スナイプvsアマゾンアルファ ―狩人ノ哀歌― (さかきばら けいゆう)
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キャラクター紹介

「仮面ライダーエグゼイド」および「仮面ライダーアマゾンズ」のネタバレを含みます。本編未視聴の場合はご注意ください。また、各キャラクターに対する作者の自己解釈が含まれている場合もあります。合わないなと感じた場合はブラウザバック推奨です。


花家 大我(はなやたいが)/仮面ライダースナイプ

 廃病院を根城とする傲岸不遜な闇医者。非合法な医療行為を生業としている。

 かつては聖都大学附属病院に勤めていた放射線科医であり、電脳救命センター(CR)で初めて仮面ライダーになったドクターだった。しかし衛生省からの命令を無視した独断専行と、その結果として患者である百瀬小姫のオペを失敗し、消滅させてしまった事実を理由に医師免許を剥奪される。

 再入手したゲーマドライバーとライダーガシャットで再び仮面ライダーの力を手に入れて以降は、バグスターのみならず他のライダーも敵視して勝負を仕掛けていたが、その裏には「未来あるドクターを自分のようにしたくない」という思いがあった。だが彼らとともに檀黎斗を倒してからは、以前ほどCRのライダー達に敵対的な態度をとらなくなっている。

 

 

鷹山 仁(たかやまじん)/仮面ライダーアマゾンアルファ

 昼夜を問わず飲酒を繰り返す、豪放磊落な無職。恋人である七羽の世話になっている。

 しかしその実態は、かつて自分が野座間製薬の研究員だったころに作り出した人食い生物アマゾンを、一匹残らず皆殺しにする為、自らもアマゾンとなった危険人物。また「自分で殺したものしか食べない」などのルールを自らに課しており、パートナーの七羽からその在り方を「野生」と称されている。しかしアマゾンに敵対的な悠やマモルのようなアマゾンは敢えて生かしておくという冷静な判断を下す知的な面も持っており、アマゾンならば問答無用で殺戮するというわけでもない。また、野生化したアマゾンを約二年間にわたって狩り続けており、その経験から戦闘力・判断力は高度に洗練され、研ぎ澄まされている。

 

 

西葉(さいば) ニコ

 年収一億の天才プロゲーマー。

 とある事情から大我の医院に入り浸るようになり、大我とは患者と主治医の関係を築いている。勝気でワガママな性格で、事あるごとに大我とケンカばかりしている。また、「失うものの無い自分だけが戦えばいい」と自ら孤独であろうとする大我に、どこか違和感を感じている。

 

 

泉 七羽(いずみななは)

 仁のパートナーである謎の美女。仁に救われた過去を持ち、現在は仁のアマゾン殺しを様々な面からサポートしている。しかし一方で、「可哀そうだから」という理由だけで悠にスペアの<アマゾンズドライバー)を与えるなど、掴みどころの無い不思議な側面を持った人物でもある。苛烈な一面も持っており、必要とあらばジープで戦場に突撃したり、野座間製薬本社へ変装して潜入したりもする。

 

 

水澤 悠(みずさわはるか)/仮面ライダーアマゾンオメガ

 野座間製薬の重役、水澤令華によって作られたアマゾン。水澤家の邸宅でずっと籠りきりの生活を送っていたが、ひょんなことからアマゾンの本能が覚醒。鷹山仁や泉七羽らの導きの末、アマゾン狩りを生業とする野座間製薬の子会社ノザマペストンサービスの実働部隊「駆除班」に参加することとなる。基本的に穏やかで物静かな青年だが、強烈な闘争本能と食人衝動を内に秘めている。食人衝動については抑制剤で抑えられているものの、一度スイッチが入ると理性を喪失して暴走してしまうという悪癖を持つ。また、出会った当初の軟弱な態度を、七羽から仁と対比して「養殖」と称されたこともある。

 

 

志藤 真(しどうまこと)

 駆除班のリーダー。警視庁の特殊部隊に在籍していた経歴を持つ。

 離れて暮らす息子の医療費を稼ぐため、駆除班に参加している。悠のことを一時は危険視していたが、現在はとりあえず和解。班の仲間として認識している。

 

 

福田 耕太(ふくだこうた)

 物静かな駆除班の運転手兼狙撃手。警視庁時代からの志藤の部下。

 母親の介護に必要な費用を稼ぐため、駆除班に参加している。態度には出さないが、人一倍情に厚く、仲間を大切に思っている。

 

 

高井 望(たかいのぞみ)

 駆除班の紅一点。空手の達人で、アマゾンにも果敢に格闘戦を挑む。

 養護施設で育った過去を持ち、施設の経営を助けるために駆除班に参加している。乱暴な性格で毒舌家だが、心優しい一面を持つ。

 

 

三崎 一也(みさきかずや)

 おしゃべりな駆除班のムードメーカー。主に駆除活動中の野次馬対応などを引き受ける。

 元は詐欺師であり、その頃に作った莫大な借金を返済するために駆除班に参加している。悠のことを「ぼっちゃま」と呼ぶが、本人には嫌がられている。

 

 

マモル/モグラアマゾン

 野座間製薬が脱走したアマゾンを駆除するために新造したアマゾン。十代の少年のような容姿をしているが、モグラをモデルにしたグロテスクな怪人に変身する能力を持つ。その誕生経緯から、現在は駆除班に所属し、主力として活躍している。純粋無垢な性格で、言動も子どもそのもの。その人柄から、班内で最も早く悠と打ち解けた。好物はハンバーガー。

 また、駆除班を「チーム」と認識しており、その結束を誰よりも大切に思っている。班のマスコット的存在。

 

 

水澤 令華(みずさわれいか)

 野座間製薬の特殊研究開発部長。公の場ではもちろん、娘の美月に対しても厳しく接する、厳格な人物。アマゾン細胞を使って生み出した息子・悠に対して異常な執着を示す。

 

 

百瀬 小姫(ももせさき)

 五年前、ゲーム病を患っていた女子大生。当時唯一の仮面ライダーだった大我がオペにあたるが、失敗。小姫は消滅し、大我にとって忘れられない人物となった。

 



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第一話 感染

 時刻は深夜2時。寂れたシャッター街に冷たい風がひゅるりと通り過ぎていく。

 発展に取り残された、古い時代の名残。風にはがされて飛んできたポスターをくしゃりと踏みつぶしながら、志藤はライフルのリアサイト越しに闇を睨む。

 

「近い……この中です」

 

 呟いたのは新入りの水澤悠だ。悠の〈虫〉に対する感知能力は外れたことが無い。同じく感知能力を持つマモルも頷いている。どうやら間違いは無さそうだ。

 志藤は部下の望と三崎、そして長年の相棒である福田へハンドサインで指示を出し、ゆっくりと歩を進める。

 

 シャッターが半開きになった、無人のはずの中華料理店。埃っぽい店内へ、志藤がゆっくりと覗き込むようにしながら侵入する。

 すると唐突に、カウンターの奥から、何かが軋む音がした。

 音を立てないよう慎重に、駆除班員を集めてカウンターを包囲する。5秒のカウントで突入するようハンドサインで指示をすると、班員たちは各々武器を構えるなどして臨戦態勢に入った。

 

 5、4、3、2……

 

 しかしカウントが終わるよりも早く、カウンターの奥で動きがあった。

 凄まじい熱波とともに、店内に蒸気が立ち込める。〈虫〉……つまり〈アマゾン〉特有の生態だ。

 

「ギギギギギギッ! ……」

 

 喉の奥から絞り出すような呻き声とともに、蒸気の中から青とピンクの触手を無数に生やした、奇妙な人型の化け物……〈アマゾン〉が立ち上がる。事前の情報によると、どうやらイソギンチャクの性質を持っているらしい。ランクはBとやや控えめだが、初めて遭遇するタイプのアマゾンだ。志藤は熱波に目を閉じそうになるのをこらえつつ、口頭で部下たちに命令をくだした。

 

「虫確認、狩り開始!」

 

 志藤の声とともに、カウンターを包囲していた三崎と福田、そして志藤がライフルの引き金を引いた。銃口から対〈アマゾン〉用の特殊加工を施された弾丸が怒涛の勢いで吐き出され、〈イソギンチャクアマゾン〉に殺到する。〈イソギンチャクアマゾン〉が全身に弾丸を浴びながら、カウンターに黒い体液をぶちまけた。しかしその直後、〈イソギンチャクアマゾン〉はすぐさま身をかがめて、カウンターを跳躍で跳び越えた。

 シャッターを力づくで突き破り、〈イソギンチャクアマゾン〉がシャッター街に飛び出す。勢いあまってつんのめる〈イソギンチャクアマゾン〉に、すかさず望がナイフを構えて襲い掛かった。

 

「でやぁあああ!!」

 

 気合い一閃、望のナイフが〈イソギンチャクアマゾン〉の体表を刻み、その激痛が触手だらけの身体を怯ませる。逃げの姿勢になったところへ望がためらうことなく蹴りを叩き込むと、〈イソギンチャクアマゾン〉は呻き声をあげながら道路に転がった。

 

 見た目は派手だが、大したヤツじゃない。ここまでの手ごたえの無さに、望の脳裏に一瞬の油断が生じる。

 ところが〈イソギンチャクアマゾン〉は、その油断を察知してか、全身からおびただしい量の触手を猛スピードで伸ばして望へと躍らせた。

 

「やばっ……!」

 

 素早い身のこなしで触手を避ける望。しかしこれでは近づくことはできない。かといって銃弾も触手に阻まれて届かないだろう。この〈アマゾン〉を攻略するには、まず邪魔な触手を排除しなければならない。

 追撃できない口惜しさに歯噛みする望だったが、その背後から二人の青年……マモルと水澤悠が飛び出した。ここからは選手交代だ。

 

「うわぁあああぁあ!!」

「アマゾンッ!」

 

 マモルが上着を引き裂いて、悠が〈アマゾンズドライバー〉を操作して、各々エネルギーを爆発させる。凄まじい熱波を放ちながら細胞を変質させ、瞬時に頑強な外骨格を形成する。筋組織が充実して膨れ上がり、眠れる野生の本能を覚醒させる。次の瞬間、マモルはドリル状の器官を頭部に備えた〈モグラアマゾン〉に。そして悠は、緑の外骨格と深紅の目をした〈アマゾンオメガ〉へと変身していた。

 

「グィギギギギギ……!」

 

 かくて三匹の野獣……〈アマゾン〉による死闘が始まった。前腕部から伸びる刃〈アームカッター〉で〈オメガ〉が果敢に攻め立て、隙をついて〈モグラアマゾン〉が巨大な爪で殴りつける。それを払いのける〈イソギンチャクアマゾン〉のカラフルな触手。それはもはや、人間の介在する余地などない、野生と暴力の暴風雨だ。

 

 だがそんな命のやり取りにも、変化が生ずる。コンビネーションの経験がまだ浅い〈オメガ〉が、攻撃タイミングを掴み損ねて一瞬だけ硬直したのだ。

 人間にとってみれば、それはほんのコンマ数秒ほどの一瞬だ。だが、それは〈アマゾン〉同士の殺し合いにおいて致命的なミスだった。

 

「ウグッ……! うわぁああ!」

 

〈オメガ〉の鮮やかな緑色の体表に、〈イソギンチャクアマゾン〉の触手が絡みつく。自由を奪われた〈オメガ〉は、そのままギリギリと締め付けられながら中空へ持ち上げられた。

 常人なら全身の骨がバラバラになってしまうほどの圧力だ。〈オメガ〉は懸命に振りほどこうと力を込めるが、いかに〈アマゾン〉とはいえ力だけではどうにもならない。

 

「水澤クン!」

 

 仲間の窮地に、思わず〈モグラアマゾン〉が注意を逸らす。その瞬間、〈イソギンチャクアマゾン〉は〈モグラアマゾン〉の腹部を渾身の力を込めて蹴り飛ばした。

 

「野郎……!」

 

 マモルと悠が引き剥がされたが、まだ勝負はついていない。志藤は班員を集めて一斉射撃をお見舞いした。無論触手で防御されるが、悠を拘束しているぶん動かせる触手の数は限られる。打ち出された弾丸のうち何発かは〈イソギンチャクアマゾン〉の胴体に届き、その動きを鈍らせていく。

 

 やがて〈イソギンチャクアマゾン〉は、蓄積されたダメージからか膝をつき、にわかに苦しみ始めた。呼気は荒く、動きも緩慢だ。

 当然、その好機を逃すわけもない。志藤が口笛で合図を出すと、望とマモルが一気に飛び出した。

 

「いい加減、離せッ……!」

 

 望の繰り出したナイフの斬撃が、悠を拘束していた触手群を切断する。すると〈アマゾンオメガ〉の変身が解除され、鮮やかな緑色の肢体はもとの水澤悠の姿へと戻っていった。

 

「ギィヤァアアァ!」

 

 触手を切断された痛みでたまらず悲鳴をあげる〈イソギンチャクアマゾン〉。だがその奇怪な雄たけびも、〈モグラアマゾン〉となったマモルの一撃で即座にかき消された。彼の繰り出した鋭い爪が、無防備になった〈イソギンチャクアマゾン〉の腹部を貫いたのだ。

 

「ガウゥウウ——————ッ!」

 

 マモルの叫びが、勝利を宣言する。

〈イソギンチャクアマゾン〉の身体は黒いゲル状に溶解し、後には腕輪だけが遺された。

 狩りが終わった。駆除班の面々に、つかの間の安心が訪れる。しかし、その雰囲気を壊す新たな事態が、既に発生していた。

 

「ぼっちゃま、おいしっかりしろ! ぼっちゃま!」

 

 額に脂汗を浮かべ、苦しそうに呻く悠に、真っ先に異常に気付いた三崎が駆け寄る。

 一瞬遅れて福田と志藤が駆け付けるが、どう見ても普通ではない。

 

「フク、分かるか?」

「イソギンチャクの中には、触手に毒針を持っているモノもいる……。この苦しみようは、恐らく毒です」

 

 薄れゆく意識の中、悠は頭上で心配そうにこちらをのぞき込む仲間たちに、自らの症状を訴えようとした。

 

 ——————違うんです。毒じゃない……僕の中に、別のナニかが、入って来て——————

 

 だが、悠はとうとうそれを言葉で伝えることの叶わないまま、ゆっくりと意識を手放し、闇の中へ沈んでいった。

 

