豊穣の雨、その後に~ウマ娘プリティーダービー (尾坂元水)
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01 傷心のステイヤー

ボケ坊しと老後の趣味ではありますが、久しぶりに小説を書いてみました。
実は競馬にあまり詳しくありません、時系列も微妙なところがたくさんあると思いますが気持ちが前向きなうちに書きたいと思ったことと、頭がビワハヤヒデ(頭でっかち)になってしまう前に書きたかったため見切り発車しました。
短めに終わりたいと思います


「なんで勝ったの? ブルボンの時もそうだけどマックイーンに勝たせてあげればよかったのに……」

 

 はっきりと聞こえていた。

覆いかぶさる波のようなメインスタンド。

勝負の行く末を見ていた観衆の声は落胆と言っていいほど低いトーンだった。

「……私……勝ったのに」

 声援は聞こえなかった。

ただひたすらに冷たい視線と、大波小波で耳に届くクレーム。

なぜ勝ったのにそんな目で見るの、勝ったのに喜んでくれる声はないの、さまよう視線。

 

「空気読めよ!! 誰もお前のライブを見たいわけじゃないんだぞ!!」

 

 心無い言葉が胸を、奥底にある柔らかい心を刺し、被っていた帽子の中に顔を隠していた。

春の午後、緩やかな日暮れの近づくこの日、勝者である彼女の心は壊れてしまった。

 

 

 

「うぉっんりゃぁぁぁぁぁああああぁぁぁ!!!!」

 サーキットストレートに大音声の気合がこだまする、絶叫の覇気とは別に彼女は後続から走ってきたウマ娘群に飲み込まれていた。

小柄な彼女はいとも簡単に画面から消える勢いだ。

距離2200メートル、第4コーナーどころかストレートまで先頭を突っ切っていたが最後200メートルの間でもみくちゃにされての惜敗だった。

「ツインターボ頑張ったってなんだよ……俺はいつだって頑張ってんだよ!! 勝手に終わらせンな!!」

 細い青縁のメガネに耳飾りは白と緑のストライプ。

肩まで伸ばした黒髪はレース後もあって乱れたまま、自分を解説したセリフに唾を吐く。

スタンドに向かって両手を振り観衆の声援に応える勝者の後ろをツインターボは荒い息で歩いていた。

 6位。

ウイニングライブ入選枠の3位には遠い位置。

膝に手を置き荒い息を整える。

「いつだって全力なんだぜ……ちくしょう」

 ひんまげた口で言う暴言は自分に対する反省だ。

背筋こそピンとしたままだが、しなだれた気持ちを言葉で振り払いながらトボトボとパドックヤードへと歩いていく。

「あー……ちくしょうぅ、あとちょっとだったのにってって……おお?」

 後少し、後少しの足りなさに頭をかきむしったツインターボの前にいたのはシンボリルドルフだった。

勝負服ではなく、紫を基調としたトレセン学園の制服姿で右手を上げている。

 今回のレースはG3。

トップレースを走り「皇帝」と呼ばれる彼女が視察に来るようなレースじゃない。

しかも自分を見に来るなどまったくもってありえない、思わず後ろを見る今日の勝者はホクトブリッジだが後ろに彼女は立っていない。

「誰のお迎えだ?」

 くるりくるりと回転、周りには誰もいない、地下道路なのだから他に姿が見えなければ自分しかいない。

ツインターボの駒のような回転に苦笑いを見せるルドルフ。

 

「ツインターボ、君に会いに来たんだよ」

 

「えっ、俺?」

「そうだ、君だ」

 連敗中、何か良いことないかなーなんて柄にもなく考えていたツインターボにルドルフは頼みごとをもってやってきていた。

 

 

 

「なんだよこれ!! おいイクノ!! イクノ!!」

 あいにくの雨続き、ツインターボはチームルームの真ん中に置かれた大きなたらいに激昂していた。

 トレセン学園の外周にはそれぞれのチームルームと呼ばれるものがある。

平等にチーム1つにつき1つという配置だが、設置場所や規模はそれなりにヒエラルキーがある。

 チーム・リギルは屋外練習場にも近く、屋内のマシントレーニングルームにも近い、おまけに簡易的ながらもシャワールームが設置されている。

 一方のツインターボ所属するチーム・アンタレスは校舎に近いが練習場には遠い、マシンルームにも遠ければシャワールームは学園寮に戻るしかないときている。

 日当たりだって悪いこの部屋に、雨が続くとなれば色々な鬱憤もたまる。

ツインターボは部屋の真ん中にあるはずのテーブルがなく、大きなたらいに満たされた水に腹を立てていた。

「イクノ!! なんなんだこれは!!」

「うるさいですよ!!」

 返事と同時に鉄拳、ツインターボの後頭部に直撃。

 立っているのは名前を連呼された彼女、イクノディクタス。

明るい茶髪に白い流星の前髪、田舎から出てきたばかりのようにまん丸顏のまん丸目。

よく言えば純朴な感じだが、中身はキッチガッチリ思考も体も鋼鉄の女。

チーム・アンタレスの要とも言える存在だ。

ツインターボと同じぐらい小柄な彼女は両手に蹄鉄を握り締めての一撃だった。

「お前……それ握って殴るとかありえねーだろ!!」

 目から星。

思わずメガネを吹き飛ばしそうだったツインターボは歯を食いしばって言い返すが。

「うるさいからですよ!! 雨降ってるしマシンルームは満員御礼だから、蹄鉄洗おうと思ったんですよ!!」

 自分が出走するときは前夜にがっちりかしめる大事な蹄鉄。

ウマ娘が走るのに欠くことのできないパーツだ。

 

「今季から私の蹄鉄はアデ◯ダスなんですから、大事に使わないとねっ」

 

「そんなんで何か変わるかよ!! 最新のブランドなんて実績ねーしさ、俺の美浦印蹄鉄が一番だぜ!!」

 チームのリーダー的存在のツインターボと副リーダーのイクノディクタス。

何かと張り合っているが大抵ツインターボが言い込められる、今そうだ蹄鉄論議で立ち上がったツインターボをイクノディクタスが押し返す。

目の前のたらいに足を突っ込まれては困ると

「むやみに立たないでくださいよ。雨の中この水持ってくるのだって大変だったんですから。そんなことより今日は大事な話があるんじゃなかったんですか部長」

 部長はツインターボに対するイクノディクタス的あだ名だ。

「おおよ、みんな揃ってるよな」

 テーブルを排除された部屋の四隅。

残りのチームメンバーが椅子に座っている。

「はーい!! 僕きてますよ!! 師匠!!」

 元気に挙手するダイタクヘリオス。

ヒョロリと背の高いショートカット、髪は綺麗に整えているとは言えない鳥の巣のような感でぱっちりお目目。

黄色の耳飾りに青のスカーフがポイント。

 勝ったり勝たなかったりが激しいヘリオスは現在同級生のダイイチルビーにご執心。

都会ぽくて垢抜けて綺麗な彼女に憧れ彼女を追い回していると噂され、極めたかと言われるほど純朴で少々うざい存在。

このチームのレース戦績ではかなりいい線いってるウマ娘。

「あたしちゃんもいますよぉ!!」

 ヘリオスの隣で小さく手を振るのはメジロパーマー。

ヘリオスと同じぐらいの身長、毛先に行くほど黒くなる明るい栗毛腰まで届くストレート。

緑ヘアバンドに前髪ワンポイントの流星が白く流れる彼女は、一応名門メジロ家の一員。

 なかなか勝ちに恵まれなかったことを理由に強制的に障害の方へと編入され障害競走にデビュー。

メジロのお祖母様がくれた障害用勝負服、碧玉に輝くドレスをボロボロにするという大活躍を見せてレースの側に出戻った。

「ほらぁ、障害って飛越するじゃないですかぁ。レースみたいな短いスカートだと飛んだ時見えちゃうからみんなドレス着るんだよぉ、飛んだ時ヒラヒラヒラヒラヒラって綺麗に見えるのも大事なんだってぇ、レースでも着たいなぁ」

「レースは無理でしょう、でもドレスってウマ術でも着る人多いよね」

 熟年になるとドレスを着て飛越やステップを基本とするウマ術に参加するウマ娘は多いと、イクノディクタスはうなづく。

 総勢4人という全くもっての少人数チームは一堂に会していた。

「師匠!! トレーナー決まったんですか!!」

「ああその件も込みだ、今日から新しいメンバーが加わるんだよ」

「初耳ですよ」

「すてきぃー」

 それぞれが一斉に声を上げる。

イクノディクタスは蹄鉄を並べて椅子に座りノートを広げる。

先月までの出走予定がびっしり書き込まれているが、今月はまだ白紙だ。

「聞いてませんでしたけどトレーナーが決まると助かりますね。レースの登録とか申請とか私たちだと面倒ですし、練習の時間を割かれたくなかったし」

 チームには担当トレーナーが付いている。

レースに出るための登録など雑事をこなすのもトレーナーの仕事。

 チーム・アンタレスのトレーナーはいないのではなく、ちょうど産休に入っていた。

近々で臨時のトレーナーが来るとされていた。

「で、トレーナーはわかりましたけど新しいメンバーって誰ですか?」

「うーん、会長曰くそいつの専属トレーナーだったらしいんだけど……」

「専属? じゃあけっこう良いチームからの転入なんですね」

 専属トレーナーがつくのは普通のチームじゃない。

リギルはお花さんという辣腕がいるため1人でやっているが、他チームには個々の能力に合わせるため多数のトレーナーを要するところもある。

だがそれほど多くはない。

ましてや専属ともなればかなり特殊な例とも言える。

「強いらしいぜ、菊花賞や天皇賞とってるウマ娘らしいし」

 自慢げに指を立てるツインターボの前でメジロパーマーはニコニコで言う

「あたしちゃん参加したことあるよぉ」と。

「参加賞ももらえない勝ちじゃなくって本当に勝ったウマ娘なの、名前は?」

 皮肉も織り交ぜイクノディクタスは身を乗り出していた。

早く知りたいと。

「うーん……なんだったけ、ら……違うな。そうだお米なんとかだ」

 なんだそれ?

米処のウマ娘なのか、イクノディクタスを始めみんなが呆れ顔を晒した時、小さな声が割って入った。

 

「ライスシャワーです」

 

 滴る雨の雫で顔を隠した小さな姿。

薄墨が映る雨の中に立つ彼女はいかにも儚げに見えていた。

「名前はライスシャワーです、今日からこちらのチームでお世話になります。よろしくお願いします」

 深くかぶった帽子で目を見せない影にツインターボは手を打った。

「そうだ!! ライスシャワーだ!!」

「お米とか全然違うじゃないですか!!」

「ライスだろ!! イコール米だろ!!」

 椅子から立ち上がりにらみ合うツインターボとイクノディクタス。

二人の喧騒をよそに、ライスシャワーの後ろからトレーナーが顔を出す。

「やあ、初めまして。しばらくこちらのトレーナーをすることになった者だ」

 ライスシャワーを隠すように立つ彼は、少々年季の入ったボロジーンズ、ベルトに引っ掛けた巾着袋に長靴姿でファイルを差し出す。

「明日からのレース日程調整と、申請してあったレースの登録は済ませてあるから」

「ヒャッホー!! またルビーちゃんと走れるよ!!」

 早速ファイルに見入るダイタクヘリオス、指折り数えるレース。

チーム・アンタレスはやたらレースに出ることで有名だ。

つまり丈夫なウマ娘揃いという特異なチーム。

トレーナーなしでこれをやるのは大変だった。

「助かったよ、まあ座ってくれ」

 雨の来訪者であるライスシャワーにツインターボは座れと椅子を用意しようとしたが、彼女の前のトレーナーがそれを遮った。

「今日は挨拶だけで……」

 よそよそしい、あくまでライスシャワーの姿を皆んなに触れさせないようにする出方。

ぴょこぴょこと上半身を動かし姿を見ようとするツインターボの視線を意識している動き。

トレーナーの不可解な動きはイクノディクタスの勘に少なからず触れていた、蹄鉄をたらいに投げてズイッと前に出ると

「新しいチームとして親睦が大事よ、こんな雨の日なんだからここでゆっくりお話しましょうよ。菊花賞や天皇賞の話聞きたいわ」

 顎を上げたへの字口を横に同じく身を乗り出したツインターボが

「おうよ!! 勝てるトレーニングの仕方とか教えてくれ!!」

「……レースの話はしたくありません、トレーニングも……特に変わったことはしてません。しないほうがいいと思います」

 雨音に消されそうな小さな声がトレーナーの背中越しに聞こえた。

そこにいる存在を隠すトレーナーは慌てた様子で

「悪いけど今ライスは療養中なんで……」

「療養と話ができないは関係ないと思いますけど」

 イクノディクタスの声は冷めていた。

熱いのはツインターボだけだ。

「そうそうそう!! 勝った時のこと教えてくれよ!! 熱くなりたいんだよ!! 一緒に走ろうぜ」

 お構いなしの怒声はついに立ち上がり、ライスシャワーの手を捕まえようとしていた。

 

「触らないでください……私に触ると不幸になりますよ……」

 

「ライス……そんなこと言うな」

 くるりと身を返しツインターボの伸ばした手を背中で遮ったトレーナー。

隙間から見える彼女の怯えた目にツインターボは言い放った。

「不幸になると勝てるのか? それは初耳だ、興味深いぜ、絶対に話をしようぜ!!」

 止まらない勢がさらに一歩前に出た時、たらいの縁を踏んでいた。

踏んだ縁によりたらいは直立し水はたらいを囲むように座っていたイクノディクタス、メジロパーマー、ダイタクヘリオスに。

押されて発射した鉄砲水のように降りかかっていた。

「……なにやってるんですか部長!!」

 べったり、ジャージ姿の上から下までがっつり水浴び状態のメンバー。

イクノディクタスは怒り狂っていた。

 一方でダイタクヘリオスは失神していた。

たらいに入れられていた蹄鉄が顔面に激突、メジロパーマーに抱えられ、メジロパーマーは笑い転げていた。

「なにって……なんでこうなった!!」

 自らも直撃で室内にて過激な行水を食らったツインターボが振り返る。

惚けてんのと言わんばかりにイクノディクタスが胸ぐらを引っ張る。

「あなたが踏んだからでしょう!!」

 メガネを拭く暇もない怒涛の惨事。

「て言うか!! こんなところにイクノがたらい置くからだろう!!」

「蹄鉄洗うって言ったでしょう!! 早く汲んできてくださいよ!! パーマもヘリオスも蹄鉄集めて!! 安物じゃないんだから!!」

「おいタオル出せよ!!」

「部長は水汲みですよ!! 早く行ってきてください!!」

「えっ……」

 いつの間にかいないライスシャワーとトレーナーの姿。

開けっ放しのドアの向こうは燦々と降る雨の景色だ。

「お前……この雨の中俺に水汲んでこいと……」

 立腹が顔に出ているイクノディクタス。

への字口が怒鳴る。

「どうせ濡れているんだから一緒でしょう、それとも部長は雨の日レース出ないんですか」

 尖った視線、顎がフイと外をさす。

「出るわ!! いったらーい!!」

 言い訳も何もなし、覚悟を決めてツインターボは走っていた。

 

 

 騒然となったその場から、消えたライスシャワをトレーナーは濡らさないように傘を寄せて歩いていた。

「……お兄様、私……」

 雨にかき消されそうなか細い声にトレーナーは優しく応える。

「いいんだライス、もう走らなくていい、無理しなくていい。そのためのこのチームだから、多少騒がしい外野がいると思って我慢して。後はなにもしなくていいから、必ず君を護るから」

 歩く2人の姿は雨に消えてしまいそうだった。

雨の来訪者ライスシャワー、この日より運命への道を歩むことになる。

 

 

 

 



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02 チームの掟

想像力が低下中ですね、何かいいことが起こるべきだ!!
アプリはまだか!!


「うぉおおぅうりゃぁああああああ!!!」

 

 大絶叫の気合とともにツインターボは走っていた。

第4コーナーを回り最終ストレートに向かって。

「師匠!! がんばっ!!」

「がんばってぇ!!」

「部長!! ラストまで気を抜かない!!」

 ダイタクヘリオスの陽気な掛け声に合わせ、真っ赤なポンポンを振るメジロパーマー。

凸凹な声援とチームの要らしい手厳しい指示のイクノディクタスの声を背にしながらも、ストレートでツインターボは捕まりウマ娘群に沈む、後は絶叫の残り香とともにどんけつでゴールを切るだけだった。

 

 

 

「頑張っているなツインターボ、最後の威勢は君に似てないか?」

「会長、私は大声をあげて走ったりしませんよ……」

 エアグルーヴのきつい返答に苦笑い。

シンボリルドルフは生徒会室から見えるレースグラウンドに目を細めていた。

昼下がり、春を過ぎたこの季節も少しずつ涼しい時間に入る頃ウマ娘たちはトレーニングに集まってくる。

 新入学を過ぎたこの時期は特に多い。

新人ウマ娘が入り、各々が所属したいチームを目指し模擬戦に明け暮れる。

 チーム。

レースに出るためにはトレセン学園内にあるチームに所属する必要がある。

チームレベルは正直ピンキリなところもあるが、重賞勝ちをしてトゥインクル・シリーズを目指すのならば強豪チームに入るのが一番の近道だ。

 日本各地から推薦や入選、または転入で中央トレセン学園に来たウマ娘がなんの基礎知識もなしにレースに出られるほど甘くない。

基本を学び走り方を改善し、上を狙うのなら多くの賞を受賞しているチームに入りたい。

 自分の価値に目をつけ、スカウトされたいという切なる願いもあってか模擬レースはこの時期頻繁に行われる風物詩。

 同時にこの時期、やたらに集まるウマ娘たちを良い材料に、テストを兼ねた併走訓練も多く行われ、学園内レースとも言われる規模になる。

 ツインターボは上級生なのに新人ウマ娘たちとの併走トライアルという模擬レースに出走し続けていた。

 

 

 

 

「ライスシャワー……彼女こと、ツインターボに任せたのは会長ですよね」

 

並んで外を見るエアグルーヴ、バテバテで仲間の元に戻っていくツインターボの姿が見えていた。

「ああそうだ、贔屓だと思うか?」

 振り返ったルトルフの顔は夕日から隠された寂しい眼差しを見せていた。

「私にはなんとも、走られないのなら辞めるという選択もありますから」

 澄ました瞳の厳しい意見。

実にエアヴルーグらしい答えだとルドルフは頷いた。

 女帝とも呼ばれる彼女が今までしてきたレースは甘い物などない、心身を削り光のステージへと駆け上がるためにつづけた努力をもちろん知っている。

知っているからこそ、軽く目を閉じる。

 ライスシャワーは走らない。

絶世のレースを制した彼女には、三冠や三連覇を期待した観衆からの心無い言葉が浴びせられていた。

思い描いた「夢」とは違う結果を受け入れられないからといって誹謗中傷してよいものか。

それが原因なのか、ライスシャワーあの日以来走らないのだ。

 遠い目が新人ウマ娘たちの明るい叫声を聞く、いつもこうあってほしいという願いとともに。

 

「私は甘いな……口ではEclipse first, the rest nowhereを標榜しながら、着いて行けない者が出ることを心から恐れている」

 

 心底の素。

自分にしか言わないであろう言葉を前にエアヴルーグはすぐには返事しなかった。

 シンボリルドルフは皇帝と称されるウマ娘だ。

全てのトレセン学園、さらには中央トレセンで頂点に立つ者。

だが高みの座から下を見下したことは一度もなかった。

むしろ見下すことより「才能を見出したい」「脱落者を出したくない」という心優しさと保護欲を持ち合わせていた。

 

 それでも脱落者は出てしまう。

 

 ウマ娘の特にトゥインクル・シリーズを狙うレースに参加する者には避けて通れない勝負の道。

 競わなければ良いなどと簡単に言えないのは、走る性持つウマ娘であることを否定しかねない。

返事に困るエアグルーヴの顔に、シンボリルドルフはデスクに置いていた資料を前に出す。

「実は今回の件、問題は観衆の誹謗中傷だけではなく、ライスシャワーの側にもあるような気がしてね」

「あの専属トレーナーの方に問題があると?」

「ああ」

 窓辺から離れる静かな瞳、生徒会室の椅子に座ったルドルフはライスシャワーの資料を開いていた。

細長い綺麗な指先がゆっくりと項目をなぞり止まる。

「見てくれ彼女のレースを。前回の天皇賞以降のレース日程は白紙だ」

「夏も近いですし……休養では」

「年始の予定にはあったレースが全て取り消されているのが気になるのだよ」

 慎重な声にエアグルーヴも資料を覗く。

重賞勝ちしたウマ娘で、以後の人気投票では上位ウマ娘として選出されている彼女が出走希望にまったく手を挙げないのは不可思議だ。

 確かにミホノブルボンを破り、メジロマックイーンを制した彼女に良からぬ誹謗中傷があったのは事実だが、それ以上に人気もあった。

こういうものは極端な形で現れるものだ。

 黒い刺客・マーク屋とあだ名されても、華奢な身で長距離を制する彼女をこよなく愛するファンもいるのだ。

「正直に言おう、天皇賞はすごかった。長距離を粘り強く走り最後の一息で鮮やかに刺す。普のウマ娘ではできない芸当を平然とやって見せた彼女だ。どれほど緻密な計算と訓練を課してきたのかを思えば、予定が未定など考えられない」

 予定表のぱったりと途切れた余白。

練習や模擬レースまでもを事細かに決めてあった計画書から隔絶されたような白さは普通ではない。

「会長は専属トレーナーが止めていると……考えているのですね」

「わからない、2人ともなのか彼女自身なのか、トレーナーなのか……」

 資料の中ブリンカー着用でパドックに立ったライスシャワーの写真。

恵体とは言い難いあの小さな体で3200メートルを走り前を行く者を刺してゴールする。

その足運びは見事の一言に尽きる、イコールそれはしっかりとした管理がなされていた証拠でもある。

 一人で何かを決めてはいない、ルドルフの直感だった。

「現状では噂話だけしか聞こえない、だが走ることで解決できるとも考えている」

「それでチーム・アンタレスですか? もっと他の良質なチームがあったのでは?」

 ライスシャワーは稀代のステイヤーだ。

 専属トレーナーがつくほどに神経質な調整をしていた彼女が、ざっくばらんな健康だけが取り柄のレースバカチームでやっていけるのかとエアグルーヴは怪訝を口にしたが、ルドルフの顔はしてやったりと笑っていた。

「私もそうなのだが、これは経験だ。理路整然とした場では見つけられない時がある。支離滅裂の中に入ることで見つけられるものもある。チーム・アンタレスは適任だ。それにイクノディクタスは天皇賞を一緒に走った同志だ。きっと彼女に立ち直りのきっかけをくれるだろう」

 夕日と遠い眼差しを向けるルドルフに、エアグルーヴは肯定も否定も告げなかった。

 走らなくなるウマ娘は彼女ライスシャワーに限ったことではない。

多くのウマ娘が生徒としてこの学園に入り「勝負の世界」になじめず涙して帰路につくことなど普通にあるのだから。

 それでも才能あるものを、今一度レースへと向かわせたい。

 僅かながらの救いを、手を伸ばしたいという思いを踏みにじる言葉は持っていなかった。

 行動することで結果として何かが変わることはわかっている、その道筋をつけるシンボリルドルフの考えにアヤをつけることは彼女の考えることではない。

 エアグルーヴが思う「辞める」という終止符を良しとしない強さをシンボリルドルフは見ているのだから、差出口な返事は無用だった。

 軽く息を流し想いを汲むのが正しい。

「会長、新しいキャロットティーが入りました。飲みませんか」

「もらおう」

 2人は今なおやんやと激しい模擬レースをするグラウンドを静かに見ていた。

「そういえばエアグルーヴ、最近蹄鉄変えたのか?」

「ええこないだのレースからナ◯キに、マルゼンスキーが新しいもの好きで色々試しているみたいで、私も少し試してみようかと」

 

「……そうか、最近はみんなそういうブランド物を試しているみたいだな、私は美浦印蹄鉄しか使ったことがない」

 

「試してみませんか、気分転換にもなにますよ」

 とりとめない話もまた2人の楽しみでもあった。

 

 

 

 

 ライスシャワーは困惑していた。

チーム転入から1週間、平穏はまったく訪れることはなかったから。

クラスでも静かで口数の少ない彼女、友達との会話さえ小鳥の囀りのようなトーンの彼女の生活にありえない大声が毎日飛び込むようになっていた。

 チーム転入の翌日から放課後になるとダイタクヘリオスが教室に顔を出す。

 

「ラーイースちゃん!! 行こう!!」

 

 それぞれがチームトレーニングへと向かう最後の時間、静かで可愛い時間をバッサリ割って入る長身のヘリオスは誰の目にも脅威に見えた。

 平均的に小柄が多いクラスで、ライスシャワーは145センチ。

ダイタクヘリオスはウマ娘にしてもかなり大きい178センチ。

あのゴールドシップが170センチなのだからいかにデカイかが良くわかるが、彼女のようにグラマラスなボディは持たずわりとうすーい体のラインが特徴。

 唐変木という木があるのなら彼女のことを言うのだろう。

ひょろりと高い身長に短めの黒髪は鳥の巣のよう、スタイリングには全くもって無頓着で忽然と立つ1本木というイメージ。

それが突然、毎日押しかけてくる。

 大きな口で満面の笑みで誰憚ることなく教室に入ってきて、困り顔を晒すライスの手を問答無用で掴むと全速力でレースグラウンドに走る。

 冗談じゃなく、本当に全速力で、なぜか笑いながら走るダイタクヘリオスに、その過程だけで疲れきってしまうライスシャワー。

そこから始まるというチーム・アンタレスの面々の凄まじいまでのレース欲にさらなる疲労をおぼえるのだ。

 

 

 

「よーし、次の出番まで反省会だ……はあはあはあ」

 バテバテだ。

息も絶え絶えのツインターボの前に、チーム・アンタレスは集まっていた。

一応に皆ジャージの中、ライスシャワーだけは制服姿で。

「とりあえず今のはどうだった、俺の走りは……はひはひ……まず……ヘッツァ(ヘリオス)」

 タコのような軟体生物的崩れ方で地べたに座っているツインターボは、順番に意見しろと指差していく。

 レース中もピョンピョンとウサギのように跳ねてツインターボを応援していたダイタクヘリオスは元気いっぱいで褒め称える。

「はい!! 師匠!! かっこよかったですよ!! 最初のドーンって出るところとか!!」

 最後にもみくちゃにされブビー賞だというのに、突貫でスタートしたシーンしか見てない。

そういうとこしか見ていないのがヘリオスのいいところだ。

 隣のメジロパーマーも似たようなものだ。

 

「1000のタイムわぁ、58秒でよかったですょお。次の1000も58秒だっときっとよかったんですよぉ」

 

 1000までのレースがあればいいのにねぇ、みたいな言い方。

ニコニコと笑う天然顔に多くの意見を求めるのは不可能というやつだが一応褒めていると受け取り気をよくするツインターボ。

「おう、俺もそう思ってるよ。連続58秒だったら行けたなー。よしそれをプランAとしよう」

 少しずつ余裕が出てきてチャラけるツインターボに、チーム唯一のご意見番イクノディクタスは手厳しい意見を執行する。

 愛嬌良さげなまん丸目でトランジスタグラマーの鉄拳ウマ娘のイクノ、ツインターボの前に立つと人差し指を立てて。

「大事なことを1つだけ言っておきますよ」

 イクノディクタスの決まり文句、大事なことを1つの説教が始まる。

「毎回言ってますけどね、部長スタートで勝つなら最後まで勝ってくださいよ。手の振りがだんだん大雑把になる癖直してください。後ねこれはいつも言ってますけど逃げないで先頭集団で並走して溜めて最後の1000米を58秒にしたらいいんですよ。そしたら勝率上がるから」

「1つじゃねーだろそれ、オケ……、だがスタートダッシュで視界に他者を入れないのが俺の美学だから……「溜め」とかぜってーねーから……」

 グダグタなのに美学とか、当然鼻で笑う鉄の女。

「へぇーそうですか、最後にブービー賞になっちゃうのが美学なんですか部長。大した美意識ですよね、笑うわ」

 カラカラと口を開けて声のない笑顔を見せるイクノディクタスにムキになって言い逆らうツインターボ。

「くだるとかくだらないはかんけーねーのよ!! 一番で一人で前を走るのが良いの!!」

 

「走ってないじゃないですか!! 最後は一番後ろで……、あっ、わかったポツンと走るのが好きなんですよね、孤独を尊んでるなですよね、ノリでポツンと」

 

「ポツンとか言うな!! もういいイクノは黙って走りに行け。次、米っ!!」

 熾烈でくだらない言い合い炸裂するわりにかんたんに言いくるめられる。

「あの……応援が終わったので帰っていいですか?」

 米と呼ばれて応えたのはライスシャワー。

あの日自分の名前を忘れていたツインターボ、きちんと自己紹介と挨拶はしたのになぜか翌日から「米」とよばれている。

この強引なペースにライスシャワーはかなり参っていた。

「いいよ、レースの意見を言ったら。っていうか、米!! お前の声全然聞こえねーぞ!! 本当に応援してたのか? てかまだイクノが走るんだぞ!! 終わってねーぞ!!」

「していました……、大声は苦手なのです……」

 おずおずと顔を下げ、帽子の下に目を隠してしまうライスシャワーにツインターボの遠慮ない怒声の説教。

「チームの掟を守れ!! 練習するもしないも、レースに出るも出ないもウチじゃ本人次第で好きにすればいい。だがチームの誰かが走る時はメンバー全員で応援する。お前ちゃんと応援してたか? 最低限の規則ぐらい守って声あげろ!!」

「……」

 暴力的、眉をひそめ顔をそらす。

今まで自分にこんなゾンザイな接し方をした相手はいない。

大声でガサツで、人の意見なんて何も聞かないような傍若無人、意見なんて相の手入れたらどこまで怒鳴られるだろうと不安になる。

「ライスの声云々より、君の声が馬鹿でかいんだよ」

 怯えてみんなから離れるライスを守るように、トレーナーは両腕にファイルを抱えたまま前にやってきていた。

「お兄様……」

 一人だけ別世界から煩雑な渡世に追いやられたように肩身を狭くしていたライスはトレーナーの出現にホッとし駆け寄ると背中に隠れる。

少しでもここから遠ざかりたいという思いは、メンバーにも見え見えだったが本心からこの場にいたくないのだから仕方ない。

 トレーナーもこの傍若無人なメンバーを知るに至り、憚ることなく間に入ってライスを守る。

 生半で曖昧な態度ではライスシャワーを守れないことを、チームトレーナーに就任してすぐに理解したからだ。

書類を整理するな中でわかったこと、チーム・アンタレスは噂異常に驚愕のレースバカの集団ということだった。

 レースに対してしゃかりきなチームなのだ。

 だからレースに出るものに対して真摯なのだ。

 ライスシャワーほどの実力ウマ娘がチームに所属すればどこのチームでもビックタイトルへの参戦を期待し口やかましくなるのだが、ここはそういうことはない。

レースに出る出ないは自由、口出しも押しもない。ただしメンバーの中でレースに出る者がいれば一丸となって応援するという鉄則があった。

 ただの応援ならレース場に行けば良いだけなのに、ピンからキリまで、走りまくるバカ集団。

レースの出場回数が異常多いことでライスシャワーは「応援団」として引っ張り回される羽目となっていた。

 トレーナーとしてはまずこの異常のレース回数を制限し、このチームを「穏やかに」改造したいと考えていた。

 相対する形でライスシャワーを背中に、正面に口を曲げて自分を見るアンタレスの面々に指を振る。

「良いかい……君たち模擬戦にしてもレースに出すぎだよ、クールダウンもなく走り続けるなんて体をいじめているだけじゃないか。もっと筋トレに力を入れたら……」

 理性的な意見だ。

田舎のとっちゃん坊やみたいな顔、相変わらずのボロジーンズに長靴と動物園の飼育員のような格好でファイルを草むらに置くと結論を述べた。

「レースの量を減らそう、そうしないと……」

「拒否権発動!! レースを減らしたいのなら勝てるトレーニング方法を今教えろ」

「それは是非聞きたいわ。今から走ってくるから逃げずにここにいてね、意見も欲しいし応援もして!!」

 座るツインターボとトレーナーの前をジャージの上着を脱いだイクノディクタスが行く。

指導者として前に立つトレーナーの新たな提案を無視する形。

「いや、ちょっと話聞いてる? レースを控えて筋トレを……」

「よし!! 聞くから語れ!! あと米は帰っていいぞ!!」

 どっかとあぐらで座るツインターボは右手でシッシッというゼスチャー。

ライスシャワーに帰れと指示をしながら、変わってトレーナーの腕をしっかりと掴み上機嫌で呼ぶ。

「座れ、イクノのレースを応援!! そのあとしっかり話合おうぜ!!」

「いや、僕はこれからライスと……」

「おい、トレーナー。今のあんたは米の専属じゃない、チーム・アンタレスのトレーナーなんだぞ。レースもしないやつの世話はいらねーだろ」

 ドスが効くという感じではなかったが、ライスの背筋を冷やすには十分な気迫だった。

そしてライスは思い出していた、トレーナーはもう自分「専属」ではないことを

「お兄様……」

 寂しくなる。

心がさ迷いだしそうなほど足元に闇を見るように背中に擦り寄るが、ツインターボにはどうでもいいことだった。

むしろ擦り寄るライスシャワーの姿に対抗し始めていた。

強くトレーナーの手を握って引っ張って。

「さあ座れ!! 俺の隣に座れ!! 米のことは後でいいだろ座れ!!」

 躊躇ない引きにトレーナーの目は泳ぐ、助けに来たライスに助けとくれとすがりそうな勢い

「待ってくれ、……まだ君達の得意分野も知らなければ、得意とするレースも理解していないんだ。だからこそ実地のレースだけではなくて……」

 言うほどにドツボ。

だったらレースを見て行けと自慢げな顔をみせるイクノディクタスを見て言葉が途切れる。

「それに俺はライスの専属で……」

 それの墓穴だろう、先ほど言われたばかりだ。

このチームで専属でいることはできないのだから、しどろもどろになるトレーナーにツインターボはお構いなしだった。

むしろ断じて自分を優先する本能をむき出しにしていた。

 

「俺は可愛いから。米と変わらない存在と思って愛でてレースに勝つトレーニングを教えるといいぞ!! きっといいことあるぞ!!」

 

 私は俺とか言わないよ。

まっさきに突っ込みそうだったライスシャワーだが、声にはしない。

混乱でトレーナーに頑張って擦り寄るが、負けじとツインターボが腕を引きしがみついている。

「米は帰れ!! レースも応援もしない奴はいらん子だ!!」

「いらん子とか言わない!! 仲良くしろって!!」

 引っ張り合いの中心に置かれ困り果てるトレーナーにおもちゃをせがむ子供のようにぶら下がるツインターボ。

「だったら勝つためのトレーニングつけろよ!! 練習も減らしたいんだろ!! 米勝たせた時のトレーニングをここでみんなiに教えてくれよ」

「無理だ、君たちにあのトレーニングは……」

 メガネの奥で目を光らせるツインターボ、顔を合わさないように視線をそらすトレーナー。

思い出したくないトレーニングを、自分にすがるライスシャワーの顔で思い出し首をふる。

「できないよ……」

「なんだ、やっぱフロックなのか。というか……嘘なんだな」

 トレーニングを否定するトレーナーに、手を離しむくれた顔を見せるツインターボは冷めた目で睨んだ。

「なんだなんだ、専属だったなんて言ってるけど結局は米のストーカーか? まあ可愛いから仕方ないけど俺も可愛いから危なかったな。とっと、たまたま米が強かったから注目されて、米に見捨てられたら行くとこねーから付いて回ってるだけなんだな……あ・ん・た」

 随分と芝居がかった言い回しだった。

本当に芝居だったからこそねちっこい嫌味は十分に伝わっていた。

トレーナーの後ろに隠れていたライスシャワーは拳を握って前に飛び出していたのだから

「お兄様を侮辱しないで!! お兄様は立派なトレーナーさんです……立派な……」

 涙ぐんだ目、噛んだ唇、震える肩。

自分を支えてくれる人への侮辱を許さないとさらに一歩前に進む

「はっきりといいますよ、貴女の走り方に合うトレーニングなんてありません。お兄様をこまらせないでください」

「ライス!!」

 

「心配しないでお兄様、私お兄様のためならいくらでも「悪者(ヒール)」になれるから」

 

「そんなこと望んでないよ……僕はただお前に無理をして欲しくないだけなんだよ」

 ここだけ昼ドラという異質な空気の中でライスシャワーはツインターボへの壁となっていきり立っていた。

そういう態度で接しないと、この人を突き放せない。

ツインターボを敵と認識したライスシャワーは、自分に不似合いなほどの怒りをまとって前にいた。

「無駄な努力はしない方がいいです……無駄に体を痛めたら走られなくなりますから……」

 ツインターボの1つ目の勘に触る態度だった。

ライスシャワーは怒っている、貴女には努力も無駄とけなすほどに。

だがツインターボの怒りの琴線に触れたのはそこじゃない、深くかぶった帽子、伏せた目、相手に対する「憐憫」が見えたこと。

哀れまれというのは何か納得いかないものだ。

「……言ってくれるじゃねーか。それなら尚更に知りたいな勝ったトレーニングを。やっぱりあれがお前にタッチして不幸にならないとダメなのか? ああん?」

 売り言葉に買い言葉、立ち上がって意識的に斜めに構えたツインターボ。

ライスシャワーを抑えて間に入ったトレーナーは双方落ち着けのポーズとともに、あえて突き放す言葉を放った。

 しかしあえて敵対するのは失敗するものだ。

すでに「演技」と「あえて」をぶつけ合ったウマ娘2人の後でならなおさらに。

「無理だ君は今の状態でも勝ててない、勝ちが少なすぎる。勝つことよりもレースの基礎を学び直し筋トレを中心に……」

 絶対に触れてはいけないことがある。

確かにツインターボの勝ち星は新ウマの頃しかない、デビューして同期のウマ娘が暗中模索でレースの駆け引きにつまづいている頃、ただまっすぐに誰よりも早く「逃げる」ことしか考えずに来た彼女は強かった。

 いや強かったのではなく、ただ余計な考えがなくまっすぐ一番に走るだけだった。

そしてそれは今もそうだ。

現在作戦と駆け引きを持ってレースに臨む同期に勝てる見込みは少なかった。

 1年間勝ち星なし。

それを見越して勝つトレーニングは不要と言われた様なもの。

 相手を乗せるつもりが、自らの芝居で自らの魂着火してしまうツインターボ。

 顔は真っ赤、耳は天を指して立ち上がり鼻息も荒い。

 

「あったまきた!! やってやるよ!! 米!! お前と勝負だ!! 俺は絶対に勝つ!!」

 

 期せずして「ツインターボVSライスシャワー」という図はできてしまっていた。

 

 

 

 

 




結局こちらの改訂版が先に掲載される体たらく......。
気力が続かないのは暑さのせいと思いたい。


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03 七夕の王

エッエッエクスパーンス見てました、ごめんなさい。


 夏が来る。

 きっと夏が来る。

 全寮制のトレセン学園には夏休みという大きな区分けはない、7月初旬から8月末まで「自由学習期間」という文の部分を補う補習授業を中心とした期間に入る。

 夏が来るとバカンスで海外に行くものもいる。

 余暇を楽しみ、実家に帰ったりする成績優秀なウマ娘もいる。

 秋から始まる重賞レースへと目標を据え学園に残りトレーニングを積む者も多い中、トレセン学園では変な事件が起こっていた。

 空が薄く紫色の裾野を広げる早朝、トレセン学園の本校舎から離れた栗東寮の前を通る道でツインターボが行き倒れていたのだ。

 発見時間は朝5時、発見者は学園管理を任されている駿川たづな。

 地面に向かってベシャッと潰れたカエルのように倒れるツインターボの発見に悲鳴が朝を知らせる引き金となって学園に響き渡った。

 学園内でウマ娘が行き倒れているなど、なんとも不可解にして奇妙にして危険な事件と思われたものだが、結論からいくとかなり馬鹿げたものだった。

 

 

 

 この一ヶ月、ライスシャワーにとって止むことない苦痛の時間が流れていた。

 理由は言うまでもない、狂争集団チーム・アンタレスに所属してしまったことにある。

 所属理由は、かなーり緩く規則も1つしかないチームであったことからトレーナーこと「お兄様」が選んでいた。

 実際に規則は1つ、「レースに出る仲間をチーム一丸となって応援する」だけという大雑把なもだったが、この大雑把さが大きな足かせへと変貌していた。

 大雑把な規則だからこそ、どこからどこまでが応援なのか線引きが難しい。

 単純にレースの時だけと区切りをつけることはできそうだったが、もとより引っ込み思案のライスシャワーにはハッキリと「ここで」と線を引くことができなかったのだ。

 言えたとしてもこの勢いのある集団に停止をかけることなどできなかっただろう。

 頼みの綱であるトレーナーは暴走レース集団のスケジュール調整に目を回し、ライスシャワーを保護しようにも身動き取れない状態が続くうえ、会話に持ち込んでもなぜかあれこれとうまくかわされ最終的には言い負かされてしまう始末。

 真面目な2人組には手ごわすぎるアンタレスの面々に、今日もこうして引っ張り回されている。

 ダイタクヘリオスの笑顔でレッツゴーという圧力に勝てず、メジロパーマーの柔らかい合いの手に釣られ、イクノディクタスの理論的威圧に押される。

 それでもこの3人は徹頭徹尾の態度で自分の心に入ってみようとはしない、根掘り葉掘り話を聞こうとしないし感心のある部分だけで会話は成立する点はよかった。

 唯一ライスシャワーがこの中で最大の苦手を、思わず顔に出てしまいそうな相手はツインターボだけ。

 理由は簡単だ。

 朝から晩まで騒がしく、粗暴で自分をぞんざいにあつかい、粗暴で我が物顔にして顎で自分を使う彼女。

 その悪漢ぶりにして悪口スピーカーがチビのくせにえらく高くチームに君臨し無駄に高いレース参加意識と団結がここから生まれていることを理解したからだ。

 チーム・アンタレスという不安定な塊の起爆スイッチは彼女だと。

 そしてその苦手の塊は今朝もやらかしていた。

 朝やらかして授業にはでず、そのまま放課後の模擬戦に出るからチームで迎えに来いと偉そうに呼びつけていた。

 保健室に。

 問題の朝の騒動とは。

結論から行けば安眠妨害を行ったツインターボが武力鎮圧されたというもの。

 ライスシャワーとの一戦を念頭にひっそりこっそり朝練を始めたツインターボが、朝日昇る前に日の出よりも上がりきったテンションで。

「俺はやるぞ!! 絶対に米(ライスシャワー)に勝ってやる!!」と、午前4時に栗東寮の前で叫んだことが原因だった。

 キラリと光る太陽に振り上げた拳、そこを迎撃した物体。

 新製品ミ◯ノの蹄鉄付きシューズ。

 

 投げたのは栗東寮の遅刻女王ことゴールドシチー。

 

 彼女の最悪な寝起き逆鱗に触れ剛腕から放たれたシューズはツインターボの後頭部にメテオストライクをかましていた。

「今何時だと思ってるのよ!! バカウマ!!」

 結果ツインターボはその場に崩れ、たずなさんに発見されるに至る。

 

「たくよぉ、金(ゴールド)が名前につくやつはろくなやつがいねーよな」

 

 今まで昼寝を楽しんだ顔が大アクビで愚痴る。

ツインターボの前には着替えのジャージを持ったイクノディクタス。

「誰だって朝一で大声出された怒りますよ。ていうか私に謝ってくださいよ部長!! ゴールドシチーに教室まで押しかけられたんですからね」

 朝の騒乱、10時過ぎにゴールドシチーは登校するやイクノディクタスの襟首を捕まえていた。

「自分の亭主の世話ぐらいしっかり見ときなさいよ!! ボケ老人を徘徊させないで!!」

 意味不明な殺し文句を置いて去る。

「なんで部長が私の亭主なのよ。頭にくるわ、私の旦那になる人は筋骨隆々でアーノルドと名乗る男と決まっているのに」

 なんで決まっているの?

 明らかにマッチョそうな名前に頬を赤らめるイクノディクタス、そういう趣味なのと引いてしまうところでいきり立つのはツインターボ。

「おいおいおいおいおい、それはおかしい!! イクノより俺の方が圧倒的に可愛いのに旦那とかありえないだろ!! 俺が可愛い奥さんでイクノがDV夫だろ」

 真顔で言い返すツインターボのコブを素早いスイングでファイルでアタック、ハエでも叩くような勢で。

「あいダァ!!」

「そういうのもういいから早く行きますよ!! 授業サボったくせに模擬レースは走る気なのでしょう」

 痛くて飛ぶツインターボ、ニヤリと笑うイクノ。

 立派なたんこぶにバッテンの絆創膏、ギャグ漫画の人かと突っ込みたくなる様子でツインターボは立っていた。

 年季の入った夫婦漫才もこのチームでは一つの風物詩、ヘリオスもパーマーも大笑いの中一人すまして引いた位置にいるライスシャワーをツインターボは目ざとく見つける

「おい米、なんだよその嫌そうな顔は」

 ひん曲がった口は、そのまま悪い顔でか弱いライスシャワーを押すように威圧して言う。

「励ませよ!! 俺がこんなに頑張っているなだからよぉ!!」

「人様に迷惑かける人を励ますのは変です……」

 正論は小声で出たが、正義は大声行った側に味方する。

「怪我人を励ますのも応援だぞ!! お前が落ち込んでどーすんだよ!! そういう態度を見せても俺はレースを諦めないからな!! 絶対お前に勝ってやるからよ!!」

 言うやダッシュのツインターボ。

 廊下を走るツインターボに大笑いでついていくヘリオス、ヘリオスを追っかけて走るパーマー、早くいらっしゃいと手を振るイクノディクタス。

 先頭を突っ切るツインターボは息を弾ませ大音響でライスシャワーを呼ぶ。

「俺は絶対にお前に勝っ!! 今度のレースで1番なってお前をレースに引っ張り出してやるからな!! 覚悟しとけよ!!」

 レース。

 ツインターボはレースを望んでいる、ライスシャワーとの一戦を。

 その日は近づいていた。

 

 

 

「いったい……なんなんだこの荷物の量は……」

 レース会場に着いたチーム・アンタレスのトレーナーはレース会場に持ち込まれた荷物の多さに疲れきっていた。

 メンバーはすでにおらず、これを一人で運ぶのかと腰を叩く。

 今日のレースはG3七夕賞。

 学園が用意してくれるレース会場へと向かう車の中、メンバー5人と彼女たちの必需品だけならこんな窮屈な思いはしなかった。

 ワンボックスカーの後ろに積まれたボストンバックは10個。

 クーラーボックス4つ。

 アメフトで使うタックル防御用のクッションと、折りたたみ担架。

「これ……全部、運ぶのか……」

 今日のレースは大したことはない、だから余計に疲れる。

 チーム全員を乗せて大声援で応援しても、きっと彼女は勝てない。

 トレーナーは「勝負発言」からツインターボの戦績を洗いなおしていた。

 新ウマ娘の時は1着連続という好スタートを切っていたが、あっと言う間に負けへと移行する戦績が示すのは「逃げウマ娘」の典型だ。

「最初は瞬発力のある者が前に行く、だが最後は努力した者が勝つ」

 生来の走りで前を走ることだけに集中したウマ娘は、必ず失敗する。

 まれに成功する者もいるが、それは「知恵と努力」を知って前を行く者に限られる。

 レースとは自分以外の他者を含む競技であり、競技とは前に出ようとするウマ娘心を自制することによって作り出されるものだ。

 

 ツインターボは何もできていない。

 

 少なくともトレーナーはそう結論を出していた。

 ライスシャワーのようにレースに対して忍耐強い心もなければ、レースを組み立て走るという知恵もない。

だからか直接対決をすぐに認めさせなかった。

「勝ちを持ってない君とライスは釣り合わない、レースをしたければ勝利してみせてくれ」

 簡単に突き放すことができた、勝てない彼女の無駄な努力を見送ればいいとトレーナーの気持ちは落ち着いていた。

 大きく背伸び、汗をぬぐって。

「応援終わってこれ運ぶの手伝ってくれるのかな? ……でもまぁ、これでライスをレースにださなくて済むわけだし……悪くないか」

 腰にかかった巾着袋に手を伸ばす、金物がぶつかる軽い音色を響かせる。

「そうさ、ライスはもう走らない。一生懸命戦って勝つようなレースはさせない……それが大事なことだ」

 昼になり高く登った太陽、額の汗を拭いレース場を見る。

 ガラス張りの両ウイングを持つスタンド前へとカートを押して。

 

 

 

「シリウスは見に来ていないのか?」

 

 トンネルを通る冷たい風、長い通路の果てにある控え室でシンボリルドルフは腕時計を見て尋ねていた。

 今日は「シンボリ」一族ウマ娘であるアイルトンシンボリの激励に来て。

 レースは真夏のグレード3だが、暑いという現象の中でどうやって自分をコントロールするのかを学ぶにはもってこいだ。

 目の前のアイルトンはすでにハーフパンツの体操服姿でストレッチを重ねていたが、思い出したように立ち上がるとルドルフの前で少し悲しそうな顔を見せていた。

「興味がないとはっきり言われました、私は……是非見に来て欲しかったのですけれど」

 自分の試案で新人ウマ娘の顔を曇らせた。

 シンボリルドルフは自分のつり上がっていた眉を緩やかに落とし気遣いを示す。

「そうか、余計な気を使わせてしまったな。すまないレース直前だというのに」

「いいえ、会長が心配なさっていることを思えば」

「レースを見て、また走る気持ちを思い出して欲しかったのだけどな。うまくいかないものだ。アイルトンもう気にするな、気持ちを切り替えて……秋のレースに向けて良い調整をしてほしい」

 アイルトンは生真面目なウマ娘。

 明るい栗毛のストレートヘア、会長と同じく前髪に一本線を引いたような少なめの流星。

 ひし形に尖りつつもぱっちりとした瞳、真っ直ぐ目の顔が自分にレースのなんたるかを語るルドルフを見つめて。

 地方開催のレースでの控え室は少々狭く艶やかさはないが機能的だ。

 必要な備品を細かく揃えたアイルトンらしい控え室の中で、それでもルドルフの表情は浮かない様子。

 G3、秋の本線への調整を兼ねたレースに学園の会長がただの激励だけに来たのでないのはアイルトンの方が理解していた。

 顎に手を当てたまま考え込む表情のルドルフの前に立つと、姿勢も正しくはっきりと言う。

「調整とはいえ決して負けはしません、正直に言います。手を抜きません」

「当然だ」

 考えを見抜かれ、これからレースのアイルとに気を遣わせたこと。

 自分に厳しく反省も含めた声色ははっきりと答える

「アイルトン。決して気をぬくな、調整試合という場においても常に「勝つ」ことを目指し実践して見せろ」

「はい!!」

 リギル顔負けの号令。

 アイルトンの甲高い声は、ウマ道に響きツインターボたちにも聞こえていた。

 

 

 

「もうめっちゃどんとこいですよ!! 師匠!! がんばぁぁぁ!!」

 ヘリオスの意味不明な応援が大音響でレース場に響き渡る。

たくさんの人がいる中でも目立つ集団、ライスシャワーはできるだけ小さく身を隠すようにしている。

「恥ずかしいよ……」帽子の上に飛び出した耳がペシャント潰れてしまうほどに。

 レース前にこんなにうるさい環境にいたことがないので尚更にだ。

 ヘリオスの隣では真っ赤なポンポンを持ってフレフレしているメジロパーマー。

「あたしちゃんがついてますよぉ!! 遠慮なくドーンと来て来てぇ!!」

 方やホッケパッドのようなフル装備のウマ娘、方やチアガール顔負けポンポンを振り回し踊り狂うウマ娘、異色の応援が続く。

「ライスちゃんもぉ、持って持ってぇ、昨日作ったのぉ」

 スタートダッシュは苦手だが、克服して思い切り逃げ出したい。いよいよ肩身の狭いライスシャワー。

「あの……しっかりツインターボさんのレースを見たいので……」

 もっともらしく断るので精一杯という雑音集団チーム・アンタレスは最終コーナーからストレート、ゴール板を越したところに陣取り大荷物と共に応援観戦に入っていた。

 

 

 

「ひとつ……聞いていいかな? この荷物は何に使うつもりだったの?」

 全ての荷を運び込んでトレーナーにお茶を運ぶライスシャワー。

 来た時は制服だったのに、今はトレーニングウェアーに着替えているイクノディクタスたち。

 熱波を通る風は少しずつ気温を低くしたターフを見ながらダイタクヘリオスは答えた。

「ゴール切っても師匠は絶対に止まれなから!! これでキャッチしに行くの!!」

 取り出したのはボクシングでパンチを受ける大型ミット。

というかキックを受ける方のミットもありだ。

 さらに顔をガードするプロテクトメット。

「なんていうか見た目が……物々しいんだけど」

 レース場なのに格闘技でもやるような装備。

 ライスも迷惑そうな顔で仲間と思われないように目をそらしている。

「これわぁ、部長がゴールしたら助けに行くものなのぉ」

「いや聞いたけどなんで? 自分で止まれないわけじゃないでしょ」

 メジロパーマーのゆるーい声に、意味不明と首を振るトレーナーにイクノディクタスは楽しげに言い放った。

 

「止まれないのよ、「逃げウマ娘」の部長が本気で逃げるのよ。それこそ今日はゴールと同時に気を失うぐらい本気でね。転んだら大変なことになるでしょう」

 

 本気。

 トレーナーは大げさと目をそらした。

 ツインターボはいつも「本気で走っている」を公言しているが、いつも負けている。

 自身が失神するほどの本気など、もはやスポーツじゃない、理性のないただの「走り」に過ぎないと心で思う。

「確かに転んだら大変だしね、で、それで受け止めに行くの?」

「そうよ、部長の最高速は75キロよ、そのまますっころんだら骨バラバラになっちゃうから。まあ私には必要ないけど「逃げ」を基本とするウマ娘には「転び方」ってのも習得しているやつも多いけどね、まーわかっていても今日はダメだろうな、とりあえずキャッチは必須よ」

