重ねたキズナと巡る世界 (唯の厨二好き)
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リリカルなのは古代ベルカ編
プロローグ


初めて小説を書きます。
拙い文章ではありますが、楽しんで頂ければ幸いです。

この小説は、笑顔動画のMMDとSSにはまった作者の妄想を具現化したものです。
この作品にこのキャラが居たら、あの技で乗り切ったら、楽しいだろうなという気持ちは読者の皆さんも一度ならず思ったことでしょう。
この小説で、作者のそんな気持ちを共感して頂けたら嬉しく思います。

文章構成や表現方法にアドバイス・批判があればお願いします。
もっとも、あくまで作者の妄想なので、ストーリー展開やキャラ設定に対する批判は受け付けておりません。ご了承下さい。

最初から少しシリアスで重いかもしれませんが、頑張って続きを書いていきますので生暖かい目で宜しくお願いします。


 斎藤伊織は不幸体質である。

 

 外を歩けば、大抵、自動車が突っ込んでくるし、頭上から致命的な何かが落ちてくる。住宅地だろうが街中だろうが、野犬だのカラスだのは追いかけてくるし、店に入れば強盗に遭い襲われる。

 

 生まれたときからそうだったわけではない。理由は分からないが、5歳を過ぎた頃から、徐々に不幸な出来事に襲われるようになり、年を重ねるごとに酷くなったのだ。まるで、世界が、「いい加減に、死ね」とでも言っているかのようだった。

 

 それでも、15年生き抜き中学の卒業を迎えられたのは、ひとえに両親のおかげだろう。息子のありえないほどの不幸体質に放り出すことも怯えることもなく、文字通り身命をとして守り続けてきたのだ。

 

 伊織自身、両親の深い愛情を一身に受け、死の恐怖に晒されながらも必死に生き足掻き、卑屈になることも絶望することもなく真っ直ぐに育った。(まぁ、若干、いやかなりのインドア派になったのはこの際、仕方ない。外は危険でいっぱいなのだ。だから、大好きな笑顔動画でニヨニヨしていても仕方ないのだ。)

 

 そして、そんな日々を経て、今日、中学の卒業と高校の入学を祝って、家族パーティーをするはずだった。

 

 そう、するはずだったのだ……

 

 伊織の体が、突如、自宅のリビングに突っ込んできたトラックに押し潰されてさえいなければ。

 

「……あっけねぇなぁ~。浮かれて油断しすぎたか……ゴフッ……でも、住宅地でトラックが突っ込んでくるとか……ありえねぇ~、ゲホッゲホッ……そんなに俺を殺したいのか……って今更か……」

 

 伊織は腹部から下を押し潰されながら、苦笑いを浮かべた。

 

 覚悟はあったのだ。自分は長くは生きられないだろうと。

 

 それでも、いずれやってくるだろう最期の時には「自分は精一杯生きたのだ」と、憎たらしい世界に対して笑ってやると決めていたのだ。

 

 たとえ、世界が押し付けた不幸体質でも、自分は決して不幸ではなかった、お前の思い通りになんてなってやらない、俺や、俺を大切に想ってくれた人達の「勝ちだ!」と。

 

「……でも、まぁ、母さん達……泣くだろうなぁ……」

 

 徐々に遠のく意識の中、この惨状を見て深い傷を負うであろう両親が、どうか立ち直れますように、自分がいなくなった後もちゃんと幸せを感じられますようにと、祈る相手など持たない伊織だが、そう願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 伊織は、気がつけば、何処とも知れない場所にいた。いや、そこを場所といっていいのか。伊織のいるそこは、ひたすら静かで、真っ暗闇のはずなのに、どこまでも見通せそうな気がする不思議な場所だった。

 

 伊織は、しばらく呆然とした後、

 

「……どこだここは? ……俺は死んだはずじゃ? ……あ~もしかしてあの世とか?」

 

 と、呟いた。返事を期待して口に出したわけではなかったが、思い掛けず、応える声があった。

 

「ああ、確かに君は死んだ。それは事実だ。ここは……そうだな、次の生へと向かう途中の場所。生と生の狭間の空間といったところだ」

 

 その声に、思わずビクッとなった伊織であったが、伊達に何年も致死級の突発的不幸を回避してきたわけじゃない。すぐに冷静になり、声の主を探した。

 

 そうすると、伊織の前で、光が集まり、やがて40代くらいの男性が現れた。なかなかに貫禄のあるダンディーなおっさんだった。

 

「あなたは?」

 

 伊織は端的にそう尋ねた。

 

「ふふ、流石だ。この異常事態を前に実に冷静だ。長年培った精神力は伊達じゃないな。……私のことは、アランとでも呼んでくれ。私がどういう存在か、君がなぜここに居るのか、全部説明させてもらう」

 

 そう言って、アランと名乗った男は、どこか楽しげな、それでいて優しげな表情で伊織を見つめた。

 

 伊織としては、「まぁ、俺ってすでに死んでるし、今更慌ててもなぁ~」という投げやりとも開き直りとも言える心情だったので、アランの「状況を打開するために冷静さを心がけている」という伊織に対する評価は、なんとも微妙だった。

 

「まず、私が何者かということだが、君たち人間より高次の存在で、いわば観察者のような者と思ってくれればいい。そしてこの場所は、先ほど言ったように生と生の狭間の空間だ。君が死に、次の生へと向かう途中で捕まえたんだ。君と話をしたくて」

 

 伊織は、アランの言葉を咀嚼し、自分なり解釈して確認した。

 

「本当に転生なんてあるのか……つまり、アランさんは神様ってことですか?」

 

 言葉遣いを改めた伊織に、アランは苦笑いをし、

 

「まさか、君達人間が想像するような神様などではないさ。言っただろう? ただの観察者だと。例えるなら、本を読む君と同じだ。物語の登場人物からすれば神に見えるかもしれないが……君は仮に物語の人物に出会ったとして、自分は神だって名乗るか?」

 

 と、聞き返した。

 

「いやいや、何その痛い人。言いませんよ。……なるほど、だから観察者か。……それで、本題は何でしょう。転生が人間にとって当たり前なら、自分が特別というわけではないないはず、なぜ自分を?」

 

 伊織は、半ばその答えを予測しながら、アランに尋ねた。

 

「ああ、それは君の不幸体質に関係する」

 

 案の定である。伊織は、自分たち家族を苦しめた元凶を知れるかもしれないと、表情を険しくした。

 

 アランは、それに頷き、

 

「君の不幸体質。それは、私の同族がしたことが原因だ」

「それは?」

 

 溢れ出そうになる激情を必死に抑えつけながら、アランの言葉を待つ。

 

「……はじまりは、私の同族の一人が、君の世界のとある人間に興味を持ったことだ。その興味は、やがて執着に変わり、彼は、その人間を幸福にしたいと考えた。しかし、我々が、世界に干渉することはルール違反……重罪だ。当然その監視も厳しくしている。彼がその人間の幸運を無理やり上げるような干渉を行えば、事は直ぐに露見しただろう。そうすれば、彼は拘束され、その人間を見守れなくなる。そこで、彼は考えた。外から干渉することが目立つなら、中の人間の幸運を横流しすればいいじゃない、と」

 

「いや、そんな、どこぞのアントワネットさんみたいなこと……」

 

 伊織は思わずツッコミを入れてしまった。今まで、自分の不幸体質について、「何者かの悪意があるのでは」、と考えたことはあっても、「誰かの幸福のため」とは考えもしなかった。それ故、アランの説明を聞いて、伊織の心中は複雑なものとなっていた。

 

 確かに、自分たち家族が受けた苦しみを思い出せば、到底許せることではない。それでも、誰かの幸福を願い行動した結果と言われると、悪し様に罵ることなどできない程度には、伊織はお人好しに育てられていた。

 

「……それで、そいつどこにいるんです?」

 

 罵ることができるかは微妙だが、文句の一つでも言ってやらねば気がすまない。自分が死んだことに変わりはなく、責めにくくとも、許せないことに変わりはないのだ。そのため、伊織は、アランにその彼とやらの所在を聞いた。

 

「彼は、すでに裁かれている。……君からすれば、勝手なことをと思うだろうが、君が我々のルールに干渉するすべはない。……すまない。同族に代わり謝罪する」

 

 アランはそう言って、深々と頭を下げた。伊織は、しばらくその様子を見つめると、ゆっくりと深呼吸をし、未だ頭を下げ続けるアランに対して話しかけた。

 

「あなたの謝意は確かに受け取りました。でも、あなたに謝ってもらっても意味がないんだ。ソイツを許すことは絶対できない。ソイツのしたことは、ただ俺を殺しただけじゃない。父さん達から、俺という息子を奪ったんだ。あんなに必死で守ってくれたのに、もうすぐ高校入学だってあんなに喜んでくれたのに、最後にひどい光景を見せることになった。いったいどれだけ傷ついたか……」

 

「ああ、分かっている。謝って済む問題ではない。結果は既に出ているのだ。君の死という最悪の形でな。故に、私は、転生する前に君を捕まえた。過去でなく、これからの君の力になるために」

 

 神妙な表情をしてそう語るアランに、伊織は訝しげな表情で聞き返した。

 

「これからの俺?」

 

「そうだ。通常、魂は新たな肉体に宿る際、同様に新たなものとなる。いうなれば、リセットだな。だが、君が望むなら、記憶が残るよう君の魂に干渉することができる。他にもある程度の便宜は図れる。例えば、天才にして欲しいとか、運を常時最高にしてほしいとか……」

 

 伊織は、それを聞いて驚愕した。

 

「いやいやいや、ちょ、ちょっと待って下さい。そりゃ、そうしてもらえるなら嬉しいですけど、さっきアランさん達が人間に干渉するのは重罪だって……」

 

「ああ、その通りだ。だから、できれば、あまり大きな願いは遠慮しもらえると……いや、それでは半端だな。根性を見せろ、私! 私は、できる男だ! 犯罪がなんだ!! ルールがなんだ!! 取締官なんて怖くないっ! なんとかなるさ、きっと、たぶん……そうだとイイなぁ……」

 

 突然叫びだしたかと思えば、遠くを見だしたアラン。やはり、やろうとしていることは相当まずいらしい。なにやら必死に自分を鼓舞している。さっきまでの威厳に満ちた姿は欠片もなかった。

 

「えっ、それが素なの? てか、犯罪はダメでしょう! 取締官って何です!・・・何か敬語使ってた自分が馬鹿みたいなんだけど……ていうか、なぜそこまでしてくれるんです?本来、あなたには関係ないことでしょう?」

 

 伊織の言葉に「ハッ!」正気を取り戻したアランは、「ゴホンッ」と咳払いし、威厳を取り戻す。まぁ、今更遅い気もするが……

 

「なぜ、か。そうだな、同族の犯した罪の謝罪と償いというのは嘘ではないが、確かに、それほど私に関係のあるとではない。一番の理由は、……私が君のファンだからだよ」

 

 そう言ったアランは、最初に見せたときと同じ、楽しげで優しげな表情をした。

 

「は? ファン? いったいどういう意味です?」

 

「そのままの意味だ。彼の干渉が発覚した後、彼が裁かれる過程で、私は君の生前を見る機会があってな。……久しぶりに魂が震えたよ。感動だった。君の両親の愛情深さ、家族の絆ももちろん感動ものだったが、何より、君の生きようと足掻く姿が。重傷を負おうが、生き埋めになろうが、誰に何と罵られようが、自分のためだけでなく、自分を想う誰かの為に生きようとする強い意思、そして、一つ不幸を乗り切るたびに成長していく判断力・精神力。私が、君の立場なら、干渉を受けたその日に死んでいる自信がある」

 

「いや、そんなことに自信持たれても……」

 

 半ば照れ隠しでツッコミを入れながらも、伊織は、くすぐったい気持ちを感じずにはいられなかった。伊織の不幸体質を知った人は、大抵関わらないようにしているだけだったが、中には「お前は呪われている!」「誰かを巻き込む前に死ぬべきだ!」などと罵ってくる人達もいたのだ。

 

 その度に、両親は気にするなと庇い慰めてくれていたが、その両親も、息子のことで心無い誹謗中傷を受けていたことを伊織は知っている。

 

 生きる努力をしてきたことを純粋に称賛されたことなどなかった。それ故に、アランの言葉は今までの自分達家族が認められたようでうれしかったのだ。

 

「そういうわけでな、私は君に何かしたいのだ。何、私のことは気にすることはない。重罪とされるのは、干渉することにより世界そのものに影響を及ぼすことだ。干渉自体が重罪なのではない。まして、転生後ならともかく、転生前に多少、個人の魂に干渉するくらいどうということはない。それでも、気になるなら私のわがままを聞くとでも思ってくれ。君だって、自分の好きな物語の登場人物と会うことができで、自分も彼らの力になれると思えば嬉しく感じるものだろう?」

 

「……まぁ、だからって警察のお世話になりたいとは思いませんけどね」

 

 伊織はそう言って、苦笑いをした。

 

 罪は軽いアランはと言うが、言うほど軽くはない気がする。きっと、それなりの何らかの罰を受けるだろう。正直、心苦しくはある。生前、伊織は、自らの不幸体質に他者を巻き込まないことを常に心掛けてきた。その生き方は、既に伊織の性分となっている。

 

 しかし、今、目の前にいるアランに、その性分を貫くことが果たして正しいのか。

 

 彼の表情は、心から伊織のために何かしたいと訴えている。おそらくだが、彼はまだ何か、伊織の力になりたいという動機で隠していることがあるのではないだろうか。

 

 一応筋は通っているようだが、どこかまだ釈然としないものを感じていたため、伊織は、そう推察していたが、軽く頭を振ってその考えを追い出した。そして、アランの申し出を受けることにした。なぜなら、生前、伊織の母親が「人の心からの好意は、つべこべ言わず精一杯受けておきなさい。それで、伊織も精一杯の好意で返しなさい」と言っていたのを思い出したからだ。

 

 伊織は、既にアランの好意を信じられるくらいには、彼の人となりを気に入っていた。

 

「わかりました。あなたの好意、ありがたく受け取らせてもらいます」

「そうか。よかった。……では、早速だが、記憶は残すとして、他に願いはあるか?」

 

 アランは嬉しそうに頬を緩め、願いを聞いた。伊織を少し考えた後、

 

「じゃあ、音楽の才能を貰えますか?」

 

 と、聞いた。アランは意外そうな表情をし、

 

「音楽の才能? それでいいのか? もっとこう、空前絶後の天才とか、軽く人外な身体能力とか、魔王も恐れる魔力とかはいらないのか? まぁ、私としては、干渉が小さくて済むから助かるが……」

 

 と、ツッコミ所満載な返答をした。

 

「いやいや、何ですかそれ! そんな化物みたい人間なりたくありませんよ! トラブルの匂いプンプンじゃないですか! ……ていうか、魔力? 魔力ってなんです?」

 

「むっ、それもそうか。何事もほどよくが一番か。わかった、音楽の才能を持つようにしておこう。それと、魔力のことだが……まぁ、ぶっちゃけリンカーコアのことなんだが……」

 

 リンカーコアという用語に非常に聞き覚えがある伊織は、すかさず突っ込んだ。伊達にインドア派ではないのだ。

 

「リリなのでしょ! 次の転生先、確実にリリなのでしょ! ヘタしたら、地球ごと滅ぶような死亡フラグ満載の世界じゃん! えっ? なに? アランさん、実は俺に止め刺しにかかってる?」

 

「ちなみに、古代ベルカ王朝時代だ」

 

「滅ぶの確定じゃねぇか! 血で血を洗う戦争の只中だよ! やっぱ、本当は殺しにかかってんだろ? そうなんだろ!?」

 

 アランは伊織の全力のツッコミに、困ったように笑いながら誤解だと説明した。

 

「最初にも言ったが、私は、転生途中の君を捕まえただけで、私が転生先を選ぶわけじゃない。誤解だよ。だから言っただろう。人外レベルの才能はいかが?って。どうする? やっぱり、戦闘力重視の才能にしとくか?」

 

 伊織は、アランの説明に一応納得しながら、死んでなお不幸体質じゃなかろうな? と内心恐れ戦いていた。

 

 アランはそれを察したのか「もう不幸体質じゃないから、安心しろ」と言ったが、伊織は「じゃあ、リアルラックが低いんじゃ……」と、今度は落ち込んだ。

 

 持ち前の精神力で何とか気を持ち直し、しばらく考えた後、伊織は、やはり音楽の才能でよいことを告げた。

 

 不思議そうな表情をするアランに、伊織は、

 

「いや、そういう世界だからこそ、強大な力は余計な火種になると思って。古代ベルカ時代のことはほとんど知らないけど、戦争が起こることで滅ぶことがわかっているなら、手の届く人達くらい自分でどうにかします。今まで、不幸体質でもどうにかしてきたんだ。それがないのに、最初から頼りっぱなしじゃ斎藤家長男斎藤伊織の名が廃る」

 

 そう言って、不敵な笑顔を浮かべた。

 

 その表情は、アランが幾度となく見た、逆境の時に見せる彼の一番気に入っている表情だ。「逆境のときほど笑え、それがどうしたと笑い飛ばせ!」とは、伊織の父親の言葉である。

 

 その心意気を確かに受け継いでいる伊織の笑顔は、アランの魂を震わせる。アランは人の強さに感動しているのだ。

 

「そうだな、君ならそう言うだろうな。……だが、なぜ音楽の才能なのだ?」

 

「いや、そんな大した理由があるわけではないんです。ただ、音楽はどんな世界でも通用する力でしょう? 癒すことも不快にさせることもできる……、後は、まぁぶっちゃけ、笑顔動画が趣味なんで、転生後の世界でも普及させたいなぁ~と。音楽の才能あれば、便利そうだし……」

 

「なるほど……そういえば死んだ時も笑顔動画見てニヤニヤしていたな。それに確か再生数ミリオンをいくつも叩き出し、神扱いされていたんだったな」

 

 アランは納得したように頷いた。

 

「いや、そんなことまで何で知って……いいけどさ……」

 

 だんだん、アランに対する敬意が薄れていく伊織。半眼でアランを見ていると、その視線に気づいたアランが「んんっ」と咳払いし、改めて聞いた。

 

「音楽の才能は問題ない。転生後も存分に楽しんでくれ。……しかし、これだけでは、少々簡単すぎる。他にはないか?」

 

 どうやら、もっとすごい願いを言われるだろうと心構えしてきたのに、拍子抜けするような簡単な願いだったため、アランとしては満足できないらしい。

 

 しかし、実際に、伊織に望むものなどほとんどなく、どうしたものかと頭を捻る。

 

「……アランさん。転生先が古代ベルカ時代なら、ユニゾンデバイスも製造していたりするんだろうか?」

 

 と、唐突に伊織は尋ねた。不思議そうな顔をしながらアランは答えた。

 

「ああ。確かにそのようなものを製造しているようだな」

 

「だったら、ボーカロイド、具体的にはミクとかもらえません? ボカロのない世界で、ボカロが欲しいというのは干渉の強さ的に無理そうだけど、ユニゾンデバイスという形でならそんなに大きな干渉にならずに済む気がするんですが」

 

 アランは、その要望に目をまるくした後、顎に手をやり考える素振りを見せた。

 

「確かに……そういう形でなら、……君の魂には記憶が固定化されるから、リンカーコアを移植する過程で、干渉し、魂の欠片を同時に移植すれば、君の認識上の人格をもって生まれることは可能だな。しかも、それなら、干渉も最小限で済む。うむ、問題ない。音楽のためにボーカロイドが欲しいなら、ついでにもう何体か可能だが、どうする?」

 

「おお! 生ボカロに会える! やべっ、めっちゃ嬉しいな~。どうせなら全員! と言いたいところだけど、一人でユニゾンデバイス何機も持ってたら、それはそれでヤバそうなので、……初音ミクの他には重音テトだけでお願いします」

 

 アランは伊織の喜び振りを微笑ましく思いながら、やはり慎重な判断をする伊織に苦笑いをした。

 

「わかった。ではその二機が、しかるべき時、しかるべき方法で君の手に渡るようにしておこう」

 

「ありがとうございます!」

 

 伊織は最大限の感謝の気持ちを込めて頭を下げた。

 

「どういたしまして。君の力になれたようでよかった……」

 

 アランは笑顔でそう言った。それに対し伊織は、頭を上げ、少し逡巡した後、アランに対しもう一つ願った。

 

「あの、すみません。アランさんにもう一つお願いが……」

 

 アランは意外に思いながら、

 

「何だ? この際、言いたいことは言っておくといい」

 

 と、笑顔で応えた。伊織は、さっきとは打って変わって真剣な表情をして、その願いを言った。

 

「両親に伝言を頼みたいんです」

 

 アランは息を飲んで、

 

「聞こう」

 

 そう一言いった。

 

 

 

 

 

「ご両親への伝言確かに受け取った。必ず伝えよう」

 

 伊織の伝言を聞き、再び魂の震えを感じながら、アランは真剣な表情で伊織に約束した。それに対して伊織は再び深く深く頭を下げ感謝を示した。

 

「本当に、本当に、ありがとうございました」

 

 伊織の心中は、本当に感謝の念でいっぱいだった。

 

 恥じるような生き方はしなかった。精一杯生き足掻いた。最後の瞬間は、誓い通り笑ってやった。それでも、やはり両親のことを思うと胸が痛んだ。

 

 もう家族の傍には居られないが、それでも、両親が自分のいない世界でも幸福を感じて生きられるように、少しでも感じているであろう喪失の痛みが和らぐように、伝えたい気持ちが、言葉があったのだ。

 

 叶わぬ願いと思っていたが、それが、アランによって実現した。正直、貰いすぎだと思った。しかし今の無力な自分では返せるものがない。だから、ただひたすら感謝した。

 

「……君のこれからに幸福の雨が降らんことを祈っている」

 

 アランは、頭を下げる伊織の様子に目を細め、ただ、そう返した。幸福になることこそが、伊織にできる最大のお礼であると言外に伝えて。

 

 伊織にも伝わったのだろう。頭を上げると、真っ直ぐにアランを見て、一言、

 

「……必ず」

 

 そう返した。満面の笑顔で。

 

 

 

 

 

 伊織が転生先に旅立った後、アランは、しばらくの間ボーとしていた。その表情は、無表情でありながら、どこか満足げなようにも見える。

 

 そんな、アランのそばに

 

「いつまで、そうしているつもりですか?」

 

 そういって近寄ってくる者がいた。アランのように人型ではなく、光の集まりのような姿だ。アランの同族なのだろう。

 

 アランは、そちらを一瞥もせず無言のままだ。光は、「はぁ~」とそれはもう深い溜息をつき、非難するような声で、アランに話しかけた。

 

「自分が何をしたか自覚してますか? ……何が軽い干渉で済むですか。最初の願いはともかく、後の願いは、どれも世界に影響を与える干渉でしょう。デバイスが彼に渡るようにするのも、彼の望むデバイスにするための製作者への意識誘導も、……十分重罪です。……1000年単位で存在を凍結ですよ」

 

 そこまで言って、ようやくアランは光の方を見た。明らかに不機嫌そうな雰囲気に、苦笑いをしながら、

 

「そう言うな。アイツのように消滅よりマシだろう?」

 

 と、何でも無いように答えた。大した問題ではないというように。

 

「そういう問題ではありません! 確かに、親友だったアイツのために、あなたが遺恨を残したくないという気持ちはわかります。しかし、……でも……それは本当に必要なことだったのですか? ……あなたまで居なくなって……私に友人二人を同時に失えと?」

 

 そう、それが、アランが伊織に隠していた動機の一つ。伊織を死に追いやったのはアランの親友だった男なのだ。アランは、彼の残した遺恨を放置できず、それを少しでも解消するために伊織に近づいたのだ。つまり、大部分は自分のためだった。

 

「必要かそうでないかと問われれば、必要ではなかった。ただ、私がそうしたかっただけだ。……そう、本当に自分のためだ。……フフ、やはり私は彼のようにはいかないらしい。自分を想ってくれる誰かの為に、とはできないようだ。……すまない」

 

 アランはそう言って、自嘲するように笑った。

 

「……確かに勝手ですね。あなたは昔から。だからこそ、誰がために足掻く者に惹かれるのでしょうが。……まぁ、今回は、その勝手のおかげで、一人の少年にあんな笑顔をさせたのですから……はぁ、数千年くらい頑張りますよ。あなたが帰ってくるまで」

 

 光は、再び深い溜息とともに、呆れや諦めを多分に含ませてそう言った。苦労人性質がにじみ出ている。

 

「……悪いな。……さて、それでは怖い怖い取締官のもとへ行くか。……やっぱ逃げようかな……」

 

 アランは、一度は自首を決意するも、だんだん怖くなってきたのか弱音を吐く。小声で。

 

 そんな小声を聞きとがめた光は、

 

「アホですか! 逃げるとか、何言ってるんです! そんなことしたら、本当に消滅させられますよ! 冗談でもやめてください!」

 

 と、怒髪天を衝く勢いで突っ込んだ。

 

「わ、わかっている。冗談だ冗談」

 

 アランは、慌ててそういうも、光はどこか疑わしそうだった。

 

「・・・念のため、私が連行します」

「えっ、ちょっ、って動けない!? 拘束された!? いや、ホント冗談だから、自分で行けるから!」

 

 そう喚くアラン。

 

「まったく、あなたの冗談はいつもいつもタチが悪いんですよ。というか、いい加減キャラを確立してください。一体何千年ブレ続けてるんですか。伊織君も混乱して、盛大に突っ込んでたでしょう。大体、あなたは……」

 

 光は、アランの文句を華麗にスルーして、愚痴混じり説教をし始める。アランとは長い時間会えなくなるのだ。今のうちに言いたいことを言ってもバチは当たるまい。数千年苦労をかけられ、現在進行形で苦労をかけられている光は、そうひとりごちながらアランを連行していった。

 

 

 

 

 

 地球は日本、某所において。

 

 その家はしんと静まり返っていた。現在の時間が、深夜をとうに回っていることを考えれば当たり前かもしれないが、時間帯だけではない静かさがあるように感じられる。それは、おそらく、居間に置かれた少年の遺影のせいだろう。

 

 この家では、数ヶ月前、一家の一人息子に不幸があったのだ。言うまでもなく、伊織である。トラックが突っ込み砕け散った居間の壁は今では完全に修復されている。しかし、他の壁についた傷が、当時の痛ましさを如実に示していた。

 

 伊織の両親は、寝室にいた。まるで、寒さから逃れようとするように、二人で抱きしめ合って眠っている。その寒さは、季節によるものではく心の寒さだ。二人の受けた心の傷は尋常ではなかった。最愛の息子を失った凄まじい喪失感が、行き場のない怒りが、二人に極寒のような寒さを与えていた。

 

 なぜ、あの日、息子を一人にしたのか、なぜ、祝うべき日に息子は奪われねばならなかったのか、なぜ、今まで回避できていたのに……そんな「なぜ」が二人の精神に癒える事のない傷を与え続けていた。

 

 ふと、母親は目を覚ました。まるで何かに呼ばれているような気がしたのだ。しばらく辺りを見回すが、見えるのは見慣れた部屋だけだ。

 

 気のせいだったかと、頭を振り、隣で寝ている夫を何気なく見つめた。彼も打ちのめされているだろうに、それでも夫の腕は、自分を守るように伸ばされている。夫の手を握り返し、少し温かみを感じ、いつかこの寒さがなくなるときは来るのだろうかと考え、再び頭を振った。

 

 そんな日が来るわけないのだ。自分と夫は、この先もずっとこの寒さを抱えて生きていく。そんなことを考えていると、唐突に風が吹いた気がした。

 

 しかし、それはおかしい。部屋の窓は締め切っているはずだ。再び頭を持ち上げ辺りを見回すと、突如、部屋の中に光が集まりだした。

 

 母親は、思わず「な、何!?」と悲鳴をあげた。その声に気づいた父親も目を覚まし、部屋の中で起こる異常事態に瞠目する。「な、何だあれは!?」そういいながら、妻をかばうように抱きしめる。

 

 やがて、光は収束し人型となった。最愛の息子、伊織に。

 

「い、伊織?」

 

 混乱しながらも、思わずそう声をかける母親。しかし、伊織は返事をしない。いや、正確にはできないのだ。これは、伊織がアランに頼んだ伝言で伊織の言葉を伝えることしかできない。いわば、ビデオレターのようなものだ。

 

 部屋の中に突如現れた伊織は、どこか困ったように微笑んで話し始めた。まず自分は確かに死んだこと、その後、生と生の狭間でアランに出会い記憶を持ったまま転生すること、不幸体質の原因、

 

「父さんと母さんの目の前にいる俺は、アランさんに頼んだ記録映像とでも思ってくれ。だから返事はできない。……父さん母さん、勝手に死んでごめん。たくさん傷つけてごめん。親不孝者でごめん。……でもさ、俺は父さんと母さんの息子でよかった。きっと、二人の息子でなければこんなに長く生きられなかった。笑って死んでやることなんてできなかった」

 

 父親も母親も、気づけば涙を流していた。未だ理解の及ばないところはあるが、これは確かに自分たちの息子の最後のメッセージなのだ。一言も聞き逃すわけにはいかない。言いたいことはたくさんあったが、二人はただ黙って言葉を紡ぐ息子を見つめ続けた。

 

「俺は、不幸体質だったけど……ただの一度も不幸だと思ったことはない。これから、新しい世界で生きていくことになるけど、大切なことは全部教わってる、一度だって忘れたことはない、俺は俺のままだから、父さんと母さんの息子のままだから。だから……大丈夫だ」

 

 そういって今度こそ満面の笑顔を見せた伊織は、

 

「……だから、……最後はこう言うよ。“行ってきます”」

 

 その言葉を最後に伊織は消えた。

 

 しばらくの間、どちらも何も話さなかった。どれだけの時間が過ぎたのか、父親が目元を手で覆いながらポツリと言った。

 

「……まったく、俺には出来すぎの息子だよ」

 

 それに、母親はクスリと笑った。笑顔になれたのはあの日以来だ。

 

「……行ってきます、か。……息子が笑顔で旅に出たっていうのに、親がこの体たらくじゃ合わせる顔がないわね」

「そうだな。いつまでも腑抜けてはいられないな」

 

 二人は笑い合い、その顔に涙はもう流れてはいなかった。

 

 いつしか、寒さは消えていた。

 




いかがでしたか?

やっぱり無駄に重かったでしょうか?

最近神様転生テンプレと軽く流されることが多いので、あえてガッツリ書いてみました。

最後まで読んで下さり有難うござました。

次は、主人公の幼少期の話です。


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第1話 ベルカに転生

第1話です。

幼少期のあれこれをダイジェスト?風に書いてみました。

新しい家族との温かさが伝われば嬉しいです。


 古代ベルカ、覇王の庇護する領地で、今日、また一つ新たな命が生まれた。

 

 彼の名は「イオリア・ルーベルス」、ルーベルス家の長男だ。そして、元日本人の斎藤伊織である。

 

 元気な産声を上げるイオリアを抱きしめ、疲れが滲んでいながらも優しさの溢れる表情で見つめているのは、母になったアイリス・ルーベルスだ。きらきらと輝く白金の美しい髪に、理知的で切れ長の瞳。10人中10人が美人と称するだろう女性だ。

 

 そのアイリスは、しばらく腕に抱いた息子を眺めていたが、ドタドタどころかドドドドッという足音と、おそらく看護師であろう女性の怒号が響いてきたことから、苦笑いをして病室の入口に顔を向けた。

 

「アイリス!! 無事か! イオリアはどうなった!」

 

 アイリスが顔を向けるのと同時に、扉を蹴破らんばかりの勢いで突入し大声を発した男の名はライド・ルーベルス、アイリスの夫で、つまるところ、イオリアの父になった男である。

 

 どこかモサッとした髪に、ヒョロと長い身長、だがその瞳だけは、アイリスと同じように切れ長で理知的な光を持っていた。いつもは冷静なライドだが、今日ばかりは、初の息子が生まれるとあってひどく興奮しているようだ。

 

 本来なら、彼は、妻の出産に立ち会うつもりだったのだが、仕事が長引き、途中で逃走しようとしたところを、それを察した上司が彼を拘束、仕事が終わるまで逃がしてくれなかったのである。ライドは密かに誓った。いつか、あのクソ上司を泣かせてやると。

 

「あなた、落ち着いて。私も、この子も元気よ。それより、あなたの大声で起きちゃうわ」

 

 アイリスにそう言われて、少し冷静さを取り戻したライドは、改めて妻と息子の元気な姿を見て、ほっとするとともに、感動が胸の内に広がるのを感じた。フラフラとベッドに近づいたライドは、妻の腕に抱かれてスヤスヤと眠る息子を見て、

 

「この子が……俺の、俺達の息子か……ちっちゃいなぁ」

 

 と言いつつ、おそるおそる手を伸ばした。

 

 その小さな玩具のような手をツンツンすると、無意識だろうが、イオリアはライドの人差し指をギュと掴んだ。その弱々しくも確かな感触に今度こそライドは冷静さを取り戻し、同時に感動で胸がいっぱいになるのを感じた。

 

「ふふ、そうよ。私達の息子よ。……それにしても、あれだけ騒がしかったのに、この子ったらまるで起きる気配がないわ。……これは随分と大物になるかもね」

 

 と、アイリスは感心したように笑った。既に、親バカの兆しがあるようだ。

 

「ははっ、そうだな。……アイリス、ありがとう」

「どういたしまして」

 

 二人は見つめ合い幸せそうに笑いあった。

 

 

 

 

 イオリアが生まれて1年半が過ぎた。

 

 この時、イオリアが高熱を出すという事態が発生し、ルーベルス家の人間を大いに焦らせるのだが、これをきっかけにイオリアは伊織の記憶を少しずつ思い出していった。

 

(本当に転生したなぁ、やっぱり夢じゃなかったんだな。……アランは大丈夫だろうか。父さん達は立ち直れただろうか。)

 

 考えても仕方ないとはいえ、やはり考えずにはいられなかった。

 

 1歳半といえば立ち歩きもできる年齢ではあるが、体力も低く、少し運動するだけで直ぐ眠くなる。必然、考え事をすることが多くなった。差し当って、現状の認識と今後の方針である。

 

(ここが古代ベルカ時代であることに間違いはなさそうだ。だって、父さんも母さんもデバイス持ってたし。それに母さんの近くをふよふよ飛んでるあれ、絶対ユニゾンデバイスだろ。どうやら、二人は、デバイスの研究者っぽいな。……いや、でもそれじゃなんで、母さんはユニゾンデバイスなんて持ってるんだ? ……まぁ、そのうちわかるか。)

 

 イオリアが推測した通り、二人はデバイス研究者だ。特に、アイリスの方はユニゾンデバイスを専門としている。

 

 もっとも、アイリスは、実は元軍人でリリなの基準でいえばSランク魔導師である。ユニゾンするとSSランクになるという化物級だ。

 

 そんな彼女が、なぜ研究職に鞍替えしたかのかについては単純にライドと長く一緒にいるためである。そこに至るまで紆余曲折を経るのだが、それはまた別の話。

 

 彼女の相棒たるユニゾンデバイスはリリスといい、見た目の可愛らしさに反して落ち着きのある大人な女性の人格をしている。そのため、かなりの頻度でイオリアの面倒を見ている。

 

 オムツ交換はイオリアの黒歴史だ。

 

(思い出してはイケナイ。心を無にするのだ。……)

 

 なお、イオリアは、アイリスとライドを母・父と呼ぶことに抵抗を感じていない。前世の両親を忘れることはありえないが、自分が新たな人生を歩んでいると自覚しているからである。

 

 もし、前世の両親に遠慮して、アイリス達を母・父と呼べなければ、それこそ前世の両親に拳骨をくらうだろう。

 

 「過去を反省するのはいい、未来を思うのもかまわない、だが、大切なのは今だ。今を大切にできない者には、過去は無意味で、未来を思う資格はない」とは、父の言葉である。やたらドヤ顔で言っているのを、母が生温かい目で見ていたので、何かの受け売りだろう。

 

(しかし、両親がデバイス研究者でユニゾンデバイス持ちとは。ミクさんテトさんをもらう下地が既にできてんじゃねぇか。あの時は、生ボカロに会える嬉しさで気づかなかったが、これ普通に世界に影響する干渉じゃないの? ……アランさん、マジで大丈夫か? 取締官とやらにフルボッコにされてなかろうな?)

 

 イオリアの心配は尽きない。アラン、強く生きろ!

 

(まぁ、そこは考えても仕方ないか。とりあえず、現在、戦争っていう雰囲気はない。戦争勃発の何年前かわからんが、できることをしていくしかないだろう。言語の習得は日常会話で学ぶからいいとして、……引き続き情報収集を心掛けて、なるべく運動。とりあえず、二足歩行でダッシュできるように。後は、魔力操作なら可能かな? うん、なんとなく胸の中心に感じるものがあるから頑張ってみよう。……俺に不幸体質はもうない。どこでだって、なんだってできるんだ。一瞬だって無駄にしない。)

 

 イオリアは決意を新たに、この世界で精一杯生きることを誓った。

 

「見てください。アイリス。ライド。坊ちゃまが太陽に向かってキリッとした顔してますよ!」

「なんだってー!?」「なんですってー!?」

「見て、あなた、あの凛々しい横顔。まだ2歳にもなってないのに……男前だわ!」

「見ろ、アイリス、あの理知的な瞳を。きっと将来は、天才科学者に違いない!!」

「リリス! 直ぐにカメラの用意を! 絶対逃さないで!」

「私に死角はなかった。既に撮影済みです。(キリッ」

 

 ……精一杯生きるのだ!!

 

 

 

 

 

 イオリアが5歳のとき、ルーベルス家に新たな家族が増えた。妹ができたのだ。妹の名はリネット。イオリアは前世では一人っ子だったので、めちゃくちゃ喜んだ。

 

 それと同時に、音楽の才能が開花した。

 

 言語を完全に習得したあとボカロ曲を無意識に口ずさんでいたらしく、その歌声に両親もリリスも驚愕した。

 

 試しにと、子供用のキーボードのような楽器をプレゼントされたのだが、地球産キーボードとは明らかに異なるにもかかわらず使い方を直ぐに理解し、子供とは思えないレベルで弾きこなすことができたのだ。その楽器に触れた瞬間、まるで昔から愛用していたように使い方が理解できたためである。

 

 イオリアは思った。

 

(どこの音楽版ガン○―ルブだよ。アランさんやりすぎです! 天才ってレベル超えてるよ……)

 

 もちろん、ルーベルス家のメンツは狂喜乱舞した。ただでさえ、親バカ傾向のある連中なのだ。息子が天才級の才能を見せれば、いい意味でタダでは済まない。

 

 その日から一週間後、両親は仕事上の権限をフル活用し(断じて濫用ではないと信じたい)、権限が及ばない場合は関係者とOHANASHIをして(断じて脅迫ではないと信じたい!)、現存するあらゆる楽器に形状変化できるデバイスを作り出した。

 

 一応、篭手型の形状変化もできるので、分類としてはアームドデバイスということになるだろう。

 

 しかし、このデバイスの性能の高さといったら……

 

 完全ワンオフ機で、仕事場の研究施設をフル活用し(他の研究員も駆り出された)、特殊な部品なども惜しみなく使った(研究室の予算で購入したもの)。その制作費用だけで、土地付きの一軒家が建つレベルである。

 

 イオリアは心の中で叫んだ。

 

(職場の関係者みなさん、どうもすみません!!)

 

 そんな、イオリアの精神を圧迫しながら作成され、贈られたデバイスの名はセレス。天上のという英語から文字った名前だ。間違いなく最高峰のデバイスであること、セレスによって奏でる音楽が天上のものであれという気持ちで付けられた。

 

 断じて、制作費用が天上級という意味ではない。たとえ、名前を付けたときイオリアが遠い目をしていたとしても、断じて違うのだ。

 

 そんなイオリアの最近の日課は、妹のリネットの子守唄を奏で歌うこと。イオリアの歌唱と演奏はリネットのお気に入りなのだ。

 

 幸せそうにスヤスヤ眠るリネットを見て、癒されるイオリア。自分には前世の記憶があるから問題なかったが、アイリスもライドも、基本的に子供にはダダ甘である。リネットを両親に任せっぱなしにしては、リネットは我が儘放題の女の子に成長しそうだ。

 

「私がルールですの! 間違っているのは世界の方ですの!」

 

 とか言い出したら……イオリアは戦慄した。両親に子育ては任せられない! リネットはワシが育てる! 若干、精神を不安定にしながら、そう決意するイオリアであった。

 

 また、母アイリスについて、新たな事実が判明した。何でもアイリスは、覇王流とかいう武術の使い手らしい。

 

 それが発覚したのは、イオリアがセレスの唯一の武装型である篭手型について、なぜ篭手型なのかと質問したところ、

 

「イオリアが戦い方を学びたいとい思ったとき、私の修めている覇王流を教えてあげられるからよ」

 

 と、実にいい笑顔で返事をしたからだ。

 

「覇王流って、覇王様だけの武術じゃないの?」

 

 と、イオリアが質問すると、

 

「そんなわけないでしょう? 歴とした流派で、優れた武術なんだから、当然広めるわよ。一子相伝で失伝しちゃったら大変じゃない。国力的に考えても、秘匿するメリットなんてほとんどないし」

 

 と、もっともな答えが返ってきた。

 

 イオリアにとって予想外ではあったが、元々、戦争にも備えて鍛えておきたいと思っていた上、自力での鍛錬でどこまでできるか不安に思っていたので、渡りに船であった。

 

 さっそく、覇王流に興味津々です! とアピールすると、アイリスは、それはもう満面の笑みで、

 

「私の全てを伝授するわ! 覚悟しなさい!」

 

 といってサムズアップした。なんとなく、早まったかもしれないと感じるイオリアだった。

 

 

 

 

 イオリアは10歳になった。

 

 この5年、覇王流と魔法の鍛錬に明け暮れていた。嫌な予感がした通り、アイリスの訓練は、普段の甘さはどこに行った! と思わず突っ込みを入れたくなるほど厳しかった。

 

 正直、年齢一桁の子供にする内容ではないだろう。

 

 覇王流の基礎的な型と体力の向上を1年ほどみっちりやった後は、それに加えひたすらアイリスと模擬戦だった。

 

 一体なんど吹き飛ばされ、叩きつけられ、踏みつけられたか。擦り傷・骨折など日常茶飯事。文字通り血反吐を吐いたこともある。

 

 アイリスも当初は、ここまでやるつもりはなかったのだ。5年ほどかけてみっちり武術の基礎を固めさせるつもりですぐに覇王流を教えるつもりもなかった。ただ予想外だったのは、イオリアの才能が恐ろしく高かったことである。

 

 それを裏付ける出来事として、鍛錬を開始して間もない頃こんなことがあった。

 

 アイリスとイオリアは自宅から少し離れたところにある森の中にやってきていた。武術の鍛錬のためだ。二人は向かい合い、アイリスはイオリアに、武術の基礎的な動きを教えていった。イオリアは持ち前の集中力で、スポンジが水を吸収するかの如くアイリスの教えを習得していった。

 

 イオリアの飲み込みの良さに、「やっぱり、うちの息子は天才だわ!」と内心、狂喜乱舞していたアイリスだが、一通り型を教え、後はひたすら反復練習あるのみという段階にきて、

 

「イオリア、模擬戦するわよ」

 

 と、イオリアに模擬戦を行う旨を告げた。

 

「でも、母さん。まだ基礎も満足にできないのに、いきなり模擬戦って。勝負にならないだろ?」

 

 そう言うイオリアに、アハハハと笑いながら、

 

「そんなの当たり前でしょう? ゆっくりやるから、教えた動きが実戦の中でどういう意味を持つのか実感しろってことよ。そのほうが反復練習するときも効果が高いわ。意味を知っているのと知らないのとでは、断然効果が変わるからね」

 

 と、言った。なるほど、と納得したイオリアは、何一つ見逃さないと真剣な表情になると、覚えたての型で構えた。

 

 アイリスは、息子の深い集中に内心舌を巻きながら、

 

「それじゃいくわよ!」

 

 と合図をして、イオリアに攻撃を仕掛けた。最初の内は、イオリアもゆっくり一つ一つの動きを確認しながら動いていたものの、徐々に速くなる攻撃に対応が難しくなってきた。

 

「っ、くっ!」

 

 苦しげな声を上げ始めるイオリアに、ここまでだろうと、アイリスは最後に今までとは比較にならないほどの速度で背後に回り手刀を突きつけ終わりにすることにした。

 

 明確に実力差を見せつけ今後の目標にさせるためである。

 

 アイリスが足に力をため、ヒュという風切り音と共に消えた。次の瞬間にはイオリアの背後に現れ、手刀を首筋に放った。

 

「っ!?」

 

 本来ならこれで終わるはずだった。

 

 ところが、そこで予想外のことが起きた。アイリスの移動速度は、今のイオリアには消えたようにしか見えなかったはずだ。

 

 にもかかわらず、イオリアは、アイリスの手刀を見もせずに咄嗟に屈んで避けたのである。しかも、屈んだ勢いのまま前方に身を投げ出し、前回りの要領で距離をとり呆然としているアイリスに向き直った。

 

「一体、どうやって……なぜ、わかったの?」

 

 未だ呆然としながら、アイリスは息子に尋ねた。イオリアは、アイリスがなぜそんなに驚いているのか分からなかったが取り敢えず応えた。

 

「いや、わからなかったよ。でも見えなくなったってことは、死角にいるってことだろ? それに、母さんが消えた瞬間、首筋がゾワってしたんだ。だから、咄嗟に屈んだだけ。深く考えて行動したわけじゃないよ」

 

 その返答に、アイリスはまたも呆然とした。

 

 イオリアの感じた感覚はおそらく殺気や闘気のことだろう。だが、それはありえない。これは模擬戦で、しかも稽古の意味合いが強い。そんな戦いで感じられるほどの殺気が出るわけないのだ。まして、イオリアは実戦など知らない、鍛錬も始めたばかりの子供だ。

 

 だが、実際にイオリアは、アイリスの殺気ともいえない攻撃の気配に気づき手刀を回避している。その事実は覆せない。アイリスは、何とか気を取り直し先ほどの回避が偶然が否か確かめることにした。

 

「ッシ!」

 

 今度は正面から、イオリアの頭部に向けて正拳突きを放つ。

 

 その踏み込みは予備動作がなく、やはりイオリアから見ればアイリスが瞬間移動でもしてきたかのように見えたはずだ。アイリスを認識してからでは、到底、回避は間に合わない。

 

「ッ!」

 

 しかし、これもイオリアは頭を振って避けた。アイリスが正拳を放つ瞬間には既に回避行動に出ていたのだ。

 

 アイリスはその様子に目を細めながら、体勢を崩しつつあるイオリアの側面に回り込み流れるような動作で、足を刈る回し蹴りを放った。

 

 イオリアはこれも察知していたのか、側転するような形で空中に身を投げ、アイリスの足刈を回避した。

 

 流石にうまく着地するほどの余裕はなかったのか、倒れながらゴロゴロと転がり距離をとる。

 

 そして、膝立ちのまま顔を上げ、アイリスを確認しようとして、彼女の姿がないことに気づいた。その瞬間、再び後頭部にゾワッと悪寒が走り、イオリアは地べたに這い蹲るようにして伏せる。

 

 その頭上を、アイリスの蹴りがゴウッと風切り音と共に通過する。イオリアは再度、ゴロゴロと地面を転がり、今度はアイリスが追撃して来ていないのを確認してようやく息を吐いた。

 

「ヅハァー! ハァッ! ハァッ! ハァッ! ……っ、殺す気かよ、母さん!」

 「何言ってるのよ? しっかり手加減はしてるわ。この程度じゃ骨折もしないわよ。……それにしても、これでも避けちゃうのね。……うん、本物みたい」

 

 アイリスは、苦しげに息を整える息子を見ながら確信した。イオリアの危機回避能力は偶然ではないと。

 

「まったく、我が息子ながら、とんでもないわね」

 

 アイリスは苦笑いを浮かべ、次の瞬間には真剣な表情を見せた。何やら一人で納得しているアイリスを見て、不思議そうな顔をするイオリアに、アイリスは告げた。

 

「次の攻撃で最後よ。もう少し頑張りなさい」

 

 その言葉を聞いて、もうひと踏ん張りと気合を入れたイオリア。疲労により若干フラつきながら立ち上がる。

 

「いくわよ?」

 

 そう言って、アイリスの姿が消えた瞬間、

 

「がぁ!?」

 

 例のごとく、頭部に悪寒を感じ回避に入ったイオリアだが、衝撃は腹部に来た。そして、痛みや混乱を感じる暇もなく意識は闇に落ちた。

 

 頭部の柔らかい感触と、頭を撫でられる心地よい感触に、イオリアの意識は徐々に回復していった。目を覚ましたとき、イオリアはアイリスに膝枕されているところだった。

 

 しばらくボーとした後、イオリアは母に呼びかけた。

 

「母さん?」

「うん? あら、気がついた? どう? ちゃんと加減したはずだけど、痛みは? 吐き気は感じる?」

 

 イオリアの呼びかけで、考え事をしていたアイリスは息子の意識が戻ったことに気づき体調を尋ねた。

 

「う~ん、うん。大丈夫みたいだ。吐き気はないし、痛みも多少あるけど問題ない。……それより最後のあれは……フェイントに引っかかったのか……はぁ~、まったく意識してなかったよ」

 

 体調に問題ないことを確認したイオリアは、簡単なフェイントにまんまと引っかかったことに若干落ち込んだ様子を見せた。

 

「バカね。何を言ってるの。イオリアの回避能力を上回る攻撃じゃ、怪我させていたかもしれないからフェイント入れたのよ? 逆に言えば、初の模擬戦にしてフェイント無しじゃ怪我させないよう手加減できなかったってこと。母さん、流石にちょっと自信無くしそうだったわよ。……5歳の息子に模擬戦で手加減できないとか……うっ、何か泣きたくなってきた……ブランクがあるとは言え……ブツブツ……」

 

 アイリスは、息子の自身のすごさに対する自覚のない発言に苦笑いすると同時、5歳の息子に条件付きとはいえ手加減できないという不甲斐なさに落ち込み始めた。

 

「か、母さん? いや、マジですごかったぞ? 姿なんて全然追えなかったし、ほとんど勘だけで何とか避けてただけだし。むしろ、たった数合程度のやり取りで俺限界だったし……うん、だから母さんはすごいって!」

 

「そ、そう? そんなにすごかった? ま、まぁ、現役時代は、近接格闘じゃ上位10人には必ずランクインしてたし、ブランクあるとは言えそこまで落ちてないし・・・」

 

「そうそう。だから、落ち込むことないって」

 

「うん! そうね! 落ち込むことなんてないわね!」

 

 持ち直したアイリスを見て、イオリアは思った。

 

(やべー、母さんマジチョロい。父さん的にもチョロインだったんじゃ……)

 

 イオリアは、なんだが無性にアイリスとの馴れ初めをライドに聞いてみたいと思うのだった。

 

「さて、イオリア。今から大事な話をするから真剣に考えてね? あなたの今後に関わることだから。」

 

 イオリアが内心、失礼なことを考えていたことを知りもせず、アイリスは、真剣な表情でイオリアに話しかけた。

 

 その様子に、イオリアも居住まいを正して聞く姿勢をとる。

 

「まず、イオリア、あなたの武術の才能はそれほど高くないわ。いいとこ、並みより少し上といったところね」

 

「うっ……」

 

 アイリスのストレートな評価に思わず唸ってしまうイオリア。母親が格闘術のスペシャリストということもあり、自分にも才能があるのではと期待していたイオリアは、真っ向から否定され落ち込まずにはいられなかった。

 

「そんなに落ち込まないの。あなたには、それを補って余りあるほどの別の才能がある。それは、さっき見せた回避能力……いえ、危険を察知し、瞬時に分析・判断する能力と高い集中力という下地も合わせて考えるなら、危機対応能力というべきかしらね。この才能なら化物級といってもいいわ。」

 

「いや、そんな。息子を化物呼ばわりはひどくない?」

 

 イオリアは内心複雑だった。

 

 アイリスの称した危機対応能力だが、これはイオリアの才能というわけではない。前世で不幸体質が招いた数多の危機を回避し続けた結果手に入れた、純然たる努力の結晶だからだ。

 

 元軍人で相当上位にいた母をして化物級と言わしめたことを誇ればいいのか、それとも、これが才能でない以上、結局、自分には格闘センスがないということではと。

 

「そんな細かいことはいいのよ。重要なのは、あなたのその才能が、武術において大きなアドバンテージになるということよ。……ただ問題なのは、その才能が大きすぎることなのよ」

 

「大きすぎる? それの何がいけないんだ?」

 

「思い出してみて、さっきの模擬戦。最初、対応できる範囲では、教えた型を使っていたのに、能力に頼り始めた途端、一切型を使ってなかったでしょう? それはもう無様にゴロゴロと転がって、武術はどこいったって感じに。それが、さっき言った武術の才能があまりないという評価につながるんだけど……才能ある人は教わった型が拙くとも自然と出るものだし……」

 

「うっ、ぶ、無様……まぁ確かにそうだけど……」

 

「初心者のうちはいいわ。型を捨てて動くことができるから問題ないの。でも、中途半端に武術が染み付いたときが一番危険。半端な型が、本能的に動こうとする回避行動を阻害してしまう恐れがあるの。……だから、あなたには二択しかないわ。武術を習わず、基本的な運動能力だけ上げるか、若しくは、短期間で達人級まで鍛えるか。達人級まで武術の腕を磨けば、危機対応能力と完全に結びついて動きを阻害することもないでしょう。でも、当然厳しいわよ。格闘センスが高くないから余計にね。文字通り血反吐吐くことになるわ。……どうする?」

 

 アイリスの説明を聞いていたイオリアは、即答した。

 

「覇王流を教えてくれ」

 

 アイリスは目を丸くした。一瞬、息子は話を聞いていなかったのではないかと。そのため、思わず聞き返した。

 

「話聞いてた? 血反吐くほど厳しいのよ? もしかして、私が甘やかすと思ってる? だとしたら、考えが甘すぎるわよ。やるからには徹底的にやるわ。一切、妥協も容赦もしない。……私としては、武術からは手を引いてほしいわ。将来、軍人にでもならない限り、あくまで護身レベルで十分なんだし、イオリアの危機対応能力と魔法があれば十分よ? それに、イオリアには音楽もあるでしょう? 将来音楽家にでもなるなら、なおさらね?」

 

 アイリスは半ば説得するようにイオリアに語りかけた。

 

 武術をやる以上、本当に容赦するつもりはなかった。それが、イオリアのためだからだ。それでも、大事な息子に血反吐はかすような訓練をするのは気が引けた。正直やりたくなかったのだ。

 

 だが、そんなアイリスの願望も虚しくイオリアは、ブレのない真っ直ぐな声と瞳で返事をした。

 

 「全部わかってる。母さん。俺に覇王流を教えてくれ」

 

 アイリスはイオリアの瞳を見て、思わず息を詰めた。その瞳に宿るあまりに強い意志の力に気圧されたのだ。元軍人で、トップクラスの実力を誇り、多くの修羅場も経験しているアイリスが、だ。アイリスは必死に精神を立て直しイオリアに尋ねた。

 

「どうして、そこまで?」

 

 しばらく沈黙した後、イオリアは、

 

「母さん。俺、約束された未来なんてないと思ってるんだ。世界は、理不尽に溢れてて……病気か、誰かの悪意か、あるいは天災か、原因はいろいろだけど、命は簡単に奪われる。……失いたくないんだ。大切なものを。……血反吐吐くらいで、少しでも守れるものが増えるなら、俺はためらわない。……だから、母さん。お願いします。俺を強くしてください」

 

 そういって、イオリアは深々と頭を下げた。土下座の格好だ。しばらく、頭を下げ続けるイオリアを見ていたアイリスは、ふぅと息を吐くとイオリアに頭を上げさせた。

 

「イオリアの気持ちよくわかった。私も、覚悟を決めて、イオリア、あなたを強くする」

 

「っ、ありがとう! 母さん!」

 

 気持ちが通じて、喜ぶイオリア。しかし、次の瞬間には、顔が引き攣り冷や汗が流れた。

 

「ただし、イオリアが隠していること話してもらうわよ? 全部、洗い浚いね?」

 

 アイリスは笑顔だった。だが、細めた目の奥は全く笑っていない。顔は笑っているが、目は笑っていないという表情をイオリアは初めて見た。

 

(ムリ、これは逆らってはイケナイ!)

 

 イオリアの危機対応能力が早速大活躍だった。壊れた人形のようにコクコクと頷くイオリアに、アイリスは今度こそ笑顔を向けた。

 

「じゃあ、帰りましょうか。ライドもそろそろ帰ってくるだろうし、今日はルーベルス家家族会議よ」

 

 イオリアの隠し事とは、もちろん転生のことである。なぜ、分かったのか、いつから分かっていたのか。気になって帰り支度をするアイリスにチラチラと視線をやっているとアイリスが呆れたように笑った。

 

「あのねぇ、さっきのイオリアのセリフ思い出してみなさい。どう考えても、5歳児の言うセリフじゃないでしょ? 前から、幼児にしては精神年齢高すぎな言動はあったしね」

 

「ごもっとも」

 

 イオリアはそう応えるしかなかった。

 

 

 

 

 

「さて、イオリアから話があるんだって?」

 

 そう言って切り出したのは、仕事から帰ってきたライドである。既に、アイリスもリリスもリビングの席についている。ついでに、リネットはアイリスの腕の中だ。

 

「う~ん、実は・・・」

 

 イオリアは話しだした。

 

 前世のこと、不幸体質のこと、自然と鍛えられた危機対応能力のこと、結局死んだこと、アランとのこと、転生したこと。

 

 全てを話し終わった後、場はしんとしていた。あまりに現実離れしたイオリアの話を、自分なりに飲み込むにはそれなりの時間が必要だった。

 

「そんなことが……正直、信じ難いことだけど、でも、それならイオリアのこと全部説明がついちゃうのよね。……何より、嘘をいっているとは思えないし」

 

「そうだな、嘘をつく意味もないし、つくならもっとマシな嘘をつくだろう」

 

「ですね。坊ちゃまは昔から聡明でしたけど、15年生きた記憶があるなら納得できます」

 

「あ~う~!」

 

 最初に沈黙を破ったアイリスに続いて、ライド、リリスも納得したように頷いた。ついでに、リネットも頷いた。絶妙なタイミングだった。(やはり、妹は天才かもしれない。)そんな、シスコンぶりを発揮しつつ、

 

「信じてくれたようで何よりだ」

 

 どこかホッとしたような雰囲気で笑顔になるイオリア。それに対してライドが尋ねた。

 

「しかし、なんで今まで話さなかったんだ? ……まさかと思うが、俺たちが拒絶するとでも思ったんじゃないだろうな?」

 

 少し怒ったような表情で、実際、イオリアがそう思っていたなら怒るという雰囲気で、自分を見つめるライドにイオリアは苦笑いした。

 

「そんなわけないだろう? 父さん。ルーベルス家の親バカっぷりは、息子である俺が一番わかってるんだ。拒絶されるなんて想像したこともないよ。……話さなかったのは、単純に必要がないと思ったからだ」

 

「必要がない? どうしてだ? 前世では、相当辛い目にあったんだろう? 話して、少しでも楽になりたいとは思わなかったのか?」

 

「確かに、辛い目にあったけど、不幸だと思ったことはないんだ。長くは生きられなかったけど、胸を張れる人生だった。……俺はさ、前世のことを忘れるつもりはこれっぽっちもないけど、前世に縛られるつもりもないんだ。俺は、今、ここで生きてるんだ。斎藤伊織じゃない。イオリア・ルーベルスとして、アイリス・ルーベルスとライド・ルーベルスの息子として。……だからわざわざ前世のことを話す必要性を感じなかった」

 

 イオリアの話さなかった理由を聞き、アイリス達は思わず涙を流しそうになった。イオリアが、今を、自分たちをとても大切に思ってくれていることが伝わったからである。

 

 胸の内が暖かなもので満たされるのを感じながら、アイリスとライドは少しの嫉妬も感じていた。

 

 それは、前世のイオリアの両親に対してである。不幸体質というとんでもないハンデを背負っていながら、不幸ではなかったと言わしめたその深い愛情に、同じ子供の親として、自分たちは果たして、同等の、いや、それ以上の愛情を注げているのかと。

 

「まぁ、だからさ、母さん、修業の方よろしく頼むよ。もう、親より先に死ぬなんて、そんな最悪コリゴリだからさ」

 

 そう苦笑いしながら言うイオリアに、

 

「まかせなさい。いっそバグキャラ扱いされるぐらい鍛えてあげるわ!」

 

 と、満面の笑みで応えた。

 

「なら俺も、デバイス方面で強くしてやる。セレスをもっと魔改造してやろう。職権をフル活用してな!」

 

「私も、魔法方面でなら協力は惜しみませんよ、坊ちゃま!」

 

「あ~う~!」

 

 アイリス達が一斉に盛り上がる。本人以上にやる気に満ちているのは気のせいだろうか。

 

 イオリアは、おそらく再び職場の皆さんにかけるだろう迷惑を想像し、心の中で合掌した。そして、リネットの合いの手はやはり絶妙だった。

 

 

 

 

 

 そうして始まった本格的な訓練で、イオリアは10歳にして覇王流を一通り修めることができた。

 

 デバイスに関しても、セレスに登録されている楽器に、新たに地球産の楽器が加えられた。といっても、楽器の形状や機能に大差があるわけではないが。

 

 魔法の技術もかなり向上した。もともと、記憶が蘇ったころから魔力操作の鍛錬だけは毎日欠かさず行っていたので、魔法の構築に関しては教師であるリリスも舌を巻くほどだった。

 

 ただ、残念なのは、瞬間的な魔力の使用量の適性が低く、訓練の末、始めた当初はDランクだった魔力量がAAランクまで上がった今でも、一度に使える魔力量はBランク程度が限界であった。

 

 まさに宝の持ち腐れである。魔法に関しては、これから実戦向きの魔法を工夫していく必要があるだろう。基本的には覇王流の鍛錬だったので、魔法は基礎的なことしか向上させていない。というか、そんな余裕はイオリアにはなかった。

 

 さて、一応、覇王流を修めたイオリアは、魔法や音楽にも力を入れたい旨を、免許皆伝をもらいお祝いしていた家族パーティー中にアイリス達に相談した。

 

「ふふっ、こんなこともあろうかと、そのための準備は既に出来てるわ!」

 

 アイリスがドヤ顔でそう言った。それに乗るライド。

 

「ああ、この日のために、専門をユニゾンデバイスに鞍替えして、研究し続けてきたんだからな!材料も設備も万全だ!」

 

「うふふ、ついに私にも妹ができるんですね~楽しみです!」

 

「お兄ちゃん~、あ~んして~」

 

 盛り上がる家族にイオリアは顔を引きつらせた。あと、まったく空気を読まない妹にも顔を引きつらせた。でも天使だから許す。

 

 リネットにあ~んをしながら、イオリアは半ば確信し確認した。

 

「まさか、ミクテト?」

 

「もちろんだ!(よ)!」

 

 そう、あの日、転生のことを話した日にボカロのことも話したのだ。音楽の才能を説明するに際し、一緒に。

 

 その後、やたらミクテトのことを聞いてくるので、ボカロに興味あるのかと思っていたが、まさか、作成準備に入るためだったとは……

 

 イオリアは戦慄した。両親の暴走に巻き込まれた人たちはどれほどかと。

 

(今度は一体どれだけの人に迷惑かけたんだ! 関係者の皆さん、ホントすみません!)

 

 窓から見える空で、見知らぬ人々が疲れた顔でサムズアップする光景が見えた気がした。

 

「お兄ちゃ~ん、あ~んは?」

 

 ……妹よ。

 

 

 




どうでしたか?

戦闘描写も、シリアスを和らげるギャグも難しいですね。

改めて、文章を書く難しを実感しました。

次は、いよいよミクとテトの登場です。


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第2話 ベルカに降り立つ歌姫

連続で3話分投稿します。

最初ですからね。勢いよくいきます。

ところで、皆さんは何式のミクがお好みですか?




 

 イオリアは今、アイリス達と共に、とあるデバイス研究所に来ていた。

 

 ユニゾンデバイス「ミク」と「テト」を開発するにあたって、イオリア自身のリンカーコアの一部をコピーし、両デバイスのコアとする必要があり、そのための検査等が必要だからだ。

 

 実際には、イオリアの認識上の「ミク」「テト」を作るために、イオリアの記憶が保管された魂の一部を両者に移譲する必要があるのだが、そんな方法を知らないイオリアは、おそらくアランの言葉通り、リンカーコアをコピーし移譲する際にどうにかなるのだろうと当たりをつけていた。

 

 だが、今はそんなことよりも重大なことがある。ミクテトの誕生に関わることを「そんなこと」呼ばわりすることはどうかと思うが、そこに意識を割けないほどイオリアは緊張していた。

 

 なぜなら、

 

(ちくしょう~、ついにこの日が来ちまった。いつか来ることは覚悟していたけど・・・ああ~、いったい、どんな顔して職場の皆さんに会えばいいんだ!)

 

 

 というように、今まで散々迷惑を掛けたであろう両親の同僚方に合わせる顔がなかったのである。

 

 これが、両親自身の都合から掛けた迷惑ならまだよかったが、両親の行動理由が「息子のため!」であり、おそらくそれが伝わっているだろうことから、とんでもない我が儘息子とでも思われているのでは? 同僚方と会った瞬間、「コイツが元凶か!」みたいな目で見られるのでは? と戦々恐々としているのである。

 

「さあ、イオリア、ここが父さん達の職場だぞ。何だ、緊張してるのか? 安心しろ。変わり者も多いが、何も初対面の相手を取って食ったりしないさ」

 

「あ、ああ。(安心できるか! 初対面でも知れ渡ってるだろうから心配なんだよ! ……てか、初対面でなければ取って食うのか!?)」

 

「あらあら、珍しいわね。イオリアが緊張するなんて。大丈夫よ。同僚達には、イオリアがどれだけ良い子かしっかりみっちりたっぷり教え込んであるから。……体に」

 

「そ、そうか。(それだよ! それが緊張の原因だよ! てか、「体に」って何だ、「体に」って! 職場の皆さんに一体何をしたんだ……)」

 

 両親の励ましという名の止めで、イオリアの緊張は最高潮だ。

 

 そんな、イオリアの心情に関係なく事態は進み、ついに両親が所属する部署「融合機特別研究室」と書かれた扉の前にやって来た。

 

 ライドは、ポケットからカードキーを取り出し暗証番号を打ち込むと「おはようさん~」というなんとも気の抜ける挨拶をしながら中に入っていった。

 

 イオリアもアイリスに促され、「し、失礼します!」と若干裏返った声で挨拶しながら中に踏み込んだ。アイリスも同様に「おはよ~」と挨拶して中に入る。

 

 部屋というよりフロアと言ったほうが正しいくらい広い空間には7人の白衣を着た人間が忙しなく動き回っていたが、両親が入室すると「室長、副長、おはようございます」と全員で返した。

 

「室長? 副長?」

 

 イオリアがそう疑問の声をあげると、

 

「あ~そういえば言ってなかったかしら、私がこの研究室の室長で、ライドが副長なのよ」

 

 と、アイリスが答えた。

 

 イオリアは、両親は昔からいろいろ無茶をしていたのでそれなりの地位にいるとは思っていたが、研究室を一室与えられるほどだったとはと驚くと同時に納得もした。どうりで無茶が押し通るはずだと。

 

 そんな、イオリアの疑問に答えたアイリスの視線をたどって、研究員たちがイオリアに視線を向けた。

 

 イオリアの緊張は一気に高まった。何を言われるかと身構えていると、

 

「おお~、この子が坊ちゃんですか! なるほど、なかなかいいツラ構えしてるじゃないですか~」

「うわ~、ついに本物が出た。生坊ちゃんだ~」

「えっ、マジマジ!? うはっ、本当に坊ちゃんだ」

「ほぉ~、室長たちに目元そっくりですなぁ、賢そうだ」

「ちょっと、脱いでもらっていいかな、かな?」

「……カシャ! カシャ! ……保存」

「……ハァハァ、ごくっ」

 

 ……イオリアの緊張はさらに高まった! 違う意味で!

 

「あはは、どうも初めまして。ルーベルス家長男のイオリアといいます。いつも両親がお世話になってます。今日は、よろしくお願いします。(いやいやいや、何この人たち! 何で全員「坊ちゃん」呼びなの? 何でそんな珍獣見るような目で見てくんの!? ていうか脱衣促してるヤツと、ハァハァしてるヤツ! てめぇ等はダメだ。表情が完全に変態じゃねぇか!)」

 

 イオリアは挨拶しながら、心の中で突っ込みをフル回転させていた。だが、あまりのインパクトに当初の緊張はなく既に肩の力は抜けていた。

 

「おお~さすが室長たちの息子さん。礼儀正しいね。こちらこそよろしく。カイムだ」

 

 そう言って手を差し出したのは、カイムと名乗った20代半ばくらいの髪がボサボサの男の研究員だ。それから、全員紹介を受けた。

 

 カイムが先ほどのセリフの一番目とすると、上から、30代前半くらいの髪がボサボサの男サルア、カイムと同じくらいの年齢の髪がモッサリした男タンク、40代くらいの髪がモッサモッサの男ニック、さっきから目がランランとしてる20代前半くらいの髪がバサバサの女ヘレナ、ライドに無言で携帯を叩きおられた30代後半くらいの髪がボワボワの男マイル、未だハァハァしていてアイリスから殺気を向けられている髪がない男ヨシュアだ。

 

 とりあえずイオリアは、両親に訴えることにした。

 

「父さん母さん、頼むよ。みんなを家に帰してあげてよぉ~、もう見てられないよぉ~。缶詰にされてずっと研究させられてるから、あんな無残な姿に……ヨシュアさんに至ってはストレス過多になっても、もう抜ける毛すらないんだぞ? あんまりだよ……残酷すぎるよぉ~」

 

 イオリアはもう泣きそうだ。厳しい覇王流の鍛錬を受けているときでさえ一度も泣かなかったというのに。両親の業はどこまで深いのか……

 

 これには、流石にアイリス達も焦った。

 

「ちょ、違うからね! 私たちが無理やり研究させて、こんな無残な姿になってるわけじゃないから。こんな残念なことになってるのは、コイツ等の自業自得だから!」

 

「そうだぞ! イオリア。まったくの誤解だ! こいつらが、残念で見れたものじゃない生き物になってるのは、単にコイツ等が度を越した研究好きなだけで、父さん達のせいじゃないぞ、信じてくれ!」

 

 二人は息子の誤解を解くために必死で弁解した。もう言いたい放題だった。親子揃って。

 

 そんな、ルーベルス家の様子を見ていた研究員達は、ものすごく居心地が悪そうだった。

 

「なぁ、俺ってそんなに残念な感じか?」

「聞くなよ、俺も今ちょっと傷ついてんだ」

「……」

「わ、私これでも女なのに……無残って……」

「そういえば、今、家ってどうなってんだろ。前に帰ったのいつだったかなぁ」

「……スキンヘッドだ。ハゲじゃない……」

「……携帯……データが……orz」

 

 研究室はいつになくカオスだった。

 

 イオリアの誤解が解けて、研究員達の気まずさも薄れてきたころ、ようやく本題へと話が進んだ。検査内容の確認とリンカーコアのコピー及び移譲の段取りの打ち合わせをし、アイリスとライドを含め検査の準備に入った。

 

 イオリアはその間、ニックに話し相手になってもらった。しばらく時間がかかるので、手の空いているニックが一人ではつまらないだろうと気をきかせてくれたのだ。

 

 さすが、髪はモッサモッサでも一番の年長者、気の配り方が違う。イオリアは、この際疑問に思っていたことを聞いてみることにした。

 

「あの、ニックさん。聞きたいことがあるんですが……」

 

「うん? いいぞ、何だ?」

 

「ええとですね、セレスの開発から、今回のユニゾンデバイスの開発まで、うちの両親結構無茶してると思うんですよ。実際、皆さんも、今日、俺の検査に付き合わせて迷惑かけてますし……だから、あまりいい感情をもたれていないんじゃないかって、ここに来る前は考えていたんです。でも実際は、皆さんそんな雰囲気みじんもないし……髪ボサボサだし……」

 

 ニックは、イオリアの疑問に予想外のことを聞いたと目を丸くした。

 

「いや、迷惑も何も、そもそもこの研究室は、イオリア・ルーベルスに最高のデバイスをという目的で設立されたんだぞ? もちろん、建前上はユニゾンデバイスの適合率向上を目的にしてるがな。……あと、髪のことはもう放っておいてくれ、反省するから……」

 

「俺のため? どういうことです?」

 

 驚愕するイオリアに、ニックは「ああ、教えてないのか……」と納得すると、この研究室が設立された経緯を説明しだした。

 

「この研究室ができたのは2年前なんだ。それまでは、俺たちは全員別々の部署で別の研究をしていた。まぁ、みんな研究バカだからさ、対人関係蔑ろにし過ぎて、ちょっと浮いていたりして満足に研究できずくすぶってたんだが、そんな時、室長達が今のメンバーに声をかけたんだ。

 たった一人のための最高のユニゾンデバイス作ってみないかって。どうせ、思うように研究出来てなかったしたな。全員二つ返事でOKしたそうだ。

 ただ、新たな研究室作りますって言って、はいそうですかって予算降りるわけないだろう? だから、副長なんかは研究が一番遅れてるユニゾンデバイスに鞍替えして、俺たちも協力して3年かけて少しずつ結果を出したんだ。

 で、まぁちょっとした成果が出てな、晴れて設立が認められたというわけだ。

 ちなみに、セレスの制作費はほとんど室長達の自腹だぞ? 研究アイデア売ったり、権利売ったりしてな。コネも使ったりはしたが、常識的な範囲だ。

 だから、まぁ、迷惑だなんて思ってるヤツいねぇよ」

 

 そう言って、ニックは話を締めくくった。イオリアは話を聞いて呆然とした。

 

 一体、どんな無茶をしてセレスを作成しミクテトを作成するのかと考えていたのに、両親は自分の想像を絶する労力と時間を注ぎ込んでくれていたのだ。

 

 安易に、周囲に無茶を押し通したのだろう等と考えて、勝手に恐縮していた自分が酷く情けなかった。アイリス達に対する申し訳ない気持ちと、それ以上に感謝の念がイオリアの胸を満たした。

 

 沈黙したイオリアに、心情を察したのかニックは殊更明るく話しかけた。

 

「まぁ、教えてなかったんなら、知る必要なしと判断したんだろ。なら、それでいいじゃないの。子供は親の心知らずに甘えてりゃいいのさ。……それより、今日はリリスはいないのか?」

 

 あからさまな話題転換だったが、ニックの気遣いを無にしないようイオリアも笑顔で話に乗った。

 

「リリスは、リネット……妹の世話で留守番です。そういえば、皆さん俺のこと〝坊ちゃん〟って呼びますけど、もしかしなくてもリリスが?」

 

「そうそう。リリスは俺らのコミュ障改善カウンセラー様だからなぁ、よく話すんだが、毎回毎回うちの坊ちゃんは~て話すから、俺らも自然とな」

 

 イオリアとニックがそんな感じで雑談していると、ライドが準備が整った旨を伝えに来た。

 

 この後、半日かけて、いろいろ検査し、イオリア達は帰宅の途についた。帰りの道中、イオリアは一言呟いた。

 

「……ありがとう」

 

 アイリスとライドは顔を見合わせ、互いに苦笑いし無言でイオリアの頭をクシャクシャと撫でた。

 

 

 

 

 

 検査の日から数ヵ月後、ついにミクとテトの作成が最終段階に入った。後は、イオリアのリンカーコアのコピーを移譲するだけである。

 

 その作業と、何よりミクとテトが起動する瞬間に立ち会うためにイオリアは再び「融合機特別研究室」を訪れた。

 

「皆さん、お久しぶりです。今日はよろしくお願いします」

 

 挨拶をしたイオリアに、研究メンバーは既に準備を終えているようで、皆一斉に笑顔を向けた。

 

「じゃあ、早速、始めましょうか」

 

 アイリスに促され、奥に進むイオリアの表情は、緊張と、ついに生ボカロと会えるという喜びに興奮し赤く染まっていた。それを見て、違う意味で興奮している髪バサバサとハゲなど視界には入らない。断じて。

 

 奥の部屋には人が一人入れるポッドが三つ並んでいた。そのうちの二つにミクとテトが眠っているのだろう。ポッドの扉は閉じられており、中の様子を見ることはできない。

 

 イオリアは、アイリスから諸注意を聞き三つ目のポッドに入った。そして、いよいよ古代ベルカの世界にボーカロイド「初音ミク」と「重音テト」が誕生する瞬間がやって来た。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 そこはとても暗い場所だった。

 

 その場所に存在する二つの魂は、まどろむ意識が徐々に覚醒していくのを感じた。同時に、何も感じていなかった身の内に何か温かいものが流れ込んでくるのを感じ、自分達が何者であるかを悟った。

 

 しばらく、自分達の中にある知識・感覚を探っていると、真っ暗闇だった空間に突如光が生まれた。

 

(あれは、あの光は……)

(あれは、あの光は……)

 

 その光は、二つの魂に、まるで呼びかけるように、あるいは求めるように、明滅を繰り返しながらも徐々にその光を強くしていった。

 

 その光が強くなるごとに、二つの魂は同じようにその存在を強固にしていき、やがて魂に刻まれた全てを知った。

 

 二つの魂は、本来ディスプレイの向こう側の存在だ。決して現実世界の存在ではない。仮に現実に出たとしてもそれは魂無き人形だ。

 

(ああ、あなたは求めてくれたんですね……)

(ああ、君は求めてくれたんだね……)

 

 だが、そんな原則を破った者がいた。数奇な運命を辿り、願いを尋ねられ、答えたのだ。彼女達がいればきっと楽しい。彼女達に会いたいと。

 

 その結果、

 

(私は、ここにいます)

(ボクは、ここにいるよ)

 

 二つの魂は、自分達が彼の魂に刻まれた知識と認識を核に形成されたことを理解している。

 

 人によっては、それは作られた人格で本物じゃないという人もいるだろう。だが、本物か偽物かなど些細なことだ。

 

 そんなもの時間や経験と共にいかようにも変化するのだから。

 

 今大切なことは、どう生まれたかではない。望まれて生まれ、そして出会うことを心待ちにしている人がいるということ。

 

 その人とは・・・

 

(マスター!)

(マスター!)

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 イオリアは先にポッドから出てきていた。そして、ミクとテトのポッドの前に立ち、今か今かと待ち構えていた。

 

 生前、イオリアは笑顔動画が好きだった。作品を見ることも作ることも、不幸体質のせいで安易に外出できないイオリアにとって、家にいながらいつも心を奮わせてくれる手段だった。

 

 そんな笑顔動画の中でも人気の高いキャラであるボーカロイドのミクやテトは、イオリアにとってもお気に入りのキャラで、よく二人を使ってMMDドラマ等を作ったものだ。

 

 そんな画面の中の人物に、もうすぐ会える。イオリアの心の中は喜びに満ちていた。

 

 やがて、二つのポッドの作業中を示すランプが消えた。振り返り、そこで待機していたアイリス達が頷くのを確認すると、イオリアは逸る気持ちを抑え、ゆっくりとポッドの開閉レバーに手を掛けた。

 

 そして、ゆっくりレバーを下ろした瞬間、

 

「マスター!」

「マスター!」

 

 二つの影に飛びつかれ、そのまま背後に倒れ込んだ。

 

「え? え~と、ミクさん? テトさん?」

 

「はい、マスター!」

「なに? マスター?」

 

 イオリアは若干混乱しつつも、二人に呼びかけた。そうすると、元気な返事が返ってきた。それは結構なことなのだが、なぜか二人は返事をしながらもギュと片腕にそれぞれ抱きついて離れない。アイリス達も突然の事態に固まっている。

 

 混乱が収まってくるとイオリアは、何となく二人の心情を察することができた。元は同じ魂であるせいか何となく分かるのだ。なので、イオリアは自分の気持ちを素直に言葉にして二人に届けることにした。

 

「ミク、テト、生まれてきてくれて……ありがとう」

 

 それを聞いたミクとテトは一瞬ピクッとすると、イオリアの胸に埋めていた顔をあげ、満面の笑みで応えた。

 

「幾久しく、よろしくです、マスター」

「幾久しく、よろしく、マスター」

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 さて、アイリス達の硬直が解けた後、イオリアは大変だった。研究メンバーも興味津々な様子で注目しているし、アイリスとライドは、ミクとテトの態度に終始ニヤニヤし、いいもの見ましたと言わんばかりの表情をしていた。

 

「あなた、リリスの妹ができると思っていたけど、もしかすると、増える家族はお嫁さんかもしれないわね」

 

「ああ、そうだな、しかも、二人。10歳でハーレムとは流石俺の息子。人には出来ないことを平然とやってのける」

 

 明らかにからかう気満々の口調で聞こえよがしにいうアイリスとライド。イオリアは、何下らないこと言ってんの、と半眼になった。しかし、そんな両親に対する反応は意外なところから返ってきた。

 

「テ、テトちゃん、こういう時なんて挨拶するんでしょう!?」

「確か、不束者ですが……じゃなかったかな?」

 

「いやいや、二人共なに言ってんの。乗らなくていいから!」

 

 自分の相棒となる二人相手にも、自分は突っ込みキャラなのかと若干落ち込むイオリア。そうこうしているうちに、他の研究メンバーも参加し、一気に騒がしくなったのだった。

 

 なお、ミクやテトのような高性能なユニゾンデバイスを作成しておいて、それをイオリアのような10歳の子供が個人で所有していいのかという、ものすごく今更な質問に対してアイリスは、

 

「大丈夫よ、公式的には、この研究室でミクやテトという名称のユニゾンデバイスは作成されてないから」

 

 と何でもないかのように言った。

 

「ああ~そういうこと。でも、よくそれで通ったね。バレそうなものだけど・・・」

 

「まぁ、そのために二重三重の布石は打っておいたんだけど・・・なぜか必要なさそうなのよね。・・・本気で誰も気づいてないみたいで・・・不思議だわ。一応、国が運営する施設なんだけど。」

 

 それを聞いて、イオリアは冷や汗を流した。その不思議現象に心当たりがあったからである。

 

(確実にアランさんの干渉だろう! 関係者全員の意識誘導とか・・・アランさんの明日が見えないっ)

 

 イオリアは、改めてアランに感謝するとともに、やりすぎだと心の中で愚痴った。後は、アランの無事を祈るばかりである。

 

 がんばれアラン! 負けるなアラン!

 

――(アラン存在を凍結中)

 




感動的な話しを書くのは本当に難しい。

どうすれば、心にくる文章なんて書けるんでしょうか。

今回は特に、作者の拙さが出てしまった気がしますが楽しんで頂けましたか?

わかりにくい設定もあったと思いますが・・・そこは、ほら、妄想なんで、大目に見て頂けると・・・

ちなみに、ミクとテトはLat式をイメージしてみたり・・・あのあざとさがいいですよね!
だが、あぴやアペンドも捨てがたい・・・いや、やっぱり軍曹か?

次は、ミク達のスペックが明らかになります。


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第3話 貴方も十分チートですよ

今回は、少し短いです。

ミクとテトのスペックが明らかになります。
やっぱり、転生物でチートはデフォルトですよね?




 イオリアは現在、ミクとテトを連れて森に来ていた。

 

 アイリスと修行に使っているいつもの森だ。ミクとテトは通常のデバイスではなく、イオリアの魂の一部を受け継いでおり、しかも、アランによる干渉を受けていた存在なので何があるかわからない。なので、なるべく人の目に付きにくい場所でスペックの確認をすることにしたのだ。

 

「さて、ミク、テト。二人が、俺とのユニゾンに問題ないことも、大抵の魔法が単独で行使できることも、俺からの魔力供給なく自力で魔素を取り込み魔力を生成できることも、研究所の人達と確認済みだ。まぁ、この時代、最高峰のユニデバであるどころか数世代は先取りしてるスペックだから、それぐらいは当然なんだろうけど……今日は、それ以外の能力を確認しようと思う。」

 

「はい、マスター!」

「OK、マスター」

 

 イオリアの言葉に、元気に返事をするミク。テトはどこかクールな返事だ。

 

 二人は、イオリアの知識と認識を核に人格が形成されているので、イオリアの両者に対する認識が異なる以上、当然、性格も別である。

 

 ミクは、誰に対しても丁寧語で、性格は元気っ娘といったところだ。対して、テトとはボクっ娘で、言葉遣いもどことなく男口調、性格は落ち着きがあってクールな感じだ。

 

 イオリアが述べたように、二人のユニゾンデバイスとしての能力は研究所で確認済みである。

 

 融合事故を起こすこともなく、二人共ほぼ100%の適合率を叩き出した。ユニゾン時のイオリアの姿はそれほど変化しない。髪や瞳の色が多少、青みがかるか赤みがかるというくらいだ。どっちがどっちかは言わずもがなである。

 

 また、直接確認したわけではないが、アイリス達の話では現存の魔法で使えないものはないらしい。演算能力も、通常のデバイスの数十倍はあるらしく説明しながらアイリス達はドヤ顔であった。

 

「今までの研究成果の粋を集めた最高傑作よ。処理能力の高さといったら……上に報告したら、即戦争突入! って号令がでそうなくらいね。魔法行使は確実にイオリアより上だわ。完全自立型だから愛想尽かされないようにね?」

 

 とは、アイリスの言葉である。イオリアは、愛想を尽かされるという言葉に冷や汗かきつつ、既に自分より魔法が上という事実に若干落ち込んだ。

 

 しかし、それよりもである。

 

(まぁ、二人が強いのは……嬉しいけど、嬉しいけどさ! 完全に戦争再開の火種じゃねぇか! せっかく、膠着状態で一応平和なのに……二人のスペックは絶対ばらせない)

 

 イオリアは固く決意した。戦争になっても大切な人達を守りたくて力を求めたのに、それが戦争の原因になっては本末転倒である。

 

 ちなみに、ベルカ諸国は数十年前から戦争が続いているが、戦力が拮抗しており、どの国も兵器開発に忙しく膠着状態に陥っている。

 

 そのため、現在は辺境での小競り合いは多々あるものの一応平和である。

 

 Sランクのアイリスが、軍から研究職に鞍替えできたのも、ここの事情が大いに影響している。戦わない戦闘者よりも、現場の知識を取り入れた研究に精を出して欲しいということだ。

 

 まさか上も、既に戦況をひっくり返せそうなスペックのユニゾンデバイスが開発済みとは思うまい。アランの干渉がなければ、恐ろしいことになっていたに違いない。

 

「でだ、俺としては音楽関係が一番気になるんだが……そこんとこはどうなんだ?ちゃんと、演奏も歌唱もできるよな?」

 

「当然じゃないですか、私たちはボカロですよ? 楽器でも歌でも、なんでもござれです!」

 

「ちなみに、ボク達はマスターの知識と認識が元になっているから、マスターが生前、ボク達にやらせたことや、強く印象に残ってるものは再現できるよ?」

 

 イオリアは、ミクの言葉に安堵するとともに、テトの発言に無視できない点があることに気づいた。

 

「ちょっと待て、再現? それは、あれか? 楽器を最初から上手く弾けるとかそういうことだけでなくて、MMDドラマや再現MMDなんかでやらせたアクションも再現できるってこと……じゃないよな?」

 

 イオリアは恐る恐る聞いた。笑顔動画でミクやテトにやらせたアクションは多岐に渡る。また、強く印象に残っている他のうp主達のアクションも結構ある。それらが、すべてできるとしたら……

 

「できますよ~」

「できるよ?」

 

「……と、とりあえず見せてくれないか?そうだな、二人で模擬戦してくれないか?」

 

 イオリアは、心の中で冷や汗を流しながら、まさか本当に?と呟いた。

 

「分かりました~。武器がないので、徒手格闘オンリ~でいきますね? テトちゃん!」

「あいよ~、それじゃ行くよ?」

 

 その瞬間、二人は風になった。まるで姿が見えない。しかし、断続的に一瞬、姿が霞んで見えることと、その度にヴォッヴォッという空気が破裂するような音が聞こえることで、二人が高速で戦闘していることがわかる。

 

「・・・ハッ!? ちょ、ちょっとストップ! ストーップ!」

 

 ありえない光景にしばらく呆然としていたイオリアは、正気を取り戻したあと二人の戦闘を止めにかかった。

 

「はい、なんですか~マスター?」

 

 戦闘を中止し、再びヴォッという音と共に一瞬で目の前に現れたミクとテトに、イオリアは頭を抱えた。

 

「……今の何? なんで、そんな高速で動けるの? そんな機能があるとか聞いてないんだけど……」

 

「いや、ボク達にもわからないよ? ただ、できると認識している上で、それに耐えられるだけのボディを持っているからできちゃうだけで」

 

「そうですね。私にもよくわかりません。ただ、マスターの再現MMDの中にあったでしょう? 何かの映画のシーンを再現したヤツ。あれ苦労したんですよね? 作るの。印象も人一倍だから、私達の中でも〝できる〟っていう認識が強くて」

 

 その説明ともいえぬ説明を聞いて、イオリアは、

 

(あ~、詳しいことはわからないけど、もしかしてアランさんか?なんか、もう、〝大体アランのせい〟って感じだな。いや、罰を受けるの覚悟でしてくれたんだから文句いうつもりはないんだけど……)

 

 と遠い目をして、アランを思った。イオリアは、何とか気を持ち直して再度、二人に尋ねた。

 

「それじゃ、二人共、近接戦闘もできるってことか。再現できそうなのは他にあるか?」

 

「え~とですね。私は、刀を使った戦闘が得意です。ほら、マスターが一時期、『刀ってロマンだよな。特に抜刀術とか。カッコよすぎる!』とか言って、いろいろやったじゃないですか。ちょうどマスターが厨二病を患っている時です」

 

「ボクは、二丁拳銃でのガン=カタが得意かな。某反逆者の映画を見て、ガン=カタはロマンだ! って、ボクにやらせたでしょ? ちょうど、マスターが厨二病を患ってた時だよ」

 

 イオリアは、四つん這いに崩れ落ちた。

 

 ミクとテトの言葉が本当なら、さっきの高速機動をしながら漫画や映画の技を繰り出せるということだ。魔法どころか近接戦闘でも既に二人のスペックは上だった。

 

 自分が血反吐吐き続けた5年間は一体なんだったのかと、イオリアは既に涙目だった。……厨二病なんて聞こえない。

 

「マ、マスター? 大丈夫ですよ! たとえ、マスターが厨二病でも、マスターはマスターです!」

「そうだよ、元気出して? マスターが厨二病でも、ボクは気にしないよ?」

 

「もうやめて! 俺の心のライフはとっくにゼロだよ! それと、もう患ってないから! ちゃんと卒業したから!」

 

 イオリアは頭を抱えた。まさか、相棒たる二人にここまで追い詰められるとは……

 

 それと同時に蘇りそうになった黒い記憶に厳重な封印をした。今、この状況で封印がとければイオリアは確実に発狂する。必死で精神を立て直しながらフラフラとイオリアは立ち上がった。

 

「ごほん、え~、ミクとテトの得意分野はわかった。魔法の構成もそれに合わせて考えよう。本当は、ユニゾンして俺の魔法行使を底上げするのが目的だったんだが……二人の戦闘力の高さを考えれば俺は補助魔法に力入れた方がいいかもな。あと、二人用に武器も用意しよう。そのへんは後で、父さん達に相談するとして。……じゃあ、俺のことも知ってもらうために軽く模擬戦するか。……あくまで軽くな?」

 

「は~い、じゃ、私がお相手させてもらっていいですか?」

「うん、ボクは見学させてもらうよ。」

 

 イオリアは、ユニゾンデバイスとしての意義がなくなるような構想でありながら、ベストっぽい自分の考えに再び落ち込みそうになったが、気を取り直して構えをとった。

 

「セレス、セットアップだ。」

「set up。」

 

 静かにそう呟いたイオリアに応え、セレスがバリアジャケットを展開する。中国拳法の道着のような黒い半袖服に、肘近くまである篭手が装着される。足元はショートブーツだが、足首あたりから足の甲にかけて何かの機械がついている。

 

 この5年鍛え抜いた覇王流の構え。先程は、二人のチートっぷりに自分を卑下したイオリアだが、構えたイオリアからは10歳とは思えないほどの威圧が放たれていた。

 

 軽くと言いながら気持ちは臨戦態勢である。まがりなりにも一流派の免許皆伝を得ている身なのだ。そう簡単に負けるような無様はさらせない。

 

 イオリアの強い意志が宿る瞳に見据えられ、相対するミクは思わず息を飲んだ。知らず下がりそうになる足を意識して踏ん張る。

 

 ミクは胸の内がドクンと鼓動するのを感じた。心臓などない身だが心はある。その心が震えているのだ。

 

 それは恐怖によるものではない。歓喜だ。自分がマスターと呼ぶこの少年は、こんなにも強い輝きを持っている。そのことにミクの心が歓喜しているのだ。

 

「――来い!」

 

 イオリアの短い掛け声にミクは一気に飛び出した。先ほどと同じようにヴォッという空気の破裂するような音と共にミクの姿が消える。

 

 最初はミクも高速機動をするつもりはなかった。しかし、高揚した心がついミクを動かしてしまったのだ。

 

 一瞬でイオリアの右側面に現れたミクは、肩を狙い鋭い蹴りを放つ。ミクも、観戦していたテトも思わずマズイと思った。イオリアが、まるでミクの動きを認識できていなかったからである。

 

 しかし、その心配は無用だった。

 

「ッ!」

 

 短い呼気と共に、イオリアの右腕が跳ね上がり肘で迎撃したのだ。「ガッ!」という音と共に、ミクの蹴りが止められる。

 

 これが人間だったなら、蹴った足の方が深刻なダメージを受けていただろう。

 

 思わず目を丸くするミク、イオリアは苦笑いし、

 

「軽くは撤回だ。来い!」

 

 と鋭く言葉を放つ。気を取り直したミクは、再び高速機動に入り森の木々も利用しながら全方位からイオリアを襲撃する。

 

 ミクが頭上からかかと落としをすれば、イオリアは、それを見もせず一歩下がるだけで回避し、着地の瞬間を狙って鋭い突きを放つ。

 

 絶妙なタイミングだ。ミクは避けずに受けることにした。

 

 しかし、予想以上に重い拳撃に踏ん張りきれない。咄嗟に衝撃に任せて後方に跳び威力を殺す。イオリアは追撃しない。速度で勝てないことはわかりきっている。故に、カウンターを狙う。

 

 ミクの足が地面についた瞬間、その姿が消えイオリアの背後からお返しとばかりに正拳が繰り出される。

 

 だが、ミクが攻撃の予備動作に入った瞬間には、イオリアは片足をスッと下げ半身なり、左の肘で拳を受ける。

 

 ミクは、その場で即座に屈み、回転しながら足払いをかけた。飛び上がって回避するか片足でも上げれば、さらに回転して逆足で蹴り上げるつもりだ。

 

 しかし、イオリアは飛び上がるどころかそのまま膝を落とし、その膝でミクの蹴りを受けた。

 

 動きの止まるミクが高速移動する前に足をつかみそのまま遠心力を利用して放り投げる。放り投げられたミクは、空中で猫のようにクルリと回り危なげなく着地した。

 

「……すごいですね、マスター。見えてないはずなのに、なんで……それに防御の仕方も……」

 

「俺の生前の記憶を持ってるならわかるだろ? 母さんは、危機対応能力って呼んでる。見えなくても、それが危険なら察知できるし対応できる。この防御は、覇王流の技の一つで【牙山】という。攻性型の防御で肘や膝で相手の攻撃を受け逆にダメージを与える技だ」

 

「なるほど、マスターが生き抜いた証ですね。それに武術を合わせて昇華させたと……さすが、マスターです!」

 

 ミクの目がキラキラしている。その素直な賞賛にイオリアは照れたように笑った。

 

 この5年で、イオリアの危機対応能力と覇王流の動きは見事に一つとなっていた。ミク達の、神速とも言うべき速度にすら対応できるほどに。

 

 まだまだ、持久力や魔法行使に力をさく余裕はなく未熟の域はでないが、ミクの賞賛は自分が強くなっていることをイオリアに実感させた。

 

「ま、まぁ、知ってもらえたようで何よりだ。もう少しやろうか。次は、テト、どうだ?」

 

「あいよ~、ふふ、流石ボクらのマスターだね。遠慮はしないよ?」

 

 実に楽しそうな笑顔で、テトが前にでる。代わりにミクが下がり、ワクワクした表情で観戦モードにはいった。

 

 それを横目に、イオリアは再び構えをとり、意識を戦闘モードに切り替えるのだった。

 

 

 

 

 

 イオリア達は現在、模擬戦を終え木にもたれながらリラックスした様子で休息をとっていた。模擬戦が意外に白熱し、ついついやりすぎてしまい、疲労からイオリアがブッ倒れたのだ。ミクとテトが余裕そうなのはこの際気にしてはいけない。

 

「あ~、疲れた。……にしても、お前ら、指銃とか手刀で牙突とか死ぬかと思ったぞ。もうちょい自重してくれてもよかったんじゃないか?」

 

「遠慮しないといったよ? それに、結局マスターは全部避けてたじゃないか。最後まで一撃も有効打が入らないとか、マスターも大概だよ?」

 

「そうですよ~、私、最後の方は結構本気だったんですよ? 回避能力だけならマスターもチートですよ。」

 

「いや、避けなきゃ死んでたからな?そりゃもう必死だったからな?」

 

 イオリアは弁明した。武術も危機対応能力もイオリアの努力の結晶なのだ。チートキャラのミク達と同じにされてはたまらない。

 

 そんなノリでやってみました! みたいに軽く致死級の技とかポンポン出されては命がいくつあっても足りないのだ。まぁ、確かにいい訓練にはなるのだが……

 

「「マスターなら、大・丈・夫!」」

 

 綺麗にハモリ、満面の笑顔でサムズアップする二人。信頼が重かった。イオリアは、引きつりそうになる顔を抑えながら信頼に応えんと新たに強くなる決意を強くする。

 

「まぁ、二人に無様は見せねぇよ。」

 

 そう言って、最後にはニヤリと不敵な笑顔を見せるのだった。

 

 

 

 

 

 イオリアは、ミク達と雑談しつつ、ふと思い立ってセレスの形態をヴァイオリンモードにした。それを見たミクとテトは、表情を輝かせ今か今かと待ち構える。

 

 イオリアは、静かに奏で始めた。

 

 静かに、それでいて伸びやかに奏でられる音色が森の中に響き渡る。ミクとテトは、その聞き覚えのある曲に笑みを浮かべ、そっと目を閉じた。そして、静かに歌いだす。

 

 森の中に、ヴァイオリンの深く多彩な音色が響き渡る。そこに、高く澄んだミクの声と、少し低めの深みのあるテトの声が重なる。

 

 ヴァイオリンの音色は、よく響きながらも決して二人の歌唱を邪魔することなく、むしろ華を添えるように奏でられる。

 

 もし音を見ることができるなら、イオリアの奏でるヴァイオリンの音とミク達の声がじゃれ合っているように見えただろう。

 

 イオリアもミクもテトも、本当に楽しげな表情で、次々と森の中に音色を響かせる。気がつけば、模擬戦の影響かまったく気配を感じなかった森の動物たちが遠巻きにこちらの様子を伺っていた。

 

 一曲目が終わり、二曲目、三曲目と続くころには、すぐ近くまで寄ってきていた。ミクとテトの頭には小鳥まで乗っている。

 

 興が乗ってきて、気がつけば数十曲は演奏していた。最後の曲が終わった頃には既に日がだいぶ傾いており、それに気がついた三人は時間を忘れて楽しんでいたことに顔を見合わせて思わず吹き出した。

 

 帰途につきながら、イオリアは二人に話しかけた。

 

「なんつーか、……ありがとな」

 

「「?」」

 

 突然のお礼の言葉にキョトンとするミクとテト。その様子に苦笑いしながら、イオリアは言葉を続けた。

 

「いや、前世のときから笑顔動画が趣味で、ミクやテトのこと好きだったのは知ってるだろう?それで、アランに願いを聞かれて音楽の才能と二人を求めたんだけど、……修行やらなんやらで、結局、動画サイトなんて作れてないし、ミクやテトも10年間おあずけだったわけで、……今日は久しぶりに前世での楽しみを思い出してさ、ああ~やっぱり二人と何かするのは楽しいなって。

 だから、何ていうか、一緒に楽しんでくれてありがとうというか、ここに居てくれてありがとうというか……まぁ、そんな感じ」

 

 どこか照れたような雰囲気でそう語るイオリアにミクとテトは、

 

「……マスター、よくそんな恥ずかしいセリフを面と向かって堂々と……流石、人にはできないことを平然とやってのける、そこに痺れるし憧れるよ?」

「……マスター、やっぱりまだ、厨二病治ってないんじゃないですか?」

 

 と応えた。

 

「んなっ、お前らそれはないだろう! 俺だって恥ずいのは我慢して言ったのに! あと、ミク! 俺は断じて厨二病じゃない!」

 

 イオリアは、二人の想定外の反応に羞恥心が一気に吹きあがり早足で歩き始めた。その顔は真っ赤に染まっており、どこか拗ねたような表情になっている。

 

「もう、マスター! そんなに拗ねないでくださいよ~」

「冗談だよ、マスター」

 

 からかいの色を含めた二人の声に、益々早足になるイオリア。だが、この時ばかりはミクもテトもイオリアが前にいてくれて良かったと思っていた。

 

 なぜなら、ミクとテトの顔もイオリアに負けないくらい真っ赤に染まっていたからだ。咄嗟に茶化して気を逸らしでもしない限り、夕日の光くらいでは誤魔化せなかっただろう。

 

(まったく、マスターはっ! 本当に、まったくですよっ!)

(実にさりげなく好きと言ったね。まぁ、深い意味がないことはわかってるけど……嬉しいものは嬉しい。マスターが天然ジゴロとか……いろんな意味で心配だ……)

 

 イオリアと二人の距離は少し離れていたが、夕日に照らされその後ろに延びる影は、三人の心を表すようにぴったりと寄り添っていた。

 




いかがでしたか?

笑顔動画のMMD作る人達って本当にスゴイと思います。
ちなみに、作者は作ったことありません。
SSも笑顔動画も初心者なんで・・・しかし、いつかは・・・

なお、この小説における笑顔動画と実際の笑顔動画はリンクしていません。
本当は、いろいろ紹介して共感を得たいところですけど・・・ほら、何か著作権とか怖いし・・・

次回は、転生物の定番、修行風景などを書きたいと思います。


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第4話 音楽の才能?

今回は短いです。

次話と繋がってますが、長くなりそうだったので切りました。


 あの日、初めて3人で音楽を奏でた日から3年が過ぎた。

 

 その間、イオリア達にも様々なことがあった。

 

 鍛錬でミクやテトが漫画の技を再現して使うのを見て、ついに我慢できなくなったイオリアが格闘系漫画の技の再現に夢中になったり、音楽の才能が留まるところ知らなかったり、路上ライブを定期的にやっていたら、やたらと人気が出て聖王様と覇王様がお忍びできたり、なぜか両王様と模擬戦することになったり、学校にミクとテトがやって来てちょっとした騒動が起きたり……

 

 本当に色々あったのだ。

 

 初等科の卒業を迎えた今日、これだけはきっと、どの世界でも変わらない学校長の長いお話を聞きながら、イオリアはそれらの出来事を回想していた。

 

 

 

 

 

「エセ飛天御剣流“九頭龍閃”!」

「なんの! クイックドロウ9連!」

 

 イオリアは、ミクが回避不能防御不能と言われた某放浪剣客の必殺技を繰り出し、それをテトが、某掃除屋の早撃ちで迎撃するという戦いに、なんともファン心を騒がせていた。

 

「やべー、かっこいい~。お、俺も何か再現技を……格闘系なら、刃牙?いやダメだ、ほとんど覚えてない。修羅シリーズなら?うん、結構覚えてる。再現MMD作るのに熟読したからな。魔法を補助に使えば……ブツブツ……」

 

 そんなイオリアを、いつの間にか模擬戦を終えていたミクとテトが生暖かい目で見つめていた。それに気づいたイオリアは、ちょっと恥ずかしそうにしながらも言い訳するように呟いた。

 

「いいだろ、別に。俺だって漫画の技とか使ってみたいんだよ。武術の基礎はできてるし、魔法もあるんだから、今ならいろいろできると思うんだ。できるのに見逃す手はないだろう?せっかくなんだし」

 

 それに対してテトは、呆れるように苦笑いしながら返した。

 

「あのね、マスター? 気づいてないみたいだから言っておくけど、マスターの修めてる覇王流も漫画の技だからね? しかも、ボク達みたいな再現しただけのエセ技と違って、正統を修めた本物だからね?」

 

 テトのその言葉に、思わず硬直するイオリア。しばらく考えて、「おお~!」と声をあげた。どうやら言われて今気づいたようだ。

 

「あはは~、マスターって時々、すごい抜けてますよね~」

 

 ミクにまで、どこか呆れを含んだ笑みを向けられ、イオリアは、気まずそうに顔を背けた。

 

「いや、覇王流は、5歳の時からマジで血反吐吐きながら習得した武術だからさ、漫画の技再現だ! みたいな気持ち持つ余裕なんて微塵もなかったっていうか……」

 

「あ~、相当厳しかったみたいだね? ママさんにも聞いたことあるよ。リリスもよく、坊ちゃんは毎回血まみれで帰ってきて手当が大変だったとか言ってたし」

 

「それで、マスター。技再現するとして、何をするんですか? さっき圓明流がどうとか言ってましたけど」

 

「ああ、本格的な格闘系漫画で技の原理とかハッキリ覚えてるのってそれくらいなんだよ。奥義とかやってみたいな。魔法も併用すればいける気がするんだよ」

 

 そういって、イオリアは、セレスをセットアップした。そして、傍にあった木に近寄ると、腕をぐるぐる回しながら準備に入る。

 

「今から“無空波”やってみるから、見ててくれ」

(セレス、ブレイクインパクトを準備してくれ、で俺が合図した右腕起点にして発動してくれ。)

(yes, master)

 

 不敵にニヤリと笑いながら構えをとるイオリアに、「大丈夫かなぁ~」という視線を向ける二人。

 

 その視線に気づかず、イオリアはエセ無空波を発動した。

 

 「ハアッ!(今だ! セレス!)」(start)

 

 イオリアは右拳で正拳突を放ちつつ、インパクトの瞬間にセレスにブレイクインパクトを発動させた。

 

 ブレイクインパクトは、対象の固有振動を割り出し、それに合わせてデバイスを振動させ対象に直接打つけることで破砕する魔法である。

 

 対象であった木は、イオリアの拳が打ち付けられた瞬間パンッ!という音共に表面(自然破壊にならないように威力を調整した)を破砕させた。

 

 イオリアは、その結果に満足げに頷きドヤ顔で振り返った。しかし、二人の表情には奥義たる技の再現に沸く様子はなく、テトは苦笑いをミクは気まずげな表情をしていた。

 

「おいおい、どうしたんだ二人共。ちゃんと再現できてただろう?もうちょっと盛り上がってもいいんじゃないか?」

 

 そう言うイオリアに、テトは苦笑いを濃くして、ミクは目を逸した。

 

「マスター。確か無空波は、拳を当てた状態から腕を振動させることでその衝撃を相手に伝える技でしょ? 今、マスターがしたブレイクインパクトは、振動しているデバイスを叩きつける技じゃないか。打撃をしたとき対象の固有振動と合わせることで防御力を下げてるだけ。攻撃を避ければそれまでだし、固有振動を割り出されてもシールドを張るなり防御を強化すればいいし。無空波みたいに、掠るだけでアウトなんてとんでも技と一緒にするのはちょと……」

 

「マスター、私には、ただマスターが木を殴っただけにしか見えませんでした」

 

 理路整然とテトに返され、ミクに率直かつ的確な意見を言われ、イオリアは崩れ落ちた。

 

「た、確かに、言われてみれば、ただ殴っただけだ。アホか、俺は……やはり、奥義というだけはあるな、俺程度の未熟者の浅慮でどうにかなるほど甘くはなかったか。……ふふ、いいだろう。燃えてきた。……絶対、圓明流奥義を習得してやる!」

 

 一人で落ち込み、一人で納得し、一人で燃え始めたイオリア。

 

 そんなイオリアの姿を、やっぱり生暖かい目で見守るミクとテト。彼等の鍛錬は概ねこんな感じで進んでいくのだった。

 

 3ヶ月後・・・

 

「――“無空波”!!」

 

 裂帛の気合とともに、イオリアと密着状態だった木がドウッと音を立てながら倒れる。そう、イオリアは宣言通り圓明流の奥義を一つ習得したのである。

 

 ここに至るまで、それはもう大変だった。腕を壊しては、治癒魔法をかけアイリスに怒られる。また腕を壊しては、治癒魔法をかけリネットに泣かれる、さらに腕を壊しては、リリスを怒らせて治癒してもらえず、それでも諦めずに鍛錬を続け、ついに会得したのである。

 

 イオリアは、内心狂喜乱舞した。憧れのカッコイイ技を再現できることがこれで証明されたのだ。

 

「マスター、すごいです! さすがです!」

「いや、本当に会得しちゃったね。ボク達も、リリスに隠れてマスターを治癒してた甲斐があったよ。おめでとう」

 

 いや~と頭を掻きながら照れるイオリア。そんな自分達のマスターを見ながら、ミクとテトはイオリアに気づかれないように注意して念話をしていた。

 

(う~テトちゃん、どうしよう。マスターやっぱり気づいてないよね? 私達に再現させてたからこそ鮮明に覚えてるってこと)

(うん、完全に忘れてるね。でも、気づくまではソっとしとこう、ミクちゃん。あんなに盛り上がって死ぬ気で会得した技を、ボク達があっさり再現できるとか……マスター泣いちゃいそうだし)

 

 そんな、会話が二人の間でされているとは露知らず、イオリアは、次の技はやはりあれだな!と意気揚々と新たな技の会得に奮闘するのだった。

 

 1年後、本当に記憶にある限り技を会得したイオリアだったが、ミク達がエセ技で練度は相当下がるとは言え、普通に再現できることに気づき、案の上、崩れ落ちたのだった。

 

 

 

 

 

 学校長の話が未だ続く中、イオリアは当時のことを思い出し遠い目をした。

 

(あの後、ミクやテトが再現できない技の会得に躍起になったっけ。技のストックも無くなって、オリジナル技の開発までしたものな。いや、若かった。……そういえば、その躍起になってる最中だったか、「音楽の才能」が思わず突っ込み入れたくなるレベルのとんでもない代物だと気づいたの。)

 

 イオリアは、既に話がループし始めた学校長のお話を聞き流しながら、再び過去に意識を飛ばした。

 

 

 

 

 

 イオリアは、いつものように鍛錬の場である森の中に一人で来ていた。

 

 別に、ミク達に愛想を尽かされたわけではない。二人は、アイリス達が用事を頼まれ遅れてくることになっているのだ。

 

 イオリアは、新たな技の鍛錬でもしようかと一瞬悩んだが、何となく久々に一人で演奏してみようかと思い立った。

 

 イオリアの傍には、二人が生まれてから常にどちらかは必ずいたので、必然、イオリアが歌ったり演奏すればミク達も乗ってくる。それは、楽しいことで何の不満もないのだが、折角の機会なので久しぶりに一人で存分に演奏しようと思ったのだ。

 

「セレス、セットアップだ。バリサクモードで。」

「set up, mode baritone saxophone 」

 

 イオリアは、セレスをバリトンサックスモードにし、一つ深呼吸をすると息を吹き込んだ。

 

 森の中に、バリトンサックスの重厚な音色が響き渡る。イオリアは、ジャズ風にアレンジした曲や、アニソンでバリサクの重低音に合う曲を選曲し、次々と奏でていった。

 

 木々の隙間から差し込む日の光が、黄金色のバリサクに反射してイオリアの周囲をキラキラと彩る。仮に、この場に通りがかるものがいれば、軽快なリズムと腹の底にまで響く音色に耳を奪われ、次いで、輝く奏者に目を奪われたことだろう。

 

 数十曲ほど演奏して、とりあえず満足したイオリアは、次で最後の曲にしようとマウスピースを咥えた。

 

 その瞬間、強風が吹き、舞った木の葉がイオリアの鼻先を掠めた。それにより、鼻をムズムズさせたイオリアは、思わず大きく息を吸いマウスピースを咥えたままくしゃみをしてしまった。

 

 その結果……

 

 イオリアを中心に半径10mが根こそぎ吹き飛んだ。

 

 周囲に木々はなく、まるで木っ端微塵にでもなったようだ。地面もまるで耕したように抉れている。まさに、爆心地というにふさわしい様相だった。

 

 イオリアは何が起こったのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 

 そうすると、木々の向こうから見知った二人がこちらに駆けてくるのが見えた。ミクとテトだ。二人は、イオリアの姿とその周辺の惨状を見て血相を変え、高速機動でイオリアの眼前に現れた。

 

「マスター、無事ですか! 一体、何事ですか!? 敵襲ですか!?」

「これは……マスター、怪我は?平気?一体、何があったんだい?」

 

 ミクはもちろんのこと、いつもクールなテトですら若干、焦りが見える。二人共、爆撃でも受けたような場所の中心に、自分達のマスターがいることで相当心配したようだ

 

 イオリアは、未だ呆然としながらもミクとテトの様子に少し冷静さを取り戻し、二人の質問に答えた。

 

 「ありのまま今起こったことを話すぜ

  サックス咥えたままくしゃみをしたら、周囲が吹き飛んでた。

  何を言ってるのか分からないだろうが、俺にも分からない。

  頭がどうにかなりそうだ。

  魔力の暴走とか、幻覚なんてちゃちなものじゃ、断じてない。

  もっと、恐ろしいものの片鱗を味わってるぜ、現在進行形で……」

 

 まったく冷静さを取り戻せていなかった。ミクとテトは、テンプレな返しをしたイオリアに大丈夫そうだと安堵するとともに、イオリアに改めて、この現象について心当たりがあるのか聞いてみた。

 

「え~と、マスター。サックス吹いてこうなったってことは、やっぱり音楽の才能が関係してるんですか?」

「マスターが、今更、魔力を暴走させるとかありえないしね。状況から見てそれしかないよね?」

 

 二人からの質問に、今度こそ正気を取り戻したイオリアは、しばらく考え込んだあとハッと何かに気づいた様子を見せた。そして、徐々に表情に苦々しさが現れた。

 

「心当たりは……ある。間違いなく音楽の才能が関係してる。それに、この現象も知ってる。間違いなく、音の衝撃波だ。某砂漠の星の殺人音楽家が、同じようにサックスで衝撃波を飛ばしたり、固有振動と共鳴を利用して脳を直接破壊したり、音を相殺して無音領域作ったりしてた」

 

「あぁ~あれですか。確かに記憶にありますね」

「マスターも同じことできるのかい?」

 

「……多分できる。実は、結構前から、半径200mくらいなら音を聞き分けられるようになってたし、今も徐々に範囲が広がってる。セレスも、父さん達が魔改造したものだから頑丈さも出せる音域も一般的な楽器の比じゃない。条件は揃ってる」

 

 そういって、イオリアは、マウスピースを咥えるとバリサクを吹き鳴らし始めた。

 

 ひどく集中してるのか額には汗が浮き、こめかみの血管が浮き出始めている。

 

 その様子を心配そうに見つめていた二人だが、しばらくすると異変に気づいた。周囲から音が消え始めているのだ。

 

 森の中である以上、街中に比べ元より静かではある。しかし、決して無音ではない。風の吹く音、葉が擦れ合う音、落ち葉の舞う音など森の中でも様々な音がする。今は、ミクとテトの衣擦れの音なんかもある。

 

 しかし、それらの音が徐々に聞こえなくなり、しばらくすると完全な無音になった。

 

 イオリアは、今やはっきりわかるほど血管を浮き上がらせながら、リアルタイムで雑音や共鳴を聞き分けて逆位相の音を演奏し続けているのだ。

 

 イオリアは、完全に音を消せたのを確認したのか、演奏を止めふぅーと大きく息を吐いた。袖口で額の汗を拭うと、二人に視線を向け、

 

「やっぱ、できちまったよ。俺もついに化け物ーズに仲間入りか・・・」

 

 と、遠い目をしだした。

 

 そんなイオリアに対し、テトとミクは顔を見合わせて苦笑いをし、イオリアに向けて二人揃ってサムズアップした。

 

「「今更です(だよ)」」

 

「な、何だと? ちょっと聞き捨てならないんだけど。それじゃ、俺が既に化物級だったみたいじゃないか、俺は至って平凡で、多少強くはあるが、あくまで努力で手に入る範疇だぞ?」

 

 そんな自分の化物っぷりに、全く自覚のないイオリアに、ミクとテトは懇切丁寧に説明を始めた。

 

「10歳で覇王流免許皆伝」

 

「ぐっ」

 

「音楽の才能は他の追随を許さず」

 

「うっ」

 

「漫画のとんでも技を次々と会得」

 

「……」

 

「客観的に見れば、未だ融合事故が多い中で、二機のユニデバを適合率100%で所持」

 

「ユニゾンすれば、Sランクに届きますよね」

 

「……認めましょう! 俺はとんでもキャラですよ!」

 

 ガクと膝を付くイオリアに、ミクとテトは、うんうんと頷き、

 

「「さすが、マスター」」

 

 と、声を揃えて笑った。

 




いかがでしたか?

楽しんでもらえたなら嬉しいです。

イオリアは順調よくチート化しているようです。

次回は、続き。古代ベルカを代表するあの二人が出てきます。


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第5話 聖王様 覇王様

前話と同様に回想です。


 学校長の話は、ついに3度目のループに突入した。既に、学生達の目は虚ろになってきており、保護者や教員達からは殺気が漂い始めている。

 

 そんな場の空気を華麗にスルーして、イオリアは当時のことを思い出し苦笑いをしそうになり、慌てて無表情を取り繕った。

 

(あれから、さらに可聴領域も広がって半径1kmは聞き分けられるもんな。化物と言われても仕方ない。自分でもそう思うし……もう某ホーンフリークさん超えてるんじゃなかろうな……そういえば、あの人達にも化物扱いされたっけ? あんな最強レベルの使い手にまで……ていうか、何で俺、歴史上の英雄達と素で親交持ってるんだよ、何かやたら気に入られてるっぽいし……)

 

 イオリアは、まさか邂逅するどころか、親交を持つことになるとは微塵も思っていなかった人達との出会いを思い出した。

 

 学校長は、ノリに乗って話を続けている。まだ、しばらくは掛かりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 その日、イオリア達は、ここ1年ほど定期的に行っている路上ライブに来ていた。

 

 始めてすぐの頃から、一定のファンが付いたようで不定期公演であるにもかかわらず、イオリア達が演奏の準備を始めるとワラワラと人が集まり、直ぐさま連絡網が回されさらに人が集まってくる。

 

 かなり広い場所でなければ確実に交通妨害になるので、イオリア達は当初、場所の確保に随分苦労した。郊外にある大きな森林公園が現在のライブの定番の場所になっている。

 

 その日も既に大勢の人々が、イオリア達のライブを今か今かとキラキラした瞳で待っていた。

 

 一体、こんな短時間でどうやって集まってくるのか。イオリアは内心疑問に思いながらも、自分達の演奏を心待ちにしてくれることを嬉しく思った。

 

「え~、皆さん10日ぶりのライブです。初めての人もそうでない人も存分に堪能していって下さい!」

 

 イオリアがそう声をかけると、観客は爆発したように歓声をあげた。

 

 その様子を見て、イオリア達も楽しげな笑みを浮かべる。そして、ミクがハンディタイプのキーボードを肩に掛けながら前に出た。イオリアはヴァイオリンを持ってミクの左手の若干後ろに、テトはギターを肩に掛けミクの右手側後ろに控えた。

 

 初手はミクがボーカルだ。観客の歓声に応えるように最初はアップテンポな曲でいく。三人は顔を見合わせ、一つ頷くと一気に楽器を掻き鳴らした。

 

 イオリアのヴァイオリンが伸びやかに響き渡り、テトのギターとミクのキーボードが演奏に深みを与える。セレスにあらかじめ音源を取っておいたドラムや他の楽器がさらに華を添える。

 

 演奏が始まった瞬間、今まで歓声を上げていた観客は一斉に静まり返った。どんな雑音も出すまいと、ただの一瞬も聞き逃すまいと、楽しげでありながら真剣な表情でイオリア達の音楽に浸る。

 

 そして、我らの歌姫がついに歌いだす。どこまでも澄み切った声。高めの声のはずなのに、全く不快さを感じないどころか快楽すら感じてしまう。観客は陶然としながらその美声に聞き惚れる。

 

 終始、心底楽しげに歌い休みなく次の曲に移行する。今度の曲は同じようにアップテンポな曲ではあるが、先の曲と異なりどこか悪戯さが含まれている。歌詞も悪戯好きの少年少女を歌っているようだ。ミクの表情もどこか悪戯めいている。

 

 観客たちの内、それなりの人数がその表情を見て頬を赤らめていた。主に男だが。

 

 それからさらに数曲演奏し、ボーカルをテトが代わったり、観客のリクエストに応えたり、暴走した一部の男性ファンがミクとテトに近づこうとして他のファンに叩き出されたりしながら、その日のライブを終えた。

 

 イオリア達が、その場に残った幾人かの友人やファンと雑談をしていると、不意に近づいてくる二人がいた。ものすごく怪しい二人が。

 

 その二人は、揃いのサングラスをかけ、帽子を目深にかぶり、口元をマスクで隠していた。どう見ても不審者である。イオリアは危機感が働かないので様子を見ることにしたが、他の皆は警戒心を露わにした

 

「いや、そんなに警戒しないで欲しい。怪しいものではない。少し君たちと話がしてみたいのだ。」

 

 そう言って、両手を上げながらなお近づいてくる男。

 

「君が怪しくなければ、世の中に不審者なんて存在しないよ?」

「う~、マスター! こんな格好しながら、自分は怪しくないって堂々というこの人の神経が怖いですよ~」

「ミクさん、テトさん、近づいちゃダメだ! 下がって! おい、お前、それ以上近寄るな!」

「そうですよ、ミクさん。ここは僕に任せて先に行ってください! なに、直ぐに追いつきますよ(フッ)」

「あっ、てめぇ、何一人カッコつけてんだ! MTF(ミクテトファンクラブ)鉄の掟第2条を忘れたのか!」

「あ、イオリア。お前はもう帰っていいぞ。二人のことは俺たちに任せろ!」

 

 場は一瞬でカオスと化した。不審者への混乱というより、ミクとテトを巡る欲望がダダ漏れになっているせいだろう。

 

 イオリアは、友人関係を見直すべきかもしれないと半ば本気で考えながら、頬をヒクつかせ、取り敢えずミクとテト以外の騒いでいる全員を殴り倒した。

 

「アホか、お前ら。欲望ダダ漏れじゃねぇか! いいから、今日はもう帰れ! シッシッ!」

 

 イオリアは、まるで犬でも追い払うかのように手を振った。

 

 殴り倒された連中は、ブツブツと文句を言いつつもイオリアの強さを知っている連中ばかりだったので大人しく帰っていった。

 

 去り際に、

 

「夜道には気をつけろよ、このリア充が。」

「何時までも、お前の天下と思うなよ、爆発しろ」

「これだからモテるヤツは……空気読めよ、今のはミクさんが僕に惚れるシーンだろ?ったく」

 

 イオリアのこめかみに青筋が入る。そして無言で構えた。

 

「覇王断――」

 

「わ~マスター、ダメですよ~! 皆さん、逃げて~早く逃げて~!」

「落ち着いてマスター、それはマズイ。彼らがタダの肉片になっちゃうよ」

 

 イオリアがキレたのを察した友人達は「わ~」と気の抜けるような掛け声とともに蜘蛛の子を散らすように逃げ帰っていった。

 

 その間、完全に放置されていた不審者は、イオリアが出そうとした技に少し驚いたような素振りを見せつつ、放置されたことにどことなく悲しそうな雰囲気でイオリアに声を掛けた。

 

「あ~、愉快な友人達だな。それで、そろそろいいか?」

 

 その声に、ようやくこの場には二人の不審者がいることを思い出し、イオリア達は気を取り直して不審者に向き直った。

 

「さっきから、やたら不審者と連呼されている気がするのだが……」

 

 的確にイオリア達の心情を察知する不審者その1。

 

「クラウス……だから言ったではありませんか。この格好は逆に目立つと。不審者以外の何者でもありませんよ……」

 

 ため息をつきながら、そう指摘し、サングラスやマスクを取る不審者その2。その素顔は、優しい顔立ちの少女だった。だが、驚くべきはその瞳である。右が翠、左が紅というオッドアイだったのだ。帽子の隙間から見える髪の色は綺麗な金髪。

 

 どうみても聖王様だった。

 

「そうはいいますが、オリヴィエ。一応お忍びなわけで、変装は必須ですよ。怪しいのは認めますが、逆にこれだけ怪しければ誰も近寄ってこないでしょう」

 

 そう言って弁明しながら、サングラスとマスクをとった男の瞳は、右が紺、左が青で、帽子から除く髪は碧銀色だった。どう見ても覇王様だった。

 

「何で、ここに聖王様と覇王様がお揃いでいらっしゃるのですか?」

 

 イオリアは、内心、冷や汗を大量に掻きながら必死に表情を取り繕い、違うといいなぁという無駄な願望を抱きつつ確認の意味も含めて尋ねた。

 

「突然の訪問、申し訳ありません。最近シュトゥラに素晴らしい演奏する者達がいると聞いて、クラウスと聞きに来たのです。申し遅れましたが、お察しの通り、私の名前はオリヴィエ・ゼーゲブレヒト。聖王家の人間です。」

 

「私の名は、クラウス・G・S・イングヴァルトだ。まだ、覇王などと言われるほどではないと思うがな。」

 

 そう言って、クラウスは手を差し出した。イオリアは緊張しつつ、やっぱりかと思いながら握手に応じた。

 

「イオリア・ルーベルスです。こっちの二人はミクとテト。私達の音楽をわざわざ聴きに来て頂けるとは光栄です。」

 

「そんなに畏まらなくともよい。今は、私もオリヴィエも一個人だ。それにしても、ふむ、やっぱり武術をする者の手だな。先ほど繰り出そうとしたのは断空拳か。その年で既に会得しているとは大したものだ。しかし、君は音楽家だろう? 音楽と武術、いささか不釣り合いな気がするが……」

 

 クラウスの最もな疑問に、イオリアは苦笑いを浮かべた。

 

「母であるアイリス・ルーベルスが元軍属でして、覇王流を修めているので幼少の時より教わっていました。音楽は純然たる趣味です」

 

「あれだけの素晴らしい演奏が、ただの趣味なのですか? イオリア君はプロを目指しているのではないのですか?」

 

 聖王姫に君付けで呼ばれたことにくすぐったさを感じながら、イオリアは「あくまで趣味です。将来は、わかりませんが……」と応えた。

 

 古代ベルカの歴史を詳しく知らないイオリアだが、そのままの歴史を辿るなら、いずれ本格的な戦争と悲劇が起こる可能性が高いと考えているので、それらから大切な人達を守り切るまでは将来のことに気を回せなかったのだ。

 

「ふむ、将来は未定か。ならイオリア、私の騎士にならないか?」

 

 クラウスは突然、とんでもないことを提案した。覇王様直々のスカウトなうえ、ニュアンスから言って直属でという意味だろう。

 

 ありえない提案に、今度こそ頬が引き攣るのを隠せなかったイオリアは、クラウスに真意を確認した。

 

「……どういうおつもりですか。覇王様の直属って意味ですよね? 俺みたいな初等部も卒業してないような子供にそんな……」

 

「クラウス、私にもお聞かせ願えますか? もし、いたずらに興味本位でそんなことを言っているのなら……あなたの提案は、彼の人生を決定づけてしまいかねないものなのですよ?」

 

 クラウスは、そんなイオリアとオリヴィエの様子に落ち着けと手で制した。

 

「気が付きませんでしたか? オリヴィエ。イオリアは相当できますよ。おそらく、その辺の騎士より強い。おまけに音楽は天上。まだこの年齢で、です。王家の者として、これほどの人材を放置する方がどうかしています。」

 

「それは……、確かに彼からは強者の力を感じますね。音楽に気を取られすぎて気が付かないとは、相当浮かれていたようです。しかし、イオリア君の意思は……」

 

「もちろん、強制じゃありません。ただ、少なくとも、将来の選択肢として上位に入れておいて欲しいのです」

 

 何やら、勝手に話が進んでいく上に、戦ってもいないのにやたら戦闘力を高評価され、イオリアはどうしたものかと頭を捻った。

 

「あの~、なんか随分と高評価頂いてますけど、覇王様の直属になれるほどでは……買いかぶりでは……」

 

「クラウスでいい。私は、相手の力量を読み誤るほど未熟ではなないつもりだ。・・・あまり自分を下に見るべきではない。過ぎた謙虚は、君を信頼する者に対する侮辱にもなるぞ」

 

 そういったクラウスは、チラリとミク達を見た。その視線を辿ったイオリアは二人と目が合い、彼女達が随分と得意げな表情をしてイオリアを見つめているのに気がついた。

 

 ミクもテトも、自分達のマスターが王様に直接スカウトされるほど評価されていることが誇らしかったのだ。

 

「マスター! すごいじゃないですか。王様直々のスカウトですよ。考えて見てはどうですか」

「そうだね。マスター、音楽ができなくなるわけでもなさそうだし、せっかくそんなに鍛えたんだから考えてみてもいいと思うよ?」

 

 ミクとテトは、イオリアが何のために強くなろうとしているのか知っている。それは、いずれ訪れるであろう悲劇から大切な人達を守るためだ。だが、戦争がいつ起こるか分からない以上、イオリアはそれまでにも多くの人々と出会い大切に思うことだろう。

 

 もう、家族だけとは言っていられないはず。イオリアとはそういう人間なのだ。だからこそ、一番情報が入りやすく事態に介入しやすいだろうクラウスの提案は渡りに船と思えたのだ。

 

 一方、イオリアもミク達と同じ結論に達していた。

 

 初めは家族さえ無事ならいい、いざとなれば家族だけ連れてさっさと逃げようとさえ思っていたが、今はもうそんな決断ができるとは思えなかった。

 

 学校で出会った友人たちや、毎回、自分たちの音楽を楽しみにしてくれるファンの人々、よく行く店の人達、彼らもまた、既にイオリアの大切に含まれてしまった。

 

 甘い考えではあるだろう。しかし、前世から培った性質はもはや変えようがない。

 

 イオリアは決断した。

 

「クラウス様、その話、お受けしようと思います」

 

「おお~、そうか。それは嬉しいことだ。では、さっそく関係者に……」

 

 はやるクラウスは早速手続きでもしそうな勢いだ。オリヴィエも心配そうであるが、どことなく嬉しそうだ。音楽が身近で堪能できるからだろうか? 

 

 だが、そんな二人に、イオリアは待ったをかけた。

 

「待ってください。クラウス様。話はお受けしますが、今すぐはお受けできません。便宜を図って頂く必要もありません」

 

「それはどういうことだ?」

 

 訝しそうな表情を見せるクラウス。オリヴィエも疑問顔である。そんな二人にイオリアは真っ直ぐ視線を向け宣言した。

 

「自分で行きます。その場所へ」

 

 イオリアの宣言に、その意図を察したのであろうクラウスは思わず瞠目した。

 

 ベルカの騎士といえば、いわばエリートだ。騎士学校を出て試験を受け、何れかの国で叙任を受けなければならない。その道は容易ではなく厳しい訓練が待っている。

 

 ただ例外的に、三王家・四皇家・四帝家の血族が直接認めた者もベルカの騎士を名乗ることができる。

 

 クラウスがイオリアに提案したのはそういうものだが、別段珍しいことではない。これらの家と縁のある者は、コネを使って騎士となるのが普通だ。騎士学校で何年も勉強するなどコネを全く持たない平民などが普通である。

 

 クラウスには、なぜわざわざ面倒な道を選ぶのか疑問に思った。

 

「理由を聞いていいか? 私の叙任では不満か?」

 

「いいえ、評価して頂けたことは素直にうれしいです。しかし、俺はまだ子供です。戦闘力はあっても、俺はこのベルカについてまだまだ無知の域をでないんです。騎士の心構えもあり方も知りません。最近少し余裕が出てきて、これから色々知っていこうと考えてました。だから、俺が自分でそこに行くまで待っていてもらえませんか?」

 

 クラウスもオリヴィエも、イオリアの言葉を聞いて一体どこが子供かと心中で反論した。

 

 自分を無知と断じ、漫然と力を振るうことを許さないなどと言える者が、そんな考え方をできる者が子供のはずがない。大の大人ですら難しいことだ。

 

「そのような考え方ができるなら心配ないと思いますが。確かにあなたは騎士になるには相当若いですが、王家の縁者ではそれほど珍しくはありませんし、騎士をしながら学ぶこともできると思いますよ?」

 

 オリヴィエは、率直に自分の考えを話した。クラウスも頷いている。

 

「そうかもしれません。……でも、頑張れば自分でできることを投げ出したくない。……俺はもう十二分に与えられているんです。大切なものは全部全部、与えられたものなんです。だから、〝できる〟なら、自分で手に入れる。もう、与えられるだけじゃない。誰かに与えられる人間に俺はなるんです」

 

 ミクとテトをチラリと見て優しげな表情をしたあと、再びクラウス達に視線を向けたイオリアに、今度こそクラウス達は何も言えなかった。

 

 詳しい事情はわからない。だが、その言葉に、その瞳に、宿る意志は間違いなく本物だった。

 

 見つめ合うイオリアとクラウス達だったが、不意にイオリアはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

「それに、聖王と覇王が認めた相手が、本当に何年も騎士学校に通うとでも?余裕で飛び級でも何でもして、そこに行ってやりますよ」

 

 その、今までとは打って変わった傲岸不遜な宣言は両王をして破顔させた。

 

「ハハッ、そこまで言うなら、私はただ待つとしよう。もう何も言わんさ」

「ふふ、ここまで清々しい言葉を聞くのは久しぶりですね。騎士になる日が楽しみです」

 

 その後、「興が乗った。イオリア、一手付き合ってもらおう!」といい、半ば強制的に模擬戦が開始され、大人しそうなオリヴィエですら遠慮がちではあるものの、やはり武人の血が騒ぐのか「わ、私も一手よろしいですか?」と聞いていながら、やはり半ば強制的に模擬戦をはじめ、奇しくもイオリアの実力が二人に示された。

 

 結果は、当然、イオリアの敗北だったのだが、両王にかなり本気を出させるほど健闘し、二人は実に満足気な笑みを見せていた。ブッ倒れているイオリアの傍らで。

 

 イオリア達と別れた帰り道、また不審者ルックに戻ったクラウス達は、イオリアを主題に盛り上がっていた。

 

「それにしても、イオリアは、実に面白い少年でしたね」

「ふふ、まるで弟でもできたみたいですね?あなたのそんな表情は初めて見ました」

 

 いつも真面目で落ち着いた雰囲気のクラウスが、どこか少年のように浮かれながら話す姿は、オリヴィエの言う通り、まるで弟を自慢する兄のように見えた。

 

 それに、クラウスは照れるように頬を掻いた。

 

「そういうオリヴィエも、相当気に入ったようですが?」

「ええ、あの年で、あれほど強い意志を示せる者などそうはいません。彼が騎士になる日が本当に楽しみです。……それに」

 

 一瞬、言葉を止めたオリヴィエに、クラウスは続きを促す。

 

「『与えられるより与える人間になりたい』――それはもう、民の考え方ではありません。どちらかといえば、私たちに近い。……ふふ、本当に楽しみな少年です。長い付き合いになる、そんな気がするのです」

 

「確かに。」

 

 二人は、再び笑い合って、新たにできた楽しみに思いを馳せた。

 

 その日のルーベルス家食卓にて、

 

「今日のライブはどうだった? まぁ、大成功でしょうけど」

「そうだな、お前達三人の演奏はすごいからなぁ、うん、流石俺の息子」

「坊ちゃんは正真正銘の天才ですからね! 当然です」

「お兄ちゃん、今度は連れてってね?」

 

「うん、何か聖王と覇王が来て、連絡先交換したよ。あと、俺、将来、騎士になることにした」

 

「えっ?」

「えっ?」

「えっ?」

「ほぇ?」

 

 

 

 

 

(あの後、大変だったな。父さん達からの質問攻めが。でも、リネットの「騎士様になるの?お兄ちゃん、カッコイイ~」は嬉しかったな。リネットは天使だな。むしろ女神だな。セレスに頼んで録画しておけばよかった)

 

 いよいよ、耐え切れず気絶する人がちらほら現れ始めた講堂で、イオリアは過去から意識を戻した。

 

 先程から、副校長の「うぇぉほぅんっ!」という咳払いが響いている。最初は、「ごほん」とか「んっんっ!」とかだったのに、今は何だか奇怪な生物の鳴き声みたいになってきている。

 

 そんな鳴き声など効かんわ! と言わんばかりにお話を続ける学校長の話は、既に4週目、しかも、細部が微妙にアレンジされている。講堂の隅で、教員達が円陣を組んでいることから、そろそろ強行手段に出るかもしれない。

 

 そんな様子をボーと眺めているイオリアだが、初等部を無事卒業し、騎士学校の入学も決まっている。しかも、宣言通り、飛び級して4年制のところを、3年生で入学である。この経緯についても紆余曲折があったのだが別の機会に置いておく。

 

 それより、今のイオリアには気がかりがあった。イオリアの耳に家族の音以外にも、よく知った二人の音が聞こえているのだ。

 

 その内の一人が大分苛立ってるようだ。教員より先に強権を発動するかもしれない。イオリアが、「まさかなぁ~」と思っていると、ついに教員達が動き出した。

 

 咳払いし過ぎてグッタリしている副校長の脇を通り、壇上にあがる階段に脚をかけようとした瞬間、

 

「では、これをもって挨拶と代えさせていただく。卒業生諸君、卒業おめでとう!」

 

 と、学校長は挨拶を締めくくり、実に清々しい笑顔で意気揚々と壇上を降りて行った。

 

 硬直する教員達、ドヤ顔の学校長。

 

 お前らの間に一体何があったんだ、と思わずツッコミを入れずにはいられないイオリアであった。

 

 

 

 

 

 

 家族と合流したイオリアは、先に行くよう促して、人気のない方に歩みを進めた。そこで待っている二人に会いにいくためだ。

 

 そう、クラウスとオリヴィエである。

 

 ここ1年ちょっとで二人とは定期的に連絡を取り合い、ライブにも度々訪れていたのでかなり親しい関係になった。今では、二人のことを、さん付けで呼んでいる。もちろん本人達だけの場合に限られるが。

 

 ちなみに、聖王家のオリヴェエが長くシュトゥラ(覇王家の領地)にいる理由は政治的理由から留学しているからである。

 

「とりあえず、卒業おめでとう、イオリア。しっかり飛び級もしたみたいだな」

「ご卒業おめでとうございます。イオリア君。万事順調のようで喜ばしい限りです」

 

 そういって、クラウスとオリヴィエはやって来たイオリアに笑顔を向けた。イオリアも、二人に笑顔を向けて、わざわざ出向いてくれた二人に礼をいった。

 

「クラウスさん、オリヴィエさん。わざわざ、来てくれてありがとう。でも、途中、クラウスさんが何かしやしないかヒヤヒヤしました。相当苛立っていたでしょ?」

 

「やっぱり、聞こえていたか。あの学校長はどうにかならないものか? いくらなんでも長すぎるだろう」

 

「それを言っても仕方ありませんよ、クラウス。もう過ぎたことです。それより用意したものを渡しましょう」

 

 苦笑いしながら、オリヴィエはクラウスを促す。クラウスも気を取り直し、イオリアのために用意した卒業祝いを取り出した。

 

「ささやかなものだが、お祝いだ。受け取って欲しい。」

 

 イオリアは、そんなものまで用意してくれたのかと驚きながら、二人の好意に感謝し「ありがとうございます」と礼を言って、それを受け取った。中を見ても? と視線で問いかけ、了承をもらったので早速開けてみる。

 

 中に入っていたのは、三対のイヤリングだった。小さな十字架の中心を囲むようにリングが付いていて、中心に小さな石がついている。それぞれ、図ったように翠・紅・濃紺である。「これは?」という疑問を視線で訊ねる。

 

「それは魔法具だ。例え次元が異なっても三対のイヤリングは其々引き合う性質を持っていて相手の位置が分かる、近い次元世界なら通信も可能だ……魔力はなくてもな」

 

「そんな高性能なものを……本当にいいんですか?」

 

「ええ、ぜひ貰ってください。あなたと、ミクさんとテトさんの力になります、きっと」

 

 イオリアは、かなり高性能な魔法具に、貰うのを一瞬ためらったが、「人の好意は遠慮せず受け取れ」という前世の母の教えを思い出し、ありがたく受け取ることにした。

 

「ありがとうございます。ミクとテトも喜びます」

 

「ああ、それじゃ私達は行く。長話で時間が削られてしまったからな」

「では、失礼しますね?どうか無茶はなさらずに」

 

 そう言って、二人は帰っていった。不審者ルックで。

 

「あれ、気に入ってるんだな」

 

 イオリアは、自分と会うたびに不審者ルックでやってくる二人にいい加減、やめるよう忠告すべきか迷ったが、ここ1年スルーしてきたので今更かと思い直した。そして、イオリアもまた家族の元へ帰るのだった。

 




いかがでしたか?

聖王と覇王の口調がよくわからない。
設定では、互いに親しく呼び捨てだったが、王族同士ということから敬語を使っていたようです。
ただ、流石にイオリア達にまで敬語は使わないだろうと、こんな口調にしました。
違和感ないといいのですが。

次回は、いよいよ戦争が始まります。


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第6話 戦争勃発

シリアス突入




 騎士学校に入って1年と半年。

 

 イオリアは、鍛錬に勉強に音楽活動にと大忙しだった。

 

 それ以外にも、騎士学校は寮に入るのが原則なので、休日くらいしか外泊できず、それを知ったリネットの家出騒動があったり、ミクとテトがイオリアと同じ部屋に入ることで男子寮に大騒動が起きたり、いきなりの3年生という飛び級な上クラウスと親しいという噂(事実だが)が広がりやっかみから学校全体を巻き込んだ決闘騒ぎになったり……

 

 イオリアは自分の周囲が常に騒動に溢れていることから、もしや自分が疫病神になんじゃ……と落ち込んだりした。

 

 そんなあらゆる意味で忙しいイオリアだったが、一番の調査は遅々として進んでいなかった。

 

(くそ! これもハズレか。一体、ベルカ戦争の火種は何なんだ?ベルカを最終的に消滅させるくらいだから、とんでもない兵器なのはわかる。兵器なんだから機密も高く容易に突き止めることができないことはわかってた。それでも当たりくらいはつけられると思ってたのに……)

 

 イオリアは手に持っていた資料を机の上に放り投げた。

 

 その資料は、イオリアが個人で頼んだ情報屋から買ったベルカ諸国の最新の噂やお国事情が記載されたものだ。イオリアは、独自調査や騎士学校でできたコネを利用して戦争の気配や火種になりそうなものがないか調べ続けているのだ。

 

(クラウスさんやオリヴィエさんに聞いてみてもそんな気配はないって断言するし……聖王オリヴィエは若くして亡くなっていたはずだ。ヴィヴィオの大人バージョンより少し年上。20代前半といったところだろう、死亡したのは。現在のオリヴィエさんは21歳。……たぶん、もう時間がない。数年以内に戦争は始まる。ベルカの地をまるごと消滅させる兵器とともに。……やはり、あらかじめ火種を消すのはムリか・・・)

 

 イオリアは、悶々と考えに没頭する。そんな様子を、彼の相棒達が見かねて声をかけた。

  

「マスター、そんなに悩んでも仕方ないですよ。起きてからでも私達なら何とかできます! 何とかする」って言ったのはマスターです。私は、マスターが宣言して有言実行できなかった例を知りません。だから、絶~対、大丈夫です!」

 

「ミクちゃんの言う通りだよ、マスター。ボク達なら何があっても大丈夫。悩むくらいなら、鍛錬でもしてできることを増やした方が得策だよ」

 

 最も信頼する相棒達にそう諭され、自分の頭が茹だっていたことに気づいたイオリアは、二人からの絶大な信頼と、根拠はなくとも何故かすんなり納得できてしまう言葉に笑みをこぼした。

 

「そうだな、そのために鍛えてきたんだ。ミクとテトが一緒なら、戦争だろうが古代兵器だろうが、どうということもないな」

 

 イオリアの言葉に、うんうんと胸を張りながら頷くミクとテト。

 

 そんな二人の様子に益々笑みを深くしながら、イオリアは、う~んと背伸びをした。凝り固まった筋肉や関節が音を立てて解れてゆく。

 

「もうこんな時間か、そろそろ食堂行くか。腹減ってきた。」

「了解で~す。」

「アイサ~」

 

 イオリアは二人を夕食に誘った。ちなみに、二人はユニゾンデバイスではあるが、食事を取れるし味覚もある。絶対必要というわけではなく、エネルギーに変換できることと嗜好品として楽しむ目的だ。

 

 アイリス曰く、

 

「みんなで食事してる時に、傍らで見てるだけなんて寂しいじゃない?」

 

 とのことだ。

 

 三人は連れ立って食堂に向かった。食堂には既に何人かの生徒がそれぞれのグループで座り、ワイワイと騒ぎながら食事を楽しんでいた。

 

 イオリア達も本日の夕食を受け取り、さて、どこに座ろうかと辺りを見回していると、見知った顔が此方を向き手招きした。

 

 彼の名はタイル。イオリアの友人の一人で、調査のためコネを利用させてもらっている。タイルは商家の出なので、情報には強いのだ。

 

「よっ、タイル。一人か?」

「タイルさん、こんばんは~」

「こんばんは、タイル君」

 

 イオリア達は気軽にそう挨拶しながら、タイルの向かいに座った。

 

 ちなみに、ミクとテトはイオリアを挟んで両サイドに座る。4人だからといって、タイルの隣には座らない。タイルの表情が少し寂しげだ。

 

 ちなみにタイルは、MTF(ミクテトファンクラブ)の会員005、幹部である。

 

 

「チッ! いい加減慣れたとは言え、殺意が湧くのは止められないな。いい加減、足の小指でもぶつけてショック死しろ」

 

「お前、毎回それだな。こっちもいい加減飽きてきたぞ」

 

「フン! 我らが天使たるミクちゃんとテトちゃんを独占してるんだ。俺たちファンのやっかみくらい受けろ」

 

「はいはい」

 

 二人のやり取りは毎回のことなのでミク達も何も言わない。これでも、イオリアとタイルは仲がいいのだ。

 

 なにせ、かつての男子寮騒動の後、イオリアとミク達の関係に下世話な想像をして吹聴したヤツを調べ上げてくれたのはタイルなのだ。そして、イオリアはリストの人間にまとめて断空拳の連打を浴びせた。

 

 泣いて許しを請う彼らに、

 

「お前らが! 泣いても! 殴るのを! 止めない!」

 

 といって文字通りフルボッコにした。イオリアは身内を誹謗中傷されて流せるほど出来てはいないのだ。

 

 その件があってから、タイルの調査能力とイオリアの武力のコンビネーションはちょっとした恐怖の代名詞になった。

 

 特にミク達に対する誹謗の類はきっぱり無くなった。学園では彼女達に手を出した者には「ヤツ等がくる」という都市伝説みたいな噂が流れた。

 

 ちなみに、この件を知ったクラウスは腹を抱えて爆笑し、臣下達を大いに驚かせた。

 

 しばらく雑談しながら食事をしていると、ふとタイルが真面目な表情になった。

 

「イオリア、剣皇家がやられたらしい」

 

「!?」

 

 思わず吹き出しそうになりながら何とか食事を飲み込んだイオリアは、タイル以上に真剣な表情で聞き返した。

 

「やられた? どう言う意味だ?」

 

「そのままの意味だ。詳しいことは分からないが、正体不明の敵に襲われて、城は全壊。現剣皇は亡くなったらしい」

 

「正体不明……」

 

 イオリアは嫌な予感が急速に湧き上がってくるのを感じた。左右を見れば、ミクやテトもいつになく険しい表情をしている。

 

 そんなイオリア達の様子を観察するように見ながら、タイルは続けた。

 

「ああ、幸い全滅は免れたらしいから、お家断絶にはならなかったらしい。ただ……」

 

 タイルは一度そこで言葉を切った。まるで聞いた情報が本当なのか自身でも疑問に思っているというように。

 

 イオリアが続きを促すと、タイルは意を決したように語り始めた。

 

「剣皇は、真正面からの剣の戦いで敗北したらしい。生き残った者が言うには、まるで鏡合わせのような戦いだったとか。同じ剣術で相手の方が上手だったらしい。……まるで歴代最強と言われている初代剣皇のようだったと」

 

 タイルからの衝撃的な情報を聞き、イオリアは頭の奥でチリッと何かがかすめる様な感覚を感じ、それを追うように思考に没頭した。

 

 何かが、もう少しで何かが掴めそうな感覚。

 

 そうやって、思考に没頭していると、不意に肩を揺さぶられ、その感覚はどこかに行ってしまった。

 

 何事かと顔を上げると、ミクとテトが心配そうに此方を覗き込んでいた。イオリアの意識が戻ってきたのを確認すると、テトが視線で促した。

 

 そちらに顔を向けると、タイルが此方をジッと見ていた。イオリアは、タイルを放って思考に没頭していたことに気づき、慌てて情報の礼をしようと声を上げかけた。

 

「タイ――」

 

「お前が、……一体何を抱えているのかは知らん。なぜ、各国の情報を集めているのか興味もない。まぁ、本当は、ミクさん達を巻き込むな位は言いたいが、強大なお世話だろうしな。……ただ、俺に対し遠慮はするな」

 

「タイル……」

 

 イオリアは、タイルの言葉に感動した。

 

 この友人は会えば罵り合ってばかりだが、何だかんだで気の合う友人なのだ。目の前で助けを求められたら応えずにはいられない。「大切」と定めた者のためなら労力は惜しまない。商家の息子としては失格だろう。だからこそ騎士学校にいるのだろうが。根本的なところで二人は似ているのかもしれない。

 

 イオリアは、友人の気遣いに、最大限の感謝を込めて礼をいった。

 

「タイル……ありが――」

 

「2割引で引き受けてやる」

 

 礼を言おうとして、続くタイルの言葉に思わず言葉が止まり、代わりに「は?」と間抜けな声を出してしまう。

 

「だから2割引だ。これ以上はまける気はない。ん? 何だ、その間抜け顔は。まさか、無料でとか思ってたのか? どこまでも、おめでたいヤツめ。今まで通りギブアンドテイクに決まっているだろう? 俺を誰だと思ってる。あ、あと、何をする気か知らんが、ミクさん達に傷何てつけるなよ。お前は瀕死の重傷くらい構わんが、我らが歌姫に傷とか世界の悲劇だ」

 

 ベラベラよく回る口で、そうのたまうタイルにイオリアは、「感動を返せ」と言わんばかりの半眼を向ける。

 

 タイルは、イオリアのその様子を「フン!」と鼻で笑うと、空の食器を持って席を立った。

 

 そして、去り際に一言呟いた。

 

「まぁ、金は後払いにしといてやる」

 

「……男のツンデレとか誰得」

 

 その様子を見て、ミクとテトはくすくすと笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 イオリア達が食堂からの帰り道、廊下を歩いていると、自分達の部屋の前に誰かが立っていることに気が付いた。その人物は、イオリア達に気が付くと挨拶もなくいきなり要件を告げた。

 

「ちょうど良かった。イオリア君、陛下がお呼だ。すぐ一緒に来てもらいたい」

 

 彼の名はアルフレッド。クラウスの直属の騎士で秘書のようなこともしている。右腕的な存在である。イオリアとも面識があり、イオリアを君付けで呼びイオリアもアルさんと呼ぶぐらいには親しい。

 

 そのアルフレッドが何時になく険しい表情でイオリア達に同行を求めた。イオリア達もただ事でない雰囲気に、ためらう事もなく頷いた。

 

 アルに連れられてやってきたのは、クラウスの私室だ。そこにはオリヴィエもおり、二人共難しい表情をしていた。

 

「イオリア、それにミクとテトも。悪いな、こんな時間に」

「こんばんは、イオリア君、ミクさん、テトさん」

 

 クラウス達は、イオリア達の姿を確認すると笑みを浮かべて挨拶をした。

 

 しかし、その笑みにはどこか影がある。今から話すことが二人の心に影を落としているのだろう。

 

「いえ、それは構いません。それで、緊急の要件だと伺いましたが……もしや剣皇家のことですか?」

 

 イオリアは、挨拶もそこそこに話を切り出した。要件に心当たりはあったのだ。何せ、このタイミングだ。ついさっき友人から仕入れたばかりの、未だイオリアの心の内を嫌な予感で充たす情報に関係するのだろうという予測は当然であった。

 

 そして、それは図星だったのだろう。クラウス達は驚いたように目を丸くした。

 

「既に知っていたか。そういえば、学園でもいろいろ情報収集しているようだしな。……

まったくその通りだ。つい昨日、現剣皇が亡くなった」

 

 イオリアは、一つ頷いた。

 

「何でも、初代剣皇と見間違うほどの腕前だったとか」

 

「それも知ってるか。そうらしいな。さらに詳しく言うなら、女の騎士だったらしい。しかも初代剣皇と同じく炎熱変換資質持ちだ」

 

 女の騎士で炎熱変換資質持ちという点で、再び頭の奥がチリッとする感覚を感じたイオリアだったが、今はとにかくクラウスの話しを聞くことを優先した。

 

「それと、これは最新情報だが、斧皇と水帝もやられたらしい」

 

 クラウスのもたらした情報にイオリアは戦慄した。時間的に考えて正体不明の犯人は、剣皇を倒した後、一気に斧皇と水帝も倒したということだ。それぞれ四皇家と四帝家の人間であり優れた武人と聞いている。突然の襲撃だったのだろうが、それでも相手の戦力は異常である。

 

「亡くなったのですか? 犯人はやっぱり女騎士?」

 

 イオリアの疑問に、クラウスは首を振った。

 

「いや、両名とも亡くなっていない。ただ、あくまで死んでないだけで、武人としては死んでいる。斧皇は、赤毛の子供の姿をした騎士に、水帝は獣の耳と尻尾を生やした大柄な男に、それぞれやられたらしい。あと、被害者は全員、魔力を抜かれていたようだ」

 

 その言葉を聞いて、イオリアは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。心の中で「まさか、まさか……」と何度も呟く。

 

 そして、その予測を確信に変える情報をクラウスはついに口にした。

 

「奴らの主だという人間は、自分を闇の書の主、ベルカを統べる王と名乗ったそうだ」

 

 イオリアは、目眩でも起こしたようにフラと後退った。咄嗟に、ミクとテトが両側から支える。イオリアは、混乱する頭で必死に情報を咀嚼した。

 

(闇の書だと? まさか、ベルカ戦争の火種はそれだったのか? 確かに、この時代に宿主がいてもおかしくはないが、……しかし、記憶してる限り、ベルカの地は消滅後汚染されたハズ。闇の書にそんな機能あったか? この時代に収集した何らかの魔法か? それとも、連鎖的に誘爆でもした別の兵器か? くそ、てっきり核みたいな兵器かと思っていたのに……闇の書だなんて、八神はやての時とは状況が全然違う。記憶にある方法なんて役に立たんぞ。どうすれば……)

 

 再び思考に没頭するイオリアに訝しげな表情を見せるクラウス達。

 

「大丈夫か? イオリア、何か知ってるのか?」

 

「……大丈夫です。闇の書についてはある程度知っています。昔、偶然、関係する資料を読んだことがあるので……」

 

 イオリアは、別に転生のことから話してもよかったが、事態を余計混迷させるだろうことから、とりあえず誤魔化すことにした。古代ベルカ時代なら、それなりに闇の書の資料もあるだろうと当たりをつけて。実際にはそんな資料読んだことないが。

 

 それを、あっさり信じるクラウス達。イオリアへの信頼の高さが伺える。イオリアは、罪悪感に胸の奥をツンツンされるのを感じながら話の続きを促した。

 

「闇の書に関しては私達もある程度把握している。現在もより詳細を調査させている。闇の書の主は、ランデルス・バグライトという男で詳細は不明だ。既に数十万の兵を従え、ベルカ諸国に宣戦布告した」

 

「戦争……しかし、そんな兵力どこから?」

 

 予想以上に事態は進んでいたらしく、タイルが知らなかったことから本当に最新情報だということが伺える。

 

 しかし、数十万もの兵を集めるにはそれなりに時間がかかるはず。そんな大きな動きをタイルや諸国が見逃すはずがない。

 

 その疑問に、クラウスと苦虫を噛み潰したような表情を、オリヴィエは憂いを帯びた表情を見せた。

 

「半数は、別次元で集めた傭兵や犯罪者の集団です。……もう半分は難民から集ったようです」

 

「難民……それは……」

 

「はい、過去の戦争で、行き場をなくした者達です。彼らは、言うなればベルカの負の遺産。我々王族が救済しなければならなかった人達です」

 

 オリヴィエは悔しそうに説明した。クラウスも神妙な表情だ。

 

「彼等の中には、今日食うものにも困る者が多いだろう。余裕のない人間は簡単に傾く。大方、統一後のベルカで優遇するとでも言われたのだろう。巨大な力と兵力を持つ者に手を差し出されれば、彼等はその手を取らずにはいられない。例え、手を差し伸べたものに救済の意志などなかったとしても。……これは、我々ベルカの王族の怠慢が招いた事態とも言えるな……」

 

 クラウスは、自嘲気味な笑みを浮かべた。イオリアは、そんな二人の王を見つめながら、一番肝心なことを切り出した。

 

「それで……なぜ、その話を自分に?」

 

 イオリアの半ば確信している瞳を見返しながら、クラウスは表情を引き締め、覇王としての威厳を纏った。常人なら思わず後退りそうな圧迫を感じながら、イオリアは臆することなくそれを受け止める。

 

「イオリア・ルーベルス。……ベルカの騎士となれ」

 

 部屋の中を静寂が支配する。

 

 かつて、クラウスは「待つ」と言った。イオリアの意思を尊重し、必要なものを自力で得る時間を望むイオリアを信じた。

 

 そのクラウスが「騎士となれ」と言ったのだ。そこには様々な感情が含まれているのだろう。

 

 敵は巨大だ。今は、一人でも多くの人材が必要だった。待てないことの申し訳なさ、王族として稀有な人材を放置できないという責務、それら全てを理解したうえで、イオリアは、かつてそうしたようにニヤリと不敵な笑みを見せた。

 

「もう学ぶことがなくて退屈していたところです。それに元々、こういう時のために力を、知識を、身につけたんだ。……俺は、今、ベルカの騎士となります」

 

 クラウスは、その宣言に思わず破顔する。目の前の少年の心根はあの時から何も変わっていない。いや、それどころか、さらに鍛えられ強靭になっているようだ。かつて求めて、今日実現する。そのことに嬉しさを隠せなかった。

 

 オリヴィエもまた、クラウスと同様に笑みを浮かべた。

 

 クラウスもオリヴィエもイオリアが力を隠していることを何となく知っていた。それがイオリア自身の力なのか、それとも彼の相棒達の力なのか、あるいはその両方か、それは分からないが、騎士になるということはそれらが全て露見するということ。

 

 オリヴィエは、イオリア達とかなり深い信頼があると信じている。それでも、知らされなかったことには、それなりの理由があったのだろう。それを知られてもいいと宣言されたに等しく、そのことがオリヴィエは嬉しかったのだ。

 

 実際は、ミクとテトの力は戦争の火種になる! と過剰に心配したイオリアが、普段から秘匿を心掛けすぎて話すのを忘れていただけなのだが……

 

「では、略式で悪いが、早速、叙任したいと思う。準備が出来しだい行うから玉座の間で待機してくれ」

 

「私も、この事態ですから、そろそろ聖王家の方に戻らねばなりません。その前に、ベルカの新たな騎士の誕生を見ることができそうでよかったです」

 

 イオリアはクラウスに頷いた後、オリヴィエの言葉に一瞬目を丸くし直ぐに納得した。

 

 政治的理由で長く留学という体裁でシュトゥラに滞在していたオリヴィエだが、流石に戦争が始まっては帰らざるを得ないだろう。オリヴィエ自身、義理堅く真面目な女性だから聖王家の人間として自国を守りたいのだろう。

 

 闇の書の主は、いつやってくるか分からないのだから。

 

「オリヴィエさん。いろいろお世話になりました。今度会うのは戦場かもしれませんね。……どうか、無茶だけはしないでください。あなたに何かあれば、俺はともかくクラウスさんは泣きます。鼻水とかいろいろ垂れ流しながら……」

 

「お、おい! イオリア、何だそれは!?」

 

 オリヴィエは、キョトンとした後、くすくすと笑い出した。

 

 イオリアは、無駄だと思いながらも言わずにはいられなかった。オリヴィエは、必要だと思ったなら躊躇わずその身を犠牲にできる人だ。根っからの王族なのだ。ただ、その時が来たら何が何でも救ってみせると決意を新たにした。

 

 真剣な表情で茶化したのは締まらなかったが・・・

 

「それは私のセリフです。お二人こそ、どうかご自愛ください。私も二人に何かあれば泣いてしまいますよ?」

 

 オリヴィエは、焦るクラウスをスルーしながら、ミクとテトに視線を向けた。

 

「ミクさん、テトさん。お二人もどうかご無事で。それと、あなた達のマスターをよろしくお願いします。皆さんの音楽が聞けなくなるのはイヤですよ? あと、ついでにクラウスもよろしくお願いします」

 

「もちろんです! オリヴィエさん。マスターには私達がいますから問題ありません! ついでにクラウスさんも気にしておきます」

 

「大丈夫だよ、オリヴィエさん。ボク達は最高だからね。ついでにクラウスさんも気にしておくよ」

 

 オリヴィエとミク達は笑い合った。その自信満々な様子に、オリヴィエの笑みは益々濃くなるのだった。

 

「ついで、ついでって、……俺、こんな弄られるキャラじゃなかったハズなんだが……」

 

 クラウスのどこか落ち込んだ様子を気にするものは誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 玉座の間にて、今、イオリアは片足を膝まづく形で頭を垂れていた。眼前にはクラウスがおり、脇にはミクとテト、それにオリヴィエの他アルフレッドや幾人かの立会人がいた。

 

 クラウスはイオリアの前まで来ると、儀式用の剣をイオリアの右肩、左肩に軽く触れさせた。

 

「汝、イオリア・ルーベルス。今、この時を持ってベルカの騎士に任ずる。誓いの言葉を宣誓せよ」

 

 クラウスが、厳かな声でイオリアに誓いの言葉を促す。

 

 ベルカの騎士の叙任式において、叙任を受ける騎士は自ら考えた宣誓の言葉で自らの誓いを立てる。よく「汝~を誓うか?」という形式を見るが、ベルカにおいては、誓いとは他人の言葉にするものではなく。騎士自身で立てるものと考えられているからだ。

 

 イオリアは、目を閉じたまま、誓いの言葉を唱えた。

 

 「 強靭な意志の下、

   ここに、“不屈”を誓う。

 

   私の意志は、無力を守り、

   私の歌は、弱きを支える。

 

   私の絆は、万民を癒し、

   私の拳は、理不尽を滅ぼす。

 

   求める者に、“救い”をもたらす  」

 

 静かになされた、イオリアの誓い。誰もが息を飲み込んだ。その歌うような言葉に込められた途方もない意志の力を感じたからだ。

 

 クラウスは思い出していた。かつて、目の前の少年を自分の騎士にと誘ったとき、「騎士の心構えもあり方も知らない」と言っていたことを。そんな彼が、見つけたのであろう騎士のあり方。それが、宣誓の中に全て詰まっていた。

 

 クラウスは、ふと思った。イオリアは果たして騎士でおさまる器なのかと。もしかすると、自分はもっと歴史的に決定的な瞬間を見ているのかもしれない。そんな思いがクラウスの胸中を満たしていた。

 

「汝の誓い。確かにこのクラウス・G・S・イングヴァルドが聞き届けた。……宣言する! 今、ここに新たなベルカの騎士が誕生したことを!」

 

 クラウスの宣言に周囲から盛大な拍手がなされた。

 

 ミクやテトなんかは、今すぐにでもマスターに飛びつきたいと言わんばかりの様子だ。イオリアも二人に笑顔を向けた。

 

 状況は切迫している。しかし、きっと何とかなる。いや、何とかする。してみせる。

 

 イオリアは、そう決意を新たにするのだった。

 




いかがでしたが?

オリジナル展開は楽しいけど辻褄合わせが大変ですね。
矛盾とか色々あるかもですけど、そこはご都合主義で流して下さい。

誓いの言葉とかめっちゃ厨二・・・ハズい・・・
わかる人にはわかるかもしれませんが、某竜の心臓な映画を元にしました。
騎士が出てくる映画としては一番好きです。

次回は、いよいよイオリア達が戦場で戦います。


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第7話 戦場のプレイヤー

音楽の才能が本領発揮




 宣戦布告より1ヶ月。

 

 各地で起こる戦争は激化の一途を辿っていた。

 

 闇の書の主ランデルス・バグライトはさらに弓皇を落とし、攻め落とした街の財産を奪い、次々と勢力を増やした。惜しみなく金をばら撒き、他次元世界から傭兵を大量に迎え入れたのだ。傭兵達も、金払いがよく、既に3皇1帝を落とし、なお勢いを増すバグライトに乗るべきと判断したのだろう。

 

 しかも、ベルカ全体の危機でありながら、依然ベルカ諸国の足並みは揃っていなかった。むしろ、この機会にこそベルカの地に覇を唱えんと、隣国同士で戦争を始める始末だった。

 

 不幸中の幸いは、皇家と帝家の警戒心が非常に高くなり、最初の時のように一気に落とされるということがなくなったことだろう。すべての一族のトップが魔力収集されていれば、直ぐにでも闇の書は発動していたに違いない。

 

 それでも、魔力を抜かれた者は数多く、闇の書のページは相当埋まっていることだろう。もう、あまり時間がないのは明白だった。

 

 もちろん、クラウスやオリヴィエも手をこまねいていたわけではない。闇の書の暴走について、その危険性を諸国に伝え、噂を流し、バグライト自身に伝わるようにした。

 

 しかし、おそらく戯言と流されたのであろう。バグライトは止まらなかった。クラウス達は、時にバグライトの軍勢を撃退し、時に諸国間の戦争に介入し止めたりもした。

 

 クラウスは、闇の書の主を殺害し、書を転移させるつもりだ。

 

 時間をかければ封殺する方法も見つかるかも知れないが、今はあまりに時間がない上ベルカは混乱している。まずはそれを平定する必要があると考えたのだ。

 

 クラウスは、他の王族が警戒心を高める中、自ら進んで居場所を公言した。自分を囮にしてバグライトを誘い出し殺害するつもりなのだ。

 

 しかし、予測に反してバグライトもヴォルケンリッターも未だ現れていなかった。

 

 イオリアも、クラウスの考えに賛成し戦場を駆け回っていた。今日も隣国の小競り合いに介入し強制的に停戦に追い込んだあと、後事を後任に任せて疲れた体を引きずってシュトゥラに戻ってきた。

 

「あ~疲れた。くそ、ヴォルケンの奴ら妙に大人しい。未だに所在が掴めないなんて。もう時間がないってのに……」

 

「こればかりは仕方ないよ、マスター。情報部の人達に期待するしかないね」

「そうですよ~、後はクラウスさんのところに来てくれれば、パパッと終わらせられるんですけどね~」

 

 思わず愚痴を零すイオリアに、肩を竦めながら言外に焦るなと伝えるミクとテト。その意が伝わったイオリアは「そうだな」と苦笑いした。

 

 イオリアは、自分が相当疲れていることに気が付いた。体力の方ではなく、精神的な疲れだ。

 

 イオリアは、既に人を殺している。初陣でのことだ。バグライト軍の撃退に出たイオリアは、犯罪者兵と相対しこれを殺害した。

 

 その時は、戦闘終了後盛大に吐いた。強靭な精神により己を見失うことはなかったが、ミクやテトがいなければ今でも悪夢くらいは見たかもしれない。

 

 それが1ヶ月の間続いているのだ。

 

 不幸体質で常に危険に晒され強靭な精神力を培ったとしても、平和主義の元日本人であることに変わりはない。それを思えば“疲れた”くらいで済んでいるその精神力は感嘆ものだろう。

 

 ……イオリアを気遣ったミクとテトが、毎晩添い寝していることも悪夢を見ない理由の一つなのだろうが。タイルあたりが知れば半日は罵りが止まらないだろう。

 

 イオリアがそんなことを思いつつ報告のためクラウスの元に向かっていると、セレスに通信が入った。着信表示は見知らぬものだ。嫌な予感がしつつ通信を受けるイオリア。

 

「はい、ルーベルスです」

「イオリア君ね?私は、アイリスの同僚のニーナと言います。落ち着いて聞いてね……アイリスがやられたわ。幸い、命に別状はな……」

 

 イオリアは、「やられたっ」と聞いた瞬間その場を飛び出した。

 

 通信を切り、アイリスのデバイスから現在地を割り出す。場所は市街の病院だ。アイリスは戦争が始まったと同時に軍に復帰したのだ。

 

 Sランクのユニゾンデバイス持ちである。当然、軍から連絡がありアイリスも了承した。ルーベルス家の面々は反対したが、「息子が戦うのに戦える私が逃げるわけには行かないでしょ?カッコ悪いじゃない?」と言って聞かなかった。

 

「マスター、どうしたんですか! 当然!」

 

 追いついてきたミクとテトにイオリアは焦燥のにじむ顔で一言返した。

 

「母さんが、やられた……」

 

 それに息を呑むミクとテト。二人も表情を引き締めて、黙って追従した。

 

 

 病院に着くと、ナースステーションで部屋を聞き猛烈な勢いで廊下を駆け抜けた。

 

 ナース達の悲鳴と怒号が響き渡る。それらをまるっと無視すると、アイリスがいると思われる病室に突入した。

 

「母さん!」

 

「うぇ? にゅわに? もぐもぐ」

 

 飛び込んだ病室では、アイリスが誰かのお見舞いであろう果物を幸せそうに口いっぱいに頬張っていた。

 

 思わず崩折れるイオリア。今回ばかりはミクとテトも崩れ落ちた。

 

「ないわぁ~、母さんマジないわぁ~」

「ママさん、流石にそれはないですよ~」

「フォローできないよ、ママさん。」

 

 三人に一斉にダメだしをされて、さすがのアイリスも狼狽える。

 

「え、な、何よ? せっかく美味しそうなの貰ったんだから、少しくらいいいじゃない!」

「いえ、アイリス、そういうことじゃないわ。イオリア君達はあなたが心配で飛んできたの。そのあなたが脳天気に果物頬張っていたから……空気読めというやつよ。まぁ、最後まで話を聞かずに飛んできたイオリア君も問題あるけどね?」

 

 そこで、初めてイオリアはアイリス以外の人間がいることに気が付いた。軍服を着た背の高い女性だ。声が同じことから先ほど連絡をくれたニーナというアイリスの同僚だろう。

 

 そのニーナに注意されて、勝手に勘違いして暴走してしまったイオリアは、若干恥ずかしそうに挨拶をした。

 

「初めまして、そっちで未だに果物貪ってる人の息子でイオリアです。こっちはミクとテト。先程は、わざわざ連絡くださりありがとうございました。それと、すいません。話の途中で切ってしまって……」

 

 イオリアの様子に、笑みを浮かべたニーナは「いいのよ」と言ったあと、席を立った。

 

「じゃあ、アイリス。私は行くわね。……これを機に養生しなさい」

「ありがと、ニーナ。面倒かけたわ」

 

 ニーナは肩を竦めると、そのまま病室を出て行った。イオリア達はベッドの近くに集まり、アイリスに容態を聞いた。

 

「母さん、大丈夫なのか? やられたと聞いたときは心臓が止まるかと思ったよ。……それで容態は?」

 

 息子の、そしてミクとテトの心配そうな表情に苦笑いするアイリス。

 

「どうということはないわ。……ちょっと魔力抜かれて、魔導師としては終わっただけよ」

 

 さらり言われた言葉に、一瞬何を言われたのか理解できなかったイオリアだが、次の瞬間には事情を察しギリッと音がなるほど歯を食いしばった。

 

 この一ヶ月、ヴォルケンリッターを追いながら彼らを捉えることができず、その挙句大切な家族が傷ついたのだ。イオリアは悔しくて仕方がなかった。アイリスは、少し間違えば死んでいたのだ。

 

 そんな心情が手に取るようにわかったアイリスは拳を振りかぶった。

 

「断空拳」

 

「へぶぅ!?」

 

 脳天に断空拳を食らったイオリアは、涙目になりながら頭を抱え抗議の視線を向けた。

 

「イオリアがそう思う気持ちはわかるけど、やめなさい。私は自分の意志で戦場に立ち、そして敗北した。それだけのことよ。死ぬつもりはなかったから、命だけは守った。で、ここにいる。家族と再会できた。十分でしょ? イオリアが悔しがる必要はないの。あなたは、自分のすべきことをしていたんでしょ? 勝手に私を背負うのは許さないわよ?」

 

「……だからって、断空拳はないだろ。いつつ……」

 

 アイリスの言葉に「やっぱ敵わないなぁ~」と思いながら、イオリアは笑みを見せた。

 

「そういえば、リリス姉さまはどうしたんですか?」

 

「リリスなら、ライドに送ったわ。ちょっと、ムリさせ過ぎたからね。大丈夫よ、心配いらないわ。……それより、上にはもう報告したんだけど、あなた達にも教えとくわ。闇の書のページは既に600ページを超えたみたい」

 

 その情報に、イオリア達は息を飲んだ。闇の書のページは全部で666ページ。Sランク魔道士なら後2,3人くらいで埋まってしまう。

 

 表情に焦りの色をみせるイオリア。思わず「確か?」と聞いた。

 

「ええ。確かよ。抜かれているとき、これで600ページは超えるってチビッ子が言ってたもの。もうちょっと情報取れればよかったんだけど……流石にキツくて、最後に腕はやしてる奴に向けて砲撃ブチかまして逃げてきたわ」

 

「そ、そうか。まぁ、無事でよかったよ」

 

 イオリアは、600ページを超えているという点以上に、アイリスの行動に驚愕、もといドン引きした。見れば、ミクとテトの表情も心なし引きつっている。

 

 魔力抜かれながらということは、シャマルの旅の鏡に直接デバイス突っ込んで砲撃をかましたのだろう。「それって一体どこのNANOHAさん?」と、さっきとは違う意味で「やっぱり母さんには敵わない」と思うイオリアであった。

 

 

 

 

 アイリスと別れたあと、イオリア達は今度こそクラウスの元へ報告に来ていた。

 

 クラウスはアイリスの事を聞き命に別状がないことに安堵し、次いで闇の書のページが600ページを超えたことに苦虫を噛み潰したような表情をした。

 

「帰ってきて直ぐで申し訳ないが、お前には直ぐに出てもらいたい」

 

 イオリアを労いつつも、クラウスはそう命じた。何事かと疑問の表情を浮かべるイオリア。

 

「国境付近の街アライアで略奪だ。近くの街ベイルにも進軍している。相当大規模らしい。略奪している方はバグライトの傭兵部隊で約200、全員魔導師だ。進軍側はほとんどが難民軍で規模は約9000、かなり強力な質量兵器を所持しているようだ。ちょうど、お前の先の任務で部隊を移動させているタイミングを狙われた。……軍が到着するにはもう暫く時間がかかる。……お前達なら、止められるだろう?」

 

 クラウスは、「それに……」と続け、

 

「奴らの動きが不自然だ。難民軍だけで移動など……おそらくこれは陽動だ。闇の書のページが600を超えたというのなら……ヤツ等、チェックをかけに来てるぞ」

 

 と自らの確信に近い推測を話した。それにイオリアも頷き、いよいよ大詰めだと気を引き締めた。

 

「了解です。直ぐにアライアに向かいます。……クラウスさんも気をつけて。いよいよ、バグライト達があなたを標的にしたのかもしれません。準備はしてるとは言え、ヴォルケンリッターは危険です」

 

「言われるまでもない。俺はベルカの覇王だぞ?必ずや、ヤツの息の根を止めてやる。ベルカの地に混乱を招いたツケを払わせてやる。……イオリア、アライアとベイルの市民を頼む。」

 

 イオリアは、クラウスの言葉に力強く頷いた。そして、ミクとテトを引き連れて部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 難民軍に所属するジョシュアは、ギラギラした目でベイルの街を目指していた。

 

 彼は、本来、軍に属するような人間ではない。元は小さな商家の子供だった。

 

 ここにいるのはベルカを包む戦乱により住んでた街を焼かれ、行く宛もなく家族と共に逃げ出したことが発端だ。街の他の住民と、とりあえず隣街に必死に逃げ延び、ようやく到着したと思ったら、再び戦争に巻き込まれ逃げ出す。それの繰り返し。

 

 そうこうしている内に同じ境遇の人々がどんどん増え続け、難民キャンプが出来上がった。戦力の拮抗から戦争が停止し、一応の平和が訪れても、ジョシュア達にはあまり関係がなかった。

 

 失われたものは数多く、それらは戻ってこない。明日の糧どころか、今日の食事にも困る始末。人々の精神は荒廃し、犯罪行為は蔓延する。国からの援助はあれど、難民キャンプは一つではなく微々たるものだ。

 

 ジョシュアは憎んだ。ベルカ諸国の王達を。

 

 何がベルカの統一か。そんなことしなくとも、自分達は十分に生活できていた。それを壊しておいて、なお他国を出し抜こうと兵器開発に邁進し、自分達を蔑ろにするとは……

 

 ジョシュアを始め多くの難民は、ベルカの統一などどうでもよかった。欲しかったのは「救い」ただそれだけ。将来のより良い生活ではなく、今、腹を充たす食料。

 

 それを与えてくれたのは闇の書の主だった。

 

 別に彼に忠誠を誓ったわけではない。中にはそういう人達もいるが、少なくともジョシュアを始め多くの難民は、戦えば飯を食える、家族を飢えさせずに済む、その為だけに銃火器を手にとった。

 

 ベイルの街が見えてきた。もう少しで、また食料が手に入る。ジョシュアの銃を握る手に力が入る。

 

 その時だ、戦場に似つかわしくない音色が響いてきたのは。

 

 音楽だ。まるで、ギラついたジョシュア達の心を鎮めるように、ゆったりとしたテンポの曲が響き渡る。

 

 最初は微かに聞こえていたそれは、徐々に大きくなり今でははっきり聞こえる。周りの連中も、何事かと周囲を見回すが自分達難民軍が蠢いているだけで敵軍の姿は見えない。

 

 不意に一人が叫んだ。

 

「上だ!」

 

 一斉に上空を見上げると、遠目に三人の人影が見えた。かなりの上空にいるようだ。遠目だが、黒い服を纏った男を中心に、その両サイドに控えるように紅い髪と翠の髪の少女がいるのが見える。

 

 何より異常なのは、黒い服の男だ。その男は、その手に黄金に輝くサックスを持ち吹き鳴らしているのである。先程から響くこの音楽は、間違いなく彼の仕業だろう。

 

 指揮官の男が、鳴り響く音楽を掻き消さんばかりの怒声をあげ撃ち落とせと命じる。あまりに奇異な事態に呆然としていた難民軍の兵士は、その命令で一斉に銃口を上空に向けた。

 

 その瞬間、

 

 空から音が落ちてきた。

 

 ジョシュアには、そう表現することしかできなかった。一瞬、演奏が止まったかと思った瞬間に上空より凄まじい衝撃が降ってきたのだ。そして、それを認識した瞬間には、難民軍の中に意識を保っているものはいなかった。

 

 上空の男、イオリアは何をしたのか。

 

 答えは一つ。固有振動と共鳴を利用した超音波を放ったのだ。演奏によって固有振動を割り出しやすくし、全軍のそれを割り出したあと、脳を破壊しない程度に加減した衝撃超音波で意識を断ったのである。全力でやれば、脳髄を揺さぶり尽くすこともできる。

 

 ジョシュアは意識を失い崩れ落ちる間際に、ふと現在戦場に流れている噂を思い出した。「戦場に音楽が響くとき、それは戦いが終わる時だ」全く意味がわからない噂である。なぜ、戦場に音楽が響くのか、音楽が流れたとして、なぜ戦いが止むのか、関連性がなさすぎて誰も気にすらしてなかった。

 

 崩れ落ちながら、なるほどと妙に静かな気持ちで納得したジョシュアは意識が落ちる寸前、無意識に呟いた。

 

  

「……助けてくれ」

 

 何に対する救いを求めたのか。自分か、残してきた家族か、それとも今の境遇そのものか。きっと全部だろう。

 

 隣にいる者に意識があったとしても届かなかったであろう、その小さな呟きは、果たして、

 

「ああ、任せろ」

 

 届いた。遥か上空にいながら、イオリアの耳には確かにジョシュアの願いが届いていた。イオリアの可聴領域は既に半径1kmに達していた。その異常聴覚が確かにジョシュアの声を拾ったのだ。

 

「こちらルーベルス。ベイルに進軍中の全難民軍を無力化した。拘束と回収を頼む。……あとできれば食料を分けて欲しい。相当追い詰められているようだ。こちらはこのままアライアに向かう」

 

「……了解しました。ご武運を、騎士ルーベルス」

 

 イオリアは通信を切ると、ミクとテトに視線を向けた。二人は一つ頷くと、転移魔法を起動させた。

 

 

 

 

 

 

 アライアの街は地獄の一歩手前の状態だった。住民は避難場所に立て籠り、正規軍が駆けつけてくれるのをひたすら待っていた。そのため、略奪に遭いながらも人的被害はかなり抑えられていた。

 

 しかし、それも時間の問題だろう。おそらく、数時間も持たない。

 

 あちこちで火の手が上がり、家屋、商店から財産が傭兵たちにより略奪される。住民が立て籠っているであろう場所に傭兵達が集まり、入口を破壊しようと攻撃を加えている。

 

 魔法・物理双方に耐性があるのか今はまだ耐えられているようだが、それが破られたとき、まさにアライアの街は地獄となるだろう。ニヤついた傭兵達の表情が、そのような暗い未来を容易に想像させる。これから奪えるものを想像して愉悦に浸っているのだろう。住民の恐怖・不安は想像を絶する。

 

 アライアの上空で、そんな街の様子を確認したイオリアは、ギリッと歯を食いしばった。

 

「ゲスどもが……」

 

 怒りに震えるイオリアの握り締められた拳をミクとテトが優しく包む。

 

「まだですよ、マスター!まだ、大丈夫です!」

「そうだよ、落ち着いてマスター。ヤツ等に報いを受けさせるんでしょう?心は熱く頭は冷たく、だよ?」

 

「……そうだな。ありがとう、ミク、テト」

 

 イオリアは、ゆっくりと拳を緩め大切なパートナー達に笑みを見せ、次の瞬間にはその瞳に鋭さを宿した。

 

「遠慮も容赦も一切無用だ。奪うことに快楽を見出すヤツを、俺は人間とは認めない。……殲滅する!」

 

 そう宣言したイオリアは、セレスをヴァイオリンモードで展開した。ミクとテトも、それぞれ武器を取り出す。それは、ライド達が単独近接戦闘が可能な二人に用意した特殊なアームドデバイスだ。演算能力などはミク達本人が行うので一切搭載しておらず、ただ頑丈さと一定種類の武器に変更が可能というだけのもの。しかし、ミク達の規格外の力に完璧に応えられる傑作だ。

 

 ミクは、展開した刀:無月を左手に持ち右手を柄に添えた。テトは、大型二丁拳銃:アルテを両手に展開し、両腕をクロスさせて構えた。

 

 そして、再び戦場に音楽が響き渡る。ヴァイオリンの細やかで伸びのある音色がアライアの街に降り注ぐ。

 

 その音色を聞いた傭兵達は訝しげに辺りを見回し、やがて上空にいるイオリア達に気づいた。戦場のド真ん中でヴァイオリンを演奏するイオリアにバカを見る視線を向けたあと、その傍らに佇むミクとテトに視線を向け下卑た笑みを浮かべた。

 

 

「おい! あのバカを殺せ! 女二人は、なるべく傷つけるなよ? なかなか……上玉だ。あ~、やっぱり男も殺すな。いろいろ使えそうだ、クックッ」

 

 傭兵達の部隊長らしき男が、部下にそう命じる。何を想像しているのか、その顔は醜く歪んでおり、これから起こることを想像して悦に入っているようだ。周りの部下も大差ない。

 

 4人の傭兵が、その男の命令に従い飛行魔法を起動し、一気にイオリア達に接近した。接近しながらイオリアに魔力弾を放つ。数は12発。一応、男の命令に従い威力は抑えているようだ。それでも、当たれば重傷を負うだろう。あくまで当たればだが……

 

 ドパンッ

 

 戦場に一発の銃声が響き渡る。それは、テトの魔弾が発射された音だ。通常の射撃魔法だけでなく圧縮した魔力を爆発させることで物理的に弾速を上げるテトの通常技である。

 

 その射撃音が響いた瞬間、傭兵達の放った魔力弾は全弾(・・)消滅した。

 

「なっ!?」

 

 突出していた傭兵の一人が驚愕に目を見開き思わずその場に停止した。次の瞬間、ミクの姿がヴォッという音と共に消え、4人の傭兵達の後方に現れた。納刀途中の刀をチンッという子気味いい音と共に納める。

 

 そして、4人の傭兵は身体を上下に分断され血しぶきを上げながら落ちていった。

 

 降り注ぐ仲間だったものに、呆然と固まる傭兵達。部隊長の男は戦慄した。

 

(あ、ありえないっ! 何も、何も見えなかったっ!!)