 

 

 ——————闇の中で、豹が嗤う。



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第二話 発症

 寒さがピークを過ぎ、春に向けて徐々に暖かくなってきたこの時期に珍しく、今日はとても冷たい風が吹いていた。

 そんな気候の中でも、仕事であれば外出しなければならない。黒のVネックの上から黄色のストールを巻き、手提げカバンに商売道具を詰め込んで、花家大我は根城の廃病院を後にした。

 

 今回、非合法の闇医者として、大我はとある企業から直々に依頼を受けていた。

 ……野座間製薬。大手製薬会社であるこの企業は、かつて医師免許を持ち、大学病院で勤務していた頃から大我にもなじみ深い。

 そんな野座間が、まっとうな病院ではなく、わざわざ闇医者である自分を指名して来た。不穏な気配を感じるなと言う方が、無理な話だ。

 

「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」

 

 異様な雰囲気に包まれた野座間製薬の敷地内へ、花家大我は単身足を踏み入れた。

 

 

 ※※※

 

 

 警備員らの案内に従って社内の廊下で待つこと数十分。いい加減待ちくたびれて欠伸の漏れ始めた頃、今回の依頼人を名乗る女が現れた。

 

「お待たせしました、花家先生。私、水澤令華といいます」

 

 簡単に名乗りながら、その女は『特殊研究開発部長』という肩書の書かれた名刺を差し出してきた。大我はそれをぶっきらぼうに受け取り、名刺から女……水澤令華に視線を移す。

 短く切った髪や、冷静そのものといった表情、すらりと伸びた背筋……どれをとっても、まさに大企業の役員といった雰囲気だ。

 しかしただ一点、大我は妙に気になる部分があった。令華の、爬虫類じみて冷たいその眼差しである。

 

 闇医者として裏社会を生きて来た大我は、これまでカタギでない患者に数多く出会ってきた。暴力団の構成員や、不法滞在の外国人など、その多くはこの世の闇に生きる者たちだった。

 しかしそんな彼らでさえ、この水澤令華ほど冷たい眼差しを持ってはいなかったはずだ。

 ……凍り付くように冷たく、奈落の如く深い闇。

 そうした闇を孕む眼前の女に対する生理的な嫌悪感と不信感から、無意識的に大我はズボンのポケットに名刺を掴んだまま手を突っ込んだ。

 

「では早速、患者のところへ案内させて頂きます。どうぞこちらへ」

 

 電話で聞いた限りでは、原因不明の高熱に苦しむ患者を診てほしいという依頼だった。聞いた限りの症状だけで病状を判断できないが、場合によっては緊急オペも行わなければならない。手持ちの道具と野座間の設備でどこまでやれるかは分からないが、ともかく今は患者に集中する。水澤令華への本能的な苦手意識を、仕事への集中力で振り払い、大我は令華の後ろについて廊下を歩きだした。

 

 

 ※※※

 

 

 案内されたのは、薄暗い地下室だった。集中治療室めいた設備がそろえられたその部屋の中央に、機械群に繋がれた青年が苦しそうな呼気を漏らしながら横たえられている。

 令華は、彼を息子の水澤悠であると紹介し、大我に診察を乞う。大我は訝しげな態度を隠すことこそ無かったものの、ドクターとして患者の悠を診ることにした。

 

「……あ、あなたは……」

「あんたの母親に雇われた憐れな無免許医だ」

 

 近づいてみてみると、悠は病的なまでに整った顔立ちをした青年だった。また、彼には母親のような闇を感じない。むしろ、子どものように無垢な印象すら受ける。

 

「悠の容態は、どうでしょうか」

 

 背後から心配そうに水澤令華が尋ねて来る。あの女も、母親らしい情というものは持ち合わせているのだろうか。

 そんなことを考えながら悠の診察を黙々と続けていく中で、大我は悠の身体を蝕む病の正体に迫っていた。

 

「……なるほど。典型的なゲーム病の症状だ」

「ゲーム、病……?」

 

 大我の告知に、悠が首をかしげる。当然だ。衛生省の方針で、今のところ<バグスターウイルス>は世間に隠ぺいされている。大我は背後の令華をちらりと睨んでから、悠に病気の説明を始めた。

 やっと自分がここに呼ばれた理由が分かった。この水澤という女は、息子に感染したウイルスの調査をする中でゲーム病の存在に辿り着き、そのオペを行えるドクター……すなわち<仮面ライダー>を探していたのだ。

 野座間ほどの大企業なら、衛生省の隠ぺいをすり抜けて、財界筋から情報を得られても不思議じゃない。無論、それだけでは聖都大の<エグゼイド>達ではなく、闇医者の大我を指名した理由までは説明がつかないのだが。

 

「……まぁそういうわけで、ゲーム病は普通の薬じゃ治せない。オペでの切除を行うしかない」

「オペって……手術って、ことですか?」

「そうだ。だが安心しろ。あんたのバグスターは俺がぶっ潰してやる。すぐに回復できるさ……」

 

 そう言うと、大我は顎で令華に下がるように示した。

 今からゲームを開始するのに、ギャラリーは邪魔でしかない。

 

「悠は、助かりますか」

「当然だ」

 

 後ずさる令華を確認すると、大我は無造作にカバンから<ゲーマドライバー>を取り出して腰にあてがった。

 蛍光色で彩られた派手なそれは、瞬く間にベルトとなって大我の腹に巻き付く。ドライバーの装着が完了したところで、大我は次に<バンバンシューティング>の<ライダーガシャット>を取り出した。

 そして大我は、ガシャットを銃に見立てて水平に構えると、引き金を引くように起動スイッチを押した。

 

『バン! バン! シューティング!』

 

 軽快なゲームミュージックと共に、電子音声が流れる。すると陰気な地下室が、空間生成装置(エリアスプレッダー)から放出されたデータによって、瞬く間に特殊空間(ゲームエリア)に飲み込まれていった。

 大我の背後に、スタイリッシュなロゴで『BANG BANG SHOOTING』と書かれたゲームスタート画面がホログラムで生成される。

 目の前で起こる未知の出来事に、病も忘れて戸惑う悠。

 だが驚いたのもつかの間、悠の身体から大量の<バグスターウイルス>が溢れ出て、悠の身体を飲み込んでしまった。

 

「悠ッ!」

 

 突然の出来事に、声を荒げる令華。

 やがて<バグスターウイルス>は悠を飲み込んだまま、星のような模様を持つ、大きな豹の姿へと変化した。特殊空間(ゲームエリア)の発生に誘われて出て来たらしい。

 しかし大我は特に驚いた様子もなく、平然とガシャットをガンアクションのようにクルクルと弄びながら、<ゲーマドライバー>のスロット1に装填した。

 

「変身」

 

 ガシャットの装填と共に、大我の周囲を複数のホログラムが回転する。変身する<仮面ライダー>のセレクト画面だ。

 

『レッツゲーム! メッチャゲーム! ムッチャゲーム! ワッチャネーム!?』

 

 無論、大我が選ぶライダーは決まっている。それが正面に来たタイミングで、大我は指鉄砲の仕草を以てセレクト。すると選択された画面が大我の身体を透過し、瞬く間に彼の肢体を四頭身のヒーロー<仮面ライダースナイプ レベル1>へ変身させた。

 

『アイムア 仮面ライダー!』

 

「ミッション……開始」



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第三話 暴走

「シャァアアァア……ッ!」

 

 豹のバグスターは、大我の変身が完了するや否や、恐ろしい唸り声をあげて飛び掛かって来た。どうやら知性を持ったタイプのゲームキャラではなかったようだ。

 だが、そんなバグスターの攻撃にも慌てることなく、大我は軽やかな身のこなしで襲撃を回避。データから召喚した<ガシャコンマグナム>で、着地の隙を狙う。

 

「ガウッ!」

 

 マグナムから放たれた弾丸は、寸分の狂い無くバグスターへと直進。しかし、バグスターは空中で身体を捻り、振り向きざまの爪の一撃でこれを弾き飛ばした!

 

「やるな」

 

 呟きながら、大我は左腰に装備したキメワザスロットホルダーを操作。領域選択(ステージセレクト)機能で、周囲に被害が及ばないよう仮想空間に移動するためだ。

 大我が選んだのは、波止場の仮想領域(ゲームステージ)だった。ここなら起伏も遮蔽も無い。

 特殊空間(ゲームエリア)の外側にいた令華は巻き込まれていない。正真正銘、邪魔者無しの一騎打ちだ。

 

「ふんッ!」

 

 大我は<ガシャコンマグナム>で弾幕をはり、バグスターを追い立てる。バグスターは豹のそれらしい機敏な動きでこれを回避するが、まったく<スナイプ>に近寄ることもできない。

 そんな中、大我のはる弾幕の中に、僅かな綻びが生じた。マグナムを構える右手の死角……斜め左後方。バグスターは本能的にそれを察知すると、跳躍して<スナイプ>の背後へまわった。

 

「バーカ」

 

 だが、それは大我の罠だ。弾幕の死角は、意図的に作り出されたキルゾーンだったのだ。

 待ち構えていた大我は、バグスターの動きを先読みし、振り向きざまの早撃ちでこれを迎え撃つ。

 

「ギャウッ!?」

 

『HIT』のエフェクトが表示され、バグスターが怯む。大我は容赦することなく、そのままマグナムを撃ち続けた。

 このままワンサイドゲームで終わらせてやる。

 仮面の奥で勝利を確信した大我は、右手でマグナムを連射しつつ、両足を開いて力を込めた。跳躍の予備動作だ。

 

「ハァッ!」

 

 気合いとともに飛び出した大我は、そのまま空中で高速回転。弾丸の如きエフェクトを纏って、一気にバグスターへ突っ込んだ!

 

「くたばりやが——————何!?」

 

 しかし、その時異変が起きた。

 それまでじっと弾丸の雨を耐えていたバグスターが、突如としてウイルス態に分解して悠の身体に引っ込んでしまったのだ。

 このままでは、患者に大怪我を負わせてしまう。しかしもう技は発動してしまった。もう止めることなどできない。

 大我の渾身の一撃が、無防備な悠に炸裂——————したかに見えた。

 

 だがしかし、そうはならなかった。

 

「なッ……!」

 

<スナイプ>の体当たりを、水澤悠はなんと片手で受け止めたのである。

 悠の片手は、奇妙にも緑色の硬質皮膚に覆われており、またその腕は、<スナイプ>の頭部を人間離れした握力でがっちりと掴んでいた。

 

「どういうことだ……!」

 

 大我は悠の腕を振り払い、素早く後退した。今の悠は普通じゃない。いったい何が起きているのか、彼はまるで理解できなかった。

 

「グゥゥアアアアア!!」

 

 だが、大我の理解など関係なく、事態はさらに加速する。

 悠は地獄の底から響くような、恐ろしい唸り声をあげながら、全身から熱波と蒸気を噴出。その蒸気の中で、彼の身体は融解と硬化を繰り返し、変態していく。

 やがて変態を終えると、そこには見るもおぞましい緑色の怪物になり果てた悠が四つん這いになって大我を睨みつけていた。

 

「何が、起きていやがるんだ……!」

 

 水澤悠は、バグスターに肉体を乗っ取られたわけではない。さっきまで戦っていたあの豹が、バグスターのはずだ。

 ならばコレはなんだ? バグスターではなく、水澤悠自身が変身しているとでも言うのか?

 

「ァァアアアアアア!!」

 

 溢れる疑問に混乱をきたす大我へ、怪物化した悠が襲い掛かる。跳躍からの、強烈なストンピング……大我はなすすべもなく悠の一撃をくらい、地面に叩き伏せられた。

 

「ぐはッ……」

 

 怪物化した悠は深紅の双眸を爛々と輝かせ、倒れた<スナイプ>へ追い打ちをかける。白黒の四頭身へ、爪と牙が次々食い込み、そのたびに<スナイプ>の<ライダーゲージ>が低下していった。

 

「クソが!」

 

 悪態をつき、大我はマグナムのゼロ距離射撃で悠を強引に引き剥がす。すると大我は、今度は<ゲーマドライバー>のレバーを素早く開いた。

 

『ババンバン! バンババン! バン! バン! シューティング!』

 

 電子音声とともにエフェクトが展開され、大我の姿が、黄色いマントを纏った等身大の戦士へと変化する。

〈仮面ライダースナイプ レベル2〉だ。

 

「やってやるよ……かかって来い!」

 

〈ガシャコンマグナム〉を再度構えなおし、レベルアップした大我は悠に狙いを定めて引き金を引いた。

 

「ガウゥウウ!!」

 

 獣の雄たけびとともに、悠が〈スナイプ〉へ挑みかかる。全身にマグナムの弾丸をくらいながらも、その勢いはまるで衰える気配が無い。

 大我は舌打ちしながら横っ飛びに悠の突進を回避すると、〈ガシャコンマグナム〉のAボタンを入力。するとマグナムの銃身が展開され、照準器を備えた長身のライフルモードへと変形した。

 

「狙い撃ちにしてやる!」

 

 両足を狙撃して、動きを止める。

 大我は比較的皮膚が柔らかそうな膝関節部へスコープで狙いを定め、容赦なく弾丸を撃ち込んだ。

 

「ヴァッ!?」

 

『HIT』のエフェクトと共に悠が前のめりに倒れる。受け身も取れず地べたに顔面を強打したところを見るに、大我の戦術は悠にとっても予想外だったようだ。

 

「いい加減、大人しくしてもらおうか……!」

 

 このチャンスを逃すわけにはいかない。大我はライダーガシャットを〈ガシャコンマグナム〉に差し換え、必殺技の発動準備に移行した。

 

『BANG BANG CRITICAL FINISH!』

 

 稲妻のようなエフェクトが収束し、〈ガシャコンマグナム〉にエネルギーが充填されていく。

 そしてエネルギーが最高潮に達したその瞬間、大我は狙いすました必殺の一撃を撃ち放った。

 

「ガゥゥウッ!」

 

 だが、必殺の弾丸が放たれるその刹那、なんと悠は全身のバネを使って倒立。さらにそこから腕を使って跳躍し、殺到する〈CRITICAL FINISH〉を紙一重で回避した!

 

「馬鹿な!」

 

 驚愕に凍り付く大我。そしてその硬直を狙い、空中に飛び上がった悠が勢いに任せて爪を振り下ろす!

