣言……だけどやっぱりこいつが来た。うげ。

 

「やあ、なんか悪いなぁ。ボクなんかが1番を引いちゃうなんて、さてと、どれに……」

 

僕は1番の棒をひったくって、紙の束を突き出した。

 

「超高校級の幸運で引き当てた1番は無効だよ!ズルした狛枝君は一番後ろ!

このミレニアム懸賞問題でもやってなよ!

君なら掛け算繰り返してたらいつか解けるんじゃない?100年後くらいに!」

 

「そんな!能力なんて止めようがないのに……」

 

「みなさーん、この人自分だけチート使ってくじ引いてますよ、どう思います~?」

 

“引っ込めー!”

“早くどくっすー!”

“ブーブー!”

 

「わ、わかったよ!ひどいや、どうしてボクだけ……」

 

すごすごと引き下がる狛枝君。ざまーみろ。

 

「さあさあ!どんどん持っていってね!早いもの勝ちだよー!」

 

みんな好きにアイテムを選んで持っていく。

その嬉しそうな笑顔を見ると、僕の胸までいっぱいになる。

そして、辺古山さんの順番が回ってきた。

 

「本当に、私までもらってもいいのか……?」

 

「うん。あのポプリは、みんなからハルナちゃんへのプレゼント。

そういうことにしようよ」

 

「ありがとう……」

 

彼女が列に並び直そうと振り返る間際に、僕に微笑みを向けてくれた。今度は終里さん。

 

「悪かったな、バカなことしちまって……」

 

「それはいいよ。

元はと言えば、僕がみんなのことをよく考えてなかったせいなんだから」

 

「ありがとよ。オッサンが、空腹感を和らげる精神修養の効果があるヨガを

トレーニングに組み込むってさ。もう迷惑は掛けねえよ」

 

「よかった。弐大君って本当に頼りになるよね!」

 

「おう!」

 

その後もどんどんアイテムは減っていき、とうとう最後の一個から2つ目がなくなり、

大放出祭は無事終了した。

あ、ひび割れだらけの水晶は最後の人が辞退したから、コンテナに逆戻りになったよ。

 

 

 

夕食後、ホテルのテラスで風を浴びていると、

後ろから誰かが近づいてきて、隣に立った。

 

「いい風だね、左右田君」

 

「……おう」

 

手すりに腕を乗せながら、星空を眺める。彼はなんとなく迷った後、口を開いた。

 

「お前がよう、人の話聞けるやつだってことはわかった」

 

「左右田君……」

 

「殴ったことは謝る。悪かった。今度はタイプライターじゃねえ」

 

彼なりのジョークを交えながら、始めて会った日のことを謝ってくれた。

 

「もう、いいの。みんなが事情を抱えてることがわかった今は、もう」

 

「正直な所、まだ人間のクローンに異世界の人格が宿るなんて信じられてねえが、

お前は絶望の江ノ島盾子じゃなくて、同姓同名の別人だって思うことにした。

今できることはそんくらいだ」

 

「十分よ。左右田君の仲間になれただけで、嬉しい」

 

「……だが!絶望の残党とオレ自身だけは絶対許さねえ。それだけは変わらねえ」

 

「左右田君まで?どうして……」

 

「悪い、今はまだ無理だ。気持ちの整理が着いたら、話すかもしれねえ。じゃあな」

 

そして彼はコテージに帰っていった。

気配には気づいていたけど、後ろで待っていた彼女が話しかけてきた。

 

「よかったですね、左右田さんと和解できて」

 

「ソニアさん……お願い」

 

「なんですか?」

 

「彼を、左右田君を、憎しみから救って欲しいの。

それができるのは、ずっと長い間一緒に過ごしてきて、

かつての左右田君が愛してたソニアさんだけ」

 

「愛、だなんて……わたくしに、そんなことが……」

 

「できる。元の世界からずっと見てたけど、

左右田君は中途半端な気持ちでソニアさんに想いを寄せてなんかいなかった。

だから、お願い。彼はいつか、死ぬつもりなの……!」

 

「っ!?……わかりました。わたくし、絶対にそんなことはさせません!」

 

「よろしく、お願いします……」

 

友人を救ってくれるかも知れない女性に、僕はこれ以上なく丁寧にお辞儀をした。

 

 

 

 

 

まったく、江ノ島さんもひどいよ。真の力を引き出させようと背中を押してあげたのに。

旧館でボクは退屈しのぎに懸賞問題とやらに鉛筆を走らせる。

メモ用紙は倉庫に山ほどある。

 

筆の向くまま適当に記号や数字、それっぽい言葉を書き散らしていると、

ふと鉛筆が止まった。それ以上何か書こうと思っても、何も思い浮かばない。

あれ、もしかして解けちゃった?

 

まあいいや。どうせこれを発表した研究所なんて、もう存在しないんだし。

ボクは回答済みの数学問題を眺めながら呟いた。

 

「……そろそろ、かな?」

 

 




CHAPTER 3.5 CLEAR

ショクザイ ノ カケラ ヲ ゲットシマシタ

ペコヤマ ペコ ×100
オワリ アカネ ×100
ソウダ カズイチ ×50
タナカ ガンダム ×50
コマエダ ナギト ×10
ソノ ホカ ×50


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第13章 死に別れた偽物同士

人の一生は、旅に似てると言いますが本当にそうでございますね。

一寸先は奇妙奇天烈摩訶不思議。目の前の少女も手前が姉だと申して聞かないもんで、

あっしもほとほとに困り果てて居るところでございやす。

こいつをご覧の皆々様方、物語の終わりも近うござんす。

どうぞよっくご覧の上、幕引きまでお付き合いのほど、宜しくお頼み申し上げます。

 

……こんな風に必殺シリーズのオープニングみたいな独り言を脳内で垂れ流すほど、

僕は混乱してたんだ。

 

その日は午前の作業を終えて、昼食を食べに一旦ホテルに戻ろうと野道を歩いてた。

 

「木の伐採ってやっぱりキツいなぁ……

なんか日向君、集中的にシフト入れてくる気がするんだけど、

ひょっとしてまだ指輪の件怒ってたり?」

 

一人ブツブツ言いながら帰り道を進んでいると、森の脇道からガサガサと音がしたんだ。

獣かな?でも、プログラム内の生き物は、

ユーザーを襲わないよう設定されてるから大丈夫。

イノシシかなにかだろうと思った瞬間、“それ”は僕の前に飛び出してきて、

いきなり突拍子もないことを言った。

 

「盾子ちゃん!……会いたかった!」

 

「えっ、君、誰!?」

 

この希望更生プログラムに僕を含む17人のメンバー以外が居るはずなんてないのに!

見た目は夏用セーラー服を着た普通の女子高生。白のシャツにブラウンのミニスカート。

胸元に細いリボンを結んでる。

黒のショートカットで、顔にうっすらそばかすのある女の子が、

僕を見て感激したように目を潤ませている。

 

「ねえ……本当に君、どうやって」

 

その疑問に答える前もなく、今度は僕に抱きついてきた。

女の子に抱きつかれる経験なんて、ほぼゼロだったから、少々うろたえる。

 

「本当に、無事で良かった……

盾子ちゃんが酷い目に遭わされてるって、モナカちゃんから聞いて、

私、居ても立ってもいられなくて」

 

「モナカちゃん……?」

 

聞いたことのない名を耳にすると、ようやく目の前の彼女は身体を離した。

そして、顔が近づいた時、僕はようやく気づいた。

確かダンガンロンパ2のオマケモードでやっとその姿が明らかになったその人。

思わず身を引いた。間違いない。彼女は──

 

 

○超高校級の軍人

 

イクサバ ムクロ

 

 

「戦刃、むくろ……!!」

 

「どうしたの、盾子ちゃん。

やっぱりそんなに臭う?もう、臭いならいつもみたいに臭いって言ってよ~」

 

自分の腕をくんくんと嗅ぐと、

本当に、実の妹と話すように笑顔で気さくに話しかけてきた。

それがかえって不気味で、後退りする。

 

「私に、近寄らないで!」

 

「あっ、ごめんね?電話もしないで押しかけちゃって。迷惑だったよね……

でも、これをどうしても渡さなきゃいけなくて」

 

戦刃が右手を差し出すと、手のひらの上に、ブルーの立体的なホログラフの塊が現れた。

 

「これが一体何?」

 

「デバイスをかざして解凍して。大切なメッセージがあるから」

 

「これで、いいの?」

 

とりあえず電子生徒手帳をかざしてみた。

画面に“解凍中…”の文字とプログレスバーが現れ、

90%あたりで一度止まった後、一気に100%になった。

すると、画面にまた見たことのない女の子が現れた。

緑の髪をツインテールにした、小学生くらいの子。

画面の向こうの少女は、カメラの位置を調節した後、モニターに向かい合って、

やっと喋りだした。

 

“あっ!盾子お姉ちゃん!むくろお姉ちゃんが上手く接触出来たんだね!

通信速度も良好!会いたかったよ……モナカだよ。

いつもテレビ中継で見ることしか出来なかったけど、

やっとプログラムのセキュリティーを突破して、

アバターを侵入させるところまでこぎつけたんだよ!ほめて、ほめて!”

 

「モナカ?君、誰……?」

 

“かわいそうに。モナカの記憶も消されちゃってるんだね。でも、心配しないで。

そこから脱出したら、ちゃんと復元してあげるから”

 

「さっぱり意味がわかんない!何言ってるの!?」

 

“答えは、目の前にいる、むくろお姉ちゃんだよ。……ねえ、わかってるだろうけど、

むくろお姉ちゃんは盾子お姉ちゃんが殺したんだよね?

えー、その時の記録によると、

78期生のコロシアイが行われた希望ヶ峰学園の遺体安置所には

死者の遺体が保存されてたから、まず、むくろお姉ちゃんの脳を取り出して、

それからおしおき部屋に行って盾子お姉ちゃんのほんの一部を回収して、

人工的に双子の姉を復元したんだー。

まぁ、脳の摘出とか、肉体の培養とか、

エグい工程はモノクマちゃんに任せてたけどねー”

 

「いやいや、さっぱりわかんない。

君みたいな小学生が、ええと、名前思い出せないけど、

超高校級のマッドサイエンティストみたいなことできるわけないじゃないの!」

 

“お願いだから、あんなのと一緒にしないで。モナカ寂しい。

あいつは、盾子お姉ちゃんを完全に蘇らせようとして失敗した。

だからお姉ちゃんがそんな所で働かされている。でもモナカは違うよ?

回収に成功した盾子お姉ちゃんの欠片。そのミトコンドリアの内部に、

人間の記憶のコピーがバックアップとして残ってることを突き止めたの。

世界中の研究者が抽出方法や存在すら知らない、モナカの新発見。

名付けて、JK質量体なんてどうかな。盾子お姉ちゃんの名前を付けたんだー”

 

「戦刃むくろをこっちに送り込んで……

いや、そもそもどうやってこのプログラムに干渉してるの?

なんかよくわからないけど、

ものすごく厳重なセキュリティシステムが施されてるって聞いたんだけど」

 

“うん、それにはかなり手を焼いたけど、そっちが隙を見せてくれたから突破できたよ”

 

「隙?」

 

“そうだよ。お姉ちゃんが遊園地で遊んでる時に、自殺志願者が毒を飲んだでしょ?

その時、現実では起こりえない現象を起こすために、

セキュリティシステムの処理能力を、一時的にそっちに回したよね。

その瞬間にクラッキングプログラムが侵入経路を作って、

気づかれないようにバックドアを仕込んどいたの。

まだその時はむくろお姉ちゃんが完成してなかったからね”

 

「強制システム変更プロトコル……!」

 

あの時だ!

毒を飲んだソニアさんや保健委員の罪木さんを病院へ瞬間移動させた時、

日向君が言ってた。

あのコマンドは、希望更生プログラム内でどんな事でもできる代わりに、

セキュリティシステムの防御力を弱める。

まさか、今になってそのツケが回ってくるなんて!

僕は、再び戦刃むくろに向き合って尋ねた。

 

「君は、私をどうしたいの?」

 

「一緒に帰ろう!

モナカちゃんがモノクマに守られた塔和シティーってところで、3人で暮らそうって。

盾子ちゃんが夢見た絶望に満ちた世界を、また目指せるんだよ?」

 

「君を殺した犯人と?」

 

戦刃むくろは希望ヶ峰学園でのコロシアイ学園生活で、

江ノ島盾子に裏切られて殺された。でも。

 

「何言ってるの、私はちゃんと生きてるじゃない。

……ああ、記憶までいじられてるのね。許せない!」

 

“いじられてるのはどっちかっていうと、むくろお姉ちゃんの方だけどね……”

 

右手の中のモナカがこっそり告げる。でも、彼女には聞こえていたらしく。

 

「もう、さっきから変な事ばっかり。

私は、お姉ちゃんの代わりに潜り込んだコロシアイ学園生活でクロに殺されたの。

誰かは忘れたけど。

……モナカちゃんてば、時々変な事言って気を引こうとするのよ。怒らないであげてね」

 

“ごめんなさ~い。ジャバウォック島にある盾子お姉ちゃんの身体は、

ちゃんとモノクマちゃんが取り返してくれるから。もう船が出る頃だよ!”

 

勝手に話を進めるモナカという少女。当然拒否する。

 

「そんなことどうでもいい。もし、私がいやだって言ったら?」

 

「またまた、そんなこと言っちゃって。

この箱庭だって、盾子ちゃんの遊び場なんでしょ?

どこまで優しくって誠実な別人を演じながら、

皆が信じ切った時を見計らって、誰でもいいから目の前で惨殺する。

それって凄く絶望的な演出だと思う!盾子ちゃんらしいよ!」

 

一人で納得している戦刃は、両手で僕の手を握る。右手の甲に入れ墨は……ない。

それを確かめてる僕に気づいたむくろは、はにかみながら言った。

 

「フェンリルのタトゥーなんてないよ~。モナカちゃん言ってたじゃない。

私は記憶だけをオリジナルの脳から取り出して、

双子の盾子ちゃんのDNAから再生された、新生戦刃むくろなんだよ?

盾子ちゃんから生まれて来れるなんて、嬉しい。

私の肉体は損傷と腐敗が進んでて脳のデータしか使えなかったらしいの。

身体をくれてありがとうね、盾子ちゃん……」

 

僕の手に頬ずりしながらおぞましい事実を口にする戦刃。

表情を変化させないように努力しながら、問い直す。

 

「……ねえ、もう一度聞くわよ?私は、君と行くつもりはない。

断ったら、どうする気なのかしら」

 

「うん。その返事も想定済み。

記憶を改変されてる盾子ちゃんは、私達を信じられないかもしれないって。

だから、少しだけ窮屈な思いをさせるね。……ごめんなさい!」

 

そういった瞬間、戦刃は握ったままの両手を引っ張り、強引に身体を近づけ、

僕の身体に両腕を回して拘束し、押し倒した。

地面に押さえつけられた僕は懸命にもがくけど、身動きが取れない。

 

「お願い、大人しくして盾子ちゃん!私と一緒に来て!」

 

凄い力だ!力勝負じゃ敵いそうにない!

助けを呼ぼうと、転がった電子生徒手帳に手を伸ばそうとするけど、

腕もほとんど動かせない。

 

「じっとして、盾子ちゃん!あなたを傷つけたくないの!」

 

僕に馬乗りになって訴える戦刃むくろ。

前にもこんなことあったな、思い出したくもないけど!彼女と目が合った瞬間。

 

「……!君の、才能は、超高校級の、軍人……」

 

脳に未知の情報が満たされ、全身の神経回路に経験のない経験が張り巡らされる。

気づいた時には、考える前に、戦刃の目に渾身の頭突きを食らわせていた。

 

「あぐっ!!」

 

思わぬ反撃に拘束一瞬解いてしまった戦刃。

その隙に彼女の上半身を突き飛ばして、距離を取る。

“超高校級の軍人”の才能を解析し、自分のものにした僕は、

逃げるより戦うことを選んだ。

 

「くっ、そうだよね……盾子ちゃん、そういう才能もあったよね。

なら、本気を出さなくちゃ、ね」

 

目を抑えながら、素早く立ち上がる彼女。僕も無意識に殺人術の構えを取る。

 

「君達が何をしたいのか全然わかんないけど、

私は江ノ島盾子のクローン。それに宿った別人よ」

 

「記憶が曖昧になってる……早くモナカちゃんに診せないと。

未来機関に、盾子ちゃんは渡さない!」

 

戦刃が地を駆け素早く接近し、拳や手刀の連打を浴びせてきた。

僕もそれぞれの軌道を見切って、手で払う。

お互い腕をひねろうと相手の腕を取ろうとするけど、身体を回し、肘打ちを叩き込み、

攻撃を回避、ブロックし合う。

ローキックや左フックを繰り出すけど、同一の能力を持つ戦刃に全て防がれる。

でもそれは向こうも同じ。千日手になるかと思われた戦いに、変化が訪れたのはその時。

 

ピロロロ……

 

戦刃が一瞬、電子生徒手帳の着信音に気を取られた。

モナカとやらの連絡だと思ったのかもしれない。その油断が命取りとなる。

その瞬間、僕は彼女の肩を掴んで強引に身体を回し、

逃さないよう相手の背中に自分の身体を密着させた。そして、頭頂部と顎に両手を回す。

お互いすっかり息が切れていて、彼女の激しい鼓動が伝わってくる。

 

「このまま、思い切り、腕を回せば、首が折れるけど、どうする?」

 

「やっぱり、盾子ちゃんは強いね。降参。今の所は引き下がるよ。

本当だよ?私が盾子ちゃんに嘘つくわけないじゃない」

 

「……みんなに、何かしたら、次は本当に折るよ?」

 

思えばここで始末しておくべきだったのかもしれない。

でも、プログラムのセキュリティを突破したモナカが何をしてくるかわからない以上、

早まった真似もできなかった。

戦刃を投げ出すと、彼女はこんな言葉を残して森の奥へ逃げていった。

 

「また迎えに来るからね!大丈夫、盾子ちゃんの獲物を横取りなんてしないよ!」

 

黙ってその白い後ろ姿を見送ると、落ちた電子生徒手帳を拾い上げた。

大量のメールや着信履歴。とりあえず日向君のメールを開く。

 

 

送信者:日向創

件名:何が起きている!

 

さっきのビデオ電話は一体何だ!江ノ島、今どこにいるんだ!?

とにかく早く連絡をくれ!

 

 

日向君達にも届いてたのか!

他のメールも件名を見るとモナカの映像に関するものばかり。

すぐさま日向君に電話する。2コール目が鳴りかけたところで彼が出た。

 

“江ノ島!?”

 

「日向君!そっちに戦刃は行ってない!?すぐにみんなを一ヶ所に集めて避難させて!

戦闘向きの才能を持つ人たちでみんなを守って!」

 

“戦刃?ビデオ電話の女の子か?”

 

「そうじゃない!もうひとり会話に誰かいたでしょ?

そいつはとんでもなく危険な奴なの!超高校級の軍人!江ノ島盾子の双子の姉!」

 

“なんだって!……そうか、苗木が言っていた双子って”

 

「彼女も遺体から再生されたクローン。

とにかく、私がホテルに行くから、迎えに来ようとはしないで。

長くなるから詳しい事情はそこで」

 

“わかった、江ノ島。お前も気をつけろよ”

 

「私は平気。また後で」

 

 

 

 

 

平気、とは言ったけど、実際はあちこちが痛かった。

鍛えた軍人と散々身体をぶつけ合ったんだから。

痛む身体を引きずりながらホテルに辿り着く。階段を上るのも少々辛い。

 

”申し訳ありません!わたくしのせいで、システムに侵入者が!”

 

”ソニアさんのせいじゃないって!”

 

レストランから声が聞こえてくる。皆、大体の状況は把握してるみたい。

中に入ると、ただならぬ様子の僕にみんなが駆け寄ってきた。

 

「江ノ島、しっかりしろ!手足が痣だらけじゃないか!」

 

「あぁ、ひどいですぅ。すぐに湿布を貼りますから……」

 

「それはいい!私の話を聞いて、一刻を争うの!」

 

「罪木……まずは江ノ島の話を聞こう」

 

「はい、話が終わったら必ず治療を受けてくださいね?」

 

「わかったわ……」

 

しがみつくようにテーブルの席に座ると、みんなも急いで席に着いた。

話を始めようとすると、日向君の生徒手帳に着信。彼がすかさず通話ボタンを押した。

全員が集まったこの状況で電話を掛けてくるのは、未来機関、つまり苗木君くらい。

わざわざ戦刃むくろを使っているモナカが、

監視カメラまで掌握できているとは考えにくい。

日向君は通話をハンズフリーモードにしてテーブルの上に置いた。

 

“前置きは省くよ?そっちでも異常が確認されてると思う”

 

「ああ、江ノ島が戦刃むくろと接触した。

ビデオ電話だけだが、モナカという女の子もいて、その子がむくろを手引きしたらしい」

 

“そのやり取りはこちらでもキャッチしたよ。

さっきそのモナカからメールが届いたんだ”

 

「どんな内容だ?」

 

“希望更生プログラムのあるジャバウォック島に近づいたり、

セキュリティホールの修復を試みた場合、

戦刃むくろに江ノ島以外の住人を皆殺しにさせる、という内容だよ”

 

「まずいな。

セキュリティホールを放置しておけば、他のクラッカーに侵入されかねない」

 

“今の所その可能性は無視していいと思う。システムの穴と言っても、

セキュリティは並のクラッカーには理解不能な言語で構築されていて、

現在プログラムに干渉できているのは、モナカという少女だけだ。

現に、今も他のクラッカーからのサイバー攻撃は全てシャットアウトできてる”

 

「その点については、大丈夫だと信じるしかないな。

そろそろ、実際戦刃むくろに出会った江ノ島に話を聞こう。頼めるか」

 

「うん……苗木君なら知ってると思うけど、

戦刃むくろは、コロシアイ学園生活で、江ノ島盾子に変装して潜り込んだ、彼女の姉。

結局は妹の盾子に殺されたけど……戦刃とモナカは、私を助けに来たって言ってた。

私を絶望の江ノ島盾子だと思い込んでるの。きっとまた来る。

一度は追い返したけど、そう言ってたから」

 

「しかし、お前さん、そんな奴に狙われて、よく無事で帰って来れたのう。

日向によると、敵は超高校級の軍人だとか」

 

「……その事についても話さなくちゃね」

 

「何なら、ボクから説明しようか?」

 

「狛枝君は黙ってて!

……簡単に言うと、私には相手の才能を分析して自分のものにする能力があるらしいの。

どうしてそんなものが身についたのかはわからない。

だけどそのおかげで、戦闘経験がまるで無い私でも、なんとか戦刃と互角に戦えた。

つまり、今は私にも超高校級の軍人の能力がある」

 

「なんだと!敵の能力を奪い、無限に力を膨張させる。

俺の邪眼に匹敵する魔眼の持ち主であったとは。

やはりただの女ではなかったのだな、江ノ島盾子!」

 

「田中おにぃうっせーよ!江ノ島おねぇが喋ってんだろ!

……ねぇ、それがおねぇの超高校級の才能なの?」

 

「ごめん。具体的にどんな才能なのかはわからないんだけど、

この能力自体はだいぶ前から知ってたの。

ちょっと事情が複雑で言い出せなくて……黙ってて、ごめんなさい」

 

「……あの、皆さん。どうかこの能力の出処については、

そっとしておいてあげてくださいまし。本当に事情が込み入っているので」

 

「ああ。俺も知っていたが、特に皆に危害が及ぶ恐れがないと判断したから、

リーダーの権限で伏せておいた」

 

ソニアさんと日向君が助け舟を出してくれた。

今はあの出来事を蒸し返して、余計な混乱を招くべきじゃない。

 

「日向はともかく、ソニアまで?

じゃあ、江ノ島はオレ達の才能全部身につけてるってことか?」

 

「うん、毎日みんなと会ううちに、能力を分析して気づかないうちに習得してる。

実際、終里さんの才能で危ない所を助かったこともあるから」

 

「体操部の才能で?崖から落ちそうにでもなったのか?

まぁ、聞くなっていうならこれ以上聞かねえけどよ」

 

「とにかく、今後安全が確保されるまで労務は全て中断だ。

戦刃むくろを希望更生プログラムから排除するまで、全員ホテルで避難すること」

 

“日向クン。その事についてなんだけど、

未来機関はこのプロジェクトの放棄を決定したよ。

たった一人とは言えVer2.01の欠陥を突かれたら、どんなセキュリティも無意味だし、

ずいぶん前から江ノ島一人を追い込むやり方には視聴者からの反発もあったんだ。

絶望の残党も大きく数を減らしたし、一定の成果は得られたとして、

希望更生プログラムは中止されることになった。

今後は、江ノ島盾子のカウンセリングを行い、

絶望を捨てた彼女の言葉を配信することになる”

 

「相変わらず勝手な……!

まあいい、とにかく江ノ島をこの空間から脱出させる方が先だ。

彼女と面談とやらを行うなら、

当然このプログラムから脱出する方法があるってことなんだろうな?」

 

“もちろん。君達も経験したはずだよ?……強制シャットダウン”

 

強制シャットダウン。かつて日向君達が江ノ島盾子のアルターエゴを消滅させ、

希望更生プログラムから脱出するために実行した処置。

 

「一度絶望の江ノ島の手が入ったシステムを、まだ残していたのか!?」

 

“言いたいことはわかるけど、形だけのものだよ!

Ver2.01の構築に時間がなかったのは日向クンにも説明したはずだよ。

使い回せるものは使い回してるけど、安全性は確認してる。信じてくれ。

今回のような不測の事態に備えて残しておいたんだ。

あの時みたいに、強制シャットダウンには、全員の承認が必要になる。

ただ、その障害になるのが……”

 

「戦刃むくろか」

 

“うん。モナカはきっとこちらのシステムは知り尽くしてると考えた方が良い。

既に遺跡に戦刃むくろを配置してるはず。きっと、キミの力が必要になるはずだよ”

 

「……わかった。俺が行って無力化してくる。その後全員で強制シャットダウンだ」

 

“パスワードは覚えてるよね。

きっとこの会話も全部向こうに筒抜けだから、口にはできないけど”

 

「当たり前だ。忘れもしない」

 

“あらら、意外と用心深いんだね。

うっかり電話口で確認してくれるかな~って期待したんだけど”

 

通話に割り込んできた声は、やっぱり彼女。

 

「モナカか!」

 

“キミも、絶望の残党なのか?”

 

 

○元・超小学生級の学活の時間

 

トウワ モナカ

 

 

“う~ん、モナカとしては…あ、モナカは塔和モナカっていうの。よろしくね。

モナカ自身は絶望を広めること自体には、あんまり興味はなかったんだ。

死んじゃった盾子お姉ちゃんの夢見た、絶望に満ちた世界を引き継ぐことが目的。

でも、盾子お姉ちゃんは生きててくれた。

どんなに酷い目に会っても、

やっぱり絶望を追い求める盾子お姉ちゃんの姿は変わらなかった”

 

「ふざけるな!この江ノ島のどこが絶望だ!

希望すら与えられたやつがたくさんいるんだぞ!」

 

“違うよー。盾子お姉ちゃんは、温めてるんだよ。絶望の卵をさ。

例えば、盾子お姉ちゃんが、そこにいる小さな女の子をいきなり刺し殺したら、

みんなは味わうんだろうね。逃げ場のない絶望ってやつを!”

 

「てめーの方がチビだろうが!江ノ島おねぇがそんな事するはずねーじゃん!

おねぇは……おねぇはわたし達の仲間なんだよ!

ゲーム終盤で帳尻合わせに出てきたポっと出のガキの出る幕じゃねーんだよ!」

 

“そうだといいね、ウププ”

 

「もういい、耳を貸すな西園寺。

俺は今から遺跡にいる戦刃むくろを排除して、ロックを解除してくる」

 

「ワシらも加勢するぞい!」

 

「オレも超高校級の極道だからよ、ドスの扱いじゃ誰にも負けねえ」

 

弐大君が拳を握って指を鳴らし、九頭竜君がスーツの内ポケットから短刀を取り出す。

 

「いや、ここは俺に行かせてくれ。相手が軍人なら、銃器で武装してる可能性もある」

 

“ピンポーン!既に武器はアップロード済みで、むくろお姉ちゃんも準備万端だよ!

ナイフ、ピストル、アサルトライフル、ロケットランチャー、各種色々取り揃えてるし、

弾薬満載で弾切れの心配なし!ハチの巣になりたい人はチャレンジしてね!”

 

「なんじゃとう!それでは手出しが出来んではないか!」

 

「弐大達はここに残って、戦闘向きじゃない能力のみんなを守ってくれ。

戦刃とは、俺が決着をつける」

 

“がんばってねー”

 

「待って」

 

最後にモナカに確認したいことがひとつだけ。

 

「戦刃むくろにデタラメを吹き込んで、何がしたいの?」

 

”最初に言ったじゃん!盾子お姉ちゃんの理想の世界を作るの!”

 

「そう。君の願いは叶わないよ。それは私の理想じゃないから」

 

”よっぽど未来機関の洗脳がひどかったんだね。

心配しないで、外の世界でまた会いましょう!モナカが治療してあげるから。じゃね!”

 

そこでモナカの通話が切れた。

 

“逆探知はできた!名字から見当は着いてたけど、モナカは塔和シティーのビルにいる”

 

「苗木、今から強制シャットダウンのための準備を始める。

これ以上Ver2.01のセキュリティホールが広がらないよう、監視を強めてくれ。

モナカへの対処もな」

 

“わかったよ。力を使うんだね?”

 

「……そうだ。行ってくる。もう切るぞ」

 

“うん。気をつけて”

 

「ウサミ、一緒に来てくれ。何をするかは、わかってるな?」

 

「はいでちゅ。既に3番、2番セーフティは解除してまちゅ。

いつでも最終セーフは解除可能でちゅ」

 

「頼むぞ。じゃあみんな、行ってくる……」

 

「お願いだから、死んだりしないでよね?」

 

「大丈夫だよ、小泉さん。だってほら」

 

「そうだけど……」

 

自分も行くよ、とは言わなかった。

相手が銃を持っている限り、僕達が行っても足手まといになる。

それに対抗できるのは日向君の力だけ。その才能だけは分析できなかったけど。

ウサミと一緒にレストランの階段を降りていく日向君を、ただ見送った。

 

 

 

 

 

しばらくすると、絶え間ない銃声や爆発音がこちらまで届いてきた。

テラスから不安げに遺跡の方角を見る罪木さん。

 

「日向さん、一人で大丈夫でしょうか……」

 

「案ずるな。

丸腰であれだけ撃たせているということは、敵の攻撃を上手く防いでいるということだ」

 

辺古山さんが彼女を筋の通った理屈で安心させる。

 

「……ねえ、みんなは日向君の能力のこと、知ってるの?」

 

聞いて良いことなのか不安だったけど、

知らない人がいたら、今のうちに説明しておかないと後で混乱させる。

ゲームでは、彼の真の姿を見た人は、ほんのわずかだったから。

 

「全員、一度は死んだ者も含めて、日向の事情は未来機関から聞いておる。

それに限らずVer1.0で起きたことは大体のう。だから心配はしておらぬのだが、

分からぬのは、なぜ狛枝だけが絶望に毒されたままなのか、じゃ」

 

「やだなあ、ボクは絶望に魅了されているわけじゃないよ。

絶望を乗り越えた先に待っている希望を見てみたいんだ」

 

「……どんな手を使ってでも?」

 

携帯ゲーム機で遊びながら他人事のように訪ねる七海さん。

 

「2代目の七海さんには悪いことをしたと思ってるよ。

でも、ボク達に正体を隠してたキミとモノミにだって、

全く非がないとは言えないと思うんだけど。アハハ」

 

「笑ってんじゃねえぞ、テメエ!」

 

「待って、終里さん」

 

……何かがおかしい。分析能力を意識し始めてから彼に違和感を覚える。

なんとなく引っかかった僕は、立ち上がって狛枝君に近づいた。

床に座り込んでいる彼の前にしゃがんで、目を合わせる。……なるほど。

 

「おい、何やってんだ、江ノ島……?」

 

「どうしたの?キミみたいな美人に見つめられると照れちゃうな、ハハ」

 

彼の軽口にも、もう腹は立たなかった。彼を蝕んでいるのは。

 

「わかった。狛枝君の精神はまだ濁ってる。

カムクライズルが残した“種”が深く根を下ろしてるのよ」

 

皆の間に衝撃が走る。カムクライズル。またの名を──

 

 

 

 

 

俺は、ホテルから出た後、遺跡のある2番目の島を目指しながら歩いていた。

ウサミと打ち合わせながらアスファルトの橋を渡る。

 

「遺跡に着いたら俺の合図で最終セーフティ解除だ。なにしろ抱えてる能力が多すぎる。

あまり長く解放し続けたくはない」

 

「わかりまちた。特になんでもありのプログラムの世界じゃ、

うっかりハリケーンを呼んでしまう恐れもありまちゅからね!」

 

またしばらく歩くと、太い木が絡みついた、見上げるほど大きな遺跡が。

その入口らしき鉄の扉の前に、コンバットスーツの少女がいた。

アサルトライフルを構え、背中に様々な銃器を背負っている。

彼女は俺に気づくと、立ち上がって銃を向けてきた。

 

「その遺跡に入りたい。邪魔をしないでくれ」

 

「……盾子ちゃんを、返して」

 

「江ノ島盾子に見えているのは、俺達の仲間だ。

テレビ放送を見たのかどうかは知らないが、

君の妹は、本当に誰かのために痛みに耐えたり、涙を流したり、

友と喜びを分かち合ったりする人物だったのか?」

 

銃声。赤く燃えた銃弾が闇夜を駆け抜けた。威嚇射撃と共に戦刃が吠える。

 

「うるさい!お前に何がわかる!盾子ちゃんはたった一人の家族!

それを寄ってたかって痛めつけて、家畜のように扱ってきたお前たちが、

妹を語らないで!」

 

「それについては……いつか何かの形で彼女に詫びなきゃならないと思ってる。

そのためにも、プログラムを強制シャットダウンして、

全員元の肉体に戻らなきゃいけないんだ。協力してくれ、頼む」

 

「嘘。盾子ちゃんはね。お前達にとびきりの絶望を与えるために準備をしているの。

すっかり盾子ちゃんと仲よし気取りだけど、

心を許したタイミングで、背中から刺されるのよ!その時お前達は絶望するの。

どうして、仲間だったのに、許してくれたはずだったのにってね!」

 

「退く気は、ないんだな?……ウサミ」

 

「これが返事よ!」

 

再び銃声。だが、ウサミの宣言が先だった。

 

「対象者日向創、ID: The Hope Pass: Chiaki Nanami 認証完了 最終セーフティ解除」

 

同時に俺の身体から、光る波動が放たれ、両目が真っ赤に光る。

そう、俺は再び超高校級の希望としての力を取り戻した。

5.56mm弾は俺の額に命中する直前で停止。地面に転がる。

無数の才能の中から“超高校級のサイキック”が発動され、念動力で銃弾を停止させた。

 

「どうして!?確かに手応えがあったのに!くそっ」

 

敵はアサルトライフルのトリガーを引き、銃弾をばらまく。

俺はすぐさま頭脳から次の才能を選び出した。“超高校級のアサシン”。

身を低くして、流れるような足運びで、弾幕を回避しつつ、戦刃に接近する。

しかし相手も黙っていない。

 

「食らいなさい!」

 

背負ったRPG-7を構え、俺に狙いを付けてトリガーを引く。

いわゆるロケットランチャーが放った榴弾が、

正確な射撃で俺に向かって一直線に飛んでくる。だが、“超高校級の幸運”が発動。

何の前触れもなく、猛烈な突風が吹き、榴弾を運び去った。弾は遥か後方上空で爆発。

 

「どうして!?」

 

驚愕する戦刃むくろ。次の武器を探して武器ケースに目をやった瞬間、

俺は思い切り跳躍して、一気に彼女の背後に着地した。

そして、腕を捻り上げ、伸ばした右手の指先を彼女の首にそっと当てた。

 

「……動くな。俺の爪でも、頸動脈は切断できる」

 

「ううっ!盾子ちゃんを、返せ!返してよ!」

 

「彼女は、誰のものでもない」

 

「ぐあっ!!」

 

俺は、彼女の首筋に手刀を食らわせ、彼女の意識を奪った。

“超高校級の軍人”、その能力で。

敵が完全に意識を失ったことを確認すると、素早く彼女を武装解除した。

 

「やりまちたね!これで強制シャットダウンを実行して現実世界にもどれまちゅ!」

 

ウサミが周りを跳ねながら喜ぶ。でも、まだ重要な仕事が残っている。

俺は、遺跡の入り口のそばに設置されている入力装置に、暗証番号を入力した。

11037を。

すると、重い鉄の扉が開く。それから念の為、大きめの石を拾い、

入力装置に振り下ろして破壊した。これで、誰もここを閉じることができなくなった。

内部は……まだ見ないでおこう。

 

「はわわわ!何をしてるんでちゅか日向君!」

 

「これで、モナカが誰を送ってきても強制シャットダウンの妨害はできないだろう。

戦力的な問題は俺が片付ける」

 

「そうでちけど……」

 

「一旦帰ろう。こいつをなんとかしなきゃな」

 

眠る戦刃むくろを背負って一旦ホテルへ逆戻りする。

彼女を野放しにしておくわけにはいかない。

だが……俺はさっき“超高校級の幸運”を使った。

これは幸運と不幸がセットになった才能だ。不幸がどんな形で訪れるか想像がつかない。

あまりキツいのは勘弁だな。そう考えながら、帰り道への一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

「つまり、狛枝は次のコロシアイのために利用されてたってこと!?」

 

小泉さんが驚くのも無理はないけど、事実なんだ。

よくよく考えたら、僕は未来機関に保護されていた頃の狛枝君について、

全く聞いたことがなかった。

 

「ア、ハハ……これにはさすがに驚きかな。

まさかカムクライズルがボク達の次を見越して、種を蒔いていたなんてね」

 

狛枝君が、自分の左腕を見ながら乾いた笑い声を上げる。

 

「希望は絶望の裏返し。カムクライズルは、このメンバーの中で異常とも言えるほど、

希望への憧れが強かった狛枝君の精神に働きかけて、その憧れを固着させたんだと思う。

善悪の判断より優先されるほど強くね。

あらゆる超高校級の才能を持つカムクライズルなら十分可能だと思うわ。

狛枝君が学級裁判を逃げ延びて、現実世界に帰ったら発動し、

また次のコロシアイに参加、あるいは、自ら画策する」

 

「そのようなことが可能なのか?にわかには信じがたいが……」

 

「Ver1.0に滞在できた期間が短い十神君がピンと来ないのも無理はないけど、

彼なら可能よ。狛枝君がいつカムクライズルと接触して、

精神に絶望すなわち希望への抗いがたい欲求を刷り込まれたのかは、

今となってはわからない。

でも、ここに狛枝君がいることがなによりの証明。

誰が犠牲になろうと、絶望を乗り越えた先にある希望を求める。そんな彼がね」

 

みんな、困惑した表情で狛枝君や周りの人に視線を送る。

ふと気になった僕は、基本的なことについて尋ねた。

 

「誰でも良いから教えて。

彼の左腕だけど、この希望更生プログラムに来る前から女性の手だった?」

 

「い、いや!そう言えば現実世界での狛枝は隻腕だったぞ!

未来機関の医療機関で切除されたはずじゃが……!」

 

「ひぇー!凪斗ちゃんの片腕が女性っすー!!」

 

「いや、せめて腕が復活してることに……ああ、お前はそれどころじゃなかったな。

江ノ島、お前が考えてることはわかるぜ。

確かにVer1.0から蘇生したやつらの中で、狛枝だけが絶望に染まったままだった。

俺達がこいつを警戒してたのはそのせいだ。

今回の希望更生プログラムは、実は狛枝の再治療を兼ねてたんだよ。

今まで当たり前のように旧館に閉じ込めたまま生活してたけどよ、

なんつーか、みんなお前に気を取られてたんだ。悪い……」

 

「いいの。そっか、やっと全部わかったわ。ありがとう、左右田君。

まずは、日向君の帰りを待ちましょう。

彼の力を借りれば、狛枝君から、絶望の種を取り除くことができるかもしれないわ」

 

「そ、それでは、彼のあのような行いは、

カムクライズルに植え付けられた暗示のせいだと言うのですか!?」

 

「その通りよ、ソニアさん。彼も1回目のコロシアイに縛り付けられた……うわあ!」

 

突然、空中で何かの爆発音が聞こえた。皆思わず身をかがめる。場所は遺跡のある方角!

 

「行かなきゃ!」

 

「あ、待って下さい!」

 

僕は思わずホテルを飛び出して、日向君を目指して走っていった。

 

 

 

 

 

もうすぐ、みんなが待つホテルだ。“超高校級のハンター”の技術で、

絶対逃げられないよう縛った戦刃むくろを背負って、道を急ぐ。

すると、俺を呼ぶ声がいくつも聞こえてきた。

中央島とホテルのある1番目の島を結ぶ橋の中央で、俺達は再会した。

だが、その後俺は思い知る。幸運の代償が迫っていたことに。

 

「日向くーん!」

 

聞き慣れた江ノ島の声。俺の姿を見たら驚くだろうな。

でも、彼女が本当に異世界から俺達を見ていたのなら?だとしたら笑える話だ。

 

「おかえりなさい!よかったー無事で!」

 

「ああ、江ノ島。驚いたか?この目なんだが……」

 

だが、現実は笑い飛ばせるほど甘くはなかった。

 

「大丈夫。それって超高校級の希望なんでしょう?

すごいね、戦刃むくろに勝っちゃうなんて!」

 

その澄んだ青い瞳の奥に俺は見た。超高校級の心理学者、神経学者、脳科学者、

それらが総合的に導き出した答えは──

 

 

 

江ノ島盾子は、別人だ。

 

 



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第14章 仲間

どうして彼の方が驚いているんだろう。

戦刃むくろを背負った日向君が、迎えに来た僕の顔を見たと思ったら、

そのまま唖然とした表情で何も言わなくなってしまった。

 

「あ、あ……」

 

「大丈夫!?どこか痛いの?怪我してない?」

 

「えの…しま……」

 

「戦刃にやられたの?ウサミ、日向君どうしちゃったの?遺跡で何があったの!?」

 

「わからないでちゅ!戦刃むくろの攻撃は一切受けなかったはずなんでちゅが……

日向くん、返事をしてくだちゃーい!」

 

矢継ぎ早にウサミに問うけど、そばにいたはずのウサミにも原因が分からない。

困惑していると、後ろからみんなの声が聞こえてきた。

 

「おう日向よ、無事じゃったか!」

 

「どこもやられてないでしょうね!?あと、背中の娘……誰?」

 

弐大君や小泉さんを先頭に、みんなも駆けつけてきた。橋の中央で再会する僕達。

だけど、状況はよくない。

 

「彼女が戦刃むくろ!それより日向君の様子がおかしいの。

ここで私と会ってから、ずっとぼーっとしてて、呼びかけに反応してくれないのよ!

罪木さんはどこ?」

 

「……待って。弐大は背中のむくろをお願い」

 

「おう。だが、何をする気じゃ?」

 

「いいから」

 

小泉さんは弐大君に戦刃を任せると、

何か大きなショックに打ちのめされた様子で僕を見たまま、

動かなくなってしまった日向君の前に立つ。

彼の目には小泉さんも映っていない様子。そんな日向君を不機嫌な顔で見た彼女は……

 

「いいかげんに!起きな、さい!!」

 

大声で怒鳴って、両肩を思い切り叩いた。日向君が驚いて身体がビクンと跳ねる。

 

「わあっ!……あ、なんだ。小泉か」

 

「なんだ、じゃないでしょう!散々アタシら心配させといて、

橋の上で立ったままお休みなんて、結構な御身分ですこと!」

 

小泉さんの一喝で我に返った日向君だけど、やっぱりまだどこか様子が変だ。

僕と目を合わせようとしないのは気のせいかな。

 

「ああ、よかった元に戻って。超高校級の希望の副作用かと思っちゃった」

 

「江ノ島か。江ノ島で、いいんだよな……?心配かけて、悪かった。

特に副作用とかはないんだが、

あまり使い過ぎてもどんな結果を招くかわからないからな。すぐに停止させ……」

 

「待って、まだ日向君の力が必要なの!」

 

思わず彼の手を握る。そう、狛枝君を助けなきゃ。

 

「もう戦刃むくろは捕らえたぞ?他に何の問題があるんだ」

 

「行きながら話すわ!1秒でも早く助けてあげたいの!」

 

「助ける……?誰か病気でも」

 

「お願い、急いで!」

 

それから僕は日向君の手を引きながら、みんなとレストランに置いてきたの元へ急いだ。

日向君に明らかになった事実を説明しながら。

 

 

 

 

 

それは不幸と言うより必然だった。だから何が変わるわけでもないんだが。

俺は、見てしまった。江ノ島盾子の瞳の奥。頭脳を走る神経パルス。

それは明らかに男性のパターンそのものだった。

 

超高校級の脳科学者、生態学者、物理学者、プロファイラー、千里眼。

その他諸々の才能が否応なく俺に告げる。

目の前の少女は絶望の江ノ島盾子などではない。

 

すなわち、俺達が江ノ島盾子として扱ってきた人物は、全く無関係の人物。

“彼”が訴え続けていた通り、クローンで再生された肉体に、

異世界の人間の精神が宿っていたことが事実であることを意味する。

 

「あ、あ……」

 

目の前の誰かに何と言えばいいんだろう。

 

「大丈夫!?どこか痛いの?怪我してない?」

 

必死に呼びかけてくる彼女、または彼の声が、耳に入ってこない。

 

「えの…しま……」

 

そう呼んでいいのか散々迷って、どうにか彼女の名前を口にした。

だが、次が出てこない。俺の脳を無数の問いが埋め尽くし、思考させてくれない。

彼は何者、未来機関に報告すべきか、彼らは江ノ島盾子をどうする、

もし彼らが江ノ島の存在を抹消などと考えたら……

そして、どう謝ればいい、どう償えばいい。無実の彼に対して行ってきたことについて。

 

「いいかげんに!起きな、さい!!」

 

答えのない疑問の底なし沼に陥っていると、

突然の大声と肩に走った衝撃で現実に引き戻された。小泉だった。

 

「わあっ!……あ、なんだ。小泉か」

 

「なんだ、じゃないでしょう!散々アタシら心配させといて、

橋の上で立ったままお休みなんて、結構な御身分ですこと!」

 

彼女のおかげでどうにか自分自身から抜け出すことができた。

少しだが冷静さも戻ってきた。“江ノ島”と二言三言、話ができる程度に。

でも、当の彼女がまた俺を混乱させるようなことを言う。

誰かを助けるために俺の力が必要らしい。

 

一体誰を?そう聞きたかったが、相当焦った様子で、

戻りながら話す、と俺の手を引っ張って駆け出した。

仕方なく俺は彼女と一緒にホテルに走った。

今、彼女を引き止めたり説明を求めることが、何となくできなかったから。

 

 

 

 

 

日向君を連れてみんなとレストランに戻ると、

あの事実を受け止めて切れてない狛枝君が、ひとりテーブルに着いて、

江ノ島盾子の左腕をぼんやりと眺めていた。

 

「狛枝がまだ絶望を抱えてることはわかったが、

俺の力が必要だってことはどういう意味だ!?」

 

「落ち着いてから話そう?ねえ狛枝君。もう大丈夫。君も絶望の残党なんかじゃない。

みんなの仲間になれるのよ」

 

「フフ……別にいいよ。

ボクのような虫ケラが、一流の才能を持った君達と同列に並ぶなんて、

おこがましいことなんだから」

 

彼は江ノ島盾子の腕を見たまま、ぼそぼそと話す。

 

「その行き過ぎた自虐癖も“種”のせい。日向君と私で、取り除いてあげるから」

 

「俺とお前で、ってやっぱり意味がわからない。そろそろ詳しく説明してくれ」

 

「わかった。まずは彼の前に座ろうよ」

 

「ああ……」

 

4人がけテーブルに狛枝君と向かい合って座る。

何が起こるかわからない皆も、緊張しつつ僕達を見ている。

 

「戦刃むくろはワシが椅子に寝かせて、罪木が看病しておる。

監視はワシが努めるから、心配せんと狛枝を助けてやれ」

 

「ありがとう、弐大君。……それじゃあ、日向君。

私が誰かの才能を分析してコピーできるってことは知ってるよね」

 

「初めは耳を疑ったが、それで戦刃の能力を分析して戦ったんだよな。

それがどうしたんだ」

 

「日向君が戦ってた時、彼に違和感を覚えて、主に目を観察して分析したら、

その……カムクライズルが彼の精神に絶望の種のようなものを仕込んでいた。

これも、いいよね?」

 

カムクライズルの名を口にする時、少し口が重かった。

やっぱり日向君はあまりいい顔をしていない。でも、どうしても必要なことなんだ。

 

「……ああ、問題ない」

 

「なら、本題に入るね。日向君、彼に宿ってる種を心から切り取るために、

君が持ってる能力のいくつかを貸して欲しいの」

 

レストランの空気が皆の驚きで揺れ、皆の視線が僕に集まる。当然、隣の日向君からも。

さっきからツインテールが当たってごめんね。

 

「ちょっと待て、どうして江ノ島がそんな事をする必要がある?

そもそも、俺の能力が必要なら、お前が指示を与えてくれれば俺が……!」

 

「それはできないと思う。きっとカムクライズルを造り出した希望ヶ峰学園は、

私の能力については知らなかったもの。

だって、江ノ島盾子は“超高校級のギャル”として入学したんだから。

多分、今の日向君でも狛枝君の精神を分析して、

本来は無いはずの異物を発見して除去する能力はないと思うわ」

 

「少しやってみる。待っててくれ」

 

日向君は、しばらく狛枝君の目をじっと見ていたけど、やがて首を振った。

 

「確かに……脳の活動状況はわかるけど、そこまでだ。

それが異常なのか、どこが間違いなのか、見当がつかない」

 

「うん。だから、私が日向君を分析して治療に必要な能力をコピーさせてもらう。

それから狛枝君の心の病巣を分析して、切り落とし、今度こそ絶望から彼を救い出すの」

 

「なるほど。狛枝の絶望が希望更生プログラムでも消去できなかったのは、

まさか俺がそんな物を植え付けていたせいだったとはな……」

 

「日向君じゃない。カムクライズルだよ。お願い、君の才能を貸して。

少しの間、目を合わせるだけでいいの」

 

「もちろんだ。俺にできることはそれくらいだからな」

 

「……ボクなんかのために頑張らなくていいよ。

これまでもこれからも、ボクはみんなが希望を輝かせる時を待つだけだからね」

 

「いくよ?」

 

「ああ、やってくれ」

 

狛枝君のつぶやきに答えることなく、僕と日向君は見つめ合った。

真っ赤な瞳。超高校級の希望の証。

僕の目玉がギョロギョロと動いて、彼の目を初めとして、その姿全体を観察すると、

日向君の体全体から膨大な情報が流れ込んでくる。

 

眼科医、脳科学者、心理学者、催眠術師、カウンセラー、

とにかく必要な才能を目から取り込む。

途中、何度も激しい頭痛に見舞われ、身体が揺れる。

 

「ああっ!!うっ、くう……」

 

「江ノ島!?無理ならやめろ、お前は脳の手術を受けてない。

無数の才能を受け止めきれるようになってないんだ!」

 

「あの!一度罪木さんに診ていただいたほうが……!」

 

日向君もソニアさんも心配してくれるけど、ここでやめるわけにはいかない。

 

「大丈夫……もうちょっと、もうちょっとだから、最後までやらせて……」

 

僕は最後の一つ、超高校級の神経学者をコピーしながら答える。

本当に、もう8割は完了してる。頭が凄く熱くなってるけど、あと一息。

まるで日向君を睨むかのように、彼を観察し、

その力の一部を全力で自分の頭に叩き込む。いつの間にか日向君の肩を掴んでいた。

 

「はぁっ!できた……!」

 

そして、時が来る。最後のひとつを完全に分析。

狛枝君に取り憑く心の闇と戦うための武器が全て揃った。

インフルエンザで発熱したように身体が熱くなっていたけど、問題ない。

日向君の能力が僕のものになった。

 

「江ノ島!?終わったのか?」

 

「ふう……なんとか私の頭に収まったわ。大丈夫、身体が少し火照ってるだけ。

それより、日向君は早く能力を解除して。あまり長く続けても身体に悪そうだから」

 

「そうだな。でも、後はお前の心配をしろよ?ウサミ、能力を再ロックしてくれ」

 

「はいでち。……対象者日向創、1番から3番ロック作動。

以後、システムの利用には再度管理者の承認を得てください」

 

ウサミがやっぱり機械的な口調で何かを口にすると、日向君の目の色が元に戻った。

 

「……よかった。今度は彼の番よ、さっそく始めましょう」

 

「おいおいおいおい!いっぺん休んだほうがいいんじゃねーのか!?すげえ熱だぞ!」

 

見た目で分かるほど茹でダコになってるみたいだ。

左右田君が何かマズいものを見てしまったような顔で僕を見てる。

 

「心配ないわ。脳を酷使するのはここまでだから。狛枝君は一刻も早く助けないと、

本来の精神とカムクライズルの種が完全に同化して、手の施しようがなくなるの」

 

「無茶は、すんなよな……マジで」

 

「ありがと、左右田君。ここからはいわば質問タイムだから、安心して」

 

「質問タイム?」

 

今の緊張感にいささか不似合いな単語に、日向君が聞き返した。

 

「そう。私が狛枝君の心の動きを読みながら、特定の質問を繰り返す。

そうやって種を浮かび上がらせて、最終的には心から消し去るの」

 

「可能なのか、そんな事が?」

 

「任せて。

狛枝君?これからちょっとお話ししましょうか。

ほら、みんなも立ってないで、椅子にかけて楽にして」

 

ポンと軽く手を叩くと、みんなが戸惑いながらも適当な椅子に座る。

まず僕は、無用な緊張感を取り払い、彼がリラックスできる環境を作る。

 

「じゃあ狛枝君、今から質問を始めるけど、

意図がわからなかったり、そもそも答えがないものもたくさんあるの。

そんな時は、ほんの少しだけ考えてから、わからないって答えてね」

 

「ボクでいいなら協力するよ。

さらに力を増した江ノ島盾子が見られるなんて、やっぱりボクは幸運だよ、フフ……」

 

「狛枝!」

 

「はい日向君、大声は厳禁だよ?君も狛枝君も肩の力を抜いて、ね?

これから少しお喋りするだけなんだから」

 

カウンセラーの才能を活かし、努めて落ち着いた雰囲気を作り出す。

 

「じゃあ、始めるね。まず一つ目だよ。

鏡を使わずに1枚の10円玉の表と裏を見る方法って、あると思うかな?」

 

「……そもそも2つのものを同時に見ること自体無理なんじゃないかな。

人の目は1つのものにしかピントを合わせることができないんだからさ」

 

「その通りよ。こんな風におかしな質問が続くけど、疲れたらいつでも言ってね。

さっきも言ったけど、

わからないなら“わからない”でいいし、“うるせーバカ”でもなんでもいい。

狛枝君の返事が欲しいの」

 

「江ノ島さんがボクとマンツーマンでお話ししてくれるなんて嬉しいよ。

超高校級のみんなにとって、より険しい崖になった君と、一緒にね……」

 

彼が不気味な笑みを浮かべながら答える。その目を通してはっきり見えた。

今、彼の精神に潜り込んでいる“種”が少し表に浮かんだ。

 

「私も嬉しいわ。あれからちゃんと君と話したことがなかったから。

次の質問。ドーナツとダイヤの結婚指輪。どちらも10グラム。

いきなりプレゼントされたら、あなたにとって、どっちが“重い”?」

 

「重量の話し?それとも重要性の話し?」

 

「その判断もあなたに任せる」

 

「う~ん……やっぱり指輪かな。

相手にもよるけど、そんな高価で意味の大きいものを渡されたら、

さすがにボクでも戸惑うよ」

 

「ありがとう。この質問も正解はないの。ところで喉は乾いてない?

花村君、悪いんだけど、彼と日向君に冷たいお茶を出してあげてくれないかしら」

 

「わ、わかった。すぐ持ってくるよ!」

 

「なあ、江ノ島。お前は一体……いや、なんでもない」

 

「言ったでしょう?ただのお喋り」

 

花村君が厨房に駆け込む。

傍から見たらなんでもないお喋りに見えるだろうけど、これは狛枝君の絶望との戦い。

今の問いは、安いドーナツと、高価な指輪。当然後者の方が価値は高いけど、選べない。

そんな矛盾をぶつけて心を揺らした。

 

僕の狙いは、心理学に基づいて、こんな特殊な質問で精神に揺さぶりを掛けて、

“種”を追い詰め、最終的には消滅させること。

戻ってきた花村君は、僕にも冷えた麦茶を出してくれた。そこで質問を再開。

 

「ありがとう、花村君。それじゃ、3つ目行ってみようかしら。

ズバリ、白と黒、どっちが好き?

いや、この間七海さんにリバーシで派手に負けちゃってね。

罰ゲームで丸太担いで歩き回らされたの。おかしいでしょう?フフッ」

 

「どっちも好きだけど、強いて言うなら静かな感じの黒、かな……

学級裁判でも“クロ”がみんなを輝かせるじゃないか」

 

「あら、そう言えば一緒ね。全然気づかなかった!なるほど~確かに一緒。へぇ……」

 

皆が固唾をのんで僕と狛枝君のやり取りを見守る。

僕は彼の心の動きを観察しながら、一見無意味な質問を続ける。

レストランに奇妙な時間が流れること1時間。彼に変化が訪れる。

そわそわして、表情から落ち着きがなくなる。視線も一点に定まらない。

 

「……どうしたんだろう。うまく説明できないけど、

さっきから得体の知れない何かに狙われているような気がするんだ」

 

「それはあなたの心に埋め込まれた悪意。でも心配しないで。

狛枝君は今までそれと戦ってきたの。そいつがもう耐えきれなくなって表に出てきた。

今、あなたが感じている恐怖のようなものはその影響よ。

それにとどめを刺すのはあなた自身」

 

「ボクが?」

 

戸惑った表情で自分を指差す彼。

 

「そう。狛枝君にしかできないの。さあ、最後の質問。

……崩壊前の世界に戻れるなら、あなたはどこに帰りたい?」

 

「ボクは、ボクは……!」

 

 

?→我が家

?→砂漠のオアシス

?→希望ヶ峰学園

?→ジャバウォック島

 

 

「帰りたい、また、素敵なみんなと、一緒に、あの学校で……うわああああ!!」

 

→希望ヶ峰学園:正解

 

狛枝君が叫び声を上げ、倒れるようにテーブルに身体を預ける。

みんなが思わず立ち上がるけど、黙って両手で押し留めた。

確かに見えた。今、彼の心で、何かが砕け散ったんだ。僕はただ彼が目覚めるのを待つ。

それは隣の日向君も同じだった。

 

やがて、狛枝君の背中がピクリと動いた。

それから腕が、何かを求めるようにゆっくりとテーブルを彷徨い、

その身体を持ち上げた。

眠っていたように目を閉じている彼が再び椅子に座り直すと、少しずつ目を開く。

その目は。

 

「江ノ島、さん……?」

 

今までのやり取りを忘れてしまったかのように、不思議そうに僕を見る狛枝君。

その目にいつか見た不気味な波紋はない。

 

「そうよ、江ノ島。気分はどう?」

 

「なんだか、とっても清々しいというか、重荷を下ろしたような開放感が……

とにかく、いい気分だよ!」

 

「成功した、と言えるのか……?」

 

「大成功よ!ありがとう、日向君。力を貸してくれて。

もう狛枝君は絶望なんかじゃないわ!」

 

僕の言葉に皆も驚きと喜びの歓声を上げる。

 

「うそっ!狛枝おにぃ、もう変態野郎じゃなくなったの!?」

 

「魔眼の力と日常会話に擬態した因果の理で、

呪われし人の子をアスラの戒めから解き放ったか!やはり俺が見込んだ通り江ノ島は」

 

「信じられない!あの意味不明な会話でどうやって!?

盾子ちゃん、最近みんなを騒がせすぎよ、いい意味で!」

 

「遠回しな質問で、狛枝君の希望に対する執着を中心に刺激を与えていたの。

……そうだわ、大切なことを聞き忘れてた。

狛枝君、今のあなたにとって、“希望”って、何?」

 

「希望……?」

 

治ったはいいけど、しばらく放って置かれていた狛枝君が、

いきなり質問を向けられ、困惑する。言葉にするのに手間取っているようで、

少し考え込んでから、しっかりとした口調で答えた。

 

「みんなと、力を合わせて、掴み取るものだよ」

 

皆がほっとして息をつき、僕は更にその言葉の真意を問う。これで全てに決着が付く。

 

「誰か、強大な誰かを倒したり、踏み台にしてでも?」

 

「そんなの希望じゃないよ。誰かを犠牲にして何かを……犠牲?

犠牲、そうだ、思い出した。ボクは、ボクは!!」

 

絶望から解放されたと思われた狛枝君がパニックを起こし、みんなの喜びが凍りつく。

まだ何かあるのか。そんな思いが場を包む。

 

「全部思い出した!ボクは、希望が放つ光を求めて、なりふり構わず人を傷つけた!

十神君や七海さんを殺したのは、ボク!江ノ島さんに卑劣な真似をしたのも、ボクだ!

やっぱりボクは絶望の残党だったんだよ!ああああ!うわあああ!」

 

しまった!正気に戻った狛枝君が、過去の罪に押しつぶされそうになってる!

頭を抱えて激しく身体を揺さぶってる。

皆が押さえつけようとするけど、抵抗が激しく上手くいかない。

だけど、その様子を見ていた彼女が彼に声を掛けた。

 

──違うと思う、よ?

 

七海さんだった。質問タイムの間も船を漕いでいた彼女が、はっきりと告げた。

その声は喧噪の中でもよく通り、狛枝君にしっかり届いた。

 

「二代目の私を殺したのは、狛枝君じゃない」

 

その言葉に狛枝君も動きを止めて、彼女を見る。

 

「そんなわけないじゃないか。ボクは、コロシアイ修学旅行で、君を罠にかけて……」

 

「それって、絶望の残党だった狛枝君だよね?ただの高校生になったキミじゃない」

 

「どっちも、同じじゃないか。ごめんよ、ボクは、君に許されないことを」

 

「同じじゃないよ。……その腕」

 

「えっ?」

 

七海さんが指差した彼の左腕を見ると、いつの間にか、あの女性の腕がなくなっていた。

本人はもちろん、僕も、みんなも、自分の目を疑った。

 

「どうして……」

 

「ねえ、盾子ちゃん!どうして狛枝の腕がなくなってるの!?」

 

「わからない!これは、私にも……モノミ!じゃなかった、ウサミ!」

 

狛枝君自身にも小泉さんにも、そして僕にもわからなかった。

見た目はちんちくりんでも、この世界を管理しているウサミに答えを求める。

 

「また一瞬あちしの名前を間違えましたね!

……オホン、あの腕は、江ノ島盾子の生み出した絶望に心酔していた彼の記憶を、

希望更生プログラムが具現化していたものでちゅ。

だから絶望から解き放たれた今、彼の脳に彼女の腕は存在しまちぇん。

それで現実世界の彼と同じ姿になったんでちゅよ?」

 

「それじゃあ!やっぱり彼は元の自分自身を取り戻してくれたのね!

世界の崩壊が始まる前に!」

 

「その通りでちゅ。江ノ島さん……狛枝君を助けてくれたことには感謝しまちゅが、

あなたの分析能力について本当に心当たりはないんでちゅか?」

 

「全く無いわ。

始めて発動したのは狛枝君と色々あった時だけど、何の前兆もなかったし」

 

「う~ん…聞かない約束だから聞かないっすけど、こうもちらつかされると

やっぱり気になるっす」

 

「澪田さんの気持ちはわかるけど、まずは狛枝君の事に話を戻そっか。

ねえ狛枝君。キミの腕がなくなったのは、そういうこと。

みんなと同じ、絶望で歪められた心が元通りになった、仲間なんだよ?」

 

「ボクが、仲間……?そんなはず、ないさ。だって、ボクは、みんなを殺したんだ。

騙して、殺した!」

 

──それは違うぞ!

 

そろそろだと思ってた、彼のセリフ。

僕がこの世界に飲み込まれてからようやく来てくれたね。

 

「日向、君?どうしてっ!ボクは、七海さんを殺した。

君が一番ボクを憎んでいなきゃおかしいじゃないか!」

 

「そりゃ、確かに二代目の七海は狛枝、お前に殺されたようなもんだ。

憎しみが消えなくて苦しんだ。

生きるために、憎しみから目をそらす術を身につけるのにも苦労した。

でも、もうひとりの七海がそこにいて、彼女自身が仲間と認めてるんだ。

俺が許さなくて、どうするんだよ……」

 

そして、ポケットから取り出した“ギャラオメガ”のヘアピンを見つめる。

 

「今のお前は、絶望の残党じゃない。俺達と同じ、共に罪を償う仲間なんだ」

 

「一緒に、罪を償う……?」

 

「お前さんはあの時おらんかったから知らんじゃろうが、ワシらは誓いを立てたんじゃ。

ここで罪を償うものは、過去の罪、つまりコロシアイ修学旅行で起きたことは水に流す。

今は同じ罪と向き合う者同士。

狛枝、絶望の残党だった時に犯した罪から逃げんと約束するなら、

少なくともワシはお前さんを仲間と認める」

 

「弐大クン、ボクなんかで、いいの?」

 

「ワシは誰よりも誓いに忠実だったつもりじゃ。二言はない」

 

「フン!……どいつもこいつも、ふざけたことばかり宣う」

 

大きな身体を揺らして不機嫌な様子で割り込んできたのは、十神君。

あのコロシアイの、最初の犠牲者だったね……

 

「この十神白夜を無視して話を進めるとは、身の程を知れ、愚か者!」

 

「……十神クン。ごめん、浮かれちゃって。キミには本当に謝らなきゃいけないよね。

もし許されるなら、ここで罪を」

 

「だから!勝手に話を進めるなと言っている!

いいか?俺も万引きGメンとしてこの島の秩序を保つ者のひとり。

その十神財閥の御曹司たる俺が決定を下す!

……絶望を捨て去った以上、

今後は貴様にもジャバウォック刑務所での労役に従事してもらうぞ。

ただでさえ人手は足りていない。これからはもう上げ膳据え膳で飯にはありつけんぞ。

この決定に対し、異論は認めん。

異議のある奴には、こいつの分の労役もこなしてもらう」

 

十神君がみんなを指差し、同じ気持ちを代弁してくれた。

 

「えっ、それって……」

 

「みんなお前を仲間だと認めてるってことだ。

さっそく明日から片手でもできる作業をシフトに入れる。

今日のうちにコテージで休んでおけ」

 

「だが、ようやくテメーもスタートラインに立ったってだけだ。喜ぶのは、まだ早えぞ」

 

「ぼっちゃんの言う通りだ。ここでの作業は過酷だ。

お前は室内作業が主になるだろうが、覚悟はしておけ」

 

「ふぅ、花村もアンタのご飯運ぶ仕事がなくなった分、楽になったんじゃない?

最初はアタシ達も運んでたんだから、感謝してよね」

 

「あの~トンカツにされたぼくの意見は……なんでもないです」

 

「うん。これがみんなの気持ちだし、私の気持ちなんだよ?」

 

「日向君、七海さん、ありがとう。みんな、ありがとう……!」

 

狛枝君の目から二筋のものが頬を伝う。それはまるで、悪夢の破片を洗い流すようで。

 

「とりあえず今日は解散とせんか?日向、お前さんも江ノ島も疲れとるじゃろう。

戦刃むくろは、ここでワシが監視しておく。今後のことを考えるのは明日でもよかろう」

 

「わかった。狛枝は心の治療が終わったばかりだから、罪木と……江ノ島、頼めるか?」

 

「わわ、私ですか?はい!江ノ島さんもそうですが、

狛枝さんは精神的ストレスによる軽い疲労がみられますので!」

 

「私ももちろんOKよ。彼を疑ってるわけじゃないけど、

一部屋に男子と女子がひとりだけってのもアレだしね」

 

「よろしくね。罪木さん、そして江ノ島さん……ボクなんかのために」

 

「あー、まだ悪い癖が残ってる。“なんか”はもう無し!

あと、自分を虫だの他の才能以下だの、悪く言うのも当然ダメだからね?」

 

「それを治すのが、お前のここで生きる第一歩だな。みんな、もう帰ろう!

弐大、悪いが後は頼む」

 

「うむ、今夜は寝ずの番じゃあ」

 

戦刃の監視のために弐大君だけがレストランに残り、全員がコテージに帰っていく。

途中、ふと日向君に呼び止められた。

 

「江ノ島、ちょっと」

 

「なあに?どうしたの」

 

「……いや、なんでもない」

 

「ふふっ、変な日向君。お休み」

 

「ああ、お休み……」

 

彼と別れると、僕は罪木さんと狛枝君と一緒に、彼のコテージへ向かった。

狛枝君が絶望から救われたのも嬉しいけど、

ちゃんとした家で寝られるのも楽しみだったりする。イヒヒ。

僕は軽い足取りでウッドデッキを歩いていた。

 

 

 

 

 

俺は監視カメラに向かって人差し指でバツ印を作ると、

コテージで一人、明かりも点けず電子生徒手帳を操作し、緊急回線で苗木誠に連絡した。

通話相手を限定した通話機能は別個のセキュリティで守られていて、盗聴の心配はない。

接続と同時に、興奮した様子の苗木の顔がモニターに現れ、

前置きなしにまくし立てて来た。

 

「様子は見てたよ!まさか狛枝クンの治療に成功するなんて!

江ノ島盾子に才能をコピーする能力があるとは、未来機関も掴んでいなかったよ!

今、プロジェクト関係者も驚きで浮足立ってる。彼女は一体何者なんだろう。

コロシアイ学園生活では、そんなもの少しも見せなかったのに。

日向君、君はそばにいて何か気づいたことはない?」

 

「……ある。物凄く重大な事実だ」

 

「まだあるの?何か知ってるなら教えて!」

 

「今、周りに誰かいるか?」

 

「オフィスには誰も。時間が時間だからね。それより、重大な事実って?」

 

最後の最後まで迷った末の決断だった。俺は、未来機関に真実を告げる。

江ノ島が別人である以上、ジャバウォック刑務所に閉じ込めておく事は、

犯罪どころの話じゃない。未来機関の彼女に対する処遇については……苗木を信じる。

 

「いいか、心して聞け。江ノ島盾子は……別人だ。

本人の言う通り、江ノ島の肉体に異世界の男性の精神が宿った、

人類史上最大最悪の絶望的事件とは無関係な人物なんだ!」

 

苗木が絶句した。俺と同じように、この事実を受け止めるのには時間が掛かるんだろう。

うろたえながら1分を使って、ようやく口を開いた。

 

「その、結論に至った、根拠は?」

 

「俺が戦刃むくろを無力化するために、“超高校級の希望”を使ったよな?

戦刃の確保は上手く行ったが、俺を迎えに来た江ノ島と目が合ったんだ。

その時、能力のいくつかが、彼女の視神経を通して脳を走る微弱な電流をキャッチした。

ああ驚いたさ、少女の身体の中で、男性の心が動いてたんだからな!」

 

「そんな、じゃあ、今までボク達がしてきたことは……!」

 

「とんでもない間違いだった。

無実の人間を刑務所に閉じ込め、番号を付け、粗末な食事を与え、怒鳴りつけ、

働かせていた。時には暴力も……

なあ、教えてくれ。俺は明日からどんな顔をして江ノ島に会えばいい?

どの口で名前を呼べばいい?そもそも彼女の本当の名前は?

今夜は狛枝の件でゴタゴタしてたからどうにかなったが、

これからどうしていいか分からないんだ……」

 

「済まない。ボクにも分からないよ。

とにかく、すぐ上層部に伝えて希望更生プログラムの停止を急がせる。

でも、やっぱり日本との距離から考えて最低でも3日以上は掛かると思う」

 

「頼むから急いでくれ。

戦刃を確保した今、もうモナカの妨害を恐れる必要もなくなっただろう」

 

「わかった。

緊急事態だけどデリケートな問題だから、どこまでできるかわからないけど」

 

「だろうな。俺達が痛めつけていた絶望の江ノ島盾子が、実はただの少女でした。

もし、そんな事実が知れ渡ったら、世界は未来機関を許さない。

更なる絶望と怒りが今度こそ世界を破滅させる」

 

「こんなはずじゃなかったのに……いや、最初に日向クンに会わせるべきだったんだ。

ボクが、判断を誤ったばかりに!」

 

「全ての才能を持った、強力過ぎる超高校級の希望。

無闇に使えばどんな結果を招くかわからない。

DNAも絶望の江ノ島と一致していたし、無意識にその手を避けたのも無理はないだろう」

 

「時が来れば、江ノ島盾子の姿をした誰かに、土下座して詫びるつもりだけど、

日向クンは付き合う必要はないよ。

キミはただ提供された情報を元に、このプロジェクトに協力してくれただけなんだから。

罪の意識を抱えるのは、ボクだけでいい」

 

「お前ならそう言われて、はいそうですか、で納得できるか?

……俺も、お前も、もう共犯者なんだよ」

 

「共犯者、か。言い得て妙だね。そろそろ切るよ。

未来機関本部へ出発の準備をしなきゃ。まずは会長とのアポを取る」

 

「ああ、進展があったらすぐ連絡をくれ。頼むぞ」

 

そこでビデオ通話を切った。

何も映さない電子生徒手帳をしばらく眺めてから、ベッドに入る。

その夜は殆ど眠れなかった。

事実を知り激怒した江ノ島が、憤怒の形相で俺を激しく罵り、責め立て、

やがては手にした刃物で……そんな悪夢に何度も目が覚めたから。

そして何より、彼女が築き上げてきた、皆の絆が壊れることを、恐れていたから。

 

 

 

 

 

翌朝の朝食は、今までで一番妙な雰囲気だったと思うよ?

今まで空いていた狛枝君の席に彼がいることはともかく、

縛られた戦刃むくろがムッツリした顔でテーブルの隅に座ってる。

 

「ふあ~あ、まともな家で寝るのってこんなに気持ちよかったのね。

まだあくびが止まらないわ。あぁ~あ」

 

「盾子ちゃん、女の子がお行儀悪いわよ」

 

「ごめんなさい」

 

まぁ、それ以外はいつも通りだよ。朝っぱらから小泉さんに叱られる。いつも通り。

 

「ベッドで、寝るのが、気持ちよかった!?

ひょっとして、江ノ島さん、あの後狛枝くんと罪木さんで……」

 

「そんな事してませんよぅ……」

 

「花村も変な妄想膨らませない!」

 

彼もいつも通り。

どれだけ怒られようが、自分の道を進み続けるんだろうなぁ。誰も通りたがらない道を。

弐大君が席に着くと、全員が揃ってることを確認して、食事前の宣言をしようとした。

すると、その前に狛枝君が口を開いた。

 

「ごめん。少しだけ時間をくれないかな」

 

「どうしたんだ、狛枝?」

 

「ちゃんと片手で食べられるパンとシチューと温野菜にしといたからね!」

 

「日向君も、花村君もありがとう。いや、二人だけじゃないよね。

みんな、一緒の食卓に着かせてくれてありがとう。

別館での食事は腹を満たす作業でしかなかったけど、

こうして大勢で集まるだけで、なんだか嬉しい気持ちになるんだ。

今までみんなを傷つけてきたボクを、受け入れてくれて、本当にありがとう……」

 

「へっ。お前は昨日、オレ達の仲間になるって決まっただろうが。

何、当たり前の事で喜んでんだか」

 

「その嬉しい気持ち、私も最初に学んだ時は、心が暖かくなったよ。

これまでみんなと居られなかった分、楽しいことを学んでいくといいと思うよ?」

 

「うん……ボク、頑張るよ。今度は本当の希望を見つけるために」

 

終里さんと七海さんの言葉に励まされ、笑顔を浮かべる狛枝君。

頃合いを見た弐大君がいつもの号令を掛ける。

 

「では皆の者、手を合わせい!狛枝は声だけでよし!では……」

 

「「いただきます!」」

 

そして、みんな規則通り黙って朝食を食べ始めるけど、やっぱりチラチラと彼女を見る。

無表情で前を見ている戦刃むくろ。

日向君が才能のひとつで、絶対逃げられず、うっ血もさせない方法で縛ったから、

昨日までの狛枝君のように別館に放り込んでおくことも考えたけど、

目を離すと何をするかわからないから、

やむを得ず日向君が一緒に座らせることにしたんだ。

 

縛られて何も食べられない彼女には、後で誰かが食べさせてあげるって言ってたけど、

彼女に近づかせるのは危ないよね。やっぱり弐大君の役割になるのかな。

なんて考えながらスプーンでシチューを飲む。

うん、これなら狛枝君も無理なく食べられるね。

 

「「ごちそうさまでした!」」

 

朝食を食べ終えると、いつものように厨房の洗い場に自分で持っていく。

列に並んでいると、後ろから肩を叩かれた。日向君だ。

 

「ああ……江ノ島?ちょっといいか?」

 

「うん、シチューおいしかったね」

 

「そうだな。この後の予定の事なんだが……江ノ島、お前はもう労役はしなくていい」

 

「え、働かなくていいってどういうこと?刑務所クビ!?」

 

「ああ悪い、変な言い方だったな。正確には、別の仕事に就いて欲しいってことなんだ」

 

「別の仕事?……あ、ごちそうさまでした」

 

「おぞまづざまみゃーだよ」

 

食器を洗い場に置きながら続きを求める。

 

「ごちそうさま……それなんだが、ほら、戦刃むくろのことだ」

 

彼も食器を返しながら、開いたドアから、まだ椅子に座りっぱなしの戦刃に目をやった。

 

「いくら危険人物だからって、何も食べさせないわけには行かないだろ?

そこで……お前に彼女の監視と世話を頼みたいんだ。

食べ物を口に運ぶこと以外は、怪しい動きをしないか見ていてくれるだけでいい」

 

「他には?」

 

「ない。だが重要な仕事だ。塔和モナカの手先だからな。

いざとなったら力づくで対処できる人物でないとできないんだ。

弐大に頼むことも考えたが、相手が超高校級の軍人ともなると、

マネージャーの能力だけだと不安が残る。

だから彼女の才能をコピーしたお前に頼みたいんだ」

 

「なるほど。わかったわ、任せて!」

 

「すまないな。それと、江ノ島。前にも言ったが……」

 

「なあに?」

 

「その話し方、嫌なら本当にやめてもいいんだからな?」

 

「ふふ、もう慣れちゃったから大丈夫よ。でもありがとう。

じゃあ、むくろちゃんの介護に行ってくるわ~」

 

「気をつけてな」

 

厨房を出た僕はどこか腑に落ちない気持ちだった。なんだか日向君、元気がなかった。

やっぱり僕と目をそらすことが多かったし。何か変な事言ったかな。

……今、考えてもしょうがない。気持ちを切り替えて、戦刃むくろの席に戻る。

 

「隣、座るわよ」

 

「盾子ちゃん!」

 

僕の顔を見ると、それまでの無言無表情から一転、目を輝かせて江ノ島の名を呼ぶ。

 

「今日からしばらく君の世話係になったから。まずは食事をしよう。

三角食べで口に運ぶから、自分でもこぼさないように顔を寄せてね」

 

「盾子ちゃんが食べさせてくれるのね。嬉しい……」

 

「食事の時は私語厳禁。パンから行くよ」

 

ふっくらしてるけど冷めてしまったパンをちぎって戦刃の口に運ぶ。

それでも彼女は美味しそうに食べる。

 

「おいしい。きっと、盾子ちゃんが、あーんしてくれるからね」

 

「私語厳禁って言わなかった?」

 

「大変だよね。

いつか時限爆弾のように弾ける絶望のために、あんな茶番に付き合ってるなんて。

そろそろ、よくないかな?誰かひとりをサクッと」

 

「もういい、下げる」

 

「ああ!待って盾子ちゃん!ごめん、謝るからご飯食べさせて?」

 

反省してるのか、単に江ノ島盾子の手で料理を食べたいのか。多分後者だろうけど。

 

「……君には茶番に見えるかもしれないけど、

みんなああして自分の罪と向き合ってるの。わかったら黙って食べて。次シチュー」

 

それから僕は、大人しくなった戦刃むくろに餌付けするように食事を取らせた。

経験がないせいかもしれないけど、誰かに一口ずつご飯を食べさせるのは、

結構地道で大変な作業だ。

ようやく食事が全部なくなる頃には、一仕事終えたような疲労感が溜まっていた。

 

「じゃあ、私はお皿を下げるけど……何か言うことは?」

 

「ありがとう、盾子ちゃん!」

 

「そーじゃない。ご飯を食べたら?」

 

「え、私もアレやるの?」

 

「子供でもできることを、大の大人ができないなんて悲しいわね」

 

「ご、ごめんなさい。……ごちそうさまでした。ね、私ちゃんと言えたよ?」

 

「当然でしょ。じゃあ少し待ってて」

 

食器を洗い場に持っていくと、後は戦刃むくろと二人きり。

初めは食事の世話と見張りの世話だけなんて楽だなぁ、なんて思ってたけど……

時間が流れるのが遅い。かと言って戦刃と仲良くお喋りなんて真っ平だし。

 

天井でくるくる回るシーリングファンを眺めて、粘つくような時間に耐えること一日。

また昼飯を彼女に食べさせていると、食器を返し終えた小泉さんが話しかけてきた。

 

「うそっ!盾子ちゃんがむくろにご飯食べさせてるの!?」

 

「……妹を気安く呼ばないで」

 

「黙って。そうなの、“超高校級の軍人”をコピーした私なら、

万が一の場合にも対処できるから、

新しい労役として日向君から見張りと世話を頼まれたの。

弐大君も候補に挙がったらしいんだけど、やっぱりプロの軍人相手じゃ危険だからって」

 

「そうなの……何かアタシに手伝えることがあったら言ってね」

 

「ありがとう、小泉さんも午後の作業頑張って」

 

「うん!キャベツみたいなものの収穫、今日中に終わらせなきゃ。じゃあね!」

 

昼休憩終わりの予鈴と共に、小泉さんはレストランの階段を小走りに駆け下りていった。

 

「盾子ちゃん。あいつ誰」

 

「黙って食べる。ほら、トマト」

 

「ねえ、“その時”が来たら、あいつは私に殺らせて……」

 

「黙れって言ってるのがわからないの!?バカデブス!!」

 

“ひいっ!”

 

自分の言葉に自分で驚いた。そりゃ厨房の花村君も悲鳴上げるよ。

こんな悪口言ったことない、っていうか思いつかない。

でも、戦刃本人は嬉しそうに頬を染めている。

 

「久し振りだね……そんな風に呼んでくれたの。

バカとデブとブスが3つも入ってる、素敵なセンスだよ」

 

「い、いいから食べろってことよ。また怒られたくなかったらね……!」

 

「はい。あーん」

 

僕は自分に起きた僅かな異変に戸惑いながら、

姉と名乗る絶望の残党に食事を与え続けた。

そして、また時計が壊れているのかと疑うほど流れの遅い時間を過ごしながら、

レストランでじっとしていると、やがて3時のおやつの時間になった。

もちろんそんな物は出ないけど。

 

ピロロロ……

 

唐突に電子生徒手帳が鳴る。メールだ。少しでも刺激が欲しかった僕はすぐさま開いた。

差出人は、左右田君。

 

 

送信者:左右田和一

件名:会えないか?

 

お疲れ。小泉にお前がホテルで働いてるって聞いた。

ちょっと話があるんだが、日向か誰かに戦刃預けて会ってくれねーか?

山の近くの丘で待ってる。悪いが用件はその時に。

 

 

左右田君から呼び出しなんて珍しいな。これは行かなきゃ。

決して退屈な時間から逃れられるからって喜んでないよ?

……冗談はさておき、彼が個人的に呼び出したってことは、きっと。

 

 

送信者:江ノ島盾子

件名:会えるよー!

 

左右田君もお疲れ様!

緊急の集合要請、了解っすー!(澪田さん風に言ってみた

日向君に彼女を預けたらすぐ行くわ。

 

 

僕は左右田君に返信すると、日向くんにしばらく戦刃の見張りを頼むメールと、

念の為もう一通、ある人物にメッセージを送った。

支度を終えると、戦刃を連れて日向君のコテージに向かう。

 

 

 

「じゃあ、日向君。

悪いけど、1時間…いや、2時間くらい掛かるかもしれないけど、彼女をお願いね」

 

「気にするな。江ノ島一人に任せきりでこっちこそ済まない。

時間は気にせず用事を片付けてくるといい」

 

「ありがとう。また後でね」

 

日向君と戦刃むくろの恨めしそうな視線を背に受けて、僕はホテル敷地を後にした。

 

 

 

 

 

指定の場所に到着すると、左右田君は先に着いていた。丘の草原に座り込んでいる。

彼に歩み寄って、声を掛けた。

 

「今日は仕事上がり、早いんだね。ひょっとして、サボり?ウフフ、冗談だよ」

 

「ソッコーで片付けてきた。……悪い、急に呼んじまってよ」

 

「いいの。正直私も、戦刃の世話にうんざりしてたところだし。

ところで、私に用事ってなあに?」

 

なんとなく察しは付くけど、左右田君の言葉を待つ。

僕は隣に座り、彼は小石を拾って軽く投げ、話し始めた。

 

「まあ…戦刃のこともちょっとは関係あるかもしれねえ。

昨日、狛枝が絶望から立ち直っただろ」

 

「うん。これで本当に全員が仲間になれて、とっても嬉しい」

 

「それだ。もう誰かが誰かを憎んだり、過去に縛られて間違いを犯す心配もねー。

それってつまり、学級裁判が開かれることは二度とないってことだ」

 

「そう、だね……」

 

僕達は二人並んで、夕日になりかける陽を浴びる。

 

「前に約束したよな。いつかオレの罪について話すって。

なんつーか、ただの勘なんだけどよー、

ここでの生活がもうすぐ終わるような気がすんだ。

だから、今のうちに約束果たしとこうと思うんだが……聞いてくれるか?」

 

「……もちろん。聞かせて」

 

話す覚悟と聞く覚悟。

双方が覚悟を決めると、左右田君が拳を握り、身体を震わせ打ち明けた。

 

「オレは……オレは親父を殺したんだよ!!」

 

「っ!?」

 

彼は拳で大地を殴る。

僕は歯を食いしばり、叫びを飲み込んだ。ゆっくりと、深く呼吸し、一言だけ問う。

 

「どうして?」

 

「オレん家は、ボロい自転車屋だった。

今時自転車なんか売れねーっつうか、買うなら大型ショッピングモールとかだろ?

なのに親父はいつも店継げってうるさくてよ。

でもまあ、それでも頑固な親父と優しいお袋。普通に家族やってたよ。

あの日まではな……」

 

 

……

………

 

「なんだ和一、また変な機械いじりか。いい加減パンク修理くらい覚えろ。

そんなことじゃあ、店を譲れんだろうが」

 

「うっせ、うっせ!

変な機械じゃねえ、オレの常温可動式超電磁コイルがもうすぐ産声をあげるとこなんだ!

あと、店継ぐつもりもねーからな!オレはいつかロケットを飛ばす男になるんだよ!」

 

「高校生にもなって馬鹿な夢を見るんじゃない。

俺の親父が始めた左右田サイクルの三代目になって堅実に暮らす。それが一番なんだ」

 

「全っ然、堅実じゃねーよ!下町の自転車屋とか、将来貧乏暮らしか倒産確定だろ!」

 

「何だと!親父の店を馬鹿にする気か!」

 

「馬鹿にはしてねー、事実だろうが!」

 

「あらあら、またケンカですか」

 

「お袋!親父がまた店の話でうるせーんだよ!いい加減諦めろって言ってくれよ!」

 

「お前からも言ってやれ、人間手に職をつけて生きるべきだってな」

 

「二人共どうしていつもこうなっちゃうのかしらねえ。不思議ねえ」

 

「聞いてんのかよ!」

 

「まったく、どいつもこいつも!」

 

 

こんな感じでありふれた毎日を送ってたよ。でも、あの日、全部が変わっちまった。

絶望に狂ったオレは、家にも帰らず近所の工場に閉じこもって、“商品開発”を始めた。

工場の責任者や従業員は……死体になって転がってた。

オレはそいつらを窓から捨てて、備品と資材で、

その時は最高だと思ってた最悪な物の制作に取り掛かったんだ。

 

 

そして、世界の崩壊が始まって一週間もした頃だった。

 

「離せ!バカなことはやめろ、鎖を解け、和一!!」

 

「ウヒャヒャヒャヒャ!見てくれよ親父!遂に完成したんだぜ!オレの最高傑作!」

 

「な、何だ、その化け物は!」

 

「バケモンはひでえだろ親父!

せっかくこれからの時代のニーズに合わせた新商品を開発したのによー!

名付けて、電動アシスト付きギロチン型オーディナリー!

オーディナリーってタイプ、親父も知ってんだろ。

昔の自転車は前輪がすげーデカかったんだよ。そこでオレ、思いついたんだ!

前輪の鉄骨を頑丈なブレードにすれば、

いつでもどこでも手軽に出向いて罪なき市民を虐殺できるんじゃないかってな!

まさに絶望が全ての新時代にピッタリだろ?売れるぜ、これはぁ!

左右田サイクルも安泰だな!」

 

「和一、その目は!?外のキチガイ連中と同じになっちまったのか!」

 

「キチガイじゃねーよ!これで正しいのに、なんで分かってくんねーんだよ!

お袋も、近所のオバサンも!肉片にされる絶望をたっぷり味わったはずなのに、

その素晴らしさは最後まで分かってくんなかった!」

 

「何?あいつの姿が見えないと思っていたが……まさかお前!!」

 

「ああ、お袋にもオバサンにも“品質テスト”に協力してもらった。

今はそこのドラム缶で寝てるよ」

 

血や毛髪がこびりついたブレードも、ドラム缶の中身も、はっきり覚えてる。

忘れられるわけがねえだろ……

 

「馬鹿野郎、この馬鹿野郎……!」

 

「今まで育ててくれてありがとうな、親父!死ぬ気で漕ぐから、死ぬ気で死んでくれ!

クレーン、スイッチON!うおおお!!

シャープなエッジがきらめいてるぜ!やっぱ大ヒット確定だろ、コレ!」

 

「育て方を間違ったか……和一、地獄で、待ってるぞ」

 

「切断まであと5秒!4,3,2,1!──」

 

 

………

……

 

 

「あの時、サドルから伝わる親父の感覚が、身体に染み付いて離れねーんだ。

親父がそう呼んだように、オレは、自分の作った化け物で、

親父もお袋も、ガキの頃から優しくしてくれたオバサンも、みんな殺したっ……!

殺しちまったんだよおおお!!」

 

地に伏して、絶叫し、あふれる涙で大地を濡らす。

これが左右田君の抱える罪。何も言えなかった。言葉が何になるだろう。

 

「だから、だからオレは!親父を殺させた絶望を皆殺しにして!

全部が終わったら、俺もギロチン自転車であの世へ行く。親父達に謝りに行くんだよ!」

 

「左右田君」

 

「わかってる。本来オレに生きてる資格なんかねえ、

江ノ島盾子の姿をしたお前に話したところで、胸クソ悪い思いをさせるだけだって!

でも、約束を守る。せめて人として当たり前の事だけは投げ出したくなかったんだよ!

すまねえ、すまねえ……!!」

 

「私からは何も言わないし、謝る必要もないわ。

始めて会った日の事は謝ってくれたし、一番悪いのは、絶望の江ノ島盾子。

それがわかっているなら、今まで通り左右田君と生きていく。

そろそろ帰るわ。じゃあね」

 

立ち上がってスカートの土を払う。

 

「おい、待ってくれよ、それだけかよ……

なんで俺を罵ったり、軽蔑したりしねーんだ?」

 

「必要ないから。左右田君、あなたが会うべき人は他にいる。今度こそ、さようなら」

 

その場から立ち去ると、ずっと待ってくれていた気配が彼に近づく。

よろしく、お願いします。

 

「へ、へっ。そうだよな、親父が言った通り、オレはキチガイで、

口を利く価値すらねえクズだからな。なに江ノ島に甘えてんだって話だよ」

 

──それは、違いますわ。

 

「ソニア、さん?」

 

左右田君に微笑みかけるソニアさん。いつの間にか、嘆きに沈む彼のそばに立っていた。

 

「……聞いてたんすよね。じゃあ、ソニアさんがオレを裁いてくれるんすか?」

 

「そんな事、わたくしにもできません。

左右田さんも、わたくしの罪をご存知じゃありませんか」

 

「ははっ、情けねえっすよね。

テメーの罪を抱えきれずに、女の子にぶっちゃけて、こうして泣き喚いてるんすから」

 

尚も大粒の涙をこぼす彼にソニアさんは何も言わず、そっと背中を抱いた。

 

「……触んないほうがいいっすよ。汚れてますから。

泥とか汗とか、そういう意味じゃなくて」

 

「構いません、わたくしも汚れていますから。

汚れている者同士、しばらくこうしていさせてください」

 

「すんません……すんません」

 

「罪の償い方、左右田さんも困ってらしたんですね。わたくしにもわからないんです。

左右田さん、良ければあなたが一緒に考えてくれませんか?」

 

「……オレには無理っすよ。償いきれるもんじゃない。

俺は、化け物。あの自転車なんすよ。

オレに思いつくのは、絶望を殺して、自分も殺すこと。それだけっす」

 

「では、わたくしも死ぬしかないのでしょうか?」

 

「そういう意味じゃねーっすよ!それは、なんつーか、言葉の綾で!」

 

「左右田さん。ご自分が許せない気持ちは、わかるつもりです。

でも、死んで終わり、ではわたくし達が手にかけた方々に申し訳ないと思うんです。

わたくしは、別の形での償いを探したいと考えています。

被害者の皆様の犠牲を、未来に活かし、意味あるものにする。そういうものを。

ですが、わたくし一人では、どうしても具体的な形にできないんです。

左右田さん、力を貸してくれませんか。神から授かった、超高校級の才能で」

 

「オレの、才能……親父を殺した、この手で、ですか?」

 

「その手だからこそ、です。

もう使い道を誤らないように、後に続く誰かのために、道を切り拓くんです」

 

「……ソニアさん。わかりました。オレ、やってみます。

今はまだ、何ができるかわかんねーんすけど」

 

「二人で考えましょう。現実世界から、絶望を消し去る方法を。

あと、もしもの話ですが……それができたら、お互いが居場所になることくらいは、

神も許してくださると思うんですけど、どうでしょう」

 

「オレでいいなら、全力でやるっす。

それで、全部やり遂げたら、ソニアさんが帰る場所、絶対作ります。

それまで、待っててもらえますか?」

 

「左右田さん……」

 

 

見えない所で座り込んでたけど、二つの気配がより近づいたのを感じ取った。

僕も本当に帰ろうっと。ずっと戦刃を日向君に預けてるわけにはいかないしね。

 

 

 

その日の晩、僕の電子生徒手帳にメールが届いた。

レストランの椅子で眠る戦刃を視界の隅に置きながら、2通のメールを開く。

 

 

送信者:左右田和一

件名:ありがとな

 

今日はみっともねーとこ見せちまって悪かった。

あれから考えたんだけどよう、絶望と戦うことは変わらねえけど、

別の戦い方を探してみることにしたぜ。

死んでおしまいは、ある意味逃げだって気づいたしな。

戦う理由もひとつ増えたから。

とにかくサンキューな。おやすみ。

 

 

送信者:ソニア・ネヴァーマインド

件名:希望

 

昼間は、呼んでくださってありがとうございました。

帰る国を無くしたわたくしに残された、最後の場所を守るチャンスをくれて。

わたくしに何ができるか不安でしたが、

自滅に向かって進む彼の考えを変えることはできたみたいです。

わたくしに未来などないと思っていましたが、ひとかけらの希望が見えました。

彼とあなたに出会えたことを、神に感謝します。

おやすみなさい。

 

 

メールを読むうちに、いつの間にか顔に笑みが浮かんでいた。

僕は電子生徒手帳の画面を切ると、自分もソファに横になった。

戦刃についてちょっとした疑問が思い浮かんだけど、考えるのは明日でもいいよね。

お休み。

 

 



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第15章 最後の選択

未来機関第一支部

 

残党の制空権の及ぶエリアを回避しつつ、ヘリで第一支部に到着したボク達は、

未来機関会長、天願和夫の執務室で、大きな円卓越しに、

会長と並ぶ副会長、宗方京介と面会していた。

磨き抜かれた高級木材の椅子に座る未来機関のトップとナンバー2を前に、

ボクは息苦しいほど緊張する。さすが霧切さんは凛として締まった表情を崩さない。

 

やがて、宗方副会長が口を開いた。

真っ白なスーツに、同じく白い髪をショートカットにした長身の彼が、

直立不動のボク達を切れ長の目で睨みつける。

 

「……立っていないで座れ」

 

「は、はい!失礼します!」

 

「失礼します」

 

ボクは慌てて二人の真向かいに座った。やっぱり霧切さんは落ち着いた様子で。

 

「第十四支部構成員、苗木誠。

まずは、未来機関全体の意思を伝えておこう。“よくもやってくれたな”」

 

「こっ、この度は!誠に申し訳……」

 

「黙れ。謝って済む問題ではない。

江ノ島盾子“らしき”人物を確保した責任者は、貴様。

希望更生プログラムVer2.01の管理を申し出たのも、貴様。

その結果がこれだ!第三者によるプログラムへの介入を許し、

ジャバウォック島防衛のために、多額の予算を費やす結果を招いた!」

 

宗方さんがスマートフォン型のデバイスを操作すると、

目の前にホログラフの画像が浮かび上がった。

未来機関のイージス艦と、謎の艦隊が交戦している様子が映されている。

敵艦の甲板にはロケットランチャーを持ったモノクマが多数。

ミサイルの撃ち合いで双方に甚大な被害が出ている。

 

「塔和モナカが潜伏している塔和シティー攻略は手詰まりの状況だ。

無尽蔵に生産されるモノクマに対し、こちらの兵力は限られている。

どう動いても押し負ける。つまり、お前は江ノ島盾子のみならず、

構成員、協力者の命すら危険に晒しているということだ。それを理解しているのか!」

 

「はい……」

 

天願さんは、伸ばした白い顎髭を撫でながら、黙って宗方さんの話を聞いている。

室内でもグリーンのコートを脱がない彼は、

齢を重ねた者だけが身につける静かな覇気を放っている。

 

「挙句の果てには……その江ノ島盾子すら偽物だっただと!?

貴様はこの無様な結果についてどう責任を取るつもりだ!

事が公になれば、ようやく絶望の根源が捕らえられたと、

民衆の間に広がった安堵はそのまま絶望に逆戻り。未来機関の信用は地に落ち、

絶望のみならず、民間人からも犯罪組織として非難は避けられん。

そして江ノ島の姿をした誰かにどう賠償する?

ヒラの構成員が床に頭をこすりつけたところで済む話ではないぞ。

……確か貴様は幹部候補生だったな。もう出世の道はないと思え」

 

「はい、承知しています。本当に……」

 

「お待ち下さい」

 

ボクがもう一度頭を下げようとすると、霧切さんが発言した。

 

「……何だ」

 

「彼に全ての責任を負わせるのは間違いではないかと思います。

確かに希望更生プログラムの運用について、彼に不手際があったのは事実です。

ですが、プロジェクトの開始そのものは未来機関上層部の承認あってのこと。

現在プログラム内で生存している江ノ島盾子に関しても、

DNAが希望ヶ峰学園に残された彼女の肉体の一部から回収されたものと完全に一致。

この時点で彼女を別人だと見抜くことは誰にもできなかったのではないでしょうか」

 

宗方さんの視線が鋭さを増す。

 

「第十四支部支部長、霧切響子……

なるほど、この状況に陥ったのは我々のせい、と言いたいわけか。

君も、彼と同じヒラに戻って書類整理の任に就きたいようだな」

 

「構いません。ただし、部下の苗木だけでなく、

今、申し上げた2度目の希望更生プログラムの承認に携わった、

全ての関係者について責任の所在を明確にしていただくことが条件です」

 

「条件だと……!お前たちは自分の立場を」

 

「待ち給え。二人共、そこまでじゃ」

 

その時、初めて天願さんが口を開いた。柔らかく、だけど威厳のある口調で語る。

 

「若い者は喧嘩っ早くて困るのう。

まあ、遠慮のないぶつかり合いこそ、未来を担う若者らしい姿なのかもしれんが。

宗方君、君は今回の計画についてマイナス面ばかりを挙げておるが、

ワシは2度目の希望更生プログラムは、失敗ばかりではなかったと思っておるよ」

 

「会長、何を!」

 

「江ノ島盾子のただの人間としての生き方を見せることで、

多くの残党が頼みにしていた絶望の無意味さを悟り、元の価値観を取り戻した。

それは、事実。

協力者の中で唯一、Ver1.0でも絶望への執着を取り除けなかった狛枝凪斗君が、

江ノ島盾子に似た誰かによって見事に治療された。

それも、事実。

宗方君。さっき君は、未来機関全体の意思なるものを述べたが、

ワシはこう言いたい。“今までよくやってくれた”」

 

そして天願さんがボク達に微笑んでくれた。でも、宗方さんの方は黙っていない。

 

「だから貴方は甘いというのです。

そもそも私は希望更生プログラムなど、初めから反対だった。

たかだか20名足らずの絶望の残党を救って何が変わったというのです。

今は“協力者”などと呼ばれていますが、

私に言わせればあんな連中、斬って捨てればそれでよかった!

それを独断で匿い、未来機関を巻き込み、混乱に陥れた苗木誠!貴様の罪は重いぞ」

 

「ふむ。ワシとしては、たかだか20名足らずを斬って捨てたところで、

何も変わらんと、そう思う。刀を振るうだけでは世界から絶望を駆逐することはできん。

とにかく、希望更生プログラムから皆を現実世界に呼び戻すのが最優先事項じゃ。

江ノ島に似た誰かには、ワシからも詫びよう。

その上で、彼を元いた世界に帰還させる方法を探す」

 

「会長……その江ノ島ですが、闇に葬るべきだと、私は思います」

 

宗方さんが最も恐れていたこと口にする。

霧切さんも表情には出さないけど、その雰囲気が張り詰めたものに変わる。

強硬派の宗方さんが、江ノ島盾子の口封じを具申するのは予想してたけど……!

 

「なにを馬鹿なことを!

なぜ他の支部長を呼ばずに、こうして4人だけで集まっているのかわからんのかね。

我々は本来無関係な人物に刑務所で過酷な生活を送らせた。

その事実が広まれば世界は終わる。情報漏えいのリスクを最小限にしているというのに、

この上まだ秘匿すべき罪を重ねるつもりなのか!我々自身が絶望となってはならん」

 

「しかし、全てを知った江ノ島が、怒りに任せてどんな行動に出るか。

そのリスクもお考えですか?」

 

「リスクヘッジの名の下に、取り越し苦労で人殺しをするなど認められん。

この件に関しては、彼らが帰還してから改めて議論する。

結論を出すのはそれからじゃ。よいな?

……霧切君、苗木君。今日の所はここまで。後はワシと宗方君で詰めておく。

ジャバウォック島住人のケアと戦刃むくろへの対処については、引き続き君達に任せる。

頼んだぞ」

 

「寛大なご処置に感謝致します」

 

「はい!ありがとうございます!」

 

ボク達は天願さんに深く頭を下げた。

 

「ふん……今度はヘマをするなよ」

 

明らかに不満そうな宗方さんにも一礼する。

 

「必ずみんなを無事に連れ戻して見せます!」

 

「では、私達はこれで失礼します」

 

「うむ。吉報を待っておるぞ」

 

そして僕達は天願さんの執務室から退室した。

しばらく無言で歩いて、防音カーペットの敷かれた通路に出ると、

ボクは大きく息をついた。

 

「はぁ~生きた心地がしなかったよ。

天願さんはともかく、宗方さんは厳しい人だからね」

 

「あなたが協力者や江ノ島さんの命運を握ってるんだからしっかりして。

でも、彼が彼女の処置を口にした時は、私もどうなることかと思ったわ」

 

誰もいない場所に来た所で会話を始めたけど、どこで誰が聞いているかわからない。

ボクも霧切さんも要点をぼかして話す。

 

「みんなには準備でき次第、シャットダウンをしてもらうつもりだけど、

あの軍人はどうしよう」

 

「放っておけばいいんじゃない?そいつはもう抵抗できない状態だし、

協力者と彼女さえ無事に帰ってくれば、それでいい。

あとは送り込んだ者が用済みのシステムから勝手に回収するでしょう。

どのみち本体は攻めあぐねている塔和シティーにあるんだし、

これ以上私達にできることはないわ」

 

「そう言えば、セキュリティの方はどうなってるの?」

 

「専門家が穴を塞いだけど、一度破られた防御は、またすぐ破られる。

新しい壁を一から作り直すには時間も人員も足りない。

結局、皆の避難を急がせるほうが安全なの」

 

「わかった。彼にそう伝えておくよ」

 

一仕事終えたボク達は、第十四支部へ戻るヘリに乗るため、

ヘリポートのある開けた区域に向かった。

 

 

 

 

 

「本当に悪い……風呂の世話まで任せるなんて。

すっかり身の回りの問題について忘れてた」

 

「気にしないで。他の時間は殆ど座ってるだけだもん。

外で働いてるみんなに悪いくらい」

 

今、僕達はホテルのシャワールーム入口にいる。

日向君に頼まれたのは、戦刃むくろの風呂の世話。

緊張しながら慎重に彼女の縄を解き、更衣室に押し込んだ。

 

「10分で済ませてね。妙なことしたら殴るから」

 

「わかってる。盾子ちゃんに迷惑は掛けないって」

 

「ならいいけど……それじゃあ日向君、あとは任せて!」

 

「近くにいるから、何かあったらすぐ大声で俺を呼べよ?」

 

「じゃあさっそく」

 

「何だ?」

 

「更衣室の監視カメラを止めてくれるかしら。まあ……これでも一応女の子だから。

私じゃできないの」

 

「そうだったな。わかった」

 

彼が監視カメラに向かって例のバツ印を作ると、電源のランプが赤に変わる。

 

「ありがとう。すぐ終わらせるから」

 

「いや、こっちこそ、ありがとうな……江ノ島」

 

やっぱり微妙に僕への態度がおかしい日向君が、

シャワールーム近くの休憩スペースに行くと、戦刃が服を脱ぎはじめた。

徐々に彼女の肌が顕になる。

う~ん、目を離しちゃいけないんだけど、直視することもできなくて、

さりげなく壁の隅を見ながら視界の端に彼女を収める。

 

「ごめんね、汗まみれで臭いでしょう」

 

「別に」

 

「徹底してるんだね。いつもみたいに臭いって言ってほしいな。

昔はトイレ用の消臭スプレーかけられたりしたっけ」

 

「……人間なら汗をかくのは当たり前だし、それが臭いを出すのも当たり前。

わかったら早く汗を流して」

 

「そんな優しい盾子ちゃんが、突然包丁を手にここの人達の殺戮を始めたら……」

 

「蹴るわよ」

 

「蹴って……いだっ!」

 

戦刃の要望に答えるのも癪だったから、ゲンコツで額を突いた。

 

「もう3分経ったわよ。

バカなこと言ってると、二度と風呂に入るチャンスが巡ってこなくなるから」

 

「ごめん、何か気に触ったかな?」

 

「ええ。あなたがさっさと風呂に入らないことにイラついてるわ。4分」

 

「ごめんなさい、すぐ済ませるから!」

 

急いでシャワールームに入る戦刃を見ると、不意にデジャヴに襲われた。

ああ、そうだ。僕自身だ。

ここに来たばかりのころは、怒られるのが嫌で謝ってばかりだったっけ。

今となっては昔の話だけど。

 

温水の流れる音と共に、鼻歌が聞こえてくる。“翼をください”。

……狂った姉妹の片割れでも、みんなが知ってる歌を歌うことがあるんだな。

そんなことを考えながら、マーケットから調達した着替えのジャージと下着を

カゴに用意する。事情が事情だから、ウサミが無料で支給してくれた。

 

身体を洗った戦刃がシャワールームから出てくると、

備え付けのバスタオルで身体を拭き、ジャージに着替えた。

僕は日向君を呼んで、彼女に指示を出す。

 

「日向くーん、終わったよー。

……ほら、壁に手をついて。彼が来たら自分で両手を出して縛ってもらうのよ?」

 

「盾子ちゃんに縛ってほしい」

 

「そうね。思い切り首を縛るのも楽しそう」

 

「厳しいなぁ。そういうところも盾子ちゃんらしいけど」

 

「待たせたな。戦刃、手だ」

 

日向君が来た途端、ふてくされた表情に変わって、黙って手を出す戦刃。

再び日向君が超高校級の希望の時に覚えた手順で、手早く拘束すると、

僕は彼女を連れてレストランに戻る。

 

「洗濯は七海がやってくれる。くれぐれも江ノ島に手間を掛けさせるなよ」

 

「……指図しないで」

 

「また殴られたい?彼はあなたを殺すこともできたの。

せめて大人しく素直にしてることで、その借りを返しなさいって言いたいのだけど」

 

「お、おい……」

 

「盾子ちゃんがそう言うなら、そうするけど……」

 

「私に甘えないで。ほら歩く!」

 

「ああっ!お、押さないでくれると嬉しいな?盾子ちゃん」

 

「え、江ノ島。あまり気負う必要はないんだぞ?

本当に万一の時は俺がいるから、肩の力を抜いていいんだ」

 

「あ、うん。わかった……また後でね」

 

「ああ。お疲れ」

 

戦刃を連れてレストランへ戻る途中、やっぱり奇妙な感覚を覚えた。

思えば日向君が言っていた通り、戦刃を相手にしていると、

どういうわけか興奮しやすい。彼女の監視を任されてからずっと。

以前の僕なら、いくら敵でも、あんな強い態度は取れなかったのに。

ほんの少しだけ不安な気持ちを抱えて、レストランの定位置に戻った。

 

戦刃と付かず離れずの席に座ると、また何もしないという苦行を始めた。

彼女の監視という仕事だってことは分かってるんだけど、

頑丈に縛られてる戦刃が暴れる可能性は殆どゼロで、

頬杖をついて次の食事を待つしかなかった。でもやっぱり退屈だ~

 

ピロロロ……

 

そう思った時、電子生徒手帳にメールが届く。

やった!緊急の連絡かもしれないからこれは読まなくちゃね。

合法的な暇つぶしがやってきて、ウキウキしながら開いた。だけど。

 

 

送信者:<送信者不明>

件名:モナカだよ~

添付:18年度版プログラミングの基礎知識と構築理論.txt

 

盾子お姉ちゃん、久しぶり!元気だった?

 

あれから連絡がないって事は、むくろお姉ちゃんは失敗したってことだよね。

やっぱりお姉ちゃんの言う通り、残念な人だったんだね……モナカも悲しいよ。

 

こっちの状況はあんまり良くないの。

ジャバウォック島への船は未来機関に沈められちゃったし、

セキュリティが再強化されちゃったから、ビデオ電話はもうできない。

なんとかテキストメールを送るだけの隙は見つけたけど。

 

でも良い知らせもあるのよ!

テレビ中継で見てたけど、盾子お姉ちゃんって、

何でも分析して自分の力にできちゃうんだよね?驚いちゃった!

だったら、プログラミングの手引書一冊読めば、

そっちの世界を好きにできちゃうってことにならないかな?

だってそっちはファイアウォールの向こう側なんだもん!ウププ!

 

一冊テキストファイルに起こして添付したから読んでみて!

分厚い手引書を打ち込むのは大変だったけど、

モノクマちゃんが一晩でやってくれました!

盾子お姉ちゃんの頭脳ならきっとできるよ!

 

それじゃ、頑張ってね!

 

 

電子生徒手帳を持った手が汗ばむ。

どうしよう。添付ファイルのアイコンに向けた人差し指が動かせない。

何かのウィルスかもしれない。でも、手の込んだファイルはもう送れないらしい。

未来機関の人も馬鹿じゃない。最初にモナカが接触してきた時点で対策はしているはず。

なら、やっぱりこれは単なるテキストファイル。思い切って画面をタップした。

 

テキストファイルとは言え、

膨大な文章量の手引書一冊分のデータをダウンロードするのには、時間がかかった。

10分程度使ってようやく落としたファイルを開くと、画面いっぱいに文字が広がる。

 

流石に前書きや目次は省いてあったけど、

これを全部読めというのかと愚痴りたくなるほど、

見たことの無いコマンドや難解な解説が文字の暴力となって押し寄せる。

 

とりあえず2,3ページ読んで、理解できなかったら削除しよう。うん。

勉強苦手だったから教科書の類は嫌いなんだよね……

画面をスライドしてざっと目を通す。やっぱり何もわからない……と思ったら、

中身が抵抗なく頭の中に入ってくる!?

 

コマンドも例文も論理構築も、面白いほどよく分かる。

僕は戦刃の見張りも忘れて、電子生徒手帳に映し出される文章を、

食い入るように読み続けた。

気づけば夕日の赤い陽が差し込み、帰ってきたみんなの声でようやく我に返った。

 

「あー、疲れた。あのキャベツって本当にキャベツなのかしら。妙に重いんだけど」

 

「鉄くず集めってハードっすね。他に比べてダントツにキツいっす……」

 

「かつて機械仕掛けの神がこの大地に降り立った証だ。

彼の者は三千世界を渡り歩き、時来たらば、破滅と救済を衆生にもたらす、

善と悪双方に属する危うき存在。心して手にすることだ」

 

「よーするに“手ぇ切らないように気をつけろ”ってことだろ。

相変わらずまどろっこしーな」

 

慌てて画面を切って、みんなを出迎える。

 

「おかえりなさい。みんなお疲れ様!」

 

「おう、江ノ島もお疲れ。

一日中、戦刃と顔突き合わせてるのもしんどいだろ。危ねーことはなかったか?」

 

「私は全然平気。もうすぐ夕食だから、左右田君もゆっくり休んで」

 

「そーするわ。今日は軍事施設まで遠出だったからマジ疲れた……」

 

「ほら、戦刃もテーブルまで来て。全員一緒に食卓に着く規則だから」

 

僕はソファに寝そべるように横になっていた戦刃を呼んだ。

生徒手帳に夢中で気づかなかったけど、既に花村君が配膳を終えている。

 

「どうしてもやらなきゃ、駄目?」

 

「嫌なら食べなくていい。私も仕事が減って楽だし」

 

「待って、すぐ行くから!」

 

戦刃が起き上がってテーブルに向かう。いちいち面倒を掛けさせないでよ。

彼女を食卓に誘導すると、自分もいつもの席に着いた。

そして弐大君の号令で食事を始める。今夜はカレーライスとサラダ。

1回だけセルフサービスでおかわり可。

美味しいけど、江ノ島の身体になって少食になっちゃったから、

結局おかわりはしなかった。この後仕事も残ってるし。

 

「「ごちそうさまでした!」」

 

たらふく食べて満足したみんなと、厨房に食器を返しに行く。

洗い場に食器を置いて花村君に挨拶すると、

戦刃に食事をさせるために、テーブルにとんぼ返り。

思えば彼女も少しだけ気の毒だね。冷めた料理しか食べられないんだから。

彼女の隣に座ると、必要最低限の事だけ伝える。

 

「今からあなたの食事だけど、1回だけカレーをおかわりすることができる。

始めるわよ、ほら」

 

「……いただきます」

 

「はい。まずカレーを一口」

 

「あーん」

 

「喋らない」

 

もどかしい気持ちで戦刃に一口ずつ食べさせる。早く続きを読みたい。

戦刃の口に押し込むようにカレーを運ぶ。

 

「ちょっ、盾子ちゃん早いよ!」

 

「え、あ。うん……」

 

いつの間にか口の周りにカレーをいっぱい着けている戦刃。焦りすぎたね。

とりあえずおしぼりで拭いてやって、気持ちを落ち着けてから食事を再開した。

 

「どうしたの?昼間はずっとスマホ見てたし」

 

「お口にチャック。

……なんでもないわ。あれは電子生徒手帳。まあ、似たようなもんだけど。次はサラダ」

 

そんな感じで戦刃の食事も終わらせると、また僕達はレストランで待機。

そう言えば、戦刃以外みんな絶望から解放されたわけだけど、

まだ未来機関から迎えっていうかプログラム終了の知らせは来ないのかな。

あ、そっか。僕が絶望の江ノ島じゃないっていう証拠が見つかってないからね。

 

もう学級裁判が起こる心配もないし、腰を据えて探すとしますか。

僕はソファに座ると、またプログラミングの教科書を読み始めた。

やっぱり面白いけど、なぜだろう。

なんだか見ちゃいけないものを見ているような気がしてきた。

時刻はもう夜中。戦刃は眠っている。

 

「……終わった」

 

プログラミングのテキストをようやく読み終えた。

江ノ島盾子の脳が難なく理解したとは言え、

何時間も小さな画面で小さな文字を読み続けたから、目が痛い。

目頭を抑えて、伸びをした。

もう寝ようかとも思ったけど、試してみたいことができちゃったから、

きっと寝られないと思う。

 

今度はメモ帳を開いて、習得したプログラミングの知識を活かし、

電子命令文を編み上げていく。

まず、この世界を構成するプログラムを可視化するアプリを作る。これはすぐに出来た。

もう“β版超高校級のプログラマー”程度には、なれた気がする。

 

起動すると、膨大なコマンドの海が広がる。カメラ機能と連動してて、

手近なテーブルを映すと、それが大量の0と1で構成されていることがわかった。

 

テキストの言語と、

希望更生プログラムVer2.01に使用されている言語は違うものだけど、

じっくり観察すると、何がどう機能しているのか、基礎的な動きは似通ってる。

とうとう僕は、江ノ島の分析能力で希望更生プログラムの全てを把握した。

やることはもう、一つしかない。

 

再度メモ帳を開き、

今度は直接、希望更生プログラムに干渉するアプリの作成に取り掛かる。

いけないことをしているのは分かってるけど、

好奇心や初めてのプログラム作成の楽しさに、指が止まらなかった。

 

深夜3時も回ったころ、流石に疲れて横になる。

それから次の日も、また次の日も、僕は戦刃の世話もそこそこに、

複雑なプログラムを打ち込み続けた。そして数日後の深夜、それはついに出来上がった。

 

「やった、完成した……」

 

僕の電子生徒手帳にしかない、秘密のアプリ。名付けて“バーチャルハッカー”。

もしバグがなければ、ウサミのステッキと同じくらい、

またはそれ以上に強力な力を持つ。

後は、ウサミや七海さんにシステムの改変を検知されないよう細工して……よしOK。

これは正しいことに使おう。

例えば、そばで寝ている戦刃を向こうの世界に追い出すとか。

 

でも、実際使う前にテストは必要だよね。僕は静かに揺れる振り子時計に気がつくと、

アプリを起動し、カメラ機能で時計を映しながら、コマンド“停止”をタップ。

すると、振り子が一番高く振れたタイミングで、その動きを止めた。

 

成功だ……!このバーチャル世界の物理法則に逆らって、振り子を止めることができた。

僕はもう、この世界でなんでもできる。“作動”をタップすると、再び時計が動き出す。

手の体温と長時間の使用で熱くなった電子生徒手帳は、すっかり手汗で濡れていた。

 

好奇心に突き動かされるまま、僕はアプリでレストランの身近な物をいじくり回す。

大丈夫。正しい事だけに使うんだから。

服でゴシゴシと本体を拭うと、再度操作に戻った。

 

今度は、戦刃をこの世界から追い出すために、

彼女が辿ってきたネットワークの道筋を閲覧する。

今度は眠る彼女をカメラで映し、“追跡”をタップ。

すると画面が切り替わり、無数の枝分かれする道筋が、

この世界を示す一点に集中している。

 

画面の右下に、“解析率0%”という表示が現れ、数字がどんどん増え始めた。

パーセンテージはあっという間に増加し、100%に到達。

道筋の一本がグリーンに光った。

 

希望更生プログラムは強固なプロテクトで守られてるけど、

内側からはあっさり突破できちゃうんだな。

この道の向こうが、戦刃の肉体がある場所なんだと思うけど、

彼女の扱いについては日向君と相談しなきゃ。

 

あれ?枝分かれしたネットワークのそばに、一本だけどことも交わらず、

真っ直ぐ伸びたラインがある。なんだろう。ひょっとして、新しい攻撃者かもしれない。

チェックしておかないと。朝までに日向君に全部報告できるよう情報を集めるんだ。

僕は自分に言い訳しながら、その寂しげに一筋だけ伸びた線をタップした。

 

そのネットワークの詳細が表示される。

まず“緊急回線”という名前と音声のログであるという旨が示され、

再生・保存・閉じる、の3つ選択が求められた。

まずは“保存”を選択し、端末にダウンロードした。

数秒ほどでホーム画面に音声ファイルのアイコンが現れる。

 

戦刃を起こさないように、というか聞かれないように、

ポケットから簡素なイヤホンを取り出し、本体に挿すと、

耳にマイクを入れてファイルを再生した。

 

 

“様子は見てたよ!まさか狛枝クンの治療に成功するなんて!”

 

これは苗木君の声だ。狛枝君の件で驚いてるってことは最近のファイルだね。

そうじゃない!人の会話を勝手に聞くなんて駄目だ。早く切らなきゃ。

……でも、焦って操作に手間取っていると、気になることが聞こえてきた。

 

“日向君、君はそばにいて何か気づかなかった?”

 

“……ある。物凄く重大な事実だ”

 

重大な事実?僕の分析能力の他になにかあったっけ?

 

“いいか、心して聞け。江ノ島盾子は、別人だ”

 

──江ノ島盾子は、別人だ

 

えっ。そうとしか言葉が頭に浮かばない。口も動かない。心が凍りつく。

 

“……能力のいくつかが、彼女の視神経を通して脳を走る微弱な電流をキャッチした。

ああ驚いたさ、少女の身体の中で、男性の心が動いてたんだからな!”

 

じゃあ、日向君は、本当の僕を知ってて、黙ってたってこと……?

 

“とんでもない間違いだった。無実の人間を刑務所に閉じ込め、番号を付け、

粗末な食事を与え、怒鳴りつけ、働かせていた。時には暴力も……”

 

間違いだったなら、どうしてすぐに出してくれなかったの?強制シャットダウンで。

 

“もし、そんな事実が知れ渡ったら、世界は未来機関を許さない。

更なる絶望と怒りが今度こそ世界を破滅させる”

 

そこで僕はファイルを閉じた。朝焼けが差し込んできて僕の顔を照らす。

口には三日月のような笑みが浮かび、目から熱いものがあふれだす。

 

「フ、ヘヘ……アハハ、アハ、ハァ……」

 

よくわかったよ。

日向君も苗木君も、やっぱり僕をモルモット程度にしか思ってなかったんだね。

虐待するか可愛がるかが変わっただけで。

人としての僕の尊厳より、未来機関や、世界や、自分達の都合のほうが大事なんだね。

 

昨日まで仲間仲間、連呼してた僕がバカだった。

この刑務所で彼と過ごした時間も、所詮はお友達ごっこでしかなかったわけだ。

現実はそれより最悪だったけどな!!

 

「盾子ちゃん?どうしたの……?どうして泣いてるの」

 

目が覚めた戦刃が話しかけてくる。事によっては、彼女と。

 

「わかんない。嬉しいのかな。ひょっとしたら、これが絶望の悦びって奴なのかもね。

本当に、予想もつかない展開で驚かせてくれるよ……」

 

「やっと本音で喋ってくれたね!私にできることがあれば、なんでも手伝うから」

 

「うん、当てにしてる。多分」

 

「ついに決行するんだね。私、盾子ちゃんのために頑張るよ」

 

「覚悟しろ。日向創、苗木誠……」

 

僕はヘラヘラ笑いながらソファの上で待ち続けた。

そして夜が明け、朝食の時間がやってくる。

花村がせっせと食事を用意しながら、ずっとレストランにいた僕に話しかける。

 

「おはよう江ノ島さん。昨日は徹夜だったの?目が真っ赤だよ」

 

「……おはよう。まあ、そんなとこよ。楽しいアプリを作ってたから。

後でみんなにも見せてあげる」

 

「プログラマーの才能まであるんだ!江ノ島さんって凄いなー」

 

朝食の時間。あいつが現れたらどうしてやろう。出会い頭に問い詰めてやろうか。

それとも、もったいつけて全員の前でネチネチと責め立ててやろうか。

などと考えているうちにメンバーが集まってきた。

 

「ふぁ~。はよっす。……おおっ、コーンスープの芳しい匂い!

唯吹の脳細胞が一気に花開いたっすよ!」

 

「ぷぷっ!澪田おねぇはいつもお花畑じゃん」

 

「日寄子ちゃん。なんてこと言うの」

 

「は~い、ごめんちゃーい」

 

「タァハ!まるで反省ナッシン!別にいいっすけど!」

 

「ケッ、飯くれえで朝っぱらから騒ぐんじゃねェよ。オラ、全員さっさと席着けや」

 

「ぼっちゃん、さあお席です」

 

「いい加減それやめろって……お前は用心棒でウェイターじゃねえんだからよぉ」

 

呑気な連中がゴソゴソとテーブルに着く。あいつはまだか。

……来た!階段から、あの尖った頭が見えた。

 

「悪い、遅くなった。江ノ島もこっちに……目が赤いぞ。どうしたんだ」

 

「……徹夜で手帳いじってて」

 

「江ノ島でもそんなことがあるんだな。みんなそろったし、食べよう」

 

江ノ島でも、か。僕の何を知ってるんだか。

 

「うむ、では皆の者、手を合わせい!」

 

戦刃は茶番だと言ったけど、今は僕にも茶番にしか見えない。

元の世界なら、黙ってコンビニ弁当を、もそもそ食ってればそれでよかったのに。

貧相だけど、少なくともあれは本物だった。

 

「「いただきます!」」

 

スープやパンを口に運ぶ度に味覚が刺激されるけど、

どうせ0と1で作られた偽物でしかないと考えると、

“美味しい”と感じることさえ面倒になってしまった。

ただひたすら皿の上に乗っている物体を体内に取り込む作業を繰り返す。

 

食事を終えて、食器を厨房に返し、花村に形だけの挨拶を済ませて、

戦刃の食事に取り掛かる。

日向が隠していることについて、洗いざらいぶちまけようと思ったけど、

朝食の一連の流れが終わると、皆さっさと仕事に行ってしまった。

しかたなく戦刃の隣に座って、適当にパンをちぎって、

何も言わずに彼女の口に乱暴に押し込む。

 

「んんっ、むぐっ!ごほっ、盾子ちゃん、ちょっと待って!」

 

彼女の抗議を無視して次はスープを飲ませる。

パンが口に残ったままスプーンを突っ込んだから、少し服にこぼれた。

 

「んぐっ!お願い、少し待って、今飲み込むから!」

 

「……あのさ。このスープ、美味しかった?」

 

「別に……あ、いや、美味しかったよ!盾子ちゃんが飲ませてくれるんだもん」

 

「無理しなくていいのよ。私は何も感じなかった。

どうせここにスープなんてないんだから」

 

ここにあるものは全部0と1の集合体。初めから分かっていたことだけど、

この目で見てしまってからは、何もかも無機質な何かでしかなくなってしまった。

 

「どういうこと?」

 

「説明が面倒。さっさと片付けるわよ。

綺麗に食べ終えないと、私がうだうだ聞かれるの」

 

「うん……」

 

その後も僕は戦刃に朝食を雑に食べさせ、食器を下げると、

彼女をレストランの隅に座らせて、日向にメールを送った。以下、そのやりとり。

 

 

送信者:江ノ島盾子

件名:重要な話

 

唐突だけど、私に何か隠してない?

 

 

送信者:日向創

件名:RE:重要な話

 

どうしたんだ。急に。

 

 

送信者:江ノ島盾子

件名:RE:RE:重要な話

 

例えば、苗木と。

 

 

送信者:日向創

件名:わかった

 

コテージで話をしよう。

 

 

送信者:江ノ島盾子

件名:だめ

 

今。すぐレストランに来て。戦刃にも聞いてもらう。

二人きりで会っても、

仕方なかった、許してくれ、黙っててごめん。そんなところでしょう?

 

 

返信はそこで終わり。しばらくすると、顔を青くした日向がレストランにやってきた。

そんな彼を冷笑で出迎える。

一歩ずつ慎重に僕に近づいてくる彼を、5mほど手前で止めた。

 

「ストップ。それ以上近づくと、このボタンをタップする。

するとこの島から私の周辺以外から酸素、正確には酸素を構成するデータが削除される。

みんな仲良く窒息死」

 

「待て、早まるんじゃない、黙っていたことは謝る!」

 

知るはずのない緊急回線の内容を知ってる時点で、

これがハッタリじゃないことは理解したみたい。

 

「盾子ちゃん?それって、作動したら私も死んじゃうんじゃ……」

 

「うっさいわね、黙ってて。私が聞きたいのは黙っていた理由。

で?音声ファイルの作成時間は大体一週間前。

打ち明けるチャンスはいくらでもあったのに、なんで私に隠してたのかしら」

 

「……本当に済まない。まず、未来機関もこの事実にパニックになっていて、

君を迎える準備ができていないんだ。もちろん中継も既にストップしている。

次に、システムがある現実世界のジャバウォック島へは、

塔和モナカの妨害で救助船が到着できない。

それから、今、外に出たところで、ここより環境の悪い無人島で暮らすことになる。

データの世界で返事を待つほうが安全なんだ。

最後に、こうなったのは、俺の弱さだ……君の怒りがどんな形で現れるか、怖かった」

 

「ふーん。それで最近妙に優しかったわけね?」

 

「そうだ……」

 

「私としては中途半端な優しさより、真実を語って欲しかったんだけど。

……そうだわ、今すぐみんなを呼び戻して。

私が別の誰かさんだったって教えてあげてよ。

昼まで待ってようと思ったけど、やっぱり退屈でしょうがないからさ。

今度はみんなの反応を見てみたいし。フフッ」

 

少しばかりの楽しみができて憎悪が少しだけ紛れた。

 

「……わかった」

 

日向が電子生徒手帳で全員にメールを送る。

30分ほどしたら全員が真っ青な顔でレストランに集まった。

反応が日向と同じでちょっと笑える。

 

「ねえ…嘘だって言って。盾子ちゃんが本当に別人だったなんて……」

 

「残念だけど本当なのよねー!日向君からも言ってやってよ。

そう言えば、この女言葉を使う羽目になったのも、

確か小泉さんの発言がきっかけだったよ・う・な?

オカマやらされるのも、一人称を奪われるのも、とっても屈辱的っていうか、

個人の尊厳を踏みにじられるようで、それはそれは辛いことなの。わかる?

あと、私は盾子じゃない」

 

「あなたをどう呼んでいいのかわからないけど、謝って済むことでもないけど、

申し訳、ありませんでした……」

 

小泉が頭を下げるけど、全然足らないな。

 

「待って!それはわたしがわがまま言い出したせいなんだよ!?

小泉おねぇを許してあげて!」

 

名前通りヒヨコみたいに小さな西園寺が小泉をかばうように前に出る。

 

「君も散々私を汚い言葉で罵ってくれたよね。

心配しないで。まずは君をたっぷり……痛っ」

 

いきなり頭痛が走ると、心の中から誰かが呼びかけてくる。

 

“アタシの声が聞こえる!?あの日出会ったアタシの一人よ!

あなたの気持ちはわかるわ!でも怒りに任せて早まったことをすると、必ず後悔する!

冷静になって!”

 

“最近彼が珍しく頭を使っているから何が起こっているかと思えば。

マダム、ボク達は黙っているべきじゃないかな。

彼に矛を収めろというなら、人生を弄ばれた彼の気持ちは、

どこに持っていくべきだと貴女は思う?”

 

“うっせえんだよババア!あの野郎がどう出るか、こっから面白くなるんだろうが!”

 

頭を振って江ノ島盾子達の声を追い出す。ええと、次は何をしなきゃいけないのかな。

固唾を呑んで僕を見るみんなをキョロキョロと見回すと、いた。

 

「……君は後回し。

ソニアさん。確か君には散々ムチでぶたれたよね。レッスンの名を借りた拷問でさ」

 

「お許しください!好きなだけわたくしをぶって頂いて構いません!

ですから、どうか、皆さんの過ちを許してあげてください!」

 

僕に跪いてムチを差し出すソニア。それを手に取ると、軽く素振りしてみた。

 

「ひくっ……!」

 

ムチがヒュオンと風を切ると、彼女の肩がピクリと動く。

ビビるくらいならよせばいいのに。

 

「じゃあ、まずはその綺麗な顔に、軽く一発行ってみようかしら。

王女様をムチで叩けるなんて、滅多にできない経験だわ!おかしな趣味に目覚めそう!

アハハ!」

 

ペチペチとソニアの顔をムチの先で軽く撫でてみる。

 

「うっ……」

 

「待ってくれ!」

 

今度は左右田君が慌てて僕にすがりつく。これからお楽しみなのに、なによもう。

 

「なにかしら」

 

「頼む、ソニアさんの代わりに俺をぶっ叩いてくれねーか!?

それで全部許されると思っちゃいねーが、少しは気が紛れると思う!この通りだ!!」

 

彼が僕に土下座する。勘弁して欲しいんだけど。

土下座ってされる方も心理的負担が大きいのに。

 

「左右田君、あなたの事は嫌いじゃないの。

初日の事は謝ってくれたし、なんだかんだで気にかけてくれたわよね。

そんなあなたをぶつのは意味がないし、それどころか、とっても、とっても……うっ!」

 

“そう。あなた自身も傷つくだけ。

左右田君だけじゃない。他のみんなだって、あなたを仲間として受け入れてくれた。

絶望の江ノ島盾子、その姿に湧き上がる憎しみに必死に折り合いを着けて”

 

“本件に関して貴女が関わるべきではないと考えます。

意思決定は直接苦痛を味わった彼自身が行うべきでしょう。

今の状況について説明致しますと、日向創が未来機関の苗木誠とホットラインで

エマージェンシーなファクターをサジェッションして江ノ島盾子のブレインが

カイネティックなコネクションを起こし心理的ボルケーノがアブソリュートな

ベルベットハンマーでターミナルなハイウェイなのであります。

噛み砕いて申し上げますと、「とっとと消えなクソババア」以上です。

ご清聴ありがとうございました”

 

“悲しいですよね、どこの馬の骨かも知らないやつに、虐げられるなんて……

あなたは、結局、泣き寝入りしろって言いたいんですね……”

 

「うるさいなあ!僕の頭から出てけよ!!」

 

ムチを放り出し、頭を抱える。突然の叫びにみんなが思わず身を引く。

 

「日向創、全部お前のせいだ!全部!……ううっ」

 

なんでだろう。なんで僕は泣いてるんだろう。

ここに居ちゃだめだ。心の江ノ島やみんなが僕をかき乱す。

 

「江ノ島さん!ボクからもお願いするよ!キミがボクを救ってくれたように、

みんなにチャンスを与えてくれないかい!?」

 

「狛枝凪斗……お前だって……」

 

「改めて、君に謝りたい。本当の名前を教えてくれないか……?」

 

「いいよ今更!もう何もかもおしまいなんだよ!日向創の裏切り者!」

 

ソファから飛び出し、皆を押しのけ、レストランの階段を下りようとした時。

 

「待って、江ノ島さん」

 

階段の前で立ち止まったまま、振り向かず七海さんの声を聞く。

 

「あなたの名前だけは、教えて欲しいな」

 

「君に恨みはないから答えるよ。

今から3つ嘘をつくから、好きなの選んで。神山、小林、江ノ島2世」

 

「……わかったよ。そこまで私達が憎いなら、もう何も言わない。

私達はずっとここにいるから、現実世界に帰りたくなったら、いつでも戻ってきて。

今度こそ強制シャットダウンで一緒に戻ろう?」

 

「言っとくけど、ウサミのステッキの能力は削除しといたから。

後で後悔しても遅いわよ」

 

「しないよ。あなたの決定を信じる」

 

そして彼女は左手の希望ヶ峰の指輪をじっと見る。いつまでもそんな物を……!

イラついた僕は電子生徒手帳を手に取る。

このボタンをタップすれば、ある場所に転移する。その時、また頭痛が。

 

“最後のチャンスよ。

憎しみに流されるまま、みんなとの思い出をなかったことにしないで!

始めは仕方がなかったの!誰もが絶望の江ノ島盾子のせいで全てを失った。

その悲しみが彼女の姿をしたあなたに向いたのは、どうしようもないことだったの!

でも、それを乗り越える度に、大切なものを手に入れてきたはず。

さっきも見たでしょう?みんな、あなたにしてきたことを悔やんでる。

お願い、思いとどまって!みんなのところに戻って、もう一度彼らと向き合って!”

 

“なーんかオバサンがごちゃごちゃうるさいんですけどー?

ねえ、アンタがやりたいことって、もう決まってるんでしょ?自分に正直になりなよー。

お姉ちゃんもいるし、アタシも力貸してあげるからさ。

ほら、ボタンを押せばそれで準備完了じゃん。

あそこに行けばアンタの能力を存分に活かせるし?

こんどはアンタが連中におしおきしてやるの。

それって~ワックワクのドッキドキじゃない?ねー早く、その手帳であそこにワープ”

 

二人の江ノ島盾子が選択を迫る。手に持った電子生徒手帳が震える。

僕は、日向を、みんなを、苗木を、世界を……!

 

?→許す

?→断罪する

 

 



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Answer_A →断罪する

「うわあああ!!」

 

僕は全てを振り切り、液晶画面を押しつぶすほど強く、

電子生徒手帳の“転移”ボタンをタップした。

その時、周囲の空間が無数の0と1が渦巻く、真っ暗な世界に変化した。

形を持っているのは僕達だけ。戦刃むくろが不安げに近寄ってくる。

 

「ねえ、盾子ちゃん。これ、なんなの……?」

 

「いいから黙っ……いや、ええとね。私達を転送してるのよ。ある場所にね」

 

「ある場所?」

 

「着けばわかるわ。とってもいいところ。

……そうだ、それ邪魔でしょ。解いてあげるから、もっとこっちに」

 

「うん、ありがとう!」

 

これから彼女には存分に働いてもらう必要がある。あまり邪険にもできなくなった。

少し言葉を交わし、戦刃の拘束を解くと同時に、転送処理が完了。目的地に到着した。

 

 

 

 

 

コンクリート打ちっぱなしの壁。

原始的な手持ち武器から銃器、毒薬まで、多種多様なコロシアイの道具が並んだ、

空気の冷たい部屋。

深く息を吸う。もう後戻りはできない。今、この瞬間から、

“僕”をやめて、“アタシ”として生きることに決めた。

 

「盾子ちゃん、ここはどこ?」

 

「オクタゴン。4番目の島、って言ってもわからないと思うけど、

とにかく“やる”って決めたから。

ありったけの武器まとめといて~アタシは用事がある」

 

「とうとう始まるんだね!待ってて、盾子ちゃんの手にピッタリの拳銃探しとくから」

 

「弾が出ればなんでもいいわ。大掛かりなものはお姉ちゃんに任せる。

……まずは、あの娘にメール、と」

 

 

送信者:江ノ島盾子

件名:モナカちゃん助けて~

 

盾子お姉ちゃんだよ。

アタシ、もうこの島にはうんざりなの。お願い、助けに来て!

仮想空間から出る方法ならある。

日向が中央システムのある遺跡を開けたから、後は普通にログアウトするだけ。

単に無条件で出るだけなら、律儀に他の連中と強制シャットダウンする必要はないの。

だから、小船1隻でも構わないから、迎えを出してくれないかな?

お姉ちゃんのために、今まで頑張ってくれてありがとう。

お返事、待ってるね。

 

 

よし。塔和モナカは、まだアタシが本物の江ノ島盾子だと信じ切ってる。

まあ、そのうち大した違いはなくなるんだけど。

次は……お別れ、そして、新たな出会いの挨拶。ポチポチとその文章を綴る。

この後の展開に興奮してるのか、恐怖してるのか。指が震えて打ち間違いも増える。

もどかしい気持ちで、ようやくメールをしたためた。

 

 

送信者:江ノ島盾子

件名:カーニバルの、はじまりよ~!

 

みんな元気~?ごめんねーさっきは変な感じになっちゃってさ。

遅くなったけど、みんなのエノジュンからお知らせだよ!

 

第一回、コロシアイ刑務所生活開催~!

 

今から1時間後、たっぷり殺人兵器を持ったアタシ達がみんなを殺しに行くから、

みんなも各自の能力でアタシ達を殺してね!

奇襲攻撃なんて卑怯な方法は嫌いだから、堂々と正門からお邪魔するよ!

さすがに日向君の超高校級の希望はチートすぎるから禁止させてもらうけど、

他は何したって自由。

お互い生き残りをかけて頑張ろうね!チャオ!

 

 

送信。同時に、1通のメールが届いた。

 

 

送信者:<送信者不明>

件名:待っててお姉ちゃん!

 

モナカだよ。安心して!

必ずモナカが盾子お姉ちゃんを助けるから!

もうフリゲートは余裕がないけど、未来機関の艦隊を引き付けるだけの数はある。

 

その隙にジャバウォック島から少し南にある島の漁師さんが、

漁船でこっそりそっちに向かうから。

大丈夫、漁師さんはバッチリ絶望にはまり込んでる、

メル友のおじさんだから信用できるよ!

 

盾子お姉ちゃんはとにかく脱出することを優先してね!

塔和シティーで会いましょう!モナカも早く会いたい。頑張って!

 

 

これで、準備は整った。一言も触れられてない戦刃が少し哀れだけど。

彼女が大きな白いカバンを持って近づいてきた。

大量のアサルトライフル、RPG-7、スナイパーライフルなどの兵器を背負ってる。

 

「なにこれ」

 

「うん、盾子ちゃんでも使いやすい武器をたくさん入れておいたよ。弾薬も。

持ち運びに便利だと思って、棚にあった袋に入れておいた」

 

「だっさ。新聞配達の小僧でもあるまいし」

 

右肩から斜めにかける無地の白いバッグから、オートマチック拳銃を取り出し、

試しに戦刃を狙ってみる。

 

「ご、ごめんね!?そのポケットじゃ、グレネード1個しか入らないと思って……」

 

「ふん、まあいいわ。またワープするけど、ワーキャー騒がないでね」

 

電子生徒手帳が振動を続ける。確認すると大量のメール。

“冷静になれ”、“話し合おう”、“戦いたくない”。まあそんなとこ。

無意味なメールを無視したアタシは、

バーチャルハッカーでこの世界の時間を1時間進め、ホテル敷地の一歩手前に転移する。

 

やっぱり戦刃はこの空間に慣れないのか、

キョロキョロと落ち着きなく周りを見回してる。正念場なのに肝っ玉小さいわね。

転移が終わると、長く続く鉄柵で仕切られたホテル敷地に到着。

 

「さあ、行くわよ!お姉ちゃん!言っとくけど、記念すべき第一号は、アタシだから。

勝手な事したら、お姉ちゃんでも殺すよ?」

 

「大丈夫。盾子ちゃんの言うとおりにするから」

 

だべりながらホテル正門近くまで歩くと、なんだか向こうから声が聞こえてくる。

 

“やっぱり危ないよ!みんなのところに戻ろう!”

 

“いやだ!おねぇは、江ノ島おねぇは混乱してるだけなの!

絶対話せば分かってくれるって!”

 

“むくろもいるんだよ!?そいつが何やらかすか……!”

 

誰かと思えば小泉と西園寺じゃない。アタシがぶらぶらと近づくと、

気配に気づいた小泉が西園寺を守るように、後ろに下がらせる。

 

「あなたは……誰?」

 

アタシは悲しそうな表情を作って、弱々しい声色で訴える。

 

「ごめんなさい!アタシがどうかしてた!

もう遅いかもしれないけど、さっきのメールはなかったことにしてくれないかしら!?

虫のいいことを言ってるのは、わかってる。でも、またみんなの仲間に戻りたいの!」

 

「ほら!やっぱり江ノ島おねぇは狂ってなんかいなかったんだよ!」

 

「あ、日寄子ちゃん!」

 

小泉の後ろから飛び出してきた西園寺。

アタシは片膝をついて、彼女を一度抱きしめ、目を合わせる。

そして、彼女の髪や顔を愛おしそうに撫でた。

 

「日寄子ちゃん、本当にごめんなさい」

 

「おねぇ……帰ってきてくれるって、信じてたよ」

 

「信じてくれて、ありがとう、そして……さようなら」

 

「えっ?」

 

よく研がれたコンバットナイフが、ザクリと分厚い着物を貫通し、

小さな身体に突き刺さる。

ナイフを抜き取ると、笑いながら二度三度と何度も彼女の腹に刺す。

 

「ああっ、があっ!いたい、げほっ!あがっ!やめて!」

 

刃が往復する度に、ピンクの返り血が顔に降りかかる。

血の匂いが更にアタシを興奮させ、ナイフを握る手にも力が入る。

 

「日寄子ちゃん!!」

 

「お…ねぇ……」

 

「君みたいな小さな女の子を殺すのって、社会的にものすごく許されないし、

ましてや仲の良かった君を、こんな風に自分の手で刺し殺すのってさぁ……」

 

──すっごく絶望的で素敵じゃない!?

 

西園寺の瞳に映ったアタシの目。それは、白目と黒目が歪んで渦を巻いていた。

 

「どう……して……?昔の、わたしと……」

 

「絶望姉妹の犠牲者第一号を記念して、君に最初に名乗ることにするわ。アタシは……」

 

 

○超高校級の絶望

 

江ノ島 盾子

 

 

最後にその細い首にナイフを突き立てると、西園寺日寄子は絶命した。

その顔に恐怖と絶望を貼り付けて。

 

「そんな……嘘でしょう!?あなたは別人だったはずじゃ──」

 

カシャッ。まさにカメラのシャッター音のような小さな銃声。

サイレンサーを着けた拳銃で、戦刃が小泉のこめかみを撃ち抜いた。

断末魔もなく地面に倒れる小泉の死体。

 

「……ねえデブス。

まだ話の途中だったんだけど?絶望の素晴らしさを説くつもりだったんだけど!?」

 

アタシは砂を掴んで戦刃の顔に投げつけた。

 

「うわぷっ!ごめん、ごめんなさい盾子ちゃん!謝るから許して!」

 

「本当に殺すわよ?お姉ちゃんは、アタシの指示に従ってればいいの。わかる?」

 

「ごめんね?本当にごめんね?」

 

「もういい。中に入るわよ」

 

正門を通り、敷地内に足を踏み入れる。その時。

 

 

──あなたと、ひとつに、なりたかった……

 

 

意味不明なメッセージ。声の主がアタシの中から消えていくような、そんな感じがした。

 

「お姉ちゃん、なんか言った?」

 

「ううん、何も言ってないよ」

 

「そ。別にいいけど」

 

ホテルに近づくと、どこからか、

“西園寺がやられた!”、“小泉もだ!”、“戦えないやつは隠れろ!”、

とまあ、そんな声が聞こえてくる。

次の挑戦者は誰かしら。マップアプリで位置は一発でわかるんだけど、

初めから答え見るのはつまらないじゃない?

 

気づくと、足から重いものが動くような振動が伝わってくる。

プールサイドから、ゴリラやカバ、ライオンが現れた。

ノロいカバなんか戦力になるのかって思う?

実はカバってライオンを殺すこともあるほど強いのよ?これ、盾子お姉ちゃんの豆知識。

で、動物をこんなところに呼び寄せたってことは。

 

「雷神の咆哮轟きし時、破壊神は怒りに応え、

総てを滅するパスパタの槍にて大地を貫く……

絶望の権化、江ノ島盾子よ。貴様はこの俺が因果地平の彼方へ葬り去る!」

 

両手で印を結びながら彼が現れた。

 

「やっぱり田中君ね。あなたとのお喋りは個性的で楽しかった。本当に楽しかったわ。

ねえ、どう?あなたもアタシ達と一緒に来ない?絶望の悦びを思い出させてあげる」

 

「問答無用!征け、我と契約せし三闘神よ!」

 

雄叫びを上げて猛獣たちが突進してくる。

 

「希望更生プログラムの動物はユーザーを襲わない。

そのシステムすら無効化するなんて、

さすがは超高校級の飼育委員と言ったところかしら。でも、ね!」

 

アタシはカバンから茶色い瓶を取り出し、地面に投げつけた。

割れた瓶から飛び散った液体が瞬時に気化すると同時に、素早くガスマスクを着けた。

 

“ギャオオン” “ぐるるああ……” “ひゅごー…ぎゃふっ!”

 

猛毒ガスを吸い込んだ獣達がその場に倒れ込み、

しばらく痙攣すると、完全に動かなくなった。

 

「柔よく剛を制すって言うじゃーん!?

バリバリ撃ち合いしてると、殺し切るまでに怪我するかもしれないしー。

田中君はどう思う?」

 

「くっ……がはっ!」

 

プールサイドのテーブルに寄りかかって、大量に吐血する田中君。

雑音混じりの呼吸を続けながら、血走った目でアタシに話しかけてきた。

 

「お前は、本当に……それで、いいのか。誰を…何人、殺せば……」

 

「わー!初めて“素”で喋ってくれたわね!

ダンガンロンパ2の田中ファンも喜んでるんじゃないかしら!?

ちなみにアタシの回答は~……絶望できるなら誰でも全部!」

 

「ばけもの、め……」

 

そう言い残すと、田中君は事切れた。彼の亡骸に近づいて、マフラーを手に取る。

中から破壊神暗黒四天王が転がり落ちてきた。みんな、泡を吹いて死んでいる。

いつか撫でさせてほしかったんだけど、死体はさすがに触る気しないわ。

 

「あ、あの盾子ちゃん?化学兵器を使う時は、一声掛けてくれると嬉しいな。

もう少しでガスマスクが遅れるところだったから……」

 

「うるさいわね、大切な友を毒殺した絶望に浸っているのに!

もういいわ、次はコロシアイをボイコットしてる怠け者を退治しにいくわよ!」

 

「怠け者?」

 

アタシは質問に答えず、電子生徒手帳の地図アプリを開く。居たわ。

コテージにこもってるから徒歩1分で着く。

よく地図案内に徒歩何分とか書いてあるけど、アテになった試しがないわね!

絶対何分じゃ着かないし!

 

世の不条理に怒りつつ、コテージのエリアに戻ると、夜でもわかりやすい真っ白な髪と、

ロングコートの男がウッドデッキの奥から歩いてきた。悲しそうな顔をしたそいつは。

 

「江ノ島さん、絶望に捕らわれちゃ駄目だ!

キミがボクを絶望から救ってくれたように……キミも、絶望を!」

 

闇夜に轟く銃声。特に面白い展開もなさそうだから、

カバンから抜いたソードオフショットガンをぶっ放したんだけど……

思わず身を守った狛枝には傷一つない。

 

「はぁ。まさか広がった散弾が全部脇をすり抜けるなんて、どんだけ運がいいんだか」

 

「……ねえ、こんな事を続けてたら、江ノ島さんまで破滅する。目を覚ましてよ!

世界はキミ一人で太刀打ちできるほど狭くは──」

 

二発目。確かにこいつの幸運は脅威だけど、不幸とワンセットなのが弱点なのよね。

つまり、一度不幸に見舞われて、才能をリセットしないと次の幸運は訪れないわけ。

まぁ、こいつの場合は二発目の散弾だったわけだけど。

 

「破滅するなんてそれこそ絶望的じゃない。なに言ってんの?」

 

破られた腹から、腸や胃袋、何の臓器かわからない肉片と大量の血液を撒き散らして、

狛枝凪斗は死んだ。

思えば可愛そうなことをしたかも。種を取り除いたりなんかしなければ、

無意味に殺される絶望に包まれてあの世に行けたのに。

 

「……あの時の狼藉は、これで許してあげる。次行かなきゃ」

 

アタシは狛枝の身体に詰まっていた、ブヨブヨする何かを踏みつけながら、

目的のコテージに向かう。ドアの前で立ち止まると、一応呼び鈴を押す。無反応。

後ろのお姉ちゃんに手を出す。

 

「戦刃軍曹、チェーンソーを持てい!」

 

「重いから気をつけてね。今度は何のキャラ?」

 

チェーンソーを受け取ると、リズムをつけてワイヤーを数回引っぱる。

エンジンが掛かって、トリガーを引くと無数の刃が高速回転を始めた。

 

「行っくわよー!」

 

気合を入れると、刃で扉にバツ印を描くように、木製のドアを切り裂く。

木くずが飛び散りボロボロになり、ドアが役目を果たさなくなった。

返り血やら木くずやらで、服は汚れきってるけど、どうせ仮想空間から出れば元に戻る。

ドアの残骸を蹴破って中に入る。

バリバリと大きな音を立ててドアが崩れると、ひとつ小さな声が聞こえた。

 

“ひゃうっ!”

 

あのね。せっかくダンボールに隠れたのに、声なんか出したら意味ないでしょう。

……罪木蜜柑!

部屋の隅に置かれたダンボールを足でどけると、中に罪木が小さくなって隠れていた。

 

「あああ、あのう!お願いです、助けてください、許してくださぁい!!」

 

「みんな一生懸命戦ってるのに、一人だけ逃げ隠れとはどういうことかしら?ん~?」

 

「ご、ごめんなさい!謝りますから、殺さないで!」

 

「どうして戦わないのか聞いているんだけど!?」

 

ドゥロン!と一瞬だけトリガーを引いて耳元で刃の回転音を聞かせてやる。

思い切り身体を震わせると、涙と鼻水を流してどうにか言葉を作る。

 

「や、やめてくらひゃい!私に、人なんて、殺せません!もう、許して……」

 

「ふーん。じゃあ教えてよ。ここの人間って、どうして血がピンク色なの?」

 

「どうしてって……そんなの当たり前じゃ……」

 

「ないの。アタシがいた世界じゃ、血液は真っ赤。

どうしてあんた達は変な色の血で生きていられるのかしら。

レーティングの問題もあるんだろうけど」

 

「それは、恐らく、血液1ccあたりのヘモグロビン含有量が」

 

「何そのつまんない答え。もういい、さよなら」

 

「えっ」

 

アタシは罪木の左肩にソーチェーンを当てると、斜めに向けてトリガーを引いた。

一瞬で回転数を上げた刃が、肉を引きちぎり、骨を絶ち、心臓へとゆっくり進んでいく。

 

「いぎゃあああ!!あああ!やめてやめてやめでえええぇっ!!」

 

血や、肉や、皮がブチブチと音を立て、細切れになって撒き散らされる。

人間の肉体は切れにくい。ホラー映画だと綺麗に切断できるのに。

 

「いだああい!いや、いやあぁ!!、やめてやめて!ごぼっ、ごぼふっ、ごげえええ!」

 

もはや生を諦め、白目をむいてひたすら死を待つ罪木。

その生きることへの絶望がアタシの脳を加速させる。

無駄に大きな乳房のせいで、刃が心臓に達するのに時間が掛かっている。

その恍惚の時を余すところなく味わう。

 

「げへっ、ああ…あううう……がぼっ…!」

 

罪木蜜柑は、最後に大きく血を吐いて、ようやく死ぬことができた。

きっと世界が平和という緩やかな死に包まれていた時代なら、

彼女のことを“可愛い”という人がたくさんいたんでしょうけど、

今はもう見る影もないわね。

 

その顔は血塗れで苦痛に歪み、

上半身が引きちぎられたように不自然に歪んで床にこぼれてる。

倒れてるんじゃなくて、こぼれてるの。そう表現した方がしっくりくるわ。

 

肉と脂肪で刃が使い物にならなくなったチェーンソーを投げ捨て、

アタシはコテージを後にした……

な~んて、これまでちょっとシリアスな感じで語ってみたけど、特に意味はないの。

もう飽きたから、次からはいつものペースで行っくわよ~!

