汚泥の中、儚き光 (Masty_Zaki)
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終わりから始まり

 暗黒の紅が天空に満ちていた。

 道があった。コンクリートで舗装された道路。

 罅割れ、陥没し、崩落し、道路としての機能を失った、一直線の残骸。

 生物の息吹を感じさせない、何もかもが死を迎えた世界の中で、ただ僅かに吹く大気の流れだけが、この風景を動かす一つの要因だった。

 

 そう、これは、終わりを迎えるはずだった世界の話。

 

 先へと続き、未来へと歩みを進めていく世界で、少女は答えを見出し、その世界に残り、守ることを決意した。

 世界は続く。少女たちが守るために戦い続ける限り。

 これから記されるのは、そのような光溢れる世界ではない。

 終わってしまった世界。終わるはずだった世界。崩壊した世界。闇と絶望に堕とされた世界。

 ここには何もない。罅割れた大地と、倒壊した建築物と、焼失して炭と化したナニカ。

 きっとそうなる前、ここは人々の悲鳴と怒号に塗り潰されていただろう。怪物がその力を存分に振るい、無力な人間たちが逃げ惑う。時には我が身を助けるために隣の同胞を蹴落とし、犠牲にしただろう。その裏切り空しく、いずれ逃げる場所もなくなり、怪物の炎に焼かれて死ぬのだ。

 さらに言えば、そうなるもっと前、ここは人通りが豊かで、仕事に勤しむ者や移動に急ぐ者で、絶えず人の生活音に満ちあふれていたに違いない。

 しかし今ではそれも、遠い昔の話である。

 この世界は、人類が文化的な生活を営むには、既に血と泥に塗れすぎてしまっていた。

 

 ――かつてこの世界にいた、十数人の希望のせいで。

 

 希望が消え、絶望へと暗転し、人類へと牙を剥いた。

 人類にとっての正義の使者だった彼女たちは、いつの間にか守るべき者たちを雑草のごとく刈り取る死の宣告者に成り果ててしまっていた。

 刃を突きつけられた彼ら彼女らの視界に最後に映ったのは、彼女たちの笑顔。狂気に満ちた笑顔。楽しそうな笑顔だった。

 そんな、『希望』が生存者を殺す、狂った時間もいつの間にか終わりを告げて。

 残ったのはこの惨状。

 悲鳴も怒号も絶叫も全て風にさらわれ消し去られてしまった破滅の空間。時間など既に、全ての生物が消え去った時点で停止してしまっている。

 この破壊され尽くした空間は、既に時間の概念を失わせるほどに荒廃していた。

 

 ――足音が、聞こえた。

 

 音が生まれる。そこからこの世界の時間は動く。生物の存在しなかった風景に、生命の鼓動が走る。

 柔らかい音だ。靴を履いているような、固い音ではなかった。ペチ、ペチ、と叩くような音。恐らくは、裸足で歩く音。

 倒壊したビルの隙間から、その正体は姿を現した。

 少女だ。まだ若い、幼い少女の姿。所々裂け目の入った布きれ一枚を身に纏い、とぼとぼと足を進める少女がいた。

 色素の薄い灰色の髪は肩まで伸びているものの、決して綺麗とは言えない荒れ方をしている。

 ごく普通の生活をしていればなめらかで美しかったであろう柔肌も、所々裂け、血を流し、痣をつくっている箇所が数カ所見受けられた。

 そんな満身創痍の少女が、誰もいない道を、生命の存在しなかった道を歩く。

 風景に音を与えることで、生命を与えることで、時間は動き始める。

 果たして動き出す時間は、明るい未来と、より暗い結末と、どちらへ流れていくのか。

 

 歩く少女の足は小刻みに震えている。ずっと歩き続けていたのだろう、裸足の足の裏は幾重に傷つき、互いにかばい合うようにして歩いていたせいで、余計に傷が深くひどくなっている。

 そんな激痛を抱えながら長時間地面を踏みしめながら道を辿っていたというのか。

 痛みを堪え、疲労に耐えようと食いしばる歯の力も弱々しく、ライトブルーの瞳も焦点が合わず、その光を失いかけていた。

 どこに向かえばいいのか、恐らく少女自身も理解していない。

 おぼつかない足取り、その足音も、もはや一定ではない。

 そしてついに、少女はアスファルトの亀裂に足を挟み、慣性に重心が耐えきれず前へと転倒した。

 朦朧とする意識が、心臓が握りつぶされるような悪寒に一瞬引き戻される中で、傷ついた左腕を前へ、上へと突き出す。それでも視界は、無情にも地面へと沈んでゆく。

 

「――あぶないっ」

 

 声がした。満身創痍の少女とは別の声。

 地面に叩きつけられるはずだった肢体は、その声の主の差し出す両腕によって、優しく抱きかかえられていた。

 シャットダウンしつつある意識をかき集めて繋ぎ止めつつ、力を振り絞ってその腕の主の顔を一目見ようと首を捻る。

 腰まで伸びる栗色のロングヘア、優しげな眼差しはこちらを見て、信じられないような表情をしていた。

 満身創痍の少女は、その顔をよく知っていた。そしてその顔から連想される名前も、そして肩書きもよく知っている。

 その両腕に支えられている安堵感から、少女はそっと意識を手放した。力を失った首が、頭を支えきれなくなってくてんと落ちる。

 