 

「ぐあぁああ——————!?」

 

 頭部ユニットの〈SNヘッド-STG2〉が砕け散り、胸部装甲〈メックライフガード〉がズタズタに引き裂かれる。重篤なダメージは、〈スナイプ〉の装備を貫通して大我自身にも届いていた。

 

『ガッシューン!』

 

〈ライダーゲージ〉の急激な低下が安全装置を作動させ、大我の腹から〈ゲーマドライバー〉が強制排除される。展開されていた仮想領域(ゲームステージ)が消失し、悠と大我は元居た野座間製薬の地下室へと放り出された。

 

「悠!」

 

 地下室で待っていた令華の眼前に、怪物——————アマゾン態へと変貌した悠が現れる。

 すると悠は、母の声を受けてハッとしたような素振りを見せ、その直後急激に頭を押さえて蹲ってしまった。

 

「ウゥ、グウゥゥウ……!」

「どうしたの悠、苦しいの?」

 

 額から流血して倒れている大我そっちのけで、令華が苦しむ悠へと駆け寄る。

 ところが、令華が悠へ触れようとしたその瞬間、悠は突然跳びあがり、地下室の天井を突き破って逃走した。

 

「待ちなさい! 悠! ハルカァアア!!」

 

 狂気の滲んだ絶叫をあげ、令華は息子が跳び出した天上の穴を血走った目で見上げる。そしてすぐに追いかけようと地下室から出ていこうとしたその時、倒れていた大我がムクリと起き上がった。

 

「おい、待ちやがれ……! アレはいったい何だ! お前の息子は……人間なのか!?」

 

「……あなたに説明する必要はありません。それよりも、あなたにはこうなった責任を取ってもらいます」

 

 一切の質問、反論を許さない、威圧的な態度を以て冷徹に大我の言葉をはねつけると、令華はそのまま地下室を足早に退室する。そして大我もまた、血を袖で拭いながらヨロヨロと立ち上がった。

 

「ったく……どうなってやがんだ」



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第四話 邂逅

「……で、まぁなんやかんやあって逃げ出した患者が、恐らくこの辺りにいるって話だ。コレが写真な」

「ふーん。結構カワイイ顔してんじゃん。モデル?」

「いや、いいとこのお坊ちゃんだ。訳アリだけどな」

「まぁそうだろうね。大我を頼って来る患者が、普通なワケないか」

 

 車の行き交う大通り沿いの歩道を、白髪交じりの青年とやや派手めなコーデの少女が会話しながら連れ歩く。果たして、花家大我と西馬ニコである。

 傍から見れば年の離れた兄と妹にも見えるが、当然二人に血縁関係など無い。恋人同士というわけでもないし、仕事仲間と言うのも違う。じゃあ何なのかと問われても、それは当事者である大我にもニコにも一口には説明し辛いものだった。

 だが、人と人の関係性というのは、本質的には言葉で説明のつかないものかもしれない、とニコは思う。友達だと家族だの恋人だのと類型に当てはめることはできても、その言葉の中身は千差万別だ。「言葉」という普遍的な表現と、その中に込められたそれぞれの意味や、そこから参酌できる認識というものは多かれ少なかれギャップがある。なら、このぶっきらぼうで不器用な闇医者と自分の関係は、別に今すぐ言葉にしなくてもいい。敢えて表現するならば、「主治医と患者」。今はそれで充分だろう……。

 自分を庇って車道側を歩く主治医の顔を、キャップのつばの影からしげしげと見上げながら、西葉ニコはぼんやりとそんなことを考えていた。

 

「おい、何見てんだ。俺の顔に何かついてるか?」

「べっつに~。いつもながらくたびれた顔してるなって。ちゃんと寝てる?」

「……余計なお世話だ」

 

 西馬ニコは知っている。夜中、大我が時々悪夢にうなされて跳び起きていることを。

 だが、言わない。患者の前で必死にやせ我慢しているこの主治医に、そんな無粋なことなど言えるはずもない。

 

「ま、いいけどね。じゃああたしはあっち探してくるから」

「ああ……って、ゲーセンじゃねぇか。単におめぇが行きてえだけだろ」

「いいじゃん。ミズサワハルカくんだっけ? 案外こういうところにいるかもしんないでしょ?」

「チッ……勝手にしろ」

 

 許可するや否や、ニコはじゃねーっと手をぶんぶん振りながらゲーセンへ突っ込んでいった。

 まったくゲームバカにもほどがある……。やれやれとため息をつきつつも、しかし大我はどこか安心していた。

 

「もしニコがアイツに遭遇でもしたら、あぶねえってレベルじゃねえからな」

 

 水澤悠。彼の正体についてとうとう令華が口を割ることは無かったが、あれは間違いなくヒトではない。

 正規のドクターであるエグゼイドたちではなく、闇医者である大我に白羽の矢が立ったのがいい証拠だ。

 

「……だとしたら、何だって言うんだ」

 

 人間じゃないから治せませんとは言えない。だが、あんな怪物を果たして本当に救っていいのか。

 命を無差別に救うのは、決していい結果ばかりもたらすわけじゃない。世の中には、死んだ方がいいような連中もゴロゴロいる。

 当然、そんなことを悩むのはドクターとして間違っている。だが生憎と、今の大我は医師免許を持たない闇医者なのだ。

 

「……アイツなら、それでも治しちまうんだろうけどな」

 

 仮面ライダーエグゼイド……宝生永夢(ほうじょうえむ)。あの見習いドクターは、自らをゲーム病に感染させ、世間に<バグスターウイルス>をばらまいた極悪人である檀黎斗(だんくろと)でさえ救おうとした。奴にとって、患者が何者だろうと関係ない。患者の心と身体を治して笑顔を取り戻す。それがエグゼイドなりの流儀であり、ドクターとしての倫理なのだろう。

 だがドクター失格の自分は、もうそんな倫理観に縛られる必要はない。いっそ水澤令華との契約を破棄してしまえば、こんなことに悩まずに済む。

 ……考えるまでもないことだ。なのになぜ、自分はニコまで巻き込んで患者を探しているのか。

 

 冬の終わりを惜しむように、冷たい風が街を吹き抜ける。

 いつまでも赤のままの歩行者用信号機をぼんやりと見つめながら、大我は冷たい街並みの中でぐるぐるとした思考迷路に迷い込んでいった。

 

 

 ※※※

 

 

 一方、ゲームセンターにやって来たニコは、そこでちょっとした面倒ごとに巻き込まれていた。

 

「なんだよ姉ちゃん。今オレらとこいつらで話してんだよ」

「子どもに手ぇあげといて『話』も何もねぇだろ。弱いものいじめとかチョーダサいんですけど」

「ンだとこのガキィ!」

 

 西馬ニコは基本的にワガママな自由人だが、仁義にもとる行いに対して怒りを覚えるだけの倫理観は持っている。

 ゲームセンターで理不尽な理由からケンカをふっかけられている子どもがいれば助けてやるし、逆に子どもをよってたかっていじめるような輩には逆にケンカをふっかけてやるだけの鼻っ柱の強さもある。

 しかし生憎と今回は多勢に無勢だった。本来仲裁に入るはずの店員たちもすっかり萎縮してしまっている。

 

「えぐっ……ごめん、なさい……」

「謝んなよイユ! 俺ら何も悪くねーじゃんか」

 

 小学6年生くらいの男の子と女の子が、寄り添うようにしてニコの後ろで萎縮している。きっと少ない小遣いで遊びに来たのだろう。そういう経験はニコにもある。それだけに、ただゲームを楽しみに来た彼らの純真な気持ちを、こんな卑劣な連中に穢されてるのは我慢ならない。そんな怒りが、ニコの心にカッと熱い火を灯した。

 

「ここじゃ店の迷惑になる。表に出な」

 

 くいっと顎で不良どもを促し、店外へと歩を進める。これで少なくとも、あの子どもたちを窮地から救うことはできただろう。

 誘われるがままノコノコと付いてきた間抜けどもに一瞥をくれてやると、ニコは軽蔑の感情を隠そうともしない高圧的な笑みを浮かべた。

 

「よーく付いてきたなボンクラども。天才ゲーマーNこと、このニコちゃんが相手してやっからありがたく思えよな!」

「何言ってんだこのガキ」

「ニコちゃん(*´Д`)ハァハァ」

「ちょっとばかしカワイイからって調子こいてんじゃねぇぞ!」

 

 約一名、だいぶヤバそうな奴もいるけど問題ない。さぁ、ゲームスタートだ!

 ニコは決断とともに、勢いよく回れ右をして、そのまま全力で走り出した。

 

「ベロベロブワァアア~~! 悔しかったらここまでおいでー!」

「あっ逃げだぞ!」

「ニコちゃん待って(*´Д`)」

「追いかけろー!」

 

 つかず離れず、程よい距離を維持したまま鬼ごっこを続ける。目指すは交番。捕まらずにゴールできればゲームクリアだ。

 そんな思惑を知らず追いかけて来る不良どもを振り返りながら、ニコはしめしめといたずらっぽく笑った。ゲームの敵キャラの方が、まだ賢いだろうに。バカな連中もいるものだ。

 だがしかし、そんなニコの余裕も、走っているうちに徐々に萎え始めていた。

 

 ——————そういえば、交番がどこにあるか知らない!

 

 完全に誤算だった。適当に走っていれば交番くらいどこかにあると思ったのだ。だが走れば走るほどよく分からない道に迷い込み、いつの間にやらニコは人通りのまるでない、薄暗い路地裏へと追い込まれてしまっていた。

 

「ケケケ……誘導されていたとも知らず、バカなガキだぜ」

「もう逃げられないね……///」

「ぶっ殺してやるぁ!」

 

 完全に袋小路。もう逃げ場なんて無い。

 ニコは周囲をぐるりと見渡し、何かこの状況を打開できそうなモノを探した。

 エアコンの室外機、湿ったダンボール、ボロボロの箱型テレビ、寝ころんだおっさん、ビニルテープで縛られた雑誌類……ん、おっさん?

 

「……」

 

 ニコも、不良たちも、みんなそのおっさんに注目していた。ホームレスだろうか。しかし身なりはそれほど薄汚れているわけでもない。清潔な印象こそ無いが、整えられたヒゲや、前髪に入れられた金のメッシュなどは、この男なりに身だしなみに気を遣っている証拠だ。

 

「……え、何? 俺?」

 

 流石に視線に耐えかねたのか、ホームレス(仮)がむくりと起き上がってニコたちに声をかける。

 ……なんだかダメな人っぽいな、とニコは思った。



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第五話 野生

「あー……なんだ。お前ら、ケンカ?」

 

 ホームレス(仮)が、気だるげな声で尋ねて来る。一刻も早くここから居なくなってほしいと言う態度を隠そうともしていない。

 

「ハァ? 見ればわかんだろおっさん! つーかこういう時は黙って助けるもんでしょ!」

「いや、俺関係ないじゃん」

「信じらんない! こんな可愛い女の子がピンチだってのに、気の利いたセリフ一つ言えねーのかよ使えねーな!」

 

 口ぎたなく罵るニコだが、ホームレス(仮)はまったく取り合おうとしない。まさに暖簾に腕押しだ。

 だが、ゲーマー業界にはこういうクセの強いタイプの人間は少なくない。ニコは過去の経験を踏まえて、このホームレス(仮)が自分が興味のあることや、自分に利益があること以外はまったくやりたがらないタイプだろうと結論付けた。

 

「あーもう……じゃあ、私のこと助けてくれたら何でもしてあげるから! ねっお願いっ」

「……何でも?」

 

 あ、食いついた。

 ニコが心の中でそう呟くのと、ホームレス(仮)がすっくと立ちあがるのはほとんど同時だった。

 寝ころんでいた時は分からなかったが、背が高く、スタイルもいい。ちょっと危ない雰囲気も含めて、ワイルドな魅力を持っていると、ニコは密かに感じた。

 

「そこまで言われたんじゃあしょーがない。せいぜいヒーローさせて貰いますか」

「あ、言っとくけど、エッチなことは無しだからね!」

「心配すんなよ。ガキは喰わん」

 

 気だるげな態度は変わらないが、取り合えずやる気になってくれたらしい。ホームレス(仮)は不良たちのもとへダラダラと歩みより、胸の辺りをぽりぽり掻きながら彼らを見据えた。

 

「ンだこのおっさん……ぶっ殺せ!」

 繰り広げられる茶番に、不良たちもとうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。先方を務める一番大柄な不良が、拳を握り固めて思い切り振り下ろした。

 だが、ホームレス(仮)はその拳を上体を軽く反らして回避。続く二発目、三発目のパンチも、必要最低限の動きでこれを躱す。

 

「お互い、痛いのはイヤだろ? ここは穏便に済ませよーぜ」

「テキトーこいてんじゃねぇぞ!」

 この期に及んでまだ寝ぼけたことを言うホームレス(仮)に、不良達が怒りを爆発させる。

 やがて二人目、三人目の不良がケンカに参加するが、しかしホームレス(仮)にはパンチ一発かすりもしない。

 

「へー、すげぇじゃん」

 

 一切の無駄なく攻撃を避け、余計な体力を消費しない。そんなホームレス(仮)の様子を見ながら、ニコは無意識に野生の獣を連想した。

 

「なんだよコイツ……ぜんぜん当たんねぇじゃん」

「ねぇなんか気味悪いよ。もう行こうぜ。つまんねぇ」

「ケッ……命拾いしたなーコラ!」

 

 やがて先に体力が底をついた不良たちが、諦めてすごすごと引き下がっていった。

 めいめい捨て台詞を吐いていくが、その背中には疲労と若干の恐怖が現れている。ニコはざまぁみろと舌を突き出して彼らを見送った。

 ……しかし、ホームレス(仮)を囮に逃げる作戦だったが、まさか本当に撃退してしまうとは。そんな驚きと、ちょっぴりの好奇心が、このホームレス(野生)に対するニコの興味を刺激した。

 

「すっごいじゃんアンタ。さてはタダのホームレスじゃないね」

 

 ぱたぱたと駆け寄り、賞賛の言葉をかけるニコ。だがホームレス(野生)は、それに対して特にリアクションを返すことなく、むしろ自分の要件を上から重ねて来た。

 

「そんなことより、ホラ」

「……は?」

「ホラ。何でもしてくれるんだろ」

 

 言いながら、ホームレス(仮)はニヤリと笑いながら右手を差し出してきた。手のひらを上に向けている辺り、何かを要求しているとみて間違いない。

 

「だー、察しが悪いなお前。金だよ金。俺今見ての通り一文無しなの」

 

 ……最低だ。この男はどう贔屓目に見ても最低のクズだ。

 初対面の女の子に、ちょっと窮地を救ったからといって、こうも厚かましく金銭を要求するか?