 

「日向達の本丸は、多分レストラン。色々思い出もあるしねー。

ていうか、このガスマスク邪魔。もういらない」

 

「うん。あれは自然分解が早いから、もうなくても平気だよ。行こうか」

 

ウッドデッキを歩いて、田中君の死体があるプールサイドに逆戻りすると、

2つの人影が。おっきいのとちっさいの。ちっさい方が何か言い出した。

 

「テメー……覚悟できてんだろうな!」

 

「あ~ら、誰かと思えばおチビちゃんとママじゃない!今日は二人でお買い物?」

 

「ブチ殺すぞコラァ!!」

 

「ダメじゃない。そんな汚い言葉を使ったら。悪い子には躾が必要……ね!」

 

タァン!と、ハンドガンで正確に眉間を狙って銃弾を放ったんだけど、

何かに弾かれて当たらなかった。

 

「田中達の仇、ここで討たせてもらうぞ!ぼっちゃんにも触れさせはしない!」

 

鉄パイプを構えた辺古山さんの剣技で弾かれちゃったみたい。

アタシ達の銃に備えて、竹刀より頑丈な鉄パイプで撲殺することにしたってわけね。

 

「田中達、ね。そう言えば今、何人目かしら。数えるの面倒くさいんだけど。

やばっ、もう飽きてきちゃったかも。

でも、初志貫徹しなきゃみんな納得しないわよね。

“みんな”が誰かは想像に任せるけど」

 

「終わらせてやる。お前達の首を西園寺達の墓前に供えてな!」

 

「そんなのお墓に供えられたら大迷惑じゃない?

やっぱりヤクザの思考って理解できないわ」

 

「お姉ちゃん、ここは私が」

 

「うん、お願いねー」

 

アタシの指示と同時に、お姉ちゃんがアサルトライフルで5.56mm弾を放つ。

辺古山さんはそれを人間離れした反射神経と動体視力で叩き落としていく。

銃弾を弾きながら、じりじりとお姉ちゃんに接近する。

一方、絶え間ない銃声と金属音を耳にしながら、アタシは九頭竜君とご対面。

彼は短刀を構えてアタシを睨む。

 

「お前、今まで何人殺した……?」

 

「ん~数えてない!けど、一番面白かったのは罪木さんよ。

もう部屋中グッチャグチャのドロドロだもん!」

 

「そうかよ。テメエの指全部落として、腹かっさばいて、死ぬほど後悔させてやるよ!」

 

「いいの?みんな生き返るかもしれないのに」

 

九頭竜君が短刀を逆手に持ってアタシに飛びかかろうとした時、

彼にとって興味深そうなことを言ってみた。

 

「あん?下手な命乞いか」

 

「ここがバーチャル空間だってこと忘れてないかしら。

つまり、現実世界の肉体は傷一つない仮死状態。

だから、“これ”があれば、罪木さん達が死んだこともなかったことにできる。

実際Ver1.0で死んだ彼女達も、肉体が生きているから蘇ることができたのよね。

アタシが作ったバーチャルハッカー。これはVer2.01にも対応してる。

まぁ、未来機関の連中に任せるのも一つの手だと思うけど、

蘇生方法の解明に何十年かかるかわからないわよ?

ガチガチにプロテクトを固めてあるもの」

 

アタシは電子生徒手帳を取り出し、指先でトントンと叩いて見せる。

 

「何が言いてえんだ……」

 

「ちょっとアタシも反省してるの。いくら超高校級の才能を持ったあなた達相手でも、

銃で攻撃するのは反則だったんじゃないかって。だから、これを渡そうかと思ってね。

この世界をな~んで自由にできるアプリを。……うまくキャッチできたらだけど!」

 

語り終えると、電子生徒手帳を辺古山さんに向けて放り投げた。

 

「ペコ!そいつを奪え!」

 

「えっ!?」

 

思わず九頭竜君の叫びに反応してしまった辺古山さんの防御が止まり、

彼女の身体に無数の銃弾が突き刺さる。

 

「はがっ……!!」

 

「ペコ!!」

 

プールサイドに辺古山さんの血が飛び散り、九頭竜君が彼女のそばに駆け寄る。

無茶するわね~敵が目の前にいるのに。現にむくろが今度は彼を狙ってる。

でも、この後のやり取りを見たくなったアタシは、手でおねえちゃんを下がらせた。

 

「ペコォ!!すまねえ、俺のせいで!」

 

「ぼっちゃん……話は、聞こえて、いました……これで、みんなを」

 

辺古山さんが、血で汚れた電子生徒手帳を九頭竜に手渡す。

 

「ああ、お前のおかげだ。これで俺達は助かる!すぐ治して……」

 

手帳を起動した彼の目が驚愕でこれ以上ないほど開かれる。

次の瞬間、アタシのハンドガンが吠え、銃弾が九頭竜君の頭を貫通した。

そのままペコちゃんの死体に崩れ落ちる彼。

絶望慣れしてない彼を、これ以上絶望させるのも可愛そうだしね。

 

コツコツと足音を立てて、二人の死体に近づくと、

起動画面で操作を待って停止している電子生徒手帳。

そこに表示されていたのは、“罪木蜜柑”

 

「絶対勝てるジョーカーを渡すはずなんかないし、

そもそもあのアプリ、専門知識がないと操作できないのよね。

こんな当たり前のこと、どうしてわかんないのかしらー」

 

「最期の彼、凄く絶望してたよね。

自分のせいで味方が死んで、みんなが生き返る可能性も偽物だったなんて。

盾子ちゃん、すごいよ」

 

「ニシシ、それほどのことも~あるわね。こっからは別れましょう。

本格的に飽きが来たから、分担してさっさと片付けたいし?」

 

「そうだね。私は西、でいいかな」

 

「任せる~」

 

レストランを目指して、ホテルのロビーに向かって歩くと、入り口から誰かが出てきた。

あの明るい黄色は……左右田君じゃない!わぁ、愛しの彼!

 

「会いたかったわ、左右田君!」

 

「江ノ島、盾子……一緒に、地獄に行くぞ」

 

「それって新しいタイプのプロポーズ?

いやだわ!こう見えてアタシって攻められるのに慣れてないのにぃ!」

 

「冗談はそこまでだ。お互い後には引けねえ。そうだろうが……」

 

すると彼が自動小銃を構えた。これには少しばかりびっくりねぇ。

 

「あ~ら。こんなところに銃なんてあったかしら」

 

「AK-47。すげえ構造がシンプルで信頼性の高いアサルトライフルがあんだよ。

なんとか1時間で作れた」

 

「やっぱり超高校級のメカニックってチートだと思うわ!

それじゃあアタシも本気を出さなくちゃね!」

 

カバンに手を突っ込んでサブマシンガンを取り出すと、

お互い撃ち合いながら相手と距離を取って、銃撃戦を開始した。

鉢植えや建物の角でカバーしながら、銃弾を飛ばし合う。

威力は向こうが上、でもこっちは小回りが効くのよね。

左右田君がリロードを始めたのを見計らい、規則的にならんだ鉢植えを移動し、

アタシもマガジンを交換する。

 

彼が攻撃を再開すると、手だけを出してトリガーを引く。

こんな撃ち方で当たるわけないけど、これはあくまで牽制。

彼が身を隠した隙に、グレネードを取り出し、ピンを抜いて投げつけた。

 

“チッ!”

 

手榴弾に気づいた彼が鉢植えから飛び出し、ホテルの柱に飛び込んだけど、

爆発に一瞬間に合わず、ダメージを受けた。AK-47もどこかに飛んでいったみたい。

銃を構えながら、彼が隠れている柱に近づくと、

そこには体中に鉄片が刺さった左右田君。

 

「左右田君、アタシはとっても悲しいわ。

大きな確執を乗り越えて、少しずつ信頼を積み上げて、

自らの過去を打ち明けるほどの関係になれたあなたを殺さなきゃいけないなんて……

すごく絶望的で悲しいわ」

 

「ウソつけ……そんな笑顔で、そんな目で、何が、“悲しい”だ……」

 

「あ、やっぱわかる?

そう。こんな結末を導くだなんて、絶望って、なんて素晴らしいのかしら!

元の世界にいたらこんな至福は絶対に味わえなかったわ!」

 

「……やれよ。地獄で、待ってるぜ……」

 

銃声が闇を裂く。セミオートにして、一発だけ彼の頭を撃った。

その顔には、僅かな傷以外、苦しみの跡は見られなかった。こんなところかしらね。

やっぱりあなたの事、嫌いじゃなかった。死ぬ前にお友達になれて良かったわ。

これは本当よ?

 

「左右田さん!」

 

どこかに隠れていたソニアが飛び出してきて、左右田君の亡骸に駆け寄る。

 

「左右田さん、左右田さん!いや、目を覚まして!!ぐすっ…あああっ!!」

 

物言わぬ彼を抱きしめて、悲しみに暮れるソニア。

アタシに涙に濡れた顔を向け、必死に問いかける。

 

「どうして!どうしてなんですか!?彼を救おうとしていたあなたが!」

 

「あら、どこにいたの?

ひょっとして左右田君はあなたを守ってたのかしら。まさにナイトとお姫様ね。

質問に答えるわ。ようやく憎しみから立ち直った友人をこの手で始末する。

これ以上の絶望的行為が他にあって?」

 

「この……悪魔!」

 

「えー?自分だって2年ほど前までその悪魔だった癖に、

どーしてわかってくんないの?」

 

「……もう、いいです。私も殺してください。

今度こそ、本当に、帰るところを失いました」

 

ソニアは左右田君に寄り添い、最期の時を待つ。

 

「な~んかつまんないけど、これもひとつの絶望の形ってことなのかしら。

泣いたり叫んだり、罵ったり、みっともなく命乞いしてほしかったんだけど。

じゃあ、お望み通り、バイバーイ」

 

ダァン!という乱暴な銃声と、反動から来る手のしびれと同時に、

ソニアの頭部に穴が開き、柱に大量の血と脳漿がへばりついた。

悲鳴もなく死んだ王女は、左右田君と折り重なるように倒れ、

彼を抱きしめているように見えなくもない。

 

「あの世でお幸せに~」

 

アタシは後ろ手に指をヒラヒラさせて、かつての友人達とお別れしながら、

今度こそホテル入り口に向かう。その時だった。

 

 

♪♪!♫!♬♪♬!♪♫!♬~!! 盾子ちゃん!唯吹のロックで正気に戻るっすー!

 

馬鹿者!奴はもう手遅れだ!殺すしかない、歌を止めるな!

 

 

なんなの、この気色悪い歌は!

怪音波の発生源を見ると、ホテルの屋上に、エレキギターを抱えて歌う澪田唯吹。

そしてテラスにはヘッドホンを着けた十神白夜。

手持ち武器じゃ、ここから狙撃するのは無理っぽい。

 

ああ、背筋が震える!

黒板を爪で引っかくような、なんてありきたりな表現じゃ足りない。

脳みそを引っかかれてるのよ、冗談抜きで!

左手の指と右の肩で耳をふさぎながら、お姉ちゃんに電話を掛ける。

 

「ちょっとバカデブス、どこでなにやってるの!さっさとアレをなんとかしなさい!」

 

“ごめん、盾子ちゃん……私もアレで、上手く照準が……”

 

「後で往復ビンタ100連発ね!」

 

一方的に通話を切ると、今度はテラスから声が聞こえてきた。

 

「動きが止まったぞい!今がチャンスじゃあ!」

 

「聞こえねえけど、とにかく行くぜオッサン!もう2対1がどうとか言ってられねえ!」

 

ヘッドホンを着けた体育会系の暑苦しい奴らが二人、飛び降りてきた。弐大と終里!

あの体力バカ達を同時に相手にするのは、ちょっと厳しいわね。接近戦は奴らに有利。

サブマシンガンで足止めしつつ、二人を狙うけど、

素早い身のこなしで、やっぱり周辺の物体に退避したり、

射線から身を反らしたりして銃弾を避け、命中しない。

 

徐々に彼我の距離が縮まってくる。こうなったら不意を突くしかないわね。

あたしはプールサイドに立って、またお姉ちゃんに電話する。

 

「ねえ、二人が接近したら、アタシごと撃って!

アレなら多少外れても、奴らを吹っ飛ばせる!」

 

“危険だよ!盾子ちゃんまで巻き添えに!”

 

「やれって言ってんのがわからないの!?わかったら返事!」

 

“わかった。何か考えがあるのよね?信じてるからね?”

 

また電話をガチャ切りすると、肩に掛けたカバンを下ろした。

二人はもう目の前。拳を握って指を鳴らしながら歩み寄ってくる。

サブマシンガンは弾切れ。リロードしてる暇はないから、

壊れないようそっと足元に置いた。

 

「どうした!もう降参か!?」

 

「降伏して、お前さんが殺したみんなを、おかしな装置で元に戻せ。

そうすれば処置は考えんこともない。江ノ島、お前も被害者だから。

……日向がそう言うとった」

 

「日向ねぇ……どうしてみんなあのツンツン頭の言うことなんて聞いてるのかしら。

超高校級の希望だから?刑務所のリーダーだから?」

 

「あいつが一番オレ達のことを考えてくれてるからだよ!

お前のことだって、そうだったのに……!」

 

視界の隅で、何かが光るのを見た。

 

「仲良しごっこも結構だけど、あんまり他人に自分の運命預けないほうがいいわよ。

……こんなことになるから!」

 

アタシはとっさにプールに飛び込み、耳をふさいだ。

すると、何かが風切り音を立てて飛来し、弐大達の足元で爆発。

続いて、水中に何かがボタボタと落ちてきて、プールがピンク色に染まる。

上手く行ったわね。さっきの光は、ロケランのスコープに反射したホテルの明かりよん。

 

爆風を回避して水から上がると、

プールサイドには、手足がちぎれた弐大と、片腕を失った終里。

彼女が弐大を介抱しようとしてるけど、自分も瀕死だから、

そばで寄り添うことしかできない。

ふぅ、ずぶ濡れだけど、血やゴミでベトベト状態よりはマシね。

 

「あっ、ぎああああ!!はぁっ、はぁっ!これには、ワシも……うががが!!」

 

「オッサン、オッサン!なんでオレなんかをかばったんだよ!」

 

「選手を、守るのが、マネージャー……

う、があああ!頼む、麻酔薬をくれ!痛みで死にそうじゃあ!」

 

「待ってろ!今、罪木を」

 

「罪木なら死んだわよー?っていうかアタシが殺した。

彼女、無様な死に様ランキング暫定1位だから、

もっと頑張らなきゃチャンピオンになれないわよ。

ママでも呼んでくれたらポイントアップかも」

 

「テメエ……よりによって、二度もオッサンをミサイルで!」

 

「撃ったのはお姉ちゃんだし?あと、自分の心配したほうがよくない?

腕がちぎれてるんだから、早く止血しないとアタシが撃たなくても、もうすぐ死ぬよ?」

 

「せめて、その前に、お前を──」

 

素早くカバンから取り出したハンドガンで終里の腹を3発撃つ。

彼女って無駄に生命力高いから~!念の為3回撃っときました!!……3回言うと思った?

既に事切れた弐大と並ぶように倒れる終里。

 

猫丸ちゃん、赤音ちゃん!返事するっすー!

 

彼女が演奏の手を止めた瞬間、

この空を揺らすほどの爆音と共に、澪田唯吹から頭が無くなった。

彼女の手からエレキギターが落ちると、衝撃で一瞬デタラメな音が鳴り、

遅れて彼女がゆっくりと屋根に倒れた。お姉ちゃんから着信。

 

“アンチマテリアルライフルで致命傷を負わせたよ。次は何をすればいい?”

 

「大変よろしい。邪魔者はいなくなった。遂に敵の本陣に突入する時が来たわね!

ついてらっしゃい」

 

残り3名。正確にはあと一人いるんだけど、

彼女には絶望の概念とか無さそうだから外してある。

ホテル入り口の前で待っていると、敷地の隅から残念な姉が走ってきた。

 

「やったね、盾子ちゃん。これで大体片付いたよね」

 

「いよいよコロシアイ刑務所生活もクライマックスよー!いざ出陣じゃー!」

 

アタシ達はホテルに入り、レストランへの階段を上った。

そこに居たのは、日向創、十神白夜、花村輝々、そして、七海千秋。

 

階段を上りきると、見慣れた光景。みんなが一斉にアタシ達を見る。

花村君が可愛そうなくらい怯えてる。

やがて、緊張で顔を強張らせた日向創が近づいてきて、おもむろにアタシに土下座した。

 

「江ノ島、まだちゃんと謝れていなかった。改めて謝罪する。

……本当に、申し訳ありませんでした。その上でお願いがあります。

テラスまで九頭竜との話し声が聞こえて来ました。

あなたの能力で、みんなを生き返らせてくれないでしょうか……!?

当然代償は支払います。俺をいたぶって殺してください。それでどうか怒りを……」

 

呆れて腕を組みつつため息をつく。

 

「あー、うるさいうるさい。あんたっていつも要求ばっかりよね。

いつだって、ああしろこうしろ。

言い方が変わっただけで、今も自分の要求を押し付けてる」

 

「それは……詫びることしかできない」

 

「だ・か・ら!アタシ、あんたのお願いと逆のことをしようと思いまーす!

つまり、あんたの命だけは助けてあげるけど、他の連中は皆殺し!

これって超ウケると思わない!?」

 

「待ってくれ!それは……ぐあああ!!」

 

足元に這いつくばる日向の首筋に黒いものを押し付けると、力が抜けて床に横になった。

 

「出力最大のスタンガン、気に入ってもらえたー?あんたはそこで見ててよ。

残りのメンバーが虐殺されるところを、さ。意識があればの話だけど」

 

「や……め……」

 

「ややや、やめてよ江ノ島さん!風船爆弾の事は謝るから、お願いだからー!!」

 

「あんなしょーもない事件、君が口にするまで忘れてたわ。

うん、どっちにしても結末は同じだから」

 

「これ以上の勝手はこの十神が許さんぞ!貴様など、十神財閥が再興した暁には……」

 

「偽物君黙る。君も花村君も、あとわずかの命なんだから、

最後くらい本当の自分に戻ったら?超高校級の、詐欺師さん!」

 

「貴様に見せる素顔などない!」

 

「あ、そ。じゃあ、そろそろ終わりにしようかしら。戦刃伍長、マグナムを持てい!」

 

「あれは盾子ちゃんの手には大きすぎると思うよ。

あと、どうして階級が下がったのかな?」

 

「うっさいわね!さっさと出しなさい!ビンタ200発に増やすわよ!」

 

「ごめん。はい、これ……」

 

なーるほど。確かに普通のハンドガンよりデカくて重い。

オートマチックタイプの大型拳銃を、まずは花村君に向ける。

 

「いやだ、いやだ!おっぱい触ったこと怒ってるの!?

謝るから、なんでもしますから、助けてー!」

 

「それが遺言でいいのかしら。お母様泣くわよ?」

 

「お母ちゃーーん!!」

 

ナポレオンは街の中で大砲をぶっ放したらしいけど、

きっと敵兵も今のアタシと同じくらい驚いたんでしょうね。

両手でマグナムを構え、トリガーを引くと、室内に轟音が轟き、

小さな体の花村君は、大型弾で水風船のように弾け飛んだ。

弐大は手足がなくなったけど、花村君は胴がない。

レストランの壁が天井まで血で染まる。

 

「ワーオ、すんごい迫力!なかなかイケてるじゃん、コレ!

確かにちょっと手が痛いけど、どうせ殺すのはあと一人、だもんね!」

 

「……ほざいていろ。ここでささやかな復讐を果たしたところで、貴様に未来などない」

 

振り返ると十神君。相撲取りみたいな十神君。彼を撃ったらどんな死体になるのかしら。

 

「未来ですって?そんな絶望になりきれない、

単なる不確定要素のパチもんに最初から興味なんてないしー?十神君も、ほら、遺言」

 

「やれ、さっさと」

 

「じゃー、遠慮なく!」

 

その大きなお腹に向けて、マグナムをもう一発。

やっぱり耳に痛い銃声と共に、強力な弾丸が命中。彼のスーツを真っピンクに染めた。

あの脂肪でも銃弾は受け止めてくれなかったみたい。でも……

 

「どうした……狙いを外したのか、バカめ……」

 

「ねーお姉ちゃん。なんかまだHP残ってるっぽいんだけど、なんで?」

 

「多分、内臓を避けてきれいに貫通したからだと思うよ」

 

「もー!これ撃つと凄く手が痛いんだから、次はちゃんと死んでね、頼むから。

なんで鉄串一本で死ぬくせに、弾丸食らって生きてるのかしら。人体ってマジで謎!」

 

もう一度マグナムを構えて、今度は頭を狙う。そして、ゆっくりとトリガーを引く。

……テラスから闇をつんざく銃声が飛び出し、驚いた野鳥が飛び立つ。

それがコロシアイ刑務所生活の、終わりを告げた。

頭部を粉砕された十神君が、今度こそ、その巨体を床に横たえる。

 

「いよっしゃー!コロシアイ刑務所生活、絶望姉妹の大勝利ー!」

 

「おめでとう、盾子ちゃん」

 

「あんがとねー。お姉ちゃんもたまにはやるじゃん!」

 

「盾子ちゃんが褒めてくれるなんて……久しぶり。とっても嬉しい」

 

「そんじゃあ、この意味不明なバーチャル空間からは、とっととおさらばしましょう。

遺跡の装置で……」

 

どこからか、そんなアタシ達の喜びに水を差す、辛気臭い泣き声が。

あらら、七海さんどうして泣いてるの?

気を失っている日向のそばで涙を流す彼女にぶらぶらと近づく。

 

「泣かないで~七海さん。心配しなくても日向は生きてるし殺す気もないから。

その他は……なるようになっただけよ。物は考えようじゃない!

これから恋人二人きりで水入らずの生活を送ればいいじゃん。アッハハハ!」

 

明るく笑って彼女の肩を叩いて励ます。アタシ、マジ、優し過ぎ!

 

「江ノ島さん……これが、本当にあなたの望んだことだったの?

確かにスタートを間違えたけど、

みんなと過ごした思い出を握りつぶす事が、本当にあなたの望みだったの……?」

 

涙で濡れた顔で、七海さんがアタシに問う。

説明するまでもない事だと思うんだけど、どういうわけか伝わりにくいのよね。

 

「アタシはただ絶望を追い求めてるだけで、殺すことはただの手段よ。

今日、アタシはいろんな形の絶望を味わうことができたの。それはみんなに感謝してる。

AIでコピペ可能な実質不死身の七海さんを殺しても手応えがなさそうだし、

日向については、目覚めたらみんな死んでた。そんな絶望を作ってみたいの」

 

「もういい……ここから出てって。この世界から出てってよ!!」

 

あら、七海さんでも怒ることあるのね。言われた通り退散しようかしら。

どうせもう用事もないしね。

 

「そんじゃあ、さよなら。今までありがとねー」

 

「遺跡でログアウトしなきゃ。その後は塔和シティーで合流だね」

 

彼女は眠る日向に膝枕をして、ただ大粒の涙を流すだけだった、と。メモメモ。

 

 

 

 

 

遺跡前にワープして内部に足を踏み入れると、そこは多数の石版を積み上げて壁にした、

無機質な雰囲気が漂う法廷だった。今からやることは裁判じゃないけど。

 

「なんでもいいから適当な卓に着いてー」

 

「うん……盾子ちゃん、ここはどこ?」

 

「中央システムにつながってる特殊な法廷。

もしかしたらここで日向達と強制シャットダウンするかもしれなかった場所。

証言台にタッチパネルがあるでしょ」

 

「“留年”と“卒業”って表示してある」

 

「そう。それを両方同時に押して。

そしたら希望更生プログラムからログアウトして、現実世界に戻れるから」

 

「わかった。私、なんだか、ワクワクしてきたよ……」

 

「ふふん、わかってんじゃない。ここから、新時代が幕を開けるのよ!

モナカちゃんと3人で、もう一度世界を絶望で満たすの!」

 

「塔和シティーで、待ってるね!」

 

「行くわよ、レディー……!」

 

そして、アタシはタッチパネルのボタン2つを同時に押した。

 

 

 

 

 

目が覚めると、生命維持装置のカプセルが勝手に開いた。

腕に何本かチューブが挿されてる。

これで栄養分を補給したり、体内の老廃物を除去したりしてたってわけね。

アタシは邪魔なチューブを引っこ抜くと、装置から降りる。

そこは、淡い緑色の光を放つ生命維持装置が多数並んでいる、薄暗い空間だった。

 

「へぇ、現実世界の遺跡って、こんなだったんだ」

 

ちょっと中を歩いて様子を見てみる。

生命維持装置の中には、一部を除いて仮死状態になったみんなの肉体。

 

「そうだわ。中途半端はいけないわよね。きっちり最後まで殺さなきゃ」

 

アタシは、日向以外の生命維持装置に接続されている、

なんか重要っぽい線を片っ端から引きちぎった。

はぁ、結構重労働だったわ。お姉ちゃんがいれば代わらせたのに。

中央のコンソールを操作して、被験者の情報を参照する。

 

 

<被験者一覧及び健康状態>

 

日向創:健在

狛枝凪斗:死亡

十神白夜:死亡

田中眼蛇夢:死亡

左右田和一:死亡

 

 

この後も名前がずらりと並ぶけど、日向以外は全員死亡。よっし、これでオッケー!

もうやることはないから外に出る。スイッチを押して、鋼鉄の重い扉を開くと、

そこには青い広々とした空が……広がってなかった。

 

「何よこれ。なんか空が赤いんですけどー。空気もなんか…くんくん…臭っさいし!

マジどうなってんのよ~」

 

しょうがないから、アタシは砂浜に向かって歩いた。

コロシアイの後、モナカちゃんと細かい段取り詰めたんだけど、

もうすぐ漁船が迎えに来てくれるみたい。

なんか遠くから爆発音や機銃の射撃音が聞こえるんだけど、本当に大丈夫かしら。

 

ヒトデを踏み潰したり、ヤシの木を蹴飛ばしたりして暇つぶししてたら、

水平線の彼方から、一隻のみすぼらしい漁船が猛スピードで近づいてきた。

見る間にそれは砂浜近くにたどり着き、手漕ぎボートを下ろした。

中からアフロのおっさんが出てきて、ボートを漕ぎ、砂浜のアタシを迎えた。

 

確かにそいつもアタシと同じ目をしていて、笑顔で両手を広げ、

何語かもわからない言語で喋りかけてくる。

 

「あろあろ~サンキューベリマッチ、塔和シティー、タクシーOK?」

 

「ヤホー、エノシマ、バランベー!」

 

ソニアの超高校級の王女も、この、どマイナーな言語は網羅してなかったみたい。

適当に受け答えすると、またボートを漕いで漁船に乗せてくれた。

アフロの漁師が再び漁船のエンジンを掛け、出発した。

 

日本まで燃料保つ?

ちょっと心配になったけど、軽油が詰まったポリタンクが船尾に山ほど積まれてた。

まあきっと、漁師の準備というよりモナカちゃんの指示なんでしょうね。

 

適当に船室で昼寝してたら、漁師がアタシを起こしに来た。

何時間寝たのか曖昧だけど、もう着いたの?

外に出てみると、超高層ビルが立ち並ぶ、近代的都市が目の前に。

……でも、よく見ると、どの建物もボロボロ。

モナカちゃん本当にここで暮らせてるのかしら。

 

「リギー、リギー、ハズマトルヨ」

 

「日本語でOK」

 

どうやらもうすぐ到着だと言いたいらしい。

そして、南の岸壁に船を横付けすると、降りるよう手で合図してきた。

船から降りて、その地に降り立つ。ふ~ん、ここが塔和シティーね。

アタシは送ってくれた漁師に伝わらない礼を言う。

 

「ありがとサンキューもういいわ」

 

「イー、ガバラヨンタバ」

 

彼は手を振ると、どこかへと去っていった。帰りの燃料大丈夫かしら。

途中で遭難してもアタシは知らない。

でも、ひとり海の真ん中で身動きを取れず餓死していく絶望。それもアリかもね。

 

それで、後ろに現れた沢山の気配は何なのかしら。振り返るとモノクマの群れ。

でも、そのうちの一体が、聞き覚えのある声で話しかけてきた。

 

“おかえり、盾子お姉ちゃん!モナカだよ!

……お姉ちゃんなら、きっと生きてるって、信じてた。ぐすっ”

 

「ただいまモナカちゃ~ん!

アタシもモナカちゃんなら、きっと助けてくれるって信じてたよ~!

ホントに、ありがとうー!ん~っ」

 

思わずモノクマを抱きしめてキスしちゃった。

ただの機械音声だっつーのに、あんまり嬉しくて。

 

“こうして話してるってことは、迎えはもう着いてるってことだよね?

モノクマちゃん達についてきて!早く盾子お姉ちゃんに会いたい”

 

「うん、すぐ行くから待ってて」

 

“あの、モナカちゃん。私も盾子ちゃんと……”

 

「みんなー!エスコートお願いねー!」

 

モノクマ達に声を掛けると、全ての個体が一斉に敬礼した。

そしてアタシに道を譲り、待機させていたリムジンに誘導する。

車に乗り、座り心地の良いソファに身を預ける。

 

車が発進すると、給仕係のモノクマが、ワイングラスにサイダーを注いでくれた。

炭酸の心地よい刺激と、疲れを癒やす甘みがたまんない。

運転もモノクマが担当。それはさすがにちょっと心配だから、聞いてみる。

 

「ねー、あんたその手と短足で運転できんの?

事故るのは構わないけど、アタシに怪我させないでよね」

 

“大丈夫だよ。自動運転だから。モノクマちゃんは雰囲気作りに置いてるだけ”

 

「な~んだ最初から言ってよ、アハハ」

 

そしてリムジンはアタシと笑い後を乗せて、工場らしき区画へ向け、スピードを上げた。

 

 

 

 

 

モノクマ工場地下 モナカ専用研究室

 

 

「会いたかったー!盾子お姉ちゃんのこと、見捨てないでくれたんだね!」

 

アタシは直接会ったことすらない少女をぎゅっと抱きしめる。

彼女も小さな腕をアタシの身体に回す。

 

「当たり前だよ~モナカも会いたかった……

ずっと、ずっと。やっぱり未来機関なんて嘘つきだったね」

 

「あんな奴らに惑わされちゃ駄目。今度はアタシ達が奴らにおしおきする番よ!」

 

「うん!それよりお姉ちゃん、お腹空いてない?仮想空間の食事は味気なかったでしょ」

 

「えへへ。もうペコペコ。ジャバウォック島を脱出してから何も食べてなかったから」

 

「すぐモノクマちゃんに用意させるね。

略奪品なら大量に保管してあるから、たくさん召し上がれ!」

 

「盾子ちゃん、私も直接会えて……」

 

「やったぁ!モナカちゃん大好き!」

 

モナカちゃん大好き。今の所その言葉に嘘はないけど、

いつかその大好きが絶望に転落したら、身を震わせるような感動と共に、

新たな世界が見えてくるんでしょうね。まる。

 

 

 

それから、場所を移して会食兼作戦会議。

豪華なフルコースを食べながらモナカちゃんとお喋り。

無意味な規則に縛られてた頃が懐かしいわ。

 

「アタシ的には~モナカちゃんが送ってくれたプログラミングのテキストあるじゃん?

あれで習得した能力でもう一度絶望ビデオを作りたいの。今度はとびきり強力なやつ」

 

「面白そう!必要な機材や設備があったらなんでも言ってね!

大抵のものはモナカの研究室にあるから」

 

「ありがと~モナカちゃん愛してるわ。

さっそくだけど、絶望ビデオとそれが見られるまともなパソコン貸してくれないかしら。

電子生徒手帳の小さな画面でバーチャルハッカー作るのって、

マジ大変だった。マジ大変だった。今度は2回言ってあげたわよ」

 

「研究室にパソコンが何台かあるから適当に使ってね。

共有フォルダーの“despair”に動画ファイルが置いてある」

 

「あの……私も何か手伝おうか?」

 

「ああもう、お姉ちゃんは黙ってて!今、モナカちゃんと大事な話してるの。

必要になったら呼ぶから、お・静・か・に!」

 

「ごめん……」

 

「で、その絶望ビデオを分析して、作った奴の能力をパクっちゃおうってわけ。

その上で新型絶望ビデオを作成する」

 

「今度こそ世界は絶望に飲まれるんだね!

……え、作った奴って?絶望ビデオって盾子お姉ちゃんが作ったんだよね?」

 

「あっ……そう、そうなの!アタシが言いたいのは、改めて内容を解析して、

グレードアップの余地が無いかを検討したいってことなの。

でも、ちょっと問題があってね……」

 

「なあに?モナカになんでも相談して?」

 

「肝心の新型を世界中に広める方法がないの。

世界中の殆どの地域でネットワークがぶつ切り状態の今じゃ、絶望ビデオを作っても、

インターネットが健在だった頃みたいには上手く行かないの……

ねぇ、どうしたらいいと思う?」

 

上目遣いで彼女の知恵を拝借できないか尋ねてみる。

 

「それなら、いい方法があるよ!」

 

「本当!?詳しく聞かせて!」

 

「未来機関が使ってる主要なネットワークは、

全部クラッキング及び盗聴をしてるんだけど、

その中に希望ヶ峰学園海外校になるはずだった建物を利用した、

極秘施設があるらしいって情報があったの。

そこには全世界に情報を発信できる巨大な電波塔があるんですって。

そのシステムに直接盾子お姉ちゃんの作品をアップロードすれば、

あっという間に世界は絶望に真っ逆さまだよ!」

 

「それだわ!そうと決まれば、すぐ制作に取り掛かるわ。

まずはこれを食べなきゃね。ああ美味しい」

 

「ふふ。盾子お姉ちゃんと一緒の食事、モナカも楽しいよ」

 

微笑むモナカちゃんは、ごく普通の小学生にしか見えなかった。

彼女がこれから世界を再び破滅と混乱に陥れる計画に加担してると、

一体誰にわかっただろうか。今日はここまで。

 

 

 

 

 

未来機関第一支部 近郊の荒野

 

 

ボクの人生は、ここで終わる。

囚人服を着せられ、丈夫な柱に縛り付けられた。

両手は柱の後ろ側で手錠を掛けられ、全く抵抗できないようにされている。

目の前には刀を抜いた宗方さん。更に後方には、多数の護衛。

彼らに守られるように天願さんと、ボクと同じく拘束された霧切さんがいる。

 

「苗木誠……貴様は、会長の期待を裏切り、さらなる失態を重ね、

希望更生プログラムの協力者ほぼ全員の死亡という最悪の結果を招いた。

そして!彼らを殺害した江ノ島盾子の逃走すら許した。

もはや反逆などという軽い言葉では表現し得ない。未来機関への完全なる敵対行為だ!」

 

彼の怒りが迸ると、思わず唾を飲む。

今回ばかりは天願さんも、そして霧切さんも擁護しきれなかったみたいだ。

二人共、悲しそうな表情を浮かべている。

もっとも、ボクも許されるべきだと思っていない。自分自身が。

 

「よって、貴様を処刑することが議会で結論付けられた。何か、言い遺すことはあるか」

 

「ボクのせいで、死んでいった皆さんに、心から、お詫びを……痛づっ!!」

 

一閃。宗方さんの手首が動いた瞬間、僕の右腕が裂かれ、血が吹き出した。

 

「お詫びだと?全ては貴様の無能が、甘さが、愚かさが招いたことだ。

詫びるなら生まれてきた事を詫びることだ」

 

「やめたまえ宗方君!

死刑囚であろうと、刑の執行前にいたずらに痛めつけることは許されん」

 

「それを、殺された協力者の前で言えますか?」

 

「……いや」

 

「そして、霧切響子。反逆者をかばい続けた貴様にも相応の罰を受けてもらう。

苗木誠が絶命する瞬間まで、刑の執行を見届けろ。

一瞬たりとも目をそらすことは許さん」

 

「承知、しています」

 

そう答えた彼女の声は微かに震えていた。

宗方さんの刀を構えると、刃が赤く燃え上がり、陽炎を立ち上らせる。

 

「行くぞ」

 

覚悟は決めたつもりだったけど、手錠をはめられた両手がガタガタと震える。そして。

 

「破っ!!」

 

超高熱の刀で肩から斜めに肉体を切り裂かれたボクは、

斬撃と全身に回る炎の激痛で絶叫する。

 

「あぐあああ!!ああ、あああ!!げふっ、ぎゃっ、ああ……」

 

霧切さんは、護衛の警備兵に押さえつけられ、

目をそらすことも、耳をふさぐこともできず、

燃え尽きていくボクをただ見ていることしかできなかった。

かつて、超高校級の希望と呼ばれたボクの人生は、こうして幕を閉じた。

 

 

 

 

 

塔和シティー 工場地区

 

 

「へ~え。モナカちゃんとこの実家って、こういうのも作ってたんだ」

 

アタシは工場の隠しエリアで密造されていたハンドガンのスライドを引いた。

チャッと小気味良い音が鳴る。

超高校級の軍人の能力をコピーしてるから、扱いはお手の物。

 

「一応実家だけど、家族なんかじゃないよ。ただの置物。間抜けばっかりだったし~」

 

「小学生に街一つ乗っ取られるくらいだもんね。どんだけ脳みそないんだって話。

それより、こういうのはお姉ちゃんの得意分野でしょ?また適当なの見繕っといてね~」

 

「うん、任せて。……すごいな。対空ミサイルまである」

 

「未来機関のハエがうるさいんだー。とっても役に立つよ」

 

「遊んでないでさっさとしてよ」

 

「わ、わかった。ええと、まずハンドガン2丁とサブマシンガン、

それぞれマガジン10本ずつと、フレアガンも要るよね……」

 

スーパーに夕飯のおかずを買いに来たかのように、銃火器を漁るお姉ちゃん。

そう、アタシ達は未来機関極秘施設への突入準備に余念がないの。

新型絶望ビデオも無事完成したし、

後は極秘施設の放送設備にこのUSBメモリをぶっ挿せば、

世界は今度こそ完全に絶望に染まるのよ!

軽いデモンストレーションも済ませてあるしね。

やっぱ極秘施設ってからには、警備とかヤバそうじゃん?

 

「ねえ支度まだー?」

 

「お待たせ。今終わったとこ。そろそろ出発しようか」

 

「お姉ちゃんが仕切んないで。モナカちゃん、輸送ヘリの準備、お願~い」

 

「もうできてるよ!いつでも出発できる。

極秘施設の位置もキャッチしてるし、残るは新型絶望ビデオのアップロードだけだよ!」

 

「モナカちゃんってば本当にお利口さん!

ありがとう、今度こそお姉ちゃんの夢が叶うわ。

全部、モナカちゃんが力を貸してくれたからよ」

 

「盾子お姉ちゃんのためなら、なんだってするよ!モナカも、絶望だーいすきだもん!」

 

「いい子いい子。そろそろ出発しようか。ヘリまで連れてってくれる?」

 

「うん!ヘリポートは、塔和ビル屋上にあるよ。

リムジン待たせてるから、みんなでGOだね!」

 

「よーし、第二次世界絶望化計画、はっじまりよー!」

 

アタシが振り上げた拳の中には、小さなUSBメモリ。

これを配信すれば、全てが……始まるのよ。

 

 

 

 

 

未来機関極秘施設 上空

 

 

「うーわっ、えらいことになってるわねえ」

 

ミニガンで敵機を撃墜し、フレアガンで誘導ミサイルを撹乱しつつ、

未来機関の極秘施設とやらの上空まで来たんだけど、明らかに防御が手薄で、

輸送ヘリでも難なく突破できた。その原因は、やっぱ、アレよね。

 

アタシは眼下に広がる光景に胸が踊った。

モノクマのマスクを着けた集団が、極秘施設を襲撃してる。それも100人200人じゃない。

1000人は軽く超えてる。

テストを兼ねて、かろうじてネットワークがつながってる1エリアだけに、

新型絶望ビデオを流したんだけど、たったそれだけでこの状況。

 

未来機関の戦闘員全部と、死を恐れない絶望ファンが激突してる。

銃で武装した戦闘員が絶望ファンを鎮圧しようとしてるけど、

新型絶望ビデオで筋力のリミッターが外れて理性を失った絶望ファンも、

血みどろになりながら思い切り角材や鉄パイプを振り下ろして、

戦闘員の頭をヘルメットの上から叩き潰してる。

ヘリのローター音で聞こえないけど、奴らの悲鳴が届いてくるかのようだわ。

 

計画が完了したら、世界中でこの素敵な光景が繰り広げられるのね。

ちょっとした感動みたいなものに浸っていると、ヘッドホンからモナカちゃんの声。

 

“もうすぐ目標ポイントに到着するよ!

放送設備は別棟のあの建物!そろそろ準備したほうがいいよ!”

 

“サンキュー!じゃあ、アタシ達は降下するとしますか。お姉ちゃん、急いで”

 

“うん。装備もバッチリだよ”

 

“搭乗口、開けるねー”

 

“オッケー。3,2,1で飛び降りるから、遅れないでよ?”

 

“大丈夫。パラシュートも固定完了。いつでもいいよ”

 

それじゃあ……3,2,1,降下!

ついにアタシ達はヘリから飛び降り、未来機関の極秘施設上空でパラシュートを開き、

放送施設付近に着地した。

素早く用済みのパラシュートを外し、目標地点入り口に向かって駆け出す。

 

「お姉ちゃん、アタシの武器パス」

 

「はい、これ」

 

並んで走りながら、お姉ちゃんから武器を受け取る。

地上では相変わらず絶望ファン達が余計な雑魚達の相手をしてくれてるから、

邪魔が入らず内部に潜入できた。でも、順調なのはここまで。ラスボスが多分待ってる。

 

──とうとう、ここまで来おったか

 

放送施設に入ると、フロアの中央に巨大なコンソール。アレが最終目標。

放送設備の制御システムの前に、気の弱そうな男の子と、

彼を守るように、グリーンのコートを来た爺さんと、

そんなに白が大好きかってツッコミたくなるほど、

髪もスーツも白で統一した男が立っている。

 

「えっ、江ノ島盾子!?どうしてお前が生きてるんだよ!なんで、また……!」

 

「残~念でした。絶望はね、死なないの。だから江ノ島盾子という存在が蘇った。

アンタの目の前に居るアタシが、それを証明している」

 

「何度蘇ろうと関係ない。二度と生き返らぬよう、次は死体を燃やし尽くしてやろう!」

 

骨伝導式無線機から、モナカちゃんの声。

 

“盾子おねえちゃん。お爺さんは天願和夫、白いのは宗方京助。

どっちも未来機関の偉いさんだよ~”

 

「なるほどね~ありがと。ちなみに向こうの坊やは?」

 

“知らな~い。どっかの構成員じゃない?”

 

「わかった。すぐ済ませるから、待っててねー」

 

宗方が刀を抜くと、どんな仕組みか知らないけど、急速に熱を帯びて真っ赤に燃える。

同時に、彼が俊足で一気に距離を詰めてきた。

 

「うおおお!!」

 

「お姉ちゃんはアイツお願ーい。アタシは爺さん殺るから」

 

「わかった!」

 

お姉ちゃんがアサルトライフルで宗方を迎撃、

奴は一旦足を止めて斬撃で銃弾を打ち払いつつ、横や後ろに跳躍して回避する。

アタシは天願の爺さんにハンドガンを向けるけど、

彼が右腕を向けると、手首の辺りから何かが飛び出してきた。

瞬時に見切って回避すると、飛んできたのは、矢。

 

袖箭(しゅうせん)?渋いの使ってるじゃ~ん!」

 

「江ノ島盾子。次こそお前にとどめを刺し、世界に安寧を取り戻す!

……御手洗君、希望のビデオを準備してくれたまえ!」

 

「はい!アップロード開始。……頼む、間に合ってくれ!」

 

トートツに始まったバトル展開の最中にトートツな単語が出てきました。

なんかろくでもなさそうな名前だから潰したほうがよさそう。

袖箭とハンドガンの撃ち合いは一進一退。お互い、撃っては前進、撃っては後退。

腰の曲がった爺さんなのに、やたらすばしっこくて、面倒ったらありゃしない。

お姉ちゃんはどう?

 

 

 

銃剣を取り付けたショットガンに武器を切り替えたお姉ちゃんは、

宗方と撃ち合い斬り合いを続けていた。

曲芸師のように散弾を回避し、一気にジャンプして接近してきた宗方は、

発熱刀と銃剣でお姉ちゃんと鍔迫り合いになった。

 

「戦刃、むくろ……貴様も墓場から甦った過去の亡霊か」

 

「お前には、関係ない……!」

 

銃剣が熱で溶解を始めた瞬間、トリガーを引いて散弾を発射。

とっさに身を引いた宗方に追撃を掛ける。

そいつは床を駆け、壁を蹴り、縦横無尽に空間を移動し、

ショットガンの散弾を鮮やかに回避する。

 

「絶望。薄気味悪い刹那主義に取り憑かれた狂人共。お前達に生きる資格はない。

ここで、朽ち果てろ」

 

「知った風なこと言わないで。お前には、何も救えない。今から、教えてあげるから」

 

ショットガンをリロードして隙を見せた瞬間、宗方が床を蹴ってお姉ちゃんに突進。

だけど、それを待っていたようにお姉ちゃんはショットガンを放り出して、

小型のピストル型武器を正面に放った。その時、フロア内にいた全員の動きが止まった。

 

「うがあああっ!!」

「きゃああ!!」

 

弾丸は高熱と閃光を発して爆発し、お姉ちゃん自身を巻き込んで宗方を火だるまにした。

両者転げ回って火を消したけど、重度の熱傷で立ち上がるのがやっと。

 

「こ、これは……フレアガンかっ!?貴様、自滅覚悟で!」

 

「はぁ…はぁ…お前に同じこと、できる?」

 

お姉ちゃんは足元のショットガンを持ち直すと、また宗方に向けてトリガーを引く。

閃光で目が潰れてるから、気配だけを頼りに撃ちまくる。すると、5発目で命中。

奴の腕が吹き飛んだ。とうとう宗方はその場に崩れ落ちる。

 

「ぐああっ!この…死に損ないがぁ!!」

 

半死半生の宗方にとどめを刺すべく、お姉ちゃんはフラフラと奴に近づく。

つま先に奴の革靴が当たると、片手でショットガンの銃口を足元の存在に向けた。

 

「未来機関は、お姉ちゃんに、勝てない。……さようなら」

 

天井の高い空間に銃声が響き渡る。宗方京助は頭部の3分の2を吹き飛ばされて即死した。

 

「宗方さん!」

「宗方君!」

 

迂闊にも天願が宗方の死体に目を向けてしまう。そのチャンスを逃すアタシじゃない。

すかさずハンドガンを1マガジン撃ち尽くす。

天願の老いた身体が、またたく間に穴だらけになる。

 

「うっ、ぐはああっ!!」

 

彼のメガネが金網状の床にカラカラと転がった。

全身から血を流し、時折血を吐きながら、彼はコンソールに向かって手を伸ばして、

謎の少年に言葉を残す。

 

「世界の、希望を、君にたくす……」

 

そこで天願は事切れた。邪魔者はいなくなったけど。

……アタシは、床に座り込むお姉ちゃんのそばに寄る。

火傷で真っ黒な顔でアタシに微笑む戦刃むくろ。

 

「まったく、無茶しないでよ。アタシまで黒焦げになるとこだったしー?」

 

「ごめんね、最後まで、残念なお姉ちゃんで……」

 

「できればもうちょっと手伝って欲しかったんだけど、こりゃどうしようもないわね。

119番が生きてても無理」

 

「いいよ。盾子ちゃんは、夢を、叶えて」

 

「熱傷Ⅲ度……アタシにできる応急処置って、これくらいしかないの」

 

ハンドガンをリロードして、スライドを引く。

 

「うん、お願い」

 

「お姉ちゃん。お姉ちゃんは……臭くなんかなかったよ」

 

銃口から炎と弾丸が飛び出し、戦刃むくろの頭を貫いた。

穏やかな死に顔だから、多分即死。姉を殺したわけだけど、大して絶望は感じなかった。

お互い偽物だったからだと思う。さて、最後の仕上げに取り掛からなきゃ。

 

「天願さんも……宗方さんも……」

 

コンソールの前に知らない男の子が呆然として立ち尽くしてる。正直邪魔なんだけど。

 

「どいてくれる?それ使いたいんだけど」

 

「江ノ島盾子!いやだ!!これで世界から絶望を消し去るんだ!

僕はもう逃げな……ぎゃああっ!!」

 

パァン!と一発。膝を撃ち抜いてやったら、泣きながら床を転げ回る。

 

「痛い、痛いいぃ!!」

 

「弱いくせに出しゃばるからよ。困ったわね、このキーボード使いにく過ぎワロタ、と。

まずは変な奴のアップロードをキャンセル。

で、こいつをUSBポートに差し込むと……!」

 

アタシは、新型絶望ビデオが仕込まれたUSBメモリをコンソールに挿入。

すると自動でアップロードが始まる。

新しいビデオには、他の奴にも拡散するように暗示が掛かるようになってる。

直接スマホか何かで見せたり、生きてる通信網に上げたり、手段は問わない。

それほど時間を掛けることなく、今度こそ絶望が世界を覆い尽くす。

 

一仕事終えたアタシは、コンソールに寄りかかって、アップロード完了を待つ。

15分ほどで全て完了だけど、少々退屈だったから、

地べたで転がってる奴に、話しかけてみた。

 

「ねえ、あんた結局どこの誰で何がしたかったの?」

 

「僕を忘れたのか!お前がアニメーターの才能を盗んだ、御手洗亮太だよ!」

 

「ごめん、マジで知らないか忘れてるわ。で?こいつで何をしようとしてたの」

 

「言うもんか……!」

 

「膝、両方ともなくすわよ?」

 

御手洗とかいう奴は、ハンドガンを向けると血色の悪い顔を更に青くする。

 

「ひっ、やめてくれ!希望のビデオを世界に送ろうとしてたんだ!」

 

「希望のビデオ?」

 

「見た人の意識から、絶望や悲しみと言った負の感情を消し去る効果があるんだ……

怒りも憎しみも!争いもない世界が実現できるんだよ!」

 

「はぁ?なにそれ。人らしい感情をなくすなんて最低じゃん。

まだ人間の欲望を開放する絶望ビデオのほうがよっぽどマシだわ。

あんた、自分が弱いからみんなにも弱くなって欲しいだけなんじゃないの?」

 

「……そうだよ。僕は弱いんだ。だからこそずっと見てきたんだ。

強者が弱者を虐げる、そんな現実を!僕はそれを──っ!」

 

話長いからハンドガンを弾いて永遠に黙らせた。なんかこいつ見てるとムカつくし。

 

【UPLOAD COMPLETE】

 

って、そんなことどうでもいいわ!配信完了!

これで夢にまで見た、かつてないほどの絶望がやってくるのね!

絶望ファンはより凶暴性、凶悪性を増し、世界に破壊と破滅と混沌の嵐が吹き荒れる!

絶望の時代が、訪れるのよ!

 

アタシはしばらくコンソールのディスプレイを撫で回した後、放送施設から出た。

もう新型絶望ビデオの効果が現れてる。

一部の未来機関の戦闘員が、味方のはずの戦闘員を攻撃してる。

みんなも絶望の素晴らしさをわかってくれたのね。歓迎するわ。

モナカちゃんに骨伝導式無線機で連絡を取る。

 

「モナカちゃん、やったよ!ビデオ配信大成功!

我が方にちょっとした損害が出たけど、まあ仕方のない犠牲よね」

 

“おめでとう!盾子おねえちゃん。

むくろお姉ちゃんのことは残念だったけど…あ、これはご愁傷様ですって意味だからね?

とにかく、すぐ迎えに行く。素敵な世界に、なるといいね……”

 

「何もかもモナカちゃんのおかげよ。これからは真の絶望の時代。

アタシ達は、その先駆者になるのよー!ウププププ~」

 

その後、モナカちゃんのヘリで未来機関の極秘施設を後にしたアタシは、

崩壊への道を突き進む世界を、誰も知らないどこかでひっそりと見物するのであった。

おしまい。

 

 

 

 

 

数年後。

 

アタシは何かの毒物で枯れた雑草の絨毯に座りながら、

昔、時々書いていた手帳を読んでいた。

手帳を閉じると、目の前には倒壊した未来機関の極秘施設だった残骸が。

空はあの時のような赤じゃなくて、毒々しい紫に変わった。

世界はアタシの望み通り、破壊、暴力、死。

それらがもたらす絶望を絶え間なく与え続けてくれた。

 

モナカちゃんは毒の大気に耐えきれず、あっけなく死んでしまった。

塔和シティーで作っていた空気清浄機が、強力な大気汚染に対応できなかったらしい。

アタシももう長くない。最近咳が止まらないの。

じわじわと死ぬ日を待つのって、なかなか素敵な絶望ね。

風の噂によると、既に人類は種として存続することが出来ないほど、

その数を減らしてしまったらしい。なんて悲劇かしら。またアタシの胸に絶望が宿る。

 

すると、アタシの背後に一人の気配。振り返ることなく、呼びかける。

 

「お久しぶりねー!カムクライズル!」

 

「日向、創だ……何年もお前を探していた」

 

立ち上がってスカートの土を払い、彼と向き合う。

すっかり成人を迎えて男になった日向創がそこにいる。

 

「なあに。今更アタシを殺しに来たの?」

 

「ああ。お前が造った世界と共に、死んでいけ……!」

 

お互い腰のホルスターに手をかざす。

古臭い決闘だけど、さっさと勝負が着くから嫌いじゃないわ。

腐臭を孕んだ風が通り過ぎ、互いの集中力が極限まで達した瞬間。

 

銃声。

 

アタシの胸に穴が開いた。血を流して倒れるアタシを、日向が見下ろす。

彼の真っ赤な両目を見て悟った。

 

「そう……超高校級の、ガンマン……早撃ちに、特化した、軍人を上回る能力……」

 

「……江ノ島。お前は、結局、誰だったんだ」

 

「僕は、死ぬ……死の絶望……生まれて初めて、そして最後の……ぜつ、ぼう……」

 

自分の人生はどうだったかと聞かれると、アタシは、私は、僕は、幸せだったと思う。

かつて僕が生きていた世界では、心を引き裂くような絶望に出会うことは、

きっとなかったから。意識が、闇に、奪われていく。

遺言を遺すとしたら……この素敵な世界に、さようなら。

 

 




GAME OVER

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Answer_B →許す

電子生徒手帳を持ったまま動けない。僕は、迷って、迷って、また迷って……

手帳をポケットにしまった。

 

「……」

 

結局何も決められない自分に失望し、そのまま階段を下りようとすると、

僕を呼び止める声。

 

「待って、江ノ島さん!」

 

「七海さん、僕は、江ノ島じゃない……」

 

「なら、やっぱり名前を教えて欲しいな!

君が初めてここに来た時、名前を叫んでくれたけど、

世界にノイズが走って聞き取れなかったの!」

 

「すまねえ……その後オレにも名乗ってくれたが、

やっぱり雑音混じりで聞こえなかった。

そん時は、お前を誤解してて、頭に血が上ってたから、気づけなかった……」

 

「……ならそれでいいじゃないか。僕が江ノ島盾子でいればそれでいいんだろう?」

 

“ふーん、またそうやって誰かの都合に流されるんだ?”

 

不意に心の中から江ノ島が呼びかけてきた。何が言いたいんだよ。

 

「お願い、そんなこと言わないで?本当のあなたを知りたいの」

 

「違う!僕は、絶対に誰にも利用されたりなんか……痛っ!」

 

「大丈夫!?」

 

今度は頭を抱えるような頭痛と共に複数の声。

 

“ギャハハハ!今になって他の生き方なんかテメーにゃ無理だっての!”

 

“彼女に同意します。常に急場の判断を誰かに任せ、困難から逃げ続けてきたあなたが、

一般人らしく生きられる可能性は、ゼロです”

 

“お前がこの島で生き延びられたのは、私様(わたくしさま)達の助力あってのこと!

赤ん坊同然のお前が外に出た所で、一人で生きられると思って?”

 

“大人しく……私達に心を預けて、言われたままに生きればいいと思います……

他に選択肢がないなんて、あまりに哀れで涙が出そうですけど……”

 

“君が島を出たとしても、どうやって生きていくつもり?

無能な君が稼ぐには、男の人とアレするくらいしかないよね?キャッ、恥ずかしっ!”

 

そうだよ。僕には、ダンガンロンパの世界で生き抜く力なんてない。

平和な元の世界でも生きられなかったのに。

自分じゃ何も決められない。何も解決できない。

誰かに助けてもらわないと生きられない。僕は、無力なんだ……

 

──それは違うわ!

 

諦めに満たされた脳内で最後の一人が声を上げる。

……あの日出会った、大人になった江ノ島盾子だ。

 

“アタシ達が力を貸したのは学級裁判の時だけ。

あなたは、自分を傷つけたり陥れようとしたクロさえも救ったじゃない!

みんなの助けがなければ生きられないのは誰でも同じ!

その仲間との絆を育んできたのは、他でもないあなた自身じゃないの!

誰に言われたわけでもなく、自分の意思で!”

 

“うっせえぞババア!

こいつを絶望のどん底に叩き落として、面白れー世界を見るんだよ!引っ込んでろ!”

 

“歳を取ると意固地になるって、本当なんですね……ああはなりたくない、です……”

 

“ちょっと良いこと言った気分になっているところ恐縮ですが、彼の現状を見て下さい。

全てを支配する力を持ちながら、どうするべきかも決められず、突っ立っているだけ。

やはり重要な決定ができない意志薄弱無知蒙昧な人物なのです”

 

“人間だから迷うこともあるわよ!……わかったわ。彼自身に決めてもらいましょう。

最後の学級裁判で!!”

 

なんか勝手に話を進めてるけど、誰を裁くっていうのさ。誰と戦うっていうのさ。

もう、ずっとここで生きていたいよ。誰も僕を責めたりしない、誰もいないこの島で……

 

“諦めちゃだめ!裁く相手は自分自身。

今までの自分に納得が行かないなら、後悔のないこれからを生きるしかないじゃない。

さあ、みんなのところに戻って”

 

“これから”?僕にそんなものがあるのなら……わかったよ。やるだけやってみる。

朦朧とする意識の中で、よろよろと足を運び、日向創の前に立った。

彼が心配そうに問いかけてくる。

 

「どうしたんだ、しっかりしろ。……物凄い熱だぞ!とにかく横になるんだ!」

 

「いい。僕、決着をつけるよ」

 

「決着、だと……?」

 

周りの人達が緊張して、室内が張り詰めた雰囲気に包まれる。

またバーチャルハッカーで何かやらかすのかと思ったのかもしれない。

構わず僕はゆっくりと目を閉じる。そこで一旦意識を失った。

 

 

 

 

 

再び目を覚ますと、そこは奇妙な法廷だった。

果ての見えない白の世界に、証言台が円形に置かれただけの寂しい世界。

 

「ここ、どこ……えっ!?」

 

声が、元に戻ってる。江ノ島盾子の肉体に宿る前の、素の自分。

身体を探るけど、やっぱり安物のTシャツとジーパン。腕も男に戻ってる。

だけど、いつの間にか妙なものがそばに置かれていた。細長いそれを手に取る。

これは確か、三八式歩兵銃。まさかこれで……

 

“さっさとしやがれって言ってんだよ、グズ野郎!”

 

どこからか罵声が飛んでくると、同時に江ノ島盾子達が証言台に出現した。

これまで学級裁判で、現れては消えてを繰り返し、法廷を引っ張ってきた存在。

この大昔の銃で、彼女達と戦えっていうのか!?言弾(コトダマ)もないのに!

 

「お覚悟の程を。

この裁判で私達が勝利した暁には、肉体の支配権を明け渡していただきますので」

 

メガネの江ノ島が意味のわからない事を言う。

 

「勝利も敗北もないじゃないか!何も事件なんて起きてないのに!」

 

「あなたの理解能力のなさが理解できません。

ババ…年長の私の言葉を借りるなら、あなたはあなた自身と戦うのです。

もっとも、先程申し上げた通り、勝算はほとんど無に等しいですが」

 

「僕、自身と……?」

 

「そーだよー?

わたし達に頼り切ってきた君が、わたし達と決別できるか、ここで決めるの!」

 

「自分を、信じて。必ずできる。ずっとそばにいたアタシが保証する」

 

貴婦人のような江ノ島。彼女だけが僕の味方。逆に言うと他は全て敵だけど。

 

「無責任な、励ましですよね……そろそろ、始めませんか……?彼の、処刑裁判……」

 

「僕は……戦うよ。生きて、必ず、帰るんだ!」

 

決めた。もう一度、みんなのところに帰るよ。みんなを倒してでも!

 

「威勢がいいね。それじゃあ、見せてもらおうか、君自身の選択を、さ」

 

僕は古ぼけた銃を手に取り、最後の戦いに備えた。

 

 

■議論開始

コトダマ:弾薬欠乏

 

江ノ島(ギャル)

あんたさー、社会に馴染めなくて引きこもりになってんだよね。

だったら、[元の世界に戻っても同じ]なんじゃなーい?

 

江ノ島(キザ)

聞いたことないかい?ダメな奴は[何やってもダメ]。

今更、一念発起したところで、何も変わりはしないのさ。長続きもしない。

 

江ノ島(メガネ)

集団生活ができない。自己主張できない。競争社会に耐えられない。

無い無い尽くしの[あなたに居場所はない]というのが、世界が示した現実です。

 

江ノ島(凶暴)

大型の免許も持ってねえお前に何ができんだよ!

[何の取り柄もない]お前が生きててもしょーがねえんだよ!諦めて身体よこせ!

 

江ノ島(女王)

いいえ、外の世界の支配者になるのは私様の務め。[人に使われるだけ]のお前は、

せめて私様の踏み台におなりなさい!

 

江ノ島(泣き虫)

子供の頃からそうだった……勉強、スポーツ、対人関係……

誰でもできることが、[あなたにはできない]……

今まで生きてこられたのが、不思議です……

 

江ノ島(ぶりっ子)

言いにくいことなんだけど、やっぱり言うね!君ってどう見ても恋愛対象外!

[誰にも愛されない]んだよ?愛されないんだよ?大事なことなので2回言いました!

 

 

・駄目だ、どうしようもない……コトダマもないし、戦えない。

 やっぱり僕は、弱い人間なんだ……

・違う。これまでの修学旅行で学んだことを思い出して。あなたにも必ずある。

 

REPEAT

 

江ノ島(マダム)

あなたは罪の意識に苛まれるだけだったみんなに希望を与え、

仲間の一人を過去の絶望から救い上げた!

それを可能にしてきた[[○勇気]]が、あなたにはあるの!

 

江ノ島(ギャル)

あんたさー、社会に馴染めなくて引きこもりになってんだよね。

だったら、[元の世界に戻っても同じ]なんじゃなーい?

 

江ノ島(キザ)

聞いたことないかい?ダメな奴は[何やってもダメ]。

今更、一念発起したところで、何も変わりはしないのさ。長続きもしない。

 

江ノ島(メガネ)

集団生活ができない。自己主張できない。競争社会に耐えられない。

無い無い尽くしの[あなたに居場所はない]というのが、世界が示した現実です。

 

江ノ島(泣き虫)

子供の頃からそうだった……勉強、スポーツ、対人関係……

誰でもできることが、[あなたにはできない]……

今まで生きてこられたのが、不思議です……

 

江ノ島(ぶりっ子)

言いにくいことなんだけど、やっぱり言うね!君ってどう見ても恋愛対象外!

[誰にも愛されない]んだよ?愛されないんだよ?大事なことなので2回言いました!

 

──僕はもう逃げない!

 

[誰にも愛されない]論破! ○勇気(MEMORY):命中  BREAK!!!

 

・……立ちっぱなしで足、痛くなってきちゃった。わたしそこで見てる~

・僕は戦うよ。どこまでできるかわからないけど。

 

REPEAT

 

江ノ島(マダム)

あなたは罪の意識に苛まれるだけだったみんなに希望を与え、

仲間の一人を過去の絶望から救い上げた!

それを可能にしてきた[[○勇気]]が、あなたにはあるの!

 

江ノ島(ギャル)

あんたさー、社会に馴染めなくて引きこもりになってんだよね。

だったら、[元の世界に戻っても同じ]なんじゃなーい?

 

江ノ島(キザ)

聞いたことないかい?ダメな奴は[何やってもダメ]。

今更、一念発起したところで、何も変わりはしないのさ。長続きもしない。

 

江ノ島(メガネ)

集団生活ができない。自己主張できない。競争社会に耐えられない。

無い無い尽くしの[あなたに居場所はない]というのが、世界が示した現実です。

 

江ノ島(凶暴)

大型の免許も持ってねえお前に何ができんだよ!

[何の取り柄もない]お前が生きててもしょーがねえんだよ!諦めて身体よこせ!

 

江ノ島(女王)

いいえ、外の世界の支配者になるのは私様の務め。[人に使われるだけ]のお前は、

せめて私様の踏み台におなりなさい!

 

江ノ島(泣き虫)

子供の頃からそうだった……勉強、スポーツ、対人関係……

誰でもできることが、[あなたにはできない]……

今まで生きてこられたのが、不思議です……

 

──僕はもう逃げない!

 

[あなたにはできない]論破! ○勇気(MEMORY):命中  BREAK!!!

 

・こんなのに論破されました。悲しいので、後ろの方で泣いていますね……

・まずは、みんなのところに戻らなきゃ……!

 

REPEAT

 

江ノ島(マダム)

あなたは罪の意識に苛まれるだけだったみんなに希望を与え、

仲間の一人を過去の絶望から救い上げた!

それを可能にしてきた[[○勇気]]が、あなたにはあるの!

 

江ノ島(ギャル)

あんたさー、社会に馴染めなくて引きこもりになってんだよね。

だったら、[元の世界に戻っても同じ]なんじゃなーい?

 

江ノ島(キザ)

聞いたことないかい?ダメな奴は[何やってもダメ]。

今更、一念発起したところで、何も変わりはしないのさ。長続きもしない。

 

江ノ島(メガネ)

集団生活ができない。自己主張できない。競争社会に耐えられない。

無い無い尽くしの[あなたに居場所はない]というのが、世界が与えた現実です。

 

江ノ島(凶暴)

大型の免許も持ってねえお前に何ができんだよ!

[何の取り柄もない]お前が生きててもしょーがねえんだよ!諦めて身体よこせ!

 

江ノ島(女王)

いいえ、外の世界の支配者になるのは私様の務め。[人に使われるだけ]のお前は、

せめて私様の踏み台におなりなさい!

 

[人に使われるだけ]論破! ○勇気(MEMORY):命中  BREAK!!!

 

──僕はもう逃げない!

 

・言っておくけど、こんな弾全然痛くなくてよ!疲れたから後ろに下がるだけよ!

・もう自分から逃げたりしない。“これから”のために!

 

REPEAT

 

江ノ島(マダム)

あなたは罪の意識に苛まれるだけだったみんなに希望を与え、

仲間の一人を過去の絶望から救い上げた!

それを可能にしてきた[[○勇気]]が、あなたにはあるの!

 

江ノ島(ギャル)

あんたさー、社会に馴染めなくて引きこもりになってんだよね。

だったら、[元の世界に戻っても同じ]なんじゃなーい?

 

江ノ島(キザ)

聞いたことないかい?ダメな奴は[何やってもダメ]。

今更、一念発起したところで、何も変わりはしないのさ。長続きもしない。

 

江ノ島(メガネ)

集団生活ができない。自己主張できない。競争社会に耐えられない。

無い無い尽くしの[あなたに居場所はない]というのが、世界が示した現実です。

 

江ノ島(凶暴)

大型の免許も持ってねえお前に何ができんだよ!

[何の取り柄もない]お前が生きててもしょーがねえんだよ!諦めて身体よこせ!

 

──僕はもう逃げない!

 

[何の取り柄もない]論破! ○勇気(MEMORY):命中  BREAK!!!

 

・あー、うぜえ!なんでこんな弾に当たったよオレ!だりい、やってらんねー!

・取り柄なら、これから作るさ……!

 

REPEAT

 

江ノ島(マダム)

あなたは罪の意識に苛まれるだけだったみんなに希望を与え、

仲間の一人を過去の絶望から救い上げた!

それを可能にしてきた[[○勇気]]が、あなたにはあるの!

 

江ノ島(ギャル)

あんたさー、社会に馴染めなくて引きこもりになってんだよね。

だったら、[元の世界に戻っても同じ]なんじゃなーい?

 

江ノ島(キザ)

聞いたことないかい?ダメな奴は[何やってもダメ]。

今更、一念発起したところで、何も変わりはしないのさ。長続きもしない。

 

江ノ島(メガネ)

集団生活ができない。自己主張できない。競争社会に耐えられない。

無い無い尽くしの[あなたに居場所はない]というのが、世界が示した現実です。

 

──僕はもう逃げない!

 

[あなたに居場所はない]論破! ○勇気(MEMORY):命中  BREAK!!!

 

・極めて陳腐な言弾ですが……食らってしまったからには仕方ありません。

 せいぜい悪あがきを。

・なんで気づかなかったのかな。居場所ならすぐそこにあったのに!

 

REPEAT

 

江ノ島(マダム)

あなたは罪の意識に苛まれるだけだったみんなに希望を与え、

仲間の一人を過去の絶望から救い上げた!

それを可能にしてきた[[○勇気]]が、あなたにはあるの!

 

江ノ島(ギャル)

あんたさー、社会に馴染めなくて引きこもりになってんだよね。

だったら、[元の世界に戻っても同じ]なんじゃなーい?

 

江ノ島(キザ)

聞いたことないかい?ダメな奴は[何やってもダメ]。

今更、一念発起したところで、何も変わりはしないのさ。長続きもしない。

 

──僕はもう逃げない!

 

[何やってもダメ]論破! ○勇気(MEMORY):命中  BREAK!!!

 

・ふぅ、生まれてくる肉体を間違えたよ。ま、やるだけやってごらん。

・君は間違ってないよ。いつも途中で諦めてたから、今まで何も出来なかったんだ!

 

REPEAT

 

江ノ島(マダム)

あなたは罪の意識に苛まれるだけだったみんなに希望を与え、

仲間の一人を過去の絶望から救い上げた!

それを可能にしてきた[[○勇気]]が、あなたにはあるの!

 

江ノ島(ギャル)

あんたさー、社会に馴染めなくて引きこもりになってんだよね。

だったら、[元の世界に戻っても同じ]なんじゃなーい?

 

──僕はもう逃げない!

 

[元の世界に戻っても同じ]論破! ○勇気(MEMORY):命中  BREAK!!!

 

・へー。まさか、あんたがアタシを倒すなんて、絶望……には飽きちゃった。

 責任取って面白いもん見せてよねー。

・君にとっては退屈かもしれないけど、全力であがいてみせるよ。

 

 

──僕は、生きる!みんなと、これからも!!  COMPLETE!

 

 

その時、最後の法廷から証言台すら消え、白の世界に僕と江ノ島盾子達だけが残された。

 

「やれやれ。賭けはあなたの勝ちだよ、マダム。彼と好きなことをすればいいさ」

 

「勝ちとか負けとかどーでもいいっての!早えーとこ、このつまんねえ所から出せや!」

 

「勝率0.00000012%の12に上手く飛び込んだようですね。

悪運だけは一人前のあなたらしいです」

 

「でもぉ~やっぱりわたし達の身体でもあるんだから、大事にしてよね!きゃるん!」

 

「グラディエーターの健闘を称え、褒美に私様の身体を貸し与える!

最大限有効に活用することを命じるわ!」

 

「これで……出番がなくなると思うと……涙が止まりません……」

 

「あんたさ。割とやるじゃん。死ぬ気で頑張れば今でも一般人に追いつけるかもよ~?

アタシがいるんだから当然だけどさ」

 

すると、精神体の江ノ島盾子達が歩み寄り、僕に重なり、一体化した。

最後に残ったのは、紫のドレスを着た、あの盾子。

彼女はハイヒールを鳴らしながら近づき、僕の手を取った。

 

「私を、選んでくれて、ありがとう……」

 

その手は、白く、なめらかで、とても暖かかった。

 

「あなたのおかげで、戦えました」

 

彼女はゆっくりと控えめに首を振る。

 

「自分の中に眠る勇気を、あなた自身が奮い立たせただけ。また、声を掛けるからね」

 

すると、彼女の姿も僕と重なる。視界が回転し、徐々に景色が描き変えられていった。

一旦僕の意識は闇に落ちる。

 

 

 

「……い!おい、江ノ島!返事をしてくれ!」

 

そして、再び目を覚ますと、僕を呼ぶ日向君の声。

少しずつまぶたを開くと、そこには必死に呼びかけてくるみんなのリーダー。

彼の瞳に映る僕の目は、

生まれて初めて抱いたもの、“自信”にあふれているように感じた。

そっと彼の手を握る。

 

「心配かけて、勝手なことして、ごめんなさい。

あなたや苗木君の事情も考えずに、また自分の思い込みで突っ走っちゃった。

前にも似たような間違いをしたわね。本当、アタシって駄目ね」

 

「江ノ島……あ、本名は違うんだったな。済まない……」

 

「いいの。アタシ、もうしばらくの間、江ノ島盾子でいることにしたわ。

よかったら、今までどおり呼んでね」

 

次に、床に座り込んだまま、安心と少しの驚きでアタシを見つめるソニアさんのそばに、

自分もしゃがみ、壊れ物を扱うように丁寧に肩を抱いた。

彼女と目を合わせ、柔らかい口調で告げる。

 

「ソニアさん。さっきの態度は謝るわ。どうか、許してちょうだい」

 

「は、はい!もちろんです!

……江ノ島さん、つかぬ事を伺いますが、一体何があったのですか?

先程とはまるで雰囲気が違います。

なんというか、失礼なんですが、母のような優しさを感じます」

 

「それは、内緒よ。秘密は女性を光らせるものでしょう?……そして、左右田君」

 

「はいっ!なんでしょうか!」

 

奇妙な状況でいきなり呼ばれて驚いたのか、敬語になってる彼に内心苦笑する。

 

「ソニアさんをお願いね。あなたがナイトで彼女がお姫様なんだから。

……う~ん、ちょっと違うわね。彼女も守られるだけじゃなくて、

左右田君が安心して戦えるように、背中を預けられる存在でいる。

そんな関係を築いてくれると嬉しいわ」

 

「あ、あったりめーだろ!ソニアさん守れるのはオレ一人だし!

まぁ…ナイト様なんてガラじゃねーけど、

とにかくそういう事っすから、大船に乗った気持ちでいてくださいっす。

つまり……愛してます!ソニアっさ~ん!」

 

「頼りにしてますね。でも、時々は左右田さんもわたくしを頼ってください。

じゃないと、寂しいですから」

 

「あーもう、せっかく盾子ちゃんが落ち着いてホッと一息ってときだってのに、

左右田のせいで騒がしいったらありゃしないわね。あっ」

 

呆れてため息をつく小泉さんの影から、西園寺さんが飛び出してきた。

 

「おねぇ、江ノ島おねぇ!わたし達のこと、嫌いになったわけじゃないんだよね!?

また仲間になってくれるんだよね!」

 

片膝を着いて彼女に目線を合わせて、語りかける。

 

「当たり前じゃない。心配かけて、ごめんなさいね。もう、大丈夫だから」

 

「ソニアおねぇの言う通り、江ノ島おねぇ、なんだかお母さんみたい。

……お願い、ぎゅっとして」

 

両腕を広げ、何も言わずに彼女を抱きしめる。甘えるように彼女も強く抱き返してくる。

 

「お母さん……お母さん……髪を撫でて。顔も、全部……」

 

慈しむように彼女の柔らかい髪や、小さな背中、うっすら紅いほっぺを優しく撫でた。

安心しきった表情で身を任せる西園寺さん。

しばらく温もりを分かち合うと、やがて彼女の方から身体を離した。

 

「ありがとう、おねぇ。

……お願いがあるんだけど、これからは日寄子って呼んでくれない?」

 

「うん、わかったわ。日寄子ちゃん……」

 

「わーい!お母さんが二人になったみたい!」

 

「よかったわね、日寄子ちゃん」

 

彼女が小泉さんのところに戻ると、

柱に背を預けて両腕を組む田中君がいつもの調子で……あら、様子が変ね。

 

「江ノ島盾子……お前の降臨は、あまねく光を、だな……YHVHがなんかして……

ええい、何故だ!どうして今日に限って上手く言葉にできないんだよ!」

 

「それはアタシにはわからないわ。スランプなんじゃないかしら。ウフフ」

 

「とにかく俺様が言いたいのは、お前が凄いってことだ!」

 

「ププッ、田中おにぃって中二語やめるとボキャ貧なんだね」

 

「うっさい、うっさい!」

 

「オレの口癖パクんなよ!」

 

レストランに笑い声が響く。

みんなといつまでも笑っていたいけど、現実的な問題を片付けなくちゃね。

今度は七海さんの元へ。彼女は笑顔で迎えてくれた。

 

「本当の意味で、戻ってきてくれたんだね。おかえりなさい」

 

「……ただいま。あなたにも、謝らなきゃ」

 

「それは、無しにしよう?

仲間なら道を踏み外したときに助け合うのが当然なんだから。

このプログラムで学習したことのひとつ、だよ?」

 

「ありがとう……さっそく、ウサミをあなたに返すわね」

 

アタシは電子生徒手帳を取り出し、バーチャルハッカーを立ち上げた。

真っ黒なウィンドウにコマンドを手早く入力し、実行する。

大量のメッセージが流れると、15秒ほどで、七海さんの隣に、ウサミが実体化した。

 

「ふぅ~やっと出られまちた。どうなることかと思ったでちゅ!」

 

「ごめんね。窮屈な思いをさせて……」

 

「ウサミちゃん!?どこを探してもいないから、削除されたと思ってた」

 

「消したのはステッキの能力だけ。

持ち主はパソコンのゴミ箱に当たる領域に格納してただけなの」

 

「ゴミ箱はひどいでちゅ!」

 

「ふふ。ごめん、ごめん。あくまで例えだから。完全削除の前段階よ」

 

「よかった、また会えて。ウサミちゃんも、おかえり」

 

「ただいまでち。

今、希望更生プログラムのログを参照ちて、事の一部始終を見せてもらいまちた。

……江ノ島さん。よく絶望を乗り越えて、さらに成長してくれまちたね。

あちしはとっても嬉しいでちゅ」

 

「みんながいてくれたから。気づくのが少し遅れたけど。

さあ、こうしてはいられないわ。日向君」

 

リーダーの日向君にしかできないことがあるの。

急いで欲しいような、欲しくないような、微妙なお願いなのだけど。

 

「俺に、何かできるか?」

 

「苗木君と連絡を取って、未来機関の艦で、

この島にアタシ達を迎えに来てくれるように頼んでくれないかしら」

 

「やってはみるが、それは難しいと思うぞ?前にも聞いたと思うが、

絶望の残党には、海自艦艇や塔和シティーで建造されたフリゲートの乗組員がいる。

現に奴らの妨害で未来機関が近づけないでいるんだ」

 

「それは問題ないわ。

もし敵艦と遭遇したら、相手に音声を送れるようにだけしておいてくれれば。

アタシがなんとかしてみせる」

 

「説得でどうにかなるような相手じゃないと思うが……」

 

「大丈夫よ。任せて」

 

「……わかった。すぐに苗木に救援要請する!」

 

日向君が、“信じる”と口にしなかったことが、かえって嬉しかった。

あらいけない。まだお願いしなきゃいけないことがあったわ。

 

「ちょっと待って。ついでにもうひとつ」

 

「なんだ?」

 

早速電子生徒手帳で連絡に取ろうとした日向君に、未来機関への要望を伝えた。

これは通るかどうかわからないけど。

 

「ははっ!なるほど。言ってはみるが、期待はするなよ。みんなもな」

 

今度こそ彼は苗木君に回線をつなぎ、ビデオ電話で通話を始めた。

小さな画面に映った彼は、相当緊張している様子。

中継も終わった今、こっちの様子は日向君を通さないとわからないから当然だけど。

 

“……日向君、そっちの状況は?”

 

「結論から言うぞ。全て解決した。江ノ島盾子に宿った彼も、俺達を許してくれた。

……江ノ島、悪いが顔を見せてやってくれ。あいつほとんど寝てないんだよ」

 

「もちろん」

 

日向君が手帳を差し出してきた手帳を受け取ると、彼にニコリと笑いかけた。

 

「お久しぶり、苗木君。元気だったかしら。

アタシはおかげさまで、やっとみんなとひとつになれた。2つの意味でね」

 

“江ノ島盾子さん……いやあの、あなたをどうお呼びするべきかわからないのですが、

報告が遅れ、その前に、とんでもない間違いを……

つまり、申し訳ありませんでしたぁ!!”

 

律儀に画面の向こうから顔が見えなくなるほど頭を下げる苗木君。

あら、ちょっとだけ頭のアンテナが見えてるわ。

 

「頭を上げて。

アタシもこの島に来て辛かったこともあるけど、手に入れたものの方が大きいから。

まだ女性の話し方を続けているけど、これはアタシの意思。ちょっと色々あるの。

それより、日向君の話を聞いてあげて。たくさん大事なことを伝えてもらわなきゃ。

もう代わるわね。どうぞ~」

 

努めて明るい調子で話し終えると、日向君に手帳を返した。

 

「聞いたとおりだ。……いつまで頭を下げてんだ。今すぐやってもらいたいことがある。

だからしっかりしろって!メモの準備は?ああ、言うぞ。まず必要なのは……」

 

やることはまだ残ってる。二人の会話を背に、彼女に近づく。戦刃むくろ。

縛られた彼女の隣に座ると、みんな困惑して手を伸ばす人もいたけど、

様子を見ることにしたみたい。むくろは、少し照れたような笑みを浮かべて喋りだす。

 

「あっ、来てくれたんだ……嬉しいな」

 

「そう。あなたがどういう状況なのか知りたくて」

 

「私は平気。盾子ちゃんのためにいつでもあいつらを……」

 

アタシは最後まで聞かずに、むくろの顔を両手で持って、目を合わせた。

そして彼女の心を分析する。……わかった。この娘は絶望に冒されてるわけじゃない。

彼女を動かしているのは行き過ぎた家族愛。善悪の判断を上回るほど強すぎる愛。

 

“時、来たりね。あなたの力で彼女を救うの”

 

わかってるわ。この身に宿った能力なら。……アタシは彼女の頭を少し引き寄せた。

 

「じゅ、盾子ちゃん?どうしたの。ちょっと恥ずかしいかな!」

 

「お前さん、一体何を!」

 

異変に気づいた弐大君が何か言いかけると、むくろの耳元でそっと何かを囁いた。

すると、彼女が呆然として動かなくなる。

同時に向こうから喜びとも悲鳴ともつかない声が聞こえてきた。

あら、迂闊だったわ。澪田さんの耳の良さをすっかり忘れてた。

むくろの縄を解くと、急いで彼女の元へ向かう。

 

彼女は立ったまま、恍惚の表情を浮かべて泡を吹いていた。

罪木さんが介抱するけど、口から吹く泡を拭き取ることしかできない。

 

「あばばばば……うへへへ」

 

「あぁ~澪田さん、正気に戻ってくださーい。ほら、大好きなティッシュですよ~」

 

「ごめんなさい!まだ能力が上手く制御できなくて。今、治すわ」

 

「えへらえへら」

 

「さっきお前さん、戦刃に何をしていたんじゃ?」

 

「今は少し待ってちょうだい!……澪田さん?聞いて」

 

アタシは澪田さんの耳を貸りて、今度こそ誰にも聞こえないよう、ひそひそと囁く。

途端に彼女は正気を取り戻し、口に泡を着けたまま喋りだした。

 

「はっ!うっかり昇天しそうになってたっす!恥ずかしながら、帰って参りました!」

 

「なんだー?お前持病でもあったのか?」

 

「違うっすよ、赤音ちゃん!

盾子ちゃんの、ほんの短い歌声を聴いたら、今まで味わったことのない夢心地に!」

 

「夢心地だぁ?どういうことだよ、江ノ島」

 

「アタシは歌声であらゆる物事に“調和”をもたらすことができるの。

……そろそろちゃんと自己紹介したほうがいいわね」

 

そして、白と黒のクマのヘアゴムを外し、

大きなツインテールを形作っていた長い髪を、左肩に流す。

さよなら、今までのアタシ。

 

「遅くなったけど、アタシは──」

 

 

○超高校級の女神

 

江ノ島 盾子

 

 

「「女神いぃーーー!?」」

 

まだ歌の効果で眠気が抜けず、時々頭がガクンとなる澪田さんを除き、皆がどよめく。

 

「自分で名乗るのも恥ずかしいけど、“彼女”がそう言ってるの。

戦刃に聴かせてたアタシの歌を聴いちゃった澪田さんが変になったのは、

少なからず緊張状態にあった彼女が、

歌で緊張がほぐれ、安心感が増幅されて心の安定を取り戻した……はずだったんだけど、

リラックス効果が強すぎたみたい。

ごめんなさいね、澪田さん。まだ江ノ島盾子8人分の力を制御しきれてなかったの」

 

「それはいいっすけど…外に出たら唯吹とユニット組んでダブルボーカルで…ぐう」

 

「あらら、寝ちゃったわ。罪木さん、引き続き付き添いをお願いしてもいいかしら」

 

「は、ひゃい!」

 

「ん?江ノ島盾子はお前だけだろうが。8人もいるわけねえだろ」

 

「学級裁判の時、色んな人格が出てきたよね。彼女達のことだと思うよ?」

 

「ああ、あいつらか!結局キノコ食えなかったんだよな」

 

「七海さんの言う通り。

それぞれがアタシの中で眠っていた状態から、1人を除いて完全に一体化したの」

 

「ちょっと待て!……あ、少し保留だ、苗木。

さっきから騒がしいと思ったら、女神だとか、調和の能力だとか、

聞いたことないことばかりだぞ!もっと具体性のある説明をしてくれ」

 

苗木君との打ち合わせに忙しかった日向君が慌てて割り込んでくる。

確かに、未来機関を動かすには、論より証拠が必要ね。

 

「待ってて。……お姉ちゃん、こっちに来てくれるかしら」

 

縄を解かれて、歌が効き終わり、暇そうに振り子時計を眺めていた戦刃むくろが、

軍人らしいキビキビとした足取りで歩いてきた。みんなが思わず身を引く。

 

「どうしたの。盾子ちゃん」

 

「ねえ、もしここにナイフがあって、

アタシがこの中の誰かを刺してくれってお願いしたら、やってくれる?」

 

皆、いきなり超高校級の軍人に血生臭い質問をぶつけたアタシとむくろを、

固唾を呑んで見守る。彼女が口を開き、答えた。

 

「……良くない冗談だわ。盾子ちゃんでも怒るわよ」

 

「ごめんなさい。反省してるわ」

 

全員が安堵する。

暴走した妹への執着を常識的なレベルに引き下げ、身を潜めていた良心を解放した結果。

いつか日向君を銃撃した危険な軍人が、まともな回答を出したことに

みんなが驚きを隠せない。

 

「苗木、聞こえたか!?江ノ島には絶望の信奉者を正気に戻す能力がある!

その事も未来機関に伝えてくれ!」

 

“わかった!さっきの事も含めてすぐ上に報告するよ!一旦切るからね?”

 

「ああ、頼む!……江ノ島、お前、本当に神になってしまったのか!?

それに、あいつを“お姉ちゃん”って呼んでたよな。でも戦刃は……」

 

アタシは口元で人差し指を立てる。

 

「しーっ。あくまで才能の名前よ。不死身でも空を飛べるわけでもないの。

彼女とはしばらく本当の姉妹でいることにしたわ。いろいろ都合がいいし。

それより、みんなにお願いがあるの」

 

「あん?どうしたんだよ、改まって」

 

「戦刃むくろ。彼女を未来機関の迎えが来るまで、短い時間だけど、

新しい仲間として迎えてあげてほしいの」

 

「なっ……!お前正気かよ!

こないだバリバリ日向と撃ち合い…いや、日向は撃ってねえけど、

とにかく凶暴な奴なんだぞ!?」

 

九頭竜君は否定的な印象だけど、思わぬ人が同意してくれた。

 

「ぼっちゃん。私からもお願いします。

同じ死線をくぐり抜けてきた者同士わかるのです。

今の彼女の目は、力を自制できている、冷静な感情を保つ者の目です。

恐らくこの世界で過ごすのは、あと数日。

その短い時間を、拘束された者を気にかけながら費やすのは、少し……

寂しいと思うのです」

 

「……わあったよ。ならオレも信じてみるぜ。

戦刃じゃなくて、そいつを信じたペコをな」

 

「ありがとうございます」

 

「辺古山さん、ありがとう」

 

「自分の意見を申し伝えただけだ。

それで納得できないなら……人形の礼だと思ってもらって構わない」

 

ハルナちゃんにまつわる、あの事件を思い出したのか、

少し赤くなった顔を背ける辺古山さん。

ちなみに、ずっと後になって知ったことだけど、

辺古山さんは、戦刃むくろと刃を交えたことがあったらしいわ。それはまた、別の話。

 

「お姉ちゃん。どうして今まで縛られていたのか、わかる?」

 

「それがね。戦って負けた事実は覚えてるんだけど、

誰と、どういう状況で、何故戦ったのかは、どうしても思い出せないの」

 

「思い出せないなら無理に思い出す必要はないと思うわ。

誰も傷つかずこうして生きているんだから。

……改めてみんなにお願い。彼女にも、みんなと同じ生活を、送らせてあげて?」

 

少し沈黙が流れると、ひとりが前に出た。

 

「ボクは賛成するよ。ボクを絶望から救ってくれた江ノ島さんだもん。

きっと戦刃さんだって、立ち直らせてくれたって信じてるよ」

 

狛枝君の発言が呼び水となって、皆が次々と意見を述べる。

 

「さっそく今夜の夕食は一人分増やさなきゃね!」

 

「江ノ島おねぇがいいって言うなら……いいよ?でもここじゃわたしが先輩だかんな!」

 

「ふっ、神は既に俺の傍らに存在していた。その女神が告げるなら、何も言うまい。

……勘が戻ってきたぞ」

 

「なんかあっても、オレがソニアさん守るから心配はしてねーよ。

まあ、なんもないだろうけどな」

 

「わたくしも江ノ島さんのお姉様とお話しがしてみたいです。

少しの間ですが、よろしくお願いしますね」

 

「ふん。お人好し連中め。

しかし、この十神白夜の目の黒いうちは、誰も危険な目には合わせん。……好きにしろ」

 

「ガッハッハ!今日は色んな出来事が多すぎて、てんてこ舞いじゃ!

とりあえず、仲間が増えた。それだけ覚えておけばいいじゃろう!」

 

他にも嫌な顔をする人はいなかった。その上で彼女の意思を確認する。

 

「お姉ちゃん、どうかしら。知らない人ばかりだけど、アタシ達と暮らしてみない?

本当の修学旅行を、ね」

 

お姉ちゃんは少し考え込んで、みんなに伝えた。

 

「あの……改めて自己紹介するね。私は戦刃むくろ。盾子ちゃんの姉。

よかったら、みんなの修学旅行に加えて欲しいな?」

 

途端に広いレストランに喝采が響く。

それを受けて、アタシが復元したきり放ったらかしだった、ウサミが仕切り始めた。

 

「はいはーい!それでは、あちしの権限で、不正アクセス扱いだった戦刃さんを、

ゲストユーザーに変更しまちゅ!

今日はやむを得ないアクシデントが続いたので、労務もおちまいにしまちゅ!

みんな、ゆっくり戦刃さんと親睦を深めてくだちゃーい!」

 

ウサミが語り終えると、みんな一斉にお姉ちゃんに殺到した。

 

「ね、ね、超高校級の軍人ってことは、希望ヶ峰学園出身なんだよね?何期生なの?

アタシ、小泉。77期生。……前、ちらっと会った時と、イメージ変わったね?」

 

「よ、よろしく小泉さん。何期生かは、あんまり数えてなかったから……

盾子ちゃんよりは結構上だよ?最近の記憶は曖昧で。失礼なことしてたらごめんなさい」

 

「そんなことないよ。またゆっくりお話ししましょう」

 

「終里だ。オメー強いんだってな。前に江ノ島がボコボコになるまで姉妹喧嘩してたし。

今度オレとも勝負してくれよ!」

 

「うん、お手柔らかに。

でも、私が身につけてるのは殺人術だから、本気を出させない程度にお願いするね……」

 

「安寧もたらす女神の姉は、力振るいし戦乙女……まさに対を成す女神そのもの。

世界はそれほどまでに混沌(カオス)を求めるというのかっ!」

 

「えっ……どういうことなのかちょっとわからないな?」

 

「“江ノ島おねぇのお姉ちゃんに会えて嬉しい”って言いたいんだよ。

田中おにぃはいつもこんなだから、適当にあしらってりゃいいよ。わたし西園寺日寄子。

さっきも言ったけど、わたしの方が先輩だから。身長関係ねーから!」

 

「わかった。よろしくね?先輩」

 

「あのう、私、私、罪木って言います!

変な髪型してますけど、お、お友達になってくれますかぁ!?」

 

「もちろんよ。これからよろしく。罪木さん」

 

「や、やりましたぁ!えへへ……」

 

「九頭龍冬彦。九頭竜組の頭やってる。まあ、思うところがなくはねえが、

ペコが認めたんなら間違いはねえだろうよ。よろしくな」

 

「こちらこそ。受け入れてくれて、ありがとう」

 

アタシはそんな様子を遠巻きに見ていた。なぜかしら。

お互い偽物同士なのに、“姉”が仲間に囲まれていると、なんだか心が暖かい。

お姉ちゃんには、まずみんなと打ち解けてもらうことにして、

アタシは花村君の夕食の準備を手伝うことにした。

料理はできないけど、テーブルを拭いたり、お皿を並べたりすることくらいはできる。

 

あっという間に時間は流れ、夕食の時間。新しいメンバーを迎えた初めての食卓。

 

「「いただきます!」」

 

「い…いただきます?」

 

お姉ちゃんのぎこちない、いただきますと共に始まる夕食。

献立はパンとビーフシチュー、さいの目切りチーズが乗ったサラダ。

ウサミが隅っこのほうで耳を押さえて何か言ってる。

 

「今日くらい規則の事は忘れていいなんて、ちっとも思ってまちぇん。

なんとなく、見ウサ、聞かウサ、言わウサでちゅ!」

 

「へっ、話わかンじゃねえかよ……」

 

「うむ!規則は大事じゃが、守るためにあるものではない。

新入りの歓迎の時くらい、飲み、歌い、騒ぐがよかろう!飲むのは麦茶だけじゃが!」

 

ウサミの見て見ぬふりのおかげで、賑やかな晩餐となる。

やっぱり話題はお姉ちゃんのこと。

 

「やったぁ!ねえ、戦刃おねぇ。

ちらっと江ノ島おねぇから聞いたんだけど、塔和シティーってどんなところなの?」

 

「そうだね。いろんな都市インフラが世界最高水準で、

街中モノレールで圧倒言う間に移動できるし、

夜にはビル群の明かりがイルミネーションになってとっても綺麗なの。

特に、塔和ビルっていう、とっても高い建物があって、

そこでは……ええと、とにかくいろんな物を沢山作ってるのよ。

ごめんなさい、なんだか記憶がぼやけてて。もっと何かある気がしたんだけど」

 

「通常と異なる経路でこのプログラムに来たから、余分なところが抜け落ちてるだけよ。

現実に戻れば思い出すわ」

 

すぐさまもっともらしい理由をつけてごまかした。

“調和”を乱す要素が、歌の影響でおぼろげになってるのね。

 

「フシシ。

でも縛られなくなった分、江ノ島おねぇにあ~んしてもらえなくなって、残念よね」

 

「や、やめてよ西園寺先輩。思い出したら恥ずかしくなってきたじゃない……」

 

「こーら、日寄子ちゃん。あんまりむくろちゃんをからかわないの」

 

「は~い」

 

「戦刃さん。明日は日曜ですし、よろしければ、わたくし達で島を案内しましょうか?

牧場あり、屋台ありの楽しいところですよ。

あ、ビーチで海水浴もよろしゅうございますね」

 

「それは楽しそうだけど、私のために、本当にいいの?」

 

「モチのロンです。きっと皆さんも、もっとあなたと交流を深めたいと思っています」

 

「この俺に近づきたいなら、屋台村で食い倒れの旅を経験し、脂肪を蓄えることだ。

お前には贅肉がなさすぎる」

 

「それは、無いほうが健康的には、いいと、思うんですけど……」

 

「ぼ、ぼくは海水浴に一票を投じるよ!」

 

「はいはい、あんたはどうせ女子の水着姿が目当てなんでしょ?」

 

「あはー……小泉さんは、鋭いな~」

 

「花村がわかりやす過ぎるのよ」

 

「ボクは、みんなと一緒ならどこでもいいよ。

戦刃さん、実はボクもみんなと分かり会えたのは、ごく最近のことなんだ。

キミと一緒にみんなと更に距離を縮めたいと思ってる」

 

「いい考えだと思うよ?それじゃあ、明日はメンバー全員で遊びにいこうか」

 

七海さんがまとめてくれたけど、内心アタシはニヤついてた。

もっといいことがあるかもしれないから。

 

 

 

 

 

宴も終わって夜も更けて。アタシとお姉ちゃんは、シャワーを浴びて、

お姉ちゃんはウサミが支給してくれた衣類からパジャマに着替えた。

今はシングルベッドに二人で寝転んでる。

 

「ごめんねー狭くて。ベッドがひとつしか無いのは分かるとして、

このボロっちいテントだけは最後まで改善してくれなかったのよね。

……マリー、ちょっとどいててね」

 

久しぶりに再会したマリーも、割とスペースのある足元にどけるしかなかった。

 

「ううん。野宿よりマシだよ。お人形に名前付けてるの?」

 

「そう。この殺風景な家に花を咲かせてくれる大切な相棒よ」

 

「盾子ちゃん、かわいい趣味があるのね。いつもはもっと派手なのが好みなのに」

 

「えーと、それは、アタシにも人形を可愛がる女の子らしさはあるっていうか……」

 

「フフ、ごめんなさい。そうよね。姉妹なのに、まだまだ知らないことがあるわね」

 

「どっちも、一人の人間だからね。そろそろ寝ようか。電気、消すわね」

 

「うん、お願い」

 

アタシは白熱電球の紐を引っ張って、電気を消そうとした。

すると、手帳に1通のメールが。

 

 

送信者:<送信者不明>

件名:大丈夫?

 

モナカだよ。

あれから連絡がないけど、何かあった?

資料が足りないなら、言ってね。ここなら何でも揃うから。

むくろお姉ちゃんもいるし、二人ならなんでもできるよね!

お返事、待ってまーす。

 

 

黙って、そのメールを削除した。塔和モナカには気の毒だけど、

彼女の知る江ノ島盾子はもう死んだ。返事が来ることもない。

 

「どうしたの。誰から?」

 

「うん。日寄子ちゃんから、おやすみって」

 

「かわいいね、あの娘」

 

「そうね。アタシにも妹ができたみたい」

 

今度こそ明かりを消して、寝床につく。

隙間から差し込む月明かりで、真っ暗にはならないけど。苗木君の返事が楽しみ。

もし通ったら、楽しいことになるんだけど。

目を閉じると、アタシもお姉ちゃんも、知らない間に疲れが溜まってたのか、

すぐ眠りに落ちてしまった。

 

 




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裁判記録 「優」



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第16章 Carry Me Back to Her Arms

未来機関第一支部

 

 

磨かれた大理石の床を並んで歩く。

天願さんの執務室に行くのは二度目だけど、前回とは違い、ボクの足取りは軽かった。

なぜなら、今は何もかも上手く行っているから。

まぁ、自分が何をしたわけじゃないんだけど……

そんなボクをたしなめるように、隣の霧切さんが釘を刺す。

 

「顔がにやけてるわよ、シャキッとして。

そんなことだと、報告内容に関わらず宗方支部長のカミナリが落ちるわよ」

 

「あっ、そうだよね。宗方さんは厳しい人だから……ふんっ!」

 

両手で自分の顔を叩いて精神集中していると、

霧切さんが入り口の脇にあるインターホンを押した。

室内で柔らかい電子音が響くと、受話器を上げるような音が聞こえた。

 

「第十四支部長霧切響子、構成員苗木誠です。

例のプログラムについてご報告に上がりました」

 

“うむ。入りたまえ”

 

すると、ドアのロックが自動で開いた。

霧切さんがドアを開けて、ついていくように執務室に入ると、

以前と同じように、天願さんと宗方さんが高級木材の椅子に座っていた。

うう…宗方さんはやっぱりボクをじろりと見てる。

 

「……希望更生プログラムについて大きな進展があったからどうしても、というから、

二度目の面会に応じた。電波通信では話せないというからこうして出向いたのだ。

我々も暇ではない。内容次第では降格もあり得ると思え」

 

「早急にお伝えすべき機密性の高い状況をお知らせすべきと考え、ご足労頂きました」

 

「面白い。話してみろ」

 

「では、霧切君。現在のジャバウォック刑務所における状況を教えてくれたまえ」

 

「承知いたしました。では……」

 

霧切さんが携帯していたタブレットを操作して資料を見ながら、

希望更生プログラムで暮らしているみんなの現状を報告した。

 

とにかくまずは、江ノ島盾子によく似た誰かが、

ボク達の勘違いでジャバウォック島に閉じ込めていたことについて、許してくれたこと。

 

彼女が“超高校級の女神”という才能に目覚め、

歌声で絶望の残党を直接元の人格に戻す能力を得たこと。

 

その能力で、戦刃むくろが常識的な人物に生まれ変わり、

協力者達と共同生活を送っていること。それらを簡潔に説明した。

 

宗方さんは驚く様子もなく、指先で頭を叩きつつ、

じっとボク達を見ながら、一言口にした。

 

「……苗木、誠」

 

「はいっ!」

 

「首の皮一枚で救われたな。

これまで先の不始末に関する処分を検討していたところだが、

一構成員に割く時間がなかなか取れなかった。

謎の人物の寛容さ、私の多忙さに感謝することだ」

 

「はい!ありがとうございます!」

 

ボクは二人に思い切り頭を下げた。

 

「これこれ、あまり彼を脅かすものではないよ。

前回の会合にあった通り、不可抗力の事由もあったのじゃから。霧切君、他には?」

 

「はい。実はその謎の人物から、いくつか要望が挙がっています」

 

「要望だと?我々の首でも寄越せというのではあるまいな?」

 

「いいえ。まず、すぐジャバウォック島に迎えの艦を出すこと」

 

天願さん達が難しい顔をして少し黙る。

やっぱり白い顎髭を撫でて考えた後、天願さんが答えた。

 

「今すぐには難しいと言わざるを得んじゃろう。

太平洋には絶望の残党が乗るミサイル艇が多数うろついておる。

航行はあまりにも危険じゃ。

かつてジャバウォック島に謎の人物を送り出した際にも、どれだけの犠牲が出たか。

江ノ島盾子を希望更生プログラムに接続すれば世界が救われる。

あの時は、我々もそう信じきっていたからのう」

 

「協力者たる囚人達にジャバウォック島で採掘させていた資源も、

回収成功率は2割を切っているからな。

そろそろ刑務所をあの島から移転する案も出ている」

 

「問題ありません。

江ノ島盾子氏によると、彼女の歌声で、敵艦の乗組員を正常化できるとのことなので、

通信設備に優れた艦を希望しています。

あと……謎の人物については、しばらく江ノ島盾子のままでいると、

本人がそう望んでいるので、

便宜上我々も“彼”を江ノ島の名で呼称することを提案します」

 

複雑な状況に、二人が同時に息をつく。

 

「……江ノ島が世界に真実を伏せていてくれると言うなら、

我々に取って好都合ではあるが、未来機関が所有するイージス艦は後一隻。

それが沈めば我々は海における戦力を完全に失う。会長、どうなさいますか」

 

「超高校級の女神を信じるしかないじゃろう、

戦刃むくろが真人間に戻った実績がある以上。直ちにイージス艦の突入作戦を開始する。

軍港に連絡を取り、最大船速でジャバウォック島に突入を開始。

接敵次第、希望更生プログラムから最寄りの第八支部を経由し、

江ノ島盾子の歌を艦に届ける。艦は音声データを周囲に放送しつつ、前進を続ける」

 

「海底の光ファイバーが生きていたことが不幸中の幸い、か。

了解しました。すぐに軍に連絡を……」

 

「お待ち下さい。最後の要望をお聞き頂きたく」

 

霧切さんが、立ち上がって早足で退室しようとする宗方さんを引き止めた。

 

「何だ。責任問題なら後にするよう説得してくれ」

 

「そうではありません。江ノ島を含む協力者達の生活面についての問題です」

 

「生活面?なんだ」

 

「はい。艦が彼女達を回収するまでの期間ですが……」

 

江ノ島盾子さんの最後の要望を霧切さんが伝えた。

それを聞いた天願さんが笑顔でうなずく。

 

「ワシの権限で認めよう。

とてもこれまで辛い生活を強いてきた罪滅ぼしにはならんが、

せめて帰還のときまでは羽根を伸ばしてもらうとしよう」

 

「ありがとうございます。すぐ、本人達に伝えます」

 

「ふん、何かと思えば。……会長、私はこれで」

 

「ご苦労」

 

宗方さんが今度こそ退室していった。一体どんな要望なのか、ボクもヒヤヒヤしたよ。

でも、これでみんなが喜んでくれるなら、それが一番だと思う。

 

「他には、何か無いかね?」

 

「わたくし共からは以上です」

 

「うむ、なら下がってよし。……ああ、霧切君、苗木君。少し待ってくれたまえ」

 

「なんでしょうか」

 

「はい!」

 

「……二人共、重圧に耐えてよくここまで頑張ってくれた。

あの事件さえなければ、今頃君達も大学生活を満喫していたじゃろうに。

最後まで気は抜けんが、君達には感謝しておるよ。

まぁ、こんな事を言うと、また宗方君に“甘い”と説教されるからの。

彼が帰るまで待っておったのじゃよ」

 

ホホ、と笑う天願さんにつられて、ボク達の顔にも笑みが浮かぶ。

 

「もったいないお言葉です」

 

「はい!もったいないお言葉です!」

 

思わず霧切さんのマネになっちゃったけど、やっぱり天願の励ましが嬉しかった。

 

「失礼致します」「失礼します!」

 

執務室から出ると、やっぱりしばらく無言で歩いてから、霧切さんに話しかける。

 

「よかったね。みんな楽しい思い出を作れるよ」

 

「そうね。それはそうと、いい加減改まった場に慣れなさい。さっきのアレ」

 

「あ、やっぱり駄目、だった?」

 

「駄目だった。

いつまでも私がついてはいられないんだから、しっかりしてね。幹部候補生君」

 

「反省してます……そうだ、早くみんなにあの決定を」

 

「伝えてる。ウサミにプログラム運用ルールの変更権限Lv3を送信してあるわ」

 

そう言って霧切さんはタブレットを見せた。

 

「アハハ……仕事、早いんだね。霧切さん」

 

「支局長ならこれくらいでないと、24時間じゃその日の仕事が終わらないわよ」

 

「見習います……」

 

ボクは若干へこみながら、廊下を歩く。まだまだ霧切さんには頭が上がらないみたいだ。

 

 

 

 

 

「ぱんぱかぱーん!みんなに重大発表でちゅ!」

 

昼食の最中にウサミが現れ、ジャンプしながら大げさに何か言う。

 

「お行儀が悪いよ、ウサミちゃん?今は食事中だから静かにしないと」

 

「七海さんに連絡は来てまちぇんか?もうその必要はありまちぇん!

未来機関が迎えに来るまで、労務も規則も免除されることになりまちた!

マーケットの商品や遊園地を含む全施設が使い放題なので、

好きにジャバウォック島での生活を楽しんでくだちゃーい!」

 

やったわ。日向君に伝えてもらったあの要望が通ったみたい。

みんなが喜びのあまり、ある種の混乱に陥る。

 

「マジかよ、マジかよ!?」

 

「店の惣菜も食い放題なのか!やべえ、オレ泣きそう!」

 

「ここの連中は全般的に栄養不足だからな。妥当な措置だろう」

 

「十神くんが過剰なんだと思うけど、とにかく嬉しいよ!」

 

「あ、あのう、私どうしていいか……誰か説明してくださーい!」

 

「よかったわね、日向君」

 

「ああ、江ノ島のおかげだ」

 

「盾子ちゃんが黒幕!?どういうことか説明欲しいっすー!」

 

「実はね、昨日、日向君が未来機関と連絡を取ってたときに、

上の人に伝えるよう頼んでたの。

迎えの船が来るまで、最後くらい規則とかなんにもなしで、

自由を満喫させてくれないかってね。イェイ」

 

掲示板なら、語尾に(キリッ)が付くような表情で、日向君にピースする。

途端にもう阿鼻叫喚の酒池肉林。大騒ぎどころの話じゃない。

みんな無言の食生活に鬱憤が溜まってたのね。

 

「はっはっ!江ノ島、お前やるじゃねえか!」

 

隣の九頭竜君が笑いながらバシバシと背中を叩く。痛いわ。

 

「っしゃあ!そりゃ自分達で決めた規則だけどよー。

やっぱ飯の時くらい周りのやつと冗談言ったりしてーとも思ってたんだよ。

正直いつも息が詰まる感じはしてた」

 

「素敵ですね。では、これから何をするか決めませんか?

わたくしとしては、戦刃さんと島の案内がてら遊びに行くのが良いと思うのですが」

 

「アタシ、ソニアちゃんに賛成!むくろちゃんの案内は決まってたんだし、

こうなったら行く先々でみんなで遊んだ方が楽しいじゃない」

 

「では、あのぅ、最初はどこに行けばいいんでしょうか……」

 

「まずは牧場だよ。こう見えてわたしが牛の世話してんだから、乳搾りさせてあげるー」

 

「戦刃さんが、乳を、絞る!?そんな華やかな!」

 

「花村お黙り!……ごめんね、むくろちゃん。

こいつ、いっつもこうだから、変な事言ったら殴っていいよ」

 

「だ、大丈夫だよ。はは……」

 

「牧場という案には賛成じゃ。やはり牛乳は搾りたてが一番身体に良いからのう。

じゃが、牧場の後にはどこに行く。一ヶ所だけでは時間が余ると思うが」

 

「やっぱり遊園地じゃないかな。

実を言うと、ボクは今回のプログラムでは行きそびれてたから、

自分も入ってみたいってのが本音だけど」

 

「ふむ。地獄遊園地の門を自らくぐると言うか……

だが忘れるな。深淵を覗き込む時、深淵もまたお前を覗いて」

 

「オレもまた行ってみてーな。分析したいシステムがまだまだあるしよー」

 

「最後まで聞けい!なんか最近このパターンが多いぞ!」

 

「まあ、とりあえずそれで行ってみようか。

もう門限も規則もないんだし、眠くなるまで遊べばいいと思うよ?」

 

「うふふ、七海さんはいつも眠そうじゃない」

 

「そうかな?そういえば江ノ島さん、イメチェンしてだいぶ雰囲気変わったね」

 

「あら、そう?髪を下ろしただけなんだけど」

 

「私もそう思う。なんというか、ぐっと大人っぽくなったよ」

 

「ふふっ、ありがと、お姉ちゃん」

 

「あー、みんな嬉しい気持ちは分かるが、そろそろ食事を再開しよう。

ずっと手元がお留守だと、いつまで経っても遊びに行けないぞ?」

 

ようやく会話に入り込めた日向君のおかげで、皆が再び昼食を食べ始めた。

 

「そーっすよ!ここにいる時間がもったないっす!早くハンバーグを片付けるっすよ!」

 

「早食いはあまり身体に良くありませんが、

わたくしもついフォークを運ぶ手を急がせてしまいます」

 

 

 

「「ごちそうさまでした!」」

 

こればっかりは癖になってるから、全員食べ終わると、いつもどおり食事を終わらせた。

食器を厨房に運ぶのもいつもどおり。規則から自由になったとは言え、

花村君だけに後片付けまで全部やらせるわけにはいかないからね。

 

「じゃあ、アタシ達は正門前で待ってるから。ごめんね、花村君に任せちゃって」

 

「がんびろじゃねんだじ。でびゃーがはやばやいわせんべや」

 

「“いつものことだから大丈夫。すぐ終わらせるからさ”だそうでちゅ」

 

「わかった。だけど、慌てないでね」

 

「おぎ!」

 

アタシは、急いで洗い物をする花村君を残して、ホテル正門に向かった。

手伝おうかとも思ったけど、彼の皿洗いのスピードを見てると、

素人が手を出しても邪魔になるだけだと思って、お言葉に甘えることにしたの。

全員が門の前で集合して15分ほど経った頃。

 

“お待たせ~”

 

花村君が手を振りながらやってきた。

 

「ありがとう。お疲れ様。それじゃ、出発しましょうか」

 

彼がみんなと合流して、本当の修学旅行がスタート。

牧場はこの島にあるから、それほど歩かずに到着する。

出だしの観光スポットとしてはちょうど良いんじゃないかしら。

 

 

 

1日目。

 

大きな風車やサイロが目を引く、緑豊かな牧場に足を踏み入れた。

お姉ちゃんは目一杯景色を楽しむように、ゆっくりと全体を見渡す。

 

「どーよ、わたしが管理する牧場は!

脱サラ成金親父の中途半端な農場なんか目じゃねーっての!」

 

「とっても、素敵……西園寺先輩が作った牧場……」

 

「建物や牛自体は最初からいたけど、動物や芝の世話は全部わたしがやってるから!」

 

「な、なあ。早く牛の乳飲ませてくれよ、搾りたてのやつ!」

 

「終里おねぇ、がっつき過ぎ!言われなくても飲ませてやるから、牛舎に来て!」

 

日寄子ちゃんを先頭に、みんなで5頭の牛が並ぶ牛舎にお邪魔した。

牛や藁の匂いが鼻をくすぐる。

いつも世話をしてくれてる彼女に気づいた牛たちが鳴き声を上げる。

乳牛をなだめるように、順番に頭や首を撫でた。

 

「おーしおし、落ち着け。餌ならさっきあげただろー?」

 

「日寄子ちゃん、牛には優しいんすねー。アリには厳しいっすけど」

 

「ち、ちっがうよ!労務だから仕方なく……ぎゃっ!顔舐めるなー!」

 

いきなり災難な目にあった日寄子ちゃんに、どっと笑い声が起きる。

 

「ちっ、覚えてろよ!」

 

大声で笑う皆を恨めしそうに見ながら、日寄子ちゃんが、

アルミ製の容器を器用に転がすように持ってきて、牛の乳房の下に置いた。

 

「じゃあ、まずは戦刃おねぇに乳搾り体験やってもらおうかな。こっちに来て!」

 

「うん。私に、できるかな……」

 

「大丈夫、罪木おねぇでもできるほど難易度激甘だから」

 

「うぅ…どうして私が出てくるんですかぁ……」

 

「まず、お乳を二つ軽く握って」

 

「こ、こうかな?」

 

「そう。後は、上から下に少し指に力を入れながら、下に引っ張るの」

 

「やってみるね。……わあ、凄い勢い!」

 

「簡単でしょ?とりあえずタンクが一杯になるまで絞ってみてよ」

 

「これ一杯に?そんなに取って大丈夫?」

 

「想像以上にいっぱい出るから平気平気。ほら、もっとドバーッと」

 

その後も、お姉ちゃんは少し緊張しながら乳を絞っていたけど、

慣れてくると手際も良くなって、タンクはあっという間に満タンになった。

日寄子ちゃんが、品質検査用の紙コップに搾りたての牛乳を注いで、終里さんに渡す。

 

「はい、まず牛みたいによだれ垂らしてる終里おねぇを鎮めなきゃ。ほれ」

 

「うおお、あったけえ!んぐ……うまい!もう一杯!」

 

「後にしなよ!本来、戦刃おねぇが最初だっつの。さあ、おねぇも味わって」

 

「うん、ありがとう!……本当。温かくて、甘みがある。とってもおいしい」

 

「なんたって、わたしが世話してる牛どもだからね。

他の連中にも飲ませてやるよ。一列に並びな~」

 

みんな日寄子ちゃんから一杯ずつ牛乳をもらった。確かに搾りたては温かい。

それに……味も市販の牛乳と全然違う。

香りと、ほのかな甘みが口に広がる、初めての味わい。

 

「うむ、これ良いものじゃ。

余分な加工や混ぜものの無い、牧場だけで味わえる自然の恵みじゃあ!」

 

「アタシもこんなの初めて飲んだ~!

きっと日寄子ちゃんが丁寧にお世話してるから、こんなにおいしい牛乳が出るんだね」

 

「フシシ、前から小泉おねぇにも飲ませてあげたいと思ってたんだよね。

思いがけず目標達成できちゃった」

 

「よかったわね、日寄子ちゃん」

 

「うん。……なんていうか、江ノ島おねぇのおかげだよ」

 

「アタシは何もしてないよ。日寄子ちゃんが今まで一人で頑張った成果よ」

 

「……ありがと」

 

彼女が少し照れた表情でつぶやいた。

その後も、草原を散策したり、鶏舎の見学をして、牧場の自然を思い切り楽しんだ。

日寄子ちゃんが本来持ってる優しさも垣間見れてアタシも満足よ。

 

「まぁ、牧場で見るべき所はこんなところだよ。そろそろ遊園地行こうよ~」

 

「とても楽しかったよ。西園寺さんありがとう」

 

「狛枝おにぃは外出自体ほとんどしてなかったからね。

今までの分取り返すつもりで遊びな~」

 

 

 

 

 

また場所を移して今度は遊園地。

そろそろ3時だけど、閉園時間の制約もないから、好きなだけ遊べるの。

で、ジャンケンや話し合いの結果、

まずはみんなでジェットコースターに乗ろうって話になったんだけど、

左右田君が乗車スペースで足を止める。どうしたのかしら。

 

「左右田君、気分でも悪いの?」

 

「……なあ江ノ島。

俺はこの刑務所に来てから、これまで自分の罪や怒りに因われて生きてきた」

 

指先でニット帽を直しつつ、自分の過去を振り返る彼。

 

「そうね。……そして長い時間を掛けて乗り越えてきた」

 

「聞いてくれ。それに意識が向くあまり、俺は大事なことを忘れてたんだ」

 

「左右田さん。あなたがよければ打ち明けてください。

わたくし達は同じ罪を背負う仲ではありませんか」

 

「本当に自分が情けねえよ……」

 

「ご自分を責めないで。さあ」

 

「実は、実は、俺……」

 

──ジェットコースターが苦手なんだあああ!!

 

「はぁ?バッカじゃねーの!?さあ、行こう行こう。

こんな派手なもん忘れるとかアホ過ぎるっての!」

 

「西園寺に激しく同意だ!しょうもねェ事でもったい付けやがって!

組のモンならぶん殴ってるぞ」

 

「いっそ、ソニアにぶっ叩いてもらったらどうだ。絶叫マシン嫌いも治るかもしれんぞ」

 

「いや、九頭竜も辺古山も待ってくれよ。

自動制御システムに興味を引かれてたってこともあるし、

そもそも俺は今までスゲー葛藤をだな……」

 

「ふん!やはり冥界へ続く死霊列車に恐れをなしたか!

俺は征くぞ、悪魔王の居城へ向けて、いざ参る!」

 

みんな左右田君を放ったらかしてコースターに乗り込む。

アタシは彼の肩にポンと手を置いて告げた。

 

「ソニアさん、もう行っちゃったわよ。ナイトがお姫様を放っておいていいのかしら」

 

「わかったよ、乗るよ。乗りゃいいんだろ……?」

 

覚悟を決めた彼が、おっかなびっくり一番うしろの席に着いて、安全バーを下ろした。

最後にアタシが左右田君の隣に乗り込むと、先頭の人がタッチパネルを操作して、

ついにジェットコースターが発進した。ゆっくりと機体が坂を上る。

 

「あああ。ヤバくねえか?ヤバイんじゃねえか、これ!」

 

「ヤバくないから安心して。そんなことじゃ、ソニアさんに見捨てられるわよ?」

 

「あ、あ、あ、もう頂上だぞ?なんでみんな落ち着いてんだ!明らかにおかし」

 

あああああ!!

 

急降下したジェットコースターから左右田君の叫びが響いた。

慰労会のときに乗りそこねたアトラクションにようやく乗れたわけだけど、

正直彼の悲鳴の方が印象に残ったわ。

 

うねる鋼鉄のヘビのようなレールを高速で駆け抜け、乗車スペースに戻ってくると、

みんな満足げに機体から降りる。左右田君以外。

今度は澪田さんじゃなくて彼が泡を吹いてるわ。

熟練度の概念があるRPGなら、彼はナイトLv1と言ったところね。

 

「ほら起きて。ソニアさんが待ってるわよ」

 

「……世界はな、回ってんだよ。宇宙じゃねえ。地球が……」

 

意味不明なうわ言を漏らす彼に肩を貸して、ようやく機体から下ろす。

足元がふらついてるから、階段を下りるのも危ない危ない。

しょうがないから、彼を治療するために、みんなに次のアトラクションを提案した。

 

「みんなー、ちょっと聞いてくれるかしら」

 

 

 

メルヘンチックな音楽が流れる回転木馬。つまりメリーゴーランドの前に全員集結。

彼の恐怖体験を治療するには、ただベンチに寝かせてるだけじゃ駄目ね。

 

「ったく、世話が焼けるぜ、左右田の野郎は。

(傍目を気にせず乗れるってことじゃねーか!でかした左右田)」

 

「ごめんなさいねー。みんな付き合わせちゃって」

 

「構わん。元はと言えば左右田のせいだからな。

(堂々とこれに乗れるとは、何という幸運だろうか!)」

 

「さあ、左右田さん。どれでも良いので馬にまたがってください。ププッ」

 

「さーせん、ソニアさん……今、わらいましたか?」

 

全員で色んな飾りや意匠を施されたカラフルな馬に乗ると、

今度はアタシの馬にタッチパネルが設置されていたから、操作した。

操作と言っても、作動・緊急停止の2つしか表示されてない画面の

片方を押すだけだったんだけど。

 

メリーゴーランドが動き出す。

設備全体がゆっくり回転しながら、馬が上下し、優しい音楽を奏でる。

時々、落馬しないか心配な彼に声を掛ける。

 

「左右田くーん、大丈夫?」

 

「ああ、世界が平和だ。……平和が一番なんだよ。戦争なんかしちゃいけねー……」

 

完全とまでは行かないけど、効き目は現れてるわ。

 

「全く、こんなガキみてーなもん、許されるのは小学生までだっての!」

 

「ああそうだ。まったくもって、違えねえ!」

 

西園寺さんに同調する九頭竜君だけど、どこか楽しそうに見えるのは気のせいかしら。

とにかく、音楽が終わる頃には、左右田君も完全復活してた。

 

「いやー、たまには童心に帰るのもいいもんだな!」

 

「よくねーよ!誰のせいでこんなつまんねーもん乗る羽目になったと思ってんだよ!」

 

「まぁまぁ、落ち着いて。これからは自由行動にしましょう」

 

「それじゃ戦刃おねぇ、一緒に遊ぼうよ」

 

「うん。私でいいなら」

 

「いんや、まずはオッサンのクレープ食ってけよ。アレは絶品だ」

 

「食べ物ならぼくに任せてよ。特製ホットドッグを」

 

「どうせろくでもない形してるんでしょ。却下。

……むくろちゃん、アタシ達は適当に散らばってるから、好きなところに行ってね」

 

「ありがとう。じゃあ、西園寺先輩と終里さんのクレープを食べに行こうかな」

 

「なーんか嫌な予感しかしないけど、わたしが一番だね!」

 

 

 

アタシも他の人達とネズミーランドを回ってたんだけど、

後で聞いた話だと、お姉ちゃんも楽しんでくれたみたいよ。

アタシの話は前回と大して変わらないから置いといて、

お姉ちゃんがどこでどんな体験をしたか聞いていって。

 

 

 

 

 

まずは終里さんの誘いでスナックコーナーに寄ったみたい。

 

「ほれ、焼けたぞい!」

 

「でかっ!何これ!」

 

「オッサン特製の激辛シシケバブを挟んだ野菜たっぷりクレープだ。うめえぞ!」

 

「たっぷりってレベルじゃねーよ、戦刃おねぇの顔くらいあるし!

脳筋連中は何考えてんだかわかんねえよ!そうでしょ、おねぇ?」

 

「いただきます……むぐむぐ」

 

「あー食べちゃった。付き合うことないのに」

 

「うん。おいしい。ビタミンとカロリーのバランスが取れてて、

作戦行動前に食べればミッション完了に十分なエネルギーが補給できると思う」

 

「だろー?なんならもう一個食うか」

 

「いただこうかな……」

 

「おっしゃもう一丁追加ぁ!」

 

「げっ、マジ?悪いけどついていけんわ。

あ、わたしはイチゴクリームだからね。普通サイズの」

 

 

 

その次はタワーから落下する絶叫マシンに乗ったらしいわ。

たらふく食べた後で、よく気分が悪くならなかったものね。

 

「イヤッフウウウゥゥイ!!」

 

「キャアアア!」

 

「……」

 

降車後もお姉ちゃんは無表情。気になった澪田さんが聞いてみた。

 

「……あ~んま楽しくなかったっぽいっすね。こういうの好きじゃないっすか?」

 

「ううん、風を感じられて楽しかったよ。

でも、パラシュート降下訓練じゃもっと高い所を飛ぶから」

 

「ふゆぅ…それで平気だったんですね。どれくらいの高さから飛ぶんですか?」

 

「大体このタワーの10倍くらいだよ」

 

「ワーオ、なら怖がりようがないっすね……それはさすがに唯吹も遠慮っす」

 

 

 

その後、狛枝君達と次のアトラクションに目星を付けていたら、

変なものを見つけたんですって。

 

「十神クン、ちょっといいかな。あの変な小屋、何?」

 

「アトラクションのひとつだろう。

見た目からして、大して時間はかからんだろうな。入ってみるか」

 

「本当にアトラクションかな?誰か住んでる気配がするけど」

 

「いけまちぇーん!そこはあちしのプライベートルームでちゅ!」

 

「フン、“どなたでもご自由に見学して下さい”などと書いておいて何を言う。

戦刃、早く着いてこい」

 

「うん。……どう言えばいいんだろう。ピンクが好きなんだね」

 

「ベッドも小さいよね。あの身体ならぴったりなんだろうけど」

 

“どこにそんないたずら書きが!ひょっとしてモノクマが現れたんでちゅか!?”

 

「枕元に多数のテレビモニター。まさかこれで俺達を監視していたのではあるまいな」

 

「ねえ。さっきのご自由にお入り下さいって、本当に書いてあったの?」

 

「いや嘘だ。ざっと眺めるだけの時間は稼げた。それほど面白いものでもなかったな。

出るぞ」

 

「はは…いけない人だね」

 

「コラー!あちしを騙しまちたね!どこにもいたずら書きなんか、なかったでちゅ!」

 

「ご、ごめんね?もう行くから……」

 

「遊園地などに家を建てる方が悪い。入ってくれと言っているようなものだ」

 

「まあ、ボクもそれなりに楽しめたよ。ありがとう」

 

アタシも気にはなってたんだけど、

前回はいろいろゴタゴタがあって、入るチャンスがなかったのよね。

ついていけば良かったかも。

 

 

 

そして日も暮れ、夜が訪れると、

道路やアトラクションがイルミネーションで美しく輝く。

事前の打ち合わせ通り、全員中央広場に集まった。そろそろ帰る時間ね。

 

「全員揃っているな?もう夕食の時間だ。全員俺についてこい!」

 

「十神は目立ちやすいから案内役に適任だな。名残惜しいが先導を頼む」

 

「ちぇー、こんな綺麗なライト付けるなら、最初から夜まで開園しろよー。

大型テーマパークが9時5時で終わりとか、やる気あんのかって話」

 

「辺古山さんも日寄子ちゃんも、

この後、ある意味もっと楽しみなことが待ってるわ。夕食」

 

「おっしゃ、夢の食い放題だぜ!」

 

終里さんがスキップしながら目的地に急ぐ。

 

 

 

 

 

どういうことかと言うと、アタシ達はあの後直接ホテルには戻らず、

ロケットパンチマーケットに寄って、

各自で食べたいものを食べたいだけ持って帰ってきたの。

花村君に夕食を用意させたら、彼にだけ労役が発生するでしょう?

だから夕食と明日の朝食を軽めに持ってきたの。

 

ステーキ肉や冷凍食品など、調理が必要な人は自分で調理。

大食いチームと少食チームが見事に分かれてるわねえ。

十神君や終里さんは分かるとして、ソニアさんも結構入るのね。

牛タン弁当とネギトロ丼を平らげちゃった。

アタシはおにぎり2個とミニパックのゴボウサラダ、

ミネラルウォーターでお腹いっぱい。

 

……それで、さっきから気になってるんだけど、

ポケットの電子生徒手帳が何度も振動してる。

こっそり画面を表示してみると、塔和モナカから大量のメール。

“どうしたの”“返事して”“むくろお姉ちゃんは?”そんな感じ。

読む気もなければ返事をする気もないから、

可哀想だけど、思い切って迷惑メールに設定した。

 

「九頭竜のおにぃ、かりんとうなんか食べてるー。甘党のヤクザなんて、ださーい」

 

「っせえ!かりんとうは和の心が詰まった、極道に似合った菓子なんだよ!

赤龍会のおっちゃんなんか、梅鉢ボリボリ食ってるしよう!

 

「左右田和一、巨大ボトルコーラ一気飲み、行っくぜー」

 

「「やれやれー!」」

 

にわかに場が盛り上がる、

左右田君が例のウォーターサーバー並のタンクに入ったコーラを抱えて、

口から一気を始めた。みんなも手を叩いて囃し立てる。

アルコールじゃ絶対やっちゃいけないけど、コーラなら大丈夫かしらね。

糖尿病になる恐れはあるけど。

 

「「イッキ、イッキ!」」

 

「ゴキュゴキュゴキュ……ぶほっ!げぇ~っ!」

 

「最悪!こっちまで飛んだじゃない!」

 

「今日の左右田おにぃ、良いとこなしじゃん!」

 

「ハハハ!ソニアに振られても知らないぞ」

 

「すんませんソニアさん、マジすんません……」

 

「まずわたしに謝れよ!」

 

ピロロロ……

 

その時、楽しい雰囲気が一瞬にして静寂に包まれる。

全員の電子生徒手帳が一斉に音声を発した。

画面を確認すると、強制的に苗木君とのビデオ電話に切り替わった。

切迫した表情でアタシ達に呼びかける彼。

 

 

“非常事態だから前置きは省くよ!?

ジャバウォック島に向かった艦が、絶望の残党に襲われてる!

ミサイル艇5隻、潜水艦2隻!とても手に負える数じゃない!

江ノ島さん、キミの能力で救援をお願い!”

 

「わかったわ!艦と連絡を繋いで!」

 

苗木君が回線を切り替えた。皆がじっとアタシと通話の相手とのやり取りを見守る。

今度は音声のみの通話。

 

“イージス艦きぼう、艦長の園田だ!君なら攻撃を止められると聞いた!

頼む、一刻も早く奴らを無力化してくれ”

 

“敵艦、レーダー照射!”

 

“チャフ、発射用意!”

 

「相手に音声を発信する準備はできていますか!?」

 

“問題ない!急いでくれ!”

 

アタシは立ち上がると、内から湧き上がる女神としての能力を込めて、

電子生徒手帳をマイク代わりにして歌い始めた。野口雨情の童謡「青い目の人形」

緊迫した状況に不似合いな歌声が流れる。

 

♪青い眼をした お人形は 

 アメリカ生まれの セルロイド

 

 日本の港へ 着いたとき

 一杯涙を 浮かべてた

 「わたしは言葉が分からない

 迷子になったら何としょう」

 

 優しい日本の 嬢ちゃんよ

 仲良く遊んで やっとくれ

 仲良く遊んで やっとくれ

 

アメリカから日本に送られたセルロイド人形。

その心細さと、彼女と仲良くしてほしいというメッセージがテーマ。

みんなも、艦長も、恐らく敵艦の乗組員も耳にしている。

 

艦長からの返事がないけど、アタシの歌が絶望に取り憑かれた人達の心に働きかけ、

本来あるはずのない絶望への信奉をかき消し、心の調和を取り戻しているはず。

時々みんなの間からすすり泣きが聞こえてくる。

二度目を歌おうとすると、ようやく艦から連絡が。

 

“すまない……つい聞き入ってしまった。敵艦が攻撃を中止した。

彼らも自分が何をしていたのか覚えていないらしいが、

今後は我々の援護に回ってくれるらしい。

ありがとう、すぐに迎えに行くから待っていてくれ”

 

「はい。どうぞお気をつけて」

 

また苗木君とのビデオ通話に切り替わる。

 

“やっぱり、本物だったんだね。超高校級の、女神……

これほどの力があるとは思わなかった。隣で霧切さんがデスクでぐっすり寝てるよ。

正直、ボクも眠気が……”

 

「疲労やストレスが溜まり過ぎてたのよ。休んだほうがいいわ」

 

“うん。そう、させて……”

 

そこで通信が終わった。手帳の画面を切ってポケットにしまう。

これは最後まで手放せないわね。……気がつくと、さっきの盛り上がりは静まり返り、

食卓にはまだ沈黙と小さな泣き声が。

 

「その歌のお人形さんって……ううん、なんでもない」

 

「あー、なんかごめんね、小泉さん。変な感じになっちゃって。

もっと明るい歌にすればよかったんだけど、最近の歌はわからないし、

すぐに浮かんできたのがあの歌で」

 

彼女はハンカチで顔を覆いながら首を振る。

 

「盾子ちゃんも、お人形さんも、孤独だったんだと思ってさ……」

 

「やめましょーよ!せっかくの休暇なんだしさ。

あ、九頭竜君、そのかりんとう一つちょうだい!」

 

アタシは返事も聞かず彼のかりんとうを口に放り込むと、おいしそうに頬張った。

 

「ああ、そうだ!明日も忙しいんだから食うぞテメエら!」

 

ガツガツとナポリタンにがっつく九頭竜君。

そのうちみんなも止まっていた手を動かし、また出来合いの料理を食べ始めた。

最後にちょっとしたハプニングはあったけど、どうにか1日目が終わったわ。

みんな食事を終えると、割り箸なんかのゴミをレジ袋に入れて、ゴミ箱に放り込み、

それぞれのコテージに戻っていった。

 

 

 

アタシとお姉ちゃんもシャワーを浴びてテントのベッドで横になる。

眠る前に二言三言お喋りした。

 

「……やっぱり盾子ちゃんはすごいね」

 

「そんなことないよ。アタシにできるのは、何かを元に戻すことだけだから」

 

「あの歌」

 

「あれがどうかした?」

 

「盾子ちゃんもここに来たばかりの頃は、辛かった?

私は、割とすぐみんなの仲間になれたけど」

 

「平気だった、と言えば嘘になるけど、今が楽しいからそれでいいの。

それより明日何がしたいか考えといて。お姉ちゃんに任せる」

 

「意外と難しいな、それ。眠れないかも。おやすみ」

 

「おやすみなさい」

 

明日に備えて早めに寝ることにしたアタシ達。

明かりを消すと、遊び疲れたせいで、すぐ眠りに落ちてしまった。

順調に行けば、あと1日半くらいで迎えが来るけど……その時には。

 

 



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第17章 また逢う日まで

2日目。

 

……について語る前に、口調を戻して、念押ししておきたいことがあるんだ。

この世界で起きた一連の出来事をひとつの物語だとすると、

その主人公は、この世界の仲間達だし、僕の中にいるたくさんの江ノ島盾子だと思う。

 

明日、仲間のひとりとお別れする。

ベッドで眠る姉を時折見ながら、パイプ椅子に腰掛けてメールを書く。

余計なお世話だとはわかってるけど。

送ろうか、よそうかな。

迷っている間、今日の出来事についてお話ししようか。

 

 

 

 

 

ロケットパンチマーケット。

アタシ達は、全品完全無料になった店の一角で、ある物の調達に余念がなかったの。

だけど、これほど買い物に困ることはなかったわ。

 

「花村の思惑通りになったのは癪だけど、みんなで海水浴自体は悪くないわ。

選びましょうか」

 

「あの……小泉さん」

 

「選ぶつったって、前のと同じでいいんじゃねーの?」

 

水色のストライプが入った三角ビキニを買い物カゴに突っ込む終里さん。

 

「そうだね。ここで悩んでても時間ばかり経つし、私も以前のデザインと同じでいいよ。

サイズも変わってないし」

 

「七海さーん、聞いてる?誰でもいいから聞いて欲しいことがあるの」

 

「わたくしはウェットスーツを。

バーチャル空間とは言え、日焼けしたくはありませんから」

 

「わたし、これー!」

 

トップの部分にフリルが付いた可愛らしいホルターネック。可愛いけどビキニ。

 

「唯吹のパンクなヘアスタイルに映えるのはやっぱコレしかないっすねー!」

 

髪の色と同じくらい派手な、

原色のマーブル模様のクロスホルタービキニを選んだ彼女は、

彼女の髪とマッチして違和感がない。

……いけない、呑気に説明してる場合じゃないわ。

 

「聞いてちょうだーい!!」

 

思い切って大声を出すと、やっとみんなこっちを向いてくれた。

 

「楽しく水着を選んでるところ悪いんだけど、ひとつ確認。

アタシもこの中のどれかを着なきゃいけないのかしら。

日寄子ちゃんが意外と大胆なの選んで驚いたけど、それは置いとくとして、

アタシは出来れば服のまま、狛枝君と一緒に砂浜でお城作って遊んでいたいんだけど、

それは許されないのかお聞きしたいわ!」

 

ずらりと並ぶ露出の多い水着を指差すと、

小泉さんが“何言ってんだこいつ”という表情でアタシを見る。

そして呆れて肩をすくめると、語り始めた。

 

「あのね。今からアタシ達は海水浴に行くの。わかる?

そんないいスタイルしといて、

わざわざビーチを普段着でうろつくなんて考えられないの。

盾子ちゃんは最後にじっくり選ぼうと思ったんだけど、

この分だとずっとぐずりそうだから、先に決めた方が良さそうね。

……ペコちゃん、赤音ちゃん、お願い」

 

「おっし、任せろ。ヒヒヒ」

 

「悪く思うな」

 

「え、なに、なに!?」

 

二人に両腕を掴まれて、拘束された。

すかさず、小泉さんが何着も水着を持ってきて、アタシの身体に合わせ始めた。

どれも正気を疑うほど布が少ないものばかり!

 

「ちょっと、小泉さん!

まさかそれを着けて、みんなの前で出ろっていうわけじゃないわよね?」

 

「言ってるのよ」

 

「せめて、ソニアさんみたいなウェットスーツやスク水的なものがあると、

アタシとっても嬉しいわ!」

 

「あら、残念!

ウェットスーツは、わたくしの一着で売り切れてしまったようですわ!」

 

「捨てたよわね、今捨てたわよね?

5着くらい掛かってたやつ、更衣室の中にごそっと捨てたわよね!?

お姉ちゃん、可愛い妹を助けて!」

 

お姉ちゃんに助けを求めると、小泉さんが持ってる水着をじっくり見て……

 

「防御性能が期待できない水着になるなら、

回避行動を邪魔しない、より動きやすいものを選ぶべき」

 

「どんだけ軍人脳なのよ!」

 

「ほら、むくろちゃんも言ってるでしょ。観念してお姉さんの言うこと聞きなさい」

 

「あああ~……」

 

アタシはどうにか子供のようにギャーギャー喚いて、

紐パンタイプだけは勘弁してもらい、真っ赤なビキニを着る羽目になってしまった。

……標準的な三角よ。

 

 

 

 

 

2番目の島。

ここには1番目の島と違って、ちゃんと海水浴のために整備された海岸があるの。

ビーチハウスで水着に着替え、出口から恐る恐る外を伺う。

ちょっと離れたところに、もう全員集まってる。

アタシの中の江ノ島盾子が茶々を入れてきた。

 

“何をしているの。早くそのド派手なビキニ姿をみんなに見せてあげなさいな”

 

「もう、ド派手とか言わないでよ。凄く恥ずかしいのよ?これ」

 

“着替えの最中もずっと目を閉じてたわね。

それでよくまともに水着が着られたものだわ”

 

「横で女の子が裸になってるんだから、しょうがないじゃないの」

 

“ヘタレねえ。自分も裸なんだから、気にすることないのに”

 

「うるさいわね!今更わかりきったこと言わないでよ!」

 

まったく。いつか仕返ししてやりたいけど、方法が思いつかない。

仕方なく一歩前に踏み出し、砂浜に足を下ろす。

これ以上みんなを待たせるのも悪いから、

微妙に腕で水着を隠しながらようやく合流した。途端におお~っと声が上がる。

何がそんなに楽しいのやら。

 

「ごめん、みんな、お待たせ……」

 

「ウヒヒ…江ノ島おねぇってば大胆!ボインボインのパッツンパッツンだし!」

 

「やめてよ~日寄子ちゃんもかなりキワドいじゃない。

可愛らしいフリルでごまかしてるけど」

 

「うわぁ~!江ノ島って普段着からしてアレだけどよー、水着になると……うわぁ!」

 

感激した目で思いっきり見てくる左右田君。

 

「“アレ”って何よ!ソニアさんがそばにいるのに、よく鼻の下伸ばせるわよね!

あと、ゲームで見てたけど、左右田君って水着の女子なら誰でもいいんでしょ!?

私服より肌が隠れたウェットスーツのソニアさんでも喜んでたじゃない!

本当に見境なしね!花村君よりひどい!」

 

若干興奮気味にまくし立てると、彼に幽霊のごとく近寄る存在が。

 

「左右田さ~ん……?少しこちらへ」

 

「いや、あれは、海水浴のお約束イベントっていうか……

あ、ソニアさん違うんです、顔を掴まないでくれると嬉しいんすけど、ああっ!」

 

お面のような笑顔のまま、ソニアさんは左右田君を茂みに連行していった。

しばらく戻ってこないだろうから、放っておきましょう。

 

「アタシ泳げないから、やっぱり狛枝君と砂のお城でも作るわ」

 

「だ~め。水着買った意味がないでしょう?

浅いところを歩くだけでもいいから、一緒に遊びましょうよ」

 

「……わかった。小泉さん遊んでくれる?」

 

「ええ!それでこそ赤のビキニが映えるってもんよ」

 

「水着についてはあまり触れないでくれると助かるわ……」

 

「サンオイルを塗って欲しい時はぼくに言ってね!

ちなみに、ぼくは男女どちらもOKだから、いやらしい意味はないよ!」

 

「余計やらしいわよ!対象が広がってることに自分で気づいて!」

 

「花村にツッコんでたらキリがないわ。さ、思いっきり遊びましょう、盾子ちゃん!」

 

「そ、そうね。時間にも限りがあるし。行きましょうか」

 

男女入り混じって、水浴びや競泳をしているところへ小泉さんについていくと、

茂みの向こうでソニアさんに激しい勢いで土下座する左右田君が見えた。

さっきは呆れるばかりだったけど、

彼が男性らしい人間性を取り戻してくれたことが嬉しくもあり、複雑な気持ちね。

 

だんだん水着にも慣れてきたわ。みんなも同じくらい大胆なんだもの。

青々とした空から照りつける太陽。

少しずつ海に浸かると、日光で火照った身体に海水が気持ちいい。

単なる水中ウォーキングでも、やってみると楽しいものね。

 

沖では辺古山さんと終里さんが早泳ぎの勝負をしてる。

平泳ぎもできないアタシには無理ねぇ。

そんな様子を、指を加えて見てると、罪木さんが水をかき分けながら、

ゆっくり近づいてきた。

 

「お二人共すごいですねぇ。私なんか平泳ぎで5m泳ぐこともできませんから」

 

「あら、奇遇ね。今同じこと考えてたの。アタシも平泳ぎが全然できない。

水泳帽のシールも卒業まで黄緑色だったわ。目安は、水に顔をつけることができる」

 

「うふふ。私の学校では、黄色でしたよ~

泳げなくても、こうして海に入るだけで、気持ちいいですね」

 

「本当に。……ねえ、彼女も楽しんでくれてるかしら」

 

「はい。やっぱり無意識に日向さんと一緒に行動することが多いみたいです」

 

「明日、か。アタシ達の修学旅行もそこでおしまい」

 

「でもでも!明日までは終わらないんです!私達も一杯思い出作りましょう!」

 

「そうね。罪木さんの言う通りだわ。

だったら、思い切って男子とも遊ばなきゃね。一緒にどう?」

 

「はい、是非!」

 

アタシは罪木さんの手を引くと、目に付いた男子に声を掛けた。

まずは軽く男女ペアから話しかけて見ましょうか。

……ソニアさんと左右田君。ニコニコするソニアさんに捕らえられてる彼。

 

「アハハ。左右田君、大丈夫?」

 

「あんまり……俺に、話しかけないでくれ。何があったかも、聞かないでくれ」

 

笑顔のソニアさんとは対象的に、死んだような表情の左右田君。

なんだか悪いことしちゃったわね。

 

「ご心配なく。ちょっと彼と話し合いをしていただけですので……」

 

「あうぅ…左右田さん、後で顔に湿布を貼りますね?」

 

「ありがとよ……」

 

「また後で。二人共、仲良くね」

 

「わたくしと左右田さんはいつも仲良しですわ。……ね?」

 

「はいそうです!」

 

これ以上刺激するのはよろしくないわね。

早々に二人と別れて、なんだか人だかりができてるところに近づいてみる。

 

「フン!ハァ!せい!」

 

彼が気合を入れて拳を振るう度、ヤシの木が激しく揺れる。

 

「すごいなぁ。どんどん落ちてくるよ。ボクは回収を担当するよ」

 

「ならば、俺の出番でもあるな。

禁断の知恵の実は、人の子一人が抱えるにはあまりにも大きな代償を支払う必要がある」

 

何をしてるかって言うと、弐大君がヤシの木を殴って、ココナツの実を落としてるの。

周りのみんなは落ちた実を拾ってる。

 

「すごいですねぇ。

どうして弐大さんは何かの選手じゃなくて、マネージャーなんでしょうか」

 

「それはアタシも不思議に思ってるの。さ、手伝いましょう」

 

「そうですね」

 

男子に混じってココナツ拾いを始めると、やっぱり何となく視線を感じる。

水着には慣れたけど、見られることはまだまだね。世の女性はどうして平気なのかしら。

 

“何となくじゃなくて、しっかり見られてるのよ。ウフフ”

 

“うるさいわよ!”

 

心の中で江ノ島盾子を黙らせつつ、とにかく全員分の実を一ヶ所に集め終えた。

後はこれを割って中のココナッツミルクを飲むだけなんだけど……

 

「う~ん、流石にぼくも包丁なしじゃこの硬い実は割れないよ」

 

「心配ねぇよ。おーいペコ!あと、他の連中も全員集まれ!うまいもんがあるぞ!」

 

九頭竜君が皆を呼ぶと、海で泳いでいた辺古山さんと終里さんが、

凄い水しぶきを上げて、陸に突っ込んできた。あっという間に砂浜に戻ってきた二人。

遅れて他のメンバーも集まる。

 

「うまいもん!?どこ、どこだ!」

 

「お呼びですか、ぼっちゃん」

 

「おう、ペコ。この実を割ってくれ」

 

「承知しました」

 

辺古山さんは、適当な木に立てかけていた竹刀を手に取った。

それで切るのはいくらなんでも……と思った瞬間、彼女が竹刀を振るった。

 

「はあっ!」

 

目視できただけで3回、竹刀でココナツを斬ると、全部の実がパックリと割れて、

中のココナッツミルクをこぼさないよう、綺麗に砂浜に落ちた。

 

「いやー、凄いっすねぇ。ペコちゃんの剣道……

包丁でも手間かかりそうなのに、どうやって竹刀で切ったっすか?」

 

「斬り方にコツがある。

真空波を生み出すよう、大気と剣を一体と成し、精神を研ぎ澄まし……斬る」

 

「凄すぎて言葉が出ないが、とにかくありがとう。ほら、七海」

 

「うん。ありがとう……」

 

日向君が七海さんにココナツを渡す。

彼女は嬉しそうに受け取って、ココナッツミルクを飲み始めた。

仲睦まじい二人の様子に、自然と少し笑顔がこぼれた。

 

その後も皆、広いビーチを存分に使って海水浴を楽しんだ。

アタシは当初の目的通り、狛枝君の砂の城作りに混ぜてもらった。

 

「片手だから助かるよ。砂を掴んでは押し付ける、の繰り返しだから、

なかなか2段以上にできなくて」

 

「アタシもやりたかったからいいのよ。こうしてのんびり時間を過ごしたかったから」

 

浜辺を眺めると、澪田さんや西園寺さんが水の掛け合いをしたり、

十神君が脂肪の多い身体を活かして悠々と海に浮かんでいる。

 

「……以前のボクなら、“砂の器”を作ったりもしたんだろうけどね。

作っては崩れ去る、希望と絶望の繰り返し。

だけど今は倒れることのない、希望の塔が作りたいんだ」

 

「あれは後世に残すべき名作ね。作りましょう、せっかくだから3段の塔を」

 

「江ノ島さんが手伝ってくれるとやれる気がしてくる。頑張るよ」

 

それからずっと砂を積んではペタペタと押し付けた。

結局3段には届かなかったけど、二人で作った2段の塔は、土台をしっかり作ったから、

アタシ達がホテルに帰るときまで、そこにあり続けた。

太陽が真上に来た頃、みんな遊び疲れて、そろそろ帰ろうということになった。

 

「お前達、全員揃っているだろうな。離岸流で沖に流された者は?点呼を取るぞ」

 

「心配しすぎだ、十神。このプログラムは島から一定以上の距離を離れると、

自動的に陸に戻されるシステムになってる」

 

「ならいい。全員、一旦解散だ!

夜の6時にまたホテルの前で待ち合わせ。わかってるな」

 

「わかってるから、話を先々進めるなって」

 

やや強引にリーダーシップを取る十神君に、振り回され気味の日向君。

でも彼の言う通り、午後6時に再集合になってるから、一旦自由行動になった。

アタシ達はビーチハウスでシャワーを浴びて、着替えを済ませて、ホテルに戻る。

 

男性陣は元々水着のまま海に来たから、コテージのシャワーを使うとして……

アタシは女の子が全員帰るまで、

ビーチハウスの裏側でずっと座り込んで待っていましたとさ。

 

“うふふ、あなたはもう男でもあり女でもあるんだから、遠慮なく入ればいいのに”

 

「お黙り、引っ込みなさい!」

 

 

 

 

 

泳いだ後の疲れもあってか、ロケットパンチマーケットに昼食を買いに行く人もいれば、

面倒だからそのままコテージでぐっすり昼寝をする人もいた。

アタシは後者だったけど、マーケットに並んで歩く二人を見た。

……あと、24時間ちょうどってところかしら。

 

ベッドから起きて手帳の時計を見ると、もう5時半くらい。隣のお姉ちゃんを起こす。

やっぱり昼食抜きが、たたったのかしら。お腹がぐぅと鳴った。

この後食べまくるしかないわね。

 

「お姉ちゃん、起きて。もうすぐ集合だから」

 

「……ん、おはよう」

 

「まだ時間はあるから、慌てなくていいよ」

 

アタシ達は顔を洗って、身支度をすると、ホテル正門に向かう。

大体の人数が集まっていて、数分ほどで全員集合となった。

 

「皆、揃っているな。

わかっているとは思うが、全ての店舗を一度は回ること。これがノルマだ。

でなければこの島に来た意味がない」

 

「だめだ、完全にプログラムの目的忘れてる。

十神にあれを前にして、我を忘れるなって言う方が無理だけどな」

 

ため息をつく日向君。とりあえずみんな揃ったから出発はできたけど。

今から向かうのは、隣の5番目の島。

工場や軍事施設が大半を占めてるんだけど、その中にひっそりと隠れるように、

屋台が立ち並ぶ通りがあるの。

なにやら異国の文字の提灯が混じってて、怪しい雰囲気を出してるけど、

夕食はそこで食べ歩きってわけ。

 

 

 

 

 

鋼鉄の臭い漂う5番目の島には中央島を経由して15分ほど。

やっぱり店員なんていないから、全部セルフサービスだけど。

ラーメンは麺を自分で茹でて、備え付けのスープを注ぐ。

焼き鳥は冷蔵庫の串を自分で焼く。最初からできてるのは、おでんくらいね。

全部味がしみるまで煮込んであるから、トングで取るだけでいい。

 

「オレ、豚骨ラーメン、麺多めで野菜マシマシ!」

 

「麺の硬さを忘れているぞ!肝心なところでヘマをする女だ!」

 

「ああワリワリ。バリカタで頼むわ」

 

「ええと、ぼくは麺少なめで……」

 

「少なめだと……?貴様、この十神にそんな貧相な代物を作らせる気か!」

 

「だってこの量明らかに異常だもん!普通でも山盛りだもん!