「わわっ」

 

 脊髄を傷つけないように、慌てて手で頭を支える。

 その少女を、全身傷だらけで、独りぼっちでこの道を歩いていた少女を助けた女性の名は。

 

 

 ――――星月みき――星守である。

 

 




文章書くのも結構間が空いているのでリハビリ程度に短文をば。
バトガはなんかもう一個よくわからんもの投稿してるけどとりあえず終盤までのシナリオができてるこちらを優先して進めます。
なお更新速度は亀どころかナメクジな模様。


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理想

 半壊し、完全に道としての機能を失ってしまった灰色の道路――その丁度真ん中を縦断するように、小さな足跡が転々と真っ直ぐ続いていた。それは一人の少女から滲み出した、足裏の血でつくられたもので。

 長髪の女性――星月みきは、完全に意識を失ってしまった少女を抱きかかえ、痛ましげにその足跡を眺めながら、苦虫を噛み潰したような顔をした。

 続いて辺りを見渡す。初めから当てになどしていなかったが、周囲には人一人いるわけもない。ならば胸に抱く彼女は誰にも頼ることができず、足の激痛に耐えながら、一人でここまで来たと言うことになる。

 もしみきがここに現れなければ、この少女は一体どうなっていただろうか。

 ほんの一瞬の想像で、全身に悪寒が走り、その悪夢を振り払うように首を強く横に振った。

 とにかく、安全な場所に移動させてあげなければならない。

 まだ任されたことの完遂はしていないが、人名を救護することこそ与えられた使命の本質だ。

 痩せ細り、華奢な少女であるとはいえ、それでも人間を腕で持ち上げているのに、自分の腕の限界が来ていた。身体に衝撃を与えないよう、慎重に背中に移す。

 

「この子の……手当をしなきゃ」

 

 あいにく今は医療道具等の手持ちがない。戻った先に必要な者があるかどうかは不明だが、少なくともここに放置しているよりは幾分も安全だろう。

 少女を背負い、みきは来た道をゆっくりと戻る。首筋に少女の弱々しい息遣いを感じながら。

 

 誰にも会わぬまましばらく歩き続けていた。

 背中の少女の呼吸は素人判断ではあるが少しずつ安定しているような気がする。とりあえずはその様子を見て安堵感を覚えた。

 伝わってくる少女の温もり。その温度が、平和だった遠い昔の記憶を思い起こさせる。かつて同じように、かけがえのない妹を負ぶって帰った夕方を。

 みきには妹がいた。故郷に戻らず、遠い世界に残り、そこで出会った仲間と共に、『希望』であることを選んだ、誇るべき妹が。

 あの子は今、元気にしているだろうか。不器用が災いして、向こうのみんなに迷惑をかけていないだろうか。姉として、そんなことを考えてしまう。彼女はもう、一人前の『希望』なのだから、きっと大丈夫だろうに。

 昔は妹の方が甘えん坊だったが、自分もまだまだ妹離れができていないと言うことなのかもしれない。

 

 そんな現実逃避じみた回想から、一瞬にして現実に引き戻される。

 その原因は、ほんの僅かに鼓膜を叩いた、小さな小さな物音だった。

 そしてその物音に釣られて警鐘を鳴らす、第六感。

 これはそう、この世界を守る者としての、星守としての直感である。

 物音のした方に警戒の視線を向ける。少し遠く離れた場所にある、ここからでは真ん中の高さから倒壊したビルの死角になっている物陰。

 ナニカが風を切って向かってくる。

 間違いない、敵が来る――咄嗟の判断。背負っていた少女を少し離れた安全な場所に座らせ、すぐに飛び出す。

 それは既に姿を現していた。鋭い爪を持つ一本の足、瘴気を孕む大気を引き裂くコウモリのような一対の翼、標的を威圧するかのように前で組まれた両腕――クィン種の大型イロウス、ラプターである。その中でもかなり大きな個体である。どうやら一体しかいないようだ。

 躊躇なくみきは戦闘態勢に入る。大地とリンクするイメージ。全身が淡く発光し、身に纏っていた洋服が光となってパージする。そして全身を包み込む花のような戦闘装束がみきに力を授けた。

 星守のバトルドレス、星衣である。その両腕には一振りの大剣が握られていた。淡く輝く桃色の剣。いくつもの苦境をその刃で切り拓いてきた。

 先制攻撃を仕掛けたのはイロウス。バチバチと不快な音を響かせながら、三本の雷撃の矢を解き放つ。

 正面、右、左、ただでさえ弾道は速く、追尾性能もある矢が、逃げ道を塞ぐように襲いかかる。

 一方みきも星守としての戦闘経験は豊富である。この程度の攻撃は何度も掻い潜ってきた。

 右にも左にも避けられない、かといって防御できるような攻撃でもない。下がってしまえば続けざまに遠距離攻撃を連発されるだろう。長距離を射程として支配するイロウスを相手に、近接武器で逃げ回るのは得策ではない。