 そんな不快感を全身で表現しながら、ニコは差し出された右手をグーで殴りつけた。

 

「あ! いってぇなオイ……んだよ何でもって言ったじゃねぇか。サギだサギ!」

「これ以上ガタガタ抜かすと警察呼ぶよ! あーもう最っ低。信じらんない」

「えぇ……せっかく助けてやったのに」

「くそったれホームレスの分際で偉そうな口きくんじゃねーよ。私の役に立ててむしろ光栄ってもんでしょうが」

「うわ、性格終わってんなお前……」

「おめーが言うなおっさん!」

 

 ニコがぴしゃりと言い放つと、ホームレス(野生)はその場で座り込み、がっくり項垂れて深々とため息をついた。

 

「あーあ……七羽さんには追い出されるし、こんなクソガキにはいじめられるし、ついてねぇなぁ……」

「追い出されたって……何しでかしたのよ」

「別に。ただのケンカ。二人きりで暮らしてりゃ、そういうことも時々はあったけど……はぁ」

 

 どうやらこのホームレス(野生)は本気で落ち込んでいるようだ。話を聞く限り、同棲相手とケンカした挙句追い出された様子である。ニコは直感的に、彼の言う「七羽」という人物が女性であることを察した。

 

「なるほどね。まぁ素直に謝ったら許してくれるかもよ?」

「何言ってんだよお前。七羽さん滅茶苦茶こえーんだぞ」

 

 このホームレス(野生)は、どうも同棲相手には尻に敷かれていたらしい。足元で情けない声をあげるホームレス(野生)に、ニコはまだ見ぬ七羽という女性の姿を想像した。いつかは自分も、大我をこんな風に扱いたいものだと、密かに企みながら。

 

「ま、せいぜいお家に帰れるといいね。ばいばーい」

 

 ともかく、もうこの男に用はない。ニコはひらひら手を振りながら、ホームレス(野生)に別れを告げて元来た道を引き返し始めた。

 写真の青年も探さなければいけない。これ以上、このホームレス(野生)に関わっている時間など無いのだ。

 

 ……そうしてニコが立ち去った後、ホームレス(野生)……改め、鷹山仁はごろんと仰向けになって曇り空をぼんやり見上げていた。

 この寒空の下、連日の野宿は流石に身体にこたえる。いい加減に暖かい寝床につきたいところだが、生憎と金づるには逃げられた。

 食料……についてはネズミやらトカゲでいいとしても、いい加減にこの状況が抜けださなければまずいだろう。

 

「……でもなぁ……」

 

 このまま、彼女の前から姿を消すというのも、一つの選択肢だろうと仁はふと思った。

 鷹山仁と共に生きるということは、そう容易いことではない。喰うか喰われるかの世界で生きる仁と寄り添うことは、彼女自身にも危険を強いる。この生き方は仁が選んだものだが、それに七羽が添い遂げるかどうかは話が違う。もちろん七羽への愛情に嘘は無いが、こんな自分に付き合わせていることへの罪悪感はいつだって胸の中で燻っていた。

 彼女はまだ若い。もっと幸せになれるはずの女性だ。先の無い、こんな男の地獄めぐりに付き合う必要なんてないのだ。

 ……だが、そこまで分かっていて尚離れられない理由は、自分自身の弱さに他ならない。結局のところ、責任を一人で背負う勇気も力も自分には無いのだ。七羽が隣で支えてくれなければ、きっと生きていくことさえできなかった。彼女と離れている今でさえ、心の中には常に七羽がいる。

 

 そんな自分を嘲るように薄く嗤いながら、仁は曇り空に手をかざした。

 

「……ん?」

 

 ——————その時、仁の嗅覚を奇妙な匂いが刺激した。

 ヒトの営みから発せられるソレとは異なる、しかし嗅ぎなれたこの匂い。

 嗅覚だけではない。体の奥の、細胞の一つ一つが警笛を鳴らすかのような感覚と共に、全身がぞわりと粟立つ。

 

「……行くか」

 

 呟き、立ち上がる。その表情からはもう、数秒前までの自嘲は消えている。

 あるのはただ、獲物を狩り、殺し、そして喰らう……そんな野獣の、静謐の中に潜む獰猛性だけだ。



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第六話 責任

 衝動に導かれるまま仁が訪れたのは、大型ショッピングセンターの屋上だった。フェンス越しに街を一望できるそこは、かつて小規模な遊園地が存在していた名残を残している。

 だが、それらに対するノスタルジーに浸るつもりなど今の仁には無い。彼には、やらねばならぬ使命があるのだ。

 

 ―――<アマゾン>。それはヒトによって生み出された、人食いの異形。

 かつて野座間製薬に在籍する科学者だった仁は、そこでウイルスサイズのナノマシン……通称<アマゾン細胞>を完成させた。だが画期的な発明ともてはやされたこの<アマゾン細胞>は、ヒトのタンパク質を好む性質を強く持っていた。<アマゾン細胞>を人間サイズまで成長させた実験体の<アマゾン>とて、例外ではない。つまり彼らは、ヒトのタンパク質を求める食人衝動を生まれながらにして持っているのである。

 仁は<アマゾン細胞>の研究に対し最後まで反対し続けたものの、野座間製薬はこれを押し切って<アマゾン細胞>の実験を進め、とうとう4000もの実験体<アマゾン>を街に解き放つという不祥事まで引き起こす。それらの<アマゾン>を全て駆逐し、この世から<アマゾン細胞>を根絶やしにする……人間を守るため、<アマゾン>の生みの親である仁が下した決断は、壮絶な自己犠牲を伴う責任の完遂であった。

 

 ヒトに<アマゾン細胞>を移植した仁は、生まれつきの<アマゾン>に比べて同族を感知する能力が低い。従って、ごく近距離で、かつ漠然とした感覚でしか<アマゾン>の存在を捉えられないのだが、今回に限っては違った。なにせ、仁のような鈍い感知力でさえ捉えられるほど、その<アマゾン>は強烈な気配を醸し出していたからである。

 

「よう。自己主張強いのなぁお前……おかげですぐ見つけられたぜ」

 

 飄々とした態度で挨拶する仁。彼の眼前には、屋上の床に這いつくばって低く唸る、上半身裸の青年がいた。だが異形の腕輪<アマゾンズレジスター>を見れば、彼がヒトではなく<アマゾン>であることは一目瞭然だ。

 腕輪の発行信号は青く点灯している。ということは抑制剤が切れたわけではないはずだが、しかしその苦しみようは尋常ではない。食人衝動に苦しんでいるというわけでもなさそうだ。

 

「何がそんなに苦しいのかは知らないが……すぐ楽にしてやるよ」

 

 苦しむ<アマゾン>に対し、仁はまるで十年来の親友に語り掛けるように、或いは幼い我が子を慈しむように、優しい語り口で死を宣告する。そして、仁は腰に巻かれた異形のベルト<アマゾンズドライバー>のグリップに手をかけて、悠然と微笑んだ。

 

「仁、さん……?」

 

 だが、その微笑は、眼前の青年の問いかけによってかき消される。

 仁の方へ振り向いた彼の顔は、まぎれもなく水澤悠のものだったからだ。

 

「悠か……? 何があった?」

 

 水澤悠は<アマゾン>だ。しかし今の彼は野座間製薬の管理下にある。食人の意思も、衝動も持っていない。そして、<アマゾン>を駆除するという意思を示している。つまり今のところ、彼は仁にとって積極的な駆除対象ではないのだ。

 

「分かりません……何かのウイルスに、感染したみたいで」

 

 いかに人工細胞の塊とは言え<アマゾン>も生物だ。特にこの水澤悠は、どうも普通の<アマゾン>とは出自が異なる可能性がある。病原体の感染は、十分に想定できる事態だと仁は納得した。

 

「なるほど。それじゃあもひとつ聞くけど、何でこんなところで、そんな恰好して這いつくばってんだ?」

 

 かがみこんで悠に視線を合わせながら、再び仁が尋ねる。すると悠は苦しそうに喘ぎながら、とぎれとぎれに説明を始めた。

 

「ウイルスが……僕の中の僕でもない、別のナニかが……僕の身体を乗っ取って、暴れてしまうんです。腕輪の抑制剤は効いているはずなのに……ヒトを、食べたくてしょうがない……!」

 

 悠の説明は要領を得ないが、異常な事態が起きていることは確かだ。それに病気のせいとはいえ、食人衝動を抑えられなくなった今の彼を、仁が殺さない理由は無い。仁は小さく鼻を鳴らすと、再び<アマゾンズドライバー>のグリップに手をかけた。

 

「事情は分かったよ……けどな。そうなっちまったんなら俺のやれることは一つだけだ」

「はい……お願いします」

「意味、分かって言ってんのか?」

「……僕だって、誰かを食べてしまうのは嫌だ。そりゃあ、ここであなたに殺されるのは、悔しいけれど……ウッ!」

 

 その時、悠が突然胸をおさえて苦しみだし、同時に彼の身体から熱波が滲み出て来る。どうやら我慢も限界のようだ。

 やがて悠の身体は高熱の中で融解と硬化を繰り返し、仁と初めて出会ったときの姿……アマゾン態へと変化していった。

 

「グ……アァアアアアア!!」

「……あーあ。しょうがねぇな」

 

 野獣の咆哮をあげる悠の目は、本能と狂気によって真っ赤に塗りつぶされている。その瞳が言外に、彼の理性の蒸発を告げていた。

 仁は諦めと決意をないまぜにドライバーのグリップを捻りこみ、狩人の眼差しを悠だった<アマゾン>へと向けた。

 

「……アマゾン」

『―ALPHA―』

 

 瞬間、仁を中心として高熱を伴う強烈なエネルギーが迸った。悠の放つ熱波とは比べ物にならないそれは、もはや「爆発」に等しい。その圧倒的エネルギーが周囲を焼き焦がし、悠アマゾンを僅かに後退させる。

 

『Blood&Wild! w―w―w―Wild!』

 

 やがて彼から放たれる熱波が収束していくと、仁は深紅の硬化皮膚に無数の傷痕を刻み込んだ緑眼の異形……<仮面ライダーアマゾンアルファ>へその身を変身させていた。

 

「ガウゥウ―――ッ!」

「……来な」

 

 猛り狂う悠を人差し指で挑発し、先手を譲る。闘争本能と食欲に支配された悠は、仁に向かって弾丸のような勢いで飛び掛かった。

 

「ジャァアアッ!」

 

 だが、本能だけでがむしゃらに襲い掛かって来る野獣に、仁は倒せない。

 悠の繰り出す体当たりを、爪を、牙を……それら全てを、仁は必要最低限の動作で捌く。

 そして悠が隙を見せた瞬間を狙い、急所を狙った的確な攻撃を積み重ねていく。その一発一発が、確実に悠のスタミナを削り、彼を一歩ずつ死の断崖へと追い詰めていく必殺の一撃なのだ。

 

「どうした悠ァ。こんなもんか?」

 

 <アマゾン>狩りを始めてはや二年。その間に蓄積した戦闘経験が、鷹山仁を驚異の戦闘マシーンへと進化させていた。

 

「グルルゥウゥ……」

 

 このまま挑み続けても勝ち目は薄い。

 そう本能に導かれたのか、悠は血泡を吹きながらも仁から距離をとった。

 理性は蒸発していても、体に染みついた戦闘の経験は残る。悠とて、駆除班としてこれまで少なくない数の<アマゾン>を屠って来た。

 ―――それらの経験から悠が導き出した次なる戦術は、正面きっての格闘ではなく、一撃離脱を基本とした肉食獣的戦法であった。

 

「シャァアアア!」

 

 四足獣の如き姿勢から弾丸のように飛び出した悠は、仁めがけて突進。当然、仁はこれを回避するが、悠は躱された先のフェンスを蹴り、再度跳躍!

 跳弾の如き軌道を描き、再び仁へ殺到する悠。仁は振り向きざまの回し蹴りでこれを迎え撃つが、悠もまた跳び蹴りを以て応える。互いの胴体に強烈な蹴りをお見舞いした両者は、思わずたたらを踏んでその場にへたり込んだ。

 

「てめぇ……」

 

 思わぬ反撃に、悪態が零れる仁。だが悠はダメージなど意に介した様子もなく、再び弾丸のように飛び掛かって来た!

 だが、二度も同じ轍を踏む仁ではない。ギリギリまで引き付けてから、仁は下から救い上げるようなフォームでアッパーカットをお見舞いし、悠を弾き飛ばす!

 

「オラァ!」

 

 重く湿った音と共に、悠の身体が宙を舞う。仁はこれを追撃すべく、悠の上空へと跳躍。そして空中で握り固めた拳を、無防備な悠の顔面めがけて渾身の力と共に振り下ろした!