 

 そう、彼らの中にミクとテトの行動を認識できたものはいなかった。最初のテトの銃撃。一発の銃声で12発の敵弾を全弾迎撃したのは、何ということはない。ただ速く撃っただけ。

 

――銃技 クイックドロウ

 

 左右の銃から各6発ずつ早撃ちしただけである。その射撃速度が速すぎて、銃声が一発にしか聞こえなかったのである。

 

 ミクに至ってはさらにシンプル。抜刀術からの抜き打ち4連撃である。

 

 あり得べからざる光景に、未だ硬直する傭兵達だったが、ドシャという仲間だったのものの落下音と共に我に返った。

 

「こ、殺せ!! ヤツ等を殺せ!!」

 

 引き攣り裏返った声で、そう命じる部隊長の男。その顔には、もはや最初の頃のニヤついた笑みはなく、とにかく目の前の理解できない脅威を排除しようという焦燥と恐怖が張り付いていた。

 

 男は歴戦の傭兵だ。数多の戦場を生き抜いてきた。彼我の実力差を見る目は一級品だ。強い者の尻馬に乗り、常に退路を確保し、勝てないと判断すれば迷いなく逃走してきた。

 

 もし、ミクとテトの初手が手加減したものなら、理解できる範疇の強さなら、男は退却の命令を出せただろう。

 

 しかし、ミク達は遠慮・容赦をしなかった。それはイオリアにそう言われたからというのもあるが、ミク達自身、容赦をする気が全くなかった。

 

 ここ1ヶ月ほど、戦場を駆け回り、バグライト軍傭兵部隊の非道さは嫌というほど理解させられたことも影響している。

 

 そう、男が選択を間違えた原因は、単に、ミク達を怒らせすぎたことだ。

 

 部隊長の命令に、恐怖を吹き飛ばさんと雄叫びを上げながら次々と攻撃を仕掛ける傭兵達。

 

 本気の魔力弾が殺到し、傭兵が突撃する。

 

 しかし、魔力弾はテトの魔弾で相殺され、さらに敵弾の隙間を縫うように傭兵達の眉間・心臓を打ち抜いてゆく。

 

 回避しようにも、回避した場所に動きを先読みされて撃ち込まれ、シールドを張っても、いつの間に用意したのか多重弾殻形成された弾丸がシールドを食い破って撃ち抜ぬいていく。

 

――ヴァリアブルショットB

 

 本来はAMFのようなフィールドを中和・突破するミッド式の魔法を改良してバリアを中和・突破するバリアブレイクさせる銃技。まさに、回避不能・防御不能の銃技だ。

 

 テトは、ガン=カタにより次々と体位を変えながら傭兵達を撃ち落としていく。

 

 突撃してきた傭兵は、ミクが高速機動により姿を霞ませながら次々と切り捨てる。大剣型デバイスを振りかざした者を抜刀術で切り捨て、その後ろで待ち構えていた槍使いを身体を捻りながら避け、回転の遠心力を利用し通り抜けざまに切り捨てる。

 

――エセ飛天御剣流 龍巻閃 

 

 シールドを利用した足場や飛行魔法による制動を使いトップスピードからゼロ、ゼロからトップスピードと緩急をつけながら傭兵達の隙間を縫うように移動し、ついでとばかりに切り捨てる。

 

 瞬く間に、最初に突撃した20人があの世へと旅立つことになった。

 

 部隊長の男は、顔を引き攣らせながら、なんとか状況を打開しようと必死で周囲を見渡し頭を捻る。そして、未だに戦場に似つかわしくない旋律を奏でるイオリアに注目し、ニヤリと口元を歪めた。

 

(あの男、この期に及んでまだ演奏してやがる。おそらく、アイツは後方支援特化の魔導師。あの演奏で女二人を強化してやがるに違いない。それなら、あの異常な戦闘力も頷ける。実際、女はアイツを守るように立ち回っている。なら……)

 

 部隊長の男は、そこまで推測すると騒ぎを聞き付けて駆けつけた部下達に命じた。

 

「あの男だ! あの男を狙え! ヤツの支援が切れれば、そんな女二人くらいどうってことはない。全員で一斉にかかれ!」

 

 男の命令を聞き、イオリアを殺そうと傭兵たちが殺到する。その数は100人以上。アライアを襲った傭兵部隊の半数にのぼる。

 

 その様子を見たイオリアはフンと鼻で笑った。

 

「まぁ、ある意味、間違ってはないがな……」

 

 そう呟いた次の瞬間、傭兵達が一斉に落ちた。

 

 落ちた時の衝撃はバリアジャケットのおかげで吸収されたのかそれで死ぬものはいなかったが、誰ひとりとして立ち上がれる者はいなかった。

 

 全員、頭を抱え呻きながら地面をのたうち回る。それどころか、突撃しなかった部隊長の男を含め街にいる傭兵の全てが同じように地面をのたうち回っている。嘔吐している者。白目を向いて気絶している者も多数いる。

 

「お前等の音は全て掌握した。俺の旋律に酔いしれながら逝け」

 

 イオリアがしたのは、超低周波音による音波攻撃である。ヴァイオリンの演奏により音の反響を増大させ、街にいる傭兵の所在をひとり残らず把握し、指向性を持たせて超低周波音を聞かせ続けたのだ。

 

 この時、なぜサックスによる衝撃超音波を放たなかったのか。

 

 それは、サックスによる衝撃超音波では、街の住人に被害が出たかもしれないからだ。

 

 住人の中には当然赤ん坊や小さな子供もいる。サックスでも指向性は持たせることはできるが、ヴァイオリンに比べると繊細さに欠く。鍛えられた傭兵用の衝撃超音波を出して、万一効果範囲に住人が入ればタダでは済まない。そのため、確実性を求めヴァイオリンによる超低周波音攻撃を選択したのだ。

 

 人体は、超低周波音を聴き続けると、酷い酩酊感・頭痛・吐き気を感じる。これにより、傭兵全員の動きを封殺した。

 

 その様子を見て、イオリアは無表情を装う。これからすることに微塵でも揺らがないように。

 

「ミク、テト。傭兵どもの所在地データを転送した。マーク順に止めを刺す。合わせてくれ」

 

 ミクとテトは、無言で、一度だけそっとイオリアに触れ、少し距離を取り片腕を前に突き出した。

 

「「「刃以て、血に染めよ。穿て、ブラディーダガー!」」」

 

 詠唱が響くとともに、総計189本の血の色をした短剣がイオリア達の周りに展開する。

 

――自動誘導型高速射撃魔法 ブラッディーダガー 

 

 未だ立ち上がれない全傭兵をロックオンし、そして……放たれた。

 

 イオリアは無言・無表情で、一人残らず息絶えた傭兵達を上空から見つめた。自分の意思が貫いた結果を忘れぬように。

 

 ミクとテトも何も言わなかった。ただ、静かに隣に寄り添った。ここで何かを言うことは、それがどんな言葉であれ、イオリアの意志に対する侮辱になるからだ。イオリアは言い訳をしないし、させもしない。だからこそ、ただ無言で傍に寄り添った。

 

 やがてイオリアは、再びヴァイオリンを構えると静かに奏でだした。生前どれだけの外道を働こうと、死ねば皆ただの人間だ。戦いが終わり静寂に包まれるアライアの空で鎮魂の旋律が響き渡る。

 

 

 

 

 

 アライアの住人は、籠城した建物のなかで、戦いの音が止んだことに気づいた。それでも、しばらく息を殺していると、やがてヴァイオリンの旋律が聞こえ出した。その音色は、哀感を漂わせながらも、旅路の安穏を願うような、そんな響きを持っていた。

 

 住人達は顔を見合わせ互いに頷くと、外の様子を伺うため扉の封を解いた。

 

 外に出た住民達が見たのは、倒れふす傭兵たちと、空に佇み静かにヴァイオリンを奏でる男と、その傍に寄り添う少女二人。その光景は、アライアに響く音楽と合わさり、決して邪魔をしてはいけない神聖さを感じさせた。

 

 一人の老人が呟いた。

 

「ああ……神よ……」

 

 それは、危機的状況から脱した安堵からか、それとも鎮魂の旋律を奏でる者への感想か。わからない。だが、少なくない人々が、老人と似たような感情を抱いていた。

 

 鎮魂の曲を奏でていると、イオリアは、不意にゾクッと悪寒を感じ咄嗟に叫んだ。

 

「回避!!」

 

 ミクとテトは、瞬時に従い、その場を飛び退く。その瞬間、今までイオリアがいた場所に突如腕が生え、ミクとテトがいた場所を赤い尾を引く鉄球が通り過ぎた。なお二人を追尾する鉄球を、ミクは切り裂き、テトは撃墜した。

 

 辺りを見回すと、攻撃を避けられたことが意外だったのが、無表情ながらも驚きが垣間見える表情を見せる3人の人影が見えた。

 

 イオリアは、その姿を見て目を見開き呟いた。

 

「……ヴォルケンリッター」

 

 そう、そこにいたのは闇の書の守護騎士ヴォルケンリッターだった。

 

 




いかがでしたか?

イオリアの攻性音楽は人外の域に達しています。
某砂漠の星の殺人音楽家以上をイメージしてます。
効果説明は・・・まぁ、細かいところはスルーでお願いします。

さて、今回イオリアは不殺と殺しを分けました。
作中にある通り、イオリアには敵か否かを判断する基準を持たせています。
しかし、人間である以上迷うこともあり、絶対的な基準ではありません。
今回はこういう形で戦いましたが、これから先間違えることもあるかもしれません。
其の辺の葛藤とか足掻きとかも表現できれば、そして楽しんで頂ければと思います。

次回は、遂に登場するヴォルケンリッターとの戦いです。


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第8話 ヴォルケンリッター

ヴォルケンリッター戦。




 ピンクの髪を後ろで縛り、剣型アームドデバイスと騎士甲冑を着た女、テトに似た紅い髪を三つ編みに括りハンマー型アームドデバイスを肩に担ぐ小さな少女、狼の耳と尻尾を持ち浅黒い肌をした筋骨隆々の大男、その3人がイオリア達に無感情な目を向けていた。

 

 

「シグナムにヴィータにザフィーラか、シャマルがいないな……」

 

 そう呟くイオリアに、ピクッと反応するシグナム。ヴィータの表情も険しさを増した。

 

「我々を知っているのか?騎士ルーベルス」

 

 自分達の名前を呟いたイオリアに、シグナムは当てつける様にイオリアの名前を呼んだ。

 

「知らないわけないだろう?散々、暴れてくれやがって。湖の騎士は無事か? うちの母は手が早いんだ。結構なダメージを負ったと思うんだがな……」

 

「てめぇ……あの女の息子か」

 

 イオリアの挑発するような物言いに、ヴィータが反応する。

 

 イオリアの記憶によれば、今頃のヴォルケンリッターはほとんど感情がなかったと思っていたのだが、どうやら押し殺しているだけで、そこまで無感情と言う訳ではないらしい。

 

 会話ができそうなことを確認して、イオリアは質問してみることにした。

 

「覚えているようで何よりだ。それより、なぜここにいる? てっきり、街を襲っている間に王族狩りに行くものだと思っていたんだがな。もう600ページ超えているんだろう? こんなとこで、何道草食ってんだ?」

 

「……主のご命令だ。……主は、貴殿の、騎士イオリア・ルーベルスの死を望んでいる」

 

 

「何だと?」

 

 シグナムの意外な言葉に思わず眉をしかめ疑問の声をだすイオリア。

 

「収集など、もはや何の問題もない。それより主は、貴殿の理解し難い実力を危険視しておいでだ」

 

 そう言って、アライアの街を見回すシグナム。

 

「実際、理解し難い。……故に主は、アライアとベイルへの進軍をお命じになった。このタイミングで襲撃をかければ、貴殿達が単独で出てくるだろうとな。ここ1ヶ月の貴殿の動きで容易に予測できる。……まさか両軍とも瞬殺されるとは思わなかったが……」

 

 そう言って、こちらに視線を向け直したシグナムに、イオリアは思わず手で額を覆った。

 

「狙いは、最初からクラウスさんじゃなくて俺だったのか。随分と有名になったもんだ。この1ヶ月、馬車馬した甲斐があったってもんだな。……ていうか、さっきから“貴殿”って、敵に使う言葉じゃなくないか?」

 

「……あなたのことを“騎士”だと思った故だ」

 

 そう言ったシグナムの視線はどこか羨望が含まれているような気がした。

 

 イオリア達は、この1ヶ月あらゆる戦場で今日と同じような行動をしてきた。難民軍を無力化し、略奪者から民を守り、民を巻き込む戦争を止めてきた。無論、全てが上手くいった訳ではない。実力はあっても、圧倒的に経験の少ないイオリア達では、それ故に取り零したものも多いのだ。

 

 しかし、それでも、無力を守り、弱きを支え、傷を癒し、理不尽を討ってきた。そのあり方は、イオリアの誓いのままだ。それが揺らいだことは一度もない。救いを求める声に全力で駆けてきた。

 

 その有り様が、シグナムには正真正銘の“騎士”に見えたのかもしれない。少なくとも、主に逆らえず、無辜の民を傷つけ、ベルカの地に戦乱を撒き散らした自分よりも。

 

 

「闇の書の噂は知っているな?全てのページが埋まったとき待っているのは破滅だけだ。今なら、まだ間に合う。投降してくれ」

 

 イオリアの言葉に目を細めるシグナム。噂の真偽はともかく、イオリアの言葉が単に敵に降伏を促しているだけじゃなく、自分達を気遣う気持ちが含まれていることに気づいたのかもしれない。

 

「……やはり、貴殿は“騎士”だな。もし……」

 

「おい、シグナム! もう、そのくらいでいいだろ。いつまで敵と口っちゃべってんだ。……てめぇもデタラメ言ってんな。私達は闇の書の守護騎士。闇の書に関しては誰よりも分かってんだよ。くだらねぇ嘘ついてんじゃねぇよ」

 

「ヴィータに賛成だ。いずれにしろ、やることは変わらん」

 

 何かを言おうとしたシグナムを遮ってヴィータが吠える。ザフィーラもシグナムを嗜めるようにヴィータに賛同した。ヴィータが原作と同じようなセリフでイオリアの言葉を嘘と断じたため、イオリアは慌てて夜天の書のことを話そうとした。

 

「まて! お前たちは、やて――」

 

 しかし、全てを言い切る前に先ほどと同じ鉄球が飛来した。咄嗟に、その場から飛び退くイオリア。その瞬間、ヴォルケンリッターの3人が猛烈な勢いで踏み込んできた。

 

 イオリアにはザフィーラが、ミクにはシグナムが、テトにはヴィータが飛びかかる。

 

 本来なら、ザフィーラの鋼の体にはミクの斬撃を、シグナムの剣術にはテトの遠距離射撃を、超重武器のヴィータにはイオリアの近接格闘が望ましい。

 

 しかし、一瞬でヴォルケンリッターのいいように分断されてしまった。こうなっては、イオリアも攻性音楽は使えない。こういうところに経験の差が如実にでてくるのだ。

 

 イオリアは、苦虫を噛み潰した気持ちになりながら、せめて街に被害を出さぬようにとザフィーラの嵐のような拳撃を捌くと同時に、ミクとテトに念話をし街から引き離すよう指示を出した。

 

 

 

 

 

 

 ザフィーラは内心驚愕していた。イオリアはてっきり後方支援型の魔導師だと推測していたのに、自分の拳撃がことごとく捌かれているのである。しかも、街から引き離すように誘導までしている。半端でない武術の心得があることは明らかだった。

 

「覇王流……?」

 

 ポツリとそう呟くザフィーラ。基本は覇王流の動きなのに微妙に違和感がある。

 

「チッ、やっぱりこうなるのか。お前らもう少し人の話聞けよ。あのな……」

 

 再び話しかけようとしたイオリアの言葉に対する返答は拳だった。

 

 まさに、問答無用。話がしたければ自分を倒してみろと言わんばかり。

 

 イオリアはもう一度舌打ちする。表情を引き締めた。

 

 雰囲気が変わったのを感じたのだろう。ザフィーラは、一旦距離を取り構えをとった。

 

「ベルカの騎士イオリア・ルーベルス。覇王流だ」

 

「……ヴォルケンリッター、ザフィーラ。盾の守護獣」

 

 互いにそれ以上の言葉はない。一瞬の間、そして二人は激突した。

 

 ザフィーラの正拳突をイオリアが右肘で受ける。

 

 ザフィーラは気にした様子もなく、今度は左上段蹴りを放ち、それをイオリアは左肘で受ける。流れるように、ザフィーラはさらに連撃を叩き込むがその全てをイオリアは肘・膝で受け止める。

 

――覇王流 牙山

 

 敵の攻撃を肘・膝で受けることで逆にダメージを与える攻性防御の技だ。

 

 しかし、常人ならとっくにヒビの一つや二つ入っていそうな状況でありながら、ザフィーラはまるで気にしていない。

 

 お返しとばかりに、イオリアは一瞬の隙をついて魔力で強化した拳をザフィーラの心臓部に叩き込もうとする。

 

 ザフィーラは盾の守護獣らしく回避せずに腕でガードした。

 

 それを予測していたイオリアは、当てた拳をそのまま押し込みザフィーラのガードを無理やり下げさせるとともに、腕を折り曲げ胸部に肘打ちを炸裂させた。

 

――圓明流 蛇破山

 

 肘打ちを受けたザフィーラは、グッと呻き声を一瞬出すものの直ぐさま反撃に転じた。やはり並みの耐久力ではない。

 

 蛇破山のわずかな技後硬直の隙をつかれ、ザフィーラの右フックがイオリアを襲う。

 

 咄嗟に左腕を挟んだもの衝撃に吹き飛ばされるイオリア。吹き飛びながら空中で一回転し、小さなシールドを展開。それを足場に一気に踏み込む。

 

――オリジナル魔法 Fシールド

 

 英語の〝足場〟の頭文字から命名したこのシールドは、圧縮した魔力を小さなシールドとして展開し文字通り足場にする。圧縮した魔力を爆発させることで一瞬の超加速を得る。

 

 ザフィーラは迎撃せんと拳を振るうが、イオリアは縦に一回転し、その拳を避けるとともに左右の足で連続して踵落としをする。

 

――圓明流 斧鉞(ふえつ)

 

 左の斧は防いだものの、右の鉞は防げず頭を振ってかろうじて頭部への打撃を避ける。肩口に決まった衝撃により、上体が傾ぐザフィーラ。

 

 チャンスとばかりに追撃に移るイオリアだが、不意に悪寒がはしり、咄嗟にFシールドを展開・爆破しその場から吹き飛ぶ。

 

 直後、今までイオリアのいた場所をザフィーラの蹴りが豪風とともに通り過ぎた。

 

 着地したイオリアの表情は苦い。攻撃がほとんど通らない上に、実戦経験に圧倒的な差がある。やはり、ダメージ覚悟で大威力を叩き込むしかない、とイオリアは決意した。

 

 一方で、ザフィーラは素直に驚嘆していた。

 

 イオリアの技は、覇王流をベースに他流派の動きも含まれているようだが、イオリアの年齢は明らかに十台半ばだ。その程度の年齢で、一つの流派は既に達人級。しかも、それに他流派を組み入れ独自の術としつつある。年齢を考えれば驚異的な練度だ。

 

 そしてなにより、イオリアの回避能力だ。最初に自分達の奇襲に気づき仲間の少女達に警告を出したのもイオリアだ。偶然かと思ったザフィーラだが認識を改めた。目の前の少年は尋常ならざる危機回避能力を持っていると。

 

 実際、それはここ数年でさらに磨かれたイオリアの危機対応能力である。

 

 お互い無言で睨み合う。

 

 ザフィーラはイオリアの思惑に気づいていた。自分に攻撃が通っていないことから大技を出すだろうと。ならば自分は、盾の守護獣らしく正面から受けて立つ。

 

 ザフィーラはいつの間にか、自分が不敵な笑みを浮かべていることに気づいていなかった。

 

(たくっ、楽しそうな笑み浮かべやがって。バトルジャンキーはピンクボインだけじゃなかったのか?)

 

 本人が聞けばマジギレしそうな暴言を吐きつつ、イオリアは気を鎮めた。

 

 そして、

 

「ハァアッ!!」

 

 裂帛の気合とともに足元でFシールド爆破し、一気に懐へ踏み込む。同時に、右手で掌底を放つ。

 

 打撃ではなく掌底による衝撃に切り替えたのだろうと当たりをつけたザフィーラは、その攻撃を難なく捌くと膝蹴りを叩き込んだ。

 

 イオリアは「ぐぁ!?」という呻き声をあげつつも、圧縮した魔力を纏わせた掌を直接ザフィーラの腹部に当てる。そして、それを放とうとした瞬間、ザフィーラに正面から羽交い絞めにされた。凄まじい圧力がイオリアを襲う。俗に言うサバ折りである。

 

 「あが、ぐぅ!!」という苦悶の声をあげるイオリア。完全に決まっているためそう簡単には抜け出せない。

 

 ザフィーラは、最初からこの方法でイオリアを仕留めるつもりだったのだ。イオリアの回避能力がいくら優れていようと、捕まえてしまえばどうということもない。また、大技を放つため至近距離まで踏み込むだろうことも予測していた。ザフィーラは、力が抜け始めたイオリアに若干の残念さ覚えつつも、勝利を確信した。

 

 その瞬間、

 

「がぁああ!?」

 

 悲鳴を上げたのはザフィーラの方だった。思わず拘束を緩めてしまう。

 

 見れば、ザフィーラの脇腹に指の大きさの穴が空いている。

 

――圓明流 指穿(しせん)

 

 鍛え上げた指で相手の肉体に穴を開ける技である。イオリアの場合はこれに魔力を纏わせ、さらに螺旋回転まで加える。流石に、ザフィーラの鋼の肉体もこれには耐えられなかった。

 

 拘束を抜け出したイオリアは、そのまま踏み込みザフィーラの腹部に拳を当てた。直後、ズドンッという衝撃音と共にザフィーラの巨体が跳ね上がる。

 

――圓明流 虎砲

 

 密着状態から全身の力を一気に爆発させる寸剄のような技である。

 

 虎砲を受け、その衝撃に意識が飛びそうになるザフィーラ。しかし、朦朧としながらも必死で反撃をしようと視線をイオリアに向ける。

 

 そして、イオリアの姿を見て驚愕した。明らかに一撃必殺レベルの攻撃を当てたにもかかわらず、イオリアは次の攻撃動作に入っていたのだ。イオリアの鋭い視線が無言で語っていた。

 

(これくらいじゃあ終わらないんだろう? 盾の守護獣!)

 

 イオリアは左腕を引き、前屈みで浮き上がっているザフィーラに、Fフィールドを踏みしめ、足先から練った力を衝撃波と共に拳に乗せてザフィーラの頭部に打ち放った。

 

――覇王流 覇王断空拳

 

 但し、原作での空破断の要素も取り入れた強化版だ。

 

 そのまま、顔面から地面に落下し激突するザフィーラ。地面は半径5メートル程が陥没し、放射状にヒビが入っている。消えゆく意識の中、ザフィーラは心中で「見事」と確かな称賛をイオリアに送った。

 

「はぁ、はぁ、はぁ。さすがヴォルケンリッターか。正面からなら結構ギリギリだった。……さて、あっちはどうかな? ……ま、分かりきってるけどな」

 

 そう言って、イオリアはパートナー達のいる方へ勝利を確信した笑みを向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 テトは飛んでくる鉄球を撃ち落としながら、ヴィータの動きを観察していた。

 

 ヴィータは他の二人に比べるとオールラウンダーといった感じだ。接近すればハンマーによる攻撃、中距離では鉄球、遠距離ではハンマーを巨大化して振るってくる。防御も強固で【ヴァリアブルバレットB】も防がれてしまった。テトはあれこれ試しながら、つかず離れずを保ち続ける。

 

「てめぇ、何のつもりだ! まともに戦う気あんのか!? アァ!?」

 

 実に短気だ。しかし、それで隙が出来るという訳ではないのだから、やはり経験というものは侮れない。

 

「そういう訳じゃないよ。ただ、せっかくだから勉強させてもらおうと思って。君は、実戦経験でいえばボクの遥か先輩なんだからさ」

 

「勉強だと? それが舐めてるっていってんだろうが! 余裕のつもりか!」

 

 テトの言葉を聞いてさらに激昂するヴィータ。それも当然だろう。鉄槌の騎士たる自分を相手に、死に物狂いで戦う以外にどんな選択ができるというのか。

 

 しかし、実際に目の前の自分と同じ紅毛の少女は、自分の攻撃を捌きながら笑みすら浮かべているのだ。それが、ヴィータの神経を逆撫でする。

 

「う~ん、そういうつもりじゃないんだけどね?」

 

「……もういい。さっさと終わらせる。」

 

 暗い瞳でそう告げたヴィータは、指の間に挟んだ4つ鉄球を空中に投げると、デバイス:グラーフアイゼンを叩きつけテトに弾き飛ばした。

 

――シュワルベフリーゲン

 

 中距離誘導型射撃魔法である。4つの鉄球はそれぞれ別の軌道を描き、4方向から時間差でテトに襲いかかった。

 

 テトは、高速機動で避けつつクイックドロウで撃ち落としていく。

 

 しかし、避けた方向にグラーフアイゼンを自分を中心に大回転させながら、急速に接近してくるヴィータがいた。

 

――ラケーテン・ハンマー

 

 カートリッジの魔力を推進剤に回転し、移動速度と破壊力を増す技である。

 

 咄嗟に、ヴィータに向けて魔弾を打ち込むが、あっさり弾かれあさっての方向に飛んでいく。よく見れば、グラーフアイゼンの形状が変わっており先端が尖って回転している。あれでは、並の防御など容易く破壊してしまうだろう。弾丸も弾かれてしまうのは目に見えている。

 

 回転力によりさらに加速しながら、ヴィータはグラーフアイゼンをテトに叩きつけた。テトは、そのままものすごい勢いで地面に向かって飛んでゆく。

 

 しかし、ヴィータは強烈な違和感に眉をしかめた。まるで手応えがなかったのだ。

 

 実際、テトにダメージはなかった。

 

――圓明流 浮身

 

 回転する先端部分を銃身で受け流しながら、完全に脱力し打撃の勢いに乗ったのだ。

 

 そんな技は知らないヴィータだが、流石は歴戦の騎士、お構いなしに追撃を仕掛ける。さらに4つの鉄球を取り出し打ち出す。

 

 テトは、地面に激突する寸前で猫のようにクルリと回転し着地を決めた。その直後、鉄球が迫っていることに気づき魔弾とガン=カタで受け流す。

 

 ヴィータは、シュワルベフリーゲンに釘付けになっているテトに向けて対人戦ではまず使わない大技を繰り出した。

 

――ギガントシュラーク

 

 グラーフアイゼンを数十倍にまで巨大化させ、その質量と魔力で相手を押し潰す。鉄槌の騎士最大の大技である。

 

 シュワルベフリーゲンを捌ききったテトは、思わず表情を引きつらせた。「ホント、あれは対人戦で使うものじゃないよ?」と。

 

 このタイミングでも、テトなら高速機動で回避することは可能だった。しかし、あえて、テトは高速機動を使うことをしなかった。

 

 テトは、日々成長していく自分のマスターをずっと間近で見てきた。文字通り、血反吐吐くような訓練をして留まる事を知らず成長するイオリアをみて、スペックだけに頼った戦いを続けて良いのか? と疑問に思ったのだ。もっと、自分のスペックを最大限に活かせる戦術を学ぶべきではないか?

 

 それゆえ、テトはこの戦いで、吸収できるものは全部吸収するつもりで、歴戦の戦士たるヴィータの戦い方を観察していたのだ。

 

 案の定、ヴィータの戦い方には学ぶべきところが多かった。とにかく効率的で無駄がないのだ。また、技と技の繋ぎが非常に流麗で、一連した戦術が感じられる。

 

 巨大な質量が迫る中、テトはニヤリと不敵に笑った。そして、ギガントシュラークに対しアルテを構えて発砲した。

 

 ヴィータには見えていた。テトがギガントに向かって発砲したところを。高速機動で回避しなかった点が気掛かりではあったものの、今更何をしようと遅い。余裕をかましているからこうなるのだ。ギガントシュラークが激突し、もうもうと砂埃が吹き上がる中、そんな風に内心嘲笑していると、

 

 ドパンッ

 

 という射撃音と共に、ヴィータの眉間と腹部が撃ち抜かれた。

 

「がぁあ!?」

 

 悲鳴を上げ、地面に向け落下するヴィータ。辛うじて、頭部は障壁を張ったものの腹部に関しては完全に撃ち抜かれた。

 

 激痛を必死で耐えながら、なんとか着地する。次の瞬間、砂埃の中からテトが飛び出してきた。

 

 アイゼンを戻し、迎撃せんと振るうが、腹部の傷のせいで上手く力が乗らない。それでも構わず振り抜こうとして、案の定、銃撃で弾かれるがヴィータは勝利を確信した。

 

 突進してくるテトの背後から一番最初に放ったシュワルベフリーゲンが飛び出してきたのだ。ヴィータが、わざわざ対人戦でギガントを繰り出したのは、ギガントを避けたテトを隠しておいた鉄球で撃ち抜くためだったのだ。予定とは食い違ったが、結果は同じ。私の勝ちだと勝利を確信したヴィータの笑みは次の瞬間凍りついた。

 

 テトの後ろから迫る鉄球があらぬ方向から飛んできた弾丸に撃ち落とされたのだ。それは、テトが突進しながら左側に撃った魔弾が瓦礫に跳弾したものだった。

 

――銃技 リフレクショット

 

 建物や小石など周囲の地形を利用して弾丸を跳弾させ多方向から銃撃する技。周りに何もないときは、小型のリフレクト用シールド【Rシールド】を張ることもある。

 

 鉄球を捌き一気にウィータの間合いに侵入したテトは、右手一本でヴィータを背負投げし地面に叩きつけるとともにグラーフアイゼンを弾き飛ばし、膝と腕で動きを封じてヴィータの額に銃口を突きつけた。

 

「ボクの勝ちだと思うんだけど――圓明流 浮身どうかな?」

 

 テトの顔をボーと見つめていたヴィータはポツリと呟いた。

 

「……そうだな。……撃てよ」

 

「う~ん、こっちにも事情があってね。マスターもヴォルケンリッターの皆と話したそうだったし、というわけで、勝者へのご褒美ってことで大人しく従って欲しいかな?」

 

「……どっちにしろ、動けやしねぇ。容赦なく風穴開けてくれやがって……」

 

 ヴィータはテトの言葉を聞くと、フイと視線を逸らし言外に言う通りにする旨を伝えた。

 

「あ~大丈夫かな? 治療は必要?」

 

 頭部は非殺傷設定で、腹部は殺傷設定ではあるが小口径・貫通特化で撃ち込んだので、ヴォルケンリッターなら大丈夫だと踏んでいたのだが、一応尋ねるテト。

 

 

「なめんな。これくらいじゃくたばらねぇよ。……おい、あれどうやったんだ?」

 

 不意にヴィータが質問をした。

 

「あれ?」

 

 

「私のギガントを避けたあれだ。受け止めたんじゃないだろ? そんなヤワな攻撃じゃないからな」

 

 ヴィータの質問の意図に気づき、テトは「あ~あれ」と言いながら何でも無い様に言った。

 

「単純だよ、ギガントの全く同じ場所にほぼ同時に12発着弾させて、少しだけ軌道をズラしたんだよ」

 

 その答えを聞いて、ヴィータは感心すると同時に呆れ返った。最後の跳弾もそうだが、テトの銃技は常軌を逸している。

 

 

「なぜだ? お前にはあのスピードがあるだろう? あれなら回避できたんじゃないか?」

 

「う~ん、そうなんだけど……ヴィータちゃんならどうするかなって? そしたら、ああいう答えになったんだよ」

 

 ちゃん付で呼ばれたことに憮然としながら、「私なら?」と疑問を浮かべた。

 

「最初に言ったでしょ? 勉強させてもらうって。ボクはさ、スペックは高いけど経験が圧倒的に不足しているんだ。マスターのパートナーとして、少しでも成長したくてね。ヴィータちゃんの動きは、すごく合理的で……経験に裏打ちされた洗練された動きだった。だから、ヴィータちゃんならあの場面で単純に避けるようなことはしないんじゃないかなって、むしろピンチをチャンス変えるくらいするんじゃないかなって」

 

 テトの称賛混じりの返答に、内心気恥ずかしい気持ちになりながらも、ヴィータの心を揺さぶったのは、

 

「マスターのため?」

 

「うん、マスターのため。それがボクのため」

 

 そう言って、とても綺麗な微笑みを見せるテトを見て、ヴィータはなんだか無性に泣きたくなった。それは、心底“主”のためと言える同じ従者の少女を羨んだのか、それとも……

 

 ヴィータ自身にもよく分からなかった。 

 

「大丈夫。いつか必ず見つかるから」

 

 再び微笑むテト。見ていられなくて、ヴィータは拗ねたようにそっぽを向いた。

 

「何がだよ・・・意味分かんねぇ。」

 

 そんなヴィータの様子に益々笑みを深めながら、テトもまた、大切な仲間の方へ視線を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 ギンッ、ギンッ、ギギンッ、ギンッ

 

 金属と金属がぶつかり合う音が響く。シグナムの剣型アームドデバイス:レヴァンティンとミクの刀:無月だ。

 

 ミクが高速機動で神速の抜刀術をすれば、シグナムは泰然自若の心構えで受け流し、隙あらばカウンターを繰り出す。

 

 驚異的な速度で斬撃を繰り出すミクだが、実戦経験に圧倒的な差があり、しかもシグナムは初代剣皇の剣技をプログラムされているので、あくまで再現技であるミクの剣技では一歩劣り、戦闘は膠着状態に陥っていた。

 

「すごいですね~やっぱり本物の剣士は違いますね」

 

「そうでもない、我々のような守護騎士プログラムと違って、お前はデバイスだろう? それが、これほどの戦闘力……理解し難い。」

 

「あはは~」

 

 ミクは、最もなシグナムの言葉に思わず苦笑いをする。

 

「まぁ、マスターのパートナーですからね! これくらいは普通ですよ」

 

「マスター。……騎士ルーベルスか」

 

「はい!自慢のマスターです!」

 

 満面の笑みで誇らしげに応えるミクに、今度はシグナムが苦笑いをする。無表情しか見せていなかったシグナムの思わぬ笑みにミクが少し目を見開いた。

 

「今の私には耳が痛いな」

 

「・・・だったら」

 

「それ以上は言ってくれるな」

 

 ミクは、そんなシグナムの様子に「だったら、こんなこと止めればいい」と言おうとして、当のシグナムに遮られた。ミクの言わんとすることを察したのだろう。

 

「私もまた騎士なのだ。主を守護する騎士だ。たとえ……見るに耐えないものでもな……」

 

「……そうですか」

 

 ミクはシグナムの言葉を聞き、この人もまた、イオリアと同じく自分の誓いを持っているのだろうと察した。そして、抜刀術の構えをとった。

 

「では、私が止めましょう。これ以上、その剣が汚れないように……」

 

「……」

 

 シグナムは一瞬目を細めると、ミク同様に構えをとった。

 

 二人の間の空気が張り詰める。次の瞬間、ミクの姿がヴォッという音ともに消えた。

 

 高速機動に入り、抜刀術を放つ。

 

 それを一歩下がり紙一重で躱すと、シグナムは上段からミクを両断せんとレヴァンティンを振り下ろそうとした。が、咄嗟に左手を鞘に伸ばし引き上げる。

 

 直後、ガキッという音ともに激しい衝撃が鞘に伝わった。ミクが抜刀直後に、左手に持った鞘を振り抜いたのだ。

 

――エセ飛天御剣流 双龍閃

 

 ミクは、止まらず身体を回転させ後ろ回し蹴りを叩き込んだ。剣の腹で受け止めダメージはないものの衝撃で吹き飛ぶシグナム。

 

「……さっきとは動きが違うな」

 

「はい、ノーリスクでシグナムさんに勝とうなんて甘かったです。……マスターは以前言ってました。意志を示したいから踏み込むんだと。私は、私の全部で、シグナムさん、あなたに踏み込みます」

 

「フッ、そうか……受けて立とう」

  

「はい!」

 

 シグナムの表情はどこか楽しげだ。

 

 再び、高速機動に入り抜刀術を繰り出すミク。しかし、今度はシグナムの大分手前である。訝しむシグナムに斬撃が飛ぶ。

 

――エセ神鳴流 斬空閃

 

 気の代わりに纏わせた魔力を斬撃状にして飛ばす技。

 

 目を見開くシグナムは、それでも冷静に切り払う。ミクはシグナムが振り抜いた隙をつき再度抜刀。

 

 シグナムはレヴァンティンで切り上げを行い、ミクの無月をカチ上げる。

 

 あまりの衝撃に思わず無月から手を離してしまい、真後ろに落ちる刀。手を離した直後、ミクは落ちる刀の柄頭を指でトンと押し、軌道を修正。後ろ手に回した鞘にそのまま納刀する。

 

 と、同時に親指で鍔を弾き再度抜刀。カチ上げられた手に再び無月が握られ、そのまま袈裟掛けに斬りかかる。意表を突かれながらも、シグナムは逆袈裟で合わせて斬撃を止める。

 

 ミクは斬撃を止められた瞬間に高速機動に入りシグナムの背後へ回り、背中側に斬撃を放つ。

 

――エセ飛天御剣流 龍巻閃

 

 鞘を逆手に持ったシグナムがこれを防ぎつつも、衝撃で吹き飛ばされる。

 

 シグナムは吹き飛ばされながら、レヴァンティンをシュランゲフォルムに変え、連結刃でミクを包囲する。

 

 迫ってくる連結刃に、ミクは肘や手首を返しながら円を描くように無月を振るった。

 

――エセ神鳴流 百烈桜花斬

 

 剣先が音速を超え、空気の壁が白い花びらのようにパンッパンッパンッと音を響かせながら舞う

 

 連結刃を凌いだミクは、無月を納刀せず中段で構えると、高速機動で突進した。

 

――エセ飛天御剣流 九頭龍閃

 

 全方向同時攻撃に流石のシグナムも焦りに顔を歪める。急いで連結刃を戻すが間に合わないと判断し、鞘で正中線の攻撃を防御し、全身を覆うタイプの装身型のバリアを展開する。

 

――防御魔法 パンツァーガイスト

 

 それでも、激しい斬撃はシグナムの防御とバリアジャケットを切り裂きその身に届く。シグナムは最初から覚悟していたようで、切り裂かれながらレヴァンティンに炎を宿した。そして、一閃。

 

――付与型攻撃魔法 紫電一閃 

 

 シグナムの切り札だ。

 

 突進系大技の直後だ。流石のミクであっても高速機動を使用する余裕はないだろうと勝利を確信するシグナムだったが、切られたミクがその場で揺らいだかと思うと幻影のように消え、ゆったりと側面に現れたのを見て、今度は自らの敗北を悟った。

 

――エセアークス流 桜舞

 

 風に舞う桜のように緩急を付けた動きで敵を翻弄する無音移動術だ。元々この技は再現技ではなかった。イオリアの知識にあってもミクにさせたことがないので再現できなかったのだ。

 

 実のところ、イオリアは飛天御剣流以外は再現させたことがない。あくまで抜刀術にこだわっていたからだ。にもかかわらず、ミクが神鳴流等を実戦に使用できるほど再現できたのは単にミクの修練の賜物である。テトが自らの技の質を上げようとしたのに対し、ミクは技の量を増やすことにしたのだ。

 

 どんな状況も打開できるように。どんどん強くなるマスターのパートナーとして恥じることがないように。

 

 そして、新しい移動術である桜舞により、シグナムの切り札を躱したミクは無言でシグナムを切り裂いた。

 

 倒れ伏すシグナム。だが、その表情に無念さはなく、むしろ清々しさ満ちていた。

 

「礼をいう。……ゴフッ、最高の……ハァハァ……斬り合いだった」

 

「私も勉強になりました。これでまた、強くなれそうです」

 

「マスターのために……か?」

 

「はい、それと自分のために、です」

 

 フフフと苦しそうにしながらも楽しげに笑うシグナム。当初の無表情が嘘のようだ。

 

「どう……やら、ヴィータ達もやられた……らしいな。ヴォルケンリッター……が、全滅か」

 

「? 湖の騎士がいるのでは?」

 

「騎士ルーベルス……の母君に……デバイスをやられて……最初の奇襲が限界だった」

 

 最後まで、4人目のヴォルケンリッターが出てこないことが気がかりだったが、どうやらアイリスの人生をとした砲撃は結構な影響を与えていたらしい。

 

「お前達は……強い。何より……その意志が。良い、マスターに出会ったな」

 

 

「ふふ、はい!」

 

 戦場にありながら、どこか穏やかな空気が流れる。

 

「シグナムさん。闇の書のことでマスターから話があります。今度こそ聞いてもらえますか?」

 

「ああ、聞こう。お前達の言うことなら……信じられる」

 

 そうこうしている内に、ミクより早く決着が着いたイオリアが、ザフィーラを肩に担ぎ、テトがヴィータをお姫様抱っこで歩いてくるのが見えた。

 

 なにやらギャーギャーと騒がしい。どうやら、ヴィータが降ろせと暴れているようだ。しかし、怪我のせいか、はたまたテトが巧みなのか、一向に降ろされる様子がない。

 

 ヴィータのはしゃぐ? 様子に目を丸くするシグナムだったが、しばらくするとクックッと笑い出した。

 

 そんなシグナムを見てミクまた笑みを零すのだった。

 

 




いかがでしたか?

今回は、戦闘描写がほとんどでした。
緊迫感や臨場感を文章で表現するのは難しいですね。

ところで、覇王流の断空拳の詳細がよくわかりません。
衝撃波を出す技に空破断というのがあるようですが・・・なんか名称に(仮)ってついてるんですよね。正規の技なのか、アインさんのオリジナルなのか・・・

よくわからないので、本作では断空拳に衝撃波の要素を入れたました。化物ーズに足を踏み入れているイオリアならありかと。
断空拳は覇王流の奥義っぽい位置づけなので衝撃波くらいの付加要素はありとしたいです。
「それは違うぞ!」と思っても見逃してくれると嬉しいです。

次回は、遂に古代ベルカ編最終回です。そろそろ、次の世界をタグに入れようと思います。


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第9話 また会う日まで

リリカルなのは古代ベルカ編の最終回です。


 現在、イオリア達は、ヴォルケンリッターの面々と向かい合っていた。

 

 あれから暫くしてザフィーラも目を覚まし、未だふくれっ面ではあるもののヴィータも大人しくしている。それなりに重傷だったはずだが、起き上がるくらいは問題ないというのだから、やはりヴォルケンリッターはとんでもない存在だ。

 

「それで? 闇の書に関して話しがあるということだが?」

 

 そう切り出したのはシグナムだ。真っ直ぐ視線を合わせてきて、そこには敵意も隙を伺うような警戒心もない。ザフィーラも同様だ。ヴィータは、胡乱な視線を向けているが、少なくとも敵意はないようだ。

 

「暴走するとかなんとか、そういう話だろ? ありえねぇよ。だったら何で守護騎士である私らが知らないんだよ?」

 

 ヴィータは、やはり信じられないようだ。目が、適当なこと言ったら許さねぇ!と言っている。

 

「お前達は、夜天の書という名前に聞き覚えはないか?」

 

「夜天……の書? いや、聞き覚えはないが……ないはずなんだが、何故か懐かしさを感じる」

 

 夜天の書――その言葉にシグナムが反応する。覚えがないと言いながら、やはり何かを感じているようだ。それは、ヴィータやザフィーラも同じらしい。しきりに首を捻っている。

 

「夜天の書とは、主と共に旅する魔法技術収集保存型デバイスのことだ。改変される前の闇の書のことだ」

 

 イオリアのその言葉に、目を見開き驚愕を顕にするヴォルケンリッター。イオリアは説明を続ける。

 

「歴代の所有者によって改変され、プログラムが狂い、今の闇の書になった。全てのページを埋めると暴走し、所有者を殺害。辺り一帯に厄災を撒き散らし転移する」

 

「ま、待て! デタラメ言ってんじゃねぇ! そんなこ……」

 

 動揺を隠しきれず、声を詰まらせながら反論しようとするヴィータの言葉を遮ってイオリアは続けた。

 

「お前達、歴代の主達の最後を覚えているか?」

 

「とうぜ――」

 

 イオリアの質問に「当然だろ!」と続けようとして、ヴィータは言葉を詰まらせた。見れば、ザフィーラやシグナムも蒼白になっている。

 

「そ、そんな、覚えてない!?主達がどうなったのか、何も……」

「バカな」

「マジかよ、わからねぇ、他は覚えてるのに最後だけ、最後だけどうなったんだよ!」

 

 その様子に一つ頷くイオリア。

 

「覚えてなくて当然だろう。闇の書の最後の収集相手はヴォルケンリッターだ。お前達を取り込み、主を殺し、そして暴走する」

 

「そんなことが……」

 

 

 もはや言葉もない。デタラメだと断じたいが、実際、自分達は最後を覚えていないのだ。シグナム達は呆然としている。

 

「……お前達の主、バグライトの居場所を教えてくれ。ヤツを殺し、暴走する前に転移させる。今なら未だ間に合う。」

 

「「「……」」」

 

 シグナム達は無言だった。しかし、その表情に葛藤が見て取れる。

 

 バグライトの居場所を教えれば、もはや自分達守護騎士が戦えない以上、確実にバグライトは殺されるだろう。そして、ベルカは救われる。バグライトに心底忠誠を誓っているわけではない。守護騎士としての責務、それ以上の感情はない。

 

 しかし、それでも、主が殺されるのを黙って見ているというのは、自分達のあり方を根本から否定するようなものなのだ。そんな沈黙を最初に破ったのは意外にもヴィータだった。

 

「シグナム、ザフィーラ。いいじゃねぇか。話そうぜ?」

 

「な!?ヴィータはそれでいいのか?」

 

「よくねぇよ。それをしたらもう守護騎士だなんて名乗れねぇだろうしな……でもよ、私はアイツが嫌いだ。アイツだけじゃない。今までの主も皆嫌いだ。スゲー力持ってんのに、やることは何時だって奪うことばっかりじゃねぇか。……このまま奪うだけなら……もう守護騎士でなくてもいい。それで、誰かを守れるなら、守らせてもらえるんなら……私はその方がいい。」

 

「・・・そうか」

 

 最初は、驚いていたシグナムだったが、ヴィータの独白を聞き、その本心を聞き、一言そう呟いた。

 

 おそらく、本心ではシグナムも同じようなことを考えていたのだろう。イオリア達との戦闘が始まる前のシグナムは、どこかその眼差しに羨望の色を宿していた。それは、きっと本心の発露だったのだろう。

 

「ザフィーラは反対か?」

 

「いや、かまわん」

 

 寡黙なザフィーラは、やはり言葉は少なかったが、力強く頷いた。

 

「シャマルは……ここにいたとしても、おそらく反対しないだろう。アイツは気性が優しいからな。主のすることに一番心を痛めていたはずだ。表には出したことはないがな……」

 

 どうやら、ヴォルケンリッターの意見は満場一致らしい。どこか自嘲気味ではあるが、憑き物が落ちたような表情をしている。

 

「……騎士は奴隷じゃない。」

 

「「「?」」」

 

 そんなシグナム達の様子を見ていたイオリアは、小さな、しかし不思議とよく響く声でそう呟いた。

 

 イオリアの突然の呟きに、疑問の表情を浮かべるシグナム達。そんなシグナム達を前にイオリアは独白するように言葉を紡いだ。

 

「主が騎士を選ぶんじゃない。騎士が主を選ぶんだ。自らの剣を捧げるにふさわしい主を。剣に宿した誓いを貫けるように。……騎士は皆、誓いを持っている。自分だけの誓いを。騎士が従うのは何時だってその誓いだ。だから、主と騎士には信頼が何より大切なんだ。主は捧げられた剣を受け取ったなら、その剣を汚させてはならないんだ。それ故に、主という存在は騎士の力を振るえるんだから……」

 

 イオリアの言葉に呆然とするシグナム達。

 

「今は、時間がない。でも、いつか必ず、心から共にいたいと思う誰かに会える。会えるように、お前達を闇の呪縛から解き放つ。たとえ何十年かかろうと、必ず、夜天の騎士に戻してやる」

 

 それは、宣言であり宣誓だ。騎士イオリア・ルーベルスの新たな誓いだ。

 

 シグナム達は何も言わなかった。シグナムは何か眩しいものを見るようにイオリアを見つめ、ヴィータは少し俯いて肩を震わせていた。ザフィーラはそっと目をつぶりうっすらと微笑んだ。

 

 しばらく無言の、だが決して冷たくはない空気が漂う中、シグナムがバグライトの居場所を話そうと口を開いた。

 

「騎士イオリア。主、バグライトの居場所だが、今は……」

 

(皆! 逃げて!!)

 

 シグナムが、いざ、居場所を話そうという時に、その言葉を遮るように女の思念通話が響き渡った。その声には焦燥感が滲んでおり、本来はシグナム達だけにされていたのだろうが、制御が甘かったのかイオリア達にも届いていた。

 

「シャマル!? どうした?」

 

(闇の書が……主が……収集をしたら……こんな)

 

 途切れ途切れの声に尋常ならざる事態に直面していることが伺える。

 

 イオリアの嫌な予感が急速に膨れ上がった。シャマルの声は「収集をした」と確かに言ったのだ。もしかすると、ヴォルケンリッターの敗北を知ったバグライトが焦燥に駆られ、急遽、最後の収集をしたのかもしれない。

 

 自分の抜け具合に、思わず自分の顔面を殴りたくなる。収集が完了したのなら、ヴォルケンリッターも危ない。

 

 イオリアが、シグナム達に声をかけようとしたその瞬間、

 

「なんだよ、これ!」

「ぐっ、これは」

「まさか!?」

 

 シグナム達の姿が消え始めた。闇の書による強制転移と最後の収集だろう。思わず手を伸ばしたイオリアとシグナム達の視線が合う。

 

 その視線に、申し訳なさと、後を頼むという思いが込められていたのはイオリアの勘違いではないだろう。

 

 そして、イオリアの手が届く前にシグナム達は消えた。

 

「ちくしょう!!」

 

 イオリアは、伸ばした手を握り込み、拳を地面に叩きつけた。

 

「「マスター!」」

 

 傍に駆け寄ってくるミクとテト。イオリアは、直ぐに立ち上がるとミクとテトに視線を向けた。

 

「すぐ、クラウスさんのところに戻るぞ! もしかしたら、収集されたのかもしれない」

 

 そう告げるイオリアに頷くミクとテト。転移魔法を展開しようとしたその時、セレスに通信が入った。「こんな時に!」と思わず悪態をつきたくなるイオリアだったが、通信相手を見て顔色を変え直ぐに回線を開いた。

 

「イオリア君。アルフレッドだ。無事のようだね」

 

「アルさん。俺達は大丈夫です。それより、クラウスさんに何か。やはり、収集されたのはクラウスさんですか? クラウスさんは無事ですか? それと……」

 

 矢継ぎ早に質問するイオリアにアルフレッドは目を白黒させ、「落ち着け!」と一喝した。それで冷静さを取り戻したイオリアは、「すみません」と一言謝った。イオリアが冷静さを取り戻したことを確認したアルフレッドは、先ほどの質問の意図を尋ねた。

 

「クラウスは収集などされていない。何があった?」

 

 その言葉に安堵したイオリアは、時間もないので端的に現在の状況を伝えた。闇の書の暴走が始まったことを聞いたアルフレッドは焦燥を滲ませながらも、「図ったようなタイミングだな」と呟いた。

 

 無言で説明を求めるイオリアにアルフレッドも端的に答える。

 

「数時間前、オリヴィエ様からクラウス様に連絡があった。ゆりかごを起動し、闇の書を消滅させると。おそらく命と引き換えに何かなさるつもりだろう。死ぬ気と悟ったクラウス様が、それを止めようと飛び出していったんだ」

 

 イオリアは事情を聞き、このタイミングか! と思わず運命の神様を呪いたくなった。史実では、オリヴィエはこの戦争で死亡し、自らの命と引き換えに戦争を終結させた立役者として、後の世で神と崇められることになる。聖王教会のことだ。

 

 だが、イオリアはそんな運命など認めない。既に大切の範疇に入っているオリヴィエが死ぬのを黙って見ているなど有り得ない。イオリアは今日この日のために自分を鍛え上げて来たのだ。

 

 歴史の改変? 未来への影響? 

 

 知ったことじゃない。イオリアは今、ここで、ベルカの地で生きているのだ。今を生きるものが、今を全力で生きられなくて、生まれたことに何の意味がある。未来への影響を恐れて動かない者の言葉など、所詮は事なかれ主義の言い訳だ。

 

 イオリアは足掻く。願いのままに、誓いのままに。

 

「アルフレッドさん。俺は、このままクラウスさんを追います」

 

「ああ、クラウス様とオリヴィエ様を……頼む」

 

 通信を切ったイオリアはミク達へと振り返った。

 

「聞いての通りだ。状況は最悪。闇の書は暴走し始め、オリヴィエさんは死地に向かった。クラウスさんはおそらく止められないだろう」

 

 コクリと頷くミクとテト。その表情は真剣ではあるが余裕も見える。イオリアへの信頼故だろう。

 

「強欲に行くぞ。全部だ。全部守る。」

 

「暴走した闇の書を止めるんだね?」

「ああ」

「オリヴィエさんも救うんですね?」

「ああ」

「闇の書も?」

「ああ」

「時間ありませんよ?」

「ああ」

「闇の書は最強レベルだよ?」

「ああ」

 

「「「楽勝だろ(ですね)(だね)?」」」

 

 そう言って、三人は不敵に笑い合った。そして、今度こそ転移魔法を発動させた。

 

 

 

 

 

 

 クラウスは、柱にもたれて天を仰ぎ見ていた。

 

 その体は周りの床や壁と同じようにボロボロだった。クラウスは、オリヴィエからゆりかごを起動し闇の書を消滅させると聞かされ、すべてを置いて駆けつけたのだ。その話をするオリヴィエが通信越しでもわかるくらい死を覚悟していることが伝わってきたからである。

 

 “聖王のゆりかご”は、戦艦であると同時に聖王家の城でもある。オリヴィエがゆりかごから縁の者たちを出すのに時間を取られなければクラウスも間に合わなかったかもしれない。

 

「結局、止められなかったvな」

 

 そう、クラウスは死地に向かおうとするオリヴィエと戦ったのである。

 

 最初は説得するつもりだった。闇の書の主は必ず殺す。転移するだろうが、稼いだ時間で封殺する方法を必ず見つけると。

 

 しかし、オリヴィエは聞く耳を持たなかった。確実性に欠けること、ゆりかごを出せば流石に闇の書の主も無視は出来ないだろうこと、転移後再び厄災を撒き散らすなら何としても今ここで消滅させる必要があることを整然と反論した。

 

 では、どうやって消滅させる気だと問うクラウスに、オリヴィエはとんでもない方法を告げた。ゆりかご起動のための“鍵の聖王”である自分が、闇の書の主と邂逅次第、ゆりかごの外に出て直接戦闘するというのだ。

 

 ゆりかごは、“鍵の聖王”をロストした場合のために、ゆりかご自身を防衛する自動防衛機構が備わっている。乗組員や聖王の身よりも、脅威の排除を優先し、安全空域に離脱するようにできているのだ。

 

 それを利用し、直接戦闘で時間を稼ぎつつ、自分ごとゆりかごの砲撃で消滅させようというのである。直接戦闘はより確実に闇の書の主を拘束するためだ。

 

 当然、猛然と反対するクラウスだったが、オリヴィエの決意は固かった。それなら力づくでも止めるというクラウスとオリヴィエはそのまま戦闘になったのだ。

 

 結果は、クラウスの敗北。オリヴィエはゆりかごを起動し行ってしまった。微笑みとベルカをお願いしますという言葉だけを残して。

 

「クラウスさん!」

 

 天を仰ぎ見るクラウスに駆け寄る足音が聞こえた。イオリア達だった。

 

「イオリア……ミクとテトも……」

 

 イオリア達に向けられたクラウスの表情は無表情だったが、イオリア達には悲哀に満ちているようにしか見えなかった。

 

「……オリヴィエさんと戦ったんですね?」

 

「ああ、惨敗だ。」

 

 再び天を仰ぐクラウスは、ポツリと呟いた。

 

「……惚れた女一人止められやしない……笑えるだろう?」

 

「笑えませんよ……」

 

 イオリアの言葉には同情も悲痛さもなかった。ただ、「呆れた」という表情が浮かんでいた。

 

「こんなとこで、空も見えやしないのに仰ぎ見て何してるんです?天井のシミでも数えてたんですか?随分と暇人ですね?」

 

 随分と挑発じみた言葉にクラウスの表情が一瞬歪むものの、また無表情になった。

 

「反論もなしっと。そりゃ、オリヴィエさんも一人で行っちま……」

 

 なお挑発をするイオリアに、ついにクラウスがキレて殴りかかった。

 

 しかし、クラウスの拳はイオリアの顔面に当たっているものの、イオリアは微動だにしなかった。

 

「お前に何が……」

 

 イオリアは、クラウスに最後まで言わさずその胸倉を掴んだ。そして、底冷えするような声で言葉を遮った。

 

「〝何がわかる〟なんて、在り来りなこと言ってくれるなよ? 本気で幻滅したくなる。気に入らないんだよ。何全部終わったみたいな顔して黄昏てる? まだ出来ることがあるのに、何投げ出してんだ? それでも、覇王か! 俺の王かよ!!」

 

 クラウスは、胸倉を掴んだイオリアの手を振りほどくと叫び返した。

 

「何ができるというのだ!? ゆりかごは既に起動しているんだぞ。あれは、一度起動してしまえば……」

 

「俺に命令できるだろ!」

 

 再びクラウスの言葉を遮り、イオリアが叫ぶ。その言葉に呆然とするクラウス。そんなクラウスに、イオリアはゆっくり語りかけた。

 

「俺はシュトゥラが好きです。誰にだって自慢できる故郷だ。貴方は、そこを治めている王なんだ。その貴方が、あの日、俺の騎士になれって言ったんだ。俺は、クラウスさんの騎士でしょう。一緒にシュトゥラを、ベルカを、守ってくれって……それは嘘でしたか?」

 

「……嘘なものか」

 

「俺はクラウスさんが振るえる力でしょう?」

 

「ああ、」

 

 ならば、とイオリアは一歩前に出て姿勢を正した。

 

「ご命令は?」

 

 そんな、イオリアの様子にようやく調子を戻したのか、力強さが瞳に宿るクラウス。そして、王の威厳と共に命令を下した。

 

「オリヴィエを、ベルカを守れ!」

 

「御意」

 

 イオリアはニヤリと不敵に笑うと、ミクとテトと共に転移魔法を起動する。転移の光に包まれるイオリア達にクラウスは微笑みながら絶大な信頼をとともに言葉を送った。

 

「お前は、きっと生涯最高の“騎士”だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖王のゆりかご、玉座の間にてオリヴィエは静かに目を閉じていた。

 

 しかし、オリヴィエの瞼の裏には、暗闇ではなく今までの思い出が次か次へ映し出されていた。特に鮮明に流れるのは、やはりシュトゥラのことだ。クラウスと過ごした時間、イオリア達との出会い、共にした武術の鍛錬、イオリア達の音楽、ミクやテトとした女の子だけのお話、どれもこれも宝物だ。

 

(やはり、イオリア君達は怒るでしょうね……それに、クラウスは……)

 

 穏やかだったオリヴィエの表情が少し歪む。オリヴィエは気づいていた。クラウスの感情に。本当は、戦ってでも止めようとしてくれたことが、オリヴィエには何より嬉しかった。

 

 それでも自分は王族なのだ。民の未来のために、より確実な選択をしなければならない。そこに私情を挟む余地はない。

 

(……痛いですね。殴られたところも、殴った手も)

 

 無意識に自らの拳を反対の手で包んでいたオリヴィエは、艦内に鳴り響く警告音に目を開けた。探知範囲で巨大な魔力反応が現れたことを知ると映像を出した。

 

 そこには、闇の書の主ランデル・バグライト……ではなく、美しい銀髪に紅い瞳、背中に闇色の翼をはためかせる女性がいた。

 

 オリヴィエは、バグライトが収集を終え闇の書に飲み込まれたことを知らない。故に、モニターに映るこの女性が闇の書の管制人格であることを知らない。

 

 しかし、直感で悟った。目の前にいる存在が倒すべき敵であると。オリヴィエは瞳に覚悟を宿し立ち上がった。

 

 闇の書は、全長数キロにも及ぶゆりかごを見ても、その顔に何の表情も浮かべなかった。したがって、ゆりかごから聖王オリヴィエが出てきて自分と相対しても何の感慨もなかった。

 

「無駄なこと、全て終わるというのに・・・」

 

「終わらせません。そのために私がいます。」

 

 闇の書は、オリヴィエの言葉を無視するように魔法を放った。

 

「刃以て、血に染めよ。穿て、ブラッディーダガー」

 

 16発の血色の短剣が、オリヴィエに向かい高速で射出される。オリヴィエも闇の書に向かい一気に踏み出す。

 

 主砲発射は約5分後、それまでに闇の書を拘束し、射線範囲に入らなければならない。飛んでくるダガーを無視して突き進む。【聖王の鎧】――虹色に輝く魔力がオリヴィエを覆い、ダガーは傷を与えられない。

 

 懐に潜り込んだオリヴィエは拳撃を繰り出す。だが、

 

「――盾」

 

 闇の書の一言で現れた障壁に止められる。オリヴィエは気にせず連続で攻撃を仕掛けるが、闇の書はその全てを捌き魔力を纏った拳を腹部に叩き込んだ。

 

――付与型攻撃魔法 シュヴァルツェ・ヴィルクング

 

 しかし、オリヴィエの聖王の鎧は貫けない。お互い決め手を欠く状況が続く。

 

 闇の書は業を煮やしたのか、捌くのをやめ、攻撃を受けるのも構わず広域攻撃魔法を唱えた。

 

「闇に染まれ、デアボリック・エミッショッン」

 

 膨大な魔力により発動されたそれは、術者を中心に球形状に広がる純粋魔力攻撃である。バリア系の魔法を阻害する効果があり、完全とはいかないまでも、その効果は聖王の鎧にも及んだ。

 

 苦痛に苛まれながら、しかし、オリヴィエはこの瞬間を待っていた。ゆりかごが闇の書を敵性認定したのだ。今までは、ゆりかごへの攻撃が一切なかったので、二人に攻撃はされなかったが、広域攻撃魔法の範囲に入り、ゆりかごが脅威と判断したのである。

 

 これで、ゆりかごを出る間際にチャージしておいた砲撃の照準が闇の書にロックされる。

 

 オリヴィエは、聖王の鎧越しにダメージを受けながら闇の書に突進し、その身を羽交い絞めにした。そして、そのまま一気に射線上に飛び出した。

 

 直後、砲撃が発射される。

 

 大気を鳴動させ、大地を激震させながら、空へ向かって極大の砲撃が一直線に伸びる。意図を察した闇の書は、迫り来る砲撃を見ても、やはり何の感慨もなさそうに口を開いた。

 

「無駄だ」

 

「……」

 

 もはや言葉はなかった。闇の書は直撃を受けた瞬間転移すると考えていたし、オリヴィエは、ゆりかごなら転移する間もなく一瞬だと確信していた。仮に転移しても、ここまでくれば少なくとも確実に当代の闇の書は葬れると。

 

 そして、迫り来る光の奔流を前にオリヴィエは……

 

「クラウス、どうか後を……」

 

 静かに目を閉じた。

 

「?」

 

 しかし、何時までたっても何の衝撃も痛みもない。一瞬で蒸発でもしたのかとも思ったオリヴィエだったが、そう考えている時点でおかしい。

 

 ゆっくり目を開けたオリヴィエは、目に入った光景に愕然とした。頭の中は混乱の坩堝だ。

 

(な、なぜ、貴方がここにっ。砲撃は、闇の書は、どうやって、そもそも……

 

  なぜ、イオリア君が……」

 

 途中から、声に出していることも気づかず、イオリアの片腕に抱かれたまま呆然と呟くオリヴィエ。そんなオリヴィエに、イオリアは憤怒の表情を向けた。そして、デコピンを一発。

 

 ズバンッ!

 

「イッッ!?」

 

 闇の書の攻撃魔法で、聖王の鎧が解けているオリヴィエの額に容赦ない一撃が決まる。

 

「俺等がどんだけ怒ってるかは言う必要ありませんね?アホな姉貴分を持つとホント苦労しますよ」

「ホント、こんなの無しですよ~」

「ボクも、今回はそう簡単に許すつもりないからね?」

 

 涙目で声のする方を見ると、ミクとテトもいた。二人共、なんだが泣きそうな顔をしている。

 

 罪悪感が湧き上がってくるオリヴィエだったが、次の瞬間にはイオリア達が何をしたのか気づき声を荒げた。

 

「あ、あなた達は何をしたか分かっているのですか!? 千載一遇のチャンスだったのですよ! それをっ」

 

「ええ、全部わかってます。さっきのでオリヴィエさんが死んでれば、とりあえず解決でしたからね」

 

「ではっ」

 

「それでも、あなたが死んだら意味がないんだ」

 

 静かな、それでいて激情を孕んだ言葉に思わず黙るオリヴィエ。

 

「ええ、全くもって俺の個人的なことです。オリヴィエさんも俺の世界の一部だから、死なれたら世界が壊れるのと同じなんです。それに、オリヴィエさんにはクラウスさんの傍にいて一緒に頑張ってもらわないと、ベルカもやっぱりダメになりそうだし。一応、クラウスさんの命令で来てるんですよ。あの人は、まだオリヴィエさんを諦めてませんから」

 

「……クラウスが」

 

「まぁ、我を貫いた責任はとりますよ。あっちで見てて下さい」

 

「あ、待ちなさ……」

 

 そう言って、イオリアは、オリヴィエの言葉を待たずに転移魔法でゆりかごの甲板のような場所に降ろした。

 

 闇の書がこちらに近づいてきたからだ。

 

「よぉ、夜天の」

 

 その言葉に今まで何の反応もなかった闇の書の表情がピクリと動いた。

 

「お前は、私を夜天と呼んでくれるのか、騎士ルーベルス」

 

「(俺の名を? ああ、シグナム達の記憶か)……闇の書なんてダサい名前は嫌だろう? 夜天の方がずっと綺麗だ」

 

 その言葉に、無表情ではあるが、どこか嬉しげな雰囲気を漂わせる闇の書。しかし、直ぐにそんな雰囲気は霧散し代わりに悲しみの色が現れた。

 

「お前のような人間が主なら、あるいは……いや、意味のないことだな。結局は、全て壊れて終わる」

 

 その諦念に満ちた言葉にイオリアは眉をしかめた。

 

「あとどれくらいで暴走する?」

 

「もう、間もなく」

 

「ならそれまでに、お前を誰も傷つけずに済む場所に送ってやる」

 

「無理だ。そんな場所存在しない。……それに、お前が何かすれば、私の中の防衛機能が働きお前を攻撃しないわけには行かなくなる」

 

 それは言外にイオリアを攻撃したくないということ。闇の書には、ヴォルケンリッターの記憶がある。イオリアがヴォルケンリッターにした約束「いつか夜天に戻す」という言葉は、想像以上に闇の書の奥深くに響いていた。

 

 だが、イオリアは、そんな闇の書の言葉を聞き溜息をついて頭を振った。そして、強靭な意志の宿る眼光で真っ直ぐに闇の書を貫いた。

 

 その物理的圧力すら感じてしまうほどの圧倒的な意志の力を前に、闇の書は思わず一歩後退し、そんな自分に気づいて愕然とする。

 

「もういい。お前は、無理とか、無意味と、無駄とか、そんなのばっかりだな」

 

 そう言いながら、スッと右腕を真横に伸ばす。その手の平に同じく手の平を合わせるミク。

 

 ―――― ユニゾン・イン ――――

 

 ミクの体が輝き、イオリアの中に吸い込まれる。直後、ゴウッという音と共にイオリアの周囲に魔力が渦を巻いて立ち上る。イオリアの魔力が一気に数倍に跳ね上がったのだ。

 

「でもな、俺には聞こえてるんだ。……お前の悲鳴が、救いを求める声が」

 

 今度は左腕を真っ直ぐ伸ばす。そして、向けた手の平にテトが自分の手の平を合わせる。

 

 ―――― ユニゾン・イン ――――

 

 テトの体が輝き、ミク同様、イオリアの中に吸い込まれる。イオリアの濃紺色の魔力がさらに跳ね上がり、竜巻と見紛うほどの魔力が彼を中心に渦巻く。

 

「防衛機能が働いてしまう?俺を傷つけたくない?やれるものならやってみろ」

 

 右足を後ろに引き、左の掌を真っ直ぐ前方に伸ばし、まるで照準するように闇の書に向ける。そして、右腕をグッと後ろに引き絞った。

 

―――― カートリッジ・フルロード ――――

 

 セレスの合図と共に、ガシュガシュという音を立て、両腕の篭手から各6発ずつカートリッジが排出される。

 

「俺は俺の誓いを果たす」

 

 渦巻く濃紺の魔力がイオリアの構えた右腕に集束していく。それどころか、オリヴィエや闇の書が撒き散らした魔力も掻き集め、その右腕に宿していく。

 

 ユニゾンの影響か、イオリアの普段は濃紺の瞳は、今、美しい空色をしていた。キラキラと輝くその(そら)には暗雲など一つもなく晴れ渡り、陽光を放っているようだ。その瞳が真っ直ぐ闇の書に向けられており、闇の書は一瞬、ひだまりにでも居るかのように錯覚し陶然と見蕩れた。

 

 しかし、防衛機能が勝手に働き、砲撃魔法の準備に入ってしまう。

 

「全力でこい、夜天の。それでも……

 

 俺の(意志)は、容易くお前を撃ち抜くぞ!!」

 

 両者の攻撃準備が終わり、その攻撃は同時に放たれた。

 

「覇王“絶空”拳!!」

 

「響け終焉の笛、ラグナロク!」

 

 正三角形のベルカ式魔法陣の頂点から3種類の砲撃が一つの極大な束となってイオリアに直進する。ブレイカー級に匹敵する直射型砲撃魔法だ。並みの魔導師では抵抗もできずに撃ち抜かれて終わるだろう。

 

 しかし、そんな砲撃をイオリアは振り抜いた拳の一撃で消し飛ばした。

 

 イオリアが拳を振り抜くと、何もない空間に拳が激突し、イオリアの眼前の空間がビシッバリッパキッという音と共にひび割れた。そして、そのままバリンッという音と共に空間が破砕され、その衝撃でラグナロクが消し飛んだのである。

 

 イオリアがしたことは、今までの修行の集大成とも言える。1歳半から続けた魔力制御とミクの驚異的な処理能力で莫大な魔力を拳の一点に集中させ、テトの助力により転移魔法の応用で空間にのみ干渉し、覇王断空拳で衝撃を伴いながら拳を振り抜き、空間に接触した瞬間“無空波”を発動させる。

 

 その結果起きるのは、空間の破砕。

 

 これにより、絶大な威力の衝撃波が前方に放たれる。それと同時に割れた空間が元に戻ろうとする作用で空いた穴に周囲のモノを猛烈な勢いで吸い込み始める。空間そのものが収縮していくので、並みの力では抗えない。

 

 イオリアは、あらかじめミクとテトに頼み、空間を遮断する結界と強力な力場を発生させているので堪えられるが、ただでさえ強烈な衝撃を食らった闇の書は全身を硬直させ為す術なく吸い込まれていく。

 

「夜天の! これを持っていろ!」

 

 この期に及んで諦念の表情を浮かべる闇の書に、イオリアは右耳に付けたイヤリングを投げ渡す。

 

 それは、初等部卒業のおり、クラウス達から贈られたもの。

 

 “イヤリング同士は次元を別にしても繋がる”という性質を持った、将来的にはロストロギア認定を受けそうな代物だ。何せ魔力の一切を使わず、そんなことが可能なのだから。

 

 反射的に受け取った闇の書はそれを見て不思議そうな顔をする。

 

「目印だ! 虚数空間でも俺達と繋がってる!」

 

 その言葉に驚愕の瞳を向ける闇の書。同時に悟った。虚数空間は全ての魔法が使用できなくなる空間。この中なら闇の書は転移も暴走もできない。そして、準備が整ったらイヤリングを目印に何らかの手段で呼び戻す気なのだろう。

 

 空間に吸い込まれる寸前の闇の書は、泣きそうな、しかし、心底嬉しそうな微笑みを浮かべ、大事そうにイヤリングを両手で包み込んでいた。少なくとも、その顔に諦念の色は微塵も見られなかった。

 

「ふぅ~、終わったか……」

 

 未だ空間が戻ろうとする力が働いているが、このまま結界と力場を維持すれば問題ない。思わず肩の力を抜くイオリア。

 

 しかし、次の瞬間、イオリアの危機感が反応した。

 

「「(マスター!!)」」

「イオリア君!!」

 

 咄嗟にその場から飛び退き、直後、イオリアを掠めるように極大の閃光が通り過ぎる。

 

 ゆりかごの砲撃だ。自動防衛機構が生きており、チャージが終わった瞬間、脅威と判断したイオリアを砲撃したのである。

 

 これには、イオリア達もオリヴィエも予想外だった。イオリアは一度もゆりかごに攻撃を加えていない。闇の書と打ち合った時も意図してゆりかごを背後にしたのだ。一定の距離も保った。

 

 それでも、ゆりかごがイオリアを狙ったのは、それだけイオリアの脅威度が高いと判断したからである。

 

 幸い、イオリアの危機対応力の活躍により砲撃を躱すことはできた。しかし、この衝撃により閉じかけていた空間の穴が再度広がってしまった。その衝撃がイオリアを襲い不意にユニゾンが解けてしまう。本来なら、この程度でユニゾンは解けない。

 

 この1ヶ月を通して蓄積された疲労と、先ほどの大技が想像以上にイオリアに負担を掛け、しかも気を抜いていた直後ということもあり、思わず解けてしまったのである。

 

 同時に結界と力場も消える。

 

「うわっ!?」

「「きゃあ!?」」

 

 一気に空間に吸い込まれるイオリア達。結界や力場を展開する時間はなく、飛行魔法で何とか堪えるが、吸い込まれる速度を落とすので精一杯だった。

 

 イオリアは、咄嗟にミクとテトに転移魔法を準備させる。座標を指定しないランダム転移ならギリギリ間に合うかもしれない。

 

 その時、不意にイオリアとオリヴィエの視線が合う。かなり距離があるが、その時は二人共、不思議と遠いとは感じなかった。イオリアの瞳には、諦めも死を悟った者特有の透き通った笑みもなく、ただひたすら“必死さ”があった。イオリアは何時だって足掻くのだ。

 

 オリヴィエは、イオリアの必死さを宿す瞳から正確に意図を汲み取った。

 

(クラウスさんとベルカを頼みます。必ず戻るから!!)

 

 視線が合ったのはほんの一瞬だったが、二人には随分長く感じられた。オリヴィエも瞳で伝える。

 

(お任せ下さい。貴方達のおかげで拾ったこの命無駄にはしません! どうかご無事で!)

 

 イオリアもオリヴィエの意図を受け取ったのか、頷き、左耳に付けたイヤリングを魔力弾と共に撃ちだした。オリヴィエが回収してくれれば、帰ってくるとき目印になるだろう。

 

 そして、空間に吸い込まれる直前に転移魔法が発動した。

 

 

 以降、騎士イオリア・ルーベルスは22年間、ベルカの歴史から姿を消すことになる。

 

 




いかがでしたか?

遂に一区切りがつきました。

オリヴィエの自己犠牲について詳細がわからないので、こんな感じにしました。
無理矢理気味だと思いますが、これ以上は作者のキャパを超えます。

小説書くのは楽しいけど難しいですね・・・いや、ホントに。
短いけどここで終わっちゃおうかとも思ったんですが・・・最後に布石置いちゃったし書こうと思います。

次回は、別作品の世界に転移します。タグにも別作品をタイトルを加えておきます。あと、投稿には2,3日掛かるかと思います。


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HUNTER×HUNTER編
第10話 異世界トリップ


異世界トリップしたイオリア達。




 サワサワと葉擦れの音が聞こえ、そよそよと優しい風が頬を撫でる。土と緑の香りが鼻腔をくすぐる。

 

 自然に抱かれるような心地よさに、イオリアは、つい微睡みながら寝返りを打った。そして、その頬にジャリという土の感触を受けて急速に意識を取り戻す。

 

「っつ、ここは? あれから……そうだ! ミク! テト!」

 

 如何にも森の中です、といった場所に一瞬混乱するイオリアだったが、何があったのかを思い出し、慌てて自らのパートナー達の名を呼びながら辺りを見回した。

 

「う~ん? マスター?」

「う? マスターの声?」

 

 ミクとテトはイオリアのすぐ傍に倒れていた。イオリアの呼び声に反応し意識を取り戻すミクとテト。

 

 イオリアは、二人が自分のバリアジャケットの裾をギュッと握っていることに今更ながらに気が付いた。やがて、多少ボーとしながらも辺りを見回し、イオリアの姿を確認してホッとした様子を見せる二人に、イオリアもまた胸を撫で下ろした。

 

「二人共、無事か?」

「はい、マスター。問題ありません。マスターこそ大丈夫ですか?」

「ボクも問題ないよ。怪我はしてない?マスター?」

 

 直ぐにお互いの安否を確認し合うイオリア達。お互い問題ないことを確認し、自然と笑顔が零れた。

 

「さて、現状を確認するぞ? 俺達は、夜天を虚数空間に放り込んだ後、ゆりかごから攻撃を受けた。躱したものの、その直後、ユニゾンが解けて結界と力場が維持できなくなり、虚数空間に引き込まれそうになった」

「うん、それで、マスターが踏ん張っている間に、ボクとミクちゃんが転移魔法を使った」

「時間がありませんでしたから、ランダム転移ですね」

 

 イオリア達は、転移魔法を発動する直前の出来事に対する認識に齟齬がないことを確認し、顔を見合わせて頷いた。

 

「ここが何処の森かは知らんが、とりあえず虚数空間に飲まれることは避けられたみたいだな。」

 

 

 イオリアが「はぁ~」と安堵の吐息を漏らす。ミクとテトの二人も少し気の抜けたような表情だ。

 

 それも当然だろう。三人は、ついさっきまで世界の存亡を賭けた戦いを繰り広げていたのだ。しかも、最後はあわや虚数空間に飲まれる! という何とも心臓に悪い状況を間一髪で潜り抜けたのである。

 

 イオリアは少しボーとした後、ミクとテトに目を合わせ、おもむろに拳を突き出した。

 

 それを見たミクとテトは一瞬キョトンとした表情をしたものの、直ぐに意図を察し、ニッと笑うと同じように拳を突き出してイオリアのそれに突き合わせた。

 

「……やったな!」

「はい!」

「うん!」

 

 そう、イオリア達はやり遂げたのだ。大切な人達は誰ひとり死なせなかった。ベルカも消滅しなかった。闇の書もこれ以上罪を重ねる前に封印できた。

 

 確かに、戦争自体は止められなかったし、犠牲者も多く出た。平和とは言い切れず、火種は未だ燻っており、ベルカ消滅の危機は他にもあるかもしれない。

 

 それでも、イオリア達の足掻きは、失われるはずだった多くの「大切」を守ったのだ。イオリア達は暫く、そうやって笑い合い互の健闘を讃え合った。

 

「さて、現状も認識したし帰らないとな。転移の直前に、オリヴィエさんにイヤリング撃ち出したから座標はわかるだろう? ミク、テトどうだ?」

「ちょっと待ってね」

「え~とですね~」

 

 

 イヤリングとは、イオリアが初等部を卒業した際クラウス達が贈ってくれたもので、魔力なしに次元を超えて引き合う性質を持ち、どこにイヤリングがあるのか分かるという優れものだ。

 

 イオリア、ミク、テトが其々対になったもの所持しており、イオリアは一つを闇の書の意思に、もう一つをオリヴィエに渡したのである。そうすれば、何処にいようとミクかテトのイヤリングで場所を特定できる。

 

 しばらく場所を探っていたのか、沈黙を続けるミクとテトに、痺れを切らしてイオリアは声をかけた。

 

「おい、どうした? まさか、分からないなんてことないよな?」

 

 その言葉に、ミクとテトは顔を見合わせ、どうしたものかと悩む素振りを見せた。その様子に、何だか嫌な予感を感じつつも、イオリアは再度、二人に返事を求める。

 

「ミク? テト?」

「え~とですね。マスター。分かるには分かるんですけど……その何というか、ここ別の次元世界みたいで……その、すご~く遠いといいますか……」

 

 煮え切らない様子のミクに、イオリアは、テトの方にも説明を求める。

 

「あのね、マスター。座標はわかるけど、魔力が足りなさすぎて次元転移できないんだ」

 

 そう答えるテトに、意味を理解したのか、苦い表情を見せるイオリア。そして、湧き上がった疑問をぶつける。

 

「だが、テト。俺達は現にこの世界にいるぞ?残りのカートリッジを使っても足りないのか?なら、どうやって俺達はここまで転移したんだ?」

「それは、ボクにも確かなことはわからないよ。でも、あの時、あの場はちょっと異常だったからね。それのせいかも、としか……」

「異常?」

 

 疑問を浮かべながらも、転移直前の場面を思い出したイオリア。

 

 確かに、あの場は、イオリアの【絶空】で空間が破砕され、元に戻ろうとする力が吹き荒れており、さらにゆりかごの軽く大地を割りそうな砲撃を打ち込まれて空間其の物がめちゃくちゃになっていた。砲撃のおかげで魔力濃度も相当なものだっただろう。そこに来て、“ランダム”の転移魔法である。予想外に飛ばされてもおかしくはないかもしれない。

 

「じゃあ、可能な範囲で別の次元世界に転移して、回復次第また別の次元世界にって具合ならどうだ?」

「ボクとミクちゃんはともかく、マスターが必ずしも生きられる世界とは言えないんだよ?危険すぎるよ」

「それに、一度や二度ならともかく、少なくとも数十回は必要です。賭けとしては正直、分が悪すぎます。魔力素がある世界とも限りませんし……」

 

「なるほどな・・・現状では帰還方法なし、か」

 

 考え込むイオリアに、ミクが提案する。

 

「マスター、とりあえずこの世界の情報を収集しませんか? もしかしたら、帰還の助けになるものがあるかもしれません。魔法文化があれば、次元航行艦だってあるかもしれませんし……」

「ああ、そうだな。俺もそう考えていた。とりあえず、サーチャー飛ばして周囲一体を探索し……ぐぅ~~~ぎゅるる」

 

 これからの行動を指示しようとしたイオリアの腹の虫が盛大に抗議の声を上げた。いい加減、飯をよこせと。

 

 静寂に包まれる三人。葉擦れ音がサワサワと響く中、そのシリアスブレイカーっぷりに、ついにミクとテトが吹き出した。

 

「ぷっ、あは、あはははは~マスター~そんなキリッとした顔で~」

「くっ、ふっ、無理。お腹捩れる。タイミング良すぎだよ。ふっぐ、流石マスターだよ」

「……」

 

 そういえば、昨日の朝から何も食べずに連戦だったなぁ、腹がなってもシカタナイナ~と誰にともなく言い訳をしつつ、ものすごく真面目な顔で、ものすごく間抜けな音を出してしまった恥ずかしさを誤魔化すため、必死にそっぽを向くイオリア。

 

 ツボにはまったのか未だ笑い転げる二人に、八つ当たり気味に声を荒げる。

 

「ええい、もういいだろ!? サーチャー飛ばして情報収集! ほら、動け動け!」

 

 声を荒げるイオリアに、ミクとテトは目の端に涙を浮かべながら、どこか生暖かい目を向け了解の意を伝える。深刻な空気はどこかに吹き飛んでいた。

 

「了解です、マスター。ぷっ、一刻も早く食事処を見つけないといけませんもんね! ぷふっ」 

「OK、マスター。とびっきり美味しそうなレストラン探すから、もう少し我慢してね? くくっ」

 

 明らかにからかいの含まれた二人の言葉に、イオリアの額に青筋が浮かぶ。

 

「お前等~」

 

 顔を真っ赤にして迫ってくるイオリアに、ミクとテトはキャッキャッと騒ぎながらサーチャーを飛ばしていく。

 

 清閑な森に、暫くの間、楽しげな声が響いていた。

 

「……で。セレス。俺達のサーチャーに反応は?」

 

 未だどこか不機嫌そうな声で、相棒のデバイスに尋ねるイオリア。端的に「no」と応えるセレス。そんな様子に、ミクとテトは苦笑いをする。

 

「もう、いい加減、機嫌直してくださいよ~マスター?」

「悪かったよ、だから、ね? マスター?」

 

 イオリアの機嫌を直そうと宥めるミクとテト。イオリアは、二人をチラッと見た後、「はぁ~」とため息を吐き、「もういいさ」と手をひらひら振った。

 

 と、その時、西方にサーチャーを放っていたミクが反応を見せる。

 

「あ、マスター! 街です! 街がありますよ!」

「お、本当か? 距離は? どんな感じだ?」

「え~と、文明レベルはBくらいでしょうか。街の雰囲気も悪くありません。治安は良いみたいですね。距離は、およそ20kmくらいです」

 

 文明レベルBとは、現代日本くらいの文明レベルのことである。

 

 ミクの報告を聞き、「よし」と一つ頷くと、イオリアは立ち上がってミクとテトに今後の方針を伝える。

 

「取り敢えず、その街に行こう。それでまず、資金稼ぎだな。十中八九、手持ちの金は使えないだろうし。で、その後は、飯食って宿を探しつつ、この世界の情報収集だ」

 

「了解、マスター。でも、資金稼ぎって?」

 

 イオリアの指示に賛成を示しつつ、資金稼ぎの方法を尋ねるテト。ミクも首を傾げて「どうするんですか?」という表情を浮かべる。

 

 そんな二人に向かってイオリアはニヤッと不敵に笑い、何を今更といった目を向けた。

 

「そんなの決まってるだろう?最近、何だか化け物じみた使い方ばっかしてる気がするが……本領発揮と行こうじゃないか。なぁ、歌姫達?」

 

 イオリアのその言葉に意図を察したミクとテトもまた、イオリアと同じ様にニヤッと不敵な笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ザバン市の中央広場。普段は、待ち合わせの場所に使われるか、休憩がてら付近のベンチに座るものがまばらにいる程度の場所が、現在、大勢の人間に埋め尽くされていた。

 

 半ば交通妨害にもなっており、騒ぎを聞きつけた警官もちらほらいるのだが、そんな彼らすら熱心に人垣の中央を見つめている。

 

 その中央にいる者とは、

 

「みなさ~ん、盛り上がってますか~! 次は、テトちゃんとのセッションで行っくよ~! 楽しんでってね!」

 

――ワァアアアアアーーーーーー!!!!

――ミックちゃ~ん!!!

――テ~トちゃ~ん!!!

 

 そう、我らがイオリア、ミク、テトのお三方だった。

 

 ちなみに、イオリアへの声援もあるが演奏に徹しているので二人ほど目立たず、圧倒的なミクテトファンの声援に掻き消されている。決して空気なわけではない、空気ではないのだ。大事なことなので二度言うが。

 

 イオリアは、黄金のバリトンサックスに息を吹き込み、中央広場に腹の底まで響くような重厚で軽快な旋律を撒き散らす。

 

 それに続くように、ギターを肩に掛けたミクが、改造キーボードを肩から掛けたテトが続き、旋律に深みを加えていく。

 

 息のピッタリとあった軽快な曲は、一瞬で聴衆の心を奪う。皆が皆、思い思いに体を揺らし、リズムを取る。心底楽しげな表情でありながら、これから響くであろう歌声を一瞬も聞き漏らすまいと集中しているのがわかる。

 

 そして、二人の歌姫がついに歌い始めた。中央広場をその天上の歌声が満たしていく。それどころか、ザパン市全体に響いているのではと思わせるほどだ。

 

 澄んだミクの歌声も、少し低めで艶のあるテトの歌声も聴衆を魅了してやまない。街中の人間が集まりだしているのでは?と疑いたくなるほど、未だ、ぞくぞくと人が集まって来ている。

 

 イオリア達が資金稼ぎのため路上ライブを始めてから、まだ20分と経っていない。最初、デバイスの格納領域に入れておいた楽器をミクとテトに用意し、中央広場の適当な場所を見つけ準備している時は誰も見向きもしなかった。むしろ、演奏の練習でうるさくされるのではと迷惑そうな表情をしている人達もいたくらいだ。

 

 しかし、イオリア達は「そんなもの知らぬ」と強行した。イオリアの機嫌は直っても、腹の虫の機嫌は直らないのだ。金を稼ぎ飯を食うその時まで。

 

 そんなこんなで始まったライブだが、最初の数分で周囲の人達は顔色を変えた。奏でられる演奏に、響き渡る歌声に、しばらく呆然と聴き入っていたが、一曲が終わると同時にハッと正気に戻り、少しでも近くで聴きたいと我先にイオリア達の前に集まりだしたのだ。

 

 そして、現在5曲目。未だ、眼前のサックスケースにお布施は入れられていないが、イオリア達は気にせず演奏を続ける。たとえ資金目当てでも、楽しむときは楽しむのがイオリア達のスタンスだ。

 

 イオリア達の楽しげで嬉しげな雰囲気に釣られて聴衆達のテンションも最高潮である。人垣の向こうで、集まった警察官らしき人達がノリノリで踊っており、彼らのテンションもMAXだ。

 

 結局その後、アンコールにも応えつつ、20曲近くを披露しライブは終了した。

 

 終わった直後、サックスケースが溢れんばかりにお布施が投げ入れられていく。

 

 イオリア達はひたすら「ありがとうございます!」を繰り返し、次はいつライブをするのかという声に「申し訳ありません、未定です!」を繰り返し、何とかミクとテトを誘い出そうと口説いてくる男共に手加減版【虎砲】を叩き込み、正気を取り戻して白々しい注意を促してくる警官隊に詫びを入れつつ、やっぱりミクとテトに手を出そうとする男共に手加減版【断空拳】をお見舞いしていく。

 

 ようやく、聴衆達が興奮しながらも帰途に着く頃には日が大分落ちていた。

 

 なお、ミクとテトに違う意味で興奮していた輩は、警官達がとっても丈夫な仮宿に強制帰宅させた。

 

 イオリア達は、まだ魔法文明の有無がはっきりしないため街中でセレスに楽器を格納するわけにもいかず、現金を整理しながら楽器の片付けをする。イオリアは、何時になくご機嫌な様子だ。

 

「いや~、やっぱこうだよ。こうなんだよ。音楽の才能ってさ、こういうことを言うんだよ。断じて、大軍吹き飛ばしたり、人体の内部破壊引き起こしたり、数百人の傭兵をのたうち回らせたりするもんじゃないんだよ」

 

 一人、うんうんと頷き、晴れやかな笑顔を見せるイオリアに、ミクとテトは、「ストレス溜まってたんだなぁ~」と、苦笑いを浮かべた。

 

 いよいよ片付けも終わり、いざ、飯屋に! という時に声を掛けてきた者がいた。

 

「素晴らしいライブだった。よければ、夕食を奢らせてもらいたい」

 

 その言葉に、イオリアは、まだナンパ野郎が残ってやがったか、と不機嫌そうな表情を隠しもせずに振り返った。……決して、空腹がいい加減限界だったからではない。

 

「すいませんが、仲間内で打ち上げをするのでお断りします。それに、初対面の方のそう言う話に乗ってしまうと他の方から恨まれることもあるので……」

 

 一応、丁寧な言葉遣いを心掛け、もっともらしい理由もつけてハッキリと断りを入れる。こういうことは曖昧にすると後々問題になるのだ。

 

 イオリアが振り返った先にいたのは、黒髪のイケメンだった。その横には鷲鼻の背の高い女性や顔に大きな傷のある大男、中華風の服を纏った糸目の男がいた。

 

 何となく、既視感を刺激されるイオリアだったが、気にせず一礼し、そのまま立ち去ろうとしたところで再び声を掛けられた。

 

「まぁ、そう言うな。お前達ほどの音楽家とは、ぜひとも顔見知りになっておきたい。夕食時に一曲頼めるなら……1000万ジェニー出してもいい」

 

 随分と強引な、それでいて高い評価と共になされた勧誘に、イオリアは再度断りを入れようとして、次の瞬間あまり衝撃に表情が凍りついた。

 

「ああ、自己紹介がまだだったな。俺の名前は、クロロ・ルシルフルだ」

 

「……旅団」

 

「!?」

 

 クロロ・ルシルフル。

 

 それは、ハンターな世界で幻影旅団というA級賞金首に指定されている盗賊団の団長の名だ。

 

 イオリアは、ハンター世界のストーリーはほとんど知らない。日本にいた時、ほんの少しアニメを見た程度だ。それでも、笑顔動画でパロディー化されているものをよく見かけ、世界設定や登場人物についてはそれなりに詳しい。魂に刻まれた記憶は薄れることはないので、クロロの名を聞いた瞬間思い出したのだ。

 

 まさか、リリカルなのはの古代ベルカに転生したと思ったら、ハンターな世界にトリップしたなど予想だにしなかった。

 

 しかも、それに気がつくきっかけが、目の前にいる悪名高い旅団の団長である。それ故に、思わず致命的な言葉を口走ってしまうのもやむを得ないことだろう。

 

 イオリアの「旅団」という呟きに、一気に警戒心を引き上げるクロロ。まさか、一介の音楽家、それも相当若い相手が自分の素性を知っているとは思わず、今度は違う意味で逃すわけには行かなくなった。

 

 見れば、他の三人も警戒してイオリア達を見ている。さりげなく、おそらくフランクリンであろう顔に傷のある男と、フェイタンであろう中華風の服の男が、包囲するようにミクとテトの側面に移動する。

 

「ほう、俺を知っているのか。ただの音楽家ではないのか? ますます、招待せずにはいられないな?」

 

 目を細めて他の選択肢など無いと言わんばかりの眼光でイオリアを見つめるクロロ。

 

 イオリアは、無表情であったが内心は動揺しっぱなしだった。

 

(ないわぁ~、マジないわ~、ハンター世界にトリップって……え、何? もしかして不幸体質微妙に残ってたりする? いや、微妙どころじゃないよな? 資金稼ぎのライブで団長さんに声掛けられるとかさ、どんな確率だよ、そもそも、何でこんなところにいるんだよ。数時間前まで、世界の危機に直面してたのに、解決したと思ったら今度は俺の危機だよ。アランさ~ん! アランさん、どこ~!)

 

 内心、現実逃避気味に愚痴を零したり、アランに助けを求めたりしているイオリアだが、無言無表情のためクロロが先に動き出した。視線で、隣にいる鷲鼻の女――パクノダに合図する。

 

「そんなに警戒しないで。貴方達をどうこうしようとは思ってないわ。団長は芸術関係に興味があって……少し、話を聞きたいだけなのよ」

 

 そんな事を言いながらさりげなくイオリアに近づくパクノダ。

 

 パクノダが安心させるようにイオリアに触れようとした瞬間、イオリアの危機対応力が反応する。

 

 咄嗟に飛び退り、パクノダに触れられるのを回避した。

 

 イオリアとしては、パクノダの触れた相手の記憶を読み取るという能力を避けるためではなく、純粋に危機感に応じて回避しただけなのだが、そんなイオリアの能力など知らない団員達は「パクノダの能力を知っているのか!?」と、さらに警戒心を高めた。フランクリンとフェイタンなど殺気が漏れるどころではない。明らかに殺す気だ。

 

 イオリアは咄嗟に判断した。この世界では、有数の念能力者である旅団員達ではあるが、自分達には圧倒的なアドバンテージがある。魔導というアドバンテージが。故に、この場で逃走に全力を注げば確実に逃げられるだろう。

 

 しかし、追跡において、彼らがどのような行動に出るか。付近にはまだまだザパン市の住民がいる。旅団が、自分達の逃走を許してまで街の住人の安全に気を使うとは思えなかった。イオリア達のこの場からの逃走は、そのまま住民の危険に繋がる。

 

「夕食をご馳走してくれるんだろう? ぜひ、案内してくれ。その招待、喜んで受けさせてもらう」

 

「……そうか、では行こうか」

 

 クロロは、突然態度を変えたイオリアに目を細めたが、最初の申し出通り、旅団のアジトに連れて行くことにした。もっとも、素直に夕食となるかは微妙だったが。

 

 歩き出したクロロに着いて行くイオリア達。

 

 しかし、殺気ダダ漏れの男が二人背後にいるので生きた心地がしない。ミクもテトも表情には出していないが警戒しているのがわかる。そして、無言が支配する中で、それは起こった。

 

 ぐごごっ、ぎゅる~~ぎゅるるるる~ぐごっ

 

 やはり空気を読まない腹の虫。てめぇ、いい加減にしやがれよ? アァ!? と言わんばかりの猛烈な抗議に思わず全員がその場に立ち止まり、イオリアをマジマジと見る。近くの露店のおっさんもマジマジと見る。

 

 私関係ありません! という態度で必死にそっぽを向くイオリアだったが、ついに沈黙と凝視に耐え切れず呟くような声で言った。

 

「ちょっと、そこの露店に寄っていいか?」

 

 クロロは、思わず顔を背け肩をぷるぷる震えさせながら、

 

「い、行ってこい。ブフッ」

 

 堪えきれずに吹いた。周りを見れば全員空気を読んで笑いを堪えているようだが、そこかしこで堪えきれずに吹き出している。小さな声で呟く「流石、マスター、ふぐっ」だの「常人にはできない、ぶっ、ことを平然とやる、コフッ、流石だよ」という相棒達の声など決して聞こえない。

 

 イオリアは、俯きながらスタスタスタと早歩きで串焼肉を売っていた露店へ向かった。露店のおっさんは、実にいい笑顔で待ち構えている。

 

 イオリアはこれから起こるであろう厄介事が、せめて今のシリアスブレイクな腹の虫でマシにならないかな~と再び現実逃避に走るのだった。

 




いかがでしたか?

イオリア達はHUNTER×HUNTERの世界にトリップしました。

実を言うと、作者はマジでハンター世界の原作を読んでいません。
じゃあ、何でトリップしたんだよ?というツッコミに対してはこう言うしかなない。
念がかっこよかったから!と。SSでハンター読んで、是非イオリア達にも念を覚えさせたいと我慢できなかったんです。
故に、ネットで調べながらの執筆です。
多分にご都合主義、独自解釈が入りますが大目に見て下さい。
基本は原作沿いになるかと思いますが・・・まぁ妄想なんでどうなるか・・・

次回は、旅団と一戦やらかします。


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第11話 旅団と一戦、そして念修得

旅団員の口調が微妙。

大丈夫かな。


 クロロ達に連れられて来たのは、如何にもお尋ね者のアジトといった感じの人気のない倉庫街の一角だった。

 

 露店のおっさんのホクホク顔を後に、道中、開き直って大量に買い占めた串肉焼きをモシャモシャと貪っていたイオリア。

 

 その様子を見て、最初は肩を震わせていたクロロ達だったが、貴様らには一本たりとてやらん! と言わんばかりの勢いで肉を貪るイオリアに、普段どんな食生活を送っているんだ? と若干哀れみの混じった目を向けた。

 

 自分達のマスターが欠食児童扱いを受けている! と悟ったミクとテトが何やら弁解じみたことを話していたようだが、イオリアはその一切を無視してとにかく肉を貪った。その様子が、マスターの名誉を取り戻そうとするミク達の努力をことごとく無駄なものにしているとわかっていながら。

 

 なんとなく、グダグダした空気が流れていたが、アジトに到着すると流石にクロロ達の雰囲気も一気に張り詰めたものになった。扉を開け倉庫のような建物に入る。

 

 中は閑散としており、古びた電球が頼りない光で必死に闇夜を払っていた。

 

 そんな薄ぼんやりした灯のなかで、9人の人間が思い思いにくつろいでいいた。その中の一人、金髪の笑顔を浮かべた男がクロロに声を掛ける。

 

「団長、おかえり。随分遅かったね。で、そちらさんは?」

 

「怪しい音楽家だ。」

 

「へぇ~」

 

 団長のその言葉に気を惹かれたのか、その他の団員も近寄ってくる。

 

 原始人のような大男ウボォーギン、ポニテの美人マチ、メガネの女がシズクだろう。包帯を巻いた男はボノレノフ、侍っぽいのがノブナガ、長い髪で表情がよく見ないのはコルトピで、あとは消去法でクロロに声を掛けたのがシャルナーク、残りがフィンクスだろう。

 

 イオリアはそう推測しながら各々の能力を思い出していた。ピエロっぽいヤツなんて見えない。こっちを見てニヤニヤしてる変態など断じて見えないのだ!

 

「最初は見事な演奏に声を掛けたんだが、俺達のことを知っているようでな。パクの能力まで知っていたから連行した」

 

 パクノダの能力を知っていた、というクロロの言葉に警戒心を強める団員達。さりげなく出入口を塞ぎ、イオリア達の周りを囲む。

 

「さて、では答えてもらおうか? お前達は何者だ? なぜ、パクの能力まで把握している?」

 

 クロロの尋問に、イオリアは道中、ミク達と相談して決めた手順で行くことにする。伊達に肉を貪っていた訳ではないのだ。マルチタスクで思念通話をしながら、ミク達がクロロに話しかけることで油断させたのである。無言で押し通せば、何らかの念能力で意思の疎通を図っていると警戒されないとも限らない。そう、全ては作戦なのである。決して、不貞腐れていたわけではないのだ。

 

「いや、パクノダとか言う人の能力なんて知らない。全くの誤解だ。」

 

「……では、なぜパクを避けた?」

 

 

 自分何のことかわかりません、といった表情を浮かべるイオリアにピクッと眉を上げるクロロ。

 

「勘?」

 

「てめぇ、舐めてんのか? アァ?」

「状況が理解できてないのかな?」

「ふふふふふ」

 

 イオリアの言葉に、即効で切れるフィンクス。笑顔だが目が笑ってないシャルナーク。興奮し始めてるヒソカさん。団員全員が殺気立っていた。

 

 ノブナガとフェイタンが、イオリアの後ろに控えるミクとテトに近寄る。

 

「度胸があるのか、ただの馬鹿かは知らないが、連れの女の事を考えてやったらどうだ?纏すらできていないということはお前達は一般人だろ。それが、どういうルートで俺達のことを知ったのか、それを教えるだけで無事に帰れる。……別に話さなくても無理やり聞きだす方法はあるんだ。ただ、それであの演奏技術が失われるのは痛い。どうだ?」

 

 どうやら、クロロは本気でイオリア達の音楽が気に入ってくれていたようだ。ここまで、実力行使をしてこなかったのはそういうことなのだろう。

 

 だが、イオリアも無い袖は振れない。この世界に来たのは今日が初めてで、クロロが想像するような情報ルートなど持っていない。あくまで、日本にいた頃の知識なのだ。

 

 故に、さっきの弁解以上の理由はイオリアにはない。念能力という言い訳も、オーラを纏えず正真正銘垂れ流しているだけとバレていることからできない。

 

 また、パクノダに記憶を覗かれるのもまずい。もし、中途半端とは言え、ハンター世界の知識を覗かれてしまえば、彼らがどんな行動に出るかわからない。この世界に骨を埋めるなら別だが、イオリア達はベルカに帰らねばならないのだ。悪影響だけ与えてさよならなど流石に無責任というものだ。

 

 故に、イオリアにはこの選択しかない。

 

「ミク、テト、どうだ?」

「はい、マスター安全は確認済み! 大丈夫です!」

「準備完了。いつでも行けるよ? マスター」

 

 突然、話し始めたイオリア達に警戒心を最大に引き上げる団員。

 

 同時に、フェイタンとノブナガが動いた。一息でミクとテトに接近。ノブナガが刀を居合抜きの要領で抜きミクの首を狙い、フェイタンの手刀がテトの首筋を狙う。

 

 狙い違わず、二人の刃はミクとテトの首を切り落とした、ように見えた瞬間二人の姿が揺らいで消える。高速機動により一気に距離を取り建物の奥の方へ揃って現れた。

 

 そのあまりの速度に団員達は一瞬、完全に二人の動きを見失い驚愕の視線を送る。特に、ノブナガとフェイタンの驚愕はひときわ大きかった。

 

 なにせ、ノブナガもフェイタンも世界有数の戦闘者であり、その自負もあった。にもかかわらず、目の前の標的の動きをまるで追えなかったのである。それは、ミクとテトがやる気なら手痛い反撃を受けても気づけなかったということだ。

 

 ノブナガ達の蟀谷を冷や汗が流れる。やはり、ミク達からはオーラが感じられないという事実が団員達をして最大限の脅威を感じさせる。

 

 驚愕による停滞。その瞬間を狙ってイオリアも動いた。咄嗟にフランクリンが指先から念弾を撃ち、マチが念の糸を伸ばし、ヒソカがトランプを飛ばす。

 

 イオリアは、マチの糸を無視し、ヒソカのトランプをサックスケースで防御し、フランクリンの念弾をワザと食らった。

 

 もちろん、【圓明流:浮身】により衝撃を殺しつつ、小さなシールドをクロロ達には見えないよう張り威力を極力殺した状態で、だ。

 

 それでも念弾の威力に吹き飛びながら、ウボォーギンとフィンクスが急速に接近してきているのを確認する。その体格と相まって凄まじい迫力だ。

 

 イオリアは、空中でサックスを取り出すとヒュゴォという音を立てながら息を思いっきり吸った。連動して胸部がググッと膨らむ。

 

 嫌な予感がしたのかマチが咄嗟に叫ぶ。

 

「防いで!!」

 

 だが、折角の指示もイオリアの衝撃超音波の前には意味がない。固有振動と共鳴を利用したこの攻撃は、それこそ空気そのものを遮断でもしない限り、秒速340mで目標に到達し対象の脳髄を揺さぶり尽くす。

 

 イオリアは、肺に溜まった空気を余すことなくサックスに吹き込んだ。

 

 マチの忠告に従い防御姿勢をとった団員達だが、次の瞬間には音が物理的圧力を持って落ちてきたと錯覚するような凄まじい衝撃を受け、一人も余すことなく白目を向いて崩れ落ちた。

 

 吹き飛んでいたイオリアは、ミクとテトがキャッチし、直後、テトが準備していた転移魔法が発動、その場を離脱した。

 

 

 

 

 

 

 暗く静寂が支配する森の中で、突如、光が幾何学模様とともに湧き上がる。光が収まると同時に人影が現れた。イオリア達だ。ここはベルカから転移した際、最初にイオリア達がいた場所だ。しばらく活動できないとは思うが、念能力者のスペックを未だ測りきれていないイオリア達は、念のため、街を出ることにしたのである。

 

「ふは~、怖えぇ~。戦場とはまた違った恐怖だ。何、あの殺気。旅団員は化物か?」

「いや、その化物を文字通り瞬殺したマスターは、一体何なのかと」

「え~と、殺っちゃったんですか?」

 

 イオリアの自分を棚上げした愚痴っぽい感想に、思わず突っ込みを入れるテト。

 

 事前の打ち合わせで、周囲に住民がいないことを確認し、ミクとテトが先に退避、イオリアが念攻撃を受けつつ攻性音楽で一撃いれ、転移魔法で離脱、と作戦を立てていたわけだが、転移直前に見た団員の様子が悲惨な感じだったので確認を入れるミク。

 

 テトの突っ込みを聞こえないふりをして、ミクに答える。

 

「いや、一応手加減はした。死なれたらこの先どんな影響があるか分からないからな。この世界に永住でもしない以上、無責……っと、こんな感じか?確か、【纏】だったな。予想通り魔力制御と似た感じだ」

 

 イオリアは、ミクに答えながら漏れ出すオーラを制御し、何とか【纏】をしようと奮闘する。もともと魔力制御は得意中の得意だったので、体内エネルギーという点では共通しているオーラもそうこうしている内に体に纏えたようである。

 

 あれでも手加減したというイオリアに若干呆れた視線を向けながらも、テトはイオリアの作業について質問した。

 

「それで、念には目覚めたということでいいの?ボク達には見えないんだけど……」

「事前に打ち合わせをしていたとはいえ、攻撃を受けたときは生きた心地がしませんでしたよ~」

 

 そんな二人に、苦笑いをしながらイオリアは「悪い」と頭を下げ謝る。

 

 連行されている間、逃走方法を考えながら、どうせ攻撃されるだろうからついでに念修得できないかな? と考えていたイオリアは、そんな軽い気持ちで二人を心配させたことを反省した。

 

「とりあえず、【纏】はできた。オーラが漏れ出してないようだから成功と考えていいだろう。魔力制御に長けていれば問題ないと思ったが正解だったな。そんなに難しくない」

 

 そんなイオリアの言葉に、安堵した様子のミクとテト。折角の機会だからと説き伏せられ、マスターなら大丈夫と賛成したものの、やはり心配だったのだ。

 

「ならよかった。それで、マスター?これからどうするの?」

「取り敢えず、魔法文化がないことははっきりしましたよね……」

 

 ミクとテトは、困った様な表情でイオリアを見つめる。

 

 ハンターの世界には当然魔法の概念などない。魔法技術による帰還補助は不可能だ。イオリアは、腕を組み木にもたれ掛かかりながら考え込んだあと、二人に今後の方針に関する案を話してみた。

 

「念能力でどうにかならないか?とも考えてみたんだが……多分無理だ。長距離移動の念ですら厳しい制約と誓約が必要なのに、次元の壁を超える能力の制約なんてな……魔法を補助する念能力なら可能かもしれないが、それがどの程度の効果を持つかは分からない。あまり期待しない方がいいだろう。最終手段だな」

 

 イオリアの言葉に、確かにと頷くミクとテト。

 

「で、だ。一つ帰還に役立ちそう、というかハンター世界のストーリー知識が少ないせいでこれしか思いつかないんだが、グリードアイランドのクリア報酬で役立つものはないかな? っと考えたんだが……どう思う?」

 

 イオリアのアイデアに、顔を見合わせるミクとテト。

 

 グリードアイランドとは、念能力者のみがプレイをすることが可能なフルダイブ型ゲームのことで、ゲーム内にある指定カードを全種集めることでクリアとなる。

 

 そして、クリアの際、ゲーム内のカードをクリア報酬として3枚だけ持ち出すことができるのだ。ゲームというだけあって、その効果は現実離れしたものが多い。

 

 イオリアは、曖昧な知識の中で使えるものがあるのでは? と考えたのだ。

 

「確かに、可能性はありますね」

「マスターの知識は曖昧だけど、強力なカードが多数あるのは確かだね。うん、いいんじゃないかな?」

 

 イオリアは前世において、ハンター世界の原作を読んでいない。そのため、笑顔動画でパロディー化されたものと、深夜アニメのチラ見くらいしか知識がない。いくら、前世の記憶が魂に刻まれていて忘れることがなくても、最初から曖昧な知識では確かなことは言えないのだ。

 

 もっとも、笑顔動画のうp主達は揃って凝り性なので、ハンター世界の設定に関してはそれなりに詳しくはあるのだが。

 

「よし、それじゃあ、当面の目標はグリードアイランドのプレイと使えそうなカードの選別だな。」

「でも、マスター。グリードアイランドって、ものすごく高価なんじゃ……」

「路上ライブで稼げる限度を超えていたと思うよ?」

 

 ミクとテトの懸念も最もだった。グリードアイランドは世界で100本しか存在せず、オークションなどに出品された折には優に数百億単位で取引されるのだ。それこそ、イオリア達でも、プロデビューして何年も働かなければ稼げない額だ。

 

 心配するミクとテトに、イオリアは打開策なら考えてあると自信ありげに微笑んだ。

 

「わかってる。それについては考えがある。いいか? 俺達はグリードアイランドを手に入れる前に、ハンター試験を受けるんだ」

「ハンター試験?」

「……ああ、なるほど。」

 

 イオリアの全く関係なそうな話しに、ミクは首を傾げ、テトは少し考えた後、イオリアの意図に思い当たったのか若干呆れるような表情を見せた。

 

「そうだ。ハンターライセンスを取得したら即行で売る。確か、ハンターライセンスは売れば7代は一生遊んで暮らせる額になるって話しだったはずだ。ライセンスを取れば調べ物も一気に楽になる。高値で買ってくれる好事家も、グリードアイランドの所在・持ち主もな」

 

 ミクも納得したのか「なるほど」と頷いた。テトが一通り予定が立った事を察して、まとめに入る。

 

「じゃあ、ちょっとまとめようか。まず、ハンター試験を受けて、ライセンスを手に入れる。好事家とグリードアイランドをハンター権限で調べて、その後、売る。売ったお金でグリードアイランドを購入して、プレイ。帰還に役立ちそうなカードを探しつつ、あればクリアを目指す。なければ、念能力が頼みの綱。って感じかな?」

 

「ああ、そういうことだな。ハンター試験は確か応募カードを出す必要があったと思う。……今期の試験に間に合えばいいが……どっちにしろ一度街に行って情報を集めないとな」

 

 イオリア達は顔を見合わせ頷きあった。

 

「それと、ミクとテトも念の修得にチャレンジな」

 

 イオリアは、突然、そんなことを言った。ミクとテトは困惑したようにイオリアに質問した。

 

「でも、マスター。ボク達は、デバイスだよ?」

「念って、生命エネルギーなんですよね? 私達では……」

 

 当然の疑問に、イオリアは、「まぁ可能性の話だよ」と苦笑いする。

 

「確かに、そうなんだが……覚えてるか? あの時、クロロはこう言ったんだ。纏すらできてないということはお前達は(・・・・)一般人だろう、ってさ。オーラを垂れ流している人間にミクとテトも含めていた。それで、俺もさっきから注視してるんだけど……うん、確かに二人ともオーラがあるっぽい。オーラ自体は誰でも持ってるものだしな。それに、道教では、魂魄の魂は精神エネルギーを、魄は肉体を支えるエネルギーを指すと言われている……と思う。二人は確かにユニゾンデバイスだが、俺の魂を分けた与えられた特別製だ。魂があるならオーラがあっても不思議じゃない……かな?」

 

「思うとか、かな?とか微妙ですね~」

「でも、取り敢えず使えるなら修得したいね」

 

 イオリアの微妙な推測に苦笑いしながらも、ミクとテトは念が使えるという事実に喜んだ。自分達がただの機械などではないことは十二分に自覚しているが、それでも人間と同じと言われたことがイオリアとより近しい存在と言われたようで嬉しかったのだ。

 

 また、さらに強くなれることで、よりイオリアの力になれることも二人を喜ばせた要因だ。

 

「よし、それじゃ、早速やってみるか」

 

 その言葉とともに、イオリアは魔力弾を放つ場合と同様の制御方法でミクとテトにオーラを流し込む。まだ不慣れなせいで、一気に目覚めさせることは出来なかったが、それでも最終的にミクとテトもオーラに目覚め【纏】をすることに成功した。

 

 

 

 

 

 

 その後、旅団の襲撃を警戒しつつ一夜を明かし、オプティックハイドを発動しながら街に戻り無事ハンター試験の応募を果たした。

 

 ハンター試験まではまだ1ヶ月ほどあるようなので、イオリア達は森の中で念の修行をすることにした。

 

 念修行の基本四大行である纏・練・絶・発の修行だ。イオリア達は【纏】に関しては類まれなる魔力制御能力を持っているので問題なかった。【練】についても少しづつ総量が増えており問題ない。

 

 ハンター試験まで後20日、イオリアは、木の根元で座禅を組み、目を閉じて【絶】の修得に励んでいた。

 

 ……ミクが【纏】の応用技【周】で石を豆腐のようにスパスパ斬り、テトが念弾をバカスカ連射している横で。

 

 そう、ミクとテトは既に念の修行を応用技まで全て修得しているのだ。

 

 というのも、ミクとテトはユニゾンデバイスであるため精孔がなく、イオリアの推測通りなら魂から直接オーラを引き出すことができており、コツを掴めば操作することも難しくないと、二人共最初から自分の手足のように制御できたのである。

 

 実は、念に目覚めた次の日には全ての念法を習得していた。

 

 これを聞いてイオリアは、かつての様に崩れ落ちた。自分が未だ四大行を修得していないのに、パートナー達は既に修行を終えてしまったのだ。涙目になりながら【練】と【絶】の修行をするイオリアを、ミクとテトは必死に慰めた。

 

 ちなみに、イオリアの修得速度は天才級である。それは才能があるからというだけでなく、過酷な武術と魔法の訓練を幼少の時より続けていたため念修得の下地が出来上がっていたからだ。

 

 特に魔法の制御・運用は念法のそれと似通っており、念の修行を初めて10日程度で、既にイオリアの【纏】や【練】、【絶】に関しては上位者レベルに達していた。

 

 しかし、ミク達の「修行?何それ、おいしいの?」と言わんばかりの所業に、自分のすごさを自覚できないイオリア。この世界のハンター達がこれを知ったら発狂ものである。あと、水見式の結果、三人とも特質系だったのは、その貴重さから言ってもやはり発狂ものだろう。

 

 これより、さらに15日後、ミク達に負けてなるものか! と奮闘したイオリアは、未だ拙さは残るものの全ての念法の修得に成功した。

 

 そして、ついにハンター試験の日がやって来た。

 

 

 

 

 

 

 一方、旅団のその後。

 

 

「うっ、く、何が……」

 

 目を覚ましたクロロは、ガンガンと痛む頭を抑えながら辺りを見回す。

 

 しかし、どこかボンヤリとしてピントが合わず、今度は目頭を抑える。すると、その気配に気づいたのかウボォーギンの野太い声が響いた。

 

「あ~今の団長の声か? 団長? 生きてっか?」

「ウボォーか。ああ、何とかな。どうなってる? 他のヤツ等は無事か?」

 

 未だ、ピントの合わない視線で周囲を見やれば、ぼんやりと人らしきものがあちこちに倒れているのが分かる。団員達だろう。もぞもぞと動いている者もいることから死んではいないようだが、一足先に意識が覚醒したのであろうウボォーギンに尋ねる。

 

「いや、わかんねぇよ。少し前に目を覚ましたときは、ほとんど何も見えないわ、耳は聞こえないわで、袋にでも入れられて拉致されたのかと思ったくらいだ。しばらくボーとしてたら徐々に回復してきたみてぇだが……あの野郎っ! 一体何しやがったんだ!?」

 

 話しているうちに興奮してきたのか大声になるウボォーギン。そのビリビリと震えるような声に、他の団員達も意識を取り戻していく。そして、クロロと同じようにピントの合わない目と、どこか遠くに聞こえる耳に顔をしかめる。

 

 これは、イオリアの衝撃超音波の影響だ。許容量を超えた振動と音波が一時的に視力と聴覚を麻痺させているのである。

 

 しばらく現状確認をしていると、ようやく支障ないレベルまで回復し、団員全員でイオリア達の事を話し合った。

 

「結局、何だったんだ?野郎は何したんだ? 俺達を全員まとめて瞬殺とか洒落にならねぇぞ?」

「……音」

 

 フィンクスの最もな疑問に、ボノレノフが反応する。ボノレノフも戦闘演武曲という体に空いた穴で奏でた音楽を力とする能力者であることから、思うところがあったらしい。

 

「音? そういえば、あの衝撃が来る前、サックスを取り出して息を吹き込んでたね♠ まさか、それで?」

 

 ヒソカが心底楽しそうな、もとい興奮した様子で確認する。クロロも同様の結論に至ったのかヒソカの推論に同意する。

 

「そのようだな」

 

「だが、そうだとしたらとんでもない技だね。ボノみたいに、音楽で物を具現化させるんじゃなく、音そのものが凶器なんだろ? 察知するのが恐ろしく難しい。めちゃくちゃ暗殺向きだ」

 

 シャルナークの分析に、数名を除いて深刻そうな顔をする。もしかしたら、自分達はとんでもない相手を敵に回したのかもしれないのだ。

 

「あの男の技もやばいが、連れの女も相当だろ。俺とフェイタンが対応できない速度を予備動作なしでしたんだぞ? しかも、あの男と同じでオーラを感じなかった……」

 

 ノブナガの言葉に、フェイタンが不快そうな顔をする。

 

「ねぇ、団長。アイツ等にこれ以上関わるのは止めた方がいいんじゃない? 無防備なあたしらに何もしなかったということは向こうから関わる気はないってことでしょ?」

「それは勘か?」

「勘」

 

 団長に進言するマチ。マチの勘は的中率が高く、団員の中でもパクノダの次に信頼されている情報源である。また、その後の推測も妥当なものなので、クロロは暫く悩んだあと方針を決めた。

 

「マチの勘がそういうなら、関わらない方針でいく」

 

 クロロの言葉にウボォーやヒソカなど根っからの戦闘狂は不満そうな顔をするが、概ね賛成のようだ。やはり、念も使わずにあわや全滅させられそうになった上、まだ相手の手口が見えないという不気味さが団長の判断を後押ししたらしい。

 

 未だ、戦いたそうなウボォーギンなどは、

 

「なぁ、団長。団の方針はわかったけどよ、万一ばったり会ったりしたら個人的に戦うのはいいよな?」

「そうだね♠ 正当防衛とかも仕方ないよね♥」

 

 全くもってよくないのだがクロロは頷いた。この二人は我慢させたほうが、後々面倒になるのだ。それに、ヒソカはクロロを狙っているようなので、あわよくばイオリア達が始末してくれないかなぁとクロロは考えていた。

 

 始末とまでは行かずとも、将来それに近いことになるとは、このときのクロロは思いもしなかった。

 




いかがでしたか?

ミク達に念を使わせたいので辻褄合わせに魂の話をだしました。
苦しかったかな・・・

次回は、ハンター試験です。


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第12話 ハンター試験

ハンター試験開始。

3話くらい続きそうです。


 周囲を見渡せば、なかなか癖の有りそうな人達が互いに牽制し合うように睨み合っていた。その数は既に40人以上おり、なお続々と会場に入ってくる。

 

 イオリア達は、そんなハンター試験会場に入場してくる連中を持ってきたサックスケースや壁にもたれながら何となしに眺めていた。

 

 そう、ここは第287期ハンター試験会場だ。ちなみに、ナンバープレートはイオリアが11番、ミクが12番、テトが13番である。

 

 ここに来る間にも、イオリア達はいろいろ予備試験を受けた。

 

 たとえば、ザパン市の郊外の森に行くよう指示されたので行ってみると、盗賊風の男連中が女性に暴行を加えようとしている場面に出くわした。

 

 男達は、女性達の命が惜しければ身包みを置いて自分達を拘束しろと手錠を投げ渡した。しかし、そんな場面はイオリア達にとっては珍しくもなんともない。

 

 なにせ、つい1ヶ月前まで戦争をしていたのだ。傭兵連中の非道も何度も見てきたし、その対処も慣れたものである。

 

 その方法とは、問答無用に突撃である。ミクとテトが本気の高速機動をすれば、並みの人間では感知すらできない。少なくとも人質に危害を加える暇などない。テロリストとは交渉しない!という鉄則を遵守するスタンスだ。

 

 ただ、この時は、あまりにタイミングがいい上に、実はイオリアの可聴領域に入っている間も男連中と女性陣に争いの音など聞こえていなかったので「試験の一環では?」と推測したイオリア達は問答無用で殺すのは止めた方がいいという結論になった。

 

 代わりに精一杯脅してみることにした。

 

「別に彼女達を傷つけてもいいが、その後どうする気だ? 俺達がお前等に手を出さないのは彼女達がいるからだが、傷つけられたら、もうお前らを生かしておく理由もない……おっと、丁重に扱えよ? 傷一筋でも付けたら問答無用で狩りにいく。あっさりとは殺さない。まる1ヶ月は絶対に生かして最大限に苦痛を与え続けるからな? 助かりたければ彼女達を離し、地に額を擦りつけて死ぬ気で詫びろ。そしたら……まぁ殺しはしない」

 

 慣れない脅し文句ではあるものの、戦場で殺し合いをしてきた人間の本気の殺意を浴びせながらの言葉だ。男連中どころか女性陣まで顔を青ざめさせ、次第にガタガタと震え始めた。

 

 ちなみに、この時の【纏】は最小限であるから彼らの受けた威圧はイオリアの素の圧力だ。

 

 イオリアの言葉が終わると同時に、ミクとテトが武器をチャキと鳴らして半歩前に出た。

 

「待て! 待ってくれ! 合格だ! 俺達はハンター協会に雇われた予備試験の試験官だ。これは全部芝居だから落ち着いてくれ!」

 

 男連中は必死の形相でイオリア達を説得する。女性陣も声が出ないようだが、必死にコクコクと頷き同意を示した。

 

「やっぱりそうですか。いや、マジじゃなくてよかったです。……で、次はどうすれば?」

 

 先程までの事など何もなかったと言わんばかりに殺意を霧散させ、苦笑いをするイオリアにドッと座り込む試験官たち。その額には大量の冷や汗が浮かんでいた。

 

「はぁ~~、まったく。とんでもないな。……次は、ザパン市に向かってくれ」

 

 イオリア達が一礼し、その場を去ると、試験官達はもうあんな受験生は勘弁だぞと緊張しながら次の受験生を待つのだった。

 

 ザパン市に戻ってきイオリア達は、街の入口で突然「ドキドキ二択クイズ」なるものを老人から出題された。

 

 街の人間もチラチラと見ており若干恥ずかしかったが、これも試験と割り切って老人の問題を聞く。出題内容は「母親と恋人、どっちかしか助けられないならどっちを選ぶ?」というものだった。

 

 イオリア達は迷うことなく声を揃えて、

 

「「「恋人」」」

 

 と答えた。あまりに迷いなく即答したため、本来は「沈黙」することが正解なのだが老人は思わず理由を尋ねた。

 

「いや、母親と天秤に掛けれるほど大切な存在を見捨てたりしたら……助けた後で間違いなく母さんに殺される。」

「いや、むしろ、他人であっても断空拳の嵐じゃないかな?」

「ママさんは、力は他者のために使ってなんぼって言ってましたからね~それにママさんが死ぬとこなんて……」

 

「「「想像できない」」」

 

 イオリア達は、どこか青ざめながら、うんうんと三人で頷き合う。

 

 そんな3人の様子をポカンと口を開けながら見ていた老人は、直後、腹を抱えて笑い出した。一体何を笑われているのか理解できないイオリア達はどうしたものかと困惑顔だ。

 

「いや、すまん。あまりに予想外な答えだったのでな。……お前達はよほど良い母親に育てられたようじゃの?」

 

 そんな老人の言葉に、三人は満面の笑顔で声を揃えた。

 

「「「はい!」」」

 

 老人は「うむうむ」と頷くと「気に入った」といい、自分が試験会場までのナビゲーターであると明かした。

 

 そして、何故かイオリア達お気に入りの定食屋に入ると、教えられた合言葉をいい地下に案内され、試験会場に到着したのだった。

 

 

 

 

 

 

 まさか、いつもの定食屋が試験会場の入口とはなぁ~と考え事をしながらボーとしていると、不意にゾクッと悪寒を感じ、イオリアは慌てて周囲を見回した。ミクとテトも何か感じたのか周囲を見渡し、そしてその元凶を発見して3人仲良く硬直した。

 

 変態ピエロ、もといヒソカさんだった。

 

 イオリア達は神速で意思疎通を図り、同時にオプティックハイドを発動する。イオリア達の姿が消えるのと、ヒソカがイオリア達のいる場所を見たのはほぼ同時だった。

 

 しばらく不思議そうにこっちを見ていたヒソカだが、やがて見間違いとでも思ったのか視線を外した。

 

 ヒソカが見ている間、自然と息を止めていたイオリア達は、視線が外れると同時に「はぁ~」と息を吐き、三人で円陣を組み顔を突き合わせた。そして、冷静に状況確認をする。

 

(ど、どうすんの、これ!? なんで、ヒソカさんがいらっしゃるの!? やっぱ、俺のせいか? 俺の不幸体質治ってない!? 誰か~アランさん呼んできて~!)

(マ、マスター! 落ち着いてください! そんなキリッとした顔でパニックにならないで~!)

(マスター! 大丈夫だから! ちゃんと不幸体質治ってるから! アランさんは呼べないからね!)

 

 全然、冷静になれてなかった。それくらい、あの倉庫街でのヒソカの視線は強烈だったのだ。今まで極力思い出さないよう描写も避けていたというのに……

 

 特に、イオリアが投擲されたトランプを防いで、念弾を喰らいながら反撃に出た瞬間のヒソカの表情といったら、如何にも「いいもの見つけた!」という歓喜と興奮に彩られておりイオリアは即行で記憶を封印したのだ。

 

 ミクとテトに慰められながら深呼吸をしたイオリアは「よし、落ち着いた」と持ち前の精神力で気を立て直した。若干、表情が引きつっているが。

 

(マスター、思うんだけど……マスターの知識からすると、ヒソカがいるハンター試験って……)

(う~ん、やっぱりそうなるのか?ハンター試験編はほとんど知らないんだが……)

(マスター、もう諦めたほうがいいすよ?マスターがいて、ヒソカの出る試験なら主人公達も来ますよ)

 

 なんとも納得し難いミクの発言に渋い表情になるイオリア。だが、今までの主要人物との遭遇率の高さを考えるとあながち否定もできない。

 

(それで、マスター。どうするの?ハイドしたまま試験は受けられないよ?)

 

 イオリアは、テトのその言葉に「はぁ~」と深い溜息を吐くと、

 

(そうだな、もう開き直ろう。隙あらば襲われそうな気もするが……なるべくスルーで。やむを得ない時は反撃でOKだが、本格的になったら試験失格になりそうだからな、頑張ってスルーしよう)

(主人公組はどうしますか?)

(あえて積極的に関わる必要もないだろ? まぁ、成り行きで関わる場合は普通に接すればいいさ)

 

 今後のスタンスを二人に伝える。本当に開き直った感じだ。

 

 イオリア達は「ファイト~」と声を掛け合うと円陣を解いた。そして、オプティックハイドを解こうとしたそのとき、入口からツンツン髪の少年と背の高いスーツの男、民族服を着た金髪の少年が姿を現した。間違いなく、ゴン・レオリオ・クラピカだ。

 

 見れば、世紀末からやってきましたと言った感じの男と話していたヒソカもゴン達に視線を向けている。ちょうどいいタイミングだと、イオリア達はオプティックハイドを解いた。

 

 しばらく、最初からいましたけど何か? といった何気なさを装って佇んでいたイオリア達だが、遂にヒソカが気が付いた。その目には驚愕が浮かんでいる。

 

 それは、そうだろう。入場したあとヒソカは会場の人間を確認していたし、その後入場してくる人間はチェックしていた。ヒソカからしたら、突然認識していなかった人間が現れたと感じたはずだ。

 

 ヒソカがイオリア達をマジマジと見つめる。その視線を辿って世紀末さんも見つめる。銀髪の少年、おそらくキルアも見つめる。その他の受験者も見つめ始める。当然、ゴン達も見つめ始めた。

 

 イオリアは自分の心を見つめた。俺は木。そう森の中の一本の木である、などと頑張って集中する視線を無視していた。隣のミクとテトからは「だから無駄ですって」といった感じの視線を受けるが気にしない。

 

 しかし、そんなイオリアの努力? はやはり無駄に終わるのだ。

 

「やぁ♥ 久しぶり。1ヶ月ぶりだね。すごく、会いたかったよ♥」

 

 ものすごく嬉しそうに、それこそ長年会えなかった恋人にでも再会したような雰囲気でヒソカが声を掛けた。それに対してイオリアは、

 

「人違いです」

 

 と目も合わせず即答する。イオリアの対応にさらに嬉しそうにするヒソカ。若干、ハァハァしてる気がする。

 

「つれないな♠ あの時は、あんなに激しくやり合ったというのに、イオリア♥ それにミクとテト♥」

 

 名前も知られているらしい。しかし、イオリアも負けはしない。

 

「人違いです」

 

 イオリアの徹底抗戦の態度にヒソカは体の一部を固くし始めた。

 

 ミクとテトが決して目を合わせないよう嫌悪感丸出しの表情をする。いつもニコニコしているのがデフォルトのミクとテト。そんな表情、イオリアですら見たことがない。

 

(おい、二人共、この人、何か興奮し始めてるんですけど!? 俺、対応間違えた?もう、なんか放送禁止な感じの顔になりつつあるんですけど!? どんな、言葉なら追い返せるんだ!?)

(すいません、マスター。今はちょっと、脳内で惨殺するのに忙しくて……)

(ゴメンネ、マスター。チョット、コナミジンニシテルカラ)

 

 かつて類を見ないほど黒くなるミクとテト。その様子にドン引きするイオリアは、改めて目の前の敵がかつてない強敵であると実感した。闇の書の意思など目ではなかった。

 

 どこからか、そんなのと一緒にするな! という激しい抗議の声が聞こえたが、気にせずミクとテトを慰める。

 

(悪かった!俺の対応が悪かったから! 何とかするから、いつものミクとテトに戻ってください!)

 

 懇願するようなイオリアの叫びが思念通話を通してミクとテトに届く。二人はその声に正気を取り戻したようだ。

 

 

「ふふ、まぁいいさ。時間はたっぷりある。受験仲間として宜しくね♥」

 

 そんなことを言ってイオリア達から離れていく変態ピエロに、ドッと疲れを感じるイオリア達。3人して特大のため息をつく。試験を受ける前に疲労困憊だった。

 

 そんなイオリア達に再び声を掛ける者がいた。イオリア達は「すわっ、変態が戻ってきたか!」と思わず警戒心を引き上げるが、それは杞憂に終わった。声を掛けてきたのは銀髪の少年、キルアだった。

 

「あんた達、何者だ? あのピエロ相当やばいだろ? あんなのに目を付けられてるって……よっぽどだろ?」

 

 よっぽど、何なのか非常に気になったイオリアだが、普通に会話できるのが何だか無性に嬉しくてキルアの会話に応じた。

 

「ああ、ちょっと前に……不幸な行き違いがあってな。全力で逃げたんだが、逃げ切れたこと自体に興味を持たれたようだ。全く困ったもんだ」

 

「ふ~ん、つまり、あんた達も相当できるってことか」

 

 詳しいことは省き、概要だけ伝えて心底困ったという風を装ったのだが、逆にキルアから高評価というか警戒心を持たれたようだ。興味深そうな視線を向けながら、その目の中に警戒の色が見て取れる。

 

 それに苦笑いをしながら、イオリアは両手を挙げ敵対の意思はないことを示す。

 

「あんなヤバイ変態と一緒にしないでくれ。逃げ足が早いだけだ。普通に試験を受けて、普通にライセンスを取りたいだけ。あんまり警戒して邪険にしないでくれよ?」

「ふん、どうだかな」

 

 生意気な態度を取りながら離れていくキルア。ヒソカのせいで荒んでいた精神が、キルアのおかげで少し晴れたようだ。小生意気な少年は、余裕があれば可愛いものである。イオリア達は、互いに顔を見合わせ微笑みあった。

 

 ちなみに、キルアが離れてすぐトンパと名乗る男がペラペラ試験の話をしたあと、やたらジュースを勧めてきたのだが、イオリアの後ろでミクが刀:無月をチャキチャキならし、テトが銃:アルテをくるくる回し始めた途端すごすごと去っていった。

 

 それから間もなく、サトツと名乗る試験官が現れ二次試験会場までのマラソンが始まった。

 

 サトツは競歩でありながらものすごい速度で進んでいく。イオリア達も中盤あたりをキープしながら着いて行く。

 

 5時間以上経過し未だ走り続けていると、イオリアは、ふと横から視線を感じた。視線を向けているのはゴンだった。

 

 キルアから関わるなとか小声で言われているが、あまり気にした様子がない。その目は好奇心に輝いていた。おそらく、いつの間にか仲良くなったキルアから要注意人物の話を聞いて、イオリア達の話題が出たのであろう。あるいは、サックスケースを背負っているのが興味を引いたのかもしれない。

 

「ねぇ、お兄さん! それ、何?」

 

 と案の上サックスケースを指差して元気いっぱいに尋ねてくるゴン。クラピカやレオリオも興味深そうだ。ミクやテトは、その様子を微笑ましそうに見ている。

 

「うん? これか? これは、バリトンサックスっていう楽器をしまってあるんだ」

 

 そういって、走りながら少しケースを開ける。すると、黄金色の輝きが隙間から覗いた。ゴン達は「おお~」と関心の声をあげる。興味なさげだったキルアですらマジマジと見ていた。

 

「だが、なぜ試験会場に楽器を?」

「お兄さんは、音楽関係のハンターになりたいの?」

 

 クラピカとゴンが質問する。確かに、ハンター試験に楽器は異質だろう。連れの二人、ミクとテトが刀と銃を持っていることからも、なぜお前だけ? という疑問が全員から見て取れる。その疑問に答えたのは、しかしてイオリアではなかった。

 

「そのサックスが武器だからさ♠」

 

 イオリア達は気づいていたが、いきなり現れた気配にギョッとなるゴン達。ゴン以外は一斉に警戒した表情を見せる。やはり、全員、変態ピエロの危険性は感じているらしい。しかし、空気を読まないのが主人公クオリティー。

 

「武器?どういうこと?」

 

 特に警戒した素振りも怯んだ様子もなく普通に質問するゴンに、おやっという表情を見せ、次いで楽しげな表情をするヒソカ。イオリアは思った。ゴン君ご愁傷様、と。

 

「そのままの意味さ。それに息を吹き込んで音で攻撃するんだよ♥ 1ヶ月前、それで見事に昏倒させられてね、あの時の快感は今でも忘れられない♥♥」

 

 体をゾクゾクと震わせながら恍惚の表情を見せるヒソカに全員がドン引きし、次いで苦虫を100匹くらい噛み潰したような苦い表情を見せるイオリア達を見て全員が同情の視線を送る。

 

 なんとも微妙な空気が流れる中、やはり主人公は格が違う。そんな空気など知らんとゴンはイオリアに質問を続けた。

 

「音で攻撃って、すごい! そんなの見たことも聞いたこともないよ!」

「はは、ありがとな~」

 

 ゴンの素直な賞賛に沈んだ気持ちを持ち上げられ、機会があれば見せてやるよっと言うとゴンも目をキラキラさせて喜んだ。実によい清涼剤である。

 

 未だトリップしているヒソカをスルーすることにしたメンバーが会話に参加する。それぞれの志望動機や出身などだ。

 

 ただ、動機を聞かれ若干困ったのはイオリア達だ。まさか、ライセンスカードを売り飛ばすためとは言えない。仕方なく、「探し物がある」と近からず遠からずの曖昧な返答をした。

 

 そうこうしている内に一行は「ヌメーレ湿原」に到着した。

 

 ヌメーレ湿原は、詐欺師のねぐらとも呼ばれ、人間を欺き捕食しようとする生物で溢れている危険な場所だ。

 

 サトツのそんな説明を聞いていると、突然サトツそっくりの人間が現れサトツが偽物であると喚きだした。

 

 動揺しざわめく受験者達。その混乱の隙を縫うように、突如、トランプが飛来した。イオリア達に向かって。最初からヒソカの襲撃を予測・警戒していたイオリア達はごく自然な動作でそれを掴み取る。

 

 どうやらサトツにも投擲されたようで、こちらも危なげなく掴み取っていた。偽物サトツだけが犠牲者? だ。

 

 手が滑ったなどと白々しい言い訳をしながらヒソカが謝罪する。イオリア達は「ここで、この変態を不合格にしちまえ!」とサトツに対し視線で強く訴えたが、こちらをチラと見た後、次はないと警告するだけで許してしまった。

 

 失望したぞ、サトツゥ~! と恨みがましい視線を、再び走り出したサトツに送るイオリア達。あまりにジーと見ているせいか、どことなく居心地が悪そうなサトツに若干溜飲を下げた。完全な八つ当たりである。

 

 さらに走っているうちに霧が出だした。10m先も見えないほどの濃霧である。

 

 イオリアは【円】を使い周囲を探索する。すると続々と生物が集まってきているのに気が付いた。周りの受験者は気がついていないようだ。このままでは、不意打ちを受け捕食されるのも時間の問題だろう。

 

「ミク、テト」

 

 イオリアは、自らの頼れるパートナー達の名を呼ぶ。

 

「「はい、マスター」」

 

 これからイオリアのする指示に大方の予想がついているのだろう。微笑みながら返事をするミクとテト。

 

「周りの生物からの襲撃に対処できそうにない者を選別して助けるぞ。……できるだけ、襲われて対処できなかった事実を自覚させてからがいい」

「うわ~、また無茶な注文だね。マスター?」

「あはは、もうマスターは仕方ありませんね~」

 

 イオリアとて自分が相当無茶なことを言っているのは分かる。受験生達もある程度覚悟はあるはずで、助ける必要などないと言う意見もあるだろう。いや、むしろその意見が大多数だ。しかも、その後自主的に棄権させるために後者のような注文までつけている。はっきり言って我が儘放題だ。

 

 しかし、それでも、どれだけの現実的な意見を述べられても、やはりイオリアには唯の言葉でしかない。誰よりも死を身近に感じ続けたイオリアだからこそ、“求める者に救いをもたらす”と誓ったイオリアだからこそ、無茶を鍛え上げた“力”と“意志”で押し通す。

 

 そして、ミクとテトだからこそ、遠慮一切なく我が儘を押し付ける。この世の誰よりも信頼しているパートナー達だから。

 

 ミクとテトもそれが分かるから、無茶を言われながらその表情にあるのは歓喜だ。

 

 イオリア達は【円】を広げる。ミクとテトは少なくとも半径10kmは余裕らしいが、今は周囲200mに広げる。イオリアも200mだ。ただし、イオリアの場合は現在の限界であるが。イオリア達は、受験生を守るように三手に別れた。右側にテト、左にミク、後方にイオリアである。

 

 そして、ついにその時が来た。

 

 突然発生した濃霧に鬱陶しいと顔をしかめながら、とある受験者は今にも見失いそうな前方の受験者を必死に追っていた。

 

 ふと、視界の端に何か影が走り抜けたような気がしてそちらに顔を向ける。

 

 しかし、しばらく見ていても濃霧が広がるばかりで何も確認できない。

 

 気のせいだろうと、ふっと肩の力を抜いたその瞬間、猿のような生物が濃霧の先から飛び出してきた。突然の出来事に思わず硬直する受験者。猿のような生物は、人間の胴回り程もありそうな剛腕を振りかぶり、未だ硬直したままの受験者の頭に振り下ろした。

 

 とある受験者は、やけにゆっくり動く景色の中、様々なことを思い出し、これが走馬灯かと妙に落ち着いた気持ちで考えていた。しかし、その表情は傍から見れば今にも泣き出してしまいそうに歪んでおり、死にたくないという気持ちがにじみ出ていた。

 

 猿の剛腕がとある受験生の頭部に接触する、という瞬間、目を見開いていた受験者は確かに見た。縦横無尽に奔る銀の剣線を。そして、猿の背後に刃紋が美しい銀色の刀を振るいながら宙を舞う美しい翠の髪の少女を。

 

 ボバッという音とともに細切れになり、血飛沫をまき散らしながらバラバラと地に落ちる猿だったものを前に、受験者は尻餅をついて呆然とした。

 

「早く前へ。このままだと死にますよ? 大丈夫、前へ進むなら私が守りますから」

 

 そう言って、未だ腰が抜けたように尻餅を着く受験者に、ニッコリと笑ってチンという音を立てながら無月を納刀するミク。

 

 凛としたその姿は、まさに彼女が振るった刀の様だと、とある受験者は思った。もう一度「さぁ、早く!」と催促され、慌てて腰を上げ走り出す受験者は、後ろを振り返り咄嗟に「君の名前は!?」と尋ねた。

 

 ミクはキョトンとした後「ミクです」とだけ言い残し、ヴォという音と共にその姿を消した。

 

 後に、この受験者は、刀を振るう翠の髪をツインテールにした女の子の剣客浪曼譚風漫画を執筆し、一大ブームを築くことになるのだが……それはまた別の話。

 

 一方、イオリアとテトの方も似たような感じだった。イオリアは衝撃超音波で、テトはアルテによる銃撃で受験者を守り、前方へ走るよう伝える。取り敢えず、この危険地帯を抜け出し後に棄権を促すつもりだ。今のところ死者はゼロである。

 

 しかし、それでも周りを凶悪な人喰い生物に囲まれていることが受験者の間に伝播し、パニックが起こってしまった。我先にと駆け回る受験者に四苦八苦しながら防衛を続ける。

 

 イオリアが次の生物を警戒していたその時、濃霧の向こう側から「ギャアアー」という悲鳴が聞こえた。

 

 イオリアは、【円】で悲鳴が聞こえた辺りに捕食生物が感知できないことに訝しみながら耳を澄ます。そうすると、ヒュと風を切る音が鳴るとともに再びギャアという悲鳴が聞こえた。イオリアにはこの風切り音に聞き覚えがあった。ついさっき自分を目掛けて飛んできたものの音だったからだ。

 

 イオリアは舌打ちしながら全速力で悲鳴の聞こえた場所に向かった。

 

 イオリアが到着したとき、既に3人目がトランプに切り裂かれ倒れ伏しているのが見えた。

 

 ヒソカはニヤニヤと笑いながら4人目にトランプを投げつける。イオリアは足裏で圧縮したオーラを爆発させ一気に加速し、4人目の受験者の前に立ちサックスケースを掲げた。間一髪、トランプはケースの表面に浅く突き刺さり事なきを得る。

 

 突如現れたイオリアに、顔を紅潮させ興奮するヒソカ。九死に一生を得た受験者はその場にへたり込む。ヒソカから目を離さず周囲を探ると10人ほど周りにいるようで、その中にはクラピカやレオリオも含まれているようだ。

 

 彼等も、イオリアの登場に呆然としている。イオリアは、事前の会話でレオリオが医者の卵であることを思い出し、応急処置くらいできるだろうと声を掛けた。

 

「……レオリオ。3人ともまだ息がある。すぐに処置すれば助かるかもしれない。……頼めるか?」

 

 その言葉にハッと正気を取り戻したレオリオは、

 

 「あ、ああ!任せろ!」

 

 そう言って、倒れ伏しかなり出血している3人に駆け寄る。カバンから包帯など治療道具を出しながら傷の具合をみる。クラピカもレオリオを手伝おうと、ヒソカを警戒しながら駆け寄る。他の受験者の何人かも止血しようと手伝いだした。

 

 それを面白そうに眺めているヒソカに、イオリアは凪いだ水面のように静かな瞳を向ける。

 

「何のつもりだ?」

 

 端的に尋ねるイオリアに笑みを深くしながら楽しげに返答するヒソカ。

 

「試験官ごっこさ♥ 退屈でね、無能者を振るいにかけるなら手伝おうと思って♥」

 

 イオリアは、やはり静かな瞳のままだ。しかし、内心は激情に荒れ狂い必死にその熱を制御していた。

 

 戦争の中で、ヒソカのような殺人鬼はよく見た。戦場では、感情のまま暴れれば直ぐに命を失う。それ故、冷静な判断ができるよう精神制御は特に鍛えてある。まだまだ未熟な部分はあるが、前世由来の精神力もあり、今のイオリアの精神を崩すのは至難の技だ。

 

「そうか……だが、ここまでだな。」

「へぇ~、どうしてだい? 君の後ろにまだまだ無能者がいるけど♠」

「俺の後ろに彼らがいるからだ」

 

 彼等の殆どに戦意は既にない。そんな彼等への虐殺など断じて許さない。自分の後ろにいる限り。

 

 まさに不退転。その背に多くの民の命を背負う騎士の姿。たとえ世界が変わっても、騎士イオリアの誓いが違えられることはない。その圧倒的な意志が込められ瞳に、ヒソカは自分の体を抱きしめ悶える。

 

 ヒソカがまさに動こうとした瞬間、霧の向こうからゴンとキルアが飛び出してきた。

 

 ゴンは周りの状況を確認すると、直ぐさま状況を察したのかイオリアの隣に並び立ちヒソカを睨みつける。

 

 今のヒソカはかなり濃密な殺気を放出している。常人ならそれだけで気絶するほどだ。現にキルアは震えて前に出られない。ゴンも手足がガクガクと震えている。

 

 しかし、それでも前に出た。勇敢とも言えるが、大多数の人間は無謀と切って捨てるような行為だ。

 

 だが、今回はそんな無謀な行為がこの場を納めた。ヒソカが臨戦態勢を解いたのだ。訝しげな表情をするイオリアに、ヒソカはゴンを見つめながらフフフと笑う。

 

「今回はやめておくよ♠ 君と戦うのは最高に気持ちよさそうだけど、青い果実を失うのは勿体ないからね♥」

 

 そう言って、ヒソカは何事もなかったようにスタスタと霧の中に消えていった。

 

 一同が「はぁ~」と安堵の吐息を吐く。イオリアはしばらくヒソカの消えた方を注視していたが、【円】でも音でも本当に進んでいったと分かると急いでレオリオの下に駆け寄る。

 

「レオリオ、3人の容態は?」

 

 イオリアの質問に悔しそうに唇を噛むレオリオ。

 

「一人は何とかなりそうだ。だが、あとの二人は……」

 

 イオリアも二人に注目して理解した。既に血を失い過ぎている。イオリアが治癒魔法をしても意味がない段階だ。治癒魔法に造血効果はないのだから。

 

 そして、既に意識のない二人はそのまま静かに息を引き取った。どことなく暗い雰囲気が漂う中、イオリアが立ち上がる。

 

「前に進むぞ。ここにいても捕食されるだけだ。……レオリオ、お前は二人を救えなかったんじゃない。一人を救えたんだ。それだけは絶対忘れるなよ?」

 

 イオリアは、そう言いながら落ち込むレオリオの肩を叩いた。「おう、サンキュ」と返答したレオリオの声は力強い。精神力も弱くないようだ。それを合図に皆も立ち上がる。内一人がイオリアに近づいてきた。

 

「ありがとな。あんたのおかげで命拾いした。名前聞かせてもらえるか?」

 

 先ほど、間一髪で助けた4人目の受験者だ。イオリアは「気にするな」と手をヒラヒラと振りながら礼儀として名乗る。

 

「イオリア・ルーベルスだ。悪いが、二人の遺体を運んでもらえるか? このままだと食い散らかされそうだ。折角遺体が残ったんだしな。レオリオは、怪我人の方を頼む。道中の護衛は俺がする。出発しよう」

 

 てきぱきと指示を出し、我の強そうな受験者達も特に不満を抱くことなく従う。

 

 普通ならおかしな光景だろう。イオリアは170cmを超える身長だが、まだギリギリ15歳にならない程度の年齢で少年といってもいい外見をしている。年上の受験生達が唯々諾々と従うのは有り得ないことだった。

 

 しかし、彼らには実際に不満はなかった。イオリアが圧倒的強者であることは先ほどのヒソカとの対峙で十二分に理解したし、本来何の関係もない自分達を守るために戦おうとしたことも理解していたからだ。

 

 イオリアの瞳を見ていなくとも、その背中に不退転の意志を感じ、彼等は総じてイオリアに敬意を感じているのである。遺体を運ぶなどという不毛とも言える行為に、現実主義のキルアですら文句を言わなかったくらいだ。

 

 一行は、真っ直ぐ一次試験のゴールに向かう。

 

 未だ濃霧が視界を閉ざしているが、イオリアの耳にはしっかりと前方にいる受験者達の音が聞こえていた。迷いなく先導するイオリアに頼もしさを感じながら追従する。

 

 途中、奇怪な生物が襲ってくることもあったが、誰かが手を出す暇もなく、イオリアが一度、黄金のサックスに息を吹き込めば耳やら目やら口から血を吹き出しながら白目を向いて事切れていく生物達に、顔を引きつらせる一行。

 

 この程度の生物ならゴンやキルア達でも余裕ではあるが、文字通り歯牙にもかけず、まるでどこから現れるかわかっているかのように、ちょっと息を吹き込むだけで不可視・不可避の致命傷を与えていく技に、もし自分に向けられたらと冷や汗を流すのだった。

 

 軽く引きながらイオリアの後を追う一行だったが、不意に両サイドから人影が現れギョッとする。

 

「マスター! 任務完了です! 全員無事ゴールにたどり着きましたよ~」

「こっちも完了! 死者ゼロだよ」

 

 報告をしながら併走するミクとテトにイオリアも笑顔を向けた。

 

「ご苦労さん。二人共ありがとうな」

「えへへ~」

「ふふ~」

 

 イオリアの労いの言葉に頬を緩めるミクとテト。事態が飲み込めず、目を白黒させながらゴンが疑問の声を上げた。

 

「何かしてたの?全員無事とかって……」

 

 ゴン以外の人達も、何となくミク達がしてたことに思い当たったのか「まさかなぁ~」という表情を浮かべる。

 

「ああ、ミクとテトに頼んで、この湿地帯を抜ける実力の無い者を助けてもらったんだよ。何とか全員守りきれたみたいでよかった」

 

 安堵のため息をつくイオリアに「信じられない」といった視線を向けるゴン以外の人達。ゴンだけ目がキラキラしている。

 

 それはそうだろう。ハンター試験に挑んでいる以上、何が起ころうと結局は自己責任だ。助ける義理も義務ない。

 

 キルアが思わず噛み付く。曰く、受験者の自己責任だ。曰く、この先そうやって助け続ける気か、と。

 

 イオリアは「まさか」と苦笑いをしながら何でも無い様に答える。

 

「受験生の自己責任とかそんな分かりきったことはどうでもいいんだ。皆自覚もあるだろうしな。……でも、死にたくないっていう思いはどうしようもない。その声が聞こえちまう。だから助けずにはいられない。それが俺の誓いだからな。ゴールに着いたら棄権を促すつもりだ。生き残ったことを自分の実力と勘違いした奴のことまでは面倒見きれないな、流石に。……覚悟決めて先に進むなら別だけど」

 

 そんなイオリアの独白じみた言葉にキルアは呆れたように「あっそ」とそっぽを向き、ゴンはますます目を輝かせる。レオリオやクラピカは苦笑いだ。他の受験生は、実力不足を実感し着いたら棄権しようと心に決めた。

 

 そして、遂に前方にゴールが見えた。

 




いかがでしたか?

世界が変わってもイオリアの行動は変わりません。

次回もハンター試験です。


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第13話 まだまだハンター試験

展開を調べるので精一杯。

今回は淡々としすぎているかも・・・


 一次試験のゴールに到着後、イオリア達は、先ほど捕食生物に対応できなかった者は棄権した方がよいと触れ回った。

 

 大抵の者は最初から其のつもりだったのか、素直に棄権を申し入れ、渋った者も次はない旨を説かれては命が惜しかったのか、やはり棄権を申し入れた。これにより相当な数の受験者が棄権することになった。

 

 正午になり、二次試験会場の扉が開いた。そこで、イオリア達を迎えたのは美食ハンターのブハラとメンチだった。

 

 お題は、ブハラが豚の丸焼き、メンチが寿司だ。豚の丸焼きは問題なかったのだが、川しかないのにどうやって寿司を作るんだ? とイオリア達は頭を抱えた。

 

 受験者の大半が寿司という料理自体知らないことを考えるとアドバンテージはあるのだが、こんなの試験になるのか?と思わずジト目を向けてしまうイオリア達。

 

 おそらく未知の物に対する対応力でも見ているのだろう。たぶん、きっと。そう無理矢理納得したイオリアは、用意されていた調味料の選別をミクに、火の用意をテトに任せ、自身は川に向かった。

 

 その時、まったく忍ばない忍者であるハンゾーが寿司の概要を話したため、イオリアを追い越して川へ殺到する受験者達。唯一考えつく試験の意義が早速崩れてしまい、イオリアのテンションはダダ下がりだった。

 

 これでいいのかハンター協会、と内心ツッコミを入れながら、川魚に小石を高速で投擲し仕留めていく。一応【圓明流:雹】という技だが、食材ゲットに使っているので何とも締まらない。

 

 イオリアは、悪戦苦闘する受験者を尻目に、さっさと数匹を確保するとミク達の元へ戻っていった。

 

 周りの受験者が、イオリアの早業にポカンとしているのは無視である。ヒソカがニヤニヤしているのも無視である。キルアとゴンが対抗心を出してか小石の投擲を始めたのは微笑ましい。

 

 戻ったイオリアは、ミクに酢飯を作らせ、自身はテトと魚を捌く。淡水魚は寄生虫の危険性が高いので、ミンチにした後、ハンバーグ状にして和風だしで食べる寿司にするつもりだ。

 

 ……美食ハンターなら寄生虫ごときどうということもないのかも知れないが。

 

 ちなみに、ミクは酢飯初挑戦である。知識はあるし、フフンッと鼻息荒くやる気十分な様子だから大丈夫だろう。

 

 他の受験者がチラチラ此方を見ているが、イオリア達の作る寿司は、現代日本の「もう絶対迷走してるよね? 既に寿司じゃないよね?」とツッコミを入れたくなるような回転寿司のメニューを参考にしてるので、真似すれば余計に寿司からかけ離れるだろう。

 

 そうこうしている内に、ハンゾーが如何にも寿司! という感じの料理を持っていく。

 

 当然、生なのだが、やっぱり平然と食うメンチ。手間を掛けてるのが虚しくなるイオリアだったが、ハンゾーの見た目完璧な寿司ですら、あれこれダメ出しをしてやり直しをさせるメンチに、主人公組はどうやってクリアしたんだ!? と驚愕する。

 

 後に、会長ネテロが来て試験自体やり直しになるのだが、そんなことは知らないイオリアは、主人公補正ってスゲーと的はずれな感想を抱いていた。

 

 既に何人もの受験者が追い返され、ようやく完成した和風魚肉ハンバーグ寿司を持ってメンチの下へ行くイオリア達。三人分、微妙に味も変えてある。

 

 メンチは、なんだこれ? という視線を向けてきたが、取り敢えず食うことにしたらしい。さすが、美食ハンターである。全てはまず食ってからとは恐れ入る。

 

 イオリアがやっぱりダメか? と半ば諦めの境地にいると、突如、メンチの目がクワッと開いた。

 

「合格! 試験はここまで!」

 

 メンチの声が響く。次の瞬間、「何ぃぃーーー!」という悲鳴が会場に響いた。早速、ハンゾーが不当を訴える。

 

 曰く、そんなの寿司じゃない(尤もだ)。自分の寿司の方がましだ(全くである)。

 

 曰く、そもそもハンター関係ねぇ(ついに言ってしまった)、と。受験者から一斉にブーイングが押し寄せる。

 

 メンチもまた反論した。曰く、この試験は未知に対する対応力をみる点にある(イオリアの推測まんまだった。)

 

 曰く、川魚は寄生虫がいて危ない(じゃあ何でお題を寿司にした)

 

 曰く、見た目は寿司らしくないし、味もまだまだだが、丁寧で手間がかかっており、食べる者のことを考えて作っている。料理人とはかくあるべし(誰も料理人なんて目指してない)、だそうだ。

 

 さらにヒートアップする受験者と逆ギレを始めるメンチが遂に衝突すると言うとき、ハンター協会会長ネテロが現れた。

 

 そして、メンチを説得し、クモワシの卵でゆで卵を作るという試験に変更された。イオリア達も、難なく卵を取って来て合格を得た。

 

 現在、イオリア達は、三次試験の会場に移動するため飛行船に乗り込み、与えられた部屋で寛いでいた。

 

「はぁ~、やっと落ち着いた。何か濃密な一日だったな。主に変態ピエロのせいだが……」

「お疲れ様です、マスター。折角寛いでいるんですから、アレの話しは止めてくださいよ~」

「まぁ、変態ピエロ以外にも目を付けられてるっぽいけどね……三次試験も大変そうだよ。」

 

 イオリアは、テトの言葉に若干うんざりしながら、「聞こえな~い」とばかりに部屋の中をゴロゴロする。

 

 ミクはそんなイオリアを見て、興が乗ったのか「え~い!」と言って飛びつき、一緒にゴロゴロする。テトもクスクスと笑いながら、イオリアに飛び込んだ。

 

 やはり、ヒソカの相手は相当精神を消耗したらしく、しばらく三人は幼児退行したようにジャレ合っていた。

 

 一方、イオリア達の部屋の外には、滂沱の涙を零すレオリオと、気まずそうに目を逸らすクラピカ、若干頬が赤いキルア、苦笑いするゴンがいた。

 

 昼間のイオリア達の強さや行動に強い興味を持っていた四人は、一度ゆっくり話してみたいと、イオリア達の部屋を訪ねたのだ。

 

 そして、いざノックをしようとしたとき、中から楽しそうな男女の笑い声が聞こえ、さらに、「やんっ、マスターどこ触ってるんですか~」とか「ふふ、マスターのエッチ」などミクとテトらしき声も聞こえて、明らかに「イチャついてるんですね、わかります」という状況になって、遂にレオリオが男泣きを始めたのだ。

 

 ミクもテトも十人中十人が認める美少女だ。そんな二人と試験中にイチャつきやがって~! とレオリオの胸中に嫉妬の渦が巻く。

 

 いっそ、このまま乱入してやろうかと目が本気になり始めたところで、クラピカが羽交い絞めにして部屋に引っ張っていった。ゴンとキルアは飛行船の中を探索に出た。

 

 ゴンとキルアは、探索中ネテロと遭遇し、ゲームをすることになった。ネテロの持つボールを奪うという単純なゲームだ。

 

 しかし、ネテロは右手・左足を使わないという余裕を見せ、ゴンとキルアの猛攻を掠らせることすらしない。次第にヒートアップしてきたキルアはこれ以上やると殺す気でやってしまうと考えリタイアした。

 

 廊下を歩いていたキルアは、思い通りにならないどころか軽く遊ばれたことに湧き上がる激情を抑えきれずにいた。

 

 そんな時、運悪く廊下の曲がり角で、二人の受験者とぶつかってしまったキルアは、相手の態度と相まって、ナイフよりも切れる手刀を二人に振るった。本来なら二人の受験者は、何が起きたかも分からずに切断され事切れていただろう。

 

 しかし、そうはならなかった。キルアの手刀が二人の受験者に到達するまさにその瞬間、とてつもない殺気がキルアに叩きつけられたのだ。

 

 あまりの殺気に思わず硬直し、手刀が止まる。二人の受験者がチラとキルアを見るが何事もなかったかのように通り過ぎていく。

 

 二人には、キルアの感じる殺気が感じられなかったのだ。つまり、濃密でありながら完全に指向性を持った殺気ということになり、生半可な相手ではないことを示す。

 

 キルアは、ギギギと音がなりそうなぎこちない動きで振り返る。

 

 そこにいたのは、イオリアだった。

 

 イオリアは二人の受験者が完全に廊下の向こうに消えたのを確認すると、殺気を霧散させた。そして、さざ波ひとつ立たない静かな瞳でキルアを見据える。殺気は既になくとも、キルアはその瞳に射すくめられたように硬直したままだ。

 

「なぜ、殺そうとしたんだ?」

 

 イオリアが瞳と同じように静かな口調で尋ねる。キルアは、まるで自分が叱られているかの様に感じ、なけなしの矜持をかき集めて反発した。

 

「あんたには関係ないだろ」

 

 その言葉に、イオリアは少し考える素振りを見せ、再び、キルアに目を合わせる。

 

「昼間の俺を見れば、関係ないで済ます人間でないことくらいわかるだろ? ……まぁ、それはいい。確かに、キルアの人となり自体は、俺には関係ないしな。……だが、ゴンはどう思うかな?」

 

 キルアは、ゴンの名前が出た瞬間、自分の最後の矜持がガラガラと音を立てて崩れた気がした。

 

「お前が友情を結んだ相手は、八つ当たりで、人殺しをする人間を許容するのか?」

「な、なんで、八つ当たりって……」

 

 キルアは青ざめた顔で反論にもなってない返しをする。それが精一杯だった。

 

 キルアの心中は現在、自己嫌悪の嵐でグチャグチャなのだ。ゾルディック家という暗殺一家に生まれ、拷問の様な訓練を耐え、言われた通りに人殺しをする。そんな自分が嫌で、家が嫌で、暗殺者でない自分を探すために家を出たはずだった。

 

 なのに、自分はごく自然に人を殺そうとした。やはり、自分は所詮人殺しなのか。ゴンは、こんな自分と友達になどなってくれないのではないか。そんな思いがグルグルと渦巻く。

 

「お前らが会長と遊んでる()が聞こえてたからな。大体想像つく」

 

 イオリアは、そんなキルアの様子から、ちょっと言いすぎたか?と気まずげにし、次いで、ため息をつくと「説教とかガラじゃないんだが・・・」と呟いてキルアに語りかけた。

 

「キルア、お前、ちゃんと戦えよ」

「た、戦う?」

 

 イオリアの唐突な発言に疑問を浮かべオウム返しするキルア。

 

「そうだ、お前、今までの自分じゃない何かになるために家を出たんだろ?惰性だけで叶うと思っていたわけじゃないよな?なら、戦わないと。嫌な自分を押し付ける周りと、嫌な自分のままで居ようとする自分と。ゴンと友達で居たいんなら流されるなよ。さっきのお前は、戦うことすらなく、嫌な自分に屈したんだろ?」

 

「でも、俺は、ゾルディックで……」

 

「言い訳するなよ」

 

 イオリアの言葉に、ゾルディック家の教育のせいで仕方ないんだ、お前に何がわかる! と反論しようとしたキルアだったが、イオリアにバッサリ切られる。

 

「言い訳は逃げにつながる。逃げ続ければ、もう止まらないぞ? 坂道を転がる石みたいにな」

 

 イオリアの言葉に俯き、遂に言葉を発しなくなったキルア。やべ、ちょっと厳しすぎたか? とイオリアが若干焦る。イオリアの言葉は、常に自分に言い聞かせている言葉でもある。傍から見れば随分と自分に厳しいのだが、その自覚がないイオリア。

 

「まぁ、少なくとも、願うことは止めるな。理不尽な状況に仕方ないなんて思うな。例え、どうしようもない状況に陥っても足掻くことだけは止めるな。そうすれば、誰かが微笑んでくれる……かもしれない。俺は神様みたいなヤツに微笑んでもらったしな」

 

 キルアは、その言葉に顔を上げ不機嫌そうな顔をする。

 

「なんだよ、足掻いていればゴンと友達でいれるのかよ? そんな簡単な話じゃないだろ」

「だが、諦めるつもりがないなら、足掻くしかないだろう?」

「ふんっ」

 

 キルアは、禅問答じみてきたと思ったし、ただの根性論だとも思ったが、妙に自信満々に語るイオリアに少し気持ちが落ち着いてくるのを感じた。

 

 実際、イオリアは自分より遥か高みにいる。その男が、おそらく経験から培った思いを伝えているのだ。全てに納得できる訳ではないが、キルアは、少なくとも言い訳することだけは止めようと思った。

 

 だが、ほだされた様で癪に障るので、ささやかな反撃に出ることにした。

 

「試験中に、女とよろしくやってるような奴の言葉に説得力なんてねぇよ」

 

 ニヤと笑いながら、鬼の首を取ったように笑うキルアに、「ほぅ」と呟きイオリアもまたニヤと笑う。その笑顔に嫌なものを感じたキルアが咄嗟に逃げようとしたが、そうは問屋が卸さない。

 

「なるほど、キルア少年は、俺達のアレコレを覗き見して、興奮したと。それが忘れられないわけだな? 女の子に興味があるお年頃か~もしかして羨ましかった? うん?」

 

 果てしなくウザいイオリアが其処にいた。純情なキルアは顔を真っ赤にして「そ、そんなわけないだろうが!」と言って、ダッシュで逃げていった。からかい過ぎたか、と苦笑いするイオリアは、キルアが望む自分になれますようにと祈りながら、パートナー達の待つ部屋に帰るのだった。

 

 

 

 

 

 一方、その頃、試験官控え室では、サトツとブハラとメンチが夕食を取りながら雑談に興じていた。

 

 話題はもちろん今年の受験者についてだ。今年の新人は例年に比べ期待できる粒ぞろいだとか、メンチの試験はないだろうとか、そして、注目する受験者は誰かという話になった。

 

「悪い意味で44番でしょ。あれは相当やばいって。いい意味なら、11番12番13番かな。彼等、最初からグループみたいだし。関係が気になるわ」

「ああ、お前が唯一合格出した奴らか。あれも相当だな。纏も上級者といってもおかしくないレベルだしな」

「私も、彼らには注目しております。何せ、一次試験で死者がたった2名しか出なかったのは、彼らが全員を守ったからですしね。行動原理、実力ともに注目に値します」

 

 その言葉に、驚愕を顕にするメンチとブラハ。

 

 過酷なハンター試験での死傷など自己責任だ。それをわざわざ守るなど理解し難い。しかも、実際、ヒソカに殺られた二人以外は守り通したというのだから、そのようなことプロハンターでも難しいことを考えるとますます驚きだ。

 

「しかも、亡くなった二人も、遺体を運んできました。できれば弔いを、と」

「なにそれ? 正義の味方か何かのつもり?」

「まぁ、なかなか立派な心意気だと思うぞ」

 

 メンチはどこか胡散臭そうに、サトツとブラハは感心しているようにイオリア達の話をする。いずれにしろ、イオリア達は注目される運命のようだ。

 

 

 

 

 

 

 三次試験の会場はトリックタワーと呼ばれる高い塔の屋上から始まった。72時間以内に生きて下まで降りることが試験内容だ。

 

 しかし、屋上には扉らしきものはなく、どうしたものかと受験者達が迷っていると、クライマーだという男が外壁を伝い降り始めた。

 

 あっという間にスルスルと降りていくクライマーを何となしに見ていると、巨大な鳥がクライマー目掛けて高速で突っ込んでいく。よく見ればその鳥は人面鳥だ。激しくキモイ。あわや食われるという瞬間、イオリアが叫んだ。

 

「テト!」

 

 イオリアがテトの名を呼んだと同時に、テトは銃:アルテを抜き発砲。銃弾は狙い違わず人面鳥の眉間を撃ち抜いた。「クケー!」という悲鳴と共に、錐揉みしながら落下する人面鳥。

 

「早く上がってこい!」

 

 イオリアの大声に、死の恐怖から呆然としていたクライマーは、慌てて塔を登り始める。

 

 その間も、人面鳥はクライマーを喰らおうと襲っていくが、そのことごとくをテトは一撃で阻害する。一応、銃弾は柔らかな鉛を使い威力も抑えてあるので、激痛が走るくらいで死にはしない。

 

 周囲で成り行きを見守っていた受験者やゴン達はテトの精密射撃に驚嘆の表情だ。高い塔の上は当然強風が吹いている上、飛んでいる鳥の眉間を撃ち抜いているのだから、その驚きも当然だろう。

 

 やっとの思いで登りきったクライマーは、安堵して座り込み、テトやイオリアに何度も頭を下げて礼を言った。

 

 ちなみに、これで棄権するらしい。

 

 屋上の端で座り込むクライマーを尻目に屋上を改めて見回すと、受験者が減っていることに気が付いた。どうやら、隠し扉が有り、それで塔の中に入れるらしい。

 

 イオリア達も扉を探す。暫くして見つけたものの、どうやら一人ずつしか入れないようだ。イオリアは、この先別れることを考えてミクとテトに拳を突き出した。それに合わせて拳を付き合わせるミクとテト。三人は頷きあって拳にキスした。そして、意を決して塔の中に飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 テトが到着した場所は広場のようで誰もいなかった。何かないかと辺りを見回し、壁に書かれた案内に気づく。どうやらここは多数決の道と言うらしい。多数決の道は5人の受験者の多数決で進まねばならないらしく、仕方なくテトは壁にもたれながら受験者が揃うのを待った。

 

 10分ほど待っていると、ついに4人が揃った。その4人は、ゴン、キルア、クラピカ、レオリオで面識のある人物であることにホッとするテト。笑顔でゴン達に声を掛ける。

 

「ゴン君。皆。こっちだよ。ここに案内があるよ」

 

 テトの呼びかけに気づいて近寄ってくるゴン達。壁にある案内の内容を読んで、テトを含めた5人で進むことになったと理解したようだ。

 

「そういう訳で、よろしく、皆。改めてテトだよ」

 

 そう言って、手を差し出すテト。ゴン達もテト達の人となりが信頼に値することは今までの言動で分かっていたので快く握手に応じる。レオリオなんかは、テトに笑顔を向けられてデレっと鼻の下を伸ばしていたりもする。

 

 こうして挨拶を済ませ、5人は多数決に初っ端から揉めながらも進んでいき、遂に開けた場所に出た。

 

 そこには5人の試験官とリングがあり、どうやら各試験官と1対1で戦い3勝する必要があるらしい。一番手はベンドットという鍛えられた男でデスマッチ勝負だ。ゴン達は誰が対戦するかを話し合う。

 

「一番手はボクが行くよ。勝利の景気づけがあった方がいいでしょ?」

 

 ウインクしながらそんなことを言うテトに、キルアが反論する。

 

「大丈夫かよ? アイツ、たぶん軍人か傭兵だぜ?相当場馴れしてる。3勝すりゃあいいんだから、一番手は俺が行くぜ?」

「あはは、心配してくれるのかな? キルア君は女の子に優しいのかな?」

「な、そ、そんなんじゃねぇよ!」

 

 テトが微笑ましそうにキルアを見てそんなことを言うと、キルアは顔を真っ赤にして反論する。

 

 テトは、「大丈夫さ。すぐ終わるから」と言ってリングに向かい始めてしまった。キルアは「ふんっ」とそっぽを向き、ゴンとクラピカは心配そうにテトを見て、レオリオはテトと絡みそびれた! と悔しそうだった。

 

 

「さて、お待たせ。いつでもいいよ?」

 

 リングに登ったテトは自然体で立っている。手をだらっと下げ構えることすらしない。

 

 そんな、テトの態度に、舐められていると感じたのか青筋を浮かべるベンドット。

 

 散々痛めつけて鳴かしてやると暗い嗜虐心を沸き上がらせる。テトの容姿が優れていることも嗜虐心を煽る要因だろう。しかし、その望みは叶わない。

 

 試験官が「始め!」と合図をした瞬間、ドパンッという音と共にベンドットは崩れ落ちた。

 

 一瞬何が起きたのか理解できなかったベンドットだが、両手足に走った激烈な痛みに、ようやく攻撃を受けたことを認識した。先ほどの音は発砲音だ。呻き声を上げながら、しかし、信じられない思いでテトを見る。

 

 テトは何事もなかったように最初見た時と同じように自然体で立っていた。

 

「あぐっ、何が……どうやって、っぐ、銃なんて持って……」

「うん? どうやってって、普通に撃っただけだよ」

「撃っただけ、だと? っ、だが……銃など何も……」

「そんなの、ボクの抜き撃ちの速度が君の知覚の外だったっていう、それだけの話だよ。それより降参する?デスマッチに拘るなら、さらに鉛玉をプレゼントするけど……」

 

 その言葉に、ベンドットは戦慄した。認識できない程の速度で撃たれたなどシャレにならない。

 

 ベンドットは慌てて「ま、待て、降参する!」と敗北を宣言した。

 

 テトは、試験官に視線を送る。それに気づいた試験官がテトの勝利を宣言し、テトは意気揚々とゴン達の元へ返ってきた。「すぐ終わる」その言葉通り瞬殺してきたテトの笑顔にキルアやレオリオ、クラピカの頬が引き攣り、ゴンがキラキラした目を向ける。

 

「テトちゃん、すごい! ほとんど見えなかったよ! しかも4発も同時に!」

 

 テトの神業とも言うべき銃技にテンションだだ上がりのゴン。テトが使ったのは【銃技:インビジブルショット】スカートの下、太ももに固定したアルテを、文字通り認識できないほどの速度で抜き撃ちする銃技である。

 

 そう説明して、太もものアルテを見せるテト。捲れたスカートにレオリオの視線が釘付けとなるが、上手く角度を調整しているので覗かれる心配はない。

 

 盛り上がっている間に次の対戦者が現れ、ゴンが出場。ローソクの火を消すという内容で、難なくクリアし二勝目を上げた。三試合目でクラピカが蜘蛛の刺青(偽)を付けた対戦相手を半殺し、紆余曲折あったもののこれで三勝目。試験はクリアした。

 

 その後は特に何事もなく進んで行き普通に多数決をしてゴールした。

 

 ゴールには既にイオリアがおり、テトは嬉しそうに駆け寄っていく。その様子を、レオリオがハンカチを噛みながらキッーーと悔し涙を流して眺め、クラピカに肩を叩かれていた。

 

 ゴン達も、イオリアの方へ話をしようと近寄る。よく見ると少し離れたところでトンパがグッタリと座り込んでいた。疑問を投げかける一同へ、イオリアは苦笑いをしながら説明する。

 

「いや、俺とトンパは二人組で、迷宮みたいなところを踏破するって試験内容だったんだけど、ミクとテトが心配でさ、気が急いて……気がつけばトンパの首根っこ掴んで爆走してたみたいで……おかげで随分前にクリアしてたんだけど、トンパが未だあんな感じなんだよ。」

 

 心配だったというところで、テトが恥ずかしそうに「もう、マスターは心配性だなぁ~」と頬を赤らめる。

 

 目の前にイチャつかれてレオリオの嫉妬の念は留まるところを知らない。イオリアとゴン達は互いに何があったのか話しながらミクの到着を待った。

 

 

 

 

 

 その頃のミクは……黒くなっていた。

 

 原因は、隣を歩く変態ピエロである。塔の扉を開け到着した場所で、先に到着していたヒソカがニンマリと笑いながら「やぁ♥、二人っきりだね、よろしく♥」と声をかけた瞬間、ミクは絶望した。

 

 これから数十時間もこの変態と二人で試験に挑まなければならないのだ。ミクは全部斬り捨ててマスターの下へ行ってはダメだろうかと本気で考えたが、イオリアのためにも試験を投げ出すわけには行かないと必死に自分を言い聞かせた。

 

 それから、クイズに答えたり、計算問題を解いたりしながら先へ進んでいるのだが、ヒソカの方がしきりに話しかけてくる。

 

 やれ出身はどこだの、好きなものは何だの、今度食事でもどうかだの、舐めるような視線を向けながら自然と背後に回ろうとするヒソカに、ミクは脳内で惨殺することで精神を保つ。

 

 しかし、ミクがヒソカを極力無視し、つれない態度をとる度にゾクゾクと体を震わせ、殺気を向けようものなら放送禁止な感じになるので、ミクはわりかし本気で貞操の危機を感じつつ、「変態死ね!」と悪態をつくのであった。

 

 その後、試験官と1対1の勝負という試験がなされ、その対戦相手が連続婦女暴行殺人犯でミクに下卑た視線を向け仕切りに卑猥な発言をしてくるに当たって、ミクは鬱憤を晴らすように剣戟を叩き込み両手足を切断した。

 

 命乞いをする男に冷たい視線を向け無月を納刀するミク。「助かった!」と痛みを堪えながら喜ぶ男の背骨に、ミクは鞘を叩き落とした。

 

 ボギッという音と共に、脊椎をやられ不随となる男。

 

 ミクは、泡を吹いて気絶する男を一瞥もせず跨いで会場を後にする。顔は完全に無表情だ。ヒソカはそんなミクにまた興奮する。完全に悪循環だった。

 

 イオリア達が雑談し始めて1時間ほどすると、遂にミクが姿を見せた。俯きながら、なんだか黒い靄を全身に纏っているような異様な雰囲気である。

 

 「一体何事か!」とイオリアが駆けつけようとした瞬間、ミクの後ろから現れた変態に気がついて納得した。全員がミクに同情の視線を送ると、それに気づいたのか、ふとミクが視線を上げる。

 

 その目がイオリアを捉えた瞬間、ぶわっと目に涙を浮かべ、

 

「マスタ~~~~!!」

 

 と泣きながら、駆け寄りそのまま飛びついた。

 

 イオリアは、ミクをしっかり抱きとめると、縋り付くミクの頭をよしよしと撫でながら、「何もされてないか?」「よく頑張ったな」「もう大丈夫だぞ?」と優しく宥める。

 

 スンスンと鼻を鳴らすミクは、しばらく離れそうにない。テトも苦笑いしながら、ミクの頭を撫でる。

 

 ヒソカはそんな様子を面白そうに眺めているが、空気を読んだのかイオリア達の方には来なかった。

 

 その後、暫くして三次試験は終了したようで、試験官からクジを引くよう指示された。四次試験のターゲットを選ぶためらしい。

 

 三次試験の合格者は27人。イオリア達は其々引いた番号が互のものでないことに安堵した。

 

 イオリアの引いた番号は80番、ミクは281番、テトは198番だった。イオリア達は自分のターゲットを確認しつつ、自分達に一瞬向けられた視線をしっかり感じ取り、四次試験に向け気持ちを新たにするのだった。

 

 ちなみに、ミクがイオリアに抱きついた時点で、レオリオの嫉妬メーターは天元突破した。

 




いかがでしたか?

今回は、なんだか淡々としすぎている気がします。
試験内容調べるので精一杯で・・・気がつけば頭の中でレオリオさんが残念キャラに・・・
レオリオファンの方がいたら許してください。

今回は展開的に盛り上がりに欠けるので、イチャイチャ成分を大目にしてみました。
というか、妄想的にそんなシーンばっか浮かんできてしまって・・・
少しでもミクとテトを可愛く思って頂ければ幸いです。

あと、転生物の定番、SEKKYOUをやってみました。
ムズイ、ハズイ、
上条さんの偉大さを実感しました。作者にはとてもあんな高度なSeKKYOUと男女平等パンチは打てそうにありません。

次回は、ハンター試験ラストです。


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第14話 ぶっ飛ばしますよ、この変態!