 一瞬でそれだけの判断を下し、みきは踏み込んで前に出た。迷いない全身。正面の雷撃をギリギリまで引きつけ、衝突する寸前で、地を駆けつつ身を低くして躱す。

 低くなった体勢、次の一歩をバネにして、一気に地面を蹴る。十メートルはあった距離をそのステップで踏み潰し、イロウスに斬撃を叩き込んだ。桃色に輝く剣閃――流麗な起動を描く。

 イロウスは慌てて羽ばたき横に回避、しかし僅かに反応が遅れたせいで刃が翼を掠めた。斬撃による衝撃と、切りつけられて損傷しバランスを崩したことでふらつく。

 みきの追撃、第二撃の横薙ぎを、その鋭利な爪で弾く。その反動で距離をとりつつ、さらなる雷の矢でみきを狙う。

 万全な体勢でない雷撃を、みきは苦もなくしなやかな体捌きで全て躱してみせた。そのまま再び距離を詰め、攻撃のモーションに入る。

 ラプターは再び爪で防御――みきはこれを読み切っていた。

 地を蹴り、垂直に飛び上がる。

 完全に正面を警戒していたラプターは、その爪は標的を失い空を切り、体勢を崩す。

 上をとったみきは、その剣に力を溜め、それを縦横無尽に振り抜いた。

 

「やああああああっ!!」

 

 ラプターに降り注ぐ光の斬撃、ラプターには抵抗する術もなく、その光に切り刻まれた。

 瘴気となって、空中に霧散していくのをしかと見届ける。もう幾度となくこの手に刻みつけてきた感覚。きっとこの手には、イロウスを切り裂いたのとは別の感覚を残しているのだろう。

 周囲に他のイロウスの気配がないか警戒を巡らせる。姿は見えず、音も聞こえない。気配も全く感じられない。

 戦闘を終了し、星衣を解除。光の粒子となって消えていく。全身から力が抜けていく感覚。責任、重圧から解放される感覚に近い。

 

「ふぅ……」

 

 小さく溜息。この手には、まだ僅かに震えが残っている。

 躊躇うことなく身に纏った、人を守るための力。その鼓動。震える両手は、確かに恐怖と後悔を覚えていた。

 

 ともあれ、周囲の安全は確保された。早く少女の元に戻らなければ。

 身に纏わり付くナニカを振り払うように踵を返す。振り返った先には、先程まで気を失っていた少女が立ち上がり、ゆっくりこちらに歩いてきていた。

 焦ったみきは表情を強張らせながら彼女の元へと駆ける。

 

「あなた、危ないわ! 足怪我してるのに!」

 

 急な大声に少女は身を竦ませる。

 自分の失態に気がついて、ばつが悪そうに小さな声でごめんなさいと謝るみき。

 改めて背中に負ぶさるよう促すと少女は少し迷いがちに、そっとみきの背中に体を預けた。

 

 進むべき道を進む。人気のない、破壊され尽くした道を。

 みきの足音だけが遠くへと響き渡る。もはやそれを遮る建物さえ周囲にはなかった。

 赤黒い焼き尽くされたような空が、全ての音を飲み込んでしまう。

 背中のこの子を連れて行って一体どうしようというのか、みき自身にもよく分からない。

 このような絶望的な環境で、致命傷に至らない程度の傷の手当をしてあげたとして、この子の将来に明るい光でも指すのだろうか。

 

 ――今の私に、誰かを助ける資格などあるのだろうか。

 

 思考が沈んでいく。心の中のみき自身が、泥の中に顔を埋めようとしていた。

 

「あの……」

 

 思考が泥に消えてなくなる直前、背後から声がした。少女の声だ。

 まさか話しかけられるとは思っていなくて、みきは驚いて足を止めた。

 

「星守……ですよね……」

 

 心臓を握り潰される。そんな気分だった。

 今この世界で、星守という存在がどういう扱いなのか、知らない者はいない。なぜならこの世界で、星守は、『敵』なのだから。

 

「うん……そうだよ……」

 

 肯定せざるを得なかった。しかしその言葉は空に霞むくらい、弱々しく力のない声だった。

 背中の彼女を下ろそうとしたときだった。

 

「私、星守になりたいんです」

「え……?」

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 星守――それはイロウスの魔の手から人類を、世界を守る希望。

 しかしその希望は、一度イロウスによって敗北した。その先に待っていたのは。闇の軍勢の手先となり、傀儡となって、不本意に人類を襲い、破壊し、殺戮を繰り返す日々。

 人々は希望に裏切られた。我々を守る者が、我々を脅かす者に変わったのだと。

 繰り返される地獄の日々。イロウスからだけでなく、星守からも身を隠さなければならない毎日が続いた。

 一方で、たとえイロウスが人の手で葬ることができなくとも、同じ人間である星守が相手ならば、殺傷することが可能だろうと考えた人間もいた。

 彼らはレジスタンスとして組織し、あらゆる手段を用いて星守たちを抹殺しようとした。

 