 余裕なのか愉快犯なのかイクノの笑み。

 トレーナーはできる限り冷静に受け答える。

「最後まで75キロを保てることはないだろ、せいぜい60キロ……ああでも助けはいるかもね」

「だよ!! だから担架もアイスも色々いいっぱいあるんだよ!!」

 すっかりフル装備のヘリオス。

 暑苦しい中を暑苦しいかっこうのメンバー。

 変な集団の中でトレーナーは早くレースが終わることを願い呆れ顔を隠すようにしていたが、ライスシャワーは真逆の緊張を身にまとい始めていた。

 他人のレースなのに、緊張。

 小さな手が胸を押さえる。

 目の前に広がるレース場、並びに見える満員御礼の観客席、音高くなるファンファーレ。

 ジリジリと迫る時を何度も自分も経験した、少しずつ飛び出しそうな心臓を抑えレースの中心へと自分を落とし込む作業が心の中に蘇りハッとする。

「私は興奮している? ……レースの空気……なんかピリピリする……」

 だれにも知られないように、高まる鼓動を抑え伏せた帽子の下からゲート見つめていた。

 

 

 

 

「怖い……良い感じに怖い」

 

 ツインターボはゲートに入った閉塞感でめまいを起こしていた。

 いつもかけている丸メガネではなく、レースの時だけ着用するゴーグルの中で涙が溢れる。

 チビな自分、自分より一回り大きいウマ娘たちの中を走る緊張。

 バ群の中でやたら体をぶつけ出られない石壁の間を走るような「痛い」レースは絶対にしたくない。

 痛くてもう走りたくなくなるぐらいなら一番に飛び出す、恐怖という闇は吹き飛ばすために。

 ゲートに入ってからの短い時間が永遠に感じる問答の時になる。

 上がり下がりする息、隣のウマ娘の願掛けが聴こえてくる、呪文のように呪いのように。

 鼻先がツンとなるが、気を押さえるようにフツフツと熱を溜め込む。

「鼻血もいやだ……走らないのも嫌だ。怖い……でも気持ちいい……だからいっちばーん先を行く!! まだ勝てる!! 走る前から負けられない!!」

 少しずつ沈黙の世界から目を開け、雑音の応援が耳に入る現世へ。

「いいぞいいぞ、やる気出てきた。今日はぶっちぎる、プランAだ」

 G3、11レース、晴天の15時40分。

 迷いのない心と体は一致した深呼吸で魂のエンジンに着火しスタートを切っていた。

 

 

 

 短く切りそろえられた芝は緑一面。

 遠くから見るそれは塗ったように統一されたカラーの中を出走ウマ娘16人が飛び出していた。

 スタートからすぐにスタンドストレートだ。

 大歓声は走り出したウマ娘たちに大きな波となって届けられる。が、その声援を押し返すような絶叫でツインターボは走っていた

「うぉんりゃぁぁぁあああああ!!!」

 馴染み絶叫客は喜び拳を上げて熱くなる。

 実況もまた声を弾ませる。

「まず矢張り、ツインターボが行きました!!」

 いつもどおり。

 いつものレースと変わらぬ爆速リード。

アイルトンシンボリは2コーナーに入るところで中段より前を走る。

「早い……でも早すぎる、彼女のペースタイムがこの先の基準タイムになる、そこから仕掛けても十分いける」

 周りをどうどうするウマ娘たちもそう構えている。

 ウマ娘群は短い距離の中でも力の駆け引きを考え、3コーナーから勝負をほぼ全てのウマ娘が決め込んでいた。

 前方を行く者。

 明らかにハイペースのツインターボ、その早さで最後までは絶対に保たないと読んでいた。

 2コーナーから向こう正面に入る時、隊列は形成され始めていた。

「先手を取ったのはツインターボです、ターボエンジン全開で逃げまくりです」

 レース実況もよく聞こえるが何より爆速リードが広がる程に客がノリノリである

「ツインターボ!! 今日こそがんばれ!!」

「ツインターボ!! 頑張って!!」

 どこまで本気かわからない声援だが、走る彼女のスカだが加速していれば誰もの心が踊るというもの

「1000メートルのタイムは57秒!!」

 相変わらず聞こえるツインターボの気合。

 いつもなら1000で息切れする絶叫が今日のそれはかなり長い。

「頑張るな、今日のツインターボは絶好調じゃない?」

「絶好調で逆噴射か?」

 笑いも漏れるスタンドの中、危機を最初に察知したのはシンボリルドルフだった。

「これは……届かない?」

 レース場を上から見るからこそわかるものがある、だがレース勘が優れているウマ娘ならばすでに気がついていてもおかしくない。

 ツインターボの足色がまったく衰えていないことを。

「……いつもならこのあたりで14秒に……」

 1000を超え次の200メートルそして次の200。

「落ちてない、タイムが落ちてないんだな……」

 ルドルフは時計を見ているわけじゃないレース勘が教えるものに従って、走るツインターボを計り驚いていた。

 

「……アイルトン!! 間に合わないぞ!!」

 

 3コーナー、同じく危機を察知したダイワジェームスが大きく踏み込み前に出た。

 2番手集団はいつもなら捕まえられる相手の尻尾にめまいを起こしていた。

焦っていたのだ、1000を超えてなお差をつける相手に近づこうと全体が自分たちのペースを崩していた。

 自分のペースを失い、さらに最終コーナーで雪崩れ打つようにスピードを上げるが。

「うぉっりゃぁあぁあぁあぁぁぁぁぁ!!!」

 残り400を切った時、600前で途切れた気合の怒号は再びレース場に響き渡っていた。

「ここからリスタート!! 1000メートル2本目いくぜ!!」

 1000メートル2セットだと思えば、パーマーのあのアドバイスを鵜呑みにした先行逃げ切りは当たっていた。

「2000じゃなくってぇ、1000をヨーイどん!! でまた1000をヨーイどん!! 58秒58秒ですよぉ、合わせて2分切って大勝利ぃ!!」

 子供理論のAプランだが、後攻たちの手にはもう届かない。

 アイルトンは必死だった。

 いつもなら出ない声が、叫びが出てしまう。

「うわぁぁぁぁ!!!」

 隣のジェームスも顎を上げる息苦しさで自らに鞭打つが、届かない。

 サーキットストレートに熱狂は復活していた。

 夏の暑さではなく手に汗握る展開に、全ての観客が拳を上げて。

 

 

「吠えろツインターボ!! 全開だ、ターボエンジン逃げ切った!!」

 

 

 

 2年ぶりの重賞制覇、大歓声のレース場。

 くす玉を割ったような紙吹雪が咲き乱れ、ゴールを突っ切ってなお止まらなかった体はヘリオスとパーマーに抱きとめられ、ツインターボはガクガクになった足のまま振り絞った力で手を挙げた。

「どんなもんだ!! 勝ってやったぜ!!」

 1度は止められた足が歓喜に飛び、ヘリオスの腕から放たれたウイニングランはないはずのコースを走っていく。

 勝利に浮かれた声が走って、走って走ってトレーナーとイクノ、そしてライスシャワーの待つ場所へと飛んできた。

 ずいと前に出した親指、満面の笑みで

「どうだ!! 勝ったぞ!! 勝ってやったぞ!! 次はお前と勝負だぞ!!」

 ライスシャワーは驚いていた。

 驚いていたが、騒ぎの塊ツインターボりの前から逃げようとはしなかった。

 自身が立ち上がってレースに熱狂していたことに気がついたのだ。

「あっ……私……」

 

「ああ、お前だ!! 米、次のレースで俺と激突だ!!」

 

 レースを、望んでる心が躍ってしまう。

 突き出された手に、手を合わせてしまう衝動が……途切れた。

 とてつもない絶叫で。

 

 

 

 「ピギャァアアァアアァァァァアァん!!!!」

 

 大絶叫だった、後を走ってきたダイタクヘリオスやメジロパーマー、面前に立ったライスシャワーは目を閉じ両手で耳を抑える大音響。

「なんなのよ!!!」

 イクノディクタスの声がツインターボを制止させようとしているが、後に続くの立てていたビーチパラソルが倒れたりファイルが吹っ飛び舞い散る図。

「ぎゃああああ!!! エリィアンやぁぁぁん!!! くるなくるなくるなぁぁぁぁ!! このしんにゃくちゃ!!」

「黙って部長!! 落ち着いてよ!! まだみんな見てるのよ!!」

 語尾が崩れてなにを叫んでいるのかわからないツインターボ、止めようと必死になるイクノディクタス。

 一方で観客席にはドッと笑いが溢れ出る。

 パニックを起こしているツインターボを見る目が優しいのだ。

 隣で耳をペシャンとしながらも意味不明な会話が続くヘリオスとパーマー。

「エリィアンってなに? こんにゃくの親戚?」

「エイリアンのことだよぉ、日本のこんにゃくは群馬産が80%だよぉ」

 両方ボケで突っ込み不在、目の前では動く騒音公害が絶叫継続中だ。

「ヘッヘッヘッヘッヘへっへっへっつぁん!!! 虫ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 叫び声の原因がツインターボの顔の前を飛ぶ、ひん曲がった口は目を回した顔が必死に助けを呼ぶが、目の前で目が点になっているライスシャワーを見て震えたままなんとか飛び上がらずにその場に留まる。

「あっあっあっぁっのなぁぁぁ、別に怖いわけじゃないんだからな!! 怖くないんだからな!! ただ……ただ……」

 半泣きのツインターボ、ライスシャワーは2人の間を飛ぶ蝶々にポカンと惚けていた。

「……蝶々ですよ……」

 ライスシャワーの指に止まった黒い蝶、斜陽の陽に照らされた影に鱗粉が星空のような輝きを見せる蝶は、とても美しい。

ライスシャワーの手の中を舞う蝶を前に、一人だけ局地地震の本震直撃を食らったように震えゴーグル下部に涙がたまってしまったツインターボは言い放った。

 

「うぉぉぉん……虫ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ……、だからな、よく聞けよ怖くないんだぞ!! 嫌いなだけだぁぁぁぁぁい!!!」

 

 彗星の如く、泣きながら走っていくツインターボ。

 あっけにとられたままライスシャワーは、今まで粗暴の塊と決め込んでいた存在のなんとも可愛らしい部分に思わず吹き出してしまっていた。

「蝶々は怖くないですよ……」

 手の中を泳ぎ人差し指に止まった綺麗に、今日まで困り顔しか見せていなかったライスシャワーに笑みが漏れた。

 すでにはるか遠くを走っているツインターボをダイタクヘリオスとメジロパーマーが追いかけている。

 目の前の惨事に色々と備品がぶっ飛んだ場から顔を上げたイクノディクタス。

「……よかったわね、部長の弱点は虫よ。昔大口開けて走っていたら飛び込まれたらしくってね、それ以来ダメなのよ」

 遠い目ではるか彼方のツインターボを探す。

「うーん今日は走ってるわね。いいんだけどウイニングライブどうするのかしら、立ってられないんじゃないの」

 心配するような発言の中にも笑いが入ってしまう結末。

 ライスシャワーは何か刺さっていた棘がポロリと落ちたような気分だった。

 自分を頭ごなしに怒鳴りつける粗暴な彼女のかわいい部分を見て、ツインターボが自分と変わらない存在ではないのかと少しだけ思ってしまっていた。

 ツインターボはいつも壁のような存在で話すに硬く、触れるに痛く、ぶつかりたくも会話もしたくない存在だったのに、こんにゃくのように壁は崩れ涙目で自分にレースを挑む顔に、ほんのりとした闘志がここの中に浮かんだ。

「私……あの人をどうやって刺したら勝てるのかな……どうしようかな……」

 手のひらの蝶に聞く小声に、心踊るレースだったことをもう隠せない。

 小さな彼女の大激戦が、かつてレースを楽しんだ自分と重なっていく。

 競う楽しみを帯び弾みの籠った小さな声だったが、トレーナーは聞き逃していなかった。

 顔を上げ歓声飛び交う会場を見つめるライスの視線を引っ張り戻していた。

 まるで突風に手を引かれるような強さで、レースの全てを楽しむ瞳を自分の側へと向き直させていた。

 

「ライス!! 何も考えるな……走ろうなんて思わないでくれ!!」

 

 歓声の中に重く差し込む悲痛。

 イクノディクタスはトレーナーとライスシャワーのチグハグな姿をしっかりと見ていた。

 そしてそのおかしな風景をさらに遠景として見ていたウマ娘がいた。

「おバカさんみーつけた」

 前髪を飾る菱流星、長い黒髪は冷めた視線はツインターボではなくライスシャワーを見つめていた。

 

 

 

 この日、ツインターボは全力を尽くし使い切ってウイニングライブに出た。

パペット人形のように、ヘリオスとパーマー補助されながら歌って踊る彼女の姿に観衆は泣いて笑って楽しんだ。

 

 

 

 




ハクサンムーンがバレリーナ志望だったとしても、イスラボニータが見切れ職人としてオグリとデスマッチをしていても、フェノーメノがガングロコギャル(死語)だったとしても、ジャガーメイルがペコちゃんの親戚だったとしても面白いから許す。


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04 三千世界の夢と夢

掟は破られるためにある。
某所が進まずこっちが進むのもそのせいだ。



「ライスは……やっぱり走りたい」

 

 昼下がりのデッキテラス、食堂を中心に中庭に向かって開かれたドアからつながる小さな特等席で人参スムースを前にライスシャワーは1人あれこれと考えていた。

 夏はまだ尻尾を残している暑さの中で、思い出されるのはあのレースのことばかりだ。

 春以来心をときめかせることは何もなかった。

 意識的に何にも触れないようにしてきたライスシャワーにとって、天敵とも言える

存在はレースの中で真っ赤に燃えていた。

 ざるの中で干上がっていたレースへの欲求に大量の握った汗を零した。

 目の前に立った勝者の「こっちに来い」という呼びかけに足の震えが止まらなかった。

「あの人……とっても心が強い、羨ましい、……羨ましいな」

 ツインターボを名前で呼んだことはない、親しくもない。いつも「あの人」呼びする程度の友とも仲間とも違う距離感を持った天敵に魅せられた心。

「俺が勝ったら、俺とお前で勝負だ!!」

 荒い息、汗と笑顔でず一と出された親指に、思わず約束と触れてしまいそうになったのを思い出すだけで胸が高鳴る。

 勝負。

 ツインターボは宣言した通りに勝ったことで、勝負は現実のものとなっていた。

 自分の意思とは関係なくだが、今は結果的にレース復帰へと向かうことを少しの喜びと感じている。

「けっこう無茶な約束だったけど……ライスにはないやり方だったけど……」

 そもそもは「勝てるトレーニング」を教えろという質問から始まっていた。

 教えるためには「勝ち」をもってこいと大きくでたトレーナーだったが、まさかの大金星を本当に取ってきたツインターボ。

 そこで教えを開示すれば終わりだったのだが、渋ったトレーナーのせいでライスシャワーVSツインターボの勝負は否応なく成立してしまった。

 トレーナーは認めなかった。

 認めなかったが、ごたごたになるのをライスシャワーが恐れた。

 チームトレーナーであるお兄様に選手との間の口論が広まれば悪評は拭えない。

 トレセン学園に来るウマ娘としてレースを希望している者を押さえ込むなどあるまじき事。

 トレーナーを気遣って前に出た、周りにはそう見えていたのかもしれないが、当の本人であるライスシャワー的には願った叶ったりでもあった。

 内に秘めたレースへの渇望を、発露の先を見出した。

 ただ1つ気になることを置いて。

 グラスに張り付く滴が1つ2つと落ちるのを指が追う、少し怖い顔をしていたお兄様。

「お兄様は……きっと怪我を心配してるのよね」

 春以来足に少しの怪我をした。

 大事をとって半年先までのレース日程をキャンセルしていたが今調子は悪くない。

 

「レースのことなんか考えないでくれ」

 

 心に引っかかっるトレーナーの言葉と、あの時見えた悲痛な顔。

「心配しないでお兄様、ライスは絶対に勝ちますから」

 お兄様は優しいから、心配も人一倍なのだと言い聞かせる。

 いつでも自分のことを本気で考えてくれる、どこにいても変わらずいつ何時でも。

 春天以降肉体的も精神的にも参っていた自分を助けてくれた。

 1番引っかかっていることといえばそれしかない。

 レースへ向かう心、メンタルの方を心配しているのだと、そう思う。

 目指す重賞やライバルに合わせて厳しいトレーニングメニューを課すこともあるけれど、体調管理には人一倍気を使って事細かな指示に世話を焼いてくれる。

「大丈夫だよお兄様……だって心かフワフワしているのだもん」

 言われるがままの休養には色々な思いがあった。

「黒い刺客」と呼ばれ、ブルボンとマックイーンを立て続けに刺した。

 期待された者達を倒したことで得られたのは罵倒だった。

 勝つこと、トゥインクル・シリーズを目指すことが第一の目標で避けて通らず真っ向勝負をしたのに、観客の誰にも理解されなかった。

 耳に届く罵声のせいで、体の芯がよろけまっすぐ歩けない、心が折れてしまったのをお兄様はお見通しだった。

「少し休もう……ライス、無理に走らなくていい」

 どうにもならない不安を抱えていた心を察してくれた。

 有力チームの看板ウマ娘を倒したことで、元々所属していたチームに居辛くなった。

 おかしなものだった。

 勝ったのに居場所がない、もちろんチームのウマ娘達は非難の矢面に立たされたライスを気遣ってくれていたが、それが重荷になった。

「他に移ろう、少しチームを離れてリフレッシュしよう」

 お兄様だけは、自分のことをわかってくれる。

 だから反対されたのは気がかりだったが、ツインターボのレースを見て消えかかっていた夢への火は確実に再燃していた

「心配させない、お兄様のためにもライスは走る」

 お兄様は名トレーナー。

 自分がいつまでもレースに出ないでは、学園でトレーナーとしての地位を危ぶまれる。

「……あの人は早い、すごく早い、出だしで離されたら追いつけない。どうやってマークするか、どこで距離を保つのか……」

 テーブルの上、汗をかいたグラスが残す水たまりをストローで引く。

 コースの向こう正面。

 1000メートルを57秒で走るツインターボ、あの足に最初から付いて行くのは無理だ。

 スタートダッシュが不得意な自分では距離を取り、詰めていく方法しかないが、どこを最後に決めるかで勝敗はすぐに出る。

「1400、その時何バ身なら刺せるのかな」

 ライスシャワーの心は久しぶりに逸っていた。

 それほどにあのレースは心を震わせていた。

 あの時、ブルボンやマックイーンを刺したあの一瞬。

 自分を支配していた勝利が湧き上がるように心を熱くしていた。

 

 

 

 遮光カーテンを引き夏の暑い日差しを最小限にしてグラウンドを見渡せるようにしてある生徒会室はさすがにエアコン入りで涼しい。

 ローテーブルに人参ティーを用意したエアグルーヴはプレジデントデスクの向こうで椅子のまま外を眺めているシンボリルドルフに聞いた。

「結果オーライ、そういう感じですか?」

「……そうだな、一陽来復ってことになるのかな」

 七夕賞。

 一門のホープ、アイルトンシンボリの激励。その陰にあった問題は実に悩ましいものだった。

 ライスシャワーを走らせるために、それを任せたツインターボの疾走。

 身内の激励を前に心配事の山で立ち止まりそうになったルドルフは苦笑いを見せるしかない。

「アイルトンには良い経験になっただろう。昨今は本物の「逃げウマ娘」と勝負できる事自体が少ない。サイレンススズカのような変幻自在にして最速の逃げ足を持つ者とレースをできる機会はさらに少ない。「逃げウマ娘」との勝負、レースどう見極めるかを学ぶ機会になったと考えれば、ツインターボはよくやってくれたとしか言いようがない」

 考えようによっては八方を丸く収めた勝利だ。

 宣言通り勝利したツインターボ。

 その勝利には色々な副賞がついていた。

 1つはアイルトンシンボリへの教訓となったが、最大の厚労はライスシャワーをレースの舞台に引っ張り上げた事だ。

 出走から離れ動向不明だったライスシャワーに「勝負」を仕掛けレースへと復帰させる道筋を作った。

 かなりの荒技だった。

 実際重賞勝ちを2年も離れ「逃げウマ娘」といえども年次でガス欠を日増しさせていたツインターボには無理ではないかという不安があった中で、宣言通りの金星を挙げたのは感心せざる得ない。

「彼女は強かった、本番のプレッシャで身体コンディションをベストに出来るタイプなのだろうな。ああいう瞬発的な強さを私も身に付けたいものだよ」

 多少複雑な心境を抱えても、良かったと落ち着くのが一番だ。

 ルドルフは椅子をくるりと回し立ち上がった。

「これでライスシャワーはツインターボとレースをする事になった、一歩前進だ。問題は私の方がまったく進んでいない事だな」

 

「シリウスさんの事ですか?」

 

 エアグルーヴはよくできた秘書のようだ。

 ローテーブルに移動し腰掛けたルドルフの前に、スッと音も立てずにティーカップを置き自分も腰掛ける。

 目の前にはこの春転入となった「シリウスシンボリ」の資料がある。

 シンボリ一門の中でもダービーをとった名ウマ娘の彼女は長かった海外遠征から今年日本に戻ったばかりだった。

「海外に行きレースをするというのは心身に少なくない負担をかける、もちろん疲れもあるだろうと考えていたが……」

「疲れとは違う何かですか?」

 何か違う。

 生徒会長として座すプレジデントデスクの上、飾られたフォトスタンドには色々な写真がある。

 どこか目の離せない可愛い存在のトウカイテイオー、アイルトンシンボリの入学写真。

 シンボリ一門で撮った記念写真。

 そして前髪に菱の流星を持った黒髪の妹分。

 整った細い指先がまだあどけない笑顔を見せていた彼女の写真に触れる。

 あの頃は自分の周りを付いて回った可愛い妹分に目を細める。

 帰国は今年の頭だった。

 WDTを見られるように帰るよ。

 手紙にはそう書いてあったのに転入以来学園に通ってもルドルフのもとに姿を現わすことはなかった。

 むしろ出会いを避けるように、すれ違っても見ても見ぬふりをするような、会話もままならない日々を送り、レースへの参加も一度もなかった。

 物言わぬシリウス。

 なぜ、という疑問。

 何が可愛がっていた妹分を変えてしまったのかというため息。

「何か、何かだな、もっと話をしてくれたら良いのにな……どうして何も語ってくれないのかな、シリウス」

 珍しく寂しそうなシンボリルドルフの目。

 エアグルーヴは不透明な事案に口を挟もうとはしなかった。

 シンボリ一族で自分になつき可愛がっていた彼女シリウスシンボリは今、会長であるルドルフに憂いを与え、そして今まさに問題を起こそうとしていた。

 笑わない目で薄く口元を綻ばせて。

 

 

 

「やあ、初めましてライスシャワー。私はシリウスシンボリって言うんだ」

 レースの組み立てに没頭していたライスの前に、ストレートの黒髪をなびかせた彼女は立っていた。

片手にアイスコーヒーを持って。

 トレセン学園の制服、同じ学園に通う生徒だが見知らぬウマ娘だった。

だけど自分の名前を知っている彼女におどおどしながら頷いた。

「あの……ライスに何かご用でしょうか?」

「用はないよ、ただ1つ君にアドバイスをしたくてね」

 気さくで弾みのある声の主は会長シンボリルドルフに似た顔立ちをしていた。

 シンボリを冠する名からウマ娘名家一族とだけはわかるが、見た事のない人だった。

もともと他のウマ娘への興味は薄く、自分から声をかける事も稀なライスシャワーにとってこの来訪者は不気味だった。

 直感が告げる何かに引いた感じを見せるライスシャワーだが、シリウスの紫の瞳は挨拶するや断ることなく目の前の椅子に座っていた。

「……用はなくてアドバイス……ですか?」

 快活な相手に対して不自然なへほどの不安が声を重くする。

 そもそも開口一発目の会話のネタがアドバイスだなんて、何か変だ。

 勘ぐるライスシャワーの目の前で、シリウスは薄い陽気のまま口を割る。

「そんなに警戒しないで、君の事を思ってのアドバイスなのだから。レースのことで悩んでいるでしょう、大事なことだよね。だからね、この先君がこの学園で生きて行くためのアドバイスをしようと思ってね」

 レースの組み立てで熱くなっていた心に冷水をかける言葉だった。

 首を右に深く傾げたシリウスは、変わらぬ笑みのままライスへと顔を近づけていた。

「君さ、なんで春天勝ったりしたの? で、また勝とうなんて考えているでしょう。それがこの学園の秩序ある「夢」を破壊していることに気がついていないの?」

 声に棘。

 甘ったるい幼さの残るトーンの中に、赤い血が滴るような不快な熱。

「秩序ある夢ってなんですか」

 目を見られない。

 シリウスは微動もせず、瞬きもしないまま自分を見ているのがわかる。

 空虚で光のない紫の目が怖い。

「夢だよ、ミホノブルボンの三冠ウマ娘。メジロマックイーンの偉大なる三連覇。この夢の大きさわかる? 君自身の勝利で得た無秩序な夢より遥かに大きな夢を壊したでしょう」

 顔を上げたライスの周りは闇だった。

 勝利の向こう側にあったのは霧散した夢に対する落胆と、大きな夢を消し去った者への罵声。

 スタンド席が恐怖の津波のように見えたあの日のことが、フラッシュバックして心臓が胸を足早くノックする。

 大上段から振られた「祈願・三冠ウマ娘」の旗、大声援でブルボンの名を叫んだ観客たち。

 メジロ家総動員でスタンドを埋めた応援席、メジロの旗はそこかしこに大波小波と揺れマックイーン勝利を祈願しファンファーレに合わせて手を打った客の顔が鮮明に思い浮かぶ。

 

「あの人たちの……あんな大勢の人たちの夢を私が壊した……」

 

「そう壊しちゃダメな夢を壊し、関わる全ての人たちを不幸にした」

 

 両手で胸を押さえうつむきそうなライスをシリウスは笑顔で見つめている。

 むしろ覗き込もうとして右手で頬を触り顔を上げさせる。

「すべての観客が夢見たものを「刺す」のが君の夢? それじゃ誰も救われないんだよね。実際君も救われていない。私はねそういう辛い思いをこの先を生きて行く君にして欲しくないと思っているの、だからアドバイスに来たんだよ」

 口調は変わらず柔らかく優しいのに、真綿で首を絞められる息苦しさで声が詰まる。

「…………なんですか?」

「簡単なことさ、大きな夢の伴うレースでは負けたらいいんだよ。期待される名ウマ娘たちの夢を叶えてあげるんだ。それが圧倒的多数の望む夢なんだから。誰も不幸にならない大きな夢が成就されれば全て丸く収まるんだよ。君の孤独で耐え忍ぶ勝利なんて観客のだれも幸せにしないからね。それよりね「いい勝負をするウマ娘」の方が評価されるよギリギリで勝ちを譲って「良き二番手」になれば君は「良いライバル」として褒め称えられ傷つけられることのない最良の道を歩けるよ」

 

 負ければよかった。

 

 そんなことはレース直後に何度となく言われていた。

 だけど「負ければ何がよかったのか」を示されたのは初めてのことだった。

 涙がこぼれた。

 みんな夢見ていた、彼女たちが勝って栄光に包まれることを。

 それが幸せだった。

 ほんの少し力を抜いて、最後の最後で勝ちを譲れば自分は「激戦のライバル」としていられたかもしれない。

 目を回しそうな中、言葉を止めないシリウス。

「何事も分相応って大事だよ。これが守られることで学園の秩序も保たれる。ああだからといって悲観しないで私が君と走る時は負けてあげるから。シンボリの名を負かす君はダメウマ娘とは言われない。君の名誉を守ってあげる。私の負債によって君は幸せになる、いやみんな幸せになれる」

 正しいの、それが正しいの。

 突き落とされた過去、どうしても拭えない不安。

 不安は不満にもなる。

 どうして負けないといけないの、勝っちゃダメなのという苦しみが喉を詰める。

 何も言えないライスシャワーに、とどめを刺すようにシリウスは続けた。

 

「圧倒的多数が望む夢が叶えば、たくさんの人が幸せになれる。きっとブルボンもマックイーンも負けて欲しいと願っていたのだから」

 

 言いたいことは言った。

 満足げなシリウス、うつむき返す言葉もないライス。

 二人の間にある冷えた空気に熱気が入ったのは必然だった。

「わざと負けるなんてダメだよ!! 頑張って走らないとルビーちゃん怒るよ!!」

 ヌボッと顔だけ突っ込んで2人の間を割ったのはダイタクヘリオスだった。

 両手にアイスを持って立ったまま、腰だけ折って2人の顔を交互に見る。

 ぷっくりと頬を膨らまし、負けるのダメ絶対とブンブン首を振って。

「一生懸命走るから!! ルビーちゃんが「好き好きっ」て追っかけてくれるんだから!!」

「誰が好きなんていいますか!! バカヘリオス!!」

 食堂に響き渡るヒステリックな声。

 黒髪をアップにセット、ゴールドシップがしているような頭絡をしたダイイチルビーは立ち上がっていた。

「あなたを追いかけてるわけではなくってよ、あなたが私の前を走るからそうなってしまっているのでしょう!!」

 顔真っ赤、耳を天を衝くほどピンっと立てテーブルを叩いての抗議。

 鬼の剣幕のルビーにヘリオスに笑顔咲く。

 自分が重大案件に断りもなく首を突っ込んだことなんか瞬時にお脳から消えている。

「ルビーちゃん!! ルビーちゃん!! アイス食べよぉよぉ!!」

「私の話聞いてるの!! ちょっとこっちこないでよ!!」

 まったく人のを聞かないヘリオスは、焦がれる想いウマ娘の姿に、飛ぶように駆けて行く。

 まさに一瞬の嵐。

 呆然と顔を上げながらもなんとか涙を堪えたライスと、珍入者の素早さに対応皆無のシリウス。「はあ、バカな子はいいね、考えなくていいから」

 通り過ぎた嵐にシリウスが肩をすくめた時、彼女を叱ったのは別の嵐だった。

 目の前に立つクールビューティーは拳を握りしめ、唇を噛んで目の前に立っていた。

「黙っておこうかと思いましたけど耳に入ってしまいましたので……言わせていただきますわ。わたくしは、わざと負けて欲しいなど絶対に願いませんよ!!」

「……マックイーンさん……」

 目の前の存在に萎縮する、3連覇をかけ自分の前を走ったウマ娘。

 彼女を刺したという達成感が、今は恐怖でしかなくなっていた。

「ごっ……ごめんなさい、ライスは貴女の夢を壊して、貴女を応援する人たちの夢を壊した……だから……不幸にならないと」

「謝らないでくださいませ!! 私はちゃんとベストを尽くしましたわ!! 貴女もそうだったでしょう!! だから……」

 頭を下げ目を伏せる、反論などできないイライスシャワー。

 一方でシリウスは顔を上げ、自分の意見に声を上げたマックイーンに向かって立ち上がっていた。

「ふーん、あれがベスト、そうなの? だったら君は勝利に執着していなかったということになるね」

「どういう意味ですの?」

 立てば小柄なマックイーンより背丈のあるスレンダーなシリウス。

「当然のことだけどね、レースは勝者しか記録されないんだよ。何戦何勝、何戦2位なんてかかれないでしょう。だから1位を目指す、それ以外に価値のない世界だからどんな手段を使っても勝つことに意味がある。だからどうしたっても勝ちたかったでしょう、相手に負けてほしいと願うほどの気迫はなかったの? メジロマックイーン、勝利こそがメジロの大願。違ったの?」

 上からの威圧はマックイーンに文句を言わさなかった。

 そしてこの異常事態に周りのウマ娘たちも顔色を悪くし始めていた。

 レースを語るシリウスの言葉は心に刺さるのだ。

 ライスシャワーが何も言えなくなるように、マックイーンも立ったまま悔しそうに唇を噛む。

「いい加減にしないか、シリウス」

「そうよレースを貶めるような考えを自慢してどうするのよ」

 楽しい午後のひととき、たわいない会話を弾ませていたウマ娘たちの空間は凍りつき、異常事態が伝播し始めていた。

 これを黙って過ごせない者たちもいる。

 隣に座っていたレジェンドテイオーとダイナアクトレスがこれ以上の暴言は許さないと立ち上がるとシリウスとライスシャワー、マックイーンの間を割って立った。

 諌めの申言にシリウスの口は悪く斜めに引かれ、変わらない弾む声は不敵に告げていた。

「はっ……いやですね、国内で可愛いお遊戯をしていた子たちは。まったく頭にきますよ」

 丁寧な、とても丁寧で静かな宣戦布告だった。

 

 

 

「で……トーセンジョーダン、なんでゴールドシップと乱闘していたんだ」

 夕刻近づく生徒会室、トーセンジョーダンは汚れた顔を手鏡を見ながら懸命に拭いていた。

エアグルーヴは会長不在の中で昼間食堂で起きた乱闘事件の調査を仕切っており、目の前にはどこかしら揉み合いでボロボロになったウマ娘たちが並ばされている。

 三角に尖った目、エアグルーヴに睨まれたトーセンジョーダンは赤く腫れた頬を押さえ首を振る。

「私は……えっと私は絶対に悪くないんですよ、ゴルシが勝手つっかかってきて。むしろ私被害者なんですけど」

 身振り手振りの大きなリアクションがエアグルーヴの苛立ちを増幅させる返事。

「お前は……フジキセキがいない時の寮長代理だろ!! しっかりしろ!!」

「いやいやいや私そういうのやらないって、フジ先輩にも言ってありますけど。ていうかなんでゴルシいなくて私だけ責任取らされているんですか!!」

 結局あの後食堂にやってきたゴールドシップのせいで事態は大事へと進展していたのだ。

 マックイーンを言い負かしたシリウスは自分に絡んできたレジェンドテイオーとダイナアクトレスを鮮やかな2回転ローリングソバットで蹴倒すという凶行に及んでいた。

「そんな弱い体幹じゃ海外では走れないよ。もっと体を鍛えてレースを盛り上げないとね。それが出来てから文句を言って、どうぞ」

 捨て台詞も丁寧なシリウスを前にレジェンドテイオーは失神。

 ダイナアクトレスは尻餅つく程度におさまったが、回りが騒然となるのは仕方のないこと。

 大事件だった。

 この後素早く食堂を後にしたシリウス、入れ違いで騒がしくなった食堂をなんとかしてと、仲間たちに引っ張り出されたのがトーセンジョーダンだった。

 昼下がりをカフェでおしゃれ談義を楽しんでいた彼女の元に、数多のウマ娘が半泣きの状態で押しかけ事件の制止を頼んだのだ。

「やめてょ、私そういうの面倒でやなんだけどぉ」

 実際面倒くさがり屋、揉め事なんてもってのほか、おしゃれやファションに夢中の彼女はレースに対して熱心さはもちろん持っているが、好んで揉め事でも関わりたくない。

 なのになぜか栗東ではそこそこ顔の効くリーダー的存在。

 トーセンジョーダンを慕って騒ぎの収集懇願する仲間を無下に扱うこともできず、しぶしぶだが前に立ったのが運の尽き。

 シリウスoutゴールドシップin。

 問題児out問題児in。

 入るなり肩を震わせ立ち尽くすマックイーンを見つけたゴールドシップはそのままトーセンジョーダンにぶつかっていった。

 身長差10センチ以上の凸凹がぶつかる。

「何マックイーン泣かしてるんだよ」

「しらないわよ」

 顔も合わせたくないゴールドシップを無視しようと決め込んだトーセンジョーダンだったが。

 それこそゴールドシップの思う壺的攻撃を食らう。

「なあお前さあ、なんで頭に尻尾2つも生やしてるの? そこが尻なの?」

 炸裂する悪口。

 ゴールドシップ特有のイカれた顔でこれを言われて黙っていられるウマ娘がいる方がおかしい。

 互いが口だけ笑い額を打ち合わせる重い沈黙。

「うーん……うぅぅぅぅん……」

 2度3度と深ーく唸ったトーセンジョーダン、その後すぐにゴングは鳴っていた。

 騒ぎは収集するどころか2人のプロレスが始まることで騒然の2割り増しになったところに、ツインターボとイクノディクタス、そしてメジロパーマーが……。

 水平チョップと逆水平がごとく、かかってこいやの食堂プロレスは烈火のごとく燃えていた。

 それは間違いなく魂を揺さぶる勝負になっていた。

 ツインターボは見るなりニヤリと笑って。

「真夏のサンライズか」

「歌うしかないわね」

 指を鳴らすイクノディクタス、ポンポンを持って応援するメジロパーマー。

 どうしてそうなる。

 誰もが混乱を避けたいと願っているのに、チーム・アンタレスの懲りない面々は歌い出したのだ。

 サンライズを。

 3人横並びで右手を振って

「サァーーーーンラァァァァイズ!! オッオッオッー!!」

 こうして事件は学園を揺るがす問題となり、渦巻く混乱の中を足早くゴールドシップはマックイーンを連れて逃げ出し、トーセンジョーダンは乱痴気騒ぎの一番の貧乏くじを引くという無残な結果に終わっていた。

 

 

 

 

「シリウス……どうしてこんなことを」

 シンボリルドルフは校庭で問題の発信源となったシリウスシンボリを見つけていた。

 夕日によって長く伸ばされた影、真夏特有の草木の匂いと熱を持った風の中でシリウスはゆっくりと振り向いた。

「ああルドルフか……いやいや会長様、どうかしましたか?」

 抑揚のない声、黒髪に隠された瞳。

 唇だけが紅を引いたように赤く笑う。

「シリウス、私と話をしよう。聞きたいことがたくさんあるんだ」

「そうですか、でも残念。私には言いたいことは何もないんですよ」

 ヒグラシは鳴く。

 紫の夕闇を連れてくるその舞台で、2人の心は完全にすれ違っていた。

 

 

 

 ライスシャワーはお気に入りのテーブルを前に泣いていた。

 涙を止められず自分の胸を抱いて。

 何が正しいのか、何が悪かったのか、何もわからなくなっていた。

 ツインターボと戦うレースの1ヶ月前の出来事だった。

 

 

 

 




ウマ娘空間はサザエさん空間。
じゃないと素敵なIFが成立しない難しさ。
相対する存在がいること、そういう演出が好きですがきっときらわれます。
でも好きなんです。


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05 不屈のギャランドゥ

少しずつ曲がるわけだ。


「はっはっはっ……」

 どれだけ走っても深い森。

 足元を取られる長い芝、根茎が作り出す硬軟網の目のような不整地。

 風景も音も匂いも馴染みのないダークファンタジーのような景色の中をいつも走っている。

 バ群の中で体を削られながら懸命に走っている。

 食いしばった歯でただひたすらに前を睨む瞳に映るのは、自分を囲む相手は誰なのかわからないが、ただ一人光へと続く先端を走る者が誰かだけが分かっていた。

「ルドルフ……ルドルフ……そうじゃないとダメ……皇帝よ!!」

 誇り高きシンボリ一門を示す深緑の勝負服、猛き策士を知らせる金の飾緒の肩、ツヤが入れ替わりで流れる光に見える長い髪が揺れながら離れていく。

「もっと、もっと!!」

 手を伸ばした瞬間、世界から闇は消えていた。

 あっという間だ、目の前闇の森が途切れる光の中に、連なるように飛び込む。

 急に瞼の裏に光が差し朝を感じ跳ねるように起き上がった。

 黒髪を海から上がりたての海苔のように湿るほどの汗、眠りという時間の中で呼吸がざらつき口の中はカラカラになっていた。

 

「悪い夢……見ましたか?」

 

 跳ねて起き上がり額をぬぐっていたシリウスに、声をかけたのはホクトベガだった。

 何事もなかったかのような静かな佇まい、朝陽に映された輪郭で神々しさが見える整った顔、伏せた目にシリウスは短めの一息を吐く。

「何も、夢なんか見ませんから」

 呼吸を整え胸を押さえるも、顔に少しの苦味も見せず大きく開いていた目も冷めた薄い感じに戻っている。

 目覚め直前の夢はいつも同じだ、いつも寝苦しく自分の首を絞めるような重さの中で目覚めるが、後は仮面を被ったかのように表情を消す。

 シリウスシンボリの寝起きはいつも悪い夢で始まる。

 何度も同じ夢にうなされているのを部屋の相方であるホクトベガが気がついていないわけないだろうが、彼女がシリウスに向かって悪夢の核心を聞くことはなかった。

 ただ微笑み、朝の挨拶をして、いつも同じ言葉を交わす1日の始まり。

「ああ今日も暑い……暑いですよね」

 トレセン学園の制服を着たままベッドに転がる彼女は寝苦しくなった制服のリボンを解く。

替えがあるとはいえ制服のまま寝るのは褒められないが、ホクトベガは脱ぎ捨てるそれを文句の1つも言わず集める洗濯カゴに入れるという甲斐甲斐しさ。

 カーテンを開けた外の様子はまだ続く夏、朝陽の下にみえる蜃気楼が酷暑を示すグラウンドに複数のウマ娘たちがみえる。

 朝一のトレーニングに励む年少組のポーニーちゃんたち、可愛い囃子がスズメの囀りのように聞こえるグラウンドに目を細めるシリウス。

 どこか懐かしいような薄い笑みは、仲間達と絡み合って走る子供達の姿を見続けている。

 

「元気ですね、年少組は……それにしてもなんというか残暑ですね、まあまだ夏っぽいですし。寝苦しいわけですよ」

 

 冷めた声だが取り繕った返事を、ホクトベガは勘ぐったりせず「そうですね」と優しく返えして、手に持ってきた湿らせた柔らかなタオルを前に差し出す。

「今ちょうど洗顔に行ってきたところなのですよ。洗ったばかりですからどうぞ、汗を拭きに使ってください」

 

 ホクトベガ。

 

 トレセン学園研修生及び外来ウマ娘調整用宿舎兼ダートウマ娘寮砂場の寮長にしてトレーニングアドバイザー。

 赤みがかった美しい髪、柔らかいカールのかかった長髪を後ろで一本に編んだ姿。

 凹凸激しいグラマラス、少し垂れ目の碧い瞳は朝陽に照らされた優しい笑みを見せていう。

 トレセン学園のモンナ・リッザとも称されるホクトベガに、黙ったままのシリウス。

「寝汗をそのままにすると風邪を引きますから、シャワーで流すのがよろしいですよ。今ちょうど研修生たちが朝練に出てますから、空いてます」

「そうですか、そうさせてもらいますよ」

「シャワーを浴びたら走ってみませんか? ダートウマ娘の間では最近ディア◯ラの蹄鉄が流行っているんですよ、ご存知でした?」

 

「知りませんし、無用なことですよ。蹄鉄は美浦印に限りますし」

 

 少ない言葉で部屋を後にしようとするシリウス。

 着たきり寝たきり、教材から蹄鉄まで全て散らかしたままのシリウスの部屋を、ホクトベガはテキパキと整えていく。

 眼差しは母のように、憂の目の中に悲しみを抱いたままでいるシリウスの姿を見抜きながら。

「そういえば今日でしたねレース、観にはいかないのですか?」

「はぁ……それこそ……興味のない話しですね」

 ツイっと上げた顎、完全に忘れていた、本当に興味がない。

 シリウスシンボリのそんなそぶりもホクトベガはお見通しだったが、深く追求はしなかった。

 

 

 

  産経賞オールカマー G3レース。

 

 地方トレセンからの出走ウマ娘もいれば、外国でトレーニングを積んだウマ娘もいる。

 見にくる客もいろいろだ。

 パドックから観客席まで、国民的エンタテーメントであるトゥインクル・シリーズを見る者たちの朝は早い。

 陣取りをしたり、推しのグッズを買い漁ったり、ニュース欄の推しウマ娘の近況を読み直したりと騒がしいが、ことGレースの中でもこのレースは地方ウマ娘の登竜門にも当たるうえに、外国ウマ娘の参戦があったりで新しい推しを発見する場所にもなりで熱気は高く幅広いファンが集う。

 11レースの時間には熱波の山場は超えるが、まだまだ気温の高い時間の中で空は白く持っていた。。

 曇天は薄い白色を水彩絵の具で伸ばしたような、擦れたり途切れたという膜のような曇り演出で閉塞感のある景色を作っている。

「悪くない天気だ」

 日差しはないがゴーグル着用で体操着姿のツインターボはストレッチに執心していた。

 隣に立ち同じく体操着にゼッケンをつけたイクノディクタスは徐々に迫るレース開始時刻を惜しむようにハンドグリッパーを鳴らし、新しく蹄鉄をチェックする。

「うん、まあいい感じじゃない……ヘリオスとパーマも準備オッケーってとこね」

 チームの大半がレースに参加、残っているのはダイタクヘリオスとメジロパーマーだけなのに、すでに大声の応援がレース場の一角を騒がせている。

 相変わらずのホッケーパッド。

 暑ささえも天然脳で無視することができるのかヘリオスはフル装備で飛び回り、パーマーは真っ赤なポンポンをふるって応援を開始している。

 出走時刻を前にメンツは揃っていた。

 ツインターボ。

 イクノディクタス。

 そしてライスシャワーだ。

 いよいよ迫るレースの時刻に観客は推しウマ娘に声をあげ、潮騒のような応援は始まっていた。

 パドックからレースへの産道であるトンネルへと各選手たちが進んで行く。

 各々の願う勝利のために、大望の夢を抱えテンションを上げていく。

 重賞を勝ちさらなる高みを目指す者もいれば、地方から数少ないチャンスの切符を握ってやって来た挑戦者もいる。

 各地から応援に駆けつける人の熱気で、くたびれた雲が作った籠った暑さに火を狗べて熱を上げるのに一役買う。

 この熱気の中でライスシャワーの気持ちだけはひたすらに落ち込んでいた。

 レース会場へと進む隧道を3人揃って歩く中でも1人トボトボと遅れ、迷子の子供のように項垂れて。

 ライスシャワーの気持ちを落ち込ませるのは2人にかけられる声援の多さ。

 トンネルの中に響き渡る声援が鼓膜を叩くように、動悸を早める。

 ツインターボもイクノディクタスも実に多くの声援を受けていた。

 イクノディクタスには年齢層の高い観客が多く、張り出される横断幕もユニークだ。

「健康第一!! 頑張れイクノちゃん!!」

 彼女の間髪開けない連戦、そこで見せる健康的で力強い走りには「健康」になんらかのご利益でもあるのかと噂されており、たまに拝んでいる人もいたり。

「イクノちゃん!! 頑張って!!」

 女性からの応援がよく聞こえるのも特色だ。

 一方でツインターボのファンはいろいろな層がいる。

 若者もいれば年寄りもいる、そして満遍なくヤジにも似た威勢の良い声が飛ぶ。

「今日もかっとばせよ!! ツインターボ!!」

「逆噴射するなよ!!」

 脚足らずで速度が落ちることをやじる声に、即座に反応するのが評判。

「うっさいぞ!! 逆噴射ってなんだよ!! ちょっと行き倒れてるだけだい!!」

 その返答はどうなのか、掛け合いが面白いと観客の笑いを作る。

「行倒れるなよ!! ゴールに突っ込めよ!! 愛してるぞツインターボ!!」

 

「うるせーぞ! 俺も愛してるぞ!! 今日も1番ぶんどって歌って踊る!! 皆様のギャランドゥ(Gal&Do)たあ俺のことだぜ!!」

 

 拳を上げる姿に声援の波は高くなる。

 チーム・アンタレスの半分が出走する。

 人気のあるトップチームではないが、意外にもコアな人気のあるウマ娘が揃っていた。

 だから応援するファンもコアで声援も個性的。

 変則的な盛り上がりを見せる中で、ライスシャワーは悪い夢を反芻していた。

 眠れなかった。

 シリウスシンボリとの会話以来悪夢を見続け今日を迎えていた。

「夢を壊すのをやめて、負けたら良い」

 

 負けないと、負けないといけない。

 

「君の勝利が、彼女たちに夢見た人たちの夢まで破壊している」

 背筋を凍えさせた言葉にに息がつまる。

 響き渡る声援は光当たる出口で渦巻いている、拍手と熱気、今まで自分のことだけをまっすぐに向いて走ってきたライスシャワーにとって異次元へつながらるとも思える出口に手足が竦む。

 これほどに声援をいただく者達に勝ったら……、彼女たちの栄光を夢見る人たちを傷つけることになる。

 小さな体は何度も通路の壁に肩をぶつけ迷いを払えない震えの中にいた。

いつもならレース直前まで一緒にいてくれるトレーナーはいない、ここに来るまでにひと騒ぎありトイレに篭っており、今は1人だ。

「お兄様……ライスは……ライスは頑張るけど、何を頑張ったらいいのかもうわからない……」

 黒髪と帽子、伏せて隠した瞳は潤んでいた。

 泣いて叫んでここから逃げたいという気持ちと、それこそ子供のような態度をレース会場で見せてはいけないという想いのせめぎ合い。

 胸を押さえる手の姿は、何かに祈ってるようにも見えてしまう。

 自身の出走は春以来、そのせいか時々聞こえる自分の名前に怯える。

 意図的に聞かないように顔を下げたままゲートへ向かうが、コースを流し軽く走る中で胸の奥にあるものは「熱く」なり始めていた。

「やめて……熱くならないで……ライスはライスは……」

 天を仰ぎ深く息を落とす。

 

「ライスは……勝ちたい、勝ちたいの……負けたくない、負けたくないの」

 

 混乱だ。

 勝ちたい、心からそう願っている。

 トレーナーのためにも、自分のためにも。

 なのに勝てば「夢」を壊す。

 ゲートインなのに、心ここに在らずのまま息を上げるライスシャワーは心の中にせめぎ合いにくるしんでいた。

 呪文を唱えるように自分の心臓を抑えて。

「ライスは勝ちたい……でも……でも……勝ちたい」

「いいや勝のは俺だ!!」

 出走ギリギリ、いつゲートが開いても不思議じゃない状況の中で背中を丸めていたライスシャワーの願いに応えたのはツインターボだった。

「すごいよなそうやって勝利ってやつを体の中に落とし込んでいくのか?」

 レースの前、様々な願いを込めて走るウマ娘たち。

 ライスシャワーの体をくの字に折るような、祈りような姿にツインターボは正直な畏敬を口にしていた。

「でもさ……負けないからな。いいか米、俺は絶対にお前に勝つ。だからお前も負けないように本気でこいよ。俺は後ろなんか見ないからな!! 最後までお前より先を走ってやるからな!!」

 威勢はツインターボらしい自分への叱咤。

 負けないという気持ちがゴーグル越しに目を光らせ、拳を強く前に突き出させる。

「本気でこいよ……絶対の本気で!! 真っ赤かに燃える本気でレースするぞ!!」

 かかってこいという強い言葉、迷っている時間はもうなかった。

 ファンファーレが鳴り響き、声援はより大きな波となって会場中に広がっていく。

「招待ウマ娘4人を含む13人勢揃いです!!」

 実況の声が場内に響く、観客のテンションがピークへと達する

 各ウマ娘の準備が整いゲートの前が慌ただしくなる中、目を伏せ没頭を演じるライスシャワーにツインターボは楽しそうに話しかけるでなく自分に言い聞かせるように正面を向いたまま続けた。

「米!! 全力でこい!! 行くぞ!!」

 振り払えない混迷を抱いたままのライスシャワーは叱咤される中でもレースへの道を睨み始めていた。

「負けても……勝っても……なにかを壊してしまうのならばライスは」

 今日1番人気なのに、1番に自分を指名したすべての観客を恐れているライスシャワーはスターティングモーションへと、今更何をこだわってもゲートが開いた前ではどうにもならない、迷いはあってもレースに愚考は持込ない、ただ前を見て走るのみと飛び出した。

 

 

 

 ゲートは開いた。

 正面スタンドの左端に設置されたゲートを勢い良く飛び出していく13人。

 誰もがスタートに転ばず綺麗な線を一瞬引くが、2秒後にはツインターボがさらに前へと飛び出していた。

 注目株であるライスシャワーのスタートも場内に伝えられる中、脇目も振らぬツインターボ。

 いつも絶叫が正面スタンドの観客の腕を振らせる。

「うおんりゃぁあぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 絶叫に呼応するように実況もまた伝えていく

「ツインターボがどんどん加速しています!!」

 実況の声が通れば目の前で見ている客は拳を上げる。

「いけー!! ツインターボ!! またぶっちぎれ!!」

 いつも通りの一騎駆け、2番手集団は離されつつも一群となって進む。

 ツインターボの走りを警戒しているのは何もライスシャワーだけじゃない。

 前節のレースぶりは良く研究されている。

 これ以上離されるとやばいというボーダーと、ここからなら刺せるというライン。

 タイムを確かめるすべのないレース中のウマ娘にとって、相手のスピードそこから離される距離と風景が「刺し手」が先頭を差し切るタイムの軸となる。

 誰もが慎重に前を飛ばす尻尾を睨み、2番手集団として各々がポジションを決めていく。

 目の前の風景は早回しのシネマ、水彩画の崩れた輪郭の木々、これらを読み狭い視界の中に浮かぶのは真正面の標的を測る。

 1コーナーを回るころ前回の七夕賞のようにツインターボの勢いはまったく落ちず、容赦なく差を広げ続けていた。

「前と同じペース、このまま行くのかな? まだ待つべき?」

 ライスシャワーは6番手7番手の間で行き、逃げウマ娘ツインターボを見る。

 怒声をなびかせながら前をいく姿、蹴り足に鈍りは見えない、脚色は細かく刻みフル回転で土を蹴りつづけ、芝生を1人気持ち良く散らして行く姿を「覚え」思案する。

「前回は1000を超えて2ハロン目で少し落ちた……このペースで行くのなら間違いなく1000からが勝負でも……何か変……距離を合わせてる? 合わせらさせられてる?」

 ライスシャワーが考えるように、周りのウマ娘も各々の自身のシュミレートに従って足を伸ばし始める。

 ビックウェーブの波崩れのように少しずつ陣形とバ群は変化して行く。

「ツインターボが2番手以降を大きく突き放しています!! 後ろはホワイトストーン、さらに後ろをコウソクダイジン、モガミキッカにつづいてライスシャワーが行きます!!」

 1000を超えていく、向こう流し。

 焦りは確実に他のウマ娘に伝播し始めていた。

 ツインターボは二の足なしのかっ飛び屋、一度速度を落とせばもう2度と伸びることはない。

 だけど1度もスピードが落ちなかったら……。

 わかっていても焦るもの、ウマ娘の焦りに火をつける実況が場内に響く。

 