ミクVS変態


 四次試験は、ゼビル島という島のほとんどが森に覆われた場所で、1週間、受験者同士でナンバープレートの奪い合いをするという過酷なものだ。

 

 ゼビル島に到着後、さっそく森に入っていく受験者達。イオリア達も続いて入っていく。しばらく、歩きながら今後の方針を確認した。

 

「俺の指定プレートは80番、確かスパーとかいう女性だったはずだ」

「私は、281番、アゴンという剣士さんですね。同じ刀を使う人です」

「ボクは、198番、何とかモリっていう3兄弟の一番不幸そうな人だよ」

 

 さりげなく酷いことを言うテトをさらりとスルーして続ける。

 

「うん、じゃあ標的の確認もしたし、一度別れてプレートをゲットしたら、後は封時結界でもしてやり過ごそう。試験官が着いて来てるみたいだが、まぁ気にする必要もないだろう。集合場所は大丈夫だな?」

 

「大丈夫です!」

「問題ないよ!」

 

 ミクとテトの元気な返事に笑みを零しながら、イオリアも頷く。

 

「よし。やばいヤツもいるが、俺達なら大丈夫だ。もしヤバイと思ったら遠慮なく魔法も使っていいからな?それじゃあ、サクッと終わらせよう!」

 

 そう言って、いつものように拳を突き出しミクとテトが合わせる。イオリア達は一気に散開した。鬱蒼と茂る森の中にあっという間に消えていく三人に、担当の試験官が慌ててついて行く。1週間の長いサバイバル生活が始まった。

 

 

 

 

 

 イオリアは【円】を展開し、周囲200mを探索しつつスパーを探す。イオリアは、クジを引いたときスパーが世紀末さんをチラ見しているのに気がついていた。そして、イオリアの危機感が世紀末さんはヤバイ人と頻りに訴えていたので、スパーを狙う過程で遭遇しないよう注意していた。

 

 ちなみに、ヤバイというのは実力のことで見た目のことではない。念のため。

 

 しばらくすると、【円】に二人分の反応があった。イオリアは集中して耳を澄ますが、特に話し声など聞こえない。つまり、一人がもう一人を尾行しているのだろう。イオリアは反応があった方へ駆けていった。

 

 5分ほど時間を掛けて慎重に二人に接近すると、ようやく二人の容貌が見え始めた。イオリアは、喜ぶべきか嘆くべきか判断に迷うような複雑そうな表情をした。というのも、一発でスパーが見つかり、同時に世紀末さんも見つけてしまったからだ。

 

 イオリアは慌てて【円】を解く。

 

 世紀末さんは明らかに念能力者だ。能力者相手に【円】を使っては感づかれる可能性が高い。敵対行為と見られて交戦するのは避けたかった。

 

 イオリアは、さりげなく試験官の死角に周り【オプティックハイド】を発動する。慌てる試験官の音が聞こえるが、そこは華麗にスルーだ。世紀末さんと交戦するよりよっぽどいい。

 

 イオリアは迷っていた。いい加減に世紀末さんをギタラクルと名前で呼ぶべきか、ではなく、様子を見るか即行で仕掛けるかについてである。

 

 しばらく考えたイオリアだが、行動に移すことにした。十中八九、スパーでは世紀末さんを仕留められない。それどころか返り討ちに合うのが関の山だろう。そうすると、今度は世紀末さんからスパーのプレートを奪わねばならない。それなら、世紀末さんがスパーを無視している間に、サクッと終わらせた方が気を惹かなくて済むかもしれないからだ。

 

 イオリアは【絶】と【オプティックハイド】のコンビネーションでスパーの背後にあっさり回り込み、気配を殺しながら世紀末さんの隙を伺うスパーの首筋に手刀を振り落とした。あっさり気絶するスパーからプレートを回収し、ニンマリするイオリア。

 

 その直後、危機感の命ずるままに体を捻り、その場を飛び退く。同時に【オプティックハイド】も解けてしまった。この幻術魔法は、急激な動きには対応できないのだ。

 

 イオリアが一瞬前までいた場所の背後の木には針が深々と突き刺さっていた。たら~と冷や汗を流すイオリア。どうやら、イオリアの願い虚しく、世紀末さんの気を惹いてしまったようである。

 

「ふ~ん、避けるんだ。さすが、ヒソカが追いかけるだけのことはあるか。ところで、今の何?念能力?」

 

 イオリアに質問しながら近寄ってくる世紀末さん。どうやら、針を避けたこともそうだが、【オプティックハイド】に興味津々らしい。首から上をカクカク、カタカタ鳴らしながらやってくる姿は正直子供には見せられない悪夢だ。

 

 イオリアは、何とか無難に終わらせようと、取り敢えず会話に応じることにした。逃げたら追ってきそうだ。

 

「ああ、そんなところだ。俺は、この女性のプレートが標的だから目標達成だ。世紀……あんたの邪魔はしないから、もう行っていいか?」

 

 思わず、世紀末さんと呼びそうになり、慌てて言い直すイオリア。

 

 その返答は、

 

 「ッ!?」

 

 針の投擲だった。

 

 再び体を逸らして回避するが、それを先読みしたように針が投擲されていた。とんでもない速度と精度である。

 

 イオリアは、今度は回避せず飛来した針を掴み、体を一回転させつつ遠心力も利用してそのまま投げ返した。

 

――覇王流 旋衝破

 

 本来は、相手の射撃魔法を受け止めてそのまま投げ返す技だが、イオリアは修練を積み、弾丸などでも遠心力を利用して投げ返せるようにした防御技だ。

 

 ついでとばかりに拾っておいた小石を高速で投擲する。もちろん先読みして。【圓明流:雹】である。断じて魚をとる用途でないことがこれで証明された投擲技だ。

 

 世紀末さんは、投擲された小石を考慮してか、投げ返された針を指で挟んで止める。針の真後ろに同じ軌道で飛んできた小石はそのまま針で撃墜した。

 

 二人の間を静寂が支配する。しばらく見つめ合っていた二人だが、おもむろに世紀末さんが顔面の針を抜き始めた。「え、それ抜いていいの!?」と顔には出さず内心驚くイオリアだったが、直後、さらに驚愕することになる。

 

 なんと、世紀末さんの顔面がボキとかベキとか不吉な音を立てながら変形していき、猫目なイケメンに変身したからだ。イオリアは呆然とその変貌を見た後、ポツリと呟いた。

 

「セルフ美容整形……だと? そこまでイケメンに成りたかったのか。まさか、念能力を美容整形に使うなんて……なんてヤツだ……」

 

 世紀末さん改め、イルミ=ゾルディック。断じて、美容整形のために念を覚えたわけではない。何やら重大な誤解をしているイオリアに、流石にイルミが突っ込んだ。

 

「いや、こっちが素顔だから。美容整形のための能力じゃないから。……イルミ=ゾルディックって言えばわかるかな」

「ゾルディック? あぁ、キルアのお兄さん? なるほど、それなら納得だ。世紀末顔が嫌で念を修得したのかと思ったが、最初からイケメンだったんだな」

 

 ふぅ~と息を吐きながら妙な納得の仕方をされたイルミは、乱されっぱなしのペースを何とか取り戻そうと、再度イオリアに話しかけた。

 

「ヒソカが、随分とご執心だったからね。俺も気にしてたんだ。さっきの動きも【纏】の練度も只者じゃない。でも、サックスケース担いだ凄腕の念能力者なんて聞いたことない。……何者?」

 

「そう言われてもな、ただの音楽家? くらいしか言えることもないしな……なぁ、もう行っていいか? イルミさんの好奇心を満たせるような答えは持ち合わせてないんだ。無理矢理聞き出すってんなら文字通り死闘になる。あんたも目的があって試験受けてるんだろ? 少なくとも、試験続行を不可能にするくらいの自信はあるんだ。だからさ、ここらで手打ちにしよう。……ていうか、ヒソカがこっちに向かって来てるっぽいんだよ。早く逃げたい」

 

 そこまで一気に言い切って、イルミの反応を待つ。

 

 イルミは、しばらくボーと考えたと、「まぁ、いいか」と呟きながら懐に手を伸ばした。一瞬、警戒するイオリアだが、危機対応力が反応しないので見守ると、イルミが名刺を取り出し投げて寄越した。

 

「殺したい相手がいたら言って。初回限定で割引するよ」

 

 どうやら気に入られてしまったようだ。「ヒソカを頼むかもしれないな」と冗談混じりに言い、イオリアは今度こそこの場を離れることにした。ついでにスパーを回収しておく。

 

 それなりに距離を取り、試験官以外追って来ていないのを確認すると、ようやく緊張を解き「はぁ~」と深い溜息をついた。自分の主要人物ホイホイぶりに乾いた笑みを浮かべる。

 

 なにはともあれ、指定プレートは回収できたので良しとする。担いでいたスパーを近くの木にもたれかけさせ、イオリアは一度う~んと伸びをすると集合場所に向け駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 イオリアがイルミの正体に驚愕しているときより少し進んだ頃、テトもまたイモリを見つけていた。

 

 しかし、どうやらイモリはキルアを尾行しているらしく、本来ならさっさとイモリからプレートを奪うべきなのだが、少々親しくなったキルアがどうするのかと好奇心を刺激され、様子を見ることにした。

 

 キルアを尾行するイモリを尾行するテト。【絶】と【オプティックハイド】のコンボを見抜ける者はそうはいない。試験官はやはり慌てているが、テトも華麗にスルーする。

 

 どうやら、イモリはヘタレなようで、一向にキルアに仕掛ける様子がなかった。面倒になってきたテトは、やっぱりサクッと奪うかと動こうとした矢先、イモリの下に近づく二人を感知した。イモリの兄弟であるアモリとウモリだ。再び様子見を始めるテト。

 

 兄弟が揃ったことで自信を持ったのか、ついにイモリがキルアに仕掛けた。

 

 さすが兄弟というべきか、なかなかのコンビネーションではあるがキルアには通じない。キルアは全く危なげなく倒してしまった。キルアの標的はウモリだったらしくプレートを奪う。ついでとばかりにイモリとアモリのプレートも奪う。

 

 テトは、イモリのプレートを回収すべく動き出そうとしたが、その瞬間、キルアが信じられないことに、二つのプレートをぶん投げた。「あ~!」と思わず叫び出すテト。

 

 その声にギョッとしたキルア達が振り向くが、テトは高速機動に入りプレートを追ったため既にいない。

 

 テトがいる方向とは全く逆に投げられたため、追いつけるには追いつけるが出遅れた形になったテトの前に、忍ばない忍が登場。プレートを一つキャッチする。

 

 ぶつかりそうになり、テトは咄嗟に減速してハンゾーを避ける。着地と同時にもう一つのプレートは何処かに飛んでいった。

 

「うわ~、あれがイモリとやらのプレートだったらどうしよう? う~、遊んでしまった天罰か。はぁ~」

 

 ガクリと肩を落とすテトに、ハンゾーが声を掛ける。

 

「あ~それってもしかして198番か?」

 

 そう言って、手の中のプレートを肩を落としながら見せるハンゾー。そのプレートには確かに「198番」の番号が刻まれていた。

 

 まさか、ハンゾーが番号の確認もせずキャッチするとは思っておらず、当然飛んでいったほうが自分の指定プレートだと思っていたテトは目を丸くする。ついで、面倒なことをしなくて済んだと喜んだ。

 

「うん、そうだよ。そのプレートだよ。悪いけど貰えるかな?」

 

 そう言って手を差し出すテトに、ハンゾーは少し考えた後、

 

「タダでは渡せないな。一緒に、197番のプレートを・・・」

 

 ハンゾーが、手の中のプレートを引っ込めながら197番のプレートを一緒に探せと言い切る前にテトは動いた。一瞬でハンゾーの視界から消えると背後に回り、後頭部にゴツッと銃口を当てる。それから弾むような声で言い切る。

 

「ありがとう。プレートを取ってくれて」

「あ、ああ、気にするな。ほら、受け取ってくれ」

 

 即行で前言を撤回し、従順にプレートを渡すハンゾー。プレートを受け取りアルテをしまうテトに、呆れたような視線を向けるキルア。ハンゾーは盛大に溜息をついた。

 

「あんた、いい性格してるな」

 

 傍に歩いてきたキルアがテトに言う。ハンゾーも視線で同意した。テトは心外だと言わんばかりの表情で反論する。

 

「キルア君も人のこと言えないよ? いらないからってプレートを投げるなんて。知り合いだからって様子見なんてするんじゃなかったよ。イモリとやらはヘタレだし、兄弟揃ってキルア君の相手になってなくて見る意味なかったし。よかったのは、ハンゾーさんのドジっぷりだけだったよ」

 

 テトのナチュラルな毒に、イモリが「うっ!?」と呻き、三兄弟が「ぐうう!?」と嘆き、ハンゾーが「ははっ」と乾いた笑みを浮かべる。そんなカオスな状況を生み出しておいて、「じゃあ、もう行くね。キルア君も頑張って」と言い残し、ヴォという音と共に姿を消すテト。

 

 その場にいる全員が、盛大に溜息をついたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、四次試験会場の森に再び黒ミクが降臨していた。

 

 ミクは、運命の神がいるならソイツは絶望的に性根が腐っているに違いない! と全力で空を睨む。それくらい、ミクは自分の運の悪さを嘆いていた。

 

 というのも、ミクはイオリア達と別れたあと、標的であるアゴンを探して彷徨いていたのだが(ちなみに、円の範囲は200mに留めている。試験官が付いて来ているので下手に目立たないためである。)、そのアゴンがどうやらヒソカを狙っているらしいのだ。

 

 しかも標的というわけでもないのに、だ。剣士として強者と死合いたいのかもしれないが、ミクとしてはいい迷惑である。

 

 アゴンを見つけた時点で位置的にかなりヒソカに近く、アゴンの存在に気づいているようなのでミクは逡巡した。

 

 アゴンを襲えば、ヒソカは確実にミクに気づくだろう。そして確実に向かってくる。ミクはできる限りヒソカと対面などしたくなかった。三次試験の数時間はちょっとしたトラウマなのだ。

 

 もっとも、ミクが全力で高速機動をすれば、一瞬でアゴンからプレートを奪い、ヒソカがやってくる前に離脱できるだろう。トラウマが邪魔して、ついグズグズしてしまった。ミクは気を立て直し行動に出る決意をする。

 

 そして、いざ! と意気込んだ瞬間、覚えのある気配を【円】で探知した。ゴンである。どうやら、ゴンの標的はヒソカらしい。

 

 ゴンは、今は無理と判断したのかヒソカから距離をとり始めた。【円】を変形させヒソカが範囲に入らないよう調整しながらゴンの様子を見ると、何やら釣竿を振り回し始めた。おそらく、ヒソカのプレートを釣り上げるつもりなのだろう。

 

 ミクはさらに迷った。ゴンはこの世界の主人公ではあるが、未来が約束されているわけではない。この世界は、既に“イオリア達がいるハンター世界”なのだ。ゴンの真っ直ぐさや純真さは、ミクも気に入っている。素直にすごいと称賛してくれるゴンに、イオリアやテトも悪い気はしないようで、温かい目で見ていたのを覚えている。

 

 ヒソカという危険な変態を相手にすると分かっていて放置してよいものか。自己責任で切って捨てられる問題ではあるのだが、どうにも心配なミクはしばらく悩んだ後、様子見をすることにした。

 

 何やら瞑想中のアゴン、特に何もせずフラフラするヒソカ、修練中のゴン、ついでにゴンを標的に付け狙っている受験者ゲレタの4人を同時に見張るミク。

 

 なんで標的でもないのにヒソカに挑んでるんだ? 勝てるわけないだろ、身の程わきまえろ、何瞑想とかしてやがるんだ等アゴンに黒い感情をぶつけつつ、ミクは一夜を明かす。

 

 膠着中の事態は翌日に動き出した。

 

 槍使いのゴズがヒソカに勝負を挑んだのだ。ただ、ヒソカはゴズを相手にせず、どこからともなく現れた世紀末さんが仕留めてしまった。

 

 また何かでてきたよ~とうんざりするミク。しかし、会話を始めたヒソカと世紀末さんの、その内容を聞いてミクは思わず吹いてしまった。

 

「やぁ、ヒソカ。昨日、彼に会ったよ。サックスの彼」

「へぇ~♠ まさか、殺してないよね?」

「試してみたけど、すごいね、彼。俺の針を躱す奴はいても、おまけ付きで投げ返してきたヤツは初めてだ。彼も言ってたけど死闘になるよ。……だから、名刺だけ渡して別れた。」

「ふふふ♥」

 

 ミクは心の中で盛大に突っ込んだ。

 

(絶対マスターです! 初日にして、関わりたくないって言ってた人から名刺貰っちゃてますよ! 流石、マスターです。悪い意味で!)

 

 その後、世紀末さんと別れたヒソカは、クラピカとレオリオに遭遇しプレートを要求。あわや戦闘! という一発触発な状態を何とか脱した。

 

 しかし、二人の成長した様子に欲情したようで、あたりに殺気を撒き散らし始めた。

 

 ミクは「もう嫌!」とばかり、全部投げ出してサクッとアゴンをやるかと考えたが、当のアゴンが殺気に当てられたのかついに動き出した。そして、ヒソカに勝負を挑んだ。ゴンも虎視眈々をヒソカのプレートを狙っているようだ。

 

 ヒソカとアゴンの勝負は、案の上、勝負にならなかった。アゴンは倒され、その瞬間を狙ってゴンの釣竿がヒソカのプレートを剥ぎ取る。ゴンはそのまま一目散に逃走した。

 

 ゴンの逃走を見届け、ミクは取り敢えず、ゴンを狙うゲレタを背後から強襲し昏倒させ、そのプレートを奪った。もしかしたら、アゴンのプレートと交換しくれるかもしれないという打算からだ。

 

 嫌々、ヒソカとの交渉に出向こうとした矢先、ヒソカが猛スピードでゴンを追うのを探知した。

 

 ミクは驚愕する。ヒソカは自分の存在に気づいたはずで、それなら自分を襲ってくると予想していたのにゴンの方を追っていったからだ。完全に予想外である。慌ててミクもゴンを追った。

 

 現場に到着したとき、ゴンは既に地に倒れ伏し、その傍らに44番のプレートが転がっていた。

 

 ゴンは腹に打撃でも受けたのか蹲りながら吐いている。ただ、その目は何か言いたげに、悔しそうに歪んでいる。

 

 ミクは大体の事情を察した。おそらく、ゴンに追いついたヒソカがゴンを殴り倒し、その上で自分のプレートをゴンに譲ったのだろう。遊びの一環として。

 

「やぁ♥ やっぱり来たね。ゴンを追えば、君も来ると思っていたよ♥」

 

 どうやら、ゴンを追えば一石二鳥だと思ったようだ。その通りなので余計に腹立たしいミク。引き攣りそうな表情を何とか押さえ込み、無表情で交渉に出る。まぁ、交渉にはならないだろうと思いながら。

 

「あなたの持つ281番のプレートと、この384番のプレート交換しませんか」

「おや♠ 僕の指定プレートだね♥ で、これが君の指定プレート? ふふ、どうしようか?」

 

 無表情のミクとニヤつくヒソカが睨み合う。次の瞬間、ヒソカはトランプを高速で投擲した。

 

「ふふ、折角の機会だ♠ 互いに奪い合おう♥ 全部ね!」

「気色悪い・・・」

 

 ミクは、ついにポーカーフェイスを保てず嫌悪感を顕にしつつ、納刀したままの無月でトランプを払う。

 

 投擲直後に一気に踏み込んできたヒソカに、ミクの神速の抜刀術が奔る。

 

 ヒソカはそれをトランプで受け止めた。【周】で強化されたトランプは、やはり【周】で強化された無月を完全には止められず切断されていく。

 

 途中で手首を捻り半ば断ち切られたトランプを放棄しながら、逆の手で拳撃を放つヒソカ。

 

 しかし、その拳撃がミクに接触する前にミクの逆手で振るわれた鞘がヒソカの脇腹を直撃する。

 

――エセ飛天御剣流 双龍閃

 

 ミシッと音を立てながらも、咄嗟に【流】で防御力を上昇させたのか大したダメージはないようだが、【周】をされた鞘の衝撃には耐え切れずヒソカは吹き飛んだ。

 

 ヒソカは空中で身を翻し難なく着地するが、その時には、高速機動で背後に回ったミクがさらに抜刀する。

 

 剣線がヒソカの背中を奔るが、薄皮を一枚切っただけでやはりダメージは少ない。【円】を展開しているヒソカに奇襲は通じず、辛うじて【流】で防御されたらしい。

 

 やはり、ヒソカは天才レベルの実力者だ。オーラの量も練度も化け物じみている。オーラの操作だけとはいえ、まがりなりにもミクの高速機動についてきているのだ。

 

 その後も、ミクはヒソカの周囲を円を描くように動きながら、時折姿を霞ませつつ斬撃を叩き込んでいくが、その斬撃を薄皮一枚のダメージに抑えながら凌いでいくヒソカ。

 

 何度目かの斬撃を叩き込もうとした瞬間、ヒソカの体が有り得ない動きでその場を離脱した。構えはそのままに水平に移動したのだ。

 

 直ぐさま【凝】をするミクは、ヒソカの背中と背後の木に伸縮するオーラの繋がりを見た。そして、周囲の木々や地面にも無数にオーラのロープのようなものが張り付いていることに気が付いた。

 

 どうやら、移動とトランプの投擲を利用して、この伸縮性と粘着性をもったオーラを張り巡らし機動力を削ぐつもりのようだ。【伸縮自在の愛】――ヒソカの念能力である。

 

 思わず立ち止まるミク。伸縮自在の愛に警戒心を持ったのではなく単に触りたくなかっただけのようだが。

 

 その隙をヒソカは見逃さない。トランプの投擲と伸縮自在の愛を利用した体術でミクの動きを制限し、遂に地面に設置しておいた【隠】で隠したオーラを踏ませ、その動きを一瞬止める。

 

 直後、ヒソカの拳がミクを捉えた。ミクは咄嗟に腕でガードする。【流】をして防御力を上げていた上、服の下でシールドを張ったのでダメージはほとんどない。しかし、伸縮自在の愛が付着したのがわかった。

 

 吹き飛ぶミクをヒソカは逃がさない。その顔は歓喜とこれからミクを壊せることに対する興奮で彩られている。

 

 ミクに取り付けた伸縮自在の愛を一気に縮ませミクを引き戻す。片足が満足に動かせず、左腕を前方に突き出したまま引き戻されるミクは、しかし、その瞳に絶望どころか野生の狼もかくやという鋭さを宿していた。

 

 その眼光を見て悪寒に襲われるヒソカ。よく見れば、いつの間にか右手に持った刀が鞘から抜かれており、まるで引き絞るように右腕を後ろに下げ突きの構えをとっている。切っ先は、突き出された左手に添えられている。

 

 ヒソカは咄嗟に伸縮自在の愛を伸ばし距離を取ろうとするが、ミクは背面にオーラを圧縮し爆発させ一気に距離を詰める。ヒソカは回避行動を取りつつ、足の伸縮自在の愛を縮ませミクの体制を崩すが、時すでに遅しだった。  

 

 左手がロックオンしたようにヒソカに合わせて動き、ググと上半身を捻ったミクは上半身のバネを最大限に利用し神速剛力の突きを放った。

 

――エセ牙突 零式

 

 間合いの無い状態から上半身のバネのみで瞬時に極限まで引き絞った突きを放つ悪・即・斬な人の奥義である。本来なら、左片手一本突なのだが、ミクはどちらの手でも同じように放てる。

 

 ヒソカは全く余裕のない表情で突きに合わせて【硬】をした。【堅】では貫かれると思ったのだろう。それは全くもって正しかった。もし、ヒソカが、防御を捨て、必死に牙突を“攻撃”しなければ、今頃、ヒソカの胴体は上下に分断され吹き飛んでいたかもしれない。

 

 ヒソカは肩を抉られ、牙突の衝撃に吹き飛ばされながら背後の木に激突し、ズルズルと崩れ落ちた。一命は取り留めたものの、全く身動きがとれないようだ。

 

 ヒソカは気づいていた。最後のとんでもない突きがオーラを纏っていなかったことを。今までの斬撃のように【周】をしていれば、この程度では済まなかったということを。つまり、自分は手加減をされたのだということを。

 

 恍惚としながら、「“次”はあるかな?」と思いつつ、ヒソカは意識を落とした。

 

 ヒソカが意識を落としたことを確認したミクは、鞘を拾って無月を納刀した。その顔には、実に晴れやかな笑顔が浮かんでおり、「スッキリした!」という気持ちが溢れていた。

 

 一応、ヒソカが重要な人物であることを考慮して殺さないよう手加減したが、本当は仕留めてしまいたかったので、ちょっぴり残念なミク。

 

 黒ミクの辞書に容赦という言葉はないが、マスターのためという文字はあるので、迷惑がかからないよう配慮した結果が手加減して殺さないだった。地味にイオリアに救われたヒソカ。

 

 しばらく余韻に浸っていたミクだったが、ふとゴンのことを思い出し慌てて駆けつける。ゴンはよほど強く殴られたのか、ある程度回復しようではあるが未だ立ち上がれないでいた。頬が腫れ腹部を片手で押さえて顔を歪めている。しかし、それは痛みのせいだけではないようだ。

 

「ゴン君、大丈夫ですか?」

 

 心配して安否を尋ねるミクの言葉にも反応せず、ヒソカを見つめるゴン。

 

 ミクは傍らに落ちていた44番のプレートを拾う。そして、ゴンの手を取ってそれを握らせた。ゴンは、ギョッとして思わずそれを振り払う。落ちたプレートを、ミクはまた拾ってゴンに握らせた。

 

「ミクちゃん、これは……」

「あの変態から譲られたんですよね? ゴン君はそれが気に入らない。そうですよね?」

 

 ゴンの言葉を遮り、事情は察していると伝える。ゴンは再び悔しそうに唇を噛んだ。

 

 そんなゴンに、ミクはニッコリ笑ってバンッと肩を叩く。

 

「なに暗くなっているんですか! 元気一杯でなければゴン君らしくありませんよ! そんなに納得できないなら、今よりもず~っと強くなって、今度はゴン君があの変態をぶっ飛ばせばいいんです。それで、倒れ伏す変態の前にそのプレートを投げつけてやりましょう!」

 

 ミクのその言葉にポカンと口を開くゴン。マジマジとミクの笑顔を見ていると、次第に鬱屈した気持ちが霧散していき自然と笑顔が漏れ出した。

 

「うん! そうだね、おれ絶対強くなって、実力でこのプレートをヒソカに返すよ!」

「その意気です! ゴン君ならできますよ!」

 

 しばらく二人で盛り上がり、ゴンも立ち上がれるくらい回復すると、ミクはゴンにイオリア達と合流する旨を伝えその場を去ろうとした。そんなミクにゴンは元気よくブンブンと手を振る。

 

「また、ゴールでね、ミクちゃん! ありがとう!」

「はい、ゴン君もお気を付けて~。いつか確実に変態を仕留められるように頑張ってください~」

 

 最後まで笑顔のミクは、そのまま風のように去っていった。発言が微妙に黒く、ゴンは笑顔がひきつりそうになったが、そこは堪える。ミクの笑顔が少し怖かったなんてことあるわけないのだ。うん。

 

 四次試験2日目にして全員が指定プレートを集め終わったイオリア達は互いの無事を喜びながら、何があったのか報告し合っていた。そして、イオリアがイルミと、ミクがヒソカとやり合ったことを報告し合い、出歩けば確実に厄介事を引き起こすと恐れおののき、【封時結界】を張り中に引きこもった。

 

 外で突然消えたイオリア達にオロオロする試験官達がいたが、やはり華麗にスルーした。

 

 

 

 

 

 

 それから5日経ち、四次試験終了の合図がだされイオリア達はスタート地点に戻った。

 

 結局、戻ってきたのはイオリア達を含め12名だった。その中にはミクにボコボコにされたはずのヒソカが何でも無い様に入っており、イオリア達をみてうっとりしているようだ。よほど、ミクとの戦いがお気に召したらしい。

 

 「う~」と唸りながらミクはイオリアの背後に隠れ出てこない。ゴン達もイオリア達の方へ手を振りながらやって来てミクの様子から事情を察し同情の視線を向けていた。

 

 案内を受け、一行は最終試験会場に向かうため飛行船に乗り込んだ。

 

 飛行船に乗り込んで間もなく、会長ネテロの面接があったが、特に何事もなく終わった。

 

 イオリア達の注目受験者はやはりゴンだったし、戦いたくないのは満場一致でヒソカだった。後者の質問は、ネテロの質問にかぶせる勢いで即答だった。その目にはむしろ懇願すら含まれており、ネテロをして引いてしまったほどだ。

 

 あと、ネテロから今年の失格した受験者の約3割を生存させたことについて、なぜ助けたのかと問われ、イオリアは「それが誓いだから」と一言答え、ミクとテトは「マスターの望んだことだから」とこれまた一言で済ませた。何か感じるものでもあったのか「うむうむ」と頷くネテロ。

 

 ハンターになりたい動機を聞かれたとき、単に「便利だから」と答えたのだが、どうやらいい意味で納得してくれたらしい。

 

 イオリアとしては「(金が稼げて)便利だから」という意味だったのだが、「(誓いを守るのに)便利だから」ととってくれたらしい。ちょっぴり罪悪感を抱くが、ここ数日でレベルが上がったスルースキルで流した。

 

 最終試験は、敗北したものが上に上がるという特殊なトーナメントで一勝でもすれば合格というものだった。殺してしまうと失格で相手に参ったと言わさなければならない。

 

 発表されたトーナメント表を見て、安堵するイオリア達。今までの経験からイルミやヒソカと当たるのではと戦々恐々としていたのだが、全員、まず間違いなく二人とは当たらないようになっていた。

 

 第一試合はハンゾーVSテト。第二試合はイオリアVSゴン、第三試合にポックルVSミクだった。トーナメントの性質から試合可能回数が多い方が有利なので、現在の成績順なのかもしれない。

 

 第一試合、ハンゾーとテトが向かい合う。

 

 ハンゾーの顔は強ばっており、対照的にテトは満面の笑顔だ。ゴン、キルア、クラピカ、レオリオは、いつか見た光景そのままに、テトの両手がだらんと下がっているのを見て、「うわ~」という表情を見せた。また、あの初見殺しの銃技を使うのか? と、ハンゾーに心配そうな視線を送る。

 

 そんな視線を受けているせいか、それとも四次試験の時のテトを思い出しているのか、ハンゾーの額に汗が流れた。

 

 そして、試合開始の合図がなされた瞬間、

 

「まいったっ!」

 

 会場にハンゾーの力強い敗北宣言が響き渡った。会場がシーンと静まり返る。

 

 テトはキョトンとした後、審判に視線を送り、その視線を受けてテトの勝利が宣言された。

 

 「無理、絶対無理」と呟きながらゴン達のいる方へ行くハンゾーに一同は優しい視線を向け、「気にするな」と肩を叩く。それを尻目に、イエーイとハイタッチをするイオリア達。本当にスルースキルのレベルが上がっている。

 

 続いて、第二試合が始まった。イオリアVSゴンだ。ゴンは、構えをとり初っ端から全力全開で戦いを挑む。イオリアはそのことごとくを捌いていく。武術においてはイオリアは達人級だ。正式な武を習っているわけでも、実戦経験が豊富なわけでもないゴンでは唯の一撃すら入れられない。

 

 最初は勢いよく攻撃していたゴンだが、イオリアが一切攻撃をしてこないことから遂に叫んだ。

 

「なんで何もしないんだ! おれじゃ相手する価値もないの!?」

 

 もちろん、イオリアにそんなつもりはない。ただ、イオリアは、普通にやってもゴンは決して負けを認めないのではないか? と考えていたのだ。どれだけ殴っても、きっとゴンは諦めない。曖昧な知識だけでなく実際に試験の間、ゴンを見てきて思ったことだ。

 

 したがって、ひたすら捌いておけばネテロ会長とのゲームのように程よいところで納得してくれるのではないかと思ったのだ。

 

 しかし、イオリアの考えはゴンの矜持をいたく傷つけたらしい。もしかすると、ミクから聞いたヒソカとのことも影響しているのかもしれない。

 

「悪かったv。覚悟しろ、ゴン」

 

 そう言って、イオリアは始めて構えをとる。そして、やる気を漲らせ突っ込んできたゴンにカウンターを合わせた。

 

 ドンッという音とともに、ゴンのボディが打たれ体が浮き上がる。「カハッ」と息を吐きながら、しかし、ゴンはひるまずさらに猛攻を仕掛ける。

 

 が、攻撃の合間に的確にボディーブローのカウンターを入れられる。

 

 しばらく同じ攻防が続くと、次第にゴンの動きが鈍ってきた。どうやらボディーブローの影響で呼吸障害に陥りチアノーゼの症状がでているようだ。

 

 ゴンは苦しそうに必死に息をしようとするが、イオリアの追い打ちがそれを許さない。遂に、ゴンは膝をついた。

 

「ゴン、ここまでだ。参ったと言ってくれ」

 

 イオリアがゴンに降参を促す。しかし、ゴンは紫っぽく変色した唇を震わせながら「嫌だ」と拒否の言葉を呟く。その瞳も絶対諦めないと強い光を宿している。

 

 イオリアとしては、ゴンに怪我を追わせずに追い詰める方法としてボディブローを選んだのだが、やはりゴンは折れなかった。イオリアは「やっぱりこうなったか」と内心溜息をついた。

 

「審判、参りま……」

 

 イオリアはゴンは絶対折れないだろうと、仕方なく敗北宣言をしようとした。テトの合格は決定してるので、ライセンス売却で金儲け! という当初の目的はすでに達成している。試合もまだできるし問題なかった。

 

 だが、ゴンはそれも気に入らないらしい。

 

「い、嫌だ!」

 

 イオリアの意図を察して遮るように叫び、ガクガクと震えながら立ち上がろうとするゴン。根性で勝利したとは思えないらしい。

 

 イオリアは何とか説得しようと言葉を投げかけるが、ゴンは一切無視する。

 

 その頑なな態度に怒りを覚えたイオリアは、心配そうな表情を消し無表情になる。ツカツカとゴンに近寄ると、未だ苦しそうに細い呼吸をするゴンの胸倉を掴んで持ち上げ目線を合わせた。

 

「甘ったれるな、ゴン。自分の弱さを認められない者が強くなどなれるか。今のお前は弱いんだ。認めろ。俺は認めたぞ? 弱い自分を。血反吐を吐きながら鍛え上げたんだ。お前は、俺に勝る努力をしたのか? 対価も払わずに最良の結果など求めるなよ」

 

 静かな、しかし深く重い声で批難されたゴンは息を呑む。しばらく、ゴンを睨みつけていたイオリアだが、ふと表情を緩めた。

 

「お前を軽く見て棄権しようと思ったわけじゃない。あれだけやられても折れないゴンの不屈の心に俺の方が折れたんだ」

 

 だから、俺の負けだ。そう言うイオリアをジッと見つめるゴンは、やがてコクと頷く。それを見てゴンを降ろし、今度こそ審判に「参りました」と告げる。審判も頷いてゴンの勝利を宣言した。

 

 ゴンはいつの間にか意識を失っていたので、イオリアはゴンを背負って医務室に預けに行った。会場では、その様子を面白そうに見るものや微笑ましそうに見る者もいたが、甘いと切り捨てるような厳しい視線を向ける者もいた。

 

 第三試合、ミクVSポックルの戦いは一瞬で終わった。試合開始の合図と同時に踏み込み、神速の抜刀術で無月を首筋に突きつけた時点でポックルは敗北宣言をした。

 

 その後、二回戦でイオリアの相手となったハンゾーが諦念の表情を浮かべていたので、テトにトラウマでも植えつけられたか? と罪悪感に駆られ、目的を達して半ばやる気がなくなっていたイオリアが敗北宣言したり、それでミクとテトがちょっと悲しそうな顔をしたので、3回戦目でキルアが相手になったとき本気で相手をしてしまい、実力の違いを感じたキルアが敗北宣言したり、合格したことでイオリアに抱きついて喜びを表現するミクとテトにレオリオが狂化し、ただでさえヒソカ戦でボロボロになっていた対戦相手のボドロをさらにボロボロにしたり、ゾルディック家の末っ子問題が勃発したり、その後ずんと落ち込みジメジメするキルアが棄権して、満身創痍ながらボドロが合格したりした。

 

 合格後、ホテルの控え室で、プロハンターについてのあれこれを聞いたり、食事を取りながら今後の話などを合格者の間で雑談したりしていると、ゴンが目を覚ましたらしく、しかもキルアのことを聞いたようで、激昂しながらイルミに突っかかった。

 

 キルアは既に実家に帰っており、ゴンはイルミの腕を折りながらその所在を聞き出す。ゴン達はキルアを迎えに行くようだ。

 

 イオリア達も、一緒にキルアを迎えに行かないかと誘われたが断った。このままではゴン組にズルズルと付き合うことになりそうだし、ゴン達ほどキルアと深い仲になったわけではない。それに何より、

 

「悪いな、ゴン。俺達の帰りを待っている人達がいるんだ。それに、必ず救うと誓った相手も……。だから、ゴン達とは一緒に行けない」

 

 真摯な瞳でそう言うイオリアに、「そっか」と心底残念そうに肩を落とすゴン。クラピカとレオリオに宥められ渋々納得する。「帰るためにやらなきゃいけないことがあるから、もしかしたらまた会うかもしれない。」とグリードアイランド編を思い浮かべながら、ついゴンの表情にほだされて慰めてしまうイオリア。ミクとテトも苦笑いしながら頷く。

 

 その言葉に、「そうだね、また会えるよね」と納得し、ニッと笑うと拳を突き出した。キョトンとするイオリアに、すこし恥ずかしげにしながら、イオリア達がやっているのを見て羨ましかったと告白するゴン。これには全員笑みを零し、せっかくだからと、クラピカやレオリオも一緒に拳を突き合わせた。

 

 全員の目標が達成できることを祈って、イオリア達とゴン達は互いに背を向け歩き出した。

 




いかがでしたか?

黒ミクの牙突・・・恐ろしい。自分の妄想にビビリました。
きっと、作者の妄想の十分の一も表現出来ていないでしょうが・・・

そしてSEKKYOU2
恥ずかしい上にブーメランで作者は自分の妄想にダメージを受けました。

次回は、グリードアイランド編に入ります。ハンター編は念を覚えさせたかっただけなのでサクサク行きます。



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第15話 希望のカード?

遂にグリードアイランド編。

ご都合解釈のオンパレード。ご堪能あれ。


 イオリア達は、ハンター試験が終わった後直ぐに情報収集に乗り出した。

 

 グリードアイランドの所持者とハンターライセンスの売却相手である。権限で「電脳ネット」を無料で利用できるので、それらの情報は比較的容易に調べることができた。

 

 もっとも、調べられたのは、バッテラという大富豪が相当買い占めているということ、世界の好事家のリストだけである。バッテラ氏はクリア報酬が目当てらしく、500億を懸賞にかけプレイヤーを募集しているらしい。

 

 イオリア達はまさにクリア報酬自体が目当てなので、バッテラ氏とは利害が反する。従って、彼に頼るのは好ましくない。

 

 さらに調べを進めると、9月に開催されるヨークシンドリームオークションにグリードアイランドが出品予定とのことだったので、その情報を伝って、出品予定者を突き止めオークションで予想される価格より高値で買う旨を伝えた。

 

 かなり吹っかけられ700億と言われた。しかし、問題ない。イオリア達には必殺のライセンスカードがあるのだ。それも3枚も! 

 

 1枚ですら7代遊んで暮らせるのだ。イオリア達は、ドヤ顔で即OKを出した。所有者は「えっ?マジで?」と唖然としていたが、1ヶ月後に取引を約束した。イオリア達は早速ライセンスカードを欲しがっている好事家を探し、見事に売却。何と1枚でぴったり700億で買い取ってくれた。

 

 そして、何だかんだでハンター試験が終わったあの日から約3ヶ月、遂にイオリア達はグリードアイランドに挑戦する。

 

 

 

 

 

 ゲーム内に入ったイオリア達は、1人づつイータと名乗るナビゲーターに名前を聞かれ、バインダーを出すのに必要な指輪を受け取った。ゲームの内容等も聞き、階段を下りると、そこには広大な草原が広がっていた。イオリアは、ミクとテトが降りてくるまでボーとその雄大な景色に見とれる。

 

 しばらくすると、ミク、テトの順番で合流した。ミクとテトも青々と茂る草原と真っ青に透き通った高い空に「おお~!」と感嘆の声を上げる。高揚する気分に3人は訳もなく笑い合う。そして、とりあえず北だ! と歩み始めた。

 

 道中、今後の方針を話し合うイオリア達。

 

「さて、取り敢えずどっかの街にいって情報収集しなきゃならないわけだが……」

「え~と、マスターの知識だと、ゴン君達の修行と、ドッジボール対決、爆弾男とゴン君の対決のシーンくらいしか情報がないですね」

「後は、何枚かのカードの効果と入手方法くらいだね」

 

 非常に中途半端なイオリアの知識。「う~ん」と全員で頭を捻る。

 

「まぁ、最悪、ゲンスルーとかハメ組から掻払うとかでもいいんじゃないか?確か、ゲンスルーに皆殺しにされてた気がするし……できるだけ自力で集めて、足りない分はヤツ等から譲ってもらおう。OHANASHIで」

「その前に、どんな効果のカードがあるのか確認しないとですね。帰還に役立たないなら、ゲームする意味ありませんし……」

「それ次第で、ボク達の念能力の開発方針も決まるしね」

 

 イオリア達は、どうか帰還に役立つカードよ存在してくれ!と祈りつつ、あれこれ話し合いながら街を目指して歩みを進めるのだった。

 

 ちなみに、初心者プレイヤーを狙う者達が多数いたのだが、その気配に気づいていたイオリア達は早々に【絶】とオプティックハイドのコンボで姿を消していたので、特に何の問題もなく街まで辿り着くことができた。

 

 イオリア達は、「懸賞都市アントキバ」に到着した。この都市は、懸賞で成り立っている都市で、様々なイベントをこなす事で報酬としてカードが貰える。特に、月例大会では指定カード「真実の剣」と「聖騎士の首飾り」が入手できる。

 

 もっとも、前者は1月に、後者は9月にしかイベントがなく、現在は4月であるためタイミングが悪かった。

 

 イオリア達は、取り敢えず腹ごしらえしようとレストランに入った。すると巨大パスタを30分以内で完食すると「ガルガイダー」というモンスターカードが貰えるらしく、早速挑戦する。

 

 ミクとテトは余裕で完食し、イオリアも何とか完食。3枚の「ガルガイダー」を手に入れた。何でも、このカードは三大珍味とも言われており、売れば結構な値段で買い取ってくれるらしい。

 

 レストランを出たイオリア達は、その足でトレードショップに向かった。トレードショップはカードの売却やプレイヤーの所持カード情報など、ありとあらゆる情報を購入することができる施設だ。「珍味・・・」とイオリアが未練がましい呟きを発する

 

 だが、今はとにかく情報である。後ろ髪を引かれる思いを振り切り、カードの種類や現在の状況などの情報を購入する。

 

「なるほどなぁ。これが全種類のカードか。うわ、SSランクとか限度枚数3枚だぞ。ゴン達はよくあんな短期間で集めたな。主人公補正とは恐ろしい。発売以来一人もクリアした者がいないって話だったけど、正直ちょっと舐めてたかもな」

「これは大変そうですね。一部のカードを独占してる人もいるみたいですし……これは奪う以外では入手できませんね」

「それより、マスター。どう思う? 帰還に役立ちそうなカードだと思う?」

 

 各々、改めてゲームクリアの困難さに呻き声を上げる中、テトが表示されているカード情報の一つ「挫折の弓」を指差す。「挫折の弓」は残っている矢の回数だけ「離脱」が使えるカードで、「離脱」はゲームから現実に帰還できるカードだ。

 

「「挫折の弓」……現実への帰還か。まぁ、実際には現実にあるこの島からゲームソフトのある場所へ転送するものだよな。う~ん、離脱の効果が“元の場所へ戻す”なら可能性はあるな」

「なら、この「同行」はどうですか? “指定した場所へ移動させる”という効果なら可能性ありじゃないですか?」

 

 

 イオリア達は顔を付き合わせ、現実で使用したらどういう効果があるのか?と意見を出し合う。そんな中、イオリアが突飛な意見を出した。

 

「思ったんだけど……一度でベルカに次元転移するには魔力が圧倒的に足りないから無理だという結論に達したわけだが、足りない分はオーラで代用できないか? それでも全然足りないだろうけど……オーラなら、魔力素がない環境でも回復できる。次元の海でも、生存に適さない次元世界でも、生存できる拠点があれば回復しながら少しずつ転移して行くことは可能じゃないか?ほら、次元航行船みたいにさ」

 

 そう言って、「これ見て思いついたんだけど……」と、あるカードを指差すイオリア。そのカードは「プラキング」組み合わせ次第でどんな乗り物も1分の1スケールで作ることができるプラモキットである。

 

「いや、え、これで次元航行船を作る気ですか? 流石にそれは無理なんじゃ……」

「でも、発想はいいよね。目からウロコの気分だよ? 別に次元航行船を作れなくても、取り敢えず生存できる拠点があれば……酸素なり食料なり積んで、転移を繰り返せば可能性はあるよ。オーラで代用できるかは検証と調整が必要だね」

「……確かに。それに代用に関してはたぶん可能ですよ。魔力とオーラって、結局体内のエネルギーっていう点では同じですし。私達の魔法って、むしろ科学ですからね。同種の燃料があればプログラムは起動しますよ」

「ああ、俺もそう思う。魔力とオーラって気功で言うところの外気と内気だろ? 魔導師はリンカーコアっていう特殊な器官でその外気を取り込んで体内エネルギーとして使える存在と考えれば、大して魔力とオーラに違いはないと思うんだ。発生するプロセスが異なるだけでな」

 

 結局、「挫折の弓」、指定カードに擬態させた「同行」、「プラキング」が役立ちそうだということになり、ゲームの続行が決定された。ハンター世界の乗り物は少々レトロなので、いくら最低限次元の海を漂えればよく、動力は必要ないといっても造船技術のないイオリア達には、プラキングがなければ次元航行船の作成は可能性すらないだろう。しかし、イオリアのアイデアは捨てがたいので念のため確保だ。

 

「あと、これなんだが……」

 

 そう言って、イオリアは再びカードの情報を指差す。

 

「え~と、「リサイクルーム」ですか? 帰還にどう使うんです?」

 

 ミクが首を傾げる。テトも不思議そうだ。

 

「いや、帰還に使うんじゃなくてな、このリサイクルームに壊れた物を入れれば修理されるんだろ? もしかしたら夜天も直してやれるんじゃないかなって。もちろん、無くても夜天のデータ集めて闇の書を元に戻すつもりだけど、もしかしていけるんじゃないかと思ってな。手札は多い方がいいだろ?」

 

 その言葉に、ああっと手をポンと叩くミクとテト。そして、こんな時でもしっかり闇の書のことを気にかけているイオリアにほっこりする。「ふふふ」と笑い、二人も役立ちそうなカードを探す。

 

「マスター、それならこの「聖騎士の首飾り」はどうですか?呪いを解く効果があるみたいですよ」

「なら、こっちの「大天使の息吹」はどう? 一応、なんでも一息で治すって書いてるよ。人間でなくても使えるかな?」

 

 それからも、しばらく三人はやれこのカードはどうだ、あのカードはどうだと白熱した意見を出し合い、どうせなら、二人以上クリアして持ち帰れるだけ持ち帰ってやろう! ということになった。

 

 イオリア達はこれから最低二人のクリアを目指す。

 

 まず、イオリア達は、資金稼ぎにモンスターを狩りまくることにした。というのも、トレードショップで50回以上買い物をすることでBランク以下の指定カードを購入できるようになるからだ。 ついでに、イオリアは実戦で念の鍛錬もできる。

 

 3人は魔法も行使しながら最大効率で狩りまくった。場所は、魔法都市マサドラの西にある森林地帯だ。モンスターのレベルが高く比例して売値も高い。

 

 モンスターカードをフリーポケット一杯ににしたら、転移魔法で街に戻り換金し、トレードショップで買い物。それをひたすら繰り返す。

 

 3日ほどで、3人とも50回以上の買い物を済ませ、指定カードが購入できるようになった。

 

 それから、指定カードを入手するため3人で駆け回った。比較的簡単に入手できる指定カードをできるだけ3枚ずつ集めるのでかなり時間がかかっている。

 

 なお、スペルカードはほとんど揃っている。「大天使の息吹」を入手する方法がスペルカード全40種集めなければならないのだが、普通は攻撃防御補助とスペルカードの使用頻度はどうしても高いためそう簡単には集まらない。

 

 しかし、イオリア達はこれを独自の方法で解決した。

 

 それは、基本的に【絶】と【オプティックハイド】であまり姿を見せず、プレイヤーにスペルカードを使われる機会を減らす、次に、スペルカードを使われそうになったら、そもそもスペルを唱えさせないという方法だ。

 

 スペルカードは使用する場合、標的の20m以内に入り呪文を唱えなければならない。そして、発動したスペルカードはスペルカードでなければ対応できない。ならば、発動前に止めてしまえばいいじゃないという発想だ。スペルの詠唱は短いので普通はそんなことできない。

 

 しかし、イオリア達なら可能だ。

 

 イオリアは危機対応力や音により、いち早く察知出来る上、【圓明流:雹】を打ち込めばそれだけで相手の詠唱を阻止できる。

 

 ミクやテトもチートな反応速度を持っているから早撃ちや飛ぶ斬撃で対応できる。そうやって、詠唱を止めている間に高速機動で接近し殴り倒す。

 

 この方法で、イオリア達は今のところ一度もスペルカードの使用を許していない。しかも、この方法で使用を止めた場合、何故か相手の方からカードを渡すから許してくれ! と懇願される。

 

 別に、奪うつもりなど最初からないのだがくれるというのなら貰っておくべきだろう。人の厚意を無駄にしてはいけないのだ。

 

 そんなことを繰り返しながら地道にカード集めに邁進していると、ある日奇妙な噂を耳にした。

 

 曰く、「紅髪と翠髪の少女を連れた殺人鬼のような眼付の男には関わるな。奴らは突然現れ、霞のように消える。死んでいったプレイヤー達の怨念に違いない。ヤツ等にカードは効かず、身包みを剥がれるかあの世に連れて行かれてしまうのだ。奴らこそグリードアイランドの死神だ!」ということらしい。

 

 レストランでイオリア達が食事をとっていると、隣の席のプレイヤー達が声を潜めながらそんな話をしている。

 

 イオリア達は思わず、ブフッと吹き出してしまった。

 

 その音にビクッと肩を震わせつつ、何事かと振り返ったプレイヤー達。イオリア達は、愛想笑いをしながら頭を下げる。しかし、イオリア達を見たプレイヤー達は、しばらく固まった後、

 

「紅い髪の少女?」

「翠の髪の少女?」

「殺人鬼の目つき?」

 

「…………死神!?」

 

 と一斉に叫んだ。その表情は青ざめガクガクと震え始める。必死に「ず、ずびばぜん!」と謝罪の言葉を口にしようとしているが呂律が回っていない。

 

「……死神じゃない。ただのプレイヤーだ」

 

 イオリアはピクピクと頬を引きつらせながら必死に怒りを押さえ込み静かな声で弁解する。怖がらせないように笑顔も忘れない。

 

 しかし、イオリアの笑顔を見た瞬間「ヒィッ!」と悲鳴をあげて、転がるように出て行ってしまった。

 

 イオリアはふるふると怒りで震える手を目元にやり、目を揉みほぐす。

 

「……そんなに俺の眼付きは悪いのか?」

「そ、そんなことありませんよ! マスターの眼はかっこいいですよ!」

「マ、ママさんとパパさん譲りの素敵な眼だよっ?」

 

 怒りに震えながらもショックを受けるイオリアに、ミクとテトがオロオロと慰める。

 

 確かに、アイリスもライドも切れ長の鋭い目をしている。職業がらその眼付きは理知的と表現できるのだが、暴力的なイメージが先行すると噂のように表現されてしまうのかもしれない。

 

 いずれにしろ、鋭い目つきはルーベルス一家の特徴だ。

 

 イオリアは無言で食事を再開する。今度から、もう少し自重しようと心に誓いながら。まぁ、全く無駄ではあったのだが。

 

 スペルカードを全種3人分集め「大天使の息吹」の引換券を手に入れたイオリア達は、勢いに乗って同じSSランクの「一坪の海岸線」にチャレンジすることにした。

 

 このカードを入手するためには15人以上の人数を集めて「同行」を使いソウフラビに移動しなければならない。

 

 早速、プレイヤーに声をかけるイオリアだったが、何故か声をかける度に「ひぃ!」と悲鳴をあげ逃げられる。そうでなくても近づいただけで警戒心を顕にしスペルカードを使おうとするので、仕方なくいつも通りの方法でスペル封じをする。

 

 するとやっぱり青ざめて逃げ出すか、これで勘弁して欲しいとカードを差し出して逃げてしまう。事情を説明する暇すらなかった。

 

「……」

「マ、マスター? あ、あれですよ、ほら、なんていうか、あれですって! ね、テトちゃん!」

「えっ!? そこでボクに振るの!? え~と、そう! マスター、まだまだ持ってない指定カードはあるんだから先にそっちを集めよう? 一坪の海岸線なんて最悪9月にはゴン君達来るだろうし、彼等と一緒にやればいいよ!」

「そうです、マスター! 擬態とか複製ならさせてもらえますよ! 問題ありません!」

「……でもツェズゲラ達が嫌がるんじゃ……」

「そんなことありませんよ! ゴン君達も一緒なら大丈夫ですって!」

「うん、大丈夫だよ、マスター。万一ダメなら、ハメ組フルボッコにして、NAKAMAにすればいいと思うよ」

「テ、テトちゃん!?」

 

 無言無表情で佇む自分を、オロオロと励ますミクとテトに少し心を持ち直すイオリア。途中、テトがハメ組奴隷宣言をしていたような気がするが……気のせいだろう。最近、ミクとテトに黒い部分がチラホラと見える気がするが気のせいといったら気のせいなのだ。

 

「ちょっといいかな?」

 

 そんな風に、落ち込むイオリアを挟んでギャーギャー騒いでいると、一人のプレイヤーが声を掛けてきた。

 

 イオリアのテンションが急上昇する。まだ、俺にも声をかけてくれるプレイヤーはいる! 俺は死神なんかじゃないんだ! そんなことを思いながら嬉々として顔を上げる。

 

 そこには人の良さそうな笑顔を浮かべた身長の高いメガネの男が佇んでいた。何となく、嫌な予感がするイオリア。しかし、せっかく声をかけてくれたのに予感だけで邪険にするなど人としてあってはならないことだ! とテンションだけで嫌な予感をポイ捨てする。

 

「ああ、もちろんいいとも。何か用か?」

 

 笑顔で対応する。その男は「よかった」と微笑み(何が良かったのか問い詰めたい気がしたがここは我慢する)、男は用件を伝える。

 

「ああ、君達も既に知っているかもしれないが一応忠告をね。実は、今このゲームに爆弾魔と呼ばれる通り魔がいてね、君達も気を付け……」

 

 そんな事を言いながら、自然とイオリアの肩に触れようとするメガネ男。

 

 だが、その手は肩に触れる前に言葉共々止められることになった。首筋に添えられたミクの無月と、こめかみに突きつけられたテトのアルテによって。

 

「えっと……どういうことかな? 俺はただ……」 

 

 なお、言葉を紡ごうとするメガネ男に、顔を俯かせ表情を隠したイオリアが静かな口調で尋ねる。

 

「名前は?」

「ああ、すまないね。自己紹介がまだだった。俺の名前は“ゲンスルー”だっ!?」

 

 ゲンスルーは、初対面の人間が触れようとしたから警戒したと勘違いし、苦笑いしながら名前を告げて今度は握手を求めた。

 

 そして、手を差し出そうとした瞬間、

 

「死ね! このクソメガネっ!」

 

 イオリアの拳がゲンスルーの顔面に迫る。

 

 名乗りの直後いきなり殴り掛かられたゲンスルーはミクの刀とテトの銃を意識しながら後ろに飛び退く。

 

 しかし、イオリアの拳は直撃はしなかったものの衝撃波が発生し、ゲンスルーの顔面を捉えて吹き飛ばした。断空拳である。

 

「な、何を!?」

「ちょっと声かけられて嬉しかったのに! 俺の純情を弄んだな! この陰険メガネが! なんでお前がゲンスルーなんだよ!」

「い、意味がわからない。これが噂の死神なのか!? 話すら通じないなんて!?」

「誰がぁ死神だぁ!? 俺はァ! ただのプレイヤーだぁつってぇんだろォ、ボケェー!」

 

 戦慄の表情で必死に逃げるゲンスルーに「断空拳! 断空拳! 断空拳! もういっちょ断空拳っ~!」と覇王流の奥義を連発するイオリア。「あ~あキレちゃったぁ」と天を仰ぐミクとテト。

 

 イオリアは、一度は上がったテンションそのままに「最高にハイだぜェ~!」と完全にキャラ崩壊しながら必殺技を次々と繰り出す。

 

 何事かと集まったプレイヤーも、現場で暴れるイオリアと天を仰ぐミクとテトを見て、「やべぇ、死神が暴れてやがる!」と蜘蛛の子を散らすように逃げていった。イオリアが「今、死神って言ったの誰だ、こらぁ!」と一瞬周りを見渡した隙をついて、ゲンスルーもスペルカードにより離脱した。

 

 そして、誰もいなくなった。

 

 ひゅ~と虚しく風が吹く。イオリアの心にも風が吹く。イオリアそのまま崩れ落ちた。四つん這いになりながら自己嫌悪に呻く。「ちなうんです。本当にちなうんです。死神じゃないんでう」と回らない呂律を気にもせず誰にともなく弁解する。

 

「マスター? 帰りましょう? 今日、明日はお休みして、ゆっくりしましょう?」

「それがいいよ、マスター。そうだ、ボク、ガルガイダー採ってくるよ。おいしいご飯作るから一緒に食べよう?」

 

 とびっきり優しい声でイオリアを宥めるミクとテト。ついでにイオリアの頭もなでなでする。

 

 イオリアは、その優しさに素直に甘えながらトボトボと拠点に戻るのだった。夕日が彼等を照らす中、この日、グリードアイランドの歴史に新たな死神の伝説が刻まれたのだった。

 

 ちなみに、ゲンスルーがこの時点でイオリア達に声を掛けたのは、単純にオプティックハイドのせいでイオリア達を見かけることがなく、最近噂の死神が後顧の憂いになりそうなので爆弾を取り付けて、いざというときに確実に仕留めるためであった。つまり、イオリアの自業自得だった。

 

 それから数日後、元気を取り戻したイオリアは再びカード集めに邁進した。そして、「プラキング」を手に入れたので、実際どれくらいまで作れるのか「擬態」を使って試してみることにした。

 

「う~ん、やっぱ外郭はともかく、エンジンとか作るには専門知識が要りそうじゃないか、これ?」

「そうだね、説明書もなにもないし、専門家が組合せれば……って注釈がつくのかも」

「でも、次元航行船の動力炉なんて端から作れませんし、要は密閉された空間を作れればいいじゃないですか?」

「それもそうだな、じゃあ、いろいろ試してみて、しばらく居住できる程度の大きさの密閉空間を作れないか試すか。空気は別途用意すればいいだろ」

 

 イオリア達は、「よし!」と気合をいれると、あーでもないこーでもないとキットを弄りまわし、半日かけて六畳間くらいの密閉空間を作ることに成功した。プラモキットはどれも驚くほど繊細にできており、正確に組み合わせると隙間一つ見つけれないほどぴったり合わさるのだ。

 

 実際、ミクやテトが空気漏れの有無を検査してみたが全くその心配はなかった。衝撃にもある程度たえる強度を持っている。これなら、十分に生存拠点になるだろう。あくまで保険であるが。

 

 一応、帰還の方法に関する目処はたったので、翌日から、イオリア達はメモリを使い切らない程度に念能力の開発をすることにした。

 

「さて、俺達って全員特質系なわけだが……ミクとテトはどんな能力にするか考えたか?」

「はい、私はやっぱり斬撃を利用した能力にしようかと」

「ボクは、銃撃を利用した能力を考えてるよ」

 

 それぞれ構想があるようだ。しかし、ミクもテトも随分と攻撃的な能力を望んでいるようで、これ以上まだ強くなりたいのか!?と内心戦慄するイオリア。

 

「そ、そうか。じゃあ、ちょっと別れて完成したら見せ合おう」

 

 そう言って立ち去ろうとするイオリアをミクが呼び止めた。

 

「あ、マスター。ちょっといいですか?」

「うん?どうした?」

「あのですね、能力開発なんですけど、マスターはメモリを気にせず目一杯作っちゃってください」

「うん、帰還のために最後の手段として残しておきたいのはわかるけど、それはミクちゃんとボクでどうにかするから」

「いや、それは……」

 

 ミクとテトの言葉に目を丸くするイオリアは、思わず反論しようとして次のミクとテトの言葉に沈黙した。

 

「マスターには、何の遠慮もなく真っ直ぐ強くなって欲しいです」

「ボク達は、マスターの足りない部分を補うためにいるんだよ? おそらく、普段は使い物にならないか、使い捨てにしなきゃいけないような能力をマスターに作らせるなんて……ボク達の矜持が許さない」

 

 確かにテトの言う通り、次元を渡るような念能力なら、それくらい厳しい制約がなければ作成の可能性すらないだろう。

 

 イオリアとしては、もし必要なら3人で一つの念能力を行使するくらいのつもりでいたのだが、どうやらミクとテトはそれを許すつもりはないらしい。

 

 イオリアとミク、テトはお互いに見つめ合い、そして折れたのはイオリアだった。ここで、二人の気持ちを受け止められなければ、マスターとしても、男としてもダメだろう、そう思ったのだ。

 

「はぁ~、わかったよ。俺は俺の思うように能力を作る。目一杯な」

「はい!」

「うん!」

 

 今度こそイオリア達は別れ、お披露目まで自分の念能力開発に勤しむのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 全員、念能力の開発が終了し、いよいよお披露目の日が来た。イオリア達は街から離れた森の中で、封時結界も張って誰にも見られないようにした。一番手はテトだ。

 

「それじゃあやるよ?」

 

 そう言って、アルテを構えるテト。アルテがオーラを纏い始める。そして、一本の木に向かって引き金を引いた。

 

 難なく弾丸は目標に命中し、次の瞬間、当たった箇所を中心にごっそりと木が消失し、木が横倒しになる。ズズンッという地響きと共に倒れる木を背景に、ドヤ顔で振り向くテト。

 

「え~と、今のは何だ?」

「消えちゃいましたね……」

 

 テトの恐ろしい銃撃の効果に頬を引きつらせながら質問するイオリア。ミクは、好奇心でわくわくキラキラしている。

 

「これはね、撃った対象を分解する能力だよ……」

 

――念能力 拒絶の弾丸

 

 詳しくはこうだ。弾丸を撃ち込むことで対象の結合を強制的に引き離す。つまり、分解することができ、分解範囲はある程度任意で決めることができるらしいが、分解レベルは調整できない。

 

 すなわち、当たれば必ず素粒子サイズまで分解する。分解の対象は有機物、無機物を問わず、魔法などでも結合しているものなら可能。制約として、1日に5発しか撃てず、消費分は1ヶ月に1発補充され、標的と認識した対象を外した場合、1ヶ月間、強制的に絶になる。

 

 なかなか厳しい制約だが、文字通り必殺の一撃になる強力な念能力だ。イオリアは内心、「どこの劣等生さんだよ」と突っ込んだ。

 

 二番手はミクだ。

 

 ミクは、意気揚々と前に出て無月を抜刀すると、そこで、」「しまった!」という顔をした。それから、すこし迷ったあと申し訳なさそうな表情と声で、とんでもないことを言い出した。

 

「あの……テトちゃん。ちょっと斬ってもいいですか?」

「……はい?」

 

 思わずドン引きするテト。イオリアは痛恨の表情で頭を抱える。

 

「そんな……ミクが、ミクが“零崎”に目覚めるなんて! 俺がもっとちゃんと見ていてやれば、クソッ!」

「ミクちゃん、お願いだから落ち着いて? 大丈夫、きっといいお医者さんが見つかるから、絶対治るから……」

 

 そんな二人の様子に、ようやく自分がかなり危険な発言をしていると自覚し、慌てて弁解するミク。このままでは、どこぞの変態ピエロや殺人一族と同類扱いされてしまう!

 

「ち、違いますから! 斬ることに快感とか感じませんからね! そうじゃなくて能力的にそうしないと実演できないんですよ! あ、ちょ、テトちゃん!? なんで、少しずつ距離とるんです!? マスター? どうしてそんな思いつめた目で私を見るんですか? いや、ホントに違いますから!」

 

 しばらくギャーギャーと騒いだあと、指先をちょっと切るだけにして試すことになった。体験したいとイオリアも参加。

 

 ミクが同じ箇所を2回切りつけると、そこからオーラや魔力が徐々に抜け出していくのがわかった。ミクから詳しい能力の説明がされる。

 

――念能力 垂れ流しの生命 

 

 曰く、斬り付けた相手のエネルギーを強制的に放出させることができ、傷が治癒されても放出は止まらない。全く同じ箇所に2度、斬り付けなければならず、魔力、オーラ、体力、精神力、どんなエネルギーでも放出できるが、一箇所の切り口から放出できるのは一種類のエネルギーだけである。

 

 この能力で相手を死に至らしめることはできない。放出速度は、中堅どころの念能力者のオーラを100とすると(練をしていない状態)1秒ごとに1放出する。

 

 これまた強力な能力だ。中堅念能力者なら1分40秒でオーラを全消費してしまう。練をしても、相当負担になるだろう。だが、それに比例して制約も厳しい。この制約は相手が強ければ強いほど厳しくなり、逆に弱ければ能力自体使用する必要がない。

 

 イオリアは「これまたどこぞの隠密な死神みたいな能力だな……だが」と再び突っ込みを入れつつ、より大きな突っ込みどころにビシと突っ込んだ。

 

「「なんでネギが刻印されてんの(されてるの)!?」」

 

 そう、某2番隊隊長の死神さんが優雅な蝶の刻印なら、ミクのそれはどう見ても「ネギ」だった。能力の発動したミクの敵は、傷つけられる度にネギを刻まれるのだ。ある意味、とてつもなく恐ろしかった。シュールの極みだ。

 

 ツッコミを受けたミクは、「いや、やっぱり私といえばネギではないかと……」と視線を彷徨わせたあと、

 

「てへ♡」

 

 と舌を出して笑った。それにイラッとしたのは言うまでもない。

 

 最後は当然イオリアのお披露目だ。全力で能力を作ると宣言したので期待感が高まる。ミクとテトもワクワクしている。そんな二人に苦笑いをしてイオリアは呟いた。

 

「“インデックス”」

 

 イオリアの呟きと共に、藍色の表紙の重厚な本が現れる。イオリアは、ページをパラパラと捲り、目当ての項目を見つけたのか、「ゲイン、ヴァイオリン」と呟く。すると、本がわずかに発光し、

 

 ヴァイオリンが出現した。

 

 「どうだ?」と視線を向けるイオリアに、ミクとテトは顔を見合わせ「地味ですね」と実に忌憚ない意見を述べてくれた。イオリアはうっと呻くと、聞いて驚け! と解説に入る。

 

 曰く、作った念空間に、どんなものでも入れることができる。空間の大きさはオーラ総量に比例する。どちらかの手で触れて、記載項目を開かなければ目録は機能しない。「ゲイン○○」で取り出し、「レシーブ、○○」で収納できる。収納と同時に本に記載され、取り出しと同時に消える。目録を奪われ、他人に使用された場合、24時間以内に取り戻し使用しないと、この念能力を失う。失うと中身は消滅する。

 

「まぁ、便利ではありますね。持ち運びに」

「でも、それにしては制約が厳しすぎない?」

 

 もっともな疑問だ。何せ、念能力自体を失うという厳しい制約だ。イオリアは苦笑いし質問に答える。

 

「そりゃあ、これくらいはな。なにせ、念空間は本の中にあるんじゃなくて俺の体の中、具体的には魂に直接作ったからな。まぁ、できるかはわからなかったけど、オーラ発生の根本が魂なら、できるんじゃないかって試したらできちまってな……具体的なこと聞かれてもわからんが、たぶん、魂に格納出来てると思う。インデックスは魂と外を繋ぐ扉って感じだ」

 

 故に「名前は“魂の宝物庫”だ。」と締めくくるイオリア。

 

 ミクとテトは困惑しながら、なぜそんな面倒なことを?と疑問を投げ掛ける。イオリアは頬をカリカリと掻くと、気恥ずかしそうに語りだした。

 

「転生した俺が前世の記憶を覚えているのは魂にそれが刻まれているからだ。……なら、今世で死んだ後は? 刻まれた記憶はどうなる?今世の記憶は? ……そう考えたらさ、もしかするとまた記憶持ったまま転生するんじゃないかって思ったんだ。」

 

 そこで、一度言葉を切るとミクとテトを優しげな、それでいて切なげな瞳で見つめる。

 

「ベルカの地でユニゾンデバイスとして生まれたミクとテトは人よりずっと長く生きる。……俺が死んだ後もな。魂はあるから、死んだら転生してどこか別の世界で会えるかもしれないけど……それじゃ嫌だったんだ。例え今の生を終えて転生しても、二人とは一緒にいたい。体自体はデバイスである二人なら宝物庫に入れるだろう……だから、“魂と共に”って願って作った」

 

 ミクとテトはポカンと口を開け、マジマジとイオリアを見る。いよいよ恥ずかしくなったのかイオリアは顔を逸した。ミクとテトは顔を見合わせ、次第に顔を真っ赤にしていく。

 

「つ、つまり、“魂の宝物庫”は……」

「ボク達とずっと一緒にいるための能力?」

 

「「……宝物……」」

 

 三人は完全に沈黙した。互いに気恥ずかしさでどうしたらいいかわからない。誰も彼もソワソワして、チラチラと互いを盗み見る。もしここに、レオリオのような正直な男がいれば、きっと世界最強のバーサーカーになれたことだろう。滂沱の涙と共に。

 

 やがて、その沈黙すら耐えられなくなったのか、オホンッとわざとらしく咳き込み話を続けるイオリア。

 

「あ~、あともう一つあるんだが……」

「そ、そうなんですか!? さすが、マスターです!」

「は、はやく見たいな! マスターの能力!」

 

 ミクとテトは、ややテンションが高い。完全には切り替えに成功していないらしい。頬も耳もまだ赤いことがそれを示している。

 

 イオリアは、「くさい。くさすぎるぞ、オレ! ミクとテトも対応に困ってんじゃねぇか! うぁ~恥ずかしくて死ねる~!」と内心で身悶えしていた。

 

 イオリアは、自己嫌悪と羞恥心で内心を嵐のように乱しながら、能力の説明をした。

 

――念能力 神奏心域

 

 神奏心域発動中の能力者の意図した通りの事象の発生を相手に錯覚させる。聴いている時間が長いほど効果は上がり、最終的に肉体・精神に多大な影響が出る。演奏と同時にミク又はテトとの歌唱が必要である。神奏心域は、能力者のオリジナル楽曲でなければならず、10人中10人を唸らせる程度のレベルが必要。相手に与える錯覚の質・大きさに比例してオーラを消費する。

 

 本来は実演するつもりだったのだが、全員乱れに乱れまくっていたので、この日はお預けとなった。

 

 イオリア達は、翌日からカード収集に復帰しつつ、互いの能力を実戦で使えるように、コンビネーションも取り入れて訓練していくことになった。

 

 そして、9月に入り、ついにグリードアイランドにゴン達がやって来た。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

 能力お披露目の夜、

 

「テトちゃん、起きてますか?」

「うん、起きてるよ。というか寝れない……ミクちゃんもでしょ?」

「はい、全く、マスターは本当に……不意打ちが過ぎます。いつもいつも……」

「まったくだよ。心肺停止はしなくても機能停止はしそうだったよ。まったく……」

 

「「マスターには困ったものです(ものだよ)」」

 

 3人部屋のベッドでグースカ寝ているイオリアを尻目に、そんな会話をするミクとテト。文句を言いながらもその瞳には愛おしさが宿っている。

 

「ときどき、もし人間だったらと考えてしまうことがあります。間違っているでしょうか?」

「間違ってないよ。ボクも思うことはある。……でも、それじゃあきっと、ずっと一緒にはいられない。そんな気がするんだ」

「そうですね。でも私達は、そういうことはできても、マスターに家族は作ってはあげられません……それが少し悔しいです」

「ミクちゃん……もし、マスターがそれを誰かに求めても、ボクは受け入れるよ?マスターには幸せになってもらわなきゃさ」

「もちろん、私もです。……ただし」

 

「「私(ボク)達ごと大切にしてくれる人だけです(だよ)」」

 

 くすくすと忍び笑いをするミクとテト。二人の願いは何時だってただ一つ。イオリアの幸せだ。そのためならどのようなことも許容するだろう。

 

 もっとも、その願いは自分達にも向けられていることに、今イチ自覚のないミクとテト。イオリアが二人の想像した未来を選ぶ可能性は極めて低いだろう。二人に近しい立場でもない限り。

 

 魂の宝物庫を求めたのは、結局、そういうことなのだから。

 

 




いかがでしたか?

今回も、結構無理ある解釈がてんこ盛りでした。

しかし、後悔はない。だって・・・
こういうの考えるのは楽しいから!

さて、今回ようやく念能力が出ました。タグの通り技クロスで行きます。
制約とかその辺は、いつものように優しい気持ちで流して下さい。お願いします。

次回は、早々ではありますが、ハンター編最終回です。


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第16話 さよならハンター世界

ハンター編最終回

駆け足気味かもしれませんが楽しんでくれれば嬉しいです。


 9月、イオリア達がグリードアイランドにやって来て約5ヶ月が経った。

 

現在、イオリアの指定カードは90枚、テトは86枚、ミクは78枚だ。正直、異常なペースと言っていいだろう。魔法により他プレイヤーの邪魔が入りにくく、また移動に苦労もないことがアドバンテージとなっている。

 

 ちなみに、テトとミクの枚数が少ないのは、限度枚数が少ないSランク以上のカードをハメ組等が独占しているからだ。

 

一坪の海岸線はまだ誰も取得したことがないカードなので、ゴン達が挑戦するときに便乗させてもらうつもりだ。ほどよい頃に会いに行くべきだろう。この世界から出れば、もう会うこともないだろうから、最後の挨拶くらいはしておきたいとイオリア達は考えていた。

 

 そろそろゴン達もイオリア達の存在に気づく頃だろうから、修行の様子でも見に行こうかと考えていたとき、不意にスペルカードによってイオリア達の前に現れた者達がいた。

 

「同行」を使ったのだろう。複数の男がイオリア達を見ている。

 

すわ、戦闘か!と身構えたイオリア達だが、相手の様子がおかしいことに気が付いた。敵意がないどころか、やたら憔悴しており、しかもその内の一人は顔面が見るに耐えないほど破壊されてもう虫の息である。もって数分といったところか。

 

そんな中、リーダーぽい男が悲痛に満ちた声でイオリア達に叫んだ。

 

「頼む、何でもする! 助けてくれ!」

 

 その瞬間、イオリアは飛び出した。罠の可能性とか、事情説明とかそんな事は、今はどうでもいい。目の前に救いを求める者がいる。ならば、“誓いのままに”。

 

「ミク! テト!」

 

 二人の相棒にも声を掛け、治癒魔法を構築する。

 

――ミッド式治癒系魔法 フィジカルヒール

 

 ミッド式は知らないため、リリなので出た魔法を参考に作った回復魔法だ。シャマルの使う“静かなる癒し”が範囲回復なら、これはピンポイント回復だ。その分効果は強い。

 

 三人で同時に行使する。顔の潰れた男の周りに幾何学模様の光が現れ、負傷した部分が光り始める。

 

 その様子に驚愕の声を上げる男達。一切無視して、全力で治療する。ほどなくして、男の顔が原型を取り戻し始めた。みるみる癒えていくその様子にリーダーの男がつい声をかける。

 

「た、助かるのか?」

 

 その男、名をニッケスという。いわゆるハメ組の中心的存在で、同じハメ組のゲンスルーに裏切られた挙句、命を握られ指定カードを引き渡すように要求されているのだ。顔を潰された男はジスパといいゲンスルーに戦いを挑み返り討ちにあったのである。

 

「助ける!」

 

 そう断言するイオリアに呆けたように沈黙するニッケス。周りの連中も同じ感じだ。

 

 おそらく理解できないのだろう。いきなり現れた自分達に事情も聞かず、不可思議な力を惜しみなく使い、必死の形相で救おうと奮闘することが。

 

 ニッケスは、本当にジスパを救ってくれると思っていたわけではない。ただ、裏切られ、命を握られ、大事な仲間が死にかけて、どうすればよいかわからず混乱し、そんな時、ふと思い出したのだ。ゲンスルーを問答無用に追い返した“死神”の存在を。

 

 藁にもすがる思いで気がつけば「同行」を使用し叫んでいた。一同は固唾を呑んで見守る。

 

 しかし、回復も虚しくジスパの心臓が止まった。ニッケス等は俯き拳を握り締める。

 

「まだだ! ミク!」

「はい!」

 

 ミクはジスパの胸に両手を置き、新たな魔法を発動する。

 

――付与系魔法 サンダーアーム

 

 原作でフェイトが使用した体の一部に電撃を集中させ相手に流し込む魔法だ。

 

 ミクはフェイトのように変換資質を持っている訳ではないが、資質を持たなくても変換自体はできる。ただ時間がかかるので実戦では使い物にならないだけで。もっとも、それは普通の魔導師の話で、処理能力チートなミクはフェイト並みに変換できる。

 

 ミクの両手が紫電を帯、次の瞬間、ジスパの体に電流が流れ込む。ビクンと跳ねるジスパだが、心臓は動かない。

 

「もう一度!」

「はい!」

 

 再度、ミクが電流を流し込む。ビクンと跳ねたジスパは、果たして……ドクン、ドクン、元気よく心臓を動かし始めた。

 

「「「ふぅ~」」」

 

 安堵の息を吐くイオリア達。三人は笑顔で拳を突き合わせる。

 

「た、助かったのか? ジスパは生きてるのか?」

 

 不安を隠さず尋ねるニッケスに、イオリアは力強く頷いた。

 

「そうか……そうか。よかった。本当に」

 

 そう言って、ニッケスはドサッと座り込む。他の連中も同じような表情だ。仲間意識は結構強いらしい。

 

 イオリアは魔法について何か聞かれる前に、機先を制して話を始めた。

 

「それで、何があった? 何となく想像はつくが一応話してくれ」

「あ、ああ。実は……」

 

 一通り事情を聞いたイオリアはゲンスルーの虐殺が始まったことを知った。あまり其の辺の知識はなかったので、いつ始まるのか分からなかったのだが、まさかこんな形で関わることになるとは思いもしなかった。

 

 まさか、ゲンスルー相手に暴れたことがきっかけになるなんて! 死神の称号はどこまでもイオリアに憑いてくる。

 

「あんたは、ゲンスルーを圧倒したと聞いた。その死神の力、俺達に貸してくれ! ……もしゲンスルーから皆を守ってくれるなら今持ってる指定カードを全て譲渡してもいい」

 

 ニッケスが悲痛な表情で、しかし強い意志を秘めた瞳でイオリアに懇願する。

 

 指定カードを全て譲渡するという言葉に他の仲間がざわつくが、ニッケスは「誰にも死んで欲しくない」と説得する。

 

 ゲンスルーの能力――【カウントダウン】により命の刻限が刻一刻と近づいており、仲間内で一番戦闘力の高かったジスパが瞬殺された以上もうイオリア達に頼るしかないのだ。

 

 それを理解したのだろう。他の者達も納得したように頷いた。どちらにしろ、殺されればカードは全てゲンスルーに渡るのだ。それなら、とイオリア達に救済の対価として支払うべきと判断した。

 

 ちなみに、「死神の力」とは魔法のことを指していたのだが、わざわざ突っ込んで詮索されるのも面倒なのでイオリアは我慢した。青筋を浮かべながら。

 

「……わかった。ゲンスルーは俺達がなんとかしよう。報酬のカードは全部でなくていい。必要な種類だけもらうことにする」

 

 イオリア達が依頼を引き受けたことに安堵するニッケス達。その顔に希望の光が見え始めていた。

 

 イオリアとしては助けを求められた時点で、報酬などなくてもニッケス達に協力するつもりだったのだが、いずれにしろ彼等から独占しているカードを奪わねばクリアできないため大人しく貰っておくことにした。

 

 一同が今後の方針について相談しているとき、「交信」のカードにより、置いてきた他の仲間からニッケスに凶報が届いた。それは、ゲンスルーの仲間の一人バラが、プーハットの首を持って現れたというものだった。

 

 イオリアはニッケス達と共に、現場に向かった。

 

 到着した場所では男の首が無残に転がり、それを青ざめた顔のプレイヤー達が現実逃避するように視線を逸らしていた。その首の主がおそらくプーハットなのだろう。そして、それを冷めた目で見下す男がバラだろう。

 

 バラは現れたニッケスに視線を移し、イオリア達の姿に一瞬眉をしかめるものの直ぐに興味を失ったのか、ニッケスを恫喝した。

 

「ニッケス、てめぇ、舐めてんのか? 死にたくなかったら、ガタガタ言わずに指定カードを持ってこい!」

 

 ニッケスは無残な姿になったプーハットをやり切れないといった視線を向けたあと、イオリアに目で話しかける。「頼む」と。

 

 イオリアは無言で頷くとバラの前に出る。バラは訝しげな視線をイオリアに送り、さらに両サイドに付き従うように二人の少女がいることを確認した上で、その特徴にようやく思い至ったのか、驚愕の表情になる。

 

「な、てめぇ! 死神か! 何でここ……」

「もう死神で固定なんだな、ちくしょうがっ!」

 

 バラの発言を遮ってイオリアの拳が唸る。ゲンスルーは辛うじて避けた拳だが、バラは咄嗟に反応できなかったのか顔面を殴り飛ばされた。ものすごい勢いで錐揉みしながら飛んでいきグシャという音と共に地面に激突する。

 

 しかし、なかなかのタフネスでガクガク震えながらも立ち上がり、「離脱」を唱えた。不測の事態のためゲンスルーの元に戻ったのだろう。

 

 ニッケス達が慌てて駆け寄ってくる。

 

「お、おい! 大丈夫なのか? 逃がしたりしたら……」

 

 不安そうなニッケス達に、イオリアは予定通りだと答えて、光り輝く幾何学模様の魔法陣を足元に展開した。転移魔法だ。実は、イオリアが攻撃を仕掛けている間にミクがバラにサーチャーを付けておいたのだ。どこに逃げたのか座標を特定するために。

 

 イオリア達が光に包まれていく幻想的な光景に、息を呑むニッケス達。そんなニッケス達に「後は任せろ」と力強い言葉をかけるとイオリア達は姿を消した。

 

 呆然としなが、仲間の一人がニッケスにポツリと話しかけた。

 

「アイツ、本当に死神なのかもな……ゲンスルーにとっての」

 

 死神という呼称があながち間違ってないと強く実感するニッケス達だった。

 

 

 

 

 

 ゲンスルーの眼前にダラダラと鼻血を流しているバラが現れる。ゲンスルーとサブは何事かとバラに駆け寄った。バラは未だ多大なダメージが残る体を必死に起こしながら報告する。

 

「ゲ、ゲン。死神だ! アイツ等、死神を連れてきやがった!」

 

 死神。その名称にかつての記憶が蘇り、やはり障碍になったかと苦い表情を見せるゲンスルー。

 

「ちっ、ヤツか。なら、何人か見せしめに……」

 

 今後の方針を伝えようと口を開いたゲンスルーは、眼前に見たこともない正三角形の幾何学模様が浮かぶのを見て絶句する。そして、溢れ出した光りが収まると、そこに死神ことイオリア達が現れたのを見て凍りついた様に固まった。バラやサブも同様だ。

 

 そんなゲンスルー達を気にした様子もなくイオリア達は事態を進める。

 

「テト」

「あいよー、封時結界」

 

 突然世界が色褪せる。通常空間からこの空間が切り離された証拠だ。

 

 ゲンスルー達は尋常ならざる事態にようやく正気を取り戻し、ヤバイと感じたのか逃走しようと踵を返す。

 

 しかし、振り返った先には、今の今まで目の前にいたはずのミクとテトが囲むように回り込んでいた。どちらにしろ結界がある以上逃げられないのだが、ゲンスルーの遠隔爆破に対する保険と心理的圧迫のため結界と人的包囲で二重の包囲をする。

 

 ゲンスルーは逃げられないと悟ったのか、イオリアに向き直った。ミクとテトも危険だが、イオリア達の中心人物がイオリアであると看破していたので、状況打開にはイオリアをどうにかする必要があると分かっていたのだ。サブとバラはミクとテトを警戒する。

 

「カウントダウンを付けたヤツ等を全員解放しろ」

 

 静かな口調で、しかし有無を言わさず機先を制すイオリア。狡猾なゲンスルーは何とか交渉を試みようと頭をフル回転させる。戦うという選択肢は、いつかのイオリアの戦闘力とこの正体不明の力を前には悪手だ。

 

「アイツ等からどんな対価を――」

「お前の選択肢は二つだ。黙って従うか、戦って死ぬか。彼等の解放より優先すべきことはない。」

 

 倍の対価を出すから仲間に、という在り来たりな口上をきっかけにイオリアの望みを引き出そうとしたゲンスルーだったが、イオリアはバッサリと切り捨てる。交渉の余地なし、問答無用の態度にゲンスルーの表情が引き攣る。

 

 ゲンスルーには思い至らない。純粋に誰かを救おうとする人間の心理など。仲間に対しては情を持つゲンスルーだが他者に対しては価値を見出さない男なのだ。

 

 交渉の余地はない。しかし黙って従えば、この5年が水の泡となる。それどころか誰もが警戒してもう二度とカードを集めることなどできないだろう。

 

 ゲンスルーは逡巡したが、もう一つある能力に賭けて戦闘を選択した。まずは油断させるために従うフリをする。

 

「わかった。俺もまだ死にたくない。全員解放しよう」

 

 ゲンスルーは、両手を上げ降参だと肩を竦める。

 

 イオリアは「そうか」と頷き、ゲンスルーを拘束しようと近づいた。ゲンスルーの後ろに回り触れようとした瞬間、バラとサブが一気に動く。

 

 すぐミクとテトが対応するが、一瞬気を逸したイオリアにゲンスルーが腕を伸ばし、逆にイオリアの手首を掴みリトルフラワーを発動した。爆音が響き、イオリアの手が弾かれる。

 

 ゲンスルーは攻撃の手を休めずさらに首を掴み止めを差そうとした。しかし、その手は弾かれ千切たはずのイオリアの手に防がれる。

 

 ゲンスルーの瞳が驚愕に見開かれた。イオリアの手が無傷だったからだ。その理由は、単にゲンスルーよりも多いオーラを【凝】して防いだだけである。イオリアは、原作知識によりゴンとゲンスルーの戦いを知っていたのでリトルフラワーの防御方法も知っていたのだ。

 

 しかし、驚きも一瞬、さすが一つ星ハンターであるツェズゲラをして自分では足元にも及ばないと言わしめた実力者なだけはある。凄まじい体術と流麗なオーラ操作でイオリアに猛攻を仕掛けた。

 

 イオリアはそれを淡々と捌き、リトルフラワーのことごとくを防ぎきる。一瞬の隙をつきゲンスルーをガードごと吹き飛ばす。

 

 距離をとった二人は睨み合う。ゲンスルーは険しい眼で、イオリアは静かな眼で。

 

 その時、視界の外で「うわっ」という悲鳴とドサという人の倒れる音がした。明らかにバラとサブだ。ゲンスルーはイオリアを警戒しながらも、仲間の様子を見る。

 

 すると、バラはなぜか頬にネギのマークを付けたまま脱力したように倒れ伏し、サブは尻餅を付いた両足の間の地面がごっそり消滅しているのを見てガクガクと震えていた。

 

 どうやら、せっかくの実戦の機会ということで、【垂れ流しの生命】と【拒絶の弾丸】を使ったらしい。

 

 その様子を見てゲンスルーが初めて動揺を顕にする。

 

「バラ! サブ!」

 

 仲間に対する情はあるゲンスルーの焦った様子にイオリアが語りかけた。

 

「お前がしてきたことのツケを払うときが来たんだ。……今更、喚くなよ」

 

 ゲンスルーは、その言葉に沈黙し、口元を歪めながらイオリアを睨む。

 

「なぜ、こうまでする! お前に何の関係があるんだ!? 騙し合いなんて普通のことだろう!」

 

 叫びながら反論するゲンスルーに、イオリアは首を振る。

 

「闇討ち、不意打ち、騙し討ち。どれも悪いとは言わない。実戦は甘くはないからな。……だがな、お前は、最初から開放する気なんてなかったろ? 仲間のために苦渋の選択でカード差し出したニッケス達を皆殺しにするつもりだったろ? そして、絶望する彼等を見て愉悦を感じてたろ? ……それは、人としてやっちゃいけないことだ。人と化け物の境界線を超える行為だ」

 

「そんなもの!」

 

 なお、反論しようとするゲンスルーに、イオリアの強大な意志が込められた眼光が突き刺さる。

 

「御託はもういい。構えろよ、ゲンスルー。間違ってないと思うなら……死ぬ気で足掻いて見せろ。……でなけりゃ……」

 

 イオリアが拳を引き絞る。オーラが右拳に集束していく。莫大なオーラが集中し周囲の景色すら歪んで見えるようだ。

 

 ゲンスルーの表情が引き攣る。あれはマズイと本能が全力で警報を鳴らす。なんとか逃げ出そうとするが、そんな選択肢は最初から存在しない。

 

「俺の(意志)は容易くお前を撃ち抜くぞ!」

 

 イオリアが踏み込み拳を突き出す。【断空拳】だ。しかも、【硬】も施している。衝撃を伴いながら絶大な威力を秘めた拳撃がゲンスルーを襲う。

 

 ゲンスルーはこの拳を知っている。散々喰らったことがあるからだ。故に、受けるのも下がるのも悪手だとわかる。

 

 咄嗟に自身も【硬】をし、横合いから殴りつけることで軌道を逸らす。そして、空いたわき腹にリトルフラワーを発動しようと手を添えた。と同時に、イオリアの左手が静かに自分の脇腹に添えられていることに気がつく。よく見れば拳に乗せた威力の割に体勢が崩れ切れていない。

 

 ゲンスルーは悟った。本命は2撃目の左だったのだと。直後、イオリアの左拳が超振動を起こす。ゲンスルーは体勢が崩れるのも気にせず、必死に体を捻った。体の横を掠りながら拳が通過する。

 

(躱したぞ!)

 

 ゲンスルーが今度こそ隙を晒したイオリアの足を掴もうとする。どこでもいいからリトルフラワーをするつもりだ。

 

 だが、次の瞬間、

 

「ゴフッ!?」

 

 血を吐きながら力なく地に倒れ伏した。【圓明流奥義:無空波】だ。

 

 

「ゲン!」

 

 テトの非常識な銃撃にガタガタと震えていたサブは慌ててゲンスルーに駆け寄る。一応加減はしたので死んではいないはず。イオリアはゲンスルーにさせたいことがあったので、取り敢えず殺さないことにしたのだ。

 

 ゲンスルーに近寄るイオリアに、懇願するような視線をむけるサブ。ゲンスルー組は仲間同士の情は厚いようだ。

 

「た、頼む! 言う通りにする。開放もするし、指定カードも渡す。だから、命は……」

「ニッケス達も同じだろうに。でも、お前らは殺すんだろう?」

 

 ぐっと詰まるサブ。そんなサブの肩に手を置き、苦しそうに呻き声を上げるゲンスルー。

 

 そんな二人に、イオリアはバインドをかけた。突然現れた光るロープに体を固定された二人は、もはや言葉もない。

 

「まぁ、今のところ殺すつもりはない。だが、これ以上好き勝手もさせない」

 

 そんなイオリアの言葉に諦めの表情で頷く二人。わけのわからない力を使われ、純粋な体術でも叶わず、手の内は読まれている。もはや、逆らう気は微塵も持てなかった。

 

 

 

 

 

 その後、イオリア達は、ニッケス達の元に戻りゲンスルーに触れさせ「ボマー捕まえた」と言わせることで全員の解放に成功した。ハメ組だけでなく他にもカウントダウンが付けられているプレイヤーはいるらしく後ほど彼等も開放する予定だ。

 

 感謝感激の言葉を雨あられと伝えられたイオリア達は、最初こそ素直に受け取っていたが、一部の人間が安心したせいで心のタガがはずれたのかイオリア達を「死神様~!」と信仰しそうな勢いで拝み始めたところで、遂にイオリアがキレ、「死神って呼ぶんじゃねぇ!!」と暴れ始めた。

 

 ニッケス達が慌ててイオリアを宥め、報酬のカード譲渡が行われる頃には日が沈みかけていた。

 

 ハメ組からの指定カード譲渡により、遂にイオリアの所持カードが98枚になった。残すは「一坪の海岸線」のみである。

 

 そして、イオリアのゲンスルーにして欲しいことについて。ゲンスルー達には、ゴンの修行相手になるよう要求した。

 

 最初は、一体どんな無理難題を要求されるかと絶望の表情を浮かべていたゲンスルー達だが、芝居を打ってゴン達に強者との念を使った殺し合いを教えてやって欲しいという内容を聞くと、予想外にデメリットの少ない内容だったので二つ返事でOKした。それと、それが終わったら自首することも約束した。

 

 イオリア達が転移魔法やサーチャーを見せ、常に監視されていると思い込ませ、封時結界の中で砲撃魔法をぶっぱなし遠隔攻撃も可能だと実演してみせると、砲撃により引きちぎられた様に払われた上空の雲を見ながら死んだ魚のような目をしてコクコクと素直に頷いたから大丈夫だろう。

 

 イオリアとしては、ゴンが強くなる機会を奪ってしまったことに心苦しさを感じていたので、やむを得ない措置だった。そう、やむを得ないといったらやむを得ないのだ!

 

 その後、ミクとテトのカードも揃えるため、50種以上の指定カードを持つプレイヤー達とトレードや戦闘などしつつ過ごしていると、遂に二人も「大天使の息吹」と「一坪の海岸線」以外のカードを集めるのに成功した。「大天使の息吹」は引換券があるので、一人でもクリアすればすぐ手に入る。よって、後は「一坪の海岸線」を手に入れるだけだ。

 

 イオリア達は、「同行」のカードを使い、ゴン達の元へ行くことにした。ツェズゲラが一緒にいれば、イオリア達のゲームクリア阻止に動き出すと踏んで、ある程度の指定カードはゲンスルー組に預けてある。今や彼等は、グリードアイランドで一番安全な金庫だった。もう、死神というより魔王といってもいいかもしれない。

 

 ゴン達は、カード収集に邁進している途中で、「同行」によりプレイヤーがやって来たことに警戒心を顕にした。しかし、目の前に現れたのがイオリア達であると気づくとゴンは目を輝かせ飛び跳ねた。キルアはギョッとしている。

 

「イオリア! ミクちゃん! テトちゃん!」

「げっ、何であんたらがここにいるんだよ!」

 

 手をぶんぶん振りながら走り寄ろうとするゴン。しかし、それは叶わなかった。金髪の12歳くらいの女の子が、険しい表情でゴンの首根っこを掴み引き止めたからだ。

 

 「ぐえっ」と呻き声を上げながら抗議の視線を送るゴンに、その女の子はイオリア達から視線を逸らさずに叫んだ。

 

「あんた達! 気をつけなさい! どういう関係か知らないけど、死神に不用意に近づくんじゃないだわさ!」

 

 ゴンとキルアは「死神?何言ってんの?」という表情をするが、女の子の表情は変わらない。

 

「紅髪翠髪の少女を侍らせた死神。彼等の姿を見た者で生きている者はいないらしいだわさ!」

 

 噂が悪化していた。既に都市伝説みたいになっている。生きている者がいないなら、なぜ容姿が伝わっているのか、もう矛盾しまくりだがイオリアにはクリーンヒットした。

 

「遂に、俺は皆殺しを始めたのか……ついこの前、皆、救ったばかりなのに……」

 

 崩れ落ち四つん這いで嘆くイオリアにミクとテトがオロオロとフォローする。開き直ったと思ったが、見た目小さな女の子に警戒心も顕に危険人物扱いを受けたのが案外堪えたらしい。

 

「ちょ、ビスケ! なんてこと言うんだよ! イオリア達は、おれの友達だよ! ハンター試験ですごく世話になったんだ!」

「あ~、こいつら底抜けのお人好しだし、姿見ただけで皆殺しとかありえないって」

 

 睨んだ相手は崩れ落ちて嘆いているし、自らの弟子たちから批難の目を向けられ、女の子改めビスケット=クルーガーは狼狽えた。

 

「えっ、いや、でも、噂がね? その、いろいろと……」

 

 ビスケの弁解を流し、ゴンとキルアがイオリアに駆け寄りミク達と一緒に慰めはじめた。まぁ、キルアは我関せずだったが。

 

 釈然としない気持ちを抱えながら、ビスケも傍に行く。ビスケ自身も既に、イオリアを危険人物とは思えなくなっていた。その情けない姿を見ていると特に。

 

 しばらくして、イオリアが持ち直しようやくお互いに挨拶ができるようになった。

 

「さっきは悪かっただわさ。ビスケット=クルーガー、ゴン達の師匠ってところ」

「いや、気にしなでくれ。ほとんど自業自得だから。イオリア=ルーベルスだ。よろしく」

「ミクです。マスター共々よろしくお願いします!」

「ボクはテト。よろしくね?」

 

 自己紹介をして、ビスケはショックを受けたような表情をした。そして、わなわなと震えると突然叫びだした。

 

「マ、マスターって!? つまり、ご主人様!? な、なんなのあんた達。そんな若さで、もう、そんな……アブノーマルな!」

「なに言い出してんの、この人!? そんなんじゃないから!」

 

 興奮したように騒ぐビスケに、必死に弁解する。その横でなぜか赤くなるミクとテト。ゴンはキョトンとし、キルアはソっぽを向いて無関係を装う。話が全然進まなかった。

 

 その後、何とか誤解を解き、「一坪の海岸線」取得のメンバーを探している旨を伝える。ゴン達もカード集めに邁進しており、快くメンバーになってくれた。

 

 他にメンバーになりそう心当たりはあるか相談し合い、イオリア達はニッケス達に頼むことにした。

 

 ただ、ゴンがクロロ=ルシルフルの名でプレイしているプレイヤーがおり、どうしても気になるということで、その正体を確かめることにした。

 

 イオリア達は、本人だったら嫌だなぁ~とかつて旅団とやりあった時のことを思い出していた。グリードアイランドに旅団メンバーがいることは知識にあったが、ヒソカがクロロの名を名乗っているとは知らないイオリア達。後で盛大に嘆くことになった。

 

 ちなみに、ツェズゲラ組と組まないのはカードの所有で揉めるのが嫌だったからだ。ニッケス達は必要な人数分駆けつけると快諾してくれた。

 

 「同行」を使い、“クロロ”の元へ飛ぶと、そこには変態ピエロがいた。

 

 ヒソカはイオリア達を見つけると、それはもう嬉しそうにニンマリし着いて来ようとした。全力で断るイオリア達だが、ビスケによるまさかの裏切りでヒソカの参加が決定。特にミクのストレスがマッハ状態で、降臨した黒ミクに全員がドン引きした。

 

 ニッケス達に連絡を取り、イオリア達、ゴン組、ヒソカ、そしてニッケス達8人が参加し「同行」でソウフラビに移動した。

 

 ソウフラビに到着後、イベントをこなし、海賊達とスポーツ対決になった。ニッケス達の気合がやたら高く、なぜかイオリア達をチラッチラッと見ることに少し引いたのだが、その奮闘もあってある程度勝ちを拾った。

 

 しかし、最終的にレイザー率いる念獣軍団とのドッジボールで勝敗が決定するのであまり意味はない。それを知ったときニッケス組の何人かが崩れ落ちていたが、まぁ些細なことである。

 

 ドッジボールの参加人数は8人でゴン組、ヒソカ、イオリア組で参加。試合は、常時優勢だった。レイザーも本気でやっているのだが、イオリア達が尽く止めてしまう。

 

 まさか、緩衝魔法やシールド魔法を使っているなど夢にも思わず、合体した念獣は原作のゴン、キルア、ヒソカのコンビネーション豪速球で尽く打ち抜かれ、負傷したキルアの手はイオリアが治癒魔法で癒してしまう。

 

 「一坪の海岸線」さえ手に入れば後は帰還するだけで、無用な詮索に悩むこともないので自重しないイオリア。

 

 そしてついに、ゴンの【硬】をしたジャンケン? で飛ばした豪速球がレイザーを仕留めパーフェクトゲームとなった。レイザーは少し涙目だったかもしれない。そして、最後まで空気だったビスケも涙目だったかもしれない。

 

 あと、治癒魔法を見たニッケス組が「おお、見ろ!また、神の御技が!」とか叫んでたのでイオリアが無言で殴り倒した。これ以上、グリードアイランドの地に伝説を築くつもりはない。

 

 終わったあと、ヒソカがちょっかいを掛けてきたが、ミクに問答無用でランダム強制転移を使われ何処かに飛ばされていた。

 

 ビスケが「一体なんなんだわさ!」と魔法について聞いてきたが、自分達「特質系」なんで、と誤魔化した。

 

 疑わしそうだったが、他人の念能力を聞くのはマナー違反である。渋々、引き下がった。

 

 ゴン達に「一坪の海岸線」を渡し、擬態させてイオリアとミクのバインダーに入れる。そして、実は他のプレイヤーに預けてあるだけで、これで全部揃った旨を伝え、いよいよお別れであることを伝えた。

 

「ゴン、今度こそお別れだ。クリア報酬があれば俺達は故郷に帰れる。そうなったら、もう二度と会うことはないだろう」

「そんな……もう会えないなんてことないでしょ? イオリア達の故郷に遊びに行くよ」

「いや、俺達の故郷はひどく遠くてな……歩いては行けない場所なんだ。俺達ですらクリア報酬の助けがなければたどり着けない場所にある。そして、一度帰れば、もう戻ってくることはないだろう。ここへ来たのは事故のようなものだから」

 

 そう言うイオリアの言葉に、シュンと沈むゴン。キルアが気遣わし気にゴンの肩に手を置く。

 

「なぁ、ゴン。最後だからこそ、笑顔で行こう。偶然この世界に来ちまった俺達だが、中々楽しかったんだ。その内の何割かはゴン達のおかげなんだ。俺達は故郷に帰るけど、ここで過ごしたことを忘れないように最後まで最高の思い出にしてくれないか?」

 

 ゴンはイオリアのその言葉に顔を上げ、ミクやテトとも視線を合わせる。そして、何か納得したのか「うん」と頷き、次には、ニッと笑った。それからしばらく楽しげに談笑をし、イオリア達とゴン達は別れた。

 

 イオリア達はその足でゲンスルー組の元へ行き、預けてあったカードを返してもらう。その瞬間、ゲーム内にアナウンスが流れクイズ大会の告知がなされた。

 

 イオリア達はクイズがあることを知っていたので、あらかじめかなり細かく予習済みである。結果、まずイオリアが優勝した。“支配者からの招待”を受け取り“グリードアイランド城”へリストと名乗るゲームマスターの一人に城の一室に案内され、其処にいたドゥーンと名乗るゲームマスターから「支配者の祝福」と指定カードを3枚入れられる特殊なバインダーを受け取った。

 

 クリア後の説明を聞き、祝賀会があると聞かされたイオリアは、実は、連れの二人も99枚直ぐに揃える準備をしており、自分がクリアした後、即行で二人クリアすることになるので祝賀会を連続で3回することになる。それなら、そういうイベントは全員クリアしてからまとめてして欲しいと頼んだ。

 

 ドゥーンはしばらくポカンとした後、慌てて他のゲームマスターと協議をし、どうやらそれが本当らしいのでイオリアの頼みを受け入れることになった。

 

 まさか、初のゲームクリア者が三人同時とは、と呆れを含んだ視線を向けられ何とも居心地の悪い思いするイオリアであった。

 

 当然、3回連続でクイズ大会が開催され、ゲーム内は混乱の坩堝であったが、そこは、ゲームマスター達が何とかするだろうと割り切りスルーする。

 

 全てのイベントが終わり、クリア報酬を受け取り、イオリア達はゲーム外へ帰還した。クリア報酬には「聖騎士の首飾り」「挫折の弓」「同行(擬態中)」「プラキング」「リサイクルーム」「大天使の息吹」「豊作の樹」「メイドパンダ」「不思議ヶ池」を貰う事にした。

 

 ゲームから帰還後、イオリア達はいきなりメンインブラックな感じの方々に囲まれた。そして、彼等の奥から身なりのいい、しかしどこかやつれた感じの初老の男性が現れた。

 

「ゲームクリアおめでとう。ルーベルス君、それにお嬢さん方。私は、バッテラという者だ。聞いたことはあると思うが……」

 

 イオリアは確かにその名を知っていた。ツェズゲラ達の雇い主でグリードアイランドの4割近くを買い占めている富豪だ。

 

 いきなり現れたことに驚いたが、おそらくツェズゲラから報告が来たのだろうと当たりを付ける。

 

「ええ、もちろん知っていますよ。それで、何の御用でしょう?」

「……大方予想できていると思うが、もし君達が、クリア報酬に“大天使の息吹”か“魔女の若返り薬”を持っていたら譲ってくれないかね?言い値で構わない」

 

 バッテラの言葉に、眉をしかめるイオリア。要求されたカードの意味するところを察して質問を返す。

 

「どなたか助けたい方が?」

「……恋人だ。もう、10年以上目を覚まさない……」

 

 少し逡巡したものの、悲痛な声でイオリアの問いを肯定する。イオリアはそんなバッテラの様子を見て、チラッとミクとテトを見た。二人は「わかってますよ(るよ)」と微笑む。それを見て、イオリアも苦笑いし頷いた。

 

「大天使の息吹だけなら持っています。譲るのも構いません」

 

 それを聞いてバッテラの目が大きく見開かれる。疲れて切って濁った瞳が、徐々に光を取り戻していく。

 

「おお、おお! そうか、譲ってくれるか。感謝する。本当に、本当に……」

 

 世界有数の富豪でありながら、その顔には心労が深く刻まれており、どれだけ恋人が大切だったかがよくわかる。10年眠り続ける恋人を見てきたのだ。目を覚ますかもしれない、その希望はバッテラの涙腺を緩めるには十分だった。

 

 イオリア達は黙ってバッテラが落ち着くのを待った。

 

「すまない。待たせたな。言い値を払おう。いくらだ?」

「まだ、助かると決まったわけではありません。念のため一緒に行きましょう。俺達がクリアしたことは他にも知れているかもしれませんし危険ですから。報酬は……その話は結果が出てからで構いません」

 

 イオリアの言葉に、なぜそこまで?と疑問を抱くがヘタなことを言って撤回されても困るので、バッテラはそのまま了承した。

 

 バッテラの屋敷に到着し恋人のいる部屋に行く。その女性は美しくはあったが、どうにも生気が薄く今にも消えてしまいそうなほど儚げだった。

 

 バッテラはベッドの傍らに腰掛けると恋人の手を優しく握った。しばらく、ジッと恋人の顔を見つめると、スっとイオリアの方へ視線を送った。

 

 イオリアは頷くと、「ゲイン、“大天使の息吹”」と宣言した。

 

 “大天使の息吹”のカード化が解かれ、眼前に天使が現れる。イオリアは天使に命じた。バッテラの恋人を癒せと。

 

 大天使は頷くと、眠る恋人に近寄りその癒しの息吹を優しく吹きかけた。全員がその様子を固唾を飲んで見守る。やがて、カードの効果が切れ天使が消えた。

 

 しばらく見守っていると、僅かに眠る女性の瞼が震えた。バッテラが息を呑む。やがて、薄らと目を開け、ボーと辺りを見回し、その瞳にバッテラを写した。10年の歳月はバッテラ随分と老けさせただろう。それでも、静かに涙を流すバッテラを見て、薄らと微笑んだ。

 

 イオリア達はそこまで見届けてそっと部屋の外に出た。

 

 どれくらい経ったのか、イオリア達が別室で雑談していると、目を真っ赤にしたバッテラが部屋に現れた。

 

「すまない、待たせたな」

「いえ、構いません。それで、彼女は……」

「ああ、問題ないだろう。受け答えもしっかりしている。記憶も問題ない。念のため、医師に検査してもらっているところだ。……君達には何と礼を言えばいいか……」

 

 バッテラは、最初にあったときとは別人の様に生き生きとし、心なしか若返ったように気さえする。余裕を取り戻したその表情は、とても穏やかだ。

 

「さぁ、報酬の話をしよう。何でも言ってくれ。私に出来ることなら可能な限り力になろう」

 

 イオリアは、ミク達と目配せし、バッテラが来るまでの間に考えていた報酬を告げることにした。

 

「お金はいりません。その代わり、あなたが雇っているプレイヤーの持ちカードを、とあるプレイヤーに譲ってあげて欲しいんです。彼等は現在修行中でしょうから、それが終わった後にでも。そのせいであなたに違約金が発生してしまうかもしれませんが……」

 

 バッテラはその意外すぎる要求に意味がわからないという顔をする。苦笑いしながら、理由を説明するイオリア。

 

「彼等はハンター試験の同期でして。彼等の協力あって最後のカードも入手できました。……俺達はちょっと遠くに行くので、もう会うことはないかと……せめて最後の餞別になれば。お願いできますか?」

 

 バッテラは「ふむ」と頷くと、

 

「カードを譲るといった時から何か裏でもあるのかと思っていたんだが……君達、少々お人好し過ぎやしないかね? 忠告しておこう、君達は商人にだけはなってはいけないぞ?」

 

 そう悪戯っぽく笑うと、「カード譲渡の件は確かに承った。雇ったプレイヤーに伝えておこう」と快諾した。

 

 ゴン達のことを伝え、何かと引き止めるバッテラに丁寧に断りを入れ、イオリア達は屋敷を辞した。

 

 

 

 

 

 

「何だかんだで1年か。ものすごく濃い1年だったな」

「マスター? 薄い1年なんて今までにありました?」

「マスターといえば、全力全開だよね?どっかの白い魔王みたいに」

 

 う~んと伸びをしながら、この世界でのことを振り返るイオリアに、くすくすと笑いながらミクとテトがツッコミを入れる。

 

 ここは、イオリア達がこの世界に飛ばされた際、最初にいた森の中だ。どうせならスタート地点から帰ろうと、イオリア達はたった1年ではあるが濃密な1年の思い出に話に花を咲かせながら森の中を歩いていた。

 

 あの後、「挫折の弓」や「同行」だけでは帰還できなかった場合に備えてプラキングを組み立てたり、食料や空気ボンベ、循環器、生活必需品などを買い揃えたり、この世界にしかない動植物を採取したりして2週間ほど過ぎた。

 

 その間、ゲンスルー達は自首し、ゴンも修行を終えてつい先日ゲームをクリアしたようだ。これにはイオリア達も安堵し、準備も整ったので遂に今日、この始まりの森で次元転移をすることになった。

 

「さて、それじゃあ、帰るとしますか!」

「はい、マスター!」

「うん、マスター!」

 

 イオリアはミクとテトに向かい手を差し出す。ミクは右手にテトは左手にそっと自らの手を乗せ、それからギュッと握る。

 

――――― ユニゾン・イン ―――――

 

 ミクとテトが光となり、イオリアと一つになる。イオリアは濃紺の魔力を束ねながら、パートナー達と共に次元転移魔法を構築していく。正三角形のベルカ式魔法陣が輝き、薄暗くなってきた森の中を光で満たす。

 

―――― カートリッジ・フルロード ――――

 

 セレスの声が響き、カートリッジが消費されさらに魔力が跳ね上がる。吹き荒れる魔力を僅かにも無駄にせず収束させていき余すことなく転移につぎ込む。

 

「インデックス」

 

 この世界で手にした新たな力を具現化させ、足りない力を補う準備をする。

 

 そして、

 

「開け、いざないの扉、ベルカの地、絆のイヤリングの元へ」

 

 この日、ハンター世界からイオリア、ミク、テト、の三人が消えた。

 

 何かと特殊性を見せた3人を捜索する者も多くいたが、結局見つからず、プロハンターの同期で友人であったというゴン=フリークス曰く、歩いては行けない遠い故郷に帰ったと言われている。

 

 彼等の伝説は多い。ザパン市で行った1日限りのライブで市民の全員を虜にしたとか、ハンター試験では4割以上の受験者の命を救ったとか、今大流行している美少女剣客浪曼譚風漫画の主人公のモデルが彼等の内の一人であるとか、犯罪集団幻影旅団を壊滅寸前に追い詰めたとか、グリードアイランドでは死神と畏れられているとか、初のクリア者であるとか、実に様々な伝説が残っている。

 

 彼等は一体どこへ消えたのか、それは長らく人々の話題から消えることはなかったという。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 一方、イオリア達はというと……

 

 

「「「……ここどこ!?」」」

 




いかがでしたか?

かなり駆け足だったような気がします。
それでも1万5千字・・・手がぁ~手がぁ~

さて、最後の方、バッテラ氏の話がやたら長かった気がします。
自分でも、なぜ最後にこの人がこんなに出てきたのかわかりません。
妄想小説のおそろしいところですね。

ハンター編は全くもって、念能力がカッコイイという作者の趣味100%(物語風)で書きました。
設定やら解釈やら好き勝手やりましたのでイラッと来た方も多いかもしれません。
しかし、敢えて言おう。作者は楽しかった!
念能力考えたり・・・クリア報酬考えたり・・・メイドパンダ欲しい・・・

まぁ、あとでその辺の設定とか無駄になったりならなかったり・・・

次回は、またまた別の世界にトリップします。


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魔法先生ネギま編
第17話 そうです、私がエヴァです


ネギま編開始。




 イオリア達は現在、巨大な遺跡と思わしき場所にいた。

 

 そこは球状の巨大な空間で、壁には所狭しと樹の根が張り付き薄ぼんやりと発光している。その中央に魔法陣の書かれた円状の儀式台のような場所があり、そこから四方に向かって回廊が伸びている。魔法陣の直上には巨大な光球も浮いている。

 

 そんな神秘的な場所、まさに魔法陣の中央にイオリア達は座り込んでいた。

 

「「「ここどこ?」」」

 

 三人の声が重なる。

 

「取り敢えず、ミク、テトも無事か?」

「はい、大丈夫です。マスターも……大丈夫そうですね」

「ボクも平気。大気成分は正常だね。……遺跡っぽいし、マスターの生存に危険はなさそう」

 

 互いの安否を確認し、どうやらイオリアにとっても問題ない世界のようなので一先ず安堵の吐息を漏らす。次に三人は、現状の把握に努めた。

 

「ここ、なんだろな?えらい立派な……祭壇?みたいな場所だし……上のあれは魔法っぽいし……ていうか引っ張られたよな?」

「うん。転移中に有り得ないくらい大きな魔力に引っ張られたよ。」

「しかも、唯でさえカードの御蔭で転移が阻害されているところでしたから、抵抗もできませんでしたし……」

「ああ、まさか“挫折の弓”も“同行”も役に立たないどころか邪魔になるとはな……」

 

 イオリア達は次元転移を行使し順調に次元の壁は突破した。予定通り途中で“挫折の弓”と“同行”をゲインしたのだが、ここで問題が起きた。

 

 両カードは発動したのだが、ベルカに向かうどころか元のハンター世界に戻ろうとしたのだ。そのせいで、転移魔法と反発し多大な魔力を消費することになった。

 

 これはヤバイと、一番近い次元世界に転移しようとした直後、絶大な魔力を感知しそれに引っ張られるように転移先が決定してしまったのだ。

 

「おそらく、この場所が関係してるんだろうな……だが」

「はい、いまでもそこそこ魔力は満ちてますけど、さっきとは比べ物にならないくらい小さいです」

「さっきの魔力なら一発で戻れたくらいだからね。……どうするマスター?直ぐに転移する?」

 

 イオリアは、徐々に小さくなっていく周囲の魔力を感じ、どうするか逡巡したが焦ってもいいことはないと判断し首を振った。

 

「いや、この場所を調べてみよう。もしかしたらさっきの魔力を出す仕掛けがあるかもしれない。」

 

 イオリアの言葉にミクとテトは頷く。三人は立ち上がり、四つある回廊のどれに進もうかと思案した。サーチャーを飛ばして調べようとしたところ、ミクとテトの両者から何かくると報告がされる。

 

 イオリアも聞こえていたので、一つの回廊の暗がりに警戒する。次第に、地響きが響き始めた。ズシン、ズシンと巨体が歩行しているような音だ。

 

 三人は顔を見合わせ、タラーと冷や汗を流す。そして現れたのは、

 

「GAAAAAAAAAAAAッ!!!」

 

 ドラゴンだった。どこからどう見てもドラゴンだった。長い首、発達した全身の筋肉と巨大な爪牙。大きな翼を羽ばたかせ、極太の尾が地を打つ。黄金の眼が殺意に満ちて、小さな侵入者を睥睨している。

 

「「「……」」」

 

 三人は無言だ。だが、顔には乾いた笑みが張り付き、内心はツッコミの嵐だった。

 

(なに、なんなのあれ!? ドラゴンいますよ!? ちくしょう! ちょっとカッコイイじゃねぇか! アルザスとかにはいるらしいけど、初めて見たよ、俺!)

(やっぱり、スムーズにはいかないんですね、わかります! だって、マスターだもの! こんな如何にもな場所で何も起こらなかったら、そんなのマスターじゃありませんもの!)

(はは、やっぱりこうなるよね?わかってたよ? 前もいきなり幻影旅団だったもんね? なら、いきなりドラゴンでも普通だよね? あっ、火吹いた!)

 

 硬直しているイオリア達に、ドラゴンはグッと胸を反らし始めた。

 

 イオリア達は条件反射的にプロテクションを張る。

 

 直後、ドラゴンの口から灼熱のブレスが吐き出された。炎の壁と表現した方がいい程の豪炎がイオリア達を襲う。イオリア達は炎に飲まれ見えなくなった。

 

 ドラゴンは勝利を確信したのか、グルルと唸り追撃にでない。しかし、それが間違いだった。

 

「レストリクトロック」

「ディバインバスター」

 

 未だ渦巻く炎の中からイオリアの捕縛系魔法が発動される。

 

――捕縛系魔法 レストリクトロック

 

 上位の収束系捕縛魔法だ。対象を指定空間に固定する。

 

 ドラゴンの足に濃紺色に光るリングが現れその場に固定した。

 

 直後、テトの砲撃魔法が発動した。

 

――砲撃魔法 ディバインバスター

 

 魔力を砲撃として打ち出すシンプルな魔法である。

 

 周囲の炎を吹き飛ばし、今度はドラゴンに紅色の壁が迫る。ドラゴンは回避しようとするが捕縛魔法に捕まり直ぐには動けない。為す術なく直撃を食らった。一応、非殺傷設定である。侵入者の身としては、おそらくガーディアンであろうドラゴンを殺すのは何とも気が咎めたのだ。

 

 ドラゴンは流石の耐久力で、フラつくもののしっかりと耐えて見せた。

 

 だが、その隙に高速機動で接近したミクが無月で四度切りつける。いかついドラゴンに可愛いくデフォルトされたネギマークが二箇所刻印される。ある意味悲劇だとイオリアは思った。

 

 油断せず、今度は全員でバインドを掛けた。暴れるドラゴンだが、バインドを破壊する度にすかさず新たなバインドと砲撃が叩き込まれフルボッコにされる。

 

 たっぷり15分以上は暴れたが、やがて力尽きたのかそのまま崩れ落ちた。ミクの念能力【垂れ流しの生命】だ。今回は二箇所切ったので、体力と魔力の両方が流出することになった。非殺傷設定で魔力を削っていたにもかかわらず、15分も耐えたのは流石ドラゴンという他ない。

 

「はぁ~、何とかなったか。やっぱタフだな。ガーディアン殺して遺跡崩壊みたいなお約束イベントは回避出来たと信じたい」

「マスター、それフラグですか?」

「崩壊はしなくても、何か起こりそうだね」

「……」

 

 

 イオリアは大丈夫だよな?と若干不安そうな表情をするが、気を取り直してドラゴンがやって来た回廊を選び進むことにした。また、ドラゴンが出てこないとも限らないので、警戒しながら進む。

 

 長い回廊を進んでいくと再び音を感知した。今度は人間である。複数の人間が此方に向かって走ってきているようだ。何となく嫌な予感を感じつつも、事情を説明して情報収集をしたいイオリアは、ミクとテトに穏便に行くぞ? と目で合図を送る。

 

 暫くすると、相手の姿が見えてきた。

 

「いたぞ! 侵入者だ! くそっ、守護獣は何をしてるんだ!」

 

 5人ほどの男が、イオリア達を見つけるなり大声を上げながら悪態をつく。そして、何やらブツブツと呟きだした。イオリアは戦闘を回避すべく弁明しようと口を開く。

 

「すみません、俺達は……」

 

 しかし、イオリアの言葉が最後まで言われることはなかった。呟いていた男達から一斉に光の矢が放たれたからだ。

 

 

「っつ!?」

 

 イオリアは咄嗟にプロテクションを張る。ミクやテトも重ねるように障壁を張った。未知の魔法攻撃である。警戒し過ぎるということはないだろう。

 

 色とりどりの矢がイオリア達のプロテクションに直撃したが、ヒビ一つ入ることなく防ぎ切ったようだ。

 

「くっ、やはり魔法使いか! 私達が時間を稼ぐ。その間に詠唱を!」

「ちょ、待ってください! 俺た……」

「だまれ! 賊風情が、どうやってこんな深部まで侵入したのかは知らんが、世界樹に手は出させん! “光の精霊11柱、集い来りて敵を射て、魔法の射手、連弾、光の11矢!”」

 

 聞き覚えのある単語が出てきて思わず聞き返そうとしたイオリアだが、さらに聞き覚えのある詠唱と共に聞き返す暇もなく再び光の矢が飛んできた。他の者達も火の矢やら氷の矢やらを飛ばしてくる。最後尾の一人はやたら仰々しい詠唱を続けている。

 

「話をき――」

「ものみな焼き尽くす浄化の炎、破壊の王にして再生の微よ、我が手に宿りて敵を喰らえ、紅きほ……」

「聞けっつってんだろぉ!!」

 

 必死の呼びかけを尽く無視されたイオリアは、さっきから聞き覚えのある詠唱を何度も聞き、軽く混乱していたので、ついイラッときてしまい、一瞬でセレスをバリトンサックスに変えると息を吹き込んだ。

 

 爆音が鳴り響き、単純な音の衝撃波が男達を問答無用で吹き飛ばした。ゴロゴロと地面を転がりピクリともせず倒れ伏す男達。辺りを静寂が包む。

 

「……どうして現場に血が流れるんだ……」

「いや、そんなどこぞの刑事さんじゃないんだから、上司のせいじゃないからね?マスターのせいだからね?」

「だ、大丈夫です! 血は出てませんよ! まだ、話をするチャンスは……」

 

「おい、お前等大丈夫か!? くそ、早く応援を呼べ、先陣がやられた! 相手は相当の手練だぞ……」

 

 アホなことを言って軽く現実逃避をしていたイオリア。テトがツッコミ、ミクがフォローするが、それも虚しくさらに5人が駆けつけ、佇むイオリア達と倒れ伏す仲間を見る。

 

 戦慄の表情を浮かべながら、さらに応援を呼ぶ彼等に、ミクとテトが「あ~あ」という呆れを含んだ視線を向ける。イオリアもやってしまったという表情だ。

 

 そうこうしている間に続々と人が集まってくる。

 

「マスター、もう無理だと思いますよ? 大人しく投降するか、全滅でもさせないと……」

「どうするの、マスター? ボクとしては強行突破をオススメするけど。」

 

 最初の5人が結構な戦力だったからか、距離を取り包囲を優先している男達を見ながら少し考える様子を見せたイオリアは決断した。

 

「はぁ~、何だかもうな~、はぁ……ミク、テト。突破するぞ。ヤツ等、殺気が半端じゃない。この時期にこの場所にいるのは相当ヤバイんだろう。ほとぼり冷めるまで逃げる方がいいと思う。あまり、二人を調べられるのも困るしな……」

 

 そう言って、再びサックスを構えるイオリア。ミクとテトも構える。

 

「一人も殺すなよ?侵入者は俺達の方だ」

「わかってますよ~」

「もちろんだよ」

 

 戦闘態勢をとったイオリア達に、警戒し身構える一同。既に詠唱を開始している。おそらく強力な上位の呪文でも唱えているのだろう。

 

 だが、無駄だ。イオリアの攻撃は初見殺しなのだから。

 

 イオリアは息を吸い込むと、勢いよくサックスに吹き込んだ。先程からさらに集まり10人以上が集まっている。その全てを一撃で戦闘不能にする。爆音が強かに全身を強打し、全員が吹き飛んだ。

 

 イオリア達は【円】を展開しつつ、サーチャーを飛ばして道を確認しながら回廊を駆け抜けていく。

 

 道中、駆けつける途中だった増援はミクとテトが高速機動で認識する間もないまま昏倒させていき、やがて螺旋階段にたどり着いた。

 

 イオリア達は飛行魔法を起動し一気に上層へいく。ざっと30階分くらい上昇すると、遂に外へと出ることができた。

 

 イオリア達は、【オプティックハイド】と【絶】を使い姿と気配を殺しながらそのまま上空に上がる。周囲の地理を把握するためだ。

 

 上空に上がったイオリア達の目に映ったのは、中世のヨーロッパの様な街並みでお祭りでもしているのか溢れんばかりの人達が騒いでいる光景だった。

 

 イオリアは既に、ここがどんな世界か察していたが、大きな凱旋門かと思うような門に取り付けられた看板や、そこかしこの建物に取り付けられた垂れ幕にデカデカと「第57回、麻帆良祭」と書かれているのを見て片手を額にやりながら天を仰いだ。

 

「ハンターの次は、ネギまかよ……一体、俺の人生はどうなってるんだ? 俺に一体どうしろと?」

「笑えばいいと思いますよ?」

 

 

 実際、乾いた笑いしか出てこないイオリア。しばらく呆然と街並みを見ていると明らかに堅気の人間でない雰囲気の人達がそこかしこに集まりだしていた。麻帆良の魔法使い達だろう。【オプティックハイド】と【絶】のコンボ効果はやはり絶大なようで、今のところ誰もイオリア達には気がついていない。

 

 しかし、絶対とは言えないだろう。この世界は、イオリアが知っている世界の中でも1,2を争うほど何でもありな世界なのだ。

 

 とにかく、当初の予定通りほとぼりが冷めるまで麻帆良を離れることにした。学園長の近衛近右衛門なら話を聞いてくれる可能性はあるが、あくまで可能性だ。ここは漫画の世界ではなく現実なのだから下手な先入観は持つべきではない。

 

 イオリア達は麻帆良側に探知される前に、一度麻帆良を出た。

 

 イオリア達は、麻帆良の結界の外で、顔を付き合わせて今後の相談をしていた。

 

「さて、まず最初に気になった点があるんだが……麻帆良の雰囲気がおかしい」

「はい、マスターの知識と比べると、何というか全体的にレトロです」

「うん、麻帆良際って原作では第78回だよね。それが2003年の麻帆良祭だよ。ということは……」

「あの看板を信じるなら……原作の21年前か。原作では22年周期の世界樹の大発光が異常気象で1年早まったって言ってたから、俺達が感知したあの膨大な魔力は世界樹の大発光だったわけだ。さて、どうするかな……」

 

 麻帆良際の看板には「第57回」とあってのでまず間違いないだろう。イオリアはどうしたものかと考える。そんなイオリアにテトが選択肢を並べた。

 

「帰還を前提にするなら、1、魔力が回復次第すぐ次元転移する。2、1年後の世界樹発光を待って転移する。3、21年後の大発光を待って転移する。1は当初のプランだね。2は1より断然遠距離の次元世界まで転移できるよ。3なら一発でベルカまで跳べる」

「距離に比例して待ち時間が長くなるのな。う~ん」

 

 顎の下に手を這わせながら考え込むイオリア。ミクとテトは静かに見守る。

 

「うん、1年待とう。21年も待つのは論外だが、詳細不明の世界に転移する危険はできるだけ少ないほうがいい。1年後の世界樹発光に合わせて距離を稼ごう」

「了解です!」

「OK、でもマスター。1年どうするの?」

 

 イオリアの決断に元気よく返事をするミク。テトは了解しつつ、今後の方針を尋ねた。

 

「それなんだが、せっかく“ネギま”の世界に来たんだから、この世界の魔法を学ぼうと思うんだ。次元を渡るような魔法はないが、空間を渡る魔法はあっただろ? この世界、わりかし何でもありな世界だから、帰還に役立ちそうな魔法を修得するなり作るなりできるんじゃないか?」

「「……」」

 

 この世界の魔法を帰還に役立てようというイオリアの提案に、いつもなら快諾の返事が元気よく響くはずなのに、なぜか沈黙で返すミクとテト。

 

 イオリアは若干動揺しながら何か不味かったか? と頭を捻る。

 

「え、えっと。どうした?」

「いえ、いいと思いますよ。ただ……」

「何かデジャヴだなぁ~と思っただけだよ」

「……大丈夫だろ?たぶん……きっと……大丈夫だよな?」

 

 ハンター世界での方針とさほど変わらない提案に既視感を感じ嫌な予感が胸中を満たし始める。尻すぼみに小さくなるイオリアの言葉。

 

 そんなイオリアに、ミクとテトは優しげな笑顔を向け大丈夫!と励ますように肩に手を置いた。

 

「絶対何かありますよ、マスター!」

「絶対何かあるよ、マスター」

「お前等、励ます気ないだろ! フラグ立ったらどうすんだ……言葉は言霊だぞ? 特にこの世界では……」

 

 全く励ましになっていないどころか、不安を煽るミクとテト。数ヵ月後、既にフラグ立ってたんだなぁ~と実感する自分を、イオリアはまだ知らない。

 

「でも、マスター。魔法を学ぶってことは麻帆良に戻りますか?」

「いや、それは難しいだろ? 正当防衛気味で殺していないとは言え、敵対行動とった相手に快く修行つけてくれる人がそうそういるとは思えない。近衛右衛門に会えば上手く執り成してくれる可能性もあるが……少なくとも色々対価は要求されるだろう。夜の警備くらいなら構わないが、魔導や念を要求されるのはマズイ気がする。この世界にどんな影響を与えるか……」

「じゃあ、どうするの?」

「ああ、魔法世界に行けないかと考えてる。ほら、あったろ? アリアドネーとかいう来るもの拒まず詮索せずみたいな寛容すぎる学術都市国家が。あそこなら色々都合がいいと思うんだ」

 

 

 イオリアの言葉に「なるほど」と頷くミクとテト。

 

 しかし、二人は気づいていた。イオリアの表情がどこかワクワクしていることを。先程もドラゴンの登場に混乱しながらも興奮していた様だし、おそらく魔法世界の生物や街に好奇心を刺激されているのだろう。

 

 頑張って理由付けをしているが、半分以上は単に魔法世界が見たいだけ。イオリアも男の子なのだ。精神年齢は……いや止めておこう。

 

「というわけで、イギリスのゲートに向かおうと思う。」

「? 普通に転移魔法で行かないの?」

「それでも行けると思うが、ゲートを見ておきたい。魔法世界は人工の異界だろ?万一、転移に影響して変なとこに飛ばされたらかなわん。ゲート自体は手続き要るだろうから使わないが、解析すれば正確な座標はわかるだろ。そしたら、自力で転移しよう」

 

 どうやら要所々々で意図しないところへ跳ばされことで、転移魔法に警戒心が芽生えたらしい。イオリアの慎重な判断に特に異論を挟むこともなく一行はイギリスへ転移した。

 

 イギリスへ転移したのはいいものの、ゲートの詳しい場所まではわからない。イギリスのウェールズにあるということは知っているので、イオリア達は西から東に掛けてしらみつぶしに探索を行うことにした。

 

 広域探査魔法とサーチャーを無数に飛ばしながらウェールズ地方を周遊する。旅行資金は、いつもの通り路上ライブで確保だ。

 

 各街で「彼等は誰だ!」「歌姫が降臨した!」など噂が広がり、ウェールズ地方に無自覚に爪痕を残していくイオリア達。

 

 ゆるゆると探索という名の旅行を始めて10日ほどたった頃、サーチャーが多数の人間が争っている場面を捉えた。ただ、争っているだけなら早々問題にはしないのだが、彼らが魔法を使って殺し合いをしているとあっては気にしないわけにはいかない。

 

 しかも、どうやら複数の人間が一人の女性を囲っているようだ。これはマズイとイオリア達は転移魔法を行使する。

 

 この時、襲われている側と襲っている側の表情や女性をよく見ていれば助けが必要か否かわかっただろう。そうすれば、また違う運命があったかもしれない。しかし、イオリア達は駆けつけた。彼女の下に。未来の家族の下に。

 

 転移が完了し、現場に到着したイオリア達が見たのは地に倒れ伏す男達と、それを傲然と見下す金髪の美しい女性だった。切れ長の瞳は海を思わせる。まさに金髪碧眼の美女である。

 

 その彼女の瞳がイオリア達を捉える。その瞳には困惑と微妙な好奇心が混じっていた。

 

 それに合わせて、他の者達もイオリアに気づく。どうやら余裕がなくてイオリア達の転移に気づかなかったらしい。この状況になって初めて、イオリア達は自分達が無用の心配をしていたと気がついた。

 

 イオリアは要らぬ争いに首を突っ込んだかと後悔し、未だ誰もアクションを起こさないので、

 

「すいません、間違えました」

 

 と言って再び転移魔法を行使しようとミクとテトに目で合図を送る。そんな、イオリアに「え?いいの?」と視線を返す二人。イオリアはそんな二人に小声で話す。

 

(いや、どう考えても空気読めてないの俺達だろ?見ろよ、あの人。囲まれてるのにめっちゃ余裕そう……どころか何かスゲー偉そうなんだけど……ほら、目が語ってる。このムシケラが! みたいな。関わっちゃダメなタイプの人だって)

 

(まぁ、確かに、状況的に襲った側が返り討ちにあったって感じだし……ね。それにしても何かすごく見てるよ、あの人。ちょっと怖いね。目つきがしつこそうな感じだよ)

 

(あの人、美人ですもんね~つい我慢できず襲ってお仕置きを受けたと……うん、帰りましょう。性犯罪者に人権はありません。あと、マスターの言う通り何だか面倒な予感がします。ていうか、あの女性の肩に乗ってる人形……ナイフぷらぷらさせながらこっち見てませんか? リアルチャッキーとか怖すぎるんですけど……)

 

 三人は、ヒソヒソと話しながら転移魔法を発動する。足元にベルカ式の正三角形の魔法陣が現れ、イオリア達を光で包む。そして、いざ転移! といったところで、

 

「ちょっと待て、貴様ら! いきなり現れて、好き勝手言いおって! さっきから聞こえておるわ! ていうか何だその魔法陣は!? この私が知らない魔法など……ってこら! させるか!」

 

 そう叫びながら無詠唱で魔法の矢が飛んでくる。三人は咄嗟に飛び退き回避する。そのせいで転移魔法が中断されてしまった。

 

「いや、いきなり何するんだ。危ないだろ? とにかく、もう邪魔はしないんで後はお好きに……」

 

 再びこの場を離脱しようとするイオリア達に、今度は男達の方が声を掛ける。

 

「君達、本国の増援か!? 助かる。この化物を抑えるの手伝ってくれ!」

 

 何をどうしたらそんな勘違いができるのか不明だが、当然手を貸す気などない。増援ではないし、女性を化物呼ばわりもいい気がしない。

 

 しかし、必死な彼らをほっとけないのがイオリアがイオリアたる所以だ。そのため、頭をカリカリと掻きながら、まず事情を聞いてみることにした。

 

 若干黒くなっているミクから不満そうな目を向けられるが我慢だ。ミクから見るとあの男達は、どこかの変態ピエロと同じ扱いらしい。それにしては彼等の表情は必死すぎると思うが。

 

 イオリアが、口を開きかけた直後、女性の声が割り込む。

 

「ほぉ、貴様ら増援か。さしずめ、さっきの魔法は、私を殺す新魔法といったところか?面白い。ちょうど退屈していたところだ。全員まとめて返り討ちにしてやろう! この、闇の福音がな!」

 

 重なる勘違い。イオリアは慌てて正そうとするが、直後、女性の最後の言葉に気がつき硬直する。だが、その隙が命取りだ。さらに、勘違いは加速していく。

 

「新魔法だと!? 本国はそんなものを開発していたのか! みんな、これなら勝てるぞ!今日こそ、俺達正義の魔法使いが真祖の吸血鬼を討伐するんだ!」

「「「おおー!」」」

「フハハハハ! できるものならやってみろ! チャチャゼロ、お前は、あの雑魚どもの相手をしてやれ! 私は新魔法とやらに興味がある。アイツ等は私の獲物だ!」

「御主人、少シハ残シテオイテクレヨ!」

 

 盛り上がる一同。イオリアは現実逃避するように遠くの空を見上げるが、次から次へと聞き覚えのある単語が双方から飛び出し乾いた笑い声を出し始めた。

 

 “闇の福音” “真祖の吸血鬼” “チャチャゼロ”

 

 ここまで来ればもう認めざるを得ない。目の前で高笑いしている女性は、あの“エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル”であると。エヴァンジェリンは小さな女の子という先入観があったので大人の姿では気がつかなかったのだ。幻術で大人になっているのだろう。イオリアは心中で愚痴る。

 

(なんで、この人こんなとこにいるんだよ。いや、この時期のことは知らないから何処にいてもおかしくはないんだけどさ。何もバッタリ出くわさなくてもいいでしょ? ホント、毎回毎回、初っ端に出会う人が大物すぎる。やっぱり、不幸体質は治っていても奇運体質にはなっている気がする。アランさん、魂への干渉で何かミスったんじゃないだろうな? だいたい……)

 

 そんなイオリアの心中を察してかミクとテトが同情の目を向ける。しかし、その様子が気に入らないのがエヴァだ。

 

「貴様ら……いい度胸だな。この私を前にして無視か? よほど、新魔法とやらに自信があるらしいな。ならそれを出す前に少々痛い目にあってもらおうか?」

 

 剣呑な目でイオリア達を睨み、エヴァは無詠唱で氷の矢を200発近く放った。イオリア達に殺到する氷の矢は逃げ道を塞ぐように誘導されながら迫る。

 

「オーパルプロテクション」

 

 イオリア達がいる場所を半球状の障壁が覆い氷の矢を全て食い止める。それを「ほぅ」と興味深そうに観察するエヴァ。イオリアは今度こそ誤解を解こうと口を開く。

 

「待ってくれ、誤解だ。俺達は増援とやらじゃないし、あなたと争うつもりもない。そちらの事情は大体察したし、俺達はもう行くから見逃してくれ」

 

 イオリアのその言葉に、少し驚いたような表情をみせるエヴァ。

 

 イオリアとしては、彼等が問答無用でエヴァを殺そうとしていることも、エヴァが返り討ちでしか相手を殺さないうえ、女子供は殺さない主義であることを知っているので、戦いに介入するつもりは失せていた。

 

「では、貴様ら一体何しに来たんだ?」

 

 自分を討伐しに来たと思っていたエヴェは当然の疑問をぶつける。

 

「いや、探査魔法に集団で襲われている人を感知したから助けに来たんだが……必要ないようだしな」

 

「ほぅ、私を助けに来たわけか? くっくっく、ではさぞかし残念だったろうな? 正義の魔法使いよろしく颯爽と助けに来たのに、その相手が化物だったのだからな。だが、いいのか? わざわざ未知の魔法を使ってまで見ず知らずの人間を助けに来るような正義の魔法使いが、目の前の化物を見逃して。うん?」

 

 面白がるような試すような口調でイオリアを挑発するエヴァ。それにイオリアはいささか鬱陶しそうな表情をする。

 

「俺達、正義の魔法使いじゃないから。俺には俺の基準があるんだ。今回は、俺の出る幕なんてない。ミク、テト、行くぞ」

 

 全く相手にせず、去ろうとするイオリアにエヴァが若干焦ったように話しかける。

 

「お、おい! まさか、本当に帰る気か? あっちで、同胞が戦っているのだぞ! ていうか何を平然としている、お前達の目の前にいるのは正真正銘の化物だぞ!」

 

 真祖の吸血鬼を前にして、平然と、それどころから面倒くさそうに立ち去ろうとするイオリア達に、“相手にされていない”感を感じて若干動揺するエヴェ。

 

 彼女を前にした人間は2種類だ。ひどく怯えるか強い敵愾心あるいは憎悪を向けるか。なので、このまま返すのは何となくエヴァの矜持的に面白くないのだ。

 

「……そりゃ人が死ぬのを見るのは最悪だよ。でも、彼等は自分の意志であなたに殺意を向けたんだろ?ならその対価を払うのも……当然だ。あと、別にあなたを化物とは思えないから戦う理由もない」

「な、何だと……」

 

 

 イオリアの言い分に前半は納得するものの、後半には思わず言葉が詰まったエヴァ。自分を真祖の吸血鬼と知って化け物と思えないなどと一体何を言っているのか理解に苦しむ。

 

 イオリアは早くこの場を離脱して、主要人物との関わりを最小限にしたかった。エヴェンジェリンは重要人物だ。この出会いが悪く働いても1年後にこの世界を去るイオリア達には何もできない。従って、印象に残る前に別れたかったのだ。

 

「ふふ、マスター、そんなこと言って、助けを求められたら結局助けちゃいますよね~」

「い、いや、そんなことは……」

「あるよね。まぁ、割り切って切り捨てちゃう人より、ダメだと分かっていても足掻いちゃう人の方がボクは好きだけどね。」

「……す、好きとか言うな」

 

 エヴァンジェリンが困惑していると、何故か微妙にイチャ付き始めるイオリア達。思わずイラッときたエヴァはさらに食ってかかる。

 

「貴様ら、どこまでも舐めおって……私が化物か否かその身に教えてやろうか? ……貴様らの魔法を教えるなら見逃してやってもいいが?」

 

 頬をピクピクとさせながら殺気を叩きつけるエヴァに、ようやく視線を向けるイオリア達。

 

 しかし、その顔にはやはり恐怖も敵意もない。むしろ、困ったなぁ~と街中でしつこいナンパにでも絡まれたかのような反応だ。イオリア達も全く知らない相手にここまで強烈な殺気を向けられれば臨戦態勢になるだろうが、漫画知識とはいえエヴァを知っていることから緊張感が湧かない。

 

 だが、そんな事情を知らないエヴァは、イオリア達の態度にますます苛立ちを募らせる。

 

「あの、エヴァンジェリンさん?マスターには、化物に対する明確な定義があるんです。だから、エヴァンジェリンさんのことを侮っているわけではないんです」

「化物の定義だと?」

 

 弁解するようなミクの言葉にエヴァは訝しげな表情をする。

 

「マスターにとっては、奪ったり殺すことに快楽を見い出して実行する存在が化物です。エヴァンジェリンさんは女子供は殺さないと聞きますし、基本的に襲ってくる者しか殺さないとも聞きます。だから、マスターにとって、あなたは化物ではないんです」

 

「吸血鬼か否かなんて種族の違いは判断基準じゃないんだよ。マスターにとってはエヴァンジェリンさんも唯の強い女性ってこと。だから、そんなに怒らないで?」

 

 ミクとテトに足らない言葉を補われ、若干恥ずかしそうなイオリアはそっぽを向く。

 

 一方、エヴァは困惑が混乱に変わりそうだった。自分の正体を知った上で、女扱いされたことなど未だかつて皆無である。戸惑いどう返せばいいのか分からず、視線をさまよわせる。

 

 そんなエヴァの肩にトサッと何かが乗る。

 

「ぬわっ!」

 

 思わず奇声を上げるエヴェに呆れた視線を向ける従者チャチャゼロ。

 

「オワッタゼ、御主人。デ? 何ヲ遊ンデルンダ?」

「い、いや、遊んでなど……お、おい、その、あ、あれだ。お前達の魔法……」

 

 チャチャゼロの呆れた視線に思わず詰まりながら、取り繕うように当初の目的を思い出す。どうしても、魔法には興味のあるエヴァ。

 

 しかし、その言葉は途中で止まる。イオリアの視線がエヴァを通り越してその先を見ていたからだ。エヴァは振り返り何を見ているのか確認する。そして、それが襲撃してきた人間と知ると嘲笑するように口元を歪めた。

 

「ふん、結局、同胞の死がお気に召さないか?あれをやったのは私だぞ? チャチャゼロは私の従者だからな」

 

 イオリアは溜息をつくと頭を降る。

 

「さっきの言葉に偽りはない。俺も戦争を経験してる。何百人も殺してきた。殺し合いの勝者にとやかく言うつもりなんてないさ。ただ……死ねばみんな一緒だからな……ミク、テト」

「了解です」

「まかせて」

 

 イオリアの呼びかけに頷き、死体の元へ行くミクとテト。二人は死体を前に魔法を行使した。

 

「「フリジットダガー」」

 

――フリジットダガー

 

 ブラッディーダガーに凍結効果を付した魔法だ。当然非殺傷設定なので死体を損壊させたりはしない。

 

 フリジットダガーが当たると死体は次々と凍り始めた。これで、誰かが発見し遺族の元に届くまで腐ったりはしないだろう。こうすることが正しいかはイオリアにも分からないが、家族は遺体だけでも戻って欲しいと思うものだと経験から知っていたので実行したのだ。

 

「……ふん。偽善だな」

 

 不貞腐れるような表情で切って捨てるエヴァに、イオリアは肩をすくめるだけで何も言わない。そして、そのまま準備しておいた転移魔法を起動した。ミクとテトも同時に起動する。

 

「あ、貴様ら! 待てっ!」

 

 その言葉をさらりと流し、イオリア達は念話で話し合っておいた合流地点に転移した。

 

 

 

 

 

 

「ふぅ~、まさかエヴェンジェリンに出くわすとはな。めっちゃ迫力あった」

「でも、すごい美人でしたね」

「子供バージョンも見て見たかったな~」

 

 そんなことを言いながら上手く逃げ出せたことに気が抜けるイオリア。三人は、ゲートの場所を探すべく再び街を周遊する。

 

 そして、エヴァとの邂逅からさらに10日後、遂にゲートの場所を突き止めた。

 

 イオリア達は、近くの街で宿を取りゲート起動の機会を伺う。転送先を追跡するのだ。ミクとテトなら十分可能である。

 

 そんなわけで、ゲートは1週間に一度か月に1度しか開かないので、それまで街でのんびりする。といっても念や体術なんかの修行は怠らない。街の周辺は自然豊かで空気がよく修行にも身が入った。

 

 この街へ来て6日目。そろそろゲートが開いてもおかしくないかなと思いながら、イオリアは一人で街をフラフラ歩いていた。ミクとテトは宿の女将さんに気に入られて郷土料理を教わっている。二人共、実は結構な料理好きで暇があればレパートリーを増やしているのだ。

 

 イオリアがボーとしていると、突然、イオリアの背後で誰かが大声を上げた。

 

「あー! 貴様! ようやく見つけたぞ! ゲートに来ると思ってずっと隠れ……待ってたのに、何をこんなところで彷徨いているんだ!」

 

 若い綺麗な女性の声だ。だが、イオリアはその声にものすごく聞き覚えがあり盛大に頬を引きつらせた。そして、何事もなかったかのようにスタスタと歩き始めた。

 

「あっ、こらっ、待て! なに知らないフリをしている! こっちを向かんか!」

 

 そう言って、イオリアに追いつき肩をガシッと掴むエヴァ。万力のような力で掴むので肩が壊れそうだと思ったイオリアは咄嗟に【堅】をする。そして、渋々振り返った。

 

 イオリアの【堅】に「おっ」という顔をするエヴァが其処にいた。だが、次の瞬間には般若のごとき表情でイオリアに詰め寄る。

 

 「貴様、ずっと待っていたんだぞ! あの時、急に居なくなりおって! 街でお前達の噂を聞いてゲートに来ると辺りをつけて……なのに全然来ないし……おのれ、どこまでもコケにしおって……」

 

 街の大通りでそんなことを叫ぶエヴァ。イオリアは何とか弁解しようと口を開きかけるが、その前に周りからとんでもないヒソヒソ話が聞こえて思わず沈黙する。

 

「おい、聞いたか?あんな美人、ずっと待たせた挙句、いなくなったらしいぞ?」

「マジかよ、あの美人をポイ捨てしたのか、あの男!? チクショウ、勝ち組はどこまで行っても勝ち組なのか?」

「うわー最低ね、あの男」

「ていうか、あの男、しばらく前から宿屋に泊まってなかった? 確か、可愛い女の子二人と……」

「うそっ、あの人捨てたあげく、二股!? ヤバイじゃない! 目があったら妊娠させられるわよ!」

 

 イオリアは戦慄した。このままでは自分は最低の女ったらしにされてしまう! ゲートが開くまでは滞在しなければならないのに、街中の人から白い目で見られてしまう! イオリアは慌てて叫び返す。

 

「マクダウェルさん、お久しぶりです! ウチのミクとテトの御用なんですね! 二人も会いたがってましたよ! 二人も前回のことには残念がってました! すぐ、案内しますよ。二人のとこへ!」

 

 取り敢えずエヴァの相手は自分ではなくミクとテトということを強調するイオリア。誤魔化されてくださいと祈りながら、エヴァの手を掴み早足で引っ張っていく。

 

「あ、ちょ、おま、そんないきなり何を……て、こら、離さんか!」

 

 エヴァにも周囲の声が聞こえていたのか、自分達がどう思われているのか察したらしく若干、頬が赤く染まっている。その上で、いきなりイオリアに手を握られて連れて行かれたので、動揺して振り払えない。二人はそのまま街の外の森に向かった。

 

 森の中、イオリアとエヴァの二人が向かい合う。エヴァはイオリアを睨みつけ、イオリアは勘弁してください!と言いたげにエヴァを見返す。

 

「まったく、何てことしてくれるんだ。ゲートがいつ開くかわからないのに街にいられなくなるだろうが」

「ふん、私には関係ないな。話しの途中で逃げ出すお前達が悪い」

 

 馬鹿にしたように笑うエヴァ。イオリアはジト目で返す。

 

「お前はポイ捨てされた女と認識されたけどな……」

「なっ、き、貴様~」

「ケケケ」

 

 

 顔を真っ赤にして今にも飛びかかりそうなエヴァ。それを楽しそうに傍観するチャチャゼロ。「はぁ~」と溜息をついてイオリアが話しかける。

 

「で、追って来たのは、俺達の魔法が知りたいってことでいいのか?」

「ああ、そう……」

「イヤ、単純ニオ前等トモット話テミタカッタンダヨ、御主人ハナ、ケケケ」

「チャチャゼロ!?」

 

 イオリアは頭を抱えた。エヴァの興味は魔導ではなくイオリア達自身に向いている。これでは、魔導を教えてさよならはできない。どうしたものかと悩むイオリアにエヴァが弁解する。

 

 

「おい、勘違いするなよ? 私は、お前達に興味などない。さっさとお前達の魔法を教えろ」

「別に教えてもいいが、そうしたらもう追ってこないか?」

 

 

 イオリアの言葉にむっと唸りそっぽを向くエヴァ。別に魔導を教えるのはいいのだ。他言無用といえばエヴァは約束を守るだろうし、そもそも魔導はむしろ科学である。術の構築式と演算能力が物を言うのだ。故に大抵の魔導はデバイスの補助が必要だ。

 

 したがって、エヴァ一人くらいに魔導を教えるのは大して問題にはならない。しかし、どうやら、教えようが教えまいがまた追ってきそうだ。

 

 イオリアは、ここに来る道中に通しておいた念話でミクとテトに相談する。

 

(ということだが、どうしよう?)

 

(ありゃ、やっぱり化物扱いしなかったのが琴線に触れちゃったんですかね?其の辺もっと割り切った人かと思っていたんですが……)

 

(あるいは、マスターがナギポジションだったりしてね?)

 

 テトの冗談めかした言葉に、内心苦笑いしながら否定するイオリア。

 

(まさか、それはない。俺達(・・)に会いに来たって言ってるんだし、ナギみたいに助けたわけでもないんだから。純粋に話し相手として興味があるだけだろう。しかし、このまま同行されると、やっぱマズイよな~)

 

(そうですか?私は大丈夫だと思いますよ。エヴァンジェリンさんが封印された年月から逆算すれば、ナギさんと出会うのは6、7年後ということになりますし、私達は1年後にいなくなるわけですから。)

 

(うん、ボクも大丈夫だと思う。二人の出会いを邪魔することはないと思うよ。それより、デバイスなしで出来る範囲の魔導を教える代わりに、魔法を教わったらどうかな?アリアドネーで学ぶのもいいけど、600年積み重ねた知識と経験にはきっと貴重な独自性があると思うよ?)

 

 イオリアはミクとテトの意見に「ふむ」と考え込む。黙り込んだイオリアにエヴァがオズオズと話しかける。その声は少し落ち込んでいるように感じるのはイオリアの気のせいではないだろう。

 

「そこまで迷惑か? ……それなら……もういい。ちょっと、お前達が珍しかったからもう少し話してみたかっただけだ。邪魔したな……」

 

 そう言って踵を返すエヴァ。その背中を見てイオリアは、エヴァンジェリン・A・K・マグダウェルの600年の孤独というものを甘く見ていたのかもしれないと思った。

 

 彼女は強い。身も心も間違いなく最強クラスだ。しかし、強い者が痛みを感じないわけでなく、寂しさや悲しさを感じないわけでもない。きっと、彼女の正体を知って、なお敵意も恐怖もなく話した人間は久しぶりだったのではないだろうか? ならば、そんな相手ともう少し話してみたいと思うのは当然だ。思わず追いかけてしまうほどに。そして、その相手から迷惑扱いされれば傷つくのもまた当然だ。

 

 イオリアは、エヴァの孤独を埋めることはできないしするつもりもないが、彼女が誰かを本気で想えるその時まで、ほんのひと時の暇つぶしに付き合うくらい許されるはずだと考えた。故に、イオリアは決断した。

 

「代わりに魔法教えてくれるか?」

「なに?」

 

 イオリアが言葉を掛けたことに驚き、振り返るエヴァ。

 

「俺達、西洋魔法を知らないんだ。んで、アリアドネーで学ぼうかと思っていてな? だが、期間が1年ほどしかない。だから優秀な先生がいるとものすごく助かる。それに、世界最強の魔法使いの話っていうのもなかなか興味深い」

 

 ツラツラと建前を述べるイオリアは、そこで一度言葉を止めると、マジマジとイオリアを見るエヴァの瞳を真っ直ぐ見返して告げる。

 

「……だから、よかったら一緒に行かないか?」

「あ……」

 

 小さな声を漏らし、言葉とともに差し出されたイオリアの手をジッと見るエヴァはやがて視線を彷徨わせてチラチラとイオリアを見る。

 

「お前、アリアドネーだと? 私は賞金首なんだぞ? 行けるわけ……」

「変装でもすればいいだろ? 今だってしてるんだし」

「なっ、気づいていたのか!? いや、それよりも! 万一バレたらお前達も犯罪者の仲間入りだぞ! 分かってるのか?」

「腕っ節にも、逃げ足にも自信がある。それにアリアドネーは来るもの拒まずだろう? 大丈夫だって、多分……」

「多分って、お前は……」

 

 なお、言い募るエヴァの言葉をイオリアは遮った。

 

「御託はもういい。お前はどうしたいんだ? それだけ言えばいい」

 

 強い意志の篭った瞳に見据えられ、エヴァは「うっ」と呻いた後、しばらく手を彷徨わせて少し頬を赤くしがらイオリアの手をとった。

 

「一緒にい、行ってやろう。そ、その代わりお前達の魔法とか、いろいろ教えてもらうぞ!」

「ああ、もちろんだ」

 

 そう言って手を取り合う二人。森の中、青々と茂る葉の隙間から光が差し込み二人を照らす。それはとある幸福な未来を暗示しているようだった。

 




いかがでしたか?

さて、転移中にどうやって転移するんだとか色々ツッコミ所はあるでしょうが、何時もの如く流して楽しんで下さると嬉しいです。

今回からネギま編に入りました。
なぜ、ネギまか・・・それはもちろんエヴァファンだからです!
特にアルに弄られるエヴァは・・・実にいい・・・
そん訳で、どうしてもエヴァ絡ませたかったのです。

結果、気がつけば1万6千字も・・・て、手が・・もうダメポ

しかも、そろそろストックが切れそうで・・・毎日更新が・・・いえ、頑張ります。

次回は、エヴァとの交流、ほのぼの回・・・かな?


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第18話 これぞファンタジー

今回はほのぼの回・・・かな?


 エヴァと行動することを決断したイオリアは、その後、自分達が泊まる宿に連れて行った。

 

 宿では、案の上、ミク達が夕食を作って待っていた。念話で繋がっていたので、当然エヴァの分もある。

 

 食堂でエヴァを交えて夕食をとる間、野次馬か偶然の客かは分からないが、イオリア達四人をチラチラ見る人が多かった。それが、単に三人の美少女故か、それとも立ってしまった噂故かはわからない。前者だといいなぁ~と遠い目をするイオリア。

 

 ちなみに、宿に帰る道中、やはり誤魔化しきれなかったのかヒソヒソとイオリアとエヴァを見ながら話す人達がおり、エヴァには心配するような表情を向けるのに、イオリアには害虫でも見るかのような蔑む視線が送られていた。

 

 イオリアの目の端に薄らと光るものを見たエヴァがどことなく気まずそうだった。噂が届いていたのか宿の女将さんまで敵を見るような目でイオリアを見る。

 

 慌ててミクとテトが弁解に加勢してくれなければ宿を追い出されていたかもしれない。自己紹介を交えた食事を終え、さて、部屋で今後の話をしようと移動すると、そこかしこから悲鳴にも似た声が上がる。

 

「なっ! 三人同時だと! アイツどこまで勝ち組なんだ!」

「ふ、不潔だわ!……でもスゴイわね、三人なんて……」

「ちくしょう、オレのミクちゃんが……あんな奴に……」

 

 何も聞こえない。聞こえないったら聞こえな~いと指で耳栓をしながら部屋に戻るイオリア。だが、最後のヤツてめぇはダメだ。ミクに手を出したらただじゃおかんと殺気をぶつけておく。ミクとテトは苦笑いし、エヴァはやっぱり羞恥で軽く頬を染めていた。部屋に戻ったイオリアは既にグッタリしている。

 

「ケケケ、御主人ノセイデ修羅場ダゼ。恋愛経験ゼロノクセニ、イキナリ四角関係トハ、ヤルジャネェカ御主人」

「黙れ、チャチャゼロ! 解体するぞ!」

 

 恋愛経験がないことをバラされたからか、単に状況が恥ずかしいだけかは分からないが、頬を真っ赤に染めるエヴァ。従者に弄られる姿には威厳が皆無だった。変装などしなくても、誰も“闇の福音”とは思わないんじゃとイオリア達は思ったが言わぬが花である。

 

「あ~、まぁ、取り敢えず今後の事だが、ゲートの起動を待って自力転移でアリアドネーへ、ということなんだがエヴァも異存ないよな?」

「ちょっと待て。何で普通にゲートを使わんのだ? というか魔法世界に自力転移できるのか?」

 

 ツッコミどころの多いイオリアの発言にエヴァが当然の疑問を投げかける。

 

 それに対し、自分達の身元保証をするものがなくゲート使用の正式な手続きができないこと、密航して万一指名手配される危険を犯すぐらいなら自力転移した方がいいこと、そのためにゲート転送を解析し正確な座標を調べる必要があること、自力転移余裕ということを説明した。

 

 エヴァは頭を抱える。

 

「身元が保証できないってなんだ。まさか、お前等も賞金首とか言わないだろうな? っというか魔法世界は異界だぞ? 転移が余裕って……」

 

 困惑するエヴァにイオリア達は自分達の置かれている状況と正体、つまり、別の次元世界の住人であることを説明することにした。

 

 これからおそらく一年は付き合いがあるのだ。魔導も教えるならいずれにしろベルカのことは話さなければならない。この世界への影響を考えれば好ましいことではないが、エヴァの人となりを考えれば他言無用を約束すれば違えることはないだろう。

 

 ただ、この世界の史実を漫画で知っていることまでは話すつもりはなかった。後のエヴァの行動にいい影響は与えないだろうと考えて。

 

 ベルカの話し、次元世界の話し、事故で飛ばされて行ったハンター世界の話、そして帰還中に世界樹の魔力に引き寄せられてこの世界に来た話、1年後の世界樹発光に合わせて帰還する話、それらをセレスやミク達とのユニゾンも交えて全て話した。

 

 口を挟まず無言で話を聞いていたエヴァは、イオリア達の説明が終わったあともしばらく口を開かなかった。

 

 おそらく、あまりに突飛な話であるため整理に時間がかかっているのだろう。自分なりに咀嚼できたのか、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「にわかには信じられん。無数にある次元世界など……しかし、お前達の力はこの世界にはない未知のもの、私は科学には疎いが、それでもお前達の技術が並外れていることはわかる。嘘をついても意味がないしな……はぁ~、とんでもない連中に関わってしまったらしいな、私は」

「別に、エヴァの好きにしたらいいさ。一緒に来るも、やっぱり止めるもな」

 

 そんなイオリアの言葉に、目元を手で覆い深い溜息をついていたエヴァは、手を顎の下で組むとニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

「バカもの。こんな面白そうなこと逃すわけないだろう? お前達の魔導とやら存分に教えてもらうぞ?」

「了解。エヴァも魔法の先生頼むぞ?」

「ふふ、宜しくお願いします、エヴァちゃん」

「よろしくね、エヴァちゃん」

「……いや、確かに自己紹介のときエヴァでいいと言ったが、ちゃん付はやめろ、ちゃん付けは」

 

 ミクとテトの呼び方に不満の声を上げるエヴァ。ミクとテトが「え~でも~」と反論する。

 

「エヴァちゃん、もっと小さいよね?本当の姿見たいな~」

「私も見たいです! ちっこ可愛いエヴァちゃん!」

「なっなんで知って……ってそうじゃない! 小さい言うな!」

 

 不機嫌そうにガルルと唸るエヴァ。小さい発言は随分とお気に召さないらしい。

 

 しかし、これから行動を共にする相手に偽りの姿しか見せないというのも問題なので渋々幻術を解いた。そこには、ゴスロリ服を身に纏った11、12歳くらいの可愛らしい少女がいた。

 

「うわ~やっぱり可愛いです! お人形みたいです!」

「いい子いい子してあげるね!」

 

 テンションだだ上がりのミクとテト。二人に抱きつかれ、頭を撫でられプルプルしながら額に青筋を浮かべるエヴァ。相当屈辱らしい。

 

「ええい! 離せ! 離さんか! ……イオリア、お前も笑ってないでコイツ等を……こら! どこ触ってる! いい加減に――」

 

 しばらくドッタンバッタンしていると満足したのかミクとテトが離れる。揉みくちゃにされ、ぐったりするエヴァ。

 

「ケケケ、ヨカッタナ御主人。随分楽シソウジャネェカ?」

「楽しいわけあるか!」

 

 エヴァは全力でツッコミを入れるも、実際どことなく楽しそうな雰囲気があるので説得力にかける。

 

 こんなスキンシップも忘れてしまうくらい遠い昔のことなのかもしれない。何となくその場の全員がエヴァに生暖かい視線を送る。その視線に「うっ」と呻くと、オホンと気を取り直し、半分誤魔化しも含めてエヴァが今後の方針に対する提案をした。

 

「イオリア達は、西洋魔法を学びたいようだが、正直一年ではどうしようもないぞ? もちろん、ある程度の魔法は使えるようになるだろうが、次元転移に役立つような新魔法の開発となるとな……まぁそれは絶対ではないようだが。……そこでだ、私の別荘に来ないか?」

「別荘?」

 

 イオリアはエヴァの言う“別荘”に心当たりがあったが黙って説明を聞く。エヴァは頷くと意図を説明しだした。

 

「ああ、別荘というのはな、ダイオラマ魔法球のことだ。ボトルシップを想像すればいい。魔法球の中にジオラマのように世界がある。中は現実とは時間の流れが異なっていてな、私の持つ魔法球では中の一日が外の一時間に該当する。私が長年集めた魔法書の類も相当の質・量だと自負している。周囲への影響を考えても修行の類には最適だ。仮に中で二年すごしても現実では一ヶ月だ。それなら、十分に学習・研究が可能だろう。終わった後で魔法世界を見て回ればいい。お前達の力は目立つからな、西洋魔法は修得しておいた方がいいだろう」

 

 そこまで一気に説明し「どうだ?」と目で尋ねる。

 

 確かに一理あると考え込むイオリア。むしろ魔法球自体にものすごく興味がある。プラキングなんて目じゃない。頑張って集めたのに今のところ全くいいところがないカード達である。

 

 イオリアはミクとテトに目線で問いかけ、二人共頷いたので了承の意を伝える。

 

「ああ、それはありがたいな。ぜひ、使わせてくれ。本当は、アリアドネーに行っても大して習得できないだろうなとは思ってたんだ。時間がないからな」

「うむ、そうだろうな。よし、“別荘”は私のいくつかある隠れ家の一つに保管している。ゲートの転送解析が終わったら早速行くこととしよう」

 

 うむうむと満足そうに頷くエヴァ。自分の提案が通ったのが嬉しいのか、それとも、

 

「ヨカッタナ御主人。コレデ少シデモ長ク一緒ニ居ラレルジャネェカ」

「チャチャゼロ! 貴様さっきからちょくちょく煩いぞ。本気で解体されたいか!」

 

 

 それから3日後、ゲートが起動されたので全員でゲートのある遺跡に侵入。転移先の解析も完了しいつでも魔法世界に転移出来るようになったので、イオリア達はエヴァの隠れ家に向かうことになった。

 

 エヴァの隠れ家は孤島にあった。位置的には日本に近いだろう。ゲートへの侵入を防ぐ霧の結界と同タイプの結界が張られ侵入者を気づかない内に外へ追い出すように出来ていた。なんとも吸血鬼らしい隠れ家である。

 

 エヴァの先導に従い島を進むと森の中に小さなログハウスがあった。何年も帰ってないのか全体的に埃っぽい。

 

 エヴァは、気にした様子もなく地下への扉を開いた。魔法的な封印を解きその中に入ると、所狭しと怪しげな物が置かれており、その奥に台座に乗った大きな透明の球体があった。中を除くと強大な滝や白亜の建築物、雄大な森や山が見える。

 

 イオリア達はエヴァの案内に従い、魔法球の前の魔法陣に立つと光が溢れイオリア達を包み込んだ。

 

 イオリア達が目を開けると、地上数百メートルはありそうな柱の上にいた。周囲の雄大な景色に目を奪われ呆然としていると、愉快げな笑い声が聞こえた。

 

「くくく、揃いも揃ってアホ面だな。まぁ、気持ちは分からんでもない。この魔法球は私の自慢の逸品だからな。……では改めて、ようこそ! 我がダイオラマ魔法球“レーベンスシュルト城”へ!」

 

 得意げにカーテシー(スカートの端を摘み、片足を下げ膝を曲げる女性の挨拶作法)を決めるエヴァ。元貴族のお姫様なだけあってその姿は実に優雅で様になっていた。

 

 イオリア達もようやく正気に戻り、苦笑いしながら魔法球を称賛する。

 

 レーベンスシュルト城という優美で巨大な城に到着し、周囲を滝で囲まれたテラスでお茶をする一同。用意してくれたのはエヴァお手製の人形だ。

 

 チャチャゼロを一の従者とするなら序列二位らしく名を“チャチャネ”という。メイド服を着て家事全般をこなし、城を管理維持している。イオリア達は紹介を受けながら、おいしい紅茶とお菓子に舌鼓を打つ。

 

「それにしても本当にすごいな。さすがファンタジー。なんでもありだな」

「ほんとですね~ちょっとした異世界創造と変わりませんもんね~」

「家なき子になっても安心だね」

 

 ちょっとズレたテトの感想は置いておき、そこまで賞賛されると流石に照れるエヴァ。咳払いで誤魔化しながら、今後の話をする。

 

「後で、書庫にも案内しよう。西洋魔法の書物なら十二分に揃っているし、他にも魔法技術についての文献は多くある。ただ、基礎を理解できていないと読めないだろうから暫くは私が講義をしよう。イオリア達も魔導に関して頼む。あと、念だったか? それもな」

「ああ、それでいい。あと、俺も魔法球欲しい。めっちゃ欲しい。作り方教えてくれ」

 

 エヴァは、ズイと迫ってくるイオリアに思わず仰け反りながら押し戻す。

 

「わかった、わかった。それも教えてやるから。落ち着け!」

 

 

 ファンタジーらしいファンタジーに触れたせいかイオリアのテンションがだだ上がりである。その後、具体的なスケジュールを確認してお開きとなった。翌日からイオリア達のファンタジーな修行が始まった。

 

 最初に行ったのは双方のスキルの確認だ。エヴァは魔法や関連する技術を、イオリア達は魔導と念法を見せ合うことになった。

 

 しかしその前にと、戦闘狂のチャチャゼロがイオリア達の戦力を見たいといい出し、実戦での活用法を見たいとエヴァも同意したため模擬戦をすることになった。

 

 但し、イオリアvsエヴァ&チャチャゼロで、である。

 

「いやいや、何で俺ひとり?パートナー付き最強種相手に一人でどうしろと?」

「ふっ、謙遜するな。相当できるだろ?それに複数相手ではじっくり観察できんしな」

「ケケケ、刻ンデヤルゼ!」

 

 やたら楽しそうな主従。

 

「マスター、頑張ってください!」

「骨は拾うからね。安心して!」

 

 まったく安心できない声援。イオリアはがっくり肩を落とし、幼少期のアイリスとの修行のつもりで挑むことにした。

 

 最初に仕掛けたのはチャチャゼロだ。前衛らしく一直線に突っ込んでくる。その後ろではエヴァが詠唱を開始していた。

 

 

「来たれ氷精、爆ぜよ風――」

 

 それを見たイオリアはチャチャゼロと同じように突進する。正面からやり合うつもりか! と喜色に染まるチャチャゼロ。

 

 しかし、チャチャゼロがイオリアの間合いに踏み込むといった瞬間、その足元に魔法陣が出現し光る鎖のようなものが出現、チャチャゼロを絡め取る。

 

「ナ、ナンダコリャ!?」

 

――捕縛魔法 ディレイバインド

 

 原作でクロノが活用していた設置型捕縛魔法である。イオリアは拘束されたチャチャゼロを横目に勢いを殺さずエヴァに肉薄した。

 

「……精、弾けよ凍――むっ」

 

 イオリアが勢いそのままに飛び蹴りをかます。エヴァはそれを上体を逸らすだけで回避し、隙をさらすイオリアへ掌底を打ち込もうとした。

 

 しかし、イオリアは蹴り足の先に【Fシールド】を張り足場にするとその場で上体を捻り逆足でさらに蹴りを打ち込む。その蹴り足は【硬】がされており咄嗟に受け止めたエヴァを軽々吹き飛ばした。

 

 吹き飛ばされながらエヴァは無詠唱で氷の矢を200本近く放つ。

 

 イオリアは飛行魔法で上空に上がり回避するも追尾してくる矢を光弾で迎撃する。

 

――射撃魔法 アクセルシューター

 

 なのはが得意とする誘導型射撃魔法である。回避と迎撃をこなしていると首筋に悪寒を感じ、その場で宙返りをすると逆さまになった視界の下に大振りのナイフが通り過ぎた。バインドを力づくで破ったらしいチャチャゼロの攻撃だ。

 

「ケケケ、オシカッ!? マタカヨ!」

 

 しかし、チャチャゼロがさっきまでイオリアのいた空間に入った瞬間、バインドが現れ再びチャチャゼロを拘束した。

 

 宙返りそのままにチャチャゼロの背後につくと、イオリアはその背中に掌底をあて、必死に拘束を解こうと暴れるチャチャゼロにゼロ距離で魔力砲撃を放つ。

 

――砲撃魔法 ディバインバスター 

 

 これまたなのはが得意とする砲撃魔法である。もっとも、イオリアの瞬間最大魔力は保有魔力量に比べて低くAランク程度(これでもワンランク上がった)しか出せない。それでも、ディバインバスターの直撃を受けたチャチャゼロは非殺傷設定による魔力攻撃により、一時的に魔力を枯渇させ地に落ちていった。

 

 イオリアは、取り敢えず厄介な前衛を倒したと、一瞬、僅かに気を緩めた。その瞬間、

 

「お返しだ。存分にくらえ。“闇の吹雪”」

 

 強力な吹雪と暗闇が螺旋を描きながら途轍もない圧力と共にイオリアの背後から至近距離で放たれる。さきほどのイオリアのディバインバスターの比ではない。

 

 イオリアは一瞬にして竜巻の如き砲撃に飲み込まれ地に落とされる。砂浜に直撃した【闇の吹雪】はもうもうと砂塵を吹き上げイオリアの姿が見えなくなった。

 

「ふむ、まぁまぁやるではないか。チャチャゼロを落としたのは評価できる。だが、戦闘中に気を抜くなど素人以下だぞ?だから、簡単に不意を突かれっ!?」

 

 エヴァが得意げにイオリアの評価を下していると、突如発生した濃紺色の光のリングがエヴァを空中に固定した。

 

――捕縛魔法 レストリクトロック

 

 慌てて破壊しようとしたエヴァは未だ舞い上がる砂塵の中に膨大な魔力の集まりを感知する。直後、吹き荒れる魔力により砂塵が吹き飛ばされ、右腕を真っ直ぐエヴァに向けた無傷のイオリアが現れた。

 

「なに!?」

 

 【闇の吹雪】を受けて無傷のイオリアに流石に驚くエヴァ。

 

 イオリアが無傷なのは瞬間的にプロテクションを張ったからだ。もっとも、最大瞬間魔力のあまり高くないイオリアに【闇の吹雪】を無傷で防げるほど強固なプロテクションは構築できない。

 

 それでも無傷だったのは自分の欠点を補うために開発した【防御魔法:オーパルプロテクション・ファランクスシフト】のおかげである。

 

 これは、一枚の障壁の強度よりも構築スピードに特化させた魔法で十枚同時に展開される。一枚の強度は弱いので簡単に破壊されるが一瞬は持つ。その間に内側から破壊された分だけ瞬時に障壁が構築されるのだ。

 

 攻撃の侵食速度より構築スピードの方が早い限り打ち破れない鉄壁の防御魔法だ。魔力制御が並みの魔導師など足元にも及ばないレベルのイオリアだからこその魔法である。

 

 そして、今、イオリアの右手には直径3mほどの光球が、なお周囲から魔力を集束し肥大していく。

 

「悪いが、俺に死角はない。不意を突かれないことに関しては絶対の自信があるんだ」

 

 そう言って、ニヤッと笑ったイオリアは自身の放てる最大の集束砲撃魔法を放った。

 

――集束砲撃魔法 スターライトブレイカー

 

 言わずもがな白い魔王少女の必殺砲撃だ。濃紺色の壁と表現すべき砲撃がエヴァを飲み込んだ。

 

 空に向かって放たれたSLBが魔法球全体を震動させる。内心「やべっ、魔法球壊れないだろうな?」と不安になるイオリア。いくらエヴァでもSLBの直撃を喰らえば魔力ダウンを狙えるはずだ、狙えるよね?と思うが警戒は解かない。

 

 直後、イオリアは再び背後に悪寒を感じ、身を捻りながら背後に蹴りを入れる。その蹴りはエヴァの左手に掴まれ、右手は手刀の形で突き出されていた。やはり無事だったエヴァだが、無傷とはいかなかったらしく魔力が大きく目減りしている。

 

「ほぅ、これも躱すか!」

 

 エヴァが無事なのは咄嗟に【氷盾】を張り稼いだ時間でバインドを破壊し何とか射線から離脱したからだ。そのあと、影を利用した【ゲート】によりイオリアの影に転移した。

 

 エヴァは掴んだイオリアの足を支点に関節を利用してイオリアを引き倒す。そして、イオリアの頭を狙い拳を振り落とした。

 

 真祖の吸血鬼の拳だ。常人なら一瞬でトマトピューレである。

 

 しかし、イオリアはあえて避けず、【流】を使い攻防力を上げると耐えてみせる。そして、エヴァの腹部に起き上がりながら、瞬時に【硬】をした強烈な蹴りを叩きつける。

 

――覇王流 砕牙

 

 仰向けの状態から両手の力だけで起き上がると同時に強烈な蹴りを叩き込む技である。

 

 エヴァは空中に跳ね飛ばされながらクルリと一回転し、着地。そのまま、一気に踏み込むエヴァの右手にはいつの間にか光の剣が宿っている。

 

 その剣を見て、イオリアの危機対応力が最大の警報を鳴らす。あれを受けてはいけないと瞬時に悟ったイオリアは回避に徹する。

 

 3合ほど躱したあと、設置した【ディレイバインド】でエヴァを拘束した。直ぐに光の剣がバインドを切り裂き拘束を脱する。

 

――エクスキューショナーソード

 

 固体・液体を無理矢理に気体に相転移させる魔法剣だ。

 

 エヴァは追撃せずに、感心したように笑った。

 

「なるほど、死角はないと豪語するだけのことはある。察するに、危険に対する察知能力が異常に高いのか。それに武術と魔導が加わり、身体スペックは念が押し上げる。しかも、まだ手札はあるんだろう?ふむ、その年で大したものだよ。私が戦った者達の中でも、トップクラスだ」

 

「褒めすぎだ。俺なんて、自分のパートナー達にも勝てないくらい未熟者だよ。まぁ、まだまだ強くなるつもりだが……」

 

「……人の身でどうしてそこまで強さを求める? ミクやテトも加われば、お前達に勝てる者などそうはいないだろう?限りある時間をもっと別のことに使おうとは思わんのか?」

 

 エヴァの質問に苦笑いをしながら答えるイオリア。

 

「別に、強さだけを求めてるわけじゃないぞ? ちゃんと人生楽しんでる。ただ、ほら、人生って理不尽の連続だろ?いつ、どんな形で襲ってくるかわからない。それが、俺達だけならどうにでもするけど……理不尽ってヤツは意地が悪いから周りの大事なもんに手を出しやがるんだ。しかも、その大事なものは生きれば生きるほど増えていく。誰かを守るっていうのはホントに難しいから……少しでも強くなっておかないとあっさり奪われる。そうしたら、せっかくの人生も楽しめない」

 

 イオリアの言葉に「フン」と不機嫌そうに鼻を鳴らすエヴァ。

 

「イオリア、お前は基本的に強欲だな。あれもこれもと、そんなことではいつか本当に大事なものを失うぞ? 切り捨てるべきもの、優先すべきものを見定められない者から死んでいく。私の経験上な」

 

 不機嫌なのはイオリアを心配する故か、それとも切り捨ててきた自分と比べてか、エヴァの心中はわからないものの、「まぁ、私は600年生きても大して大切なものなど増えはしなかったがな……」と自嘲気味に呟くエヴァに、イオリアは苦笑いを深める。

 

「その自覚はある。ミクとテトには助けられてばかりだしな。でも、エヴァ。どっちしろ強さは必要だろ? もしかしたら“大切”の敵が世界かもしれないんだ。その時になって、もっと鍛えておけば、何てそんな後悔は最悪だよ。まさに、エヴァとか有り得そうな立場だし……」

「は? 私?」

 

 訝しげな表情でイオリアを見るエヴァ。

 

「ああ、仮の話だけど……エヴァが世界の敵として本格的に討伐とかされそうになったら、俺達は世界と戦う必要があるわけだ。だが、そうなると全く力が足りないだろ?たまたま出会った人が世界を敵に回すかもしれない。そんな例が実際目の前にいる。やっぱり誰でも強さは求めてしかるべきなんだよ」

 

 うんうんと一人、力を求めるのは当然だという自己理論に満足するイオリア。だが、エヴァはそれどころではない。内心、混乱の渦に飲み込まれていた。

 

(えっ? ちょ、今のはどういう意味だ? 仮の話って……仮に“私が大切な人だったら”という意味か? それとも大切な私が、仮に“世界と敵対したら”という意味か? ど、どっちなんだ? えっ、でも後者だったら、えっ、イオリアが私を……いやいやいや、ないそれはない。唐突すぎるだろ!しっかりしろ、私! 前者だ、前者の意味に決まってる! 大体、イオリアにはミクとテトが……最初から二人なら、今更一人くらい、って違うだろ、私!)

 

 頬を染め、視線をあっちこっちに彷徨わせながら、髪をいじりいじりするエヴァ。

 

 突然のエヴァの不審な態度に、イオリアは訝しそうな表情で「エヴァ? 大丈夫か?」と声を掛ける。しかし、思考に没頭しているエヴァには聞こえていない。

 

 一体なんなんだ? と近づこうとしたイオリアにエヴァが視線を合わせる。

 

「お、おい、イオリア。そ、その、さっきのは一体……その……どういう意味……」

「御主人ナニシテンダ?」

「ひぎゃ!」

 

 何かをイオリアに聞こうとしながら尻すぼみになっていく言葉はイオリアに届かず、復活したチャチャゼロが、ぬうっと現れたことで、乙女にあるまじき悲鳴を上げるエヴァ。

 

「いきなり現れるな! ビックリするだろが!」

「イヤ、戦闘中ジャナイノカヨ? 普通ニ近ヅイタダケダゾ。何緩ンデンダ?」

「べ、別になんでもない……」

 

 何やらすっかり戦う雰囲気でなくなり、どうしたものかと目の前の主従のコントを見るイオリア。エヴァはその視線に気がつき、「大体わかった。ここまでにする!」といって一人ズンズンと城の方へ帰っていった。

 

「何なんだ?」

「ケケケ」

 

 イオリアは困惑しつつ、まぁいいかとエヴァの後を追った。

 

 イオリアの先ほどの発言はもちろん“エヴァが仮に大切な人だったら”という意味で、深い意味はない。単純に強さを求めるのは当然のことだとエヴァの質問に自分なりの答えを返したに過ぎない。まさか、エヴァがここまで深読みした挙句、混乱しているとは思いもしない。

 

 だが、そんな主の心の機微を察している優秀な従者は「面白クナッテキタ」と笑うのだった。

 

 一方、イオリア達の模擬戦を見ていたミクとテトも一部始終を見ていた。そして、同じ女であるからこそエヴァの心情をばっちり察していた。

 

「あ~、あれ困りますよね。マスターの不意打ち」

「ホントだよ、なかなか威力があるからね、マスターのあれは」

「エヴァちゃん、すっごく可愛い感じになってましたね~動揺してますって丸分かりでした」

「全く、言葉が足らないよ。エヴァちゃんも深読みし過ぎなとこはあるけど……」

「今回は、マスターには自覚ないみたいですけど……その内、鈍感系主人公とかになったらどうしましょう?」

「いや、まぁ、それは大丈夫だと思うけど……ちょっと注意しとこうか」

 

 そう言って、二人は深い溜息をつくのだった。

 

 

 

 

 西洋魔法の習得を始めてしばらく経ったある日、イオリアはついに魔法球の制作に着手し始めた。といってもエヴァの協力が不可欠なので、材料集めなど準備が整うまで構想でも練っていろと言われ、ミクやテトと相談しながらああでもないこうでもないと白熱した議論を連日交わしていた。

 

 そんな話し合いの中、ふとイオリアが思い出したのは、グリードアイランドのクリア報酬である「豊作の樹」「不思議ヶ池」「メイドパンダ」の三枚のカードだ。

 

 これらのカードはベルカに帰ったら実家へのお土産代わりにしようと選んだものだが、魔法球に活用できるならそれに越したことはない。バインダーを確認しておこうと、イオリアは【魂の宝物庫】を発動した。

 

 そして目録を取り出して該当ページを捲り、硬直した。

 

「? マスター、どうしました?」

「まさか、なくしたとか?」

 

 目録を見つめたまま動かないイオリアにミクとテトが心配して声を掛ける。イオリアはギギギと音がしそうな様子で二人に顔を向けた。

 

「……ゲンスルー達のカード返すの忘れてた」

「「は?」」

 

 イオリアがポツリと呟いた内容に思わず目が点になるミクとテト。その意味を理解したのか「え~!」と二人揃って驚きの声をあげる。

 

 イオリア達は、ツェズゲラの妨害対策にゲンスルー達に大方のカードを預けたのだが、もともとゲンスルー達が持っていたカードを実験がてらイオリアの【魂の宝物庫】にしまったのだ。

 

 その後、すぐ一連のイベントが始まりすっかり返すのを忘れていた。というか存在を忘れていた。イオリアの予想では、バインダーに入っていない以上直ぐに消えるだろうと思っていたし、仮に消えずともまさか持ち出せるなどとは露にも思っていなかった。

 

 イオリアは、二人に目録を見せる。その目録には確かに何十枚ものカードが記載されていた。

 

「マスター、取り敢えず“ゲイン”してみたらどうですか? 何の効果もない唯のカードという可能性もありますし……」

 

 ミクの言葉にそうだなと頷き、イオリアは試しにキングホワイトオオクワガタのカードを“ゲイン”してみた。

 

 普通に出てきた。わしゃわしゃと足を動かし、足元を動き回るキングホワイトオオクワガタ。イオリア達はたっぷり十分は眺めていたが、一向に消える気配がなかった。

 

「……普通にでてきたな……」

「普通に出てきましたね」

「消えないね」

 

 三人は顔を見合わせ「はぁ~」と深い溜息をついた。クリア報酬を三人分得るために随分苦労したというのに普通に持ち出せるとかないわ~という心情だった。まぁ、不正ではあるから良心的には痛まずに済んだわけであるが、結局盗んできた形になってしまった。

 

 三人は、徒労だったことと、チクチクと痛む良心に溜息を零すのだった。

 

「で、結局どんなカードがあるの?」

 

 テトの質問にイオリアが目録を再度見せる。

 

 目録に記載されているカードは「湧き水の壺」「美肌温泉」「酒生みの泉」「アドリブブック」「顔パス回数券」「移り気リモコン」「コネクッション」「ウグイスキャンディー」「卵シリーズ」「手乗り人魚」「バーチャルレストラン」「魔女の若返り薬」「人生図鑑」「3Dカメラ」後は呪文カードが多数だ。基本的に入手何度Bランク以下のカードをいくつか保持していたようだが、「魔女の若返り薬」だけはSランクなので驚いた。

 

 カードが使えると分かったので、三人は罪悪感には蓋をして、魔法球世界にカードも取り入れた新たな構想を練っていくのだった。

 

 ちなみに、準備を終えて姿を現したエヴァがキングホワイトオオクワガタを見て、

 

「こんな珍生物どこから湧いて出た!」

 

 と大騒ぎし、カードの話をすると「美肌温泉」を寄越せと騒ぎ、ミクとテトの構想に当該カードは欠かせなかったようで二人も譲らず、エヴァVSミクテトで大激闘を繰り広げたのはまた別の話である。

 

 その結果、夕日のさす川原で殴り合う不良のごとく友情が増したのも別の話である。

 




いかがでしたか?

エヴァとの絡みを重視してみました。
原作には到底及びませんが、エヴァの可愛さを共感して頂ければ幸いです。
こんなのエヴァじゃないという方もいるかもしれませんが、そこは作者の趣味ということで許して下さい。

最後に明かされ衝撃の事実。GIカードは盗めてしまう!
正直、無茶設定にしすぎた気がしますが・・・オリジナル魔法球の妄想が止まらなかったんです。
反省も後悔もしていない。

次回は、ちょっと外伝気味なミクのお話


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第19話 そうだ、京都に行こう

ミクの冒険・・・的な話しです。

正直どうしてこうなった?ていうくらいミクがはじけてます。
こんな我の強い子だったかな~?