 無駄。

 

 その一言に尽きる無謀無策だった。

 立ち向かったレジスタンスはその悉くが傷つけられ、踏み潰され、踏みにじられ、叩きのめされ、破壊され尽くした。

 勝てるはずもない。元々強大なイロウスをいともたやすく狩ることができる人智を越えた存在なのだ。たかが一般人程度の戦闘力で刃向かえる相手ではない。

 星守たちは、闇の力を振り翳し、何十、何百と罪のない人々を殺め続けた。

 

 そして、この世界は異世界によって救われる。

 遠い平行世界の向こう、存在を同じくする星守たちの活躍によって。正しき『希望』を理解した、みきのたった一人の妹によって。

 星守を星守たらしめていた神樹――それが闇に汚染された闇神樹は完全に消滅する。そこから新しく、本来の姿を取り戻した神樹の芽が萌えた。

 星守たちは自我を取り戻し、あちら(・・・)の世界で希望になることを選んだ仲間に見送られて、元の世界に戻ってきた。

 

 彼女らを迎えたのは、温かい言葉でも、希望の復活を宣言する祝砲でもなかった。

 憎悪、怒号、そして攻撃。

 その時彼女たちは知った。己自身の罪を。築き上げられた信頼は、とうの昔に瓦解していたことを。そして、この手が既に、血の匂いがこびりついて消えないのだということを。

 もう、星守などと呼ばれない。

 

 ――『魔女』『悪魔』『人殺し』『人でなし』

 

 蔑称の数はこんなものではない。突き刺さる冷たい視線に、怒りの眼差しに、投げつけられる拒絶、否定の暴言に、少女たちの心は粉々に砕かれた。

 もうここに、私たちの居場所などないのだ。既に私たちは、世界の天敵なのだ。その真実に、気がついてしまった。

 

 これが、この世界の私たち。

 

 これが、絶望へと転落した、希望の慣れの果て。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 そう言われて、みきの全身から血の気が引く。

 心臓を鷲掴みにされたような、全身を冷水で打たれるような、底冷えする感覚。

 星守になりたい――よもやこんな言葉を今になって聞くことになるとは思わなかった。

 この世界がイロウスに侵食される前、誰もが星守に憧れを抱いていた、少し前の平和な世界でならいざ知らず、世界の天敵となった現状で、その天敵になりたいと戯言を抜かす人間が、こんなところに。

 

「……なりたいって、あなた」

「さっきも見てました。イロウスをあんなに簡単にやっつけちゃうんだって。ああやって、いつも私たちを守ってくれているんだって」

 

 そうだ。その通りだ。確かにこの手は何百ものイロウスを倒してきた。だが同時に、何百もの人間を絶望の淵に叩き落としたのも代えようのない事実なのだ。

 それに、もし本当に星守になれたところで、誰も彼女を祝いはしない。ねぎらいもしない。報われることなどないのだ。

 いや、なれなくとも、星守になりたいと主張するだけで、彼女はターゲットにされてしまうだろう。もしそうなれば、本当にこの世界に彼女の居場所がなくなってしまうかもしれない。

 

 ――もしかしたら。

 

「ずっと思っていました。私は星守になりたい。どんなにどうしようもない時でも、絶対にみんなを、世界を守ってみせる、そんな星守になりたいって」

 

 遅かったのか。もはや彼女は、仲間にすら切り離されてしまったのか。

 

「そうしたら、みんな私を怒りました。馬鹿なことだって。お前はおかしいって」

 

 人を助ける存在になりたいと願うことの、一体何が愚かだというのか。彼女の瞳は、その理想に塗りつぶされていて、一切の疑いを見せることはない。

 この現状にあってなお、彼女は信じているのだ。星守の正義を。彼女の絶対的な理想として。

 

「みんなが暗くて悲しい顔をしているから、私がなんとかしてあげたい……だからそのためには、星守にならなきゃいけないんです」

 

 あまりに眩しすぎた。それはかつて星守に憧れた自分であり、そして妹の姿と重なった。

 たくさんの人間が星守に憧れて、数多の少女がなりたいと焦がれ願い、その中の数粒が選ばれるに至った。

 今彼女が星守になるのに、そしてそうなりたいと主張するのに、何のメリットもない。少なくとも現状維持として平和に暮らしていくには、何も言わずに黙って願い続けるのが最善なのだから。

 でも――もしかしたら――

 脳裏によからぬ幻想が浮かんでは消え、また復活する。

 手を伸ばしかける。もしかしたら、彼女は『希望』なのではないか。

 分かっている。もし彼女を匿おうとするものなら、レジスタンスの連中が黙っていないだろう。確実に彼女も標的にされ、そして理想を叶えることなく抹殺される。

 星守になることに、そう主張することに、そこから先の未来はない。文字通り、希望が絶たれている。何も残らない。無意味な犠牲を生むだけだ。

 でも、こんな光なき世界に、曲がることも霞むこともない、真っ直ぐな理想がそこにあるのなら、それがいつか、一筋の道標になってくれる、そんな予感がして。

 