これだけでお腹一杯になっちゃうよ!」

 

真っ先に何かに食いつくと思っていた十神君は、

意外にも進んでみんなにラーメンを振る舞っていた。

もっとも、彼なりのポリシーがあるらしく、

食べきれない量を押し付けられるみたいだから、彼が去ってから自分で作りましょう。

 

ゆっくり食べられそうな、おでんの屋台が空いてるから、まずここに入りましょうか。

暖簾を上げて一言。

 

「やってる?」

 

「あ、江ノ島さん。やってますよ~?一緒に食べませんか」

 

「江ノ島おねぇ、ネタ取ってー。罪木おねぇ落としてばっかりなの」

 

「ふみゅう……ごめんなさい」

 

「はいはい、取ってあげるから。欲しいのどれ?」

 

アタシはトング片手に、西園寺さんの皿を持ってリクエストを待つ。

 

「まず卵と、こんにゃくと、がんも」

 

「どれも外せないわね。……はい」

 

「ありがとー!おねぇ大好き!

で?なんでこれしきのことができねーんだよ、罪木おねぇは!」

 

「ごめんなさぁい!余った昆布全部食べますから許してくださぁい!

あと、私にもはんぺんとじゃがいもを……」

 

「厚かましっ!散々わたしの着物に汁跳ねさせといて!」

 

「はいはい、ケンカしないの。足りなくなったらアタシが取るから。

はんぺん、じゃがいも、お待ち」

 

「ありがとうございますぅ……」

 

「さて、アタシはどれにしようかしら」

 

いよいよアタシも何か食べようとネタを選んでいると、

長身の影が屋台の店主側に立った。

 

「ククク……実に愉快な光景よ。

地獄の釜茹でにされし哀れな亡者共が、救済を求めてひしめき合っている。

さあ、女神よ。その慈悲を与える選ばれし者をその指で指し示すが良い!」

 

「あら、田中君が取ってくれるの?悪いわね。

じゃあ、こんにゃくと、平天と、3色団子をお願いできるかしら」

 

「フハハ!喜べ、蜘蛛の糸掴みしカンダタよ!死中に活を見出すのだ!」

 

「黙って取れよ、田中おにぃ!ちょっと唾飛んだし!!」

 

「すいません……」

 

若干落ち込む田中君から皿を受け取る。

彼も昼食なしでコテージに帰ったみたいだから聞いてみた。

 

「あ、はは。とにかくありがとうね。田中君は何か食べてる?お腹空いてない?」

 

「先程、灼熱に燃える板で、粘つくカルマに塗れた肉身を焼き尽くし、

アバドンの如く胃袋に収めたところだ。

静寂を愛する俺様とて、時には荒れ狂うこともある……」

 

「お好み焼きを食べたのね。後でアタシも行ってみようかしら」

 

後ろの焼き鳥屋の屋台では、男女が何か話し込んでいる。

みんな知ってか知らずか、その屋台には入ろうとしない。

アタシも味の染み込んだこんにゃくをかじって、

ビールでもないかしら、などと考えていた。

元々高校生対象のプログラムだから、そんなものなかったけど、

ちょっと飲みたい気分だったのよ。

 

酒の代わりに十神特製ラーメンにチャレンジしようと思ったけど、

彼はもう食べる側に回ってた。ワオ、すごい量。洗面器みたいな器に汁と麺が山盛り。

自分で厨房に立って、生麺をざるに入れて、お湯に浸してしばらく待つ。

 

硬さは普通が良いんだけど、どれくらい茹でればいいのかしら。

器にスープを注ぎつつ、適当な時間茹でて、ざるを勢いよく振って、余分な湯を飛ばす。

リズムを付けてチャッ、チャッ。一度やってみたかったのよね、これ。

器に麺を入れて、適当にトッピングを乗せたら完成。

長椅子に座って江ノ島ラーメンを食べる。……探せばありそうね、江ノ島ラーメン。

 

「いただきまーす」

 

割り箸を割って麺をすする。作り置きとは思えないほどスープがおいしい。

濃い味の豚骨だけど、余分な油が多すぎず、サラッとした食感。

麺は……茹ですぎた。柔らかすぎて歯ごたえがない。

かと言って2杯目を食べるほどお腹に余裕もなかったから、

スープでごまかしつつ食べきった。

 

少食のアタシはここで限界だったけど、

みんなは屋台を転々としながら、色んな味を楽しんでた。

酒の代わりにお冷をちびちび飲みながら、楽しそうな雰囲気だけを味わう。

やがて宴も終わり、やっぱり彼が場を仕切る。

 

「全員、心して聞け。名残惜しいのはわかる。その気持ちは痛いほどわかる。

だが、食い過ぎによって胃を痛め、次の食事が食べられなくなり、

トータルの食事量が減少しては本末転倒だ。

よって、これを以て帰宅すべきだと、俺は思う」

 

十神君から“食い過ぎ”という言葉が出たことに驚きだわ。

彼が洗面器ラーメンを食べた後、お好み焼きを3枚、焼き鳥20本、

おでんの余った具を全部食べたことを、アタシは知っている。

 

「ちぇっ、もう終わりかぁ」

 

「我慢せい。食い過ぎは身体に毒じゃあ」

 

異論があるのは終里さんだけなので、やっぱりホテルに帰ることになった。

気づけばもう夜9時。散々遊び歩いたみんなは、早めにコテージに戻り、

アタシとお姉ちゃんもホテルでシャワーを浴びて、すぐベッドに横になった。

 

 

 

 

 

そこで冒頭に戻るんだけど、やっぱり確認しておくことにした。

僕も彼女との別れは寂しい。日向君ほどではないにしろ、彼女との思い出がある。

いつか僕の勝手な思い込みを正してくれた。

そんな彼女に、なんにもなしでさようならは、少し切ない。

思い切って送信ボタンを押した。

 

 

送信者:江ノ島盾子

件名:彼女のことだけど

 

遅くにごめんね。

だけど、明日お別れじゃない?

送別会でもないけど、何か思い出づくりでもしたいなって。

 

 

送信者:日向創

件名:RE:彼女のことだけど

 

お前も来るか?

正門前で待ってる。

 

 

彼も同じことを考えてたんだね。

僕はお姉ちゃんを起こさないように、パイプ椅子から立ち上がると、

急いで正門に向かった。門の前には日向君と、数人の男子が集まっていた。

 

「こんばんは」

 

「ああ。お前も七海のことを考えてくれてたんだな」

 

「当たり前じゃない。アタシ達、明日帰るんだから」

 

「じゃあ、行こうか」

 

短い言葉を交わすと、マーケットへの道を少人数でぶらぶら歩き始めた。

 

 

 

 

 

24時間営業のマーケットには誰の姿もなく、アタシ達は買い物カゴを持って、

お菓子やレンジで温めるだけで食べられるご馳走を、目につくものから手に取る。

顔に小さく切った湿布をいくつも貼った左右田君が思い出に浸っている。

 

「希望更生プログラムも明日で終わりかよー。

ソニアさんとお近づきになれたのは嬉しいけどよ、やっぱ寂しいよなー」

 

「その顔で言っても説得力に欠けるけど、アタシも同じ気持ちだわ。色々あったわね」

 

スナック菓子をメインに集めつつ、受け答えをする。九頭竜君にはかりんとうも必要ね。

 

「そういや、俺達まで帰る必要あんのかなぁ。

外のジャバウォック刑務所に戻ったって、やることは変わんねえのに」

 

「採掘したり伐採した資源を、現実世界に持ち帰れないからじゃないかしら。

なんか日向君がそれらしいことを言ってたわ」

 

「あ、そっか」

 

「お前ら、遊んでないで手を動かせ。明日は勝負の時なのだぞ」

 

後ろから声を掛けられて振り返ると、

ステーキや生肉を中心に買い込んでいる十神君と花村君。

 

「飯を食べきっていいのは、パーティーの終了直前だけだ。

早々に食い終わってお喋りしかすることがない。そんな事態は御免こうむる」

 

「そう、お別れ会くらいはぼくが腕を振るうから、

美味しそうな食材があったら確保しといてよ!」

 

「ありがとうね、二人共」

 

「俺からも例を言うよ。七海のために、夜遅くに集まってくれて」

 

日向君が、常識的な2リットルサイズのジュースを沢山カートに積んで、近づいてきた。

 

「みんな、寂しいのよ。一旦はこのメンバーが解散するんだし」

 

「感傷に浸っている暇はないぞ。

今夜中に17人分の食材を用意する必要があるのだからな」

 

「一人足りない気もするけど、まあいいか。あとひと頑張りだ!」

 

その後も手分けして、食べたいもの、食べさせたいものを収集して回った。

全部が終わったのは、日付が変わった頃。

 

「ふぅ…これだけあれば、足りないってことはないだろう」

 

「うむ、この俺が太鼓判を押す」

 

「3割くらいは、あなたが食べそうだしね……」

 

レジ袋に商品を詰めながら、改めて回収した食材の量に圧倒される。

持ったら腕が千切れそうだわ。持たなきゃ帰れないんだけど。

マーケットから出たアタシ達は、両手の重量物に苦しみながら、

どうにかホテルにたどり着き、レストランの厨房に運び込んだ。

 

「だーっ!もう動けねえ!」

 

「お静かに。みんな起きちゃう。サプライズパーティーが台無しになるわ」

 

「喋ってないで、肉を冷蔵庫に格納する作業を手伝え。

この南国では、肉類はすぐに痛む」

 

「ああ、ごめんごめん。すぐやるわ」

 

「俺はジュースを冷やしておく。

花村はもう休め。朝早くから料理で忙しくなるんだから」

 

「うう…ありがとう。そうさせてもらうよ」

 

よろよろと去っていく花村君。明日も忙しいのに、こき使って悪いわね。

アタシ達はひたすら生物を冷蔵庫にしまう。

 

「みんな喜ぶわね」

 

「ああ。お前達のおかげだ」

 

「ふん、お前一人であの連中の腹を満たしきれる量を運べると思っていたのか」

 

「そーだよ、水くせえっての。いっそ、男子全員に声掛けた方がよかったんじゃーか?

明日、おんなじ事言われるぜ、多分」

 

「そこんところはサプライズっていうことで勘弁してもらいましょうよ。

……お肉はこんなところかしら」

 

「それで全部だ。……今日は、ありがとうな。何か気を遣わせたみたいで」

 

「何のことかしら。彼女とお別れするのは、みんな寂しい。それだけよ」

 

「うん、そうだな……」

 

そして、ようやく全部の食材を適切な場所に保管し終えると、

明け方の準備に備えて、それぞれの寝床に戻っていった。

 

 

 

 

 

3日目。つまり、最後の日。

 

「これは一体どういう事っすかー!レストランがまるでレストランみたいに!」

 

「唯吹ちゃん落ち着いて!でも、本当にこれってなんなの?」

 

テーブルに並ぶ豪華なステーキや唐揚げ、ポテトフライ、シーザーサラダ等。

別のテーブルにはお菓子がたくさん。

朝からちょっと重いけど、昼食も兼ねてるから、ゆっくり食べて貰えればいいと思うわ。

日向君の目配せを受け、僭越ながらこのアタシが。

 

「只今より、七海千秋さん送別会及び、

ジャバウォック島解散式を執り行いたいと思います!」

 

「まあ!ではこのお料理は江ノ島さん達が?」

 

「その通りよ、ソニアさん。

調理が必要なものはほとんど花村君が作ってくれたけどね。

昨日の夜にマーケットに買い出しに言ってたってわけ」

 

「なんだよー、そんな面白そうなことしてるなら、オレも呼んで欲しかったぜ」

 

「そーだよ、おねぇ。

パーティーの準備なら、みんなでやった方が楽しいに決まってるのに」

 

「ほら見ろ。やっぱ苦情が出てるぜー?」

 

「それについては悪いと思ってるわ!

でも、それは彼女にサプライズパーティーをプレゼントしたい一心だったの。

全員で動くとバレバレだからね。何卒ご容赦頂きたいわ!」

 

そして、彼女をさっと指差す。

 

「えっ、私……?」

 

七海さんに注目が集まり、彼女が戸惑う。

 

「そう。ある意味このパーティーの主賓は、あなた。

お昼には未来機関が迎えに来る。そしたら、お別れじゃない……」

 

アタシ達の意図に気づいたみんなが、少し黙った。

強制シャットダウンを行えば、現実世界に肉体があるアタシ達はともかく、

AIである七海さんとウサミとはもう会えなくなる。

 

「むむむ。なるほどなるほど……千秋ちゃんはこの世界に留まることになるっすから、

そういうことになっちゃうんすねぇ」

 

「うむ。私としたことが、肝心なことを失念していた。

お前は人と何ら変わるところがなかったからな。許してくれ七海」

 

「い、いいよ辺古山さん。

別にシャットダウンしても、私とウサミちゃんが削除されるわけじゃないんだし、

いつかまた会えるかもしれないよ?

私をダウンロードできるほど容量のあるデバイスが開発されたら、ね」

 

「そういうことだ。みんな、湿っぽいのは無しにしないか?

船が来るまで食べて、騒いで、明るく解散式を楽しもうぜ!」

 

「日向の言う通りじゃあ!ワシらが七海を送り出す勢いで、宴を楽しむぞい!」

 

「ま、そういうことなら、勘弁してやるよ。

……ちゃんとかりんとうも持ってきてるしな」

 

「油芋は置いといてくれよな。オレの好物なんだから」

 

「うふふ。九頭竜さんも終里さんも、まずはメイン料理から頂きませんか?

お腹が大きくなっても知りませんよ」

 

「そーだな。じゃあ、オッサン。最後のやつ、頼むわ」

 

「よし!全員手を合わせい!」

 

 

「「いただきます!」」

 

 

解散式も兼ねてるとは言え、

実質七海さんとのお別れ会の意味が強いパーティーが始まる。

やっぱり大食いチームはステーキにかぶりつき、

アタシ達は、まずサラダやスープでお腹を慣らす。

肉はまだまだ残ってるから、食べたい人は厨房で勝手に焼く。

凝った料理にこだわらなきゃ、塩コショウして焼くだけだから簡単よね?

 

美味しい料理と会話で場は一気に盛り上がる。

 

「昨日の海水浴で思ったんだけどさぁ、七海さんも結構いい体してるよね。

着痩せするタイプなの?」

 

「そうかな。

意識したことがないからよくわからないけど、上着のカーディガンのせいかも」

 

「そういや、江ノ島はなんであんなに怖がってたんだ?

あんだけデカいおっぱい持ってんだから、もっと堂々とすりゃいいのに」

 

「終里さん!?そういう話はせめて男性諸君のいないところでお願いできないかしら!」

 

「ぼくは紳士だから心配ないよ!

そもそもブラジャーにはPカップまで存在することが確認されているんだ。

つまり江ノ島さんにはまだまだ大きくなる余地があるってことだよ!」

 

「どこが紳士よ!いきなり嘘ついてんじゃないわよ!心配だらけで心が削られるわ!」

 

「花村。黙らないとソニアちゃんのムチで100叩き……あ、それはそれで喜ばせそう。

本当、こいつは厄介ね!」

 

「小泉さんもぼくの事を分かってくれてるみたいで嬉しいよ!

……冗談はさておき、ステーキの焼き加減はどうかな」

 

「おいしい。脂身も落としてくれてるからさっぱりしてる」

 

「とても美味でございますわ。変態さんが焼いたとは思えないくらい」

 

「七海さんの励ましもいいけど、

シェフとしてはもっと激しく罵ってくれると嬉しいな!」

 

「このクソボケ変態野郎!でございます」

 

「ソニアさん、乗っちゃだめ!シェフも関係がない!はぁ、結局こうなるのね……」

 

「じゃあ、気分を変えて、誰か一発芸でもやってくんねーか?」

 

「よーし、この左右田和一が七海にコーラ一気飲みを捧げるぜ!」

 

“だめ!” “引っ込め!” “汚ーい!”

 

「なんだよ……今度は2リットルだから大丈夫だっつーのに」

 

すごすごと左右田君が引き下がると、終里さんがアタシにロックオンしてきた。

 

「そうだ江ノ島。泣き虫盾子やってくれよ。オレあいつ好きなんだよ」

 

「えー……やってみるけど、出てきてくれるかわからないわよ?」

 

「ものまねだけでもいいから、頼むよ~」

 

「私も、最後に見納め、だめかな?」

 

「七海さんに言われちゃったら……やるしかないじゃな~い?」

 

仕方なく、心のドアを叩く。ごめんね、ちょっとだけ出てきて。

 

「……久々に外に出られたと思ったら、

大食いゴリラに余興をさせられるなんて、悲しいですよね……

あまりに雑な扱いに、涙が出そうです」

 

“おおーっ” “泣き虫盾子だ” “おひさっす!”

 

目に涙をためて語ると、皆が感心して声を上げる。一体何が楽しいんだか。

七海さんが笑ってくれてるから別にいいけどさ。

 

「ありがとう、江ノ島さん」

 

「いいのよ。あの娘も注目の的になれて喜んでるんじゃない?予想だけど」

 

「おっしゃ、今だ!」

 

すると終里さんが飛びかかってきて、アタシの頭上を通り抜けた。

 

「エノシマダケ、ゲットだぜ!やっと食べられる日が来るとはな!……むぐむぐ」

 

「ちょっと、何やってるの!

アタシも食べた事ないから、毒があるかどうかわからないのよ!?」

 

「う~ん、まずくはないが、特別うまいわけでもないな。サンキュー」

 

泣き虫盾子モードのときに頭に生えるキノコが目当てだったらしい。

食べ物っぽかったら何でもありなのね。

 

「ねえ、盾子ちゃん……」

 

「なあに?お姉ちゃん」

 

「泣いてるときに生えるキノコって、本物なの?」

 

「お姉ちゃんまで食いつかないでよ。アタシに聞かれても困るわ。

食べようと思ったこともないし、食べたがる人がいるとも思わなかったからね!」

 

ピロロロ……

 

馬鹿話に花を咲かせていると、テーブル端の席から、着信音が聞こえた。日向君の席。

彼が通話ボタンを押すと、あの人の声。苗木君。

ビデオ通話らしく、電子生徒手帳を見ながら会話を始めた。

 

“……日向君、何も異常はない?”

 

「ああ、こっちは元気過ぎるくらいだ」

 

“あと1時間で艦が到着する。強制シャットダウンの準備を始めておいてくれないか”

 

「わかった。今、取り込み中で少し遅れるかもしれない。また後でな」

 

“了解。キミ達の帰還をみんなで待ってるよ。それじゃあ”

 

日向君が通話を切ると、それまでの騒ぎが一気に静まった。

彼がパンと手を叩いてみんなに呼びかける。

 

「よっし。思い切り食べたし、心行くまで楽しんだ。そろそろ帰る準備を始めよう。

一応片付けてから帰ろうぜ。

七海はこれからも、このプログラム内で生きていくんだからな。

立つ鳥跡を濁さずで行こう」

 

すると、みんな言葉少なに皿やスナックの空き袋を片付け始める。

花村君は皿洗い担当、他は全員でレストランの掃除や余り物の整理。

17人で取り掛かるとあっという間に終わった。

最後にゴミ袋を裏手のゴミ捨て場に出すと、艦の到着予定まで30分。

ちょうどいい頃合いね。

 

「それじゃ、みんな行こっか」

 

七海さんが遺跡まで先導してくれることになった。

彼女の背中には猫のリュック。これを見ることは、もう。……よしましょう。

二度と会えないと決まったわけじゃない。彼女自身が言っていた。

アタシも未来を信じることにするわ。

 

 

 

 

 

遺跡の内部は、石版を沢山積み上げて壁にした、空気のひんやりした法廷だった。

ここは、ゲーム終盤で見て以来ね。みんなが証言台に立つと、

やっぱりタッチパネルに卒業・留年の2つだけのボタン。

準備ができると、皆、彼女を見る。

 

「みんながこの世界に来てくれて、嬉しかったよ。

私が協力できるのはここまでだけど、自分を信じて、みんなだけの未来を築いてね……」

 

「さよならは言わないわ。きっとまた会える。そんな気がするの。

だから今は、おやすみなさい」

 

「江ノ島さんがここに来たのは何かの間違いが重なった結果だけど、

あなたがそれを許してくれたことは、本当に感謝してる。

この世界を裁くこともできたのに」

 

「あの時、早まった真似をしなくて本当によかった。

きっと、ここに居るみんなを失う結末を招いていたから」

 

あたしはそっと日向君に視線を送る。

彼は自分の気持ちを言葉にするのに時間がかかっているみたい。

 

「七海……」

 

「うん。日向君も、ありがとうね」

 

ようやく彼女の名を呼んだ彼に、七海さんがペアの希望ヶ峰の指輪を見せる。

彼も証言台についた左手の指にはめた、同じ指輪を見つめた。

 

「……忘れないさ。現実世界に持ち帰れなくても。

いや、俺は七海を忘れない。指輪じゃなくて」

 

「その言葉で、十分だよ。

私があなたにとって最初の七海じゃなくても、優しくしてくれたことは忘れない」

 

「俺にとっては、どの七海だろうと大事な存在だ。……そろそろ、お別れだ。

江ノ島の言う通り、しばらくの間の、な」

 

「みんな、元気でね……」

 

「どうか七海さんも、お達者で!」

 

「こいつも2回目かー。オレの事も忘れねーでくれよ?」

 

「七海おねぇ、いつかまた遊ぼうねー!」

 

「最後に本当の自分でキミに出会えて、ボクは嬉しかったよ」

 

皆がそれぞれの形で別れを告げると、証言台に向き合った。

七海さんは最後までその時を見守る。

 

「用意はいいか?3,2,1で同時押しだ。それで強制シャットダウンが始まる」

 

「ふん、くどいぞ。こんな操作、幼児でもできる」

 

「唯吹はいつでもオッケーっす!」

 

「じゃあ行くぞ!3,2,1……シャットダウン開始!」

 

全員が二つのボタンを同時に押した。強制シャットダウンによって、

ログイン中のユーザーが全て希望更生プログラムVer2.01から排出されて、

現実世界に戻っていった。

七海さんは、世界を構成するテクスチャーが徐々に消えていく中、

ずっと誰もいなくなった法廷でみんなが立っていた証言台を眺めていたらしい。

 

「行ってしまいまちたね……」

 

「うん。でも、今度は悲しいお別れじゃないから」

 

「長いお休みになりそうでちゅねー」

 

「そう、私達は、お休みするだけ。少し、長くね……」

 

そして、彼女達はジャバウォック島を構成するプログラムと共に、活動を停止した。

 

 

 

 

 

目が覚めると、淡いグリーンの光を放つ生命維持装置が自動的に開いた。

まだぼんやりする頭に、いくつかの足音が響いてくる。

複数人の誰かが駆け寄ってきて、腕に注射されていた何かのチューブを丁寧に外し、

傷跡に四角い絆創膏を貼ってくれた。ああ、未来機関の局員ね。

彼らが起き上がったアタシに敬礼する。

 

「江ノ島盾子様ですね。ご帰還、お待ちしておりました!

この度は、我々の不手際により、多大なる苦痛を与えたことをお詫び致します!」

 

局員の人が一斉に頭を下げる。

 

「それはいいわ。みんなはどこにいるの?みんなに会わせて」

 

「はっ、“協力者”は全員既に帰還し、外であなたをお待ちです。どうぞこちらへ」

 

「ありがとう。早く会いたいわ」

 

局員の手を借りて、生命維持装置から下りる。確かここが現実世界の遺跡だったのよね。

別の局員が扉のスイッチを操作すると、重い鉄の扉が引っかくような音を立てて開く。

急に外の光が入ってきて眩しい。

思えばアタシはずっとこの薄暗い空間にいたんだから当然だけど。

 

ずっと寝てたから少し足の筋肉が衰えてるのかしら。慣れたブーツでも時々ふらつく。

それでもアタシは外を目指して急ぎ足で進む。光のゲートをくぐると、そこには。

 

プログラムの中で会った時より、大人になった仲間達。特に驚いたのは。

 

「江ノ島おねぇ~起きるの遅いよ!待ちくたびれちゃった!」

 

「日寄子ちゃん!?あなた日寄子ちゃんなの?」

 

駆け寄ってきた彼女は、すっかり背が伸び成熟した女性。

 

「おねぇが見てたのは、Ver1.0の古いアバターなんだよ。あれから急に成長期が来たの。

もう誰にも身長のことでヒヨコ扱いされなくて済んでるよ」

 

優しく彼女の手を取って、慈しむようにさする。

 

「そっか。目の前の日寄子ちゃんが、現実の日寄子ちゃんなのね。

また会えて、嬉しいわ」

 

「おねぇ……ぎゅって抱きしめて」

 

アタシは彼女を抱きしめる。今度は膝をつく必要はなかった。

大きくなった身体で、お互いの存在を感じる。

しばらくじっとしていると、大勢の足音が近づいてきた。

 

「二人共せっかくの再会の途中わりーんだけどよ。オレ達の事も忘れんなよな」

 

「いいじゃありませんか、左右田さん。

西園寺さんは特に江ノ島さんに懐いていましたから」

 

「あ、ごめん……左右田君も、ソニアさんも立派な大人なのね。

なんだか初めて会ったみたいで不思議」

 

「フッ、年齢という概念を超越した俺様に、大人などという表現は無意味だが、

服装を人間の目でも視認しやすい形状に変更した」

 

「確かにシックなコートがお似合いよ。あら、左腕の包帯は?」

 

「ついに我が身に宿る邪気を、聖骸布に頼らず封じ込める術を習得した!フハハ!」

 

「その喋り方は相変わらずなのね、それは大事にしたほうがいいと思うわ」

 

「あの~江ノ島さん、私のこと覚えてくれてますか?

わ、忘れてたらごめんなさい。私、罪木蜜柑と言います~」

 

「もう、いきなりなあに?忘れるわけないじゃない。

怪我したときに手当てしてくれたり、一緒に海で遊んだじゃない」

 

「やったぁ!やっぱり江ノ島さんは、私の、私だけの……えへへ」

 

「う、うん。思うところがないわけじゃないけど、

お互い無事に帰ってこれてなによりだわ」

 

みんなと再会を喜び合っていると、彼の足音に気づいた。

 

「江ノ島……」

 

「日向君!あなたも素敵な男性に……っていうか、今までが仮の姿だったのよね」

 

「お前にはこれまで辛い思いをさせてきた。

どうすればその償いができるのかは、今すぐに答えは出ないが、

とにかくこの島を出よう」

 

「楽しいことしか思い出せないから償ってもらう必要はないけど、

ここを出なきゃいけないのは確かね。艦はどこかしら」

 

「案内する。……おーい、みんな!日本に帰るぞ!」

 

日向君が呼びかけると、みんなが集まってきて、

1番目の島、全てのはじまりの地、砂浜に向けて歩き出した。

途中、10代の若さと大人の落ち着きを得たみんなとの、新鮮な会話を楽しんだ。

澪田さんは時々無意識に流し目を送るようになってドキッとさせるし、

九頭竜君はどことなく凄みが増してる。

 

実体でのふれあいを楽しんでいると、気づかないうちに目的地に到着。

凄いわね……あの砂浜はイージス艦を始め、多数の軍艦で防衛されていて、

物々しい雰囲気だった。海岸には迎えの救命艇が接岸されている。

そこに誘うように、未来機関の戦闘員や、

正気を取り戻した元絶望の海上自衛官が両脇に整列している。

 

「江ノ島が先頭を歩け。今度は堂々と前を歩くんだ」

 

「わ、わかったわ」

 

アタシが救命艇へ向けて歩みを進めると、戦闘員達が、一斉に敬礼してきて少し驚いた。

だめね。これでも女神名乗ってるんだから、日向君の言う通り堂々としなきゃ。

救命艇に乗り込むと、他のメンバーも次々と乗り込み、最後の一人が乗り込むと、

イージス艦に向けて船が発進。アタシ達はとうとうジャバウォック島を離れた。

 

 

 

 

 

艦が汽笛を上げて出発し、どんどん島が遠くなっていく。

アタシは甲板で、約2ヶ月を過ごしたジャバウォック島を見送っていた。

鋼鉄の床をカンカンと鳴らしながら歩み寄って来たのは、左右田君。

何の気なしに彼が話しかけてくる。

 

「あの島ともお別れか~」

 

彼はたくましくなった腕を手すりに預けながら、つぶやく

 

「そうね。もう戻ることはないって日向君が」

 

「……なあ、あのホテル見てくれよ」

 

ちょうどここから1番目の島のホテルが見える。

 

「ちょっとっつーか、かなり汚えだろ」

 

「まあ……壁に蔦が生えてたり、ところどころ傷んでるわね」

 

「現実世界のジャバウォック島なんてこんなもんだよ。

だからこそオレ達はあそこで罪を償うことにしたんだけどな」

 

ついさっきまで楽しい日々を過ごしていたホテルが、廃墟のように寂れていて、

少し心に秋風のようなものが吹く。

 

「あのね、そのことなんだけど、ゆっくり話したくて」

 

「わかってる。もう死ぬことは逃げだって、アホなオレでも向こうで学習した。

今度はどこで刑に服するかが問題になんだけどよ」

 

「アタシも変わらなくちゃいけないのかしら。

この超高校級の女神を手に入れたことには、きっと意味があるから」

 

「お前は、ゆっくり考えればいいんじゃね?無実はとっくに証明されたんだしよ」

 

「そうね。……あらやだ、肝心なことを忘れてたわ」

 

「どした」

 

アタシは、ヘアゴムを引きちぎって、元通り左肩から流す。

向こうで髪型を変えても、現実には反映されない。当たり前よね。

大きな船体が生み出す白い航跡に向かって、二つのクマを投げ捨てた。

 

「七海さん。またね」

 

 



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第18章 集う想い

*各作品の時系列がめちゃくちゃですが、寛大な心でお許しください。


どうして、私だけなんだろう。

わかっていたはずなのに、どうしてもそう考えてしまう。

 

“……姉ちゃん!むくろお姉ちゃん!”

 

徐々に意識を取り戻し始めると、

聞き慣れた声が私を急かし、彼女が小さな手で身体を揺らす。少し待って欲しい。

バーチャル世界のダイブから戻ったばかりで頭がぼやけてるし、身体もあちこち痛い。

このリクライニングソファ型精神移送機も、

柔らかいとは言えずっと寝たきりだったから。

床ずれができていないことから、モノクマが時々体勢を変えてくれたみたいだけど。

 

「ねー、むくろお姉ちゃん。起きてよー!」

 

「……ごめんね。ちょっと寝ぼけてたから」

 

栄養注入や透析を行っていた、輸液チューブを腕から抜いて答えた。

腕に微量の血が飛ぶ。

 

「ねえ、大変なの!

いくら盾子お姉ちゃんにメールを送っても、ちっとも返事をくれないの!

いきなりログアウトしたってことは、何かあったんだよね!?教えて!」

 

「テレビやラジオは、なんて言ってるの?あとネット。未来機関のこと」

 

「モ~ナ~カ~が~聞~い~て~る~の~!!」

 

今にも泣き出しそうな表情で、腕を振って駄々をこねるモナカちゃん。

どうすればいいのかな。

一度目のビデオ通話以来、殆どあっちの世界の情報を知ることはできなかったはず。

すぐ未来機関がプロテクトの再強化を施したし、

現にこうして私に聞いているくらいだから。未来機関も馬鹿じゃない。

お姉ちゃんが全てを知って、不穏な流れになった時点で放送は止めていたと思う。

 

「あのね、モナカちゃん。落ち着いて聞いて?

盾子ちゃんは、なんというか……急病に罹ったの。

ちょっと希望更生プログラム内の盾子ちゃんのアバターにバグが見つかったらしくて。

今は修復後の再起動中だから、接続を一時中断したの」

 

「それって平気なの?盾子お姉ちゃんの肉体に害はないよね?」

 

「安心して。ちょっと特定の行動をすると動作が緩慢になるだけで、

痛い思いをしたりするようなものじゃないってさ。

もう修正済みだから、後は再起動の完了待ち。数日掛かるって。

生活もこっちの世界のホテルがあるから問題ないよ」

 

「そっかー!盾子お姉ちゃんが無事でよかった。

メールもバグの影響かな。むくろお姉ちゃん何か聞いてない?」

 

「ううん、何も。

モナカちゃんの言う通り、やっぱりバグのせいでメールが届いてないんじゃないかな。

もし来てたら、ビデオ通話の時みたいに全員で対策会議みたいになってたと思うし」

 

「よかった。モナカ、盾子お姉ちゃんに嫌われたちゃったんじゃないかって、

心配で眠れなかったの!」

 

「そんなことないよ。モナカちゃんはとっても賢くて、絶望を理解してて、

盾子ちゃんに愛されてるんだもの……」

 

「えへへ。愛されてる、だって。嬉しいな!

……あ、そうだ。むくろお姉ちゃんも普通のベッドで休んで。

久しぶりに本物の食べ物もお腹に入れたいよね?食料庫のもの適当に食べてよ」

 

「うん、ありがとう……」

 

私は結論を先延ばしにすることにした。

お前は誰かって?あ、ごめんなさい。今更だけど、自己紹介から始めるね。

私の名前は戦刃むくろ。……のクローン。

ここ塔和モナカの研究所で、オリジナルのDNAから培養され、

一部を改ざんされた生前の記憶を持った、

本来はまだ年齢3歳にも満たない造られた人間。

 

そんな私は、コロシアイ学園生活で誰かに殺され、

モナカちゃんに肉体を復元、蘇生されて生まれ変わった。という記憶を持っていた。

あの時までは。現実は違った。私は盾子ちゃんに裏切られて、串刺しにされて殺された。

当時はそれでいいと思ってた。盾子ちゃんが姉の私を殺して絶望してくれるなら。

 

何の目的かはわからないけど、モナカちゃんはそんな私のクローンを作り、

テレビで虐げられている盾子ちゃんを見せたの。

いつも自信に満ちあふれていた妹が、周りの連中の顔色を伺い、

すっかり弱ってしまった姿を見て、私は怒りに震えた。

殺してやる。そうつぶやいた私にモナカちゃんが囁いた。

 

“盾子お姉ちゃんを助けてあげて”

 

彼女が用意した装置でそれが可能だという。

冷静な判断力を失っていた私は一も二もなく飛びついた。

そして、希望更生プログラムですっかり変わった妹と対面し、驚くと共に歓喜する。

実際は変わったのではなく、初めから別の存在だったんだけど。

 

あの時耳にした微かな歌声。それで全てを理解した。

本当の私は死んでいて、盾子ちゃんも、もういないこと。

妹にはなかった超高校級の女神、なにより、一緒に過ごした数日間。

初めは私に冷たかったけど、

ある日、何かの葛藤を乗り越えたような様子を見せると一転、

私の実の妹のように振る舞って、優しく接してくれるようになった。

 

盾子ちゃんに見える誰かがずっと放送で主張していたように、

その人が江ノ島盾子の姿をした別人であることは、

妹にバカデブスと言われるような私にもわかった。

でも、私は何も言わずに彼女と生きてしまった。

寝食を共にして、奇妙な仲間達と楽しい日々を過ごしてしまった。

 

そして、あの歌声で私の妹に対する異常な執着がまともな家族愛に変わると、

私をお姉ちゃんと慕い、母のような優しさで妹のように懐いてくる彼女を、

自分も好きになってしまっていた。その想いがどうしても捨てられない。

 

オリジナルの盾子ちゃんが嫌いだったわけじゃないよ。

いつも私に厳しくて、隙あらば私を殺そうとしてでも絶望しようとする、

志にひたむきな盾子ちゃん。だけど彼女はもういない。

その現実を突きつけられた時、目の前に現れた、妹と生き写しの姿に優しい心を持った、

もうひとりの盾子ちゃん。

どうしてかはわからないけど、別人のはずなのに、やっぱり私を姉と呼んでくれるんだ。

 

そんな彼女に心を動かすなと言うほうが無理な話だった。

私は盾子ちゃんを守ろうと……うん、違うよね。助けられたのは私の方。

塔和モナカに利用されて、

もういないオリジナルを奪い返そうと必死になっていた現実を教えてくれたのは、

彼女なんだから。

 

長くなってごめんね。生き返ってようやくわかった事実をまとめると、

私の知ってる盾子ちゃんは死んだ。あの島で一緒に楽しく生活をした彼女は、別人。

そして私は、彼女のことが好きだってこと。

 

結局、私は今まで妹に依存してきただけなんだよね。

彼女のために戦ってきたつもりだったけど、

それはただ盾子ちゃんに嫌われたくなかったから。

なぜなら、さっきも妹の姿をした誰かのために嘘をついた。

彼女の敵になりたくない。それだけの理由で。

 

変わりたい。全てを失った私の妹になってくれたあの娘のために。

私は食料庫のレーションを頬張りながら、彼女のために何ができるかを考えていた。

今度こそ、自分だけの意志で。たった数日ですっかり寂しがり屋になっちゃったな。

ひとりで食べる食事が、こんなに味気ないものだったなんて。

 

「同じところに、帰れたらよかったのに」

 

無意識にそんな独り言が出るほど、心弱くなるなんて。

できるなら、もう一度あの娘に会いたいな。きっとそんな資格はないんだろうけど。

私は冷たい缶詰をまた一口食べた。

 

 

 

 

 

未来機関第十四支部。

 

という場所の応接室にアタシは移されたの。

イージス艦で日本に到着してからは、全員装甲車で移動。

未来機関の陸戦部隊が安全を確保してるルートを通って、

この近代的なビルに到着したわけだけど……

途中、小さな覗き窓から見た景色は、世界の終わりそのものだった。

 

地球は青いと言った宇宙飛行士もこの空を見たら大層がっかりするに違いないわね。

いつも真っ赤で晴れ間のひとつも見えやしない。

どの建物も落っことした豆腐のように崩壊し、窓ガラスの一枚も残ってはいなかった。

物流もインフラも望むべくもない。未来機関の力がどれほどのものか知らないけど、

よくこの状態からまともなオフィスビルを建造できたものだと思うわ。

 

アタシは不安だった。こうして丁重な扱いで、応接室に通されたんだけど、

みんなとは離れ離れになった。ひとりきり。他の人は別の大会議室で待機だって。

せめて面会の様子をみんなにもビデオ中継で見てもらうことを認めてもらった。

 

未来機関がアタシの存在を抹消するかもしれないじゃない。それを警戒したのよ、うん。

あと……心細かったから。なによ、悪い!?

とにかくまず、ここの責任者と会うことになるらしいけど、

そわそわした気持ちばかりが募る。

 

誤解が解けて対等な立場になったのはいいけど、何を話せばいいのかしら。

何もわからないアタシを拘束して、

見世物のように絶望の残党処理に利用したことへの怒りをぶつけるべきなのか。

それとも、最初から“気にしないで”の一言で済ませるという、

ある意味楽な対応で済ませるべきなのか。誰か教えて欲しい。

 

ああ、だめだめ。そうやって大事な判断を人任せにしてきたからアタシは弱かった。

あのプログラムで学んだじゃない。

……そうだわ!お姉ちゃんは?むくろお姉ちゃんのことを聞かなきゃ。

姿が見えないけど、ここまで複数の車両に分乗してきたから、

別の車にいると思ってた。

 

そもそもお姉ちゃんは塔和シティーから来たんだから、

肉体が同じ場所にあるわけないじゃない!

艦で見かけなかった時点で気づきなさいよアタシ!

確かに学んだけど、頭はよくならなかったみたいね……

 

元々は塔和モナカと組んでいたから、

塔和シティーのどこかにいることは想像がつくけど、

今どこで何をしているのかしら。無事でいてくれているのかしら。

 

たった数日を過ごしただけの、仮初の姉妹だったけど、だからこそ心が離れない。

お互い作られた偽物同士。

そんな関係だから、余計にお姉ちゃんと過ごした思い出が愛おしい。……だったら!

 

“だったら?”

 

アタシがお姉ちゃんを助けるに決まってるじゃない!

未来機関がアタシを利用したことは許してあげる。

 

“あなたを実験動物扱いした連中へ報復しなくていいの?考えを変えるなら今が最後よ”

 

そんな事どうでもいい。でも、今度はアタシが未来機関を使わせてもらう。

誰が来るかは知らないけど、まずは向こうの出方を見るわ。

その上でアタシの能力と引き換えに取り引きする。

世界の行く末なんてアタシにはわからない。

だけど、むくろお姉ちゃんだけは絶対に取り戻す。

 

“本当に、強くなったのね”

 

正直言うと心臓がバクバク言ってるけどね……

出された紅茶を一口飲むけど、カップが小刻みに震える。

すると、柔らかい足音が二つ近づいてきた。それがドアの前で止まると、ノックが3回。

 

“未来機関第十四支部支部長、霧切響子と部下の苗木誠です”

 

「どうぞ」

 

ドアが開くと、忘れるはずもない顔ぶれが入室した。

薄紫のロングヘアと、日向君みたいなツンツン頭。

ふたりとも、猛獣でも相手にするかのような緊張を顔に浮かべてアタシに向き合う。

失礼ね、取って食べやしないに。まずは微笑みと挨拶を。

 

「お久しぶり。肉体で顔を合わせるのはいつ以来かしらね。霧切さんに、苗木君」

 

「こうお呼びすることを許して頂けるかはわからないのですが……江ノ島さ」

 

「申し訳ありませんでしたあぁ!!」

 

霧切さんの話を遮って苗木君が床に頭をこすりつける。

彼女も困惑してるし、話に割り込んじゃいけないわ。

それに土下座ってされる方もしんどいのよ?

 

「ボクが、何もかも間違えていたせいで、あなたに、取り返しのつかない心の傷を!」

 

「よしなさい、苗木君!正式な謝罪は責任者の私がするって言ったでしょう!」

 

激しく謝罪する苗木君を立たせようとする霧切さん。

あえて何も言わずにその様子を少しだけ観察する。

紅茶をすすり、タイミングを見て、努めて落ち着いた態度を崩さず話を切り出す。

 

「立ってちょうだい、苗木君。床に座られたら、話がし辛いわ」

 

「はいっ!!失礼して、立たせていただきます!」

 

「彼女の言う通りよ。とにかくあなたは黙ってて。まず私が話をするから……

部下が大変失礼致しました。

正式な謝罪をしたいので、よろしければ、お名前を頂戴できないでしょうか」

 

「江ノ島盾子でいいわ。そう生きると決めたの。

絶望の江ノ島盾子じゃない、新生江ノ島盾子としてね。

大体の経緯は知ってると思うけど」

 

そしてもう一度彼女に微笑む。

表には出さないけど、少しだけ彼女の緊張がほぐれたのがわかる。

 

「ありがとうございます。

江ノ島様、この度は我々の手違いで、

無実のあなたをジャバウォック島に閉じ込め、私生活を放送するという、

本来なら人として許されない罪であなたを苦しめてしまいました。

全ての責任は部下の苗木にあなたの拘束を命じた私にあります。

謝罪で済む問題ではありませんが、

私にできることならどんなことでもして償うつもりです。

ですから、その、あなたが別人であった事は、

内密にしていただくわけには行かないないでしょうか……」

 

霧切さんが深く頭を下げる。紅茶をまた一口。

 

「ふぅ……随分と都合のいい話ね。

アタシが未来機関の不祥事を黙っててあげることに、何かメリットはあるのかしら」

 

「この事が表沙汰になれば、一度絶望を捨て去った者達が、また元に……」

 

「それはあなた達の都合でしょう。アタシには関係ないわ。この世界がどうなろうとね」

 

「図々しいお願いだとは承知しています!

江ノ島様には衣食と安全の保証された住居をご用意します。

あなたのいらした世界への帰還方法も全力を上げて……」

 

「足らないわ」

 

柔らかい声で、だけどはっきり拒絶する。

 

「どうか、お願いします!他に差し出せる物がないのです。この世界の人類に希望を!」

 

「ボクからもお願いします!気が済むのなら、ボクの頭を蹴って下さい!」

 

まだ土下座を続ける苗木君を見て一言。

 

「霧切さん。さっき何でもして償うって言ってくれたわね。

……なら、そこに跪いて靴をお舐めなさいな」

 

一気にその場の空気が凍りつく。

 

「えっ!ボクじゃ駄目でしょうか……」

 

「だめ。彼女が言ったんだし、彼女には拳銃を突きつけられたこともあるわ。

これでもアタシ、根に持つ方なのよ?」

 

やはり笑顔と優しい声で続けると、同じく頭を下げ続けていた霧切さんが背を正す。

そして冷や汗の流れる顔でアタシに近づいてきた。

ゆっくりとアタシのそばで膝をついて、ブーツに両手をかける。

 

「……江ノ島盾子様、私達の罪を、お許しください」

 

彼女が小さく舌を出して、レザーブーツに頭を寄せる。

その舌が、硬い皮を撫でようとした時。

アタシは両手でそっと彼女の顔を持って、丁寧な仕草で上を向かせた。

江ノ島盾子の手と、霧切響子の柔らかな頬の感触が、互いを優しく押し返す。

 

「そこまで」

 

「あ……」

 

「試すような真似をしてごめんなさい。不愉快な思いをさせて本当に悪かったわ。

だけどアタシも不安だったの。あなた達が本当に希望を託せる存在なのかどうか。

でも、霧切さんの覚悟を見てわかったわ。未来機関とは……取引ができる」

 

目を丸くしてアタシを見る二人。

その後、霧切さんが今度こそ落ち着かせた苗木君と共に、

アタシと対面しているソファに着いた。これでようやく具体的な話を始められるわ。

 

「取引、ということはどういう事なのでしょうか?江ノ島様」

 

「その前に、ご丁寧なお客様扱いはやめてくれないかしら。

これから対等なパートナーになる、かもしれないんだから」

 

「ですが!ボク達は……」

 

「苗木君。先方がそうお望みなんだからそうすべき。

じゃあ、これまで通りの対応を取らせてもらうわね。

あなたが望んでいるものは何?希望を託すとはどういう事?」

 

緊張がピークに達し、喉が乾いて紅茶を飲み干してしまった。

平静を装っちゃいたけど、あんなことして平気でいられるほど図太くはないの。

というより、かなり神経の線が細い方だから優しくしてくれるとアタシ助かる。

 

「ふぅ。希望と言っても苗木君や日向君のような大それたものじゃないの。

アタシにとっての微かな、でも大事な希望。

……具体的に言うと、塔和シティーを取り戻して欲しい」

 

「塔和シティー?」「塔和シティーだって!?」

 

二人が同時に驚きと疑問の混じった声を上げる。

無理もないわ。本来アタシにとっては、塔和シティーは無関係。

せいぜい“彼女”が希望更生プログラムに不正侵入して話しかけてきたくらい。

 

「そうよ。もっと言えば、そこにいるはずの人を助けてほしいの」

 

「となると、まさか……」

 

「ええと、誰のことだかわからないんだけど、教えてくれないかな?」

 

「……苗木君。ふざけてないで真面目にやって。

最後の数日間を共に過ごした彼女のことよ」

 

「ま、まあ、あなた達に取って重要なのはアタシの動きだったから、

覚えてなくても無理はないけど、戦刃むくろ。

彼女の救出に手を貸してくれるなら、アタシも協力を惜しまない。

当然自分が偽物だった事実も伏せておくし、

超高校級の女神で絶望の残党を元に戻して見せる。世界復興の力になると約束するわ」

 

霧切さんは片方を顎にやって少し考え、問いかけてきた。

 

「戦刃むくろは、あなたにとって、どんな存在?」

 

「お姉ちゃんよ」

 

即答する。

 

「でも……ウサミから状況は聞いていたけど、

あなた達はどちらもオリジナルから生み出されたクローン。本来血縁関係などないはず。

てっきり自分の帰還方法を優先するものだと思ってたわ」

 

「似た者同士、だからよ。

アタシはこの世界に連れてこられて別人の肉体に心を植え付けられた偽物。

お姉ちゃんは、本人のDNAから造られ、ほぼ同じ記憶を植え付けられたクローン。

誰かに造られ世界に放り出された。

強制シャットダウンまでの数日間を一緒に楽しむうちに、その寂しさと言うか、

心に空いた隙間のようなものを、互いに埋めていたの。

普通に生まれた人には説明しづらい奇妙な絆だけど。

でもこれだけは言える。アタシはお姉ちゃんを失いたくない」

 

「……すぐ、トップに連絡するわ。でも、覚悟してね。

塔和シティーは難攻不落の要塞と化してる。成功する確率は限りなく低い」

 

「それについては心配してないわ。……みんな、お願いがあるの!」

 

アタシはどこかに設置されているビデオカメラに向かって呼びかけた。

 

 

 

 

 

時間を少し遡って。

 

大会議室の大型テレビモニターで、応接室の様子を見ていたみんなは、

霧切さん達が入ってくると、息を呑む。

未来機関がどう出るか、緊張した面持ちで見ていたみたい。

 

特に血の気の多い人達は、アタシを黙らせようと強引な手段に出るようなら、

派手に暴れるつもりだったって聞いたわ。

ワオ、アタシも未来機関も知らないうちに危ない橋渡ってたのね。

 

“謝罪で済む問題ではありませんが、

私にできることならどんなことでもして償うつもりです”

 

「チッ、なら腕のひとつでも落としてみやがれ……」

 

「ぼっちゃん。ここは江ノ島の裁量に任せましょう」

 

「ああ……わかってる」

 

“この事が表沙汰になれば、一度絶望を捨て去った者達が、また元に……”

 

“それはあなた達の都合でしょう。アタシには関係ないわ。この世界がどうなろうとね”

 

「えっ……江ノ島おねぇ、嘘だよね?わたし達の世界を助けてくれるんじゃないの?」

 

「落ち着いて日寄子ちゃん。今は盾子ちゃんを信じよう?なんだか考えがありそう」

 

“霧切さん。さっき何でもして償うって言ってくれたわね。

……なら、そこに跪いて靴をお舐めなさいな”

 

「ひえええ!!盾子ちゃんがエライ人にSMプレイ要求っすー!!」

 

「どうしてだよー!どうしてその役をぼくにやらせてくれなかったの!?」

 

「花村うるさい!」

 

「なんで?おねぇ、そんな人じゃなかったのに……」

 

「お、落ち着くのだ!天秤の神アヌビスが今こそ彼の者達に審判を下そうとしている!

俺には分かるぞ!

江ノ島盾子は、今こそ彼女を秤にかけ、

罪科の重さを真実の口から語らせようとしているのだ!」

 

「いい加減、宗教統一しなさいよ……って言ってる場合じゃないわね。

アタシも、盾子ちゃんを信じる!」

 

「はい、わたくしも、江ノ島さんを信じて見守ります……!」

 

“……江ノ島盾子様、私達の罪を、お許しください”

 

会議室にも重苦しい空気が流れる。

そして、アタシが霧切さんの頬にそっと手を当て、目を合わせた。

 

“そこまで”

 

“あ……”

 

“試すような真似をしてごめんなさい。不安な思いをさせて本当に悪かったわ。

だけどアタシも不安だったの。あなた達が本当に希望を託せる存在なのかどうか。

でも、霧切さんの覚悟を見てわかったわ。未来機関とは……取引ができる”

 

「だーっ!脅かすんじゃねーよ!

もうちょっとで本当にベロがブーツにくっつくところだっただろーが!」

 

「黙れ左右田、肝の座らん奴め。

江ノ島もギリギリまであの女の出方を見たかったのだろう。

それにしても興味深い言葉が出てきた。……取引か。

会社経営のプロたる俺も同席したいものだが」

 

「でも正直アタシもヒヤヒヤした。だけど、取引したいことってなに?」

 

“あなたが望んでいるものは何?希望を託すとはどういう事?”

 

“ふぅ。希望と言っても苗木君や日向君のような大それたものじゃないの。

アタシにとっての微かな、でも大事な希望。

……具体的に言うと、塔和シティーを取り戻して欲しい”

 

「塔和シティー?確か、プログラムに不正アクセスしてきた、

塔和モナカという少女の根城と言われとるところじゃのう。

確かにモノクマに支配された重要拠点ではあるが、

江ノ島にとって大事な希望と言えるほどの場所とは思えんが……」

 

“……戦刃むくろ。彼女の救出に手を貸してくれるなら、アタシも協力を惜しまない。

当然自分が偽物だった事実も伏せておくし、

超高校級の女神で絶望の残党を元に戻して見せる。世界復興の力になると約束するわ”

 

「そうだった……

むくろちゃんは、塔和シティーから希望更生プログラムにアクセスしてたから、

肉体は向こうにあるんだったよね。

向こうでずっと一緒にいたから、未来機関の取り調べを受けてるって勝手に思い込んで、

彼女がいないことに気づかなかった。

……数日だけとは言え仲間だったのに、冷たい人間だね、アタシ」

 

「状況が状況だったから仕方ないですよぅ~船も予想より早く着いて、

それからもワタワタしてて、そんな事言ったら私だって……」

 

「むっ、ふたりとも静かに。話の展開がわからなくなってきたぞい」

 

“……あなた達はどちらもオリジナルから生み出されたクローン。

本来血縁関係などないはず。てっきり自分の帰還方法を優先するものだと思ってたわ”

 

“似た者同士、だからよ。(中略)誰かに造られ世界に放り出された。

(中略)普通に生まれた人には説明しづらい奇妙な絆だけど。

でもこれだけは言える。アタシはお姉ちゃんを失いたくない”

 

皆が、沈黙を保って話に聞き入る。

 

“……すぐ、トップに連絡するわ。でも、覚悟してね。

塔和シティーは難攻不落の要塞と化してる。成功する確率は限りなく低い”

 

“それについては心配してないわ。……みんな、お願いがあるの!”

 

「江ノ島さんがボク達に話しかけてきたよ!」

 

「お願い?よくわかんねーけど、オレたちになにができるってんだ?

どういうことだ、オッサン」

 

その答えはすぐ会議室のみんなに告げられ、全員が承諾してくれた。

 

 

 

 

 

塔和シティー某廃ビル

 

ここにかつて“希望の戦士”を名乗り、破壊活動を行っていた少年少女達がいる。

皆、塔和モナカがいるであろう工場エリアを一面ガラス張りの窓から見つめている。

過酷な環境での生活で服や顔に汚れが目立っているが、

その目から生きる意志は失われていない。

 

幼少期から凄惨な虐待を受けていた彼らは、子供達の楽園を目指し、

モノクマや洗脳ヘルメットで操った子供達で、

塔和シティーの大人達の殺戮を行っていた。

しかし現在はモナカと袂を分かち、彼女の動きをマークしている。

例え他にできることがなくても。皆の更生のきっかけとなったのが……

 

 

 

「コワレロ!」

 

青い光線が命中すると、ずんぐりした体型のモノクマが仰向けに倒れた。

 

“まいったな~”

 

ボカン。

ふふん、またまたやりました~!拡声器の形をしたハッキング銃で、

レーザー型の自発破壊命令を放ち、モノクマの電子回路をショートさせ、自爆させた!

……って説明されたの。

 

「見て見て、冬子ちゃん!弱点に当たったよ!」

 

 

私、苗木こまる。ごく普通の女の子。超高校級の才能もなければ、

ゲームみたいに大怪我しても時間経過で治るような特異体質でもない。

高校生の年齢なんだけど、ちょっと事情があって高校には行かずに、

こうして塔和シティーでモノクマからみんなを守ってるんだ。

高校自体がないってこともあるんだけどね。

 

 

「……いちいちうるさいわね、いつものことでしょうが。

箸が転んでもおかしい年齢もとっくに過ぎてるくせに」

 

 

いつも不安げなこの娘は、友達の腐川冬子ちゃん。

希望ヶ峰学園の生徒で、超高校級の文学少女なんだけど、

冬子ちゃんには凄い秘密があってね……ごめん、また後!

ビルからモノクマの群れが飛び降りてきた!

 

“イヤッホーウ!!”

 

「囲まれたよ!?」

 

「現実から逃げたいんだから見ればわかることいちいち言わないでよ!早く片付けて!」

 

「モエロ!」

 

”うわっぷ!”

”なんと!”

”いや~ん”

 

「……だめ、さばき切れない!」

 

連射性能に優れた連撃燃焼で薙ぎ払うけど、背後の敵がどうしても!

 

「あああ、もう!当てにならないわねぇ、やればいいんでしょ!」

 

冬子ちゃんが拳銃型のスタンガンで頭にショックを与えると……

 

──邪邪邪じゃーん!呼ばれて飛び出て、ジェノサイダー!!

 

電撃が頭を叩くと、彼女のもう一つの人格、殺人鬼ジェノサイダー翔に変身するんだ。

ハサミを武器にモノクマをズタズタにするし、どれだけ攻撃を受けても平気なの。

どんな身体の構造してるのかわかったものじゃないよね!

 

「こらぁ、デコマルゥ!!今、頭ん中でアタシのことディスったろ!?

坊ちゃん刈りにしてやるからこっち来い、オラ!

……バーバー腐川はぁ、お客様の貴重なお時間を大切にしま~す!」

 

「ディスってないし、床屋さんごっこして場合じゃないよ!後ろ見て後ろ!」

 

「ああ、うっぜえ!!」

 

振り向きざま両手のハサミが閃き、宙に何本もの刃のきらめきが走ると、

冬子ちゃんに飛びかかったモノクマ達がきれいに切断されて、地面に転がった。

あっという間に敵の襲撃を鉄くずにしちゃった冬子ちゃん。

今はジェノサイダー翔だけど。彼女は喜ぶ様子もなく、私に詰め寄ってくる。

 

「つか、いつになったら、このダサくてキモくてしょーもない島から出られんのよ!」

 

「絶望との戦いが終わったら、お兄ちゃん達が迎えに……」

 

「つか、白夜様どこ!アレから一度も会いに来てくれねえし!」

 

「脱出してからこの街の攻撃が増しててなかなか……」

 

「キー!!こんな退屈なとこ耐えらんねーっての!続きはWebで!」

 

すると、冬子ちゃんが立ったままガクンと頭を垂れ、また顔を上げると、

さっきまでの凶悪な面構えからいつもの彼女に戻った。

 

「はぁ…はぁ…息が、呼吸が……こまる、あんた便利な武器持ってんだから、

あんまりあたしに働かせないでよ。肉体労働はあんたの役目でしょ」

 

「うん、ごめんね。でも、冬子ちゃんも少しは運動したほうがいいよ?

それに、すごく今更だし助けてもらって何だけど、

やっぱり頭にスタンガンは身体に悪いよ」

 

「白夜様が大丈夫だって言ったんだから大丈夫に決まってるでしょ。

ちょっと休むわ。動き過ぎて吐きそう。

……まさか、こんなブスが吐いても絵にならないとか考えてないでしょうね」

 

「誰が吐いても絵にならないって!」

 

私達ははかつて一緒にに絶望を乗り越え、“希望の戦士”達の暴走を止めたの。

今は塔和シティーに留まって、子供達と生き残った大人達との衝突やトラブルの回避、

モノクマの破壊を頑張ってる。あと……最後の希望の戦士、

塔和モナカちゃんの居場所を突き止めなきゃ。

 

「休んだら、今度は裏通りの敵をやっつけなきゃ。

みんなが移動できる範囲を広げよう!」

 

「まだやるの~?本当に吐いたらあんた責任持って片付けてよ」

 

途切れ途切れの通信で、お兄ちゃんが言ってた。

……モナカちゃんはまだ、塔和シティーにいるって。

 

 

 

 

 

場所は変再び元希望の戦士達の暮らす廃ビル。

 

彼女達の様子を見ていた、利発そうな少年が皆に告げる。

元超小学生級の社会の時間・新月渚。

 

「きっとあの人達が、時間を稼いでくれる。

みんな、ここに未来機関の大人達が来ることがあっても、絶対抵抗しちゃだめだ。

両手を上げて言われたとおりにする。間違っても暴れたりしないで欲しい。

……全てが台無しになる」

 

「わ、わかったよ。そもそもボクちんは、誰かとケンカしたりするのとか無理だし。

学校に入るときには下駄箱に靴を入れて上履きを履くけど、

兵庫県の一部では土足が当たり前なんだって。

だからボクちんは新月君の言う通りにするよ」

 

元超小学生級の図工の時間・煙蛇太郎。愛くるしさを持った整った顔が特徴的。

 

「ちくしょー!一体モナカは何がしてえんだよ!

こんなこと続けてたら、自分も先がねえってのに!」

 

元超小学生級の体育の時間・大門大。

今では少数派となった子供らしい元気さにあふれる少年。

 

「世界に、さらなる絶望をもたらそうとしているのですわ。

今もその準備を着々と進めています」

 

元超小学生級の学芸会の時間・空木言子。

ピンクのロングヘアをリボンやカチューシャで飾った可愛らしい少女。

だが、その髪飾りも破損し、逆に痛々しさを感じさせる。

 

「そう。僕も江ノ島盾子が生きていたなんて驚きだけど、

モナカが彼女と共に、

再び未来機関との戦争を起こそうとしているとしているのは間違いない」

 

新月が自分の見解を述べた時。

 

──いないよ、盾子ちゃんは。本当に死んじゃった。

 

高校生くらいの少女が、アサルトライフルと弾薬の入ったバッグを背負って入ってきた。

 

「お、お姉さんは、誰ですか!私達を殺しに来た大人なんですか!?」

 

「違うよ。なんというか……君達と一緒に答えを出したい。

考えたいの。自分が、どうしたいか」

 

「空木さん下がって。モノクマだらけの街を通って、よくここまで来られたね。

通常兵器は、ほとんど効果がないのに」

 

「モノクマの自律行動を可能にしているのは、

大きな赤い左目に内蔵された、精密なカメラ。

周囲の空間、物体・生物の行動を観察して、AIが最適な行動を導き出してる。

でも、膨大な情報を得るにはどうしても邪魔なカバーガラスを薄くせざるを得ない。

そこをピンポイントで狙い撃つ。

CPUと直結してる目を失えば、モノクマは行動不能になる」

 

「全部、あの小さな目を撃って倒してきたのか!?」

 

「うん。モノクマを壊したから、モナカちゃんとはもう敵対状態になった。

……お願い。私もここに置いてくれないかしら」

 

「えうう…新月くん、どうするぅ?」

 

「この人は、怖い大人じゃないですよね?まだ高校生くらいだから大丈夫ですよね?」

 

「落ち着いて。

……そうなると、お姉さんは今までモナカと組んでいたってことになるけど、

どうして手を切るつもりになったのかな。それについて教えてくれないか」

 

「長くなるよ?」

 

「話してくれ、モナカのことも、全部」

 

元希望の戦士達は、謎の少女の話に耳を傾ける。

だが、驚愕の事実に皆、言葉を失うばかりだった。

 

 

 

 

 

未来機関第十四支部。

 

なのよ今度は。コロコロ場所が変わってごめんなさいね。

って誰に謝ってるのかしら、アタシ。

あの後、一旦霧切さんと苗木君コンビと別れたアタシ達は、

みんなが待ってる大会議室の場所を教えてもらって、足を急がせた。

ノックもせずに慌ててドアを開けると、途端にもみくちゃにされた。

 

「おおう、戻ったぞい!」

 

「もー!おねぇ、心配させないでよ!

いきなり変なこと言い出すからびっくりしたじゃんかー!」

 

「ごめんごめん、どうしてもああする必要があったのよ。

理由はその後の話で説明したでしょ?」

 

「私も胸がドキドキしちゃいました。

あう、その…もしあの江ノ島さんに同じことを言いつけられたらとか、

想像したわけじゃありませんから!」

 

「安心して下さい。わたくし達もあなたの本意ではないと信じていましたから」

 

「取引とはお前らしくもない言葉が出てきたから、俺は物珍しさで悠々と見ていたがな」

 

「アヌビスの審判が下ったか。バベルの塔築きし人の子は、太陽神ラーの光に照らされ、

再び破壊と混沌の渦巻く現世に生きることを赦された。

それが人類にとって未来なのか、破滅への秒読みに過ぎないのか、

俺の邪眼をもってしても推し量ることは、できない」

 

「そのことなんだけどね」

 

「普通に田中の中二語を受けた!?駄目だよ盾子ちゃん、これに慣れちゃったら!」

 

「さっき、お願いしたこと。勝手なこと言っちゃったけど、力を貸して欲しいの。

お姉ちゃんを、塔和シティーから助けたい。

放っておけば、またモナカに利用されるのは目に見えてるの!」

 

「……勝手なわけ、ないじゃない」

 

小泉さんが、少しうつむいて語りだした。

 

「むくろちゃんのこと、思い出されてくれたのは、盾子ちゃんじゃない。

アタシ、勝手に未来機関に保護されて、それで大丈夫だと思っててさ。

あの面会のときまで全員揃って帰ってこれてたって油断してたの。ひどいよね。

自分で思ってるより賢くないみたい、アタシ」

 

「いやー、そんなこと言ったら唯吹はもっと馬鹿っすわー。

面会の内容に頭が一杯で、今むくろちゃんのことに気づいたんすからね……」

 

「では、皆で塔和シティーに戦刃を迎えに行けばいい。

そして再会が遅れたことを謝ろう」

 

「辺古山さん……いいの?」

 

「たりめーだ。伊達に九頭竜組の看板背負ってねえ。

ペコの言う通り、身内はぜってえ取り戻す」

 

「九頭竜君、辺古山さん、ありがとう……」

 

「あまーい!オレ達も参加するに決まってんだろう?

まだ戦刃とはろくに話もできてねえんだからよ」

 

「左右田君も、来てくれるの?」

 

「左右田さんだけじゃありません。戦刃さんとまた会いたい。全員が同じ気持ちですわ。

江ノ島さんの彼女への想い、確かに聞き届けましたから」

 

会議室に集った77期生。皆がその目に同じ輝きを宿してアタシを見つめる。

 

「……ありがとう。本当にありがとう」

 

胸が一杯で、それしか言葉にできなかった。

 

 

 

その後、みんなに寝室が与えられ、

未来機関上層部の返事を第十四支部で待つことになったけど、

もうひとつ支給されたものが。霧切さんが持っていたようなタブレット。

電子生徒手帳よりハイスペック。

 

一応電話もできるけど、決められたエリアの決められた相手としか話せないし、

なにより大きすぎる。さっそく左右田君が興味を持っていじくり回してるわ。

 

「あんだあ?

世界めちゃくちゃなのに、貴重なサーバーで8chにのめり込んでる連中がいるぞー。

よしゃいいのに……ってオレらのこと好き放題書いてやがる!」

 

「うそっ!……何よこれ、勘弁してほしいわ」

 

 

 

江ノ島生活生中継について語るスレ part251

 

1 名前:超高校級の名無し

引き続き語りましょう。学級裁判実況、兵員募集、危険区域情報は該当スレで。

 

791 名前:超高校級の名無し

急に生中継が止まって今日で半月なんだが、どうすりゃいいんだよ。

ずっと素っ裸で正座待機中。

 

792 名前:超高校級の名無し

風邪引くぞ。確かに「しばらくお待ち下さい」のまま復旧する見込みがない。

未来機関の中の人にとっては15日間も“しばらく”の範囲に入るのか?

 

793 名前:超高校級の名無し

平和だった頃なら歴史に残るくらいの放送事故だが、

クレームを入れる電話すら満足に機能していないもどかしさよ…

 

794 名前:超高校級の名無し

私、思いついちゃった!

未来機関はやっぱり江ノ島盾子を処刑したor何かの手違いで死なせちゃった。

それを世界にひた隠しにしてる。……なんてどう?

 

795 名前:超高校級の名無し

くだらん陰謀論者も世界と共に崩壊すれば良かったのだが。

処刑するならむしろ絶望に対する大々的な勝利宣言と共に行うだろう。

事故死にしても、そのまま公表すれば、

“所詮絶望はその程度”と印象付けることができる。

それでも更に絶望の深みに嵌まる者は、楽にしてやればそれでいい。

普段俺達がしていることだ。いずれにせよ、未来機関が何かを隠蔽する理由は全く無い。

わかったか?

 

796 名前:超高校級の名無し

>795必死過ぎワロタw

 

 

 

……過去ログ見たけど、最悪の一言だったわ。

思い出したくない記憶が蘇ってきて、綺麗な思い出が汚れた。そっとブラウザを閉じる。

 

「異世界に来てまでやるもんじゃないわね。

ようつべで気分を変えたいけど、そっちは完全に死んでるし……

左右田君もあんまり見ないほうがいいわよ。

でも、突然中継が終わったことを皆が不審に思い始めてるのは気になるわ。

早く何か手を打たないと。左右田君もチャネラー?」

 

「いや、そっちじゃねえ。向こうでお前にもらったやつを設計してる途中。

塔和シティー攻めるなら、正攻法だけじゃ厳しいからな」

 

そう言えばさっきからずっと画面にタッチペンを走らせてるわね。

何を作ってるのか気になったけど、邪魔しちゃ悪いわね。

霧切さんからの返事もまだだし、少し部屋で休ませてもらいましょう。

 

「アタシ、部屋で仮眠を取るわ。ちょっと失礼するわね」

 

「おう、お疲れ」

 

会議室を出て近代的な設計のビルの中を歩く。

枯れた廃ビルの荒野にそびえ立つ、未来機関第一四支部。

数日後、もっと凄い建物にいる重要人物と会うことになるんだけど、

今はとにかく休みたい。緊張の糸が切れて眠くなってきたわ。おやすみなさい。

 

 



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第19章 それぞれの思惑

僕はパソコンと向き合い、ひたすらペンタブに筆を走らせる。

どうして上層部があの放送をやめてしまったのかは、わからない。

色々なツテを頼って、ようやく第二支部長に問い合わせることができたけど、

返った答えは“機密事項だ”。それだけ。

協力者はともかく、あの女は絶対プログラムから出しちゃいけなかったのに!

 

「やらなきゃ……例え何かを失うことになっても、この僕が!」

 

江ノ島盾子は僕達を安心させておいて、外に出たら本性を現して、

心を許したみんなをまた絶望に叩き落とすつもりなんだ。

どうしてそれがわからないんだよ……!

 

途中まで出来たラフ原を再生してみる。……よし、順調だ。

もうすぐこの世界から絶望は完全に消え失せる。

みんなの心から、絶望も憎しみも悲しみも、何もかも。

新たな希望が、生まれるんだ。

 

 

 

 

 

ボクは支部の屋上で、霧切さんとカップコーヒー片手に語り合っていた。

誰かに聞かれる心配をせず、気軽に会話ができるのはここだけなんだ。

赤い空から鉄さびの臭いを含んだ風が吹いてくる。

 

「霧切さん。江ノ島さんに会ってみて、どう思った?」

 

「あまり適切な質問じゃないわね。“どう”の意図が曖昧で聞かれた方が困るわ」

 

「うっ、ごめん……ええと、彼女について、どんな印象を持ったの?

本当に別人だと思ったか、

それとも江ノ島盾子が大人しくして復讐の機会を狙ってると思うかってこと」

 

「まだ希望更生プログラムから出たばかりの彼女を信じきるのは危険……

と言うべきなんだろうけど、彼女の顔を見た時、

あの優しい雰囲気に心を許しそうになったっていうのが本当のところ」

 

「ボクも同じ。なんというか、彼女からは……お母さんみたいな温かさすら感じたよ。

だからこそ、彼女が靴を舐めろって言い出したときは心臓が飛び出しそうになったけど」

 

「もう大人なんだから、同期の前でも親のことは父母と言いなさい。

私も肝が冷えたけど、それも未来機関を観察し、信用に値するか判断し、

目的のために取引ができるか、それを計るためだった……」

 

「目的っていうのは、戦刃むくろだよね。

実の姉でもない少女を助けるために勝負に出るなんて、

かつてボク達が戦った怪物には考えられない行動だよ」

 

「むくろもまたクローン。ただ造られた者同士で寂しさを埋め合う仲だとしても、

絶望の江ノ島盾子なら、寂しさにすら絶望を見出していたはず。

……今となっては彼女を疑えという方が難しくなったわね」

 

その時、バタンと屋上入り口がある小部屋のドアが開いて、

当の江ノ島さんと77期生のみんなが何人か入ってきた。なんだかとても楽しそうだ。

 

「ねえ、日寄子ちゃん?アタシ達って今、結構重要な局面に立たされてるっていうか、

こんなことしてる場合じゃないと思うの」

 

「言い訳無用!自分も五目並べに付き合っといて何言ってんのさ。

つーか、江ノ島おねぇマジ弱すぎ。七海おねぇでなくても楽勝だったよ。

なんにも考えずにとにかく5つ並べようとしてるの丸わかり。ほら罰ゲーム」

 

「わかったわよ……でも、こんなところに丸太なんてあるの?」

 

「今度は、アレ」

 

「アレ?」

 

彼女が小部屋の影を指差すと、シートを被せられた資材。うわぁ、まさかアレを?

 

「うん。どう見ても余った建築用の鉄骨よね。どう見ても100kg超えてるわよね。

どう考えても背負ったら潰れるわよね?」

 

「そのバタンキューしたおねぇが見たいんだよ。ほれ、はーやく!」

 

「日寄子ちゃん、こっちに戻ってからえげつなさが増してないかしら。

せめて誰かにヘルプを頼むことは認めてほしいわ。

キリストだって見物人に十字架持つのを手伝ってもらってたって話だし、ね?」

 

「あ、最初に言っとくとー!唯吹はギターより重い物を持ったことがないんでパスっす」

 

「そら言わぬことではない。

日頃から十分に肉を食っていないから急場で力が出せんのだ」

 

「しゃーねえ。オレが手伝ってやるよ」

 

「終里さん!あなたのことは信じてたわ!」

 

「いっせーので持ち上げるから、すぐ下に入んだぞ」

 

「結局は持たせるの!?みんな酷いんじゃない?……あっ」

 

こうして眺めていると、やっぱり彼女が絶望の江ノ島で、

ボク達を欺こうとしているとは思えない。

だとしたら、“超高校級の女優”の才能も持っていないと説明がつかないくらいだ。

 

少なくとも、みんなに遊ばれてる今の彼女にその兆候は全く見られない。

霧切さんにそんな事を言うと、

“お人好しのボクの目は当てにならない”とか言われそうだから、黙ってたけどね。

おっと、こっちに気づいたみたいだ。

 

「あらやだ大変!アタシったら苗木君に呼び出されてたのすっかり忘れてたわ!

すごく重要な用件だから今すぐ行かなくちゃー!悪いけどまた後でね!」

 

「こらー!逃げんなー!」

 

わざとらしい独り言を叫ぶと、江ノ島さんが駆け寄ってきて、

口パクで“たすけて、たすけて”と言うもんだから、

霧切さんと目配せして、話を合わせることにした。

 

「これから3人で重要事項について打ち合わせなの。

悪いけれど、遊びの続きは後にして?」

 

「そう、アレについてどうするか、いろいろあるから彼女はこれから外せないんだ」

 

「チッ!運が良かったなー!次は逃さないかんね!」

 

「これに懲りたらちっとは鍛えろよなー」

 

「盾子ちゃんの悲鳴から新曲のインスピレーションが得られそうな気がしたんすけど、

残念っす」

 

「バイバイ!また後でね……あぁ、助かったわ。ありがとう2人共。

みんなしてアタシをオモチャかなにかと勘違いしてるんじゃないかしら、もう」

 

「はは、大変だね。みんなジャバウォック島から解放されて気持ちが弾んでるんだよ」

 

「アタシ達を見てた苗木君は知ってるだろうけど、

日寄子ちゃんには結構懐かれてたと思うの。

それはアタシの思い過ごしだったのかしら……」

 

「呆れた。用事はそれだけ?

ここでほとぼりが冷めるのを待ってから自室に戻るといいわ」

 

霧切さんの言葉にピンと来た表情で彼女が続けた。

 

「……いえ、それだけじゃないわ。上層部からアタシの処遇に関する通知は来てない?

塔和シティーに関する要望を飲んでくれるなら、なんでもする。

それこそ、本物の江ノ島盾子を演じて、

未来機関は究極の絶望を更生することに成功した、なんて筋書き通りに動いたっていい」

 

「ちょっと待ってね」

 

腰のホルスター型ケースからタブレットを取り出すと、霧切さんは新着情報を確認する。

 

「……具体的な決定はまだないけど、あなたに関する情報は全てトップに伝えてある。

現在検討中」

 

「そう。あなたを急かしても仕方ないけど、

なるべく早くアタシの姿を見せたほうがいいと思うわ。

ネットは見た?皆の不審が募ってる」

 

「上も私もそのことはわかってる。

いずれあなたには大きな仕事をしてもらうことになるわ」

 

「任せて。このメンバーに、またお姉ちゃんを迎えられるなら、

遠慮なく言ってちょうだい」

 

「ありがとう、江ノ島さん。

ボク達のためじゃないってことはわかってるけど、本当に……」

 

「わかっているならお礼なんて必要ないわ。お互い利害の一致してる関係じゃない。

あと、情報は日向君にも優先的に回してね」

 

「わかってるわ。彼のタブレットも、電子生徒手帳と同じく特別製になってる」

 

「それを聞いて安心したわ。……じゃあ、そろそろ失礼するわね。もう平気だと思うわ。

良くも悪くも飽きっぽい子達だから」

 

「ごきげんよう。

いつ大規模な移動が命じられるかわからないから、鉄骨を担いだりしないでね」

 

去っていく江ノ島盾子の後ろ姿は、髪型を除いて、

やっぱりボク達の知る絶望の江ノ島と瓜二つだった。

だけど、その和やかな雰囲気は、悪意なき悪意を撒き散らしたあの絶望とはまるで違う。

 

「どうして、違うんだろう」

 

「ええ。不思議ね」

 

ドアが閉まると、ボク達はどこかやりきれない思いを口にした。

 

 

 

 

 

私は執務室のデスクで、

ワンタイムパスワードでロックされたフォルダーに格納されていた、

機密資料に目を通していた。これとて確実な安全性が担保されている通信方法ではない。

重要な案件なら直接面会に来るよう伝えたが、

支部間を移動する時間も惜しいほど緊急性の高い伝達事項だと言うから特別に許可した。

 

メールに添付された圧縮ファイルを解凍し、現れたフォルダーを開くと、

中には「E氏に関する報告」というファイルが。

江ノ島盾子については報告を受けている。

今更何を、と思ったが、その内容は信じがたいものだった。

 

髪を下ろし、気品すら漂わせる女性の画像がこちらを見つめている。

備考欄には、彼女が未来機関との取引を望んでいる旨が記載されていた。

曰く、我々の不祥事はなかったことにしてやる。

世界も救ってやるから、塔和シティーを陥落させて戦刃むくろを助けろ。

 

理解不能だ。

てっきり膨大な額の慰謝料でも請求するのかと思えば、

かつての姉、それもただのクローンのために、

自らの正体という最強の切り札を捨てるというのか。

その気になれば、未来機関の一部を掌握することもできるというのに。

当然そのような事態になれば、天願会長の判断を待たずに私が手を下すことになるが。

 

助ける、か。私の中にある種の感情が芽生える。

デスクの引き出しを開けて、1枚の写真を取り出す。それをただぼんやりと眺める。

私に無為な時を過ごさせる唯一の存在。

気が済むまで感傷に浸ると、再び引き出しに戻す。

 

大人しそうな顔をして、なかなかの食わせ者だ。

我々が断れないことを承知の上で取引を持ちかけてきた。

あの事件で人類約70億人のうち、50億人が絶望に魅入られ、

うち30億が江ノ島盾子の希望更生プログラム中継で、自我を取り戻した。

 

だが、そこまでだ。依然として20億が狂ったまま。

中継を終えた今、奴らを安全に正気に戻す術はない。

武力で殲滅となれば、第二次大戦を上回る悲惨な戦争になるだろう。

戦いは長期化し、ようやくまともに戻った人員すら消滅しかねない。

確かに彼女なら、その事態を避け、世界から絶望を拭い去ることも可能だが……

 

初めは耳を疑った。歌で残党の狂った思考を元に戻すなど。

だが、帰投した艦の乗員は皆、装備を奪い行方不明になっていた自衛官。それも大勢。

事情聴取にも、何をしていたかは覚えていないが、

絶望に魅入られていたと口を揃えて答えている。嫌でも信じざるを得なかった。

考えた末、私は電話の受話器を上げ、緊急回線で、ある人物に連絡を取った。

 

 

 

 

 

ワシはいつものように、執務室の窓から赤い空を眺めておった。

最後に青い空を見たのはいつのことじゃったか。こうなった原因はわかっておらん。

どこかで何者かが毒ガスを放っていると推測されているが、

人工衛星の情報送信が停止した今となっては真の所は不明。

人類史上最大最悪の絶望的事件からまだ10年も経っておらんと言うのに、

世界は変わり果ててしまった。環境のことではない。人の心じゃ。

 

プルルル……

 

デスクの電話が鳴る。支部内か外部か。

この電話を使うのは、どちらにせよ緊急性が高い時に限られる。すぐに受話器を取る。

 

「ワシじゃ」

 

“会長、宗方です”

 

「おお、宗方君か。どうかね、その後進展は」

 

“会長に例のファイルは送られてはいませんか?「E氏に関する報告」です”

 

「ふむ。ワシには届いていない。

実質未来機関を動かしている君を優先したのかもしれんな」

 

“……先日帰還した彼女についてです”

 

「説明してくれたまえ」

 

宗方君は謎のファイルとやらについて説明してくれた。

江ノ島盾子氏が事件の隠蔽並びに能力の使用と引き換えに、

我々との取引を希望しているということについて知った。

なるほど。どう言い出したものか思案していた、

希望更生プログラムにおける人違いについて、

穏便に済ませてくれるならこちらとしても助かる。

 

「……わかった。渡りに船とはこのことじゃろう。

塔和シティーは元々何度もモノクマ生産施設の制圧と生存者の救出作戦を試みていた。

次こそ成功させなければ」

 

“では、塔和シティー攻略に向けて部隊を動かすということでよろしいですね?

モノクマについては、第十四支部に保護されている協力者が対処するようです。

先制攻撃で奴らを叩き、続いて未来機関の突入部隊が空から降下。

民間人の救助、及び塔和モナカの確保に当たります。

同時に陸自の別働隊が92式浮橋で陸からの移動準備にかかるという手筈です”

 

「肝心の戦刃むくろも忘れずにな」

 

“承知しています。彼女にへそを曲げて旅に出られては困りますから”

 

「宗方君」

 

“なんでしょう”

 

「仮に……本人と顔を合わせることになっても、平静を保つ自信はあるかね?」

 

“……それは、どういう意味でしょう”

 

「いや、年寄りの取り越し苦労じゃ。忘れてくれ」

 

“失礼します”

 

通話が終わると、ゆっくりと受話器を戻した。

椅子から立ち上がると、また窓際に近づき、空を眺める。

この老骨、大抵の出来事に立ち会ってきたつもりじゃが、

ここ数年でワシの一生分以上の奇怪な思いをしておるよ。

もし、彼女の力で絶望の残党が消え去り、この空に青さが戻ったら、

今のポストを去ろうと思う。

さて、この曲がった腰でうまく彼女に頭を下げられるか、

今から練習でもしておくかのう。

 

 

 

 

 

私は、元希望の戦士のみんなと絨毯の敷かれた床に座り込んで、

自分のことやモナカのこと、盾子ちゃんとの関係について説明を終えたところだった。

やっぱりみんなすぐには信じられないみたい。

 

「なら……君は、モナカが作ったクローンだって言うのか!?」

 

「むくろでいいよ。戦刃むくろ。モナカの知識はみんなの想像を上回ってる。

私は希望更生プログラムから、盾子ちゃんを取り戻すために造られた、彼女の捨て駒。

きっといなくなったことにも気づいてるだろうけど、

プログラムがシャットダウンされた今、気にも留めてないはずだよ」

 

「それで、むくろさんはどうしてモナカと手を切るつもりになったんですの?」

 

「どう言えばいいのかな。彼女のそばにいる意味がなくなったし、

なにより、盾子ちゃんの邪魔をしたくなかったから」

 

「あ、あ、あの。どうしてむくろお姉ちゃんがいると、

盾子お姉ちゃんの邪魔になるのかな。ボクちんにもわかるように教えて~」

 

「モナカは世界を再び絶望に陥れようとしている。

盾子ちゃんにはそれを止めるどころか、広がった絶望を消し去る、というより、

故意に擦り込まれた絶望から意識を元に戻す力があるの」

 

「こい、恋?……はうっ!盾子お姉ちゃん好きな人がいるの!?」

 

「ごめんね。その恋じゃなくて、“わざと”っていう意味。

絶望の残党って言われてる人達も、はじめからそうだったわけじゃない。

絶望の江ノ島盾子に偽物の意識を植え付けられて、そうなったわけだよね。

それを元通りにできるの」

 

「なんつーかスゲーな!その新しい方の江ノ島盾子は!

ゲームの回復魔法みたいな才能じゃん!」

 

「大門君らしい感想ですわね。でも、実際聞いたこともない才能ですわ。

高校生にもなるとここまで能力の幅が広がるなんて。

ちなみに、戦刃さんの能力はなんですの?」

 

「超高校級の軍人。それでモノクマを倒してここまで来られた。

時々無人のビルに明かりが点いているのを見たから。

こんなところにいるってことは、大人達と一緒にいられない。

つまり、元希望の戦士のみんなが居るんじゃないかと思ったの」

 

「……僕達と一緒に行動することに何の意味があるのかな」

 

「そう構えないで。さっきも言った通り、一緒に考えたいの。

子供達の楽園という計画を打ち捨てた君達が、今何を目的にしているのか、

教えて欲しいな。私には、なにもないから……」

 

「僕達の目的もモナカを止めることさ。新生江ノ島盾子と同じようにね。

戦刃君の言葉を信じるならの話だけど」

 

「私は信じなくていいけど、盾子ちゃんは信じて。

テレビで見なかった?本物の盾子ちゃんはもう死んでる。

気弱で時々すごい力を見せる彼女は、異世界から意識だけ転移してきた別人。

誰かに造られた肉体にたまたま乗り移ったの」

 

「……どうすれば、モナカを止められると思う?

傷つけたくはない。これでも、一時は仲間だったんだ」

 

「なにか、外部と連絡を取る手段は?

未来機関にモナカの本拠地を知らせるだけでも、だいぶ違う。

彼らも知りたいことがたくさんあるから、突入して即射殺ということは考えにくい」

 

「外を見てくれ」

 

新月君が、窓ガラスの外を指差す。その先に、一際高い高層ビルがそびえ立っている。

 

「塔和タワーって言うんだ。あの中に未来機関が残していった通信機器がある。

それでどこかの支部と連絡ができるはずだ。

実は僕達が希望の戦士だった頃、未来機関の特殊部隊が突入してきたことがある。

……ほとんど僕らやモノクマにやられたけどね。

もうジャミングも解除されてるから問題なく使用できる。

より強力になったモナカには邪魔でしかないからね」

 

「よく知ってるね、そんな事」

 

「……僕達が大人達を魔物と敵視して殺していた時、

僕らに立ち向かってきた2人の女の人達がいたんだ。歳は戦刃君と同じくらい。

通信機器は彼女達が塔和シティーを探索しているときに見つけた」

 

彼はそっと窓ガラスに手を触れて、その人達を探すかのように街を見下ろす。

 

「あの人達は強かった。

当時は僕達にも強力なロボットがあったのに、それでも勝てなかったくらい。

経緯は長くなるから省くけど、全てが終わった後になっても、

彼女達は僕達子供も大人も、両方を守るために塔和シティーで戦い続けているんだ」

 

「そう。本当に、強い人なんだね……私には、真似できないよ」

 

「そんな事、ないだろう」

 

「え……?」

 

「君もモナカのやり方が間違ってると薄々気づいていたから、

ここにいるんじゃないのかい?

それでモノクマの群れと戦って、僕達に会いに来たんだろ?

テレビに映っていた方の江ノ島盾子さんのためにモナカの元を離れたんじゃなかったの?

だったら、彼女達と協力して、塔和シティーを内と外から突き崩してほしい。

もう僕達に戦う力はない。だから、こうしてお願いすることしかできない」

 

新月君が、私に深くお辞儀をした。

戸惑いと不安で、思わず頼りにしているアサルトライフルを抱きしめる。

誰かに頭を下げられることなんて生まれて初めてだから。

 

「あう~ボクちんもおねがい!ノルウェーは水力発電がほぼ100%のエコな国だけど、

大人も子供もモナカちゃんも、

みんな助けて欲しいって都合のいいお願いをしてみるんだ」

 

「私からもお願いしますわ。

あの地味な人と、地味そうに見えてスカートに大胆なスリットを入れてる人と協力して、

モナカの野望を止めて下さいまし!」

 

「会ったばかりの姉ちゃんに、

こんなこと頼むのは図々しいってわかってるんだけどよ……

俺、一応元リーダーだったのに、なんにもできなくてずっと悔しい思いをしてるんだ。

その気持ち、わかってくれ!」

 

みんなまだ小学生なのに、強い意志を持っていて羨ましいな。

……ううん、そうじゃないよね。私も手に入れるの。

自分だけの、目的、意志、生きる理由。

 

「わかった。後は私に任せて。その2人の大体の位置はわかる?

近くに居るなら先に合流したいんだ。通信機器が第一目標だけど」

 

「さっき、大きな歩道橋で戦ってた。その後雑居ビルが並ぶ通りに向かったよ」

 

「まずはそこを当たってみる。私はもう行くけど……変なことは考えないでね。

自分の罪に押し潰されないで」

 

「ああ、わかってる。

ここで粘れるだけ粘って、世界が僕達を裁くなら、それに従うまでさ」

 

その言葉にただ笑顔を向けると、またカバンを肩から下げて、廃ビルの一室を後にした。

アサルトライフルにリロードしながら階段を駆け下りる。

もう一度盾子ちゃんに会いたい。

ロビーを横切り、破れた窓から道路に飛び出し、荒れ果てた街を走り抜ける。

今度は後をついていくだけじゃなくて、

肩を並べられる、本当の偽物の姉妹になるために。

 

 

 

 

 

私達は、またひとり空き家で避難していた大人を地下避難シェルターに誘導すると、

モノクマ退治に戻った。スタンダードなコトダマ、自発破壊で一体ずつ破壊していく。

 

「コワレロ!」

 

“なんと!”

 

「こまる~今日はこの辺にしましょうよ。

動悸息切れが激しくて、銀のツブツブが必要なレベルに達してるの……」

 

「もう、冬子ちゃん戦ったのって一瞬だけじゃん!しかもジェノサイダーの方」

 

「あ、あんたが色んな所に引っ張り回すからでしょう!疲れたのよ!

これ切り抜けたら今度こそ今日は閉店だからね。

なんでそんなにリア充は無意味に頑張りたがるんだか……」

 

「そうしたいところなんだけど、今度はジリジリと数が増えてるの。

コトダマだって……やだ、もう弾がない!どうしよう!」

 

手で弾薬ケースを探ると、カラ。何も手応えがない。

 

「なんですって!?冗談顔だけにしなさいよ!電撃ビリビリは?火炎放射器は?」

 

「ないよ!ガチャポンのところに戻るしか!冬子ちゃんのスタンガンは?」

 

「バッテリー切れ!深追いするからそうなるのよ!

あたしが死んだら末代まで枕元に立ってやるからね!」

 

「逃げるよ!」

 

「それがさ、なんかどこ向いても微妙にモノクマがいて、

あたし達囲まれたっぽいのよね……」

 

「ええっ!いや、本当だ……」

 

確かに360度見回しても視界にモノクマが入らない角度がない。

弾切れのハッキング銃じゃ戦えない。ジェノサイダー翔も呼べない。どうしよう……!

 

──伏せて!

 

その時、ハッキング銃じゃない、普通の銃声が何度か轟き、

包囲網の一角に集まっていたモノクマの左目に弾丸が命中。

 

“ガ、ゲジジジ……!”

“0003致命的エラー……”

“ゲガゲギギギ!”

 

物理的に直接急所を破壊されたモノクマが、

いつもの間抜けなやられ声を上げることなく、

ロボットらしいまともな断末魔を上げて活動を停止。

見上げると、ビルの上に銃を持った女の子。

彼女は銃に再装填しながら私達に呼びかける。

 

「今よ、逃げて!後で合流しましょう!」

 

「あ、ありがとう!冬子ちゃん行こう!」

 

「もう走るのはこれっきりだからね……!」

 

 

 

無事モノクマの包囲から逃げ切った私達は、見通しのいい広場で足を止めた。

さっきの女の子は誰だったんだろう。

 

「はぁ…はぁ…今日は、あんたのせいで、散々よ!」

 

「ごめんって。どうしてもさっきのエリアの安全は確保しておきたくて」

 

「あたしらが安全じゃなきゃ意味ないでしょうが!

……ところでデコマル。この噴水の水って飲めると思う?」

 

「やめといたほうがいいよ。よく見ると小さな虫が泳いでる」

 

「最悪。喉もカラカラなのに。

きっとこのまま口が乾いて悪臭を放って、あんたにまで口臭女だと罵られるんだわ……」

 

「そんな事しないって!でも、私も喉乾いちゃったな」

 

「なら、これを飲んで」

 

「えっ!?」

 

突然音もなく背後に現れた、さっきの女の子。

ペットボトルの水を2本こっちに差し出している。

 

「誰だか知らないけど礼を言うわ!」

 

名前も聞かずにミネラルウォーターに飛びついて、

喉を鳴らして一気飲みする冬子ちゃん。

私もとりあえず受け取ったけど、目の前の子への興味の方が先に立った。

 

「ありがとう……ねえ、あなたさっき私達を助けてくれた子だよね?

私、苗木こまる。こっちは腐川冬子ちゃん」

 

「やっと会えたね。私は、戦刃むくろ。

あなた達なら、外部との通信機器の場所を知ってるって聞いた。どこにあるの?」

 

「い、い、戦刃むくろですって!?

なんで死んだ奴が銃を取って元気よくモノクマ破壊してるのよ!」

 

「冬子ちゃん知り合い?死んだってどういうこと?」

 

「生きてるうちに直接会ったことは……いや、偽物には会ったわね」

 

「腐川冬子さん。コロシアイ学園生活の生き残り。うん、ちゃんと記憶に入ってる」

 

「わけのわからないこと言ってんじゃないわよぉ!あんたが、誰だか、説明しなさい!」

 

「ごめん、時間がないんだ。私が生きてる理由とかは途中で話す。

お願い、通信機器のところまで案内して」

 

「うん、前にお兄ちゃんと話したモニター付きのが、塔和タワーにあったはずだよ!」

 

「ちょっと待ちなさいよ!また走るわけ?あたしもういや。ここから一歩も動かない」

 

「なら仕方ないよね。ここで待ってて。

……苗木さん、予備の弾薬。モノクマから回収した」

 

戦刃さんが自発破壊のコトダマを大量にくれた。

 

「こんなにたくさん!?ありがとう、これでモノクマと戦えるよ!」

 

「ちょっとちょっと、戦えないあたしをここに置いていく気?

敵に襲われたらどうすんのよ……」

 

「う~ん、走れないなら、そういうことになっちゃうかな。

流石にあなたを背負っては照準できないし、あまり時間も掛けられないんだ」

 

「キァーもう!こんなの、文系の仕事じゃない……」

 

「冬子ちゃんガンバ。タワーまで着いたらエレベーター使えるから」

 

「古臭い励ましに感激だわ」

 

そして、道中私達は戦刃さんから到底信じられない話を聞くことになった。

まず、彼女は死んだ本人から再生されたクローン。

塔和モナカに偽の記憶を移植されて、江ノ島盾子って人に会いに行ったんだけど、

彼女が超高校級の女神っていう才能に目覚めて、

その力のおかげで本来の自分の姿を思い出したんだって。

 

息を切らして走りながら聞いたから、疑問を挟む余地もなかった。

ただ彼女の話に耳を傾ける。

江ノ島盾子って人もクローンで、戦刃さんの妹らしいんだけど、

実はこの人も、誰かが作った肉体に異世界の誰かが宿った別人らしいよ。

あ、タワーに到着。

 

「冬子ちゃん、もうすぐ休めるよ。ほらエレベーター」

 

「見りゃ、わかるって、言ってるでしょ……」

 

「でも……希望更生プログラムなんて全然知らなかった。

ここじゃテレビの電波も入ってこないし」

 

「うん。塔和モナカがジャミングを掛けてたからね。

盾子ちゃんを取り戻したつもりになって、その必要がなくなったから、

今はもう問題なく通信できると思う」

 

私は冬子ちゃんの背中を撫でながらエレベーターのボタンを押す。

階層を示す表示ランプがゆっくりと1階に降りてくる。

 

ポーン……

 

到着したエレベーターに乗り込むと、上階のボタンを押す。

ええと、通信機があったのは、この階!

ドアが閉まると、エレベーターがすうっと私達を持ち上げ、目的の階に運んだ。

荒れたホールに出ると、その片隅に、緑がかったモニターとセットになった通信機。

 

「あったよ、戦刃さん!これでお兄ちゃんと通信したことがあるの」

 

「ありがとう、苗木さん。

とにかく、塔和モナカの潜伏しているポイントを送信しなきゃ」

 

「ああ、やっと息が落ち着いたわ。……ねぇあんた。

本当の江ノ島盾子でもなければ妹でもない、どっかの誰かのために、

なんでそんなに必死なのよ」

 

「うまく説明できないんだ。

同じクローンだからかもしれないし、姉妹のDNAから造られた存在だからかもしれない。

でも、一緒に過ごした思い出が心から離れない。

こうして手の届かないところにいると、

心に風穴が空いているような寂しさに悩まされる。

一言で言うと、会いたいってところかな」

 

手早くアンテナやチューニングの設定をしながら語る戦刃さん。

 

「ふん。ブラコンの次はシスコンね。

普通の家族愛の範疇に収まることを願うばかりだわ。

あたしはここで休む。今日はもうここから動かないからね!」

 

「お疲れ様、冬子ちゃん」

 

「待って。……繋がった!」

 

3人共モニターを覗き込む。冬子ちゃんは床に座り込み、首だけこちらに向けながら。

 

 

 

 

 

アタシは、日向君と未来機関第十四支部の地下工場にいた。

左右田君が塔和シティー奪還に向けて色々新兵器を作ってくれてるらしいわ。

専門家の彼を手伝えるわけじゃないけど、

彼ひとりに任せきりにするのもなんだか申し訳なくて、時々差し入れを持ってきてるの。

 

「左右田君、お疲れ様。これで一息入れて。コーラとサンドイッチ」

 

「おっ、サンキュー!世界が滅びてもコーラは不滅か。おお、キンキンに冷えてやがる」

 

もっとも、そのコーラは未来機関製で、ラベルも例の赤じゃなくて、

黒地に未来機関のロゴが入ったものだけど。

 

「突入前の先制攻撃をすると言ってたが、何を作ってるんだ?」

 

「プログラムん中で江ノ島からもらったプレゼントを再現してるとこだ。

今度はオレからモノクマにプレゼントだけどな。

まぁ、クマ型ロボットについての問題は既に片付いてると思ってもらっていーぜ」

 

左右田君は素人目にもそれと分かる精密機器を、

工場備え付けの機械で慎重に組み上げていく。

 

「これが一段落したら、小泉達の武器も作んなきゃな。

急いだって作戦始まんなきゃ意味ねーのに、早く作れってうるせーんだよ。特に小泉。

確かに非殺傷性だが、やたら危ねえオモチャ欲しがるあたり、ヤバイ女なんじゃないか?

あいつ」

 

「あらあら、戦いの前に気が立ってるのね。……みんなまで巻き込んで、本当に」

 

「やめろよ。オレはただ仲間と会いに行くだけだ。ちょっと大掛かりな方法でな」

 

「ああ、みんなも同じ気持ちだ。

目的はあくまで戦刃だ。短いが同じ修学旅行を過ごしたクラスメイトの、な」

 

「うん、ありがとう……」

 

プルルル…

 

その時、アタシ達にも支給された、腰のタブレット収納ホルスターが音を鳴らした。

変ね、マナーモードにしていたのに。

すぐタブレットを取り出し、画面をつけると、切迫した表情の霧切さんが映された。

 

“前置きは省くわ。戦刃むくろから連絡があった。

そっちにつなぐから、塔和シティーの状況を聞き出して!”

 

彼女はそう言うと、こちらの返事も待たず、画面を切り替えた。

ノイズ混じりに現れたのは……ずっと安否がわからなかった、

本来一人っ子のアタシにいるはずのない、この世界でできた姉。

 

「お姉ちゃん!?今、どこにいるの?一人で平気?」

 

“盾子ちゃん。ゆっくり話していたいけど、時間がないんだ。

塔和モナカの研究室の座標を送るね?

モナカの戦力は無限に近いけど、そこを集中攻撃すれば……”

 

「モノクマに関しちゃ問題ねーが、停電に気をつけろって言っといてくれ」

 

左右田君が背を向けたまま呼びかけてきた。

 

「詳しくはわからないけど、モノクマはどうにかなるみたい。

だけど停電が起こるから注意して」

 

“うん、わかった。あとこっちはひとりじゃ「盾子お姉ちゃーん!」”

 

突然ビデオ電話に割り込んできたのは塔和モナカ。笑顔でこっちにピースしてる。

 

「塔和、モナカ……!?」

 

“えー、なぁに?その堅苦しい呼び方。盾子お姉ちゃんのモナカだよ~

ところで、姿が見えないと思ったら、むくろお姉ちゃん。

モナカに黙って未来機関に情報を流すなんて……よくないなぁ、そういうのって“

 

「無駄だろうけど、一応言っておくわ。むくろお姉ちゃんを返して。

塔和シティーをみんなに返して。未来機関もあなたを傷つけたりはしないわ」

 

“……ふーん、まさかとは思ってたけど、盾子お姉ちゃん、

やっぱりずっとモナカのメール無視してたんだ。

モナカより作り物の姉の方が大事なんだ。“希望”なんかにつくんだ。

ヘアスタイルまで変えちゃってさ。いいよ、むくろお姉ちゃんは好きにしなよ。

元々盾子お姉ちゃんのオマケだったしね。でも、モナカびっくり。

本当に偽物だったなんてね。残念な姉のために塔和シティーと戦争を起こすなんて……

そんなの盾子お姉ちゃんじゃない!!“

 

突然激高したモナカがキーボードをデスクに叩きつける。

 

“よくわかったよ。モナカが大好きだった盾子お姉ちゃんは死んじゃったってね。

だから、モナカが2代目江ノ島盾子になる!

未来機関がどれだけ無力か、

今度はその惨めな姿を放送するのも数字取れそうだよね……!”

 

「説得は、もう無理みたいね。塔和シティーで会いましょう」

 

“早くおいでよ。江ノ島盾子は2人も要らないからさ……!”

 

そこで強引に通信を切られた。切られたというより、何かに遮られたって感じね。

変わって霧切さんとの回線に戻る。

 

“できれば戦いたくはなかったんだけど、

こうなった以上、予定通りに進めるしかないわね”

 

「そうね……お願いだから、彼女も民間人と同じ保護を頼むわ」

 

“努力はする。でも、万一の事態は覚悟しておいて”

 

「わかったわ」

 

通信終了。振り返ると、日向君と左右田君がアタシを見ていた。

 

「……とうとう、始まるんだな」

 

「ええ。アタシの歌が彼女に聞くのか、正直わからない。

タブレットで塔和シティーの事件記録を見たけど、

彼女は初めからああだったみたいだから。元に戻す能力で無力化できるかどうか」

 

「ま、駄目なら力づくでふん縛るしかねーだろ」

 

「その時は、俺に任せろ。超高校級の希望でどうにかしてみせる」

 

「よろしく、お願いするわ……」

 

遂に塔和モナカとの開戦が決まった。もう迷っている余裕はない。

 

“全てを、救うのよ”

「全てを、救うのよ」

 

 



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第19.2章 江ノ島盾子、最後の事件?

一言で言うと、その日の第十四支部は、荒れていたの。

 

「きゃっ……ああ、ごめんなさい!私の不注意で、申し訳ありません!」

 

「いえ、ぶつかったのはお互い様よ。アタシもよそ見を……」

 

言い終える前に、女性局員は、落とした書類を急いで拾い集めると、

何度も頭を下げながら行ってしまった。

……ここ第十四支部に来てから、こんなことは珍しくない。

初めてこの世界に来た時から180度変わったと言えば伝わりやすいかしら。

 

局員の人達がアタシに過剰なまでにへりくだって気を遣う。

警備兵とすれ違えば、廊下の端に張り付いて通り過ぎるまで敬礼する。

正直こんな対応は求めていない。お互いが当たり前の礼儀を尽くせればそれでいいのに。

 

「そうは思わない?霧切さん」

 

1階ロビー。休憩スペースの影で壁にもたれていた彼女に問う。

 

「無理もないでしょう。直接的ではないにしろ、今まで絶望とは無関係の人間に対して、

唾を吐きかけムチを打つような行為に加担してきたんだから。

まともな倫理観を持っているなら、罪の意識や引け目を感じて当然。気にしないことね」

 

「気にするわよ。もう、他人事だと思って。これじゃ落ち着かないわ」

 

「昨日あなたが持ち出したキリストだって、迫害を受け処刑されたけど、

3日後に復活して神とされたじゃない。

そういえばあなたも女神よね。そのプロセスはよく似てるわ」

 

「それとこれとは話が違うわよ。こんなんじゃまともに作戦が……」

 

その時、入り口の辺りから戸惑う局員の声と、電子的な音声が聞こえてきた。何かしら。

 

「困ります!あの方は難しい立場でして、面会なさる場合は事前にアポを頂かないと!」

 

“無礼を承知でお願いしてまちゅ。面会の約束をするにも、機密保護の観点から、

支局間の接続回数は極力抑える必要があると考え、こうして直接お訪ねした訳でちゅ”

 

「……かしこまりました。少々お待ちください。今、支局長に連絡を……あっ!」

 

“いまちた!江ノ島盾子さーん!”

 

アタシ達は不思議なやり取りを呆然と見ていた。

局員はスーツを着た普通の男性。問題は女の子の方。

一人乗り自動車と言えるくらい大きな電動車椅子に乗っていて、

幅の広いマフラーを口まで覆うほど厚く巻いている。

 

銀髪のショートヘアから覗く目からは、表情というものが感じられない。

その代わり、車椅子前方に設置されたモニターに映るキャラクターが流暢に喋っている。

よく見ると、そのキャラクターは……ウサミ!?

 

奇妙な女の子の出現に驚くと同時に、

彼女がアタシを呼びながら猛スピードで突っ込んできた。そして目の前で急ブレーキ。

その子の姿を見て、霧切さんが遅れて驚いた声を上げる。

 

「月光ヶ原さん!?どうしてここに!」

 

“霧切さん、ごめんなちゃい。

あちし、どうちても江ノ島盾子さんに会いたくて、来てしまいまちた”

 

「ねえ霧切さん。この娘は誰なの?」

 

彼女が渋い顔をしながら、説明してくれた。

 

「……月光ヶ原美彩さん。元超高校級のセラピストで、第七支部の支部長よ。

うちとは業務の管轄が違うからここに来る用事は滅多にない、はずなんだけど?」

 

そして、月光ヶ原さんという女の子にちらりと視線を送った。

モニターの中のウサミが両手を合わせて謝る。

 

“本当にごめんなちゃい。江ノ島盾子さんに助けてもらいたくて、

あなたが滞在している第十四支部にお邪魔しちゃいまちた”

 

「助ける?あ、はじめまして。月光ヶ原さんだったかしら。

アタシに助けられることと言えば……誰か局員の人が絶望ビデオを見てしまったとか?」

 

「ねえ、月光ヶ原さん。

間もなく大規模な作戦を控えていることは各支部に通達されてるはずよね?

その後じゃいけない理由を教えてくれると嬉しいんだけど」

 

冷めた目で月光ヶ原さんを見る霧切さん。

あら?元超高校級児なら、少なく見積もっても大学生くらいのはずだけど。

小柄でぬいぐるみのような愛らしさがあるから、まだ高校に入ったばかりに見えるわ。

 

月光ヶ原さん(本体)が、目を閉じて何かの思索にふける(ように見えた)。

そして彼女の真意を打ち明ける。

 

“もちろんでちゅ。こうして江ノ島さんを頼ってきたのは、

超高校級の女神の才能が目的……ではありまちぇん!”

 

「じゃあどうしてわざわざアタシに会いに来たのかしら。

能力以外は特にできることはないわよ?」

 

「私達も暇ではないのだけれど」

 

“いいえ、とっても深刻な案件なのでちゅ。どうか力を貸してくだちゃい!”

 

「お願い、これ以上もったいつけないで。そろそろオフィスに戻らなきゃ」

 

“あちしの人見知りを治して欲しいんでちゅ!”

 

「出口まで見送るわ」

 

“待ってくだちゃい!これは塔和シティー攻略にも関わるんでちゅよ?

あちしがスムーズにエンジニア達とコミュニケーションが取れるようになれれば、

江ノ島さんの絶望をかき消す才能を、

より増幅するシステムが作れるかもしれないんでちゅ。

つまり、回り回って世界の復興に繋がるんでちゅよ!”

 

「あなた、人見知りなの?」

 

初対面の彼女に尋ねてみると、月光ヶ原さんがコクコクとうなずく。

 

「そう。こうしてキャラクター越しでないと会話ができないくらいね。

ちなみに、希望更生プログラムを作った中心人物なの」

 

「本当!?」

 

目の前の物言わぬ少女が、あのジャバウォック島の世界を作ったなんて。

この世界って不思議。

そう言えばダンガンロンパの世界って、アタシの世界に似てるようで、

かなりテクノロジーが進んでるわね。

 

「でも、人見知りとアタシに何の関係があるのかしら」

 

“江ノ島さんがこの世界に来た当時の事情聴取の記録を読みまちた。

するとそこには驚愕の事実が!

イケイケのギャルが元は引きこもりのコミュ障だったのでちゅ。

それが今では、すっかり超高校級の女神にふさわしいリア充に大変身。

あちしも江ノ島さんみたいに生まれ変わって、

自分の言葉でみんなとお喋りしてみたいんでちゅ。

江ノ島さん、お願いでちゅ……元コミュ障として現役を助けると思って、

あちしに人見知りを治すアドバイスをくだちゃい”

 

「あまりつつかれたくないところを突かれたからこんなこと言うわけじゃないけど、

アタシからアドバイスできることはないわ。

ジャバウォック島でみんなと過ごすうちに、いつの間にかこうなっていたから。

自転車に乗れるようになった人が、なぜ今まで乗れなかったのか忘れてしまうようにね。

強いて言うなら慣れしかないわね。挨拶から初めてみたらどう?」

 

“慣れ、でちか……”

 

「これで気が済んだでしょう?

わかってるだろうけど、不要な外出も無用な通信と同じくらい危険なの。

空が比較的明るい今のうちに帰ったほうがいいわ」

 

“わかったでちゅ”

 

「車で来たのよね。ゲートまで付き添って……」

 

“なるほど、学級裁判をクリアすればいいんでちね!”

 

「「はぁ!?」」

 

どう解釈すればそうなるのか。驚き半分呆れ半分で、二人同時に素っ頓狂な声を漏らす。

 

“あの放送、あちしも見ていまちた。

江ノ島さんは学級裁判を乗り越える度に強くなって、みんなとも仲良くなりまちたよね?

なら、あちしも学級裁判に参加すれば、

人見知りを治して普通の人みたいに喋れるはずでちゅ!”

 

「う~ん、勘違い暴走タイプの困ったちゃんなのね。

月光ヶ原さん?学級裁判は、事件が起きないと開かれないの。

今は世界が崩壊している事以外は至って平和よ。

あなたの力にはなりたいけれど、こればかりはどうしようもないの」

 

“問題ありまちぇん!

過去、実際に起きた事件のデータベースを検索して、例題を探しまちゅ”

 

「例題?」

 

“そう!江ノ島さんや77期生の皆さんには、その事件の関係者になってもらって、

模擬裁判を行うのでちゅ。当然誰がクロかは秘密でちが”

 

「でもそれだと、事件をピックアップした月光ヶ原さんには、

誰がクロかバレバレなんじゃないの?やると決めたわけじゃないけど」

 

“事件の関係者と裁判の参加者は、表計算ソフトの関数でランダムに決めまちゅ。

あちしがクロなら必死に逃げまちゅし、シロなら徹底的に追い詰めまちゅ。

誓ってズルは致しまちぇん。あちしのリア充ライフがかかってまちゅから”

 

すごい速さで手前のキーボードを打ちながら、月光ヶ原さんが早くも準備を進める。

 

「勝手に話を進めないで。

……それに、あなたがやろうとしていることがどういうことか、本当にわかってるの?」

 

心なしか霧切さんの声が硬くなった。

はたとタイピングの手を止めて彼女の目を見る月光ヶ原さん。少し怯えたような表情。

 

「学級裁判というのは、絶望の江ノ島盾子が造り出したコロシアイのいわばゲーム。

そこに放り込まれた年端も行かない学生たちが、

極限状況で追い詰められて誰かを殺めた結果、

疑い合い、時には罵り合う、悲惨な現場なの。

あなたにはその事を十分わかってもらえてないみたいね。

真似事とは言え、彼らにまた同じ経験をさせようとしているんのだもの」

 

手厳しい言葉に、月光ヶ原さんがわずかに目を伏せて、カタカタとまたキーを打つ。

 

“ごめんなさい……私がどうかしてたわ。

そうよね。学級裁判がそんなに甘いものじゃないことはわかってたはずなのに。

でも、私も軽はずみな気持ちでこんなお願いをしたわけじゃないの。

私、こんな性格のせいで、小さい頃からひとりぼっちで。

その寂しさを知ってる江ノ島さんについ頼ってしまったの。本当にごめんなさい。

……もう、帰るわね”

 

彼女が車椅子を音もなくターンさせて、去っていく。

その後姿に、どこか過去の自分を重ねてしまう。

どうしようかしらね。ただの同情でしかないのはわかってるんだけど。

 

「ねえ、霧切さん。

今回限りっていう条件で、彼女に協力してあげるわけにはいかないかしら」

 

「江ノ島さんまで何を言うの?学級裁判で特に辛い思いをしてきたあなたが」

 

「ひとりきりの寂しさはアタシにもわかるの。

あの様子だと、月光ヶ原さんが味わってきた孤独は並大抵じゃない。

誰かを頼るのにも勇気が要るの。それに免じて、アタシからも、お願いできないかしら」

 

彼女が少し迷ってから大きくため息をついて、一言。

 

「江ノ島さん。あなた、強くなったけど、甘くもなったわね」

 

「それが、人間だから」

 

「わかったわよ。……月光ヶ原さん、ちょっと」

 

“はいでち!!”

 

待っていたかのように、大きな車椅子がUターンして猛烈なスピードで戻ってきた。

いろんな機能が搭載されてるであろう、大型の物体が迫ってくるとすごい迫力。

左右田君に改造してもらえば、昔遊んだ戦車で戦えるRPGみたいに、

大砲と機銃1門ずつくらいは装備できそうね。

 

「今から待機中の77期生達に開廷の是非を問う。

一人でも嫌だという人がいれば諦めて。それでいい?」

 

“もちろんでち!ありがとうございまちゅ!江ノ島さんも霧切さんも親切でちゅ”

 

「ぬか喜びになるかもしれないから、まだそんなに喜ばないほうがいいわよ?」

 

「その通りね。

はぁ……私は本当に用があるから、参加できない。苗木君にも声を掛けなきゃ」

 

霧切さんは心底うんざりした様子でタブレットを取り出し、

仲間達にメールをしたためた。

 

 

 

 

 

結果、アタシ達はご覧の通り、

空いていた会議室を貸してもらって全員集合したってわけなの。

円形のテーブルがまるで法廷の証言台のように見えるのは気のせいかしら。

 

“みなちゃん、はじめまちて!未来機関第七支部長の月光ヶ原美彩でちゅ!

今日はあちしのために集まってくれて感謝の言葉もありまちぇん”

 

「あらあら、可愛らしい支局長さんですのね。お人形さんみたいですわ」

 

“えへ、照れまちゅ”

 

「他支部のまとめ役が来たと言うから何かと思えば、人見知りを治してくれ?

未来機関は深刻な人手不足に陥っていると見える。

俺は忙しい。塔和シティー奪還後の世界再生プランを練っているところだというのに」

 

“あう、ごめんでち……”

 

さっそく十神君が文句をつけてるわ。無理もないけど。書記係の苗木君がフォローする。

 

「まあ、みんな忙しいのはわかるけど、協力してあげてくれないかな。

メールにも事情は書いたけど、希望更生プログラムは、

彼女が中心になって開発されたんだ。

月光ヶ原さんのコミュニケーション能力が向上すれば、

江ノ島さんの能力の底上げにつながるかもしれない。

それは世界復興を前進させることになる。はずなんだ」

 

「はぁ。それでモニターの中でウサミがちょこまかしてたわけね。

まさかアタシ達の世界を作ったのが、この大人しそうな女の子だなんて」

 

「小泉おねぇが言うから来てやったけどさぁ。

結局あのコミュ障女の治療を手伝えって話でしょ。すんげえバカバカしい。

……月なんとかって言ったっけ?自分の口で“こんにちは”くらい言ってみなよ。ほれ」

 

日寄子ちゃんが扇子で月光ヶ原さんを指すと、彼女は不安げに目を泳がせてキーを打つ。

 

“ごめんちゃい。こうして大勢の前に出るのが精一杯で、

しかも喋るなんてハードル高すぎて無理でちゅ……”

 

「そんでよく偉いさんが勤まってるよな!

豚足ちゃんの言う通り、おたく、よっぽど人手が足りてないんだね~」

 

見かねた日向君が救いの手を差し伸べる。

もっとも、彼も早く終わらせたい感を醸し出してたけど。

 

「気持ちはわかるが、これも労務の一貫として手早く片付けようぜ。

ピッケルで鉄を掘り出したり、ノコギリで木を切り倒すよりは楽だろう?」

 

「うむ。破壊神暗黒四天王に供物を捧げる運命の刻が迫っている。

長き時の針が時空を二度切り裂く前に手を打たなければ、彼の者達は制御を失い、

俺にも何が起きるかわからない」

 

「“ハムスターちゃんの餌が遅れると暴れて大変”で、よろしいのでしょうか。

はい、わたくしも田中さんの暗号解読が楽しくなってきました!」

 

「慣れると面倒くさくなるっすよ、ソニアさん。

ったく、新発明もノッてきたところだったのによー」

 

「でも、一部の人を除いて、ボク達は特に何もしてないのに衣食住を与えられてるよね。

今は妙な事件でその辺りあやふやになってるけど、

本来はまだ刑に服しているはずなんだ。

日向クンの言う通り、元の世界を取り戻す足しになるなら、

模擬裁判くらいやってもいいんじゃないかと思うよ」

 

急に皆が静まり返る。そうだったわね。

ジャバウォック島から脱出はしたけど、皆が無罪放免になったわけじゃない。

あくまでセキュリティに穴が見つかった危険なプログラムから、

とりあえずログアウトしただけ。刑期も労務も皆が自分で決めたものではあるのだけど。

 

「ちぇっ、しゃーねえな。ほんじゃ、さっさと終わらせますか。

で、結局オレ達は何をすればいいんだ?」

 

「タブレットは必ず持参、とのことじゃったが、何に使えばええんじゃ?」

 

“みなちゃんには、今から送信するタブレットの情報から、

例題となる殺人事件のクロを探し出してもらいまちゅ。後の流れは学級裁判と同じ。

どしどし意見を戦わせてくだちゃーい”

 

「テメエも参加しねえと意味ねえんだぞ?

例題だかなんだか知らないがさっさと送れや」

 

“は、はい!同時にみなちゃんには、事件関係者のひとりを演じてもらいまちゅので、

その役になりきって議論してくだちゃい。

つまり、クロの人にだけ、「あなたがクロです」と教えますので、

シロがクロを追い詰めるという構図になりまちゅ。

ちなみに配役は厳正なる抽選の結果、

こちらでランダムに選ばせてもらいまちたのであしからず。では、ポチッとな”

 

月光ヶ原さんがエンターキーを押すと、

間もなく全員のタブレットに何らかの情報が送られてきた。

 

 

1・事件概要

 

某月某日、教会兼住宅で、建物の主人R氏が殺害された。時刻は午前10時頃。

シスターのJ氏が教会部分でミサを開いていた時、

住居スペース2階のR氏の部屋から銃声が響き、住人全員が駆けつけた所、

R氏が頭を撃たれて死亡していた。

当時R氏の部屋には鍵が掛かっており、同居人のL氏がドアを蹴破って中に入り、

事件が発覚した。

 

2・事件現場

 

現場となった建物は特殊な形状をしている。真上から見下ろすとT字型をしており、

東西に横に伸びている部分が2階建ての住居スペース。

そこに突き刺さるように南北に位置しているのが、教会部分である。

住居と教会はドア1枚で繋がっており、行き来は可能。

 

住居スペース1階にはダイニング、子供部屋、シャワールーム、トイレ、物置。

2階には各住人の私室がある。

教会は説教台の前に長椅子が並べられ、50人ほどが座れる、

それほど大きくはない規模だ。

 

 

■コトダマ

 

○被害者:R氏 (終里赤音)

事件の被害者。年齢は20代前半。無職。自堕落な性格で、かなりの資産家である。

熱烈なガンマニアで、

拳銃のみならず、ショットガン、サブマシンガン等を多数所持しており、

最近では防犯用と称し、建物にガトリングガンも設置した。無類の酒好きでもある。

 

○シスターJ氏 (ソニア)

教会の管理や運営を担当している修道女。

熱心に布教活動を行っており、信者からの信頼を集めている。

昼間から酒を飲み、神聖な空間に銃器を持ち込むR氏を、内心快く思っていなかった。

事件当時は教会でミサを開いていた。

 

○同居人L氏 (辺古山ペコ)

R氏と同居する用心棒。近接戦闘を主とし、被害者とは特にトラブルなどはない。

多額の親の遺産がある。

事件当時は、2階へ続く階段と隣接するダイニングで水を飲んでいた。

 

○同居人P氏 (西園寺日寄子)

住居スペース1階に住む少女。R氏には可愛がられていた。とても小柄な体型。

 

○同居人K氏 (澪田唯吹)

R氏の妹。特殊部隊に所属しており、様々な技能を持つ。

姉妹の仲は良く、誰よりも姉の事を慕っている。事件当時は自室にいた。

休日でも緊急出動に備えて、軍服を着て髪をピンで整えている几帳面な性格。

 

○ミサの参加者(その他)

事件発生時、皆で賛美歌を歌っており、

住居スペースには誰も入っていない事が確認されている。銃声は全員が耳にしている。

 

○現場写真

2階にある部屋の中央に、頭から血を流すR氏が倒れている。

辺りには彼女の所有する銃器が散乱している。

ガンロッカーは開いており、中には何も入っていない。

散らばっている銃は、この中に収められていたものと考えて間違いない。

 

○散らばった銃

通常の回転式拳銃の他、

ハンドキャノンに分類される大型拳銃、ショットガン、サブマシンガン等。

 

○R氏の部屋の鍵

被害者R氏の部屋の中に落ちていた。当時彼女は鍵を掛けて部屋の中にいた。

 

○ガンロッカーの鍵

R氏が所有している銃を収めているガンロッカーの鍵。

部屋の鍵と同じく部屋の中で発見された。

 

○検死結果

死因は頭を撃たれたことによる脳損傷。

弾丸は一発が額を真っ直ぐ貫いており、即死だった。

 

 

皆が事件の資料とそれぞれの配役に沿ったシナリオを読み終えた。

典型的な密室殺人なんだけど、なんだか変な事件ねえ。

 

「なんだ、オレが殺されてんのかよ~しかもスゲエ駄目人間だし」

 

“あ、もちろん被害者役の人も議論に参加してくれてOKでちゅよ?”

 

「しかし、ずいぶんと変わった家族関係だな。立場も職業もてんでバラバラだ」

 

“色々複雑な事情があったみたいでちゅ。辺古山さんの疑問はもっともでちゅが、

事件に関係ないことは確認済みなので、詳しくは説明ちません。長くなりまちゅし”

 

「つーかオレら全員モブかよ!その他ってなんだよその他って!」

 

「フン、現実でも似たようなものだろう。

この十神も甘んじてその他大勢を引き受けてやってるのだ。我慢しろ」

 

「納得いかねー!」

 

「タハー!唯吹が軍人になっちゃったっす!確かに速弾きはマシンガン並っすけど!」

 

「なぁ、これ本当にランダムに決めたのか?何か意図的なものを感じるんだが……」

 

“それは日向君の主観でちゅ。確かに表計算ソフトに無作為に選ばせまちた。

話は変わりまちゅが、

これは硝煙反応や線状痕鑑定等の科学捜査が存在しない国の事件でちゅ。

その点ご承知の上、議論をしてくだちゃい”

 

「ご承知はするけど、あなたもしっかり議論に加わるのよ?

さっきから参加者じゃなくて進行役みたいな口ぶりだから、心配になっちゃうわ」

 

実際かなり心配なの。まともな審理になるのかしらね。

 

“もちろん!それでは、模擬学級裁判、開廷でちゅ!!”

 

「ちょっとその前にいいかな」

 

“あらら”

 

高らかに開廷を宣言したものの、狛枝君に止められて出鼻をくじかれる。

 

「ひとつだけ確認しておきたいんだけど、もしクロが見つかったら、

“おしおき”みたいな物はあるのかな。

過去の事件とは言え、学級裁判を名乗るからには、

なにかあるのかな、と思っちゃうんだ」

 

“もちろんそんなものありまちぇん。

でも、どんな結果が出ても、今回あちしのわがままに付き合ってくれたみんなには、

お礼のプレゼントがありまちゅ!”

 

「えへへ、それってなんですかぁ?

悪い子におしおきするような物だと喜んじゃいますぅ」

 

“それは終わりまで秘密でちゅ。では改めて……”

 

 

【学級裁判(仮) 開廷】

 

 

とうとう始まったけど、何をどうすればいいのやら。

やっぱり日向君にスタートを任せましょう。

苗木君は、一気に提示された事件概要や証拠品を、

議事録にまとめるのに忙しそうだから。

 

「模擬裁判とは言うものの、かなり難しい事件だな。

物証が少なすぎるし、被害者は完全に密室で殺害されてたんだよな」

 

「動機だけ見ると怪しい人は居るけど、それだけじゃ決めつけられないよね。

やっぱり殺害方法じゃないかな。被害者は密室で撃たれたのは間違いないけど、

どうやって密室を作ったのかは、ぼくにはわからないな……」

 

「わかんねーなら黙ってろっての、エロコック!……じゃあ、その辺から詰めようよ」

 

「コック?いけないなぁ、西園寺さん。君みたいな大和撫子がそんな言葉を。フフフ」

 

「黙りなさい花村!もう、こんな馬鹿ほっといていつもの始めよう?」

 

「ちょっと待って、小泉さん」

 

「え、どうしたの盾子ちゃん」

 

彼女に必要な武器がないわ。

アタシは、月光ヶ原さんの耳を借りて、ポソポソと二言三言つぶやく。

すると、彼女が狐につままれたように目を見開いて、キーボードを叩き始めた。

 

“何か、心にカロネード砲のような大砲が生まれたような気がしまちゅ!

江ノ島さん、これはなんでちゅか!?”

 

「それで証言の矛盾を破壊するの。証拠、すなわち言弾(コトダマ)を装填してね。

アタシの中のアタシと協力して、言葉を通じて心をシンクロさせ、

あなたに合った武器を生み出させたの。さあ、戦って」

 

“やっぱり江ノ島さんはすごいでちゅ!俄然やる気が出てきまちた!

それでは、張り切っていきまちょう!”

 

「何だったの?」

 

 

■議論開始

コトダマ:○検死結果

 

日向

まずは凶器を特定しよう。被害者は[かなりのガンマニア]だったから、

彼女の所持品で間違いないと思う。

 

九頭竜

所持品つっても色々あるだろうが。[ピストル]、[ショットガン]、[マシンガン]。

その中のどれが犯行に使われたのかってのが問題なんだろう。

 

終里

オレを殺した凶器か?そう言われてもなぁ。オレは即死だったんだろ?

だったら一番でかい[ハンドキャノン]でふっとばしたに決まってる。

 

弐大

強力な拳銃なら[一撃で仕留められる]はずじゃからのう。

 

・なんだか妙なことになってるみたいだけど、

 初心者にはこれくらいがちょうどいいわね。

・寝てたところごめんなさい。彼女にも銃というか大砲が必要だったから。

 

REPEAT

 

日向

まずは凶器を特定しよう。被害者は[かなりのガンマニア]だったから、

彼女の所持品で間違いないと思う。

 

九頭竜

所持品つっても色々あるだろうが。[ピストル]、[ショットガン]、[マシンガン]。

その中のどれが犯行に使われたのかってのが問題なんだろう。

 

終里

オレを殺した凶器か?そう言われてもなぁ。オレは即死だったんだろ?

だったら一番でかい[ハンドキャノン]でふっとばしたに決まってる。

 

──異議あり!

 

[ハンドキャノン]論破! ○検死結果:命中 BREAK!!!

 

月光ヶ原さんと、モニターの中のウサミが、高々と手を挙げる。

電子音声が砲声のように場を切り裂く。

珍客のさっそくの発言に、皆が一斉に彼女を見た。

 

「んー?なんかおかしいか?即死なら強いピストルのほうがいいと思ったんだけどよ」

 

“検索、「ハンドキャノン」。大型で破壊力の大きい拳銃の総称。

被害者は額を銃弾で撃ち抜かれて死亡してまちゅ。

手持ちの大砲とも呼ばれる強力な銃で撃たれたら、頭部が粉々になり、

検死結果の脳損傷どころでは済みまちぇん!“

 

「散弾をばらまくショットガンや、高速で複数発射するサブマシンガンも、

似た理由で無しだよね。やっぱり遺体の状況と一致しない」

 

「わーい、小泉おねぇ冴えてるぅ!」

 

「なるほど~そっか。わり、オレ銃のこととか知らなくってよ」

 

「なら、やっぱり凶器は通常の回転式拳銃ってことになるな」

 

「日向君の言う通りね。月光ヶ原さん。後から誰かが小型ピストルを隠し持ってた、

なんて後出しは無いわよね?」

 

学級裁判が初めての彼女が、きちんと段取りができているか念の為確認。

 

“配布した証拠が全て……とは言い切れないんでちゅ。

みんなが議論を進めて見つけ出した事実は、証拠として加わりまちゅ”

 

「わかったわ。あと、悪いんだけど異議申し立ての言葉を変更してくれないかしら。

別ゲーになっちゃうから」

 

“一度言って見たかったんでちゅが、世界の法則には逆らえまちぇんね……

わかりまちた”

 

「おい。こんなにチンタラやってたらいつまで経っても終わんねえぞ。

もっと核心的なとこ当たれや」

 

「核心的とはどういうことでしょう、ぼっちゃん」

 

「しっかりしろよ、ペコ。容疑者だ。

登場人物ン中で、怪しい奴の怪しい部分を突いてくんだよ」

 

“なるほど。それでは今からお配りしたシナリオ通りにアリバイを証言してくだちゃい”

 

 

■議論開始

コトダマ:○同居人K氏(澪田唯吹)

 

ソニア

わたくしが教会の運営を担当しておりますシスターです。

確かに被害者の方とは[うまく行っていませんでした]。ですが、決して殺してなど!

事件当時も教会で信者の方々と賛美歌を歌っていました。

 

辺古山

私は彼女の用心棒だったのだが、守りきれなかった。

[彼女の部屋に続く階段]のそばにいたというのに。

 

西園寺

わたし?あの時は[1階のわたしの部屋にいた]よ。

まさかあの人が殺されちゃうなんて。もうお小遣いもらえないんだ……

 

澪田

唯吹は犯行時刻には自室にいたっす。

しかし犯人はどうやって密室で姉を殺したんすかね。

鍵も窓も閉めたまま逃げ出すなんて、[特殊部隊の隊員でも無理]っすよ。

 

左右田(その他代表)

ええと?オレ達はやっぱり教会でソニアさんと賛美歌を歌ってたから、

屋敷の主人なんて[殺しようがない]ぜ。

だがよう、シスター姿のソニアさんて、想像しただけで……いいじゃねえか!

 

・今回は比較的ユルヤカねえ。

・まあ、ゲストの体験学習の意味合いが強いから。

 

REPEAT

 

ソニア

わたくしが教会の運営を担当しておりますシスターです。

確かに被害者の方とは[うまく行っていませんでした]。ですが、決して殺してなど!

事件当時も教会で信者の方々と賛美歌を歌っていました。

 

辺古山

私は彼女の用心棒だったのだが、守りきれなかった。

[彼女の部屋に続く階段]のそばにいたというのに。

 

西園寺

わたし?あの時は[1階のわたしの部屋にいた]よ。

まさかあの人が殺されちゃうなんて。もうお小遣いもらえないんだ……

 

澪田

唯吹は犯行時刻には自室にいたっす。

しかし犯人はどうやって密室で姉を殺したんすかね。

鍵も窓も閉めたまま逃げ出すなんて、[特殊部隊の隊員でも無理]っすよ。

 

──そこまででちゅ!

 

[特殊部隊の隊員でも無理]論破! ○同居人K氏(澪田唯吹):命中 BREAK!!!

 

「ん~?なんかツッコまれるようなこと言ったっすか?

密室殺人のトリックを作るなんて、唯吹の頭じゃ無理というか不可能レベルっすよ」

 

“どちらかというと、犯行自体と言うより、

あなたに関する情報が足りてないことが問題なんでちゅ”

 

「情報ならタブレットに送られたデータをサラッと読んだんっすけどね」

 

“サラッとじゃ駄目でちゅ!他のみんなも大事な情報ハショり過ぎでいけまちぇん!

とにかく、澪田さんだけでもK氏に関するテキストを全部読んでくだちゃい!”

 

珍しく澪田さんがガチでうんざりした表情でため息をついてたけど、

気づかないふりをして拝聴する。

 

「えー、私は帝国軍所轄の特殊部隊に所属しており、実戦での戦闘はもちろん、

潜入調査や諜報活動も行っております。……これでいいすか?」

 

“ほらごらんなちゃい!重要な事実が隠れていたじゃないでちゅか!

軍人のK氏は銃器の扱いに長けているだけでなく、

ピッキング等スパイ活動に必要な技能も持っていたんでちゅ!

つまり、K氏は鍵のかかった被害者の部屋に入ることができた!”

 

 

○同居人K氏 (澪田唯吹:情報更新)

R氏の妹。特殊部隊に所属、諜報活動が主な任務であり、

ピッキング等、偵察に必須な技能を持つ。

姉妹の仲は良く、誰よりも姉の事を慕っている。事件当時は自室にいた。

休日でも緊急出動に備えて、軍服を着て髪をピンで整えている几帳面な性格。

 

 

あら、初めてにしてはやるわね。でも、慣れているみんなから早速反論が返ってくる。

 

「じゃが、資料を読むと被害者とK氏は仲が良かったとあるぞ。

わざわざ鍵をこじ開けなくとも、ドアを叩けば中から開けてもらえたと思うがのう」

 

「付け加えると、わざわざ密室を作った理由もわからん。

他の者ならアリバイ作りという動機も考えられるが、

凶器に銃が使われている時点で、軍人のK氏に疑いが及ぶことには変わりない」

 

「十神の疑問も最もであろう。それに、俺様の精神に下りし天啓は、

被害者の周りに多数の銃器が散らばっていた理由を白日の下に晒せ、

さすれば道は拓かれんと告げている」

 

“えーっと……どれから解決ちていけばいいんでちょうか”

 

論破したはいいけど、一気に3つも疑問が浮上して、

月光ヶ原さんも冷や汗をかいてキーボードを打つ手が止まる。

なんとなくこうなる予感はしてたけど。

仕方ないわね、少しだけ手を貸してあげましょう。

 

「仮説だけど、アタシはこう思うわ。

弐大君の言う通り、鍵は普通にノックすれば開けてもらえた。

密室にすることにも全く意味がないわけじゃないわ。

澪田さんの証言通り、軍人だからって誰でも密室を作り出せるわけじゃないんだから、

自分を疑いからある程度遠ざける効果はある。

最後に、田中君の疑問だけど、銃が散らばってたのは意図的なものじゃなくて、

犯行に及ぶまでの過程が残ったに過ぎないと思うの」

 

「過程だと?江ノ島よ。汝の言葉を裏付けるならば、

人の子が禁断の果実を食してから現在に至るまでの歴史を切り取り、

燦然と輝く太陽のごとく掲げ、我らを真実の光で照らす必要があろう」

 

「“過程について説明しろ”?それは月光ヶ原さんの仕事よ。

今日の模擬裁判は彼女の特訓でもあるんだから。

さ、ごちゃごちゃした疑問は整理したわ。後はお願い」

 

“わ、わかったでちゅ!”

 

 

■議論開始

コトダマ:○ガンロッカーの鍵

 

田中

では問おう。なぜ[遺体のそば]に彼女の銃が散乱していたのか。

 

ソニア

証拠資料の写真にも、[いろんな種類]の銃が写っていますわね。

 

左右田

そりゃ、犯人が[どの武器で]被害者を殺害するか迷ったんじゃねーっすか?

 

澪田

そーっすねぇ!軍人の唯吹なら、[ガンロッカーは凶器の山]っすから!

 

・始めといてなんだけど、これで人見知りが治るのか疑問に思えてきたわ。

・少なくとも自己表現の練習にはなるんじゃないかしら。

 

REPEAT

 

田中

では問おう。なぜ[遺体のそば]に彼女の銃が散乱していたのか。

 

ソニア

証拠資料の写真にも、[いろんな種類]の銃が写っていますわね。

 

左右田

そりゃ、クロが[どの武器で]被害者を殺害するか迷ったんじゃねーっすか?

 

澪田

そーっすねぇ!軍人の唯吹なら、[ガンロッカーは凶器の山]っすから!

 

──そこまででちゅ!

 

[ガンロッカーは凶器の山]論破! ○ガンロッカーの鍵:命中 BREAK!!!

 

 

「えー……また唯吹っすか?おバカキャラ集中狙いはなしっす!」

 

“きちんと証拠資料に目を通してくだちゃーい!

ガンロッカーの鍵は、被害者の部屋の中にあったんでちゅよ?

部屋に入れたとしても、鍵やガンロッカーをゴソゴソ漁っていたら、

確実に中の被害者とトラブルになっていたはずでちゅ!”

 

「しかし、実際ガンロッカーは空いていて、中の銃は取り出されていたんだぞ?

田中の疑問の答えにはなっていない」

 

“日向君。ガンロッカーを開けたのは、被害者自身だったんでちゅよ。

それも、クロを部屋に招き入れた上で!”

 

「なんだと!?では、なぜ被害者はわざわざ自ら殺されるような真似をしたのだ。

説明しろ!」

 

流石に十神君も驚いてる。月光ヶ原さんの成長の早さにアタシも驚いてる。

マフラーの上からでも分かるドヤ顔に少しイラッと来たけど。

 

“簡単な事でちゅよ。クロは被害者と親しかった。

だから弐大君が言ったように、普通にドアを叩いて中に入れてもらったのでちゅ。

そこでクロは被害者と少し世間話でもしながら、こう切り出した。

「自慢の銃を見せてくれ」”

 

なんとなく、だらけていた空気に緊張感が生まれる。辺古山さんがすかさず問いかけた。

 

「その質問を最も自然に行えるのは、一人しかいないが、まさか!」

 

“その通り。

被害者以外に銃の使用に慣れていた、澪田さん、あなたしかいないのでちゅ!”

 

「ええええ!?どうして唯吹が被害者を銃でアレして……あばばば」

 

「まだ泡を吹くのは早いわ。クロじゃないなら反論してね」

 

「……はっ!そうっす!何も唯吹だけに犯行が可能だったわけじゃないっすよ!

階段そばのダイニングにいたペコちゃんにもできないわけじゃないっす!

被害者の用心棒のペコちゃんなら、何かの用事を装って部屋を訪ねることもできるし、

銃を見せてもらうことも不可能じゃないっす!銃も覚えたいとかなんとか言って!」

 

「確かにそうだが、密室の件についてはどう説明する?

部屋の鍵自体も部屋の中にあったんだぞ。

一応言っておくが、私にもピッキングの技術などない」

 

「あははは、それは~……なんででしょうね?」

 

「ふみゅ~現場写真を見ても、争った形跡もありませんしね。

強引に鍵を奪われた事は考えられないですぅ。

やっぱり正面から突然撃たれたとしか……」

 

その時、狛枝君がタブレットを見たままずっと黙り込んでいる事に気づいたから、

声を掛けてみたの。

 

「どうしたの、狛枝君。気になることでもある?」

 

「……うん。これまでの議論をひっくり返すようで悪いんだけどさ。

どうしても気になるんだ。クロにピッキングが可能だったかどうか以前に、

その道具はどこで調達したのかなってさ。当然素手じゃ無理だよね」

 

あ。凶器や容疑者に気を取られて、肝心なことを忘れていた全員が言葉を失う。

 

「そうじゃ、道具じゃあ!

クロはどこでどうやってピッキングの道具を調達したんじゃ!」

 

「でもピッキングができるかどうかは意味がないって話になったじゃない。

話し合っても意味ないと思うんだけど」

 

「小泉おねぇの言う通りじゃん。わたし疲れちゃった。ジュース飲みに行きたいな~」

 

“いや、待って欲しいでちゅ!”

 

いきなり声を上げた月光ヶ原さんが狛枝君と同じく、

タブレットの画面をしばらく凝視した後、語りだした。

 

“みなちゃん、この証拠をもう一度読んでくだちゃい”

 

 

○同居人K氏 (澪田唯吹)

R氏の妹。特殊部隊に所属、諜報活動が主な任務であり、

ピッキング等、偵察に必須な技能を持つ。

姉妹の仲は良く、誰よりも姉の事を慕っている。事件当時は自室にいた。

休日でも緊急出動に備えて、軍服を着て髪をピンで整えている几帳面な性格。

 

 

「今度はちゃんと読んだって。オレを殺した犯人がこれでわかるのか?」

 

“はい、わかりまちた……わかってしまいまちた!”

 

月光ヶ原さんの宣言に会議室にどよめきが起こる。

間髪を入れず彼女に皆の質問が集中した。

 

「おいおいおいおい、なんで今更この情報がクロにつながんだよ!?」

 

「ピッキングどうこうに関しては、これ以上論じても意味がないと、

小泉さんもおっしゃっていたと思うんですが……」

 

「面白い。では言ってもらおうではないか。……犯人は、誰だ」

 

“ズバリ、澪田唯吹さん。被害者を殺害したのは、あなたでちゅね?”

 

「ガーン!いくらなんでもあんまりっす!ただの模擬裁判とは言え、

動機も証拠も不十分なのに、クロにされたら残念無念っすよ~!

結局密室殺人のトリックも謎のままじゃないっすか!」

 

“澪田さん。いえ、同居人Kさん。これで終わりにちましょう。最後の勝負でちゅ!”

 

 

■議論開始

コトダマ:○同居人K氏(澪田唯吹)

 

澪田

どうしていつも唯吹ばっかり攻撃するんすか~唯吹は[クロじゃない]っす!

 

ペコちゃんだって[物置の工具か何か]でドアをこじ開けることもできたはずっす!

 

もちろん唯吹も[そんな道具持ってない]し……

 

つまりこれは冤罪なんすよ!唯吹に対する追求を[今すぐやめるべき]っす!

 

・なるほど。よーく読むとわかるようになってるのね。意外と準備バッチリだった。

・ところで車椅子のあの娘は誰?

 

REPEAT

 

澪田

どうしていつも唯吹ばっかり攻撃するんすか~唯吹は[クロじゃない]っす!

 

ペコちゃんだって[物置の工具か何か]でドアをこじ開けることもできたはずっす!

 

もちろん唯吹も[そんな道具持ってない]し……

 

──会心の一発でちゅ!

 

[そんな道具持ってない]論破! ○同居人K氏(澪田唯吹):命中 BREAK!!!

 

 

「だから、唯吹のプロフィールの何がおかしいんすかー!」

 

“証拠の一文にこうありまちゅ。

「休日でも緊急出動に備えて、軍服を着て髪をピンで整えている几帳面な性格」

これがどういうことかわかりまちゅか……?”

 

「ちっとも!一人でわかった気になってないで教えるっす!

世界はもっとおバカキャラに優しくあるべきだと唯吹は訴えたい!」

 

“K氏はピッキングの道具を持っていない。本当にそうなんでちょうか。

いつも髪をピンで整えているK氏が!”

 

 

■コトダマゲット!!

 

○ヘアピン

K氏がいつも身につけている簡素なヘアピン。伸ばせば針金のように使用できる。

 

 

「ひいい!まさか!」

 

“そう、あなたは髪に差しているヘアピンを伸ばして、ピッキングを行ったのでちゅ!”

 

「で、でも!そんなことしなくてもドアは開けられるって……」

 

“いいえ。

あなたはドアを開けるためではなく、鍵を閉めるためにヘアピンを使ったのでちゅ!”

 

またもどよめきが大きくなる。なるほど、クロは被害者の部屋に入るためじゃなくて。

 

“つまり、犯行に及んだあなたは、

部屋を出ると同時に、皆が集まる前に素早く髪のヘアピンを抜き、鍵を閉めたのでちゅ!

被害者の部屋を密室状態にするために!”

 

「そうか!なら無用と思われたピッキングも、密室状態を作り出す重要な技術になる!」

 

“はいでちゅ、日向君。

被害者を殺害後、部屋を出たクロは、ドアの鍵を閉めて同じ2階の自室に戻った。

そして集まったみんなと何食わぬ顔で合流し、アリバイを作り出したというわけでちゅ”

 

「うーばばばばば……」

 

「もう泡を吹いてもいいわ。ハンカチをどうぞ」

 

始めはどうなることかとおもったけど、さすが第七支部のトップだけはあるわね。

澪田さんの口を拭きながら素直に感心した。あとは、最後の仕上げね。

 

「お見事だったわ、月光ヶ原さん。さあ、この事件のラストを飾ってちょうだい」

 

“では、僭越ながら……”

 

 

■クライマックス推理:

 

 

>クライマックス推理 開始

>推理を完成させろ

 

 

Act.1

まず、犯行を決意したクロは、教会でミサが始まると同時に、

自室から被害者の部屋へ向かいまちゅ。その心に殺意を携えて!

 

Act.2

被害者と親しい関係にあったクロは、普通に部屋をノックして彼女の部屋を訪ねまちゅ。

そこで2,3とりとめのない会話を交わした後、こう切り出しまちゅ。

「あなたのコレクションが見たい」と。

被害者は喜んで自分でガンロッカーの鍵を開け、

多種多様な武器をクロに見せたのでちゅ。

 

Act.3

被害者が床に自慢の銃を広げると、

クロはすかさず回転式拳銃を手にとって、彼女を射殺。当然銃声は建物全体に響き渡る。

即座に部屋を出たクロは、髪のヘアピンをを抜いて、伸ばして棒状にし、

何千回と練習した手付きでドアの鍵を閉める。

犯行現場を密室状態にして、自分に犯行が不可能だったと錯覚させるために。

 

Act.4

後は駆けつけた皆と、用心棒のL氏が蹴破った室内の様子を見て、

驚いたような芝居をする。

そうすれば、自然と部屋の鍵もガンロッカーの鍵も室内に残り、

不可能犯罪のできあがり。

補足するなら、例え物置の工具でドアをこじ開けても、閉じることは不可能。

 

Act.5

よって、被害者を銃で殺害、現場写真のように凶器が散らばり、

なおかつ密室状態にできるのはひとりしかいない。

それはつまり、澪田唯吹さん、あなただけなのでちゅ!

 

 

──これが、真実なのでちゅ!  COMPLETE!

 

 

「え~っと……練習とは言えクロになるのは気分がよくないものっすね。

そうっす、唯吹が犯人す」

 

少しバツが悪そうに頭をかくと、彼女はタブレットの画面をスライドして、

みんなに見せた。

画面には、“あなたがクロです。全力で逃げて”

 

「うむ、まさか犯人が被害者から奪った銃で犯行に及んだとはのう……」

 

「そんなことより動機を説明しろ。

どうせお前のタブレットにだけ送信されているのだろう」

 

「読むっすよ?当時の新聞記事によると、

“お姉ちゃんがワタシを置いて、遠い東へお嫁に行こうとした。

お姉ちゃんを殺して自分もお墓の前で死のうと思ったが、死にきれなかった”と

供述している、って書いてあるっす」

 

「すんげーシスコン。マジきも」

 

「確かに常軌を逸してるわね。アタシにも理解できない」

 

「世の中にはお前たちの想像を凌駕する狂人など山ほどいる。

絶望の江ノ島が良い例だろう?いつ出会っても良いように心づもりはしておくことだ。

相手のペースに飲まれたらそれまでだからな。

月光ヶ原と言ったな?とりあえずこの裁判の終了を宣言しろ」

 

“はいでち!”

 

十神君に促され、月光ヶ原さんの言葉でこの模擬裁判は幕を閉じた。

 

 

【学級裁判(仮) 閉廷】

 

 

会議室にほっとした空気が流れる。ひとつの真実が導き出された時はいつも同じ。

いつの間にか固くなっていた身体を椅子の背もたれに預けて、リラックスする。

そんなみんなを見て月光ヶ原さんが話し始めた。

 

「みなちゃん。今日は本当にありがとうございまちた。

特に澪田さんには辛い役をさせてしまいまちたね。

架空の裁判とは言え、クロにするなんて。始まる前に霧切さんに叱られまちた。

学級裁判がみんなにとってどれだけ重い意味を持つのか考えろって。

その罪滅ぼしになるかはわかりまちぇんが、約束通りプレゼントを送りまちゅ」

 

「おっ、なんだなんだ?食い物だといいなぁ」

 

ピロン、とタブレットが着信音を鳴らすと、

自動的に送信されたプログラムをインストールし始めた。

 

「新しいプログラムか。”LoveLove.exe”?

まぁ、メカニックでもどうにかなるかもしれねえ。とりあえず起動すんぞ?」

 

左右田君が謎のプログラムを立ち上げると、

緑がかった画面に、信じられない人が現れた。

 

──久しぶりだね、みんな。元気だった?

 

「七海!お前なのか……!?」

 

日向君が思わず叫ぶ。アタシやみんなは驚きのあまり言葉が出ない。

彼女は、強制シャットダウンした希望更生プログラムVer2.01の中で眠っているはず。

その彼女がアタシ達に微笑みかけているんだから。

 

「七海、どうしてお前がタブレットの中にいるんだ?

ジャバウォック島で別れたはずなのに!」

 

《うん。月光ヶ原博士が、

不要になったジャバウォック島管理システムを慎重に削除して、

大幅に容量を縮小してくれたんだ。

おかげで人格プログラムだけを残して携帯端末でもお話しできるようになった。

ほら、これもちゃんと持ってるよ?》

 

画面の中の彼女が、左手の指にはめた希望ヶ峰の指輪を見せる。

 

「そうか……また会えるなんて、俺は、済まない、なんて言っていいのか……」

 

日向君が言葉に詰まる。その目も赤い。

言葉で再会を喜ぶ余裕ができるまで、アタシが少し話をしましょうか。

 

「もう会えないと思ってた。アタシも本当に嬉しい」

 

《私も嬉しいよ。そっちの状況は博士が教えてくれてる。

これから大事な作戦が待ってるみたいだけど、

みんななら乗り越えられるって信じてるからね》

 

「ありがとう。必ず世界を元通りにしてみせるから。

七海さんに見せられるような、綺麗な青空を取り戻すわ。

……さ、そろそろ“本命”に会ってあげて。日向君も、そろそろ落ち着いて。

彼女の前でみっともないわよ?」

 

「ああ、済まない。七海、またお前を失ってしまったと思ってた。

会うことはできないと思ってた。でも画面越しだろうとこうして……」

 

《きゃっ》

 

日向君が画面に指を滑らせると、七海さんが軽く声を上げた。

 

《日向君、くすぐったいよ。タッチパネルだってこと忘れちゃだめだよ?》

 

「わ、悪い!まさかそういう機能まであると思わなくて!」

 

「やーい、日向おにぃのセクハラ番長」

 

「違うって言ってるだろう!?」

 

室内が笑い声で満たされる。七海さんはその様子を微笑みながら見ている。

 

《そっちは問題ないみたいだね。みんな元気そう》

 

「そうだ。七海のおかげだ。あの島でお前と過ごした日は忘れない!いや、これからも。

毎日必ず、おはようとおやすみを言う!また一緒に思い出を作ろう」

 

《うん。お昼寝してる時とかは出られないかもだけど、

たくさんお話ししてくれると嬉しいな》

 

「ヒュー。見せつけてくれるぜ。オレ達の事も忘れねえでくれよ」

 

「まあ、これで総員の士気が上がるのなら、この茶番に時間を割いた意味もあるだろう」

 

「これで、ジャバウォック島のメンバー再集結ね。霧切さんも納得してくれると思うわ。

そう思うでしょう?今回出番がなかった苗木君」

 

「以上が、過去に発生した殺人事件の真相であり、超高校級と名乗る人間達の、

戦いの真実である……え、なに?」

 

議事録作成に忙しいらしく、状況に乗り切れていない彼。

お邪魔しちゃってごめんなさい。

 

「いいの。続けて。さあ、次の順番が回って来るのはいつになるかしら」

 

皆がタブレットの中の七海さんに夢中。

人気者も辛いわね。しばらく昼寝をする間もなさそう。

アタシは無表情に見える顔にわずかな喜びを浮かべる月光ヶ原さんに話しかけた。

 

「みんな喜んでるわ。ありがとうね」

 

“お礼を言うのはこちらでちゅ。知らない人と討論することで、自信がつきまちた。

江ノ島さんにも、協力してくれたみなちゃんにも、お礼が言いたいでちゅ”

 

「それは何よりだわ。……あら、もう暗くなるわね。結構な時間話し込んでたみたい。

護衛付きでもそろそろ支部に戻ったほうがいいんじゃない?