 魔法球で過ごし始めて暫く経った頃、夕食の席で突然ミクが宣言した。

 

 「そうだ、京都に行こう!」

 

 全員ピタリと停止し、「何言ってんだ?」という視線を向ける。給仕中のチャチャネもその手を止めて「大丈夫でしょうか?」という心配の目を向ける。しばらく静寂が支配したあと、エヴァが何事もなかったように話し始めた。

 

「それで、明日だが……」

「ちょ、ちょっと、スルーしないでくださいよ!ものすごく恥ずかしいじゃないですか!」

 

 エヴァに合わせて全員がスルーしたので、慌てて自己主張するミク。それにエヴァが、胡散臭げに返す。

 

「いきなり、どうした。勉強のしすぎでボケたか?」

「ボケてませんよ! ちゃんと聞いてください!」

 

 ぷりぷりと怒るミクに仕方ないなぁ~と全員が聞く姿勢をとる。その様子に満足気な表情を浮かべるミクは発言の意図を説明し始めた。

 

「えっとですね。京都に行って、本格的に神鳴流を修得しちゃおうかと思いまして。私も刀を使う者として本格的な流派を習いたいなと……どうでしょうか?」

 

 どうやら、我流といってもいい再現剣術を本物にしたいらしい。ミクの提案に全員納得したように頷く。

 

「ああ、なるほど。いいんじゃないか? でも、行ってすぐ門下生になれるもんなのか?」

「それに、外に出るってことだよね? 時間の流れが変わるから、西洋魔法を修得する時間がかなり減ることになるけど……」

「まぁ、ミクの剣技が半分位スペックだよりということは否定できんしな。一度、正式な剣術を学ぶのはいいことだとは思うぞ?」

 

 三者三様の意見が出る中、ミクは問題ない!と胸を張る。

 

「大丈夫ですよ! ちょっと行って一ヶ月くらいでパパッと修得して帰ってきますから!」

 

 何百年という歴史を持つ流派の剣をパパっと覚えてくるという発言に一同苦笑いだ。実際出来てしまいそうなところが恐ろしい。

 

「でも、それだとミクちゃんとは二年くらい会えなくなるね……」

 

 寂しそうなテトの声に「うっ」と小さく呻き視線を彷徨わせるミク。テトの言葉に改めてミクと長期で分かれるのが初めてだと実感し、イオリアも若干寂しそうな表情をする。そんなイオリアとテトに苦笑いしながらエヴァが諭した。

 

「お前達、そんな情けない顔をするな。今生の別れでもあるまいし。ミクとて全部わかった上で決めたことだろう。女の決意を笑顔で受け止めるくらいの度量見せたらどうだ?」

 

 エヴァの言葉にそうだな、と頷きミクに頑張ってこいと声を掛けるイオリア。テトもミクに笑顔でエールを送る。

 

「テトちゃん、エヴァちゃん、暫くの間、マスターのことよろしくお願いしますね。なるべく早く帰りますから」

「うん、任せて。マスターの面倒はしっかり見るから。夜ふかしはさせないよ」

「うむ、任せるがいい。おやつは一日一回までだ」

「いや、俺は子供かよ! まったく、俺のことは気にせず頑張れ。……本物の神鳴流を楽しみにしてる」

 

「はい!」

 

 冗談めかしたテトとエヴァの返しに女三人でくすくすと笑い合う。蚊帳の外に置かれた気分な上に弄られて不貞腐れるイオリアだが、最後はミクに笑顔を見せる。楽しみにしていると言われ俄然やる気が湧いたミクは満面の笑みで元気よく返事をした。

 

 そして、翌日、ミクは京都に旅立った。

 

 

 

 

 

 

 

 京都についたミクは早速、神鳴流道場を探した。半径4キロ規模の【円】を展開し【気】の気配を探す。神鳴流は魔を討つことを生業とした戦闘集団であるから、その技には【気】の使用が不可欠だ。【気】を使って鍛錬する集団がいればそれが神鳴流である可能性が高い。

 

 そう踏んで、京都を高速機動しながら巡る。早くイオリア達の下へ帰りたいので自重はしないミク。

 

 もちろん、一般人に気づかれぬよう注意しながら移動する。もし、屋根の上を注視する人間多くいれば一瞬現れて霞のように消える翠髪の少女が都市伝説になったかもしれない。

 

 そうやって二時間ほど移動していると【円】の端に【気】の気配を感じたミクは、その場所へ一直線に向かう。

 

 その【気】を使っていた人物は山の中の川原のほとりで異形相手に剣を振るっていた。どうやら戦闘中のようである。

 

 イオリアと大して変わらない年齢の少年は、必死に一本角を生やした全身が筋肉で盛り上がった異形、おそらく鬼に対して【気】を込めた太刀を振るっている。

 

 しかし、鬼の強靭な肉体に歯が立たないのか追い込まれているようだ。

 

 「くっ、これで! 【斬岩剣】!」

 

 【気】を込めた太刀を勢いよく振り下ろす少年だが、その必殺の一撃は鬼の鋼のような皮膚を破るものの筋肉の鎧に食い止められ殆どダメージにならなかった。おまけに、筋肉を絞められたのか太刀が抜けなくなったようで、手放す判断が遅れた少年は鬼の豪腕に薙ぎ払われ背後の岩に背中を強打し、ズルズルと崩れ落ちた。

 

 その様子を近くの木の上から【絶】をした状態で見ていたミクは、鬼が止めを刺そう少年に近づくのを見て、これはヤバイです!と一気に踏み込んだ。

 

「見よう見真似【斬岩剣】!」

 

 痛みと衝撃で動けず、ここまでかと諦めた表情の少年は、今まさに自分に豪腕を振り下ろそうとしている鬼が唐竹割りにされるのを見て驚愕に目を見開いた。

 

 真っ二つに割れた鬼が左右に倒れ込みながら消えてゆく中、その向こう側に翠髪をツインテールにした自分と変わらない年齢に見える少女がいた。刀を振り切った姿勢からスッと姿勢を正し、クルリと刀を一回転させるとチンという子気味いい音とともに納刀する。

 

 それを見て、今度は別の意味で驚愕しポカンと口を開ける少年。

 

 ミクはその様子を見て、首を傾げ声を掛ける。

 

「えっと、大丈夫ですか?」

 

 無言の少年。未だ呆けたままジッとミクを注視している。よもや致命傷を食らったのか! とミクは少し慌て気味に再度尋ねた。

 

「あ、あの! 必要なら救急車呼びますけど、大丈夫ですか?」

「えっ? ああ。だ、大丈夫。大丈夫や。ちょっと痛うてまだ動けへんけど……」

 

 ようやく答えた少年に安堵の吐息を漏らすミク。神鳴流の剣士っぽかったから観察してたら見殺しにしてしまいました~などとなったらイオリアに顔向けできない。心底安堵した様子で笑顔を向けるミク。

 

「はぁ~、そうですか。よかったです!」

「っ!?」

 

 その笑みを向けられた少年は一瞬で真っ赤になった。

 

 ミクは超がつく美少女だ。そんな美少女が自分の安否を気遣い心底安堵した様子(少年の安否ではなくイオリアへ顔向けできることに)で笑顔を向ければどうなるか。しかも、同年代の少年に。その結果は推して知るべしである。ミクもイオリアのことは言えない。

 

「ところで、あなたは神鳴流の剣士さんであってますか?」

「えっ? ああ、うん。見習いやけど……えっと、君は?さっきのは【斬岩剣】? 君も神鳴流?」

 

 混乱しつつ矢継ぎ早に質問をする少年に、落ち着いてください、とミクは苦笑いを向ける。

 

「私は、ミクと言います。神鳴流剣士ではありません。さっきのは唯の真似事です。でも、神鳴流を習いたくて道場を探してたんです」

「ま、真似事で……奥義を……そんなアホな……いやでも、真っ二つやったし……」

 

 深まる混乱。ブツブツと独り言を呟き出す少年に頭打ったのかな?と割と失礼なことを考えるミクは、要件を持ち出すことにした。

 

「あの!」

「えっ、な、何や?」

「よかったら、神鳴流の道場に案内してもらっていいですか?私、神鳴流を習いたいんです」

 

 少年は、ミクの頼みにすこし考え込む。普通は一般人の入門希望者に神鳴流など教えない。表の剣術道場を紹介するだけだ。

 

 しかし、ミクはまがりなりにも神鳴流の奥義を使ったのだ。【気】もしっかりと使えていた。それこそ自分以上に。そのため、見習いの自分だけでは判断しかねると連れて行くことにした。

 

「わかった。門下生になれるかはわからへんけど、取り敢えず、じい様……師範を紹介するわ。……僕の名前は青山秋人。さっきは、助けてくれてありがとうな」

「いえいえ、どういたしましてです」

 

 にこにこ笑うミクに、自然と顔が熱くなる秋人だったが気づかない振りをして立ち上がり、少しわくわくする心を落ち着かせながら先導するのだった。

 

 

 

 

 

 青山宗家に到着した秋人とミクは、そのまま道場の方へ向かった。この時間帯は修練中なので青山家宗主青山重秋もそちらにいるからだ。

 

 道中聞いた話しでは秋人は青山宗家の人間らしい。些細な妖魔退治の依頼をこなしに行ったら鬼に遭遇し、あわやというところでミクと会ったということだ。

 

 ミクは道場の一角で待たされ、秋人が宗主を呼びに行った。ついでに事の経緯を説明するらしい。

 

 しばらく、ボーと修練を眺めていると、十歳くらいの女の子がジーとミクを見ているのに気がついた。ミクが気がついた事に気がついた女の子がトコトコとミクの方へやってくる。

 

「お姉さん、何やっとるんですか? 新しいお弟子さん? 珍しい色の髪やな~綺麗。外人さんなん?」

「えへへ、ありがとう~。私はミクっていうんですよ。外人と言えば確かに外人ですね。」

「ミクさんゆうの? うちは青山鶴子いいます。外人さんやのに日本語上手やな~。なぁなぁ、ミクさんも剣術やるん? それ真剣?」

 

 興味津々にあれこれ質問してくる女の子、もとい鶴子。休憩中だったのかミクの隣に座り込みお喋りに興じる。

 

 しかし、休憩時間も終わったのか鶴子に喝が飛んだ。早く修練に戻れと怒られ、頬を膨らませる。最後にミクの刀を見せて欲しいと懇願し、苦笑いしながらミクの愛刀無月を見せる。

 

 鶴子の眼前で半分ほどゆっくり刀身を見せると、「ほぅ~」と鶴子以外の門下生や師範代と思わしき人達から感嘆の声が上がった。

 

「なかなかの業もんやな。どこの刀匠や?」

「ふむ、扱いも板に付とるな。外人さんやのに珍しい。どっかで剣術の経験あるんか?」

 

 あれよこれよと人が集まりミクを質問攻めにする。

 

 ミクがあたふたとしていると道場全体に特大の喝が飛んだ。道場の奥から厳しい顔つきの背の高い老人が、隣に秋人を伴ってやって来る。おそらく青山家宗主重秋だろう。

 

 ざざっとミクを囲んでいた人達がモーセが現れたように別れ、その道を宗主が進みミクの眼前で止まる。

 

「ワシは青山家宗主青山重秋。お客人、まずはワシの孫、秋人の命を救ってくれたこと礼を言う。ありがとう。」

「い、いえ、お気になさらず」

 

 鋭い眼光に思わず気圧されながら無難に返すミク。周りは、秋人の命の恩人という言葉にざわつく。ミクの様子を観察するように見つめ宗主が言葉を重ねる。

 

「なんでも鬼を一撃で倒したらしいの? しかも、そのときに使った技が【斬岩剣】だったと秋人から聞いておる。しかし、君は門下生ではない。どういうことか聞かせてもらえるかの?」

 

 鬼を一撃、しかも神鳴流の奥義で、という宗主の言葉に今度こそ周りが騒ぎ出した。

 

 ざわざわヒソヒソとそこかしこで門下生達が話し始め道場を喧騒が包む。宗主は再び喝を飛ばし門下生達を鎮めた。

 

「えっと、どういうことも何もそのままですが……あと【斬岩剣】じゃありません。【見よう見真似斬岩剣】です。【気】自体は元から操れますから、秋人君が放ったのを見て真似ただけです。結局、刀に【気】を纏わせて斬撃威力を上げるだけの技ですから……そう難しくはないかなぁ~なんて、アハハ……」

 

 説明の途中から、再びざわつく道場。奥義を見よう見真似でした挙句、大して難しくないと行ってのけるミクに、何者! という視線が四方八方から突き刺さる。

 

 しかし、本当にミクにとってはどうということはない技術である。ミクのいう【気】とは【念】と変わらないし、【斬岩剣】は【周】と変わらない。念使いとしてもその練度が超一流の域にあるミクには児戯に等しい技だ。

 

 しかし、周囲はそう思っていないようでミクの言葉も尻すぼみに小さくなり、笑って誤魔化す。

 

「ふむ、それが本当ならとんでもないの。【気】の扱いといい、その刀といい、いろいろ気にはなるが……ミクといったか、神鳴流を学びたいというのは真かの?」

「はい」

「なぜかの?」

「ある人の力になるためです」

 

 今までのにこやかな表情とは一変して真剣な表情になるミク。宗主はその瞳に宿る力に思わず「ほぅ」と感嘆の声を上げた。秋人は何故か動揺している。

 

「ある人とな?」

「はい、その人はどれだけ危険と分かっていても強欲なくらい全部を求める人ですから……傍にいるなら力が必要なんです」

 

 ミクの言葉を聞いて、「ふむ」と顎をさすり思案する宗主。ミクはジッと宗主を見る。

 

「しかしの、神鳴流は裏の剣。人を守り魔を絶つ退魔の剣じゃ。それ故に強力でおいそれと他人に教えるわけにもの~」

 

 そう言って、試すかのようにチラとミクを見る宗主。しかし、ミクは動じない。

 

「なら、盗みます」

「なんじゃと?」

 

 宗主は予想外なミクの発言に目を細めその鋭い眼光でミクを睨む。すでに物理的圧力すらありそうな威圧に周囲の門下生の何人かがガクッと膝をつく。

 

 そんな威圧など通じないと言わんばかりにミクが同じ鋭さで返す。

 

「盗むといいました。私が神鳴流を修得することは既に決めたことです。できるか否かではなく、どうすれば修得できるかという方法の問題です。教われないなら盗みます。だから、選んでください」

「選ぶじゃと?」

 

 訝しげな宗主。門下生達はゴクリと生唾を飲み込み二人のやり取りを固唾を飲んで見守る。

 

「はい。盗まれて半端かもしれない神鳴流が人目に晒されるのと、教えて正統な神鳴流が名乗られるのと、どちらがいいか選んでください」

 

 無言で睨み合うミクと宗主。道場を物音ひとつ聞こえない静寂が包む。沈黙を破ったのは宗主の笑い声だった。

 

「くく、ふははは!言うのう、小娘が。ここは京都神鳴流の総本山ぞ!それだけの啖呵を切って、生きて戻れないとは思わんのか?」

「まさか、人の守護者がそんなことしませんよ。それに万一そうなったら、それはそれで盗むチャンスですね。」

「かっかっかっ、チャンスというか!……いいだろう、そこまで言うなら教えてやろう!ただし、ワシと戦って才気を示せたらの!」

「望むところです!」

 

 既に七十歳を超えているとは思えないほど【気】の充実した肉体で門下生に木刀を持ってこさせる宗主。ミクも門下生から木刀を受け取り道場の中央にでる。

 

 門下生達は突然始まった試合に混乱しつつも興味深げだ。宗主相手にあれほどまでに啖呵を切った少女がどれほど使い手なのか。剣士の血が騒ぐのである。

 

 そんな中、ミクを止めようとする空気が読めない少年が一人。

 

「ま、待つんや、ミクさん! じい様は、ホンマ化けもんなんや! 今からでも遅ない、ちゃんと頼み込んで……僕も協力するでな……ミクさんは女の子なんやし傷でもついたら……だから……」

 

 ミクに追いすがる秋人は本心から心配して静止の声をかけるが、臨戦態勢のミクには煩わしいものでしかない。まして、この状況で性別を持ち出すというトンチンカン振り。ミクはサクッとスルーする。

 

「危ないんで下がっててください。不用意に前にでて怪我しても知りませんよ?」

 

 秋人は、見もせず片手で振り払われ呆然とする。何となく少年の純情な心理を理解した年配の男性門下生がポンと肩に手を置き、秋人を回収した。

 

「孫がすまんの。」

「? いえ、気にしてません」

 

 宗主も秋人の心中を何となく察していたが、ミクが全く相手にしていないようで苦笑いする。道場の中央で構えをとる二人。そして、戦いの幕が切って落とされた。

 

 両者の戦いは半日以上続き、道場から飛び出して山の中にまで及んだ。

 

 力試しでそこまでする必要はないのだが、剣術自体は素人ながらそのスペックの高さに宗主の興が乗ってしまったのである。

 

 ミクは、飛天御剣流などの他の再現技を一切使わず、また高速機動も封印し、純粋に【オーラ】だけを使い神鳴流の動きに集中した。

 

 宗主が【斬岩剣】を放てば、【見よう見真似斬岩剣】を放ち、【斬空閃】で斬撃を飛ばせば【ニセ斬空閃】をこれまた見よう見真似で返す。【エセ百烈桜花斬】【斬鉄閃モドキ】を宗主の技をコピーしながら、徐々に練度を上げ、宗主の技に近づけていく。

 

 もちろん、技だけでなく、剣術の基本的な歩法や体捌き、剣の振り方を吸収していく。高度な演算能力と超人的な動きも再現できるほど廃スペックを持つミクだからこそできることだ。しかも、今は少しでも早く覚えてイオリア達の下へ戻りたいとやる気に満ちており、いつも以上に能力を引き出していた。

 

 だが、ミクのそんな事情を知らない宗主の心中は喜悦に満ちていた。

 

 戦いながら成長というのもおこがましい“進化”をしていく眼前の少女に、そのあり得べからざる才気に、年甲斐もなく心が熱くなる。

 

 この少女に全てを教えたらどこまで行くのか? そんな想像が頭から離れない。力になりたい人がいると言っていたことから、神鳴流に留まるような子でないことはわかる。それでも、ミクに次代の神鳴流を担って欲しいとまで思うようになっていた。

 

 神鳴流が悪用されるかもしれない等とは露にも思わない。ミクの真っ直ぐ射抜いてくる瞳、その一途な剣線に宗主の心はとっくに決まっていた。自分の全てをこの子に授けると。

 

「ふはは、何と楽しい試合かのう、ここまで血が騒いだのは久しぶりじゃ。だが、得物がもう持たん。次で最後にしようかの?」

「はい!」

 

 二人を中心に猛烈な【気】が渦巻く。

 

 正直、ミクは結構限界が近かった。度重なる技の模倣に多大な【オーラ】を消費して尽きかけていたからだ。

 

 同じ位技を放っていながら余裕そうな宗主はやはり練度が違うのだろう。ミクの方が無駄な力を使っているようだ。数百年磨き続けられてきた流派の技を一度や二度見たくらいでは、やはり完全修得には程遠い。

 

 失望されないよう、最後は余力なし、全力全開で行く! と覚悟を決めるミク。

 

 そんなミクの瞳に笑みを深め、宗主は木刀に雷を宿していく。

 

 ミクも【オーラ】の性質変換くらいは出来るが宗主と比べるとその練度は心元ない。したがって、半端な雷鳴剣はきっぱり捨て、ミクはただひたすら【オーラ】を込めることに専念する。

 

「潔い! 見事捌いてみせぇ!」

 

 一瞬の静寂、直後二人は同時に踏み込み、そして雷鳴と爆音が轟き再び静寂に戻った。遠くから式神で様子を見ていた門下生達が息せき切ってやって来る。

 

 砂煙の晴れたその先には、残心する宗主と俯せに倒れたミクがいた。流石は年の功、経験と技術がミクを上回ったのだ。

 

 しかし、才気は存分に見せた。

 

「っ!?」

 

 一瞬、フラつく宗主。門下生が慌てて支えようとするのを手で制し苦笑いする。宗主の片手が脇腹を抑えるのを見て、一撃入れたのか! と驚く門下生達。

 

「最後の最後までよくやりおるわ。ワシの雷鳴剣を最小限のダメージで抑えながら一撃入れおった。あれはダメージで倒れているというより【気】が尽きただけじゃろう。全くたまらんのう~かっかっかっ!」

 

 そう言って豪快に笑う宗主は、自ら倒れたミクを背負い屋敷に戻る。その後を門下生が慌ててついて行く。

 

「本当に弟子になさる気なんですか? ……正直、彼女は危険です。これほどの力、素性も明らかやありません。神鳴流を修得したら直ぐ出ていくのとちゃいますか? その後で、何をするやら……」

 

 師範代の一人から当然の懸念を出されるが、それも笑い飛ばす宗主。

 

「そうじゃろうな。しかし、力に飲まれることはなかろ。外道に落ちる心配は無用じゃて。」

 

 確信に満ちた力強い言葉に、戦いの中で感じるものがあったのだろうと納得する師範代。他の門下生も一様に頷いた。

 

 ちなみに、ミクは既に意識を取り戻していたのだが、宗主の背中の上で起きるタイミングを逃し寝たふりをしていた。いつ起きればいいのかと頭を悩ませながら。

 

 翌日から、青山家所有の山の中で本格的な修行が始まった。

 

 といっても普通の素振りや型の稽古ではない。ただひたすら戦い続けるのである。

 

 ミクはただ戦っているだけで宗主の動きを解析しトレースし自分のものにしていく上、ミク自身が一ヶ月で修得すると言って聞かなかったため、ならばやってみろ! と一ヶ月戦い続けることにしたのだ。

 

 宗主だけでなく時には師範代も加わり、毎日ひたすら戦い、その度に神鳴流を吸収していくミクに師範代達は戦慄するとともに、宗主と似た興奮を覚えていた。

 

 日が落ちると、宗家の人達と食事を共にし、秋人がそわそわする。夜になると宗家の一室で寝泊りし、秋火がそわそわする……と見せかけて夜中こっそり抜け出して鍛錬に当てる。

 

 朝方戻ると、また朝食を御呼ばれし、秋人がそわそわする。時間があれば、宗主の娘であり秋人の母親に食事の手伝いがてら京料理を教わったりし、やたら気に入られ嫁に来ないかと聞かれ、秋人が盛大に動揺する中、さらりと流す。

 

 眼中にない様子に、脈なしかぁと残念そうな母親と落ち込む秋人。秋人は何かとミクを気にして話しかけたりするのだが、ミクの中では“秋人”というより“師匠の孫”という認識らしく丁寧な態度だがそれ以上でもそれ以下でもなく、努力は全く実っていなかった。まぁ、実ることなど有り得ないのだが。

 

 ある日など、鶴子が無邪気に「ミク姉ぇは、好きな人いるん?」と食後の団欒中に尋ねるということがあった。

 

 一瞬シーンとなり、大人組は面白そうな顔をし、秋人はそわそわし始める。ミクは鶴子の質問に少し驚くと、直後はにかんだ表情で答えた。

 

「えへへ~いますようぅ~、とっても素敵な人ですよ~」

「わぁ~、どんな人なん? どんな人なん?」

「そ~ですね~、とっても頑張り屋さんで、音楽がとっても上手で、すっごく強くて、絶対諦めない人で、すごく優しくて、誰より私を求めてくれる人ですよ~」

 

 とそんなこと言うミクの表情はこれ以上ないくらい幸せそうだった。その表情を見た鶴子は「ミク姉ぇ可愛ええなぁ~」と顔を真っ赤にし、大人組は「へぇ~」とミクのいう人に興味を示し、秋人は崩れ落ちた。魂が抜けたような秋人に追い討ちがかかる。

 

「そういえば、秋人君とは同じ年ですね」

 

 ミクがそこまで言う人なら自分より遥かに年上と勝手に思い込んでいた秋人は、自分と同い年の男が意中の女の子にここまで思われているという事実に、ついに真っ白に燃え尽きた。

 

 その様子に、「あれ、秋人君?どうしたんですか?」とキョトンとした表情で声をけるミク。大人組は「もう堪忍したってぇ~」とミクを止めるのだった。

 

 そんな日々が続き、ミクが神鳴流総本山に来て二十日目の日、遂に免許皆伝が与えられた。

 

「まさか、一ヶ月もかからず全部持って行きよるとはなぁ~、もう教えることが何も残っとらんわ。あとはひたすら実戦で自分流に飲み込んで行くしかないの」

 

 そんことを言って満足げに笑う宗主の格好はボロボロだった。ミクとの皆伝をかけた試合の結果だ。師範代達の立会の元、遂にそれが認められた。

 

 ミクは、大きく息を吐くと、その場で深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございました!!」

 

 その様子に宗主も師範代達も温かな視線を送る。

 

「……これから先、どこで何をしようと、思うがままに神鳴流を振るうがよいわ。生涯最高の弟子よ」

 

 宗主のその言葉を皮切りに師範代達からも次々と声をかけられるミク。照れながら感謝の言葉を伝える。

 

 その晩は盛大な送別会が催された。

 

 翌朝早く、ミクはイオリア達の下へ戻るため宗家の門前で最後の別れの挨拶をしていた。その時、秋人が駆け込んできた。

 

 ミクは、あれそういえば居なかったと今更気付いたが言わぬが花である。秋人は、意を決したようにキリッとした表情を見せると大声でミクの名を呼ぶ。

 

「ミク! ……好きだ! 俺の嫁になってくれ! ずっと一緒にいてく――」

「ごめんなさい」

 

 即答である。タイムラグゼロである。ミクの表情には照れも動揺もなかった。朝靄の中、スズメの鳴き声だけが辺りに響く。条件反射的に断ってしまったが、流石に不味かったかと慌てて言葉を足す。

 

「え~と、無理です。ごめんなさい。有り得ない可能性なので、別の人を見つけてください」

 

 足した結果、さらに強力なストレートになった。秋人の口からエクトプラズムが出ている気がする。

 

 見送りに来た人達が「玉砕覚悟の特攻か、漢やな~」と生暖かい視線を送る。宗主が代表して場の空気を取り戻し、今度こそ別れに挨拶を済ませた。

 

 

 

 

 

 ミクは転移魔法を使い最短時間で“別荘”に戻る。イオリア達からすれば予定より半年以上早い帰還だ。それでもミクと分かれてから一年以上経っているのである。はやる心を落ち着けながら、“別荘”の転移陣の上に立った。

 

 食事中、“別荘”の転移陣が起動したことにイオリア達全員が気がついた。この場所を知っているのは、この場のメンバーを除けばミク以外はいない。帰還予定より半年以上も早いが、まさかと思いながら食事を投げ出して転移陣への空中回廊があるテラスへ急ぐ。

 

 そして、テラスの先、空中回廊の中間あたりに懐かしい翠髪の少女、紛う事無きミクがこちらに満面の笑みで駆け寄ってくるのを確認した。

 

「ミク!」

「ミクちゃん!」

「ふん! ようやく帰ってきたか!」

 

 三者三様に喜びを表現しつつミクに駆け寄る。ミクは勢いそのままにイオリアに飛びついた。それを一回転しながらしっかり抱きとめる。ゆっくりミクを降ろしミクの聞きたかった言葉を掛ける。

 

 

「おかえり! ミク!」

「おかえり! ミクちゃん!」

「よく帰ったな、ミク。」

「ケケケ、早イゴ帰還ジャネェカ、マタ遊ベルナ!」

 

 ミクも最大限の笑顔をで応えた。

 

「ただいま帰りました!」

 

 

 

 

 

 

 

 イオリア達はそのままお茶会と洒落こんだ。ミクの帰還祝いだ。きゃきゃと騒ぎながらお互いの話をする。

 

 ミクから、免許皆伝をもらったこと、宗主の直弟子となり全てを教えてもらったこと、宗家での生活などの話しを聞かせてもらう。

 

「ほぅ、青山の宗主自ら師となったのか。それはまた、随分と気に入られたもんだな。まぁ、ミクのスペックを思えば不思議というほどでもないのかもしれんが……」

 

 エヴァが感心したように相槌をうった。

 

「そうですね。随分と目を掛けてもらいました。師範代の方達もよくしてくれて……気に入られすぎて嫁に来ないかとか言われちゃいましたし、最後なんて、師匠のお孫さんにプロポーズまでされちゃいましたよ。全く困ったものです」

 

 苦笑いしながら、修行しに行っただけなんですけどね~と話すミク。エヴァとテトは面白げに「詳しく!」と煽るが、全くもって面白くない男が一人。それに気がついたエヴァが茶化す。

 

「なんだ、イオリア。ミクが求婚されてヤキモチか?」

 

 からかうように口元をニヤニヤさせながら問う。

 

 ミクは「えっ!?」と思わずイオリアをマジマジと見る。テトも面白がっているようだ。

 

 しかし、イオリアは実に落ち着た雰囲気で紅茶をゆっくり飲む。期待した反応がなくてつまらなさそうなエヴァと少し落胆するミク。そんな二人を見て、微笑みながらイオリアが口を開いた。

 

「よし、京都に行こう」

 

 そう言ったイオリアの両腕に炎が渦を巻いたような文様が浮かび上がり、イオリア自身薄黒く染まり始める。そのまま、ガタと席を立つイオリアにテトが全力でしがみついた。

 

「マスター! 落ち着いて! マギア・エレベア発動してどうするつもり!?」

「HAHAHA! 何ちょっと京都へ観光に行くだけだ。日帰り旅行だよ。」

「いやいや、なら、お前、そんなもん発動する必要ないだろうが! っていうか今までで一番出力が上がっているだと!? 嫉妬か!? 嫉妬の力か!?」

「ミクに手ぇ出すたぁふてぇ野郎だぁ! 京都ごと消毒してやんよぉ!」

「マスター! 落ち着いてください! 私はマスターのものですよ! 当然きっぱり断りましたから! マスター以外の人となんて有り得ませんから!」

「ケケケ」

 

 

 テトを引きずりながら出ていこうとするイオリアにエヴァとミクがさらに縋り付く。どさくさに紛れてミクが結構すごいことを言っている。

 

 イオリアはその言葉に若干恥ずかしそうに「そ、そうか」と言って椅子に座り直した。同時に文様も消える。エヴァが呆れの視線を送り、テトが苦笑いをする。ミクはすごく嬉しそうである。

 

 嬉しそうにしながらも気になるのか、ミクはイオリアの変化について質問した。

 

「あの、今のは何でしょう? マスターが黒くなったり、腕に文様が浮かんだり……すごく健康に悪い感じだったんですが……」

「ああ、これはエヴァの協力で修得……って言ってもまだ修練中なんだが、マギア・エレベアというドーピング魔法みたいなものだ」

「おい、こら、イオリア。人の最強魔法をドーピング扱いか? そんな生易しいものでは……いや、お前は結構あっさり修得してたしたなぁ」

 

 遠い目をするエヴァを放って置いて、今度はイオリア達の話をした。

 

 イオリアは西洋魔法を勉強しながらマギア・エレベアの修得にチャレンジした。ダメで元々。エヴァが傍で監修するので適性がなくても命を失うようなことはないと踏んで。

 

 普通は幻想空間内でマギア・エレベアの本質が“全てをありのまま受け入れ飲み込む力”であると理解し受け入れなければならない。

 

 この時点で適性がないものは命を失うし、適性があるものでも相当危険を伴ってようやく修得できるかどうかという修得難度MAXな魔法である。

 

 しかも修得した後でも、適性が高すぎると魂を侵食され命を落とすか魔物に転じることになるという、まさに“禁呪”というに相応しい魔法だ。

 

 しかし、イオリアは幻想空間の試練を即行でクリアし、マギア・エレベアをあっさり修得してしまった。しかも、その後、発動を繰り返しても見事に安定しており、飲み込まれる様子がない。エヴァ本人のお墨付きである。

 

 推測するに、イオリアは前世で理不尽な不幸に襲われ続けた自らの境遇とこんな目に合わせている世界に激しい怒りを感じていた。その上で、長くは生きられないと覚悟し、死ぬときは笑ってやると決意していた。

 

 そして、死を受け入れながら最後まで足掻き続けた。この前世の出来事がイオリアの根幹である。

 

 憤怒を感じながら死というもっとも忌避すべき事象すら受け入れ、最後まで絶望せず足掻き続けたことが、闇への適性と侵食への対抗力の調和をもたらしているのではないか、というのがイオリアとエヴァの見解だ。

 

 ただ、侵食を受けない代わり多少出力も抑えられてしまっている。今は、実戦中でも調和を保つ訓練と術式兵装の安定化の訓練をしている。

 

 ちなみに、イオリアの得意属性は【土】だった。【土属性最強呪文:引き裂く大地】を装填すると某海軍大将の赤いワンコになったときは乾いた笑いしか出なかった。

 

 一方、テトも新たな力を手にした。【咸卦法】である。魔力と【気】という名の【オーラ】を融合させることで爆発的な力を得る。これの修得に成功したテトの【堅】の出力が常態で十倍近く跳ね上がり、しかも咸卦中は【念】の全系統が100%使えるようになった。どこぞの絶対時間状態である。

「はぁ~、皆すごいですね~ところでエヴァちゃん。さっきから気になってたんですが、なぜ幻術を? しかも中途半端な成長度合いです。十四、五歳くらいですか?」

 

 ミクがエヴァに疑問の声をあげる。そう、エヴァはなぜか少し成長した姿なのだ。

 

 聞かれたエヴァが「ようやく聞いてくれてたか!」と喜色を浮かべる。実は、ミクが帰ってきてからずっとそわそわしていたのだ。ミクが、なかなか聞いてくれなので、「えっ、もしかしてスルーする気か!?」と内心不安になっていた。

 

「ふふふ、よくぞ聞いてくれた! ミク、私は幻術など使っていない。これが今の私の本来の姿だ!」

 

 ドヤ顔で胸を張り「どうだ?どうだ?」とミクをチラチラ見る。テンションの上がり方がすごい。ミクは若干引きながら、疑問顔をエヴァに向ける。答えたのは苦笑いを浮かべたイオリアだ。

 

「ミク、エヴァの首飾りに見覚えないか?」

「首飾り?」

 

 言われてエヴァの首元を見ると確かに見覚えのある首飾りがかかっていた。赤い宝石の中央に十字架があしらわれたものだ。

 

「あ、もしかして【聖騎士の首飾り】ですか? ……えっ、もしかして、エヴァちゃん今、人間ですか!?」

「ふふん」

 

 驚くミクに一層得意げなエヴァ。イオリアは追加説明する。

 

「ああ、といっても、つけている間だけだ。外せば吸血鬼に戻る。【聖騎士の首飾】に吸血鬼化を解くほどの力はないらしい。まぁ、一時的にでも押さえ込めるんだから大したものだが……エヴァが成長するには役に立つってことだ」

「ほえ~、良かったですね!エヴァちゃん!」

「んふふ、まぁな。それとミク、私も【念】を覚えたぞ。まぁ、【気】と同じだから元から多少は扱えるのだが、……私は新たな能力を手に入れた!」

 

 【気】と【念】は本質的に同じものだ。ただ、ネギま世界の【気】は【念】の六性図でいうところの“強化”と“放出”しか基本概念がなく、精孔を開くという概念もない。

 

 従って、【気】を扱えるようになるには何年もの修行が必要だし、それでも全ての精孔が開くとは限らず、そのため“強化”“放出”が不得意な者との個人差が激しいのではないだろうか。ジャックラカンなどは典型的な“強化”系だろう。

 

 そして、エヴァは典型的な“操作”系だ。

 

――念能力 人形師

 

 糸を取り付けた対象に “オーラ”を送り込み神経のように張り巡らせることで意のままに操る能力だ。

 

 繰糸自体は自力でやらなければならず、対象に取り付いた時点で始めて発動条件を満たす。有機物・無機物に関わらず擬似神経を構築できれば操作可能だが、エヴァより大きい“気”で吹き飛ばせば解除されてしまう。操れる範囲は“円”の範囲であり、能力発動中は他の念は使えない。

 

 高笑いするエヴァから、能力の詳細を聞いたイオリアとテトの最初の感想は「どこの青夏さんだ! 凶悪すぎるわ!」だった。まさに、悪の魔法使いに相応しい能力だった。

 

「うわ~エヴァちゃん、悪い顔してますよ~、凶悪な能力ですね~」

「うむうむ、そうだろう、そうだろう。ドールマスターたる私に相応しい能力だ。まさに“人間”を“人形”のように操る能力。略して【人形師】。素晴らしい!」

 

 再び高笑いするエヴァ。ミクやテトに負けず劣らずのチートキャラと化してゆく。「早まったかなぁ~」と遠い目をするイオリアにミクとテトは苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

 帰還祝いのあと、エヴァが仮契約の話を持ち出した。せっかくミクも帰ってきたのだから、一つしてみてはどうかと。もしかすると、レアなアーティファクトが出るかもしれない。

 

 なるほど、と納得し仮規約し早速準備に入る。そして、その方法に思い至りミクとテトが顔を赤くする。仮契約の方法の一つが魔法陣の上でキスすることなのだ。

 

 そんな二人の様子を見て、イオリアが困り顔をしながら他の方法もあるから、と言うと「断固、キスで!」と声を揃える二人。若干気圧されるイオリアと、その様子を見て呆れ顔のエヴァ。

 

 エヴァが魔法陣を書き終わり、準備できたぞと呼びかけたにもかかわらず、もじもじとして中々魔法陣に入らないミクとテト。

 

 イラッときたエヴァが、スタスタと魔法陣の中に入る。「何だ?」と疑問顔の一同をよそにエヴァはつま先立ちになり、グイッとイオリアの襟を引き寄せるとそのままキスをした。

 

「「ああぁーー!!」」

 

 指をさして悲鳴をあげるミクとテト。たっぷり十秒以上キスをすると、エヴァは「んっ」と若干喘ぎながら離れる。呆然とするイオリア。固まるミクとテトを尻目に、エヴァは出てきたパクティオカードを拾う。

 

「ふん、キスくらいでなんだ。大げさな。それよりイオリア、お前のカードだ。なかなか面白そうだぞ?」

 

 何事もなかったようにパクティオカードを渡すエヴァに、ミクとテトのジト目が突き刺さる。

 

「そんなこと言って、エヴァちゃん真っ赤だよ?」

「結局、恥ずかしいんじゃないですか~」

「ケケケ、御主人ハ案外オトメダゼ?」

「黙れ、貴様ら! もたもたしてるのが悪いんだろ!」

 

 ギャーギャーと騒ぐ女子サイド。イオリアは所在無げに立ち尽くす。

 

 仕方ないので、自分のカードを確認してみた。カードにはイオリアがバリアジャケットと同じデザインの服を纏い、左手に黒色の手袋をはめている姿が描かれている。

 

 何だこれ? と疑問に思いながら「アデアット」とカードを発動する。

 

 すると服装はそのままに、手袋だけが自動的に装着された状態で現れた。そして、手袋を間近で見ることで何となくどういうアーティファクトか察したイオリアは、試しに、未だギャーギャー騒いでいるエヴァ達に向かってイメージと共に左手を振ってみた。すると、極細の糸がヒュという風切り音と共に伸び三人をまとめて拘束した。

 

 三人は、突然拘束され目を白黒させている。それを華麗にスルーして「ふむふむ」とアーティファクトの検証に勤しむイオリア。やがて、イオリアの仕業とわかると再び騒ぎ始めたので開放する。

 

 どうやらイオリアのアーティファクトは弦を無数に出し操れるものらしく【操弦曲】というらしい。

 

 イオリアは内心突っ込んだ。どこの天○授受者だよ! と。まぁ、イオリアの音楽の才能も関係しているのかもしれない。弦楽器を操る延長と思うことで、何とか納得するイオリア。その内、レ○オスな世界に飛ばされるんじゃなかろうなと、嫌そうな顔で黒手袋を見つめる。

 

 その後、ミクとテトもパクティオを済ましカードを手に入れた。方法は当然キスだった。ミクもテトも恥ずかしがるので、イオリアが少し強引にいった。こう、グイッって感じで。パクティオ後の二人は暫く惚けていたので確認には時間がかかったが、その能力が判明する。

 

 ミクのカードにはミクの後ろに8つの紙人形が描かれており、名を【九つの命】という。

 

 能力は、分身を最大8体まで作り出すことができる。スペックは本体と同等。自立行動できる。ぶっちゃけ影分身である。分け与えた魔力で活動するのでそれが尽きれば消えてしまう。しかし、それでもミクがあと8人いるわけだから十分チートだ。

 

 テトのカードには赤い宝石のついた指輪をはめて地面に手をかざしている姿が描かれている。

 

 名を【賢者の指輪】。ぶっちゃけ両手パンで錬成!のあれだ。流石に無から有は作れず法則を無視できないようだが。

 

 全員が自分達は一体どうなってるんだ!?と頭を抱えるが、エヴァは珍しいな~とそれぞれのアーティファクトを弄り倒しご満悦だった。

 

 それから魔法球換算でさらに半年ほど過ごし、イオリア達はいよいよ魔法世界に出発することにした。

 

 必要な物を【魂の宝物庫】にしまい、エヴァ、チャチャゼロを含めた五人で魔法世界へ転移する。ワクワクドキドキと期待するイオリアの目に、最初に映った光景は……

 

――地獄だった。

 

 

 




いかがでしたか?

ミクがいきなり宗主を脅してます。
作者にもどうしてこうなったのかわかりません。
黒ミクも自我が成長しているんでしょう、作者の脳内では・・・

さて、今回のエヴァについて賛否が分かれそうです。
ロリエヴァ絶対派VSエヴァならOK派・・・作者は後者です。
エヴァなら何でもいいです。でも、アルさん提案の猫耳とかセーラーとかスク水来たロリエヴァは捨てがたい。ちっこ可愛いいじられキャラ・・・だがしかし大人の貫禄も見せる、そういう所が・・・
すみません、熱くなりました。
ちなみに、ミク達の外見年齢が16歳前後なので、エヴァはそれに合わせて首飾りの使用をやめます。仲間はずれは嫌な子なんで・・・作者の脳内では・・・

あと、アーティファクト。
皆さん、エヴァの元ネタわかりますか?そうです、あの逝っちゃてる人です。ちょっと能力が凶悪すぎますかね?
対して、ミクはちょっと地味過ぎますかね?まぁ、十分チートですけど・・・

何だかやりすぎて収拾付かなくなってきた気がします。
矛盾とかご都合出ても、今まで以上に優しい気持ちで見てもらえると嬉しいです。

次回は、遂にあの戦争時代に・・・


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第20話 600歳は伊達じゃない

戦争介入。

イオリアの悩み、葛藤、行動方針、人間ですからきっちりかっちりとは行きません。
その辺が表現したかったのですが・・・難しい。


 イオリア達が転移した場所はどこかの街の上空だった。

 

 しかし、眼下に広がる光景は、街並みと人々の喧騒ではなく、轟轟と燃える街と人々の悲鳴、そして、数十体の鬼神兵と数え切れないほどの兵士だった。

 

 街はおそらく拡大した戦場に巻き込まれたでもしたのだろう。多くの人が近くの森を目指して逃げ惑っている。

 

 その時、一体の鬼神兵の顔が街の方を向きその口がガパッと開けられた。全身に悪寒が走ったイオリアはミク達の制止を振り切って飛び出す。

 

 「させるかぁーー!」

 

 イオリアが全身全霊で【オーパルプロテクション・ファランクスシフト】を最大領域で展開するのと、鬼神兵からレーザーの如き砲撃が放たれたのは同時だった。

 

 鬼神兵の砲撃はイオリアのプロテクションを難なく食い破っていく。その特性上一瞬で全障壁を抜かれることはないが、イオリアの障壁構築速度より破壊速度の方が明らかに早い。

 

 あと数秒で破られるというとき、イオリアのプロテクションに重ねるようにさらにシールドが張られていく。ミクとテト、そしてエヴァだ。三人の障壁によりイオリアのプロテクションも息を吹き返すように十枚の障壁が張り直される。

 

「もう! マスター! 何してるんですか!」

「勘弁してよ! 心臓が止まるかと思ったよ!」

「この阿呆が! 鬼神兵の砲撃に身を晒すやつがあるか!」

 

 障壁を張りながら怒りの表情でイオリアをなじるミク達。そうこうしてるうちに砲撃は止み、その場を離脱する。再度、蛮行を叱ろうとミク達がイオリアを見ると、イオリアは唇を噛み締め眼下の街と人々をジッと見つめている。

 

 そして、ミク達に振り返ると何かを決断した表情で告げる。

 

「ミク、テト、救うぞ。……エヴァできれば……」

「皆まで言うな。話はあとだ」

「ありがとう」

 

 イオリアがミクとテトに告げ、エヴァに頼もうとすると、エヴァは全ては言わせず協力を申し出た。感謝の言葉を告げ、イオリアは指示を出す。

 

「人間は俺がやる。三人は鬼神兵をやってくれ。チャチャゼロは俺の護衛を頼む」

 

 そう言いながらセレスをバリトンサックスに切り替えるイオリア。何をする気か悟ったミク達が頷き散開する。

 

「ケケケ、オ前ノソレ、本領発揮ダナ?マァ、安心シナ、演奏ノ邪魔ハサセナイゼ」

「ああ、頼りにしてる」

 

 イオリアは静かに目を閉じスーと息を吸うと黄金のサックスに息を吹き込んだ。重厚で深みのある旋律が戦場を満たしていく。

 

 戦場には全く似つかわしくない洗練された音楽が、怒号や悲鳴を掻き消すように鳴り響く。パニックになり泣き喚く人々が「一体なんだ?」とつい耳を澄まし、気がつけば冷静さを取り戻していく。

 

 兵士にとっては異常事態だ。新手の攻撃か!? と慌てふためく。

 

 街の上空でサックスを吹き鳴らすイオリアを発見した兵士が魔法の矢を放つが、奏者の前に陣取った第一の聴衆がそれを許さない。

 

 小さな体を縦横無尽に動かし、まるで曲に合わせてダンスでもするかの用にくるくると回りながら魔法の矢を叩き落としていくチャチャゼロ。

 

 やがて、戦場のほとんどの音を掌握したイオリアは一度、マウスピースから口を話すと大きく仰け反りながら息を吸う。胸部がそれに合わせてぐぐっと膨らみ、余すことなくサックスへ吹き込んだ。

 

 これにより発生した衝撃超音波が秒速340mで兵士達の脳を揺さぶる。

 

 兵士達は例外なく白目をむき、鼻や耳から血を流しながら倒れた。死なない程度に加減はしているとは言え、絶対ではない。また、早ければ1日ほどで目を覚ますが暫くはまともに戦えないだろう。

 

 

「オ見事。イツ聴イテモ惚レ惚レスンナ。シカモ効果ガ凶悪スギルゼ。ケケケ」

「俺は純粋に音楽を奏でていたいんだけどな」

 

 イオリアはチャチャゼロの賞賛に喜ぶでもなく、チラリと鬼神兵の方を見るとセレスを篭手型に戻し街の人々の救助に向かった。

 

 ミク達もちょうど鬼神兵を倒したようだ。流石、チートの権化達である。念話で直接救助に向かうよう指示し、イオリアは無表情のまま何かを振り切るように救助活動に集中した。

 

 生存者を探し、森の中に誘導する。テトのアーティファクト【賢者の指輪】で簡易の家を建てていく。【魂の宝物庫】から取り出した食事を【九つの命】で分身したミクが炊き出しを作り振舞う。イオリアとテト、エヴァは回復魔法を使って怪我人の治療に専念した。

 

 この時も、エヴァは特に異論を挟むことなくイオリアの指示に従ってくれた。悪の魔法使いを自称するエヴァは基本的に対価なくして動かない。それ故、少しイオリアには不思議だったが、今は猫の手も借りたいくらいだと気にしないことにした。

 

 怪我人の治療が終わり、イオリア達の出来る限りのことをしたあと、街の代表者と話し合い、この場所は危険であるとして、最寄りの街に避難することになった。

 

 街の人を集めて転移魔法で最寄りの街に分散して送っていく。順番に転移陣に入るたびに街の人々がイオリア達に感謝を告げていく。それでも、イオリアの表情は最後まで晴れなかった。最後の住民達と共にイオリア達も近くの街に行き宿をとって一息ついた。

 

 しかし、部屋に入るとイオリアは直ぐに【魂の宝物庫】から別荘を取り出し、ちょっと考えたいと言って夕食も取らず自分の別荘に入っていた。

 

 ミク達は黙って見送る。エヴァだけが訝しげにミク達とイオリアを交互に見ていた。

 

 イオリアを欠いた夕食の席で、ついに我慢できずエヴァが尋ねた。

 

「おい、ミク、テト。イオリアのヤツはどうしたんだ? 何も人死を初めて見たわけではあるまい。戦争経験者だろう?何を、沈んでいるんだ? まさか、全員救えなかったことではあるまいな。そこまで甘ったれでないはずだが……」

 

 イオリアが全員救えなかったことを悔やんでこれみよがしに落ち込み「慰めて欲しい」という態度をとるほど甘えた人間ではないと、今まで二年近く一緒にいたエヴァにはわかる。

 

 ではなぜあんなにも深刻そうに思考に没頭しなければならないのか、エヴァにはさっぱりわからなかった。

 

 しかし、ミクとテトには予測がついているようで、それが少し悔しく感じつつも、埒があかないので直球で尋ねたのだ。

 

「それは……」

 

 言い淀むミクに不満げな、それでいて少し寂しそうな表情になるエヴァ。

 

「……私には言えんことか。それは、時折お前達が見せる私への遠慮と関係があるのか?」

 

 その言葉に少し驚いた様子の二人。エヴァは苦笑いする。

 

 確かに、イオリア達には遠慮があった。エヴァとの付き合いは一時的なものだ。翌年の世界樹発光で別れる予定で、そうなればもう二度と会うこともない関係だ。

 

 だから、一時的な友誼は結んでもそれ以上深い関係にはならないよう注意はしていた。どうやらそれを見抜かれていたようだ。

 

「それくらいわかるさ。もう二年は一緒いる。当然だろ?」

 

 そんなエヴァを見て、テトが微笑む。

 

「エヴァちゃん。よかったらマスターのところに行ってあげてくれないかな? きっと、エヴァちゃんの言葉がマスターには必要だから」

「テトちゃん……そうですね。きっとマスターはもう結論を出しているんでしょうが……後押しできるのは、きっとこの世界の住人であるエヴァちゃんだけです」

 

 テトの言葉を受けてミクも賛同する。

 

 そんな二人を静かに見つめるエヴァは、やがて同じように微笑んで席を立った。

 

 ミクとテトがイオリアを任せた意味をエヴァは正確に読み取っていた。二人は今、本当の意味でエヴァを友人ではなく仲間として見たのだ。エヴァの微笑みはそれ故である。

 

 

 

 

 

 イオリアの“別荘”はエヴァの“ルーベンスシュルト城”と趣を異にし、静謐をテーマとしている。

 

 緑豊かな山とその麓に大きな湖と川、それに森が広がっている。その森の向こう側はこれまた緑豊かな山々が連なり、盆地、平原、湖がそこかしこに点在する。静謐で神聖さを感じる、古き良き日本をイメージしたのだ。そんな森の中、湖との中間の辺りに三階建ての日本家屋が存在する。イオリア達の住居だ。

 

 ちなみに、エヴァたっての希望で“レーベンスシュルト城”と魔法陣で直接行き来出来たりする。

 

 イオリアは、今、湖のほとりに来ていた。ボーと湖を見ながら考え事をする。暫くそうしていると、背後から草木を踏む足音が聞こえてきた。

 

「ふん、随分と辛気臭い顔をしているな。どうせくだらんことでも考えているんだろう?」

「……エヴァ」

 

 エヴァはイオリアの隣までくるとトスと音を立てて座り込んだ。そして、どこからかワインボトルとグラスを取り出し、グラスを一つイオリアに渡す。イオリアは苦笑いして、「俺まだ十五なんだが……」と言うと「何か問題か?」と野暮なこと言うなというようにワインを注いだ。

 

 イオリアにワインの善し悪し等分からないが、それでも芳醇な香りに思わず頬が緩む。相当いい物を持ち出してきたらしい。

 

 エヴァは自分のグラスを掲げる。イオリアも合わせて掲げるが「何に乾杯するんだ」という顔をする。それに、エヴァはやわらかな表情をすると、

 

「では、この二年に」

 

 とそう言った。イオリアも微笑み頷いて「この二年に」と小さく呟きグラスを合わせる。二人で一口。余韻を味わいながら、しばらく沈黙が続く。しかし、決して嫌な沈黙ではない。気まずさとは程遠い心地よさがあった。

 

 随分と親しくなったもんだとイオリアは苦笑いした。イオリアは察していた。おそらく、ミク達が自分の考えを察していることを、だからこそエヴァを寄越したのだと。

 

 二人には相変わらず適わないなぁ~と思いつつ、隣でワインを楽しんでいる、最近随分成長してきた友人を何となしに眺める。

 

「……言いたいことがあるならさっさと言え。そう見つめられると居心地悪いだろうが……」

 

 若干頬を染めたエヴァが軽く睨むようにイオリアを見る。イオリアは「悪い」と苦笑いしながら湖に視線を戻した。

 

「別に悩んでるとかじゃない。もう、どうするかは決めてるんだ。あの時、軍と戦うと決めた時に既に。あそこで引いてしまったら、それはもう俺じゃなくなる。誓いを違えることになるから。……未来より、今聞こえる悲鳴の方が俺にはずっと重いから。……ただ“有り得たはずの未来”で紡がれたはずの友情や愛情を引き換えにすることに良心が咎める。……そのために揺らいで誰かを危険に晒す前に、揺らがないよう見つめ直してたんだ。自分の誓いを。今まで培ってきたものを」

 

 イオリアの独白を黙って聞いていたエヴァは、やはりこの男は強いなと感じていた。実力だけでなく、その意志が。イオリアを横目に眺めつつ、その良心を咎めるという原因について疑問をぶつける。

 

「ふん、“有り得たはずの未来”か……まるで、この先の未来を知っているような口ぶりだな。……それがお前達が私に隠していたことか?」

 

 イオリアはエヴァの質問に、気がつかれていたのかとミクやテトと同じような反応を返す。それから全てを話すことにした。

 

 すなわち、“ネギま”の物語を。“紅き翼”と“完全なる世界”の戦い、オスティアの崩落、魔法世界崩壊の危機、英雄の息子ネギの存在、ナギによるエヴァの封印、ネギの師匠となること、そしてネギの出した魔法世界救済の答え。

 

 話しが終わるとエヴァは何やらぷるぷると震えている。まるで激情を押さえ込むように。イオリアはやっぱりこれから自分のすることが“有り得たはずのネギとエヴァの出会い”を無くすことになると知って憤っているのかと申し訳なさそうな表情をする。

 

 しかし、それは全くの勘違いだった。

 

「なんだそれは! 私の扱いが酷すぎるだろ! えっ何、初恋の相手に封印された挙句、解放の約束すっぽかされて十五年も中学生!? しかも、最弱状態で働かされて……おまけに意中の相手は既に結婚していて、子供までいて、……報われなさすぎだろ! 待遇の改善を要求するぞ!」

 

 客観的に聞くと確かにあんまりな扱いだった。ナギもどうしてストーカーされている時に既婚者だって言わなかったのか。

 

 未だ、ぷるぷると怒りに震えるエヴァをなだめるイオリア。やがて、落ち着いたエヴァが質問を重ねる。

 

「それで、イオリア、お前はこの戦争に介入しようというのだな?」

「ああ、巻き込まれる人々を救う。オスティアも落とさせない。アスナは助け出す。メガロの頭は潰すし、完全なる世界も引き込む。……そして、魔法世界も救う」

 

 あまりに強欲で傲慢な言葉にエヴァは呆れ顔だ。

 

「それが、たった一年、いやあと半年ちょっとで出来るとでも?」

「いや、来年には帰らない。少なくとも火星のテラフォーミングが終わるまで……二十年後の世界樹大発光でも目安にするさ」

 

 エヴァはイオリアからベルカでのことを聞いている。帰還の約束も、救うと誓いを立てたことも、それ故に帰還を切望していることも。

 

 それを、帰らないと言った。少なくともこの世界の危機が去るときまで。それは、イオリアの覚悟だろう。

 

「そうか、よくわかった。お前が空前絶後の大馬鹿者ということがな。自分とは関係ない世界のことだというのに、放っておいても誰かがしてくれるというのに、それでは満足できないというのだろう?……ホントに強欲だ」

「……軽蔑するか? 確かな未来より不確かな未来を選ぶことを無責任だと思うか?」

 

 イオリアの言葉には苦味が混じっている。そんなイオリアを「ふん」と鼻で笑うエヴァ。

 

「愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語るものだ。今を選んだお前を軽蔑などするものか。むしろ、こうあるべきなどと言って私にそんな残念な未来を選ばせていたら……ぶっ殺しているところだ。未来など元より不確かなもの。リスクを背負うこともなく安牌を選び続ける人生など……くだらんさ」

 

 そこで一度言葉を切るとエヴァは真っ直ぐにイオリアを見る。

 

 やわらかな風が湖畔に吹きエヴァの綺麗な金髪をなびかせる。風に舞う髪がきらきらと光を放ち、どこか神聖さすら感じさせる

 

「この世界で六百年を生きたこのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが保証してやる。お前が選んだ今は、願う未来は、決して間違ってなどいない。戦うというのなら……この私が、“闇の福音”が力になろう」

 

 こちらを見て淡く微笑むエヴァに、思わずやられたなぁ~と天を仰ぐイオリア。どうして自分の周りにはこうもいい女がいるのだろうかと緩む口元を隠しながら思う。

 

「ありがとう。どうやら揺らがず戦えそうだ」

 

 そんなイオリアの照れ隠しに気がついているのか「くくく」と悪い笑みを浮かべるエヴァ。再び、沈黙が訪れ二人は寄り添いながら湖を眺める。

 

「さて、私は戻るぞ。ミクとテトに、お前達のマスターに喝を入れてやったと報告しなければならんしな」

「ああ、俺も直ぐ戻る。今後の方針も伝えなきゃいけないしな」

 

 エヴァは最後のワインをクイッと飲み干すと立ち上がり踵を返す。しかし、二、三歩進むと顔だけ振り返りイオリアに悪戯っぽく笑った。

 

「そうだ、一応言っておく。“有り得たはずの未来”など二年前の時点でどちらにしろ存在しないぞ? 私は不死者だからな、欲しいものは何年かけようとも手に入れる。……たとえ世界が違ってもな」

「えっ? エヴァ、それって……」

「ふふふ、ではな。早く戻れよ?」

 

 エヴァは、最後にそんなことを言い残して去っていった。呆然とその背を見送り、イオリアは仰向けにぶっ倒れた。今度こそ「参った」と呟きながら。

 

 

 

 

 

 イオリアが魔法球を出ると、ミクとテトが微笑みながら待っていた。エヴァは不機嫌顔だ。となりでチャチャゼロがニヤニヤしていることから弄られたのだろう。

 

 ミクとテトに目線で礼を言って席に着く。そうして、今後の方針を伝え始めた。

 

「取り敢えず、紛争地域に行って巻き込まれた人達を助けていく。それと並行して情報収集だ。紅き翼のメンバーと渡りをつけて協力関係を築くのは絶対だし、アスナの正確な居場所も知る必要がある。帝国と連合もいずれは渡りをつける必要があるが、それは後回しだ。特に連合の方は腐りきってるみたいだから、頭をすげ替えるにしても時間がかかる。完全なる世界は特に探す必要もない。アスナを保護できれば、向こうから勝手にやって来るしな。そん時に、どうせ聞く耳持たずだろうからぶっ飛ばしてテラフォーミング計画に協力させる。

 まぁ、ざっとこんなもんかな」

 

「随分大雑把じゃないですか? 世界を救う計画としては随分適当な気が……」

「まぁ、いずれにしろ今の段階では情報が足りないけどね」

「いや、このくらい大雑把でいい。綿密な計画ほど、不測の事態に弱いものだ。世界を救おうというのなら、これくらいの計画性が丁度良い」

 

 イオリアの方針に、三様の意見が出るものの、何はともあれ、まずは巻き込まれた人達を救いながら情報収集をすることで一致した。今が戦争のどの時期なのかそれを知ることが重要だった。

 

 翌日から、イオリア達は本格的に動き始めた。

 

 

 

 

 

 

 戦場にほど近い街では今、とある噂が流れていた。戦火に巻き込まれた人々がどこからともなく現れた四人の少年少女に何度も救われているとうのだ。しかも、帝国も連合も関係なく無力化し、救助活動を行い、街の傷ついた人々を癒し、転移魔法で最寄りの街へ転送までしてくれるという。

 

 最初は、眉唾物として笑い話にもならなかったが、避難してきた人々が続々と増え、口々に救われたと話すことでどうやら本当らしいと人々の話題に上がるようになったのだ。

 

 特に、紅き翼の活躍によりグレートブリッジを奪還されて以来、押され気味のヘラス帝国では侵攻ルート周辺の街や村で不安が広がっており、そこへ来て、いざとなれば救いに来てくれる謎の集団は人々の格好の話題だった。

 

 人々を救いながら見返りを求めないその姿に、誰が呼び始めたのか花言葉にちなんで「スケトシア」などという名称がイオリア達に付けられた。

 

 意味は「清らかなる乙女」らしい。

 

 それを小耳に挟んだイオリアが「俺は何処に行ったんだ……」と落ち込み、エヴァが「わ、私が、き清らかな……ぬがぁぁぁーー、恥ずいー!」と顔を両手で抑えながら床の上をゴロゴロと転がり身悶え、ミクとテトがオロオロと二人を慰め、チャチャゼロが爆笑しながらエヴァを弄るというカオスが出来上がり、何とか違う呼び名をと画策したのだが……まぁ、それはまた別の話しである。

 

 そして、その話題はヘラス帝国の中央にも届いていた。

 

「むぅ、戦場で楽器を奏でる男に、剣士、銃使い、人形遣いの女……一体何者なのじゃ? こんな、概要だけの報告書ではさっぱりわからんではないか……我が民を救ってくれた者達にぜひとも会いたいのだがのう……」

「しかし、殿下。彼等はそれ以上に、我が国の兵を……」

「殺しておらんじゃろ? いや、全部とは言わんが全滅させられておいて、死者がほとんどおらんのは事実じゃ」

 

 殿下と呼ばれた十歳くらいの少女、ヘラス帝国第三皇女テオドラ・バシレイア・ヘラス・デ・ヴェスペリスジミアは、そう言って再度報告書を手にとった。

 

 そこにはボヤけた画像が貼られており、テオドラはその内の一枚、空中で黄金の楽器を吹き鳴らす少年らしき人物を眺めた。

 

「しかも、連合、帝国見境なしに無力化させて……一体何がしたいのじゃろうな? まさか、本当に救うことしか考えていないとも思えんが……うう~む、会いたい! 会いたいぞ! 何とかせよ!」

「どうかご自重下さいませ、殿下。このような素性も明らかでない輩を殿下に会わせるなど……そもそも――」

「ええい! もうよいわ!」

 

 ぷんすかと怒りながら駄々っ子のように手足をばたつかせるテオドラに、お付きの侍女は内心溜息をつく。

 

 テオドラのじゃじゃ馬振りは有名で、そんなテオドラが正体不明の集団に興味を持ってしまった。殿下がまた何かしでかすのでは? と気が気ではない侍女。

 

 そんな彼女を余所にテオドラは何かを企むように考え込み始めた。

 

 それから暫くして、再び連合と衝突が予測される場所の近くに小さな街があることを知ったテオドラが城を抜け出し、空っぽの部屋と開け放たれた窓を見て全てを悟った侍女が悲鳴を上げ大騒ぎになった。

 

 そのしわ寄せが自分達に来ることをイオリア達はまだ知らない。

 

 それほど遠くない場所で爆音が鳴り、その振動がガタガタと窓を揺らす。緊迫した空気が充満し、街の住人達の表情は皆強張っていた。

 

 戦火から逃れるために急いで避難をしているが、既に兵士達の怒号すら微かに聞こえるほど近づいている。街には老人も多く、簡単には動けない者も多い。このままでは戦火に巻き込まれるのは時間の問題だった。

 

 それでも、既に避難を始めていられたのは小さな少女の警告があったからだ。

 

 フードを目深にかぶり小さな体を精一杯動かして「戦火が迫っておる、早く避難するのじゃ!」とどことなく高貴な雰囲気を持つ少女が必死に住民達を促した。

 

 その少女は今も、辛そうに避難する人々を声を張り上げて励ましている。

 

「ほれ! しっかりせい! あの森に逃げ込めば時間は稼げる! 頑張って逃げるの――「やめろー!」な、何事じゃ!」

 

 ピョンピョンと跳ねながら励ます少女の耳に、突然、前方から悲鳴が聞こえてきた。

 

 少女は急いで声の元に駆け寄る。すると、数人の連合と思わしき兵士が倒れ伏す数人の住民を踏みつけながら怯える人々を睥睨していた。その後ろの森にはさらに八十人近い兵士がいつでも魔法を放てるよう発動寸前で待機している。

 

「な、何をしておるんじゃ! この者達は、ただの街の住民じゃぞ! 連合は関係ない者にまで手を出すほど腐っておるのか!」

 

 少女が怒りを顕に怒鳴り散らす。

 

 それを面倒くさそうに見た隊長らしき人物が部下に合図を送ると、瞬時に魔法の矢が放たれた。

 

 迫る魔法の矢に、まさか言葉もなくいきなり攻撃されるとは夢にも思わない少女は硬直する。

 

 まさに直撃するという瞬間、少女の体が何者かに押し倒された。見れば年配の獣人の男が少女に覆いかぶさるように倒れ、苦悶の声を上げている。

 

 少女は慌てて這い出し、男の様子を見ると脇腹が抉られだくだくと出血している。

 

「お主! 妾をかばって……」

 

 呆然とする少女を余所に隊長らしき人物が大声で告げた。

 

「貴様ら帝国の畜生どもは、我々が人質として使う。逆らえば殺す。言葉を発しても殺す。生きたければ黙って従え!」

 

 連合の兵士達の殺意に、逆らえば本当に殺されると怯えることしかできない住民達。

 

 その様子に満足したのか見せしめにした獣人の男を足蹴にしながら部下に合図を出そうとして、視界の端で先ほどの少女が立ち上がるのを見た。

 

 隊長らしき人物は、訝しげに少女を見る。俯きながら絞り出すような声を出す。

 

「人質が必要なら妾がなってやる」

「ああ?」

 

 何言ってんだコイツ? という顔をする隊長らしき人物を前に、少女はゆっくりフードをとった。その下から現れたのは、

 

「妾は、ヘラス帝国第三皇女テオドラ・バシレイア・ヘラス・デ・ヴェスペリスジミア。妾が人質になるゆえ皆は逃がしてたもう!」

 

 その言葉に驚愕の表情をするも、こんなところに第三皇女がいるはずないと一笑する。周りの住民達も信じられないといった表情だ。

 

 しかし、部下の一人が隊長らしき人物に駆け寄り耳打ちすると、その顔には再度驚愕と、そしてニヤーと下卑た笑みが浮かんだ。部下の一人が偶然テオドラの顔を知っていたようだ。

 

「いいだろう。それならコイツ等は不要だな」

「そ、そんな! いけません! 皇女様!」

「皇女様!」

「テオドラ様!」

 

 男の言葉に住民が止めようと騒ぎ出す。テオドラは頭を振り住民達に微笑むと隊長らしき人物の下へ歩き出す。

 

 テオドラを部下が拘束したのを確認した途端、隊長らしき人物はニヤッと笑い住民達に対して部下達に攻撃命令を下した。

 

「な、何をする気じゃ! 人質なら妾がおるじゃろ!」

「ああ、だからもう、コイツ等はいらないだろ?」

「なっ!」

 

 連合の兵達は最初から生かす気などなかったのだ。

 

 あまりの非道にテオドラが絶句する。そうして、拘束され何もできないテオドラを尻目に攻撃魔法が放たれた。

 

 色とりどりの魔法の矢が悲鳴を上げる住民達に殺到する。

 

 テオドラは元々、イオリア達に会えるかもしれないこの街に来た。しかし、そのせいで住民達が死ぬかもしれない。その事実にテオドラの心が軋む。

 

 故に、テオドラは叫んだ。噂が本当なきっと来てくれると縋り付いた。

 

「助けてたもう!」

 

 その瞬間、天空より無数の光弾が住民達へと迫る魔法の矢に降り注ぎ、正確無比に撃ち落としていく。

 

 魔法の矢の先陣が打ち落とされると、住民達の眼前に紅い髪を二つ括りにした少女が打ち込まれた砲弾のごとくズドンッという地響きを立てながら着地した。

 

 そして、両手をパンと打ち合わせ地面に手を添える。直後、紅い放電と共に周囲の土が盛り上がり住民達を囲むようにドームが形成された。しかも表面に光沢があることから金属に変換されているようだ。

 

――アーティファクト 賢者の指輪

 

 これによりテトが防壁を構築したのである。

 

 防壁に殺到する魔法の矢が尽く弾かれる。何とか壁を削り取っても直ぐさま紅い放電と共に修復されてしまう。術者を狙おうにもテト自身も防壁の中だ。住民を覆う直径200m近い防壁はビクともせず攻撃を受け止める。

 

「くそっ! いきなりなんっ!?」

 

 悪態をつく隊長の背後に今度は翠髪の少女が音もなく現れた。ミクである。

 

 言葉を詰まらせ反応しようとする隊長だが、振り返った時にはその姿はなく、代わりに背後でチンッという納刀の音が聞こえた。

 

 再度振り返ろうとした隊長は、しかし足が動かずそのまま崩れ落ちる。倒れこむと同時にパカという間抜けな音と共に自分の魔法媒体である杖が真っ二つにされ地面に転がるのを見た。

 

 隊長は起き上がろうとするが、腕も動かない。そして、自分の四肢の腱が切断されていることに気がつきその襲い来る痛みに悲鳴を上げた。

 

 隊長がやられたことに動揺しながらも、抜刀姿勢をとるミクに部下達が一斉に攻撃を加えようとする。

 

 テオドラを拘束していた兵士も魔法を放とうと両腕を突き出した。

 

 直後、ズルリと兵士の腕が落ちた。一瞬呆然とし、直後痛みに悲鳴を上げながら蹲る。よく見れば周りの兵士も切断とまでは行かないまでも同じように手足を損傷し転げ回っていた。

 

 何が起こっているのかとキョロキョロと辺りを見回すテオドラの目にキラリ光る極細の糸が見えた。イオリアの【アーティファクト:操弦曲】による攻撃である。

 

 さらにテオドラは奇妙な光景を見る。魔法を放とうとする兵士たちが互いに同士討ちしているのだ。

 

 突然すぐ隣にいる仲間に手を向け発動直後の魔法が相手を穿つ。一応手足を狙っているようだが無事では済まないだろう。

 

 テオドラは気がつかなかったが、よく見れば彼等にも糸が付いているのがわかっただろう。【念能力:人形師】エヴァの能力により繰り人形と化しているのだ。

 

 テオドラが呆然としている間に、瞬く間に連合兵は全滅した。そして、刀を片手にミクがテオドラに近づき、その傍らにイオリアとエヴァが降り立つ。チャチャゼロはエヴァの頭の上だ。

 

「ミク、その子は無事か? だいぶスプラッタな光景を見せちまったが……」

「ちょっと待ってください。……君大丈夫?」

「……」

「あ~呆然としてますけど、取り敢えず外傷はないです」

 

 ミクの問にも未だ答えないテオドラ。仕方なく、イオリアはメンバーに指示を飛ばす。

 

「テト、聞こえるな?住民達に説明……(もうしたよ)仕事が早いな。連合兵を片付けるから合図したら防壁解いて出てきてくれ(了解~)」

 

 念話でテトに指示をだし、次いでエヴァを見る。

 

「エヴァ……」

「転移先は自陣後方でよいな?」

「こっちも仕事が早いな。ミク、負傷者の回復を頼む。連合兵も少しだけ回復魔法を掛けておいてくれ。」

「了解です!」

 

 イオリアの指示にエヴァは「ふん」と鼻を鳴らして不機嫌な表情を見せる。それに苦笑いするイオリア。エヴァは戦場で敵に情けをかけることをよく思っていないのだ。

 

 このことは既に議論を尽くした。イオリアとしては戦争をしているつもりは毛頭ないのだ。目的は救済であって、敵の殲滅ではない。そもそも、この戦いに敵はいないと考えている。

 

 ベルカの時のように侵略者との戦いではないのだ。まして、兵士の多くは上層部ひいては完全なる世界の思惑で踊らされているに過ぎない。そのことがイオリアに不殺の方針を取らせている。

 

 一方、エヴァはイオリアの考えを甘いと断じた。そんなことをしていては危険が増すばかりだと。エヴァはイオリアを心配しているのだ。

 

 エヴァとて、イオリアが汚れることを恐れて、あるいは安っぽい正義感から殺しを避けているとは思っていない。そんな甘さのある男ではないとわかっている。

 

 だからこそ、諭すに難しく、結局エヴァが折れる形になった。ただし、不殺は余裕のある内だけ。きちんと優先順位を付けることを条件にして。

 

 今回も、余裕のある戦いであったからこそ不殺の方針が通ったのだが、やはりエヴァとしては無駄に危険を増す方法が何とももどかしく不機嫌になってしまうのだ。非常識なまでの再生力をもつ自分と違ってイオリアは人間なのだからと。

 

 死なない程度に治癒した連合兵をエヴァの転移魔法が、今なお戦っている連合軍の遥か後方に転移させる。これで軍が勝手に拾うだろう。

 

 次いで、テトに念話で合図を送り防壁を解除し、住民を促して最寄りの街へ転移させていく。負傷者の治療も無事終わったようだ。

 

 助かったのだと安堵の表情を浮かべながら感謝を伝えて転移先へ消えていく住民達。しかし、少なくない人数の住民がなぜか動かない。

 

 疑問に思ったイオリアが代表者っぽい老人に声をかけた。

 

「ご老人、どうされました?ここは危ない。早く転移陣へ」

「ありがたい。本当に。しかし、我々も帝国民なのです。殿下を置いて逃げ出すわけにはいきません」

 

 老人の言葉に周りの住民達も強い眼差しで頷く。

 

 一方、困惑したのはイオリアの方だ。殿下?何言ってるんだ? と。戸惑うイオリアに少女特有の甲高い声が掛けられる。

 

「お主! お主が“スケトシア”のリーダーか! まずは礼を言うぞ! 我が民を救ってくれたこと心から感謝する!」

「スケトシアは止めてくれ。すごく虚しくなるんだ。エヴァは悶絶するし……頼むよ」

「お、おう? そうか。うむ、それはいいが、では、何と呼べばよいのじゃ?」

 

 いきなり落ち込み始めたイオリアに、若干引きながら呼び方を質問するテオドラ。

 

 テオドラのテンションは最高潮になっている。何せ、会いたいと思っていた者達に会えたばかりか窮地を救われたのだ。キラキラした目にイオリア達を見つめる。

 

 小さい女の子からそんな目で見られれば悪い気はしない。イオリアは微笑みながら自己紹介をした。

 

「ああ、俺はイオリアだ。あっちがミクで彼女がテト。こっちはエヴァとチャチャゼロだ」

「ふむ、イオリアにミク、テト、エヴァ、チャチャゼロじゃな。おっと、そういえば妾の自己紹介がまだじゃった。妾は、ヘラス帝国第三皇女テオドラ・バシレイア・ヘラス・デ・ヴェスペリスジミア。改めて、我が民を救ってくれたこと感謝する」

 

 そう言って僅かに腰を落とし礼をとるテオドラにイオリアは目を丸くして思わず聞き返した。ミク達も驚いている。

 

「えっ?第三皇女様?ヘラスの? ……なんでこんなところに……」

「うむ、それはな、お前達に会うために先回りしたのじゃ! 戦場の近くの街にいけばお主等が現れると思っての!」

 

 元気よくニカッと笑いながら答えるテオドラに頭を抱える一同。見れば街の住人達まで頭を抱えている。

 

 どうやら彼等も第三皇女のじゃじゃ馬振りは噂で知っていたらしいが、まさかそんな理由でここにいたとは思わなかったのだろう。すると、先ほどの老人が前に進みでた。

 

「殿下。無礼は承知で言わせていただきます。あなたはご自分の身を何だと思っていらっしゃるのか! 御身は、帝国の要なのですぞ!それを一人で戦場にやってくるなど……まして、その身を敵に差し出すなど! あまりに浅慮! もう二度とこのようなことはしないと……どうか、どうか!」

 

 老人のあまりの剣幕に「ひぅ!」としゃくりあげ身を縮めるテオドラ。

 

 今回ばかりはやりすぎたと自覚があるらしい。しかも、自分の身を敵に差し出せばより多くの帝国民が傷ついただろうことから、浅慮と言われても反論の余地などあるはずがなかった。

 

「……すまぬ」

「いえ、殿下が我らのことを思ってしてくださったことも十二分に分かっております。言葉が過ぎました。どうかお許しを……」

「構わぬ。間違っておったのは妾の方じゃ。お主の言葉忘れないのじゃ」

 

 そのやりとりを所在無げに傍らで見守るイオリア。しかし、徐々に戦場の騒音が近づいているのを感知し口を挟む。

 

「それくらいにして、とにかく避難を。皇女殿下が心配なら一緒に行けばよいでしょう。俺達も行きます」

「何から何まで申し訳ない。よろしくお願いする」

「うむ、ありがとうなのじゃ、イオリア」

 

 そうして、予想外の出会いを果たしたイオリア達一行は最寄りの街へ転移し戦場を離脱するのだった。

 




いかがでしたか?

今回は、イオリアの葛藤と、弄られるだけじゃない大人なエヴァを書いてみました。
妄想の限界か、なんか内容が薄い気がするのですが・・・
まぁ、エヴァがいい女であることが伝わればいいや~

あと、お気に入りキャラ第2弾テオドラを出してみました。
テオ可愛すぐるともうのは作者だけ?
妄想が暴走して、皇女としてはありえない行動を取らせてしまいました。
テオファンの皆様すみません。

次回、帝国との絡み、あと敵方のあの人が出ます。


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第21話 テオが可愛ければいいじゃない

今回は、テオに対する妄想が暴走。


 住民達の避難を完了させ、宿をとったイオリア達は今、ヘラス帝国第三皇女テオドラと宿の一室で向かい合っていた。

 

 テオドラが話したいというので席を設けたが、これ以上じゃじゃ馬振りを発揮する前に、迎えが来るまで監視しておくという意味も含んでいる。

 

「それで、お前達は何者なのじゃ? 帝国・連合関係なくなぎ倒し、戦火に巻き込まれた人々を救っているのは知っておるが……何が目的なんじゃ?」

 

 好奇心半分、皇女としての責務半分といった目でイオリア達を見つめるテオドラ。

 

 イオリア達はそれにどこまで答えるか少し悩む。いつかは、帝国の重鎮とも渡りを付ける気ではいたが、こんなにも早くこんな状況で出会うことになるとは流石に予想外だったのだ。

 

 イオリア達の情報収集の結果、紅き翼のメンバーは完全なる世界の罠にはまり指名手配を受けた後であることがわかっている。彼等の協力が欲しいことから、その行方を探してはいるが、戦火拡大のためあちこちに出向く必要があり、また赤き翼の潜伏能力も流石のものであることから、未だ手がかりすら掴めていない。

 

 イオリアとしては、この先、テオドラとアリカが夜の迷宮に誘拐され幽閉されるときを狙って、助けに来た赤き翼と接触するつもりであった。

 

 しかし、ここでテオドラの協力を得られるのなら、いつなされるかわからないテオドラとアリカの会談を待つ必要はない。これ以上の戦火拡大も防げるかもしれない。従って、イオリアは念話でミク達に相談し、テオドラにある程度計画を話すことにした。

 

「殿下、落ち着いて聞いてください。これから話すことは、誓ってでたらめではありません」

 

 そう前置きしたイオリアは話し始めた。完全なる世界の存在、その目的、魔法世界の崩壊と亜人の存在、その救済方法。

 

 黙って聞いていたテオドラは、青ざめて自分の体を抱きしめながらふるふると震えている。無理もないことだ。自分達が幻想と言われたに等しく、この世界の寿命があと30年程度しかない上、魔法世界が崩壊すれば自分達も消えると言われたのだ。平静を保てという方がどうかしている。

 

 テオドラの両サイドに腰掛けていたミクとテトがテオドラを抱きしめる。テオドラは、震える声で反論した。

 

「そ、そんなバカな話しがあるわけなかろ。でたらめじゃ! 妾達が……そんな幻想などと……そんなわけ。そうじゃ! 証拠は!? 証拠でもあるなら出して見せよ!」

 

 半ばパニックになり喚くテオドラに、イオリア達は自分達が異世界人であることをミク達のユニゾンデバイスとしての機能をもって示し、科学的見地、火星の地図との比較、人工異界創造の理論も交えて話した。

 

「そ、そんなもの証拠とはいわないのじゃ。お主等の勝手な妄想かもしれんじゃろ……」

 

 未だ、青白い表情でそう呟くテオドラ。

 

 イオリア達が少なくともこの世界の住人でないことと、それなりに説得力ある説明であることは理解できても、それを認めることは自分達の存在が幻と認めるに等しく、やはり納得することができない。

 

 そんなテオドラを見て、今まで黙っていたエヴァが口を開いた

 

「小娘、何をそんなに怯える必要がある? 今の話しの何処にお前を否定する要素があった?」

 

「そ、それは、しかし、妾達が幻想などと……」

 

「イオリアはお前達の生まれを話したにすぎん。幻想などと言っておらん。意志示せる者が幻想などであるわけがないだろ。貴様は自らの意志で我らに会いに来たのだろう?戦火の中を単身飛び込んできたのだろう?その意志は幻想か? 今こうして世界の真実に怯える心は? 今まで見て聞いて感じてきたものは偽物か? 答えろ、小娘」

 

「そ、そんなはずないじゃろ! 幻想であるものか! 偽物であるものか! 妾は! 妾は……」

 

「そういうことだ。幻想だの偽物だの……そんな言葉ごときに揺されてどうする?確かなものなどお前の中にいくらでもあるだろう。第三皇女様?」

 

「う、うむ。そうじゃな。その通りじゃ。妾はたくさん持っておる。これは幻想などではない」

 

 エヴァの言葉に少しずつ平静を取り戻していくテオドラ。

 

 流石、年の功だなぁ~と思ったイオリアは次の瞬間脇腹に肘鉄をくらい悶絶した。隣を見ると「いい度胸だ」と言わんばかりの表情でイオリアを睨むエヴァ。どうやら心を読まれたらしい。

 

 しばらくじっと何かを考え込むテオドラをイオリア達は黙って待つ。やがて、テオドラは決然とした表情で顔を上げた。

 

「それで、主等は妾に何を求めておる。何か求めるものがあるから妾に話したのじゃろう?」

 

 テオドラが完全に我を取り戻したのを確認し、イオリアは話を続けた。

 

 テオドラに頼むのは、アリカと秘密の会談の場を設けて欲しいというもの。

 

 訝しげなテオドラに、赤き翼と協力関係を築きたいこと、二人が会談すれば完全なる世界が動くだろうこと、そうすればアリカを助けに赤き翼がやって来るだろうことを説明した。

 

 なるほど、と頷くテオドラは可能な限り早く会談の場を設けることと、その場合にイオリア達に連絡することを約束した。その他にも、父である皇帝陛下や何人かの信頼できるものにも世界の真実を話すことで合意した。

 

 その後の世界救済計画(テラフォーミング計画)をスムーズに推し進めるためにも各国のトップの協力は不可欠であるから、予想外に早く帝国に話を通せることは僥倖であった。

 

 長く、重い話の連続に流石に疲れた様子で椅子に深く腰掛けるテオドラ。一口、紅茶で口を湿らせると「ふぅ~」と息を漏らした。

 

「まったく、お主等が何者か確かめに来たら、とんでもなく大きな話しになったのじゃ。妾ももう少し大人しくしておくべきなのかもしれんのう~」

 

「ふん、当たり前だろ。どこの世界に一人で戦場をフラつく王女がいる。もう少しと言わず大人しくしていろ。今頃、帝国は大騒ぎだろうに。このじゃじゃ馬が」

 

「な、なんじゃと! お主、さっきから偉そうじゃぞ! イオリア達は妾に敬意を持ってくれとるというのに! 大体、小娘ってなんじゃ! お主だってまだまだ小娘じゃろうが!」

 

 テオドラの言葉に素で突っ込むエヴァ。そんなエヴァに憤慨するテオドラは、エヴァに小娘扱いされるの我慢ならないらしく五歳も変わらなさそうなエヴァを小娘呼ばわりする。

 

 そんなテオドラの言葉に「あちゃ~」と手で顔を覆うイオリア達。エヴァの表情が楽しそうにニヤ~としており、ドSモードのスイッチが入ったからだ。

 

「ほほう、私が小娘か。くくく、おい小娘。私の本名を教えてやろう。感謝するがいい」

 

「ほ、本名? エヴァではないのか?というか本当に偉そうじゃな……」

 

「エヴァは愛称だ。ふふ、私の名はな、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだ」

 

「エヴァンジェリン?」

 

 エヴァの本名を聞き、「うん?どこかで聞き覚えが……」と首を捻るテオドラ。その様子を見ながらニヤニヤするエヴァ。やがて、何かに思い立ったのか「おお!」と声を上げポンと手を合わせる。

 

「そうじゃ、どこかで聞き覚えがある思えば、“闇の福音”と同じ名前ではないか。昔からよくイタズラをすると“ダークエヴァンジェル”が来るぞ! と脅かされたもんじゃ……はは、エヴァの親もすごいのぅ~、まさか“闇の福音”と同じ名にするとは」

 

 テオドラは笑いながらエヴァを見るがエヴァはニヤついたままだ。「なんじゃ?」とイオリア達は見回すが全員が目を背ける。

 

 何となく不穏な空気を感じたテオドラが不安そうにキョロキョロと辺りを見回し、そういえばさっきからテーブルの上に乗っているあの人形はなにかしらん? と目を止める。

 

 すると人形の首がぐりんとテオドラの方を向いたではないか。ビクッとするテオドラ。目を離せずマジマジと見ていると、その人形、チャチャゼロが「ケケケ」と笑い出した。

 

 思わず「ヒッ」と声を上げるテオドラは、そういえば“闇の福音”には他の呼び方もあったことを思い出す。そう、例えば“人形遣い”とか……

 

 ギギギと油を挿し忘れた機械のような動きでエヴァに顔を向ける。

 

 すると……

 

「で? 誰が小娘だって?」

 

 そう言ったエヴァの瞳は白目の部分が黒色に反転し、瞳孔は縦に割れ、綺麗だった碧眼は金色に変色していた。そして、ニヤーと笑みを浮かべる口元からは鋭い犬歯が二本。

 

 それを見たテオドラは一気に青ざめ、

 

「ほ、本物じゃ~! 助けてたもう! 妾は美味しくないのじゃ~! ふええ~ん、もうイタズラはしないのじゃ~許してたもう~!」

 

 泣きべそを掻きながら隣にいたミクの後ろに隠れガクブルガクブルと震える。

 

 エヴァはその様子を見ながら心底楽しそうに、ほ~れほれ! とテオドラに近づこうとする。

 

 そんなエヴァの脳天にイオリアのチョップが突き刺さった。「ひん!」という情けない悲鳴を上げ頭を抱えながら蹲るエヴァ。

 

「な、何をする!」

「何をじゃねぇよ。なに本気でビビらせてんだ」

 

 「はぁ~」と溜息をつきながら呆れた目を向けられ若干気まずそうにそっぽを向くエヴァに、ミクやテトからも呆れの視線が届く。

 

 その後、不貞腐れたエヴァを放って置いてスンスンと鼻を啜るテオドラを慰め、エヴァのことも何かあったらお仕置きするから大丈夫だよと安心させた。

 

 エヴァは、「私は猛獣か!」と怒ったが、テオドラがビクッとしたので「大きな声出すな!」とイオリア達に怒鳴り返されシュンとして部屋の隅でチビチビ酒を飲み始めた。

 

 その様子をみたテオドラが、トコトコとエヴァの下へ向かい、服の端をチョンチョンと引っ張る。そして「怖くないのじゃ。」とエヴァを気遣う。

 

 そんなテオドラに「む、……さっきは悪かった」と驚くべきことに素直に謝るエヴァ。ついでとばかりにテオドラの頭を撫でる。テオドラも大人しく受け入れていた。いつの間にやら友情が出来上がっている。

 

 イオリア達は生暖かい目でそんな二人を見守っていた。

 

 しばらく、まったりしているとイオリア達の表情が真剣なものに変わる。それに気がついたテオドラが何事かと尋ねる。

 

「……包囲しようとしてるな。ピンポントでこの宿を。う~ん、サーチャーからの映像を見る限り帝国兵だな。……多分、テオのお迎えだろう」

 

 イオリア達はこの宿に入る前にサーチャーを展開しておいたのだ。お迎えの帝国兵と追っ手の連合兵の区別をつけるために。

 

 ちなみに、テオドラの呼び方がテオに変わっているのはテオドラたっての希望である。

 

「うむ、ようやく来たか。遅かったの~」

 

 呑気なテオドラの発言に、コイツ本当に反省してるのか? と疑いの目を向ける一同。

 

 そんなイオリア達に「じょ、冗談じゃ」と冷や汗を流しなら立ち上がる。イオリア達もついて行くつもりだ。皇帝陛下に渡りを付けるにしてもイオリア達が行かねば、到底信じてもらえないだろう。テオドラに続いて宿の外に出る。

 

 宿の外では、既に包囲が完成し、帝国兵がところ狭しと武器を構えていた。そんな中、隊長らしき人物が進み出る。

 

「テオドラ様! ご無事ですか!」

「うむ、面倒をかけた。妾は無事じゃ」

 

 テオドラの言葉に安堵の吐息を漏らす隊長。だが、直後、怒りを含んだ強烈な殺気がイオリア達に叩きつけられる。「あら?やばくない?」と眉をしかめるイオリア達。その推測は当たっていた。

 

「総員戦闘態勢! ヤツ等を捉えろ! 抵抗すれば殺しても構わん!」

「な、なんじゃと!」

 

 隊長の号令に驚愕するテオドラ。慌ててイオリア達を弁護する。

 

 「待つのじゃ!この者達は、妾の恩人じゃ!手を出すなど妾が許さんぞ!」

 

 その言葉に、隊長が一瞬逡巡するも、直ぐに気を取り直し部下に拘束を命じる。

 

「申し訳ありませんが、彼等は我が軍に多大な被害を出している噂の集団でしょう。また、人間である以上連合の間者とも限りません。逃がすわけにも、拘束しないわけにも行きません」

「じゃが!」

「それに、これは皇帝陛下のご命令です」

「ぬぐぅ……」

 

 そんな隊長とテオドラのやりとりに、こうなることは半ば予測していたことなので、イオリア達は大人しく跪いた。

 

「ああ~取り込み中悪いが、俺達は構わない。事情聴取くらい受けられるだろう? なら、今は大人しくしているさ」

 

 聞き分けのいい態度に隊長が胡乱な目を向けるが、隣で敬愛すべきテオドラ皇女がガルルと唸っているので、取り敢えず乱暴な扱いは止めておこうと部下に命じた。

 

 一行は、ヘラス帝国へ向かう。

 

 

 

 

 

 帝国に連行されたイオリア達は現在、牢屋に入れられていた。まぁ、帝国兵も容赦なく薙ぎ倒してきたので仕方のない措置だろう。いざとなれば、いつでも抜け出せるので今はテオドラが皇帝陛下に渡りをつけてくれるのを待つだけだ。

 

 そうこうしている内に、お迎えが来た。イオリア達は拘束されたままではあるが、どうやら謁見することが叶うようだ。

 

 イオリア達が連れてこられたのは謁見の間ではなく、どちらかといえば執務室とか書斎といった風の部屋だった。

 

 中には、不貞腐れたような表情のテオドラがソファーに腰掛けており、その隣にはヒゲをたっぷり生やした恰幅のいい褐色肌に二本角の壮年の男が困ったようにテオドラをチラチラと眺めている。

 

 おそらく、この男が皇帝陛下なのだろうが、まるで娘の機嫌を取ろうと右往左往する親バカにしか見えない。

 

 イオリア達を連れてき文官風の男が「うおほん!」と咳払いする。それに、「分かっておるわ」と言いたげな不機嫌そうな表情で応え、居住まいを正し、威厳に満ちた表情をしだした。もう、遅いと思うが。

 

 皇帝陛下が名乗りを上げ、イオリア達に話し始める。

 

「さて、娘から話は聞いている。一先ず、礼を言っておこう。我が娘の窮地を救ってくれたこと心より感謝する。……この子は昔からお転婆でな、上の二人と違って本当に手がかかって……いや、そこがまた可愛らしいのだがな?今回のように危ない目にあったことも一度や二度ではないのだ。ワシも厳しく注意するのだが、一向に言うことを聞いてくれん。いや、そんな我が儘なところも可愛いのだがな? ん? お前達もそう思うだろ? わしが構うと嫌がる素振りを見せおるのに、結局、父上、父上と後を追って来てな、それがもう可愛くてい可愛くて! 上の二人はとんと我が儘など言ってくれんしな~だからテオの話ならパパはいくらでも聞いてやりたいと思っておるのだぞ。ただ、さっきの話しは幾らなんでも「父上なんて嫌いじゃ!」もちろんテオの言うことなら信じるとも! この世界の住人が作られた? 魔法世界崩壊の危機? うむ、まさに世界存亡の危機だ! な? 信じるから、この者達の話もちゃんと聞くから、だから機嫌を直しておくれ。父上大好きといっておくれ! テオ~」

 

 途中から完全にイオリア達を無視してテオドラに話しかける皇帝陛下。どうやら、皇帝陛下にとっては世界の危機より親子関係の危機の方がよほど重大らしい。

 

 帝国は大丈夫なのだろうか。テオドラが完全なる世界の息のかかった人物なら帝国は世界一チョロイ国と呼ばれることだろう。ていうかパパって何だパパって。

 

 未だプイとそっぽを向くテオドラと必死に機嫌を直そうと奮闘する皇帝陛下。イオリア達の目が隣で青筋を浮かべている文官に向く。文官は静かな声で皇帝陛下に呼びかけた。

 

「陛下。それくらいに――「黙れ!今テオと話してるのがわからんのか!引っ込んでいろ!」……」

 

 文官さんの血管がヤバイ感じになっている。見かねたイオリアがテオドラに事態収拾を頼もうと視線を送る。

 

 それに気がついたのか若干気まずそうに「うむ」と頷くと父親に向かって話を聞くよう促した。しかし、

 

「……テオ。今、そこの男と目で通じ合わなかった? ま、まさか……いかん、いかんぞ! パパは絶対認めんからな! こんなどこの馬の骨ともしれんヤツなど! おい、貴様! テオに一体何をした! ハッ、そうか……窮地に格好つけて誑かしたのか! この外道め! 帝国にケンカを売ったこと後悔させてくれるわ! おい、誰か! 誰かこの男――「父上なんて大ッ嫌いじゃ!」……なん……だと?」

 

 テオドラの大ッ嫌いに呆然とする皇帝陛下。いろんな意味でここに来たのは間違いだったかもしれないとイオリアは溜息をつきながら思うのだった。

 

 ようやく皇帝陛下が落ち着きまともに話しができるようになった。

 

 話の内容は、テオドラに話した通りだ。皇帝陛下も情況証拠だけとは言え、明確に否定できる材料もないことから、一応の納得は見せた。一笑に付して世界が終わりましたではシャレにならないのだ。

 

 イオリア達の持つ技術やエヴァの正体とその魔法知識が説得力を上げていたのもある。

 

 結局、アリカとの会談と必要な場合の協力体制をとることで合意した。

 

 ちなみに、アリカとの会談にはテオドラが出向くことになった。このことでまた皇帝陛下が親バカモードになったのだが、テオドラが頑として譲らず紆余曲折を経て陛下が折れる形になった。

 

 なお、魔法世界崩壊等の話は、今のところ陛下と数人の側近しか知らない。無用な混乱を防ぐためだ。

 

 会談の日時が決まったら連絡を取り合うと約束し、イオリア達はその日まで再び救助活動に勤しむことになった。

 

 ヘラス帝国の皇帝陛下がいろんな意味でヤバイことを知った日かしばらく経ったころ、イオリア達はいつもの如く連合の進行ルート上の村の住民達を避難させていた。

 

 全員を避難させつつ、イオリアは【円】や音を頼りに村に残っている者がいないか確認する。村は閑散としており人の気配はない。踵を返しミク達の下へ戻ろうとしたその時、民家の脇の小池に反応があった。どうやら、何者かが転移してきたらしい。

 

「やぁ、はじめまして。スケトシアのリーダーかい?」

「俺のどこが“清らかな乙女”に見えるんだ? アァ?」

 

 ハンター世界以来、どうも納得し難い名称で呼ばれることが多く、若干やさぐれたように反応してしまうイオリア。

 

 それを「フッ」と鼻で笑いつつ、気取った感じの若い男がイオリアの方へ歩いてくる。その男の白い髪を見て、イオリアはそれが誰か察した。

 

「ちっとも見えないね。君の連れも一人は“清らか”とは程遠いんじゃないかい? 彼女をどうやって篭絡したのか是非聞きたいね」

 

 気障ったらしい態度とセリフに内心イラッとしながら、彼等が接触してくる可能性は頭にあった。特にエヴァは、彼等の頭、造物主により真祖に変えられているのだから、彼等が注目しないはずもない。

 

 そう、今、イオリアの目の前にいる気障男はアーウェルンクスシリーズの一番目“プリームム”である。

 

「なんだ? 育児放棄した親父さんに聞いてこいとでも言われたか? 人使いが荒いんだな、いや人形使いか?」

 

 イオリアの返しに一瞬表情が抜け落ちるプリームム。だが、直ぐに笑みを浮かべると殺気を放ちつつ首を傾げる。

 

「……随分といろいろ知っているようだね。今日はちょっとした偵察のつもりだったのだけど……どうやらこのままというわけには行かないようだ。一緒に来てもらおうか?」

 

「それはごめん被る。まだ、そちらの全戦力を相手にしながらトップ会談できるかは怪しいところなんだ。焦らなくても近い内に会いに行くから今日のところは大人しく帰ってくれないか?」

 

 イオリア達が即行で完全なる世界の本拠に行かないのはそういう理由だ。少なくとも、プリームムを始め一騎当千の相手が五人はいるはずであり、場合によっては数体のアーウェルンクスが起動する可能性もあり、さらに自動人形や召喚魔が軍団規模でいるのだ。

 

 その中で、造物主にテラフォーミング計画への賛同を説得することは至難の技である。

 

 メガロの元老院や他の犯罪組織の相手をしてテラフォーミング計画の足を引っ張られるわけには行かないので、完全なる世界のコネクションはそのまま利用したいし、魔法世界の維持管理も彼等ほど適任はいないのだ。

 

 そのためにも、造物主とは邪魔されずに話し合わなければならない。イオリア達が赤き翼の協力を求めるのはそういう意味もあるのだ。

 

「まるで、僕等全員を相手にできる可能性もあるように聞こえるけど?」

「可能性は高いほうがいいだろ?」

 

 しばらく無言で見つめ合うイオリアとプリームム。生暖かい風が吹き、両者の間に草木を舞わせる。沈黙を破ったのはプリームムの方だった。

 

【瞬動】で一気に踏み込みイオリアの顔面に拳を放つ。その【瞬動】は既に縮地の域だ。並みの人間では視認できないだろう。

 

 だが、イオリアはバックステップで避ける。追撃するように、プリームムの指輪が光を放ち魔法が発動する。

 

「石の槍」

 

 文字通り、四本の【石の槍】がイオリアに殺到する。

 

 それに対してイオリアも三本を拳で破壊し、残りの一本をそのまま投げ返す。

 

――覇王流 旋衝波

 

 投擲物を投げ返す技だ。

 

 しかし、投げ返された【石の槍】はあっさりプリームムの手前で砕け散った。

 

 イオリアは眉を潜め【凝】をする。すると、曼荼羅状の多重障壁がプリームムを中心に展開されているのがわかった。「ああ、そういえば」と納得しながら、魔法の詠唱をしているプリームムに合わせて魔法を詠唱する。

 

「ヴィシュタル・リシュタル・ヴァンゲイト、小さき王、八つ足の蜥蜴、邪眼の主よ、時を奪う、毒の吐息を、石の息吹。」

「アルス・ノーバ・アド・リビドゥム、障壁突破、石の槍」

 

 プリームムの魔法が発動され石化の煙がイオリアを襲う。おそらく生け捕りを考えてのことだろう。

 

 それに対してイオリアはプロテクションを張りながら、障壁破壊機能を付与した【石の槍】を放った。

 

 煙がイオリアを覆いその姿を隠す。同時に、煙の中からイオリアの【石の槍】が飛来し、プリームムの多重障壁を何枚か貫通して砕け散った。どうやら、【石の槍】程度ではアーウェルンクスシリーズの多重障壁を突破することはできないらしい。

 

 プリームムは、石化の煙に飲まれたイオリアに嘲りの声を掛ける。

 

「全くなってないね。期待はずれもいいところだ。やはり、ナギ・スプリングフィールほどのっ――!?」

 

 言葉の途中でその場を飛び退く。直後、プリームムの足元から極細の糸が無数の針となって飛び出してきた。

 

――操弦曲 針化粧

 

 極細の糸による刺突攻撃だ。しかも、【周】が施されており飛び退きながら咄嗟に張ったプリームムの障壁をあっさり貫通した。どうやら足の直下にまで曼荼羅の障壁は効果が及んでいないらしい。まぁ、絶対とは言えないが。

 

 プリームムが地面は危険と判断し空中に浮遊するのと、イオリアの起こした風の魔法で石化の煙が振り払われるのは同時だった。

 

 プリームムは【虚空瞬動】によりイオリアの背後に回り、震脚とともに強烈な拳撃を放つ。

 

 イオリアはそれを見もせず回避し、体を捻りながら右足でプリームムの頭部へ蹴りを放つ。

 

 プリームムはそれを一歩引くだけで回避した。

 

 死に体となったイオリアに今度こそ強力な拳を放とうと踏み込んだ瞬間、イオリアの蹴り足がピタリと止まり膝から下が急激に引き戻される。

 

 踵がプリームムの後頭部を穿つも障壁で止められる。しかし、イオリアは止まらず軸足で跳躍するとそのままプリームムの首に足をかけ両足で首を極める。

 

 そして、そのまま体全体を捻りプリームムの頭部を地面に叩きつけた。

 

――圓明流 斗浪

 

 常人なら首の骨を折りながら頭部を破壊されているところだが、さすが【土】のアーウェルンクス。膂力と耐久力はシリーズ最高なだけはあり、ダメージが通った様子もなく、頭部を地面にめり込ませたまま、周囲の砂塵を操りイオリアを襲う。

 

 イオリアはバク転をしながら距離をとりつつ、同様に砂塵を操り相殺する。

 

 距離をとったイオリアに起き上がりながらプリームムが詠唱した。それにイオリアも合わせる。

 

「万象貫く黒杭の円環」

「万象貫く黒杭の円環」

 

 全く同じ魔法がほぼ同時に発動し相殺していく。プリームムはさらに詠唱しながら【瞬動】でイオリアに迫る。

 

「ヴィシュタル・リシュタル・ヴァンゲイト、小さき王、八つ足の蜥蜴、邪眼の主よ、その光、我が手に宿し、災いなる、眼差しで射よ、石化の邪眼」

 

 近接格闘を仕掛けながら、イオリアの両腕を弾き態勢を崩した上で、プリームムの右目から至近距離で石化の光線が放たれる。

 

 しかし、その光線はイオリアを逸れて明後日の方向に飛んでいく。いつの間にかプリームムの足に巻きついていた糸がプリームムの態勢を僅かに崩したからだ。

 

 その一瞬で、イオリアは接近しプリームムの懐に踏み込んだ。そして、その水月に拳を添える。プリームムが密着するイオリアに拳を振り下ろそうとするが直後、ズドンッという衝撃音とともにプリームムの体が宙に浮く。

 

「かはっ!?」

 

 浮いたプリームムの死に体にイオリアは足先から練った力を余すことなく拳に収束しプリームムに放った。ズバンッという凄まじい音と共にプリームムの体が水平に吹き飛ぶ。

 

 地面に両手両足をついて衝撃を殺しながら何とか着地するプリームムの腹部は拳大に大きく陥没していた。

 

――圓明流 虎砲 及び 覇王流 断空拳

 

 イオリアが得意とするコンボだ。

 

 イオリアは追撃をかけようとする。

 

 その瞬間、

 

「水妖陣」

 

 プリームムの詠唱と共に水の手が複数現れイオリアにまとわりつく様に拘束した。

 

 今度はプリームムが踏み込もうとした瞬間、バンッという破裂音とともに【水妖陣】が破壊される。

 

――アンチェインナックル

 

 脱力した静止状態から拳圧を発生させバインドやシールドを無効化する技だ。

 

 踏み込もうとしていたプリームムは、やれやれと肩をすくめ、イオリアに話しかけた。

 

「なるほど、前言は撤回させてもらうよ。君はどうやら、ナギ・スプリングフィールド並に厄介なようだ。……いや、君達は、かな?」

 

 そう言ってプリームムは周囲を見渡した。いつの間にか四方を囲まれていることに気がついたようだ。そこにいるのはもちろん、ミク、テト、エヴァ、チャチャゼロである。

 

「ふん、コイツが造物主の人形か。人形師としての腕は三流だな」

 

 そう言って踏ん反り返るエヴァにミクとテトが苦笑いする。エヴァの物の言いに顔を僅かに歪めるもののスルーするプリームム。

 

 どうやら、自分の状況が切迫していると考えているようだ。

 

「どうやら、死力を尽くす必要があるようだ。僕を追い詰めるのはナギ・スプリングフィールドだと思っていたのだけどね。本当に、色々邪魔が入るものだよ。僕達は世界を救済したいだけなんだけどね?」

 

 態と興味をそそる言い方をしているのだろうが、あいにくイオリア達は全部知っている。

 

 プリームムもイオリアの情報量に驚いていたようだから、対して意味のある言葉でもないのだろう。少しでも気を引ければ僥倖といったところか。

 

 だが、イオリア達にプリームムをどうこうするつもりは端からない。故に、イオリアは苦笑いで返す。

 

「それは、俺も同じ気持ちだ。だから、あんたはコレを持って帰ってくれ。造物主に渡して欲しい」

 

 そう言って、イオリアは【魂の宝物庫】から封筒を取り出し、プリームムに投げ渡した。中身は、イオリア達の魔法世界救済計画の概要が書かれた計画書が入っている。

 

 イオリア達もこれだけで取り合ってもらえるとは考えていないが、意識には入るだろう。後の説得で手間が省ければ御の字ということだ。

 

 プリームムは胡乱な表情で封筒を見る。特別な封印もされていない書類が入っただけの封筒だ。

 

「……僕を殺すチャンスだと思うのだけどね。本当にいいのかい?」

 

 イオリアは肩をすくめるだけで何も答えず、代わりに強制転移魔法を展開する。ベルカ式の魔法陣がプリームムの足元に浮かび光が包み込む。

 

 驚愕するプリームムにイオリアは伝言を頼んだ。

 

「造物主に伝えてくれ、“俺達は貴方達を必要としている”ってな」

 

 その言葉を最後にプリームムはオスティア近辺に転移させられた。

 

 ふぅ~と息を吐くイオリア。この世界最強レベルとの戦闘はやはり気の張り詰めるものだったらしい。しかも、今回は魔導を使わないという縛りつきだ。最終的に造物主と戦闘になった場合、魔導は強力なアドバンテージになる。従って、プリームムにはあまり見せたくなかったのだ。

 

 最後にベルカ式の転移魔法を見せたのは、後の戦闘に影響なく、渡した計画書に信憑性を持たせるためである。プリームムなら未知の魔法を使っていたと報告するだろう。

 

「で? どうだった?」

 

 傍に寄ってきたエヴァが尋ねる。

 

「う~ん。強いな、やっぱり。……だが、本気モードのエヴァに比べると一段、いや二段くらい落ちるかな」

「それなら即行で攻めにいっても行けたのではないか?」

「いや、流石に造物主相手に他に気は回したくない。完全なる世界の協力があるかないかで計画の進行が数年単位で変わるんだから」

 

 イオリアの言葉に「まぁ焦っても仕方がないしな」と納得するエヴァ。

 

「早く、赤き翼と協力関係作れるといいですね」

「うん、テオがアリアドネーにも話を通してくれてるし、赤き翼の協力が得られれば戦闘準備万端になるのにね」

 

 さっさと出てこいや!という面倒くさそうな表情をするミクとテトに苦笑いしながらイオリアが宥める。

 

「まぁ、テオが今、会談をセッティングしてくれてるし、待つしかないな」

 

 「はーい」とハモりながら返事をするミクとテト。

 

 イオリア達は、造物主の反応を想像しながら、「もうすぐ運命の相手(笑)と会えますね~」というミクやテトのからかいに怒ったエヴァが二人を追い掛け回すという和気あいあいとした雰囲気で仮宿へと帰るのだった。

 

 それから数日後、ついにテオから会談の日時が決まったと連絡が来た。

 




いかがでしたか?

テオとエヴァのやり取りにニマニマして頂ければ嬉しいです。

皇帝陛下のキャラが気がついたらすごいことに・・・
反省も後悔もしていない。
だって、テオが娘だったら絶対親ばかになる自信があるから。

プリームムさんも出してみました。
まぁ、だから何ということなんですが・・・

次回は、遂に彼らが登場します。ネギま編もそろそろ終わりかな・・・


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第22話 バインド祭り

赤き翼登場

今後の更新について活動報告にてお知らせがあります。
よかったら見てやって下さい。


 テオドラからアリカとの会談が決まったと連絡あった翌日、早速、イオリア達はテオドラの下へ赴いた。

 

 今より五日後にとある場所で会談を行うという。アリカの方も帝国との交渉の糸口を探っていたらしく、会談のセッティングはスムーズにいったそうだ。

 

 イオリア達は、テオドラと一緒に会談に向かう。テオドラには、姿は見えなくても万一に備えて傍に付いている旨を言い含めてある。その後は、アリカと一緒に“夜の迷宮”で赤き翼がやってくるのを待つだけだ。

 

 赤き翼と協力関係が築ければ、後は完全なる世界の本拠地“墓守り人の宮殿”に攻め込み、造物主の説得だ。皇帝陛下にもその旨を伝えて、軍備を整えてもらっている。アリアドネーにも要請が行っている。

 

 そして、五日後、会談の日がやって来た。

 

 テオドラは表の護衛数人と一緒に、会談場所にやって来た。帝国の皇女らしく粛々としている。すぐ、化けの皮が剥がれると思うが……その耳に姿なき者の声が届いた。イオリアからの念話だ。

 

(テオ、大丈夫か?)

(うむ、問題ない。お主等が付いとるんじゃ。心配などしとらん。大人しく誘拐されてやるのじゃ!)

(はは、その様子だと本当に大丈夫そうだな)

(うむ、しかし、出発前にテトの姿が見えなんだが?)

(テトは別の重要任務を遂行中だ。心配ない。後で会えるさ)

(それなら良い、むっ、来たようじゃな。では、また後での)

(ああ、後で)

 

 今、イオリア達は少し離れたところから、【絶】と【オプティックハイド】で身を隠しながらテオドラ一行の様子を見守っていた。メンバーの中にテトの姿だけがない。イオリアの言う通り、テトは現在重要任務中だ。しかし、その動向は逐一把握しているので心配はない。

 

 イオリアとテオドラがそんな話をしていると、白いローブを着た女性がキビキビした歩みでテオドラの方へ歩いてくるのが見えた。どうやら、アリカ姫のご登場のようだ。

 

「貴方がヘラス帝国の第三皇女か?」

 

「うむ、如何にも。妾がヘラス帝国第三皇女テオドラ・バシレイア・ヘラス・デ・ヴェスペリスジミアじゃ。して、そちらはアリカ王女でよろしいか?」

 

「うむ、妾がウェスペルタティア王国王女アリカ・アナルキア・エンテオフュシアじゃ。よもや、そちらから会談を持ちかけてくれるとは思いもせなんだ」

 

「戦争を終わらせたい気持ちは同じじゃ。必要なことをしてるだけなのじゃ」

 

 二人の王女は落ち着いた雰囲気で穏やかに会話を進める。イオリアは思った。王族ってああいう話し方がやっぱり基本なんだな、と。全くどうでもいいことではあるが。

 

 二人が腰を落ち着けえは話そうと屋内に入る。

 

 と、その瞬間、周囲から複数の覆面をした者達が現れ、テオドラとアリカに襲いかかった。

 

 もちろん、イオリア達は包囲されていることに気がついていたが、誘拐されることこそが計画なので黙って見ている。当然、万一に備えてはいるが。

 

 アリカは突然の事態にも落ち着いた様子で応戦しようとしている。周囲の護衛も必死に抵抗するが次々とやられていった。もっとも、死人はでていない。イオリアとエヴァが糸を使ってこっそり致命傷を避けさせているからだ。重傷者には、後でミクが治癒魔法を掛ける。

 

 そうこうしている内に、アリカとテオドラは拘束された。アリカが「何者か!」とか、「この下衆が触れるな!」とか怒鳴っている。正直すごい迫力である。作中でナギが「おっかない女」と言っていた意味がよくわかったイオリアであった。

 

 二人を拘束し魔法で眠らせた後、覆面の集団は王女二人を連れ去って行った。もちろん、行き先は“夜の迷宮”である。

 

 “夜の迷宮”の一室、細長い通路状の牢獄の中にアリカとテオドラはいた。二人は、この場所に幽閉されてから暫くの間意識がなかったがやがて順に目を覚ました。

 

「むぅ、アリカ殿? 無事か?」

「ああ、平気じゃ。テオドラ殿は?」

「うむ、問題ないのじゃ。」

 

 二人はお互いの無事を確かめて「ふぅ~」と一息はく。現状確認をした後、アリカは落ち着た雰囲気で思索に耽った

 

「どうやら、妾達の会談がバレておったらしい。となると、やはり我が国の上層部も……さて、ここは一体何処なのか……どうする気か……」

 

 そんなアリカの様子にこちらも落ち着いた雰囲気で「う~ん!」と背伸びするテオドラ。その姿を視界に収めアリカ話しかけた。

 

「テオドラ殿は随分落ち着いているな。会談での交渉役を引き受けたことといい、随分と度胸がある。襲撃の際も落ち着いておったしの。流石は帝国の皇女といったところか……」

 

 そんなアリカの評価に、ふふんと小さな旨を張るテオドラ。

 

「当然じゃ。っと言いたいところじゃがの……何も知らなければ慌てふためいておったと思うぞ?」

「……何も知らなければ? テオドラ殿は此度の襲撃を知っておったということか?」

 

 無表情ながら険しい雰囲気を出すアリカ。アリカの眼光に「うっ」と少し怯んだ様子を見せ慌てて周囲をキョロキョロする。

 

「う、うむ。こちらにも事情があったのじゃ。だから、そんなに睨まないで欲しいのじゃ……というかイオリア! おるんじゃろ! 早う、説明してたもれ!」

 

 突然周囲に叫び始めたテオドラに胡乱な目を向けるアリカ。しかし、次の瞬間にはその無表情が崩れ驚きで目が丸くなった。

 

「ああ、すまん。どのタイミングで出ればいいのかちょっと迷ってな」

「あはは、ごめんなさいテオちゃん」

「ふむ、このまま放置するのも、それはそれで面白そうではあったが……」

 

 突然、テオドラの背後の空間が揺らいだかと思うと、そこから三人の人間が現れたからだ。言わずもがな、イオリア、ミク、エヴァの三人である。

 

 驚きも一瞬、アリカは直ぐに警戒心を取り戻すと威厳のある声で問いただした。

 

「主ら、何者じゃ?」

 

 アリカの質問に、イオリア達は遮音結界と【円】による索敵をしながら説明を始めた。

 

 赤き翼が来るまでは、まだそれなりにかかるだろうから時間は十分にある。イオリアは、【魂の宝物庫】から紅茶や茶菓子を取り出し、腰を据えて話しだした。

 

 内容はテオドラに話したことと同じだ。

 

 アリカは、途中、魔法世界の真実やエヴァの正体を知って驚いたりはしたものの、鉄仮面かと思うほど表情を動かさずに話を聞いていた。

 

「なるほどの。主らの話は大体わかった。それで、主らは妾と赤き翼の協力を欲しているのじゃな?」

 

「その通りです。アリカ王女。赤き翼の協力が取り付けられれば、我々は造物主の説得に動けます。戦争を引き起こした完全なる世界には思うところが多大にあるかとは存じますが……」

 

「よい。お主らの計画が上手くいけば、多くの民の命が救われる。なら、それでよい。しかし、造物主の説得……可能性はあるのか?」

 

「……造物主はおそらく人間に絶望しています。しかし、それでもこの世界の人々を救おうと“完全なる世界”という魔法を作りました。それは……優しさではないかと思うのです。ならば、きっと」

 

「そうか……」

 

 イオリアの説明を聞き、遠い目をして考え込むアリカ。イオリアはじっと彼女の応えを待った。やがて、アリカの眼がイオリアを見る。

 

「一つ聞かせよ。主はなぜ戦うのじゃ?お主は異邦人なのじゃろ。事を成した後、どうする気じゃ? 主は何を得る?」

 

 アリカの眼は誤魔化しは一切通用しないと言わんばかり強い輝きを放っている。

 

 ここで、本心を語らねばおそらくアリカはイオリア達を信用しないだろう。故に、イオリアもまた誤魔化しなく真っ直ぐアリカを見返した。

 

「誇りを得るでしょう」

「誇りじゃと?」

「はい、私は、故郷で騎士の誓いを立てました。“求める者に救いをもたらす”と。私には今も聞こえています。この世界の悲鳴が。救いを求める人々の声が。それを無視してしまえば私はもう私ではいられなくなる。逆に、守りきれたのなら、その事実は私の誇りになるでしょう」

 

 それと全部終わったら故郷に帰りますよ、と最後は苦笑いをしながらイオリアは答えた。

 

 そんなイオリアをアリカはしばし見つめ、次いで、イオリアに従うミクとエヴァに視線をやる。ミクは誇らしげにイオリアを見つめ、エヴァは呆れながらも仕方ないやつだなぁ~と温かい目で見ている。

 

 その様子に真実を見たのか、アリカは、

 

「よくわかった。こちらこそこの世界のために力を貸して欲しい。ナギ達も嫌と言うまい。共に、世界を救おう」

 

 そう言って、手を差し出すアリカ。イオリアも「はい」と頷き握手に応じた。

 

 その後、テラフォーミング計画の詳細を話し合いつつ、時間を潰す。すると、にわかに外が騒がしくなってきた。あちこちで爆発音や怒号が聞こえる。

 

「どうやら来たようだな。アリカ王女、彼がナギ・スプリングフィールドで間違いありませんか?」

 

 イオリアは飛ばしたサーチャーの画像を空中ディスプレイに映してアリカに確認する。

 

 ディスプレイの中では赤毛の少年が盛大に雷をぶっ放している。他のディスプレイには、赤き翼の他のメンバーが写っていてナギに負けず大暴れしている。どいつもこいつも理不尽なくらいの強さだ。

 

「うむ、この鳥頭は間違いない。我が騎士だ」

 

 アリカの確認を取りながら全員で観戦していると、どうやら到着したようで幽閉場所の壁がガラガラと崩され、そこからナギが現れた。

 

「よう、来たぜ、姫さん」

「遅いぞ、我が騎士」

 

 気安い挨拶を交わす二人。

 

 だが、ナギの目がイオリアに向きその腕に篭手が装着されているのを見るとギンッと目がつり上がった。どうやら、幽閉場所に武器を装備した奴がいる→敵だ! という発想になったらしい。

 

 万が一に備えてセレスを展開していたのがアダになった。

 

 アリカがナギの様子に気がつき制止の声を掛けようとするが時すでに遅し。ナギは、認識するのも難しいほど極まった【瞬動】でアリカの隣にいるイオリアに向けて突進した。

 

 ナギが突進力そのままにタックルをかます。この場で戦闘して万一があってはならないと、まずはイオリアを引き離すつもりのようだ。

 

 イオリアも下手に踏ん張ったり回避して傍にいるテオドラに傷でもついたら、親バカな皇帝陛下に何を言われるかわからんと、タックルの衝撃を【圓明流:浮身】で殺しながら、【堅】で背後の壁を突き破り外に飛び出した。

 

「あの阿呆が!」

 

 ミク達が「え~」という呆れた表情を見せる中、アリカも頭痛がするのか蟀谷を指でグリグリして溜息をついている。

 

 そんな一同の前に、白いローブを着た胡散臭い笑みを浮かべた美青年が現れる。アルビレオ・イマだ。

 

 アリカ達の様子を見て「おや?」と言った疑問顔を浮かべる。そして、傍らにいるエヴァを見て目を丸くする。

 

「キティですか? あなたこんなところで何をしているのです?」

「誰がキティだ! 私をその名で呼ぶな! この古本が!」

 

 ウガーと吠えるエヴァに「やっぱり、キティですね」と納得するアル。

 

 アリカを助けに来たのに旧友はいるし、見知らぬ少女が二人もいることで、若干困惑している様子だ。だが、気を取り直したのか取り敢えず脱出を促す。

 

「どういう状況かよくわかりませんが、取り敢えず脱出しましょう。……ところで外でナギと戦っている彼はやはり敵ではないということでいいんでしょうか?」

「うむ、あのバカ、早とちりしおって。早く止めねば」

「では、急ぎましょう。ナギ相手では彼の身も危ない」

 

 そう言うアルビレオにエヴァがニヤと不敵な笑みを浮かべる。

 

「さて、それはどうかな? むしろナギとやらの心配をした方がいいのではいか?」

「どういう意味です?」

「そのままの意味さ。くくく」

 

 訝しそうなアルビレオに含み笑いをするエヴァ。その傍らでは【円】で外の様子を感知していたミクがエヴァに告げる。

 

「エヴァちゃん、ナギさんだけでなく剣士さんと筋肉さんも加わりだしたので一応私も加勢に行ってきます。アリカさん、なるべく早く止めてくださいね! アリカさんの言葉なら素直に聞くと思いますし」

「うむ、面倒をかける」

「いえいえ、では!」

 

 そう言って、ヴォッという音ともに姿を消すミク。

 

 その高速機動にアルビレオが目を見開く。アルビレオの目をもってしてもほとんど視認できなかったのだ。

 

 だが、それよりも……

 

「エ、エヴァちゃん……ほぉ~、キティ、貴方あの子に“エヴァちゃん”と呼ばれているのですか? ふふふ、エヴァちゃん。なかなか良い関係を築いているようですねぇ~」

 

 こっちの方がアルビレオには驚愕だった。

 

「やかましいわ! あ、あれは、その、いくら言っても聞いてくれんし……もういいかなっと……」

 

 若干、頬を赤らめながら言い訳するエヴァに「これはこれは……」と心底楽しそうな表情をするアルビレオ。

 

 そんなエヴァの服の裾をクイクイと引っ張るテオドラ。「何だ?」と視線を向けると、テオドラがキラキラとした目でエヴァを見ている。

 

「のう、エヴァ。妾も“エヴァちゃん”と呼んで良いか?」

 

 どうやら、ミク達の呼び方が気になっていたらしい。

 

「ダメに決まっているだろうが! アイツ等だって、認めたわけではないぞ! ホント、直してくれんから……私の威厳が……」

 

「ミクとテトだけずるいのじゃ! 妾も“エヴァちゃん”がいいのじゃ! 妾のことも“テオちゃん”と呼んで良いから、な? いいじゃろ?」

 

「ダメなものはダメだ! ええい、服を離せ! 引っ張るな!」

 

 エヴァとテオドラの掛け合いに思わず「ブフッ」と吹き出すアルビレオ。

 

 旧友と合ったのはもう随分と前のことだが当時とは随分変わっており、しかもその変化が好ましい方向なので、つい頬が緩んでしまう。

 

 どうやら、エヴァにも信頼できる仲間が出来たらしいと、アルビレオは、騒ぎながらもどこか楽しそうなエヴァを温かい目で見つめた。

 

「主ら、止めにいかんでいいのか? さっきから破壊音がとんでもないことになっておるんじゃが……」

 

 いつの間にか蚊帳の外に置かれていたアリカが珍しく困った風に声を掛ける。三人は「あっ」という表情でおずおずと外に出た。

 

 

 

 

 

 時間は少し戻る。ナギに外へ吹き飛ばされたイオリアは、ナギの猛攻を内心「勘弁してくれ~」と悲鳴を上げながら捌いていた。

 

 空中で入れ替わり立ち代り近接戦闘を繰り広げる。しかし、三次元機動なら空戦魔導師の飛行魔法の方が優れている。その優位性から生まれる余裕を利用して、イオリアはナギに声を掛けようとする。

 

「ちょ、まっ、誤解っ……だっ! ……はなし……あぶなっ!」

 

 しかし、流石はサウザンドマスター、この世界の英雄なだけはある。イオリアが話そうとするたびに「隙あり!」とばかりに攻撃を仕掛けてくる。そのために、碌に話せない。

 

「ナギ!」

 

 そうこうしている内に太刀を持った青年、青山詠春が飛び出してきた。「二対一かよ!」と内心嘆くまもなく、

 

「へ、なかなか強そうじゃねぇか!」

 

 と筋肉達磨ことジャック・ラカンまで突進してきた。

 

「こんなヤツ、俺だけで十分だぜ!」

 

 不敵に笑いながら、猛攻を止めないナギ。赤き翼の皆さんが盛り上がっている。

 

 ちょっと、本格的にヤバイ! アリカさん早くこの脳筋ども止めてくれ! と悲鳴を上げながら三人の波状攻撃を必死に捌く。

 

 【操弦曲】で牽制し、無詠唱の魔法の矢で牽制し何とか誤解を解こうと足掻くが、イオリアが足掻けば足掻くほど赤毛と筋肉の笑みが深くなっていく気がする。

 

 その笑みに、こっちがこんなに苦労してんのに何笑ってんだ? アァ!? と段々イラついてきたイオリア。

 

 いい加減、マギアエレベアでも使ってやろうかと半ば本気で思い始めた時、一瞬の隙をついてラカンの巨龍すら一撃で屠る右拳がイオリアを捉えた。

 

 ラカンの一撃を【圓明流:浮身】で無効化しながら吹き飛んでいると、視界の端でナギの「ああー俺の獲物!」という表情が見えてイオリアの額に青筋が浮く。

 

 俺はお前らのおもちゃか? と。吹飛ぶイオリアに止めでも刺そうというのか詠春が待ち構えている。しかし、詠春の攻撃がイオリアに届くことはない。

 

「ミク、詠春を」

「はい、マスター! ついでに筋肉さんも任せてください!」

 

 ポツリと呟かれたイオリアの言葉を彼の最高のパートナーは聞き逃さない。【絶】で近づき、詠春の背後を一瞬でとると鞘のまま横凪に切り払う。

 

 直撃寸前に気がついた詠春が何とか身を捻るが躱しきれず、そのまま地面に向けて吹き飛んだ。ミクは、懐からパクティオカードを取り出す。

 

「アデアット!」

 

 パクティオカードが光り輝き、ミクのアーティファクト【九つの命】が発動する。総勢九人のミクが一斉に飛び出す。分身の八人はラカンへ、本体は詠春の下へ高速機動で迫る。

 

 ラカンが、イオリアへの手応えのなさに首を捻っている間に八人のミクが殺到し、ラカンが「おもしれぇ!」とばかりに構えを取る。

 

 しかし、動き出そうとした瞬間に、ラカンは、両手両足を濃紺色のリングで拘束され、そのまま空中に磔にされた。【

 

――捕縛魔法 レストリクトロック 

 

 ミクの援護にイオリアが発動した捕縛魔法だ。

 

「ぬおっ! 何だこれ!」

 

 見たこともない捕縛魔法に思わず声を上げるラカン。無論、いくら魔導の強力な拘束とはいえ、バグキャラであるラカンには一瞬程度の拘束力だろう。しかし、その一瞬で十分だ。

 

 八人のミクは無月に【周(斬岩剣)】をすると、拘束を完全に破られる前にその全ての斬撃を叩き込んだ。

 

 正面から二撃、すり抜けざまに二撃、合計四撃を八人全員が叩き込む。

 

 ミクの斬撃はラカンの鋼の肉体にほとんどダメージを与えられずカスリ傷を負わせるに止まる。そのまま、何事もなかったようにラカンは「フン!」と気合で拘束を破った。そんなラカンに、ミクは感嘆の言葉を送った。

 

「流石、“つかあのおっさん剣が刺さんねーんだけどマジで”なんて呼ばれるだけのことはあります。かなり力を込めた斬撃ですよ?」

「へ、嬢ちゃんもやるじゃねぇか」

 

 ラカンの称賛はお世辞ではない。実際、ラカンはミクの斬撃がほとんど視認できなかったし、気合防御したにもかかわらずカスリ傷とはいえしっかり斬られた。自分の防御を抜かれるなど滅多にあることではないので割りかし本気で感嘆しているのだ。

 

「だが、今のが全力なら勝ち目はねぇぜ?降伏するなら手荒な真似はしねぇぞ?」

 

 そんなラカンの言葉にミクは「クス」と笑う。ラカンは訝しそうな表情でミクを見た。ミクはラカンを指差して笑いを堪えるように言う。

 

「よく似合ってもますよ? 可愛いです」

「は?」

 

 戦場で敵から目を離すことは愚の骨頂ではあるが、ミクのその様子に思わず自分を見下ろす。そして、ラカンは驚愕の声をあげる。

 

「なんじゃこりゃー!?」

 

 今、ラカンの体にはあちこちに可愛いネギマークが刻印されていた。その合計十六本。ミクの念能力【垂れ流しの生命】が発動している証である。

 

 ラカンの気の総量は常人の比ではない。十六本ものネギを刻印しても普通なら三十分以上は枯渇しないだろう。

 

 しかし、ミクも昔のままではない。京都神鳴流を学び【オーラ】の扱いが洗練されていくつれ、流出量も少し増えたのだ。それ故、ラカンの気が枯渇するまで……あと十分。

 

「さぁ、鬼ごっこでもしましょうか?筋肉さんの気が枯渇するまであと十分といったところです。それまでに私達を捕まえて解除させて下さいね?」

「おいおい、マジかよ。何だその能力は……アーティファクトか?」

「秘密です!」

 

 そう言って八人のミクが翻弄するようにラカンの周りの飛び回り始めた。

 

 ラカンは刻一刻と流れ出していく自分の気を感じ冷や汗を流しながら、ミクを捕まえようと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 一方、本体のミクは、吹き飛ばした詠春の下へ駆ける。詠春もまた、瓦礫を吹き飛ばしながら起き上がり、上空より接近するミクに太刀を振るった。

 

「斬空閃!」

 

 詠春が高速で太刀を振るい、曲線状の斬撃がミクを迎撃せんと迫る。

 

 ミクは、「フッ」と笑い無月を振るった。

 

「斬空閃!」

 

 無月より放たれた飛ぶ斬撃が詠春の【斬空閃】を相殺する。それに、目を見開く詠春。

 

「バカな! 神鳴流だと!?」

 

 驚愕で一瞬動きが止まった詠春へ、落下速度そのままにミクが唐竹に無月を振り下ろす。

 

「斬岩剣!」

 

 直前で受けるのはマズイと判断した詠春が回避に専念したのは正解だった。

 

 【瞬動】で飛び退った詠春の後の地面に振り下ろされた斬撃はそのまま地面を引き裂き詠春にまで衝撃が届いたからだ。

 

 砕けた石が散弾のように詠春を襲う。それを太刀:夕凪で打ち払い、さらに距離をとってミクと対峙する。

 

 詠春の表情は強ばっている。無理もないだろう。敵が自分と同じ神鳴流を使っているということは、神鳴流が敵側についている可能性があるからだ。

 

 京都守護、人の守護を生業とする神鳴流には有り得ないことだとは思うが、可能性は否定できない。

 

 しかも、自分より明らかに年下の少女が、もしかしたら自分以上の使い手かもしれないのだ。先ほどの【斬岩剣】の練度はそれほどの一撃だった。

 

「……その剣技、どこで修得した?君は何者だ」

 

 詠春の問いに、ミクはホッとした様子を見せる。ミクとしては、「脳筋ばっかりです!」と思っていただけに会話が成立するなら誤解も解けると安心したのだ。

 

「そんなに睨まないでください。私は敵ではありません。神鳴流は青山宗家で教わりました。名前はミクといいます」

「宗家だと? 悪いが、私は宗家の人間だ。それだけの技量なら幼少のころより門下に入っていたはず。だが、君のような門下生がいたなんて私は知らない。嘘をつくならもっと……」

「門下生のお姉さんの生着替え覗いて鼻血吹き出した」

「……なに?」

「百烈桜花斬の練習台にお姉さんの道着を細切れにした」

「ちょっと待とう」

「実は、秋人君のお母さんである静代さんが初恋あい……」

「信じよう! 君が宗家の門下生であると!」

「そうですか? それはよかったです。師匠からも聞いてますよ。すごい才能あるのに全部放り投げて武者修行の旅にでた阿呆がいるって。絶対、詠春さんのことですよね~」

「ぐおっ、師匠? どなただ?」

「宗主の重秋師匠ですよ」

「な、宗主自ら!?」

 

 ミクに胡乱な目を向けていた詠春だが、ミクから飛び出す心当たりのある自分の過去に否応なく信じさせられた。

 

 ちなみに、断じて態とではない。あくまで事故なのだ。詠春は内心、まさか門下生に語り継がれているのではと戦慄していた。そうなればある意味帰る場所を失う。そして、誤魔化す意味も含めて話題を逸らそうとミクの師匠を聞くと、ビッグネームが出てきたので本気で驚愕する。

 

「はい、少し前に入門して、一ヶ月ほどみっちり教えて頂きました」

「一ヶ月!?」

 

 さらなるミクの言葉に詠春の顎がカクンと落ちる。まさか、一ヶ月で神鳴流を修得したとでも言うのだろうか、いや、そんなはずないと自問自答する。

 

 しかし、先ほどの神鳴流の技の練度が答えを示していた。

 

「とにかく、私が敵ではないとわかってもらえましたか?」

「あ、ああ、取り敢えず信じよう。」

 

 若干、現実逃避気味に詠春は頷く。そして、ミクと連れ立って仲間の下へ戻るのだった。他に変な話しが門下生に広まってないかミクに訪ねながら。

 

 

 

 

 

 

 ラカンのピンチと詠春への精神攻撃を尻目に、イオリアとナギは未だ誤解が解けず戦っていた。このままでは埒があかないので、イオリアは魔導全開で行くことにした。

 

「刃以て、血に染めよ、穿て、ブラッディーダガー」

 

 126本の血色の短剣がナギをロックオンし自動追尾する。

 

「なんだ、この魔法!」

 

 そんなことを叫びながら、もう大規模魔法と変わらない魔法の矢を1001本放つナギ。

 

 イオリアは【ブラッディーダガー】にナギを追尾させながら、並列思考で、転移魔法を起動し、攻撃範囲を離脱する。

 

 ナギは、ダガーを避けながら魔法を放とうと詠唱を開始するが、その途端、足元にベルカ式魔法陣が浮かび光の鎖がナギを絡め取る。

 

 拘束を解こうと魔力を高め、【ディレイバインド】を破壊しようとするが、直後、さらに【リングバインド】が重ね掛けされる。

 

「だぁー、さっきから何なんだ! この魔法は!」

 

 ウガーと怒鳴りさらに魔力を高めるナギ。その魔力の圧力にバインドがビキビキと砕けていくが、そこで更に【レストリクトロック】。ナギの四肢を空間に固定する。「ぬおっ!」と驚きの声を上げるナギにさらに【バインド】をする。ついでにもう一つ【バインド】おまけに【バインド】、取り敢えず【バインド】八つ当たりで【バインド】もう必要ないけど【バインド】ちょっと楽しくなってきたので【バインド】アリカ達がこちらに来ているので暇つぶしに【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】【バインド】】【バインド】【バインド】【バインド】はい、皆さんご一緒に!【バインド!】

 

「……我が騎士は無事か?」

 

 濃紺色に輝く【バインド】というより繭に包まれるナギを見てアリカが何とも言えない表情で呟く。

 

 エヴァが隣で「うわ~」という若干引き気味な声を上げ、テオドラが興味深げにツンツンと落ちていた枝でつつく。アルビレオは「ほぅ、このような魔法が……」と興味深げだ。

 

 

 イオリアはスッキリした顔で、アリカにナギを任せバインドを解除した。

 

「出しやがれーってあれ?」

 

 キョトンとした顔でキョオキョロと辺りを見回すナギ。

 

 ツカツカと歩み寄ってきたアリカに気づき「姫さん、無事か?」と声を掛けるものの、その返事は張り手だった。王家の魔力がこもった。バチンッといい音が響く。

 

「ぶはっ! 何すんだよ!」

「早とちりしおって、馬鹿者。この者達は敵ではない。話さねばならんこともある。さっさと一緒に脱出するぞ」

「えっ!? そうなのかよ。武器持ってるからてっきり……」

 

 「いや~悪い悪い!」という感じでニカッと笑うナギに、イオリア達は原作で言ってた通りバカっぽいなぁ~と感じながら溜息をついた。

 

 そうこうしている内にミクと詠春、どことなくグッタリしたラカンがやって来る。分身ミクは既に解除済みだ。

 

 いつまでもこの場所にいるわけにもいかないので、一行は事情説明は後にして赤き翼の隠れ家に移動した。

 

 赤き翼の隠れ家はオリンポス山にあった。そこには、白髪の少年と白スーツの中年男性、よく似た感じのスーツを着た少年がいた。ゼクト、ガトウ、タカミチだろう。

 

 到着早々、赤き翼の隠れ家が掘立小屋だったのでテオドラが笑うと、イラッときたラカンが「チビジャリ」と呼びケンカが始まるなどあったが、取り敢えず中に入り、事情説明、そして、イオリア達の計画を話すことになった。

 

 全てを聞いたナギ達は、問題なく協力関係を結ぶことを決めてくれた。というのも、アリカの騎士宣言と、それに誓いを立てたナギとしてはアリカが協力関係を結ぶ気なら文句はないらしく、ゼクトやアルビレオ等頭脳担当もイオリア達の計画に乗るべきと押したからだ。

 

 アルビレオ等からすれば魔法世界崩壊の危険性は念頭にあったらしく、解決不能の難題と考えていたことから、テラフォーミング計画は目からウロコの気分だったらしい。

 

 実は、将来のナギの息子の発案ですとは言えないイオリアは、微妙に良心をチクチクと痛めていた。

 

 赤き翼の協力が得られたので、早速、その旨を皇帝陛下に伝える。もちろん、死ぬほど心配しているだろうからテオドラからである。

 

 その結果、帝国もアリアドネーも問題なく動けると返事があった。準備は整ったので、イオリア達はもう一人の仲間に連絡をとる。

 

 イオリアからアリカ達に合わせたい人がいるといわれ、待つこと三十分。イオリア達の眼前にベルカ式の魔法陣が浮かび上がる。何事か! と身構える赤き翼を手で制止し、やがて光が収まるとそこには、

 

 テトとお姫様抱っこされたアスナがいた。

 




いかがでしたか?

一度は紅き翼と戦わせてみたかったので、ナギのバカっぽさを利用させて頂きました。

少々、話の展開がスムーズすぎるかと思ったんですが・・・
其処まで細かく描写するのは作者のキャパを超えます。

あと、意図的に連合は外しています。
原作でも何か色々画策していたみたいですし・・・その辺を考慮するとイオリア達が渡りを付けるのは不自然かな~と。べ、別に面倒だったからじゃないんだからね!・・すいません。

さて、ネギま編もいよいよクライマックス。

次回は、決戦です。果たしてイオリアは造物主を説得できるのか。


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第23話 天上の音楽

ネギま編クライマックス。

感動的なセリフってどうすれば思いつくのでしょう?
涙腺崩壊させる作者さん達をマジ尊敬します。


 ウェスペルタティア王国王都オスティア空中王宮最奥部“墓守り人の宮殿”。そこは、無数の浮島と雲海に囲まれ神秘的な場所だった。

 

 そんな“墓守り人の宮殿”を見渡せる浮島の森の中で、突き出した太い木の枝に腰掛けている紅毛の少女が一人。テトである。彼女は今、イオリアの指示で宮殿を監視していた。

 

「ホント、綺麗なとこだね。マスターにも見せてあげたいなぁ」

 

 テトは片膝を立てながら顎を乗せ宮殿をジッと眺める。ここに来るまで相当な数の警備をくぐり抜けて来たのだが、この浮島に身を隠してからは実に穏やかで、ぶっちゃけると少し退屈気味である。

 

「待っててね、アスナちゃん。直ぐ迎えに行くからね」

 

 そう独り言を呟くテト。

 

 そう、テトの任務とはアスナの救出である。造物主の説得に当たり世界崩壊の儀式を強行されては堪らないので、サクッと確保しておこうと言うことだ。

 

 アスナを確保してしまうと、彼女は完全なる世界の計画の要なので事態が直ぐに動いてしまう可能性がある。

 

 そのため、赤き翼の協力を取り付けるまでテトはこの場所で待機しているのだ。

 

 イオリアから合図がくれば直ぐにでも動けるように。隠蔽レベルを最大にしたサーチャーで宮殿内を探索し、既にアスナの居場所は特定している。

 

「でも、中々スリルがあったね。救出は慎重かつ大胆に行かないと」

 

 宮殿内には強者がゴロゴロしており、探索中は流石のテトも冷や汗を掻いたものだ。

 

 何せ、見えない感じないハズのサーチャーに時々反応する輩ばかりなのである。おそらく、アスナの救出では、最初から最後までバレないということはないだろう。

 

 テトは、幾通りものパターンをシミュレートしながらイオリアの合図を待つ。

 

 そして、その時は来た。イヤリングを通してイオリアの声が届く。

 

(テト、聞こえるか?)

「うん、マスター。聞こえるよ。準備OKってことかな?」

(その通りだ。アスナを頼む。……だが、決して無理するな。ヤバイと思ったら即行で逃げろ。アスナの確保は後でも十分間に合うんだからな)

「ふふ、わかってるよ。ボクに何かあったらマスターが泣いちゃうもんね? 無理はしないから、大丈夫。任せて。」

(……分かってるならいい。じゃ、頼んだ)

「了解、マスター」

 

 テトのからかうような言葉に、若干照れたような声で通信を切るイオリア。テトの顔に笑みが溢れる。

 

 テトは一つ両手で頬をパシンと叩き気合を入れると、「よし!」と言って幹の上に立ち上がった。そして、ベルカ式の転移魔法陣を起動する。

 

「任務開始!」

 

 その宣言と共に光に包まれたテトの姿が消えた。

 

 “墓守り人の宮殿”外部のテラスにベルカ式魔法陣が浮かび上がる。そして光と共にテトが現れた。

 

 アスナのいる部屋の場所は特定しているが、小さいながら反魔法場が形成されているようで、転移魔法が阻害される可能性があるため直接の転移はしない。

 

 ベルカ式転移魔法は異世界製で危害を加えるものでないから使用できる可能性は高いが、最重要人物の部屋に何の仕掛けもないとは考え難いので念のためだ。

 

 そのため、テトは、アスナのいる場所から直線で最も近いテラスに転移したのだ。

 

「アデアット」

 

 テトの指に紅い石の付いた指輪が装着される。テトは、両手をパンッと打ち合わせて壁に向かって両手を当て、アスナのいる部屋の座標を目掛けてアーティファクト【賢者の指輪】を発動させた。

 

 紅い放電現象と共にアスナのいる場所を目掛けて一直線に階段付きの穴が出来上がる。さらには、アスナの部屋も彼女を避けるように一気に作り替えられた。

 

 これが、アスナ救出作戦にテトが選ばれた理由である。どんなに複雑な構造だろうと、どんな罠が仕掛けられていようと、「だったら建物ごと作り替えればいいじゃない!」という発想である。

 

 テトは出来た通路を高速機動で一気に駆け下りる。そして、突然、周囲が作り替えられキョトンとしているアスナの隣に降り立った。

 

「……誰?」

 

 これまた突然現れたテトに無表情ながら不思議そうな表情で質問するアスナ。それに、テトは微笑みながら片膝を着きアスナと目線の高さを合わせる。

 

「お迎えに上がりましたよ、お姫様。皆が待ってるから一緒に行こう?」

「皆?」

「うん、アリカさんとかナギくんとか……知ってるでしょ? 皆、アスナちゃんに会いたいって。皆、明るい場所でアスナちゃんが来るのを待ってる。だから……ね?」

 

 そう言ってそっと手を差し出すテト。アスナはそれをジッと見た後、

 

「うん」

 

 重ねるようにテトの手を取った。

 

 テトは微笑みを深くしながら転移魔法を起動しようとする。が、その瞬間、周囲一帯が砂のように砕け散り発生した砂塵がテトを襲った。

 

 テトは「うげっ、もう来た!」と内心舌打ちしながらアスナを抱えて来た道を駆け戻る。アスナの体に負担が掛かるので高速機動は使えない。

 

 それでも【瞬動】を使いながら通路の中腹まで一気に駆け上る。アスナはテトの首元に目を瞑ってギュッと抱きついている。その温もりを離さないように片腕でしっかり抱きかかえながら、【円】に反応した追っ手を迎撃するためアルテを抜く。

 

「連れて行かれては困るね、お嬢さん」

 

 いつかの気障男が通路を猛スピードで駆け上がってくる。そして、魔法を詠唱する。

 

「ヴィスュタル・リシュタル・ヴァンゲイト、小さき王、八つ足の蜥蜴、邪眼の主よ、時を奪う、毒の吐息を、石の息吹!」

 

 石化の煙が通路全体を覆いながら急速にテトに迫る。アスナは攻撃魔法に関しては絶対的な魔法無効化能力を持っているため遠慮がない。

 

 しかし、この手の範囲攻撃は魔導師には効果がない。

 

 テトは煙に覆われる寸前でプロテクションを張ると、アスナがしっかりしがみついているのを確認して、一瞬、両手を合わせると壁に手を当てる。

 

 すると、今まで通路だった部分が元の壁に戻っていき、プリームムを閉じ込めた。数秒しか持たないだろうが今は十分だ。

 

 石化の煙を飛び出しテトはテラスに着地する。

 

 直後、テトの着地の間際を狙ってか、特大の火炎と水流が互いに交わり渦を巻きながら襲ってきた。

 

 水蒸気をまき散らしながら迫るそれに、テトはアルテを向け発砲する。ドパンッという発砲音と共に吐き出された弾丸は火炎と水流のど真ん中に突き刺さり、次の瞬間、パキャンというガラスが割れるような音を立てて霧散させた。

 

 テトの念能力【拒絶の弾丸】である。

 

「むっ!?」

「なに!?」

 

 水蒸気が辺りを覆う中、襲撃者の驚愕の声が響く。完全なる世界の使徒「炎のアートゥル」と「水のアダドー」である。

 

 水蒸気の中からアスナを抱いたテトが飛び出し、再びベルカ式魔法陣を展開した。しかし、そこへ、ゴバッという音と共に壁を砕いてプリームムが現れ、一瞬でテトの背後を取った。

 

「チェックメイトだよ」

 

 そう言って、石の剣をテトの首元目掛けて振り下ろす。しかし、その斬撃がテトの首を落とすことはなかった。プリームムの剣は、あっさりテトをすり抜けたのだ。全く手応えなく。

 

 それに顔を顰めるプリームムは周囲を見渡し、晴れかけた水蒸気の中から、アスナをお姫様抱っこしながらウインクするテトの姿を見つけた。その足元には既にベルカ式の魔法陣が展開されており、発動の直前だった。

 

「くっ!」

 

 慌てて、駆け寄ろうとするが次の瞬間には光が二人を包みその姿が消えた。次いでに、プリームムの眼前のテトとアスナも消えた。

 

 テトは周囲を水蒸気が包んで自分達の姿を隠した瞬間、【絶】をして気配を殺しながら【幻術魔法:フェイクシルエット】によりテトとアスナの幻影を作り出し離れたところで本体の動きを映し出したのだ。

 

 しかも、この【フェイクシルエット】は、幻術でありながら【オーラ】が添付されており気配を持っているのである。プリームムもまんまと騙された形だ。

 

 追跡の魔法を使おうにも、ベルカ式の魔法は科学的な空間転移でありこの世界の転移魔法とはかけ離れているので追うことはできなかった。

 

「くそっ! 黄昏の姫巫女を奪われるなんて!」

 

 激昂するプリームムに中性的で深みのある声がかけられる。

 

「プリームム」

「主! 申し訳ありません。黄昏の姫巫女を……」

 

 プリームムが呼んだ通り、黒いローブを羽織った存在“造物主”がいつの間にかそこに佇んでいた。造物主はプリームムの謝罪に頭を振る。

 

「奪われたものは仕方ない」

「直ぐに追います」

「不要だ」

「なっ、しかし!」

 

 黄昏の姫巫女ことアスナがいなければ、完全なる世界の“世界を終わらせる儀式”は行えない。アスナを奪われたままというわけには絶対にいかないのだ。

 

 それ故、思わず語気を荒げるプリームム。それを手で制止し、踵を返してテラスの外縁へ歩きながら着いてくるよう促す。

 

「ヤツ等は、自分達の計画のために我々を欲している。黄昏の姫巫女を連れて行ったのは万一のためだろう。ならば、何もせずともヤツ等の方から来る。私の協力を取り付けるために。我々はそれを待ち構えていれば良い」

「それは……そうですが……」

「備えよ、決戦となろう」

「承知しました」

 

 プリームムは造物主に軽く頭を下げるとそのまま宮殿の奥へ消えていった。テラスから沈む夕日を眺めながら、造物主はポツリと呟く。

 

「……“どうか、あなたの優しさをもう一度”か」

 

 それは、プリームムが持ち帰ったイオリア達の世界救済計画のレポートの最後に書かれていた一文だ。造物主は、その言葉を思い出し自嘲気味に笑う。

 

「そんなもの私にあったかな?」

 

 イオリアの計画が成功すれば、魔法世界崩壊の不可避性という難題は解決することになる。イオリアのレポートにはその実現が現実的なものであると信じさせるだけの説得力があった。

 

 しかし、それでも……

 

「人間は度し難い。そうまでして救う価値があると本気で思うのか?……イオリア・ルーベルス」

 

 2600年もの間、この世界を見守り続けた“神”の絶望は深かった。人々の願望や後悔から計算して作り上げた、幸せに満ちた幻想の楽園「完全なる世界」に全てを封じてしまおうと考えるほどに。

 

 完全なる世界は、魔法世界の人々を救済する方法であると同時に、造物主の絶望を終わらせる方法でもあったのだ。自らが作り上げた世界の夕日を見ながら空虚な瞳をする神様は果たして……

 

 

 

 

 

 

 

 

「アスナ!」

「姫子ちゃん!」

 

 テトにお姫様抱っこされて現れたアスナに、驚愕しながらも駆け寄るアリカとナギ。

 

 テトは、未だ目を瞑り首元にしがみついたアスナをそっと地面に下ろした。

 

 自分を呼ぶ声とテトが降ろそうとしている気配に気がつき、目を開けたアスナは、キョロキョロと辺りを見回し、微笑むテトを、次いで真っ赤に輝く夕日を見て、最後に駆け寄ってくるアリカとナギの姿にジッと見入る。そして、傍に膝を落とすアリカとナギの名前を呼んだ。

 

「アリカ、ナギ」

「ああ、妾じゃ、アスナ。よく無事で……」

「姫子ちゃん……へっ、元気そうじゃねぇか、安心したぜ」

 

 アリカに抱きしめられ、ナギに頭をくしゃくしゃと撫で回されるながら「んっ」と短い返事をして為すがままになるアスナ。

 

 他のメンバーも集まり口々にアスナの無事を喜ぶ。そんな様子を、少し下がったところで温かく見守るイオリア達。

 

「テト、よくやってくれた。無事でなによりだ」

「流石、テトちゃんです!」

「ふん、これくらい当然だな。ま、よく戻ったと言っておこう」

「ケケケ、心配デソワソワシテタクセニヨク言ウゼ」

「ふふ、心配してくれてありがと。問題なかったよ」

 

 各々がテトの帰還に喜び笑顔を見せる。テトなら大丈夫と信じていたが、やはり心配することは止められない。

 

 テトもイオリア達のその気持ちが分かるから嬉しくて笑みが溢れる。若干1名、空気を読まずに御主人を弄り「チャチャゼロ、貴様!?」と怒鳴られているのは愛嬌だ。

 

 イオリア達が互いの無事を喜んでいると、トコトコと小さなお姫様がやって来てテトの服をクイクイと引っ張る。「なにかな?」としゃがんで目線を合わせるテト。

 

「……ありがと」

「ふふふ、どういたしまして、これからは皆一緒だね」

 

 嬉しそうなテトの表情に、僅かに目元を和らげるアスナ。それに「姫子ちゃんが笑った!?」とナギが騒ぐ。

 

 その後は、イオリアに紹介されたテトにアリカ達が礼をいい、ナギとラカンが一人で救出してきたテトの実力に興味を示してちょっかいを掛けようとしてテトに銃撃され、アスナに「メッ」される等があったが、概ね緊張感はありながらも穏やかに最後の打ち合わせがなされた。

 

 そして、運命の日がやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 イオリア達は現在“墓守り人の宮殿”が一望できる浮島の一つに集合していた。テトがいた時と異なり、宮殿の周りにはおびただしい数の召喚魔や自動人形が飛び交っている。イオリア達が来ることを予測して備えたのだろう。

 

 今、この場には赤き翼のメンバーとイオリア達だけがいる。アリカやテオドラ、タカミチは帝国やアリアドネーの魔法騎士団の指揮をとるためにこの場にはいない。

 

 なお、帝国の半数以上は連合に睨みを効かせている。完全なる世界が元老院に働きかけて軍を動かさないとは限らないからだ。連合に横槍を入れられてはかなわないので最初から戦力には入れていない。

 

「さて、造物主の説得、しくじんじゃねぇぞ?」

 

 ナギが不敵に笑いながらイオリアを挑発的に見やる。それにイオリアも挑発的に笑いながら返す。

 

「お前は、全部終わった後のアリカ殿下へのプロポーズしくじるなよ?」

「なっ、何言ってんだよ! なんで、そんな話になる!?」

 

 イオリアの予想外の返しに思いっきり動揺するナギ。既に惹かれあっているくせに今更何言ってんだ?とニヤニヤするメンバー達。

 

「おほっ! なんだぁ~ナギ、プロポーズすんのか? え? 何て言うんだ? ん?ちょっと教えてみ?」

 

 実にウザイ感じでラカンが絡む。それに心底ウゼ~という顔をするナギだが、周囲の仲間が全員ニヤついているので話題を逸らすことにしたらしい。

 

「と、とにかく! しくじんなよ! 造物主が納得しなかったら俺がぶっ殺すからな!」

「了解。まぁ、任せてくれ」

 

 そう言って拳を突き出すイオリアにミクとテト、エヴァとチャチャゼロが突き合わせる。目で促すイオリアに「へっ」と笑いながらナギも拳を合わせた。次いでラカン、アル、詠春、ゼクトも合わせる。

 

「今日この日が戦いの終わりじゃない、今日この日から始まるんだ。魔法世界の存続を掛けた戦いが。……やるぞ!」

「「「「応!」」」」

 

 

 イオリアの宣言に全員が不敵に笑いながら答える。イオリア達と赤き翼は“墓守り人の宮殿”に向かって飛び出した。

 

 宮殿に近づくにつれ、総数50万はいそうな召喚魔がイオリア達に気がつき突進してくる。

 

 そこへタイミングを合わせるように帝国の戦艦とアリアドネーが大規模転移魔法により転移してきた。そして一斉に主砲を撃ち放つ。

 

 多数の敵を薙ぎ払いながらも、全く効いていない個体も多数いるようだ。その個体は、【造物主の掟】の簡易版を持っているのだろう。【造物主の掟】造物主の力が込められた魔法具で、魔法世界の住人の力は一切通用しない。それでも、相当な数を減らすことはできる。

 

「ガトウさん、エヴァ、チャチャゼロ、頼んだ!」

「ああ、任された」

「ふん、私を露払いに使おうとはいい度胸だよ。後でたっぷり礼をもらわねばな」

 

 ガトウとエヴァ、チャチャゼロは召喚魔軍討伐に当たる。帝国やアリアドネーでは倒しきれない【造物主の掟】持ちの召喚魔を一手に引き受けるのだ。

 

「エロイ事要求スンダナ、ワカルゼ!」

「エロい事を要求するんですね、分かりますよ」

 

 くくくっとあくどい笑みを浮かべてイオリアを見るエヴァを、チャチャゼロとアルビレオがすかさず弄る。この二人、エヴァの隙を逃さない。

 

「そんなわけあるか! 乗り込む前に氷漬けにするぞ!」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴るエヴァ。その反応が二人を喜ばせているのだが、本人は気がついていない。

 

「えっ、エヴァちゃん、マスターを襲うんですか! どうしましょう、テトちゃん!」

「これは、ボク達も遅れを取るわけにはいかないね、ミクちゃん!」

 

 慌てるようにテトに助けを求めるミクと、キリッとした表情で決意を表明するテト。だが、二人共目が笑っている。

 

「なんだぁ、イオリア。お前、こんなロリばばぁがいいのか? 考え直せよ~」

「けっ、人をおちょくるから罰があたったんだろ」

「闇の福音に狙われるとは、大変じゃのう~」

「お前等、もっと真面目にやれ!」

 

 上からラカン、ナギ、ゼクト、詠春である。弄りに弄られたエヴァはぷるぷると涙目に震えている。この後に及んでここまで弄られるとは思いもしなかったのでダメージが大きい。

 

 そろそろ、召喚魔の第一陣が到達しそうなので、エヴァはプイとそっぽを向くと、

 

「後で覚えておれよ~!」

 

 とまるでやられ役の小悪党のようなセリフを叫びながら召喚魔の方へ突貫した。それを、溜息をつきながらガトウが、ケケケと笑いながチャチャゼロが追う。

 

 残ったアルビレオが「いや~本当に面白い人になりましたね~」と胡散臭い笑みを浮かべながら見送った。

 

 イオリアは、エヴァの機嫌を直すのが大変そうだと溜息をつきなら突入組を見渡す。

 

 どいつもこいつも真剣ではあるものの緊張感とは無縁だ。全くもって頼もしい限りである。十中八九、相手は一筋縄ではいかないだろう。それでも、イオリアは不敵な笑みを浮かべた。彼等と一緒なら何の心配もいらなかった。

 

 

 

 

 

 突入を果たした一行を迎えたのはおびただしい数の石の針【万象貫く黒杭の円環】と豪炎、氷雪、雷の暴風だった。咄嗟に迎撃しようとしたイオリアにナギが待ったをかける。

 

「任せな! てめぇはさっさと親玉のとこへ行け!」

 

 そう言うや否や、赤き翼のメンバーはプリームム率いる完全なる世界の使徒達に突撃する。

 

 イオリア達はナギ達を見送ると、三人で顔を見合わせ一つ頷き、【円】を最大限で展開した。そして、造物主の気配を確認する。どうやら、逃げも隠れもするつもりはないらしい。

 

 そんな必要はないと宮殿中心部に佇み、【円】を感知したのかイオリア達の方を見た。

 

 その瞬間、かつてない絶大なプレッシャーがイオリア達を襲う。並みの人間ならそれだけで魂ごと押しつぶされそうな圧力だ。

 

 イオリアの肌がプツプツと泡立つ。自然と下がりそうになる身体を奥歯を噛み締めて堪える。冷や汗が吹き出して止まらない。

 

 イオリアは感じていた。久しく感じていなかった感覚。死が迫ってくる感覚だ。

 

 前世で散々味わった身体の芯から冷えていく感覚に、自然と噛み締め真一文字に閉じていた口元が歪み、犬歯を剥き出しにして獰猛に笑う。足掻いてやるぞ? 殺せるものなら殺してみろ! と前世では何度も心中で叫んだ言葉を今、再び叫ぶ。

 

「いくぞ! ミク、テト!」

「はい、マスター!」

「うん、マスター!」

 

 出せる限界速度で造物主の前に降り立ったイオリアは、特に迎撃することもなく接近を許した造物主に真剣な表情で話しかけた。

 

「はじめまして、造物主、始まりの魔法使い。知っての通り、俺はイオリア・ルーベルス。二人はミクとテト。さぁ、聞かせ下さい。俺達のプランへの答えを!」

 

 その答えは、造物主の背後に浮かび上がった巨大な魔法陣だった。複雑でありながら精緻なその魔法陣から黒色の砲撃が幾本も放たれる。

 

 イオリア達は一斉にプロテクションを構築した。【オーパルプロテクション・ファランクスシフト】とそれを補助するように莫大な演算能力で構築された強固な障壁が造物主の攻撃を正面から受け止める。数秒が数時間にも感じられるような衝撃の中、遂にイオリア達は耐え切った。

 

「それが異世界の魔法か……」

 

 そう呟く造物主。フードに隠れてその表情は見えないが興味深げなのは伝わる。イオリアは両サイドに立つミクとテトに向け両手を真っ直ぐ伸ばしながら、造物主に叫ぶ。

 

「そうです! この魔導とこの世界の魔法、人間の科学、そして貴方の力があれば魔法世界を救える! そうでしょう?力を貸して下さい!」

 

 それにやはり攻撃をもって応える造物主。先ほどの倍はあろうかという数の黒色の砲撃や鞭のような攻撃が四方八方からイオリア達を襲った。

 

 ミクとテトは伸ばされたイオリアの手に自らの手を重ねる。

 

―――― ユニゾン・イン ――――

―――― ユニゾン・イン ――――

 

 濃紺色の魔力が竜巻のように吹き荒れ、空色に染まったイオリアの瞳が見開かれる。

 

 イオリアは、一気に強度を増したシールドやプロテクションで攻撃を捌きつつ、さらに追加された黒い槍のような攻撃や誘導性のある砲撃を見据え、詠唱する。

 

「来よ、白銀の風、天よりそそぐ矢羽となれ! フレースヴェルグ!」

 

――広域殲滅魔法 フレースヴェルグ

 

 複数の弾を一気に発射、着弾(目標)地点から周囲を巻き込んで炸裂、一定範囲を制圧するのに向いた魔法だ。

 

 本来は超長距離砲撃として用いる。しかし、今回は造物主の苛烈な攻撃を迎撃しながら面攻撃を与えて一度仕切り直さないとジリ貧であると考え使用した。

 

 イオリアから放たれた白銀の砲撃はミク達の演算能力により的確に目標をロックオンして撃ち抜き炸裂相殺する。さらに、炸裂範囲に造物主を加え、巻き込んで衝撃を与えた。

 

 しかし、攻撃が当った瞬間、使徒達と同じ、いや、より精密で強固な曼荼羅状の障壁が現れそよ風一つ届かせなかった。

 

「なぜです、造物主! 魔法世界の崩壊を避けられるのに! なぜ、“完全なる世界”にこだわるんですか!」

 

 イオリアは攻撃を捌きながら必死に造物主へ叫ぶ。

 

「お前には分かるまい。我が2600年の絶望など……」

 

 造物主は、黒色のローブの端をまるで触手のように動かしイオリアの絡め取とろうとしながら、どこか若い女性のようでありながら同時に疲れきった老人にも似た声で呟く。

 

 イオリアはそのローブを【レストリクトロック】で空間に固定して止める。

 

「人間を諦めてしまったのですか?」

「私には、これ以上この世界の上で人が生きる意味を見いだせんよ。何の悩みも後悔もない……求める幸福だけがある世界。ならば、争いもないだろう……」

 

 造物主はそう答えると右手を突き出し、その先に黒い球体を作り出した。静かにただそこに浮かんでいるだけのように見えるその球体に恐るべき破壊力が込められているのを感じ、イオリアは右手に魔力を集束させた。

 

 黒色の球体と同じように急速に集束する周囲の魔力が濃紺色中に黒色をも交えながら球体を作り上げる。

 

 イオリアはここ数年の修行で、さらに魔力制御能力に磨きをかけている。従来では10秒以上かかった集束も今では3秒あれば事足りる。

 

 両者の攻撃が放たれるのは同時だった。黒色の球体は球体のまま猛スピードでイオリアに突き進み、イオリアもまた集束・圧縮した魔力を開放する。

 

「スターライトブレイカー!」

 

 二つの攻撃は、丁度二人の術者の中間で激突した。一瞬、その力は拮抗したように見えたが、直ぐに黒色の球体がスターライトブレイカーを押し始める。しかし、イオリアも黙って見てはいない。更に周囲から魔力を掻き集めつつ、セレスに指示を出す。

 

「セレス、カートリッジロード!」

「yes sir. Load Cartridge 」

 

 セレスの応答と共にガシュンガシュンガシュンと3発のカートリッジが排出され、同時にイオリアの魔力が跳ね上がる。

 

 勢いを増したブレイカーが黒色の球体と拮抗する。数秒の拮抗の後、遂に両攻撃は相殺された。凄まじい爆音と共に“墓守り人の宮殿”が地震にでも晒されているように震動する。

 

 イオリアは、気にせず説得を継続する。

 

 

「だが、それは偽りの幸福でしょう?」

「魔法世界の住人も偽りだ……」

 

 造物主のその言葉に、イオリアは表情を怒りに歪めた。

 

「貴方は絶望したんじゃない。ただ諦めただけだ。人に希望を見いだせないからって諦めたんだ。でも、本当は貴方が誰よりも知っているはずだ。前に進むのに希望なんて必要ない、意志だけで十分だってこと。この世界の人達は!誰一人例外なく、意志を示してきたはずだ! 意志ある者が偽りなわけあるか! その言葉は、あんたが言ってはいけない言葉だろうが!」

 

「……」

 

「この世界を2600年も見守ってきたのが何よりの証拠だろ? 絶望したって言いながら“完全なる世界”なんて魔法まで作って救済しようとしたのも、この世界の何一つ、あんたが幻想だなんて思っていない証拠だ」

 

「だったら何だというのだ? この先も人々が傷つけ合い、憎しみ、騙し、妬み、醜く歪んだ顔で理不尽を振るう姿を見ていろと?」

 

 フードの奥から造物主の瞳がのぞく。イオリアを捉えるその瞳には何の感情もない。まるで擦り切れてしまったような空虚が漂っている。

 

 この世界の創造者だと言うのなら、この世界に住む人々は彼の作り出した子供も同然なのかもしれない。だとすれば、その子供達が傷つけ合うこの世界は、もはや造物主にとって地獄と変わらないのかもしれない。

 

 だが、しかし……

 

「本当にそれだけだったのか?」

「?」

「本当にあんたが見てきたものには、それしかなかったのかって聞いてるんだ」

「……」

「俺は覚えてるぞ? 理不尽ばかりの人生だったけど、父さんと母さんにこれでもかってくらい愛されたこと、大怪我して入院したとき、俺の傍は危ないって分かってるはずなのに見舞いに来てくれた友人のこと、友人達と過ごした時間の楽しさ、感動、他にも沢山覚えてる。それは、イヤな記憶に押しつぶされるほどヤワな思い出じゃない。あんたはどうなんだ?」

「覚えている。……しかし、もはや何も感じぬ。……何を言っても無駄だ。この世界を作ったのは私だ。ならば幕引きも私がしよう。……まずは、お前達から……」

 

 やはりその瞳は空虚なままで、造物主は不意に腕をあらぬ方向に向けた。そこには……

 

「イオリア! 無事か!」

「っ!? あれが造物主……」

「ヤベーぞ、ありゃ正真正銘の化けもんだろ……」

 

 外の召喚魔をあらかた片付けたのかエヴァ達と使徒達を倒したのかナギ達がいた。

 

 イオリアの脳裏に原作で赤き翼を壊滅状態に追い込んだ一撃が浮かぶ。全身を襲う悪寒が全力でイオリアに警報を鳴らしている。あの攻撃はナギ達の少なくとも何人かを死に追いやると。

 

 イオリアの実力を見たせいか、それとも会話が原因かは分からないが、造物主は確実に原作以上の攻撃を放つ気だ。イオリアは、咄嗟に射線上に飛び出した。

 

「イオリア!」

「よすのじゃ!」

 

 造物主の攻撃のやばさに気がついたのだろう。エヴァとゼクトが制止の声を上げる。だが、その時には既に造物主の準備は終わっていた。

 

 造物主の背後に展開されていた魔法陣が一つに合わさると極大の砲撃、いや、もはや壁というべき黒色の衝撃が襲ってくる。

 

 イオリアは右腕に再び高速で魔力を集束・圧縮するとグッと引き絞り、そして解き放った。

 

―――― 覇王“絶空”拳 ――――

 

 イオリアのオリジナル奥義が空間に炸裂し、バリンッという破砕音と共に空間を粉砕する。

 

 ポッカリ大きく割れた空間の先はあらゆる魔法が効果を失う虚数空間だ。それは造物主の魔法も例外ではなく、イオリアが開けた穴の部分だけ、まるで虫食いにでもあったみたいにごっそりと黒色の衝撃を削り取った。当然、射線上にいたナギ達も無事だ。

 

「あれを無傷で凌いだのか?」

「空間を割りおったの。とんでもないヤツじゃ」

 

 後ろでゼクト達が何やら感心しているが、そんな場合ではない。

 

「どうあっても完全なる世界に封じる気か?」

「これが最善解である」

 

 もはや言葉を交わす必要もない言わんばかりの口調だ。イオリアは、ふぅ~と息を吐くとユニゾンを解除した。光に包まれたミクとテトがイオリアの両サイドに現れる。

 

 イオリアは、彼の周りに集まってきた全員に告げた。

 

「皆、力を貸してくれ。あいつが何も感じないというなら、無理矢理にでも思い出させてやる」

 

 イオリアの言葉に何をするつもりかわからないが、まだ手立てがあるのだろうと推測したメンバーが「何をしろって?」と尋ねた。

 

「あいつを引きつけてくれ。フルボッコにしてもかまわないから、俺の邪魔だけはさせないで欲しい。要するに俺以外全員前衛な!」

「何する気だ?」

 

 全員を前衛にして時間を稼ぐなど、一体何をする気なのかとナギが尋ねる。それに、イオリアはニヤッと笑い、一言宣言した。

 

「音楽を奏でるんだよ。」

「「「「「「……はぁ~!?」」」」」」

 

 ミクとテト、そしてエヴァを除く全員が素っ頓狂な声を上げる。どういうことかと再度質問しようとして邪魔するように造物主の攻撃が来た。全員防御するのはヤバイと悟っていたので、全力で回避する。

 

 特にラカンのような魔法世界の人間は、【造物主の掟】から放たれる閃光を食らうと一発で“完全なる世界”行きなので全力で回避するようあらかじめ言い含めてある。散開するメンバーにイオリアが声を張り上げる。

 

「信じてくれ!必ず、造物主の心を取り戻してみせる!」

 

 やはりよくわからなかったナギ達だが、考えるの面倒くせぇ!とばかり叫び返す。

 

「だぁー! わーたよ、やりゃあいいんだろ、やりゃ!」

 

 そうして赤き翼の面々とミク達は撹乱するように動きながら、連携して造物主に波状攻撃を仕掛け始めた。その間にイオリアはセレスをヴァイオリンモードに変更する。

 

「覚悟しろ、造物主。おれの音楽(意志)は容易くお前の心を揺さぶるぞ」

 

 そう言って、一つ深呼吸すると、たった一人のための音楽をゆっくり奏で始めた。

 

 落ち着いた静かな旋律でありながら、戦いの騒音を物ともせず“墓守り人の宮殿”に響き渡るヴァイオリンの音色。全く場違いなそれは、しかし、無視すること叶わずスッと耳に入ってくる。それは、人類の救済と神の国の福音を顕すゴスペル調の曲だ。

 

 激しい戦闘を繰り広げる赤き翼のメンバーや表情は見えないが造物主まで困惑している最中、イオリアが歌い始める。

 

 低く多分に感情を含んだ声は一瞬にして周囲を引き込み、ミクとテトが合わせるように歌声を重ねる。異世界の音楽家と歌姫達の歌声とが混じり合い調和することで、この世界に天上の音楽が顕現する。

 

 “覚えていますか?愛したことを 覚えています、愛されたこと”

 “見て下さい命が芽吹きました、見て下さい手を取り合いました”

 “聞いて下さい子等の声を、聞いて下さい営みの喧騒を”

 “貴方が持たらした、貴方が与えてくれた、貴方がくれた奇跡”

 

 胡乱な目でイオリアを見ていた造物主は、その歌声が耳に届いた瞬間、気がつけば過去に思いを馳せていた。

 

 この世界を創造したばかりの頃、唯の実験程度に過ぎなかったこの世界にいつの間にか愛着を持った。幻想と分かっていながら、日々成長していく住人達に心を寄せた。現実世界の人間も招き、彼らが少しずつ心を通わせていく様は笑みを浮かべずにはいられなかった。彼らが行き違い争うと悲しくて堪らなかった

 

 そこまで、回想して造物主はハッと意識を取り戻す。見ればナギ達赤き翼も何か感じ入るような表情をしている。

 

 造物主は戦闘中に突然、過去に思いを馳せた原因がイオリアの音楽にある悟り、彼に攻撃を集中させた。何となく、あれは早々に止めなければならないと直感したからだ。

 

 その直感は正しい。造物主が己の計画に固執するならば。これは、イオリアの念能力【神奏心域】演奏と歌唱により、術者の意図した事象の発生を相手に錯覚させる能力だ。

 

「させぬぞ!」

 

 しかし、その攻撃は【闇の魔法:術式兵装“氷の女王”】で強化されたエヴァが完璧に相殺する。

 

「あいつの音楽は天上だ。邪魔はさせんぞ?」

 

 冷や汗を流しながらなお不敵な笑みを浮かべ、造物主の前に立ちふさがる。

 

 ミクとテトも並列思考で歌唱と戦闘を同時にこなせるとは言え、リソースは歌唱に大きく割いているため十全の戦闘力は発揮できない。そのためエヴァと赤き翼がイオリア防衛の要だ。

 

「へっ、何かよくわかんねぇけど、とにかくアイツの邪魔をさせなきゃいいんだろ!」

「ったく、戦場のど真ん中で無防備に演奏たぁ、正気じゃないぜ」

「うむ、しかし面白いやつじゃ」

「素敵な音楽ですね。何やら造物主に影響を与えているようですし」

「全く奇怪なことだ……だが悪くない」

 

 赤き翼のメンバーもイオリア防衛に意欲を注ぐ。

 

 その間にも、イオリアの音楽は広がり遂には宮殿の外で相当数を減らした召喚魔を相手取る帝国とアリアドネーにも届いていた。

 

 戦場に突然鳴り響く天上の音楽に心奪われそうになりながら、しかし、皆、根拠もなく悟ってもいた。これは、たった一人のための音楽であると。

 

 “すぐ間違えるけど たくさん間違えるけど ここまで来ました 繋いできました”

 “どうか悲しまないで どうか目を逸らさないで”

 “罪と悲しみの雲を散らし 疑念の闇を払いのけよう”

 “どうか嘆かないで どうか諦めないで”

 

 無視しようにもなぜか振り切れずヴァイオリンの旋律とイオリア達三人の歌声が響くたびに、忘れたはずの感情が少しずつ蘇ってくる。

 

 正体不明の焦りが、イオリアに苛烈な攻撃を仕掛けさせるが、ナギとエヴァをメインに尽く妨害される。

 

 大威力の魔法で一気に吹き飛ばそうにも、気がつけばやはり過去を回想しており、集中が上手くいかない。そのことに苛立ちを顕にして攻撃を加えるが、徐々に攻撃は単調になり容易く妨害される悪循環。

 

 “貴方の心を掴んで魅せる その心を揺さぶろう”

 “やがて大地が砕け太陽が輝きを失っても”

 “貴方の愛が私達の恐れる心を癒す 明けの明星と共に貴方の愛が私達を結びつける”

 

「やめよ!不快だぞ!」

 

 遂に造物主が悲鳴を上げた。造物主の焦り、それは記憶にある美しく優しい思い出が絶望に染まることだ。

 

 感情を切り離し唯の記録として保管すれば、今感じている絶望に染まらせずに済む。しかし、イオリア達の音楽は容赦なくその心の封印を解きほぐす。

 

 このままでは優しい思い出まで絶望に塗りつぶされて何も残らなくなってしまう。焦り動揺しながら、もはや必死に、されど拙い攻撃を繰り返す造物主。

 

 気がつけば、造物主の前には今まで見守ってきた数多の人々が幻となって現れていた。

 

 毎日くたくたになるまで働く開拓者達。次から次へ出てくる問題に右へ左へと走り回る建国者達。魔獣の脅威から人々を守ろうと命を賭ける戦士達。

 

 そんな彼等を温かく迎え入れる家族。世界を脅かす驚異に一丸となる敵対者達。

 

 美しい景色を見て感動に微笑み合い、おいしい料理を食べて美味い! と騒ぎ合う。

 

 やり遂げたことに肩を叩き合って歓声を上げ、祝い事に敵も味方も種族も関係なくバカ笑いする。

 

 そんな光景を幻視しながら、造物主はふと、視界の隅に小さな女の子と母親が、魔法使いの女性と戦士の銅像を見上げている姿に視線を寄せた。

 

 小さな女の子が母親に尋ねる。

 

 “この女の人は誰?”

 “この方は始祖アマテル様よ、創造主様の娘で世界を救ったすごい人なのよ”

 “へー、じゃあ創造主様が一番すごいね!世界を作って、すごい人の親だもん!”

 “ふふ、そうね。じゃあ創造主様にありがとうしよっか?”

 “うん!”

 ““創造主様、ありがとう!””

 

 その母娘の笑顔に、造物主はいつしか頬を涙で濡らしていた。今や、造物主はかつての感情を取り戻していた。汚れることを恐れて、汚してしまうことを恐れて、封じていたものが溢れ出す。

 

 “歌声よ天地に響け 人々よ奇跡の音楽に加われ 絶えず歌い私達は前進する”

 

 それが人間だ。天地へ届けと想いを叫び、一人では足りないと集う。不断に足掻き前へと進む。

 

 “ああ、貴方よ、私達が繋いでいきます”

 “ああ、貴方よ、子が貴方に寄り添うでしょう”

 “ああ、貴方よ、その子が貴方に微笑むでしょう”

 “だからどうか、どうか、貴方よ”

 

 たっぷりと余韻を残しながらヴァイオリンの音色が終息に向かう。

 

 戦闘は少し前から治まっていた。造物主は呆然と佇み僅かに天を仰いでいる。ナギ達も、おそらく一生に一度きりの、この天上の音楽の最後を聞き逃すまいと静かに佇んでいた。

 

 そして、最後の一言が世界に響く。

 

 “傍にいて下さい”

 

 神が寄り添うのは祈りではなく目的でいい。人々の祈りを叶える必要なんてない。幸福を与える必要なんてない。ただ傍で決意を聞いて見守ってくれればいい。

 

 醜いところも沢山見せることになるかもしれないが、それと同じくらい、いや、それ以上に素敵なところを見せるから。

 

 そんな思いが込められた一言。

 

 イオリア達の奏でた音楽は、実を言うと通信機を通して世界各地に流れていた。事情はわからない、目的もわからない。それでも、この音楽を耳にした多くの人々は訳も分からず涙した。

 

 ただ、誰かが自分達を見守ってくれていたことを、自分達が救われていたことを漠然と感じ取った。それ故に、人々のその何者かへの願いも自然と同じになった。

 

 演奏が終わり、“墓守り人の宮殿”を静寂が包む。未だ何も話さす天を仰ぐ造物主に、ナギが笑いながら話しかけた。

 

「何だよ。結局お前、俺たちのことがめちゃくちゃ好きなんじゃねぇか」

 

 それに、演奏を終え傍に来たイオリアも微笑みながら話す。

 

「当然だろ? でなきゃ、2600年も傍に居てくれるかよ」

 

 二人の言葉に造物主はスッとフードを取り、イオリアに視線を合わせた。しばらく無言で見つめ合う二人。他のメンバーもそんな二人の様子を静かに見守る。

 

 やがて、造物主がそっと呟くように静寂を破った。

 

「私に、見続けろというのか……」

「はい」

「傷つけ合う子等を見続けろと……」

「はい」

「人の愚かさはきっと治らん」

「はい。」

「いつか絶望に駆られ私自ら滅ぼすかもしれんぞ?」

「かもしれません」

「苦しいことばかりだ」

「だけど、楽しいこともあります」

「悲しいことばかりだ」

「だけど、優しさもあります」

「……」

「思い出したでしょ? それは、貴方の絶望に屈しましたか?」

「……いや。霞むことすらない」

 

 そこで、造物主は手で顔を覆うと、長く長くゆっくりと息を吐いた。目元を覆っていた手を下げ、自分の周りに集まるイオリア達と赤き翼の面々をゆっくり見渡す。

 

 そして、空虚だった瞳に温かさを宿し、僅かに微笑みながら宣言した。

 

「私の負けだ。協力しよう」

 

 その言葉に、よっしゃー!とハイタッチをし合うイオリア達に肩を叩き合うナギ達。帝国やアリアドネーにも戦いが終わった旨が伝えられ、外ではワッアアアアー!と凄まじい歓声が上がる。

 

 イオリアとナギがパシンッと手を打ち合い、そんな様子を穏やかに見守る造物主。

 

 こうして、この世界最大の戦いは終わりを告げ、これより先、本当の戦いが始まるのだった。

 




いかがでしたか?

ネギま編クライマックスでした。

できる限り造物主の心の内を丁寧に書いたつもりですが・・・伝わりましたでしょうか?
作者の印象だと、どうも造物主を嫌いになれないんですよね・・・原作の描写を見ると。
何か、ひたすら疲れた人って感じで。
という訳で、こんな感じに妄想してみたわけです。
楽しんでもらえたらいいのですが・・・

それと、ぶっちゃけ念能力【神奏心域】を作ったの後悔してます。
だって、作者に歌詞を作る才能なんてないんですもの。
書いてて気づきました。
何てやっかいな能力作っちまったんだ!!と。
昔の聖歌を参考に書いてみましたが・・・雰囲気壊してませんかね?