「――あなた、名前は?」

 

 危うい理想へと必死に腕を伸ばす、その華奢な腕を、掴んでしまった。もう、後戻りはできない。

 既に彼女の理想は、みきの体を毒のように蝕んだ。

 

「……オウカ……染井櫻花(そめいおうか)

 

 背中越しに聞こえる少女の名前。櫻花の名前。

 守りたい、ではない。守らなければ、という義務感。あるいは強迫観念。この子を失ってしまったら、もうこの世界は本当に終わってしまう。そんな破滅的な幻想に縛られて。

 

「そっか……」

 

 ただ、可能性に賭けたかった。

 彼女が星守になるのかどうかは分からない。今のあの小さな神樹の芽に、星守を新しく選出する力があるのかも分からない。

 それでも。その愚かしくも脆く儚い理想に縋り付いていたかった。

 お互いに口を開かぬまま、崩れ去った一本道を進んでいく。

 背負う少女は、名前を知る前以上に重く、巨大な鉛玉のようにのしかかっているように感じていた。




リハビリというかなんというか。
少しずつ書いていきます。


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壊れた学園

 ぼやけた意識の中、最初に感じ取ることができたのは、全身を支配されてしまいそうな、濃密で、神経が麻痺しそうな程の、甘い香り。

 少しずつ回復する視界の中、何もない暗闇の中、真っ直ぐ前を向くと、淡く光を放つ、巨大な何かがあった。

 鼻先に何か柔らかいモノが当たる。びくりとしながら指を伸ばすと、その掌にのっていたのは、桜の花びらだった。

 

 ――しんしんと、しんしんと。

 

 物音一つない暗闇の中、しかし桜の花弁が、まるで粉雪のように舞っている。

 恐ろしく幻想的で、夢のような光景だった。あるいはこれは夢――きっと、美しい夢なのかもしれない、果たしてこの思いつきは真実か、それとも錯覚か。

 何も見えない足下を、何があるか分からない恐怖に抗いながら、前へと進めると、足首から波紋が広がった。今自分は、水面の中にいる。

 チャプ、チャプ――ひんやりと冷たい感触に何度も足を包まれながら、巨大な何かへとゆっくりと近づいていく。

 次第に明確になる輪郭。どっしりと太く逞しい木の幹、そこから無限に広がる枝、そして、強烈な香りの源である、満開の桜の花が無数に咲き誇っていた。

 どれくらい見上げていただろうか、気付いた頃には、息が苦しくなって、咄嗟に深く深呼吸をしていた。魅了されていたのだ、この桜の大木に。文字通り、息を忘れてしまうほどに。

 

 

 ――巻き込んで、すまない。

 

 声が聞こえた。正面からだ。

 聞き覚えのない声。知らない声。慣れない警戒心を振り絞って、声の主を探す。

 人影があった。桜の木の下。しかし逆光でその姿はよく見えない。

 

 ――助けてくれ。

 

 懇願。涙をのむような声だった。悲しみを押し隠して、胸の奥から絞り出すような、悲しい声。

 何を言っているのか、理解はできない。ただ、警戒を解いてしまうには十分すぎるほどの、儚い響きだった。

 声の主と話がしたい、そう思い至り、声を出そうと軽く息を吸う。そして言葉を発そうとして――何も出てこなかった。何か不思議な力が働いているのか。やはり、この世界は夢なのかもしれない。

 せめてその声の正体を知りたい、一度そう思ってしまえば、後は足が勝手に動き出していた。

 チャプチャプ――足音の間隔は次第に短くなり、そして一定のリズムを刻む。

 違和感――走っても、走っても、声の主にも、桜の大樹にも近づかない。視界が近づいてくれない。

 もっと、もっと速く。乱れる呼吸を、苦しくなる横腹をできるだけ意識の外に追い遣って、足の回転を速くすることをとにかく脳で命令を下す。

 自分の足が速いなどとうぬぼれたことはない。しかしいくら何でも、これだけ走っても届かないことは異常だということは理解できた。やはり、少なくとも現実ではない――そう結論づけた。

 ならばここは、彼、あるいは彼女は一体――

 

 ――友を、助けてあげてくれ。

 

 また声が聞こえた。

 誰を助ければ――言葉にはならない。ならば、精一杯念じてみることにした。もしかしたら届くかもしれないと、現実味のないな期待を抱いて。それでもいい。なぜならここは、どうせ現実ではないのだから。

 教えて、聞かせて――念じてみるが、次の言葉はない。

 すると、代わりに帰ってきたのは、瞼を閉じてしまうほどの強い向かい風だった。

 下手したら飛ばされてしまうかもしれない。風に乗って飛来し、肌に突き刺さる無数の花びら。痛い。痛い。

 顔を両手の甲で覆いながら、しかし指の隙間をつくって間から向こうを見る。

 相変わらず先に見える人影ははっきりしない。

 一体自分に何をしてほしいのだろう。何をすべきなのだろう――脳内を疑問が駆け巡る。

 

 ――頼む。

 