 

「グギャッ……!!」

 

 アッパーカットから連なるコンビネーションの直撃をくらっては、もはや重大なダメージは避けられない。悠はそのまま床に叩きつけられ、屋上全体にビリビリと激しい振動が響き渡る。

 これでもう、立ち上がることなどできないだろう―――音もなく着地した仁は、そのままトドメを指すべく歩み寄った。

 

「……グァアア!!」

「何!?」

 

 だが、それは迂闊だった。立ち上がる力を奪われたかに見えた悠は、仁の想像を超える圧倒的回復力を以て立ち上がり、油断しきった仁へ猛烈な突撃を敢行したのである。

 そして、そこから繰り出された低姿勢からのタックルが、仁を床から引き剥がし、壁際まで追い詰める。

 

「う、うおぉおおお!?」

 

 やがて二匹の<アマゾン>は、仁の抵抗空しくフェンスをぶち破り、揃ってショッピングセンターの屋上から落下していった。



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第七話 白衣

 落下した二匹の<アマゾン>は、偶然にも搬入口から顔を出していたトラックの荷台に落下した。

 凄まじい音が鳴り響き、荷台の天井がへしゃげる。だが、爆音で音楽をかけている運転手がその異変に気付くことは無かった。

 

「イテテ……」

 

 ショッピングセンターからトラックが遠ざかっていく中、先に戦闘態勢に復帰したのは仁だった。全身が痛みでマヒし、ビリビリとした感覚が触覚を支配するが、それは狩りを中断する理由にはならない。

 そして悠もやはり、荷台の上で四足獣の如き構えをとりつつ起き上がった。ここからは第二ラウンドということらしい。

 

「いいぜ……来な!」

 

 先ほどまでとは違い、今は走行中のトラックの荷台。先ほど仁を翻弄したヒットアンドアウェイはもう使えない。限られたスペースでバランスをとりつつの戦闘……状況は、仁にとって優位であると言えるだろう。

 だが、そのようなアドバンテージ計算ができるほど、今の悠に理性は残されていない。あるのはただ、目の前の敵に対する獰猛な闘争本能だけだ。

 

「ヴァウゥ―――!」

 

 仁の挑発に応え、悠が両手を振り上げ組み付く。だが、単純な腕力比べなら<アマゾンズドライバー>による強化が付与された仁に分がある。最初こそ勢いに勝る悠が仁を組み伏せかけたが、次第に仁の馬力によってねじ伏せられていった。

 

「グルァア!」

 

 だが次の瞬間、悠は口を大きく開いて仁の肩にかぶりついた! 力比べに応じるあまり、身動きがとれなくなっていた仁は、その噛みつき攻撃を甘んじて受け入れる他ない!

 

「ぐあぁあ……!?」

 

 あまりの激痛に、たまらず仁も呻き声をあげた。メキメキと音を立てて悠の牙が仁の硬化皮膚を突き破り、骨身に達していく。

 状況を覆すべく、仁は組み付いた腕を強引に振りほどき、悠のみぞおちを強打! しかし、尚も悠はも噛みついて離れようとしない。

 

「クッ……!」

 

 生まれつきの<アマゾン>ではない仁に、悠ほどの獰猛性も本能も無い。悠の示す恐るべき闘争本能に、理解しがたい不気味さを覚えたのは無理からぬことだ。

 困惑、そして恐怖。眼前の猛獣に対し、仁の精神が揺らぎかける。

 だがしかし。鷹山仁の<アマゾン>に対する殺意と執念が、その程度の揺らぎで消え去るような代物であるはずがない。

 

「らぁあああ!」

 

 狂気じみた殺意に濁った雄たけびとともに、仁は二発目、三発目の拳を悠のみぞおちに叩き込んだ。屋上で撃ち込んだアッパーカットの比ではない、痛烈な打撃が悠の内蔵に深刻なダメージを刻みつける!

 

「グゥウアアァ……!?」

 

 猛烈なボディーブローの連打に、たまらず悠が仁から離れる。そしてその瞬間、彼らを乗せたトラックが急な曲がり角に差し掛かった!

 

「うっ!」

 

 カーブを描くトラックの上で、傷を負った二匹の<アマゾン>がバランスを乱され、たたらを踏む。特に内臓ダメージの深刻な悠は立っていられず、そのままふらふらと倒れ込んだ。

 ショッピングモールから出発して数分、街を離れたトラックは、水路上に架けられた小さな橋へさしかかる最中だ。このまま街の外へ悠を運ばれるわけにはいかない。仁は一瞬で状況を認識すると、痛みに怯んで硬直した悠を、サッカーボールのように蹴り飛ばした!

 

「ギャッ!」

 

 トラックの荷台から落下し、水路へ真っ逆さまに落ちていく悠。仁もまた、これを追って荷台から跳躍した。

 

 

 ※※※

 

 

 時はやや遡り、ここは街の中。水澤悠を探し歩いていたはずの花家大我は、しかし捜索もせずに独り歩道橋の上で黄昏ていた。

 水澤悠とは何者なのか。野座間製薬は何を隠しているのか。

 こういった社会の闇に不用意に触れることは得策ではないということは、大我自身よく分かっている。だが、そうしたものに目をつぶり、ただ漫然と仕事をこなせるほど花家大我は器用になれない。本来の彼は、生真面目で融通の利かないほど良識的な人物なのだ。無自覚のまま悪行の片棒を担がされるなど、彼のプライドが許さない。

 

「……俺は……」

 

 歩道橋の手すりにもたれかかり、苦悩を孕んだ眼差しを眼下の道路に向ける。行き交う人々の多くが、世間の闇に蠢く正体不明の怪物や病魔の真実を知らぬまま、ただ当たり前の毎日を謳歌している。彼らの人生を守るため、全てを投げうち孤独に戦う道を選んだ大我にとって、この光景は理想であり、また重圧でもあった。

 

 だがその時、その光景にあってはならないモノが現れた。

 

「な!?」

 

 足元を通過していくトラックの荷台で、血のように赤い怪物と、くすんだ緑色の怪物とが組み合っているではないか!

 そして大我は、後者に強い既視感を覚える。ゲーム病を発症し、正気を失って変貌した水澤悠である!

 

「くそったれ! 街中で無茶苦茶しやがって……しかももう一匹だと!?」

 

 悪態をつきながら、大我は大急ぎで歩道橋から駆け下り、走り去るトラックを追う。だが人間の走力でトラックに追いつけるはずもない。さらに運の悪いことに、トラックは信号にかかることなくスイスイと進んでいってしまう。このままでは見失うのも時間の問題だ。

 

「だったら……!」

 

 走って追いつけぬなら空を行くまでだ。

 大我は人目に付かぬよう一旦路地裏に駆け込むと、ポケットの中から<ジェットコンバット>のガシャットを取り出して起動した。

 

『ジェットコンバット!』

 

 軽快なサウンドとともに、背後に『JET COMBAT』と表示されたホログラムが現れる。そしてそのホログラムから、ジェット機を彷彿とさせるオレンジ色のゲームキャラ<コンバットゲーマ>が飛び出した!

 

「連れていけ!」

 

 召喚された<コンバットゲーマ>の足に捕まり、大我が命令を下す。すると<コンバットゲーマ>は小さなボディからは信じられないような圧倒的パワーで大我ごと空中高く舞い上がり、悠を乗せて地上を走るトラックを探し始めた。

 

「あれだ……!」

 

 やがてトラックを発見した大我は、そのまま<コンバットゲーマ>に指示してトラックを空から追跡した。車上で行われる二匹の怪物の戦闘を観察する限り、どうやら悠の方が劣勢らしい。このままいけばあの赤い方の怪物に悠は殺されるだろう。介入するタイミングを上空から狙いつつ、大我は慎重に高度を下げていく。

 だが、急ぐ大我を置き去りに、戦況が大きく変化した。悠がとうとう車上から蹴り落とされたのだ。

 

「くっ……ド派手に暴れやがって!」

 

 悠が落下したのは人工的に作られた街の水路だ。悠と、そしてそれを追って飛び降りた赤い怪物が、水路で再びにらみ合っている。だが、上空の大我から見ても悠の劣勢は明らかだ。もはや悠に抵抗する余力は残されていない。

 ……ならば、どうする? 大我の脳裏に、再び疑問がよぎる。がむしゃらに追いかけて来たはいいが、まだ悠を助けると決めたわけではない。大我の理性が「行くな」と叫ぶ。

 

 ―――だが、それでも。例え救うべきではない命なのだとしても。

 水澤悠はゲーム病に苦しむ患者なのだ。

 目の前で消えていこうとしている命を見捨てることなど、どうしてできようか?

 免許をはく奪された自分が今さらドクターぶっても、滑稽だということは充分承知している。

 しかし、一度は白衣に袖を通した者として、救える命を見捨てる判断だけは、大我の正義(プライド)が許すはずも無かった。

 

「患者が何者だろうと関係ねぇ……お医者さんごっこで結構だ。だがな……」

 

 意を決し、<コンバットゲーマ>から手を放す。そして大我は、地表へ向かって自由落下していくその真っ只中で、腰に巻いた<ゲーマドライバー>に二本の<ライダーガシャット>を挿入し、決意を込めてレバーを開放した。

 

『ガッチャーン! レベルアーップ!』

 

 ……この決断を、後悔する予感はある。だとしても、花家大我に選べる道など一つしかなかった。

 

「そいつを死なせるわけには、いかねぇんだよ! 変身ッ!」

 

 ホログラムが大我の身体に装備を与え、旋回していた<コンバットゲーマ>がその上から覆いかぶさるようにして展開していく。そして地表に激突するギリギリのタイミングで、ディープブルーのボディにオレンジ色の飛行ユニットを装備した<仮面ライダースナイプ レベル3>への変身が完了した。



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第八話 激突

「なんだこいつ……!?」

 

 仁の驚愕も無理はない。悠をあと一歩で追い詰めたまさにその時、突如空から不可思議な武装に身を包んだ何者かが現れたのである。

 そしてその何者かは、驚く仁めがけて背中から展開した二門のガトリング砲<ガトリングコンバット〉を撃ち放った。毎分5,400発もの発射速度で、無数の炸裂光弾が空から仁を襲う。あれを食らえば、いかに<アマゾンズドライバー>によって強化された仁の身体とて無事では済まない! 仁は悠への攻撃を中断し、全速力で水路を走る。今はとにかく、この弾丸の雨から逃れねばならない。

 

「うぉぉおお!」

 

 仁から僅かに離れた地点で、着弾したおびただしい量の炸裂光弾が、次々と飛沫をあげていく。当然、仁がこれまで戦ってきた<アマゾン>の中にこのような凶暴極まりない武器を持ち出してくる個体はいなかった。仁は驚愕と恐怖を押し殺すように叫び声をあげながら、水路の曲がり角へ跳びこみ、間一髪で危機を逃れることに成功した。

 

「はぁ、はぁ……いきなりなんつーもんぶっぱなしやがる」

「てめーが俺の患者に手ぇ出すからだろうが。バケモンが」

 

 背中のジェットでホバリングしながら、ガトリングを構えたその男がぶっきらぼうに吐き捨てる。ディープブルーにイエローの迷彩模様が入った装備に身を包むその男の口ぶりは、まるでドクターだ。

 だが、仁はそんな男の正体に心当たりがあった。

 

「患者……? ああ、知ってるぜ。お前、噂の<仮面ライダー>ってやつだろ」

「ほーう……話が早いじゃねーか」

「こういうヤバい世界に足突っ込んでると、そういう噂話はよく聞くんでな。ってことは、悠は<ゲーム病>か」

 

 深紅の怪物の、思いがけない饒舌な語り口に、大我は一瞬だけ戸惑った。悠と違い、この怪物はかなり冷静だ。

 

「そういうてめーは何モンだよ。野座間製薬の関係者か?」

 

 ガトリングを油断なく構えたまま、探りを入れていく。向こうと違って大我は事情を何も知らないのだ。

 

「それをお前に説明するメリットは無いな。第一、人にものを聞く態度じゃねーだろ。それ下ろせそれ」

 

 角から僅かに顔をのぞかせて、仁は大我のガトリングを顎で指した。

 もちろん大我とて無駄な殺生を望んでいるわけでもない。「いいだろう」と小さく呟いて、大我は<ガトリングコンバット>から手を離した。

 

「質問に答えろバケモン。てめーは何者だ?」

「言ったろ。それをお前に説明するメリットは無い」

「テメェ……おちょくってんのか!」

「カリカリすんなって。まぁ今日はもう帰れ。悠のことは、あとは俺がやっとくからよ」

 

 ……ここで帰れば間違いなく悠はこの怪物に殺される。言葉以上に、怪物の放つ殺気が物語っている。

 

「……殺しにかかってるようにしか、見えなかったけどな?」

「当然だろ。<アマゾン>は全部殺す。病気持ちの<アマゾン>なんざ、猶更だ」

「お前もその<アマゾン>ってやつなんじゃねぇのかよ」

「そうだよ」

「イカれてやがる」

「そりゃどーも!」

 

 ――――――その瞬間。

 仁が間の抜けた声で答えると同時に、大我の視界が飛沫で埋め尽くされた。

 

「目つぶしか!?」

 

 この水路には、大人の膝まで水かさがある。それを思い切り蹴りとばせば、このくらいの芸当はできるだろう。不用意にガトリングの照準を解いたのは、迂闊だったとしか言いようがない。

 だが、そんな自身の過ちを後悔する暇もなく、大我は次の瞬間、凄まじい衝撃に晒された。

 

「ぐあッ!?」

 

 突然にバランスが崩れ、天地がひっくり返る。

 手足をばたつかせるがどうにもならず、大我は前後不覚のまま水路に頭から叩き落された。

 

「ま、そういうわけだから邪魔すんなよドクター」

 

 いつの間にやら背後に回り込んでいた赤い<アマゾン>が、挑発的に吐き捨てる。慌てて大我が体制を整えると、<アマゾン>は既に倒れ伏す悠の方へと歩を進めていた。

 

「てめぇ待ちやが……何ッ!?」

 

 無防備な背中を狙ってガトリングの引き金を引くが、まったく反応がない。よく見ると、ガトリングの砲身は途中で完全に切断されていた。

 それだけではない。上半身に装備した飛行ユニット類が、ことごとく破壊されている。あの一瞬でこの<アマゾン>は、こちらの装備のほとんどを破壊し尽くしていたのだ。

 

「野郎……!」

 

 こうなっては装備が却って邪魔になる。<ジェットコンバット>を<ゲーマドライバー>から引き抜いて<レベル2>にレベルダウンさせ、大我は破損した装備を消滅させる。そして新たに召喚した<ガシャコンマグナム>を構え直し、もう一度赤い<アマゾン>めがけて発砲!