お礼ならアタシから伝えておくから」

 

“はいでちゅ。でも、その前にひとつだけ……”

 

彼女があたしの袖を軽く引っ張り、口元まで巻いていたマフラーを下ろした。そして。

 

「……か、か、…あっ」

 

顔を真っ赤にして、つっかえながらも、何かを話そうとしている。アタシはじっと待つ。

 

「あ…あり、がと」

 

ちょっとハスキーがかった可愛い声。彼女が踏み出した大きな一歩。

その勇気に余計な飾りを付けず、笑顔で返した。

 

「どういたしまして」

 

アタシは月光ヶ原さんと握手を交わすと、エレベーターまで見送った。

昇降機が到着すると、器用に車椅子をバックさせて乗り込む。

ドアが閉じようとした時、彼女が手を振ったから、アタシも同じくさようならした。

 

正直、最初に会った時は、変な子に目を付けられちゃったものだと思ったけど、

全てが終わったらお友達になれそう。

あの様子なら、人見知りも徐々に克服していけるだろうし。

 

 

 

 

 

所変わって、今度は会議室と同フロアの休憩スペース。

アタシは仕事終わりの霧切さんと、コーヒーを飲みながら簡易ソファに腰掛けていた。

 

「そうなの。彼女がそんなものを残していったなんてね……」

 

「月光ヶ原さんも、これをきっかけにリア充の仲間入り目指して頑張ってほしいわ」

 

「ああ……そう言えばそんな事言ってたわね。

無表情だから真面目なのかふざけてるのか読めないのよね」

 

「ムッツリスケベだったりして」

 

「本人の耳に入ったら、また自分の殻に閉じこもるわよ。

とにかく、時間の無駄にはならなかったようでなによりだわ。あなたもお疲れ様」

 

「ありがとう。後で苗木君の議事録も読んでみてね。

キャラクター越しだけど、彼女結構活躍してたから。

あれで人付き合いがスムーズに出来たら、確かに第七支部の組織力は向上すると思うわ」

 

「ええ。もう送信されてるから、目を通しておくわ」

 

「それじゃ、アタシはそろそろ部屋に戻るわ。七海さんとお話しもしたいし。

おやすみなさい」

 

「おやすみなさい」

 

アタシは自室に戻ると、ベッドに座ってタブレットの画面をつける。

新たにインストールされた“LoveLove.exe”。

ジャバウォック島でお別れパーティーをしたのが遠い昔みたい。

楽しかった日々を思い起こしながら、アイコンをタップした。

アプリが立ち上がり、表示されたステータスを見てつぶやく。

 

「うん、寝てる」

 

 



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第20章 聖者の行進

輸送ヘリで、未来機関第一支部に到着したアタシ達は、

黙って支部長執務室へ続く廊下を歩き続ける。

これから武器が必要になる人は、左右田君が作ったガジェットを携えて。

 

霧切さんと苗木君に案内されつつ、

防音カーペットから、高級な大理石に素材が変わった床をただ進む。

この先に、未来機関のトップがいるらしいわ。いよいよね。

 

「江ノ島さん。支局長達との面談の前に、聞いておきたいことはある?」

 

面会を前に、霧切さんが最終確認する。

 

「知りたいのは、ただ契約通りに塔和シティーを制圧して、

お姉ちゃんを取り戻してくれるかどうかだけよ」

 

「それについては約束を守る。私達もあなたの力が必要だもの」

 

「なら他には何もないわ。お願い」

 

アタシは重厚な木製ドアのそばにあるインターホンを見る。

すると、霧切さんがボタンを押した。

内部から柔らかな電子音が聞こえ、ほぼ同時に返事が返ってくる。

 

“誰かね”

 

「第十四支部、支部長霧切響子と構成員苗木誠です。

江ノ島盾子氏と77期生達をお連れしました」

 

“入っていただいてくれたまえ”

 

ドアの電子ロックが外れた音がした。

苗木君が大きなドアを引いて、アタシ達を中に促す。

ぞろぞろとアタシ達は緊張しつつ入室する。

内部は、個人の執務室としてはかなり広い。

 

左右に重そうな百科事典や分厚いファイルが並ぶ本棚がいくつも並び、

床はちらりと見ただけで高級なものとわかる絨毯。一番奥にマホガニー製のデスク。

その前方に円形の会議机があり、そこに座っていた2人の男性が立ち上がった。

 

ひとりはグリーンのコートを着て眼鏡を掛けた、少し腰の曲がった老人。

もうひとりは髪とスーツを白で統一した、長身の20代くらいの男性。

切れ長の目で全く隙というものを見せない。ほんの数秒だけアタシ達は見つめ合う。

こちらから自己紹介したほうがいいのかしら、と考えると同時に向こうが口を開いた。

 

「……いや失敬。わかってはいたのだが、あの江ノ島盾子が来るというのでな。

ワシらは正直な所恐れておったのじゃよ。未来機関第一支部長、天願和夫じゃ。

どうぞ掛けてくれたまえ」

 

「第二支部長、宗方京助です。お初にお目にかかります」

 

「始めまして。直接お会いするのは初めてですね。どうぞよろしく。

それではお言葉に甘えて」

 

アタシも挨拶をすると、会議机の椅子のひとつに座ったんだけど、

さすがにみんなが座るだけの数はなかったから、

悪いけど後ろに立ってもらうことになった。

今度は宗方さんっていう人が先に用件を話し始めた。

 

「この度、江ノ島盾子を名乗るあなたには、

筆舌に尽くし難い苦しみを与えてしまいました。謝罪で済ませるつもりはありませんが、

未来機関を代表してお詫びいたします。誠に、申し訳ありませんでした」

 

そして深々と頭を下げる。

謝ってくれているのはわかるけど、どこか態度が硬いのは気のせいかしら。

こっちも何も言わないわけには行かないわね。

後ろでみんなが不安げにアタシを見ているのが背中でわかる。

 

「どうぞ頭を上げて下さい、宗方さん。

あなた方がアタシの要望を受け入れてくださったことに、

むしろ感謝しているくらいですの。

あら、いけないアタシったら。江ノ島盾子を名乗っていることについては、

まだ本来の名前を明かすことに思うところがありまして。

その無礼、先にお詫びしますわ」

 

ごめんなさい。どうしてなのかと聞かれても、アタシ自身にもわからないの。

なんとなく、その時じゃないような気がして。

 

「いやいや、我々には気遣いは不要。ワシからも、謝らせてほしい。この通りじゃ。

先程も述べたが、江ノ島氏が世界に我々の不祥事を告発するのではないかと、

夜も眠れぬほど不安な気持ちを抱いておった。

それに、別人とわかりきってはいても、

江ノ島盾子という存在と対峙する勇気を出すのに苦労した。

まったく、いい歳をした大人が情けないと笑ってやってほしい」

 

今度は天願さんが頭を下げる。やっぱり謝られることには慣れないわ。

 

「……絶望の江ノ島盾子が犯した罪については、

アタシが生まれた世界から少しは見知っていたつもりです。

あなた方のせいではありません。というのは簡単ですが、

完全に心の整理がついていないのはアタシも同じです。

今後については塔和シティー攻略後にしませんか?」

 

「はい。我々は可能な限り、あなたの希望通りに動くつもりですし、

塔和シティーは未来機関にとっても重要な拠点です。一刻も早い奪還が望まれます。

……そのために77期生の諸君の志願を認めたのですから」

 

宗方さんが背後のみんなを目だけ動かして見る。

すると、左右田君が恐る恐る手を挙げて発言した。

 

「あのー、すいません。その重要拠点なんすけど、

この作戦が始まったら、あんまり重要じゃなくなるかもしれなくなると思うんすよ……」

 

「……どういうことだ」

 

左右田君は、間もなく完成する武器について説明した。

彼が話し終えると、天願さんが眼鏡を直し、宗方さんが軽くため息をつく。

 

「ふむ、確かに核を落とすよりマシではあるが……」

 

「後に残るのは壮大なゴミ、ということになる」

 

「アハハ……やっぱり、駄目っす、よ、ね?」

 

彼の乾いた笑いが執務室に響く。トップ二人が少し黙り込んで、重い口を開いた。

 

「認めよう。ここで躊躇って戦力を出し惜しみしたところで、

これまでの作戦と結果は変わらんじゃろう」

 

「話には聞いていたが、君の新兵器とはそういうものだったのか。

……仕方あるまい。モノクマを元から絶つには他に方法がない。

それで先制攻撃の上、我々が突入する。

いつまでも中途半端な攻撃を繰り返していては、

塔和モナカが何を作り出すかわからんからな。

それが開戦の狼煙となるだろう。できるだけ早く完成させて欲しい」

 

「あざっす!任せて下さいよ!」

 

得意分野を任されて、すっかり自分のペースに戻る左右田君。

今回の攻撃作戦において、最も重要な要素が決定したところで、作戦会議が始まった。

とは言っても、無限に湧いてくるモノクマがネックになっていただけで、

大まかな戦力配置は宗方さん達が決めてくれていたから、

それほど長くはかからなかったけど。

 

「……以上が、敵戦力の無力化以降の動きとなる。

今回、他支部長の招集を見送ったのは、江ノ島氏の存在という特殊性。

彼女の存在を知る者は可能な限り少なくする必要がある。

第十四支部内では既に周知の事実となっているが、

その辺りの管理は抜かり無いだろうな?霧切支部長」

 

「はい。支部内の通信は全て中央コントロールセンターで監視しております。

個人の端末から業務用のPCに至るまで、外部に送信される情報は全て」

 

「ならいい。ところで……77期生の諸君。本当に君達まで出撃する必要があるのか。

訓練を受けた軍人でもなければ、ある意味絶望から力を得ていた頃の残党でもない。

一度は拾った命を捨てることにもなりうるが、それでも行くというのか。

ただの子供に戻ったのなら、大人しくプロに任せてはどうだ」

 

みんなの古傷に触れるような言葉に、思わず何か言いそうになったけど、

奥歯を噛んで飲み込み、静かな笑顔のまま、ただ皆を信じて待つ。

 

「行きます……盾子ちゃん、じゃなくて江ノ島さんは大切な仲間なんです。

彼女が大切な姉を助けたいなら、アタシ達も命をかけて戦います!」

 

「お偉いさん。かつてワシらは江ノ島を助けるつもりじゃったが、

助けられていたのはワシらの方だったんじゃ!

ワシも江ノ島のためなら、この命惜しくはない。もちろん死ぬ気もないがのう!」

 

「江ノ島さんは、感情を抑えきれなくて、

プログラムのルールから外れて、彼女を傷つけてしまったぼくを許してくれたんです。

だから、今度はぼくが江ノ島さんのために何かしたいんです!」

 

「江ノ島は……あんたら含む俺達全員の罪を許すって言ってくれた。

だったら、オレらもなんかしねえと帳尻が合わねえだろうが」

 

やっぱり後ろは振り返らなかったけど、胸がじんわりと暖かくなる。

天願さん達から見ると、全員が彼と宗方さんを真っ直ぐに見つめていたらしい。

 

「ふむ。宗方君、彼らを組み入れた戦力配分を考え直す必要が出てきたのう」

 

「承知しました。崩壊した吊橋に92式浮橋を展開し、塔和シティーと本土を接続次第、

陸戦突入部隊の陣形D-DSの後方に付けましょう」

 

さすがに大人になったみんなが歓声を上げることはなかったけど、

背後の空気に喜びと決意を感じた。

 

「作戦決行までは、全員この第一支部に滞在してもらうことになる。

局員との不用意な接触は避けてもらいたい。

……では、今日のところはここまでにしようと思うが、天願会長、よろしいですね?」

 

「うむ。細々したところは我々に任せてくれたまえ。77期生の諸君はもう下がってよい。

苗木君が新しい個室に案内してくれるじゃろう。頼んだぞ」

 

「は、はい!失礼します!みんな、ついてきて!」

 

仲間達が苗木君に連れられて退室していく。

パタンとドアが閉じると、必然アタシと霧切さんだけが残ることになる。

みんな心配そうだった。すっかり人数が少なくなり、執務室が更に広く感じる。

天願さんがじっとこちらを見る。見ているのは宗方さんも同じだけど。

 

「ホホホ。

江ノ島盾子が来るというから、どれほど気性の荒い人物なのか、内心怯えておったが、

斯様に物腰柔らかな女性だとは。超高校級の女神を名乗るだけのことはある」

 

「しっかりなさってください、会長。

肉体は高校生でも、中身はどんな正体をしているか。

それも我らが組織相手に取引を持ちかけるほどの強かさを持っています。

見た目に油断していると、会長のポストを乗っ取られかねませんよ。

怪しい動きを見せればいつでも息の根を止める覚悟がなければ、してやられます」

 

「何を言うのかね、本人の前で!」

 

「ふふっ、宗方さんのおっしゃるとおりですわ。そうですわね。

確かに今回の取引は、あなた方の足元を見て持ちかけたのは事実。

アタシの中継で数を減らしたとは言え、絶望の残党とやらが未だに世界中で暴れており、

それを治すにはアタシの能力を使うしかない。

断られるはずがないという確証があったから、

利害の一致した塔和シティー攻略に力を貸していただきましたの」

 

要するに、やることをやってくれるなら、アタシが誰の心にどう映ろうと関係ない。

 

「いや、申し訳ない。本来こちらが詫びる立場だと言うのに……」

 

「それもビジネスライクで行きましょう。

無事に姉が助かったなら、未来機関の不祥事に関して、全てなかったことにします。

アタシの望みを叶えてくれるなら、謝る必要などないんですよ?」

 

「……作戦には、あなたも参加する気なのか?」

 

「行きたいのは山々なのですが、外部で暴れると誰の目に触れるかわかりません。

未来機関と絶望の江ノ島盾子が行動を共にしているというデマが流れると、

どんな結果になるか。ここは仲間達に任せようと思います」

 

「なるほど。荒事は仲間に任せ、あなたはここで悠々と彼らが戦う様を見ていると?」

 

「いい加減にしたまえ、宗方君!」

 

「構いません。実際そうですから。未来機関のお手並みを拝見させていただきますわ。

皆を犬死にさせるか、無事に名誉を守り抜くか。どうぞ落胆はさせないでください。

役立たずにアタシの能力を託すつもりはありませんので。

確か、宗方さんとおっしゃいましたね?

あなたはアタシが未来機関をうろついていることが気に入らないようですが、

他にアテでもあるのでしょうか。

あなたこそ我々の足を引っ張らないとお約束いただきたいものですわ。

絶望も無くせない、満足に指揮も取れないでは、

兵の命がいくつあっても足りませんから」

 

宗方さんの目尻がピクリと動いたのを見逃さなかった。ふふん、言ってやったわ。

そばに控える霧切さんは動じる様子もなく、事の成り行きを見守っている。

 

「江ノ島殿もどうかその辺りで。宗方君にはワシからよく申しておく」

 

「今日の所は……ここまでにしよう。

江ノ島盾子、ミッション終了後のあなたや77期生の対応については、

全てが終わったその後で。“好待遇”を約束する」

 

「では、アタシはこれで失礼致します。決断はできる限り早くお願いしますね。

長引けば長引くほど、姉や住人の生存率が低下しますので。それでは」

 

アタシは席を立つと、さっさと執務室から出ていった。

霧切さんも天願さん達に一礼すると、

早足で廊下を進むアタシを、しばらく何も言わずに追いかけてくる。

……だめね、あたしったら。

これから力を借りる取引相手とケンカしてどうするのかしら。

やっぱりこの後彼女からお小言を食らうことになった。

 

 

 

 

 

江ノ島盾子が出ていった後、私は会長と二人きりになり、

しばらく座ったまま何も言わなかったが、やがて会長が表情を変えずに口を開いた。

わかっている。どうせ私に対する苦言なのだろう。

 

「彼女にへそを曲げられては困る、と言ったのは宗方君だったと思うのじゃが」

 

「はい」

 

「どんな手を使おうと世界から絶望を滅ぼす、が君の信条だった」

 

「その通りです……」

 

「先程の江ノ島殿に対する態度には、そのための具体的根拠があったのかね?」

 

「ありません、でした」

 

「君らしくもない。と言っても、

ワシと宗方君で分かり会えたことなど、ないのかもしれんがのう」

 

「私を処分なさると?」

 

「冷静さを欠いたまま作戦指揮を任せるわけには行かない、というのが、

会長という立場としての意見ではある」

 

「……おっしゃりたいことがわかりません」

 

「君はまだ彼女のことを──」

 

「終わった事に興味はない!!」

 

思わず机を殴り、立ち上がる。腹立たしい。

だが、何が気に入らないのか自分でもわからない。いつからだろうか。

そう、江ノ島盾子が訪ねてきてからだ。

彼女の情報は、今日の面会前に穴が開くほど目を通したというのに。

 

髪を下ろし、姿を変え、全てを包み込むような眼差しを向ける彼女を目の前にすると、

私の中に、熱い感情が煮えたぎり、嫌味という形で表に出してしまった。

 

結果、世界を救う力を持つ彼女を怒らせた。

失態だ。未来機関の実質的トップ。笑わせる。

己の感情ひとつコントロールできないようでは、そもそも人の上に立つ資格すらない。

 

「……そう自分を責めるでない。まだ間に合う」

 

会長がまるで私の心を読んでいるかのように告げる。

彼の言う通り、まだ間に合うなら、自分の失態は自分で始末を付けなければならない。

 

「私も、いつまでも支部長の席を空けるわけには行きません。これで失礼します」

 

「うむ。君なら、やれると信じておる」

 

退室しようと時、その言葉に振り返った。

 

「……なに、塔和シティー攻略のことじゃよ」

 

「私はこれで……」

 

意味ありげな笑顔を浮かべる会長を残して、私は執務室を後にした。

 

 

 

 

 

アタシは肩を怒らせながら、スタスタと廊下を歩く。

それにピッタリくっついて決して離れない霧切さん。

まぁ、なんていうか、さっきから怒られてるのよ。

 

「そりゃ、特別扱いは要らないって言ったけど、あんな言い方される覚えもないわよ!

大体なんであんなに真っ白!?確かに単なる取引相手だからそんな必要ないけど、

あの人とは仲良くなれそうにないわねぇ!」

 

「あなたも少し大人げなかったんじゃないかしら。

ちなみに彼がどうして白にこだわるのかは謎。

希望ヶ峰学園の生徒なんて、変な格好の人ばかりじゃない。

気にしていてもキリがないの」

 

「アタシは別に何言われてもいいわよ。

でも、みんなを小馬鹿にされて黙ってられるほど女神様やってないのよ、

あいにくだけど!」

 

「じゃあ、言うわね。

彼ら自身が小馬鹿にされて我慢していたのに、

あなたが売り言葉に買い言葉になってどうするの?

危うくみんなにみっともないところを見せるところだった」

 

「それは……そうだけど」

 

「取引相手と無用な軋轢を生んでも、

戦刃さんを助けられる可能性を低くするだけなのよ。それは理解してる?」

 

「そう、よねぇ……霧切さんの言う通りだわ」

 

完全に説き伏せられて肩を落とす。

 

「私はもう行くけど、あなたはコーヒーでも飲んで頭を冷やしておきなさい。

いつもどおりタブレットをかざせば、タダで飲めるようになってるから。また後で」

 

「わかったわよ。さよーなら……」

 

何の用事かは知らないけど、霧切さんも足早に階段を下りてどこかに行ってしまった。

手持ち無沙汰になったアタシは、少ししょんぼりしながら、

言われた通り、近くの自販機コーナーでアイスコーヒーを買った。

 

それから広めの廊下の隅に置かれた長椅子に落ち着くと喉を潤す。

合成品らしく味がイマイチだけど、

世界がこんな状況じゃ、コーヒー豆は手に入らないだろうから仕方ないわね。

 

「ああ、おいしい。いつの間にか喉が乾いてたから生き返るわ。

暑がりだからコーヒーは1年中アイスなのよね。

……あの江ノ島盾子はコーヒー派だったのかしら。それとも紅茶が好きだったのかしら」

 

カップの中の氷が浮かぶ黒い液体を眺めながら、ふとそんな事を考えてみる。

今更知った所でどうにかなるわけじゃないけど、

彼女も人間だった以上、嗜好や生活があったはず。

 

世界を破滅に陥れた超高校級の絶望。

作り物ではあるものの、同じ存在であるアタシと彼女。

何が同じで何が違うのか知りたい気持ちが少しある。怖いもの見たさかしら。

 

とりとめのないことに思いを巡らせていると、

コツコツと革靴の足音が近づいて、アタシのそばで止まった。

 

「それは、興味深い考察ですね。……隣、失礼しても?」

 

「ここは公共スペースだから、アタシに許可を取る必要はありません」

 

しまった、またキツい言い方になっちゃったわね。

でも彼は気にすることなくアタシの隣に座る。

お互い無言。うん、居心地悪いわ。

なんか癪だけど、アタシの方からどうでもいい世間話を始めた。

窓の外を見ると、不気味な赤黒い空。

 

「こちらでは太陽が見えないから、大体の時間がわからなくて困りますわね」

 

「今、3時過ぎだ……」

 

「ありがとう」

 

律儀に腕時計で時間を確認して教えてくれた。それきり、また話が途切れてしまう。

次はあなたから何か言ってくださいな。

そんな気持ちが顔に出たのか、今度は宗方さんが綺麗な背筋を崩すことなく語りだす。

前を見たままだから、アタシに話していることに気づくのが一瞬送れた。

 

「さっきの話だが……」

 

「えっ?」

 

「表現に“やや”不適切な点があったことは認める。それについては詫びよう」

 

「こちらこそ。“若干”言い過ぎたことを反省しているわ。ごめんなさいね」

 

また無言。ああ、どうしていちいち会話が止まるのかしら!

次の話題は何にしようかしら。この観葉植物きれいですね?

だめだめ、プラスチックの作り物だわ。そもそもなんでこの人ここに来たのかしら。

 

いっそ向こうに行ってくれないかしら。

そんな思考放棄をしようとして彼を見たら、異変に気づいた。

その無表情に汗を浮かべている。アタシと居るのがそんなに嫌なのかしら。

でも、次の言葉でそれは間違っていることに気づく。

 

「どうしても、話しておきたいことがあった」

 

「う~ん。確かにさっきはのんびりお話しって雰囲気でもなかったわね」

 

「そうではない」

 

「なあに?こんな人気のないところで。極秘事項の伝達?

ふふ、なんだかスパイみたいね」

 

「……それに近い、とも言える」

 

宗方さんが、胸ポケットから1枚の写真を取り出し、やっぱり前を見ながら差し出した。

何気なく受け取ったそれを見て絶句する。

ニコニコと笑う女性の後ろに何人も子供達の死体が横たわっている。

女性の顔はピンクのマーカーで丸で囲われていて、“私だよ”というメッセージが。

写真を持つ手が微かに震える。アタシは唾を飲み込んでやっと彼に訪ねた。

 

「この人も、絶望の残党なの?」

 

「だった、だ。正確にはな。今はもう存在しない」

 

「子供達を殺したのも、この人が……?」

 

「本人が自白した。間違いない」

 

だんだん声まで震えてきた。彼はアタシにどんな答えを求めているの。

 

「じゃあ、未来機関に処刑された、と思って良いのかしら」

 

「ああ。私が、殺した」

 

「支部長が自ら?それほど特別な存在だったの?この人は」

 

その時、彼が初めてうつむき、両手で頭を抱えるようにして、

絞り出すような声で告げた。

 

「……彼女は、雪染ちさは、私が愛した女だった!!」

 

「そんな……どうしてあなたがそんな人に手を下す必要があったの!?」

 

「少し、長くなるが、聞いてもらえるか」

 

「話して。アタシでよかったら」

 

「あれは、まだ人類史上最大最悪の絶望的事件が起きて間もない、

未来機関も今ほど大きくなかった頃の話だ」

 

 

……

………

 

 

「宗・方・く~ん!」

 

突然ドアを開けて飛び込んでくるのは雪染ちさ。いつものことだから気にもしないが。

お盆に乗せたものを落とさないように、いつものエプロン姿で器用にくるりと回る。

 

「執務室に入る時はノックくらいしろ。元超高校級の家政婦の名が泣くぞ」

 

「相変わらずお固いなぁ。私だってこうして支局長様にお茶を入れたりもするんだから。

はいどうぞ!一息入れて」

 

パソコンに向き合いながら彼女のコーヒーを受け取る。

 

「すまんな」

 

熱いコーヒーをすすりながら、新宿解放作戦の立案書作成を続ける。

すると、ちさが後ろから手を回して抱きついてきた。

 

「よせ、何をしている」

 

「へへ~ちょっと休もうよ」

 

「俺は忙しい。離れろ」

 

「ちょっとぐらい、いいじゃない。

あの事件のせいで私達が揃うことなんて滅多になくなっちゃったんだし。

……ほら、見て」

 

「もう俺達は学生じゃないんだ、当然だろう。何だこれは。見せてみろ」

 

仕方なしにキーを打つ手を止め、ちさから写真の束を受け取った。俺達の記念写真。

 

「はぁ。こんな古いもの、どこから見つけてきた」

 

「冷たいなぁ、宗方君。私は思い出のアルバムに全部しまってあるよ。

ふふっ、逆蔵君って昔っから怖い顔してたよね~」

 

「仕方ないやつだ。10分だけ付き合ってやるから、ちゃんと10分で仕事に戻れよ?」

 

俺は呆れながらも懐かしさに浸りつつ、1枚1枚写真をめくった。

 

希望ヶ峰学園の卒業写真、

学食での何気ない風景、

鬱陶しそうにカメラから目をそらす逆蔵、

わざわざ別のクラスから俺達に会いに来るちさ、

俺達と弁当やサンドイッチを食べるちさ、

子供達を皆殺しにして顔いっぱいに笑みをうかべるちさ。

 

最後の1枚で手が止まる。ちさを見る。彼女は笑顔だ。その目に邪悪な渦を描いて。

 

「素敵な写真でしょ!?とっても破滅的というか、絶望って感じだよね?」

 

心が止まった。この時、なぜ口が効けたのか今でもよくわからない。

 

「念の為確認しておく……犯人は、誰だ」

 

──私だよ

 

俺は立ち上がり、刀掛台に備えた愛刀を手に取り、彼女に歩み寄る。

鞘から抜くと、わずかに沿った刀身がぎらりと煌めく。

 

「そうだよ!私を殺して!きっと、宗方君にも絶望の深い神秘がわかってくれる!

ずっと仲間だった私を殺して、宗方君が絶望に目覚めてくれるなら、私怖くないよ!」

 

「黙れ……黙れ!」

 

一歩、二歩、三歩。せめて嘘だと言って欲しい。

 

「宗方君。

この子達ね、悪い人たちが暴れてるから学校まで連れてってあげるって言ったら、

疑いもせずに近づいてきたの。そこをナイフでえいっ!って一撃。

みんな悲鳴を上げて大パニック。とっても痛そうで、怖そうで、悲しそうで!

あの子達、すごく絶望しながら死んでいったよ?

優しそうな女の人に意味もなく殺されたんだもの。

そう、子供達が死ぬことに、意味なんてないの」

 

「黙れと言っている……!貴様はもう雪染ちさなどではない。終末期の感染を確認。

超法的結社、未来機関規定22章第5条に則り、貴様を処刑する!」

 

「さあ、来て。あなたも、同じに……」

 

彼女は抵抗する素振りも見せず、両手を広げた。

俺は震える手で突きの構えを取り、雪染ちさを、彼女を、刺した。

刀身から伝わる、彼女の柔らかい身体を貫く感触は、今でも手に残っている。

 

直後のことはよく覚えていない。

ちさが何か言い遺したかもしれないが、気がついた時には、

既に物言わぬ骸となった彼女の前に立ち尽くしていた。白のスーツを血で染めて。

 

 

………

……

 

 

「絶望は、伝染病だ。この世界から、一欠片も残すことなく、駆逐しなければならない」

 

「酷すぎる……」

 

アタシも言葉が出ない。彼の後悔を告白させた以上、何か言わなきゃ。

でも、わからない。どうしてもわからない。

 

「……何か言ってもらおうなどとは思っていない。だが、私のわがままを聞いて欲しい。

愚痴を聞いてくれ」

 

「なんでも。聞くことしかできないから」

 

「なぜだ……」

 

「何が?」

 

無念、後悔、懺悔、怒り、憎しみ。

自らの中で生み出した負の感情に飲まれまいとしながら、彼はようやく続けた。

 

「なぜもっと早く来てくれなかった!?ああ分かっている!

ただの八つ当たりでしかないことも、あなたに何の責任もないことも、

彼女を救えなかった私のせいだと言うことも!!」

 

これまで一切感情というものを見せてこなかった彼が、自責の念を言葉にして吐き出す。

整えた白い髪を握りしめながら。

 

やっぱりアタシは何も言えず、雪染さんの写真をもう一度見た。

本人だけを見ると、とても優しそうな女性にしか見えない。

人はここまで狂ってしまうものなのだろうか。

絶望の江ノ島盾子がその果てに見たものに、吐き気を伴うおぞましさを覚える。

ヒーローは遅れてやってくるもの。だけど手遅れのヒーローには何の意味もない。

 

彼が手を出してきたから、少しためらい、そっと彼女の写真を返した。

 

「時には辛い思い出を捨て去ることも、許されていいと思うの」

 

「捨てられるものか……

雪染ちさを狂わせた絶望全てを、私の刀で切り刻み、燃やし尽くすまで。

これは、時に膝を付きそうになると、その想いを蘇らせてくれる」

 

「あなたに戦いをやめろなんて言うつもりはないけど、

本当の雪染さんの思い出も、大切にしてあげてね。

そっちの彼女にばかり気を取られていると、本人が妬いちゃうから。

女は嫉妬深いものよ」

 

「ああ、忘れない。忘れはしない。

……ふっ、噂通り奇妙な人だ。高校生に身の上話など私らしくもない。

しかし、その高校生が、ジャバウォック刑務所で罪の意識に

がんじがらめになっていた囚人達を救った。

何がそれを可能にしたのか。あまりにも不思議だ」

 

「アタシが救ったわけじゃない。みんなが自分で外に目を向け始めたのよ。

そりゃ、アタシが色んな事件に巻き込まれたのもきっかけではあるけど」

 

「なるほど、それは恐ろしい。

それでは、私も巻き込まれないように、そろそろ退散するとしよう」

 

「本当に失礼な方ね、もう。これからどちらへ?」

 

「刀の整備をしておこう。塔和シティーには私も出向くことに決めた」

 

「あなたも?」

 

「これは絶望との戦いにおけるひとつの区切りとなる。

ここで待機しているわけにはいかない。指揮は会長が執る」

 

「気をつけてね。それしか言えないけど」

 

「私が戻ったら今度はあなたの出番になる。今のうちに身体を休めておくことだ」

 

「ええ……」

 

彼は先に長椅子から立つと、長い廊下を去っていった。

アタシはしばらく彼の真っ白な後ろ姿を見送っていた。

 

 

 

 

 

数日後。

 

いよいよ出撃の日。

みんなが複数の装甲車に分乗し、陸上自衛隊の特殊車両を先頭に出発して行く様子を、

窓から見ていた。

間近で見送りたかったけど、あまり外に出るのは、

治安やアタシの外見と言った問題で止められた。

できるのは、タブレットでみんなのやり取りを見るだけ。

みんな、お姉ちゃんを、お願いね。

 

《海からは西・南から戦闘員が海自及び未来機関の艦艇で上陸。

みんなは東の吊橋から直接乗り込むよ?》

 

七海さんがタブレットの中から作戦開始の手筈を確認。

 

《オッケーっす!改造エレキギターのチューニングもバッチリっす!

ちょっと重くなったっすけど!》

 

《バッテリー内蔵型にしたんだからしょうがねーだろ。

それよりまだぶっ放すなよ?車内が地獄になるからよー》

 

《うん。カメラの調子も問題ないよ。いつでも行ける》

 

《私の竹刀も強度、威力共に申し分ない》

 

《ああ~全員分の武器作るのマジ疲れたぜ。ちょっと寝ていいか?》

 

《だめだ。寝ぼけ眼で戦場に突っ込んだらどうなるかわからないぞ》

 

《わーったよ。日向はデフォで強いから何も作らずに済んで楽だったけどな》

 

《みんな、目標ポイントの中間地点を通過したよ。準備はいい?》

 

《はいぃ!戦いなんて初めてですけど、私、がんばります!》

 

《神々の黄昏が、今始まる。勝利の女神が微笑まんことを》

 

《それじゃあ、行くよ?》

 

──塔和シティー突入作戦、状況を開始します!

 

 



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第21章 運命の日

アタシは目を閉じ、自室の片隅で祈り続けた。

お姉ちゃんとの再会、そしてなにより、みんなの生還を。

何も出来ずに立ち止まっていた頃とは違う。信じる仲間がいて、彼らをひたすら待つ。

お願い、無事でいて。

 

 

 

 

 

《間もなく作戦エリアに到達だよ。この後の流れを説明するね?

まず、安全圏から左右田君の兵器が発動するのを待って。

それを合図に陸自が92式浮橋で吊橋に橋を掛けるから、完了次第突入開始。

塔和モナカの確保に向かって。戦刃さんが通信途絶の直前に伝えてくれた情報によると、

彼女は北の工場エリアのどこかに潜伏してるらしいよ》

 

「わかった。ありがとう七海。

モノクマの脅威がなくなるなら、どちらかというと、

どれだけ手早く塔和モナカを見つけられるかが鍵だな」

 

「アタシとしてはむくろちゃんの居場所も気になる。早く見つけなきゃ」

 

「ああ、もちろんだ。

彼女だって短いながらもジャバウォック島で共に生きた仲間なんだ。

俺達がやらなきゃいけないことは多い。あと、モノクマ以外の戦力が無いとも限らない。

みんな警戒は怠らないでくれ」

 

「うぇぇ……モノクマがいなくなるから楽勝だと思ったんすけど、

ヤバくなったら創ちゃんの後ろに隠れていいっすか?」

 

《目標ポイント到達。VLS発射まで待機します!》

 

俺達が搭乗していた装甲車に無線が入り、車体が停止。前方には途中で崩落した吊橋。

誰もがその時を待った。

 

 

 

 

 

オレ達は、他のやつらとは別行動を取っていた。

塔和シティーを一望できる高台から、

双眼鏡型デバイスと連動した銃型のレーザーポインターで、街の要所を狙う。

3地点にロックオンすると、

今度はタブレットで太平洋に待機中のイージス艦に位置情報を送信。

 

まーこれで塔和シティーのモノクマ共はお陀仏だ。

他の物も一緒に潰しちまうけど、裏でろくでもねーもん作ってたって話だし、

日向達が安全に行動できるなら別にいいだろ?

 

艦から座標キャッチの信号が届く。仲間の武器も作ったし、戦う準備も整えた。

メカニックの俺にできるのはここまでだ。

それができたのも、後ろを守ってくれた人のおかげなんだけどよ。

 

「ソニアさん、終わったっす。オレのやるべきこと。

……少しは、言い訳になるっすかね。オレが生まれてきたことと、生きていることへの」

 

手早く機材を片付けながら、独り言のように聞いてみる。

 

「カッコよかったですわ、左右田さん。

あなたのおかげで皆さんの負担が大きく減り、たくさんの人が助かります。

少なくとも、今わたくし達が戦っていることには、必ず意味があると思います。

信じましょう」

 

「そっすよね。……あざっす!元気出てきました!

それにしても、ソニアさん強いっすね。そいつら全部片付けちまったんですから」

 

「フフ、これでも射撃は得意ですの。えっへん」

 

ソニアさんはそう言って、オレが複製したハッキング銃を構えて見せた。

彼女の向こうには無数のモノクマの残骸。

塔和シティーかどこかから這い出てきた“はぐれ”のモノクマ。

オレの座標転送作業に集中できたのも、彼女に背中を預けられたから。

 

そう言えば、あの島で江ノ島が言ってたな。

どっちかが守られるんじゃなくて、互いの後ろを守り合う関係になれって。

なあ、今のオレ達、お前からはどう見える?

 

ガラにもなく少し物思いに耽っていると、空から大気を切り裂く音が。

見上げると3つの物体が白い尾を引きながら飛翔していった。

それは塔和シティーに向かっていく。

オレは、そいつを見送りながら、思わず口にしていた。

 

「親父……オレ、ロケット飛ばしたぜ」

 

 

 

 

 

あああ!この街に来てから、ろくでもないことばっかりだわ。

ここで経験したことで、良かったこと、最悪だったこと。比率にすると1:9ってとこね。

1は何かって?……なんだっていいでしょ。

少なくとも、隣でこまるがモノクマを破壊して無駄に元気よく喜んでることじゃないわ。

 

「やったー!これで商店街は安全エリアだね!」

 

「どうせしばらくしたら、またモノクマが湧いてきて元通りなのに、何が嬉しいんだか。

本当、紛争地帯の地雷みたいな連中ね。

ねえ、こまる。あたし達がここに来てから何ヶ月?何匹モノクマ倒した?

ちっとも減る気配が無いじゃない!

そりゃそうよね、工場で毎日大量生産されてるんだから!」

 

「だからって、放っておくと状況がもっとひどくなるよ?

この人工島の面積50%以上を制圧されたら、こっちの負け」

 

「そ、そうだよ戦刃さんの言う通りだよ!

まだ助けを待ってる生存者の人がいるかもしれないし!」

 

「今更そんなのいるわけないでしょうが!

考えたんだけどさ、この活動は大幅に縮小して、

あたし達もシェルターにこもって中の連中を守ることに専念しない?

散々走り回って足が痛いのよ」

 

「だめだよ!さっき戦刃さんも言ったけど、街をそのままにしておくとモノクマに……」

 

「ん?ちょっと待って……!」

 

あたしらが噛み合わない議論をしていると、空から鋭い音が響いてきた。何よもう。

ふと見上げると、絶句。間違いなく9に分類される状況が迫ってくる。

さすがにこれには呑気なこまるも焦ったみたい。

 

「ミ、ミサイル!?冬子ちゃん!ミサイルが降ってくるよ!」

 

「くっ……3発のうち1発の予想着弾地点は、私達のいるエリア!」

 

「イヤァ、もう!塔和シティーをどうにもできないからって、

未来機関の連中が街ごと消毒することに決めたのよ!!

あ、きっと白夜様は最後まで反対してくれたに決まってるわ!

“俺の愛する人を核の炎で焼くことなど、この十神が許さん!

たとえ未来機関を敵に回すことになろうとも、こんな計画は阻止してみせる!

な、なんだお前達は!離せ、俺と冬子を引き裂こうという気か!?

逃げろ、冬子!冬子ー!!”ってな感じで!」

 

「妄想に浸ってる場合じゃないよ!逃げなきゃ!」

 

「もう頭の上にあるのにどこに逃げようとしてるのか教えなさいよ!……ああああ!」

 

冗談抜きで死を覚悟したその時、

ミサイルが上空で爆発……というより、外殻を放り出して空中分解。

続いて内部のキューブ型装置が炸裂して、ブルーに可視化された光をドーム状に放ち、

超広範囲を包み込む。別方向に飛んでいった2発も同様。

思いっきり謎の光を浴びたけど、一応身体に害はない。

けど、突然こまるが悲鳴を挙げた。

 

「ああっ!どうしよう……」

 

「今度は何なのよもう!」

 

「どうかした?」

 

「私のハッキング銃壊れちゃった!」

 

何度かトリガーを引くけど、なんにも出てくる様子がない。

 

「はぁっ!?これからどうすんのよ……

熱っ!あたしのスタンガンもなんか煙吹いてるんだけど!」

 

急に燃えるほど熱を帯びて白煙を上げ始めたスタンガンを投げ捨てた。

白夜様からのプレゼントだったのに、本当最悪。

 

「これじゃあ戦えないよ!」

 

「そりゃあ、ティッシュでこよりでも作ってクシャミすれば、

ジェノサイダーにはなれるけどさぁ。……あ、その必要もないんじゃない?」

 

「どういうこと?」

 

あたしは商店街の向かい側に2,3体固まってたモノクマを指差した。

あいつらも煙を出して完全に機能を停止してる。

 

「モノクマも壊れてる!これって、さっきの変なミサイルの効果かな?」

 

「他に何があるってのよ。けど、喜んでばかりもいられないわよ。

この様子だと、塔和シティーの電子機器全部が同じように止まってる。

電力や水道も全部ストップしたと思った方がいい」

 

「そう。今のミサイルはきっと弾頭にEMP爆弾を搭載してたんだよ」

 

「何よEMP爆弾って。あんたと違って軍人じゃないんだから、わかりやすく説明して」

 

「強力な電磁波を放って、電子機器の回路に電流を流して破壊する兵器。

人体に影響はないから大丈夫。

だから、腐川さんが考えてるとおり、今のでモノクマも全滅したと思っていいよ。

でもやっぱり、都市インフラも停止したからここに長居もできなくなったけど」

 

「だーっ……これでもうクマ型ロボットのお守りしなくていいのね。

水道とかは心配してない。

攻撃が始まったってことは、白夜様がすぐにあたしを助けに来てくれるってことだもの」

 

あたしらを悩ませてきたクマ型ロボットが全滅。これは1に入れても良さそう。

 

「私のアサルトライフルは電子機器じゃないからまだ使えるよ。

私が二人共守るから大丈夫」

 

「守るって、モノクマはもういないんだよ?何から守るの?」

 

「さっきから、感じるの。……何かの視線」

 

安心したのも束の間。あたし達は、その場で背中合わせになり、周囲を警戒した。

 

 

 

 

 

その時。

パソコン本体だけではない。モニターも通常ありえない異音を立てて、

突然機能を停止した。これには塔和モナカも少々焦った。

通常の停電ならすぐ非常用電源に切り替わるのだが、待てど暮らせど闇の中。

地下の研究室で、彼女はひとり取り残された。

 

「モノクマちゃ~ん、早く予備電源復旧させて~?」

 

だが、返ってきたのは静寂のみ。

 

「みんな~生きてるマシン探してね~」

 

次はモノクマキッズを呼んで見る。

モノクマ型ヘルメットで洗脳して従わせている子供達。

しかし、どこからか皆の泣き声が聞こえてくるだけで、

この状況をどうにかしてくれるとは思えない。

 

“えーん、真っ暗だよ~”

“おうち帰りたーい”

“おかあさん、迎えにきてー”

 

徐々に彼女に焦りが浮かぶ。

PCが破損する直前、一瞬だけ飛行物体接近の警告を出してダウンした。

カチカチとエンターキーを押して見る。何も反応はない。

よく見るとモニターと本体から熱と煙が出ている。明らかに物理的な損傷。

 

「まさか、EMP爆弾、なのかな……?」

 

未来機関がそんな捨て身の攻撃に出るなんて。

連中もこの塔和シティーを喉から手が出るほど欲しがっていたはず。

巨大な人工島の電子機器を、モノクマごと残らず破壊させてでも、

この無敵の牙城を取りに来たというのか。

飛翔体迎撃システムも、発動する間もなく

強力な電磁波で電子回路や半導体を焼き切られ、作動しなかったようだ。

 

「……うぷぷぷ、モナカ、どうしよっかな~」

 

研究室を見回すとパソコンに限らず、

実験装置、監視カメラのモニター、新兵器の製造マシン、

全てがショートして内部から破壊されていた。

 

「そっか。それじゃ、しょうがないよね……」

 

何かを決めた彼女は、ゆっくり車椅子から立ち上がり、小さな身体を大きく使い、

自動でなくなった研究室のドアを手動でようやく開けると、

息を切らせながらこのフロアより更に地下の階へと向かった。

 

 

 

 

 

ついに突入の時。

陸自の自衛官たちが、手早く92式浮橋を橋の崩落地点までバックさせ、

積載していた仮設橋を展開。

持ち上げられた折りたたみ式橋節が、レーンから滑り降りると、

車体から落下した瞬間、左右に広がり空中の足場となった。

 

長さ約7.5mの橋は、通常河川などの地上に設置されるが、

未来機関の研究班と陸上自衛隊が共同で改良を行い、

橋節下部にバルーンを搭載することで、短時間ながら空中に浮かばせることに成功した。

 

だが、作戦終了までバルーンは保たない。

生還するには、ミッションを完了し、

安全が確保された塔和シティーで迎えのヘリに乗るしかない。

 

「浮橋設置完了しました!」

 

自衛官の報告が飛ぶと、装甲車で待機していた77期生の全員が覚悟を決めた。

 

「みんな、目標ポイントは確認したか?」

 

「お前に言われるまでもない。作戦概要、制圧地点、行動範囲の地形。

全てこの頭脳に叩き込んである」

 

「それはいいけどさぁ~豚足ちゃん、その身体で動けんの?」

 

「何も飛んだり跳ねたりだけが戦いではない。要は、頭だ」

 

「唯吹もコンディション最高っすよ!とりあえずここに行けばいいんすよね!?」

 

「そこに行って何をするかもわかっておるか?塔和モナカを引っ捕らえるんじゃぞ?」

 

「なるほど、わかったー!」

 

「はは、それって今までわかってなかったってことでいいのかな……」

 

「凪斗ちゃんの言う通り~!ペロリン!」

 

「グズグズしてはいられない、もう出よう。みんな、準備はいいか?」

 

「「おう!」」

 

装甲車の後部ドアが開かれると、

太陽ではなく赤い空が地上を照らす世界に、全員が飛び出した。

仲間の救出、そして、塔和モナカを含む生存者確保の使命を帯びて。

 

足にバルーンの柔らかい感触を跳ね返してくる浮橋を駆け抜ける。

塔和シティー本島は目の前、モノクマは殲滅済み。

2時間もあれば片が付くと思われた作戦。だが、この後彼らに思わぬ敵が立ちはだかる。

 

 

 

 

 

ここからは俺の回顧録だ。

あの激闘をよく生き延びられたものだと今でも不思議に思うよ。

まずは、俺達が吊橋を渡りきったところから。

 

「よし、塔和シティーに入った!誰も遅れてないよな!?」

 

「豚足ちゃんが早くも汗だくだけど全員揃ってるよ!」

 

「はふぅー!はふぅー!忌々しい橋め!

あれさえ崩落していなければ、リムジンで優雅に職場に到着できたものを!」

 

「あのぅ、ゆっくり、深呼吸して下さい。酸素欠乏症になりかけてますぅ……」

 

「十神も座りながらでいいから聞いてくれ。

俺達はこのまま真っ直ぐ最終目標地点、工場エリアに突入、

モナカを確保次第、戦刃むくろの居場所を……」

 

「待て!そうも行かなくなったようだぞ!」

 

「どうした辺古山……これは!」

 

俺達が改めて作戦目標を確認していると、

物陰、廃ビル、大破した車。とにかく色んな所から、

モノクマのマスクを被り、角材や鉄パイプを持った人間達が

ゾンビのようにゆらりと姿を現した。それも、10人や20人じゃない。100は超えてる!

 

「絶望の残党。やるしか、ないよね!」

 

「ああ、だから俺達が来たんだからな!」

 

「小泉おねぇ、主役を食っちゃうほどかっこいいよ!」

 

同時に、残党が獣のような雄叫びを上げて襲いかかってきた。だが俺達も退く気はない。

全員、武器を構えて人間同士の戦いに飛び込む。

 

「みんな、戦いながら前進するぞ!」

 

大通りの真ん中で乱戦が始まった。皆が才能を活かした新兵器で戦う。

 

「あががが……ぐるああぁ!!」

 

「どいてよね!そこはアタシが通る道よ!」

 

小泉は残党の群れと1人で戦っていた。

囲まれないように、素早い身のこなしで敵を引きつけながら、路地裏に入り込むと、

そこは行き止まり。

残党が小泉に迫るが、彼女は慌てずサングラスを掛けて、ニヤリと笑いカメラを構えた。

 

「笑って~はい、チーズ!」

 

シャッターを押した瞬間、路地裏から影がなくなった。

カメラ型大出力フラッシュライトのストロボが放った強烈な閃光が、残党の目を潰した。

大勢の敵は目に刺さる激痛にたまらず悲鳴を上げ、転げ回る。

 

「ひぎゃあああ!!」

 

「安心しなさい。明日には見えるように光量は調整してある。……左右田の話だけど」

 

小泉はカメラからフィルム型の空薬莢を取り出すと、新しいフィルムを装填した。

 

「単発式だから使い所は気をつけなきゃ」

 

そして再び大通りに舞い戻り、仲間に呼びかけた。

 

「こっちは片付けたよ!みんな足を止めないで!」

 

 

 

 

 

同時に、ようやく息が整った十神は、悠々と戦場を歩いていた。

……ただし、いつもと違う格好で。その時、残党の一人と遭遇。

そいつは有無を言わせず鉄パイプを振り抜いてきた。

 

「シャアアアッ!!」

 

十神は落ち着いてその一撃を避けると、もどかしい様子で敵に声を掛けた。

 

「待て待て、よく見ろ、味方だ!争ってる場合か?」

 

「げあ?」

 

「それより大事になったぞ。未来機関が攻めてきた。

駅前のロータリーで戦ってるが、戦力の消耗が激しい。

今すぐ仲間を集めて向かってくれ。俺は他の奴にも知らせなくては」

 

「へびしっ!」

 

敵は言われた通りに、仲間を呼びに行った。

未来機関の元超高校級で編成された精鋭部隊が待ち構える場所に。

こちらの言葉を理解する程度には知性が残っていたのが幸いだったな。

と後で言ったら、

“狂っていようが騙されやすそうな奴は見ればわかる”とのことだった。

 

「馬鹿め、将来振り込め詐欺に引っかからんよう気をつけることだ」

 

去っていく敵に聞こえないように、モノクマのマスクの奥からそう言った十神は、

その後も超高校級の詐欺師の才能で、敵部隊をかく乱していった。

 

 

 

 

 

十神の情報操作で敵集団が散らばり、おかげで俺達に先に進む余裕ができた。

改めて武器を構え直し、ひび割れだらけのアスファルトを駆けながら、

突入時に比べてまばらになった敵を蹴散らしていく。

 

「はっはっ!絶望と言えど運動不足では話にならんわい!

ほれ、強制空中エビ反りブリッジじゃあ!」

 

「ぎゃああおお!!」

 

弐大が文字通り、敵を持ち上げて強引にエビ反りさせる。

ミシミシ、パキポキと、痛みがこちらにまで伝わるような音が聞こえてくる。

 

「がはは!ワシのスパルタ式カイロプラクティックの味はどうじゃ!

安心せい、目覚める頃には固まった筋肉がほぐれて、むしろ気持ちいいはずじゃ!」

 

失神した敵を放り出して、次の相手に掴みかかる。

拷問にしか見えないストレッチを掛けて残党達を悶絶させる弐大を見て、

終里もじっとしているはずがない。待ちきれない様子で花村を急かす。

 

「なあ花村、早くしてくれよ!オレも食いたいし暴れてえんだよ!」

 

「できた!特性スパイスで焼き上げた500gサーロインステーキ!……はいっ!」

 

ミディアムレアの焼き加減のステーキをフライ返しで器用に投げる。

それを終里がパン食い競走のように口でキャッチして、あっという間に口に頬張った。

同時に咀嚼しながら走り出し、飲み込んだところで、

機動隊から奪った盾で身を守る敵に接触。

 

「うおおお!」

 

明らかに花村の焼いた肉の効果でパワーアップした終里が、猛牛のごとく突進。

敵が彼女にひるんで動きを止めた瞬間、盾を殴るのではなく、

超高校級の体操部の運動能力で、盾を乗り越えて大きく跳躍。相手の後ろを取った。

 

「おりゃああ!!」

 

「げぶおっ!」

 

そして回転蹴りを繰り出し、正確に敵の脇腹にヒットさせた。

横から激しい衝撃を受けて盾ごと道路を転がり、大柄な男性らしき残党は気を失った。

 

「おっしゃ、片付けた!花村、次は魚が食いてえ!!」

 

「あん肝の鍋でいいよね!?それよりゆっくり食べないと喉詰めるよ!」

 

「気合で飲み込むから問題ねーって!」

 

一方は敵を殴り倒し、また一方は食材を火にかけながらのやり取り。

ポパイのように食べ物で力を増す終里と、超高校級の料理人・花村の相性は抜群だった。

 

 

 

 

 

「みんな凄いなぁ。ボクの幸運じゃ連続して戦えないし、その後に不幸が来るから、

無闇に前に出るわけにもいかないんだよね」

 

狛枝は、皆の戦いぶりを見ながら、俺達のやや後方をゆっくりと付いてきていた。

確かにあいつの能力は不確定要素が多い。

そんなこともあって、事前の打ち合わせでは、

“みんながピンチになったら出てきて何かの幸運を起こす”という、

雑な結論に落ち着いた。

 

「ボクもなにかしたいけど……ええと、なにもないや。ハハ」

 

生まれつきの呑気さで最後尾をひたすら進む狛枝だったが、

大通りの両側に並ぶ廃ビルから、残党達が飛び出してきた。

待ち伏せして、挟み撃ちにするつもりだったらしい。

前方の敵にかかりきりになっていた俺達は、助けたくても助けられない状況。

 

「……ぜつぼう。ぜつぼう?ぜつぼう!!」

 

「参ったなぁ……10人と少しなんて相手にできないよ」

 

「逃げろ狛枝!」

 

理性を失った人間が、包丁やホームセンターで手に入る工具を手に、

狛枝に死という絶望を与えるため向かってくる。俺達は……くそ、間に合わない!

敵の数から考えて、狛枝自身も逃げ切れる状況じゃない。

 

「う~ん、何か起きてくれると、助かるんだけど」

 

困った表情で腕を組む。だが、残党がマンホールを踏むと、

突然それは地雷のように周辺のアスファルトごと大爆発を起こした。

まともに直撃を食らった残党達は吹き飛ばされ、気を失う。

 

一体何が起きたのか、理解するのに時間がかかった。

マンホールの跡からは、間欠泉のように水が吹き出し、雨のように辺りを濡らす。

狛枝はタブレットを取り出し、何かを確認し始めた。

 

「……なるほど。未来機関の海洋気象情報によると、今日の海は時化てるんだって。

海と直結してる、この人工島の地下の排水管が逆流したみたいだよ!アハハ」

 

「笑ってる場合じゃないだろう!運良く幸運が発動したからよかったものの!」

 

「ごめんよ。でもこうなると、この後の不幸が……もう来てるね。臭いや。

下水管だったみたい」

 

くんくんと濡れたコートを嗅ぐ。

 

「はぁ。作戦変更だ。お前も俺達から離れるな」

 

「うん、わかったよ」

 

やっぱり呑気な調子で応える狛江。この性格は生まれつきらしい。

 

 

 

 

 

モノレールの線路に沿って俺達は進み続ける。

塔和モナカの潜伏地点には着実に近づいている。

だが、それに連れて、敵の攻撃も激しさを増す。

ありあわせの武器防具しかなかった初期の敵とは違い、

明らかにどこかで生産され、支給された武具で身を固めた残党が、行く手を阻む。

俺は再度皆に警戒を呼びかけた。

 

「みんな……奴らは今までとは違う。気をつけろ!」

 

「そのようだな。銃を持ってる者までいる。

日向、お前は先に進み、イカロスの如く羽ばたき、

天高く座する幼き王を討ち取るのだ!」

 

「気持ちは嬉しいがその例えはやめてくれ、絶対落っこちるだろ。

でも、銃を相手にどうやって……」

 

「フハハハ!構うものか!奴らは俺の三闘神で食い止める!」

 

いつもの高笑いを上げる田中に、ずっとちらちら“アレ”を見ていた辺古山が問う。

 

「気にはなっていたが、やはりあいつらはお前のものなのか……?」

 

「その問いに真か否かを求めるならば、彼らの存在が結論付ける解を紐解くがいい!

さすれば自ずと真実は明らかになろう!

そう、彼らもまた俺の使い魔となることを宿命づけられし、魂を持たざる哀しき存在!」

 

「普通に“はい”と言えないのか?

左右田が“一番めんどくせー”と言っていたのはアレだったか」

 

「フッ、やはり気になるか。

魔獣を従えし能力を持つ俺が、なぜ偽りの命を持つカラクリを使役しているのか……

見るがいい。この荒れ果てた大地を!

召喚獣が己の身を引き裂き、滴るその鮮血が世界に災厄を招くことは必定!」

 

「確かに、粉々のアスファルトやガラスが散らばっている都市に、

“生身の獣を連れてくるのは可哀想”だな。

……そろそろお喋りは終わりだ。敵が攻撃態勢に入ったぞ」

 

残党のまとめ役らしき防弾チョッキを着た男が、雄叫びを上げて部下に指示を出す。

兵士は銃を持った狙撃兵と、特殊警棒で接近戦を挑む部隊に分かれ、

俺達に攻撃を仕掛けてきた。もちろん全員で反撃に出る。でも、皆が俺を止めた。

 

「雑魚に構うな。征け、イカロスよ!」

 

「しんがりはオレらに任せろや。ペコも手応えのねえ相手ばかりで飽きてんだろ?」

 

「ぼっちゃんも退屈そうですよ。……そういうことだ、すぐに追いつく。行け」

 

「みんな……悪い!」

 

俺は目と鼻の先の工場へ向かって駆け出した。

背後から銃声や近接武器のぶつかり合う音が響いてくる。

できることは、一刻も早く塔和モナカを確保して、この戦いを終わらせること。

 

 

 

 

 

敵の主力部隊と、俺を除く77期生の総力戦が始まった。

銃撃隊が皆に拳銃で狙いを付ける。無数の銃声。飛び交う銃弾。

だが、彼らが引き金を引く直前に、田中の放ったアレが盾になり、銃弾を受け止めた。

 

「ハッハッハ!我が三闘神の前に禍々しき火筒など無意味!

さぁ、機械仕掛けの荒ぶる神よ!今こそ、その力を見せつける時!」

 

返事をするように、馬・蛇・虎をモチーフにしたマシン。

……つまりモノケモノが咆哮した。

 

「あんなもん再現するとか絶対イカれてるよ、田中おにぃ!」

 

人間の知覚に訴える配置で光るLED電球が埋め込まれた扇子で舞い、

敵兵を惹きつけながら毒を吐く西園寺。

正直なところ俺も同じ感想を抱いたのは黙っておこう。

 

流石に大きさは実物の5分の1サイズだったが、

銃弾も効かず、大砲やガトリングガンを放つ鋼鉄の獣は

やはり敵にとっては脅威だったようで、即座に陣形が崩れる。

 

弾丸は非殺傷性のゴム弾だったが、

食らうとまともに動けなくなるほど痛いことには変わりない。

砲弾も敵の前で破裂する衝撃弾だと聞いてる。

 

 

 

 

でも、敵の数はまだまだ多い。踊り続ける西園寺を狙う兵が、銃で彼女に狙いをつける。

 

「おおっと、そうは行かないっすよ!唯吹の歌を聴くっすー!」

 

♪♬!♪♫♫!♪♬!!♫♫♪!!

 

声を吸収する素材でできたヘッドセットマイクを付けた澪田が、

歌いながらエレキギターを掻き鳴らす。

マイクから無線で彼女の奇怪な歌声をキャッチしたギターが、

人間の精神に悪影響を及ぼす歌の波長を増幅。

銃口になったヘッドのペグ部分から一方向に向けて発射した。

 

ごちゃごちゃ書いたけど、なんというか……

澪田の武器は、自分の歌を銃のように飛ばせる音波砲ってことだ。

当然、敵もギターで攻撃してくるなんて予想してるはずもない。

 

「ふぎゃはあああぁあ!!」

 

防弾チョッキもフルフェイスヘルメットも通り抜けて、

耳から精神に直接刺激を送られる。

不安、恐怖、焦燥。絶望以外のあらゆる負の感情を引き起こされ、

銃撃部隊はパニックに陥る。

銃を放り出し、熱せられた鰹節のように暴れ狂う兵士達だが、

それでも澪田は歌をやめない。

 

「今日の唯吹はノリにノッてるっすー!このまま唯吹の得意なナンバー、

“ビッ○コインで損した事より、

同情してくれる友達がいないことに気づいた方が辛い”行くっすよー!」

 

澪田の破滅的リサイタルはまだまだ続く。さらに手足をばたつかせてもがく敵兵。

俺は少し同情した。いずれ彼らも江ノ島の能力で元に戻るんだろうが、

その際精神的な後遺症が残っていないことを祈る。

 

 

 

 

 

近接戦闘で戦う仲間の中に、彼女の姿があった。

暴れ狂う終里達の後ろで、武器を抱きしめて、

戦いに踏み込もうと、おっかなびっくり進んでは戻るを繰り返している。

 

「罪木!無理なら下がっていろ!こいつらはお前の手に余る!……はぁっ!」

 

辺古山の竹刀がムチのようにしなり、腹に直撃。

防弾チョッキの上から衝撃を与えて気絶させ、残党の一人を仕留める。

 

「そ、そんな……辺古山さんだってがんばってるのに……」

 

「向き不向きがあらあ!お前は誰か怪我したら手当してくれや……おらっ!」

 

短刀で振り下ろされる特殊警棒を受け流し、

利き腕を少しだけ斬って痛みで戦闘能力を奪う。

 

「うぅ、九頭竜さんまで……わ、私は」

 

もはや絶望と77期生の戦争状態の中、

罪木は勇気を振り絞るというより、何かを振り切った。

 

「私だって……私だってやればできるんですからぁ!」

 

そして、手近な残党に駆け寄って、その手に持った巨大な注射器を、

装甲の薄い防弾チョッキの継ぎ目から、思い切り刺した。

突然の大胆な行動に思わず誰もが目を丸くして彼女を見た。

 

「ああ、ごめんなさい!でも深さ1cmほどの筋肉注射ですから、死にはしないですぅ!

ごめんなさぁい!」

 

刺された敵兵は、彼女に反撃する……かと思いきや、

少し黙り込んだ後、身を震わせ、絶叫した。

 

「うううう、あおおおおん!!」

 

次の瞬間には、味方であるはずの別の残党に飛びかかって、

馬乗りになって殴りつけ始めた。

突然暴れだした味方を引き剥がすため、戦闘を放棄して駆け寄る残党達。

不可解な状況に、敵も味方も混乱する。

 

「待て罪木、一体何をした!?」

 

「未来機関の人が作った、味方に対して激しい憎しみを抱くお薬を注射したんです。

あ、心配しないで下さいね!30分で効果は切れますし、

辺古山さんが黙っててくれれば、お巡りさんにも怒られなくて済みますから……」

 

「私は、時々お前の行動が読めない」

 

とにかく、みんなそれぞれの形で戦ってくれた。

おかげでこうして土産話や思い出に浸っていられる。それだけは確かだ。

 

 

 

 

 

工場にたどり着いたものの、停電で全ての自動ドアや電子ロックが動かなくなり、

その度に叩き破るなり迂回するなりしていたから、捜索にはかなりの時間を要した。

でも、とうとう俺はたどり着いた。

 

「……いるんだろう。出てこい、塔和モナカ!」

 

《アハハハ、こんにちは、お兄さん!》

 

暗闇に包まれた広大なホールにモナカの声が響く。

EMP爆弾でスピーカーも壊れたはずなのに、明らかにマイクを通した音声。

実際、武装を固めた大型ロボットが立ち並ぶが、軒並み煙を出して壊れている。

 

《盾子お姉ちゃんの偽物はどうしたの?戦いが嫌でサボり中?

わかるよー。痛い思いして叩いたり叩かれたり。バカバカしいよね~》

 

「違う!俺達を信じて今も待ってる!

本当は自分で戦刃を迎えに来たかったはずなんだ!」

 

《ぷっ。信じるだの、迎えに行くだの、小学生じゃないんだから。

あ、モナカも元小学生でした~その小学生に笑われるなんて、

大人ってやっぱり悲しい生き物だと思うんだ……》

 

「勝手に思ってろ。いい加減出てきたらどうだ」

 

《いいよ!サクッと勝負を付けて、絶望と希望、どっちが強いか決めようよ》

 

すると、ホールの最奥に立っていたロボットのモノアイが光り、

闇の中で不気味に浮かんだ。なぜかあの機体だけは電磁波攻撃の影響を受けていない。

 

《見て、絶望的最終兵器・ブラックサスペリアンMk2だよ!

ゴテゴテした装備を取っ払って、オーソドックスなタイプに仕上げたんだ!

お兄さん、超高校級の希望なんだよね?

希望のどこが良いのか、何が良いのか、どれだけ強いのか、モナカに教えてよ!》

 

モナカの前口上が終わると同時に、

ブラックサスペリアンMk2が機体から一瞬光を放ち、完全に起動した。

そのまま背中に差したブレードを装備し、

ドシンドシンと足音を立ててとこちらに近づいてくる。

俺も覚悟を決めて静かに目を閉じる。

 

再び開いた目は、火のように赤く燃えていた。

“超高校級の希望”を発動した俺は、まずは超高校級の夜目を呼び起こし、

真っ暗なホールでの視界を得た。ホールの全体像が明らかになる。

まるでコロシアムのように円形で、観客席まで設けられていた。

 

《わーすごい!それがカムクライズルの能力なんだね!》

 

「俺は、日向創だ。お前にわかってもらおうとは思わないが、来い」

 

《じゃあ遠慮なく!》

 

ブラックサスペリアンがダッシュして一気に距離を詰め、ブレードで薙ぎ払おうとした。

俺は超高校級の陸上部、格闘家、忍者、戦闘に必要な才能をかき集め、

後ろに宙返りしてロボットの一閃を回避。

だが、それだけだ。まだ敵の攻撃を一度かわしただけ。

あれを破壊して、中からモナカを引きずり出さないと。

 

ここに来て、俺は丸腰だったことに思い至る。

今までは人間相手だったから超高校級の希望で軽くあしらえたけど、

まさか無傷のロボットが残っていたことは想定外だった。

超高校級の修理工でロボットを分析してみる。

 

直すことができるなら壊すことも可能……と思ったが、

やっぱり人間の力でどうにかなる部分はない、という結論に達した。

わかったことは、装甲に特殊な加工がされていて、

光学兵器の類を軽減する効果があるということ。

EMP爆弾が効かなかったのもそのせいだろう。

 

《どうしたの?何もしないでターン終了でいいのかな。

なら、今度はこういうのもアリだと思うんだけど、どうかな!》

 

今度はロボットの右腕が銃型に変形し、エネルギー弾を連射してきた。

横にステップを取り、後ろに下がり、嵐のように襲い来る熱の塊から逃げ続ける。

だめだ!避けるだけじゃ先に体力を消費しきって、俺は負ける。

 

《ほら、お兄さんも攻撃していいんだよ?

早くをモナカを捕まえてくれないと、二代目の江ノ島盾子になっちゃうかも!》

 

「させない、さ……」

 

俺はホールに並ぶ壊れたロボットが装備していた槍を、思い切り蹴って折った。

かなり重いが、これなら人の手でも持てる。

柄にハンカチを巻いて、しっかりと握り、モナカの機体に突進。

 

「うおお!!」

 

《そうそう。武器は装備しないと意味がありませんよ。って定番のセリフだよね~》

 

モナカは敢えて攻撃をやめ、俺の一撃を待つ。こちらを見くびっているなら好都合。

腰を低くして、重い槍の突きを食らわせた。

 

ガチン。

命中はしたが、俺の攻撃は重装甲のロボットに傷一つ付けることができなかった。

 

「ぐあっ!」

 

しかも、反動で自分から後ろに吹っ飛ばされる始末。

手製の槍も弾き飛ばされてしまった。

 

《今、何やったの~?ごめん、絵本に夢中で見てなかったー

モナカは、ウーのことを考えていました》

 

「くそっ!」

 

超高校級の希望。

あらゆる才能を持つこの体質にも、徒手空拳じゃ限界があることを思い知らされる。

 

《うん。これ以上続けても無理だよね。もう終わりにしようか。

絶望が希望を倒して、世界は盾子お姉ちゃんの望んだ世界になる。それでいいよね?》

 

ブラックサスペリアンがマシンガンの銃口を俺に向ける。

俺にはそれを睨みつけることしかできない。……敵を甘く見すぎた代償か。

銃身にエネルギーが集まり、間もなく身を焼き尽くす弾丸が発射される。

後のことは、みんなに任せるしかない。すまない、江ノ島……

 

──その槍は、君に向いた武器ではなかったようだな。

 

突然、謎の声がホールに響く。声の主を探すのに時間はかからなかった。

観客席に、目に痛いほど熱く燃える刀を持った長身の男性。

驚く間もなく、彼はこちらに飛び降りてきた。そして俺に歩み寄り、手を差し出す。

その手を借りて立ち上がると、彼が名乗った。

 

「……あの日、執務室で聞いていただろうが、第二支部長、宗方京助だ。

能力に頼りすぎれば、自滅を招く。これで学んだな?」

 

「はい……」

 

「ならいい。あれは私が引き受けよう」

 

白のスーツに真っ白な髪が目を引く彼が、刀を構える。

 

《おじさんだーれ?未来機関って言ったけど、今は絶望と希望の決戦で忙しいんだー

モナカが勝利を収めるまで、もう少し待っててね》

 

「お前に勝利はない。私の刃で、ただ斬り捨てる」

 

《ふーん。未来機関って絶望なら小学生でも殺しちゃうんだー。

まあ、モナカが負けることはないけどさ》

 

「ああ、殺す。江ノ島盾子を受け継ぎ世界を再び絶望に陥れる、未来のお前を!」

 

《意味がわかりませーん。

それじゃあ、モナカは殺されたくないから、おじさんを、殺すね?》

 

モナカが俺を狙っていた銃口を宗方さんに向ける。

一瞬、エネルギーが収束する静かな音がすると、ロボットのマシンガンが吠え、

凄まじい光の弾丸が彼に食らいつく。

だが、宗方さんは瞬間移動のように、走るのではなく、地を滑り、

眉ひとつ動かさず激しい攻撃を回避する。

 

《なに!?自動追尾が追いついてないのはなんでかな!》

 

超人的な動作で一気にブラックサスペリアンに肉薄した宗方さんは、

刀の出力を最大まで上げる。

刀身が更に燃え上がり、宗方さんを陽炎が包み、周囲に熱風を叩きつけた。

当然それを持つ彼も手に火傷を負っているが、

気に留める事なく、刀を構えて頭上に刺すような視線を送る。そして。

 

「破っ!」

 

人間離れした脚力でブラックサスペリアンの眼前に跳躍し、

空間ごと切り裂くように、斬撃を放った。

そして、着地すると間髪を入れず、足、胴、顔を斬りつけていく。

ロボットの腕から何かが落ちた。

最初の一撃で切られた右腕が、

今になって切断されたことに気づいたかのように遅れて地に転がる。

切断面は熱でドロドロに溶けていた。

 

《うあーん!ダメージ蓄積率が5割を超えちゃったじゃない!来ないで!離れて!》

 

「私が与えてやれる選択肢は、降伏か死だ!」

 

その後も次々に斬られた装甲や武装がガタゴトと音を立てて落ちていく。

もう反撃もままならず、二本足で立っているのがやっとの状況。

唯一無傷なのは胸部のコクピット。宗方さんがあえて攻撃を避けていた部分。

つまり、この中にモナカが中にいる。

 

「選べ。決断に無駄な時間をくれてやるほど私は親切ではない」

 

《……じゃあ、モナカを殺しなよ。何が起きるかは保証できないけど》

 

「何が言いたい」

 

《このブラックサスペリアンには特殊な機能が備わっているのです。

モナカが死んだり、機体のAIが致命的損傷を受けると、

モノクマキッズのヘルメットが自動的に爆発……》

 

「それらはEMP爆弾で無効化されたはずだ。

実際、隊員が妙な被り物をした子供達を保護している」

 

《……あー、そうだった。モナカのバカ》

 

「出る気がないなら私が出してやってもいいが」

 

《取引しないかな?

塔和シティーには、世界の復興に役立つ先進的テクノロジーが山ほどあるんだけど、

それを再現できるのは……》

 

ドスッ、と何も言わずに宗方さんがコクピットに刀を突き立てる。

 

《きゃあっ!!やめて、熱い!》

 

モナカの命乞いにも無言を貫き、円を描くようにコクピットの装甲を焼き切った。

そして、邪魔な装甲を取り払うと、

そこには操縦席で小さくなって怯える塔和モナカの姿。

 

「うう……また負けた。

どうして希望なんかに、勝てないのかな。みんな絶望から逃げちゃうのかな。

おじさんわかる?」

 

「お前が希望から逃げているからだ。絶望と希望は表裏一体。

だから、その一方に身を堕とした絶望の江ノ島盾子は、

歪んだ希望と共に奈落へ落ちていった」

 

「おじさんなんかに盾子お姉ちゃんのことなんかわからないよ!

どうでもいいと思ってたけど、やっぱり大人なんかろくでなしだよ!」

 

「確かに今のお前にとっては、私はろくでなしでしかないのだろう。

いつかわかる時が来る。

どれだけ絶望を求めても、お前の毛嫌いしている希望が顔を覗かせるものだ」

 

宗方さんはポケットから、プラスチック紐の簡易手錠を取り出し、

モナカの両腕と両足を縛った。

彼女を担いで機能停止したブラックサスペリアンから降りてくると、

宗方さんはモナカを寝かせて、スマートフォンで何かを入力。

それが終わると、俺に歩み寄って来た。

 

「塔和モナカ確保の連絡、現在位置の情報を送信した。

後は、突入部隊に任せればいいだろう」

 

「あ、ありがとうございます。助かりました……」

 

「礼は不要だ。これは私の、ひとつの決着だからな」

 

「決着って?……しまった!みんなのところに戻らないと!」

 

「既に強襲部隊が合流し、残党は全員無力化された。77期生は全員無事。

後は第二支部から待機中の江ノ島盾子が歌を送信し、残党に聴かせた。

今はもう一般人だ」

 

「そう、ですか。よかった……これで。終わったんですね」

 

宗方さんが俺の隣に座り込む。

 

「早合点するな。まだ最後の仕上げが残っている。……江ノ島盾子だ」

 

「そうだ江ノ島だ!彼女の歌なら世界から絶望を消しされる。

これからは、彼女の歌を広めることが未来機関の仕事になるんですよね」

 

「とは言え、それほど時間を取る必要もない。

詳しくはここの後片付けが終わってから通知があるだろう」

 

「ここはもう、街としては使い物にならなくなりましたね」

 

「便利な設備は確かに失った。だが、人がいる。

そこに住む人が生きる意志を失わない限り、再建は可能だ。

無論、塔和モナカの知恵を借りる気はないが。

……ふん、君一人でよくここまで来られたものだ。

私など、殆どのドアが電子制御だったから、

わざわざ斬り破ってようやくたどり着いたというのに」

 

「きっと、俺の中にある“超高校級の幸運”が発動したからだと思います」

 

「幸運か……使いこなせれば全てをひっくり返す無双の力となるだろう」

 

「その後の不幸が怖いんですけどね。もうひとりの持ち主によると」

 

「……日向創」

 

「はい?」

 

「君は、なぜこの作戦に志願した」

 

「それは、仲間の大事な姉を助けるために……」

 

「それだけか?」

 

俺は、少し考えてまた答えを返した。

 

「罪滅ぼしです。俺達が、いや、俺がカムクライズルだった時に奪った命に対する」

 

「つまり、贖罪か。……私も、似たようなものだ」

 

「どういうことですか」

 

「救えたかもしれない命をこの手で奪った。

今日ここに来たのは、私もまた、何かで罪を贖いたかったからかもしれない」

 

宗方さんの言葉の意味はわからなかった。

ただ触れてはいけない何かがあるような気がして、黙っていることにした。

 

結果を見ると作戦通りとは行かなかったが、

みんなで力を合わせて塔和モナカ確保に成功。

後は戦刃が見つかれば全て丸く収まるんだが。

 

それについては、行方知れずの彼女を、

未来機関の隊員が塔和シティー全体を探して見つけてくれるのを待つ事しかできない。

能力を使いすぎて身動きするのがやっとだ。

思い出したように身体が疲労感に支配される。

俺はただのハリボテになっているロボットの一体にもたれて、

なんとなくその脚をコツンと叩いてみた。

やっぱり動きはしなかったけど。

 

 



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第22章 青空を求めて

「はっ!!」

 

「ごぶうっ!」

 

完全に包囲された私達。

壁と二人の不思議な人達を背にして、絶望の残党にフェンリルの格闘術を叩き込む。

腹に肘鉄を食らった敵が崩れ落ちる。次。絶対この人達に近づけちゃ駄目。

二人共武器を失ってる。私が守らなくちゃ!

 

「ね、ねえ!あんたさっきから何やってんのよ!

銃があるんだから撃てばいいじゃない!」

 

「ごめん!それは、できないんだ!」

 

「なんでよ!」

 

腐川さんの言うことも、もっともだね。角材の横薙ぎを避けながら答えた。

でも、本当にできない。

私に宿る罪の意識が、背負ったアサルトライフルのトリガーを引くことを躊躇わせる。

自分自身の罪じゃないことはわかってるけど、私はこれ以上命を奪いたくない……!

 

戦いはまだ終わらない。視線を走らせ、武器を構えた一人のもとへ駆け出し、

動かれる前に掌打を顔に命中させた。脳に衝撃が走り、敵は声も上げずに崩れ落ちた。

考える前に次の標的へ飛びかかる。

鏡に反射する光のように、敵から敵へと一撃を加えては離脱し、

敵集団にダメージを与え続ける。

 

だけど、かれこれ1時間は戦い続けたのかな。

さすがに軍人の私でもちょっとキツくなってきた。

汗が止まらないし、呼吸も荒くなってきた。

状況としてはマズいけど、動きを止めるわけにはいかない。

 

背後に複数の気配。瞬時に下がり、身をよじり、横に滑る。

3人の攻撃を避けきった……と思ったけど、最後の鉄パイプを左腕に受けてしまった。

激しい鈍痛に思わず悲鳴が漏れる。

 

()っ!!」

 

骨は折れてないけど、ヒビが入ったみたい。

右腕で攻撃を続けようとするけど、痛みが邪魔で回避行動を取るのがやっと。

体力も限界に近い。せめて、二人の逃げ道を作れたら良かったんだけどな。

残党達が私を取り囲み、凶器を手にじりじりと距離を詰めてくる。

 

これでも結構頑張ったんだけど、やっぱり駄目だったよ。

盾子ちゃん、また会いたかったけど、最後まで残念なお姉ちゃんで……ごめんね。

 

 

 

 

 

「戦刃さん!しっかりして!」

 

「もう嫌、こんなの!こまる、ティッシュ貸しなさい!!」

 

「ジェノサイダー翔になるの!?だめだよ!

戦刃さんが銃を使わなかったのは、きっと誰も殺したくないから!」

 

「あたしらが死んでも結果は同じでしょうが!

そりゃあたしだって奴に頼るのはすごく不本意よ!

でも、会ったばかりだけど味方を見殺しにしたら……ええと、白夜様に嫌われるし!」

 

「絶対、殺さないって約束してね」

 

「記憶を共有できないのに、あたしと約束しても意味ないでしょう!

ちょっとは考えて喋りなさいな!」

 

いちいち大声を出させるこまるから、ポケットティッシュをひったくると、

1枚をよじってこよりを作る。うう…さようなら、あたしのアイデンティティー。

白夜様が来たらこんな島、更地にしてコインパーキングにしてもらうんだから!

覚悟を決めてティッシュの紐を鼻に入れようとした。

 

……こよりが鼻先に達した時、空から腹に響くような

ヘリの大きなローター音が迫ってきて、あたし達の上空でホバリングを始めた。

意味不明なヘリを見上げていると、搭乗口が開き……

なんか大勢飛び降りてきたんだけど!しかもパラシュートを着けてる様子もなくて、

完全に自由落下に任せてどんどん地上に近づいてくる。

 

わざわざこんなとこまで飛び降り自殺しに来たのかしら、と思うと同時に、

謎の集団は空中でバランスを取り、普通の人間なら絶対死ぬ高度から全員着地。

なによこの変な連中。みんなサングラスを掛けて、黒のスーツを着込んだ

10人くらいの集団。要人のSPみたい。

彼らの一人があたし達をちらっと見ると、一言だけ告げた。

 

「……やれ」

 

その言葉を合図に、黒服達が四方に散らばり、絶望の残党達に攻撃を始めた。

二丁拳銃を連射し容赦なく衝撃弾を叩き込む者。

両手にメリケンサックを装備し、凄まじい速さで幾人もの敵を殴り倒す者。

電撃ムチで一度に大勢をなぎ払い、身体の自由を奪う者。

 

それぞれが個性的な武器で戦い始めると、残党達は一気に数を減らす。

完全に行動不能状態になり、地面でもがいて呻き声を上げるだけ。

そして黒服達は、ほんの数分とかからず手近な敵を蹴散らすと、戦刃の周りを固めた。

驚いてるのは彼女も同じみたい。座り込んだまま彼らに訪ねる。

 

「あなた達……誰?」

 

「怪我は?」

 

「えっと、左腕にひびが入ったみたい」

 

返事を聞くなり、彼らの一人が骨伝導マイクで、恐らく上のヘリと通信。

その間も他の黒服が圧倒的な戦闘力で敵を叩き潰してるけど、

まるで営業先から自社に電話を掛けるかのように、

周囲の戦いを気にする様子もなく話している。

 

「十神様、要救助者を確保。民間人に負傷者1名。救助を願います

……はい、間もなく完了です。……ええ、かしこまりました。では、失礼します」

 

通話を終えると、彼は戦刃に応急処置を施す。

手当てが終わると、自分も残りの敵に向かって猛スピードで駆け出し、

大きな体格を活かして強烈なタックルを食らわせた。

モノクマのマスクを着けた残党が、バウンドしながら10m程吹っ飛ぶ。

さっきから思ってたんだけど、連中の間抜けなマスクのせいで、

この戦いって緊迫感に欠けてるのよね。

 

謎の集団が降下してからわずか30分。絶望の残党は全滅。

死んじゃいないから、全滅って表現が適当かは小説家として一考の余地ありね。

また黒服がどこかと通信すると、今度はヘリ自体が下りてきた。

地上に降下し、昇降口のドアがスライドして、中から降り立ったのは……白夜様!?

 

 

 

 

 

腕時計を見る。28分31秒。

エリートを集めた俺の私兵としては、まあまあの成績だろう。

パイロットに降下を命じて、タブレットを確認。

第一、第二支部もやってくれる。この十神を差し置いて、

世界の命運を左右する作戦を勝手に立案し勝手に実行。

しかも動機はあの江ノ島盾子だと?

 

諜報員の報告が1日遅れていたら、

世界復興後のイニシアティブを取られていたかもしれん。

後日、会長にも宗方京助にも、この独断専行についてたっぷり詰問してやらねばな。

とりあえず今は現場確認だ。ヘリが着地すると、自動的に乗降口が開いた。

ハリボテとなった塔和シティーとやらをじっくり視察するとしよう。

 

荒れ放題の地面に高級革靴を履いた足を下ろす。砂利やガラスがパキパキと音を立てる。

ふん、この俺にふさわしい場所ではないな。

電磁波攻撃で先進的テクノロジーを失った今、塔和シティー自体は用済みだ。

こんなところ、更地にしてコインパーキングにしたほうが建設的だろう。

 

などと考えていたら、砂利より遥かにうるさい存在が駆け寄ってきた。

 

「白夜様ー!!ペガサスに乗ってあたしを迎えに来てくださったのね!」

 

到着するなりこれか。ため息が出る。

奴が抱きつこうとしてきたから、足で顔を押し返した。

 

「もごもご!褒めてくだひゃい!

あたひ、ちゃんとジェノサイダーを制御していたんでひゅ!

頑張って一人も殺さなかったんです!」

 

「戦場で騒ぐな馬鹿者。人を殺さんことなど当たり前だ。

それがわからんからいつまで経っても見習いなのだ」

 

「ぷはっ、ごめんなさい白夜様、謝らなきゃいけないことが……

あなたの愛がこもったプレゼント、壊れてしまったの!!情熱の熱いスタンガン!」

 

「あれは未来機関の技術班が作った支給品だ。なぜ貴様に贈り物などせねばならん。

それはEMP爆弾が炸裂した時点で理解している」

 

厄介な存在に時間を取られていると、耳慣れた声が俺を呼んだ。

 

「十神さーん!」

 

隊員2名に守られ、見知らぬ少女に肩を貸しながら、やはり知った顔が近づいてくる。

 

「貴様もいたか。苗木の妹」

 

「こまるですー!ちゃんと名前も覚えて下さいよ~…ってそうじゃなかった!

戦刃さんが怪我を」

 

「聞いている。早くヘリに乗せろ。ついでにお前も本土に帰れ。

生存者の救助は俺の私設部隊が行う。少しでも第一支部に貸しを作る必要があるからな」

 

「そう言えば、あの人達って誰なんですか?凄く強かったです!」

 

「俺のポケットマネーで結成した、元超高校級だけを集めた特殊部隊だ。

狂っただけの一般人など敵にもならん。疑問が解消したならもう行け」

 

「はい、ありがとうございます!」

 

苗木の妹がヘリに乗り込もうとした時、彼女と同行している人物に目が留まった。

 

「そこの。待て」

 

「……私?」

 

「他に誰がいる。お前は、誰だ」

 

「戦刃むくろ」

 

「なんだと!?

……お前は、希望ヶ峰学園で江ノ島盾子に殺された戦刃むくろなのか、

同姓同名の別人なのか。答えろ」

 

「前者の……クローンだよ。塔和モナカに造られた」

 

これには俺も唾を飲む。

江ノ島盾子の例があるとは言え、人が人を造るなど、正気の沙汰ではない。

 

「ここで、何をしていた」

 

「モナカを止めようと戦ってた。苗木さん達とは街で出会ったんだ。

……そうだ!あなたにお願いがあるの」

 

「聞きたいことは色々あるが、まあいい。言ってみろ」

 

「このポイントに元希望の戦士達がいる。

きっと、電気もつかないビルの中で孤立してる。あなたの隊員で助けてあげて欲しいの」

 

戦刃が無事な右手でスマートフォンを操作し、マーカーの着いたマップを見せた。

ほう?使い方次第では役に立たないこともない。

 

「……本来なら、“知ったことか”で済ませるところだが、

一度は塔和シティーを支配した重要参考人を連れ帰れば、

会長らとの交渉で強力なカードになる。

いいだろう、俺の特殊部隊で子供を確保し未来機関に引き渡す。それでいいな?」

 

「ありがとう……」

 

「満足したなら行け。腐川!お前もだ」

 

「あらやだ、あたしったら。うっかり白夜様に見とれてたわ。すぐ行きますぅ!」

 

うるさい連中、と言っても本当にうるさいのは1人だが、彼女達がヘリに乗り込むと、

間もなく機体が上昇し、飛び去った。

塔和モナカが確保された今、大した収穫はないとさして期待はしていなかったものの、

思わぬ情報を手に入れた。俺は隊員を呼び寄せ、新たな司令を下した。

 

 

 

 

 

突然入り口のドアが大きな音を立てて、向こう側から引き剥がされるように外されると、

黒服の人達が大勢なだれ込み、僕達を取り囲んだ。

 

「あひいいい!なんか強そうな人がいっぱい来ちゃったよう!」

 

「だ、誰だよお前ら!」

 

「新月さん……」

 

空木さんが心細さに僕の袖をつまむ。僕も何も言わず、彼女の手を握った。

そんな不安を察したように、女の人が優しく声を掛けてきた。

 

「君達が元希望の戦士ね。心配いらないわ。あなた達を傷つけにきたわけじゃないの」

 

「……未来機関の人ですか?」

 

「正確には未来機関の幹部を務めておられる方が作った私設部隊ね。

直接的なつながりはないの。私達と一緒に来て。

もうこの街じゃ生活できないことはわかってるわよね?」

 

「一応聞きますが、断ったら?」

 

「お願いだからそんな質問に答えさせないで。

予想はしてると思うけど、少し不自由な思いをしてもらわなきゃならない。

でも誤解しないで。私達はあくまで救助に来たの」

 

「……わかりました。みんな、行こう」

 

みんなも黙ってうなずく。

事前の取り決め通り、未来機関が押しかけてきても抵抗はしない。

僕達は黒服の人達に囲まれながら、生活拠点だった廃ビルを後にした。

 

 

 

 

 

塔和シティー上空に多数の輸送ヘリが飛び交う。

戦い終わった77期生の回収、塔和モナカの収容、生存者の救出。元希望の戦士の救助。

赤い空にこれほど多くの航空機が舞ったのは、あの事件発生以来ではないだろうか。

これで、塔和シティー攻略作戦は終結した。

ヘリはそれぞれ然るべき場所へ帰投していく。日常ではなく、新たな戦いへ向けて。

 

 

 

 

 

未来機関第七支部

 

元希望の戦士達は、取調室で1度目の塔和シティー占拠について事情聴取を受けていた。

彼らも一時は塔和モナカと手を組み、都市に住む大人達を惨殺していた。

そこに至るまでの動機や方法を知る必要がある。

 

何より、塔和モナカの人となりを知る彼らの情報は、

今後の絶望への対処について大きな手がかりになるものだった。

元超高校級のセラピスト、月光ヶ原美彩が、

パイプ椅子に座った少年少女の話を直接聞く。

 

“……よくわかりまちた。

君達は、子供だけの楽園を作るために、大人達を排除した、ということでちゅね?”

 

「ああ。復讐もひとつの理由だけど、僕達の目的は、ただ幸せになることだった……」

 

“本当に悪いのは、君達を虐待してきた大人。そう結論付けるのは簡単でちゅ。

でも、君達が無関係な人間を巻き込んだことは許されることではありまちぇん”

 

「わかっていますわ……今となっては」

 

「ごめんなさいって100万回言っても足りないことは、ボクちんにだってわかるよー」

 

「オレ、馬鹿だから他に方法が思いつかなかったんだ……」

 

“塔和モナカ含む君達には、刑罰を受けてもらうことになりまちゅ”

 

新月渚はぎゅっとズボンを握る。小学生には耐え難い緊張。

言い渡されるのは、極刑か、それとも。

 

“刑罰の内容は──”

 

月光ヶ原が、未来機関上層部の協議の上決定された、

元希望の戦士達にふさわしい量刑を告げた。それを聞いた彼らの目が驚きで見開かれる。

 

「そ、そんなことが可能なのか!?」

 

“はいでち。既に成功例もありまちゅから、君達にもそれを受けてもらいまちゅ”

 

「信じられない話ですわ。それが未来機関ですのね……」

 

「でもでも、やれって言われたらやるしかないよね。

実は、ボクちんそんなに嫌じゃなかったり」

 

「やるよ。それがオレ達の償いになるなら」

 

“では、さっそく別室へ来てくだちゃい。心配することはありまちぇん。

付き添ってくれる志願者がいまちゅから”

 

「付き添い?」

 

“会えばわかりまちゅ。さあ、こっちへ”

 

月光ヶ原が部屋から出ると、元希望の戦士達も戸惑いながら彼女の後についていった。

 

 

 

 

 

未来機関第十四支部

 

「みんな、おかえりなさい!」

 

アタシはヘリポートで、ヘリから降りてくるみんなを出迎えた。

誰一人欠けることなく作戦が成功したって連絡を受けて、ずっと屋上で待ってたの。

 

「やっほー盾子ちゃん。まさかモノクマ以外に絶望の残党がいるなんて思わなかったわ。

もう奴らの相手でクタクタよ。途中から未来機関や特殊部隊が加わってくれたけどさ」

 

「無事で良かったわ。小泉さんも日寄子ちゃんも怪我はない?」

 

いつも一緒の日寄子ちゃんと二人組で戦ってると思ったんだけど、意外な答え。

 

「それがさー、今回は小泉おねぇとは組んでなかったんだ」

 

「あら珍しい。それじゃ誰と?」

 

「澪田おねぇだよ!ねえ聞いてよ。あのマイク、声を吸収するって話だけど、

ちょっと漏れ出てわたしの耳に入ってたんだよ!

おかげで背筋が寒くて、舞いに集中するの大変だった!」

 

「失礼っすよー!人の歌を幽霊みたいに!」

 

「実際それで戦ってたろーが!存在しない分、幽霊のほうがマシだっつーの!」

 

「喜ぶのはいいが、俺様の召喚せし三闘神の活躍も忘れてもらっては困る。

大地を揺るがす咆哮が地獄の悪鬼に破滅をもたらし、

戦場に吹き荒れた暴力の嵐が時空を歪め、

局地的に発生した太陽光フレアが森羅万象を焼き尽くしたのだ。

江ノ島よ、お前が来なかったのは幸運だと思え。

あの惨状を目にするのは……俺達だけでいい」

 

「話盛ってんじゃねーよ、ロボット頼りだったくせに!」

 

「あはは……とにかくみんな無事に帰ってきてくれて嬉しいわ。

あの、それで、お姉ちゃんはどこにいるの?」

 

一番気になることを尋ねると、皆の表情が曇った。

小泉さんが一言ずつ言葉を選んで答えてくれた。

 

「それがさ、戦刃さんはアタシ達とは別のヘリに収容されたみたいで、

ここにはいないんだ。

命に別状はないんだけど、絶望の残党との戦いで負傷したらしいって連絡があった」

 

「怪我!?それで、お姉ちゃんは今どこなの?」

 

「状況が込み入ってるんだけど、

戦刃さんは、未来機関とは直接的には無関係の部隊に救助されたらしいんだよね。

盾子ちゃんのお姉さんは、その人達の本部で治療を受けてる。聞いたところによると」

 

「お願い、アタシをそこに連れてって!お姉ちゃんに会わせて!」

 

「わわ!アタシもその本部がどこにあるのかはわからないの!ごめん!」

 

「じゃあパイロットの人に聞いてみる!」

 

アタシはみんなが乗っていたヘリに乗り込んで、パイロットに尋ねる。

ヘッドホンを着けた彼が驚いて振り向く。

 

「姉がいる所までお願い!名前は戦刃むくろ!」

 

「それが、お姉様の居場所は、十神支部長しか……」

 

「なら、その十神さんって人の連絡先を教えて、お願い!」

 

「それは極秘事項というより、一隊員の私には見当もつきません!」

 

「だったら知ってる人に心当たりは?」

 

パイロットに噛み付く勢いでまくし立てていると、腰のタブレットが振動した。

画面を付けると、霧切さんのビデオ電話。

 

“ちょっと、落ち着きなさい。駄々っ子みたいに何?”

 

「駄々っ子でいいわよ、お姉ちゃんが怪我したっていうのに!

霧切さん、十神っていう人に連絡を取ってくれないかしら」

 

“もう取ってる。私も行くからそこで待ってて。

どのみち燃料補給にしばらく時間がかかるから大人しくしてるのよ?”

 

「ありがとう!感謝してる!」

 

通信が終わると、アタシは輸送ヘリのシートに座り込む。

タブレットの画面を見ると、金髪のロングヘアになった江ノ島盾子が映り込む。

これが、今のアタシ。戦刃むくろの妹。

派手な服はそのままだけど、しばらくはこの格好を続けるつもり。

……いつ、どんな形で必要になるかわからないから。

 

さっきは散々騒いでたけど、

座っていると、徐々にそんなことを考える余裕を取り戻した。

じっと待っていると、ブーツの足音が機内に入り込んでくる。

アタシを見た霧切さんが呆れた表情で軽くため息をついた。

 

「まったく。ヘリで待ってるくらいなら、外のみんなを労ってあげればいいのに」

 

「あ!そうよね……ごめんなさい、アタシったら自分のことばっかり。

後でみんなに謝らなきゃ」

 

「そうしてちょうだい。

……そこのあなた。疲れてるところ悪いけど、さっき送った座標にもう一度飛ばして」

 

「了解しました」

 

霧切さんがパイロットに指示すると、

ヘリのローターが回転を始め、再び機体を浮上させた。

そして、みんなが帰ってきた方向とは別の方角へ速度を上げる。

耳を痛めるほどのローター音の中、ヘッドホンを通して彼女が話しかけてきた。

 

「今から戦刃さんのいる基地に向かうけど、そこは未来機関とは無関係なの。

その責任者が、なんというか、癖の強い人物だから気をつけて」

 

「お姉ちゃんを助けてくれたなら恩人ね。

長かったわ。みんなの協力がなかったら、お姉ちゃんとはずっと離れ離れのままだった」

 

「怪我は大したことはないけど、今日は大事を取って入院するらしいわ。

寝てるかもしれないわよ」

 

「いいの。一目顔を見られたら。目を覚ますまで椅子にでも横になって泊まり込むわ」

 

「……少し形は違うけど、それが姉妹の絆ということでいいのかしら」

 

「ええ。例え偽物同士でも、アタシ達はたった1人の姉であり妹なの。

お姉ちゃんもそう思ってくれてると信じてる」

 

「そう。この世界は、徹底的なまでに破壊されたけど、

荒れ地に新しいものも芽吹いたのね」

 

霧切さんが真っ直ぐアタシを見る。彼女がアタシをどう思ってるのかはよくわからない。

ヘンテコな存在だとみなされてるのは確かだと思う。

 

だけど、世界がアタシ達をどう見ようと、確かにアタシ達は本物の偽物の家族。

その姉にもうすぐ会える。ヘリが高度を下げ始めた。

窓から外を見ると、未来機関とは異なるデザインのビルが見える。

アタシは、はやる気持ちを抑えきれなかった。

 

 

 

 

 

特務機関十神インダストリー 医務室

 

“……貸しは高くつくぞ”

 

“ふぅ、具体的にはいくら?

あなたに何億渡したところで、小遣い銭にしかならないだろうけど。

第十四支部支部長の座を明け渡せとでも?”

 

“今の所はそれでいい。余った分は、今回の我が機関の功績を、

次の議会で他支部の連中にわかりやすく説明することで精算しろ”

 

“要は出世の手助けをすればいいのね?はいはい、わかりました。

でも、あなたの部隊の活動を、

上が手柄と見るか無用な介入と見るかは保証できないわよ”

 

“江ノ島盾子は戦刃むくろの救出を条件に力を貸すと言っていたのだろう?

その戦刃を実際に救助した俺達を無視できるわけがない”

 

“だといいわね。ちなみに、未来機関はあなたが勝手に結社して、

報告もなしに活動してることを快く思ってないわよ。

自分で自分の足を引っ張らないよう気をつけることね”

 

“俺の金で何を作ろうが俺の勝手だ。

プライベートの時間にまで干渉しないでもらいたい”

 

気を利かせて二人きりにしてくれたけど、

霧切さんと十神さんの声が人気のない廊下から響いてくる。

何のことかはよくわからないけど、一番大事なことは、

目の前に、お姉ちゃんがいるってこと。

 

左腕に添え木を当て、包帯を巻かれてベッドに横たわる姉と、少し見つめ合う。

胸がいっぱいで言葉が見つからないの。

しばらくすると、お姉ちゃんの方から話しかけてくれた。

 

「……盾子ちゃん、来てくれたんだね」

 

「うん。ずっと、会いたかった。お姉ちゃん……!」

 

抱きつきたかったけど、傷に障るから右手を握った。お姉ちゃんも握り返してくれた。

 

「あの島を出て以来だね。短かったけど、楽しかった」

 

「そうね。みんなと遊んで、本当に修学旅行って感じで」

 

「だから、ログアウトした時、心細かった。

どうして私だけ塔和シティーの研究室なんだろうって。

みんなと同じ場所で目覚められないんだろうって」

 

握った手を顔に寄せて、祈るように顔を伏せる。

 

「ごめんね、お姉ちゃん……ずっと寂しい思いをさせて、ごめんなさい。

もっと早く迎えに行きたかった」

 

「謝らないで。十神さんから大体の事情を聞いたよ。

盾子ちゃん、私のために未来機関と取引してくれたんだよね。嬉しかった。

いきなり未来機関の攻撃が始まったから、なんでだろうって思ってたけど、

そういうことだったんだね。ありがとう。本当に、ありがとうね……」

 

「大丈夫、何も心配しないで。全部解決したわ。

塔和モナカは確保されたし、住人も全員救助された。もう戦わなくていいの。

これからは、ずっと一緒にいられるのよ」

 

でも、お姉ちゃんは何故か首を振った。

 

「盾子ちゃん、ごめん。またしばらく、会えなくなると思うの」

 

「そんな……嘘、どうして?やっと会えたのに……!」

 

思わず叫びそうになる衝動を必死に抑え込む。

 

「聞いて。今の私がまともな人格を持ってるのは、

盾子ちゃんの歌で私の全てが元通りになったからだよね」

 

「うん……」

 

「だから、この身体に宿るオリジナルの戦刃むくろの記憶も全て蘇ったの。

それは口にできないほどおぞましいもの。

絶望の江ノ島盾子の計画に加担し、罪なき人を傷つけ、

洗脳に抗う女性を外科的手術で……うん、やめとこうか」

 

「それは、オリジナルが犯した罪であって!」

 

「わかってる。生まれて数年の私にはそんなことできなかった。

だけど、どうしても心から重たい罪の意識が消えないの。

忘れようとしても、目を背けても、私は人殺しなんだって誰かが責め立てる。

心が汚れたままで盾子ちゃんと一緒に生きていくなんて、できないよ。

楽しい時間を過ごしたって、思い出は罪悪感に塗りつぶされる」

 

「じゃあ……お姉ちゃんはアタシのせいで、今まで苦しんで……」

 

「違う。盾子ちゃんが助けてくれなかったら、今頃もっと多くの人を悲しませてた。

盾子ちゃんは私を救ってくれたんだよ?」

 

「そんなこと言ったって……それでどうしてアタシ達が会えなくなるの?」

 

姉が告げた真実に混乱しつつも、どうにか肝心な疑問を口にする。

 

「私、盾子ちゃんとは、きれいな心になってから生きていきたいんだ。

だから一度罪滅ぼしをしようと思うの。過去の戦刃むくろに代わって」

 

「罪滅ぼし?お姉ちゃんもみんなと刑務所に入るの?」

 

「ううん。十神さんに聞いたんだけどね。

未来機関でこんなプロジェクトが立ち上がったの」

 

お姉ちゃんが、そのプロジェクトとやらについて説明してくれた。

でもそれは到底信じられないし、受け入れがたいものだった。

 

「だめよ!そんなのに付き合ってたら、何年かかるかわからないじゃない!

お願い、そんなことはやめるって言って。アタシを、ひとりにしないでよ……」

 

握ったままの手に、涙が滴る。

 

「ごめんね。やっぱり盾子ちゃんとは余計なものを抱えたまま生きていきたくはないし、

私自身のためでもあるの。……お姉ちゃんのわがまま、聞いてちょうだい」

 

「どうしても、だめ?」

 

「ごめんなさい」

 

お姉ちゃんの決意は固い。それもアタシが原因。

やるせない気持ちに苛まれながら、アタシはお姉ちゃんの手を静かに置いた。

 

「……わかった。アタシ、待ってる。いつまでも待ってるから」

 

「うん。すごく心強いよ。勇気を持って行ける」

 

「しばらくのお別れの前に、せめて」

 

アタシはベッドの上に身を乗り出し、お姉ちゃんの額にキスした。

薄くそばかすの散る顔がくっつくほど近くに。

 

「えへへ、照れるね」

 

「元気でね。って言うのも変だけど」

 

お互いクスクスと笑い合うと、腰のタブレットがまた震えた。

確認しようとしたけど、その前に霧切さんが駆け込んできた。

 

「二人共ごめんなさい!緊急事態よ!第十支部が反乱を起こした!

報告では現在敵からの要求は無し!

ただこちらの接近に気づくと、戦闘員から一般職員まで全員が捨て身で攻撃してくる。

呼びかけにも全く応じない。恐らく絶望ビデオの類で洗脳されてると考えられるわ!

江ノ島さん、あなたの力が必要」

 

「なんですって!?」

 

思わずお姉ちゃんを見る。コクリとうなずいた。

 

「行って。みんなを助けて」

 

「……わかった。すぐ戻るから!」

 

アタシは病室を後にして、霧切さん、十神さんと一緒にヘリに逆戻りした。

それが、お姉ちゃんとのしばしの別れになるとは知らずに。

 

 

 

 

 

第十支部上空

 

ヘリで1時間。上空から眺めると異様な光景が広がっていた。

第十支部のビルの周りを、警備兵のみならず事務職までもが、

中には通すまいとバリケードを固めている。

アタシ達の他にも投降を呼びかけるヘリが飛んでるけど、

彼らの耳には届いていない様子。

 

「愉快な状況だ。

支部長は確か、見るからに人を使うより使われる方が向いていそうな奴だったな。

根暗の考えることはわからん」

 

「その支部長の御手洗亮太が事件の首謀者と考えていいわ。

局員達の様子がまともじゃない。

元超高校級のアニメーターの彼なら、絶望ビデオを改変して拡散すれば、

この状況を生み出せる」

 

「なら、アタシの出番ね」

 

「超高校級の女神、か。ずいぶんヒラヒラした女神がいたものだ。

時代が時代なら盗撮魔の餌食だぞ」

 

十神さんがしげしげとアタシの格好を見て言い放つ。

 

「やめてくださいよ、この服やっぱりちょっと恥ずかしいんですから……」

 

「それ以上言ったらセクハラで告発するわよ。江ノ島さん、お願い」

 

霧切さんから渡されたマイクを受け取ると、

アタシは精神を集中して、深く息を吸い、喉でスキャットを奏でた。

 

ヘリのスピーカーから最大音量で放たれた歌声が、彼らに降り注ぐ。

途端に陣形を組んでいた局員が戸惑いを見せ、バラバラに散っていく。

 

「もう大丈夫そう。霧切さんの言う通り、何かに暗示を掛けられてたみたい」

 

「ありがとう。もう降下しても平気ね。ヘリポートまでお願い」

 

「なるほど、便利な能力だ。十四支部での賓客扱いも合点がいく」

 

その後、霧切さん達も参加した局員達への事情聴取によると、

最近支部長が仕事を秘書に任せ、何かの制作に没頭するようになったこと、

どこか追い詰められた様子だったことがわかった。

第十支部を占拠していたことについては、予想取り何も覚えていなかった。

 

「……わかったわ。じゃあ、記憶を失う直前のことについて教えて」

 

「はい。突然支部長から全局員に、

添付された動画を見るように指示するメールが来たんです。

ダウンロードして再生を始めたんですが、そこからは何も」

 

「その動画はまだ残ってる?」

 

「ええ、見られますよ。メールはまだ削除してませんから、これを……」

 

「待って!」

 

「え?」

 

霧切さんはタブレットでパソコンのモニターを半分隠した。

 

「続けて」

 

「はぁ……」

 

局員が動画を再生すると、

綺羅びやかな模様が一定の周期で入れ替わる、意味のわからない映像が流れ始めた。

霧切さんによると、それを見ていると、急に眠気が襲ってきて、

危機を感じた彼女は考える前にモニターの電源を切ったらしい。

 

「間違いない。この事件を引き起こしたのは御手洗亮太」

 

「支部長が!?」

 

「他に考えられない。

でも、画面半分でも意識を奪うような動画を、どうしてわざわざ局員に?」

 

「そもそも当の御手洗亮太はどこにいる。こんな動画で何がしたい」

 

「はっ……!そうよ、これはただの時間稼ぎ。彼は今、目的地へ向かってるはず」

 

「目的地か。最近サボりがちの支部長が必死に作った動画で何がしたいか……

ふん、あの施設しかあるまい。

塔和シティー制圧で今日の仕事は終わりと思っていたが、これは長丁場になりそうだ」

 

「急ぎましょう!」

 

「言われるまでもない。今度は俺が会長らを出し抜く」

 

 

 

 

 

アタシが行っても邪魔になるだろうから機内で待ってたんだけど、

霧切さん達が慌てた様子で乗り込んできた。

 

「何かあったの?霧切さん」

 

「離陸してから説明する。……例の施設へ向かって!」

 

「了解!」

 

「え、なあに?どうしたの?」

 

その声はヘリの徐々に回転速度を上げるローターの甲高い音にかき消され、

ふわりとした浮遊感を覚えると同時に、またアタシ達は空の旅へ。

一体なんだっていうの?

限界速度で飛行するヘリの中で、アタシは霧切さんに聞いてみる。

十神さんは仏頂面でなんか怖いし。

 

「ねえ、アタシ達はどこに向かってるの?さっきの騒ぎは結局何だったの?」

 

「大事なこと。よく聞いて。

第十支部長の御手洗亮太が、人を操り人形にするビデオを作って、

全世界に放送しようとしてる。私達はそれを止めなきゃならない。

希望ヶ峰学園の海外校になるはずだった建物があって、

現在未来機関が使用してるんだけど、

そこに世界中に情報を発信できる放送設備があるの。彼が目指しているのはそこ。

江ノ島さんにも協力してもらうわ。

きっと彼のビデオで洗脳された職員が妨害してくるはずだから」

 

「彼らを正気に戻せばいいのね?」

 

「そうだが、お前も戦場に下りることになる。

間違っても後ろからバールのようなもので殴られて死ぬんじゃないぞ。

面倒なことになる」

 

「大丈夫です。超高校級の軍人でもありますから」

 

「油断はするなよ」

 

思いがけず日本から飛び出すことになったアタシ達は、

御手洗という人を止めるため、引き続き空を駆け続ける。

 

 

 

 

元希望ヶ峰学園海外校・未来機関海外拠点

 

どこをどう飛んだのかわからないけど、

ヘリの航続距離内にあるどこかの国に、そのビルはあった。

ただ、領空侵犯を警告する余力すら無いのは確か。

 

第十四支部も近代的なビルだったけど、ここはもっと大規模な施設。

荒れ果てた荒野にそびえ立つ巨塔。いくつものサーチライトが空を照らし、

イルミネーションのような室内灯が輝く摩天楼。

 

でも、やっぱり状況は第十支部と同じ!所属してる人員全てがアタシ達を拒んでる。

バリケードを築いて、こっちに向かって撃ってくる。

ここまで弾は届かないけど、これじゃ近づけない。

 

「どうしましょう、霧切さん!また歌う?」

 

「待って。

操られてる局員はともかく、御手洗亮太が逆上して何をしでかすかわからない。

もう少し作戦を練ってから……」

 

「遅い。お前達は今日何を見てきた。俺の手駒の力はこんなものではない」

 

十神さんが言った瞬間、ヘリの横を戦闘機が猛スピードで駆け抜けていった。

それは両ウイングに搭載したミサイルを、ビルを守る局員に向かって発射。

 

「ええっ!撃っちゃったわ!」

 

「何をしているの!彼らを粉々にするつもり!?」

 

「黙って見ていろ」

 

ミサイルは着弾直前、急上昇し、局員の遥か真上で自爆。

すると、白いもやが広がって、彼らが激しく咳き込み始めた。

 

「催涙ガス弾だ。これで安全に着地できる。またひとつ貸しだ」

 

「直ちに降下!目標は別棟の電波塔!」

 

「了解!」

 

「聞いているのか」

 

「後にして!江ノ島さん、少し走るわよ。準備しておいて」

 

「運動は苦手だけど、頑張るわ!」

 

ヘリが本館の外れにある、電波塔付近に着陸すると、

アタシ達は機体から下りて建物目指して走り出す。

はぁ、どうしてもこの身体は運動には向いてないみたい。

胸が重いし、鍛えてもいない足がすぐに音を上げる。

 

スタイルが良くても非常時には役に立たないのね。

口に出したら白い目で見られそうな愚痴を心の中でこぼしながら、坂道をひた走る。

ようやく巨大なパラボラアンテナが設置された建造物に飛び込むと、

そこは天井が高い広大な空間だった。

床は金網状の鉄製で、中央に大型のコンソールがある。

 

その前には、少年とも言えそうな童顔の男性。顔色が悪く目に隈ができている。

多数の警備兵に守られた彼は、アタシを見るなり悲鳴を上げた。

 

「え、江ノ島盾子!!どうしてお前がここにいるんだよ!」

 

「はぁ…ふぅ、ちょっと待って、深呼吸。……霧切さん達に連れてきてもらったの。

あなたが何かとんでもない事をしようとしてるなら、止めなきゃいけないと思って」

 

彼は同時にたどり着いた霧切さんと十神さんを交互に見る。

 

「あなた達も、何を考えてるんですか!

この重要施設に江ノ島盾子を入れてしまうなんて!」

 

「何を考えてる、はこっちの台詞だ。御手洗、貴様こそ、ここで何をやっている」

 

御手洗さんは、握った小さなUSBメモリを見せて語った。

 

「……この、希望のビデオを配信するんですよ。

これを見れば、みんなの心から絶望、恐怖、憎しみ、悲しみ、

一切の負の感情が消えてなくなり、争いのない平和な世界が訪れる」

 

「その結果が第十支部の暴動?

悲しみも憎しみも無くした人間なんて、もう人間なんて呼べない」

 

「断言してやるが、その希望のビデオとやらで世界が平和になることは決して無い。

意思のない操り人形がうろつくディストピアが生まれるだけだ。

貴様、自分が安心したいが為に人から自我を奪いたいだけではないのか?

弱さのツケを他人に押し付けるのは止めろ」

 

「そうだよ。僕は弱いんだ。

生まれてからずっと、暴力にさらされても、搾取されても、傷つけられても、

何かを失っても、小さくなって耐えるしかなかった。

この世界は弱者が強者に奪われる、そういうシステムになってるんだよ!

だけど、これからはもう違う。

皆が争いを捨てて、誰もが平等に生きられる、そんな存在に生まれ変わるんだ!」

 

──それは違うわね!!

 

大声で異議を差し挟む。彼の求めている世界は、希望なんかじゃない。ただの現実逃避。

誰も不幸にならない代わりに、幸せになることもない。

 

「御手洗さん、始めまして。テレビ中継で知ってるだろうけど、アタシ、江ノ島盾子」

 

一歩踏み出すと同時に、足元を銃弾が貫いた。警備兵が撃った銃で金網に穴が開く。

 

「それ以上近づくな!お前がなんで生きてるのかは知らない!

でも、お前が居る限りまた世界が闇に包まれる!新たな絶望が生まれるんだよ!」

 

彼は切羽詰まった様子で、アタシに怒りと憎しみと恐怖をぶつけてくる。

 

「御手洗さん、あなたの気持ちは、わかるつもりよ。

元の世界では、アタシも絶えず後ろ指を指されて、のけ者にされて、罵倒されてきた。

その結果、社会から逃げ出して引きこもっちゃったんだけど。

それでも人から心を奪ってしまうと、

あなた自身も幸せから遠ざけてしまうことになるの」

 

「お前に何がわかるんだよ!この世界を絶望に突き落としたくせに!」

 

「アタシ、この世界に来てわかったことがあるの。

幸せと不幸を隔てる壁って、それほど厚くない。

初めてジャバウォック島に放り込まれた時は、とっても辛かった。

慣れない肉体で、昼夜暑い南国で寝泊まりして、

いつもピリピリしてるみんなの顔色を伺いながら生活してた」

 

「何の話だよ……」

 

霧切さんは何も言わずにアタシの話を聞いてくれてる。

 

「でもね。諦めずにみんなと学級裁判を乗り越えたり、おしゃべりしたり、

一緒に遊んだりするうちに、かけがえのない友達になった。

元の世界で1人もいなかった友達。それが一気に16人になっちゃった。

御手洗さん。あなたにもそんな人がきっとできるわ。あなたを大切にしてくれる人が」

 

アタシは迷いに囚われる御手洗さんへ向けて、また歩を進める。

 

「と、止めてください!江ノ島盾子を止めろぉ!」

 

警備兵達が自動小銃を向ける。アタシは落ち着いて少し息を吸う。

そして、彼らの耳に“ハチのムサシは死んだのさ”1番を届ける。

天井の高い屋内に、歌声が反響する。

間もなく兵士達の目に光が戻り、それまでの記憶の欠落から戸惑いを見せる。

 

「何をしてるんですか!早く彼女を!」

 

「しかし、支部長。この状況は一体……」

 

「江ノ島盾子を止めないと大変なことになるんだ!お願い、急いでください!」

 

「お、落ち着いて下さい。自分には、彼女があの江ノ島盾子には見えません。

一度身元確認が必要かと……」

 

「チェックメイトだ、御手洗亮太。貴様を反逆罪で告発する。

抵抗すれば、この場で撃つ」

 

後ろを見ると、十神さんが彼を狙って拳銃を向けている。

 

「待って十神さん!もう少しだけ御手洗さんと話をさせて!」

 

「……3分だけ待ってやる。

それで結論が出なければ、御手洗亮太を強制的に連行する」

 

「ありがとう」

 

アタシは、まだ状況が飲み込めない警備兵達の間を通り抜け、

ようやく御手洗さんの目の前に立つことができた。

 

「ごきげんよう。これで、ゆっくりお話しできるわね」

 

「なんだよ……まだ僕から奪い足りないっていうのか!」

 

「きっと信じてはもらえないだろうけど、江ノ島盾子は死んだの。

アタシは彼女のDNAから造られた存在。あなたにお願いがあるの。

世界を希望で満たしたいのはアタシも同じ。

でも、その方法は考え直してくれないかしら」

 

「い、いやだ!他にどんな方法があるっていうんだよ!

世界から絶望を消し去る方法が!」

 

「消し去る必要はないわ。絶望は希望でもあるんだから。

だから、片方の絶望が消えてしまったら同時に希望も消えてしまう。

いつか現れる、あなたを愛してくれる人もいなくなってしまうの」

 

「そんな人、いるはずない……」

 

「いる。アタシがこの世界に来た時は、憎しみしかぶつけられなかったけど、

今ではこんなアタシでも友と呼んでくれる仲間がいる。

あなたは支部長という、誰よりも重い責任を負う立場をこなしてるじゃない。

チャンスはきっと来るわ。映像なんかに頼らなくても」

 

「じゃあ……お前は一体、何のためにここに来たんだよ」

 

「そうね」

 

アタシは大型コンソールを見る。

広いタッチパネル式のディスプレイが青い光を放っている。

 

「あの装置で、音声を送信することもできるのかしら?」

 

「江ノ島さん、ひょっとしてあなた!」

 

「ええ、霧切さん。

アタシ、ここから歌を発信して、絶望に冒された人達を元に戻そうと思うの。

やるなら今しかないわ」

 

御手洗さんの拳をそっと手にとって、開いた。中のUSBメモリが現れる。

 

「あっ……」

 

「これを作るの、大変だったでしょう。

でも、あなたが思い描く希望を実現する前に、アタシにも試させてくれないかしら。

誰かを救うことができるかを」

 

彼は少し躊躇って、答えた。

 

「……やってみせてよ。

まずディスプレイで設定変更して、送信内容を映像から音声に変更。

さらに通信エリアをLocalからGlobalに切り替える。

あとはマイクに向かって歌うだけさ。何をする気なのかは、わからないけど……」

 

「期待は裏切らないわ。見ててね」

 

アタシは説明どおりにコンソールを操作し、設定を変更。

三角形を組み合わせた見たこともないキーボードで、少し操作に苦労したけど、

ちゃんと歌の送信の準備ができた。

 

そこで不意に手が止まる。

なんだか勢いでここまで来ちゃったけど、アタシは、今から世界を変えようとしている。

元に戻すだけ、なんだけど、すごく大それた事をしているような気がしてきて、

緊張と不安が高まってきた。

 

「何をしているの!彼にあなたの求める希望を見せるんじゃないの?」

 

「グズグズするな。超高校級の女神の名が泣くぞ」

 

その時、霧切さん達の声が背中を押してくれた。そうよね。今更迷ってどうするの。

人々の心の平穏を祈り、歌に願いを託した。

 

届いて。アタシの歌う、“翼をください”

 

 



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最終章 アタシ達の未来

化粧を終えると、ブロンドのロングにヘアスプレーをまんべんなく振りかけ、

丁寧にブラシで整える。念入りにドライヤーで乾かし、スタイリング剤でケアする。

うん、完璧ね。これならみんなに会いに行っても恥ずかしくない。

姿見の前に立つと、紫のドレスを着たアタシ。

……あの日出会ったアタシに少しは近づけたかしら。

 

そろそろ行かなきゃ。

自室から出て、入り口で車を出してくれてる苗木君のところへ向かう。

一歩ずつゆっくり階段を下りる。みんなとも、もうすぐ再会。

たったひとりで過ごした時間はとても長かった。

エントランス前に乗用車が止まっている。

乗り込むと、落ち着きと強さの同居する大人の男性になった苗木君が、

運転席で待ってくれていた。

 

「おはよう、苗木君。今日はよろしくね」

 

「江ノ島さんもおはよう。いよいよだね」

 

そう。それももう終わり。向こうに着くまで少し思い出話でもしましょうか。

 

 

 

 

 

アタシの歌が世界に届いた翌日。オリジナルの江ノ島盾子がばらまいた絶望が消え去り、

あっという間に世界に平穏が訪れる……わけもなかった。

まぁ、そうよね。超高校級の女神と言ったって、アタシが一曲歌ったくらいで、

たった1日で劇的に状況は改善しない。

 

絶望から解放された人達がパニックに陥ってて、

彼らに現状を教えて落ち着かせるのに時間がかかるみたい。

霧切さんによると、本格的に世界が再生に向けて動くには年単位の時間が必要らしいわ。

それに、放送が届かなかった僻地には、わずかだけど絶望の残党がくすぶってる。

それはもう脅威じゃなくなったけど、まだまだ完全な復興には遠いみたい。

 

……で、目下重要なのはアタシの問題なのよ!

深夜に帰国した翌朝、食堂の隅で朝食を口に運ぶ暇もなく、

みんなの質問攻めにあっていた。

 

「水くせーじゃねえか!なんでオレ達も連れてかなかったんだよ!」

 

「そーだよ!まさか、わたし達が疲れてるだろうから~なんて、

ショボい理由じゃないよね!?」

 

まずは左右田君と日寄子ちゃんの文句から始まる。

 

「ああ、ごめんなさい!出先で起きた緊急事態だったから、どうしようもなかったの」

 

「あのぅ、その出先ってどちらですか?あの時ずいぶん急いでたみたいですけど……」

 

「それについては、みんなにお礼が遅れちゃって謝らなきゃいけないわね。

実はね、昨日の夜お姉ちゃんに会いに行っていたの。

みんなのおかげで無事に帰ってこれた。本当に、ありがとう……」

 

「そうよ、むくろちゃんの事。ずっと気になってたんだけど!今、どこで何してるの?」

 

「十神さんっていう、

この支部の支部長代行が設立した組織に助けられて、入院してるの。

あ!でも心配しないで。命に別状はないし、大怪我でもなかったから」

 

「何言ってるの!それでも入院するほどの怪我だったんでしょ!?

もう、これから大事なことは隠し事なしね!わかった?」

 

「わかりました……」

 

島の中でも外でも小泉さんには事あるごとに叱られてる気がする。

将来教育ママになりそう、なんて言ったらもっと怒られるだろうから言わないけど。

 

「ふえぇっ!病状はどんな様子なんですかぁ?」

 

「左腕を何かで殴られて、骨に少しひびが入ったんですって。

入院はただ様子を見るだけのものだから心配ないわ」

 

「それはようござんした。わたくしもできればお見舞いに行きたいのですが、

この施設からは出ないように言われておりますし……」

 

「ありがとうソニアさん。

みんなが心配してくれてることは、お姉ちゃんにまた会えた時に伝えとく。

病院にはアタシも行けないの。ヘリであちこち飛び回ったからどこにあるのやら」

 

「……支部長に聞いてどうにかできねえのかよ?」

 

「それが、お姉ちゃんが居るのは、十神さんの作った組織の極秘施設で、

未来機関とは関係ないの。その人に聞いてみたんだけど、詳しい場所は機密事項だって」

 

「ケッ、妹くらい会わせてやりゃあいいのによ」

 

不満そうな九頭竜君に、アタシは頭を悩ませる。

お姉ちゃんの今後について、どう伝えればいいのかしら。

 

「大丈夫。元気で帰ってきてくれたんだから。いつかまた会える。またいつかね……」

 

「それじゃあ、戦刃の無事がわかったところで、今度は江ノ島、お前について聞きたい」

 

「なんだか口調が学級裁判の審理みたいよ、日向君。アタシの事って何かしら」

 

「モチロン!昨日の盾子ちゃんの地球独占リサイタルに決まってるっす!

おかげでストレスが溜まってたゆうべは快食快眠!

CDデビューを目指すべきだと唯吹は思うっすよ!」

 

「寝ることと食うことしかないのかお前は。他に言及すべきことがあろう。

世界中の治安維持組織の報告をまとめた、未来機関の通達によると、

江ノ島の歌で絶望の残党約98%が活動を停止したらしい。

だが、あくまで停止しただけで、

今日から汗水流してビルの再建や道路のアスファルト舗装に

精を出してくれるわけではないらしいがな」

 

「そこはアタシの能力の限界ね。みんなびっくりしたと思うわ。

気がついたら突然世界がメチャクチャになっていたんだもの」

 

「女神ノルンが告げている。

人の子よ、現在過去未来、時の因果に結ばれし糸を手繰り寄せよ。

さすれば旧世界は終焉を告げ、新たなる時の定めが汝らを導かん。とな」

 

「うん、田中君の言う通り、こればかりは時間が解決してくれるのを待つしか無いわね。

そろそろバターロールを口に入れていいかしら」

 

「アハハ、ごめんよ。みんな江ノ島さんと戦刃さんの事が気になって、

ずっと居ても立ってもいられなかったんだ。少し食べたらまた相手をしてくれないかな。

ちなみにボクはこうなることを予想して朝食はもう済ませてるんだ」

 

「ぬっ、いかんぞ!朝食を抜くのは命を縮める行為じゃ!今すぐ完食するが良い!

きちんと朝のクソが出るように!」

 

「……ご飯がおいしくなりそう。じゃあ、ちょっとの間失礼するわね。

そう言えば終里さんは大丈夫?朝食抜きで我慢できるタイプじゃないと思うんだけど」

 

「狛枝と同じ。オレも早めに済ませた。

つーか、朝早くにいきなり腹が減って、食堂の人に頼んで余りもん出してもらった」

 

「もう少し後なら、ぼくも起きてたんだけどね。

みんなも今日は早起きして、江ノ島さんを待ってたんだよ。

自販機のお菓子やパンを食べながら」

 

「あむ。……けっひょく、食いっぱぐれてたのは、あたひだけっへ事ね」

 

「そう言えば、反乱の首謀者たる御手洗という人物はこれからどうなるのだ?」

 

「んぐ、大事なこと言い忘れてたわね。ありがとう辺古山さん。

まだ霧切さんの予測の段階だけど、支部長の職は解任されて、その後事情聴取。

刑罰や量刑についてはその後の査問会議で決まるんですって」

 

「刑罰と、量刑か……」

 

なにか日向君がその言葉に引っかかるようで、少し顔を伏せた。

あら、みんなも黙り込んじゃったわ。

 

「どうしたのみんな。急に」

 

「江ノ島、実はな」

 

一旦言葉が切れる。何か言いづらそうな雰囲気。

 

「俺達、お前とは、しばらくの間お別れになるんだ」

 

「え?」

 

口の端にパンくずを付けたまま、ぽかんとした表情で、ただまばたきを繰り返す。

彼の言っていることの意味がわからない。

 

「それも、1ヶ月や2ヶ月じゃない。何年かかるかわからない。何しろ無期懲役だから」

 

「待って。……ちょっと待ってよ!どうしていきなりそんな!」

 

「思い出してくれ。俺達が今ここにいるのは、

ただ外部の侵入が発生したジャバウォック刑務所から避難しているだけで、

俺達の罪が消えたわけじゃない。

だからこれから、俺達は未来機関管轄の刑務所で生きていくことになる」

 

「確かにそうだけど、だからって……!」

 

思わず立ち上がって息を詰まらせながら問う。

 

「きっと、これから日本が復興するために大量に資源が必要になることも理由だと思う。

鉱山、山林、田畑。ジャバウォック島と同じだ。みんなバラバラの場所で働く。

わかってくれ。俺達だって辛いんだ」

 

「アタシ、霧切さんに頼んでくる!もう十分じゃない!

あの暑い島で毎日働いて、命をかけて塔和シティーを取り戻したのに!」

 

「江ノ島」

 

オフィスへ向かおうとするアタシの肩を掴む。

 

「頼む。これは俺達の望みでもあるんだ。まだ償いきれちゃいないんだ。

罪を精算する機会を、奪わないでくれ。笑って、見送ってくれ」

 

「……そんな、それじゃ、アタシ、ひとりぼっちになっちゃうじゃない。

みんなも、お姉ちゃんも、手の届かないところに行っちゃって……」

 

無意識に頬を二筋の涙が濡らす。

 

「盾子ちゃん……むくろちゃんがどうしたの?どうして彼女までいなくなるの?」

 

アタシは、お姉ちゃんがやろうとしていることを、途切れがちな言葉で説明した。

皆、驚いて言葉を失う。

 

「……それは、いつ終わるの?」

 

「わからない!1ヶ月かもしれないし、10年かもしれない。

だから、アタシにはもう誰もいない!また独りになっちゃうのよ!」

 

「おねぇ……」

 

「……出発は、一週間後だ。必ず戻ってくる。

約束するから、お前も絶望しないで、待っててくれ」

 

彼の言葉にも、ただ頭を振って拒否することしかできなかった。

誰かが声をかけようとしてきたけど、小泉さんがそっと肩に触れて止めた。

みんな、黙って立ち尽くすアタシの様子を見て、

一人、また一人とその場から立ち去っていった。

残されたのは食べかけの朝食と、手に入れた仲間を失った哀れな元ひきこもり。

 

それから一週間。アタシは残された貴重な時間を無意味に過ごしてしまった。

なんとなく皆を避けて、食事時にも会話に加わらない。

きっと、これ以上思い出を作るのが怖かったんだと思う。

みんなもそんなアタシの扱いに困って、せっかくの残り少ない自由な日々を、

重い雰囲気の中で消費せざるを得なかった。

 

今思えば、バカなことをしたと思う。その後何年も後悔しながら、

この第十四支部のビルという狭い世界で生きることになったんだから。

一週間後、とうとうみんなが散り散りになるという日も、

アタシは膝を抱えて部屋の片隅にこもっていた。自室の自動ドアが開く。

自分以外に開けられるのはマスターキーを持ってる霧切さんだけ。

 

「もうすぐ護送車が出るわ。……行かなくていいの?」

 

「……怖い」

 

「何が?」

 

「これ以上、みんなの顔を見ると、二度と会えない辛さでおかしくなりそう」

 

「そうと決まったわけじゃないわ。無期懲役はあくまで期限を定めない刑。

上の判断や社会情勢次第で仮釈放もあり得るわ」

 

「……もし、そんなのなかったら?」

 

「諦めなさい。でも、これだけは手放さないで」

 

突き放すような言葉に思わず顔を上げると、霧切さんが1枚の色紙を突きつけてきた。

受け取ると、それはみんなの寄せ書き。

 

“俺達は必ず再会できる。少しの間だけ待っていてくれ 日向創”

“荒野に舞い降りたアフロディーテ(中略)破壊神暗黒四天王は元気だ。 田中眼蛇夢”

“また一緒に、クグロフを作りましょうね。それまで少し、さようなら。 ソニア”

 

誰もがアタシに宛てて個性あふれるメッセージを残してくれた。

固い正方形に込められた想いを抱きしめると、はらはらと涙がこぼれる。

江ノ島盾子になっても、超高校級の女神になっても、

優柔不断と泣き虫は治らなかったみたい。

外からエンジン音がしたから、窓から覗くと、

無骨な護送車が今にも発進しようとしていた。

 

「あっ……」

 

と、声が漏れたけど、もう遅かった。

お別れを言う機会を逃し、アタシはその場に座り込む。

 

「ごめんね。みんな、ごめんね……」

 

アタシにできることは、色紙をなでながら、ただみんなに謝ることだけだった。

 

 

 

 

 

舗装された主要道路を車は走り続ける。

 

まだ細い裏道にまでは手が回ってないけど、これまでの年月で大体の道路は修復された。

 

「どうしたの。江ノ島さん」

 

「ちょっと、思い出に浸ってたの」

 

「そうだね。もうすぐだから」

 

ちょっと湿っぽい話になっちゃったから、話題を変えて、

他の人達がその後どうしてきたのか、語りましょうか。

 

 

 

 

 

『おはようございます。我々は未来機関です。現在絶望の残党と戦っておられる方、

絶望から目覚めて戸惑っておられる方全てに向けて放送しています』

 

僕は、取調室で手錠を掛けられたままラジオを聞いていた。

あれ以来、毎日電波塔から未来機関の定時連絡が流れるようになった。

 

『まずは、これまで世界平和のために、

戦いを続けてこられた方々に感謝を申し上げます。

ご存知とは思いますが、もうその必要はありません。

先日、様々な端末に送信された“翼をください”によって、残党は自我を取り戻し、

争う必要はなくなったのです。今後はどうか世界の復興に力をお貸し下さい』

 

あの江ノ島盾子は何者だったんだろう。

自分が複製された存在だとか言ってたけど、到底信じられない。

世界を壊しておいて、また直す?彼女は何がしたかったのか。

結局誰に聞いても教えてはくれなかった。

知られたらマズいことを隠してることは確かだ。

 

だけど、ひとつだけわかっていることがある。

この放送は間違いだ。世界から絶望がなくなっても、争いはなくならない。

それは僕の生まれてからあの日までの人生が物語っている。

 

『……事件前に一斉を風靡したボーカロイド、流留々(ながるる)サララに着想を得て、

人間の精神から意図的に埋め込まれた絶望を除去する人工音声を開発。

歌という形にして全世界に放送することに成功しました』

 

思った通り、江ノ島盾子の名前は出てこない。もうひとつわかったことがあった。

それは、僕も間違ってたってこと。人から人らしい感情をなくす。

もしそうなれば、僕は今頃流れ作業のように、銃殺刑で処分されていたから。

 

正しい手続きがあれば、人を殺すことをためらわない。

それは心を絶望で染め上げることと何も変わらないことに、今更気がついた。

 

『江ノ島盾子の中継につきましては、

突然の中断でご心配おかけしたことをお詫び致します。

機材トラブルと彼女の自殺が重なり、

放送をやむなく中止せざるを得なかったことをご理解下さい。

彼女が残した遺書には、”さらなる絶望を求めて命を絶つ”と書かれており……』

 

やっぱり嘘だ。本物か偽物か、今となっちゃわからないけど、

あの施設で出会った彼女の目は、自殺を考えている人間のものじゃなかった。

 

「もういいです、止めて下さい」

 

「いいのかね?」

 

「はい……」

 

しわの多い指で、彼がラジオのスイッチを切った。

 

「君が、あのような行動に走った理由は、大体わかった。

じゃが、些か結果を早く求めすぎてしまったようじゃのう。

せめてワシらに相談してくれれば、

絶望だけを取り除くビデオを共同開発できたと思うのじゃが……」

 

「あの時の僕は、気が付かなかったんです。

希望のビデオが、結局は絶望ビデオと同じでしかなかったなんて」

 

「御手洗君。君が極刑に処されることはない。

このワシの最後の権限で、それだけは回避した。

お咎め無しとまでは行かなかったが、やり直す機会は十分に与えることができた。

君のような才に恵まれた若者が、ここで終わるにはあまりに惜しい」

 

「どうしてですか、会長。僕の代わりなんかいくらでも……」

 

「おらん。君という存在は君一人をおいて他にない。

責任を果たしたら、今度こそ皆に本当の希望を与えるアニメを作って欲しい」

 

そして、天願会長は、僕に微笑みかけてくれた。

……今はただ、あの希望のビデオ送信を止めてくれた、

江ノ島盾子らしき人に感謝している。みんなから感情を奪ったら、

こんな僕に優しい笑顔が向けられることもなかったんだから。

 

「御手洗君。世界の希望を、君にたくす」

 

 

 

 

 

みんな、元気だった?こまるだよ。

世界から絶望がなくなって、今度は生活のことを考えなきゃいけなくなったよね。

例えば教育。高校や大学はまだ崩れたままだから、私、未来機関の第十四支部で、

職員の人と一緒に研修セミナーを受けてるの。

 

大人向けの講義だから付いていくのが大変だけど、全部の単位を取れば、

大卒資格がもらえるし、それに……この支部はお兄ちゃんの担当だから、

会おうと思えばいつでも会えるのがいいよね!

 

こんなこと、冬子ちゃんに聞かれたらまたブラコンとか言われそうだけど。

でも、家族に会うのを楽しみにするのがブラコンなら、

もうブラコンでいいやって開き直ることにしたの。

二人一緒なら、きっと父さんや母さんも早く見つけられるしね。

 

あっ、噂をすればってやつだね。お兄ちゃんが自販機前でコーヒー飲んでる。

 

「お兄ちゃーん!」

 

私は、手を振りながらお兄ちゃんの大きくなった背中を目指して走っていった。

 

 

 

 

 

んふふ。聞いてちょうだいよ。あたし、とうとう未来機関の正式な構成員になれたの。

それはつまり、この組織の頂点たる、

白夜様の足で踏んづけられてるってことに他ならないでしょう?やべ、よだれ出た。

 

「腐川さ~ん。一緒にお昼はどう?」

 

「はうっ!いきなり話しかけないでよ、びっくりするでしょうが!」

 

この女は同僚なんだけど、なぜか事あるごとにあたしに構ってくる。

 

「ごめんなさ~い。サンドイッチ作ってきたの。お一ついかが?」

 

「話聞いてるの?……ふん、どうせあなたも、頭ん中じゃ、

こんな腰にスタンガンぶら下げてる変態根暗不細工女は初めて見たとか

心の中で思ってるんでしょう!?」

 

「そんなことないわ~腐川さんはかわいいよ?それも防犯用だよね?」

 

「か、かわいいなんて、白夜様以外に言われても嬉しくないわよ……」

 

「白夜様って、第一支部の十神会長のこと?カッコいいわよね~

そもそも第一支部自体が花形支部だし、私達には高嶺の花なのよね。しゅん」

 

「あああ、あんたと一緒にしないでよ!

あたしはいずれ白夜様の専属秘書になる女なんだから!」

 

「ワ~オ、玉の輿狙い?腐川さん、大人しそうで案外やるんだ」

 

「放っといてよ。あんたには付き合ってらんないわ」

 

「待って~ランチご一緒しましょうよ」

 

こいつと話してると調子が狂うわ。まるでどっかの誰かさんみたい!

この女もこの女よ。こんな陰気な女と話してて何が楽しいんだか。

……友達は一人で十分だってのに。

結局同僚を振り切れずに、弁当の白米とサンドイッチの

アンバランスな昼食を取る羽目になった。

 

 

 

 

 

俺は高級革張りソファに身体を預け、ダージリンのセカンドフラッシュを一口含む。

ティーカップを置くと、デスクの前に立つ、白さで目を痛めそうな男に言い放った。

 

「未来機関会長に就任した十神白夜だ。今日から俺の手足となって身を粉にして働け。

他の幹部連中にもそう伝えておくように」

 

「……図に乗るなよ。会長が自ら退任した隙を狙って成り上がった、十四支部の小僧が」

 

「あまり大口を叩くな。俺は前任とは違って優しくない。役立たずはすぐに首をはねる」

 

「貴様こそ、会長に相応しくない無能と判断すれば、俺がこの刀で首を落とす。

例えではなく、そのままの意味でだ」

 

「できもせんことを口にするのは小物の証だ。

そのうちお前達は俺無しでは仕事もできなくなる。

世界の今後は未来機関に懸かっていると言っていい。

悲鳴をあげるほどの仕事を回してやるから覚悟しておけ」

 

「せいぜいほざいていろ。

俺はもう行くが……1月で結果を出せなければ、貴様を会長の座から引きずり下ろす」

 

「1週間だ」

 

「何?」

 

「俺は1つの仕事に1ヶ月もかけるほどノロマではない。

1週間で貴様の喜びそうな、結果とやらを見せてやろう」

 

「その言葉、忘れるなよ」

 

第二支部の宗方とやらが退室していった。

自分を差し置き短期間で会長職に就任した俺が気に入らないらしいが、どうでもいい。

やはり俺には組織の頂点に立つことが運命づけられているようだ。

一度は第十四支部支部長に収まったが、こんなもので満足する俺ではない。

 

十四支部などいわば雑用係だ。

俺が居るべきは、やはりこの気品のある第一支部の執務室。

宗方の取り越し苦労を杞憂に終わらせてやろう。

 

さて、あのうるさい男を黙らせるにはどうするか。

俺の組織を使って都心の復興を宣言通り1週間で終わらせる。

これで少しは大人しくなるだろう。

 

奴だけではない。

他の支部長にも、俺が実行力のある会長であることを、わからせる必要がある。

真の意味で未来機関を手中に収め、やがては我が十神財閥の再生を成す。

全てを踏み台にして、俺は覇道を突き進む。十神の名に賭けて。

 

 

 

 

 

実際、日本の復興がここまで進んだのは、

十神さんの手腕によるところが大きいらしいわ。

 

「到着まであと30分くらいだよ」

 

「なんだか緊張してきたわ」

 

「みんなも、待ちくたびれてるだろうね」

 

窓から空を見る。

真っ赤な色は薄れ、今では曇りの日がほとんどだけど、たまに青空が顔を出すの。

目的地も近くなったところで、大事な人の話で締めくくろうかしら。

 

 

 

 

 

抜けるような青空。今日も快晴でいい天気。

セミの鳴き声で夏の暑さが増すような気がする。

緑の生い茂る山々に囲まれた一軒家。私は小さな畑でトマトやきゅうりを収穫していた。

 

麦わら帽を被って首にタオルを下げる。炎天下の作業でもう汗だく。

そろそろ休憩にしようかな。そう思ったら、遊びに行っていた子供達が帰ってきた。

みんな虫取り網やごを持って、なんだか楽しそう。

 

「姉さん、ただいま」

 

「た、ただいま~お姉ちゃん」

 

「見て!私、セミを捕まえましたのよ」

 

「俺のカブトムシの方がすごいやい!」

 

「モナカはすばしっこいカワセミを捕まえたよ。偉い?」

 

かごの中では、山で捕まえた昆虫や小鳥が鳴き声を上げている。

みんなも汗だく。麦茶でも入れてあげよう。私も喉が乾いてきたし。

合掌造りの我が家に戻ると、冷蔵庫から麦茶のポットを出して、コップに注いだ。

ちょうど日陰になってる縁側で、横一列になってみんなで飲む。

 

「姉さん、野菜の育ち具合はどう?」

 

「もうトマトが真っ赤だよ。夕食の時に切ってあげる」

 

「ぼ、ぼ、ぼ、ボクちんはトマトが、大好きなんだな」

 

「うーん、モナカはトマトあんまり好きじゃないかも」

 

「好き嫌いしないの。今年は特に出来がいいから、甘くて美味しいよ」

 

「私のセミちゃんの方がキャワイイに決まってますわ!」

 

「何言ってんだよ!カブトよりカッコいい虫なんかいねえっての!」

 

「ほらほら、ケンカしないの。それから、1日遊んだら逃してあげようね?」

 

「「は~い」」

 

「ボクちんは、なんにも捕まえられませんでした……」

 

平和でのんびりした田舎町。

親代わりの私と子供達で、少し長めの夏休みを満喫している。

 

 

………

 

 

「バイタル安定、血液循環、良好です」

 

“脳波の波形にも注意を払ってくだちゃい。

異常が発生したら、あちしへの報告をスキップして直ちに強制シャットダウンを”

 

5つのベッドに眠る私達。未来機関第九支部の治療室で、

ヘッドギアを付けて眠る私と元希望の戦士達。

ここでみんな、過去の罪や心の傷を癒やすために、

希望更生プログラムVer3.21に接続して、バーチャル世界で生活している。

 

Ver2.01までの反省を踏まえて、装置は限界まで簡略化してある。

ヘッドギアに接続されたプログラムの中心部は、家庭用サーバーと同程度の大きさで、

何か問題が起きたらすぐ物理的シャットダウン、つまり壊せるようになっている。

その代り、看護師さんがつきっきりで私達の肉体をケアしなきゃいけないんだけど。

 

時々、盾子ちゃんがお見舞いに来てくれてたみたい。

嬉しいけど、気づけなかったのは残念かな。

 

 

 

 

 

車は走り続ける。約束の場所までもうすぐ。やっぱり緊張するわ。

5年の間にいろいろあったから。

 

“堂々と会いに行けばいいわ。そのドレス、似合ってるわよ”

 

「ありがと。あの日のアタシになれたかしら」

 

“あなたはあなたでいればいい。みんなの知ってる江ノ島盾子でね”

 

「……“彼女”かい?」

 

いきなり独り言を始めたアタシに、苗木君が話しかけてきた。

彼も事情は知ってるから、驚いてはいなかったけど。

 

「ええ。時々時間と場所を考えずに喋りだすから困るわ」

 

「そろそろ到着だ。心の準備はいいかい?」

 

「大丈夫。そのために来たんだから……」

 

柔らかい緑の広がる丘で車が止まる。みんなはまだ来ていない。

車から降りて、風に吹かれながら、ひたすらその場で待つ。

 

「5年。待つには長いような短いような、不思議な錯覚を覚えるわ。

みんなの仮釈放までの時間を考えると、思いがけず短かったと言えるし、

ひとりで待つにはとても長かったわ」

 

“……向こうの世界で待ってるお母様は?”

 

「母さんは、強い人だから……

帰る方法が見つからないから、どのみちどうしようもないしね」

 

その時、視線の遠く先に、未来機関のバスが止まった。中から大勢の乗客が降りてくる。

彼らの姿を見ると……

 

「みんな!」

 

思わず叫んでいた。作業着姿だけど間違いなくわかる。

ドレスのスカートをつまみ走り出す。

今はまだ小さな点にしか見えないけど、向こうもアタシに気づいたようで、

大きく手を振る人もいる。

時々雑草にハイヒールを引っ掛けながら、どうにか転ばずに走り続ける。

 

草原を駆けながら思いを馳せる。

アタシの人生をどう思うか聞かれると、きっと幸せなんだと思う。

確かに、女性になったり、いきなり刑務所に放り込まれたり、

姉ができたり、女神になったり。

元の世界じゃ絶対経験しないような出来事ばかりだったけど、

その果てに手に入れた幸せが、目の前にある。

 

アタシの格好に驚いたみんなに、思わず飛びつく。悲しい思い出は、もう終わり。

もうすぐ目を覚ますお姉ちゃんを迎えに行って、七海さんを交えて、

それぞれの未来について、夢を語るの。今ならそれができる。

希望ヶ峰学園はなくなったけど、みんなに宿る力は決して失われはしないから。

 

きっと進む道は違うんだろうけど、アタシ達の人生は、まだ本番がスタートしたばかり。

草原を吹き抜ける爽やかな風が、

未来を運んでくるかのようにアタシ達に吹き付けてきた。

 

 

 

 

 

江ノ島盾子にされてしまったコミュ障の悲哀(完)

 

 



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第二幕
第1章 凋落した女神


 

 

 

『禍福は糾える縄の如し』

 

災いと福とは、縄をより合わせたように入れかわり変転する。

吉凶は糾える縄の如し。禍福糾纆(きゅうぼく)。 大辞林 第三版より

 

 

 

 

 

「みんな、会いたかった!」

 

喜びを抑えきれず、バスから降りたばかりの仲間に思わず飛びついてしまった。

一番体格のいい弐大君にダイブ。ちょっと照れた様子で、彼も抱きしめ返してくれた。

 

「江ノ島……見違えるほど美人になりおって」

 

「とっても似合ってるわよ、そのドレス!カメラがあれば絶対撮りたいわね」

 

「ありがとう。一番綺麗な格好でみんなと会いたくて、張り切っちゃった!」

 

「そっかー。なんかボロい作業着のオレ達の立つ瀬がねーな、ハハ!」

 

「そんなことないわ。終里さんもパッチリした目が変わってない。

……そう。この5年感、みんなの事ばかり考えてて、おかしくなりそうだった。

ごめんなさい。最後の日、みんなを見送りに行けなかった。

アタシって臆病で、また仲間を失う怖さから逃げちゃったの……」

 

「気にするな、江ノ島。それは俺たちも同じだった」

 

「日向君……」

 

「そーだな。すぐに言い出せなかったオレ達のせいでもあんだからよ」

 

いつもツナギ姿だったから作業着でもあまり違和感がない彼。

左右田君がポンと肩を叩いてくれた。

 

「……左右田君、やっと会えたわね」

 

彼とは特にジャバウォック刑務所での誤解や摩擦が多かった分、

語り尽くせないほどの思い出ができた。

 

「ああ。生きてるうちにお前の顔を見られるなんて正直思ってなかったけどよー」

 

「アタシも同じ。ずっと第十四支部で一生を終えると思ってたから……わふっ!」

 

「江ノ島おねぇ、わたしも抱きしめてー!強くぎゅーっと」

 

いきなり甘えてきた彼女にちょっと驚いたけど、

その軽い身体が心地よくアタシを締め付ける。

 

「日寄子ちゃんもすっかり大人っぽくなっちゃって。

あ、実際もう大人なのよね、アタシったら。

それにしても、アタシとほとんど背が変わらなくなったわね」

 

二十歳を過ぎても愛らしさの残る顔を丁寧に撫でて、彼女を抱きしめる。

日寄子ちゃんのいい香りに混じって油の臭いが作業着から漂ってくる。

きっとこの華奢な身体で過酷な労働に耐えてきたに違いない。

 

「がんばったわね。アタシのことを覚えていてくれて、ありがとう……」

 

「当たり前じゃん!わたし、また会えるってずっと信じてたから!」

 

「フッ、西園寺よ。お前もアカシックレコードの禁忌に触れてしまったか。

天動説と地動説の狭間に生きる俺は星々の運行から総ての運命を閲覧済みである故、

この結末は語るべくもなくわかりきっていたことだが」

 

さすがにあの個性的過ぎるファッションはなりを潜めて、

さっぱりしたスポーツ刈りになっていたけど、この強烈な存在感は彼だけのもの。

 

「その喋り方も、本当に久しぶり。信じて待っててくれたのね。

……田中君もみんなも、おかえりなさい。みんな、本当にお疲れ様」

 

「盾子ちゃん……うん、ただいま!」

 

「おう、帰ったぜ。シャバの空気がうめえや」

 

「あのぅ、あの、私も……ただいま帰りましたぁ~!」

 

みんなの“ただいま”で、目に熱いものがこみ上げてくる。

ハンカチで目頭を押さえていると、

気を遣って何も言わずに後ろで見守っていてくれた苗木君が近づいてきて、

背中を向けたままのアタシに言ってくれた。

 

「ボクは支部に戻るから、

江ノ島さんはみんなと一緒にバスで第七支部に向かうといいよ。

積もる話もあるだろうからね。これを渡しておくよ」

 

苗木君がタブレットを差し出した。

 

「これは……うん、そうね。彼女もたくさんおしゃべりしたいだろうし。ありがとう」

 

受け取ると、草原を歩いて彼が車に戻っていく。

車に乗り込むと、軽く手を挙げて走り去っていった。

それを見届けると日向君がアタシ達をバスに促す。

 

「さっそくだが、彼女を迎えに行こう。江ノ島、もう目覚めている頃なんだろう?」

 

「ええ。お姉ちゃん達の意識レベルが上昇してきて、

お昼すぎには覚醒する見込みだって」

 

「それはよござんした。これで本当にジャバウォック島の仲間が全員揃うのですね!」

 

擦り切れた作業着を着ていても、彼女の美しさと、内からにじみ出る気品は隠せない。

ソニアさんも感激した様子。

 

「すぐには無理だろうけど、お姉ちゃんの体調が落ち着いたら、同窓会をしましょうね」

 

「ならば第七支部に急がなければな。

ぼっちゃん、さあこちらへ。ステップにお気をつけて」

 

「やめろって!お前は俺の用心棒で、バスツアーの添乗員じゃねえ!

ちくしょう、いい年した大人ふたりで何やってんだ!」

 

どっと笑い声が上がると、みんなが乗ってきたバスに再び乗り込む。

それからの盛り上がりも凄かったわ。

走行中のバスを揺らすかのような歓声、再会した仲間達との語らい。

アタシ達はこれからの未来への期待に少しばかり有頂天になりながらも、

到着までの時間を過ごしていた。

 

「まさか無期懲役のボク達が5年で仮釈放されるなんて、人生で一番の幸運だよ。

揺り返しの不幸が怖いくらいさ」

 

「運なんかじゃないわ。みんなが耐えて、耐えて、過去と向き合い続けてきた必然よ」

 

「あっはっは!良いこと言うじゃねえか!相変わらずお前は喋りがうめえな!」

 

「褒めてくれるのは嬉しいけど、あまりバシバシ肩を叩かないでくれると嬉しいわ。

その辺、布がないから。

あと、大事なことが後回しになってたわね。……これでよし。日向君?」

 

あたしはスリープ状態のタブレットを起動して日向君に渡した。

 

「どうした?……あ、これは」

 

《また会えたね。元気だった?》

 

「七海!ああ、俺は元気だ。お前はどうしてた?寂しい思いをさせて済まなかった!

二度と会えないと思ってたが、これからはもうずっと一緒だ」

 

《寂しくはなかったよ?いつも江ノ島さんとお話ししてたから》

 

「そ、そうか。なら良かった」

 

「お話しというより、アタシの弱音を聞いてもらってたって言う方が正確だけど」

 

「なーに?見せつけてくれんじゃないの。“もうずっと一緒”だってさ」

 

「いや、小泉。これはつい、急な再会なあれで、言葉の綾っていうか……」

 

「いいじゃない。日向君と七海さんはもう婚約してるようなものなんだし。

アタシが用意したペアリングがその証拠~」

 

「江ノ島もやめろよ!」

 

「ええい、うるさい連中だ!5年経って少しは落ち着きを身に着けたかと思ったが、

お前らは相変わらずだな。わずかでも成長を期待した俺が馬鹿だった」

 

「豚足ちゃんは変わったよねー。まさかそんな素顔だったなんて。

髪もホントは黒なんだね。脂肪の風船みたいな身体はそのまんまだけど。プププ」

 

「しかし十神。お前さんも長い刑務所暮らしでよくその体型を維持できたもんじゃのう。

日々の労働、限られた食事。痩せておらんとおかしいはずじゃが」

 

「だから最後に頼れるのは脂肪と糖分だと主張している。

エネルギーを浪費せぬよう動線を分析し尽くした必要最小限の動きで作業をこなし、

食事は胃袋で完全に消化し1カロリーとて無駄にせず吸収する。

脂肪を吸着する食物繊維は敵だ。

このくらいの覚悟がなければ生存競争を勝ち抜けはしない」

 

《ふふっ、みんな変わってないね。またみんなの元気な顔が見られて、私も嬉しい。

戦刃さんが復帰したら、ゆっくりお話ししようね?これまでのこと、これからのこと。

私達には未来があるから》

 

「はいはーい!むくろちゃんの病院に着くまで、

一足先に唯吹の未来予想図を聞いて欲しいっす!」

 

元気よく手を挙げる澪田さん。

トゲトゲでカラフルな髪型は黒に戻って短く切りそろえられてるけど、

テンションの高さは5年前と同じ。

 

《澪田さんの未来って、やっぱり音楽なのかな?》

 

「当たり前だの上山真司っすよ!まあ、名前を変えて生きてくことになっちゃったから、

さすがに澪田唯吹としての歌が世に出ることはもうないんすけど……

それでも!歌だけは捨てられないっす!

どんなに小さなステージでも、路上ライブでも、覆面歌手として

地道に唯吹のソウルを発信していくつもりっすよ!」

 

「うげ、澪田おねぇの路上ライブって軽くテロのレベルじゃん……」

 

「ぼくの夢は花村食堂の青山支店かな。

麻布支店の方は青山が軌道に乗ってから考えるよ。

実はぼく、刑務所でも炊事係を任されてたから料理の腕は鈍ってないつもりさ。

ここで大事な話があるんだけど、

たまに食事のデザートにフルーツが出ることがあったんだよね。

そこで果物を切っていると、江ノ島さんの夕張メロンを思い出して

心とか色んな所が熱くなって、刑務所生活を耐え忍ぶことができたんだ。

うう…ありがとう江ノ島さん!」

 

「すごく嬉しくない感謝に涙が出そうだわ」

 

「最っ低!何が大事な話よ!

無期懲役くらっても塀の中でそんな事考えてたとか信じらんない!