 最後に聞こえた一言。

 意識が遠くなる。桜の大樹の輪郭が歪む。

 向かい風の音が低く小さくなる。

 肌に感じていた痛みが遠ざかる。

 

 そして――

 

 そして――

 

 ……

 

 …………

 

 ……………………

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ……………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 

 脳裏に鈍い痛みを覚えて、何かに体が揺られているのを感じて、意識を取り戻す。

 頬が受けている、柔らかな温もり。

 ゆっくりと意識が浮上するのと平行して、少しずつ自分の身に起きたことを思い出す。

 

「……あ」

 

 染井櫻花は、一人の星守に救われた。

 偶然居合わせた星守――星月みきに、両足の裏が出血を伴う酷い怪我をしているのを見つけられて、彼女の背中に負ぶさっていた。どうやらその途中でまた眠りこけてしまったらしい。

 

「……あら、目、覚めた?」

 

 安心しきって、ぐっすりと眠りに入ってしまった瞬間を、櫻花のかわいらしい寝息をみきは知っている。

 思わず唇から笑みの吐息が零れてしまった。馬鹿にしていると思われたらどうしよう、そんな不安が、彼女を心の中で慌てさせた。

 

「あ、えっと、ありがとうございます」

 

 助けてもらっておきながら、自分は他人の背中で眠りこけてしまう。ばつの悪さに思わず感謝を口にする。あるいはその頬は若干紅く照れていて。

 みきもまたそれを感じ取っている。背中で意味もなく体勢を変える動き――寝顔を見られたことが、変な寝覚めを見られたことが、じっとしていられないくらいには恥ずかしかったのだろう。

 やはりまだ、子供っぽい。本当に、妹を見ている気分だった。

 余計なことは考えない。今はただ、この妹のようにかわいらしい少女を助け、癒やすことが優先。既に感覚としては、星守としてではなく、彼女の姉のような存在として、にすり替わってしまっていた。使命ではなく、ただのちょっとした人助け。

 この世界がどれだけ荒もうとも、星月みきが善人であることには変わりない。

 不思議な高揚感が、みきの足取りを速くさせる。先程まで重圧のようだった、背負っている少女が、今では温かい存在になりつつある。

 彼女が背中でうたた寝してしまったその時間が、緊張の糸をほぐして消し去ってしまっていた。

 軽やかな歩みが、徐々に目的地へと二人を近づける。

 半壊した大きな建造物。この世界が闇に飲まれる前の雄大な姿とは打って変わって、寂寥感と虚無感の漂う廃屋と化してしまっている。

 

「――ここだよ」

 

 ここは学び舎――みきたちがかつて毎日通い、そして学んで戦ってきた、思い入れの深い場所。

 そして、この場所の象徴でもあった、雄々しく気高い、天を貫かんばかりの新緑は、既にここにはない。

 

 ――神樹ヶ峰女学園

 

 荒れ果てたその姿を見て、胸を締め付けられるような苦しみを感じた。

 仕方のないこのなのかもしれない、自分たちがしてきたことは、こんなモノではなかった、因果応報、これは正当な罰だ――それでも目の前の現実を、その正論を素直に受け止められるほど少女の精神は逞しくはなかった。

 背中に負ぶさっている少女も、学園をの有様を見て、喉を詰まらせている。

 憧れだった星守、彼女たちが理想を成すために通い続けた場所、それがこうも酷い姿を晒しているのだから。

 

「……これでも、星守になりたいって、言える?」

 

 余計な問い。無意味であることも、彼女の答えも分かりきっていた。

 引き返すなら、ここが最後だと自分自身が訴えていたから。自分がこの立場から逃れられる、楽になれる最後のチャンスだったから。

 

「なりたいです」

 

 掠れた声。現実を目の当たりにした中で、ようやく絞り出した覚悟の声。

 ならば。

 みきは無言のまま、その校門をくぐり抜ける。

 攻撃され、所々に穴の空いたグラウンドが視界の隅に移る。へし折れて腐りきった植木、破壊され尽くした花壇、舗装されていた通路は所々穴と罅だらけだ。

 昇降口を上がる。以前ならここで上履きに履き替えていた場所。既に廊下も薄汚れ、靴を履き替える必要はなかった。

 歩き慣れていたはずの廊下、変わり果てた廊下。一つとして十全に機能している窓などない。足を前に出す度に、ガラスを踏み砕く音が耳を引き裂く。

 今まで気にしたこともなく、たった今真っ直ぐに進んでいる際に気がついたことだが、外装は激しく損傷しているものの、内部はそれほど荒らされてはいないらしい。

 つまるところ、どういうわけか、星守を狙うレジスタンスの連中は、学園の中にまでは侵入してきていないということになる。連中の動向が気になるところではあるが、それは後に回しておく。

 櫻花の足の応急処置を目的に保健室に向かったが、収納されている棚が転倒していたり、ケースのガラスが破損していたりしたものの、都合のよいことに消毒液やガーゼ、包帯などといった各種道具は十分に使えそうなものが揃っていた。