まぁとにかくネギま編も次で最後です。

次回は、唯の後日談。その後の21年間のまとめです。


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第24話 後日談、そして帰還

ネギま編ラスト。

今回は唯の後日談。

地の文が多くて読むの大変かもしれません。

あと、細かいところは何時ものようにスルーでお願いします。


 麻帆良学園は現在いたるところでバカ騒ぎが起こり大変な賑わいを見せていた。

 

 空を編隊飛行する杖に乗った者達がビラやら煙幕やらを振りまき、空飛ぶ船が光り輝く文字を空中に散らしながら店の宣伝をする。魔法と火薬による花火が上がり、地上でははしゃぎ過ぎた生徒が光の輪っかにより捕縛されズルズルと連行される。

 

 そんな麻帆良学園の正面にそびえ建つ凱旋門を模した巨大な門にはこう書かれていた。

 

 「第78回 麻帆良祭」

 

 イオリア、ミク、テト、エヴァ、チャチャゼロの4人は、そんな麻帆良学園の一角、世界樹広場にある石柱に腰掛けて発光する世界樹を静かに眺めていた。

 

 そんなイオリア達の下へタッタッタと軽快な足音が聞こえてくる。イオリアは聞きなれた足音にふっと口元を綻ばせた。

 

「兄さん! もう、探しましたよ!」

「そうよ! ライブ後の打ち上げから主役がいなくなってどうするのよ! まだ、時間だって……」

 

 10歳くらいの少年の声とそれより幾分年上の少女の声がイオリアに掛けられる。二人共、若干声に焦りと安堵が混じっている。

 

「悪い悪い。何となく世界樹でも見ながら黄昏れて見たかったんだよ。もうすぐ、この世界ともお別れだしな」

 

 その言葉に二人の少年少女が押し黙る。

 

 振り返ればそこにはグッと何かを堪えるような赤毛の少年とオレンジ髪をツインテールにした少女がいた。ナギとアリカの息子ネギとアスナである。

 

「何だ、お前達?そんな辛気臭い顔しおって。折角の祭りが台無しではないか」

「そうですよ~ほら、まだ時間はありますから」

「気持ちは嬉しいけどね。やっぱり笑ってほしいな」

「ケケケ」

 

 そんなイオリア達に益々俯き、口元を引き締めるネギとアスナ。そうしなければ泣いてしまいそうなのだ。笑顔で送り出したいと思っていても、こればかりはどうしようもない。

 

 イオリア達はネギにとって兄や姉のような存在で生まれた時か傍にいる存在だ。家族も同然なのである。

 

 アスナもそうだ。あの日、“墓守り人の宮殿”から連れ出されて以来、ずっと傍にいた彼等を家族の様に想っている。

 

 それが、今日でお別れなのだ。おそらく、もう二度と会うことはないだろう。だからこそ、別れに納得はしていても、溢れる涙を堪えきれそうにない。

 

 そう、今日は、イオリア達がこの世界に来てから21年目、原作の麻帆良祭、世界樹大発光の日。この世界にお別れをする日だ。

 

「ふっぐぅ、ひっぐ」

「ちょっと、ネギ。泣かないって、ふぐっ、約束、ぐす、したでしょ?」

 

 

 ついに泣き出してしまったネギに釣られるようにアスナも泣き始める。

 

 それを困ったように見つめ、石柱から飛び降りるイオリア達。イオリアは二人まとめて抱きしめた。背中を優しくポンポンと叩きあやす。

 

 その優しい感触に、遂に二人は堪えきれず大泣きしながらイオリアの首元にしがみついた。ミク達も優しい目でその様子を見つめる。エヴァは若干、もらい泣きしているようだ。

 

 イオリアはわんわんと泣く二人を抱きしめながら、この21年いろいろあったなぁ~と過去に思いを馳せた。

 

 

 

 

 

 

 

 “墓守り人の宮殿”での戦いが終わったあと、イオリア達がしたのは地盤固めだ。

 

 すなわち、テラフォーミング計画には世界中の協力が必要なので、私利私欲のために足を引っ張るような連中はいらないのである。従って、まずはメガロメセンブリアの元老院や武器商人、マフィアの掃討が急務であった。

 

 完全なる世界はまさに黒幕だったわけで、彼等の所在や不正の証拠をこれでもかと所持しており、彼等を追い詰めるのは比較的簡単であった。

 

 全世界に向けて大分裂戦争の原因が私利私欲を肥やそうとしたメガロメセンブリアの元老院であると証拠と共に大暴露し、ほとんどの者を捕え、新生政府を樹立させた。それと同時に逃亡した者や、マフィアの類は赤き翼を始めとした各国の戦闘集団が連携して掃討していった。

 

 1年後には、帝国、連合、ウェスペルタティア、アリアドネーの4カ国が戦争終結宣言と平和条約を結び、王都オスティアで盛大な式典が開かれた。赤き翼と“スケトシア”は戦争を終わらせた英雄として称えられた。

 

 イオリアは「だから誰が清らかな乙女だよ」と終始表情を引きつらせ、それをニヤニヤとからかうナギとラカンに殴りかかったり、「こんな公の場で恥を晒せるか!」と逃げようとしたエヴァをミクとテトが両脇を抱えて離さず、無理矢理式典に出させたりした。

 

 その結果、既に連合の賞金首からは外されていたエヴァだが、その事実と戦時中の救助活動を覚えていた民衆により“聖なる福音”などと呼ばれるようになり「私は悪の魔法使いだぁ~」と身悶えたりと大忙しだった。

 

 争いの火種を狩っている間もテラフォーミング計画は進められていた。テラフォーミングのプロセスは大きく分けて三つだ。一つ、太陽光を集束し照射する巨大なミラーを火星の傍に設置し、太陽光で気温を上げる。そうすることで極冠部の氷を溶かし火星に水を満たす。

 

 二つ、火星の重力を地球と同じ1Gにするために重力発生機関を開発する。

 

 三つ、火星の大気は二酸化炭素が主なので藻類等の植物により酸素を作り出す。これらのプロセスを魔導、魔法、科学の見地から総合してクリアしていかなければならない。そのため、各国が優秀な人間をアリアドネーに集め研究に邁進させた。

 

 また、テラフォーミングをすれば当然、地球からも観測できる。そのため、現実世界への魔法バレは必須だった。ここでも、紆余曲折を経ることになるのだが、最終的に、魔法はオカルトではなく科学的見地からその存在が証明された新たな学問として浸透させることで混乱を抑えた。

 

 イオリア達は並行してデバイス技術から高度なCPUを作成販売する会社を作り、わずか数年でPC関連業界のトップにたった。そして、地球の名だたる財閥や企業と提携し、テラフォーミング計画に参加させた。

 

 スペースコロニーや、火星での施設は材料を地球から魔法世界に持ち込み、魔法世界で製造し、転移魔法で直接宇宙や火星に送ってしまえばいいので、急ピッチで効率よく行うことができる。

 

 火星での作業も自動人形やゴーレム、召喚魔にやらせることで急速に調査・開拓が可能であった。何せ、魔法の類を使うことで重機何それおいしいの? と言わんばかりの働きができるのだ。

 

 もちろん上手く行ってばかりなど有り得ない。火星のテラフォーミングが現実味を帯びてくると利権を獲得しようと国やら企業やらがこぞって争い始めた。

 

 また、魔法の兵器転用という点で国が動くことも多かった。その度に、イオリア達は東奔西走し、事態の解決にあたってきた。後味の悪い解決しかできなかったこともあった。まさに苦労の連続であった。

 

 しかし、皆が皆走り回り疲弊しつつも、嬉しいニュースも多かった。

 

 例えば、詠春が近衛に婿入りし子供が生まれたことだ。名前はもちろん“このか”である。

 

 この時、刹那の存在を思い出し、迫害される前に一族をぶっ飛ばすか刹那を引き取ってしまえと動いた結果、刹那は白い髪に紅い瞳のまま、百合百合しくこのかの傍にいる。

 

 時間があるときはミクが神鳴流を教えるときもあり、ねえ様と慕われてミクは随分嬉しそうだった。

 

 ちなみに、京都に行った際、マスターを紹介したいと青山宗家に連れて行かれたイオリアは、二十歳くらいの青年が「ミク! 戻ってきてくれたのか! 俺のために!」とか言ってミクに抱きつこうとしたので思わず【虎砲】から【断空拳】のコンボを食らわせてKOさせてしまうというハプニングがあった。

 

 それを見た師範代や宗主が「ほぅ、流石はミクの選んだ男だ」と絶賛し歓迎会が盛大に開かれ、目を覚ました秋人が決闘を挑み宴会の席で再びぶっ飛ばしたりするなど、まぁ、色々あった。

 

 それと、決戦の日から10年後、テラフォーミング計画が軌道に乗ったことを機会にナギとアリカが結婚を表明し、その一年後、ネギが生まれた。

 

 アスナは使われていた薬品のせいで感情の回復と成長が遅く、そのため、ネギの姉のような存在として一緒に育った。

 

 原作に比べ、正真正銘の王子様として育ったせいか甘えん坊で寂しがり屋なところがあり、小さい頃は忙しいアリカに代わりアスナが面倒を見ていたので、アスナにベッタリなお姉ちゃん子になってしまい、アリカの落ち込む姿がよく見られた。

 

 ネギやアスナが麻帆良学園に留学することになったときなど、頑張ってこいと軽快に笑いながら励ますナギとは対照的に涙目で送り出すアリカは印象的だった。

 

 そんなこんなで18年が経ち、遂に生身で人が火星に降り立つ日が来た。イオリア達もそのメンバーだ。

 

 作られた水路に水が流れ、未だ藻類だけとはいえ植物が息づく。緑と水の星になりつつある火星に、今日は世界樹より切り出した苗木を植える日だ。10年前より準備されていた世界樹の苗木がこの星で輝けばテラフォーミング計画は成功と言ってよい。

 

 まだまだ生み出される魔力は弱くても、後はひたすら育てていくだけなので10年もあれば地球の半分くらいは魔力に満ちた星になる。

 

 各国の代表や魔法世界の人々が映像越しに見守る中、計画の発案者であるイオリアが苗木を受け取る。

 

 そして、いずれの火星の中心となるであろう場所にそっと世界樹の苗木を植えた。10秒経ち、30秒経ち、ダメだったのか? と落胆の溜息が吐かれそうになったその瞬間、淡く儚げに苗木が輝き出した。

 

 少しずつではあるが魔力を循環させ世界に放出していく。その様子をマジマジと見つめる人々は、ようやく実感したのか一斉に歓声を上げた。まさに歴史に残る瞬間である。

 

 イオリアも喜びを噛み締めるように周りにいる人々と抱きしめ合い、固い握手をし、そして盛大に雄叫びを上げた。守りきった、やりきった男の叫びだった。

 

 当初、計画は成ったとはいえ、まだまだ火星の緑地化は始まったばかりということで、イオリアは悩んでいた。3年後に帰還するか否かである。万一に備えるなら少なくとも10年は様子をみるべきではないかと。

 

 しかし、そんなイオリアの悩みを吹き飛ばしたのは、この世界で親友といってもいい間柄になったナギであった。

 

 この数十年の間に2人はよく語らい、ナギはイオリアが故郷に残してきた誓いを知っている。それ故に、帰還に悩むイオリアに「いいから、後は俺達に任せて、さっさと家に帰りやがれ!」と発破をかけたのだ。

 

 その後、多くの友人達も同じように背中を押してくれたので、イオリアは帰還を決意した。

 

 帰還の報告は造物主にもしに行った。その際、エヴァ達も連れて行ったのだが、造物主がエヴァに「お前も行くのか」と聞き、エヴァが「行くに決まってるだろ」と訝しそうな表情をして答えると、「そうか」と一言呟いた。

 

 その声音にどことなく寂しさのようなものを感じたイオリアは、つい「お義父さん、娘さんを僕に下さい!」と冗談交じりに言ってしまった。

 

 隣で顔を真っ赤にしながら「な、なに言ってるんだ! お前は!」と怒鳴るエヴァを尻目に「やべ、滑った?」と冷や汗をかくイオリア。

 

 しかし、意外なことに「娘をよろしく頼む」と真面目に返されてしまい「あ、はい。任せてください」と素で応えるイオリア。やはり隣でギャーギャーと騒ぐエヴァを放置して何だか妙な空気の中、固い握手を交わす造物主とイオリアであった。

 

 ちなみに、エヴァがイオリア達と一緒に行くことについては、エヴァからの頼みではない。イオリアからの頼みだった。イオリアがこの世界に来て、世界の救済を決意した日から20年以上かけて育んできたキズナを今更途切れさせたくはなかった。

 

 ミクやテトは最初から一緒に行くつもりだったようで、エヴァに一緒に行こうと誘ってみようと思うと相談すると、「えっ? 今更その話し?」と割りかし本気で驚かれた。

 

 しかし、イオリアとしては、きっと長く一緒にいるだろうからこそ、なあなあにはしたくなかった。きちんと言葉にしておきたかったのだ。それ故、ある日、エヴァを呼び出し、二人きりになった。

 

「エヴァ、2年後の帰還の話しなんだけど……」

 

 イオリアが持ち出した話題に、態々呼び出したことも相まってエヴァは勘ぐった。

 

「イオリア、まさかお前、私には残れとか言うのではあるまいな。もしそうだったら……」

 

 剣呑な視線でギロッと睨むエヴァに、「違う違う」と苦笑いするイオリア。

 

「そうじゃなくて、ちゃんと言っておきたかったんだよ」

「?」

 

 どうやら懸念していたこととは違うらしくホッとすると同時に、では何だ?と疑問顔のエヴァに、イオリアは真剣な表情でスっと手を差し出した。

 

「エヴァ、俺と一緒に来て欲しい。ずっと」

 

 エヴァは差し出されたイオリアの手と顔を交互に見ながらやがて意味が伝わったのか軽く頬を染めながら俯く。

 

「あの時とは違うな」

「ああ、そうだな」

 

 あの時とは、エヴァがイオリアを追いかけて来た日のことだ。

 

「あの時、お前は私の意志に任せた。私の一緒にいたいという思いを汲み取って、“よかったら一緒に行かないか?”そう言って」

「ああ」

「それが、今は“一緒に来て欲しい”か……」

「そうだ」

 

 エヴァは目尻に涙を貯めながらポツリと「求められるというのはこれほど嬉しいものなのか」呟く。そして、目尻の涙を指でクイッと拭うと、いつもも不遜で不敵な笑みを浮かべた。

 

「ふん、仕方ない。一緒に行ってやろうではないか。……どこまでだって一緒にな」

 

 そう言って、ギュッとイオリアの手を握った。イオリアも微笑みながら握り返す。二人は微笑み合い、まるで祝福するように月明かりが二人を照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ドタバタと多数の足音が聞こえ、ハッとイオリアは意識を戻す。

 

 ネギとアスナは未だにイオリアの首元にしがみつきスンスンと鼻を鳴らしている。イオリアが二人を抱きしめたままこちらに駆けてくる人達に視線を向けるのと大声を掛けられるのは同時だった。

 

「おお~い、イオリア! てめぇ! 勝手に行っちまうつもりじゃないだろうな!」

「ちょっと薄情じゃないですか?」

 

 そう言いながら駆け寄ってきたのはナギとタカミチだ。その後ろからはアリカ、アルビレオ、ガトウ、ゼクト、詠春が歩いてくる。

 

「そんなつもりじゃないって。幾ら何でも不義理だろうが……」

 

 苦笑いしながら否定するイオリア。

 

 傍に寄ってきた赤き翼のメンバーとワイワイ騒いでいると、アリカが無数の空中ディスプレイを表示し、そこにはラカンやテオドラ、その他にも沢山の魔法世界で知り合った人々が映し出された。

 

 皆口々にイオリア達へ声をかけるので対応が大変だ。並列思考をフル活用しながら更に増した喧騒を楽しむ。

 

 そうこうしながら皆思い思いに思い出話に花を咲かせていると、さらにワーと集まってくる人々。麻帆良でネギやアスナのクラスメイトとなった者達だ。その中には、原作での3-Aのメンバーのほとんどが含まれている。

 

「兄やん、兄やん! いきなりおらんくなるなんてひどいえ!」

「そうです! にい様もねえ様も心配しましたえ!」

 

 このかと刹那だ。二人は勢いもそのままに、このかはイオリアに刹那はミクに抱きつく。視界の端で詠春がピクリと反応していたが無視だ。親バカはもう十分である。

 

 集まって来た人々はいつの間にやら100人近くにまで増えていた。皆が皆、別れを惜しむように、あるいは意識しないようにして精一杯騒ぐ。

 

 一体誰が持ってきたのかテーブルや敷物が用意され、その上に飲み物やらお菓子やらが大量に置かれている。第二の宴会会場と化した世界樹広場で世界樹の発光に照らされながら、最後の時まで時を忘れて騒いだ。

 

 そして、ついにその時が来た。

 

 自然と会話が少なくなり、穏やかな表情のイオリア達と違い、多くの人々が泣きそうな顔をしている。

 

 イオリア達のように穏やかに笑っているのはナギ達だけだ。イオリア達は石柱に飛び乗ると広場に集まる人、空中ディスプレイに映る人をゆっくり見渡した。そしてよく通る声で叫ぶ。

 

「この世界も、お前達も、みんなみんなー、最っ高だった! ありがとう!」

 

 ワーと泣き声だか歓声だがわからない雄叫びが広場に響き渡る。ミクやテト、エヴァも一言二言、感謝と別れの言葉を告げる。

 

「こっちこそ、ありがとよ!親友!故郷に帰ってもしくじんじゃねぇぞ!」

 

 ナギが不敵に笑う。

 

「さらばだ!生涯最高の友よ!」

 

 アリカが友に精一杯の言葉を送る。

 

「主等のこれからに幸あれ!」

 

 テオドラが祝福する。

 

「お元気で!あなた方の生涯は最高のものでした」

 

 アルビレオが微笑みながら手を振る。

 

「達者での~」

 

 ゼクトが柔かに微笑む。

 

「神鳴流を錆びさせるなよ!」

 

 詠春が最後の喝をいれる。

 

「イオリア!てめぇ、誰にも負けんじゃねぇぞ!」

 

 ラカンがイオリアの最強を称える

 

「まぁ、こっちのことは任せな」

 

 ガトウが安心させるように笑う。

 

「あなた達と戦えたこと生涯の誇りです」

 

 タカミチが拳を突き出す

 

「兄さん姉さん! 僕、絶対、すごい男になるから! 立派な魔法使いになるから!」

 

 ネギが誓いを立てる。

 

「私、幸せだから! みんなの御蔭で幸せだから! ありがとう!」

 

 アスナが感謝を伝える。

 

 他にもこの世界で築いてきた多くの人々から言葉が送られる。それら一つ一つをしっかり受け止め記憶し、イオリアは満面の笑みを浮かべながらミクとテトに両手を差し出す。二人がその手を握り光に包まれる。

 

―――― ユニゾン・イン ――――

―――― ユニゾン・イン ――――

 

 濃紺色の魔力が穏やかに渦を巻き、ベルカ式の正三角形の魔法陣が空中に浮かび上がる。

 

 イオリアは腕を伸ばしエヴァの腰を抱き寄せた。チャチャゼロは懐だ。エヴァもイオリアの腕を回ししっかりと抱きつく。濃紺色の魔力と転移魔法の光が溢れ辺りを照らす中、寄り添うイオリア達は一枚の絵画のように神秘的で美しかった。

 

 イオリアは最後にもう一度、自分達を見つめる人々を見渡すと、大声で祝福を送る。

 

「この世界の全てに、最強無敵の幸運を!」

 

 そう言って、光と共に空へと消えた。

 

 この日の出来事は多くの歴史書に残されている。魔法世界の国々は世代を替えても異世界から来た英雄を讃え続けた。

 

 その後の魔法世界がどうなって行くのか、それはまさに神のみぞ知ることだが……きっと大丈夫だろう。

 

 足掻き続ける人間は決して終わらないのだから……

 




いかがでしたか?

今回でネギま編は終了です。

原作メンバーはほとんど出なかった。
期待していた方がいたら申し訳ない。
たぶん書き出したら止まらないと思いまして。
本作のネギま編はあくまで親世代をメインしたかったのです。

あと、テラフォーミングの辺りとか適当です。
ネット情報をほぼそのまま参考にしました。(ちょっとだけARIAも)
なのでツッコミは無しの方向でお願いします。

それと、作中でネギがイオリアを兄さんと呼んでいる点で、えっもうおっさんじゃ・・・
と思った貴方、その理由はベルカ帰還編でちょろっと出てきますので・・・まぁ予測つくかもしれませんが。

ネギま編は妄想が激しかったです。
厨二好きには堪らない作品なだけに作者は現実の忙しさも忘れて執筆、結果寝不足、現実アポン
勢い余って原作のネタを書いてしまったり・・・
まぁ、とにかく楽しかったです。
読んでくれている方も楽しんで頂けたのなら嬉しいです。

次回は、一応の最終章、古代ベルカ帰還編。3話完結ですが・・・もうひと騒動あります。


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リリカルなのは古代ベルカ帰還編
第25話 英雄の帰還


やっと帰ってきました。

古代ベルカ帰還編、最終章です。


 懐かし香りが鼻腔を擽る。知った風が頬を撫で髪を揺らす。故郷の空気というものは、例え科学的な成分は同じであっても、やはりどこか特別なものだ。何の根拠もなく“ここだ”とわかる。

 

 イオリア達は今、シュトゥラの外れにある森の中にいた。幼い頃から鍛錬に音楽にと何かと世話になったあの森だ。

 

 一番、濃密な時間を過ごした場所であるから帰るなら座標はここと決めていた。見慣れた森の風景に、22年経っても変わらないものがあると実感し感慨にひたる。

 

 イオリアは大きく深呼吸し、懐かしき森の香りを目一杯吸い込んだ。

 

 そんな様子にミクとテトは目を細める。本当に長い旅路であった。二人も懐かしさが胸を満たし、イオリアの感じている感慨を共感する。

 

 そんな三人に、ほんの少し疎外感を感じつつも、その郷愁の念を知っていたエヴァは無言で見守る。その表情はもはや“闇の福音”とは名乗れないほど慈愛に満ちていた。チャチャゼロも流石に空気を読んでか大人しくしている。まぁ、後で確実にエヴァをからかうだろうが……

 

「間違いなく、シュトゥラの森だ。……帰って来たんだな……」

「はい、マスター。帰ってきましたよ、私達……」

「懐かしの森だね……すごく落ち着くよ」

 

 三人とも、穏やかな微笑みを浮かべ向き合うと僅かに拳を突き出しコツンと合わせる。帰還の祝福だ。そんな三人に、流石に拗ねた様に唇を尖らせてエヴァが口を挟む。

 

「懐かしむ気持ちもわかるが、何時まで三人の世界を作っているつもりだ?」

「ケケケ、御主人ガ寂シサデ死ジマウゼ?」

 

 思わず「私はウサギか!」とチャチャゼロに突っ込むエヴァ。その様子に、イオリアは苦笑いしながら「悪い、悪い」と謝罪する。

 

「取り敢えず街に向かおうか。皆に顔見せに行かないと……22年も経ってるからな……どれだけ心配させたか……」

「そうですね……でも皆さんビックリしますよ、きっと」

「そうだろうな。22年ぶりの再会だ。死んだと思うのが普通の年月だからな……」

「いや、それもあるけど、一番はマスターの外見年齢だと思うよ」

「……」

 

 テトの指摘に思わず言葉を詰まらせるイオリア。

 

 実を言うとイオリアの外見年齢は20歳弱という感じなのだ。イオリアがこの世界から弾き飛ばされたのが14歳の時だから36歳のオッサンにしては若すぎる外見だ。

 

 これには、ネギま世界での事情が絡んでいる。テラフォーミング計画における研究開発は、時間的制約を解決するために、主に、“別荘”で行われていたのだが、計画の主導的立場にあったイオリアは自然と“別荘”内にいることが多くなり、実はプラス20年は年を取っている。

 

 現実世界から見れば急速に老けていくイオリアに周りが心配し、“別荘”の使用を控えるよう苦言が出されるようになった。その筆頭はミク達である。

 

 しかし、イオリアとしては、その程度の理由で研究速度が落ちるのは許容し難い。そこで、あれを飲むことにしたのだ。

 

 そう、グリードアイランドのクリア報酬【魔女の若返り薬】である。その結果、イオリアの外見年齢は20歳くらいで止まっているのである。

 

「まぁ、その辺は適当に誤魔化すさ。母さん辺りに知られたら絶対寄越せって襲ってきそうだし……」

 

 イオリアの物言いに、アイリスでなくても女性に知られれば間違いなく争奪戦になると思うミク達。極力、そのような恐ろしい未来は考えないことにして、イオリアは街の方へ進路を取った。

 

「さて、じゃあ帰ろうか。エヴァのことも早く紹介したいしな」

「う、うむ。そうだな、しょ、紹介されるのだな。お前のご両親に……」

 

 イオリアの言葉を聞いた途端に、頬を染めてもじもじ仕出すエヴァ。チャチャゼロはニヤニヤしている。エヴァの様子にミクとテトもからかい気味にイオリアに尋ねる。

 

「マスター、マスター。エヴァちゃんのこと何て紹介するんですか~?」

「ふふ、22年ぶりに返ってきた息子が紹介する女の子……ママさん達何て思うだろうね~」

「お、おい、お前等……何をそんなにニヤついているんだ!」

 

 ミクとテトのからかい口調にイオリアはキョトンとした顔をして素で返した。

 

「ん? そんなの新しい家族だって紹介するさ。旅先で出会った大切な人だってな。まぁ、母さんのことだから嫁さん扱いするんじゃないか? ミクとテトもそうなんだし。俺もその方が嬉しいし」

「「「……」」」

「ケケケ、ヨカッタジャネカ御主人」

 

 からかうつもりがド真ん中直球で返してきたイオリアの言葉に、三人が顔を真っ赤に染める。

 

 確かに、アイリスはミクとテトをイオリアの嫁扱いしているし、二人が実は料理好きなのもアイリスによる花嫁修業が原因だったりする。なので、イオリアとしては今更という気持ちだったのだが、三人にとっては何時もの如く“不意打ち”だった。特に、エヴァは明確に嫁扱いが嬉しいと言われ口をパクパクさせている。

 

 固まる三人に、訝しそうな表情をするイオリアは、何を勘違いしたのか更なる追撃をかけた。

 

「どうしたんだ、三人とも……ああ、惰性で嫁さん扱いは酷かったか? まぁ、あれだ。全部片付いて落ち着いたら正式にプロポーズするから、もうちょい待っててくれ。頼む」

 

「ふえぇ!」

「あうぅ!」

「ぴっ!」

 

 イオリアとしては、この数十年でお互いの気持ちは分かりきったものだったため、今更、三人を他の男に渡すつもりなど毛頭なかった。20年以上も一緒にいて彼女達の気持ちに気付けないような鈍感ではない。それらも全て引っ括めてここに居るのだ。

 

 だから、当然のように口にしたのだが……

 

 不意打ちに定評のあるイオリアの攻撃に三人は思わず声を上げ更に固まった。特に、エヴァについては何処から出たんだ?というような声だ。ぴって何だぴっって。

 

 それから暫く固まっていた三人だが次第に正気を取り戻し、もじもじしながら「不意打ち禁止!」などとイオリアに可愛らしい文句を言いつつ森の出口に向けイオリアの後を着いていった。

 

 

 

 

 

 

 最初に、それに気がついたのはイオリアだった。

 

 イオリアの耳に街の賑わいとはことなる喧騒が聞こえてきたのだ。耳を澄ませば、怒号や悲鳴が飛び交っている。

 

 一気に険しい表情になったイオリアに、ミク達も【円】を使い街を探った。すると、街中の人間が集まっているのでは? と疑うほど大量の人々が同じ方向を目指して押し合いながら必死に進んでいるのがわかった。

 

 まるで、何かから必死に逃げようとしているようだ。

 

 明らかな故郷の異常事態に、イオリア達は以心伝心で街へと急行した。

 

 街の中はまさにパニック状態だった。誰もが押し合い邪魔だと怒鳴る。そこかしこで喧嘩が起こり、親とはぐれたのか小さな女の子がわんわんと泣いている。だが、誰もそれを気に止めない。

 

 イオリアは故郷の惨状に呆然としつつ、暴力沙汰に巻き込まれないよう女の子を道の端まで連れて行った。その場所には、何人かの人々が諦めきった表情でうな垂れ座り込んでいる。

 

「すいません、これは何の騒ぎですか? 皆、何処に行こうとしているんですか?」

「? あんた、何言ってんだ?」

 

 イオリアはすぐ近くで壁を背に座り込んでボーと人々の喧騒を見ていた中年の男性に質問した。

 

 しかし、返って来たのは何を質問されているのか分からないといった言葉。どうやら、この事態は誰もが知っていて当然のことらしい。

 

「俺は、長く別の次元世界に出てまして、ついさっき帰ってきたとこなんです。何があったのか教えてもらえますか?」

 

「ハッ、あんたもツイてないな。何があったって? ……そんなもん私が知りたいよ。数時間前、突然王家の発表が出たんだ。“間もなくベルカは滅びます”ってよ。何の冗談だよ……でもよ、カルカンディアが滅んだのは事実らしいんだ。王家が映像まで出して正式に発表したんだ。実際、向こうにいる親戚と連絡取れないヤツも多いみたいでな……で、この有様さ。皆、次元ポートに詰めかけてんだよ。……意味ねぇってのによ……何せ、王家の発表通りなら、あと1時間もないんだから……」

 

 中年の男性は、鬱憤を晴らすように乾いた笑みを浮かべながら事態を語った。

 

 そのあまりの内容に目を見開くイオリア。ミク達も言葉が出ないようだ。それはそうだろう。22年もかけて帰還してみれば、まさに故郷が滅ぶ瞬間だったのだ。

 

 これは一体何の悪夢だ? と呆然とするイオリアの耳に、泣き声が聞こえる。いや、さっきからずっと聞こえていた。イオリアが避難させた女の子の両親を呼ぶ泣き声だ。

 

 その、悲痛な叫びにイオリアの魂が己を叱咤する。いい加減目を覚ませと、何時まで寝ぼけている? と。

 

 イオリアの瞳に強靭な意志の炎が宿る。イオリアは、自らの頼れる仲間達にゆっくりと視線を合わせた。

 

 ミクもテトもエヴァもチャチャゼロもイオリアの意志に当てられ正気を取り戻していく。そして、力強く頷いた。イオリア達の心は、何時かのように一致する。

 

 すなわち、“救うぞ”と。

 

 ミク達の瞳に意志の力が宿ったのを確認したイオリアは、傍らで泣き続ける女の子の前に屈むと目線を合わせて、ゆっくり優しく頭を撫でた。

 

「大丈夫。お母さんもお父さんも直ぐ見つかる。怖いものも俺が全部やっつけてやる。……だから大丈夫だ」

 

 微笑みながら、優しい瞳で自分を見つめるイオリアに、その女の子は涙を拭きながら、「本当?」と聞く。

 

 イオリアは、「ああ、本当だ」と女の子の頭を最後にもう一撫でして、スッと立ち上がった。そして、セレスをセットアップしヴァイオリンモードへと変化させる。

 

 願うのは“愛おしむ心”。

 

 時間が残り少ないというのなら、その時間を死の恐怖を紛らわせるために暴力と拒絶に使うのではなく、今傍にいる大切な者を愛おしむことに使って欲しい。

 

 そんな願いを込めて発動する【念能力:神奏心域】

 

 イオリアの想いが、ヴァイオリンの音色となってシュトゥラへと響き渡る。ミクとテトがそれに合わせて歌声を乗せる。重なる旋律と歌が天上となり、パニックに己の心を失った人々に降り注ぐ。

 

 隣の男と殴り合っていた男が、握った己の拳を見て、いつの間に息子の手を離してしまったのかと慌てて周囲を見渡す。

 

 少しでも前へと人混みを突き進み怒鳴り声を上げ続けていた母親が、娘の叫びにようやく気がつき自分を泣きながら見つめる娘を慌てて抱きしめる。

 

 すぐ傍にいたことに気がついていなかった恋人達が、互いに気がつきに抱きしめ合う。

 

 イオリア達の音楽に心を取り戻し始めた人々。

 

 隣の女の子やさっきまで話していた中年の男性が目を見開いてイオリア達を見つめる。

 

 そんな中、通りの先からイオリア達の方へ猛然と駆けてくる一組の夫婦がいた。その夫婦は、イオリアの音楽により静まりつつある喧騒の中で、必死に娘の名前を叫んだ。

 

 それに反応するのは傍らの少女。「お母さん! お父さん!」と安堵と喜びに満ちた笑顔で駆け寄っていく。勢いよく抱きついた少女をしっかり受け止め、もう離すものか二人がかりで抱きしめる。

 

 その様子を見て、微笑みながらイオリア達は演奏を終えた。

 

 時間にして3分少々の音楽。しかし、多くの人々が僅かではあれど心に余裕を取り戻した。少なくとも大切な人を見失わない程度には。

 

 イオリア達は飛行魔法を行使する。目指すのは、かつてイオリアが預けたイヤリングの下。きっとそこにオリヴィエ達がいる。今この瞬間もできることを、と足掻いているはずだ。

 

 そんな、飛び立とうとするイオリア達に声がかかった。

 

「お兄ちゃん!」

 

 先ほどの少女の声だ。空中で制止し「うん?」と視線を向ける。

 

「ありがとう! お兄ちゃん! ……お名前! 何ていうの? カリナはね、カリナっていうんだよ!」

 

 少女のお礼に微笑みながらイオリアが名乗る。

 

「俺は、イオリア。ベルカの騎士イオリア・ルーベルスだ」

 

 イオリアはそれだけ言って、猛スピードで飛んでいった。カリナと名乗った少女は、イオリアが飛んでいった空をジッと眺めながら「……騎士様」と呟く。

 

「イオリア・ルーベルス? ……それって22年前の戦争を終わらせた英雄の名前じゃなかったか?」

「でも、彼って死んだって話じゃなかったかしら? それにさっきの人じゃ若すぎるでしょ?」

 

 カリナの両親が、疑問顔で顔を見合わせる。驚いた顔でカリナが英雄という言葉に反応した。

 

「騎士様って英雄なの!?」

「えっ、いや、単に名前が同じ……」

「じゃあ、大丈夫だね!」

「えっと、あのね、カリナ……」

「だって、騎士様が言ってたもん。カリナが怖いものは全部やっつけてやるって!だから大丈夫だね!」

 

 そんなカリナの言葉に困り顔の両親。しかし、態々否定する必要もない。何より、少し人見知りするカリナがこんな短時間で絶大な信頼を寄せた相手だ。何となく、本当に大丈夫なのかもしれないと思い、両親は「そうだな」と愛娘に微笑むのだった。

 

 

 カルカンディア王国。

 

 聖王家、覇王家、冥王家のいわゆる三王家に比べると大分家格の下がる国だ。ベルカにおいては他国と同じく覇を唱えんと活発に活動していた国である。

 

 そのカルカンディアには現在、唯の一人も人間は居なかった。

 

 建築物はそのままに薄い霧のような靄がかかった領土内では、人間の代わりに黒い靄で覆われた奇怪な生物が徘徊している。

 

 鋭い爪や牙を生やし、血を思わせる赤黒い眼で獲物を探すように彷徨つくその姿はまさに“魔獣”というに相応しい。まばらに彷徨つく魔獣であるが、ここに居るのは少数だ。その大部分は現在、国境付近に集まっている。獲物を求めて這い出したのだ。

 

 ベルカの各国は現在、そんな魔獣共と死闘を繰り広げていた。魔獣の数は有に数十万を超え、強靭な肉体とハイスペックな身体能力、そしてその身体から発するAMFに似た力場により思うように魔導を使えない騎士や兵士達は苦戦を強いられていた。

 

 魔獣の足は速い。放置すれば、瞬く間に隣国へ到達し、次元ポートで次元世界へ避難しようとしている人々に食らいつくだろう。そうはさせるかと、一人でも多くの人々を逃がすため彼等は決死の覚悟で魔獣共を足止めしているのである。

 

 そんな戦場にオリヴィエとクラウスはいた。

 

 二人共、魔導がなくてもその肉体と技は生物をやすやすと死に追いやるだけの極地にある。既に、40歳を超えているはずだが、些かの衰えもなく、それどころか益々冴え渡り、既に魔獣の屍山血河を築いていた。

 

 しかし、いくらその強さが至上であっても、人間である以上戦い続けることはできない。二人で千にも届こうかという魔獣を倒しながら、魔獣のスペックの高さと数の多さに全力戦闘を強いられていた二人の体力は既に限界に近かった。

 

「はぁ、はぁ……オリヴィエ……先に撤退しろ。足止めなら十分だろう」

 

 互いに背中合わせになりながらクラウスは囁くように言う。それにオリヴィエは当然の如く返す。

 

「はぁ、はぁ、今更、どうやって撤退を? これだけ囲まれ魔導も封じられては無理でしょう。大体、あなたを置いて行くことに私が了承すると思いますか?」

 

 その物言いに思わず声を漏らしながら苦笑いをしてしまう。

 

「いや、思わない。ちょっと言って見たかっただけだ。……ふっ、ここが我々の死地かな?」

「それでも、最後まで足掻きます。彼のように」

「ああ、当然だ。ベルカの種は既に飛び立った。ならば、我らは武人として最後まで戦おう」

 

 二人を引き裂こうと魔獣が数体飛びかかってくる。

 

 オリヴィエはその内の一体を蹴りで迎撃し逆の足で踵落としのように地面に叩きつける。グシャと魔獣の頭部が潰れる。

 

 その隙に、オリヴィエの背後から迫ってきた魔獣を、クラウスが仕留めた魔獣を吹き飛ばしぶつけることで阻害する。

 

 起き上がろうとする魔獣をオリヴィエが踏み付けて止めを刺す。その間に、クラウスも更に一体仕留めたようだ。

 

 再び背中合わせになる二人。周りを見れば他の騎士や兵士達も連携を取りながらどうにか対抗しているようだ。

 

「……このようなベルカを彼に見せたくはありませんでした……」

「……そうだな。全く、どこで道草食っているんだか……」

「このイヤリングも返しそびれたままです……」

「俺も、礼をまだ言ってない。……今こうしてオリヴィエといられるのもアイツ等のおかげなのにな……」

 

 二人の表情に寂寥の影が差す。

 

 イオリア達が消えた日から様々なことがあった。嬉しいことも悲しいことも。多くの苦労を背負いながら、それでもベルカを守り続けてきた二人。

 

 しかし、何かをやり遂げるたび思い出すのは22年前に消えた最良の友のこと。戦場にありながら、そんな友のことばかり思い出し語り合ってしまうのは自分達の死期を悟ったからか。

 

 二人の会話が途切れた瞬間、再び、魔獣の群れが一斉に襲いかかった。

 

 二人は互を守り合いながら襲い来る魔獣を潰していく。しかし、体力の限界故、技のキレが鈍りだした二人にチャンスと見たのか攻勢が激しさを増した。

 

 魔獣共の猛攻を必死に捌くオリヴィエとクラウス。二人の眼に絶望はなく、最後の一瞬まで足掻き生き抜くという意志だけが見える。

 

 その時、不意にすぐ近くで戦っていた騎士が魔獣の体当たりをくらいオリヴィエの方へ飛んできた。

 

 「ぐあぁ!」と悲鳴を上げながら吹き飛ぶ騎士をオリヴィエは咄嗟に庇い受け止める。しかし、体力の限界だったこと、魔獣の血で辺り一面ぬかるんでいたことから踏ん張り切れずもんどりを打って倒れ込んだ。

 

「オリヴィエ!」

 

 クラウスが悲鳴を上げる。その眼には倒れ込んだオリヴィエに殺到する10体以上の魔獣。

 

 オリヴェエは気絶した騎士の下敷きで咄嗟に動けない。オリヴィエの眼には襲い来る魔獣共の姿がスローモーションの様に見えていた。ゆっくりと自分に迫ってくる爪牙。

 

 気のせいか魔獣の眼が喜悦に歪んでいる気がする。

 

 しかし、オリヴェにとってそんなものはどうでもよかった。なぜなら、オリヴェエに手を伸ばすクラウスの後ろにも魔獣が飛びかかっていたからだ。咄嗟に叫ぼうとするも遅くなった時間の中では声がでない。「ここまでか」そう思い、それでも最後の瞬間まで逸らしてやるものかと瞳に力を宿す。

 

 そして、見た。聞いた。22年前、自分を救い、クラウスの心を救い、そしてベルカを救った英雄の声を。

 

「千刃黒曜剣!」

 

 その瞬間、天空より黒い石でできたおびただしい数の剣が豪雨のように降り注ぎ、オリヴィエの周囲にいた魔獣共を串刺しにし切り裂いていく。

 

 さらに、

 

「極大・雷鳴剣!」

 

 その声と共に雷を纏い隕石のごとく落ちてきた翠髪の少女により、クラウスに食らいつこうとした魔獣が周囲の魔獣をも巻き込んで消し飛んだ。

 

 呆然とするオリヴェエとクラウスの前にイオリアが降り立つ。22年の月日を考えれば明らかに若すぎる容姿。だが、その瞳が何より雄弁に彼がイオリアであると物語っていた。22年前と変わらない、いや、より強靭となった意志の宿るその瞳が。

 

 未だ魔獣に囲まれていることも忘れ呆然としたまま呟くように名を呼ぶオリヴィエとクラウス。

 

「イオリア君ですか?」

「イオリア?」

 

 そんな二人にイオリアは微笑みながら力強く頷いた。

 

「はい、ただいま戻りました。クラウスさん。オリヴィエさん」

 

 その言葉に、記憶にあるものより幾分低くなったその声に、二人は涙ぐむ。溢れ出る言い様のない感情に言葉が出ない。ただ一心にイオリアを見つめた。

 

 そんな二人に再度微笑むと、イオリアはその瞳に鋭さを宿し仲間に指示を出した。

 

「ミク、テト、エヴァ、チャチャゼロ。殲滅するぞ! エヴァ、テトは乱戦状態にある味方を強制転移! ミク、チャチャゼロは前衛! 殲滅魔法の合図に注意しろ!」

「「了解、マスター」」

「ふん、任せろ」

「ケケケ、楽シクナッテ来ヤガッタ」

 

 イオリアの指示と同時に一斉に動きだすメンバー。

 

 この場は魔導を阻害する力場はあるが西洋魔法には効果がないようだ。故に、まず西洋魔法による強制転移で味方を退避させる。それには、西洋魔法をマスターしているエヴァと、エヴァほどではないが次いで熟練度が高いテトが適任だ。

 

 イオリアは最上級呪文で乱戦にない後続を攻撃し、そんな三人をミクとチャチャゼロが守る。魔獣の生態がわからない以上、攻性音楽が効くかわからないので今回は使わない。

 

 接近してくる魔獣をミクが斬撃を飛ばして駆逐する。

 

――神鳴流 斬空閃

 

 さらに全方位から飛びかかって来た魔獣を、手首の返しで全方位に向け斬撃を飛ばし迎撃する。

 

――神鳴流 百烈桜花斬

 

 そして、防衛戦を張るように、

 

「アデアット!」

 

 8人のミクが現れ縦横無尽に無月を振るう。

 

 ミクの間合いに入った魔獣はわずかな抵抗も防御も許されず細切れになってその命を散らす。

 

 飛び散る血しぶきと音速を超えた剣先が破る空気の壁がまるで舞い散る花びらのようだ。花弁舞う世界で死を振りまくミクの剣舞。その姿はまさに剣姫というに相応しい。

 

 チャチャゼロも負けてはいない。ミクの防衛線を抜けてきた魔獣の首の尽くを一刀で跳ね飛ばす。

 

 600年近い間、たった一人で主を守ってきた従者の守りは鉄壁にして完璧だ。笑いながら屍を量産するキリングドールに、心なしか魔獣の動きが鈍い気すらする。あるいは、その異様に恐怖を覚えているのかもしれない。

 

 そんな二人に守られながら、イオリアは異世界の最上級魔法を詠唱する。

 

「アルス・ノーバ・アド・リビドゥム! 契約により我に従え奈落の王 地割り来たれ 千丈舐め尽くす灼熱の奔流! 滾れ! 奔れ! 赫灼たる滅びの地神! 【引き裂く大地】!」

 

 直後、大地に激震が走り地割れを起こしながら溶岩が吹き出す。その溶岩が大地を舐め尽くし魔獣を蒸発させながら縦横無尽に戦場を蹂躙する。

 

 イオリア達の前方、敵のみが密集していた場所は灼熱の大地へと変わり、魔獣共は逃げようと意図する暇もなく飲み込まれていく。その有り様は、まさに奈落の王によりもたらされた滅びそのものだ。

 

 あまりの破壊に、攻撃一色だった魔獣の動きが止まる。真っ赤に燃える背後の大地を振り返り致命的な隙を晒した。

 

「万象貫く黒杭の円環!」

 

 イオリアの周囲に石でできた黒い杭が大量に浮かび上がり、立ち止まった魔獣を余さず突き刺す。

 

 途端、黒杭を受けた魔獣はその場で石化していき、後続の魔獣や運良く逃れた魔獣に当たられ砕かれていった。背後に溶岩の大地、前方に石化した魔獣の山。右往左往する魔獣に更なる理不尽が襲いかかる。

 

「イオリア、強制転移完了だ。後方2km地点に放り出しておいた。さっきの二人もな。テトが負傷者の治療に向かった。こっちは我らで十分だろう?」

 

 その声に背後を振り向くと、確かにクラウスもオリヴェエも居なかった。

 

「ああ、ありがとう。これで心置きなくやれるな。ミク! チャチャゼロ! 上がるぞ!」

「クックックッ、久しぶりに全力が出せるな。おい、イオリア。お前が半分やれ。溶岩と氷結のコラボだ」

 

 イオリアがミク達に上空に上がるよう指示し、エヴァが実に楽しそうにあくどい笑みを浮かべる。その隙を頼れる従者は逃さない。

 

「ケケケ、共同作業ッテノニ憧レテイルンダナ御主人」

「エヴァちゃんたら、ホントにマスターのこと好きですよね~」

「き、貴様等~毎度毎度ォ~」

 

 涙目でなぜ自分ばかり弄るのだ!と涙目で睨むエヴァ。羞恥と怒りで顔が真っ赤だ。

 

 その反応が原因だろと口には出さず指摘するイオリアは、「落ち着け~」というようにエヴァの髪を撫でる。

 

 少し機嫌が戻ったエヴァは、「フンッ!」とそっぽを向くと詠唱を開始した。イオリアは苦笑いしながら合わせる。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック 契約に従い我に従え氷の女王! 来たれ としえのやみ えいえんのひょうが 全ての命ある者に 等しき死を! 其は安らぎ也! 【おわるせかい】!」

 

「アルス・ノーバ・アド・リビドゥム! 契約により我に従え奈落の王 地割り来たれ 千丈舐め尽くす灼熱の奔流! 滾れ! 奔れ! 赫灼たる滅びの地神! 【引き裂く大地】!」

 

 エヴァの氷系最上級呪文だ。その威力は、150フィート四方の空間をほぼ絶対零度の氷結圏に変え全てを凍てつかせる。

 

 そして、エヴァがフィンガースナップすると同時に凍結した全てが粉砕されるのだ。

 

 効果範囲内にいた魔獣は一瞬の抵抗も許されず凍りつき粉砕された。砕け散った氷の破片が太陽の光を受けてキラキラと輝きダイヤモンドダストのような幻想的な世界を作り出す。

 

 そして、エヴァの氷結領域の反対側は先程と同じく灼熱地獄だ。

 

 この光景を遠くから見ている騎士達は、一方では幻想神秘が、他方では地獄が顕現したこの光景を見て神話を想像した。

 

 エヴァとイオリアは、パシンとハイタッチし、残党を【魔法の矢】で撃ち抜いて掃討を完了した。

 

 そして、イオリア達は、残りがいないことを確認すると懐かしきクラウス達のいる場所へ飛んでいくのだった。

 




いかがでしたか?

遂に、最終章に入りました。

帰ってきたら、いきなり滅亡の危機。
流石イオリア。何事もスムーズに行くことはないのです。

せっかくの帰還ですから、格好良く登場させたかった。
少しは盛り上がってくれましたでしょうか?
いいですよね。離れていた仲間が、すごい力もって帰ってきてピンチを救うって展開。
作者の大好物です。
作者の妄想内では、すごい盛り上がりだったのですが・・・伝わっていれば嬉しいです。

次回は、事態の終幕。イオリアのチートぶりに、あの二人には大いに呆れてもらいましょう。



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第26話 積み上げた力

ベルカの危機?何それ美味しいの?てな感じのイオリアです。


 溶岩が大地を舐め、氷のダイヤモンドダストが宙を舞い、一瞬にして魔獣が駆逐された目の前の惨状に呆然とする騎士や兵士達。

 

 そんな彼等の様子を横目に見ながらそれも仕方がないと溜息をつくのはオリヴィエとクラウスだ。

 

 絶体絶命のピンチに颯爽と現れ、使えないはずの、そして未知の魔法を行使した友人に、一体この22年の間に何があった! と声を大にして問い詰めたい衝動を必死に押し止める。

 

 この窮地を乗り切ったとて、ベルカが滅亡の危機にあることに変わりはないのだ。ならば、個人的なOHANASIはまた今度にして、今は現状を話し合わねばならない。

 

 クラウスとオリヴィエはそんな事を思いながら、イオリア達がいる空をジッと見つめた。友人の帰還に緩んでしまいそうな頬を頑張って引き締めながら。

 

 そんな二人の前に、再びイオリアが降り立った。周囲の騎士や兵士達がゴクリと生唾を飲み込むのがわかる。

 

 彼らからすれば得体の知れない技を使う正体不明の人物だ。窮地を救われたことから、敵ではないはずだが、その行使した力の大きさが警戒心を彼等に与えていた。

 

 イオリアはそんな周囲の視線を気にした風もなく、真っ直ぐクラウスとオリヴィエの下に歩いていく。そして、クラウスの眼前まで来ると、スっと腰を落とし片膝立ちなり穏やかな顔でクラウスを見上げる。

 

「改めまして、騎士イオリア・ルーベルス。ただいま帰還いたしました」

 

 そのイオリアの言葉に周囲がざわざわと騒ぐ。

 

 イオリア・ルーベルスの名は22年前の終戦を持たらした英雄として広く知られているのだ。

 

 クラウスもオリヴィエも引き締めた表情を綻ばせ、目の端に涙を貯めながらジッとイオリアを見た。

 

「……よく、よく戻った。イオリア。……全く、待ちわびたぞ!」

「ふふ、信じていましたよ。何時か必ず戻ってくると……本当に無事でよかった」

 

 クラウスはイオリアを立ち上がらせるとガッと力強く抱きしめる。オリヴィエもそっと手を触れさせて、ここにイオリアがいることを確かめる。イオリアを離すと傍にいたミクやテトにも喜色満面で帰還を祝った。

 

 そんな中、オリヴィエは、そっと耳につけていたイヤリングを外す。小さな十字架に濃紺の石がはまったイヤリング。クラウスとオリヴィエの二人から贈られ、22年前、咄嗟にオリヴィエに託し帰還の道標となった大切な宝物。

 

 オリヴィエが差し出したそれを「ありがとうございます」と礼を言いながらイオリアは感慨深い表情で受け取る。

 

 しばらく見つめた後、イオリアは振り返った。視線の先に居るのは所在無げにしているエヴァだ。

 

「エヴァ、これを」

 

 イオリアは、たった今手元に戻ってきた自分のイヤリングをエヴァに差し出した。

 

 エヴァは、このイヤリングの効果を聞いている。イオリアは現在、ミクとテトのイヤリングを片方ずつ分けてもらい付けているが、エヴァの分はなかった。イオリアは何時か自分の分が戻ってきたらエヴァに渡したいと思っていたのだ。

 

 「いいのか?」と聞くエヴァに「今更遠慮か?」とにこやかに返すイオリアに、頬を染めながら受け取るエヴァ。

 

 そんなエヴァの存在に疑問顔のクラウス達だが、説明は後だ。今は、事態解決を優先する。

 

「エヴァのことは後で。それより、クラウスさん、オリヴィエさん。詳しい情報をお願いします」

 

 真剣な表情になったイオリアに、二人も頷き何があったのか説明を始めた。

 

「事態が発生したのは今から4時間ほど前だ。以前からガルガンディアには色々黒い噂が多く、密偵を放っていたのだが、その内の一人が緊急通信をしてきた。その内容が、ガルガンディアの研究施設で古代兵器の開発が推し進められており、無理をして起動実験をしたため暴走状態に陥ったというものだ。強行される実験に危機感を覚えた研究者の一人が密告のため他国に連絡をしようとしたところを捕まえて事情を聞いた。

 だが、その時点で一つ目の兵器が発動し、ガルガンディアは滅んだ。一瞬でな」

 

「兵器の名称は“ヴェノム”。効果は、中性子爆弾をより凶悪にしたものと考えてくだい。建物には一切影響を与えず生物だけを殺す。しかも、死んだ生物は“ヴェノム”により変質し、例の魔獣へと変貌します。我々は、早急に何隻もの艦を出し、“ヴェノム”の拡散を何とか結界で封じましたが、それも長くは持ちません。“ヴェノム”は機械類にも影響を与えるからです」

 

「研究施設にはまだ、カウントダウン状態の4つの“ヴェノム”が残っているが結界の中には入れない。入った瞬間、死んで化物になる。そして、それらが発動すればもう結界では抑えきれない。“ヴェノム”はベルカに拡散し、この地は不毛の大地となる」

 

 そこまで一気に説明を聞き、イオリアは質問する。

 

「大威力の砲撃で一気に吹き飛ばすのは?」

「研究者曰く、“ヴェノム”が拡散するだけで意味がないそうだ」

「残り時間は?」

「……あと30分もありません。」

 

 そこで、考え込むイオリアを尻目に沈痛な表情をするクラウスとオリヴィエ。特に、オリヴィエは泣きそうな表情をしている。

 

「ごめんなさいっ、イオリア君。あなたにベルカを頼まれたのに、結局、こんなことに……私はベルカを守れませんでした。あなたとの約束を守れませんでした。本当にっ、ごめんなさいっ!」

 

 悔しそうに両手を握り締めるオリヴィエの肩に手を置き「お前のせいじゃない」と慰めるクラウス。

 

 そんな二人を見ていたイオリアの表情は失望でも怒りでもなく「何言ってんだ?」というキョトンとしたものだった。

 

「……ちゃんと守ってくれましたよ?」

「しかしっ!」

「だって、まだ滅んでないじゃないですか。文字通り“俺が戻ってくるまで”ね? それに、クラウスさんのオリヴェエさんに対する言葉遣いに丁寧さがなくなっています。前は、互いに他家の王族だからって敬語使ってたのに……つまり、クラウスさんを幸せにしてくれてるんでしょ? そっちの約束も守ってくれました。まぁ、22年ですからね、むしろ二人が結ばれてなきゃ……クラウスさんのヘタレ伝説を語り継ぐところです」

 

 イオリアの言葉に「おい!」とクラウスが突っ込むが華麗にスルーして、オリヴィエと目を合わせるイオリア。

 

 言葉に詰まるオリヴィエだったが、やがて、その表情を緩めた。「相変わらずですね」という言葉とともに。

 

「はぁ~、で? イオリア、そう言うからには打開策があるのか?」

 

 溜息をつきながらクラウスが尋ねる。正直、クラウス達ではもう手も足も出ない状況だ。最後の希望とイオリアを見つめる真剣な表情のクラウスに、イオリアはごくあっさりと返した。

 

「はい、あります」

「……マジで?」

 

 思わず、王族にあるまじき言葉遣いで返してしまうクラウス。オリヴィエも驚いているようだが、まぁ、イオリア君だしと納得しているようだ。

 

 どうする気か聞きたそうな二人だが、時間もないのでぶっつけ本番出たとこ勝負で行きますと宣言し仲間に指示をだす。

 

「ミクとテトは待機な。【纏】すれば大丈夫かもしれないが無理をする必要もない。後で二人の力が必要になるからな。チャチャゼロも待機。俺とエヴァで【術式兵装】して突入する」

「う~、心配ですけど仕方ありませんね。頑張ってください、マスター」

「了解。頑張ってね」

「ふむ、確かにそれなら行けるだろうな、というか行けなかったら終わりだしな」

「ケケ、ショウガネェナ、御主人ヲヨロシク頼ムゼ」

 

 「術式兵装って何だ?」と疑問顔を浮かべながら、エヴァの頭に乗った人形が突然喋り始めたことに思わずビクッとなるクラウス達だったが、イオリアに全てを託し、信じて待つことにする。

 

 目の前の男は、やると言ったことは必ずやり遂げる男なのだ。そのことをクラウスもオリヴィエもよく知っている。

 

「イオリア、ベルカを頼む」

「頼らせて貰います、イオリア君。成功を祈っています」

 

 二人が、絶大な信頼と共にイオリアを真剣な眼差しで見つめる。イオリアもそれに応えて強靭な意志を宿した瞳で見返し頷いた。そして、エヴァと共に詠唱する。

 

 数奇な運命を辿ったが故に会得することができた、真祖の吸血鬼の固有魔法を。

 

「アルス・ノーバ・アド・リビドゥム 契約により我に従え奈落の王 地割り来たれ 千丈舐め尽くす灼熱の奔流 滾れ 奔れ 赫灼たる滅びの地神 【引き裂く大地】!」

 

 イオリアが、最上級呪文を詠唱する。しかし、その魔法は以前の様に発動しない。凄まじい魔力が渦を巻きながらイオリアが掲げた右腕の上に集束していき球体を作る。今にも爆発しそうなほど圧縮された赤熱化した球体の迫力に周囲の人々が思わず一歩後ずさる。

 

 圧縮に圧縮を重ね、とうとう拳大にまでなった球体をイオリアは掌で握り潰した。

 

「固定! 掌握! 魔力充填、【術式兵装:地神灼滅】」

 

 【引き裂く大地】を取り込んだ今のイオリアは溶岩そのものである。簡単に言えば、某海軍大将の赤ワンコ状態だ。

 

 赤熱化しながら溶岩を滴らせるイオリアにクラウス達ですら言葉を失い凝視する。

 

 イオリアが術式兵装するのと同時に、エヴァも【術式兵装:氷の女王】を発動した。ただそこにいるだけで周囲を凍てつかせる氷結世界の女王様だ。

 

 そんな異様な風体でありながら、イオリアの口調は非常に軽かった。

 

「んじゃ、行ってきます!」

 

 そう言って、エヴァを伴い汚染された結界内に突入していく。そんな、イオリア達を見て、クラウスがポツリと呟いた。

 

「22年って長いよな……なら友人が溶岩になってもおかしくはないよな?」

「クラウス……気持ちはわかりますが、年月で人は溶岩になったりしません。なるのはイオリア君だけです」

「二人共微妙に酷いですよ~」

「まぁ、あながち否定できないけどね……マスターなら何があってもおかしくないし……」

「ケケケ、アイツホド面白イ人間ハイナイゼ」

 

 そんな感想を持たれているとは露知らず、イオリアは汚染地域へと突き進む。

 

 

 

 

 

 そして、10分後……

 

「終わったぞー」

「二人もいらなかったな」

 

 ぬるっとクラウスの影からイオリアとエヴァが登場した。思わず、「うおっ!」と悲鳴を上げるクラウス。エヴァの影を利用した転移魔法だ。周囲の騎士達もギョッとしている。

 

 そんな周囲の様子をさらっとスルーして、イオリアが影から這い上がった。

 

「ふぅ、“ヴェノム”は完全に処理しました。もう大丈夫です」

 

 そう言って、【魂の宝物庫】に格納していた巨大な球体を取り出し、クラウス達の目の前にズシンと地響きを立てながら転がす。

 

 オリヴィエが恐る恐る、しかし確信を持ちながら尋ねる。

 

「あの……イオリア君。これってまさか“ヴェノム”ではないですよね?」

「もちろん、“ヴェノム”ですよ」

 

 一瞬の静寂。直後、「ギャー」という騎士達の悲鳴が上がる。口々に「何持ってきてんだ!」とか「お母ァちゃーん!」とか叫んでいる。

 

 お前等決死の覚悟だったんじゃなかったのかよ? と内心慌てふためく騎士達に呆れの視線を送るイオリア。

 

 それに、眉間を指で掴んでグリグリと揉みほぐすクラウスが尋ねた。

 

「どう見ても唯の石に見えるんだが?」

「ええ、俺の持ち技で【永久石化】ってのがあって、まぁ、文字通り永久に石化する魔法です。めちゃくちゃ強力なんで芯まで完全に石化してますから、大丈夫ですよ。念のため、後で安全な場所に捨てますし」

 

 あっけらかんととんでもない内容を説明するイオリアに、クラウスとオリヴィエは、自分達の覚悟はなんだったのかと何となく虚しさを覚えた。ほんの数時間前までベルカの滅亡を覚悟し、ここを死地と決めて戦っていたのに、もののついで見たいな軽いノリで解決されてしまった。故に、思わず、愚痴ってしまうクラウス。

 

「はぁ~、俺達のシリアスを返してくれ……」

「クラウス……イオリア君ですから仕方ありませんよ、諦めましょう……」

 

 空虚な瞳でクラウスの肩に慰めるように手を掛けるオリヴィエ。

 

 そんな二人の様子にイオリアが、「えっ、えっ?何?俺、何かした?」と周囲をキョロキョロ見回す。そんなイオリアの様子に、くすくすと笑うミク達。

 

「大丈夫ですよ、マスター。皆さん、マスターのチートっぷりに呆れているだけですから」

「この22年で磨きがかかった非常識ぶりに、いろいろ諦めただけだよ?」

 

 イオリアはミク達のそんな言葉に「なんだそりゃ?」と不貞腐れたように唇を尖らせた。しかし、まだやるべきことが残っているので何とか気を取り直し、ミクとテトに手を差し出す。二人は頷くと自らの手を重ねた。

 

――――― ユニゾン・イン ―――――

――――― ユニゾン・イン ―――――

 

 突然ユニゾンをしたイオリアに、気を持ち直したクラウス達が疑問の表情を浮かべる。

 

「今度は、何をする気だ? 滅亡の危機を10分であっさり解決したんだ。もう何をしても驚かんぞ」

 

 来るなら来い! と妙な気合が入っているクラウス。周りの騎士達もどうやら滅亡の危機が去ったらしいことを悟り、落ち着きを取り戻している。まぁ、突然、救われましたと言われても何が何だかわからないといった感じで実感がまだ湧いていないようではあるが。

 

「いや、この汚染地域何とかしないと、結界が解けた瞬間に大惨事でしょう? だから、虚数空間に放逐します。空間割って」

「……あっ、あの時の! あの時の技ですね?」

 

 イオリアの言葉に、「そうか、空間割っちゃうのか。虚数空間とか簡単に開けちゃうのか……へへっ」と呟き完全にキャラが崩壊しているクラウス。どうやら耐え切れなかったらしい。

 

 一方で、オリヴィエが22年前を思い出し、確かにその技ならと希望に目を輝かせる。

 

 イオリアはそのまま結界の直前まで行き、右腕に魔力を集束し始めた。濃紺色の魔力がイオリアの右腕に物凄い勢いで集まっていく。

 

 先の戦いで撒き散らされた魔力を余すことなく集束し、さらにカートリッジをフルロードして行く。その集束魔力のあまりの密度に既に空間が歪んで見えるほどだ。

 

 クラウス達も周りの騎士達も、その尋常ならざる魔力の集まりに瞠目し体が固まる。

 

 その時、イオリアから念話が入る。

 

(皆さん、念のため防御魔法を展開して対衝撃姿勢を取って下さい。今から空間を割って、汚染物質を放逐します!)

 

 目の前の、戦艦の主砲すら凌いでいるのではないかと思われるほど絶大な魔力とイオリアの警告に、そこかしこから悲鳴が上がる。全員が全員、必死の表情で障壁を張った。

 

 イオリアの【覇王絶空拳】は数十年の鍛錬により空間破砕の際の衝撃や、空間が元に戻る際の吸引の方向性をコントロール出来るようになっている。

 

 なので、本当に念のためなのだが、そんなことを知らない面々は「むしろこれで死ぬんじゃないだろうな!」と戦々恐々としている。戦場で打たれて死ぬならともかく、味方の技に巻き込まれて死ぬとか流石に勘弁して欲しいのである。

 

 一同が固唾を飲んで見守る中、遂にイオリアの【絶空】が放たれた。

 

「ゼアッッツ!!」

 

 裂帛の気合と共に真っ直ぐ放たれたイオリアの正拳は眼前の空間に突き刺さりビシビシとヒビを入れていく。

 

 その範囲は、22年前の比ではない。数倍はあろうかという亀裂が空間に走ると、次の瞬間、バリンッという破砕音と共に空間が砕け散った。その衝撃が前方に飛び、汚染地域を封ずる結界に穴を開ける。

 

 そして、空間が元に戻ろうとする作用により、急激に前方の一切を吸い込み始めた。

 

 以前なら、周囲一体を無差別に吸い込んでいたのでイオリアの鍛錬の賜物である。

 

 汚染地域から濁った靄のようなものが物凄い勢いで吸い出されていく。その行き先は、割れた空間の先、虚数空間である。空間が元に戻ってしまわないようにコントロールしつつ、イオリアはエヴァに“ヴェノム”の残骸を持ってくるように指示する。

 

 エヴァは吸引領域に入らないよう注意しながら、虚数空間に“ヴェノム”をポイっと投げ入れた。ベルカを滅亡の危機に追いやったド級のロストロギアの何ともあっけない幕切れである。

 

 覚悟していた衝撃もほとんどなく、目の前で“ヴェノム”の残骸が消えたことに、ようやく危機が去ったことを実感したのか騎士や兵士達の瞳に活気が戻ってくる。

 

 そして、汚染物質が次々と放逐されていく光景を見て、一人、また一人と雄叫びを上げ始めた。

 

「いけぇーー! 全部終わらせちまえーー!」

「いいぞぉー、やっちまえーー!」

「がんばれーー!」

「もう少しだ!」

 

 その雄叫びは徐々に広がり、いつの間にか戦場に出ていた騎士兵士全員に及んでいた。イオリアを応援する声が大地を振動させるように大きくなっていく。

 

 一方で、イオリアに余裕はあまりなかった。空間が元に戻ろうとする力を抑えて穴を維持しているのだが、予想以上に魔力を消費しているのだ。このままでは、全て吸い込みきる前に空間が閉じてしまうかもしれない。

 

 イオリアは目算を見誤ったのだ。とんだうっかりである。

 

 このままでは、僅かではあれど崩れた結界から汚染物質が拡散してしまうかもしれない。「ぐっ」と呻き声を上げながらも、意地でも閉ざしてなるものかと歯を食いしばるイオリア。

 

 そんな様子に20年連れ添ったエヴァが気が付かないはずがない。

 

「あの馬鹿者が……見誤りおったな。全く世話の焼けるやつだ。……おい、お前達、確かクラウスとオリヴィエだったか?」

 

 初めてエヴァに話しかけられ、少し驚いた様子の二人。エヴァの不遜な口調はスルーして会話に応じる。

 

「ああ、なんだ?」

「あの馬鹿者、魔力の限界が近い。おそらく空間の維持に予想以上に魔力を持って行かれているのだろう。これから私の魔力を分け与えに行くが、足りるかわからん。ここにいる者達全員でイオリアを援護しろ」

 

 そう言うとエヴァは返事も聞かずさっさとイオリアの傍に転移し、拳を構えるイオリアの背中に抱きついた。おそらく魔力譲渡しているのだろう。……抱きつく必要性があるのかは知らないが。

 

 クラウスとオリヴィエはエヴァの態度に苦笑いし、部下達に大声で命令を出した。

 

「聞け! ベルカの騎士よ! 兵士達よ! 今、あそこで孤軍奮闘している者の名はイオリア・ルーベルス! 22年前、戦乱のベルカを治め世界の窮地を救った英雄だ!」

 

 クラウスの突然の演説に、歓声を上げて応援していた騎士兵士達の声がピタリと止まり、一瞬の静寂の後、爆発的な歓声が再度ワッーー!と上がる。

 

「彼は、またもベルカの窮地に駆けつけてくれました! しかし、このまま彼に任せっきりで良いのでしょうか! 我らベルカの守護者足らんとする者がこのままで良いのでしょうか! いいえ、いいわけがありません!」

 

 オリヴィエの言葉に、しかし何ができるんだ? と困惑する騎士兵士達。

 

「今、イオリアは魔力が足りていない。あの技の維持には莫大な魔力が必要なのだ! 故に! 諸君! ベルカの守護者たる戦友諸君! お前達の王が命じる!」

 

「「イオリアに我らの力を!」」

 

 そう命令するとクラウスとオリヴィエは率先して魔力を放出し始めた。直接魔力を送る必要はない。今、この瞬間もイオリアは僅かな魔力を求めて集束を続けているからだ。

 

 そんな二人の様子を見た騎士や兵士達が次々と魔力を放出し始める。

 

 この戦い、僅か1時間程度で集められた騎士や兵士は2000名程度だった。それが、魔獣との戦いでまともに動けるのは半数といったところだ。

 

 その残り1000名の騎士、兵士達が一心に魔力を送る。全て終わらせてくれ、この悪夢を消し去ってくれと、願いを込めて。戦場に、色とりどりの魔力が溢れかえる。

 

 集束を続けていたイオリアは、当然それに気がつきフッと口元に笑みを浮かべた。背中に大勢の守護者達の力を感じる。

 

「全く、肝心なところでポカをしおって。流石のお前も、故郷の窮地に動揺していたか?」

 

 イオリアの背中に抱きつきながら、エヴァがイオリアの肩に顎を乗せ顔を覗き込む。今もエヴァの暖かさとともに彼女の膨大な魔力がイオリアへと流れ込んでいる。

 

 エヴァの言葉に、イオリアは苦笑いするしかない。

 

「ああ、どうもそうみたいだ。まだまだ未熟だな」

「ふん、完璧よりよほどマシだ。そんなもの面白くもなんともないからな」

「はは、ありがとな」

 

 ぶっきらぼうでありながら含蓄の多いエヴァの言葉には本当によく助けられてるなぁ~とイオリアは笑みを深くする。感謝を込めて、左手でそっと肩越しにエヴァの手を握った。周囲は魔力に満ちている。それらを遠慮なく集束し穴の維持に費やす。

 

 そして、遂に、全ての汚染物質の放逐に成功した。

 

 空間が元に戻り、静寂が辺りを支配者する。魔力の放出をし過ぎてフラついている者も少なくない。

 

 そんな騎士や兵士達はジッと背中を向けたままのイオリアを見つめる。イオリアは少し天を仰いだあと、真っ直ぐに拳を天に突き出した。

 

 それは勝利の狼煙。無言の勝ち鬨。

 

 それを見た全ての騎士と兵士が一斉に歓声を上げた。ワッァァアアアーーー!!という大地すら揺らがしそうな歓喜の雄叫びが天まで届けと湧き上がる。

 

 ユニゾンが解けて、ミクとテトが現れ一緒にイエーイとハイタッチする。傍に駆け寄ってきたクラウスとオリヴィエが満面の笑みでイオリアの肩を叩く。ついでにとチャチャゼロが、背中に抱きついていたことをからかいエヴァがキレる。

 

 しばらくの間、英雄の戻ったベルカの大地に歓喜の声が鳴り響いていた。

 




いかがでしたか?

第一章で、イオリアが抱いた疑問、「闇の書でベルカは汚染されるのか?」
その答えとしてオリジナルロストロギア“ヴェノム”を出してみました。

そして、積み上げた力によって、あっさり解決してしまうチートぶり。
せっかく異世界巡ってきたのだから、最後の危機はあっさり片付けさせたかったのです。
旅の集大成として。
ただ、完璧過ぎるのもどうかと思い、遠坂家並のうっかりをさせてみました。
一人で解決するのでもよかったかもしれませんが・・・やっぱり一丸となってやり遂げるというのもいいかなと、こういう形で終息させました。
楽しんでもらえたのなら嬉しいのですが・・・

さて、次回は、いよいよ最終回。タイトルは“果たされる誓い、そして終幕”です。


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第27話 果たされる誓い、そして終幕

最終回です。

この終わり方にどのような気持ちを抱いて頂けるかは分かりませんが、心地良い余韻に浸って頂ければ幸いです。




 ベルカ滅亡の危機を回避した旨は直ぐさま世界中に配信された。

 

 後世に何があったのかを伝えるため、遠方より戦場を記録していた者達による映像が配信され、ほぼリアルタイムでベルカ救済の映像が流されたのだ。

 

 天に拳を掲げ危機に対する勝利を告げるイオリアの勇姿が映ったシーンでは、ベルカのあらゆる場所で人々が大歓声を上げた。

 

 クラウス達が集まりイオリア達と健闘を讃え合う頃には、どの街でもお祭り騒ぎだ。助かったことに涙を流しながら傍らの大切な人を抱きしめ、見知らぬ隣人と肩を叩き合い生き残ったことを喜び合う。

 

 調査団がガルガンディアへ入るのと入れ替わりに、戦場に出ていたクラウスとオリヴィエ率いる騎士と兵士達が凱旋すると、さながらパレードの様に人々は道を作り、彼等の勇気と生存を称えた。

 

 照れた様子で隣の仲間と小突きあいながら、あるいは誇らしげに胸を張りながら街に戻ってくる彼等の中で、二人の王と並び街に入ったイオリア達は、爆発するような歓声にビクンと体を揺らし、何事!? と辺りをキョロキョロする。

 

 そんなイオリア達に、実は世界中に先程までの一連の事態が全て放映された旨を伝えるクラウス。

 

 からかうように「ベルカ中が知る正真正銘の英雄だ」と肩を叩き周囲に視線を促す。イオリアが釣られて周囲を見ると全ての人々がキラキラした目でイオリア達を見つめている。「ぬおぉぉ~」と羞恥に身悶えするイオリア。

 

 そんなイオリアにエヴァが呆れた視線を向ける。

 

「イオリア、別に凱旋パレードなんて経験済みだろ?何をそんなに恥ずかしがることがある。堂々としていろ」

「そうですよ~、マスターはもっと自分を誇るべきです」

「ちょっと、自分のしたことを過小評価する嫌いがあるからね、マスターは」

 

 ミク達にそう言われ、「そうは言っても慣れないもんは慣れないんだよ……」と愚痴をこぼす。

 

 そんなイオリア達の会話にクラウス達は「さもありなん」と頷く。驚異的な力を身につけて戻ってきたイオリアが別世界で何もしていないわけがない。世界の一つや二つ救っていてもおかしくないと寧ろ納得したようである。

 

「その辺の話も是非聞かせてもらわないとな。取り敢えず、王宮の方に部屋を用意してある。事後処理の指示を出したら迎えに行くから、軽くパーティーでもしよう。ベルカの生存とお前の帰還を祝ってな」

「もちろん、貴方のご家族にも連絡してあります。彼等もあの映像を見たはずですから、やきもきしているでしょうしね」

 

 二人のその言葉に、家族と会えると頬を緩めるイオリア。

 

 帰ってきて早々、故郷が滅亡仕掛けていたせいで、すっかり意識から外れていたがようやく再会できると嬉しさが胸中を満たす。ミクやテトも同じようだ。エヴァは少し緊張しているようである。

 

「ありがとうございます。俺も二人のことか聞かせてくださいね? 22年も経ったんだ。子供の一人や二人はいるんでしょ? ぜひ、会わせてくださいよ?」

 

 道中聞いたのだが、やはり二人は結婚したらしい。オリヴィエが嫁いだ形のようだ。

 

 聖王家では反対する者も結構いたようだが、他にも嫡子はいることと、何よりオリヴィエが強行的に進めたらしい。かなりの紆余曲折を経たようだが、その辺の話しも面白そうだとイオリアは楽しみにした。

 

「ああ、二人いる。先に脱出させたから戻ってくるには少し時間がかかるだろうが、是非会ってやって欲しい」

「ふふ、イオリア君達のことをよく話しましたから、少し憧れがあるみたいです」

「ちょ、あんま誇張したこと吹き込まないで下さいよ?」

 

 どうも自分に対する周りの評価が高いなぁと苦笑いするイオリア。自分の功績に関してはどうにも鈍感なのは玉に瑕なところだ。

 

 どちらにしろ、今回のことで英雄扱いは免れないというのに、今イチ実感を持っていない。

 

 そんなイオリアの心情が手に取るように分かるミク達は、もう少し自慢してもいいのに……と溜息をつくのだった。

 

 

 

 

 

 

 イオリア達は現在、シュトゥラの王宮の一室でくつろいでいた。

 

 クラウス達は、事後処理の指示を出しに駆け回っている。手伝いますと申し出たイオリアに、今、英雄に動かれたら逆に仕事が滞ると苦笑い気味に言われてしまい、渋々部屋に引っ込んでいるのだ。

 

 王宮ならではのふかふかなソファーに深く腰を降ろしゆったりとしているイオリアとミク、テト、チャチャゼロ。

 

 しかし、エヴァだけが部屋の中をあっちにウロウロこっちにウロウロと落ち着きがない。

 

「……エヴァ、いい加減に落ち着いたらどうだ?別に母さんも父さんも取って食ったりしないぞ?」

 

 イオリアの言う通り、エヴァはこれからここにイオリアの家族が来るということで緊張しているのだ。

 

「し、しかしだな。その、ほら、私は吸血鬼なわけだし……」

「私達はユニゾンデバイスですよ?」

「こ、言葉遣いとか……」

「変えたら不自然だよ。ママさん達は気にしないって。いろんな意味ではっちゃけた人達だし」

「……ご両親より年上だし……」

「見た目はエヴァの方が若いだろう。っていうかホント大丈夫だから」

「そ、そうは言うがな……うぅ~、お腹痛くなってきた……」

 

 スリスリとお腹を撫でるエヴァ。

 

「ケケケ、御主人モ随分ト可愛ラシクナッテモンダナァ。シッカリ決メロヨ?セリフハ“オ母サン、息子サンヲ私ニクダサイ”ダゾ?」

「なにぃ!? それを言うのか!? 伝説に聞く、そのセリフを私が言うのか!?」

「エヴァちゃん、頑張って下さい!」

「女は度胸だよ!」

 

 従者は今日も絶好調だ。ミクとテトも便乗する。

 

 エヴァは、赤らめたり青ざめたりと顔色をコロコロ変えながら、「うぅ~うぅ~」と唸っている。

 

 実を言うと、ミクとテトもアイリスに聞きたいと強請られて言わされたことがあったりする。というか、よくお嫁さんの何たるかを女子トークで聞かされていたようだ。ここ数十年の付き合いでミクとテトは楽しそうにエヴァにあれこれ吹き込んでいたのを覚えている。

 

 イオリア自身、アイリス達がエヴァを拒絶するなんて露程にも思っていないので本当に新しい家族を紹介するくらいのノリなのだが、どうにもエヴァには世紀の瞬間にも等しいらしく右往左往している。

 

 エヴァの生い立ちを考えれば無理もないのかもしれない。生まれた世界を捨ててまで付いてきた先で、また(・・)拒絶されたらと不安になっているのだろう。

 

 こんなに動揺しているエヴァは始めて見るので流石に放置するわけには行かないとイオリアは立ち上がった。

 

 そして、エヴァを後ろから抱きしめた。

 

「ふわぁ!」

 

 ビクッと硬直するエヴァに、抱きしめる力を強くしながら耳元に囁く。

 

「あのな、エヴァ。俺達の家族だぞ? 転生者の俺に、魂を持つユニゾンデバイスであるミクとテト。それを普通に受け入れる人達だ。吸血鬼だの何だの些細なことだ。それより、俺が選んだってことが重要だよ。それだけで、受け入れるには十分だって言うさ。それでも……不安だと言うなら約束してやる」

「や、約束?」

 

 イオリアに抱きしめられながら肩越しにエヴァが振り返る。頬を染、潤んだ瞳で上目遣いにイオリアを見上げるエヴァを、かつての“闇の福音”を知るものが見たら現実逃避するか自分の正気を疑うかもしれない。それくらい、今のエヴァは可憐だった。

 

 そんなエヴァを、イオリアは、いつもの意志を宿した瞳で見つめる。

 

「ああ、家族と別れて暮らすことになっても、俺は、俺達はエヴァの傍にいる。説得を諦めるつもりはないけど、家族よりエヴァを選ぶよ」

 

 その言葉に、エヴァが大きく目を見開く。肩越しにミクやテトを見るも、二人共微笑みながら力強く頷いた。

 

 もちろん、イオリア達の誰もそんな事態になるとは露程にも思っていない。しかし、拒絶され続けたエヴァの不安を少しでも和らげるには必要な言葉だ。

 

 一方、エヴァは、自分の情けない姿を晒したと恥じていた。

 

 エヴァは、イオリア達がどれだけ家族を大切する者達か知っている。20年の付き合いは多くの語り合う時間を彼女達に与えていたからだ。

 

 そんなイオリア達に“家族と別れても”と言わせてしまった。いつの間に自分はこんなにも弱くなってしまったのかと己を恥じながら、しかし、そんな弱みを自然と見せられることに嬉しさも感じてしまう。

 

 エヴァは、一度ゆったりとイオリアに体重を預け心を落ち着かせると、何時もの不敵な笑みを浮かべてイオリアを見上げた。

 

 そして、「そんな必要はない、大丈夫だ」と伝えようと口を開いたその瞬間、

 

「イオリア!」

「イオリア!」

「お兄ちゃん!」

「坊ちゃま!」

 

 蹴破る勢いで部屋の扉を開け雪崩込んで来たのは……ルーベル家の面々。アイリス、ライド、リネット、リリスだ。

 

 22年も経っているというのにアイリスもライドも実に若々しい。二人共、60歳を超えているはずなのに、40代でも十分通りそうだ。

 

 隣にいるのは妹のリネットか。記憶通りなら今年31歳のはず。しかし、どう見ても20代前半にしか見えない。どうやらルーベルス家の血をしっかり受け継いでいるようである。ふよふよ浮いているリリスは相変わらずだ。

 

 そんなルーベルス家の面々だが、部屋の入口で凍り付いていた。

 

 何せ、22年行方不明だった息子との再会に息せき切ってやって来たら、見たこともない超が無数に付きそうな美少女を抱きしめているのだ。

 

 どうしたものかと暫く固まっていると、アイリスが微笑み、

 

「あらごめんなさい。1時間くらいしたら出直すわね?」

 

 そう言って、出ていこうとする。

 

「いやいや、母さん! 行かなくていいから!」

「そ、そうだぞ! は、母上殿! その、これは、違うのだ、何ていうか、そのっ」

 

 イオリアとエヴァが慌ててアイリスを引き止める。

 

「ちょっとお母さん! 何、その具体的な時間! お兄ちゃんも、何でイチャついてるのよ! どれだけ心配したと思っているの!? それなのに……なんでそんなに若々しいのよ!」

「えっ、お嬢様!? 結局、そこなんですか!?」

「そこは大事よ!」

「ええ、大事ね!」

 

 突っ込むリリス。しかし、母娘の息はぴったりだ。

 

「あはは、ママさんもリネットも相変わらずですね~」

「くふふ、懐かしいなぁ~」

「ケケケ、面白イ家族ジャネェカ」

 

 それからは完全なカオスだった。

 

 ミクとテトの無事にアイリス達が飛びついて喜び、チャチャゼロの存在にライドの眼が光る。

 

 決意を流され、しどろもどろに自己紹介するエヴァに、「でかしたわ! 流石私の息子! こんな綺麗な子を捕まえてくるなんて!」と言ってアイリスがエヴァに抱きつき、エヴァが頬を染めて動揺する。

 

 ライドが「吸血鬼だと!? イオリア、お前っていうヤツは! 永遠の美少女じゃないか!? 羨まぶべぇ!?」と発言しアイリスに吹き飛ばされたり、「いいから、若さの秘訣を吐くのよ!」と昔と変わらず空気を読まないリネットにイオリアが襟元掴まれてグワングワン振り回されたり……

 

 そんなことをしてドタバタしていると、部屋の扉が開きクラウスとオリヴィエが入ってきた。

 

 部屋の中のカオスっぷりに「全くこの家の人達は」と深い溜息をつく。どうやら、この22年の間にクラウス達とルーベルス家はそれなりに親交を深めていたらしい。流石に、王族二人の登場の落ち着きを取り戻すルーベルス家の面々。

 

 改めて、お互いのこれまでを語り合った。

 

 イオリアが言ったハンター世界でのことに始まり、ネギま世界での話。星一つ開拓したと話すと全員がイオリアに呆れた視線を向ける。

 

 しかし、同時に全員が誇らしそうな顔をした。イオリアの騎士の誓いは異世界でも守られた。その結果、多くの人々が救われたというのであるから友人としても家族としても誇らしいことだ。

 

 アイリスやライドからの「よく頑張った」という言葉にはイオリアも年甲斐なく涙ぐんだ。

 

 そして、エヴァがずっと助けてくれたと話すと、改めてアイリスは「ありがとうね、これからも息子をよろしくね」とエヴァを抱きしめた。エヴァはやはりオロオロしているが、受け入れられたことに頬が緩んでいる。

 

 一方で、ルーベルス家やクラウス達のこと聞いた。クラウスとオリヴィエの結婚に始まり息子と娘がいること、聖王家と覇王家が正式に軍事同盟と国交を結び先の戦争で疲弊した国をまとめベルカの実質的なリーダーとして治めてきたらしい。

 

 ルーベルス家では、アイリスとライドは相変わらず研究職に就いている。リネットは結婚しているということだ。既に5歳になる娘がおり、今日は夫に預けて駆けつけたらしい。まずはルーベルス家の人だけでと旦那さんの厚意だそうだ。

 

 お互い尽きることなく語り合っている途中で、クラウス達の子供が駆け込んでくるということもあった。

 

 次元ポートから送り出される時、今生の別れになると幼いながら悟っていたらしく生きて再び会えたことに縋り付き泣きながら喜んでいた。

 

 息子と娘が落ち着いたのを見計らって、イオリア達を紹介すると、さっきまで泣いていたのが嘘のようにキラキラした目でイオリアを見つめる。

 

 そこからはもう質問攻めだ。イオリアは子供達にしがみつかれながら強請られるままに様々な話をする。

 

 クラウス達も合いの手を入れながらその日は夜が耽るまで語らいが続いた。

 

 それからは、事後処理に暫く忙しくした後、イオリア達は我が家で穏やかな日々を過ごした。

 

 1ヶ月ほど経ち、ガルガンディアの追悼式典が開かれ、そこで始めてイオリアが公式に人前に姿を現した。

 

 ベルカ全域に配信された式典で鎮魂曲を奏でるイオリア。その姿に、かつての姿を知る者は「ああ、彼が帰ってきたのか」と、追悼とイオリアの帰還の両方に涙し、先の滅亡の危機から救われた者は彼が英雄かとその姿を眼に焼き付けた。

 

 この時のイオリアの【神奏心域】により、国の勝手な兵器開発により理不尽に命を奪われたガルガンディアの人々の悲しみが伝わり、以降、古代兵器に対する厳しい規制運動が広がっていくのだが……

 

 それはまた別の話。

 

 

 

 

 ほとんどの事後処理が終わり、ベルカ全体に落ち着きが戻った頃、イオリアはクラウス達を集めて提案した。

 

「そろそろ、誓いを果たそうと思う」

 

 その言葉に、全員が察する。闇の書の救済だと。

 

「イオリア、夜天の書のデータならかなりの量が集まっている。これがあれば元の夜天の書の形は分かるだろう。……しかし……」

 

 言いづらそうなクラウスに変わり、オリヴィエが答える。

 

「データの復元には時間がかかります。その間、防衛プログラムをどうにかする必要がありますし、そもそも22年前の状態なら暴走一歩手前のはず、なら直ぐに暴走して転移してしまう可能性が高いのです」

 

 そう言って、「何か手立てはありますか?」と聞くオリヴィエに、イオリアは頷く。

 

「ああ、“別荘”を使おうと思う」

 

 その言葉に、“別荘”って何だと疑問顔のクラウス達。そういえば忙しくて見せていなかったことを思い出す。そこで、闇の書救済の前に、クラウス達を“別荘”に招待することにした。

 

 【魂の宝物庫】から“別荘”を出し、入口となる魔法陣に全員を立たせる。

 

 メンバーはクラウス達とルーベルス家の面々だ。

 

 突然出てきたミニチュアが中に入った魔法球に目を白黒させるクラウス達を問答無用に中へ送った。

 

 ちなみにインパクトがあるという理由で、エヴァの“レーベンスシュルト城”の方だ。まぁ、イオリアの別荘とは転移陣で繋がっているので問題はない。

 

 中に入ったクラウス達は、始めてここに来たイオリア達の様に口をポカンと上げ驚愕しながら雄大な景色に見蕩れていた。

 

 これは何だと質問攻めにするクラウスにエヴァが作った魔法球内の世界だと説明しつつ、イオリアの“別荘”へと続く転移陣へと移動する。

 

 転移陣に着く頃には大分落ち着きを取り戻したクラウス達。しかし、続くイオリアの“別荘”で更に驚愕することになる。

 

 割烹着を着たパンダに出迎えられたからだ。

 

「イオリア、これは何だ?」

「これじゃありません。失礼ですよ。彼女は“メイドパンダ”のリンリンさんです。何時も屋敷の管理維持にと大変お世話になっています」

 

 そう紹介すると、メイドパンダのリンリンさんは、如何にも「あら、いやだわ。そんなことありませんよ」と言うように手?をパタパタと振る。ミク達も「いつもありがとう」とにこやかに手を振った。

 

「ちなみに家事万能で、特に子供の世話が得意です」

「……そうか」

 

 クラウスは眉間のシワを指で揉みほぐす。ルーベルス家の面々は驚愕から立ち直ると次々にリンリンさんに飛びつききゃきゃと騒ぎ始めた。適応能力のレベルが凄まじい。

 

「イオリア君、あれは何ですか?」

 

 何処か乾いた笑みを浮かべながらオリヴィエが一つの木を指差す。その樹にはなぜかスイカらしき果物が重量を無視して大量に吊り下がっていた。

 

「ん? ああ、あれは“豊作の樹”といいます。あらゆる果実が実る樹です。どんなに収穫しても次の日には樹いっぱいに生ります」

「……そうですか」

 

 オリヴィエはふるふると頭を振る。ルーベルス家の面々がリンリンさんに連れられてスイカの収穫に乗り出す。挑戦魂が逞しい。

 

 収穫の様子を見ながらふと奥に見えた池に近づくクラウス。

 

「……イオリア、この池はなんだ?」

 

 クラスが見つめる池には明らかに海の魚と川の魚が両方泳いでいた。

 

「それは、“不思議ヶ池”ですね。一匹放すと次の日には一匹増えます。どんな水域の魚でも混泳・棲息できる不思議な池です」

「……そうか」

 

 池から視線を逸らし遠くを見つめるクラウス。いろいろ限界っぽいクラウスに追撃を掛けるイオリア。

 

「他にも、“酒生みの泉”なんてのもあります。汲んで一週間置いておくと種類はランダムですけど極上の酒に変わります」

 

 クラウスが頭を抱える。幾らなんでも非常識すぎる。オリヴィエはクラウスの背中をさすり、「大丈夫、私も同じ気持ちですよ」と優しく宥める。

 

 しかし、

 

「“美肌温泉”というのもありますね。30分の入浴で赤ちゃんのような肌が手に入りま……」

「イオリア君、直ぐに案内をお願いします。」

「オリヴィエ!?」

 

 美肌温泉の魔力に一瞬でクラウスの下を離れ、イオリアに詰めよる。変わり身の速さにクラウスが叫ぶが聞こえていないようだ。

 

 気がつけばアイリスとリネットにも囲まれていた。皆、目が血走っている気がする。頬を引きつらせながらリンリンさんに案内をお願いする。

 

 それから1時間ほど男同士で軽く酒を飲み交わして女性陣の帰りを待った。帰ってきた女性陣は皆ツヤツヤして非常に満足そうに微笑んでいた。さっきの般若もかくやという表情が嘘のようだ。

 

 その後、屋敷の一角にある“リサイクルーム”に案内した。これは、中に入れて24時間経つと壊れたものが修理されているというものだ。

 

「つまり、これに闇の書を放り込んで置けば、夜天の書に戻るということか?」

「そうですね。まぁ、仮に戻らなくても暴走寸前からは脱するのではないかと……ダメでもこの“別荘”内なら外への被害もありません。俺達で時間稼ぎつつ元データをインストールしますよ」

 

 イオリアの瞳には強靭な意志が宿っている。

 

 リサイクルームというのも効果があればいいなという程度のものなのだろう。できる限りの手札は揃えたのだ。後はやり遂げるだけという決意が伝わる。

 

「わかった。俺達に何か手伝えることはあるか?」

「念のため、外で待機を。闇の書が暴走して外に出たら強制転移で宇宙にでも放逐してください。転移した後また探し出して何とかしましょう」

 

 「まぁ、大丈夫ですよ」と力強い笑みを見せるイオリア。クラウスも「そうだな」と笑みを見せながら頷く。周囲の仲間達も気持ちは同じだ。笑顔でイオリアに頷いて見せた。

 

 そして、遂に闇の書を呼び出す日が来た。

 

 闇の書を呼び出す方法は簡単だ。

 

 闇の書が持っているイオリアのイヤリングは常にその正確な位置を示す。ならば直接、その場所に【覇王絶空拳】によって空間に穴を開け引っ張り出してやればいい。

 

 その後は、暴走寸前の闇の書をエヴァの魔法で凍結させつつ、“別荘”内のリサイクルームに放り込む。

 

 それで直ればよし。できなくとも“別荘”内ならそう簡単には外には出られない。まして、この日のために今は何重もの結界が重ね掛けされている。もちろん、魔導、魔法の両方の結界だ。

 

 イオリア達は、イヤリングの場所を特定すると【魂の宝物庫】から“別荘”を取り出し傍らに置く。

 

 ミク、テト、エヴァ、チャチャゼロの突入組に眼で合図を送り、全員が頷くのを確認する。次いで、クラウスやオリヴィエ、その他複数人の騎士達を見やると、同じく力強い頷きを返す。

 

 準備は万端だ。イオリアは一つ深呼吸すると決然とした表情で前方を見つめた。そして、ミクとテトに手を差し出しユニゾンする。吹き上がる濃紺色の魔力を右拳に集束させ引き絞り、裂帛の気合と共に解き放った。

 

「ハァッー!!」

 

 イオリアの右拳は当然の様に空間に亀裂を走らせ粉砕する。吹き荒れる衝撃をコントロールしつつ、穴の向こう側、眼前に感じるイヤリングの気配に手を伸ばし……

 

 そして掴み取った。そのまま引き寄せる。

 

「エヴァ!」

「任せろ!」

 

 引っ張り出した闇の書が22年ぶりに現世へと帰還する。

 

 全ての魔法をキャンセルする虚数空間において臨界状態のまま半ば機能停止をしていた厄災がドクンドクンと鼓動にも似た波動を放ちながら息を吹き返す。

 

 その姿は美しい銀髪の女性だ。祈るように小さなイヤリングを胸の前で抱きしめ眼を瞑っている。

 

 彼女が完全に意識を取り戻す前に、エヴァの凍結魔法が一時的な封印を掛ける。

 

「凍てつく氷柩!」

 

 エヴァの詠唱と共に、突然発生した氷柱が闇の書の意志をその中に閉じ込める。

 

 祈りながら氷柱に閉じ込められた銀髪の美女はいっそ神秘的ですらある。もし、この彼女を何も知らずに見た者がいれば、きっと男女の区別なく心奪われたことだろう。

 

 実際、周囲で待機している騎士達は最初の緊張も忘れてしまったように呆然と見蕩れている。

 

「いくぞ!」

 

 イオリアの掛け声に“別荘”の転移陣が輝きを放つ。そして、闇の書の意志が閉じ込められている氷柩と共にイオリア達の姿が消えた。

 

 

 

 

 

 

 イオリア達は、“別荘”に到着すると即行でリサイクルームへ闇の書を置き、扉を閉めてすぐ外で待機した。

 

「ふぅ、後は出たとこ勝負だな」

「リサイクルームだけで何とかなればいいんですけど……」

「どうだろうね? “大天使の息吹”とか“魔女の若返り薬”とかグリードアイランドのカードは非常識だからね。可能性が全くないとは思わないけど……」

「まぁ、ダメなら、作戦通り行けばいいだろう。賽は投げられたのだ。今更騒いでも仕方ないさ」

 

 そう言うと、エヴァはどこからかティーセットとお茶請けを取り出しくつろぎ始めた。こういう時の肝の座り方は流石である。イオリア達も「そうだな」と苦笑いしながら体の力を抜いた。

 

 そうして思い思いにくつろいでいると、不意にイオリアの危機感が反応する。本能がガンガンと警報を鳴らし、今すぐこの場から退避しろと叫ぶ。

 

 イオリアは自分の危機対応力に逆らうことなく叫んだ。

 

「退避っ!」

 

 イオリアの能力に絶対の信頼を置いているメンバーは直ぐさま飛び退り大きく距離を取った。

 

 直後、リサイクルームから光が溢れたかと思うと爆散するように砕かれ残骸がそこかしこに飛散する。 

 

 その中で、銀髪の女性が弾かれるように吹き飛んで来たのを視認したイオリアは咄嗟に飛び付き空中で受け止めた。

 

「おい! 無事か!? 夜天の!」

 

 何とか受身を取りグッタリしている闇の書に呼び掛けるイオリア。眼を閉じていた闇の書は「うっ」と唸るとゆっくり眼を開け、その紅い瞳でイオリアを捉えた。

 

「あ、貴方は……」

「ああ、俺だ。誓いを果たしに来たぞ。今、どういう状況か分かっているか?」

 

 “誓いを果たしに来た”その言葉に思わず涙ぐむ闇の書だが、直ぐに気を取り直すと深刻そうな瞳で頷く。

 

「はい、分かります。なぜか突然、闇の書のプログラムからバグが修正されていったのですが、それに防衛プログラムが反応しました。暫くは、防衛プログラムと何らかの力による修正力が拮抗していたのですが、防衛プログラムの無限再生力が上回り暴走を始め……私は、修正されたプログラムの御蔭で管理者権限をある程度使えるようになったので修正力に加勢しました。それを危険と判断したのか、防衛プログラムが私を切り離し……気がつけば貴方が……」

 

「なるほど、把握した。つまり、好都合だ」

 

 イオリアは闇の書の話を聞くとニヤリと不敵に笑った。

 

 少し離れたところでは、ミク達がおそらく防衛プログラムである巨大で奇怪な生物と戦っている。

 

 その防衛プログラムはあらゆる生物をツギハギしたような姿で無数の触手を伸ばし森の中に鎮座していた。おそらく10分も経たずに大破壊をもたらして転移するだろう。“別荘”なら耐えられるとは思うが絶対ではない。

 

 イオリアは、闇の書の話をミク達にも中継して伝える。

 

「こ、好都合? いけません! もう時間がないのです。このままでは貴方達が危ない! もう十分です。あの技で私達をまた虚数空間へ放逐して下さい!」

 

 懇願するように闇の書がイオリアに訴える。

 

 かつて、イオリアの言葉に希望を見出した闇の書だが、そんな希望を与えてくれた存在だからこそ死なせてしまうのは耐えられない。

 

 闇の書の口調が丁寧なものに変わっているのもイオリア達に対する思いが強い証拠だろう。

 

 そんな闇の書に、イオリアは「はぁ~」と溜息を付くと、額めがけて強烈なデコピンを叩き込んだ。「あうっ!」と悲鳴を上げて涙目になる闇の書。

 

 そんな彼女に、イオリアは立ち上がりながら言う。

 

「お前は何でもかんでも簡単に諦めすぎなんだよ。言っただろ? “誓いを果たす”と」

 

 背中を向け戦場へ、仲間の下へ歩みを進めるイオリアが肩越しに振り返り不敵な笑みそのままに宣言する。

 

「俺の“意志”は、お前のちっぽけな“諦め”なんて……容易く吹き飛ばすぞ?」

 

 闇の書は、何も言わない。ただ、前へと進むその背中を眩しそうに眺めていた。

 

 

 

 

 

 

「遅いぞ!イオリア!」

 

 駆けつけたイオリアにエヴァの叱咤が飛ぶ。それに「悪い!」と一言返し、戦列に加わる。

 

「マスター! 予想通り、4層の強力な障壁がありますよ!」

 

 ミクの報告に頷き、イオリアは作戦開始の合図を送る。

 

 内容は単純だ。保険に2発残した状態で、テトの【拒絶の弾丸】により3層の障壁を破壊し、残り1層をミクが破壊する。

 

 その間、イオリアとエヴァが最上級呪文を詠唱して防衛プログラムを破壊しコアを露出させる。チャチャゼロは詠唱中の二人の守護だ。露出したコアを、さらにテトの【拒絶の弾丸】で消滅させる。

 

「やるぞ! テト!」

「あいよー!」

 

 テトのアルテから連続して3発の弾丸が発射される。

 

 それは防衛プログラムの障壁に直撃すると僅かな抵抗も許さず、パキャンとガラスの割れるような音と共に破壊した。

 

 3層の障壁が一瞬で破壊され、驚異を覚えたのか無数の触手をテトに伸ばす防衛プログラム。

 

「ハッ、サセネェゼ!」

 

 迫り来る触手の尽くを小さなキリングドールが刈り取っていく。

 

 そして、防衛プログラムの攻撃がテトに向いた瞬間、ミクが飛び出す。その手には雷を極限まで纏わせた無月が握られている。

 

「行きますよ! 真・雷光剣!!」

 

 ミクの放った神鳴流の決戦奥義が壮絶な雷を撒き散らし魔法球内を激震させながら最後の障壁を破壊する。

 

「これでもう、お前を守るものはないな。存分に喰らうがいい! 【おわるせかい】!」

 

 絶対零度の氷結領域がむき出しの防衛プログラムを凍てつかせ、エヴァの詠唱と共にその身を砕けさせる。

 

 その一撃は防衛プログラムの大半を砕き僅かではあるがコアにも届いたようだ。

 

 しかし、浅かったのか一瞬で周りの生体パーツが盛り上がり覆い隠してしまう。十数秒もすれば完全に再生してしまうだろう。

 

「だが、そうはさせない。【引き裂く大地】!」

 

 再生を開始した直後、灼熱の溶岩が防衛プログラムを襲い、その生体パーツの再生速度を上回る速度で蒸発させていく。

 

 そして遂にコアが完全に露出した。

 

「逃がさないよ? これで終わり!」

 

 アルテを構えたテトが空中に足場を作りしっかり狙い撃つ。ドパンッという大きな発砲音と共に撃ち放たれた弾丸は狙い違わずコアのど真ん中を撃ち抜いた。

 

 防衛プログラムは素粒子サイズにまで分解され実質的な消滅を迎える。

 

 辺りを静寂が包む。防衛プログラムが鎮座した場所を中心に森は木っ端微塵に砕け散り荒れ果てている。

 

 しかし、壊れたのなら直せばいい。それが出来るものはそれでいいのだ。二度とは戻らない唯一無二を失うくらいなら。そっと、地面に降り立つイオリア達は互いに拳を打ち合わせ笑い合う。

 

 そんなイオリア達に後ろから闇の書が歩み寄ってきた。薄く微笑みながら、イオリア達の前まで来ると立ち止まる。

 

「確かに、私の“諦め”など、貴方の前ではちっぽけでした」

 

 その言葉に、イオリアが「だろ?」と笑い、ミクとテトが誇らしげに胸を張る。エヴァは「当然だ」と不敵に笑みをこぼし、チャチャゼロは何時もの如く「ケケケ」と笑った。

 

 そんなイオリア達に目を細める闇の書は生涯で初めてのことをする。

 

「しかし、私が残っている限り遠からず防衛プログラムは再生され再び暴走することでしょう。だから……」

 

 イオリア達は静かに闇の書の言葉を待つ。闇の書は意を決したように、その言葉を伝えた。

 

「“助けて下さい”」

 

 それは原作とは違う願い。

 

 原作では、彼女は消滅する道を選んだ。それは、夜天の書の元データが既に存在しないが故の決断だった。

 

 しかし、この時代に元データがあることは関係ない。今や、闇の書にとって“希望”や“絶望”は唯の言葉に過ぎない。それをイオリア達によって教えられた。

 

 だからこそ、厄災のまま終わりたくない、かつての“夜天”に戻りたいという願望がその言葉を紡がせた。そこにはきっと、彼女の中で眠るヴォルケンリッターの思いも含まれているはずだ。

 

 そんな闇の書の願いに、イオリアは当然の如く応える。

 

「任せろ」

 

 何の気負いもない。ただ“誓い”のままに。そんなイオリアの様子に闇の書が微笑む。

 

 一行は、その場で早速、最後の仕上げに入った。闇の書を中心にミクとテトが彼女の両手を握る。闇の書のプログラムに干渉し、二人が持つ夜天の書のデータをインストールするためだ。スパコン並みの処理能力を持つ二人が次々と闇の書のバグを修正していく。

 

 目を閉じ、干渉のための魔法陣の光に包まれる三人の姿は神秘的だ。ある意味、闇の書は生まれ直そうというのだから、生誕の儀式と言っても過言ではないだろう。

 

 やがて、光が収まると三人はゆっくりと目を開けた。闇の書は自分の体を確かめるように抱きしめる。

 

 ミクとテトはそんな様子に微笑みながら、イオリアに報告した。

 

「マスター、無事完了です!」

「問題なし。彼女はもう“夜天”だよ」

「そうか……よかった」

 

 イオリアも微笑む。エヴァやチャチャゼロも夜天の書を横目に薄く笑みを浮かべている。暫く震えながら自分を抱きしめていた夜天の書は、ゆっくりと腕を解くとイオリア達に向かい深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございます、本当に。こんな日が来るとは思いませんでした。ありがとう……」

 

「どういたしまして」と微笑むイオリアに夜天の書は続ける。

 

「……もし、よろしければ私に名前をくれませんか?」

 

「名前?」

 

 突然の夜天の書のお願いに疑問顔で聞き返すイオリア。

 

「はい、実は、その、あなた方がヴォルケンリッター達の名前を呼んでいるのが……その、少し羨ましくて……ダメでしょうか?」

 

 申し訳なさそうな、しかし、どこか期待するような瞳で見つめてくる夜天の書にイオリアは嬉しくなる。

 

 彼女が自分の望みを口にするようになったからだ。もう、ただ絶望するだけの彼女はいない。

 

 そして、夜天の書の名前となると、一つしか思い浮かばなかった。“この先の有り得たかもしれない未来”でとある少女が彼女に贈った名前。これ以上、彼女に似合う名前はないだろう。

 

「“リインフォース”」

「えっ?」

 

 

 思わず聞き返す夜天の書に、はっきりと告げる。

 

「リインフォースだ。強く支えるもの、幸運の追い風、祝福のエール、“リインフォース”だ。どうだ?」

「リインフォース……」

 

 噛み締めるように自分の名前を繰り返す夜天の書。やがて実感が湧いたのか、その瞳からポタリポタリと涙が溢れた。

 

 涙を流しながら微笑む彼女は、まさに夜天に輝く星ぼしのように綺麗だった。

 

「ふふ、良かったですね、リインさん!」

「うん、リインっていい響きだね。」

「ふ、ふん、まぁ、良かったではないか……ぐすっ」

「ケケケ、御主人ハ相変ワラズ涙モロイナァ~」

 

 温かな空気が流れ、優しい風がイオリア達を包む。まさに、リインフォースを中心に幸運の追い風が吹いているようだった。

 

 

 

 

 

 

 その後の話をしよう。

 

 “別荘”から出たイオリア達を緊張の面持ちで待っていたクラウス達は、リインフォースを伴って戻ってきたイオリア達に成功を悟り満面の笑みで出迎えた。

 

 また一つ、悲劇に終止符を打ったとして騎士達はワイワイと騒ぎイオリアの名は更に広まることになるが……それはまた別の話だ。

 

 リインフォースは主がいない状態なので、現在は収集させたイオリアの魔力で稼働状態を保っているが、直に魔道書状態に戻ってしまうことから夜天の主探しが行われた。

 

 リインフォースとしては、イオリアを主と仰ぎたかったのだが、あいにくとイオリアに夜天の主となる魔力資質はない。王宮主導で捜索が行われている間、イオリア達はアイリス達に頼んで、夜天の書にとあるプログラムを追加してもらった。主に対する拒否権を行使できるプログラムだ。

 

 騎士と同じく自ら主を選ぶ魔道書。

 

 それが、夜天の書に加えたものだ。無理矢理、夜天の書に干渉しようとしても、一時的に内蔵魔力で守護騎士達を現界させて排除する。既に主となった者でも彼女達の意志を無視することはできない。真の信頼関係が必要になるのだ。これで、今までのような悲劇は繰り返さないだろう。何より、彼女達がそんなことを許さない。

 

 そうこうしている内に、夜天の主となる資質を持つ子が発見された。事情を説明すると、彼女の方も乗り気らしく面会することになったのだが、イオリア達は驚いた。

 

 その子とは、以前、混乱する街中で両親とはぐれ泣いていた少女、カリナだったのだ。

 

 彼女はあの日以降、騎士に憧れ将来は騎士になるという夢を持ったらしい。再会したカリナは一生懸命、騎士になって自分もイオリアのように人々の心を救える騎士になりたいのだと熱弁した。あまりの熱心さにイオリアはなんともむず痒い思いをしたものだ。

 

 まだ、10歳と幼いが、その瞳に宿る思いは本物らしい。リインフォースもこの子ならと、カリナが主になることに了承した。

 

 ここに、新生夜天の書の初代主が誕生したのだった。

 

 

 イオリアはその後も、一騎士としてベルカの地を守り続けた。数年後にはミク、テト、エヴァの三人と結婚もした。

 

 その際、ミクやテトをデバイスと知る者、特に英雄イオリアとの関係を狙って娘を勧めてくる権力者達からは色々と言われもしたが、紆余曲折を経る事もなく「文句があるなら止めてみろ」と捩じ伏せた。

 

 もっとも、イオリア達の関係を知る親しい者で反対する者など一人もおらず、むしろ三人も同時に娶ることに嫉妬の嵐が吹き荒れ、その鎮圧の方が大変だった。

 

 ちなみに、クラウス達の娘やカリナを筆頭に、純粋な好意でイオリアを狙う女性は多く、女の戦い(主にエヴァによる)が長く続いていたりしたのだが、一応、エヴァが隠したがっていたということもあって、イオリアが知ることはなかった――ということになっている。

 

 イオリアとエヴァの間には一人娘が出来た。また、孤児院を開き、親のいない子供達に、自身の娘と同じく惜しみない愛情を注いだ。

 

 後世において、イオリア達の孤児院を出た子供達は軒並み各分野で高い能力を発揮し人格も優れた者が多く、ベルカの発展に多大な貢献をしたことから一部の歴史学者においては、この子供達を育てたことこそイオリア達の最大の功績と称える者もいる。

 

 歴史において、イオリアは150歳を超える大往生をしたと記されている。大勢の人々が横たわるイオリアの周りに集まりその別れを惜しんだという。

 

 しかし、ここに歴史的ミステリーも生まれていた。

 

 人外故に、年を取らないイオリアの妻達が、彼が息を引き取る少し前から姿を眩ましたのだ。彼のユニゾンデバイスの優秀さは世界中に広まっているため誰が受け継ぐのかと激しい議論が巻き起こったこともあるのだが、そんな者達をあざ笑うが如く、その後の歴史にも一切登場しなかった。

 

 まぁ、真相は単純なもので、死期を悟ったイオリアが“別荘”に入ったミク達を【魂の宝物庫】に格納したというものだ。

 

 どれだけ年を取ろうとも、思い出そうとすれば鮮明に記憶を思い出せることから、魂に刻まれる記憶や経験は蓄積され固定されると確信したイオリア達は、ならば、再び記憶を持ったまま生まれ変わる可能性が非常に高いと考え、予定通り、ミク達はイオリアが生まれ変わるまでの間、【魂の宝物庫】で待つことにしたのだ。計算通りなら、次の転生先に向かう魂と一緒に運ばれるだろうと。

 

 生涯ベルカの地を守り続けた英雄の言葉が残っている。

 

「己を縛る理不尽な鎖がどんなに固く結ばれていようとも、足掻き続ければいつかは緩むものだ。その綻びは活路となる。足掻け人々よ。“絶望”も“希望”も唯の言葉に過ぎない。意志だけが未来へと続く扉を開ける鍵となる」

 

 イオリア・ルーベルスはベルカ最高の騎士とされている。その騎士が残した言葉は人々の心に残り続け、遠い未来においても、尚、語り継がれている。

 

 弱った人々を天上(・・)の音楽で癒し、襲い来る理不尽を()より舞い降りて駆逐する。

 

 何者にも屈しないその姿に、人々は頂きを見た。

 

 それ故に、ベルカの民は後世で彼をこう呼んだ。

 

 三王家の王達と並ぶ、

 

 

―― “天王”と。

 

 

 

 

 

 

 さて、イオリアの旅はここで一旦、終幕。

 

 果たして、彼の予測通り生まれ変わることはあるのか……

 

 その答えは、いつかのお楽しみ。

 




いかがでしたか?

今回で、一先ずイオリアの旅は終りとなります。

終わり方について、作者としては上手くまとめたつもりなんですが・・・
少しでも良い本や映画を見た後のような心地良さを感じて貰えたら、作者としては感無量です。

他でも書きましたが、一応、2,3作品の構想はあります。ハイスクD×Dとか、りりなの原作とか。
時間の合間にボチボチ書くかもしれません。
復活したときは、また見に来て頂けると嬉しいです。

初カキ、初投稿と拙いながらノリと勢いだけで始めたSSですが、皆様の御蔭もあり、とても楽しかったです。

感想下さった方、評価して下さったか方々、改めまして有難うございました。


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ハイスクールD×D編
第28話 二度目の転生


自分への癒しのため続きを書く事にしました。宜しくお願いします。
前回以上に、はちゃめちゃに思う存分妄想を垂れ流させて頂こうと思います。
やりたい放題の作品となりますが、一緒に楽しんで頂ければ嬉しいです。

以下、注意点です。不快な思いをさせてしまう可能性があるので、お気を付け下さい。
・ご都合主義、ご都合解釈、無理やり技クロスあり
・困っている人を放って置けない元祖主人公体質。セリフが全体的にクサイ。悶えるくらい。
・チョロインあり(ナデポもニコポもないけれど)
・原作崩壊、一部原作キャラ崩壊あり(お前誰だレベル)

一応、前回まであらすじを紹介
・不幸体質の少年斎藤伊織が死亡。高次存在アランにユニデバミクとテト及び音楽の才能を貰って古代ベルカに転生する。
・ベルカの騎士となり、闇の書を虚数空間に封印するものの、その時の次元震? によりハンター×ハンターの世界へトリップする。
・ハンター世界で主人公勢と関わりつつ帰還方法を探り、いざ次元転移したところ、不慮の事故で今度はネギま世界へトリップ。
・エヴァを迎え、大戦を乗り越え、火星をテラフォーミングし、漸く古代ベルカに帰還する。
・帰還直後、遭遇したベルカ滅亡の危機と闇の書を救い、ベルカの地で大往生する。


 冬の朝。

 

 しんしんと雪が降り、道や家、街灯を純白に彩っている。朝の散歩に喜び飛び跳ねる犬と鼻の頭を真っ赤にして寒そうに引っ張られる飼い主、正月明けの仕事にうんざりした顔で新雪をしゃくしゃくと踏み鳴らすサラリーマン。

 

 そんな人々の中に、赤いバイクに跨った郵便局員が一人。彼は、凍った道に用心しながらバイクを走らせ、とある家の前に止まった。

 

 そこは一般家庭というにはかなり大きい。それもそうだろう。その家の門には大きめの表札が掛かっており、そこにはこう書かれていた。

 

東雲(しののめ)ホーム】

 

 いわゆる児童養護施設だ。もっとも、この家は少々特殊ではあるのだが……。

 

 郵便局員がバイクからおり、一通の手紙をポストに入れようと手を伸ばした。すると、まるでタイミングを見計らっていたかのように、一人の女性が玄関の扉を開けて現れた。品のいい六十代くらいのご婦人だ。質の良さそうな着物に肩掛けをして、微笑ながら朝の挨拶をした。

 

「あら、郵便屋さん。おはようございます。こんな雪の日に大変やね~。ご苦労さまです。家にお手紙かしら?」

「はは、おはようございます。もう慣れたものですよ。こちらの手紙がそうですね」

 

 郵便局員は、苦労を感じさせない朗らかな笑みを浮かべると、一通の茶色い封筒に入った手紙を差し出した。女性は「ありがとうございます」と微笑と共に礼を言いながら受け取る。しかし、その手紙に触れた瞬間、その笑みが崩れ、もの悲しそうに眉を下げた。

 

「え、えっと、大丈夫ですか? どこか具合でも……」

 

 女性の表情に郵便局員は戸惑いながら案じた様に声を掛ける。しかし、女性は直ぐに表情を改めると「なんでもないんよ」と再び笑みを見せた。杞憂だったかと郵便局員は胸を撫で下ろし、挨拶をして次の配達先へとバイクを走らせていった。

 

 その姿を少し眺めたあと、女性は家に入ることもなく、その場で手紙の封を切った。暫く、微動だにせずに文字を追う。そして、全て読み終わったのかゆっくり手紙をしまい、天を仰いだ。

 

「……まだ、早すぎるやろうに……ホンマ、しょうのない子等やで……」

 

 その声音には深い深い寂寥が含まれていた。まるで誰かの姿を探すように雪降る曇天を眺めていた女性は、やがて静かに踵を返し家の中に入っていった。

 

 家に戻った女性は真っ直ぐと廊下を歩く。この家には、下は九歳から上は十七歳までの子供達が多くいるが、未だ誰も起きていないようだ。皆学生であるから、正月明けはまだまだ寝坊タイムなのだろう。

 

 女性は、とある部屋の前で立ち止まり、ゆっくり扉を開けると静かに中に入った。部屋の中にはベビーベッドが置かれており、その中には一歳位の赤ん坊が眠っている。すやすやと何の憂いもない実に安らかな表情だ。口元がむにゃむにゃしているのが何とも可愛らしい。

 

 女性は、赤ん坊の傍らに腰を下ろすと、乱れた布団をかけ直しながら優しく頭を撫でる。その瞳は慈愛と悲哀が混じり合っていた。

 

「ホンマ、仕方のないお父ちゃんとお母ちゃんやなぁ。こんな可愛ええ息子置いて先に逝ってしまうやなんて……今日から、家の子や。立派に育つんやで?」

 

 そう言って、女性はそっと呟く様に赤ん坊の名を呼んだ。

 

「……伊織……」

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「お~い、伊織! 飯だぞ~! 戻ってこ~い!」

 

 少年特有の甲高い声が東雲ホームの庭に響く。年の頃十歳位の少年が庭の一本桜の下でボーとしている三歳になって数ヶ月の弟を呼んでいるのだ。弟の名前は呼び声の通り“伊織”。東雲ホームの現末っ子“東雲伊織”だ。

 

 しかし、伊織は呼び掛けに気がついていないのかボーと何かに思いを馳せるように空を仰いでいる。

 

 少年は「またかぁ~」と頭をカリカリと掻きながら庭に降りて伊織の下に歩み寄った。

 

「こ~ら、い・お・り! 呼んだら返事しろって、いつも言ってるだろ?」

「ふぇ、あ、ケンにいちゃ」

「また、夢のことでも考えてたのか?」

「……うん」

 

 東雲ホームの子供達にとって、末の弟は何とも不思議な子だった。何時もどこか遠くを見ており、子供特有の我が儘ややんちゃがほとんどない。感情に乏しいわけではなく楽しむことも喜ぶことも大いにあるのだが、気がつけばボーと考え事をしているのである。

 

 ある時、不思議に思った年長の兄弟が伊織に尋ねたことがある。「何がそんなに気になるんだ?」と。

 

 その時、伊織は「夢」と答えた。曰く、夢を見るのだそうだ。知らない人、知らない世界、知らない戦い、それらを夢で見るのだと。起きた時には朧げでほとんど覚えていないが、どうしてか心惹かれて、気がつけば夢の内容を思い出そうと物思いに耽ってしまうのだという。

 

 そんな不思議君な伊織にも兄弟達はすっかり慣れてしまったのか、今では普通にスルーするようになった。伊織に“けんにいちゃ”と呼ばれた東雲健二も「しょうがないなぁ~」と末の弟に苦笑いすると頭をくしゃくしゃと撫でて、それ以上の追求はしない。

 

「まぁ、いいや。それより飯だって。早く行こうぜ?」

「うん!」

 

 健二は伊織の手を引いて家の中に連れて行く。ご飯の時間だと伊織も年相応の笑顔を見せた。

 

 季節は四月の春。庭には一本桜が満開となり桜吹雪を舞わせている。新しい学校、学年、仕事、そして生活。一年の始まりの季節だ。

 

 そう、伊織にとっても再会と始まりの季節である。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 食堂には既に家族全員が揃っていた。

 

 この家の主、“東雲依子”を始め、総勢十人の子供達だ。依子は六十代の女性で、東雲ホームの子供達にとって母であり祖母である。そして、子供達は皆、伊織の兄弟姉妹である。これでも相当減ってしまった方なのだ。ほんの数年前までは更に十人程いたのだが、自立して家を出たのである。もっとも、今でもちょくちょく帰ってきてくれるので繋がりは全く薄くなってはいないのだが。

 

 伊織がテーブルに着いたのを確認すると一斉に「いただきます!」と元気な声が響いた。皆、美味しそうにモリモリと口に料理を運んでいる。実際、依子の料理は絶品である。和洋中伊仏となんでもござれな腕前で、東雲ホームの子供は舌が肥えていると専らの評判だ。

 

 ワイワイと賑やかに食事が進む中、依子が伊織に声を掛けた。

 

「伊織、お昼食べたらお出かけせぇへんか?」

「お出かけ?」

 

 唐突な提案に思わず首を傾げる伊織。その間も、手は休まず動き料理を口に運び続けている。

 

「そうや。この四月から幼稚園やろ? せっかくやし、何や記念のもんでも、て思うてなぁ。どうや?」

「えっ! 何かくれりゅの? うん! 行く! じぇったい、行く!」

 

 何か買ってくれるという言葉を聞いてはしゃぐ伊織。周りの子供達も入学時などの節目に覚えがあるので、舌足らずな言葉で喜ぶ伊織を微笑ましそうに見やる。伊織に一番近い兄弟が先程の健二で十歳な上、東雲ホームの子供達はそれぞれ複雑な事情を抱えているので軒並み精神年齢が高い。ありがちな「伊織だけズルイ!」等と言った騒動は起こらなかった。

 

 

 

 

 昼食を食べた後、伊織と依子は、早速お出かけの準備をして、街の大型デパートへ向かった。依子は、何時ものように仕立てのいい上品な着物姿だ。伊織は、至って普通の服装なのだが、彼女に手を繋がれて歩くと良いとこのお坊ちゃんに見えるのだから不思議である。

 

 伊織は街の大型デパートに行くのは初めてだ。到着早々、物珍しげにキョロキョロと忙しなく辺りを見回している。

 

「ばあちゃん、何買ってくれるの?」

「ん~? それは伊織が決めたらええんよ。欲しいもんあるか?」

「うぅ~、欲しいぃもの~」

 

 依子の言葉に首を捻って考え込む伊織。うんうんと唸っている姿が何とも微笑ましい。周囲の人々も思わず笑みを浮かべている。

 

「まぁ、すぐに思いつかんのやったら、ゆっくり見て回ったらええよ」

「うんっ」

 

 暫く二人はデパートの中の店を冷やかしていく。しかし、幾ら見回っても伊織の興味を引くものは見つからなかった。子供に人気そうな玩具コーナーやゲームコーナーにも回ったが伊織は興味無さげ。依子としても玩具コーナーで何か見つかるだろうと思っていただけにどうしたものかと困った表情をする。

 

 仕方なく、依子は伊織を連れて上階に上がることにした。上階は、音楽コーナーと家具コーナーなので伊織が見ても面白くないだろうと期待は薄かったが。

 

 しかし、予想に反して音楽店の楽器が見え始めた瞬間、傍目にも分かるほど伊織が興味深そうに反応した。エスカレーターが登り切る頃には、依子をグイグイと引っ張り少しでも早く店に入ろうとする。

 

「あらあら、伊織は楽器が好きなんか?」

 

 伊織は依子の言葉にも反応せず、唯ひたすら楽器に向かって突進する。ギターやキーボード、ヴァイオリンと順繰りに食い入るように見つめている。少し尋常でない様子だ。しかし、依子は我を忘れている伊織を特に注意することもなく、見守るように目を細めている。直感的に、今は邪魔をすべきでないと悟っているようだ。

 

 そうこうしている内に、あまりに熱心に眺めていたせいか店員がニコニコと微笑を浮かべながらやって来た。

 

「お客様、何かお探しでしょうか?」

「あら、店員さん。そうね、この子が楽器に興味あるみたいなんよ」

 

 依子の目線に合わせて店員が伊織を見ると、二人の会話も聞こえていないのか今は熱心にサックスコーナーを見つめていた。黄金の輝きが、照明に反射して伊織の顔を照らしている。

 

 店員が「なるほど、確かに興味津々だ」と頬を綻ばせ、伊織の傍にしゃがみ込み目線の高さを合わせた。

 

「僕、この楽器が気になるのかな? よかったら触ってみるかい?」

「えっ!? いいの!? しゃわりたい! 吹きたい! これ! この小さいやつ!」

 

 完全に楽器に心囚われていると思われていた伊織は店員の言葉が聞こえた途端、首をグリンと回し飛びつくように強請った。そのあまりの勢いに思わず店員が「うおっ!?」と素の声を上げてしまい慌てて取り繕う。

 

「あ、ああ、構わないよ。うちのお店はお試し用の楽器を用意してあるからね。えっと、このサックスでいいのかな?」

 

 店員はそう言って、一度店の奥に引っ込むと直ぐに小さなサックスを手に戻ってきた。全長三十センチちょっとのピッコロサックスというやつだ。確かに、伊織の体格を考えれば他のサックスでは持つことも難しいだろうから妥当なチョイスだろう。ただし、サイズが大丈夫だからといって吹けるか否かは全くの別問題だが。

 

 その為、店員は伊織に吹くのは難しいことをあらかじめ伝えておくことにした。せっかく興味を持ってくれているのに吹けないからと飽きられては音楽店の店員として立つ瀬がない。

 

 しかし、ピッコロサックスを手に取った伊織は既に店員の声が聞こえていないようだった。その小さな手でヒシッとサックスを掴み、マウスピースに息を吹き込む。

 

 店員は、まず音は出ないだろうと思っていた。ピッコロサックスは小さいがコツもいるのだ。三歳の子供には音を出すのも難しいだろうと。せめて、音楽への興味がなくなりませんようにと祈っていると……その期待はいい意味で、店員の心臓に対しては悪い意味で裏切られた。

 

 まず、一発で音が出た。そして、拙い音は徐々に澄んだ音色へと変貌していき、一音一音を確認するように音を響かせながら、拙い指の動きは、まるで覚えるというより、既に知っている動きを思い出すかのように柔らかさを増していく。

 

 呆然とする店員を尻目に頬を綻ばせた伊織は、一度口を話すと大きく息を吸い込んだ。そして、店全体に壮麗な調べが響き渡った。

 

 徐々にテンポを上げて、楽しげで嬉しげな音色を空中に撒き散らす伊織。店内にいた人間は客も店員も関係なく、奏者は誰だ? とキョロキョロ辺りを見回す。そして、それが小さな男の子と知ると驚愕の表情を浮かべ、まるで心奪われたようにフラフラと近寄っていった。

 

 伊織の調べは止まらない。次第に体を揺らしリズムを取りながら、洗練された音楽を奏でる。

 

 何時しか、店の周囲は人だかりが出来ていた。店の中も外も大勢の人達が熱心に小さな奏者を見つめている。遠くて伊織が見えないものも、雑音でこの素晴しい音楽を汚してなるものかと身じろぎ一つせず鼓膜を震わせる音に集中する。

 

 やがて、曲が終息に向かって行く。たっぷりと余韻を残しながら最後の音符が宙に放たれた。人々は暫く陶然とした後、名残惜しそうに、されど感嘆を十二分に込めて拍手喝采を送る。

 

 伊織もまた余韻に浸るように目を閉じて深く息を吐いた。

 

「こ、こんな、有り得ない。凄すぎする! お客様、この子は紛れもまなく天才ですよ!」

 

 最初に接客しに来た店員が興奮も顕に顔を真っ赤に染めながら依子に詰め寄る。そんな店員に、依子は動じた様子もなく「あらあら」と笑いながら、ジッと伊織を観察するように見つめていた。

 

 周囲は喧騒に包まれている。周囲の人々が口々に称賛を口にし、子供達が自分もあれが欲しいと親に強請っている光景も、そこかしこで見られる。一部の親は既に店員にあれこれ聞いているようだ。

 

 そんな中、伊織がスっと、閉じていた目を開けポツリと呟いた。

 

「ああ、そうだ。思い出した。……俺は(・・)……あぐっ!?」

 

 何かを懐かしむように、それでいて全てを取り戻したと歓喜するように目を細める伊織。しかし、言葉の途中で突然、頭を抑えて苦しみだした。顔も紅潮している。かなりの熱が出ているようだ。

 

 その異変に依子が気がつき、フラつく伊織を支える。

 

「ばあちゃ、俺……」

「ええんよ、今はゆっくり休み。ばあちゃんはちゃ~んと分かってるから、焦らんでええよ」

「ばあちゃ……」

 

 依子の言葉に疑問を抱くも、既に意識は混濁を始め、耐え切れなくなった伊織は、依子の温もりに包まれてそっと静かに意識を手放した。

 

 伊織の様子に漸く気がついたのか店員が慌てるも、依子が「ちょっと張り切りすぎたみたいやね~」と余裕の態度で問題ないというので心配しつつも納得する。店の店員が総出で集まった客達を忙しそうに対応していることもあり、この店員ものんびりはしていられない。

 

 それでも、伊織との別れは惜しいのか是非また来て欲しいと懇願するように依子に頼む。依子はそれに快く了承し、ついでとばかり一つ頼みごとをした。店員は、その頼みに心底嬉しそうな表情を見せると深々と頭を下げた。

 

 そして、依子は眠る伊織を抱いたまま家路につくのだった。

 

 

 

 

 時間は深夜。既に日付が変わり、東雲ホームの子供達もぐっすり眠っている。

 

 あの後、依子が高熱を出しながら眠る伊織を連れ帰ると、東雲ホームは一瞬でパニックになった。何せ喜び勇んで買い物に行った末っ子が顔を真っ赤にして見るからに辛そうに眠っているのだ。末っ子ということもあり、東雲ホームの子供達は総じて伊織を可愛がっている。なので心配メーターが一瞬で振り切ったのだ。

 

 

 いきなり「医者を連れてくる!」と言って飛び出していこうとする子や、救急車を呼ぼうとして時報を聞く子、何やら「今こそ目覚めて! 私の力!」と厨二な発言を恥ずかしげもなく叫ぶ子(今年十七歳の女子高生の姉)など実にカオスな状況だった。

 

 静かな声音なのに、何故か無視できない依子の制止により漸く落ち着きを取り戻した子共達は、伊織が目を覚ますまで起きているつもりだったのだが、何かを悟っているかの様な深い眼差しで、依子が伊織を暫く一人にするようにと言い聞かせたので渋々自室に戻った。

 

 翌朝は、きっと伊織の部屋に子供達が殺到することだろう。

 

 しんと静まり返った家で、伊織は目を覚ました。

 

 辺りをキョロキョロと見回し、そこが見知った自分の部屋であると気がつく。年齢が幼いということもあり、実際は依子の部屋であるのだが、現在、部屋の主はいなかった。

 

「はは、本当にてんちぇいしたじぇ、くっ、舌がまわらない」

 

 カミカミの舌に辟易しながら現状を把握する。

 

(えーと、どうやら予測通り転生したようだな。記憶も全部ある。演奏がきっかけで魂から記憶を引き出すことに成功したって感じか。脳に少々負担が掛かったようだが、まぁ、もう問題ないな)

 

 伊織は自分の身体を調べるが特に問題もないようだ。魔力や気、もとい念も感じる。魂が覚えているのか生まれながらに最小限の【纏】が出来ているようだ。

 

(ここは日本みたいだな……時間的には斎藤伊織だった時の日本と代わり映えしないが……まぁ、其の辺は後でいい。重要なのは……【魂の宝物庫】が使えるか。アイツ等と再会できるかということだ……)

 

 

 伊織は緊張で手の平が汗ばむのを感じた。ベルカの地で、己の死期を悟った時、大切なパートナー達には【ダイオラマ魔法球】に入ってもらい、それごと【魂の宝物庫】に格納した。全ては世界も時も超えて一緒にいるため。

 

 高い確率で可能だと結論を出したが、それでも未知の試みだ。最悪、【魂の宝物庫】ごと彼女達が消滅してしまう可能性すらあった。しかし、彼女達は何の躊躇いもなく、この方法をとってくれた。

 

「マスターに着いて行くのに躊躇う理由がありますか?」

「マスターが願ってくれて出来た能力。ボク達を害する筈がないよ。大丈夫」

「ふん、お前がダメだといっても私はやるからな。お前の傍にいるために必要なら何だってするさ」

 

 【別荘】に入る前の彼女達の言葉だ。ちなみにチャチャゼロは「ケケケ」と笑っているだけだった。何時でもブレない従者である。

 

 絶対大丈夫。そう信じていても、やはり緊張するものは仕方ない。伊織は深呼吸をすると、そっと腕を差し出し念能力【魂の宝物庫】を発動した。

 

「インじぇックス、あ、噛んじゃった」

 

 幼児の体が恨めしい。ブツブツと文句を言いながら数回練習する。今度こそと気を取り直して発動キーを唱える。

 

「インデックス!」

 

 すると、差し出した伊織の右手にズシッと濃紺色の分厚い本が現れた。思わずふらつくが咄嗟に【念】で身体強化して支える。

 

 一先ず、能力がきちんと発動したことに胸を撫で下ろす伊織。パラパラとページを捲りお目当ての項目にたどり着くと、再度唱える。

 

「ゲイン、【ダイオラマ魔法球】!」

 

 本が濃紺色に輝く。そして、伊織の眼前に【ダイオラマ魔法球】が現れた。透明の球体の中は静謐な森と山々、湖や川が広がっている。現在、魔法球は内外の時間差はない。転生までどれくらいの時間がかかるのか分からなかったので調整したのである。

 

 伊織は【別荘】の前に立つと魔法球を起動した。和室の畳に西洋魔法の魔法陣が広がる。伊織は急く気持ちを抑えその中に足を踏み入れる。

 

 直後、伊織の姿は消えて、後には静かな誰もいない部屋だけが残った。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「エヴァちゃ~ん、お醤油とって下さ~い」

「ん? ほれ。焦がすなよ~」

「今日は、りんごが生ってたよ。デザートにしようね」

「マタマタ、極上ノ酒ガデキテタゼ!」

 

 ミク、エヴァ、テト、チャチャゼロは現在、伊織の【別荘】内で食事の準備中だった。一応、全員食べなくても死にはしないのだが、習慣化されているので止める事もない。わいわいとおしゃべりしながら料理を作る。すぐ傍でメイド服を来た自動人形とパンダが同じように忙しなく動いている。チャチャネとリンリンだ。

 

 暫くして料理が完成し、料理が盛られた皿を手に食卓へ持っていこうとした時、不意に全員が硬直した。【別荘】のゲートが開いた気配を感じ取ったのだ。全員が身動き一つ出来ず呆然とゲートの方を見つめる。

 

「エ、エヴァちゃん。今のって……」

「あ、ああ。ゲートが開いたようだ……」

「でも、ボク達は今、マスターの魂の内のはず……」

 

 ミク、エヴァ、テトがポツリポツリと呟く様に状況を確認し合う。体は未だ硬直したままだ。だが、次のチャチャゼロの言葉で我に返った。

 

「ケケケ、漸ク帰ッテキヤガッタカ。待チワビタゼ!」

 

 ミク達は、手に持った料理を放り出し、高速機動全開でゲートに向かって突進した。ちなみに、料理はチャチャネとリンリンが達人もかくやという体捌きでシュパパパパとキャッチし、一つも落としていない。

 

 

 

 

 伊織の【別荘】に通じるゲートは森の小道の奥にポッカリと空いた空き地にある。そこから真っ直ぐに伸びた道を辿れば屋敷に到着する。伊織は、動物が多数生息しながらも静謐さを感じる森の中を、懐かしさに目を細めながらトタトタと覚束無い足取りで進んでいった。

 

 暫くすると、その静謐さを破るように猛烈な気配が急速に接近してくるのを感じ、伊織は思わず足を止める。

 

 直後、ヴォという音を立てて三人の少女が姿を現した。翠髪ツインテールの美少女、紅髪をツインテ縦ロールにした美少女、そして金髪ストレートの美少女だ。言わずもがな、ミク、テト、エヴァである。

 

 三人がふらふらと歩み寄り、泣きそうな嬉しそうな表情で伊織を見つめる。

 

「マスター……会いたかったです」

「マスター、やっと来てくれたんだね」

「ふん、遅いわ馬鹿者……ぐすっ……」

 

 今の伊織は、イオリアだった頃とは随分と異なる外見だ。黒髪に茶色の瞳、彫りの薄い顔立ち。純正の日本人顔である。だが、そんな外見の変化など三人にとっては何の問題にもなっていないらしい。「マスターなのか?」と確認することすらしないのだから。

 

 涙ぐむミク達に、自然と伊織の表情も優しげな微笑に変わる。そして、愛おしさをたっぷり含ませた声音で三人の名前を呼んだ。

 

「ミク」

「はい! マスター!」

「テト」

「うん、マスター」

「エヴァ」

「ぐすっ、うむ」

 

 嬉しそうに返事をする三人に、伊織も益々笑みを深める。そして、彼女達がずっと待っていたであろう言葉を告げた。

 

「ただいま」

 

 伊織の言葉に三人は満面の笑みで応える。

 

「「「おかえり(なさい)!」」」

 

 

 

 

 自らの【別荘】に帰還を果たした伊織は、久しぶりの家族達との団欒を楽しんでいた。確保されていた料理に舌鼓を打ちながら、お互いの話をする。

 

「そうしゅると……ちくしょう、また噛んじまった。……お前達が【別荘】に入ってから、もう三十年近く経つのか」

「そ、そうなりますね」

「う、うん」

「だ、だな」

「ケケケ」

 

 しかし、何故か三人とも、伊織が真剣な表情で話せば話すほど、頬を赤らめてプルプルと震える。何か物凄く我慢している感じだ。

 

「そいつは……随分と待たせてしまったな。わりゅかっ……悪かった。次は、俺のげんちょう……現状、なんだが……」

「もう無理です! 我慢できません!」

「ボクもだよ! お願いマスター! ちょっと抱っこさせて!」

「あっ、テ、テト、ミク! ずるいぞ! 我慢してたのに! 私にも抱っこさせろ!」

「な,何だ!? お前等、やめりょ~」

 

 ちんまい伊織が舌足らずな口調でたどたどしく話す姿が堪らなかったらしい。遂に我慢できず三人は伊織に飛びかかり、もみくちゃにしながら愛でた。

 

 暫く伊織の悲鳴と、三人のきゃっきゃっと歓声が屋敷に響き、漸く収まった頃にはグッタリとした伊織がピクリとも動かず、畳の上でうつ伏せに倒れ込んでいた。

 

「あ~、えっと、すいません、マスター。大丈夫ですか?」

「あはは、ちょっとやり過ぎたかな。ごめんね、マスター」

「す、すまん。私としたことが我を忘れるとは……」

「お、お前ら……」

 

 流石にやり過ぎたと思ったのか、苦笑いしながら視線を逸らす三人。チャチャゼロが傍でケラケラと笑っている。

 

「マァ、許シテヤレヨ、イオリア。オット、今ハ伊織ダッタナ。御主人達モナ、スゲー寂シガッテタンダヨ。大目ニ見テヤッテクレ」

 

 チャチャゼロの執り成しの言葉に、溜息を吐きながらも仕方ないかと苦笑いする伊織。しかし、このままでは埒があかないので【魂の宝物庫】から【年齢詐称薬】を取り出し十五歳前後に成り代わる。

 

 若干、残念そうな目で伊織を見てくるミク達だが、気にせず変化した。ポンッという音と共に精悍な顔つきの少年が現れる。

 

 「これはこれで……」と頬を赤らめながらジッと伊織を見つめてくるミク達に、呆れながらも相当寂しい思いをさせたのだろうと、伊織は三人を手招きした。

 

 三人はぱぁーと花咲くような笑顔を見せ、改めて伊織の胸に飛び込む。ベルカでは正式な夫婦として晩年を過ごしたのだ。抱きしめ合うのは日常茶飯事。それが三十年もお預けだったのだ。空白の時間を埋めるように、三人は暫くの間、無言で抱きしめ合った。互の温もりを確かめ合い、再会できたことを無言で喜び合う。別荘の静謐で神聖な空気が優しく伊織達を包み込んでいた。

 

 それなりに長い時間、お互いの存在を確かめ合った後、漸く話が再開された。リンリンさんが気を利かせて、淹れたてのお茶を出してくれる。三十年経っても相変わらず気の利いたメイドパンダさんである。

 

「ふむ、つまり今は東雲ホームの末っ子で東雲伊織というのだな」

「それで、転生先の世界は、まんま日本だと」

「突飛な世界じゃなさそうで良かったですね、マスター」

 

 取り敢えず、自分の生まれと名前、この世界のことを知っている限り話す。しかし、伊織自身、唯の三歳児だったわけで、それほど多くの情報を知っているわけではない。ネギま世界のように実はクラスメイトは魔法使いだった! とかそういう非常識がないとは限らないのだ。

 

「まぁ、今のところは普通の世界だな。ただ……」

「ただ?」

 

 何かを思い出して訝しそうに首を捻る伊織にエヴァが聞き返す。

 

「何というか、兄さん達……ホームの子達な? やたら運動能力が高かったり、頭の出来が凄まじかったり、呪文? みたいなの唱えてたり、何もない場所に話しかけたりすることがあるんだが……」

「いや、その時点で何かあるだろ?」

「既に普通じゃないですよ?」

「マスターのホームだからね、やっぱりだよ」

 

 三人のツッコミに「うっ」と言葉を詰まらせる伊織。実は一番何かありそうなのはホームの母、東雲依子ですとは言い出しづらい。三歳分の記憶しかないが、それは魂に刻まれるため思い出そうとすれば思い出せる。今、思い返せば家の連中はこぞって何かありそうだった。

 

「まぁ、それは後で確かめるとして、これからどうするんですか?」

 

 ミクの疑問にテトやエヴァも疑問顔を伊織に向ける。

 

「そうだな。やっぱりばあちゃんには色々話さないとダメだろう。あの人は誤魔化せる気がしない。まぁ、度量の深い人だから、ミク達のことも受け入れてくれるだろうと思う。万一ダメだったら……まぁ、また皆でやりたいようにやればいいさ。皆がいるだけで俺には十二分だからな」

 

 微笑む伊織に同調するようにミク達も笑みを浮かべた。其処には、互いに絶大な信頼がある。例えここがどんな世界であろうと、恐れるものなど何もなかった。伊織達はそれだけのキズナを重ねて来たのだから。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 伊織は一先ず年齢を戻して一人で【別荘】を出た。そして、食堂から聞こえる僅かな音の下へ向かった。明確に意識を取り戻してから、急速に転生前の感覚が戻ってきている。幼い体ゆえに、まだまだ鍛錬は必要であるが、全盛期の四分の一程度には力が使えそうだ。可聴領域でいうなら、前世では最終的に一・ニキロメートル内を把握できたのに対し、三歳の今で三百メートルは把握できる。鍛え直したら前世を超えるかもしれない。

 

 ちなみに滑舌の方も別荘内である程度直した。これから話しをするのに不便極まりないからだ。方法は……まぁ、ちょっとしたドーピングのようなものだ。

 

 そんなことを思いながら、伊織は食堂の扉を開けた。

 

 中には、食卓テーブルに腰をかけ、静かにお茶を飲む依子がいた。電気は付けていない。窓から差し込む月明かりだけで十分な照明になっている。伊織が入ってきたことに気がついた依子は、何時もの人好きする微笑を浮かべた、

 

「もう加減はええんか、伊織?」

 

 時刻は既に丑三つ時だ。普段なら依子もぐっすり部屋で眠っている時間である。それなのに寝巻きにストールを羽織った姿で眠気など微塵もなく、そして伊織がやって来たことに何の疑問もないように声を掛けてきた。

 

 まるで、最初から伊織が来ることを知っていたかのようだ。

 

「ああ、大丈夫。ばあちゃん、あのさ……」

 

 そう言って伊織は話し始めた。前世のことを、自分のことを、そして大切なもう一つの家族のことを……。依子は終始黙って伊織の話しを聞いていた。

 

 やがて全てを話し終わり、静寂が部屋に降りる。チクタクと壁掛時計の音だけがやたら大きく響いていた。

 

 静寂を破ったのは依子の方だった。

 

「うん、ようわかった。それで? 伊織はいつ、その素敵なお嫁さん達を紹介してくれるんや?」

 

 朗らかな笑みを浮かべながらそんなことを言う。まるで前世の話しなど些細なことで、一番重要なのは伊織の家族のことだと言わんばかりだ。

 

 何となく、依子ならそう言うのではないかと思っていた伊織は苦笑いするしかない。相変わらず目の前の女性は度量が深いと改めて実感した。

 

「今紹介するよ。【インデックス】」

 

 伊織の手に濃紺の本が現れ、次いで魔法球が出現する。依子は異世界の魔法や能力を見ても「あらあら」と微笑むだけで楽しげに眺めるだけだ。伊織も、前世では百五十年近く生きて、孤児院の創設者として多くの子共達を送り出してきたが、自分が依子ほどの度量を備えていたとはとても思えなかった。

 

 何とも言えない複雑な心境で魔法球内部に通信し、ミク達に出てきてもらう。待たせることもなく直ぐに魔法陣が浮かびゲートが開いた。魔法陣の輝きと共に三人の少女と一体の人形が現れる。

 

「あらあら、えらい別嬪さんばっかり。伊織は幸せもんやねぇ~」

 

 ミク達を見て依子が目を細めて楽しげに笑う。依子の話は聞いていたので、ミク達は早速挨拶を始めた。

 

「えっと、マスターがお世話になってます。私はミクといいます。宜しくお願いします!」

「ボクはテトだよ。マスターを育ててくれてありがとう。心から感謝を」

「伊織が世話になった。依子殿と言ったか。感謝する」

「あらあら、ご丁寧に。私は東雲依子いいます。お礼なんてええんよ。家族なんやから当然やろ? みなも今日から家の子なんやから、堅苦しくせんでええでな? ああ、早速お部屋用意せなあかんなぁ、年頃やし普通は一人部屋がええやろうけど……相部屋でええか? それとも、伊織と同じ部屋で皆一緒にするか?」

 

 何の躊躇いもなく、そうあるのが当然の如くミク達を受け入れる依子。ミク達は面食らい、話しを進めていく依子に慌てて制止をかけた。

 

「えっと、気にならないんですか? 私達、人間じゃないことは聞いてますよね?」

「それにマスターだって、精神年齢だけなら百五十歳以上ですよ?」

「私に至っては吸血鬼な上、何だかんだで八百年は生きているぞ?」

 

 値踏みするような眼差しを向けられても依子は全く動じた様子がない。それどころか、今更何を言うのかと朗らかに笑う。

 

「そんな小さいこと気にしてどうすんの? 人でも何でも“どうありたいか”は自分で決めるもんやろ? 私より遥かに生きていても、例え人間やなくても、私の、東雲ホームの子共になれへん道理はあらへん……それとも私の娘になるんは嫌やろか?」

 

 ちょっと寂しそうに微笑む依子にミク達はもう何も言えなかった。ミク達は素直に微笑を返しながら、東雲ホームの新たな子になることを了承する。

 

 そして、エヴァが依子に対して、伊織も抱いていた疑問をぶつけた。すなわち、この世界の神秘について、何か知っているのかと。エヴァは長年の経験で悟っていた。依子が何か特別な力を持っていることを。この世界にも神秘の類が存在することを。

 

「依子殿。貴女は何か特別な力を持っている。そうだな? この世界のことを教えて欲しい」

 

 エヴァにしては殊勝な態度である。まぁ、元々、敬意を払うべきと認めた相手に不遜を貫くほど傲慢ではないのだが……。

 

 しかし、敬意を含ませたエヴァの質問に、依子は何故かズズッとお茶を飲むだけで答えない。まるっきり無視である。先程までの親しげな態度からの豹変に、戸惑うエヴァ。若干、オロオロしつつ再度呼びかける。

 

「依子殿?」

 

 しかし、やっぱりツーンとそっぽを向いて無視する依子。エヴァのオロオロが激しくなる。依子はチラッとエヴァを見ると、一言呟いた。

 

「お母さんやろ?」

「そこか!? そこなのか!?」

 

 思わず突っ込むエヴァ。伊織は予測がついていたのか苦笑いだ。

 

「おばあちゃんでもええんよ? 家族やのに、なんやの“依子殿”って」

「い、いや、何というか……」

「ほら、ちゃんと呼びなさい。呼び方は大事なんやで? 名前は一番短い“呪”。呼び方一つで人を定めるもんなんや。ちゃんと呼ぶまでお話はお預けや」

「いや、しかしだな。その……」

「エヴァ。何時までも聞き分けのないこと言わへんの」

「うぅ~、だって恥ずかしいだろ? 一応、私の方が年上なわけで……」

「そんな言い訳聞きません。さっきも言うたやろ? あり方は自分で決めるもんやって。エヴァは家の子になるって決めたんちゃうんか?」

「そ、それはそうだが……」

「ほな、ちゃんと呼び」

「……はい……母上……でいいか?」

「う~ん、まぁええやろ。これからもちゃんと呼ぶんやで?」

「……はい……」

 

 そんな二人の様子を見ていた伊織達は、八百年を生きた真祖の吸血鬼が母親に叱られるというレアすぎるシーンを見て吹き出しそうになるのを堪えると共に、改めて依子の凄まじさに戦慄するのだった。

 

 その日の晩は夜も遅いと解散することになり、翌日、ホームの子等への紹介と依子との話しの続きが行われることになった。

 

 ちなみに、エヴァはその晩、どことなく悄気ていた。そして、チャチャゼロの弄られたのは言うまでもない

 

 

 

 




いかがでしたか?
今回はプロローグ的な話です。
次回から、時間は一気に進み物語が動きます。

忘れている人の為に主人公達の紹介を簡単にしておきます。

東雲伊織(元イオリア・ルーベルス)
特徴 
困った人を放っておけない。諦めが悪い。騎士の誓いと相まって、強靭な意志を持っている。ストレージデバイス「セレス」を所持
特技 
危機対応能力(前々世の度重なる命の危機により身に付いた第六感的能力。あらゆる危機を事前に察知し、本能的に対応できる)
擬似的な瞬間完全記憶能力(魂に記憶が保管され、いつでも思い出せる)
技能 
覇王流・陸奥圓明流、魔導、ネギま式魔法、アーティファクト【操弦曲】、念【魂の宝物庫】及び【神奏心域】、攻性音楽

ミク
特徴 
伊織の魂の一部を取り込んだ特殊なユニゾンデバイス。誰に対しても基本丁寧。但し、時々黒くなる。マスターである伊織が大好き。剣術も好き。刀型アームドデバイス「無月」を所持。
特技 
歌及び演奏、ニ○動にうpされた技の再現、高速機動(ニ○動のしゅしゅミクより)
技能 
魔導、ネギま式魔法、京都神鳴流、アーティファクト【九つの命】、念【垂れ流しの生命】

テト
特徴 
伊織の魂の一部を取り込んだ特殊なユニゾンデバイス。ボクっ娘。伊織以外には意外に辛辣。マスターである伊織が大好き。銃技も好き。銃型アームドデバイス「アルテ」を所持。
特技 

技能 
魔導、ネギま式魔法、ガン=カタ、アーティファクト【賢者の指輪】、念【拒絶の弾丸】

エヴァンジェリン
特徴 
真祖の吸血鬼。現時点でおよそ八百歳。原作と異なり十四歳程度に成長している。女王様気質だが、何かと聖女、聖母扱いされるほど面倒見がよく優しい。但し、基本はドS。身内にはよく弄られる。
特技 
再生、吸血による回復
技能 
ネギま式魔法、魔導、合気鉄扇術、操糸術、人形操作、念【人形師】、楽器演奏

大体、こんな感じ。
ちなみに、ミクとテトはLat式をイメージしてます。

次は、二日以内に投稿します!



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第29話 異世界からの退魔師

まず、最初にお礼を。
感想にて温かなお言葉を下さり有難うございました。
作者本位の作品にもかかわらず、待っていてくれた人、一緒に楽しんでくれている人が多いようで嬉しい限りです。
本来なら、感想欄にて返信を一つずつ書くべきなのでしょうが、オリジナル小説の方も書かねばならないので時間的に厳しく、この場を借りて感謝を伝えさせて頂きます。
基本的に、セリフなどがクサイ作品なので読む人を選びそうな作品ですが、「うわぁ~」とか思いつつ、楽しんで貰えれば嬉しいです。


 

 時刻は深夜に少しばかり届かぬ頃。まだらな雲が、ちょうど十六夜の月を覆い隠している。一寸先すら閉ざされた真っ暗闇の森の中、荒い呼吸音と草木を掻き分け踏みしめる音が響いた。

 

「はぁはぁ……くそがっ、一体、アイツ等は何者なのだっ」

 

 そんな悪態を吐きながら、必死に手足を動かし焦燥と痛みに顔を顰めて、それでも夜闇など関係ないかのように猛スピードで駆けているのは一人の男だった。

 

 光源一つ持たず、およそ人間には不可能な速度で生い茂る夜の森を駆け抜けるその姿は異常の一言だ。それもその筈。彼は人間ではなかった。むしろ、人間が恐れるべき存在だった。

 

――悪魔

 

 それが彼の正体。人間の心の隙間に漬け込み、誘惑し、堕落させ、破滅させる邪悪の権化。契約の対価に魂を喰らうとされる化け物。人知の及ばぬ超常の存在。

 

 だが、そんな恐るべき悪魔の男は、現在、余りに哀れな姿だった。悪魔の象徴たる背中の翼は、片方が無残に斬り裂かれ、もう片方も付け根から折れ曲がっている。手足にもあちこちに銃創のような穴を空けてだらだら血を流しており、鳩尾の辺りは拳大の形に陥没してしまっている。

 

 満身創痍。超常の存在には余りに似つかわしくない姿だった。そして、それが決して演技や何らかの想定内の事情から来ているものでない事は彼の表情が何より雄弁に物語っていた。そう、彼は襲撃を受けて“敗北”し、悪魔にあるまじき“逃亡”を余儀なくされているのだ。

 

「くっ……せめて街中に逃げ込むことが出来れば……この屈辱、決して忘れんぞっ。人間風情(・・・・)がっ!」

 

 悪魔の表情が追い詰められたものから、憤怒に変わっていく。森の先に僅かな光が見えたからだろう。それは文明の光。森を抜けた先の町明かりだ。まさか、追っ手も街中――特に繁華街で殺し合いに興じたりはしないだろうという予測が、少し心の余裕を取り戻させたのだ。

 

 悪魔の男は、全く速度を落とすことなく一気に森から飛び出した。着地した足の裏には硬いアスファルトの感触。右を向けばちょうど走って来た自動車のヘッドライトが見えた。道路は町へと続いているので、その自動車も町中に入るはずだ。そう考えた悪魔は、魔法により姿を周囲に同化させ、運転手に気づかせず人外の身体能力でそのまま自動車の屋根に飛び乗った。

 

 

 

 

 繁華街には、夜遅くにも関わらず未だ多くの人々が出歩いていた。客引きや酔っぱらいのサラリーマン、派手派手しい衣装に身を包む若者達で賑わっている。そんな中、ボロボロの格好をした悪魔の男の姿は、誰が見ても奇異に映るはずなのだが、気にする者は誰もいない。

 

 それは、現代特有の他者への無関心からくるものではなく、そもそもその存在に気がついていない事が原因のようだった。もし気がついているのなら、片足を引きずり、腕を抑えながら憎悪と憤怒に表情を歪める悪魔の恐ろしい姿に平然としていられるわけがないのだ。原因は言わずもがな、悪魔の男が行使している認識阻害の魔法の効果だ。

 

「……人間どもが……脳天気に阿呆面晒しおって……」

 

 最初は、街中に入ったあと傷を癒し、人間の中に紛れ込むことで逃げ切ろうと考えていた悪魔だったが、周囲の人間の陽気な雰囲気に苛立ちを募らせていき、しまいには憂さ晴らしとして皆殺しにしてやろうかと危険な思考になりつつあった。

 

「クククッ、案外悪くないか……私を逃したせいで無関係の人間が死ぬ。中々、良い意趣返しになりそうだ」

 

 血走った目で凶悪に口元を裂く悪魔。追っ手達の悲痛に歪む表情を想像して舌舐りする。そして、狂的な雰囲気で、正面から千鳥足で歩いて来たサラリーマンをくびり殺そうと手を伸ばした。

 

 その瞬間、

 

――封時結界

 

 そんな呟きと共に、世界が切り取られた。

 

「んなっ、こ、これは……まさか……」

 

 どこか色褪せ、周囲のから一切の人間が消えたゴーストタウンのような街の中で、一人ポツンと取り残された悪魔は驚愕の表情をあらわにしながら必死に周囲を探る。そんな彼に再び声がかかった。随分と若い声音、しかし、決して無視の出来ない“重さ”を感じさせる声音だ。

 

「はぐれ悪魔ルタール。酔っぱらいに八つ当たりか? Aランクの討伐対象と聞いていたが、それにしては少々、やる事がせこ過ぎだろう」

「き、貴様ぁ!」

 

 バッと音をさせて振り向いたルタールと呼ばれたはぐれ悪魔の視線の先で、不意に景色が歪んだかと思うと、そこから十二、三歳くらいの少年が現れた。

 

 凪いだ水面を思わせる静かな瞳。幼さを残しながらも精悍さが垣間見られる顔。見た目年齢に似合わない落ち着いた雰囲気。それらが相まって、どこか大樹を思わせる。ある意味、はぐれ悪魔よりも異質な少年だった。

 

 ルタールは、その表情を憎悪に歪めつつも、どこか臆したかのように一歩後退った。それは、脳裏に森の中での手痛い敗北が過ぎったからだ。

 

 少年は、はぐれ悪魔のような存在を討滅することを使命とする、いわゆる退魔師と言われる人種であり、人の身でありながら超常の存在に牙を剥き、市井の人々の守護を生業とする者だ。

 

 はぐれ悪魔とは、強力な力に溺れて主の悪魔を殺し、人間側、悪魔側双方にとってお尋ね者となった悪魔を指し、ルタールもこれに当たる。はぐれ悪魔は、その危険度によってランク分けされ、Aランクともなれば、並みの術師では太刀打ち出来ない力があるのだが、信じられないことに、眼前の少年は、そのルタールを歯牙にも掛けていなかった。

 

 そして、それは少年に限らなかった。

 

「まぁ、所詮は力に溺れた小物だ。発想が矮小なのは仕方あるまい」

「ケケケ、ナンデモイイカラ斬ラセロヨ」

 

 ルタールが頬に冷や汗を流しながら右側に視線を向ける。そこからは少年と同じように空間を揺らめかせながら金髪碧眼の美少女が現れた。その傍らには、グルカナイフをブンブンと振り回す、瞳孔開きっぱなしのキリングドールの姿もある。

 

「厄介な置き土産のせいで到着が遅れましたけど、間に合って良かったです。マスター、さっさと引導を渡しちゃいましょう」

 

 ルタールの頬が引き攣る。今度は左側から片手に刀を持った翠髪ツインテールの少女が相当腹に据え兼ねているのか据わった眼をしながら現れた。威嚇のつもりか、刀の鍔をチンチンと鳴らしている。

 

 ルタールは、包囲されるのを恐れて咄嗟に後ろに下がろうとした。しかし、視線を向けた瞬間、その表情が蒼白になっていく。

 

「逃すと思ったかい? 既に詰みだよ。ただ欲望のまま無関係の人々を嬲って来た君に未来はない」

 

 紅髪巻き毛のツインテールを揺らしながら、両手に大型拳銃を持った少女が眼を剣呑に細めて、そこにいたからだ。

 

「何なんだ、一体、何だというのだ! 私は、Aランク…いや、Sランクの評価を受けてもおかしくない悪魔だぞ! 上級悪魔相手でもそうそう遅れは取らない強者だっ! それが、なぜ貴様等のような下賤なッ!?」

 

 ルタールが恐慌に陥ったかのように喚き散らし始めた。ルタールの自身に対する評価は的を射ている。実際、Sランクの評価に改めようという動きもあったのだ。断じて、人間の、ただの術者に手も足も出ない等いうことは有り得ない。

 

 そんな有り得ない現実を否定するように、血走った眼で暴走とも言うべき無差別な魔法を発動しようとする。それが為されれば、半径数百メートルが粉微塵に吹き飛ぶことは魔力量からして明らかだ。

 

 だが、絶叫じみた罵倒と共に放たれようとした魔法は中断を余儀なくされた。

 

「詰みだと言われたのが聞こえなかったのか?」

 

 そんな言葉と共に、いつの間にか、本当にいつの間にか、少年がルタールの眼前にいたからだ。全くの知覚外。上級悪魔に匹敵するスペックを誇るルタールを以てして全く認識が出来なかった。

 

 戦慄の表情をするルタール。咄嗟に飛び退ろうとしたが、その動きは余りに遅い。これまた認識できぬままに、いつの間にか鳩尾に触れていた少年の拳が大砲のような轟音を発しながら突き出された。

 

「ガハッァ!?」

 

 衝撃が背中から突き抜け、衣服が弾け飛ぶ。表情が苦悶に歪んだ。

 

――陸奥圓明流 虎砲

 

 ゼロ距離から全身の力を一点に絞って対象を穿つ打撃技だ。

 

 遅れてルタールの口から大量の血が吐き出された。実のところ、ルタールが【虎砲】を喰らうのは本日二度目。既に彼の内臓は、悪魔の強靭な肉体をもってしてもボロボロだった。

 

 逃げなければ……反撃しなければ……せめて防御を……ルタールの脳裏に次手が巡るが、その意思に反して膝は勝手に折れ、体は崩れ落ちていく。意識は今に彼方へと飛んできそうだ。

 

 少年の眼前に跪く形になったルタールだったが、その瞳に憎悪の影は既にない。あるのは、己の命がどうしようもなく脅かされている事による恐怖だけだ。その恐怖を、更に、三方からカウントダウンのように迫る足音が助長する。

 

「終わりだ、ルタール」

 

 その言葉に、ルタールの理性は崩壊した。

 

「あ、あ、ぁああああ!」

 

 奇声を発しながら、先程練り上げて中断させられた魔力を半ば無意識に使って飛び上がる。体は動かなくとも魔力そのものを動かして少しでも得体の知れない少年達から離れようとする。

 

 直上へと、まるで月が発する魔性の輝きに救いを求めるように手を伸ばしながら飛翔するルタールだったが……その手を別の輝きが捕えた。

 

――捕縛魔法 レストリクトロック

 

 濃紺色に輝く光のリングがルタールの手足に嵌まり空間に固定する。

 

「あぁあああ!! ぁああああ!!」

 

 パニックを起こしたように我武者羅に体を揺するルタールだったが、その程度で破られる拘束ではない。必死に拘束を解こうともがくルタールは、下方に集まる膨大な魔力に今度こそ、その表情を絶望に染め上げた。

 

「お前が、ただ快楽の為に殺めてきた人々の魂の輝きだと思え」

 

 呟くような声量にも関わらず、やけに明瞭に響き渡ったその少年の言葉。その腰だめ構えた右手には、渦巻きながら濃紺色の輝きを刻一刻と増していく魔力の塊があった。その魔力量は上級悪魔のそれに匹敵する。疲弊し、拘束された状態で無防備に受ければ、その末路は明々白々だ。

 

「――――っ!!」

 

 声にならない絶叫。

 

 次の瞬間、それは放たれた。

 

――直射型砲撃魔法 ディバインバスター

 

 濃紺色の魔力の奔流が、空を切り裂き夜天へと駆け上る。それはもう、砲撃というより魔力の“壁”と称すべきもの。ルタールの視界が濃紺一色に染まり、そして――閃光は、そのまま全てを呑み込んで突き抜けた。

 

 砲撃は、封時結界を震わせつつ徐々にその規模を縮小していき、やがて糸のように細くなって、そのまま虚空へと溶け込むように消えていった。

 

 後には何も残っていない。最初からそうであったかのように、静かで無機質な結界内の空が広がっている。

 

 残心する撃ち手に、可憐な少女達の声がかかった。

 

「お疲れ様です、マスター」

「お疲れ、マスター。討伐依頼は、相変わらず気分の悪いものが多いね」

「ふん、この程度なら全員で出てくる必要もなかったな」

「伊織ヨォ。一人デ殺ッチマウ何テズリージャネェカ~」

 

 そんな彼女達に苦笑いする少年、言わずもがな東雲伊織は、バリアジャケットを解きながら返答した。

 

「お前等もお疲れさん。まぁ、テトの言う通り胸糞悪いが、これで奴の被害者はもう出ないと思えば悪くない。それに、悪魔なんて超常の存在の力は未だ把握しきれてないからなぁ……堕天使やら天使やら妖怪やらもいるらしいし、この世界で単独戦闘はできる限り避けるべきだろう。それが例え、無敵の吸血姫様でも、一人で相対させたくないよ、俺は。あと、チャチャゼロ、お前はもう少し自重しろ」

 

 伊織の言葉を聞いて、ミクとテトは肩を竦め、エヴァは少し気恥ずかしそうに頬を染めた。チャチャゼロは「ケケケ」だ。

 

「それにしても、ゴキブリを大量に召喚されたときは焦りましたね~。私、未だに悪寒が止まらないです」

「ああ、ある意味、今までで最低最悪の討伐対象だったな」

 

 顔を顰めて腕を摩るミクに、伊織のみならずテトやエヴァも顔を顰めた。

 

 森の中でルタールを追い詰めたはいいが、切羽詰まったルタールは大量の食人ゴキブリを召喚したのだ。一匹一匹は大したこと無いのだが、数が凄まじい上に、やはり生理的嫌悪感までは如何ともし難く、隙を突かれてまんまと逃亡されてしまい、街中に逃げ込んだところで【結界魔法:封時結界】で隔離し討伐したというわけだ。

 

「はぁ、思い出させるな、ミク。それより、さっさと帰って風呂に入ろう」

「エヴァちゃんに賛成。それに、御祖母様の事だから、きっと待ってくれてるよ? 早く帰らないと」

「ああ、ばあちゃんな……待ってなくていいって言ってるんだけどな」

 

 東雲ホームの母にして祖母、東雲依子を思い、伊織達は揃って困ったように微笑み合った。何度言っても、伊織達を含めホームの子達の帰りが遅い時は寝ずに待っているのだ。既に七十代に突入しており、無理をしないで欲しいと皆思っているのだが、曰く、“お帰り”を言うのが生き甲斐なのだそうで、ちっとも言うことを聞いてくれないのである。なので、自然、ホームの子達の帰り足は早くなる。

 

 伊織は、【封時結界】を解き、喧騒の戻った街中のストリートから転移魔法が使えそうな路地を探しつつ、三歳のあの日、記憶を取り戻してから中学入学を控えた現在までの事に思いを巡らせた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 伊織が全ての記憶を取り戻し、依子に事情説明とミク達を紹介した翌日、東雲ホームは大騒ぎになった。

 

 何せ、朝、寝ぼけ眼を擦りながら食堂に集まってみれば、文字通り、目の覚めるような美少女が三人も鎮座しており、自分達の末の弟とやたら親密な様子で微笑み合っているのだ。しかも、昏倒していたはずの当の弟は、昨日までの舌っ足らずが嘘のように滑らかに喋り、受け答えも大人のように理性的で知的なのだ。

 

 この辺りで、全員が自分の頬を叩き始めるというカルトじみた事態が発生した。夢と現実の区別を付けようとしたのだろう。

 

 その後、「どうなってんのぉ~!!」と騒ぎ出した彼等に依子の一喝が落ち、朝食を食べながら事情説明がなされた。伊織の前世の話と転生の話である。

 

 この辺りで、全員が遠い目をし始めた。まるでメッカに祈りを捧げるイスラム教徒のようだった。きっと、末の弟が精神的には百五十歳の最年長と知り、現実逃避せずにはいられなかったのだろう。

 

 更に、ミク達が前世から特殊な方法で連れてきた伊織のお嫁さん達であり人間でないことも告げられた。今後は、伊織の嫁という立場で東雲ホームの一員になるという付録付きで。

 

 この辺りで、男子達は嫉妬から伊織をもみくちゃにし始め、女子陣はミク達に対して小姑と化した。どうやら伊織の精神年齢はスルーすることにしたらしい。細けぇこたぁいいんだよぉ!! の精神である。

 

 伊織自身、東雲伊織として、兄姉達の末の弟としての扱いを望んでいたので受け入れてもらえたのは嬉しいことだった。

 

 ただ、ここで疑問が生じるのは、いくらなんでも簡単に受け入れすぎではないかという点だ。荒唐無稽にも程がある話を、まるで有り得ない事ではないと知っている(・・・・・)かのような態度。異常事態、怪奇現象、そういったものに慣れや耐性でもあるかのようだ。

 

 それもその筈。何と、この東雲ホーム、通常の児童養護施設と異なり、いわゆる異能を持つ子供(・・・・・・・)を保護するための特殊養護施設だったのだ。伊織が時々疑問に思っていた、兄、姉の奇々怪々な言動の数々は彼等の異能故だったというわけである。一般人から生まれて受け入れてもらえなかった捨て子や諸事情により保護者を失った子達が集まっているわけだ。

 

 依子曰く、この世界には、そういったオカルト的な力が一般人には秘匿される形で存在しているらしい。先天的な能力、後天的に修行などによって身に付ける術、そして神器(セイクリッド・ギア)と言われる【聖書の神】が作ったシステムの担い手など……

 

 そして、存在についても、人間だけでなく、天使や悪魔、堕天使、妖怪など御伽噺や神話に出てくる存在が現実にいるらしい。

 

 そう、何を隠そう、伊織が転生したこの世界は、“ハイスクールD×D”の世界なのである。

 

 もっとも、伊織は“斎藤伊織”だった頃、“ハイスクールD×D”を読んだことがなかった為、その内容を全く知らない。もし知っていればパワーインフレを起こしまくっているこの世界のあれこれに冷や汗が止まらなかったに違いない。

 

 そんな双方にとって驚愕すべき話のあと、伊織の精神年齢が子供のそれではなくなったことから、ホームの子達がいないときを狙って依子から伊織の両親のことが伝えられた。

 

 東雲崇矢と静香。それが今世における伊織の両親の名だ。どうやら二人も、この東雲ホームの出身だったらしく、二人して退魔師の道に進んだらしい。

 

 ちなみに、東雲ホームは退魔師を取り纏めている国の機関、通称“協会”の援助を受けており、依子も日本で並ぶ者なしと言われている占術師らしい。この東雲ホームで保護されたからといって、必ずしも宮仕えしなくてはならないということはない。力の制御を学び、一人立ち出来るようになれば進路は自分で決められる。もちろん、協会としては有能な子は是非とも欲しいのだろうが、無理強いは依子が許さない。依子には、それを罷り通すだけの力があるようだ。

 

 そういうわけで、伊織の両親は、自分の意志で退魔師の道を選んだわけだが……伊織を産んで直ぐの頃、とある任務を受けることになり、赤ん坊の伊織を依子に預けたまま帰らぬ人となってしまったという。どうやら任務の果て、何者かに殺害されてしまったようだ。具体的な事は今尚不明らしい。

 

 伊織が現在、ルタールを討伐したように退魔師となったのは、写真でしか知らない両親の死の真相を調べるためという理由からでもあるのだ。退魔師同士の繋がりや、依頼を受けているうちに何らかの手がかりが掴めるのではないかと考えている。

 

 ミク達と共に小学校に通いながら(ミク達は形態変化や幻術でプチ化して通っている)、通常は、最低でも十六歳からでないと退魔師登録は出来ないところ、伊織はミク達と共に十歳という異例の若さで登録を済ませた。その辺も紆余曲折あったのだが……それはまた別の話。

 

 この小学校時代、音楽の才能を遺憾無く発揮し、百数十年の研鑽を積んだエヴァも加えてバンド演奏して来た伊織達は、実は結構な有名人だったりする。顔出しはNGではあるが、とある芸能事務所に所属してCDを出していたりするのだ。もっとも、退魔師を目指していた伊織にとってバンド活動はあくまで趣味の範疇なので、それほど活発に活動していたわけではないが。

 

 さて、伊織達自身、知らないだけで漫画とかにありそうな世界だよな~、厄介事に巻き込まれそうだよな~と感じていた通り、ハイスクールD×Dの世界に転生した彼等に何もないわけがなかった。

 

 その明らかにトラブルの種になりそうなものは、伊織の体の中にあった。伊織にも神器が宿っていたのである。伊織だけでなく、ミクやテト、エヴァ、チャチャゼロの全員にいつの間にか宿っていたのだが、ヤバイのは伊織の神器だった。

 

――神滅具 魔獣創造(アナイアレイション・メーカー)

 

 使い方によっては文字通り、神をも滅することの出来る世界に十三しかない神器の一つだ。しかも神滅具の中でも上位とされているのものである。

 

 「これ何だろう?」と、意図せず生み出してしまった黒い獣を連れて依子に尋ねに行った伊織は、この時始めて、依子の引き攣り顔を見た。最高峰の占術師である依子の霊視は、一目で伊織の神器を看破したのである。

 

 伊織も、依子から自分の神器の正体を知らされ、足元に擦り寄る黒い獣に引き攣った笑みを向けた。“貴方、人間でありながら神様殺せる十三人の内の一人ですよ”と八歳の時に言われてしまったようなものだ。トラブルを呼び込まないわけがない。というか既に盛大な原作ブレイクをしている。レオナルド君、ごめんなさい、だ。

 

 その辺の事情は知らないものの、厄介なことに変わりはないので、この時、伊織は自身の神滅具を全力で隠す事を心に誓った。怪しげな連中から「一緒に、神様殺っちゃおうぜ☆」「ちょっとテロちゃおうぜ!」なんて誘われるなど堪ったものではない。

 

 ちなみに、ミク達の神器は以下の通りだ。

 

ミク

【如意羽衣】

羽衣型の神器。一度包み込む事で望んだ通りに対象を変化させることができる。性格や癖などもある程度模倣可能。

 

テト

【十絶陣】

八卦図の描かれた古びた布型神器。相手に触れる事で発動し、構築された陣の中へ引き摺り込む。八卦と陰陽図に陣が秘められており十種類ある。習熟度によって順次使える陣が増えていく。

 

エヴァ

聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)

ブレスレッド型神器。細い銀の鎖にノコギリソウの花があしらわれている。対象の損壊を修復する。有機物、無機物を問わない。

 

チャチャゼロ

六魂幡(りくこんはん)

見窄らしい黒いマント型神器。どこまでも広がり、またどこまでも縮小化する。強靭な防御力と包み込んだものを圧壊させる能力がある。

 

 相変わらず、どいつもこいつもチートである。そして、エヴァ以外、どこぞのパオ○イを彷彿とさせる神器だ。禁手化したら一体どうなるのか……本家本元を超えるかもしれない。また、伊織達は知らないことだが、エヴァの神器も、実はもう一人担い手がいるのだが、その人物の【聖母の微笑】とは微妙に異なっている。きっと禁手も……

 

 自分達の神器を把握したミク達は、神滅具の魔獣を傍らに神に祈りを捧げるかのようなポーズで隠蔽を誓う伊織を見ながら、きっと、無駄な誓いになるのだろうなぁ~と生暖かい眼差しを向けていた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「おい、伊織。何をボーとしている? そこの路地で転移するぞ。早く来い」

「ん? ああ、悪い、エヴァ。今回も、神器使わずに済んで良かったなぁ~と思ってな」

 

 回想から現実に意識を戻した伊織が、良かったというように吐息を零した。それを見て、エヴァが呆れたような眼差しを向ける。

 

「時間の問題だろうに。お前が平穏無事な人生など送れるはずないだろう? 毎回憂慮するくらいならパーと使ってしまえ」

「無茶言うなよ。そりゃあ、儚い願望だという自覚はあるけど……この世界にはリアルに神やら魔王やらがいるんだぞ? 慎重にもなるって」

「そこまで心配するほどか、私は疑問だがな。実際、さっきの愚物は、上級悪魔クラスだろう? それでも私達の内、誰が相対しても負けはない。慎重になる気持ちはわからんでもないが、いざという時に出し惜しみをするような癖は付けるなよ?」

 

 エヴァから忠告が入る。それに、伊織はどこか優しげな眼差しを向けながらしっかりと頷いた。一見、楽観的に過ぎるようなエヴァの言葉が、伊織を心から心配するが故のものだと伝わったからだ。

 

 エヴァの方も、気持ちが伝わっていることがわかるのか、伊織の温かな眼差しを受けて、ほんのり頬を染めている。

 

「ふふ、エヴァちゃん、ほっぺが赤くなってますよ~。もうっ、何年経っても初々しいんですから」

「ほんとにね。ボクまでドキドキしちゃうよ。エヴァちゃん、可愛すぎ」

「ケケケ、御主人ハ永遠ノ乙女ダモンナ~」

 

 からかい混じりのミク達の言葉に、エヴァがウガー! と吠えたてる。何百年経とうが、弄られキャラの立場改善は成功していないのだ。

 

 そんなエヴァを宥めながら、伊織は、何時まで経っても聡明で可愛らしく、それでいて言葉でも行動でも伊織に心を届けてくれる彼女に一言、礼を述べた。

 

「いつも、ありがとな、エヴァ」

 

 それにピクンッと反応するエヴァの返答はいつも決まっている。前世で伊織が死ぬ間際まで、何百回と繰り返えした遣り取りだ。

 

「……私はお前の妻だからな」

 

 どこまでも付いていくし、支えてやる。言外に伝わる心。誇らしげで、極上に幸せそうな微笑みを浮かべながらの言葉。伊織の笑みも益々深くなる。そんな伊織の眼差しが微笑ましげにエヴァを見ているミク達に向く。

 

「ミク、テト、チャチャゼロも、な」

「えへへ、同じく、妻ですからね」

「ふふ、うん、妻だからね」

「ケケ、妻ジャネェガ、マァ、家族ダカラナ」

 

 同じく、いつも心を砕いてくれるミク達に礼を述べる伊織に、ミクとテトはエヴァと同じ答えを、チャチャゼロは家族として、気負いのない、されど溢れんばかりの感情を篭めた言葉を返した。

 

 そんな温かな雰囲気に包まれる伊織達は、転移魔法を行使して一気に東雲ホームに帰り着く。案の定、待ち受けていた依子から“お帰り”の言葉を頂戴し、“ただいま”の言葉を返した。

 

 いつもなら、そこで少し話をしたあと、直ぐに疲れを癒しに行くのだが、今日は何やら依子から話があるらしい。“協会”からの依頼のようだ。それもかなり急ぎの。

 

「ごめんやで、お仕事終わったばっかりで疲れとるやろうけど、一応、急ぎの用件みたいでなぁ。今の内に目を通すだけ通しておいてくれるやろか」

 

 申し訳なさそうな依子。手渡された協会の印が押されている封筒の封(一種の式神で秘匿性が高い)は破られていない。つまり、依子は内容を知らないということ。そして、普段の依子なら、いくら協会が急ぎと言っても、上級悪魔と戦ってきたばかりの伊織に急かすように内容の確認を求めたりはしない。自然、導き出される答えは、依子の霊視が“そうした方がいい”と告げているということだ。

 

「ばあちゃん、気にしないで。特に、疲れてはいないから。それより、占術を?」

「占術はしてへんよ。ただな、何となく伊織にとって大事になるって、そんな気がするんよ。それにな、伊織の助けを必要としている子がいるって、そんな気もするんよ」

「そうか……そういう事なら無視は出来ないな。俺の魂に賭けて」

「そうやね~。伊織は、生まれ変わっても騎士さんやもんね~。せやから、早めに伝えておいた方がええって感じたんやろうね。助けを求めている人を助けられへんことが、伊織にとって一番辛いことやろうから、私の霊視も反応したんかもしれへんな」

 

 依子の霊視がいくら強力といっても、占術なしで勝手に、遠く離れた誰かの為に働いたりはしない。勝手に霊視が降りてくる場合とは、依子にとって大切な者――縁(えにし)の深い者に何かが迫っている時だ。

 

 ならばきっと、彼女の言う通り、急がなければ伊織は、自らに助けを求める者を救えなくなるのかもしれない。

 

 伊織は、手元の封筒を真剣な眼で見つめると一気に封を解いた。

 

 そして、内容を速読して、一つ頷くと顔を上げて依子に告げた。

 

「ばあちゃん、明日の朝一番で京妖怪の統領――九尾狐の八坂殿のところへ行ってくるよ」

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

ハイスク編で一番困るのは、強さの程をどうするかだと思うんです。
何せ、強さがインフレ起こしてる世界ですからね。
バトル展開は多めにしたいけど、苦戦続きだと作者のストレスがマッハになる。
なので、百年以上の研鑽とか転生による魂の強化とか、何かそんな感じで上級クラスとも普通に戦えるレベルという事にしました。
まぁ、それでも神仏に勝てるかと言われたら「無理」というしかないので、神滅具とかパオペイとか与えてみたわけですが。
ちなみに、能力はオリジナル要素が入ります。特に「十絶陣」とか。

さて、次回ようやく原作キャラが出ます。そう、あの狐っ娘です。
できる限り二日以内に更新します。


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第30話 九尾の狐

 

 

 新幹線の窓から、飛ぶように流れていく景色を何となしに眺めながら朝食用に買った駅弁をもそもそと食べる四人の男女がいる。伊織達だ。朝一の新幹線で、京都に向かっている最中なのである。

 

「マスター、昨夜は聞きそびれたんですけど、どうして私達退魔師に依頼が来たんでしょう?」

 

 幕の内弁当の甘い卵焼きをモキュモキュしながら尋ねたのはミクだ。ボックス席で伊織の正面に座っている彼女は、その綺麗な翡翠の瞳に疑問を乗せて伊織を見る。

 

「ああ、それな。う~ん、何というか……今回の依頼が京妖怪の統領である九尾狐の八坂殿――その娘の護衛であるというのはいいよな?」

「はい。何でも、まだ幼い……ええと、九重ちゃんでしたっけ? その子が狙われているから守って欲しいという事ですよね?」

 

 ミクの言う通り、昨夜、依子を通して協会から来た依頼は、八坂の娘である九重の護衛というものだった。何でも、つい先日、九重を誘拐しようという動きがあったらしく、その時は辛くも凌いだらしいのだが、その犯人は護衛の烏天狗達を蹴散らすほど強力な敵――鬼だったという。

 

 しかし、ミクの疑問はまさにそこにある。要は、なぜ、妖怪の娘の護衛に人間が駆り出されたのか? ということだ。八坂は九尾の狐。その力は強大にして卓越だ。並みの襲撃者など、八坂が一度警戒網を引き上げてしまえば容易く蹴散らせる。また、多くの強力無比な配下もいるのだ。どう考えても、人間の退魔師の助力を必要としているとは思えなかった。

 

「そうだ。これがな、唯の妖怪同士のいざこざと言うなら、ミクの思っている通り京妖怪だけでどうにでもしただろう。問題なのは、どうやら、襲撃犯である鬼のバックに人間の術者がいるらしいって事なんだ」

「ふ~ん、マスター、それってつまり、人間が九重ちゃんを狙っているってこと?」

「詳しいことは何とも……だが、その可能性はあるって事だ」

 

 テトの相槌に伊織は曖昧に頷く。実際、人間が九重を狙っているのか、それとも、妖怪の争いに人間が加担しているのか、敵方の動機ははっきりしていない。

 

「結局のところ、人間は人間で、妖怪は妖怪でってことか。全く、どの種族でも“はぐれ”は碌な奴がおらんな」

「ケケケ、御主人モ元ハ“ハグレ”ミタイナモノダロウ? 碌ナモンジャネェナ」

「やかましいわ、ボケ人形! 解体するぞ!」

 

 エヴァが納得したように頷き、チャチャゼロがいつも通りちょっかいを掛ける。それに苦笑いしながら、伊織は伊右衛門で喉を潤しつつ言葉を続けた。

 

「そういうことだ。八坂殿は、京都という巨大な霊的土地のバランサーであり、また、妖怪達が無闇に人を襲わないよう統括する役目も負っている。それは、人間側としても有り難い事で、だからこそ“協会”も無闇な討伐はしない。両者間には、相互不干渉の約定があるんだ。だから……」

「その約定に亀裂を入れないために、人間の犯人は人間が対処して、妖怪の襲撃者は妖怪が対処するんですね?」

「京妖怪に手を出す術者なんて“はぐれ”の人間に違いないだろうけど……今も昔も、妖怪に対する過激派っていうのはいるもんね。彼等に下手な口実を与えたくないってことか」

 

 伊織の言葉をミクとテトが納得顔で引き継いだ。

 

 協会に所属する退魔師の本分は“人間の守護”だ。妖怪や悪魔など超常の存在から無辜の民を守るのが役目だ。その根本には、平和への願いがある。だが、得てしてそういう“正義感”や“使命感”は盲目になりがちだ。また、退魔師になる者の多くは、何らかの不幸を目の当たりにした者が多い。

 

 結果、相手の是非を判断せず、人間以外は“即滅”という行き過ぎた思想を持つ退魔師が結構多いのだ。そういう者達にとって、例え、ルールの埒外に身を置き、犯罪者として取り締まられ、討伐の対象になる“はぐれの術者”が妖怪を襲って、返り討ちにあったのだとしても、そんな事情を無視して妖怪討滅に乗り出し兼ねないのである。

 

 そうなれば、待っているのは無用の混乱だ。そして、その場合、割を食うのは大抵が無関係の人々だったりするのだ。今ある平和を乱させないためにも、九重を襲撃した人間の犯人は伊織達が捕らえなければならない。

 

「それにしても、九尾の狐さんですかぁ~、やっぱり尻尾はモフモフなんでしょうか? 何だか会うのが楽しみです」

「いやいや、ミクちゃん。もしかしたら“うしとら”の白面みたいな九尾かも知れないよ? あるいは封神演義のあの人とか……」

「テトちゃん……それは嫌すぎます……」

 

 八坂の尻尾を想像して、ワクワクした表情をするミクにテトが意地悪そうに嫌な名前を上げる。ミクのテンションが急下降した。伊織のテンションも急下降だ。実は、漫画に出てくるような九尾狐と実際に会える事に内心歓喜していたりしたのだ。

 

「テト、意地悪なこと言うなよ。……きっと、そうきっと、藍しゃまみたいなお方に違いない」

「おい、伊織。貴様、私というものがありながら、まさか他の女にうつつを抜かすつもりではあるまいな?」

 

 伊織が某幻想郷の九尾様を思い浮かべていると、隣に座るエヴァが物凄く不機嫌そうな表情で犬歯を剥いた。嫉妬らしい。伊織は、怒る姿も何だか可愛らしいエヴァにほっこりしながら、そっと彼女の輝く金の髪を撫でた。

 

 エヴァは、ぷいっとそっぽを向く。まだ不機嫌ですアピールだ。そして言外の構ってアピールでもある。それを見て、ミクとテトも身を乗り出し、伊織に期待の眼差しを向け始めた。伊織はエヴァを抱き寄せながら、ミクとテトにも手を伸ばし、そっと頬や髪を撫でた。

 

 朝一の新幹線内には疲れきった表情のサラリーマンが多い。彼等は、突然発生した桃色ハーレム空間に表情を引き攣らせた。特に、隣のボックス席に座っていた二人組のサラリーマン達など、明らかに中学生くらいの少年が美少女を複数人侍らせて愛でている姿に、何だかよくわからないが猛烈な敗北感に襲われ、すごすごと他の車両に行ってしまった。

 

 ここは指定席の車両なのだが、彼等は自由席を探しに行ったらしい。桃色空間に汚染された心を是非とも浄化して自由になってもらいたいものだ。

 

 伊織達が、無自覚に疲れきったサラリーマン達に追討ちをかけて暫くの後、新幹線は遂に京都駅に到着した。

 

 天井高く空の見える綺麗な駅に降り立ち、一行は市営バスの発着所に向かう。行き先は“金閣寺道”だ。このバス停は、その名称から分かる通り、かの有名な“金閣寺”の最寄駅だ。八坂率いる京妖怪の本拠地は、金閣寺にある鳥居が入口になっているので、そこに向かうのである。

 

 大の京都好きであるエヴァが、始めて京都を訪れた修学旅行生のようにキョロキョロ、そわそわと周囲に視線を巡らしている。それに頬を緩めつつ、伊織達は遂に、金閣寺道のバス停に降り立った。

 

 と、その直後、伊織達に声がかかった。

 

「協会の退魔師か?」

 

 低いが澄んだ男の声音。そちらを見れば、漆黒の髪に切れ長の瞳を持つ無表情の男がいた。無遠慮に、伊織達を上から下までジロジロと見ている。おそらく、お迎えだろうその男は、力を感じたことから伊織達を協会の者と判断したようだが、どこか馬鹿にしたような侮りの色を瞳に宿していた。最低限度まで力を押さえ込んでいるので、取るに足りない相手と思ったようだ。

 

 エヴァは露骨に不機嫌そうな表情になったが、直ぐに思い直したように視線を逸らした。伊織も特に気にせず、協会の退魔師を示す免許証(カード型で特殊な呪力を組み込んでおり、力あるものにしか表示されている内容を読み取れないもの)を示しながら歩み寄った。

 

「はい。依頼を受けて来ました。東雲伊織といいます。こっちはミク、テト、エヴァンジェリン、それにチャチャゼロです。貴方は、烏天狗ですね? わざわざ出迎え有難うございます」

「チッ……統領がお持ちだ。急げ」

 

 どうやら、伊織が何でもないように自分の変装を見破って正体を看破した事が気に食わなかったらしい。舌打ちを頂戴してしまった。それ以前に、どこか刺々しい態度なので、元より退魔師という人種が嫌いなのかもしれない。仕方のない一面はあるので、伊織はそんな烏天狗の態度にも苦笑いを浮かべて肩を竦めるだけだった。流石に、肉体に精神が引っ張られる事があるとは言え、百五十年以上生きているのだ。そう簡単に波立つような精神はしていない。

 

 そんなある意味大人な態度をとる見た目子供の伊織に益々苛立ったように烏天狗は足を速めた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「よう来てくれた。妾が京妖怪の統領、八坂じゃ」

 

 案内の烏天狗に通された部屋には、既に九尾をくねらせた妙齢の美人が待っていた。エヴァにも劣らぬ美しい金髪に金の瞳。大きめのキツネミミが見た目の妖艶さに反して何とも可愛らしい。“傾国の美女”と謳われる理由がよくわかる魅力的な女性だ。

 

 普通の男なら、思わず目を奪われて醜態を晒すところだろう。あるいは、心をも奪われるかもしれない。しかし、伊織は間違っても普通の男ではない。百年以上の長い時を絶世の美少女妻三人に囲まれて円満に過ごしてきたのだ。まして、武術と共に鍛え上げた強靭な精神は、常に凪いだ水面の如くである。

 

 故に、僅かな乱れもなく平然と挨拶を返した。

 

「協会より依頼を受けました。退魔師の東雲伊織と申します。はぐれ術師への対処はお任せ下さい。お嬢様に手は出させません、八坂殿」

 

 同じく自己紹介していくミク達。そんな伊織達を見て八坂は「ほぉ」と感心しているのか、面白がっているのかよく分からない呟きを漏らした。烏天狗と同じようにジーと目を細めて伊織を注視している。

 

 伊織が、若干、困ったように眉根を寄せて八坂を見返した。

 

「おっと、すまぬな。何とも見た目に反した精神をしているようで、少し興味深かったのじゃ、許しておくれ」

「いえ、よく言われますからお気になさらず」

「ふむ、それにしても……お主の連れは……エヴァンジェリン殿は、もしやカーミラかツェペシュに関わりが?」

「ん? それは名前か? 生憎、そんな名前は聞いたことがないが……吸血鬼か?」

 

 カーミラとツェペシュの名は有名だ。どちらも吸血鬼の大家であり、かの種族の二大派閥である。八坂は、エヴァを見て即座に吸血鬼と見抜いたので排他的な吸血鬼がなぜ人間の退魔師と行動を共にしているのか不思議に思ったのだ。

 

 しかし、その返答は更に困惑を深めた。吸血鬼でありながら、二大派閥の名を知らないなど普通は有り得ないことだ。それに、八坂の慧眼は、ミクとテトが人間でないことも看破していた。

 

「うむ。両名とも有名な吸血鬼の家名じゃ。同じ吸血鬼でありながら知らぬというのは何とも不思議じゃの……それに、吸血鬼といえば世界一と言っても過言ではないほど排他的な種族じゃ。なぜ、人間の少年と一緒にいるのか……それも不思議じゃの」

 

 八坂が殊更、エヴァを気にするのは、言ってみれば統領としての責務から来ている面が強い。よもや、吸血鬼族がよからぬことを企んでいるのではないか? と。

 

 言外に、それが伝わったのだろう。エヴァは、不機嫌そうに表情をしかめながら、さらりと八坂の予想斜め上を行く返答をした。

 

「伊織の傍にいるのは当たり前だろう。私は、こいつの妻なんだからな」

「は?」

 

 八坂の目が点になる。権謀術数の権化と数々の書に記されている九尾狐をして、エヴァの返答は全く読めなかったようだ。それだけ、この世界の吸血鬼は排他的であり、種族に対するプライドが高いのだ。自分達は最上・最高の種族と信じて疑わない。それ以外の種族は貴賎に区別なく全てゴミ程度にしか思っていないのだ。吸血鬼とそれ以外、という価値観が性根にまで浸透しているのである。

 

 なので、冗談でも吸血鬼が人間の男の妻であるなどと言う訳がなかった。八坂が顎をカクンと落とすのも仕方のないことだ。

 

「あ、私もマスターの妻ですよ! 念のため!」

「じゃあ、ボクも念のため。マスターの妻です」

 

 眼前で、誇らしげに胸を張りドヤ顔するミク達を見て、八坂が無言で視線を伊織に向ける。その眼は、明らかに「本当なのか?」と尋ねていた。なので、伊織も堂々と答える。

 

「ええ、確かに、全員、俺の妻です。もちろん、婚姻届はまだ出せませんけどね」

「……協会はまた、変わり種を送ってきたのぉ。はぁ、まぁよい。疑問は尽きぬが、協会も、はぐれの術師が我が娘を狙っているとわかっていながら、下手な人材を送ったりをせんじゃろ」

 

 八坂が、頭痛を堪えるような仕草をしながら嘆息していると、ふすまの向こうの廊下から「ステテテー!!」という何とも可愛い足音が響いて来た。その足音は、足を滑らせながら

伊織達の部屋の前まで来るとバンッ! と音をさせながら勢いよくふすまを開いた。

 

「母上! ぶじですか! えたいのしれない人間はどこですかっ!」

 

 どこか舌っ足らずな口調で飛び込んで来たのは、見た目四、五歳くらいの八坂を小さくしたような幼女だった。八坂を母上と呼んだことから、きっと彼女が九重なのだろう。ちんまい背丈にモフモフの九尾とキツネミミ。まるで金色の毛玉のようだ。

 

 その九重は、八坂の対面に座す伊織達を見つけるやいなや、一気に毛を逆立てて素敵な威嚇をして下さった。全く怖くないどころか、その手の紳士が見たら一発で理性を飛ばされかねない凶悪なまでの愛らしさだ。

 

 実際、ミクとテトは飛ばされたようである。京妖怪統領の御前というのも忘れて、その高速機動を遺憾無く発揮し、一瞬で幼姫に飛び掛かった。

 

「「かっわぃいいいいいい!!!」」

「ぬわぁあ!? なんじゃ!? やめるのじゃ~!! 九重をだれだとおもっておるのひゃん!? しっぱはやめるのじゃぁ~、うぅ、母上ぇ! たすけてくださいぃ~!」

 

 ミクとテトにもみくちゃにされて涙目になっている九重。それを見て、エヴァが過去の自分を思い出し遠い目をする。

 

「あ~、うちの連中がすみません」

「いや、可愛がってくれているようじゃし構わんよ。どうやら、勘違いして暴走しておったようじゃしの。ちょうどいい仕置になる」

「勘違い……得体の知れない人間ですか。俺のことですね、きっと」

「まぁ、こちらにも人間――特に退魔師を目の敵にする奴等はおる。大方、そ奴らの話を立ち聞きでもしたんじゃろ。その辺は、協会と変わらんよ」

「なるほど」

 

 娘の悲鳴と妻達の暴走を尻目にズズズとお茶を啜りながら話を続ける八坂と伊織。ずっと黙っていたチャチャゼロの「ケケケ」がやけに明瞭に響いた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「うぅ~、ひどいめにあったのじゃ……」

「悪かったな。うちの連中は、可愛いもの目がないんだ。許してやってくれ」

「……母上といっしょに、しらんふりしておったくせに……」

 

 九重のジト目が伊織に突き刺さる。伊織の後ろでは流石にやり過ぎたと思ったのかミクとテトがバツ悪そうな顔をしていた。

 

 現在、伊織達は、九重の話し相手を務めつつ、屋敷を案内してもらっていた。一応、彼女の護衛として来ているわけなので、はぐれ術師の捕縛または討伐が本当の任務であっても傍には待機しておこうというわけだ。それとは別に、ミク達が九重を構いたくて仕方がないというのもある。

 

「それにしても……針のむしろだな……」

「む? すまぬ……みな、しんぱいしてくれているだけなのじゃ。おそわれたとき、たくさんの仲間が九重をまもって死んでしもうた。それでみな、ぴりぴりしているのじゃ」

「九重……」

 

 伊織は、自分の呟きを九重がきちんと理解し謝罪した上、フォローの言葉を述べたことに驚いたような表情になった。

 

 周囲は、妖怪の本拠地なだけあって、実に様々な妖怪達がそこかしこにいるのだが、そのほとんどが伊織達に非友好的な眼差しを送っている。それは、退魔師が嫌われているというのもあるが、今回の襲撃に人間が関わっていて、しかも多くの護衛達が亡くなった事に起因しているのだろう。あとは、そんな人間が自分達の姫の傍にいるというのも気に食わない理由の一つに違いない。

 

 だが、そんな自らの感情を隠しもせずぶつけてくる妖怪達の中にあって、まだ幼い九重は全て把握した上で、両者の中間に立った言葉を紡いだ。これは中々できないことだ。九重は、襲撃の現場で倒れていく仲間を見ていたはずなのだから。

 

 調和を重んじて、人間側とのバランスを上手くとっている八坂の高潔な精神を、この幼い姫狐はしっかり受け継いでいるらしい。伊織は、周囲を見渡しながら、どこか申し訳なさそうに眉を八の字にしている九重の前にしゃがみ込んだ。目線の高さを合わせるためだ。

 

「そんな顔しないでくれ、九重。別に、彼等の視線を不快に思ったりしていない。大事なお姫様の傍に退魔師がいるんだ。警戒するのも、胡乱に思うのも当然のことだよ。むしろ、彼等が、どれだけ九重を大事にしているのか分かって何だかこっちまで嬉しくなったよ」

「お主……」

 

 九重は、自分の前で跪き優しく目を細めて語る伊織に目を丸くした。

 

「九重はすごいな」

「な、なんじゃ、いきなり……」

 

 いきなりの褒め言葉に、九重は落ち着かない様子でそわそわする。

 

「いくら妖狐と言っても、年はさほど見た目と反していないんだろう? なのに、もう八坂殿の高潔さをしっかり受け継いで、皆の事を考えられている。将来は、きっと立派な妖怪の統領になれるな」

「そ、そうかの? そう思うかの? 母上には、しかられてばかりなのじゃが……」

「そりゃあ、それだけ九重に期待しているからだろ? 見込みがない相手をわざわざ叱ったりするほど八坂殿は暇じゃないさ」

「そ、そうか。九重は母上に期待されておるのか……」

「ああ。少なくとも、今日初めて会った俺達は、九重は八坂殿の自慢の娘なんだなって思ったよ。今こうして話していても、確かに立派なお姫様だと感じている」

 

 伊織が、九重から視線を逸らし傍らのミク達を見上げる。釣られて九重も見上げれば、ミク達も優しげな眼差しで九重に頷いた。それで伊織の言葉が嘘偽りないものだと確信したのか、恥ずかしげに頬を染めてモジモジし出す九重。初対面の天敵ともいえる退魔師からそう言われたことが尚更嬉しかったようだ。

 

 小さな九尾とキツネミミがわっさわっさと動いている。

 

「「かわぇええ~~」」

「むぅ、これは何とも……くっ、さっき愛でておけばよかったっ」

「ケケケ、御主人、目ガヤベェゼ。ホドホドニシトケヨ」

 

 九重は、先程もみくちゃにされた事を思い出して、ビクッと震える。そして、少し迷ったあと、ササッと伊織の背後に隠れた。伊織の背中にしがみつきながら、肩越しに顔を覗かせてミク達を警戒している。

 

 敢えて言おう。九尾っ娘、マジぱないっす、と。

 

 しばらくの間、伊織を盾にすることを覚えた九重と“九重ちゃんを愛で隊”を結成したミク達との静かな、されど苛烈な攻防が繰り広げられた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 時刻は夕刻。俗に言う逢魔が時。

 

 一日の大半を共に過ごした九重と伊織達はかなり打ち解けていた。特に、屋敷の中庭で伊織達がライブをしたのが、一気に仲良くなった原因だろう。なにせ、それまで刺々しい視線をくれていた他の妖怪達でさえ懐柔してしまったのだから、伊織達の音楽はやはりとんでもないとしか言えない。

 

 妖怪の屋敷には似つかわしくない、バリトンサックスの黄金の輝きや、エレキギターの快音、ベースの重低音、ヴァイオリンの優美さ、それら全てが妖怪達にとって新鮮で、かつ、奏でられる旋律が極上となれば無視などできようはずもなかった。途中からは八坂まで現れ耳を澄ませていたくらいだ。

 

 現在、伊織達は九尾の親子と共に夕食を御呼ばれしている。側近達の中には、退魔師と食事を共にするなど! という者もいたが、ライブの影響で友好度が増していた事と、何より九重がどうしても一緒がいいと譲らなかったため実現した卓だ。

 

「……美味いな。妖怪の料理っていうから何が出るかと身構えていたんだが……」

「普通に和食だったな。ふむ、中々、悪くない」

「ケケケ、イイ酒持ッテンジャネェカ」

 

 伊織が、目の前の肉じゃがに舌鼓を打ちつつ感嘆の言葉を漏らす。続いて、エヴァとチャチャゼロも、満足気な表情で感想を述べた。

 

「そうか、そんなにおいしいか! うむうむ、ならば、伊織には九重のお魚もあげるのじゃ。たんと食べるといい」

 

 九重が、伊織の感想に相好を崩しながら、そそと眼前の焼き魚を伊織の方へ追いやろうとした。そこに落ちる尻尾の一撃。

 

ガツンッ!