「現在1200の表示通過して58秒台」

 

「早い?……何どうして、1000でこのスピード。これは」

 2コーナーでバ群は忙しくなっていく。

 誰の目からもツインターボは距離を取り続けていたが、慎重さが仇になっていることも露見し始めていた。

 奇妙な構図をすぐに理解できるものはいなかった。

 相手との距離を測る指標は、走るウマ娘が気がつくよりもスタンド席で見ている客の目に映る大差へのどよめきが大きな指標となるが、その驚きの声に騙されることもあるのだ。

 後方集団のイクノディクタスも目を見張っていた。

「やってくれたわね部長……あーもぉぉぉ!! 脚を残すなんて考えすぎていたわ!! ここからじゃ最後のスパートでも刺せない!!」

 後ろから見ればその差は歴然。

 だが瞞されていたのもわかる。

 カッ飛び屋のツインターボ、前評判と前節のレースが目をくらませていた。

 少しずつ脚を稼ぎ時間を遅らせていた相手に、2番手集団は惑わされ自ら低スピードへと合わせてしまっていた。

 今から頑張ってもとてもツインターボには追いつかない、なんとしても最後までに差を詰めたいという力走が後続集団の足並みに力を与え引っ張る。

 縦長に変化しそうだった2番手集団は向こう流しから3コーナーに入るまでに1つの塊に逆戻りをしていた。

 一方で実況は熱を上げ、観衆も誰もが声を上げての声援のボルテージが絶頂に入りつつある。

 先頭のツインターボ。

「ツインターボが大きく逃げる!! ツインターボが大きく逃げる!!」

 言われなくたって大逃げだ、息つく間もない中で名前を連呼されたツインターボは絶好調だった。

「いいぜ!! プランBが炸裂だぜ!! ここからどこまでも走ってやるぜ!!」

「確定……これは絶対に落ちない……落ちないように走っていた」

 奇妙な間と時間を計り切ったライスシャワーは、混乱するバ群をいち早く抜けホワイトストーンの後ろを行く形を作っていたが、すでに3コーナーのカーブを曲がったツインターボに手が届くかはギリギリだった。

 どこかで落ちるなんて見越した戦い方は完全に裏目に出ていた。

 経験も生かされていなかった。

「好調のあの人は速度を落とさない……まだ……まだ負けたくない!!」

 砂塵を浴びなくても涙が溢れてしまう。

 もっと前へとカーブを曲がる足に力が入りリミッターを切る。

 余力を持ちながらなんとかなる相手じゃなかったと、改めて思い知らされる。

「200の標識を切った!! 先頭はツインターボ!! ホワイトストーンも伸びる!!」

 伸びても届かない。

 誰もが理解していた。

「外を通ってライスシャワーは届かないか?」

 届いてみせる、実況の呼びに心を叩いて足を回すが。

 

「ライスシャワーこれはもう無理!!」

 

 無理。

 宣言れた時ツインターボはゴールを突っ切っていた。

 大逃げ一番の逃亡者。

 その尻尾にライスシャワーの手は届かなかった。

 

 

 

 残響が地下通路に聞こえる。

 多く観客の賛辞に答えるツインターボの声と共に。

 ライスシャワーは来た時と同じように壁に肩をぶつけるように、自分が倒れてしまわないように弱弱しく歩いていた。

「よかったよ、あれでいいんだよ」

 うつむいていた顔に声をかけたのは制服姿のシリウスシンボリだった。

 誰もいない薄暗い通路に薄い笑みが佇んでいる。

 見上げるライスシャワーの涙を指が拭うが、優しさは微塵も感じられない突き放した立ち位置で。

 手を振り払う気力もない。

「よかった……よかったんですか?」

「よかったじゃない、だから負けたんでしょ。とはいえツインターボ程度だったから……」

 

「あの人は!! 強かったです!!」

 

 弱っていた膝に手を立て、自分の中にあった蟠りの渦を割った。

というよりも割れた。

 勝つことで夢を壊すと言われた中で、負けたくないという気持ちで走った。

 勝ちたかったのだ。

 だけど、予想を上回ったツインターボ。

 抱えている重荷のせいで出足は鈍ったが言い訳にもならない、実力で負けたことを認めていた。

 勝ちたい。

 走り出せばそれは自然と自分の中に湧く感情、唇を噛み涙の目がシリウスを睨む。

 

「ライスは……勝ちたかった、でも本当に強かったの……」

 

「勝ちたかった? 本当に? どうでしょうね、強い相手とは思えないよツインターボは。でも君はうまく力が抜けて良かったですよ、勝たなくて正解。望まれる勝利者を倒せば、望んだ「夢」を見る観客は確実に君を野次るからね」

 シリウスは冷徹だった。

 勝利への渇望は走る妖精「ウマ娘」にとって当然のこと。

 言い聞かせておいても走ってしまえば、負けることなど吹き飛んでしまう。

 君を守るための、優しい忠告だと笑わない目が告げる。

「及第点ですよ、今日みたいに負けるのが一番良いですよ。誰も君を疑わない「善戦」したと讃えられる日もくるし、ここに居続けられる」

 軽く肩をたたく、念押しはそれだけで十分。

 これ以上かた寝る時間もなさそうだと、騒がしいトンネルの入り口に視線をやる、まっすぐにすごい勢いで走ってくる影を見つけて。

「米え!!! 待てぇぇ!!!」

 ゴールを切ってフラフラになっていたはずのツインターボは一気にライスシャワーとシリウスシンボリの間に入り込んでいた。

 入り込んで過呼吸ではを食いしばった姿のまま肩を揺らしていた。

「米……米ぇ……お前なんで最後下向いてたんだよ。コースになんか落ちていたのかぁ?」

 ツインターボは公約通りレース中後ろを振り向くことはなかった。

 振り向かなかったが、レースを走る中央トレセンのウマ娘としてレース中継の録画に目を通していた。

 自分がゴールを切る直前、諦めるように俯いたライスシャワーを見て急に腹が立ったのだ。

 

「お前……最後力抜いたのか……諦めたのか!!!」

 

 激昂だった、言うや引いていたライスシャワーの襟首を捕まえフラフラので背筋がこんにゃくみたいになっている状態なのに自分の側へと引き上げた。

「本気でこいって言っただろ!! なんでだよ!!」

 なぜって……

 相手の激怒に闇は連れられていた。

 ツインターボは強かった、実際に計算負けだった。

 考えている以上にうまく逃げ切られたのだから、総合的に見て実力で負けましたと言えたはずだったのに、怒り狂ったツインターボの顔に萎縮して涙が溢れてしまった。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 掴まれたエリのままずるずると崩れてしまうライスシャワー、その重荷に引きずられツインターボも割座に座り込んでしまった。

「なんで……謝るなよ!! なんでだよ……嘘だろ!! どっちなんだよ、本気でやってたのかよ!!」

 泣きながらも本気で走ったことを伝えようとするライスシャワーを遮るようにシリウスが前に入る。

「そのぐらいにしておいたら? 勝者が見苦しいことをすべきじゃないよ」

「なんだ……お前は……何してんだ……」

 何度も荒げた息に言葉を飲まれながら、まずは見知らぬウマ娘でするシリウスに顔を向ける。

 チビのツインターボからするとヘリオスほどではないがスレンダーで背の高いシリウスは見上げる存在だ。

「……おめでとうツインターボくん、君はもっと持久力保持のトレーニングをした方がいい。理性的に言わせてもらえれば、2200を1000に見立てて走るなんてそうそう成功しないのだから。途中脚を稼いだよね、あれはイメトレでもして気を保たせたの?」

 プランBの中身を見抜かれていたことにツインターボの目が丸くなる。

 部外者でもある相手が自分たちの作戦会議を聞き耳立てていたとも思えないし、本気でそれを実行するものを知っていたとも思えない。

「師匠!! どんな距離も1000だと思って走れば58秒で優勝だよ!!」

 ヘリオスの馬鹿げた妄言を真に受けたプランを実現するために少しだけ頭を使った、だから途中で少しだけ脚を稼ぐ形になっていた。

 涼しい目で激走の中身を理解していた相手を見る。

「はぁ!? ……何言ってるんだお前、どんなイメトレで走ろうが俺の勝手だろう!! 勝てば文句なしだ!! ……うん? お前なんか会長に似てないか?」

 下からの睨めつけを煙たそうに手で払いシリウスは背中を向けた。

「気のせいですよ、では失礼」

 そのまま騒ぎから離れ通用口の方へと姿を消していった。

「なんだ……あれ……」

「シリウスシンボリ、生徒会長シンボリルドルフの義理の妹にしてダビーウマ娘(東京優駿制覇ウマ娘)」

 勝利者インタビューもそこそこでトンネルに走ったツインターボを追いかけてきたイクノディクタスは、今にも大の字に通路へ倒れそうなツインターボの肩を支えて教えた。

「ダビーの……ドルさんの妹……しらねぇぞ……」

「欧州で何年かレースに出ていたのよ。交換留学生として……今年の初めに戻ってきているとは聞いていたけど、見るのは初めてだわ」

 消えた黒髪の影、同時にツインターボは目の前から消えたライスシャワーに気がついた。

「あれ!! 米はどこいったよ!! あいつもライブなんだぞ!!」

「部長!! ライスシャワーはこっちで探すからウイニングライブの準備してよ!!」

 遅まきに迎えとして走ってくるダイタクヘリオスとメジロパーマーにこっちと手を振る。

 最終レースが終わればすぐにライブは始まる、こんなところでクダ巻いて喧嘩なんてしているわけにはいかない。

 猫の子のようにツインターボの首根っこを引っ張り、ボーリングの球よろしく力強くヘリオスに向かって投げるイクノ。

 軽々と投げられ「物」扱いに憤慨のツインターボ。

「お前!! 偉そうに言うなよ!! 最速の俺様に負けたくせに!!」

 行き場をなくした苛立ち。

 拳をふるって抗議の悪口のツインターボに、斜に構え白眼を見せるイクノディクタス。

「……私のレコードに届いてないくせに、なにが最速の逃げウマ娘よ!! サイレンススズカに土下座しなさいよ!!」

「うるせ!! 勝ちは勝ちだ!!」

 喧騒はトンネルの中外で響く。

 ここから先は観客のエールに応えてスーパーライブで楽しい時間を作るとき。

 勝っても負けても応援をくれた観客に感謝を示す大事な場所へと気持ちをシフトしていかないといけない。

 チームアンタレスは今回2人もライブに出られる。

「たまには良いとこ見せてくださいよ!! アンタレスここにありってね」

「あたぼうよ!! 可愛い俺がいなくてなにが始まるってもんよ!!」

 小言はその後だ、そう言わんばかりのツインターボ。

 心に靄を残しいてもてライブは別物と割り切る速さもピカイチだ。

「早く米を見つけてこい!! ライブを盛り上げるぞ!!」

 いなくなったライスシャワーを気にしながらもツインターボはライブのセンターポジション保持者としてのライブ会場へと駆け出していた。

 

 

 この日3位入線でライブ出場を果たしたライスシャワーは観客の前に姿を見せることはなかった。

 レースとライブは心の切り替えが必要となる。

 観客の声援に対する感謝の為にも立つべきだったステージを彼女は心の底から恐れ、逃げてしまったのだ。

 誰にも合わず控え室に戻ることもなく、ただ一人泣きながら帰路についていた。

 

 

 

 



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06 愛しのルビーちゃん

後書きにおまけのようなもの。
時間の許す方向け。大した事は書いてない。
単純に06話に収録できなかったパーツ。
話をコンパクトにまとめられないのはしんどいですよね。
まちがいなくウマ娘時空な話ですわ。


 その日寮に戻ったダイタクヘリオスの左頬には真っ赤な手形が残っていた。

いつものことだが、しつこく追いかけ回したダイイチルビーに付けられたものなのは誰もが理解しているため自室に戻る間で誰彼と心配されることもなかった。

 

「パーさん!! 僕決めた!! 明日サブプライム(意訳・底辺所得者ローン)する!!」

 

 背中合わせのデスクとベッド。

簡素ながらも間を割って真ん中に冷蔵庫、右のベッドで天井を見て寝転がっていたヘリオスは起き上がり、隣のベッドでせっせっとポンポンを作っていたメジロパーマーを見る。

相方の発言に目を丸くしたパーマーはいつもの笑顔で聞き返した。

「何か買うのぉ?」

 不思議と首をかしげ、同じ方向にヘリオスもかしげる。

違いが目を合わせ不可思議な少しの間、何かに気がついたようにパーマーがもう一度口を開く。

「サプライズするのねぇ!!」

「そうサプライズ!!」

 パーマーの翻訳がないとヘリオスの発言は理解しにくいところがある。

思いつき、理解を得られたことに目を輝かすヘリオスは窓に近づいてクルクルバレリーナのように回る。

「きっと喜んでくれる!!」

「でもー、明日って感謝祭だよぉ」

 そう明日はトレセン学園の感謝祭。

たくさんのファンが詰め掛ける場でヘリオスは何をサプライズしたいのか。

「感謝祭だからいいんだよ!! きっとルビーちゃんが喜んでくれるよ!!」

 夜半過ぎ消灯も近づく時間の中でお構いなしに跳ねるヘリオス。

パーマーは手を打って同調する。

「いいことならやるぅやるぅ!!」

 思いつきの権化たちは演し物も決まっている感謝祭に、思いつきのサプライズを実行することを決めたのだった。

 

 

 

 

「体験!! ウマ娘のスピード!! ウマ娘の世界!!」

 

 変な看板だ。

ライスシャワーは「ドッキリ」の看板のように派手にして大きく書かれた字体の板を背負って前を走る2人を追っていた。

 感謝祭の今日チーム・アンタレスの演し物は真面目に肉体労働だ。

 ダイタクヘリオスとメジロパーマー、2人が前後に並び間にカゴのような小さな神輿がある。

 これに子供を乗せて走るのが「体験会」の実態である。

 ライスシャワーが体重計を持って付いて回っているのは、いくら2人でも大人を乗せて走るのは無理だから、重量制限を設けているためだ。

 同時に水はガチで肉体労働担当班として働く2人のために持ち運んでいる。

「はーい!! ここまで!! 「ハリ◯テエ◯ジー号」への乗車ありがとうございました!!」

「すごいよ!! すごい!! ウマ娘さんって本当に早いんだね!! 風がびゅっときたよお父さん!!」

「ほんとかー、お父さんも乗ってみたいなぁダメなんだよねぇ」

 大喜びの子供、待っていた両親。

 後ろには体験希望の子供たちが、乗車場所など決めていないのに列をなしている。

 プロデューサーイクノディクタスは並ぶ人の群れを見て苦い笑み。

「流行っちゃうのよね……ほどほどで繁盛してほしいだけなのに」

 この演し物は違法スレスレなのだ。

 実際体験シリーズは色々と行われているので一概に「悪」とはいえないのだが人をウマ娘のスピード領域に連れて行くのは「危ない」

もし何かのはずみ転びでもしたら、時速60キロは間違いなく交通事故になる。

「このへんで走っている分にはいいけど、部長そっちにバンブーメモリーいる?」

 耳に引っ掛けたイヤホン、繋がっているのはグラウンドを挟んだ反対側。

学園正面の軒店回りを歩くツインターボに。

「おたけさんはこっちをウロウロしてるから大丈夫だけど……バク(サクラバクシンオー)ちゃんがそっちに走ってたからやばいかもな」

 感謝祭の今日、風紀委員長のバンブーメモリーは気合を入れて見回りをしている。

同じように「高い志」で学園の平和維持に邁進する学級委員長サクラバクシンオーがいる、どちらに見つかっても過激な追っかけっこに発展することは間違いない。

できるだけ穏便にしてお客様に楽しんでいただき、些少なりの金子が得られたらラッキーだ。

 遮二無二行動して怪我をするぐらいなら、ほんの少し飛ばしてましたよぐらいの評価でいい。

イクノディクタスは汗だくの3人を見て手を打った。

今日は朝8時から走り回っている。

「鉢合わせになっても嫌だから……よし、ちょっと休憩しよう。私飲み物もらってくるからこのあたりで涼んでいて」

 まだ陽の高い午後1時。

 通算10回ぐらいは外周を走った3人はヘトヘトだった。

 

 

 

 ヘリオスは天を仰いでいた。

 ジャージの上着はとっくに脱いで、Tシャツ姿で芝に寝転んで。

 隣のパーマーも同じようにごろ寝、ライスシャワーは割座で2人の隣に座っている。

 シリウスシンボリとの会話以来、モヤモヤした想いを抱えたたまますごしていた。

 出来れば今日もどこにも行かず、自室で静かな時を過ごしたかったが、前回レースでツインターボに負けてしまったことでチームの新しい規則の中に組み込まれてしまっていた。

 組み込まれるまでの経緯は勢いの一言に尽きたが。

「当然のことだが!! ウイニングライブをおろそかにする者を俺は許さない!!」

 仁王立ちのチビは偉そうにみかん箱の上からライスシャワーを指差して宣言していた。

 前節オールカマーでライスは3位入線を果たしたのにもかかわらず、ライブステージに立つことなく部屋に閉じこもってしまった。

 以前のチームならば落ち込んだ自分をそっとしておくメンバーしかいなかったが、アンタレスの懲りない面々にそれは通用しなかった。

 翌日、寮の自室にバカコンビがやってきて「ラーイースちゃーん、あーそびーましょー」と連呼の大合唱。

 1日ならずや3日4日と続きこのまま引きこもれば他の生徒の迷惑になるとドアから顔を出し、どうか一人にしてくれと丁寧に頼んだ。

 にもかかわらず翌日事件は起きる。

 落ち沈む心を抱え花言葉の検索に没頭していた自室に何かが突進しドアに激突する。

 もうおわかりだと思うが、まさにツインターボ。

 一番会いたくない相手の来襲に、ドアどころか耳も心も閉ざし固まったライスシャワー。

 静寂を演じ、何にも答えない氷の彫像と化したにもかかわらず、ツインターボの追求は変わらなかった。

「開けろ!! 米!! 俺だ!! こないだの件で話がある!!」

 大音響のオレオレ詐欺ですか? 

 とにかく開けろ、俺だを連呼、ライスシャワーは耳を両手でペシャント抑え嵐が去るのを待っていたが。

「開けないなら突破するからな!!」

 言うや嵐はドアに激突してきた。

 およそ寮の中全てに振動は伝わっただろうという大激突の後、場は静まり怯えながらライスシャワーはそっとドアを開けた。

「なっ……なんだ……いるじゃん……はっはやく……あけろよぉ……」

 ドアとガチンコ、目を回し倒れるツインターボは転がった状態で上から自分を見るライスシャワーに手を振っていた。

「仲直りだぞ、仲直りするんだぞ、お前はどうか知らないけど……俺はお前と仲直りするからな……」

 諦めた。

 こんな強引なウマ娘は見た事がない、今まで経験した事もない。

 なによりこのままここに転がしておく事など出来ない、すったもんだの末ライスシャワーはツインターボを保健室まで運び、なんとなくだがあの日のレースでの出来事を反省しすれ違いを解消していた。

 以降ライスシャワーはチーム・アンタレスが行う行事には全部参加する事になった。

そして今日はこのお騒がせ集団が企画した「ウマ娘のスピード体験会」の補助要員として走り回っている。

「いやぁ、ライスちゃん。荷物重くない?」

 実行部隊の2人のために持った荷物はそれなりに重い、パーマーは横に置かれた荷物を気にしていた。

 割座で隣に置いた荷物にあるのはペットボトル20本。

「重いと走りたくなくなくっちゃうからぁ……」

 少し分けようか、多分気遣いの言葉をかけようとしていたであろうパーマーを遮って珍しくライスシャワーが先に答えた。

 

「ライス……走るのは好きなんです。重くなんてないです……」

 

「あたしちゃんも大好きだよ!!」

 赤いポンポンを被ったパーマーは目を丸くし、隣で寝転がったまま水分補給をしているヘリオスも拳を上げて

「僕も大好きだよ!!」と、走り仲間と笑う。

 奇縁、不思議なものだった。

 前のチームも自分を思って色々と話しかけてくれるウマ娘はいた。

 でもその気遣いが、一緒に落ちていく負の側への気遣いになっていたのか、慰められればられるほどに気持ちは落ち込みなかなかレースの世界へと戻れなかった。

 レースというより走る事に前を向けなかったのに、このチームでは気遣いもダイナミックで予想外のアプローチをしてくる事に驚き、沈んでいる暇もない。

 だからなのか、言われ損になりたくないと思ったのか、ライスシャワーは自らの事を少なからず話すようになっていた。

「……まだうまくいかないですけど……ライスはまた大きなレースで頑張りたい……かなって思ってます。お兄様のためにも……」

 負癖なんて身に付けたくない。

 珍しく自分のしたい事を口にするライスに、ヘリオスが飛び起き、その場で膝を付き合わせるとズィッと顔を寄せた。

「ねぇ、ライスちゃんってトレーナーさんのこと好きなの?」

 カンカン照りのお日様のようにぱっちりと開いたヘリオスの目が、ライスシャワーの顔を真面目に見ていう。

 突然である。

ヘリオスはいつも突然変な質問をする。

びっくりして顔を真っ赤にして目を合わせてしまったライスにさらに近寄って。

 

「好き好きなの?」

 

 遠慮のなく言いよる、ライスシャワーは驚きと恥ずかしさで座ったまま後ろへと逃げてしまわざる得ない。

「好きというか……」

 もちろん好き、でもそういう期待されているのとは。

 言いにくい、助け舟を出してくれそうなパーマーは船で寝たまま流れて来なそう。

 真面目な顔で見るヘリオスの前、耳まで真っ赤、唇が震える。

「好きですよ。というより尊敬してます。お兄様は立派なトレーナーですから、だから私は勝つことができたと……」

「僕は好きな人いるよ!!」

 質問を質問で返す、というより質問の答えを聞き流し自分の答えを前に押す。

 ライスシャワーが「恋愛etc」と色々困惑し考えている間で別の方向へと展開していくスピード思考。

 本当に前のチームではなかった速度でヘリオスは自分のことを話していく、トレーナーのことはもはや忘却の彼方だった。

「えっと……ダイイチルビーさんですよね……」

「えっ!! 知ってたの!!」

 真顔でびっくり、耳がピンっと立ってしまう、顔を少し赤らめ照れるなぁと揺れる純朴さ。

「……前に、その、言ってませんでした?」

 大騒ぎだった「食堂乱闘事件」の切欠、やっぱり忘れていたヘリオス。

だがそこは気にしない

「そうだったけ!! でもそうなんだよね!! ルビーちゃんのことが大好きなんだ!!」

 同期で激しいレースをした仲間という想いを隠すことのない愛情として語るヘリオスだったが、そこまでいったところでテンションが落ちた。

「うーん、でもね最近ルビーちゃん元気ないの」

 耳までペシャント倒れるほど落差の激しい感情の中で、ヘリオスは本当に寂しそうだった。

 ライスシャワーはダイイチルビーが最近良い成績を残せていないことを知っていた。

「……辛い時は走れなくなる時もありますよ……」

「そうなんだよ!! ルビーちゃん辛い想いしてるぽいの、だから今日は励ましてあげたいの」

 友達想い。

 ライスシャワーはヘリオスのことを現実的には苦手なタイプとしていた。

 自分の主張を時間も場所も心得ず、次から次へといい飛ばし、勝手に何かを決めて走り出す。

 まったく予定にないことをし、計画など皆無の行動はライスシャワーにとって異次元の生き物を見ているようなものだったが、だけど本音の部分を隠さないから彼女の優しさもダイレクトにわかってしまう。

 少し羨ましいとも思っていた。

 自分ももう少し素直で保偏諱の言葉を普通に言えたらと。

「花でも買いますか?」

 今日の肉体労働で得たお金で花束は素敵かな、ライスシャワーは普通を考えたがヘリオスの激励はそんなものではなかった

「もっともっとだよ!! もっと大きいことするの!! ライスちゃんもてつだってね!!」

 言うやバネのようにビョンと立ち上がり、隣に転がっていたパーマーを揺さぶった。

「パーさん!! パーさん!! もう2時だよね!! そろそろだよね!!」

 揺さぶられ、待ってましたと飛び起きるパーマー。

「そだよぉ、ダイちゃん!! 時間だよぉ時間ぅん!!」

 ポンポンをかぶった頭のままムッくと立つパーマー、ヘリオスはライスシャワーの手を引いて

「さあ行こう!! ルビーちゃんのために!!」

 何が何だかわからないまま突然の疾走。

「あの!! あの!! イクノディクタスさんがここで待ってろって……」

「いいのいいの!! 今日はこれからメインディッシュだよ!!」

 食べ物? 困惑の渦が拡大する中ライスシャワーはひたすらに流されていた。

 

 

 

 

「危ないことはしない……させないというのが僕の基本方針なだけだよ」

 トレセン学園正面広場。

 外郭につながる広場の一本道に出店が並んで建てられ、奥へと続く形となっている。

この広場の向こう側で今現在開催されているイベントは「ダートウマ娘」による公開練習である。

「聞いてるのかい? ツインターボくん」

「聞いてるよ……もうちよっと離れて歩けよ」

 耳にイヤホンで「ウマ娘スピード体験会」のサポート、手には今日の収穫であるキーホルダー。

 しっかり祭りを満喫しているツインターボ、トレーナーは彼女の後ろをついて歩いていた。

「なんでライスと一緒じゃないんだ、きみといるという話しだったのに」

「イベントを楽しんでるさ。ていうか……ちょっとここに座ろう」

 軒店が並ぶ道、少し入れば街路樹が並び間にはベンチもある。

 少しの休憩にはもってこいのベンチの端にツインターボは座り、反対の端に座れと指差し指示する。

「あんま近くに座るなよ、変な噂建てられたら嫌だからさ」

「君とどんな噂建てられるのさ……たく……、むしろ僕が嫌だよ」

「なんだと!! 俺だって可愛いからさ、困るよ!! こんなおやじなんてさ」

 ほのぼの感のない会話にトレーナーは本気でイライラしていた。

 何しろライスの近くにいられなくなったのは前回のレースの頃からだ。

 意図的に引き離しをされているというのはチームに入った頃から感じていたが、ことさらべったりするのも立場上できず今に至っているのがもどかしいのだ。

「今後物事を決めるのに「勝負」とかはしない、先にはっきりいっておくから」

 ひんまげた口のトレーナー。

 前回のレースの時、ライスシャワーに付き添いアドバイスをしようと考えていたのにできなくなった。

「今回は半分が出るんだアドバイスするならみんなにしてくれ」

 もっともな意見をいうツインターボに気押された。

 実際に勝ちを持ってきた相手を足蹴にするのは難しい、あれよこれよと言い訳を繕おうとしたが相手の方が上手だった。

「わかった勝負しよう、勝ったら何も言わなくていい。負けたら俺の言うこと聞くだけ」

 目の前にあったのは人参スムージー、のピッチャー版。

 ラーメン屋にある「お水はご自由に」でおなじみのポットサイズのアレ。

 ここでトレーナーはしくじって負けていた。

 レース直前の勝負にスムージーはさすがにやばいし、量がまずヤバい。

 だが勝負師であるツインターボに合わせて「やってやろう」と息巻いてしまったのが間違いだった。

「俺は今からレースがあるから無理なので招待選手を呼んでいる。ベストを尽くしてくれ」

 トレーナーVSオグリキャップ。

 どう考えても無理な戦い、見るなり「ダメだろそれ!!」と声を出してしまったトレーナーにオグリキャップは強く拳を握って。

「ベストを尽くす!! お互いに頑張ろう」と握手を迫られ、結果は惨敗にしてトイレに引きこもりコースという無残なものだった。

「あんなひどい勝負……本来なら無効だよ無効」

 念を押すほどの辛酸苦痛な思い出に、思い出し笑いを少しだけ見せたツインターボはパリっと態度を変えて返事した。

「そういう話はしねーよ。話したいのは米(ライスシャワー)のこと、それとあんたのことだ」

 声を尖らせていたトレーナーに、すっぱりとツインターボは斬り込んでいた。

 横並び、間に2人は座れるだろうベンチの端と端で空気が凍る。

「なんのことだい」

「それはこっちのセリフだ。あんたはなんで米を走らせようとしないんだ。なんで止めるんだ、理由を教えてくれ」

 睨むツインターボ、顔をそらすトレーナー。

 大人の思考でトレーナーが逃げを打とうとしているがバレバレだ、年若なツインターボにもわかるほど。

 それほどに背中を丸めて顔を隠している。

 だからなのかツインターボは機会を逃さず、ズバズバと発言していった。

「別に良いんだけどさ、このままならあんたウチのチームやめてもらうぜ」

「何を……トレーナーがいないとレースに出られないよ」

「問題ないよ、戻ってくるさチーム・アンタレスの正規トレーナーの「さっちゃん」が」

 思い出させられたという顔、目が泳ぎ強めの言葉を選んで返す。

「……そうかい、だったらライスは」

 

「米はうちのチームの一員だ。あんたに渡さないし、あんたが連れていく権利もない。臨時トレーナーさん、あんたそういう扱いだったよね」

 

 小娘にしてやられた感。

 急に怒りが上乗せされ強張った顔がツインターボを睨んでいた。

 こんな策士だったとはという驚きに立ち上がる

「ちょっと待て!! 立つなよ……怖いから」

 拳を震わせ立ち上がったトレーナーに、ベンチから中腰一歩引いて両手を前に止まれとポーズするツインターボ。

「……怖いよ、……大男、だけどそんなに米が大事なら……とにかく座れよ……」

 トレーナーは我に返った、相手はウマ娘とはいえ少女だ。

 生意気な口を聞いても子供で、暴力に訴えるようなことは絶対にできない。

「すまない……つい……」

「おお俺も言い過ぎ……いや俺はちゃんと言ったぞ。で、どうなんだよ。ていうか聞かせてくれよ。なんで米をレースから離そうとするんだよ」

「離したいわけじゃない、でもダメなんだ。今のままライスが頑張ってしまったら……きっと悪いことが起こってしまう」

 脱力し滑るように座ったトレーナーに反し今度はツインターボが立ち上がっていた。

「悪いこと……だったらなおさら教えろよ!! 仲間ことなんだ、大事なことだろ。あいつはすごいやつなんだろ、レースに出ないなんてもったいないだろ」

 素晴らしい素質を持つウマ娘。

 言われなくたってトレーナーには分かっている。見て知ったツインターボはまだそこまでを見ていない。

 でも感じている、「走りたい」という気持ちを。

 肩を押されむ、答えろと迫られるトレーナー。

俯いたままだ。

「なあ、教えてくれよ。助けになれるかもしれないだろ。それにさ俺は見たいんだよ!! あいつの本気を、米の本気に俺が勝負したいんだ!! たのむよ……教えてくれよ」

 メガネの奥は少しだけ水色に光、声は少しずつ小さくなって、互いの感情がピークを通り越し2人は静まっていた。

 トレーナーの顔を流れ汗とも冷や汗とも取れる雫、立ったまま黙って視線を打ち付けるツインターボ。

 ベンチで祈るように腕を前に重ね背中を丸めていたトレーナーは、何度か首を振りやっと顔を上げた。

「わかった……話すよ」

 観念した顔は深く息を落として、いつも腰につけている巾着袋を持って中身を見せた。

 

 

 

「ケイちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」

 ダイタクヘリオスの大声は軒店を楽しむ客の視線を一斉にあつめ、呼ばれた彼女の顔を真っ赤にしていた。

 呼ばれた彼女の制服は緑色、スカートは長めでレトロセーラーのような趣。

「……馬事公学園(ばじこうがくえん)の制服」

 後ろをついて走ってきたライスシャワーはその制服が意味するのを瞬時に悟っていた。

 トレセン学園とは違う、レースはやらないウマ娘の学校。

 ウマ術ことバ術専攻する馬事公学園。

 英国式に米国式、ウマ娘文化の深い国では国家元首を前に儀仗隊としてウマ娘が参加する。

 特に英国式は、隊バ術的要素を持ちながらも近年は優雅さが大きなポイントとされ、オリンピック種目にもなっている

 競技正装はロングドレスにつば付き帽子、胸元を飾る花など優雅で優美な衣装。

 英国女王の御前にての競技では拝謁と深いカーテシーを合わせるなど、宮廷ロマンスを絵に描いたような図に女性に人気の高い競技であるが、日本では今ひとつ人気がない。

 レースのように瞬発力のあるエキサイティングな部分が少ないからとも言われるが、一番の問題は第一専攻でこの学校に入るウマ娘が少ないということ。

 生徒の多くがレースによるなんらかの疾患や力不足を露呈し挫折の果てに来るが、なおも競技の世界に留まりたいという思い故の受け皿化しているところにある。

 学園自体に少し暗いイメージを付けられている感はあるが、学園長ウマ娘ウラヌスはそれでも花のある世界を目指すウマ娘たちに広く門戸を開き、怪我からの回復やリハビリテーションにも積極的に携わり、中央トレセンと姉妹校として遜色ない業績を上げている。

 そんな学校の制服を着た相手をライスシャワーは覚えていた。

 一昨年怪我でトレセン学園を去ったウマ娘。

「ケイエスミラクルさん?」

 相手を確かめるように見るが、お構いなしのヘリオスは少し引いてしまっているケイエスミラクルの両手をとってブンブン振って大喜びを体いっぱいで容赦なく示していた。

「久しぶり!! ケイちゃん!!」

「うわぁ……、久しぶりヘリオス……って声大きいよ。ていうかなんでここに?」

 馬事公学園のギャリソン・キャップ、深い黒みにほのかな赤の髪はショートボブ。

一見するとバスガイドさんにも見えそうな小柄な彼女はかなり嫌という顔を表に出していた。

「なんでヘリオス? 今日ここに来るのを伝えたのはルビーちゃんだけなのに……」

 わかりやすい苦手意識、何歩も下がって距離を取ろうとする相手に、我感ぜずで矢継ぎ早な挨拶のヘリオス。

「こっちはね、パーさん!!」

 相変わらず赤いポンポンを頭にかぶったままのメジロパーマーはにっこり。

「わぁぁい!! 元気してたぁ?」

「しっているよ、久しぶりパーマー。私はまあまあ元気だよ」

 次は一歩引いた位置に立っていたライスシャワーの手を引く。

「でもってこっちはライスちゃん!!」

「……あっ、あのライスシャワー? へぇ、初めまして」

 ひっぱり出されたライスシャワーに、ケイエスミラクルは興味津々という顔をみせる。

一方でライスシャワーの方は顔をうつむかせていた。

「あの」などと形容される時は良いことがない、きっと悪い噂の方で知られている。

「初めまして……」

 目を合わさない、帽子に顔を隠したライスに、ケイエスミラクルは声を弾ませて手を取った

「春のレース見たいよ、すごいねあのマックイーンを刺すなんて!! 私も一度はああいう勝ち方したかったな。後ろからとドーンと!! 私と変わらないぐらいの身長なんだね。なんだー、すごいなー」

 暖かい、驚いて顔を上げてしまった。

 本気の目が本当に羨ましいと微笑む。

「きみは本当に強いよね、頑張ってね。次のレース楽しみにしているから」

 本当はレースが終わった後、悲嘆にくれた時も仲間のウマ娘はみんな褒めてくれていた。

 なぜあの時は賞賛の声が聞こえなかったのかと自分を疑うぐらいに目の前の相手、ケイエスミラクルの何気ない笑みの向こうに、やっとそれを思い出していた。

「あっ……ありがとうございます。でも私……もうあまり」

「あまり? レースでないようにしているの?」

「いいえ、その……」

 答えにくい、レースが好きだけレースに出ることの意味がわからなくなっていた。

 どうしていいかわからない迷いの中にいる。

「どうしたら夢を壊さないようなレースができるのかって……変な悩みですよね」

 帽子に隠れる顔、ケイエスミラクルはハッとしたような目を見せていた。

「夢を壊さない?……それは……してい……と……」

 シリウスとの会話で付けられた傷のせいで、勝利を喜ばれて期待されても良い答えが出せないとうつむくライスに何かを言いかけたケイエスミラクルの声はかき消される。

 大音響は響き渡っていた。

「さあ!! 行くよ!!」

 次の瞬間ケイエスミラクルはメジロパーマーに軽々と持ち上げられ、体験会のカゴに乗っけられていた。

「ちょっと!! 何してるの!!」

「ス◯ライトだよ!!」

 どういう絶叫? クラクラする返答のヘリオス。

「はぁああ? 炭酸が何?」

 

「サプライズ〜だよぉ!!」

 

 ヘリオスを訂正するパーマー、だが行動は止まらない。

めまぐるしいセリフ合戦も添え物だ、2人は走り出していた。

「どこ行くの!!」

「レースするんだよぉぉぉぉん!!!」

 猛ダッシュのヘリオス、息を合わせ後ろを走るパーマーは呆然とするライスシャワーに手招きする。

「早くぅ早くぅ!! 追って追ってぇ!!」

 お祭り騒ぎの超特急は止まらない。

 ライスシャワーは呼ばれるままついて行くだけだった。

 

 

 

「……なんて言えばいいのかしら」

 ダイイチルビーはいつも一緒にいる取り巻きと離れ学園前に立つ銅像の前にいた。

 今日、親友のケイエスミラクルが来る。

 久しぶりの手紙で「会いたい」とかかれていたことで熱発しそうになった。

 大事な親友だった彼女がこの学園を去って以来のことに、動悸は逸るばかりだ。

美麗な黒髪の下で整えられた眉がハの字に下がる。

「最近レース出ていませんから……きっと怒りますわよね」

 ケイエスミラクルが故障してレースを去って以来ダイイチルビーのレース成績は良くなかった。

 心を支えてくれた友達が目の前から消えてしまったのは辛かったのだ。

「会ったら、叱ってくれる? それとも呆れる? ……あなたからいろんなことを聞きたいわ」


 髪が揺れる静かに、美しい彼女をより美しく見せるさやかな風に感謝祭に来た客は……ビビっていた。

 まっすぐこっち向かって来る暴れウマ娘の神輿に。

「なんだあれ!!」

「ひゃっほぉぉぉぉぉぉぃ!!!」

 佇むダイイチルビーの前を豪速球のようにお祭り超特急が駆け抜けていく。

 待ち望んだ親友の顔が、驚きと戦きに歪んだまま

「ルッルッルッルッルルビーちゃんんんんんんん!!!」

 過ぎ去る画面、溶けそうな絵の中にケイエスミラクルを確認するも、あまりの再会に言葉も出ない。

「……何? 今の何?」

 駆け抜けた何かに放心、そして電気走る背筋。

「……ヘリオスぅぅぅぅ!!! 何をやっているのですか!!」

 涼しく装っていた瞳が鋭く尖ると、大地を突き刺すような足音が響く。

 大切な友人をさらったヘリオスへの怒りが一気に噴き出していた。

「昨日は手紙を盗み見したうえに、今度はなんなのですか!! 一体一体一体なんのつもりなんですの!!」

 感動の再会を期待していた、レース成績の良くない月日を過ごしていたけど少しでも良い雰囲気で再会したかった。

 髪も整えたし頭絡も真新しいくもシックな黒とワンポイントの赤を誂えてきた。

 あの時と変わらない綺麗にしている自分を見て欲しい、そして甘い言葉で……

「台無しですわ!!!」

 遠くを走る2人組、遅れて後ろをはしるライスシャワー。

 パーマーの赤いポンポンのせいで蹴り癖注意のリボンに見えてより一層怒りの火に油を注ぐ。

 自分の想いを蹴られた気分で。

「せっかくの再会をなんだと思っているのぉ!!」

 長らく本気になれなかった脚。

 それが今爆発的な走りを見せていた。

「ヘッヘッヘッヘッリオスゥゥゥゥゥゥ!! なんだってこんなことをぉぉってルビーちゃんはぁ」

「ルビーちゃんはどこー!!」

 さっき通り過ぎただろう。

 聞かれているのに聞き返す、マヌケにも大口開けて全速力だ。

 意中のダイイチルビーはさっき通り越しただろJK。

 みんなして銅像前でモジモジしていた彼女の前を通り過ぎてきたのだから、なのに突っ込み不在のこの集団。

「ヘッヘッヘリオスさん……ダイイチルビーさんは……後ろに……」

 ウマ娘攫い集団の唯一の良心とも言えるライスシャワーの声は小さすぎて静止には及ばない。

 なんとか止めようと手を伸ばすが、2人のスピードはなかなかに早い。

 2人でトウカイテイオーを邪魔したと言われる、有馬記念がごとく息の合った雲助ぶりに驚くばかり。

「じゃあ僕が1番!!」

「あたしちゃん2番!!」

 意味不明。

 勢いはそのまま校庭を突っ切り、休憩に入りダート整備を始めていたダートウマ娘たちの前を横切りトレーニンググラウンドに突入していた。

 砂煙り上がる灼熱のレース始まる。

2人を追ってライスシャワーもコースへ、後ろからはダイイチルビーが突入。

そこで止まればよかったが、この騒ぎは大きかった。

 校庭を横切ったところで、イクノディクタスに見つかり、同じく風紀委員長バンブーメモリーにも見つかっている。

 挙句は学園前庭から騒ぎを聞きつけたサクラバクシンオーも警笛のような声をあげながら突進してきている。

 これほどにウマ娘が乱入すれば、当然模擬レースを終えグラウンド整備をしていたウマ娘たちにも見つかってしまう。

 整地したばかりのコースへの乱入者に、黄色い声の集団が足を追いかける。

「何してやがりますか!! せっかく綺麗にしたのに!!」と。

 複数のウマ娘が走り出せばそれはレースだ。

ましてや校庭を突っ切りレースコースへと突入、オーバルを走り始めれば観客が集まるのも無理はない。

 騒ぎの超特急が連れてきたお祭り騒ぎ。

 観客たちの大移動も伴い学園中に行き渡る事件に変貌しつつある。

 神輿に乗せられたケイエスミラクルは落とされないようにヘリオスの頭を掴んで怒鳴っていた。

「だから!! なんでこういうことするのかな!! 大騒ぎになってるじゃないか!!」

「お祭りだしね!!!」

 まったく堪えてない。

 この後どうなるかなんて蚊帳の外だ。

「もう……どうしてヘリオスはいつもおかしなことするのさ……」

「おかしくないよ!!!」

 わざわざ愛しのルビーちゃんに会いに来て騒ぎの主人公になるなんて、ケイエスミラクルは怒っていた。

 ヘリオスの髪を引っ張って無理やりにでも止めてやろうと吠える。

「止まれ、止まってヘリオス!! なんでこんなことするのか聞かせてよ!!」

 

「ルビーちゃんが!! ケイちゃんとまた走りたいって!! だからレースするんだよ!!」

 

 息が止まる。

「また一緒に走りたい」

 何度もの手紙のやり取りで互いが交わした一番多い言葉。

 ヘリオスは毎度の盗み見の中でその部分を強く印象に無残していた。

 どうしても2人をレース場で走らせたかった。

 ケイエスミラクルは上がりきっていた高ぶりの中で初めて今自分がどうなっているのかを知った。

 レース場だ、かつて走ったあの景色が重なっていく。

 200メートルを切ったサーキットストレート。

 左足から体に走った激痛で、背骨を渡った激痛の電撃でポンっと体が弾けた。

 あの日ダイイチルビーと一緒だった。

 1番人気を取った自分に……

 

「お待ちなさい!!」

 

 4コーナーを曲がるところで彼女の特有の気合、啖呵を切ったあのセリフが聞こえて。

ほんの一瞬だった、弾かれたまま力の行き場をなくし落ちていく自分を突き抜けて駆け抜けて置き去りにした彼女。

「ルビーちゃん、ルビーちゃん……」

 背中に手を伸ばしたまま幕を落とした。

 終わってしまった。

 神速を楽しむレースには出られない体になってしまった。

 もう2度とレースというステージで彼女に会う事はない、ない、ない、はずだったのに。

 なのに今、ダイイチルビーがあの頃のように自分を追いかけている。

「ヘリオス!! お待ちなさい!!」

 いっぱいの涙が溢れ叫んでいた。

 ああレースだ、ここが自分の居場所だった、変わらない仲間のいる場所だったと喉を詰まらせた声で。

 

「走って……もっともっともっと……もっと!!!」

 

「任せて!!!」

 ヘリオス爆進。矢となって走る。

 ダイタクヘリオスは愛しい人との間に入るお邪魔虫。

 彼女のいうこと大嫌いだった。

「頑張って走ると、ルビーちゃんが好き好きって追いかけてくれるの!!」

「私もっともっと走りたかったよ!! こうやってルビーちゃんが好き好きって追いかけてくれるレースを……したかったよ!!」

 空を仰ぎ走り行く愛情。

 学園を巻き込んだレースは大いに観客を沸かせ、関わった全てのものがバンブーメモリーに雷を落とされた。

 

 

 

 正座させられ大目玉を食らうヘリオスとパーマー、責任者として連座のイクノディクタスという図の中から「制止」を叫びながら走っていたことが考慮されライスシャワーだけ説教から1抜けしたところで、ケイエスミラクルが声をかけていた。

 レースが終わったところでダイイチルビーはヘリオスへと勇み足で突っ込んでいたが、ケイエスミラクルに止められていた。

「今日は……ねっ、ゆるしてあげてルビーちゃん」

 泣きはらした真っ赤な目は、2人とも同じだった。

 走っている自分、追いかける彼女。

 忘れていた情熱にまみれた疾走だったのだから、ケイエスミラクルの制止がなくてもヘリオスに張り手を食らわすつもりはなかったダイイチルビー。

「わかってる……今日は……許すわ……、許してあげるわよ、バカヘリオス」

 バンブーメモリーの唸る竹刀を横目に疲れ切って大口開けて、目を開けたまま寝るヘリオスと赤いポンポンで目隠しして寝むるパーマー。

 2人揃って大口開けて魂出切ったかのような顔が幸せそうで、イクノディクタスの額の血管が切れそうである。

 ただ一人叱責に耐え、限界値を超えつつある上がりっ放しの目で噴火寸前。

 とにかく修羅場から離れたところでケイエスミラクルはライスシャワーを捕まえていた。

「ライスシャワーさん、私は、私が思うに夢を壊さないレースなんてないものだと思うんだ」

 突発的な声に戸惑い、抱えていた思いを素直に答えてしまう。

 

「……それでもライスは……人の夢を壊したくないんです……」

 

「……優しいね、だからこそ聞いてほしい」

 疲労が体を支配し始める時間。

 色々な出来事に揉まれ少しだけさらけ出されていた心にチクリと痛み、いつものように顔を伏せ逃げてしまいそうなライスシャワーを、本心を逃さぬようにケイエスミラクルは素早く掴み取る。

「君の見る夢と他のウマ娘が見る夢は一緒じゃない、君に夢見る観客が他のウマ娘に見る夢とも違う、だからどうしたって夢は壊れちゃうものなんだよ」

 わかっていた。

 うつむき口をつぐむ、それでも「夢が壊れたところを見れば」辛くなってしまう。

 あの時も、あの時も、三冠も三連覇も。

 顔を隠してしまう。

 自分に対する罵詈雑言より、叶わなかった夢を嘆く人たちを見るのが一番怖かったと痛感するライスに彼女は赤裸々に自分の想いを告げていた。

「実際私の夢は壊れてなくなっちゃった。でもね……でも私たちの夢って平たく言えば「誰よりも早く走りたい」って事だと思うんだ。私の夢は消えたけど、ルビーちゃんや君や……ヘリオスがまだ走ってくれる」

 ケイエスミラクルはダイイチルビーの手を取り、同じようにライスシャワーの手を取った。

 「夢は壊れたりしない。2人が、私が願った夢に同じく走り続けてくれるのだから私の夢は引っ張られて連れて行ってもらえる、そう思うんだ」

 沈んでいた顔、上げた先には新しい涙で頬を濡らしながらも優しく微笑むケイエスミラクルがいた。

「後悔しながらなんて止めて頑張って、私は君の夢を応援するよ。ルビーちゃん、ルビーちゃんもいつまでも後ろを見ないで、前を見て走って、もっともっと走ってね」

 ダイイチルビーは自分が甘えたかった事を恥ずかしく思った。

 まだ走れる自分にケイエスミラクルの夢が託されている事に気がついて泣いた。

「かんばる……頑張るわ、私のために貴女の夢のためにも……」

 夢は繋がっていく、大きな夢も小さな夢も平らに直せば「走りたい、だれよりも」になるのだろうという言葉はライスシャワーの沈んでいた勝利への「意味」に火をつけていた。

「……ありがとうございます。ライスも頑張ります」

 ケイエスミラクルの微笑みの涙はひび割れていたライスシャワーの心に深く浸み込んだ。

 

 

 

 




 トレセン学園ファン感謝祭・前日譚だったり中日だったり後夜祭だったり


 その日ライスシャワーは自室に閉じこもっていた。
 G3オールカマー以来、チームの活動に参加していなかった。
 授業が終わるや廊下を一直線に走り自室へと駆け戻るようにしていた。
 レース1週間後が感謝祭という過密スケジュールだった事はともかく、色々な事に傷つき誰とも会いたくなく話もしたくないという時間を黙々と過ごすためだったが。
「……ライスはもう学園にいられなくなっちゃうのかな?」
 チームから出てレースに参加しないのならば学園にはいられない。
 窓から覗く世界。
 学園祭前を楽しむ仲間達、出店の支度にダンボール箱を山で運ぶ子もいれば、焼物機の点検に目を光らせる子もいる。
「……楽しそうだな……」
 外の喧騒はそこかしこに黄色い声の花を咲かせ否応無く盛り上がろうとする勢いを感じる。
 あの中に何も気負う事なく入っていける勇気があれば、自分も少しは変われたのかもしれないとため息。
 椅子に座り白紙のノートを前にぼんやりしていたが、気がついた用にドアの側を見る。
「今日は……こないよね」
 実は前日までここも静かではなかった。
 レースが終わった翌日、ライスシャワーは体調不良を理由に自室で泣いていた。
 どれだけ泣いても枯れない涙に、少々自分自身うんざりし始めた頃にそれはやってきた。
「ラーイースちゃーん!! あそびーましょ!!」
 子供か?
 にしては大声だった、おそらく寮のいたるところに響いたであろう声。
 泣き疲れ立ち上がっていたライスシャワーも思わず耳を伏せてしまう大音量の声は、例の2人組のものだった。
 魚眼から覗かなくてもわかっている。
 メジロパーマーにダイタクヘリオス、チーム・アンタレスの、いや学園で言うバカコンビが2人並んで手をつないで揺れながらドアの前で自分の名前を連呼している。
 長い廊下が程よく筒の役目を果たし、2人の声はよく響いていた。
 たまにトーンを変えたり早口合戦みたいにして名前を連呼する2人にライスシャワーは沈黙を守った、耳を塞ぎ嵐が通り過ぎるのを待った。
 小一時間ほどこの合唱は続いて、当然だが誰かに注意されたのか2人は去っていったがこの災難は昨日まで続いた。
 大声を出して周りに迷惑をかけて、2日目には突進してきたシンコウラブリイに噛みつかれ、3日目にはゴールドシチーに目覚まし時計を投げられ、4日目にはナカヤマフェスタに横から思い切りドロップキックを食らわされる2人。
 2人が来るだでも大騒ぎなのに、2人のせいで別の誰かが接触し二次災害を引き起こし大騒ぎになるのはさすがに堪えた。
 幾ら何でもと思った5日目も……来ていた。
 これ以上迷惑が拡大するのは恐ろしい、揃ってドアの前にたった2人に少しだけドアを開けて挨拶した。
「あの……おねがいですから1人の時間をください……おねがいですから周りに迷惑かけないでください」
涙目の懇願をする羽目に、当然ドアの向こうには他のウマ娘がおり、この成り行きを見ているという恥ずかしさ。
 とにかくライスの懇願を理解したのか今日は久しぶりに静かだ。
「ライス……なんか疲れちやった」
 実際疲れた、泣く事で自分のために費やしたいと思った時間をバカコンビに潰され明日は感謝祭というところまで来ている。
 周りの浮かれ具合の中、沈もうにも沈まず宙ぶらりんになった心を抱いたまま、疲れたとため息ばかりが溢れる。
「そうだ……ニンジンミルクティーが欲しいな……」
 癒されたい、そう思った時新たなる嵐はやってきた。
 「開けろ!! 米!! 俺だ!! こないだの件で話がある!!」
 ツインターボだった。


「あわあわあわあわあわあわ……どうしたらいいの?」
 突発的に訪れた嵐は、突然来て突然行動して突然倒れていた。
「開けないのなら突破するからな!!」
 有言実行、言葉の後にやってきたのはドアにぶつかる大衝撃、そして沈黙。
 そっとドアを開けたライスシャワーが見たのは額に特大のたんこぶを作り目を回してぶっ倒れているツインターボだった。
 廊下には誰もいない、今の時間いるわけもない。
 感謝祭の前日だ、祭りの支度に追われこんな時間に寮に戻っている生徒などいない。
 大の字に倒れているツインターボをどうしていいのかわからない。
「どっどっどっ……ライスどうしていいのかわからない……」
「おっ…おおぉ、いたんかよ、早く……ドア開けろよぉ……お前……」
 メガネの下で泳ぐ目のツインターボ、本当に遠慮なく突進したのだろうドアの中程が凹んでいるのだから。
「あの……今だれか呼びますから……」
「ごめんな……」
 背中を向けて保健室へと向かおうとしたライスシャワーの手をツインターボが掴んでいた。
 全力衝突のせいか、いつものような強引さはなく弱々しい掴みで。
「レース、お前も頑張ったんだよな……そうだよな、わざと負けるなんてできないよな俺たちウマ娘はそんな事できない。うん、わかっていたけどさ……ごめん、自分勝手な事を言った」
「あっえっと……ライスは何も怒っていませんよ」
 レースの最後、最後まで全力で走ってこなかったように見えてしまった。
 ライスシャワーの中では全力を尽くして負けたレースだったが、勝ちに慣れないツインターボにとっては最後の直線は疑心のもとになった。
 勝手に描いた勝利の図で、勝ったのに疑心暗鬼になって。
「なんでライス責めるのよ。勝ったのに余裕なさすぎでしょ。部長が悪いんです!!」
 イクノディクタスに言われ反省した、そこに至るまで5日かかったが思い立ったらすぐに謝りたい。
 ライスシャワーの困りながらの告白に苦笑いのツインターボ。
「そっか……じゃあいいや。俺は一言謝りに来ただけなんだ……あぁぁ、まだ言いたいことあるわ。とにかくお前は負けたんだから……今度からはチーム行動には全部出るんだぞ……でもってぇ……」
 そこまで言い切ったところで気を失った。
 バネが伸びきって戻らなくなった体は力なくトロンと伸び、返事をしようと顔を見ていたライスシャワーは軽くパニックにならざる得ない。
「あっあっ……どっ……どおしたら……だれか……」
 結局ライスシャワーに迷惑をかけるツインターボ。
 結局は様子を見に来た馬鹿コンビに引きずられ保健室に行く事に。
 ライスシャワーはどっと疲れながらもこの6日間、初めてと言えるほど泣かなかった事に驚いていた。
 こんなに忙しさに忙殺されたのはいつぶりだろうと思いつつ窓の外を見ていた。
 学友たちが感謝祭のために忙しくしている姿で。
「そうか、感謝祭だものね……忙しくても仕方のない事だよね」と。
 少しホッとしていた。