 櫻花はそこで消毒液の激痛と格闘することになるが、なんとか応急処置には成功する。

 続いて被服室に向かい、彼女の格好を何とかしようと考えた。あそこなら予備の制服か何か残っているかもしれない。少なくとも、ところどころ切り裂かれた布きれでは寒かろうという思いからだった。

 こちらも数着残っており、ぴったりのサイズもあったが、そこで驚愕の事実が明らかになる。

 

「あなた、ずっとその格好だったの!?」

 

 櫻花が着替えようとぼろ切れを脱いだ、そこにあったのは、一糸纏わぬ少女の姿だった。下着のひとつも身につけていない。

 そして少女は、今の自分の姿に何の疑問も抱いていないかのようにあっけらかんとしていた。

 

「あーえっと、住んでた場所を追い立てられて、途中でおじさんに助けてもらってシャワー借りてたんですけど、襲われそうになって、咄嗟に逃げてきたから服全部置いて来ちゃって……」

 

 こんな世界になっておいて、まだシャワーが機能するような住宅があったのか。いやそんなことはどうでもいい。

 平然としている櫻花とは逆に、何故かみきが羞恥し慌てながらとにかく制服を着るように促す。とりあえず見かけはまともになったものの、これではいわゆる『はいてない』状態だ。

 自分の下着を渡すわけにもいかない、というより体格的にもサイズが合わない。慌てながら思考を振り絞った結果――あの子に予備があったら借りよう、そう結論付いた。

 櫻花には置いてあったスリッパを履かせ、共に廊下を歩く。階段を上がり、そして目に入った札。

 

『星守クラス』

 

 他の学園のクラスとは趣も用途も異なる、独立したシステムの教室、だった。

 学園の生徒が学び、運動している間、星守はそこにプラスして、対イロウスのための戦闘の訓練が義務づけられる。

 そんな日々を思い返しながらみきは――想像しながら櫻花は、扉の前に立った。

 コンコンコン――みきが扉をノックする。

 

「星月みきです」

 

 名乗る。数秒後。

 解錠の音がした。扉の内からそっとスライドして開かれる。

 視界に鋭いエメラルド色の瞳が目に入った瞬間――布が靡く音、そして目の前にナイフの刃が突き立てられた。

 その正体は、みきも十分見知った顔。相手もみきの姿をしかと確認し、そっとナイフを下ろす。――が。

 

「隣の、誰――!?」

 

 下ろしかけたナイフが隣の櫻花へと突きつけられる。

 

「わ、わっ――!?」

 

 急に殺気を向けられた櫻花がびっくりし、仰け反ったものの足下の瓦礫に蹴躓き、バランスを崩して尻餅をつく。

 大丈夫、と声をかけて手を差し伸べるみき。ありがとうございますとその手を取って立ち上がった。

 

「大丈夫だよ、昴ちゃん」

 

 緑がかった、肩まで伸びた髪を揺らし、警戒を解かない少女の名は、若葉昴。彼女もまた、みきと同じ、この世界で星守だった者だ。

 得物を構えているときの威圧感はトップクラス、現役の星守の中で最強とも言える特攻隊長だ。

 そんな彼女がナイフを手に無防備な少女を睨みつける。あまりの恐怖に櫻花は青ざめてしまっていた。

 

「この子、途中で拾ってきたの。足を怪我してたから、治療してあげなきゃって」

「レジスタンスに関わってるわけじゃ、ないんだね……?」

 

 それはない、とみきは断言して昴を見つめ返す。

 嘘のない視線に貫かれて、初めて昴は警戒を解いた。と同時に、両手をだらりと下げどっと溜息をついた。昴自身も緊張していたらしい。

 

「みきも無事で、よかったよ」

 

 昴は二人を室内に入るよう促し、そして一度廊下を確認してから教室の鍵を再び閉めた。

 薄暗い教室の中はある程度整理されており、掃除も行き届いているようだった。机は一部ではそろえて並べられていたり、あるいはばらついていたり。

 そして見渡すと、何人か少女がいるのが視界に入った。

 

「あ、みきてぃ先輩、戻ったんだね」

 

 二房の深紅のツインテールを揺らし、足早に近づいてくる少女。同じく星守の一人、蓮見うらら。

 みきもただいまと挨拶を交わし、そして櫻花を彼女に紹介する。するとうららは櫻花の両手をおもむろにとった。

 

「うらら。蓮見うらら。よろしくね」

 

 あまりにもフレンドリーな態度に困惑し、どう反応すればいいか分からない櫻花。

 あ、えっと、と言葉に迷っている間に、他の星守が歩み寄ってきた。

 みき、昴、うららを含めて七名。だた一人だけ、椅子に座ったまま項垂れ、こちらに反応を示さない少女がいた。

 カーディガンを羽織った少女――天野望は彼女を心配して気にかける視線を送ったが、残念そうな面持ちのままみきたちに向き直る。

 

「そっとしておいてあげよう、望。今は下手に刺激すべきではない」

「ええ、私たちには、何もしてあげられない……」

 