あんただけ終身刑になればよかったのに!」

 

また車内に笑いが満ちる。その時のアタシはこの上なく幸せだった。

 

《GPSの信号だよ。もうすぐ第七支部に到着する。

江ノ島さん。戦刃さんが目を覚ましたって連絡があった。心の準備をしておいてね》

 

「お姉ちゃんが!?ちょっと待って、初めになんて話せばいいのかしら……」

 

「えと…まずは身体をいたわってあげてはどうでしょうか?

5年も寝たきりだったわけですし。

ああ!私の考えなんて無視してくれて構いませんからぁ!」

 

「いや、アタシも蜜柑ちゃんに賛成。

とにかく最初にむくろちゃんと話すのは盾子ちゃんだからね?」

 

「確か、彼女は元希望の戦士達とバーチャル空間で共同生活を送っていたんだよね?

その間、ボク達は彼らに今の世界の現状を直に伝えようよ。見たままの事実をね」

 

「ワシらも刑務所から出た頃には、外の変わりように驚いたもんじゃからのう。

よく5年でここまで日本が復興できたもんじゃ」

 

バスが大きく右折して、20階建てのオフィスビルの正門へ向かう。

ゲートで一旦運転手が身分証を警備員に提示すると、ゲートバーが上がり、

ついにバスが第七支部の敷地内に入った。

 

運転手は慣れたハンドルさばきで大型バスを駐車場に停める。

アタシの鼓動が徐々に速まる。このビルの地下に、お姉ちゃんがいるのね。

停車してドアが開き、バスを降りると、

既に第七支部の局員が待機していてアタシ達を出迎えてくれた。

 

「ようこそお越しくださいました。お姉様はこちらに」

 

「今日は…よろしく、お願いします。姉がお世話になっています」

 

若干ぎこちなく挨拶をすると、局員について黙って進みだした。

期待と緊張からか、みんなも無言で歩く。

第七支部のエントランスに入り、地下階へのスロープを下りる。

スロープの先は、病院と変わらない区画になっていた。

 

ビニール材の床に、クリーム色で統一された壁材。廊下の両脇に並ぶ病室。

更に奥に進むと、突き当り一面が大きなドアになった特別な病室に着いた。

 

「こちらがセラピールームです。中でお姉様がお待ちです」

 

「……はい」

 

局員がカードリーダーにIDカードをかざすと、

その広いドアがスライドし、中の特殊な光景を顕にした。

中央にデスクトップパソコンの本体程度の機械と、そこから伸びる複数のケーブル。

それらはヘッドギアと繋がっていて、ステンレスのテーブルに並んでいる。

 

西側にカーテン付きのベッドが6台。

東側には一人がけのソファがたくさん配置された休憩スペースになっていた。

そこには入院着を着て雑誌を読む一人の女性。背を向けているけど、間違いないわ。

汗ばむ手を握り、彼女に近づき、そっと声を掛けた。

 

「……お姉ちゃん」

 

はっと振り向いた黒のショートカット。かすかに散ったそばかす。見間違うはずもない。

 

「お姉ちゃん!」

 

「盾子ちゃん!」

 

考える前に姉を抱きしめていた。お姉ちゃんも雑誌を放り出してアタシの背に手を回す。

 

「よかった……帰ってきてくれて、ありがとう!」

 

「うん、やっと盾子ちゃんと言葉を交わせるようになったんだよ。

時々、お見舞いに来てくれてたんだよね。看護師さんから聞いた。

待たせちゃって、ごめんね」

 

「お姉ちゃん……お姉ちゃん。なんて言っていいか、やっぱりわからない。

こんなに嬉しいのに、何も言葉が出ないの」

 

「私も、だよ。

罪の意識と決別できて、盾子ちゃんと会う心構えもできてたと思ってたのに、

どうしていいのかわからないや。ふふ」

 

「お願い。しばらく、少しの間こうしてて……」

 

「大丈夫。もう放さない。一人になんてしないから」

 

熱い涙をこらえきれず、声もなくただ頬を濡らす。

アタシは5年分の空白を埋めるように、

本物以上に本物の偽物の姉の温もりをずっと身体で感じていた。

 

 

 

 

 

そうしている間、みんなはバスで話していたように

アタシ達を二人きりにしていてくれた。

今、場所を移して全員面会室にいる。全員が座れるほどの広めの部屋。

 

「あ、あの…しばらく、自由に、喋って……ね」

 

人見知りを克服した月光ヶ原さんが退室した。

ジャバウォック島チームと元希望の戦士チームが、あえて入り乱れるように座っている。

自由に、とは言われたけど、

アタシ達は少年少女に世界の現状について教えるよう指示されている。

少しばかりの嘘を交えながら。

 

「ねえ、むくろお姉ちゃん。この人達だあれ?」

 

緑色の髪をした少女が、明るい笑顔でアタシ達を眺める。

 

「私の大切な人達。今から大事な話をしてくれる。

私達が入院してた間、いろんな事があったの」

 

「姉さん、その前に皆さんを紹介してくれないかな。はじめまして、僕は新月渚です」

 

「ぼ、ボクちんは煙蛇太郎っていうんだ」

 

「空木言子と申します。よろしくお願いしますね」

 

「オレっちは大門大っす!」

 

「モナカは、戦刃モナカだよ!よろしくね~」

 

後で教えてもらったことだけど、

特に絶望の江ノ島盾子に心酔していたモナカちゃんの意識は、

希望更生プログラムVer3.21内で

唯一お姉ちゃんと血が繋がってるという設定に書き換えられたらしい。

 

他の子達も、凄惨な虐待を受けて育った記憶や、

塔和シティーで行った虐殺行為に関する記憶を改変されて、

お姉ちゃんと緑豊かな田舎町で育ったというシナリオを上書きされた。

もちろんこれはアタシ達だけが知る最高機密だけど、

それでも生涯を未来機関や【武装警察隊】の監視下で過ごさなきゃいけない。

 

アタシは、せめて精一杯の笑顔で彼らに話しかけた。

 

「はじめまして。アタシは、戦刃盾子って言うの。むくろお姉ちゃんの妹」

 

「あひ~!むくろお姉ちゃんの妹!?えへへ、きれいな人だなー」

 

「うふふ。ありがとね、蛇太郎君」

 

「話には聞いていましたけど、実際お会いするのは初めてですわね」

 

「それじゃあ、あなたはモナカのお姉ちゃん!?

わーい!これからも会いに来てくれる?

モナカ達、もう少し入院が必要だって先生が言ってたから」

 

「もちろんよ。必ず来るわ」

 

「まずは、君たちが知るべきことを伝えたいんだけど、いいか?」

 

日向君が本題を始める。

 

「ごめんなさい、つい話し込んじゃって」

 

そして、彼が元希望の戦士達に、人類史上最大最悪の絶望的事件の経緯、

それに伴う文明社会の崩壊、復興の兆しは見えるものの、

まだ地球規模の破壊から完全に立ち直れてはいないことを丁寧に説明した。

 

「そんな!僕達が事故で意識を失っているうちにそんな事になっていたなんて……」

 

「本当なんだ。これを見て欲しい」

 

タブレットの画面を操作し、日向君が新月君達に外の様子の画像を見せた。

人が住めるようにはなったけど、

確実に文明が後退した急ごしらえのコンクリートむき出しの低階層ビルが並ぶ街並み。

 

「ここもかつては大企業のオフィスビルが林立する不夜城だった。

それが今となっては、地方都市レベルにまで経済的水準が落ち込んだ。

だけどこれでも大分マシになった方なんだ。

5年前まではただ瓦礫が転がるだけの荒野だったからな」

 

「なんてことですの……」

 

「ボクちんの田舎とは違う感じの田舎だよ~」

 

「ああ。日本はもう先進国なんかじゃない。

というより、この世界から先進国なんてものが消えてなくなったんだ。

どの国もどうにかその日を生き延びながら、崩れ去った文明を少しずつ積み直して、

過去の明るい暮らしを取り戻そうと必死なんだよ」

 

「……なるほど、外の状況はよくわかりました。

僕達もここを出たら厳しい環境で生きなければいけないということなんですね?」

 

「そういう事なんだ。でも安心していい。

未来機関が君達の教育機関や住居を用意してくれる。

路頭に迷うことはないから大丈夫だ」

 

「あ、あの……ボクちんが昔住んでた町に戻ることはできないかな~って

夢を見たりするんだ。むくろお姉ちゃんと過ごした、あの家に」

 

「オレもそれがいい!勉強しながら、また姉ちゃんが作った野菜を食べたりしてさ!」

 

“あの町”は希望更生プログラムVer3.21のバーチャル空間のことね。

 

「気の毒だが、それはできない。

君達の故郷も、あの事件で徹底的に破壊されてしまった。

詳しくは、知らないほうがいい」

 

緊張して話を聞いていた新月君が、一度長い息を吐いて、また言葉を紡ぐ。

 

「そうだったんですね……色々教えてくれて、ありがとうございます。

でも、どうしてあなた達が?月光ヶ原先生が話してくれなかったのは何故でしょう」

 

「俺達も希望ヶ峰学園の卒業生なんだ。

高等部に進むはずだった君達の力になれるかもしれないと思って、会いたくなった」

 

「お心遣いに感謝致しますわ。でも、私達は平気です。むくろお姉様がいますから」

 

「ふふ、頼りにされてるのね、お姉ちゃん」

 

「そ、そんなこと、ないよ」

 

謙遜しつつ少し照れて顔を朱に染める。

 

「でもでも、モナカ達にもうひとりお姉ちゃんがいたなんて嬉しいなー」

 

「うん、これには僕も驚いてるし、嬉しい。

……むくろ姉さんと同じく、頼りにしても、いいですか?」

 

「もちろんよ!アタシ達ってちょっと家の事情が複雑で、

君達がお姉ちゃんと一緒にいてくれたことを知らなかったの。

みんなのおかげでお姉ちゃんも寂しい思いをせずに済んだわ。ありがとうね?」

 

「うふっ、こちらこそ」

 

言子ちゃんがこっちを向いている隙に、日向君が目配せをする。

おしゃべりはここまでね。

 

「あらいけない。お姉ちゃん、アタシ達もうすぐ帰らなきゃ。

その前に今後のこと、話しときたいんだけど、ちょっといいかしら」

 

「そうだね。みんな、悪いけど少し席を外すね。お兄さんやお姉さん達とお話ししてて」

 

「オッス!」

 

事前に打ち合わせておいた通り、アタシとお姉ちゃんは部屋から出て、

人気のないスペースを探す。

そして、人がいないところに隠れると、

どちらからともなく、抱きしめ合ってキスをした。

ちょっとだけ家族愛を超えた、恥ずかしくなるくらい濃いものを。

 

「んっ……お姉ちゃん」

 

「あむ、盾子ちゃん……」

 

胸に宿った5年の虚しさを消し去るには言葉だけじゃ足りない。

もっとスキンシップが欲しい。自然に腕の力が増す。

アタシ達はしばらく互いを温め合うと、そっと身体を放した。

 

「あはは…つい勢いでやっちゃったけど、やっぱり照れるわね」

 

「いいじゃない。私達、やっと会えたんだから」

 

「ちょっと大胆になったんじゃない?」

 

「盾子ちゃんだって」

 

「うふふ、それもそうね。……それじゃあ、二人共気が済んだところで、本題」

 

今度こそ元希望の戦士達の記憶に関する情報共有や、口裏合わせについて確認した後、

アタシ達は面会室に戻った。

 

 

 

 

 

その後は堅苦しい会議は抜きにして全員で交流会。

新月君達と、後輩ができた嬉しさでテンションが上りきってるみんなで

喋りっぱなしだった。

だけど楽しい時間はあっという間に過ぎて、夜時間が近くなったところでお開き。

お姉ちゃん達がエントランスまで見送りに来てくれた。

 

「第十四支部だっけ。本調子になったらみんなと遊びに行くね」

 

「楽しみにしてる。もうひとりぼっちじゃないから、アタシのことは心配しないで。

焦らないでリハビリを進めてね」

 

「みんなでお散歩することから始めようと思う。それじゃあ……また今度ね」

 

「うん。必ず、また今度」

 

「盾子姉さん。今日は見舞いに来てくれてありがとう」

 

「次はモナカが育てたプチトマト食べさせてあげるね!

むくろお姉ちゃんに教えてもらったの!」

 

「再会を楽しみにしておりますわ。まだまだ話し足りませんし」

 

「兄ちゃん姉ちゃんもスゲー人ばっかりで憧れちまうな!

オレっちも高校生になったらどんな才能が出てくるのか楽しみになってきたぜ!」

 

「あなた達も無理はしないでね。アタシ達はいつでも歓迎するから」

 

本物の家族のように寄り添うお姉ちゃんと子供達に手を振って、またバスに乗り込んだ。

第十四支部に帰るの。みんなと一緒に。もう個室に引きこもる生き方とはお別れ。

アタシ達には明るい未来が待っている。

目指す方向は違っても、確かな絆で繋がっている。

 

だからどんな困難にもくじけはしない。バスが動き出すと、なんとなく空を見る。

まだ薄赤い雲のせいでおぼろげだけど、月の形が識別できる。

アタシの胸には期待しかなかった。

 

実際それからの生活は幸せだった。刑期を終えたみんなも第十四支部に缶詰じゃなくて、

名前を変えた上で、外出もその都度申請すれば認められるようになったことも大きい。

未来機関の局員見習いという建前で、住居と職場を与えられたみんなの目は輝いている。

そんな仲間達と過ごした日々を思い出す。

 

 

 

「ねえ日寄子ちゃん、そろそろ放してくれると嬉しいんだけど……」

「やだ!5年もおねぇの香りを嗅いでなかったんだから、その分、回収してんだよー」

「小泉さんからも説得プリーズ」

「許してあげなよ。刑務所でもずっと盾子ちゃんのことばかり考えてたんだから。

はい、こっち向いて。3、2、1、スマイル~!」

「写真撮ってないで助けてほしいのだけど。

小泉さんが来る1時間前からこの調子なのよ?」

 

 

 

「心して聞け。一国一城の主となるからには、情報が命だ。

いくら料理の腕が良かろうが緻密な戦略なくして店を繁盛させることはできない」

「う、うん!ぼくの店に必要な情報って何かな?」

「あら、花村君に十神君。ごきげんよう。何をしてるの?」

「おはよう江ノ島さん!ちょっと気が早いけど、花村食堂青山支店を開きたくって

十神君にアドバイスしてもらってるんだ。

お母ちゃんの味を広めるために、小さくても定食屋からスタートしようと思ってさ」

「それは心強いわね。見通しは立ちそう?」

「経営者としてはまだまだだ。まず物件の選び方が甘い。

お前が見つけた居抜き物件は一見立地が良さそうだが自動車が入りにくく客が敬遠する。

価格設定も損益分岐点のバランスを理解できていない。

客寄せの薄利商品と利益重視の低コスト商品の割合を考え直すべきだ。

そして何よりメニューに肉類が足りていない」

「あはは…とても参考になりま~す」

「未来機関の給料って正直渋いからその辺も考慮してあげてね?」

 

 

 

「田中君……誰に手を合わせてるの?」

「サンD、マガG、ジャンP、チャンP。獄死した破壊神暗黒四天王を弔っている」

「……そう。いつかハムちゃん撫でさせてほしかったんだけど、お気の毒にね」

「しかぁし!!彼らは輪廻の輪から外れ生死を超越せし者達!

現世での偽りの姿を脱ぎ捨て、

今頃は冥界の覇者として君臨しているであろう!フハハハ!」

「そうね。きっと天国で幸せに暮らしてるわ」

「その証拠に!破壊神暗黒四天王が地上に新たな邪神を遣わした。見よ!」

(チュチュッ)

「ネズミ?この子はどうしたの?」

「フッ、この禍々しき姿に恐れ慄くのも無理はない。

俺様がメタトロンの腕に囚われ永劫の時を過ごしていたとき、

天空を這いずり降臨した新時代の破壊神なのだ!」

「刑務所で出会ったネズミをペットにしたのね。かわいがってあげてちょうだいね」

 

 

 

「ペコ、お前の周りはどうだった」

「残念ながら、九頭竜組に相応しい人材はおりませんでした」

「こっちもだ。骨のある奴がいやしねえ」

「辺古山さーん、九頭竜くーん、なーにしてるのー?」

「……ペコ」

「承知しております」

「ふぅ、なんだか秘密の内緒話してるみたいだったから思わず声かけちゃった……って

何するの!?」

「やっぱおめえしかいねえよなぁ!

舎弟とは言わねえ、将来の若頭として鍛えてやるからよ!」

「うむうむ。お前が一緒なら、九頭竜組も安泰だろう」

「言ってる意味がわかんない!お願いだから腕放してー!」

 

 

 

「お茶が自販機のコーヒーでも、こうしてまったりする時間は大事よね~」

「ああ、刑務所だろうと仕事だろうと、息抜きは欠かせないからな」

「日向君と狛枝君は、向こうでどんな仕事してたの?」

「ボクは片腕だから内職みたいな作業が中心だったよ。

アクセサリーを小袋に詰めたり、他の人が作った商品を検品したり」

「俺はジャバウォック島と大して変わらなかったな。

鉱山でツルハシを振るときもあれば、畑の世話をしていたこともあったな。

とにかくその時の需要で各地を転々としてた」

「大変だったんだ……アタシって駄目ね。みんなが辛い労働に耐えてる時も、

あの時もらった色紙を抱いてメソメソしてたんだから」

「……ずいぶん、待たせてしまったな」

「江ノ島さん。それはもう終わったんだよ。ボク達には希望しかない。

少し回り道をしたけど、ようやく夢見た未来にたどり着いたんだ」

「ありがとう。その通りね。アタシ達には自由と希望がある。

もう誰も絶望しなくて済む未来を手に入れた。そうよ、そうよね」

 

 

 

「あーイテテ。久しぶりにオッサンのトレーニング受けたら足痛めちまったよ。

やっぱ単純作業ばっかしてたから身体が固くなってるぜ」

「すまん、終里。マネージャーのワシとしたことが。

ワシも檻の中で過ごすうちに勘が鈍ってしまったらしい」

「動かないでくださいね。

……う~ん、肉離れとかじゃないですけど、急に筋肉を伸ばしすぎたみたいです。

湿布を貼りますから、後は安静にしててください」

「サンキュー罪木。お前ってやっぱ気弱なのにいざという時頼りになるな。

その辺、江ノ島と似てるとこあるぜ」

「おう。そう言えばそうじゃのう」

「そっ、そんな!私なんかが江ノ島さんと同じだなんて……」

「こ~ら、“なんか”は禁止。いつか狛枝君にも言ったわよね」

「あ、江ノ島さん!」

「こんにちは。みんな何してるの?」

「棒高跳びのデモンストレーションで張り切り過ぎちまった。足痛めてこのザマだよ」

「それを罪木が手当してくれたというわけじゃ」

「彼女が診てくれたなら一安心ね。

罪木さんの手当って、心がこもってるから精神的にも癒やされるでしょう?」

「え、へへ。そこまで言われると照れちゃいますよぅ~」

「いーや。お前が包帯巻いてくれると、

いい感じで締め付けてくれるからなんか気持ちいいんだ。

こりゃお前にしかできねえよ。もっと自身持てって」

「終里さん……はい、とっても嬉しいです」

 

 

 

「今度の歌はどうっすか、千秋ちゃん」

《わざとやってるみたいに、人間にとって不快な周波数がサビで繰り返されてるよ?

私も思わずミュートにしちゃった》

「ガーン!自信作だったんすけどねぇ。

“ハ○キルーペがCMやりまくる理由を探ってた知人が消された”」

「こんにちは。歌の調子はどう?」

「盾子ちゃん……指で耳栓しながらそれはないっす~」

「ごめんごめん、やっぱりアタシには刺激が強すぎて。これでも飲んで少し休んで」

「ミネラルウォーター?ありがたいっす!ずっと歌いっぱで喉渇いてたんすよね」

「七海さん、彼女の歌はどう?

霧切さんからあなたのOKが出るまで路上ライブ禁止だって聞いたんだけど」

《はっきり言うね?昔の澪田さんを覚えてる人なら、覆面してても無駄なレベル。

……ごめんね?》

「んぎぎ!なら次は全く別のアプローチを試してみるっす!」

「どんなアプローチかはわからないけど、

オーディエンスが受け止めきれるレベルに抑えることも必要だと思うの」

《そうだね。澪田さんの歌を音の波形にして横にラインを引いてみたよ。

このラインを超えるとゲームオーバーだから、

気をつけながら歌うとちょうど良くなるんじゃないかな?》

「んぁー!こんなの全然ロックじゃないっす。

“ぞうさん”の方がまだ盛り上がるっすよ」

「ぞうさんって。澪田さんの感性に時代が追いつくのはもう少し先になりそうね」

 

 

 

「……江ノ島、ちょっと聞いて欲しいことがあんだけどよー」

「なあに、左右田君。改まって」

「実はオレ、ソニアさんにプロポーズしたんだ……」

「すごいじゃない!で、返事は?」

「それがな……オッケーもらったんだよ!いよっしゃぁー!!」

「フフフ、男見せたわね。これでカップルは二組目か~」

「ちゃんと指輪も渡したぜ。まあ、オレが金属パーツで作ったダセーもんなんだけど、

それでも喜んで受け取ってくれたんだ。ソニアさんマジ天使だろ!」

「のろけちゃって、このこの~」

「よせよ、からかうなって!……まあでも、実際江ノ島のおかげだよな。

オレがバカな死に方しようとしてたのを止めてくれたのも、

ソニアさんと引き合わせてくれたのも、全部お前のおかげだと思ってる。

……ありがとうな」

「ううん。左右田君の覚悟が、あなたを変えたの。おめでとう、立派なナイトさん。

お姫様を、大事にね」

「ああ。一生大切にするぜ」

 

 

 

 

 

みんなそうだった。みんな最後にはそう言ってくれた。“お前のおかげだ”。

そしてあの日、何かが変わった。

 

 

 

 

 

「霧切さん。これ、幹部級局員の、血液検査結果。機密情報、だから、気をつけて」

 

「わざわざ第四支部からお疲れ様、忌村さん。

でも、第九支部の支部長が糖分の取りすぎだの、第六支部長の血圧が高めだの、

本人にメールで忠告すれば良いものを文書にして

あなたに持って来させる必要性がわからないわね。

今度の定例会議でこの無駄な作業を廃止するよう提案してみるわ」

 

「別に、いい。私、そんな、忙しくないから」

 

1階ロビーの休憩室でアイスコーヒーを飲みながら、

エントランスホールで霧切さんと話す誰かをぼんやりと眺める。

二言三言会話をしてから客人と別れると、霧切さんがアタシに気づいて歩いてきた。

 

「困ったものね。まだ5年前の感覚で任務を続けている人が多いみたい。

確かにあの頃は徹底的な機密保護が絶対だったけど、今はもうそんな時代じゃない。

絶望の残党がほぼ全滅した今は、

スムーズな情報伝達と速やかな決断が優先される時代なのに」

 

「……十神君みたいなこと言うのね」

 

霧切さんはクスリと笑い、アタシの隣に座った。

 

「言われてみればそうね。気が付かなかったわ。

小言が出るってことは、私ももう若くないってことかしら」

 

「お互い歳を取ったわね」

 

「絶望との戦いに何年費やしたのかしら。

こうして雑務に愚痴をこぼす余裕ができるなんて思っても見なかった」

 

「余裕ができたなら、あなたも女性らしい幸せを探してみたら?例えば……苗木君とか」

 

「前向きに検討しておきます」

 

「検討するのはいいけど、

今のうちにツバつけとかないと誰かに取られちゃうかも。うふふ」

 

「余計なお世話。そろそろ仕事に戻らなきゃ。じゃあね」

 

「もう少し付き合ってくれてもいいのに。午後のお仕事頑張ってね~」

 

オフィスに向かう霧切さんの背中に手を振ると、やることがなくなったアタシは、

腰のホルスターからタブレットを取り出して起動した。特に調べ物があるわけじゃない。

天気予報やニュースで暇つぶしがしたかっただけ。

 

復活した大手ポータルサイトにアクセスする。

今日の天気は晴れのち曇り。酸性雨注意度は1。肌の露出は控えましょう。

なるほどなるほど。

それからトップニュースをざっと眺める。興味深いものから流し読み。

時々画面をスライドする指を止めて、気になる部分は熟読。

 

しばらく時間を過ごしたら、アタシは席を立った。……もう行かなきゃ。

 

部屋に戻ったら、片付けを始めた。服を畳んでチェストにしまう。

机や床もきれいに掃除して、ゴミ箱のゴミはダストシュートへ。

ベッドのシーツを四つ折りにして丁寧にしわを伸ばす。

あとは、タブレットのホルスターを机に置いて、準備完了。

机の隅に立てたみんなの寄せ書きが目に入ったけど……

そのままにしてアタシは部屋を出た。

ありがとう、さようなら。

 

 

 

 

 

……あれから1年。ぐるぐると回る意識の中で、見たこともない奴らの笑顔が去来する。

 

“江ノ島のおかげだよ”

 

“江ノ島おねぇ、ありがとう!”

 

“やはりお前さんがいないと始まらんのう!”

 

“江ノ島、全部お前のおかげだ”

 

“あなたがいてくれたから”

 

“キミのおかげさ!”

 

 

 

絶望の残党がいなくなったのも、

彼らの償いが無事一段落を迎えたのも、

世界が蘇りつつあるのも、全部アタシのおかげ。アタシの、アタシの、アタシの。

 

そう。全部、アタシのせいだ。

 

 

 

断片的な記憶の中で、それだけは鮮明に覚えている。

思い出すのが怖い。だから酒に逃げる。

手の中で弄ぶウィスキーのグラスに、やつれた女の顔が映る。おぞましい化け物。

髪はボサボサ、ガサガサの肌、ルージュも引いていないひび割れた唇。

ダッフルコートを着たまま深酒を続けるアタシを、

マスターが内心迷惑そうに視界の端に入れている。

 

「んあ?なに見てんのよ」

 

「……いえ」

 

「ふん」

 

雲に浮かぶような感覚の中、ラジオが流し続ける音楽やニュースをただ耳に入れる。

 

“お送りしたナンバーは、奥村チヨの「終着駅」でした。リクエストを頂いた……”

 

“連続不審死に新たな展開です。

新宿区の無職、荒山浩司さんが自宅で死亡しているところを家族に発見されました。

遺体に外傷はなく、警察は事件と事故の両面で……”

 

アタシはグラスに残ったウィスキーを一気に流し込み、グラスをマスターに押し付けた。

 

「もう一杯」

 

「今夜はその辺にしときましょう」

 

「客が出せって言ってるの。聞こえなかった!?」

 

「お静かに。手洗い場で鏡を見たほうがいいです。顔が真っ赤ですよ」

 

「耳が聞こえないの?タコ助。

注げって言われたら注ぎなさいよ!あんたの仕事でしょうが!」

 

「……俺だから聞いてやってるがな、まだ大声出すなら武装警察隊に突き出すぞ。

とっとと勘定済ませて俺の店から出てけ。飲んだくれのクソ女が」

 

「いい度胸してるわねぇ!そのハゲ頭ぶち割って……」

 

カッとなって手近なボトルに手を伸ばそうとすると、

カランカランとドアのベルが鳴り、一人の客が入ってきた。変なやつ。

そいつはスタスタと店内を進むとアタシの隣に座った。

右手に火傷の跡。真っ白なスーツに、白髪か生まれつきか脱色してるのかわかんない頭。

 

「いらっしゃいませ……」

 

「ジョニーウォーカー。ロックで」

 

「かしこまりました」

 

マスターがトンチキ野郎に酒を出すと、

そいつは一口飲んでこちらを見ずに話しかけてきた。

 

「ずいぶん手こずらせてくれたな。

素性が素性だから公開捜査に乗り出すことも出来なかった」

 

「あんた誰。優男は趣味じゃないの。消えて。……マスター、酒は!」

 

「いくら待っても出ねえよ」

 

「主人、もう一杯だけ飲ませてやってくれ。俺が責任を持って連れて帰る」

 

「それでしたら……」

 

ハゲのくせに気取ったマスターがようやくウィスキーのおかわりを出した。

ゴクゴク飲むと舌から食道にかけて焼けるような熱さが走る。

アタシの幸せは、酒しかない。

 

「もう少し味わったらどうだ」

 

「アタシに指図するつもり?世界を救ってやったこのアタシに!」

 

「いつか一緒に酒でも、と思っていたが……ひどい絡み酒だ。最初で最後にしたい」

 

「本当に誰、あんた。酒の礼に少しだけ話を聞いてやってもいいわ」

 

「何もかもアルコールで消し去ってしまったのか?

宗方京助の名を忘れたとは言わせんぞ」

 

「残念ね。1年より前からは何から何までパッパラパーよ。

ねえ、その酒飲まないならくれない?」

 

「帰るぞ。お前を待つ者達のところへ」

 

「痛い!腕引っ張らないで!誰かー!変な人に拐われる!」

 

「主人、勘定をここに置く。釣りは不要だ」

 

「ありがとうございました」

 

白ずくめの変態野郎が万札をカウンターに置き、アタシを無理矢理店の外に連れ出した。

冷たい夜風が吹き付けてきて凍えるような寒さに震える。

 

「どういうつもり!?まさかアタシを……」

 

「希望ヶ峰学園」

 

「えっ?」

 

意味不明な言葉が頭に引っかかる。

 

「ジャバウォック島」

 

「つっ、痛い!」

 

今度は針が脳を貫通するような頭痛。

 

「……超高校級の、女神」

 

「んん、うあああっ!!」

 

時間の感覚を司る脳の部位がハンドミキサーでかき回されるように、

アタシの記憶がシャッフルされる。吐くまで飲んだ時より最悪な気分。

目を閉じていても暗い視界がぐるぐる回る。

 

……気がついたら、アタシはその場にしゃがみこんで、頭を抱えていた。

だけど、もう思考だけは落ち着いている。酒の酔いは残ってるけど。

思い出した。過去の自分、今の自分。アタシの正体は。

 

「江ノ島盾子、乗れ。帰るんだ」

 

アタシは何も言わずに、千鳥足で黒のBMWに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

>新規キーワードが追加されました。

 

1.武装警察隊

 

江ノ島盾子の“超高校級の女神”発動以後に組織された、

従来の警察に代わる新規の治安維持組織。

人類が絶望から解き放たれ、インフラの再生は進んだものの、

壊滅状態に陥ったままの警察に治安を守ることができず凶悪犯罪が増加。

それを受けて逼迫する状況に対応すべく暫定政府が結成。

“自衛隊を補佐する新たな正義”をスローガンに、足りない人員を装備で補うべく、

強力な重火器で武装した警官がツーマンセルで広範囲をカバーする。

結果、大容量の大型マガジンを備えた自動式拳銃とアサルトライフルを構えた警察官が

市街地を警らすることとなり、街の雰囲気は物々しいものになっている。

 

 



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第2章 希望の値打ち

江ノ島盾子発見。

その知らせを聞いたオレ達は、全員で霧切に頼み込んで、

最先端医療技術が集まる第四支部への立ち入りを許可してもらうよう

手を回してもらった。

 

CTスキャンや脳波測定機が集中する検査室を、

大学病院の手術室にある見学スペースのような高所から眺める。

強化ガラス越しに見たのは、変わり果てたあいつ。

 

ゆらゆらと今にも転びそうな歩調で歩き、やせ細って、目に大きな隈が出来た顔で、

ぼんやりとした目つきで頭を揺らす。

江ノ島は、ただベルトコンベアの上で加工される電子製品ように、

なにかの検査を受け続ける。今は医師の問診中。

 

“彼女の血液検査の結果は?”

 

“殆どの項目で基準値を大幅に外れています。

特にγ-GTPの値が高く、栄養失調の兆候も見られます”

 

“江ノ島さん、食事は毎日食べていましたか?”

 

“ん~、ええと……気が向いた時に”

 

“具体的にはどんな物を摂取していたんでしょう”

 

“酒とつまみ。多分”

 

“ふむ……アルコール依存も疑った方がいいですね。お酒は、やめてください”

 

“いやあ!酒がなくなったら、何のために生きればいいのよぉ!!あああ!”

 

“江ノ島さん?落ち着いて、江ノ島さん!?係員、彼女を抑えなさい!”

 

スピーカーから内部で争う声が聞こえてくる。

皆が言葉を失った。失踪してから1年。生存を信じて待ち続けた結果がこれだ。

かつてオレ達を許し、更には希望を与え、世界すら救った超高校級の女神の成れの果て。

握った拳のやり場がなく、気がついたら眼下の景色を殴っていた。

 

「ちくしょう!!」

 

割れはしなかったものの、強化ガラスの揺れで下にいる局員達が驚いてオレを見る。

そしてあいつもオレに気づき、薄笑いを浮かべて弱々しく手を振ってきた。

 

「……彼女と、話を?」

 

立会人の医師がピンマイクを渡してきた。

オレは飛びつくように受け取ると、小さなマイクに叫んだ。

 

「江ノ島ァ!そんなとこで何やってんだ!今までどこで何してた!?」

 

“あらぁ、左右田君じゃなぁい。元気してた?ソニアさんとはもう一発ヤッたの?ヒヒ”

 

「ざけんな!オレもソニアも、お前を結婚式に迎えたくて、ずっと待ってたんだ!

オレだけじゃねえ、他のやつらも十四支部の敷地外に住むことが認められたって、

お前の帰りを信じて待ってた!あのビルの狭い部屋ん中で!」

 

「和一さん、貸してください」

 

ソニアが俺の手からピンマイクを受け取る。

ちょうどよかった。歯を食いしばるオレの口からはこれ以上言葉が出なかったから。

 

「江ノ島さん、聞こえますか?ソニアです」

 

“ソニアさんもおひさ~。あなたっていくつになっても美人よね。

まぁ、ダンガンロンパにブスなんて出やしないんだけど。

かわいい女の子が大きな売りなんだしさ。

大神さんだって例外じゃないわ。鍛えすぎてるだけで顔のパーツは整ってる。

あら、アタシったらなんでここにいるのかしら”

 

「……今、ここで多くは聞きません。

しっかりと治療を受けて、元気な江ノ島さんに戻ってください」

 

“なんで?”

 

「そんな生き方をしていると、必ず命を落とします。

もしそうなったら、わたくし達は……また絶望に飲み込まれてしまうんです!

お願いします。お酒とはきっぱり縁を切って、健康な身体を取り戻して下さい」

 

“どうしてそんなイジワル言うのぉ……?

お酒がないと生きられないのに、先生もみんなも、お酒を取り上げようとする!

もうやだ、誰かたすけてよぉ!うっ、あああ!あああん!”

 

「泣かないでください、江ノ島さん!またわたくし達と暮らしましょう!

そうすればきっと!」

 

「精神状態も不安定なようですな。回復には時間がかかるでしょう」

 

無表情で医師が告げる。またピンマイクが誰かの手に渡る。

きれいに剃り込みを入れ、ハリのあるスーツを着た男、九頭竜がマイクに怒鳴る。

 

「馬鹿やってねえでとっとと出ろや!!組のモンなら指の一本じゃ済まさねえ!

さっさとこいつらの前に出て落とし前つけやがれ!」

 

「組長、落ち着いてください……」

 

「無理だな!あいつを見てるとムカついてしょうがねえや!……くそったれめ!」

 

九頭竜がくずかごを足蹴にする。そうだ、オレだって腹が立って仕方ない。

オレ達に何も言わずに消えちまった江ノ島。自分を殺すような生き方をする江ノ島。

そして何もわからず、何もできないオレ達自身に。

 

“行きたくな~い。九頭竜君に叩かれるぅ”

 

“心配しないで。少し気が立っているだけです。

検査は以上ですので、着替えて皆さんに会いに行って下さい”

 

 

 

 

 

更衣室に戻ると、薄っぺらい浴衣のような入院着から私服に着替えた。

流石にいい歳して、もう超高校級のギャルだったころの服は着られない。

緑のロングスカートに白のブラウス。

江ノ島盾子からあの服を奪ったら、一体アタシに何が残るのかしらね。

ダッフルコートを羽織ると、部屋を出て待合室に向かった。

飲んでもいないのに、微妙に足元がふらつく。

 

円形に並んだソファがあちこちに配置されている広い空間。

足を踏み入れると、元超高校級児達がざわっとなってアタシを見る。

彼らを眺めて何を言おうか考えていると、

誰かがつかつかと歩み寄ってきて、アタシの頬を張った。

鋭い小さな痛みと、よく通る音が、半分寝ている脳を刺激した。

 

「……なにするの」

 

「それはこっちの台詞よ!アタシや日寄子ちゃんに黙って出ていって、1年間酒浸り!?

とにかく日寄子ちゃんに謝って!

盾子ちゃんがいなくなってからずっと心細くて落ち込んでたんだから!」

 

小泉さんが指差した先には、泣きじゃくる日寄子ちゃん。

彼女があふれる涙を拭いながらこっちに歩いてきた。泣きながらアタシに問いかける。

 

「えうう…小泉おねぇ、やめようよ。

江ノ島おねぇ、聞かせてよ。ぐすっ、どうして、わたし達を見捨てたの?

わたし達が嫌になったの?そんなになるまで、今までどこにいたの?」

 

そして、すがるようにアタシに抱きついてきた。

 

「……日寄子ちゃん。最後の質問には答えられないけど、

あなたを見捨てたわけじゃないし、嫌いになったわけでもない。

強いて言えば…自分が嫌いになったのよ」

 

「わかんないよ……おねぇの何が不満だってのさ」

 

「言えない」

 

「いいえ、答えてもらうわよ。自分がどれだけ迷惑をかけたかわかってるの?」

 

彼らのそばで控えていた霧切響子が硬い口調で告げた。

 

「アタシなんかに構ってるからそうなるのよ。

ただでさえワケありのみんなが大事な20代の大半を使っちゃったのに、

昔の女を追いかけて、自分の幸せを後回しにして。

あなた達は過去の思い出より未来の希望とやらを探すべきだったのよ」

 

「今度は私に叩かれたい?」

 

「何発でも好きなだけ。少しは手加減してくれると助かるけどさ」

 

「待って!ボクにも彼女と話をさせてよ!」

 

霧切さんが手を挙げると、狛枝凪斗が割り込んできた。次から次へと忙しいわね。

 

「江ノ島さん。キミは過去の思い出なんかじゃない。

今までもこれからだって、ボク達の希望なんだよ!

ボクを超高校級の絶望から救ってくれたのは、キミ自身じゃないか!

それだけじゃない、ボク達に過去の罪と向き合う勇気をくれた!

そんな江ノ島さんが破滅的な人生を送ったまま最期を迎えるなんて耐えられないんだ!」

 

なんとなく枝毛だらけの髪をかき上げると、ひとつため息の後、

疲れを隠さずにボソボソとつぶやく。

 

「絶望の次は破滅、ね。別にいいんじゃない?酔ってる間は幸せでいられる」

 

「おねぇ、お酒はやめようね?」

 

「悪いけど無理。アル中は治らないの。死ぬまで酒に対する欲求が消えない。

そうでしょう、罪木さん?」

 

突然話を向けられた彼女がたじろぐ。

 

「は、はいぃ!アルコール中毒は過度の飲酒を続けることにより脳に異常が発生して、

自分でお酒をやめられなくなる症状のこと。で、す……」

 

「そーいうこと。みんなが知ってる江ノ島盾子は死んだと思ってちょうだい。

アタシはもう行くわ。……元気でね」

 

エントランスに足を向けると、ふとそこで立ち止まる。

“彼女”が、さめざめと涙を流しながら、アタシを見ていた。

両脇にアタシをここに連れてきた宗方とヨボヨボの爺さんがいるけど、

なにか言う前に彼女が話しかけてきた。

 

「盾子ちゃん。どうして、どうしてなの?また会うって約束したのに。

せっかくまた会えたのに!」

 

「お姉ちゃん。……ごめん」

 

「ごめんじゃないよ……私、今日までずっと悩んでた。

3Zの私が盾子ちゃんに愛想を尽かされたんじゃないかって。たった一人の妹に。

みんなと同じ気持ち。怒ってなんかいない。

でも、せめて急にいなくなった理由を聞かせて?

何か悩みを抱えてたの?それは私達じゃ力になれないことだったのかな?」

 

「それは、言えない。ホントに、ごめん」

 

「言え。お前には答える義務がある」

 

宗方がアタシを見据えて言い放つ。アタシも奴を睨み返す。

 

「あんたらに従う義理はないわ。

契約通りアタシは歌で世界から絶望らしきものを消し去ったし、

ちゃんと偽名を使って正体も隠してる。

そしてあんた達は塔和シティーからお姉ちゃんを助けてくれた。

お互い用済みのはずでしょ。要するにあんたらとの契約は切れてるの」

 

「ならばワシから頼むとしよう。この通りじゃ。

特別顧問の肩書きは与えられたものの、実質はお飾り。

ただのじじいを助けると思って、ここに留まってほしい」

 

白い顎髭を長く伸ばした爺さんが、曲がった腰を更に曲げる。

虚ろな視線を向けて聞いてみた。

 

「……誰?」

 

「寂しいのう。ワシのことは覚えてくれなんだか。

天願和夫。かつて未来機関で会長を務めていた」

 

「そのお偉いさんが飲んだくれ女に何の用かしら。

どうして未来機関とやらはそこまでアル中女にこだわるのかしら。

あいにく、女神様なら売り切れよ。お聞きの通り酒で喉がガラガラなの」

 

「学級裁判」

 

「……っ!」

 

久しく聞いていなかった言葉を耳にすると、なぜかドキンと心臓が跳ねた。

心の中で憎まれ口を探すけど、上手く行かなくてただ聞き返す。

 

「警察も自衛隊も復活した今になって、なんで学級裁判が出てくるのよ……」

 

「顧問、ここからは私が。お前もラジオや新聞でニュースくらいは見ているだろう。

この都心を中心に発生している連続不審死事件。

ある事件の容疑者が確保され、その【裁判員裁判】が開かれることになった。

これは新政府発足以来初の試みだ。

そこで殺人事件解決の経験者である、

お前を含めた諸君がテストケースとして選出された。

検察が押収した証拠を元に、容疑者の潔白あるいは有罪を導き出せ。

ちなみに裁判員裁判の決定は絶対だ。間違っても冤罪など生み出すなよ」

 

「ふん。つまりは政府お墨付きの学級裁判でしょうが。

昔、コロシアイで散々苦しんだみんなをよくそんなもんに引っ張り出せたもんよねぇ。

未来機関もろくでなし加減じゃアタシといい勝負だわ」

 

──それは違うぞ!

 

はっと振り向くとアンテナのようにツンと一本立った髪が。

二十歳を過ぎてもそれは変わってなかった。

 

「日向、創……」

 

「江ノ島。この裁判員裁判を持ちかけられた時、俺達は自分で志願した。

断ることだってできた。でも一つ条件を付けることで参加することを決めたんだ。

それがお前。江ノ島も一緒に法廷に立つことだ」

 

「そうでなくてはお前の捜索に時間を割いたりなどしなかった。そういうことだ」

 

「……なんでアタシまで」

 

「なあ。ジャバウォック島での生活を思い出してくれ。

俺達の絆が深まったのは、良くも悪くも学級裁判が起きたときだったよな?

もちろんそれだけじゃないことはわかってる。

でも、真実が明らかになったとき、必ず誰かが心の闇から救われた。

それは江ノ島、お前がいたからだ。俺達は生涯を掛けて過去の罪を償うつもりだ。

だから世界をより良くするためなら協力は惜しまない。

でも……人を裁くという大それた行為に尻込みしてるのも事実だ。頼む、江ノ島。

そこにお前がいてくれると勇気を持って立ち向かえる。協力してくれないか?」

 

言葉が見つからなくて視線を遊ばせていると、お姉ちゃんが近づいてそっと手を握った。

 

「盾子ちゃん、お願い。また私達と一緒に、生きて」

 

「だけどね、お姉ちゃん……」

 

「おねぇ!一緒に悪い奴をやっつけようよ!わたしも頑張るから!」

 

「日寄子ちゃん。容疑者はあくまで容疑者であって、犯人と決まったわけじゃないの。

クロかシロかを決めるのが裁判。……霧切響子、条件がひとつ」

 

アタシが覚悟を決めると、皆がざわめきで返事をした。

 

「予想はついてるけど、言ってみて」

 

「酒。毎日用意して」

 

「缶ビール一日一本」

 

「500ml」

 

「350ml」

 

「そんなの甘酒と……もういい、350で手を打つ。これでいいんでしょ?」

 

今度は皆がホッとした雰囲気でその場の空気を塗り替える。

もうみんないい大人だからやたら大声で喜んだりしない。

その場で踵を返し、いつか南国で共に暮らした人達の顔を、

ひとつひとつ確かめるように見る。

 

「ねえ、酒で脳みそが溶けてるし、こんなおばけみたいな格好になったけど、

アタシも裁判員裁判とやらに出てもいいのかしら」

 

「たりめーだ!お前がいないと始まんないんだよ!

そうだ、酒が足りないならオッサンのトレーニング受けろよ。

オレも空きっ腹が我慢できるようになったしよ!」

 

「うむ。アルコール中毒は周囲の理解と心の持ちようで克服できる。

ワシがお前さんの断酒をサポートしてやるわい。まずは規則正しい生活からじゃな」

 

「翼をもがれたアフロディーテよ!……いや、よそう。

お前はとにかく、裁判が始まるまでに体調を整えろ。

そうすれば魔獣フェンリルと戯れる権利をやらなくもない。(チュチュ)」

 

「おなか空いてるでしょ?十四支部に戻ったら、ぼくが精のつく夜食を作るよ。

今回だけは言葉通りの意味だからね!」

 

「はぁ。今回だけなんてケチくさいこと言わないで、一生まともに喋ってればいいのに。

そうと決まれば十四支部に戻りましょう。

盾子ちゃん?明日からは覚悟しておきなさいよ!」

 

「何をされるのか心配だけど、まともな寝床で寝させてくれるならそれで十分よ。

連れてって」

 

「みんな、こっちだ」

 

今まで黙っていた苗木君が、アタシ達をバスの待機する外に誘導する。

 

「でも江ノ島さんは少し待って」

 

「なに?」

 

皆が自動ドアを通ってバスに乗り込む中、アタシだけ呼び止められた。

 

「喉を痛めたまま裁判に臨むのは辛いだろう?ボクの目を見て欲しい」

 

「んああ?」

 

言われるままに彼の瞳をじっと見る。

すると、アタシの目が勝手に光情報を取り入れて脳に書き込む。

 

「ふぅん……超高校級の体質じゃないけど、ひとつの能力(スキル)ね。“美声”?」

 

酒で焼けついた喉に清涼感が走ったから、あ・あ、と調子を確かめてみると、

汚い声がすっかり元に戻っていた。

 

「うん。これは、コロシアイ学園生活で、大切な人が遺してくれたものなんだ」

 

「ああ、あの娘のね……そんな大事なもの、体内年齢50のババアに渡してよかったの?」

 

「君だから持っていて欲しい。彼女もそう願ってるはずだ」

 

「よくわかんないけど、とにかく助かるわ。またいつか」

 

今度こそあたしも十四支部に帰るべく、自動ドアを通ろうとしたら、

宗方がすれ違いざまに目も合わせずに言った。

 

「苗木の決断を無にするなよ。苗木だけじゃない。

お前などの帰りを待っていた77期生全員の覚悟をよく噛み締めろ」

 

「本当よく喋る男ね。あんたはいつアタシの旦那になったのかしら。

指図するなって言ったはずだけど」

 

「用は済んだ。行け」

 

「お互い次は葬式で会いましょう。どっちが先に逝くか楽しみね」

 

「……俺は!!」

 

突然、宗方が叫んだ。

驚いて振り返ると、握った拳を震わせ、その場に立ち尽くすそいつが声を振り絞る。

 

「あの日お前と語り合ったことを後悔している。

だが!俺の中ではまだ彼女が絶望と戦えと言っている。

お前が超高校級の女神なら、もう一度力を見せてみろ。俺を信じさせてみろ……!」

 

「……人生なるようにしかならないわ。じゃあね」

 

アタシはコートの襟を直すと、ビルの外に出た。

何度も足止めを食らい、やっとアタシもバスに乗る。

なんとなく、お姉ちゃんの隣に座ったけど、車が発進してもみんな無言だった。

ただ、途中でお姉ちゃんが肘掛けのアタシの手に、自分の手を重ねてきただけ。

彼女の横顔に目を向けると、空に浮かぶぼやけた月を見上げていた。

 

第十四支部に戻ると、花村君が約束通り飯を作ってくれた。

うなぎの肝吸いっぽいもの、形成肉に見えるステーキ、

ビタミン剤を混ぜた細長い粒のご飯。

怪しいものばかりだけど、

環境汚染でまだまだ天然の食材が手に入りにくい現状じゃしょうがない。

アタシの今までの食生活に比べれば余程人間らしい。

 

「……ごちそうさま、美味しかったわ」

 

「よかった!合成品の食材ばかりで気に入ってもらえるか心配だったけど!」

 

食堂のカウンター向こうにいる彼に食器を返す。

だけど、冷蔵ケースの中のものがどうしても気になってチラチラと見てしまう。

 

「ねえ。今日の分、一本。だめ?」

 

「ごめんよ。ビールは明日からだって霧切さんが……」

 

「酒が抜けちゃって落ち着かないのよ。微妙に手も震えてきた。ね?お願い」

 

「だめよ、部屋に戻って早く寝なさい」

 

どこにいたのか、霧切響子がヒールを鳴らしながら早足で近づいてくる。

 

「花村君、ご苦労さま。あなたも今日は休んで」

 

「じゃあ、ぼくはこれで。おやすみなさい……」

 

去っていく花村君。霧切に不満をぶつける。

 

「約束が違う!」

 

「栄養不足で身体がガタガタのあなたが今すぐアルコールを飲むのは危険。

明日一日、きちんと三食食べて体調が落ち着いたら晩酌に一本飲んでいいから」

 

「ジャバウォック島より酷い刑務所よね、ここは!」

 

腹立ち紛れにカウンターを殴る。痛い。

このまま起きていても何も良いことなんてないだろうから、

昔住んでいた個室に向かった。

 

きれいに片付いて、誰のものだったのかもわからなくなった部屋で、

あの色紙が唯一存在を主張している。手にとってそっと撫でる。

少し色あせた白の厚紙に、一人ひとりの特徴ある文字が踊る。

 

あの頃のアタシは、まだ……。よそう。頭を振ってぐちゃぐちゃした雑念を振り捨てる。

過去に沈み込む前に、考えることをやめて、色紙を裏返して机に戻した。

検査で疲れてるし、お腹も膨れて眠くなった。

アタシは服のままベッドに入り、その日は眠ることにした。

 

 

 

翌朝。昨日は風呂にも入っていなかったから、まずシャワーを浴びた。

臭いまま出ていったら霧切響子から何を言われるかわかったもんじゃない。

気の利いたことにクローゼットに替えの服やバスタオルなんかも用意されてる。

 

汗を流して髪を洗い、新しい服に着替えると、浮浪者同然の姿からは幾分マシになった。

人前に出られるようになったら、食堂に向かう。

大きなテーブルが並ぶ飲食スペースには、もうみんなが座ってる。

 

カウンターで花村君からモーニングプレートを受け取ると、アタシも適当な席に着く。

なんとなく昨日の今日でみんなと顔を合わせづらいもんだから、

窓際の席でひとりトーストをかじり始めた。

 

“おーい、江ノ島。お前も来いよ”

 

「……いい」

 

“おねぇが来ないなら、わたしが行くー!”

 

日向君の誘いを断ったけど、日寄子ちゃんがプレートを持ってアタシの隣に座った。

彼女はアタシの顔を見てニパっと笑う。

 

「おはよう、江ノ島おねぇ!」

 

「……おはよ。アタシなんかより、小泉さんと食べた方が美味しいわよ」

 

横目で彼女を見てからバターの染み込んだトーストをかじる。

 

「そんなことないよー。お昼はみんなと一緒に食べようね。

……あ、シャンプーの匂い!おねぇからいい匂いがする!」

 

「さっきシャワー浴びてきたから。

それにしてもさ、日寄子ちゃん、言葉が丸くなったわよね。

てっきりガイコツだのオバケだのミイラだの腐れアル中女だのって

罵倒されるんじゃないかとビビってたんだけど」

 

「言うわけないじゃん、そんなこと!

……おねぇは、わたしの大事なおねぇなんだから。小泉おねぇと同じくらい。

それに、わたしだってもういい大人なんだよ?

無意味に蟻ん子を殺したり、やたら敵を作るような言葉を吐くことの馬鹿馬鹿しさは、

これまでの6年余りで学んだよー」

 

「いい意味で変わったのね。アタシは悪い意味で変わっちゃったけど」

 

「ううん。おねぇは1年前と変わらない。

だからわたし達に力を貸してくれるって決めたんだよね。……良いこと思いついた!

ねえ、この後時間ある?わたしと一緒にみんなのところに顔出しに行こうよ。

一般人としてどんな生活してるのか、見てやってよ!」

 

「もう見た。みんななら、後ろにいる」

 

粉末をお湯で溶かしたコーンスープを一口。

 

「もー!だから次は一緒に食べようって言ってるんだよ!

とにかく、食べ終わったらわたしが久々の第十四支部を案内してあげるから。

わたしも食―べよっと!」

 

何か言う間もなく、日寄子ちゃんは勝手にスケジュールを決めると、

トーストをちぎって食べ始めてしまった。仕方ない。どうせやることなんてないんだし、

彼女と十四支部をうろつくことにした。

 

やっぱり冷蔵ケースの中を見ないようにしながら食べ終えた食器を返却口に置き、

日寄子ちゃんと(非)日常編ってやつをスタート。

 

「まずは左右田おにぃの所に行こうよ。

意外と一番忙しそうでさ、時々第九支部にも顔を出すんだ~

新型の防犯システムや警察の新装備を作ってるらしいよ」

 

「塔和シティーのときにも色んなガジェット作ってたものね」

 

「そうそう、階段上がって左手の開発室。

まだ早いから左右田おにぃしかいないと思うよ」

 

 

 

日寄子ちゃんの言う通り階段を上って2階に行くと、

左側の大きなドアに“技術開発部”のプレートが貼られた部屋があった。

彼女はノックもせずに扉を開けた。

 

「左右田おにぃ、いる~?」

 

「おーい、関係者以外立入禁止っていつも……ああ、江ノ島かよ」

 

「だめじゃない日寄子ちゃん。てっきり連絡済みなのかと思ったわ。

ごめんなさい、もう出る」

 

「いいの!ケチくせーこと言わないでなんか面白いもの見せてよ!

おねぇが来てんだよ!」

 

「しゃーねえな。他の研究員が出勤してくるまでだぞ?

つっても、見てて楽しいもんでもねーんだけどよ」

 

「悪いわね。何を作ってるの?」

 

頑丈な金属製テーブルと棚には工具や薬品類が並んでる。

左右田君は何かの繊維が入ったビーカーに、

茶色い瓶から薬品を入れてかき混ぜながら説明する。

 

「防弾チョッキに詰める新素材。より軽量で耐衝撃性に優れた繊維を作ってる」

 

「なるほど。警察も自衛隊も武装強化を続けてるものね。

こんな世の中だから仕方ないけど。ところでちょっとお願いがあるの」

 

「なんだ?」

 

「その棚にあるエチルアルコールを少し分けてもらえないかしら」

 

「……何に使うんだ」

 

「この際【バクダン】でもいいから飲みたいの。ほんの一口でいいから」

 

「お、おねぇ?爆弾なんか飲んだら死んじゃうよ?」

 

「本気で言ってんのか」

 

「ふふ。冗談よ、冗談。口約束でも契約は契約だから、ちゃ~んと守るわよ。

これでも律儀なほうなのアタシ。身持ちも固いしね」

 

「そんな律儀なやつが、1年間も西園寺置き去りにして何やってた」

 

左右田君が背を向けたまま、答えようのない疑問を投げかけてくる。

心の中でうろたえると、どうしようもなくなって、アタシは出入り口に足を向けた。

 

「……お邪魔したわね。あと、結婚おめでとう」

 

「逃げんのか」

 

「お願い。もう下品なジョークも言わないから」

 

「ケッ、勝手にしろ。だがこれだけは言っとく。

お前はみんなに与えた希望を自分で踏みにじった。……オレの希望もな」

 

「ごめん……」

 

退室して廊下を早足で進むと、日寄子ちゃんがトテテテと追いかけてきた。

やだあたしったら。一人でどこに行くつもりだったのかしら。

 

「待ってよ、おねぇ!えーと、左右田おにぃは起きたばかりで気が立ってたんだよ。

次は難易度低めのやつに会おうよ」

 

「難易度低め?それって誰」

 

「大体いつもあそこにいるよー」

 

 

 

1階の休憩スペースに場所を移すと、

彼女の言うイージーモードが日当たりの良い場所で一人座り込んでいた。

 

「おはよう、江ノ島さん!昨日はよく眠れた?」

 

真っ白な髪を揺れる火のように遊ばせて、人畜無害な笑顔を浮かべる彼。

 

「狛枝君、おはよう。正直あんまり寝られなかった。

酒が駄目なら睡眠薬処方してくれないか霧切響子に頼んでみる。

ビールよりは可能性高そうだから」

 

「うん、その方がいいよ。お酒に頼るよりはずっといい」

 

「ところで、あなた仕事は?まだ職場に行かなくていいの?」

 

「ボクのシフトはお昼からだから大丈夫だよ。

せっかく西園寺さんも一緒なんだし、少しお話しようよ」

 

狛枝君が長椅子の隣を勧める。

アタシと日寄子ちゃんが座ると、彼が嬉しそうな顔で喋りだした。

 

「最後にこうしてちゃんと言葉を交わしたのはいつだったかな。

キミがいなくなってからは希望が失われた気がして、

世界が灰色になったような気分だった。一度手にした希望が消えてしまったみたいでさ」

 

「心配かけちゃったことは、本当にごめん。

でも、みんないつかはそれぞれの生き方を見つけて離れ離れになる。

やっぱりいつまでもアタシに執着するのはよくないわ」

 

「例えそうだとしても、仲間のことを忘れられるはずないじゃないか。

現にこうして全員第十四支部のビルでキミの帰りを待ってた」

 

「裁判のことだけど……狛枝君はどう思う?」

 

「どうって?」

 

「一連の連続不審死って確かに不可解だけど、

司法解剖の結果、遺体に外傷もなければ毒物も検出されなかったのよね。

単なる老衰って可能性もあると思うんだけど、

今回の容疑者は何を証拠に逮捕されたのかしら」

 

「ボクには見当もつかないな。

証拠品については極秘資料だから開廷直前まで知らされないって話だし」

 

「霧切響子に聞いたんだけど、確か裁判は3日後よね。

本当、法の審判と学級裁判を一緒にしないでもらいたいわ」

 

「がんばろうよ。ボク達が社会を良くするためにできることはなんでもしたいし。

……あ、江ノ島さんは別だよ?キミは自由に生きて良いんだ。

本来誰にも気兼ねすることなく生きる権利があるんだから」

 

「アタシもやるわ。どうせ外に出たって、酒で身を持ち崩すだけだしね。

あら、そう言えば酒が抜けても結構喋れるものね。あなたのところに来てよかった」

 

「なーんかわたしだけ置いてけぼりだったけどね~」

 

「ごめんごめん、つい二人で盛り上がっちゃって。

アタシ達、そろそろ行くわ。また会いましょう」

 

「うん、また後でね。西園寺さんも」

 

「じゃーねー。おねぇ、次はおねぇに会いたがってる人がいるの。屋上に行くよ」

 

「わかった。案内お願いね」

 

 

 

エレベーターで最上階に上がり、屋上の広場へ続く扉を開けると、

お姉ちゃんが手すりを軽く握りながら風に当たっていた。

一歩ずつ踏みしめるように彼女に近づき、一言声を掛けた。

 

「お姉ちゃん」

 

「……盾子ちゃん。西園寺さんも」

 

「今朝は、なんかみんなの中に入りづらくってさ」

 

「ううん。私も西園寺さんみたいに隣に行けばよかったの」

 

「そーだよ!みんな薄情な連中だよ、まったくー」

 

「そんなこと言わないで?

アタシが近寄りがたい雰囲気醸し出してたんだからしょうがなかったの」

 

「でも、実際西園寺さんの言う通りだよね。

あれだけ会いたい会いたいって思ってたのに、いざ帰ってきたら勇気が出なくって」

 

「アタシがバカなことしなきゃそんな思いさせなくて済んだのに。

プログラムの世界から戻ったばかりの姉を放ったらかして」

 

少しばかり埃の多い風が、アタシ達の間を通り過ぎていった。

 

「ねえ。ここには誰もいない。私でも、だめかな?」

 

「……本当に、ごめん。最低なことしてるってことは、わかってる。

勝手に出ていって、理由も告げずにだんまり決め込んで。でも、どうしても、無理なの」

 

お姉ちゃんが少し寂しげな微笑みを浮かべると、何度かうなずいた。

 

「いいよ。姉妹だって秘密はあるんだし。

いつか、その気になった時、話してくれると嬉しいな」

 

「うん……約束する。時が来たら」

 

「ありがとう」

 

「もう、行くね」

 

黙って待っててくれた日寄子ちゃんと一緒に、屋内に戻る。

またエレベーターに乗ると、彼女がボタンを押した。

昇降機のランプが下層へ移動していくのをボケっと見ていると、

急に日寄子ちゃんが笑いだした。

 

「ヒヒヒヒヒ」

 

「ど、どうしたの?某麦茶のネタなんて誰も覚えてないわよ?」

 

「おねぇってさあ、不用心だよねぇ」

 

「どういうこと……?」

 

「わたしとなら二人きりになっても大丈夫だと思った?」

 

「な、何をするつもり?」

 

密室空間に緊張が走る。

手近なボタンを全部押そうとしたけど、最寄りの階に着いてしまった。

 

「もう手遅れだよ。ゲームオーバーで~す!」

 

ポーン、と到着の音声が鳴り、ドアが開くと、

アタシはそこに立っていた二人に両脇を捕まれ、連れ去られてしまった。

 

 

 

 

 

そして。アタシはデジャヴと言うより、再び数年前と同じ状況に置かれていた。

 

「西園寺さん、ご苦労さまです。うまく彼女を連れてきてくれて助かりました」

 

「楽勝。おねぇ、文字通り脇が甘いよ。

適当に何人かに会わせて、大丈夫そうなら連れてこいって言われてたの。

予定通りだったのは最後の戦刃おねぇだけ。

わたしが時々タブレットいじってたの気づかなかった?」

 

「そりゃあ気づいてたけど、二人と連絡取ってたなんて……

日寄子ちゃんの裏切り者―!」

 

ソニアさんの部屋に連行されたアタシは、ドレッサーの前に座らされて、

小泉さんとソニアさんの施術を受けていた。

 

「う~わ、盾子ちゃんの髪ひどっ!パサパサでボサボサでカサカサじゃない。

使い古しの箒じゃあるまいし、こりゃ元に戻すには一苦労ね」

 

「あのね、アタシってもうオシャレとか意味ないレベルで身体が崩れてるから、

気を遣ってくれなくても……」

 

「お黙りなさい!」

 

「はい」

 

ソニアさんがアタシの話を手で制した。思わず黙り込む。

このポーズを見るのは何年ぶりかしら。

 

「役割分担。アタシは盾子ちゃんの髪をどうにかする。

ソニアちゃんはお化粧お願いできる?」

 

「合点承知の助です。まずは化粧水で荒れた肌をケアしましょう」

 

「気持ちはありがたいんだけどねぇ……」

 

「逃げないように鍵を掛けたよ~」

 

「まずはドライヤーで髪を立たせなきゃ」

 

「次にファンデーションで目の隈を隠すと……まあ!これだけで大分違って見えます!」

 

「もうっ、こんなになるまで放ったらかして!せっかくのブロンドが台無しじゃない!

次は椿油を全体になじませて、と」

 

「いろんな方向からいろんな感触が迫ってきて、軽くパニック状態なんだけど」

 

「口を動かさないでください。うまく口紅が塗れません」

 

「うん、あとはまたドライヤーで乾かして、ブラッシング」

 

何もかも諦めて、アタシはされるがまま、彼女達に身を任せることにした。30分後。

 

「やりましたわ!イケてるチャンネエになりました!

やっぱりベースがいいのできちんとお手入れすればグンと美人になるんです!」

 

「ヘアケアも完了。いい?これからは髪も肌も大事にすること。

毎日チェックするからね」

 

「うん、ありがとう?」

 

嵐のような時間が過ぎ去ると、鏡の中に過去のアタシが現れた。

ジャバウォック島で同じことをしてくれた時の思い出が蘇る。

 

「そうね……ありがとう」

 

「霧切さんに、可愛い服と化粧品一式も盾子ちゃんに支給するよう頼んどかなきゃ。

はい、おしまい」

 

散髪を終えた床屋のように、小泉さんがアタシの両肩をポンと叩くと、

しばらく自分の変わりようを見つめていたアタシは我に返った。

 

「3人共、今日はこのために?」

 

「そうじゃなかったら何だって言うのよ。

盾子ちゃんを真人間に戻すには形からって話し合った結果よ」

 

「そう…嬉しいわ。うん」

 

「喜んでもらえてよござんす。

でも、その美しさをキープできるかどうかは江ノ島さんの頑張り次第ですよ?」

 

「わかったわ。……ところで、ソニアさん」

 

「なんでしょう」

 

「左右田君とはうまく行ってる?」

 

ソニアさんが顔を赤らめて顔を逸らした。

 

「それはその、どういう意味で……?」

 

「ああ、ごめんなさい!昨日は変なこと言っちゃって!そういう意味じゃないの!

新婚生活はどうなのかなって世間話レベルのことよ!」

 

「は、はい。和一さんは、とてもわたくしを大事にしてくれています……」

 

「よかった。あなた達には本当に悪いと思ってる。

アタシのせいで結婚式も延期になって、

普通ならとっくにハネムーンも済ませてるはずなのに」

 

「お気になさらないでください。二人で決めたことですから」

 

「ソニアちゃんの花嫁姿が見たいなら、さっさと酒とオサラバすることね」

 

「うっ。努力はするけど、いきなりゼロってのは難しいかも……」

 

「普段時々情けないのは相変わらずよね。また女王様に出てきてもらったら?」

 

「ププッ、言えてる~」

 

「日寄子ちゃんまでひどいわ……」

 

 

 

 

 

……笑い声が漏れ聞こえる部屋が見える廊下の角で、

私はタブレットにメールを打ち込む。

 

 

送信者:第十四支部支部長 霧切響子

宛先:第四支部 医療技術部代表 後藤

件名:E氏の健康状態

 

医療技術部 後藤先生

 

お疲れ様です。第十四支部の霧切です。

本日の彼女についてご報告致します。

 

やはりかつての同輩との交流が良好な作用を生み出しているらしく、

検査時に見られた精神不安や攻撃的態度はありませんでした。

まだアルコール依存の治療が始まったばかりで、

ところどころ記憶の欠落も残っており、安心できる段階ではありませんが、

第十四支部での生活が回復を促すことは間違いないようです。

 

以上、用件のみですが失礼致します。

 

第十四支部支部長 霧切響子

 

追伸:私は微妙に嫌われているようです。

 

 

メールを送信すると、私はその場を後にした。

 

 

 

 

 

「ぷはぁっ!生き返る~!」

 

アタシはみんなと食堂で夕食を取りながら、2日ぶりのビールに感激していた。

酒に飢えていた身体に爽快感が染み渡る。銀色の缶がキンキンに冷えていて涙が出そう。

 

「一気飲みはよくないわよ」

 

「ビールは最初の一気が一番うまいのよ。小泉さんもどう?」

 

「アタシはお酒飲まないの」

 

「わたしも~。ビールなんて苦いもの、よく飲めるよね」

 

「慣れるとこの苦さが癖になるのよ。

それに口に含んだ時フルーツを思わせる香りがあってね?」

 

「いやいや、聞いてないから」

 

このメンバーの中でお酒を飲む人飲まない人は半々ってところよ。

 

「和一さん、どうぞ」

 

「おっ、サンキュー、ソニア」

 

「見せつけてくれるわね~。いつものことだけど」

 

左右田君もビール行けるクチ。

コーラみたいに炭酸でカロリーもある点で共通してるからかもね。

ソニアさんにお酌してもらって嬉しそう。

 

「かぁ~っ、仕事上がりの一杯はたまんねーな!」

 

「お酒はおつまみと一緒に飲むとアルコールの吸収が穏やかになって

肝臓に負担をかけないんですよぉ?」

 

「ぼくの料理をビールのおつまみと一緒にしてもらっちゃあ困るよ、罪木さん。

一緒にするならせめてロマネ・コンティくらいの一流ワインでないと」

 

「フハハ、酒神バッカスの宴は、常に嵐のような混沌を引き起こし、

人の子が生きる下界を破壊と騒乱、恐怖と悲鳴に包み込む!

キリストの血が放つ芳醇なる香りに誘われ身を滅ぼした者は数知れず!

恐れを感じたならば引き返すも勇気。肝に銘じておくことだ……」

 

「オメーはよォ、酒が出てると酔ってんのかシラフなのか区別がつかねえンだよ!」

 

「組長の言うとおりだ。なぜ普通に“飲み過ぎに気をつけろ”と言えないのだ」

 

「もう長い付き合いなんだ、慣れようぜ。というか諦めようぜ」

 

「ボクも日向君も飲めなくはないんだけど、それほど好きなわけでもないんだ。

気持ちよさそうに酔ってる人を見ると少し羨ましいよ」

 

「はーい!唯吹も楽しく酔ってる人っす!

輝々ちゃんのレバニラ炒めはビールと相性バツグンなんすよね~」

 

「だ~か~ら!ぼくの料理は……」

 

「やかましいにも程がある!静かに飯も食えんのか、お前達は!」

 

気づけばずっと笑顔だった。酒を飲むのがこんなに楽しいなんて。

共に食卓を囲む仲間がいるだけで缶ビールが信じられないほど美味しい。

酒に逃げるんじゃなくて酒を楽しむ。今までのアタシには考えられないことだった。

この時だけは、過去を忘れていたい。

350mlをグイッと飲み干すと、今度は花村君の作った夕食に箸をつける。

 

 

 

そして、みんなと過ごすこと3日。まだ目の隈は完全には消えてないけど、

人間らしい姿をほぼ取り戻したアタシは、裁判所に向かうバスの前に集合した。

引率係の霧切響子待ち。あ、やっと出てきた。

 

「ごめんなさい、先方との打ち合わせが長引いて。さあ乗って」

 

「わかってるわよ。乗ればいいんでしょ」

 

全員が乗り込むと、バスがゆっくりと発進し、第十四支部の駐車場から車道に出た。

これから向かうのは再建された東京高裁。

そこで謎の連続不審死事件の犯人らしき人物と対面する。

車に揺られていると、モノクマロックのエレベーターを思い出す。

乗り物が違うだけで、法的に認められた学級裁判にアタシ達は向かう。

どんな結末が待っているのかわからないけれど。

 

 

 

 

 

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2.裁判員裁判

通常の刑事裁判で手に負えない案件について、

政府が選出した有識者等の議論で被疑者の有罪無罪を決定する制度。

その結論の強制力は最高裁判決を上回り、

導入にあたっては各方面からの反発があったが、

2019年、議会の強行採決で正式に採用された。

かつて江ノ島盾子が生きていた世界のものとは若干システムが異なる。

 

3.バクダン

爆発物のことではなく、戦後間もない時期に流通した密造酒。

毒性を持つ工業用エチルアルコール等を水で割っただけの粗末なもので、

飲み続けるとある日突然失明したり、死亡することからこう呼ばれた。

 

 



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第3章 被告人:吉崎久美子

東京高裁特別法廷控室。

 

東京高裁に到着したアタシ達は、大きなテーブルやソファが並ぶ控室に通され、

裁判員裁判の開廷まで時間を潰すことになった。

冷たい壁、しんとした空気、初めて挑む刑事裁判。

そして連続不審死の容疑者との対面を前にして、みんな落ち着かないようだった。

 

アタシも妙に喉が渇いて、備え付けのウォーターサーバーから紙コップに1杯水を汲み、

ちびちび飲みながらタブレットの電源を入れた。

 

開廷には時間がある。彼女にもう一度情報を整理してもらおう。

LoveLove.exeを立ち上げると、緑がかったウィンドウが開いた。

 

「七海さん、おはよう」

 

《ふあぁ…おはよう江ノ島さん》

 

「気持ちよく寝てた所悪いわね。

裁判が始まる前に今回の事件について要点をまとめてくれないかしら」

 

《いいよ、もう起きようと思ってたところだから。こんなところでいいかな?》

 

するとまた別のウィンドウが開き、容疑者の情報や事件のあらましを表示した。

 

 

○東京高等裁判所平成31年(の)第108号

 

容疑者:吉崎久美子(39)

 

容疑:殺人

 

事件概要:

3月16日深夜。久美子(以下容疑者)の夫、文男氏(以下被害者)が息をしていないと

容疑者が自宅から119番通報。

駆けつけた救急隊員によりその場で被害者の死亡が確認された。

その時被害者の急死を不審に思った隊員が武装警察隊に連絡。

同じく現場に出動した警察隊が家宅捜索を行った所、

プラスチック製の小瓶に入った強力な毒物を発見。現場は1DKのアパート1階。

争った形跡はなく、自宅から容疑者と被害者以外の指紋も検出されなかったため、

殺人容疑で容疑者を緊急逮捕した。

 

被害者の死因:

不明。とりあえず急性心不全とされている。

当初は容疑者宅から見つかった毒物と思われたが、司法解剖の結果、

被害者の遺体からは外傷も毒物の痕跡も一切発見できなかった。

 

証拠品:

 

○G-five(仮称)

容疑者の自宅から発見された液体状の猛毒。無色透明無味無臭。

鑑識の分析によると、極めて強力な毒性と吸収性を持ち、

殺害には経口摂取させる必要がない。

軽く肌に塗る、スプレーで噴射し吸わせるなどの方法で、

数秒で対象を死に至らしめることができる。

自然分解が早く、殺害から消滅まで10秒もかからないことから、

証拠を残さず完全犯罪に利用しやすいことがわかっている。

名称は中国に伝わる疫病の神、五毒将軍から命名。General-fiveの略。

 

○アリバイ

事件当時の容疑者のアリバイを証明するものはない。

 

○スマートフォン

容疑者から押収したスマートフォン。

着信履歴からG-fiveの入手先を捜査したが、

容疑者の知人に毒物に詳しい人物はいなかった。

 

○被害者の身体的障害

被害者は過去に発症した髄膜炎に起因する脳性麻痺を患っており、

24時間介護が必要な状態だった。

 

○家族構成

被害者と容疑者の二人暮らし。

 

○ビニール手袋

使い捨てタイプのビニール手袋。容疑者宅のベランダで1枚が見つかった。

容疑者の指紋が発見されたが、G-fiveは既に気化して検出されなかった。

 

備考:

凶器と思われる毒物の性質上、殺人罪か毒物及び劇物取締法違反かを判断できずにいる。

 

 

なるほどね。証拠品はコトダマと読み替えてもよさそう。準備は万端。

凶器は謎の毒物で間違いないとして、それをどう使ったが鍵になりそうね。

 

「ありがとう七海さん。もうすぐ裁判が始まる。行ってくるわ」

 

《がんばってね。AIの私には発言権がないから》

 

その時、係官が入室して、アタシ達を呼び出した。

 

「裁判員の皆さん、間もなく開廷です。法廷までお越しください」

 

黙り込んでいたみんなが息を呑む。係員に続いて薄暗い廊下を進む。

これから仲間の誰もクロじゃない裁判で、誰とも知れない人間に審判を下す。

誰もがその重責に押しつぶされそうになりながら、ただ歩を進める。

やがて、係官が廊下の先にある木彫りのドアを開き、アタシ達を中に促した。

 

「こちらが、特別法廷です。任意の証言台に着いてください」

 

そこに足を踏み入れると、どこか見慣れた光景。

一人用の証言台が円を描くように並んでいる。

聞くところによると、アーサー王に仕えた騎士たちが円卓を囲んだ伝説から、

全員が対等な立場で発言できるようにこんな作りにしたらしいけど、

アタシには学級裁判を再現したようにしか見えない。

 

文句を言っても始まらないので、全員が慣れた様子で証言台に着く。

そうね。法廷の形より重要なのは……円の中央にあるもう一つの証言台。

そこに立つ被告人、吉崎久美子。

グレーの地味なセーターを着て、長い黒髪はずいぶん長く手入れがされていない様子。

疲れ切った表情にうっすら隈が浮かび、実年齢より老けて見える。

 

彼女の前方に立ったアタシは、彼女とふと目があった。

すると彼女が目だけを伏せて会釈した。

これから彼女の有罪無罪を議論しなければならない。

 

カン!

 

その時、裁判長が木槌を鳴らした。たった一人の裁判官。

白髪交じりのオールバックが、開廷を宣言した。

 

 

【裁判員裁判 開廷】

 

 

「これより、吉崎文男氏殺害事件の裁判員裁判を開始します。

被告、裁判員、準備はよろしいですね?」

 

“はい!”

 

久美子さん以外ははっきりと返事をした。

彼女は唇を動かしているのが分かる程度で、その声はみんなの返事にかき消された。

今度は裁判長が事件概要や裁判員裁判に臨む際の注意点を読み上げる。

事件の流れは予め知らされてるけど、さすがに本番が始まると緊張する。

 

「裁判員裁判はプライバシー保護の観点から完全非公開で行われます。

ただし、裁判の模様は弁護士検察官両名が例外として別室で監視しており、

審理の公平性は担保されています。

また、本裁判の性質上、ある程度の不規則発言は容認されていますが、

あまりに目に余る場合、裁判長の権限で退廷を命じますのでご注意下さい。

……では、被告人。氏名と年齢を」

 

「はい……」

 

とうとう久美子さんが口を開いた。

その声はかすれがちで、視線も虚ろだけど、受け答えははっきりしている。

 

「吉崎久美子、39歳です」

 

「あなたには吉崎文男さん殺害容疑が掛けられており、

それを周りにいる裁判員の方々が話し合い、有罪無罪を多数決で決定します。

質問には嘘偽りなく述べるように」

 

「……わかりました」

 

「では、始めましょう。裁判員の皆様、よろしくお願い致します」

 

プロの弁護士や検察官が散々意見を戦わせても他殺か自然死かもわからなかったのに、

素人のアタシ達に丸投げなんて、やっぱりこの世界は細かいところが壊れたままね。

……そろそろ出てきてくれないかしら。

 

“1年間もアタシ達を閉じ込めておいて今更なに?”

 

悪かったわよ。アタシにも事情があったの。どうしてもケリをつける必要があった。

 

“あなたが酒に溺れる度、火で焼かれるような思いをした”

 

悪かったって。酒は止め…減らすから。潰れるような飲み方はもうしない。

 

“……本当ね?”

 

約束する。

 

“いつか、心を閉ざしていた間、何があったか教えて”

 

必ず。

 

“みんな、もう出てきても大丈夫よ”

 

アタシの中のアタシと話し終えると、弱りきった脳が急加速を始める。

思考能力は高まったけど、額が火を吹きそうなほど熱い。

若い頃と違って、あまり長くは保ちそうにないわね。早く終わらせなきゃ。

 

「日向君、初めてもらえる?」

 

「ああ。まずは事件当時の状況を改めて確認しよう。

吉崎さん、事件が起きた時の様子を俺達にも詳しく説明してくれませんか?」

 

「はい、わかりました」

 

遂に始まるのね。

心の中のピストルに一発だけコトダマを装填する。錆びついていなければいいのだけど。

 

 

■議論開始

コトダマ:○被害者の身体的障害

 

久美子

あの日の晩は[よく眠れなくて]、夜中に目が覚めてしまいました。

 

水を飲もうと台所に向かうと、[居間のベッド]で寝ている夫の異常に気が付きました。

 

様子を見ると、夫は既に[息をしていなかったんです]。

 

すぐに[119番をしました]が、夫は帰らぬ人に。

 

警察は私を疑っているようですが、私は絶対に夫を[殺してなどいません]。

 

・明らかな凶器があるのに証拠がない。まずは細かいところを突きましょう。

・そうしてちょうだい。アタシ達も起きたばかりでまだ調子が整ってないから。

 

REPEAT

 

久美子

あの日の晩は[よく眠れなくて]、夜中に目が覚めてしまいました。

 

──それは違うわねぇ!!

 

[よく眠れなくて]論破! ○被害者の身体的障害:命中 BREAK!!!

 

 

約6年ぶりに異議を唱えたけど、苗木君から貰った能力(スキル)で、

法廷中に聞こえるほどよく通る声を出すことができた。

 

「あの……何か?」

 

「久美子さん。あなたの旦那さんは重い脳性麻痺で24時間介護が必要だったとあるけど、

その彼を介護しているあなたは十分な睡眠時間を確保できていたのかしら。

それとも介護ヘルパーを雇う金銭的余裕はあった?」

 

一気に法廷がざわめきで揺れる。

被害者の介護に1日の大半を費やして疲れ切っているなら、

よく眠れないというのは不自然。久美子さんもアタシから目を逸らす。

 

「……それは、ありませんでした。

私達は生活保護を受けて暮らしていましたが、

生活費や夫の医療機器の維持費で全て消えてしまって、とてもヘルパーなんて……」

 

「疲れすぎて眠れない、ということもあるけど、それはよくあることだったのかしら」

 

「いいえ、あの日はたまたま」

 

「ええっと、不眠は主にストレスやうつ病が原因なんですけど、

だったら日常的に眠れない日が続いてないとおかしい…ような気がしただけです、

ごめんなさぁい!」

 

「罪木おねぇのキョドりは何年経っても治んないのか~

吉崎さんだっけ?たまたま事件当日だけ眠れなかった理由を教えてよ」

 

「そんなの!体調なんてその日によって変わるじゃないですか。まさに偶然ですよ!

やっぱり、あなた達も私が犯人だということにしたいんですね……」

 

「そうじゃない!

ただ、俺達は全ての疑問を明らかにして正しい判断をしなきゃいけないんです。

では、あなたの体調については置いておきましょう。

次は……ご主人を殺害した実行犯について議論しようと思います。それでいいですね?」

 

「お願いします……」

 

──お待ちなさい、平民どもぉ!!

 

勝手に議論を進めようとする連中を止めるべく高らかに声を上げる。

日向達の目は鳩が豆鉄砲を食らったようにアタシに釘付け。

そうよねぇ。

ここに至るまで長きに渡って私様(わたくしさま)の姿を拝めなかったんですもの!

 

「盾子ちゃん!?ひょっとしてあの人格がまた目覚めたの?」

 

「人格っていうかキャラに飽きっぽいんだよ、盾子ちゃんは」

 

「あー、それにしても暑いわ!

バカが馬鹿みたいに飲みまくるせいで私の活動領域が蒸し風呂状態で眠れやしない!

そこのそばかすコンビ!あんた達に部屋の冷房を18℃まで下げることを命じるわ!」

 

「いや、冷房っていうかまだ寒い時期よ?風邪引いちゃうし、アタシ達も寒い」

 

「お黙り!私様が暑いと言えば暑いのよ!」

 

「静粛に、静粛に!」

 

裁判長みたいな親父がカンカン木槌を鳴らす。うるさいわね!

 

「不規則発言が目立ちすぎます。直ちに審理に戻るよう」

 

「なら早いとこエアコンの温度を下げなさい。まさか暖房なんて入れてないでしょうね」

 

「では決を採りましょう。空調の温度を下げる。

賛成の方はお手元のモニターの“賛成ボタン”をタッチしてください」

 

よく見ると証言台にはタッチパネル式のディスプレイがある。

すぐさま“賛成”にタッチペンを突き刺す。他の奴らも当然私様に賛同するはず。

 

「反対多数と認めます。よってこの提案は否決されました」

 

「私様を差し置いて何様のつもり!?私様が存在する以上、民主主義など認めない……」

 

「お願い、盾子ちゃん。なるべく急いで終わらせるから。今でもむしろ寒い人が多いの」

 

「……早くなさい」

 

ここは大人しく、そばかす女A改め、姉の顔を立ててやることにした。

 

 

■議論開始

コトダマ:○家族構成

 

日向

毒薬が見つかったのは[あなたの自宅]。これは事実なんだ。わかってくれますね?

 

吉崎

はい。使ったのは[私ではありません]が……

 

ソニア

では、そもそもどうして[危険な毒物]があなたの家にあったのでしょう?

 

左右田

そりゃ、[犯人が持ち込んだ]に決まってる。それが誰かはわかんねーけど……

 

吉崎

きっと犯人が[自宅に忍び込んで]夫を殺し、その場に捨てたのだと思います。

 

・あのやつれたオバサンに遠慮してるけど、これは殺人事件で犯人は彼女、凶器は毒薬。

・だけどそれを証明するまでの道のりは長いわね。

 

REPEAT

 

日向

毒薬が見つかったのは[あなたの自宅]。これは事実なんだ。わかってくれますね?

 

吉崎

はい。使ったのは[私ではありません]が……

 

ソニア

では、そもそもどうして[危険な毒物]があなたの家にあったのでしょう?

 

左右田

そりゃ、[犯人が持ち込んだ]に決まってる。それが誰かはわかんねーけど……

 

吉崎

きっと犯人が[自宅に忍び込んで]夫を殺し、その場に捨てたのだと思います。

 

──それは違うわねぇ!!

 

[自宅に忍び込んで]論破! ○家族構成:命中 BREAK!!!

 

 

「あの、何が違うんでしょう?」

 

「無様ね。実に無様だわ。お前はまるで実行犯が別にいて空き巣のように忍び込み、

旦那を殺害して毒薬を捨てたとでも言いたいようね」

 

「そうですけど……」

 

「話は変わるけど、お前は日頃食料や日用品をどうやって調達しているのかしら」

 

「それが、なにか?」

 

「さっさとおし」

 

「生協の宅配サービスで配達してもらっています。

長く主人のそばを離れられないので……!?」

 

「そう。重病で身動きの取れない旦那と二人暮らしのお前は、

さっきの話に出てきた事情から家を離れられなかった。

つまり、旦那をつきっきりで介護しなければならないお前に気づかれず、

外部から侵入して被害者を殺すのは不可能なのよ!」

 

「そ、それは……!」

 

「G-fiveとやらの入手経路はどうでもいい。

犯行が可能だったのも、動機があったのも、お前一人。

あんたが犯人としか、考えられないのよ!」

 

「違うって言ってるじゃないですか!裁判長、さっきからこの人何なんですか!」

 

「落ち着いて下さい。

彼女は少々特殊な体質を持っていますが、発言の正確性は国が保証しています」

 

法廷内の緊張がピークに達する。久美子の顔にも、よく見ると冷や汗が浮かんでいる。

苗木とよく似た声の男が慌てて異論を差し挟む。

 

「ちょっと待ってくれないかな!それは話が強引過ぎるよ!

吉崎さんはこの裁判で命がかかってるんだ!

ちゃんと毒薬はどこから来たのか、他に被害者に毒を盛ることができた人物はいないか、

しっかり話し合おうよ!」

 

「あ~ら狛枝じゃない。そのロボットアームよく似合っていてよ。

ついでにその便利そうな腕でG-fiveの入手方法も引っ張り出してくれないかしら。

ちなみに動機はただ一つ。夫の介護に疲れた」

 

「だから違います!確かに生活面での苦労はありましたが、それでも!

私は……私は夫を愛していました」

 

「感情論で裁判進める気はねぇがよ……オレはこの言葉に嘘はねえと思うぜ。

狛枝の言う通り、結論出すには早すぎらぁ」

 

「うむ。破邪の手套の存在が物語る、隠されし真実が明らかになるまでは、

俺様の遙かなる旅路が終着点にたどり着くことはない!」

 

「それって、ベランダに落ちてたビニール手袋のこと?

100円ショップでも30枚入りが簡単に手に入るから、

ぼくもキッチンの排水口掃除なんかによく使ってるよ」

 

「毒薬を手にとって誰かに塗りつけることにも使えるわねェ!」

 

「いい加減にしてください!私は、絶対に夫を殺してなどいません。

その手袋は、ベランダの鉢植えを世話する時に使っていたものです!

花を育てることが、たったひとつの楽しみだったんです……」

 

「確かに被害者の毒殺に利用したなら、すぐ見つかるベランダなどに放置せず、

ライターで燃やす、丸く縛ってトイレに流すなどして完全に処分する方が自然だろう」

 

「はい。辺古山さんのおっしゃる通りなのですが……

私の考えを申し述べる前に、ソニアさんにお願いがあります」

 

「おうっ?また別の江ノ島が復活しおったぞ!」

 

「なんでしょう……?」

 

「裁判が終了したら、クサレウジ虫、もとい、この身体の持ち主をあなたのムチで

生まれたことを後悔するまで容赦なくぶっ叩いておいてください。

我々もそれ以上の苦痛を味わいましたので。それでは発表致します。

ビニール手袋は確かに犯行に利用されました。

ここで問題になるのは、辺古山さんが仰った、

なぜ見つかりやすいところに置きっぱなしにしたか、という点に尽きます」

 

「それが重要なことなのか?頻繁に土をいじるから、と言われればそれまでだが」

 

「重要なのであります。なぜならば……」

 

 

■手袋が示す不自然な点とは?:

?→あるはずがなかった

?→少なすぎた

?→毒が残っていた

?→指紋が残っていた

 

──これで説明できるはずよ!! →正解:少なすぎた

 

 

「配布された情報によるとベランダから1枚発見された、とあるな」

 

「その通り。ここで気になるのは、なぜ“1枚”なのかということ。

被告人の証言通り、ガーデニングに使用していたなら、“一組”ないとおかしいはず。

つまり1枚足りない。片手に手袋をはめても、もう片方が素手では結局手が汚れる。

極めて中途半端です」

 

「そんなの……風で飛ばされたのかも。私はいつも両手に手袋をはめています。

ベランダに置き忘れた片方がなくなったって、

吹きさらしの屋外では何もおかしくないと思います」

 

お疲れ、お姉さん。ここからはボクが引き受けるよ。

 

よろしくお願いします、キザ野郎。

 

「まぁ、今はそういう事にしておくよ。

だけどボクにはどうしても気になることがあってさ」

 

「わーい、アタリおねぇ久しぶり!」

 

「しっ、日寄子ちゃん静かに」

 

「お久しぶり。だけど今は再会を喜ぶ気にはなれないのさ。

誰かさんのせいで火炙りにされるような苦痛を味わったから、虫の居所が悪くてね。

とにかくボクの話を聞いておくれ。

証拠品の中で最初から気になっていたものがあるんだ。久美子さんの、スマートフォン」

 

「容疑者のスマートフォンに、気になる点でも?」

 

せっかくだから、しばらく出番がなかった裁判長に質問してみようかな。

 

「ねえ、裁判長。

彼女のスマートフォンを実際手にとって調べさせてもらってもいいかな」

 

「証拠品の状態保存の観点から直接触れることは認められませんが、

お手元のディスプレイに実物を忠実に再現した3Dモデルを表示します。

タッチペンで回転や拡大縮小を行い、物的証拠の調査を行うことが可能です」

 

「ふぅ、面倒だけど仕方ないね」

 

 

お久しぶりですこんにちは。わたくしめが裁判員裁判における新システム、

“証拠品精査”についてご説明させていただきます。

恐縮ですがしばらく間お付き合いの程よろしくお願い致します。

 

さて、裁判が袋小路に入り、

検察から用意された証拠、すなわちコトダマでは状況が打開できなくなった場合、

“証拠品精査”が始まります。

 

これはその名の通り、証拠物件を改めて鑑定し、

新たなコトダマを探し出すというシステムです。難しくはございません。

怪しい部分をタッチするだけのお気楽簡単な仕組み。

失敗という概念がないため、特にペナルティも存在しませんが、

あなた様には事件の早期解決が求められていることをお忘れなく。

 

それでは、ご武運を。

 

 

ボクが目を見開いてディスプレイに映ったスマートフォンを見つめる。

無意識にボクの分析力が調査に値するポイントを青いサークルで囲む。

さあ、始めようか。

 

 

■証拠品精査 開始

 

・電源ボタン

まずは電源を入れないと話にならない。ボタンを押すとホーム画面が表示されたけど、

何年も使い込んでいるようで、画面やボディに擦り傷がたくさんついている。

買い換えるお金もないんだろうね。

 

・画面

検察が調査した電話帳を開いたけど、

生活苦を助けてくれるような親しい友人知人はいなかったらしい。

履歴も発信・着信共に病院の電話番号ばかりだ。

警察だって多分馬鹿じゃない。病院の毒物に詳しい人物はとっくに調査済みだろうさ。

 

・裏、側面

バッテリー内蔵式で開くことができない。記録媒体も差さってない。

ここは無視してよさそうだね。

 

・アプリ

プリインストールアプリの他には目覚まし時計や家計簿等、

必要最低限のアプリが3個だけ。……でもおかしいな。

その必要最低限のアプリが2ページ目のホーム画面に並んでるんだけど、

ひとつ飛ばしたように不自然な並びになってる。なるほど、これで、決まりだ。

 

──絶対に逃さないわ!!

 

■コトダマゲット!!

○アプリの並び をタブレットに記録しました。

 

○アプリの並び

2枚目のホーム画面に並んだ3つのアプリケーション。

肝心なのはアプリの機能ではなく、

1つ分のスペースを開けて、1個と2個に分けて並んでいる点。

 

「……裁判長、このスマートフォンについて調べたのは、電話帳だけかい?」

 

「電話帳を含む全てのアプリを起動し、調査しましたが、

凶器につながる手がかりは得られませんでした」

 

「ふぅん。なら、まだ調べてないんじゃないかな。隠しフォルダー」

 

「……っ!?」

 

おや、久美子さんの方がびくんと動いたね。顔も青ざめてる。これで決まりかな。

ファイルマネージャーを起動して「設定」から“隠しファイルを表示”を選択。

フォルダー名先頭の「.」を取り、

再度“隠しファイルを表示”を選択してチェックを外すと……

おやおや。ホーム画面の不自然なスペースにフォルダーが現れたね。

 

「なんだぁ、こりゃあ?なんか新しいマークが出てきやがったぞ」

 

「”z”としか書かれておらんフォルダーじゃのう」

 

「久美子さん。中を見せてもらっても、問題ないよね?」

 

「ま、待って下さい!今はちょっと……」

 

「悪いけど今じゃないと困るんだ。開くよ?」

 

「お願い、見ないで!!」

 

開いたフォルダーの中には多数の画像ファイル。その一つを再生してみる。

タイトルは、“案外簡単、人工呼吸器.mp4”

 

 

『えーっと、今日も暇なので夫の人工呼吸器をいじってみようと思いま~す。

いろんなスイッチがいっぱいでワクワクドキドキ…(争うような音)外うるさいわよ!!

よそで暴れなさい!』

『あ…ああーあ…うあ』

『驚かせてごめんなさいね、あなた。

じゃあ、さっそく赤のボタンを限界までプラスにしてみます。どうなるのかしら』

『ああ、は!…ごほ、うごほっ!』

『あらまあ!このボタンで酸素供給量が調節できるのね、初めてわかった!

取説なくても手探りでなんとかなるものね。

往診の先生が来なくなったときはどうなることかと思ったけど。

次はこの意味不明な数字をゼロにしましょうね~?うふふふ』

『あ、ああ…あー』

 

 

他にも2分程度の動画がたくさん。いくつか抜粋してタイトルを挙げてみる。

 

・夫の流動食を食べてみた。不味すぎワロタ.mp4

・一日痰吸引をサボってみる。意外と大丈夫だった.mp4

・ベッドで添い寝。喉の管が取れかけたけどキニシナイ!.mp4

・食べ物の調達。ベランダから侵入。お隣さん首吊り(笑).mp4

・ユーチューバーになろうかな。大炎上間違いなし!.mp4

 

動画を再生してみたけど、

映像の中の彼女に、法廷にいる久美子さんのような悲壮感は微塵もなく、

介護で遊んでいるようにすら見えた。

そして、彼女の目は白と黒が波紋のように渦を描いている。

ついでに言えば、旦那さんもそうだったんだけどさ。

 

「まさか……久美子さんが、絶望の残党だって言うのか!?」

 

「違うよ日向君。正確には“だった”だね?久美子さん」

 

「……おっしゃる通りです。スマートフォンが強制起動して“あの歌”が流れてきた日、

私達の全てが終わったんです。そう、全てが」

 

久美子さんの肩から力が抜け、皆に衝撃が走る。

まあ、目の前の虫も殺せないような女性が絶望の残党だったんだから、仕方ないけどね。

 

「あちゃ~。こりゃ唯吹もショックっすわ……

久美子さん、どうして旦那さんに毒をっていうか、

そもそもどこでそんなものを手に入れたんすか?」

 

「誰かが置いていったんです」

 

「誰かではわからん!受け取った時に姿形くらいは見たはずだ!

それを答えろと言っている!」

 

十神君が久美子さんを詰問するけど、彼女は首を振った。

 

「本当に、わからないんです。私にあの毒が届いたのは、突然のことで……」

 

 

……

………

 

『ですから、来月になれば支給金が入るので、それまでお待ち頂けないかと……』

 

“あんた先月もそう言ってただろうが!何ヶ月家賃滞納してんだバカヤローが!”

 

『申し訳ありません!必ず来月お支払いしますので!』

 

“来月来月っていつになったら払うんだよ、あんたは!いい加減訴訟起こすぞコラ!”

 

『お願いです、私達には他に行く所がなくて……!』

 

“んなもん俺に関係ねえんだよ!今日中に払わなかったら鍵取替えるからな!”

 

乱暴に電話を切られると、私は呆然としたまま立ち尽くすしかありませんでした。

その時、ガコンとドアポストに何かが入れられる音がしたのです。

投函されていたのは紙袋ひとつ。

中には液体の入った小さなプラスチックの瓶。そして、液体の取扱説明書。

 

『G-five……?』

 

説明書を読むと、その液体の性質が書かれていました。

始めはこんな都合のいい毒薬があるわけないとゴミ箱に捨てようと思いましたが、

どのみち明日にはこの家から追い出され、路頭に迷うしかないのです。

例えこの液体がいたずらだろうと本物だろうと、私達は死ぬしかない。

駄目なら台所の包丁で夫を殺し、後を追えばいいと思い……実行に移しました。

 

『あなた、ごめんなさい……私も、すぐに行きますから』

 

息を止めて数滴手に取り、眠る夫の胸に塗り拡げました。

毒薬は瞬く間に夫の体内に消え去り、

わずか3秒ほどで苦しむ様子もなく呼吸が止まったのです。

……脈を確かめると、死んでいました。

驚き、恐怖、罪悪感、様々な負の感情で頭が真っ白になり、

自分も毒を飲んで早く死のうと思いましたが、

再びキャップを開ける前にふと手が止まりました。

 

このまま死んでいいのだろうか。

 

私達が苦しみぬいた末に夫を殺さざるを得なかったのはなぜなのか。

私にはその理由を世界に告発する義務がある。

思い立った私は適当にG-fiveの瓶を床に投げ捨てると、

ガーデニング用のビニール手袋をベランダの植木鉢のそばに置き、

スマートフォンの動画フォルダーを隠しフォルダーに設定してから

119番通報しました。

 

………

……

 

「警察に逮捕されてからのことは、皆さんご存知のとおりです……」

 

「じゃあ、久美子さんは、捕まるためにあえて証拠を残したのか!?」

 

「はい、日向さんのおっしゃる通りです」

 

「世界に告発、だと……!?どういうことか説明しろ!」

 

すると彼女は自嘲気味に笑い、再び語りだした。

 

「未来機関が世界に希望を蘇らせた英雄のように世間では持て囃されてますが、

現実は違うんです。私達のような弱者を踏み台にして、さらなる絶望をもたらしただけ。

確かに夫の介護は楽ではありませんでしたが、

絶望に魅入られていたときはそれでも幸せだったんです。

お互い明日生きられる保証もない毎日。

その破滅的な運命に絶望を感じていた私達は、ある意味幸せでした」

 

「何が言いたいのだ!」

 

「私は夫を死なせてしまっても、愛する人を失った絶望。

夫は私が倒れても、一人孤独に死んでいく絶望。

いずれにせよ大きな絶望に包まれて永遠になれる。

そんな希望を抱いていたから、毎日を楽しく生きられたのです。

動画ファイルの私が、その証拠です」

 

裁判長が口を開き、久美子さんに確認する。

 

「なんということでしょう。まさか被害者自身も絶望の残党であったとは……

では、これまでの発言は吉崎文男さん殺害容疑の自白と考えてよろしいですか?」

 

「はい、私が夫を殺したことに、間違いありません」

 

連続不審死事件。その氷山の一角が崩れた瞬間だった。九頭竜君が彼女に問う。

 

「……最後に、ひとつだけ聞かせてくれや。だったらなんで自首しなかったんだ。

手袋を置いたり、スマートフォンに細工したりよォ。

逃げるつもりがないなら意味ねえだろうが」

 

「言ったじゃないですか。できるだけ捜査や裁判を長引かせて、世間の注目を集め、

偽物の希望に浮かれている世界に私達の存在を知らしめたかったんです。

思いがけず手袋に注意が集まって動画の発見が遅れましたけど。

だって、それが私達の、生きた証だったから」

 

「チキショウ、他に方法はなかったのかよ!」

 

「そんなものがあれば、夫を殺したりはしませんでした。

あなたには想像もつかないでしょう。

10年以上もまともに眠れない日々、人生の大半をベッドの上で過ごす運命。

……裁判長、お願いします」

 

「わかりました。

裁判員の方は、お手元のモニターに、有罪もしくは無罪と記入して下さい」

 

ボクは疲れたからもう寝るよ。後始末よろしく。あと、もう自棄酒は勘弁しておくれよ?

 

……アタシは自分の中のアタシと交代し、黙ってタッチペンを手に取ると、

結論を記入した。

 

「全員の意見が出揃いました。判決を言い渡します」

 

判決:吉崎久美子 有罪

 

 

【裁判員裁判 閉廷】

 

 

「そんな……ボク達が力を合わせて塔和シティーで掴んだ希望が、

誰かの絶望でしかなかったなんて!」

 

「俺達は、あの歌で世界が救われたと思ってた。

でもそれは、誰かを過酷な現実に引き戻す、絶望の歌でしかなかった!」

 

「いいんです。私は自分の境遇を誰かのせいにしようとか、

ましてや他人も一緒に不幸になればいいだなんて思っていません。

ただ忘れないでいてほしかった。それだけなんです」

 

そして、久美子さんはアタシを見て、初めてにっこり笑った。

その笑顔は、長年に渡る重圧から解き放たれたせいなのか、とても安らぎに満ちていた。

 

「不思議な裁判員さん。未来機関にお知り合いがいたら、伝えておいて頂けませんか。

私達は、絶望できて、幸せだったと」

 

「うん……わかった」

 

「係官、被告人を拘置所へ移送。裁判員の皆様は、退廷して下さい」

 

「待って」

 

思わず彼女を呼び止める。

 

「アタシのこと、本当に知らない?テレビで見なかった?」

 

「テレビは、とっくに売りました。一月分の食費にもなりませんでしたけど。

あなたは道を間違えないで。さようなら……」

 

係官に連れられていく久美子さんを見送ると、アタシ達はもう控室には戻らず、

東京高裁の裏口から直接バスに乗り、第十四支部に向かった。

帰路に着いても、みんなぼんやり窓の外を眺めたり、前のシートに視線を向けたまま、

何も話そうとはしなかった。隣のお姉ちゃん以外は。

 

肘掛けのアタシの手を握る。

 

「絶対盾子ちゃんのせいなんかじゃない。盾子ちゃんはみんなの希望で……」

 

「何も言わないで。

誰かの人生に責任を取れたはずとか、自分達のせいだとか言って

勝手に落ち込むのは、ただの思い上がりだから」

 

「……うん」

 

バスが十四支部の敷地に入り、皆、言葉少なにおやすみを告げて各自の部屋に解散した。

 

その日は寝付きが悪くて、屋上の手すりに腰掛けて、

自販機で買ったノンアルコールビールを飲みながら風に当たっていた。

ああ、不味い。炭酸水と変わりゃしない。

屋内への階段が開き、紫色の髪がヒールを鳴らしながら近づいてきた。

黙ってアタシの隣で手すりに手をつく。

 

「……自分のせいだと思ってる?」

 

「“はい”でも“いいえ”でも、

ムカつく返事しか返ってこないだろうからノーコメント。あっち行って」

 

「国が復興しても、治安の悪化に歯止めがかからない。厳罰化も進む一方。

殺人罪は、例外なく死刑」

 

「だったら何」

 

「結局私達は、国を救えても人は救えなかったのかもしれない」

 

「アタシまで含めないで。

ただお姉ちゃんに会いたかったから、あんたらと取引しただけ。

御大層な大義名分を掲げて空回りしたあんた達と一緒にしないで」

 

「そうね……話は変わるけど、今回の件でG-fiveを彼女に渡した人物の存在が確定した。

武装警察隊も連続不審死の捜査方針を他殺に切り替えた。

考えたくはないけど、謎の人物が逮捕されない限り、

例の猛毒を使った殺人は今後も起こりうる。いえ、きっと起こる。

また裁判員裁判が始まったら、その時は、お願いね」

 

「行けばいいんでしょ。わかってるから向こう行ってよ」

 

「おやすみなさい。ずっと夜風に当たってると身体が冷えるわ。早く中に戻りなさい」

 

「あんたはいつアタシの母親になったのよ、霧切響子」

 

散々悪態をつくとようやく霧切がいなくなった。

確かに風が吹き続ける屋上に留まりすぎたようで、寒くなってきた。

霧切の言うことを聞くようで癪だけど、アタシは空き缶を握りつぶすと、

自分の部屋へ戻り、ベッドに身体を投げ出した。

 

 



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第4章 (非)日常編

“続いてのニュースです。昨夜、連続不審死事件の容疑者、吉崎久美子被告の死刑が

陸上自衛隊射撃演習場で執行されました。

被害者の吉崎文男さんの妻、久美子被告は「夫の介護に疲れて無理心中を図った」と

容疑を認めており……”

 

朝食の箸が止まった。

食堂に設置されたTVモニターが淡々とあの事件について語り続けている。

キャスターは久美子さんが主張していた“絶望による救い”や

“未来機関のまやかしの正義”には言及しない。

ゆっくり首をテレビの方向に向けると、

先日の裁判員裁判で顔を見たばかりの絶望の残党。

ぼんやりとモニター越しの彼女を見つめる。

 

もう少し話を聞きたかったけど、彼女はもういない。

日本の再建に当たって色々な社会システムが大きく変化した。

治安維持の目的で厳罰化が進み、それに伴い死刑の方法も絞首刑から銃殺刑に変更。

“順番待ち”が多いから、刑の執行から死亡確認まで時間がかかる首吊りを、

引き金ひとつで確実に絶命する方法に変えたらしい。

 

食事に戻る。今はひとり。もうみんな子供じゃないし、仕事や各自の都合があるから、

ジャバウォック島のように全員揃って、とはなかなか行かなくなった。

賞味期限が近い備蓄食料の古米を混ぜたご飯を口に運ぶ。

花村君には申し訳ないけど、はっきり言っておいしくない。

 

それでも全国民に一日三食が安定供給されるようになったのは驚異的な復興だと思うし、

これからも繁栄を続けていくんだろう。全ては“あの歌”が始まり。

人類は絶望から解き放たれ、希望に満ちた未来を築いていく。

絶望という希望を拠り所にしていた、社会の影に生きる者たちを置き去りにして。

 

アタシの選択が間違っていたとは思っていない。いや、思いたくないのかも。

久美子さんのケースは稀な例外で、

ほぼ全ての人間を救ったことに間違いはないと信じたい。

だけど正解不正解のない自問自答に悩まされてるのが事実。

脳がぐしゃぐしゃして妙に喉が渇く。

酒がほしい。誰か酒をくれないかしら。酒、酒が、酒を

 

──まさか、自分のせいだと思ってるんじゃないでしょうね?

 

聞き慣れた声に手放しかけた自我を取り戻す。

いつの間にかテーブルの向かい側に彼女が座っていた。

 

「な~に浮かない顔してんのよ」

 

「小泉さん……おはよ」

 

「はい、おはよう。で、何を悩んでたの?……って聞くまでもないか」

 

「安心して。本当に別に私の歌のせいで~とか思ってないから」

 

「ならいいんだけど。じゃあ、アタシもいただきまーす」

 

アタシの前で彼女もアルミのトレーに並んだ朝食を食べ始めた。

彼女はアジの開きに箸を入れながら、独り言のように話を続ける。

 

「なんか遠目に見ると元気なさそうだったからさ。

もしかしてこの間の件かな、って思ったの」

 

「どんな犠牲も自分のせいだと思いたがるアニメのヒーローじゃないの。

アタシだってそれくらい割り切ってる。久美子さんのことは不幸な巡り合わせ。以上」

 

「そ。アタシもそう考えるようにしてる。他には何かない?悩み事とかあったら話して」

 

「酒が欲しいくらいね」

 

「夜までだめよ?」

 

「わかってる。霧切響子に見つかったら何言われるかわかんないし」

 

「フルネーム……盾子ちゃん、戻ってきてから何となく霧切さんと仲悪くない?」

 

「酒くれるって言ったのにくれなかった」

 

小泉さんが箸を止めてため息をついた。そしてアタシをずびっと指差す。

 

「今日中に仲直りすること。いい?」

 

「確約はできないわ。食べ物と飲み物の恨みは深いのよ……あ、待って」

 

隣の席に置いていたタブレットが振動している。1通のメール。あら、噂をすれば。

 

「さっそく霧切響子からよ。渡すものがあるから来いって」

 

「盾子ちゃん。食事中にスマホやタブレットは駄目よ。

ん?これずっと昔にも言ったような……」

 

「覚えてる。ジャバウォック島の初日よ。

本当、小泉さんってお母さんみたいよね。ふふっ」

 

「盾子ちゃん?」

 

「ごめんなさい」

 

こんなふうに叱られるのも久しぶり。素直に謝って味噌汁をすする。

 

「そう言えば」

 

小泉さんがご飯を飲み込んでから話題を変えた。

 

「盾子ちゃん、いなくなってからどこで寝泊まりしてたの?

何があったかはまだいいけど、せめてそれくらいは教えて。

日寄子ちゃんもそれは心配しててさ。ちゃんとまともな場所で休んでた?」

 

「“まともな場所”にネットカフェや簡易宿泊所を含めるなら答えはイエス」

 

「日寄子ちゃんにはアタシから少し脚色して伝えとく。

それにしてもいくら安宿でもよくお金が続いたわね」

 

「ほら、アタシって希望更生プログラムの中で、“贖罪のカケラ”を集めてたじゃない?

アレを未来機関が、塔和シティー関連の取引とは別口で

“見舞金”として悪くない値段で買い取ってくれたのよ」

 

「まあ……しなくてもいい苦労をしてきた証なんだから当然よね」

 

「そのおかげでみんなと出会えたから、アタシにとってはいい事ずくめだけど」

 

「そしてアタシ達は盾子ちゃんと出会えた。不思議よね。

別人とは言え、昔アタシ達にコロシアイをさせた存在が仲間として生まれ変わるなんて」

 

「脳内にはもっとたくさんいるわよ、ほら。

……今でも私は、悲しみの中で生きているんです。

この微妙にホコリ臭いご飯にも涙が出そうです……」

 

髪を一筋くわえて泣き虫盾子の真似をしてみる。

 

「似てない。キノコもないし」

 

「自分自身に似てないって言われるのは滅多に出来ない経験だわ」

 

それからアタシは小泉さんと朝食を取り、食器を返却口に返した。

他の人の食器を洗うのに忙しそうな花村君に一声かける。

 

「花村君、ごちそうさま」

 

「おそまつさま!ご飯、変な味したでしょ。

食材の劣化がどうしてもカバーできなくてさ」

 

「正直に言えばそうね。でも、他の人が作ってたらもっと変になってたと思うわ。

あなたがここの料理人でよかった」

 

「ありがと!夕食はもうちょっとマシになるよ!」

 

「楽しみにしてるわ。頑張ってね」

 

食堂から出ると、廊下を歩きながら小泉さんと話す。

 

「盾子ちゃん、これからどうするの?」

 

「んー、なんにも予定なし。

許可が下りないと外出もできないから、ぶっちゃけニート状態」

 

「また家出されちゃたまらないからね。十四支部の人も神経尖らせてるのよ。

アタシは今から申請出して買い物。フィルムがそろそろなくなりそうなの。

買い物ができるほど街が生き返ったのはいいけど、物価が高いのよね。

フィルム1本で1500円なんてありえない」

 

「何もかも足りてないのよ、まだね」

 

「しょーがない。行ってくるわ。盾子ちゃん、後でまた」

 

「ええ」

 

小泉さんと別れたアタシは本当に手持ち無沙汰になって、

十四支部内をうろつくしかなくなった。自分の部屋に戻ろうか、それとも。

 

 

 

アタシは2階への階段を上っていた。左右田君の職場、技術開発部に足を運ぶ。

彼は朝が早いらしいから、今なら誰にも見られずに会えるはず。

見られたらまずいってわけじゃないんだけど、なんだか話しづらくなるような気がして。

鋼鉄の扉をノックする。少し手が痛い。

 

“んあ、誰だ?”

 

「アタシなんだけどさ、ちょっと話せない?忙しいなら出直すけど」

 

“……入れよ。まだ誰も来てねえ”

 

「お邪魔するわね」

 

ドアを開けて中に入ると、この間日寄子ちゃんに連れてきてもらったときと同じ。

大きな作業台、薬品類、鋼材、そして黄色のツナギ。

今日の彼はアセチレンバーナーで何かの機械にフレームを溶接していた。

 

「おはよう、左右田君」

 

「うっす、おはよう」

 

……挨拶はしたけど、会話が続かない。

なんとなく彼と会わなきゃ行けないような気がしたからここに来たんだけど、

話題くらい用意しておくべきだった。

しばし沈黙が続くと、彼の方から話を切り出してくれた。

 

「あんま光は見るなよ。目を痛めるからな」

 

「わかったわ……あの、左右田君。あのね」

 

「こないだのことだけどよー」

 

「えっ?」

 

「ちょっと言い過ぎたって気はしてる。それは悪かった。

でも、自分が間違ってたとも思ってねえ」

 

「左右田君は正しいわ。アタシは、みんなを裏切った」

 

遮光ゴーグルで隠された彼の表情は見えない。青白い光がアタシ達を照らす。

 

「そうかもな。でも、まだ手遅れじゃねー」

 

「どういうこと?」

 

「今じゃなくていい。いつか心の準備ができたら、何がお前をそうさせたのか、

きっちり西園寺に説明してやれ。お前がいなくなって一番悲しんでたのは、あいつだ」

 

「……うん、そうよね。西園寺さんだけじゃない。左右田君や他のみんなにも必ず」

 

「オレとソニアのことは気にすんな。オレ達自身で決めたことだ」

 

「ごめんなさい」

 

「謝るくらいならさっさとお前の問題片付けろっつーの。うっし、断面の接着は完璧。

残るは動作テスト。他のやつらが来るまで待ちだな。二人以上の多重チェックが要る」

 

「仕事は順調?」

 

「たりめーだろ。元超高校級のメカニックだぜ?オレは。

あと3年もあれば空飛ぶ車が実用化できる」

 

「本当!?すごいじゃない!」

 

「今作ってるっつーか研究してんのは、

超電導リニアの原理を応用した浮力を得るための新型エンジンだ。

バック・トゥ・ザ・フューチャーの空中を走るスケボーくらいならもう作れるぜ。

コスト面で割に合わないからまだ市場には出ないけどよー」

 

「アタシが飲んだくれているうちに、世界はどんどん進歩していく……」

 

「テクノロジーは日進月歩だ。

置いてかれたくなかったら、酒なんかやめて科学雑誌でも読むこった」

 

「最終的にはそういう結論になるのね。はぁ……」

 

「今日は西園寺と一緒じゃねーのか?」

 

「うん。近所の研修センターで日本の伝統を後世に残すために、

局員向けの日本舞踊のレッスンとビデオ撮影があるんだって」

 

「オレらも忙しくなったよな。あの島にいた頃とは別の意味で」

 

「はは…あたしはニートだけどね」

 

「そりゃあ……まあ、お前は素顔がアレだから、

表立って動き回れねえんだからしょうがねえだろ」

 

「フォローありがと。あら、もうこんな時間。邪魔しちゃったわね。もう行くわ。

そろそろ他の人が来るだろうし」

 

「おう、またな」

 

技術開発部を出ると、ホッとした気持ちになった。

左右田君とギクシャクしたままってのはやっぱり嫌だったから。

だけど、やっぱりアタシにも何か仕事が欲しいところね。

霧切響子や局員に申し出ても“じっとしてて”や“困ります”しか返って来ない。

マスクしてこっそり掃除でもしようかしら。

 

次は誰に会おうかと考えながら廊下を進む。

すると、出勤前のお姉ちゃんとばったり出会った。

何かの運動をするのか、黒のジャージ姿。

 

「盾子ちゃん、おはよう」

 

「おはようお姉ちゃん。これから仕事?」

 

「うん。体育館で警備兵に逮捕術や殺人術のレクチャー」

 

「ワオ、朝っぱらから血生臭いわね」

 

「そうでもないよ。殺人術の行使に至らないために逮捕術を重点的に教えてるの」

 

「なるほど。確かに殺さずに済むならそれが一番よね。

ごめん、仕事前なのに引き止めちゃって」

 

「大丈夫、授業が始まるまでまだ時間があるから。よかったらもう少しお話しない?」

 

「ええ。アタシも相手をしてくれる人が欲しかったの」

 

井戸なんかないけど廊下の隅で井戸端会議をすることになった。

 

「思うんだけどさー。アタシが江ノ島盾子でいる意味ってもうないと思うのよ」

 

「どうしたの急に?」

 

「髪型も変えて、ギャルの格好もやめちゃって、おまけに仕事もせずにブラブラしてる。

なんだか肩身が狭くって」

 

「いきなりリアルな問題だね。

私としては盾子ちゃんがいてくれるだけで十分なんだけど、

それじゃ納得しないって顔だよね」

 

「納得しなーい。

よく考えたら、江ノ島盾子が一番存在感を出すのって、学級裁判の時だけなのよね。

つまり、もうこの世界じゃチャンスがない。アイデンティティの危機だわ」

 

「盾子ちゃんが自分のことを考えてくれるようになったのは嬉しいけど、

盾子ちゃんはそのままで盾子ちゃんなんだから、気にすることないよ」

 

「もっと年齢に合った派手な格好をするべきなのかしら。

どぎつい紫のマニキュアを塗ったり、ピッチリしたタイトスカートを履いたり、

金メッキのブレスレットをしたり」

 

「お願い、今の格好でも十分素敵だから、そんなことはやめて?」

 

「でもねぇ……この地味な緑のロングスカートとブラウスじゃ、

そのうちアタシをアタシと認識してもらえなくなるかもしれない」

 

「盾子ちゃん。もしかして飲んでる?」

 

「そんなわけないじゃない!

……あ、もしかして今、アタシのこと面倒くさい女だと思った?」

 

「そ、そんなことないよ!?そうだった、私そろそろ授業があるから、もう行くね。

盾子ちゃんにはありのままでいて欲しいな!それじゃあ!」

 

そしてお姉ちゃんは去ってしまった。姉を困らせて何をやってるのかしら、アタシ。

いっその事、心の中のアタシ達を毎日ローテーションで出して過ごしてみようかしら。

下手するとまた希望更生プログラムにぶちこまれそうだからやめるけど。

 

さて、バカ話はこの辺にして、そろそろ霧切響子のところに行こう。

渡すものって何かしら。エレベーターに乗り、上層階のボタンを押す。

昇降機の文字ランプをぼーっと見ていると、やがて目的の階に着いた。

 

防音カーペットの廊下を進み、支部長室の前で立ち止まる。

自分から彼女に会いに行くことは滅多にない。

その場でちょっとためらってからインターホンを押した。

 

“どなた?”

 

「アタシよ。江ノ島」

 

“どうぞ”

 

どうぞと言われたから遠慮なくドアを開けて中に入る。

デスクでパソコンに向かっていた霧切響子が機嫌の悪そうな顔でこっちを見る。

 

「局内でも偽名を使って。誰が聞いてるかわからないんだから」

 

「もう局員全員顔見知りみたいなもんじゃない。

5年も引きこもり女囲っといて何を今更。みんなも普通に江ノ島盾子って呼んでる」

 

「未来機関には敵も多いの。どんな方法で盗聴されるかわからない」

 

「そんなもん単なる同名の別人ってことに……あーもういい、わかったわかった。

それで渡すものって何?今日の分のビール?」

 

「当たらずも遠からずってところね。はい、これ」

 

霧切響子が透明なケースに入った青のソフトカプセルを渡してきた。

 

「薬?」

 

「そう。忌村さんに作ってもらった抗酒剤。

精神の鎮静作用もあるから、また変な考えに囚われそうになったら飲んで」

 

「抗酒剤って何よ」

 

「アルコールに極端に弱くなる薬。効いてる間にお酒を飲むと酷く気分が悪くなる。

あなたのアルコール中毒改善に役立つはずよ」

 

「冗談じゃないわ。酒より効く鎮静剤なんてあるわけないじゃない。

何が当たらずも遠からずよ。完全にハズレじゃない」

 

「飲まないならあなたに外出許可は出せない。

またみんなにみっともない所を見せたいの?」

 

「……わかったわよ、飲むわよ、飲めばいいんでしょうが」

 

「基本的に一日一粒で十分だけど、心が不安定になったらいつでも飲んで」

 

「用事はそれだけ?」

 

「ええ、それだけ。残りが少なくなったら早めに言ってね」

 

「どーもありがとうございました!」

 

アタシはそれだけを吐き捨てると、返事も聞かずに退室し、自分の部屋に戻った。

結局小泉さんからの司令は達成できなかったわね。

まあ、時間が経てばなんとかなるでしょう。

ベッドに座り込み、受け取った薬のケースを天井の明かりにかざしてみる。

カプセルの青が透き通って綺麗に光る。

 

「ふーん。これがねぇ」

 

ケースの蓋を開けて、1錠手にとってみた。手のひらで少し転がしてみてから飲み込む。

味はしない。だけど、飲んでから5分もしないうちに強い眠気に襲われた。

 

「……勘弁してよ、副作用が、強すぎる」

 

寝間着に着替えるのも面倒で、アタシはそのままベッドに横になり、

気絶するように眠りに落ちた。

 

 

 

そして、目を覚ますと夕方。外から赤い夕陽が差し込んでくる。

薬を飲んだのはお昼を食べる前。つまり6時間近くも寝てたことになる。

 

「やっぱりろくな薬じゃないわね……」

 

頭がぼやけたまま部屋を出る。ちょっと早いけど、もう夕食にしましょう。

1階の食堂には、仕事を終えたばかりのみんなが集まっていた。

 

「おう!お前さんも来おったか!早く座って飯を食うぞ!」

 

「もう待ちくたびれちまったよ~仕事終わりで腹がペコペコなんだよ」

 

確か弐大君と終里さんは、近くの小中高一貫校で、

部活のマネージャーと非常勤の体育教師をしてたわね。

一日スポーツで汗を流した二人をこれ以上待たせても悪い。急いで席に着く。

 

「うむ!それでは皆、手を合わせい!」

 

「前から言ってるけどな、ガキじゃねえンだから、それはもういいだろうが!」

 

「いかーん!食材への感謝、それを忘れずまっすぐな気持ちで生きることも、

精神修養のひとつじゃあ!」

 

「はいはい、やりゃいいんだろ。やるからでけえ声出すなっての」

 

「組長がやるのに私だけやらぬわけにもいくまい。弐大、始めてくれ」

 

全員が手を合わせると、弐大君が場を仕切る。

 

「よし、全員声を合わせ……」

 

“いただきます!”

 

夕食はハンバーグだった。

ふわふわに焼き上がったミンチを箸で割ると、中から肉汁がたっぷりあふれ出てくる。

一口食べると、肉の旨味を最大限まで引き出したハンバーグが食事を進ませる。

ご飯は今朝のものと同じだけど、それが気にならないくらい。

 

グリーンサラダも花村君特製のドレッシングで立派なおかずに変わってる。

粗挽き胡椒やスパイスの利いたイタリアンが、

絶妙に野菜と絡み合って立派な一品料理に昇華させた。

 

こんなに美味しいおかずがあるなら、やっぱり後はビールよね。

カウンターで受け取った350ml缶を開けてグイッと飲む。

たまらないわ。たまらない。……別の意味で。

アタシは缶をトレーの隅に追いやり、

食事を中断して不快感が過ぎ去るのをじっと待った。

 

「おねぇ、どうしたの?顔色悪いよ」

 

異変に気づいた日寄子ちゃんが声を掛けてくる。

 

「あのね。霧切響子から、酒が飲めなくなる薬、もらったんだけど、効果抜群みたい。

しばらく缶も見たくないくらい」

 

「抗酒剤ですね。体のアルコールを分解する能力が弱まるので、

毎日薬を続けて飲まない日を積み重ねていけばきっと……

いいえ、絶対素敵な生活が送れるようになりますぅ!」

 

「いい物もらったじゃない。この調子でお酒を止められるといいわね。

ところで霧切さんとはどうだったの?」

 

腹の中が苦しい。

胃袋が活動を停止して、中で口にしたばかりのハンバーグがゴロゴロ転がってるみたい。

貧血でも起きてるのかしら。脳が冷えるような感覚に見舞われる。

やっとの事で小泉さんの問いに答えた。

 

「……1分ほどしか話さなかったから、仲直りも何もありゃしないわ」

 

「ホントにしょうがないわね、盾子ちゃんは。一週間以内なら頑張れる?

あら、本当に顔色悪いわね。はいお水」

 

「ありがとう。努力はしてみる。

……ふぅ、酒より水のほうがうまく感じるなんて、この世界の医学は進んでるわね」

 

「ふん、酒などに頼るからこうなる。

食い過ぎで飲めないならともかく、飲み過ぎで食えないなど本末転倒も甚だしい」

 

「わかるようでわからない理屈どうも」

 

ともかく、抗酒剤のせいでせっかくの美味しい夕食が台無しになってしまった。

どうにか食べきって箸を置く。

 

「ごちそうさま……」

 

その時、天井のTVモニターの中で、

ニュースキャスターが緊迫した声で速報を読み上げた。

 

“ただ今入ってきました速報です。

本日、世田谷区の施設で複数の男女がうつ伏せに倒れているのを

訪ねてきた新聞配達員が発見。武装警察隊に通報。

駆けつけた警察によりその場で死亡が確認されました。

現場の状況から警察は一連の連続不審死と関係があると見て、

死亡した住人の身元の確認を急いでいます。繰り返します……”

 

皆がテレビに釘付けになる。

また、例の毒薬が使われたのだとしたら、裁判員裁判が起こる可能性はある。

なにしろ、先日の裁判でも通常の審理で結論が出せなかったほど厄介な代物なのだから。

複数人が同時に死亡。

アタシ達は皆、近い内に起こりうる最悪の事態を頭から追い出して、

テレビから目をそらした。

 

無駄な抵抗だとは知りつつも。

 

 



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第5章 被告人:中村喜男(前編)

その日も、アタシはタブレットのモニター越しに七海さんとお喋りしながら、

退屈な日常を塗りつぶしていた。

 

「みんなは仕事で忙しいのに、アタシは相変わらずのニート状態なんだもん。

申し訳ないっていうか、あなたが居てくれても昼間はやっぱり寂しいわ。

霧切響子も何か手伝わせてくれればいいのに」

 

《だからってお酒は駄目だよ?

私にはわからないけど、飲む人にとっては暇つぶしになるって聞いたの》

 

「心配しないで、あの薬のおかげで酒が怖くなったから。

薬の“おかげ”というより “せい”とも言えるけど。

なんだかやる気が出ない時に1杯ひっかけると、よっしゃやるか!って気になるのよ」

 

《ふーん。あまりピンと来ないけど、江ノ島さんが変わってくれたならそれでいいよ》

 

「そうそう、暇つぶしで思い出したんだけど、

アタシの居た世界ではスーファミやメガドラの互換機が出てて、

昔のソフトが手軽に遊べるようになってるの。

メガドラの世界に手を出そうと思った矢先にジャバウォック島に来たんだけど、

この世界じゃ売ってなくて残念」

 

《わぁ、それは残念だったね!

スーファミとはまた違う魅力のあるユニークなソフトが一杯あるんだよ!?》

 

七海さんが突然興奮した様子で迫ってくる。

超高校級のゲーマーにとっては見過ごせない話みたい。

 

「あれから5年以上経っても、

まだ娯楽に手を回すだけの余裕はないみたいね。この世界には」

 

《ゲーマーとしては寂しい世の中だね……

あ、ちょっと待って。メールが来たよ。霧切さんから》

 

タブレットが振動した後、モニターの中の彼女がポケットを探る仕草をした。

 

「霧切響子から?うーん、後で読んどく」

 

《重要度“高”に設定されてる。今すぐ見たほうがいいよ》

 

「ええ?わかったー。見せて」

 

霧切響子の重要連絡。

はっきり言って気が進まないけど、シカトするとそれはそれで面倒なことになりそう。

七海さんが表示してくれたメールに目を通す。

 

「……そう。そういうこと」

 

《何か心配事?もちろん勝手に中身は見てないよ》

 

「裁判員裁判。またアタシ達に白羽の矢が立った。

以前、久美子さんの事件を解決に導いたことでお鉢が回って来たんだと思う。

あれが解決と言えるかは疑問だけどね」

 

《気の毒だったよね……だからって殺人を許しちゃいけないのはわかってるけど》

 

「きっと日本や世界には久美子さんのような人がまだまだいる。

未来機関にはそういう人達の希望になってほしいのだけど。……そろそろ行きましょう。

場所はいつもの会議室」

 

《わかった。多分もうすぐ私の方にもデータが届くと思う》

 

アタシは七海さんを小脇に抱えて自室の自動ドアを通り抜け、

IDカード代わりのタブレットを読み取り機にかざしてロックした。

 

 

 

 

 

大会議室に全員が集まり、霧切響子によるブリーフィングが始まった。

みんな緊張した様子。アタシだって同じ。

自分の下した判断で会ったこともない人の生死が決まる。

わかっていたはずなのに、久美子さんの裁判を経験し、

その結末を目にするまで本当の意味で理解していなかった。

 

「みんな、今回も裁判員を引き受けてくれてありがとう。

また苦しい役割を押し付けてしまうわね」

 

「“ありがとう”じゃねえだろ。また素人に殺人事件の審理やらせるたぁ、

弁護士も検察官もどんだけ能無し連中なんだって話だよ!」

 

言葉は乱暴だけど、皆も九頭竜君と似たような気持ちは持っているみたい。

複雑な表情で霧切響子の顔を見てる。

 

「確かにそれが世のためになるならやるべきだとは思うけど、

こう何度も誰かの人生に関わるとなると、正直ボクもキツいかな……」

 

隣にいる日寄子ちゃんは黙ってうつむいている。無理ならやめさせましょう。

ひそひそと話しかける。

 

「日寄子ちゃん、嫌なら断ってもいいの。あなたの辛さはみんなわかってるから」

 

だけど彼女は強く首を振って否定する。

 

「ううん、やる。狛枝おにぃみたいに、わたしも逃げない。

だってわたし達の償いは、まだ終わってないもん」

 

「……そう。日寄子ちゃんは強いのね。アタシはまた逃げ出したい気持ちで一杯」

 

「えっ……もう、いなくなったりしないよね?」

 

「ああ、ごめんなさい。今のは言葉の綾。そうね。

アタシも日寄子ちゃんと同じように逃げない。二人の約束」

 

「うん、約束!」

 

そこで彼女は今日初めて笑顔を見せてくれたから、アタシも微笑みを返した。

同時に霧切響子のタブレットを用いた簡潔な事件概要の解説が始まった。

みんなが真剣に耳を傾けるけど、徐々にその反応が渋いものになる。

 

「以上が今回の事件。言うまでもないことだけど、詳細について口外は……」

 

「ちょっと待ってくれ!」

 

やっぱり日向君が皆を代表して声を上げた。

 

「何か質問?」

 

「質問も何も、これでまともな裁判になるのか?

この容疑者に証言をさせて、俺達が質問して、その結果有罪か無罪を決める。

通常通りの進め方で本当にいいのか?」

 

「そうじゃあ!精神鑑定だの、情状酌量だの、やることがあるじゃろう!?」

 

「言いたいことはわかるわ。

でもここ数年間の厳罰化の流れで、少年法や刑法第39条は廃止されたの。

彼にも裁判を受ける権利と義務がある」

 

「刑法第39条ってなんだ?オレ、小難しいこと考えると余計腹が減るんだよな~」

 

「後でワシが説明してやる。今は我慢せい」

 

「あっちゃ~。これ、唯吹の出る幕あるんすかね……」

 

「無理強いはせん。降りたい奴は降りろ。この俺が、事件のカタをつけてきてやる。

十神の名にかけて!」

 

十神君が立ち上がり、問いかけた。

偽物だけど本物に引けを取らない覇気で、しばらく皆が黙り込む。

でも、結局やめる人は現れなかった。決意は誰もが同じ。もちろん、アタシも。

 

「全員参加。これで裁判所に返答を出していいのね?」

 

「フッ、愚問だ。冥府を突き進む我ら暗黒の十字軍が、

目の前の試練に臆したことなど一度もないのだからな!ハッハハハ!」

 

「その中二臭いなんちゃら十字軍にアタシ達まで含めないでくれる?」

 

声無き笑いが起きる。

田中君と小泉さんのちょっと場違いなやり取りのおかげで、

張り詰めた空気が少し緩んだ。

 

「よし、だったら俺も覚悟を決める。霧切さん、詳しい日程を教えてくれ」

 

「わかったわ。開廷の日は午前9時に駐車場に集合して、東京高裁のバスに……」

 

この後、霧切響子が裁判の日取りと当日のスケジュールについて説明した。

前回の裁判とそれほど大きく違わなかったけど、アタシの胸は痛いほどに鼓動していた。

何かの間違いであってほしい。そう願わずにはいられなくて。

 

 

 

 

 

当日。バスで東京高裁に到着したアタシ達は、

やはり空気の冷えた控室で開廷を待っていた。

タブレットを起動して、七海さんに起きてもらう。

 

「七海さん、おはよう。まだ寝てた?」

 

《ううん、今起きた。えっと、事件概要だよね》

 

「そう。裁判が始まる前にもう一度確認しておきたくて。頼める?」

 

《これだよ》

 

七海さんがウィンドウを1つ開いて見せてくれた。

もう現場捜査ができないアタシ達にはこれしか頼るものがない。

 

 

○東京高等裁判所令和元年(の)第37号

 

容疑者:中村喜男(25)

 

容疑:殺人

 

4月2日、午後5時前後。

新聞配達員の今井智之氏が“いそかぜ障害者作業所”に代金の回収に来たところ、

インターホンを押しても応答がなかったため、門から作業室を覗いた。

すると窓から中で仰向けに倒れる被害者を発見。救急車を呼び事件が発覚した。

 

被害者は施設長の被害者A・板倉三郎(52)、同B・妻の板倉春江(48)、

同じくC・専務の田口亮介(45)の3人。

いずれも今井氏の通報で駆けつけた救急隊員により死亡が確認された。

司法解剖の結果、外傷や毒物の痕跡が全く見られなかったことから、

犯行にG-fiveが使用された可能性が濃厚。

 

当時、作業所の裏庭に容疑者の中村喜男(25)が立っていたため、

武装警察隊が緊急逮捕した。容疑者は施設の作業員だった。

 

被害者の死因:

不明。司法解剖の結果、やはり被害者の遺体からは外傷及び毒物は発見できなかった。

G-fiveによる中毒死の疑いが強い。

 

事件現場:

“いそかぜ障害者作業所”は知的障害を抱えた作業員に簡易な業務を与え、

給与を支払い自立を促す福祉施設である。

間取りを見ると、東西に離れた二棟をつなぐように、作業所が横長に伸びている。

作業所には二棟に出入りする密閉性の高いスライド式ドアと、

裏庭に直接出る通用口がある。

 

西棟は生活スペース。キッチン、ガスコンロ、換気扇の他、目立った設備はない。

東棟は事務所。事務机やパソコン、ガスファンヒーター置かれている。

作業所には軽作業を行う長テーブルや椅子、

昭和時代に製造されたであろう石油ストーブがあるだけだ。

 

また、裏庭にはプロパンガスのボンベが数基並んでおり、

容疑者はこの付近で逮捕された。当時容疑者は裸足だった。

 

証拠品:

○G-five

一連の不審死事件で使用されている毒物。

分解速度が早く、揮発性も高いため、遺体発見時には既に消滅している。

 

○西棟の様子

キッチン、ガスコンロ、換気扇があり、簡単な調理ができる。

 

○東棟の様子

事務を行う設備や、暖を取るための最新式ガスファンヒーターがある。

 

○ガスファンヒーター

ガスを燃焼させて温風を送る高性能なガスファンヒーター。

事務所にのみ設置されている。

 

○作業所の様子

作業員が仕事を行う作業台と、石油ストーブがある。

被害者の遺体は全てここで発見された。

 

○石油ストーブ

作業所に一台だけ置かれたとても古い石油ストーブ。

 

○被害者と容疑者の関係

被害者Aは容疑者の雇用主、同Cは上司に当たる。

 

○プロパンガスのボンベ

裏庭に並ぶ高さ130cm程度のボンベ数基。

事件現場の施設では都市ガスではなく、プロパンガスが供給されていた。

 

○容疑者の障害

容疑者は重度の知的障害を抱えており、小学校低学年程度の判断力しかない。

 

 

「ありがとう。よくわかったわ」

 

《こんなこと言うのも変だけど、がんばってね?》

 

「大丈夫、任せて」

 

中村喜男さん。

知能に障害を抱えている彼に、3人を殺害した容疑が掛けられている。

そしてまたG-five。

彼が犯人だとすると、どこで謎の毒物を手に入れて、どうやって使用したのかしら。

考え込んでいると、入り口のノックの後に、係官が入室した。

 

「失礼します。間もなく開廷ですので、法廷にお集まりください」

 

皆が席を立って法定に続く長い廊下を歩く。

やっぱり会話はないけど、お姉ちゃんが不安げな様子で話しかけてきた。

 

「盾子ちゃん……本当に私達にできるのかな。この人が犯人かどうか決めることなんて」

 

「リラックスして。ここまで来たらやるしかないじゃない。

いざとなったらアタシの百面相があるんだから、だーいじょうぶ!」

 

ぽんとお姉ちゃんの肩を叩く。

努めて明るく返事をしたけど、自信がないのはアタシも同じだった。

やがて特別法廷に入ると前回と同じ光景。学級裁判を思わせる証言台。

既に着席している裁判官。前の事件と同じ白髪交じりのオールバック。

 

やっぱり一番注目すべきなのは、3名殺害の容疑者、中村喜男さん。

色あせたオレンジのダウンジャケットを着た彼は、25歳の年齢とは対象的に、

せわしなく身体を揺らし、顔の前で手をこすり合わせて子供のように怯えている。

 

カン!

 

全員が証言台に着くと、裁判長が木槌を鳴らした。

その音にも喜男さんは驚いて縮こまる。

 

 

【裁判員裁判 開廷】

 

 

「これより、施設経営者殺害事件の裁判員裁判を開始します。

被告、裁判員、準備はよろしいですね?」

 

“はい”

 

「はい、です……」

 

初めて彼の声を聞いたけど、可哀想なほどに震えていた。

裁判長の前口上も耳に入っていない様子。

落ち着いてね。あなたも怖いだろうけど、アタシだって怖いから。

 

「……よって、あなた方の秘密は私達が必ず守ります。

ですからあなたも嘘をついたり、関係ないことを喋ったりしてはいけません。

わかりましたか?」

 

「あい」

 

裁判長は彼の知性に合わせて平易な表現で裁判のルールを説明した。とうとう始まる。

この裁判が集団リンチに終わるのか、真実の発見に至るのか、

それはアタシ達にかかってる。

 

「では、被告人。あなたの名前と年齢を教えてください」

 

「なかむらよしお、なのです。25さいなのです」

 

「残念ですが、

あなたには施設の人達を殺したかもしれないという疑いがかかっています。

それを周りにいる人達が本当にそうなのかどうか、話し合って決めてくれます。

ですから、質問にはなるべくわかりやすく答えてくださいね」

 

「ぼぼぼ、ぼく、ころしてないであります」

 

「そう信じています。では裁判員の皆様、審議をお願いします」

 

審議をお願いします。それを合図に、アタシの脳が急速に発熱し、回転数を上げる。

こればかりは慣れないわ。全てが終わるといつもしばらく目まいが抜けない。

絶対脳にダメージを受けてると思う。お願い日向君、もう始めて。

 

「まずは事件当時の容疑者の行動を整理しよう。事件概要を見ると不可解な点が多い。

……中村さん、あなたは4月2日に、あの施設で何をしていたのか、

詳しく教えてくれませんか」

 

「たってました」

 

「立ってた?」

 

「あい!あさからずっと、いわれたとおりにしたのです。ほめてくだしい」

 

「4月に入ったとは言えまだ冷えるのに、一日中裸足で立っていたんですか?」

 

「そうなのです!ぼく、ちゃんとやりましたです!」

 

「どうして立っていたのか教えてください」

 

「まえのひに、しごとをぜんぶできなかったから、

しゃちょうさんに、たってろといわれたです」

 

アタシを含めた全員の背中に冷たいものが走った。凍てつく寒さの中裸足で立たせる。

それはつまり。

 

「そ、それって体罰じゃないですかぁ!凍傷を起こしても不思議じゃないです……」

 

「たいばつってなんでしか?」

 

「何らかの暴力で罰を与えることです。法律で禁止されています」

 

裁判官が中村さんにわかるよう説明する。

彼は自分がされたことの意味をわかってないみたい。

 

「待って。アタシ週刊誌で見たよ!

どこかの福祉施設で障害者に対する暴力が横行してるって。

まだ裏が取れてなかったから名前も建物の外観も伏せられてたけど!」

 

小泉さんの言葉で皆にひとつの憶測が生まれる。

 

「整理させてくれ。もしかして中村さんは、施設長の板倉さん達から、

いつもひどいことをされていたんじゃないのか……?」

 

日向君の質問に中村さんはぐるぐる首を回して考え、答えた。

 

「しゃちょうさんからたたかれたり、おくさんにバカっていわれたり、

せんむさんにくびをしめられます」

 

憶測が確信に変わる。

いそかぜ障害者作業所では、日常的に障害者に対する虐待が行われていた。

 

「どうしてそんな事をされるのか、考えたことはあるか?」

 

「うーんと、ぼくがバカだからだって、おくさん、いってました」

 

「クソ野郎共が、ふざけんなよ……動機がひとつ出来ちまったじゃねーか」

 

左右田君がニット帽を握りしめる。すると何かを思いついたようで、すかさず発言した。

 

「な、なあ中村さん!あんたの施設には他に働いてる仲間はいねーのか!?」

 

「いるです。たけるくん、みちこちゃん、げんきくん、はるきくん」

 

「その人達も、叩かれたり外に放り出されたりしてたのか?」

 

「はい!しっぱいしたら、たたかれます。しっぱいしなくても、たたかれます」

 

「なんて酷い……」

 

ソニアさんが耐え難い悲しみに手で顔を覆った。こうしちゃいられないわ。

せめて彼の無実を信じて戦わなきゃ。そう、無実を証明するために。

アタシは心のピストルにコトダマを装填した。

 

「ねえ、中村さん。聞きたいことがあるの」

 

「なでしか?」

 

 

■議論開始

コトダマ: ○石油ストーブ

 

江ノ島

4月2日も寒かったわね。暖かい部屋に入りたかったでしょう。

 

中村

 

あい。でも、かってにはいると、[しゃちょうさん]に、おこられます。

 

[ストーブ]をつけてもおこられます。

 

かってに“ひ”をつかうと、[あぶないから]です。

 

しゃちょうさんは、[いつもただしい]のです。そういわれました。

 

・彼に計画的犯行が不可能なのは明らか。ましてやG-fiveの入手なんて!

・ええ。どこかに矛盾があるはず。嘘じゃなくて勘違いか何かがね。

 

REPEAT

 

江ノ島

4月2日も寒かったわね。暖かい部屋に入りたかったでしょう。

 

中村

 

あい。でも、かってにはいると、[しゃちょうさん]に、おこられます。

 

[ストーブ]をつけてもおこられます。

 

かってに“ひ”をつかうと、[あぶないから]です。

 

──それは違うわねぇ!!

 

[あぶないから]論破! ○石油ストーブ:命中 BREAK!!!

 

 

「ちょっといいかしら。

あなたが普段働いてるところにあるストーブ、事件があった日は誰か使ったの?」

 

「つかてません。“にわ”からみてました」

 

「でも、それだと少しおかしいの。

あの日、警察がストーブを調べたら、まだ少し温かかったし、新しいススも付いていた。

周りに付いてるあの黒い粉ね」

 

「わかりませんのです。誰もつかてません」

 

「わかったわ。ありがとう」

 

何やってるの、アタシ!思いがけず曖昧な証言をさせてしまった。

これじゃ彼の疑いが濃くなるじゃない。結局何の手がかりにもなってないし!

 

「もうやめようよ……

中村って人に犯行は無理だし、責任能力がないのも明らかなんだし」

 

日寄子ちゃんもやっぱり元気がない。

 

「そーいやオッサン。

今思い出したんだけどよ、この前霧切が言ってた刑法第39条ってなんだ?」

 

「心神喪失者の行為は、罰しない。そういう取り決めじゃ」

 

「だったらやめようぜ?どう考えても無理じゃねえか、裁判長」

 

「いいえ。刑法改正でその条文は削除されました。

被告人にはなくとも、あなた方には判断能力があります。

今回のような事例で、その知恵をお借りするのが裁判員裁判のひとつの趣旨です」

 

人情にあふれた制度だこと。……皮肉を言っても仕方ない。何か手を打たなきゃ。

 

「ではこうすればどうだ?被害者がG-fiveをどこでどうやって投与されたか。

つまり殺害方法を検証し、被告人に可能だったかを話し合う」

 

辺古山さんのおかげで道が開けた。

確かに殺害した手段を突き止めて、中村さんに不可能だったことを証明すれば、

無罪が勝ち取れる。いくらなんでも推定無罪の原則は残ってるはず。

 

 

■議論開始

コトダマ:○作業所の様子

 

辺古山

G-fiveの危険性を考えると、犯人は[安全な外から中]に毒を投げ入れた可能性が高い。

 

九頭竜

俺もそう思うぜ。例えば、裏庭の[プロパンガスのボンベ]に仕込むとかな。

 

花村

なるほど。そうすれば[ガスコンロ]や[ガスファンヒーター]を使ってるうちに、

プロパンガスに混じって室内に毒ガスが撒かれることになるね。

 

狛枝

となると、肝心の[G-five]をどこで手に入れたのか気になるな。

 

田中

待て狛枝。[入手経路]の議論は待てと天が告げている。そう、時が来るまで……

 

・この方法は明らかに不可能ね。

・そう。ひとつずつ犯行の可能性を潰して行きましょう

 

REPEAT

 

辺古山

G-fiveの危険性を考えると、犯人は[安全な外から中]に毒を投げ入れた可能性が高い。

 

九頭竜

俺もそう思うぜ。例えば、裏庭の[プロパンガスのボンベ]に仕込むとかな。

 

──それは違うわねぇ!!

 

[プロパンガスのボンベ]論破! ○作業所の様子:命中 BREAK!!!

 

 

「あん、なんか間違ってるか?」

 

「タブレットに配布された施設の見取り図を確認して。大きく分けて3区画。

この中でガスを使っているのは生活スペースと事務所だけ。

そして遺体が発見されたのは……」

 

「全員作業所ってことかよ!?」

 

「辺古山さんの言う通り、外からG-fiveが散布されたのは間違いないわ。

でも、被害者が死亡したのは作業所。

もっと言えば、他の2区画は換気扇が回ってるかもしれない、

ガスファンヒーターの使用で換気されてるかもしれない。

どちらも確実に殺害できるとは限らないわ」

 

「へっ、逆らえねえ奴を靴も履かせず外に放り出しといて、

テメエらは最新式の暖房でぬくぬくとしてやがったわけか。同情する気も起きねえな!」

 

「あーワリ。それ最初に気づけばよかったんだけどよー。

プロパンガスのボンベって簡単に中身をどうこうできる代物じゃねーぞ。

専用の調整器にホースも要る。そんなもん見つかったって話は聞いてねー」

 

「しっかりしてくださいね、和一さん」

 

「いや、だから悪かったって……」

 

「それでも、これでひとつはっきりしたな。プロパンガスを使った殺害は不可能だった。

そばに居た中村さんの犯行という線も薄くなった」

 

日向君がアタシの考えを代弁してくれた。やったわ。

議論は振り出しに戻ったけど、彼の疑いは遠のいた。問題はG-fiveね。

 

「う~ん……それじゃあ、結局被害者はどこで毒を食らったんすかねぇ。

真犯人が窓から液体の入った瓶を投げ込んだとか?」

 

「いいえ。武装警察隊の捜査は入念に行われました。

関係者以外の指紋も、不審物の類も一切見つかっていません」

 

裁判長の補足。他にも疑問はまだある。

どうして3人が作業場に集まることになったのか。

そして同時にG-fiveの餌食になったのか。

アタシは思い切って、すっかり蚊帳の外になっている中村さんに直接聞いた。

 

「中村さん。ひとつ聞きたいんだけど、いいかしら」

 

「はいなのです!」

 

「あなた、どこかで怪しいものをもらったり、拾ったりしなかった?」

 

「はい、もらいましたのです!みんながなかよくなる、まほうのびんなのです!」

 

えっ!?と全員が一斉に彼を見る。瓢箪から駒とはまさにこのこと。

共犯者にG-fiveの存在が突然浮かび上がった。恐る恐る日向君が尋ねる。

 

「……ちなみに、それはどこで誰にもらったんだ?」

 

そして、彼の答えにアタシ達はもっと驚かされることになった。

 

「アンパンマンにもらいましたのです!」

 

 

【裁判員裁判 中断】

 

 



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第6章 被告人:中村喜男(後編)

 

 

【裁判員裁判 再開】

 

 

法廷にいる全員が目を丸くした。アンパンマンからG-fiveをもらった?

あまりにも荒唐無稽な証言にしばし言葉を失う。

職業柄、いち早く落ち着きを取り戻した裁判長が彼に問いかけた。

 

「中村さん。アンパンマンとは誰のことですか?」

 

「はい!アンパンマンは、アンパンマンなのです!

バイキンマンをやっつけて、へいわをまもる、ヒーローなのです!」

 

 

■コトダマゲット!!

○アンパンマン をタブレットに記録しました。

 

○アンパンマン

テレビ放映されている幼児向けアニメ及びその主人公。

顔がアンパンのヒーローが、

ライバルのバイキンマンから町の平和を守るために戦うという内容。

 

 

「……質問を変えましょう。

あなたに、“魔法の瓶”を渡した人について、詳しく教えてください」

 

「だめです。ひみつです。アンパンマンとやくそくしました。

やくそくは、まもらないとだめって、かあさんいってました」

 

「ねえ裁判長!いくらなんでも黙秘権までは抹消されてないわよね?」

 

彼に対する疑いが濃くなりかけて、アタシは慌てて確認した。

 

「はい。不利な証言を強制されることはありません」

 

「もくひけんって、なでしか?」

 

「言いたくないことは言わなくてもいいということです」

 

ほっと胸をなでおろす。だけどそれも束の間。

彼の無実を証明しようとしたのになぜか不利な状況を招いてしまった。

喜男さんがGi-fiveらしきものを受け取ったということは事実なのだから。

この状況をひっくり返すには今のアタシじゃ力不足。

アタシは目を閉じ、自分の中の自分に呼びかけた。お願い、誰でもいいから手を貸して。

 

すると例によって急な発熱と共に目まいが始まり、江ノ島盾子のひとりが表に出てきた。

意識の主導権を彼女に手渡す。鬼が出るか蛇が出るか。

 

「ヒィーーハハハ!来たぜ来たぜ来たぜ!6年ぶりの再登場、江ノ島盾子ちゃーん!!」

 

ああ、鬼が出ちゃったみたい。でも、アタシはここまで。彼を、頼むわね……

 

「むっ!別の江ノ島が来おったな」

 

「ああああ……こわいひときたのです!」

 

「落ち着いてください、中村さん。

彼女は少し変わった性格ですが、あなたに暴力を振るうことはありません。

隣の部屋に警察の人も居ます。安心してください」

 

「だかあっしゃあ!アンパンマンだかメロンパンナだか人工衛星饅頭だか知らねえが

オレが落ち着けねえんだよ!久しぶりに表に出たと思ったらまたホコリ臭え裁判所か!?

イライラするんだよ、こんなところにいるとォ!」

 

「あ、あのう、江ノ島さん。も、もう少しソフトに喋ってあげてくださぁい!

中村さんが怯えていますから……」

 

「うっせーぞ罪木デコポン!

オレを黙らせたいならさっさと判決下してここから出せっての!」

 

「蜜柑ですぅ!私達だって早く結論を出そうと頑張ってるんですー!

だからそっちの江ノ島さんも手伝ってくださぁーい!」

 

「あはは……蜜柑ちゃんもあの盾子ちゃんと張り合うなんて強くなったよね」

 

「チッ、じゃあアンパンマンのせいでごちゃついた状況を整理してやるから

耳の穴かっぽじってよく聞きやがれ」

 

「頼む。今、彼の立場は限りなく悪い。何か逆転の一手を」

 

「アンテナ野郎うるせえ。しばらく集中するから邪魔すんな」

 

「アンテナ……まあいい、わかった。任せたぞ?」

 

「黙ってろつっただろうが!」

 

どいつもこいつもオレをイラつかせる。体で風を切ってスカッとしてえ。

オレは目を閉じて意識の奥底に存在するサーキットに潜り込んだ。

 

 

 

■ロジカルダイブ 開始

 

ああ気分最悪だ!また飽きもしねえで裁判かよ!バイクぶっ飛ばさねえと気が晴れねえ!

 

気持ちはわかるけど、正確な情報整理をお願いね。

 

ババア久しぶりー!見てな、オレとこいつのライディングテクニックを!

 

はぁ、何も変わってないのね。あなた達……

 

3.2.1…DIVE START

 

QUESTION 1:

“アンパンマン”とは誰?

A・容疑者の虚言 B・正義のヒーロー C・共犯者

 

[C・共犯者]

 

ヒュー!これだぁ、この感じだァ!ガンガンスピード上げてくんで夜露死苦ゥ!!