 日頃レースを楽しみ、声援によって自分たちを推し支えてくれるファンへの感謝祭は明日と迫っていた。
「はあ……わたしったら何をやっているのかしら……」
 いつもはアップにしている黒髪を落とし、湯上りのほてりに両頬を手で隠したダイイチルビーは、寮内にあるソファーでため息を落としていた。
 明日は感謝祭、たくさんのファンを迎える採点に未だグラウンドの整備など委員会を中心としたメンバーが働いているのが見える。
 校舎に向かうメイン通りには軒店ようの電気配線が長〜い蛇のように引っ張られ、それぞに使う機材のチェックが行われている。
 明日は特別な日、特別なお客様を迎える。
 だから念入りの入浴をした。
 手紙のやり取りは多くしたけど別離以来の顔をあわせ。
 大切な友達が学園を訪れる。
 長い黒髪はしっかり保湿され潤いに満ちた輝きを惜しむ事なく見せている。
 長湯の成果にしっかり感100%が余計に恥ずかしい。
「2時間もお風呂だなんて……恥ずかしいわ、何よ、友達に会うだけじゃない」
 念入りのブラッシング、尻尾の先まで整えた身だしなみに苦笑い。
 着替えと一緒に運んだパスケース。
 オルテガ模様でターコイズの装飾が入るそれには大切な友達の写真が入っている。
「ケイエスミラクル……何を話そうかな……」
 久しぶりの出会い、ダイイチルビーはクスリと笑った。


 ケイエスミラクルがここを去って手紙が月一ぐらで届くようになった頃、ダイタクヘリオスは面白いことをしていた。
 毎日落ち込んでいたダイイチルビーだが、手紙が届く日には明るい顔を見せていた。
 ヘリオスはダイイチルビーの変化を見逃さなかった。
「ルビーちゃん!! 良いことあったの? どしたのどしたの?」
「ルビーちゃん!! 一緒にご飯食べよ!! でねでね!!」
 手紙が届く日は躍起になって近づこうとするヘリオスの目的はわかっていた。
 手紙が読みたいのだ。
 ケイエスミラクルが故障した時、彼女を最初に支えたのはヘリオスだった。
 ゴールを切ることなく片足を引き摺りながらスピードに引っ張られ、勢いのまま倒れそうだったケイエスミラクルをヘリオスは全力疾走で救出に向かい抱きかかえていた。
「ケイちゃん!! しっかりして!!」
 認めたつもりはなかったけど、ダイイチルビーにとってケイエスミラクルは大切な「友達」でヘリオスは「とりあえず友達」という関係。
 だがヘリオスからすれば両方とも大事な友達で、友達からの手紙はやっぱり見たい。
 あの手この手と手紙に近づこうとしたヘリオスは、ある日寮の屋上からダイイチルビーの部屋へとクライミングを敢行した。
 当然一人ではできないのでメジロパーマーと実行したわけだが。
 ダイイチルビーはその日も風呂上りで部屋に戻った。
 すでに開封し手紙は読んでいたが、フロから戻ってまた読もうと少なからず浮かれた気持ちドアを開けたところでキテレツな風景に直面する。
 窓の外に逆さになったヘリオスがガラスに張り付いて、デスクの上に置かれている手紙を読んでいたのだ。
「……何しているの……ヘリオス」
 突然のことすぎて固まってしまう。
 開いた口が閉まらないままだ
「あはぁ、ルビーちゃん!! ごきげんよぉ!!」
 すでに長時間逆さだったのだろう、ヘリオスの顔は真っ赤だ。
 相当に負担がかかっているだろうに、器用なことに窓から伸ばしたマジックハンドで複数枚の手紙を並べて読むという芸当をこなしていた。
「……へっへっ、このバカヘリオス!!!!」
 22時を越した夜、ダイイチルビーの怒声は響き渡っていた。


「ふぅ、ヘリオスも会いたいのかしら」
 雑草ヘリオスとは何度もレースをした、華麗なる一族の自分に肩を合わせる勝負をする彼女を世間は何時しか「ライバル」と言い出し、それに腹を立て邪険に扱ったが、心の底から憎める相手でもなかった。
 いつも朗らかなヘリオスが、ケイエスミラクルを失った後の自分を少なからず励ました。
 そう思うとヘリオスにも顔合わせをさせてあげたいと思ってしまう。
 明日会える、明日やっと久しぶりの友達に会える。
 軽いスキップで自室の扉を開けるダイイチルビーの前、ヘリオスが立っていた。
「……ここってわたくしの部屋ですわよね……」
 半開きの口で笑うヘリオス、硬直するルビー、次にあったのは張り手の音。
 イベントの前日、一時も気の抜けない気分をダイイチルビーは味わい、ヘリオスは改めて2人のためにサプライズをしようと意を固めた。



「イクノちゃん、今年もあれやるの?」
 早朝のチーム委員会に顔を出していたイクノディクタスに声をかけたのは「そよ風さん」ことヤマニンゼファーだった。
 ちょっぴり虚ジャッキーの彼女はスレンダー系のおチビさん。
 おでこまるだしのショートボブ、珍しいのか変わっているのか額にビンディのような白い丸があり顔もエキゾチック。
 別チームの彼女もチームリーダーとして委員会に出席していた。
「ゼファー……静かにしてよ、風紀委員長に見つかるとやばいんだから」
 ピーチク。
 小鳥のさえずりのようにライトな声に人差し指で「声チャック」の身振りを見せるイクノ。
 感謝祭の当日早朝、風紀委員長バンブーメモリーは燃えていた。
 勉強は苦手だが「秩序正しい学園生活」というものがレース成績の向上につながると考えている節があるほどに、風紀に熱心で今朝も非常召集をかけらチームリーダーたちは会議室に集められていた。
「問題のないよう!! 清く正しく美しいく感謝祭を成功させるぞ!!」
 一人で安全コールしちゃうぐらい、浮かれているのか熱に祟られているのかわからないが感謝祭成功のために目を光らせていることは確かだ。
「……あれをやるわよ……まったく、仕方ないでしょう」
「わはー、スーパーウマウマ号ね」
「今年はハリ◯テエ◯ジー号よ」
「楽しそう!!」
 あくびをしながらぞろぞろと会議室を後にするウマ娘たち。
 基本早起きなウマ娘たちだが、感謝祭前は準備に余念がなく遅くまで支度し起きてトレーニングの繰り返しになり軽く疲労している。
 ただ感謝祭はなんと言っても祭りだ、疲労も心地よい当日にイクノディクタスはヤマニンゼファーの口をふさぐとお米様抱っこでバンブーメモリーの視界から逃げる。
 聞き付けられては厄介だ。
「2年連続だと色々面倒臭いけどさ……うちのチーム欠員出てから向こう獲得ポイントジリ貧なのよね」
「あー、そうだったよね、年明けに去年入ったメンバー引き抜かれちやったんだよね」
「そそ……女王様に口説かれてさ……」
 チーム・アンタレスはライスシャワーが加入するまで、チーム存続の危機的状況にあったのだ。
 トレセン学園でのチーム成立単位は最低5人である。
 アンタレスも新人を合わせて5人という最低ラインを守ってはいたのだが、年明け1発目の模擬戦を見ていた「砂の女王」に引き抜かれていた。
「なんて言ったっけ? ピザちゃんだったけ?」
「うーん、そんな感じの名前だったような。バカでお調子者だったけど、どんなレースのスピード感もすぐに合わせられるっていう器用な子だったのよね。あーもう、まいったわよ。突然よ「あなたにはダートを走る類稀な才能がある、とても美しい才能を見せてくれてありがとう。私はあなたを咲かせたいと思うのだけど、その美しい才能を私に預けてみませんか」だってぇさ」
 砂の女王ことホクトベガの「女らしい」しなを作った声真似、その後の曲がった口。
「チームじゃないけどあそこは研修生やら地方推薦やらで人は足りてるでしょうに、こっちは人数ギリギリだっていうのに容赦ないわよね」
「あははははは、さすがの鉄の女にも止められなかったかぁ」
「才能の伸ばしどころを選ぶのは個人の自由だし、引き止めなんて時間の無駄でしょう。悔しいけどあの人の相マ眼は確かだし」
 春先に1人抜けた状態で、予定を入れていたレースだけはなんとかやっていけたが5月から向こうの予定は定員割れで入れられず、解散の一歩手前だった。
 解散しなくてもチームは残るが、レースで得られる獲得ポイントがなければ活動は難しい。
 国民的エンタテーメントであるトゥインクル・シリーズは基本的に勝っても賞金は出ない。
 代わりに得られるのは獲得ポイントだ。
 このポイントは勝負服の作成やチームの備品、遠征費に食事代に換金することができる。
 例外的に個人の都合を考慮してお金に変えることもできる。
 理由は生家への仕送りなどに限られるが、タマモクロスなどはそうやって実家の牧場に貢献している。
 ポイントを得るレースに出ようとするならばチームの頭数をそろえるのは必須だ。
 ギリギリのところでライスシャワーの加入を得てレースへの道は断たれなかったが、今年も勝ちに恵まれずチーム運営資金は潤沢とはいかない。
 小金を稼げる「出し物」をやるしかない。
「使える人材が少なくて、大変だねイクノちゃん」
「何気にひどいこというのね、まあそうよ。うちのチームは学園切ってのバカ揃いだしね。とにかく大変なんだから……ちょっとは手伝ってね。そっちは焼きニンジンの店でしょ、風紀委員長がどこにいるかって連絡だけくれたらいいからさ」
 あれをやるにはコース選びに慎重さが必要だ。
 まるでレースの先読みのようにね、そういうと2人は苦笑いを見せる。
「了解了解、お祭りは楽しくやらないとね。でもレースは負けないよ!! 私今度の天皇賞でるからね!! そっちからはライスちゃんと師匠がでるんでしょ」
「そうなのよね。部長は無駄に人気はあるのよね、無駄に」
 人気はあるツインターボ。
 もとより破滅的逃げウマ娘で芸人的パフォーマンスもできる彼女の人気は高かったが、今年はここまで重賞2つを勝っている。
 所謂絶好調で、ファン投票でも上位にランクされ天皇賞にでる。
「ライスちゃんもでるからダブルで入選したらいいね、1番は私だから2番と3番でバックダンサーとしてね」
 小さな人差し指を揺らしご機嫌のヤマニンゼファー。
 最近調子は上がってる良いレースを楽しもうという笑顔に軽口で応じる。
「ついでにバカ2人もつけてあげるわよ」
「やーん、あの2人背が高いから私が目立たなくなっちゃうよぉ!!」
「今日も目立つわよ、あのバカコンビは最高に良い奴なんだから!!」
 ちびっ子ゼファーの頭を押さえてイクノディクタスは開幕寸前の感謝祭会場へと走って行った。




「えっとぉ!! 整地が終わったんで休憩にしていいすか!!」
 どでかい声だった。
 まるで拡声器を耳元に付けられて声を出されたような気分、鼓膜の繊細な神経をピックで弾くような痛みを感じる。
 あまりのでかい声に整列したウマ娘たちがへし折れた電柱のように身をよじり耳を伏せ。
 目の前に座っていたシリウスシンボリもまた同じように耳を伏せ苦々しい顔を見せていた。
 シリウスは運営テント内に、面前には今日模擬レースに参加したウマ娘たちが返事を待っている。
「解散……自由にして良いんじゃないかな、私は別に寮長さんじゃないんだから」
 好きでここにいるわけじゃない、一刻も早くここから逃げたい。
 そもそも感謝祭に出る予定はなく昼まで寮内で過ごしていたシリウスだったが、昼のランチを済ませたところでホクトベガに頼まれていた。
 模擬戦の監督を。
 当初簡易テントの下でストップウォッチをカチカチといじって汗をぬぐうだけという仕事と考えていたが、思いの外忙しいうえに地方出身が多くひん曲がった方言で話も通じなければ、聞かん坊のウマ娘の多さにうんざりする。
 珍しく長い黒髪を後ろで一本に結い、首筋を涼しくしようとするほどの熱気のある秋を実感しながら昼間のホクトベガのいけ好かない態度を思い出していた。
 ホクトベガ曰く。
「日頃の感謝を込めて快く私を手伝ってくれても良いのですよ」と、優しいのに威圧的な目に押され、感謝祭名物の1つダートウマ娘と地方研修生による模擬レースの監督を任された。
 普段甲斐甲斐しく世話をしているのは「ただ」ではないことを痛感させられる目力に押された事もあるが、他にやることもないうえシンボリルドルフからもう1つの感謝祭名物である「リギルの執事喫茶」に呼び出されたが断る口実にもなったため良しとしていた。
「……感謝祭か……向こうでもよくやってましたね」
「まじっすか!! 欧州留学の話とか色々と聞かせてくださいっすよ!!」
 耳直の声に顔が歪む、というか音に押されるという経験を初めてした。
 壁が脳をプッシュするような声に目が尖る、前にいるのは小柄だがやたら声のでかいダート研修生。
 煙たいうえに近い。
「……君、顔近いから離れて」
「そんなこと言わないで話してくださいっす!!」
 この図々しさ、年下で活気のある少女たちは引き下がるということはない、むしろ解散を命じたのに誰も場所を動かず自分を見ているのに驚く。
「……えーと、君たちは何してるの? 解散して良しだよ、祭りを楽しんでおいでよ」
「祭りはいいっす!! そんなことより留学の時の話聞かせてくださいっす!!」
「……昼はまだだったでしょう、ランチにしたら?」
 煙たいどころではない、暑苦しいと手でシッシッと払う真似を見せる。
 見せて「嫌悪」を知らせないとこの手のタイプは下がらない、経験が教える方法で割り切った態度を示しているのに凹まない若者。
「大丈夫っす!! ランチはみんなでここで食べますよ!! シリウス先生も一緒して色々聞かせてくださいっす!! 海外の話聞きたいっす!!」
 ため息が出る。
 同時に嫌悪の最大級を食らわしてやろうと悪い顔が向き直る
「海外ね、そう……だったらホクトベガさんにドバイの話を聞いてからにして欲しいね。順番というものだよ、まずは君たちの「おねえちゃん」の話からだろう」
 もとより自分の話を聞かせるつもりはない、そのうえで無用に懐かれたり教示を求められるのも嫌だ。
 だから誰もが聞きにくいと考えるところを話題を投げてやればいい。
 ホクトベガのドバイレース。
 ある種タブーともされているだろう話を聞ける者などいないだろうという愉悦は、簡単にへし折られていた。
「それはもう聞いてるっすよ!!」
 真顔の生徒たちに思わず聞き返したのはシリウスの方だった。
「聞いてる? どうして?」
「どうしてって、おねえちゃんはその話は普通にしてくれるっすよ。事故にならないように体調管理は大事だって」
「はあ?」
 シリウスの驚きは正直な反応だった。
 あれは大事件だったし、事故の後ホクトベガは何年も日本に帰ってこられなかった。
 体を動かすことができない程、心身に深刻なダメージを負い長く意識不明の状態が続いたのだから。
「……事故の時の話もするの?」
「しますっす、あれは欲が出たとかって」
 深い、そんな言葉が出てくるなんてかなり深いところまでホクトベガが隠すことなく生徒たちに話していることが伺える。
 同時にホクトベガの大きさに苛立った。
 何かと大人な対応で自分を抑えている節があったが、事故のことを教育として他者に話せるなどなかなかできなることじゃない。
 ましてや経験としてこれを聞かせ、役立てろなどとは心に余裕がなければ無理だ。
 ジャージの襟首を解放、自分の中に溜まる苛立ちを熱気と一緒に逃がす。
「……そう、まあ私の話はホクトベガさんのもの程役に立つものはないよ、だから……」
「そげなこといわんでくだんせぇ!! シリウスせんせぇのお話ききたいんよ!!」
 方言丸出しの声が高く上がると整列していたウマ娘たちがズイッと距離を詰めてシリウスに殺到していた。
 午後2時を回ってまだ昼も食べてない集団ウマ娘が、食欲以上にガッツりと並んで話を聞きたいと叫ぶ図にシリウスは動揺し椅子から立ち上がっていた。
「先生とか言わない、私もただの生徒だ。話すことはない!!」
「なんでもいいっす!! 向こうでもやっていたっていう感謝祭の話でもいいっす!!」
「そうです!! 海外がダメならばダービーの時の話とか聞かせてくなしぇ!!」
 足を振るってなぎ倒しいしまいたい衝動に駆られるが、迫る生徒たちの純粋な目にさすがに回し蹴りは無理というもの。
「どうしてそんなことが聞きたいのかな、走る場所があれば海外だろうが日本だろうが一緒だろうに」
「それはそうですけど、おねえちゃん言ってたっす。シリウスさんは海外でいっぱい走ってきた人だから色んな経験を聞いて役立てるといいって、私は海外のレースで、母ちゃんの国とか行って海外のウマ娘と楽しく走りたいんす!!」
 満面の笑みが告げる「夢」に舌打ちと悔恨しか浮かばない、眩しい。
 これ以上この光に惹かれてはいけないという危機感から殺到するウマ娘を避けシリウスは立ち上がり、遠くから走ってくる生徒が見えてしまった。
「ピザちゃーん!! たいへーん!! ピザちゃーん!!」
 整地したばかりのコースわ横切る勢いは、入道雲のように立ち上る砂煙りでよくわかる。
 手を振り走ってくる少女の後ろに何かがいるが、まず振り返ったのはシリウスの真ん前を陣取っていた故郷に錦を願った「すっ」が語尾につく彼女だった。
「トラちゃん!! 私のことピザっていわないっす!! 私太ってないよ!! ねぇ私のどこがピザ豚みたいにみえるっすかぁ!! 私の名前はヴィクトワールピサ!! ピサだって!!」
 両手をフリフリ地団駄踏んで反論するピサは、砂煙りをあげて走ってくるトランセンドに拳を振り上げる講義の姿勢を見せたが。
「ピザちゃーん!! 大変なんだってば!!」
 注意など耳に届くはずもない、騒ぎは多くの人を引き連れグラウンドにやってきているのだから。
「トラちゃんんんんん反省してないっすねぇって……おわぁぁぁなんだあれ!!」
 怒りもあらわの拳を震わせるピサの前、トランセンドは叫び続ける。
「なんだか知らない人がグラウンドに!!」
 もうわかる、というかわかるけど何かおかしい。
 2人並列で真ん中にもう一人、カゴに乗せられたウマ娘の塊が先頭を走り、後ろにはそれ以外のウマ娘がそれぞれ何かを叫びながら走っている。
「あわあわあわあわ、なんてことするっすか!! せっかく綺麗に整地したのに!!」
 なだれ込む水のように大勢のウマ娘が整えられたグラウンドへと入り走り出している。
 シリウスの前に並んでいた生徒たちは気が治らない。
 せっかく綺麗にしたのに、ごはんもまだなのに、口々に雄叫びをあげて乱入の輩追って走り出した。
「なんなの? ああもういいですよ」
 とりあえず質問攻めから逃れたシリウスは、馬鹿騒ぎを遠目に見ながらこの場を離れるよう歩き出していた。
騒ぎにはもううんざりだ、ジャージも早く脱ぎたい、嫌気の溜まるこの場から人知れず消えて汗を洗い流したい。
 風を払いテントを出たところでシリウスは戻っきたホクトベガと鉢合わせになっていた。
 優しい嬉し目が休憩そっちのけで、整地したグラウンドを集団で騒音をあげながら走る姿を見ていた。
「止めないといけませんね」
 今更? 運営で今まで何していたかもわからない相手を避けるように寮へ帰ろうとして肩をすくめて言う。
「無理ですよ、あれはもう私のできる範疇を超えてますからね」
「随分と投げやりなことを言うのですね、あの子たちの質問にも答えないで」
 責めるような口調ではなかったが言葉でしっかり釘をさす。
「お祭りですからまあいいのでは、貴女には貸しにしておきましょう」
 勘に触る言い方だ。
 歯噛みした姿勢から一気詰め寄り襟首を掴みそうになった時、ホクトベガは柳のようにするりと避けて指差していた。
「貴女の意中の方も走ってますよ、どうせ止められないのなら貴女も一緒に走ってみてはいかがですか? きっと楽しいですよ」と。
 グラウンドの縁、少しだけ高くなったそこから騒ぎで始まったレースが見て渡せる。
 1番を走るおかしな神輿の隣、懸命に追随するライスシャワーの姿が見える。
 慌てているような、少し笑みを見せているような顔。
 さっきまで自分に話を聞かせてくれとせがんだウマ娘たちと重なり目を伏せる。
「……止めてみせますよ、前を走ることなんか不要ということを私が必ず……必ず知らしめてあげますよ」
 つめたい尖った声だった。
 シリウスは自分の声とは真逆で楽しい叫声が溢れる世界を背にしていた。



 


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07 アシガラさまが見てるから

そして道は分かたれる。
無駄にだらだらと長いおまけ付きです、余力のある方はどうぞ


 白銀が目をくらます世界。

 雪深くなった北海道、洞爺湖畔に広がる名家メジロの邸宅群が全て白い雪に覆われている季節にメジロパーマーはポツンと戻ってきていた。

 洞爺湖を望む国道から本邸に続く道は昔は舗装されておらず、ガタガタの通りだったが今は来賓も多いことか綺麗に地ならしされたアスファルトと所々に石畳を混ぜた真っ直ぐな一本道になっている。

 2つ離れたバス停でバスを降り、除雪された道をまっすぐ歩いていた。

 ここから県道までの間に名家メジロの屋敷はある。

 というか国道から県道までの間が全てメジロの土地である、言えば洞爺湖畔まで張り出し夏場の水場までも占有する大地主でもある。

 本邸に続く長い道、側道に並ぶ防柵の隙間をスルリと入る、正面玄関から外れ畑と牧草地に向かう雑木林をしばらく歩くと、突然並木は消え失せ目の前に広がる平原に出る。

 向かって左に見えるハーフテンバー方式本館お屋敷に目もくれず、防柵で囲われた牧場の真ん中にある煤けた管理小屋のようなところへと足を進める。

 雪は深いが柔らかい、パーマーの髪のように綿飴のようにふわふわとした道を進む。

 身長175センチ、フロックコートに長靴、ロシア帽をかぶる緩いウェーブヘアにいっぱいの雪を飾った彼女は遠目に見なくてもモデルにしか見えない。

 雪を飾った長い睫毛が目指すのは、ログハウスにしてはちぐはぐに木を重ね、子供がジェンカで家を作ったかのような管理小屋。

 その開かれた大きな軒先をにいる頭まですっぽりとフードを被った人影。

 周りをレンガで組んだ大きな露天暖炉の前にいる影に向かって声をかける。

「おばあちゃま……」

 いつもの威勢の良い陽気な声ではなく、落ち込んだ小さな声。

 唇を噛むパーマーの姿に、人影はすぐに反応していた。

「あんれぇパーマーぁ、パーマーぁ、おかえりぃ。早くこっちにおいで、寒かったでしょう。よく帰ってきたねぇ、こないだのレースも見てたんよぉ」

 上下とも黒の雨合羽のような服からゆるくて柔らかい声、フードから出した顔とツンと立った耳。

 相手もウマ娘だ、いや娘という歳ではなくなっているが、生来老けにくいウマ娘らしく年寄りはしては若い声、顔にシワも少ない笑みにパーマーは走っていく。

 走って目の前に立つ長身のパーマー、彼女の胸より下にある顔へと膝を折る。

「ただいま、ちょっとだけぇ帰ってきたのぉ……」

 いつもより低めのテンション、パーマーの下がった顔を小さな手が両方で頬に触れる。

「うんうん、よう帰ってきたねぇパーマーぁ。どうしたん?」

 孫の顔を見ただけで何かがわかる、手を引き暖炉前の椅子へと連れる。

 その年メジロパーマーのレース成績は乱調だった。

 何が自分にとって良いことなのくわからず、ただ走り続けてきた彼女はスティープルチェイス(障害レース)への編入を経て悩みを抱えて実家に戻ってきていた。

 

 

 

 有馬記念、なんとか3位に飛び込めたもののライスシャワーは勝てなかった。その前のレースもその前のレースも。

 

 復調の兆しはチラリズム。

 

 観客はいつもそのチラチラと見えそうで見えない勝利に一喜一憂する流れが続いていてた。

 また勝ちきれない流れの長さに「ライスシャワーは終わったウマ娘」という声も聞かれるようになり始めていた。

 前回は2位、前々回も2位、力走の結果として「良い勝負」を重ねている。

 終わったなどと言われながらもコツコツと登り始めた機運。

 推しウマ娘がウイニングライブに出る事に観衆は素直な喜びを示し声を上げてくれる、それに素直に答えられない事がライスシャワーに重荷となり始めていた。

 観客席からスタンド、平地を埋める人々の視線に動揺する心の振り子は右に左にと流されつづけるばかりだ。

 レース場を去るトンネルの中、トレーナーが自分たちの帰りを待っている。

 今回のレースにはツインターボも出ていたが「大差」で大負けだった。

「ウワァァァァン!!! バッキャローイ!! 米!! お前はもっと遠慮なく本気だせ!! 俺様は次勝ってガンガン踊ってやるぞ!! 負けねーぞ!!」

 意味不明の説教。

 今日のツインターボ、スタートダッシュは抜群でサーキットストレートの客を大いに沸かせたが3角で失速……あっという間にバ群に飲まれの完全敗北。

 常勝王者ナリタブライアン、因縁にして何度目かの対決に負け2着になったのは不屈の女傑ヒシアマゾンという豪華メンバーに打ち倒されていた。

 引っ張り出してきた2本出しマフラー、青いファイヤーパターンをプリントした派手な勝負服も虚しい最下位、3位入線によりウイニングライブに出るライスシャワーの事など見向きもしないで絶叫を残して控え室に走る。

「うん、今回は体調が万全ではなかった。長引くものもあるのだから無理はしない……いいねライス」

 掴めなかったセンター、何かがまだ欠けたままという不安が顔に出る。

「お兄様……ライスには……何が」

 何が足らない。

「大丈夫、怪我しないことが一番大切なことだから。今日は3着だね、さあ着替えて……踊って歌ってお客さんに感謝を示して……ねっ」

 言いだしそうな唇を止めてしまう。

 走る騒音公害が去った後、ライスシャワーを迎えたトレーナーは優しくそう言うだけだった。

 

 

 

 華やかな声響く午後のテラス、ライスシャワーはいつもの席で一人惚けていた。

 秋から春先、一年における北半球が巡る季節は重賞レースが目白押し、誰がどのレースに出る、どこのチームが好調、食べ物も美味しシーズンをまたぐことから食堂にテラスは大盛況。

 多くのウマ娘たちがテーブルを囲みあれこれと振りまく会話で花を咲かせている中、ライスシャワーは1人でいた。

 レースの後、気分転換をしたらいいと言われ帽子の下面にレースをつけてみたり部屋の芳香剤を変えてみたりと珍しく自ら動いてみたものの、白くモヤの張った心が晴れる事はなかった。

 こんなに賑やかな中で灰色の心を抱えている。

「私は……負けたくない……だけど……」

 だけど何かが引っかかる。

「後悔のないように」というケイエスミラクルの言葉は一時大きく凹んだ気持ちに新鮮な空気を流し込み、勝利への意識改革の役立ったが、根っこ部分の傷が癒えなかった。

 走り出せばそれは消えていくのだが、ゴールが近づくほどに痛みが体を全体を萎縮させる。

 小さなトゲは、ここ一番というところで最大限の痛みを身体中に発揮し、後にむず痒いしびれを残す。

 最大限の悪寒はこの感覚の繰り返しに「慣れ」始めていたこと。

「ダメ……ダメ……どうして、ううん、わかってる。でももう少し……」

 

「いや、頑張らなくていいよ。今のレースが一番良い」

 

 うつむいていた顔、テーブルに移った影に背筋が冷えた。

 心地よい初冬の日差しのの中にありながらも震える。

 前に立つシリウスシンボリは許可を取る事なく椅子に座っていた。

「なかなか良いレースが続いているようだね、君はよく健闘している。善戦ウマ娘の称号も遠くないよ」

 機嫌の良さそうな声は整った指先で手にするアイスティーのグラスをなぞる。

 彼女の黒髪は美しい、ささくれのないストレートヘアに光が写り込む、縦に伸びるそれが鋭くも細い針の束に見えてしまう。

 恐れの象徴と化した相手に、ライスシャワーは顔を下げなかった。

 この人の言葉から始まった「夢」を破壊すること、でも「夢」は終わらないと信じ向かい合うことが「後悔をしない」ことだと知った今は。

「……ライスは負けたくありません」

 口火の言葉にシリウスは少し驚いたような顔をみせる。

 だが気圧されるという雰囲気はなく、何かに納得したような笑みを見せ反抗を口にしたライスシャワーをなだめるような優しい声が返る。

「うん、負けてないよね。負けてない。絶対的勝者にならなければ良いだけだから、君のレース仕方は正しいよ。正しい方法を理解したようでなによりだよ」

 胸にピリリと痛みが走る、今勝てない事は正しくないと心に知らせる警鐘の痛み。

 鈍っている、純然たる勝利というものが曇って見えなくなっている。

 勝てない走りを意図的にしているのなら尚更に「悪」であり、心を押しつぶす罪悪となって走る足を止めてしまう。

 それを理解して瞬きし、目をそらさず相手を見る。

「どうして勝つことがいけないんですか、ライスは知りました夢は壊れない……もし……」

 息を飲み思い切ったライスシャワーをシリウスの遮りが飛び出す。

 手のひらに乗せられた飴で。

「◯永の新作なんだよ、どうぞ」

 興味を示さないライスシャワーに人差し指を揺らしてみせる。

「どうしたことか、まだふらついているということかな。まあ考えてもごらんよ、今君は誰にも非難されていない。あのレースの後はどうだった、君に対して声高く非道いことをいう奴は五万といただろうに、今は誰も言わない。これは正しいんだよ。君は良い勝負をしてウイニングライブもこなして善戦している。総じてみんな幸せになっているだろう」

 本当に優しい顔だ。

 シリウスは自分の忠告が上手作動するよう誘導していたが、今日のライスシャワーは納得していなかった。

 何よりも彼女の言い分にではなく、自分のレースに納得できないのだから黙っていられない。

 押し殺した声はふつふつと爆発を待つ火山のように、我慢強く低く構えたトーンで。

 「負けるのが良いことだとは思いません。私は走るのが好きです、とても好きです。……だから一番で走りたいんです、誰も前にいない景色を……」

 整った指先の手がまたも言葉を遮る。

「他者を踏み倒し勝利するのは一時君の心を楽するかもしれないけど。その後きっと苦痛になるよ。高望みはやめたら方が良い、君の望みが……いいかい、「それが」君と周りの全てを一番不幸にする。今のままがベストだ」

「……うっ……」

 ディベートだ。

 言葉達者なシリウスの前で、思うことを上手く言えない苦痛の時間。

 でも、黙ってはいられなかった。

「頑張って、君を応援する。後悔しながらなんて止めて」

 そうだ志半ばで夢を置いて行くしかなかった人がいる、彼女の言葉が負けそうなライスシャワーの背中を支えていた。

「ライスは決めました、ライスの走りが夢を壊すのなら、壊したその夢も引っ張って連れて行きます。負けたくなかった人の夢を……ライスが持って行きます」

 涙は自然に出てしまう。

 シリウスが怖い、言葉に出して夢を語ることも怖い、でもこれをおいてはいけないという決意が泣きながらも顔を下げさせなかった。

「不可思議だね、誰に吹き込まれたのか悪い方に動いているね。君の敗北がすべて幸せな夢へと変わり、勝者の夢に貢献できるの幸せを得る。君はわざと負けるんじゃない全ての幸せのために負ける、そこに罪悪感なんていらないよ」

 笑わない目、空虚で赤い瞳のシリウスが真っ直ぐにライスシャワーを射抜く。

「勝とうなんて思わないことだ、勝てば頂点の重荷とその夢を背負わされることになる。それは必ず君自身を破滅させる、ただ先を走るだけを夢というのなら……それこそが悪夢だよ」

 

「それでも、もう負けようとは思いません!!」

 

 抉るように辛辣な言葉、目をそらさないライスシャワーの顔。

 緊迫が空気を凍らせた時、目の前に落ちた白銀の柱のごとく巨大なミルクタンクが登場していた。

「やはぁ、お待たせぇライスちゃん」

 絶対にメートルサイズの高さはある、直径は急須と湯飲みが軽く乗るお盆ぐらいあるそれをライスシャワーとシリウスシンボリに見せてゆるい笑顔がいう。

 メジロパーマーは重い空気の中フワフワと、まるで暗雨の中に浮かぶカラフルな熱気球のように入り込んでいた。

 ふわふわカールの長い髪の上に真っ赤なポンポンを被った不可思議スタイルは笑顔のまま2人に言う。

「飲むぅ? 飲むぅ? いっぱい作ってきたのぉ人参プロテイン。全部あげるよぉ」

 むりぃ……

 シリウスシンボリの登場にピリビリした空気。

 シリアスの中に忽然と現れたミルクタンク、鉄柱の一部にも見えるそれになみなみに作られたプロテインとか、いくら人参好きウマ娘が多くても全部飲めないでしょうと、張り切った緊張がわずかに緩み静かなツッコミ、「むりぃ」が其処彼処に溢れる。 

 一瞬で場の空気を変えたパーマーを前に驚きで硬直しているライスシャワー。

 シリウスシンボリは嫌な奴に会ったという顔を一瞬見せると席を立った。

細く閉じた目ですれ違うパーマーと目を合わせる、刃物のような視線に対してパーマーは変わらない丸く愛嬌ある「和」を見せてかわす。

 苦手な相手であることを確信し背中を向けるシリウス。

「なんだかな、君とはあまり話をしたくないんだよね。……これで失礼するよ」

 ライスシャワーとは目を合わせなかった。

 黒髪の彼女は自分が下した灰色の景色を消すように足早く姿を消していた。

 

 

 

「あやうく殺人事件かと……本当そういう風に言われてね、もっと普通でいられないのか君は」

 チーム・アンタレスのトレーナーは放課後トレーニングに入る少し前の時間、駿川たづなからの緊急連絡で保健室へと呼び出されていた。

 呼び出されたのは例によって例のごとく、チーム1の問題児ツインターボがダンススタジオでぶっ倒れていたというもの。

 ただ倒れていたのならば、大方いつもの行き倒れなんだろうと考えたが。

 いずれにしろ思い浮かぶのはロクでもないことばかり、腹でも減らして床に這いつくばっていたとか、極秘朝練に熱中しすぎて昼寝をしていたかのどちらかだろうと安直に思案するトレーナーだったが、現状はかなり斜め上のものだった。

 端的に言えば「ツインターボスタジオ殺人事件」の図。

 スタジオフロアにカエルようにペシャンとうつぶせに倒れるツインターボ。

 その頭付近に溜まる真紅の血だまり。

 まるで後頭部をバールのようなもので殴られぶっ倒れたという様に、ダンスレッスンに入ったユキノビジンが真っ黄色の悲鳴をあげ、保健室へと運ばれた害者。

「ただの鼻血でもあそこまで出てると誰だって怖いわよ」

 慌てるトレーナーを見かけ一緒についてきたイクノディクタスは目の前のアホ面に目が座る。

 なぜこんな馬鹿げた事件に自分が付き合わされているのかという自虐の念も見えるほどに。

「うっせーいよぉい」

 怒りの噴火へのカウントダウンが見えるイクノディクタスの前で軽口の返事、ツインターボはみっともなく両鼻にティッシュを詰め込んでいた。

 詰め込み方がかなり雑で、両鼻から白い花が咲いているような滑稽さ。

 顔面花瓶かお前は的な、笑いを誘発する顔を前にため息が落ちるのはトレーナーの方。

「いったいなんでこんなことになったのさ」

「そうよ、何してたらこんな馬鹿げた顔面になるのよ」

 呆れるが聞くしかない。

 アンタレスの面々は個性的すぎで好き勝手なトレーニングが多すぎる。

 全ての内容を把握するのは困難すぎる、事後聴取とはいえ原因究明のためにトレーナーは逐一聞くしかない。

かなり険の立った2人の前で、聞かれるのなら真面目に応えようとベッドの上に立ち上がるツインターボ。

「ふーん、なぜだと、何故と……ウイニングライブの練習だよ。レースも大事だがメンタルテンションを上げるには踊るのが最適だろう。可愛い俺が可愛い上にセクシーな姿でびしっと悩殺ショットを決める。うむ、それがセクシィー!! シャバダドゥーってな。まっ自分のセクシーさに鼻血が出たというだけ……待ってイクノ……わかったから……」

 言い終わる前に鉄拳はふりかぶられていた。

 トレーナーは目を閉じ長いため息が漏れる。

「何言ってるのか全然わからないんだけど、もう一息顔面にトランスフォームが必要なのは理解したわ」

「ああ……僕には意味がわからない」

 聞いて損した。

 鼻血を止める綿棒で顔の輪郭を落書きのように崩しているツインターボ、なのに腰をくねらし銃を撃つ仕草、人差し指をピンっと立てたポージングに気持ちが萎える。

 隣ではチョッピングライトでツインターボの頭を撃ち落そうとするイクノディクタスだが、「そのままやってしまえ」とGOサインを出したくなる心境だ。

「よせイクノ、その目やめろ怖いぞ!!」

 半分白目、黒目は上に向きっぱなし「ディクタスアイ」と呼ばれる独特の激昂を現す目にさすがのツインターボも引いていた。

 普段は愛嬌の良い丸目の彼女が、まるでテレビ画面から飛び出すエキセントリックな魔物のようで怖すぎる。

 両手を前に静止を頼みつつ目をそらすツインターボ。

「ごめん……マジで待て、ごめんなさい」

 牙剥くイクノディクタスだったが、一輝に窮地へと追いやられベッドの隅で震えるツインターボの姿に肩を落とし深呼吸した。

「ああもういい……トレーニング先に行くから。……後でいいから部長、チームルームに来てよ。来なかったら処すからね」

 言うや保健室を後にした

「おおう……怖かったぜ……いやぁ、マジでイクノが怒ると怖いよな」

 荒々しく閉められたドア、重箱の隅のに張り付くようにベッドと壁の間に逃げていたツインターボは、イクノディクタスの後を追って部屋を後にしようとするトレーナーを呼び止めた。

「なあ、あの後も夢……見るのか? 悪い夢っての?」

 背中を向けていたトレーナーの動きが一瞬止まる、瞬間的に稲妻を落とされたように上を向き振り返る。

ベッドの隅から表まで這い出てきたツインターボは、鼻に綿棒を突っ込んだままだが顔は真面目になっていた。

「……今は見ない、というか別の何かが見える」

「何?」

 感謝祭の時、「なぜライスシャワーをレースから遠ざける」と問い詰めた。

 トレーナーの答えは「悪夢」にあった。

「何かわからない、人じゃないしウマ娘でもない。影だ……影が走っているんだ4つ足の影が青い目を光らせて」

「4つ足……牛か?」

「牛じゃない、もっとスマートな……」

 巾着袋を両手で持つ、トレーナーの実家にあったという奇怪なもの。

 ウマ娘のものとは異なるサイズの「蹄鉄」はトレーナーの実家に古くからあったものだった。

 真円とまではいかないが、全体が円形。

 長さは14~5センチだが幅は20センチ以上あるという「奇怪な形」

 おもちゃか見本品かと考えたが、使用跡があり溝に土や草が挟まっていた。

 トレーナーは、「誰かの蹄鉄」と思われるそれを手にした時から奇妙な夢に苛まれるようになった。

「前みたいな消えていくって夢じゃなくなったんだな」

 以前は人影のような形が闇の中のわずかな光に照らされて立っているのを見ていた、ただひたすら前を立ち近づくほどらに崩れ去っていく。

 いつしかそれがライスシャワーの姿と重なり悪夢となって悩ませた。

「人影じゃなくなったなら良いことじゃないのか?」

「僕もそう思いたい、でもあの目は何か言いたそうな……そんな感じなんだ」

「牛はしゃべらねーよ」

「動物は話さない、だからこそ精神に直接届く何かが夢に出ていると思う」

 ツインターボは立ち上がり軽めのストレッチをしながら部屋を出ようと進む。

「夢と米は関係ない、とにかく体調管理だけはしっかりやってやれよ」

「わかっている……」

 感謝祭で話を聞いて以来ツインターボはトレーナーに敵対的態度は表向き見せていなかった。

 夢をただの言い訳とは受け取らなかったからだ。

 ウマ娘は時々おかしな夢を見る。

 それは異なる世界から伝えられる自身の出自に関わるものが大半である。

 だが夢の中身については覚えている者は少なく、精神に変調をきたすような悪夢でもないため放置される事が多い。

 稀にウマ娘の関わるトレーナーの中にも、同じように夢を見る者がいる。

 この場合は何かしらおかしなことが起こりやすい。

 なぜだかわからないが、人の方がウマ娘の異なる世界から受け取る夢の干渉に対して敏感なのだ。

 良いこともあるのかもしれないが、基本的にトレーナーたちはこの手の話をウマ娘にしようとはしない、同業のトレーナーと話すことはあってもウマ娘の心の負担にならないよう自分たちだけで解決する。

 ライスシャワーのトレーナーはそれができなくなるほど病んでいた。

「このことについて僕は……僕には何かしら重い責任があると考えている。なにせ前のレースの時はライスに無理なトレーニングを強いたしね」

 春天の後、レース場にあふれた罵詈雑言に病んだのはライスシャワーだけではなかったとツインターボは理解した。

 努力は報われる、報われてほしいという願いが強ければ強いほど、努力の結果に罵声を浴びせられるのは耐えられないものだ。

 だがしかし、それが話されたからと言ってレースを断念させることをツインターボは考えなかった。

 走る妖精ウマ娘、走るために生まれるのだから。

 今の状態をライスシャワーが満足としているとは思えなかったからだ。

「とにかくレースに出すし、俺も挑む。目指すは次の春天だ、だから……まあしっかり見てやれよ」

 拒否に協力はしない、でも仲間のためを思うことを否定もしない。

 ツインターボはそういうとドアを閉めチームルームへと走って行った。

 

 

 

「ねぇライスちゃん、ライスちゃんはレースが嫌いなの?」

 ジャージに着替えレースグラウンドで他のメンバーを待って芝生に座っていたライスシャワーに、メジロパーマーは急に話しかけていた。

 大物ミルクタンクは横に転がされ、簡易蛇口みたいなものを取り付ける作業を終えて振り返ったパーマーの顔にライスシャワーは下を向いてしまう。

「……嫌いじゃないです」

 少しピリッとした、パーマーのイメージから自分の抱える重荷に触れてくるとは考えていなかったから。

 せいぜい緩い口調の励ましをするぐらいだろと、そう思っていた顔をあげた前に彼女は微笑んでいた。

 微笑みが嫌味に見えない。

 いつものように真っ赤なポンポンを頭に乗っけたパーマーの顔に不思議と気持ちが和らいだ、チーム・アンタレスは極端な性格揃い、その中でも「のんびり派」に入るパーマーとの会話は、いつも張り詰めているライスシャワーの心をの女の語尾によろしく溶かす。

「……ライスは負けたくないのです、でも他者の夢を壊すことで見ている人全てを不幸にしたくないのです。どうしたらいいんでしょうか」

「ライスちゃんは優しいんだねぇ」

「? 優しくなんてないです……これはきっとわがままなのです……」

 ずっと胸に抱え込んでいたものケイエスミラクルの助言で溶け出していた。

 歯止めを効かそうと鉄心打ち込む諫言を繰り出したシリウスの意見に打ち負かされそうだったが、今日は逆らった。

 逆らった事で毛羽立った心だったが、ギリギリのところをパーマーが「何気ない態度」で救ってくれた。

 だからか彼女と話しをして良いのかもと心が傾いていた。

「ずっと2番いれば良いのでしょうか? ライスは走ることが好きなのに」

「あーん、好きなら頑張っていいんだよぉ1番になろうよぉ」

 あまりにもあっさりとした返事にライスシャワーはメジロパーマーの強さを思い出していた。

 目の前の彼女は朗らかで何事があっても柔らかな態度を崩さない。

 ダイタクヘリオスと2人でいるところを学園では「馬鹿コンビ」などとも言われるが、このコンビは本当にレースを楽しく走るのだ。

 誰にも応援されてなくいても。

 特にパーマーはそうだった。

 名家メジロの祖母・母。そして娘による天皇賞三代連覇を成し遂げたメジロマックイーンは、悲願達成の大金星もあり、どの試合でもメジロ家大応援団がレース会場の半分を埋める勢を見せていた。

 トレセン学園ではメジロ家一門の長子的存在メジロライアンも同じく、メジロドーベルもまた然りの大応援団を擁していたが、パーマーの応援にはメジロ家の担当執事が来る程度という奈落の格差だった。

 あの日のレースもそうだった。

 G1宝塚記念。

「誰にも応援されなくて……辛くなかったですか? 観客が応援してくれないのは……耐えられます。その……でも家族にも応援されないって……辛くないですか?」

 ライスシャワーは今現在お兄様がレース参加に消極的である事にも傷ついていた。

 家族に匹敵する対象として浮かんだトレーナーは、走る自分に関心を無くしたかのように体調の事だけを気にして指導をしてくれなくなっていた。

 走りは不必要なってしまったのかもしれないという思いは日に日に膨らみ大きくなり、今不安という風船は弾けて失礼な質問をしていた。

 うつむいてこぼした言葉に我に帰り、飛び上がる勢で真っ赤になった顔をあげていた。

「ご……ごめんなさい、ライス失礼なこと言っちゃった……」

「いいよぉ、気にしないで。あたしちゃんも気にしてないからぁ」

 飛び上がったライスシャワーの頭をパーマーの手が優しく抑える。

 いたずらな目を丸くして悩みに浮き沈みを見せる相手を気遣った。

「ねえねぇねライスちゃん、あたしちゃんの話を聞いてくれる? あたしちゃんの大好きな話を聞いてほしいなぁ」

 迷う瞳にパーマーはいつもの笑みを見せて、自身が迷っていた時の話を語り出した。

 

 

 

 雪の降っている寒い日だった。

 いつも自分を応援してくれるメジロ家の祖母の1人メジロアシガラに手を引かれ暖炉の前に座ったと途端に、ポロポロと涙がこぼれた。

「どうしたんパーマーぁ……寒いんかい? お腹すいてるのかい?」

 首を振り言葉を探すパーマー。

 思い出される今日までのレース。

 レース成績が伸び悩み、トゥインクルシリーズで重賞をとったにもかかわらず本人の意思とは関係なく、「メジロの名誉のために」と、言われるままスティープルチェイス(障害競走)へと編入され、それでも1つ勝利を挙げた。

 勝ったレースに自分を応援してくれる一門の人はいなかった。

 唯一応援に駆けつけていたのは担当執事とメジロライアンだけ、少ない拍手を前に泣かなかった。

 泣かなかっけどパーマーは傷ついた。

 頂点を目指すトゥインクルシリーズ。

 トレセン学園で走り始めた仲間達の最初の目標だが、パーマーはすぐに目標を決めることはできなかった。

 目標を決めて戦うということよりも、走る事への楽しい気持ちのままレースの中へと入っていた。

 それが他のウマ娘との差となり、浮き沈みの激しい「勝利」が期待できないレースに繋がっていたがパーマーは気にしていなかった。

 レースに熱中する仲間達の中で、彼女達の情熱を浴びて一緒に走りたいだけなのだから。

 純粋にレースに参加する事を楽しんでいた。

 だけどメジロ家という一大家門であることが、純朴な気持ちのまま頂点への走りを目指すことを許さなかった。

 勝つためにレースの土壌を変えてしまった。

 トゥインクルシリーズからスティープルチェイスへと、「勝利せよ」と、一門からのきついお叱りを受けて今に至る。

 泣き出した孫にメジロアシガラはみかんを持ってオロオロしていた。

 普段は涙も見せない明るい孫娘の涙に本気で驚いていたのだ。

 

「ごめんなさい、おばちゃまみたいに……綺麗にとべないの……」

 

 精一杯の反抗だった、一門の下した路線変更に未だレースの取り組み目標が定まらないパーマーが正面切って逆らえる理由などなかった。

 震える両手を膝に、名家一門の危機を救ったスティープルチェイスの優である祖母にどうにもならない気持ちだけを伝えに来たのだ。

「はぁああ、パーマーぁ」

 チェイスに強制移籍を強いられた孫の抱える苦しみを、その中身に近づこうとアシガラはパーマーのスカートを少しだけめくってみた。

 慣れないレースに脚は両膝とも擦り傷に切り傷だらけ、名誉を掲げ戦うことになった孫は心と体に大きな傷を抱えてレースで勝利をあげていたことをすぐに察した。

 泣く孫の顔を両手で捕まえると、フンっ鼻息荒くでも満面の笑みを見せるアシガラ。

「おばあちゃんが、ティーちゃんに言ってあげる。パーマーぁがトゥインクルシリーズに戻れるように頼んだげる」

 ただ何もない道、障害などない道を飛ぶように走りたいという孫の願いをアシガラは掬っていた。

「おばあちゃまみたいにぃ……なれなくてゴメンなさい」

「いいのよぉ、私になんてなれないよぉパーマーぁわ。だってパーマーぁは、ばあちゃんみたいに小さくないし脚も短くない。背が高くってすらっとしていてとってぇも綺麗だもん」

 頑張ったパーマーを手を開いて力一杯抱きしめた。

「パーマーぁ、好きなところで走ればいいのよぉ。みんな自由に走っていいんだよ」

「でもでもぉ、そんなことしたらぁ、メジロの人がみてくれなくなっちゃうかもぉ、帰ってこられなくなっちゃうかもぉ」

 色々な事件が物事の秤になる。

 純朴なパーマーでも、自分に対しては少ないメジロの応援が期待されていない事よりも、自分に掛かるメジロ家の期待を裏切っている事でわと薄く感じていた。

 障害に行けと言われたのに嫌だと戻り、期待を裏切り続ければメジロに帰ってこられないのではという不安を芽生えさせるのは自然の流れ。

 不安が素直な喜びを打ち消している事にアシガラはすぐに気がつく、パーマーに必要な助けてとして抱きしめた手に強く力を通わせる。

 

「何ぃ言ってるのよぉパーマーぁ、メジロの子はみーんなメジロに戻ってくるのよぉ。パーマーのレースはおばあちゃんがずっと見てるよぉ、ずっとずっと見てるよぉ、天国に行ったって応援するんだからぁ」

 

「やだ!! 天国に行かないでおばぁちゃま!!」

 飛び出した本当の声、今まで怯えてよそよそしかった声に力が通って抱きとめたアシガラへと強くしがみつく。

 元気が戻ったパーマーにメジロアシガラは満面の笑みを見せて言い放った。

「まだ行かないから大丈夫!! だからなんも心配しないとぉ、好きなように走っておいでぇ」

 東京へ帰る前、本宅には行かなかった。

 本宅のドアを開ける勇気はなかったけど、自分をここで待って応援すると言ってくれるアシガラに会えた事で胸がいっぱいになった。

「おばあちゃま!! あたしちゃん頑張るぅ!!」

 定まらなかった目標ができた、応援してくれるおばあちゃまにもっともっと喜んでもらいたいという暖かい気持ちをいっぱいにしてパーマーは東京に戻っていった。

 そうレースの世界に戻ってきた。

 

 

 

 宝塚記念、誰もメジロパーマーが一番で走ってくるなんて考えもしなかったレース。

 学園のウマ娘もスタンドを埋め尽くした観客も、手慣れた実況をするアナウンサーでさえもが、推しの9番人気である彼女がゴールラインを突き抜けていくなど想像していなかった。

 ゴールを切った後の動揺のざわめきが、歓迎されざる勝者の証だったのをひっくり返したのはアンタレスの面々の祝福からだった。

 勝ったメジロパーマーに一直線に観客席から飛び出しマッハで走ったツインターボ。

「やったな!! パーさん!! 圧勝じゃないか!!」

 同じレースを走った仲間、遠慮のないタックルで飛びついたダイタクヘリオス。

「パーさん!! 踊る!! おどっちゃうぅ!!」

 やれやれと先を越された感を出しながらも大喜びで駆け寄ったイクノディクタス。

「やったわねパーマー、嬉しいわ!!」

 大喜びのチームメンバーにつられ、勝者パーマーへの拍手は会場全体に始まり満開に咲いた祝福の中で大きく叫んだ。

「おばあちゃま!! あたしちゃん勝ったよぉ!!」と。

 

 

 

「あたしちゃんにはあたしちゃんの為にいてくれる大好きな応援団がいるんだよ!! アシガラおばあちゃまがいてくれたら後は何もなくてもいいのぉ」

 たった1人の声援がパーマーに百人力の力を与えた。

 

「だってぇね、おばあちゃまは永遠なのぉ、天国に行ってもあたしちゃんを応援してくれるって、そう言ってくれたんだからぁ」

 

 そこまで言って口を開けたままストップ、思い出したように慌てて。

「まだ行かないよぉ、まだぁまだぁ元気だからぁ!!」とはっきりと言いなおす。

 ライスシャワーの曇った目は晴れ、ほんわかと羨ましい気持ちを覚えていた。

 誰に背中を押されたかったのだろう、スタンド席にいる全てのお客に納得されたかったのだろうかと、浅ましい気持ちに気がつき涙がうっすらと浮かんだ。

「ライスは……わがままな子ですね……」

「うんうん、わがまま言ってよぉ。あたしちゃんに「もっとライスを応援して」って言ってぇ。でもってあたしちゃんのレースもぉ応援して、師匠もいるしぃイクノちゃんもいるしぃダイちゃんもいて……ライスちゃんもね!!」