 

「……てめぇ」

 

 背中の頑強な硬質皮膚で弾丸を受け止めた仁が、低く唸りながら振り返る。鮮やかな緑色に染まった瞳に、仄暗い敵意が揺らめいた。

 しかし、大我は怯むことなく引き金を引く。この敵を倒さなければ、患者のオペを行うこともできないのだ。だが、そんな大我の覚悟を込めた一射を、眼前の赤い<アマゾン>は腕から生えた鋭いヒレ状のカッターで弾き飛ばした。

 

「ったく」

 

 呟くとともに、仁が大我に襲い掛かる。そのスピードは、これまで大我が対決して来たどの<バグスター>をも凌駕している。

 捉えきれぬほどのスピードで繰り出されたその蹴りを胸部装甲<メックライフガード>にくらい、大我は再び転倒させられた。

 

「ぐっ……うおぉ―――!」

 

 だが、大我の心は折れない。激情を力に変えて立ち上がり、彼は仁に再度挑みかかった。動くたびに飛び散る飛沫が、さながら彼の闘志を反映しているかのように激しく舞い散る。

 繰り出す拳を、蹴りを、何度となく弾かれ、捌かれてもなお、大我の心は揺るがない。それどころか、よりその動きは鋭く、強く、しなやかになっていく。

 

 ……実際、仁が大我を仕留められる機会は何度もあった。それを敢えて逃したのは、仁が己に課した「人間は殺さない」という誓約があるからだ。

 だが、どんなに痛めつけても装備を破壊しても、この男は諦めない。それどころか、その動きは洗練されていくばかりで、一向に弱る兆しが見えない。このまま時間をかけていれば、むしろ追いつめられるのはこちらかもしれない―――仁の脳裏に、危険信号が灯ったのは、無理からぬことであった。

 

 ……ならば、締め落して意識を奪う。

 そう決断を下した仁は、素早く足払いをかけて大我を転倒させると、そこへ倒れ込みながらのエルボーを叩き込んだ。

 

「がっは……!」

 

 腹部を襲う猛烈なダメージに、大我はたまらず悶絶。仁はその一瞬を逃さず、大我が纏うマントの襟を、腕をクロスさせた状態で掴みかかった。そして仁は、そのまま前腕部を大我の首へ押し込むようにして締め上げる。柔道における締技の一つ……〈十字締〉である!

 

「グッ……ゴ……!」

 

 もがき苦しみながらも、幾度となく大我は拘束を解こうと暴れる。しかし、仁の仕掛けた十字締は完璧に決まっており、どんなに力を込めても外すことは不可能だ。さらに現在、仁によって完全に組み伏せられた彼の身体は、水路を流れる水の底に沈められた状態にある。水の重さと仁の締技、その両方からかかる負荷が、ライダーの力と意思をみるみる削いでいく。

 

 ――――――俺は、負けるわけには――――――

 

 声にならない叫び。だが、大我の意識はもはや限界に近付いている。

 その状態で数秒硬直した後、水上から自身を見下ろす緑の双眸を睨みながら、大我はついにその意識を手放した。

 

「……ふう」

 

 変身者の意識喪失に呼応して、変身が解除されるのを確認した後、仁は締技を解いて大きくため息をつきながら、大我の身体を水路の壁にもたれさせた。これで、気絶したまま溺死することもないだろう。

 かくて鷹山仁は、辛くも<仮面ライダー>……花家大我の襲撃を退けたのだった。

 

「さて、あとはお前だ……け?」

 

 しかしながら、仁は時間をかけすぎた。

 大我と戦い、これを倒すまでの間は―――

 

「あいつ……どこ行きやがった?」

 

 ―――悠が逃走するのに十分すぎるほどの猶予だったと、言わざるを得ない。



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第九話 仲間

 ちぎれ飛ぶ雲の隙間から、青白い月が街を見下ろす。その月よりも眩いネオンをそこかしこで放ちながら、眠ることを忘れた街は経済活動を繰り返している。光の届かぬ闇の中で潜む、野獣の存在に気付かぬまま……。


 野座間製薬本社、特殊研究開発部長オフィス。

 スーツ姿の女と男が、感情の読めない能面のような顔を突き合わせて内密の会話を行っている。女はこのオフィスの主である水澤令華。男は令華の秘書である加納省吾である。

 

「花家大我とは、相変わらず連絡つかないの?」

「はい。完全に行方不明……というか、生死不明の状態です」

「命惜しさに逃げ出したか、或いは悠に……」

「どうしますか本部長。悠くんの腕輪は青のままです。調査班の探知に引っかかる可能性は無いに等しいかと」

「……悠が暴走状態にあることがあの男(橘雄悟)に知られるのは避けたいところです。あまり事を荒立てない方針で、なんとか手を打たなければ」

 

 僅かに目を細めながら、令華は野座間製薬国際営業戦略部本部長の顔を思い出していた。橘雄悟(たちばなゆうご)……〈アマゾン細胞〉を利用したビジネスを成立させようと、近頃社内で暗躍している彼に、この事態を悟られることは今後に大きな悪影響をもたらす可能性がある。

 

「改めて別のドクターを選定するにしても、花家大我に引き続き治療を続行してもらうにしろ、まずは悠を見つけ出すことが先決です。それも、早急に……」

「……では、駆除班を動かしてみるのはどうでしょうか」

「駆除班を? 調査班ではなく?」

 

 能面のような表情を崩さないまま、加納が令華に提言する。確かに駆除班の動員程度なら、橘に異常を気取られることも無いだろう。しかし、それで悠をどう発見するというのか。令華は加納の発言に思わず肩眉を吊り上げながら、彼の言葉に耳を傾けた。

 

「はい。駆除班にはMがいます。あれには同類の存在を知覚する感知能力がありますから、恐らく悠くんの補足は可能であると考えられます」

「……確かに、悠も〈アマゾン〉には違いないですが……実験体とは違います。Mに捉えられるでしょうか?」

「ですが他に有効な手立てはありません。また、発見しても悠くんに抵抗される可能性を考慮すれば、捕獲チームにも十分な戦力が求められます。それに……」

「それに?」

「万が一、鷹山仁が悠くんと遭遇した場合を想定すれば、悠くんを彼から守る護衛も必要になります。発見・捕獲・保護……これら全てが可能な人材は、やはり彼ら以外にあり得ないかと」

 

 鷹山仁。令華たちと袂を分かち、〈アマゾン〉全てを殺し尽くすべく自らも〈アマゾン〉になり果てた、狂気の男……。橘とはまた違った意味で、令華の敵となる人物だ。

 

「……分かりました。その方向で行きましょう。加納、さっそく駆除班に出動を要請してください」

 

 

 ※※※

 

 

「……マモちゃん、どう?」

 

 駆除班制服に身を包んだ髭面の男……三崎一也が、ブロック型の携帯食料をかじりながら傍らのマモルに尋ねる。だが、マモルは残念そうな面持ちで首を横に振った。

 本社からの命令があって一時間弱。駆除班は水澤悠の捜索のため、廃ビルの無人テナントを拠点に気配探知を行っていた。

 

「水澤クン、どこに行っちゃったんだろう……。心配だなぁ」

「だいじょーぶだってマモちゃん。きっと見つかるよ」

 

 しょぼくれた様子で、マモルが肩を落とす。その背をとんとんとあやして三崎がフォローするが、仲間を大切に思う彼の近頃の落ち込みようは激しいものがある。あの夜以来、大好物のハンバーガーですらほとんど喉を通らない有様だ。

 

「三崎さんの言う通りだって。心配すんなマモル」

「ほら、ノンちゃんもそう言ってる。だからもうちょっと頑張ってみよう、な?」

「うん……」

 

 望の援護もあって取り合えずマモルの精神は立て直せたが、それで悠の捜索が進展したわけではない。一方、志藤と福田はバンの中で街の地図を広げ、複数個所にペンで印をつけながら今後の捜索について会議を進めていた。

 

「マモルの気配探知の有効距離は、それほど広いわけじゃない。もう二、三か所まわって、捜索するしかないな」

「……ある程度、足を使って探すしかないですね」

「まぁな。それと、悠が抵抗した場合も考えて、捕獲のプランも幾つか考えておくべきだろう」

「……捕獲で、済まなかったら、その時は」

「……どういうことだ、フク」

 

 言い淀む福田。志藤が地図から視線をあげると、福田はいつもの鉄面皮の下に仄かな不安と覚悟の入り混じった、微妙な表情を浮かべていた。

 

「もし、悠が人食いになってたら……駆除も想定すべきかと」

「悠が……人食い?」

「あいつが野座間を脱走した理由を考えたら、それしか思いつきません」

 

 この際、悠が何の病気に感染しているかは重要ではない。問題は、何らかの病気を発症したことで正常な状態ではなくなった悠が、ほとんど暴走状態のまま、街に逃げ出してしまったという点だ。暴走が病気によるものなのか、それによって覚醒した〈アマゾン〉の本能によるものなのかは分からないが、街の住民たちが危険な状態であることに変わりはない。悠の現状によっては、現場判断で駆除もやむなし―――その覚悟を、福田は無言のうちに志藤へ問いかけていた。

 

「……上からのお達しは、あくまで保護だ。そのための麻酔弾も用意されてる。……あいつは、野座間にとって特別な〈アマゾン〉みたいだからな」

「……」

「竜介の時とは違う。……それにな。悠を撃ったって、ギャラは入らない。……だから、そう強張るな」

 

 そう言って志藤が肩を軽く叩くと、福田は小さく「了解」とだけ呟いた。

 

「―――あ」

 

 その時、深く意識を集中させていたマモルが、ふいに目を丸くして声を漏らした。

 

「見つけたかマモちゃん!」

「うん。あっちの方から……水澤クンの匂いがする」

 

 マモルが指さしたのは、街のはずれにある工場群だった。最小限の街灯がぼんやり光るその場所まで、ここからおよそ数百メートルの距離ほどだろう。

 

「……急ぐぞ。悠を迎えに行く」

 

 悠が移動してマモルの覚知範囲外に出れば、捜索は振出しに戻る。モタモタしている暇はない。志藤の号令のもと、班員たちは急ぎ足でバンに乗り込み、工場群へと向かった。

 

 

 ※※※

 

 

 駆除班が悠の気配を感知したのとほぼ同時刻、街を一望できる小高い丘の上で、鷹山仁もまた獲物の気配を感知していた。

 

「……ったく、手間かけさせやがって……」

 

 時間はかかったが、ようやく気配を感知できた。仁は水路で捕まえたハゼをくちゃくちゃと咀嚼して手早く栄養補給を済ませると、さっそく気配のもとへ歩き出す。

 連戦の疲れはまだ抜けきってはいないが、〈アマゾン〉を殺すことは何よりも優先される重大事項だ。たとえ相手が一度ならず交流したことのある顔見知りだとしても、それは狩りを躊躇う理由にはならない。

 ただ、殺す順序が変わっただけのこと。見逃しておく理由が無くなったというだけの話なのだ。人間を守るため、責任を果たすため、〈アマゾン〉は全て殺す。それこそが鷹山仁が己に課した最大の誓約である以上、この先に待つ戦いを避けることはできない。

 

 ……だが、悠の死を知ったら、七羽はきっと悲しむだろう。

 そんな予感が、殺伐とした仁の脳裏を一瞬だけよぎった。



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第十話 病魔

「悠―――! どこだ―――!」

「ぼっちゃま~! ホラホラ、美月(みづき)お嬢さんも心配しておりますよ~!」

 

 工場群のはずれに位置する、無人の工場跡地。街灯の明かりが届かない夜の暗闇の中で、望と三崎は懸命に仲間の名を呼ぶ。

 そんな彼らの思いに応えるように、空の雲が晴れ、破れた屋根の隙間から廃工場に青白い月光が射しこんだ。

 

「水澤クン!」

 

 闇の中、上半身裸ながらも、見知った人影が露になる。数日前からずっと離れ離れになっていた、水澤悠だ。

 

「一緒に帰ろう! 僕たちはチームなんだから!」

 

 悠の姿を確認して、駆除班メンバーにほっとした雰囲気が流れる。それを代表するように、マモルはにこやかに微笑みながら悠に駆け寄った。

 

「……近寄るなよ、ニンゲンに飼いならされたペットの分際で」

 

 ――――――だが、それを迎える悠の態度は、あまりにも他人行儀で、冷徹なものであった。

 

「……水澤、クン?」

「お前はマモル。そっちのヒゲが三崎。女は高井。後ろのオヤジが志藤で、メガネが福田。大事な大事な、お友達ってな」

「おい悠何言ってる? 病気で頭がおかしくなったらしいってのはマジみてぇだな」

「吠えるな志藤。今は俺が話してるんだ。ちゃんと聞け」

 

 普段の大人しい性格はどこへ消えたのか、悠はまるで人が変わったような態度をとる。駆除班の面々が訝しげに見つめる中、悠は芝居がかった身振り手振りをしながら、朗々と語りだした。

 

「俺の名は<シルバースター>。ワケあって水澤悠に感染した、いわゆるウイルスってやつだ」

「ウイルスだと……!?」

「そう。<バグスターウイルス>って聞いたことはないか? ニンゲンに感染するように進化した、コンピュータウイルスさ」

 

 当然、駆除班の面々が〈バグスターウイルス〉の存在など知っているはずがない。だが、シルバースターと名乗るそれの言葉は、あまりにも堂々としすぎている。嘘やハッタリにしても荒唐無稽すぎだ。

 

「俺たち〈バグスター〉は人間に感染し、完全体になることを目的としている。……感染した宿主の消滅と引き換えにな」

「なッ……じゃあ、ぼっちゃまはもう」

「いや、弱っているだけでまだ消滅はしていない。この身体の主導権を俺に奪われて尚、コイツは抵抗し続けてるよ」

「……それが事実だとして。なぜ、そんなことをわざわざ俺たちに説明する?」

「水澤悠を完全に消滅させるため、こいつの免疫力を低下させる必要があってな。だから水澤悠には、強いストレスを感じてもらわなければならない」

 

 質問に答えているのかいないのか、曖昧な返事を返すシルバースター。その言葉の裏に志藤は得体の知れない危険を感じとり、部下たちへ武器を構えるようハンドサインを出した。

 

「コイツにとって大切なものを、目の前でぶち壊す。それが最も効率よくストレスを与える方法だ。さて、水澤悠の大切なものとは何だろうな?」

「美月お嬢様と……えっ、ひょっとして俺ら!?」

「なるほどね……それを聞いたら、ウチらはてめぇから逃げづらくなる」

「わざわざ回りくどい説明をしたのは、俺たちをここから逃がさない為か」

「察しがよくて助かるよ。……じゃあ、そろそろ狩りを始めようか?」

 

 そう言うと、シルバースターは全身から〈バグスターウイルス〉を噴出。やがてそれらのウイルスは彼を包み込み、次の瞬間、シルバースターは星のような模様を持った豹の<バグスター>へと変身を遂げた。

 