 

そう。喜男さんにG-fiveを渡した何者かが存在する。でないと事件が起こりえない。

一応言っておくと毒薬をばらまくような輩が正義のヒーローであるはずもない。

 

QUESTION 2:

G-fiveの入手方法は?

A・共犯者が渡した B・自分で手に入れた C・被害者は暖房による一酸化炭素中毒死

 

[A・共犯者が渡した]

 

メーター振り切れるまでブッちぎるぜぇ!!

 

喜男さんの体質から考えると自分で毒薬を探し出すのは不可能だし、

事件当時現場に居たのは彼だけだった。

検死の結果も限りなく自然死に近く、一酸化炭素中毒ではありえない。

 

QUESTION 3:

被告人の証言は事実?それとも嘘?

A・嘘をついている B・事実を語っている

 

[B・事実を語っている]

 

初夏の風が火照った体に心地いいぜ!

ひとつ俳句を詠もうと思ったが生憎ここでフィニッシュだァ!!

 

意外と詩人なのね。今度聴かせてちょうだい。さ、皆さんにわかったことを伝えて。

 

 

──真実はアタシのもの!

 

 

 

で!また目を開けると、代わり映えしねえメンツが

物欲しそうにオレの答えを待ってたから、手がかりとやらをくれてやることにした。

 

「おーし!まず大前提として、真ん中の卓の野郎は嘘はついてねえ。嘘はな」

 

するとやっぱり連中がガヤつく。うるせえつってんだ!

 

「ならば、貴様は第四の壁に住まう聖戦士は実在すると云いたいのか!?」

 

「テレビのアンパンマンが本当にいるのか、だと?ちっげーよ馬鹿!

喜男の野郎が共犯者のことをアンパンマンだと思い込んでるだけだって言ってんだ!」

 

「共犯者……か。やっぱり犯行に使われたのがG-fiveだとすると、

彼にそれを渡した人物が存在すると考えるのが普通だよね」

 

「なんで狛枝にわかることが田中にゃわかんねーんだろうな!そうだよ!

事件当時、あの場には被害者と被告人、それと第三の人物が居たんだよ!

喜男に毒を渡して犯行をそそのかした奴がなァ!」

 

「それは誰なのですか!?第三の人物とは!動機は?」

 

「そんなもん……オレが知るか!疲れた寝る」

 

「ああ、行ってしまいました……無責任ですわ」

 

「心配すんなソニア。すぐに次が来る」

 

「やほー!法廷のアイドル、江ノ島盾子ちゃん参上だよ~!」

 

「ほら」

 

「やさしそうなひとが、きましたです」

 

「そーだよ~?わたしはさっきのわたしみたいに怒鳴ったりしないから~

お姉さんに教えてほしいな?キミに魔法の瓶をくれた人!」

 

「この際ハズレでもいいからこの事件解決してよ。

関係ないけどハズレとアバズレって似てるよね……」

 

「日寄子ちゃん、相当参ってるんだね。アタシからもお願い。あと口が悪いよ?」

 

「ごめんでし。アンパンマンとのやくそくは、まもらないといけないのです」

 

「それじゃあさ!他のことに答えてよ。

キミさ、アンパンマンと施設長さん、どっちが偉いと思う?」

 

「えっ……」

 

彼の口は固いみたい。将を射んと欲すればどうたらこうたらって言うじゃん?

ちょっと回り道して証言を引き出そうかな~なんて思ってみたり?

 

「こうじょうで、いちばんえらいのは、しゃちょうさんだって、おくさんいてました。

でも、アンパンマンは、みんなをまもる、ヒーローだから……うううう」

 

喜男君が頭を抱えて悩んでる。わたしは“やさしそうなひと”だからいつまでも待つよ~

5分ほど考え込むと、彼がぽつぽつと語り始めたの。やったー

 

「うんと、うんと、アンパンマンはせかいでいちばんえらいけど、

こうじょうでは、しゃちょうさんがいちばんえらいから、

こうじょうにいるときは、しゃちょうさんのほうがえらいのです」

 

「だよねー。でもさ……その一番偉い施設長さん、悪い人に殺されちゃったんだ~

アンパンマンならきっとそいつをやっつけたいと思うの。キミだってそうだよね?

だから~アンパンマンのお手伝いをするために、

ちょっとだけ秘密の内緒話、聞かせてほしいな?」

 

上目遣いにアヒル口でお願いしてみたけど、

うつむいてる喜男君には華麗にスルーされました。タハ!

 

「……うう、なにをしゃべればいいでしか」

 

ビンゴ!とりあえず共犯者の特徴からいってみよー!

 

 

■議論開始

コトダマ:○アンパンマン

 

江ノ島(ぶりっ子)

アンパンマンってさ、やっぱり顔がアンパンだったり?見た目とか詳しく教えて~

 

中村

アンパンマンは〈にんげんにへんしん〉してました。

 

けいさつのひとが くるまえに ぼくに [まほうのびん]を くれました。

 

[つかいかた]も おしえてくれました。

 

でも 〈みんないなくなって〉 なかよくなれなくなってしまったのです……

 

・重要なポイントがいくつか出てきたけど、まずは最初のアレかな~?

・待って。なんだか胸騒ぎがするの。アタシ達、このまま彼に証言させていいのかしら。

 

REPEAT

 

江ノ島(ぶりっ子)

アンパンマンってさ、やっぱり顔がアンパンだったり?見た目とか詳しく教えて~

 

中村

アンパンマンは〈にんげんにへんしん〉してました。

 

──そうだと思うわよ!!

 

賛!〈にんげんにへんしん〉同意! ○アンパンマン BREAK!!!

 

 

「そだねー。本物のアンパンマンがあの格好で道を歩いてたら大騒ぎになるもんねー」

 

「はいでし」

 

「じゃあさ、アンパンマンはどんな人に変身してたの?」

 

「おんなのひとでした」

 

意外な事実にみんながまた驚きました、と。

 

「なんだ。てっきり男だと思ってたぜ。

オレ、あいつの顔いっぺん食ってみたいと思ってんだよな。頼んだらくれそうだし」

 

「ふむふむ。実はアンパンマンは女性でした、まる。

他には?髪型とかー、顔の特徴とかー」

 

「うううう、ぼくは、ぼくは、ぼくは、ぼくは、ぼくは、ぼくは……」

 

ヤバ。これ以上続けたらまた口を閉ざしちゃいそう。

 

「あ、やっぱいいや。じゃあ、魔法の瓶の使い方を教えて。そっちはダメ?」

 

「うう、ああ、ああああ!!」

 

また地雷。なんかわたしの手に負えなくなってきたから~……逃げる!ジャネバイ!

 

……相変わらず適当な性格だね。困ったものだよ。

仕方がないからボクが後始末をするとしよう。

 

「落ち着いておくれ、喜男さん。

ちょっと前に裁判長が言ったけど、喋りたくないことは喋らなくていいんだ。

何も怯える必要はないんだよ?」

 

「……ほんとでしか?」

 

「本当だとも。わからないことはボク達が自分で調べるから、少し休んでいるといい」

 

「ありがとごじます」

 

「アタリおねぇ。自分で調べるっていうけど、どうするの?

犯行の方法とかわかんないことまだまだあるよ」

 

「喜男さんの証言が期待できない以上

もう一度証拠物件を洗い直して新たな事実を導き出す。それだけさ。

……裁判長、少し時間をいただくよ?」

 

「はい。よろしくお願いします」

 

ボクは手元のモニターにタッチペンを走らせ、証拠品の数々に目を通す。

そして選びだしたあるものを見つめると、

分析の余地があるポイントを青いサークルが囲む。さあ、始めようか。

 

 

■証拠品精査 開始

 

○石油ストーブ

 

・芯調節ハンドル

点火と火力の調節を行うダイヤルだね。

当時ダイヤルは最大、つまり点火の位置を指していた。

ずっとこの状態だったってことは、

ストーブは最大火力で部屋を温め続けていたことになる。

 

・燃焼筒

灯油を燃やして熱を発する部分だ。警察隊が到着した時、まだ熱を持っていたそうだよ。

周りもススだらけだ。

 

・フタ

ストーブ上部にある、燃料タンクを収納するスペースを閉じるフタ。

……ふぅん。ひょっとするとひょっとするかもね。

タッチペンで3Dモデルのフタを開けて燃料タンクを引き抜く。

 

・燃料タンク

灯油を使い切ってカラになったタンクは冗談のように軽い。

いや、カラと決めつけるのは早いな。左右に揺すってみる。

すると、微かにコロコロと何かが転がる音がする。

注入口を開けてタンクをひっくり返すと、

中にはどこか見覚えのある小さくて柔らかいプラスチック製の瓶。

なるほど、これで、決まりだ。

 

 

──絶対に逃さないわ!!

 

 

■コトダマゲット!!

○プラスチック製の瓶 をタブレットに記録しました。

 

○プラスチック製の瓶

ストーブの燃料タンクから見つかった小瓶。キャップは開いており、中身はカラ。

 

 

「これは……なんということでしょうか。証拠品から新たな証拠品が発見されました」

 

「なんじゃあこれは!まさかこの瓶は……!」

 

「うんうん、みんなが驚くのも無理はないだろうね。

武装警察隊の捜査は完璧。その前提で議論してきたんだから。

でも、ずっと前のプロパンガスに話を戻すと、

ガスボンベより石油ストーブのほうが遥かに扱いは簡単。

間接的な凶器として使われたと考えても不自然じゃないのさ」

 

「じゃあ、犯人は石油ストーブの燃料タンクにG-fiveの瓶を入れて

石油と一緒に気化させたってことになるんすか!?」

 

「澪田さんの方法も不可能じゃ……いや、ちょっと待っておくれ」

 

ボクは何をしているんだ。喜男さんの無実を証明するよう“彼女”に頼まれたはず。

どうして事実を列挙しているだけなのに

彼の犯行を裏付けるような展開になってしまうんだ?

 

「失礼。今ボクが言ったことはただの推論だ。忘れてくれ」

 

「おい、馬鹿言ってんじゃねぇ。新しい証拠見つけて、殺害方法まで示唆しといて、

今更なに中途半端なこと言ってやがんだ」

 

「組長の仰るとおりだ。ここまで状況証拠が揃えばもう結論は出たようなものだろう。

……残念だが」

 

「状況証拠は状況証拠でしかないのさ。

付け加えるなら、仮に石油ストーブの燃料タンクから

喜男さんの指紋が見つかったとしても、

誰でも触れる位置にあったストーブを殺害に使用したという証拠にはならないんだよ」

 

「どうしたんだ、江ノ島。強引に議論の方向性を曲げるようなことをして。

まさかお前、中村さんを庇おうとしてるのか……?」

 

「“彼女”がうるさくてね。

日向君には悪いけど、決定的な物的証拠が出るまでは最後まで抵抗させてもらうよ」

 

「江ノ島さんだめだよ!気持ちはわかるけど、

ぼく達は法廷じゃ真実を見つけるために話し合わなくちゃいけないんだ!」

 

「ならボクを倒してごらん。さあ花村君、喜男さんが犯人だという具体的な証拠を」

 

「それは、ないけど……」

 

 

──じゃあオレが見つけてやるよ!

 

 

突然声を上げたのは左右田君。じっとボクを見据えている。

へぇ、彼がチャレンジャーか。昔、似たようなことがあったね。

お手並み拝見と行こうじゃないか。

 

「江ノ島。お前は今、間違ったことをしようとしてる。

だからダチ公として、オレが全力で止める」

 

「何が間違っているのかわからないけど、いいさ。君の力を見せておくれ」

 

「よし、それじゃあ中村さん。あんたに質問だ」

 

「なでしか?」

 

「さっきも聞いたが、あんたには同じ仕事場で働く仲間がいたんだよな」

 

「あい!」

 

「正直に答えてくれよ?その人達は、みんな幸せだったと思うか?」

 

左右田君の質問に、喜男さんの表情が暗くなる。

 

「……おもわないのです。みんな、いつも、たたかれないか、こわかったです。

たたかれないように、いっしょうけんめいはたらきました。

はたらいても、たたかれるときは、いたかったのです」

 

「それで、みんなが仲良くなる魔法の瓶が必要だった。そうなんじゃないか?」

 

「誘導尋問は感心しないな!」

 

「黙っててくれ。中村さん、どうなんだ」

 

「アンパンマンが、ないしょだって、いったのです」

 

「でも、事件が起きたのは施設の中だった。

施設じゃ“しゃちょうさん”が一番偉いんじゃなかったのか?

そいつは隠し事をしたときも怒ったんじゃないのか?」

 

「うう……」

 

喜男さんが頭を抱えて二人の支配者の間で揺れ動く。アンパンマンと施設長。

 

「見損なったよ、左右田君。彼の弱みに付け込んで」

 

「何とでも言え。オレはもう真実から逃げねえ。そのためなら、どんな手でも使う」

 

「和一さん……」

 

「あ、あ、そうです。そうなのです」

 

まずい。これ以上は喜男さんが保たない。

 

「アンパンマンからまほうのびんをもらって、ストーブに入れました。

スイッチをいれたら、いわれたとおりに、そとにもどりました。

ずっといきをとめてたから、くるしかったです」

 

万事休す。最後の悪あがきを試みる。

 

「喜男さん。君は施設長から火を使うなと言われてたんじゃないのかい?」

 

「“ひ”はつかてません。スイッチをまわしただけです。

これならしゃちょうさんにもおこられないって、アンパンマンがいてましたです」

 

彼にストーブを点火しているという自覚はなかった訳か……

ごめんよ、“アタシ”。ボクの力及ばずだ。

 

「なら、やっぱりアンパンマンを名乗る人物からG-fiveを受け取って、

石油ストーブの燃料タンクに入れて、

ストーブを作動させて石油と一緒に気化させて3人を毒殺したのは……」

 

「うむ。日向、お前さんの考えておるとおりじゃろう」

 

「お待ち!私様を差し置いて判決を下そうなど10年早くてよ!

今から事件の総まとめをしてあげるから、真犯人は首を洗って待っていることね!」

 

「おふろは、まだなのです」

 

「そっちのお前さんに変わりおったか。では、頼む」

 

 

 

■クライマックス推理:

 

>クライマックス推理 開始

>推理を完成させろ

 

Act.1

事件当日、いつものように施設長達から体罰を受けていた犯人は、

裏庭に入ってきたアンパンマンを名乗る人物と接触。

判断能力が著しく欠如している犯人は、

自分が人間に化けたアンパンマンだという後の共犯者の話を信じてしまう。

 

Act.2

犯人はアンパンマンから魔法の瓶という名のG-fiveを受け取り、

共犯者の指示通り毒薬を散布。

具体的には、作業場の石油ストーブの燃料タンクに

キャップを外したG-fiveの瓶を放り込み、芯調節ハンドルを“点火”まで回す。

この時、犯人に火を使っているという自覚はなく、

アンパンマンの言うことに間違いはないと思いこんでいた犯人は、

ためらいつつも施設長の言いつけを破り作業場に戻った。

 

Act.3

全力でG-five入りの燃料を燃やし続ける石油ストーブで、徐々に作業場は暑くなる。

事務所へのドアに露でも浮いたんでしょうね。

異常に気づいた被害者が作業場に行くと、気化したG-fiveを吸い込んで1人目が即死。

更に被害者に近づいた残りの2名も何が起きたかわからないまま死亡。

 

Act.4

アンパンマンはいつの間にか立ち去り、裏庭に戻った犯人も状況を把握できないまま、

犯人は何事もなかったかのように相変わらず素足で立ち続けた。

やがて新聞配達員が集金に来て事件が発覚。そういうことよね、中村喜男!

 

 

──これが事件の全貌よ!  COMPLETE!

 

 

「わかりました。裁判員の方は、お手元のモニターに有罪もしくは無罪を……」

 

「待ってくれないかしら!審議はまだ終わってない!

ねえみんな、本当にこれでいいの!?」

 

意識を取り戻したアタシはすかさず叫んだ。

 

「裁判長!この結論を採用するなら

犯人は喜男さんにG-fiveを渡した誰かってことにならないかしら!

だったらそいつを逮捕するべきよ!騙されただけの彼に罪はないわ!

それに……そうよ、喜男さん達は施設長達から日常的に暴力を受けていた。

殺意もなく、被害者達から追い詰められていた彼には、汲むべき事情があるはずよ!」

 

「……責任能力の有無を問わず、中村さんは3名殺害の実行犯。

情状酌量の余地はあれど殺人罪の適用が相当。それが裁判所の意見です。

謎の人物については武装警察隊が引き続き捜査を行います」

 

「おかしいと思わない?ねえ!」

 

みんなに訴えるけど、誰も目を合わせてくれない。

アタシだけが大声でまくしたて、皆は黙り込む。

 

「盾子ちゃん。気持ちは痛いほどわかる。

でも、今の法律と照らし合わせると、私達は正しい決定を下さなきゃいけないの。

お願い、わかって」

 

「お姉ちゃんまで!」

 

「改めまして決を採ります。

裁判員の方は、お手元のモニターに有罪もしくは無罪を記入してください」

 

「どうして……」

 

アタシはタッチペンを握ると、散々追いかけてきた結論とは正反対の答えを記した。

 

「意見が出揃いました。判決を言い渡します」

 

判決:中村喜男 有罪

 

 

【裁判員裁判 閉廷】

 

 

タッチペンを持ったままの手が震える。

なぜこんなことになったのか、いつ選択肢を間違えたのか、アタシにはわからない。

 

「それでは、係官。中村さんの身柄を警察へ」

 

入室してきた2人の係官が、無表情で喜男さんに手錠を掛け、別室へ連れて行く。

 

「あ、待って……」

 

「おもしろいおねえさん、バイバーイ!」

 

思わず手を伸ばすアタシに彼は屈託のない笑顔を浮かべて、別れを告げた。

この後待ち受ける運命を知ることなく。

 

「お願い、もう少しだけ時間をちょうだい!」

 

だけど喜男さんは重たい両開きの扉の向こうに消えていった。

 

 

 

 

 

後日、喜男さんから聞き出した断片的な当時の様子と、武装警察隊の調査によって、

事件当日の様子が浮かび上がってきた。

 

……

………

 

「さむいさむい。さむいけど、がんばるです」

 

「こんにちは。ぼくアンパンマン」

 

「えー?あなた、アンパンマンちがいます」

 

「今日は君を助けるために人間に変身してきたんだ。

ここのみんなが痛くて悲しい思いをしてるってジャムおじさんから聞いたから」

 

「ほんとうでしか!?」

 

「そうだよ。だけどもう大丈夫。

このみんなが仲良くなる魔法の薬を使えば、施設長さんたちも優しくなるよ」

 

「おねがいしますです。そのおくすりをください」

 

「もちろんだよ。でも少しだけ使い方が難しいんだ。できるかい?」

 

「やるです!」

 

──15分後、事務室

 

「ねえあんた。なんか暑くない?」

 

「ああ?暖房は23℃だぞ。光熱費だって馬鹿にならねえんだ。これ以上は……」

 

「施設長!作業場のストーブがつけっぱなしですよ!」

 

「チッ、喜男の奴だ!連れてこい!」

 

「あの野郎、ぶっ殺してやろうか!おいコラ喜男!どこにい──」

 

「……?おい、どうした。どうしたんだ。そんなとこで寝てんじゃ、ね」

 

「なんなのよ2人共。なんか踏んづけた?工場に何が」

 

………

……

 

 

そして3つの死体が出来上がった。らしい。

 

 

 

 

「ううえっ!ごほっ、げほっ!」

 

誰とも話したくなかったあたしは、バスに乗らず2時間掛けて徒歩で帰宅。

無言で東京高裁から戻ったアタシは、夕食も取らず、

自室に戻るなり胃の中のものを全部吐き出してデスクにすがりついた。

引き出しをまるごと引っ張り出すように乱暴に開けると、薬のケースをひっくり返して、

ブルーのカプセルを手からこぼれるほど受け取って水なしで飲み込んだ。

 

早く鎮静作用が効くことを祈りながら、ベッドの中で丸くなる。

結局頼るものが酒から薬に変わっただけ。

無力感とも罪悪感ともつかない不快感に苛まれながら、

頭を振ってそいつを振り払おうとするけど、うまくいかない。

 

ただ騙されただけの無実の人間を、殺した。

潜在意識の中で、アタシの背後に何かが忍び寄る。とっくに忘れたはずの何か。

最も適切な単語で言い表すなら、それは、絶望。

 

 



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第7章 (非)日常編

結局ゆうべは酷い悪夢に苦しめられて熟睡できなかった。

アタシにそっとお辞儀する久美子さん。目一杯の笑顔で手を振る喜男さん。

突然の銃声。

ふたりの胸に穴が開き、血まみれになって倒れる。

 

悲鳴を上げたくても声が出ない。

何が起きたかわからないアタシは、震える膝に力を入れて遺体に近寄る。

すると息絶えたはずの彼らがアタシの足を掴んだ。そして声なき声で訴える。

唇を読むと憎しみを込めた一言。

 

──おまえもおなじめにあえ

 

逃げ出そうとしても体が動かない。

とにかく助けを呼ぼうと息を吸い込み、言葉にならない叫びを発した。

 

「あああああ!!」

 

……自分の悲鳴でようやく目が覚める。

金縛りが解けたようで全身がビクンと跳ねると、目の前に見慣れた天井。

やっと夢を見ていたことに気づいても、まだ心臓が激しく鼓動している。

昨日裁判所から帰った後、服のまま寝ていたアタシは、

とりあえずベッドから下りてシャワーで汗を流すことにした。

ユニットバスで温かいシャワーを浴びると、寝ぼけた意識がはっきりしてくる。

 

喜男さんは明日か明後日にも処刑される。

アタシ達が下した決断によって。どうして自分が殺されるのか、その理由も知らないで。

自分のせいじゃない。二人が死んだのは自分のせい、そんな考えは思い上がり。

いつか小泉さんに言ったことを心の中で繰り返すけど、

感情はいつも理屈通りに動いてくれない。

 

ノズルをひねってシャワーを止める。温水はいくらか気分を落ち着けてくれたけど、

得体の知れないモヤモヤを完全に洗い流してはくれなかった。

バスタオルで体を拭き、新しい服に着替える。

 

誰かに会いたい。

 

時計を見ると午前10時過ぎ。ずいぶん長く寝てたみたい。昨日薬を飲みすぎたせいね。

もうみんな仕事が始まってるだろうし、同じ気持ちを抱えているだろうから

アタシだけが寄りかかることはしたくなかった。

それとも七海さんに打ち明けようか。タブレットを手に迷っていると、

画面端に新着メールのアイコンが表示されているのに気づいた。早速開いてみる。

 

 

送信者:第十四支部支部長 霧切響子

宛先:竹内舞子

件名:起きた?

 

何か話したくなったら呼びなさい。

 

 

竹内舞子っていうのは、アタシが十四支部から脱走してた頃に使ってた偽名。

というより、これからずっと使い続ける名前。江ノ島盾子は、存在しちゃいけないから。

さて、どうしようかしら……この際誰でもいいわ。アタシは返信をしたためる。

 

 

送信者:竹内舞子

宛先:第十四支部支部長 霧切響子

件名:起きた

 

暇だから来て。

 

 

送信ボタンを押すと、タブレットをベッドに放り出し、膝を抱いて床に座り込んだ。

何も考えずぼんやりとテーブルの足を見つめていると、

15分ほどしてオートロックのドアが開いた。

 

「……ノックくらいしてよ。大体どうしてあんたはここのドア開けられるの」

 

「支部長なんだからマスターキーくらい持ってて当然。前にも言わなかった?

ずいぶん早いお目覚めね。朝食にも来なかったみたいじゃない。みんな心配してたわ」

 

霧切響子。彼女は強いから寄っかかっても大丈夫そう。

床に座ったまま、今度は黒のブーツに視線を移す。

 

「薬、あれね、ちょっと量を間違えたのよ。飲みすぎたっていうか」

 

「1日1錠をどう間違えるのかしら。

昨日は何も言わずに歩いて帰るし、酒の次は薬に頼るし。

とにかく周りに不安を与える行動は謹んで」

 

「てっきりアタシを励ましに来てくれたと思ったんだけど」

 

「……“あなたは悪くない”、“どうしようもなかった”。

そう言えばあなたの気持ちが晴れるのかしら」

 

「何なのあんた?ここに来てからお説教ばっかり。呼ぶんじゃなかった。

っていうか、あんたが来たところで何話していいか考えてなかったんだけどさ」

 

「あらあら。失意の盾子ちゃんを抱きしめて優しく撫でてあげるべきだったわね。

気の利かない女でごめんなさい」

 

「もういいから帰ってよ!」

 

腹立ち紛れにベッドの枕を投げつけた。

それを片手でキャッチすると霧切はテーブルに置いて、帰る様子もなく続ける。

 

「あなたに面会を求めてる人達がいるの」

 

「追い返して」

 

「拒否権はないわ。相手は第二支部支部長、宗方京助。まさか彼まで忘れてないわよね?

ほんの半月ほど前に会ったばかりなんだから」

 

「誰だろうと知ったこっちゃないわ。“失せろ”って伝えといて」

 

「あなたがこの十四支部で生活できているのは彼のおかげだってことも忘れないで。

宗方支部長の判断一つであなたを元の放浪生活に戻すことだってできる」

 

「戻しゃいいじゃない!その恩着せがましい言い方ムカつくんだけど!」

 

「本気で戻りたいと思ってるの?酒以外誰も慰めてくれないひとりぼっちの生き方に」

 

「……それは」

 

霧切響子がアタシをまっすぐ見つめてくると、思わず目をそらしてしまう。

ひとりぼっち。左右田君もソニアさんも田中君も誰も居ない、寒々とした外の世界。

あの頃を思い出してみる。腹立たしいけど、受け入れざるを得なかった。

 

「白墨男が今更なに?」

 

「裁判員裁判について話を聞きたいみたいよ」

 

「こいつ……!」

 

思わず立ち上がって霧切響子を睨みつける。相変わらず霧切は無表情で見つめ返す。

 

「最初っからそれが用事だったわけ!?メールなんてまどろっこしい事しないで

“お前が死刑にした犯人について聞かせろ”って言えばよかったじゃない!」

 

「もう少しあなたが素直な態度でいてくれれば愚痴のひとつも聞いてあげたんだけど、

突っかかってばかりのあなたからマシな言葉なんて何も出てこないじゃない。

だったら必要事項を伝える他できることは何もないわ。

彼は13時に来る。昼食はちゃんと食べてエントランスで待ってるのよ」

 

「アタシに指図しないで!出てって!」

 

「13時よ?じゃあね」

 

「うるさい!」

 

踵を返して去っていく霧切響子。

今度は紫色の後ろ姿に電波時計を投げてやろうかと思った。

だけど手にとった瞬間、その硬い感触に我に返る。

どうしてこんなにイライラするのかしら。

自問自答なんてするまでもなく答えはわかってる。アタシには、何もできないから。

 

 

 

 

 

送信者:第十四支部支部長 霧切響子

宛先:第四支部 医療技術部代表 後藤

件名:E氏の健康状態(4)

 

 

医療技術部 後藤先生

 

お疲れ様です。第十四支部の霧切です。

彼女の経過観察についてご報告致します。

 

本支部での生活開始当初は精神的な安定を取り戻しつつありましたが、

裁判員裁判が始まって以来、再び過度の攻撃性を見せ始め、

過眠や抗酒剤のオーバードーズが見られるようになりました。

 

殺人事件の有罪判決、すなわち死刑の判断を下すことによる精神的ストレスが

悪影響を及ぼしていることは疑いようもなく

このまま裁判員を続けさせることは危険と思われます。

 

以上、用件のみですが失礼致します。

 

第十四支部支部長 霧切響子

 

 

第四支部にメールを送信。

……今は私が彼女のストレスのはけ口になっているけど、

この状態が続くようなら裁判員から外すことも考えなきゃ。

でも、きっと江ノ島さんは仲間が裁判に臨むなら自分だけ逃げたりはしない。

心を削り取るような思いをしたとしても法廷に出るはず。

 

2度事件を“解決”に導いたことで、

いずれまた皆に出廷の依頼が来ることは間違いない。

社会奉仕の一環として元77期生が断ることはないだろうし、

そうなれば江ノ島さんも引き受ける。

また、心に深い傷を負って帰って来ることになったとしても。

 

廊下を歩きながら考える。

G-fiveを広めている犯人が捕まれば、こんな事を考えず彼女の治療に専念できるのに。

犯人の目的も毒物の入手経路も何もわかっていない。

江ノ島さんは自分を責め続けているけど、何もできないのは、私も同じなの。

 

 

 

 

 

アタシは食堂で昼食を取った後、

ロビーの受付で外出手続きの書類に必要事項を記入していた。

食堂で花村君に会えるかな、と思ったけど彼も今日は有給を取っているらしい。

誰だって二度もあんな思いをしたら体調も崩すわよね。

書き終えた申請用紙を局員に手渡す。

 

「これお願いね」

 

「かしこまりました。今日もお出かけですか?」

 

「いえ、裁判じゃないの。第二支部から物好きが会いに来るみたいなのよ」

 

「そうですか。ではお気をつけて」

 

手続きを済ませたロビーでぶらぶらしているのもなんだから、

予定時間より5分ほど早めに出入り口の自動ドアを通って

エントランスの車寄せで風に当たっていた。

やがて、見覚えのある黒のBMWが徐行して近づいてきて、アタシの前で止まった。

中の真っ白な男が助手席の窓を少し開ける。乗れってことかしら。

 

あんまり気が進まないけど、ドアを開けて車に乗り込む。

大きなシートに体が沈み込んでいくみたい。高い外車だけのことはあるわね。

どうでもいいことを考えているうちに既に車は発進し、敷地のゲートをくぐっていた。

やだ、何ぼーっとしてるのかしらアタシったら。

 

「今日はいきなり何の用?」

 

お互い挨拶もなしに用件を切り出す。

 

「G-fiveの件だ。裁判を通じてお前が気づいた事を聞きたい。

例の毒を製造し拡散している女の存在が明らかになり、

未来機関と武装警察隊での合同捜査が始まった。

実行犯の逮捕に関わったお前の証言が必要だ」

 

「今度にしてくれない?このお高い車をゲロまみれにされたくなかったらね」

 

「取り調べによると、中村喜男が見たのは女だった。それは間違いないらしい」

 

「それともそういう趣味なのかしら!?」

 

「……共に裁判員裁判に臨む。姉にそう約束したというのに、たった2回でもう降参か」

 

「たった2回ですって!?あんたに何がわかるのよ!

死ぬしか助かる方法がなかった人、何もわからずただ騙された人。

そんなふたりを処刑台送りにした経験のないあんたに!」

 

無遠慮に土足で心に踏み込んでくる男に激しく噛み付く。

それでも宗方は眉一つ動かさずハンドルを握りながら語る。

 

「知ったことか。だがこれだけは覚えておけ。

お前が逃げ出せばG-fiveによる死者は今後も増え続ける。

そうだ。吉崎被告も中村被告もお前達の判断によって死刑判決を受けた。

彼らの犠牲を無にして安穏とした生活に戻りたいなら好きにしろ。

その影で出来上がる死体の山から目を背けて」

 

「犠牲なんて言わないで!喜男さんはまだ生きてる!」

 

「だが、間もなく死刑が執行される。明後日だ。

彼もまた被害者。そんなことはわかっている。

だがモタモタしていると同様の悲劇が繰り返される。

言え。連続毒殺事件の真犯人、その手がかりだ」

 

「……事情聴取なら、十四支部やあんたのところでよかったじゃない。

どこに連れて行こうってのよ」

 

「質問に答えろ」

 

アタシは隣の男を蹴飛ばしたい衝動を抑え込んで、目を閉じ思案する。

 

「そうね……まず二人の共通点。どちらもいわゆる社会的弱者だった」

 

「ああ。吉崎被告は生活に困窮し、中村被告は重い知的障害により

不当な暴力を受けても助けを求めることができなかった」

 

「そして凶器になったG-five。

痕跡を残さず相手を即死させて、いろんな方法でターゲットに投与することができる。

こんな都合のいい毒を作れるのは、

よほど医学、薬学、科学、諸々の知識が豊富な奴しかいない。

医師、薬剤師、製薬会社の研究員。こんなところね」

 

「武装警察隊もその線で犯人と接点があった者を探しているが、

疑わしい者はまだ見つかっていない」

 

「あと、知識だけでも殺傷能力の高い毒は作れない。設備が必要ね。

こっそり新薬の研究開発ができるほどの知識と高度な設備に触れられる人間。

そうなるとかなり対象は絞られてくるけど、それは犯人が単独犯だった場合。

組織ぐるみの犯行だとするとお手上げね」

 

「だとすると目的は何だ?金を取るわけでもない。

おそらくは莫大な設備投資をして新型の毒を開発し、一般人に配り回る。

犯人は何がしたい」

 

「知らないわよ。

頭のおかしいカルト教団が、開発した化学兵器の実験に喜男さん達を利用したか、

あるいは独りよがりな“救済”に酔っている異常者がいるとか」

 

「救済?」

 

「さっきも言ったでしょう。

一連の事件の被告は追い詰められてた。それこそ死ぬしか選択肢がないくらい。

吉崎さんはろくに家賃も払えなくて、脳性麻痺の旦那さんと

アパートから追い出されて路頭に迷うところだった。

喜男さんは施設長達からの理不尽な暴力にただ耐えるしかなかった。

仮に犯人をXとすると、Xはどこかで二人に関する情報を手に入れて、

死という安らぎを与える、もしくは間接的な手段で支配者を暗殺する、という方法で

彼らを救おうとした」

 

「……ありえない話ではないな。この5年間で確かに人類は大きく文明を取り戻したが、

心は荒んだままだ。まるで絶望の残滓が漂っているように。

犯罪発生率がそれを示しているし、こんな事件が起きているくらいだからな」

 

その時、車が十四支部と似たようなビルの前で速度を落とし、

車の入退場ゲートで止まった。宗方がカードキーを読み取り機にかざすとバーが上がり、

再び発進。駐車場の白線に沿って停車した。

 

「降りろ」

 

「命令しないで。いい加減目的を教えなさい」

 

「いいからついてこい」

 

今日は起きてからずっと腹を立てている気がする。

結局、宗方の後を追うしかなかったからなんとなく見たことのあるようなビルに入った。

奴が軽く手を上げて受付に会釈したから、アタシも少しお辞儀した。

ここに来ることは事前に伝わっていたらしく、奥に入っても制止されることなく

どんどん中に進んでいく。

 

しばらく廊下を歩くと、

宗方が「面談室1」という部屋の前で止まり、ドアをノックした。

すると中から“入りたまえ”という声が聞こえ、ドアを開けて中に入る。ここが目的地?

中は広い応接スペースで、大型のテレビモニターや観葉植物、革張りのソファが

向かいあわせに設置されてる。

木目調の壁が心を落ち着ける部屋に、懐かしい顔が待っていた。

 

「久しいのう。最後に会った時より、顔色も良くなってなによりじゃ」

 

天願和夫。このグリーンのコートを羽織った爺さんは確か……未来機関の偉いさん。

だったと思う。

 

「顧問。彼女をお連れしました」

 

「宗方君も忙しいところご苦労。ささ、話は座ってからにしようではないか」

 

だけど、もっと懐かしい存在にしばし目を奪われた。

 

「……どうも」

 

元第十支部長、御手洗亮太だった。

 

 

 

 

 

ソファに腰掛けたけど、何を話せばいいのかわからない。

御手洗さんは相変わらず血色が悪いけど、

6年前、世界に歌を届けたときに見せたような怯えた表情はない。

むしろ引き締まった顔で、ずっとアタシの顔を見ている。

宗方に何か喋るよう耳打ちする。

 

「あんたが呼んだんでしょ。さっさと用件を言いなさい。

ここじゃなきゃいけない理由はなに?」

 

天願さんが苦笑いをして代わりに答えた。

きっとアタシ達が無意識にピリピリした空気を出してたんだと思う。

 

「いやいや、今日皆に集まってもらったのはわしの発案なのじゃ。

どう言えば良いのかのう……そうじゃ、同窓会のようなものだと思ってほしい」

 

「同窓会?」

 

「うむ。あれから6年。皆、それぞれ立場や役割が変わり、

めっきり顔を合わせることもなくなってしもうたからのう。

こうして互いの近況を語り合うのもよかろうと思い、この場を設けたわけじゃ。

まぁ、実のところは、

仕事のなくなったじじいの相手をしてほしいというのが本音であるが」

 

宗方が呆れたように少し眉間にしわを寄せて、ひとつ息をついた。

 

「顧問、遊んでいないで本題を。

このメンバーを招集した理由について、ご説明願います」

 

「そう怒らんでくれたまえ。久々に皆と親睦を深めたいというのも本当なのじゃからの。

……さて、宗方君がキレる前に難しい話を済ませるとしよう。

まずは御手洗君と、竹内君。ふたりはお互いを知っている。そうじゃの?」

 

「はい、顧問」

 

「ええ……彼とは確か、6年前に電波塔で会ったわ」

 

「あの頃は竹内さんが誰かはわかりませんでしたし、今もわからないままですが、

彼女のおかげで自分の間違いに気づけたことは確かです」

 

はっきりとした口調で答える御手洗さん。思い切ってある提案をしてみる。

 

「あの、天願さん。アタシの正体について彼に話してもいいんじゃないかしら。

竹内舞子のままだと肝心なことが伝わらないと思うの。

それに……御手洗さんは薄々気づいているようだから」

 

「わしから話そう。

御手洗君、少し長くなるし信じがたい話になるが最後まで聞いてほしい」

 

「はい」

 

そして、天願さんがアタシの江ノ島盾子としての身分を明かした。

アタシは異世界から精神だけが転移し、

どこかの狂人が再生した江ノ島盾子の肉体に乗り移った存在。

未来機関はそのアタシが痛めつけられる様子を放送することで

江ノ島の信奉者を減らしていったけど、あることがきっかけで別人だったことに気づく。

 

葛藤の末に世界を許すことを選択したアタシに芽生えた“超高校級の女神”。

歌で人の心に調和をもたらす能力で、

アタシは6年前に世界から絶望のほぼ全てを消し去った。

その直前、別の方法で絶望を取り払おうとしていた御手洗さんと出会う。

 

彼は人々から負の感情を消し去る“希望のビデオ”で彼なりに戦ったけど、

アタシはどうにか彼を説得してビデオの送信を思いとどまらせた。

そして先に世界に向けてアタシの歌を届けたことにより人が人であるまま今に至る。

 

御手洗さんは膝の上で拳を作りながら黙って聞いていた。

天願さんが語り終えると、彼はつばを飲んでアタシに問いかけた。

 

「やっぱり……あなたは江ノ島盾子だったんですね」

 

「偽物だけどね。

最重要機密だから今の今まであなたに伝わっていなかったみたいだけど」

 

「皮肉ですね。心は別人だとしても、

世界に絶望をもたらしたのも希望を与えたのも江ノ島盾子だなんて」

 

「元気だった?あの後みんなバタバタしててあっという間に6年経っちゃったから」

 

「……支局長の職は解かれましたが、

天願顧問のご尽力で執行猶予付きの判決に留まりました。

今でも一般局員として未来機関にいられるのも、顧問のおかげです」

 

「一度の失敗で君のような若い可能性を終わらせてしまうのは、あまりにも惜しかった。

まだ世界は完全な復興と呼べるには程遠い状況じゃ。

それに……あの時、御手洗君が抱いていた理想を失敗の一言で片付けたくはない」

 

「やはりあなたは変わりませんね。

仮に希望のビデオが送信されていたら今頃どうなっていたことか。

会長職を辞してまで、異なる形の破滅を招こうとした一局員をかばい続けた

あなたの考えが今でもわかりません」

 

少しだけ御手洗さんの表情が固くなった。余計な横槍を入れる宗方を黙らせる。

 

「あんたは黙ってなさい。天願さん、アタシも同じ考えよ。

そうは言っても、オリジナルの江ノ島が作った絶望が消え去った今、

超高校級の女神が必要とされることはもうないんだけどね。

現に、十四支部で何年も食っちゃ寝生活だったもの。

御手洗さんみたいに胸を張って言えることじゃないけど。フフ」

 

思いがけない再会に気持ちが少しゆるみ、笑いがこぼれる。

 

「あの時、僕はあなたを江ノ島盾子だと思ってたけど、

半分間違いで半分正解だったということなんですね。

また直接お会いした今ならわかります」

 

「そういうことじゃ。

こんな感じで今日の同窓会は御手洗君の長年の疑問を解くことも目的だった」

 

つまり、本当の目的はこれから。

 

「道中、宗方君からも聞いておろう。連続毒殺事件のことじゃ。

G-fiveの痕跡が確認できぬから連続不審死というのが適切じゃが」

 

「ええ……」

 

「君達が裁判員を務める中で、多大な心労を背負っていることは聞いておる。

単刀直入に聞こう。裁判員を辞めたいかね?」

 

それと御手洗さんがどうつながるのかわからないけど、正直な気持ちを口にする。

 

「少なくとも……続けていく自信はないわ」

 

天願さんは納得したように何度かうなずくと、話を切り出した。

 

「そうじゃろう。行き過ぎた厳罰化で情状酌量や本来守られるべき人権が無視され、

毎日のように処刑場に銃声が鳴り響いておる。

有罪すなわち死刑を決定する人間に過大なストレスを課していることは想像に難くない。

そこでじゃ」

 

御手洗さんに視線を送ると、今度は彼が話を始めた。

 

「僕、裁判員になろうと思うんです!

十四支部の皆さんが裁判員をなさっていると噂で聞いて、

失礼ながらあなたの体調について資料を読ませていただきました。

あなたの心はまだ不安定で、記憶も曖昧な点も多いとか。

そんなあなたが治療にも専念できずに、

これからも辛い選択を続けなければいけない理由なんて、ないと思ってます」

 

「それって、要するに……」

 

「あなたと交代して裁判員になりたいんです。

確かに、僕はあなたのように賢くはありません。

でも、あの時僕を間違った選択から救ってくれたあなたのために、

できることをしたいんです。そのために顧問に頼ってお願いしました。

……この通りです。ご自分の体が回復するまでで構いません。

僕にあなたの責務を任せてもらえないでしょうか」

 

彼が深く頭を下げる。……どうしよう。

よく考えれば、御手洗さんの言う通り危ない橋を渡っていたと言えなくもない。

アル中を薬で抑えて、法廷で限られた証拠から有罪無罪を導き出す。

今までは“正解”だったけど、今後もうまくいくとは限らない。

 

「心配するな。下りたとしても支部から放り出したりはしない。

……フン、つまりは一生飼い殺しという意味だが」

 

「黙ってろって言われなかった!?あの、ちょっと待って、アタシは……」

 

視線が落ち着かない。辞めたい、辞めちゃだめ。両方の結論が押し合いへし合いする。

悩みに悩んだ末、たどり着いた答えは。

 

「あの、ごめんなさい!やっぱりアタシ、辞め……」

 

 

──本当にそれでいいの?

 

 

ふいにアタシの中のアタシが問いかけてきた。続きを待つけど、それだけ。

でも、同時に大事なことを思い出した。昨日見た悪夢。ううん、そうじゃなかったのよ。

あれは久美子さんと喜男さんが遺した最後の訴え。犯人を許すな。

思い直したアタシは、ひとつ咳払いをして決意を口にした。

 

「裁判員は続けるわ。G-fiveを作った犯人を追い詰めるまで」

 

面談室の空気が張り詰める。

天願さんは長い顎髭を撫でて、何も言わない。宗方はまっすぐ前を見てる。

 

「……やっぱり、僕じゃ力不足ですか?」

 

首を振って否定する。

 

「違うわ。この事件は、アタシ自身が決着をつけなきゃいけないの。

あなたの気持ちは嬉しい。

でも、このまま逃げ出したらアタシの決断で命を落とした人達に顔向けできないの。

連続毒殺事件の犯人は必ずアタシが捕まえる。だから、ごめんなさい……」

 

御手洗さんの表情が緩んで、微笑を浮かべた。

 

「あなたは、強い人なんですね」

 

「強くなんかないわ。仲間がいるから戦える。もちろんあなたもその一人よ」

 

「ふむ。どうやら今日の同窓会はわしの余計なお節介だったようじゃの」

 

「そんなことない。十四支部以外にも味方がいるってわかっただけで心強いわ」

 

「……言ったからには必ず解決しろ。この得体の知れない殺人事件を」

 

「あんたは何度同じことを言われれば学習するのかしら。命令しないで、白墨太郎」

 

「これこれ、ケンカはよさんか。……では、江ノ島君。君だけが頼りじゃ。

この悲劇を終わらせてほしい」

 

天願さんが老いた体を更に曲げてお辞儀をした。

 

「アタシだけじゃない。十四支部のみんながいる。信じて待ってて」

 

そしてアタシは面談室で御手洗さんと天願さんと別れ、

再び宗方の運転するBMWで帰路についた。

既に日は暮れて、世界崩壊前より寂しくなったネオンや看板照明の間を走り抜ける。

第十四支部に着く頃には、辺りは真っ暗になっていた。

別れ際、宗方と一言だけ言葉を交わした。

 

「顧問の期待を、裏切るな」

 

「口の利き方に、気をつけなさい」

 

奴の車が走り去ると、アタシは自室に戻る前に夕食を取ろうと思い、

食堂に立ち寄ることにした。

ロビーを通り抜け、ビル西側にある食堂へ向かうと、食堂側から霧切響子が歩いてきた。

どちらも目を合わさなかったけど、すれ違いざまにお互い用件だけをぶつける。

 

「アタシ、辞めないから」

 

「薬、置いといたから」

 

誰も居ない食堂で焼き鯖定食を頼み、適当な席に着くと、

ポケットからカプセル入りのケースを取り出して、1錠飲んだ。あと4錠くらいしかない。

とにかく食事を終えると、まっすぐ自室に戻ってシャワーを浴び、ベッドに寝転んだ。

テーブルには、いつの間にか予備の薬。準備がいいわね。

 

抗酒剤の副作用で今日もすぐ眠りに落ちた。

だけど本当に薬のせいなのか、運動不足でちょっとの外出で疲れるのかわからない。

体力を着ける必要があるわね。お姉ちゃんにトレーニングに付き合ってもらおうかしら。

 

 

 

 

 

B19306

 

夜。PCモニターや実験器具の放つ光だけが室内を照らす。

小型のマニピュレータが、強制冷却機の中からシリンダーを取り出し、

排出口にセットする。シリンダーが生成装置の中を通り、こちら側に顔を出した。

 

「また、ひとつ」

 

自分の存在意義でもあり、誰かの救いでもある奇跡の薬が、またひとつ産声を上げた。

ゴム手袋をした手で無色透明な液体が入った瓶を手に取り、私は微笑んだ。

 

 



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第8章 続・(非)日常編

アタシは洗面所で歯を磨き、顔を洗うと軽く両頬を叩いて気合を入れた。

全く同じ動きをした鏡の中の自分。昨日よりはマシな面構えになったんじゃないかしら。

決めたの。もう一度、アタシは“超高校級の女神”になる。

 

この世界にくすぶる悲しみ、怒り、不安が再び絶望に変わる前に、

必ず真犯人を探し出してみせる。そして、今度こそ皆が生きるこの国に本当の平和を。

思春期の青少年が好みそうなクサイ台詞に自分で苦笑する。

だけどこれが今のアタシの正直な気持ち。

 

「さてと!」

 

その前に、身近な人の心から不安を取り除かないと。

みんなが落ち込んだままじゃ犯人の追跡なんてできやしない。

パジャマから着替えながら考える。

とりあえず食堂で朝食を取ろう。誰かいるかもしれない。

軽く化粧をして、髪にヘアスプレーをかけてブラシを通す。

出かける準備を整えると、自室から出て軽い足取りで階下の食堂へ向かった。

 

 

 

 

 

食堂に行くと知った顔が数人。花村君も厨房に復帰してる。

 

「みんなおはよう!」

 

努めて明るい声でみんなに挨拶すると、小さな返事がバラバラに帰ってきた。

誰もが少なからず心の傷をひきずったままみたい。

アタシは気にした様子を見せずにカウンターでモーニングのセットを注文した。

 

「花村君もおはよう」

 

「江ノ島さん……。おはよう」

 

「お腹空いちゃった。Aセットちょうだい」

 

「う、うん。ちょっと待っててね!」

 

彼は奥に引っ込むと、某ハンバーガー屋よりも早く、

しかも美味しそうな手作りの朝食を出してくれた。

香ばしく焼けたトースト、ポテトサラダ、茹でたてのソーセージ、ハム。

 

「まあ、いい匂い!昨日は朝食を食べそこねたから楽しみにしてたのよ?花村君の料理」

 

「そうなの……?ありがとう、昨日は…なんだか気分が悪くてさ」

 

「気持ちはわかるわ。しんどい時には休めばいいのよ。アタシもそうしたから。

じゃあ、また後でね」

 

「うん!また今日から性…じゃなくて精のつくメニューを振る舞うからね!」

 

花村君の下ネタをスルーして冷蔵ケースから牛乳瓶を取るとテーブルに向かう。

さて、誰と一緒に食べようかしら。

……うん、やっぱりあの娘にしましょう。きっと一番傷ついてると思うから。

いつもの二人組になって少しずつトーストをかじってる彼女に歩み寄る。

 

「アタシも混ぜてもらっていい?小泉さん、日寄子ちゃん」

 

「盾子ちゃん。もちろんよ」

 

小泉さんが目配せで日寄子ちゃんを示した。彼女も同じ考えみたい。

 

「おねぇ……。隣に来て」

 

「ありがと。アタシもさっそくいただきまーす」

 

遠慮なく日寄子ちゃんの隣に座ると、バターを広げたトーストにかぶりついた。

 

「んー、おいしい!香りもいいし、脳に元気が行き渡るわ」

 

朝食を口にしたアタシは、とりとめのない世間話を始める。

 

「ね、日寄子ちゃんもそう思わない?

支部に閉じこもってると娯楽らしい娯楽が花村君の食事しかなくって」

 

「うん、そうだね……」

 

「そうなのよ。花村って料理の腕は一流なんだけど、

セクハラ下ネタだけは何年経っても治らないのよね」

 

「天は二物を与えずっていうけど、まさにそのとおりだわ」

 

“聞こえてるよー。人は二物もいらない、ひとつでいいのさ。そう、イチモ”

 

「黙んなさい花村ァ!」

 

「アハハハ、ああおかしい」

 

ちらちら彼女の様子を伺いながら、少し大げさに笑ってみる。

日寄子ちゃんの浮かない顔にほんのちょっと笑みが戻った。

牛乳を一口飲むと、アタシは思い切って本題を切り出した。

これ以上彼女を傷つけないよう、そっと背中を抱くように。

 

「ねえ日寄子ちゃん」

 

「なあに?」

 

「実はね。昨日、未来機関の偉いさんや昔の知り合いに会ってきたの。

なんていうか、その人達はアタシ達が結構苦しい思いをしてることを知ってて、

駄目ならやめてもいいって言ってくれたの」

 

「うん……」

 

「どう言えばいいのかしらねぇ。アタシは自分の正直な気持ちを伝えたの。

だから日寄子ちゃんも自分の気持ちに正直になってほしい」

 

「……江ノ島おねぇは、なんて答えたの?」

 

「ごめん。それを教えるのは、日寄子ちゃんの答えを聞いてからにさせてほしい。

先にアタシの決定を言っちゃうと、あなたの考えを惑わせちゃうかもしれないから。

やめたって誰もあなたを責めたりしない。むしろ今までよく頑張ったと思う。

昨日会った人達もアタシにそう言ってくれた」

 

日寄子ちゃんがぽつぽつと語りだす。

小泉さんもアタシもじっと彼女の心の内に耳を傾ける。

 

「なんか、心に重たいものがあって、それがずっと苦しいんだ……。

でも、やめちゃいけない、やめたくないって思いもあって……。

わたしにもよくわからない。おねぇ、わたし、どうすればいいのかな」

 

「それはあなたの責任感と…罪悪感ね。

そう、久美子さんと喜男さんを有罪にしたのはアタシ達。

結果、二人は命を落とすことになってしまった。

それで日寄子ちゃんが罪の意識に苦しんでいるのは無理も無いことなの。

だけどあなたは少しでも社会を良くするために裁判員を続けなきゃいけないと思ってる」

 

「うん……。正直、わたし、だめなのかなって」

 

「なるほどね。アタシも同じように悩んでた。昨日まではね」

 

「今日は違うってこと?」

 

「そうよ。じゃあ、約束通りアタシの決定を教えるわね。裁判員は、続ける」

 

「おねぇ……」

 

「盾子ちゃん……」

 

「あのね、昨日こんな夢を見たの。久美子さんと喜男さんが出てきた。

二人はアタシにこう言ったわ。“犯人を許すな”って。

これは二人がアタシに託したメッセージだと思ってる。だからアタシ決めたの。

二人のためにも絶対にG-fiveを作った奴を許さない。この手で真犯人を追い詰める。

もう一度“超高校級の女神”として、

みんなが再び立ち上がろうとしてる世界を

また不安と混乱に陥れようとしている奴を必ず止める。……だけどね」

 

アタシは日寄子ちゃんの両肩に手を置いてその目をまっすぐ見つめて続けた。

 

「あなたがそれに直接的な方法で関わる必要はないの。

つまり……。裁判員を続けなくたって、今のお仕事で社会を支えることも、

日寄子ちゃんの日本舞踊でみんなの心にやすらぎを与えることも、

立派な社会貢献であって……」

 

その時、肩に置いた手が不機嫌そうにさっと振り払われた。

踏み込みすぎたかと思わずハッとなる。

 

「あーもう!今日のおねぇ話長いよ!パンが冷めちゃったじゃん!

なんかだんだん腹立って来ちゃった!

変な毒作ってるサイコバカのせいでここんとこ良い事なしだよ、もー!」

 

日寄子ちゃんはハムに乱暴にフォークを刺して一口で頬張る。

そしてアタシをずびっと指差す。

 

「もぐもぐ。おねぇ、まさかひとりで犯人探しやるつもりじゃないよね!?

わたしもやるから!ぜってークソ女に吠え面かかせてやるんだから!

裁判員もやめない。証拠品も全部自分でチェックしないと気が済まないし!?」

 

黙々とモーニングプレートを食べ続ける日寄子ちゃんを見て、

アタシと小泉さんはこれ以上なく安堵した気持ちになった。

また無言で目を合わせると、笑顔を交わして自分達も朝食の続きを口に運びだす。

 

 

 

「ごちそーさまー」

 

「はい、ごちそうさま」

 

「あー、おいしかった。ごちそうさま」

 

“おぞまづざみゃーだよ”

 

3人共ほぼ同時に食事を終えると、トレーを返却口に置いた。

すると日寄子ちゃんがアタシに駆け寄って早口でまくし立てる。

 

「今日はおねぇどうするの?また部屋でグータラ生活?

だったら暇な連中のところに顔出しに行こうよ。

なんか他にもいるんだよねー。葬式みたいな面したやつらがさ。

そいつらの尻叩きに行こうと思うんだけど、一緒に来るよね。来てくれるよね?」

 

「え、ええ。もちろん。小泉さんはどうする?」

 

「ごめん、今日は広報部の構成員募集ポスターの資料撮影があるんだ。

悪いけど、ここでお別れだね」

 

「えー、小泉おねぇからもビシッと言ってほしかったんだけど、しょうがないか~」

 

「ごめんね。何か分かったらアタシにも教えてね。じゃ!」

 

そして去り際に小泉さんがアタシの耳元でささやいた。

 

(ありがとね、日寄子ちゃんのこと)

 

(小泉さんも無理はしないで)

 

(当然)

 

フフッと笑うと彼女はエレベーターがあるスペースへ走っていった。

 

「日寄子ちゃん。それじゃあ、元気のない人達を勇気づけにいきましょう」

 

「たくさんいるからうんざりするよ~。近くにいるやつから順番にね」

 

こうしてアタシ達も二度の裁判員裁判で心労を抱えたみんなの重荷を取り除くべく、

第十四支部巡りを開始した。

 

 

 

 

 

彼が仮釈放後に得た最初の給料の使い道は、

あの個性的すぎるファッションを再現することだったらしい。

ぶっちゃけ、アタシ達の格好なんてどれを取っても個性的だけど、

とにかく後ろ姿だけでも見分けがつく彼に近づいた。

 

「……魔獣フェンリルよ。

俺様の魔眼をもってしても、真実という命題が孕む解に至るには、

人類が黙示録を迎える日が先か、俺の命が尽き果てるのが先か、結末は闇の中。

さあ、我が求めに応じ、俺に答えを示すがいい」

 

(チュチュッ)

 

「フッ……。尚も俺に光と闇の狭間に存する巨大な無を進めというのか。

冥王ハデスの申し子から、さすらい人に身を落とした俺には似合いの運命だな。フッ」

 

「フッフ、フッフ、うるせーよ!わたし達がわざわざ気合い入れに来てやったのに、

自分はネズミとおしゃべりなんて結構なご身分だよねー!」

 

「なっ!お前達、いつからそこにっ!」

 

「相変わらずリアクションもオーバーだし、おねぇからも何か言ってやってよ」

 

「あはは……。今来たところ。ちょっとみんなとお喋りしたいな、と思って」

 

背もたれのないシートがいくつも並ぶ休憩スペース。

肩を落としてひとりぼっちでネズミちゃんと会話する田中君に話しかけた。

 

「やめておけ。今の俺は守護神(ガーディアン)から見放されし存在。

左腕に封じられた瘴気を制御することは、俺にもできない。

忌まわしきカオスの波動に飲み込まれる前に立ち去ることだ……。フッ」

 

「“フ”はいらねーから」

 

「田中君。

一人になりたい気持ちはわかるつもり。二度もあんなことがあったんですもの。

アタシが伝えたいことはひとつだけ。今は自分を守ることを考えて。

あの二人の結末について自分を責めたくなるのは仕方ないわ。

アタシ達が下した結論でああなったのは事実なんだから」

 

彼はただ指先でネズミちゃんの首を撫でながらアタシの話を聞いている。

 

「落ち込みたいときは好きなだけ落ち込んでいい。

でも、そうしたいという動機は必ず田中君であってほしいの。

……どう言えばいいのか難しいわね。

とにかく昨日までのアタシみたいに、

初めからどうにもならなかったことに振り回されて、

やけになったり、自分を傷つけることだけはしないでね。

言いたいことはそれだけ。……ネズミちゃん、今度触らせてね」

 

「んんー!田中おにぃも、なんか言いなよー!」

 

「日寄子ちゃん、いいから」

 

「でも~」

 

「待て」

 

不満げな日寄子ちゃんを連れてその場を後にしようとすると、田中君に呼び止められた。

 

「……今の俺では、魔獣フェンリルを御することすらできない。

戦うことなど、できはしないのだ」

 

「戦わなくってもいい。裁判員を続けろ、なんて言いに来たわけでもない。

ただ、もしあなたがその気なら……。アタシが味方だから」

 

「俺の、味方だと……?」

 

「そーだよ!おねぇは毒を作った真犯人を見つけるって決めたんだよ!」

 

「フッ、そうか。そうだったのか!

堕天使ルシファーと契約し、再度覚醒したというのか!

江ノ島盾子、やはりお前の闇は深淵の果てまで続いているのだな!

いいだろう!お前がその気なら、俺様もソロモンの悪魔72柱と再契約をし、

共に修羅の道を歩もうではないか!フハハハ!」

 

彼の表情に覇気が戻った。その場で立ち上がると、大げさに腕を組んで高笑いをする。

 

「田中君……。アタシもあなたがいてくれると、心強いわ」

 

「やったー!おにぃも干からびたミミズ状態から立ち直ったよ!」

 

「さあ征け。感じるぞ、闇の十字軍の魂に宿るマナの灯火が消えゆこうとしている!

お前の降臨を待ちわびているのだ!」

 

「うん。他のみんなにも会ってくるわ」

 

(チュー!)

 

「ネズミちゃんも元気でね」

 

アタシ達は、なぜかまだ笑っている田中君の声を背に、

今度こそ休憩スペースから出ていった。

廊下を歩きながら、次に誰を訪ねるか日寄子ちゃんと相談する。

 

「他に時間がありそうな人、心当たりある?」

 

「左右田おにぃはいつも居場所がおんなじだけどなぁ」

 

「彼は……。大丈夫よ。支え合う人がいるから」

 

「あー、そうだったよね。リア充なんか心配するだけ損だったよ」

 

「フフッ。もう、そんなこと言わないの。

だとすると、ダメ元であそこに行ってみようかしらね」

 

一緒にいることが多い二人にもしかしたら会えるかもしれない。

アタシ達は次の目的地に足を運んだ。

 

 

 

 

 

「次は一本ずつ指を折り曲げてみてください」

 

「こうかな?」

 

「……はい、大丈夫です。電極パッドによるかぶれ、動作の遅延もなし。

他に装着して違和感を覚えることはありませんか?」

 

「なにもないよ。左右田クンが完璧な義手を作ってくれたし、

罪木さんがこうしてケアしてくれてるからね」

 

「今回も異常なし、と。霧切さんにも安心して報告できます~」

 

ドアを開け放った簡易的な治療や検査を行う医務室から

罪木さんと狛枝君の声が聞こえてくる。

指で壁を軽くノックすると、二人がこちらに気づいた。

 

「おはよう。お仕事中にごめんなさいね。お邪魔だったかしら」

 

「い~え~。そんなに滅多に患者さんが来るわけでもありませんから。中にどうぞ~」

 

「おはよう江ノ島さん、西園寺さん。ボクも今日は検査だけなんだ。気にしないで」

 

「じゃあ、お言葉に甘えて上がらせてもらうわね」

 

「おっじゃましまーす!」

 

陽の光が差し込む明るい部屋に入り、椅子に腰掛け採血用の台に左腕を乗せた狛枝君と

タブレットに何かを入力している罪木さんのそばに寄る。

 

「腕の調子はどう?」

 

「うん、罪木さんと左右田クンのおかげで、元の腕と全然変わらないよ」

 

彼の左腕は機械的な義手。そうなった理由はちょっと複雑だから、また今度ね。

 

「それは何よりだわ。今日はメンテナンスの日だったのね」

 

「私、機械のことはさっぱりですけど、直接肌につけるものですから、

左右田さんと二人三脚で定期的な検査をしていく必要があるんです~」

 

「見た目はともかく、動きは本当に生身の腕と変わんないよねー」

 

“見た目”か。二人共田中君のようにパッと見でわかるような落ち込みは見せていない。

今度は少しアプローチを変えてみましょう。

 

「江ノ島さんはその後お変わりありませんか?ちゃんとお薬飲めてますか?

いえ、あの、江ノ島さんが一回1錠の薬を間違えるような

お馬鹿さんだって言ってるわけじゃ…ご、ごめんなさい!」

 

アタシは苦笑して答える。この話題は使えそうね。

 

「いいのよ、本当に勢いで飲みすぎてぶっ倒れたことがあるんだから。

酒は飲んでないわ。本当よ?……今日はこの事で相談があって。裁判員のこと」

 

「……ボクは外すよ」

 

「あ、よかったら狛枝君にも聞いてほしいの。迷惑じゃなければ」

 

「ボクには聞くことしかできないけど、それでいいなら話してよ」

 

「ありがとう、助かるわ」

 

「わ、私も心療内科は専門外ですから、的確なアドバイスは出来ないと思いますけど、

お話しを聞くくらいならできます!」

 

「罪木さんもありがとう。実はね」

 

アタシは裁判員を続けることに加えて、

G-fiveを世に広げている犯人の捜査を始めることを決めたことについて説明した。

二人は黙って最後まで聞いてくれたけど、その表情には戸惑いが浮かぶ。

 

「危険だよ!裁判員はともかく、あんな毒を持っている奴に近づくなんて!」

 

「そうですぅ……。真犯人については、警察に任せたほうがいいですよ。ね、ね?」

 

「二人ならそう言ってくれると思ってた。ありがとうね。

でも、これだけはやらせてちょうだい。

久美子さんと喜男さんの人生を狂わせた犯人とは、アタシの手で決着をつけたいの。

アタシに“有罪”を書かせた犯人とはね」

 

わずかに二人の顔が暗くなる。

やっぱり罪木さん達も2つの事件について負い目を感じていたらしい。

 

「ボクだって犯人は許せない。だけど、一人で捜査するのはやっぱり危ないよ。

……そうだ、日向君に相談してみたらどうだろう。

超高校級の希望の彼なら、力になってくれるはずだよ」

 

「それはいい考えですね!日向さんならきっと危なくなっても守ってくれますし、

えーと、いろいろ手助けをしてくれると思います!」

 

「なるほど……。確かに彼がいてくれれば心強いわ。日向君を頼ってみる。

ところで、今度はアタシから質問。ふたりは、裁判員についてどう思ってる?

アタシはね、みんなにも自分の気持ちに正直でいてほしいの。

要するに、辛いのに痩せ我慢をしてまで裁判員を続けてほしくなんかないし、

そんなことを続けてたらアタシみたいに変になっちゃう。

世の中に貢献する方法は、特別な才能を持ったふたりなら他にいくらでもあるわ」

 

「それって……。裁判員を下りろってこと?ボク達を心配して」

 

「違う。あくまで自分の気持ちを最優先にしてほしいだけ。

二人にああしろこうしろ言う権利なんて、アタシにはない。

バカやらかしたアタシからの、単なるお願いよ」

 

「ふゆぅ……」

 

「そうだね、少し考える時間をくれないかな。今答えを出すのは、難しいかな」

 

「もちろんよ。あなた達自身の問題なんだから、じっくり考えて。

そろそろ行くわ。話に付き合ってくれて、ありがとう」

 

「いいよ。江ノ島さんこそ気遣ってくれて」

 

「お体を大事に、薬は用法用量を守ってくださいね?」

 

「罪木おねぇも、狛枝おにぃも、バイバイ」

 

医務室を出ると、ぶらぶらと廊下を進む。日寄子ちゃんもトテトテとついてくる。

次は誰に会おうかしら。

 

「ねー、江ノ島おねぇ。狛枝おにぃが言ってた通り、日向おにぃに会いに行くの?」

 

「そうね……。んー、彼は後にするわ。

今打ち明けても絶対“やめろ”って言われるだけだし」

 

「割と頑固なとこあるもんねー。じゃあどうする?」

 

「おい」

 

自販機コーナーの前に通りかかった時、奥から急に声をかけられた。

思わず足を止めると、両手に大きな菓子パンを持った彼。

 

「十神君」

 

「豚足ちゃんじゃん。確か朝ごはん食べてたよね……?」

 

「それがどうした。こんなものはただのデザートだ。それより江ノ島」

 

「な、なに?」

 

彼がその巨体で迫ってきたから一歩下がってしまった。

 

「裁判員裁判についてわざわざ俺たちを心配して回ってるそうだな」

 

「え、なんで知ってるの?まだ田中君や罪木さん達と話したばかりなのに……」

 

「俺の情報収集及び分析能力を甘く見るな。

馬鹿騒ぎしている田中を見ればそれくらい察しが付く。

だが、これだけは覚えておけ。お前がこの俺の心配をするなど、100年早い!

ジャバウォック島で俺が万引きGメンをしていたことを忘れたか?

強靭で高潔な精神を持つ俺が、自分の判断が招いた結果にクヨクヨするなどあり得ん」

 

「そう……。あなたは、強いのね。羨ましいわ」

 

「今更当たり前のことを言うな。それともう一つ!」

 

菓子パンを食べ終えた右手の人差し指でアタシを指差す。

 

「G-five製造の真犯人を追うらしいな。本格的な捜査を開始するときは俺を頼れ。

俺の明晰な頭脳なくして犯人逮捕は不可能だ」

 

「ありがとう。頼りにさせてもらうわ」

 

「ふん、もう行け。俺はともかく他の連中にはお前が必要だろう」

 

「ええ。また時間が合えば食堂でご一緒したいわね」

 

思いがけず出会った十神君と別れて、また廊下を歩き始める。

今度は地下階に行ってみましょう。

 

「うえ…。おねぇ、もしかしてあそこに行くの?」

 

「ええ。きっと彼女はいつものところにいるだろうから」

 

明らかに乗り気でない日寄子ちゃんと一緒に階段を下りていく。

 

 

 

 

 

♪♫♬♫♪♬♪♫~!!

 

《ストップ、ストップだよ澪田さん!

モニターを見て。さっきから周波数が危険ラインを超えっぱなしだよ!?》

 

「いいんすよ!誰かに聴かせるわけじゃないんすから!」

 

《私が聴いてるってこと忘れてないかな?》

 

「失礼するわね」

 

防音室の扉を開けると、一瞬部屋から漏れ出た彼女の歌を食らってしまった。

こめかみに一撃を受けたような衝撃でふらつきそうになったけど、

澪田さんがアタシに気づいてすぐ演奏をやめてくれたから助かった。

 

「盾子ちゃんっすか。

えーっと、唯吹これからオリジナルソング100曲メドレーに突入するから、

逃げたほうが懸命す……」

 

「そんな無茶したら喉を痛めるわ。

歌の前に、少しだけお話しに付き合ってくれないかしら」

 

「おねぇ、もう耳栓やめてもいい?」

 

「ハハ…日寄子ちゃんひでーっす。

まぁ、ガールズトークも気分を変えるには悪くないっすよね。

ふむむ、一体何を話したものか」

 

100曲メドレー。気分を変える。澪田さんも吹っ切りたい何かがあるみたい。

立てかけてあったパイプ椅子を広げて腰掛ける。

 

「話すと言っても、大した用事があるわけじゃないの。

なんだか急にみんなの顔が見たくなって」

 

「ちょい待ち!」

 

彼女の心持ちをどう探ろうか考えていたら、澪田さんの方から待ったが掛かった。

 

「……大体のこと、千秋ちゃんから聞いてるっす。

盾子ちゃんがこの前の裁判で落ち込んでたってこと。裁判員のことっすよね?」

 

《ごめんね、江ノ島さん。あの後江ノ島さんが荒れてたみたいだから、

澪田さんと新曲テストについて打ち合わせしているうちについ相談しちゃって……》

 

「いいの。今はもう腹をくくったから。うん、バレちゃってるなら仕方ないわよね。

実は辛くても無理に裁判員を続けようとしてる人がいたらやだな~、っていう

余計な心配をしにきたの。みんな、責任感が強いから」

 

「余計なんかじゃ、ないっすよ……」

 

少しうつむいて、澪田さんがため息のように言葉を吐いた。

 

「明るく楽しくをモットーに生きてる唯吹だって、やっぱりあれはキツいっす。

殺人罪って、絶対殺されなきゃいけない罪なんすかね?

特に二回目の人は、瓶の中身を知らずに利用されただけ。

そりゃ世界崩壊前の刑罰は甘すぎたっすけど、今度は問答無用で死刑って

両極端にも程がある……って、唯吹らしくないことを考えてしまうんすよ」

 

「あなたの考えは正しいわ。こんな悲劇は一日も早く終わらせなきゃいけない。

だからアタシは犯人を追うことにしたの」

 

「えっ、盾子ちゃんが?」

 

《私もそれは無茶だと思うよ!?手がかりだってほとんどないのに!》

 

「手がかりならこれから探す。

アタシには8人の江ノ島盾子がついてるし、彼女達が知恵を貸してくれるわ」

 

「わたしだって協力するよ!

つまり江ノ島おねぇが言いたいのは、無理すんな、自分の首締めんなってこと!」

 

「ありがとう日寄子ちゃん。アタシが言いたかったことはそれだけ。

説教臭くてごめんなさい。演奏の邪魔だったわね。これで失礼」

 

「う~ん、唯吹に出来ることと言えば……。難しいことはわかんねっす!

やっぱ歌うことだけが唯吹の全てっすね!

じゃあ頑張る盾子ちゃんのためにもう一回行くっすよ!

“電波時計買ったけど電波が届かない田舎だった”!」

 

《ストーップ!ふたりとも、早く行って!》

 

「おねぇ、逃げるよ!」

 

「はいはい、急ぎましょう」

 

避難が完了しないうちに澪田さんが演奏を始めようとしたから、

あわや大惨事になるところだった。

地下階から1階ロビーに上がり、一旦休憩を取ることにした。

日寄子ちゃんにジュースを買ってあげて、アタシはアイスコーヒーにすると、

ベンチに座って飲み始めた。

 

「けっこー回ったね。次はどうする?」

 

「弐大君と終里さんは外の学校で体育の授業があるから今はいないから……。

九頭龍君と辺古山さんはどんなお仕事してるか知ってる?」

 

「それも忘れちゃったの?戦刃おねぇと同じ体育館で警備兵に武道の授業してんじゃん」

 

あー、そうだったっけ。コツンと自分の頭を小突く。

 

「ごめん。まだところどころ肝心な記憶が抜けてるみたい。

今度は体育館に行きましょう。もう少し付き合ってくれる?」

 

「当たり前じゃん。今日のおねぇは話長めだからわたしが要約してやんよー」

 

「ふふ、ありがと」

 

 

 

 

 

天井の高い広大な空間に、

竹刀を打ち付ける音、ホイッスルを吹く音、九頭龍君達の指導の声が響く。

体育館を訪れると、訓練に明け暮れる警備兵の熱気が伝わってくる。

皆の様子を少し眺めてみる。警棒を使った格闘術を教えている九頭龍君。

 

「3番、お願いします!」

 

「よっしゃ、来いオラァ!」

 

「うおお!」

 

「あンだそのへっぴり腰はァ!踏み込みが足りねえつってンだろうが!」

 

辺古山さんは中央の四角いスペースで剣道を指導している。

 

「始め!」

 

「やあっ!」

 

「ふん!」

 

受講生の放った一撃を瞬時に弾き、小手に竹刀を命中させた。

 

「一本!」

 

「お前は面を狙いすぎだ。一撃必殺も結構だが、慎重に相手の隙を見計らえ。

攻撃と防御のバランスが重要だ」

 

「わかりました!」

 

そして、お姉ちゃんは逮捕術と殺人術の授業。うん、さすがにこれは覚えてる。

 

「その銃を私に向けたまま。奪われないように」

 

「はい!」

 

受講生がお姉ちゃんにモデルガンを突きつけてる。両者静かに見つめ合う。

実戦ならお姉ちゃんは絶体絶命だけど。いえ、実戦“でも”と言ったほうが適切かしら。

3、2、1。

 

「ふっ!」

 

同じ“超高校級の軍人”だから見えたけど、

お姉ちゃんの両手が相手の反応速度を上回る速さで銃と手首に襲いかかり、

一瞬にして銃を奪い取った。

あっという間に立場が逆転し、相手も何をされたのかわからない様子。

 

「えっ……?」

 

「皆にもこれを覚えてもらう。銃を突きつけられても最後まで諦めないこと。

あとは……」

 

不意にお姉ちゃんと目が合った。するとお姉ちゃんはパンと手を叩いて呼びかけた。

 

「休憩に入る。解散」

 

“はい!!”

 

 

 

アタシ達は体育館の中央でお姉ちゃん達と合流して床に座り、

十四支部をうろついている今日の目的を説明した。

話し終えた途端に九頭龍君の機嫌が悪くなる。

 

「そんでェ?オレ達が裁判員になったことで傷ついてるだろうから

お見舞いに来てくださったってことか?……ドアホ!」

 

「ちょっとー!ドアホはないじゃん!江ノ島おねぇが心配してくれたのにさー!」

 

「ううん。ごめんなさい、仕事中だったから後にしようと思ったんだけど……」

 

「んなことじゃねえよ!

オレとペコがあれしきのことで凹んでると思ったことに腹立ててんだっつーの!」

 

「組長。確かに私は平気ですが、彼女の意向も聞かなければ……」

 

面を取った辺古山さんがちらりとお姉ちゃんを見る。

ジャージ姿のまま体育座りをしているお姉ちゃんはアタシと目を合わせず、

床に貼られたテープのラインに視線を合わせている。

九頭龍君がボリボリと頭をかいて辺古山さんに続いた。

 

「まー確かに、全員が全員オレ達みたいにタフなわけじゃねえからな。

特に田中のヤローは幽霊みたいになってたし、何にもフォローなしで裁判員続けてたら、

いずれ誰かぶっ倒れてたかもしれねえ。……戦刃、お前はそこんとこどう思う」

 

そこでお姉ちゃんが初めて顔を上げて、寂しげにアタシに言った。

 

「私、盾子ちゃんが一緒なら裁判員を続けることは嫌じゃないよ。

だけど、真犯人を追うなんて危険なことは、してほしくないな……」

 

「わかって、お姉ちゃん。

G-fiveを作ってる奴を止めなきゃ、連続毒殺事件は終わらない。

きっと犯人は自分のしていることを正しいことだと思い込んでる。

たとえこれ以上後がない人や何もわからない人を踏み台にしていようと。

じっと手をこまねいているうちに新しい犠牲者が出て、同じことの繰り返し」

 

「だけど、警察や未来機関にだって足取りがつかめないんだよ?

盾子ちゃんひとりじゃ無理だよ……」

 

「アタシの中には8人のアタシがいるし、

この話をしたら協力してくれる人も見つかった。

できるとしたら、被告や証拠品を間近で見てきたアタシしかいないと思うの」

 

お姉ちゃんは自分の脚を抱く腕に更に力を入れてつぶやいた。

 

「なんだか、また盾子ちゃんが遠くに行っちゃうような気がする」

 

「心配しないで。絶対無茶はしないから」

 

アタシはお姉ちゃんの手に触れながら約束する。

それを見ていた九頭龍君が難しい顔をして尋ねてきた。

 

「この件についてよォ、日向は何て言ってんだ?」

 

「まだ打ち明けてない」

 

「なら、晩飯の時にでもナシつけるんだな。今夜は久しぶりに全員集合だ。

タブレットで連絡しとけよ」

 

「わかったわ」

 

「盾子ちゃん」

 

「なあに?」

 

「もう、どこにも行かないでね?」

 

「お姉ちゃんは心配性ね。どこにも行きようがないじゃない。

……あら、すっかり話し込んじゃったわね。また、今夜」

 

「うん……」

 

ぞろぞろと受講生達が戻ってきたから、アタシ達は失礼した。

体育館を去ると適当なベンチに腰掛けて、

ベルトのホルスターに入れていたタブレットを取り出し、

今晩食堂に集まってくれるよう、皆にメールを送った。

 

「最後に全員で晩ごはん食べたのっていつだっけ。またうるせーんだろうな~」

 

「うふふ、そうね」

 

ジャバウォック島での思い出が蘇る。

日向君や今日はまだ会えてない弐大君と終里さんがわかってくれるといいんだけど。

 

 

 

 

 

「危険すぎる!賛成できない!」

 

わかってくれなかったわ。

花村君のまかないの時間に合わせて夕食会のセッティングをして、

全員集まってくれたのはいいけど、

日向君はアタシのやろうとしていることには同意してくれなかった。

 

「お前さんがそんなことを考えとったとはのう……。

確かに犯人を野放しにできんという江ノ島の言い分はわかる。

じゃが、日向の言う通り危険行為には違いない。

大体、霧切支部長はこの事を知っとるのか?」

 

「あいつは関係ないわよ。

むしろ昨日は勝手に犯人について事情聴取のスケジュールをぶちこんで来たんだから、

自主的な捜査の邪魔をされるいわれはないわ」

 

「そんで昨日は遅くまで出かけてたのかー。オレには難しいことはよくわかんね。

危ないっていうなら、危なくない範囲でやりゃいいんじゃねえの?」

 

学校の授業や部活を終えて帰ってきた弐大君と終里さんの反応はまちまち。

 

「日向おにぃはそれでいいの?

犯人の野郎を捕まえられるのは江ノ島おねぇしかいないのに!」

 

「敵の規模も正体もわかっていないのに、闇雲に探し回ってどうなるんだ。

いくら江ノ島が万能でも、見えない凶器を使ってくる人殺しを相手にするのは、

やっぱり危険だ!」

 

「あのよー。日向も西園寺も落ち着けって。終里の言ってたことはテキトーだと思うが、

案外的を射てるとも思うぜ。危なくない範囲なら捜査を認めてもいいんじゃねえのか?」

 

「そうです。

わたくし、江ノ島さんが事情聴取を受けていたことなんて、今はじめて知りました。

知らない間に彼女だけに負担を強いるよりも、

全員で協力して犯人追跡に当たる方が、よほど現実的だと思うんです。

なにより……。寂しいじゃありませんか」

 

仕事上がりの左右田君とソニアさんは賛成してくれた。

 

「フッ、俺は既に翼をもがれた堕天使と契約をしてしまった。

輪廻の果てまで命運を共にするまで」

 

「だから“フ”はいらねーっての」

 

「唯吹としてはー。音楽以外のことはからっきしなもんでー。

赤音ちゃんと同じくごちゃごちゃしたことはわかんないっすから、

盾子ちゃんさえ指示してくれれば何でも手伝うっす!」

 

「ぼくは基本的に休みの日以外ここを離れられないから、みんなに任せるしかないかな」

 

「なんか証拠写真とか見つかったらアタシに見せて。

これでも写真家だから被写体の分析は得意」

 

「あの、あの、私は治療しかできませんから、もし怪我したら言っていただけると……。

あ、皆さんが怪我するのを期待してるわけじゃないです、ごめんなさーい!」

 

「とりあえず犯人の潜伏先が見つかったら教えろや。

オレとペコでカチコミ掛けるからよォ」

 

「待て、お前達!本当にそれでいいのか?取り返しのつかないことになったら……」

 

──喧しい!!

 

その時、誰かが机を殴って立ち上がった。そして高らかに宣言。

 

「お前ら、この十神白夜を差し置いて何を好き勝手言っている。恥を知れ!

G-five製造犯の捜査については俺が指揮を執る!

各々は江ノ島の指示に従い、各々の能力を活かし、確実に犯人を検挙しろ!以上だ!」

 

十神君が指示とも言えない指示を出して着席した。しばらくみんなポカーンとなる。

頭を抱える日向君。

 

「絶対……。絶対誰も犠牲になるな。俺からはもう、これしか言えない……」

 

「十神君、日向君、みんな。ありがとう、アタシのわがままを聞いてくれて」

 

「もう久美子さんや喜男さんのような悲しい人を出してはいけませんから。

これはわたくし達全員の思いです」

 

「ソニアの言うとおりだ。

オレも暇を見つけて生体探知機とか使えそうなガジェット作っとく」

 

「本当に、ありがとうね、みんな……!」

 

「わかればいい。さあ、花村。明日からの活動に備えて、追加の肉を持って来い」

 

「えっ、もう食べちゃったの!?食材余ってるかなぁ……」

 

とぼとぼと調理場へ向かう花村君を見て、彼には悪いけどみんな笑っちゃった。

みんな一緒。やっぱり、いいものね。

 

 

 

 

 

翌日。アタシはタブレットを起動して、ポータルサイトにアクセスした。

ニュースの見出し一覧に、“福祉施設殺人事件の死刑執行”の文字。

URLをクリックすると、

 

《本日、4月2日にいそかぜ障害者作業所で発生した殺人事件の被告、

中村喜男(25)の死刑が執行された》

 

それだけ。

 

彼が重度の知的障害を負っていたことや、謎の女から毒を渡されたこと、

そして喜男さんが被害者とされる施設長から凄惨な暴行を受けていたことは

一切記されていなかった。

アタシはタブレットを抱きしめて自分に言い聞かせるように口にした。

 

「必ず、必ず止めてみせるから」

 

 



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第9章 ジョニーは戦場へ行った

喜男さんの死刑が執行されてから一週間が過ぎた。

なんとも思っちゃいないと言えば嘘になるけど、落ち込んでる暇はない。

久美子さんと喜男さんに約束したから。絶対にG-fiveを広めている犯人を捕まえるって。

もう朝ね。ずっと布団の中に居たい誘惑を振り切ってベッドから抜け出す。

 

歯磨きや洗顔を済ませたら、覚めきっていない意識を引きずりながら着替えを始めた。

パジャマを脱いでブラジャーを着け、ホックを留める。

すっかり慣れた作業だけど、まだ引きこもりから江ノ島盾子になりたてだったころは、

毎朝これに苦労させられたものよ。

 

なんとなく昔の思い出に浸る。

変ね。もう向こうの世界に居た自分のことは殆ど思い出せないのに。

まぁ、今の自分でさえ過去1年間の記憶が曖昧なんだけど。

しばらく酒は飲んでないけど、抜け落ちた記憶はさっぱり戻る気配がない。

 

考えてもしかないことを考えることをやめた。

アタシはアタシ。もう引きこもりでも超高校級のギャルでもない。

いつものブラウスとグリーンのロングスカートの地味な格好に変身すると、

姿見で身なりを確認。

 

うん、いつもどおり。いつもどおりということは、

派手な金髪以外は取り立てて特徴のないただの女であるということ。

順調に江ノ島盾子から竹内舞子に存在を変えつつある。

 

たとえ形はどうあろうと、江ノ島盾子が人々の記憶から消え去ることで、

皆は本当の意味で人類史上最大最悪の絶望的事件が残した傷跡から

飛び立つことが出来る。

もう江ノ島としてのアイデンティティがどうのとか言ってる場合じゃないしね。

 

そろそろ朝食にしましょうか。でもその前に。

アタシはテーブルに置いておいたタブレットを手に取り、電源を入れた。

起動が終わるとLoveLove.exeのアイコンをダブルタップ。

緑がかった背景のウィンドウが開いた。

まず、その中に住む仲間に朝の挨拶をしようとしたんだけど……。

 

「七海さん、おはよ…」

 

《ちょっと江ノ島さん!これってどういうことなのかな!?》

 

挨拶は珍しくほっぺを膨らませてぷんすか怒る七海さんに遮られた。

 

「どうしたの?」

 

《どうしたのじゃないよ、これ見て。ディスプレイが散らかりっぱなしだよ?

私の生活スペースでもあるんだから少しは整理してほしいな……》

 

「えっ?……あ」

 

七海さんが小窓になってディスプレイの大部分を見せた。

言われてみれば、Wordファイルやテキストファイルが

もうすぐ1画面をオーバーする寸前まで散らばってる。

 

「やだ、ごめんなさい!すぐ片付けるわ」

 

慌てて新しいフォルダーを作り、手当たり次第に用のないファイルを放り込む。

ファイルを複数範囲選択、フォルダーにドラッグアンドドロップ。

これを3回ほど繰り返し、ついでに細々した要らないアプリも

フォルダーにひとまとめにすると、

ようやく壁紙の草原がよく見えるきれいなディスプレイになった。

 

「ふぅ、いつの間にこんなに増えたのかしら。ごめんなさいね」

 

《ありがとう。これで快適に動作できるよ。日記でもつけてるの?

もちろん中身は見てないけど》

 

「よくわかんない。後でチェックしてみる。

お腹空いちゃったから先に朝ごはん食べてくるわ。じゃあね」

 

《いってらっしゃい》

 

アタシはタブレットをシャットダウンすると、

自室を出てドアをロックし食堂に向かった。

犯人探しも結構だけど、自分の記憶もなんとかしなくちゃね。反省しつつ階段を下りる。

 

 

 

 

 

混雑の中で食べる食事は落ち着かないから、

いつも朝食は早めに起きて早めに取ることにしてる。

だから食堂にいる人はまばらだった。でも、毎日待っていてくれる人がいる。

厨房係の花村君と……

 

「江ノ島おねぇー、こっちだよ」

 

手を振る日寄子ちゃん。アタシに合わせて早起きしてくれてるの。

 

「おはよう、日寄子ちゃん。ちょっと待っててね」

 

カウンターに立つと、花村君にも挨拶。

 

「花村君おはよう。いつものAセットで」

 

「おはよう江ノ島さん!もう来るんじゃないかと思って用意しといたよ」

 

「ありがとう。……わぁ、できたてでホカホカ」

 

「そろそろ新しくCセットもラインナップに加えようかと思うんだよね!

ずっとABの2つじゃみんな飽きちゃうだろうし」

 

「飽きるだなんて贅沢な悩みよ。毎日、元超高校級の料理人の朝食が食べられるのに。

5年以上食べてるアタシが言うんだから間違いない。

あなたの料理は同じメニューでも不思議と飽きが来ないのよ」

 

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、

ぼくとしては新しい可能性にチャレンジしたいんだよね。

和洋中どれかリクエストある?」

 

「Aが洋で、Bが和だから……。Cは軽めの中華にしてみたらどうかしら。

お野菜たっぷりのクッパとかね」

 

「なるほどー!参考にさせてもらうよ。

あ、引き止めてごめんよ。ご飯が冷めちゃうよね」

 

「こっちこそ忙しいのに話し込んじゃってごめんなさい。それじゃ」

 

アタシはセルフサービスの牛乳瓶を取って、

食事の乗ったトレーを持って日寄子ちゃんの隣に座る。

 

「ごめんね、すっかり待たせちゃったわね。食べましょうか」

 

「いーけどさあ、また花村おにぃに変なこと言われなかった?

小泉おねぇの監視がないからちょっと心配だった」

 

「大丈夫よ。“今日は”真面目な話だったから。いただきまーす」

 

「ならいいけど。いただきます」

 

ふわふわのスクランブルエッグをフォークですくって口に運ぶ。

うん、やっぱり美味しい。

日寄子ちゃんもバターを塗ったトーストを一口。

 

“わしは作ったる!日本で、初めての、国産ウィスキーを!”

 

食堂の天井隅に設置された大型液晶テレビが連続ドラマの再放送を流している。

人類史上最大最悪の絶望的事件の影響で

未だにテレビ局も大掛かりなロケを行うだけの予算も人手も足りなくて、

番組もたまたま無事だったテープの再放送が多い。

役者の台詞をBGMに日寄子ちゃんと語り合う。

 

「おねぇ、今日は予定ないのー?」

 

「いつもどおり、なーんにも。

例の事件の捜査をしようにも、アテがあるわけでもないし。

必ず連続毒殺事件の犯人を捕まえてやるー、なんて意気込んではみたけど、

手がかりがないのよね」

 

「女だって事以外なんにもわかってないんだよね。

地球人口半分のうちのどっちかだってわかったことは大きな進歩だけどさ」

 

「もう半分が関わってないって保証もないわよ。

それが問題を余計ややこしくしてるの。はぁ」

 

「ため息ついたら幸せが逃げるよ。もっとも、わたしはそんな迷信信じちゃいないけど。

……そうだ!今日はわたしもオフなんだ~。一緒に外行こうよ!」

 

「外へ?」

 

「うん。このビルの中で考え込んでたって犯人像が浮かび上がるわけじゃないんだし。

だったら気分転換も兼ねて足で情報稼ごうよ」

 

「……そうね。日寄子ちゃんの言う通りかもしれない。

じっとしてたって始まらないものね」

 

「やったー、決まり!おねぇとデートだ~」

 

「デートて。まぁ、とりあえずご飯食べちゃいましょう」

 

それからアタシ達はちょっと冷めちゃったモーニングプレートでお腹を満たし、

トレーを返却口に返す。

 

「ごちそうさま。アタシ達ちょっと出かけてくるわ」

 

「お粗末様!出かけるって、とうとう始めるの?」

 

「そーだよー!警察が頼りにならないから、わたし達で大捜査を開始すんの」

 

「日向君も言ってたけど、危ないことはしないでね!」

 

「ええ。無理のない範囲で頑張るわ」

 

「じゃあ、行こっか」

 

「その前に、一旦部屋に戻ってもいいかしら。タブレット置いてきちゃった。

緊急時の連絡に必要になるから」

 

「わかった。エントランスで落ち合おうね」

 

「すぐ行くから、ちょっと待ってて」

 

アタシは階段を駆け上がり、自室に戻る。

掌紋・IDカード・タブレット認識型の認証装置に手を置くと

自動でアタシの手を読み取り、ドアが開く。

テーブルのタブレットをベルトのホルスター型ケースに差し込むと廊下に逆戻り。

日寄子ちゃんが待ってる。急いでエントランスに向かう。

広い1階に着くと、彼女が外出申請を提出したところだった。

 

「これお願いしまーす」

 

「はい、問題ありません」

 

「お待たせ、日寄子ちゃん」

 

「ううん。おねぇも申請済ませなよ」

 

「わかった」

 

アタシも受付で外出申請用紙に記入し、局員に手渡した。

 

「これ、お願いね」

 

「承りました」

 

そして、アタシは放浪生活から戻って以来、

初めて自分の意思でこの第十四支部のビルから外に出た。

自動ドアが開くと同時に吹き付ける風が気持ちいい。

日寄子ちゃんと一緒に、車も行き来する敷地内を縫う横断歩道を渡りながら歩道に出た。

思わず辺りを見回す。

外で見る昼の街並みは、自室の中から覗く景色とはまた違って見える。

 

「おねぇ、どこ行こうか」

 

ああ、のんびり見物してる場合じゃないわね。

事件解決につながる手がかりを探すのが目的なんだから。

 

「まずは、久美子さんの住んでいたアパートを見に行きましょう。

法廷記録に住所が残ってる」

 

「わたし達が裁判員になった最初の事件だったよね……」

 

「そう。今更何か見つかる可能性は低いけど、

現場を見ておくだけでも意味はあると思うから」

 

アタシはタブレットのGPSアプリを起動し、目的地を設定。

徒歩での最短ルートが表示された。予測所要時間はおよそ30分。

そして彼女が暮らしていたアパートへ歩き出す。

十四支部の周りにはレストランや小規模デパート、銀行等が立ち並んでいたけど、

しばらく歩くとすぐに景色は寂しいものになる。

 

主要地域以外には、まだ復興の手が及んでいないと知ってはいたけど、

ここまで極端に変わるとは思っていなかった。

一軒家には空き家が多い。空き巣や強盗に狙われやすいせいだと聞いてる。

他には急ごしらえの団地。こちらも同じ理由で低層階には人が入りにくいらしい。

 

あちこちひび割れたアスファルトから雑草が飛び出している。

ゴツゴツした道路を日寄子ちゃんと手をつなぎながら歩く。会話はない。

日本のスラム街と言ってもいいこの空間には、

人からポジティブな感情を奪う何かがある。

 

少し汗ばむほど歩いたところで到着。

徒歩で出向くには少々遠いところに、そのアパートはあった。

明らかに昭和時代に立てられた2階建て。

塗装の剥げた階段は錆びきっていて、いつ段差を踏み抜いてしまってもおかしくない。

 

「ここよ」

 

「うん……」

 

久美子さんとご主人が人生の大半を過ごし、そして終わりを迎えた古い木造アパート。

誰か住んでいるんだろうけど、人の気配が全く無い。

悲しいほど静かなその場所で、アタシ達はしばらく立ち尽くしていた。

 

「なにか、あるかなぁ」

 

「誰か、事情を知ってるかもしれない。訪ねてみましょう」

 

思い切ってアパートの敷地に入る。

1階の一室には、まだ“吉崎”という名前が残っていた。

とりあえず右端の部屋から呼び鈴を押して見る。一つ目は留守だった。

二つ目も反応がなかったけど、メーターが回っている。

居留守を使われているようだから諦めて三つ目を押した。

すると中から足音が近づいてきた。やっと住人から話が聞けそう。

玄関ドアの向こうから無愛想な男性の声が返ってきた。

 

“……誰だ”

 

「突然すみません。あの、アタシは吉崎さんの知り合いなんですが、少し話を……」

 

“帰ってくれ”

 

「少しでいいんです。事件当日に見慣れない人や車は……」

 

“帰れと言ってるんだ!”

 

「どうしても知りたいんです。あの人が犯行に至った経緯が」

 

“うるさい!いい加減にしろ!警察を呼ぶぞ!”

 

「……わかりました。お忙しいところすみませんでした」

 

けんもほろろの態度に引き下がるしかなかった。

その後、2階の部屋にも聞き込みをしたけど、

留守かさっきの部屋の住人のように口をつぐむだけだった。

久美子さんの事件には関わりたくないらしい。

アタシ達はアパートから立ち去るしかなかった。

 

「……だめだったね」

 

「うん。次は喜男さんが勤めていた作業所ね」

 

「でも、いいのかな。法廷記録って本当は持ち出し禁止なんでしょ?

勝手に捜査に使っちゃって……」

 

「正直黒に近いグレーね。確かに法廷記録の情報でここに来たのは事実だけど、

アタシには超高校級の女神の他に謎の分析能力がある。

アパートの位置はニュース番組で映った現場周辺の映像で大体の場所はわかったし、

今から行く作業所は、小泉さんに見せてもらった週刊誌で

モザイク処理された施設の外観を分析したの。

画像加工のパターンを解析して元の写真を脳内で復元したってわけ。

だからアタシ達が頼ってる情報は法廷記録でもあり、自分で手に入れた情報でもある」

 

「そっか!狛枝おにぃを治したときのアレがあったよね」

 

「そういうこと。また少し歩くけど、頑張れる?」

 

「もっちろん!」

 

アタシは日寄子ちゃんに微笑むと、またGPSに目的地を入力。今度も結構歩くわね。

途中で休憩を挟みましょう。タクシーなんて使える身分じゃないし。

 

作業所もまた栄えているとは言えないエリアにある。一度大通りに戻ってそのまま東へ。

10分ほど歩くと、二人共疲れが出始めた。

ちょうどいいところに喫茶店があったから迷わず入る。

4人がけのテーブルに着くと、二人共“あ~っ”と息をついた。

 

「おねぇ、あとどれくらい?」

 

「20分ほど。お昼も近いからここで何か食べましょう」

 

メニューを眺めていると、店員さんがお冷とおしぼりを持ってきた。

 

「ご注文はお決まりでしょうか」

 

「わたし、オムライス」

 

「ええっと。アタシは……。アイスコーヒーで」

 

「えっ、何か食べないの?」

 

「あ、えーと。うん、あんまりお腹空いてないから」

 

ぐ~っ

 

そう答えると同時にお腹が鳴った。とんだ赤っ恥に思わず顔を伏せる。

 

「おねぇ……。もしかしてお金ないの?」

 

「1年ぶらついてた間に未来機関からの見舞金使っちゃったっていうか、

毎月のお小遣いが1万円しかないっていうか……。

本当に食欲ないから気にしないで?」

 

「見え見えの嘘ついてんじゃねーっての!もう、店員さん、オムライス2つね!」

 

「かしこまりました~」

 

「ごめん……」

 

その後届いたオムライスは、おいしかったけど、どこかしょっぱい味がした。

腹を満たして疲れも取れたアタシ達は、また作業所への道を歩き出す。

 

「日寄子ちゃん、ごちそうさま……」

 

「ウシシ、ジャバウォック島ではおねぇが億万長者だったのに、

立場って変わるもんなんだねぇ!」

 

「なんにも仕事してない手前、“小遣い値上げして”なんて

口が裂けても言えなくて……」

 

「気が向いたらおやつ買ってあげるよ~」

 

「ありがと……」

 

アタシは下がりきったテンションのまま、2回目の事件現場まで歩く羽目になった。

 

 

 

 

 

作業所の門にはまだ規制線が張られていた。中に入るのは無理みたい。

外から覗くと、広いガラス戸の向こうに喜男さんが働いていた小さな工場が見える。

年季の入った加工機械や作業台があるけど、これらが使われることはもうない。

 

「建物の向こうに喜男さんが立っていたわけだけど、ここからじゃ何も見えないわね」

 

「また近所の人に聞いてみようよ」

 

「そうね。ここで立ち止まってても仕方ないわ」

 

アタシ達は付近の家々を訪ねて回った。まず一軒目のインターホンを押す。

住人の女性が出てくれた。

 

“はい、どちら様ですか?”

 

「すみません、竹内という者ですが、隣の作業所で起きた事件についてお聞きしたくて」

 

“それはもう警察の方に全てお話しました”

 

「あの、当日に見慣れない女性を見かけませんでしたか?

会って話を聞きたいんですが……」

 

“知りません”

 

「それでしたら、作業所で普段から怒鳴り声や争うような様子は……」

 

“知りませんから!”

 

受話器を下ろす音と共に通話が切れてしまった。日寄子ちゃんを見て肩をすくめる。

あまり期待していなかったこともあって、さっさと2軒目に取り掛かる。

建売住宅のインターホンを押して話を聞こうとしたけど、

返事はやっぱり“知らない”“聞いたことがない”だけ。

作業所を囲むように建っている家は全部回ったけど、有力な情報は得られなかった。

 

「望み薄だったけど、ここまで何も出てこないとはね」

 

「ケチケチしないで情報出せっての!絶対何か気づいてるくせに!」

 

「文句を言っても始まらないわ。今日はここまでにしましょう」

 

「うん。わたし、足が棒になっちゃった」

 

日は既に傾いて、夕方になろうとしている。

アタシ達は暗くならないうちに帰ることにした。

 

 

 

 

 

「すっかり遅くなっちゃったね。わたしもうクタクタ~」

 

「そうね。少し早いけど、直接食堂に行って夕食にしましょうか」

 

十四支部に戻ったアタシ達は、

とにかくお腹を満たしたかったから、部屋に戻らずまっすぐ食堂に足を運んだ。

今夜は左右田君とソニアさん、十神君と同席できた。

 

「おいっす、お疲れ」

 

「左右田君もお疲れ様。もう仕事上がり?」

 

「まーな。ちょうどソニアも語学講習が終わったところでバッタリ会ったから一緒だ」

 

「江ノ島さんと西園寺さんも食事を受け取ったらどうぞこちらへ。

お二人とも、疲れが溜まってメロリンQのようですね」

 

「さっさと飯を選んで席につけ。俺に報告することがあるだろう」

 

「急かさないでよ豚足ちゃん。えーっと、“どんぶりフェア開催中”だって。

おねぇどれにする?」

 

「そうねぇ……。アタシ少食だから、うな丼は重いかも。

ミニ親子丼とミニうどんセットにするわ」

 

「じゃあわたしもそれにするー!どうせうな丼はナマズか穴子の偽物だし」

 

「軟弱者め。うな丼、カツ丼、親子丼、全て大盛りで食べてこその栄養補給だろう」

 

「オメーが食い過ぎなんだよ。ちょっとはダイエットしろっつの」

 

「正気か?わざわざ自らを苦しめて、

この体型を手に入れるために費やした時間と金を無にしろと、そう言うのか!」

 

「飯がお前の生き甲斐だってことは知ってるけどよー。

程々にしとかねえと、生活習慣病でどうかなっても知らねーぞ?」

 

「本望だ。コーラばかり飲んでいるお前に言われたくはない」

 

「まあまあ、お食事の席ですから落ち着いて……」

 

苦笑いしながらみんなのやり取りを聞きつつ、

アタシと日寄子ちゃんはカウンターで親子丼セットを受け取ると、

ソニアさん達のいるテーブルに着いた。

 

「待たせちゃってごめんなさい」

 

「お気になさらず。わたくしも江ノ島さん達とご一緒したかったので」

 

「えへへ、わたしもソニアおねぇと食べられてラッキーだよ。いただきまーす」

 

そして、アタシたちも夕食を開始。まずはうどんのスープを一口飲む。

舌を温めてから親子丼をレンゲですくい、口に運んだ。美味しい。

少しご飯を胃に送ると、みんなに捜査活動の報告をした。

特に十神君が待ちきれない様子だったから。

 

「あのね、今日は例の事件の現場に行ってきたの」

 

「ご苦労。詳しく説明しろ」

 

「付近の人達に事件当時、気づいたことはないか聞いてみたんだけど、

誰も何も答えてくれなかった」

 

「そーなんだよ!次の犠牲者は自分かもしれないのに、家に閉じこもっちゃってさ!」

 

「俗物の公共心など所詮その程度だ。他には?」

 

「これは偶然かもしれないんだけど、2つの事件現場は両方共、なんていうか……。

あまり開発が進んでない感じのところだった。時代に取り残されてるような」

 

「結論を出すのは早計だが、俺には単なる偶然とは思えん。

わざわざ貧しい連中が集まる場所を選んだのには、何か理由があるはずだ」

 

「そうなの。この前事情聴取を受けたときに仮説を立てたんだけど、

犯人は生活が行き詰まってどうにもならない人や、抵抗する術を持たない人を

間違った方法で救おうとしてるんじゃないかって。G-fiveを使った自殺や他殺でね」

 

食事時の話題じゃないのはわかってるけど、情報共有は速やかにしなきゃ。

連続毒殺事件はみんなで解決するって約束だから。

 

「だとしたら犯人はとんでもなくヤベー奴なんじゃねえか?絶対イカれてるって」

 

「誰かに後をつけられはしませんでしたか?

やっぱりわたくしお二人が心配になってきました……」

 

「大丈夫よ。超高校級の軍人でもあるから、自分の身は守れるわ」

 

「なら、いいのですが……」

 

「今更何を言っている。俺も江ノ島も退く気はない。必ず俺達が犯人を追い詰める」

 

その時、TVモニターからアナウンサーの声が聞こえてきた。

 

“こんばんは。6時のニュースです。

本日、台東区の住宅から銃声のような音が響き、近隣住民が武装警察隊に通報。

駆けつけた警察官が住人に事情を聞くためインターホンを押したところ応答がなく、

ドアを破って突入したところ、居間で住人と見られる男性一人の遺体が見つかりました。

遺体に外傷はなく、警察は連続不審死との関連も視野に入れ、

死亡した住人の身元の確認を急いでいます”

 

淡々と今日の出来事を告げるアナウンサーは、さっさと次のニュースに移った。

だけどアタシ達の間に嫌な予感が走る。外傷なし、連続不審死との関連性。

またG-fiveの犠牲者が出たことは想像に難くなかった。

 

「全員、覚悟はしておけ」

 

十神君の一言で、皆の間に沈黙が下りた。

 

 

 

 

 

後日、予想通りアタシ達はこうして霧切響子に大会議室に集められた。

これで出廷前のブリーフィングは3回目。

霧切が話を切り出し、皆が緊張した面持ちで聞き入る。

 

「日向君から全員の裁判員継続の意思を確認したわ。

裁判所にはそう伝えておくけど、本当にいいのね?」

 

「……全然平気ってわけじゃないっすけど、

唯吹は盾子ちゃんと一緒に頑張るって決めたっす」

 

「おうよ。自分の手ェ汚さねえで人に殺しの身代わりさせてる

ふざけた野郎をぶっ潰すまで止める気はねえ」

 

「三度目の正直と人は言う。次こそ組長と共に真相を解明してみせよう」

 

「案ずるな!俺様と魔獣フェンリルが完全復活を遂げた今!

真実の扉を閉ざす如何なる不可思議も我が左腕の前には無意味!

破滅を抱きし我が左、零を司る俺の右、そして貪欲なる我が下僕!

三位一体が成されし時、因果の鎖は解き放たれる!これぞ、田中キングダム!」

 

「あー、はいはい。日寄子ちゃんも盾子ちゃんもごめんね?

この前2人だけで捜査に行ってくれたんだっけ。

アタシもついていければよかったんだけど」

 

「仕事が忙しいんだから仕方ないわ。だったらいつも暇してるアタシが行くのは当然。

貴重な休日に付き合ってくれた日寄子ちゃんを労ってあげて?」

 

「……そうだね。日寄子ちゃん。ありがとう、今度はアタシも連れてってね」

 

「もちろん!小泉おねぇも加われば怖いもんなしだよ!他の連中はアテにならねーし」

 

「そろそろ始めてもいい?これが今回の事件の概要よ」

 

霧切響子が特別製のタブレットを操作すると、全員のタブレットが振動を始めた。

サイズ大きめのpdfファイルが届き、皆が熟読を始める。

最初に読み終えた日向君が難しい顔をする。

 

「これが今回の事件か……。

遺体の状況からして、今回もG-fiveが使われたと考えて間違いなさそうだ」

 

「フン、だから俺達に再び裁判員として出廷の依頼が来たのだろう。

容疑者と真犯人には必ず何らかの接点がある。今度の裁判で必ずそれを引きずり出す」

 

「うむ。十神の言う通り、

この事件は停滞している連続毒殺事件解決のチャンスと捉えることもできる。

皆、心してかかれい」

 

「日程は資料に記載されている通りよ。また集合は午前9時。遅れないでね」

 

霧切響子の念押しでブリーフィングが終わった。

皆、三々五々各自の持ち場へ帰っていく。

他にすることがないアタシもタブレットを持って自室へ向かったけど、

途中、複雑な顔をしたお姉ちゃんに呼び止められる。

 

「ねえ、盾子ちゃん」

 

「どうしたの?お姉ちゃん」

 

「この前、一緒に行けなくてごめんね?」

 

「仕事があったんだからしょうがないじゃない。

アタシだって子供じゃないんだから大丈夫だって」

 

「それはわかってるけど……。次は声をかけてくれると嬉しいな」

 

「都合がつくようならお願いするわ。約束」

 

「うん……。約束!」

 

お姉ちゃんの表情が明るくなる。支えてくれる人がいるっていいものね。

アタシの気持ちまでなんだか晴れやかになり、

その場でお姉ちゃんと別れて今度こそ自分の部屋に戻った。

 

 

 

そして。

読み取り機にタブレットをかざして中に入ると、心臓が跳ね上がるような思いをした。

留守の間、誰かの手で部屋中のありとあらゆる場所に

A4サイズの紙が貼り付けられていた。

その異様な光景にわずかな間、呼吸することすら忘れる。

どの紙にも同じ言葉が書かれていた。

 

──ここは私の部屋

 

 



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第10章 被告人:森本挟持(前編)

東京高裁に向かうバスに揺られながら、アタシは窓際の席でガラスの外を眺めていた。

でも、流れる景色は目に入っていない。頭の中が先日の出来事でいっぱいだったから。

部屋中に貼られた「ここは私の部屋」。

誰の仕業かわからないけど、

オートロックの部屋に忍び込んで大量の落書きを貼り付ける。

こんなことができるのは、ドアのロックを解除できる霧切響子かアタシ自身だけ。

 

あの後急いで張り紙を剥がしたけど、なぜか霧切に相談する気になれなかった。

彼女はこんな無意味なことをするタイプじゃないし、

そうなると必然的にアタシが自分でやったという結論になる。

とうとうアタシの頭がおかしくなって、自分で部屋をめちゃくちゃにして、

その事実を忘れている。

それを認めるのが怖かったから、誰にも言い出せずになかったことにしてしまった。

 

早く忘れよう。もうすぐ裁判が始まるんだから。

だけど不安と焦りを心から追い出せず鼓動が早まる。

その時、ふと肘掛けに乗せていた手を軽く握られた。隣に座っているお姉ちゃん。

 

「盾子ちゃん。何か心配なの?手が汗でびっしょり」

 

「う、ううん。なんでもないの」

 

「嘘。顔色悪いよ。私じゃ力になれない?」

 

「……そうじゃない。でも何ていうか、気持ちの整理がついてないの。

細々したことがごちゃついてて、うまく言葉にできない」

 

「この前外出したことと関係ある?」

 

「それもわからない。

今すぐには無理だけど、心が落ち着いたら話すから、ちょっと時間をちょうだい」

 

「そう……。何か力になれることがあったら、すぐに言ってね。いつでも待ってるから」

 

「うん、ありがとう。約束する」

 

綺麗な黒髪を揺らして小さなそばかすが散った顔でアタシを心配するお姉ちゃん。

言葉を交わして少し気が紛れたおかげで、姉に微笑むことができた。

そう、今は裁判に集中しないと。

 

 

 

 

 

東京高裁の駐車場に到着すると、アタシ達は

乗降口から建物にかけて目隠しのブルーシートが張られるのを待ってバスから降りた。

G-five製造犯の存在も裁判員裁判の日時も機密事項のはずなのに、

週刊誌の記者達が別のビルから張り込んでいる。

人の口に戸は立てられないってことかしら。

それ以外は前回までと変わりなく一旦控室に通される。

 

ここの雰囲気にはどうしても慣れない。

夏も近いのに、ねずみ色の塗料で染め上げられた無機質な壁が

不快な冷たさを背中に走らせる。皆の口数が少ないのもこのせいだと思う。

開廷までにもう一度事件概要をチェックしておかなきゃ。

ソファに座りタブレットを立ち上げ、LoveLove.exeを起動する。

 

「七海さん、今裁判所に着いたわ。事件概要をお願いできるかしら?

もうすぐ裁判が始まるから、頭の中を整理したいの」

 

《うん。ちょっと待ってね》

 

彼女がディスプレイにリンク付きの資料を開いてくれた。

リンクをマウスオーバーすれば証拠品のサムネイル画像が表示されるようになってる。

 

 

○東京高等裁判所令和元年(の)第192号

 

容疑者:森本挟持(36)

 

容疑:殺人

 

事件概要:

7月4日、午後7時頃。被害者の堀田俊(ほった・しゅん42歳)宅から

銃声のような音が鳴り、付近住民から複数の通報があった。

武装警察隊が被害者宅を訪問した所、返事がないため玄関ドアを破り屋内を調査した所、

リビングで倒れる被害者を発見。その場で死亡が確認され、事件が発覚した。

争った形跡はなく、金品も奪われずそのままだった。

 

容疑者、森本挟持(もりもと・きょうじ36歳)の犯行を直接示す証拠はないものの、

被害者のそばに容疑者の名で登録されていたショットガンが発見されたため、

任意同行を求めた上、逮捕に至る。

容疑者の供述によると、事件当時は被害者宅隣の自宅でテレビを見ており、

殺害現場は目撃していないと関与を否定している。

 

被害者の死因:

不明。外傷及び毒物は発見できず。G-fiveによる中毒死が疑われる。

 

事件現場:

被害者宅(2階建て)と容疑者宅は生け垣を挟んで隣接しており、

両方に生け垣に向けてスライド式のベランダドアがある。

また2つの家屋には銃を保管するガンロッカーが設置されており、

容疑者宅のロッカーには、ショットガンの模造品。

被害者の遺体のそばに凶器とみられる実物のショットガンが放置されていた。

自宅からは謎の脅迫状も見つかっている。

 

 

証拠品:

○G-five

謎の女が拡散している猛毒。

一切証拠が残らない凶器として様々な方法で標的を死亡させることができる。

 

○検死結果

外傷はなく死因は不明。G-fiveによる中毒死の疑いが濃厚。

 

○容疑者の特徴

森本挟持は“絶望の残党”との戦いで両脚を失っており、

車椅子での生活を余儀なくされている。一人暮らし。

 

○アリバイ

容疑者は事件当時、自宅でテレビを見ていた。それを証明できる人物はいない。

 

○容疑者と被害者の関係

容疑者はかつて絶望の残党と戦うレジスタンスで、被害者の部下だった。

自宅が隣同士ということもあり、戦後も付き合いがあった。

 

○ショットガン(本物)

オーソドックスなポンプアクション式ショットガン。森本の名で登録されている。

被害者の手から硝煙反応と銃に指紋が検出されており、堀田が撃ったことに間違いない。

 

○ショットガン(模造品)

発射機構が取り外された骨董品。免許がなくても所持が可能。

 

○猟銃・空気銃所持許可証

ショットガンや空気銃を所持するために必要な免許。

戦時中に大量発行された。森本のもの。

 

○12ゲージ弾の箱

ショットガン用の実包が10発入った新品の箱。

やはり森本のガンロッカーに保管されていた。

 

○ガンロッカー

銃をしまう保管庫。容疑者と被害者宅に設置されている。

森本宅のロッカーは工具でこじ開けられた跡があった。

 

○バール

森本宅の物置にあった工具。

 

○生け垣

2つの家を隔てる高さ2mほどの生け垣。

最近剪定されたばかりで、ところどころ隙間がある。

 

○脅迫状

被害者宅から見つかった脅迫状。

「次の誕生日にその命で過去の罪を精算してもらう 第三陸上支援部隊戦死者一同」

 

 

今度の容疑者は両脚を失くした傷痍軍人。

彼もまた平和になった世界から取り残された存在。彼が本当に被害者を殺害したのか。

有罪無罪を正しく判断し、G-fiveを配り歩いている女の手がかりを掴まなきゃ。

ふと顔を上げると、皆の視線がアタシに集まっていた。左右田君がアタシに語りかける。

 

「江ノ島。オレ達も全力出すけどよー。やっぱここ一番で頼りになるのはお前の頭だ。

オレには難しいことはわからねえ。

このおかしな事件を終わらせられるのはお前だけだと思ってる。だから……。頼むぜ」

 

「アタシだけじゃないわ。ここにいる全員の力を合わせて見えない敵と戦うの。

そうでなくちゃ真犯人の行方を突き止めることなんてできやしない。

あと、これは勘だけど……。

今度こそアタシ達は連続毒殺事件の真相に大きく近づける気がするの」

 

「……そうだな。そうだよな。

わり、なんかお前に重責押し付けるようなこと言っちまってよー。忘れてくれ」

 

「気にしないで。みんなの助けが必要なのはアタシも同じだから」

 

「ほんと、なに弱気になってんのさー。

左右田おにぃってちょくちょく裁判で首突っ込んでるじゃん」

 

「みんな、頑張るんだ。もう迷いは吹っ切ったはずだろう?

落ち着いて、事実を見つめれば、必ず答えは浮かび上がる。

その結果がどうあろうと、恐れることはない。

一人では無理でも、全員で手を取り合えば受け止めきれるはずだ」

 

日向君がまとめてくれた。今も昔も変わらない、アタシ達のリーダー。

そして時間が来たらしく、係官が迎えに来た。

法廷へ続く薄暗い廊下を歩き、特別法廷に入廷。

ここに来るのは三度目。学級裁判のような円形に並んだ証言台。

やっぱり裁判官は既に到着している。

白髪交じりのオールバックに髪を整えた彼は、特別法廷の専任なのかもしれない。

 

法廷の中央を見ると、車椅子に座った体格のいいロングヘアの男性。

元軍人だけあって目つきが鋭く、

黙っていてもピリピリと刺すような気配をまとっている。

 

皆が証言台に着いたことを確認すると、裁判長がひとつうなずいて木槌を鳴らした。

 

 

【裁判員裁判 開廷】

 

 

「只今より、堀田俊氏殺害事件の裁判員裁判を開始します。

被告、裁判員、準備はよろしいですね?」

 

「……ああ」

 

「「はい」」

 

そして、裁判長が特別法廷の性質と注意事項について森本さんに説明する。

彼は身じろぎひとつせず聞き入っていて、

ある意味敵に囲まれているというのに全く臆する様子がない。

 

対象的に、彼の姿を見た罪木さんが少しうつむいて唇を噛む。

彼には両脚がない。過去の罪に心をえぐられているのは明らか。

慎重な審理が求められるけど、あまり長引かせてもいけないわ。

 

「……裁判における注意点は以上です。では、被告人。氏名と年齢を」

 

「森本挟持、36歳」

 

「あなたには堀田俊さん殺害容疑が掛けられています。

周りにいる裁判員の方々が物証やあなたの証言から有罪か無罪かを判断します。

質問には嘘偽りなく述べるように」

 

「わかってる」

 

「では、始めましょう。裁判員の皆様、よろしくお願い致します」

 

「まずは基本的な状況を確認しよう。森本さん、あなたは……」

 

日向君が先陣を切ると、急に額が発熱し、身体が火照ってきた。

いつものように脳細胞の活動が活性化され、右脳と左脳を走る微弱な電流が急加速する。

もうアタシの脳が自分自身のものか、中にいる“アタシ”のものなのか、

なんだかはっきりしない。

 

そもそもアタシって誰?

 

唐突にそんな疑問が頭をよぎり、軽くパニックに陥る。思わず証言台に手をつく。

 

「……さん。竹内さん?」

 

裁判長の声でハッと顔を上げる。アタシったら、何を考えていたのかしら。

 

「えの…竹内、体調でも悪いのか?」

 

「なんでもないのよ、日向君。ごめんなさい、続けて」

 

「ならいいが、無理はするなよ?

……じゃあ、森田さん。事件当時の様子について聞かせてください」

 

「散々これまでの裁判で話したんだが……。まあいいさ」

 

 

■議論開始

コトダマ: ○容疑者の特徴

 

森本

事件と言っても俺にはさっぱりだ。とりあえず、あの晩は居間で[テレビを見てた]な。

 

どの局もくだらん[バラエティか野球中継]しかなかったが。

 

ひとりで[晩飯を食う]のも味気ないから、音楽代わりに付けてただけだ。

 

そしたら隣の家から[銃声が聞こえた]から、何事かと思ったが

 

こんな身体じゃ[様子も見に行けない]からな。放っておくしかなかった。

 

しばらくして[いきなり警察が乗り込んできて]何故か俺が捕まった。

 

まあ、こんなところだ。

 

・特に怪しい所はないけど、彼の生活面がちょっと気になるかも。……聞いてる?

・…ああ、そうね、ごめんなさい。今起きたところよ。とにかく議論を進めましょう。

 

REPEAT

 

森本

事件と言っても俺にはさっぱりだ。とりあえず、あの晩は居間で[テレビを見てた]な。

 

どの局もくだらん[バラエティか野球中継]しかなかったが。

 

ひとりで[晩飯を食う]のも味気ないから、音楽代わりに付けてただけだ。

 

──それは違うわねぇ!!

 

[晩飯を食う]論破! ○容疑者の特徴:命中 BREAK!!!

 

 

「……何がどう違うってんだ」

 

「森本さんと言ったね。貴方は車椅子で生活しているようだけど、

食事の用意や家事は誰がしてくれてるんだい?」

 

「自分でやってる。この通り脚はねえが、両手があればなんとかやっていけるもんだ。

滅多に用事はないが、小型のエレベーターがあるから2階にも行ける。

殆ど1階で過ごしてるし、やっぱり移動が面倒だがな。

……それにしても、なんか雰囲気変わったな、あんた」

 

「彼女は特殊な体質を持っていますが、発言の正確性については国が保証しています」

 

いつものように裁判長が律儀に説明してくれた。最近疲れ気味のボクとしては助かるよ。

 

「二重人格……。いや、多重人格か?まぁ、軍にも変な奴はいたからどうでもいいが」

 

 

■コトダマゲット!!

○森本宅の構造 をタブレットに記録しました。

 

○森本宅の構造

2階建てだがエレベーターがあり、車椅子でも一人暮らしが可能。

 

 

「なあ、竹内。オレぁとっととこの事件からG-five関連の謎、引っ張り出してえんだよ。

森本さんの身の上話は置いといて、もっと核心的なとこ当たろうぜ」

 

「なるほど九頭竜。

お前も海神オーケアノスの口が真実を語る日を待ちわびているということか……。

しかぁし!神の審判を急く行為がいかなる結果をもたらすのか、お前は分かっていない!

ひとたび彼の者の逆鱗に触れれば……」

 

「るせえぞゴラァ!

本っ当今更だが、テメエの回りくどい喋り方はいつになったら治んだよ!

なんで言えねえんだ、“結論を急ぐな”の6文字がよぉ!」

 

「静粛に、静粛に!」

 

裁判長の木槌をきっかけに私が肉体の支配権を交代。

好き勝手をなさる皆様をなだめなくては。

 

「落ち着いてください九頭竜様。確かに田中の野ろ…田中様の仰るとおり、

議論は慎重に尽くされるべきであると考えます。

特にG-fiveにつながると思われる物証の多いこの事件については」

 

「今度は元クソメガネかよ。だったら次は何を話す?ああ?」

 

「組長、あまりメガネを軽んじるのは……。なんでもありません」

 

「めちゃくちゃだ。同じ質問繰り返される通常裁判の方がマシだった」

 

「申し訳ございません、森本様。こちらの連中は少々変わった方ばかりでして」

 

「あんたも相当だが」

 

「では、九頭竜様のご要望通り、

事件の中核をなす凶器について次は全員で話し合いましょう」

 

 

■議論開始

コトダマ:○猟銃・空気銃所持許可証

 

罪木

ええっと、資料によると被害者の方は[森本さんの銃を持っていた]とありますねぇ。

 

日向

だが遺体には[銃創なんてない]し、死因はG-five以外に考えられない。

 

終里

でも、ショットガンは森本さんのもんなんだろ?なんで[被害者が持ってた]んだ?

 

西園寺

[森本さんがあげた]とかー?だとしたら気前いいよねー

 

左右田

銃砲店じゃどれも[ウン十万する]からな。

 

・彼女の証言で間違いないと思いますが、森本氏の意図が争点になると思われます。

・そうね。本当にその気があったのかが気になるわ。

 

REPEAT

 

罪木

ええっと、資料によると被害者の方は[森本さんの銃を持っていた]とありますねぇ。

 

日向

だが遺体には[銃創なんてない]し、死因はG-five以外に考えられない。

 

終里

でも、ショットガンは森本さんのもんなんだろ?なんで[被害者が持って]たんだ?

 

西園寺

[森本さんがあげた]とかー?だとしたら気前いいよねー

 

──それは違うわねぇ!!

 

[森本さんがあげた]論破! ○猟銃・空気銃所持許可証:命中 BREAK!!!

 

 

「えー、わたし何か変なこと言った?」

 

「銃に関わりのない西園寺さんがご存じなくても無理はありませんが、

日本で銃を所持するには“猟銃・空気銃所持許可証”という

とても取得が面倒くさい免許が必要になります。

その他、ガンロッカーの設置状況や銃や実弾の使用状況、使用目的について

定期的な警察の検査が入ります。おいそれと他人に渡すことはそれだけで違法ですし、

発覚すれば自分も相手も手が後ろに回ることになりかねません」

 

「そうだ。俺のショットガンは……。盗まれたんだ。

やっぱり堀田の奴が犯人だったんだな」

 

森本さんが苦虫を噛み潰したような表情で語り始めます。

 

「以前俺の家に泥棒が入ったんだ。夜中にガンガン何か叩くような音で起こされたから、

必死こいて車椅子に乗って居間に行ってみると、ガンロッカーがこじ開けられてた。

物置のバールが床に落ちてて、中を見ると保管してたショットガンがなくなってたんだ。

すぐ警察に通報したが今度の事件まで見つからずじまいだったよ。

……俺に残ったのは思い出づくりに買った模造品だけだ。

この脚じゃ銃を撃つ機会なんてもうないから、

免許の更新はせずに銃も売り払おうと思ってたからな」

 

「だとしたら、被害者の堀田さんは自殺だったということになるのでしょうか?

わたくし、気になります」

 

「いいえ。自殺ならG-fiveに頼らなくとも実弾で頭部を撃ち抜けばそれで済んだはず。

やはり被害者は何らかの方法で何者かによって

G-fiveを吸引させられ、殺害されたのです」

 

「何か、何か、じゃわかんねえよー。

オレ、難しいこと考えると腹が減るからもう少し簡単に頼むぜ」

 

「でしたら、次はもっとわかりやすい証拠品について議論しましょう」

 

 

■議論開始

コトダマ:○ショットガン(本物)

 

終里

そもそも本当に被害者が銃を撃ったのかー?〈遺体には何も痕がなかった〉んだろ?

 

狛枝

ボクはそれで間違いないと思う。[指紋も硝煙反応もある]んだし。

 

十神

だが、何のためだ?家の中とは言え住宅街で発砲したら〈付近住民に気づかれる〉。

 

弐大

実際[住民の通報]で事件が発覚したんじゃからのう。

 

日向

それでも〈撃たざるを得ない事情〉があったとしか考えられないな。

 

・ショットガンをぶっ放すなんて~。よっぽど追い詰められてたんだと思うんだっ!

・なぜ追い詰められたかが問題になりそうね。

 

REPEAT

 

終里

そもそも本当に被害者が銃を撃ったのか?〈遺体には何も痕がなかった〉んだろ?

 

狛枝

ボクはそれで間違いないと思う。[指紋も硝煙反応もある]んだし。

 

十神

だが、何のためだ?家の中とは言え住宅街で発砲したら〈付近住民に気づかれる〉。

 

弐大

実際[住民の通報]で事件が発覚したんじゃからのう。

 

日向

それでも〈撃たざるを得ない何か〉が起きていたとしか考えられないな。

 

──そうだと思うわよ!!

 

賛!〈撃たざるを得ない何か〉同意! ○ショットガン(本物):命中 BREAK!!!

 

 

「そーなの。堀田さんがショットガンを撃ったのは確定でぇ~。

当然何のために撃ったのかが気になるよね、なるよね?ウフフッ」

 

「……言いたかないが、その人格はさっさと引っ込めたほうが身のためだ。

お互い良い年なんだからよ」

 

「ひっどーい、超ヤガモ!

ふんだ、森本さんなんてもう知らな~い。こっちで勝手に四択問題やっちゃうんだから!

えーっとぉ、堀田さんが撃った理由ってのはぁ……」

 

 

■堀田が発砲した理由とは?

?→単なる暴発だった

?→誰かと戦った

?→射撃の練習

?→自殺未遂

 

──これで説明できるはずよ!! →正解:誰かと戦った

 

 

「誰かって誰だ」

 

「う~ん、だれでしょう?」

 

「ふざけてるのか」

 

「待ってくれ、論点がずれてきてるぞ!

俺達が話し合うべきなのは、

犯人がどうやって被害者にG-fiveを投与し殺害したのかであって、

結局ショットガンは直接堀田さんの死に関わってない。

遺体の状況を見ても明らかだろう?」

 

日向君はこう言うけど、

カワイく見えるようにほっぺに人差し指を当てて小首をかしげまーす。

ちょっと上目遣いも忘れずに!

 

「ホントにそうかなぁ~」

 

「大体、戦ったと言うが誰と戦ったっていうんだ?」

 

「証拠品にあるじゃ~ん。脅・迫・状」

 

「「はっ……!」」

 

証拠品だらけで埋もれちゃってたみたい。

毎度毎度コトダマ多すぎだから無理もないけどさ~。

ワンテンポ遅れたけど全員気づいたよね。

 

「うん、みんな気づいてくれたみたいだね~。わたしの出番はここまでかな。チャオ!」

 

「“次の誕生日にその命で過去の罪を精算してもらう

第三陸上支援部隊戦死者一同”!」

 

やあ、またボクだ。日向君が律儀に読み上げてくれた脅迫文の内容。

確認しなければならない点があるね。

 

「二十数分ぶりだね森本さん。ひとつ聞きたいことがあるんだけどさ、

ここに書かれているは紛れもなく堀田さんの誕生日で間違いないけど、

貴方は彼の誕生日を知っているのかい?」

 

「7月、4日だ……!」

 

彼が絞り出すように口にすると、また法廷が驚きに包まれる。

 

「つまりそれは、事件当日!?」

 

「そういうことになるね。……あと、今更だけど森本さんは元レジスタンス。

所属していた部隊名を、教えてくれないか?」

 

「……第三陸上支援部隊」

 

皆の息を呑む音が聞こえる。

脅迫状を出した可能性が高いのは森本さんだけど、決めつけるのはやめておこう。

とりあえず今はっきりしている事実から導き出せる推論に集中しようじゃないか。

 

「こう考えると辻褄が合わないかな?

被害者は予告通り彼を襲撃しようとした第三陸上支援部隊の誰かと戦った。

ショットガンを撃ったのはその時」

 

「ちょちょ、ちょっと待ってよ竹内さん!君が言いたいのはこうだよね?

被害者は押し入ってきたなんとか部隊と戦って死亡したって!

でも事件概要には争った形跡はないって書いてあったよ!?

玄関だって警察が蹴破るまで鍵が掛かってたし、

犯人はどうやって被害者の家に侵入して堀田さんに銃を撃たせたっていうの?」

 

「落ち着いておくれ、花村君。ボクは犯人が“押し入った”なんて一言も言ってないよ?

何も襲撃の方法は自宅に突入することだけとは限らない。

もっと言えば、隣の家から狙撃することも可能なんだよ。

そう、森本さん。貴方の家からね」

 

「なっ……。俺が、俺の家からだと?」

 

 

──その推理はピンボケだよ!

 

 

森本さんにわずかとは言え初めて動揺の色が見えた。……と思ったら、ついに来たね。

彼女との対決は二度目かな?

 

「小泉さんじゃないか。何かボクの推論におかしな点でも?」

 

「盾子ちゃんの理屈は強引すぎるよ。森本さんは脚が不自由なんだよ?

彼を犯人みたいに言ってるけど、よく考えて」

 

「熟考を重ねた上での発言なんだけど、説明不足だったみたいだね。それは謝るよ。

……じゃあ、説明不足を補うためにご協力願おうか」

 

 

■反論ショーダウン 開始

>>12ゲージ弾の箱

 

小泉

狙撃するって/当たり前のように言うけど/どこからどうやって/撃つって言うの?

森本さんの銃は盗まれてて/手元にないし、2人の家の間には生け垣もあった/んだよ?

高さが2mもあって/とても向こう側なんて/狙えないし、

やっぱり/現場や遺体の状況/と矛盾する!

 

《発展!》

 

江ノ島(キザ)

何もボクは犯人が実弾で被害者を射殺したと言いたいわけじゃない。

そんなことをしたら遺体の状況と噛み合わなくなるのは君の主張通りさ。

ボクはこう思うんだ。また第三者による介入、つまりG-fiveが

何らかの形で何者かによって手渡されたんじゃないかってね。

 

小泉

だからそれが/強引なんだって!被害者が持ってた銃を/撃ったのは間違いない。

でも/考えてみて。仮にG-fiveが/森本さんの手に渡っていたとしても

どうやって堀田さんに/吸わせることが出来た/って言うの?

 

  やっぱり[銃弾はただの/空撃ちだった]んだよ!

 

──その言葉、ズタズタにしてあげる!!

 

斬![銃弾はただの空撃ちだった]論破! >>12ゲージ弾の箱 BREAK!!!

 

 

「事件概要の項目“12ゲージ弾の箱”を見ておくれ」

 

「……うん、見たけど、これがどうしたの?」

 

「新品だから、弾がぎっしり詰まっているね」

 

「それで……。何なのよ」

 

「妙だね。実に妙な話さ」

 

「だーかーら!これがどんな物証になるのか教えてよ!

そっちの盾子ちゃんのもったいぶる癖、良くないと思う!」

 

「ふぅ、叱られてしまった。では結論から言うよ。

事件当時、やはり被害者の銃で実弾は発射されていない。

なぜなら、箱の弾は一発も使われていないんだから」

 

「あっ……」

 

「わかってくれてありがとう。

そう、ショットガン同様管理が厳しい弾丸は、使えば必ず記録なり痕跡なりが残る。

にもかかわらず事件当日銃声がしたのは、

誰かが“他の一発”を都合したからに他ならないのさ」

 

「それってもしかして……!」

 

「小泉さんの思った通り。

皆にもわかりやすい形で示すために、いつものアレを始めたいんだけど……。

裁判長、構わないよね?」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

「メルシーボークー」

 

ボクは証言台の液晶パネルをタッチペンで操作して目星をつけていた証拠品を選び、

じっと見つめる。

画面に映し出された3Dの模型に注意すべきポイントを示す青いサークルが浮かび上がる。

さあ、始めようか。

 

 

■証拠品精査 開始

 

○ショットガン(本物)

 

・銃身全体

スタンダードなポンプアクション式ショットガンだね。

ショットガンはいろんな種類の弾を撃つことができる。

鳥撃ち用、鹿撃ち用、熊撃ち用、もちろん、人間用もね。

 

・トリガー

銃弾を撃つための引き金。それ以外に言うことは何もないな。

 

・銃口

内部を覗いてみると若干ススが残ってる。

被害者が何を狙ったのかは知らないけど、発砲したのは事実だから当然だけどね。

……でも暗くて奥に詰まってる何かが見えそうで見えない。気になるな。

 

・ハンドグリップ

銃身下部に取り付けられている部品。

これを引くことで内部の弾薬を装填したり、空薬莢を排出したりできるんだよ。

一度手前に引いてみるよ?おや、排莢口から何か出てきたね。

潰れた空薬莢…のようなもの。なるほど、これで、決まりだ。

 

──絶対に逃さないわ!!

 

■コトダマゲット!!

○破れた弾丸 をタブレットに記録しました。

 

○破れた弾丸

12ゲージ弾に似せた空砲。

実弾部分の代わりに柔らかいプラスチックケースが取り付けられていたらしく、

空薬莢に溶けたプラスチックが付着している。ショットガン(本物)に装填されていた。

 

 

「まあ!銃から何かがレッドスネークカモンでございますわ」

 

「うん、被害者が事件当時発砲したのはこの弾丸で間違いないだろうね」

 

「じゃあ、盾子ちゃんが言ってた“他の一発”って……!」

 

「この潰れた弾のことさ。弾を撃った銃に空薬莢が残ってるなんて当たり前過ぎるから、

流石に武装警察隊も証拠品としては取り上げなかったんだろうね」

 

「警察の捜査、雑過ぎっす!ただでさえ唯吹には難問奇問なんすから、

ヒントくらいはしっかり用意してほしいと主張したい!」

 

「フン、澪田の言う通り、これでよく今まで裁判進めてきたものだ!

仮にまかり間違って本法定で冤罪が発生すれば関係者全員の責任問題は免れんぞ。

それを理解しているのか!」

 

「……こちらの不手際です。申し訳ありません。

再発防止に努めるよう、武装警察隊には厳重注意致します」

 

裁判長が恐縮してるけど、彼を責めても仕方がない。それより新しい証拠品を調べよう。

 

「皆の怒りはもっともだけど、今は議論を進めようじゃないか。

さて、この弾丸だけど、火薬の詰まった薬莢に

通常弾によく似せたプラスチックケースが取り付けらた痕跡があるね。

仮にこの弾を撃ったら火薬の爆発でケースが溶けて破裂し、

中身が銃口から漏れ出るのは想像に難くない。

……ねえ、森本さん。貴方ならケースの中に何を入れる?」

 

「……」

 

にわかに法廷内の空気がざわざわとして、落ち着きがなくなる。

森本さんもわずかに下を向いて、表情が見えない。

 

「貴方の考えを聞かせてほしいんだけどな」

 

「……持ってるとするなら、G-fiveだ」

 

ぼそりと呟いた彼の答えに皆、衝撃を受ける。

すかさず日向君が森本さんに質問をぶつける。

 

「待ってくれ!

なら、あなたはG-fiveの詰まった弾丸を予め被害者のショットガンに装填していた。

それで間違いないんですか!?」

 

「黙秘する」

 

「でも、確かにあなたの銃に偽の弾薬が残っていた。

なぜそうなったのか説明してください!」

 

「説明して欲しいのは俺の方だ。言ったろう?俺の銃は、盗まれたんだ」

 

「それは…そうなんですが」

 

なんだか状況がゴチャゴチャしてきたね。ボクは軽く手を挙げて裁判長に提案した。

 

「ちょっと良いかな。裁判長、ここで少し休憩にしないか?

ボク達も考えをまとめる時間が必要なんだ」

 

裁判長は法廷を見渡すとひとつ咳払いをして言った。

 

「わかりました。これより15分の休憩と致します」

 

ショットガンが移動した経緯だとか、犯人の動機だとか、

わからないことはまだまだある。

とにかくボク達は一旦冷静になるために解散したというわけなんだ。

 

 

【裁判員裁判 中断】

 

 



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第11章 被告人:森本挟持(後編)

*ご注意
今回から小説「ダンガンロンパ/ゼロ」のネタバレが入ります。
未読の方はお気をつけください。


 

 

【裁判員裁判 再開】

 

 

15分の休憩を終えて、アタシ達は再び特別法廷に戻った。

風邪を引いているかように身体がだるい。

裁判長が中断を宣言したときに一旦別の江ノ島盾子が精神の中に戻っていったから、

自販機で買ったミネラルウォーターを額に当てて頭を冷ましていたけど、

あまり効果がなかった。

 

これ以上は身体が保たないと思う。

エゲツないほどの倦怠感にベンチでぐったりしていると、

お姉ちゃんが心配して声をかけてくれた。

でも、軽くめまいもするアタシは作り笑いで大丈夫と一言返事をするので精一杯だった。

 

「特別法廷を再開します」

 

裁判長の木槌を合図に、また裁判員裁判が始まる。

早く決着をつけないとアタシも熱でおかしくなる。

まず明らかにしなきゃいけないことは何かしら。

 

タブレットに指を滑らせ、コトダマをもう一度眺めて仮説を立て、

森本さんの証言と照らし合わせる。

すると、どうにか針の穴のような突破口が開けそうな事実が見つかった。

頼むわね、もうひとりのアタシ……。

 

また急な発熱が起こり、脳が強制的に加速され、

ただの女から江ノ島盾子の誰かに人格が交代する。

誰が来るのかわからないけど、どうにかしてちょうだい。とても、苦しい。

 

「ジャジャジャジャーン!!満を持して盾子ちゃんの再降臨だオラァ!

……今、ジェノサイダーとキャラ被ってると思った奴、

お前らの顔全部アストロガンガーにしてやるから一列に並べ!ウヒャヒャヒャ!」

 

「おい、あの女本当に大丈夫なのか?」

 

「繰り返しになりますが、発言の正確性は国が……。静粛に、静粛に!」

 

裁判長のオッサンがガンガン木槌を叩く。ああうるせえ!

 

「今そいつ自分のこと“盾子”って言ったぞ。顔も江ノ島盾子に似てる気がするんだが」

 

「裁判員の身元についてはお教えできません。江ノ島盾子とも無関係です」

 

「そうか……?」

 

起きたはいいが面倒くせえ。

バカみたいに暑いわ、クソみたいにダルいわでやってらんねー。

仕事済ませてとっとと寝る。

 

 

■ロジカルダイブ 開始

 

ちくしょー。テンションダダ下がりだわ、ここのコメントもテキトーだわで最悪だぜ。

裁判なんかよりババアの悪口大会の方が盛り上がるっつーの。

 

もう何にも言わない。事件解決に協力さえしてくれれば何も言わない。

 

乗車前に左右確認。発進前に後方確認。オラ、これでいいんだろ。

 

相当疲れてるのね。アタシもだけど……。

 

3.2.1…DIVE START

 

QUESTION 1:

被害者がショットガン(本物)を手に入れたのはいつ?

A・事件発生以前 B・事件当日

 

[A・事件発生以前]

 

他にねーわな。森本の証言にしろ、脅迫状にしろ、事件現場の状況にしろ。

 

少しだけ頑張って。これが終わったら寝てていいから。

 

QUESTION 2:

被害者はショットガン(本物)で誰を狙った?

A・自分自身 B・森本挟持 C・自宅に侵入した誰か

 

[B・森本挟持]

 

AもCもありえねえことは他のオレが証明してる。ならこいつしかいねえ。

 

問題はなぜ撃ったか。あるいは撃たされたか……。

 

QUESTION 3:

被害者がショットガンを手に入れた方法は?

A・容疑者から受け取った B・容疑者宅から盗んだ C・自分も一丁持っていた

 

[A・容疑者から受け取った]

 

被害者も銃を持ってたなら免許が見つかるはずだし、

森本を殺す気なら銃以外にも簡単な方法はあった。手頃なバールで殴るとかな。

……これでいいかー?今回は直行直帰な。

 

ありがとう。さあ、戻りましょうか。

 

 

──真実はアタシのもの!

 

 

ぐすん、ううっ……。静かな法廷に私の鳴き声がこだまします。

 

「お、おい。どうしたんだ。黙り込んだと思ったら、叫んだり泣いたり忙しい奴だな」

 

「とても悲しいんです。無実と信じた奴の有罪を証明しなくちゃならないなんて……

とても面倒で、しんどくて、悲しいです……」

 

「盾子ちゃん……。あなたには、わかってるんだね?」

 

「……お姉ちゃんがなんにも分かってない事実も涙を誘います」

 

「私まで泣きたくなるからやめて?」

 

「ふん、大きく出たな。俺が有罪?

だったら遠慮なく証明してくれよ。本当に俺が犯人ならな」

 

「はい……。まずは細かい所から整理していきたいんですけど、いいですよね?

被害者が本物のショットガンを手に入れたのはいつなのか。これは当然事件発生より前」

 

「そうだ。堀田の野郎に盗まれたんだ……!」

 

「私は違うと考えています……。

被害者にショットガンを渡したのは、森本さん、あなたですね……?」

 

「「なっ!」」

 

法廷がざわめきます。うるさいです。こぼれそうでこぼれない涙が量を増します。

 

「被害者が持っていた脅迫状を思い出してください。

次の誕生日に自分を殺害するという内容。差出人は“第三陸上支援部隊戦死者”。

あなたも、かつてその部隊の隊員だった……」

 

「だったら?」

 

「話は変わりますけど、その脅迫状を出したのは、森本さんだと思ってます……。

あなたの居た部隊の規模は知りませんけど、

昔同じレジスタンスで戦った人が隣に住んでいるのに、

どこにいるかもわからない別の隊員が

わざわざ今更殺害予告をしてくるなんて無理があると思うんです。

結局当日は不審人物の襲撃なんてなかったわけですし……」

 

「一旦待ってくれ。憶測で話を進めるのは危険だ。

裁判長、被害者宅の近辺に第三陸上支援部隊の元隊員は他にいないのか?」

 

日向さんです……。このところ影が薄い彼の話を聞きましょう……。

 

「はい。未来機関と武装警察隊の合同捜査によると、

第三陸上支援部隊の隊員は絶望の残党との戦いでほぼ全滅。

生存者は地方の故郷へ帰った、とあります」

 

「ああそうだよ。あの能無し野郎のせいで大勢の仲間が死んだ!

隊長の腰巾着だった堀田は、作戦中に死亡した隊長の後釜について、

ろくに軍隊指揮の経験もない癖に俺達に無茶な突撃命令を繰り返したんだ。

あいつが知ってる日本語と言えば、前進、突撃の二つだけ。

安全なずっと後ろでどちらかを叫ぶだけだった」

 

「では、やっぱり貴方が脅迫状を?」

 

「それは認めてやってもいい。

無傷で生き残ってのほほんとしてる堀田を死ぬほどビビらせてやりたかったんだよ。

だが殺したのは俺じゃねえ。そもそもあのショットガンは俺が保管してたんだ」

 

「じゃあ、話を戻して、議論しましょう……」

 

 

■議論開始

コトダマ:○生け垣

 

江ノ島(泣き虫)

脅迫状を受け取った被害者は、当然〈森本さんとトラブルになった〉はずなんです……。

 

辺古山

付近にレジスタンスの生存者は[森本さんしかいない]からな。

当然脅迫状について彼を問い詰めただろう。

 

森本

それがショットガンの行方とどうつながる?銃は[ガンロッカーから盗まれた]。

それだけだ。

 

十神

……待て。〈双方の同意〉があれば、他の経路もありえなくはない。

 

森本

何が悲しくてあの野郎に[大事な銃]を?冗談も程々にしろ。

 

・死因がG-fiveの詰まった弾丸なら、むしろ移動させなきゃ変ですよね……

・彼が気づいてくれたみたいね。

 

REPEAT

 

江ノ島(泣き虫)

脅迫状を受け取った被害者は、当然〈森本さんとトラブルになった〉はずなんです……。

 

辺古山

付近にレジスタンスの生存者は[森本さんしかいない]からな。

当然脅迫状について彼を問い詰めただろう。

 

森本

それがショットガンの行方とどうつながる?銃は[ガンロッカーから盗まれた]。

それだけだ。

 

十神

……待て。〈双方の同意〉があれば、他の経路もありえなくはない。

 

──そうだと思うわよ!!

 

賛!〈双方の同意〉同意! ○生け垣:命中 BREAK!!!

 

 

「俺に同意か。当然の判断だ。

2つの家屋は特に長細いもののやりとりに向いている何かに隔てられているからな」

 

「豚足ちゃんまでもったいぶらないでよ。結局どういうことなのさー?」

 

私にやれることはここまでだと思うので、さようなら……。

 

バイバーイ!さりげに出番ナシの盾子ちゃんが再登場!イェイ待った~?

 

「同意だと?俺が殺されるためにショットガンをくれてやったって言いたいのか」

 

「往生際悪くなーい?ちなみにアタシはベーシックな盾子ちゃんだからヨロシク~。

……で、アタシが言いたいのは、おデブちゃんの言う通り

ショットガンはあんた自身が堀田に渡したってこと」

 

「本当にイカれてるんじゃないのか?だいぶ前にも話に出たが、銃器の譲渡は」

 

「譲渡じゃなくて~。2,3日こっそり“貸す”ことなら出来たんじゃない?」

 

「何が、言いたい……」

 

「アタシ的にはこんなやり取りがあったんじゃないかと思ってるワケ」

 

 

………

 

「森本!出てこい、森本ー!」

 

「うるせえな。用なら玄関に回れよ、ボンクラ。車椅子転がすこっちの身にもなれ」

 

「黙れ……!なんのつもりだ、この手紙は!見ろ」

 

「手紙?……ふーん、なるほど。

まあ、お前に生きててほしい酔狂なんかいねえからな。7月4日が楽しみだ」

 

「とぼけるな!お前が書いたんだろう!?お、俺を殺してみろ!

真っ先に疑われるのはお前だからな!」

 

「この体でお前の家に行って予告殺人を実行する、か?銃でも使わなきゃ無理だ」

 

「そ、そうだ!お前は散弾銃を持ってたな!それで俺を殺す気だろう!?」

 

「相変わらず肝っ玉の小せえ野郎だ。そんなに心配なら、貸してやろうか?

7月4日が過ぎるまで」

 

「貸す……?」

 

「ああ。こないだ警察のチェックがあったばかりだから、

数日貸してやるくらいなら平気だろう。不安ならそれで身を守れ。

待ってろ、今持ってくる」

 

「早くしろ!」

 

………

 

 

「車椅子のあんたの家はきっと庭への段差にスロープが敷いてあるだろうから、

直接生け垣のある庭と家を往復できた。ねー、裁判長それでOK?」

 

「はい。森本氏の自宅は徹底的にバリアフリー化されています」

 

「何が言いてえのかって聞いてんだ……!」

 

「そん時、家に戻ってガンロッカーから

毒薬入りの弾丸が装填されたショットガンを持ってきたあんたは、堀田にそれを渡した。

穴だらけの生け垣を通してね!」

 

「全部、憶測だろうが」

 

「じゃあ、なんであんたの銃が堀田の家にあったワケー?」

 

「何回言わせるんだ!あいつに盗まれたって!」

 

「それっておかしくない?あんた殺したいならさぁ、

盗む手間もかかるし使えば証拠が残りまくる銃を盗まなくっても、

包丁で刺したりロープで首を絞めたり、

それこそバールだのでぶん殴ればよかったと思うんだけど、どーよ?」

 

「無能なくせにプライドだけは一人前だったからな。

元軍人として一丁持って起きたかったんじゃねえのか?

銃の免許取得更新にはある程度実弾射撃の成績が必要なんだが、

あいつは下手くそで免許の更新ができなかったからな。

一人でも多く兵士が必要だった戦時中はハードルが低くなってたから

堀田でも免許が取れたが、今の基準であいつが合格するのは無理だ」

 

「アタシはこう思うわけ。ガンロッカーをこじ開けたのはあんたで、

堀田がショットガンを盗んだと錯覚させるためにロッカーに傷をつけた。

それから中のショットガンを隠した上で警察に通報。

こうすりゃ誰もが堀田はあんたの銃で自殺って思い込む。

……これってかなりイイ線行ってると思うんだけど、あんたどう?」

 

「全部お前の“だったらいいな”でしかねえな。なら、一番デカイ謎はどうなる。

つまり、そもそも堀田はどうして銃を撃ったってことだ。

誰もいない家の中で、何を何のために撃ったのか。

事件当日、結局誰も尋ねちゃ来なかった。

言っとくが、試し撃ちなんかしたら銃声で余計大騒ぎになる」

 

「あーウザい!アタシ言ったと思うんだけど!?

堀田が撃ったのは……。あんたしかいないのよ!」

 

「こっちもお前にイライラしてる。ムカつく奴同士、決着をつけようじゃねえか。

堀田が、家の中から、邪魔な生け垣の向こうにいる俺を、どうやって撃ったんだ!!」

 

 

■議論開始

コトダマ:○森本宅の構造

 

森本

俺は事件の起きた夜、居間で[晩飯を食ってた]し、

 

車椅子で現場に行くことも[できなかった]!

 

銃を[撃ったのは他ならぬ堀田]だから俺は犯人じゃありえない!

 

俺が持ってる物と言えば[弾も撃てない模造品]だけ!

 

堀田を殺すことなんて[絶対に不可能]なんだよ!

 

・事件もこれで大詰め?撃つ必要はないんだよねー、撃つ必要は。

・ええ、G-fiveも、ショットガンも堀田さんの手元にある。森本さんの所持品は……。

 

REPEAT

 

森本

俺は事件の起きた夜、居間で[晩飯を食ってた]し、

 

車椅子で現場に行くことも[できなかった]!

 

銃を[撃ったのは他ならぬ堀田]だから俺は犯人じゃありえない!

 

──これで、とどめよ!!

 

[撃ったのは他ならぬ堀田]論破! ○森本宅の構造:命中 BREAK!!!

 

 

「それがどうした!やっぱり堀田が撃ったんじゃねえか!」

 

「あんたさ……。裁判の最初の方で、2階に行く用事は滅多に無いって言ってたじゃん」

 

「だったらなんだ」

 

「どんな用事があれば2階に行くわけ?」

 

「たまに手すりにシーツを干したりするだけだ。

広いシーツは1階の高い物干し竿に吊るすのが骨なんだよ」

 

「ふぅん。じゃあついでに聞くけど、そこからさ、堀田の家は見えんの?」

 

「それは……!」

 

「えの…竹内、お前の言いたいことって、まさか!」

 

「日向黙って。答え合わせの途中だから。で、見・え・ん・の?」

 

「……見える」

 

「以上。アタシ疲れた、あと女王様にバトンタッチするね。さよならー」

 

「ああ、盾子ちゃん帰っちゃったっすよ!

答え合わせつっても、結局肝心なとこで丸投げなんてひどいっす……」

 

「ほんと、どの盾子ちゃんも勝手なんだから。

唯吹ちゃん、最後の盾子ちゃんがわかりやすく説明してくれるだろうから

ちょっとだけ待とう?いつもの王冠。はぁ」

 

「その通り!私様(わたくしさま)が難解に見えて安っぽい謎を

懇切丁寧に解説してあげるから謹んで拝聴することね!」

 

「……本当に、お前は、誰なんだ」

 

 

■クライマックス推理:

 

>クライマックス推理 開始

>推理を完成させろ

 

Act.1

事件は被害者が死亡する何日も前から既に始まっていた。

まず犯人は鍵が掛かった状態のガンロッカーをバールでこじ開け、

盗まれた痕跡を着けておき、

本物のショットガンを取り出しG-fiveが仕込まれた銃弾を装填。

後は布団の中にでも隠しておいて予め警察に通報しておく。

その後は堀田宅に意味深長な脅迫文を

郵送するなり手袋をはめた手で直接投函するなりし、相手の反応を待った。

 

Act.2

案の定、後日犯人と堀田は生け垣を挟んだ庭で口論になる。

だけどこれも犯人の計算のうち。

護身用と潔白の証として堀田に自分のショットガンを貸すと申し出る。

一も二もなく飛びついた堀田は、

生け垣の隙間から差し出されたショットガンを受け取り、

脅迫状に記された自分の誕生日、つまり7月4日を待つことになる。

 

Act.3

そしてついに事件当日。

堀田は脅迫状の差出人に怯えながらその日が過ぎ去るのを待っていた。

ショットガンを抱えつつ、第三陸上支援部隊の生き残りの襲撃に備えていたのよ。

しかし待てど暮らせど襲撃者は現れない。

それもそのはず、脅迫状を送りつけた犯人はすぐ隣に住んでいて、

既に襲撃の準備を済ませていたのだから!