 ただ目を丸くして聞いていたライスシャワーの手をとって大喜びのメジロパーマー。

「ライスもいる……」

 それはとりもなおさずパーマー達、アンタレスの仲間達が自分にもいたんだという事。

 ライスシャワーの目に淡い潤いが光る。

 いつのまにか本当に自分はわがままな子になっていたのだと気がついた。

「ライスにも……ライスもみなさんを応援してます、します……」

「うん!! だからライスちゃんも頑張って走ってぇ、でもってあたしちゃんはわーっと応援するからね!! ライスちゃんが勝って幸せになれるのならぁ、それはみんなの幸せなんだから!!」

 長身のパーマーが空に向かって大きく手を開く。

 空は青くて広くて、涙が溢れて止まらない。

 自分だったらとバカの事を考えながらも、自分を取り囲むウマ娘たちが今日までの間に色々なアプローチで自分励ましてくれていたのではと気がついた。

 何か贅沢な思いで、もっと応援してほしいなんて願っていたのではと気がつき恥ずかしくなっていた。

 そうじゃない、お兄様がいてくれたらそれでよかったところから走り始めた。

 今はお兄様だけじゃない、チームのみんなが応援してくれる。

 十分すぎる祝福があった事に気がついて声をあげて泣いていた。

「がんばろぉライスちゃん!! 次は天皇賞だよぉ!!」

「僕も応援してるよ!!」

 熱中した2人の下、グラウンドの土手に転がしたミルクタンクの蛇口にいつの間にかダイタクヘリオスが吸い付いて、おーっと手を挙げている。

「ダイちゃん寝たまま飲んでるぅ、お行儀わるわるだよぉ」

「おいしいよこれぇぇえっええれえれえれ」

 寝っ転がったままの飲食で蛇口から離れた途端に顔面を濡らすヘリオス。

 泣いている暇もありゃしないチームだ。

 目標は決まった。

 

「ライス……ライスお兄様のところに行きます!! もっともっとトレーニングをして強くなって走ります!!」

 

 言うや体は走っていた。

 軽い、手も足も縛りつけていた荊はもう何もない。

 ライスシャワーは飛ぶように走り、馬鹿コンビ2人は顔を見合わせて後を追った。

 目指すは天皇賞、幾重にも因縁が絡んだあのレースはまだ終わっていない。

 まだ道半ばだ、今度は真っ直ぐに、全ての迷いを断ち切ってゴールを突き抜けるという希望に目を輝かせ走っていた。

 

 

 

「どうして真面目な生徒を苛むのですか?」

 トレーニンググラウンドに向かう道、トレセン学園本館の渡り廊下から、目の前を矢のごとく走り抜けたライスシャワーを見ていたシリウスシンボリに声をかけたのはホクトベガだった。

 本館校舎から寮の方へ、研修生たちのための資料を受け取った帰り道。

 渡り廊下の端で柱を背に目を尖らせているシリウスを見つけたのだ。

「……苛む、とは。難しい事をいうんですね。さすがトレセン学園準教員資格者はいう事が違いますね」

「貴女ならば授業で習っているはずですからね」

 冬の日差しの中に真っ赤な影を作る髪を静かに揺らすホクトベガ。

 遠くに霞むライスシャワー、シリウウスの視線をホクトベガも追う。

「なぜライスシャワーさんを責めるのですか?」

「責めてなどいませんよ。彼女は何の過ちも犯していませんし」

「過ちがないというのならば、これは貴女の個人的な憂さ晴らしなのですか?」

 長い睫毛が隠す冷めた目線、かなり踏み込んだ物言いだった。

 憂さ晴らしなど、一方的ないじめをしていると明確に言われたようなものだ。

 明らかにシリウスを煽った意見に当然のように尖った目が振り返り斜めに上がった口で言い返した。

「ふんっ、ならば貴女がダートレースへと新人勧誘をするのも憂さ晴らしなんでしょうね」

 ファイルを両手に抱えたホクトベガをシリウスは突然強く押した。

 肩を押し、自分の位置より突き放した。

 勢いホクトベガは3歩4歩と後ろへ下がり渡り廊下の柱に背をぶつけていた。

 

「ホクトベガさん……貴女は貴女の手に入らなかった夢を新人ウマ娘に押し付けている。なぜ自分の夢を他者に頼ってまで得ようとするのですか」

 

 吐き捨てるような言葉ではあるが、決して逸らずむしろ声を地面に縫い付けるような重い響きで歩を詰め柱の側に背中を当てたホクトベガを圧迫する影となる。

 背丈はそれほど変わらない2人だが、シリウスの圧力は大きな山ような強さとなり、憤りに色がつくほどの威圧がホクトベガを見下ろす姿勢になっていた。

 なってはいたが、ホクトベガは決して怯えてはおらず手に持ったファイルを下に綺麗に置くだけの余裕もあった。

 胸に手をあてて、間違わぬように想いを返す。

「私の夢は私のものです。私が見た夢を目標として追う者がいるのならば、喜んで夢への道に必要な方法を教えそれを後押しする。ただそれだけですよ」

「余計なことですね。同じ夢を見たからと行くも恐怖の道を軽々しくも遊園地にでもいけるかのように後押しするなど……得られなかった勝利への欲に取り憑かれている。教示を与えることで自分が勝者にでもなれると思ったの? 偽善者め」

 紫の瞳の中に夕日の赤い怨が揺れる。目に光はない、空虚竹筒の穴のように潰れている。

 蒼い瞳は一度大きく見開かれ、初めて触れるむき出しの感情を理解した。

「……それが貴女の、貴女が抱いている苦しみなのですか? シリウスシンボリ」

 澄んだ湖水のような蒼い目が、苦虫を噛み切る勢いで唇をへし曲げた赤い目を見つめる。

 わずかに歪む姿勢、体ごと左に傾げるような影は微動もなく、ただ睨むだけだ。

 軽く鼻で返事すると踵を返す。

「意味不明ですよ」

 背中を向け速やかに姿を消そうとするシリウスにホクトベガは初めて叫び声をあげた。

 

「皇帝だって夢を見るのですよ!!」

 

「強者には不必要なものですよ」

 終始冷たく重々しかったシリウスの声は夕日の沈んだ渡り廊下へと吸い込まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




07 アシガラさまが見てるから・おまけ
  メジロ家騒乱編&過去編&今から編

「まさかと思いますが、パーマーが勝ちましたか?」
 真顔だった。
 白い長髪にロングスカート、細身のウエスタンシャツにいかにも牧場の者らしく長靴を履いた美形ウマ娘は眉を顰めた顔でアシガラの住む管理小屋を訪れていた。
 彼女の後ろには複数のウマ娘、というかレースの世界を引退したメジロのウマ娘とウマママ娘が集まっていた。
 大きなレースがにメジロウマ娘が出走すれば応援ツアーを組み、ここにいるはずのないメンツが集まってしまったのが事件の始まりだった。
 何せ今回はメジロ家の期待のメジロマックイーンも、良きライバルのトウカイテイオーもいないレース。
 低く評された脇役大会今日だったが、スタート切って始まったレースはすごいものだった。
 最初から先頭に立ち全てのウマ娘立ちを率いるように走ったメジロパーマーは、最後まで1番を貫き通してゴールしていた。
「きゃーぁぁぁぁぁぁ!!! 勝ったわぁ!! 勝ったぁ!! パーマーぁ頑張ったぁ!!」
 黄色い声は元気いっぱいに喜びを叫んでいた。
 ここはメジロ邸内、牧場のはずれにあるメジロアシガラの住処。
 昔作った管理小屋を改装したつぎはぎの建物、ジェンカを組んだようなログハウスよりも粗雑で子供工作のような家。
 木箱で作った台座の上にブラウン管テレビがあり、さらに上に猫と写真とアンテナの乗るレトロそのままの家の中、真ん中に鎮座した平テーブルを囲んで熱戦を観ていた2人。
 メジロ家重鎮のメジロアサマとメジロアシガラは平テーブルの周りを2人してぐるぐると走り回って喜びを表していたところに、現メジロ家当主メジロティターンはやってきていた。
「……ティーちゃん、なんでぇここにおるのん?」
 はしゃぎ回ったいたアシガラは玄関に集まったメジロのウマママ娘一同に向かって首を傾げていた。
「今日はみんなで応援に出てるんでぇなかったのぉ?」
 ティターンの顔は苦味を見せたままテレビ画面とアシガラの顔を交互に見る。
「いいえ……えーっと、今日のレースはマックイーンが怪我で回避となりましたから……その時に応援団ツアーは中止したわけでして……」
 本邸から離れて暮らして居るアシガラにその報告が入ったかどうかわからないが、自分を見る目からして「知らなかった」というのが正解だろう。
「なんでぇ、なんでぇそんなことするの? パーマーぁ出るってわかっていたのにぃ応援は誰も行かなかったのぉ?」
 喜んでいた顔が一瞬で曇る、下がった眉のアシガラは自分より背丈のあるティターンの前に立つと唇をプルプルと震わせて聞いた。
「パーマーが出るのは知っていましたが、勝負けの激しい子ですから……行っても負けでは意味がないというか……」
「なんで意味ないなんて言うのぉ!! そんなのぉ関係ないよぉ、頑張って走ってるのよぉ」
「大丈夫です、担当執事のトシが……」
「違うよティーちゃん!! 前から思っていたけどぉ、なんで勝負けで応援の区別をするのぉ? みんなメジロの子だよ!! 頑張って走ってるんだよぉ!!」
 不満爆発、アシガラは常々考えていた事があった。
 パーマーがトゥインクルシリーズに戻りたいと泣いて頼みに来た時からずっと不満に思っていた事。
 メジロ家の中にある応援団による応援格差。
 活躍している子には惜しみなく応援団を送り大声援の旗を振る。
 メジロ家筆頭トレーナーのミヤも参加し記念写真も大きく撮る。
 一方で活躍芳しくない子の応援はまばらである。
 中央トレセンでのレース初回には、メジロ家内で担当した個別の育成トレーナーが応援に来るが、以後のレースの出来如何では彼さえ応援に来ない。
 北海道を本拠とするメジロ家だ、自分の子の応援にだってお金はかかる。
 我が子が活躍しなければレース場に家族でさえ応援に行けないという現状をアシガラは強く不満に思っていた。
 行きたいと自費を工面する者までも止めるティターンに怒り爆発の状態だった。
「なんでぇ応援してあげないの!!」
 つかみかかるまではいかないが、背の低いアシガラの下からの睨みにティターンは目を合わさず、それでも厳格に規則を作った者として応えた。
「応援に格差があるのはレースに対する姿勢に「緩み」を与えないためです。強くなければ一門を住まわせ共に行きていくのは難しい。その事はアシガラ様もご存知のはずでしょう」
 名家だから大して活躍しなくても大声援をもらえる。
 そんなふうに思われてはこまる。「さすがはメジロ家」と言われるような強い家訓をもってこそ壊滅的危機から復興した強い一族の証明、そのための試練だとティターンは告げた。
 冷徹にも思えるティターンの言葉をアシガラは納得しなかった。
 そのやり方の結果としてパーマーは泣いたし、メジロの子の中でも萎縮してしまう者もいる事を知っているから。
「応援はぁ!! 差をつけたり格を見せたりするものじゃないよぉ!! 心からするものなんだからぁ!!」
 前のめりのアシガラに回りがハラハラするがティターンは冷静だった。
「他の家のウマ娘を鑑みれば当然の事です、誰でも最初から声援を得られるものではなく、勝って自らを証明していくことで得られるのが応援なのですから……」
 冷静さがカンに触る。
「もういい!!!!!! ティーちゃんの分からず屋ぁ!!!」
 言うや目の前のアシガラは走っていた、走って管理小屋と牧草地を分ける防柵を飛び越えていた。
 ティターンの後ろで事の成り行きを見守っていたメジロのウマママ娘達も、一緒に中継を観戦していたアサマも口が開いたたまま呆然である。
 自分たちの頭上を一足飛びで、自分たちより年寄りのアシガラが難なく飛んで行ってしまったのだから。
 柵の高さは普通にメートル越えで下手すれば2メートル近い柵を助走もなしに飛び越えたのを驚くなという方が無理で、開けた口まま声も出ない。
 ただ目線だけがアシガラを追うのみ、それもものすごい勢いで牧場を走っていく姿に目が点である。
「おばぁちゃんが!! おばぁちゃんがぁ!! 今からパーマーぁの応援にいくんだからぁ!!」
 残響の説法、アシガラの怒りが耳に届いた時我に帰るウマママ娘たち。
「……ええってここからレース場まで? って飛んで?!!」
 ティターンの前、どうしましょうと一斉に首をかしげるメジロ娘たちに叱咤が飛ぶ。
「走りなさい!! 回り込んでアシガラさまを止めて!!」
 場は騒然である、次々と走り出すメジロのご婦人ウマ娘達をメジロアサマはきょとんと見ていた。
「わはぁーー、すごいやアシガラちゃんまだあんなに飛べるんだ」
 まっすぐ駆け抜けていくアシガラの米粒のようになった後ろ姿を懐かしそうな目が追う。
「あのころも、よく走っていたよねぇ……」
 それは懐かしい記憶、メジロ家初期に起こった大事件にして瀕死の災害を超えた時の話。
 アサマは立ち上がり、テレビの上にあった写真を見つめていた。
 若かったころのメジロのメンツが映る集合写真、中央に自分、端の方に立つアシガラ。
 強くなければ一族を食べさせられない時代があったと、アサマの指は写真を撫でいていた。



「こんなの……嫌だよ……」
 顔を流れる涙の後がはっきりと見える、眼前に広がる光景は「滅びの日」と言われて差し支えのないものだった。
 火をつけたかのような怒涛がメジロ一門の新天地を覆う悪夢を降らせたのは真夏の8月。
 面前に降るのは白い靄たち。
 雪ではない、雪のように優しくない白い使者の前で、メジロアサマは泣いていた。
 新しく建てた屋敷と牧場、酪農と自然食をメインとしたメジロの新拠点はこの年壊滅的な危機に陥っていた。
 目の前に鎮座する有珠山の噴火。
 自然の猛威の前になすすべなく膝をつくアサマ。
芦毛の髪をくすませる灰のなか、流した涙の道がわかるほど猛猛と陽の光さえも隠す景色の中で、メジロ家はモノクロームで命を感じさせない景色の中にあった。
アサマは拳を握り、この苦境に向かって吠えていた。
「やっと……やっと、異なる世界の導きの元に「メジロの子達」が集まる地を作ったのに……こんなところで終われない!! 私が走る!! 走ってここを助ける!!」
「ダメよ!!」
 白いフードを被った茶髪のウマ娘が今にも飛び出そうとするアサマを抑えた。
 捕まえた手を引き首を振る青い瞳も泣いていた。
「アサマ……あなたのお腹の中に子供いるのよ」
「シェリル……」
 言われて止まる脚、変わって手が慈しむように自らの腹を撫でる。
「ティターン……あなたのためにもここを残したかった……」
 次の世代に、運命が導く「メジロ」の名の下に仲間たちを集めて暮らす。
 それがアサマの夢だった。
 夢を叶えるべく実業家にして名トレーナーの元で激しいトレーニングを積み、多くの重賞を制覇してきた。
「お前たちのための場所を作ろう!!」
 夢の告げる一門を作る事を目標にレースを走った。
 レースから卒業し終身獲得ポイントを換金して、何もなかった更の牧草地を新天地としての居所を建てた。
 なのに運命かに見放された思いが募りすぎて止まらない涙になる。
「……アサマ、もしもの時は私走りますよ。ハイシニアならまだまだ走れます」
 運命の子ティターンのためにフランスから英才教育の師範として招聘したシェリル、まだ片言の言葉でしか話もできない彼女がアサマを思って膝を折る。
 抱えたお腹に額を当てて。
「みんな頑張ります……ここに来たみんなが頑張るから……」
 日高からここに引っ越してきた、酪農と農業を元にして大自然の中で雄大に走るウマ娘たちを育てようと。
「……牛や豚の餌がダメになって……どうしたらええかのぉ」
「この灰じゃあ畑もダメやろうねぇ」
 共にこの地に来てくれた仲間たちの嘆きは念仏のようにそこかしこへと続く。
 危機打開のためにトレーナーとサブトレーナーのミヤは奔走しているのがまた歯がゆい。
 何も出来ずここに「止まる」しかない自分の脚が恨めしい。
 希望が見えない、青空が見えないように、ここには灰色の絶望しかない。
「私たちは……」
「アサマちゃーーーーーーん!!! アぁぁぁサぁぁぁマぁちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
 だれもが落ちくぼみ顔を挙げられない白夜の昼間に、その声は遠慮会釈なく響き渡り飛んできた。
 文字通り、白でくらんだ視界の中から黒い影が飛び出しアサマとシェリルの前でワンバウンド、勢いそのままで牧草の山へと突っ込んでいた。
「何? 何が飛んでたの?」
 言わなくてもだれもがそう思った瞬間、草の中からそいつはビヨーンと飛び出してきた。
 転げて鼻血を大出血の顔、くっしゃくしゃで整えられてない短い髪の半分が枯れ草を飾り、残りの半分は土と灰という異色のコーディネート。
 G1以外で着用のトレセンユニフォームの彼女はひどい風体、左前歯もないおかしな顔でアサマの手を取っていた。
「アサマちゃん!! あたしちゃんだよ!!」
 声でやっと気がついた。
「あっ……アシガラちゃん?!」
 突然過ぎてどう反応して良いかわらず固まる2人にもお構いなし。
 シェリルが握っていたアサマの手を奪い取るかのように掴むとブンブンと振ってフレンドリーを通り越したスキンシップを見せる。
「アシガラちゃん……どうしたの?」
 かけられた声にハッとして開く口と照れてクネクネする体。
 軽い疾走感で会話は飛ぶ、東京でレースに出走しているアシガラが突然ここにいるのに回りはただ驚き注目を浴びて。
「あー、そんなに見られたら照れるなぁ……そっそっアサマちゃん! あたしちゃんねぇ障害競走で1番をねぇ……へへへ1番になったの、でね、これ」
 握っていた手にポンと置かれたのは預金通帳とハンコだった。
「これって……」
 戸惑う。
 アシガラの名前入りトレセン学園指定の獲得ポイントを示す表付きの預金通帳。
 何をしろと言わんとすることに首を振り否定を示そうとした時、アシガラは屋敷の出入り口の方を指差していた。
「後、ミヤちゃんに頼んで必要なもの揃えてもらったから、どんどん使って!!」 
 入ってきたのはトレーラー数台、箱を開けたそこにあるのは家畜たちの餌に、ここで働くすべての者たちの生活必需品。
「アシガラちゃん、これ全部……アシガラちゃんのお金で買ったの? そんな……」
 いただけないなどと綺麗事は言えず返す勇気もない、これはアシガラがレースで獲得した大切なポイントを換金してきたものだ。
 ポイントを必要以上に溶かせば次のステップである大きなレースに出るための資格失う可能性だってある。
 大切な大切なポイントを何事もなかったかのように全点換金して、笑顔を見せる彼女に申し訳がないという想いと辛さに眉は歪み涙が溢れさせるアサマの姿にアシガラは反応する。
 心細くなっている体を力一杯抱きしめる。
「アサマちゃんドーンと使って!! メジロのために使って!! あたしちゃん頑張るから!!」
 握った拳で元気と笑顔。
「アシガラちゃんこんなにしてもらう理由がないよ……」
 助かる。
 手元に預けられた通帳の金額は当面のメジロ家一員を食べさせるに十分だ。
 ありがたくて涙はどんどん溢れてしまう。
 すでに多くの仲間たちが届けられた物資の運び出しをしている。
 活気が戻り降り注ぐ灰に負けないと声を上げている。
 ここが始まりの場所だと拳を振るうものたちの姿に、アサマはやっと笑顔を取り戻していた。
「アシガラちゃん、私アシガラちゃんに必ず恩返しするから……」
 嬉しいというアサマの顔に、おどろいて飛び上がるアシガラ。
 手を振って照れ照れと首を左右する。
「えっえっえっ!! もうもらっているよぉ!! いっぱい貰ってるよぉ!! ……えっとメジロのためってのもぉもちろんあるけどあえて理由を上げるのなら……アサマちゃんがあたしちゃんのレースの応援をしてくれたからなんだよぉ」
「応援……」
「応援だよぉ応援!!」
 目を輝かせる田舎娘、目を合わせる美少女との間には確かにつながりがあった。



 平々凡々、メジロアシガラを一言でいうのならそういうレースをする地味な子だった。
 眉目秀麗を標準装備で生まれるウマ娘でありながら、そこそこ可愛い程度に自分を作ってしまった感。
 小柄でチビで手も脚も思うほど長くなくて、せっかくウマ娘に生まれたのにどこにも派手さのない地味な子。
 レースもそこそこ走り、賞を取ることはほとんどなく、連帯に入ればラッキーと小躍りして喜ぶ小物様。
 一方でメジロアサマは他のウマ娘から一歩も二歩もあらゆる部分で秀でた存在だった。
 笑顔優しい美少女で花があり愛嬌があり、背丈も160センチと当時としては大きくモデルのようで、スラリと伸びた手足の美しさに女でさえ見惚れ、その上でレースを走る実力も十分にして重賞もいくつもとっていた。
 中央トレセンでトゥインクルシリーズを大いに盛り上げ「メジロここに有り」を全国に知らしめた立役者でもあった。
 最初から美貌も実力も格差のあった2人。
 平地でいくら走っても勝利を得なかったアシガラ。
「あたしちゃんはぁ真っ平らなレースよりぃ、飛んだり跳ねたりする方が好きみたい」
 成績優秀で花がなければ国民的スポーツイベントであるトゥインクルシリーズには出られない、花などなく平凡そのものだったアシガラは他のメジロウマ娘のために率先してシリーズを去り、いまひとつ盛り上がりに欠けるスティープルチェイスへと活躍の場を移していた。
 トゥインクルシリーズという一大イベントに参加しない、違うレースを凡庸に走り行くアシガラにメジロの応援団はこなかった。
 唯一ただ一人、いついかな時も時間の許す限り駆けつけたアサマを除いて。



「嬉しかったんだぁ、アサマちゃんみたいなぁ超ーかっこ可愛い子にぃ応援してもらえてぇ、なんていうか照れ照れなんだけどぉ、脚震えちゃうんだけどぉ勇気が出るんだ」
 その一言でわかった。
 アシガラは飛ぶのが好きだったわけじゃないってことを、トゥインクルシリーズへの道を譲って他の子に花を預け、自身は飛ぶ恐怖の中で走っていたことに気がついてしまった。
「アシガラちゃん……ごめんね……私みんなのこと考えてやってきたつもりだったのに、アシガラちゃんのこと少しもわかってなくて……こんな時ばっかり」
 自分では運命の名を持つ仲間を零すことなく見て応援してきたつもりだった。
 なのにアシガラが怖いながらもレースに出ていたことを今の今まで感じ取れなかったことに情けなくなる。
「ごめんなさい……ごめん……」
「なんでさ!! あやまらないでよぉ!! アサマちゃんも頑張る!! みんなも頑張る!! あたしちゃんはもっと頑張ってメジロのために走るんだぁ!! 任せて!!」
 くるりと回り背中を見せる。
「アサマちゃん、あたしちゃんは今日までレースてあんまぁ好きじゃなかったしぃただ自由に仲間たちと走って入られたらいいなぁって気持ちでやってきたの。でもねあたしちゃんが自由に走れたのはアサマちゃんがガッチリぃ頑張って走ってくれたおかげなんだよぉ。だから今度はあたしちゃんがガッチリ走るんだよぉ。……笑って、笑って応援して!! ラジオであたしちゃんの活躍を聞いていて応援して!!」
 メジロアシガラは自分を押してくれた応援を一生忘れることはなかった。

「応援は無償の愛だもん!! これがあれば頑張れる!!」

 自分の胸を叩きアシガラはその年のレースを連戦した。
 18戦8勝、獲得ポイントを換金した金額は9770万円、瀕死のメジロを救うに十分の資金を積み上げた。



「……アシガラちゃんが走って、シェリルが子供達を助けて、ミヤちゃんが地元と協力して……メジロという運命の名を持つ私たちの居場所を守ったんだよね」
 あの時集ったメジロっ子のウマ娘たちはみんな頑張った。
 トレーナーとサブトレーナーも頑張った。
 今メジロは大きな家になり「名家メジロ」としてレースで活躍するウマ娘の一大拠点となっている。
 アシガラが作ったお金が希望をつないだ。
 代償としてアシガラは重賞に出る権利を失ったし、連戦の疲れを癒すことかなわず膝を痛めてレースから引退する事にもなった。
 以後牧場の管理小屋を改装してこじまりと暮らしている。
「一緒に屋敷で暮らそう」と呼んでも「ここがいいのぉ、ここなら子供達がよく見えるからぁ」と今もメジロに集う子供達のことを気にかけてくれている。
 子供達はみんなアシガラが大好きだ。
「大好きなおばあちゃま」と慕われ、子供達の悩みをいつでも真剣に聞き励まし、時にしかり、時に一緒にご飯する。
 口癖は
「もうようはしらんよぉ」と昔みたいには走れないからね、なんて言うけど。
「でも今日は走ってるよね……」
 アシガラの後を追うは良いが、防柵を越えられず右往左往しているメジロっ子ウマ娘たちを見て笑う。
「今日もみんな元気だ!!」
 アサマは走り出した。
 柵をどうするかと思考停止になっているウマママたちを追い抜き滑り込むように柵を潜ると。
「うふふん、頭使って、くぐって走ったらいいのよーん」
 と笑みを見せて大きく手を挙げた
「負けないぞ!! アシガラちゃーん!!」
 おばあちゃん2人に先行されるウマママたち、牧草地杯平地障害変わりものレースは久しぶりにメジロのウマ娘全てを走らせる大レースとなっていた。



「……なんか凄いことになってるよ」
 農場で休憩を取っていたメジロ家農園作業員は自分たちの方に向かってくるウマ娘集団を見つけていた。
 右に左にと蛇行しながらだが、とにかく黄色い声の大合唱とともに砂煙りが続くのを見るに
「きっとパーマーお嬢様がグランプリ獲ったから大喜びなんやで」と軽く勘違いしていた。
 各所で作業をしているすべてのものが、本気でそう思っていた。
 それほどに黄色い声は牧場と農園、果ては洞爺湖まで響き渡っていた。
「いやぁ、長年とれんかったやつやしねぇ。奥様方も大喜びですなぁ」
「うんうんよかったですなぁ、あれぇ子供もはしってるわ。よっぽどですなぁ。しかしまぁウマ娘さんいうのは嬉しいと走ってしまうってぇのは本当なんですなぁ」
「こっちいらしたらお祝い言いましょうよ」
 農作業につく人々は牧歌的休憩とともに祝辞を考えようなどと楽しんでいたが、当のメジロ家ウマ娘軍団はそれどころではなかった。
 突っ走るアシガラは追いつかれそうになると防柵やらため池を飛び越える。
 平地レースをメインでやってきたウマママたちはそこで脚が詰まってしまう。
 というより蹄鉄シューズなしの長靴ではうまく走れもしない、迂闊にぬかるみに脚を突っ込めばそのまま転倒である。
 集団阿波踊り状態で走るので精一杯だ。
「……おばあちゃまぁ!!! 待って待ってぇ!!」
「なんで追いつけないのよ……おばあちゃま素足なのにぃ……」
「むりぃ……」
 集団を指揮するティターンでさえ追いつけない。
 手を尽くし指示を出すために声を張り上げるがそれが新たなお祭りを呼び込んでしまう。
 ウマママたちの騒ぎに反応した子供達がアシガラの後を追って走り出したのだ。
 楽しくて走ってしまうウマ娘。
 小さくたって走っちゃう、大好きなおばあちゃまが柵を飛び越えているのならば自分たちも飛んでしまう。
「きゃああぁぁぁぁぁぁ!! ラフィキが頭から落っこちた!!」
 はねて脚を柵に脚を引っ掛けて前転で転げ落ちるラフィキはその場で大泣き。
「アイガーがため池に落っこちてるぅぅぅぅ!!」
 飛んでそのままため池に転落、脚がついてもアップアップのアイガー。
 アシガラを真似して飛び出した子供達が、あっちこっちで転倒し始める。
 泣き声が輪唱になるという悪循環と、我が子心配で追走ままならないウマママ。
 このままでは大事件が起きる可能性もある、先頭を切って祖母たちを追うティターンは、大学院から帰省したばかりのラモーヌが牧場を見ていることに気がつくと声を挙げた。
「ラモーヌ!! 子供達を止めなさい!! ていうか捕まえて!!」
 お祭り騒ぎに気がつき屋敷を出たばかりのラモーヌは目が点である。
 牧場の部屋着とも言えるウエスタンシャツとスキニージーンズ。
 容姿麗しのラモーヌも帰郷してびっくりの大惨事である、止めろや捕まえろやと言われてもたくさんの子供達が飛び跳ねて走るそれをどうしていいのかわからない。
「どっどっどうやってぇ……」
 魔性の青鹿毛をもってしてもこれは難しいというもの、あわあわしながら子供達の後を走るのが精一杯だった。



「アシガラちぉゃん!!! 捕まえた!!」
 蛇行から一転目の前の柵を飛んだアシガラの腕を一緒に飛んで捕まえたのはアサマだった。
 突然かかった不可に我に返ったアシガラ。
「アサマちゃん? ってうぁぁぁぁぁぁん!!」
 腕に抱きついた笑顔のアサマ、泣きながら走っていたアシガラを包みともに落下する。
 牧草の山へと2人して突っ込んだ。
 派手に爆発する牧草の山、休憩していた作業員たちも目が点。
 追いかけていたウマ娘たちも突然のことに急ブレーキ、互いがぶつかり合って転んでしまう中、落下した2人の声が楽しげに響いていた。
「あはははははははははは、あははははははは、やっぱり走るのは楽しいね!!」
 舞い上がった枯れ草、2人とも頭も体もボッサボサにして草まみれの顔を合わせると指差した。
「パーマーの……インタビュー聞こうよ!!」と。
 居合わせた作業員は自分たちの見ていたパッドを前に走り寄り、画面を前に出す。
 ウイニングライブに入る前、装いも新たなパーマーにインタビュアーのマイクが向けられていた。
 たくさんの人たちがライブ開始前にサイリュウムを振り、応援が幾重にもこだまする中で映し出される満面の笑みは両手を大きく空に向かって広げると絶叫していた。

「おばあちゃまぁ!!! あたしちゃん勝ったよぉ!!!」

 あの日泣いたパーマーが咲き誇る花のように笑っている。
 仲間の祝福の中で何度も飛び上がるパーマーの姿と、アシガラに向かって祝いを持ち寄る作業員たち。
「アシガラさま!! よかっですね!! お嬢が頑張ってグランプリとりましたよぉ!!」
「おめでとうございますぅ!! メジロのウマ娘万々歳です」
 みんながバーマーを祝ってくれる事にアシガラは嬉しくて、また泣き出した。 
「ありがとうねぇ、パーマーぁ、おばちゃんも嬉しいよぉ」
 追いついたメジロのウマママたち、アサマはみんなが集まっていく場所を見つめていた
「タンタン」
「タンタンはやめてください……お母様……」
 なんだかんだと大騒ぎの末にみんなが集まって、みんなでパーマーの勝利を祝う。
 これがメジロだ、アサマが思い描いてきたメジロ家は今ここにある。
 アサマは仲間の輪に入らず自分の隣に立ったティターンの手を引いた。
「ごめんねタンタン……うんう、ティターン。当主を譲った私は今の当主である貴女の方針を悪いとは思わない。緩む事ない強さを身につけるために「応援も勝ち取れ」というのは正しい。でもね何もなくても応援したい人もいるんだよ。応援は無償の愛なの、だからそこまで押さえつけたりはしないで」
 母の顔に、眉間にしわを寄せていたティターンの顔は俯く。
 方針が正しくても害悪になっているのなら、続けるべきではない理解して。
「すいません、今回の件は私ティターンの不徳の致すところでありました……」
「うんう、私がもっと早く貴女に教えておくべき事だった。ごめんねタンタン」
「……タンタンはやめてくださいよ母様……恥ずかしいですよ」
 何気なくても仲間の背を押したい、そういう応援が瀕死だったメジロをた助けた。
 もっと仲間を励まし応援しよう。
 そうやってお互いを高めよう。
 メジロ家はこの騒ぎで絆を深めた、きっといずれ来る困難にも立ち向かえるだろう。
 幸せな騒ぎは結局その場で首相パーティーへと変わり、久しぶりの露天でのパーティーにメジロ牧場のすべてのものが楽しんだ。




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この世界ではいまもメジロはあると信じたいのですよ。


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08 春の修羅

長くなるのは苦痛。
余分を切るのが大変なんだけど、アニメだったら数十秒なシーンなんでしょうね。
ただ文章として、流れもかねるとうまくまとめられないのがしんどいです。


「はっはっはっはっはっ」

 吸う息吐く息を乱れることなく刻む心地良いテンポ、計算に基づき作られたランニングスタイル。

 長く距離を走るのに必要なものを1つあげろというのなら、それは忍耐だ。

 忍耐と付き合う方法は色々とあるが、ライスシャワーの場合は「闇を走る」ことをイメージしていた。

 誰もいない道、行先を照らす灯りは1歩手前にあるだけ、ただそれを追って走る。

 ゴールなどない、ただ永遠に続くとも思える道を走ることがとウィンクルシリーズでもっとも長いと言われる3200メートルを走る最初のコツだった。

 最初の標的は「坂路の申し子」と呼ばれ無敗の三冠に大手をかけたミホノブルボン。

 2400、2000、3000、3度の激突の果てに彼女を刺し抜いた。

 その過程で闇を走るという「孤独の忍耐」を身につけた。

 走りながら成長した、トレーナーの指導に答えるため、一歩一歩と前進して小さなライスシャワーを進化させた。

 ミホノブルボンの走り方からトレーニングメニューは作られ、彼女を追い越す過程で自らの血肉として昇華した。

 次なる壁はメジロマックイーン。

 トゥインクルシリーズにおける最強ステイヤー。

 今やリギルと肩を並べるチームとなったスピカの長距離巨星、レース心をくすぐる良き好敵手をメンバーに揃える彼女はライスシャワーと変わらぬ小柄な体格とはいえ心身ともに強かった。

 忍耐だけでは決して勝てない相手だった。

「心に刃を研ぎ澄ませ」

 暗闇の道を走り続けた果てにいる相手を「刺す」

 ラストスパートとなる「胆力」必要だった。

 最後の一線を切ることを恐れない心、相手と並ぶ恐怖を押し返す心を作るために極限まで走り、極限の果てに最後のダッシュを。

 自らの体の各所を鞭打つ「鬼」となった。

 忍耐と胆力の果てに生まれた鬼は、長距離の絶対王者メジロマックイーンを討ち果たした。

 長く続く闇の果ては……残響のように聞こえる音。

「ラ……イィ〜……スゥゥゥゥゥゥ……ちゃぁんあんあんあんあんあん」

 耳元でもビブラート、ライスシャワーは突然現世に引き戻されていた。

 

 

 

 振り返ったライスシャワーは、思わず悲鳴をあげそうになった。

 隣に立つ口から煙のパーマーに。

「はぁぁぁあ……どっ……どうしましたか?」

 斜め45度ぐらいに上がった顔、いつもより多めに回っている目、かぶった真っ赤なポンポンがずり落ちそうなほどふらふらになっているメジロパーマー。

いきなり隣に工場の煙突が立ったような光景に後ずさり。

「まってへぇ……もっもっもぉトレー二ングぅしゅうりょぉなのぉよぉ……はひはひ」

 引いたことでやっと見えた現状。

左右に揺れるウマ娘型メトロノームみたいなパーマーの後ろ、コース上に点在するチームメンバーたち。

 クールダウンと言われた流し走で没頭していたライスシャワー。

「おまえ!! もっとぉ……俺に気を使えよ!!」

 最後尾、前のめりに倒れ転がっているツインターボはそこまで言い切って気絶していた。

 トレーニングで気を使えとはこれいかにだが、天を仰いで手足をばたつかせるダイタクヘリオスと走るのはとっくにやめて歩いているイクノディクタスを見るに、トレーニング自体はとっく終わっているのは理解できた。

「ライス、ちょっとイレ込み過ぎよ」

 早くから流していたイクノディクタスだけが、普通に会話ができる相手になっていた。

 前に立った彼女はライスシャワーの肩を掴むとポンポンと叩き落ち着けと促す。

「もうトレーニングはしない、今日からは流すだけ、トレーナーにそういわれたでしょう」

 イクノの説得に我に帰るライスは、少し顔を下げそれでも前にと言った

「……あの、走って良いですか?」

 止まっても足踏みはやめない、走るただひたすらにという感覚が無自覚に停止を拒否し体の指示の方へと意識が移ろう。

 どこか不機嫌な顔をしているライスシャワーにイクノディクタスは苦笑いだ。

「いやぁ、噂には聞いてたけど本当に自分を追い込むトレーニングするのね。あんたって」

「……走って良いですか?」

 低いトーンで抑揚のない返事、目に光のない顔は、自分を取り囲むメンバーを煩わしいと思うほどに没頭しているのが見て取れる。

「走って……」

「うんダメ、ていうかダメよ」

 つぶやくなり向き直そうとしたライスシャワーをそのまま体を押して一回転させる。

 前に行くつもりで踏み込んだ右脚を軸に向き直された困り顔なのに不機嫌なライスシャワーの前、憮然を遠慮なく唇に表したイクノディクタス。

「クールダウン、やりすぎていいことなんてない」

「そんなことありません、やらないと……やらないとダメです」

 目指す天皇賞まで後10日。

 久しぶりの大舞台が迫るほどに不安は大きくなっていた、沸き立つ焦りを沈ませるためにはトレーニング、そして疲労が必要という考えをイクノは真っ向否定した。

「あんたってさ、トレーニング下手なのね」

 大勝負の前はいつだってそうしてきているという自負がイライラを募らせているライスに、イクノはあっけらかんとしていた。

「へっ……下手って、ライスはお兄様の指示に従って……」

 まさかのトレーニング否定に気が動転した、光のなかった目にピンッと意識が戻りこわばった唇でそんなことはないと言い返そうとした唇をイクノディクタスの人差し指が抑える。

「流しで仲間ぶっ倒すほど没頭しろって、そういったのトレーナー?」

 言ってない、言われたのは「適度に流して体をほぐせ」だけ。

 わかっている、でも久しぶりの舞台、それも因縁の舞台、あの時の様にならなければ負けてしまうという思いが、より光のない忍従と胆力の闇へと走らせていた。

 だがそれに気がついても、やめられない不安に駆られている。

「ライスは……ダメダメ、もっと頑張ってあの闇に入らないと……ライスは走ります!!」

 ライスシャワーは声高く宣言するとイクノディクタスの手を振りほどいていた。

 久しぶりに前向きなレースをしようとする意気込みは完全に空回り行き過ぎていた。

 イクノディクタスは残された側の方を見て、もう一度走り去っていくライスシャワーを見ると手を打っていた

「うーん、ダメねこれじゃ。よしここは部長の言うようにイベントでするか」と。

 

 

 

 

「……変なレース、でしたね」

 夜半過ぎトレセン学園のすべての生徒が夕食を終え各々1日の最後を楽しむ時間。

 生徒会長室、大型モニターの前に座ったエアグルーヴは隣に座り顎に手を当てたまま無言のシンボリルドルフに先手の一言を告げていた。

 見ていたのはOP戦。

 有馬記念を終え新年へ、WDTを経て3月下旬に入ったこのレースはG1ではなかったが、有名チーム所属のウマ娘が重賞出場狙う一つのステップともなるレースだった。

 春の底冷え、前日まで雪、朝には雨となったレース会場。

 芝はぬかるみを作った凹凸激しい泥絡み、まるで海を漂う海藻がごとく乱れた模様を各所に描いた重バ場。

 レース条件としては最悪のコースコンディションの中をシリウスシンボリは飛ぶように走った。

 泥と身を切る寒さ、美しさなど欠片もない勝負が展開されるバ群の中、フォアフット&ロングストライドギャロップが見せる走影はまさに鳥。

 他のウマ娘が汗水泥はね足元の深芝に難渋し猪の泥浴び状態の中、一人優雅に水面を跳ねる石のごとく、水面すれすれを飛ぶ鳥のように走った。

 が結果は2着だった。

 素晴らしすぎる走りに勝利は付いてこなかったが、このレースの肝はそこではなかった。

 スタート直後からシリウスシンボリは大外を走ったのだ。

 レースのセオリーとしてインに入るのは定石だ。

 枠番3からの出走はインに近くシリウスの実力を持ってすればレース序盤から先頭集団にいても良い場所だったのに、スタート直後にゲートにとどまり一歩遅れて走ったのだ。

 これだけでも十分に異常な始まりだったが、この奇行は次に大外を走り先頭集団を追い上げたことで出遅れた彼女に悲嘆を見せたファンや観客を驚かせた。

 先頭集団と並走するように大外を走りそのままゴールした。

 前を走ったウマ娘との差はたった0.3秒。

 レース場でのレコード記録を出したウマ娘がインにいた事を考えれば、シリウスの走りは恐ろしいものだったと言い切れた。

 大外を回らなければ間違いなく何バ身かの差をつけ、それこそ絶対のレコードをたたき出して勝ったであろうシリウスの姿をルドルフは苦々しく見ていた。

「どうして外を走ったのでしょうか?」

 エアグルーヴの純粋な疑問にルドルフは少なからずの苛立ち込みで答えた。

「……汚れたくなかったのだろう、あのバ場だからな」

「汚れたく? レースですよ」

 勝利ウマ娘のインタビュー、泥はねで髪も服も汚しながらも笑顔を見せる彼女の後ろを綺麗な姿のまま歩き去るシリウス。

 勝負服を着てもレースで汚れることは厭わないものだが、体操服でのレースで汚れを嫌って大外を走るなど考えられないものだ。

 自分では考えられないことだと驚くエアグルーヴを前にルドルフは立ち上がる。

「もともと綺麗好きだ、勝負服をもらっときは飛び上がって喜び走った後はすぐにクリーニングに出すような……そんな子だったからな」

 実に息苦しそうなシンボリルドルフの姿はしっかりと見ていた。

 勝者の後ろ、見せない黒髪の目と卑屈に笑った口を。

「あの場に私がいれば」

「それは約束に反しますよ」

 静かな声が腹の中に苛立ちをためたルドルフをとめる。

 今この部屋にはエアグルーヴ、そしてホクトベガが来ていた。

 握った拳、妹分のレースはとても納得できるものではなかった。

 その場で叱り飛ばし「レースに対する心得」を再教育する必要があると憤る相手をとめる静かな眼差しは続ける。

「シリウスさんのことは私に任せると、そうおっしゃいましたよね生徒会長」

「……それは、わかっているが」

「ならばそのように」

 帰国したシリウスは以降ルドルフに会おうとはしなかったし、絶対の実力を持ちながらも走ろうともしなかった。

 何かにつけて呼び出しをしたが諸用と称して断られ続け参っていたところで、一度だけ予期せぬ状態で鉢合わせになったことがある。

 走られなくなるウマ娘。

 学園が抱える問題と合わせ、各所のリーダー的存在に再起の機会を作れるよう相談して回っていた時の頃の話だ。

「やあシリウス、元気そうでなによりだよ。所属チームは決めたのか、私は……」

 そこまで言ったルドルフをシリウスは軽く無視した。

 何も語らず背中を向けた彼女の肩を捕まえたが、反応はひどく冷たく尖ったガラスに手を突っ込んだような痛みを味わうことになった。

 

「さわらないで、貴女に触れられると死にたくなる」

 

 笑顔はなくただ赤い唇が憮然とそう告げて踵を返し、ルドルフは刺されたまま追う事もできなかった。

 何が彼女を変えたのかを思い眉間にシワが寄る。

 自分の鼻っ柱の上をメガネを抑えるように摘み、痛みを払う。

 ただ話し合いたい、これが遠いのだ。

 生徒会長としての身内ばかりに目をかけられないできないことがルドルフの苦しみとなっていた。

 何としても妹分と向き合いたい。

 寮を決めず適当な場所で寝起きするシリウスは、早くにも退学を望んでいるような節があり、それでは問題は解決しないままもの別れに終わってしまうのではという危機感から、最後の砦としてホクトベガを頼っていた。

「君のところで預かり再起を促してくれ」

 ホクトベガが任されている寮、ダートウマ娘寮「砂場」は外来ウマ娘の宿泊施設も兼ねていたことが決めてだった。

 快くルドルフの頼みを聞いたホクトベガだったが、以降は厳しい制約を立てさせられていた。

「私に許可なくシリウスさんには会わないでください、会っても会話をしないでください、万が一会話をしてしまっても叱らないでください」

 難しい注文ではなかったが、今この約束が一番もどかしい。

 言いたいことは山ほどあるのだから。

「約束しているのに感謝祭に呼び出しましたよね」

「あれは……」

 楽しい場があれば会話ができるのではと考え、つい約束を蔑ろしたことをルドルフ自身恥じていた。

 遠い目を閉じ自分の非を認める。

「すまない、あれは私が間違っていた」

 謝罪に対して軽いため息。

「……私は私の考えに基づき彼女を預かっています。貴女の手の及ばぬこの事態を私は真摯に預かっていると理解ください。簡単な事を頼んだのではないはずですよね、本を貸すように軽々しく預けたのではないのでしょうし」

「ホクトベガ、言い方というものがあるだろう。任されていると言うならレース場に行って事の対処に当たらなければならないだろう。レースをおろそかにするような……」

「おろそかにして2着に入れるほどレースは甘くないですよ」

 そのとおりだ、ましてや大外を回ってまで入線順位に入るなど並大抵のことじゃない。

 狐目にも近いエアグルーヴに怒鳴り声をあげられれば誰しも引くものだが、どこ吹く風の涼しい碧眼は言う。

「レースには私のところから何人か見学に行かせています、得るものもあったでしょう」

 剣幕の槍高いエアグルーヴをものともしない顔は、人差し指を軽く振る。

「そんな事より彼女は走りましたよ、まずはそこを喜んでほしいものです。OP戦とはいえ海外留学で獲得したポイントもあります、これで次はきっと重賞を走るでしょうね」

 そこまでいうとホクトベガは席を立った。

 挨拶もそこそこ、少しだけお辞儀をするとくるりと背中を向けて。

「遅くなりましたので」

 相手の感想を聞こうとはしない態度がルドルフには痛かった。

 1年以上も走らなかったシリウスが、今日走ったことを素直に喜びとして受け入れなかったことを少し恥じた。

 最初の願いはそれだったのに、走ったことに感謝もなく非難をするなどと。

 戸惑った口先、俯せた瞼、頭の中をめぐる苦い思いよりも先に言うべきことを口にした

「すまない、いや……ありがとうホクトベガ、確かにシリウスは走った、先に喜ぶべきことだった」

 ホクトベガの返事はなく、静かに生徒会室を後にしていた。

 

 

 

「姐さん!! ホクトベガ姐さん!!」

 生徒会室を後に、栗東・美浦より少し離れた砂場へと帰るホクトベガに声をかけたのはヒシアマゾンだった。

 褐色の健康美、八重歯も可愛い彼女は普段なら誰彼構わず「オイッ」と呼びかける豪胆なウマ娘だが、ホクトベガの前ではおとなしい。

 話し方に多少の雑さはあれど、決して逆らうようなことはしない。

「アマゾン……元気そうね」

 美浦の寮長でもある彼女は在籍ウマ娘の中ではそこそこ背も高い方だが、ホクトベガの方が頭一つぐらい高い。

 いつもなら頭ごなしを物理で見せるヒシアマゾンが下から上目遣いで話せる姐に、べったりとくっ付く。

「美浦の前を素通りなんてしないでくださいよ!! 今から一緒にご飯しましょうよ!! 話したいこともいっぱいあるんですよ!!」

「アマゾン、今日は生徒会長に会いに来ただけなの」

 手を前に優しい笑み、ヒシアマゾンは察するように口を曲げる。

「姐さん、例の押し付けられた会長の妹の件で困ってんじゃないっんですか?」

「困ってないわ、困っているのは彼女の方なのよ」

「いやいやいや、良くない噂ぁ聞いてるんですよ!!」

 ルドルフ会長の義理の妹シリウスシンボリという厄介。

 本来なら美浦か栗東のどちらかに入寮するはずなのにどこにも入らず、ふらふらと学園のあちこちで寝起きをする生活を送っていた。

 もとより素行不良と噂されるゴールドシップやキンイロリョテイにナカヤマフェスタと違い、シンボリ一門の中もっともルドルフに近いと言われた才媛の問題は少しばかり騒ぎになり、その後ホクトベガが砂場への入寮を承諾したことで鎮火した。

 ヒシアマゾンは問題を起こしている間は特に関心を示さなかったが、預かり役としてホクトベガが手を挙げたことで気にしていた。

「今からでもあたしの所で預かってやりますよ、美浦に入れて根性叩き直して……」

「アマゾン! 彼女のことは私が自分から任せてもらっているのよ」

「でも……」

 口に人差し指、静かにという合図。

「心配しないで、でも1つだけ頼まれてくれる?」

 ヒシアマゾンが心配性になったのは自分のせいでもある、叱ることはできない。

 困ったと曇りの混ざった顔は、軽く息を吐く。

 ヒシアマゾンは待っていましたと顔を寄せた。

「なんだって言ってくれよ、がっちりタイマン決めてやりますよ!!」

 頼られる喜びのヒシアマゾンに、ホクトベガは眉を寄せた顔でこぼした。

「私では彼女を止められないかもしれないから……」

 細めた遠い目は未だ灯の落ちぬ生徒会室を見つめていた。

 何かか動き出す春の日は近づいていた。

 

 

 

「うーん満開!! いい感じじゃない!!」

 今年の桜は遅かった。

 いつもなら3月の中旬ぐらいに咲き誇り散る桜だが、今年は何かを待っていたかのように今満開に咲き桜の雨を降らしていた。

 土手を埋め尽くす花、ピンク色のナイアガラにイクノディクタスは両手を開いて感激していた。

「ここらにしましょう」

 リュックを背負ったイクノに手をリボンで繋がれたライスシャワー、後ろには馬鹿コンビが大掛かりな荷物を抱えて歩く。

「ライスは……走らないと……」

 しょげながらも苛立つライスシャワー。

 昨日の今日だチームルームに行かず、放課後も顔を合わさぬよう裏道で自室に戻れば良い。

 そこからグラウンドへと全力で向かえば走れると考えていたが、ライスシャワーの作戦はアンタレスの懲りない面々に簡単に突破されていた。

 かなり大胆不敵に。

 就業のチャイムと共に立ち上がり急いでドアを開く、そこからダッシュという意気込みの前に馬鹿コンビによる壁ができていたことに目を回す。

 「ラーイースーちゃん!! あーそびーましょー!!」

 2人してニコニコで、感謝祭の時に使ったカゴを持って。

 とっさに危機を感じ後ろに引き、別のドアの方に走ったが開けた途端にイクノディクタスに捕まえられ、軽々とハリ◯テエレ◯ー号2に乗せられさらわれていた。

「わるいごいねーがー!!」

 悲鳴さえ届かない、笑いだけ残響する、全速力のウマ娘攫い再び。

 途中絶対正義の風紀委員長バンブーメモリーに見つかったため、やむなく捕虜としてツインターボを置き去りにしてきたが、現在桜並木続く土手にライスシャワーは到着している。

「ひゃほぉぉぉぉぉい!!!」

 花吹雪の中ヘリオスは飛び回り、パーマーはせっせと花びらを集めては空に投げている。

 花見にお菓子を並べ、のんびり転がるイクノディクタスのとなりでライスシャワーは体育座りのままブツブツとつぶやいていた。

「こんなことしている時間はなくて……ライスはもっと走らないと……」

「走って良いわよ、この桜の土手ならね」

 此の期に及んでレースへと自分を落とし込もうとするライスシャワーの頭を、イクノディクタスがポンっと軽く叩く、ライスは不満そうに顔を上げて悲しそうに言う

「ライスは今までレース前日まで走りました、今回もそうしたいのです。じゃないと……」

「負ける?」

 言葉が詰まる。

 そうだ「負けてしまう」という思いばかりが募ってトレーニングも焦りで空回りしている。

 久しぶりのプレッシャーの中にいるのだ、1も2もなく、かつての自分に戻りたい。

 噤んだまま俯いた顔の前に人参ジュースを置いたイクノディクタスは一息つくと。

「ねぇ前の天皇賞を覚えている。あのレースでマックイーンを倒すのは私だった」

 前の天皇賞、忘れもしないレースに俯いていた顔が上がる。

 同時にあのレースにイクノディクタスがいたことに初めて気がついた。

「やっぱりね、あのレースに私がいたことなんてあんたこれっぽっちも知らなかったんだ。ていうか他に誰がいるかなんて興味もなかったのよね」

「……えっとライスは……」

「あの時のマックイーンを覚えている?」

 覚えていない、覚えているのは暗闇のレースの果て迎えられる光の中で彼女を抜いた瞬間だけだった。

 どう答えて良いのか迷い左右に首を振るライスにイクノは続けた。

「私は覚えているわ、忘れもしない。マックイーンという目標の向こうあんたっていう強敵がいたことを」

 遠い目が思い出していたのはレースそのものではなかった。

 あの日、晴天のレース場でいつもは澄まし顔ですんなりとゲートインするマックイーンが、何度も足を止めゲートに入るのを拒んだこと。

 愛らしい瞳に白髪を何度も掻きあげ目頭をマッサージする様はゲートに入ることを「恐れている」ように見えたとイクノは言った。

「当の本人は気がつかないものよね、あれはライス、あんたを恐れていた……いや違うわね。あんたがまとっていた「鬼」を感じて恐れたのよ」

 鬼。

 人一倍のレース勘を持つマックイーンは気がついていた。

 自分を刺すために自らの身を削り、削った身の代わりに鬼をまとった者がレースにいることを、そいつが逃すことなく自分の背中を見つめていることを、ゲートをくぐったら後戻りの効かない鬼の住処に入ってしまうことを。