 

「ひぅ! い、いたいです……母上」

「九重、さりげなく嫌いなものを押し付けるでない。いつまでも好き嫌いをしておっては大きくなれんぞ」

「うぅ、お魚……伊織ぃ」

 

 どうやら、九重は魚が苦手らしい。八坂からもらったお叱りの一撃に涙目になりながら、伊織に助けを求める。

 

「九重、頑張って食べような?」

「!? 伊織は母上と九重、どっちのみかたじゃ!」

「伊織さんは、娘を思う母親と頑張る子供の味方だよ」

「へりくつじゃ……ぐすっ」

 

 すまし顔で答える伊織に、拗ねたような表情をしながら箸で焼き魚を嫌そうにつつく九重。そんな娘の様子を見て、八坂が思わず失笑した。

 

「一日で随分と仲良くなったのぉ」

「伊織達とはともだちになりました。母上、九重は、伊織から音楽をおしえてもらうのです」

「ほほぉ、あの音楽をか。あれは見事だった。だが、あれほどの演奏となれば習得は容易ではないぞ?」

「がんばります!」

「ふふ、そうか。では、最初の一歩としてきちんと魚を食べよ。大きくならねば、楽器などまともに扱えまい」

「! うぅ、話がもどってきたのじゃ……」

 

 そんな感じで和気あいあいと食卓を囲み、そろそろ皆食べ終わるかという頃。

 

 それは起こった。

 

バキャァアアアン!!

 

 空間全体に響き渡る破砕音。まるで砲弾を撃ち込まれてガラスが砕け散ったかのような異音だ。

 

「なっ、結界が破られた!?」

 

 驚愕もあらわに八坂が声を張り上げた。にわかに周囲が騒がしくなり、先日の襲撃を思い出したのか九重が怯えたように身を竦ませる。

 

 伊織は、直ちに耳を澄ませ、同時に【円】を行使した。直ちに広がっていく伊織の知覚。それが、京妖怪の本拠地である異界の境界線に無数の気配を捉えた。

 

「八坂殿。四方より無数の鬼が迫っているようです。数は百を優に超えている。東西南北それぞれに一線を画すレベルの鬼がいる。数は六体。四体が同レベルで、更に強力な二体が北から接近中です。特に、北の一体は……貴方と遜色ない気配を発しています」

「! 中々、感知能力に長けておるようじゃな。伊織よ。人間の術師はどうじゃ?」

「結界内に気配は感じません」

「ふむ、こちらも人間の気配は掴めんの……あるいは、結界の外か……伊織よ」

「わかっています。既に捜索を始めています。俺達は、はぐれ術者を追いますよ。……八坂殿、ご武運を」

「そちらもの。事が終わったら、九重に音楽を教えてやっておくれ」

 

 伊織と話しながら念話のようなもので矢継ぎ早に指示を飛ばす八坂。その表情は先程までの穏やかなものとは全く異なり、大妖に相応しい威容を湛えている。常人なら傍にいるだけで妖気に当てられて発狂するかショック死しかねない迫力だ。

 

「伊織……行ってしまうのかえ?」

「九重……」

 

 立ち上がりミク達と頷き合う伊織の服の裾をギュッと掴んで見上げてくる九重。伊織は、不安そうな九重の眼前に跪くと、身につけていたイヤリングを外しながら九重に語りかけた。

 

「九重。お前の母親は何者だ?」

「え? あ、う、と、とうりょうじゃ。妖怪のとうりょうじゃ」

「そうだ。九重のお母さんは強い。だから、その娘である九重が、そんな情けない顔するな。お前には役目があるだろう?」

「やくめ?」

 

 首をかしげる九重。そんなものあったかしらん? と頭上に大量の“?”を浮かべる。

 

「そうだ。それは、九重を守ろうとする者達を信じることだ」

「しんじる……」

「誰だって、守るべきお姫様が勝利を信じてくれていると分かれば、やる気も力も溢れるもんだ。力がなくたって戦う方法はいくらでもあるんだぞ?」

 

 九重は、伊織の言葉を口の中で反芻する。丸まっていた九尾がモコモコと活気づくように動き出した。

 

「それでも不安を消せないというなら、九重にこれを貸そう」

「これは……耳飾り?」

「ああ。本当に必要だと思ったとき、助けて欲しいと思ったとき、それを持って俺の名を呼べ。種族の問題とか協会との約定とか、そんなもん全部無視して必ず助けに来てやる」

「伊織……うむ、わかったのじゃ!」

 

 伊織は、優しい手付きで九重の頭をポンポンと軽く撫でると、苦笑いしている八坂に一つ頷き、ミク達を引き連れて屋敷を飛び出してった。

 

 魔法で異界の空を飛びながら眼下の戦闘を見る。大量の鬼と様々な妖怪達がまさに死闘というべき激しい戦いを繰り広げていた。伊織達が向かうのは、正規の出入り口だ。破られた結界は直ぐに八坂によって修復されたので、影響を与えないように念の為、転移魔法は使わない。

 

 背後から莫大な力と力がぶつかり合い始めたのを感じながら、伊織達は自分達の仕事を完遂するため、まだ見ぬはぐれ術師を探して外界へと飛び出すのだった。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

言うまでもなく、原作にはない展開です。
どうしても、原作前開始前に九尾っ娘と絡ませたかったのでオリ展入れました。
細かいところはスルーでお願います。


原作を調べたのですが、九重の正確な年齢がわかりませんでした。
原作の時点で小学校低学年くらいらしく、伊織は一誠と同い年の設定なので、大体三、四歳くらいで舌っ足らずな感じです。

……狐っ娘、パネェ

と、感じて貰えれば嬉しいです。

イヤリングについて
元は場所を示すだけのロストロギアですが、研究解析によりピンチの時に声が届くという仕様を追加しました。

次回も、二日以内には更新できるようにします。


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第31話 ヒーロー参上

 異界から飛び出した伊織達。彼等の目にまず映ったのは、夕日に照らされ燦然と輝く金閣寺だった。赤とオレンジの光が、まるで金閣寺を燃え上がらせているようだ。一瞬、その美しい光景に目を奪われたものの、直ぐに【円】を発動して周囲を探る。

 

 金閣寺の周辺は、未だ多くの観光客で賑わっていた。【円】に反応する気配も自然と多くなる。伊織は更に耳を澄ませて、ミク達は【サーチャー】をバラ撒いて探索を続けた。

 

「……こっちか」

 

 時間にして十秒ほど。伊織達は魔力のうねりを感知する。場所は、どうやら京都駅の付近らしい。ミクが転移魔法を発動し、周囲の観光客に悟られることなく、その場から姿を消した。

 

 伊織達が転移した場所は京都駅の特徴的な屋根の上だ。その中央付近の鉄骨の上で黒いフード被った男が両手で印を組みながら何やらブツブツと呟いていた。

 

「そこまでだ、はぐれ術師」

「!?」

 

 伊織達の転移に気がついていなかったようで、そのフードの男はギョッとしたように振り返った。

 

「……」

 

 はぐれ術師は何も言葉を発しない。観察するように、突如現れた伊織達をフードの奥からジッと見つめている。暗がりの奥から覗く瞳は炯々とした光を放っており、どこか狂気を感じさせるものだった。

 

「はぐれ術師、俺は協会から派遣された退魔師だ。あんたを捕縛するか討伐しなきゃならない。だが、出来れば捕縛の方が俺としては望ましいんだ。だから、なぜ鬼の襲撃に手を貸しているのか……話してくれないか? 場合によっては力になることも出来る」

 

 伊織は、はぐれ術師に語りかける。それは、問答無用を良しとしない、“騎士”としての伊織の在り方だ。一世紀以上、掲げ続けた在り方を転生したくらいで今更変えようとは微塵も思っていない。救いを求められれば手を差し伸べるし、基本は不殺の方針だ。伊織が、“殺し”を許容するのは、化け物に“堕ちた”者。

 

 なので、もしはぐれ術師が、やむを得ない事情から行動を起こしていると言うのなら、伊織としては、その問題解決のため力を貸すつもりさえあった。

 

 しかし、そんな伊織の思いは、嘲笑と共に返された。

 

「ひ、ひっ、ひゃぁひゃひゃひゃっ!! 力になる? お前のようなガキ如きが、私という至高の存在に何ができるというのだ!? 協会の術師など、愚物ばかりではないかぁ!!」

 

 フードをはだけさせ高笑いする男。どうやら、協会の退魔師達に思うところがあるらしい。この世の全てを見下すような、不快な笑い声が響く。

 

「……協会に思うところがあるのか?」

「思うところだってぇ? 何もない。何もないとも。私の崇高な理念を理解できない愚かな者共のことなど、とうの昔に見限っている!」

「崇高な理念? 何があったんだ? それが今回の事件と関係しているのか?」

 

 男のヒステリックに、エヴァ辺りは既に殺っちまう気満々のようだが、それを抑えながら、伊織は冷静に動機を探る。内心、こいつダメっぽいなぁとは思っていたが、無知なまま力を振るうのは伊織の信条に反するのだ。自分でも面倒な性格だとは思うが、こればかりは仕方ない。

 

「ほぉ、私の理念が気になるか? ひひっ、良かろう。そう遠くない内に、私は全ての術者の頂点に立つのだ。そうなれば、協会などと言うゴミ溜めは掃除する予定だからな。冥土の土産に教えてやろう」

 

 犯人は、得てして自ら悪行を語りたがるもの。崖ではないが屋根の上というのも絶好のシュチュエーションだ。

 

「私は元は協会の退魔師だった。そこで、とある研究をしていたのだよ」

「研究?」

「魂魄を操る研究だよ」

「……」

 

 はぐれ術者曰く、退魔師の端くれだった彼は、妖怪の使役について研究をしていた。それは彼自身が、戦闘面でそれほど優秀な退魔師ではなかったために、式として妖怪を使役し実力不足を補おうとした事に由来する。

 

 戦闘面で平凡だった彼は、しかし、研究者としては優秀だった。結果、生み出されたのは魂魄に楔を打ち込み対象を操るという術。名づけて“魂操法”。彼は、狂喜した。これで強力な妖怪を従えれば、退魔師として十全に能力を発揮できると。

 

 しかし、魂操法は自らが所属する協会によって禁術指定され破棄される事が決定されてしまった。理由は言わずもがな。約定を結ぶ妖怪達への無用の危機感を植え付けてしまうからだ。

 

 妖怪を従える方法は古来より無数に存在している。だが、魂操法は、妖怪の意思を一切無視し、術にはまれば正真正銘奴隷と化してしまうものだ。妖怪達の尊厳を著しく踏みにじるものであり、協会と妖怪側の不干渉・不可侵の約定に亀裂を入れかねないものだったのだ。また、魂操法の効力が妖怪に限らないという点も問題だった。

 

 彼は、この決定に納得できなかった。彼は、元来プライドが高く、また妖怪に対して過激な思想を持っていた。戦闘者として下に見られ続けた屈辱は忘れ難かったし、妖怪など全て滅んでしまえばいいと本気で思っていたので、協会側の示した理由は理解不能だった。なぜ、害獣に過ぎない奴等に配慮しなければならないのか? 害獣に害獣を殺し合わせるなんて極めて効率のよい優れた方法ではないか、と。

 

 彼は、悩んだ末、とある結論にたどり着いた。実績さえあれば、魂操法の有用性を協会も認めるだろう、と。故に、強行に出た。協会との約定の内にある妖怪、とある善の妖怪を罠にはめて隷属させたのだ。

 

 その結果は言わずもがな。妖怪側は激怒し、協会側は彼を罰する事で謝罪を示そうとした。誰も自分を認めない。協会は仇敵であるはずの妖怪と訳のわからない約定など結んでいる。彼の積もり積もった不満は爆発した。密かに隷属させていた妖怪を操り、同僚の退魔師や妖怪を多数殺害して逃亡したのだ。

 

「わかるかね? 協会がどれほど愚かか。退魔師の使命は、妖怪の殲滅だというのに迎合などした挙句、私という誰より尽力した功労者をあっさり切り捨てる。どうだ? 開いた口も塞がらないだろう?」

 

 確かに、伊織は開いた口が塞がらなかった。

 

 結局のところ、目の前の得意気な顔をしている男は、自分の優秀さを周囲に認めさせてプライドを満たしたかっただけなのだ。妖怪退治とは、自らのステータスをアップさせるための道具に過ぎないだろう。でなければ、平和を保てている妖怪側と協会側の約定をここまで無視できるわけがない。それを無視できるのは、自分のことしか考えていない証拠である。

 

「……まさかと思うが、あの鬼の群れは……」

「もちろん、私が隷属させているのだよ。ククク、中々に壮観であろう?」

「九重をさらおうとしたのは、隷属するためか?」

「ああ。本当なら八坂がいいのだがな、流石に魂操法と言えど、あれほどの大妖を隷属させるのは難しい。莫大な時間がかかるからな。それならまだ幼く、抵抗の少ない九尾の娘を調教した方が効率が良い。潜在能力はお墨付きだ。娘を落とせば、親も抵抗を弱めて手に入るかもしれんしなぁ。そうなれば……ふふふ、まずは協会を潰し、妖怪を殲滅し、私こそが新たな秩序の番人となろう!! どうだ、小僧? その年なら未だそれほど協会の悪しき思想に毒されてはいないだろう。私に仕えさせてやってもいいぞ?」

 

 どうやら九尾の親子を隷属させつつ、他の妖怪は滅ぼしたいようだ。日本三大妖怪の一角を手中に出来れば、確かに最高峰の術者と名乗っても過言ではないだろう。その後、まともに生きられるとは思えないが。

 

 と、その時、我慢の限界だったのかエヴァが鬱陶しげに言葉を発した。

 

「伊織……もういいだろう。こいつはダメだ。典型的な“悪”だ。いや、悪のなりそこないだな。己の理想の為に他者を犠牲にしても、そこに覚悟がない。自分以外の何も見えていない愚者だ。構うだけ無駄だぞ」

「……何だと、小娘」

 

 見た目、十四歳くらいの少女に心底バカを見る眼差しを向けられて、得意気だったはぐれ術師の顔を盛大に歪んだ。それはもう内面を表すように醜い表情に。それに対し、エヴァは鼻を鳴らして嘲笑を向ける。

 

「ふん、そもそも強力と言っても唯の鬼が八坂に勝てるわけなかろう。柔能く剛を制すを体現したような妖怪だぞ? いい様に翻弄されて、本来の力を発揮できないまま下されるのが関の山だ」

 

 エヴァの言葉に、しかし、はぐれ術師はニヤリと嫌らしい笑みを浮かべた。

 

「唯の鬼でなければ?」

「なに?」

「ククク、私が、そんな事も分からずに打って出たと思うのか? 今、九尾と襲っているのは唯の鬼ではない。九尾の狐と同格と謳われた大妖だ!」

 

 伊織達がハッとした表情になる。まさか、という思いが胸中を過る。

 

「気が付いたか? そうだ。今、お前達の脳裏を過ぎっているその大妖だ。大江山の大鬼。三大妖怪の一角。――酒呑童子だ」

「あのでかい気配は、そういうことか」

 

 伊織が、舌打ちしそうな表情になる。ミク達も、はぐれ術師が既に三大妖怪の一角を手中に収めている事に驚きを隠せないようだ。エヴァは、ここにはいない酒呑童子に対し、最強の鬼の癖に何をやっているんだと天を仰いでいた。

 

「解せんな。お前のような踏み台臭漂う三下ごときに酒呑童子を従えられるとは思えん」

「……小娘ぇ。よかろう。所詮は、貴様等も協会の下らぬ教えに染まりきった愚物にも分かるように、力の差というものを教えてやろう!」

 

 はぐれ術師が一瞬の隙を付いて印を組む。

 

「させるか」

 

 それを見て、伊織が一瞬で距離を詰め、殺すつもりで拳を放った。伊織の中で、既にはぐれ術師に対する処遇は決まっている。すなわち、“お前を人とは認めない”だ。放っておけば、自らの自尊心を満たすためにどれだけの犠牲が出るか分からない。改心の可能性とこの先の未来で犠牲になるかもしれない人々の命、その二つを天秤に掛けて後者を選ぶ!

 

 念能力の一つ【硬】を行使した拳は、それだけで戦車砲にも劣らない。空気を破裂させながら反応すら許さず放たれた伊織の拳は、あっさりとはぐれ術師の腹部を貫いた。

 

ドパンッ!!

 

 そんな衝撃音と共に、はぐれ術師の体が浮き上がった。きっと、内蔵があらかた粉砕されていることだろう。

 

 しかし、

 

「ふふふ、私を排除するため協会が退魔師を送り込んでくる事は予想済みだった。分かっていて何の対策も取らないわけがないだろう?」

 

 即死してもおかしくない衝撃を受けながら、崩れ落ちたはぐれ術師の体から声が発せられた。その直後、はぐれ術師の輪郭が崩れていき、痩せぎすの男だった容貌が鬼のそれに変わる。

 

「チッ、式に意識だけ飛ばしていたのか」

「ご名答、鬼の体を一撃で戦闘不能にしたのは驚いたが、殺すには未だ足りない! さぁ、術の完成だ!」

「ミク!」

「はい、マスター!」

 

 横たわりながら、はぐれ術師が鬼の体を操って術の行使を続行する。伊織は、咄嗟にミクの名を呼んだ。それだけで、ミクは伊織の意図を正確に理解し、刀型アームドデバイス:無月を振るった。

 

――京都神鳴流 斬魔剣 弐之太刀

 

 それは神鳴流の奥義が一つ。斬りたいものだけを斬る退魔の剣。鞘走りの澄んだ音を響かせながら、曲線を描く斬撃が飛ぶ。目標に到達した斬撃は、そのままはぐれ術師の意識のみを切り裂いた。

 

「ッ!!!? なにぃ!!」

 

 はぐれ術師の驚愕の声が響き渡った。【凝】をした伊織達の目には、薄い靄のようなものが斬り飛ばされて鬼の体から出て行くのが見えた。しかし、術を止めるには、僅かに遅かったらしい。

 

 はぐれ術師の意識体と思われる靄が霧散すると同時に、京都の地が鳴動した。それは、地震のような物理的なものではない。常人には感じられない力場の乱れ。荒れだした霊脈が呪的な波動を発しているのだ。

 

「これは……」

「どうやら、霊脈を弄ったようだな。どこかに強制的に流しているようだ。あの程度の奴に出来ることとは思えんが……酒呑童子の力でも借りたか」

「それを言えば、酒呑童子を隷属させた方法も気になるところだよね。魂操法が、どの程度のものか分からないけど、対処法を見つけておかないと八坂さんも九重ちゃんも危ないよ」

 

 苦虫を噛み潰したような表情の伊織に、エヴァとテトが声を掛ける。二人共、はぐれ術師を逃がした事を苦々しく思っているようだ。先程から、繰り返し【広域探査魔法 ワイドエリアサーチ】を行使して本体の居場所を探っている。

 

 しかし、おそらくはぐれ術師が捕まることはないだろう。隷属させた鬼に意識を飛ばし、術まで行使できるというなら、わざわざ危険な前線にでる必要などないのだ。今も、遠く離れた安全圏にいるに違いない。

 

 こうなれば、倒れている鬼を治療して、何とか隷属から解放し居場所を吐かせるかと伊織達が眼を剣呑に細めたとき……その声は届いた。

 

――伊織ぃ! 伊織ぃ! 助けてたもう! 母上が! 母上がぁ!

 

「っ……九重か!」

 

 そう、それは九重の助けを求める悲痛な叫び声だった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 時間は少し戻る。

 

 伊織達が、はぐれ術師を発見し、その動機を探っているとき、異界の中の妖怪戦争は激化の一途を辿っていた。

 

 凄まじいまでの膂力と耐久力を発揮する鬼の群れに、各妖怪達は、複数で取り囲んで相対することでどうにか互角の戦いを演じていた。しかし、四方から群れを率いてきた五体の鬼が格別強力で、京妖怪達は苦戦を余儀なくされ、ちょっとした油断一つで均衡は崩れかねない事態だった。

 

 特に、御大将である八坂が一体の鬼に掛かりきりである事が、士気的にも京妖怪達をジリジリと追い詰めていた。

 

 そんな異界の一角で爆炎が噴き上がる。周囲一帯を纏めて紅蓮に染め上げたそれは、九尾の放つ強力無比な狐火だ。空気すら焼き焦がしそうな熱量が相対する敵を焼滅させんと急迫する。並みの妖怪なら、壁と称しても過言ではない大規模破壊を前に、膝を屈して絶望するしかないだろう。

 

 しかし、今ここにいる敵は妖怪最強の一角。そう簡単にはいかなかった。

 

「がぁああああああ!!!」

 

 雄叫び一発。裂帛の気合と共に真っ直ぐ突き出された巌の如き拳が、大気そのものを叩き衝撃波を発生させる。直線上の地面を抉り飛ばし、迫る火炎に激突した衝撃波はそのまま壁を突き崩すように九尾狐八坂への道を切り開いた。

 

ドンッ!!

 

 そんな音と共に、踏み込み一つで大地を陥没させる。そして、砲弾の如く突き進み、今度はその拳を八坂の鼻面へと叩き込んだ。が、次の瞬間、あわやミンチになるかと思われた八坂の姿はグニャリと空間ごと歪み霧散し、同時に絶妙なタイミングで火柱が噴き上がった。

 

「……これも効かんか。鬼とは真、呆れるほど頑丈よな」

 

 手に持った扇子をパチリッと鳴らしながら閉じる八坂。呆れ顔の彼女の視線の先で、轟々と噴き上がっていた火柱がパンッ! という破裂音と共に弾け飛んだ。

 

「てめぇこそ、相変わらずうぜぇ戦い方だ。戦いの粋は、殴り合いだろうが。ちょろちょろしてんじゃねぇよ」

「脳みそまで筋肉で出来ておる主等鬼と一緒にするでない。そもそも、人に使われておる分際で、粋もなにもなかろう? 気がつかないとでも思ったか。魂に枷なんぞ付けられおって。情けなさここに極まれりじゃ――崩月よ」

 

 八坂の痛烈な言葉に、酒呑童子――崩月は、バツの悪そうな表情になった。

 

「それを言われるとなぁ。何も反論できねぇや。だがよぉ、まさか封印解かれて寝ぼけてる直後に赤龍帝が相手とは思わねぇだろ? 何とか相討ちにはもっていったものの、力ぁ失って眠ってるところを、あの野郎に十年以上掛けて侵食されたんだ。ちっとは同情してくれてもいいんじゃねぇか?」

「はん、本当に同情なんぞしたら激怒するくせに何を言うておる。大体、そんな楽しそうな顔をして語っても説得力が皆無じゃよ」

「ハハッ、わかるか? 野郎は気に食わねぇが、お前と殺れるって点に関しては感謝だぜ。よぉ、八坂ぁ。俺を差し置いて妖怪の大将を名乗るたァふてぇじゃねぇか。いっちょその称号、俺に奪わせろや!」

 

 鬼らしい獰猛な笑みを浮かべて、そうのたまう崩月に八坂は「これだから、鬼は嫌なんじゃ」と心底面倒そうな表情になった。しかし、次の瞬間には、その黄金の瞳を縦に割り、身の内に眠る莫大な妖力を一気に開放した。

 

「大言を吐くでないよ。人の家畜に成り下がった分際で頭が高いというもの。この八坂の娘を狙った事も万死に値する。今宵、酒呑童子の伝説に終止符を打ってくれようぞ」

「ハハハハハハハッ!! そうこなきゃなぁ!!」

 

 崩月が八坂の言葉に呼応して凄絶な笑みを浮かべる。そして、周囲に荒れ狂う八坂の妖力を、自らの妖力で難なく押し返した。直後、八坂の姿が二重三重にブレたかと思うと、周囲一帯に数え切れない程の分身が現れ、その九つの尾が鋼鉄より尚強靭な槍となって一斉に降り注いた。

 

「しゃらくせぇ!!」

 

 それに対して、崩月がしたことは実にシンプル。ただ、その莫大な膂力に任せて地面を殴りつけ、割れた岩盤を振り回しただけ。それだけで、大半の尾槍が弾かれ、砕けた岩盤が散弾となって八坂の分身体を次々と貫き破壊した。

 

 更に、視認すら難しい程の拳速を以て四方八方に衝撃波を飛ばしていく。八坂の千を軽く超える尾槍のラッシュは、分身体ごと衝撃波に巻き込まれて粉砕されていった。

 

 十秒か、一分か。一瞬とも永遠とも思える激烈な攻防は地形すら変えていく。これが異界ではなく現実世界ならば、一体どれほどの被害が出ていたか。八坂の分身体がほとんど吹き飛ばされ、攻防が一息ついた頃、その場所は崩月を中心に、まるで爆撃にでもあったかのような有様になっていた。

 

「おらぁ! 腑抜けてんじぇねぇぞ、八坂ぁ! これでよく妖怪の大将を名乗れたッ!?ガァ!!」

 

 崩月が、己の無傷を殊更晒しながら八坂を嗤った瞬間、その言葉が言い終わる前に赤い閃光が彼の右胸を貫いた。咄嗟に身を捻らなければ心臓を穿たれたかもしれない。強靭な鬼の防御力を貫いたその一撃を放ったのは、当然、八坂である。

 

「どうじゃ? 極限まで圧縮された狐火の味は。中々、甘美じゃろ?」

「クックック、さっきの分かれ身は、ただの時間稼ぎか。飽きもせず、小賢しい策ばかりポンポンと……」

「こんなもの策の内にも入らんわ。見抜けんかったのは、お前さんが阿呆なだけじゃ。ほれ、次ゆくぞ?」

 

 そう言うやいなや、崩月の周囲にポッポッポッと狐火があがる。咄嗟に、崩月が拳で払おうとしたが、いつの間にか片手で刀印を組んだ八坂が、その指で五芒を描いた。途端、崩月の拳を避けるように形を崩した狐火は、その姿を管狐のように変化させ、そのまま宙に五芒星を描いて崩月を捕らえる檻となった。

 

「はっ、こんなもんっ!」

 

 崩月の筋肉が眼に見えて隆起する。それに合わせて、管狐の五芒結界がピキピキッと嫌な音を立て始めた。数秒もすれば砕け散りそうだ。

 

「じゃが、時間稼ぎには十分」

 

 その呟きに反応して崩月が視線を結界から意識を八坂に転じると、ちょうど彼女の九尾が、まるで砲台のように先端を己へと向けていた。その先端には、遠目にも分かる凄まじい熱量が集まっている。

 

「や、やべぇ!」

 

 咄嗟に崩月が腕をクロスさせるのと、九つの赤き閃光が着弾するのは同時だった。八坂の放ったレーザーの如き熱線は、数条が貫通し、崩月の背中から抜けて彼方へと消えていく。心臓と頭部だけは両腕の犠牲と咄嗟に集中して高めた妖力によって無事だったようだ。

 

「へっ、思ったより大したことねぇなぁ!」

 

 管狐の結界を砕きながら、崩月が不敵な笑みを浮かべる。ダメージはあるが致命傷には程遠いようだ。体に数箇所穴が空いたくらいでは、どうということもないらしい。しかし、あまり有効打とならなかったにもかかわらず、八坂は動揺した様子もなく更に印を組む。

 

 直後、閃光が貫いた崩月の傷から青白い狐火が噴き上がった。

 

「ッ!?」

「鬼の膂力は外から抑えられるようなものではない。ならば、内から(・・・)狙うのは当然じゃろ?」

 

 八坂の刀印が九字を切る。崩月の身の内から噴き上がった蒼炎はそのまま彼の肉体に絡みつき体の内外を貫通して拘束する鉄壁の檻となった。

 

「ぐぉおおおおおお!!」

「無駄じゃよ。ここを誰の土地と心得る。外の世界ならいざ知らず、地の利はこの八坂のもの。貴様なら破ることは不可能ではないが、少なくとも次手には間に合わんよ」

 

 雄叫びを上げながら蒼炎の拘束を解こうと妖力を高める崩月だったが、先程の管狐の五芒結界と異なりビクともしない。どうやら、異界を巡る霊脈が拘束の効果を高めているようだ。八坂自身の言う通り、ここは力場を管理する八坂の本拠地。地の力は全て八坂の味方だった。

 

 八坂は、更に印を組み九尾から妖力を噴き上がらせながら天を仰ぎ見た。そして、スっと息を吸うと、甲高い澄んだ鳴き声を響かせた。

 

クォーーーン!!

 

 すると、月が見えていた異界の空が何処からともなく湧き出た分厚い雲に覆われ始め、数秒もすると、チラホラと白い光を降らし始めた。それは、一見すれば舞い降りる雪のようで、どこか幻想的な美しい光景ではあったが、少しでも力ある者なら戦慄の表情を浮かべるに違いない。

 

 なぜなら、その雪のように見える白い光の全てが、途轍もない力を秘めた狐火であるからだ。淡い白炎は、ふらりふらりと降り注ぎ、未だ拘束を解けない崩月へと付着すると溶け込むように消えていった。

 

 次の瞬間、

 

「――ッ!?」

 

 崩月から声にならない絶叫が上がった。

 

「どうじゃ? 雪焔の味は。魂を直接溶かされる痛みは想像を絶するじゃろ? 此度の(いくさ)で無念にも散っていった者達へのせめてもの手向けじゃ。せいぜい苦痛に喘ぐが良い」

 

 八坂が冷めた眼差しを向ける。分身体の攻撃から今この瞬間まで、全てが八坂の思い通りだった。これが外の世界であれば、ここまでスムーズには行かなかっただろう。最後に行使した【雪焔】も、本来なら、ここまで素早く発動できる程簡単な術ではない。この異界では、全てが八坂の有利に働くという、それだけのことだった。

 

 そのことは崩月とて分かっていたはずであり、本来の彼ならば、いくら脳筋とはいえ、おびき出す程度の知恵は働かせるだろう。それにもかかわらず、バカ正直に正面から乗り込んできたのは、彼を操るはぐれ術師が愚鈍であるからだろうと、八坂は僅かばかりの同情を抱きながら白炎に溶かされていく酒呑童子の最後を見つめた。

 

 既に勝負はあった。今の状況を見れば、百人中百人がそう判断するだろう。だが、酒呑童子を隷属させた男は、確かに愚か者ではあったが、馬鹿ではなかった。伊織達との邂逅で少し遅れはしたが、予定していた秘策は確かに発動したのだ。

 

ゴゴゴゴゴゴゴッ!!!

 

「ッ! これは! まさか、霊脈がっ!」

 

 突如発生した、世界を震わせる鳴動。力場のバランサーたる八坂は直ぐにその原因が、霊脈の異常であると察した。そして、乱された“力”が流れ込む先を察知して焦燥をあらわにする。

 

 咄嗟に、印を組んで周囲の力場を調整しようとしたが――時既に遅かった。

 

「グルゥァアアアアアア!!!」

 

 天すら吹き飛ばしそうな咆哮が轟く。いや、実際に、【雪焔】を降らせていた曇天が、崩月より噴き上がった桁外れの妖力と、それが乗った咆哮によって吹き飛ばされてしまった。八坂の術によって形作られた暗雲は、円を描くように吹き散らされ、ちぎれた斑雲の隙間から月が顔を覗かせる。

 

 降り注ぐ月明かりが影を作り出した。八坂を覆う巨大な影だ。彼女が、ハッとした時には既に壁のような拳が眼前まで迫っていた。

 

ゴバッァアアア!!!

 

「くぅううう!!」

 

 凄まじい衝撃音と共に直撃した鬼の拳。咄嗟に、扇子と尻尾を重ねて防御したものの、元来、頑強さには期待できない身。八坂の体は容易く吹き飛ばされた。半身だけ消し飛ばなかったのは、むしろ僥倖だろう。

 

「ガハッ! ゲホッ!! グゥウ……」

 

 地面と水平に吹き飛ばされ、木々を幾本もへし折りつつ、地面を削って漸く停止した八坂は、蹲ったまま盛大に血を吐き出し苦悶の声を上げた。

 

 そこへ、大気を爆ぜさせ更に追討ちがかかる。

 

「ガァアアア!!!」

 

 鬼の咆哮により衝撃波が発生し、咄嗟に回避しようとした八坂の動きを僅かに鈍らせる。尾の力で土砂を噴き上げ目眩まししつつ大量の狐火もバラ撒いて、その隙に幻術で身を隠そうとした八坂だったが、爆発的に妖力を増した崩月の前では文字通り小細工でしかなかった。鈍った動きは、やはり致命的。

 

 崩月の拳は、八坂の左腕を根元から粉砕した。

 

「ぐぅうう!!」

 

 もし、尻尾を使って無理やり体の位置をずらさなければ、そのまま上半身が消し飛んでいたかもしれない。八坂は、左腕を犠牲にしながらも、それにより出来た刹那の隙を逃さず純粋な妖力の塊を発した。それにより、更に出来た時間を利用して空へと飛び上がる。

 

 足裏に豪風と共に通り過ぎた拳を感じながら、己の身を化生へと転化する。妖狐の姿は、人型に比べて細かい技巧に向かないが、大規模な破壊行為には最適だ。もう、異界への影響や、周囲にいるかもしれない配下の妖怪達を考慮している場合ではない。眼前の敵を討つ事に全力を注がなければ、全てを失ってしまう。

 

 大地を放射状に砕きながら、崩月が八坂を追って夜天に飛び出してくる。同時に、八坂の九尾が爆発的に輝き、太陽と見紛うほどの火炎球を作り出した。それだけで、異界が耐えられないとうでも言うように軋み悲鳴を上げる。

 

「クォオオオオオン!!」

「グルァアアアア!!」

 

 互いに全力。日本三大妖怪の二角が、それぞれ絶叫を上げながら異界の夜天で激突した。

 

 異界全体に衝撃が駆け抜ける。放射状に広がったそれは、眼下の森を吹き飛ばし、その向こう側にある江戸時代風の家屋を纏めて薙ぎ倒した。上空には、莫大な熱量の炎が、まるで津波のように広がり荒れ狂っている。

 

 その戦慄すべき光景を、屋敷の一角に敷かれた結界の中から見ていた九重は、敬愛する母親の悲鳴を聞いた気がして、その幼い顔を悲痛に歪めた。紅葉のような小さくふっくらした両手は祈るように胸の前で組まれている。

 

「母上……」

 

 その幼声に惹かれたわけではないのだろうが、直後、上空の爆炎の中から何かがボバッ! と音を立てて飛び出し、屋敷目掛けて落下してきた。白煙を上げながら力なく、減速する素振りもみせずに落ちてきたのは、間違いなく……八坂だった。

 

「母上ぇーー!!」

「い、いけません! 姫様!」

「結界に止どまり下さい!」

 

 気が付いた九重が、思わず飛び出そうとしたのを護衛達が焦ったように押し留める。そうこうしているうちにも、八坂は体勢を立て直すこともなく、そのまま落下し屋敷の一角を押し潰した。ズズンッと地響きが鳴る。

 

 呆然とする九重。護衛達も言葉もなく佇むばかり。しかし、その僅かな停滞は、上空から隕石の如く落下して来る巨大な妖力の塊により終わりを告げた。その妖力が、八坂が落下した場所に向かっていると察した瞬間、九重が護衛の隙をついて一気に飛び出したのだ。ご丁寧に、母親直伝の幻術を使って時間稼ぎまでして。

 

「姫様ぁ!」

「行ってはいけません!」

 

 護衛達の絶叫を背後に、九重は一心不乱に母親の元へ駆けた。

 

 九重が八坂の元へ辿り着いたとき、既に、崩月は現場に到着していた。体中に穴を空け、体表を炭化させながらも平然と仁王立ちし、力なく横たわる八坂を不敵な笑みと共に見つめている。

 

 八坂もまた、体は動かずとも意識はあるようでギロリとその黄金の瞳を崩月へと向けていた。そうやって睨み合っている間にも、崩月の傷はみるみる回復――いや、もはや再生といっていい速度で修復されており、勝敗の行方は誰が見ても明らかだった。

 

 母親が殺される。そう感じた瞬間、九重は叫びながら止まっていた足を動かしていた。

 

「母上ぇー!!」

「っ……九重、来てはならん! 逃げよ!」

「いやです! 母上を置いてなど!」

 

 妖狐状態の八坂の首筋に縋り付き、母親の痛々しい姿にポロポロと涙を零す九重。そんな母娘の姿を、面白げに見つめる崩月が口を開いた。

 

「そいつが、野郎の欲しがってるてめぇの娘か。確かに、潜在能力は高そうだ」

「……娘には手を出させんぞ」

「そんな事いえる立場かよ。敗者にゃ口を開く権利もねぇ。てめぇの娘は野郎の玩具になるしかねぇんだよ」

「貴様……」

 

 八坂が、大量に吐血し、全身から血を噴き出しながらも必死に立ち上がろうとする。娘を奴隷にさせるわけにはいかない。妖怪の統領としてではなく、ただの母親として力を振り絞る。しかし、既に精神論だけで何となるような傷でない。どれだけ気力を振り絞っても、壊れた肉体は物理的に動きを止める。

 

 再び血溜まりに沈む母親を見て、九重がキッ! 崩月を睨みつけた。何の迫力もない眼光だが、八坂すら打倒した伝説の鬼の妖力を前にして睨むことが出来るのはそれだけで十分将来を期待させる胆力だ。

 

 と、その時、九重を追って護衛達が駆けつけた。一瞬、期待する九重だったが、崩月は、一瞥することもなく妖力の塊を飛ばすだけで彼等を蹴散らしてしまった。文字通り瞬殺。屋敷の残骸に埋もれた彼等を見て、蒼白だった九重の頬に赤みが指す。

 

 その九重は、ガクガクと足を震わせながらも立ち上がり、一歩一歩、崩月の前へと進み出た。

 

 思わず、崩月から「ほぉ」と感嘆の声が漏れ出す。何をするつもりなのかと興味深げな眼差しを送る。八坂は八坂で、必死に九重を止めようと苦しげな叫び声を上げた。

 

 そんな中、九重は震える声音で言葉を発した。

 

「く、九重を連れて行くのが、も、目的なんじゃろ! なら、どこにでも、つ、連れていくがいい! だ、だから、これ以上、母上にも、みなにも手は出すでない!」

 

 それは、これ以上大切な人達を失わないために九重が必死に紡いだ言葉。

 

 しかし、その幼い言葉は、崩月の興を一瞬で醒めさせた。九重の言葉が、余りに甘かったからだ。その言葉は、八坂の戦いを無にする言葉。今尚、必死に戦っている妖怪達の思いを切り捨てる言葉。自己犠牲と言えば聞こえはいいが、九重を、身命を賭すほど大切に思っている者達への冒涜の言葉だ。少なくとも崩月にとっては。

 

 戦いに粋を求め、戦いに殉じ、死力を尽くした者に敬意を払う鬼としては、何とも面白くない言葉だった。

 

「興醒めだわ。てめぇの娘ってぇからどんなもんかと思ったが、なっちゃいねぇな。まぁ、まだガキんちょだから仕方ねぇと言えば仕方ねぇか。……だが、せっかくの戦に水を差したんだ。ちっとばっかしキツイお仕置きが必要だなぁ」

 

 今や、傷のほとんどが治ってしまった崩月は、ドスドスと足を音を立てながら九重に歩み寄ると、怯える九重の華奢な胴体を鷲掴みにして持ち上げた。

 

「な、何をするんじゃ! 離せ、下郎ッあぐぅ!」

「崩月! ……貴様」

 

 ジタバタと暴れる九重の額を軽く指先で弾く崩月。はぐれ術師の命令で殺すことは出来ないが、多少傷つけるくらいは可能だ。それでも、幼い九重には十分な威力で、額が僅かに切れ血が滴り落ちた。それに八坂が激高するが、相変わらず体は動かない。

 

 崩月は、九重を掲げたまま八坂の眼前まで歩み寄った。

 

「俺はなぁ、野郎から、出来るだけてめぇを殺さないよう命令を受けてる。手加減して返り討ちにあったら元も子もねぇから、あくまで出来れば、だがな。だからよぉ、本当ならな、てめぇを生かしておこうと思っていたんだが……気が変わった。甘ったれたガキに、戦の何たるかを教えてやらぁ」

「何を……する気じゃ……」

 

 睨む八坂を見下ろしながら、崩月の口元が凶悪に歪む。

 

「おい、ガキ。目ぇ見開いて、よぉ~く見とけ。……てめぇの母親が弾け飛ぶ瞬間をな」

「え?」

 

 九重は、一瞬何を言われたのか分からないと言った様子で、額の痛みも忘れてポカンとする。しかし、凶悪な殺意を撒き散らす崩月を見て、その意味を悟ると蒼白になった。

 

「や、止めるのじゃ! お願いじゃ! 母上だけは! どうか! お願いじゃ!」

 

 必死に懇願する九重。だが、当然ながら崩月はまるで取り合わない。自分の死期を悟った八坂が、瞳に穏やかさを宿して九重を見た。その瞳は、何より雄弁に、強く生きろと、九重を愛していると訴えていた。

 

 九重が現実を否定するようにイヤイヤと首を振る。崩月が、九重を掴んでいるのとは反対の腕を、まるで見せつけるようにゆっくりと振りかぶっていった。その光景が、何故かやけにゆっくり見えた九重は、心の内を絶望に染め上げる――前に、チャリっと音を鳴らす手の中の感触に気がついた。

 

 それはイヤリングだ。今日一日で、自分でも驚くほど仲良くなった人間の友達。九重はすごいと、きっと立派な統領になれると褒めてくれた人。憧れるほどに素晴らしい音楽を聴かせてくれて、演奏を教えてもらう約束をした少年。

 

 そして、

 

――俺の名を呼べ 必ず助けに来てやる

 

 九重は、必死に願った。無意識にか、ずっと握り込んだままだったイヤリングを更にギュッと握り締め、初めて出来た人間の友達の名を呼んだ。そして、叫んだ。母上を助けて! と。

 

 直後に起きた一瞬とも言える一連の事態を、九重はきっと一生忘れることはないだろう。

 

 助けを求めれば、必ず駆けつけて手を差し伸べてくれる。まるで夢物語のような、そんなご都合主義。されど、どうしようもなく心震えるその瞬間。この時、九重は知ったのだ。ヒーローはいるのだと。

 

 崩月の腕が天頂まで振りかぶられ、死の影が八坂を覆う。

 

 だが、崩月の殺意が最高潮となったその瞬間、少し離れた場所に魔法陣が輝いた。それは古代ベルカの輝き。

 

 当然、感知した崩月だったが、殺意の弦は既に弾かれている。後は、拳という名の矢が眼前の敵を打ち砕くのみ。今更、誰が何をしようと止められるものではない。

 

 が、その時、崩月の眼前にキラリと光る何かが過り、同時に凄まじい悪寒が背筋を襲う。

 

ズシンッ!

 

 局所的な地震が発生したのかと思うほどの震脚。崩月の横目に、人間の少年が映る。己の脇腹の位置にいつの間にか踏み込み拳を振りかぶっていた。刹那、交差する視線。その瞳を見た瞬間、崩月の背筋が再び粟立った。凪いだ水面のように静かでありながら、その最奥に轟々と燃え盛る憤怒の炎。

 

 直後、少年――伊織の拳が放たれた。

 

――念能力 オリジナル 嵐

――覇王流 覇王断空拳

 

 伊織の右拳の先に凄絶なオーラが乱回転して凝縮される。それは、拳大に圧縮された台風だ。同時に、併用されるのは伊織の武術の根本。足元から練り上げた力を余すことなく込めた一撃は、人の身で放つ純粋な拳撃でありながら崩月のそれと同じく衝撃波すら発生させる。

 

 その一撃が、崩月の脇腹に容赦なく突き刺さった。

 

ドォゴオオ!!

 

 伊織の足元が放射状に砕け散る。突き刺さった拳を中心に、崩月の体からミシッメキッと不吉な異音が鳴った。衝撃で、その巨体が僅かに浮く。だが、伊織の攻撃はまだ終わっていない。

 

 突き刺さった拳が霞みがかった様にボヤけた。それは、常軌を逸した高速振動のため。

 

――陸奥圓明流 奥義 無空波

 

 振動によって生じた衝撃が余すことなく伝播され、崩月の内臓を撹拌する。崩月の口から意図せず血が噴き出した。

 

 伊織は、それでもお構いなしに最後の一手、いや二手を放つ。愛機セレスの篭手に一瞬で膨大な魔力が集まって濃紺色に輝き、逆の左手には光り輝く透明の剣が出現した。

 

――直射型砲撃魔法 ディバインバスターゼロ距離Ver

――西洋魔法 断罪の剣

 

 魔導の輝きが奔流となって崩月を吹き飛ばす――と同時に振るわれた【断罪の剣】が九重を捕らえる左腕を肘からすっぱり切り落とした。

 

 ただでさえ浮き上がっていた体では踏ん張ることも出来ず、崩月は、左腕を置いて、屋敷の一部と地面を抉り飛ばしながら垣根を粉微塵に粉砕し、大きめの一枚岩を盛大にかち割って砂埃の向こう側へと消えていった。

 

 崩月の斬り取られた左腕の五指を器用に斬り裂いて、宙に投げ出された九重をお姫様抱っこでキャッチする伊織。そんな伊織を、九重は何が起こったのか分からないといった様子で呆然と見つめている。

 

 伊織は、九重の傷ついた額を【治癒魔法 フィジカルヒール】で即座に癒した。額に当てられる温かな光と引いていく痛みに、漸く九重の認識が現実へと追いつく。

 

「……伊織?」

「ああ、俺だよ」

 

 眼をパチクリさせる腕の中の九重に、伊織は苦笑いしながら現実を突きつける。

 

「助けに来たぞ、九重」

「っ……」

 

 言葉はない。九重は、ただくしゃりとその表情を歪め、伊織の胸にしがみついた。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

おのれ崩月……九尾っ娘になんてことを……
しかし、きっとこれからも九重は色々苦労するはめになりそうです。

次回は、明日の18時更新予定です。


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第32話 はぐれの末路

一万五千字……多くてすみません。



 伊織の胸元にギュッとしがみついていた九重は、涙やら鼻水やらで大変な事になっている顔をハッとしたように上げて伊織に焦燥に満ちた声を張り上げた。

 

「い、伊織ぃ、母上が! たくさんケガをして、それでっ!」

「わかってる。大丈夫だ。八坂殿なら、ほら」

 

 そう言って体の向きを変えた伊織は、抱っこしたままの九重に八坂の容態を見せた。その八坂の傍にはいつの間にエヴァがおり、神器【聖母の微笑】の淡い純白の光で八坂を覆っていた。眼に見えて彼女の傷が癒えていく様子に、九重がホッと安堵の息を吐く。

 

 自称悪の魔法使いなのに聖女扱いされたり、神器まで癒し系で【聖母の微笑】なんて名称で、エヴァの矜持は色々と複雑極まりない事になっていたのだが、彼女の心情に反して神器の扱いは卓越だった。このままなら五分もすればあらかたの傷は癒えてしまうだろう。

 

「……お主、神器持ちだったのかえ。真、変わった吸血鬼よな。じゃが、助かった。礼を言う。とんでもなく大きな借りが出来たの」

「ふん、こっちもはぐれに術の発動を許したのだ。意識体だけ配下の鬼に飛ばせるのは厄介だが、言い訳にもならん。チャラだろ」

「ほぉ、霊脈の力が鬼共に流れ込んだのはそのせいか……じゃが、そも、力場の管理はこの八坂の役目。おそらく崩月が手を貸したのだろうが、それでも一介の術師に主権を奪われたのはこちらの失態よ」

 

 エヴァの不機嫌そうな言葉に、妖狐状態の口元を自嘲するように歪める八坂。その視線が、すっぱりと斬り落とされた崩月の両腕(・・)に注がれた。

 

 そう、伊織が落とした左腕だけでなく、八坂に振るわれんとしていた右腕も斬り落とされていたのだ。やったのはミクである。【京都神鳴流 斬空閃】により、斬撃を飛ばしてぶった斬ったのである。

 

「よもや、これ程とはの……明らかに協会の退魔師の基準を逸脱しておるよ」

 

 感心を通り越して呆れ顔で呟く八坂に、伊織から降ろしてもらった九重がトテトテと近づく。

 

「母上! ご無事ですっ『馬鹿者!』ひうっ!? 母上?」

 

 心配してすがり付こうした九重に八坂の一喝が落ちる。それは、無茶をした娘への母からの叱責であり、同時に無意味な自己犠牲を選択した次期統領への怒りの発露だ。戸惑う九重に、八坂が説教じみた言葉を紡ごうと口を開きかける。

 

 だが、そんな時間は、どうやら与えられないようだ。

 

「グゥアアアアア!!」

 

 崩月が吹き飛んだ先で、特大の咆哮と凄絶な妖力が噴き上がったからだ。天を衝く赤黒い妖力の柱。その根元から小規模な地震かと錯覚しそうな足音が響いて来る。砂埃が衝撃で吹き飛び、その奥から何事もなかったように両腕を再生し終えた崩月が悠然と、いや、その表情を歓喜に染めて歩み寄って来た。

 

「おいおいおいおいおい。どうなってんだ? あぁ? いつから人間は、この酒呑童子をぶっ飛ばせるほど強くなったんだぁ? どうすんだよ? たぎってたぎって仕方ねぇじゃねぇかっ! 小僧! 名を名乗れよぉ!」

 

 どうやら、ただの人間の、それも見た目少年の拳で吹き飛ばされた事が嬉しくて仕様がないらしい。

 

 酒呑童子と言えば、かの有名な源頼光を筆頭とする頼光四天王により神便鬼毒酒という毒を酒の席で飲まされ寝首を掻かれたという伝説が有名だ。元来、鬼という強力な存在を人間が退治する話は、大抵が知恵を絞って裏をかくというもの。史実かどうかはわからないが、おそらくそう的外れでもないのだろう。それ故に、拳で挑んできた伊織の事をどうしようもなく気に入ってしまったようだ。

 

 凄絶な笑みを浮かべる崩月に、九重が不安そうな表情で伊織を見る。その視線に、伊織は笑みを返すと、次の瞬間には最奥に消えぬ意志の炎を宿らせた、されど凪いだ水面の如き静かな瞳を崩月に向けた。

 

 そして、伊織は、百五十年に渡り練り上げ続けて来たオーラと魔力を開放した。年経るにつれ、洗練はされてもスペック自体は落ち目にあった前世だが、今は、最盛期とも言うべき十三歳の体。まだ完全に体が出来上がってはいないものの、魂に刻み込まれた研鑽の証は十全と言っても過言でないレベルで示される。

 

 眼前の崩月と同じく、伊織を中心に濃紺色の輝きが天を衝いた。螺旋を描いて噴き上がるオーラと魔力。転生により魂が昇華したせいか、それとも今世の両親から受け継いだものが大きいのか、詳しいことは分からないが、この体のスペックは前世のそれを大きく凌駕している。魔力ランクはSSSランクは固く、オーラ量はかのハンター協会会長アイザック・ネテロすら軽く凌駕するレベル。

 

 もちろん、大妖たる崩月の妖力と比べれば、大型のバケツとコップ程の差はあるだろう。それは種族的スペック差で仕方がないことだ。それでも、その生命の輝きとも言うべき“力”の奔流は、伝説の鬼と比較しても決して見劣りするものではなかった。量では勝てないものの、その質の差は伊織に軍配が上がる。

 

 大雑把な鬼と、己を鍛え上げることに余念のない人間の努力――二人の“力”のあり方は、まさに、両者の種族的特徴をあらわにしていた。

 

 伊織が、スっと極自然な動作で覇王流の構えを取りながら、小さく、されど明瞭に響く声音で名乗りを上げる。

 

「日本退魔師協会所属、東雲伊織。お前をぶっ飛ばす男だ」

 

 伊織は悟っていた。目の前の鬼に言葉は通じない。崩月の思考は既に戦闘のそれ一色に染まっている。この期に及んで、はぐれ術師からの解放に協力するから手を引いて欲しいなどとのたまえば、“興醒めだ”と躊躇いなく残虐な方法でその暴威を振るうだろう。先程、九尾の親子にそうしたように。

 

 これ以上の被害を出さずに事態を収拾するには、伊織に引きつけて制するしかない。救いを求めるものに応える為には、眼前で喜悦を浮かべる伝説の鬼に勝たなくてはならないのだ!

 

「クッ、あぁああああ!! 最高だ! 小僧! いや、伊織! お前は最高だぞ! 人の身でよく吠えた! そんな眼はアイツを思い出す! この時代に、アイツのような男が未だ残っていたとはっ! 殺り合えるとはっ! まだまだ捨てたもんじゃねぇなぁ!」

 

 際限なく膨れ上がっていく崩月の妖力。霊脈から直接力を注がれているのだろう。実質、無限に近い妖力があると見て間違いない。

 

 

 伊織の頬に汗が流れる。まさに一触即発。伝説の鬼と異世界から来た退魔師の決戦が今にも始まろうとした――その時、伊織の後ろで、ミク達も構えを取った。崩月と相対するためではない。周囲から、崩月には遠く及ばないものの尋常でない妖力を持った鬼が集まってきたのを察知したからだ。

 

「チッ……野郎共め、力に惹かれて集まってきやがったか。水を差しやがって」

 

 崩月が不機嫌そうに表情を歪めるのと、大跳躍して来たらしい五体の鬼が地響きを立てながら周囲に着地したのは同時だった。

 

「てめぇら、邪魔してんじゃねぇよ」

「大将、こんな面白そうな事、鬼たるこの身が堪えられるわけないだろう?」

「そうだぜ、お頭ぁ! 美味そうな獲物ばっかりじゃねぇか。独り占めはひでぇだろぉ」

「雑魚ばかりでいい加減飽いた……少し分けてくれ」

 

 崩月の言葉に、三体の鬼が不敵に笑いながら返す。残り二体も、言葉は発しないものの、その好戦的な眼光が、明らかに戦わせろと訴えていた。

 

 並外れた妖力を持つ彼等の正体は、いずれも伝説上の鬼。酒呑童子の配下として書物に記された副統領の茨木童子、四天王と言われた熊童子、虎熊童子、星熊童子、金熊童子だ。ここに来るまでにも多くの妖怪を屠ってきたのだろう。浅黒い肌でも明確に分かるほど、その全身を血に染めて凄絶に嗤う姿は、まさに悪鬼羅刹。

 

 人間も妖怪も関係なく、並みの者なら意識を保つことすら叶わないだろう濃密な妖力と殺気が満ち満ちていく。しかし、相対する伊織達の表情に焦燥の色はない。この程度の修羅場、今までに何度も遭遇して来た。伊達に、何度も世界を救ってはいないのだ。伊織達の意志を折るにはまるで足りない。

 

 それに気を取り直した崩月が、拳を引き絞った。開戦の合図でもする気だろうか。だが、その目論見は、またしても横槍を入れられて頓挫する事になった。

 

「おやおや、さっきぶりだなぁ、小僧」

 

 その粘着質な声音と共に、崩月の動きがピタリと止まる。崩月の表情は、先程までの鬼の形相とは異なり、陰惨で嫌らしい笑みを浮かべていた。どうやら、はぐれ術師の意識体に憑依されたようだ。眼が血走っているのは、水を差されたが故の憤怒のあらわれか……

 

「全く、鬼というのは本当に頭が悪くて困る。八坂もできる限り捕縛するようにと命じたのになぁ。挙句、任務を忘れて遊びに興じるとは……やはり、所詮は妖し。ただの獣に過ぎないというわけだ」

 

 腕を降ろし、嫌らしく嗤う崩月の姿に、茨木童子達が憎々しげな表情を見せる。自分達の統領に対するこれ以上ない侮辱だ。屈辱の極みだ。出来ることなら、今すぐにでも八つ裂きにしてやりたいのだろう。

 

「さて、小僧の実力を見誤っていたとは言え、流石に、私の酒呑童子に勝てるとは思えないが、ここは万全を期させてもらおう」

 

 はぐれ術師がそう言うやいなや、周囲一帯から続々と鬼達が集まりだした。そして、その手に握っているものを見て八坂や九重のみならず、伊織達もまた顔を顰めた。

 

「ふふふ、こういう場合の常套手段というやつだ。では、九尾よ。ありきたりなセリフで悪いが、敢えて言わせてもらおうか。同胞の命が惜しければ、我が秘技を受け入れろ」

「おのれ……下衆が」

「おっと、立場というものが分かっていないようだな。ほら見ろ」

 

 直後、鬼達が一斉に、その手に持つ妖怪をギリギリと締め付ける。咄嗟に、伊織が動こうとしたが、それを見越して茨木童子達が包囲を狭めた。

 

「小僧、貴様の力は既に人間のそれを逸脱している。どこで、それ程の力を得たのかは知らないが、下手な事は止めておけ。いくら貴様でも、一瞬で全てを救う事など出来はしまい? 大体、なぜ妖怪を庇う? 全くもって理解不能だ」

「俺は、俺が守りたいと思った者を守るだけだ。そこに種族の違いは関係ない」

 

 伊織の返答に、やはり理解不能という様子で肩を竦めるはぐれ術師。そんな仕草をしながらも、まったく油断していないことが分かる。

 

「まぁいい。既に詰みであることに変わりはない。小僧。死にたくなければ、そこで大人しく見ているがいい。なに、隷属させるだけで命までは取らん。お前は中々有用そうだからな。妖怪共と同じく配下に加えて、私が築き上げる新たな秩序にその人生を捧げさせてやろう。光栄に思え」

 

 そんな勝手極まる宣言をして、はぐれ術師は崩月を操りながら八坂と九重のもとへ悠然と歩き出した。捕らわれの妖怪達が悲痛な叫び声を上げる。自分達の統領と姫を守ろうと、満身創痍の身で尚足掻く。

 

 はぐれ術師の表情は、優越感たっぷりだ。

 

 それらの全てを見て、伊織は溜息を吐いた。諦めたからではない。これから行う事で世界の各勢力に目を付けられる危険性を思い、思わず漏れ出たのだ。ミク達が、苦笑いを浮かべながら伊織に「仕方ない」といった眼差しを送る。どうせ、いつかはばれる運命なのだからいいじゃないとも言っているようだ。

 

 攻性音楽でも魔法でも、一拍の隙が出来る事に変わりはない以上、今尚、まったく油断なく伊織達を監視している鬼達の意表を突き形勢を逆転するには、その方法が最適なのは確か。いつかのエヴァの忠告通り、必要な時に出し惜しみはしない。

 

 それは、【別荘】などで鍛錬する以外では決して使わなかった新たなる力。各勢力が決して無視できない神をも滅する具現。その使い手たる伊織を手に入れる為に、あるいは家族も危険に晒される可能性が高いが、その全てを守ると覚悟を重ね掛けし――発動した。

 

――神滅具 魔獣創造(アナイアレイション・メーカー)

 

 直後、伊織を中心に漆黒の化け物達が沸き上がった。大きさ、姿形はバラバラではあるが、何れも怖気を震うような威圧感を伴っている。一瞬にして鬼の包囲網を内外から取り込んだ魔獣の群れは、優にニ百体はいるだろう。低い唸り声を上げながら殺意を撒き散らし、今にも飛びかからんと眼を細めるそれらに、はぐれ術師だけでなく鬼も妖怪も関係なく眼を見開いて硬直した。

 

「な、なんだ、これは……何が起こった」

 

 呆然と呟くはぐれ術師。そこに、伊織の醒めた声音が届く。

 

「理解できないか? 世界広しと言えど、こんな魔獣を生み出す力は一つしかないだろう? 少なくとも、俺は過分にして知らないな」

「ま、魔獣だと……ま、まさか、そんな……有り得ない!」

 

 錯乱したように叫ぶはぐれ術師。伊織は、念話でミクにとある指示を送りつつ、同時に、並列思考で動揺を隠しきれていないはぐれ術師に語り掛けた。

 

「目の前の現実を安易に否定すべきじゃないな。もっとも、現実を見られなかったから、お前は“はぐれ”に堕ちたんだろうが」

「なっ、なら、本当に、お前は……」

「ああ。神滅具、魔獣創造の今代の担い手だ」

「っ……だが、だがっ! いくら魔獣創造と言えど、こちらは霊脈のバックアップを受けた大妖の群れだ! 決して引けはとらない!」

「なら試してみるか? せっかく手に入れた酒呑童子を失う覚悟で、どちらかが滅びるまで殺り合うか? 俺にはその覚悟があるが、お前はどうだ? 何十年と掛けた素敵な計画が頓挫する可能性を受け入れて、俺と戦う覚悟があるのか?」

「……おのれぇ……このタイミングでなぜ神滅具なんて物が出てくるのだ! どいつもこいつも、私の邪魔ばかりをっ!」

 

 思い通りに行かない現実に、はぐれ術師が喚き散らす。

 

 だが、実際のところ、なお追い詰められているのは妖怪側だ。魔獣達に指示して捕われの妖怪を救い出しつつ、鬼達と互角に戦うことは可能だろうが、それでも霊脈のバックアップを受ける鬼は、実質、無敵に近い。それは、八坂を容易に降し、失った腕を直ぐに再生した崩月が証明している。

 

 今は、突然の神滅具使いの出現に動揺して冷静な判断力を欠いていて気がついていないようだが、霊脈と鬼達とを切り離さなければジリ貧なのだ。それには、安全圏で鬼を操り、支援するはぐれ術師を是が非でも見つけなければならない。

 

 なので、魔獣創造のインパクトが効いている間に、伊織はとある提案をした。

 

「まぁ、こちらも、ただでは済まないからな。一つ妥協しよう」

「妥協……だと?」

「ああ。……九尾の娘を引き渡す。それで、今回は手打ちにしよう」

「……」

 

 伊織の言葉に、妖怪達がいきり立つ。何を言っているのだ! と伊織を射殺さんばかりの眼光で睨む。

 

「……貴様は、九尾の娘を守ろうとしていたのではないのか?」

「それを言われると心苦しいな。だが、現実は甘くない。選択が必要な時もある。それに俺は退魔師だ。人間の守護が本分。無用の混乱を防ぐためにも、ここで八坂殿を奪われる訳には行かないんだ。八坂殿と九重を天秤に掛ければ、前者に傾く」

「……」

「要は、一度仕切り直そうという事だよ。こちらは体勢を立て直したい。そちらも、神滅具と事前準備なしに戦うのは避けたい。なら、当初の目的である九重を差し出すから、一旦引いていくれというわけだ」

 

 伊織の提案に、はぐれ術師は逡巡する。本当は、今日この日に、妖怪の異界を落としてしまいたかった。九重を連れて行っても、追っ手が掛かることは自明の理。後顧の憂いを経ってからじっくりと調教するつもりだった。もちろん、人質にして八坂が手に入れば文句はない。

 

 だが、ここで無理をすることは何とも躊躇われた。理由は言わずもがな、神滅具だ。はぐれ術師が、無敵に近い鬼を手に入れておきながら、ここまで警戒するのは神器の特性にある。それは、【禁手】だ。神器は全て、使い手の意志に反応して進化し、最終的にバランスブレイクと呼称される程劇的な力を発現する。

 

 ただの神器でさえ、その効果は上級悪魔や堕天使さえ退ける程のものなのだ。それが神滅具となれば……なまじ酒呑童子が強力な分、死闘になることは間違いなく、余計に魔獣創造が【禁手化】する可能性が高い。

 

 そうなれば、いかに酒呑童子と言えど消滅の危険は大いにあった。それはつまり、十年以上掛けた人生を賭した計画が潰えかねないという事だ。断じて、許容できるものではなかった。伊織の言う通り、神滅具対策は、きちんと時間をとって考えるべき懸案事項だった。

 

 故に、はぐれ術師は伊織の提案に乗る。

 

「……いいだろう。ただし、下手なことをすれば、九尾の娘は惨たらしく死に、京都の地に鬼共が放たれると思え」

「そいつは怖いな。肝に銘じておこう」

「……ふん」

 

 はぐれ術師が気に食わなさそうに鼻を鳴らし、周囲の妖怪達が姫を連れて行かせまいと絶叫を上げる。それらの一切を無視して、伊織は、怯える九重の元へ歩み寄り、その腕を掴んだ。

 

 その瞬間、八坂から強烈な殺気と妖力の塊が放たれる。しかし、一瞬で割り込んだミク達が障壁を張ってあっさり防いでしまう。

 

「……退魔師よ。裏切るのかえ?」

「まさか。全ては妖怪と協会のためですよ。貴方も統領ならばご理解下さい」

「……許さん。決して、許さんぞ。体が動き次第、くびり殺してくれる」

 

 常人なら、それだけで心臓を止めてしまいそうな強烈な殺意を乗せた眼差しが伊織を貫くが、当の伊織は肩を竦めるのみで柳に風と受け流す。

 

「母上……よいのです。九重がいけば、母上もみなもたすかる。どうか、みなをおねがいします」

「九重……必ず、助けにいく。それまで待っておれ」

「……母上」

 

 傷はほとんど治ったものの、体の芯にダメージが蓄積しているのか身動きしない(・・・)八坂と眉を八の字にする九重。悲しき母娘の離別に、妖怪達の死に物狂いに抵抗する。当然、気力だけで解けるほど鬼の拘束は甘くはなかったが……

 

 はぐれ術師は、歩み寄って来た九重の髪を腹いせ混じりに掴み上げた。九重が小さく悲鳴を上げる。

 

「……小僧、この借りは必ず返させてもらうぞ」

「そうか」

 

 最後に、いかにもな捨て台詞を吐いてはぐれ術師が憑依した崩月と鬼達が地面から噴き上がった光に包まれた。どうやら霊脈を利用した転移をするようだ。最後の一瞬、憑依が解けたのか崩月が苦虫を噛み潰したような表情で伊織を見た。そして、次の瞬間には、荒れ果てた異界から鬼達の姿が一斉に消え去った。

 

「……ふぅ、まったく。唯のはぐれ術師討伐の依頼がこんな事になるとはな」

「ふふ、流石、マスター。愛されてますね。トラブルに」

「ボクは何となく予想してたよ。マスターなら絶対、ごく自然に一大事の中心人物になってるだろうなって」

「魔獣創造もばれたしな。今まで以上に忙しくなりそうだ」

「ケケケ、面白クナッテキタジャネェカ」

 

 天を仰ぐ伊織に、ミク達が可笑しそうな笑みを浮かべて割と失礼な事をいう。この辺り、夫婦故の遠慮のなさだろう。

 

 だが、そんな伊織達を猛烈な殺意が取り囲む。仕方ない事だったとはいえ、敵に自分達の姫を渡した伊織達を、周囲の妖怪達は許すつもりがないようだ。

 

 そこに待ったを掛けたのは一番怒っているはずの八坂だった。

 

「待て、お前たちよ」

「なぜです! こやつら、姫様をっ!」

「そうです! やはり人間など信用ならん! 八つ裂きにしてやりましょうぞ!」

 

 いきり立つ妖怪達。敗北の屈辱と伊織達への怒りから八坂の言葉さえ届いていないようだ。と、そこへ、有り得ない声で再び制止がかかった。

 

「みな、まつのじゃ! 九重は、このとおりぶじじゃ! 伊織たちにほこをむけるでない!」

 

 幼い声音と共に、テトの傍らの空間がゆらりと揺れる。そこには、連れて行かれたはずの九重の元気な姿があった。妖怪達の眼が点になる。そんな彼等を見て、九重がその小さな胸を精一杯逸らしてドヤ顔をする。

 

「ふふふ、みなだまされたようじゃな! あれは九重のにせものなのじゃ! あやつらを化かしてやったのじゃ!」

「はぁ、この馬鹿娘。ペテンに掛けたのは伊織達であって、お前ではなかろう。大体、お前には、説教せねばならんことが山のようにあるのじゃ。威張っておらんで、まず反省せよ」

「うっ……伊織ぃー」

 

 人型に戻った八坂が、特にダメージも見受けられない様子でスっと立ち上がると、九重の脳天に尻尾の一撃を叩き込んだ。頭を抑えて涙目になった九重は、ステテテー! 伊織の元に駆け寄り、その足にヒシッとしがみつきコアラと化した。

 

「まったく、何かあれば伊織に泣きつく癖がついたようじゃな。嘆かわしい……」

 

 嘆息する八坂に、幹部クラスの妖怪達が事情説明を求めて集まる。みな一様に困惑を隠せずにいるようだ。

 

「あ、あの、連れて行かれた姫様は八坂様の幻術か何かで?」

「いや、あれは全て伊織達の仕業じゃ。流石に、疲弊した身であの鬼達に察知すらさせず幻術を掛けるような真似は厳しい。というより、この八坂を以てしてタネが見極められんかったのじゃが……説明はしてもらえるのかの?」

 

 八坂の視線と共に妖怪達の視線も伊織達に向く。伊織は、頬をポリポリと掻きながら、ミクに視線を向けた。ミクは、一つ頷くと、懐から一枚のカードを取り出した。

 

「アデアット!」

 

 直後、ミクの隣に、瓜二つのミクがポンッ! と現れた。

 

――アーティファクト 九つの命

 

 ミクと全く同一スペックの分身体を作り出すパクティオの力。更に、ミクは新たな力を発動させる。

 

――神器 如意羽衣

 

 向こう側が透けて見える上に、ミクを中心にして天女の衣装の如く宙に浮く羽衣。ミクが優美な手つきで隣の分身ミクに羽衣を撫でるように掛けた。そして、その羽衣が取り払われた後には、九重に瓜二つの分身体が現れた。

 

「ほぉ、これは……中々、見事よな。最初の札はよくわからんが、その羽衣は神器じゃな。それで偽の九重を作り出し、本物は他の術で姿を隠したというわけか。伊織の会話で注意を引いていたとは言え、念話で伝えられなければ、この身でも気づかなかったかもしれんの」

「ははっ、流石に、八坂殿に無断でやってただで済むとは思えませんでしたからね。信憑性を持たせる演技と分かっていても、あの殺気には肝が冷えました」

「ふふ、これでも化かし合いは十八番の妖狐じゃよ」

 

 伊織と八坂のやり取りで、周囲の妖怪もおおよその事情を察したようだ。感心したような、流石人間は悪知恵が働くと呆れたような視線を向けている。だが、その眼差しに怒りの色は既になかった。それどころか、最初、伊織達がここに来た時より、遥かに友好的な色が垣間見える。

 

 統領親子の窮地を救った事で、かなりの好意と信頼が寄せられているようだ。

 

「ふ~む、それにしても、貴重な治癒系神器に、姿形を自在に変える神器、極めつけは上位神滅具……おそらく、まだまだ手札を出し切っておらんのじゃろ? 崩月と相対したときの力の練も、人間とは思えんほど洗練されておった。思わず、見蕩れてしもうたよ。協会はとんでもない者達を取り入れておるのぉ」

「まぁ、協会は俺達が神器持ちだとは知りませんけどね。特に、魔獣創造なんか、周囲に知れたら今までのように生活は出来なくなるだろうし……」

「道理よの……それが分かっていながら救援に尽力してくれた。ちょっとやそっとでは、返しきれん恩が出来たのぉ」

 

 困った困ったと朗らかに笑う八坂に、伊織は静かに首を振る。そして、未だに自分の足にしがみついている九重の頭をひどく優しい手付きで撫でた。九重が、「ん?」と首を傾げながら見上げてくる。

 

「恩など……呼べば助けに来ると約束したのは俺自身です。救いを求める者に手を差し伸べるのは、俺の大切な誓い。俺は、俺自身の誓いを守ったに過ぎませんよ」

「……そういうでない。何も返せないとあっては、妖怪の矜持が廃る。どうか、恩返しを受けてたもう」

「……わかりました。まぁ、取り敢えず、目先の問題を解決しませんとね。酒呑童子は、是が非でも八坂殿の地位を狙ってますよ」

「それを言うなら、伊織の方じゃろ。お主と相対したときのあ奴の顔と言ったら……呪縛のせいでどう転ぶかはわからんが……高い確率で、崩月はお主を狙うじゃろ。既に敗北した我が身より、神滅具使いの方が危険じゃ。あのはぐれ術師の恨みも相当買ったようじゃしの」

 

 そう指摘されて、伊織は「あ~」と天を仰いだ。そして、チラリとミクを見る。視線を受けたミクは、ニヤリと実に不敵な笑みを浮かべた。いつでもOKです! と。

 

「そのはぐれ術師なんですけどね。そっちは割かし簡単に解決できると思います。奴を討伐すれば、呪縛も解けるでしょうから、実質的に相手は酒呑童子率いる鬼達です」

「解決できるとな? それは……よもや、先程の分け身かえ?」

 

 伊織の意図を察した八坂が、ニヤリと悪どい笑みを浮かべる。それに苦笑いしながら伊織は頷いた。

 

「ええ、強度に問題はありますが、あれは実質、ミク本人ですからね」

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 とある山中の開けた場所に、突如光が生じた。

 

 周囲を木々に囲まれたその場所は、円形状に草木が一切生えておらず。まるでミステリーサークルのように適度な大きさの岩が規則正しく置かれていた。その広場の中央から噴き上がっていた光が収まった時、一瞬前まで何もなかったその場所に大量の人影が現れる。崩月率いる、はぐれ術師に呪縛を受けている鬼達だ。

 

 崩月は、片手で捕まえていた九重を乱暴に放り投げると、不機嫌極まりないといった表情でドカッ! とその場に腰を下ろした。いや、不機嫌なんてものではない。その剣呑に細められた眼には憎悪が宿っていた。

 

 そして、それは他の鬼達も同じだった。酒呑童子の腹心である茨木童子など、歯を食いしばり過ぎて口の端から血を滴らせている。

 

「大将……このままでいいんですかい?」

 

 苦悶にも似た低い声で、茨木童子が崩月に言葉を投げかける。

 

「いいわけあるか。このままじゃ済まさねぇ。何とかして術を解かねぇとなぁ」

 

 崩月が、胡座をかいた足に肘を付きながら忌々しそうに歯ぎしりした。茨木童子も、返答を予想していたようで、腹立ち紛れに思わず八つ当たり気味に聞いてしまった事にバツ悪そうな顔になった。

 

 そんな鬼達の様子をジッと観察するように見つめる九重。その視線に気が付いた崩月が皮肉げに口元を歪めた。

 

「よぉガキんちょ。随分と大人しいじゃねぇか。これからいい様に玩具にされるってぇのによぉ。えぇ? もう諦めちまったのか? それとも思い通りになって本望ってか?」

「いや、とっても怖いのじゃ。しかし、お主等がえらく怒っているようじゃから、気になった。やはり、好き好んで従っているわけではないのじゃな」

「あぁ? 当たり前だろうが」

「ふむ、ならば、あのはぐれ術師から解放されれば、もう九重達を襲わんのかえ?」

 

 九重の様子に、崩月は違和感を覚えながらも暇潰しがてらに答えた。

 

「はっ、そんなわけねぇだろ。せっかく目ぇ覚ましたんだ。妖怪の統領は二人もいらねぇ! お前の母親の居場所は奪わせてもらうぜぇ。それに、あの小僧とも絶対に殺り合いてぇしなぁ」

「まさしく鬼じゃのぅ。どの世界でも戦闘狂ばっかりじゃ」

「あ? ……お前、何かおかしくねぇか?」

 

 流石に、どこか達観したような表情をする九重の姿をおかしく思ったのか、崩月が僅かに警戒したような眼差しを向ける。しかし、その警戒が形になる前に、まるで鶏のような引き攣った甲高い声が響いた。

 

「跪け! 酒呑童子!」

「ぐっ!?」

 

 鬱蒼を茂る木々の相間から姿を現したのは、皮と骨だけで出来ているのではないかと錯覚してしまう痩せぎすの男だった。その瞳は血走っており、泥のように暗く濁っている。狂気を感じさせる姿だ。

 

 そのはぐれ術師、崩月に命じた瞬間、崩月は胡座をかいた状態から額を地面に突きつけ始めた。やはり、はぐれ術師の命令には逆らえないようだ。鬼の御大将が、何とも無様を晒している。こんなことをされれば、先程の鬼達の姿も頷けると言うものだ。

 

 はぐれ術師は、そのまま酒呑童子の傍まで歩み寄ると、その頭を踏みつけながらヒステリックに叫び始めた。

 

「お前がっ! お前がっ! さっさと制圧してればっ! こんな事に! ならなかったんだろう! がっ! あぁ!? 伝説の鬼がっ! 聞いて呆れる! 所詮! 貴様は畜生にも劣るっ! ゴミクズなんだよぉ!」

 

 そう言って、何度も何度も崩月の頭を踏みつけた。上手くいかなかった鬱憤をそうやって晴らしているのだろう。鬼の身にダメージは皆無だが、精神的ダメージは計り知れない。さぞかし、崩月の矜持は傷ついている事だろう。他の鬼達も、射殺さんばかりの眼光をはぐれ術師に向けている。

 

 そんな視線が気に食わないのか、はぐれ術師は、鬼全員に崩月と同じように跪かせ、何度も自分で頭を地面に叩きつかせた。

 

「てめぇ……ぜってぇ殺してやる……」

 

 崩月が、怨嗟の篭った声音と眼光をはぐれ術師に向ける。余りに苛烈なそれに、はぐれ術師は一瞬「うっ」と怯んで後時さったが、直ぐに表情を取り繕うと甲高い声で嘲笑し始めた。

 

「ハハッ、私の奴隷、いや唯の道具の分際で何を言っている。出来もしない事は口にしないことだ。滑稽だぞ?」

「なめるな。枷はいつか必ず解いてやる。その時、てめぇの悲鳴を聞くのが楽しみだ」

 

 崩月の態度に、不快気に顔をしかめたはぐれ術師が更に崩月を屈辱の沼に沈めようとしたとき、不意に声が掛かった。

 

「う~む、酒呑童子よ。あれだけ霊脈の加護を受けておいて、それでも解けぬほど、その枷は強力なのかえ?」

「あ? あ、ああ、十年掛けて侵食されたからな。魂に根付いてやがる」

 

 いきなり質問を始めた九重に、さしもの崩月も若干困惑したようで、つい素で答えてしまった。

 

「おい、勝手に口を開くんじゃない。というか、なぜ野放しにしている。さっさと拘束しろ。さっさとこいつも呪縛するぞ」

「まぁ、待て。どうせ逃げられんよ。もう、主に隷属するしかないんじゃ。その前に、少し話を聞かせてくれてもよかろう? それとも魂操法とやらがなければ、こんなオチビも恐ろしくて相対できんか? だというなら……やはりお主は三流じゃの」

「小娘ぇ……今、この私を愚弄したか? 畜生風情が、この私を?」

 

 九重の物言いに、はぐれ術師の喉が引き攣ったような痙攣する。

 

「なんじゃ、こんな小娘の言葉に怒ったのかえ? 見た目通り、精神まで三流じゃな。これなら、霊脈を操作した術も大したことなかろう。母上なら、直ぐに力場を調整して、今度こそ返り討ちじゃ」

 

 自慢気に、そして挑発するように「お前など、相手にならない」と告げた九重に、はぐれ術師がニターと実に嫌らしい笑みを浮かべた。本当は、今すぐにでも暴行を加えてやりたかったのだが、そうすれば精神も三流という言葉を肯定してしまう気がして、論破して絶望に落としてやろうと思ったのだ。……その時点で十分未熟なのだが、生憎、プライドの塊のような男はその自覚がない。

 

「ひっひひひっ。それは無理だなぁ。いくら九尾狐と言えど、酒呑童子の血肉を利用した術を破れはしない。霊穴を酒呑童子の血肉で満たし、自然と霊脈から力を受けられるようにしてあるのだ。十年もかけた術だ。鬼神レベルの回復力がなければ土台無理な方法だが……既に、京都の霊脈に溶け込んでいる以上、自然に浄化するのを待つ以外正常に戻す方法はない。くふっ、お前の母親は、また痛めつけてから私の奴隷にしてやる」

 

 たっぷりと絶望をすり込むように語るはぐれ術師だったが、それを黙って聞いていた九重は顎に指を当てて考えるように首を傾げる。

 

「酒呑童子の血肉を混ぜて霊脈の質を変えて、引き合う力を利用し、霊脈の力が自然と流れ込むようにする……しかし、それでは、他の鬼達も恩恵に預かれていた事に説明がつかんが……よもや、お主のような三流が術を以て、霊脈の力を割り振っておった……何てことはないじゃろうしのぉ」

 

 再び、「まさかねぇ~?」と、どこか馬鹿にするような視線を向ける九重。その冷静な態度に鬼達同様、違和感を覚えたはぐれ術師だったが、幼子からそんな眼差しを向けられては黙っていはいられない。

 

「はっ、それがあるのだよ。本来、酒呑童子にだけ流れ込む霊脈の力を私が他の鬼に割って送り込んでいたのだ。ふふ、これで京都の地を支配すれば、私は無敵の軍団を従え……」

「では、お主が死んでも酒呑童子が強化されるという状態は変わらんわけか。まぁ、全ての鬼族が強化されんだけでもマシといえばマシか……ところで、お主が死ねば、魂操法の呪縛は勝手に解けるのかの?」

「……」

 

 自らの言葉を遮られ、思わず黙り込むはぐれ術師。流石に、膨れ上がる違和感を無視できなくなったようだ。

 

「答えてくれんのか? まぁ、その様子じゃと解けるみたいじゃな。呪縛されたまま身動きとれない鬼をそのまま封印というのが理想だったんですけど、流石に贅沢を言い過ぎですね」

「……だ、誰だ、貴様はっ! しゅ、酒呑童子ぃ! 取り押さえろ!」

 

 九重――改め、ミクもバレたと気が付いたようで途中から口調が素に戻る。聞きたい事はあらかた聞けたので特に問題はなかった。簡単に挑発に乗ってくれたので、実にやりやすい相手である。そんな気持ちが表情に出たのだろうか。はぐれ術師は、表情筋を盛大に引き攣らせつつ、咄嗟に崩月へ命令を下した。

 

ドンッ!!

 

 そんな地響きを立てて、座った状態から一瞬で肉薄する崩月。しかし、その剛速を以て振るわれた拳は、ヴォ! という空気が破裂するような音と共に目標が消えた事で何を捉えることも出来ず虚しく空を切った。

 

 そして、次の瞬間には、はぐれ術師の正面に現れたミクが、その鳩尾に強烈極まりない掌底をぶち込んだ。

 

「ゲハッァ!!!?」

 

 口から空気が漏れ、呼吸困難になりながら崩れ落ちるはぐれ術師。絶妙な手加減により気絶は免れているが、盛大に血の混じった吐瀉物を撒き散らしている。しばらくまともに動けないだろうことは明白だった。

 

 九重姿のミクは、くるりとターンを決めて、拳を振るったままの体勢で目を見開らいている崩月に笑みを浮かべた。

 

「てめぇ、一体何もんだ」

「私はミクといいます。マスターの指示で、ちょっと潜入させてもらいました。あっ、マスターって言うのは、酒呑童子さんと相対した少年の事ですよ」

「ハッハッ! そうか! あの小僧の差金かっ! ってことは、アイツが侍らしてた女の一人だな? あ~、何色だ?」

「ふふ、翠です」

「ああ、てめぇか。ククッ、それにしても流石だな、あの小僧。侍らしてる女まで面白れぇじゃねぇか。この俺が、一瞬とは言え相手の姿を見失うたぁなぁ」

 

 手を後ろで組み、片足のつま先をトントンして余裕の表情を見せるミクに、崩月の口元が釣り上がる。そんな崩月に、ミクは何の気負いもなく指を突きつけるとクイクイッと曲げて「かかってこいやぁ!」アピールをした。

 

「ハッ! いい度胸だぁ!」

 

 酒呑童子は、そのまま爆発じみた踏み込みで一気にミクのもとへ飛び込むと、今度は逃がさんと眼光を見開いて凝視しながら渾身の拳を放った。空気を破裂させ、衝撃波を伴いがながら一直線に突き進む拳撃。

 

 しかし、知覚能力が引き伸ばされ時間の流れが緩やかになった世界で、ミクは未だに笑顔を浮かべたまま動こうとしなかった。流石に、内心訝しむ崩月だったが、ミクの眼差しと、その直ぐ背後で蹲っているはぐれ術師を見て、その意図を悟った。

 

(てんめぇ! そういう事かっ!)

 

 直後、砲弾の如き崩月の拳は九重姿のミクを呆気なく粉砕し、そのまま慣性に従って背後のはぐれ術師へと突き進んだ。ミクが煙となってポフンッ! と消えるのと同時に、魂に掛けられた枷が主を保護せんと崩月を縛り付ける。

 

 しかし、一度放たれた砲弾はそう簡単には止められない。まして、崩月自身にも止める気は微塵もなく、ミクとはぐれ術師の距離は数十センチもないのだ。結果は、言わずもがな。

 

 はぐれ術師は、痛みに朦朧とする意識をどうにかつなぎ止めながら、ふと上げた視線の先で巌のような拳が迫ってきている事に僅かに目を見開いた。その瞳には、信じられないといった感情が映っている。

 

 それが、彼の生涯最後の光景となった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「というわけで、鬼の皆さんが余りに哀れだったので、酒呑童子さん自身に始末を付けさせました。情報通りなら、ここから先、強化されるのは酒呑童子さんだけになりますね」

「そうか。お疲れさま、ミク」

「ふふ、どうってこと無いですよ、マスター」

 

 分身体からの情報を受け取り、その結果を報告するミクに、伊織は労いの言葉を返す。周囲を見れば、八坂達は大体呆れ顔だ。九重の瞳はキラッキラッである。

 

「そうか、貴重な情報じゃな……しかし、あれでも霊脈の力が分散されていたとなると、もしかすると、崩月の力は更に増すかもしれん。何とか力場を調整して抑え込んでは見るが……」

「まぁ、あいつの目的は俺との殺し合いのようですし、俺が何とかしますよ。八坂殿は可能な限り霊脈からの力を削いで下さい」

「すまんの。我らの命運、主に託すしかなさそうじゃ」

 

 申し訳なさそうな表情の八坂に苦笑いしながらもしっかり頷く伊織。視線を巡らせばミク達も力強く頷いた。

 

 頼もしい妻達の視線を受けながら、異世界の英雄は、今世最初の修羅場に挑む。仰ぎ見る伊織の瞳には、かつてと同じ不退転の炎が宿っていた。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

楽しんで貰えたなら嬉しいです。

感想有難うございました。
強さに関して、言われてみると確かにネギまとかリリなのも大概だと思い、結構余裕ある戦いでも不自然ではないかな? と思えてきました。
何せ、バグキャラとか世界作っちゃう神様とか、次元震起こして世界崩壊とか、ざらにある世界観ですものね。
参考になりました。有難うございます。

それと協会の立ち位置に関しては、裏の警察のようなもだと思って頂ければいいかと。
つまり、公務員ですね! 危険度に関わりなく安定給料です! 但し、徹夜残業あり……
あと、協会はどの神話も贔屓にしません。信仰は術者達の個人の自由です。

次回は、明日の18時更新予定です。


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第33話 異世界の英雄VS鬼 前編

 

 十七夜月を縁側から眺めながら、伊織は、ズズズッとお茶を啜った。

 

 異界の空は外のそれと同じらしいので、月の満ち欠けや美しさも同じである。傍らにはいつもの如く伊織の愛すべき家族の姿があった。だが、今日はそこにもう一人が加わっている。傍らというより、伊織の膝の上にちょこんと座り、完全に弛緩して背を伊織の胸元に預けてる幼姫――九重だ。ちっちゃな足を縁側の外へ垂らし、可愛らしくぷらぷらさせている。

 

 伊織達は、現在、テトのアーティファクト【賢者の指輪】で修復した八坂の屋敷で決戦に備えて英気を養っているのである。江戸風の町並みや周囲の土地は荒れ放題のままではあるが、エヴァの神器【聖母の微笑】で負傷した妖怪達はあらかた回復した事もあり、十中八九、襲撃してくるであろう酒呑童子達との決戦に備え、要たる伊織達は優遇されているのだ。

 

「のう、伊織。……伊織は……かてるじゃろ?」

 

 ボーとしていると、九重が突然、ポツリと零すように不安を口にした。胸元から揺れる瞳で見上げてくる。

 

 伊織は、そんな九重に目元を和らげると、ひどく優しい手付きで九重の綺麗な金髪を梳いた。そして、気持ちよさ気に目を細める九重に、特に気負いを感じさせない自然な口調で返す。

 

「もちろんだとも。九重、実を言うとな……俺はとある神様にだって勝った事があるんだぞ? 酒呑童子くらいどうって事ないさ」

「そ、そうなのかえ? 伊織はすごいんじゃな!」

 

 目を丸くする九重。少々純粋すぎる気がしないでもない。きっと、伊織に全幅の信頼をおいているのだろう。隣のミク達が、微笑ましそうに九重を見つめながら、安心させるように言葉を続ける。

 

「そうですよ~、マスターはすごいんです。何百年も続いた厄災を終わらせた事もあるんですよ」

「なんとっ! すごいではないか!」

「それだけじゃないよ。世界を滅ぼしそうな猛毒を封じて沢山の人を救った事もあるんだよ~」

「世界となっ! 伊織は世界を救った事があるのかっ!」

「むしろ、世界を作った事もあるな。こいつが“やる”と決意して出来なかったことはないぞ」

「お~、伊織はえいゆうなのじゃな! しゅてんどうじなんて目ではなないのじゃ!」

「ケケケ、マァ、確カニ、コイツガ何カヲシクジッタトコロハ見タコトガネェナ」

 

 客観的に聞けば与太話以外の何物でもないのだが、九重は瞳をキラッキラッさせながら頬を上気させて全て素直に信じてはしゃぐ。全員が、ちょっと純粋すぎるわ! と悶えそうになっていた。ミク達の頬が上気している。危険な兆候だ。いつ九重に襲いかかってもおかしくない。

 

 取り敢えず、伊織はミク達が暴走しないよう九重を隠すように抱き直した。しかし、それが嬉しかったのか九尾をふりふりしながらへにゃりと笑うものだから、かえってミク達を興奮させたようである。念の為言っておくと、単に子供が好きなだけで、紳士の類では断じてない。

 

 そんな風に、これから鬼神レベルの大妖とその強力無比な配下達との戦いを控えているとは思えないほど和やかな時間を過ごしていると、八坂がやって来た。

 

「ふむ、(いくさ)の前とは思えんほど落ち着いておるな。……まるで、歴戦の戦士のようじゃ」

「八坂殿……まぁ、大きな戦いは初めてではないですよ」

 

 伊織達の落ち着きように興味深げな眼差しを向ける八坂に、伊織は曖昧な答えを返す。別に隠すような事でもないが、説明には少々時間がかかりそうなので今話す事でもないだろう。

 

「母上、伊織はすごいのです。実は……」

 

 九重が、同じように縁側に座した八坂に、まるで自分の事のように先程聞かされた伊織の武勇伝を語って聞かせる。それに、割かし本気で興味があるようで、八坂は「ほうほう」と何か考えるように相槌を打つ。おそらく、その頭の中では伊織に対する幾通りかの可能性が思い浮かんでいるのだろう。

 

「なるほどのぉ~。それにしても、九重は随分と伊織を気に入ったのじゃな」

「はい、母上。九重と伊織はともだちなのです。とってもなかよしなのです」

「ほうほう、友達とな……ふ~む」

 

 そう言って、伊織の腕にギュッと抱きつく九重。それを見て、八坂が面白げな笑みを浮かべる。そして、その視線がチラリとミク、テト、エヴァの順に巡り、更に面白そうな表情になると、尻尾をしゅるりと動かして伊織の膝上から九重を抱き上げ、自分の膝上に下ろした。

 

「母上?」

「ふふ、九重よ、ちょっと耳を貸すのじゃ」

 

 困惑する苦悩のキツネミミに八坂がそっと口を寄せる。ご丁寧に簡易の結界まで張り盗聴を防止して、ゴニョゴニョと何かを呟いている。その内容が聞こえずとも分かったのか、ミクとテトは「あらら~」と困り気味の笑み漏らし、エヴァは呆れたような表情になった。

 

 そして、八坂から何かを吹き込まれていた九重はというと、最初は訝しげに眉根を寄せ、次に驚いたようにミク達を見つめ、最終的に伊織を見て真っ赤になるとあたふたし始めた。九尾とキツネミミは今までにない程激しく揺れている。内心の動揺を表しているようだ。

 

「八坂……お前は、こんな幼子に何を吹き込んでいるんだ」

「ふふ、なに、娘の将来を心配する母親のお節介よ。こういうのは早目に意識させておくに限る。それともエヴァンジェリンよ。我が娘が恐いかえ? 親の贔屓目に見ても、九重は美人になるぞ?」

「はぁ、この女狐め、とでも言っておこうか」

「ふふふ」

 

 その会話で伊織も何となく八坂の意図を察して、エヴァ同様呆れたような視線を向けた。不意に目のあった九重は、ビクッとすると途端にあたふたし始める。女の子は早熟というが、九重も例に漏れないようだ。おそらく姫という立場がそうさせたのだろう。十分そういう事を意識できる年頃らしい。

 

 と、その時、突如、大気が震え始めた。

 

「……来たか」

 

 伊織が縁側から降りて地面に立つ。その視線は、八坂と崩月が激突し更地となった場所に向いていた。伊織に合わせて、ミク達も立ち上がる。

 

「伊織……」

 

 九重が、トテトテと歩み寄り伊織の服の裾をギュッと握り締めた。伊織は、微笑みながら九重の頭を撫で強く頷き、言外に「大丈夫」と伝える。九重は、以前、伊織に言われた役目を思い出し、一度瞑目すると、同じく力強く頷き返して自ら手を離した。その真っ直ぐの瞳は「信じている」と伊織に伝えている。

 

「では、八坂殿。幹部クラス以外の鬼と霊脈の調整は任せます」

「うむ。任された。妖怪の問題に、主等を矢面に立たせるのは心苦しいが……どうか、頼む。新たな神滅具の担い手よ」

 

 伊織は八坂の言葉にも力強く頷くと、ミク達と共に空を飛び去った。

 

「母上……」

「信じよ、九重。人は強い。あの少年は、その体現者ぞ。元来、超常の存在を討つのは人間と決まっておる。……それに」

「それに?」

「ふふ、この八坂が認めた娘の婿候補が、こんなところで負けるわけなかろう?」

「は、母上! そ、その話はっ! うぅ~」

 

 小さな狐姫の心配と信頼と僅かな将来の期待を含んだ呻き声が木霊した。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 空を飛ぶ伊織達の眼下で、鬼の大群が土埃を巻き上げながら進軍している光景が広がっていた。ミクが仕入れた情報通り、下級、中級の鬼の群れは特に強化されている様子はない。やはり、霊脈のバックアップを受けられるのは酒呑童子だけのようだ。

 

 と言っても、その鬼が強力な存在である事に変わりはなく、傷は癒えたといっても多くの仲間を失い、体力までは回復していない妖怪達では厳しい戦いになることは自明の理だ。八坂はおそらく力場の調整に掛かりきりとなってしまうだろうから、あまり期待は出来ない。

 

 なので、彼等の助けとなるべく、伊織は自身の神滅具を発動した。伊織を中心に、三体の魔獣が出現する。いや、それは魔獣というには少々趣を異にしている。

 

 一体は、大型の盾と長大な槍を持った全身甲冑の黒い騎士。二体目は、野太い後ろ足を持ち背中から翼を生やした体長二メートルの兎、三体目は、髑髏のような容貌に二本の長い腕を持つ細身の人型。順に

 

――魔獣創造 ナイト

――魔獣創造 ホワイトラビット

――魔獣創造 マッドハッター

 

 という。

 

 三体の作り出された魔獣は、そのまま眼下の鬼の群れへと上空から強襲した。

 

 まず、ホワイトラビットがミクやテトを思わせる超高速飛行で姿をぶれさせ、翼に掘られた特殊な溝を利用して衝撃波を発生させる。一瞬で群れを通り抜けたホワイトラビットの軌跡には、片腕をちぎられたり、衝撃で大きく吹き飛ばされた鬼達がゴロゴロと転がっていた。

 

 それでも流石の頑強さで、直ぐに襲撃者を探して視線を巡らせる鬼達。そこへ、高熱を発する閃光が襲いかかった。マッドハッターが、その巨大な掌から放つ炎熱変換された魔力砲撃である。

 

 ホワイトラビットにより混乱していた鬼達が、防御姿勢をとる暇もなく炎熱魔力砲撃の輝きに貫かれて消滅した。

 

 上空に注意を向けた鬼の一部が、撃墜せんと近くの石を拾って、その莫大な膂力を以て砲撃じみた投石を行う。しかし、飛行を行う無防備なホワイトラビットを庇うように背中の魔力スラスターを噴かして空中を移動したナイトが、その手に持つ魔力を纏った盾で全て防いでしまった。

 

 そして、投石を行った鬼のど真ん中に着弾とも言うべき着地をすると間髪入れずに槍を振るう。その槍はキィイイイイ!! という独特の音色を響かせており、円を描くように振るった後には、粉砕された鬼の残骸だけ盛大に散らばった。ナイトの持つ槍は、高速振動をしており、いわゆる振動破砕を起こす槍なのだ。

 

 そう、知っている人は知っている。三体の創り出された魔獣は、かのARMSをモデルとしているのだ。伊織が、魔獣創造の鍛錬において偶然出現した“破壊の王”とそっくりの魔獣から連想して、それならナイト達も創れるんじゃないか? と考えたのだ。

 

 ちなみに、魔獣達には魔導を組み込んでおり、いわば【魔獣創造】と【魔導】のハイブリッドとなっている。原作ARMSを再現しようという伊織の試みだ。ホワイトラビットの高速飛行は移動魔法【ソニックムーブ】や【ブリッツアクション】の産物であり、マッドハッターの砲撃は炎熱変換機能付き砲撃魔法【ディバインバスター】で、ナイトの盾は【ラウンドシールド】、槍は近接魔法【ブレイクインパルス】の応用だ。

 

 ホワイトラビットがかく乱し、マッドハッターが砲撃し、前衛をナイトが務める。それにより、鬼達の何割かが足止めを余儀なくされた。これで、妖怪達の戦いも少しは楽になるだろう。向こうには、ミクの分身体も配置しているので、滅多な事はないはずだ。

 

 伊織は、ナイト達が上手く戦えている事を見届けると、その場を任せて飛行を続けた。

 

 と、五秒も進まない内に、伊織達に向けて先程のものとは比べ物にならないくらい巨大な石やへし折られた木々が投擲されてきた。速度も比べ物にならない。まさしく砲弾である。

 

「ボクに任せて、マスター」

 

 そう言うやいなや、テトが二丁の拳銃型アームドデバイス:アルトを抜き撃ちする。

 

ドパァアアン!!

 

 銃声は一発。されど放たれた弾丸は左右から六発ずつの計十二発。しかも唯の弾丸ではない。その全てが、念能力により【周】を施され、更に目標にヒットした直後、内包された魔力が破裂する【バーストショット】だ。

 

 一ミリの狂いもなく全ての投擲物の真芯を捉えた魔弾は、意図した通り、対処を全て粉微塵に砕いた。

 

「でかい気配が四つ……酒呑童子の四天王という奴か。それに迂回するように九重のもとへ向かっている気配が一つ……この音は茨木童子か」

「どうしますか、マスター」

 

 一瞬、考える素振りを見せた伊織は、直ぐに結論を出した。

 

「酒呑童子は動いていない。俺を待っているんだろう。下手な被害を出されても困るから、俺は奴のもとへ行く。ミクとテトで四天王を、茨木童子はエヴァとチャチャゼロに任せる。頼んだぞ」

「はい、マスター!」

「了解だよ、マスター」

「いいだろう。同じ“鬼”としてどちらが格上か刻みつけてやる」

「ケケケ、久々ノ殺シ合イダゼ」

 

 四人と一体は、互いに頷くと一気に散開した。互いに心配の言葉は掛けない。いつも通りの修羅場で、いつも通り勝利を収めて、いつも通り救いを求める者を救うのだ。退魔師と名称を変えても、伊織が騎士である事に変わりはなく、彼女達はそんな伊織を支える家族だ。故に、敗北はない。全員が、そう確信しているのである。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 ミクとテトが降り立った先には、熊童子、虎熊童子、星熊童子、金熊童子の四天王が全員揃っていた。おそらく、はぐれ術師のもとへ潜入した際のミクを見て、容易ならざる相手と思ったのだろう。鬼ならば一対一を好みそうだが、果たして……

 

「よぉ、嬢ちゃん。やっぱり生きとったな。大将の一撃で消し飛んだかと心配もしたが、案の定で安心したわ」

「あらら? 心配してくれたんですか?」

 

 おそらく熊童子と思われる鬼の言葉に、ミクが不思議そうな顔をする。

 

「そりゃなぁ。呪縛から解き放ってくれたわけやし、わいらの恩人と言えば恩人やろ。しかも、嬢ちゃんなら自分で野郎の始末も出来たやろうに、あんなまどろっこしい方法とって大将に殺らせてくれとったしなぁ」

「わしらが直接殴れんかったのは悔しいが、それでも野郎が消し飛んだ時はスカったしたわ!」

 

 そう言ってガッハッハ! と豪快に笑う四天王達。鬼でも、やっぱり恩とか感じるんだなぁ~と割かし失礼な事を考えつつ、テトと顔を見合わせるミク。しかし、感心したのも束の間、次の言葉でやっぱり所詮、鬼は鬼だと直ぐに思い直した。

 

「まぁ、単純に生きててくれな戦えへんしな!」

「「「まったくだ!」」」

「結局、脳筋の戦闘狂じゃないですか」

「ミクちゃんの人気ものぉ~」

 

 溜息を吐くミクに、テトがからかい混じでツンツンと突く。そんな二人を尻目に、四天王達は誰が最初に戦うかで揉めだした。やはり、一対一がいいらしい。しかし、そんな鬼達の矜持やら主義に付き合ってやる理由など全くないので、ミクはビシッ! と、四天王に指を突きつけた。

 

「四天王さん! 注目!」

「「「「あぁ?」」」」

 

 ミクの呼び掛けに、四天王が一斉に顔を向ける。そこで、ミクは酒呑童子にしたのと同じように指先をクイックイッと曲げて言葉と共に挑発した。

 

「ガタガタ言ってないで、全員纏めって掛かって来て下さい。一人ずつなんて……時間の無駄です」

「「「「………………上等だぁ、ゴラァ!!」」」」

 

 一瞬の沈黙の後、四天王はあっさりミクの挑発に乗って飛びかかった。ミクを殺すのは早い者勝ちとでも言うように、ひしめき合いながら突進してくる。そんな、ある意味無防備な彼等を前にして、一発の弾丸が冷や水を浴びせた。

 

――念能力 拒絶の弾丸

 

 有機物、無機物に関わらず、対象を分解してしまう必殺の弾丸だ。その一撃で咄嗟にかざした腕を丸ごと消滅させられた熊童子が驚愕をあらわに、その犯人であるテトに視線を向けた。

 

「ボクもいるのに、無視はひどいな。あんまり舐めてると、直ぐに終っちゃうよ?」

 

 くるくるとガンスピンさせながら、そんな事をいうテトに熊童子の眼が剣呑に細められた。

 

「やってくれるやないか。嬢ちゃん。八つ裂きやすまへんで」

「できるかな? ボクは結構強いよ?」

「はっ、あの小僧は中々胆力のある女ばっかり侍らしとるなぁ。ええで、まずは嬢ちゃんからぶっ殺したらぁ!」

 

 熊童子は片腕がなくなった事などまるで気にした風もなく、猛烈な勢いでテトに襲いかかった。同時に、虎熊童子も、テトを面白いと見たようでミクから標的を変更して襲いかかる。

 

 テトは、右のアルテを虎熊童子に、左のアルテを熊童子に向けて同時に発砲した。

 

――銃技 ピンポイントショット

――直射型射撃魔法 ヴァリアブルバレット

 

 多重弾殻形成された魔弾が【周】を施された状態で放たれる。二鬼に向かう弾丸の数はそれぞれ六発ずつ。それが全く同じ軌道で、ほぼ同時に着弾する。

 

ドドドドドッ!!

 

 そんな音を響かせながら着弾したテトの魔弾は、防御に掲げた熊童子と虎熊童子の腕を綺麗に貫通した。一発では、鬼の並外れた防御力を突破できなかっただろうが、流石に障壁破壊を目的とした魔弾の同箇所同時攻撃は防ぎきれるものではなかったようだ。

 

 だが、確かに血肉を撒き散らしダメージを負ったはずの鬼達は、まるで何事もなかったかのように突進を継続。そのままテトのいる場所に挟撃する形で拳を振り下ろした。

 

ヴォ!!

 

 空気が破裂するような音をさせてテトの姿が掻き消える。瞬間移動じみた高速機動だ。

 

「チッ! 紅髪の嬢ちゃんも早いじゃねぇか!」

 

 虎熊童子が、裏拳を背後に放つ。消えたテトが、一瞬で己の背後に回った事を察知したからだ。テトは、豪速で迫る丸太のような腕をかがみ込むことで回避しつつアルテを続け様に発砲した。

 

ヂヂヂヂッ!!

 

 撃ち放たれた弾丸は、しかし、虎熊童子には当たらず、その股下を潜り抜ける。テトの狙いは最初から虎熊童子ではなく、その巨体を壁にしてもう一体の鬼の死角に入ること。紅色を見失った熊童子に、虎熊童子の股下を抜けて地面の窪みに跳弾した弾丸が襲いかかる。

 

「うぉおお!?」

 

 狙いは単純。熊童子の眼球だ。飛び跳ねた弾丸が何の冗談かと思うほど正確に熊童子の眼を目掛けて殺到する。熊童子は、思わず悲鳴を上げながらも何とか首を捻り、こめかみを抉られるだけで死を免れた。

 

 と、熊童子が安堵の吐息をつく暇もなく、その体に紅色に光り輝く円環がまとわりつた。

 

――捕縛魔法 レストリクトロック

 

「ぬぉーー、何じゃ、これはぁ!」

「こなくそがぁーー!!」

 

 見れば、いつの間にか虎熊童子にも同じように紅の円環がはまり込んで、その動きを拘束していた。突然の、見た事もない拘束術に悪態を吐きながらも二鬼は雄叫びを上げながら筋肉を隆起させ、妖力を爆発的に練り上げる。

 

 その力の大きさは流石、四天王と言うべきレベル。強力な拘束魔法である【レストリクトロック】が早くも悲鳴を上げている。破壊されるまで数秒といったところか。しかし、それだけあれば時間稼ぎには十二分。

 

「アルス・ノーバ・アド・リビドゥム 来れ雷精 風の精! 雷を纏いて 吹きすさべ 南洋の嵐 【雷の暴風】!!」

 

 いつの間にか距離をとっていたテトが真っ直ぐ手を突き出す。次の瞬間、激しくスパークする雷の砲撃が地面を削り飛ばしながら撃ち放たれた。凄まじい轟音を立てながら螺旋を描いて直進する暴威は、大気すら灼き焦がす。

 

 戦慄の表情を浮かべる二柱の鬼が死に物狂いで拘束を解こうと暴れた。間一髪、虎熊童子は拘束を破壊して身を投げ出すことに成功。背中を焦がす雷撃の嵐を感じながらそのままゴロゴロと無様に転がって安全圏へと離脱する。

 

 しかし、テトにより片腕を喪失していた熊童子はコンマ数秒、拘束から逃れるのが遅れてしまった。それは致命の遅れ。ズドンッ! と音を立てながら【雷の暴風】は容赦なく熊童子を光の中に呑み込んだ。

 

 しかし、流石は四天王の称号を冠する鬼。熊童子は、まさに鬼の形相で妖力を高め、荒れ狂う雷光の暴威に耐えようとする。焼き爛れる外皮に、蒸発していく腕の傷口。急所を庇う腕は既に炭化している。

 

 それでも、熊童子は耐え切った。雷の嵐が過ぎ去り、凶悪な爪痕が残った大地の上で全身から白煙を吹き上げながら、それでも堂々と仁王立ちする。そして、食いしばっていた口元をニヤリと不敵に歪め、どんなもんだと挑発混じりの眼光を送る。

 

 だが、テトのターンはまだ終わっていない。それを証明するように、熊童子の眼は大技を撃ち放って残心しているはずのテトの姿ではなく、すぐ眼前に迫った靴裏を捉えていた。

 

ベキィ!!

 

 念による【硬】を施された飛び蹴りが熊童子の無防備な顔面にヒットする。少女の見た目からは想像も出来ない凄まじい衝撃が彼の脳を揺さぶった。そのまま仰け反り倒れそうになるのを、咄嗟に足の指で地面を噛んで踏ん張ろうとする。

 

 が、それも読まれていたらしい。

 

ドパンッ!

 

 そんな銃声と共に、熊童子の足の指がピンポントで撃ち抜かれる。その結果は言わずもがな。

 

 熊童子は、サマーソルトでもする勢いで後方へと後頭部から倒れ込んだ。【雷の暴風】によるダメージも相まって飛びそうになる意識を気力と矜持で繋ぎ止める。そして、ほとんど無意識に、戦闘本能そのままに炭化した腕を振るって顔面上のテトを薙ぎ払おうとした。

 

 しかし、その一手は、

 

「ずっとボクのターンだよ?」

 

 そんな素敵な言葉と共に封じられる。

 

「解放、【雷の投擲】」

 

 直後、熊童子の顔面を踏みつけたテトの足から長大な雷の槍が解放され、無残にも彼の頭部を貫いた。そして、そのまま蓄えられた電撃を直接頭の中へスパークさせる。

 

「ガァアアアア!!」

 

 熊童子の絶叫が響き渡る。しかし、【雷の投擲】はそんな悲鳴など関係ないと言わんばかりに容赦なく熊童子を地面に縫い付けながらスパークし続け、遂に、屈強な鬼を陥落させた。持ち上がった熊童子の腕が力なくパタリと地面に投げ出される。

 

「よぉ、やってくれたなぁ、嬢ちゃん。あいつの仇を討たせてもらおうかっ!」

「いや、死んでないよ? それより、ほら足元」

「あぁ? んなっ!?」

 

 虎熊童子が、その言葉とは裏腹に強敵を前にして喜悦を浮かべる。しかし、そんな虎熊童子に対して、テトは飄々とした態度を以て彼の足元を指差した。

 

 言われるままに足元を見た虎熊童子の眼に、八卦図が描かれた古びた布が映った。

 

――神器 十絶陣が一つ 金光陣

 

 虎熊童子が驚愕に眼を見開いたまま、その姿を消す。十絶陣によって創られた空間の中へ引き摺り込まれたのだ。

 

 今頃、虎熊童子は、草木一つ生えていない荒地において、天に輝く金光により作り出された己の影に襲われている事だろう。その影は、本体である虎熊童子の十分の一程度の力しか持っていないが、影が負ったダメージは全て虎熊童子に反映される。つまり、戦えば戦うほど“自滅”していくのだ。

 

もちろん、ただ防御と回避に徹していれば問題はない。虎熊童子がそうするかは分からないが、一応、脳筋の鬼には効果的な捕縛陣(・・・)として機能するだろう。

 

 鬼に対して殲滅戦をするわけではないので、念の為、位の高い鬼を最低でも一体は確保しておこうという腹だ。生き残りの鬼を野放しには出来ないし、野の鬼達も多数いるので、無闇に他者に襲いかからないと約束させて下っ端を纏めて貰もらうのだ。

 

 もっとも、視線を巡らせば、少し離れたところで体中にネギマークを付けてぶっ倒れている星熊童子と、四肢を斬り飛ばされて力なく倒れ伏しているものの生きている金熊童子がいるので、どちらかと言えば、単に、実戦で神器を使ってみたかったというテトの茶目っ気だったりする。

 

「ミクちゃん、お疲れ~」

「テトちゃんもお疲れです~」

 

 ミクとテトが、パンッ! と笑顔でハイタッチする。そんな二人を見て、首だけを動きして視線を向けた金熊童子が、呆れたような表情をした。

 

「嬢ちゃん等、一体、何もんなんや。ここまでコテンパンにされたんは初めてやで。四天王相手に無傷って、ちょ~と傷ついたで?」

「私としては、それだけの傷を受けて割かし平然としている方がどうかと思うんですが……」

「はん、手足失くなったくらいで鬼が死ぬかい。ほっといたら勝手に生えてくるわ。それより……止め刺さへんのか?」

 

 その言葉に、ミクとテトが「う~ん」と首を傾げる。

 

「私達の方針って、基本は不殺なんですよね。前回は呪縛されてたわけですし、そもそも鬼に“戦うな”っていうのは息をするなと言ってるのと同じですから……」

「だから、無闇に誰かを襲ったりしないと約束するなら殺さないよ」

「甘いなぁ、そんな口約束を信じるんかいな」

「相手が鬼ですからねぇ。脳筋の戦闘狂という困った種族ですが、嘘を嫌う、ある意味実直な方達ですし……」

「これでもボク達、色んな人達を見てきたから自分の勘は信じているんだよ。それに戦後の鬼達を纏める役も欲しいしね。それとも、今後、無為に暴れ続けるかい? 敗戦の腹いせに無関係の人達で鬱憤を晴らすのが鬼という種族なのかな?」

 

 ミクとテトの言葉に、金熊童子は憮然とした表情になる。

 

「そんなわけあるかい! えぇい、くそったれめぇ! 四天王が総出で挑んで正面から返り討ちに合ったんや。ここでグダグダ言うたら、鬼の名折れや! 嬢ちゃんらに従うわい! 鬼の矜持かけて好き勝手暴れへん! これでええやろ!」

「ふふ、やっぱり鬼ですねぇ~」

「鬼だねぇ~」

 

 不機嫌そうな、されどどこか楽しげな雰囲気で敗北宣言した金熊童子。他の四天王も同じことを言うはずだとお墨付きも貰う。

 

 と、その時、それなりに離れた場所で強大な氷の柱が剣山のように無数に突き立ち、また違う方では天を衝く濃紺色の閃光が夜天を切り裂いた。

 

「マスターとエヴァちゃんですね」

「だね。……どっちに行く?」

「やっぱり、マスターですよ。正直、酒呑童子さんは厄介極まりないです。マスターの力になれるならそれに越したことはありません」

「OK、じゃ、行こっか」

 

 そう言って、ミクとテトは、金熊童子達にはもう見向きもせず飛び去っていった。

 

「……大将相手でも“厄介”ねぇ。ホンマ、おもろい奴等やで」

 

 後に、呆れと喜悦の含まれた鬼の声だけが残った。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

ちょっと戦闘があっさり過ぎた気もしますが、伊織の戦闘を厚く書きたかったので、二人は初見殺しということでこんな感じにしました。
あと魔獣創造は、知っている人は知っているARMSです。
今は、魔導を合わせて再現状態ですが、禁手はもちろん……


それと毎度感想ありがとうございます。
神器は人間にしか……という質問がありましたが、まぁ、ほら、ミクテトは人の魂入ってますし、エヴァはもと人間ですし、チャチャゼロは……800年のあれこれで、という事で一つお願いします。
なろうの方で書いてます? とありましたが……確かに書いてます。“唯の”ではない厨二好きとして。……ちょっとストレス解消に。もっとはちゃめちゃ出来る二次は、やっぱりいいですね。

次回は、明日の18時更新予定です。


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第34話 異世界の英雄VS鬼 中編

 

 

ギンッ! ガンッ! ギャリリリッ!!

 

 江戸の風の町の郊外に、そんな金属同士がぶつかった様な激しい音が響き渡っていた。一方は巨体を誇る鬼の副首領が操る長大な棍、もう一方は、小さな体躯のキリングドールが振るう片刃の大剣。

 

「ぬぅおおおおお!!」

「ケケケッ!!」

 

 茨木童子とチャチャゼロが、それぞれ禍々しい妖力と魔力を輝かせながら相手を絶命せんと凶器を走らせる。茨木童子の棍は彼自身の灰色の妖力に覆われ、唯の木を削り出した物とは思えない硬度を実現し、チャチャゼロの振るう大剣とぶつかる度に硬質な金属音を響かせる。

 

 棍による連続して繰り出された突きは、その余りの速さに残像が発生し、もはや壁と称しても過言でないほど苛烈だ。しかし、そんな突きを、宙に浮くチャチャゼロは、ひょいひょいと紙一重でかわし、あるいは大剣で逸らして軽く凌いでいく。

 

 と、その時、猛攻を掛ける茨木童子の足に、チャチャゼロの纏う黒いボロマントがシュルシュル這い寄った。踏み込みのため大地に押し付けた足を包み込むと強烈な圧縮を加えながら掬い上げるように収縮する。

 

「うぉ!?」

「ケケケ、オッパイ剣士直伝ダゼ? 食ラットケ!」

 

 僅かにバランスを崩し、棍の一撃が軌道を逸れて無意味なものとなる。その隙を逃さず、チャチャゼロは、水平に構えた大剣を回転しがら遠心力をたっぷりと乗せて振り抜いた。その大剣にはいつの間にか緋色の輝き――炎が纏わりついていた。

 

――炎熱付与魔法 紫電一閃

 

 灼熱の一撃は、咄嗟に盾にした茨木童子の棍を真っ二つに斬り裂き、更に腹へ真一文字を刻み込んむ。

 

 言わずもがな、夜天の騎士――烈火の将シグナム直伝の剣戟だ。チャチャゼロが、なぜ古代ベルカの魔法を使えるのか……それは、チャチャゼロが既に自我を持つ唯の人形ではなく、古代ベルカの魔導技術が組み合わされた自律型デバイスと化しているからだ。

 

 リンカーコアは持っていないが、その身そのものがカートリッジのような魔力タンクとなっており、ある程度の魔導が行使可能なのである。犯人は勿論、アイリス・ルーベルスとライド・ルーベルスのマッド夫婦とその愉快な仲間達である。

 

 茨木童子がたたらを踏む。もっとも、鬼――それも副首領たる茨木童子からすればかすり傷程度のダメージだ。茨木童子は直ぐに体勢を立て直すと、大剣を振り切ったチャチャゼロに向かって、折れた棍を振り下ろした。

 

 技後の隙を狙った絶妙なタイミングでの一撃は、鬼の膂力と相まってチャチャゼロの小さな体を粉微塵に砕くかと思われた。が、チャチャゼロは、振り切った大剣の遠心力を利用して、そのまま一回転しつつ、迫る棍の一撃を見もせず回避した。

 

 そして、そのままもう一度、灼熱を纏う大剣を叩きつける。

 

「同じ手が通じるかぁ!」

「ケケケッ、間抜ケ」

 

 妖力を高め、まるで念の一つ【堅】のように防御力を高める茨木童子。先程の一撃で、棍を挟んだとは言え浅く斬り裂くにとどまった以上、チャチャゼロの剣戟では防御力を高められれば意味をなさないとわかるはずだ。

 

 しかし、キリングドールから発せられたのは焦燥の声ではなく、嘲笑の一言。その理由を示すように、直撃しつつも外皮に通らなかったその一撃は、しかし、内包された莫大な熱量を一気に解放し、斬撃ではなく強烈な衝撃を発生させる爆破打撃へと変化した。

 

ドゴンッ!!

 

「ぐぅおお!?」

 

 二度目の振り抜き。チャチャゼロの大剣が優美とすら言える剣線を宙に描くと同時に、茨木童子はくぐもった悲鳴を上げながら水平にぶっ飛んだ。砲弾と化した茨木童子は、そのまま家屋を薙ぎ倒しながら通り三つ分を貫通し、地面を抉りながらどうにか停止する。

 

「ぐっ、なんてぇ人形だ。……鬼を吹き飛ばすなんざ尋常じゃねぇぞ」

 

 くらくらする頭を振りながら、されどそれ程大したダメージを受けた様子もなく起き上がる茨木童子。副首領ともなれば、全てのスペックが桁違いなのだろう。チャチャゼロの放った一撃は、並みの鬼なら内臓ごと粉砕されてもおかしくない程の威力だったのだ。

 

 もっとも、チャチャゼロ自身、これで仕留められるとは思っていなかった。そもそも、それはチャチャゼロの役目ではない。チャチャゼロは魔法使いの従者であり、その役割は後衛の盾であり剣であること。すなわち、言ってしまえば時間稼ぎである。

 

 故に、その声の主こそが、この戦場の主役だ。

 

「当然だろう。この私の従者だぞ? さぁ、次は主人の番だ。存分に味わえ。【氷瀑】」

「――ッ!?」

 

 戦場に響く可憐な声音。次の瞬間、茨木童子を中心に大量の氷が発生し、直後、猛烈な凍気と爆風が発生した。ビキビキッと音を立てながら体表を覆って行く氷と内臓にまで届く衝撃に、咄嗟に横っ飛びで殺傷圏内から離脱する茨木童子。声にならない悲鳴を上げる。

 

「ほぉ、流石、頑強さだけが取り柄の種族だ。なら、これはどうだ? 【こおる大地】」

 

 鼻を鳴らしながら不敵な笑みを浮かべて宙より茨木童子を睥睨する金髪碧眼の鬼――エヴァは、優雅な仕草でフィンガースナップをした。直後、【氷瀑】の影響圏内から這い出た茨木童子を剣山の如き無数の氷柱と苛烈な凍気が襲う。

 

 氷柱と凍気から身を守るため妖力を全力で絞り出す茨木童子。内包する妖力がガリガリと削られていく。それでもやはり耐え切るというは、もはや流石としか言いようがない。これが四天王レベルなら、相当疲弊するか、あるいは終わっていた可能性もある。

 

「舐めるなぁああああ!!」

 

 茨木童子は、その眼光に殺意を滾らせると、雄叫び上げながら力任せに周囲の氷柱を殴り飛ばした。根元から砕け散り、即席の砲弾と化した氷柱は、その行使者たるエヴァに向かって殺到する。

 

「サセネェゼ」

 

 と、そこへ頼もしき従者が帰還する。大剣を残像が発生する程の速度で振り回し、次々と氷柱を迎撃していく。その間に、エヴァは新たな魔法の詠唱に入った。

 

「ふん、やはり半端に生かしておこうと思ったのがダメだったな。まぁ、死んだらそれまで。頑張って耐えろよ? 契約に従い我に従え 氷の女王 来れ とこしえのやみ! えいえんのひょうが! 全てのものを妙なる氷牢に閉じよ 【こおるせかい】!」

「――っ!!!!?」

 

 再び、声にならない絶叫が上がる。エヴァの詠唱が終わると同時に世界が凍獄へと塗り替えられた。四方百五十フィート圏内が、ほぼ絶対零度に近い極低温空間となる。茨木童子は逃げ場のない理不尽に対し、自身の持てる妖力の全てを以て対抗しようとするが、とある世界の正史においては鬼神すらも一瞬で凍てつかせた極大魔法に抗うには“格”が足りなさ過ぎた。

 

「……大陸の鬼は……こうまで強ぇのかい?……完敗だな」

「ふん、私が異質なだけさ。光栄に思え、この【真祖の吸血鬼】エヴァンジェリンと相対できたことを」

「……いっそ清々しい。くそったれぇ……」

 

 その言葉を最後に、茨木童子は透き通った美しさすら感じさせる氷柩の中へ封印され、意識を闇の底へと落としていった。辺りには、まるで美術品のように氷柱封印された茨木童子と天を衝くような氷の剣山で埋め尽くされている。

 

 戦いの終わりを告げるように、エヴァは月明かりに輝く金髪を片手で優雅に払いつつ、【こおるせかい】の発動とほぼ同時に天を衝いた濃紺色の閃光へ視線を向けた。

 

「ふむ、伊織の奴、苦戦しているのか? 今の酒呑童子は霊脈のバックアップを受けて大鬼神と同レベル……いや、それ以上の“格”を持っていようだが、全く情けない。あれくらい瞬殺できなくてどうする。ちと、喝でも入れに行ってやるか」

「ケケケッ、御主人、単純ニ旦那ガ心配ダッテ言エバイイジャネェカ」

「ち、違うわ! 心配なんぞするか! あいつの不甲斐なさを笑ってやりに行くんだ!」

「ハイハイ、ツンデレツンデレ。八百歳ノツンデレ~」

「チャチャゼロっ! 貴様ぁ! 解体してやるぅ!」

 

 チャチャゼロが逃げるように伊織のいる方へ飛んでいく。エヴァも、それを追いかけるように異界の空を駆けた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 時間は少し遡る。

 

 異界の空を濃紺色の魔力に包まれながら飛ぶ伊織。挑発するように一瞬だけ発せられた莫大な妖力のもとを目指しつつ気配を探るが、今は【円】にも聴力にも、酒呑童子――崩月の気配は感じられない。どうやら気配を殺しているようだ。彼らしくない行動に警戒心が高まる。

 

 と、その時、伊織の背筋が不意に粟立った。危機察知能力が伊織に全力で警告を発する。同時に、伊織の耳に風切り音が飛び込んできた。振り返る時間も惜しいと、伊織はその場で本能の命じるままに身を捻る。

 

ギュオ!!

 

 そんな空を切り裂く音を響かせて、一瞬前まで伊織の頭があった場所を拳大の石が通過する。およそ有り得ない速度で飛来した投石は、直撃していれば即死していた可能性があった。しかし、そんな砲弾じみた投石は一つではないようで、伊織の【円】には、ガトリング掃射の如く飛来する投石の気配が感知されていた。

 

 伊織は、それらの投石を風に舞う木の葉のようにひらりひらりと躱しつつ、その眼に映った光景に若干頬を引き攣らせる。というのも、すぐ眼前まで“岩盤”が迫っていたからだ。どうやら、この襲撃の犯人である崩月は、投石を牽制に岩壁そのものをぶん投げたらしい。流石は鬼の首領。常識外れの膂力だ。

 

 伊織は、投石を避けながらスっと右腕を突き出す。刹那、濃紺色の閃光がドゥ! と音を響かせながら放たれた。

 

――反応炸裂型砲撃魔法 エクセリオンバスター

 

 セレスからカートリッジがカシュン! と音を立てて排莢され宙を舞う。岩盤のど真ん中に直撃した【エクセリオンバスター】は、そのまま僅かに食い込むと、次の瞬間、内包魔力を炸裂させた。内部から生じた爆発で岩盤が吹き飛び、その残骸が伊織を避けるように飛び散っていく。

 

 が、その砕け散った岩盤のすぐ後ろから崩月の巨体が飛び出してきた。どうやら、岩盤を投げると同時に自分も脚力に任せて飛び上がって来たらしい。もちろん、伊織の聴力と【円】は、崩月の存在を捉えていたので、特に慌てることはない。

 

「ルゥァアアアア!!」

 

 崩月が絶叫を上げながら赤黒い妖力を纏った拳を振るう。伊織は、飛行魔法を切って落下する事により、その拳撃をあっさりかわす……つもりだったが、そこまで甘くはなかったらしい。崩月に飛行能力はないと思ったのだが、背中で妖力を爆発させることで強引に軌道を捻じ曲げ、追い縋ってきた。

 

 空中で崩月と伊織の視線が交差する。崩月の口元が「捉えた」とでも言うようにニヤリと歪む。

 

 直後、伊織の頭部よりも巨大な拳が、伊織に叩き込まれた。迫る巨拳。パンッ! と空気の破裂する音が鳴り、そのまま吸い込まれるように伊織に直撃した。伊織は、まるでピンボールのように、ちょうど崩月と八坂が争った場所へと吹き飛んでいった。

 

 致命と思われる一撃を放った崩月は、しかし、その表情を苦虫を噛み潰したように顰める。彼は気がついていたのだ。己の拳に、奇妙なほど手応えがなかったことに。そして、直撃の寸前、伊織の足元に力が集中したことに。

 

――陸奥圓明流 浮身

 

 攻撃を受けた瞬間、絶妙なタイミングで力のベクトルに合わせて自ら跳ぶ事により衝撃を殺す防御技。伊織の足元に発生した力場は、空中に在って跳ぶ為の【虚空瞬動】だ。

 

 重力に引かれ自由落下しながら、妖力を爆発させて軌道を修正し荒れた広場へと着弾する崩月。その眼前で、鬼の拳撃を正面から受けたはずの伊織は、案の定、無傷で佇んでいた。

 

「鬼は正面から相対するのを好むものだと思っていたんだが……奇襲とはやってくれるじゃないか」

「はっ、借りを返しただけだろうがよぉ。これでチャラだ……と言いてぇところだが、たくっ。結局、奇襲になってなかったじゃねぇか。どんな勘してやがんだ」

「突発的な出来事への対応能力に関しては、些か自信があるんだよ。俺に奇襲は通じない」

 

 澄まし顔でそんな事を言う伊織に、崩月はどこか嬉しそうに表情を歪めた。殺り応えのある敵の存在に鬼の血が騒ぐのだろう。そんな崩月の様子に、伊織は内心で溜息を吐きながら、意味がないだろうなと思いつつも、それでも己の信条に従い語りかけた。

 

「呪縛からは解放されているんだろう? なら、大人しくしていてくれないか? 無用な争いは好まないんだ。八坂殿のように共存……あるいは住み分けという形で協会と約定して欲しい。どうだ?」

「おいおいおいおい。この期に及んで、無粋なこと言ってんじゃねぇよ。てめぇの女が解放してくれたことは礼を言うがなぁ、それとこれとは話が別だ。鬼が、てめぇみたいな面白ぇ奴を見逃すはずないだろうが。それに、“妖怪の統領”を他の妖怪に名乗られんのは我慢ならねぇ。八坂は下した。後は、邪魔するてめぇを潰せば、晴れて俺が統領だ」

「はぁ~~、まぁ、鬼ならそう言うだろうな。戦闘馬鹿め」

「ガッハッハッハ、そりゃあ褒め言葉だ。――俺を止めたきゃ力尽くで屈服させな!」

 

 そう宣言するやいなや、崩月が正拳突きの要領で豪腕を繰り出す。すると、凄まじい威力の拳圧が前方の地面を爆砕しながら伊織に迫った。

 

「風花風障壁!」

 

 伊織の前方に、一瞬だけなら十トントラックの衝撃にも耐える風の障壁が現れる。更に、念話による指示により、伊織のデバイス――セレスがベルカ式シールド【パンツァーシルト】を重ね掛けした。

 

ドゴォオオオ!!

 

 凄まじい衝撃が轟き、伊織の張った障壁が二つとも粉砕される。直後、キラキラと舞う障壁の残骸を掻き分けて、崩月が飛び込んできた。振るわれるのは当然、死を纏う豪腕。

 

 空気を破裂させながら突き出された拳を、伊織は身を屈め一歩踏み込みながら回避する、そして、その回避の一歩で震脚を行い、巡るエネルギーを拳に乗せて崩月の懐という超至近距離から十八番の連続拳撃を放った。

 

――覇王流 断空拳

――陸奥圓明流 無空波

 

 いすれも念による【硬】を施した絶大な一撃。しかし、以前は確かにダメージを与えたその攻撃を、崩月はグラつきもせずに耐え切った。

 

「何度も同じ手が通じるかぁっ!!」

 

 そう言って、至近にいる伊織に膝蹴りを叩き込もうとする。当然、その膝にも赤黒い妖力が纏わり付いており、崩月のただでさえ尋常でない膂力を更に数倍に引き上げている。まともにくらえば、ミンチでは済まない。

 

 伊織は、己へと迫るその膝に跳ね上げた足裏を押し当てると、そのまま勢いに乗って飛び退こうとした。だが、その行動は読まれていたらしい。崩月が、凶悪な笑みを浮かべながら、体を浮かせる伊織に左拳を振るった。

 

 今度は、浮身で防御させないためか伊織の足元には崩月の妖力が渦巻いている。実際、【虚空瞬動】の足場は作れないだろう。身動きできない伊織に、あわや鬼神の殺意が直撃するかと思われた瞬間、直撃コースだった崩月の拳が何かに引かれるように若干、軌道を逸らした。更に、伊織の体がスイーっと、およそ人体には有り得ない水平移動をして、そのまま殺傷圏内から離脱する。

 

――操弦曲 薙蜘蛛

 

 アーティファクト【操弦曲】による、鋼糸を使って相手の攻撃を絡めとりいなす技。同時に、自らの体にも鋼糸を巻きつけて後方へ引っ張ったのである。

 

 自らの腕に絡みついた鋼糸に気が付いた崩月が力任せにそれらを引きちぎる。そして、僅かに仰け反り大きく息を吸うと、凶悪な牙の並ぶ大口から青白い火炎を吐き出した。いわゆる鬼火である。ただし、やっている事は、地面すら溶かす程の火炎放射だ。

 

 逃がさないようにするためか、広範囲に広がりながら襲い来る蒼炎に、伊織はググッと右腕を引き絞った。直後、その右腕に膨大な量の魔力が収束し、セレスからカートリッジが二発飛び出る。

 

 そして、蒼炎が直撃する寸前、伊織は怯むことなく右腕を突き出した。その瞬間、

 

パキャァアアン!!!

 

 そんなガラスの割れるような音を響かせながら空間そのものが粉砕される。

 

――覇王流オリジナル 覇王絶空拳

 

 空間を破砕し、虚数空間に通じる穴を開けることで攻防一体となす伊織オリジナルの覇王流奥義である。以前は、ミク達とユニゾンしなければ出来なかった技だが、百年以上の研鑽の末、小規模な破砕なら一人でも可能になったのだ。

 

 伊織の眼前に開いた空間の穴は、その深淵の向こう側へ蒼炎を放逐していき、伊織をその獄炎から完璧に守り抜いた。空間が元に戻ろうとする作用で、徐々に小さくなっていく穴を尻目に、伊織はセレスをバリトンサックスモードに切り替える。

 

 先手、先手と取られてきた伊織の反撃の狼煙だ。鬼火が届いていないと気が付いた崩月が、火炎を吐きながら突進してくるのを耳にしながら、伊織が大きく息を吸いながら仰け反る。同時に、その胸部がググッっと膨らみ大量の空気を溜め込んだ。

 

 そして、

 

パァアアアアアアアア!!!!

 

「ッ――!?」

 

 余す事なく吹き込まれた息が、バリサクを凶暴な兵器へと変貌させる。黄金色の大きなベルから壮絶な爆音が放たれた。指向性を持たされたそれは既に唯の音ではない。射線上の全てを薙ぎ払う衝撃超音波であり、秒速三百四十メートルで駆け抜け対象の脳を揺さぶり尽くす。

 

 声にならない悲鳴を上げた崩月の目鼻耳からドロリと血が流れ出した。彼の目は既に白目を向いている。崩月は、突進の勢いのまま二、三歩ふらふらと進み、ピタリと立ち止まると、グラリと前のめりに倒れ始めた。

 

 その様子を、伊織は油断なく目を細めたまま見つめる。手加減一切抜きのすこぶる付き超衝撃超音波だ。ただで済むはずがないが、果たして……

 

ズシンッ!!

 

 それは震脚じみた足音。倒れ掛かった巨体を支える音だ。

 

「グッ、グゥウウ、ガァアア!!」

 

 雄叫び一発。白目を向いていた崩月の眼に光が戻る。グリンと動いた眼球が鋭さを取り戻して、しっかりと焦点を結ぶ。

 

「……とんでもない再生力だな。エヴァ並みか……」

「はぁはぁ、小僧……面妖な技を……霊脈の力がなけりゃ終わってたぞ」

 

 荒い息を吐きながら、狂った感覚を戻すように自分の頭を叩く崩月。悪態を付きながらフンッと鼻に詰まった血の塊を地面に飛ばす。どうやら、霊脈の力によって、ほぼ瞬時といってもいい程の再生力を持っているようだ。明らかに、以前の襲撃と時よりもスペックが上がっている。

 

「なら、この辺で負けを認めるというのはどうだ?」

「そういうなよぉ。面白くなってきやがったところだろうがぁ!!」

 

 再び、崩月の突進。単なる脚力任せの踏み込みだけでなく背中で妖力を爆発させて一瞬の加速を得る。本来なら、その爆発だけで其の辺の妖怪なら粉砕されそうな威力なのだが、崩月自身は何の痛痒も感じていないらしい。

 

 一瞬で肉薄した崩月は、慌ててバリサクを咥えた伊織に、油断大敵とばかりに拳を打ち込んだ。が、直撃を受けたはずの伊織がその場でぐにゃりと曲がると霞のように消えていく。

 

「なんだぁ?」

 

 己の拳にも殴った感触が皆無であり、困惑しながらも幻術の類かと周囲を探った。すると、ゆらりゆらりと周囲の空間が揺らめいて、そこかしこから伊織が現れた。

 

「そういう幻の類はなぁ! 女狐だけで十分なんだよぉ!」

 

 そう怒声を上げながら、崩月は足元に転がっていた大き目の石を握潰し、即席の散弾として膂力任せに投げつけた。普通の拳銃と何ら遜色のない、いやあるいはそれ以上の威力を以て四散した石の弾丸は、十体以上いる伊織を余すことなく撃ち抜いた。

 

 と、その瞬間、

 

「うぉ!?」

 

 無数の閃光が四方八方から崩月に殺到する。それは圧縮された雷の砲撃だ。集束率が高く高速なので一見するとレーザーのようにも見える。威力も高く、思わず防御姿勢をとった崩月の皮膚を焼き焦がし鋼のような外皮を突破する。

 

 しかし、深刻になるほどの威力でもないので再生力に任せてレーザーを無視し、周囲に佇む伊織を攻撃する崩月。だが、どれ一つとして本物に当たらない。

 

 挙句には、平面だと思っていた地面が、実は戦闘痕によって陥没しており、危うく躓いて転倒するという無様すら晒しそうになった。そこで、崩月は気が付く。幻の伊織が無数にいるのではなく、己自身が幻によって作られた空間そのものにいるのだと。

 

――魔獣創造 マーチ・ヘア

 

 もちろんモデルにしただけなので原作のような【バロールの魔眼】は放てない。組み込まれた魔導は幻術魔法【フェイクシルエット】【オプティックハイド】と雷系砲撃【プラズマスマッシャー】だ。

 

 崩月が衝撃超音波によって意識を飛ばしている間に、伊織が用意しておいたのだ。

 

「がぁああ!! 鬱陶しいぃいい!!!」

 

 間断のない、流星の如きレーザー攻撃に、崩月が額に青筋を浮かべて咆哮を上げた。霊脈のバックアップを得た膨大な妖力を、ただ力任せに大放出する。爆発でも起こったのかと錯覚しそうな程、急速に膨れ上がった妖力は、まるで台風のように荒れ狂い、マーチ・ヘアの幻術空間を内側から一気に吹き飛ばした。

 

 あらわになる細身の女性型魔獣の姿。いい様にやられた鬱憤を晴らすように崩月の拳が容赦の欠片もなく振るわれた。しかし、そんな崩月の苛立ちを後押しするように、マーチ・ヘアの姿が霧散する。伊織が、マーチ・ヘアを神器の内に戻したからだ。

 

 崩月のギラつく眼が、伊織の姿を捉える。そして、その眼を見開いた。伊織の構える腕に、崩月をして戦慄せずにはいられない膨大な魔力が集まっていたからだ。

 

「させるかよぉ!」

 

 崩月が、攻撃が放たれる前に身動き取れなさそうな伊織に襲いかかろうとした。

 

 が、その瞬間、崩月の足元に魔法陣が発生しそこから伸びた光の鎖が伸びて一瞬で崩月を拘束してしまった。

 

――設置型捕縛魔法 ディレイバインド

 

 こんなもの! と力尽くで引きちぎろうとした崩月の足元に更に魔法陣が展開される。

 

――強制転移魔法 トランスポーター

 

 魔法陣の輝きが崩月を包み込み、次の瞬間、彼を直上百メートルの場所へと強制転移させた。

 

 そして、そこにも設置されている【ディレイバインド】。空中で再び拘束され磔になる崩月が盛大に悪態を吐いた。

 

「でぇぇえいい!! 女狐みてぇな戦い方しやがってぇ! 男なら拳で語りやがれぇ!」

 

 直ぐに光の鎖を引きちぎろうと筋肉を隆起させる崩月。バインドは、鬼神を縛るには圧倒的に役不足で早くも亀裂が入りまくっている。マーチ・ヘアが時間を稼いでいる間に、かなり魔力を込めて強固に作ったものなのだが、五秒程度しか持たないようだ。

 

 だが、三秒あればお釣りが来る。

 

「拳でなくて悪いが、正面から撃ち抜いてやるよ」

 

 その言葉と共に、収束した星の光が夜天に向かって解き放たれた。

 

――収束型砲撃魔法 スターライトブレイカー

 

 大気を鳴動させ、辺り一帯を濃紺色に染め上げる。撃ち手である伊織の周囲は、余波によって放射状に吹き飛び、踏ん張る両足がゴバッ! と地面を陥没させる。伊織が、崩月を上空に放逐してから砲撃したのは、全くもってこのせいだ。余波でさえ、周囲の地形を変えそうなのに、そんな凶悪な砲撃を地上に向かって放つわけにはいかない。

 

 とある未来で、同じ九歳の女の子にこれを放った白い魔王少女様は一体何を考えていたのか……流石は、運動神経が切れていると言われながらも、戦闘民族の末子である。

 

「ぬぅおおおおおお!!!」

 

 異界の空に、鬼神の絶叫が響き渡る。直撃寸前で拘束を砕き、咄嗟に腕をクロスさせて防御姿勢をとった。そして、その姿のまま、濃紺色の輝く魔力の奔流に呑み込まれ、発していた雄叫び諸共姿を消してしまった。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

チャチャゼロは魔改造を受けてしまった。ショッカーはもちろんマッド夫妻と愉快な仲間です。
ちなみに、あくまで自律型デバイスであってユニゾンデバイスではありません。単に、チャチャゼロにも魔導を使わせたかっただけです。

次回は、明日の18時更新予定です。


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第35話 異世界の英雄VS鬼 後編

 異界の天を衝いた星の輝きは、そのまま結界すら破壊する勢いで異界の空を軋ませた。

 

遠くで九尾の御大将が悲鳴を上げ、その娘が慌てふためくという喜劇が起こっていたりするが……異界の結界が破壊される前に、砲撃は、その光柱を細くしていき、やがて溶け込むように虚空へと消えていった。

 

 伊織が、威力調整をしなければ、あるいは本当に異界の結界が壊れていたかもしれない。

 

「八坂殿が上手く霊脈の力を削いでくれていればいいんだけどな……」

 

 残心を解き、そう独りごちる伊織。そのまま【スターライトブレイカー】を撃ったとしても、今の崩月を完全に消し飛ばせるかは微妙なところだ。なので、事前の八坂との打ち合わせで、合図と共に流れ込む霊脈を阻害する術を行使してもらう手筈になっていたのだが……それが上手くいっていれば、再生力が抑制されて、実質無敵状態の崩月を打ち倒せているだろう。

 

 と、その時、伊織の耳に不吉な音が聞こえ始めた。高速で何かが風を切る音。もっと具体的に言えば、大きなものが落下する音だ。

 

 上空に視線を向ければ、半ば赤熱化した塊が、背後からジェット噴射のように赤黒い妖力の尾を引きながら自由落下してくるところだった。

 

 地響きを立てながら、その塊――崩月が巨大なクレーターを作りながら着弾する。そして、全身から白煙を吹き上げながら、低い呻き声を漏らしつつ一歩一歩、己の足取りを確かめるように歩み寄ってきた。

 

「……やってくれるじゃねぇか。死を幻視するなんざぁ、久しぶりだぜぇ」

「そのまま果ててくれれば面倒が無くて良かったんだが……まぁ、その様子じゃ、随分と削がれたようだし、それで良しとしておこうか」

「チッ、やっぱりアイツと合わせやがったのか。……男同士の戦いに女狐を入れるなんざ、無粋じゃねぇか」

「悪いが、戦いに粋を求めたりはしないんだ。……それで? 今までのようなデタラメな再生力も馬鹿みたいな妖力も使えなくなったわけだが、降参はしてくれないのか?」

 

 的中間違いなしの答えを予想しながら呆れ気味に伊織が尋ねる。全身から血を流し、両腕から骨を覗かせ、足を炭化させながら、それでも仁王立ちして凄絶に嗤う鬼の首領。やはり愚問だったらしい。

 

「何を言ってんだ。ようやく熱くなってきたところだろうがぁ」

「まぁ、そういうと思ったよ。こうなったら、とことんまで付き合ってやるよ。もう、無敵ってわけでもないしな。今度こそ、その膝、鬼の矜持と一緒にへし折ってやる」

「かっーーー!! たぎる事いってくれるじゃねぇかぁ! 寝起き早々、赤龍帝と殺り合って、今度は、てめぇだ。きっと、俺は日本一幸運な鬼に違いねぇ!」

 

 心底嬉しそうに拳を打ち鳴らす崩月。遅々として未だ再生が完了していない両腕から血が飛び散るが、まるで頓着していない。と、不意に崩月が動きを止めて「ん?」と首を傾げた。

 

「そういやぁ、てめぇの名前、東雲伊織つったよな?」

「? ああ、そうだが?」

 

 崩月の奇妙な確認に、伊織が首を傾げると、崩月は顎をさすりながら面白そうな表情になった。

 

「こいつぁ、面白い偶然もあったもんだ。十三年前、俺が戦った赤龍帝も東雲って名乗ってたんだがよぉ」

「……なんだって?」

 

 崩月の口から飛び出た、余りに予想外な発言に伊織は思わず声を漏らした。そんな伊織の言葉を質問と捉えたのか、崩月が思い返すよう言葉を続ける。

 

(つがい)の退魔師でなぁ。最初は、神滅具を使わず術で俺を再封印しようとしてきたんだが、解放直後でちーと頭が回っていなかった俺が暴れちまってよぉ。そしたら、あの野郎、いきなり赤龍帝の禁手状態で殴り飛ばしやがってなぁ! がっはっは! 今思い出しても愉快だ! あの赤いオーラ! 俺と互角に殴り会える力! しかも、奴の女がこれまた厄介でなぁ。嫌らしい手ばっか使いやがって赤龍帝を援護しやがるのよ。寝起き早々、死ぬかと思ったぜ」

「……」

 

 伊織は沈黙する。頭の中には“十三年前”“退魔師の夫婦”という単語が激しく自己主張していた。しかも、その夫婦の家名は“東雲”。ヒントは出過ぎな程だ。直接会った事などない。写真の中でしか知らない。まして、赤龍帝であったこと等、依子からも聞いていない。それでも、伊織は確信した。確信したまま、確認する。

 

「……その夫婦は……夫婦の名前は“崇矢”と“静香”と言わなかったか?」

「あぁ? ……ああ、そうだ。女の方はうろ覚えだが、確か、そんな名前だった。赤龍帝は確かに“東雲崇矢”と名乗っていたぜぇ。……知り合いか?」

 

 確定した。十三年前、赤ん坊の伊織を依子に預けて二人が挑んだ任務は、はぐれ術師が解放した酒呑童子の再封印ないし討伐だったのだ。そこで……命を落とした。東雲崇矢が赤龍帝であったことは驚きだが、依子や協会が何も言ってなかった以上、上手く隠していたのだろう。いつ発現したのかは分からないが、今の伊織と同じく、家族に危険が及ぶ事を恐れて秘匿したに違いない。

 

 伊織は、訝しむ崩月に、伏せていた視線を戻した。会った事もない両親だが、自分をこの世に産み落としてくれた掛け替えのない大切な家族だ。つまり、眼前の鬼は、伊織の両親の仇という事になる。なまじ精神性が高いために怒りや憎しみに心を染めるような事はないが、それでも、九重達を守る以外にも戦う理由が出来た。

 

 伊織は、静かな声音で返答する。

 

「改めて名乗ろう。俺の名は東雲伊織。お前が殺した東雲崇矢と静香の……息子だ」

「! ……ほぅ、これはまた何とも因果な話じゃねぇか。なぁ? ますます面白くなって来やがった。俺は、てめぇの両親の仇ってぇわけだ。どうだぁ? 燃えてきたかよ?」

 

 揶揄するような崩月の言葉に、しかし、伊織は揺るがない。返答の代わりに闘気を以て返した。魔力も念も気も感じられるわけではない。ただの意志一つ。されど、それだけで大気が震え、周囲の音が止んだように錯覚する。

 

 知らず、生唾を飲み込んだ崩月は、グッと構えを取ると、最後にもう一度話しかけた。

 

「お前の親父とお袋は強かった。俺はあいつらに勝っちゃいねぇ。あのクソ野郎が横槍入れなきゃ、負けていたのは俺の方だった。最高の戦いだったが、最低の終わり方だったぜ」

「そうか」

 

 伊織の返答はそれだけ。崩月にも既に言葉はない。後は、強いものが押し通る。それだけだ。

 

 崩月が、殺意を滾らせ襲いかかろうとした、まさにその瞬間、呼吸を読んだように伊織が機先を制した。

 

「ジャバウォック!」

 

 直後、伊織の影から一体の魔獣が飛び出す。崩月と変わらぬ巨体に逆だった髪、嗤うように歪む口元からは鋭い牙が除き、両手両足には五本の鋭く大きな爪があり、左右の腕は盾のように大きく膨らんでいる。見た目は魔獣というより、凶相の悪魔といった感じだ。

 

――魔獣創造 ジャバウォック

 

 ARMSにおけるジャバウォックとは異なり、“ARMS殺し”や空間ごと切り裂くような能力はない。だが、その爪は、かの【神剣フラガラッハ】の如く単分子ナイフとなっており、切れ味は抜群という言葉でも足りないレベルだ。また、単純な膂力においても全魔獣中最強である。

 

「グゥアアアアア!!!」

 

 ジャバウォックが、異界全てに轟けと言わんばかりに咆哮を上げる。そして、地面を爆ぜさせながら崩月に急迫し、その爪を振るった。崩月は、本能的にジャバウォックの爪が不味いと感じたのか、妖力を固めて腕に纏わせ即席の盾にし、一瞬の隙を付いて殴り返す。

 

 凄まじい衝撃音が響くが、ジャバウォックはまるで怯む様子もなく、そのまま崩月の腕を掴もうとした。それを払い除けつつ、しばし至近で応酬を続ける。

 

 結果、手四つ状態での組み合いとなり、両者とも意地でもあるのか力比べに興じ出した。

 

「鬼相手に力比べってかぁ? 舐めてんじゃねぇぞ!」

「グルゥアアア!!」

 

 崩月の腕が徐々にジャバウォックを押していく。やはり、未だ完全に掌握できていない【魔獣創造】では、鬼神レベルに勝つのは難しいらしい。だが、それでいい。ジャバウォックは、マーチ・ヘアのようなトリックスターを除けば、唯一、崩月相手に善戦できる魔獣。つまりは、鬼神相手に十分な時間稼ぎが出来るということ。

 

 それを示すように、朗々とした伊織の詠唱が遂に完了する。

 

「左腕解放固定【千の雷】! 右腕解放固定【燃える天空】! 双腕掌握!! 術式兵装【雷炎天牙】!!!」

 

 伊織の両手の掌に、激しくスパークする雷の塊と、灼熱の炎の塊が渦巻く球体となって出現し、そのまま握り潰すように体の内へ取り込まれた。直後、伊織の体が光り輝く雷と炎を纏う。周囲を灼き焦がし、爆ぜさせる異様。百年の研鑽が、本来の属性以外の属性をも掌握させ、結果生み出された新たなるマギア・エレベアの型の一つ――【雷炎天牙】

 

 ジャバウォックの肩越しに崩月の眼が驚愕に見開くのが分かる。崩月が、ジャバウォックを引きずり倒したのと、伊織がジャバウォックを神器に戻し掻き消えたのは同時だった。

 

パシッ!

 

 そんな音と共に、伊織が崩月の懐に現れる。

 

「ッ!?」

 

 視認できなかった事に崩月は息を詰める。次いで、鳩尾に叩き込まれた【断空拳】と【虎砲】のコンボに、違う意味で息を詰めた。明らかに威力が跳ね上がっている拳打に苦しげな表情をしつつも、無意識レベルで反撃する。

 

 しかし、その拳が当たることはない。再び、パシッ! と音を響かせて伊織の姿が消える。そして、次の瞬間には崩月の背後に現れ、再び雷炎を纏った拳を叩き込んだ。

 

「グッ! くそがっ!」

 

 崩月がたたらを踏みながら裏拳を放つが、やはり伊織を捉えることは叶わない。現れては爆音を響かせ強烈な拳打を打ち込み、反撃を喰らう前に姿を消す。いつしか崩月の周囲は雷と炎の軌跡で結界の如く光の球体が出来ていた。それはあたかも、太陽が放つフレアのよう。

 

「畜生がっ! 速すぎんだろ!」

 

 悪態を吐く崩月の顔面に二段構えの踵落とし――陸奥圓明流【斧鉞】が炸裂する。今度は、おじきでもするように前かがみになった崩月の懐に現れ、真上にかち上げる様な蹴りが放たれた。崩月の頭が玩具の様に跳ね上げられる。

 

 更に、伊織が追撃を掛けようとした瞬間、鬱憤を晴らすように崩月の妖力が爆発した。指向性を持たせない、己を中心にした大爆発。伊織は、仕方なく距離を取る。

 

 崩月は、片手で首を掴みながらゴキッゴキッ! と骨を鳴らし、忌々しい気な、されどどこか喜悦を含んだ眼光で伊織を睨む。

 

「てめぇ、速いだけじゃねぇ、俺から力ぁ奪ってんな?」

 

 崩月の言う通り、【雷炎天牙】は二つの特性を併せ持った術式兵装だ。【千の雷】の効果――雷化による雷速移動と放電、【燃える天空】の効果――攻撃力の上昇と相手の力を吸収する焔。考案し、完全修得するのに三十年掛かった術である。それほど異なる属性の、それも最上位の魔法を取り込むのは至難だったのだ。

 

 伊織は、崩月の言葉に僅かに目を細めた。

 

「ご名答。時間が経てば経つほど、お前は弱り、俺は強くなる。死に物狂いで来い。でなければ……」

 

 伊織と崩月の視線が絡み合う。伊織は、その静かな瞳の奥に意志の炎を燃え上がらせる。

 

「俺の(意志)は、容易くお前を撃ち抜くぞ!」

「ハッ! 上等だぁ!」

 

 伊織の姿が掻き消え、崩月から妖力が噴き上がる。次の瞬間、爆音を伴った拳撃の応酬が繰り広げられた。

 

 伊織の姿を捉えきれないと理解した崩月は、妖力の爆発や、地面への打撃による破片の散弾、鬼火の火炎放射など範囲攻撃を多様して牽制しつつ、虎視眈々と伊織が隙を晒す瞬間を狙う。

 

 鬼神に、殺意に塗れた眼光で睨まれ続けるなど、常人なら発狂してもおかしくないプレッシャーが掛かっているはずだが、伊織の精神には細波一つ立ちはしない。冷静に、確実に相手を追い詰める洗練された武技は“極み”の領域。この世界の武芸者が目撃したなら、伊織の見た目年齢から、天才と持て囃すか、発狂するかのどちらかだろう。

 

 そのせいか、早くも崩月がじれ始めた。このままではジリ貧だと考えたのか、衝撃波すら発生させる咆哮を上げる。そして、全身から鬼火と妖力を同時に噴き上げた。莫大な熱量と妖力の圧力は、崩月の周囲の地面を放射状に抉り飛ばす。

 

 うねりを上げながら螺旋に噴き上がる蒼炎と赤黒い妖力は崩月を中心に混じり合い、巨大な鬼を形作り始めた。刻一刻と密度を増していくそれは、さながら強化外骨格だ。

 

 と、崩月が、その豪腕をいきなり水平に薙ぎ払った。同時に、体長二十メートル以上ある赤銅色の鬼が連動してその腕を薙ぐ。その巨躯に似合わぬ速度で迫る妖炎の鬼腕は、更に数十メートルも伸長し、扇状に前方百メートルを纏めて焼き払った。

 

 雷速瞬動で崩月の背後に回った伊織だったが、それを読んだように妖炎鬼の背中から火炎弾が飛ぶ。着弾したそれは爆炎を撒き散らし、やはり広範囲を焼いた。

 

 しばらくの間、伊織が回避し、崩月の操る巨大な妖炎鬼が周囲一体ごと薙ぎ払うという攻防が逆転した状態となった。

 

 一見して打つ手がないように思えたが、伊織は、冷静に崩月を観察して気が付く。崩月が僅かに肩で息をしている事に。どうやら妖炎鬼は崩月の切り札であり、その行使には彼をして無理をする必要があるようだ。八坂により霊脈の力を抑えられているとはいえ、それでも大量の力が崩月に流れ込んでいるのは間違いない。それが無ければ、本来、それほど長く展開し続けることは出来ないのかもしれない。

 

 そして、息切れをしているということは、消費妖力と補充される力が微妙に釣り合っていないということ。言い換えれば、今なら押し切れる可能性があるということ。

 

 伊織の眼光が鋭くなる。

 

「双腕解放、右腕固定【千の雷】。左腕固定【雷の投擲】。術式統合、雷神槍【巨神ころし】装填」

 

 伊織の詠唱と共に、虚空に出現した大槍に尋常でない雷光が合わさり、巨大な、神ころしという名に相応しい威容を湛えた槍が出来上がった。それを再び腕に装填し直す。そして、襲い来た巨大な鬼腕を前に、更に詠唱する。

 

「術式解放! 完全雷化! 千磐破雷(チハヤブルイカヅチ)!!!」

 

 伊織の体が激しい稲光を発し、秒速百五十キロメートルの雷そのものとなって鬼腕を掻い潜り崩月に突進した。当然、崩月が纏う妖炎鬼に突っ込む事になるが、そこは炎化の能力を併用することで何とか耐え切る。

 

「ぐぅおおおおお!!」

「っぁああああ!!」

 

 崩月と伊織の絶叫が上がる。伊織は、崩月の鳩尾に【断空拳】と【虎砲】を打ち込み巨体を僅かに浮かせながら、解放の詠唱を行った。

 

「解放! 千雷招来!!」

 

 【巨神ころし】の大槍が、ゼロ距離から崩月の鳩尾を穿つ。そして、内包された最上級の雷を爆裂させた。唯でさえ妖炎鬼の維持と攻撃に全力を注いでいるだろうに、体内から壮絶な雷に襲われて、その顔に今までにない焦燥が宿る。

 

「ガァアアア!!」

 

 崩月は渾身の力で【巨神ころし】を引き抜き、妖炎鬼の腕で粉砕した。やはり、鬼の首領の底力は半端ではない。大きく妖力が目減りしているようだが、霊脈から刻一刻と補充している。

 

「ぜぇぜぇ……今のがてめぇの切り札か? この程度じゃあ、まだ俺の膝を折るには足りねぇなぁ。最高に楽しかったが、どうやら俺の勝ちで終わっちまいそうだ。イチかバチか、神滅具でも出してみたらどうだぁ? もしかしたら、至れるかもしれねぇぜ?」

 

 妖炎鬼を纏いながら、不敵な笑みを浮かべる崩月。それに対し、伊織は静かに首を振り、一見、関係ない事を確認した。

 

「そんな賭けをしなきゃいけないような局面じゃないさ。……なぁ、酒呑童子。俺の父さんは、母さんと一緒に戦ったんだよな?」

「? ああ、そうだ。阿吽の呼吸ってのはああいうのを言うんだろうな」

「そう言うことらしい。……ミク、テト。せっかくだ。息子夫婦で弔い合戦と行かないか?」

 

 突然、虚空に話しだした伊織に訝しむ崩月の視線の先で、ヴォ! という空気の破裂音と共に二人の少女――ミクとテトが現れた。事前に、念話で両親の話を簡潔に聞かされた二人は、少し悲しげな表情で伊織の両隣に寄り添う。

 

「まさかの展開ですね、マスター。酒呑童子さんが、マスターのご両親の仇だったなんて……」

「おばあちゃんが言っていた、マスターにとって大切な事って、この事だったんだね」

 

 二人のそっと触れてくる手を、優しげな手付きで握り返す伊織。

 

「酒呑童子。改めて紹介しよう。彼女達はミクとテト。俺の女だ。親子二代に渡って夫婦で挑ませてもらう。文句あるか?」

 

 伊織の言葉に、ポカンと口を開けた崩月は、次の瞬間には盛大に快活な笑い声を上げた。

 

「文句なんざ、あるわけねぇだろぉ! なぁにが、戦いに粋は求めないだ。わかってんじゃねぇかよぉ! いいぜぇ! 前は最低の終わりだった。今度は俺を満足させろよぉ!」

 

 妖炎鬼から爆炎が噴き上がる。崩月の歓喜を表すように、今までで一番の熱量と衝撃を発生させ、異界そのものに悲鳴を上げさせるような極大の一撃を放った。

 

 そこに静かな、されどやけに明瞭な声が響く。

 

――ユニゾン・イン

――ユニゾン・イン

 

 ミクとテトの姿が消える。同時に、伊織の髪や瞳が濃紺色に変わり、今までの比ではない桁外れの魔力が噴き上がった。そして、驚異的な速度で集束した魔力を拳に纏わせて迫り来る赤銅色の死の鉄槌を正面から迎え撃った。

 

――覇王流オリジナル 絶空拳

 

 先程、一度放った【覇王絶空拳】とは比較にならない衝撃が空間に悲鳴を上げさせる間もなく爆砕する。空間そのものに開いた大穴は、そのまますっぽりと妖炎鬼の腕を呑み込み虚数空間の餌食とした。

 

「んなっ!? それは反則だろぉ!」

 

 凄まじい吸引力に、莫大な量の妖力を放逐されて思わず悪態を吐きながら、慌てて妖炎鬼の腕を切り離し、これ以上、吸い込まれないよう維持に集中する。

 

 そこへ、大瀑布の如き魔力を携えた伊織が朗々と詠唱を行った。

 

「アルス・ノーバ・アド・リビドゥム 来れ 深淵の闇燃え盛る大剣 闇と影と憎悪と破壊 復讐の大焔 我を焼け 彼を焼け 其はただ焼き尽くす者 【奈落の業火】! 固定!」

 

 伊織の左手に獄炎が渦巻き圧縮される。その名に相応しい暗い闇色の焔だ。伊織の詠唱はまだ続く。

 

「右腕解放固定 【雷の投擲】!! 術式統合! 巨神ころしⅢ【喰らい尽くす雷炎槍】!」

 

 ワインレッドの大槍は、トライデントの様に三叉の先端を持ち、禍々しい気配を雷炎と共に放っていた。それを再び、右腕に装填する。今から行うのは、先程の焼き直し。ただし、今度は、伊織の愛する家族と共に。無念に散った両親と今も信じて待っている幼いお姫様に捧げる勝利の一撃だ。

 

 砕けた空間が戻り、崩月が相当な量の妖力を持って行かれたのか今まで以上に息を荒げる。妖炎鬼が、妖力不足のためか展開規模を縮小し明滅を繰りかえしていた。

 

 伊織は、バリアジャケットの防護と【堅】を強化するだけで、そのまま雷速で突っ込む。崩月が、ゆらめく妖炎鬼を圧縮して伊織に対抗しようとしたが、伊織はお構いなしに懐に潜り込んだ。

 

 そして、十八番の連撃を加える――振りをして更に雷化して背後に回り込んだ。てっきり、先の二回と同じく連撃が来ると思っていた崩月は一瞬、反応が遅れる。

 

 崩月が反応しきれていない間に背後で崩月の頭上に飛び上がった伊織は、そのまま両足で崩月の首を挟み込んだ。そして、両足を左右に捻りながら後方に引き倒し、肘を顔面に打ち下ろした。

 

――陸奥圓明流 四門が一つ 朱雀

 

 ご丁寧に、近接打撃魔法【ブレイクインパルス】による振動粉砕のおまけ付きだ。首を支点に頭部に壮絶な衝撃が加わり、さしもの崩月も一瞬意識が飛んであっさり引き倒されてしまった。

 

 伊織は、そのまま崩月の胸元に手を置き、片手逆立ちの要領で跳ね起きると右腕の切り札を解き放った。

 

「解放!! 踊れ雷炎の劫火!!」

 

 最後の詠唱と共に、禍々しい大槍が崩月の胸に容赦なく突き立つ。そして内包された雷炎が轟音とフレアを撒き散らしながら荒れ狂った。

 

「ガァアアアアア!!」

 

 崩月の絶叫が響き渡る。雷炎槍は、その絶叫を喰らってでもいるかのように益々輝きを強め周囲の空間を雷炎の輝きで染め上げた。爆ぜるような光と炎の柱が天を衝く。その光景は、屋敷にいる八坂や九重、そして異界の妖怪や鬼達にも、しっかり捉えることが出来た。

 

 スターライトブレイカーにも負けない輝きが夜天の闇を駆逐する。やがて光と炎の柱は、吸い込まれるように崩月の胸に突き立つ大槍に戻った。

 

「がっ、ぐっ、あぐっ……」

 

 崩月が、半ば意識を飛ばしながらも、未だ体の中を暴れまわる雷炎に息を詰まらせた。地面に縫い付けられた形になっている崩月だったが、霊脈からの力の補充も虚しく、全く身動きが取れないようだ。

 

 それもその筈。この【喰らい尽くす雷炎槍】は、【奈落の業火】に基づく効果により、突き刺さっている間、相手のエネルギーを吸収し続けるという効果を持っている。そして、そのエネルギーをそのまま槍の維持と攻撃に転化し続けるのだ。つまり、霊脈から力を補充し続けることは、永遠に雷炎槍の磔から逃れられないということである。

 

 伊織が、ユニゾンを解いて、ミクとテトを伴いながら崩月の傍らに立った。

 

「この槍は、俺が消すか、お前の力が尽きない限り、お前を封じ続ける。……で? 鬼の(さが)は満たされたか?」

 

 そんな伊織の言葉に、崩月はギロリと剣呑な眼差しを送る。

 

 しばらくの間、睨み合う伊織と崩月。

 

 やがて、崩月がゆっくりと瞑目した。そして、大きく溜息を吐くと、どこか清々しい表情で口に笑みを浮かべ、異界に轟くほど大きな声で宣言した。

 

「認めようじゃねぇか! 東雲伊織! 東雲崇矢と静香の息子よぉ! ……お前の勝ちだぁ!」

 

 どこかで、幼姫の歓声と男女の褒める言葉が響いた――伊織は、そんな気がした。

 

 

 

 




いかがでしたか?