「そいつがてめぇの正体ってわけか……全員フル装備、狩り開始!」

 

 志藤の号令のもと、陣形を組んで駆除班がシルバースターに挑む。彼らとて<アマゾン>を倒してきた経験を持つプロの戦士たちだ。相手が何者だろうと、決して怯むことは無い。そんな彼らをニヤリと嘲笑いつつ、シルバースターもまた彼らに襲い掛かった。

 

「いくぞマモル! あたしが右、お前が左だ!」

「うん! うぁあああああッ!」

 

 先陣をきったのは〈モグラアマゾン〉に変身したマモル、そして望だ。訓練と経験によって完成された彼らのコンビネーション攻撃は、これまでにも数多くの<アマゾン>を屠って来た。しかしシルバースターは<バグスター>。通常の物理攻撃は、絶対に通用しない。望の蹴りも、マモルの爪も……シルバースターのデータの身体には傷一つ付けることはできない。

 

「健気だねぇ」

 

 懸命に戦う望とマモルを一蹴し、シルバースターがせせら笑う。本来、シルバースターのスピードなら望やマモルの攻撃など最初から掠りもしなかった。それでも敢えて攻撃を受けたのは、自分に攻撃が通用しないと分からせて、彼らを絶望に叩き落すためだ。

 

「なんだコイツ……ウチらの攻撃が、全然効かねぇ」

「さぁ次はこっちの番だ」

 

 言うや否や、シルバースターは本物の豹をも遥かに超えるスピードで、望目掛けて飛び掛かった。

 

「高井くんッ……!」

 

 あの速度で繰り出される攻撃をもし一発でも喰らえば、確実に望は死ぬ。マモルは咄嗟に望の前に飛び出して、彼女の盾となってシルバースターの攻撃を受け止めた。

 

「ぎゃぁああぁ――――――!」

「マモルッ!」

 

 突進で突き倒されたマモルの腕に、深々とシルバースターの牙が突き刺さる。その余りの激痛に、マモルは思わず絶叫した。

 そしてシルバースターはその悲鳴を楽しむように身を震わせると、マモルの腕をそのまま噛み千切るべく、首を激しく振りまわした。

 

「やめろテメェ!」

 

 横から望が蹴りつけ、後方から志藤たちが銃弾を撃ち込む。だがシルバースターのデータの身体には一切のダメージが通らず、当然マモルへの噛みつきを中断させることもできない。

 やがてシルバースターは無慈悲にもマモルの腕の骨を噛み砕き、今度は隣にいた望に襲い掛かった。

 

「女の肉はァ……どんな感触かな!?」

「ぐぁ、あうッ……あッ!」

 

 まるで弄ぶように、敢えて急所を外しつつ望の身体を爪で何度も切り裂く。おびただしい鮮血がそこかしこに飛び散り、鉄臭い血の匂いがたちこめていく。そしてその匂いによって、シルバースターは更に昂っていくのだ。

 

「ノンちゃん……!」

「何にもできねぇのかよ……!」

 

 妨害することも、割って入ることもできず、ただ望が傷ついていく様を見ていることしかできない……志藤らの心に、行き場の無い怒りと絶望がのしかかる。

 そして、遊びに飽きたシルバースターが望の喉笛を食いちぎろうとしたその瞬間―――

 

『BLOOD&WILD! w-w-w-WILD!』

 

 ―――志藤の背後から飛び出した赤い影が、シルバースターを弾き飛ばした。

 

「よう駆除班の皆さん。相も変わらずボロボロだな」

「鷹山……!」

 

 真っ赤な体に、刻み込まれた緑色の傷痕……見間違うはずもない。圧倒的な戦闘力で次々と<アマゾン>を狩る、謎の<赤いアマゾン>……鷹山仁である。

 

「どうやら<バグスター>が覚醒したらしいな……こうなる前に始末しちまいたかったんだが」

 

 やれやれと呟きながら敵に向かって歩を進める仁。しかし、シルバースターには仁の攻撃も効いてはいないのだ。そしてそのことを見せつけるように、シルバースターはわざと無防備な喉を晒しながら、高圧的に語り掛けた。

 

「お前は……鷹山仁か。お前を殺しても水澤悠のストレスにはならなさそうだが……遊んでやろう」

「傷つくこと言うなよー。……まぁ、遊んでもらえるぶんには願ったりかなったりだけどな」

 

 鮮やかな緑の双眸の奥に獰猛な笑みを浮かべると、仁はシルバースターへと飛び掛かっていった。




シルバースターの脳内CVは藤原啓治さんでお送りしております。


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第十一話 発進

 ―――あの夜のことを、今でも覚えている。

 

 患者の命を救うため、何もかも投げうち、俺は戦いに挑んだ。

 

 全身を蝕むプロトガシャットの副作用、衛生省の通告、進化した敵……リスクを数えればキリが無かったが、それでも患者の命がかかっていた。

 

 百瀬小姫。彼女は大切な恋人(ブレイブ)のことを懸命に想い、支えようとしていた。

 

 ……だが、俺は勝負に負けた。

 

 ズタボロになってCRに帰って来た俺を待っていたのは、誰もいなくなったベッドと、医師免許剥奪の通告だった。

 

 ―――そうして俺は、何もかもを失った。

 

 

 ※※※

 

 

「くっ……」

 

 その場に倒れ込み、荒く呼吸する大我。

 消耗しきった体力では、水路から這い上がるのが精いっぱいだった。

 

「はぁ……はぁ……ここまでかよ、畜生……」

 

 流水に晒され続けて冷え切った身体が、弱々しく震えている。そんな自分の無様が情けなくて、大我は拳を地面に叩きつけた。

 

「結局、俺はまた……!」

 

 自分では悠を……患者を救うことなどできないのか。ドクターではない自分には、これが限界なのか。

 

 消滅する前、最後に会った時の小姫の笑顔が脳裏をよぎる。守れなかった命への罪の意識が、鋭い茨となって大我の心を苦しめる。

 

 再びライダーになって、エグゼイドたちと出会って……何かが変わったような気がしていた。だがそれは祈りに過ぎなかった。

 今も自分は、あの頃のまま……。振り払うことのできない無力感が、大我の心と身体から、熱を奪っていく。

 

「……大我? 大我! おい、しっかりしろ!」

 

 ―――静かに瞼を閉じようとしていた大我の耳に、聞きなれた少女の声が聞こえる。

 朦朧とする意識の中、大我は声のした方を見上げた。

 

「……ニコ?」

 

 夜闇の中、少女……西馬ニコがこちらに駆け寄って来る。

 一直線に、脇目もふらず、ただ自分を助けるために。

 

「何があった? ひょっとして〈バグスター〉に?」

 

 迷わず大我の肩を担ぎながら、ニコが懸命に声をかけてくる。冷え切った大我の身体にまわされた彼女の細い腕から、その温もりが伝わって来る。

 ―――萎えかけていた心に、再び活力がみなぎっていくのを大我は感じた。

 

「……いいや、そうじゃない。……心配かけたな」

「無理しないでよ。あんたもうボロボロじゃん……!」

 

 弱々しく微笑む大我の顔を覗き込むようにして、ニコが悲痛な表情を浮かべる。しかし大我は、その頭にぽんと大きな手のひらを乗せた。

 

「こんなもん、どうってことねぇよ。身体の震えも収まった。……もう、大丈夫だ」

 

 ―――ついさっきまでの、自分の弱気に腹が立つ。

 そして何よりも、患者の命を諦めそうになった自分の弱さが……ニコをこんな顔にさせてしまった自分の弱さが許せなかった。

 どんなに無力でも、どんなに屈辱を味わっても……決して命を背負う責任を放り出すことは許されない。例え医師免許は無くとも、花家大我は患者の命を預かる〈仮面ライダー〉なのだ。

 自分が背負っているものの重さを深く深く認識し直し、大我は軋む身体に力を込めてゆっくりと立ち上がった。

 

「大我……」

「患者を探すぞ。時間が経ちすぎているからな……そろそろ〈バグスター〉が動き出してるかもしれねぇ」

「でも、そんな身体で無茶だよ。Mや〈ブレイブ〉にも声をかけたら……」

「いや。今回の患者は訳あり中の訳ありだ。下手すりゃあいつらの経歴にキズがつくことになる……」

 

 今の大我には、ニコの支えを借りてやっと歩ける程度の体力しかない。それが分かっていても、もうこれ以上ニコには大我を止められなかった。こうなった彼を止めることができないことは、近くで彼を見て来た彼女自身、嫌と言うほど理解していたからだ。

 

「……分かった。でも、死んじゃダメだからね」

「当たり前だ。……今度こそ、ぶっ潰してやる」

 

 よろよろとした足取りで歩む大我を横から支えながら、ニコは大我の手を、強く強く握りしめた。

 

 

 ※※※

 

 

「ヴアアァアアアァッ!!」

 

 野獣の咆哮と共に、傷だらけの身体を引きずって赤い〈アマゾン〉……鷹山仁がシルバースターに猛然と襲い掛かる。しかし仁の放つ蹴りも、拳も、シルバースターの身体には一切ダメージを与えられない。どんなに仁が鋭く重い攻撃を重ねても、物理的な原理原則が通じない〈バグスター〉には通用しない。何度試しても、それは揺るがない事実だ。

 

「何度繰り返せば気が済む……いい加減に諦めたらどうだ、鷹山ァ?」

 

 うんざりといった調子でシルバースターがぼやきつつ、体当たりで仁を突き飛ばす。バランスを崩して地べたに転がされると、仁が苦し気な呻き声をあげた。

 

「うグッ……やっぱ効かねぇかぁ。参ったな」

「大人しく俺に八つ裂きにされる決心はついたか?」

「あぁ……どうやら本格的にピンチみたいだしな……けどなア!」

 

 仁が吠えると同時に、シルバースターの真横の壁をぶち破り、駆除班の黒いバンが現れた。

 

「ぶつける気か!?」

 

 駆除班の思い切った行動に驚くシルバースター。だがそんな驚愕もお構いなしに、バンは更に加速する。反応が遅れたシルバースターは回避が間に合わず、そのままバンの突撃を全身にくらい、十数メートルの距離を吹き飛ばされた。

 

「うおぉおおぉ!」

 

 しかし駆除班の攻撃は止まらない。シルバースターの動きが止まった瞬間、待機していた三崎と志藤が周辺の壁や作業機械類に帯電ワイヤーを設置。高圧電流の流れる即席のリングを作り上げる。その中へ仁がすかさず飛び込み、起き上がろうとするシルバースターの顔面を鷲掴みにして容赦なくワイヤーへ押し付ける!

 

「クッ……こいつは痺れるね」

 

 たっぷり十秒、押し付けても依然効果なし。火花は派手に飛び散っているが、電撃もシルバースターには効かないようだ。やがて電撃を喰らうのにも飽きたのか、シルバースターは縄のような筋肉を浮かべて仁の腕を振り払うと、そのまま爪撃を仁の胸に刻み込んだ。

 

「くそったれ……正真正銘の化け物が!」

 

 あまりの不条理、あまりの絶望的状況に、思わず志藤が呻く。

 今まさに反撃を喰らった仁もまた、口にこそ出さないが、眼前の敵の常識はずれぶりに戦慄せざるを得なかった。

 

 爪の斬撃をくらって無意識に後退した仁を待っていたのは、自分たちが仕掛けたはずの帯電ワイヤートラップだった。迸る高圧電流が、今度は仁を焼き焦がす。

 しかし仁は強靭な精神力で以てこれを耐え、それどころかワイヤーをアームカッターで切断。喉元まで迫ったシルバースターの牙を、後ろに倒れ込みつつ紙一重で回避する。そしてその勢いのままシルバースターの顎を蹴り上げ、これを吹き飛ばした。

 

「大丈夫か鷹山!」

「まぁな。けど、電撃でもダメージが無いとなるともう打つ手無しか?」

「こんなんチートっしょ……」

 

 空中で一回転し、音もなく着地するシルバースターを睨みながら、三崎がぼやく。志藤も三崎の言葉に同感だと言いたげな面持ちで頷いた。そして仁もまた、口で言うほどに万全ではない。特に、先ほどの電撃で体中の感覚が軽いマヒ状態になっている。バンの福田も、その後ろで戦いを見守る望もマモルも、皆敗北ムードに呑まれつつあった。

 

 ―――だが、そんな空気を切り裂いて飛ぶ、一艘の小さな軍艦が現れた。

 

『I ready for Battleship!』

「なッ……なんじゃこりゃあ!?」

 

 勇壮なサウンドと共に現れたその空飛ぶ軍艦は、三崎の驚愕もよそにシルバースターめがけて砲撃を開始する。するとシルバースターは、忌々しげに舌打ちするとともに、戦闘開始以来初めて積極的に攻撃を回避した。

 

「避けた……!? あの軍艦なら、攻撃が効くってことかよ」

 

 望の呟きは、まさに核心を突いている。あの軍艦は、無敵と思われたシルバースターに通用する何かを秘めているのだ。駆除班員らの表情に、自然と希望が射しこんでくる

 そして彼らの注目は、砲撃を終えた軍艦……〈シュミレーションゲーマ〉から、それを操る白髪交じりの青年へと向けられていった。



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第十二話 狩人

 廃工場に現れた、一人の青年。白髪交じりの前髪から覗く彼の双眸には、強い意志が揺らめいている。

 突然現れた軍艦を操り、自分たちがまるで歯が立たなかったシルバースターを怯ませたその青年に対し、駆除班の面々はそれぞれ、期待や警戒の眼差しを向ける。そして仁もまた、彼の存在に勝機を見出し、心の中でにやりと笑った。

 

「貴様……仮面ライダーか」

 

 喉の奥をグルル、と唸らせ威嚇しながら、シルバースターが青年を睨みつける。すると青年の背後から、ひょっこり少女が顔を出し、シルバースターに向かってあっかんべえをした。

 

「ニコ、こいつがどういう奴か知ってるか?」

「もちろん。こいつは<ナイトオブサファリ>に出て来る、シルバースターっていう人食いジャガーだよ。……まぁ、元々こんな流暢に喋ったりするキャラじゃなかったはずけど」

「感染した宿主の影響だろう。……まぁ、どうでもいい。言葉が通じようが通じまいが、結果は決まってる」

「結果だと……?」

「ケッ。所詮はケダモノか……言葉は分かっても、その意図は汲めねぇらしい」

「なんだと!?」

「てめぇはこれから俺がぶっ潰すって言ってるんだよ。―――第伍拾戦術、変身」

 