「レースまでの間あんたはただ1人マックイーンを標的に鍛えていた。その気はレース場に入った者たちに大なり小なり伝わって、果ては観戦するすべての者があんたを恐れた。だからレースの後あんたは畏怖込めてこう呼ばれた「黒い刺客」「極限まで鍛えた体に鬼を宿したライスシャワー」ってね」

「でも……そうしないとライスは……それはダメなんですか!!」

 恐れられたと言われるのは堪えた、そんな目で見られたということに震えるライスをイクノは抱きしめた。

「それでいいじゃない、良いのよ。ただね今から匂わす必要なんてないのよ」

「良いの……ですか?」

 責められていると思ったのに、イクノの笑みは全く真逆だった。

「良いに決まってる、強者を怯えさせる気を纏えるなんてなかなかできるものじゃない。でもレース前からムンムンに匂わすのはダメ。誰にも知られずにゲートをくぐって、そこで爆発させちゃうのよ!!」

 抱いていた手を離して空に向かって大きく開く。

 降る花のように鮮やかな勝利で良いじゃないかと笑う顔。

「オンオフしっかり使い分けるのよ。今みたいに張り詰めちゃうとちょっとしたことで全部がダメになっちゃう。そうじゃない、キッチリ使い分けるのよ。いいウマ娘はそうじゃなきゃ。私は思う、それができるようになってあんたはもっと強くなる」

 張り詰めっぱなしだったライスシャワーは、見えなくなっていた周りが今は鮮やかに見えていた。

 闇に入るのはレースの時だけでいい。

「圧縮されたレースへの思いは負けない」

 今花は降る、ライスシャワーは自分を厳しく戒めていた何かから解放されていた。

 ライスシャワーに笑顔が戻った頃、ツインターボはバンブーメモリーに拷問を受けていた。

「なんでだよ!! 俺がサラッわけじゃねーだろ!! たすけてー!!」と。

 

 

 

 天皇賞、国家元首の名の下に開かれる祭典の歴史は古い。

 近代の入り口では帝室御賞典として行われているが、紀元はもっと古く開国からこの国の骨格を確かにした頃に始まっている。

 農耕に従事し荷運びの業務で人と仲良く暮らしていた日本ウマ娘にとって一大転機となった賞でもある。

 外交に大きく関わるウマ娘の歴史はさておき、海外の影響を多分に受けながらも日本らしい中身の賞として設立された。

「早く・強く・長く・走るウマ娘を表す」

 海外から多くのウマ娘が移住してきた中で、レースモットーの中に長くがあるのは、長い距離を物ともせず走り、手紙や小包を届けてくれる事に対する感謝からである。

 島国のインフラが現在のように万全でなく、人里離れた農村が多く点在していたころウマ娘の配達は人々の心の支えにもなっていたからだ。

 遠いあなたに、その想いの強さがこの距離を設定したと言っても良い。(出典・民明書房・日本国におけるウマ娘とその歴史・近代編から)

 天皇賞(春)3200メートルは開催日を迎えていた。

 

 

 

「ライス、やれる事は全部やったのに……僕には不安がある」

 選手控え室で向かい合う形で座ったトレーナーは勝負服とダガーの手入れをしていたライスシャワーに話しかけていた。

 不安という言葉を口にしたトレーナーにわずかに口を開いたライスシャワーだが、声を押し返すように続ける。

「不安というのは君の出来についてじゃない、僕の中にある……」

「お兄様、私は大丈夫です。きっと……」

 向き合う2人はともに不安を抱えていた。

 ここのでの道のりが平坦ではなかった、勝つ事だけに意識を揃え走りを極めたあの春から遠ざかった。

 巡る同じ春、あの春に止まった時計の針を今動かす。

 勇気がいるのだ、失った時間と気力を充足させるために年初めから厳しいトレーニングを課してきたのに、まだなにかが足らないような、いや足りた事でかけている部分を見ないようにしている気がするのだ。

「今まで言った事はなかったけど、夢を見たんだ。最近は……その見なくなったが、その夢の中で人とは違う何かがいつも走り抜けていくんだ」

 初めて聞く話だったが、ライスシャワーは薄々何かを感じていた。

 目線はトレーナーのベルトにいつもかけられていたはずの巾着を探す、今日はというより年始のトレーニングを開始したころから持っていなかった。

 トレーニングの時は無駄な事と聞く事はなかったが、それが大切なお兄様に何か影響していた事は気がついていた。

「ライスも走ります、でも必ずお兄様の元に戻ってきます」

 走り去る夢は、帰らないという暗示。

 そんな事にはならないと素直に帰る事を告げた。

 帽子の下の目に光はない、それがライスシャワーのレースに臨む普通のベストコンディションだが今日は少なからずの緊張が目の中に迷いとして写っていた。

「ライスは絶対に戻ってきますから……」

「そうだね、ゴールを切ってここに帰ってくるまでがレースだ。ライス……勝とう」

「はい……」

「勝つんだ」

「はい……」

 決意がどこか悲壮な反芻に聞こえる中で2人は距離を詰めていた、互いの手が触れて勇気を受け渡す暖かい距離の中でライスシャワーは初めて紅潮した顔をあげた。

 近い、でも近くにいてほしいお兄様。と薄く目を閉じそうになった時。

「おい!! いつなったら出るんだよ、走る前から反省会でもしていたのか?」

 思わず硬直、近くなっていた距離から2人してマッハ後ずさりの間に珍獣ツインターボ登場。

 いつもの団子2つのテールヘッド、青いメガネの顔は後ずさりの摩擦で起こった焼けた空気に異常を感じ2人の顔を交互に見る、妙に赤い顔を。

「なんだよ……なに、なんかしてた?」

「ライスは何もしてないですぅ……」

「なんでもないよ……ツインターボくん」

 あまりの突然さに尖りきっていたライスシャワーの顔は真っ赤に変わってしどろもどろになり、その様子に何かを察してツインターボも顔を赤くする。

「えっえっ……いやさ……そういうのはさ、ミノル(レーヌミノル)ちゃんがトレーナーとチューしてたとか……聞くけどさぁ……なんていうか……まだそういう事しちゃダメだとおもうんだなぁ……とくに年上の男とかさぁ……その……ダメだよぉ米ぇ」

 恥ずかしさに一気に膨らんだ妄想とともに、シオシオとしぼんでいく真っ赤なツインターボ。

 口をモニュモニュさせながら下げた頭、両耳が挙動不審に右往左往する姿に慌てふためくトレーナー。

「なっなっなにを言っているんだ!! 君は!! アドバイスだよアドバイス!! 念には念を入れて……復唱してだな」

「念入れてなにするんだよ!! 復唱って何言わすつもりなんだよぉ、おっおっおっまえやっぱりへっっへっんたぁ……」

 横からの平手プッシュが顔を真っ赤にして口から泡吹きそうなツインターボを押し出した。

「落ち着いて、わかったから」

 あと一歩でレースが始まる前から騒乱になるのを止めたのはイクノディクタスだった。

 実際ツインターボは顔真っ赤で沈没状態、後ろ並んで立つ馬鹿コンビ、ダイタクヘリオスとメジロパーマーは立ったまま耳を伏せ互いの手で相手の目隠しをしている有様だ。

 大声で「いかがわしい事してたー!!」などと叫んで走りだされそうなところをイクノディクタスが抑えていた。

 努めて冷静なイクノは張り手で飛ばされ転がるツインターボに。

「キスぐらいで慌てないでよ部長」

「したことあるのかよ!! イクノ!!」

「うるさい!!」

 どつき漫才の間を縫って弁解地獄のライスとトレーナー。

「してませんから!! ライス何もしていませんから!!」

 していても平気ぐらいのテンションのイクノディクタスに、思わず否定と飛び出すライスシャワー。

「あの……あの……」

 両手を震わせ違いますというゼスチャーのライス、後ろでは走り寄り周りの目を確認するトレーナー。

「何もしてないぞ!!」

「わかったから、2人とも落ち着かないと本当にやましいとこあるみたいに思われるわよ」

「ないから!! ライスは選手、僕はトレーナー。いいかいそこを間違えないで」

「黙って、もういいでしょう」

 イクノは必死の説得に目を回しているトレーナーを押して抑えて、人差し指で静かにの合図を送るとドアを大きく開いた

「さあ、程よく緊張も取れたでしょう。時間よ」

 ライスシャワーはイクノディクタスに肩を叩かれて纏い始めていた「気」から体が解かれていた事に気がついた。

 自然と心だけではなく体の隅々にまで弛緩する。

 尖り今脆い剣先になろうとしていたのを、たった数秒起こったバカ騒ぎが解していた。

「……不思議な感じです……」

 手のひらを開き閉じる、力みは感じない。

 今までにはない感覚、今まではただひたすら研ぎ澄ましてきたレース前だったが、今日は世界が広く見える。

 ライスのホッとして血色の良い顔を確認して、イクノはポンッと背を押す。

「いい、前にも言ったようにゲートに入るまではそれでいいのよ、後は……あの時のように」

 オンオフ。

 張り詰めた気持ちの切り替えタイミングはわかった。

 イクノディクタスの助言にライスシャワーは静かに頷くと手拍子とファンファーレが鳴り響く会場へと、レースの中へとトンネルを走って行った。

 

 

 

 桜の去った春、レース場の天気は白く塗られた曇り空。

芝は春色から数トーン彩度を落とした深緑色の重バ場、湿り気に満たされた土は所で柔らかく所で硬く全体を通しても脚に優しくない雰囲気を出しているが、何度か足踏みでライスシャワー的に問題なしと確認していた。

「あの日と違う……あの日は少し雲、でも晴れていて芝はサラサラしていた……」

 同じことはない、あの日走ったメンツもいない。

「レース場に、ゲートの向こう側にだけ、あの日を持っていけば良い」

 細く長い息を吐く、徹頭徹尾息から帰りまで神経を尖らせていたような真似はしない。

 イクノディクタスのアドバイスはただその場で言われたのならば効果はなかったが、ここまでまくる間に、今までにない体験をしたことで感情を切り替えはできていた。

 思いつめた自分を触らぬ神のように見て祈った昔のチームメイトとは違う。

 聞こえている、騒音のような声援が。

 チーム・アンタレスの声が。

「大丈夫ライスは走りきってみせます」

 ジリジリと時はせまりゲート入りが始まる。

 実況が期待のウマ娘の名を読み上げていく

「スピードとスタミナを競う3200メートル!! 天皇賞がやってまいました!!」

 走るウマ娘は18人。

 久しぶりということもあり人気を落としたライスシャワーだが、そこは気にもしなかった。

 むしろ周りが気にしていた。

 唯一のG1ウマ娘に今日1番人気のエアダブリンは目補尖らせ、ライスに何かしら運命を感じる2人、この日のために体作りを完遂したハギノリアルキングとネコ好きウマ娘ステージチャンプが続く。

 各々が緩く吹く風の中でストレッチをし、開いたゲートへと脚を進める。

 少し早く人より早くゲートへと入る。

「ライスはここで鬼になります……ここでライスはあの日に帰る……あの日に帰って……」

 仰ぎ見る空とぬるい空気の風、流す息と止める鼓動、伏せた瞳がコースを見るためにゆっくりと瞼を上げる。

 ゲートに入った時、青い目はユラリと光っていた。

 春の暖かい心地の中に背筋を冷やす修羅は誕生した。

 

 

 

「一斉にスタートです!!」

 芝の重さを物ともせ飛び出すウマ娘クリスタルケイに続きキソジゴールド、先頭バ群の中でも少し飛び出した彼女たちを前、中段に構え間を器用に取るライスシャワー。

 1週目の四角を曲がる頃にはライスシャワーはマークされる側になっていた。

 後ろに控え距離も十分の観察眼を働かせるステージチャンプ、エアダブリンには真後ろを取られる形でサーキットストレートを行く。

「なあまずくないか……米はいつもマークする側だろ。ぴったり着かれるのは練習とも違うぜ」

 逃げウマ娘のツインターボにとって勝手の違うレースに焦りが口に出るが、イクノディクタスは冷静に見る。

「まだ始まったばかりよ、勝負は半分から!!」

「そうだ半分を過ぎてからが本番だ……まだ力を見せるところじゃない」

 今日は何も手に持たず、ただレースへと集中するトレーナー。

 ライスシャワーはみんなが応援のために陣取ったサーキットストレートを見ることなく1角へと突入して行く。

 足取りは誰の目にも健常にて力走であるのがわかる。

 2角を返し、向こう正面、半分にかかる時ライスシャワーの視界はモノクロームへと変化を起こしていた。

 真っ暗ではない、周りも見える、スローに。

「ここがライスの世界、ここに生まれてここを往く」

 ジリジリと先頭集団に肩を並べる姿に場内騒然である。

「マックイーンもブルボンもきっと応援していることでしょう!!」

 実況の声はもう届いていなかった、聞こえたのはただ一つトレーナーの声だけ

「ライス!! スパート!!!」

 姿勢が低く頭がさらに地表近くにシフトする、より早く前に行くための形へと。

 3角手前、坂を登るロングスパートはトレーニングした通りに始まっていた。

 グイグイと自らを引き上げるような走りに観客の声援は大きくなる。

「ねえねえなんかすごくない、ライスシャワーかっこいい」

「最後まで保つのか?」

 場内の歓声ボルテージを上げる駆け引きが熱く展開されて行く。

 小さな体のライスシャワーはいつもならマークに徹して最後に射抜くという高度戦術を見せてくれるのだが、今日は違う。

 自らが前に、小細工など一切ない先頭を走っているのだから誰もが声を上げざる得ない

 実況も同じだ。

「やっぱりこのウマ娘は強いのか!!」

 最内で飛びたしたままのライスシャワー。

 殺到する後発で脚を残した猛者たち、混戦のゴール前、ライスシャワーの思案は一人走り続けていた。

「ああやっぱりライスは走りたい、でもライスの夢は何かわからない。でもでも……」

 孤独の独走が白黒の隙間に見せるのは「破壊者」としての夢なのかという疑問、なぜこんな時に、最後の最後に思い浮かぶのは……

 迷いを少し抱え始めた体、距離は100メートルを切ったとこで一瞬の怯えに雷が落ちていた。

 

「米!! 頑張れ!!」

 

 耳障りなのに力強い応援が聞こえ、世界に色は戻った。

 灰色だったレースの世界を切り裂いてライスシャワーは力強い一踏みを飛んだ。

 最後の一歩が今日まで出せなかった自分の意地だ。

 儚く切なくひたむきで健気で、そんな枕詞はいらない、ライスはただ勝ちたい。 

 接戦のゴールを突き抜け決着はついた、勝者ライスシャワーと掲示板は輝いたのだ。

「やったぞ!! 米!!」

 通り越したライスシャワーを追って喜びに走ったツインターボ。

後を全速力でくるメジロパーマーとダイタクヘリオス、イクノディクタスは手を振っている。

 男泣きのトレーナーの姿も。

 ゴールを過ぎたところで世界は戻り、やかましい仲間たちが勝利を祝してくれることがとめどなく嬉しくて涙がこぼれた。

「ライスは負けません……」

「やった!! やったぁ!!」

 ウマ娘攫いの馬鹿コンビはあの日拾った桜の花びらをライスシャワーに向かって降らせアンタレスのメンツは大いに喜んだ。

 ライスシャワーは嬉しくて嬉しくて泣いて笑って、久しぶりのウイニングライブでまたも泣いて、でも心いくまで楽しい時間を過ごした。

 接戦の天皇賞は終わり、激走したライスシャワーを観客は見惚れていた。

 小さな体の小さな彼女のレースに多くの者が感動を覚え、今一度彼女のレースを見たいと手を挙げていた。

 

 

 

「ホクトベガさん、決めましたよ。次は宝塚記念に出ようと思います」

 シリウスシンボリはグランプリの人気投票を見て静かに微笑んでいた。

 いつもなら散らかしたままの自室は余計なものを全て切り落としたようにピシャリと整頓され、椅子に座ったシリウスは薄明かりの月を見つめていた。

「問題ありますか?」

「いいえ、走るという気持ちがあるのならよろしいかと」

 ホクトベガは反対はしなかった。

 宝塚記念1番人気にライスシャワーという見出しの前、シリウスは冷めた目線でつぶやいて。

「結局そちらの道を往くと……いいですよ約束ですからね、負けてあげますよ。これで私は終わることができるのだから」と。

 

 

 

 




08 春の修羅おまけというか入らなかったパーツ。
  読まなくても本編にそれほど支障はないと思われる付属品です。


 ライスシャワーの没頭するトレーニングの脇でチーム・アンタレスの面々は悶絶地獄のなかひにいた。
 「ライスはもっと走りたいです」
 愛弟子とも言えるライスの宣言にトレーナーは人が変わったかのように指導をしていた。
 故に併せは地獄である。
 ステイヤーであるライスシャワーに併せるため後半1000を共に走るのだが、最後に迫るほどに身を削る力走にライス以外のメンツは倒れていた。
 「おのれファル子めぇ……ゆるさぬぅ……おおっおっおおっおぉつ……」
 ツインターボはぶっ倒れていた、少なからずの泡と乱れた呼吸で芝の上なのに、海岸に打ち上げられた魚のようにビチビチしながらすっ転がって怒鳴っていた。
 この状態にあっても口だけは元気だ。
「言ったじゃないですか、他のチームに併せ頼むとかありえないって」
 ストップウォッチ片手にグラウンドに目を尖らすイクノディクタスは、足元にころかるツインターボにボディプレスをかける勢いである。
「うんぬぅぅぅ、だいたい……おかしいだろ……はひはひはひはひぃいあいつ「逃げ切り☆シスターズ」結成とか……いっいいぃい言ってるのに俺が入ってないとかおかしいだろ……逃げ切り仲間なのにィィィ……」
 息も絶え絶え、呼吸が上がりすぎて鼻の穴がマンホールみたいになっている顔に、イクノディクタスの強い目がゆっくりと動く。
「なにが逃げ切り仲間ですか、部長最近逃げ切れてないじゃないですか!!」
 先行逃げ切れず沈没、最近のツインターボのレース戦績はこれ1つである。
 他の負け方は一切なく、ひたすらにこれで負けるというバカさ加減。
 言われて腹は立つが立ち上がれないツインターボ、子供の地団駄のように転がって抗議する。
「うるへぇあ、俺はいつだって本気だへぇぇぇ」
「本気出して沈んでどうするんですか、沈まない方向で逃げ切りするためにも走ってくださいよ、ライスに併せて……って」
 軽めの足でタッチタッチ、ケンカキックまでいかなくても丸太を転がすようなゼスチャーの元2人はくだらない言い合いをする。
「余計なことに気を回さないで……次の併せに入って……部長ひょっとしてミホノブルボンをここに呼ぼうとか企んでいたの?」
「ボンボンブルボンボンチャイナ……ボンボンブルボンブルボンボン……ピョイ!!」
「蹴るよ」
「けってるじゃねーかよぉ……もぉダメだ、タッキー(アグネスタキオン)に強壮剤作ってもらおうかな……」
 企んでたツインターボ。
 浅はかでも行動第一で何をしようかと勘ぐるイクノは笑いながら言い返した。
「実験台にされるわよタキオンになんか頼むと、こないだもアイネスフウジンに何かさせようとかして副会長にしょっ引かれていたんだから」
「速さに犠牲は付きものだ」
「こりないわね」
 言うだけ大将は、イクノディクタスから逃げるようにコロコロと転がっていく。
 隣に大の字になっているダイタクヘリオスとさらに隣に転がるメジロパーマーがツインターボにつられて並んて背転がっていく。
「どうせこういう鬼スパートになると思ったから、ファル子と愉快な仲間達を利用してやろうと思ったのに」
「それであのおかしなユニットに入りたかったの?」
「ちがわい!! 逃げ切りと称する以上は俺がいないなんておかしいだろ!! それはそれ、これはこれだい!!」
 ひんまげた口が減らない言い訳を帯びて転がる。
「はいはい!! 師匠!! 僕たちで逃げ切り☆シスターズ2号なれば良いのでわ!!」
 汗だくで開きっぱなしの口から蒸気機関車のように白い息を吐き続ける元気一番ヘリオスは、大の字から突如きちんと正座して挙手で発言。
 教室での授業では居眠りしてるか新聞読んでるかのおバカが、この露天で行儀正良くして手を挙げているのが滑稽すぎる。
 変な青空教室みたいな形の中でイクノはとりあえず応える。
「あぁー……って2号って何よ? 普通そのチームの内でセンターが1号でしょ、2号はスズカじゃないの?」
 あえてヘリオスは見ずグラウンドの遠景を見る目。
 最近売り出し中と称してはいるがスマートファルコンが1人で突っ走って宣伝しているアイドルウマ娘ユニットを思い出して何かに気がついて。
 あれは、という思案に目を大きく開いた時、バカコンビの片割れパーマーがヘリオスの隣に並んで正座して挙手。
「はいはいぃ!! 師匠ぉ!! 逃げ切り☆シスターズ2班でいいんじゃないでしょうかぁ!!」
 本気の間抜けである、思い浮かんだ言葉を飲み込み感想が出る。
「ねぇあれって班編成だったの、何班かいるのあのユニット?」
 ユニットと称するのだから実は多いのかという疑問。
「それなら2班でも悪くないなぁ……はひはひ……」
 いいのかツインターボ、呆れるイクノディクタス。
「あっそう、じゃあどんどん増えるわね、トレセン学園中の逃げウマ娘集めて逃げ切り☆シスターズ46とかにすればいいんじゃないの」
「悪くない……」
「良くもないわよ」
イクノディクタスは上着を脱ぎながら、減らず口に滅びたツインターボの上に置く。
「まあ、良くないわね。ライスは根を詰めすぎね、どっかでリラックスタイムかな」
 軽く首を鳴らし腕をふるって走る、そろそろクールダウンが必要となる時に入っていた。



「……会長、そんな風に下から見ても顔は見えませんよ」
 生徒会室に入ったエアグルーヴは、目の前のテレビに向かい下から覗き込むような低い姿勢を椅子に座ってしているシンボリルドルフを見つけていた。
「ああ……わかってはいるのだが……」
 ルドルフが見ていたのは煤けた映像だった。
 見慣れない風景、白く霞むバ場、深緑のレースを飛ぶように走る欧州ウマ娘たち。
 バ群最後尾から数えた方が早いぐらいの位置を走るのは勝負服を着たシリウスシンボリ。
 最終コーナーを回って怒涛の勢いでゴールに迫る、殿下トレーナーの4ウマ娘も横に開き我先にとゴールを目指す中、シリウスはバ群に揉まれ疲れ果てていた。
 欧州ウマ娘たちの体全体をバネとして使う力強いストライドについていくすべなく、なのに無理してでも前に出ようとする姿勢が痛々しく見える。
 黒髪で表情を見せないようにはしているが、口元には苦痛が見え隠れしている。
「エアグルーヴ、母上はお元気か」
 口を開いたルドルフは、およそビデオは関係ない言葉を発し、エアグルーヴは一瞬戸惑いながらも答えた。
「はい……元気ですが、どうかしましたか?」
 どこか暗い表情を隠すことができないシンボリルドルフ。
 いつものようにデスクに両肘を付き手の甲に顎を乗せた顔が目を閉じる。
「母上は優しいか……」
 そこまで行って目を開き悲しそうな顔を振った。
「シンボリの家は私と苦楽を共にしたウマ娘に……厳しいトレーニングを課していた時期があってね。すまない少し話をさせてくれ」
 知っていた、疲労の見えるルドルフにエアグルーヴは何も言わずただ頷いた。
 皇帝シンボリルドルフを指導したトレーナーは、熱血で鉄骨で唯我独尊を極めた人物だった。
「悪い人ではなかった、広い世界に……この国だけではなく世界に出ていけるウマ娘を育成したいと願い、強いウマ娘を育てることに心血を注いだ人だった」
 異なる世界からの運命を引いて、自らの名前さえ定められて生まれるウマ娘は、その運命ゆえなのか「冠」を同じくする者や、名に混じりはなくとも奇運を感じる者と寄り合う習性がある。
 それが一門という形を形成し、集まる彼女たちの育成に実業家トレーナーなどが手を挙げる。
 メジロ一門がそうであるように、シンボリもルドルフが大躍進を見せた頃一門として名を馳せていた。
 名が高まれば、当然重賞を勝ち続け果ては海外への夢を見るのも当然の帰結とも言えた。
「私が……海外に行った頃にはトレーナーとウマ娘の意思の疎通は不可能なほどになっていた」
 夢が大きければ大きいほど、払う代償の大きさを味わったシンボリ一門。
 ルドルフという大輪の花に魅せられたトレーナーは暴走してしまった。
 もっと世界を、もっと重賞を。
 止めたビデオの中、苦しみながら走ったシリウスの姿に眉はハノ字に折れる。
「欧州へは私が行くはずだった、一緒に行くはずだった。でも行けなくなったツケをシリウスが払った……今でも覚えている、あの時のシリウスを」
「嫌だよルドルフ、1人でなんて行きたくないよ!!」
 一門総出で彼女を送ることなんかできなかった。
「余計な里心をもたせては強いレースはできない」というトレーナーの命令に逆らえなかったのだ。
 誰も見送らないシンボリ邸宅から引きずられるように連れて行かれるシリウスを2階の窓から言葉もなく送るしかなかった。
 泣いて叫んで、何度も自分を呼んだ妹分。
 自らが望まない限り、1人で遠くに行くなんて生来気弱なウマ娘にはできないこと。
 それが海外ならば尚更に。
 どれほどの孤独だったか、測る由もなかった。
「手紙を送ることを禁じられていてね……唯一送ることができたのは美浦印蹄鉄だけだった」
 今もデスクにある蹄鉄をルドルフの指はなぞった。
 手紙の1つもよこさない事を欧州留学先のトレーナーが怒り、苦言の手紙を送ってきた時に同封されていたものだ。
「彼女はこの蹄鉄しか使わないと泣いている。彼女をのために蹄鉄を送ってください、彼女の心を支えるものとして」
 傷だらけで磨り減った蹄鉄はシリウスのもの、欧州留学で寄宿生となったシリウスに日本からは何も送られなかった。
 トレーナーの方針で「食も欧州に変わるのだ、土踏む蹄鉄も向こうのものへと変えていくべきだ」と言明されていたから。
 だが走れなくなるのは流石に困るという事で蹄鉄だけは送ることが許され、シリウスとルドルフをつなぐ細い糸となった。
 もっと色々と支えになりたかったルドルフだが、当時のシンボリの問題はそれだけではなかった。
 もう一人直近の妹分マティリアルが心を病ませていた。
 ルドルフのように強くなるために同じ教育を施すとことが大切と息巻いたトレーナーだったが、そこは個性の問題でもある。
「無理……私はルドルフみたいになれないよ……」
 同じことをすれば同じように強くなるわけじゃない。
 結局無理がたたったマティリアルはレース直後に骨折、さらに内臓疾患で入院することになる。
 多くの問題を抱えたシンボリ一門。
「遅すぎた、もっと私が早くにトレーナーに諫言すべきだった」
 マティリアルが倒れ、集中治療室で泣きながら「謝り続ける」姿にルドルフは立ち上がり、初めてトレーナーに逆らった。
「私たちにも意思がある!! 私たちを物のように扱わないでいただきたい!!」
 覚悟を決めたルドルフの目に、すでに己の限界を感じていたトレーナーは折れた。
「自分を正しいと信じてやってきた、だが自分だけが正しいのではやっていけないことを知った」と。
 こうしてシンボリ一門を悩ませた問題は収束得たが、未だ少なからずの問題も未だ残っている。
 その1つがシリウスシンボリの帰国だった。
 昼を過ぎ学園のウマ娘たちはトレーニンググラウンドへと走って行く足音と声がそこかしこに聞こえる。
 和気藹々と楽しいだけではダメだとトウカイテイオーに教えた自分、だが楽しみもない走りはどんなものなのか。
 目の前に止まったままのビデオ。
 ロンシャン芝2400、当時世界最強と言われたウマ娘ダンシングヴレーブの後塵を拝してゴールを切ったシリウス。
「きっと泣いていたんだろう」
 映像では見えない目、苦しみに歪んだ口だけがわずかに映る。
 あの時、あの場所にいたら、飛んで行って抱きしめただろう。
「頑張ったんだ!! 泣くな!!」と。
 今はそれさえできない、自分は何もわかっていないのだから、シリウスの孤独も苦しみも。
 椅子の上背を伸ばす。
「すまないね、たまには誰かに聞いて欲しくなる」
「いいえ、私でよければいつでも。それはそうとそろそろシリウスさんのレースが始まりますよ」
 弱音は滅多に吐かないシンボリルドルフ、唯一とも言える聞き手として選ばれていることはエアグルーヴにとって苦ではない。
立ち上がるとビデオから実況の方へとチャンネルを変える。
「そうだ、今できることをしよう。やっと走る気になってくれたシリウスのためにも」
「よろしいですか?」
 エアグルーヴが飲み物の支度をしているところ、生徒会室のドアを開けたのはホクトベガだった。
「入ってくれ、レースは今からだ」
 待ち望んだレースだ、長らく走らなかったシリウスが今日走る。
 シンボリルドルフは妹分の復帰第1戦に、色々な意味で動機を早めていた。



「反省はしなかったようっすねぇ、ああんツインターボ!! いやアンタレスぅ!!」
「もがぁぁぁぁぁぁ!!! おれだへじゃねーやろ!!」
 猿轡で簀巻き状態、海老のように跳ねて抗議のツインターボの目の前。
 乾坤一擲の赤字彫り竹刀を片手に睨むのはバンプーメモリー。
 昼下がり学園のウマ娘たちが食堂に出たり、トレーニングの準備をしたりと騒がしくなる時間のはじめにその事件は起きていた。
 廊下はもちろん走る場所だが、神輿を持ってワッショイするところではない。
 にも変わらずチーム・アンタレスは感謝祭で雷を落とされた禁断の競争ウマ娘ハ◯ボテエ◯ジーを走らせたのだ。
「悪い子いねーがー!!」
 いったい何の神輿なんだ、やたら長めに作ったパーマー力作のポンポンを前後で被って走る姿に、驚くなという方が無理というやつ。
 廊下を行くたのウマ娘を飛び上がらせながら爆走するのを見つけたバンブーメモリーが追いかけないわけにはいかなかった。
「おまえら!! またやったな!!」
「悪いごいねぇがー!!」
「悪いのはおまえらだろ!!」
 この後トレセン学園校舎内杯障害アリアリレースが展開され、構内は一時騒然とする。
 神輿状態なのに階段ダッシュで駆け上がったり、駆け下りたりするという暴挙の末、投擲型ヘッジホッグのように簀巻きにされたツインターボを転がされ、追走していたバンブーメモリーに衝突本体神輿を見失いツインターボだけ捕縛されていた。
「言ったよな!! 次やったら承知しねーっすって、私言ったよな!!」
「知らんわ!! 俺は聞いてないしそんなこと!!」
 実際聞いてない。
 前回感謝祭の時大目玉を食らったのは現地責任者のイクノディクタスだった。
 ツインターボはトレーナーと話し合いをしていて感謝祭事件の結末は最後に聞き、笑い転げた口だった。
「良くないっすねぇ、なんでチーム内で注意が伝達されてねーんすかね」
「だから……マジしらないって、ていうか俺は被害しゃだろ!!」
 凄むバンブーメモリーに、耳ぺしゃんのツインターボ。
 身動き取れない簀巻きの状態で、竹刀片手の相手とどうして戦えるか。
「なー……これほどいてくれよぉ怖いよおたけさんんん」
 転がされたまま涙目のツインターボ、さすがに理由も聞かずにお沙汰とはいかない風紀委員長はパイプ椅子に座り。
「よし、とりあえずなんでこんな事したか述べろっす!!」
 ツインターボの顔を覗き込んで聞いた。
 強いて事件の理由を言えと尋ねられると正直に言えないところもある。
 足りない頭で少しの改変の身の保身を考えて答えるツインターボ。
「あれだよ、うちのチームの米がさぁ、最近良くないわけよ。だから栄養を与えようと思ってだな……」
 ツインターボは頭に登った血と焦りから少し飛び飛びの話をしていた。
 というよりも、言葉がバラバラで変になっていた。
 そしてバンブーメモリーも少しばかり天然だった。
 米が・良くない・栄養と聞けば稲作に直結の頭脳だった。
 そして食べ物の問題はウマ娘にとって深刻なものでもあり、これは聞かないといけないと思ってしまうのだ。
 食べられないのは辛い、涙目の原因もそれなのかと。
「不作で困っているということか」
「そうそうなんか萎れちゃっててさ、よくないんだよ。だからここらでドーン栄養注入ってやつをだな」
「そうかまだ春先なのに大変だな、やっぱり土壌のせいなのか」
「土壌? ドジョウ?(うねうねしてて目標が定まらないって意味か? ぬぬぅ風紀委員長め、あんま学業成績良くないのにここで学を見せるとか……なめられてたまるか)そっそうなんだよ。ここって決めたところでバンと咲いくれないとダメだろ。だから今栄養がいるわけよ」
「ふむふむ、大変だな。よしそれはわかったっすがなんで暴走してたんだ?」
 原点に戻る会話
「はっ? いやだからさ米のためにだな」
「はっ? 飯くいたさに暴走してたのか?」
「えっ?」
「えっ?」
「飯は食いたいだろ……」
「だから暴走したのか?」
 どこかくちい違っている会話、この後1時間、ツインターボとバンブーメモリーは互いの違いについて話し合い、反省に疲れ切るのだった。
 一方花見に興じたイクノディクタスは笑っていた。
「前回私を笑ったしねぇ、やっぱり部長にも天罰がくだらないとね」と。



「……あの時と同じ……」
 ミホノブルボンはびっしりと観客で詰められたメインスタンドほ見て簡素な感想をこぼしていた。
 勝負服姿のブルボンは誰からも実際より大きく見えると言われたものだが、トレセン学園の制服を着ていれば普通の女子高生と変わらず、実に物静かで大人しい雰囲気だ。
 時々握手を求められたり、サインを求められたりするも、格式高い天皇賞、場所をわきまえたファンの多くは無駄に話しかけたりもしないためすんなりとスタンド席を降りていた。
 今日の天皇賞は自らを打ち破ったライスシャワーが出る。
 普段なら他者のレースなど記録映像で見るぐらいしかしない彼女がここにきているのには訳があった。
 彼女のトレーナーからの指示。
 三冠落日の時から、ブルボンのトレーナーは重病に倒れていた。
 同時に今までの力走に報いがなかった事を嘆いたのか、体の各所が悲鳴をあげミホノブルボン自身も静養を余儀なくされせていた。
「力及ばす、マスターもうしわけありま……」
 淡々と謝罪する言葉に湿りっけが混ざり涙で最後まで言えないブルボンをトレーナーは気遣った。
「……仕方ない、きゃつは強かった……」
 緻密な計算に基づきレースの最後までをリードした自分を、一瞬の影が抜き去り2度と前に出る事を許さなかった。
 自分に残された闇に怖じ、さらにはトレーナーの入院に心細い日々を送る事になったブルボンだったが、トレーナーは決して負けたままで彼女を放置しなかった。
「ブルボン、しばらくは基礎練だ。同時に彼女の走りを良く見ておく事だ。お前は完璧だが、完全であるわけじゃない。レースという1つの事象の中完全になるためには「他者の完璧」を知る必要がある。だからな……そうだ、まだお前には伸び代がある頑張れ」
 老齢トレーナーの言葉少ない励ましに、ブルボンは落ち込む事なくトレーニングを続けた。
 そして余す事なくライスシャワーのレースを観察していた。
 今日この天皇賞もまた現地へと足を運んでいた。
「あっボンボンブルボンだ」
「?」
メインスタンドの外ラチに向かう道、ミホノブルボンの前にいたのは白い悪魔と良くない名を馳せていたゴールドシップだった。
 焼きそばとパラソルというチグハグな持ち物を抱える彼女。
「?」
 自分の名前を面白おかしく呼んだゴールドシップにブルボンは深く首を右にかしげる。
「ブルボンは合っていますが、前置きのボンボンは必要ありませんよ」
 あっちゃーという顔も、相手がサイボーグとも呼ばれブルボンを前に余計な一言で失敗したという顔。
 困ったと目を泳がすゴールドシップの顔を小さな白い手が押して前に出る
「なにをやっているのですか、よそ様に迷惑をかけないでくださいませ……ってミホノブルボンさん」
「メジロ……マックイーンさん」
「……は、いらないですわよ」
 初顔合わせにも近い2人はお互いが硬い表情。
 間に入ったゴールドシップはいよいよしまったという顔をみせるが頭の回転は速い。
 話題をすぐに変えられる
「てっか珍しくないブルボンちゃん。いつもならトレーニングやってる時間だろ。お目当ての相手でもいるのかい?」
「ええライスシャワーさんのレースを見に来ました」
 シンプル。
 質問に対してなんの曇りも見せない口調に、ゴールドシップはホッと笑う。
「なんだマックイーンと同じじゃないか、じゃあ一緒に見ようぜ!!」
「マックイーンさんも」
「……ブルボンさんも?」
 互いが共通の相手を見に来ている、互いが顔を合わせて確認する。
「やっぱり気になりますものね、自分を負かした相手というものは」
 伏せ目、ミホノブルボンにも覚えのある感情をメジロマックイーンは持っていた。
 見えていたゴールの前で、自分を刺した相手ライスシャワーは忘れることのできない相手だ。
「今回の天皇賞には足を痛めて出られませんが……次は絶対にレースをしていただくつもりです」
 いつもはおっとりしているマックイーンだが、今日ははっきりと宣言した。
 同じ目的を持っているのならミホノブルボンも同じことを考えているとわかっていたからだ。
 対戦したいという希望に耳をぴくりと動かし答えるブルボン。
「同意です、私がより強くなるためにあの人を知る必要があるので」
「そうですわ、私が強くなるために……あの時は知らなかったあの人を知りたい」
 ライスシャワーのレースは今までに何戦もあった。
 だが今回の意気込みを誰もが強く感じていた、彼女は前を向き自分たちを刺した時のようなレースをするという直感。
 お互い同じ思いを抱えている。
 ゴールドシップは自分の後ろで顔を見合わせている2人に口をとがらせる。
「なんだよマックイーン、だったら会いに行くか控え室」
 2人が同じ目標を持っている事は嬉しいが、同じ感情に浸れない事に嫉妬する。
 だから余計なお節介を買って出ようとするのだが、それこそこの2人にの奥深い闘争心のつながりが笑って否定する。
「行きませんわ」
「私も行きません」
 即決否定に「えー」っとおどけるゴールドシップを前にブルボンとマックイーン、違いが顔を見合わせ笑う。
「「私のライバルは貴女のライバル、お互いに次のレースで会うために」」
 レース場は満員で歓声が溢れている。
 ここは心踊る場所だ、ここにライバルたちと集い走ることが「夢」だ。
 普段笑わない「サイボーグ」の異名を持つミホノブルボンと、お堅く澄ましたメジロマックイーンが互いの手をタッチするほどの興奮を味わったレースにゴールドシップは頬を膨らませて言う。「おうおう、そのレースに私も入れてくれよなマックイーン!!」
「自分で勝ち取ってきなさいよ!!」
 抱きつくゴールドシップに、暑苦しいと払うマックイーン。
 頂点を目指すなら実力でこい、実力で集え。
 ファンファーレの鳴り響く会場で3人は始まるレースへの特等席へと走って行った。



「ところでイクノ、俺は聞きたいことがある」
 ライスシャワー勝利で湧き上がり、彼女を迎えに行く通路でツインターボは神妙な顔をしていた。
「なによ、何かまずい点でもあった? レースのことならはっきり言ってよね」
「いや……レースは、米が勝つことはわかっていたから別に問題ない。あいつはすごいやつだ。問題はお前もすごいやつだったということだ」
 意味不明、眼鏡の下やけに汗をかいているツインターボに「すごいやつ」だと言われるのは珍しい。
 走っていくパーマーとヘリオスの後ろ並んで歩いていた歩を止める。
「なになに、急に私がすごい存在だって理解しちゃったわけ部長」
「聞いていいのか?」
「どうぞ」
 肩をすくめホワイのポーズのイクノディクタスの前、ツインターボは小刻みに震え真っ赤になった顔をあげた。
「おまえ誰とチューしたの?」
 転びそうになった。
 一瞬で罵倒しそうになったが目の前の真っ赤な顔のツインターボに気が抜けた。
「はぁ……それ気にしてたの?」
「いや!! いやいやいやいやいや気になるだろ!! まっまっまっさかトレーナー」
「ないから、ああいうオヤジは趣味じゃないから」
 真っ向否定の平手が左右に揺れる、このまま答えを濁すとあらぬ噂は確実と理解したイクノはあっけらかんと答えた。
「エミノとよ。興味があるっていうからやって見せてやったのあいつ相手に」
「妹とチューしたの?」
「そうよ、なんだかよくわからないけど泣いてたわ」
「へぇーーーーーーーーー」
 釈然としない相手。
 後日ツインターボはエミノディクタスに感想を聞きに行き、ドロップキックをくらうことになるのだった。






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09 神様、もう少しだけ

おまけは後日掲載。
溜めるのはよくないから。


「うわぁぁぁぁぁぁぁい!!」

「これ何これなにぃぃ!! これすごいぃぃぃ!!」

 天皇賞を終え、ゴールデンウィークというお休み週間を開けた日。

 チーム・アンタレスのチームルームは増えた調度品で彩りを豊かにしていた。

 水道工事が行われたことで設置された全自動洗濯機にレンジに冷蔵庫、極め付けは「蹄鉄洗い機」全てが新品で置かれていたことにヘリオスとパーマーは興奮状態である。

「パーさんこれなこれ何?」

 洗濯機やレンジは見慣れていても蹄鉄洗い機はみたこともないヘリオス。

 そもそもあまり蹄鉄の手入れもしない彼女だが、新しいものが嫌いというわけでもない。

 目の前にある四角い箱、マッシブなブラックボディだがちょっとした平置き花器のようにも見えるみれは、ウマ娘ことレースに参加するウマ娘にとって夢の一品である。

 走り回って喜ぶヘリオスにバーマーは目を輝かせて教える。

「はぁぁぁぁぁぁん、これはメジロのお家にもあるやつのぉ最新モデルぅぅぅ!! ダイちゃんこれが蹄鉄洗い機シュヴァルン2号くんだよぉ」

 今日までたらいや洗面器を準備して蹄鉄を洗っていたことを考えるに、蹄鉄洗い機は手間を省く夢の機械。

 ベストセラーであるシュヴァルンシリーズの最新モデルは、平置きのそれに衝立を足せば温水フットマッサージャーにもなるというトップグレードモデルだ。

 安くはないこれがルームにある事は夢のようで、嬉しくて走り回ってしまうのはわからなくもない。

「ねぇっねぇっねぇっねぇっねぇっ、イクノちゃん!! 師匠はぁまだ来ないのぉ? プレゼントいっぱいだよぉ!! みんなで楽しみたいよぉ!!」

 いつもの2割り増しぐらいで語尾が溶けるパーマー。

 ヘリオスはひっきりなしに冷蔵庫のドアを開け閉めしている。

 2人のハイテンションぶりを見ながらもイクノディクタスは静かな様子だった。

「うん、ちょっと遅れてるけどすぐにくるわよ」

「ねっねっねっねっこれって蹄鉄付きで靴履いたまま入れたら、足もマッサージできて靴も洗えて蹄鉄も洗えて……」

「はいっ!! ヘリオスには使わせない事が決定しました」

 この便利な機械があれば1度は誰もが試したいと思うそれだが、そんな事したら四面体の底が抜けて2度と使えなくなる。

 ヘリオスのような好奇心の塊は絶対にやってからしか後悔できないタイプ、最初にガツンと言っておかないとダメ。

 断と切り捨てで使用禁止を言い渡され開いた口がいつも通りふさがらないヘリオス。

「えぇぇぇぇええぇぇぇえ、できるかもしれないじゃないぃぃぃん、一回試してからでも良いのでは良いのでは」

 スリスリとすり寄った上目遣いにキッと睨んだディクタスアイ。

「ダメよ、絶対に。やったら尻尾切るからね!!」

 そっくり返った白目の厳しい目線のイクノディクタスから尻尾を隠してコソコソと逃げるダイタクヘリオス。

 尻尾を切られるのはムリ〜であるが、イクノディクタスは怒らせたら本気で大鉈降りそうで怖いのでおとなしく下がる。

「嬉しいなぁ嬉しいなぁ、お部屋がぁ華やかにぃなってぇ嬉しいなぁ」

 ふにゃふにゃのトロトロで喜ぶパーマーと、使用禁止に涙目のヘリオス。

 いつも通りの騒がしい放課後は始まったばかり、少しずつ近ずく初夏の香りと梅雨の湿り気の混ざる季節の中でイクノディクタスはつぶやいていた。

「本気なのね……部長」と。

 

 

 

 

「うんうんうん、前のレースの時に比べると筋肉の凝り具合はずっと良くなっている感じよ。体をリラックスさせる方法を見つけたみたいね」

 黒のアンダーリムメガネ、深い焦げ茶色のストレートヘア。

 白衣とのコントラストが激して緑のワンピースを着たトレセン学園の校医であるドクタースパートは自分の前に座った小さくも強いステイヤーライスシャワーを診断していた。

 小さな体に細い手足、一見すれば街に溢れる普通の女の子と変わらない体つきだが中身は抜群の性能を持つ走る鬼神。

 人を超える運動能力をもつ彼女だ、人の医師による診断では体の状態は計りえない。

 細く整えられた指先がゆっくりと動いて行く、脚と手、背中と診断が続く。

 まず触れること、違和感は細かな振動や揺れでわかる。

 少しくすぐったい触診にライスシャワーの耳はピクンと動く。

「いいわ。今回は特に良い、あれだけのレースをしたのに綺麗に力みが抜けている。明日から軽めのトレーニングを再開してもいいわよ」

 優しい目が伏せていたライスシャワーの目に笑って言う。

「力の抜き方を覚えたみたいね、でも体ってのは自分が思っている以上にデリケートよ。貴女が平気と思っても体は限界に達しているかもしれない。あのサイレンススズカかそうだったように、上々と思える時こそ慎重にね」

「はい……」

 素直に頷く顔。

 自分ではわからない疲労、気合だ根性だでは乗り切れないのは本人ではなく体の方。

 それもわかる痛みではなく、わからない細かな亀裂。

 わからない小さな傷が、レースでは大きなダメージへと変化してしまうことがあると説明は続いたがドクタースパートの口調は極めて優しく柔らかかった。

「プレッシャーもすごかったでしょうね、なのに綺麗に力を抜くことができてた。今まで何度か貴女を見たけど……いつも心配だった。いつもガチガチに自分を絞めて思いつめたみたいな顔を見ていたから……よかったわね」

「はい……そうですね」

「そうよ、貴女明るくなったわ」

「そうですか」

 恥ずかしそうに顔を伏せるライスシャワーはあのレース、天皇賞の後のことを思い出していた。

 

 

「ライス、新しいトレーニング方法を考えよう。これからのために」

 レースが終わった日、祝勝会を兼ねた反省会でトレーナーはそう切り出した。

 さすがに天皇賞、こんな大きな賞を得るのは滅多にないこととチームはお祭り騒ぎ、収穫用大型メッシュコンテナに入ったニンジンは見事に食い尽くされ、酒でもないのにニンジンジュースに溺れ部屋の中で寝転がっている。

 トレーナーとライスシャワーだけの会話は、いつものように張り詰めたものではなかった。

「トレーニングのやり方を変える……ということですか?」

「そう、今までは……その……君の心を追い詰めるような厳しいメニューばかりだったと思う」

 指導者としての自分を責めているようなトレーナーの姿にライスシャワーは首を振る。

「お兄様のやり方は間違っていません、ライスは……それで強くなりました」

「ああ、強くなった。でも君は思い詰めていた、……僕が君を追い詰めていた」

「違います……ライスは」

 わかっていると首を振るトレーナー、悲観はしていないという顔が笑っていう。

「今までのやり方は良くない、根を詰めて君が「鬼」にならないとレースに勝てないなんて、そんな強迫観念を持たなきゃいけないようなトレーニングはお終いにしよう」

 今までにない表情だった、トレーナーの明るい顔で続けた

「もっと君らしく走ろう。新しい、楽しんで素直に喜べるレースをしよう」

 楽しんで喜んで、思い詰めるだけのレースはやめようという言葉に心は大きく動いていた。

 あの雨の日、前のチームを後にした日から今日まで大忙しで色いなものが動いてきた。

 始まりの衝撃だった「三冠」に「三連覇」、阻止して勝利する代償が笑顔を奪うものだったことをトレーナーは忘れていなかった。

 そこから互いを追い詰めてしまった。

 落ちていく互いの感情をとめられなかったあの日。

「お前に触って不幸にならないと勝てないのか?」とバカにした人がいた。

 そこから怒涛の浮遊を得た。

 ライスシャワーでも止められない、トレーナーでも止められない急転の日々が始まり、殻にこもっている暇などなかった。

 毎日日替わりで自分の殻を誰かが叩く。

 トレーナーの指示を聞かない脳筋集団に目を回し、退屈させない仲間を2人は初めて得ていた。

「チーム・アンタレス……は」

「米?」

 開けた道、今までを顧みることができたことが自分変化だったと振り確信したとき、保健室のベッドから声がした。

 差し込む白い光の中、輪郭をぼやけさせた寝ぼけ眼、いつものメガネはしていないツインターボは髪をほどいた姿でカーテンの向こう側、行儀悪くあぐらでベッドに座っていた。

 

 

 

 チームルームに向かう校舎沿いの道、中庭の緑が淡い色合いを見せ始める季節。

 暑くはないがそろそろジメッとしてくるのを風に混じった湿気が知らせる道を2人は歩いていた

「どーなんよ、なんかわりーとこあったか?」

「特にないです、ただ左脚に力が入りすぎているのか疲労が残っているそうで……ゆっくり筋トレしながら解して……走るようにと」

 「そっか、まあ無理しないようにやるしかねーな」

 穏やかな反応。

 いつもやかましい走る騒音公害と言われるツインターボの反応に、ライスシャワーは一息。

 自らの気持ちを沈めた間をおいて声をかけた。

 前を歩くツインターボに、初めて自分から。

「あの……聞いて良いですか?」

「なんだよ」

「ライスはこのチームに来て色々なことを教えてもらいました」

 勝負に勝ったのに失意で堕ちた天皇賞から、新しい自分に目覚めた天皇賞までの間、ライスシャワーは自分を教えてくれたのはお兄様だけではなかったと確信していた。

 夢を置いていった友達のためにも、頑張って走るという気持ちを持ち続けるダイタクヘリオス。

 たった1人応援してくれる人がいればそれが走る意味だと笑ったメジロパーマ。

 レースでのテンションをコントロールすることを教えてくれたイクノディクタス。

 すったもんだと毎日を騒がしくすごしたチーム・アンタレスは、今まで経験したことのないことをいっぱい教えてくれたチームだった。

 だからこそ、今までこのチームの中で一番の苦手としてきた相手からも知りたいことがある。

「……ツインターボさん、あなたに教えてもらいたいことがあるのです」

「なんだよ改まって。まあいいぜ、可愛い写真を撮ってもらえる角度の作り方とかセクシーショットの決め方とかならなんでも聞いてくれ」

 反り返るほど大いばりだが、胸は真っ平らでセクシーとは程遠い。

「……そうではなくて……その」

 相変わらず高いテンション相手のペースに飲まれる。

「前にイクノさんに聞いたんです。アンタレスにライスを入れるって決めたのはツインターボさんだって。……どうして入れようと思ったんですか?」

 はたと止まる脚、ツインターボはくるりと振り変えると当たり前のことを聞かれたという不思議そうな顔で答えた。

「強いからだよ、天皇賞ウマ娘を手にいれられるチャンスはそうそうないからさ」

「それだけですか?」

「おう、それだけだぞ」

 いつもならここで黙ってしまうライスだったが、その先を聞きたかった。

 眉をしかめ唇を噛む、話し合いをするにしては得意な相手じゃない。

 息を飲み勇気を貯める、ツインターボはライスシャワーのその息を感じとり少しずつ話し始めた。

「あの時は……チームがレースに出るためにどうしても1人入れたかったというのもあるが……最大の目的は……米、お前さこないだの天皇賞の時の走りがベストだろ。前に俺と走ったレース時よりもずっとベストだったろ」

 立ち止まっていたライスシャワーにズイッと近づいたツインターボ。

 突然変わった話題にこわばるライスに笑顔のツインターボは人差し指を振って。

「よかったぜ、あれが本気と分かって」

「よかった?」

「そうさ、お前をチームに入れたのは俺が本気で走るためだ。お前の強さは良く聞いていたからな。頂点がどこかはしらねーけど、俺にとって天皇賞を勝つやつは強いウマ娘だ」

 ツインターボはポンッと後ろに飛ぶと指をさして言った。

「お前と俺でレースをする、本気の本気で燃え尽きるようなレースをするのがお前をチームに入れた本当の理由だ」

「宝塚記念に出場するんですね」

「出られるわけねーだろ!! あれだよ……普通にトレーニンググラウンドでだよ」

 次のレースは宝塚だ、ツインターボが本気でぶつかってくるというならそこしかない。

 ライスシャワーも覚悟を決めようとしたが、目の前のツインターボは照れくさそうに顔を下げた。

「レースは……重賞レースにはもう出れられない。俺はもう中央トレセンにはいられないんだ」

「えっ……どうしてですか……」

 まさかそんなことを聞き返されるとは思わなかった。

 惚けた顔で一度口を尖らせて見せたが、目の前のライスが真剣な眼差しにうっすらとうかべた涙を見せているに態度を改めた。

 しっかりと向き直って、今度はツインターボが深呼吸。

「どうしてって……そりゃお前……所謂卒業なんだよ」

 卒業、春を過ぎたばかりなのにという思いの中で、あっという間に時はすぎることも知ったライス。

 照れ臭そうに目を泳がすツインターボをしっかりと見た。

 やかましくも自分を支えたくれた人だった、いつでも真正面からぶつかって時には物理でぶつかって自分を閉じこもった殻から引っ張り出してくれた人。

 ツインターボがチームを、学園を去ろうとしていることに自然と涙がいっぱいに出てしまう。

「……うぅん……」

 うまく言葉を紡げない。

 下がりそうな顔のライスシャワーの肩をツインターボはつかんだ。

「レースするぞ!! お前と俺で!!」

 まっすぐな目が笑えと言っている。

 ツインターボの目的が自分を生かしてくれたのならば、応えるのが勤めだ。

 涙でいっぱいになった目だが、唇の震えは止まっている。

 大きく頷くと、自分を支えた手に答えた。

「はい……レースをしましょう」

「勝てよ宝塚!! それが終わったらやるぞ!! 俺は本気の本気で行くからな!! 秋ぐらいになガツンと一世一代の真剣勝負だ!!」

「はい!!」

 珍しくライスシャワー泣きながらもきちんとした声で答え、行くぞと走るツインターボの後を追って走った。

 