今回で鬼編は終わりです。
次回、後日談。


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第36話 英雄の凱旋

 

 

 

「伊織ぃーー!!」

 

 異界を震撼させた大戦(おおいくさ)が終わりを告げ、鬼の首領の敗北宣言が響き渡ったあと、八坂の屋敷に戻って来た伊織を待っていたのは、そんな九重の歓声だった。咲き乱れる花の如く、満面の笑みで九尾をわっさわっさ、キツネミミをふ~りふ~りしながらステテテテーーー!! と駆け寄ってくる。そして、そのままぴょんと跳躍し伊織の胸に飛び込んだ。

 

「おっと……はは、ただいま、九重。勝ったぞ?」

「うむっ! おかえりなのじゃ! 伊織!!」

 

 伊織が受け損なうなど微塵も考えていない九重の飛び込みを、微笑みながら受け止めた伊織は、九重を抱っこしながら簡潔な勝利の報告をする。そんな伊織に、輝く笑みを浮かべる九重は、再び伊織の名前を嬉しそうに呼びながら、その胸元に顔をぐりぐりと擦りつけた。

 

 そんな九重の様子に伊織と同じく微笑を浮かべながら八坂が歩み寄って来た。

 

「まずは、お主達の無事を喜ばせてもらおう。よく無事に帰ってくれた。そして、鬼神に打ち勝つその強さ、実に天晴れじゃった。我らはお主等に救われたのぅ。京の地を治める妖怪の統領として、心より礼を言う。ありがとう。この恩は決して忘れんよ。伊織、ミク、テト、エヴァンジェリン、チャチャゼロ」

「八坂殿。……どういたしまして。でも、途中から個人的な戦う理由も出来ていたので、余り気にしないで下さい」

 

 伊織の実にあっさりした返答に、八坂の笑みが益々深くなる。崩月の強さは、通常時においても“鬼神”と称されるレベル。それが霊脈のバックアップを受けたとあっては、ドラゴンで言うなら龍王を軽く上回るレベルだ。

 

 それを人の身で正面から退けておきながら実にあっさりした態度。恩に着せることも、傲慢な態度を取ることも許されるというのに……伊織がどういう人物なのか分かるというものだ。そんな伊織を、寄り添う家族――ミク達も誇らしげに見つめている。若干一名、あからさまに不貞腐れているようだが……

 

「む? エヴァンジェリンは一体どうしたのじゃ? よもや怪我でも……」

 

 エヴァの様子に、八坂が眉根を寄せる。【聖母の微笑】を持つエヴァに、滅多な事などないと分かっているが、万一ということもある。そのため、八坂の瞳には心配の色が宿っていた。

 

 それに、苦笑いで返答したのは伊織だ。

 

「あ~、いや、これは単に拗ねてるだけだから気にしないで下さい」

「誰が拗ねてるかっ! 私は別に何とも思ってないわ!」

「イヤイヤ、御主人。滅茶苦茶拗ネテルジャネェカ。ソンナニ夫婦ノ共同作業ヲ出来ナカッタコトガショックダッタノカ? 全ク、イツマデタッテモ中身ハ子供ダゼ~」

「やかましいわっ! 私は別に……」

「チャチャゼロ、余りからかってやるなよ。時々見せる子供っぽさがエヴァの可愛いところだろ?」

「伊織ぃ!?」

 

 頭に“?”を浮かべる八坂だったが、少し話しを聞いて大体察したようだ。つまり、エヴァは、崩月との戦いにおいて伊織が両親と同じように夫婦で挑んだ際、そこに自分が絡んでいなかった事が寂しかったのだ。仲間はずれみたいで。自分だって妻なのに……と。

 

 必死に否定するエヴァだが、伊織やミク、テト、そして八坂や九重にまで生温かな眼差しを向けられ顔を真っ赤に染めたままそっぽを向いてしまった。完全にへそを曲げてしまったようだ。

 

 そんなエヴァを見つつ、九重が、伊織の胸元から顔を上げてもじもじと何かを言いたそうに上目遣いをする。ミクとテトの鼻息が荒くなった。

 

「い、伊織。そ、そのな……こ、こんどなにかあったら……九重もちからになるのじゃ……いっしょに……その、み、ミクやテトみたいに……ちからになるのじゃ」

「……そうか。ありがとう、九重」

 

 伊織は、九重が何を言いたいのか、その意図を正確に察していたが、幼子の「将来、○○くんのお嫁さんになる~」みたいなノリだと思い、微笑ましそうに目元を和らげた。その姿はまさしく、孫を見守る爺。

 

 しかし、周囲の感想は少し違うらしい。

 

「ほぅ……うむうむ。九重よ、よう言うた。流石はこの八坂の娘よ」

「あらあら、マスターったら。見た目、犯罪ですよ?」

「ふふふ。将来は大変そうだね……ベルカでも大変だったし」

「ケケケ、御主人。拗ネテル場合ジャネェゼ。早クモ旦那ガ狙ワレテルゾ?」

「またか……また、あの戦いの日々が……」

 

 八坂の眼がキラリと光る。モンスターペアレントにならない事を祈るばかりだ。九尾の権謀術数を娘の婚活のために使われては堪らない。ミクとテトは苦笑い気味だが、エヴァはチャチャゼロの揶揄に遠い目をした。かつて、ベルカで繰り広げた女の戦いを思い出しているのだ。他に主がいるくせに、気が付けば澄まし顔で伊織に寄り添っている銀髪とか、野獣のような眼差しで伊織を見つめる初代新生夜天の書の主とか、オッパイ剣士とかエターナルロリータとか、残念女医とか、覇王と聖王の娘や孫娘とかetc

 

 そんな賑やかな伊織達に水を差す声が掛かった。いや、本人達からすれば勘弁してくれといったところだろうが。

 

「……おい、敗者は勝者に従うもんだがよぉ。放置はあんまりじゃねぇか?」

 

 呆れと不満を綯い交ぜた声の主は、酒呑童子の崩月。チャチャゼロの神器【六魂幡】によりぐるぐる巻きにされている。鬼の矜持として暴れることはないだろうが、不安に思う妖怪達の為に形だけ拘束しているのだ。

 

 そんな崩月の傍らには副首領の茨木童子や四天王の姿もあった。みな、何かしらの形で拘束されているが、一様に、その表情には陰りがない。全力で戦い、その結果、正面から倒されたことに満足を感じているのか清々しさすら感じさせる雰囲気だ。

 

 伊織達が話している間にも、続々と拘束された鬼達が妖怪達の手によって集められてきている。自分達の首領が敗北宣言したことで、彼等も負けを認めたようだ。本当に、鬼とは潔い。戦闘狂の気さえなければ真っ直ぐで扱いや……気持ちのいい奴らではあるのだろうが。

 

「おおと、そうじゃった。さて、さて……盛大に暴れてくれた挙句、霊脈まで滅茶苦茶にしてくれおった主等には、如何な処遇が良いかのぅ」

 

 さっきから視界に入っていたであろうに、さも「今、気がつきました!」とでも言うように恍ける八坂。扇子で口元を隠しながらニンマリと笑っている眼で胡座をかいている崩月を見下ろす。

 

「はっ、てめぇの指図は受けねぇよ、女狐。俺が負けたのは東雲伊織の一派だ。お呼びじゃねぇんだよ。引っ込んでろ」

「ふむ、伊織よ。こやつはそう言うておるが、どうするつもりじゃ?」

「ん~、そうですね……」

 

 八坂が伊織に視線を向ける。崩月達、鬼の視線も伊織に向いた。それらの視線を受けつつ伊織は少し首を傾げると、一つ頷き結論を出した。

 

「八坂殿にお任せで」

「おおいっ!! そりゃねぇだろぉ! 結局、この女狐の言いなりじゃねぇかぁ!」

 

 崩月が、無責任とも言える伊織の決定に激しい突っ込みを入れた。それはそうだろう、結局、八坂の言いなりになってしまうのと同じであり、それは、自らが勝利した相手に従うということでもある。鬼の矜持が納得しかねるのだ。

 

「そうは言ってもな……俺としては無為に暴れず、協会と適度な距離感で不可侵不干渉の類の約定でも結んでくれれば十分なんだ。元々、九重の助けを求める声に応えただけで、実を言うと、妖怪同士の争い――つまり内部問題に干渉したってことになりかねないし」

「そうじゃのぅ。まぁ、今回は、こちらから要請した上、緊急性も高かった。約定を保護するためという名分もあるかのぅ、特に問題はないと思うが……協会に対し事後承諾という点はいい顔されんじゃろうなぁ。こちらにも、身内の退魔師を巻き込んだと抗議の一つ二つあってもおかしくない」

 

 もちろん、結果的には妖怪側と人間側の平穏を守るために必要な事ではあったので、はぐれ術師が死んだ後に、妖怪戦争の片側に参加したことはそれほど問題にはならないだろう。せいぜい、嫌味ったらしい一部の人間が、嫌がらせも兼ねた形式通りの抗議や注意をしてくるくらいだ。

 

 それでも、面倒な事には変わらないし、東雲ホームの兄弟姉妹で協会に所属している者達の肩身が狭くなるのは困るので、あくまで、処遇の決定は八坂にしてもらいたかった、というわけである。

 

「そういうわけじゃ、崩月よ。お主も自分に勝ったせいで、伊織が迷惑を被るのは本意ではあるまい?」

「チッ、これだから人間はめんどくせぇんだ。東雲親子みたいな奴ばっかならおもしれぇのによぉ」

「はぁ、そんなだから、お主には意地でも統領の座を譲れんのじゃ。さて、では、伊織から任されたことじゃしの。お主等の今後に関しては……」

 

 不満たらたらの崩月だったが、伊織達の言葉に面倒そうにしながらも理解は出来るようで大人しく従ってくれるようだ。

 

 結果、八坂の下した処遇は、異界の復興支援と、今後生じた問題に対する京妖怪への無条件での協力、それ以外では京都大江山にある異界に京都の霊脈が元に戻るまで封印……という名の軟禁という事になった。意外にも軽い処遇に訝しむ崩月だったが、八坂が、崩月の血肉と力が溶け込んでしまった霊脈の調整には骨が折れるので、手伝ってもらうためにも京都内の程よい場所にいてもらった方がよいと説明すると納得した。当然、それらの約定は九尾の術によって強制が掛けられた。もっとも、鬼が一度した約定を違えるとは思えないが……念の為だ。

 

 その後の話をしよう。

 

 崩月達の処遇が決まった後、テトとエヴァの大活躍により異界の破壊された場所や傷ついた妖怪達は次々と修復され癒されていった。それから数日、協会への報告や約定締結の立ち会い、崩月達の大江山への移送などで忙しく動き回り、どうにか一段落着いた頃には一週間ほどが経っていた。

 

 協会からの伊織の独断専行については、事情が事情である上に、八坂の厚い弁明もあって、案の定、お咎めはなしだった。むしろ、上層部の方々に至っては「また、東雲かぁ~」と、どこか達観したような表情でお褒めの言葉を頂いたほどだ。

 

 どうやら、“東雲”の人間は、大体何かやらかしているらしい。それに比べれば、独断専行とは言え、妖怪側と協会の約定を鬼神クラスから守り抜いたという事情は評価すべきことだったようだ。

 

 なにせ、今回の事で伊織が神滅具【魔獣創造】の使い手であることが知れてしまった事もあり、ただの一協会の退魔師にはしておけないと、既に八坂達――京妖経たっての要請により、“京都守護筆頭”の役職も受けることになった。

 

 この“守護筆頭”とは、特定の特殊な地域を専属的に保護する“守護”という地位の中で、その地域の“守護”達のトップの役割を持つ者をいう。京都は霊的に莫大な価値を持つため、幾人かの“守護”がいるのだが、そのトップが「神滅具持ちであれば良い抑止力にもなるし、伊織達においてもこっそり拉致するなど搦手への牽制になる」と自ら“守護筆頭”の地位を譲ったのだ。ちなみに、この人、名を東雲完治という初老の男性で、言わずもがな東雲ホームの出身である。

 

 神滅具持ちとはいえ、十三歳の小僧が京都の守護筆頭だなんて! と文句が出そうなところだが、やはり「東雲か……なら、しょうがない」と目を逸らすように皆納得したらしい。本当に、過去の“東雲”達は一体、何をしてきたのか……こうなると、伊織の父が赤龍帝だったのも余り不思議ではないかもしれない。

 

 ただ、これを機に、伊織達専用の異界直通転移魔法陣が作られ、更に、京妖怪達から“若様”やら“若”やらと呼ばれるようになったのは頭の痛い問題だった。彼等の中では、既に伊織は“そういう相手”らしい。八坂が手を回したのか、それとも九重の言動がそう思わせたのか……その内、伊織としても“微笑ましい”では済まなくなるかもしれない。エヴァが胃を痛めそうだ。

 

 なお、伊織が【魔獣創造】を秘匿しなかったのは、流石にあれだけの妖怪や鬼達に目撃されていて隠し通すのは無理だろうという事と、鬼神クラスの鬼を下したという話に信憑性を持たせるためだ。倒したのを八坂という事にしようという提案もあったのだが、それは絶対に嫌だと崩月や茨木童子、四天王達も断固拒否したので仕方が無かった。

 

 日本退魔師協会が神滅具の使い手を確保したという事実は、きっと、直ぐに世界中の知るところとなるだろう。様子見をしてくれるならいいが、各勢力からアプローチが掛けられる可能性は大いにある。

 

 これから先の事を思い、苦笑いしながら頬を掻きつつも、伊織はいつものことか、と開き直るのだった。何があっても誓いを違える事なく、ミク達大切な者と共に進もうと。

 

 もっとも、最初にやって来たトラブルのもとが、まさかあんな大物だとは思いもしなかった伊織は、後に今回の人生もハードモードが過ぎると天を仰ぐ事になるのだった。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

これで鬼編は終わりです。
九重……普通にヒロインしてますね。
さて、次回は自分でもなぜ書いたのかよくわからない日常系の話です。

明日の18時更新予定です。


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閑話 ニ〇動誕生と魔改造

 

 

 【これは伊織達が未だ小学生の時の話】

 

 とある駅の近くにある公園。遊具などはなく、ただ休憩用のベンチだけがあるその場所に、今、多くの人々が集まっていた。

 

 普段は寂れた、周囲を雑木林に囲まれた公園のキャパシティをオーバーするような事態になっている理由は一つ。素晴らしい旋律が鳴り響いているからだ。

 

 流麗で優美、されど上品すぎず、思わず体が踊りだしそうな軽快さもある。耳にするりと入ってくる澄んだ音色は、まるで麻薬のように聴き手を蕩けさせ快楽の虜にする。ただの一音ですら聞き逃してなるものかとでも言うように、人々は静かに聴き入っていた。

 

 アルトサックスの浮き立つような音色が公園全体に駆け巡り、ヴァイオリンの響きが曲全体に深みを与えている。ギターとベースの旋律は、弾き手の心を表すように、ひどく楽しげだ。

 

「――♪」

「――♬」

 

 そこに、二人の少女の歌声が彩りを添える。音そのものが色付いたように華やかになった。天使の歌声というものがあるのなら、きっと、こんな声音に違いないと、聴衆は宙に飛び散る音符を幻視しながらうっとりと聴き惚れる。

 

 だが、真に驚くべきは、きっとそんな極上の音楽ではなく、そのプレイヤー達だろう。なにせ、彼等の見た目は、どう見積もっても小学生の高学年くらいなのだから。

 

 そう、言わずもがな、伊織、ミク、テト、エヴァである。エヴァは、百年以上の練習の末、演奏の腕は超一級レベルである。練習した理由はもちろん、仲間はずれが嫌だったからだ。

 

 なお、ミク達は、伊織に合わせて小学校に通うため、最近はミクの鍛錬がてら【如意羽衣】の力で見た目を変化させている。

 

 そんなチビッ子バンドは、ここ最近、界隈でかなり有名になっている。子供とは思えない演奏力と歌唱力に合わせ、曲そのものも前世、前々世で流行ったものであるから人々の心を鷲掴みにする当然と言えば当然だ。

 

 そんなわけで、神出鬼没ではあるが、伊織達がストリートライブの準備をし始めると、最近では情報網が回ってわらわらと常連が集まってくるようになっていた。前世でもよくあった事だ。既に、それぞれに固定ファンも付いており、紳士なお兄さん達への警戒が必要になってきている。ちなみに、淑女なお姉さんも出没し始めている。

 

 伊織達自身は知らないが、実は、既にファンクラブの結成までされており、「伊織君達を影から見守り隊」などがあったりする。ミク達個人のファンクラブもあり、互いに凌ぎを削っていたりもするようだ。

 

 やがて、その曲の最後の調べが響き渡り、そしてたっぷりの余韻を残して静かに終わりを告げた。

 

 一拍、二拍、心地よい感覚に身を委ねていた聴衆は、伊織達が笑顔で頭を下げた瞬間、大歓声を上げた。

 

「ミクちゅぅあぁああん!! 最高だよぉ~~!!」

「もっと聞かせてくれぇ~、テトちゃぁああん!!」

「エヴァたんエヴァたんエヴァたんエヴァた~~~ん!!」

「伊織くん、いいこと教えてあげるから、はぁはぁ、お姉さんと来ない? ねぇ? お姉さんのお家に来ない?」

 

 いつも通り、お巡りさんを呼ぶべきか否か非常に迷う人達が混じっている。平行世界の地球だろうと、古代ベルカだろうと、その辺りは変わらないようだ。

 

 それから、更に数曲を披露し、いよいよ公園がキャパシティ的に悲鳴を上げ始め、お巡りさんがちらほら様子を見に来るようになった頃、伊織達はライブを切り上げた。アンコールが続くが、あまりやりすぎると色んな意味でやばい事になるので解散をお願いする。

 

 流石に、小学生が頭を下げてお願いをするのだ。無茶は出来ないと名残惜しそうにしながらも方々に散って行ってくれた。お姉さんとお兄さんの幾人かがお巡りさんと仲良く談笑している。それぞれ違う意味で眼が笑っていなかったが……

 

 伊織達が素早く帰りの支度をしていると、眼鏡を掛け長い髪をバレッタで纏めた、如何にもキャリアウーマンといった感じの女性がツカツカと姿勢よく歩み寄ってきた。

 

 毛色の違う観客に伊織が「はて? 面倒事か?」と首を傾げる。

 

「初めまして、ボク達。素晴らしいライブだったわ。本当に。その年で、あのパフォーマンス……プロ顔負けよ? 一体、どこでそんな技を身に付けたのかとても気なるわ」

「え~と、そいつはどうもです」

 

 冷静な表情で、しかし捲し立てるように伊織達を褒めちぎる怜悧な女性に、伊織は若干戸惑いながら礼を言う。どこか感想というより評価じみた言葉に、何となく女性の用件や正体を察しながら、名乗っていない事を暗に仄めかすように視線を細めた。

 

 それに気がついたのか、女性は自分が先走りすぎた事を恥じるように咳払いを一つし、眼鏡をクイッと指で上げる。

 

「ごめんなさい。本当に素晴らしかったものだから少し興奮してしまったみたい。私は、こういう者よ。よければ、親御さんも交えて一度お話させてくれないかしら?」

 

 そう言って、女性は懐からケースに入った名刺を取り出し、伊織に手渡した。

 

「……やっぱり、芸能事務所の社長さんですか。スカウトに来られたんですね」

「え、ええ、そうなのよ。詳しい話は親御さんとも一緒にしたいと思うのだけど……どうかしら? もっと多くの人達に君達の音楽を聞かせて有名になってみない? テレビの中のアイドルみたいになれるわよ? 興味があるなら、是非、うちでデビューして欲しいの。これ以上、君達の事が広がると大手が出てくるだろうし……」

 

 意外に落ち着いた雰囲気で察しのいい返答をする伊織に少したじろいだものの、子供ならテレビに出られると言えば興味を示すだろうと割かし露骨な勧誘をする。特に、アイドルの部分をミク達に視線を向けながら殊更強調する。

 

 彼女、名を桜庭敦子(二十九歳)といい、小規模な芸能事務所の社長だ。たまたま、伊織達の話を聞いて見に来たところ、まぁ、ハートを撃ち抜かれたということだ。クチコミで大手が嗅ぎつけるのは時間の問題。その前に、引き込んでおこうというつもりなのだろう。見た目は余裕ある大人として子供に話すようにしているが、伊織の観察眼はどこか必死さがあることを看破していた。

 

「すみません。趣味の範疇ですので、興味はありません。例え、大手の事務所がスカウトに来ても返答は同じです」

「え? ええぇ~? どうして? 有名人になれるのよ? 君達なら絶対トップアイドルになれるわ! キラキラした大きなステージで、沢山の人の前で歌ってみたいでしょ? ねぇ、女の子達はアイドルになりたいわよね? ね?」

 

 何やらクールビューティーの仮面が剥がれかけているようだ。オロオロしながら、必死に勧誘の文句を並べ立てる。しかし、矛先を向けられたミク達は……

 

「「「興味ない(です)(ないね)」」」

「どうしてぇ~~!!」

 

 余りにあっさりした態度に、桜庭社長の表情が完全に崩れた。目の端にキラリと光るものがある。自分が怪しいやつに見えていて警戒しているのかも! と、笑顔を増やして、あの手この手で興味を引こうとするが、伊織達は帰りの支度を終えると、そのまま場を辞そうとする。

 

「まってぇ~~! うちの事務所ピンチなの! もうダメっぽいかなぁ~って思ってた時に見つけたのが君達なのぉ! お姉さんを見捨てないでぇ~!」

「ちょっ。ズボンを掴まないで下さい! いや、ほんと、脱げるから!」

 

 桜庭社長――潰れる寸前の弱小事務所の主だったらしく、最初のクールビューティーなキャリアウーマンキャラはどこいった? と言いたくなるような泣きべそをかきながら伊織の腰にしがみついた。掴みどころが悪く、このままでは伊織が小学生で露出デビューをしてしまう。

 

「嫌よぉ! 離したら逃げるでしょ! 君達ったら、どういうわけか何度追いかけてもいつの間にか消えるんだもの! 未だに姓も、お家も、連絡先すらわからないしぃ! どうなってるのよぉ! いい加減話題になり過ぎて、大手に気づかれちゃうぅ!」

 

 確かに、伊織達は、名前は公表しているが、姓は明かしていないし、帰りは気配を消して死角から転移魔法で帰宅しているので素性を掴めなくても仕方ないだろう。いつも、さっさと撤収するので声を掛けるのも一苦労だろうし、漸く話せた伊織達にすげなく断られれば泣きを見てもおかしくないかもしれない。

 

「いや、大手だろうが弱小だろうが、プロになるつもりはないので……」

「そんな事いわずに! お姉さん、伊織君(という音楽家)が欲しいの! 大丈夫、(芸能界は)怖くないから! ちょっと大人の世界(プロの世界)に入るだけだから! お姉さんが全部(芸能界での仕事のやり方を)一から教えてあげるからぁ!」

「あんたの存在が既に怖いよ。まず、自分の発言を省みような?」

 

 思わず、「お巡りさん! こいつです!」と叫びたくなった伊織。血走った眼で、ハァハァと息を荒げながら小学生男子の腰にしがみつき危険な発言を繰り返すアラサー女性の姿は、傍から見れば完全に犯罪だ。既に、伊織の言葉から敬語が取れている。

 

「ええい、伊織から離れんか! この変態がっ!」

「あらら、何だか必死ですねぇ~」

「というか、何だか面白い人だね」

 

 エヴァが、伊織の貞操(今世の)の危機を感じて、桜庭社長を引っぺがす。それを見ながら、ミクとテトが面白げな表情をしていた。

 

「はぁはぁ、あなたはエヴァたんよね? 金髪碧眼の美少女……なのに日本語ペラペラの女王様キャラ……売れる。売れるわよぉ! ミクちゃんとテトちゃんも、最高級の美少女! そして、そんな美少女に囲まれるハーレム少年! やっぱり小学生はいいわぁ! 半ズボンはかせて、フリフリにして……はぁはぁ、日本が、いえ、世界が震撼するわ! 私の勘がそう叫んでるぅ!」

「伊織、さっさと帰ろう。こいつはもう手遅れだ」

 

 エヴァが、自分を見つめながらうっとりしている桜庭社長に身震いしながら後退る。どうやら震撼したのはエヴァの方だったようだ。人がまばらとは言え、公園のど真ん中で「小学生最高ぉ!」と叫ぶスーツ姿の女……お巡りさんが見てる。

 

 伊織は、エヴァに頷いて踵を返した。桜庭社長がそれを見てトリップから復帰し悲痛な声を上げた。

 

「あぁ~、行かないでぇ~!! お願いよぉ! 私を(見)捨てないでぇ~~!!」

 

 両足を揃えながら崩れ落ちた姿勢で、泣きべそを掻きながら伊織に向かって片手を伸ばすその姿は……どう見ても恋人に捨てられて、それでも縋ろうとする哀れな女そのものだった。相手が小学生でなければ。

 

 周囲が何事かと次第に騒ぎ始める。伊織は、ストリートライブをする度に追い縋っては際どい発言をしそうな桜庭社長を放置するのは問題の先送りにしかならないだろうと、取り敢えず彼女が納得できるよう話をすることにした。それに、例え事務所の経営危機という理由であっても、伊織に助けを求めている事に変わりはない。ならば、手を差し伸べないというのは信条に反するのだ。

 

 なので、仕方なく、伊織は桜庭社長の伸ばされた手をとって立たせた。合気を使っている辺り、無駄に洗練されている。桜庭社長は、伊織の態度と意図せず立たされた事にキョトンとした表情になっている。

 

「取り敢えず、どこかに入りましょう。お茶とスイーツ分くらいは、話を聞きますよ。あくまで聞くだけですが」

「ほ、ほんと? ありがとぉ~!」

 

 結局、こうなるのかと呆れた表情をするエヴァと微笑むミクテトを傍らに、一行は少し離れた場所にある喫茶店へと向かうのだった。

 

 

 

 

 あむあむっと中々に美味いケーキセットを堪能し、遠慮なくしたおかわりがそろそろ食べ終わる頃、一通り桜庭社長の話は終わった。といっても、詳しい契約内容の話などではない。そいうのは親も交えてする必要があるので、話の内容は、如何にアイドルという職業が素晴らしいか、伊織達が如何に逸材か、という話に終始した。

 

 話し終わったころ、桜庭社長は、どうだ! これでアイドルになりたくなっただろう! 

と言わんばかりに、笑顔を向ける。持ち得る限りの弁舌を尽くしたという自負があるのか、その表情はどこか清々しい。

 

 そんな桜庭社長に、伊織はというと……

 

「お話はよくわかりました」

「それじゃあ!」

「お断りします」

「もちろっ……あれ? 今何か変な言葉が聞こえたような……」

「お断りします」

「やっぱり、最近疲れてるのかなぁ……幻聴が聞こえる……」

「お断りします」

「……」

「お断り……」

「どうしてぇ~」

 

 頑張って誤魔化すも、きっぱりした伊織の言葉に桜庭社長がテーブルに突っ伏した。口からは、疲れ果てた老人のようなしわがれた声が漏れ出す。一塁の望みをかけて、チラリとミク達を見やるが……

 

「マス……伊織さんが断るなら絶対やりません」

「ボクも、マス、伊織くんと同じ結論だよ。何があってもね」

「ふん、当然だな。何が悲しくてアイドルなんぞせねばならんのだ」

 

 やっぱりすげなく断られた。ちなみに、ミクとテトは、家族以外の前では、伊織をマスターとは呼ばない。小学校で同級生の女の子にご主人様と呼ばせていると知られれば、即行で家庭訪問だからだ。

 

「そういう事なんで……」

「私ね、アイドルっていう職業が昔から好きでね。特に、小学生くらいの子がステージで輝いてるのが凄く好きでね。それで、大手でマネやってたときのコネとか色々使って事務所開いたんだけどね。全然上手くいかなくてね。……」

「……おい、伊織。この女、何か語りだしたぞ。どうする気だ」

「う~ん、まぁ、まだ時間はあるし、いいんじゃないか?」

「はぁ、お前ならそう言うだろうと思ったよ。取り敢えず、チーズケーキ追加だ」

「長くなりそうですもんね。私はパイ系いってみましょう」

「じゃあボクは、モンブランにしよ」

 

 俯きながら、顔に青線を引いて語りだした桜庭社長を尻目に女性陣はスイーツの攻略に乗り出した。こういうとき、いくら食べても太らない彼女達の体質は世の女性を敵に回している。

 

 伊織は、そんなミク達を見て小さく笑みを零しながら、桜庭社長の独白のような愚痴に時折相槌を打ちながら付き合った。前世で、その立場から多種多様な人達から相談を受けていた伊織にとって、桜庭社長のそれは、特に苦にも思わない慣れたものだった。覇王や聖王から、他の次元世界との折衝について相談されるよりずっとマシである。

 

 たっぷり一時間、時折、店員から奇異の眼差しを受けつつも自らの軌跡を話し終わった桜庭社長は漸く正気に返った。そして、今度は別の意味で頭を抱え出す。

 

「ご、ごめんなさい。小学生の君達に、こんな話を……延々と……私ったらこんなだから……」

「まぁまぁ、それだけ切羽詰ってたってことでしょう? こっちは美味しいスイーツも頂いたんですから余り気にしないで下さい。少なくとも、貴方が一生懸命な人だって事は知れましたし、特に不快には思っていませんよ」

「そ、そう?」

「ええ。むしろ、うちの奴らが随分食べてしまってすいません」

「い、いえ、それくらいはいいのだけど……何だが、伊織君と話していると年上を前にしている気がするわ。……小学生に精神年齢で負けてる私って……」

 

 伊織にフォローされて更に落ち込む桜庭社長。実際、精神年齢で言えば、その通りなのだが、彼女が知る由もない事だ。話の内容から、どうやら彼女の事務所は、このままだと本当にたたむことになりそうなので、それも相まって気持ちが浮上しないのだろう。

 

 そんな桜庭社長に、伊織は困った表情をしながらも、しょうがないとでも言うように肩を竦め、念話でミク達に自分の考えを相談する。そして、彼女達からの了承も出たので、桜庭社長の夢を救う――提案を行った。

 

「桜庭社長。一つ、提案があるのですが……」

「へ?」

 

 この時、伊織が何を持ちかけたのか。

 

 それは、一年後の、このハイスクールD×Dの世界にニ○ニ○動画という本来は存在しないサイトが社会現象となるほど注目を集め、その運営会社が、顔出しNGの正体不明の四人組小学生バンドを見出した会社としても有名になった事でわかるだろう。

 

 五年後の伊織達が高校生になる頃には、日本で有数の知名度を誇る伊織達のバンド“ストック”を筆頭に、数多の一流アイドルを排出する大手芸能事務所が芸能界を席巻するのだが……それはまた別の話。

 

 トップアイドルの仲間入りを果たした事務所のアイドル達が、筆頭稼ぎ頭の素性を知って虎視眈々と色んな意味で狙いだし、そんな彼女達から旦那を守るためにエヴァが忙しくなったのも別の話だ。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 【これは東雲家での、とある日常の話】

 

「喰らえ! 弟を想うお姉ちゃんの拳ぃ!!」

「ぐべぇ!?」

 

 そんなふざけた雄叫びを上げながらも、東雲ホームの広い庭で繰り出された拳は、確かな衝撃を伴って目標を粉砕した。その哀れな目標とは、拳を放った方を“お姉ちゃん”とするなら“お兄ちゃん”と言うべきだろう。

 

「いや、瑠璃姉さん。覇王流の技に変なネーミングしないでくれよ。それは断空拳だって何度いえば……」

 

 思わず、どこか疲れた表情でツッコミを入れるのは伊織だ。覇王断空拳を放った後の残心を解きつつ爽やかな笑みを浮かべるホームの姉、東雲瑠璃に己の根本とも言える武技の名を守ろうと、伊織は正式名を伝える。

 

「だって……普通にやっても中々出来ないんだもん。伊織を想ってやるだけで成功率が上がるんだからいいじゃない」

「ほんと……なんで上がるんだろうね? 意味が分からないよ」

「いや、お前ら……呑気に話してないで、両腕砕かれた兄を心配してくれよ」

 

 伊織が、ハッとしたように、先程、瑠璃が吹き飛ばした相手、ホームの兄東雲慎吾を見やる。慎吾は、両腕をブランとさせながら、ジト目で伊織と瑠璃を見ていた。

 

「あぁ、ごめんごめん。慎吾兄さん。えぇと、エヴァ~、頼むよ」

「むっ、そっちもか。最近、様になってきたせいか、怪我が多くなってきたなぁ」

 

 近くで、瑠璃や慎吾と同じように組手をし、結果、怪我を負った兄弟達を【聖母の微笑】で治療していたエヴァが、やれやれと言うように肩を竦めながら慎吾の隣に膝を下ろし治療を始めた。

 

「確かにね。……念といい武術といい、みんな呑み込みがいいから」

 

 嬉しげに頬を緩めて、庭のあちこちで死屍累々となっている兄弟姉妹達を見つめる伊織。その表情は好々爺としいる。

 

 伊織達がやっているのは、東雲ホームの子供達への戦闘訓練だ。具体的には、【念】=【気】の目覚めと扱い、そして覇王流や圓明流、神鳴流、銃術(ガン=カタ)、合気鉄扇術などの武術の訓練である。

 

 あの日、伊織が実は、百年以上の研鑽を積んだ百戦錬磨の武芸者だと知った日以降、子供らしさが鳴りを潜めた伊織や人外のミク達に対して兄弟達がどのような態度をとるか、少し心配だった伊織だったが、結果的には何の心配もなく、むしろ異世界スゲー! と興味を引きまくったほどだった。

 

 そして、伊織の技の数々に魅せられた兄弟達がこぞって、教えろぉ! と伊織に殺到したのだ。何でも、どんな事情があろうと弟より弱いまま良しとするような奴は、東雲男児ではない! ということらしい。

 

 前世でも自ら創設した孤児院で、武技を教えていた伊織は、もちろん二つ返事でOKした。東雲ホームの子供は皆特殊な存在だ。少しでも危険から身を守れるようにする為にも、反対する理由は皆無だった。

 

 そんなこんなで、ミクやテト、エヴァも交えて、念や武技を教え始めた伊織。この世界にも、【念】そのものではないが、気やチャクラ、オーラという概念はあるので、念能力までは発現しないだろうが体系は使えると、四大行から始めたのだ。

 

 しかし、それを不満に思うのが姉妹達(当初は姉だけだが、数年後に妹が入ってきた)だ。伊織が兄弟達に付きっきりなために、自分達が末弟と過ごす時間が全然ない! と、男連中に伊織の解放を訴えたのだ(断じて捕えられているわけではない)。

 

 危うく、兄弟達と姉妹達の間で伊織争奪戦が繰り広げられそうになったのだが、そこでエヴァが、姉妹達を説得……というか懐柔し、結果、姉妹達も訓練に参加するようになったのだ。

 

 そんな訓練も既に十年近くになるだろう。

 

 今では、初期から訓練していた兄弟姉妹は基本四大行に加えて、応用技も一通り出来るようになっている。武技においても、それぞれが選んだ武技の皆伝くらいは認められる腕前で、先程の瑠璃や慎吾は、神鳴流が本命だ。近接格闘用に覇王流に手を出しているのである。

 

 それに加え、彼等本来の能力や神器があるのだから……最近、業界で東雲コワイと言われても仕方ないかもしれない。悪魔や堕天使であっても中級くらいまでならどうにでもしてしまいそうと言えば、その強さがどれくらいかよくわかるだろう。

 

 なお、現在、中学一年生の伊織だが、その間に、多くの兄姉が自立してホームを出て行き、代わりに幼い兄弟姉妹が幾人か増えることになった。伊織も任務の過程で連れてきた子が何人かいる。

 

 瑠璃もその一人だ。彼女は伊織より三歳上の高校一年生で、慎吾も同じだ。瑠璃はかなり伊織を可愛がっている。というのも、ここに瑠璃を連れてきたのが伊織なのだ。感謝と共に溺愛しており、事あるごとにお姉ちゃんぶろうとする。救われた分、伊織の世話を焼きたいようだ。もっとも、その辺は、伊織の妻を公言してはばからないミク達がいるので余り叶っていないようだが。

 

「ほれ、終わったぞ。【堅】が甘いから一撃でへし折られたりするのだ。格闘なら瑠璃が一歩リードかもしれんな」

「うっ、相変わらず、エヴァはストレートだな。……兄心が粉砕されたぜ」

 

 慎吾がエヴァのオブラートに包まれない言葉の正拳突きを喰らい、胸を抑えた。東雲ホームの年長組は、基本的にエヴァ達を伊織と同い年扱いする事にしたようで、エヴァ本人の複雑な心情はさておき、彼女を妹扱いする。

 

 それを知った時のチャチャゼロが爆笑したのは言うまでもない。

 

 それからも訓練は続き、いつしか覇王流を始めたとした異世界の武術は東雲流と呼ばれるようになり、伊織の魔改造が、その後の子孫に連綿と受け継がれていくことになるのだが、それはまた別の話だ。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

ちょっと休憩がてらの日常系を書いてみました。
バンド名は適当です。ちょうどトイレットペーパーのストックがなくなりそうだったので。
もし、こんなのがいいというのがあれば遠慮なくどうぞ。

次回は、明日の18時更新予定です。


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第37話 怒りの矛先

 

 伊織達が、京都で妖怪大戦争を終結させた挙句、いつの間にか京妖怪達から若様扱いされるようになってから二年近くが過ぎた頃。季節は夏真っ盛り。

 

 外ではうんざりする暑さと蝉の大合唱が響き渡り、不快指数を最大にしている。アスファルトは蜃気楼のようにゆらめき、首筋を流れる汗が服に否応なくシミを作った。色の変わっていく自らのTシャツに眉を顰めながら、今更だと頭を振ってえっちらおっちらと歩くのは、東雲瑠璃だ。

 

 食材を山ほど入れたエコバックは、もし言葉を話せるなら「無理っす! もう絶対無理っす!」と泣き言をいうに違いない、と思えるほどパンパンに膨れ上がっていた。

 

 そんな瑠璃の隣には、二回りほど小さいものの、やはり限界に挑戦するような膨らみ方をしているエコバックを両手に持った十歳ほどの女の子がいる。彼女も、伊織に連れられて東雲ホームに引き取られた子供で、名を東雲薫子という。

 

「る、瑠璃姉。そろそろ、【周】が、ががが」

「ほらほら、頑張って。これも鍛錬だよ。……今、【周】が解けたら大惨事だからね? わかってるよね? ここを死線と定めて、頑張って!」

「瑠璃姉ェ~、唯の買い出しがぁ~、どうしてぇ~、死線になるのぉ~」

「うちは特別な子たちばっかりなんだから、普段から鍛錬すべきなんだよ。強くなりたいと思うのは大抵、何かがあったあと。だから、出来るだけ取り返しのつかない“何か”が訪れる前に強くなっておくべきなんだよ」

「そ、それってぇ~、伊織兄ぃのぉ受け売りぃ~?」

「そうだよ~。っていうか、辛いなら、喋らなくていいのに……」

「喋ってぇないとぉ~、心が折れそうぉ~」

 

 ぜぇぜぇと肩で息をしながら必死にオーラを維持する薫子。二人の手にもつエコバックが限界を超えた積載量にも問題なく耐えている理由は彼女達が【周】をしてエコバックを強化しているからだ。

 

 瑠璃の方はまだまだ余裕そうではあるが、まだ覚えたての薫子は既に限界のようで、このまま【周】を解けば、スーパーの店員が大道芸と思い込むことでどうにか自分を納得させたほどの中身が、熱した鉄板の如きアスファルトの上にぶちまけられる事になる。

 

 そうなれば、代わりの袋もないので、スーパーに戻って店員の「ああ、やっぱりダメだったんだな……」という生暖かい視線と共にレジ袋を貰い受けるという黒歴史を刻むか、瑠璃が家から袋を持って来るまで炎上する路上で通行人の奇異の視線を受けながらひたすら待つというトラウマをゲットする事になるだろう。

 

 その為、薫子も必死である。東雲の家の子は、日々、こうして鍛えられていくのだ!

 

「伊織兄ぃはぁ、ぜぇぜぇ……何時くらいになるのぉ?」

「う~ん、桜庭社長のところで新曲のレコーディングらしいから、結構かかるんじゃないかな? 多分、夜遅くにはならないと思うけど……」

「うぅ~、帰ってきたらぁ~、褒めてもらうぅ~、絶対ぃ、なでなでぇ~」

 

 薫子が闘志を燃やした。頑張った分、伊織が帰ってきたら報告して頭を撫でてもらおうというのだ。薫子も、瑠璃に負けず劣らず伊織に懐いている。どちらかといえば、兄というよりお爺ちゃんに甘える孫といった風だが。

 

「そうだね~。夏休みに入ったら、もう少し一緒に過ごせる時間が増えると思ったのに……守護筆頭にトップアイドル並みに人気のあるバンド活動、京都の妖怪達にも若様扱いで直ぐに呼ばれるし、退魔の助っ人で直ぐ飛んでいっちゃうし……中学生の癖に頑張りすぎだよ」

「だよねぇ~、もっとぉ、家族サービスぅするべきだよぉ~ぜぇぜぇ」

 

 唇を尖らせてぶぅ垂れる瑠璃。薫子も激しく同意しているようで、ガクガクと首を縦に降っている。妖怪大戦以降、瑠璃の言う通りの理由で忙しさを増した伊織達は、自然、ホームの兄弟姉妹達と過ごす時間も減っており、特に伊織に懐いている年少組は不満な日々を過ごす事が多い。

 

 茹だるような暑さの中、二人は、伊織達が帰って来たらせいぜい構って貰おうと目を合わせてニンマリと笑うのだった。

 

 

 

 

 ホームの夕暮れ。

 

 依子を手伝う食事当番の子供達の声が台所から聞こえてくる。美味そうな匂いまで漂って来て、まるで屍のように廊下で突っ伏していた薫子が、ゾンビのようにモゾモゾと動きだした。

 

 伊織達から、まだかかりそうだと連絡があったので、他の兄弟姉妹は全員帰宅している事から、もう間もなく夕食となるだろう。今日の献立は、つくねハンバーグだ。甘辛い和風ソースに、トロリと流れ出る中のチーズ。ご丁寧に、半熟の目玉焼きがオンしているのが東雲家の伝統だ。ハンバーグにinするチーズとonする目玉焼きは、カレーに対する福神漬け、あるいはビールに対する枝豆、太陽と月、男と女、陰と陽……と同じく切っても切り離せないものだ。年少組だけは、リクエストで“はなまる”も受け付ける。

 

 いつものように、食堂のテーブルに食事が並び始めると、呼ばなくともわらわらと兄弟姉妹が集まってくる。薫子も這い寄ってくる。今、ホームにいる子は伊織達を抜いて総勢十三名。十五歳の伊織の他に、十六歳の瑠璃と慎吾、十七歳の楓と春人、十八歳の結菜が年長組で、後は十歳の薫子、七海、智樹、八歳の玲奈、七歳の浩介、零一、四歳の双子、美湖と梨湖だ。

 

「伊織達は遅うなるって連絡あったから、先食べてしまおか。みんな、手合わせて……頂きます」

「「「「「いただきま~す」」」」」

 

 依子の掛け声で、声を揃えて頂きますをする。香ばしい香りが胃袋を刺激し、もう我慢できないと一斉に飛びついた。薫子の瞳が飢えた狼の様にぎらついている。それを同じ、小四組である七海と智樹が呆れた様な、でも買い出ししたのだし無理もないかという様な何とも言えない表情で眺めていた。自分達も鍛錬の後に追加で待っている“買い出し”の当番の日は同じようなものだと自覚があるのだ。

 

 薫子が、ホクホクのつくねハンバーグに箸を入れる。鎮座している半熟卵からバッサリ真っ二つだ。すると、とろ~りと輝く黄身が切り口に流れ込み、ほぼ同時に溢れ出した濃厚なチーズと絡み合った。グビリと喉が鳴る。薫子は、身構えた。強敵を相手に持てる武技の全てを出し尽くす心境で(実戦経験は皆無だが)。トロトロのチーズと黄身に包まれたハンバーグを食べた後は、一瞬の隙も晒さず純白の白米をかき込まなければならないのだ!

 

 薫子は、緊張に震える手(オーラを消費し過ぎただけ)を茶碗に添えて、いざ、肉汁で満ちたつくねさんに手をかけた。そして、眼前に持ち上げ、僅かに目を細めると、あ~んと大口開けて、至福の瞬間を掴もうとする! 

 

 まさにその時、

 

「みんな、気をつけて。よくないお客さんや。結菜、真上や。頼むな」

「はい、おばあちゃん――【不抜回天の絶対城壁】」

 

 依子が突然、表情を険しくすると、皆に警戒を――いや、臨戦態勢を求める。そして、スっと何もないはずの天井に視線を向けると、現在の東雲ホームの長女結菜に一言頼んだ。

 

 結菜も“何を”とは問わない。即座に発現させた彼女の神器。幾枚もの輝く盾を展開できる【不抜回天の絶対城壁】を発動する。

 

 ホームを透過して、直接屋根の上に展開された合計十枚の灰色に輝く障壁は、その一枚一枚が城壁と同等の堅さを持ち、結衣の意志が続く限りたとえ破壊されても何度でも復活する。まさに、難攻不落の城塞をもたらす神器だ。

 

 それが展開されたと同時に、上空から光の槍が落ちて来た。一般人には、唯の落雷にしか見えないだろうが、力ある者達が集まる東雲ホームで、それが何かを見間違う者などいない。

 

「――堕天使」

 

 それを呟いたのは誰だったのか。直後にホームを襲った激震がテーブルの上の料理を床に落とし、棚にしまっていた物がドサドサッと散らばる。

 

「いきなりやねぇ~。目的は、子供達か、それともタイミング的に伊織やろかねぇ。取り敢えず、春人」

「あいよ、ばぁちゃん。――【巡り続ける断絶世界】」

 

 直後、ホームを中心に空間が歪められた。春人の神器【巡り続ける断絶世界】は、一定範囲の空間をループさせる結界を張ることが出来る神器だ。北に進み続けても、一定距離を進むと真逆の南側に出てしまうというもの。一応、東雲ホームの特殊性から、襲撃を受ける可能性を考えて(実質、日本退魔協会そのものに喧嘩を売るに等しいので、そんな阿呆は滅多にいない)、周囲の土地は東雲が管理しておりご近所さんが巻き込まれる心配は少ない。

 

 依子が、チラリと子供達を見やる。年長組は流石に落ち着いているが、小学生組や最年少の双子姉妹美湖と梨湖はふるふると震えて不安を隠せないようだ。いくら普段から鍛えているとは言え、実戦経験など皆無。それが、彼等にとって安住の地であるホームに襲撃を――それも堕天使による襲撃を受けたのだ。不安に思わないほうがおかしいだろう。

 

 それでも泣き出さないどころか、泣き言一つ言わずに、眼に力を入れて踏ん張っているのは、彼等がみな何らかの痛い過去を背負っているからであり、そして、そんなものを吹き飛ばすような強い心を育んで来たからだ。あとは、年長組や依子への信頼が大きい。

 

「大丈夫や。心配せんでええ。伊織達も直ぐに来てくれるやろ」

「おばあちゃんの言う通り。たとえ誰が相手でも、絶対守って見せるわ」

「取り敢えず、俺達が出るから、小学生組は家の中にいろ。薫子、七海、智樹……玲奈達を頼んだぞ」

 

 依子が、美湖と梨湖の頭を撫でながら目元を和らげて優しい声音を投げかける。それに楓と春人も相槌を打った。兄と姉の力強い笑みに、幾分、不安は収まったようで、美湖と梨湖は肩から力を抜いた。そんな末姫達を守ろうと他の小学生組が力強く頷く。

 

「わ、わたしのつくねさん……つくねさんがぁ~。許せない、クソ堕天使どもめ。つくねを大事にしないから堕天なんてするんだよぉ!」

 

 約一名。どうやら、違う意味で震えていたらしく、口から飛び出したのは不安の声ではなく堕天使への怨嗟の声だった。もちろん、飢えた野獣のような眼で外にいるであろう堕天使を睨む薫子に、小学生組がドン引きした。七海と智樹は盛大にため息を吐きながら、今にも飛び出していきそうな薫子を羽交い締めにしている。一応、完全に不安は吹き飛んだようだ。

 

 と、その時、部屋の奥の空間がゆらめき、そこから女性型のマネキンのようなものが現れた。その正体は、マーチ・ヘア。伊織の作り出した幻と閃光を操る魔獣だ。ホームの護衛のために幾体かの魔獣を常駐させていたのである。

 

 そのマーチ・ヘアが、守るように小学生組の傍に寄り添い、そのまま【オプティックハイド】で彼等の姿を薄れさせていった。

 

「よし、この子達の事はマーチ・ヘアに任せて、不届き者の成敗に行きましょう!」

「そうだね。伊織の魔獣が戦っているみたいだけど、手伝った方が勝率上がるしね」

「堕天使か……戦うのは始めてだな」

 

 楓や瑠璃が気負いなく表に向かう。春人や慎吾も一緒だ。最後尾から、依子と彼女に寄り添うように結衣が続く。そんな彼女達に、幼い声援が飛んだ。

 

「「おばあちゃん! お兄ちゃん! お姉ちゃん! 頑張ってぇ!」」

「伊織兄が帰って来るまでに片付けちゃえ!」

 

 それに任せろと言うように、年長組は笑顔を浮かべ、依子は優しく微笑んだ。しかし、廊下に出て、年少組の姿が見えなくなると依子の表情が再び厳しいものになる。

 

「みな、気をつけるんやで。勘が騒いどる。今のみんなやったら、下級の堕天使くらいどうということはあらへんし、中級クラスでもどうにかなる。せやけど、絶対に気を抜いたらあかんで」

「……最高の占術師であるばあちゃんが言うんなら、何かやばいのがいるのかもな」

「まぁ、最悪、伊織が帰ってくるまで踏ん張れば大丈夫よ」

「あとは、出来るだけ早く気がついてくれればいいんだが……」

「堕天使も結界みたいなもの張ってたみたいだもんねぇ。やっぱり、伊織に対する人質にでもしようって腹かな? わざわざ留守中に来るくらいだし……」

「弟の弱点になるなんて死んでもゴメンだぜ」

「……死んじゃダメでしょ。伊織に知れたら……堕天使の明日がなくなるわよ」

「そっちの心配かよ」

 

 依子の警告に僅かに固くなった空気を解す年長組。実に頼もしい限りだ。

 

 依子は瞳に真剣さを宿しながら戦闘音の聞こえる外の様子を探った。伊織が置いていった魔獣――ホワイトラビットとナイト、そしてマッドハッターが下級数十体、中級三体の堕天使と死闘を演じているようだった。

 

 依子は、何らかの結界のせいで外部に連絡は取れないものの、伊織なら直ぐに駆けつけるだろうと思いつつ、伊織達の帰ってくる場所を、そして、自分を囲む子供達を守るため、占術の応用で相手の行動を先読みする術の準備を始めた。依子自身に戦闘力はないが、未来視に近い占術は戦略においても十分以上に役に立つのだ。

 

 そして遂に、依子の準備が終わったのを察しながら、年長組が外へ出た。

 

 その瞬間、光の槍が殺到する。一応、生かして捕えるつもりのようで狙っているのは手足であるし、威力も抑えられているようだ。しかし、年長組が驚くことはない。事前に依子から教えられていたからだ。

 

「させません」

 

 結衣が、城壁の名を冠するシールドを操る。依子達の前に移動してきた十枚のシールドが完璧に光の槍を食い止めた。そのシールドの脇から、楓と瑠璃、慎吾、春人が飛び出した。

 

「ふん、下等な人間如きが我ら堕天使に挑むか。身の程を弁えない愚か者どもが」

 

 中級クラスの堕天使が、眉を顰め唾を吐く様に依子達を見下す。漆黒の翼を広げ宙に浮きながら睥睨する姿、全身から滲み出す大きな力、周囲に展開する無数の光の槍――なるほど、確かに超常の存在というに相応し威容だ。

 

「聞け、我らに従うなら命までは取らないでぇっごぉがぁ!!?」

「御託はいらいないってのよ」

 

 悠然と自分達の駒になれと命じてくる堕天使に、宙を足場に跳んで来た楓の拳が突き刺さる。【虚空瞬動】と【覇王断空拳】のコンボを鳩尾に入れられて中級堕天使が奇怪な悲鳴を上げた。

 

 楓は、それを鼻で笑いながら、空中でくるりと縦に回転すると両足での踵落としを叩き込んだ。

 

――陸奥圓明流 斧鉞

 

 【断空拳】の一撃で、体をくの字に折り曲げていた中級堕天使は、後頭部に二重の衝撃を受けて、そのまま地面に落下、砂埃を大量に巻き上げながら衝突した。

 

 堕天使が、人間に落とされた――それも、神器を使うならともかく、唯の格闘戦で。その看過しがたい事実に、他の堕天使達が一瞬、硬直する。その隙を逃さず、ナイトとマッドハッターが群れる下級堕天使に猛攻を仕掛けた。

 

 高振動ブレードと炎熱魔力砲撃が、漆黒の翼を散らしていく。空の上という本来なら圧倒的なアドバンテージを得られるはずのそれは、高速飛行しながら衝撃を撒き散らすホワイトラビットによっていい様に翻弄されてしまう。

 

 苦し紛れに放った光の槍は、春人の神器が空間をピンポイントでループさせて、他の堕天使への牽制となってしまい、隙を晒した瞬間、神鳴流の奥義を繰り出す瑠璃や慎吾によって問答無用に切り裂かれていった。

 

「くそっ、一体どうなってる!? こいつら本当に人間かっ!?」

 

 下級堕天使の一人が、光の槍を放ちながら悪態を吐いた。その叫びは、きっと他の全ての堕天使も同意見だろう。

 

「そうやって、見下してるから足元すくわれるんだよ。お前等みたいに、日常をあっさりぶっ壊してくれる馬鹿に、いつまでも泣き寝入りしてると思うなよっ!!」

 

 慎吾が、神鳴流【斬岩剣】で、下級堕天使の持つ光の槍ごと相手を叩き斬った。斬られた堕天使は信じられないといった様に目を見開いて落ちていく。

 

 と、その時、不意に依子の声が響く。

 

「これはあかん。みんな、戻って。全力で守りぃ」

 

 直後、空に膨大な光が集束し始めた。今までの堕天使の攻撃とは比べ物にならない力の塊は、一拍の後、月と地上を繋ぐ尖塔の如く、依子達とホームを巻き込んで天地に突き立った。

 

 轟音が鼓膜を破らんばかりに響き渡る。

 

 結衣と春人に合わせて、他のみなも全力で防御体制を取った。地響きが鳴り、結界が悲鳴を上げる。依子に寄り添う結衣が歯を食いしばる。神器の力は心の力。意志の強さで、その発揮される力も変わる。結衣は、ただひたすら愛する家族を守りたいという気持ちを注ぎ込んだ。

 

 しかし、力の密度が違いすぎる。中級堕天使でも、本来なら戦術と不意打ちを以て戦わねばならない相手なのに、今、感じているそれは上級クラスと遜色がない。まさか、中級以上が来ていたのかと戦慄する結衣達の頭上で、一枚、また一枚と城壁が破られていく。

 

「お、ばぁちゃん……くぅうう、もうっ……」

「結衣……大丈夫や。みんな覚悟決めや。理不尽に晒されるんは、東雲の宿命や。生き延びることを一番に考えて、諦めたらあかんで」

 

 泣きそうな顔で限界を伝える結衣の背中を、依子が優しく撫でる。そして、依子に言われるまでもなく、その教え通り決然とした表情を見せる瑠璃達も不敵に笑った。理不尽も不条理も、東雲に引き取られる様な子供達は慣れている。

 

 ただ蹲って嵐が過ぎ去るのを待つことしか出来なかった、行き場のない怒りや悲しみを無差別に撒き散らすことしか出来なかった――そんな彼、彼女に居場所と心意気を教えたのは依子だ。そんな文字通り、母にして祖母たる依子の前で無様は晒せない。兄弟姉妹の気持ちは一つだった。

 

パキャァアアン!!

 

「くぅああ!!!?」

 

 直後、結衣のシールドが破られる。城破の衝撃が地を揺らし、閃光が周囲を白に染め上げた。春人が結衣と依子を庇い、楓達も全力の【堅】を行う。下級堕天使の一撃なら、ほぼ無傷で耐え切れるだけの剛性を備えた【堅】ではあるが、流石に上級クラスの衝撃を受けて唯では済まなかった。

 

「つぅうう、ばあちゃん……お前ら……無事か?」

 

 慎吾が、内臓を傷つけたのかケホケホッと血を吐きながら、砂埃が舞う中で呼びかける。【円】の反応では、生命反応は一つとして消えてはない。その事に安堵しつつも、弱った反応に歯噛みする。誰もが、致命傷ではないが楽観もできない程度にはダメージを受けてしまったらしい。咄嗟に、ナイト達が身を呈して盾になってくれなければ、この程度では済まなかっただろう。代償にナイト達は消えてしまったが。

 

「どうだ? これが現実だ。貴様等は非力で下等な人間。我らは崇高なる堕天使。どれだけ足掻こうと、所詮、存在の格が違うのだよ」

 

 明らかに自然でない風が吹き、砂埃が吹き飛ばされていく。膝立ちする慎吾の視界に、気を失っている様子の依子と、彼女に寄り添いながら倒れている結衣と春人の姿があり、少し離れたところで、楓と瑠璃が必死に立ち上がろうとしている光景が飛び込んできた。

 

 彼女達と視線が降って来た上空へと注がれる。そこには、三対六枚の黒い翼を生やした涼しげな顔をした男の堕天使がいた。傍らには中級クラスと思われる堕天使が数体控えている。

 

「お前達は、【魔獣創造】を手に入れるための餌になってもらう。聞けば、【魔獣創造】は随分と家族を大切にしているそうではないか。クックッ、所詮は傷を舐め合う野良犬の集まりに過ぎないだろうに。まぁ、安心せよ。【魔獣創造】さえ手に入れば、お前達の神器も我らが貰ってやろう。喜べ、惨めで、哀れな生の最後に堕天使という至高の存在に、その命を献上できるのだ。幸せの極地であろう?」

 

 もう、どこから突っ込んでいいやら分からない程、イタイ奴だった。だが、その力は本物だ。おそらく、厄介なナイト達がその身を晒さねばならない事も読んだ上で先程の閃光を放ったのだろう。死んでさえいなければ餌にも神器の抜き取りも出来るので、特に容赦もしなかったに違いない。

 

 歯噛みし口の端から血を滴らせながら、憤怒の表情で慎吾が吠える。

 

「てめぇに哀れまれるような人生は送ってねぇよ。はっ、何が至高の存在だよ。所詮、“堕ちた”存在だろうが。力はあるくせに、そんな貧相な発想しかできねぇ時点で、お前の(せい)の方が余程哀れだ」

「……」

 

 慎吾としては動けない代わりの意趣返し程度のつもりだったのが、プライドが高く他者を見下すことで己を保つような輩に、それは禁句だ。案の定、澄まし顔の上級堕天使の顔から表情が抜け落ちた。

 

 そして、次の瞬間には、

 

「がぁああ!!?」

 

 慎吾の腹に光の槍が突き刺さっていた。【堅】をしていなかったわけではないが、先の一撃でオーラが目減りしていたこともあり、上級堕天使のそれなりに本気の一撃は、あっさり慎吾の防御を貫通し、その腹に拳大の穴を開けてしまった。

 

「「慎吾!」」

 

 瑠璃と楓の、悲痛な声が響く。

 

「口の利き方に気を付けたまえよ、人間。存在としての価値が、格が、違うのだよ。私と口を聞けることすら、本来は、地に額をこすりつけて咽び泣き、感謝するところだろうに。身の程を弁えない劣等種が」

 

 光の槍に貫かれながらも未だ意識を失わず気丈に己を睨みつける慎吾に、上級堕天使が不快気に顔しかめた。力の差を見せつけられ、頼みの魔獣達も消えて、それでもその心に陰りはない。真っ直ぐ空を切り裂く瞳に宿るのは、不屈不倒の炎だ。

 

「……気に食わんな。……ふっ、ならば、貴様に本当の絶望というものを教えてやろう」

 

 上級堕天使の顔が嫌らしく歪み。その表情は、まさに邪悪そのもの。“堕ちた”というに相応しい凶相だ。

 

 警戒する慎吾達の前で、上級堕天使が視線で合図を送ると、先の光の一撃で玄関付近が崩壊したホームの奥から幼い怒声と悲鳴が聞こえて来た。

 

「私が、なぜ最初から戦闘に参加していなかったと思う?」

「あんたっ!」

「てめぇ!」

 

 怒りの咆哮を上げる慎吾達。そんな彼等の前に、さきほど楓が叩き落とした中級堕天使を含めた十人ほどの堕天使が年少組を羽交い締めにしてホームの奥から姿を現した。首に腕を回した状態でほとんど宙釣りになっており、苦しげに顔を顰めている。美湖や梨湖は今にも泣き出しそうなのを必死に堪えているようだった。

 

「ククク、その双子、神器所持者ではないだろう? おそらく先天的な能力でもあるのだろうが、我らにとってはゴミに等しい。……わかるか? つまり、不要だ」

「やめろぉ! 俺が気に食わねぇなら俺を殺ればいいだろうぉがぁ!」

「その態度が気に食わんのだ。人間など、我らに媚びへつらっていれば良いものを。これは教育だ。その少女達が苦しんで死ぬところでも見て、改心したまえ」

 

 上級堕天使は、愉悦にニヤニヤと口元に笑みを浮かべながら、必死に、止めようとする慎吾や楓、瑠璃に見せつけるように合図を送った。美湖と梨湖を捕える堕天使二人が、同じようにニヤつきながら、二人の首に手を掛けようとする。

 

 同じように捕らえられている薫子達が、声にならない叫び声を上げる。

 

 そして、堕天使二人の手が……互の胸を貫いた。

 

「え?」

「は?」

 

 クロスカウンターのように、互いに手刀を相手の心臓に打ち込み合っている堕天使二人。本人達も、なぜ、自分達が互いに互いの心臓を貫いているのかわけが分からないといった様子で間抜けな声を上げた。

 

 誰もが、何が起こったのかわからず呆然とするなか、グリンッと白目を向いて絶命し崩れ落ちる堕天使二人の間を一陣の風が吹き抜けた。次の瞬間には、美湖と梨湖の姿が掻き消え、同時に、行き掛けの駄賃とでも言うように年少組を捕えていた堕天使達の首が飛び、あるいは額に穴を開けて一斉に冥府へと旅立つことになった。

 

「へっ、遅ぇよ。馬鹿弟」

「悪い、慎吾兄さん……間に合ってよかった」

 

 何が起こっているのか察した慎吾が、口元に笑みを浮かべながら、ポツリと呟く。すると、すぐ隣から声が響いた。何かを押し殺したような声音。大事な家族と分かっていながら、間に合ってくれたという喜びが無ければ肝が冷えていたかもしれない、そんな怖気を震うような声音だ。

 

 慎吾は、同じようにすぐ傍らに降り立った金髪碧眼の妹エヴァが、神器を発動するのを横目に、内心で堕天使達の冥福を祈った。彼等は、絶対に怒らせてはならない相手の、絶対に触れてはならないものを、よりよって踏みつけにしたのだ。

 

 人質をとってどうにかなる相手だと、どうしてそんな事が思えたのか。手痛いしっぺ返しでは済まないと分かっていたからこそ、神滅具【魔獣創造】が周知されても、どの組織も様子見をしていたというのに……

 

「エヴァ……」

「心配するな。みな、命に別状はない。あっても死なせたりなど私がさせん」

「そうか。頼んだ。……ミク、テト、チャチャゼロ。皆を頼む。俺に(・・)近づけさせないでくれ」

「任せて、マスター」

「存分に。ボク達の分も頼むね、マスター」

「ケケケ、チョウドイイ機会ダ。見セシメニシナ」

 

 静かな気配。静かな声音。されど、身の内に噴火の如く湧き上がる憤怒の炎が、伊織の瞳の奥から相手を灼く。その意志のみで、未だ、呆然としていた堕天使達を上級堕天使も含めて後退りさせた。

 

 ミク達が、傷ついた家族達を連れて下がる。エヴァの神器【聖母の微笑】が一人残らず完璧に癒し、ミクとテトが多重障壁を張る。堕天使からの攻撃に備えるためではない。伊織の力に巻き込まないためだ。

 

「エヴァ姉……慎吾兄は? 大丈夫だよね?」

「当然だろう? これくらいかすり傷の内だ」

「いや、エヴァ……堕天使の光の槍に貫かれて“かすり傷”はないわよ」

「なら、そう言えるくらい強くなれ」

「遠いなぁ~」

 

 エヴァが慎吾の傷を目に見えて癒していくのを見て安心したのか、軽口が飛び出すようになる。年少組は緊張の糸が切れたのか、その場にへたり込んでしまったが、一様にホッとしたような表情だ。伊織達の強さを誰よりも知っているからだろう。

 

「……よう間に合ってくれたなぁ。ひょっとしたら、エヴァ達の方もお客さんが来てるかもしれへんと思っとったから、もう少し遅れるかと思うたよ」

 

 回復した依子も安堵したように頬を緩めた。依子の言う通り、伊織達が遅れたのは、帰還中に堕天使達の襲撃を受けたからだ。足止めして確実に人質を取ろうとしたのだろう。厄介な結界系の神器を持っている堕天使がおり、少し時間を食ってしまった。

 

「……」

 

 治療を続けるエヴァが少し表情を曇らせる。そんなエヴァの髪を依子は優しく撫でた。ハッとするエヴァに優しくも、少し叱るような眼差しを向ける依子。エヴァが、自分達のせいでホームが襲われた事を気に病んだと察し、東雲ホームにいながらその考えは不当だと諌めたのだ。規模が違うだけで、ホームの子であれば誰の身にも起こること。ホームとは、そんな時一人で背負わせず、家族として味方になるための場所なのだから、と。

 

 エヴァは苦笑いしながら、そうだったと肩を竦めた。自分の方が遥かに長生きなのに、未だに依子には諫められてしまう事に、擽ったさを感じる。

 

 そんなエヴァの代わりに、ミクが答える。

 

「そうですね。マスターの魔獣の反応が消えた時は焦りました」

「ボク達を足止めした堕天使達と同じくらいゲスみたいで良かったよ。慈悲を掛ける理由がないから存分に制裁できるし」

「ケケケ、アソコマデキレテル伊織ハ久シブリダゼ」

 

 そう言って、結界の外で一歩一歩前に進む伊織の背中を見つめるミク達。ホームの子達も上級堕天使を含む幾人もの堕天使を前に、何の躊躇いも焦燥も見せない伊織を見つめる。

 

「……お前が【魔獣創造】の使い手か。足止めに向かった同胞はどうした?」

「……なぜ、襲撃した?」

 

 後退った自分を振り払うように、殊更、威厳を発しながら問う上級堕天使に、伊織は質問で返した。蔑ろにされて眉をピクリと反応させる上級堕天使。何をかを話そうとして、さらに伊織が被せるように尋ねる。

 

「神滅具の使い手に、たかが上級一匹。有象無象なんて集めても意味がない。人質を取る程度でどうになると本気で思ったのか?」

「き、貴様……」

 

 自分を“たかが”“一匹”呼ばわりされて、上級堕天使が怒りに顔を歪める。他の堕天使は、伊織の異様とも言える雰囲気に体を硬直させたまま、緊張からか大量の汗を流していた。

 

 上級堕天使は、僅かな間、怒りに歯ぎしりしていたが、不意に嫌らしい笑みを浮かべた。

 

「なに、たとえ人質が取れなくとも構わなかったさ。どちらにしろ、お前が【魔獣創造】を使いこなせていない事は事前に調べが付いていた。事実、私の最大の一撃で、お前の自慢の魔獣は三体ともあっさりと消え去ったのだ。人質は、あくまで保険なのだよ。……言っている意味がわかるかね?」

「……ああ、よくわかったよ」

 

 伊織の瞳に苛烈さが増す。周囲の空気が下がっていくような気さえする。粟立つ己の肌に、上級堕天使が首を傾げた。自分の体に起きた変化が理解できないのだ。あるいはしたくないだけか。下級堕天使の中には既に、気を失いかけている者がいる。

 

「つまり、俺が、舐められたから……家族が傷ついたわけだ。今なら、どうとでも出来ると思われたわけだ。……なるほど、俺は少し増長していたのかもしれない。他の力があるからと、やらねばならないことが多いからと、後回しにしたツケが来たというわけだ。お前達のような人を踏みにじることに悦楽すら覚えるような化け物につけ込まれたわけだ」

 

 世界を染め上げる伊織の憤怒。それは、家族を傷つけ嗤った敵に対してのみならず、己の甘さに対するものも含んでいる。激烈な怒りは、際限なく膨れ上がっていき、されど理性の手綱が離れることはなく、全て強大なる意志へと変換されていく。

 

 それは守護の意志。敵と断定した者への殲滅の意志。百五十年衰える事なく、それどころか洗練され続けた意志。それが、今、刀匠が焼入れを繰り返すように更に強靭になっていく。

 

 神器の進化が使い手の意志次第である以上、もともと下地はあったのだ。ただ、今まで、それを求めるまでもなかっただけで。それ故に、ただそこにいるだけで心臓を鷲掴みにされるような絶大なプレッシャーを放った伊織はあっさりと――――――――――――至った。

 

――禁手 進撃するアリスの聖滅魔獣(アームズ・オブ・アリス・マーチ)

 

 ARMSにおける最終進化形態そのままの魔獣を創り出し、更に対象へのアンチ概念を付与する事ができる能力。今回は聖属性に対して絶大な効果を発揮する【聖滅】の概念が付与されている。聖なる者へのダメージが飛躍的に増大し、逆に聖なる攻撃に対して強靭な耐性を得る。

 

 【龍滅】【魔滅】果ては【神滅】と概念を付与すれば、文字通り神をも滅する具現となる力。

 

 真の力を発揮する魔獣達の咆哮が、世界を震わせる。

 

 蹂躙が始まった。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

何か、バトル展開ばっかですみません。
でも、書いていると気分がスッキリするんです。
リアルでも無双できたらいいのに……

あと、作中にもありましたが、東雲が称している念は、あくまでこの世界の気を便宜上そう呼んでいるだけです。念能力などはありません。
あったら依子に百式観音させるんですけね。

次回は、明日の18時更新予定です。


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第38話 バランスブレイカー

――魔獣創造 ナイト

――魔獣創造 ホワイトラビット

――魔獣創造 クイーンオブハート

――魔獣創造 マッドハッター

――魔獣創造 グリフォン

――魔獣創造 チェシャキャット

――魔獣創造 マーチ・ヘア

――魔獣創造 ハンプティ・ダンプティ

――魔獣創造 ドーマウス

――魔獣創造 バンダースナッチ

 

 そして……

 

――魔獣創造 ジャバウォック

 

ゴォガァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!

 

 世界に規格外の咆哮が上がる。堕天使や春人の張った結界が、それだけで弾けとんだ。咄嗟にミク達が【封時結界】を展開する。それでも世界は鳴動を止めない。空間そのものが揺れて震えて悲鳴を上げる。

 

「っ……こんなもの私の光の前では無力っ!」

 

 上級堕天使が、現れた魔獣達の威容に自覚なく表情を盛大に引きつらせながら、かつてのナイト達を消滅させた光の柱を行使した。極大の光が、前触れ無く虚空から現れて魔獣達に降り注ぐ。

 

 そこで、前に出たのはクイーンオブハート。少女のような姿をした灰色の魔獣は、掲げた手の先に半透明の膜を展開した。直後、極大の光が落雷の如く直撃する。その威力は、先程の比ではない。むしろ、上級堕天使のレベルであるかさえ怪しい、幹部クラスと言われても不思議ではない威力だった。

 

 見れば、上級堕天使の胸元には光り輝くペンダントがあり、それから神器の気配が漂っている。きっと、東雲ホームにしたように神器持ちを襲っては強制的に抜き出して自分のものとしてきたのだろう。それが、彼の力を数倍に、いや、彼だけではなく、今や他の堕天使達の力すら引き上げているようだ。全員、ワンランク上の力を得ていると考えていいだろう。

 

 だが、そんな堕天使幹部クラスの閃光は――あっさり食い止められてしまった。他ならぬクイーンオブハートの展開する力場【アイギスの鏡】によって。

 

「なっ、馬鹿なっ! 私の力は既に幹部方に並ぶ程なのだぞ! それをっ!」

「……クイーン。返してやれ」

 

 半透明のドームに降り注ぐ極光を、いとも容易く片手で支えるクイーンオブハートに、伊織が静かに命じる。クイーンオブハートは、そっと頷くと、その瞳を僅かに細めた。直後、半透明の力場が一瞬輝いたかと思うと、受け止めていた極光がそのまま上級堕天使へと跳ね返された。

 

「ぬぅああ!?」

 

 間抜けな悲鳴を上げながら辛うじて返ってきた極光を避けた上級堕天使だったが、まさか自分達のリーダーである彼の攻撃が返される等とは夢にも思っていなかった下級堕天使の内数人が、反応を遅らせて光の中に呑み込まれてしまった。

 

 いくら堕天使自身の放った光とは言え、威力だけなら最上級クラスの閃光に、下級堕天使達は為すすべもなく消滅していった。

 

 戦慄の表情を浮かべなら、それでも本能的に固まっているのは不味いと感じたのかパッと散開する堕天使達。直後、上級堕天使のヒステリックな命令が走る。

 

「こ、殺せぇ! いや、殺すなっ! 手足をもぎ取って半殺しにしろぉ! 劣等種如きがっ! 奴の目の前で、一人一人、嬲って後悔させてやる!」

 

 どうやら、この期に及んで、まだ伊織に対してそんな事を考えられる余裕があるらしい。いや、きっと単純に状況が理解できていないのだろう。神器の禁手とは、言うは易し行うは難しだ。意志一つで進化するとは言え、その意志は極限でなければならない。極限にして強靭、揺るぎなく曇りない確固たる意志。そんなもの、いわれて直ぐに出来るものではないのだ。

 

 だからこそ、伊織があっさり禁手に至ったという事実を受け入れられない。人間の使い手から奪った自身の神器ですら禁手どころか進化らしい進化すらしたことがないのだ。見下し劣等種と罵った相手が、自分に出来ないことをあっさりやってのける。そんな事実を、プライドの塊のような男に受け入れられるわけがなかった。

 

 しかし、現実は現実。上級堕天使の現実逃避という名の無謀な命令は痛すぎる代償となって還って来た。

 

「サザラキア様のために死ねぇ!!」

 

 今更感があるが、どうやら上級堕天使の名はサザラキアというらしい。本当にどうでもいいことだ。サザラキアの名を称えながら、堕天使数人がミク達のいる場所に光の槍を放ちながら飛ぶ。

 

 その程度の攻撃ではミク達の展開したプロテクションを突破できるわけがない。しかし、結果はそれ以前の問題だった。光の槍が、ミク達が守るホームの子達に殺到する直前、空間が幾重にも――ずれた。

 

――魔剣アンサラー

 

 三本のカギ尻尾と人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる猫型の魔獣――チェシャキャットの能力、“空間の断裂”だ。いつの間にか、プロテクションの傍に現れていたチェシャキャットが、その三本の尻尾を振るった瞬間、空間に幾条もの断裂が生まれ、光の槍の尽くを切り裂き霧散させてしまったのである。

 

 思わず硬直する堕天使達。その致命の隙をおびただしい数の飛針が襲う。

 

――魔弾タスラム

 

 ハリネズミのように全身から針を生やした眠り鼠の名を冠する魔獣――ドーマウスの能力。回避の隙間などない。壁と称すべき密度で放たれたそれは全てが大威力を秘めたミサイルだ。咄嗟に上空に逃れようとする堕天使達だったが、軌道をクイッと曲げて追尾する魔弾の嵐は、そのまま堕天使達に直撃し、夜天に汚い花火を咲かせた。

 

「おのれぇ! 調子に乗るなぁ!」

 

 サザラキアが、他の堕天使とは比べ物にならない質・量の光の槍をガトリング砲の如く掃射する。狙うのはやはり伊織ではなく、その家族。そんな、どこまでもゲスで、わかりやすい行動原理を伊織が読めないはずがない。

 

「……ハンプティ・ダンプティ」

 

 主の呼び声に応えて、黒い靄のような一際異質な魔獣――ハンプティ・ダンプティが射線上に出る。当然、一撃一撃が、並みの悪魔なら一発で昇天するような威力を内包した光の流星群は、ハンプティ・ダンプティを破壊し、その背後の子供達を襲うかと思われた。

 

 サザラキアもその光景を幻視して、ほくそ笑む。先程の防御特化のクイーンオブハートなら兎も角、明らかに漫画の手抜きみたいなキャラであるハンプティ・ダンプティに防げるとは思えなかったのだ。

 

 しかし、その予想はあっさり覆される。

 

「ば、馬鹿な……私の、私の槍はどこにいったのだっ!」

 

 半ば、錯乱するように喚き散らすサザラキアの視線の先では、ハンプティ・ダンプティが光の槍をその黒靄の身の内へ余さず取り込んでいくところだった。そして、取り込んだ端から、同じ光の槍を他の堕天使に向けて掃射し始めた。

 

「ぐぅあああ!!」

「サザラキア様ぁ! なぜぇ!?」

 

 不意をつかれて腹に穴を空けた下級堕天使達は、その槍からサザラキアの力を感じて信じられないと目を見開きながら悲鳴を上げた。

 

「貴様ぁ! 私の力をっ! 下等生物の分際で、高貴なる私の力を奪うなど! 身の程をしれぇ!」

 

 激昂するサザラキアだったが、伊織の視線は彼に向けられてすらいない。伊織にとって、サザラキアもまた、蹂躙する対象の一人でしかないのだ。

 

 そもそも、禁手に至った伊織にとって、眼前の堕天使達など魔獣一体で十分だった。それでも現状創り出せる限りの魔獣を出したのは、【魔獣創造】の使い手としての力を見せつけるため。二度と、舐められて周囲の人々に馬鹿が手を出さないようにするためだ。

 

 それを証明するように、魔獣達がいよいよ殲滅に乗り出した。

 

 ナイトが、以前とは違う光り輝く長大な槍を振るう。すると、槍はナイトの意思に応じて自由に伸長し、触れただけで対象を粉砕した。超高速振動粉砕――【ミストルテインの槍】

 

 ホワイトラビットが直線だけではない極超音速飛行で姿をかき消し、知覚外から圧倒的な速度でソニックブームを発生させ、堕天使達を落としていく。

 

 マッドハッターが、全身から陽炎を立ち昇らせながら、摂氏数万度の閃光――荷電粒子砲【ブリューナクの槍】を連射する。本来ならその高熱故に連射は出来ないのだが、禁手に至ったおかげか、それも可能になったようだ。夜空に流星群の逆再生のような光景が広がる。

 

 グリフォンが、己を中心に超振動・超音波を放つ。キィイイイイ!! と独特の音を響かせながら堕天使達は近づくだけで粉砕されていく。

 

 マーチ・ヘアが光を操って作り出した幻惑空間で堕天使達を惑わし、次の瞬間には全方位からレーザーを掃射して、堕天使達の全身を貫き血飛沫を夜桜の如く舞い散らせる。――【バロールの魔眼】だ

 

 バンダースナッチが、一度その腕を払い、鋭い牙が並んだ顎門を開きブレスを放つ度に、絶対零度が撒き散らされ、辺りを凍獄に変えていく。

 

 ……戦闘が始まって僅か五分。それだけの時間で、数多くいた堕天使達は、サザラキアを除いて全滅した。

 

「……こ、こんな……有り得ない……禁手は…私ですら…そんな……まだ弱いはずで……なぜ……」

「……何故も何もない。単に、人間を舐めすぎた。それだけの事だろう」

 

 頭を掻きむしり、最初の涼しげな表情が嘘のように取り乱すサザラキア。そんなサザラキアに、伊織が冷めた眼差しで、そんな事をいいながら悠然と歩み寄る。ザッザッとやけに明瞭に響く足音が、まるでカウントダウンようだ。

 

 ビクッと震えるサザラキアは、血走った狂気を感じさせる眼を伊織に向ける。その瞳は、怒り、憎しみ、嫉妬、屈辱……様々な負の感情で飽和しドロドロに濁っていた。

 

 しかし、伊織が背後に従える魔獣達の内、先程までの戦闘でただの一回も力を振るわなかった最後の一体がその手に集束させる光を見て、サザラキアの背筋が一瞬で粟立った。

 

「ひっ!?」

 

 思わず、そんな情けない悲鳴が漏れるも、彼にそれを恥じる余裕はない。その視線は、最後の魔獣ジャバウォックが手中に収める青白い光に釘付けとなり離れない。喉が干上がり、恐怖で視界が明滅する。

 

(あ、あれは、ダメだ。あの禍々しい光……あれは、この世にあってはならない……あんなものを人は創り出せるというのかっ……あれが解き放たれれば……私は……あぁああ)

 

 ガクガクと震えながらも必死に後退るサザラキア。その滅びの焔から少しでも遠ざかろうとする。

 

 そう、その光は、最強最悪の魔獣、破壊の王の名を冠するに相応しい災禍の光。全てを滅ぼし破壊する存在してはならない魔焔――反物質だ。

 

 手首から上下に分かれた十本の爪がスパークする青白い光を包み込む。どこにも触れず巨大な掌の中で宙に浮かぶ反物質の光に照らされて陰影を作るジャバウォックの凶相は、まさに魔の獣。

 

「……俺は、お前という存在を認めない。……終わりだ」

「あぁああああああああ!!!! アザゼル様ぁ! どうか、どうかぁ!」

 

 伊織の凍てつく眼差しが、死刑宣告と共にサザラキアへ向けられる。その途端、サザラキアの理性は崩壊した。恥も外聞もなく、獣のような悲鳴を上げながら翼をはためかせ飛び去ろうとする。

 

 みるみると上空へと姿を小さくしていくサザラキアに向かって伊織は真っ直ぐに指を差した。

 

「ジャバウォック……放て」

 

グゥルァアアアアア!!!

 

 命令一つ。咆哮一発。小指ほどの大きさの青白い光の塊は、ジャバウォックの放つ魔力の外殻に包まれて、凄まじい勢いで空へと上がった。一筋の閃光となって夜天へと奔る滅びの光は、一瞬でサザラキアを追い抜くと、直後、その魔力の外殻を解いた。

 

 刹那

 

 空が砕けた。

 

 そう表現する以外にない破壊の嵐。ミク達の張った【封時結界】が悲鳴を上げた直後には粉砕され、現実の夜空に漂う雲が根こそぎ吹き飛ぶ。大気を鳴動させて、空間そのものが揺らぎ、青白い閃光が夜闇を払って眼下の世界を昼のように照らしだした。

 

 凄まじい爆風が、地上目掛けてなだれ込む。それを伊織達が結界を張り直して防いだ。先程までキレていた伊織だったが、十分手加減したはずの反物質砲の威力を見て、流石に冷や汗を流していた。背後から家族の視線に突き刺さっている気がする。

 

 何とか、反物質砲のもたらした破壊の余波を押さえ込んだ伊織達の頭上に、淡青色のカーテンが発生した。まるでオーロラのようだ。ゆらゆらと揺らめき、キラキラと輝く光の幕は、とても大破壊をもたらした残滓とは思えない程の神秘的だ。

 

 それを暫く見上げていた伊織だったが、そこへステテテテー! という可愛らしい足音が聞こえて視線を背後に転じた。

 

 同時に、伊織の両足に小さな衝撃が走る。

 

「伊織おにいちゃん!」

「伊織にぃさま!」

 

 美湖と梨湖だ。

 

 未だ伊織の背後には魔獣達が勢ぞろいしているのだが、そんなもの目に入らないというように間を摺り抜けて伊織に飛びついたのだ。伊織の中の炎が、僅かに火勢を弱める。可愛い妹達に目元を和らげて片膝立ちになると、そっと優しく二人の頭を撫でた。

 

「二人共……怖かったろ? ごめんな。兄ちゃんのお客だったみたいだ」

 

 伊織の言葉に美湖と梨湖は、ふるふると首を振る。そしてそのまま、ギュッと伊織にしがみつき伊織を見上げてニコッと可愛らしい笑みを浮かべた。

 

「大丈夫なの」

「大丈夫なのよぉ」

 

 そして、誇らしげに、自慢気に言った。

 

「美湖は“ちののめ”なの!」

「梨湖は“しにょにょめ”なのよぉ!」

「うん、“しののめ”な?」

「「あぅ~」」

 

 少し締まらなかったが、言いたいことは十分に伝わった。二人共、幼いながら自らが東雲ホームの一員である事を誇りに思っているのだ。だから、決して泣かなかったし、兄や姉、そしておばあちゃんの言うことをしっかり聞いたのだ。

 

 伊織は笑みを深くしながら、二人をギュッと抱きしめて、再度、頭を撫でて「よく頑張った」と褒めまくった。てれてれする双子に、傍にやって来た家族達が微笑まし気な眼差しを送っている。

 

「で、伊織、あいつはいつまで放置しておくのだ?」

 

 美湖と梨湖が羨ましかったのか、薫子達他の年少組が一斉に伊織に群がり始めたと同時に、エヴァが、胡乱な眼差しをとある方向に向けて伊織に聞いた。キョトンとする年少組とギョッとする年長組を尻目に、伊織もまたその眼を剣呑に細める。

 

 伊織が視線を向けた先で、僅かに動揺するような気配が感じられた。伊織も、ミク達も気がついていた。堕天使が一人、ずっと様子を伺っていた事に。その気配の絶ち方は見事の一言で、相当な実力者であることがわかる。それこそ、サザラキアを遥かに凌ぐ力の持ち主だろう。

 

 一体何のつもりなのか……サザラキア達が討たれていく間も一切動揺も手出しもせず見ているだけだった奴だ。気がついていたからこそ、伊織は、魔獣達を出しっぱなしにしていたし、“堕天使の総督アザゼル”とやらの真意を問いただしにいくための道案内役を残さずに堕天使達を殲滅したのである。

 

「そうだな。一体何がしたいのか……様子を見るつもりだったけど、これ以上堕天使に煩わされるのは面倒だ。……そこのお前、姿を見せて目的を言え。今すぐだ。でなければ、四肢を削いでから聞く事になる。今の俺が堕天使に寛容でいられないのはわかるだろう?」

「ッ! 待てっ! 私は敵ではない! 落ち着いてくれ」

 

 そう言って半壊したホームの裏手から両手を上げて姿を現した堕天使は四対八枚の漆黒の翼を持った最上級クラス。おそらく堕天使集団の幹部クラスだ。

 

「で?」

 

 伊織の氷河期もかくやという眼差しと雰囲気。魔獣達が自然と彼を半円状に囲っている。先程の魔獣達の力を見ていたはずなので、その力の大きさは分かっているのだろう。下手なことを言えば即戦闘になる……堕天使の額に冷や汗が流れた。

 

「私は、名をバラキエルという。堕天使の組織“神の子を見張る者(グリゴリ)”に所属するも者だ」

 

 バラキエル――とんだ大物が出てきたものだ。大天使としても有名で、第一エノク書に記されている「神の雷光」を意味する堕天使だ。人間に占術を教えた者としても有名である。間違いなく幹部だ。

 

 しかし、伊織の心には細波一つ立たない。相手が誰であろうと、家族を害そうと言うなら容赦なく屠るだけだ。

 

「で?」

「あ、ああ。そのサザラキアが、部下を率いて【魔獣創造】に襲撃を掛けようとしているという情報が入ったのだ。私は、それを止めに来たのだが……到着したときには既に…な。奴らは自業自得ではあるし、姿を見せると私まで襲撃者として話も出来なくなると考えて様子を見させてもらったのだ」

「つまり、今回の襲撃は、一部の暴走であって堕天使側……グリゴリだったか? お前達の総意ではないと言いたいのか?」

 

 伊織の確認に、バラキエルが深く頷く。しかし、伊織の胡乱な眼差しは全く変わらない。バラキエルの真意を探ろうと、その凪いだ水面のように静かな瞳が、覗き込むようにバラキエルの瞳を捉えていた。

 

「だが、サザラキアとやらは、“アザゼル様”やら“あの方々”とか連呼していたぞ? それはお前や総督の事だろ?」

「……それは、おそらく我等に取り入りたかったのだろう。アザゼルは神器研究が趣味なのだ。そのせいか、最近、神器を献上すればアザゼルの目に止まれると勘違いする下の者達が増えている。サザラキア達もその一人だろう」

「……あくまで、堕天使側の総意ではないと言いたいわけだ」

「ああ。断じて違う」

 

 伊織とバラキエルの視線が交差する。バラキエルは、嘘ではないと眼で伝えるように一瞬も伊織から視線を外さなかった。

 

 無言で睨み合う二人だったが、そこへ不意に声がかかる。

 

「伊織……その人の言う事は信じてもええと思うよ?」

「ばあちゃん」

 

 依子だ。穏やかな表情でバラキエルを見つめたあと、伊織にそっと頷く。依子の勘が、バラキエルを信用の置ける相手だと判断したのだろう。

 

 確かに、伊織の人を見る目も、バラキエルは信じてもいい相手だと告げている。堕天使に襲撃を受けたからと言って、全ての堕天使を敵視するなど愚の骨頂だ。見るべき相手は可能な限り個人でなければならない。でないと、それこそ善良で無関係な人々に理不尽を与える最低な人種に成り下がってしまう。

 

 しかし、だからといって、同一組織の者が問題を起こしたあと、預かり知らぬことだからと蜥蜴の尻尾切りをされては堪らない。上に立つ者には抱える者達に対して相応の責任がある。それは、どんな組織でも言えることだ。堕天使の組織だけ特別ということはない。はぐれでもない堕天使に襲われる度に、“総意じゃありません”“関係ありません”では困るのだ。まして、伊織は、アザゼルとやらの人柄を知らないのだから。

 

 故に、伊織のやることは変わらない。バラキエルが信用のおける人物だと分かっても、他の幹部メンバーについては確かめないわけにはいかない。

 

「バラキエル。貴方の言葉を信じよう」

「……そうか……【魔獣創造】の使い手が理性的な相手で良かった」

 

 伊織が自身の言葉を示すように魔獣達を自分の影に帰還させた。ホッと息を吐くバラキエル。

 

「だが、それは今回の襲撃がグリゴリの総意でないということだけだ」

「それは……だが、アザゼルは決して無理に神器を奪ったりは……」

「ばあちゃんの言う通り、貴方は信用のおける人のようだが、それでも会ったばかりで全てを信じることは出来ない。俺は、アザゼル総督を知らないんだ。神器研究が趣味だという大組織の長――自分の眼で人となりを確かめずに放置できる相手じゃない。既に、事が起きた以上はな」

 

 その言葉で伊織の懸念を察し、同時に理解も出来たのだろう。バラキエルが仕方ないというように頷いた。

 

「では、どうすると?」

「当然、自分の眼で確かめる。堕天使の総督が、俺の敵か否か」

 

 バラキエルは、余りに迷いのない伊織の言葉に僅かにたじろぐ。そして、逡巡したあと、肩から力を抜いた。

 

「……いいだろう。アザゼルのもとへは私が案内しよう。……あの力を見たあとでは、積極的に【魔獣創造】と敵対したいとは思えんしな。今代の【魔獣創造】は、また変わった進化を遂げたものだ」

 

 バラキエルは、いつの間にか積み重ねられた堕天使の遺体と空に漂う淡青色のオーラを交互に見ながら溜息を吐く。ご近所さんが揃って表に出てきて、突如出現したオーロラに騒ぎ出していた。さっさと堕天使の遺体や半壊したホームと庭先を片付けないと東雲の社会的評価が死んでしまう。

 

 チビッ子達を年長組と依子に任せつつ、テトが【賢者の指輪】で荒れた庭とホームを一瞬で修復し、ついでに神器【十絶陣】の一つ【紅砂陣】に遺体を収納する。【紅砂陣】は広大な砂漠地帯の陣で、使い手以外の全ての物は徐々に乾燥・風化していく。証拠隠滅はテトにお任せ! だ。

 

 その後、伊織達は、数体の魔獣を念の為警護において、バラキエルの案内でグリゴリに向かった。

 

 グリゴリで何があったのかは割愛する。

 

 ただ簡単に言えば、両手に反物質を作り出した状態のジャバウォックを従えつつ、伊織とエヴァは【闇の魔法(マギア・エレベア)】の術式兵装状態で、ミクとテトは魔力と念を掛け合わせた【咸卦法】発動状態で正面から乗り込み、引き攣った表情のバラキエルに案内された先にいたナイスミドルなイケメンオヤジ――アザゼルの前に襲撃してきた堕天使のボロボロに崩れた無残な遺体を【紅砂陣】から放り出し(風化しきらないよう陣の効果を調整した)、ジャバウォックに無意味に反物質を振り回させつつ、冷や汗を滝のように流すアザゼルと終始にこやかにOHANASIしただけである。

 

 曰く、部下の管理はしっかりやろうよ? とか、部下に変な期待もたせる前に神器強奪は認めないと周知徹底しようよ? とか、他に暴走しそうな部下がいて放置するなら……もう知らないよ? とか、そんな感じの優しい交渉だった。例え、伊織の後ろでジャバウォックが反物質でジャグリングを始めたとしても優しく穏やかな交渉だったのだ。

 

 まぁ、そんな事がありつつも、結局、伊織が直接相対してみた結果、アザゼルは非常に気のいいオッサンだという結論に達した。ほとんどの部下が彼を慕っていて、面倒見も中々にいいようだ。

 

 ただ、やはり今回のように見逃してしまう阿呆もいるようで、万一、同じことがあれば、その時はまずアザゼルに一報いれることになった。伊織としても、ここまで慕われている気のいい男が、人々を殺害してまで神器強奪をするとは思えなかったので襲撃とグルゴリの意思は切り離して考える方針にした。

 

 あと、何となくアザゼルと気が合って仲良くなった伊織は、アザゼルたっての願いで時間のあるときは神器の研究に協力することになった。その後に見せられた一部マッドな研究内容を前にいい笑顔を浮かべるアザゼルや他の幹部相手に、再びジャバウォックの危険なジャグリングが披露されたが些細なことだ。

 

 結局のところ、アザゼルと面識が出来て、更に【魔獣創造】の使い手が色んな意味でやばいと知れ渡って今回のような舐められて襲撃されるという事はなくなり、更に、ホームの子達の神器や能力の向上への協力、人工神器の贈呈も取り付けることが出来て、伊織側にも実質的な被害は出なかったわけであるから、概ね、結果オーライな形に収まったのだった。

 

 しかし、今回の事件はこれで終わりではなかった。むしろ、この後に起こった出来事こそ重大事だったのだ。

 

 それは伊織達がグリゴリから帰った翌日の事。時刻は早朝。昨日の事にも関係なく、伊織が日課のランニングをしているとき、朝靄の先にそれは現れた。

 

「……見つけた、【魔獣創造】。一緒にグレートレッド倒す」

「……はい?」

 

 

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

感想有難うございました。
アザゼルさん好きなんで、滅殺ルートはご勘弁をw
それと王道展開について、作者の大好物なので止めらないです……
妄想が溢れるんです……

さて次回は、ハイスク世界を選んだ理由である奴が出ます。
更新は明日の18時更新予定です。


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第39話 オーフィス

 

「……【魔獣創造】…我とグレートレッド倒す」

 

 そんなわけの分からない事をいいながらも、尋常でない気配を纏って朝霧の中に佇むのは黒髪の幼い少女だった。見目麗しい、しかし、どこか焦点を失ったような空虚な瞳がもの悲しさを感じさせる。

 

 伊織は戦慄の表情となった。頭の中には“やばい”という言葉が繰り返し過ぎっていく。自然と流れ落ちた冷たい汗をほぼ無意識に手で拭った。少女は、そんな相手の反応に慣れているのか、虚ろな瞳を伊織に向けたまま返事を待っている。

 

 伊織は、胸中に湧き上がる思いに無理やり蓋をして心を落ち着けると、瞳に決然とした光を宿した。そして、意を決して、厳しい声音で、その異様な少女に口を開いた。

 

「取り敢えず、ちゃんとした服を着なさい!」

「???」

 

 そう、伊織は戦慄していたのだ。少女の服装に! この黒髪の少女、いわゆるゴスロリ服を着ているのだが、前が全力全開なのである。そして、女の子にとってとても大事な箇所にはバッテン型のクロテープを貼り付けただけなのだ! 往年のRPGに出てくるビキニアーマーを纏った女戦士の如く、一体どこを守っているのだ! と盛大にツッコミたくなる服装なのである。

 

 これが、街中で突然出会ったコスプレイヤーなら、生温かい眼差しと共に素通りするところだが、流石に、幼い少女にこの格好はアカン! と、伊織は、初対面ではあるが彼女の服装を矯正する決意を固めたのである。

 

 頭の中には、この子の親御さんやばい! と警鐘がガンガンと鳴り響いている。場合によっては、依子に出張ってもらって説教が必要だろう。いずれにしても早い内に間違いを正さなければ、露出癖を持つ変態になりかねない。今なら、まだきっと間に合うはずだ!

 

 伊織は、静かに自分のジャージの上を脱ぐと、それを黒髪の少女に羽織らせてしっかり前を閉じた。その間、少女はなされるがままだったが、その眼差しは空虚なものから、どこか不思議なものを見るような、そんな眼差しに変わっていた。

 

 ゴスロリの上から白に黒のラインが入った某有名メーカーのジャージを着込んだ少女を見て、伊織が満足気な表情になる。伊織とは体格が全然違うので、どこかモコモコぶかぶかしているが、全力全開よりはずっといい。ついでに袖口を折ってやりながら、伊織が視線を少女の瞳に向ける。

 

「いいか? 服というのは体を守るためにあるんだぞ? 物から、外気から、あるいは人の視線からな。みだりに肌を見せるような事はしちゃいけない。誰に勧められた服かは知らないが、ちゃんと全部隠れる服がいいと言うんだぞ?」

「……グレートレッド倒す」

「ん? グレートレッド? 変わった名前だな……厨二か? いや、それより倒すって……まさか、そいつにこんな恥ずかしい服を着せられたのか?」

 

 グレートレッド本人が聞いたらキレそうな勘違いが発生する。そんな伊織の言動に、少女は僅かに困惑したような眼差しを向けた。無表情なのだが、微妙に視線が泳いでいるのだ。知る者が知れば、そんな少女の珍しい光景に口をあんぐりと開けて驚いたに違いない。

 

「……違う。服は我の。前に見た。真似した」

「止めなさい。それは参考にしちゃだめな人だ」

「……これはいい?」

 

 少女が、ようやく指先がちょこんと出るくらいまで折れた袖をぷらぷらと揺らしながら自分を見下ろす。

 

「う~ん、女の子にジャージはなぁ……。ゴスロリでも普通のものならいいと思うし、普段はもう少しカジュアルなものでいいと思うぞ?」

「むぅ……難しい」

 

 話が完全に脱線していた。二人して、朝霧が晴れ始めた中で、少女の服装について頭を捻る。と、その時、伊織はハッとしたように顔を上げた。

 

「そう言えば、服装のインパクトが強すぎて忘れてたけど……君は誰だ? 【魔獣創造】って言うくらいだから、裏の関係者なんだろうが。俺に用事があって来たんだよな?」

 

 少女もまたハッとした雰囲気で、眼前で目線を合わせるために屈んでいる伊織に眼を合わせた。そして、出会い頭のセリフを繰り返す。

 

「我はオーフィス。無限の龍神。【魔獣創造】…我とグレートレッド倒す」

「うん、オーフィスちゃんな……うん? 無限の龍神? 龍? …………ウロボロス?」

 

 伊織が「おや?」という表情で首を傾げる。どこかで聞いた事が~と記憶を探る。そして、思い当たったのか信じられないという表情をしてマジマジとオーフィスを見つめ始めた。

 

 いくら伊織が退魔師で裏の関係者と言っても、【無限の龍神】など御伽噺の中の存在だ。先日出会ったバラキエルやアザゼルは、漫画やライトノベルでも度々登場する元キャラであるからそれなりに印象的で直ぐに記憶が呼び覚まされた。ドラゴンにおいても、例えば、八岐大蛇やアジ・ダハーカ、ミドガルズオルムなどの有名どころであれば直ぐに出てきただろう。

 

 だが、ウロボロス・ドラゴンなど、業界に入って三大勢力の事を勉強したときに少しかじった程度だ。普通の退魔師など、まずドラゴンという存在そのものに生涯出会わないというのに、世界で二番目に強力なドラゴンに、朝のランニング中に出会うなど誰が思えようか。

 

 バラキエルはむっつりそうなオッサンだったし、アザゼルはチャラかった。そして、伝説のドラゴンは、露出狂予備軍の幼い少女……この世界は、伊織の予想というものを尽く裏切ってくれる。

 

「ん……我、グレートレッド倒したい。【魔獣創造】の力、感じた。今までで一番強い。一緒に倒す」

 

 朝の住宅街で、至近距離から見つめ合う二人。傍から見ればお巡りさんが出動しそうな光景だ。しかし、伊織の意識は、伝説のドラゴンに出会った驚愕から次の驚愕へと移行され、それに気が付く余裕はない。

 

 なにせ、伊織が芋づる式に呼び出した記憶が確かなら、【グレートレッド】の名は……

 

「それって……【真なる赤龍神帝】のこと……だよな? どういう事なんだ」

 

 そう、文字通り世界最強のドラゴンの名だ。世界二位が一位を倒したい……伊織は困惑を隠せずオーフィスに問い質した。

 

 滔々と語るオーフィス曰く、故郷である次元の狭間に帰って静寂を取り戻したい。しかし、次元の狭間には自分より強いグレートレッドがいるので戻れない。なので、グレートレッドとの戦いで戦力になる者を集めて一緒に倒して欲しい、という事らしい。

 

 そして、先日のジャバウォックによる反物質砲――あれを感知して、歴代の【魔獣創造】の使い手達とは異なる特殊な進化を遂げた伊織に興味を示し、勧誘にやって来たというわけだ。

 

 ついでに、禍の団(カオス・ブリゲード)のボスをしている事も教えられた。カオス・ブリゲードとは、聞いた話を総合すると、どうやら三大陣営の和平・協調姿勢を快く思わない連中による、いわばテロ集団のようだ、と伊織は理解した。

 

 彼等に、オーフィスの力が込められた【蛇】を与えることでグレートレッドに対抗できる勢力を手に入れようという腹らしいのだが……明らかに、テロを助長する行為だ。伊織は、おそらく彼等はオーフィスの力が欲しいだけで、グレートレッドに挑む気なんて微塵もないんじゃないかと予想した。

 

 聞けば、力を与える代わりにグレートレッド討伐に力を貸す、という話もただの口約束らしい。オーフィスは、それを疑いもなく信じているようだ。先ほど、なされるままに服を着せられたり、ちゃんとした服を着なさいと言われれば真剣にどんな服が良いのかと頭を捻ったりと、伊織としては、どうにもテロ組織の長にしては純粋すぎる気がしてならなかった。

 

「【魔獣創造】……我と来る」

 

 滔々とした説明の後、再び勧誘の言葉を告げてジッと伊織を見るオーフィスに、伊織はカリカリと頭を掻きながらどうしたものかと頭を悩ませた。これがただのテロリストで、伊織の力を破壊と混沌のために使えと言われたのなら問答無用で殴り飛ばして捕縛し、しかるべき機関に突き出しているところである。

 

 しかし、先程感じたオーフィスの純粋さと相まって、伊織の勘が、どうにもオーフィスを敵と断定してくれなかった。なので、伊織は、正直に自分の考えを話すことにした。純粋な相手に遠まわしな言い方や曖昧な答えは意味がない。

 

「オーフィス……悪いが、俺は一緒にはいけない」

「……なぜ?」

「家族がいるんだ。大切な家族が。彼女等を置いてはいけない」

「……家族」

 

 伊織は、ポツリと零すように伊織の言葉を反芻するオーフィスに、しっかりと目を合わせる。

 

「それにな、自分の眼で見ないことには断定できないけれど、オーフィスの話を聞く限り、どうにもカオス・ブリゲードってのはテロリストの集まりみたいだ。なら、何があっても、俺がその組織に入ることはない」

「……」

「俺は退魔師だ。テロリストみたいな危険な連中や理不尽から人を守るのが役目だ。これは俺にとって絶対に譲れない一線。だから、カオス・ブリゲードがテロ組織なら絶対に参加することは出来ない」

 

 はっきり付いて行けないと宣言されたオーフィスは、相変わらずの無表情のまま。と、その時、オーフィスは不意に差し出した小さな手の上に小さな蛇を出現させた。

 

「蛇、あげる……一緒に来る」

 

 途轍もない力を秘めた蛇。伊織は、恐らくこれがカオス・ブリゲードの連中が求めているものなんだろうと推測した。確かに、その蛇を与えられるだけで大幅な力の向上が可能なら魅力的だろう。

 

 伊織は、特に与えられた力を振るう事に蔑む様な考えはない。極論を言えば、己の肉体とて親から与えられたものなのだ。結局のところ、その力をどう使うのか、大切なのはその一点に尽きる。もっとも、簡単に与えられたものというのは得てして簡単に奪われるものだ。なので、余りに当てにし過ぎると、大抵手痛いしっぺ返しを食らうと言うのが世の常ではある。

 

 そんな事を考えつつも、しかし、伊織は迷いなく首を振った。

 

「オーフィス……誰にでも決して譲れないものがある。例え、どんな対価を差し出されても頷けない事があるんだ。俺にとって、それは家族であり、俺自身の誓約だ」

「なら、家族も一緒に来る」

 

 伊織は、やはり首を振る。

 

「一緒に来る。グレートレッド倒す」

 

 食い下がるオーフィス。それ程、今代の【魔獣創造】の進化は特異で興味深いものなのだろう。確かに、体長数百メートル級のジャバウォックを本気で創造して、大量の反物質を生成させれば、あるいはグレートレッドにもダメージを与える事が出来るかもしれない。

 

 だが、カオス・ブリゲードがオーフィスの言葉通りのテロ組織である以上は、伊織が同意することはないし、まして家族を関係させるつもりは一切なかった。

 

 しかし、一方で、伊織に手を差し出したまま、静かに佇むオーフィスにもの悲しさを感じてしまう伊織は、カオス・ブリゲードには参加できないが、次元の狭間に帰る事には協力できないだろうかと思い、その旨をオーフィスに伝えようとした。

 

 が、伊織の言葉は少し遅かったらしい。

 

 オーフィスは、取られる事のなかった手をスっと戻すと、自分の羽織る白いジャージを一度、ギュッと握り、そして――大瀑布の水圧の如きプレッシャーを放った。

 

「ッ!!?」

 

 驚く伊織に、オーフィスが無表情に輪をかけて表情を消すと、心なし冷たくなった声音で伊織に告げた。

 

「……我、静寂を取り戻す。【魔獣創造】……連れて行く」

「っ! 実力行使かっ!? セレス!」

「Yes my master!」

 

 伊織がセレスに命じ【封時結界】を展開したのと、オーフィスを中心に津波が発生したのは同時だった。

 

 津波――そう錯覚してしまうほど圧倒的な魔力の奔流。以前、酒呑童子と戦ったとき、伊織の魔力をコップ一杯に例えるなら、かの鬼神はバケツレベルだと評したことがあるが、オーフィスのそれはまさに桁違い。無理やり例えるなら大海だろうか……魔力の底を図ることすら出来ないのだから、もう笑うしかない。

 

 伊織は、魔力の津波に逆らわず自ら吹き飛ばされることでダメージを最小限に抑える。が、着地する間もなく、津波を吹き飛ばして特大の魔力弾が押し寄せる壁の如く突っ込んで来た。

 

 伊織は悟る。間違いなく、その魔力弾を避ければ【封時結界】が破壊される。そして、住宅街に飛び込んだ魔力弾は……

 

 伊織は、瞳に意志の炎を宿す。結界内の道路や住宅を根こそぎ消滅させながら突き進んで来る死そのもののような力の塊に対して構えを取った。内心、連れて行くんじゃなかったのかっ! と悪態を吐きながらも、一瞬で魔力を集束する。

 

「ぜぁあああ!!」

 

 気合一発。放たれた拳は、魔力弾の着弾寸前に眼前の空間を粉砕する。伊織の、【覇王絶空拳】が死中に活路を見出す! 

 

 特大の魔力弾は、砕けた空間の向こう――虚数空間へと消えていった。

 

「次元の狭間?……開いた? やっぱり面白い。絶対、連れて行く」

「つぅう!?」

 

 軽口を叩く余裕もない。伊織の背筋を氷塊が滑り落ちると同時に本能に従って頭を下げると、その上をゴォオ! と冗談のような音を立てて魔力の閃光が通り抜けた。前転しながら背後に目を向ければ、いつの間にかオーフィスが悠然と佇んでいる。

 

 そして、指鉄砲の形を作ってバーン! と撃つ仕草をした途端、今度は不可視の衝撃が伊織を襲った。今度も、伊織自慢の危機対応能力が認識より早く体と思考を動かし決定打を回避する。

 

 それでも、範囲攻撃であったために完全回避はできず、僅かに内臓へ衝撃が通ってしまった。息を詰まらせるも、体はほとんど勝手に動く。スっと本能のまま一歩下がった伊織の頭上から閃光が襲った。衝撃に留まっていれば撃ち抜かれること必至だった。

 

 地面を見れば、焼けたような跡はなく、ただ衝撃で抉れているだけ。おそらく熱線にでもしてしまうと伊織を殺してしまうことから衝撃のみを伝える魔力閃光なのだろうが……そんなものは何の慰めにもならない。

 

 【堅】もバリアジャケットも貫いて一瞬で伊織の意識を奪うであろう閃光は、流星雨となって頭上から襲いかかる。

 

「ふぅ――」

 

 伊織は、そんな中で敢えてゆっくり息を吐き、同時に眼を瞑ってただ本能に任せて体を動かした。極まった武の動きが合わさり、最小限の動きで流星雨をかわしていく。踊るような動き、あるいは宙に舞う木の葉の動きとでもいうのか……

 

「……これもかわす。【魔獣創造】なくても、強い。でも、終わり」

 

 どこか感心したような声音のオーフィスは、その背後に数百の魔力弾を展開、即座に発射した。先程より威力は落ちているものの魔力弾が数百発。当然、避けることは出来ない。伊織自身は流星雨を避けるのにリソースの大部分を取られている。

 

 それでも【並列思考】で魔導、魔法の両方で持てる限りのプロテクションを正面に逸らすように角度をつけて展開し、可能な限り力を込めた【覇王絶空拳】の準備をする。

 

 同時に……

 

「クイーンオブハート! ハンプティ・ダンプティ!」

 

 遂に魔獣を召喚する。余裕のない中、咄嗟に呼び出すのは防御に秀でた二体。

 

 直後、圧倒的火力が暴威を振るった。クイーンオブハートの【アイギスの鏡】が、何とか魔力弾を反射していく。ハンプティ・ダンプティの黒靄がその身の内へ魔力弾を取り込んでいき、即行で吐き出しては飛んできた魔力弾と相殺する。伊織の防御陣が砕かれていく中、僅かに出来た余裕を逃さず、残りの魔獣も召喚……しようとして、

 

「させない」

「ッッ~!? セレス!」

「Yes my master. Load Cartridge」

 

 魔力弾と共に、巨大な魔力の塊を纏わりつかせたオーフィスがそのまま突っ込んできた。どうやら、湧き出す魔獣を一々相手にするのが面倒になったらしい。前方にいたクイーンオブハートとハンプティ・ダンプティが、ダンプカーにでも轢かれたように弾き飛ばされて行く。

 

 伊織は咄嗟に【練】をしてオーラを爆発的に高めた。そして【堅】を行い、更にカートリッジをロードして【シールド】と【バリアジャケット】の強度を可能な限り高めた。

 

 それでも、龍神の突進に耐え切れるわけがなく、伊織はあっけなく凄まじい勢いで吹き飛んでいく。背後の電柱や民家を破壊しながら遠くへ消えていった。

 

「? 手応えが変……すごい。でも、無意味」

 

 体当たりの感触が妙に軽かった事に首を傾げるオーフィス。それは、伊織が陸奥圓明流【浮身】によって衝撃をかなり消したからである。伊織の紙一重で決定打を打たせないしぶとさに、オーフィスは今度こそ感心しながらも、もう終わりだと、伊織が消えていった破壊跡を射線にして、更に十倍規模の魔力弾を用意する。

 

 先の攻防で、既に【封時結界】は悲鳴を上げている。伊織が、カートリッジで高めた分の魔力を結界に回して維持に全力を注がねば大変な事になっているところだ。そんな結界に、今度の魔力弾は泣きっ面に蜂だ。伊織一人の【絶空】では呑み込めない規模。どうしても余波が結界を襲ってしまう。

 

「ぐぅうう!!」

 

 崩れた民家の奥で【浮身】によっても消しきれなかった衝撃に体を傷つけ血を流す伊織は、馬鹿みたいな魔力の高まりに苦悶の声を上げながらも【絶空】を放とうと歯を食いしばる。だが、伊織の頼もしき危機対応能力が絶望的な回答を示していた。

 

 すなわち、結界はもたないし、伊織は恐らく死にはしないだろうが戦闘不能になると。だからといって、この場でジャバウォックを呼んで反物質砲と大魔力の魔弾の撃ち合いなど冗談でも出来ない。どっちにしろ、反物質の生成が間に合う事もない。

 

 まさに絶対絶命。破壊痕による射線上の向こう側で小さな体躯の無限の龍神が、ジッと伊織を見つめていた。超特大の魔力弾が放たれる寸前、交差する伊織とオーフィスの視線。この期に及んで、なぜか伊織はオーフィスに敵意を持てなかった。

 

 それは、きっと、無表情の中にどうしようもないほどの孤独を感じたから。伊織が家族のためだと言ってオーフィスの誘いを断ったとき、僅かに揺れたように感じた瞳は勘違いではなかったのかもしれない。そう感じるのは、感じることができるのは、伊織がかつて、同じように孤独と悠久の中を生きてきた彼女を知っているから。今は自分の家族で妻でもある愛おしい吸血姫の瞳を知っているから。

 

「ならっ! こんなところで倒れてる場合じゃあないだろぉ! 東雲伊織ぃ!!」

 

 伊織が己を叱咤する。眼前に迫る、まるで星が落ちて来たのかと錯覚するような一撃に、魔獣を召喚しつつ、意図的に魔力を暴走させる。オーバードライブにより爆発的に膨れ上がった魔力で、後遺症や副作用など度外視して【覇王絶空拳】を振るう!

 

「らぁああああ!!」

 

 ガラスが破砕するような大音響と共に一際大きい空間の破壊が起こった。ぽっかり空いた巨大な穴は、それでもオーフィスの魔力弾に及ばない。その余剰分は、魔獣達がその身を対価に抑えていく。

 

 周囲の民家が余波だけで吹き飛び、住宅街が更地へと変貌していく。【封時結界】が、ビキビキと音を立てて今にも砕かれようとしていた。

 

 だが、それでも、伊織の魂の【絶空】と魔獣達は、オーフィスの止めの魔力弾を放逐しきることに成功した。

 

「はぁはぁ」

 

 荒い息を吐き、肩で息をする伊織。

 

 と、そこへ、

 

「やっぱり、すごい。【魔獣創造】強い」

 

 直ぐ後ろから抑揚のない声音が響いた。伊織は、苦笑いしながら肩越しに背後を振り返る。そこには案の定、あれだけの攻撃をしておきながら特に特別な事をした様子もない、無表情のオーフィスが伊織をジッと見上げていた。本当に、もう笑うしかない。聖書の神すらお手上げの世界で二番目に強い存在とは、これほどなのかと。

 

「オーフィ……」

「でも、終わり。【魔獣創造】は我のもの」

 

 伊織が、再度、オーフィスに語りかけようとするも、オーフィスはそれを遮るように手をかざした。その手の先に魔力が集束する。どうやら、伊織の強さを見て、更に興味が深まったようだ。問答無用で連れて行くつもりらしい。

 

 伊織は、これ以上は本当に現実世界に影響が出かねない事と、オーフィスに感じた懐かしい感情、そして死ぬ事はないだろうという推測から、取り敢えず話が出来るなら一度付いていくしかないか、と怒る家族を思いつつ溜息を吐いた。

 

 そして、伊織を戦闘不能に追いやる一撃が、まさに放たれようとした、その瞬間、

 

「馬鹿者、そいつは私のものだ」

 

 光り輝く魔法の剣がオーフィスの腕を両断し、返す刀で胴体をも真っ二つした。

 

――断罪の剣 エクスキューショナーソード

 

 固体・液体の物質を強制的に気体に相転移させる魔法剣。使い手は当然、伊織の愛する妻――エヴァである。

 

「マスター! 無事ですか!」

「昨日の今日で、ほんとマスターは人気者過ぎるよ!」

 

 そんな事をいいながら、【拒絶の弾丸】と【九つの命】を発動しつつ、伊織の傍に降り立ったのは、やはり彼の愛する家族であり妻であるミクとテトだ。二人共、血だらけで荒い息を吐く伊織に焦ったような心配そうな眼差しを向けている。

 

 ミクの分身体が、ドラゴンの翼をはためかせた上半身だけのオーフィスに追撃をかけている間に、エヴァも戻って来て【聖母の微笑】を発動した。瞬く間に回復していく伊織。

 

「全く、お前という奴は、ちょっと眼を離した隙に、また変な女を引っ掛けおって!」

「いや、理不尽すぎるだろ、エヴァ。完全に被害者だぞ? っていうかチャチャゼロは?」

「あいつなら、念の為、ホームに置いて来た。昨日の今日だからな」

「そうか。何にしろ助かった。ありがとうな、エヴァ、ミク、テト」

 

 伊織の言葉に、フッと表情を和らげるミク達。感じた力の大きさから、相当、焦っていたようだ。

 

 と、その直後、分身体のミク八人が一斉に消し飛んだ。そこには、先程、エヴァによって腕と胴体を真っ二つにされたオーフィスが、何事もなかったように佇んでいる。

 

「あの翼……龍種か?」

「ああ、信じられないことに、この世界で二番目に強いと言われている伝説のドラゴン【無限の龍神(ウロボロス・ドラゴン)】だ。なんか、世界一位を倒したくて俺を勧誘しに来たらしい」

「「「いやいやいや」」」

 

 伊織の端折りまくった説明に、ミク達がハモりながらツッコミを入れる。だが、そんなコミカルな態度を取りつつも、ミク達の警戒は全力でオーフィスに向いていた。彼女達も、オーフィスの強大さを肌で感じ、魂で理解しているのだ。自分達の誰が挑んでも勝てない相手だと。それでも笑えているのはひとえに、家族が傍にいるからだろう。

 

 そんな寄り添う伊織達を見て、オーフィスがポツリと呟く。

 

「……家族」

「ああ、俺の家族だ」

「なら、全員連れて行く」

 

 どこかより無機質になった声音で、オーフィスがミク達もカオス・ブリゲードに連れて行くと宣言する。そして、先程以上のプレッシャーを放ち始めた。ミク達も同時に発動した【封時結界】の中で、周囲の瓦礫がチリチリと砕けていく。

 

 一斉に身構えるミク達。その表情は珍しく強ばっている。かつて異世界を創りし神“造物主”と戦った時よりも、ミク達の表情は厳しい。

 

 だが、そんな張り詰めた糸のような状況で、伊織は一人、畏怖も怒りもなく真っ直ぐに静かな眼差しをオーフィスに向けていた。それに気が付いたのか、再び、オーフィスの瞳が微かに揺れたような気がする。

 

「ミク、テト、エヴァ……力を貸して欲しい。俺は、あいつの力になりたい」

 

 いきなり何を言い出すのかとミク達は訝しげな表情になる。ついで、伊織の瞳に宿るものが、いつもと変わらない“救う”と決めた時の表情をしている事に気が付いて目を丸くした。

 

「たぶん……あいつは昔のエヴァと同じなんだ」

「伊織……」

 

 伊織の思いがけない言葉に、エヴァが眉を八の字にする。ミクとテトも困ったような表情だ。世界で二番目に強いドラゴンが、昔のエヴァと同じ――すなわち、孤独という苦しみの中にいると聞いて、死線を越えるような覚悟をしていたのが何となく崩れてしまった。

 

 しかも、昔のエヴァのようだから放って置けないと言われては、ミク達自身も放ってはおけない。自分達とは、文字通り存在の格が違う相手。しかも絶賛追い詰められているのは自分達の方だというのに、“救おう”などと……ミク達は、本当に困った人を見るような、それでも誇らしげな、エヴァに至っては擽ったそうな表情になってしまう。

 

「はぁ、お前が無茶を言うのは何時もの事だ。存分にやれ」

「もうっ、マスターったら。しょうがないですねぇ」

「ふふ、でも、それでこそマスターだよ」

「ありがとう」

 

 伊織は微笑むと、次の瞬間にはセレスをヴァイオリンモードで展開した。そして、魔力弾を放ったオーフィスに頓着せず、ミク達を信じて演奏に集中する。

 

 突如、響き渡る極上の旋律。音符と妙なる音が宙に散っていく。ヴァイオリンの多彩な音色が世界に彩りを添える。

 

 それにオーフィスが虚ろな眼差しを向けた。何をしているんだろう? と首を傾げる。しかし、その間にもなされている攻撃自体は苛烈だ。それをミクが斬り捨て、テトが撃墜し、エヴァが反撃する。

 

 先程の会話の間にも準備しておいた【闇の魔法】で術式装填【氷の女王】を発動したエヴァと、【咸卦法】の輝きに包まれるミクとテト。三人で伊織の邪魔はさせまいと、波状攻撃を仕掛ける。

 

「……邪魔」

 

 しかし、どんな攻撃も、オーフィスの一撃で消し飛んでしまう。

 

「ぐっ、この!」

「わわわっ、もうっ、どんだけですかぁ!」

「これは……規格外にも程があるよ」

 

 冷や汗を流しながら、それでも必死に食い下がり時間稼ぎをするミク達。オーフィスは、かつて見た悪魔や堕天使、天使、ドラゴンと比較してもトップランクに余裕で入りそうなミク達の実力に僅かばかり驚いているようだ。

 

 だが、本当に驚愕するのはここからだった。つい、ミク達の観察に時間を掛けてしまったオーフィスの視界に、雄大な景色が映る。

 

「???」

 

 それは未だかつてオーフィスの見たことのない景色。それも当然だろう。なにせ、異世界は古代ベルカの自然の光景なのだから。その草原と森と湖が煌く景色には多くの人間がいる。

 

 誰もが笑顔でわいわいと騒ぎつつも、自分達の愛する景色を存分に堪能していた。それは、今とは違う姿の伊織であり、ルーベルス家の面々であり、研究所の皆であり、伊織が創設した孤児院の子達であり、オリヴィエとクラウスの王族一家だったり、かつての学友達だったり、同僚の騎士とその家族だったり、夜天の騎士達だったり……伊織が紡いできたキズナで繋がる人々だった。

 

――念能力 神奏心域

 

 伊織の保有する第二の念能力。演奏により術者の意図した通りの事象の発生を相手に錯覚させる能力だ。伊織は今、この能力で伊織が、これまでの生で感じてきた大切なものをオーフィスの内へ直接伝えているのである。

 

「……なに?」

 

 現実と重なるように幻視させられる光景にどこか困惑したようなオーフィス。場面は次々と切り替わる。ネギま世界最後の日や、造物主のこと、エヴァの軌跡、この世界の美しいもの、美味しい食べ物、一家の団欒、行き場のない子供達が寄り添い合う東雲ホームの日常……

 

 オーフィスの中にするりと感情が入り込んでいく。それは、伊織が感じた喜びであり、苦しみの果ての達成感であり、分かち合った楽しさであり、今この瞬間も感じているどうしようもないほど愛おしい幸せだ。

 

「オーフィス……感じるか?」

「……」

 

 伊織の声が響く。現実世界では激しさを増す戦いの中で、その声はひどく穏やかだ。手加減に手加減を重ねているとは言え、無限の龍神たる己の前に、しかも力を振るっているというのに、そこには畏怖も理不尽に対する怒りもない。ただ、真っ直ぐな眼差しと共に暖かな何かが流れ込んでくる。

 

 そんな経験は、オーフィスにとって皆無。数千万、あるいは数億という気の遠くなるような年月を生きてきて、そんな、まるで気遣うような眼差しや暖かな何かを貰った事などない。【無限の龍神】とは、言ってみれば“天災”と同義。畏怖と共に頭を垂れるか、恐怖に逃げ出すか、あるいは取り入って力を求めるか……それだけなのだ。

 

 故に、オーフィスの困惑は深くなる。

 

「オーフィス……お前は、なぜ少女の姿なんだ?」

「……」

 

 オーフィスは答えない。答えられない。自分でも気が付けば、少女の姿をとっていたのだ。無限と虚無を司る龍神の身は変幻自在。以前は、老人の姿をとっていたのだが……オーフィス自身、よくわからない事に伊織が答えをもたらす。

 

「ドラゴンとは、力の象徴だ。人型になるにしても、もっと力強い姿でもいいはず。なのに、お前がとっている姿は、真逆。弱さを象徴する“少女”だ」

「……」

「弱く見られたかったんじゃないか?」

 

 己の強さを自覚するオーフィスは、伊織の言葉に無表情を崩した。その表情は、思いがけない事を言われたといった様子だ。伊織は、ヴァイオリンの演奏に更に力を込める。周囲を包み込む旋律は、ますます世界を色づけていく。

 

「なぁ、オーフィス。俺には想像もつかないほど長く生きて来たお前に……寄り添う者はいたのか?」

「……寄り添う者……我、知らない。そんなものは知らない」

 

 オーフィスの攻撃が勢いを失っていく。オーフィスの困惑は益々深くなり、ふるふると頭を振っている。長い黒髪が、まるで道を見失った迷子のように、あっちにふらふら、こっちにふらふらと揺れ動く。

 

「そうだろうな。もし、そんな奴が一人でもいたのなら、お前は今ほど無知ではないだろうし、純粋でもなかっただろう」

「我が…無知?」

「そうだ。お前は生きている者が当然知るべきもの――暖かなものや優しいもの、美しいものや楽しいもの……そういうものを全然知らないだろう? お前がさっきから感じているそれを」

「我は……」

 

 いつしか、オーフィスの攻撃は完全に止み、ポツンと瓦礫の上で佇んだ。その姿は、どうしようもないほど“一人”で孤独だった。だが、きっとオーフィスは自分が孤独である事も自覚していないだろう。

 

 静寂を取り戻したいという願いは、もしかしたら、無意識にでも感じていた孤独を、もう感じたくないという思いから来ているのではないか。自分の周囲で、家族が、仲間が、友人が共に生きていく、そんな中では、きっとより一層、己が“一人”だと感じたはずだ。

 

 ならば、誰もいない、何も無い、静寂に包まれた次元の狭間ならば、少なくともそんな強調された孤独を感じずに済む。オーフィスの願いは、そういう事なのではないか。伊織はそう推測したのだ。

 

 ならば、次元の狭間の静寂を取り戻したいというオーフィスの願いは――きっと、悲鳴だ。悠久の時と己の絶大な力故にもたらされた圧倒的な孤独。それから解放される悲しい方法。

 

 オーフィスが、意図は違うとは言え伊織に助けを求めて来たというのなら、そんな方法を取らせるわけにはいかない。眼前の迷子のように佇むドラゴンを、孤独の果てへ放逐させるわけにはいかない。騎士イオリアの、そして、退魔師伊織の誓いに賭けて。

 

「オーフィス。“グレートレッドを倒して、次元の狭間――静寂の中に帰りたい、だから俺に力を貸せ”お前はそう言ったな」

「……そう。【魔獣創造】、一緒に来る」

「いいや、俺はお前には付いていかない」

 

 きっぱり言い切った伊織に、オーフィスの力が膨れ上がる。しかし、伊織は全く気にした様子もなく強靭な意志の宿った眼差しでオーフィスを貫いた。曲はいよいよ佳境だ。どこか楽しげで嬉しげで、幸せが詰まったような調べが、オーフィスの心に染み渡っていく。お前が、本当に求めているものは、きっと違うものだと教えるように。

 

 伊織は語る。オーフィスの心に届けと、渾身の旋律と共に。

 

「付いてくんじゃ、意味がないんだ。それじゃあ、きっとお前の本当の願いに応えられない。だから、オーフィス」

「??」

「お前が、俺の所に来い」

「!」

 

 オーフィスの無表情が崩れる。僅かに目を見開き、伊織の真っ直ぐ自分を見つめる眼差しに、まるで気圧されたように一歩後退った。曲はいつの間に終わっている。心地よい余韻が、宙に漂って泳いでいる。

 

 伊織が穏やかに語り出す。

 

「一緒にご飯を食べるんだ。家のばあちゃんは料理の名人だから、きっとオーフィスも気にいると思う。一緒にゲームもしようか。俺の兄弟達は滅茶苦茶強いからな。きっとオーフィスでも勝てない。悔しい思いをするぞ。一緒に旅行にも行こう。家族で温泉に行くんだ。年に一回の貴重な機会だから写真も沢山撮ろう。それで家に帰ってから、その写真を見て思い出話しに花を咲かせるんだ。煎餅でも食べながらな」

「……ごはん、ゲーム、温泉」

 

 戸惑った様に瞳を揺らすオーフィスに、今度は、やれやれと肩を竦めながらエヴァが語る。

 

「なら、私は酒の美味い飲み方と、服の作り方を教えてやろうか。なに、安心するがいい。私が最高のゴスロリというものを一から指導してやる。せっかく見てくれのいい姿をしているんだ。どうせなら着飾らねばな」

「……服」

 

 オーフィスがボロくなってしまった伊織のジャージを見やる。

 

そこへ、楽しげな表情でミクが続く。

 

「せっかくですし、楽器も何かやってみましょうか。さっきのマスターの演奏……素敵だったと思いませんか? オーフィスちゃんも一緒に音楽しましょう!」

「……楽器」

 

 オーフィスの視線が伊織の持つヴァイオリンに注がれる。僅かに興味の光が散った気がした。

 

テトも苦笑いしながらオーフィスを誘う。

 

「なら、歌も覚えないとね。可愛い声だし、変身できるなら七色の声音も夢じゃないね。近いうちに、オーフィスちゃんのデビューライブだ。きっと凄く楽しいよ!」

「……でびゅー」

 

 どうしたらいいのかわからないと言った様子のオーフィスに、伊織は、ヴァイオリンをバリトンサックスモードに切り替えた。そして、二度目の演奏を始める。しかし、それは【神奏心域】を発動するためではない。

 

 オーフィスに、今できるちょっとしたプレゼントをするためだ。

 

「――♪」

「!?」

 

 伊織が、バリトンサックスに息を吹き込み数秒後、周囲から音が消えていく。世界が静寂で満ちていく。オーフィスの何事かとキョロキョロと辺りを見渡した。やがて、その視線が伊織を捉える。世界に静寂をもたらしているのが、伊織の演奏だとわかったのだろう。興味津々といった様子でふらふらと伊織に近づいていく。

 

――演奏技 無音演奏

 

反響、共鳴が混じったノイズだらけの音を完璧に聞き分けて、ドップラー効果の修正も含め逆位相の音をリアルタイムで演奏することにより周囲一帯を完全無音状態にする技だ。

 

 オーフィスは伊織の眼前に立ち、ジッと伊織を見上げた。集中しながらも、視線を合わせる伊織。オーフィスは感じていた。求めた静寂――されど覚えのある静寂よりずっと心地いい静寂。何も聞こえないはずなのに、なぜか心の内に美しい旋律が響き渡る。

 

 見つめ合う伊織の眼差しはひどく優しげで、まるで誘うように細められている。ふと、横を見れば、ミクもテトもエヴァも何も聞こえないはずの空間で、それでも楽しげに頬を緩め耳を澄ましている。

 

 こんな静寂は知らない。だけれど――

 

 オーフィスの体が、どこか楽しげにゆ~らゆ~らと揺れ始めた。ドラゴンを鎮め、あるいは慰めるのに音楽は付きものだ。オーフィスも例外ではないのか。伊織の音楽が凄まじいだけか。わからないが、兎に角、オーフィスは伊織の無音音楽が気に入ったようである。

 

 やがて、演奏も終わり、再び世界に音が帰って来た。伊織は、眼前で佇むオーフィスに、スっと手を差し出す。少し前に、オーフィスが伊織に対してしたそれを、今度は伊織がオーフィスに対して行う。

 

「オーフィス。もう少し、この世界を感じてみないか? 今度は俺達と一緒に。一人の時と誰かと一緒の時に見る景色は変わるものだ。俺達と同じ時間を、同じように過ごして……それでも、それでもこの世界より次元の狭間がいいというのなら、その時は、お前の望みが叶うように力を貸そう。だから――」

 

――俺達の家族にならないか

 

 そう言って差し出された伊織の手を、オーフィスは静かに見つめた。やがて、ポツリと零すように、オーフィスが言葉を紡ぐ。

 

「我……恐くない?」

「ああ。むしろ心配だよ。簡単に騙されそうだもんな」

「……家族、よくわからない」

「それを今から知っていくんだ。みんな、絶対歓迎するよ」

「……さっきの静寂。また聞きたい」

「オーフィスが望むならいつでも」

 

 オーフィスは、そっとミク、テト、エヴァを見渡す。全員、優しげな表情で頷いた。大丈夫だと言外に伝える。気遣われる、心を砕いてもらう……そんな経験のないオーフィスは何とも言えないふわふわしたものが身の内に湧き上がるのを感じながら、これが、伊織が音楽で伝えた暖かな気持ちの一つなのだろうかと、胸元に手を置いた。

 

 そして、もう片方の手を、グレートレッド以外並ぶものなしの龍神とは思えないほどおずおずとした様子で、伊織の差し出した手の平にそっと重ねるのだった。

 

 ギュッと握り返される手。

 

 この日、世界で二番目に強い孤独なドラゴンに――家族が出来たのだった。

 

 

 

 




いかがでしたか?

作者がハイスクを選んだのは、オーフィスをメンバーに入れたかったから。
それが一番の理由です。
無限の龍神マジ強し……これでどんな世界にいっても勝てる!

さて、問題なのは、オーフィスの名前です。
これから東雲として暮らすのに、和名がないと……各勢力の前でオーフィス、オーフィスと連呼するわけにも行きませんし。せっかく家族が出来て心機一転って事もありますし。
なので、何か和名を付けたいのですが……
この点について活動報告に書きましたので、宜しければそちらを見て下さると嬉しいです。
花子とか……

次回は、明日の18時更新予定です。


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閑話2 龍神のいる日常

前回、活動報告でもしオーフィスの和名でリクがあれば、としましたが、
多くの候補を頂きまして、本当に有難うございました。花子は止めておきます。

見たところ
たつみ、という龍と蛇を表す名前や鈴蘭、睡蓮と言った花言葉を含めた名前
永久(とわ)や輪廻(りんね)と言った永遠を表す名前が多いようです。
どれも素敵な名前で滅茶苦茶迷いましたが、心機一転という事もあり花の名前が美しいので、そっち系の名前にしようかと思います。

ちなみに、頂いた候補そのままではないのは、カンピ世界に行った場合、名前がかぶるお人がいるからです。
いずれにしろ、作者の壊滅的なネーミングセンスの被害者を生み出さずに済んだのは、皆さんのおかげです。
本当に有難うございました。
これからも、本作品が良き暇潰しになれば、と思います。

あっ、それと、事前に注意書きしたキャラ崩壊のキャラは、オーフィスです。
こんなオーフィスは嫌だ! という方はご注意下さい。


「ほんなら、オーフィスちゃんの新しい名前は(れん)。東雲蓮ちゃんで決定や」

「「「「「蓮ちゃ~ん」」」」」

「ん……我、蓮。東雲蓮」

 

 東雲ホームに、子供達の声が響く。彼等の前には、達筆な字で“東雲 蓮”と書かれた半紙が依子の手によって掲げられていた。場所は東雲ホームの食堂。していることは新たな家族の命名家族会議だ。

 

 朝のランニングを中断して伊織がオーフィスの手を引いてホームに帰ると、案の定、にこにこと微笑を浮かべた依子が待っていてくれた。伊織が、新たな家族を連れて帰ることを察知していたのだろう。ただ、それがまさか龍神だったと予想できなかったのか、「あらあら、まぁまぁ」と少し驚いたような表情にはなったが。

 

 オーフィスの事情を話して、今日から東雲の家族として迎えたい旨を、ちょうど休日であったが故に朝寝坊していた兄弟姉妹達を叩き起して伝えると、確かに、驚きはしたのだが、まぁ伊織だしな……と妙に達観したような表情で納得し快く歓迎してくれた。

 

 しかし、受け入れ自体は問題なくとも、オーフィスは巨大テロ組織の長。その地位がお飾りのものであっても、力の源であるオーフィスの離脱をカオス・ブリゲードの連中が見逃すはずがない。

 

 そこで取った方法が、ミクのアーティファクト【九つの命】と神器【如意羽衣】のコンボだ。そう、以前、九重の偽物を敵地に送り込んだのと同じ方法である。見事、黒髪ゴスロリ少女(前は閉じている、伊織が断固として認めなかったから)と化したミクに、オーフィスが蛇を与えることでオーフィスの気配と力を付加したのである。力が小さいのは抑えているとでも勝手に思ってくれるだろう。

 

 本物のオーフィスは、基本、無表情で無口、常にボーとした雰囲気なので、おそらくバレないだろうと思われた。ミク(オーフィスVer)からの情報でカオス・ブリゲードの内情も調べやすいだろうし、いざという時、その凶行を止める一助にもなるだろうから、まさに一石二鳥である。

 

 そして、オーフィスの正体を隠すなら名前も偽名――というより人間界で使う、もう一つの名前を考えようということになったのである。伊織自身、神滅具持ちなので注目を集めやすいのに、傍にいる相手を“オーフィス、オーフィス”と連呼するのは……ということだ。

 

 ちなみに、髪も栗毛に変えた。基本は、黒髪少女がいいらしいので、人目のないところや家の中では元に? 戻ることにしているようだ。伊織達の出会った時の姿がいいらしい。

 

 そんなわけで、朝から皆で顔を突き合わせ、うんうんと悩みながらも決定した名前が“東雲蓮”というわけである。蕾のようなオーフィスの心が、いつか蓮のように開いて欲しい。そんな意味を込められている。花言葉にも“清らかな心”というものがあるから、中々にあっているではないだろうか。

 

 女性陣は、もっと女の子らしい名前がいい! と反対したのだが、オーフィスに性別というものはないで、どっちでも通じそうな名前がいいだろうと、結局こうなった。

 

 オーフィス自身はというと、呼ばれるたびに何度もコクコクと頷いており、無表情ながらどこか満足気だ。どうやら気に入ったようである。

 

「ほんなら、蓮の名前も決まったことやし、後は学校のもんとか、色々揃えなあかんなぁ」

「……学校」

「服とか日用品も必要ね」

「……服」

 

 依子的に、蓮が学校に通うのは決定事項らしい。結衣や楓、瑠璃は蓮の日用品やら衣服やらを揃える気のようだ。

 

 蓮が、困惑するようにキョトキョトと周囲を見渡し、その視線が伊織を捉えた。微妙に焦点が合っていない瞳だが、どこか助けを求めているような気がする。

 

「蓮も学校に行かないとな。でないと、昼間は留守番になるぞ。まぁ、ばあちゃんはいるだろうけど……せっかくだし学生生活を楽しんでみればいい」

「伊織は?」

「もちろん、行ってるぞ。……最近休みがちだけどな」

「……我も行く。伊織と同じところ」

 

 蓮的に 伊織と一緒がいいらしい。まぁ、あれだけ一緒の時間を過ごそうと誘ったのだ。当然といえば当然である。

 

「まぁ、もう少し成長した姿なら問題ないか。……ばあちゃん、大丈夫かな?」

「構わへんよ。その代わり、ちゃんと面倒みたらなあかんよ。伊織なら心配あらへんやろうけど」

「ああ、大丈夫だよ」

 

 大体話が纏まったところで、女性陣が蓮の買い物に行くことになった。どんな服を着せようかと姦しく盛り上がる。

 

「お前達、連にはゴスロリが似合うに決まっているだろう。私が、作るから買う必要はない」

「いやいや、エヴァ。常時ゴスロリは、いくら可愛くてもキツいって。むしろイタイって」

「なら、普段着と変わらないようにアレンジすればいいだろう。ふりふりは必要だ! お前達は着てくれないのだから、蓮くらい着せ替え人……ゴホンッ、用意してやってもいいだろう?」

「今、絶対着せ替え人形って言おうとしたよね。っていうか、この年でふりふりは恥ずかしいのよ! 【別荘】とか、誰もいない所では着てあげてるでしょ! だから、蓮にも普通の服を!」

「いやだ! 蓮には絶対、私の作ったふりふりを着させるのだ!」

 

 とても盛り上がっている。気が付けば、いつの間にか東雲男子が消え去っていた。この場にいる男は伊織だけ。逃げ遅れたらしい。

 

 蓮の普段着について論争が巻き起こる中、当の蓮はと言うとポケーとした雰囲気ながらも自分の衣服について紛争が起きていると理解したようで、瑠璃達とエヴァの間にトコトコと歩み寄った。

 

 そして、注目する女性陣に向かって、未だ羽織っているボロボロになった伊織の白ジャージをくいくいと引っ張り、自らの要望を伝える。

 

「我、これがいい」

「これって、ジャージだぞ。それ」

「そうよ。女の子の普段着がジャージって……ないわ」

 

 エヴァの頬がピクピクする。瑠璃達もないないと首を振る。しかし、伊織の白ジャージは龍神様の琴線に触れたらしい。

 

「我の初めての貰い物。お揃い。だから、これがいい。それに、伊織の匂いも好き」

「に、匂いだと!?」

「蓮ちゃん……」

 

 伊織に突き刺さる視線の数々。エヴァが伊織に白い目を向け、結衣は蓮に手遅れかしらん? といった同情じみた眼差しを向けている。もっとも、薫子を筆頭に年少組はなぜか共感するように「あ~」と頷いていた。

 

 居た堪れない伊織が、離脱を図る。が、女性陣が逃すはずもなく、蓮の説得も兼ねて、結局、買い物に連れて行かれることになった。伊織にとって、鬼神や龍神と戦うよりも消耗を余儀なくされる厳しい戦いであったのは言うまでもない。

 

 ちなみに、購入したのは瑠璃達が選んだ普段着多数とその他、そして白ジャージが三着だった。エヴァはエヴァでふりふりを沢山用意したようだ。しばらくの間は、白ジャージを着ようとする蓮と、どうにか普通の服を着せようとするホームの女子と、ふりふりに情熱を注ぐエヴァの間で争いが続きそうである。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 ざわざわと騒めく朝の教室。

 

 ここは伊織達の通う中学校三年の教室。主人公らしく窓際の一番後ろという特等席を確保している伊織の周囲には、彼の愛する家族、もとい妻三人が集まっている。いつも、朝からずっと一緒にいるわけではないが、今日は記念すべき日であるために何となく集まってしまったのだ。

 

 そこへ伊織の友人達も集まって来た。

 

「おはようさん、伊織。朝からハーレムか……死ねばいいのに」

「よっ! 取り敢えず爆発してくれないか、伊織」

「何だ、今日は来たのか……もっと休んでもよかったのに。ミクさん達だけ置いて」

 

 友人のはずだ。ちょっと思春期特有のやさぐれ方をしているだけで、紛れもなく伊織の友人……のはずである。

 

「朝から随分な挨拶ありがとよ。取り敢えず、おはよう」

 

 苦笑いしながら挨拶を返す伊織。ミク達も同じような表情で挨拶し返す。前世でも騎士学校でよく見られた光景である。

 

「で? 何の話してたんだよ? 何か、めちゃ楽しそうな雰囲気だったけど」

「今日って、何かイベントでもあったか?」

「いや、お前ら、きっとあれだ。一緒に休んでいちゃついてた時の事を思い出して、ニヤニヤしてやがったに違いない」

「「そういう事か」」

「いや、どういう事だよ」

 

 どうやら伊織達が随分と楽しげにしている事が気になって寄って来たらしい。そして、勝手に推測し、勝手に納得して、勝手に嫉妬心を燃やし始めた。それに呆れた表情を向けていると、いつの間にか、ミク達の友人である女子生徒も集まってくる。みなも気になっていたようだ。

 

 そこで、エヴァが悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「なに、朝のホームルームが始まれば、お前達にも直ぐに分かる。楽しみにしておけ」

「「「「「え~~~」」」」」

 

 女子達がブーイングするが、エヴァはどこ吹く風だ。そんなエヴァに纏わりつく女子生徒達。エヴァは、この中学では上の学年も含めて既に女王様(笑)扱いで人気が高い。ベルカでは孤児院で母親もやっていたので、いくら弄られキャラといっても包容力があり、また、経験も豊富なので悩み多き思春期女子にとってエヴァは、ついつい頼ってしまう得難い友人なのである。

 

 絶大な人気という点ではミクやテトも変わらない。学校でも、歌姫ぶりは十全に発揮している事もあるし、エヴァ同様、母役と経験の多さは頼りになる。ちなみに、この学校では、正体不明の人気バンド“ストック”の正体が伊織達である事に気が付いている。

 

 隠す気あるのか? と言いたくなるくらい普通に演奏したりするのだから当然だろう。だが、暗黙の了解で皆知らないふりをしてくれているようだ。伊織達が顔出しNGにしているからというのもあるが、いらぬ人が集まって伊織達が演奏しなくなったら嫌だからというのが主な理由だ。

 

 そうこうしている内に、朝のチャイムがなった。ほぼ同時に、担任の先生(女性二十九歳独身、婚活中)が入ってくる。クラスメイトもすごすごと自席に戻っていった。

 

「みんな、おはよう。出席とる前に、今日はお知らせがあります。何と~、転校生がやって来ました~」

「「「「お~~~」」」」

 

 エヴァの言葉はこういう事かと納得顔を見せるクラスメイト達。クラスの男子(告白十六連敗中)が女子か男子か尋ねる。

 

「女の子です。凄く可愛い子よ。……でも、きっと男子は期待しない方がいいわ」

 

 頭上に“?”を浮かべる男子生徒達を尻目に、担任は扉の外にいる転校生に声をかける。

 

「それじゃあ、入ってきて、東雲(・・)蓮さん」

「「「「「東雲?」」」」」

 

 聞き覚えがありすぎる苗字にクラスメイト達がまさかという表情で伊織達を見る。それもそうだろう。このクラスには既に東雲姓が四人もいるのだから。

 

 固唾を呑むクラスメイト達の前で、教室の扉が開いた。そこから長い栗毛の美少女が入ってくる。顔立ちはそのままなので静謐な雰囲気と合わせてどこか神秘的である。しかし、背が小さいので、ちょこちょこと歩く姿がまた可愛らしくもあり、そのギャップが心をくすぐる。

 

 ふわふわと髪を揺らしてポーとした眼差しを教室に向ける蓮ことオーフィス。伝説の龍神が、一中学生になった瞬間である。伊織達を見つけた蓮の瞳が僅かに細められた。伊織達は、優しげな表情で頷き返す。

 

 ちなみに、伊織達が時折見せるこういう慈しむような表情が、中学生らしくない“大人”を感じさせて人気に拍車がかかる理由だったりするのだが、本人達にその自覚は余りない。もしミク達がいなければ、伊織は伊織で女子に群がられているだろう。

 

「さぁ、蓮さん。自己紹介して」

「ん……東雲蓮。よろしくお願いします」

「……」

「……」

「……」

「……えっと、それだけかしら?」

「?」

 

 簡潔すぎる自己紹介。反応に困る先生とクラスメイト達。無表情と相まって不機嫌なのだろうかと戸惑う。伊織は苦笑いしながら助け舟を出す。

 

「蓮……教えただろう? 好きなものとか、やりたい事とか、そういうのを話せばいいんだ。それと笑顔な?」

「ん」

 

 蓮が、そういえばそうだった、と頷く。そして改めてクラスメイト達を見渡し口を開いた。

 

「好きなもの……白ジャージ。やりたい事……友達作る」

 

 滔々と話した後、両手の人差し指で唇の端をにゅ! と上げて無理やり笑顔を作った。ポカンとするクラスメイト達。そこへ、エヴァのフォローが入る。

 

「あ~、お前達。気がついていると思うが、蓮は、つい最近東雲の一員となった。無表情にも非常識にも、相応の理由がある。察してくれ。だが、蓮が言った事は本心だ。蓮は、お前達と友達になりたいんだよ。戸惑うだろうが……私達の家族だ。よくしてやって欲しい」

 

 我らの女王様からのご下命だ。無下に出来ようはずもない。クラスメイトは苦笑いしつつ、再び、蓮に目を向けた。――変わらず、指で口の端を持ち上げて笑顔を作っていた。その何ともいじらしく、そして可愛い仕草に、クラスメイトは一様に「細けぇこたぁいいんだよ!」の精神となったようだ。

 

 口々に「連ちゃん、よろしく~」と歓迎の言葉を投げかける。蓮が、喜びを表そうというのか更に指で唇を釣り上げ、結果、ただの変顔になった。それに吹き出すクラスメイト達。どうやら、龍神様の中学でびゅーは中々どうして上手くいったようである。

 

 授業の合間の休憩時間にもクラスメイトは蓮の元に集まり、あれこれ話しかけている。さっそくお昼に誘われたようだ。しかし、何か答えようとする度に、一度、伊織の方を見て確認するような眼差しを送る仕草に、女子の瞳が好奇心にきらきらと輝き、男子達の瞳は剣呑に細められていく。

 

 そして、お昼休み、取り敢えず蓮を中心に輪になってクラスメイト達がお弁当を広げる中、女子の一人が踏み込んだ。

 

「ねぇねぇ、蓮ちゃんは伊織くんの事どう思っているの?」

「? どう?」

 

 一瞬、静まり返る教室。全員が、固唾を呑んで耳を傾ける。女子は好奇心一杯に、男子は一筋を希望に縋るように。そんな彼、彼女達に、蓮は無自覚な爆弾を落とす。

 

「伊織は、我に(ジャージとか家族とか)初めてをくれた人」

「「「「……」」」」

 

 今度は違う意味で教室が静まり返った。質問をした女子も笑顔のまま固まっている。口下手ここに極まれり。意味が分かっているエヴァですら思わず吹き出した。

 

「あたたかい人、やすらぐ人、静寂をくれる人、それにいい匂い」

「「「「「匂い!?」」」」」

 

 蓮の爆弾投下は終わらない。無表情の中に、クラスメイト達でも分かるくらい柔らかさが宿る。口元が指を使わずとも微かにほころんだ。

 

「我と、一緒に(この世界を)感じてくれる人」

「「「「感じる!?」」」」

 

 加速する誤解。女子の顔は既に茹でダコのように真っ赤だ。挙動不審に激しく瞳を泳がせる。ミク達は、天を仰ぐように目元に手を当てて天井に顔を向けていた。

 

 そして、ガタッガタッガタッ!! と、持ち主の乱暴な扱いに抗議するように一斉に椅子が音を鳴らす。だが、当の持ち主達――クラスの男子達はそんな事に頓着しない。今は、もっともっと重要な事があるからだ。

 

 そう、非モテ思春期男子を悪鬼羅刹に変えるリア充な男に制裁という名の八つ当たりをするという重要な使命が。ゆらりと進み出てくる不気味な雰囲気の彼等に、伊織の頬が引き攣る。

 

「お前等、落ち着け。誤解だ。全くもって誤解なんだ。蓮が口下手なのはわかってるだろう? ちょっと言葉が足りてないんだ。決して、お前等が思うような関係では『黙り給えよ、伊織くん』……口調が変だぞ?」

 

 クラス委員長のメガネ男子が、メガネをクイッと中指で上げながら、メガネを光らせて変な口調で言葉を発した。

 

「ふぅ、いいかね、伊織くん? もはや、事実がどうか等どうでもいのだよ。我々はね」

「いや、委員長?」

「重要な事はだ。蓮ちゃんが、明らかに君へ絶大な信頼と好意を寄せていて、君がそれを受け入れているということ。ぶっちゃけ、すんげー羨ましいのだよ! 女の子とのそういう関係が!」

「そういうことだ、伊織。俺は、お前を信じていたんだぜ? この学校の三大天使全員から好意を寄せられていて、ぶっちゃけこいつに隕石とか直撃したりしないかなぁとか思っていたが、それでも、誠実な奴だし、友人だし、だから、これ以上、ハーレムを増やしたりはしないと」

「お前……普段そんなこと思ってたのか」

「ねぇ、伊織くん。僕だって、『いい匂い』とか言われて女の子からクンカクンカされたいんだ。どうして、そんな天文学的な確率の幸運が君にばかり降り注ぐんだい? 神様ってちゃんと仕事してるのかな?」

「おい、さりげなく性癖を暴露するのはやめろ。女子のお前を見る目がゴミを見る目になってるぞ」

 

 男子達が、血涙を流さんばかりの眼差しで伊織を睨む。女子達は既に我関せずでエヴァ達から、話を聞いていた。

 

「伊織……お前は一度、俺達非モテの嫉妬の炎で身を焼かれるべきだ。そうだろう?」

「それに同意する奴はどうかしてると思う」

「どうかしているのはお前のモテ具合だ。俺は、お前が実は魔法使いで魅了の魔法が使えると言われても不思議に思わないぞ。むしろ、俺にかけて欲しい」

 

 さりげなく伊織が魔法使いであるという真実にたどり着いたクラスメイト。伊織は溜息を吐いた。呆れや鬱陶しさのためではない。思春期特有の女の子への並々ならぬ感心とそれ故の暴走が微笑ましかったのだ。前世でも、騎士学校や孤児院で色々あったなぁ~と、かつての仲間や息子達とかぶったのである。

 

 だが、そんな微笑ましげな伊織の表情が、若きリビドーを持て余すクラスメイツの憤りという名の油に水を注ぐ結果となる。

 

「それだ! その余裕有りげな顔! それがムカつくんだよぉ! お前は、お父さんかっ!」

「全くだ! まるで、『父さんもなぁ、若い時はなぁ~』とか酒飲みながら突然語り出す俺の親父そっくりだぞ! くそっ、これがハーレム野郎の余裕ってやつかよ!」

「諸君、待ちたまえ! その憤りはよくわかる。みな気持ちは一緒だ! だからこそ、ここは冷静に事を運ばねばならない。残念なことに伊織は強く、我等ではあの現代のドン・ファンに勝つことは難しい」

「「「委員長……」」」

「おい、こら。誰がドン・ファンだ」

 

 だが……と続ける委員長のメガネが光る。

 

「だからこそ、我等は結束せねばならない。一本の矢は容易く折れるが、束ねた矢は何者にも負けぬほど強靭になるのだ! 諸君は決して一人ではない! 我々はどんな非情な現実にも折れず曲がらずの束ねた矢であらねばならないのだ!」

「「「「委員長!!」」」

「矢を束ねたら飛ばないだろう……」

 

 伊織のツッコミはもはや届かない。革命戦士の如き決然とした男子達は“折れず曲がらず”なのだ。女子は、そろそろお弁当を食べ終わりそうである。

 

「諸君! 非情な現実に立ち向かう勇敢なる反抗の戦士達よ! 我等は、ただリア充を遠くから指を咥えて眺めるだけの負け犬か!?」

「「「「「Sir,no sir!!!」」」」」

「諸君! 非モテとリア充を隔てる鋼鉄の壁に拳を突き立てんとする気高き反逆の使徒達よ! このまま怨敵に一矢も報いず終われるのか!?」

「「「「Sir,no sir!!!」」」」」

「ならば、どうする!」

「「「「「戦え! 戦え! 戦え!」」」」」

「そうだ戦え! 非モテの闘魂を見せてやるのだ!!」」」」」

「「「「「ガンホー! ガンホー! ガンホー!」」」」」

 

 廊下を通り過ぎようとした他のクラスの連中がビクッ! と肩を震わせた。そして、伊織とクラスの男子達が相対しているのを見て、「ああ、いつものか……」と納得したように通り過ぎていった。

 

「我等は、今、まさに放たれんとする非モテの矢! 怨敵伊織を簀巻きにして、顔に恥ずかしい落書きをした挙句、それを写真に収めてやるのだ!!」

「「「「「Aye,Sirッ!!」」」」

「……仮にそれが成功したとして……お前等、虚しくないのか?」

 

 伊織のツッコミはやはり届かない。死をも覚悟した革命戦士達は、非モテとリア充の間にそそり立つベルリンの壁の如き境界を打ち破らんと、瞳をギラつかせて伊織を半円状に囲み始める。委員長は案外、先導者の資質があるのかもしれない。どこぞ司令官のような演説だった。

 

 なお、女子達はファッションの話に花を咲かせている。既に男子の事はいないものとして扱う事にしたらしい。

 

「伊織……これも全て不公平な神様が悪いんだ」

「神様も大変だな。中学生の恋愛事情まで手助けしないとならないなんて」

「黙れッ! お前に、恋愛成就の神社で一万円を賽銭したあと、帰りに偶然会った好きな子が男と腕組んで歩いてるのを見た俺の気持ちが分かんのかッ!!」

「……おぅ、それはまた……」

 

 悲惨な友人(告白十六連敗中)の絶叫に、伊織も困った表情になった。そんな伊織の様子に、同情するなら彼女くれ! と言わんばかりに包囲を狭める男子達。ミク達はいつもの事なので苦笑いしながら放置だが、蓮はそうもいかない。ただの中学生相手にどうこうなるとは微塵も思ってないが、それでも伊織に注意を払わずにはいられない。

 

「伊織……」

「あ~、いつもの事だから気にするな。友達とお話してな」

「ん……でも、困ったら言う。我、伊織の力になる」

「はは、ありがとな」

 

 蓮の健気な言葉。伊織は嬉しそうに笑うが……タイミングが悪すぎた。

 

「きぃいいい!! この期に及んでいちゃいちゃとぉ! てめぇらぁ! やっちまえぇ!」

「「「「うおぉおおおおおーーー!! 天誅ぅ!!」」」」

「だから、委員長、口調が……」

 

 一斉に飛びかかって来た男子達。伊織を押し倒すように上から折り重なり人山と化す。伊織の格闘能力の事は色々あって皆も知っているのだ。一人一人飛びかかっても軽くあしらわれるのが目に見えている。なので物量で押し潰す作戦に出たのである。

 

 しかし、当然、そんなものが伊織に通用するわけもなく。

 

「さて、お昼が終わるまで、あと三十分ほど……教室でうるさくするのも悪いしな。取り敢えず、俺に八つ当たりしたきゃ、捕まえてみな」

 

 いつの間にか教室の扉の前にいて、そんな事を言った。ギョッとする男子達は慌てて山を崩して自分達の下を見るが、当然、何もない。伊織は、彼等の意識の間隙をついて普通に包囲網を抜けただけなのだが、彼等からしてみれば瞬間移動でもしたように感じただろう。

 

「おのれぇ! やはり一筋縄ではいかんかっ! 諸君! 対伊織用フォーメーション、パターンCだ! あの辛く厳しい訓練の日々を思い出せぇ!」

「「「「おぉおおお!!」」」」

「……お前等……何やってるんだよ」

 

 伊織は、取り敢えず、分隊に分かれて襲いかかって来た男子達を軽く避けながら廊下に飛び出し、そのまま逃走に移行した。背後から「出合えぇ! 出合えぇ! 他クラスの男子達よぉ! 我が校のカサノヴァを今日こそ仕留めるのだぁ!」と委員長の声が響く。それに応じて本当に他クラスの男子が即応するのだから、本当に、委員長の統率力は大したものだ。発揮する方向を全力で間違えているが……

 

「全く、だから、誰がカサノヴァだよ。失礼な……」

 

 伊織は文句を言いながら、日常的な学校生活に苦笑いを浮かべる。そして、後ろの方でぴょこっと顔を覗かせている蓮に笑みを浮かべると、本格的な逃走に入った。

 

 蓮にも、普通とは少し異なるかもしれないが、こんな楽しい学校生活を送って欲しいと思いながら。

 

「殺れぇーー! 俺達の天使を取り戻せぇーー!!」

「ヒャヒャハハハハーー!! 今日こそ仕留めてんやんぜぇ!!」

「サーチ&デストロォーイ!!」

「てめぇ、伊織ぃーー!! この前、ミクちゃん達と一緒に休んで、どこで何してやがったァーー!! 拷問してでも聞き出してやるぅううううう!!」

 

 楽しい学校生活を送って欲しいものだ……

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 オーフィスが蓮の名を貰って東雲ホームの一員になってから一ヶ月。

 

 伊織は現在、ミクとテト、エヴァにチャチャゼロ、そして連を連れて京都は妖怪の異界へやって来ていた。理由は、簡単。京都守護筆頭として、せめて八坂には蓮の存在を知らせておこうと思ったのだ。

 

 八坂は術に優れているし、観察眼も並みではない。これからも付き合いはあるわけだし、蓮が力を極力抑えているとはいえ、ばれるのは時間の問題だろう。ならば、隠して無闇に不安を与えるよりは伝えてしまった方が、今後の信頼関係のために良いと判断したのだ。以前と同じように、金閣寺の近くにある目立たない鳥居へ向かう。

 

「どうした、蓮? いつも以上に口数が少ないな。もしかして緊張してるのか?」

「ん……」

 

 伊織が問うと、そんな返事と言うより思わず漏れ出たというような声が伊織の頭上から返ってきた。

 

 伊織に肩車された蓮が、僅かに首をかしげながら伊織の頭に手を回す。出歩くとき、なぜか蓮は、伊織の肩車を所望する。聞けば、伊織の纏う気圏――【纏】や匂いが好きらしい。ホームの年少組やミク達曰く、干したばかりのお布団のような香りなのだそうだ。

 

「伊織と九尾、仲良し」

「ん? まぁ、悪くはないと思うぞ」

 

 突然の蓮の言葉に多少、困惑しながら返事をする伊織。そこへツッコミが入る。

 

「何が“悪くはない”だ。完全に婿扱いではないか。毎度毎度、厄介な女に狙われおって」

「ですよねぇ~、京妖怪のみなさん、マスターの事“若様”としか呼びませんもん。完全に外堀埋めてきてますよ」

「知ってる、マスター? 八坂さん、協会の方にも仄めかしているらしいよ。次代の妖怪と協会の関係は安泰だって。そのうち、九重ちゃんにも正式に挨拶にこさせるって。……何の挨拶だろうねぇ~」

「ケケケ、伊織ヨォ、モテル男ハツレェナァ~」

「……」

 

 伊織がさっと視線を逸らす。伊織とて鈍感というわけではない。幼いながらも九重が好意を寄せてくれている事は理解しているし、八坂が割かし本気で根回ししている事も察している。

 

 伊織としては、九重の好意は、幼稚園児が先生に憧れるような、成長すれば自然と忘れてしまうようなそんな気持ちだと思っていたので微笑ましさが先行して特に対策を練るようなことはなにもしてなかったのだが……九尾の母娘というものを少し侮っていたらしい。

 

 気が付けば、いろいろ無下にも出来ない状態で、九重の好意も益々高まっていた。まだ、年齢が年齢だけに微笑ましさしか感じないが、果たして将来は……エヴァ達が危惧するのも仕方ない。なにせ、既に妻三人だ。心に決めた人が! という言い訳は通用しない。

 

「ごほんっ! で、俺と九尾母娘の仲がいいと何か問題なのか?」

 

 伊織が全力で話を逸らす。蓮は、無表情の中にどこか心配そうな雰囲気を漂わせて伊織の旋毛を見下ろした。

 

「我、邪魔……」

「……あ~、そういうことか」

 

 伊織は、それで蓮の言いたい事を察する。ようは、自分の存在が伊織と妖怪側に溝をもたらさないか心配しているのだ。まだ一ヶ月しか東雲ホームで過ごしていないが、どうやら龍神様は“気遣い”というものを覚えたらしい。いや、もしかしたら、元々持っていたのかもしれないが。

 

 伊織は、自分の頭を抱えるようにして腕を回す蓮を下から覗き込むように見上げると、安心させるように笑みを浮かべた。

 

「蓮が邪魔なんて事は、この先、何があってもないよ。……八坂殿も妖怪達も、絶対、蓮を受け入れてくれる。万に一、拒絶されるようなことがあったとしても、その時は、一緒に仲良くなれるように頑張ればいい。俺達は、もう家族なんだ。どんな事があっても一緒にやって行こう。そうすれば、何だって出来るから」

「……何でも」

「ああ、何でも。そうだなぁ、取り敢えず、学校のときみたいに友達を作ってみようか」

「……友達」

 

 蓮が、そっと視線をミク達に巡らせる。ミク達もまた、伊織と同じような柔らかな笑みを浮かべた。蓮の雰囲気も自然と和らぐ。

 

「……頑張る」

 

 蓮がやる気を漲らせたように、伊織の頭をペチペチと叩いた。小さな紅葉のような手で意思表示しながら、円満な人間? 関係に身構える無限の龍神……きっと、オーフィスを知る者が見たら卒倒するだろう。

 

 と、その時、木陰の向こう側に古びた鳥居が見え始めた。異界へと繋がる境界だ。その鳥居の直ぐ傍に、伊織達にとって慣れ親しんだ気配を捉えた。向こうも、伊織達に気がついたようで、その綺麗な金髪とよく似合う巫女服を揺らしながら飛び出すように駆け寄って来た。

 

「伊織ぃーー! ミク、テト、エヴァ、チャチャゼロぉーー! 久しぶりじゃ!」

 

 ステテテテーー! と元気な足音を立てながら姿を見せたのは九重だ。二年前に比べ身長も幾分伸びた。体つきも、少しだけ女らしく丸みが出てきている。何より、その伊織を見つめる眼差しが、完全に恋する女の子のそれだった。どうやら、我慢できずに境界の外まで迎えに来たようだ。

 

 九重は、満面の笑みを浮かべて伊織達の名を呼びながら、そのまま伊織の胸元に飛び込もうとする。が、当然、その直前で、伊織の頭にへばり付く見慣れない少女を発見する。そして、ズザザザザー! と急ブレーキを掛けて停止した。

 

「……」

「……」

 

 ジッと見つめ合う蓮と九重。二人のつぶらな瞳が伊織の頭越しに交差する。ジッと見つめ合う。まだ見つめ合う。ぴょこん! と九重が隠していたキツネミミと九尾が飛び出した。ビクッ! とする蓮。まだまだ見つめ合う。今度は、蓮がドラゴンの翼をバサッ! と出した。ビクッ! とする九重。それでもまだ見つめ合う……

 

「いや、お前ら何がしたいんだ……」

 

 伊織のツッコミに漸く二人は呪縛から解かれたようにハッと顔を上げた。蓮は無表情だが、九重の反応は顕著だった。伊織を見るなり、いきなりぶわっ! と、その瞳に涙を溜め始める。決壊寸前だ!