 宣言と共に、青年―――花家大我は<ガシャットギアデュアルβ>を起動。<ゲーマドライバー>のスロットに挿入しドライバーのレバーを開放すると、瞬く間に廃工場が特殊空間(ゲームエリア)に飲み込まれていく。そしてホログラムが大我の周囲を回転し始めると、大我はその中の一つを指鉄砲の仕草で選択。瞬く間にホログラムが大我の身体を透過して、彼の身体を<仮面ライダースナイプ レベル2〉の姿へ変身させる。そしてそこへ軍艦<シミュレーションゲーマ>が変形しながら合体し、<スナイプ>はレベル50……<シミュレーションゲーマー>へとレベルアップを遂げた。

 

『スクランブルだ! 出撃発進! バンバンシミュレーションズ! 発進!!』

 

 レベルアップした<スナイプ>はまさに、全身火薬庫と形容できるほどの重武装に身を包んでいる。両肩に装備された計四基の<スクランブルガンユニット>はもちろん、両腕の手法ユニット<オーラブラストキャノン>の比類なき火力は、間違いなくシルバースターに致命的なダメージを与えられるだろう。だが、その火力をこのまま解き放てば、この廃工場や周囲の人間をもろとも吹き飛ばしてしまう。この状況を打開すべく、大我は背後のニコを振り返って指示を出した。

 

「ニコ、領域選択(ステージセレクト)を頼む。この手じゃスイッチを操作できん」

「不便だよねそれ……はいはいっと」

 

 両手を<オーラブーストキャノン>で覆われている今の大我では、細かい操作ができない。ニコにスイッチの入力をしてもらいつつ、大我は改めて仮想領域(ゲームステージ)を展開した。

 

「うっ……!?」

 

 突然広がっていく光に、思わずシルバースターが目を覆う。そして光が晴れると、そこは見渡す限り無人の荒野だった。ここにいるのは大我、シルバースター、そして仁だけだ。

 

「えっ、何で俺まで?」

「逃げ回られたんじゃ照準が定まらねぇからな。てめぇは囮役だ」

「……ハッハッハッハ! いいぜ、今回はお前のゲームに付き合ってやるよ」

 

 ぶっきらぼうに答える大我の言葉に思わず吹き出しつつ、構えをとる仁。それを視界の端に捉えつつ、大我も全身に備えた火器群の照準をシルバースターへ定める。

 

「ふざけるなよ貴様ら……俺は偉大なるジャングルの王者だ! 舐めるなよ……!」

「能書きはいいからかかってこいよ。消し炭も残さずぶっ飛ばしてやるぜ」

「グワァアアアア!!!」

 

 挑発に激昂し、シルバースターが襲い掛かる。大我はこれを砲撃で迎え撃つが、シルバースターは恐るべき敏捷性でこれを縫うように回避しつつ迫る。

 だが、そんなシルバースターの動きを先読みした仁がこれを阻み、弾き返す!

 

「邪魔をしやがってェ……!」

「さんざんじゃれ合ったからなァ……もうお前の動きは先の先まで読めるんだよ」

 

 どんなにシルバースターが圧倒的な敏捷性を誇れども、動きが予測されている以上、攻撃にしろ回避しろ仁が一歩先を行く。そして仁の動きにけん制されて身動きがとれなくなったところを狙って、大我がすかさず砲撃を加えていく。当然、仁はそれに巻き込まれるようなヘマは犯さない。一度は激突した二人ではあったが、事ここに至ってそのコンビネーションは完璧であった。

 

「グルルル……こんな、こんなバカなことが……!」

 

 ここに来てその動きの全てを完封されたシルバースターの精神的動揺は大きい。なまじ知能を獲得してしまったことが、彼に尊大なプライドと、それを突き崩された時の脆さを与えてしまったのだ。そしてそんな弱点につけこむように、仁の格闘が、大我の砲撃が、シルバースターを追い立てていく。――――――もはや趨勢は完全に決した。

 

「くたばりやがれ……ケダモノ野郎」

 

 ドライバーのレバーを操作し、エネルギーを全身の火器に充填していく。必殺技の発動準備だ。度重なる砲撃を喰らい続けたシルバースターに、もはやこれを回避するだけの体力など残されてはいない。

 

「ニンゲン如きにこの俺が……くそったれがあぁあァアアアアアアアア!!」

『BANG BANG CRITICAL FIRE!』

 

 屈辱のあまり絶叫するシルバースターめがけて、大我の身にまとう全砲が一斉に火を噴く。荒れ果てた荒野に巨大な爆炎が巻き起こり、シルバースターは大我の宣言通り消し炭も残さず吹き飛ばされた。

 

『GAME CLEAR!』

 

 電子音のファンファーレと共に、仮想領域(ゲームステージ)が消失。元居た廃工場に、仁と大我……そして、ぐったりとした様子の水澤悠が現れる。

 

「悠!」

 

 待っていた駆除班の面々が、倒れ伏す悠のもとへ駆け寄り声をかける。意識を失った彼から返事は無かったが、規則正しい寝息が、彼の回復を無言のうちに告げていた。

 

「よかった……治ったんだね、水澤クン!」

「ったく、手間かけさせやがって……」

 

 マモルが泣いて喜びながら、意識の無い悠に飛びつく。その隣で悪態をつく望も、その口元には優しい笑みが浮かんでいた。

 

「……あんたらに、礼を言わなくっちゃならねぇな」

「俺は野座間製薬に依頼されただけだ。……気にしなくていい」

「そうか……ま、ありがとな」

 

 頭を下げる志藤に、ぶっきらぼうに応対する大我。すると志藤もまた何かを察し、やれやれとため息をついた。

 そうして状況が落ち着くと、ここから撤収すべく三崎が悠を背負ってバンへと向かって行った。他の班員も、それを支えるようにして付き添う。これから彼は野座間製薬での検査を経た後、また彼らと共に戦う日々へ戻っていくのだろう。

 

「良かったのかよ、あいつを見送って」

 

 変身を解除した大我が、仁を睨みながら問いかける。悠を殺すと宣言したあの言葉が、大我には嘘とは思えなかった。

 

「ああ……ま、元々アイツは積極的に殺さなきゃいけないほど危険度は高くない。泳がせておいた方が好都合だしな」

 

 〈アマゾンズドライバー〉を外して変身を解除した仁が、口元に笑みを浮かべながら大我の問いかけに応じる。だがその笑みとは裏腹に、瞳はあまりにも獰猛な光を湛えていた。

 

「……って、あんたさっきのホームレス!?」

「おう、また会ったな。……てか、お前のツレかよそのガキンチョ」

 

 だが、ニコの登場で獰猛な光は引っ込み、後にはただの男だけが残る。

 

「……まぁな」

「年下の恋人ってのは、年上だと思って接すると上手くいくぜ。……ま、俺も七羽さんとは今ケンカ中だけどさ」

「……お前の恋愛事情は知ったこっちゃねぇが、コイツと俺はそういう関係じゃない」

「そうそう。患者と主治医の関係だから」

「ま、忠告はしたぜ。……じゃあな」

 

 それだけ言い残すと、仁は気だるげに手をひらひら振って大我とニコに背を向けた。シルバースターから受けた傷が痛むのかその足取りはおぼつかないが、去っていく彼の背中が、大我には「心配無用」と語っているような気がした。

 

「……じゃあ、あたしたちも帰ろ」

「……そうだな」

 

 傷が痛むのは、大我とて同じこと。大我はニコの肩を借りつつ、その場から歩みだす。

 廃工場の破れた屋根の隙間から射す月光が、寄り添う二人の影を作り出していた。



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最終話 哀歌

 ―――水槽の底で、溺れる魚の夢を見た。悲鳴ひとつあげられぬままもがき、苦しみ、沈んでいくのが、たまらない恐怖だった。

 この孤独が、恐怖が、凍えるような寒さが死ぬということか、と悠はその時思った。

 

 だが、悠は今もこうして生きている。

 術後、生来の回復力で瞬く間に復調した彼は、今日から駆除班の仲間たちとの共同生活に戻る許可を貰うことができた。

 

「本当にありがとうございました、花家先生」

「報酬に見合う仕事をしたまでだ」

 

 ぶっきらぼうな言葉ではあるが、それゆえに信じられるし、彼なりの人間味を感じることができる。この野座間製薬でここしばらく息の詰まる思いをしていた悠にとって、大我という人物の持つキャラクターはある意味で癒しであった。こういう乱暴な中に気遣いがあるところは、志藤に似ているかもしれない。

 

「いえ……本当に感謝してるんです。<アマゾン>の僕なんかのために……」

 

 だからだろうか。口をついて出て来たのは、なぜ自分などを助けてくれたのかという、とても卑屈な問いかけだった。

 

「……俺の仕事は患者を治すことだ。理由は他に必要か?」

「……いえ、でも」

 

 単純明快な大我の答えに、思わず口ごもる悠。その胸の内には、未だ答えの見えない問いが眠っている。

 

「僕は……分からないんです。命を救われたことを、素直に喜んでいいのか。いつか誰かを食べてしまうかもしれない……そんな自分が、こうして生き延びて良かったのか」

「さあな。後はお前の人生だ」

「……しっかり、線引きされてるんですね」

「冷たいって言いてぇのか?」

「いえ、そういうわけじゃ」

 

 簡易診察室に、気まずい沈黙が流れる。そんな雰囲気に悠は思わず、項垂れながら唇をかみしめた。

 

「―――ま、線引きっていうのは必要だろう。それを自分で決めるのか、いわゆる『正義』って奴にゆだねるのかは別にしてもな」

 

 だが、そんな悠を慰めるように、大我がどこか穏やかな口調で語り掛ける。それは、悠を救うかどうかで葛藤し、己の線引きを再び見つめなおした大我なりの、今回の反省でもあった。

 

「……線引き、ですか」

「別に難しいことじゃない。今の自分が大切で、失いたくないものを守ればそれでいい」

 

 ―――水澤家で飼われていた頃は、あの小さな水槽の中だけが自分の全てだった。美月、そして母親。全てが管理され、整えられてはいたが、あそこには未来も可能性も無かった。生きている実感さえも、無かったように思う。

 けれど、今は違う。明日の我が身すら知れない、不確定な日々ではあるが、今の悠には共に戦うかけがえのない仲間がいる。大切で、失いたくないものがあるとすれば、それは彼らとの絆かもしれない。

 

「……僕は、みんなを……守りたい。……です」

 

 自分の心を確かめるように、悠がつぶやく。大我はそんな彼を横目で見つつ、感情の読めない顔で「そうか」とだけ呟いた。

 

 

 ※※※

 

 

 ―――なーなーはさんっ。

 

 ビル街の中に埋もれたその小さな家の玄関の前で、仁はいつものように家主の名を呼ぼうとした。

 だが、心の中で何度その名を繰り返しても、仁がその名を口にすることはできなかった。……その名を口にする勇気が、湧いてこないのだ。

 

 ……なぜ、自分は彼女の元へ帰って来てしまったのか。自分と共に生きることは彼女にとって不幸でしかないと知りながら、なぜノコノコとここに来た。

 あてもなく街を彷徨いながら<アマゾン>を狩る、そういう生活もできないわけではない。季節の変わり目で、天候もぐずついてはいるが、屋根くらいどこででも見つけられる。食料だって自給自足は可能だ。……なのにどうして、彼女に縋るような真似をする?

 

「……かっこわりぃなあ」

 

 人間を守るため、我が子同然の<アマゾン>たちを一匹残らず殲滅する。そのために人間を捨て去り、己の命もなげうつ覚悟を決めたはずだ。

 だがそれでも、己の弱さが、孤独への恐怖が、未だ心の中に根付いている。心のどこかで、救いを求めている。

 

「……断ち切らなきゃな。いい加減に」

 

 玄関のインターフォンに伸ばしかけた右手をぎゅっと握りしめると、仁は踵を返して歩き始めた。

 これ以上は彼女を巻き込めない。独りで戦い、そして死ぬ。それだけが、鷹山仁に許された運命なのだから。

 

 足取りは重いが、それでも進む。一歩、二歩、三歩……崩れそうになる心を必死に繋ぎ止めながら、なおも歩みを続ける。

 

「―――仁?」

 

 ……そうしてやっと曲がり角までやって来たところで、仁はばったりと七羽と出くわした。

 

「あれ……七羽さん」

 

 ほとんど無意識に、掠れた声で彼女の名を呼ぶ。

 すると七羽は、一瞬の沈黙の後、仁の元へ駆け寄ってその胸に飛び込んだ。

 

「え、と……」

「おかえり」

 

 力いっぱい仁を抱きしめながら、震える声で七羽が囁いた。フォークロアファッションの隙間から覗く白い肌に、ほのかに朱がさしている。

 そんな彼女の温もりを確かに感じ取りながら、仁は反射的に開いた両腕を、しばし持て余した後ゆっくりと七羽の肩に乗せた。

 この道の先に待つのは哀しみだけだと分かっている。だとしても……きっと彼女無しでは、いられないから。

 

「―――ただいま」

 

 

 ※※※

 

 

「それで今日は、こぉんなご馳走ってワケ?」

「報酬をたんまり貰ったからな……たまにはこういうのもいいだろ」

 

 野座間製薬から相当量の治療費を分捕った大我だったが、元々彼は金に執着するタイプの人間ではない。そこで考えたのが、ニコを伴っての高級ステーキハウスでの外食だった。

 二人がじっと見守る中、鉄板の上で血の滴るようなレアステーキがじゅうじゅうと音を立てて焼けている。そのかぐわしい香りに、ニコはたまらず恍惚の表情を浮かべた。

 

「ったく、獰猛なツラだな」

「あったりまえでしょー! こんなお肉、美味しく頂かなくちゃ損でしょ! いっただきまーす」

「あっバカお前、そういうのはちゃんとナイフで……!」

 

 フォークで肉を串刺しにして、まるごとかぶりつこうとするニコを止めようと、大我が思わず身を乗り出す。

 そんな大我の真面目さに、ニコは満面の笑みを浮かべるのだった。

 

 ―――今の自分が大切で、失いたくないもの。

 悠に言った自分の言葉が、跳ね返って来て心の中に反響した。



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