 

 

 

 花も飾りもない、何も置かないデスクの前で椅子座っているシリウスにホクトベガはハーブティーを用意して立っていた。

 夜を照らす照明が並木道を輝かす時間、栗東とも美浦とも近くない砂場はダートグラウンドの端に静かに立っている。

 2大寮から遠く、学園本校舎からも遠いこともあり、砂場の夜はとても静かだ。

 もちろんホクトベガの教育が行き届いているのもある、夜の時間を騒がしく過ごすことを許さない笑みに寮生たちは黙らざる得ない。

 それほどに絶対に寮長であるホクトベガは今シリウスシンボリの世話をしている。

 「明日のレースを前に私から言えることは一つです、怪我のない体調及び心のコンディションを整えること、コースに入るまでそれを忘れないでください」

 初歩を教える教職者のような真面目な物言いにシリウスは鋭く切り替えしていた。

「私にとってのレースは明日で終わります、その後のことなどどうでも良いことですよ。……そんなことはともかく、貴女はドバイの時の話をなぜ寮生たちに聞かせるのですか? そうすることで痛みかが薄れるからですか?」

 人に聞くというには、随分と尖って質問。

 トレーをローテーブルに起き対面に座ったホクトベガは、開いたドアと同時に始まった「詰問」にピクリとも動揺を見せなかった。

 むしろ澄んだ瞳がゆっくりと「悪態を吐く」相手を見つめる。

「ドバイの話だけではないですよ。負けた話も勝った話もしていますよ。貴女もお話ししてください、貴女の経験はより多くの寮生を育てる糧になるのですから」

 準教職者らいしセリフ、感じたままの雰囲気に鼻で笑うシリウス。

「矢張りそうですか、口に出して言えば痛みはかすれ、意味も変わる。あれは教訓だったと自分に言い聞かせることが貴女のホスピスというわけだ」

 シリウスの強気な発言をホクトベガが笑って返していた。

 今までにない反応だった、いつもなら柳のように受け流しそれが真実であっても反抗しない相手の笑みはシリウスの背筋を冷たくさせる。

 冷えた感情の持ち主はゆっくりと立ち上がる。

「とんだ誤解ですし、貴女は結構物知らずなんですね。痛みや悲しみが消えることなんてありませんよ。私のここには痛みは残っていますから」

 整えられた美しい指先、人差し指で自らの胸を指し示すホクトベガ。

 反抗する鋭い瞳、シリウスの視線は相手を射殺す角度。

 近寄るものを切り裂きたいという狂気が見える。

 普通のウマ娘なら間違い無く恐怖に身を固まらせてしまうだろう目を前に、ホクトベガは息のかかる位置まで歩み寄っていた。

「あの痛みや悲しみは私を育てる糧になっただけです。生きているのならばこれは価値ある痛みとして永遠に心に居着くものです」

「きれいごとを」

「汚いことは言いません。貴女にとっては不変の悲痛となったのが悔しいのですか? 随分と幼いのですね、そんなものを未だにただ抱いたままとは」

 座ったまま磔のシリウス、まん前に迫ったホクトベガ。

 いつの間にか相手の威容に押されていたのはシリウスの方だった。

「……ホクトベガ……」

 儚く優しく涼しい瞳の彼女はここにはいない、正面にいる冷たい眼差しと強者の影に怯える。

「いいですか舐めた口を聞かないでくださいね。抱いたままの痛みと悲しみに浸ったまま過ごし続ければ貴女は後悔することになりますよ」

 赤い髪が風に揺れ、シリウスの黒髪に混じる位置にいる。

「走ることで何かを変えられるような時は貴女も私もとっくに越してしまっています。明日走ったとしても望む答えはでませんよ、ましてや自分の辛苦を抱え込んだまま走るのなら絶対に。必要なのは飾ることのない本心、単純明快な想い、言わなければ何も伝わりませんよ」

 肩に置かれた手がトンっとシリウスを押す、あの日の意趣返しのような図の中でこれほどに怖いホクトベガを見たのは初めてだった。

 

 

 

 

 G1レース宝塚記念。

 芝コース2200メートル。

 前日来降り続いていた雨は止み空は曇天、水を得た芝が草木の香りをレース場いっぱいに漂わせている。

 グランプリレースである今日はトレセン学園からも多くの生徒が観覧に参加している。

 スタンド席にはチーム・リギルの面々、シンボリルドルフにエアグルーヴ、ナリタブライアン、ヒシアマゾンにタイキシャトルの顔が見える。

 平地のラチ沿いにはレースを間近で見るホクトベガ。

 近場に並びに立つのはメジロマックイーンとゴールドシップ、彼女たちと共に来たミホノブルボン。

 有名どころの観戦に多くの生徒が色々な思案と感情を持って今日のレースを見に来ている。

「風……うん、いい感じ」

 スタンド席をバックにライスシャワーは黒の勝負服の袖を直しながら、コースを流れる風を読んでいた。

 リラックスしてはいるが顔はいつものように下向き、フツフツと溜まる激情を抑え静かな時間に身を任せ手を上に指先で風を捏ねる、ゆっくりとしたコンディション。

 ゲートに入るまでの間をリラックスタイムにしたおかげで、スターティングポイントから正面スタンドの景色が良く見える。

 たくさんのファンが詰めかけたスタンド席、3番人気に推されここまでやってきたことに感謝する。

 すでにゴールラインの向こう側にアンタレスの面々は出揃い、いつものやかまして応援を始めている。

「米!! ドーンと行け!! ここで待ってるぞ!!」

「ライスちゃーん!! ガンバ〜!!」

「後でぇお神輿よぉ!!」

「気負わずにいくのよ!!」

 メンバーの変わらないけたたましくて騒がしくて良く聞こえる声に耳が踊る。

「ライス!! 遠慮はいらない中盤から向こうで全ての力を叩き込め!! 距離を縮める走りを見せればいい!!」

 チームにすっかり馴染んだのか、チームの大きな声に負けない声でトレーナーの声援という指示にかすかに唇が笑みを作る。

 暑くもなく寒くもない、いい日だ。

 顔をあげたライスシャワーの前、シリウスシンボリは立っていた。

 

 

 

 

「約束通り、負けてあげますよ」

 凛とした姿だった。

 シンボリ一門の深緑の勝負服。

 皇帝の華やかな服とは対照的なシリウスの勝負服、詰襟を飾る赤い1つ星が肩につながる飾緒は海外での活躍を期待された証でもある。

 黒のスカートにサッシュベルト、ロングブーツ姿は「軍人」といっても良い姿。

 G1を彩るに不足ない美しさを持っているシリウスシンボリの第一声にライスシャワーは静かに反応していた。

「……聞かせてください、どうしてなのですか? 負けるのは辛くないんですか?」

 負けるのは辛い、それがライスシャワーの実感だった。

 勝っても辛かった時期は長かったが、身心ともに満たされず思うように競えず負けてレース場を後にするのはもっと辛かった。

 なのにこの人は「負けてあげる」を連呼する。

 ずっと不思議に思っていたことを今日は素直に聞いた。

「ライスは勝てないのは辛いと思います、シリウスさんはどうして負けても良いなんて……思えるんですか?」

 踏み込んだ質問に対してシリウスは以外な反応を見せていた。

 いつもならお得意のディベートで、身長差も合わさった上から目線の見下し攻撃をするだろうに、質問したまま真っ直ぐに自分の目をみるライスシャワーを前に改まった様子で息を整えた。

「なるほど……言わないとわからないか……」

 互いが目を伏せ想いに当たる。

「知りたいのです、ライスは……」

「いいですよ、理由を教えるますよ」

 時間はあるようでない、刻々とスタート時間の迫る中で重いテイストを身に絡めたくはないだろう。

 それでもここでそれを聞いた相手にシリウスは敬意を示した。

「かつて私はダービーを勝ったけど、そのせいでもっと勝てと高みへの試練をあたえられた。簡単にはできもしないのに、やれと引き回されて苦しんだ」

 いつもよりいくぶんも穏やかな声にライスシャワーは俯くことなく聞き入った。

「頂点に立つことで苦痛を忘れられる? 本物の王者でなければ、弱者がまぐれで勝てばいつだってそういうことになってしまうんだよ。健気で弱々しくも努力する君の強さは心打つだろうが、その図を求める人によって……身勝手な応援で期待を高めておきながら落ちることも許さなくなる。君は苛まれることになるだけだ。悪くもない、ベストを尽くしている君を勝利という呪縛が苛む」

 勝つことの呪縛、勝つことで苦難はやって来たという身に覚えのある言葉に目が覚めた。

 シリウスは悪意で「善戦」をしろと勧めたわけではなかったと。

 ファンファーレが鳴り響き、シリウスはクルリと背を向けていた。

 鳴り響く音はもうすぐ残響に変わり拍手の波へと飲まれてしまう。

 後戻りなどできるわけがない。

 わずかに揺らぐ心を、胸を抑え目を閉じる。

 まぶたの裏に映るものは……トレーナー言葉。

 

「アンタレスは僕とライスにとって結果的に良いチームだったよね」

 

 応援してくれるチームの前で、レースに嘘はつけないという決意を伝えた。

「シリウスシンボリさん、それでもライスは負けません」と。

 シリウスは何も答えず、ゲートへと入っていった。

 

 

 

 

「スタートしました!!」

 昼までの曇天を覆し、薄いながらも太陽の日が芝生を走った時、17人のウマ娘たちは一斉にゲートから飛び出していた。

 タイキブリザード、トーヨーリファール、ピンクのヘアボンネットも眩しいダンツシアトルが先行して行く。

 すぐ後ろにネーハイシーザーが付け、中央バ群中より後ろ目にライスシャワーは付けていた。

 シリウスシンボリはアイルトンシンボリをスクリーンに寄り外向きわずかに前を走る。

 正確に計ったかのような足運び、シリウスと走れることを心待ちにしていたアイルトンには少し難しい位置取り。

 中央より外ラチの側、相手を見るでも並走するでもない位置にとまどいながらも前を目指す。

「……やっぱり早い……」

 ライスシャワーは後方からシリウスの足運びを見ていた。

 余力のあるステップ、そういっても差し支えない走り方は皮肉にも並走に近いアイルトンシンボリの走りで浮き彫りになっていた。

「この人は負けない……負けない走りを身につけているのに……」

 バ群に揉まれることで脚の回転に乱れが見えるアイルトン、一方で1ハロンを歩数で計ったかのように走るシリウスとは絵的にも対照的。

「走り方はかなり違うけど、中身はミホノブルボンさんに似ている」

 走り方は個性でもある、怪鳥エルコンドルパサーは鳥のように走ると言われるが、シリウスのそれも鳥に近い。

 一見では派手で見掛け倒しのようにも見えるがこのスタイルでタイムとスピードを均等に保持し続けるのは至難の技。

 新人ウマ娘が真似しようものなら1000も持たずに失速し1ハロンのタイムを合わせることもでき無いだろう。

 ブルボンの走りはとは似ても似つか無いスタイルだが、精密機械という意味では一緒。

 平地であれ坂路であれ、状況の変化でタイムを変えないということは心身に力の入れどころトルク変化が染み付いている証拠。

 姿勢正しく前を行くブルボンの背中はぶれたことがない、走者として上半身を立て腕の振りにも変化はない。

 シリウスの走りは大きく上体を前傾させているが決してブレ無い。

 低く構え狙い定めた走り、決して後ろを見ないスタイルで、水面を跳ねる石のように等間隔の足運びには完全に余裕を見せている

「1200まで……まだ……ギアをあげて1000で勝負」

 相手は早い「負けてあげる」という相手だが、走りで負けるつもりはなく正に直線コースギリギリで歩を止めるという屈辱的な行動にとる可能性は高い、そんなレースは絶対に嫌だと心を燃やす。

 想像以上にシリウスは強い、最後の直線で手を抜いた彼女を刺しても意味が無い。

「勝負をかけるのは3角、そこであの人を抜く」

 2角を回ってもバ群に大きな変化はない、互いが互いを警戒する中段を無視し、走る花嫁ダンツシアトルを含む先頭集団は飛ばしていく。

 シリウスシンボリは外を回りながら前を狙う、中段はジリジリと前に迫る。

 固まったバ群耳に響く足音、風にまみれる砂塵と芝。

 視界を奪うものたちの間を突き抜けるために踏み込む。

「……ぁっぁあ……」

 脚が地面を突き抜けるような錯覚、錯覚という歪みが痛みに変わってが脳を突く。

 世界は止まっている。

 いや動いているのにスローなのだ。

 両膝の腱を切られるたように、力が脚に伝達されていない、そのまま地面へと体が吸い寄せられる。

 左に傾いている、自分が芝の目に向かって、こんなのは。

「倒れられない」

 倒れたらもう追いつけない、がっちりと自分の心を支え固め黒く湧き上がっていく鬼の魂。

 通じない力の通わない脚を、意思が戦おうとした叩いた時。

「その時は空を見ろ」

 歯を食いしばり踏ん張るような真似はするな。

 木漏れ陽の下で彼女は笑ってそう言っていた。

 そうだその時にはもう……でもまだ……。

 緩やかに落ちるせめぎあいの感覚が転倒を否とし足掻く体から力を流し去る。

 

「神様……もう少しだけ……」

 

 ライスシャワーは転倒した。

 

 

 

 

「ライスシャワーどうした!! ライスシャワー転倒!!」

 3角の坂を登る途中、それは突然起こっていた。

 前のウマ娘を追走していたライスシャワーが前のめりに倒れ砂埃に消えたのだ。

 レース場全体に響き渡る悲鳴の波、誰もが目を疑い時は止まり、絶叫がこだまする

「米ぇぇぇぇ!!!」

 飛び出したのはツインターボ。

 後ろには短歌と救命用具を背負った馬鹿コンビ、イクノディクタスは隣にいた妹に指示をとばしていた。

「エミノ!! 一番近い通用口に救急車を!! 部長!! 先ずはアイシングよ!! 体を揺すったりしないで!!」

 ラチを飛びツインターボはまっしぐらに走っていく、続くメジロパーマーの顔はいつもの緩みはない、厳しく唇を噛んだまま折りたたみ担架を背負い走る。

 一方でダイタクヘリオスは半分泣いていた、泣きながらもアイスパックと固定用テーピングを持って走る。

「米ぇぇぇ!! テメェ!!! なんでだよ!!!」

 応援席から担架を持って走るチーム・アンタレスの面々。

 場内でレスキューとして働くウマ娘たちも2角の詰所から飛び出していた。

「チームの方は下がって!!」

 レースはまだ続いている最後のストレートを走るダンツシアトル、タイキブリザード、エアダブリンたちは後ろで起こった事故などまだしらないのだから。

 大波乱の中、もう1つの星もまた脚を止めていた。

 

 

 

 

「どうしたことか……シリウスシンボリが停止している」

 場内アナウンスは2局にわかれレースを実況する声と、転倒の後を追う声がレース場の中に交錯していた。

 4角に入りストレートとゴールに殺到する群れの中から櫛の歯が抜け落ちるように走るのをやめて立ち止まるシリウスの姿に。

「何かあったのか? シリウスシンボリ競争停止?」

 すでにライスシャワー転倒という大惨事に観衆の中には心配や不安が渦捲いている状況だ。

 シリウスの競争停止にも悲鳴が上がるのも無理はない。

 この事態にいてもたってもいられなかったのはシンボリルドルフだった。

「シリウス!!」

 昨日までレース会場に行くか行かないかを悩んだ、悩んだ末の「少しで近くで活躍を応援したい」という気持ち1つを持ってやってきた。

 もちろんホクトベガにもその旨は話を通してある。

 否定はされなかった。

「応援は無償の愛ですからね」と軽く往なされた感はあったが、久しぶりに直に見る妹分の走りに心を踊らせていた矢先の競技停止に黙っていることなどできなかった。

「シリウス!!」

「待ってくれ!!」

 先走る思い、熱くなったルドルフを止めたのはヒシアマゾンだった。

「行かせられないんだよ」

 八重歯の唇に苦痛が見えるが、意思は強く眼差しは本気。

 いつもならこんな事態に助けとしてはしるものを止めたりしないヒシアマゾンだが、今度ばかりはそれを許すことはできなかった。

「彼女を止めて……」

 敬愛する姉の願いを胸に、覚悟の形相でシンボリルドルフを止める。

 スタンド席から下に降りる細い通路で両手を開いて。

「頼むぜ会長……約束を守ってくれ、姉さんに任せるって言ったんだろ!! こいつは魂のタイマンなんだぜ!!」

「アマさん……」

 ナリタブライアンは、人情に厚いヒシアマゾンの行動に驚きながらも止めようとはしなかった。

 自分のあずかり知らぬ約束に割り込む余地はないからだ。

 動揺広がるスタンド席、レースはダンツシアトルの勝利が確定したところだ。

 走る花嫁である彼女を応援していた観客は飛び上がり、一方で事故の不安も混ざり合う混乱の中で乗り出したシンボリルドルフは最初の一歩目で硬直していた。

 妹分に何かが起こっている、今こそ自分が必要なのではという思いの前で約束を守れとは。

 苦痛の息を飲んで、感情を殺した超えはヒシアマゾンに告げた。

「そうだホクトベガに……任せる。約束を、守ろう」

 ルドルフの目は見ていた、内ラチを越えてコースをいくホクトベガの姿を。

 

 

 

 

 4角の途中、シリウスシンボリは走るのをやめ立ち尽くしていた。

 3角途中ライスシャワーのレスキューに集まるアンタレスの面々と、救護班のウマ娘たちが見えたが自ら近寄ろうとはしなかった。

 わかっていたからだ、後ろを走るライスシャワーの足音が異常をきたして何度か乱れたその後に崩れるのを聞き取っていた。

 芝とはいえ大きな音だった、体という物質が不意に支えを失ない倒れるのだから。

 時速60キロ、左から斜めに崩れた体は何回転も芝を転がり砂煙りの中で止まった。

 彼女の息は聞こえなかった、恐ろしいことだ。

 ほんの一瞬で、何かが分かたれたという傷に塩を擦り付けられる激痛。

 倒れた彼女のところには行けない、見られない。

 トボトボと離れるのが精一杯だった。

「こんなこと……こんな結果を望んだわけじゃないのに、私のせいなの?」

 うなだれ顔を落とす、涙は芝に降り注ぐ。

 止まらない悲しみの頬にホクトベガの手が包むように触れていた。

「シリウス、誰にも、どうにもならない時があるのですよ。貴女のせいじゃない」

 掻き毟るように乱れた感情を抱くことも捨てることもできないシリウスは崩れ、ホクトベガは優しく抱きしめる。

 言葉を尽くしても何にも報いられない時が2人の間に流れていた。

 

 

 

 

「パーマー!!」

 通用口でライスシャワーを乗せた救急車を見送ったパーマーにメジロライアンが駆け寄っていた。

後ろにはマックイーンとミホノブルボンもいる。

「リャイアンぅぅぅん……ライスちゃんがぁぁぁぁぁ」

 転倒したライスシャワーの体を固定、アイシングと緊急処置を施したのはパーマーだった。

 レースには日頃から持ち歩いていた備品が役に立ったが、物は揃っても心は追いつけない焦りの中にあった。

 学園におけるメジロ家代表格でもあるライアンは、一門の仲間であるパーマーをしっかりと抱きしめていた。

「君はしっかりやったんだよ。彼女もきっと……きっと無事だよ」

 何もわからない、担架に乗せられたライスシャワーは顔も体もすすけ傷だらけの状態だった。

 大丈夫なのか、どうなのかなど計りえないが仲間を精一杯励ました。

「きっと……きっとね……大丈夫だから……」

「ライスちゃんがぁぁぁぁ」

 隣では大号泣のヘリオス。

 馬鹿コンビ2人がいつもやってきたウマ娘攫いがここでは大きな役に立った。

 担架を肩に固定したライスシャワーをいち早く病院に運ぶため、緊急車両がレース場からすぐに公道につながる通用口まで全速力で走った。

 走って走ってレスキュー隊員にバトンタッチしたところで脱力し涙を止められなくなった。

「ルビーちゃんライスちゃんが……ライスちゃんが……」

「ヘリオス……」

 座り込み泣き続けるヘリオスに駆け寄ったのはダイイチルビーだった。

 友達のレースを見に来ただけだったが、大惨事になった第10レースも見ていた。

 転倒直後に全力で救護に走っていくヘリオスを見つけ、今ここに駆けつけていた。

 仲間思いのヘリオスが泣き崩れる姿は辛すぎる。

 ましてや同じ思いを2度するなど、考えるだけでルビーの膝も揺れ恐怖を覚えていた。

「ヘリオス、ヘリオスぅ……」

 ダイイチルビーはそっと肩を抱く事しかできることはなかった。

「お姉ちゃん……」

 ライス転倒から全ての指示を出し、ここまでやったイクノディクタスの元に妹のエミノディクタスが心配そうに寄り添っていた。

 涙は見せない姉だが、心配に顔は歪む。

「大丈夫よエミノ、私たちもこれから病院に向かうわ」

 そうだただ救急車に乗せ見送るだけでは終われない、チームの要はここでまだ泣けないのだ。

「部長!! タクシー拾って……」

 病院へ、そう言おうとしたイクノの前ツインターボは吐血していた。

「部長……口切ったの?」

 あれだけの騒動だ、ここまでライスを運ぶ間でツインターボが怪我をしていても不思議ではなかった。

 実際歯を食いしばった怒りの顔は震え一点を見つめている。

 トレーナーから預かったあの巾着を、その中身の蹄鉄をツインターボは手に持ち握りしめて怒鳴り声を上げていた。

「こんなの……絶対に許さないぞ!!! 米を……米を勝手に連れて行くな!! 連れて行くなら俺と勝負しろ!!」

 はあ?

 イクノは一瞬呆れた。

 いつものツインターボ特有の激発的意味不明な発言だとおもったからだ。

「部長……こんな時に……部長!!」

 きっとテンパっていると誤解したイクノの前、ツインターボは倒れていた。

 まるでつっかい棒を失った案山子のように前のめりに。

 誰も反応できず、雑踏の中でパタリと倒れた音だけ、イクノディクタスでさえ何も言えない衝撃を受けていた。

「部長、何やってるのよ」

 ゆっくりと膝をついて、目を開けたまま倒れているツインターボに触れるイクノは首振った。

「やめてよ……こんなの……もう無理……」

 張り詰めた糸が断ち切れその場に崩れるイクノ、アンタレスの面々は誰も動けなかった。

 何が起こったのかを理解したくないという顔だけが並んでいた。

 

 

 

 大波乱の宝塚記念は終わった。

 ライスシャワーの救急車に乗ったトレーナーは翌日姿を消していた。

 

 

 

 



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10 自分の証明

終わらせる事が大事。
こっそり上げる分にはゆるされると思うので。


 ライスシャワーは眠っている。

 正確にはレースでの事故以来意識不明の状態が続いていた。

 外は雨。

 ここはトレセン学園から近い病院。

 学園の南門を通り向けた先にある河川に沿った場所にある。

 普段なら河川敷を走るウマ娘たちを見ることもできるが今現在それは望めない。

 あの日以来雨は続いている。

 今現在夕日の美しい眺望が自慢の病室から見えるのは、くすんだモノクロームな世界だけ。

 「奇跡って…… 本当にあるのかもしれないわね」

 窓から見える雨に目を細めるのはイクノディクタスの顔には少しの疲れが見える。

 事故から向こう、意識不明の重体で集中治療室に入ったライスシャワーに付き添いつづけている。

 窓辺によったベッドの上には全身にくまなく包帯を巻いたライスシャワー。

 昨日までは呼吸器を外すことのできなかった痛々しい姿が見えていた。

 

 

 

「骨折は…… してないんですか?」

 集中治療室を出るまでライスシャワーの状況は何も知らされていなかった。

 病棟を移るのを待ち構え突進してきたイクノに、主治医は慄き後ずさりしながらも無理に作った笑顔を見せてそう言った。

 両手を前にストップも忘れずに。

「本当に奇跡ですよ。右足アキレス腱断絶が一番大きな怪我ですが後は本当に……」

 手振りも軽く、主治医もこれは本当にすごい事だと続けた。

 ライスシャワーはあのレース場三角でトップスピードに入るために大きく踏み込んだ。

 その力でアキレス腱を損傷した。

 ウマ娘がトップスピードへと入る時の速度は60キロ以上。

 スピードこそ人間のそれを遥かに超えるウマ娘、体も人より丈夫とは言え生身である事を考えればこのスピードの源である脚の制御を失うのは危険でしかない。

大抵のウマ娘は、事競技に参加するウマ娘は普段の気質はともかくレースにおいては負けん気が強い。

 負けられないという意思が、脚が故障したままでも大地を蹴ってしまう。

 残念な事にそれが選手生命を断つ致命傷なってしまう事が多い。

 壊れた脚で大地を蹴る。

 当然壊れた脚は叩きつけられる圧力によってより深く骨を砕く。

 そうやって傷口を広げた上に転倒し二度と競技の世界に戻れなくなるのだ。

 悲しい事だが事故の結末としてはもっとも多い判例であるが、ライスシャワーはそうならなかった。

「どうして…… 」

 健康第一、体調管理に余念のないウマ娘であるイクノディクタスは当然今まであったレース事故をよく勉強していた。

 ウマ娘は「負けじの魂」で怪我をしてしまう。

 魂に鬼を宿すほどレースに対して精錬されたライスシャワーがそうならなかったのは不思議でしかない。

 レースを観戦していた主治医もそう思ったとうなずきながら

「本当のところはどうなのかわかりませんが…… 推測するならば」

 ライスシャワーのベッドを挟んでお互いが腰掛け、イクノは主治医の話を聞きつづけそして納得していった

 あの日、あのレースの、あの瞬間。

 ライスシャワーも他のウマ娘と変わらず「負けたくない」という気持ちが前に出て、痛みを押してでも走ろうとしていたのだが力を込めるに至らなかったのだ。

「ライスシャワーさんは怪我をした後、走ろうとはせず体の力を抜いたのではと考えています」

 簡単な憶測ではあるが主治医はそれが怪我のレベルを下げたのではと述べ、同時に未だ意識が戻らない事を憂慮してとにかく安静をと部屋を去っていた。

今日まで知らされていなかった怪我の具合、レースからの推測で大きくなっていた不安が薄れていく。

 イクノはただ胸を押さえ涙を堪えライスシャワーの顔を見つめると、包帯で隠れた額を優しくなでた。

「力を抜いた…… そっか…… そうだったのね」

 目線のはライスシャワーの隣に眠るツインターボに向けられていた。

 レースの後、「連れて行くな」と叫んで倒れたツインターボはそのまま眠り続け、意識不明のライスシャワーと同室の入院患者だ。

イクノは放っておけない2人の仲間、ライスシャワーとツインターボを交互に見た

「部長、教えておいてくれたのね…… 転び方」

 普段はおふざけ満載のツインターボが不足の事態に際して必要なことを教えていてくれた事に感謝し、自らの気を持ち直して宣言した。

「さあ、二人共はやく起きなさいよ!! 一緒に走るのを待っているんだから!!」と。

 

 

 

 シンボリルドルフは生徒会室の窓から雨のグラウンドを見つめ続けていた、

眉間にかすかな亀裂、苛立ちとも不満とも見える顔は髪で目を隠すほど暗い。

「会長、よろしいですか?」

「あぁ…… どうした?」

 考え込みすぎて最初のノックに気が付かなかった。

 ローテーブルにキャロットティを支度したエアグルーヴは悩みを抱える会長ルドルフに少しの配慮を効かせて声をかけたという顔を見せていた。

「すまない、少し呆けていた」

「いいえちょうどお茶の支度ができましたので…… ご実家から問題でも?」

 振り返ったルドルフの手にある手紙は、そもそもエアグルーヴが会長室まで運んだものだった。

 運んだ都合上差出人はわかっており、それが会長シンボリルドルフの心を曇らせているのもわかっていた。

 だからこそ休息のためのお茶を用意し、少しでも気持ちを分かち合おうと声をかけていた。

 ルドルフもエアグルーヴのきめ細かな心遣いは理解している、対面の椅子に座ると手紙の封筒を前に置いてみせた。

「トレーナーからの手紙ではないよ。まあ一言はあったけれど」

「では誰からですか? 差し支えなければですけど」

「マティリアルからだ」

 懐かしくも辛い名前。

 レースに病んで怪我して入院を余儀なくされたシンボリ一門での妹分の名前にエアグルーヴは一瞬声を潜めた。

 触れていいのか、デリケートな問題でもある。

 だが自分が声掛けしたのだから聞くとこにした。

 ティーカップを手にした反対の手で少し前髪を払って

「マティリアルは退院したのですか?」と

 彼女が事故を起こして入院以降の状態は伝わっていなかった。

 それほどにショッキングな事故で、あえて触れるウマ娘もいない。

 エアグルーヴはそこに踏み込んだがルドルフは少しトーンは低いながらも返事はしっかりと返した。

「ああ長くかかったが去年の夏にね、ただレースは…… まだ難しいかな」

「それはよかったです、本当に。手紙はその報告なのですね」

「いや違う」

 てっきりそうだと思った手紙にルドルフははっきりと違うというと困った顔を見せて言った

「シリウスにと…… マティリアルからの手紙が入っているんだ」

「シリウスさんに、では私が運びましょうか」

 即答の深慮だった。

 シリウスをホクトベガに預けたときからの約束は、ルドルフが安易にシリウスにかかわらないでほしいというもの。

 手紙の手渡しがダメとは言われていないが、少しでも会おうとすれば声高く約束を違えるなというホクトベガを思い出すにルドルフの立場を悪くしたくないというエアグルーヴの気遣いはすばやく提案されていた。

 本当によくできた女帝だ。

 ルドルフはありがたいと断りをいれて

「いや、これは私が渡すよ。今はシリウスにとって試練の時、ならば私も共に背負おうと思うんだ」

 宝塚記念のレース以来閉じこもっているという話は聞いていた。

 飛んでいって抱きしめてやりたかった想いを、あの日堪えた。

 相手にそれほどの自制を求めるホクトベガのやり方を否定はしない、自分が「再起」をと頼んだのだからという思いで

「シリウスも色々なものと戦っていると思うと、こうして心をやきもきさせるのも形を変えた南征北伐というものだよ。私の心も一緒に戦っているんだ」

「わかりました」

 来る日を待つ覚悟を示す

「何か一つでも解決の糸口を見つけ前に進んでくれたら、その時この手紙はきっとシリウスを助けるものになる。今はそれを信じて待つだけだ」

「はい」

 皇帝の自制に従う女帝。

 降り続いていた雨が少し緩やかになり始めていた。

 

 

 

「そんなものかい? 」

 黒い影はそう言わんばかりの手振りと見せ生意気な顎揚げスタイルを見せる。

 言葉はなくともそう感じる仕草にツインターボはイキっていた。

「人男に負けて何がウマ娘ぞぉぉぉん!!」

 前を行く影は「人男」と怒鳴っては見るものの明確な形が見えるわけじゃない。

 ただひたすらに自分の前を軽々と走る尻尾を持たない人形の影を追い続けているのだ。

 不思議なことにどれほど走っても疲れない空間で。

「待ってくれよ!! お前にこれを返す!! だから米を返せ!!」

 手に持った使途不明の蹄鉄を振りながら近づくが

 息をついて歩幅を緩めると前をいく影は止まって「腿上げ」のポーズを見せる。

「もっと走って来いよ」

 笑うように軽快なステップを見せる。

 決して追いつかせないかと思えばいつの間にか後ろにピッタリと付かれていて、気がついた一瞬で抜かれる。

 遊ばれている状態だ。

「おーい!! 俺の言ってることわかってんだろ!! こいつは人男!! お前のなんだろ!!」

 やけに丸い蹄鉄。

 ウマ娘がつける面長で足に合わせたものとは違うそれのせいでツインターボはこれをつけてるやつは「男」だと考えていた。

 理由はトレーナーが持っていたからという短絡的なものである。

 自分たちと違う生き物が自分たちのマネごとをする変な道具ぐらいに思って。

 それにしてもここは変な場所だ。

 風景はぼんやりした緑つづく公園のような場所、真っ直ぐなところもあれば坂道もある。

 ともすれば学園にあるトレーニンググラウンドにも似た妙な場所だが、まったく果て見えないコースを2人は走っている。

 ライスシャワー転倒の時、ツインターボの目には別の何かが写っていた。

 黒い影が倒れた彼女に寄り添い担架で運んだ後、手を引いて入れ替わった。

 そこからだ、そこからライスシャワーの姿は見えなくなって、この影にピーチクパーチクと声をかけながら走り回る事態が続いている。

「止まれよ!! 話せよ!! なんかいえ!! 言いたいことがあるんだろ!!」

 かけっこもいいが連れ去りの理由があるなら話もしたい。

 飛び上がって手を振って見せる。

「なんか言えよ!!」

「ひひひひひひ」

 言えと伝えて初めて戻った返事に首が斜めに曲がる、奇っ怪な声に。

「ひ?」

「ひひひひん、ひひひひひん」

「ひひ語? 何語…… さてはお前宇宙人か…… 俺としたことがこういう相手に対するために宇宙語も覚えておきゃよかったって…… 今は無理だ!! ゼスチャーしろよ!!」

 楽しそうに首を揺らす影に、ツインターボは顔の前で片目を隠して同じぐらいの背丈と頭の上で平手を振ってみせる。

「ほらこのぐらいの!! 俺よりちょっとチビで(実際はターボの方がチビ)片目帽子で隠してて、お前ウマ娘さらいの宇宙人なんだろ、どんな事情があるかしらないけどあいつを返してくれよ。どっかの農場から牛連れっていっていいからさぁ」

 いいわけない。

 ツッコミ不在の中でツインターボは懸命に説得を続ける。

「なあなあまさかもうキャットミュージック(キャトルミューティレーション)とかして体切ったりしてないよな? 切っていいのは傷んだ髪だけだぞ!! 尻尾はだめだぞ!! おい聞いてるのか!!」

 影は話を聞く気がないのかグルグルとツインターボの周りを走り出す。

「なあ頼むよ、あいつは大事な仲間なんだ。あいつと俺はレースする約束してるんだ、こんなところで連れて行かないでくれよ!!」

「ひっひっひひひん!!」

 レースという言葉に反応したのか大いに喜ぶ、影は揺れて前を指す。

 今まで見えなかった靄の向こうに光がある。

 ゴールが決まった瞬間だ。

「そおかよ!! 後で泣くなよ!! 逃げ切り☆シスターズ筆頭(自己申告)の俺を巻けると思った大間違いだ!! 今日はとことんうまぴょいだ!!」

 猛然と走っていく影は、色を伸ばし4つ脚の別の生き物のようになっていた。

 ゲートインからスタートダッシュ、ツインターボはがむしゃらに先行していく。

 前を抑え、絶対に逃げ切るという走りの中で振り抜いて激高した。

「てめー!! お前米だな!!」

 今まで影と見ていた相手の目が青く光っているのに気がついたからだ。

 研ぎ澄まされたナイフのように鋭利な青い閃光が、背中にピタリとついてくる。

「俺の加速は伊達じゃねぇ!! どんどんどんどん行くぞ!! 切れるもんなら切ってみろぉぉぉ!!」

 言葉は走る圧力にどんどん千切れていく、風になり線になる。

 コースは身に覚えがあるが、そんな事はどうでもいいぐらいの疾走。

 先を走るツインターボを影はぴったりとマークしスピードを落とすことを許さない。

 油断ならないせめぎあいで遠くに輝くゴールを目指す。

 勢いを上げる2人、靄のかかった道の先に輝きが見える。

「負けねーぞ!!!」

 今までないほどの速力を上げていくラインの向こう側へ飛ぶように光に飛び込んだ。

 

 

 

 薄暗くなった雨の夕暮れ時、イクノディクタスは花瓶の水を変えて病室に戻ってきていた。

 病室のドアには「関係者以外立ち入り禁止」の張り紙、手前の通路には「ライスシャワーさんへ」と書かれた花かごがずらりと並べられている。

「そのうちひな壇とか作らないといけなくなるんじゃないのかしら」

 トレセン学園近くにある病院だ、怪我をしたウマ娘がいる事などすぐに耳に入る。

 国民的エンタテーメントを彩るスターウマ娘もいれば原石になる子たちもいる、ファンにとって推し怪我は心穏やかではいられない一大事だ。

 少しでも励ましたいという思いは見舞いの花かごとポストカードに込められている。

 それが今ここに、病院の通路、ライスシャワー眠る部屋の前に2列になってズラリと並べられている。

 今やライスシャワーを推すファンは五万といるだろう。

 かつては三冠阻止・三連覇阻止で悪者扱いだったライスシャワーも、小さな身で頑張る姿を見せ続け観客の心を動かしていた。

 春天で復活勝利の後には多くのファンからの賛辞が送られており、それが宝塚記念出場にもつながるほどスターウマ娘となっていた。

 この病院に入ったという情報は発表されていないが、熱心なファンをごまかすことできない。

 一般病棟に移った翌日から、花は増える一方だ。

 通路に出しっぱなしは申し訳ない気持ちになるが、すでに部屋には入り切らない程の花がある

 イクノディクタスが見舞いに来て最初に追われる作業は花の管理だった

「ライス、早く起きて。こんなに花でいっぱいなのよ、早く起きてくれないとこの部屋花箱になっちゃうわよ」

 ライスシャワーのベッドの周りにはトレセンの仲間たちからの花かごが並ぶ。

 ここに最初に来たのはマックイーンとブルボンだった。

「早く起きてださいね、貴女に挑む私のために」

 マックイーンは少なくも希望に前向きな言葉をかけていった。

「ライス、お互い傷を治してまた競い合いましょう。待っています」

 ブルボンは自らの診療も兼ねてだったが病室を訪れていた。

「みんな待ってるのよライス…… にしても花かごはどうしましょうね」

「なになに、イクノちゃんお困りならあたしちゃんがひな壇作ろうかぁ」

「善意だからね、そうして貰おうかな」

 椅子に座ってポンポンを作りながらパーマーが顔を上げる。

 放課後ここはチーム・アンタレスのたまり場になっている。

 トレーニンググラウンドから遠乗りし河川敷を走って、練習ついでにここに来て眠るライスとツインターボに会いに来る。

 こんな雨の日でも。

 雨合羽の下にトレーニングウェアのままここに来ているのだからフットワークは軽い。

 ひな壇がほしいと言われればすぐでも作りそうなパーマーにイクノは釘を刺す

「はい!! ここで作ったら出入り禁止ね!!」

 作って良いと言えば今にも始めそうなパーマーの動きを制し、ベッドの方へと目を向ける

 頭を巻いていた包帯は取れ、傷だらけの顔をかくすサージカルテープだけ。

 意識不明の眠り姫に、静かな息だけが聞こえる前でヘリオスが写真を紙芝居のように見せていた。

「でねでね、こっちがケイちゃんで、こっちはキューちゃん。2人とも初のウマ術で緊張してソワソワしてるのかわいいの」

 指差す2人は馬事公学園に移籍したウマ娘。

 ケイエスミラクルとサンエイサンキュー、ウマ術大会の学園内新人戦の写真。

 2人とも公式戦でないためドレスではないが、馬事公学園の真紅の競技用制服に黒の帽子姿で。

「ケイちゃんもキューちゃんもキレイに飛んだよ、ふわふわふわって。ドレスだったらふわふわふわって舞ってきれいだったと思うのぉ」

 緊張の初挑戦だった2人。

 無事に競技が終わった後、お互い手を取ってはしゃぐ姿が写真に取られている。

「ライスちゃんにも見に来てほしいってぇ、だから早く元気になってぇ」

 ライスのベッドに頭を擦り付けて

「ライスちゃ〜〜〜〜ん、早く起きてぇ〜〜〜〜待ってるよぉ〜〜〜〜」

 薄くなった雨、病室の中の静かなチーム・アンタレス。

 集う仲間の思いは一つ、仲間の復帰。

「みんな待ってるわよ…… ライス」

 手を伸ばし頬に触れる。

 

「はいイクノさん、イクノディクタスさん? ここは?」

 

 かすれた声だった、水気のないひび割れた唇からこぼれたのは薄く目を開けたライスシャワーの返事。

 自分の頬に触れた手に顔を擦り付けるような仕草、柔らかな暖かさにイクノは一瞬固まり飛び上がった。

「ライス!!!!」

「ライスちゃん!!!」

「ライスちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」

 突然だった、当然目覚めに前触れなんかなかったから余計に驚きしどろもどろになったが制止のキックはすばやく繰り出されていた。

 目覚めたライスシャワーに2人して飛びつこうとしたパーマーとヘリオスをイクノは蹴倒して

「どうして、えっえっえっえっどういう…… ああライス…… 良かった」

 しっかり2人を踏んづけて涙した。

「ああよかった目が覚めて、すぐに先生呼ぶから!!」

「待って…… ください…… 先に聞きたい事が」

 イクノの足元では2人がジタバタしている。

「ライズぢゃゃゃぁぁぁぁぁん!!!」

 勢いある2人は野放しにはできない、体全部を強打する全身打撲のライスシャワー。

 この状態で抱きつかれたら悪化してしまう。

「ちょっと落ち着きなさいよって、まずはライスが何言ってるか聞かないと!!」

 泣きながら暴れる2人に更に泣きながら抑えるイクノ。

 眼の前のドタバタを前にライスは細い声で訪ねた

「…… お兄さまはどこですか?」

 ベッドの中から見られる狭い視界、目を動かし探すライスの姿に、我に返ったイクノディクタスのつらそうにうつむいていた。

「お兄さまは?」

「そうよね…… 良いニュースから告げたかったけど…… そうよね大事だものね」

 ベッドのリクライニングを起こしたライスにイクノディクタスはレース翌日失踪したトレーナーの手紙を渡していた。

 まだ自分の手を使って広げることのできない手紙を封筒からだして眼の前に広げた。

 力ない文字の羅列をライスは目線だけで読んでいく。

 内容はわかりやすい謝罪だった。

 過剰なトレーニングで溜まった負債による怪我、すべての責任は自分にある。

 ライスシャワーにひたすら謝るという文に、ライスはまだ開ききらない薄い眼差しを濡らしていた。

「お兄様のせいじゃないのに…… 」

 ドタバタからやっと開放されベッドのヘリに顔を並べたヘリオスとパーマーは声を揃えて言った

「ライスちゃん!! 心配しないでトレーナーはメジロの家や仲間たちに頼んで探してもらうから!!」

「僕はね!! 僕はね!! 新聞友達に見つけたらメールクレクレ願いを掲載してもらうようにするから!!」

 踏まれたまま頭だけ上げて2人はライスの不安を取り除こうと、今できることを告げたがライスシャワーは静かに断った。

「ありがとうございます、でもその必要はありません。お兄さまを苦しめたのはライスのせいでもありますから、ライスが解決する問題ですから」

 思いもよらぬ発言だった。

 いつも弱気で自分から何かを主張する事の少ないライスシャワーの発言に3人は目が点。

 眼の前にいるのは病み上がりで顔の白い力をなくしている存在なのに、目の中にある光は青く燃えていた。

「ライスが走って、走って、走って。ライスは大丈夫だってお兄さまに証明してみせます」

 驚く言葉が続く、だがイクノは確信したようにライスに告げた。

「良いニュースはそれよ。骨は折れてない、アキレス腱の手術は終わってる、後は走るためのリハビリを頑張るだけよ!!」

 拳を握るイクノの姿にライスも少し驚いた顔をしたが後はうなずくだけだった。

「はい」

 

「おいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいぃいぃ!!!!! だァァァァァァァ!!!!」

 

 感動に静まった部屋に雷を落としたのは隣のベッドに寝ていたツインターボだった。

 水も少ない枯れた喉からの大音響に一同揃って耳をぺしゃんとなったまま目を見開く

 次の瞬間ヘリオスとパーマーはツインターボに飛びつきもみくちゃにしていた。

「師匠!!!!」

 すでにライスの目覚めで涙腺決壊中の二人が、涙以外にも吹きこぼす勢いでツインターボに抱きついて大声でなく。

「うわぁぁぁぁぁんぁんぁなぁく!!!!」

 感激が限界突破した二人の向こう側でライスシャワーとイクノディクタスも涙をこぼしながらも喜びの笑みをも見せていた。

「良かった、本当に、何してんのよ部長……」

「米!!! てめえ!! 何が「ありがとう」だ!! もう一回勝負しろ!! ってあがごぁ痛い痛い痛い!!!」

 意識不明で寝てい動いていなかった体、締め上げられれば鈍った筋肉が痙攣して痛いところに喜び爆発で容赦のないパーマーとヘリオスの羽交い締めにアップアップするツインターボ。

「何? 変な夢でもみてたの?」

 イクノはライスシャワーを守るように前に立っている。

 ツインターボはヘリオスとパーマーに抱きつかれ飛びかかるどころではないが、勢いはあった

「最後に......刺しやがってぇぇぇ、痛い痛いよぉパーさん!! ヘッツあん!!」

 嬉しすぎも、羽交い締めにされ口を歪ます顔も起きているからこそ見られるもの。

「こいつらどーにかしろイクノ!!」と叫ばれても笑い泣きで動けない。

 入院していた二人が時を同じくして目覚めるなど、心配事が一度に吹き飛ぶ事態。

 イクノディクタスは泣き笑いの状態で悶絶するツインターボの意味不明な言葉を聞き返した。

「意味わかんないわよ部長、何なのよ」

「黒いやつだよ!! あいつ…… ちがーう!!! 米お前だぁぁぁぁぁ!!!」

「ライス?」

 隣り合って顔をあわせて。

「そうだ、お前を追ってたんだよ!! 逃さねぇんだからな!! お前は俺と勝負するんだからよぉ!!!」と、ビシッと指差しはするものの体は言うこと効いてない。

 フニャフニャの状態にパーマーとヘリオスに抱きかかえられて。

 こんな状態にあっても自分とのレースに一生懸命なツインターボの姿にライスシャワー泣き笑いだ。

「はい、きっとレースしましょう。ライス、絶対に走りますから!!」

 病室にアンタレス。

 これで騒ぎが起きないわけもない、ましてや今日は嬉しいメンバー再集結だ。

 通夜を通り越して花かごの花を降らすパーティー会場へと早変わりだ。

 そして当然後日めちゃくちゃに怒られる懲りない面々。

 暗かった雨は止み、薄っすらと地平線に夕日が輪郭を見せていた。

 

 

 

 

 宝塚記念から一週間、シリウスは宿所としている「砂場」の自室から出なかった。

 ただひたすらに、ベッドの上で一心不乱に声を殺して呻いていた。

 食欲など一切わかない生き死にをなくしたただ苛立ち「呻く」生物になってしまったのではと思い返すほど空虚と恐れの日を過ごしていた。

「私が…… 私が余計なことを言ったから。だからこんなことに…… 」

「間違わないでシリウス、誰のせいでもありません」

 眼の前で組んだ手、爪をかみ、髪を振り乱したシリウスに声をかけたのはホクトベガだった。

 毎朝の習慣をこの日も変わることなく続けいている。

 事故以降ここに閉じこもり悶々と呻くシリウスを毎朝見舞うように戸を開ける。

「一週間ですね。だからそろそろ聞こうと思うのです、これからあなたがどうしたいのかを」

 いつもは挨拶と食事を運ぶだけだったホクトベガはベッドにうずくまるシリウスと隣り合わせの椅子に座り静かに問いただしていた。

 焦点の合わない虚ろな目の前で、何時になく静かで笑わない顔は続ける。

「雨は直にやみますよ、そしたらどうしようと聞いているのです」

 今までこんな聞き方はされた事がなかった。

 生意気に突っぱねていた頃にも暖簾に腕押しのような問答はあったが、突き詰めるような質問などされた事はなかった。

 ましてや今は事故に対する嫌悪心を抱えて、先の事を考えられる状態にないのは見ればわかるようなもの。

「……何を……何をしろというの?」

 嗄れた声は顔を隠しながらいまいち掴みきれない状況に返事する。

 ほしい慰めと違うホクトベガの顔を伺う。

「雨がやんだら、私は貴女に走って欲しいと思っています」

 刺さると言葉。

 走ったが故にあの事故が起きたと、淡々とした逆なでに締め付けられていた心の箍が外れてしまった。

「走る?? なんでそんな事を聞くの!! 走るわけない!!」

 歪めた口で跳ね上がった声、叫ぶように切り返すシリウスにホクトベガは微動だにせず

「なぜ走らないのですか」

 より一層踏み込む質問を返した。

 上がった息でシリウスは声を飲んだ。

 山積みの重荷が去来し、苛立ちで顔をそむける。

 誰が走ることを望んでくれるのか。

 今まで散々に周りを振り回してきた。

 姉と慕ったシンボリルドルフとの亀裂、行く場なくトレセンにとどまりアチラコチラに問題を振りまき、挙げ句ライスシャワーを事故へと誘導した。

 四方八方が闇だ。

 誰のどこを頼って良いのかわからないのに、この眼の前にいるホクトベガは涼しい顔で自分を苛んでいると思えば喚き散らすのは必定だった。

「一体誰が私が走ることを望んでいるというのですか!! 私はもう走れない!! 走る意味がない!! 走っても何も変わらない!!」

 だれよりも。

 走ることが好きだったのに、どこでどうしてこんなにも曲がってしまったのか。

 今まで怒りを抱えることで遠くにおいておく事のできた感情が溢れかえる。

「ホクトベガ!! 貴女が言ったじゃないですか!! 走るだけでなにかを変えられる時は過ぎたと…… ならば私にはもう何も残ってない…… そういう事じゃないですか!!」

 勢いベッドから乗り出していた体は力なく崩れた。

 言葉の強さとは裏腹に体の芯まで弱り果てていたシリウスの転げ落ちそうな体をホクトベガはその胸で抱きとめていた。

 息の届く距離で女王の慈しみの目が見つめる。

「そう、自分が走るだけでは私たちは何も変えられない痛みを背負い、数多の人に痛みを与えた。でも…… それでも私たちは走ることでしか変われない」

 それでも走らないと変われないなんて、シリウスには意味がわからなかった。

「無理でしょうそんなの…… 走ることが怖い…… 」

 傷つきすぎた心は長く混乱をきわめた自身の走りを思い浮かべて素直に答えていた。

 うつむき顔を隠してしまうシリウスの髪をホクトベガは優しくなでた。

 倒れた耳を慈しむように優しく。

「でも走らないとその闇から出られませんよ」

「貴女は…… 抜け出せたの?」

 静かにうなずくホクトベガ。

 胸に抱かれたまま力なく首を振るシリウス。

「私は…… 貴女のように強くない…… ルドルフみたいにも、なれない…… 」

「ならなくていいですよ」

 あっけらかんとした答えだった、シリウスは驚いた目でホクトベガを見ていた。

 今まで誰もそんなふうに言ってくれたことはなかった。

 シンボリのトレーナーは常に強くなれと教え、シンボリルドルフが見せる勝利だけが全てと叩き込まれてきた。

 ひたすらに強くある事が全てだった。

 それが叶わなくて、負けることが怖くて、でも勝てないから苦しんで負けても良い理由を探して…… 意地になってそれを正当化しようと、意味のない努力で自分を立たせてきた。

「強く…… 強くならなくていいの?」

「ええ、心優しい貴女にただ強くなれなんて変でしょう。貴女は貴女のまま、貴女の優しさを抱えたままで強くなれば良いのだから」

「私のままで…… いいの?」

「貴女のままが良いのですよ」

 枯れていたはずなのに、涙が堰を切る。

 声を上げて、やっと泣いた。

 腹の底から心の底から、溜め込んでいたすべてを流しだすように涙と声を出していた。

 閉じ込めていたシリウスの心はやっと解き放たれた。

 長かった雨は止み、透き通った夜の上に星はまばゆく輝いていた。

 

 

 

 

 




二期が始まりましたね。
トウカイテイオーの話はちょうど私が競馬停滞期に入った頃でラジオで活躍を聞いている程度の時期でしたね

そんな事より二期ですよ
やっぱり公式のキャラづくりはうまいですね、かわいいですね。
パーマーもヘリオスもツインターボもイクノも
一期から2年も開いて続きを書く気になったのもそのせいかもしれない
でも公式出ちゃった以上こっそりな
さらに公式にシリウスがいてどっと疲れた。
えーターボと絡みあるならアイルトンでしょとか想いながら
「これ以上書くなよ」と念を押された気分です、でもごめんなさい。
せっかくなんで最後まで後2話ぐらいなんで書かせてください。
老後の楽しみみたいなものなので

間違って読んでしまった方にはごめんなさいですけど
老後の楽しみなんで、公式と違うのは許して下さい。
これ終わったら旅程さんを終わらせたいですね。


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11 高気圧ガールズ

すいません、11話を書き直しました。
4/11以前とは構成を一部替えた形で掲載しています。
大幅割愛になりおまけに回したものもありますのでご注意を
前回読んでくださった方には申し訳ないと思いつつ、思い切った大改訂をしました。
といっても一部話が省かれ、レースの話が入ったという程度なのですが。
いずれにしろ書き直しましたので報告を

あとがきのおまけを書き直しました。
ボケていて後半がグダってましたわ、ごめんなさい。


「かかってこいやー!!」

 真夏の地方トレセンでツインターボは勝負服を来て雄叫びを上げていた。

 9レースの晴天。

 山間の避暑地、蔵王の麓、中央トレセンではない場所。

 簡素なスタンドと色気のないダートステージにツインターボは立っていた。

 中央トレセンが行うレースとは別に地方には地方トレセン主催のレースがある。

 今日ここが戦いの舞台だ。

 