 

Act.4

犯人はあるものを携え、自宅に設置されたエレベーターで2階へ上がる。

そしてベランダからスマートフォンか何かで堀田に連絡を取る。

とにかく窓際に堀田を誘導できるなら通話の内容はなんだっていい。

“襲撃者が庭にいる”、“庭から逃げろ”、あるいは“庭から先制攻撃しろ”。

もっと簡単な方法を挙げるなら、

懐中電灯で堀田側の庭を照らせば不審に思った彼が近づいてくる。

 

Act.5

事件の仕上げ。とにかく何らかの方法で堀田を窓際におびき出した犯人は、

奴に最後の言葉を告げる。“襲撃者は2階の俺だ”。

思わず犯人宅を見上げた堀田はギョッとしたでしょうね。

受け取ったはずのショットガンを構えた犯人が自分を狙っているんですもの。

だけどそれは弾の撃てない骨董品。

でもそんなこと知る由もない堀田は、ためらわず手に持ったショットガンで反撃。

その時G-five入りの弾丸が銃身内で破裂。

硝煙と共に気化した毒を吸い込んだ堀田は犯人の計画通り死亡。

 

この計画を実行できたのは、犯人と簡単に銃のやり取りができて、

意図的なタイミングで撃たせることができた人物だけ。……そうでしょう?森本挟持!

 

 

──これが事件の全貌よ!  COMPLETE!

 

 

「……粘ってはみたが、ここまでってことか」

 

「そ、それじゃあ森本さん!やっぱり貴方が堀田さんを!?」

 

熱のせいで日向君やみんなの声が歪んで聞こえる。

もう少し江ノ島盾子の状態が続いていたら危なかった。

何度か深呼吸すると幾分意識がはっきりしてきた。

 

「そうだよ。そこの江ノ島盾子そっくりの女の言う通りさ。

俺が堀田にG-five入りの銃を渡して撃たせた。詳しい方法もそいつが説明した」

 

「どうして、そのようなことを……。

戦時中からのお知り合いだと聞きましたが、6年以上も経った今になって、なぜ」

 

「動機はもう喋ったと思うが、脅迫状の内容が全てだ。

俺達を使い捨てやがった堀田の野郎に復讐したかったんだよ。

お嬢さん、あんたに分かってもらおうとは思わないが、あの戦場は地獄だった。

いくつも並んだ重機関銃に爆走する重戦車の群れ。

仲間は機銃や榴散弾でバラバラにされ、俺も戦車に両脚を踏み潰されてこのザマだ。

激痛で泣き叫ぶ俺を仲間が引きずって後退させてくれたが、

あいつは俺の避難が終わった瞬間、頭を撃ち抜かれて死んだ」

 

「そんな……」

 

「あんたらに言っても仕方ないが、俺の中じゃまだ戦争は終わってねえ。

死んでいった仲間と無くなった脚が俺に言うんだ。“堀田に裁きを”」

 

絶望が遺した爪痕の生き証人を目の当たりにし、ソニアさんも皆も言葉を失った。

これ以上の審理を必要としないと判断した裁判長が告げる。

 

「……審理は尽くされたと考えます。

裁判員の方は、お手元のモニターに、有罪もしくは無罪と記入して下さい」

 

アタシは震える手で、“有罪”を記入する。

その文字は歪で文字を覚えたばかりの子供が書いたようなものでしかなかった。

 

「全員の意見が出揃いました。判決を言い渡します」

 

判決:森本挟持 有罪

 

 

【裁判員裁判 閉廷】

 

 

また、G-fiveに運命を狂わされた者が一人。

別室から係官が出てきて森本さんを連行しようとする。

アタシはまだ鉛のように重い体に鞭打って彼に呼びかけた。

 

「待って、森本さん!!」

 

「どうした。そんなに大きな声出して」

 

「まだよ。まだ事件は解決してないわ。

あなたにG-fiveの入った弾丸を渡したのは、誰?」

 

「……そうだな。それがまだだったな。

俺に取っちゃ恩人だから裏切るようで気が引けるんだが、負けは負けだ。教えてやるよ」

 

ずっと硬い表情を崩さなかった彼が、初めて微笑みを浮かべて語り始めた。

 

 

………

 

今夜も隣から堀田の野郎の下卑た笑い声が聞こえてくる。

どうせビールでも飲みながらテレビでも見てるんだろうが、

何が楽しいのかさっぱりわからん。

 

「チッ、どのチャンネルもろくな番組流しやしねえ」

 

舌打ちしつつザッピングしてたが、くだらねえ番組ばかりでうんざりした。

諦めてリモコンを放り出し、晩飯のカップラーメンをすする。

 

──まあ、テレビ自体オワコンですからね~

 

流石に俺もビビった。

俺以外誰もいないはずの家で、誰かに話しかけられる事なんてあるはずない。

キョロキョロ周りをよく見ると、台所に会ったこともない女子高生がいたんだよ。

どこかの高校の制服を着てて、髪は赤に近いブラウン。同色の目をしてた。

 

「誰だ」

 

「えーっ!今まで私のこと知らなかったんですか?最近ずっとお邪魔してたんですけど。

今日だって外から帰る時にちょっとだけ車椅子押してあげたんですよ?

本当にちょっとですけど。あ、この体質のままだとしょうがないか」

 

「誰だって聞いてんだ」

 

「ちょっと待ってくださいね。今、思い出しますから」

 

そいつは胸ポケットから手帳を取り出すと、一番最初のページを見て嬉しそうに笑った。

 

「はい、私の名前はB19306。

ある人達の言うことを聞いていれば、名前を返してもらえるんです」

 

「もういい、警察を呼ぶ」

 

「あー、待ってー!今日は“完成”したから大事なお話をしに来たんです」

 

「意味がわからん。時間稼ぎなら無駄だぞ」

 

「ぶっちゃけ、堀田さん殺したくないですか?」

 

110番を入力したスマホを落としそうになる。平静を装うのに苦労した。

なんたって、図星だったからな。

 

「確かに堀田は死ねばいいと思ってるが、なんで俺が手を下すと?」

 

「過去のネット記事のアーカイブを見たんです。“絶望と戦った戦士達のその後”。

108円払った甲斐がありました。生々しい体験談を読むことができましたから。

無謀な突撃命令で手足を失った元レジスタンス……。

あなた達のことだってすぐにわかっちゃいました」

 

確かに俺は障害年金を受給して働かずに暮らしてるが、生活は決して楽じゃない。

以前、取材料目的でネットニュースのインタビューを受けたことがある。

 

「そうそう、G-fiveってご存知ですか?最近世間を騒がせている連続不審死。

全く証拠が残らない上に、吸わせる、塗る、飲ませる。

色んな方法で即死させられる、養生テープみたいに便利な毒薬が使われてるって噂です」

 

「……俺に何を言わせたい」

 

「ご希望でしたら、ご用意します」

 

………

 

 

「ろくに信じちゃいなかったが、もしかして、という気持ちも少しはあった。

そこで俺はダメ元で

12ゲージ弾に似せたG-fiveを作れるもんなら作ってみろ、そう言ったんだ。

驚いたさ。翌日、本当に持ってきたんだからな」

 

「中身が偽物だとは、考えなかった?」

 

「考えはしたが、いたずらにしちゃ手が込みすぎてる。

俺の家に忍び込んだ手口と、持ってきた12ゲージ弾の完成度を見ると、

試してみる価値はあると思った。だから……。実行に移した」

 

B19306。偽名とは言えそいつこそG-fiveの製造犯。アタシ達は近々奴と対決する。

そんな気がしてならなかった。必死になってさらなる情報を求める。

 

「他には!?Bなんとかは他に何か言ってなかった?」

 

「話の中で言ってたな。あの女子高生に指示を出してるのは、《希望》の残党……っ!」

 

その時、突然森本さんが意識を失い、上半身を証言台に倒した。

同時にバタンと法廷のドアが開き、何者かが走り去る足音が遠ざかっていく。

 

「捕まえて!」

 

「係官、救急車を!」

 

裁判長も救急搬送を手配するけど、森本さんの意識が戻ることはなく、

彼を殺した犯人にも逃げられてしまった。

後で知らされたところによると、森本さんの首には

吹き矢のようなもので毒針らしきものが刺されていたとのこと。

 

針からは何も検出されなかったけど、G-fiveが塗られていたに違いない。

森本さんは、口封じに殺された。しかも法廷の中で。

あまりにも超常現象的な犯行にアタシ達は皆、戦慄した。

 

 

 

 

 

まだ混乱が収まらないアタシ達は、武装警察隊の捜査が行われている裁判所から

追い出されるように帰路につく。

行きと同じようにブルーシートで乗降口を覆われたバスに乗り込むと、

十四支部に向けてバスが発進。

全員の目の前で容疑者が殺されるという最悪の形で終わらされた今回の裁判。

 

「ひくっ、うう…そんな……。森本さん、殺されちゃうなんて」

 

小泉さんが何も言わずに罪木さんの肩を抱き、背中を撫でる。

 

「なあ、おい、誰か犯人見なかったのか!?」

 

「んなモン見てたら誰かがふん捕まえてるに決まってんだろ!チクショウが!」

 

左右田君も九頭竜君もうろたえている。誰も落ち着けるわけなんてない。

 

「全員深呼吸をして一旦考えることをやめろ。無理だろうと感情を止めろ。

敵がまともでないことは初めからわかっていたことだろう」

 

「言われなくてもなんにも考えてないっす。現実から逃げてる途中っす」

 

「おねぇ、わたし怖いよ!もうやめようよ、こんな事件は放っといてさ!」

 

「大丈夫。必ずアタシが日寄子ちゃんを守るから。怖がらなくていいから、ね?」

 

「わたしじゃなくて、おねぇの事を言ってるの!」

 

「アタシがどうにかしないと、Bの女は何度でも同じことを繰り返す。わかって」

 

「だが、どうするんだ?敵は俺達の前で堂々と人殺しをやってのける怪物だぞ。

……俺は、やっぱり裁判員裁判自体を降りるべきだと思う」

 

「日向君まで何を言うの!

今更裁判員をやめたところで誰も安全を保証してはくれないのよ?」

 

その後も車内のパニックは収まることなく、

第十四支部に帰り着いても今後の方針について意見がまとまらないまま解散となった。

アタシも二度人格を交代した疲れに足を引きずりながら、自分の部屋のロックを解除。

……少し中に入るのに躊躇したけど、例の張り紙はなかった。

 

デスクの引き出しから抗酒剤のケースを取り出し1錠飲むと、

コップに注いだ水で流し込んだ。

森本さんが遺してくれた手がかり。“B19306”と“《希望》の残党”。

でも今はそれらについて考察する余力もなく、

シャワーも浴びずにベッドに横になると、気絶するように眠り込んでしまった。

 

 



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第12章 終わりの始まりは

「G-five製造犯の捜査は中止。それが上層部の決定よ」

 

それが霧切響子の第一声だった。

森本挟持さん死亡という最悪の結果で終わった裁判から3日。

ようやく皆の心が平静を取り戻したタイミングで、

アタシ達は大会議室に呼び出された。

 

「中止だと!?ふざけるな。この十神白夜の前で重要参考人を殺害した犯人を

あえて野放しにしろとお前はそう言うのか!答えろ、霧切響子!」

 

立ち上がって霧切に迫る十神君。納得できないのはアタシも同じ。

 

「あの犯人はもうあなた達の手には負えない。この前の裁判でわかったでしょう?」

 

「……俺も、霧切さんに賛成だ。

このメンバーから犠牲者を出すことは認められない。もう、二度と」

 

日向君も心の中では迷っているのは明らかだけど、苦渋の選択を受け入れる。

続くように日寄子ちゃんがテーブルの上で指遊びをしながらぽつぽつと語った。

 

「最初は絶対犯人捕まえてやるんだーって思ってたけどさ……。

森本さんがあんな風に殺されちゃって、

今度はわたし達の誰かだって思うと、やっぱり、怖い」

 

「オレもよー、この件に関しちゃ最後まで付き合うつもりだったが、

守らなきゃならねえ人ができちまった今、これ以上首突っ込むのは、正直辛えんだ。

みんなには悪りいと思ってる……」

 

「和一さん……。わたくしもあなたには、危ないことはよして欲しいです。

いえ、和一さんだけじゃありません。皆さんにもこれ以上の無茶は……」

 

アタシのせいでまだ結婚式も挙げられていない二人に無理は言えない。

だけど、アタシだけは引き下がるわけにはいかないの。手を挙げて霧切響子に問う。

 

「ちょっといい?霧切響子」

 

「何かしら。江ノ島盾子さん」

 

「上層部とやらが捜査の中止を決定した理由は、アタシ達に危害が及ぶから。

そう考えていいのかしら」

 

「ええ、その通りよ」

 

「だったらその処置は全くの無駄だって伝えてちょうだいな」

 

「「ええっ!?」」

 

アタシは驚く皆に持ってきたものをテーブルに置いてみせた。

タブレットと……。くしゃくしゃになった紙切れ。

許して、きっとみんなを巻き込むことになるけど。

 

「……何がしたいのかしら」

 

「まずこの紙を見て。喜男さんの裁判から一週間後のことだった。

アタシが日寄子ちゃんと外出してから帰ってきたら、

部屋にこんなものが貼られていたの。

それも1枚や2枚じゃない。部屋中にべったりと」

 

「“ここは私の部屋”?どうしてこんなものがお前の部屋に!

各自の部屋はオートロックされていて、マスターキーを持ってる霧切さんか、

部屋の持ち主しか開けられないはずだろう!?」

 

「驚くのはまだ早いわ、日向君。見て、アタシのタブレット。

ある日ディスプレイがあんまり散らかってたから七海さんに怒られちゃった。

慌てて“新しいフォルダー”を作って片付けたんだけど……。

それきり中身も見ずに放ったらかしにしたままだったの。

でも、よく考えたらアタシ日記なんてつけないし、

大量の文書を作るような仕事もないのよね。

謎のテキストファイルも張り紙と同じ日に見つかった」

 

「それには、何が書いてあったんだ……?」

 

アタシは黙って“新しいフォルダー”を開き、テキストファイルの一つを開いた。

 

「こんな感じよ。ざっと見たら次の人に回してくれる?」

 

「お、おう……」

 

そして隣の終里さんにタブレットをパスして、

長い楕円形のテーブルに着く全員に順番に回していった。

謎の文章を見る度、皆は首を傾げたり目を丸くしたり、

とにかく誰も見覚えのない文章に不可解な気持ちになったみたい。

タブレットが霧切響子の手に渡ると、彼女は無表情で少し考え、アタシに聞いた。

 

「……どうして、この事を黙ってたの?」

 

「それについては謝る。

当時はアタシに終わりの時が来たと思って、認めるのが怖くて言い出せなかった」

 

「終わりってどういうことなのさー、おねぇ……」

 

「アタシが行方をくらませてた1年。酒浸りの生活を送ってたことは覚えてる。

脳が深刻なダメージを受けてるのは自分でもわかったし、

若年性アルツハイマーなんかが発症して自覚しないうちに

徘徊や幻覚等の症状が出たんだと思ってた。その時は」

 

「そんな!あの、霧切さん。盾子ちゃんは、妹は、大丈夫、なんですよね……?」

 

「今のところは。後は酒をやめられるかどうかにかかってる」

 

「心配掛けてごめん、お姉ちゃん。でも今はもっと大事な話がある」

 

「やめてよ……。盾子ちゃんより大切なことなんて、あるわけないじゃない……」

 

涙ぐむ姉にあえて構わず、話を続ける。

 

「アタシが言いたいのは、

これをしでかしたのは森本さんが言っていた例の女子高生。つまりG-five製造犯。

エントランスの警備員室でドアのロックを遠隔操作して、

アタシの部屋に気づかれないよう侵入するなんて、奴以外ありえない」

 

「その意味するところは?」

 

「今更この件から手を引いても無駄だってこと。

どんな手品を使ってるのか知らないけど、敵はどこにいようと侵入してくる。

その気になれば、今ここにG-fiveを撒いてアタシ達を殺すことだってできるって事。

むしろ今までそうしなかった理由のほうがわからない」

 

「……それで、結局あなたは何が言いたいの?」

 

「上層部に掛け合って捜査中止を撤回させて。

3度G-fiveによる殺人事件に関わったアタシ達が犯人を突き止めなきゃ

何度でも同じことが繰り返される」

 

「それは、できないわ。

あなたの仮説が正しいとしても、むやみに危険を冒す理由にはならない」

 

「あんたは何のための支部長なのかしら。

新たな可能性が出た以上、上に報告を上げるのが役目なんじゃないの?」

 

アタシと石頭の霧切響子の視線がぶつかる。

瞬きもせずしばらく沈黙して互いを見据える。

 

「ア~ハハ…二人共、もっとこう、フレンドリーには行かないんすかねぇ……?」

 

澪田さんの乾いた笑いも宙ぶらりん。

睨み合いを続けたままだと話が平行線になってしまう。

でも、行き詰まりになるかと思った時、ひとつの妥協案が浮かんだ。

膠着状態を崩すべくすぐさま提案。

 

「ねえ。事件の捜査じゃなくて、“アタシ”の捜査なら問題ないんじゃない?」

 

「あなたの捜査?」

 

「そう。失った過去1年間の記憶を取り戻すの。

それが謎の張り紙やテキストファイルと何らかの関わりがあるかもしれない。

なかったとしても……。心配掛けたみんなへきちんとした形で詫びることができる」

 

「なるほど、それいいかも。要は危ないことしなければいいってことだよね?

これなら日寄子ちゃんも安心できるし」

 

「だけど、記憶を取り戻すと言ってもどうするの?

第四支部での検査でも結局あの1年は空白のままだった」

 

「それについては、日向君。あなたの力を借りたいの」

 

肝心なところで急に話を向けられた日向君が若干焦ったように見えた。

 

「俺か?俺に何ができると……。

そうか!あの時のように、今度は俺がお前を治療するんだな?」

 

「ええ。お願いできるかしら」

 

「ああ、当然だ!」

 

「治療……。つまり、ボクを助けてくれたときと同じ方法で、

日向君が江ノ島さんの記憶を蘇らせる。これなら危険な捜査には当たらないよね。

霧切さん、ボクからもお願いするよ。日向クンならきっとやってくれる!」

 

狛枝君の支持を得た案を吟味するべく、霧切響子は指を当てて目を瞑ると、

しばらく思案してから再び目を開いた。

 

「……あくまで、目的は江ノ島さんの治療。後のことは結果次第。

それでいいわね?」

 

「十分よ」

 

真犯人への道が閉ざされかけたと思ったら、

思いがけず自分の過去と向き合うことになった。

アタシはタブレットに浮かぶ意味不明な文字列に目を落とす。

 

『……ボロボロになったアスファルトは余計に私の足を疲れさせてくれましたが、一歩広い道に出るとそれまでのローペースが嘘のように軽くなり、私の心を弾ませてくれます。いつもこんな気持ちでお仕事に集中できればいいのですが、なにぶん私の住まいが住まいなので通勤通学には致命的に不利なんです。だめです、余計なことを書きすぎて3行くらい前がもうおぼろげになっちゃってますね。お巡りが私のことをジロジロと見ていますが、そんなことは露ほども気にかけずエゲツないほど軽快なステップで……』

 

これがBで始まる女の仕業なら、一体何がしたかったのかしら。

ぞろぞろと大会議室から出ていくみんなに遅れていることに気づいて、

アタシも急いでタブレット片手に退室した。

 

 

 

 

 

医務室へ移動。かと思いきや、超高校級の希望を発動した日向君の提案で、

2階の休憩スペースに場所を移すことになった。

みんなの手には自販機で買った飲み物。

背もたれのないソファに思い思いに腰掛ける。

超高校級の“カウンセラー”や“セラピスト”の能力が最適な環境を導き出し、

アタシの治療は雑談形式で行われることになった。

ちなみにアタシはアイスコーヒー。

 

「じゃあ、始めるか。ちょっと長くなるかもしれないが、まぁ肩の力を抜いてくれ」

 

正面に座った日向君が静かな笑みで語りかけてくる。

真っ赤で、それでいて優しい瞳。

 

「わかったわ」

 

「江ノ島よ、忘れるな。敵を知り己を知れば百戦殆うからず。

今こそ己の内に潜む魔王バアルと決着をつけ、千年王国の頂に立つのだ。

さすれば再び女神ノルンの寵愛を受け、

現在過去未来の連綿とした時の力場を制御することも能うだろうことは

必定であるからして」

 

「あの、あのう……。これから江ノ島さんの心を癒やして記憶を取り戻すんで、

精神集中を妨げるようなことは、あの、やめましょうよぅ」

 

「そーだよ!なんで田中おにぃは肝心なときくらいちゃんとできねーんだよ!

あと、なにげに罪木おねぇに同意したのこれが初めてだと思うんだけど!」

 

「え、これだけ!?私達、もう長い付き合いだと思うんですけど……」

 

「ほーら、蜜柑ちゃんも日寄子ちゃんもストップ。

日向がカウンセリングを始めるよ。

田中は相手にすると余計うるさいから放置が一番」

 

いつもどおりのメンバーの騒ぎにも動じず、日向君の治療が始まった。

ないがしろにされた田中君の言いたいこと。“自分の過去を取り戻せ”。

絶対成功させなきゃ。

 

「今日は暑いな。ジャバウォック島でお前がカウンセリングをした時を思い出すよ。

あの頃のお前はまだ大きなツインテールだったよな。

正直隣に座っててチクチクしたよ。ハハ」

 

「あらやだ、やっぱり当たってたの?ごめんなさいね。

あれ、結構いろんな場面で邪魔だったのよ」

 

いきなり核心は突いてこない。遠い昔話から初めて、ゆっくり心をほぐしてくれる。

 

「江ノ島が超高校級の女神に目覚めた時は驚いたよ。

俺の頭に入ってない唯一の才能。何しろ俺は男だからな」

 

「自分でもどうして才能にあんな名前着けたのか未だによくわからないのよね。

女神様なんてガラじゃないのに」

 

「そんなことないさ。お前は、俺達の希望。

過去の罪に押しつぶされていた俺達を救ってくれた女神みたいなもんなんだからな」

 

「……あるいはそうだったのかもしれない。でも昔の話よ。

6年前にみんなとの別れから逃げて、1年前もまた逃げた」

 

「それは、何から?」

 

「ええと、何だったかしら……。あつっ!」

 

思い出そうとすると、頭に鋭い痛みが走った。

日向君は慌てずアタシを落ち着かせる。

 

「無理しなくていい。質問を変えよう。

どうして逃げようと思ったのかは、わかるか?」

 

別の角度から1年前を思い出す。今度は行けそう。

そうよ、アタシが逃げたのは……。

 

「全部、アタシのせいだったから」

 

「江ノ島のせい?何がお前のせいなのか、少しずつ思い出してみてくれ」

 

あれは、あの時だった。いつもと変わらない、よく晴れた日だったわ。

 

 

“別に、いい。私、そんな、忙しくないから”

 

“困ったものね。まだ5年前の感覚で任務を続けている人が多いみたい”

 

 

霧切響子が同僚と話していた日だった。

アタシはタブレットで何気なくネットニュースを見てたの。

当時の見出しが意識に浮かぶ。

 

『“ずっと絶望していたかった” 未来なき介護生活、絶望の功罪』

『復興の影で見過ごされる障害者虐待 行政の業務超過にも打つ手なし』

『レジスタンスの今 絶望と共に見捨てられた彼らの存在 その悲惨な現実』

 

両手で持ったアイスコーヒーのカップが小刻みに震える。

日向君はただ黙って続きを待つ。

 

「……人類史上最大最悪の絶望的事件から5年経って、

みんなも十四支部に戻ってきて、失った時間を取り戻すように

一緒に笑って過ごしてた」

 

「楽しかったよな」

 

「みんながアタシに言ってくれた。“アタシのおかげ”。だけどそうじゃない。

“アタシのせい”で、

絶望に浸ってどうにか現実から目を背けて生きていた人達の希望を奪ってしまった。

もともとアタシに誰も彼も救う力なんてない、

責任なんて感じること自体思い上がり。

理屈ではそう分かってたのに、やっぱりアタシの歌で不幸になった人がいる。

その現実に耐えきれなくなって、みんなの笑顔が怖くなって、逃げ出したの……」

 

「それは貴女のせいでは……!」

 

何か言いかけたソニアさんを日向君が手で押し留めた。

 

「わかった。……そこまで思いつめてたのか。気づいてやれなくて悪かったな」

 

アタシはただ首を振って否定する。

 

「この支部を出てからは、どうしてたんだ?

小泉に聞いたんだが、ネットカフェや簡易宿泊所を転々としていたそうだが」

 

「ええと…そうなの。

何もかも忘れたくて、毎日安酒場で浴びるほど飲んでたんだけど……。

どうしたのかしら、何か思い出せそうなんだけど、

今度は思い出そうとすると意識がぐるぐる回る。なんだか酔っ払ってるみたい」

 

「辛いなら別の質問にしよう」

 

「待って、今度は痛いわけじゃない。もう少し、頑張れる。

アタシが泊まっていたのは……」

 

 

………

 

 

小雨の降る中、泥酔して路地裏を千鳥足で歩く。

最寄りのネットカフェはどこだったかしら。

 

「ヒヒ、ネーちゃんいくらだぁ?」

 

同じく酔っ払ったオッサンを無視して歩き続ける。

今日はしこたま飲んだから、もう眠りたい。でも宿がない。

仕方ないから朝までこのまま歩こう。

そう思った時、突然脳の中が冷え込んで吐き気がこみ上げる。

 

「ううっ、えるああっ!げほげほ!」

 

壁に手をついて激しく嘔吐した。気分は最悪。頭は痛いし口の中は気持ち悪い。

どこか座れるところを探すけど、あいにくの雨で段差もビールケースも濡れている。

やっぱり行くあてなんてどこにもないアタシは歩くしかない。

でも足元がふらついてそれすら覚束ない。

ただ立ち尽くすアタシに、誰かがスッとハンカチを差し出した。

いつからそこにいたのかわからない。高校生くらいの女の子。

 

「使ってください。まだお口が汚れてますよ?」

 

「んん?…むう、あんた、誰よ?」

 

とりあえずハンカチを受け取って口を拭う。汚れたままのハンカチを突き返しても、

彼女は嫌な顔ひとつせずポケットにしまって質問に答えた。

 

「はい。私は、B19306…ということになっています」

 

「あのねえ、酔っぱらいだと思ってバカにしてると張っ倒すわよ」

 

「それは困ります。私にあるものと言えばこの名前と手帳だけなんで」

 

確かに女の子は胸ポケットから手帳を取り出しては

事あるごとにせっせと何かを書き留めてる。

 

「どうでもいいわ、用がないなら放っといて」

 

「ああっ!待ってください。今晩泊まるところは?」

 

「ない」

 

「でしたら、私の家に来ませんか?

このまま濡れ鼠になっちゃうと、飲み屋にもホテルにも入店拒否されちゃいます」

 

「あんたの家?言っとくけど金なんか大して持っちゃいないわよ」

 

「お金なんていりません。ほら、肩を貸しますから一緒に」

 

「行くわよ、行けばいいんでしょ。目が覚めたら腎臓取られてたってオチ?」

 

明らかに怪しい女の家に泊まり込むなんて、前後不覚というか、自暴自棄というか。

とにかくアタシは横になれればどうでもよかったから、

女の子の肩を借りて彼女の家に行ったの。

 

路地裏を抜けて更に人気のない道を10分くらい進んだかしら。

酔ってたからその辺のことはよく覚えてない。

彼女の自宅に着いたら、アタシは1段ずつ足を上げてゆっくり階段を上った。

 

「鍵、開けますからちょっと待ってくださいね。えーっと、“お客さんを迎える”。

これは完了、チェック」

 

「……ふーん、もしかしてあんたの名前ってこれ?

可愛い名前つけてもらったじゃない。あんたにピッタリ」

 

「し、失礼ですね!本当はちゃんとした名前があるんですよー!

仕事をしていれば返してもらえるんです。

それはきっと女の子らしい綺麗な名前に違いないんです…多分。

さ、どうぞ入ってください」

 

「おじゃまー……」

 

アタシは彼女の部屋に入ると、

暖かい室内の空気が心地よくてそのまま玄関に倒れ込んだ。

気がついたのはとっくに日も昇った朝。

濡れた身体は丁寧に拭かれていて、いつの間にか布団の中にいた。

二日酔いでやっぱり痛い頭に悩まされながら起き上がる。

 

とりあえず腎臓は取られてなかった。

起き上がったまましばらくぼーっとしていると、

別の部屋から昨日の女の子が顔を出して話しかけてきた。

 

「あ、起きたんですね。おはようございまーす」

 

「んあ。おはよう」

 

彼女は夢の存在でも幻覚でもなかったらしい。

昨日はよく見えなかったけど、赤に近いブラウンのロングヘアが目を引く。

 

「すぐご飯作りますから、待っててくださいね」

 

「いらない」

 

「だめですよ、ちゃんとお腹に何か入れないと」

 

いらない、と繰り返す前に女の子はキッチンに引っ込んでしまった。

仕方なく頭をゆらゆらさせながら待っていると、チン!という音が聞こえた。

それから間もなく女の子が“朝ごはん”を持ってきたんだけど。

 

「ねえ、朝食にカレーライスってどうなの」

 

「レトルトカレーって便利になりましたよね。レンジで作れるんですよ?

確かに5分もお湯で茹でるのって微妙に面倒ですよね」

 

「そうじゃなくて……。もういい」

 

とにかくアタシはカレー皿を受け取ると、スプーンで一口食べた。

知らないうちに身体は栄養を欲していたらしく、意外と朝のカレーも食が進む。

アタシは食べながらニコニコしている女の子に尋ねた。

 

「あんたさ、本名なんなのよ。

まさか本気でBなんとかって言うつもりじゃないでしょうね」

 

「昨日お話しした通りですよ。今はB19306です。

きちんと仕事をしていれば、多分可愛い名前を返してもらえるんです。

あ、チェックを忘れてました。“朝食を出した”、と」

 

「アタシに構う理由は?B子さん」

 

「ひどっ!B子って!まぁ、確かにB19306は覚えにくいし可愛くないですよね。

理由はシンプルですよ。あなたに会いたかった」

 

「通りすがりの飲んだくれに?」

 

「いいえ、江ノ島盾子さん、あなたにです」

 

スプーンを運ぶ手が止まる。

何を考えてるのか知らないけど、カマをかけてるのかもしれない。

 

「そーねー。江ノ島盾子と竹内舞子って字が似てるからよく間違えられるの」

 

「心配しないでください。別にあなたの正体をバラそうだなんて思ってません。

ただ、少しの間一緒に暮らしたいなぁって」

 

「あんたがレズだとしても相当趣味悪いわよ。

髪ボサボサで肌ガサガサの酒臭い女囲ってどうしようってのよ」

 

「理由なんてありません。でも…今は竹内さんということにしときましょうか。

竹内さんはこれからどこで生活するつもりなんですか?」

 

「ネカフェとか、安ホテルで……」

 

「そのお金はどこから?」

 

「これでもちょっとした小金持ちなの」

 

「だけどいつかはなくなる」

 

言葉に詰まった。確かに、未来機関から受け取った“見舞金”は

それなりに食っちゃ寝生活が続けられる程度に気前のいい金額だったけど、

使い切ったら酒が飲めなくなる。当たり前だけど。

 

「ここなら寝床の心配はありませんし、簡単なお食事も用意します。

カレーしかできませんけど」

 

「本当に何が目的なの?」

 

「言ったじゃないですか。少しの間でいいから、あなたと暮らしたい」

 

「家事も労働もしない」

 

「構いません。ということは、決まり、ですね?ですよね?」

 

「本当に何にもしないから。

夜中に勝手に飲みに行くし、ここで酒盛りすることもある」

 

「はい!合鍵を渡しておきますね!」

 

それからB子との奇妙な共同生活が始まった。B子は本当に何も求めてこなかったし、

アタシもまともな家で寝泊まりしながら飲み屋と家を往復する毎日を続けていた。

どれくらいかというと……。半年くらいだったかしら。

そろそろ酒代にも不自由し始めた頃、その生活は唐突に終わったの。

 

「ね~え、ちょっとお金貸してくれない?

飲み屋の親父がツケ払わないと飲ませないって言うの」

 

玄関口に座り込んで10近くも下の女の子に金の無心をするほど

アタシは落ちぶれてた。

 

「なるほど~。ふむふむ」

 

「ねえってばぁ」

 

「わかりました!」

 

B子は嬉しそうに笑い、手をパンと叩いた。

 

「え、くれるの?1万くらいで大丈夫だから」

 

すると、突然B子がアタシの顔を持って、鼻がくっつくほど目を合わせてきた。

 

「十分わかりました。あなたの全て。残念ですけど、ここでお別れです」

 

「ちょっと、どういうことよ!?アタシの面倒見てくれるんじゃなかったの?」

 

「もう思い出すことはないでしょうけど、

思い出したとしても私達“《希望》の残党”を追ってこないでくださいね。

お互いのために」

 

「なにを、いって……」

 

初めて見る彼女の真剣な目を見ていると、脳内の情報が次々に封じられていく。

そんな気がした。急に湧き上がる睡魔に抗おうとする。

だけど、アタシの意識は宙に溶けていくように消えていった。

 

 

………

 

 

そしてアタシは我に返った。

 

「そうよ、アタシは会っていたのよ、B19306に!!」

 

突然叫んだアタシに皆が驚く。日向君だけがじっとアタシを見たまま。

 

「全部思い出した!B19306も、《希望》の残党のことも!

あの女は残党の手下だったのよ!」

 

「落ち着いてくれ。よく話してくれた。霧切さんには俺から伝えておく。

少し休むといい」

 

「はぁ…はぁ…。ごめんなさい!どうして思い出せなかったのかしら!

そうすればもっと早く手を打てたのに!」

 

「落ち着けって。お前はB19306に何らかの方法で記憶を消されていた。

どうしようもなかったんだ」

 

氷の溶け切ったアイスコーヒーを一気飲みする。

ほんの少しだけ動揺が収まったけど、本当に少しだけ。

 

「みんな、本当にごめんなさい。

アタシが弱かったから、逃げ出したりなんかしなかったら……!」

 

涙があふれて止まらない。

久美子さんも、喜男さんも、森本さんも、みんな助かったかもしれないのに。

アタシは逃げ切れない絶望に陥ろうとしていた。

自分の行動が招いた取り返しのつかない結果に打ちのめされようとしていた。

その時。

 

──それは違うぞ!

 

瞳の色が元に戻った日向君だった。彼はアタシの手を取って続ける。

 

「責任を感じるなとは言わない。

でも、それをお前ひとりで抱え込むのは間違ってる。

責任を負わなきゃいけないとしたら、1年前に逃げ出したお前、

そしてお前を追い詰めた俺達だ。

G-fiveの犠牲者に償いたいと思ってるなら、それはお前だけの気持ちじゃない。

ここにいる俺達全員の気持ちだ。わかるな?」

 

気づくと、みんながアタシを見つめてる。その力強い視線に胸が熱くなった。

 

「江ノ島、心配せんでええ。ワシらがついとる」

 

「ケッ、ようやくオメーの件についてはケリついたってわけだな。

待たせてくれやがって」

 

「まさか我々の言葉がそれほどまでにお前を追い詰めていたとはな。……すまない」

 

「盾子ちゃん……。そんなに苦しんでたんだね」

 

「まぁ、正直色々言いたいことはあるけど、

ちゃんと日寄子ちゃんに謝ってくれたから許してあげる。

ただし、お酒はもう絶対ダメだからね?」

 

「……うん。ごめんなさい、ありがとう」

 

「おねぇ、泣かないで。わたしが一緒だからさ……」

 

今度は違う涙がこみ上げてくる。

どうして1年前みんなを信じて悩みを打ち明けられなかったんだろう。

 

「キャッホーイ!盾子ちゃんの記憶がリカバリーしたっす!ってことは、

次の問題は《希望》の残党ってことになるんすかねぇ?」

 

「ああ、そうだな。

このカウンセリングで分かったことと合わせて霧切さんに報告する。

すぐに捜査再開の指示が出るはずだ」

 

「《希望》の残党か……。Bの女の話だと、何らかの組織だと思うんだけど、

どうして絶望じゃなくて希望なんだろう。

希望とG-fiveに何の接点があるのか、ボクには心当たりがないよ」

 

「そこまではわからないの。

でも、あの家を調べればまだ手がかりが残ってるかもしれない」

 

「だったら行くしかないよね。……みんな、6年前に使ったアレは持ってるよね?」

 

「頼むぜー?言っとくが作り直しとか勘弁だぞ?」

 

「もちろん、今でもチューニングは欠かしてないっすよ!」

 

「待て待て、まだ戦いになるかどうかもわからないんだ。冷静さを忘れるなよ?」

 

日向君が意気込むみんなをなだめるけど、

これ以上みんなを巻き込んで大丈夫なのかしら。

そんな気持ちを察したのか、彼が肩に大きな手を置いた。

 

「左右田君……」

 

「ここまで来たらやるしかねえだろ。

そりゃソニアのことは心配だが、俺も腹くくった。

どこも安全じゃないなら、俺がソニアを守る」

 

「ごめんなさい。あなた達まで……」

 

「よせよ。俺が自分で決めたことだ。

……だから、お前も辛気くせー顔してんじゃねえ」

 

「江ノ島さん、笑ってください。

あなたが笑顔でいてくださると、わたくし達もだいじょうVですから」

 

「うん……。わかった」

 

アタシの検査結果はその後日向君が霧切響子に伝えてくれた。

さらに霧切から第一支部に伝えられ、翌日トップの判断が返ってきた。

結果は、捜査続行。

全員のタブレットがどこか乱暴に振動したような気がして、慌てて電源を入れる。

すると、長身美形、そして懐かしい男性がアタシ達を見下ろすような視線で

おもむろに告げた。

 

《第一支部の十神白夜だ。お前達に連続毒殺事件の主犯格確保を命じる。

未来機関のメンツにかけて、警察などに遅れを取るな。特にそこの太った奴。

俺の名前を貸りているからには、必ずそれに相応しい手柄を立てろ、わかったな。

それと、もう一つ言っておくことがある。

捜査中止を独断で決めたのは第二支部の腑抜けだ。

大体この俺を差し置いて「でへへ、白夜様~!あたしの入れた愛情たっぷりの

お紅茶ですぅ」おい、画面に入ってくるな!

臭いがネット上に拡散するだろう、散れ!散れ!(接続終了)》

 

なんとなくトップからも元気をもらったアタシ達は、

改めてG-five製造犯、いえ、B19306を追うことになった。

 

 

 

 

 

後日、アタシ達は抜け落ちた半年間を過ごしたBの女、その家の前に集まった。

 

「フン、意味深な名前だからどんなアナグラムか考えを巡らせていたが、

とんだ時間の無駄だった!」

 

十神君が怒るのも無理はない。

アタシ達がいるのは、集合団地B19棟306号室なんだから。

つまり、あの女の名前はただの部屋番号だった。

この塗装が剥げた鉄製のドアの向こう。

そこに何があるのか、アタシが暮らしていた時のままなのか、

罠が仕掛けられているのか。いずれにしろ、ドアを開かなきゃ何も始まらない。

アタシは妙に手触りに覚えのあるドアノブに手をかけた。

 

 



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第13章 ある少女の夢であり

過去につながる扉を前にして、唾を飲み込みながら

スチール製のドアノブを回して引く。……開かない。

ガタガタとドアが引っかかるだけ。

 

「あ、鍵が掛かってる」

 

「開けっ放しにしてる奴の方が珍しいっての。おねぇ、鍵持ってたんじゃないの?」

 

「えーと、ああそうだわ。

B子に記憶を奪われた時に、一緒に鍵も取られちゃったっぽいのよね。

気がついたら歩道の真ん中で突っ立ってたの。今思い出したわ、アハハ」

 

苦笑いでごまかすけど、やっぱり小泉さんは容赦がない。

 

「もう、しっかりしてよね!盾子ちゃんって頼りない時は本当頼りないんだから!

日向がいなかったら無駄足になるところだったじゃない」

 

「ごめんなさい……」

 

「はぁ。奥に敵がいるかもしれないってのに、先が思いやられるわ」

 

「その辺にしてやれって。

実際俺がいるんだから、カリカリと神経尖らせないで適度に肩の力抜いていこうぜ」

 

「わかった。それじゃお願い」

 

「お願いしま~す……」

 

しょっぱなから叱られてテンションが下がったアタシは、

フォローに入ってくれた日向君にとぼとぼと場所を譲った。

 

超高校級の希望を発動し、“超高校級の盗賊”になった彼が、

左右田君が廃材で作ったキーピックを取り出し、鍵穴に差し込む。

そして、素人目には適当に揺すっているようにしか見えない手付きで内部を弄ると、

ガチャンとあっさり鍵が開いた。この先は、アタシがB子に養われていた謎の空間。

今、どうなっているのかは想像もつかない。

 

「いよいよね」

 

「とりあえず中に人間はいねー。人間はな」

 

左右田君が完成させたばかりの生体反応探知機をドアに向けながら言った。

前方90度の範囲にいる人間サイズの生命体を感知するレーダー。

狭い団地の一室を索敵するには十分な機能だけど、何らかの罠がないとも限らない。

 

「俺が先導する。みんなも慎重に行動してくれ」

 

超高校級の盗賊を維持したまま、今度は日向君がドアノブを握る。

そのままゆっくりと回しドアを開けると、中はカーテンが閉められているのか、

薄暗くて奥がよく見えない。

それでも日向君は素早く視線を走らせ、

ワイヤートラップや赤外線センサーの類がないか確認しながら靴のまま内部に侵入。

アタシ達も恐る恐る彼についていくと、足元に何かが当たった。

 

「何かしら、これ……」

 

団地の床には相応しくない、直径2cm程度の太い電気コードやLANケーブル等が

多数絡み合い、それぞれの部屋に伸びていた。思い出してきたわ。

すぐ左手の部屋でアタシが寝泊まりしてたの。懐中電灯でふすまを照らしてみる。

 

「この部屋よ。アタシが暮らしてたのは」

 

「そうか。なら、まずこの部屋を調べてみよう」

 

日向君がやはり慎重にふすまを開けると、内部には異様な光景が広がっていた。

大学の研究室で見るような、有害な物質の入ったフラスコやシャーレを扱う

換気装置付き実験台、内部に小さなマニピュレータがある用途不明の大きな装置。

霜が張っていたのか内側が濡れている。

 

3Kの一室に大掛かりな装置があるせいで、窓が塞がれている。

この306号室が暗いのは、他にも同じような機械で光が遮られてるせいだと思う。

 

「ドラフトチャンバーと強制冷却機だな。

なんかの薬を扱ってたのは間違いないと思うぜ」

 

後ろから背の高い左右田君がこちらを覗き込んで教えてくれた。

アタシが懐中電灯で周囲を照らしていたその時だった。

 

「待て!江ノ島、この辺りを見せてくれ」

 

日向君が強制冷却機の本体を示したから、光を当てる。

そこには無数のメモが貼られており、

彼が一枚ずつ剥がして食い入るように読み始めた。

アタシも少し見てみたけど、内容はさっぱりわからない。

 

高校の時、科学の授業で見たような六角形の構造式がいくつも並んでる。

でもそれだけ。アタシ理数系は苦手だったのよね。

だけど、得意だったとしてもきっと何が書いてあるのかはわからなかったと思う。

 

「明かり、点けましょうか?」

 

「頼む。ざっと見た限りトラップはなかったから、

電灯のスイッチくらいなら触っても問題ないはずだ」

 

懐中電灯でスイッチを探して、つまみを上げたけど反応がない。困ったわね。

でも、別の部屋から左右田君と日寄子ちゃんの声が聞こえてきた。

 

“左右田おにぃ、なんとかしてよ~。暗い!”

 

“ちょっと待てって。……お、こっちに発電機があるぜ。思ったとおりだ。

家庭用電源じゃ、あの装置を動かすには電力が足りねーからな。待ってろ”

 

しばらくして、何かの控えめな振動音が聞こえてきて、

途絶えていた電力が供給され、全ての部屋に明かりが灯った。

一方の日向君はというと、メモを全部剥がして目を皿のようにして読み続けている。

 

「何かわかった?」

 

「ああ……。これは、G-fiveの構造式だ!

全部つなぎ合わせると、脳細胞を破壊することなく活動停止させ、

素早く自然分解する猛毒になる!」

 

「なんですって!?」

 

才能を理系のものに切り替えた日向君の分析結果に驚いていると、

今度は3つ目の部屋から小泉さんの声が聞こえた。

 

“ねえ!ここには変な薬がいっぱいあるよ!他にも実験用の機械なんかが!”

 

「間違いない。江ノ島、お前が言っていたBの女はここでG-fiveを作って、

久美子さん達に配っていたんだ」

 

「でも、アタシが居候してたときはこんな機械、影も形もなかった。

あの娘はどうやってこの部屋を実験室に作り変えたのかしら」

 

考えても答えは出ないけど考えずにはいられない。

腕を組んでB子の事を思い出していると、強制冷却機から剥がれ落ちたのか、

床に落ちていた1枚のメモに目が留まった。拾い上げて読んでみる。

 

『薬が必要な人。吉崎久美子さん、中村喜男さん、森本挟持さん』

 

女の子らしい丸文字で書かれていて、それぞれの名前はバツ印で消されている。

もう間違いない。連続毒殺事件の犯人はB子。でもどうやって?

女の子が一人でこんな大規模な犯罪をやってのけるなんて無理がある。

 

「日向君、少し外してもいいかしら。調べたいことがあるの」

 

「ああ。俺はもうしばらくここに残る。だが……」

 

「なあに?」

 

「並の科学者じゃこんなものは作れない。きっとここも普通じゃない。

気をつけろよ」

 

「ええ。わかったわ」

 

アタシは実験室を出ると、発電室にいる左右田君達と合流した。

畳の上に振動を吸収する分厚いシリコンマットが敷かれ、

その上に電気コードが何本も差さった発電機が設置されている。

階下の住民から苦情が来たらここの存在が露見する。

騒音対策もバッチリってところね。

 

比較的広めのこの部屋には、小さなタンスや姿見もある。

興味深げに発電機を観察している左右田君に確認してみた。

 

「ねえ左右田君。この家にある機材を普通に購入した場合、

周りの住民に気づかれずそっと運び入れることはできるかしら?」

 

「無理だな。

どうしてもデカいトラックで運搬することになるから絶対誰かの目につく。

特に冷却機は玄関の幅を超えちまってるから、

ピアノみたいにクレーン車で直接窓から入れるしかねえ。

人手もいるからこっそり団地を研究室にするのは……。

そうだよ、Bの女はどうやってこんな状況作ったんだ?」

 

「わからない。でもここでG-fiveが製造されていたのは間違いない。

B子がアタシを追い出した後、何らかの方法でここを生産施設にした。

一人じゃあ無理よね」

 

「ああ。希望の残党とやらが手を貸してるとしか思えねー。

どっちかっつーと、希望の残党が例の女を動かしてるのかもしれねーけどよ」

 

「左右田君もそう思う?

根拠はないんだけど、あの娘は何者かの指示に従ってるだけ。

そんな風に思えて仕方ないの」

 

「だーっ!意味わっかんねえ。結局例の女も希望の残党もどこにいるか謎だしよー。

まぁ、ここを押さえたから

これ以上G-fiveが作られることはなくなったってことは収穫だけどよ」

 

「当分の間はね。でも組織ぐるみの犯行だってことが確定した以上、

新たな拠点を作られたら同じことの繰り返し」

 

「ちくしょー、やっぱそうなるのか……。

さっさと希望の残党をどうにかしねえとヤベえな。

下手に奴らをつついちまったから、今度は何しでかすかわかんねえ」

 

「もう少しここを調べる必要があるわ。少しでも連中に近づくための何かが要る」

 

「調査とか分析とかは任せるわ。オレは機械系の備品を探ってみる」

 

「頑張りましょう」

 

彼との話を切り上げると、発電機近くのタンスを開けてみた。

一番上にはどこかの高校の制服。……見覚えがある。B子はいつもこれを着ていた。

学校に行っている様子もなかったのに、いつも同じ格好だった。

2段目には下着や簡単なメイク道具。そして内部にメモ用紙、

“会いに行くときは身なりに気をつけましょう”がテープで貼られていた。

 

「フシシシ、毒殺魔のB子ちゃんもカワイイの着けてたんだねぇ」

 

「こーら、遊んでる場合じゃないでしょう?」

 

「ごめんちゃ~い」

 

日寄子ちゃんもタンスを覗いてB子の私物に興味を示す。

……そうよね。アタシもちょっと気になった。

アタシがいなくなった後、B子はどんな私生活を送っていたのかしら。

実験室のように機械や薬品棚が大半のスペースを占める団地の一部屋で、

小さくなりながら横になったりカレーだけの食事を取ったり、

そんな生活をしていたのかしら。

 

この家には電話もなければテレビもない。

あるものと言えば、床に直接置かれた電子レンジと洗濯機だけ。

ついでに言うとパソコンもない。

スマートフォンがあれば十分という人もいるだろうけど、

ここには隅に追いやられたタンスと姿見以外、

B子の生活を伺わせるものが何もなかった。

 

あと、“会いに行く”とは誰のことなのか。

もしかしてアタシのことかもと思ったけど、

あの頃は毎日顔を合わせていたから“会いに行く”のはおかしいし、

こうして頻繁に開け閉めする場所にメモを残すということは

やっぱり他の人物であると考えるほうが自然。

そもそも何故覚えていれば済むような些細な事を

いちいちメモしているのかわからない。

 

考えても答えが出ないから、諦めて最後の引き出しを開けた。

中にはプリントアウトされたネット記事や週刊誌の切り抜き。これは覚えがある。

久美子さん、喜男さん、挟持さん。それぞれに関する記述。

どの書類にも住所が書かれたメモがホッチキスで留められていた。

3人の自宅や勤務先。

 

「なるほど。ターゲットの資料と所在地ね。

自分で調べたのか誰かに与えられた情報なのかはわからないけど」

 

「盾子ちゃん、薬品棚の部屋にこんなものがあったんだけど。

空き瓶の入ったダンボール箱に貼り付けてあったの」

 

「ありがとう。これは……。何かの納品書かしら?」

 

小泉さんから手渡されたのは“35.712678 : 139.761989”と書かれた小さなメモ。

 

“おい!いい加減誰か状況報告をしろ!

手がかりがなければ犯人像の絞り込みができんだろう!”

 

「はいはーい、ごめんなさいね」

 

決して広くない一室に大勢が入り込んでいることと、

無理に配置された実験機器でそれが更に狭くなっていることと、

彼の体型が災いして中に入れずにいた十神君の文句が玄関から飛んできた。

 

そうね、彼の知恵も借りたいわ。

日向君に声をかけて、一旦団地前の広場に全員集合することにした。

念の為、家の内部や発見した証拠品を全てタブレットで撮影して外に出る。

 

「遅いぞ。何をモタモタしていた」

 

「悪い、これでもかなりメンバーは選抜したつもりだったんだが、

ここまで狭いとは予想外だったんだ。これが中の様子だ」

 

日向君はイライラしている十神君にタブレットを渡した。

彼がブツブツ言いながら太い指で画面をスライドし始めたけど、

やがて何かに気づいた様子で指を止め、その画像をじっと見る。

 

「ふん、ここがG-fiveの生産拠点か。

ご丁寧にメモ書きにしてまでこんなに証拠を残すとは、犯人も相当迂闊な……。

待て、これは!」

 

「何か分かったのか?」

 

「これを見ろ」

 

十神君が、小泉さんが見つけた変な番号のメモを見せた。

だけど、正体のわからない奇妙な番号に皆の頭に疑問符が浮かび、

その様子を見た十神君がじれったそうに問う。

 

「ええい、なぜ誰もこの経緯度を知らんのだ!」

 

「経緯度ってどういうことかしら」

 

「江ノ島はともかく、お前達は知っていて当然だろう!

この座標が示しているのは、“希望ヶ峰学園”だ!」

 

「そうなの!?」

 

「いやいやいや!フツー学校の経緯度なんか知ってるやつなんていねえだろ!

なんでお前は覚えようと思った!?」

 

「それはそうとさぁ、希望ヶ峰学園の校舎って今どうなってるのかな……。

もう閉校にはなってるけど、

更地になってるのか建物は残ってるのかは知らないんだよね」

 

「じゃあ……。次は希望ヶ峰学園に行かなきゃダメってことー?」

 

「そうなるわね。団地はもう調べ尽くしたし。

一度霧切響子に報告がてら学園の様子を聞いてみましょう」

 

「よし、俺のタブレットから連絡しよう。ちょっと待っててくれ」

 

「座標の意味に気づいたのは俺だけだときちんと伝えろよ。

オリジナルの十神白夜がうるさい」

 

日向君がタブレットで霧切響子にB子の部屋で撮影した証拠品を送信し、

テレビ電話に接続。彼女の応答を待つ。

5コールほどでディスプレイに霧切の顔が大写しになった。

 

『首尾はどう?』

 

「それについて霧切さんに聞きたいことがあるんだ。

実は送信した画像のことで……」

 

彼は発見した謎の数字が希望ヶ峰学園の跡地であることを説明し、

校舎の現状について尋ねた。

 

『まさか団地の一室がG-fiveの製造拠点になっていたなんてね』

 

「……そんな訳で十神が気づいたんだが、

希望ヶ峰学園の校舎は今、どうなってるんだ?」

 

『放置されてる。流石に犠牲者の遺体は回収されたけど、

不要になった広大な校舎の解体には未だに手が回っていないの』

 

「あれから6年も経ったのに!?」

 

『足りないものが多すぎるの。都市インフラに安全な住居。

公共交通機関は今でも地方では寸断状態が続いてる。

要らないものを壊すより、必要なものを作ることが優先されてるの』

 

「そうか……」

 

『とにかく一度戻ってきて。そっちは未来機関と武装警察隊で確保する』

 

「わかった、すぐ戻る」

 

そして通話が終了。タブレットをしまいながら日向君が今日の捜査終了を宣言する。

 

「一旦十四支部に戻ろう。みんな知ってるだろうが希望ヶ峰学園は広い。

俺達だけでは調べきれないし……。何が潜んでいるかもわからないからな」

 

「そうだね。アタシの勘だけど、今度こそ全員の力が要ると思う。あの時みたいに」

 

小泉さんが手にしたカメラ型閃光攻撃銃に目を落とす。

塔和シティー攻略作戦で使った非殺傷性武器。

これがまた必要になる状況が訪れるのかしら。そうならないことを願いつつも、

きっとそうなるという矛盾した確信に似たものを捨てられない。

 

とにかく、武装警察隊のパトカーと

未来機関の警備兵が乗った装甲車が到着したことを見届けると、

アタシ達は十四支部への帰路についた。

 

途中、一度だけ白い壁がくすんで薄いねずみ色になった

築年数の長い団地を振り返る。さようなら。もうここには来ない。

空白の1年の大半を過ごした住処を後にして、

少し先に行ってしまったみんなを追いかけた。

 

 

 

 

 

希望ヶ峰学園 教職員棟(?)

 

私はいつもの入り口から薄暗い地下に入ると、ルンルン気分でトンネルを進みます。

あ、今時“ルンルン”なんて擬音を使う女子高生なんているんでしょうか。

こんなこと、彼に聞かれたらきっと悪し様に貶されるんでしょうね。

彼が誰かは思い出せないんですけど。お胸がドキン。またです。

彼を思い出そうとすると、いつも肋骨のあたりがキューっとなって、

心拍数がバクバクバクと急上昇。

 

等間隔で蛍光灯が設置され、両脇に店舗や病院が並ぶトンネル型地下都市は

まるでシャッター商店街のような景気の悪さを放っていますが、

これでもちゃんと営業しているんですよ?ほら、ちゃんと店員だっています。

彼らも元希望ヶ峰学園の生徒だったとか。

 

そのエリートさんがどうしてこんな穴蔵に潜んでいるのかはわかりませんが、

私には関係ありません。

でも、たまには私のように外で陽の光を浴びないと

ビタミンなんとかが不足して病気になりますよ?

 

長い長い直線道路をスキップするような軽快な足取りで進みます。

これでもかというほど進みます。だって今日は、“面会”の日ですから。

やがて、土がむき出しになった湿気の多い壁面が、

近未来的な耐衝撃性・防火性・耐水性に優れた滑らかな金属製の素材に変わり、

LEDの誘導灯が一方向に向かって並びます。

 

突き当りには核攻撃にも耐えられそうな鋼鉄製の自動ドア。

私はドアのそばに設置されたインターホンのボタンを押します。

だめだめ、ボーッとしてちゃだめですね。

ポケットから手帳を取り出して、最初のページを見ながら応答を待ちます。

 

“……誰かね”

 

「はい。私は、B19306…らしいです」

 

“入りたまえ”

 

短いやり取りが終わると、

とっても重そうなドアが金属の擦れる独特の音を立てながら開きます。

この音、正直あまり好きじゃありません。

でも、ドアが開かないとあの人達に会えないから我慢するしかないです。

 

ドアが開くとようやくご対面です。

ここは機密エリアで限られた人しか入れないらしいんですが、

私はいつも顔パスなので実感がありません。とにかく中に入りましょう。

広大な空間の中央に円形のステージがあり、真ん中に一台のコンソールがあります。

その前に立つと、天井の四隅に設置されたスピーカーから音声が聞こえてきます。

 

『状況を報告したまえ』

 

コンソールに向かって右上のスピーカーからお爺さんの声。

私は手帳の付箋を貼ったページをめくって確認します。

 

「ええっと、G-fiveのテストは全て完了したので指示通り拠点Aは放棄しました」

 

もっともらしい事を言いましたが、何のことだかさっぱりわかりません。

過去の私がこれを読めと教えてくれたのでとりあえず声に出しましたけど。

 

『よろしい。今後はこの地下都市で生活し、任務を続行しなさい』

 

左上のスピーカーからは中年のおじさんが話しかけてきます。

そうそう、さっき“面会”と言いましたけど、

声の主と会ったことは一度もありません。

こうして無駄に広いホールで彼らの指示を受けて実行している、それだけなんです。

なんでこうなったのかは、忘れました。後で思い出せたら思い出しておきますね。

手帳に書いてあるかどうかわからないんで。

 

「あのう……。それで名前を返してもらえるのはいつになるんでしょうか?

目が覚めてから1年以上頑張ってきたからそろそろかなぁ~なんて。

できれば可愛いらしいのを希望します」

 

今度はしばらくの沈黙。次は左後ろのスピーカーから声です。

30代くらいの割と若い人だと思います。

 

『……君は、君自身のことについて本当に何も覚えていないのかね』

 

「私自身ですか?

名前どころか長くて3分、短いと3秒前のことも忘れちゃうんで何も」

 

『だとすると、ふむ。実に、困った』

 

右後ろから若いのか歳を食ってるのか判断に困る声が聞こえました。

 

『我々は失われた《希望》の残党であるというのに、

幾年月も待ち続けた結果がこれとは』

 

右上の人がため息交じりの声を漏らします。私に言われたって困るんですが。

関係ないですけど、ここだけの話、彼らの名前がわからないので、

心の中では右上から反時計回りにABCDと勝手に記号を振って呼んでいます。

 

『やはりデータに致命的な欠損があったのでは?

未来機関の“彼女”は問題なく活動しているのだろう?』

 

Aの声です。

 

『しかし、能力については完全なコピーに成功している。

だからこそG-fiveの完成に至った』

 

それを受けてBが語ります。やっぱり意味がわかりません。

今度はCの声がホールに反響しました。

 

『時期尚早とは思うが、彼女に名前を返してみてはどうだろうか。

存在の根幹となる名前を与えることで、

記憶の欠落を停止させることができるかもしれない』

 

「えっ!?それ、すごく賛成です!

名前があれば、私、もっと頑張れる…ような気がします!」

 

『静まりたまえ。発言は許可していない。

……だが、別個体を造り直している暇はない。いいだろう。

拠点Aが発見された以上、奴らがここを嗅ぎつけるのも時間の問題だ。

賭けに出ようではないか』

 

反対すると思ったDが賛成してくれました。やったー!

 

『決を採る。B19306に名前を与える。反対の者は?』

 

『賛成』

『異議なし』

『決議に賛成』

 

『よろしい。B19306、君に名前を与える。心して聞け』

 

「はい!」

 

『君の名前は……』

 

待ち焦がれてはいたものの、急にその時が来て私の胸はドキンドキン!

背筋を伸ばして、聞き逃さないように、両耳に神経を集中します。そして──

 

 

 

 

 

みんな聞いてください!やっと、やっと、私は名前を取り戻したんです!

新しくあてがわれた個室で、手帳を抱きしめながらベッドの上で転がります。

1ページ目に堂々とマジックでその名を書き留めました。

とっても綺麗で可愛い名前!

これでいつでも彼に会えます。自身を持って名乗ることができます。

 

パラパラと手帳をめくって、ウキウキしながら彼の似顔絵に修正を加えます。

あ、ウキウキもやっぱり古いかも?でも、そんなこと、今の私には関係ありません。

今度はもう少し顎を細くしてみようかな。

そこでまたお胸がドキン。これって、彼の素顔に近づいたってことですよね!

この手帳も何十冊目になるかわかりませんけど、

手帳を取り替える度に一番ドキンと来るページをちぎって

テープで貼り付けてるんです。

 

名前も知らなければ居場所もわからない私の彼。

だけど何もかも忘れてしまう私の脳が、おぼろげながらも留めておける唯一の過去。

本物の彼は、それはもう素敵な人に違いないんです。

これ以上ない幸せの中、私は布団に潜り込んで

叫びたくなるような喜びを抑え込んでいました。

 

でも、ふとあることが気になって布団の中で身悶えすることをやめました。

そして、折りたたんで手帳に挟んでいた資料を広げます。

 

江ノ島盾子。

 

うむむ。資料と手帳の内容を見比べます。

手帳の記録によると、私は半年間彼女と生活を共にしていたようです。

そのうち、A達から渡された資料のほうが詳しいことに気づき、

そっちに集中し始めました。

改めて読み返すと、私の胸の中で妙な感情がむくむくと湧き上がってきます。

今度はドキンじゃありません。

 

「……いいなあ」

 

私は今まで名前を取り戻すために一生懸命働いてきたわけですが、

人間というのは欲が出る生き物でして。

名前があっても名乗る相手がいなければ意味ないですよね?

彼女と私は同じなのに、どうして私は違うんでしょう。

どうして、どうして、どうして。

 

大の字になって天井を見ると、温かみのない特殊合金の天井。

答えを教えてはくれません。手帳をめくっても答えは書いてありません。

当然答えを思い出すこともできません。

1分前の幸せな気分はどこかに消え失せ、なんだかイライラしてきました。

なぜでしょう。私はただ、ベッドを一回殴りました。

 

 

 

 

 

彼女が去った後、知らぬ間にA~Dと名付けられている人物達が、

やはりスピーカー越しに何事かを話し合っていた。

 

『これで、彼女が使い物になれば良いのだが』

 

『そうでなくては困る。何のためにこの地下都市を作り上げたのか』

 

『全ては《希望》のため。

世界に真の《希望》をもたらすため、我々はここに集った』

 

『失敗したら?何も変わらず、ただ忘れ続けるだけの存在でしかなかったら?』

 

『そのために保険を用意したのだろう。

超高校級の希望でなければ彼女でもないあの男なら、再生は余程容易い』

 

『なるほど、あの女に比べればDNAサンプルには困らなかったからな』

 

『そういうことだ。未来機関の唱える偽りの未来から人類を救済する。

それが我々《希望》の残党だ』

 

『あえて“残党”を名乗る日々も、間もなく終わるだろう』

 

中央のコンソールのモニターに電源が入り

地下都市のとあるエリアの様子を映し出す。

そこには、生理的食塩水に満たされたベッド型の培養基が無数に並んでいた。

中には、人の姿が見える。

 

『伏兵も用意した。

連中の妨害も想定内とは言え、みすみすここを明け渡すつもりもない』

 

B19306でなくとも、誰が聞いても意味のわからない会話が終わると、

ホールにはただ静寂が残った。

 

 



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第14章 例え手にしたものが身を滅ぼそうと

“こちら渋谷09、警視庁より通達。日比谷01、応答願います”

 

「日比谷01、どうぞ」

 

“えー、8時12分、現状マル暴、G事案ともに判然としない。

警戒態勢を維持しつつ予定箇所に突入願う”

 

「日比谷01、了解。到着次第、機捜展開し突入及び不審者の鎮圧を行う」

 

“渋谷09了解”

 

ノイズがかって聞き取りづらい武装警察隊の無線通信が車内に流れる。

機動隊の車両を先頭に、アタシ達を乗せた武装警察隊の車列が夜の車道を進む。

今なお再開発の手が及んでいない周辺の道路はデコボコしていて、

時々装甲車ごとガタンとアタシ達を揺らす。

 

皆の言葉数は少ない。6年前を思い出す。

だけど塔和シティー攻略作戦と決定的に違う点は、

目的が誰かを助けるためでなく、誰かを倒すためだということ。

しかも、その“誰か”が誰なのかも曖昧なまま。

 

無数のヘッドライトが闇を切りながらひた走る。

第十四支部から車に乗り込み、

警視庁前の交差点で待機していた機動隊と合流してから1時間経った頃。

外部監視用の小窓から外を見ていた終里さんが皆に呼びかけた。

 

「なあ!あれ希望ヶ峰学園じゃねえのか!?」

 

その声に全員窓を開けて闇夜に浮かぶ巨大な建物の姿を見る。

 

《うん。間違いないよ。この位置から見える大型建造物は……。希望ヶ峰学園だけ》

 

「ボク達が学園生活を送った校舎とは、思えないよね……」

 

「どうにか面影が残っている程度じゃのう。ワシも、なんと言っていいか」

 

「シャングリ・ラが魔王バアルの居城と化したか……。

アビスの波動が渦巻いていることは間違いない」

 

「あうう…私達の思い出が、めちゃくちゃになってますぅ」

 

みんなは知っててアタシは知らない、広い敷地にそびえ立つ学校だったもの。

殆どの窓ガラスは割れ、外壁にはヒビが入り、蔦が絡みつき……。

そして古い血痕が。人類史上最大最悪の絶望的事件の忘れ形見。

外部をこの目で見るは初めて。

今のアタシを形作る引きこもりの記憶をさらってみると、

確かゲームの1シーンで見ただけ。

 

それもあって、みんなには悪いけど、

希望ヶ峰学園はただの古い建物にしか思えない。

別段、大した落胆も失望もなかった。

 

アタシが気になるのは、やっぱりB子の正体と目的。

彼女にG-fiveを作らせたのが《希望》の残党であることはわかりきってる。

希望を名乗る組織の全容も解明しなきゃ。

まずはB子を探し出して組織について吐かせる。

 

10分程して車が止まった。もう目の前には希望ヶ峰学園の校門。

その前に機動隊の車が密集し、ヘッドライトで正門だけが明るく照らされる。

奥の様子は光が届かないのか不気味な闇を放つだけ。

アタシ達が乗っている車から助手席の隊員が降り、

続いて車を運転していた隊員も降りようとしたけど、

その直前ぶっきらぼうな声で念押しした。

 

「おい。お前達はここで待機だ。指示があるまで動くな」

 

返事も聞かずに外に出てドアを閉めると、隊列を組む別車両の隊員と合流した。

 

「チッ、偉そうに指図しやがって。

日向らが手がかり見つけるまで、この場所もまるっきり放置してたくせによォ」

 

「イラつくのはわかるけど、ここは我慢しましょう。

本来アタシ達民間人の参加が認められることはなかったんだから。

十神さんが無理を押し通してくれなかったら、

ただ結果を待つことしかできなかったんだし」

 

「わぁったよ。お手並み拝見と行くか。

奴らが泣いて帰ってきたら指差して笑ってやんよ」

 

九頭龍君が短刀を抜いて刀身を車内灯にかざして切れ味をチェックする。

そうね、思い出した。ここに来るまでに、十神さん達といろいろあったのよね。

お呼びが掛かるまで、今日の出来事を整理しておきましょう。

 

 

 

 

 

気のせいかしら、やっぱりどこか乱暴にタブレットが振動する。

テーブルに置いていたタブレットを手に取り電源を入れると、

十神さんからのビデオ電話。前置きもなしに用件を突きつけてくる。

 

『指令だ。お前達が持ち帰った情報を元に、

武装警察隊が旧希望ヶ峰学園校舎に突入することが決まった。

同行して謎の女と《希望》の残党を確保してこい。警察より先にだ。

どちらの立場が上かを分からせてやれ。

決行は一週間後。恐らく戦闘になるだろう。手抜かりなく準備をしておけ。

……警察も全く面の皮が厚いものだ。親の顔が見てみたい。

情報だけは要求しておいて手柄は

「局長ー!言われた通り午後ティー買ってきました!」

馬鹿者、紅茶と言われてペットボトルを買ってくる奴があるか!湯を沸かして茶葉を

「ちょっとデコマル!あたしの仕事取るんじゃないわよ!

白夜様に紅茶を提供するのはあたしだけの役得」

ええい、画面に入るなと言っている!

この馬鹿二人を第一支部に推薦した奴は誰だ!』

 

そこで通信切断。苦笑していると画面が切り替わって、今度は霧切響子。

 

『詳しくは私からね。出発は一週間後の午後7時。

武装警察隊の車が迎えに来るから時間厳守ね。

十神局長も言っていたけど、希望ヶ峰学園到着後は激しい戦闘が予想される。

捜査に加わる人は相応の準備と覚悟をしておいて。

あと……。戦いに自信のない人は参加しないという選択肢もある。

そもそも今回の未来機関の作戦参加は十神局長が強引にねじ込んだものだから』

 

「俺は行く。みんなの代表としてこの事件の結末を見届ける義務があるし、

俺の超高校級の希望なら必ず何かの役に立てる」

 

リーダーの日向君の発言をきっかけに、皆が次々に決意を述べる。

 

「うまく言えないけど、ボクの幸運で何もかもうまく行けばいいと思ってるよ。

揺り返しの不幸が怖いんだけどさ。ハハ」

 

「オリジナルが現場に出向くことができない以上、俺が出るしかなかろう。

十神の名にかけて、な」

 

「嗚呼…ラグナロクの刻が迫っている。

左腕に封印せし暗黒竜が俺様の中で暴れ狂う!」

 

「ま、オレはガチンコの戦いには向いてないからやっぱお前らのサポートだな。

ガジェットの具合が悪かったら今のうちに言えよ?」

 

「わたくしの武器は問題ありませんわ。和一さんが改良してくれましたし」

 

「花村も来るんだろー?オレ、お前の料理がないと200%のパワー出せねえからさー」

 

「もちろん行くよ!激しい戦闘になるんだよね?だったらポロリも期待でき」

 

「できるわけないでしょうが!なんであんたは最後までそうなのよ!?

あと、アタシのカメラは快調だから!」

 

「ワシも終里のマネージャーとして参加するぞい。

敵などおらんに越したことはないが、

現れたとしてもワシのストレッチで元気にしてやるわい。

ちょいと痛みを伴うがのう!」

 

「わたしも行くけどさー、

今度は澪田おねぇのマイク、完全に声が漏れないようにしといてよね。

昔あれでひどい目にあったし」

 

「当時も思ったんすけど、

唯吹の声が完全に兵器扱いされてる状況が物哀しいっす……」

 

「九頭龍組の頭として、ここで退けるわけねえだろうが。

例の女には、きっちり落とし前つけさせる」

 

「私は組長と共に往くだけだ。何が立ちふさがろうと、この竹刀で斬り伏せよう」

 

「ええっと、私は皆さんが怪我をされたときに手当てを……。

あ、もちろんそうならないのが一番なんですけど」

 

「アタシにできることなんてもうないんだけど、連れて行って。

B子とアタシとG-five。何かで繋がってる気がする。それを確かめなきゃ」

 

「だったら私が盾子ちゃんを守る。危なくなったら私の後ろに下がってね?」

 

全員が参加を表明すると、霧切響子は大会議室の皆を見回し、軽くため息をついた。

 

「本当は危険な作戦からは降りて欲しかったんだけど、

みんなは昔と変わらないわね。わかった。十神局長を通じて警視庁に伝えておく。

だけどこれだけは約束して。全員無事に帰ってくること。いいわね?」

 

皆がそれぞれの形で返事をした。その瞳は決意に満ちている。

全てが終わった時、この世界に本当の希望が訪れる。そう信じていたから。

 

 

 

 

 

銃声がひとつ夜空を裂く。回想に浸っていたアタシはハッと我に返る。

とうとう戦闘が始まった。隊員達の指令と怒号が飛んでくる。

全員が小窓から希望ヶ峰学園の正門を見た。

だけどヘッドライトで逆光になり、奥の様子が見えない。

 

鳴り続ける銃声、打撃音、そして悲鳴。

それらが入り乱れ、敵のものか味方のものかわからない。

アタシ達は緊張しつつ様子を伺う。

もし戦況不利なら出動命令が出るはずなんだけど……。

 

15分程で戦闘が終わったのか、静寂が訪れる。

でも、誰も戻ってこないし、中で何かをしている様子もない。

思い切って無線機のマイクを取って呼びかけてみた。

 

「誰か、誰か応答して!無事なの?援護は必要?」

 

受信機はただノイズを流すだけ。

アタシは不安な気持ちを抱えて日向君を振り返る。彼は黙って頷いた。

 

「みんな行こう。俺達の母校へ!」

 

全員が言葉ではなく視線で応えると、ぞろぞろと装甲車から降りた。

雑草を踏みしめ、道路を横切り、とうとう希望ヶ峰学園の敷地に入る。

アタシ達は正門の前で一旦立ち止まる。

田中君が言ったように、それは夜の闇も相まって

魔王の城のように近づく者を拒む冷たい悪意すら感じさせた。

 

私立希望ヶ峰学園。

都内一等地に立つ超一流のエリート校。

日本のみならず世界の未来をリードする天才を育成する教育方針を掲げている。

入試制度は設けておらず、生徒は皆他校からスカウトされた転入生。

入学資格はただひとつ。何らかの分野において超一流であること。

誰もが希望ヶ峰学園について語るときには、必ず口々にこう言った。

 

『この学園を卒業できれば、人生において成功したも同然』

 

そのはずだった。江ノ島盾子という化物が現れるまでは。

彼女が放った絶望は世界中に伝播し、希望の象徴であった学校は死、苦痛、悲しみ。

果ては人間の欲望、エゴ、憎しみ、殺意、狂気。

数え切れないほどの醜さの中心地となり人類という種を汚染していった。

 

心は他人とは言え、当の江ノ島盾子が

また希望の残骸の前に立っているのだから世の中何が起こるかわからないものね。

声に出さず口だけで自嘲気味に笑うと、

お姉ちゃんには気づかれたみたいで、そっと背中に触れてきた。

 

「盾子ちゃん。一緒にがんばろう」

 

「……うん、アタシは大丈夫だから」

 

日向君が意を決して皆に告げた。

 

「俺達も突入するぞ!」

 

正門の重い門扉は機動隊が開けたままだからいつでも入れる。

彼が一歩足を踏み入れると、一人また一人と中に入っていく。

アタシを最後に全員が敷地に入ると、

遠くの方で電気も通ってないのに地面にポツポツと灯る明かりが見えた。

 

「探知機に反応だ。多分機動隊なんだろうが……。ピクリとも動きやしねえ」

 

左右田君が生体反応探知機で周囲を警戒していると、何か見つけたみたい。

 

「どの辺りだ?」

 

「この道をまっすぐ」

 

アタシ達は小走りで探知機のマーカーが示す場所に向かう。

 

「あそこだ!反応が近いぞ!」

 

暗くてよく見えなかったけど、そこには確かに機動隊員が倒れていた。

明かりの正体は彼らが持っていた懐中電灯やヘルメットのライトだった。

よく見ると光源だけじゃなく、

彼らが装備していた強化プラスチックの盾や銃も転がっている。

すぐさま罪木さんが駆け寄り、生死を確かめた。

 

「うう、俺は…ぐうっ!」

 

「だ、大丈夫です!重症ですがまだ助かります!今、応急処置をしますからね!」

 

「にげ、ろ…やつらが、くる」

 

「明らかに異常事態だな。俺は霧切さんに連絡を取る。みんなは周囲の警戒を頼む」

 

罪木さんは救急箱を開け、手早く隊員の治療を開始。

日向君はタブレットで霧切響子に応援要請。

アタシ達は円になって四方を見張るけど、

誰もいないはずの広場に何か薄ら寒い気配を感じる。

だけど暗闇に隠れて姿が見えない。

気のせいであることを祈りながら時間が過ぎるのを待った。

 

「……ああ、きっと部隊は壊滅状態だ。救急車を手配してくれ。俺達も引き返す。

わかってる、無理はしないさ。また何かあったら連絡する」

 

通話を終了すると、タブレットをしまいながら日向君が決定事項を伝える。

 

「作戦は失敗。俺達だけで対処するのは無謀だ。引き返して迎えを待とう」

 

「それなんだがよう、日向。オレとしては無理なんじゃねえかと思うんだよな……」

 

左右田君が青くなって生体反応探知機のモニターを見てる。

 

「どういうことだ?」

 

「ぐるっと回ってレーダーを向けたんだが、どの方向にも光点があってよー……。

つまり、オレ達、囲まれてるっぽいんだよな」

 

「「!?」」

 

にわかに全員が騒然となる。皆が辺りを見回すけど、やっぱり暗くて何も見えない。

 

「囲まれてるって、隊員の反応じゃないのか!?」

 

「ちげー!味方なら丸印なんだが、所属不明は逆三角なんだ。

しかもその三角、ジリジリ俺達に近づいてる気がすんだよ……」

 

「全員、構えろ!」

 

すかさず日向君の指示が飛ぶ。みんながそれぞれの武器を構え、接敵に備えた。

アタシもとっさに超高校級の軍人で殺人術の型を取りながら、敵が現れるのを待つ。

希望ヶ峰学園の中央で完全に取り囲まれたアタシ達。

逃げ出すには、誰かもわからない敵を倒すしかない。

 

そして、皆の緊張がピークに達した時、

“奴ら”が茂みから、ベンチの影から、枯れた広葉樹から、

ぬるりと這い出すように姿を現した。

 

──まだ生き残りがいやがったか。ま、俺らのやることは変わらねえけどよ。

 

足音がはっきり聞こえるほど近づいた時、初めてその正体が見えた。

闇に溶け込む漆黒の学生服に身を包んだ長身痩躯の男達。

髪もまたそれに合わせるように長い黒を肩まで伸ばしてて、

肌が露出しているのは顔と手だけ。

 

まるで死人のように真っ白な顔には蛇のような長細い目が走り、

アタシ達を見てニヤリと笑う。その口角もまた口裂け女のように広く、

笑った口からはやはり蛇のように長い舌が垂れる。何より異常なのは……

 

「こいつら何人いやがるんだよ、おい!」

 

左右田君が悲鳴を上げるのも無理はない。

奴らはみんな、全く同じ姿をしていたから。

目も鼻も口も、身長も服装も何もかも同じ。

 

「みんな落ち着いて!奴らの能力は──!」

 

 

○超高校級のボディーガード

 

斑井(まだらい)九式~百八式

 

 

「そうだよ、わかってんじゃねえか。さすが、江ノ島盾子ってとこか?」

 

斑井の一体がアタシ達を追い詰めるようにゆっくりとした足取りで近づいてくる。

 

「ねえ盾子ちゃん!これ、もしかしてクローン人間ってやつ!?」

 

「他に可能性がないわ!少なくとも味方じゃない!」

 

他の斑井達もじわじわと包囲網を狭めてくる。

 

「ああ、俺達の敵はお前達」

「俺達の使命は、守ること」

「だから奴らに死んでもらった」

「彼らに近づく奴は」

「生かしちゃおけねえ」

「今度こそ」

「守り抜く」

 

別々の個体がまるで意思を共有しているかのように、複数の口が一つの言葉を語る。

 

「というわけでよう!!」

 

九式が長い腕しならせ大きな拳を飛ばしてきた!

軍人としての判断能力でとっさに回避。それが戦闘開始の合図だった。

皆、一斉に百人の斑井と戦いを始める。戦況は最初から不利。

なにしろ16対100だからね!各自のガジェットが早くも火を噴く。

 

「そこっ!」

 

「はぎがああああ!!」

 

奇妙な形の弾丸がソニアさんの銃から発射され、斑井の一体に刺さる。

弾丸は一気に強力な電気を放ち、斑井を失神させた。

 

「次は……。そこですね!」

 

「っと、残念はずれだぁ!」

 

「後退しろソニア!」

 

「和一さん、予備の弾を!」

 

ソニアさんは左右田君が作った無線式テーザーガンで戦う。

小さなバッテリーを内蔵したコンセントのプラグに似た形状の弾丸を発射し、

電気ショックを与える。でも、この暗闇で命中させることは難しいみたい。

 

「オラァ!」

 

「ふっ!……あんだよ、その程度か?」

 

終里さんの回し蹴りをガードし、

彼女を捕らえようと絡みつくように両腕を伸ばす何番目かの斑井。

体操部の能力で攻撃を見切って避けたけど、自分の攻撃も通らない。

 

「なあ、まだかよ花村!晩飯とっくに消化しちまって腹が減ってきてんだよ!」

 

「ちょっと待って!……焼けた、と思う!はい、500gダイナマイトハンバーグ!」

 

花村君がフライ返しで大きなハンバーグを投げ、終里さんが口でキャッチ。

でも様子が変。

 

「よっと!むぐむぐ……んんっ!?花村、これ生焼けだぞ!」

 

「え、そうなの!?ごめん、暗くて焼き加減がよくわからなくて!」

 

「これじゃ半分も力出ねえよ……。オッサン頼む!」

 

「おう、ワシに任せい!」

 

生焼けを食べてしまった終里さんに代わって弐大君が前に出る。

 

「……ははっ、次はてめえか」

 

「その不健康そうな身体、ワシの施術で血の巡りを良くしてやるわい!」

 

「訳わかんねえこと言ってんじゃ、ねえ!!」

 

斑井が一気に弐大君に接近し、彼に両方の拳を繰り出す。

銃弾のような速さの拳をキャッチし、斑井の拳を封じることができた。

と、思った瞬間。

 

「へっ、甘えんだよ……」

 

「な、なんじゃ!」

 

逆に自分の体を弐大君に引き寄せ、軟体動物のように絡みつく。

弐大君の大きな身体を這い、一瞬で背中に回った斑井が、

彼の首と頭部に両手を回す。

 

「首をへし折るか、頭を叩き潰すか、それが問題だ。ってなあ?」

 

「しまった!」

 

「動くな弐大ぃ!」

 

その時、闇の向こうから人影が飛んできて、

弐大君の背中に貼り付いていた斑井の脇腹に飛び膝蹴りを叩き込んだ。

たまらず奴はひび割れだらけの歩道に投げ出される。

 

「ごほあっ!」

 

まだ殆ど数を減らしていない斑井を警戒しつつ

弐大君と合流する九頭龍君と辺古山さん。

 

「おう、しっかりしろや」

 

「うぬう、すまん!」

 

「組長、まだ敵が迫っています!」

 

「まとめて片付ける。極道の喧嘩、見せてやらあ」

 

3人は一体となって斑井の群れに突っ込んでいく。

 

澪田さんと日寄子ちゃん、小泉さんがグループになって、

改造ギター、カメラと扇子で戦っていた。

 

「小泉おねぇ、わたし、もう疲れちゃった~」

 

敵の視神経に訴えて注意を引きつけるよう配置されたLEDライトが光る扇子を持って

舞い続けた日寄子ちゃん。既に着物は汗でぐっしょり。

 

「ごめんね!敵と味方がごっちゃだからフラッシュが使えなくて……」

 

「モーマンタイ……。深呼吸して、もうちょい頑張るっす」

 

彼女に引き寄せられた敵に歌と演奏で攻撃する澪田さんも、疲れの色を隠せない。

 

「……超音波か。耳をふさげば、楽勝だな」

「指を折って、二度とピックをつまめない手にしてやるよ」

 

攻撃の正体に気づいた何人かが、ハンカチを破って耳に詰め、

今度は澪田さんを標的にする。

 

「澪田おねえ、危ない!」

 

「ぐぬぬぬ……。こうなったら!」

 

斑井のひとりが手を伸ばしてきたタイミングを見計らい、

彼女はギターをバットのようにフルスイングし、力任せにぶん殴った。

バッテリーを内蔵して重くなったエレキギターの一撃が顔面に命中。

 

「うごおっほお!!」

 

「な、なにやってんのさ澪田おねぇ!?」

 

「ロックにケンカは付き物っす!今日の唯吹はガチンコファイトで行くっすよー!」

 

「無理だって、やめなよー!」

 

「もう後には退けねえっす!こうなりゃとことんやるまでっす!おりゃー!」

 

弦が数本切れたギターを持って、

澪田さんは日寄子ちゃんを背に改めて斑井達に戦いを挑んだ。

 

「くっ…さすがに、これだけの数となると、一人じゃ、キツいな」

 

滝のような汗を流しながら日向君は孤軍奮闘していた。

無数の才能を持っていても、身体は一つしかない。

何人もの斑井を倒したが、彼の体力は尽きかけていた。

 

「ごめんよ、日向クン。ボクの幸運、まだ発動しないみたいだ!」

 

「ごめんなさい…私、この人の手当てを続けなきゃ……」

 

「はぁ…はぁ…気にすんな。俺が、なんとかしてみせる」

 

でも、まるで減る様子のない斑井達がいたぶるように一撃離脱を繰り返し、

日向君が力尽きるのを待つ。

 

「余裕じゃねえか。役立たずを守りながら俺達と戦おうってか」

「流石だな、カムクライズル」

 

「俺は…日向創だ!」

 

「違うな。お前は、カムクライズル」

「ずっと待っていた。お前に、復讐するチャンスを」

「次は、誰を殺す?」

「何人殺す?」

「お前は人殺しだ……。カムクライズル!!」

 

突然怒りを顕にした斑井の群れが一斉に日向君に襲いかかる。

夜の黒を裂く白い矢のように疾走し、両の手で彼を鷲掴みにしようとした。その時。

 

『♪ピンポンパンポーン お呼び出しを申し上げます。

未来機関からお越しの江ノ島盾子さん。

江ノ島盾子さんは、教職員棟地下都市までおいでくださーい』

 

生き残っていたスピーカーから、場違いに明るい声のアナウンスが聞こえた。

原稿でも読んでいるのか、紙をくしゃくしゃと触る音が混じっている。

すると、斑井達は悔しそうに日向君を一瞥すると、

何も言わず別方向へ去っていった。

 

「なんだったんだ、今の放送は……?」

 

「江ノ島さんを呼んでいたけど、何が目的なんだろう。

……いや、そんな場合じゃない。きっとあいつらは彼女のところへ行ったんだ!」

 

「狛枝、罪木を頼む。江ノ島が危ない!」

 

「えええ、無茶ですよぅ!そんなに消耗しきってるのにまだ戦うなんて……」

 

「江ノ島を渡せば奴らの思う壺だ!行ってくる!」

 

「罪木さん、他のみんなも応援に向かってるはずだよ。日向クンを信じよう」

 

「……はい」

 

疲弊した身体に鞭打って、彼はアタシのところに向かってくれた。

 

アタシも人の心配ができるほど余裕があったわけじゃないの。

超高校級の軍人があれば、斑井達を叩きのめせる。

そう思って、戦闘が始まってから敵の数を減らそうと

真っ先に奴らの一体に戦いを挑んだんだけど。

 

右ストレートから始まり、左の回転蹴り、右手の裏拳と連続技を繰り出すと、

斑井も巧みにガードや回避でダメージを防ぐ。向こうもじっとしてはいない。

掌打、ローキック、頭突きと間髪を入れず反撃してくる。

アタシは攻撃を見切って的確にガード。その結果。

 

「痛い痛い痛い!!お姉ちゃん助けて!」

 

「下がって、私がやるから!」

 

「ごめん、痛すぎる……」

 

すごく痛かった。5年に渡るニート生活と1年間の飲んだくれ生活で、

すっかり体力も筋肉も落ちた哀れな江ノ島盾子が、

全身を鍛え上げた現役のボディーガードと身体をぶつけあったらこうなるわよね。

泣きそうになりながら恥も外聞もかなぐり捨てて、お姉ちゃんの後方に退避する。

 

「江ノ島盾子と」

「戦刃むくろか」

 

「盾子ちゃんに近寄らないで」

 

お姉ちゃんが普段見せない鋭い目つきで斑井を睨みながら告げる。

 

「お前に用はない」

「いや、少しはあるかもな」

「だが、今は江ノ島だ」

 

「よくわからないけど、私ならお前達に負けない確信がある。

盾子ちゃんも渡さない」

 

「お前も味わってみろよ」

「守れないという屈辱を」

「最高に最悪な気分だからよ」

 

一瞬。本当に一瞬だった。

お姉ちゃんが地を蹴り斑井に急接近し、顔面に拳を叩き込み、

そばにいたもう一体へ続けざまにハイキック。

更に左手で一体に目潰しを食らわせた。

 

「へぶっ!」「だがふっ!」「ぎゃああ!!」

 

地に転がる不気味な大男達。

一度に3体を撃破したお姉ちゃんは、疲れた様子もなく次の獲物に視線を走らせる。

 

「次、誰?」

 

「残念だが、時間だ」

「あんまりスマートなやり方じゃなくて嫌なんだけどよ」

「任務のほうが先なんでな」

 

任務って何かしら?

お姉ちゃんの背中を見ながら考えていると、どこかから誰かの声が聞こえてくる。

声の主と距離があるせいでよく聞こえない。

耳を澄ましてよく聞くと、それが“逃げて”だということに気づいた。

同時にそれが手遅れだということにも。

 

背後にぬっと大きな気配が現れると、アタシは襟首を掴まれて後ろに引っ張られた。

そしてギョッとする光景を見る。

ほぼ全ての斑井が集まってアタシとお姉ちゃんに殺到してきた。

二人共100人近い斑井に押しつぶされそうになる。

 

「お、お姉ちゃん!?」

 

「盾子ちゃん、こっちへ!」

 

「ちょっと無理なんじゃないかなぁと思う!」

 

数の暴力でアタシ達は完全に分断された。

やがて斑井がアタシを持ち上げ、どこかへ連れ去ろうとする。

お互い手を伸ばすけど、それは届くことなく、

誰かから食らった腹への一撃で、アタシは気を失った。

 

 

 

 

 

希望ヶ峰学園 教職員棟(?)

 

目を覚ますと、そこはSF映画に出てくるような宇宙船の個室を思わせる、

全体的に滑らかなカーブを描く金属製の個室。

ステンレスか真鍮かはわからないけど。

ここはどこかしら。みんなのところに戻らなきゃ。

外に出ようとしたけど、身体が動かせない。

 

「何、これ……」

 

両手は後ろ手に縛られ、両脚は椅子の足に縛りつけられている。

しばらくもがいていると、自動ドアが開き、女が入ってきた。

その姿に思わず目をむいた。

 

「あ、起きたんですね。お久しぶりです、江ノ島盾子さん」

 

忘れもしない。いや、最近まで忘れてたんだけど、とにかくB子が話しかけてきた。

 

「あなた、B子……?」

 

呆気にとられて思わず口にすると同時にB子の手が飛び、顔が揺れた。

始めは何をされたのかわからなかったけど、

次第にジンジンとした痛みが頬に広がり、

平手打ちされたということにようやく気づいた。

 

「痛い……」

 

「人を変な名前で呼ばないでください!失礼じゃないですか!

私にはもうちゃんとした名前があるんです、ほら!」

 

B子は手帳を取り出し、最初のページを顔にくっつける勢いで見せつけてきた。

 

「これが…あなたの、名前?」

 

いきなり頬を張られた痛みとショックで混乱しつつ、やっとの思いで口にした。

 

「そう!私はもうB19306じゃありません。こんなに可愛い名前があったんです!

えっへん!」

 

怒ったかと思えば今度は満足げな笑顔で胸を張る。

彼女の姿を見て、アタシは無意識のうちに理解した。B19306の正体は。

 

 

○超高校級の超分析力

 

音無 涼子

 

 

「そう……。これでわかった。何もかも、あなたが仕組んだことだったのね」

 

自分の分析能力で音無涼子を観察・分析すると、

彼女もアタシと同じ能力を持っていることがわかった。

あ、やっぱりまだまだわからないことがある。

 

「“何もかも”って何ですかー?」

 

「何って、G-fiveを作ったことやそれを喜男さん達に配って殺人を唆したこと!」

 

「う~ん……多分それ、昔の話ですよね。

だったら私には思い出せないので、私には関係ありません」

 

「関係ない、ですって!?あんたのせいで何人死んだと思ってるの!

何もわからない人や、死ぬしか方法がなかった人を……痛つっ!」

 

冷たい鉄の部屋にパアンと乾いた音が響く。

また力任せにビンタされて、少し涙が出た。

音無は苛ついた表情で手帳に挟んだ紙を広げて読んでいる。

 

「ええとぉ!?“江ノ島盾子との付き合い方1、ムカついたらとにかく殴れ”!

よかった、間違ってないです!確かに少し気持ちが晴れました。少しですけどね!」

 

紙を近くのテーブルに置くと、音無は何度か深呼吸して感情を鎮め、話を続ける。

 

「話は戻りますけど、あまり私を怒らせない方がいいです。

ただでさえあなたを見ていると腹が立ってしょうがないんですから」

 

「アタシが憎いの?どうして?」

 

「それがわからないから困るんじゃないですか!ああもう、待ってください。

“江ノ島盾子にムカついたこと”。そうですねぇ、最新のやつは……。これです。

さっきのアレ、なんだったんですか?」

 

今度は顔をずいっと近づけて詰問してくる。

少し身体がぐらついたらキスするくらい。

 

「アレって何よ……」

 

「何が“お姉ちゃん助けて~”なんですか?

……あなたはいいですよね、困った時に助けてくれる家族がいて!」

 

また殴られる。今度は往復ビンタ。

一発目で腫れた頬に追い打ちをかけられて更に痛い。

 

「あつっ!痛っ、やめて!」

 

どうして?なんでアタシぶたれてるの!?

 

「私と同じなのに、どうしてあなたは恵まれてるんですか?

私はどんどん忘れていくのに、あなたはあなたのままなんですか?」

 

「痛い!お願いだから!許して!」

 

意味不明な事を叫びながら、音無は鬼のような形相でアタシを殴り続ける。

グーで、パーで、怪力とも言える力で。

 

「私とあなたの何が違うんですか!!」

 

「何でもするから、お願い、お願い……」

 

ぶたれ続けて、アタシの顔は腫れ上がる。

音無はさっきの紙をもう一度見て納得したように独り言を言った。

 

「よかった。忘れる前にちゃんとできました。

怒ることを忘れたら損ですからね。これは絶対忘れちゃいけません。

“江ノ島盾子との付き合い方2、口答えしたら殴れ”。これも大丈夫!……さて」

 

彼女が手帳を確認するとアタシの前に立つ。怯えきっていたアタシは、

逃げられないと分かっていても後ろに下がろうとしてしまう。

 

「だめですよ。あなたには江ノ島盾子に戻ってもらわなきゃ」

 

「戻るってどういう意味……?」

 

「皆さんに会うには、そのダサい格好のままじゃダメってことですよ。

完全には無理ですけど、私が超高校級のギャルに戻してあげましょう。

まず、やることリスト1」

 

すると、音無がアタシのブラウスの襟に手をかけて、一気に開いた。

ボタンが弾け飛び、ブラジャーが見えるほど胸元が顕になる。

彼女の目的がわからない。

 

「ちょっと、何なのよ!」

 

「あなたのトレードマークでしょう?バカみたいに大きく開いた胸元。

次に、やることリスト2」

 

今度は、アタシに髪にさらりと手を通して、一房握ると……。思い切り引っ張った。

ぶちぶちと何本か髪が抜ける。

 

「痛い!痛い痛い!やめてやめてお願い!」

 

散々なぶられ続けて心が折れていたアタシは、懇願することしかできない。

音無はポケットからヘアゴムを取り出し、乱暴に髪を縛った。

 

「これもトレードマークでしたよね。たっぷり髪のツインテール。ほら、あと一つ」

 

「引っ張るのはやめてって、頼むから、なんにもしないから!」

 

また強引に髪を結われる。

わざとやっているのか、握った髪を揺らすから頭がぐらぐらする。

抵抗できないアタシは、彼女が満足するまで待つしかなかった。

 

「うあ……。もうやめて。ほんとに、何でも言うこと聞くから……」

 

「よし、これでオッケーです!皆さんにお会いしても恥ずかしくないですね!」

 

余計恥ずかしくなったと思ったけど、もう叩かれるのは嫌だから黙っていた。

 

「今から縄を解きますけど、おかしなことは考えないでくださいね。

もっと痛い思いをすることになりますから」

 

「……わかった」

 

音無がロープをほどいて手足が自由になると、圧迫されていた部分をさする。

 

「準備ができましたから、さっそく面会に……。

だめだめ、大事なことを忘れるところでした」

 

「今度は、なに?」

 

彼女が慌てて手帳を開き、ひとつ頷いて読み上げた。嫌な予感がする。

 

──江ノ島盾子との付き合い方3、

江ノ島盾子は危険な女だから、死ぬほど痛めつけて抵抗の意思を奪いましょう。

 

えっ?

あまりにも突拍子がないというか、残酷と言うか、理不尽というか。

脳が理解を拒むほど狂った内容に何もリアクションが取れない。

そして音無涼子はそんなアタシに構わず、メモに従った。

 

「じゃあ、行きますね。スタート!」

 

「あ……。ぎひっ!」

 

ボケっとしていたら鼻柱に彼女の拳が食い込んだ。

女神らしからぬ豚の鳴き声のような悲鳴を上げて、

鼻にツーンと来る痛みと共に床に倒れ込む。

綺麗に磨かれた床がアタシの真っ赤に腫れた顔を映し、

その顔が見る間に鼻血で染まる。

 

「いやだぁ…やめて…」

 

「だめですって。まだ始まったばかりなんですから。次はどうしようかな。

こうすればいいのかな。……それっ!」

 

「かっ!…あ……!」

 

今度はよつん這いになって逃げようとしたところで脇腹を蹴られた。

さっきよりはお上品な声を出せたけど、鈍い痛みがお腹に広がって息が出来ない。

それでも音無は容赦なくアタシを痛みで屈服させようとする。

とうに降参していたアタシは反撃しようとは考えもしなかった。

何をされるかわからない恐怖に震えるばかり。

 

頭を踏みつけ、何度も体中を蹴飛ばし、指を踏みにじる。

どうしてこんな目に遭うんだろう。アタシは胎児のように丸まり、

彼女のご希望どおり泣き叫びながら、暴力の嵐が過ぎ去るのをひたすら待つ。

 

一撃一撃が重い。音無は女子高生らしからぬ筋力と絶妙な力加減で、骨折させず、

かと言って我慢できるような甘い仕打ちはしない。

彼女はアタシの胸ぐらをつかんで、壁に押し付けた。

 

「痛いですかー?苦しんでくれてますかー?」

 

看護師が風邪を引いた患者に症状を尋ねるように、アタシの痛みを探ってくる。

その目はパッチリと開いていて、まるで悪意を感じさせない。

きっと彼女に残虐な行為をしているという自覚は、ないんだと思う。

 

「うう、ああぅ……ごめん、なさい……」

 

「質問に答えてください。私、今ちょっとイラッと来ました」

 

「いたいです!くるしいです!だから、だから……」

 

「だから?」

 

「もうゆるして!もう来ないから、かえらせてください!」

 

「……こんなところでしょうか。面会に行きましょう」

 

「面会って、だれ?」

 

アタシを放り出すと、音無がドレッサーの鏡で髪と服を整えながら答えた。

 

「会ってからのお楽しみってやつです。私も会ったことはないんですけど。

さあ急いでください」

 

「ええ……」

 

何も分かっちゃいないけど、曖昧な返事をして

ボロボロの姿のまま彼女についていく。

今まで自分がいかに守られていたかを思い知った。

超高校級とは言え、ただの女子高生にここまでコテンパンにされるなんて。

本当にもう帰りたい。

お姉ちゃんはどうなったのかしら。助けに来てくれないかしら。

 

そんな事を考えながら一歩外に出ると、ずっと部屋に監禁されていたアタシは、

信じがたい光景を目にすることになった。

 

 



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第15章 彼女には関係がない

「うわぁ……」

 

いい年をして少女のような驚き方をしてしまった。

でも、窓もない殺風景な小部屋を出たら

いきなり目の前に巨大な都市が現れたんだからしょうがないじゃない。

都市の各エリアは京都のように碁盤目状の区分けが成されていて、

商業地区らしきエリアには小型スーパーや美容室、レストランが。

住宅街には一軒家やアパートまで立ち並んでいる。

 

歩道には等間隔で街灯が立っていて全く明かりに困ることはない。

また、エリア同士をつなぐ路面電車まで走ってて、

ここにないものは何もないという錯覚に陥りそうになる。ないものは空だけ。

遥か頭上に連なる鍾乳石が、かろうじてここが地下だということを教えてくれる。

上さえ見なければ、地上にある夜の街だと言われても信じてしまうと思う。

 

「何をしてるんですか、こっちです!」

 

ぼけっとレンガ造りの歩道で突っ立っていると、文字通りお尻を叩かれた。

さっき受けた暴行を思い出し、先に行こうとする音無に慌ててついていく。

 

「痛い…待ってよ」

 

「面会場所は、こっちでいいんですよね。妙に遠い気がします。

前回はこんなに歩いた覚えないんですけど。まあ、元々何も思い出せないんですが」

 

手帳を読みつつも器用に誰にもぶつからず速歩きで進んでいく。そう、誰にも。

この地下世界の存在に何の疑問も持たず一般人に見える通行人の誰にも。

ただひとつ異様なのは、すれ違う度彼らが同じ言葉を口にすること。

 

江ノ島だ。江ノ島盾子だ。やっと来た。私達の《希望》。

 

着衣がボロボロで凄惨な暴力の痕が明らかな女を見ても

騒いだり治安組織に通報しようともせずアタシを待ちかねたようにまじまじと見る。

単なる勘でしかないけど、身なりはまともでも彼らも狂ってるに違いない。

どう言えばいいのかしら。カルト宗教のようにひとつの異常な主義を共有してる。

 

年齢も性別も不揃いな地下都市の住人は、足を止めアタシを見つめたまま。

異常者の集団に囲まれているのが怖くなったアタシは、

音無の背中にぴったりくっついてその輪を抜け出した。

ふと手帳から目を離した彼女が聞いてくる。

 

「どうかしましたかー?」

 

「どうもこうもないわ。あいつら一体何?アタシのことジロジロ見て希望だの何だの」

 

「ちょっと待ってください。“地下世界のガイド”は、と。

……はいはい、そのままの意味ですよ。あなたは皆さんの《希望》なんです」

 

ポケットから別の手帳を取り出し、アタシの疑問に関する答えを参照する。

だけど全く答えになってない。

 

「その《希望》についてもう少し具体的に教えてほしいんだけど……」

 

「書いてないからわかりません。面会の時、彼らに聞いてみてください」

 

「……わかった」

 

しつこく食い下がってまた音無を怒らせるのが怖かったアタシは、

それ以上尋ねることができなかった。

黙って彼女と歩くこと数分。彼女が急に立ち止まってぶつかりそうになった。

ずっと手帳をめくりながら歩いていた音無が、あるページを見つめている。

何を考えているのかわからないけど、下手に刺激したくないから黙っていた。

 

「江ノ島さん」

 

「なに」

 

「“恋”ってなんですか?」

 

「は?」

 

あまりに脈絡のない質問に戸惑う。

何も言えずにいると、彼女は手帳の1ページを見せつけて更に問い詰めてきた。

そこには少年の顔がいくつか描かれていた。

 

「見てください!私がほんの少しだけ思い出せる、ただひとりの人。

彼の似顔絵を見ると、胸がドキンとなって、

なんだかフワフワしたような、素敵な気持ちになるんです」

 

「どうして、そんなことを?」

 

「教えてくれないんですか……?」

 

音無の気配が先程アタシを機械的に痛めつけた時と同じものに変わる。

身の危険を感じたアタシはつっかえながら急いで返事をした。

 

「い、今感じてる気持ちが恋だと思うわ!アタシに恋はできないからわからないんだけど……」

 

「できないって、どうしてですか」

 

「アタシのことはみんな知ってるんでしょ。心の問題」

 

「もったいつけないで教えて下さいよ!!」

 

「ごめんなさい!怒らないで。あのね、詳しく説明するとね」

 

油断して音無の逆鱗に触れてしまった。アタシは自分についてできるだけわかりやすく説明する。

でも、自分のことを誤解なく他人に伝えるのって難しい。言葉を選んでよく考え、口にする。

 

「今のアタシって、8人の江ノ島盾子と1人の引きこもりの精神で構成されてるの。

つまり、男でもあり女でもある」

 

「ふむふむ」

 

「それから……。どうしましょう、表現に困るわねぇ。

アタシは同性愛者ではない。それを前提に聞いてね?

女性を好きになろうとしても、江ノ島盾子達が本能的にストップをかける。

逆に男性を愛そうとしても引きこもりが拒否反応を起こす。

どちらにしても、“素敵な仲間”にはなれても“恋人”には決してなれないの。

当然セックスもできないし子供も産めない。

こんな存在だからあなたの質問には憶測でしか答えられないの。わかって」

 

音無はアタシの解答に不満げな様子だったけど、幸い拳が飛んでくることもなく、

また歩き始めた。

 

「……それじゃあ仕方ないですね。あの人達に教えてもらいましょう。こっちです」

 

また二人して歩いてると、しばらくして妙なものを見つけた。公衆電話。

今ではすっかり数を減らしたけど需要がゼロになることもない緑色の電話機。

何が妙かというと、置いてある場所。街灯の下に設置された台座に置かれている。

他にも街灯はいくらでもあるし、

人通りの多い場所でもない中途半端なところに、ぽつんと1つだけ。

何ら怪しむことなく音無は受話器を上げると、手帳を読みながら3821をプッシュし、

最後にシャープを押した。

 

「少し待ちましょう。迎えが来ますから」

 

「うん」

 

そのまま手持ち無沙汰で待っていると、

運転手のいない自動運転システムが搭載された車がやってきてアタシ達のそばで停まった。

 

「乗ってください」

 

彼女は手帳に目を通しながらアタシに乗車するよう促し、自分も車に乗る。

タクシーのように勝手にドアが閉じると同時に車が発進。地下都市の道路を進み始めた。

外見はきらびやかな都市の景色が窓を流れていく。

誰が、いつ、どうやってこんなところを作ったのか。まるで見当がつかない。

 

どれくらい時間が経っただろう。車はトンネルの中に入り、突き当りの壁の手前で停車した。

厳密に言うと壁じゃないわね。

ざっと見ただけでとんでもない分厚さだとわかる巨大な鋼鉄の扉が、

一切の侵入者を無言で拒むように閉ざされていた。

 

「降りてください」

 

音無はさっきから予め用意した段取りを淡々とこなすだけ。アタシは黙って従うのみ。

彼女は壁に設置されたインターホンのボタンを押した。老人らしき声で応答。

 

“……誰かね”

 

「私です!音無涼子です!音・無・涼・子、ですっ!彼女を連れてきました!」

 

“二度言わなくてもわかる。新しい言葉を覚えた幼児でもあるまいに”

 

「すみませーん。あんまり素敵な名前だから何度でも名乗らずにはいられないんです」

 

“はぁ。少々待ちたまえ”

 

呆れた様子の相手が通話を切ると、

巨大な壁が摩擦音を立てて中央から上下に分かれるようにゆっくりと開いた。

思った通り金属の壁は厚さ十数センチはあり、即死レベルの強力な宇宙放射線も防げそう。

 

トンネルの更に奥への道が開かれると、音無はアタシを置いて奥に駆け出す。

この隙に逃げ出そうかとも思ったけど、捕まったら何をされるかわからないからやめた。

自分のペースで彼女を追って歩くと、

先程開いたばかりの鋼鉄の扉がまた喧しい音を立てて閉じていく。

金属の擦れる音と超重量の物体が上下することによる振動に思わず顔をしかめた。

 

辺りは真っ暗。誘導灯のひとつもない。いえ、ひとつだけあった。

少し向こうにスポットライトで照らされた1台のコンソール。

そばに立つ音無が大きく手を振ってアタシを呼ぶ。

 

「早くー!こっちですよー!」

 

「待ってー」

 

離れたところにいる彼女に走って追いつく。

息を切らせてたどり着くと、音無は怒っても喜んでもいない様子でアタシを見たまま。

とりあえず深呼吸して息を落ち着ける。

 

「すぅー、はぁー……。これから、何が始まるの?」

 

「待っていればわかります」

 

言われた通りに待ちながら周りを見ていると、段々暗さに目が慣れて様子がわかってきた。

ここは広大な円形のホールの中央。コンソールには希望ヶ峰学園の校章が表示されているけど、

画面が切り替わることもなく、何のためにあるのかわからない。

一向に状況が変わらずどうにもできないでいると、

突然頭上から声が降ってきて驚きのあまりのけぞった。

 

──ごきげんよう、江ノ島盾子君。

 

インターホンで聞いた老人の声。ここからは見えないけど、スピーカーが設置されているらしい。

コンソールに向かって右上。恐らく音無涼子を操っている張本人。思わず唾を飲む。

だけど声の主は一人じゃなかった。

 

『だいぶ酷くやられたようだな。音無君、これはどういうことかね』

 

今度は左上のスピーカーから中年男性の声。

アタシが見えているってことはどこかに監視カメラがあるんだろうけど、これは完全に見えない。

 

「すみません、忘れました」

 

音無はあっけらかんとした声で、あの凶行をなかったことにする。違うわね。

そんな意図的なものじゃなくて、本当に覚えてないんだわ。

 

『いや、申し訳ない。

彼女には君が抵抗した場合の拘束だけを命じておいたのだが、どうやら命令を曲解したようだね』

 

いきなり左後方からジンジンと響いた音声に背を撫でられ肩が跳ねる。

年齢は、割と若そう。30代くらいかしら。

 

『この件については再発防止に努めよう。さて、今日君に来てもらった理由だが……』

 

ちっとも済まなそうでない声で勝手に話を進める右後ろ。

若いのか年寄りなのかスピーカー越しでは区別がつかない。

血まみれになるまで散々殴られたのに紋切り型の謝罪で済まされた。

抗議しようと思ったけど隣の音無が気になってできなかった。

 

『待て。この様子では音無君から何も聞いてないらしい。

まずは我々の信条から語ろうではないか』

 

これは左上のおじさん。

4人の人物は名乗ろうともしないし口調もほぼ同じだから、誰が喋っているのかややこしい。

アタシは勝手に右上のお爺さんから反時計回りにアルファ、ベータ、ガンマ、デルタと

脳内で勝手に名前を付けた。ベータの発言を受けてアルファの話。

 

『いいだろう。では江ノ島君。我々の存在について軽く説明しておこう』

 

ようやく自己紹介する気になったみたい。黙って耳を傾ける。

 

『《希望》の残党。と、我々は自称している。まるで絶望の残党を真似たようだと思っているね?

なに、ほんの少し立場が異なっているに過ぎない。

かつて絶望に毒された彼らは世界を破滅で染め上げようとした。

そして我らは世界を希望で繁栄させることを唯一絶対の使命としている。

世界の変革を望んでいるという点では同じと言ってもいい』

 

「何が変革よ!全然違うじゃない!それに、あんた達のしてることの何が希望よ!

弱い立場の人を利用して、人殺しに仕立て上げて、みんなを不幸にして、

これのどこに希望が!……ううっ!」

 

思わずまくしたてると、音無が無表情でアタシの胸ぐらを掴み、体ごと持ち上げた。

首を絞められるようで苦しい。

 

『やめたまえ。話はまだ終わっていない。江ノ島君も質問は最後にお願いしたい』

 

ガンマの指示で彼女はどこか退屈そうにアタシを放り出した。

転びそうになったけど、なんとかバランスを取ってまた立ち尽くす。

 

『続けよう。我々は希望ヶ峰学園の方針に従い、また、自らの誇りとして活動している。

ただどう言えばいいのか……。

《希望》の定義において君達と我々との間でズレが生じているのが現状だ。

そもそもこの学園において《希望》とは、才能。その一点において他にない。

実際、崩壊前の世界も類稀なる才能を持つ本校の卒業生達によって

驚異的な発展を続けていたのだからな』

 

そこで一旦話を切ると、今度はベータが続く。

 

『だが人類史上最大最悪の絶望的事件以前の世界は、

人権という緩い酸のような紛い物の希望に侵されていた。

その結果、今も昔も地上では理解に苦しむような愚者が当たり前のようにのさばり、

才ある者達の足を引っ張り続けてきた。

例を挙げるなら、信ずる神の名の下に殺し合いを止めようとしない狂信者。

ろくに働きもせず国家の資産を食いつぶす無能な政治屋。

些細な理由で己の感情すら制御できなくなり他者を攻撃する阿呆。

全てを列挙しているとキリがないからやめておくが、

彼らがいなければ人類は崩壊以前どころかそれ以上に輝かしい未来を掴んでいた』

 

「何が言いたいのよ……」

 

『愚鈍な大衆は統制されるべき。使い古された理屈と思われがちだが、

それは人類史の中で完全にその理想を完成させた者が存在しないからだ。

この希望ヶ峰学園卒業生が作り上げた地下都市は新世界誕生の礎となる。

彼らも我々の理念に賛同している。そして理想郷誕生の時を待っているのだ』

 

「あんた達が人間を管理するっていうの!?冗談顔だけにしてよ!

現実が見えてないみたいだから言ってあげる。絶対に無理だから!

穴ぐらに閉じこもってるあんた達にはわからないだろうけど、

上には本当の希望になってくれる人達が大勢いる!」

 

彼らを命名してから初めてデルタが喋った。

 

『質問は控えるよう言ったはずだが、随分な言い草だ。

ここを造った“超高校級の採掘師”が残念がるだろう。

その “希望”とやらは、君が馴れ合っている失敗作達のことかね?

絶望に抗うことも出来ず、世界を崩壊に導いた結果していることと言えば、

大して世界に貢献することもなくささやかな平穏を享受することだけだ。

……もう人類社会に護送船団方式は通じなくなっているのだよ。先程述べた愚者は切り捨てる。

上に立つに相応しい指導者に絶対服従を誓うというなら生きるチャンスを与えなくもないが。

そう、君は誤解しているが、

なにも優れた知性や才能を持たない人間を全て抹殺したいわけではない。

少し社会の在りようを変える。それだけで人類は次なるステップへ進めるのだ』

 

仲間達を失敗作呼ばわりされて腹が立ったけど、

そのまま怒りをぶつけるのも癪だったから思い切り悪意を込め、鼻で笑ってやった。

 

「はん…!その方法が音無に毒薬を配らせること?

あんたらに任せてたら人が次のステップとやらに行けるのは10世紀くらい後になりそうねぇ!

で、結局あんた達はどこの誰でアタシに何をさせたいわけ?」

 

『希望ヶ峰学園評議委員』

 

デルタの代わりにアルファが答えた。希望ヶ峰学園評議委員。

冷や汗の流れを感じながらその答えを反芻する。要するに、4人は希望ヶ峰学園重役の生き残り。

アルファの言葉は徐々に核心に近づいていく。

 

『と言っても、あの事件以前のメンバーは全て死亡しているが。江ノ島盾子に殺害された。

君ではない方の江ノ島盾子にね』

 

「じゃあ、あんた達は……?」

 

『どれだけ位の高いポストであろうと、替えの効かない人間などいない。

トップが死のうと、そのひとつ下が繰り上がるだけだ。それが誰かは関係ない。

重要なのは“希望ヶ峰学園評議委員”という機関が復活したという事実なのだから。

我々が個人としてではなく《希望》の残党という集団を名乗り続けるのも、その点なのだよ』

 

「……ふぅん。まだ答えてないことがあるわ。何をさせたくてアタシを連れてきたのか」

 

『君は、自分の存在についてまだわかっていないようだ』

 

「誰よりもわかってるつもりよ。

引きこもりの精神が江ノ島盾子のクローンに取り憑いた面白人間」

 

『第二次カムクライズルプロジェクト』

 

「はあ?」

 

さっぱり訳のわからない言葉が飛び出して反射的に聞き返す。

 

『江ノ島盾子は完璧だった。全てにおいて。それこそカムクライズルに次ぐほどにな。

そして人類史上最大最悪の絶望的事件をたったひとりで引き起こすほど優秀すぎた』

 

何も聞き返さずに待っているとベータが話を引き継ぐ。

 

『だがそれは過ぎたことだ。我々の《希望》が才能であることは既に話したと思う。

我々の力を持ってしても、

希望ヶ峰学園の総力を結集して完成させたカムクライズルを創り出すことはもうできない。

彼は既に牙を抜かれ未来機関に飼われている始末。そこで君の出番となる』

 

「……つまり、二番手のアタシを」

 

『そう。君を造った狂科学者のデータ、絶望の江ノ島盾子の死体から回収したDNA、

そして塔和シティーの廃墟から回収した研究結果を元に、

我々の手駒となるよう記憶を改変した新生江ノ島盾子のクローンを作成した』

 

「モナカちゃんまで利用して……!

どうやってEMP爆弾で黒焦げになったデータを復元したってのよ!」

 

『言ったはず。この世界には無数の元超高校級達がいる。“超高校級の修理工”もそのひとり。

……だが、完成したのは数秒前の記憶も保持できない欠陥品。

本能的にその才能を行使することはあるが、それだけだ』

 

「ガーン!欠陥品とかひどくないですか!?

確かに忘れっぽいですけど、色々工夫して頑張ってきたのに~……」

 

音無の抗議を無視してベータは語り続ける。

 

『改めて問おう。同じクローンである君の肉体はオリジナルと遜色ない出来栄えを見せている。

それどころか希望ヶ峰学園ですら発見できなかった“超高校級の女神”すら発現した。

音無涼子の違いは何か。本当に心当たりはないのかね?』

 

「あったとしても教えるつもりはないし、命を弄んで人類の管理だの発展だの未来だの

厨二病地味た夢物語を追いかけてるあんた達に理解できるはずもない。

言えることはこれだけよ。“自分で考えなさいクソ野郎”」

 

腹の中が煮えくり返ってるアタシは、もう音無を無視して評議委員に敵意をぶつける。

 

『そうか……。では残念だが、自分で考えることにしよう。見たまえ』

 

ベータがそう言うとコンソールの画面が切り替わり、

広いフロアを真上から映した映像に切り替わった。

何かベッドのようなものが無数に配置されている。

 

『クローンの作成する培養ポッドだよ。音無君も、君達が戦った斑井もここで生まれた。

江ノ島君の協力が得られないのなら、

ここで新たなカムクライズルが生まれるまで“掛け合わせる”ことにしよう』

 

「掛け合わせる、ですって……?」

 

その言葉におぞましいものを感じたアタシは

思わずすり足で一歩後退しようとしたけど、音無に腕を掴まれた。

 

『安心したまえ。それほど負担を掛けることはないよ。

ただここに留まり定期的に卵子を提供してくれればいい。まずはそうだな……。

“超高校級の遺伝子学者”と子をもうけてもらう』

 

「あんた達は!!命を何だと思ってるの!

試験管で子供を作って、望み通りの結果が出なかったらどうするつもり!?」

 

『しばらく経過観察の後、利用価値がないなら廃棄処分だ』

 

「この人でなし!いい加減出てきて姿を見せなさいよ!

どうせ死にかけた豚のような……かはっ!」

 

多分ここまで頭に血が上ったのは生まれて初めてだと思う。

どこかに隠れて汚い仕事は誰かに任せきりの神気取りに罵声を浴びせようとした。

だけどまた音無に腕で首を絞められ、続きが出なかった。相変わらず少女とは思えない怪力。

 

「あなた調子に乗りすぎです。ルールは守りましょうよ。

質問は最後にって最初に言われたのに、いちいち口を挟んでばかりじゃないですか。

何度もメモを書いたり読んだり大変なんですからこっちの身にもなってください」

 

「はっ、はあっ!!」

 

苦しさのあまり何度も彼女の腕を叩く。

このまま絞め殺されるんじゃないかと思ったけど、今度は音無が絶句する番だった。

 

──そこにいる音無涼子のようにな。

 

「えっ……?」

 

ベータの言葉を飲み込むのに少し時間が掛かったみたい。

彼のひとつ前の台詞とつなげると、それはつまり。

 

『江ノ島盾子の完全体が手に入った。

音無涼子君。欠陥品の君は、機密保持のため抹消させてもらう。今までご苦労だったな』

 

音無は目を開いたまま口をパクパクして何を言うべきか探している。

無意識にアタシを締め上げる手も緩めている。そして10秒ほど使ってやっと彼らに問いかけた。

 

「あの、それって、どういうことなんでしょう……」

 

『言葉通りの意味だ。《希望》のために、死んでほしい』

 

『君の使命は江ノ島盾子の確保と、新薬の開発だったはずだ。

だが作ったものと言えば、誰彼構わず即死させるただの毒薬。

我々が欲していたのは、大脳のニューロン細胞に一定の水準以上の密度が見られない者、

俗な言い方をすれば才能のないバカを間引きする散布薬だった。

君には失望したよ。後の仕事は江ノ島君が引き継いでくれるから安心したまえ』

 

「勝手なこと言ってんじゃないわよ……。

だったらG-fiveや犠牲になった人達はあんた達の馬鹿げた実験の副産物だったっていうの!?」

 

『んん?それに関しては君にも責任がないとは言えないと思うが』

 

「話をごまかさないで!」

 

「そんな…そんなのってないです!!約束してくれたじゃないですか、ほら!」

 

評議委員から見放された彼女はもどかしい手付きで手帳をめくり、

スピーカーがあると思われる天井にかざしてみせる。

 

「江ノ島盾子を手に入れたら、彼に会わせてくれるって!

それだけを“希望”にずっと耐えてきたのに!!」

 

『君も酔狂なものだ。名前も知らず、会ったこともない輩のためにそこまで必死になれるとは。

到底理解ができんよ。しかし約束は約束だ。未完成だが、頭部は形成できている。

存分に見るがいい』

 

再びコンソールの画面が切り替わる。

培養ポッドのひとつがアップになり、肩から上の部分しかない少年が大写しになった。

サラサラと柔らかそうな髪。そこから覗く切れ長の目。女の子みたいに長いまつ毛。

先のとがった顎。小さくて薄い唇──

 

「あ、あ、ああっ……!」

 

喜びか感激か感動か愛情か。もはや感情が言葉にならない様子で、画面にしがみつく音無。

泣きながらモニターを抱きしめる彼女を横目に、アタシは空にいる評議委員を問い詰める。

 

「……初めから騙すつもりなら、どうして、“彼”を造ったの?」

 

『彼にも優れた才能があるからに他ならない。いずれ君との子をなすことになるだろう』

 

「外道が!」

 

また天井へ憎しみを込めて叫ぶ。

 

「うああっ…!お願い、目を覚まして!会いたい、会いたいよう!!」

 

でもというか、やっぱり奴らは意に介さない様子で手続きのように状況を進める。

音無の泣き声が哀しくホールに響くまま、自らの都合を口にした。

 

『そろそろ始めよう。……君、処置を頼む』

 

奴が何者かに指示をすると、真っ暗なホールの奥から、革靴の足音が近づいてきた。

いつからそこにいたのかわからない。

漆黒のスーツに身を包み、サングラスを掛け、

ブロンドをオールバックにしたがっちりした体格の男。

その姿を見た瞬間にアタシの分析力がそいつの能力を分析。

 

元超高校級のヒットマン。まともに戦って勝てる相手じゃない。

両手に絞殺用と思われるワイヤーを伸ばし、無言で一歩ずつ静かな足運びで接近してくる。

こうしちゃいられない。

アタシは座り込んで泣きじゃくる音無を引っ張って無理やり立たせようとした。

 

「逃げるわよ!このままじゃ2人とも殺される!」

 

「いやです!行きたくない!だって彼が、彼が……!江ノ島さんだって言ってたじゃないですか!

私は彼に恋をしてるんです、きっと、だからっ!」

 

「いい加減になさい!」

 

「あうっ!」

 

一刻の猶予もないアタシは彼女の顔をはたく。

驚いた瞬間を見計らって、今度こそ両脇に腕を通して立ち上がらせた。

 

「よっ…と!とにかくここから出ましょう、あなたがいないとドアを開けられない!」

 

「か、彼を置いていくんですか?」

 

「急いで!!」

 

「は、はい……」

 

『何を慌てる必要があるのかね。君を始末するつもりはないのだよ?』

 

「黙りなさい!」

 

アタシは音無の手を引いて全力で走り、あの分厚い鋼鉄製の扉に引き返した。

インターホンのそばに0~9のテンキーがある。

 

「開けて。早くしないと」

 

「ぐすっ、ええっと…あった、”緊急開放は車のナンバー”だから、3821……うっく」

 

彼女が涙をこらえながら手帳を読みパスコードを入力すると、認証ランプが赤から赤に変わった。

……あら?

 

『ここは我々の部屋だよ。全ての電子機器は我らの制御下にある。

コンソールの映像を見せてあげたじゃないか』

 

ガンマが嘲笑うように説明する。殺し屋は歩調も表情も変えず、だけどジリジリ接近してくる。

絶体絶命。アタシは地下世界でモルモットにされ、音無涼子は勝手に造られ勝手に殺される。

……どうしてかしら。なんでアタシは自分を半殺しにした女を連れて逃げようとしてるのかしら。

わからない。ホント、別人格の江ノ島盾子がいないとアタシって馬鹿。

 

だけど、諦めかけた瞬間、心臓が飛び出るかと思うくらいびっくりした。

……行く手を塞ぐ巨大な扉から、突然刀が飛び出して来たんだもの!

 

 

 

 

 

江ノ島盾子が斑井の一団に拉致された時点に時を巻き戻す。

日向創達は、江ノ島奪還のため疲れ切った体に鞭打って“超高校級の多胎児”の別名を持つ

斑井の集団と戦い続けていた。

 

「お願い!盾子ちゃんを助けて!東側に連れて行かれた!」

 

「誰か、誰か江ノ島の救助に向かってくれ!」

 

完全に取り囲まれている日向は超高校級の希望を駆使して格闘技で応戦していたが、

体力はとうに限界を超えていた。

 

「そいつは無理ってもんだ」

「お仲間はみんな死に体だ」

「まとめてお陀仏の時間だぜ」

 

実際、他のメンバーも長時間に渡る激戦で疲労困憊に陥るか、戦う術を失い

全滅は時間の問題となっている。

 

「和一さん、弾切れです!マガジンを!」

 

「すまねえソニア!今ので最後だ!」

 

「花村、頼むからメシをくれよ!」

 

「ごめん、今度は焦がしちゃった!これじゃ食べられないよ!」

 

広場の隅で田中と十神もペアとなり斑井の進軍を食い止めようとするが、劣勢は明らかだった。

 

「往け、我と契約せし地獄の門番ケルベロスよ!」

 

号令と共に彼が訓練している警察犬3匹が敵に食いつくが、

人間同様疲れの溜まった犬は斑井の腕力で簡単に振り払われる。

 

「邪魔だ、消えろ」

“キャフン!”

 

「おい、江ノ島が逃げたぞ!北の旧校舎だ!」

「余計な仕事増やしやがって。行くぞ」

「ちょっと待て、今の声誰のだ?」

「俺らの誰かに決まってんだろ」

「なんで旧校舎だよ。逃げるなら正門だ」

「結局どこなんだ、はっきりしろ!」

 

このやり取りの最初の言葉は、雑木林に隠れた十神の声。

超高校級の詐欺師の能力で敵の声を真似て情報を撹乱。だが効果は十数秒。

すぐ異常に気づいた斑井達は行き先を不審な声がした方向に変える。

 

「あそこだ」

「叩きのめす」

「隠れてないで」

「出てこい」

 

十神は舌打ちをする。彼の能力は正面切っての戦いには向いていない。

すぐさま田中が警察犬をけしかけるが、もう走る力も残っていない。

舌を出し、荒い呼吸を繰り返すだけだ。

 

「逃げよ十神!我が左腕に封じた忌まわしき破滅の文様が尽きようとしている!」

 

「大声で無駄口を叩くな!体力を浪費しているのがわからんのか!」

 

「許せケルベロスよ……。

俺にヘラクレスの守護があればお前達に代わり禍々しき者共に神罰を執行できたものを!」

 

希望ヶ峰学園77期生の中で、これ以上戦闘を継続することができる者は、もういない。

攻撃も撤退もできない状況。

かろうじて体力を温存しているのは、戦いに参加できなかったこの二人だけだった。

 

「日向クン、ごめん。ボクの能力がどうしても発動しないばっかりに……」

 

「ごほっ、はぁ…ふぅ。気にするな。俺ならまだやれるさ」

 

「で、でもぉ。明らかに酸素欠乏症と脱水症状を起こしかけてます……。

すぐに治療したいんですが、隊員さんから目も離せなくて」

 

「いいから、罪木も、手当てを、続けてくれ」

 

日向は笑顔を作って見せるが、やはりその表情は苦痛を隠しきれていない。

 

「余裕じゃねえか。ならまだまだ遊んでくれるってことか?」

「脚と腕。どっちを潰してほしい?」

「目ン玉ってのもありだと思うぜ」

 

何番目かわからないが、斑井の一体が助走も付けず一気に加速。

地に両脚を滑らせ、白く大きな手を広げ、日向の肉と骨を握りつぶすべく襲いかかる。

だが、彼にはもう回避行動を取る余力すらなかった。

滝のような汗に視界を遮られつつ、蛇のような黒い影を見つめるのみ。

 

そして。日向創が斑井の攻撃圏内に入ると同時に彼は見た。

どこからか飛んできた、重く棘だらけの果物が敵の顔面に命中する瞬間を。

 

「げえっ!……いっでええええ!!」

「ぎゃああ!臭え!」

「臭え!つーか、しみる!」

 

痛みと割れた実の臭さにのたうち回る斑井。

 

「な、何だ?うっ、このニオイは……!?」

 

何が起きたのか、敵にも味方にもわからない。ただ一人を除いて。

彼は何かが吹っ切れたようにけたたましい笑い声を上げる。

 

「あは、はは、あはははは!あっははははははは!!」

 

「ひぃっ!狛枝さん……。ひょっとして、昔に戻っちゃったんですかぁ?」

 

「やだなあ、違うんだ。……日向クン、間に合ったよ!

もう駄目かと思ったけど、まったく困った才能だよ、ボクの“超高校級の幸運”は!」

 

狛枝を振り返ると、更に奇妙な現象を目の当たりにした。

正門から謎の大型トラックがフルスピードで突っ込んできて、急ブレーキ。

停車したトラックの荷台がガルウィング式に開くと、

乗り込んでいた複数の男女が次々と飛び降りてきた。

更に日向達は驚く間もなく、彼らの一人が口にした言葉に首をかしげることになる。

 

 

──天は人の上にドリアンを作らず、ドリアンの上にパパイヤを作らず、だヨ!

 

 



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第16章 馬鹿が戦車(タンク)でやって来る

あっはははは!あははは、はははは!あはは、ははっ!

 

狛枝の場違いな笑い声が響く中、日向創と斑井を含む全員が口を開けたまま彼らを見つめていた。

誰もがしばし言葉を失っていたが、状況の認識は一致している。

 

変な格好の人が来た。

 

彼らもまた場違いと言えば場違いだ。

その変な人達は、斑井一派が攻撃の手を休めている隙に素早く日向達と合流し、

77期生それぞれを背後に守るように陣取る。

ようやく少し呼吸が落ち着いた日向は、目の前に現れた大きな背中にどうにか一言問いかけた。

 

「あなた達は、誰…」

 

だが、彼は質問に答えることなく、3人に怪しい模様の果実らしきものを投げてよこす。

慌ててキャッチしたものの、どうしろというのだろう。

血のような暗い赤に真っ白の線が全体に渦巻いていて、錆色のシミがまだらに散る。

全く食欲をそそらない見た目に困惑する日向。まさかこれを食べろというのか。

 

「お疲れ様!それ食べて元気を出して!自慢の農園で採れたスチームパンクドラゴンシード。

何事もオートミールと秋の茄子っていうからネ!」

 

意味のわからないことを言う男は、日焼けした肌、口を覆うひげ、アフロに麦わら帽といった、

名乗るまでもなく農夫であることを体で語るような姿だった。何より特徴的なのは、その声。

大きな体に女の子が隠れて話しているのではと思うほど可愛らしい。

それもまた日向達を混乱させる。

 

「あ、あの……」

 

謎の実を手にしたまま日向は何か訪ねようとしたが、

大きな口でにっこり笑いながら暗に“食え”と迫るような男に押されて、

やけっぱちでかじりついた。……うまい。

毒々しい外見とは裏腹に、その身は甘くとろけるようで、

爽やかな風味の果汁と一緒に飲み込むと、溜まりに溜まった疲労が一瞬で消え去り、

むしろ力が湧いてくる。日向の様子を見た狛枝と罪木も少しためらってから丸い実を口にした。

 

「あむ。…あ、これすっごくおいしいですー!」

 

「うん、最高だね!誰かは知らないけどありがとう!」

 

あまりの旨さにあっという間に食べきった日向が今度こそ男の正体を尋ねようとすると、

腰にぶら下げたタブレットが振動し、自動的にテレビ電話に切り替わった。

通話の相手は霧切響子。

 

『間に合った?全員無事?』

 

「霧切さん!?」

 

『手短に説明するわ。急に通信が途絶えたから救援を要請した。

未来機関各支部の出動可能な全ての支部長にね。

その様子だと武装警察隊の戦力じゃ手に負えないみたい。

類を見ない例外的措置だけど十神君…第一支部のね。彼が強制議決権を発動して正解だったわ』

 

「じゃあ!この人達は元希望ヶ峰学園の?」

 

『ちなみに目の前にいるのは万代大作。元・超高校級の「農家」よ』

 

「よろしくネ!」

 

万代はまた白い歯を見せて笑った。彼の後ろからにじり寄る影。

ようやく妙ちきりんな現象から我に返った斑井の群れが再び牙をむく。

 

「茶番は終わりか?」

「獲物が、増えたな」

「どうせ死体が増えるだけなんだが」

 

蛇のように長い目で睨み、長い舌で舌なめずりをしながら拳を鳴らす。

それでも万代はやはりニコニコと笑いながらポケットから野菜を取り出し両手に持った。

 

「ねえ。赤い実と青い実、どっちが好き?」

 

「ああん?」

 

「食べざかりの君達にはどっちもプレゼントだヨ!」

 

そして、赤いパプリカと緑のピーマンらしきものを思い切り握りつぶした。

潰れた実から霧状の液体が前方広範囲に吹き出し、斑井達に降りかかる。

すると、一瞬遅れて異変が起こった。斑井達が絶叫し、悶絶しだしたのだ。

 

「ぎゃあああ!?ああっぢいい!」

「焼ける!目が、喉が焼ける!あがああ!」

「助けろぉ!水くれ水!!」

 

その場に転げ回り、激痛を伴う辛さにのたうち回る。

万代が持っていたのは、彼の農園で品種改良を重ねた唐辛子。

両方合わせて辛さ300万スコビルはある。

しかし彼は気にする様子もなく潰れた実を口にし、ペロペロと丹念に手に付いた汁も味見。

 

「うん、育ち具合は上々だネ!」

 

 

 

別の戦場には、のんびりマイペースで歩く二人がいた。

全体をピンクでまとめた服に腕と首に厚い羽毛を巻いた女性。

もうひとりは前身頃や裾を革のパーツで固めた赤いロングコートに身を包み、

がっちりしたブーツを履いた男。

並んで廃墟を歩く二人は愚痴りながら敵味方の混在するエリアに入る。

 

「っていうかさあ、こんな時間に招集とかありえなくない?

せっかくマカロンがいい感じで焼き上がるとこだったのに超ムカつくんだけど。

ヨイちゃんどう思う?」

 

安藤流流歌。元・超高校級の「お菓子職人」。

彼女が作るお菓子には麻薬並みの中毒性があるとさえ言われている。

 

「流流歌のおいちぃお菓子を台無しにした。……まとめて始末する」

 

答えたのは十六夜惣之助。元・超高校級の「鍛冶屋」。

彼らはぶらぶらと死闘の真っ只中に足を踏み入れる。

肉体をぶつけ合う激しい戦闘音が聞こえてくるが、急ぐ様子も見せずに戦況を眺める。

 

「なーんかごちゃごちゃしてて面倒くさそう。私、あの中入るのやだな~。

……ねぇ、ヨイちゃん。お・ね・が・い」

 

安藤がウィンクして恋人におねだり。

十六夜は頷いてコートから飾り紐が付いた8本のクナイを取り出し、柄を両手の指に挟んだ。

 

「俺に任せて安全な場所にいろ」

 

「わかった!あ、ちょっと待って。……はい、あ~ん」

 

ハンドバッグから可愛くラッピングされたクッキーの袋を取り出すと、

安藤はひとつつまんで十六夜の口に入れた。彼は手製のお菓子をむぐむぐと味わう。

 

「……おいちぃ」

 

「じゃ、頑張ってねー!」

 

「破ああぁぁ……!!」

 

まるでクッキーにドーピング剤が混入していたかのように、

十六夜の精神が燃え上がるような興奮状態に達し、かつ氷のごとく冷たい殺意に満たされ、

周囲の景色がスローモーションのようにゆっくり流れる。

次の瞬間には彼自身が自覚する前に、クナイを投擲していた。

月明かりで夜の闇に8条の光が奔る。

 

 

 

鋼のような肉体を持つ斑井を何度も打ち据えた辺古山の竹刀は、

もはやささくれだらけで今にも折れようとしていた。

長年彼女と生死を共にしてきた九頭竜もまた、刃こぼれした匕首を投げ捨て

喧嘩拳法で戦い続けていたが、先程までの日向同様、

腕を振り上げる力も失い立っているのがやっとだ。

 

「くっ!申し訳ありません、組長。こんなことなら、仕込み刀を……!」

 

「はぁ、ぜぇ…やめろ、ペコ。オレ達は極道だが、もう非道はしねえ。そう決めただろうが!」

 

「あーだめだ。もうオレ腹ペコで動けねえ……」

 

「ちょっと待ってて、お粥くらいなら作れるかも!ああ、食材がもうないや」

 

「全員、ケツに力入れて踏ん張れい!もう少しの辛抱じゃあ!」

 

弐大が皆を必死に励ますが、ザッ、ザッ、と軍隊の隊列のように

規則正しい足踏みを鳴らしながら接近してくる斑井に成すすべがなかった。

全員の奮闘でかなりの数を減らしたはずなのだが、圧倒的不利な状況に終わりが見えない。

 

「“もう少し”っていつまでだよ」

「お前らがあの世にいくまでか?」

「悪あがきも、大概にしてくれよな」

 

斑井の一体が汗だくの弐大の胴にリーチの長い掌打を放った。

既に体力を消耗している彼は身を屈めてガードするが、

大きな手から放たれるその威力は計り知れない。

立っているのもやっとの状態では、彼の巨体ごとふっ飛ばされるだろう。

そして立ち上がることもままならなくなり、八つ裂きにされる。

 

……と思われた直後、遠方から飛んできた青白い光が斑井の腕や手のひらを引き裂き、

後衛の数体に突き刺さった。クナイは敵の腱や関節に正確に命中。完全に動きを奪った。

 

「ひぎゃっ!」「あぎゃあ!」「げふおっ…!」

 

九頭竜達も斑井の集団も突然現れた刃物の出処に目を向ける。

同時に彼らの視界に赤い人影が飛び込んでくる。

彼は夜空を背負うように飛来しつつ細かい金属片を大量にばらまいた。

続いて着地するやいなや、狼のように背を低くし風の抵抗を最小限にしながら弐大に駆け寄る。

十六夜は何も言わずに彼らを背にし、斑井達を冷たい目で見据えた。

 

「なんだてめえ」

「わざわざ死にに来たか」

「首を折られて……ぎゃあ!!」

 

再び歩み始めた斑井達はいきなり悲鳴を上げて転倒。

彼の乱入に気を取られて、十六夜がばらまいたマキビシに気づかず思い切り踏んづけてしまった。

足元をよく見ると、マキビシは既に広範囲に渡って撒かれており、動きを封じられている。

 

「何だ、誰なんだオメーはよう……?」

 

目に滲む汗を拭いながら九頭竜が問うが、十六夜は問いかけを無視し、ただ一言。

 

「邪魔だ。後ろに下がれ」

 

そして、ロングコートに隠し持っていたスレッジハンマーと

刃を入れていないフランベルジェを抜いて二刀流の構えを取り、改めて戦闘を開始した。

 

 

 

別エリア。彼はスマホで何者かと通話しながら要救助者の捜索と索敵のため、

広大な希望ヶ峰学園の敷地を駆け回っていた。

 

「黄桜支部長。戦況の報告を願います。現状から考えて最も戦力が必要なのは?」

 

《上の方で自衛隊が出るか機動隊が出るかで揉めてるから追加はもうちょいかかるってさ。

やっぱオレらでなんとかするしかなさそうだぜ。ここの状況だが、

ざっとドローンカメラで見た感じだと敵の戦力は5割を切ってる。

まぁ、この分じゃ放っといても他のやつらが片付けてくれるだろうが、

どうしてもってんなら東だな。教職員棟だったとこに結構潜んでるみたいだ》

 

「ありがとうございます。では私はそちらに」

 

《悪いねぇ。オレ、ケンカ弱えからさ。このトラックでナビゲーションに専念するわ。

ドつきあいはあんたらに任せた》

 

「了解。接敵次第また連絡を……」

 

彼が話を切り上げようとした時だった。その目に許しがたい光景が映る。

握ったスマホがミシッと音を立てた。

 

「……黄桜支部長、例のものを」

 

《えっ、東にはまだ早えぞ?》

 

「いいから急いでください!」

 

《わーかったって!……おーい、ちょっと予定変更だけど、大丈夫かい?》

 

《はい。いつでもオーケーですよ?》

 

「ぬおおおお!!」

 

夜空に向けて咆哮すると、彼はその巨体を機関車のように爆走させ、目標へ突進していった。

 

 

 

「おりゃあっ!」

 

「ばべっ!」

 

澪田が全力で振り抜いたエレキギターが斑井の顔面に命中。どうにか一体を仕留めた。

とは言え四面楚歌の状況は何も変わらない。彼女の頬には流れる汗で髪が貼り付いている。

いくら呼吸しても息が苦しい。

 

「澪田おねぇ、しっかりしなよ!」

 

「こほ、はぁ、ごほほっ……。なんの、澪田唯吹リサイタル、まだまだこれからっすよ」

 

「喋っちゃだめ!唯吹ちゃん、もう息がめちゃくちゃだよ!?」

 

「ふぅー。うっ、げほげほっ!まだ、もう一撃くらい……」

 

完全に弦が飛んだギターを杖にどうにか立っている彼女だが、

既に脚に力が入らず、もう敵を殴ることはできないだろう。

 

「ほう、あと一撃で俺達を殲滅できると?」

「つまりそれがお前の限界」

「そんで、お前の最後だ」

「散々同類を殴られた」

「きれいな顔、粉砕骨折させてやるよ」

 

斑井達は、澪田の攻撃で気絶した味方を踏み越え、拳を構えて彼女達の包囲網を狭める。

追い詰められた3人は互いを背にするが、もう打つ手がない。

斑井の一人が放った痛恨の一撃が澪田の顔に命中。……するかと思われたその時。

 

 

♪~♫♪~♪♬♪♫♬!

 

 

さすがの斑井も唖然として手を止めた。無理もない。

牛のマスクを被った筋肉隆々の大男が、プロレスでお馴染みの“スポーツ行進曲”と共に

体で風を切りながら突撃してきたのだから。

 

「お前らぁ!丸腰の女性を大勢でいたぶるとは、このグレート・ゴズが、許さねえ!!」

 

怒りで全身の筋肉が膨れ上がり、元々厚い胸板で張り詰めていたスーツが弾け飛んだ。

更にボトムスのポケットに入れたスマホから何やら囃し立てるような声が聞こえてくる。

 

《さあ、今宵も情け無用の野外リングに高々とゴングの鐘が鳴り響きました。

赤コーナーに現れたるはグレート・ゴズ選手、入場です!》

 

「うおらああ!!」

 

「ぐほべ!」「はばっ!」「がべ!」

 

《おおっと、グレート・ゴズの先制攻撃だ!

青コーナーの悪党集団が強烈なラリアットで3人ダウン!》

 

「……おねぇ、何あれ」

 

「さあ?」「わかんねっす」

 

澪田も小泉も西園寺も、助けが来た安堵感より何か腑に落ちない気持ちに囚われながら

突如始まった乱闘を呆然と見つめる。何が起きているかは実況の通りだ。

 

《しかし黒服の男達も負けてはいない!

グレート選手をなぶり殺しにすべく、その、殺意を秘めた拳を固め!今、一斉に躍りかかる!》

 

「「「死ねやぁ!」」」

 

「馬鹿者がぁ!プロレスでパンチは反則!ルールを守り、明るく、楽しく、そして激しく!」

 

《グレート選手ピンチ!と、思われたが!?

ひらりと身をかわしてからの……ローリングソバットだ!超重量級キックが悪党に炸裂!

青コーナー動けない!ノックアウトが決まったぁ!これは珍しい!》

 

熱の入った実況で闘争心が膨れ上がったグレート・ゴズの攻撃は激しさを増す。

 

《そして何やら?グレート選手がダウンした黒服の両脚を掴み……。

これは、ジャイアントスイング!非情な猛牛が追い打ちを掛ける!

大回転する肉体が巨大なムチのように不気味な白い影をなぎ倒していく!

これには青コーナーたまったものではない!数のアドバンテージが瞬く間に消滅するぅ!》

 

彼は気を失った敵を力任せにぶん回し、周囲の敵に打ち付ける。

実況者が告げる通り、澪田達を追い詰めていた斑井の群れはあっという間に数を減らし、

地面には気絶した大勢の男達が転がるばかりだ。

 

「畜生が!誰なんだおめえはよぉ!」

 

「私の名はグレート・ゴズ。それ以外の何者でもない!」

 

《いよいよ試合も大詰めを迎えた!残った黒服はあと1人!一対一となった天下分け目の大一番!

果たして勝利の栄光を掴むのは、グレート・ゴズか、それとも悪の権化なのか!》

 

両者が互いに向かって飛びかかる。

接触した瞬間、二人とも相手の技を封じるべく同じタイミングで互いの両手を握り合った。

全力で振りほどこうとする斑井とグレート・ゴズ。どちらも技を掛けられない状態。

斑井はハイキックでグレート・ゴズの脇腹を何度も蹴る。

 

「チィッ!死ね、死ね!!」

 

「ぐふっ!」

 

しかし、片足を地面から離したことでわずかに斑井の体勢にズレが生じる。

そのチャンスを見逃さなかったグレート・ゴズは、一瞬の隙を突いて手を振りほどき

相手の脇から腕を差し込み、最後の大技を仕掛けた。

 

「何っ!?」

 

《グレート選手が黒服の両脇に手を突っ込み!

腕を折り曲げたまま、真正面から後ろへ豪快に放り投げる!

そして……ダブルアーム・スープレックスが直撃!黒服は動けない!まさに人間風車!

3カウントも必要なし!勝者、グレートォ・ゴズゥゥ!》

 

身体の後ろ全体に大きな衝撃を受けた斑井は失神。ゴングが鳴り試合終了。

天を指差し堂々と勝利宣言をするグレート・ゴズ。

少なくとも澪田達から見えている範囲の斑井は全滅した。

 

《見事な実況だったよ七海ちゃん。声真似うまかったねえ》

 

《いえ。過去のプロレス動画アーカイブから音声データを抽出しただけですから》

 

スマホから漏れる会話をよそに膨れた筋肉が通常サイズに戻ったグレート・ゴズは、

澪田達に歩み寄り手を差し伸べた。

 

「お怪我はありませんか?ご婦人方」

 

「え、ええ……。あり、がと」

 

小泉はとりあえずそう答えるので精一杯だった。

 

 

 

左右田はソニアの手を引き、正門から脱出しようと前進していたが、

やはり斑井の妨害で先に進めない。

 

「おい、どこ行くんだお前」

「仲間見捨てて逃げるのか?」

「冷てえ野郎だな。逃しゃしねえけどよ」

 

「うっせ、うっせ!オレはソニアを守らなきゃいけねーんだよ!

江ノ島と約束したんだよ、ナイトになるって!」

 

「和一さん……」

 

既に有効な攻撃手段を失った二人を斑井が嘲笑う。

 

「はん、今のテメエのどこがナイトだ。おらよ!」

 

拳の一撃が左右田の頬にめり込む。

重さとしなりのある腕から放たれたパンチで3m後ろへふっ飛ばされる。

 

「がふっ!!ぐああ……」

 

「きゃあ!やめてください!しっかりして、和一さん!」

 

「くそ、まだだ……。こんなとこで、終われっかよ!うおお!」

 

スパナを握って左右田も反撃に出る。しかし、暴力の技術差は歴然だった。

振り下ろした工具は軽くいなされ、左脚で逆に腹を蹴られる。

腹に食らった鈍痛で数秒呼吸が止まる。

 

「か、は…!」

 

「こんなもんかよ。つまんねえ、な!」

 

次は右手の裏拳を食らう。鼻柱を殴られ、あふれるように大量の鼻血が出る。

周りの斑井達が笑いながら左右田に拳を浴びせ、顔を蹴り、足蹴にし、

倒れたところを踏みつける。散々痛めつけられた彼の顔は腫れ上がり、痣だらけだ。

大きな咳がひとつ出た。わずかに血が混じる。

 

「ごほ!があっ……。ソニア、にげろ」

 

「お願いです!これ以上和一さんを傷つけないで、お願いしますから!!」

 

ソニアが左右田をかばうように覆いかぶさり、懇願する。

二人を見下ろし斑井は呆れたように鼻で笑う。

 

「ふん、始めたのはお前らだろうが」

「やめてやってもいいが、条件がある」

「お前らのうち、どっちかの右手をもらう」

 

斑井は左右田が落としたスパナを拾った。それを月明かりに照らすように色々な方向から眺める。

 

「だが、あいにく刃物がないんじゃあな」

「千切れるまでこいつでぶっ叩くことになる」

「ミートハンマーみたいになぁ。痛えぞ?これは」

 

左右田がソニアのもとを離れ、這いずりながら斑井の元へ向かう。

黄色いツナギが劣化したレンガの歩道で破れ、自らの血で赤く染まる。

 

「た、頼む、この通りだ。オレの手をやる…!だから、ソニアは見逃してくれ……」

 

「そんな!ダメです、発明が生きがいのあなたが、そんなこと……!」

 

だが彼は制止を聞かず、斑井の足にすがりつく。

 

「なあ頼むよ、オレは、ソニアを守る…うがっ!!」

 

斑井のスパナが左右田の肩を殴った。

 

「うざってえな。しつこいんだよ、離せクズ」

 

「離さねえよ!こいつを突き飛ばして逃げろ、ソニア!」

 

「いや!いやです!」

 

「チッ、苛ついてきたぜ。弱っちいくせにクソ根性だけは無駄にありやがる。

面倒くせえ。殺すか」

 

左右田をいたぶるのに飽きた斑井は、彼の頭に全力でスパナを振り下ろした。

……少なくとも、振り下ろそうとはした。

しかし突然右手が動かなくなり、左右田の頭も割れてはいない。

 

 

──確かに、技術屋にしてはクソ根性だけは立派だ。

 

 

斑井が振り返ると、その手が何者かに掴まれていた。

それを認識した瞬間、背後の人物が放った凄まじい破壊力の左フックが命中。

何が起きたか分からぬまま、斑井は頭部をちぎり取るような衝撃で真横に放り出され、

スパナと共に何回も地面をバウンドしてようやく停止。それきり立ち上がることはもうなかった。

カラカラとスパナが遅れて落下する音だけが響く。

 

暗闇から滲み出るように現れた男。タンクトップに黒のズボン。

襟の高いコートを着込んだ彼は、鋭い目つきで斑井の軍勢を睨む。

状況を飲み込むのに時間が掛かっていた斑井は、やっと彼を敵と判断し、

十数人で一斉に常人には目で追うこともできないスピードのパンチを集中させた。

 

「……遅え」

 

だが、男はファイティングポーズを取ると、

鍛え抜かれた動体視力で地獄の亡者のごとく襲い来る手の群れを回避し、

正確にクロスカウンターを叩き込む。

 

「だあああぁっ……!!」

 

早く、鋭く、そして重い右ストレートを食らった斑井が

今度はノーバウンドで10m向こうに投げ出される。

男は休むことなく次々に襲い来る斑井の拳を避けつつ、右フック、連続左ジャブ、回避、

腰を落としてのアッパー、胴への右ストレート、回避、左ストレート。

ひとつの戦いの流れを生み出し、斑井を翻弄し、一撃必殺のパンチで地に沈めて行った。

 

第一波は全滅。

男の戦闘力に警戒を強めた残りの斑井が彼と距離を取りつつ反撃のチャンスを伺う。

その僅かな間が生まれると、男は初めて左右田達へ語りかけた。

 

「おい、今から言うことは俺の独り言だ。聞くのは勝手だが妙な解釈をするんじゃねえぞ」

 

「何言ってんだ、あんた……」

 

傷だらけの左右田が問うが、男は後ろから忍び寄っていた斑井の奇襲に注意を向け、返事はない。

敵は彼に掴みかかろうとしたものの、

その殺気を感じ取っていた男は軽く身を反らして足払いをかける。

頭から転んだ斑井のこめかみを踏んづけて気絶させた。

 

「昔、俺はお前達のことを見下していた。ハッ、絶望の残党?助けて何になる」

 

また一人が飛びかかり、脚の筋肉をバネにした強力な回し蹴りを放ってきた。

瞬時に反応、両腕でガード。空中でバランスを失った斑井に突き上げるようなボディブロー。

叫び声も上げずに失神。

 

「いや違うな。同じだと認めたくなかった。

世界を絶望に陥れた奴らと、自分が、同じだってことをよ」

 

次は2人。接触する順番を正確に見定め、ワンツー・パンチ。

ゼロコンマ1秒早い獲物に一撃、ダッキングで2人目を回避し、冷静に二撃目。

えぐりこむような強烈なヒットで斑井は硬い地面に叩きつけられ、戦闘不能に陥った。

 

「で、聞くところによると、そいつらはご丁寧に自分を南の島に閉じ込めて

贖罪ってもんを始めやがったそうだ。そんなことして何が戻るってんだか」

 

黙って彼の“独り言”に聞き入る左右田とソニア。最後の一人。

斑井もファイティングポーズを取り直し、正面からの戦いを挑む。

 

「だが、俺は何をした?未来機関に居座って、そのまんまだ。

今でさえあいつに何にも言えずによ」

 

小細工が通用しないと判断した敵は、まっすぐに右ストレートを打ち込んできた。

男も斑井を正面に見据えて最後の勝負に挑む。

 

「だから俺もよう!」

 

男と斑井、二人の腕が交差する。敵を捉えたのは、どちらの拳か。

 

「……贖罪ってやつをしたくなったんだよ。ささやかだろうが、な」

 

どさりと斑井がその場に崩れ落ちた。もう男の周りに敵はいない。

彼は、ふん、と軽く息をつくと、左右田達に向き合った。ちらりと正門の方角に視線を送る。

 

「逃げたいなら好きにしろ。

だが……。仲間が気になるなら中央広場へ行け。蛇野郎共はあらかた片付いた」

 

左右田は歯を食いしばってしばし悩み、結論を口にした。

 

「……悪りい、ソニア。もう少しだけ付き合ってくれねーか?」

 

「はい、もちろん!皆さんを迎えに行きましょう!」

 

「じゃあ、誰だか知らねーけど、サンキューな!」

 

「さっさと行け」

 

男が顎で行き先を示すと、左右田はソニアに肩を貸してもらいながら去っていった。

その後姿を見ていた男は、横たわる斑井にどかっと遠慮なく腰掛けると、誰ともなく呟く。

 

「……ついでに言うと、羨ましかったのかもしれねえ。

この件片付いたら、全部打ち明けて旅にでも出るか。

あー、本当に独り言が多くなってきやがった。俺も年か。引退して長えからな」

 

元・超高校級の「ボクサー」、逆蔵十三はボリボリと頭をかきながら自らの半生に思いを馳せた。

 

 

 

「エリ・エリ・レマ・サバクタニ……」

 

「“神よ、何故我を見捨て給うたのか”だと……?