 と、ポニーテールが特徴的な小柄な少女と、泣きそうな顔で口元を押さえる少女。

 火向井ゆりと、常磐くるみである。

 とりあえずは今のところこれで全員のようだ。

 みきは彼女たちに、簡単に経緯を説明する。

 周辺の探索の途中で彼女を発見したこと、極限まで疲弊、衰弱しており、裸足でうろついていたこともあって足裏を怪我しており、早急な応急手当が必要であったこと、学園に戻り、手当と衣服の提供をしたこと。

 彼女についての最低限ことを話す。

 星守になりたいと言い出したことは――言葉にできなかった。

 

「――それで、その子はこの後、どうするつもりなんだい?」

 

 核心を突く質問、当然みきも予想はしていたが、答えを用意できてはいなかった。

 みきの希望を語るには、彼女が、櫻花が星守に対する危険なまでの憧憬の念と理想を抱いていることを告白しなければならなかったからだ。

 それを回避して論ずることは不可能である。

 言葉を選び、視線を彷徨わせた数秒――

 

 ――ガタガタガタ

 

 背後から物音、鍵の掛かった扉が何者かによって開かれようとしていた。しかし鍵がそれを阻んでいる。

 後ろからの突然の音にみきと櫻花がびくりとして咄嗟に振り返る。昴が再びナイフを構え戦闘態勢に入る。状況如何では星衣に変身することを静かに全員に伝えた。

 しばらく待つが、強引に突破してくる気配はない。

 緊張の糸が張り巡らされた空気。

 じっとりと背中に汗が伝うのをみきは感じた。

 恐れをなした望が一歩後ずさる。

 心臓が早鐘を打ち、口内に溜まった唾液を喉の奥に流し込むうらら。その音は隣にいた櫻花に僅かにも聞こえた。

 そして状況が動く。

 

「ここを開けてくださいな」

 

 外から声が聞こえた。聞き覚えのある声。しばらく聞かなかった声。

 昴は右手にナイフを持ち、空いた左手で扉の鍵に触れる。

 話ができる相手と判断し、一呼吸置いて、問いを始めた。

 

「……名前は?」

 

 投げかけられた問い、しばらく返事はない。向こうも名乗ることに躊躇しているのだろか。確かにこの世界の現状で星守が関わるなら、迂闊に名を名乗ることは安全ではないだろう。

 向こうから衣擦れの音が聞こえた。そして意を決したのか、向こうが名乗る。

 

「千導院、楓ですわ」

 

 知っている名前を耳にして、全員が息を飲んだ。

 当然、警戒を怠らなかった昴でさえ、その名前に動揺を隠し切れていない。

 

「か、確認――教室のロッカー、先導院楓の使用できる場所は?」

「教室後ろの扉から見て奥から二列目、上から二段目のロッカーで間違いありません。……その声は昴先輩ですわね」

 

 即答、に続き声の主を当てた。

 間違いない、扉の外にいるのは星守である。そして、この世界に戻ってきて未だ確認できていない星守の生生存者の一人。

 

「楓で間違いないね。開けるよ、入って」

 

 ガチャリ、解錠の音が教室に響き渡る。昴がゆっくり扉をスライドさせた。

 そこには嬉しい知らせ、そして苦しい知らせが同時に待ち受けていた。

 嬉しい知らせは、本来なら綺麗に整えられていたであろう、金髪のロールは乱れ放題である少女、楓が生きていると同時に、その肩にもう一人少女を抱えており、彼女もまた星守であったこと。

 そして苦しい知らせとは、その少女には完全とは言えない応急手当をした後が見られており、止血はされているものの、足に巻き付けた布に滲んでいる赤の範囲が傷の深さを物語っている。

 

「ミミを、よろしくお願いいたしますわ」

 

 慌てて駆け寄った望がミミと呼ばれた少女――綿木ミシェルを抱き留める。

 

「意識を失ってるだけですわ。止血も済んではいますし、とりあえずは大丈夫かと。それより――」

 

 人一人を抱えてずっと歩いていたにも拘わらず、その疲れをおくびにも出さない。

 そして真っ直ぐ立った楓の表情は険しかった。

 その鋭い視線は、真っ直ぐに櫻花を射貫いている。

 

「全て外で聞いていましたわ。この方、星守ではないですし、治療も済ましているようですわね。ならばもう、ここにいる必要はないはず」

「でも、楓ちゃん――」

 

 楓の言葉に、みきが苦し紛れの反論をしようと試みたが、視界に映った物がそれを遮った。

 楓はどこからともなく、一振りのスピアを取り出し、輝かせていた。星守が星衣となって戦う時に手元に召喚する武器である。

 その刃もまた、櫻花に突きつけられていた。

 

「それどころか、ここにいる方がかえって危険なのではなくて?」

 

 その瞳は、一文字に結ばれた唇は彼女の覚悟と決心を語っていた。

 楓が口にしたその正論に答えられる者はいない。再び教室を不穏な空気が支配する。

 生存者が、仲間が増えた喜びはすぐに姿を眩ました。ただ楓の発するプレッシャーが、全員の影を縫い付ける。

 櫻花は、歓迎でも、拒絶でもない、得体の知れない楓の瞳を、恐怖を抱きながら見つめていた。



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