 

 

 いつもよりはるかに近いレース場と観客席。

 ダートでウォーミングアップするツインターボにはたくさんの応援が詰めかけていた。

 黄色を基調とした勝負服、いつもとは違う服はここに来る前にトレーナーが奮発してくれた新作でピカピカだ。

 中央トレセンからの交流レースにやってくるウマ娘は少なくもないが多くない、どちらかと言えばデモンストレーションマッチレースみたいな趣向であり一緒に走るような事もない。

 あるようでない交流の舞台にやってきたツインターボに今日のレース場は満員御礼だ。

「あんな小さい子なの?」「テレビで見た事ある、めっちゃ先頭走ってた子だよ!!」

 名前は有名。

 パドックに集まった黒山の人だかりは、中央トレセンから来たウマ娘を見ようと十重二十重の列をなしている。

 その走りである意味コアなファンも多いツインターボの来場は地元トレセンのウマ娘たちも熱くしていた。

「サインもらおー!!」「今日も逃げるのかな? 私絶対追っちゃうから、でもって抜いたらスターになれるかな?」「後で一緒に写真に入って貰おうよ!! チームの人にも入って貰おうよ!!」

 色々な想いが交錯する。

 相手は中央トレセン所属のスターウマ娘、勝っても負けても良い思い出にもなる。

 チーム・アンタレスにはグランプリウマ娘のメジロパーマーに逃げの盟友ダイタクヘリオスもいる、連戦王のイクノディクタスもいるとなれば豪華な顔ぶれ。

 怪我で現地観戦に来られなかったライスシャワーがここにいたのならば大変な事になっていただろうスター選手の所属するチーム。

 色々な声援に噂が飛び交うなか、ツインターボは勢いよくパドックのお立ち台に躍り出た。

「ツインターボ!! 見に来たぞ!! ロケット噴射で行けよ!!」

「愛してるぞ!!」

 中央からのファンも集まり熱気に踊る。

「うぉぉぉぉぉぉん!!! 俺は元気だ!! 今日もまっしぐらに走りきって、みんなとガンガン踊るぜぇ!!!」

 声高に拳を振るうツインターボに応援を惜しまないチーム・アンタレスの懲りない面々。

 ポンポンを振りかざしチアリーダーみたく跳ねるパーマーにヘリオス。

 pad片手に仕上げ良しと声を掛けるイクノディクタス、ライスシャワーは通信でトレセン学園からの応援中継。

 隣には復帰してきたアンタレス正規トレーナーの笹原皐月(ささはら・さつき)が、腕を扇風機のようにグルグル回して叫んでいる。

「タボちゃん!!! 素敵よ!! 仕上がってるよ仕上がってるよ!! ガツンと一発一番よぉ!!」

 産休から帰って来たトレーナーさっちゃんはチビである。

 ツインターボより少し大きくてイクノよりはチビ、当然パーマーよりもヘリオスよりもチビでミニーグラマラスな人女。

 色気少ない童顔で、髪も後ろで一本縛って「私の頭にも尻尾があるからウマ娘!!」などと大声で笑うひょうきんな人女。

 落ちることのない高気圧を纏うトレーナーさっちゃんは、拡声器で支持&応援をする。

「頑張るのよー!!! タボちゃーん!! ポイントゲットだぜぇ!!」

「さっちゃん!! それは大声で言うな!!」

「一番星になるのよ!!」

「いわれんでも勝つ!! 俺は勝つ!! 俺は絶対に勝つ!!」

 親指グッドでふんぞり返って勝利を叫ぶツインターボ。

 そのやりとりに笑う観客。

 今回のこのレース、ツインターボが中央トレセン残留のために必要な戦いだ。

 迫るレースへの時間の中、意を決して歯を食いしばる。

「任せろ!! 俺はやるじぇ!!」

「任せろじゃないわよー!! タボちゃん!! 自分のために頑張るのよ!! 死ぬ気でジェット噴射すんのよ!!」

 日本語が不自由な会話が殴り合いのように飛び交うが、テンションは上がりっぱなしだ。

「わかってらーい!! 大爆発だー!!!!」

 レース用のゴーグルをして、スタートへと走って行く。

 見送るさっちゃんは良し良しと頷き飛び出していった背中を見つめた。

「うん、仕上がりは上々。その調子で行くのよタボちゃん!!」

 一抹の不安。

「砂は久しぶりだけど…… 気にしちゃダメよ」

 レースが決まった時から注意はしたが、注意が余計な不安になっていない事を祈る。

 今日は決戦だ。

 熱いレースが始まるきっかけとなったのは、ツインターボのポイント問題に端を発していた。

 

 

 

 事はレースのちょっと前。

「お帰りさっちゃん!! トレーナー復帰パーティー!!」

 チーム・アンタレスのルームはライスシャワーに届けられた花かごが一時避難先として集められており、まるで花園のようになっていた。 

 今日はその色とりどりの花の部屋でチームの正規トレーナーさっちゃんの復帰パーティーをしようという算段だったが、今現在部屋にいるのはツインターボとイクノディクタス、そして復帰トレーナーの笹原皐月(ささはら・さつき)ことさっちゃんだけである。

 議題はノーポイントマンになったツインターボをどうするかだ。

 ポイントがないとレースに出られないし、中央トレセン在籍も難しくなるからだ。

 椅子に座って脚をブラブラ、詰問にふてくされ気味なツインターボは閃いていた。

「わかった!! ポイント借りよう!! カペラってチームも理事長に頼んで借りてるらしいからガツンと前借りしてだな」

 安直な答えがツインターボから出て、なぜかさっちゃんがそれに乗る。

「それいいね!! あたしも一緒に行こう。土下座アタックすればタボちゃんみたいな可愛いプリティーダッシュウマ娘、絶対にただで貸してくれるに違いない!!」

 復帰早々の問題に頭の回転が大外周りになっている2人。

「はい、ダメです。そもそも部長そんなに逃げ切れてないですしね。さっちゃんは理事長に睨まれるようなことしないで」

 呆れるシンクロに2人の頭を連続チョップで黙らす。

「可愛いだけじゃダメなの。あそこは特別美形ぞろいなの、しかも最近は「チームポイント」がっちり稼ぐ子いて不足したことないし。そんな事より良い2人共、ちゃんと聞いてよ」

 鋭く切り返すツッコミに二の句が喉に詰まって顔を真っ赤にするツインターボ。

 使ってしまったものは戻ってこない。

「そもそも後先考えずに全部備品に換金したから夏休みで退所する羽目になってるのよ」

 ポイントゼロという問題。

 本当はこの夏いっぱいで学園を退所する気でいたツインターボ。

 後先考えず今まで稼いだポイントを換金してチームのための備品に変えてしまった。

 「立つ鳥跡を濁さず」を実践し、ライスシャワーとの最終決戦レースで勝って有終の美を飾ろうと考えていたのだ。

 ところがどっこい宝塚記念でライスシャワーが故障、幸いにしてまた走れるらしいが安静とリハビリを考えれば復帰は早くても冬だ。

 もとより重賞レースでライスシャワーと勝負しよという気はなく、学園内レースでやるつもりだからのポイント放出に後悔はなかった。

 が、復帰を待って勝負をすることとなればポイント0はまずい。

 なにより在籍に必要な基本ポイントがないのではチームどころが学園にいられない。

「イクノちゃん反対ばかりして、タボちゃんのこと嫌いなの?」

「違うから、話聞いてる?」

 どっちが大人かわからない会話

「うおぃ!! ポイントないと米と走れないだろ!! 借りるしかないだろ……」

 何度もそのことを言ってるのにと呆れ顔のイクノディクタス。

 ホワイと両手を上げて、落ち着けと促しながら説明する。

「ポイントなんて絶対に貸してもらえないし、それに…… そもそも部長が退所しようと思ったことが原因でしょう」

 目が点になったツインターボ、本当のところをイクノディクタスは見抜いていた。

「なっなっなに言ってんだ俺は元気だぞ!!」

「元気なのは知っているわよ、でも走ると鼻血出たりするんでしょう」

 鼻血と言われて我に返ったように心配するさっちゃん

「鼻血って何? タボちゃん病気だったの?」

「最近は調子いいんよ!! 治ってるよ!!」

 2人のキツイ目線を前に、ツインターボは首をブンブン振って否定。

「調子いいの?」

 実は以前から鼻血の事を気にしていたイクノ。

 スタジオで倒れたり、備品を買うためにポイントを全部溶かしたりしたのは体に限界が来たからだと考察していた。

「おーよ、こないだ病院で目醒めてからすこぶるいいんだぞ」

 当の本人が半信半疑な返事で首を傾げると。

「そうだ……  あいつだ、米とレースした夢見てから……」

 ぶっ倒れていた時に見た夢「ありがとう」と消えた影。

「そっか、あいつが持ってたんだ、俺の不健康と鼻血」

 良くわからない結論にあっけらかんと手を打つツインターボ。

 良くわからないことは無視のイクノ。

 わかって無くても心配100%のさっちゃん。

「本当に大丈夫なのね!! お米ちゃん(ライスシャワー)とレースしてたら治ったのね!! もういいのね!!」

 プンプン顔ががっしり両肩掴んで確認と睨めつける。

「おおう絶対大丈夫!! だけど…… ポイントぉ」

 体調問題は解決しても、ポイント問題に良い知恵が浮かばない。

 口を尖らせるツインターボにイクノは自信満々で教える。

「心配無用!! 「とりあえず」チームに残るためのポイントの代用は私が持ってる分で十分事足りるから」

 健康女王であるイクノは一ヶ月に2回ペースぐらいでレースにでることもある強者。

 絶対王者になることはないが掲示板に乗る率は高くポイントもチームで1番持っているという自慢で胸を叩く。

「残る問題はトレセン残留のために必要なポイントを自分で作るって事!!」

「だったらタボちゃん!! レースを組まないとね!!」

 ここまで話が進めばさっちゃんだって次にやるべきことに気がつくし、走れと言われればわかりやすいとツインターボは拳を握る。

「おおう!! 走ればいいっていうのなら今すぐにでもだぜ!!」

「そうよ!! 走ればいいのよ!! 一番星になればオールオッケーよ!!」

 ジュース片手にドンと出たさっちゃん。その勢いでパーティーへとなだれ込むみ、こうして今日のレースへと相成ったのだ

 

 

 

 荒れ狂った雨が終わった翌日。

 何度もの深呼吸の後でシリウスシンボリは生徒会室のドアをノックしていた。

 ホクトベガに促されたわけではなかった。

 晴れた朝に食事を運んだホクトベガ、シリウスは食後のティーを頂いた後にポツリと「ルドルフに会おうとおもう」とこぼした。

 ホクトベガはただ頷き「良いですね」と、ささやかに送り出した。

 鱗の落ちた自分の目で正直な気持ちでかつて姉と慕ったルドルフに会いにきたのだ。

「どうぞ」という声に2秒戸惑いゆっくりとドアを開けた。

「やあ…… ルドルフ」

「ああ、良く来てくれたね、こちらに来てさあ座ってくれ」

 シンボリルドルフは突然で驚きもあったが、目の前にいるの昨日まで自分を避けてきた妹分。

 来てくれただけでも奇跡という驚き。

 嬉しさの方が先に立ち、浮足立つのを隠してテーブルのあるソファーへと呼んだ。

 二歩三歩と前に出たシリウスは止まり、顔を上げた。

 ドアを開けるまでは落ち着いていた鼓動は一気に跳ね上がっていた。

 昨日まで押さえつけ縛り付けこらえ続けた思いを止めることはできなかった。

 拳を握って肩を怒らせて、体に縫い付けた重荷を振り払うように

「欧州に、ルドルフが行けばよかったんだ!! レースに絶対をもってるって言うなら!! 意地でも行けばよかったのに!!」

 涙と一緒に本心をぶつけた。

「私は行きたくなかったのに、無理やり引っ張られてトレーナーに追い出されて、ルドルフも止めてくれなくて……」

 シャクリで言葉が途切れるシリウスの前でルドルフは2度小さくうなずくと

「そうだな、君は望んでいなかった。だけど、シリウス聞いてほしい」

「嫌だ!! 今更何を!!」

「お願いだ!! 聞いほしいんだ!!」

 溢れ出した本心に皇帝は真正面に向かい合っていた。

 涙声で浴びせられる苦痛が耳に入れば、あの日あの時の自らがゆくはずだった夢の果てへと思い出に重なっていく。

 シンボリルドルフによる欧州留学と挑戦、意気投合したスタッフたちと随行トレーナー。

 大陸への挑戦と、そこからエウロパへと飛ぶ。

 そういう予定だったのに、準備もなしに障壁に向かって飛躍するの貫き通したシンボリトレーナーと…… やはり勝利だけを求め続け無謀にも飛んでしまった自分。

 島国のウマ娘として初の本格留学という海外挑戦に「未だ準備ままならずと」引き止める人員を置き去りにただ1人でやってやると意気込み飛び出し怪我をした。

 まだ、まだ、何もやっていない。

 まだ、まだ、まだ、残念が渦巻く心。

 シンボリルドルフをもってしても世界への扉は開かれないのか。

 行き場をなくした想いが上り詰めた先にあったのが、シリウスシンボリの海外留学及び挑戦というニュースだった。

 ルドルフが脚に負った怪我の治りは長引いていた。

 共に行く予定だった、いや自分がシリウスを引き連れて行くはずだったという苦しみが喉を突いて出たのは

「頑張れシリウス、期待しているぞ」

 激励だった。

 涙で「行きたくない」を連呼するシリウスを励ました。自分ではそう思っていた。

「あの時君と一緒に、本当に一緒に行きたかったんだよ」

 シリウスの手を握り引き寄せた。

「行けばよかったじゃないか!! ルドルフが行けば!! ルドルフこそが世界に行くべきだった!!」

 溢れ出た想いで掴まれた手を振り払うシリウス。

 自分の手からあの日あの時手放してしまった妹分を、泣いて自分を呼んだシリウスの顔が重なり踏み込めなかった脚を今度は前にだし、ルドルフは強く抱きしめた。

「私は世界に行きたかった!! だけど行けなかった!!」

 あの日は見送りもせず、背中を向けたシリウスの目を見て。

「君が走るニュースを見るたびに一喜一憂し手舞足踏の日々を過ごした」

 離さない、掴んで腕の間から「あの蹄鉄」取り出した。

 蹄鉄として用をなさないほど薄ペラくなり傷だらけになった、シリウスが使い続けた美浦印のそれを。

「これを見た時、君がどれほど苦しんでいるかを知った」

 正直に言えばトレーナーは付帯されていた手紙は見せてくれなかったが察することはできた。

 心優しくてきれい好き、蹄鉄の手入れだって人の分までしてしまうシリウスが、こんなになるまで走っている。

「だったらわかったでしょ!! どうして帰ってこいって言ってくれなかったの!!」

 つかみ合ったお互いの腕、息の届く位置で合わせた目と目。

 シリウス見るルドルフは一瞬伏せて思い直したように顔を上げると

「帰りたいのはわかっていた、幾度となくレースで辛酸を嘗めたのもわかっていた…… でも」

 

「言えないさ!! 世界を走る君の背に、その1つ1つのレースに「夢」を見たのだから!!」

 

 自分を掴む強い腕に、その熱さにホクトベガの言葉が戻ってくる。

「皇帝だって夢を見る」

 遠い世界に飛び出していく自分に、自らが果たせなかった「夢」を見た愛し慕った姉貴分のルドルフ。

「あの時、君こそが私の夢だったんだ」

 互いが想っていたことは言い尽くした。

 後は一杯に溜まった涙ですべてを洗い流すだけだった。

 

 

 

「いいですかライス、まず何をおいても賢い筋肉を作ることが大切です」

 ミホノブルボンは真顔に人差し指フリフリでライスシャワーに告げる。

 ここはトレセン学園内にあるリハビリルーム。

 競技のために筋肉を効果的に鍛えるための部屋もあれば、固まりやすい体の部位に対する集中ストレッチをする部屋、心身のリラックスを促すヨガルームなども持っている。

 至れり尽くせりの場の中にあってブルボンとライスは2人きりでリハビリに励んでいた。

「えーと…… つまり無駄なく筋トレをするということですね。確かにライスは筋力において他の人より弱い部分もありましたから」

「ライス、それは違います話は最後まで聞いてください。これはこれからの貴女を強くする為に必要な事です」

 ブルボンの前、右足に歩行補助のギプスをしたライスシャワー。

 退院以来可動型へと変わっているが、相変わらず各所を抑えた脚は普通に歩くのにも支障がある。

「腱を守るために必要なのは強靭な筋肉ですが、ただ強ければ良いということではありません」

 椅子に座った筋トレ、目の前に立ちブルボンは拳を握り力説を続けた。

「大陸の偉人は言っていました。知識は力なりといいますがそれは嘘だと」

 真面目な顔の前、少し引くライスシャワー。

 この話は絶対に彼女のトレーナーが力説しているものだと予感がする。

 耳がぺしゃんとしそうなライスシャワーの前ブルボンは更に大手を振って続けた。

「知識とは筋肉の事です」

 まくりあげた二の腕を見せて。

「故に脳も筋肉です、腕はもちろん、脚も体も筋肉です。つまり全身が強靭な筋肉であれば、これは全身が賢い脳であるのと同意です。こうして賢い筋肉が作られるわけです」

 そんなぁ……

 レースでは絶対に「むりぃ」は言わないライスシャワーだが、その理論は酸っぱい気分になる。

 

「ブルボンさん…… その偉人さんは時々ハンマーとか持って空飛んでたりしませんか?」

 

「時々持っていますし空も飛べます。しかしそこは問題じゃありません!!」

 ズイッと近づく真顔に圧倒されるライス。

 時々ブルボンは怖い、特に筋トレにかけてストイックで。

「これに習い私達も賢い筋肉を作るのです!!」

 力のこもったグッドサインに、苦笑いながらも答える。

「賢い筋肉か、そうですね、そういうもの必要ですよね」

 前向きな答えに、ブルボンは安心したように息をついた。

「走りたい、そういう気をすごく感じますねライス」

 前ならば、走ることに悩み自身を追い詰めていただろうライスシャワーをよく覚えていたからだ。

 言われて気がついたライスも、気恥ずかしそうに目を泳がす。

「確かに今すごく走りたい気持ちでいっぱいです。ライス、お兄さまがいなくなって寂しいなって今も思ってます。でも探したりはしません、ここで止まらずレースを走ってるライスを見せることが大事だと思うのです」

 走る自分を見て、トレーナーであるお兄さまとの出会いがあった。

 だったら今のこの状態から諦めずに走る自分を見せる事でお兄さまに戻って来てもらいたいと言う。

「…… そう、願っているのです」

 悲嘆ではなく希望を見せる瞳にブルボンもうなずく。

「では私もそう願って強くなります!!」

「あっと、いたいたライスちゃん!! レース始まるよ!!」

 ライバルが共に高め合う事を誓う沈黙を割ったのはハルウララだった。

 廊下をパタパタと走り部屋に飛び込んできた。

 明るいピンクの髪を揺らして、スマホを手に持って。

「出番そろそろだよ。応援するんでしょう」

 応援。

 前はそこまで乗り気になれなかったが、今日はそんな躊躇している場合ではない。

 ツインターボがチームと学園に残留するための大切なレース。

「絶対に勝つ!!」

 療養とリハビリのために現地に応援に行けないライスシャワーに、ツインターボは出発前、何時も通り息巻いて宣言していた。

 それを受け入れるようにライスシャワーは「はい」と返事していた。

 自信満々のツインターボだが、久しぶりというのは心配だった。

 中央トレセンとは違い地方レースのダートは難しいものではないかという心配。

 トレセン学園が開催するGグレードのレースは整えられた芝で催される事が常であり、同じくGグレードのダートレースでも均等なる砂による「美整地」で行われる。

 心配なのは地方トレセンのレース場ではそこまでの整地はできないというもの。

 ただできなくても走ることは出来る。

 そこで活躍するウマ娘がいるのだから当然だ。

 だが走る場所の変化というものは大きい、芝と砂というだけでもすでに大きく異なるのに、地方レースに初参戦では心配するなというのは無理というもの。

「でも、きっと一番になります」

 深呼吸したライスシャワーはミホノブルボンの手を引いた。

「ブルボンさんも一緒に応援しましょう。私の大切なチームメイトが走るんです」

「もちろんです!!」

 本日のお楽しみ、治癒療養のため現地には行けなかったが学園で一緒に応援する仲間がいる。

 ライスとブルボン、ハルウララはいよいよ始まるレースを小さな画面越しに応援しようと椅子に座った。

 

 

 

「中央トレセンから参加のツインターボ、やはりハナを切るスタートダッシュ!!」

 ゲートが開いた瞬間、どのウマ娘よりも先にツインターボは雄叫びとともに飛び出していた。

 会心とも言えるダッシュは始まったばかりのレースに大きな歓声をもたらし、応援するイクノたちも手に汗握る展開となっていた。

 中央トレセンに行く前、地元で中央行きを決めるレース以来ダートは走った事がない。

 それだけが不安だった。

 朝一番、気になって砂を踏んでみた。草と違う沈み込む感覚。

 

「うーむ、バ場が重い?…… でも体は軽い!!」

 

 砂は久しぶり。

 だけどそれを見越して両足ウエイトや嫌いだった筋トレもやった。

 というか病院で目覚めて以来本当に調子が良い、だから今までやりたくなかった筋トレも難なくできた。

「レースするんだ!! 米と本気の本気で!!」

 意気込みは春天の時にもあった、だけどグレードレースでやろうとは考えていなかった。

 鼻血に悩まされ良い成績が残せなくなれば、いくら能天気で通ったツインターボでも焦るというもの。

 出血としびれで体が重くなれば、実際レースはもう無理だと考えた。

 だからライスシャワーと話した時、賞レースじゃなくて草レースでと言った。

 ポイントも溶かして、今まで自分と楽しくやってくれたチームメイトのための備品に替えて背水の陣を作った。

 覚悟した。

 なのに今体が軽い、七夕の王になったあの日のように絶好調だ。

「わりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 気迫みなぎるというものだ。

 ツインターボの気合は乗りに乗っていた。

「タボちゃーん!! 一番で帰ってきたらワッショーイしてあげるぅぅぅぅ!!!」

「師匠!!! こっちめがけて飛んできて!!!」

「フレフレ!!! 師匠!!!」

 その乗りは応援席で旗振るメンツにも伝わっていた。

 トレーナーのさっちゃんはライスシャワーたちに向けpad片手に拡声器を持って応援しているし、ヘリオスはトップで走ってくるだろうツインターボを抱きとめるためにサポータでガッチリ装備。

 パーマーは大声援でチアリーダーが如く赤いポンポンを振り乱す。

 イクノは静かに闘志を共に燃やしレースを見つめる。

 否応なく上がる熱気は、スターウマ娘来場の地方トレセンを盛り上げ、当然のようにレースに参加するウマ娘たちも燃え上がっていた。

「こんなに盛り上がったのは、ここでレースしてきて初めてだよ!!」

 地方トレセンでのレース。

 よほどのスター選手がいなければ満員御礼なんて出ない。

 それが朝から大盛り上がりだ。

 いつもなら最終レース前にようやく八分入の人なのに、朝から満員なんて嬉しくて仕方ない。

「絶対に勝つ!!」「勝てる!!」「今日は勝てる!!」

 逃げウマ娘のツインターボを追い抜いて、この満員御礼のレース場で歌って踊りたい。

 ツインターボの応援が盛り上がれば皮肉にも地方トレセンのウマ娘たちも盛り上がって、ゲートに入った頃には闘志メラメラ。

 ゲートオープンで走り出せばその歓声で更にボルテージが上がるというもの。

 レースは開始早々の大歓声。

 燃えてハナ切るツインターボがいれば、その声援を味方に走る地方トレセンウマ娘もいる。

 この展開に客は燃えたが、焦ったのはツインターボだった。

 走り出しは良かった、体調も良い、それが砂の上で空回り始めていた。

 最初のストレートではスルリと出て4バ身は前にいたのにどんどん間を詰められている

「やっぱり変だぞ!! 砂なのか?……」

 ダントツで前を走っているのに迫られる。

 走る呼吸が背中に迫る、汗の熱気が尻尾を炙る。

 向正面砂塵の音が耳につく。

「俺が追いつかれるだとぅ?!!」

 舞う砂が耳に近づけば、緊張感は高まる。

「絶好調なのに!!」

 力はみなぎってるのにうまく前を走れない、気持ちと裏腹のブランクが自分に少しずつ忍び込んでいるのが読めない。

「ふんぬぅぅぅぅ!!! 考えたら負けだ!! 読んだら負けだ!!」

 考えないし読まない、今までだってどっちもやらずに懸命にただ走ったのだから。

 意気込みとは別に砂塵に揉まれ始めるツインターボ。

「ツインターボ失速か!! 脚が重く感じるぞ!!」

 いつもならダントツ先行なのにズルズルと他のウマ娘の中に吸い込まれるツインターボに実況のトーンは下がるが、観客は接戦へと変わるレースにより大きな歓声を送る。

 状況の悪さにあがき涙目になりながらもギリギリをせめぎ合う、自分より身体の大きいウマ娘が両サイドにいるのが怖くなって遮二無二手足を動かすが喉を締める圧迫感で力が削がれる。

 4角に入り遠目に見ても危ういツインターボに仲間たちは声を上げていた。

「タボちゃん!! 砂なんか気にしない!! 前だけ向いて走って!!」

「部長!! 真っ直ぐ!!」

「師匠ぉ前だけ見てぇ見てぇ!!!」

 わかってる、後はまっすぐ走るだけなのに、まっすぐを示す道が狭くて怖い。

「にゃろぉぉぉぉ、怖いじゃねーかぁ!!」

 一生懸命なのに、元気なのに、体調いいのに、耳が折れそうで泣きそうだ。

「俺には、むぅ……」

 

「1000メートルで走りきって!!!!!!」

 

 一瞬、諦たツインターボに届いた声。

 padに宛てた拡声器、ライスシャワーは両手を硬め画面の前で叫んでいた。

「一緒にレースしましょう!! だから頑張って!!」

 頑張れと何十回何百回と仲間に言い続けてきた。

 イクノディクタスに、メジロパーマーに、ダイタクヘリオスに。

 自分と勝負しろと散々に尻を叩いたライスシャワーに。

 ここ一番のレースに負けるわけにはいかない。

 うつむいていた顔を前に、狭き門になったゴールを目指せ。

「タボちゃん!! 真っ直ぐよ!!」

「部長!! 走って!!」

「師匠ぉ!! 頑張って!!」

 言われなくたってわかってた事。

「負けないで!!」

 ライスシャワーとレースする。

 

「あたぼうだ!!! 俺が皆様のギャランドゥ(Gal&Do)だぁぁぁぁ!!!!」

 

 ビビっていた脚をたたけ、こわばっていた腕を回せ。

 最後の直線、勝てるを口に前に出ようとする者たちを突き放せ。

 脚に力を。

「砂だからなんだって言うんだよ!! そこにレースがあれば突っ走るのみ!!」

 砂をえぐりこむように深く踏み込み力を噴射する。

 踊るのはこの先のステージだ。

 並走し始めたウマ娘の間をナイフのように突っ切って、鋭く射し込む。

 応援に押され、ライスシャワーの声に押され、怖かったものなど吹き飛ばし一瞬で前へと躍り出る。

 

「ツインターボもう一度引き離す!! 今日は二段噴射だ!! ここから本気の勝負だ!!」

 

 いつだって本気で、いつだって勝負だ。

 前しか見ない、後ろなんて見ない。

 1バ身、2バ身、盛り返すツインターボに負けじと競ろうとするウマ娘を引き離す。

「うそぉぉぉ」「早いぃぃ」「むりぃー」

 後悔なんか置き去りだ。

 砂を切り、バ群を切り、負けそうだった自分の心を切ってツインターボはついにゴールを突っ切った。

 

「勝者ツインターボ!! かっちりきっちり逃げ切った!!」

 

 大歓声が響き渡り、紙吹雪の乱舞が続く。

 走り抜けヨロヨロになりながらも両腕を上げ飛んだところをヘリオスがキャッチ。

 パーマーはポンポンを奮って駆け寄る。

 イクノは安心したのかゆっくりと歩み寄る中、突っ走ってきたのはさっちゃんだった。

「タボちゃーん!! やったわー!! そーれー!! ワッショーイ!!!」

 言うや両手でツインターボを捕まえて「高い高い」をした、かなりの高さに。

「うわぁぁぁぁぁん!!! 高いよ!! 怖いよ!! さっちゃん!!」

 まるで人形を飛ばすように軽々と。

 勝ったのに涙でいっぱい、ポンポン飛ばされるツインターボの姿をライスシャワーは画面越しに見つめ喜びを分かち合った。

 アンタレスはこれからも皆同じチームでやっていける事が決まった瞬間だった。

 

 

 

「アマゾン、ちょっと良い?」

 聞き慣れた声にヒシアマゾンは耳を積ん立ちさせて返事していた。

「なんですか!! 姉さん!!」

 思わず階段をウマぴょいしそうな勢いで、上階から降りてきたホクトベガに駆け寄った。

 初夏にふさわしい夏服の二人。

「ファン感謝祭に向けて色々と相談したいことがあるの」

「なんでも言ってくださいよ!! ガツンと手伝いますよ!!」

 拳を奮って喜ぶアマゾン。

 いつになく美しく微笑み企むホクトベガ。

「今年はそれなりに大きい事をしたいわ」

 敬愛する姉の発言にヒシアマゾンは大喜び。

「どんなタイマンだってこなしてやりますよ!!」と飛び上がる。

 2人は笑いながら中庭の芝を歩いていった。

 

 

 

 

 

 




私にとってのシンボリオーナー和田さんというのは本当に「夢追い人」でした。

この人に思うところある方は多いと思いますが、私的な事言わせていただけるのならば私もあの人が見た夢を、同じ時代を生きたことによってご相伴に預かれた身という事です。
ホースマンとしての最先端で辣腕を奮ったこの人に「夢」を見せてもらったのです。
だから小説でもこの人を一方的な形には書けませんでした。
一生懸命な人だったと思いたいのです。


おまけ小説
11・帰るべき郷・シンボリ一門編

 連日の雨から打って変わっての続く晴天、雨を含み瑞々しく鮮やかな緑を茂らす街路樹。
 真っ直ぐに通った一本道をシリウスシンボリはシンボリルドルフと歩いていた。
 ここはシンボリ一門の持つトレーニングファームの入り口。
 入り口両サイドにはコンクリで作られた支柱が2本、1方に「シンボリファーム」と書いた表札が大きくかけられている。
 トレセン学園顔負けの施設を持つここにシリウスが戻るのは本当に久しぶりである。
 あの日、追い立てられるようにこの道を引きずられ海外に出た。
 あの時は街路樹が尖った針のように見えた。
 自分に出て行けと騒ぐ恐ろしい木々の牙に見えたそれが、今は温かい風と青々とした香りを漂わせるだけだ。
 ときより頭上を行く旅客機の音に耳を騒がせなから、少し進んでは歩を止めるシリウスにルドルフが背を支える。
「正直に言えば……トレーナーに会いたくないんだけど」
「行こうと言い出したのは君だろう。それにトレーナーは昔みたいな指導はしていないよ。まあ君が海外に行ってからだから実感がないでろうけど」
 昔みたいな唯我独尊的指導をやめたというのは聞いていたが、それでも昔しか知らないのだから怖いものは怖いし、今何しているのかがわからないのも怖い。
 燃え尽きてヨボヨボになっていたりすれば、そんな姿を見るのは心が痛い。
 期待して自分を送り出してくれたのにという良心のせめぎあいがシリウスにはあり、それが行く脚を遅らせていた。
「ごめん、緊張して」
 手に取るようにわかるシリウスの気持ち、ルドルフは軽く肩を叩く
「わかっているよ、だから急いで行くことはない。こうやってゆっくり歩いていこう、待たせるぐらいがちょうどいい」
 2人とも制服姿。
 里帰りなのだから土産の1つも持ってなど色々と用意をしたルドルフだったが、シリウスはただ一言。
「一度だけ…… 顔見せるだけだから」と何も持たずに電車に乗っていた。
「それにしても…… この手紙」
 途絶えがちの会話だったが、ファームが近づくほどシリウスはソワソワとし緊張をほぐすように話し始めた。
 手紙というのはシリウスに宛てたマティリアルのもの。
 内容は、海外から帰ってもレースに復帰しようとしない事への意見と、件のレースで止まってしまった事への心配。
 そこまでは普通の手紙なのだが、最後の一行が変なのだ。
「リンゴを食べに来て」と珍妙にして突然の締めの言葉。
「リンゴって何?」
 マティリアルの締めの一言がそれなら、なんとなく歓迎でリンゴが出るのかなぐらいの軽い気持ちでいただろうシリウスが、怪訝を崩さないのはその後に書き殴られた一行にあった。
 それまでボールペンで書いたであろうマティリアルの手紙の端に毛質で達筆な字。
「リンゴを食べに来い」というトレーナーの一言。
「……リンゴって、なんなの? 何かの隠し事?」
「行けばわかる」
 最初に読んだ時から気になっている。
「やだなぁ、トレーナーって栄養あるからって時々変なもの食べろって持って来たりしてたよね。マティリアルなんて錠剤だけの三食与えられたとか聞いてるし」
 暴走トレーナー。
 シリウスが海外に向かった頃、島国のウマ娘をより強くより早くを目標に邁進したシンボリトレーナー。
 ルドルフで成功した方法にプラスα独自に考えたトレーニング、栄養剤による筋力増強など色々と試していた。
 ぶっちゃけて言うならば「きっと良いに違いない」という自分本位な思いで突き進み、シンボリに集うウマ娘の多くを傷つけた。
 欧州留学中仲間から手紙をもらわなくても、寄宿舎付きのトレーナーが島国のニュースを持ってくるし、悪い噂は千里を走るというもの。
 色々と聞いていた事を思い出して眉間に皺が寄る。
「やっぱりダメだ、会いたくない…… 怖いよ」
 心に残る嫌悪で自分の体を抱いて震えるシリウス、深呼吸をして前を見て固まった。
 前から走って来る人影に。
「とっとっっトレーなぁぁぁ」
 身に染み付いた恐怖心は完全には抜けない、走れば人より絶対に早いウマ娘なのに後ずさりするのが精一杯。
 シンボリルドルフに手を伸ばそうにも体が固まって動けない。
 とにかくなんとかしなければと心がもがいているうちにシンボリトレーナーは目の前に来てしまっていた。
「シリウス!!!!!!!」
 雷のように大きな声、七三分けに四角メガネ、オシャレ口ひげ、一見すると普通のサラリーマンみたいな平凡な顔なのに怖い。
 長身で壮年なのにがっちりした体、両の手がどこにも逃さないようにシリウスの肩を捕まえていた
「ひぃぃぃぃぃぃぃいいいい」
 歯が踊るほど震えるシリウスに、ヒゲ面は近づいて
「脚は大丈夫か!! レースを途中でやめた原因はなんだ!!」
 大波小波、力いっぱい揺さぶられるシリウス。
 答えようにも言葉が出てこない。
「どうなんだシリウス!!」
 生真面目で大きな声、ファーム中に響く声でシンボリのウマ娘たちも気がついた。
「あー!! シリウスだ!!」
「シリウス!! シリウス!!」
 シリウスと名を呼ぶ声が響けば遠くで集まっていたウマ娘たちも走り出す。
 久しぶりに戻ってきた仲間めがけて、それぞれ袈裟にかけた雑袋に手に持った籠をおろして。
 白い軍手を土で汚したマティリアルは他のウマ娘をひとっ飛びの速さで抜き、勢いよくシリウスに抱きついていた。
「シリウスぅぅぅぅ、なんだよぉ、もっと早くここに来ると思っていたのに。すごく待っていたんだぞ!! みんなみんなすごく待っていたんだから!!!」
 栗毛のポニーテールを揺らし頬までドロで汚した顔のマティリアル
 後はみんなで飛びついてもみくちゃになって、そしてトレーナーに叱られる。
「ちょっと待て!! お前ら!! 俺が話をしているのに横から入って来るんじゃあなーい!!」
 変わらない唯我独尊が、群がるウマ娘を叱りつける。
 変わらない……、大声で怒鳴り散らし誰の諫言も聞き入れなかったトレーナーの姿が蘇り泣きそうなシリウスを前に、間に入ったのはルドルフだった。
「ただいま帰りましたトレーナー、そんなに大きな声を出さなくても良く聞こえていますよ。みんなも落ち着いてシリウスの帰還を祝ってくれ」
 耳をクルクルと動かし仲間との間を割って止める。
 以前ならそんな事を言おうものならトレーナーに無礼と弾き飛ばされていた。
 記憶に蘇る暴君ぶりに背筋まで氷点下のシリウスを、トレーナーは両手を離し一歩下がった。
 開放されたシリウスの前で息をつき。
「脚は大丈夫なのか」ともう一度聞いた。
 固まったままのシリウスの背をルドルフが叩いて笑みを見せる。
「シリウスどうなんだい」と。
 前と少し違う、自分の答えを「待ってくれている」トレーナーにシリウスは恐る恐る答えた
「脚は…… 大丈夫です」
 反り返っていたトレーナーは息を呑んで唸るように吐き出す。
「そうか、良かった」
 良かった?
 ドキドキな問答だ。
 つぎは何か言うのかと思い萎縮したままのシリウスにトレーナーはくるりと背を向け、勢いよくまた振り返る。
「食え!! リンゴだ!!」
 鼻先スレスレに突きつけられたリンゴ、引きつったままのシリウスはリンゴの甘い香りにほだされたのか、凍っていた体が柔らかくなりトレーナーしか見えなかった細い視界が広がって初めて気がついた。
 いつもなら紺のダブルのスーツを着て派手なネクタイに色の薄いサングラスをしていたトレーナーが、長靴に長さんエプロン、半袖シャツに軍手姿である事に。
 まるで畑仕事に従事している作業着姿に目を丸くして。
「これ…… トレーナーが?」
「そうだ!! 俺が作ったリンゴだ!! 今年のは特に甘いぞ!!」
 蜜の香と太陽の温かい赤色。
 手渡されリンゴを、じっと自分を見る目線の前で少しかじる。
「甘い……」
 甘味に溶かされ頬がほんのりと色づき自然に漏れた驚きの声、瞬間ガッツポーズを決めるトレーナー。
「よっし!! よっし!! 当たりだ!!」
 トレーニングで良い結果が出せた時のように「良い」を連呼、またも顔を近づけて力説。
「いいか、これからのレースにお前たちに必要なものはこれだ!! 走って体を鍛えるのは当たり前の事、俺が成すべきことはお前たちの食事を鍛える事だ!! うまくもないものを無理して食っても良い肉体を作ることはできない!! 美味いものを食って心と体に栄養を与える事が大事なんだ!! わかるかシリウス!!」
「はい……このリンゴ、本当にトレーナーが作ってるの?」
「おおよ!! お前たちの大好物を作って応援をしているぞ!!」
 目を輝かせるトレーナーの姿に、圧力におされシリウスは過去を少し、良い意味で思い出していた。
 目の前で両手を開き「世界へ行け!!」と言い放ったあの時のトレーナーは怖かった。
 レースに対して、勝利する事に対して、いつも声を荒げ良し悪しを語った。
 トレセン学園トレーナーのやり方を認めず自身の方針を烈火のごとく推し進めた。
 成果を出せず悪かった事の方が多く、いっぱい傷ついたウマ娘が出た。
 でも、冷静に思い出してみればそれだけじゃなかった。
 トレーナーは自身が掲げる「世界で活躍するウマ娘を」の目標のために一生懸命の人だった
 寝る間を惜しみレースに必要な事を勉強し実践した人だった。
 海外に行ったシリウスのレース前後は、必要な反省点・次回に向けての目標を示しそのために考えたトレーニング方法までも書き手紙として送ってきた。
 やること全てに手抜きせず、常に一生懸命で誰も見放すこと無く指導した人だった。
 今もそうだ。
 距離を取り続けた自分に「リンゴを食べに来い」と。
 思い出はいつも酸っぱい、我慢していた涙が頬にせり上がってしまう。
「甘い…… すごく甘いよ…… すごく美味しい」
「だぁぁぁ!! 僕のリンゴの方が甘いよ!! トレーナーばっかりずるーい!!」
 トレーナーの待てに止まっていたマティリアルは飛び込んで、自分が作ったリンゴをシリウスりほっぺに押し付ける。
「食べて食べて!! 絶対僕のが甘いんだから!!」
「はははははは年季が違うわ!! マティリアル!! 手間と肥料の研究もなしに何をやいわんや!!」
 大人げない喧嘩、わんさと迫る他のウマ娘にもみくちゃにされるトレーナー。
「順番でいいじゃないかマティリアル」
 騒がしくなった場を収めようとするルドルフ。
 涙が出る。
 トレーナーを恐れ重病に倒れたと聞いていたマティリアルが、同じくトレーナーの強権に怯えながら走って来たウマ娘たちが、目の前でトレーナーと取っ組み合いをしているのに。
 あんなにギスギスしていたシンボリの家が、こんなどんちゃん騒ぎになっている。
 戻ってきて良かったとホロリと想ったら、リンゴが美味しくて嬉しくて涙がとめどなく溢れ泣き出していた。

「UP(ウピ)してやる!!」

 止まらぬ涙のシリウスにいきなりのフラッシュ。
 スマホのカメラを向けて目の前に立つのは黒髪も美しい年少ウマ娘。
 まん丸眼で小生意気そうな笑みで、涙を止められないシリウスを激写している。
「何? 何してるの?」
 シンボリでは見たことのないウマ娘が、慌てて涙を隠そうとするシリウスをクルクルと追いまわし、耳をピコピコ動かしてシャッターを切る。
「なんで!! なんで写真取ってるの!!」
「ダービーウマ娘シリウスシンボリ!! 涙の帰郷スペシャル!! 見出しは決まっている!!」
「見出しって何?!!」
 捕まえようとするシリウスをフワリフワリと避けると、猛ダッシュで逃げていく。
「待って待って!!! そんな写真やめて!!」
 トレセンではどちらかと言えば寡黙(意識的にそうしてきた)で尖った美しさなどと比喩させる自分の大泣きの顔など見せたくないというもの。
 手を伸ばそうにもすごい勢いで駆けていく相手に届きそうもない。
「ちょっと!! マティリアル!! あれなに? どこの子なの?!!」
 見たことない顔、自分にリンゴを押し付けてるマティリアルに指さして聞く。
「あーあれ、あれはクリスエス。トレーナーの息子さんが大陸からスカウトしてきたの」
 知らないはずだ、息子さんがいた事さえ知らなかった。
「なんか写真取って行ったんだけど!!」
 うんうん、うなずくと同時にいたずらっぽい目を見せるマティリアル。
「大丈夫、大丈夫、ウマスタグラムとかウマウマ動画(Re)に上げるだけだから」
「ぴィーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」
 熱湯ヤカンのごとく真っ赤な顔で警笛を吹く、耳は天をつくほどまっすぐに立つ。
 大泣きの顔を、そんなものに晒されたら、それこそトレセンになんて戻れない。
 「やめて!! やめて!! やめて!!」
 今日は凛として、トレーナーに挨拶をして帰る。
 なんならトレーナーに自分への仕打ちを謝らせてやろうとぐらい思っていたのに。
 それだけだったのに、もうめちゃくちゃだ。
 恥ずかしい写真をばらまかれるギリギリだ。
 こんなところでのんびりしている場合じゃない。
 ダービーウマ娘は猛然と走りだし、リンゴを手に手にシンボリのウマ娘たちも走り出す。
 トレーナーは当たりとなったリンゴを持ったまま、砂煙を上げて駆けていくシリウスたちの姿を見つめていた。
「…… 良く連れて来てくれたなルドルフ。元気そうで良かったよ」
「はい、でも来る気になったのはシリウスの方ですから」
 トレーナーは少し驚いた顔をしたが言葉にして「それ」を言おうとはしなかった。
「そうか、まあいつでも来い。ここはお前たちの集える場所だ。しかもリンゴもうまいからな」
 運命の名を引きこの世に生まれる、運命の子達が集う場所。
 夢のステージに向かう一歩前、ステージに立つための基礎を磨く郷。
 ここに集ってここから駆け出し、レースの合間に心身を癒すために戻る場所。
 リンゴの美味しいここに。
 シンボリ一門は久しぶりの団らんを楽しんだ、当然のようにシリウス号泣の図はUPされ反響は凄ましく願ってないのにシリウスは一気にファンを増やす事になったのだった。





あの後、どんちゃん騒ぎでリンゴパーティーになったシンボリファームで
パーソロンが出てきて
「あれあれルナちゃん久しぶりねぇー」なんて言ってルドルフが照れる。
「あの子(シリウス)も心配この子(トウカイテイオー)も心配で大変ねぇ」
なんても言われる。
 とかも書きたかったけどね全然時間がないのはなぜだろう。
というか今回無駄に長いなぁ
後2話ぐらいで終わりたいのに


本当はね
刑事ドラマみたいなのも書きたいのですよ。
ザクザクした時代のやつをお手本に
ところで刑事ドラマってなんでいつも当然のように警察内部が腐敗しているんでしょうかね
後やたらマスコミが正義だったり、やっぱり政治腐ってたり。
そういうのはねぇ、あまり良くないですよ。
なんて思うのです。




おまけ小説2
11・イン・サラー 砂の女王(前編)


「あの人をぶっちぎったら…… 中央トレセンデビューできるんじゃね!!」
 しとしと降り続く雨のパドック。
 小さな張り出し屋根の下で「お披露目」を果たしたアクアライデンは髪に滴る雨粒を吹きながらはしゃいでいた。
 地方トレセンでは個別の勝負服を着ることは殆ど無い。
 着ることがあるとすれば地方戦でも格式高いレースの後、トゥインクルシリーズを模したライブで踊るステージ衣装だ。
 今その色違いを川崎トレセンのメンバーは着込んでいた。
「G1勝ってるウマ娘をぶっちぎって吠え面をかかせて…… 私は一気にスターウマ娘にして川崎の星になってやる!!」
 白地にグリーンラインのステージ衣装をまとうアクアライデンは敢闘賞ウマ娘。
 ここ一番の大金星目指し意気込みを叫んび、隣のウマ娘に止められていた。
「こらっ!! アクアちゃん、そういうことは私に勝ってから言ってよね!!」
「言うのはただ!! ブイブイ言っちゃうよネプちゃん!! こんなチャンス滅多にないんだから」
 川崎トレセンに集ったウマ娘たちはウキウキだった。
 なにせ地方トレセンという名の下毎日を切磋琢磨してきた仲間たちは、毎日泥まみれホコリまみれの舞台を走る。
 色違いのステージ衣装をまとったケーエフネプチュンも雨など気にもとめないノリだ。
「お嬢様だよね、あの人。こんな泥のレースなんて走ったことないだろうから…… 絶対チャンスある!!」
 意気込みに拳を固めるケーエフネプチュン。
 売出し中にして「強者」に名も遠くないウマ娘。
「荒野走るみたいに感じるのかな、トゥインクルシリーズは花畑走るみたいなものだしね。勝って私が花畑にスカウトされるかも!!」
「私が行くの!! 今日はドロドロになって勝ってやる!!」
「「中央のお嬢様も泥まつりに巻き込んでやる!!」」
 悪意はなくても勝つための副賞のようなこと、相手を泥まみれにするということはすなわち相手の前を走るということ。
 勝つ気満々の2人。
 激戦の南関東を走るウマ娘たちは今日のレースに対して燃えていた。
 今日は中央トレセンと地方トレセンの初の交流大会。
 勝てば中央トレセンへ、行けるかもしれないし行けないにしても中央という第一線で戦うウマ娘を負かした者として名を挙げることができる。
 相手は大きな星だ。
 星を落とす者として名を馳せたい、満点の想いを抱えてスターティングゲートへとステップを踏んでいた。



「お姉ちゃん、気負わずいつもどおり行こうね」
 ホクトベガの眼の前、背の低い赤ら顔のトレーナーは笑顔で励ました。
 長身のホクトベガの胸より下ぐらいにある顔、人としてもトレーナーとしても年若かった。
 あの頃ホクトベガが所属していたチーム・プレアデスは大所帯だった。
 生徒会役員が多く所属するリギルよりも巨大でチーム内格差も大きかった。
 メイントレーナーは選抜される数人を鍛え、それ以外の者はトレーナー見習いのような者たちに任されていた。
 過渡期のトレセンには少なくないものだった。
 チーム・プレアデスは最高峰のトレセンを目指す学園に十分なトレーナーを確保するためのたたき台であり、トレーナーもウマ娘もそれに準じていた。
「大丈夫? お姉ちゃん」
 年上なのに自分を「姉」と呼ぶ新米トレーナーの前でホクトベガは何度めかのため息をついていた
「緊張して…… それに雨がこんなに…… 」
 交流戦の今日、朝から続く雨でレースグラウンドはひどい有様だった。
 普段ならトレセン学園の整えられた芝だったり、府中の美しいグラウンドを走る身だ、こんな泥沼のようなコースは初めて見る。
 伏し目がちなホクトベガをトレーナーは両手を握って言う。
「でもお姉ちゃんは雨に濡れてもキレイだから」と、平気でキレイだと恥ずかしげもなく言う。
「キレイって、意味なくなるわ泥だらけよ…… 滑りそう」
 自信のない声だった。
 中東の民族衣装を模したAライン・黒字に赤のクロスステッチは細かな刺繍がされた勝負服、地方トレセンの彼女たちが着るステージ衣装とは格が違う。
 長身でメリハリ激しいグラマラスボディのホクトベガに顔を隠すベールも相まって美しすぎる。
 レース関係者も地元のファンも遠巻きに羨望の眼差しを向けるばかりだ。
 そんな外野をよそに若いトレーナーは握った手のまま話を続けた。
「泥は嫌だよね、だからお姉ちゃん一番前を走らないとね。その服すごく似合ってるから、汚れない方がいいな。僕が選んだ中では一番いい服だから」
「前を走ったら後ろの子を汚すわ……」
「だったら、うんと前を走らないと。その方が格好良いよ」
 朗らかで優しくて、自信が持てないホクトベガのことを一度として叱ったり怒鳴ったりしない人だった。
「だからねっ頑張って」
 若さゆえに大事な注意や叱責をできず、褒めることで静かにホクトベガを導こうとした本当に甘いトレーナーだった。



「なんで…… どうなってるのぉ……」
「届かないよぉ…… 絶対にむりぃ……」
 アクアライデンもケーエフネプチュンも快走を見せたのは前半の一周目までだった。
 そこから一足踏み込み前に躍り出ようとしたケーエフネプチュンを、同じくたった一足でホクトベガが抜き去っていた。
 大きな踏み込みにそれほど力は感じなかったのか、前に出たホクトベガに負けじと競ろう二歩目に力を込めたケーエフネプチュンは信じられないものを見た
 息を上げることも力むこともなくホクトベガが二歩目で確実な差を作ったのだ。
「あれ?」
 錯覚?
 自分が踏み出した一歩より前に背中があるという謎の視界に目が回る。
 雨の下とはいえ2人とも頗る調子は良かった。
 交流戦とはいえ、走る場所は勝手知ったるホームグラウンド。
 どこが山場でどこが伸びるかなんてすべてを熟知したコースで、天上の雨降りさえも我らに地の利ありと思わせた神話が崩れる。
「どうして!!!!」
 一歩一歩の飛距離が違う。
 雨で作られたぬかるみを雲を踏むかのように飛躍して行くホクトベガの背中はケーエフネプチュンからどんどん遠ざかる。
 軽く見える歩様から繰り出される蹴り、後ろに飛ばされる泥に視界まで塞がれ更に距離を取られるともう手の届く位置にホクトベガはいなかった。
 いないと言う非常識。
 いくら距離を取られるといってもこんな取られ方をしたことがない。
 走る本人たちも驚きだったが、詰めかけた客たちも呆然である。
 当の本人であるホクトベガは不思議な気持ちになっていた。
 いつもならバ群が目の前にあって、前に出ようなんて思えない状況にある頃だ。
 一生懸命走る仲間たちの熱気に宛てられ、負けじの魂を感じれば、自分が一歩弾いてあげることで仲間が「良いレース」をできるんだと諦めていた頃合いだ。
 なのに今日はまったく違う。
 降る雨が髪に頬を濡らし視界をにじませるが、前になんの障害もない景色は柔らかな光で溢れた夜景。
「先頭ってこんなにキレイな景色が見られたんだ」
 昼じゃなかった事が良かった。
 雨音だけが耳を打つのが良かった。
 ただそれを追いかければいい。
 ホクトベガの走りはまるでスキップを踏むように美しかった。
 地方のウマ娘にはない大きなストライドで美しい歩様が夜に映えた。
「今日は素敵だわ!!」
 後は自分の意のままだ、誰もいない世界をひた走った。
 一方向正面に入った頃、明らかな差にバタ足になったのは慣れ親しんだ地方ウマ娘たちだった。
 懸命に追い上げた末にあったのは、今まで見たことも聞いたこともないような大敗北。
 メインストレッチで18バ身という圧倒的な強さにひれ伏すという敗北だった。
 ゴール板を超えて泥の中に座り込む地元ウマ娘たちの前、ホクトベガの美しさがより一層引き立ったのは言うまでもない。
 顔をあげスタンド席にお辞儀するホクトベガ。
 拍手の音さえ雨のように自分の身を流れる心地よさ。
 自信を持てないお嬢様は、中央トレセンのG1で勝った時よりどこか笑顔に満ちていた。
 雨と夜は心地よいと思ったぐらいだった。
 いつもなら一生懸命走るだけでいっぱいっぱいだった気持ちに、ほんの少しだけ余裕ができていた事は否めない。
「やったねお姉ちゃん!! すごくキレイだよ!!」
 自分を迎えたトレーナーに微笑み、手をとった。
「雨と夜が好きかもしれない、ありがとうトレーナ。また頑張れるかも」
 髪を濡らし艷やか唇で答えたホクトベガ。
 その日から自分に甘々なトレーナと自身の持てない女王様の不器用な二人三脚が始まった。


一度でまとめられなくて大改訂。
こんな事が出来るのもプロの作家さんじゃないからですよね。
とにかくごめんなさい。


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