いつも邪神だの瘴気だのうるさい男が今更神頼みなど笑わせる」

 

田中と十神は疲れ果て、寄り添うようにゴミ箱にもたれかかっていた。

二人共も目はうつろで戦う力がないどころか視界すら歪んで見える。

 

パラララ、パララ。

 

「嗚呼、俺の瞳には映っている。死を司る呪われし星々の輝きが。

どうやら、闘争と混沌に満ちた放浪の旅路もここまでのようだ……」

 

「馬鹿者。あれは機銃のマズルフラッシュだ。……口径は7.7mmと言ったところか?」

 

二人共疲れていた。本当に心底疲れていた。だから正常な判断力も鈍り、

明らかに異常な現象に目もくれず与太話に花を咲かせながら最期の時を待っていた。

 

ズドン、ドゴォ!

 

「すまぬ、ケルベロスよ。

邪眼の導きを失った俺はお前達の死に水を取ってやることすらできない」

 

「脂肪と糖分を疎かにしているからそうなる。

かくいう俺も、もっと肉を蓄えていれば現状打開の余地もあったのだろうが」

 

田中はぐったりした警察犬を撫でながらボソボソと語る。十神も律儀にそれに答える。

ぼんやり夜空を見上げるだけの二人は気づかない。

 

「……迎えが来たらしい。冥界の狩人たる漆黒の騎馬駆りしデュラハンが

我が魂をもぎ取らんとその刃をぎらつかせている。

フッ、宿業と罪科に塗れし俺様の命はさぞ美味かろう」

 

「よく見ろ、首は付いているだろうが。あれのどこが馬だ。

お前も頑固なものだな。最後くらい素に戻ればいいものを」

 

そう、気づかない。斑井が誰もとどめを刺しに来ないことに。

加えて先程から妙な物音と悲鳴らしき声が届いていることに。パラララ、ズドン。

 

“フル・ファイヤー!”

 

“ぐほああっ!” “はごおおっ!” “なんだこりゃ動けねえ!” “手ぇ貸せ誰か、早く!”

 

「ん?」

 

口に入った汗で僅かながら喉を潤した十神がようやく異変に気づく。

 

「おい、あれは何だ!なぜここで戦車が戦っている!?」

 

「なるほど……。俺様を守護するアルカナは戦車(チャリオット)だったと、最後に明らかになった。

もう思い残すことはない」

 

「“援軍”という意味では正解かもしれん。……いい加減に起きろ!」

 

十神が田中の頬を軽く叩いて身体を起こす。

無理やり頭を前方に向けられた田中も、歪んだ視界の中に捉えた姿に驚かずにはいられなかった。

大型の自動車椅子に乗った女性が、

一門ずつ搭載された機銃と大砲で斑井の群れを一掃しているのだ。

 

数では圧倒的な差があるとは言え、射程も手数も違いすぎる。

機銃が吠え、大砲が轟き、手出しが出来ない斑井を一方的に銃撃。

女性は車椅子に装備されたモニター情報を確認しつつ、

ピアニストのような早業でキーボードを叩き、的確に方向転換。全門発射で制圧を続ける。

 

機銃弾を浴びた敵は全身を食い破る衝撃と激痛で自由を奪われ、

破裂した砲弾の中身を浴びた者はその場に貼り付けられたように動けない。

十神と田中は戦闘を見守るが、

田中の意識が少しはっきりし始めた頃には全ての決着がついていた。

 

車椅子の女性は、モニターで何かを確認すると、こちらを見て車を寄せてくる。

その姿に十神は遠い記憶がくすぐられるような気がした。

 

「お前は……」

 

十神が何かを確かめようとすると、彼女はコマンドを入力してエンターキーを押した。

するとホイールが放射状に開き、中からミネラルウォーターを2本持ったマニピュレータが伸び、

二人に差し出した。

 

「……のんで」

 

二人共喉が乾ききっていたので、女性の正体を後回しにしてペットボトルに飛びついた。

まず田中は割れた地面のくぼみに水を貯めて警察犬に飲ませ、半分を一気飲み。

十神もゴクゴクと喉を鳴らしてあっという間に飲み干した。

 

「フッ、世界は俺に生きろと言っているらしい。

冥府魔道の旅路を終えることはまだ許されないようだ。運命とはかくも残酷なものなのか……。

いいだろう。パラス・アテナの契約の下、五十の力持つ字を紡ぎ、汝に我が言霊を捧げよう。

ありがとう」

 

「まずは礼を言っておく。

この俺がゼロカロリーの飲食物に感謝するなど一生に一度あるかないかだ。ありがたく思え」

 

感謝しているのかいないのかいまいち不明な謝辞を述べると、

田中と十神は改めて女性に向き合った。

銀髪のショートカットにカチューシャを飾り、口を覆うほど幅の広いマフラーを巻いている。

赤いハイヒールが似合うすらりと伸びた脚を組み、

可愛らしさを美しさに変えた女性に十神が語りかけた。

 

「……あれから少しは喋れるようになったのか」

 

「ゆっくりだけど、ウサミにたよらなくても、よくなった。……ときどき、つかうけど」

 

「十神よ、貴様この女を知っているのか」

 

十神はじれったそうに説明する。

 

「忘れたのか?昔、俺達が人見知りを治してやったどこかの支部の支部長だ」

 

「だいななしぶ」

 

「なっ!?あの物言わぬ少女が、戦乙女として転生し、我らの前に降臨」

 

「うるさい。で、なぜお前がここにいる」

 

元・超高校級の「セラピスト」。月光ヶ原美彩は、中央広場の方向を指差した。

 

「だいいちしぶの、しれい。みんな、きてる。いちど、もどろうよ」

 

「日向達の様子がわからんからどうなったのかと思っていたが、

俺達を置き去りにして待ちぼうけとは良い身分だ」

 

幾分体力が回復したとは言え、まだ疲労の色が濃い二人は、

月光ヶ原の言う通り引き返すことにした。

 

「だがお前の荒々しい戦いぶりにはさすがの俺様も舌を巻いた。

邪なる蛇を一人で血祭りに上げるとは」

 

「しんでない。非殺傷性のごむ弾と、瞬間凝固せめんと砲で、むりょくかした」

 

クルマと男2人、そして犬。激闘を乗り越え仲間の元へ。

 

 

 

戦刃むくろは、ここが最後の砦と言わんばかりに集結した斑井の大群を前に

足止めを食らっていた。教職員棟。この奥に江ノ島盾子は連れ去られた。

妹を取り戻すべく必死の形相で戦刃は戦いを挑む。

 

「返して!盾子ちゃんを、返せぇ!」

 

飛び蹴り、肘鉄、腕を固めて一回転させ関節を外す。彼女の技が決まる度に斑井の悲鳴が上がる。

しかし、戦闘能力では上回っているものの、

数に任せて掴みかかる斑井を振りほどきながらの戦いで戦刃の体力は急激に奪われ、

活動可能な限界時間が近づく。そんな中、死角から飛んできた硬い握り拳が耳に命中。

鼓膜は破れなかったものの、一瞬意識が揺さぶられる。

 

「あうっ…!!」

 

ふらついた隙を見せてしまった瞬間、全身に斑井が放った打撃を浴びる。

思わず屈んで身を守る戦刃だが、反撃の手が止まってしまう。

これを好機と見た斑井達は彼女の頭を殴り、背中を踏みつけ、何度も全身を蹴りつける。

 

「うっ、ぐうっ!」

 

一度しゃがみ込んでしまうと、大勢の男達を跳ね除けて立ち上がるのは不可能に近い。

背中を踏んで動きを抑えられたまま四方から何度も容赦ない蹴りを受け、

やがて額に血が流れてくる。身体を殴る衝撃と痛みが更に自由を奪う。

 

「気分はどうだ。守れない気分ってのはよ」

「最高だろうが。え?最高だろうが」

「どうした。お前の妹はこの先だぞ」

 

「黙れ……!私は必ず盾子ちゃんに、また!…ぐっ!」

 

その言葉は左頬に食い込んだつま先に遮られた。口の中に血の味が広がる。

間髪を入れぬ連撃に成す術がない。戦刃の意識が遠のいていく。

このまま気を失うかと思われたが、何者かの声で斑井達の攻撃が一時止んだ。

 

 

──ほう、それは耳寄りな情報だ。やはり江ノ島盾子はこの先か。

 

 

彼らが振り向くと、深まった夜の中でも存在を際立たせる真っ白な存在がそこに立っていた。

顔の血を拭って改めてその姿を見ると、男は腰に携えた刀に手をかけようとしている。

刃を抜いて斑井達を斬り捨てるのかと思いきや、柄を握ったまま居合の構えを取るだけだ。

 

「なんなんだ?今日は邪魔が入ってばっかりだ」

「戦刃は俺らが抑えとく」

「お前ら、殺れ」

 

返事もなく斑井の集団うち十数名がバッタのように跳躍し、

髪もスーツも白で統一した男に硬い拳や鋭い爪で襲いかかる。

だが男は回避する様子もなく、はっ…と少しだけ息を吸った。

そして戦刃は直後に見た光景に息を呑む。

 

襲撃者の攻撃が届くかと思われた瞬間、男の手が一瞬だけ柄から消え、元に戻る。

更にもう一瞬後。

斑井達が強烈な衝撃を食らい、

着地することなく映像を逆再生するかのように後ろの空間に放り出された。

斬撃が月明かりを反射し、

空から三日月が下りてきたかと錯覚させるような二筋の剣閃が宙に浮かぶ。

 

「なかなかの業物だ。さすがは元超高校級の鍛冶屋と言ったところか」

 

男が刀を星空に照らしその切れ味を確かめる中、

峰打ちで身体を強打され気絶した斑井達がどさどさと遅れて落下してきた。

彼はコツコツと革靴の足音を鳴らしながら戦刃に歩み寄ってくる。

 

「立て、戦刃むくろ。一度体勢を立て直す」

 

「あ……」

 

彼女の答えを遮って、警戒心を殺意に変えた斑井達が戦闘態勢を取る。

 

「逃がすと思ってんのか、おい」

「ああいいぜ?後ろ向いてみろ」

「背骨ぶち折ってやるからよぉ!」

 

教職員棟を守るように横一列に並ぶ黒服の集団を冷ややかに眺めると、

男は今度こそ刀を完全に抜く。長く青白い刀身が顕になる。

 

「逃げる、だと?思い上がるな。お前らごときが俺の後ろを取れると思うな」

 

「……おい、やるぞ。前衛は突撃、後衛は援護。死ね!」

 

斑井達は前後2グループに分かれて、前列は再度突撃。

後列は足元の砂利を親指で弾く。無数の礫が男に殺到。

強靭な指で加速された小石やレンガの破片は一発でも食らえば大きく肉をえぐられる。

 

しかし男は弾道を見切り、縮地を繰り返して瞬間移動のような回避と前進を交互に行う。

そして肉薄攻撃を挑んできた前列の部隊に接近すると、

刀身の長さを思い切り生かした横一文字斬りを放った。

 

「いっぎゃああっあああ!!」

 

あちこちで骨が折れる音と斑井の絶叫がこだまする。

男が刀を振るう度に、深い夜に太刀筋が流れ、剣技を食らった斑井が泡を吹いて倒れていく。

前衛が一気に数を減らすと、またしても嵐のような礫が風を切って飛びかかってくるが、

今度は縮地を使わず空高く飛び上がる。

 

後衛の背後に降り立った瞬間、相手に振り向く隙も与えず

全身のバネを使った大振りの峰打ちを一太刀、二太刀と浴びせ、

刈り取るように敵を斬り伏せていった。

 

「背中が無防備なのはお前達のほうだったな」

 

陣形が総崩れになった斑井達を見ることなく、

男が刀の切っ先を軽く振りながら独り言のようにこぼす。

 

「チクショウが!全員、死んでも通すな!また繰り返してもいいのか!?」

「いいわけねえだろうが。ああ、二度と御免だ!」

「俺達は、超高校級の、ボディーガード……!」

 

斑井達が自分たちを鼓舞すると、蛇のように細長い目の奥にある瞳の色が変わった。

彼らは精神を統一し、ゆっくりと深呼吸。すると、筋肉が膨張して制服にその形が浮き出し、

両手両脚が異常発達を起こし肉食恐竜のように変化を遂げる。

 

「ウワオオオオン!!」

 

完全に獣と化した斑井とスーツを着た剣客が最後の激突。

四つん這いで疾走し男に飛びつき、鉤爪を振り抜く。

 

「チッ!」

 

最初の一撃は刀で振り払ったものの、真上から垂直に落ちてきた一体の攻撃を避けきれなかった。

頬に細い切り傷が一本。浅くとも血が滲み、ぽたりと落ちた一滴が白のスーツを汚す。

 

「シャアアアッ!」

 

「化け物め!」

 

男も縮地を駆使し、斑井の前に瞬間移動。下からの斬り上げを浴びせ一体沈黙させる。

だが周りには円を描くように駆け回る斑井変異体が多数。

前後左右から噛みつきや引っ掻きという動物的な攻撃をひっきりなしに繰り出してくる。

今もどうにかかわしてはいるが、

大勢で一撃離脱の戦法を取る彼らを全て仕留めるのは至難の業だ。

 

「……時間がない。動作確認もまだだったな」

 

男は刀の鍔にあるセンサーに親指を滑らせる。

すると、刀身がごく微細な振動を始め、刃にブルーに輝くエネルギーを伝達。

準備は整った。後は。

男は唸りを上げて駆け続ける変異体の再攻撃を待った。

 

「ウワウッ!!」

 

斑井の一体が吠える。それを合図に全ての個体が一斉攻撃を仕掛けてきた。

ギリギリまで男はタイミングを見極める。

野獣に変異した斑井が男の喉を掻き切るまで、3、2、1…。

時間切れと同時に男は全力で跳躍。目標を失った斑井が1か所に集中。

うろたえながらその場にとどまる。そこを狙って男が刀を真下に向けて自由落下。

 

「おおおお!」

 

刀を真っ直ぐに突き刺した。斑井ではなく、地面に。

だが、外したのではなく初めからこれが狙いだった。

刀身から波紋のように青い輪が広がると、

大地が液状化現象を起こしたように砂となり一気に崩落。

集まっていた斑井の群れを周囲の瓦礫ごと飲み込んだ。

男は自分も巻き込まれないうちに斑井や瓦礫を足場にジャンプし、

蟻地獄のような穴から飛び出した。

 

着地するとすぐさま視線を走らせ索敵。……もう動ける斑井は存在しない。

穴に落ちた個体も助けなしでは抜け出せないだろう。

男は納刀すると、傷をかばいながら立ち上がる戦刃の前で足を止める。

 

「直接顔を合わせるのは初めてだったか」

 

「あなた、第二支部の?」

 

「ああ。一度戻るぞ」

 

「だめ!早く盾子ちゃんを助けないと!」

 

「そんなボロボロの状態で何ができる。今、突っ込んでも足手まといになるだけだ。

大人しく付いてこい」

 

「……わかった」

 

無事、戦刃むくろを回収した未来機関第二支部支部長・宗方京介は、

彼女と共に中央広場に向かう。ようやく、100名の斑井は全滅。残るは江ノ島盾子の救出のみだ。

 

 

 

中央広場には、77期生と援軍の支部長全員が集結。

トラックを運転してきた苗木誠が霧切響子に現状報告をしている。

 

「負傷者2名。他の皆は極度の疲労が見られるけど、とりあえず大丈夫。襲撃者も全員鎮圧した。

救急車と自衛隊の援護を要請して」

 

急ごしらえのベースキャンプでは、罪木蜜柑と元・超高校級の薬剤師、忌村静子が

手分けして怪我人の治療を行っていた。また万代が配ったチームパンクドラゴンシードによって、

皆ひとまず動けるまでに疲労は回復している。

 

「うめえ!腹にたまるし、こんな美味いフルーツ食ったことねえよ!

オッサン、変な格好だけどいいヤツなんだな!名前知らねえけど!」

 

「喜んでもらえて嬉しいな。万代大作だヨ!」

 

「……はい。鎮痛剤、止血剤、抗炎症剤、造血剤、抗生物質」

 

忌村が左右田にどろりとした紫色の液体を注射。

薬品が身体に回ると、出血や腫れが治まり痛みも引いていく。

 

「あざっす!すげえ、もう全然痛くねーや。ちなみにそれ、何の成分っすか?」

 

「えっ?……んーと。内緒」

 

「動かないでくださいね、戦刃さん。ああ…ひどい怪我。まずお顔を消毒しますから」

 

「ありがとう。痛っ」

 

「ちょっとしみるけど我慢してくださいね~。

忌村さんが来てくださったおかげで、隊員さんの容態も落ち着きました」

 

宗方がシートの上で横になる隊員のそばに立つ。

 

「帰還中にざっと様子を見たが、死体だらけだった。機動隊の生存者は彼一人らしい。

おい、何か覚えていることは」

 

「わ、わからない。俺も一瞬奴らの姿を見ただけだ。

暗闇の中から蛇みたいな連中が飛び出してきて、照準を合わせる間もなく、みんなやられた……」

 

「そうか。奴らを殺さなくて正解だった。死体から情報は引き出せんからな。

後は後続の部隊に任せよう。動けない連中なら彼らでも捕縛できるだろう。

……医療班以外は手を止めて聞け!」

 

罪木と忌村の除く皆の視線が宗方に集まる。

 

「これより、教職員棟に囚われていると思われる江ノ島盾子の救助に向かう。

そのメンバーを選抜したい」

 

「私パスー。ヨイちゃんのごほうび作らなきゃ。ねえ、おチビちゃん。あんたの調理台貸してよ。

ベッコウ飴くらいならできそうだし?」

 

「ぼくの?いいよいいよ!ぼくが手取り足取り腰取り使い方を教えてあげるね!」

 

「どーでもいいけど変なことしたらヨイちゃんのナイフがグサッだから」

 

「オレを、連れてってくれ」

 

まず手を挙げたのは左右田だった。

 

「生体反応探知機がぜってー役に立つ。

それにアレ、機材の操作方法がちょっと複雑で専門知識がないと使えねえ。オレが行かねーと」

 

「でも和一さん、怪我が治ったばかりでは……」

 

「行かせてくれ。オレは一度仲間を見捨てようとした。その罪滅ぼしをしねーと」

 

「1名決まりだ。他に志願者は?なければ俺が決めるが。あまり多すぎても戦いにくくなる」

 

「……私も、行く」

 

「ええっ!まだ動くのは、無茶だと思うんですけどぉ……」

 

「戦刃むくろ。今の状態でまともに戦えるのだろうな」

 

「戦う。必ず。盾子ちゃんと最初に会うのは、私」

 

「2名。後は」

 

「刀の具合は?」

 

「期待以上の出来栄えだ。十六夜、お前も行くのか」

 

「作品のメンテナンスが必要になるかもしれない。切れ味もこの目で見ておきたい」

 

「えー、ヨイちゃん行っちゃうの?お砂糖火にかけたとこなのに~」

 

「もちろん、流流歌のおいちぃお菓子を食べてからだ」

 

「ここまでだ。大所帯で教職員棟に突入しても互いが邪魔になる。

他に敵が残っていないとも限らんからな」

 

「すまない、俺も行きたいが、この体じゃ役に立てない。上手く足に力が入らないんだ」

 

「あの、それは仕方ないですぅ…。日向さんは疲労だけでなく脱水症状も進んでますから」

 

「いいから治療を受けていろ。これで、決まりだ」

 

宗方を含む4名の突入メンバーが決定。

万代のフルーツや忌村の薬で怪我や疲労は解消したものの、

やはり時間的休息も必要ということで、決行は30分後に決まった。

戦刃は待ちきれない様子だったが、罪木になだめられ、ベンチに腰掛けてじっとその時を待つ。

 

 

 

そして、彼らはついに教職員棟に足を踏み入れた。

内部は蜘蛛の巣とホコリだらけでどの部屋の長く使われた形跡がない。

 

「下層に微弱な所属不明の反応っす。地下に何かがいるのは間違いねーみたいっすよ」

 

「……進むぞ」

 

宗方を先頭に地下階へ続く階段を下りる。だが、下りきったところで行き止まり。

倉庫や電源制御室が並ぶだけでこれ以上下る階段がない。

 

「あっれ。さっきより反応は近くなったんすけど……。どっかに隠し階段でもあんのか?」

 

「あるのだろうが、探している時間が惜しい。行くぞ」

 

「行くってどこへ……」

 

「破っ!」

 

戦刃の質問が終わる前に宗方は刀の柄を握り、床に居合斬りを放った。

古びた木の床に髪のような細い線が走り、一拍置いて崩落。3mほど下方に通路が現れた。

壁は明らかに人の手で掘られた土がむき出しで、一定間隔で電球が吊るされている。

十六夜は謎の穴より床の切断面が気になる様子で、その表情は不満げだ。

 

「……焼入れが今一つだ。第一支部が急かさなければ満足の行く仕上がりになっただろうに」

 

「この先に、盾子ちゃんが!」

 

「そういうことだ。行くぞ」

 

「行くぞって、これ結構高い…ああ、オレ置いてかないでー!」

 

こうして、とうとう宗方達は地下世界入り口に到達した。

江ノ島盾子と、その先に待つ真実を求めて彼らはひた走る。

 

 



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第17章 ひとつの終焉

荒っぽく削られた地下道を進むこと数分。景色が一変する。

アスファルトで舗装された道路、街を照らす洒落たガス灯、

そして果ての見えない大都会。

宗方達は希望ヶ峰学園の真下に広がる地下都市にも驚くことなく

ひたすら走り続ける。……一名を除いて。

 

「おいおい、なんなんだよこりゃ!?希望ヶ峰学園ってこんなもん作ってたのかよ!

これ、いつからあったんだ?オレ達が通ってたころからか?」

 

「いいから!左右田君、盾子ちゃんはどっち!?」

 

街灯の完備された空間は、先程まで激闘を繰り広げていた地上よりむしろ明るい。

左右田は低階層ながらも立派なオフィスビルやショッピングモールをキョロキョロと見回しながら

そばを走っていた戦刃の肩を叩くが、苛立つ彼女に相手にされない。

 

「ああ悪りい……。とにかく北東だ、まだ遠すぎて方角しかわかんねえ!」

 

「推定距離は?」

 

宗方が前を向いたまま確認。

 

「すんません、まだかなり遠いとしか言えねっす」

 

「急ぐぞ。江ノ島失踪からだいぶ時間が経っている」

 

皆は大通りを駆け抜ける。その時、曲がり角、ビル、商店、民家、あらゆる建造物から

この世界の住人らしき者たちが溢れ出てきた。

おまけに突き当たりの道路に複数の自動車が突っ込み、進路を封鎖。車からも人間が降りてくる。

 

ひと目見ただけでは彼らはただの民間人だが、その眼は宗方達を見ているようで見ていない。

その向う側にある何かを狂おしいほどに求めており、宗方は途中にある何かでしかないのだ。

ついでに言うなら、殺してでも排除すべき存在。

 

未来機関だ。《希望》を奪いに来たぞ。行かせるな。殺せ。殺せ。殺せ。

 

ボソボソとうわ言のように殺せを繰り返す彼らの手には、

包丁、ゴルフクラブ、果物ナイフ、金属バットといった殺傷能力を持つ日用品が収まっている。

そして誰に先導されたわけでもないのに、統率の取れた動きで一気に宗方達に襲いかかってきた。

 

「のわああ!!」

 

「左右田君、伏せて!」

 

だが、次の瞬間には幾筋もの剣閃と体術の一撃で異常者達は打ち倒され、地に転がる。

それでも地下都市の住人は途切れることなく視界に映る全ての建物から絶え間なく出没する。

目を見開いて、ずっと4人を見据えながら。宗方は素早く視線を動かし状況を把握、指示を出す。

 

「戦闘能力は素人並だが、数が多い。十六夜は私と連中の相手だ。

左右田、お前は車を確保しろ。戦刃はそれまで彼を護衛」

 

「指図をするな。数だけの相手など、俺一人で十分だ」

 

十六夜が両腕を伸ばすと、長い袖から細身のナイフが10本射出され、彼の手に収まった。

 

「ではお手並み拝見と行こう。背中は任せた。……行け、左右田!」

 

「あいっす!」

 

いつの間にか再び大勢の狂った住人に囲まれていた彼らだが、

武術の心得がある3人が地を蹴ると同時に、再び乱戦が始まった。

宗方はやはり峰打ちで敵の武器を叩き落とし、腕を打ち据える。

斬れてはいないものの骨にヒビが入り、敵は激痛に膝をついた。

 

「あぎゃっ!があああ!」

 

また、十六夜も10本同時にナイフを放ち、膝や足の甲に突き刺し行動不能に追い込む。

 

「ぎゃひっ!」「痛うう…!」「はがあ!」

 

「ふん、狂っていても痛いものは痛いらしい」

 

「急所には当てるなよ。こいつらにも事情聴取を行う必要がある。長い長い事情聴取だ」

 

「指図をするなと言った」

 

二人は背中合わせになりながら、左右田と戦刃のために時間を稼ぐ。

当の2人は、突き当りに密集している車に向かって全速力で駆け続けていた。

宗方達の援護があるとは言え、数に頼った攻撃に時折妨害を受ける。

 

「はっ!」

 

「ぐべえ!!」

 

戦刃の飛び膝蹴りがカッターを持った男の顎に食い込む。

体術で敵を蹴散らしながら、左右田と共に前進を続ける。

目の前には広い通りを塞ぐ多数の車。あれが目標地点。走りながら左右田が叫ぶ。

 

「戦刃!余裕があればでいんだけどよー!一緒になるべく古い車探してくれねーか!?」

 

「古いやつ?どうして?」

 

「今の車は全部イモビライザーでロックされてる!手持ちの工具じゃ手に負えねえ!」

 

「でも私、車の種類なんてわからない!」

 

「だったら、なるべくダセーやつを頼む!」

 

「わかった!」

 

路地裏から新手が2体。

敵が攻撃態勢に入る前に一体の先手を取り、

顔面を薙ぐようなハイキックを叩き込み、意識を奪う。殺気を感じて振り返る。残りの一体。

そいつはチェーンソーで斬りかかってきたが、重い工具を持ち上げる隙を見計らい、

左手で動力部を掴んで凶器を受け流し、腹に正拳突きを命中させた。

 

「うがはぁ…!」

 

「行きましょう!」

 

「おう!」

 

その後も迫る敵を迎撃しながらレンガ造りの道路を走り、ようやく車の集まるエリアに到着。

さっそく左右田が手早く動かせそうな車を探し始めた。

運良く鍵が刺さったままのものはないか期待しつつ、車体をペタペタ触りながら吟味する。

 

「旧式の、旧式の……。ああ、くそ!無駄にいい車乗りやがって!」

 

「こっちのはだめ?」

 

「えーと……。駄目だ、微妙に世代が新しい!」

 

そうこうしているうちに、また通りから増援が追いかけてくる。

戦刃は車探しを諦め、左右田の援護に回る。だがその時、彼が後ろで歓声を上げた。

 

「あったぜ!こいつならなんとかなる!」

 

警戒しつつ視線を動かすと、多くの新型自動車の端に

全体的に角張った古臭いデザインのセダンが停まっていた。

左右田は左半身に体重をかけながら肘を使って体当たりし、運転席の窓ガラスを割る。

 

外から鍵を外してドアを開けると、

マイナスドライバーや金属ヘラで素早くキーシリンダー周辺のカバーを外し、回路を露出。

配線を直結し、勝手に走り出さないようサイドブレーキを上げた。

ドゥルルルン!とエンジンが唸りを上げ、自動車が動力で振動を始める。

 

「っしゃあ!車、確保だ!」

 

「左右田君は中で待ってて。宗方さん達が来るまで食い止めるから!」

 

「すまねえ、頼む!」

 

左右田は軍手をはめて車内に散らばったガラス片を大まかに払い出し、

何度もクラクションを鳴らした。

狂人の群れが全員驚いたように車を見る。狙いがこちらに変わった。

戦刃は左右田を守るように車をバリケードに見立てて立ち位置を計算。

攻撃の集中しやすい方向に注意を向けながら慎重に各個撃破を続け、宗方と十六夜の到着を待つ。

 

 

 

ファーン、ファーン、ファーン、と連続するクラクションの大音声に

宗方達が驚くことはなかった。

むしろ敵の注意を逸らし、チャンスをもたらしたと言える。

車の列に思わず視線を向けた不用意な敵に無慈悲な一閃を浴びせた。

 

「んぎあぁ!」

 

「ひげえあぁぁ!いっづおお!!」

 

続いて背後で十六夜に急所を除く全ての可動部にクナイを刺された狂人が倒れた。

気配でそれを察すると、宗方は彼に声を掛けながら車へと走り出す。

 

「行くぞ、車だ」

 

「わかっている」

 

無愛想コンビは、用は済んだとばかりに狂人達の相手をそこそこに動き出した車へと駆け出す。

正面の敵だけを瞬時に斬り捨て、明治時代を思わせる和洋折衷の町並みを進み続ける。

そして、乗り捨てられた多数の車を飛び越え、

左右田がドアを開け中から手を振る茶色のセダンに乗り込んだ。

宗方は運転席、十六夜が後部座席に。

 

エンジンは起動済み。

宗方はサイドブレーキを下げ、ギアをドライブに切り替え、アクセルをベタ踏み。

急回転したタイヤが摩擦熱で小さな煙を上げる。

周囲の車を弾き飛ばすように次々接触しながらもフルスピードで急発進した。

移動手段は手に入れたものの、バックミラーには同じく車での追跡を始めた狂人達が映り込む。

 

「まだ逃してはくれないらしい。少しはこちらの事情も汲んでもらいたいものだ」

 

「無用な心配だ」

 

ぼそりと十六夜がそう言うと同時に、後方から何かが破裂する音がいくつも響いた。

そっとミラーへ目を動かすと、タイヤがパンクした車が蛇行を始めてぶつかり合い、乗り上げ、

大通りほど広くない道路に積み重なっていく様子が見える。

 

「……何をした」

 

「マキビシだ」

 

「死んだら面倒なことになるが」

 

「俺が鉄の棺桶を作ってやる」

 

ややうんざりした気持ちでハンドルを握りながら宗方はため息をついた。

それからしばらく北東へ車を飛ばすと、助手席の左右田に尋ねる。

 

「江ノ島の反応は?」

 

「まだ10km圏外で……。あっ!モニターに感っすよ!北北東、そのまま北北東へ頼むっす!」

 

「そこに、盾子ちゃんが!?」

 

「ああ。でもなんか、デカい空間にぽつんといるような……」

 

「場所はどこでもいい。彼女を最優先で確保。それが我々の任務だ」

 

宗方は次の交差点で左折し、

道路交通法を無視したスピードで左右田のナビゲーションに従いつつ車道を疾走していった。

ガス灯の冷たい光がいくつも流れていく。その光の中に異質なものがひとつ。

危険を察知した彼は全員に警告。

 

「身を低くして何かに掴まれ」

 

突然宗方がジグザグ走行を始めると、同時に何かが助手席の窓ガラスを割り、彼の目の前を通過。

狙撃されたのだ。今見た不審な光はライフル用スコープの反射光。

 

「のわあっ!なんだこりゃ!」

「きゃっ!」

「敵襲、か」

 

ガラス片を浴びた左右田達が思わず悲鳴を上げるが、宗方は冷静に状況を分析。

どこかに“元超高校級のスナイパー”か何かが配置されていて、自分達を狙っている。

目指す北東から外れるが、ハンドルを左右に大きく切りながら2発目、3発目を回避。

タイヤに当てられたら終わりだ。

 

「左右田、指示を続けろ」

 

「は、はい、すんません!……今度は西っす!距離もあと7km!」

 

「よし。全員姿勢制御。5秒で方向転換する。4、3、2、1……」

 

交差点に差し掛かると、宗方はブレーキを踏みながらハンドルを限界まで左に切る。

車体がドリフトし、車道に四筋の黒い帯を焼きつけながら強引に左折。

角に入りスナイパーの死角に入ることに成功したらしい。銃撃が止んだ。

 

周囲を警戒しながら車を走らせるが、もう何も起きる様子がない。

ひとまず狂人達の攻撃を振り切ることができたようだ。後は江ノ島盾子を目指すのみ。

 

「はぁ~。生きた心地がしなかったっすよ、マジ」

 

「気を抜くな。まだ何が起こるかわからん」

 

茶色のセダンは夜の都会で疾走を続ける。

すると徐々にビルも店舗も住宅も数を減らし、更に景色を変えていく。

近未来的な丸みを帯びた金属製の建築物がちらほら見られるようになった。

スモークがかかった楕円形の窓に、取っ手のないカードキータイプのドア。

 

市街地とは違った非現実感に捕らわれそうになる。

間違いない。このエリアのどこかに江ノ島盾子はいる。

その考えに答えるように、左右田がデバイスに目を落としながら叫ぶように告げた。

 

「ここっすよ!次で右折してまっすぐ!もう距離1kmもないっす!」

 

「……らしいな」

 

宗方はちらりと右前方を見る。

土の壁を特殊合金で補強し、見上げるほどの高さにまで建造されたトンネル。

大口を開けて侵入者を飲み込むかのような威圧感を気にも留めることなく、そのまま突っ込む。

内部は直線道路。しばらく走ると行き止まりになっていた。

 

だが様子がおかしい。

よく見ると高い壁は上下に開く巨大なシャッターであり、そばに1台の車が停まっている。

ブレーキを掛けて降車すると、宗方は不審な車両にゆっくり近づき中を確認。無人だった。

 

「いない。ということは」

 

「もう間違いねっす。この壁一枚隔てた向こうに江ノ島がいるっすよ」

 

「盾子ちゃーん!返事して!」

 

しかし、戦刃の呼びかけは高い天井に反響するだけで反応がない。

宗方や十六夜も高くそびえる扉を見上げるが、開く方法に心当たりがないようだ。

 

「聞こえていないはずだ。この様子では相当な厚さがあるのだろう」

 

左右田がシャッター付近に設置されたインターホンを分解し、

内部を解析するが苛立った表情で頭をかくだけだ。

 

「ちくしょー、内部と通話する機能しかねえ。

ドアの開閉システムにでもつながってるかと思ったんだけどよー」

 

「どうしよう、早くしないと盾子ちゃんが……」

 

「こうすればいい」

 

宗方が刀を抜いて鍔のセンサーに触れ、出力を限界まで上げた。

刃に沿うように微弱な振動が走る。そして行く手を阻む鋼鉄の扉に歩み寄ると……。

 

「破あっ!!」

 

十六夜が打った奇跡の一振り、超分子分解メーサー刀をシャッターに突き刺した。

 

 

 

 

 

「ぎゃわっ!」

「きゃあ!」

 

ひとつ目はアタシの声。ふたつ目は音無の声。

また女神らしからぬ悲鳴を上げてしまった。アラサー女と若い娘の違いなのかしらねぇ。

……なんて、追い詰められた状況でどうでもいいことを考えてしまう。

だけど少しばかり助かる可能性が出てきた。

ヒットマンは壁から突き出た刀に驚いた様子で、注意をアタシ達からそちらに向ける。

 

ただ、それだけに留まらず、目を疑うような現象が起きた。

刀から池に小石を落としたような青白い波紋が広がる。

あら綺麗、とまた余計なことを考えた次の瞬間。

 

ロケットランチャーでも傷一つ付かないほど頑丈そうな壁が、

波紋に溶かされたかのように砂鉄となって崩れ去り、直径約1.5mの穴を開けた。

金属特有の鼻腔に貼り付くような臭いが鼻を突く。何やら足音まで聞こえてきた。

ひょっとして、救助?日向君達が助けに来てくれてたとか?

 

「お姉ちゃん!?」

 

喜ばしいことに、予想は9割当たってた。

どうしてお姉ちゃんがここまで来られたのかはわからないけど、

今はそんなことより再び姉の顔を見られたことが嬉しくて、どちらからともなく抱きしめあう。

小さくそばかすが散ったお姉ちゃんの顔がそばにある。

ここに来てからろくな目に遭わなかったこともあって、もう泣きそう。

 

「お姉ちゃん……!来てくれるって信じてた」

 

「当たり前じゃない。私は、盾子ちゃんのためならどこにでも行くよ?

……ああ、こんなに血だらけになって。誰にやられたの?その格好は?」

 

お姉ちゃんの言葉が最後のほうで固くなる。

今の自分がオバサンを殴り倒して強引に江ノ島盾子を真似させた姿だってこと忘れてた。

犯人は後ろにいる音無涼子なんだけど。

 

「あ、それ、あれね。あいつのせいなのよ!」

 

気づくとヒットマンを悪者にしてた。いや、実際アタシらにしてみれば悪者なんだけど、

金髪の黒スーツには少しだけ気の毒だったかもしれない。

アタシから身体を離したお姉ちゃんの殺気が半端ない。

 

「潰す」

 

徒手空拳で男に近づこうとするお姉ちゃんが背中から凄まじい怒気を放ち、アタシも若干ビビる。

ヒットマンは無表情のままワイヤーを構える。

両者激突するかと思われた瞬間、聞き覚えのある声と共に見覚えのある人物が穴をくぐってきた。

 

──無理をするな。素手でそのワイヤーは千切れまい。

 

あ、思い出したわ!あの真っ白男の名前は……。

 

「あんたは確か、宗方京介、でいいのよね?ほとんど忘れかけてたけど」

 

「ふん。助けに来てやったというのに、随分な言い草だ。まだ酒の後遺症が残っているのか?」

 

「っていうかその刀、壁にぶっ刺したのあんた!?

何考えてるのよ!アタシがもたれてたら串刺しになってたってのに!」

 

「黙れ。探知機を見たから問題ない」

 

「何よ探知機って、ちゃんと説明なさい!」

 

「どけ、後がつかえてる」

 

続いて2人がホールに入ってくる。真っ赤なコートを着た人は、本当に知らない。

だけど最後の人物を見ると、また胸に喜びが湧いてきた。

 

「左右田君!無事で良かった」

 

「ああ、お前も!……って無事じゃねえだろ、どうしたその怪我!?」

 

「話すと長いの。あのスーツには近づかないで。元超高校級のヒットマン」

 

「こ、殺し屋だって!?ヤベーぜどうすんだ俺!」

 

「下がっていろ。私が片付ける」

 

宗方が刀を構えると同時に、スピーカーからアルファの声が響いてきた。

 

『無粋な来客がぞろぞろと。君、始末したまえ』

 

評議委員の指示を受けると、ヒットマンは何も言わずに右手からワイヤーを発射。

宗方の刀に巻きつけ、ピンと張った。

敵はそのまま刀を引っ張り、宗方も離すまいと引き返し、しばらく互角の力比べが続く。

 

武器を封じられた?と思ったけど、宗方は口元でわずかに笑うと、親指で一瞬鍔に触れた。

すると何重にも巻き付いていたワイヤーが消滅。

右腕の筋力を後ろに向けていたヒットマンは、突然頼りにする物を失い、

転びはしなかったものの大きくよろめく。

宗方はそれを見逃さず、すかさず敵の懐に飛び込むと、

右脇腹から左肩に掛けて刀の峰で流れるような一閃を叩き込んだ。

 

峰打ちとは言え、重さ約1kgの鉄の棒でぶん殴られちゃたまらないわね。

ヒットマンは泡を吹いて気絶してホールの床に転がった。

刀を収めながら宗方は後ろにいる赤のロングコートに話しかける。

 

「少しは手伝ったらどうだ」

 

「お前の仕事だろう」

 

彼はぶっきらぼうにそれだけ答えた。なんだか近寄りがたい人ね。

そんなことを思っていると、宗方がこっちに来た。もちろんこいつがアタシを労うはずもなく、

呆れた様子でアタシを見て脱いだ上着を投げてよこした。

 

「なんというザマだ。これでも羽織っていろ。その髪型は何かの冗談か?」

 

「う、うっさいわね!色々あったのよ!」

 

はだけたブラウスの上にスーツを着ながら、

ツインテールにされたままだった髪からゴム紐を外す。

その時、お姉ちゃんが戻ってきて、アタシの手を握ってくれた。

 

「とにかく、一緒に帰ろう?まず罪木さんに診てもらって……。あれ、その娘は誰?」

 

アタシ達から少し離れて、必死に訳のわからない展開を手帳に書き綴る音無。

時々涙を拭きながら、書き記した内容を再確認している。

 

「あのね、よく聞いて。彼女がB子。本名は音無涼子。G-fiveを作って配った張本人よ」

 

「えっ、まさか!」

 

「その話は本当なのか」

 

さすがに宗方も驚いたらしい。その声に少し動揺が混じる。無理もないと思う。

暴力的な態度はとうに消え失せ、

隅っこで小さくなって泣いている少女が連続毒殺事件の犯人だというのだから。

 

「本当よ。信じられないと思うけど聞いてちょうだい。音無は、アタシと同じなの。

絶望の江ノ島盾子のDNAから造られたクローン。当然、強力な分析能力も持ってる。

きっといろんな人間の才能をコピーしてG-fiveを完成させたのよ」

 

「なるほどな。……そこのお前。貴様にも来てもらうぞ」

 

「え…私、ですか?あの、ちょっと思い出すから待ってください……」

 

「言い訳は後で聞く。立て」

 

音無の腕を掴んで立たせようとすると、しばらくぶりにスピーカーから声。今度はベータね。

 

『待ちたまえ。廃棄処分する予定とは言え、我々の作品を勝手に持ちされては困る』

 

「……そう言えば、貴様達にも入念な事情聴取を行う必要があったな。来い。私を待たせるな」

 

『礼儀を知らん小僧め。我々を誰だと思っている!』

 

「それがわからんから来いと言っている。同じことを二度言わせるな」

 

「奴らは希望ヶ峰学園の評議委員!かつてのメンバーの二番手。その生き残りよ!」

 

「何っ!」

 

今度こそ宗方がはっきりそれとわかる表情で驚いた。

 

「こいつらは才能だけが絶対の《希望》だと思いこんでて、

超高校級の能力者を集めて地下都市を作ったのもこいつらだし、

クローン人間を使い捨てることも何とも思っちゃいない!

ほんの数分しか記憶が保たない音無に命じてG-fiveを作らせたのも

希望ヶ峰学園評議委員なのよ!」

 

『実際にはG-fiveは完成に至らなかったがね。

我々の思想をよく理解し、奉仕の心を持ち、そして類まれなる才能を持つ。

そうでない者を適度に間引く神の薬を期待したのだが、

そこで泣いている凡愚には不可能だったようだ。

我々を“地球人類の教育者”として押し上げる力は、結局なかった』

 

ガンマの声がジンジンと音を鳴らすスピーカーを見上げ、見えない敵を睨みながら宗方は告げた。

 

「貴様らが教育者だと?戯言もほどほどにしろ。来る気がないなら、引きずり出すまでだ。

どんな姿をしているのかは知らんが、

世界崩壊から10年近くもドブネズミのようにこの穴ぐらで逃げ隠れしていたのだ。

さぞ醜い死に損ないの寄せ集めなのだろう」

 

『貴様……!口の利き方に気をつけろ!

我らの尊き労苦を侮辱した罪はいずれ死を以て贖わせてやる!』

 

激高するデルタは息を落ち着けてから、だが、と続けた。

 

『我々も暇ではない。この拠点を失うのは正直なところ、痛手だ。

未来機関の邪魔が入った以上もう使い物にはならない。

しかしこれで我らから全てを奪ったと考えているなら思い違いだ。

今回については諸君に花を持たせよう。さらばだ』

 

スピーカーからマイクの電源を落とすようなポツという音が聞こえる。

 

「待ちなさい、卑怯者!」

 

「よせ、江ノ島」

 

「どうして!?あいつらを追わなきゃ!」

 

「どこにいるかわからん連中をどこへ探しに行くつもりだ?」

 

「でも!」

 

「落ち着け。既にカードは伏せてある」

 

「どういうこと?」

 

「説明は後だ。その前に……」

 

宗方が中央のコンソールに歩み寄る。アタシ達もついていったけど、

やっぱり評議委員がロックしたままで、画面にタッチしても反応がない。

でも、宗方は黙ってスマホを取り出し、どこかへ連絡。

ビデオ通話モードにして誰かと会話を始めた。

その相手は……。日向君!怪我はないみたいだけど、うっすらと目に隈ができてる。

 

「私だ、聞こえるか」

 

《はい。問題ありません》

 

「このコンソールのロックを解除したい。遠隔で操作を指示してくれ」

 

そしてスマホのカメラをコンソールにかざす。

 

《“超高校級のハッカー”を起動しました。少し待ってください。

……このタイプは、内部から物理的に直接アクセスすればそう難しくないですね。

左右田、お前もそっちにいるんだよな?》

 

「おう、ここだぜ」

 

《フロントパネルを外して中のCPU回路を見せてくれ》

 

「任せろ!」

 

左右田君がマイナスドライバーや平べったいヘラのようなもので、

モニターを支える直方体の柱からカバーを手際よく外していく。

その間もアタシは落ち着かなくて、宗方にもう一度確認した。

 

「本当に追わなくていいの?一旦地上に戻ったほうがよくない?」

 

「切り札があると言った。今の私達の任務は情報収集だ。お前まで同じことを二度言わせるな」

 

「わかったわよ……」

 

少しむくれながら突っ立っていると、音無がアタシの袖を遠慮がちに引っ張ってきた。

存在意義を否定され、評議委員の支援も失った彼女は

親とはぐれた幼子のようにおどおどした様子でアタシを見る。

一瞬、今までの仕返しにビンタしてやろうかと思ったけど、

その今にも泣き出しそうな眼に思わず毒気を抜かれてしまう。

 

「何よ」

 

「あの…彼は、この人はどこにいるんでしょうか……?」

 

手帳を開いて見せたのは、名前も知らない美少年の似顔絵。

こんなものを見せられても答えようがない。

 

「知らないわよ。どっかにいるわ」

 

「そう、ですか……」

 

努めて彼女を冷たくあしらっていると、左右田君の作業が終わったようで、

また宗方がスマホをコンソールに向ける。

 

「開いたっすよ」

 

「中はこんな具合だ。どうすればいい」

 

《左側に並んでるチップの上から3番目の暗号化コンデンサを外してください。

それから中央のCPUのプロテクトフィルムを除去すれば、

後はスマホのブルートゥースで直にアクセスしてロック解除が可能です。

解除コードはこっちから送りますから》

 

「だそうだ。左右田、続きを頼む」

 

「うっす」

 

今度は細かい作業を3分もかからず完了。

宗方がむき出しになったコンソール中央部にスマホをかざすと、

モニターに何やら意味不明な文字列が高速で流れ、

“希望ヶ峰学園都市制御システムへようこそ”という画面が現れた。これならアタシにもわかる。

さっそく宗方が無線でスマホとコンソールを接続したまま操作を始めた。

 

「データを持ち出せるだけ持ち出す。……ほう、興味深いものが山ほど出てくる」

 

アタシも傍で見てたけど、物凄い情報量だった。

地下都市全域をカバーする監視カメラの映像や、クローン人間の製造過程、音無涼子の行動ログ。

彼女が記憶を保持できないからそのバックアップでしょうね。

そして、絶望の江ノ島盾子のDNA配列。つまりアタシの作り方。

全てがスマホの内蔵メモリに記録されていく。

 

スルスルとタッチパネルに指を滑らせ、地下世界の全貌を眺める宗方。

だけど、あるエリアの映像で手が止まった。……いえ、止められた。

いきなり音無が彼の腕にしがみついて操作の手を止めたの。

 

「貴様、何の真似だ」

 

「待って!お願い待ってください!彼はどこですか?これはどこの映像なんでしょうか!?」

 

音無が指差したモニターには、今見たばかりの少年…の上半身。

きっと彼女が恋をしているはずの彼。

 

「お前には関係ない、離せ!」

 

「お願いですから!彼に会わなくちゃ!いえ、そうじゃなくて、会いたいんです!」

 

「十六夜、こいつを縛れ」

 

「命令するな。……ふん、まあいい。さっさと終わらせて俺は流流歌のおいちぃお菓子を食う」

 

「ちょっと待って」

 

あら?何言ってるのかしらアタシ。

気がついたら針金で音無を縛ろうとしていた赤のロングコートを止めていた。

 

「江ノ島。お前まで何を考えている」

 

「ば、場所だけでも教えてあげたらどうかしら!?

この娘、忘れっぽいこと以外は全盛期のアタシくらい優秀だから、捜索の役に立つ。かも?」

 

「盾子ちゃん……?」

 

お姉ちゃんも当の音無も驚いた様子でアタシを見る。

会った所でお喋りできるわけでもないのに、アタシって本当馬鹿。

言い争うのが面倒だったのか、宗方がやる気なくタッチパネル式のキーボードを叩き、

導いた結果を告げた。

 

「このコンソールの台座がそのままエレベーターになっていて、

クローン作成のクリーンルームの入り口になっているらしい。

今の上半身もそこで完成を待っている。これで満足か?」

 

「お願いします!連れて行ってください!ひと目会ったら、私を殺してくれていいですから!」

 

「馬鹿を言うな。お前には聞くことが山ほどある。……はぁ、全員乗れ」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

皆が円形の台座に乗ると、宗方がエレベーター昇降コマンドを入力。

次第に足元がガタガタと揺れだして、地下の地下へ……行くはずだった。

でも突然振動は止まり、真っ赤な警戒ランプがホールを照らし、けたたましい警報が鳴り響いた。

 

「バレたらしい」

 

《警告。レベル4の機密漏洩が確認されました。シェルターの自壊プログラムを実行します。

作業員は至急避難してください。自壊まであと30秒》

 

自壊って、ここが崩れるってこと!?

冗談じゃないわ、薄気味悪い地下世界で生き埋めとか勘弁よ!全員が出口に向かって駆け出す。

アタシはうろたえてその場から動かない音無の手を握って、自分も避難しようとした。

でも、彼女が足を踏ん張ってコンソールから離れようとしない。

 

「何してるの馬鹿!死にたいの!?」

 

「彼を置いていくんですか?一人ぼっちにするんですか!?いやです、そんなの!」

 

「盾子ちゃん、急いで!」

 

「待ってよ!誰かこの駄々っ子連れ出すの手伝って!」

 

「チッ、世話の焼ける!」

 

振り返りざま宗方が音無を担ぎ上げ、鋼鉄の扉に開いた穴に急ぐ。残り10秒。

 

「いやあ!下ろして!やっと見つけたのに!もうすぐ会えるのに!!」

 

泣き叫びながら彼女はコンソールに手を伸ばす。

 

「……彼は、生まれるべきではない。人が人を造るなど、許されざる罪だ」

 

「それだって人間の勝手じゃないですか!生まれることを許さないなんて!」

 

「彼の分まで、存分に私を恨むがいい。だが、お前が手にかけた者達の事も忘れるな。

それが条件だ」

 

「う……うああああん!!」

 

最後の一人が脱出した瞬間、ホールの床に無数の亀裂が入り、地下深くへ崩落していった。

瓦礫は最下層に存在する培養ポッド、

未完成の少年が睡るものを含め、全てを無慈悲に押しつぶす。

決して朝が訪れることのない紛い物の世界に、声にならない少女の悲しみがこだました。

 

 

 

 

 

非常灯の明かりが頼りの暗い通路。

地下都市の中核施設を放棄した4人の男達は、地上へ向かうオートスロープの流れを待ちきれずに

駆け上がっていた。アルファは老体に鞭打って速歩きで進む。

 

「なんという屈辱かっ……!未来機関の小僧に舐められたまま我らが逃げ回るなど!」

 

「仕方があるまい。奴らに存在が知られた以上、もうこの拠点は使えん」

 

腹の出た中年男性のベータが汗を流しながら答える。

評議委員の間では年齢による上下関係はないようだ。

 

「焦る必要はない。ここより小規模にはなるが、まだ地下都市は複数存在する。

そこに腰を据えて改めて《希望》の開発に取り掛かろうではないか。

なに、江ノ島盾子の助けがあったとは言え、かつての絶望的事件の際にも

予備学科の落ちこぼれ共が校舎地下に居住空間を作ってみせた。

地球の教育者たる我々が新世界を創造できない理由がどこにある」

 

この4人の中では一番若いガンマが、軽く息を上げながら自ら夢見る《希望》を語る。

 

「うむ。有能な《希望》の賛同者はまだまだいる。我々が《希望》を捨ててはならんのだ。

……そろそろだ。この先にVTOLを待たせている。まずはこのエリアを離れるぞ」

 

4,50代程度と思われるが、童顔で色白なデルタは、見た目では年齢が分かりづらい。

彼はスーツの内ポケットからリモコンを取り出し、「開」ボタンを押した。

すると、彼らの頭上がスライドして外への出口が開き、

紺のカーテンに星々がちらばる夜空が広がった。全員急ぎ足で地上に脱出。

周囲は荒涼とした岩山の盆地だった。

100mほど向こうに垂直離着陸が可能な滑走路不要の航空機が見える。

 

「ふう、ふう、はぁ…なぜこの私がこんな面倒な思いをする羽目に……」

 

ベータは脂汗でワイシャツを濡らしながら、早く楽な乗り物に乗りたい一心でVTOLへ急ぐ。

 

「全くだ。ところであの機の調整はできているのだろうな?」

 

「問題ない。レーダー波を吸収するステルス迷彩を施してある」

 

アルファの質問にガンマが答えた。遠くの空からいくつものヘリのローター音が聞こえてくる。

既にマスコミや自衛隊の機体が集まっているのだろう。早く離脱する必要がある。

評議委員は自然と小走りになりながら砂利だらけの道を進む。

 

その時、ゴロゴロと転がる岩の陰から、

緑色の上着を着た老人が覚束ない足取りで彼らの前に現れた。

彼らを見た老人は安心した表情を浮かべて話しかけてくる。

 

「ああ助かったわい。お若い方、助けてくだされ」

 

「誰だ、お前は!」

 

デルタがショルダーホルスターから抜いた拳銃を向けた。

モデルガンだと思っているのか、状況がわかっていないのか、老人は驚く様子もなく続ける。

 

「山登りが趣味なんじゃが、山道から外れてしもうてのう。

帰り道もわからずここまで歩いて来たが、もう限界じゃ。膝が痛くてかなわんわい」

 

「誰だと聞いているのだ」

 

ガンマが再度問うが老人はマイペースに話すばかりだ。

 

「ひょっとして、あの飛行機はお前さん方の物かね?

すまんが、わしも街まで乗せてってくれんかのう。今ごろ女房も心配しとる」

 

「失せろ、厚かましいジジイめ!我々には時間がないのだ!地球の教育者は多忙なのだ、どけ!」

 

「ああっ!」

 

デルタが老人を突き飛ばした。転んだ老人を置いて4人はヘリに向かう。

そんな彼らに追いすがるように、老人は手をのばす。

 

「なんと乱暴な。後生だから待ってくだされ。待ってくださらんと……後悔するぞ!!」

 

突然老人の声色が変わる。

彼の手首辺りから矢が発射され、評議委員達の膝裏やアキレス腱に突き刺さった。

脚に稲妻のような激痛が走った彼らは、悲鳴を上げながらその場に転ぶ。

 

「いぎっ!」「がひいっ!」「づああ!」「はびゃあ!!」

 

袖に仕込んでいた袖箭(しゅうせん)を命中させた老人は静かに立ち上がり、言い放った。

 

「年寄りに手を上げるような輩が、教育者を名乗るでない。愚か者め」

 

未来機関特別顧問・天願和夫は、弱々しい老人の芝居をやめるとスマートフォンを取り出し、

宗方に現在位置の座標を送った。

彼は宗方と逐一情報をやり取りしながら評議委員の居所を捜索しつつ、

彼らを待ち構えていたのだ。

 

「ふむ。左右田君の生体反応探知機の性能は眼を見張るものがある。

おかげで地下をうろつく怪しい連中を捕らえることができた」

 

まもなく自衛隊のヘリがやってきて評議委員を連行するだろう。

痛みに悶え続ける彼らを放って、天願は夜空を見上げた。

 

「名月じゃのう。斯様に美しい空を再び拝めるようになるとは、長生きはするもんじゃ」

 

 

 

 

 

希望ヶ峰学園の敷地には、増援の機動隊や自衛隊の特殊車両がひしめき合い、

戦い傷つき疲れたみんなの救急搬送や、

100名の斑井達や元超高校級ヒットマンを逮捕する大掛かりな作業で

物々しい雰囲気に包まれていた。

 

最初に来たときは真っ暗だけど、

今は空を飛び回る自衛隊やマスコミのヘリからライトで照らされて眩しいくらい。

それでもこんなのはまだ嵐の前の静けさだと思う。

この世にクローン人間が100人もいて、

そいつらが守っていたのは一つの大都市に匹敵する地下世界だったんだから。

 

あれからお姉ちゃん達と車に乗って地下から脱出したのはいいけど、

何からどう説明すればいいのやら。

警察や自衛隊から矢継ぎ早に事情を聞かれたけど、アタシ自身パニクってて、

どうにかG-fiveの件に関しては音無涼子が犯人だということを伝えるのが精一杯だった。

でも、彼女が何も覚えられない上に証拠品も持ってきてない。

 

規制線を超えてマスコミが押し寄せて来たタイミングで

宗方が強引に救急車に引きずり込んでくれて助かった。

基本、顔出しNGのアタシがあんまり公共の電波に乗るのはよろしくない。

 

アタシを乗せて救急車が発進する。

みんなは大怪我してないか、音無はどこへ連れていたのか、気になることは色々あるけど、

身体も精神も疲れていたアタシは、深く考える余裕がなかった。

付き添ってくれたお姉ちゃんと目が合うと、張り詰めていた神経に余裕ができて眠気に襲われる。

真上を向いて楽な姿勢を取ると、白い天井や触診する救急隊員の顔がぼやけてきて、

すぐ眠りに落ちてしまった。

 

 

 

 

 

 

半年後。

 

東京高裁特別法廷。アタシ達は連続毒殺事件に決着をつけるため、最後の裁判員裁判に赴いた。

証言台には音無涼子。心細い様子で山のようにテーブルに積まれた手帳を読んでいる。

裁判長は白髪交じりのオールバック。いつものように前口上を述べている。

彼と会うのもこれで最後にしなきゃ。

 

「……それでは、被告人。氏名と年齢を」

 

「音無涼子、だそうです。年齢は、わかりません……」

 

「今回の事件は極めて重大かつ社会に与えた影響が計り知れません。

当事者であるあなたの言葉ひとつひとつが重要な証拠となります。

その上で、審理を開始する前に何か言いたいことはありますか?」

 

「はい……」

 

「何でしょう」

 

「私を、死刑にしてください」

 

音無は顔を上げてはっきりとそう言った。

 

 



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第18章 被告人:女性 前編

アタシは身支度を終えて、テレビをぼんやり眺めていた。

こうしてベッドに腰掛け、集合まで微妙に余った時間を消化している。

 

《連続毒殺事件に関する続報です。

えー、実行犯は17歳くらいの少女。身元は不明。詳しい情報は入り次第お伝えします》

 

《ご覧ください!現在私は旧希望ヶ峰学園上空に来ておりますが、

上空からはっきりと取り壊された教職員棟内部の……》

 

《武装警察隊の捜査班が連日地下都市の捜査に当たり、

綿密な事実関係の洗い出しを進めています》

 

《住人と機動隊との衝突が続いており、全容解明には時間がかかると予想されます》

 

ザッピングしたけど同じような内容ばかりで少々うんざりする。

テレビを消してリモコンをポンとシーツの上に放った。

希望ヶ峰学園の地下都市から音無涼子を脱出してから1ヶ月。

 

ニュースは未だにどのチャンネルも音無涼子とその潜伏先に関するもの。

相変わらず出不精のアタシにはピンとこないけど、

世間は天地がひっくり返ったほどの大騒ぎらしい。

まぁ、こんな大事件、人類史上最大最悪の絶望的事件以来だからしょうがないけど。

 

「んー、よいしょ」

 

ひとつ伸びをして立ち上がる。ちょっと早いけどもう行きましょう。

自室を出て大会議室に向かう。廊下を歩きながら考える。

今日の議題は……。やっぱり音無涼子のことよね。

だったら少し考えをまとめておいたほうがいい。

 

一連のG-fiveによる連続毒殺事件は、

4人の希望ヶ峰学園評議委員を頂点にした《希望》の残党を名乗る組織の犯行。

その実行犯が音無涼子。

彼女はアタシのDNAを元に作られたクローンで、どういうわけか記憶を維持できない。

保って数分。

きっとアタシ達が彼女の裁判員裁判で裁判員を務めることになるだろうけど、

この事実が審理を難しくするのは間違いないわね。

 

……もうひとりのアタシ、か。ふと音無の顔を思い出す。

元気よくアタシを半殺しにしたかと思えば、

評議委員に見捨てられ異様な執着を示していた地下都市で造られていた謎の少年も失い、

抜け殻のようになってしまった。

 

本当に全てを失った人間はああなってしまうものなのかしら。

アタシも何も持たずにダンガンロンパの世界に来たけど、

少なくとも引きこもりとしての自我はあった。だから彼女の気持ちを推し量ることはできない。

同情するつもりはないけど。やるべきことをやるだけ。

 

色々考えているうちに大会議室の前に着いた。

大きなドアを開けると、もう何人かが集まっていた。

 

「みんな、おはよう」

 

「おう」「ああ、お早う」「ういっす」「おはようございます」「おはよー」

 

九頭竜君と辺古山さん。左右田君にソニアさん。そして日寄子ちゃんね。

今日は珍しく小泉さんと一緒じゃない。単にアタシ達が早すぎるだけなんだけど。

適当に空いた席に着く。

 

……そうそう、大事なことがひとつあるの。

この前、左右田君が打ち明けてくれたんだけど、この連続毒殺事件が解決したら

ようやくソニアさんと結婚式を挙げることにしたんだって。

 

長い長い道のりの先にようやく見えた希望の光。

アタシのせいで随分先延ばしにさせちゃったけど、みんなが幸せになれる本当の意味での希望。

正直、本人たちよりも待ちきれない思いをしてる。

 

だけど、そこにたどり着くまでには大きな試練を乗り越えなきゃね。

机の上で小さく組んだ手を見つめながら思索にふけっていると、他のメンバーも集まりだした。

 

「おはよう。みんな早いんだな」

 

「おはよう日向君。なんだか中途半端に早起きしちゃって」

 

「遅れてすまん!今朝のクソがなかなかの頑固者でのう!」

 

「心配しないで。まだ開始までには時間があるから」

 

「ちょっと弐大、朝から下品よ。あ、みんなお早う」

 

日向君、弐大君、続いて文句を言いながら小泉さん。予定時刻まで15分程度。

皆も座ると、残りの仲間も殆どが入室し、挨拶を交わして思い思いにわずかな時間を潰す。

お姉ちゃんが入室すると、まっすぐアタシの隣に来て席に着いた。

 

「盾子ちゃん、おはよう」

 

「おはよう、お姉ちゃん」

 

後は霧切響子が来るまで待つだけね。アタシはお姉ちゃんと喋って過ごすことにした。

 

「これで、最後になるのよね」

 

「うん、きっとそう。連続毒殺事件に区切りがつくってこともあるし、

私達が裁判員裁判をこなしてきたことで審理のノウハウも蓄積されてるから、

もう私達が裁判員に選ばれることはないよ」

 

「……音無涼子もそうだけど、希望ヶ峰学園評議委員の有罪は絶対に証明しなきゃ。

そうでなきゃ久美子さんに喜男さん。それに森本さんの無念を晴らせない」

 

「音無涼子……。私も彼女について聞いたときは驚いたよ。

私達よりずっと年下の子がG-fiveを作ってたなんて」

 

「年下どころか、アタシのDNAから人工的に造られたから生まれたての存在」

 

「あと、法廷で森本さんを暗殺したのも……」

 

「おそらく彼女。彼女自身覚えてないというより覚えていられないから、

今ああだこうだ言ってもどうにもならないけど」

 

音無に話題が向くと、お姉ちゃんはちょっと黙ってから言った。

 

「ねえ盾子ちゃん」

 

「なあに」

 

「怪我、大丈夫?」

 

ほとんど消えかかってるけど、

アタシの頬には音無に殴られたときの痣がまだうっすらと残っている。

 

「もう平気。ありがと」

 

「……本当に?」

 

「大丈夫だってば。お姉ちゃんってば心配性なんだから」

 

「そうじゃない」

 

そばかすの散った顔をアタシに向けて真剣な表情で問う。

 

「え、そうじゃなかったらどういう意味?」

 

「本当にあの男にやられたの?」

 

「どういうことかしら」

 

「もしかしてだけど、それって──」

 

「遅くなったわね。ブリーフィングを始めるわ」

 

ドアノブが回り、一人が入室。お姉ちゃんの勘の鋭さに少し胸がドキンとしたけど、

いいタイミングで霧切響子が来て会話が中断された。待ちかねた様子で九頭竜君が開始を急かす。

 

「おう、待ったぜ。始めてくれや。オレ達ぁ全員腹くくってる。これで最後なんだよな」

 

「ええ。一連の新型毒薬を用いた連続毒殺事件。通称“G-five連続殺人事件”。

この裁判員裁判について情報共有と打ち合わせをするわね」

 

霧切が最終決戦の始まりを告げ、ごくりと全員が静かにつばを飲む。

 

「事件の始まりは今年初め頃から発生し始めた連続不審死。

それまでは急性心不全で片付けられていたけど、

自然死ではなくG-fiveを用いた殺人事件であることが確定したのは

吉崎久美子さんの事件がきっかけ。ここまではいいわね?」

 

「大丈夫っす、ちゃんと唯吹ついていけてるっすよー」

 

「3つの事件でみんなに裁判員を務めてもらう中で浮上したのが謎の女。

そう、団地の一室や希望ヶ峰学園の地下都市を拠点にしていた音無涼子。

彼女がG-five製造及び拡散していた張本人……とされている。ただ、確実な物証がない」

 

「本人の記憶もね。まだ他にも大事なことがあるでしょう?」

 

奴らの存在も忘れちゃいけない。

アタシが付け加えると、霧切響子が難しい顔をしながら髪をかきあげて続けた。

 

「希望ヶ峰学園評議委員。彼らは全員関与を否定してる。

“ただ地下に快適な生活空間を築いただけだ”とね。

全ての罪を音無涼子になすりつけて逃げおおせるつもりらしいわ」

 

「あいつら……!」

 

無意識に歯噛みしていた。腹に熱いものが煮えたぎってくる。

あんな奴らに久美子さん達が実験台にされた。

裁判のラストでは今までの人生で一番綺麗な字で“有罪”を書いてやろう。

 

「問おう。冥界の軍勢、そして哀れなる煉獄の亡者達が語りし真実を!」

 

「斑井達も同じ。機動隊に大勢の犠牲者が出たけど、

100人のうち誰が誰を殺したか判断できないから、とりあえずあなた達への殺人未遂で逮捕した。

でもやっぱり黙秘を貫いてる。地下都市の住人も似たようなものね。

あの巨大都市の住人を拘束することは現実的じゃないから、

とにかく地上への出入りを禁止して事情聴取を進めてるけど、

“評議委員は正しい”、“彼らは無実”の一点張り。状況はまだ混乱しているわね」

 

「オレ、戦刃と一緒にあそこ行ったんだけどよー。なんつーかまともじゃなかったぜ、あいつら。

おかしな宗教の信者みたいでよ。連中からこっちに有利な証言引き出すのは無理じゃね?」

 

「私もそう思う。

直に戦ったからわかるけど、自分の命より優先するほどの狂った何かに取り憑かれてた」

 

「あのさ……」

 

今まで黙っていた日寄子ちゃんが物憂げな表情でぽつりと漏らす。

柔らかい声を心がけて尋ねてみた。

 

「どうしたの?わからないことはどんどん聞いていいのよ」

 

「なんていうかさ……。音無ってやつは江ノ島おねぇと同じ遺伝子を持ってるんだよね。

だったらそいつは戦刃おねぇと同じ、江ノ島おねぇと姉妹ってことになるからさ、

もし音無が有罪になったら、どうしようって思っちゃって……」

 

会議室に何とも言い表し難い空気と沈黙が流れる。

確かに、犯罪にさえ手を染めていなければ音無涼子はアタシの妹になるはずだった。

そして彼女が有罪になれば、間違いなく、死刑。でも。

 

「みんなにひとつだけお願い。裁判に当たってはその事は忘れて。

G-fiveのせいで3人が人生を絶たれたことは紛れもない事実なの。

無罪にしろとも有罪にしろとも言わない。曇りのない目で音無を見て。

大丈夫、アタシ達は今までずっとそうしてきたじゃない」

 

またしばしの沈黙で会議室がしんとなる。それを破ったのは十神君。

 

「……ふん、俺を誰だと思っている。今までもこれからも高潔な精神を持つ十神白夜だ。

この俺に公平中立を説くなど10年早い!」

 

「そう、ね。そうだったわね。ありがとう」

 

「彼の言う通りよ。特別なことは必要ない。ただその目で前を見据えて、事実を捉えて」

 

霧切響子も彼に続く。彼女ともくだらないことで不仲になって以来そのままだったけど、

全てに決着がついたら少し歩み寄ってみようかしら。

 

「勇気を出すんだ。

確かに今度の裁判は、俺達が経験してきた学級裁判を含めても異例なものになるに違いない。

でも乗り越えられなかった困難なんてなかったじゃないか。次で最後だ。

この悲劇に幕を下ろして、今度こそ俺達の新しい未来を掴むんだ」

 

「日向クンの言うとおりだよ!ボク達には明るい未来が待ってる。信じて最後まで戦おう!」

 

日向君と狛枝君の言葉を受け、みんなの目に力が宿る。

 

「うっし。オレ、あの夜あんま役に立てなかったからな。目ン玉皿にして証拠を見つけてやる」

 

「うむ。目覚めにコップ一杯の水とグルタミンで代謝を上げれば脳の回転も早くなるわい」

 

「ぼくも同じ。今回ばかりはおふざけ抜き!ところで音無って人はかなりのボインだって」

 

「はい花村黙る。ねえ、アタシもうこいつのツッコミ係卒業したいんだけど」

 

「それはそれで寂しゅうございますね。小泉さんと花村さんの掛け合いは見ていて和みますから」

 

「やめてよソニアちゃん、趣味悪いわよ……」

 

「あの、私、もう弱音を吐いたりしません。私も未来を目指します。

自分の過去とお別れして、すべての人を救う看護師になるんです」

 

「ふふ、罪木に負けてられないな。私も組長と共に九頭竜組の再建を目指そう」

 

「あんだよ、ペコに先越されちまったな。ま、オレの夢もそんなとこだ」

 

「夢か。いい言葉だな。叶えようぜ、少しスタートは遅れたけど、俺達の夢を」

 

アタシは改めて日寄子ちゃんに視線を送り、彼女の夢を尋ねた。

 

「日寄子ちゃん。あなたには、どんな夢があるの?」

 

「え、わたし…?うん、わたしは……。やっぱり踊りだよ。

どの家柄とか関係なくて、わたしの好きな舞いを皆に見てもらう」

 

「だったら。生まれ方とか、遺伝子の形とかに囚われてちゃだめよね?

自由に舞いたいならまず心が自由でなきゃ」

 

「うん……。わかった!罪木おねぇみたいに夢を叶えるんだ!」

 

「えっ!今、西園寺さんが私に、尊敬っぽいことを言ってくれた気がするんですが、

気のせいなんでしょうか!?」

 

「ば、ばっかじゃないの!気のせいですよーだ!」

 

その場がどっと笑いに包まれる。

嫌な緊張感が取り払われたタイミングを見計らい、霧切響子が再び本題に戻る。

 

「はっきり言って数名の辞退者も覚悟していたのだけど、

このまま詳しい段取りに入っても良さそうね」

 

「ああ、頼むよ霧切さん」

 

そして霧切はテキパキと裁判の日程、当日のスケジュール、証拠物件について

無駄のない説明を行った。聞き入るみんなの視線に迷いはない。

最後の裁判員裁判の準備を済ませたアタシ達は、

決意を胸に大会議室から力強い足取りで立ち去った。

 

 

 

 

 

裁判員裁判当日。

開廷前からアタシもみんなも少し疲れ気味だった。

本当、どこから情報が漏れてるのか知らないけど、第十四支部の周辺は

大勢のマスコミに取り囲まれてて、上空にはテレビ局のヘリまで飛び回る始末。

バスに乗り込むにもテントのような通路を通らなきゃならないし、

スモークガラスの窓で視界を遮断する特別性の車に異様な圧迫感を感じずにはいられなかった。

 

結局パパラッチの邪魔が入って予定より30分遅れで東京高裁に到着。

また物々しい目隠しシートのトンネルを通って裏口から建物に入り、

控室に落ち着くとようやく一息つけた。ただバスに乗っただけなのに、やけに喉が渇く。

備え付けの紙コップを取ってウォーターサーバーから水を一杯。

みんなも水を求めて並び、ちょっとした列ができる。

 

「ああ、やたらお水がおいしいわ。こんなんじゃ先が思いやられる……。

だめね、気合入れなきゃ」

 

アタシは空になった紙コップを握ってゴミ箱に放り込むと、ソファに座ってタブレットを起動。

LoveLove.exeを立ち上げた。開いたウィンドウには年を取らない仲間の顔。

 

「七海さん、今裁判所よ。事件概要をお願い」

 

《ちょっと疲れてる?最後だもんね。私もこういう任務は最後にしたいよ。待ってて》

 

彼女がポケットを探るような仕草をすると、別ウィンドウに事件概要が表示された。

タブレットを持つ手が汗ばむ。しっかり読んで、必ず真実を明らかにしなきゃ。

 

 

 

○東京高等裁判所令和元年(の)第331号

 

容疑者:自称・音無涼子(推定17歳)

 

容疑:殺人、殺人教唆、毒物及び劇物取締法違反

 

事件概要:

2019年初頭より連続して発生した毒殺事件に使用された毒物(以下G-five)を製造、

複数の人間に譲渡し殺人に使用させた。

また自らもG-fiveによって森本挟持を殺害した容疑に問われている。

少なくとも3件の殺人事件について関与を認めているが、

後述の理由により刑の執行ができずにいる。

 

被害者の死因:

容疑者の自供及び証拠物件より、G-fiveによる中毒死であることが判明。

 

事件現場:

団地の一室、及び旧希望ヶ峰学園地下に建造された都市でG-fiveの製造を続けていた。

 

備考:

容疑者は短時間しか記憶を保持できないため証言の信憑性が低く、犯行の立証が極めて困難。

 

 

証拠品:

○G-five

音無被告が製造したとされる猛毒。数々の殺人事件に使用された。

製造には特殊な知識と設備が必要。

 

○被告の体質

数秒から数分以内の出来事しか記憶できず、

常に自分の行動や目的をメモし続けなければ生活ができない。

 

○手帳

何も覚えられない被告が身の回りの出来事を事細かに記した手帳。その数は千を超える。

 

○被告の出自

手帳の内容と自供、そして地下都市に残された残骸によると、

被告は地下都市の実験室で『絶望の江ノ島盾子』のDNAから再生されたクローンであるらしい。

 

○被告の能力

記憶を持てない一方、被告は並外れた分析力を持ち、他者の姿などを分析することにより

自らの能力とすることができる。更にその能力を改変して使用することも可能。

 

○指紋

団地の一室を改装したアジトから発見された被告の指紋。全ての実験機器から見つかっている。

 

○3つの事件への関与

自供及び手帳の内容から被告は吉崎久美子、中村喜男、森本挟持、3者について

G-fiveを用いた殺害教唆の疑いが掛けられている。ただそれだけでは立証ができない。

 

 

こんなところね。今までで一番難しい裁判になるのは間違いない。

 

「ありがとう。よくわかったわ」

 

《証拠も少ないし音無さんが何も覚えていられないのも問題だよね。

やっぱり彼女の記憶から事実を浮かび上がらせることが重要になりそう》

 

「七海さんもそう思う?音無には、もう何もないから。アタシ達がなんとかしなきゃ」

 

《頑張ってね。……私には、それしか言えないけど》

 

「十分よ。全て終わらせて、帰ってくるわ」

 

控室のドアがノックされた。時間が来たらしい。入室した係官が開廷間際であることを告げた。

皆が表情を硬くして無言で退室し、アタシも一旦七海さんとお別れしてついていく。

法廷までの廊下が心なしか長い道のりに感じられる。

 

あまり日差しが入らない暗い通路を歩き、アタシ達は遂に特別法廷のドアの前に立った。

ここが最後の戦いの舞台。いわば希望ヶ峰学園の呪いと決別する試練。

 

「お入りください」

 

係官が大きなドアを開けてアタシ達を中に導く。

そこで見たものは、これまでの裁判員裁判とは違った光景。

証言台や裁判官はアタシ達を待っていたように静かに佇んでいる。

ただ法廷の中央に異質な存在が。

 

被告席には希望ヶ峰学園の制服を着た音無涼子。不安な様子でキョロキョロしてる。

彼女の右側には女性の弁護士が控え、長テーブルには山と積まれた手帳。

そして左にはキャスター付きのホワイトボード。赤いマジックで次のように大書されている。

 

・私の名前は音無涼子

・私は殺人容疑で裁判を受けている

・全ての質問に正しく偽りなく答えること

 

わかってはいたけど、一筋縄じゃいかないみたい。

アタシ以外の全員が初めて見る音無に目を奪われつつも証言台に着く。

それを確認すると、白髪交じりのオールバックが木槌を鳴らし、裁判員裁判の始まりを宣言した。

 

 

【裁判員裁判 開廷】

 

 

「これよりG-five連続殺人事件の裁判員裁判を開始します。

裁判員、被告人、共に準備はよろしいですね」

 

「は、はい……」

 

アタシ達に続いて音無も弱々しく返事をした。酷く怯えている様子がどこか痛々しい。

情けは無用だとわかってはいるんだけど。

裁判長は聞き慣れた基本的な裁判の規則や注意点を述べた後、

被告人である音無の身元を改めて確認した。

 

「……それでは、被告人。氏名と年齢を」

 

「音無涼子、だそうです。年齢は、わかりません……」

 

「今回の事件は極めて重大かつ社会に与えた影響が計り知れません。

当事者であるあなたの言葉ひとつひとつが重要な証拠となります。

その上で、審理を開始する前に何か言いたいことはありますか?」

 

「はい……」

 

「何でしょう」

 

「私を、死刑にしてください」

 

音無は顔を上げてはっきりとそう言った。

みんな声が出そうになるけど場の重要性をわきまえてる。ぐっと堪えてただ彼女を見つめていた。

裁判長は経験に裏打ちされた落ち着きで更に問う。

 

「極刑を望むのは、何故ですか」

 

「希望ヶ峰学園評議委員…と私が、沢山の人を殺してしまったのに、

証拠不十分で罪に問えないと書類に書いてありました。

もし皆さんがリーダー格の評議委員に言われるまま殺人を続けた私の有罪を立証できれば、

彼らを道連れにすることができると思ったからです。

私にはもう、有罪判決を受けるしか罪を償う方法がないんです……」

 

この半年を費やして、自分が何をしてしまったのか、何を失ったのか、

残酷な現実を全て理解してしまったんだと思う。

必死に名も知らぬ少年を追い求めていた音無涼子の姿は既にない。

一切の《希望》を絶たれた少女の悲壮な決意だった。

 

「……わかりました。ちなみに竹内さん。本法廷に限り、江ノ島盾子の名を使用してください。

事前調査によると、あなたは被告人と長く生活を共にしたことがあるそうですね。

あなたの情報に触れることで、何かを思い出すきっかけになるかもしれません。

機密漏洩のリスクは極限まで抑えてありますのでご心配なく」

 

「はい、そのように致します。詳しくは省略しますが、確かに彼女と暮らしていました」

 

 

■コトダマゲット!!

○江ノ島盾子の証言 をタブレットに記録しました。

 

○江ノ島盾子の証言

江ノ島盾子は失踪から約半年、音無涼子とアジトの団地で生活を共にしていた。

 

 

「では裁判員の皆さん、よろしくお願いします」

 

裁判長の言葉で、この裁判も日向君が戦いの火蓋を切る。額にわずかな汗を浮かべながら。

 

「まずは、音無さんが吉崎さんを始めとした

3人の殺人に関わっていたことからはっきりさせよう。

G-fiveを使って間接的に被害者たちを殺害したと証明できれば、

評議委員の有罪への足がかりになる」

 

「ええ、始めましょう!」

 

前置きが長くなったけど、これが最後の学級裁判。

出会い方が違っていれば家族になれていたかもしれない少女を死刑台に送る、コロシアイ。

人が人を裁く。それもまた罪だから、せめてそう思うことで自分を罰することにした。

 

 

■議論開始

コトダマ:○手帳

 

日向

難しい事件だが、基本を押さえれば大丈夫だ。

まずは、そもそも彼女に3件の[犯行が可能だった]か。

 

狛枝

当然だけど、どの事件にも[G-fiveが関わってる]よね。

彼女はどうやって毒薬を用意したんだろう。

 

左右田

そりゃ、[団地の研究室で作った]に決まってる。実験用の機材が家じゅうにあったからな。

 

小泉

確か、日向がそこで[G-fiveの化学式を見つけた]んだよね?なら決まりじゃない?

 

・わかってるだろうけど、あなたの成すべきことは……

・真実を明らかにすること。それにしても遅いじゃないの。

 

REPEAT

 

日向

難しい事件だが、基本を押さえれば大丈夫だ。

まずは、そもそも彼女に3件の[犯行が可能だった]か。

 

狛枝

当然だけど、どの事件にも[G-fiveが関わってる]よね。

彼女はどうやって毒薬を用意したんだろう。

 

左右田

そりゃ、[団地の研究室で作った]に決まってる。実験用の機材が家じゅうにあったからな。

 

──それは違うわねぇ!!

 

[団地の研究室で作った]論破! ○手帳:命中 BREAK!!!

 

 

「あそこじゃなかったら、どこで作ったっていうんだ?

指紋も音無の筆跡の化学式も見つかってるんだぞ」

 

「アタシが言いたいのは、それだけじゃ彼女がG-fiveを使ったと断言できないってこと。

その手帳の山を見て。彼女には何でもかんでもメモする癖がある。

音無が書いた化学式のメモがあったとしても、

G-fiveの精製方法まで彼女が生み出したとは限らないわ。

地下都市のどこかで見かけたのかもしれない」

 

音無は戸惑った様子で積み上げられた自分の手帳を見る。

 

「え、あの。少し待ってください。G-five、G-fiveは……」

 

「……念の為聞いておこう。江ノ島、まさかお前は」

 

「違うわ辺古山さん。アタシは徹底的に真実を突き詰めたいだけ。

そうじゃなきゃ久美子さん達も浮かばれない」

 

「ならいいが……」

 

「確かに真偽が曖昧な証拠で有罪無罪は決められない。

でも、まだ彼女がG-fiveに関わってる可能性は残ってるんだ」

 

「むっ、日向。お前さんはこれだけ大きな証拠で犯行を証明できんのに、

まだこの少女が猛毒を作ったと言うのか?」

 

「ああ。タブレットのキーワードを見てくれ」

 

何故かしら。今になってアタシの心がざわついてきた。覚悟は決めたはず、よね?

 

 

■議論開始

コトダマ:○被告の能力

 

日向

音無さんはあらゆる物事を分析して誰かの才能を[自分の能力にすることができる]んだ。

 

田中

ならば、その邪眼の力を以て[薬品製造の技術を手に入れた]と言いたいのか。

 

西園寺

江ノ島おねぇと[同じ遺伝子持ってる]んだから間違いないと思うー。

 

花村

じゃあ、彼女は[地下都市の研究員か誰か]から能力をコピーしたってことになるね。

 

・……違う。ならそもそも音無の存在に意味がなくなる!

・そう。なぜ“奴ら”が彼女を造り出したのかを考えなきゃ。

 

REPEAT

 

日向

音無さんはあらゆる物事を分析して誰かの才能を[自分の能力にすることができる]んだ。

 

田中

その邪眼の力を以て[薬品製造の技術を手に入れた]と言いたいのか。

 

西園寺

江ノ島おねぇと[同じ遺伝子持ってる]んだから間違いないと思うー。

 

花村

じゃあ、彼女は[地下都市の研究員か誰か]から能力をコピーしたってことになるね。

 

──それは違うわねぇ!!

 

[地下都市の研究員か誰か]論破! ○被告の能力:命中 BREAK!!!

 

 

「でも、そうでもしなきゃG-fiveは作れないんじゃないかな……」

 

「あの夜の後、アタシが話したことを思い出して。

評議委員の連中は、特別な才を持たない者、自分達に従わない者達を始末するため

音無にG-fiveを作らせたの。

でも、既存の研究員にそれができるなら、

わざわざアタシのDNAから彼女を造る必要なんてないじゃない!」

 

「そっか……。毒の知識をコピーしようにもコピー元の能力者がいないんじゃ無理だよね」

 

「はい、そうです。そうなんです。私はどこでG-fiveの製造法を手に入れたんでしょうか。

すみません!少し待ってください!」

 

音無が慌ただしく無数の手帳から過去の記憶を取り戻そうとしている。

弁護士も時系列順に手帳を並べて手伝うけど、数が多くて手に負えないみたい。

ちょっと時間がかかりそうだから、ここで考えを整理しておきましょう。

……ねえ、そろそろ表に出てきてくれないかしら。他のアタシ達。

 

 

■音無がG-five製造の技術を手に入れた方法は?:

?→地下都市の研究員からコピー

?→日向創からコピー

?→初めから知っていた

?→江ノ島盾子からコピー

 

──これで説明できるはずよ!! →正解:江ノ島盾子からコピー

 

 

ドキン。また嫌な鼓動がひとつ。え……?アタシ、なに馬鹿なこと考えてるの?

G-fiveの製造法なんて知らないし、日向君じゃないんだから超高校級の希望だって持ってない。

なのに、これしかないって本能が告げている。

 

違う、そうじゃない。絶対に違う。

 

アタシはここで真実を導き出す。でも、それだけはあり得ない……!

今、証明されたばかりじゃないの。確かにアタシは音無と一緒に暮らした。

かつてジャバウォック島のレストランで日向君から借りたいくつかの才能があるのも確か。

だけどその中に薬品の取り扱い方法なんてなかった。脳みその中がぐしゃぐしゃする。

理屈ではわかっているんだけど、どうしても思考がアタシ自身に向かっていく。

お願い、助けてよ、アタシじゃない江ノ島盾子!

 

「おねぇ、大丈夫?顔色悪いよ?」

 

「本当、盾子ちゃん顔真っ青よ!?」

 

「大丈夫……。少しめまいがするだけ。ちょっと考えをまとめるから待ってね」

 

「盾子ちゃん、無理しないで。休んだほうがいいよ。立ってるのも辛いでしょう」

 

「ちょっと待ってって言ってるじゃない!!」

 

叫んでから後悔した。思わず息を呑むお姉ちゃん達の声。

 

「……ご、ごめん、お姉ちゃん。本当に大丈夫だから。はぁー……。深呼吸したから大丈夫」

 

「お願いだから、無理はやめてね?」

 

でもここで引き下がるわけには行かないの。

今度はアタシがG-fiveの完成に何らかの役割を果たしていたと仮定して事実を整理するのよ。

目を閉じて戸惑う心を無理やり静めて精神集中。

 

 

■ロジカルダイブ 開始

 

……バイク(こいつ)とも今日でお別れかよ。つまんねえ人生になりそうだぜ。

 

アタシ達に“未来”があるのならね。

 

 

3.2.1…DIVE START

 

QUESTION 1:

音無がG-fiveを作ったのはどこ?

A・団地の研究室 B・地下都市 C・どちらでもない

 

[A・団地の研究室]

 

この道の果てには何がある。なんにもありゃしねえ。

 

それでも進むことを諦めちゃだめ。

 

QUESTION 2:

音無がG-five製造法を入手した方法は?

A・地下都市の技術 B・自前の知識 C・江ノ島盾子からコピー

 

[C・江ノ島盾子からコピー]

 

だとしても足りねえもんがある。オレ達にできるのはここまでか。

 

最後まで頑張りましょう。表で戦ってるあの子のために。

 

QUESTION 3:

音無涼子にあって江ノ島盾子にないものとは?

A・薬品の知識 B・3件の被告との接触方法 C・超高校級の超分析力

 

[B・3件の被告との接触方法]

 

風がやけに気持ちよかったぜ。じゃあな、ババア。別にあんたは嫌いじゃなかった。

 

また、逢えるといいわね。

 

 

──真実はアタシのもの!

 

 

「冷や汗まで流れています!さ、わたくしのハンカチをどうぞ」

 

「ありがとう、ソニアさん……。

みんな、聞いてほしいの。音無はよく知ってると思…いや、あなたは思い出せないんだったわね。

とにかく、わかったことがある」

 

「わ、私ですか!?ごめんなさい、今手帳を調べますから!」

 

「もういいから本当に休め!膝が震えてる」

 

「お願い日向君。これだけ、これだけだから。思い出したわ。

3つの事件で久美子さん達にG-fiveを渡したのは音無涼子。これは間違いない。

そして、G-fiveの製造に必要な薬の知識を音無に与えたのは、確かに、アタシなのよ……!」

 

「なんだって!?」「マジっすか!」「嘘でしょう!?」「そんな、おねぇ……」

 

法廷内のほぼ全員が一様にショックを受けた様子だけど、

やっぱり裁判長が木槌を鳴らして皆をなだめる。

 

「静粛に。江ノ島さん、発言の意図を明確にお願いします」

 

「やっぱり、アタシのせい……。アタシが、逃げたりしたから……」

 

そこでアタシは限界が来て、証言台に崩れ落ちた。

 

「裁判長、救急車を呼んでくれ!」

 

「わかりました、すぐに手配を」

 

「待って……。裁判は、続ける。まともに喋れやしないけど、結末は見届けなきゃ。お願い」

 

「だが!」

 

「頼むから、お願いよ、日向君……」

 

アタシは証言台にしがみつきながら、ぼやける視界に尖った髪の彼を捉えて懇願する。

任せられるのは、彼しかいない。スーパーダンガンロンパ2の主人公、日向創しか!

 

「江ノ島……。わかった。後は俺に任せろ」

 

じっとアタシの様子を見ていた裁判長が、マイクを通して別室の係官に指示を出す。

 

「……彼女に、椅子を用意してください。審理は継続します」

 

すぐにパイプ椅子を持った係官がやってきて、アタシを座らせてくれた。

立っているよりもだいぶ楽。話を聞いているだけなら平気。短ければ証言もできそう。

 

「ありがとう、裁判長。みんなも、ごめんなさいね」

 

「馬鹿野郎!ごめんなさいなら体潰すような真似してんじゃねえ!

控室で横になってりゃいいだろうが!」

 

「私も組長に賛成だ。この裁判、日を改めることはできないのか?」

 

「今日じゃなきゃだめ。

審理をぶつ切りにしたら、組み立てたパズルのピースがバラバラになって二度と戻ってこない。

そんな気がするの」

 

「チッ、なら日向!早ぇとこ終わらせっぞ!」

 

「ああ!音無さん、君にも協力してもらうぞ!」

 

「はい……!私に残されたものはこの手帳しかありませんけど、

絶対有罪への手がかりを見つけ出します!」

 

彼女は一冊の手帳を読みながら、もう一冊にメモをするという器用な離れ業を披露しながら、

自分の使命を果たすべく力強い返事をした。

 

 

おひさしぶりですこんにちは。

わたくしめを覚えていらっしゃる方などほとんどいないと思われますが、

ダンガンロンパシリーズのナビゲーターでございます。

最後のご案内をするために参上致しました。

 

さて、江ノ島盾子様が絶不調に陥ってしまい、裁判に大きな影を落としております。

このままでは裁判員裁判を進めることができず、いわばラスボス戦が中断してしまいます。

そこで誠に勝手ながら“プレーヤーチェンジ”を発動させていただきました。

言ってみれば主人公交代です。そのまんまでございますね。

 

ともかく、これからは日向創様が中心となって審理を継続する運びとなったわけですが、

やることは今までとなんら変わりございません。

ただ、皆様には物語の結末を余すところなくご覧頂きたい。それだけでございます。

 

たとえそれが絶望であろうと、希望であろうと。

 

それでは、皆様のますますのご活躍を祈りつつ、さようなら。

 

 

【裁判員裁判 中断】

 

 



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第19章 被告人:女性 後編

【裁判員裁判 再開】

 

 

江ノ島の顔色は酷く悪い。今も証言台に寄りかかりながら苦しそうに息をしている。

自らの有罪を望んでいる音無涼子とも協力して、早く裁判を終わらせるんだ。

それにはまず何をすればいい?確か江ノ島は今の状態になる前こんなことを言っていた。

 

“やっぱり、アタシのせい……。アタシが、逃げたりしたから……”

 

『逃げた』とは1年間の失踪を指していると考えて間違いない。

だけど確認を取ろうにも、体調を崩している江ノ島に証言を強いることは避けたい。

どうしても必要なことを一度だけ。

それまでは別の事柄について議論しながら彼女の回復を待とう。

 

俺は目を閉じ、まだ靄がかかっている事実について考えを巡らせる。……よし、まだあるぞ。

とにかく音無涼子の犯行について全てを明らかにするんだ。

 

「なあ、音無さん。君が生まれた経緯について俺達はもう聞かされてるんだ。

《希望》の残党が絶望の江ノ島の遺体からDNAを採取し、その肉体を再生した」

 

「はい……」

 

「それじゃあひとつ聞かせてくれ。“記憶”の方はどうなんだ?」

 

「えっ。記憶、ですか?」

 

「君が忘れ続けてしまう体質だということも知ってる。

だけど読み書きはできるし、ましてや呼吸の仕方まで忘れてしまってるわけじゃないよな?

つまり、君は自分について少しは覚えてるってことなんだ」

 

「はい、そうなんです!例えば、彼のことを忘れたことなんてありません!」

 

音無が大事そうにスカートのポケットに入れていた一冊の手帳を開いてみせる。

見覚えのない少年の顔がいくつも描かれてるけど、心当たりがないな。

 

「ありがとう。よくわかった」

 

「んああ!わかってないで唯吹達にも教えてほしいっすー。その男の子が新たな証人とか?」

 

「悪い澪田。彼は直接的には関係ないんだ。

ただG-five連続殺人事件については音無さんの体質、というより能力に鍵が隠されてる。

今からそれを俺達で掘り起こす」

 

「掘り起こすっても、唯吹既に軽くパニクってるんで役に立てるか微妙っすけど……」

 

「できるさ。この裁判は全員の協力がなければ、戦えない」

 

澪田の聴力と記憶力を思い出した俺は、ひとつの取っ掛かりを見つけた気がした。

 

「わかったー!唯吹のロックで雰囲気を盛り上げるんすね!?」

 

「それはまたな。今はお前の“耳”を借りたいんだ」

 

「耳?唯吹の耳は取り外し不可っす」

 

「森本さんの事件について思い出してほしい。

お前の耳なら挟持さんの証言を聞き覚えてるはずだ」

 

「まさかのボケ殺し……。とほほ、何を思い出せばいいっすか?」

 

 

■議論開始

コトダマ:○被告の能力

 

澪田

森本さんはこんなこと言ってたっすねー。

 

“キョロキョロ周りをよく見ると、台所に〈会ったこともない女子高生〉がいたんだよ”

 

“どこかの高校の制服を着てて、〈髪は赤に近いブラウン。同色の目〉をしてた”

 

後でその高校生が気になることを言ってたっす。

 

“えーっ!今まで私のこと知らなかったんですか?〈最近ずっとお邪魔してた〉んですけど”

 

断言は無理っすけど、その娘、多分〈涼子ちゃんのこと〉だと思うんすよ。見た目的に。

 

──それに賛成だ!!

 

賛!〈涼子ちゃんのこと〉同意! ○被告の能力:命中 BREAK!!!

 

 

「過去の証言を繰り返しただけなんすけど、これでいいんすか?」

 

「ああ、ありがとう澪田。音無さん自身が忘れてる、重要な事実が見つかった!」

 

「私が忘れてる事実って、何なんでしょう?いえ、そもそも何も覚えられないんですけど」

 

「よく考えてくれ。何日も他人の家に忍び込んで、住人に全く気づかれない。

普通は不可能だろ?」

 

「日向……。お前が言いたいのは、その女がもう一つの意味で“俺達と同じ”ということだな?」

 

「お前の思ってる通りだ、十神。それに、他にも似たようなことがあっただろう。

いつか江ノ島の私室に誰かが侵入して、

タブレットや部屋に意味不明なメッセージを残していった」

 

「つまり、忘却の彼方に葬られし真実はこうであろう!

音無涼子に俺達の知らざる“超高校級の能力”が備わっているのだ!」

 

「超高校級の能力、ですか……?分析能力以外に?」

 

自分についてほぼ完全に忘れきっている音無は自分を指差したまま目を丸くしている。

 

「音無さん。手帳を確認して生まれたばかりの頃の自分を調べ直してくれ」

 

「はい今すぐ!……あの、この辺りの手帳を手伝ってくれませんか?」

 

「わかりました」

 

音無は女性弁護士と共に積み上げられた手帳の一部を一冊ずつめくり始めた。

速読の技術でもあるのか、あっという間に一冊を読み切る。それでもたっぷり20分は掛かったが。

少しは江ノ島が休めているといいんだけどな。

 

「あ……。ありました。私には“超高校級の「諜報員」”の能力があるみたいです。

目の前にいても気づかれないほど存在感を限りなくゼロに近くしてスパイ活動ができる……」

 

 

■コトダマゲット!!

○被告の能力2 をタブレットに記録しました。

 

○被告の能力2

音無涼子は超高校級の「諜報員」の能力で、誰にも気づかれずに行動できる。

 

 

やっぱりそうか。

俺が睨んだ通り、G-five毒殺事件を全て実行可能だったのは音無涼子しかいない。

久美子さんの場合、受け渡しはドアポストに入れただけだったが、

肝心のG-fiveを作れなければやはり不可能。

喜男さんの作業場や森本さんの家に侵入するには超高校級の諜報員の能力が必要。

どちらも持っているのは音無涼子だけだ。

 

そして、法廷で衆人環視の中、森本さんを暗殺するなんてこの能力がなければ絶対にできない。

 

「やっぱり……。私が森本さんという人を殺したんですね」

 

「間違いないだろうな。凶器の吹き矢はきっと評議委員の指示で処分しているだろうけど、

この不可能犯罪を実行可能だった者は君しかいないということはハッキリした」

 

悲しげに手帳に目を落とす音無に真実を告げる。すまないが俺達にも時間がないんだ。

 

「ちょっと待ってよ。森本さん殺害については音無さんの犯行だとわかったとしても、

使用したG-fiveの出どころについては結局謎のままよ?」

 

「小泉もあの団地で見ただろう?数々の実験器具や薬品。音無涼子はあの部屋でG-fiveを……」

 

「だーかーら!その新型の毒薬を造るための知識や技術はどこで手に入れたかって聞きたいの!

さっきそれで話し合ったばかりじゃん」

 

「あっ……。そうか」

 

このままではまだ届かない。森本さん殺害で音無涼子を罪に問える可能性は高まった。

でも、諸悪の根源である評議委員には届かない。

くそっ、彼女が命をかけて奴らを追い詰めようとしているのに……!

何かおかしな点はないか?江ノ島、音無、評議委員を結ぶ道標のようなものは。

……待てよ。俺はふと江ノ島の言葉をもう一度思い出した。

 

“G-fiveの製造に必要な薬の知識を音無に与えたのは、確かに、アタシなのよ……!”

 

江ノ島はどこで薬の知識を手に入れたんだ?

江ノ島が十四支部から逃げ出して音無涼子と共同生活を送ったことが、

この連続毒殺事件に関わりがあるのか?

俺は精神を研ぎ澄まし、考えられる可能性を記憶の奥底から拾い上げる。

 

まず、ジャバウォック島で狛枝を絶望の種から救ったとき。

あの時俺は超高校級の希望からいくつか才能を貸した。

だが、その中に薬品の取り扱いに関する技術はなかった。これは無関係。

 

次に、音無涼子が潜伏していた団地で何かを見た可能性。

これはないな。一連の事件があったからあの部屋に行ったんだ。

それに、俺が見つけたG-fiveの化学式を江ノ島も見てた。

でも、彼女はまるで理解できてない様子で俺が説明してからようやく驚いた感じで……。

待て。待てよ。何か引っかかる。俺は頼りない直感だけを頼みに、音無さんに確認した。

 

「音無さん。答えてほしいことがあるんだが」

 

「なな、なんでしょうか?」

 

「G-fiveの開発開始から完成まで、どれくらいの期間がかかったんだ?」

 

彼女は相変わらずあたふたしながら自らの過去を手探りで掘り返す。

 

「えー、ちょっと待ってくださいね。G-five関連の備忘録は、この辺りに……。

ありました、約半年です!」

 

そうか。そうだったのか。

あの時、1年間の記憶を取り戻す前の江ノ島にG-fiveのメモが理解できなかったのは。

 

 

■江ノ島がG-fiveの構造を理解できなかった理由は?:

?→江ノ島は無関係

?→タイムラグ

?→知らないふりをしていた

?→音無涼子に記憶を奪われた

 

──そうか!! →正解:タイムラグ

 

 

「おにぃ、なんか分かったならさっさと教えてよ!江ノ島おねぇが苦しそうなんだよ!」

 

「悪い。手短に行くぞ。

なあ、俺達が音無さんの団地を捜索した時、G-fiveの製造法を見つけたよな?

だけど、その時江ノ島はそれが記されたメモを見ても理解できなかったんだ」

 

「それがどうしたの?お願いだから急いで!」

 

戦刃が江ノ島を介抱しながら問いただしてくる。

 

「アタシは、大丈夫だから、日向君の話を……」

 

「もう少しだけ辛抱してくれ。

江ノ島は確かに自分がG-fiveに関する知識を音無さんに渡したと言った。

でも、当時の江ノ島はその構造式について全く知らない様子だった。

おかしいだろう?当の本人が毒薬の作り方を教えたって言ってるのに!」

 

「それは確かに不可解ですね。江ノ島さんに嘘をつく理由もございませんし」

 

「でも、こう考えれば辻褄が合わないか?

さっき音無さんが言ったようにG-five開発には時間がかかる。

いきなり完成形を見せられてもすぐには理解できない」

 

「つまり、お前さんは何が言いたいんじゃ!?」

 

「江ノ島の言う通り、彼女は確かに音無涼子にG-fiveに必要な知識を渡したってことだ。

ただし、初めから完成した製造法じゃなくて、それを生み出すために必要な予備知識をな」

 

「でも、だって、盾子ちゃん、そんなの持ってないって……」

 

「少し黙っててくれ小泉。この悲劇を終わらせるために、最初で最後の質問をする」

 

「最後って、あんた何が言いたいのよ……!!」

 

 

■怪しい人物を指名しろ:

 

タナカガンダム→コイズミマヒル→ソニア→イクサバムクロ→【エノシマジュンコ】

 

──お前しか、いない!

 

 

「そう……。日向君が、全てを終わらせてくれるのね」

 

江ノ島は、重たそうに体を起こして俺に向き合った。

目には隈ができていて顔色も悪かったが、それでも瞳から力は失われてはいない。

ああ、江ノ島の言う通り、俺はG-fiveが招く惨劇に幕を下ろす。

……例え彼女を失うことになろうとも。

 

「江ノ島。お前が俺達の前からいなくなることを決意したきっかけを教えてほしい。

今なら思い出せるはずだ。その中に、G-fiveにつながる何かがある」

 

「任せて。きっと、あるはずだから」

 

江ノ島は目を閉じて深く息を吸う。すると、待つ、とも言えないほど僅かな間の後、

脳に稲光が走ったように自分自身に驚いた様子で目を見開き、彼女はポツポツと語りだした。

 

「ええ、あったわ。アタシには、G-fiveを生み出す可能性。そう呼べる能力が」

 

驚き、戸惑い、疑問、人の感情を揺さぶるあらゆる感情が法廷を支配する。

声なき声で皆が混乱し、裁判員裁判が始まって以来最も大きな衝撃が俺達を打ちのめす。

裁判長だけが動じる様子もなく黙って審理の行く末を見守っている。

 

「なんで!?盾子ちゃんが持ってるのは超高校級の女神と、

日向から借りた能力いくつかだけでしょう!その中に薬の知識なんてなかったじゃない!!」

 

「彼からコピーした能力にはね。アタシが例の能力を手に入れたのはその後。

ずっとずっと後のこと……」

 

「それは、いつのことなんだ?」

 

終わりが、近づいている。だけど俺は止まることなく真実を追い続ける。

 

「アタシが1年前に十四支部を出ていった日、霧切が誰かと会話しているのを見たのよ」

 

 

“霧切さん。これ、幹部級局員の、血液検査結果。機密情報、だから、気をつけて”

 

“わざわざ第四支部からお疲れ様、忌村さん”

 

 

「コホ、コホ…!銀髪で、紫のマスクをした人だった。

名前は知らないけど、アタシの分析能力が何の気なしに眺めた彼女の才能を勝手にコピーしたの」

 

「ね、ねえ、やめようよ。この流れじゃ、ひょっとしたら江ノ島おねぇが……」

 

わかっている。でも、彼女も俺も退くつもりはない。

西園寺の願いを押しのけ、俺は江ノ島に確かめる。

 

「続けてくれ。その才能の、名前は?」

 

「元超高校級の薬剤師」

 

これで全てがつながった。皆が言葉を失う。

ある日江ノ島は第十四支部を訪ねた超高校級の薬剤師から能力を得た。

その後自らの行動が招いた悲劇に絶望した彼女は放浪生活を始め、

音無涼子と出会い彼女と暮らすうちに彼女に薬剤師の能力を盗まれた。

全ての始まりはそれだったんだ。

 

超高校級の薬剤師となった音無涼子は、その知識を悪用して……違うな。

善悪もわからないまま評議委員に利用され、G-fiveの製造に着手した。

その開発には高度な設備が必要だが、あの団地にあったものはおそらく彼女が自分で製造した。

評議委員から部品や材料の提供だけを受けて。

 

そりゃ一度見ただけの薬剤師の知識が完璧にコピーされてたんだ。

毎日のように会ってる左右田の超高校級のメカニックも盗めば不可能じゃない。

あの大掛かりな機材を直接運び込んでいたら必ず住人に目撃されてた。

 

「……俺は、そう推測するんだが、音無さん。

君ならこの手順を踏んでG-fiveを作ることができたんじゃないかな」

 

「できたと…思います。はい、私以外には、できません」

 

少しためらいがちだったが、最後に彼女ははっきりと言い切った。

 

「ね、ねえ日向!あんた自分が何やろうとしてるかわかってる?今までの事件思い出してよ!

もしかしたら盾子ちゃんまで共犯の罪で……」

 

「わかってる!!」

 

静かな法廷に俺の怒鳴り声が響いた。いつの間にか握り込んでいた拳に汗が滲んでいる。

 

「……決着をつけろ、日向。俺達を導いてきたお前には、その義務がある」

 

十神が遠い目をして俺に告げる。

 

「待ってくれないかな!ただ騙されただけの喜男さんだって死刑になったんだよ?

盾子ちゃんだってどうなるかわからない!

お願いだから評議委員だけを追い詰める方法がないかもう少し議論を……」

 

「わかって、お姉ちゃん。アタシの人生、自分で始末をつけさせて」

 

「いや、こんなのいや……」

 

戦刃が頭を振って嗚咽混じりの嘆きを漏らす。だが、俺はやらなくちゃならない。

 

 

■クライマックス推理:

 

>クライマックス推理 開始

>推理を完成させろ

 

Act.1

事件は既に1年半も前から始まっていたんだ。

江ノ島が第十四支部から失踪する直前、彼女は支部を訪ねてきた誰かから

偶然「超高校級の薬剤師」という能力を分析して自分のものにしていた。

その後、江ノ島は結果的に自らが吉崎さん達を不幸にしたという自責の念に耐えきれず

十四支部を飛び出した。

 

Act.2

同時に4人の評議委員を頂点とした《希望》の残党も動き出す。

元超高校級生達で作り出された地下都市に潜伏し、音無さんを造り出していた評議委員は、

彼女に江ノ島との接触を命じる。そう、目的こそ違えど新型の毒を開発させるために。

才能ある自らの思想に賛同するもの以外を間引き、自らが新世界の教育者となる。

その狂った思想を実現させる手段として。

 

Act.3

ついに江ノ島と音無さんが接触。

自暴自棄になっていた江ノ島は見ず知らずの音無さんと共同生活を始める。

江ノ島と暮らす中で、彼女が持つ才能が《希望》の残党の野望を成し得ると判断した音無さんは、

江ノ島から超高校級の薬剤師とメカニックの才能を分析・コピーし、

記憶を消去した上で彼女をどこかに放り出した。

 

Act.4

そして事件は一気に動き出す。G-five製造設備と実物を完成させた音無さんは、

評議委員の指示通り吉崎さん達にG-fiveを配り、その殺傷能力のテストを繰り返した。

これが連続毒殺事件と呼ばれている一連の犯行だ。

裁判員裁判の導入を受けて、皮肉にも俺達がこれらの事件に関わることになった。

 

Act.5 

最後に、旧希望ヶ峰学園で確保された音無さんや評議委員を含む《希望》の残党。

俺達全員がここに集い、最後の裁判員裁判で彼ら全員の罪を裁くことになった。

この事実そのものが

《希望》の残党、音無涼子、そして……江ノ島盾子との関連を決定づけているんだ。

三者の関係は今証明された。評議委員の野望は音無涼子なしには実現しない。

音無涼子の行動は大量の手帳が示している。

最後に、彼らの犯行を可能としていた人物、それは……江ノ島盾子、お前だけなんだ!!

 

 

──これが事件の全てだ!  COMPLETE!

 

 

俺の宣言が皆を打ちのめす。でも、ただひとりだけが微笑みながらこう言った。

 

「ありがとう、日向君」

 

江ノ島は隈のできた顔で精一杯の笑顔を俺に向ける。

だが、俺は歯を食いしばって、内から溢れ出そうな

不条理に対する怒りとも苛立ちとも言えない感情に耐えることに精一杯で、

返事をすることができなかった。

 

「あなたのおかげで、この世界は希望ヶ峰学園の過ちから立ち直れる。

……ああ、長い戦いだったわね。みんなよく戦ってくれたと思う。本当に嬉しい」

 

「そんなわけないじゃない!!」

 

戦刃の叫び。悲痛なそれが皆の心をえぐる。

 

「嬉しい?誰も嬉しくなんかないよ!盾子ちゃんが共犯だって証明されちゃったんだよ!?

日向君もひどいよ。どうして盾子ちゃんを見殺しにしたのよ!」

 

「気が済むまで、責めてくれ。俺は、仲間を見捨てた」

 

「盾子ちゃんが死刑になったら、絶対に許さない!絶対に!」

 

「それは、違うわ」

 

今度は怒りに囚われる戦刃に江ノ島がそっと声を掛けた。

 

「違うって…だって盾子ちゃんが!」

 

「アタシは、日向君に救われたの。

ごめん、何度も強がり言ってたけど、やっぱり吉崎さん、喜男さん、森本さん。

みんなのことが心の棘になって、ずっとズキズキ傷んでたの。

自分のせいじゃない。そう思うこと自体思い上がり。

何度も自分に言い聞かせてたのに、アタシのせいで、って思いが消えなかった」

 

「おねぇ……」

 

「それが、やっと今日になって救われた気がした。勝手な女よね。

吉崎さん達の無念を、なんて思ってたけど、結局は自分が過去の幻から助かりたかったのかも」

 

「もう、おやめになってください。ご自分を責めるのは、もう……」

 

「別に自分を責めてるわけじゃないわ、ソニアさん。それはもうおしまい。

悲しい事件も、アタシの自己憐憫も、全部ね。裁判長、判決をお願いするわ」

 

江ノ島が視線を送ると、珍しく裁判長が困惑した様子でマイクを通して

別室の誰かとやりとりを始めた。5分程度で話がついたらしく、彼が最後の判決を下す。

 

「本法廷で、極めて異例な事態が発生しました。

審理の中でもう一名犯行に関わった者の存在が明らかになり、

速やかな身柄の確保の必要性が認められます。

よって、今回に限り特例として裁判員による投票を省略し、

被告人音無涼子に加え、当人の判決を同時に下します」

 

「ま、待ってくれ!今日の裁判もっかいやり直しできねーか!?」

「調停者の囁きはまだ審判の時ではないと……!」

「あの、あの、こんなの絶対だめだと思うんですけど、説明はできないんですけどぉ!」

 

左右田達が結論を先延ばしにしようとしているが、

江ノ島はただ穏やかな表情で結論を待っている。

 

──判決を言い渡します。

 

判決:音無涼子 及び 江ノ島盾子 有罪

 

 

【裁判員裁判 閉廷】

 

 

皆が、遠い昔に捨て去ったはずのものに再び打ちのめされる。それは、絶望。

 

「いやあああ!!」

 

戦刃がその場に崩折れた。彼女だけじゃない。あちこちからすすり泣き、嘆きが聞こえる。

 

「なあ、なんで江ノ島が有罪なんだ?オレにわかるよう教えてくれよ、オッサン!!」

 

「くっ…そんなもん、ワシが知りたいくらいじゃい!」

 

「畜生が!お前は、九頭竜組の若頭になるんじゃねえのかよ……。江ノ島ァ!」

 

「江ノ島、こっちへ来い!私と組長でなんとかする!逃走先を確保する!まだ諦めるな!」

 

「けほ、はぁ…辺古山さん、ありがとう。でも、もういいの。アタシは、十分だから」

 

「何が十分だと言うのだ!」

 

「静粛に!係官、直ちに江ノ島氏を医務室に。被告人は控室に」

 

俺も叫びだしそうになったが、裁判長の静かな声でどうにか自分を落ち着けた。

そうだ。今は江ノ島の体調が優先だ。別室から数人の係官が入廷し、二人を連れて行く。

 

「待てよ!江ノ島の何が有罪だってんだ!江ノ島には大事な用があんだよ!

オレとソニアの結婚式に出席してもらわなきゃなんねーんだよ!」

 

「そうです!江ノ島さんが逮捕される謂れなど!」

 

両脇を抱えられながら退廷しようとする江ノ島は、左右田達にも笑顔を向けつつ言った。

 

「ありがとう左右田君、ソニアさん。そしてごめんなさい。約束、守れそうにないわ。

ソニアさんのドレス姿、見られなくて、本当に残念」

 

「どうして、なぜ、こんなことに……」

 

もう一度大きく息を吸って江ノ島が最後の言葉を残す。

 

「お願いわかって。ここでアタシだけ助かっても、きっと本当の意味では助からない。

利用されただけで死刑になった喜男さんを有罪にしておいて自分だけ刑罰から逃げても、

また終わりのない悪夢に苦しめられる。……お姉ちゃん、後のことは、よろしくね?」

 

「できないよ、そんなの、私には……」

 

そんな戦刃や仲間の姿を見かねたのか、珍しく裁判長が自分から会話に加わった。

 

「彼女の有罪は確定しましたが、量刑に関しては今後の通常裁判で決定されるので、

まだはっきりしたことは言えない段階です」

 

「では、極刑になると決まったわけではないんですね?」

 

「その通りです」

 

俺が確認すると、絶望という底なし沼の奥に一筋の光が見えた。

 

「みんな、信じよう。過去の3件と違って江ノ島さんの場合は直接手を下したわけじゃない。

ボクは、信じる」

 

「……そっすね。凪斗ちゃんの言う通り、唯吹はポジティブシンキングで盾子ちゃんを待つっす」

 

狛枝や澪田の言葉に気力を取り戻したのか、

泣き腫らした目をこすりながら西園寺もわずかな希望を抱く。

 

「ぐすっ…おねぇ、わたし信じてるから。絶対おねぇは帰ってくるって。

その時は、また抱きしめて」

 

「うん、きっとね」

 

言葉少なに返事をすると、それを見ていた音無涼子が意を決したように声を上げた。

 

「皆さん……。言わなきゃいけないことが、こんなに最後になって、申し訳ありません。

私のせいで、皆さんから大事な人を奪うことになって、本当に、本当にすみませんでした……!」

 

彼女が証言台の前で大きく頭を下げた。江ノ島がそんな音無の肩を優しく抱いて前を向かせる。

 

「ほら、しっかり。悪いことばかりじゃないわ。あなたもアタシも、過去を精算“できる”のよ。

逃げるんじゃなくて、真正面から向き合って償うの。

世界がどんな決定を下しても、アタシ達は胸を張ってそれを受け入れることができる」

 

「江ノ島さん……。ありがとう、ございます」

 

音無の目からほろりと涙がこぼれた。

”姉としてしてあげられたことが、たったひとつの励ましでしかなかったことが無念でならない”

江ノ島は後にそう書き残している。

 

「これにて、本法廷を解散します。裁判員の皆さん、ご協力ありがとうございました」

 

裁判長の言葉で、今度こそ江ノ島と音無は連れられて行く。

 

「盾子ちゃん!絶対また会えるって、信じてるから!」

「江ノ島さんの好きなしょうが焼き用意して待ってるからねー!」

「キミはいつまでもボク達の希望だよ!忘れないで!」

 

二人は大きなドアの向こうに消えていくまで、俺達の声を背に受け続けていた。

こうして、社会を不安に陥れていたG-fiveによる連続毒殺事件は終結。

そりゃ、人類史上最大最悪の絶望的事件に比べれば小さな出来事かもしれない。

だけどそれは被害者や加害者にされてしまった人達、そして俺達の心に大きな傷を残していった。

でも、江ノ島の言う通りそれはもう終わり。未来を信じて、俺達は前に進む。それだけだ。

 

 

 

 

 

東京拘置所 刑場

 

G-five連続殺人事件の判決から半年後。

通常裁判を経て、無罪を主張してきた者および関係者の刑が確定。

5名の死刑囚が地下の刑場で処刑台に拘束され、執行の時を待っていた。

住職の読経が流れる中、

かつて江ノ島にアルファと仮名で呼ばれていた老人がつばを散らしながら叫ぶ。

 

「貴様ら!自分が何をしているのかわかっているのか!?

日本の未来を握りつぶそうとしているのだぞ!」

 

「最後に言い遺すことは」

 

アルファの喚き声にも耳を貸さず、刑務官が無表情かつ感情のない声で問う。

20m先のフルフェイスを被った執行官がライフルを構えた。

 

「やめろ、助けてくれ!我々は堕落した現代社会を今一度蘇らせる──」

 

刑務官が挙げた手を下ろすと同時に、銃声。

何かを主張したかったらしいアルファの眉間を銃弾が貫き、彼は絶命した。

3人が死を間近に目撃して震え上がる。流れ作業のように刑務官はベータに同じ質問をする。

 

「最後に言い遺すことは」

 

「この能無しの凡人どもめ!お前達のようなバイ菌どもがこの国を腐らせてきたのだ!

それを救ってやろうというのに、まだわからんのか!」

 

相変わらず刑務官には何も耳に入っていない様子で、手を挙げる。フルフェイスが狙いを定める。

そして刑務官が手を下ろす。

 

「ひっ…!いやだ、死にたくない!死にた──」

 

再び銃声。中年の男は頭を貫かれ、後ろに脳漿を撒き散らして死んだ。

1人を除き、残る二人は悲鳴すら出なくなり、失禁する。

……しかし、1名は鋭い銃声が鳴る度に自らの意識に何かが浮かび上がるような、

そんな気がした。

 

「最後に言い遺すことは」

 

ガンマは死に直面して思いつく限りの命乞いをする。

 

「ま、待て、司法取引だ!司法取引をしよう!

地下都市にはまだまだ才能ある希望ヶ峰学園OBとそのテクノロジーがある!

あの大都市を見ただろう?我々が集約した英知の結晶だ!私の一声でその全てが手に入るのだぞ!

悪くない話だと思わないか?日本が先進国復帰一番乗りを果たすのだからな!!」

 

早口でまくし立てるガンマ。

だが、刑務官はろくに聞いてない様子で白手袋をはめた手を真っ直ぐに挙げる。

ガンマは青くなって絶望する。

次の瞬間にその手は下ろされ、同時に彼の命も心臓に突き刺さった銃弾で終わりを迎えた。

 

「あひあああ!!」

 

残ったデルタが悲鳴を挙げ、他の一人がその時を待ち続ける。

 

「最後に言い遺すことは」

 

「か、かね、かね、いくらでも!!」

 

無表情の中にも呆れた感情をにじませる刑務官は、ただ黙って手を挙げた。

フルフェイスの執行官がライフルにリロードし、狙いをつける。

 

「ごじゅうおくううぅ!!」

 

挙げた手を下ろす刑務官。同時に執行官が発砲。

情けない断末魔を上げて執行官に射殺されたデルタは、

処刑台に縛られたままぐったりと動かなくなった。

隣で4人が殺される様子を見ていたはずの最後の一人に、なぜか恐怖という感情はなかった。

 

どうしてだろう。理由はわからない。命が砕けていく度にその気持ちが大きくなる。

“死”と自分が大切にしていた“何か”が結びついているのかもしれない。

とにかく、死ぬ直前になって彼女は生まれて初めて“思い出す”という現象に遭遇し、

驚きとも喜びともつかない感情に舞い上がるような気持ちになっていた。

そして刑務官がとうとう順番が来た彼女に尋ねた。

 

「何か、最後に言い遺すことは?」

 

「私、私は……」

 

思わず口ごもる。うまく言葉にできない。真っ白な手袋が高く掲げられる。

最期の瞬間、彼女は祈りにも似た気持ちを口にした。たったひとつの本当の気持ち。

 

──会いたいよ、松田君……

 

ライフルの銃口が火を噴く。

胸に弾丸を受けた彼女の命が絶たれ、閉じられた目が開くことは二度となかった。

だが、音無涼子の死に顔は、愛しい人に抱きしめられているかのように、

とても穏やかであったという。

 

 



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第20章 再生のはじまり

最奥の窓にきらめく色とりどりのステンドグラス。荘厳ながら過美に走らない純白の空間。

今ここで、神聖な儀式が執り行われようとしている。

牧師の前に立つ男女は、彼の問いかけに真剣な面持ちで聞き入る。

 

「新郎和一、あなたはここにいるソニアを、病める時も、健やかなる時も、

富める時も、貧しき時も、妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」

 

「ははい!誓いますっ!」

 

「新婦ソニア、あなたはここにいる和一を、病める時も、健やかなる時も、

富める時も、貧しき時も、夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」

 

「はい、誓います」

 

ちょっと緊張気味の左右田君に対し、ソニアさんは喜びに胸がいっぱいな様子で堂々と答える。

あらいけない、アタシったら。今日からはふたりとも“左右田”になるのよね。

ヴァージンロードを挟んで10列ずつ並べられた長椅子の端に座ったアタシは、

万感の思いで二人を見守る。

第十四支部の仲間はもちろん、各支部の支部長さん達も出席しての結婚式。

皆の祝福に包まれながら、式は続いていく。

 

「次は、指輪の交換を」

 

牧師が真紅のクロスが敷かれたトレーに置かれたペアリングを二人に差し出す。

まず、左右田君がひとつをそっと手に取り、ソニアさんのすらりとした左手薬指にはめた。

彼女は慈しむような眼差しでそれを見た後、男性用の指輪を手に取り、

彼のたくましい指にしっかりと差し込む。

指輪交換を見届けた牧師は、最後の儀式を二人に促した。

 

「それでは、誓いのキスを!」

 

聖歌隊が歌う”婚礼の合唱”が響く中、新郎新婦が見つめあう。

いよいよね。アタシ達まで緊張してその瞬間を待ちわびる。

左右田君がソニアさんのベールを上げ、繊細な陶器を扱うように肩に手を当て、口づけをした。

 

「神の名において、ここに一組の男女が夫婦として認められました。おめでとうございます!」

 

室内が拍手で満たされる。

無事に式を終えた二人は、手を取り合いながらヴァージンロードをゆっくりと歩いていく。

一旦退出する新郎新婦をアタシ達はずっと拍手で祝い続けた。

 

 

リーン、ゴーン リーン、ゴーン……

 

 

チャペルの鐘が鳴り響き、神聖な式の間は沈黙を守っていた皆から祝福の言葉が飛び交う。

照れくさそうに頭をかく左右田君とこれ以上ない幸せを顔に浮かべるソニアさん。

今日は雲ひとつない快晴。抜けるような青空にソニアさんのウェディングドレスが映える。

……とうとう、アタシの夢も叶ったわ。

 

「ソニアちゃーん、おめでとー!」

「聞くがいい!女神ダフネより清きお告げだ!おめでとうございます」

「ソニアおねぇ!きっちり左右田おにぃを尻に敷かなきゃだめだかんな!」

「お、お二人共お幸せにぃー!これからもお友達でいてくださいねー!」

「ボク達も幸せな気持ちだよ!希望をくれてありがとう!」

 

嬉しそうに手を振る二人。新婦が両手で抱えているのは小さな花束。

結婚式での恒例イベント、ブーケトスね。一体誰が受け取るのかしら。

アタシじゃないことは確かだけど。

さぁ、花嫁さんが後ろを向いたわ。女性陣は我こそはと身構える。

そして花束がこっち側へ投げられると、落ちていく方向に注目が集まり……。

 

「取ったー!わたしやったよー!ソニアおねぇありがとー!」

 

見事キャッチした日寄子ちゃんがピースして、他の女性メンバーが少し羨ましそうに彼女を見る。

ふふ、彼女のハートを射止めるのはどんな人なのかしら。

新郎新婦を囲む出席者の少し後ろで相変わらず拍手を続けていると、

アタシに気づいた二人が人混みから出てきてこっちまで来てくれた。

 

「今日は、本当に、おめでとう。左右田君、ソニアさん……」

 

「江ノ島。来てくれてサンキューな。約束通り、オレ、一生ソニアさんのこと守るから」

 

「わたくし、今が人生で一番幸せな時なんじゃないかと思ってます。

それもこれも、江ノ島さんとの出会いがあったからです。本当に、ありがとうございます……」

 

「披露宴に行けなくてごめんなさいね。宴席の間、花嫁さんは殆ど食べられないから、

お色直しの時なんかにおにぎりか何かをお腹に入れておいたほうが良いわ」

 

これから大舞台を控えているソニアさんに若干オバサンくさいアドバイスをしておく。

 

「……やっぱり、だめなんですね」

 

「あなたの晴れ姿を見られただけで奇跡みたいなものなんだから、贅沢は言えないわ。

アタシのエスコート役は後ろの無愛想」

 

親指で背後を指す。花婿でもないくせにやっぱり真っ白スーツのあいつ。

 

「そろそろ時間だ。行くぞ」

 

「わかってるわよ、急かすことないじゃない。じゃあ、お幸せにね」

 

アタシは小さく手を振りつつ、後ろ髪を引かれる思いで立ち去ろうとした。すると。

 

「江ノ島!」

 

左右田君がアタシに駆け寄ろうとして足を止めた。嬉しいけど、これ以上は辛いかも。

 

「絶対、絶対帰ってこいよ!まだ終わりじゃねえ!

次は、オレ達の子供の顔を見てもらうんだからな!?」

 

「和一さん……。そうですね。わたくし達、いつまでも待ってますから!」

 

「うん。きっとね。約束する」

 

できもしない約束をしてしまい、振り返ることができなかった。

今度こそ歩を進めてチャペルを後にする。

アタシ達は駐車場に着くと黒のBMWに乗り込み、宗方が運転席でハンドルを握った。

エンジンが震え、車を発進させる。

駐車場から出て車道に出ると、窓から見えるチャペルがどんどん小さくなっていく。

なんだか寂しい景色を眺めながら隣の男に呟いた。

 

「まぁ……。手錠を勘弁してくれたことだけは礼を言っとく」

 

「お前のためではない。式に似つかわしくないから外させただけのことだ」

 

「もっと似つかわしくないスーツ着といて何言ってんだか。白以外を着たら死ぬの?あんた」

 

「今のうちに減らず口を叩いておくことだ。お前と顔を合わせるのもこれで最後になるだろう。

今日くらいは黙って聞いてやる」

 

「ふーん。じゃあ、勝手に喋るわ。

……あんたらが減刑に向けて動いてくれたことにも礼を言わなきゃね。

アタシに先なんてないと思ってたけど、無期懲役になったから結婚式に出席できた」

 

「何を言ってるのかわからんな。

何も知らなかったとは言え中村喜男は直接犯行に手を染めてしまった。

お前は“超高校級の脳科学者”で記憶と知識を盗まれただけ。その違いを司法が示したに過ぎん」

 

「あ、そう。それにしても平日の昼間に支部長全員出席なんて、未来機関も暇になったものね」

 

「元絶望の残党。一度は絶望に堕ちた彼らに人らしい幸せを掴むことができるのか。

その経過観察の一貫だ。長期スパンの未来機関の任務に含まれている」

 

「色気もクソもない理由に感激だわ。嘘でも“皆で祝いかった”くらい言ったら?

そんなだからあんたはあんたなのよ」

 

ハイブリッドカーの静かな振動を感じながら、お互いに憎まれ口を叩きあう。

だけどムスッとだんまりでいるよりはまだ楽しいかも。目的地に到着するまで暇つぶしにはなる。

 

“もう、あなたもちょっとくらい素直になればいいのに”

 

アタシの中のアタシが話しかけてきた。

考えれば、アタシもあなたと同じくらいの年になっちゃったわね。

 

「放っといて。これがアタシなの」

 

宗方も事情は知ってるから、いきなり独り言を始めたアタシに驚くこともない。

 

「もうひとりの、お前か」

 

「ええ。あんたと仲良くしろってお節介焼いてきてきたから“まっぴらよ”って言っといた」

 

「いい判断だ」

 

「でしょ?」

 

“本当、困った娘達なんだから。出会ったばかりの素直だったあなたはどこへ行ったのかしらねぇ”

 

「脳みその中探しゃいるんじゃない?」

 

2人+アルファでくだらない話をして時間を潰していると、

徐々に窓を流れる景色が殺風景になってきた。

見上げるほど高く、有刺鉄線が張り巡らされた塀が続く。もうそろそろね。

角を曲がると、分厚い鉄の門の前で警官達が二列に整列していた。その前で宗方が車を停める。

 

「じゃあ、お迎えご苦労さん。行ってくるわ」

 

「ああ。……いや、待て」

 

「なあに?」

 

シートベルトを外してドアを開けようとすると、思いがけず宗方に呼び止められた。

 

「やはりお前にばかり言わせておくのも癪だ。

もし……。お前が再び外に出ることがあれば、喫茶店で改めて話をつけよう。

旨いコーヒーを出す店がある」

 

アタシは仏頂面を少し緩めて答える。

 

「いい年した男女がサテンでお喋り?どうせなら小洒落たバーに誘いなさいな」

 

「お前の絡み酒は二度と御免だ。なんならオレンジジュースでも構わんぞ」

 

「最後までやなやつ。そんじゃ、生きてたらまた会いましょ」

 

ふふ、と少しだけ笑いを残すと、アタシは今度こそ車から降りた。

途端に警官達の間に緊張した雰囲気が漂うけど、

もう思い残すこともないアタシは堂々と彼らの間を通り、刑務所へと向かっていった。

 

 

 

 

 

……

………

 

 

なんとなく過去の思い出に浸りながら食事をしていたアタシは、

軽いプラスチック製の食器に盛られた夕食を食べ終えた。

ご飯、味噌汁、サバの味噌煮、添え物の野菜というシンプルな献立。

 

「ごちそうさまでした」

 

手を合わせて食事を終えると、食器をトレーに乗せて鉄格子の出し入れ口に置き、

廊下側に押し出す。まもなく下膳係の囚人が看守に付き添われて食器を片付けていった。

 

「これより、消灯まで自由時間とする。定刻までに就寝するように」

 

「わかりました」

 

看守が去ると、アタシは独房の隅にある小さな机に正座して着く。

床が冷たくて自然と足をすり合わせる。まだ寒さが厳しい。

暖房は必要最低限の20度に設定してくれてるらしいんだけど、

外気に直接当たってる窓から冷気が降りてきて冷えるのよね。

 

かじかむ手で便箋とペンを取り出すと、アタシは時々やり取りしている手紙を書き始めた。

今度弁護士さんと接見する時に預けましょう。皆がアタシを待っていてくれてるらしい。

そんなみんなにアタシがメッセージを送る。

いつか日寄子ちゃんが言ってたけど、本当に立場って変わるものね。

10年ほど前のあの時はアタシがみんなを待っていた。

そんな思い出を噛み締めながらボールペンを走らせる。

 

 

○日向創 様

 

お久しぶり。この前はお手紙ありがとう。

アタシは身元が身元だから他の囚人との作業は免除されてるけど、

一日中独房でひとりきりだから退屈でしょうがないの。みんなからのお手紙だけが楽しみ。

ずいぶん寒くなったわね。お互い風邪を引かないように気をつけましょう。

さて、しつこいくらい何度も言っているけど、こうなったのはアタシ自身のせいだから、

あなたが自分を責めていないといいのだけれど。それだけが心配。

日向君はアタシにのしかかっていた重荷を下ろしてくれたの。感謝の言葉しかないわ。

あなたがくれた償いのチャンスは決して無駄にはしない。

七海さんはお元気?いつまでも仲良くね。

 

○狛枝凪斗 様

 

ごきげんよう。あなたの几帳面な字を見る度にほっとした気持ちになれるわ。

今もその笑顔で誰かを幸せにしてくれてるんでしょうね。

いつだって希望を追い求める狛枝君の強い気持ちに、アタシ自身も勇気をもらえたわ。

ジャバウォック島では本当のあなたと一緒に過ごせた時間が

他のみんなより少しだけ短めだったから、

日本に帰ってからの狛枝君との時間は本当に大切にしてきたつもり。

弱気になっている時にあなたと会うと、その優しさがアタシを励ましてくれた。

また会える日を信じて、今日はここで失礼します。よかったら、またお便りちょうだいね。

 

○西園寺日寄子様 そして 旧姓・十神様

 

まさかあなた達がくっつくとはアタシもびっくりしたわ。

うん、なんとなくあの島にいた時からそんな気はしてたけど、小さな予感でしかなかったから。

日寄子ちゃんが彼を“豚足ちゃん”なんて言い出したときはどうなるかと思ってたけど、

彼は嬉しかったのよね。

自分という存在がなかった彼にとって、

自己を定義づける名前は何よりのプレゼントだったのかもしれない。

日寄子ちゃんのほうもあなたに時々ちょっかいを出してたし、似合いの二人だと思うわ。

だから十神君が日寄子ちゃんのお婿さんになれば、もう偽物の十神さんじゃなくて、

れっきとした“西園寺君”になるのも当然よね。

あなた達の結婚式には行けなくてごめんなさい。でも、写真を送ってくれてありがとう。

二人の幸せそうな顔を時々見ては元気をもらってます。

だけど西園寺君?もうあなたは一人の人間としての存在を手に入れたんだから、

これからは健康にも気をつけなきゃだめよ。糖尿病は厄介だから。

ここから二人の幸せを祈っています。

 

○田中眼蛇夢 様

なんだかんだ色々あって、また機会を逃したのが残念だわ。

魔獣フェンリルは元気?今度こそ触らせてもらおうと思ってたのに。

田中君の決して生き方を曲げない強さにはいつも感心してた。

……ちょっと苦笑いが出るようなものでもね。

今はペットショップでバイトしながらタトゥー職人を目指して修行しているんですって?

タトゥーを入れる人なら、あなたの生き様に共感する人はきっと現れるに違いないわ。

アタシが元いた世界でもね、10万年以上生きる悪魔を名乗る歌手がいたの。

恐ろしげなメイクをした彼は音楽だけじゃなくて相撲の解説者、

テレビのコメンテーターまでやってたのよ。

そんな破天荒な人生を送ってきた彼だけど、

長年自分のスタイルを貫いた彼を誰も笑ったり後ろ指をさしたりなんかしない。

何が言いたいかっていうと、なんでもチャレンジしたもの勝ちってこと。

あなたの夢が叶うことを祈って。E子より。

 

○花村輝々 様

ここで生活していると、あなたの料理が恋しくなるの。こう寒いとしょっちゅうね。

こんな事言うとまたアレな返事が帰ってきそうだけど(笑)。

贅沢言っちゃいけないのはわかってるけど、また花村君のカレーが食べたくなるわ。

花村食堂はどう?軌道に乗ってる?1号店開店のニュースを聞いたときは、アタシも嬉しかった。

いつか堂々と食べに行ける日が来るといいな。

皆がそれぞれの人生を精一杯生きていることを知る度に、自分のことのように嬉しくなるの。

気が向いたらまた近況を教えてね。正直、アタシからお知らせできることは殆どないから。

じゃあね。

 

○小泉真昼 様

小泉さん、おひさ~…って書いてみたけど、もう30過ぎのおばさんの挨拶じゃないわね。

はい、ごめんなさい。お久しぶりです。

日寄子ちゃんや左右田君達の写真を撮ってくれたのはやっぱり小泉さんだったのね。

みんなの笑顔が本当に生き生きとしてるもの。

あなたも夢をしっかり持ち続けて、写真家を続けているのよね。嬉しいわ。

写真集を送ってくれてありがとう。

どの画も今にも飛び出してきそうなくらい血が通っていて、

この殺風景な部屋にいてもアタシの心に彩りを添えてくれる。

自費出版らしいけど、本屋に並んでいる他の作品にも絶対負けない。アタシが太鼓判を押す。

って素人が偉そうに言ってみる。それじゃあ、またしばらくの間、さようなら。

 

○罪木蜜柑 様

看護師の正規資格取得、おめでとう。

あら、これは前の手紙に書いたかしら?いやだわアタシったら。

もう一般病院で働いているんだったわね。人の痛みを知ることができるあなたなら、

患者さんを体だけでなく心でも救ってくれると信じてる。

人間は病気や怪我をすると一気に心弱くなるものなの。

そんな時、罪木さんみたいな人が看護してくれたらどれだけ気が楽になることか。

本当なんだから。

以前、うっかり風邪を引いちゃった時に警察病院で診察を受けたんだけど、

なんというか義務感丸出しの診察を受けて余計症状が長引いた気がするわ。

あれ以来体調管理には気をつけてる。ごめんなさい、愚痴っちゃって。

病院のお仕事は遅番もあって大変だろうけど、がんばってね。あなたの友人より。

 

○澪田唯吹 様

まず謝らなきゃいけないことがあるの。あなたが送ってくれたCD、まだ聴けてないのよ。

歌詞カードだけ読んで悶々としてるわ。

やっと七海さんからGOサインが出たみたいだから楽しみにしてるんだけど、

ほら、刑務所にCDプレーヤーなんてないじゃない?

だから今は感想が書けない。本当ごめんなさい!

あ、歌詞だけ読んだ印象なら書けるわね。

そうねぇ…この詞がメロディに乗って流れてくる様子が想像もつかなくて楽しみ、って

ところかしら。まだこんな事しか書けないけど、いつかきっと、必ず。

今は宝物にして大事にしまっておきますね。七海さんによろしく。またね。

 

○九頭龍冬彦様 そして 辺古山ペコ様

皆もそうだけど、九頭龍や辺古山さんは希望ヶ峰学園突入の時には特に頑張ってくれた。

本当に感謝してるわ。

あの時も今も、アタシは何もできてないけど、お礼だけは言わせてちょうだい。

九頭竜組に誘ってくれたけど、若頭にはなれそうもないわ。

こうしていきなりブタ箱行きになってるようなアタシじゃね。

ふたりはアタシと違って強いから、きっと九頭竜組再興の夢を成し遂げられるって信じてる。

今、こうして皆に手紙を書いてるんだけど、

自分の夢を叶えたり自分なりの道を歩んでいる人がたくさんいてとっても嬉しいの。

あ、外にいる二人なら知ってるわよね。ここにいると時代の流れに置いていかれていくようで。

あなた達の言葉を借りるなら、“シャバの空気が吸いてえ!”ってところかしら。なんてね。

またお手紙させていただきます。それでは。

 

○弐大猫丸様 そして 終里赤音様

終里さん。体操部の全国大会優勝おめでとう。それを支えた弐大君も。

無名校が1年で日本一に。やっぱり元超高校級の名は伊達じゃないわね。

……待って訂正。超高校級なんて肩書はもうなし。

ただ二人のサポートと、部員の人達の頑張りが勝ち取った優勝よね。

良くも悪くも、この世界は希望ヶ峰学園が定義する“超高校級”によって

発展もしてきたし崩壊も経験した。

これからは人間が本来持ってる“勇気”や“努力”を積み上げて

新しい時代を築いていくべきだと思うの。

アタシが貢献できることは何もないけど、せめてここから祈らせて。

才能がなくたって、平凡だって、ささやかな幸せを皆が分かち合える世界になりますように。

 

○左右田和一様 そして ソニア様

ごきげんよう。毎年息子さんの写真を送ってくれてありがとう。

本当、子供はどんどん大きくなるものなのね。今、3歳だったかしら。可愛い盛りね。

来年の年賀状も楽しみにしてるわ。

左右田君、ソニアさん。あなた達とは最初にすれ違いが多かった分、

ジャバウォック島で出会った仲間の中でも特に絆が深まった気がするの。

だから二人が幸せな姿を見ていると、アタシも幸せになれる。

たまにケンカをしたっていいから、これからも家族3人で温かい家庭を守っていってね。

アタシにはできないことだから。

今でもあの日の結婚式を思い出すの。輝くようなふたりの姿が目に焼き付いて離れない。

これからも、お幸せにね。頼れるナイトと、強さと美しさを併せ持つクイーンへ。

 

○戦刃むくろ 様

お姉ちゃん、元気?寒さはこれからが本番だから心配です。

この手紙のやり取りも何度目になるかしら。

機密保持の観点から面会できたのは片手で数えるほどしかないわね。正直寂しい。

あのね、今日は怒らないで聞いてほしいことがあるの。実は黙ってたことがある。

あの娘……。音無涼子。

実は、お姉ちゃんが助けに来てくれた日、アタシを殴ったのはあの娘だったの。

本当にごめんなさい。

あの大きな空間でアタシ達は全てを知ったんだけど、なぜか無意識のうちに隠しちゃってたの。

ゆっくり考えられる今ならわかる気がする。あの娘はアタシのDNAから造られたクローン。

つまりアタシ達の妹になるはずだったの。でも、きっとすぐお別れになる。

アタシでもそれは察しがついたから、いがみ合ったままさようなら、になるのが嫌だったの。

勝手なこと言ってるのは承知してるけど、お願い、わかって。

なにかの偶然が重なってここから出られたら、真っ先にお姉ちゃんに謝りに行くから。

ちょっとだけ待っててね。残念な妹より。

追伸:モナカちゃん達に高校入学おめでとうと伝えておいて。

 

 

「消灯、消灯!全員就寝!」

 

巡回の看守の声。ちょうど書き終えたところで就寝時間が来た。もう寝なきゃ。

アタシは筆記具を引き出しにしまうと、冷えた布団を敷いて、震えながら中に潜り込んだ。

 

 



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幕引き “未来”の意味するところ

桜が散り、卒業・入学のシーズンが終わり、晴れた日には少し汗ばむほどになった季節。

窓から吹き込む爽やかな風を浴びながら、出席簿を胸に抱いて廊下を歩きます。

 

人生はどうなるかわからないものですね。

偶然にもアタシの仮釈放が言い渡されたのが入所から5年目。みんなと同じ。

第十四支部の仲間はとっくに未来機関のビルから解散し、

今度こそ本当に自分の道を歩んでいます。

例え住む場所、行く道が違っても、アタシ達の絆は確かに結ばれていると信じていますから、

寂しくなんかありません。

 

さて、アタシも元の現実世界にいた時間より、

ダンガンロンパの世界に生きた時間のほうが長くなってしまいました。

理由はわかりませんが自分の中の江ノ島盾子からも、もう何年も音沙汰がありません。

 

もしかしたら、二度と悲劇を繰り返さないためにも、

この世界にこれ以上江ノ島盾子は存在してはいけない。

竹内舞子として残りの人生を全うしなさいという彼女達からのメッセージなのかもしれませんね。

 

出所して皆と再会を喜びあった後、

それぞれの得意分野で社会貢献をしている仲間が羨ましくなり、

アタシも一念発起して教師を目指し始めました。

二度と絶望の江ノ島盾子のような生徒を生み出さないように。

特別な才能がなくたって夢は叶えられることを子供たちに伝えるために。

 

その甲斐あって、他の教師志望者より何年も遅れて、ようやく教員免許を取ることができました。

教師生活も今年で何年目になるでしょうか。今は小学校高学年の担任をしています。

みんな、人類史上最大最悪の絶望的事件のずっと後に生まれた子。

あの時代の惨状なんて、誰も知りません。

 

予鈴が鳴りました。教室に入りましょう。

教壇に立って教室を眺めると、滅茶苦茶に散らかった机、落書きだらけの壁、

お喋りをやめない女の子、スマホゲーに夢中の男の子。

いつものことです。気にしていてもキリがありません。

 

「授業を始めます。国語の教科書36ページを開いてください」

 

生徒達はアタシを無視しますが、逆であってはいけません。

黒板に今日のテーマ“百人一首”を板書します。

背後では相変わらず耳に痛いほどの笑い声、

何が楽しいのか延々ボールを動かし続けるゲームの音、

わざと聞こえるように他の子の陰口を叩く下品な会話。

 

“花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに”

 

「はい、有名な小野小町の和歌ですね。まず、初めに出てきた“花”について考えてみましょう。

杉田君。この花は何の花ことか、わかりますか?」

 

「っせーぞ!今100連コンボ組んでんだから話しかけんな!!」

 

「ゲームは休み時間にしましょうね」

 

「黙れ、殺すぞババア!」

 

確か彼は、“超小学生級のスマホ中毒”。

何も残らないどころか欲を出せばお金まで払う羽目になるものが何の役に立つのか。

アタシは当然叱るべきだと考えているのですが、

何か言おうものならモンスターペアレントが押しかけてきて何時間も居座り業務を妨害しますし、

学校は学校で“将来どの才能が我が校の名を上げるかわからない”と

あまり厳しく言うとこちらが叱責を受ける始末。

 

アタシが教師になってからどの学校でも、どのクラスでも似たような状況でした。

でも諦めてはいません。この問題児ばかりの生徒にも未来があります。

そうです。アタシがしっかりと粘り強く教えを説いていけばわかってくれる子も現れるはず。

ですが、そのためには抜本的な教育改革も……痛っ!

 

黒板にチョークを滑らせていると後頭部に痛みを感じたので振り返ると、

ニヤニヤと笑いながらアタシを見上げる出っ歯の少年。

 

「小杉君、まだ授業中よ。席に戻りなさい。それと、また先生の髪を引っ張ったわね。

もうやらないって約束したんじゃなかった?」

 

「あんなのうっそじゃーん!アハハハ!」

 

「後で職員室にいらっしゃい。さあ座って」

 

「授業なんかもう飽きちゃったよ~。俺帰るから!バッハハ~イ!」

 

「待ちなさい!……あっ」

 

彼を捕まえようとしましたが、ネズミのようにチョロチョロとアタシの手をすり抜け、

教室から出ていってしまいました。“超小学生級の逃げ足”。

きっと彼は、これからの人生で立ち向かうべき困難や耐えるべき努力、

全てから逃げながら生きていくのでしょう。

ああ、結局大して授業を進められないままチャイムが鳴ってしまいました。

 

「起立、気をつけ、礼」

 

本来は日直が言うべき形骸化した儀式を口にし、

出席簿を持って職員室に戻ろうとした時のことです。

手に違和感を覚えたので開いてみると、ページはカッターで切り裂かれ、

赤のマジックで“死ね”と書かれていました。

 

アタシが後ろを向いている僅かな隙を狙った早業。

きっと“超小学生級のいたずら”、鈴木君の仕業に違いありません。

彼を見ると、やはり自分の席でにやつきながら嬉しそうにアタシを見ています。

問い詰めるだけの証拠がないので、仕方なく無視して教室を出ます。

 

“あのババア髪キモくなーい?”

“つか、なんであいつだけ染めてんの?”

“調子乗ってるマジ”

 

超小学生級の陰口の暴言を背中に受けながら退室しました。

アタシの髪は生まれつきだと何度も説明したはずなのですが。一体どう言えば伝わるのでしょう。

 

無力感に苛まれながら職員室に戻ったアタシは、デスクにつくと

間違いだらけの答案にバツを付ける作業の続きを始めます。

クラスの偏差値は右肩下がり、というより始めから低水準のまま横ばい。

批判を受けるのはアタシ。指導力不足、教師失格。

教頭や保護者から浴びせられた言葉が頭をよぎります。

 

『台形の面積は底辺×高さ÷2です』

『”とうきょうの”漢字は”東京”です。大切な地名なので覚えましょう』

『テストの紙に先生のわるぐちを書いてはいけません』

 

赤ペンでどうせ読まれない注釈を丁寧に書き加えていると、

この世に自分一人しかいないような孤独な気持ちに陥ります。

ジャバウォック島のみんなは今どうしているのかしら。

そんなことを考えてふと現実から目を背ける癖がついてしまいました。

 

アタシはいい先生になりたかった。

本当にアタシが悪いのか。誰のせいだったのか。考えても答えが出ません。

明るい未来というものがアタシには見えないのです。

でも、あともう少し。来週には、わずかばかりの可能性が。

 

 

 

 

 

後日。待ちに待った日がやってきました。

文科省主催の『令和時代における新学習指導案』の特別会議。

学識者や官僚、文化人が一堂に会するこの会議に

アタシも未来機関の関係者という事情で参加が許されました。

4回目を迎える今日は、最重要事項の決定が下される予定です。

議長が挨拶を終え、議題の発表に移ります。

 

「本日お忙しい中お集まり頂いたのは他でもありません。

近年の学校教育におかれましては、

生徒達のモラル低下が著しいとの声が各方面から寄せられています。

そこで我が国は日本国全体の再教育をモットーに、行き過ぎた才能至上主義に歯止めをかけ、

人間らしい道徳教育に重点を置いた教育機関の設立を行う考えであります。

そのプロジェクトがいよいよスタートする運びとなったわけですが、

ここで建設予定の正式な機関の名称を決定したいと思います。

それにつきまして、皆様からご意見を頂戴したく存じます」

 

周りの知恵者達がざわつき出しました。要は希望ヶ峰学園とは逆のコンセプトで、

乱れきった教育現場に一石を投じるべく新しい教育機関を創る取り組みが始まっていたのです。

全く新規の試みとなるので、なかなか良い案が出ないようですが、

アタシは予め温めていた名前を胸に挙手しました。

 

「竹内舞子先生。どうぞ」

 

発言を許されると、アタシはゆっくりと語り始めます。

 

「はい。現在は議長がおっしゃったように、

どの学校どのクラスでも学級崩壊の兆候が見られる、または既に陥っている状況です。

それもまた人間的教育を置き去りにした才能至上主義による弊害であると考えます。

実際、私の受け持つクラスでも教育環境は劣悪そのもの。

その影にあるのは、やはり“才能”です。生徒達が悪いわけではありません。

生まれ持った大きすぎる力に振り回されているのです。

それを支えて正しい道に導くのが我々大人の役目ではないでしょうか」

 

「導く、と言いますと具体的にどのような手段を取るべきか、お考えはありますか?」

 

「この新プロジェクトは、今申し上げた“強すぎる力”。

つまり才能を正しく使いこなせるように指導する場である必要があると考えています。

多少窮屈な思いをさせてしまっても、彼らが人として思いやりのある人間になれるまで、

期限を定めず自らの力と向き合い、そのあり方を自己決定させる。

そして扱いきれない能力をきちんと閉じ込めておけるような機関であることを私は望みます」

 

周囲に困惑したような空気が流れます。少し喋りすぎたでしょうか。

新校のネーミングを聞かれたつもりが、いつの間にか運営方針にまで口を出してしまいました。

でも、後悔はしていません。

 

「では、竹内先生。

プロジェクト達成の暁には、教育機関の名前はどうするべきか、お聞かせいただきたい」

 

「はい。生徒達の未来を託すにふさわしい学校。それは」

 

自信を持ってその名を口にします。

 

 

──才囚学園などはいかがでしょう。

 

 

参加者たちが顎をひねり、まだ存在しない学校の名を反芻しています。

しばらくの議論の後、多数決を取り、結果この提案が受け入れられました。

ああよかった。長い時間をかけた末、未来へ続く道の名付け親になれたことが嬉しく、

アタシは少し、笑った。

 

 

 

 

 

江ノ島盾子にされてしまったコミュ障の悲哀(完)




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4.才囚学園

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