 

「伊織ぃ! その女は誰なのじゃ! 九重というものがありながら、そんなべったりと! この浮気者ぉ! ミク達ならともかく、ポッと出の女にそのような……わざわざ九重に見せつけるなんて酷いのじゃーー!!」

「なんでそうなる……」

「「「浮気者ぉ~~!!」」」

「お前等まで……」

 

 九重の嘆きに合わせて、ミク達が悪乗りする。頭の上から「うわきもの……」と呟く声が聞こえた。伊織に不名誉な称号が付きかかっているようだ。

 

「うぅ~、伊織ぃ。九重では不満なのか? 九重は四番目のお嫁さんでも良いというのに、それすらダメなのか? 九重の何がいけないのじゃ。その女のどこかいいのじゃ。ぐすっ」

「こらこら、九重。一人で勘違いを加速させるな。今日の訪問の理由は伝えてあるだろう?」

「新しい家族の紹介じゃろ? つまり、新しい妻を紹介しに来たんじゃろ?」

「……そういう解釈になったのか。違うから。蓮は、普通に東雲家の家族になったってだけだから。っていうか新しい妻って……人聞きの悪い……」

 

 傍から見ればハーレム野郎以外の何者でもないのだが、これでもミク達三人と百年以上連れ添って、その間、ただの一度も他の女にうつつを抜かしたことはないのだ。ドン・ファン扱いされるのは甚だ不本意である。

 

 それでも伊織が、何とか九重の誤解を解いて笑顔を取り戻そうとしたその時、伊織の頭にへばりついていた蓮が、全く重さを感じさせずにヒョイっと九重の眼前に着地した。そして、泣きべそを掻く九重の眼前まで来ると、身構える九重の頭を、そっとその小さな手の平でなでなでする。

 

「我は蓮。家族になった。それと……」

「むぅ?」

 

 少しだけキョトキョトと目を泳がせた蓮は、「えいや!」と気合一発。一度、ドラゴンの翼をはためかせると、九重を撫でていた手を九重に差し出した。

 

「友達になりに来た」

「……九重と友達になりたいと?」

 

 コクコクと頷く蓮に、九重が何だか毒気を抜かれたような表情になる。

 

「伊織の嫁ではないのか?」

「……嫁?」

 

 蓮が伊織を振り返って自分を指差す。伊織は、苦笑いしながら違うと首を振る。

 

「なんじゃ、九重の早とちりか。すまんかった、蓮。妖怪の頭領、九尾狐八坂の娘、九重じゃ。その、いきなり失礼じゃったが、蓮さえ良ければ、友達になってもらえるかの?」

 

 自分の奇行に、恥ずかしげにモジモジしながら九重が蓮の差し出した手に自分のそれを重ねた。蓮が、キュッと九重の手を握る。そして、どこか誇らしげな表情で振り返り伊織を見た。

 

「うん、頑張ったな」

「ん」

「? 何の話じゃ?」

 

 握った九重の手をふりふりと振る蓮。伊織は、蓮の頭を撫でながら褒め言葉を送る。不思議そうな九重に、あとで分かると、取り敢えず屋敷へと促した。八坂の前で、新たな家族の正体を明かしたとき、九重は自分が一体どんな存在と友達になったか理解するだろう。

 

 だが、きっと、いや、絶対、九重は拒絶したりしないはずだ。目の前で、無限の龍神は、確かに九重と友達になりたいと言ったのだ。二年の間、九重を見てきた伊織だからわかる。ただ力が大きいというだけで、そんな純粋な思いに背を向けるような女の子ではない、と。

 

 そして、そんな相手はこれから先もどんどん増えるだろう。楽しくて、優しくて、暖かい沢山の思い出と共に。

 

 手を繋いだまま前を歩く九重と蓮を見ながら、傍らのミク達と同じように、伊織は優しげに目元を和らげたった。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

取り敢えず、オーフィスの新生活のあれこれでした。
キャラはそのうち、崩壊します。

あと、少し改稿しました。堕天使編の時系列を鬼編から二年後という感じに。

次回からは、一気に跳んで伊織達が高校二年になったところからです。

更新は、明日の18時です。



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第40話 今の伊織と三大勢力会議

 

 

 

 静謐な雰囲気に包まれた深い森の中、立派な日本家屋の縁側でお茶を啜るエヴァと酒を飲むチャチャゼロ。その傍にはお手伝いのリンリンさんとチャチャネが控えている。

 

 場所は、伊織の【別荘】の中だ。

 

 と、不意にエヴァが視線をあらぬ方向に向けた。

 

「む、帰って来たか……」

「ケケケッ、御主人、ソロソロレーベンスシュルト城ノ方モヤバインジャネェカ?」

「そうだな……魔導も応用して強度には自信があったのだが……蓮の力は規格外だからな」

「ソノ強度ガヤバクナルクライ、伊織ガ蓮ニ力ヲダサセテイルッテェ事ダロウ? アイツ、転生シテカラ益々強クナッテヤガルナァ」

「転生してから魔力やオーラの潜在量は飛躍しているからな。鍛えれば当然強くなるだろう。積み上げたものが多ければ多いほど、転生した時に魂の質が上がるんじゃないかと言っていたな……あいつが何度転生することになるかは分からないが……」

「ケケケ、ソノウチ、マジデ神ニデモナルカモナァ。御主人、愛想尽カサレナイヨウニ、セイゼイ可愛コブレヨ」

「やかましい、ボケ人形め」

 

 エヴァとチャチャゼロがそんな話をしていると、竹やぶを縫うように作られている小道から伊織、ミク、テト、そして黒髪姿の蓮ことオーフィスが現れた。蓮が涼しい顔をしているのに比べて、伊織はどこかくたびれている。

 

「あ~、疲れたぁ~、リンリンさん、チャチャネ、人数分のお茶頼めるか?」

 

 伊織が、そう言う前に、既に二人共お茶を用意していたらしく、スっと差し出してくる。それを嬉しそうに受け取ってゴキュゴキュと喉を鳴らして一気飲みする伊織。ミク達も、礼を言って縁側に座りながら喉を潤す。

 

「ぷはぁ! ありがと二人共」

 

 礼を言った伊織はそのまま縁側に寝転んだ。その頭の上から蓮が伊織の顔を覗き込む。

 

「大丈夫?」

「ああ、問題ないよ、蓮。それにしても、まだまだ蓮には敵わないなぁ……」

 

 伊織の言葉通り、伊織達はエヴァの別荘であるレーベンスシュルト城の方で連を相手に戦闘訓練をしていたのである。もちろん、相手は文字通り“無限”であるからダメージらしいダメージなど与えられていないのだが、エヴァとチャチャゼロの会話にあったように、その実力はめきめきと上がっている。

 

 それこそ、既に前世を軽く超えている程度には。

 

「伊織は強い。我、伊織より強い人間知らない。我より弱い相手なら伊織が勝つ」

「そうですよぉ~、マスター。蓮ちゃんの言う通りです。ユニゾンした場合の今のマスターなら、ゆりかごとだってタメを張れますよ」

「造物主でも、正面から戦って勝てるんじゃないかな? もう、マスターを人間と呼んでいいのか疑問だよ」

「テト、それは酷いいい様だ。まぁ、この二年、色々あったし、訓練相手が世界二位だからな……少し、自分でも人間か怪しいとは思ってる。オーラの練度が増したせいで、たぶん、前世よりかなり長生きすることになりそうだし……」

 

 そう言って苦笑いする伊織は、現在、十七歳の高校二年生。その顔つきからは幼さが抜けて、代わりに精悍さが宿っている。強靭な意志の炎と凪いだ水面のように静かさという相反する性質を併せ持つ深い瞳には、男女問わず自然と目を引きつけられてしまう。

 

「色々なぁ~。確かに、色々あったな……特に女関係でな」

「……」

 

 寝転ぶ伊織の頭を持ち上げて膝枕しながらも、頭上からジト目を向けるエヴァ。伊織は頬を引き攣らせて視線を逸らした。

 

 エヴァの言う女関係とは、九重の事ではない。高校に入って拍車が掛かった伊織のモテ具合や、退魔師協会における退魔の名家から無数に来る縁談の話、そして、一年前からとある理由で顔出しOKになったバンド活動により現れた病んでるレベルのファン、あとは、とある事件でボディガード的な事を務めたアイドルからの熱烈アプローチetc

 

 いずれもきっぱり断っているのだが、やはりエヴァとしては面白くないらしい。ミクやテトも、笑顔を浮かべながら目は笑っていないという事が多々あった。特に、桜庭芸能事務所やレコーディングスタジオで、意図的に合わせたとしか思えないような偶然の末ばったり会ったアイドル達との非暴力な戦争の時とか。

 

 ちなみに、ニ〇ニ〇動画は完璧に全国へと……いや、世界へと普及した。ミクとテトをモデルにした数多の歌姫達は、絶大な人気を持って今日も誰かの作った歌を歌っている。ミクとテトの存在が明らかになったとき、まさかあのキャラには実在のモデルがいたのかっ! とちょっとした騒動になったくらいだ。

 

 一応、顔出しはしてもメディアお断りなので周囲に迷惑はかかっていない。魔導と魔法を使った認識阻害やらなんやらを使っているので、メディアが伊織達を追える事はないのだ。その辺も、神秘のベールに包まれた奇跡の演奏技術と歌声を持つバンドとして人気に拍車を掛けている理由の一つだ。収入もすごい事になっているのだが、それはほとんどホームの方に入っていた。

 

 この二年で、新しい兄弟姉妹も増えたのでお金はあるに越したことはないのだ。

 

 エヴァに膝枕されながら視線を逸らしている伊織の頬に綺麗な指が伸びて来て、そのまま伊織の頬をむにむにと引っ張った。じゃれついているのはミクだ。女の子座りで伊織にちょっかいを掛けつつ、エヴァの言葉に同意する。

 

「ホントですよねぇ~。それに、カオス・ブリゲードにいる私の分身体が抑えなかったら、旧魔王派だの、英雄派だのが大挙して押し寄せていたでしょうし。女の子達だけじゃなくて、うちのマスターはテロリストにもモテるんですから。一部が暴走して襲いかかって来たくらいで良かったですよねぇ~」

 

 ミクの言う通り、ここ数年、カオス・ブリゲードの動きが活発になって来ているようだった。力を求める彼等は、オーフィスに【蛇】を要求するのだが、分身体は当然、本物のような無限ではないので、そう簡単にポイポイと上げるわけにはいかない。

 

 力を与えた彼等の矛先が、無関係の人々という事もあるのだから尚更だ。この点、それならさっさとカオス・ブリゲード自体を潰してしまえば……というのも当然、伊織は考えた。しかし、どうも彼等にも彼等の主義主張があるようで、他者の何かを奪う事に悦楽を感じ、その快楽のために奪うというような外道ばかりというわけではないようだった。

 

 マイノリティな主義主張だからといって一切を問答無用に切り捨てるのは伊織の望むところではない。旧魔王派などは、それこそ現魔王達が対処すべき問題だろう。英雄派に至っては、オーフィスの【蛇】も求めず微妙に距離をとっている始末で、よく分からなかった。

 

 それに、カオス・ブリゲードは組織が大きすぎて派閥も無数にあり、未知の勢力もあるようだった。下手につついて藪から蛇を出しては困るので、今のところ、様子見兼対症療法という形になっている。

 

 そんな中で、【魔獣創造】を取り込もうと少なくないトラブルがあり、必然的にカオス・ブリゲードの一部と戦う事になったのだ。

 

 英雄派などが特に伊織の獲得のため動いていたようだが、オーフィスの命令と実力行使(たまに本物の蓮が出張ったりして)により、今のところ、直接相対したことはない。

 

 この辺の情報は、アザゼルにも回しているので、三大勢力への情報の選別と共有は彼が上手くやってくれるだろうと考えている。この二年で、アザゼルともそれなりに交友が深まっており、彼から直接依頼を受けた事も何度かあるのだ。

 

 代わりに神器の扱いでは随分と世話になった。何せ、伊織以外のメンバーも、既に禁手に至っているのだから。

 

 襲われたというミクの言葉で思い出したのか、今度はテトが思い出話をしだした。その手は伊織の頬をツンツンしている。

 

「ライブ直後に白龍皇が挑んで来たときもビックリしたよね。あの人、典型的なバトルジャンキーだから、絶対、再戦に来るよ。ルシファーの血に神滅具のコンボ、魔法の素養も高いから、鍛え直してきたら厄介だと思うなぁ~」

 

 神滅具【白龍皇の光翼】を所持するヴァーリ・ルシファー。彼は、アザゼルに育てられているようで、伊織のことを彼から聞いて戦ってみたくなったらしい。いまでもたまにやるゲリラ的なストリートライブの終了直後にいきなり襲ってきたのだ。迷惑は百も承知だが、どうか戦って欲しいと、意外なほど礼儀を見せて。まぁ、襲ってきた時点で礼儀も何もないが……

 

 伊織は困惑しつつも、いきなり周囲の空間ごと半分にするという常識外の攻撃に、つい、手に持っていたバリサクで割と本気の超衝撃超音波を放ってしまった。結果、攻性音楽という初見殺しの非常識な攻撃に、さしものヴァーリも一瞬で意識を刈り取られてしまった。

 

 何とか一命をとりとめたヴァーリは、【魔獣創造】を使わせることすら出来ずに、それどころか何をされたのか把握することすら出来ずに瞬殺されたことに、かなりのショックを覚えているようだった。

 

 だが、しばらくすると、嬉しそうな笑みを浮かべて、いつか必ず超えてみせると言い残して去ってしまった。あとでアザゼルにヤキを入れたのは言うまでもない。子供のしつけはきちんとしろ! という具合に。

 

 と、皆が、何となく思い出を語り合いながらまったりしていると、再び、別荘のゲートに反応があった。竹やぶを通り抜けてやって来たのは、この数年で随分と成長した薫子だ。ポニテにした長めの髪をふりふりと揺らしながら駆け寄ってくる。最近は告白も多数受けるようになったくらいの美人さんだ。

 

「んもっ、伊織兄ったら、目を離したら直ぐにお姉達とイチャイチャするんだからぁ」

「薫子。どうしたんだ? 何か用事でもあったか?」

「うわっ、素でスルーした。はぁ、まぁ、いいけど……。はい、お手紙。堕天使の総督さんからだから早めに渡しておいた方がいいと思って」

「アザゼルさんから?」

 

 訝しみつつ、伊織は体を起こして縁側に座りながら受け取った手紙の封を解く。と、その隙に薫子が伊織の膝上に座り込んだ。

 

「こらこら、中学生にもなって何をしてるんだ」

「いいじゃない。伊織兄もあと一年くらいでホームを出るんだし。今だけだよぉ~」

「全く、いつまでも甘えん坊じゃ困るぞ? もう薫子の方が甘えさせてやる方なんだから」

「わかってるよ~、それより、総督さんからの手紙は何て?」

 

 あからさまな話題転換に苦笑いしながら伊織は手紙を読み進める。どうやら魔法を使ったもののようで伊織にしか反応せず、文字が浮き出る仕組みになっているらしかった。つまり、他者には知られたくない重要な要件ということだろう。

 

 薫子の甘えに対抗してか蓮が薫子を少し押しのけて同じく伊織の膝に腰を落とした。その様子に、ミク達が微笑ましそうな眼差しを送る。この二年で、蓮もまた、口数が多くなったり、僅かではあるが表情を作れるようになったり、今のように露骨に甘えたりするようなるなど、感情が豊かになった。

 

 友人も増えて、今ではスマホを完璧に使いこなしつつ、ニ〇ニ〇動画の世界でも“神”扱いされるなど、現代文明にどっぷり浸かっている。一体誰が、“龍神p”を名乗るうp主が本物の龍神などと思うだろうか? 現役女子高生達とスマホ片手に買い物しているなどと思うだろうか? 誰も思わないに違いない。既に変装とか偽名とか必要なのか微妙なところだ。

 

 事実、アザゼルと邂逅して既に二年以上経つが、未だに彼にもバレていない。すっかりオタクな言動が染み付いてしまい、しかも、見た目アザゼルがチャラいからといって毎回「チョリース」と挨拶してくる女子高生を、観察眼の鋭い彼もオーフィスとは思えなかったようだ。怪しんだ事すらないのだから、その変貌ぶりが分かるというものだろう。

 

 また、白ジャージは相変わらず大好きらしく、バリエーションに富んでいる。想像して欲しい、休日等、家で白ジャージを着たまま縁側に寝転がりつつスマホを弄っている【無限の龍神】を。――果てしなくシュールだろう。ちなみに、スマホのゲームでは大体上位ランクを占めている。

 

 そんな蓮と薫子の頭を交互に撫でながら手紙の内容を検めた伊織は、手紙を丁寧にしまった。

 

「で? なんだって? あの不良中年は」

「うん、何でも、近々三大勢力の会議とやらをやるらしいんだけど、その会議への出席要請だったよ。俺は協会――言ってみれば人間側だから、三大勢力とは関係ないんだけど……」

「なるほど、世界の行く末を決める会議だ。【魔獣創造】の使い手の顔みせくらいはしておきたいといったところか」

「三大勢力のどこにも所属してなくて、でも敵対もしてなくて……」

「その上、明確に所在が判る上に、総督さんとの交友もある……悪魔側と天使側に面倒通しして、公平にしておきたいんですね。まぁ、それだけじゃないかもですけど」

 

 エヴァに続きテトとミクも納得したように頷いた。そして、どうする気かと伊織を見やる。伊織は少し考えたあと、肩を竦めて結論を出した。

 

「断るよ」

「いいんですか?」

「まぁ、向こうの意図はミク達が言った通りなんだろうけど……これでも、守護筆頭の立場にあって、人間側の代表って側面もあるしな。個人的に呼び出されて(・・・・・・)顔を見せに行くというのは、余り良くないだろ」

「ククク、要は挨拶したきゃ、そっちから来いってことだな? うむうむ、やっぱりそうでなくてはな」

「ケケケ、御主人、悪イ顔シテルゼ」

 

 そんなわけで、一応、会議の行く末を知るために監視は潜り込ませるつもりだったが、アザゼルの要請は蹴られる事になったのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 場所は駒王学園。その新校舎にある職員会議室。

 

 そこには、現在、三大勢力のトップ陣営が勢揃いしていた。

 

 悪魔側は魔王サーゼクス・ルシファーとセラフォルー・レヴィアタン、その眷属たるグレイフィア・ルキフグス、そして、二人の魔王の妹、リアス・グレモリーとソーナ・シトリー。リアスの眷属達。特に注目すべきは、やはり一見普通の少年にしか見えない神滅具【赤龍帝の籠手】の所持者兵藤一誠だろう。

 

 天界側は熾天使のミカエルと天使の女性。

 

 堕天使側は当然、グリゴリ総督アザゼルと白龍皇ヴァーリ・ルシファーだ。

 

 外には、それぞれの陣営の人員が大量に待機して一触即発の険悪な雰囲気を醸し出していた。

 

 そんな中で進む会議は、アザゼルの一言で和平を結ぶ方向へと流れていった。最初から、どの陣営も三すくみの状態を解消したいと願っていたようで、話はそれなりにスムーズに流れる。

 

 先の大戦で、どの陣営も疲弊しており、次に戦争を起こせば全員共倒れになるという事がわかっていたのだろう。誰もが、どこかホッとしたような表情をしている。

 

 と、話も一段落着いたところで、ミカエルが赤龍帝兵藤一誠に、これからどう有りたいのかという未来に向けての質問をした。神滅具所持者はいずれも世界を動かす力を秘めた者達だ。その意見を聞かずには、各陣営も動きづらくなる。

 

 しかし、当の一誠はというと、小難しい話の連続に混乱しているようで困惑しているようだった。そんな中、一誠はミカエルに問い返す。それは、同じリアスの眷属で教会を追放されてしまったシスター――そして神器【聖母の微笑】を持つアーシア・アルジェントのことだ。信心深い彼女が、どうして追放されてしまったのか、と。

 

 結局、神のシステムの都合上、神の子だけでなく、悪魔も癒せてしまう事が不味かったらしい。ミカエルの説明と謝罪により、アーシアも、同じく教会を追放されたリアス眷属のゼノヴィアも心を晴らすことが出来たようだ。

 

 と、そこで、アザゼルが【聖母の微笑】で思い出したように顔をしかめた。それに目ざとく気が付いたミカエルがアザゼルにどうしたのかと尋ねる。

 

「いや、【聖母の微笑】で思い出したんだよ。もう一人の【聖母の微笑】の使い手と、その周りの連中をな」

「もう一人の……ですか? 確かに、神器の中には複数あるものもありますが、【龍の籠手】のような単純な力の倍増と異なり、癒し系の神器は少ない。アザゼル、グリゴリは、その使い手も確保しているのですか?」

 

 言外に、どれだけ神器を揃えているんだと、どこか呆れたような眼差しを送るミカエル。アーシアも自分と同じ神器を持つ者がいると知って、興味を持っているようだ。

 

「違ぇーよ。笑えない冗談は勘弁してくれ。そいつは【魔獣創造】の女だ。俺が確保してるなんて伝わったら、何されるか分かったもんじゃね……」

「……【魔獣創造】の使い手……そういえば、日本退魔師協会に属していると報告が上がっていましたね」

「ああ、今回の会議で面通しでもしてもらおうかと呼出状を送ったんだがな……見事に蹴られた。ちくしょうめ。確かに、あいつにも立場はあるんだろうが、ちょっと面見せるくらいいいだろうによ」

 

 拗ねたような雰囲気で【魔獣創造】の使い手に悪態を吐くアザゼル。その様子に、アザゼルと【魔獣創造】が予想以上に交友を深めていると察したようで、少し、その場の雰囲気が固くなる。なにせ、今もアザゼルの傍らには白龍皇ヴァーリがいるのだ。堕天使側に、神滅具が複数あるというのは、少し笑えない。

 

 そんな場の雰囲気に傍らのヴァーリが苦笑いする。

 

「アザゼル、こんな雰囲気になるから伊織は断ったというのもあるんじゃないか? 堕天使の総督が呼べば、多少無理をしてでも【魔獣創造】を召喚できる……何て思わせたくない、とな。実際、少しは、その意図もあったんだろ?」

「チッ、やっぱ気が付くか。まぁ、世界の行く末を決定する会議なんだ。単純に、影響を持てる奴の意見は直に聞いておきたいってのが一番だがな」

 

 どうやら、白龍皇まで面識があるようだと、重鎮達の意識が、この場にはいない【魔獣創造】の使い手に向けられた。

 

 サーゼクスが興味深げにヴァーリへ話を振る。

 

「白龍皇――ヴァーリくんといったか。君も、【魔獣創造】の使い手と直接の面識が?」

「ああ。一度戦いを挑んで――瞬殺された」

「ッ!?」

 

 二天龍の片割れ、間違いなく世界最高レベルの強さを誇る白龍皇の、まさかの発言に衝撃が走る。特に、その強さを目の当たりにした赤龍帝兵藤一誠は、大きく目を見開いていた。

 

 信じられないといった様子のミカエル達が、確認するようにアザゼルへ視線を向ける。

 

「ああ、本当だぜ。しかも、【魔獣創造】を使うことすらなく、な」

「それは……」

 

 更に衝撃が走った。まさか、白龍皇相手に神器を使うことなく制するなど誰も思いもしない。当の瞬殺された男はというと、その時の事を思い出しているのか実に嬉しそうな不敵な笑みを浮かべている。

 

「あいつは強ぇぞ。冗談抜きにな。【魔獣創造】は既に禁手に至っているし、それ以外にも俺ですら未だに正体を掴み兼ねている手札をいくつも持ってやがる。しかも、その力に溺れずに、日々研鑽を積んでいるもんだから始末に負えねぇ。今のあいつなら……俺でも相当の覚悟が必要になるな」

「そこまでですか……」

「ああ。何せ、十三歳の時に、霊脈の力を無制限に使える鬼神とやり合って撃破してるくらいだ。――酒呑童子。名前はお前等も知っているだろう? そいつを正面から打ち破っている。【魔獣創造】が禁手に至っていない段階でな」

 

 絶句する各陣営のトップ達。彼等も【魔獣創造】の使い手には接触を試みた事はあるのだが、協会と妖怪側により全て断られていた。直接、本人に接触しようにも、上手く避けているようで出会うことは叶わず、無理をして襲撃じみた手を使った者は尽く返り討ちにあっており、神滅具使いに敵対の意志があると思われるわけにはいかないので、半ば様子見状態だった。そのため、詳しいプロフィールは把握しきれていないのだ。

 

「しかも、奴が侍らしている女達も半端じゃねぇぞ? どいつもこいつも一騎当千。詳しいところは俺でも把握してねぇが、少なくとも余裕で最上級クラスの実力を持ってやがる。それに、酒呑童子の一件で、妖怪達から絶大な信頼を得ているようでな、九尾の娘がぞっこんだそうだ。頭領自身、将来は……と考えているようだし、あいつを敵に回すイコール日本妖怪と敵対するって事になりかねないぜ」

「「「「……」」」」

 

 既に言葉もない。だが、驚愕が通り過ぎると、みな一様に厳しい表情となった。

 

「アザゼル。【魔獣創造】の使い手――名は……」

「伊織だ。東雲伊織」

「その伊織くんとやらは、君の目から見てどうだい? 力に溺れていないというが、危険な思想を持っていたりはしないのかい?」

「そこは気になるよね。ここで和平が成れば、外交担当の私は、妖怪側との会談もいずれしなきゃだし☆ 実質、【魔獣創造】くんが付いてるなら人となりは聞いておきたいよね☆」

 

 サーゼクスの質問に、セラフォルーが同意する。他のメンバーも興味津々だ。

 

「あ~、そうだな。危険思想とかそういうのとはかけ離れた奴だぞ。おそらく、今、ここにいるメンバーの方が遥かに危ういな」

「はっはっは、そりゃあ、私は魔王だからね」

「ソーナたんに何かあったら皆殺しにしちゃうぞ☆」

「だろうよ。ヴァーリはバトルジャンキーだし、赤龍帝は未だ不安定で暴走の危険性がある。それに比べて、東雲伊織という人物は、極めて理性的で温厚、そして自身の力を完全に使いこなしている。おまけにお人好しでもある。俺が出会った中で最もまともな神滅具使いだよ。ただし、一線を超えた奴には全く容赦がない」

 

 アザゼルの手離しの称賛が入った人物評価に、みな目を丸くして驚いた。

 

「一線というのは?」

「文字通り、あいつの中にある線引きだよ。殺すか否かのな。あいつ曰く、快楽のために他者の大切を奪う者の存在を認めないんだそうだ。そういう奴は、一切容赦なく叩き潰す。以前、俺のとこの堕天使がな、赤龍帝のときのように暴走してあいつの家族を狙ったことがあるんだが……」

 

 アザゼルの言葉に、一誠とアーシアがビクッと反応する。かの【魔獣創造】の使い手が自分達と同じような境遇にあったと聞いて何かしら思うところがあったようだ。思わず、一誠が声を出して急くように尋ねた。

 

「ど、どうなったんだ?」

「見事に返り討ちさ。一人として生き残った者はいない。中には上級クラスもいたらしいが、そいつに至っては塵すら残らなかった。で、だ。その後、即行でグリゴリまで乗り込んできやがったんだが……」

「何て、行動力……」

 

 リアスが戦慄したように呟いた。かつて、一誠を嵌めた堕天使レイナーレを消滅させた後、堕天使全体に釘を刺すために行動を起こすような事を彼女はしなかった。そこには勿論、魔王の妹という立場もあったが、それがなくてもそこまでの行動力は出せなかったに違いない。

 

「まぁ、今では、それなりに親交があるのは見ての通りだ。あれだけの力があって情の深い奴が身内を襲われたのなら堕天使全体に恨みを持ちそうなものだが、話し合える(・・・・・)、分かり合うための努力が出来る……そう感じたら遺恨も残さず歩み寄ってくれたよ」

 

 その言葉に、一誠や朱乃が少し複雑そうな表情になった。二人共、堕天使という存在に思うところがあるのだ。そう簡単に割り切れない思いが。だから、伊織の行動に何だか自分が小さく思えて微妙な心境になったのである。伊織がいれば、それは見当違いだというだろうが。

 

「まぁ、纏めるとだ。東雲伊織は、情に厚く、お人好しで、敵と定めた奴に容赦のない、べらぼうに強い奴、ということだ。そして、その行動原理は“救う事”。悪魔だろうが、堕天使だろうが、天使だろうが、本気で“助けてくれ”と言ったら、あいつは迷いなく手を差し伸べるだろうよ」

「それは、それは……」

「ふぅん、まるでどこかの英雄さんみたいだねぇ~」

 

 アザゼルの話を聞いて、会議室にいる者達の半分は感心したような表情、もう半分は懐疑的といったところだ。話自体信じがたいというのもあるが、報告者がアザゼルというもの懐疑的な原因の一つだろう。堕天使の総督は信用がないのだ。

 

「疑う気持ちも分からんではないがな……事実、さっき言った酒呑童子の件、伊織が挑んだ理由は、幼い九尾の娘のためだぞ? 鬼神化した酒呑童子に母親が殺られそうになった時に、思わず助けを求めて、それに応えたんだ。初対面で、あいつは退魔師なんだが……そんなの関係なかったみたいだな。やべぇところを、颯爽と助けてくれたんだ。そりゃあ九尾の娘も惚れるってもんだろ」

「ほぅ、それはいいですね。最近、人間のそういう英雄譚は随分と減ってしまいましたから……どうやら、今代の【魔獣創造】は信用できそうな方ですね。一度、正式に面会を申し込んでみましょう」

 

 ミカエルが、どこか嬉しそうに言う。神の子を見守り導く事を至上の使命とする天界の存在として、そういう人間の美しい物語は琴線に触れるのだろう。

 

 一誠も、同い年の日本人で同じ神滅具持ちが活躍しているという話を聞いて、瞳を輝かせていた。小声で「すごいっすね、部長」とリアスに呼びかけ、リアスも少し考えるような素振りを見せながら頷いている。考え事はおそらく眷属に出来ないか? ということだろうが、駒数的にも、伊織の立場的にも無理だろうと肩を落とす。

 

 アーシアの琴線にも触れたようだ。彼女は、シスターでありながら悪魔を治癒したことで追放される事になった。それを後悔した事はないが、ショックだった事に変わりはない。なので、自分以外にも種族に関係なく救おうとする人がいると分かって少し嬉しかったようだ。それに、自分と同じ神器持ちの事も気になっているようである。

 

 話が大分逸れたが、アザゼルが軌道を修正し、ヴァーリと一誠の考えを問い質した。ヴァーリは相変わらず、一誠は戸惑いつつも、平和になればリアスとあれこれ好き放題できるといわれ平和一択で! と元気に叫ぶ。

 

 ちなみに、少し伊織に憧れを抱きそうになっていた一誠だが、「ハーレムを目指すなら、伊織はお前の先輩だ! お前と同い年で、既に妻三人。怪しいのが一人と将来有望の九尾の娘もいる。全員、超がつく美少女だ!」と言われ、血涙を流しながら、憧れではなくライバル心を燃やすようになった。

 

 そんな【赤龍帝】と【魔獣創造】が出会うのはもう少し先である。

 

 

 

 

 その後、会議は進み、一誠の決意表明が成されていた最中、カオス・ブリゲードによるテロが起こった。それぞれが、それぞれの戦いに出る中で、アザゼルはカテレア・レヴィアタンと戦う事になる。

 

 優勢だったアザゼルだったが、途中、ヴァーリによりダメージを負ってしまった。そして、その隙にカテレアがオーフィスの蛇を使って力を跳ね上げる。それに対抗して、アザゼルも使い捨て神器の禁手により力を向上させ、カテレアを追い詰めていった。

 

 致命傷を負ったカテレアは、遂に自爆技によってアザゼルを殺そうとする。アザゼルも当然回避しようとするが、カテレアの腕が変化した触手のようなものがアザゼルの左腕に絡みついて、彼の力をもってしても振りほどく事が出来なかった。

 

 壮絶に嗤うカテレアの前で、アザゼルは、己の腕を切断する決意をする。そして、いざ、自分の腕を切り落とそうと腕を振るった瞬間、

 

「取り敢えず、腕落とすのは止めておきましょう? ね、アザゼルさん」

「んなっ!?」

 

 突然、アザゼルの肩越しに飛び出してきた小さな影が、アザゼルの腕を逸らし切断を免れさせる。全くの不意打ちに驚愕をあらわにするアザゼルを尻目に、その小さな影――体長二十センチほどのミクは、視認できない速度で刀を振るった。

 

――断罪の剣

 

 物質を強制的に気体へ相転移させる魔法剣。それだけでなく、念のため、伊織の【覇王絶空拳】の抜刀術バージョン【絶空斬】により空間ごと切り裂く。

 

 ミクの一撃により見事切り離された触手に、カテレアが呆然としている。アザゼルも目を見開いていたが、ガリガリと頭を掻くと、そのまま光の槍をカテレアに投げつけた。塵も残らず消滅していくカテレアを尻目に、アザゼルがジト目で小さなミクの襟首を摘まみ上げる。

 

 カテレアの自爆攻撃に備えて下がっていたリアスや一誠、ヴァーリも注目している。

 

「で? なんでお前がここにいる? っていうか何時からいた? その姿は神器か?」

「いっぺんに聞かないで下さいよぉ。私は、あくまで分身体ですけどね。確かに、神器で姿を小ちゃくしてます。そうですねぇ~、取り敢えず、プチミク――プチと呼んで下さい。何時から? と聞かれると、アザゼルさんとずっと一緒にいましたと答えておきましょう」

「さ、最初から……俺とした事が気づかなかったのか……そ、それで」

「はい。なんで? と聞かれれば、情報収集とアザゼルさんの護衛みたいな感じですかね? マスターが、『アザゼルさんって、意外に抜けてるっていうか、ここぞってところでポカしそうじゃないか。曲がりなりにも組織の長やれているのって、カリスマとか人望以上にシェムハザさんの助けがあってだろう? だから、ヴァーリが裏切る可能性に備えたりしてないんじゃないか? って事で、本当にやばそうなら手助けして上げてくれ』と言ってまして、それで陰ながら控えてました。案の定、ヴァーリさん裏切りましたねぇ~」

「俺の事も、ヴァーリの事も完全に読まれてやがる……ちくしょーー!! 助かったが、何か腹立つぜぇ!!」

「ははっ、伊織は俺の事もよくわかっているな」

 

 伊織としては、むしろ稀代のバトルジャンキーが、目の前で和平を結ぼうとしているのを見て、黙っていると考える方がどうかしているとツッコミを入れたかった。鬼と同じく、戦いを求めずにはいられないという人種にとって、争いの無い世界は拷問に等しいのだ。ならば、いっそ、と考えるのは不思議なことではない。

 

 もっとも、伊織としてはミクが語った理由だけでなく、カテレアが【蛇】を入手していたので、万一に備えていたというのがメインの理由だったりする。直接渡したわけではないので、以前、受け取った誰かから譲り受けたのだろうが……

 

 ちまちまとオーフィスの力を回収してきたが、そろそろ本格的にカオス・ブリゲードに対して何らかの行動を起こした方がいいかもしれない、と伊織は思い始めていた。

 

「さて、アザゼルさんもこれ以上ポカはしそうにないですし、姿を見せてしまった以上、私がここいると他勢力の方々から『すわっ、スパイかっ!』とか言われて面倒な事になりそうなので――帰ります」

「ほんとに自由だな! お前は! もう少し手伝おうとか思わないのかよ!」

「やですねぇ、アザゼルさん。堕天使の総督ともあろう人が、こんなか弱そうな女の子に、まだ助けを求めるんですか? ププッ、シェムハザさんが苦労するわけです」

「うるせぇよ! だれがか弱い女の子だ! それとシェムハザはこの際、関係ねぇよ! 常識としてだな……いや、もういいや」

「そうですか? まぁ、戦いなんてほとんど終わってますし、あとはヴァーリさんだけでしょう? 彼の相手は、育ての親である貴方か、そっちの……」

 

 プチミクが、少し離れたところにいる一誠に視線を向けた。小さくとも分かるミクの可愛らしさに一誠の心が浮き足立つ。

 

「赤い龍さんがやるべきことですよ」

「……まぁ、そうだな。わーったよ。帰れ、帰れ。あとで、話は聞かせてもらうからな」

「は~い、では、私は、アザゼルさんが大ポカやらかした挙句、腕とられそうなった話を面白おかしくマスターに語って聞かせるために帰りま~す」

「さっさと帰れよっ!」

 

 アザゼルが弄られている姿を見ているであろう魔王や熾天使はどう思ったのか。気になるところではあるが、ミクは、快活に笑いながらポンッ! と音を立てて霧散し消えてしまった。

 

 このあと、一誠はヴァーリと戦い、実はその様子をサーチャーで伊織達に観戦されていて、おっぱいを連呼しながら戦う一誠に、何とも微妙な雰囲気なったたりするのだが、それはまた別の話だ。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

原作数巻分、すっ飛ばしました。
一巻から全部関わらせたら、話数が飛んでもない事になりそうで……
原作組は原作組で、伊織達は伊織達で、でも時々二組みの道が交わる…みたいな感じで行こうと思います。

感想について、返信しなくてすみません
しかし、オリジナル小説の方でも感想を返せない状況なので、それにもかかわず、こっちは返すというのもどうかと思うのです。
なので、何か質問とかあればメッセージでも下さると個別にお返しさせて頂こうかと思います。
といっても、作中に出てこない設定なんて何も考えていませんが(笑

次回は、明日の18時更新予定です。


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第41話 九重誘拐

 

 

 

 冥界のとある領地。そこを治める悪魔の屋敷の書斎で、領主フルコニス・ビフロンスは深い深い溜息を吐いた。その表情には、嫉妬と苛立ちがありありと浮かんでいた。

 

「チッ、今年のパーティーは若手四王(ルーキーズ・フォー)も出るか。プロフィールを見る限り確かに近年希に見る豊作だ。特に、グレモリーの末姫は、赤龍帝に聖魔剣、デュランダル使いと豪勢なものだな……それに比べて家の息子は……」

 

 フルコニスの言うパーティーとは、毎年一回、この時期に行われる魔王主催の交流会のようなものだ。それほど堅苦しくない社交の場なのだが、それでも欲望に忠実な悪魔の集まり。自慢話に花が咲けば、嫉妬や苛立ちの一つや二つは覚えるものだ。

 

 特に、ビフロンスはソロモン七十二柱にも数えられる悪魔だが、大戦以降は一気にその力を弱め、長い間、跡取りにも恵まれなかった。そして、漸く出来た唯一の息子は平々凡々。特に、同世代では、ルーキーズ・フォーという能力・眷属共に破格の若手が集まっており、自尊心の高いフルコニスにとっては、何とも心穏やかではいられなかった。

 

「せめて、強力でなくとも有用な眷属がいれば……」

 

 フルコニスの息子ブーメルス自身に能力が無くとも、有用な人材が眷属にいれば体裁は保てる。ずっと以前から人材を集めろと命じてはいるのだが、フルコニスの高い自尊心が似たのかブーメルスも大概な性格で能力も魅力もなく、大した眷属は集まっていなかった。数少ない眷属達とすら、他の若手悪魔の眷属と比較して文句ばかりいうので、関係は非常に冷えている。

 

 そんなわけで、フルコニスは、自分のために(・・・・・・)ブーメルスの眷属を部下に命じて探させていた。それこそ相手の素性に考慮しないレベルで。欲しい人材は、戦闘に優れた者ではない。どんな人材も赤龍帝や聖魔剣と比べると霞んでしまう。なので、もっと一点特化の特殊技能を持つ者が望ましいのだ。

 

 その時、フルコニスが目を通していた人材の報告書の一枚が、彼の注意を引いた。

 

「ほぅ、こいつは……だが、妖怪のテリトリーに入ってしまうか……いや、しかし……」

 

 フルコニスは、しばし悩んだあと、実に悪魔らしく欲望に忠実に従うことにした。何を奪い、誰が泣こうが、フルコニスにとってはどうでもいいことだ。大切なのは、自分が満たされるかどうかなのだから……

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「へぇ、それじゃあ、九重は今、立山にいるわけですか」

「うむ、三勢力会議の事もあるのでな。既に会談の打診も受けておる。時代が動き始めているのじゃろう。妖怪側も可能な限り意思疎通はしておくべきじゃ」

「しかし、それで京都からの使者というのは……九重には少々早すぎませんか?」

 

 伊織が、少し心配そうな表情で、九重が向かったという立山――富山県の立山連峰に位置する山の方角に視線を向けた。

 

 伊織達は、現在、京都の異界に来ている。そこで八坂と会合し、九重が立山にいる妖怪達に八坂の名代として会談に向かったという話を聞いたのだ。事前に伊織にその話がなかったのは、どうやら九重が、初めて任されたお役目なので成功してから伊織に報告してドヤ顔したかったかららしい。

 

 それをあっさりばらすのだから、流石、九尾の狐。娘のささやかなサプライズを守るよりも、伊織に心配させて少しでも意識させようという魂胆らしい。九重には、是非とも母親に似ず、清い心を持ったまま成長して欲しいものだ。

 

「ふふ、心配か? 何なら追いかけてもいいのじゃよ? お迎えに行ってくれてもいいのじゃよ? うん?」

「八坂殿……はぁ、いえ、大丈夫ですよ。九重なら。見た目よりずっと根性はあるし、頭も回る子です。出会ってから四年、あの子がどれだけ頑張っているかよく知っていますから。心配ではありますが、信じて帰りを待ちますよ」

「なるほど。時代は変わった。出て行く夫を妻が待つのは古い。役目を背負って旅立つ妻の帰りを夫が待つ……うむ、ありじゃ」

「なにが、“ありじゃ”だ。この女狐め。いい加減、伊織にちょっかいを掛けるのを止めろと言っているだろうが」

「ふふん? なんじゃ、吸血鬼? 我が娘に嫉妬か? 九重の愛らしさに、遂に危機感が芽生えたのか? 仕方ないのぉ~」

「ケケケ、止メトケ御主人。狐ニ口喧嘩ジャ勝チ目ガネェヨ。イツモ通リアシラワレテ泣キヲ見ルゼ?」

「泣いたことなどないわ! 適当な事いうな!」

 

 八坂の物言いとチャチャゼロのからかいに不機嫌そうなエヴァと呆れたような表情の伊織。ミクとテトは苦笑いだ。蓮は、伊織の背にもたれながら携帯ゲームに夢中になっている。

 

「まぁ、冗談はこのくらいにして。向こうには、九重の友人もおるから大丈夫じゃよ」

「そうですか。しかし、九重も遂に次期頭領らしい仕事に付き始めましたか……早いもんですね……」

「……のぉ、伊織よ。その孫を思う爺のような眼差しはどうにかならんか? 時々、主にその眼差しを向けられて九重が物凄く微妙な表情をしているところを見ると、我が娘の事ながら何とも不憫なのじゃが……」

「はは……そんな目をしていましたか……」

 

 どこかジトっとした眼を向けて来る八坂に、伊織は苦笑いしながら視線を逸らす。最近は、八坂の屋敷で和やかに過ごす時間も増えてきた。居心地がいいので、ついつい休息なんかに訪れてしまうのだ。それが八坂の狙い通りだったりもするのだが。

 

 伊織も高校二年。卒業と同時にホームを出る予定なので、その際は京都に引っ張りこもうと画策しているようだ。

 

 ちなみに、八坂の行動は、己の夫に他の女を充てがうというミク達からすれば面白くない事のはずなのだが、彼女達は意外に仲が良かったりする。エヴァに至っては喧嘩友達のようだ。九重についても、純粋さ真っ直ぐさを彼女達も気に入ってしまっているようで、九重の拙いアプローチを微笑ましげに見ている。

 

 そんなこんなで、しばらく伊織達がズズズとお茶を飲みながら和んでいると、にわかに外が騒がしくなった。伊織の耳に、八坂への面談を望む者の必死な声が聞こえてくる。そして、聞こえたもう一つの言葉に、伊織の表情が険しくなった。

 

 すなわち、

 

――九重がさらわれた

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 屋敷の客間に通されたのは、九重と同じくらいの女の子と偉丈夫だった。男の方は、隠しているようだが怪我をしているようで、厳しい表情を全く崩さない。女の子の方は、青ざめた表情のまま項垂れている。

 

 女の子は、名を栴檀(せんだん)といい、(くだん)という種の妖怪だ。男の方は岩稜といい狒々の妖怪らしい。

 

「それで? 九重がさらわれたとはどういうことじゃ?」

 

 焦燥に塗れた表情で九重の危急を伝えに来た二人を客間に通し、八坂が最初に発した言葉がそれだった。声音も表情も落ち着いている。妖怪の頭領は、この程度のことで取り乱したりはしない、それを示している。

 

 しかし、それなりにプライベートな付き合いをしてきた伊織達には、八坂の瞳の奥に凍えるような冷たさがあるのを見て取った。

 

「はい、八坂様。実は……」

 

 硬い声音で、栴檀が事情を説明する。

 

 曰く、こういう事らしい。

 

 九重は、事前に連絡を受けていた通りに、立山の妖怪が住む異界にたどり着いた。そこで、八坂の名代を立派に勤め上げていたらしい。

 

 しかし、九重が立山に入って三日目。役目も終えて、友人である栴檀と交友を深めていたおり、突如、異変が起きた。栴檀の屋敷が、正体不明の集団に襲撃を受けたのだ。

 

 栴檀は件の妖怪。予言の先天的能力を持つ妖怪だ。未だ不安定な力ではあるものの、その力が発動して襲撃直前に危機を伝えなければ、栴檀の家の者は為すすべもなく、それどころか異界の妖怪達は襲撃に気が付くことなく、栴檀を連れ去られていたかもしれない。

 

 辛うじて最初の襲撃をかわすことの出来た栴檀だったが、事態が切迫していることに変わりはない。わけも分からず襲撃を受け、しかも長く(いくさ)をしていなかった護衛達は、襲撃者の内の一人が強力だった事もあって、その魔の手の進撃を許してしまった。

 

 予言あるいは未来視という特殊な力を持つ栴檀ではあるが戦闘力は皆無。性格も温厚で、深窓の令嬢という表現がぴったり当てはまりそうな雰囲気の十にも満たない女の子だ。ひどく怯えて動けなくなってしまった。

 

 もはや捕まるのは時間の問題。そこで一計を案じたのが傍らにいた九重だった。九尾の狐の十八番、変化の術と幻術で、自分は栴檀に化け、栴檀は別人に変化させたのだ。ひどく怯える栴檀を守ろうと、身代わりになる決意をしたのである。

 

 伊織にふさわしくなりたい、また早く母のようになりたいと、普段から頑張って鍛え続けたおかげか、卓越した術は見破られず目論見は成功した。襲撃者は、屋敷の奥に隠れていた二人を見つけ、栴檀に化けた九重を連れて行ってしまったのだ。

 

「わたくしは、おそろしくて何もできなくて……九重ちゃんは、大丈夫だと笑ってくれさえしたというのに……わたくしは……」

 

 嗚咽を漏らす栴檀。小さな体を更に小さくして全身から申し訳なさを醸し出している。隣の岩稜が心配そうに、そして歯噛みしながら栴檀を見つめた。彼女の護衛として守りきれなかったことに忸怩たる思いがあるのだろう。

 

「あの馬鹿娘が……」

 

 事情を聞き終わり、複雑な表情を見せて悪態を吐く八坂。妖怪の頭領としては、次期頭領としての自覚が足りないと怒るべきところではあるが、母親としては友の為に体を張れる娘が誇らしくもあったのだ。

 

 と、そこへ、ずっと黙っていた伊織から声が掛かる。

 

「八坂殿、よろしいですか?」

「む? どうしたのじゃ?」

「その襲撃者ですが……十中八九、悪魔です」

「なんじゃと? どうしてわかる」

 

 伊織の断言に、八坂のみならず栴檀と岩稜も驚いたように目を見開いた。

 

「九重にはイヤリングを預けてありますから……反応が冥界にあります」

「ああ、そう言えばそうじゃったな。ふむ、そうか、悪魔が……」

 

 栴檀達は首を傾げているが、八坂は納得したように頷いた。

 

 四年前、九重に貸したイヤリングは、未だ九重の手元にあった。返してもらおうとした事もあったのだが、同型のイヤリングをミクもテトもエヴァもお揃いで持っていると知って、「すわっ、これは妻の証かっ!」と考えた九重が頑として返そうとしなかったのだ。返してもらおうとすると、抱えたままその場で丸まって「嫌じゃーー!!」と叫びながら動かなくなるのである。

 

 ちなみに、蓮もイヤリングが欲しいとダダをこねて、危うく軽い天変地異が起きそうになったので、彼女にも渡されている。それが蓮のどういう感情から来ているのかは分からないが……

 

 そのイヤリングの反応を、栴檀の話を聞きながら解析した結果、次元を超えた先――冥界にあることを突き止めたというわけだ。

 

 難しい表情をする八坂に伊織が再び声をかけた。

 

「八坂殿。俺達が行きましょう」

「伊織……しかし……」

「今、この時期に、まさか八坂殿が冥界に乗り込むわけにはいかないでしょう。これから和平同盟を結ぼうという勢力相手に殴り込みは、今後の関係に遺恨を残しかねない。それに、詳しい場所は俺達しかわかりませんから、どちらにしろ俺達は行くことになります」

「確かに、の。大義名分はあるが、それでも冥界への侵入も悪魔への襲撃も魔王方に事後承諾となるのは、ちと不味い。出来れば避けたいのが本音じゃ……」

 

 それが八坂の悩ましいところ。母としては、「皆殺しじゃボケェ!!」と今すぐにでも殴り込みに行きたい。襲撃者が、栴檀の誘拐を企てたということは最近流行りの転生でもさせて手駒にすることが目的なのだろうと推測できる。それが娘の身に降りかかる前に助けたいのが本音だ。故に、悠長に悪魔側に面談を申し込んで、それから犯人を調査し、発見次第、九重を返してもらう等と言う悠長な事はしていられない。

 

 しかし、妖怪の頭領としては、娘一人と妖怪全体を天秤に掛けることは出来ない。いくら大義名分があっても、冥界に侵入された挙句、同族を潰されたとあっては、彼等の面子は丸潰れだ。ブライドの高い者が多い悪魔としては、八坂に対するしこりを残す者も多くなるだろう。足並みを揃えていかねばならない今後を考えると、望ましい方法ではない。

 

「九重が変化を解けば、まさか九尾の娘を手元に置こうとは思えんはずじゃが……この時期に、妖怪の頭領の娘を誘拐など、魔王が許すはずもない」

「しかし、それで素直に帰してくれると考えるのは楽観が過ぎるでしょう」

「そうじゃな。どう考えても、今回の一件、はぐれ悪魔か一部の悪魔の暴走じゃろう。機を読めず暴走するような奴等では、隠蔽を測りかねん」

 

 もちろん、その方法とは、臭いものには蓋をする――すなわち、殺してしまえということだ。生かして、襲撃犯が誰かを証言されるのは向こうも好まないはず。それでも、理性的な者なら今後の事を考えて咎めを覚悟で返還するだろうが……そんな曖昧な可能性に期待するわけにはいかない。

 

「ええ。ですから任せて下さい。幸い、俺は人間で、京都守護筆頭。奪われた平和の要を取り返す大義名分がある上、超常の存在達の同盟は関係がない。協会は、裏とは言え、あくまで警察的組織ですからね。他の組織と違って行動方針は明確で決して揺らがない。政治的にも問題は少ないです」

「……そう、じゃな」

「何があっても九重は無傷で連れ帰って見せます」

 

 強い眼差しで八坂を見つめる伊織。八坂は、その瞳の奥に激烈な炎を幻視した。完璧に抑えてはいるが、伊織が内心で憤怒していることが伝わってくる。例え人違いでも、大切な身内も同然の九重を拐かされて怒り心頭なのだろう。傍らのミク達も力強く頷いている。

 

「あ、あの、貴方が東雲伊織様ですか?」

 

 不意に、幼い声がおずおずと伊織を呼んだ。栴檀だ。

 

「ああ、そうだよ。俺の名は……もしかして九重が?」

 

 名乗った覚えはないのに、伊織の名前を言い当てた栴檀に伊織が確認する。栴檀は、この場に来て初めて、ほんの少しだけ笑みを見せた。

 

「はい。九重ちゃんが、何度も何度も話してくれました。伊織様は九重ちゃんの英雄さんなのだと。……連れて行かれる直前にも、伊織様が必ず助けに来てくれるから心配ないと。伊織様なら、九重ちゃんが何処にいても見つけてくれるから、そういう意味でも、連れて行かれるのは自分の方がいいと」

 

 それを聞いて、伊織達は揃って苦笑いを零した。どうやら、九重は、最初からイヤリングの存在を織り込み済みで誘拐されたらしい。本当に、ここ数年で随分と逞しくなったものだ。

 

「八坂殿。どうやら九重は俺を所望のようですよ」

「はぁ、帰ってきたら説教じゃ。全く、誘拐されながら惚気よるとは、我が娘ながら呆れるわ。母の存在を忘れておるのではないか?」

「ある意味、お前の娘らしいな。すっかり強かになりおって」

「ふふ、九重ちゃん、恋する乙女ですもんね」

「四番目の妻を公言するほどだからね」

「九重……頑張ってる」

 

 伊織の軽口に、扇子でペシッと額を叩いて呆れをあらわにする八坂。エヴァ達が、伊織にふさわしくあらんと日々努力する九重を思い浮かべて頬を緩める。

 

 八坂は、扇子を袂にしまうと、伊織達を真っ直ぐ見て頭を下げた。

 

「伊織よ。娘を頼む」

「俺の誓いに掛けて、必ず」

 

 伊織は気負いなく、されど不退転の決意を眼差しに乗せて頷いた。八坂は、伊織に頷き返すとミク達にも同じように頭を下げて九重の事を頼む。栴檀達も同じように頭を下げた。

 

 伊織達は、彼女達の信頼を込めた視線を背に、ベルカの光に包まれながら転移するのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 ビフロンス邸の一角にある部屋。窓のない無機質な雰囲気のその場所に、現在、栴檀に化けた九重が拘束された状態で寝転されていた。

 

 そんな彼女の前には、フルコニスとその眷属、そして息子のブーメルスがいた。フルコニスは満足気な表情で、ブーメルスはニヤニヤとした嫌らしい笑みを浮かべている。

 

「ホーガン、向こうにはばれていないだろうな?」

「はい、主。痕跡は残しておりません。既に、適当な“はぐれ”も見繕っておりますので、お披露目しても問題ないでしょう」

 

 ホーガンと呼ばれた男はフルコニスから女王の駒を受け取っているもので、大戦期から彼に仕えている腹心の部下である。この男が、九重誘拐の指揮をとっていたのだ。その実力は、余裕で上級クラス。大戦を生き抜いた猛者である。

 

 悪魔であると悟らせずに襲撃を行い、適当なはぐれ悪魔に罪を擦り付けて、ビフロンス家がたまたま助けたという事にする計画だ。そして、それを恩にきた栴檀がブーメルスの眷属に自らなった、という筋書きである。

 

 もちろん、はぐれ悪魔からばれないように手は打ってあるし、栴檀に対しても意識を縛るつもりではある。いわゆる洗脳のようなものだ。取り敢えず、パーティーではボロが出ないようにお披露目だけしたら、何も話させずに控えさせ、その後改めてじっくり時間を掛けて意識を誘導していくつもりである。

 

 悪魔が犯人だという確証がない以上、この時期に妖怪側も強引な捜索は出来ないはずで、栴檀の話が伝わる頃には、既に栴檀自らブーメルスの眷属を望むという具合だ。十歳にも満たない戦闘力皆無の妖怪が、知らぬ場所で一人、不安と恐怖に苛まれる中で、甘言と誘惑の他、魔法を併用した意識操作を繰り返されれば容易く“堕ちる”とフルコニスは考えていた。

 

「いい仕事だ、ホーガン」

「お褒めに預かり光栄です、主」

「んなことより、さっさと俺の眷属にしちまおうぜ? 反抗できないように枷も付けるんだろ? それは俺にやらせてくれよな。俺の奴隷になるんだし」

 

 フルコニスとホーガンが会話している端で、ブーメルスが卑しい笑みを浮かべながら九重を見る。“奴隷”――ブーメルスにとって眷属とは、つまりそういう存在なのだろう。その手にはネックレスのようなものが持たれており、鎖の部分を持ってくるくると回している。それが、九重の意識を縛るか誘導するための道具なのだろう。

 

「……お前という奴は。お前の為に有能な人材を連れてきてやった父に一言もなしか」

「ふん、本当に有能かどうか怪しいぜ。こんなガキに何が出来るってんだ」

「仕方ないだろう。子供でなければ、短期間での洗脳は難しいのだからな。これでも、和平会議の後で、危ない橋を渡っているのだ。なぜ、そんな事もわからんのだ」

「はいはいはいはい、俺はなんにも出来ない落ちこぼれですよ。こんな出来損ないの為にわざわざ有難うございます、ち・ち・う・え」

 

 フルコニスは、ブーメルスの態度に溜息を吐く。しかし、当のブーメルスは特に気にした様子もなく、倒れている九重に近寄っていった。そして、その小さな体躯を軽く蹴って仰向けにさせると、どこからか取り出したチェスの駒を手で弄び始める。

 

「キハハハ、目を覚まして自分が悪魔になっちまってるって知ったとき、こいつはどんな顔をしやがるんだろうなぁ?」

 

 そんな事を言って歪んだ喜びをあわらにするブーメルスは、手に持つイーヴィル・ピースを意識のない九重に使用した。

 

 途端に部屋を満たす光。それは転生の光。イーヴィル・ピースがずぶずぶと九重の胸に沈んでいき、その妖怪としての体を作り替えていく。己の体を駆け抜ける言い様のない違和感に、九重の闇に沈んでいた意識が浮上を始めた。

 

「ん…うぅ……んぁ…な、なんじゃ……」

 

 九重が、霞みがかった様な判然としない意識を覚ますように頭を振る。そして、広がっていく違和感に、困惑したような呟きを漏らした。

 

 しかし、困惑の度合いなら、ビフロンス家の面々の方が遥かに大きかったに違いない。

 

「な、何だ……これは一体、どうなっている!? ホーガン! 貴様、一体、何を連れて来た!」

「あ、主。私は確かに、資料にあった子供を……」

「……まじかよ……なぁ、ホーガン、件っていやぁ牛の妖怪だろう? ……こいつ、どう見ても狐なんだけど? しかも、尾が九つもありやがる」

 

 そう、彼等が困惑をあらわにする理由は、転生の儀式によって九重の変化の術が解けてしまい、その正体が知れてしまったからだ。これには、軽薄で浅慮なブーメルスも頬を引き攣らせて、思わず父親を見た。

 

 そのフルコニスはというと、まさに苦虫を百匹くらい噛み潰したような表情。理由は、言わずもがな。九重が妖怪の頭領の娘であると理解したからだ。和平会議の後で、他勢力のトップの身内を襲撃――冗談にしては笑えない。

 

 どうすべきかと、若干、混乱する頭を必死に回転させつつも沈黙を続けるフルコニスと、俺のせいじゃないとでも言うように、視線をあらぬ方へ向けるブーメルス。

 

 そんな誘拐犯達が困惑により作り出した時間で、九重もまた状況を把握した。

 

 そして、自分という存在が、既に妖怪ではないという事を察して愕然とする。誘拐犯と対面次第、正体を明かして自分に手を出せば、妖怪勢力と敵対することになるし、それは魔王も望むところではない――というロジックで解放を交渉しようと思っていたのだ。

 

 仮に、交渉が上手く行かなくても、伊織が自分の誘拐を知って助けに来ないわけがないと信じていた。なので、交渉自体を時間稼ぎに使おうとも考えていたのだ。

 

 なので、まさか、意識を取り戻す前に手を出されるのは計算外だった。この辺りが、まだまだ八坂には及ばないところではある。

 

 その敬愛する母親と違う種族になってしまった。妖怪である事に、幼いながらも矜持を持っていた九重にとって、それは途轍もない衝撃だった。打ちのめされたと言ってもいい。いつの間にか背中から生えたコウモリのような翼に、体に感じる違和感に、九重は心を刃物で切り裂かれたような痛みを覚えた。自然と、涙腺が決壊しそうになる。

 

 だが、そこで思い浮かぶのは一対の瞳。“呼べば助けに来る”そんな御伽噺のような約束を交わしてくれて、守り抜いてくれた者、九重の想い人――伊織の不屈を宿した瞳だ。

 

 彼の隣に在りたいと、そう願った自分が、こんなところで折れるわけにはいかない。それでは、伊織の傍に寄り添う素敵な先輩達に並び立つ事など出来ようはずもない。

 

 九重の心に炎が灯る。決壊寸前だった瞳にも力が宿った。

 

「主等……悪い事は言わん。九重を解放し、大人しく罰を受けよ」

「……なんだと?」

 

 いきなり話し始めた九重に、フルコニスの目元がピクリと反応する。

 

「九重が妖怪のままなら、まだ、やりようはあったのじゃ。しかし、こうなってはもはや手遅れ。主等の愚行は隠しだて出来ん。なぜなら、既に九重が拐かされた事も、それが悪魔の仕業である事も母上に伝わっているはずだからじゃ。故に、主等に出来ることがあるとすれば、悪魔と妖怪の関係が致命的になる前に、自ら罪を償うことだけじゃ」

「……」

「主等、見たところ悪魔の貴族であろう? ならば、今の時期に九重を拐かした事がどれほど問題かわかっているはずじゃ。貴族の矜持が少しでも残っているなら、悪魔の未来を少しでも想えるなら、その身を持って贖うのじゃ」

 

 幼い九重から、まさか政治的な話が飛び出るとは思いもしなかったフルコニスは、僅かに目を見開く。確かに、転生させてしまった九重の事や和平会議の行く末を思えば、九重の言う通りにすべきだろう。一介の妖怪なら兎も角、九尾の娘はそれだけ不味いのだ。

 

 そして、その話の信憑性も、九重の聡明さと変化の術で騙されきった事を思えば、偽りであると断定することは出来なかった。

 

「母上には、九重が執り成さそう。既に、悪魔側から会談の打診は来ておる。その席で、九重の事を問題にせぬようにとな」

「……この状況で、言葉にするのが恨み辛みでも泣き言でもなく、それとはな。その年で、よくもまぁ……流石は、九尾の娘といったところか」

「世辞はいい。さぁ、早く九重を解放するのじゃ。さもなければッひぐぅ!?」

「ブーメルスっ!?」

 

 九重が息を詰めたような悲鳴を上げる。それは、話している途中で、ブーメルスがいきなり九重の腹部を蹴りつけたからだ。息子の凶行に、フルコニスも思わず驚愕の声を上げる。しかし、当のブーメルスはフルコニスを無視して、苦痛に顔を歪める九重の髪を無造作に掴み上げた。

 

「小便くせぇガキの分際で、誰に向かって口聞いてぇんだ? あぁ? 九尾の娘だか何だ知らねぇが、偉そうに指図してんじゃねぇよ! ぶっ殺すぞ!」

「ッ……主……状況がわかっておらんのっあぐ!?」

「だからよぉ、口の利き方に気をつけろって言ってんだろうがぁ。貴族の矜持だの悪魔の未来だの、そんなクソくだらねぇ事なんざぁどうでもいいんだよ」

 

 今度は、ブーメルスの平手打ちが飛んだ。ブーメルスが暴挙に出た理由は単純。ただ、自分より遥かに小さく弱い九重が、自分より優れている事を察したから、それだけだ。

 

 その言葉通り、彼にとって貴族の矜持だの悪魔の未来だのはどうでもよかった。そんな事に思いを巡らせるには、彼は擦れすぎていたし、愚か過ぎた。その才覚に伴わない家柄と、許されてきた甘え、そして、どこからともなく聞こえてくる自分への低い評価と、相反する高い評価を得ている若手達の噂。それが、彼をとことん自己中心的な自分に仕上げていた。

 

 もっとも、悪魔の中には、ブーメルスより遥かに才能がなくても努力で周囲の誹謗中傷を叩き潰し、今や若手ナンバーワンと言われるまでになった者もいるので、全く同情には値しないが。

 

「ブーメルス……それぐらいにしておけ」

 

 見かねたフルコニスが制止の声をかける。しかし、ブーメルスは不機嫌そうな表情を向けるだけだ。

 

「おいおい、親父。まさか、こんなクソガキの言う事に黙って従う気じゃねぇだろうな? えぇ? 普段から口にしている由緒ある高貴な悪魔がそんな事でいいのかよ?」

「……調子に乗るな、愚か者。一介の妖怪をさらうのとはわけが違うのだ。和平会議への影響が強すぎる……」

「ですが、主。これがビフロンス家の仕業だと魔王様のどなたかに知られれば家は取り潰し必至……最悪は、命も……」

 

 苦い表情をするフルコニスにホーガンが悲痛な表情を見せる。そんな二人に、ブーメルスが事も無げに言う。

 

「けど、こいつの言っている事が本当かわからねぇじゃねぇか」

「……そう言えば、悪魔の襲撃だということは知られているといったが、ビフロンス家の仕業とは言わなかったな」

 

 フルコニスの完全に冷静さを取り戻した怜悧な眼差しが九重を貫く。九重は、咄嗟に誤魔化そうとするが、フルコニスには、その一瞬の間で十分だったようだ。

 

「なるほど、悪魔の仕業とは分かっていても、我が家とは分かっていないか」

「へっ、なら、さっさと殺しちまおうぜ」

 

 九重が、必死に言葉を発しようとするが、ブーメルスがもう戯言は聞かないと言わんばかりに、九重の髪を捻り上げ、その痛みで黙らせた。

 

「まぁ、待て、ブーメルス。今すぐここで殺すのは不味い。用意した“はぐれ”に、別の場所で殺らせる。……そうだな、時間的にパーティー中がいいだろう。目を逸らすには絶好の機会だ」

「チッ、面倒くせぇ。今すぐ、ぶっ殺してやろうと思ったのによぉ」

「万一があっては困る。理解しろ、ブーメルス。それと、その洗脳用の魔具は念のためつけておけ。我等の目をも欺いたのだ。他にどんな術を持っているかわからん、意識を縛っておく事に越したことはない」

「へいへい、わーたよぉ」

 

 抵抗する九重を乱暴に押さえつけ洗脳用のネックレスを付けようとするブーメルス。その手が、既に九重の首にかかっていたアクセサリーに気が付いて一瞬止まる。そして、邪魔だとでも言うように一気に引きちぎってしまった。

 

「何だこりゃ?」

 

 ブーメルスは訝しげに首を捻る。ネックレスチェーンの先にイヤリングが付いていたからだ。

 

「か、返すのじゃ。それは、九重の……」

「大切な物ってか? キハハ、でもよぉ! これから惨たらしく死ぬ奴にはいらねぇよなぁ」

「だ、ダメじゃ! 返しッ!?」

 

 伊織から貰った大切なイヤリング。九重は、必死に取り返そうと言葉を紡ぐが、その目の前で、ブーメルスはイヤリングを踏みつける。生意気な九重に、更なる絶望を突きつけてやろうという下衆な発想だ。

 

 しかし、このイヤリングは異世界のロストロギア。踏みつけくらいで壊れる程やわな構造はしていない。案の定、ブーメルスの足の下からは無傷のイヤリングが現れた。それにホッとする九重。ついで、激烈な怒りが湧き上がって来た。その感情を余すことなく瞳に込めてブーメルスを睨む。

 

 それが気に食わないブーメルスは、九重を足蹴にすると、イヤリングを自分の懐にいれた。返してやるつもりはないという意思表示だ。そして、問答無用に、洗脳用ネックレスを九重の首にかけた。

 

 途端、九重の意識は霞に覆われて判然としなくなる。瞳は虚ろとなり、抵抗を無くしてしまった。そんな茫洋とした九重を一瞥すると、ブーメルスは「ふんっ」と鼻を鳴らし、そのまま部屋から出て行った。

 

 フルコニスも、深い溜息と、苛立ちの含まれた眼差しで九重を見たあと、ホーガンに後の手配を任せて部屋を出て行った。

 

 そのまま結界の張られた部屋にポツンと取り残された九重。時間が来れば、どこかに連れて行かれて“はぐれ悪魔”によって殺される事になる。

 

 しかし、今は、そんな焦りすら感じられない。それでも、虚ろな瞳の九重は、ポツリと零すように呟いた。

 

「……伊織」

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 冥界はグレモリー領。その端の方の広大な森の中に、一瞬、光が奔った。

 

 それはベルカ式転移魔法の光。正三角系の魔法陣が木々に囲まれた小さな空き地に人影が四人現れる。

 

「周囲に敵影なしっと」

「結界のせいで、転移魔法の座標がずれないか心配でしたけど、大丈夫みたいですね」

「だね。まぁ、直接、イヤリングの場所に転移できれば、それが一番よかったんだけど……」

「贅沢言っても仕方あるまい。流石に、会場に直接転移を許すほど甘くはないだろう」

 

 耳を澄ませて気配を探る伊織の言葉に、ミクとテトが肩を竦め、そしてエヴァが苦笑いした。

 

 最初は、イヤリングの元へ直接転移しようとしたのだが、結界が強すぎて難しかったのだ。どうして、そんな強力な結界が、と少し調べた結果、魔王主催のパーティーが開催されていると突き止めた。それなら特別、強力な結界があるのも頷けるので、会場の外れに転移することにしたのだ。

 

「まぁ、そうだろうな。ここまで侵入を許した時点であちらさんは面木丸潰れだろうが」

「……そんなのどうでもいい。九重は取り返す。邪魔者は皆メッコメコにする」

「ケケケ。蓮ガ言ウト冗談ニ聞コエネェナ」

 

 ふんふんっと鼻息荒く、シャドーボクシングする蓮。纏っているのが白ジャージなので、そんな姿が妙に似合う。蓮は九重と仲が良いので、相当頭にきているようだ。しかし、蓮の正体を知られるのは色々と不味いので、伊織は釘を刺しておく事にした。

 

「蓮、メッコメコでもボッコボコでも何でもいいが、正体だけは晒すなよ? 上手くドラゴンの力は隠してくれ。練習通りにな。魔王の主催するパーティーに、九尾の娘を助けるため、カオス・ブリゲードのトップが乗り込んで来るとか……どんな誤解されても仕方ないからな。八坂殿が自制してくれた意味がなくなる」

「……おk。魔法を捨てて、物理で殴る。問題ない。我のレベルは既にカンストしてる」

「……すっかり現代に馴染んじまって」

「こんな龍神様は嫌だ! とか言われそうですね」

「今やニ〇ニ〇世界でも“神”だものね」

「三大勢力やカオス・ブリゲードも、まさかネット世界を席巻する“龍神p”が本物だとは思わないだろう……」

 

 そんな馬鹿な話をしながらも、伊織達は、森の上に顔を覗かせている天を衝くような超高層高級ホテルを目指して走り出した。イヤリングの反応はホテル内から動いていない。九重はそこにいるのだ。今も、伊織達の助けを待っている。

 

 軽口を叩き合いながらも、全員、その瞳には激烈な炎を宿している。そんな伊織達の前に、人影が飛び出してきた。

 

「貴様等! なにもッぐぺ!?」

「止まれぇ! さもなゴパッ!?」

 

 悪魔の警備員達だ。それを会話することもなく瞬殺する伊織達。

 

「さて、これで気付かれたな。みな、正面から叩き潰して、九重を取り返すぞ」

 

 伊織の号令に、彼に寄り添う家族達が一斉に応えた。

 

 冥界の夜に、奪われた大切な者を取り返すため、異世界の英雄達と無限の龍神がその牙を光らせるのだった。

 

 

 

 




いかがでしたか?

幼女になんて事をっ
……前も同じような事があったような。
九重は世界一、ピンチに陥りやすい幼女かもしれません。ヒロイン体質ですね。

さて、前回、原作には時折関わると言いましたが、オリジナル展開が基本はちょっと考えるのがキツイと判明……なので、原作を基本にオリ展を入れる感じにしました。即行で変更してすいません。

あと、神器について、
生まれ月の差で、伊織の父が死んでから一誠に宿ったという感じで一つご納得お願いします。
基本、ノリで書いているので、きちんと設定を考えていなかったり……その辺はご勘弁願えると嬉しいです。
チャチャゼロを筆頭に神器持ってる理由とか説明できねぇ……でも、あった方がロマンはあると思います。


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第42話 カチコミ

 

 

 魔王主催のパーティーは中々の盛り上がりを見せていた。

 

 豪華絢爛な装飾に、見るからに美味そうな料理の数々。流れる音楽に合わせて楽しげに踊る者もいる。規格外の大きさを持つ超高層高級ホテルの上階にある会場には、溢れるほどの悪魔達でごった返していた。

 

 その中には当然、グレモリー眷属やバアル眷属、アガレス眷属、シトリー眷属などのルーキーズ・フォーを始めとした若手悪魔達や、四人の魔王を筆頭に旧家、名家の上級悪魔達も大勢いた。ちなみに、堕天使の総督は、さっそくカジノで夢を追っていたりする。

 

 談笑しつつ、さり気なく己の家の自慢話に花を咲かせるのは貴族のどうしようもない(さが)というやつだ。その内の一人、フルコニス・ビフロンスも酒を片手に他家への挨拶回りを行っていた。

 

「いや、全く、グレモリー殿を筆頭に、近年は本当に若手が豊作ですなぁ。悪魔の未来も安泰というものだ。家の息子も、彼等くらい出来が良ければ……」

「まぁまぁ、ビフロンス殿。ルーキーズ・フォーと比べれば、どの若手も霞みますよ」

「ですな。グレモリーの姫君など赤龍帝まで手に入れて……まぁ、悪魔全体で考えれば喜べるというものです」

 

 フルコニスが溜息を吐きながら、遠くで悪魔の令嬢達にちょっかいをかけている息子を見る。それに合わせて、他の悪魔のお偉方は肩を竦めたり、苦笑いしながらフルコニスを慰めた。実はその息子の株を上げようと裏でとんでもない事をしでかしたという事実を知れば、彼等の態度も一変するだろうが。

 

 そろそろ九重の始末を終える頃だろうかと考えながら、そんな物騒な事は微塵も顔に出さずに談笑していると、にわかに会場の外が騒がしくなった。

 

「何事だ?」

「まったく、パーティーに水を差しおって」

 

 口々に文句を言いつつ、会場を入口となっている巨大な扉に視線を向けた悪魔達。そこへ、複数人の警備服を纏った悪魔達が息せき切って駆け込んで来た。

 

「ほ、報告します! 侵入者あり! 真っ直ぐ、こちらに進撃しております!」

 

 その情報に眉を潜める悪魔の面々。それを制圧するのがお前等の仕事だろう、と。

 

「そんな報告をしに来る前に取り押さえろ。一体どれだけの警備を置いていると思ってる」

「まったく、警備主任は何をやっているんだ。わざわざ会場全体に報告させるとは……」

 

 確かに、侵入者があったとしても、それは警備がどうにかすればいい話であるし、まして会場で大声を出して報告するなど論外だ。

 

 仮に、会場にいる強力な悪魔の誰かに報告すべきだと判断したとしても、それはこっそり耳元で言うべきであって、わざわざ会場に混乱やら困惑をもたらすなど非常識を通り越して処罰を与えるべき愚行である。

 

 しかし、それは、敵が“並み”の場合の話だ。今、並み居る悪魔の警備達をぶっちぎり、とんでもない勢いで進撃している者達の事を思えば、確かに、会場に“報告”ではなく“警告”を出し行かせた警備主任の判断は英断だったと言えるだろう。

 

 会場の中でも、それを察した者が幾人かいたようだ。スっと眼を細めて詳しい状況を問い質そうとした――その瞬間、

 

ドォゴォオオオオオン!!!

 

 そんな轟音と共に巨大な閃光が扉の奥の廊下を呑み込み崩壊させた。

 

 何事かと目を見開く悪魔達の眼前で、強制的に吹き抜け構造にされたホテルの階下から五人の人影と一体の小さな人形が飛び出してきた。

 

 言わずもがな、伊織、ミク、テト、エヴァ、蓮、チャチャゼロである。

 

 伊織達の表情は厳しい。それは、決して悪魔の警備網を抜けてきた事が厳しかったからではない。ホテルに入ってしまえば嫌でも分かること。イヤリングの反応を確かに会場内に捉えているのに、その持ち主であるはずの九重の気配が全く感じられないからだ。

 

 最悪の予想が脳裏を過ぎった伊織達に、もはや乗り込んだ先で犯人を追求し魔王に処断を迫るなどといった余裕のある対応は出来ない。一刻も早く、九重の安否を確かめなければならないのだ。何より、きっと抵抗したであろう九重からイヤリングを取り上げた輩に対して、燃え盛る憤怒の炎が伊織から容赦というものを奪っていた。

 

 周囲の悪魔達を全く気にせず、伊織が真っ直ぐ歩みを進める。その激烈な意志を宿した鋭い眼光は一点を睨みつけて全く離れなかった。その先には、イヤリングの反応を懐に忍ばせる軽薄そうな悪魔の姿――ブーメルスがいる。

 

 ブーメルスは、伊織と眼が合った瞬間、心臓を鷲掴みにでもされたかのような猛烈な恐怖に襲われた。思わず「ひっ」と悲鳴を上げて後退る程に。

 

 ミク達は、伊織を先頭にすぐ傍らを同じく怒りを宿した冷たい表情で追従する。

 

「こ、この、止まれぇええええ!!」

 

 先程、会場に警告に現れた警備の悪魔達が一斉に魔力弾を放とうとした。

 

 それに対するは伊織の一言。

 

「万象貫く黒杭の円環」

 

 直後、魔力弾が放たれるより早く直撃した黒杭の群れが彼等を一瞬で石化させてしまった。彫像と化した警備員達の間を何事もなかったかのように進む。

 

 入口付近にいた悪魔の一人が、伊織が真横を通り過ぎようとした瞬間に、魔力を宿した拳を振るおう迫った。が、それに対する対応も一言。ただし、今度は可憐な声で。

 

「凍てつく氷柩」

 

 それで終わり。強襲した悪魔は一瞬で氷の柩に包まれて物言わぬ美術品と化した。エヴァの放った氷系西洋魔法だ。そして、やはり何事もなかったように真っ直ぐ突き進む伊織達。

 

 そこまで来て、漸く、侵入者がよりにもよって魔王すらいる会場に正面から堂々と侵入――いや、進撃して来たのだと悪魔達の頭は認めたようだ。一斉に、不埒で豪胆な襲撃者を排除しようと身構える。

 

 まず、途轍もない闘気を纏いながら、情け容赦ない強襲をかけたのはサイラオーグ・バアル、その人だった。

 

 その突進は神速とも言うべきものであり、今にも伊織に対して振るわれんとしている拳は戦車砲が玩具に思えるほど。

 

 誰何の言葉もなく、和を乱した者への問答無用な一撃。気迫、覚悟、決断力、いずれも若手という立場を逸脱した超一流のそれ。しかし、相手が悪かった。

 

ズシンッ!!

 

 そんな局地的な地震かと錯覚するような衝撃を撒き散らしながらも、巨岩のような拳を正面から受け止めたのは、小柄な栗毛の少女。いつの間にか伊織の横に移動しており、その小さな手の平と体躯で、しかし、微動だにせずサイラオーグの拳を受け止めていた。

 

 驚愕に眼を見開くサイラオーグに、蓮はポツリと零す。

 

「……いいセンス。でも、今は邪魔」

「っ!?」

 

 そんなネタ言葉と共に、受け止めたのとは逆の手が拳を作る。サイラオーグのそれに比べれば豆粒のような大きさ。されど込められた力の大きさは、それこそ底の知れない“無限”。質も量もわからずとも粟立つ肌が、けたたましく鳴り響く本能の警鐘が、サイラオーグに無意識レベルで全力の防御と雄叫びを上げさせた。

 

「ぬぅおおおおおお!!!」

 

 サイラオーグが咄嗟に引き寄せた腕に直撃した蓮の拳は、そのまま彼の強靭な肉体と途轍もない密度の闘気を破って骨を粉砕し、肉体内部までダメージを与えて一気に会場の壁まで吹き飛ばした。

 

 再び鳴り響く轟音。壁が放射状に粉砕され、空いた大穴の奥にサイラオーグの姿が消える。

 

 一方、サイラオーグの突進と同時に、もう一人の神速が伊織に飛びかかっていた。彼の名は木場祐斗。グレモリー眷属の最速の騎士。

 

 傍らで、侵入者の一人の翠髪ツインテールに見覚えがあったリアスと一誠が、思わず制止の声を掛けようとしたが間に合わず、既に彼の姿は伊織のすぐ近くまで急迫していた。

 

 しかし、その眼前にヴォ! という空気を破裂させるような音を響かせて、祐斗ですら認識しきれなかった速度でミクが現れる。

 

「ごめんなさい。でも、今は邪魔です」

「っぁあああ!!」

 

 その言葉と共に繰り出された剣戟は九つ。

 

――飛天御剣流 九頭龍閃

 

 剣術の基本である九つの斬撃――唐竹、袈裟斬り、右薙ぎ、右斬り上げ、逆風、左斬り上げ、左薙ぎ、逆袈裟、刺突を同時に行う防御・回避共に不可能と言わしめた必殺技である。

 

 両手に聖魔の剣を構えていた祐斗は、閃光となって襲い来た有り得ない斬撃の嵐に、絶叫を上げながら必死の形相で凌ぐ。しかし、如何に神速を唄うナイトと言えど、速度ならミクにも自負がある。しかも、剣術に費やした時間、経験では圧倒的に上。故に、完全に防げる道理などない。

 

 幸いなのはミクが鞘付きのままで放った事。祐斗の体は血飛沫を上げることなく、されど骨を砕く無数の衝撃に息を詰まらせてサイラオーグとは反対側の壁に吹き飛んだ。それを、同じ眷属である白髪の猫又少女がどうにか受け止める。ぐったりする祐斗に慌てて金髪少女――神器【聖母の微笑】を持つアーシア・アルジェントが駆け寄った。

 

 正眼の構えで残心するミクの背後から、僅かに遅れてグレモリー眷属第二の騎士が肉薄した。青い髪を靡かせて、地すら割らんと剛剣を上段より振り下ろす。

 

 それに対し、ミクは振り返ることもなく、持ち手を柄から鞘にスっと持ち変えると、脇下したから背後へ向けて鍔を弾き飛ばした。

 

――飛天御剣流 飛龍閃

 

 鞘より凄まじい勢いで飛び出した無月は、さながら弾丸のよう。余りに予想外の攻撃方法に、攻撃中という事もあってゼノヴィアは反応する事も出来ず、強烈な一撃を鳩尾に叩き込まれた。挙句、突進の勢いを相殺され一瞬、硬直してしまう。

 

 それは致命の隙。気が付けば、いつの間にか振り返っていたミクの回し蹴りが全く同じ場所に叩き込まれていた。

 

「がふっ!?」

 

 空気を強制的に吐き出されながら吹き飛ぶゼノヴィア。巻き込むように蹴られた為、向かう先は祐斗と同じ。子猫が戦車の特性を発揮しながら、慌ててゼノヴィアを受け止める。

 

 そんな彼等には見向きもせずに、ミクは、くるくると回りながら落ちてきた刀を直接鞘で受け止め納刀した。

 

 仲間がやられた事で表情を険しくしたリアスと一誠も、伊織達への攻撃を決意する。一誠が神滅具【赤龍帝の籠手】を顕現させながら突っ込んだ。

 

「てめぇ! よくも木場とゼノヴィアをぉおおお!!」

 

 一誠の雄叫びに合わせて、リアスが滅びの魔力を乗せた魔力弾を、朱乃が雷を放つ。彼女達以外の若手悪魔と眷属も魔力弾を放った。

 

 と、その直後、

 

ドパァアアアン!!

 

 一発の銃声が鳴り響くと共に、全ての攻撃がボバッ! と音をさせて霧散する。

 

――念能力 拒絶の弾丸

 

 テトの放つ念能力により分解の力を付与された弾丸だ。直撃した対象を問答無用に粒子サイズまで分解してしまう。一日五発までしか撃てなかったこの念能力も、百年以上の研鑽の末、撃たなかった弾丸をストックできるようになった。

 

 伊織が転生している間の数十年。ほとんど使わなかった事もあり、ストックはたっぷりあるので実質撃ち放題。能力の合わさった彼女の精密弾幕を突破するのは至難である。その理不尽な光景は、まるでバアル家の滅びの力のようで、誰もが眼を見張った。

 

 全ての攻撃が消え去った事に驚きをあわらにしつつも、【赤龍帝の籠手】でブーストした巨大な力を伊織に振るおうとする一誠。

 

「二人の仇ぃいい!!」

「イヤ、死ンデネェダロ」

「うぉ!?」

 

 その真横にチャチャゼロが大剣を振りかぶった状態でツッコミを入れつつ出現した。そして、炎を纏った剣戟【紫電一閃】を放つ。咄嗟に、籠手でガードした一誠だったが、威力までは殺せず、小猫のいる場所に重なるように吹き飛んだ。小猫が、計三人分の衝撃を連続で受けて苦しそうに呻く。

 

 この間、ただの一度も歩みを止めず、襲い来る者達を一瞥すらしない伊織。その歩はまさに進撃、その姿はまるで王のようだ。

 

 知らず後退る己の脚を叱咤して、それでもここには数百柱もの悪魔がいる、魔王様がいる、恐れることなど何もない! と一斉攻撃を仕掛けようとした悪魔達。

 

 そこで、パーティー会場を戦場に変え、有望な若手悪魔を蹂躙する王が遂に行動に出る。

 

 その手に取るは黄金の煌めき。愛機たるセレスが姿を変えたバリトンサックスだ。コートの端をはためかせ、バリサクを構えた伊織は、その場で大きく仰け反る。同時に、ヒュゴォオ!! と有り得ない音を響かせて膨大な量の空気が伊織の肺を満たし、胸部がググッと膨らんだ。

 

 そして、余すことなく、一滴の漏れもなく、肺の中の空気をバリサクに吹き込んだ。

 

 刹那、鳴り響く轟音。

 

 天から音が落ちて来た――そう錯覚するような大瀑布の水圧の如き音の暴威。秒速三百四十メートルで駆け抜けたすこぶる付きの超衝撃超音波は、伊織の行動に嫌な予感を覚えた勘のいい悪魔以外、全ての悪魔の脳髄を揺さぶった。

 

 一応の手加減はしてある。しかし、それでも会場にいた八割以上の悪魔達が、白目を剥き耳や鼻から血を滴らせて崩れ落ちる。彼等の意識は既に闇の中だ。

 

 無事だったのは、魔王方四名と最上級と目される悪魔達、そして、今しがたふらつきながらも瓦礫の奥から姿を現したサイラオーグと伊織が意図して衝撃を和らげたビフロンス家の面々だ。

 

 それ以外は、辛うじて意識を保っている者もいるが衝撃超音波によって一時的に視覚を奪われてしまい、また平衡感覚も失っているので力なく横たわったままである。

 

「ソーナたん!」

「ほぅ、これはまた……リーアも一応無事のようだが」

 

 流石に悪魔の八割が瞬殺された挙句、その中には最愛の妹が入っている事に魔王である二人、セラフォルー・レヴィアタンとサーゼクス・ルシファーが揃って身を乗り出す。もっとも、その理由はそれぞれ違うようだが……

 

「サーゼクス様、私が……」

 

 サーゼクスの後ろに控えていた銀髪メイド服の女性――サーゼクスの女王グレイフィア・ルキフグスが進言する。サーゼクスもそうだが、彼女もまた伊織の正体を神滅具【魔獣創造】の使い手であると看破していた。未だ、発動はしていないとはいえ、これ以上暴れる前に制圧しておこうというのだろう。

 

 しかし、それは叶わなかった。グレイフィアが進言と共に一歩進み出ようとしたその瞬間、意図せず体が硬直したからだ。

 

「ッ!!? これは……」

「まぁ、落ち着け。お前達に出られては事態が面倒になる」

 

 突然響き渡る可憐な声音。

 

グレイフィアが体の自由を奪われた驚愕と共に視線を足元に巡らせ、更に驚きを重ねた。

 

  それは、咄嗟に振り返ったサーゼクス達も同じだった。無理もないだろう。魔王たる自分達が、そして、かつてサーゼクスと互角の戦いを繰り広げたグレイフィアが背後を取られたのだ。しかも、その方法が、グレイフィアの影からズズズッとせり出てくるという方法なのだから。

 

「君は……」

「お初にお目にかかる。魔王方。私の名はエヴァンジェリン・A・K・東雲。エヴァンジェリンとでも呼んでくれ。取り敢えず、我が夫が目的を果たすまで下手な事はしないでもらおう。なに、その方がお前達のためでもある」

 

 魔王を前にして不敵な笑みを浮かべながら堂々と名乗りを上げるのみならず、要求まで突きつけるエヴァに、サーゼクスは苦笑いをする。片手で、今にもソーナのために飛び出しそうなセラフォルーを制止しながらエヴァへ話しかけた。

 

「これはご丁寧な名乗りを……知っての通り、私は魔王の一人を務めさせてもらっているサーゼクス・ルシファーだ。色々聞きたい事があるのだけど、取り敢えず、グレイフィアはどうしたのかな?」

 

 グレイフィアは、彼の女王であるが同時に妻でもある。余裕そうな笑みを見せているが、その瞳の奥には凍えるような冷たさがあった。並みの者なら、視線を向けられただけで卒倒するかもしれない冷たさだ。

 

 しかし、今更、その程度の事で怖気づくような可愛い肝っ玉をエヴァは持ち合わせていない。サーゼクスに笑みを返しながら説明しようとする。が、その前に、グレイフィアが話しだした。

 

「サーゼクス様。どうやら極細の糸のようなもので神経を乗っ取られたようです。解除は可能ですが……」

 

 グレイフィアの視線が、サーゼクスを通り越して目的地にたどり着いた伊織に注がれる。言外に、テロにしては真正面からの襲撃だし憤怒は感じられても悪意が見られず、また、悪魔が一人として死んでいない事から、エヴァの話を聞くべきではないかと進言しているのだ。

 

「ふむ、問題ないなら構わない。私も彼の事は気になっていたんだ。少し様子を見ようか。どうやら、彼はひどく怒っているらしいね。一体、彼の視線の先にいる悪魔――確かビフロンス家の跡取りだったか……彼は【魔獣創造】に一体何をしたのかな?」

「理性的な判断に感謝しよう。私達の目的だが、単純だ。奪われた大切な者を取り返しに来た。それだけだ……」

「……それはそれは……」

 

 エヴァの言葉に眉を潜めたサーゼクスの呟きと共に注がれた視線の先では、ちょうど、伊織がブーメルスに腹パンを決めているところだった。

 

 

 

 

 エヴァが、魔王達を牽制している頃、伊織は、ブーメルスの間近いところまで迫っていた。そこへ、目や耳、鼻から血を垂れ流し、左腕をあらぬ方向に曲げたサイラオーグが割り込み仁王立ちした。

 

「何が目的か知らんが、ここは悪魔の領域だ。これ以上、好き勝手はさせんぞ」

 

 そう言って、凄まじい闘気を発する。それだけで彼を中心に床が放射状にひび割れ吹き飛んだ。怪我を負いながら、それでも戦闘の意志は微塵も揺らがない。いや、むしろ尚上昇していっているようだ。守るべきもののために、不退転を心に宿す。見上げた武人である。

 

 伊織は、憤怒の念はそのままに、心地よい真っ直ぐな闘気を放つサイラオーグに、つい同じ武人として頬が緩めた。能面のようだった顔に、共感と敬意が同居したような柔らかさが覗く。

 

 そんな伊織の表情を見て、サイラオーグが僅かに目を見開いた。彼もまた、伊織に自分と似たような心根を感じたのかもしれない。

 

「すまないな。事情を話したいが事態は切迫している。話は、あの子を取り返してからだ。邪魔するというなら押し通る」

「お前は……」

 

 サイラオーグが、“あの子を取り返す”という言葉に困惑し、言葉を発しようとする。彼の目には既に、伊織がただ理不尽を撒き散らすようなテロリストには見えていなかった。

 

 しかし、サイラオーグの言葉が言い終わる前に、伊織は言葉通り、問答の時間はないと示した。ぬるりと間合いを詰めて、サイラオーグの懐に潜り込んだのだ。

 

 それは伊織が体得した歩法の極み。無拍子による予備動作のない緩急自在の動き。合わせて異常聴覚を併用して呼吸や筋肉、骨の動きを読み取った上で意識の間隙を突く。一瞬の【絶】も併用しており、例え、認識できていても体が反応しないという不可思議極まりない奥義の一つ。

 

――覇王流 オリジナル 歩法之奥義 (おぼろ)

 

 あっさり懐に侵入されたサイラオーグが驚愕に目を見開く。咄嗟に闘気を高めて防御態勢を整えるが、そこに突き込まれる伊織の拳に、言い様のない悪寒が全身を駆け抜けた。

 

ドンッ!!

 

 先程の蓮の一撃に比べれば、細波のような衝撃。されど、身の内から膨れ上がる衝撃は、膨大にして凄絶。荒れ狂う魔力と気の嵐が体内からサイラオーグを蹂躙する!

 

――覇王流 オリジナル 覇王崩天拳

 

 集束したブレイカー級の魔力と練り上げたオーラを【嵐】によって強引に乱回転及び圧縮させ、それを【無空波】によって相手の体内に送り込む技。その結果、相手の体内で発生するのは【咸卦法】の失敗状態。すなわち暴発の誘発である。それも螺旋丸もどきである【嵐】によって威力は台風レベルのエネルギーと同等。

 

「がぁあああああ!!!」

 

 サイラオーグは堪らず絶叫を上げて、必死に体内で荒れ狂う衝撃を外へ逃がそうとした。

 

「しばらく寝てろ」

 

 そこへ襲い来る容赦のない追撃。体内の暴威を凌ぐ事で一杯一杯のサイラオーグに伊織の拳が突き刺さる。

 

「ぐぅうう!!」

 

 再び、衝撃。内と外から同時に攻められ、サイラオーグがたたらを踏み後退る。そして、ガハッ! と大量に吐血しながら、グラリと傾き――倒れなかった。

 

「見事な拳だ! だが、この程度で俺は倒れん!!」

 

 呆れたタフさである。ダメージは通っている。証拠に、足元が若干ふらついてる。しかし、その身から溢れ出す闘気は更に倍増しだ。戦闘継続の意志も天井知らず。伊織としても、こんな状況でもなければ、手放しで称賛と敬意を表したいところだった。

 

 しかし、真に残念な事に、今は、全く時間が惜しい。馬鹿げたタフさを持つ怪物のような目の前の男を相手にしている時間はないのだ。故に、伊織は頼む。

 

「テト」

「了解だよ、マスター」

 

 直後、空気が破裂するような音と共に、テトが神速でサイラオーグへ肉薄した。瞬間移動じみたそれに、しかし、サイラオーグは反応してみせる。伊織の認識をくぐり抜けるような特殊な方法ではない純粋な速さなら、サイラオーグとて至っている領域。

 

 背後より迫ったテトに強烈な裏拳を叩き込もうとする。が、テトは、あっさりその場を飛び退き離脱する。ただし、置き土産を残して。

 

 直後、サイラオーグの足元が光り輝く。

 

――神器 十絶陣 金光陣

 

「ぬぅお、これはっ!?」

 

 そんな驚愕の声を残して、サイラオーグの姿が掻き消えた。タフすぎる彼には、暫くの間、自分の影と戦っていてもらおうというわけだ。サイラオーグなら、力技で陣を破りそうなものであるが、一、二分くらいならどうとでもなるだろう。

 

 厄介な怪物を排除したテトに一つ感謝を込めて頷いた後、伊織の視線が真っ直ぐブーメルスに注がれた。そこには、先程、サイラオーグに向けられていた温かみのある眼差しは皆無。あるのはただひたすら凍えるような冷たさだけ。いや、その奥には、逆に全てを燃やし尽くしてしまいそうな憤怒の炎がちらついていた。

 

「ひっ、あ、うぁ、く、来るなぁ! て、てめぇ! お、俺を誰だと」

 

 若手ナンバーワンである事を誰も否定できないほど圧倒的な実力を持つサイラオーグが退けられた。そこには、多分に不意打ちという面があったのは確かだが、それでも、ブーメルスの目には伊織が化け物にしか見えない。

 

 焦燥と恐怖に脚をガクガクと震わせて、まるで子犬が吠えたてるような小さな小さな虚勢を張る。

 

「黙れ」

「――ッ!?」

 

 問答無用。伊織は、一瞬でブーメルスの間合いに入るとその拳でリバーブローを放った。

 

 悲鳴すら上げられない。ブーメルスはただ空気を求める魚のように口をパクパクとさせて、腹を抱えながら前かがみで後退ろうとする。

 

 伊織は、そんなブーメルスの首を掴むと一気に持ち上げた。そして、その懐を探り、目当ての物を取り出す。会場のシャンデリアに照らされてキラリと光るそれは、九重に預けたイヤリングだ。

 

「これを持っていた女の子――九重はどこだ?」

「な、何のッ!? ギィアアアアアア!!?」

 

 極寒の声音による伊織の尋問。ブーメルスは咄嗟に誤魔化そうとして、次の瞬間、盛大に悲鳴を上げた。理由は単純、ブーメルスの右腕が切り飛ばされたから。

 

 宙をくるくると回り血飛沫を撒き散らすそれは、虚しく地面に落ちる。ブーメルスの傷口からおびただしい量の血が噴き出すが、伊織が指を振るうと蛇口を絞ったように出血が収まった。操弦曲の鋼糸で縛ったのだ。

 

「もう一度聞く。九重はどこだ? 答えるまで、手足の先から切り取っていく」

 

 余りに冷酷な宣言に、ブーメルスは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を更に恐怖で歪めて即行で答えた。

 

「し、知らねぇ! 俺は知らねぇんだ!」

「……なら、誰が知っている?」

「お、親父か、そうだ! ホーガンなら! 俺は関係ねぇ! 親父がやったんだ! 頼む! 殺さないで!」

「聞かれた事以外勝手に答えるな」

「ひぎぃいいいい!!」

 

 責任を擦り付けるように喚き散らすブーメルスの傷口を抉る伊織。悪魔なら睨み返すくらいの矜持はあるかと思ったが、見た目通り、とことん下衆らしいと分かり、伊織は、ブーメルスを癒す考えを放棄する。そして、ブーメルスの浅ましさに不快感を覚えながら、“親父”と“ホーガン”とやらは誰だ? と質問した。

 

 即行で指を差すブーメルス。その指の先には、伊織の超衝撃超音波によって倒れ伏している初老の男が二人。それなりに実力があったようで、意識は保っており、更に、低下した視力も大分取り戻したようだ。

 

 その二人と視線が交差する。息子と違い、二人の瞳には明確な敵意があった。隙あらば殺してやると殺意が溢れている。しかし、身構える二人に、伊織はただ薙ぐように手を振るうだけ。

 

 次の瞬間、

 

「ぐぅああああ!!」

「あがぁああ!!」

 

 二人の悲鳴が上がった。そして、触れてもいないのに二人の体が勝手に持ち上がり、まるでゴルゴダの丘で十字架に磔にされたイエスのように、両手を広げて空中に留まった。その全身の至る所から血が噴き出している。

 

――操弦曲 針化粧

 

 無数の鋼糸の刺突により体に無数の穴を空けられて、更に空中で磔にされる二人は、伊織が指をタクトのように振る事で空中を移動し、伊織の眼前まで運ばれる。

 

「九重はどこだ。誤魔化す度に、お前の身内を一人ずつ刻んでいく」

「た、たかが人間風情がっ!」

 

 その瞬間、ブーメルスから悲鳴が上がった。見れば、左腕が切り飛ばされている。ブーメルスがフルコニスを罵った。苦い表情をするフルニコス。しかし、答えぬ内に、更にブーメルスから血が噴き出す。伊織の視線が、ブーメルスから聞き出したフルコニスの他の眷属に向けられる。

 

 そして、伊織の呟きと共に数千に及ぶ黒い剣――千刃黒曜剣が周囲に浮き上がり、一斉にその切っ先を眷属達に向けた。堪らず、フルコニスが叫ぶ。

 

「ホーガン!」

「っ……人間……あの九尾の娘は――」

 

 ホーガンから、九重の置かれた状況と居場所を聞き出した伊織は、焦燥感を滲ませながら、その場から姿を消した。足元に輝くベルカ式の転移陣の残滓が漂う中、操弦曲の戒めが解け崩れ落ちるフルコニス達。咄嗟に逃げ出そうとするが、その首筋にミクの刃が、その頭にテトの銃口が突きつけられる。

 

 噴き出す殺意の嵐は、悪魔をして心胆寒からしめる程のもの。更に、周囲の悪魔達も蓮の発する威圧やチャチャゼロの狂気に牽制されている。

 

「九尾の娘……察するに、どうやらビフロンス家はとんでもない事をしでかしてくれたようだね」

「もうっ! それが本当なら、最悪だよっ! 私の外交努力がパァだよっ!」

 

 サーゼクスが、伊織とビフロンスのやり取りを見て事情を大まかに察したようで、流石に渋い表情となった。隣のセラフォルーも、頭を抱えている。彼女は、魔王の中でも外交が担当であり、八坂への会談の打診も彼女が行ったことだ。その娘を、同じ悪魔が拐かすなど、最悪も最悪である。思わず悪態を吐くのも仕方ないだろう。

 

「九重に何かあったら……覚悟しておけ。少なくとも、首謀者共に未来はない」

 

 エヴァの瞳が、彼女の怒りをあらわにするように反転する。魔性を曝け出すその姿に、サーゼクス達は、どうしてこの大切な時期に問題を起こすのかと、ビフロンス達に恨めしげな眼差しを送るのだった。

 

 

 




いかがでしたか?

長くなりそうだったので、九重救出は次回です。

さて、沢山の感想を頂きまして、本当に有難うございます。
中には色々に考察して下さっている方もいて、特に何も考えてない作者としては恐縮するばかりです。それだけ皆さん、九重が好きなのでしょうか?
だとしたら嬉しいのですが。

九重がどうなるかは、明日のお楽しみという事で。悶えさせてすみません。
ただ、この物語は辻褄合わせより、ご都合主義なハッピーエンドが絶対です、とだけ言っておきます。

技説明を少し
【歩法之奥義 朧】
ぬらりひょん孫に出てくる「認識してるのに!」っていうあれみたいな感じです。

【崩天拳】
カンカ法の失敗、あるいはマギアエレベアの失敗でちゅどんしたラカン、そんな感じです。

【拒絶の弾丸】
ストック能力の追加。数千発レベルで保存してます。


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第43話 狐姫の救済

感想欄の考察や予想が鋭すぎる(汗
作者涙目。
こんなもんで勘弁して下さい。


 

 グレモリー領から遠く離れた冥界のとある森の中、纏わり付くような夜闇で満たされたその場所に金色がふわりと翻る。九重だ。

 

「っ……」

 

 混濁した瞳を宙に彷徨わせながらも、何かを求めるように口がもごもごと動く。口元に耳を寄せて聞き取ろうとする者がいれば、きっと人の名を呼ぶ声が聞こえただろう。

 

 そんな九重は、現在、深い森の中をトボトボと宛もなく彷徨っていた。ホーガンの部下によってこの森に放り込まれた後、適当に歩き続けろと命じられたのだ。ネックレスの効力により、まともな思考を奪われた九重は、その命令に唯々諾々と従っているわけである。

 

 九重が、こんな森の中に放置された理由は一つだ。誰もいない場所で、はぐれ悪魔に襲わせるため。

 

 ここは、ビフロンス家の情報網により発見したはぐれ悪魔の集団のテリトリーなのだ。当初は、九重、もとい栴檀誘拐の濡れ衣を着せるため数々の物的証拠を用意した後、彼等を殲滅して助け出したという事にしようとしていたのだが、計画も狂ってしまったため、単純にゴミを投棄するが如く九重を置き去りにしたのである。

 

 そして、その卑劣な目論見は確かに成功していた。

 

ガサッガサッガサッガサッ

 

 突然、九重の周囲で草木が掻き分けられる音がし始める。九重の周囲を周回するように、揺れる雑草が複数の軌跡を作り出した。

 

「狐がいるぞ……」

「ほんとだ、狐だ」

「いや、妖怪だ。狐の妖怪だ」

「うまそうだ。うまそうだ」

「幼子だ。肉がやわらかいぞ」

「血もまろやかに違いない」

「食いたいな、食いたいな」

 

 そんな不気味なささやき声が静寂に満ちた森の中に木霊する。普通なら、その不気味さに背筋を震わせるところだが、生憎、今の九重にその不気味さを感じ取れる能力はない。

 

 恐怖を抱いた様子もなく、ただヨタヨタと歩き続ける妖狐の子供に、周囲に集うはぐれ悪魔達が、少し戸惑ったように動きを乱した。しばしの静寂。すると、一際大きく音を立てて、一体のはぐれ悪魔が九重の前に姿を見せた。

 

「妖狐の子供ぉ……こんなところで何をしているぅ? ここはあぶな~い、あぶな~い悪魔がいる森だよぉ~。早くぅ、逃げないとぉ、喰べられてしまうよぉ」

 

 陰湿で粘着くような声音の持ち主は、人面ムカデとでも表現すべき異形だった。ぬるぬると気持ち悪い光を放ち、わしゃわしゃと無数の節足が蠢いており、ムカデの体の先端に女の顔が付いていた。そして、その女の顔にしても口から無数の節足が飛び出して、獲物を咀嚼する妄想でもしているのか()む様に蠢いている。

 

「……っ……」

 

 そんな異形を前にしても、尚、意思の見えない表情で歩き続けようとする九重に、ムカデ女は、苛立ったように節足の一本を伸ばした。その足は、五つに先端を枝分かれさせて、まるで骨だけで出来た手のようになった。その手で、九重を掴み上げる。

 

「な~にぃ、こいつぅ? 壊れちゃってるのぉ?」

 

 ムカデ女は、壊れた玩具にするように九重を上下左右に揺さぶる。すると、暗闇の中、キラリと光るものを九重の胸元に発見した。洗脳用ネックレスだ。単純な思考回路のムカデ女は、眷属であるムカデのはぐれ悪魔達が早く食わせろと催促するのを尻目に、好奇心からそのネックレスを引きちぎった。

 

 途端、意識を覆っていた霞が一気に晴れ、覚醒する九重。

 

「っ!? は、放すのじゃ! 九重は喰っても美味くないぞ!」

 

 意識は半ば奪われていたが、その間の記憶が失われるわけではない。目の前のはぐれ悪魔が自分をどうしようとしているのか、九重にははっきりとわかっていた。ジタバタと暴れながら必死に言葉を紡ぐ九重。

 

「あらぁ~、急にぃ元気にぃなったわぁ。グゲゲ、美味しそうになったわねぇ」

「こ、この、寄るでない! 下郎ぉ!」

「ッ!? ひぎぃいいいいい!!」

 

 九重は九尾を揺らして狐火を作り出し、ムカデ女の顔面に直撃させる。至近であったため避けることも出来なかったムカデ女は、己の顔面で燃え盛る炎に絶叫を上げながらのたうち、九重を放り投げた。

 

「うぐっ!? っ……今のうちじゃ」

 

 地面に叩き付けられた九重だが、直ぐに歯を食いしばって立ち上がると、突然の事態に浮き足立つはぐれ悪魔達の隙間に向かって駆け出そうとした。が、そこまで甘くなかったようで、駆け出そうとした九重の細い足首に節足の一本が絡みついた。

 

「うっ!?」

 

 出鼻をくじかれ転倒する九重の背後で狐火の作り出した明かりが消える。そして、その光が消える一瞬前に、大きな影を映し出した。九重を背後から覆う、大きな影。ムカデ女だ。

 

「グゲゴガガギグゲッ!! 喰ってやるぅ! 死ぬまで嬲ってぇ、生きたままモツを喰ってやるぅ!!」

「ひっ……」

 

 顔半分の原型を失くし、醜さに拍車がかかったムカデ女が、奇怪な絶叫と共に怨嗟の言葉を吐き出しながら九重に迫った。その余りにおぞましい姿と呪詛に、九重は短い悲鳴を上げて、尻餅を付いたままジリジリと後退る。

 

 しかし、その背後にも逃がさないとうでも言うように、はぐれ悪魔達が狂気と飢えに濁った眼差しで九重を凝視しながら包囲した。

 

 既に、逃げ場はない。本来なら、周囲を覆うような狐火を作り出すことも、四年間、頑張ってきた九重には可能ではあったが、如何せん妖力が足りない。長く続けた悪魔さえ欺く全力の変化の術のせいで妖力が相当減っているのだ。ニ、三体くらいなら、幻術を併用すれば仕留められない事もないが、今、九重を包囲しているはぐれ悪魔は二十体以上いる。

 

 何より、度重なる精神的圧迫の数々と洗脳の副作用で、九重の心はかなり疲弊していた。諦めてなるものか、泣いてなるものか……そう思いながら歯を食い縛るので精一杯で、とても戦闘が出来るような状態ではなかった。

 

(嫌じゃ……こんな所で終われないのじゃ。母上のお手伝いをもっとしたいのじゃ。ミクやテトと一緒にもっと歌いたいのじゃ。エヴァやチャチャゼロにもっと鍛えて欲しいのじゃ。蓮ともっと遊びたいのじゃ。……それに、それに…九重はっ)

 

 狭まる包囲。ムカデ女の怒りに染まった眼光が九重を射抜く。その節足が再び九重に伸ばされていく。

 

 絶体絶命。周囲は鬱蒼とした木々に覆われて、天の星々すら見えやしない。九重を救えるものなど何一つとして見当たらなかった。頼みのイヤリングすら、今は、九重の手元にない。なぜだか隙間風にでも吹かれているように冷たい胸元。いつもならそこにある感触を求めて、九重は無意識に手を這わせる。

 

 胸中を巡る願いと、走馬灯のように駆け抜ける大切な人達。眼前に迫る悪魔の手を見つめる九重は、イヤイヤと首を振りながら、それでもせめてもの抵抗だとでもいうように、思いの丈を絶叫した。

 

「九重はっ、九重はっ! 伊織のお嫁さんになるのじゃ!」

 

 次の瞬間、はぐれ悪魔達は耳にした。こんな場所には有り得ない旋律を。軽快でありながら、どこか叩きつけるかのような調べを。絶望の闇を振り払うかのような音の波動を!

 

「な、なぁ~にぃ~、この音ぉ~」

 

 戸惑うような声音で、周囲にキョロキョロと視線を巡らせるムカデ女と眷属達。こんな森に音楽が流れるなど有り得ないわけで、困惑するのも当然だ。しかし、この場においてただ一人、九重だけは知っている。その旋律の意味を。その奏者(プレイヤー)の正体を!

 

 故に叫ぶ。安堵と共に。ずっと我慢してきた涙をホロリと零しながら。

 

「あぁ、あぁ、伊織ぃーーー!!!!」

 

 その瞬間、

 

 森の木々を薙ぎ払い、九重だけを完璧に避けて、破壊と混沌の音楽が絶望の宴を蹂躙した。音の波に乗って瞬く間にはぐれ悪魔達の脳髄を揺さぶり尽くした衝撃は、彼等に何が起こったのか認識させる間もなく、その意識を永遠の闇に突き落とした。

 

 絶音が通り過ぎた後には、静寂が戻る。九重の周囲には頭部の至るところから血を流したはぐれ悪魔達がピクリとも動かず倒れ伏していた。九重は、それらを尻目に、待ち人がやって来るのを立ち上がって待つ。

 

 恐怖と疲れでふるふると震える脚を叱咤するのは、心では決して負けなかったと、ただの一度だって諦めなかったと、行動で示すため。

 

 そして、遂に待ち人は現れた。空の上から、邪魔な木の枝を押しのけて、いつの間にか現れていた綺麗な満月を背に降りて来る青年――伊織。

 

「九重……よかった……本当に」

 

 伊織の表情は、安堵の色一色に染まっていた。それも無理はない。本当にギリギリだったのだ。森の外れに到着した伊織の耳に、数キロ先から耳慣れた女の子の声が響き、探ってみれば、無数の凶悪な気配に囲まれている始末。はぐれ悪魔の事はホーガンから聞いていたので、伊織の血の気は一気に引いた。

 

 咄嗟に、セレスをバリサクモードに切り替えて吹き鳴らし、注意を引きつけた上で衝撃超音波を放った。もし、最初の旋律で注意を引けず、はぐれ悪魔が、そのまま九重を襲っていたらと思うと冷や汗が止まらない。

 

 九重は、伊織の心底安堵したような表情に、どれだけ心配をかけたのか察し、ばつの悪そうな表情になった。そして、おずおずと伊織の名前を呼び、心配をかけた侘びをしようとした。

 

「伊織……九重は、その……すまっんむぅ!?」

 

 が、言い終わる前に、伊織に引き寄せられて、そのまま抱き締められた。伊織の腕の中にすっぽりと収まった九重は目を白黒させる。そんな九重の耳元で、伊織はとびっきり優しい声音で言葉を紡いだ。

 

「いいんだ、九重。わかっている。お前が謝る必要はない。友達の為に決断したんだろう? なら、俺が言えるのは一つだけだ」

「伊織?」

 

 伊織は、少し九重から離れると、間近い場所で目を合わせた。超至近距離から優しい眼差しで見つめられて九重の顔が火を噴くように真っ赤になる。だが、そんな九重の様子にもお構いなしで、伊織は、片方の手で九重の柔らかな髪を撫でながら言葉を続けた。

 

「よく、よく一人で頑張ったな。流石、九重だ」

「っ……う、うむ。当然なのじゃ。九重は……これしきのこと……ぐすっ」

 

 認められたい、相応しくなりたい。そう願う九重への何よりの言葉。胸を張って、どうってことはない! とアピールする九重だったが、嬉しさやら安堵やら色んな感情が混じり合って、今までが嘘のようにあっさりと涙腺を決壊させた。

 

 そんな九重を再び抱き寄せて、あやす様に背中をポンポンと叩く伊織。心地よい感触に九重は体を弛緩させて、その涙に濡れた顔をぐりぐりと伊織の胸元に擦りつけた。

 

 どれくらいそうしたいたのか。しばらくすると、九重は自ら顔を上げてゴシゴシと目元を拭った。それを見て、伊織は更に微笑むと、ゆっくり体を離して立ち上がる。少し名残惜しそうな表情になった九重に小さく笑みを零しながら、伊織は状況説明を始めた。

 

「九重、今、魔王主催のパーティーにミク達がいる。みな、お前を迎えに来たんだ。だから、急いで戻らないといけない」

「む? なぜパーティーなんぞに……ああ、もしかして、あの悪魔の親子がパーティーに? ……ままま、まさか、伊織ぃ! 主等、魔王主催というそのパーティーに殴り込みでもかけたのではあるまいな!」

「うん? その通りだぞ? 直接、イヤリングの元に転移できなかったから、正面から乗り込んだ」

「ま、まさかと思うが……」

「ああ、安心してくれ。今のところ一人も殺しちゃいない。無関係の者を殺すなんて出来ないし、それに、そんなことをしたら、誰よりも殴り込みたかった八坂殿に申し訳が立たないからな」

「そ、そうか……なら、いいんじゃが」

 

 伊織は、誘拐されたというのに、怒りや憎しみよりも妖怪と悪魔の未来を考えている九重に頼もしさを感じると同時に、まるで子供が親の手を離れていくような一抹の寂しさを感じた。九重がそれを知れば、子供扱いするなと憤慨しただろうが。

 

「しかし、伊織……主等に関しては……。魔王殿が果たしてどう出るか……」

「まぁ、大義名分はこちらにある。悪魔側も妖怪側と敵対したいわけではないだろうし、いい妥協点を探る序でに、俺等の事も配慮するだろう。面子は丸潰れだが、原因は悪魔側にあるわけだし、俺は、協会の筆頭守護な上に、神滅具持ちだからな。上から目線で下手は打てないさ」

「むぅ……そうか。だといいんじゃが」

 

 心配そうな九重の頭を、もう一度優しく撫でたあと、伊織は九重をお姫様抱っこした。

 

「ふわっ。い、伊織?」

「九重、さっさと終わらせて、家に帰ろう。でないと、八坂殿が発狂してしまう。あと、八坂殿の説教は甘んじて受けるんだぞ?」

「うっ、やはり……説教が……伊織ぃ~」

「はっはっは、そんな声だしても無駄だぞ。俺に八坂殿は止められない」

「うぅ~~~」

 

 今度は違う意味で涙を零しそうな九重に朗らかな笑みを浮かべたまま、伊織はベルカ式転移魔法を発動させ、今か今かと不安を胸に待っているだろう家族の元へ転移した。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 伊織が、転移魔法でパーティー会場に戻った直後、いきなり怒声が飛んできた。

 

「伊織ぃ~~!! てめぇ、何てことしてくれやがる! 魔王主催のパーティーに殴り込みかけるとか正気かっ! このド阿呆!!」

「……アザゼルさん。いたんですね」

「いたんですね? じゃねぇよ!」

 

 アザゼルは、実は襲撃との時、違うフロアでカジノの夢中だったのが、騒動に気が付いて副官のシェムハザと共に会場に現れて、そこでミク達の起こした惨状に頬を引き攣らせつつ大体の事情を聞いたのである。

 

 ちなみに、事情を聞いたのはサーゼクスからだ。いくら話しかけてもミク達は冷たい表情で悪魔達を牽制するのみで、答えようとしなかったのだ。文字通り、己等以外は全て敵だとでも言うように。

 

 大抵の悪魔は、伊織の衝撃超音波からかなり回復し、動けないまでも視覚や意識は取り戻していたのだが、ミク達の威圧と、サーゼクスの命令で動いてはいなかった。サイラオーグも既にテトの【十絶陣】から脱出していたが、腕を組んで静観している。そして、アザゼルがそんな状況にやきもきしているところ、遂に、伊織が戻って来て思わず怒鳴ってしまったわけである。

 

「……たくっ。大体の事情はっ」

「「九重ちゃん!!」」

「「九重!」」

 

 アザゼルが、伊織に事の詳細を尋ねようとした瞬間、その言葉に被せるようにミク達が九重の名前を呼びながら飛び出した。アザゼルが、完全に無視されて渋い表情になる。サーゼクスが顔を逸らして肩を震わせていた。

 

 伊織に降ろされた九重のもとにミク達が群がり、あっという間に九重の姿が埋もれた。

 

「むぅう、ぷへぇ、ちょ、ちょっと苦しいのじゃ! 離れてたもう!」

「九重ちゃん、九重ちゃん、九重ちゃ~~ん!!」

「よかったよぉ~、ホントにホントによかったよぉ~~」

「ぐすっ、あまり心配をかけるな。馬鹿者……ぐすっ」

「ケケケ、中々、男前ナ決断ダッタゼ?」

「九重……よかった。我、安心」

 

 もぎゅもぎゅ、ぎゅいぎゅいともみくちゃにされる九重の手が、まるで海で溺れた者が藁を探すかのようにミク達の合間から伸ばされ彷徨う。そして、しばらくするとパタリと力を失ったように垂れてしまった。

 

 ハッとしたように九重から離れる面々。中から白目を向いてピクピクと痙攣する九重が現れた。はぐれ悪魔に襲われた時より危険な状態だった。慌ててエヴァが癒しに掛かる。

 

 そんな彼女達を尻目に、伊織が、自分達を面白げに眺めていた魔王達へと向き直る。伊織達のやりとり呆気に取られていた悪魔達が、伊織の雰囲気の変化に表情を険しくして身構えた。

 

「お初にお目にかかる。魔王方。日本退魔師協会所属京都守護筆頭、東雲伊織と言う。まずは、突然の暴挙に対するお詫びを。大変、失礼した」

 

 伊織の侘びの言葉に、悪魔達が僅かにどよめいた。サーゼクスが、苦笑いしながら返答する。

 

「ふむ、謝罪については、少し待ってもらおう。実質的にこちらに人的被害はまだないようだし、どうやら非もこちらにあるようだしね。それから、自己紹介には、神滅具【魔獣創造】の担い手というのを付け加えたらどうかな?」

 

 サーゼクスの落とした爆弾に、悪魔達のざわめきが強くなった。なにせ、今まで一度も伊織は【魔獣創造】を使っていないのだ。神滅具持ちが、神滅具を使わずして悪魔の警戒網を突破し、いい様に手玉に取った――信じ難い事実である。

 

 伊織は、サーゼクスの物言いに、しかし頓着することなく鋭い眼差しを返した。

 

「俺達は、あそこで拘束している悪魔共に拐かされた九尾の娘を取り返す為に来た。宴の席に乱入したのは、彼女の身に危険が迫っていて一刻の猶予もないと判断したためだ。事実、あと数秒遅れていれば、九重の命は散っていた」

「……そうか」

 

 ミク達に囲まれて抱きしめられている女の子が、悪魔によって理不尽に殺されかけていたと聞き、年長者は九尾の娘である事に、若手は単純な倫理観から顔を顰めた。特に、情の深いグレモリー眷属や人間界の学生をしているシトリー眷属は、露骨に批難的な眼差しをビフロンス家に注いでいる。

 

「とは言え、魔王が、こんな矮小で馬鹿な事態を引き起こすとは俺達も九尾殿も考えてはいない。一部の暴走であろうと推測はしていた。故に、無関係の者への攻撃については一応の謝罪をするが……貴方方の指示でないと思っていいか?」

「もちろんだよっ! 何が悲しくて、自分でセッティングした和平会談の前に、そのトップの娘さんを誘拐しなきゃならないのっ! こんな馬鹿な真似、本物の馬鹿くらいしかしないよっ!」

 

 サーゼクスが答える前に、いきり立ったセラフォルーが答える。馬鹿呼ばわりされたフルコニス達が屈辱に顔を赤くして震えた。しかし、いつの間にか【レストリクトロック】によって口元まで拘束されているので出来る事はない。

 

 魔王の一人、ずっと沈黙しているアジュカ・ベルゼブブが、伊織達の話の内容より、その拘束術に目を見開いて瞳を輝かせている。彼は研究者肌の魔王で、イーヴィル・ピースやレーディング・ゲームの仕組みを作り出した者なので、見たことない術式に興味を惹かれたのだろう。

 

「それを聞いて安心した。セラフォルー殿。八坂殿からは、今回の件、悪魔の総意でないのなら会談を受ける意思に変わりはないと、そう言伝を預かっている。もちろん、色々と今回の件について監督責任は追求させてもらう事になるだろうが」

「それは当然だね。でも、はぁ~~、よかったぁ」

 

 安堵するセラフォルーを尻目に伊織の瞳が剣呑に細められた。

 

「さて、俺達が力に訴えなければならなかった理由を分かって貰えたところで――落とし前の話をしようか」

「……その子の事だね」

 

 伊織の静かな瞳の奥で苛烈な炎が燃え上がる。それは、九重の尊厳を踏みにじった蛮行への怒りだ。サーゼクスも、九重の変化――悪魔への転生に気がついており、眉を潜めている。セラフォルーも痛ましげな様子だ。

 

 八坂が、いくら妖怪全体の事を考えて和平会議の席に付くとは言っても、己の愛娘を勝手に悪魔にされてしまったのだ。その怒りは余りあるものだろう。ただで済ませる等有り得ない。

 

 九重は、コウモリのような悪魔の翼を展開した。バサッと広がるそれを肩越しに見て、悲しそうに眉根を寄せる。

 

「イーヴィル・ピースによる悪魔への転生。これを覆し、九重を妖狐へと戻す方法はあるのか?」

 

 伊織の質問に、サーゼクスがアジュカへ視線を送る。アジュカは溜息を吐きながら首を振った。

 

「それは無理だ。転生とは文字通り別の種へ生まれ変わる事だ。イーヴィル・ピースは、ピースを核にして悪魔の特性を与え、その肉体を変異させる。神器が抜かれれば死ぬのと同じで、イーヴィル・ピースを抜けば死ぬ。都合よく、転生前の状態に戻って生きられるという事はない。それではピースの出し入れだけで生死を自在に操るのと変わらないからね」

「つまり、イーヴィル・ピースを取り除かないと九重は悪魔のままであり、取り除けば死ぬということか?」

「そうなるね。……一応、考えられる方法としては、彼女のクローン体を作ることだろうか。確か、グリゴリではその手の研究をしていただろう? 彼女のDNAからクローン体を作り、そこに魂を移植すれば純粋な妖狐としての彼女に戻れる……可能性はある」

 

 アジュカの考えに、伊織達の視線がアザゼルに向く。アザゼルは難しい表情で、しばらく考え込んだ後、ガリガリと腹立たしそうに頭を掻いた。

 

「確かに、それなら九尾の娘は妖狐に戻れる可能性はある。だが、所詮はクローンだ。リスクがないわけじゃない。拒絶反応が出る可能性はゼロじゃねぇし、何より、高確率で劣化する。肉体のスペックしかり、能力しかり、な」

 

 クローン体に魂を移す方法にも相応のリスクがあると知り、魔王達も難しい表情で沈黙した。伊織が、特に深刻そうでもない表情で何かを言おうと口を開きかける。

 

 と、そこへ、悪魔のお偉方の一人が、いい事を思いついたと言うように、にこやかに発言をしだした。

 

「サーゼクス様、僭越ながら私に妙案が……」

「……モラクス卿。聞こう」

「はっ、九尾の娘が悪魔となったのは既に仕方のないこと。ここは一つ前向きに、妖怪と悪魔の関係強化に役立って頂くと言うのはどうでしょう」

 

 得意気な顔で、そうのたまう悪魔に、伊織達の眉がピクリと反応する。“仕方ない”だの“役立てる”だの余りに無神経な言葉だ。上位の悪魔は、そのほとんどが恐ろしく高いプライドの塊で、自分達上位の悪魔以外をとことん見下す傾向にある。神滅具使いや九尾の娘と言われても、やはり格下という意識があるのだろう。

 

「……貴殿の言いたい事はわかった。しかし、」

「まぁまぁ、最後までお聞き下さい。三勢力で和平がなった今、妖怪勢力との和平を築く上で関係強化の材料はいくら多くても困りますまい。ならば、九尾の娘には、このまま悪魔として、どなたかの眷属になってもらいましょう。古来より、婚姻や忠誠などはその典型でありますれば。なに、主となる方を最上級悪魔から選べば問題もないでしょう。ああ、そうです。なんでしたら、ミリキャス様など如何ですか? 九尾の娘なら潜在能力もっ『もう黙れ』ッ!?」

 

 調子よくペラペラとしゃべり続ける初老の悪魔に、突如、極寒の声音で命令が下る。同時に、その悪魔の首がメキッ! と音を立てて締まり、その体が宙吊りとなった。顔を真っ赤にしてジタバタともがく初老の悪魔は、咄嗟に魔力を解放して、自分を締める極細の糸を引きちぎろうとする。

 

 が、その犯人である伊織は、鋼糸に【周】をして強化すると共に、次々と鋼糸を絡めていくので、初老の悪魔は拘束を脱することが出来なかった。

 

 伊織の行動に、一気に攻撃態勢を取る上位の悪魔達。

 

「貴様! モラクス卿に何をする! 人間風情が調子に乗るな!」

「そうだ! 卿が一体何をした!」

「悪魔に転生した九尾の娘など、もはや妖怪の頭領にはなれん! 妥当な提案だろう!」

 

 そんな悪魔達も、伊織と同じく怒り心頭のエヴァにより操り人形と化して沈黙する。伊織は、サーゼクスへ実に冷めた眼差しを送った。

 

「これが悪魔か」

「心外……とは言い切れないね。これも悪魔だ」

 

 拐かし、悪魔に転生させ、挙句の果てに眷属にして政治の道具にしてしまえばいい――確かに、政治的な面だけを見れば合理的な判断だ。そう、九重の心を完璧に無視した、合理的すぎる判断である。ある意味、実に悪魔らしい提案だった。しかし、それを血の通う人間である伊織が許すはずもない。

 

「伊織……」

「大丈夫だ。九重」

 

 伊織は、不安そうな九重の頭を撫でながら、力強く頷く。そして、モラクス卿と呼ばれた初老の上位悪魔を解放した。咳き込みながら崩れ落ちたモラクス卿は、伊織を射殺しそうな眼光で睨む。伊織がなぜ切れたのか、全く分かっていないようだった。

 

「俺は、別に手がないなんて言ってない。九重の未来を物のように決めないでもらおうか、悪魔。場の空気すら読めないなら、引っ込んでいろ」

「なっ、き、貴様、人間ふぜ…」

「ミク、斬れるな?」

 

 モラクス卿が、全身から魔力を噴き上げながら伊織を罵ろうとするが、伊織は既に眼中にないというように視線を外し、肩越しにミクへ話しかけた。今にも飛びかかりそうなモラクス卿を、これ以上、話を拗れさせられては困るとセラフォルーが魔王の魔力で抑えつける。

 

 一方、伊織に質問というより、確認というべき言葉をかけられたミクは自信に満ちた声音と表情で頷いた。

 

「もちろんです。任せて下さい、マスター」

「ああ、任せる。……エヴァ、出来るなよな?」

「ふん、誰にものを言っている。場さえ整っているのなら、どうとでもしてやるさ」

 

 要となる二人の力強い返答に、伊織は笑みを浮かべて頷き返す。そして、九重の前に跪いて目線を合わせると、九重に語りかけた。

 

「九重、俺達を信じてくれるか?」

 

 その伊織の言葉に、九重は一瞬の迷いもなく満面の笑みで頷いた。そして、

 

「伊織、九重を侮るでない。主等を信じなかったことなど一度もないのじゃ」

 

 そんな事をいう。

 

 伊織達は、九重を中心に微笑ながら頷き合うと、あとをミクとエヴァに任せて一歩下がった。そんな伊織達を見て、サーゼクスが訝しげに問う。

 

「何をする気かな?」

「最初から、悪魔が九重を妖狐に戻せるとは思っていなかった。ただ、万一、安全に戻せる方法が確立しているなら、その方がいいと念の為確認しただけだ」

「それは……」

「九重は俺達が元に戻す。最初から、そのつもりだった。落とし前の話(・・・・・・)は後ですることにしよう。取り敢えず、九重を戻さないと、わめかずにはいられない悪魔がいるようだからな」

 

 上位悪魔達が、怒りの顔を赤く染める中、九重から少し離れた場所でミクが抜刀術の構えをとった。その視線の先には九重の姿があり、一体何をするつもりなのだと、悪魔達がざわめく。

 

 九重の表情に不安の影は微塵もない。心の底から伊織達を信じているようだ。ミクは、そんな九重に一度微笑むと、スっと目を閉じ意識を集中しだした。その途端、納刀された無月に莫大な量のオーラが集い、燦然と輝き出す。

 

「っ……これは……」

「すげぇ……」

 

 そんな声が若手悪魔の方から聞こえる。彼等の視線は、ミクの刀に注がれていた。集束されたオーラが余りに美しく、思わず心惹かれるほど洗練されていたからだ。そのオーラの練り込みと密度は、まさしく達人級。武人肌の悪魔達は特に目を見張っていた。

 

 多くの注目が集まる中、抜刀術の構えを取ったままのミクは、刹那、その瞳をカッ! と見開いた。同時に、神速の抜刀術が発動する。鞘走る鋼が解き放たれ宙に芸術的な軌跡を描くと共に、リーンと美しい音色が響く。

 

 そして、その剣線をなぞる様に曲線状の斬撃が九重へと迫った。誰かが「あっ」と焦燥と驚愕を混ぜたような声を漏らす。誰もが、九重は斬られたと確信した。さっきまで、本物の姉妹のように九重の無事を喜んでいたのに、なぜ、こんな凶行を! と目を見開いている。

 

 しかし、その心配は無用だった。

 

――神鳴流 斬魔剣 弍之太刀

 

 それは人の身の内に巣食う魔のみを斬り裂くために編み出された奥義中の奥義。数百年かけて磨き続けたミクのそれは、かの世界の剣士が誰も到達した事のない領域にある。絶技を通り越した神技だ。故に、その結果も明白。

 

コンッ! コンッ! コロコロ……

 

 そんな音を響かせて、九重の背後に落下したそれはチェスの駒。九重を悪魔足らしめていた核だ。術に優れた九尾らしく、種類は僧侶(ビショップ)。そのビショップの駒が、床にバウンドし転がった後、パカリッ! と真っ二つに分かれてしまった。

 

「馬鹿な……イーヴィル・ピースだけを斬った? 有り得ない!」

 

 その言葉は誰が発したものだったのか。肉体に融合したそれだけを斬り飛ばすなど、本来は不可能なのだろう。

 

「私は、曲がりなりにも剣士ですよ。斬るものを選ぶなんて造作もないです」

 

 そんなミクの言葉がやけに明瞭に響いた。チンッという音と共に無月が納刀される。剣を使う悪魔――木場などが唖然とした表情でミクを見つめていた。

 

「だが、そんな事をすれば九尾の嬢ちゃんがっ」

 

 アザゼルが、何てことを! といった表情をする。それと同時に、グラリと傾き、力なく倒れ込む九重。先程の話を聞いていたが故、この場の全員が、イーヴィル・ピースを抜かれた九重が命を落としたと確信した。

 

 そして、それは事実だった。床に激突する前に抱きとめた伊織の腕の中で、九重はその命の鼓動を止めていた。

 

「なんで、なんでだよっ! お前ら、あんなに仲がよかったじゃねぇか! 悪魔になったって、生きてる方がいいに決まってるだろぉ!」

 

 そう叫んだのは一誠だ。事態の推移についていけずオロオロしていた彼だが、不本意に悪魔に転生し、イーヴィル・ピースを抜かれて息絶えた九重の姿が、かつて無理やり神器を抜かれて死んだ挙句、意図せず悪魔に転生した愛すべき家族アーシアに重なったのだろう。

 

 憤りもあらわに、伊織へ喰ってかかろうとする。が、その前に、エヴァが、九重と彼女を抱き抱える伊織の前に進み出た。波打ち煌く金髪を翻して、舞台女優のように背筋を伸ばしたエヴァは、その腕に巻きつく神器を解放した。

 

――禁手 流転する天使の福音

 

 直後、エヴァの背後に純白の翼を生やし目を閉じた金髪の女性が出現した。その姿は薄らと光り輝いており、静謐な面差しは絶世と言っても過言でないほど美しい。どこか侵しがたい神聖さすら感じるほどだった。

 

 その姿を初めて見たとき、伊織達は声を揃えて言ったものだ。すなわち「まんま大天使の息吹じゃん」と。そう、かつて見た、ハンター世界の不思議カード【大天使の息吹】を使用した際に現れた大天使の姿とそっくりだったのである。

 

 もっとも、【流転する天使の福音】と名付けられた神器【聖母の微笑】の禁手バージョンは、かの【大天使の息吹】を遥かに凌駕していた。というのも、その効果は魂への干渉だったのだ。具体的には、魂の固定や定着、刻まれた情報の抽出やその再生など多岐に渡る。

 

 今回、エヴァが行うのは、息絶えて霧散しかけている九重の魂を固定し、そこから妖狐の肉体情報を抽出、それを元に、抽出情報の再生を行って、変異した九重の肉体を前の妖狐の状態に戻すというもの。いわば、任意の状態での死者蘇生である。

 

 もちろん、この破格の能力にも限界が存在する。魂が保護されているなどの特別の事情がない限り、死んだ者の魂を固定できるタイムリミットは三分しかないのだ。つまり、死亡直後でなければ死者蘇生は行えない。もっとも、それでも破格の性能であることに変わりはないが。

 

 そんな禁手を発動し、背後に大天使を従えるエヴァの姿はまるでスタン○使いのよう。彼女が腕を掲げると、福音もたらす天使はそっと息を吹きかけた。清涼な風が渦巻くと同時に、蛍のような淡い青色の粒子がゆらゆらと立ちのぼり、九重と伊織の周囲を荘厳な光で満たしていく。

 

 悪魔でありながら、会場にいた誰もが言葉もなく、ただただ、その神話のような美しい光景に見入っていた。

 

 十秒か、一分か……一瞬とも、あるいは永遠と思える幻想的な時間が終わる。光が、宙に溶け込むように消えていくと同時に、エヴァの背後の天使もまた、薄らと微笑のようなものを残して霧散していった。

 

 一拍おいて、伊織の腕の中の九重が、その可愛らしい瞼をふるふると震わせる。「ん…んぅ…」と小さく声を漏らしながら、もぞもぞと身動ぎした。そして、ゆっくりと目を開く。

 

「うむぅ……伊織?」

「ああ、そうだよ。……お帰り、九重」

「むぅ、よくわからんが、ただいまなのじゃ」

 

 伊織が、九重を立たせてやるとミク達も一斉に九重の元へ集まった。エヴァが、九重に体の事を尋ねる。覚醒直後で少しボーとしていた九重だが、悪魔の翼が出ないこと、何より、ずっと感じていた違和感がなくなっており、いつもと変わらない妖狐の体だと分かった途端、喜びもあらわにぴょんぴょんと飛び跳ねた。

 

「まさか、死者蘇生までやり遂げるとはね。今代の【魔獣創造】は周りも含めてびっくり箱のような存在だな」

「ははっ、あの野郎共。神器の修熟に協力してやったってのに、内緒で禁手に至ってやがったな。後で研究所に軟禁して問い詰めてやる」

 

 サーゼクスの感心を通り越して呆れたような言葉と共に、アザゼルが何とも言えない複雑な表情で冗談交じりに悪態を吐いた。

 

「生き返らせたって……まじかよ」

「これから色々大変ね。【魔獣創造】の仲間も規格外ばかりみたいよ」

「あの人が……私と同じ神器の使い手。でも、私なんかよりずっと……」

 

 途中まで飛び出していた一誠がポカンと口を開けながら驚愕をあらわにし、傍らでリアスが考え込むように眉間に皺を寄せていた。そして、エヴァと同じ【聖母の微笑】を持つアーシアは、自分など足元にも及ばない癒し手に、称賛と憧れ、そして僅かな悔しさを胸に秘めて、一心にその眼差しを向けていた。

 

「さて、サーゼクス殿。九重の問題が片付いたところで、落とし前の話に入らせてもらうが……」

「これだけの事をやらかしておいて、ごく普通に話を続けたね! 素晴らしい神経の太さだよ。こっちとしては色々聞きたいことがあるのだけど……」

「襲撃犯の処遇をどうする気かお聞かせ願おうか」

「素でスルーしたね? 魔王の言葉を素でスルーしたよ。豪胆だな。何だか、君のことが欲しくなって来た。まぁ、取り敢えずそれは置いておいて……」

 

 サーゼクスが、伊織を何だか物欲しそうに見始めたので、違う意味でミク達の警戒心が跳ね上がったが、グレイフィアの鋭い視線がサーゼクスの後頭部に突き刺さったので、話し合いはスムーズに流れた。

 

 結果、ビフロンス家は事件に関わった者と主家の者全員が、悪魔側の掟に則って処刑する事が決まった。ただ誘拐しただけならまだお家取り潰しくらいで済んだのだが、やはり、強制転生と、その後の九重殺害未遂がいけなかった。妖怪側に対してだけでなく、危うく悪魔の未来にも暗雲を齎しかねない事だったのだ。

 

 襲撃者の処遇も決まり、後日、正式に妖怪側への謝罪と賠償、和平会談で妖怪側からの条件付けを一定程度認めるという事が約束されたので、もう用はないと伊織達は踵を返した。その時、不意にサーゼクスが伊織に尋ねる。

 

「最後に一つ聞かせてくれないかい?」

「?」

「人の身で悪魔の巣窟に乗り込む……普通なら正気を疑う行為だ。君なら私達、魔王の存在も感知していただろう? 私達全員と戦う事になるとは思わなかったのかな? その場合、ただで済むと思っていたのかい?」

「……」

 

 はっきり言って、今のこの状況はほぼ理想的な形で事態が収拾した状態だ。一つ、何かの歯車が狂うだけで、伊織達は魔王達を相手にしなければならなかった。

 

 そして、多少手加減はしたとはいえ、伊織の衝撃超音波に二割以上が耐え切り、その全てが上級から最上級クラスの悪魔達だ。また、暫く動けなくなるとしても死にはしなかった悪魔も大勢いるだろう。その全てを相手取れば、伊織達とてただでは済まない。はっきり言えば、死んでいた可能性が高い。

 

 故に、サーゼクスは確かめたかったのだ。伊織が、ただの無鉄砲な者なのか、それとも……

 

「元より全て覚悟の上だ」

「……魔王全員と戦うつもりだったのかい? 他の強力な悪魔もいる中で? 少々、無謀が過ぎるんじゃないか?」

 

 振り向いた伊織の眼差しの強さに、一瞬、言葉に詰まるサーゼクスだったが、続け様に疑問をぶつける。しかし、伊織の答えには微塵の揺らぎもなかった。

 

「関係ない。そこに救いを求める者がいるのなら、俺は、この身、この命の全てを賭けよう。どんな存在が相手でも、どんな状況に陥ろうとも、例えそれが魔王や神と言われる存在だろうと、俺は俺の誓いのままに前進する――この歩みが止まることはない」

「……」

「逆に聞こう。魔王サーゼクス。何かの為にと立ち上がり、不退転の意志を宿した人間相手に――ただで済むと思っているのか?」

 

 逆に問い返された己の問い。凪いだ水面のように静かな瞳の奥に轟々と燃え盛る意志の炎。煌くそれに魅せられながら、サーゼクスは、超常の存在を討つのはいつだって人間だったと思い出す。己の特異性故に、伊織と戦った場合、負けるとは思わないが、それでも内心気圧される自分がいることに気が付く。そして、確かに、負けないまでも“ただでは済まない”かもしれないという思いが頭を過ぎった。

 

 先代のルシファーすら超えているであろう、超越者の一人である自分が、ほんの一瞬でも人間相手にそんな事を思ってしまったことに、サーゼクスの肩が震える。恐怖の震えでは、もちろんない。それは、今の時代、すっかり見なくなった魅せる人間の輝きに、心が歓喜で浮き立ったからだ。

 

「くっ、ふは、ふははははっはははははっはははーー!!」

 

 そして、ダムが決壊するように、サーゼクスの口から痛快な笑い声が飛び出した。魔王の奇行に伊織の眉が「何なんだ?」とでも言うように潜められる。余りに笑いすぎて、目尻に涙を溜めたサーゼクスは、何となく彼の心情を察したセラフォルー達から生暖かい眼差しを受けつつ、伊織に答えの分かりきった口説きを行う。

 

「ふぅ~、東雲伊織くん。君、悪魔に転生しないかい? 待遇は破格を約束するよ?」

 

 伊織は呆れたような顔をすると、即行で首を振った。

 

「そうすることで誰かの救いになれるなんて理由があるなら考えなくはないけれど、それもないなら遠慮させてもらおう。何せ、俺はまだ人の身ですらままならない程度なんだ。超常の存在になるのは早すぎる。まずはじっくりと、人が辿り着ける果てまで行ってみる事にする」

「ははっ、君の答えは本当に愉快だね。いや、馬鹿にしているわけじゃないよ。むしろ称賛しているんだ。私は、悪魔――それも魔王だからね。これからも折を見て口説かせてもらおう」

「厄介な人――いや、魔王だな」

 

 伊織は肩を竦めると今度こそ踵を返した。追従するミク達と伊織の腕に座るように抱き抱えられる九重。若手悪魔達は、そんな伊織を称賛、嫉妬、敬意、不快、値踏み、焦燥と様々な眼差しで見送り、古い悪魔達は総じて面子を潰された事から不満気な表情と険しい眼差しを送っていた。

 

 そんな中、魔王の命令により拘束・連行されようとしていたフルコニスが、突如、奇声を発して我武者羅に暴れだした。警備の一瞬の隙を付いて、伊織に血走った眼を向ける。そこには狂気が宿っており、正気かどうか疑わしいほどの淀みがあった。

 

「じねぇえええええ!!!」

 

 既に呂律すら回っていない口調で、生命力すら変換したのかと思うほどフルコニス本来の能力を逸脱した魔力弾が発射された。心のタガが外れたのか、限界以上の力が一時だけ引き出されたようである。

 

 よほど、息子の腕と脚を奪われた挙句、処刑という処遇が認められなかったのだろう。どうせ死ぬのなら、伊織達を道連れにしてやると言わんばかりである。

 

 そして放たれた特大の魔力弾はホテルの床を粉砕しながら伊織達へ真っ直ぐ突き進み……サーゼクスが滅びの力で相殺する前に、闇から現れた強大な掌によって受け止められた。

 

 伊織の足元から不自然に背後へと伸びた影から出現したそれは、そこにあるだけで空を裂きそうな鋭い五本の爪と真ん中に発射口のようなもので、受け止めた魔力弾を微動だにせず受け止めきる。

 

 そして、深淵のように暗い影から残りの本体も現れ始めた。

 

 手が肥大化した極太の腕、逆だった頭部に吊り上がった眼、耳元まで避け鋭い牙が並ぶ顎門……全身から可視化できそうな程の禍々しさを溢れさせるその姿は、まさに悪鬼羅刹。放射されるプレッシャーは、一瞬で、それが神を滅する具現なのだと、禁手に至ったが故なのだと、その場の全員に悟らせた。

 

 伊織の影より現れた魔獣ジャバウォック。その掌に留める特大の魔力弾は、いつの間にか半分程にまで縮小されてしまっていた。ジャバウォックの所持するエネルギー吸収能力である。その掌で掴んだものは何であれ己の糧にしてしまうのだ。

 

「ジャバウォック」

 

 伊織が振り返ることすらなく、特大の魔力弾を握り潰すように吸収しきったジャバウォックに、ただ一言呼びかける。

 

 次の瞬間、

 

「ひっ!?」

 

 ジャバウォックの姿が掻き消え、フルコニスの目と鼻の先にその凶相が出現した。ミク達並みの高速機動である。間近で放たれる大瀑布の水圧の如きプレッシャーと、悪魔より尚悪魔らしい凶相、禍々しいオーラに、フルコニスは蛇に睨まれたカエルのように体を硬直させた。

 

 超至近距離で、真の魔獣に覗き込まれるフルコニスの心境はどれ程のものか。目を見開いたまま、ガタガタと震える姿に、上位悪魔たる威厳は皆無だった。

 

「ジャバウォック」

 

 再度の呼びかけ。やはり一瞬で掻き消える魔獣の姿。悪魔達が視線を伊織に戻せば、ジャバウォックがその影に沈むところだった。

 

「追い詰められ狂気に走った者ほど危険なものはない。魔王殿、同胞だからといって、どうか我々の信頼を裏切らないようお願いする」

「……もちろんだとも。同族による数々の蛮行、心よりお詫び申し上げる。と、九尾殿にも伝えて欲しい」

「承知した」

 

 伊織達はそれだけ言うとミク達を促して出口へと歩き出した。ホテルから出れば転移魔法で帰還するだろう。途中、腕を組んで真っ直ぐ伊織を見つめるサイラオーグと視線の合った伊織。言葉はなくとも何となく通じ合うものがあったのか、互いに口元が僅かに緩んだ。

 

 伊織達の姿が見えなくなった途端、会場にホッとしたような空気が流れた。硬直していたフルコニスもペタンと女の子座りでへたり込む。まるで一気に年をとったように随分と老け込んでいた。

 

 弛緩した空気の中で、サーゼクスの浮き立つ声音が響いた。

 

「う~ん、これから楽しくなりそうだね」

 

 そんなサーゼクスにアザゼルや他の上位悪魔達は呆れたような視線を向けるのだった。

 

 ちなみに、この後、石化やら氷漬けにされていた悪魔達もいつの間にか解放されており、パーティーをしている暇もなくなったので、あっさりと解散になった。

 

 そして、伊織達が巻き起こした騒動の事後処理の慌ただしさに隠れて侵入した、カオス・ブリゲードのヴァーリチームに所属する猫魈の黒歌と孫悟空の子孫美猴とのあれこれで、一誠が原作通り禁手に至ったりした。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 京都の異界、八坂の屋敷にて。

 

 八坂は書斎にて普段通り仕事をこなしていた。少なくとも見た目は。しかし、その九尾とキツネミミが、伊織達が出発してからというもの唯の一時も休むことなく、あっちにぴょこぴょこ、こっちにくねくねと動き続けており、その荒れる内心をあらわしていた。

 

「頭領……やはり少し休まれては」

「いや、必要ない」

「しかし……」

「ふぅ、正直に言うとな……何かしておらんと、どうにかなってしまいそうなんじゃよ」

「頭領、大丈夫ですよ。何せ、姫様を迎えに行かれたのは若ですよ? あの方なら必ず姫様を連れ帰ってくれます。我々は、そう確信していますよ」

「……そうじゃな。しかし、こればっかりはのぅ」

 

 そんな話をしていると、突如、八坂の感覚に感じ慣れた力の波動が引っかかった。

 

「! これは、帰って来たかっ!」

「と、頭領!?」

 

 八坂は、部下の前から一瞬で姿を消すと、次の瞬間には屋敷の中庭に現れた。その直後、八坂の目の前でベルカ式の転移魔法陣が展開され燦然と輝き出し、そして、一拍の後、そこには伊織達の姿と、最愛の娘の姿があった。

 

「っ! 母上!」

「九重!」

 

 騒ぎに気が付いて何事かと集まって来た妖怪達の目に、九尾の親子が二度と離れまいとするかのようにギュッと抱き合う姿が飛び込んできた。彼等も拐かされた九重が戻って来たのだと理解し、一斉に歓声を上げる。

 

 屋敷に滞在していた栴檀と岩稜も駆けつけ、栴檀に至っては安堵からダバーと滝のような涙を流しながら喜びをあらわにした。

 

 それを温かく見守る伊織達に妖怪達が次々と声をかけてくる。曰く、「流石、若様」「姫様の旦那」「嫁を取り返した漢の中の漢」「姫様こそ正妻」……エヴァの頬が引き攣ったのは言うまでもない。

 

 八坂が、九重を抱っこしたまま妖怪達に囲まれる伊織達に歩み寄る。

 

「伊織よ、この胸に溢れる感謝の念…とても言葉だけでは表しきれんが、言わせておくれ。……ありがとう。本当に、心から感謝する」

「八坂殿。感謝は受け取りますが、余り気にしないで下さい。俺は俺のしたいようにしただけですから。それより、事の顛末と今後の話をしましょう」

「ふふ、主はブレぬよな」

 

 かつてと同じやりとりに、八坂は相好を崩して頷くと皆を促して屋敷へと戻った。

 

 

 

「なるほどのぅ。まぁ、想定していた顛末としては最上じゃの。改めて、ようやってくれた伊織。このまま水に流すというわけにはいかんが、向こうの対応次第では、寛容を見せるとしようかの」

 

 伊織から事の顛末を聴き終えた八坂が、パチンと音を鳴らして扇子を閉じる。

 

「それにしても、聞けば聞くほど危うい所だったようじゃな。主等がいなければと思うと肝が冷える。全て、主等のおかげじゃの」

「そんな事は……褒めるなら九重も褒めてやって下さい。この子は、最後の最後まで折れず諦めず、頑張っていましたよ。俺が間に合ったのも、九重が相手に啖呵を切って叫んでくれたおかげですしね。流石は、九尾の娘です」

「そうか、そうか……まぁ、この八坂の娘じゃ。当然と言えば当然じゃがのぅ」

 

 八坂は当然と言いつつも、目元を和らげて傍らの九重を優しく撫でた。口では何と言っても、やはり誇らしいのだろう。

 

 しかし、当の九重はというと何故か顔を真っ赤にして、オロオロと瞳を泳がせていた。どうしたのかと訝しむ八坂を尻目に、九重がおずおずと伊織に尋ねる。

 

「い、伊織、その……聞こえておったのか? そのあれを」

「あれって言うと、最後に叫んでたあれか? そりゃあなぁ、俺の可聴領域の事は知ってるだろう?」

「あぅあぅあぅ~~」

 

 伊織の言葉に、九重が小さな両手で顔を覆って蹲ってしまった。指の隙間から見える顔色は真っ赤である。そんな九重に、伊織は困ったように微笑む他ない。当然、そんな二人の反応に他の皆が気にならないはずもなく、九重の抵抗も虚しくあっさりゲロさせられてしまった。

 

 すなわち、最後に叫んだ言葉「九重は、伊織のお嫁さんになるのじゃ!」という何とも大胆かつ気恥ずかしい言葉を。

 

「ほぅほぅ、絶体絶命の状態にもかかわらず、むしろその状況を利用して好感度を上げる――うむ、天晴れじゃ、九重よ! 流石は、この八坂の娘。転んでもタダでは起きないとは……娘の成長とは早いものじゃのぅ」

「九重ちゃんたら、ホントにマスターの事が大好きですね~」

「あはは、流石九重ちゃん! ボクにも真似できそうにないよ」

「ぬぅ~、まだ十歳にも満たないというのに、グイグイ押してきよって。これはそろそろ本格的に……ブツブツ」

「ケケケッ、御主人ヨリ、ヨッポド男前ダゼ!」

「九重……大胆、素敵」

「あぅあぅ、ち、違うのじゃ。あれは、自分を奮い立たせる為というか、いや、違わないんじゃが、そうするまでは死にきれんというか、あっ、いや、じゃからのぅ」

 

 一斉にニマニマした笑みを向けられた九重は、穴があったら入りたいとでも言うように縮こまりながらしどろもどろに言い訳じみた事を言うが、むしろどんどん深みに嵌っていく。

 

 そんな九重の頭をポンポンと撫でながら、伊織は笑みを深めた。

 

「まぁ、焦ることはないさ。俺はどこにも行かないしな。ゆっくり、成長していけばいい」

「伊織……」

 

 伊織から見れば九重はまだまだ子供。そんな相手に女に対する愛おしさを感じる事は不可能だ。しかし、幼いからといってその想いが軽い等とは思わない。九重が身も心も成長し、その上で結論を出すまで待つくらいわけないことだ。そして、伊織の結論もまた、焦ることはない。

 

 そんな伊織の想いが伝わったのか、ふにゃりと体から力を抜く九重。皆も、からかい過ぎたかと苦笑いだ。

 

 そんな弛緩した空気と九重に、しかし、母親としてではなく、今度は妖怪の頭領としての八坂が迫った。

 

「さて、では、九重よ。落ち着いた所で――説教といこうかの?」

「!? 母上? その、九重は帰ってきたばかりですし……そういうのはまた後日で……」

「逝こうかの?」

「……伊織ぃ」

「逝ってこい」

「ミクぅ、テトぉ」

「逝ってらっしゃい」

「エヴァ? チャチャゼロ?」

「さっさと逝け」

「ケケケ」

「れ、蓮~」

「逝く」

 

 味方は誰もいなかった。九重は、八坂の尻尾に捕まりながらズルズルと引きずられて部屋の奥へと消えていった。

 

 伊織達が苦笑いを零す中、異界の空に狐姫の悲痛な声が響き渡るのだった。

 

 

 

 




いかがでしたか?

アンチっぽい展開を期待していた方々はごめんなさい。

原作でも各陣営には結構好き勝手してる奴が多いわけですが、それでも現悪魔達が平和に奔走しているのを見ると、本作品の雰囲気からして、これくらいの対応が妥当かと思った次第です。
妖怪勢力だけ和平同盟から外れる、みたいな展開は、少し書くのが辛くなりそうで……
色々あったとしても、出来る限りキズナを育んでいけるようなお話にしたいので、一つご納得の方を

九重救済は毎度の王道ですね! 主人公はギリギリに登場しなくてはなりません。

それと、妖怪に戻す為の独自解釈辺りはスルーでお願いします。
感想読んで、「ですよねー」と感心したり、納得したりさせてもらいました。しかし、作者にはこれが限界です。

【流転する天使の福音】
神滅具「幽世の聖杯」涙目な禁手。鍛え上げれば、りりなの原作に行っても、あの子を救える……かも?

また明日の18時に更新します


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第44話 オーフィス…だよな?

キャラ崩壊を起こしたオーフィスは嫌だ! という方はご注意下さい


 伊織達が魔王主催のパーティーにカチコミをかけて数日。

 

 駒王学園体育祭の準備に追われる中で、グレモリー眷属は放課後、オカルト研究部の部室に集まっていた。顧問であるアザゼルも一緒だ。いつもの部活動とは少し異なり、この日は、レーティングゲームの次の対戦相手に決まったディオドラ・アスタロトとのゲームに備えて、過去の対戦の映像記録をチェックするために集まっている。

 

 事後処理最中の騒動でめでたく禁手へと至った赤龍帝兵藤一誠は、その禁手を以て、パーティー後のシトリー眷属とのゲームに臨んだ。しかし、その結果は、試合には勝ったが勝負には負けたような微妙なもの。それ故に、一誠を初め他のメンバーも、一層、やる気を漲らせていた。

 

 最初にチェックするのはサイラオーグ・バアルとゼファードル・グラシャラボラスのゲームだ。

 

 映像が流れ始めた当初は、皆、好奇心が胸中を満たしていたが、試合が進むにつれその表情は険しさを増していった。それは、サイラオーグが、余りに圧倒的だったからだ。しばしの沈黙後、アザゼルからサイラオーグの特異性が語られる。才能なく、肉体のみを鍛え抜いて得た圧倒的な“力”。怪物というに相応しい力と、敬意を表さずにはいられない在り方にグレモリー眷属は息を呑んだ。

 

 そんな中、一誠がポツリと呟く。

 

「でも、あいつはサイラオーグさんと戦えて……いや、勝ってましたよね」

 

 その呟きに、アザゼルは直ぐに一人の少年を思い浮かべた。

 

「あ~、伊織か……」

「そうよ、アザゼル。彼とは親しいんでしょ? 前に会議の席で彼の人となりはそれなりに聞いたけれど……今回、目の当たりにして色々聞きたいことがあるわ」

「そうは言ってもなぁ。あいつら秘密にするところは徹底的に秘密にしやがるし……前に言った以上の事はほとんど知らねぇぞ?」

 

 アザゼルが、リアスの追求に頬をポリポリと掻きながら苦笑いする。

 

「あ、あの、私も! 知りたいです。特に、あの私と同じ神器を持っていらっしゃる金髪の女性……」

「ああ、エヴァンジェリンな……」

「なら僕も、あの翠髪の剣士について詳しく知りたいですね」

「ミクか……」

「あらあら、それでしたら私も、私の雷や部長の魔力弾を打ち消した銃使いの方が気になりますわ」

「テトだな」

「伊織という男が目立ってはいたが……あの栗毛の少女も大概だぞ? 最初にサイラオーグを一撃で吹き飛ばしたのは彼女なんだからな」

「蓮な……う~ん」

 

 ダムが決壊でもしたように、次々と質問が飛び出る。やはり、全員、あの日から伊織達の事が気になって仕方が無かったようだ。どう説明したのものかと、アザゼルが悩んでいる内に、小猫がカバンをごそごそと漁り、中からCDケースを取り出した。

 

「あの……あの日からもしかしてと気になっていたんですが……これって……」

「ん? 小猫ちゃん、それは……ってぇ! なんでCDのジャケットにあいつらが載ってるんだよ!」

 

 一誠の驚愕の声が部室に響く。その視線の先、小猫の持つCDジャケットには、確かに伊織達が載っていた。

 

「数年前から顔出しを始めたのですが、それ以前はずっと謎のベールに包まれていた人気バンドですよ。実は、私もファンです。まさかと思ったのですが……」

「ああ、小猫。そのまさかだ。あいつら退魔師業の傍らで、バンド活動もしてやがるからな」

「マジっすか!!」

「あらあら、それなら私も知っていますわ。というか、街中でもCMでも、常に起用されていますから、耳にしない方が不思議なほどですわよね」

 

 そう言って、朱乃がショップやCM、ドラマの主題歌などを挙げていくと、皆一様に、「あー! あの!」と手を叩いて納得した。そして、神滅具【魔獣創造】の担い手が、そんな人気バンドとして活動していた事に、困惑したような表情で顔を見合わせた。

 

 そんな中、リアスが少々苦みのある表情で思い出す。

 

「そう言えば、私達が纏めて意識を飛ばされた時、彼、バリトンサックスを構えていたわね。どこから取り出したのかわからないけれど……音楽すら攻撃手段だなんて」

「あれは完全に初見殺しでしたわね。……彼に良心というものがあって良かったですわ。最悪、あの一撃で全員死んでいた可能性もありますものね」

 

 朱乃の言葉に、皆が身震いした。改めて、その手札の多さと強さに表情が険しくなった。ギャスパーなど、思い出し恐怖しているのか、先程から一言も話さずダンボールの中でカタカタと震えている。

 

 しかし、そんな雰囲気をアザゼルが一蹴する。

 

「まぁ、会議の場でも言った通り、人格面でいうなら心配はねぇよ。今回の騒動だって、結局、何のためだったか……わかってるだろ?」

「あの、狐の女の子のためですよね。俺、あいつらが再会したとき、マジ感動しました。しかもその後、サーゼクス様に対してあんなに堂々と……。女の子一人の為に、神だろうが魔王だろうが挑むだなんて、マジ痺れますよ! なぁ! 木場!」

「あはは、そうだね。男なら言ってみたいセリフだよね。実際に、出来るかは別だけど」

 

 九重と伊織達の再会シーンを思い出したのか、先程のまでの脅威に対する険しい表情は鳴りを潜めて、どこかほのぼのしたような雰囲気となった。一誠のキラキラとした瞳を見て、アザゼルが小さく笑みを浮かべる。お前も十分ヒーローの資質を持っていると言いたげに。

 

「まぁ、簡単に伊織達が隠してない事を挙げると、まず、伊織は一誠と同い年だ。普通に地元で高校生やってる。で、学生の傍らで退魔師協会の守護筆頭をやりつつ、趣味みたいなものとしてバンド活動もしているわけだ」

「その守護筆頭ってなんです? っていうか退魔師協会もよく知らないんですけど、俺」

「一誠、それはね……」

 

 一誠の疑問にリアスが答える。本当に、陰陽師のような退魔師が古来より裏で人々を守っていたと聞いて一誠の瞳が再び輝きだした。

 

「へぇ、俺と同い年なのに出世してんなぁ~。でも“京都守護筆頭”ってことは、京都の奴なんですか? そんな訛りは感じなかったんですけど」

「いや、あいつは他県の出だぞ。前に話した通り、四年前の鬼神事件で京妖怪を救ってから、九尾の母娘に滅茶苦茶気に入られていてな、政治的な面から見ても都合が良かったもんで、結構強引に、今の地位に付かされたみたいだぞ。京妖怪には若様と呼ばれてやがるからな……九重が成長したらマジで婿に入れられるんじゃねぇか?」

「はぁ~、なんか……」

「ちなみに、一誠。九尾の御大将は、ボンキュッボンの超絶美女だ」

「!?」

「娘の九重も見ただろう? ありゃあ、すんげーいい女になるぞ? それはもう母親に似てバインバインな感じに……」

「!!? ……先生、俺、東雲とは仲良くなれそうにありません! だって! あいつ、既に四人も美少女引き連れてたじゃないですかっ! ハーレムじゃないですかっ! ちくしょう! その上、おっぱい母娘まで……ちょっと尊敬するけど! やっぱり気に食わないぃいいいい!!!」

「一誠……貴方ったら、どうしていつもそう……」

 

 一誠の魂の叫びに、リアスのみならず、他のメンバーも苦笑いだ。アーシアなどは涙目である。アザゼルは、予想通りの反応にニマニマと実に嫌らしい笑みを浮かべていた。

 

「まぁ、落ち着け。お前もいずれはハーレムを築くんだろ? ならどっしり構える事を覚えなきゃな。それと、伊織を呼ぶ時は東雲じゃなくて、名前の方にしとけ。退魔師の東雲は数が多いんだ。東雲家は、優秀な退魔師を多数輩出しているからな」

「え? あいつ名家の出なんですか?」

「いや、東雲は名家というわけじゃない。児童養護施設だからな」

「……そう、なんですか?」

「ああ、だが、同情なんていらねぇぞ? あそこのガキ共はどいつもこいつも強かで、生意気で、やたらしぶとくとて、最高にハッピーな面してやがる奴ばっかりだからな」

 

 そう言って、遠い目をするアザゼルに、まさか伊織みたいな奴がうじゃうじゃいるのかとグレモリー眷属の頬が引き攣った。

 

「で、だ。あいつが侍らせている女共だが、知っての通り強い。俺も全てを把握しているわけじゃねぇが、少なくとも最上級クラスの実力を全員が持っている。その上、蓮以外は全員が神器を持っていて、俺も後で教えられたんだが……全員、禁手に至ってやがる」

「「「!?」」」

 

 アザゼルの言葉に、全員が驚愕をあらわにした。

 

 祐斗とゼノヴィアは眼をギラつかせた。一番気になっているのはミクの神器だろう。何せ、神器すら使わずに蹴散らされてしまったのだ。鞘付きで無ければ、今頃死んでいる。そんな相手の事が気にならないわけがない。

 

「どんな神器ですか? 伊織君やエヴァンジェリンさんのも凄まじい能力でしたが、やっぱり……」

「いや、悪いな。ミクとテト、それにチャチャゼロの神器に付いては詳しい事を教えてもらってねぇんだわ。まぁ、その分、【魔獣創造】と【聖母の微笑】については存分に調べさせて貰ったんだが……テトに関しては、どうも擬似空間に引き摺り込むタイプらしい。サイラオーグ曰く、自分の影に襲われた挙句、その影が受けたダメージを返されたらしいな」

「そうですか……」

 

 この点、まさかミクの神器の力によってカオス・ブリゲードの偽ボスやってますとは言えないので、ばれそうな危険を犯すわけにはいかず、その故に言えなかったとは、まさかアザゼルも思っていないだろう。テトとチャチャゼロの神器が秘密なのは、ミクの神器を隠す為のカモフラージュである。

 

「じゃあ、その調べたという【魔獣創造】と【聖母の微笑】について教えちょうだい。……最後に現れたあの魔獣も死者蘇生なんて効果も尋常じゃないわ。一誠や白龍皇ヴァーリが歴代とは違う進化を遂げているように、異例の進化を遂げているのではなくて?」

「そうだな……あいつらのは……」

 

 そうして説明された伊織とエヴァの神器の効果に、グレモリー眷属は溜息を吐くしかなかった。そんな中、アーシアがアザゼルに決然とした表情で頼みをした。

 

「アザゼル先生。あのエヴァンジェリンさんに教えを請う事は出来ませんか? 同じ神器の使い手なのに……私は……」

「ん~。あのな、アーシア。お前の神器に対する習熟度は既に上位なんだぞ? 【聖母の微笑】は他にも幾人か使い手が確認されているし、同盟側も確保している。そいつらと比べてもお前の腕前は見事なもんなんだぜ? エヴァンジェリンに関しては……あいつは色々規格外過ぎるっていうか、そもそも本当に吸血鬼かも怪しいっていうか、存在そのものが意味不明なんだよ。だから、余り自分と比較して劣等感なんて抱く必要はねぇぞ?」

 

 アザゼルのあんまりな物言いに全員がドン引く中、アーシアは食い下がる。

 

「劣等感とかではなくて……私、もっと皆さんの力になりたいんです。皆さん、どんどん強くなっていくのに、私だけ余り成長していない気がして……エヴァンジェリンさんのおかげで【聖母の微笑】でも禁手はあるってわかりました。あれだけの事が出来るなら、私ももっと……だから……」

「まぁ、元々、伊織の都合が合えば、お前等とは引き合わせるつもりだった。修行に付き合って貰うとか、神器について意見交換するとか、ただ親交を深めるだけでも有意義だからな。取り敢えず、その時が来たら直接聞いてみな。そう遠くないうちにセッティングするからよ」

「はい! 有難うございます!」

 

 むんっ! と両手で小さな拳を作りながらやる気に満ちた表情を見せるアーシア。他のメンバーも伊織達と接触できると聞いて、色々とやる気になったようだ。

 

 と、その時、おずおずとギャスパーがダンボールの隙間から顔を覗かせ困惑したようにアザゼルに尋ねた。

 

「……あの人、吸血鬼……なんですか? どうして……」

 

 その“どうして”には、実に様々な疑問が詰まっているのだろう。

 

 この世界における吸血鬼とは、よく知られる御伽噺上の吸血鬼像そのままだ。招待されたことのない建物には入れないし、鏡には映らず、影もない。太陽光や聖なるものに弱く、流水を渡れない。あと、柩で眠らないと回復できず、ニンニク苦手などなど。あと異常なまでにプライドが高い。純潔の吸血鬼かそれ以外かという価値観を絶対としている。

 

 にもかかわらず、吸血鬼と言われたエヴァンジェリンは、少なくとも余裕で招待されていない建物に進撃してきたし、影もあった。そして、実際には弱点らしい弱点もない。ちなみに、ニンニクやネギは克服している。全ては旦那の料理を作るのに必要なため。良い奥さんである。

 

 そう、良い奥さんなのだ。本来、狩りの対象でしかないはずの人間である伊織の。

 

 この点が、吸血鬼の価値観故に辛い思いをしてきたギャスパーには信じられなかったのである。

 

「うん、ギャスパーが疑問に思うのはよ~~~く理解できるけぜ。でもな、考えるだけ無駄だ。単純に、そういうものだと思っておけ。弱点がなく人間の男を愛していて、ほぼ不死身の吸血鬼……うん、自分で言っててもどうかしてるとしか思えねぇな」

 

 どこか疲れた表情のアザゼルは、これ以上、聞きたい事があるなら会った時に直接聞けと言って、映像記録のチェックへと一誠達の意識を戻すのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 それから数日。

 

 ディオドラがアーシアに求婚を迫ったり、テレビ出演したりなど色々あったものの一誠達は、ディオドラ戦の当日を迎えた。

 

 アーシアに本心を見せずに迫るディオドラをぶっ飛ばしてやる! と息巻くグレモリー眷属。しかし、ゲームが始まり、いざ、魔法陣で転移した先は、ゲームの舞台ではなく、どこぞの神殿らしき建造物の入口だった。

 

 そして、そこに現れたのはディオドラとその眷属だけでなく、数百数千という殺意を滾らせた旧魔王派の上級悪魔達。つまり、一誠達は、カオス・ブリゲード旧魔王派の襲撃を受けたのである。

 

 動揺する彼等は、その隙を突かれてディオドラにアーシアを連れ去られてしまう。ディオドラは、旧魔王派に通じていたのである。

 

 歯噛みする一誠達。数千に及ぼうかという上級悪魔達は、そんな一誠達に魔力弾の掃射を行おうとする。

 

 しかし、実際に、その殺意が一誠達に届くことはなかった。アザゼルの要請で駆けつけた北欧神話の主神オーディンが、その神槍グングニルと共に立ちはだかったからだ。

 

 オーディンの援護を受けて、一誠達はディオドラを追って神殿に突入する。道中、アザゼルから、旧魔王派が一斉蜂起しており、レーディングゲームを見に来ていた各同盟勢力のトップ陣が一網打尽の殲滅戦を繰り広げていると教えられながら。

 

 そして、ディオドラの眷属と激突し、彼等は圧倒的な力を以て大切な仲間であり家族でもあるアーシアの元へ駆けるのだった。

 

 

 

 

 そんな一誠達に、彼等を囮にして旧魔王派の一斉蜂起を誘発したアザゼルは少しの罪悪感を抱きつつ、とある場所に急行していた。旧魔王派は、あらかた片付けたので、あとは部下と他の勢力のトップ陣に任せておけばいいと。それよりも、自身の持つファーブニルの宝玉が反応したのが気になった。それも強い輝き。強力なドラゴンがいる証だ。

 

 アザゼルの記憶が確かなら、その方向にドラゴンはいないはずである。元五大龍王の一角タンニーンも今回の殲滅作戦には参加しているが、それは違う場所だ。なので、アザゼルは嫌な予感で胸中を満たしながら、その反応があった場所に向かっているのである。

 

 そして、見えた人影。視認できる距離まで来ても気配は見事に隠れている。一瞬の気配の発露がなければ、そしてアザゼルがファーブニルの宝玉を持っていなければ、彼も気がつく事は出来なかっただろう。

 

 一見、ただの人にしか感じられない黒髪ゴスロリの少女。しかし、先程、僅かに感じた気配とここに現れ得る強力なドラゴンとはどんな存在かという事を合わせて考えれば、聡明な堕天使の総督は答えに至る。

 

 内心、その答えに苦々しい思いをしながら冷や汗を流しつつ、畏怖の感情は微塵も顔に出さずに、その黒髪ゴスロリ少女の傍らに降り立った。

 

 少し前からアザゼルの接近に気がついていたはずの少女は、険しい表情のアザゼルを見て如何にも「しまったぁ!」という動揺を見せていた。アザゼルは、その少女が、そんな動揺を現している事に言い様のない違和感を覚えながらも、目を細めて話しかけた。

 

「お前自身が出張って来るとはな。……以前は老人の姿だったというのに、今は美少女様か? 何を考えている――オーフィス」

 

 そう、アザゼルの眼前にいるのは【無限の龍神】オーフィス――もとい東雲蓮である。もちろん、カオス・ブリゲードの拠点にいるミクの分身体である偽オーフィスの方ではなく、本物の方だ。

 

 なぜ、こんなところに蓮が一人で、しかも黒髪少女の姿でいるのか……それは、未だ未回収だった【蛇】の存在を感知し、退魔の任務で手が離せない伊織達を置いて回収に来たからである。

 

 オーフィスが蓮になってから二年。折を見ては、ばら撒いた蛇を回収してきた。いくら組織が分解して不穏分子が散らばる事を避けるためという理由や、旧魔王派の問題は現魔王が片付けるべきと思ってカオス・ブリゲードを潰さなかったとしても、ばら撒いたドーピング剤を放置することなど出来るはずもないからだ。

 

 ところが、ある程度蛇を回収し、更に、蛇を催促してくる構成員をのらりくらりとかわしている内に、彼等は、オーフィス(偽)に不審を抱き始めたようで、既に貰った蛇を回収されないよう特殊な術を掛けて隠すようになったのである。

 

 それからというもの、彼等がテロを起こす情報を得たり、蛇の気配を感知する度に駆けつけては、その場その場で回収を行ってきた。最近では、どの派閥もほとんどオーフィスを放置し、構成員を集める象徴として以外の役割を求めなかったので情報は中々得られず、今回も、後手に回ったのだが……

 

 慌てて駆けつけてみれば、旧魔王派と各勢力のトップ陣が戦争状態。こいつはヤバイ! と蓮は仕方なく、蛇の位置を探るためにドラゴンの力を一瞬だけ使ったのだ。それをアザゼルに感知されてしまったというわけである。

 

 さて、この二年、人間的な生活とニ〇ニ〇動画を初めとしたサブカルチャーにどっぷり浸かってきた蓮の感受性や情緒は、以前に比べ随分と豊かになっている。しかし、依子や伊織達の教えもあって他人への配慮や思いやる心というものは十分に持ち合わせている蓮だが、これが自分の事になると途端にポンコツになってしまう。

 

 つまり、自分が他人からどう見られているのかという事や、どう見せるべきなのかという事に関しては中々配慮できないのだ。演技や誤魔化し、嘘という分野が壊滅的なのである。蓮の変装が、髪色と身長、そしてドラゴンの気配の隠蔽以外、何もなくてもバレないのは、ひとえに、無限の龍神がニ〇ニ〇動画でニヨニヨしている訳が無いといった類の先入観のおかげだろう。

 

 つまり、アザゼルを前にした蓮がどういった行動を取るかというと、

 

「……アザゼルさん。チョリース」

 

 そうして、空気が死ぬわけである。

 

 人差し指と中指を揃えてピッ! と掲げて、実にチャライ感じの挨拶をするオーフィス。ここ数年の間に、こんな感じの挨拶を受けた事が多々あったと、有り得ない既視感を抱きながらアザゼルは硬直する。

 

 蓮は、うん? 聞こえてないのかな? とでも言うように、再び挨拶をした。挨拶は良好な関係を築くために最も大切なものだ。

 

「アザゼルさん、チョリース」

「………………………………………………………………………………………………………………………………何を考えている、オーフィス」

 

 どうやら、聞かなかった事にしたらしい。アザゼルは全く表情を変えず、いや、微妙に眉をピクピクと痙攣させているが、険しい表情のまま問い直した。

 

「素でスルーした。挨拶は最低限の礼儀。その年まで一体なにを学んできた? そんなだから、いつまで経っても結婚できない万年ボッチ総督と言われる」

「言われた事ねぇよ! だれが結婚できない万年ボッチ総督だぁ! 俺は結婚できないんじゃない! しないだけだ! って違ぇよ! 何なんだよ、何で俺、無限の龍神に常識説かれた挙句、罵倒されてんの!? お前、ホントにオーフィスだよな!? なんかノリが知り合いを彷彿とさせるんだが!?」

 

 アザゼルが、遂に堪えきれなくなって盛大にツッコミを入れた。オーフィスの有り得ない言動に、堕天使総督の精神が知らずに追い詰められる!

 

 アザゼルは、「いきなり叫び出して……ちょっとついていけないです」といった実に腹の立つ表情をしている蓮に青筋を浮かべつつ、一度咳払いして気を取り直すと、再び眼光に鋭さを宿した。

 

「んっ、んっ! まさかボスがひょっこり現れるなんてな。……俺は、ここで死力を尽くすべきか?」

 

 そう言いながらアザゼルは、光の槍を蓮に突きつける。

 

「無理……」

「ふっ、そうだろうな、俺では、龍神であるお前には…」

「例え、我を倒しても、第二、第三の我が必ず貴様を……」

「てめぇは、どこの魔王だよ!」

 

 どうあってもシリアスにならない空気に、アザゼルが地団駄を踏んだ。蓮は、そう言えば、アザゼルに構っている暇はないと思い出し、神殿の方へ歩き出そうとする。その華麗な放置プレイに、アザゼルが毛を逆立て怒りもあらわに詰め寄った。

 

「待ちやがれ。行かせると思ってんのか? 神殿に用事があるってことは、やはりディオドラに蛇を与えやがったな。何をする気はかは知らねぇが、あそこじゃあ若ぇ連中が気張ってんだ。あいつらの戦い、邪魔はさせねぇぞ」

「むぅ、尚更、急ぐ必要がある。邪魔したければすればいい。でも、アザゼルでは我を止められない」

 

 それはその通りで、既に見つかってしまったと龍神のオーラを解放した蓮に、アザゼルは内心で苦笑いしながら、それでも表情には不敵な笑みを浮かべた。

 

 と、そこへ空から重厚な声が降ってきた。

 

「では、二人ではどうだろうか?」

 

 風を纏い、その巨体で太陽の光を遮りながら舞い降りたのは元龍王のタンニーンだった。タンニーンは、その鋭い眼光に怒りを宿しながら蓮を睨みつける。

 

「若手達の戦いに茶々を入れるなど許さんぞ。オーフィス、一体何が目的なのだ! テロ組織の親玉など……何がそうさせるのだ! 答えろ! オーフィス」

 

 蓮は、滅茶苦茶キレているタンニーンを見て、色々面倒になってきたので、もういっそ、既にカオス・ブリゲードは抜けました! と言ってやろうかと思ったが何とか思い止まる。そして、なぜテロ組織の親玉をしたのか? と聞かれれば、こう答えるしかないだろうと口を開いた。

 

「ふっ、認めたくないものだな……自分自身の……若さ故の過ちというものを」

「……過ち?」

 

 どこかドヤ顔に見える蓮を前に、流石に予想斜め上の回答だったのか、タンニーンが困惑したように目を泳がせた。

 

 と、その時、突然、アザゼルの前方に魔法陣が出現し、そこから貴族服を纏った一人の男が現れた。転移して来たのはクルゼレイ・アスモデウスと名乗る旧魔王派の一人だった。不敵な笑みを浮かべながらアザゼルへ決闘を申し込もうとして、蓮の存在に気が付く。

 

「おぉ、オーフィスではないか。のらりくらりと役目も果たさず、どこをほっつき歩いているのかと思っていたが、我等の戦いに駆けつけてくれたか! ならば、同士達に蛇を頼む! お前が出し渋っているせいで、限られた者しか服用できなかったのだ!」

 

 クルゼレイの言葉に、アザゼルとタンニーンが警戒心丸出しで蓮に意識を向けた。しかし、当の蓮はというと、当然、そんな言葉に従うわけもなくポツリと呟く。

 

「まずは一匹、手間が省けてよかった」

「? 何を言っている? 早く、我等の同士に力を! 俺は、そこにいる堕天使の総督と決闘する。オーフィスの邪魔はさせんよ!」

「ふん、ここには元龍王がいることも忘れないでもらおうか。オーフィス、貴様には何としてもここで果てて貰おう」

 

 勝手に盛り上がる周囲を無視して、蓮はクルゼレイから蛇を回収しようと一歩を踏み出した。その瞬間……再び、転移用魔法陣が出現する。

 

 そこから現れたのは現魔王の一人、サーゼクス・ルシファー。

 

「次から次へと……イベントがちっとも進まない」

 

 若干、ゲーム脳の気がある蓮が、面倒そうに眉を顰めた。スキップできない不要なイベントは苦痛でしかないのだ。

 

 そんな蓮を置いて、サーゼクス達が現行体制や和平同盟について議論……にもなっていない茶番を繰り広げている。

 

 すると、クルゼレイとの交渉が失敗したサーゼクスの視線がオーフィスを捉えた。

 

「オーフィス。貴殿との交渉も無駄なのだろうか?」

「いつでもおk。と言いたいところだけど、いお……ゴホンッ、帰っておばあちゃんにも相談してみないと」

「「「……は?」」」

 

 半ば諦観と共に蓮に尋ねたサーゼクスだったが、予想外に軽い了承と、予想の斜め上にぶっ飛んだ留保が帰ってきてアザゼルやタンニーンと一緒に間抜けな声を漏らした。

 

 そして、三人と同じように間抜け面を晒しているクルゼレイに、今度こそ歩みを進める。いい加減、残り二匹の蛇の反応があった神殿の方にいる一誠達が心配だったのだ。

 

 真っ直ぐ自分を見つめなら近寄ってくる蓮に、言い知れぬ不安を掻き立てられたクルゼレイは険しい表情になった。

 

「オーフィス。お前の行動原理は元々理解し難ものがあったが……とうとう、狂いでもしたか?」

「我を狂人と申したか。失礼な。廃人とはよく言われるけども……」

 

 その返答にもついて行けない、政治的思想を離れれば至って健全であるクルゼレイ。そんな彼に、蓮は、この場の誰もが驚く爆弾発言を落とした。

 

「ククルゼイ。我の蛇、返してもらう」

「クルゼレイだ。……返す? 何を言っている。これから、愚かなサーゼクスを堕天使の総督や元龍王共々葬るのだ。むしろ、もっと欲しいくらいだぞ」

「クルルゼイ。クレクレ厨はマナー違反。レベルは地道に上げるべき。大丈夫、慣れれば意識を飛ばしながらでも、レベル上げは出来る。体が覚えるから」

「クルゼレイだ! オーフィス、お前の言っている事は何一つ理解できない! 本当にお前はオーフィスなのか!? 以前は、少なくとも会話は成立したぞ!」

 

 クルゼレイが得体のしれないものを見るように、若干、恐れを抱きながら後退った。ついでに、蛇の力を発動させて魔力弾を展開する。

 

 傍らで、サーゼクスが困惑したようにアザゼルを見た。視線で助けを求められたアザゼルだったが、彼もまた意味不明度が増した無限の龍神に頭を抱えている。ただ、アザゼルの脳裏に、数年前から付き合いのあるオタク少女の影がチラついており、小声で「まさか、いや、そんな……」とブツブツ呟いている。

 

「クルルルン。お前がサーゼクスと戦うのは止めない。それはお前の自由。でも、それに我の力を使う事は許さない。渡さないというなら無理矢理でも返してもらう」

「ク・ル・ゼ・レ・イ・だ! オーフィス、貴様、裏切る気か! いや、そうか! 数年前からお前の蛇が少なくなっていたのは、誰かが消滅させていたからではなく、お前自身が回収していたからか! なぜだ! 貴様は自分の目的の為、我等と手を組んだのではなかったのか! なぜだ、なぜ今更!」

「ググれカス。五秒あげる。自分で返すか、殴られて取り返されるか選べ」

 

 その問答無用の態度とまさかの裏切りにクルゼレイは歯噛みした。い~ち、に~と間延びしたイラっと来るカウントダウンを聞きながら、なぜ、なぜと思考は堂々巡りする。まさか、“龍神”でググったら、本当に理由の一端が検索されるとは思いもしないだろう。今の龍神様は、次元の狭間を泳ぐより、ネットの海を泳ぐ方が好きなのだ。

 

 そして、カウントストップ。恐慌を来たしたクルゼレイは、咄嗟に蓮に向けて魔力弾を連射する。しかし、そんな攻撃を食らう蓮ではない。避けることもせずに正面から突っ込むと、バスッ! と音を響かせてクルゼレイの腹に手刀を突き込んだ。

 

「ガハッ! オ゛ーフィス…きさま……」

「ん、確かに返してもらった。傷は塞ぐ。後は好きに戦うといい」

「おのれぇ~」

 

 蓮はそれだけ言うとズボッ! と腕を引き抜き、言葉通りクルゼレイを癒すともう用はないと踵を返した。

 

 そのまま神殿に向かおうとする蓮に、クルゼレイが魔力弾を放つ。先程のそれに比べれば目に見えて威力が減衰している。それでも最上級クラスはあるのだが、背後から直撃したそれは、蓮に何の痛痒も与えない。

 

「? ノーコン過ぎる。Dex(器用さ)にSPを振るべき」

 

 どうやら、サーゼクスを狙おうとして自分に当たったと思ったようだ。自分とサーゼクスの距離を見て、蓮のクルゼレイを見る目が哀れみに満ちる。それを見てクルゼレイの顔が屈辱に歪む。

 

「くっ……蛇が無ければ、サーゼクスを相手にはっ! オーフィス!」

 

 クルゼレイの叫びが木霊する。屈辱と怒りに震えながらも、その相手に力を寄越せと手を伸ばす。そんなクルゼレイに、蓮は呆れたような表情で頭を振った。現行体制が気に食わないと言いながら、自ら研鑽を積むこともなく、道を違えた相手にすら縋って力を求める。その根本にあるのが破壊欲、支配欲だというのだから、これを無様と言わずしてなんと言おうか。

 

 傍らに寄り添う家族の魂の煌めきを知っているが故に、クルゼレイは、蓮にとって見るに堪えないものだった。蓮の視線が、クルゼレイからサーゼクスに向けられる。

 

「これも魔王の役目。我は手を出さない。好きにするといい」

「それは……元より、そのつもりで来たのだよ。だが、オーフィス。貴殿は一体……」

 

 カオス・ブリゲードの親玉であるはずのオーフィスが、何故か旧魔王派から分け与えた力を奪い取った挙句、その処遇をサーゼクスに任せるという展開に、サーゼクスが、その真意を尋ねようとする。

 

が、その前に、蓮は神殿の方で蛇の力が膨れ上がる気配を感じた。

 

「む? これは不味い」

 

 自分の蛇で被害が拡大しては伊織達との生活に陰が差してしまう。自業自得とはいえ、それは非常に困るのだ。何より、自分のせいで誰かが理不尽に傷つくというのは見逃せない。伊織達と共に在って、そう思うようになったのだ。

 

 なので、蓮の言動に困惑しながら顔を見合わせているサーゼクスやアザゼル達を置いて、蓮は一気に神殿へと飛び出していった。

 

 龍神の本気の移動に、咄嗟に反応できなかったアザゼル達。何事かと暫し呆然とするものの、蓮の向かった先が神殿だと分かると顔色を変えた。そこにはサーゼクスの妹とその眷属達がいるのだ。オーフィスの言動に疑問を感じるところは多々あるものの放置は出来ない。

 

「サーゼクスっ!」

「ああ、行ってくれ、アザゼル。タンニーンも。クルゼレイは私が相手をする」

 

 アザゼルの呼び掛けに、サーゼクスもすかさず了承する。それに頷いて、アザゼルとタンニーンは、無限の龍神を追って飛び出していった。

 




いかがでしたか?

カオスブリゲードの偽オーフィスは既に要らない子扱いされています。
完全にただの旗頭ですね。
なので、情報を得られず旧魔王派の襲撃は原作通りとしました。
というか、ここで蓮に活躍させたいがためのご都合主義です。

毎度、感想有難うございます。
やはり対応が甘いという意見が多いですね。
しかし、賠償やら条件やらの詳しい内容に言及して甘さを補完するようなシーンを書く予定はないので不満かもしれませんが、一つスルーしていただけると嬉しいです。
いや、作者的にこの作品でそういうの書くのホントに楽しくないんです(汗
最終的にみんな仲良しという、昔によくあったような温る甘が楽しいので、一つ宜しくお願いします。

明日も、18時に更新します。


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第45話 こんな龍神様は嫌だ!

 その一連の出来事は、同時に起きた。

 

 一誠達がディオドラの元へ辿り着き、その下劣な企みをドラゴンの力を以て叩き潰し、そして、アーシアを捉えていた神滅具【絶霧】の禁手【霧の中の理想郷】により作り出された結界装置を破壊して再会を喜びあったあと、帰途に着こうしたとき。

 

 まず、アーシアが笑顔で一誠のもとへ駆け出した。次に、神殿の壁一面が粉砕され視認も出来ない程の速度で黒い影が飛び込んできた。そして、その黒い影がアーシアに到達した刹那、眩い光が空間を満たしアーシアと黒い影が光の柱に呑み込まれ――アーシアが消えた。

 

「アーシア?」

 

 呆然と消えた彼女の名を呟く一誠。その場の誰もが、今起きた現実を認められなくて、理解したくなくて、ただ呆然とアーシアが消えた場所を見つめている。消える一瞬前、人影のようなものが見えた気がしたが、そんな事は頭の中から綺麗に飛んでいる。

 

 あるのは、ただ胸にポッカリと穴が空いたような喪失感。

 

 そこへ、リアス達の知らない男の声が響き渡る。彼の名はシャルバ・ベルゼブブ。旧魔王派の一人で、ディオドラにオーフィスの蛇を渡し、自らも蛇によって前魔王クラスにまで力を高めている男だ。

 

 狙いは、魔王の身内から殺していくこと。つまり、リアス達の抹殺だ。アーシアを真っ先に狙ったのは、その方が絶望が深くなるという下衆な発想のためである。

 

 シャルバは、助けを求めるディオドラをあっさり殺し、激昂して飛び掛ったゼノヴィアをあっさり地に伏せさせた。

 

 そこへ、先程、突然崩壊した神殿の壁からアザゼルが飛び込んで来た。更に壊れた壁の外に少し大きさを調整したタンニーンの姿も見える。

 

 アザゼルは様子のおかしい一誠達に一瞬訝しげにな表情になるものの、強大で危険なオーラを放っている男へ直ぐに油断のない視線を向けた。

 

「てめぇは……シャルバ・ベルゼブブか」

「ほぅ、この結界内に入って来られたか、アザゼル。薄汚い堕ちた天使の総督よ。ちょうどいい、下劣な転生悪魔や汚物同然のトカゲ共々、あの娘のように次元の彼方へ消し飛ばしてやろう」

「あぁ? あの娘?」

 

 そこで漸くアザゼルも、一人グレモリー眷属のメンバーが足りない事に気がついた。そして、一誠達の様子と、シャルバの言葉に表情を青ざめさせる。リアスが、いつのもの元気が嘘のように虚ろな目をする一誠を抱き抱えながら、涙を流してアザゼルに頭を振った。

 

「アザゼル……アーシアが……アーシアが……」

「っ……いや、まて! なら、あいつはどこだ! あいつが先にッ『ドォオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!!』……これは、一誠っ!」

 

 アザゼルが、何かに気がついたように言葉を発するが、それを遮るように、突如、神殿全体が激しく揺れ、一誠を中心に赤いオーラが広がり始めた。その血のように赤いオーラは、誰かが言葉にするまでもなく途轍もない危険な性質を秘めていると分かる。

 

 そこへ、赤龍帝ドライグの静かな声が響いた。

 

『アザゼル、それにタンニーンよ。いいところに来た。リアス・グレモリー達を連れて一刻も早く退去しろ』

「ドライグッ、まさかっ! よせっ、一誠! それを発動するな!」

「正気に戻れ、兵藤一誠っ! 全てを失う気か! お前にはまだ守らねばならん者達がいるだろう!」

 

 ドライグの警告で、その意味するところを悟ったアザゼルがリアスを引き離しながら一誠に呼びかける。タンニーンも神殿内に乗り込み他の眷属達の盾になりながら、一誠を止めようとする。

 

 しかし、既に、一誠にはそれらの声を聞く理性は残っていない。ドライグがシャルバに言う。お前は選択を間違えたのだと。

 

 直後、一誠の口から老若男女が幾人も入り混じったような奇怪な声音が響き渡った。それは、神滅具【赤龍帝の籠手】の忌まわしき力の一つ。【覇龍】発動の呪文だ。

 

『我、目覚めるは――』

 

 それにアザゼルもタンニーンも焦燥を滲ませる。なにせ、一度それが発動してしまえば、発動の衝撃だけで人間の都市なら丸ごと吹き飛んでしまう程なのだ。

 

「くそ、間に合わねぇ! お前等、ここから離れるぞ!」

「でも、イッセーが……私は……」

 

 渋るリアスを、アザゼルは無理やり連れ出そうとする。タンニーンも、イチかバチか【覇龍】を発動する前に一誠を抑え込もうかと考えたが、【覇龍】のオーラに打ち勝てるかは微妙なところ。万一、失敗した場合のグレモリー眷属の事を考えれば、部の悪い賭けには出られなかった。

 

 そして、グズグズしている間に、一誠の詠唱が完了しようとする。

 

『我、赤き龍の覇王と――』

 

 その瞬間だった。

 

「我、参上」

 

 場の空気を読まないテンション高めの声音、言葉と共に、突然現れた人影が一誠の頭部を鷲掴みにして地面に叩きつけた挙句、右手を顔の前にかざし、左手は下げたまま肩を少し上げるという実に香ばしいポーズ(ジョジョ立ち)を決めたのは。

 

 しかし、一誠から溢れ出る赤いオーラは止まらない。むしろ、より一層輝きを増していき、呪文も合わせて続けられる。

 

『成りて、汝を紅蓮の――』

「無駄」

 

 そこへ追撃の拳! 一誠の口が物理的に閉じられる! だが、赤いオーラは抵抗するように荒れ狂い、一誠の口も隙あらば残り僅かの呪文を唱えようとする。

 

 故に! 更に容赦のない追撃追撃追撃追撃追撃追撃追撃追撃追撃!!!!

 

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!!!」

 

 仰向けにした一誠に馬乗りになりながら、オーラを纏わせた龍神様の往復ビンタが炸裂する! 一誠の体はぶたれる度にビクンッ! ビクンッ! と痙攣し続け、その身から溢れ出す膨大な赤いオーラも、無限に湧き出す黒いオーラに力尽くで抑え込まれる。

 

 一体、そんな非常識極まりない光景がどれくらい続いたのか。誰もが突然現れた黒髪ゴスロリ少女の暴挙に唖然としたまま硬直していると、ドライグのちょっと焦り気味の声が響いた。

 

『お、おい! オーフィス! それくらいにしてくれ! もう大丈夫だ! これ以上やると相棒が昇天してしまう!』

「無駄無駄無駄ァーーん? ……ふむ、ドライグ、おひさ」

『マイペースかっ! いや、そもそも何故、お前が……。口調もおかしい……』

「問題ない。少なくとも、ドライグの宿主よりは」

『辛辣すぎる! そして否定できないのが辛すぎる!』

 

 一誠の顔面をパンパンに腫れ上がらせ、ドライグをも弄った黒髪ゴスロリ少女――蓮は、一誠の上から退くと、トテトテと硬直するリアス達の脇を通り抜けて背後へと向かう。

 

 そして、そこに横たわっていた金髪少女をヒョイっとお姫様抱っこして再び戻って来た。

 

「え? えっ? ア、アーシア?」

「う、うそ、ホントに? ホントにアーシアなのか?」

 

 リアスとゼノヴィアが震える声音で目をこれでもかと見開く。蓮は、そんな彼女達に一瞬だけ微笑むと、オーラを少しだけ当ててアーシアを覚醒させた。

 

「んぅ……あれ? ここは……え? 私、確か……えっと、貴方は……」

「我は、れ…ゴホンッ!! オーフィス。アーシアを助けた」

 

 寝起きで混乱しているアーシアに、優しく語りかける蓮。少し正体をばらしそうになったが、直ぐに言い直したので大丈夫だろう。アザゼルが、僅かに目を細めた気がしたが、大丈夫なはずだ! と蓮は自分に言い聞かせる。

 

 そんなオーフィスとアーシアの遣り取りで、本当にアーシアが生きているのだと理解し、真っ先にゼノヴィアが飛び込んできた。

 

 アーシアを彼女達の傍に降ろすと、かつて、九重が伊織達と再会した時のようにゼノヴィアに続いてリアスや朱乃、子猫がアーシアに飛び付いて、わんわんと嬉し泣きをする。

 

 その光景を見ながら、どうにか間に合って最悪の事態は避けられたようだと、自分の大切な家族を重ねて、蓮はほっこりした笑みを浮かべた。アザゼルが、更に目を細め、タンニーンは信じられないといった表情で蓮を見る。

 

 そして、もう一人。

 

 怒りからか、それとも驚愕からか、あるいはその両方からか、震える声でシャルバが言葉を発する。

 

「……これは、何だ? 何が起きている? 何故、貴様がここにいるのだ? 何故、貴様がその娘を助けているっ! 何故、赤い汚物を止めたのだっ!! 貴様はっ、貴様はっ! 一体、何を考えている! オーフィスぅうう!!!」

 

 シャルバが、血管がキレそうなほど絶叫を上げて、極大の光を放った。向かう先は、気を失って倒れている一誠だ。ドライグから焦燥が伝わる。

 

 だが、上級悪魔であるディオドラを僅かな抵抗も許さず滅したその光の特大版が一誠を滅する事はなかった。瞬間移動じみた速度で一誠を守るように立ちはだかった蓮が、片手でパシッ! と払い除けてしまったからだ。

 

 ドライグが、再び「なぜ、お前が俺達を……」と呟いている。

 

 そして、やはり、この場にいる者を守っているとしか思えない無限の龍神の行動に、シャルバの表情が狂気に彩られた。思い通りに行かない現実――それがよりによって、自分が所属する組織の親玉の裏切りによるのだ。既に旧魔王派のほとんどが討たれている事もあり、シャルバの心情は、まるで荒れ狂う台風の如くだった。

 

「シャルバ、我の蛇、返して。ちなみに、拒否権はない」

「こ、この期に及んで…最初に言う事がそれか……ドラゴンという存在は、どこまで私の邪魔をすれば気が済むのだぁ!!!」

「……もう、この展開は飽きた。若さ故の過ち……まさに黒歴史」

 

 シャルバが、全員を巻き込むような莫大なオーラを光に込めて流星のように降らせようとする。しかし、先程のクルゼレイの焼き直しか。いつの間にか、シャルバの懐に潜り込んでいた蓮は、手刀を突き込んで蛇を難なく回収した。

 

 一気に減少した己のオーラに歯噛みするシャルバ。

 

「おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれぇーー」

 

 壊れたように怨嗟の声を吐き出し続ける。血走った眼差しが、何より雄弁に憎しみを伝えていた。

 

 それでも、我を忘れ無謀な特攻をしないだけの理性はあるようだ。蛇を失った状態では、蓮はもちろんのこと、アザゼルやタンニーンまでいるこの戦場で生き残れる要素はない。

 

「この屈辱は忘れん! いつか必ず、貴様等全員を、絶望と苦痛の果てに嬲り殺してくれる!」

 

 そう言って、撤退しようとするシャルバ。そこに蓮の龍神とは思えないふざけた言葉が降りかかる。

 

「ところがぎっちょん、魔王様からは逃げられない。サモン!【紅髪の魔王】!」

 

 一応、言っておくと蓮に“召喚術”といったものの心得はない。単に、魔力にものを言わせた強制転移である。“サモン”と叫んだのは、その場のノリだ。アザゼルの眼差しが更に疑いの色を強める中、呼び出されたのは、もちろんクルゼレイを始末し終えた魔王サーゼクス・ルシファーである。

 

「おや? 私を転移させるなんて……ああ、いや、確かに貴殿なら何の問題もないね。それで、一体、私は……」

「サーゼクス! GOーー!!」

「……オーフィス。貴殿とは、一度、じっくり話し合うべきだと思うんだ」

 

 いきなり現れた魔王にシャルバが驚愕と共に憎悪の炎を滾らせる。グレモリー眷属は、もはや驚く事に疲れたようだ。蓮がシャルバと遣り合っている間に、アザゼルからオーフィスという存在の説明を聞いたようで、「わけがわからない、という事がよくわかった」という表情で納得する事にしたらしい。

 

 一方、突然、強制転移させられた挙句、なぜか召喚モンスターに対するような命令を受けたサーゼクスは、頬をピクらせつつも、シャルバや倒れている一誠などを見て大体の事情を察したようだ。

 

 それ故に、旧魔王派との対話のチャンスをくれたオーフィスに、内心で感謝と戸惑いを感じつつ、シャルバにその鋭い視線を向けた。

 

 シャルバは、逃げるべきだとは分かっていても、自分に屈辱を与えた張本人が目の前にいるにもかかわらず尻尾巻いて逃げる事に激しい抵抗を感じ動けないでいた。そして、それは逃亡の千載一遇のチャンスを逃したこととイコールである。

 

「シャルバ……どうか、矛を収めてくれないか? 共に、冥界の未来のために、次代を担う子供達のために……私は、話し合いの場を設け――」

「黙れ! もはや、語る言葉などない! 汚れた悪魔は一掃する。貴様等に未来などないのだ!」

 

 クルゼレイにしたように説得の言葉を投げかけるサーゼクス。しかし、結果は分かりきったもの。サーゼクスの言葉に侮られたと感じたシャルバは、遂に戦闘を始めてしまう。その結果も、やはり明白だった。

 

「がっ!? ぐぅ……悪魔の面汚し…どもめぇ。貴様等…全員、呪われろ……」

 

 サーゼクスの【滅殺の魔弾】により、一瞬で体の半分を消し飛ばされたシャルバは、最後に、怨嗟の言葉を撒き散らした。サーゼクスは瞑目しながら腕を振るい、シャルバに止めを刺した。

 

 静寂が辺りを包み込む中、アーシアの治療の甲斐あって一誠が目を覚ます。目の前に失ったはずの愛おしい女の子がいるとわかり、テンプレ通り頬を抓って現実か確かめると、二度と離さないとでも言うようにギュウウウ!! と抱きしめた。

 

 感動の再会に、リアス達だけでなく、やり切れなさそうに気分を落としていたサーゼクスも涙ぐんで喜びをあらわにする。タンニーンも、一応、一誠の禁手の師匠にあたるので、弟子の無事を喜んだ。

 

 と、その時、不意に神殿から覗く空の一部がバチバチッ! と放電するような轟音を轟かせた。そして、空間に巨大な穴が空いていく。

 

「……グレートレッド……これはチャンス」

 

 その穴から溢れ出した気配に懐かしさを感じ、せっかくだからと蓮は神殿から飛び出していいた。

 

 冥界の空に現れた強大で絶大な気配に、一誠達やサーゼクス、アザゼルにタンニーンも蓮に続いて壊れた壁から外に出る。そして、空を泳ぐ巨大な生き物――【真なる赤龍神帝】グレートレッドを目撃した。

 

 蓮の傍らに寄りながら、一誠達が瞠目する。悠々と空を泳ぐ真龍を、アザゼルの板に付いた解説を聞きながら、ただただ呆然と見つめた。

 

 そこへ、空間の裂け目から一誠の宿命のライバルがやって来る。白龍皇ヴァーリだ。その仲間もいる。

 

「ヴァーリッ!」

「落ち着け。今、お前達と戦うつもりはない。俺達は、あれを見に来ただけだ」

 

 いきり立つ一誠達に向かって、涼しい顔で返事をしながら、しかし、その眼差しはどこまでもギラついて真っ直ぐグレートレッドへ向いている。

 

 そして、胡乱な眼を向ける一誠達に、いつかグレートレッドを倒して真なる白龍神皇になりたいのだと力強く語った。その口ぶりから、本当にただ己の目標を一目確認しに来たのだと理解し矛を収める一誠達。

 

 そんな一誠達を尻目に、ヴァーリは蓮に話かける。かなりの困惑を含んだ声音で。

 

「……で? オーフィス。君はさっきから、一体何をしているんだ?」

「ん? 見ての通り、写メってる」

「ああ、いや、うん、それは見ればわかるよ。俺が聞きたいのは、なぜ、そんな事をしているのかという事と……そもそも、なぜスマホを持っていて、しかも使いこなしているのかと言うことなんだが……」

 

 全員が「こんな龍神様は嫌だ!」と言わんばかりに眼を逸らしていたのだが、遂にヴァーリがツッコミを入れてしまったので意識を向ける。

 

 そこには幻覚だと信じたかった嘘のような光景――無限の龍神が、スマホ片手にグレートレッドを激写している姿があった。しかも、やたらと様になっている。普段から使い慣れている事が丸分かりだった。

 

 困惑を深めるヴァーリに、蓮は被写体(グレートレッド)から眼を離さず、撮影しながら返答する。

 

「龍神は、常に時代の先をゆく。グレートレッド――CGでもMMDでもない。実写版真龍……ニ〇ニ〇動画は今日革新する! ふふ、ミリオンは確実。龍神pは新たな伝説を築く!」

「ダメだ。意味が分からない……アルビオン、同じドラゴンなら分かるか? 通訳を頼む」

『……ヴァーリ、無茶を言うな。私とて混乱しているのだ。あれは何なんだ? 本当にオーフィスか? 赤いのといい、一体、今のドラゴン達はどうしてしまったというのだ……』

 

 嘆く白龍皇アルビオンに、ドライグが暗にお前はどうかしていると言われた気がして同じく嘆き始めた。変態なのは一誠であって自分ではないと必死に訴える。そんなドライグの悲痛な叫びを尻目、ヴァーリはカオス・ブリゲードの一人として最低限の確認を取ろうとする。

 

「オーフィス。君は、グレートレッドを倒し、次元の狭間へ帰ることが目的だろう? そこで静寂を得たいがためにカオス・ブリゲードのトップをしているはずだ。にもかかわらず、最近の君からは全く協力姿勢が見えない。グレートレッドに対する執念も感じない……君は一体、何をどうしたいんだ?」

 

 ヴァーリの口から伝えられたオーフィスの目的に、その場にいる者達が目を丸くして連を見た。確かに、それは昔のオーフィスの願いだった。そして、カオス・ブリゲードにいるオーフィス(偽)の建前もそういうことで通している。

 

 蓮は、動画モードでの撮影に切り替えながらヴァーリの質問をはぐらかす。一応、蓮イコールオーフィスという事はまだ隠しているので本当の事は言えない。しかし、嘘は苦手なので、そのまま本心を伝える事にした。

 

「グレートレッドは可哀想」

「か、可哀想?」

「自ら次元の狭間に住み、永遠にそこを飛び続けてる。何もない場所で、ずっと。つまり――究極の引き籠もり」

「……」

 

 一体、何が言いたんだと全員が首を捻った。アザゼルだけ、何となく蓮が言いたい事を察しているのか、完全に何かを確信したような顔で遠い目になっている。

 

「特に何をするでもなく日がな一日だらだらして、偶にああやって出てきても誰とも話さない。無気力症候群でコミュ障を併発してる。そう、言うなれば真なる赤龍神帝ではなく“真なるボッチ神帝”。ボッチ界と引き籠もり界の神! 真籠(しんろう)! グレートボッチ!」

『偉大なるドラゴンに何て事を……オーフィス、お前のグレートレッドへの憎しみはそれほどまでに深いのか!』

『グレートボッチ……ふふ、遂に仲間が出来たか……グレートレッドでさえ、こんな扱い……俺が、乳龍帝と言われても不思議じゃない。今は、きっとそういう時代なんだ……ふふ』

 

 白龍が慄き、赤龍が壊れる。きっと、蓮の言葉が聞こえていたら、グレートレッドによって冥界ごと消し飛ばされていただろう。サーゼクス達が、目に見えて頬を引き攣らせている。

 

 蓮は、肩を竦めると頭を振る。

 

「可哀想なドラゴンであるグレートレッド。リンチにするのは忍びない。今しばらく、様子を見る」

「なるほど、全く意味が分からないよ。オーフィス、君は、最終的にグレートレッドを倒せればいいと、随分気の長い様子だった。つまり、今までと同じという事だと理解しておくよ」

「それで、おk」

 

 何か勝手に勘違いしてくれてラッキーと、蓮は眉間を揉み解すヴァーリを放置する。ヴァーリ達は、取り敢えず、グレートレッドを見るという目的は達成した事と、これ以上、オーフィスとの会話は堪えると思ったのか、僅かな挨拶をしたあと、次元の裂け目へと消えていった。

 

 そして、蓮もまた、くるり踵を返した。どう見ても、「じゃあ、帰ります」という雰囲気。

 

 気が付けば、いつの間にグレートレッドも次元の狭間に戻っており、冥界の空はいつもの様相を取り戻していた。もう、ここに用はないということだ。むしろ、長居し過ぎであると、スマホで時間を確認して蓮は少し焦り気味になる。もう伊織達の仕事も終わっている頃だし、東雲ホームでは晩御飯の時間である。

 

 しかも、危うく正体がばれるところだった。かなりの失態である。本人にその自覚があるかは微妙だが。

 

 当然、帰宅しようとする蓮にアザゼルが声をかける。

 

「おいおい、オーフィス。何も言わずに帰る気か? お前には聞きたい事が山ほどあるんだ。……なぜ、アーシアや一誠を助けたのか。なぜ、蛇を強引に回収したのか。カオス・ブリゲードの親玉やってやがるくせに、実際には敵対勢力を助けて味方を妨害する……お前のしていることは滅茶苦茶だ。納得のいく説明をくれねぇか?」

「無理。用事がある」

 

 にべもなく断る蓮。用事があるのは本当だ。何せ晩御飯の時間が迫っている。東雲ホームの食卓は、基本全員でとるのがルールだ。無事に蛇を回収できて、被害らしい被害もでなかった。どうやらアザゼルも誤魔化せたようだ。故に、既にその頭の中は、依子の絶品料理へのワクテカと、伊織達は怪我とかしてないだろうか? という家族への想いで占められている。

 

 そんな蓮に、アザゼルはスっと目を細めた。蓮は、面倒になりそうだと予感して、さっさと離脱しようする。

 

「そうか。用事があるなら仕方ないな。引き止めて悪かった。今回はありがとよ。色々助かったぜ」

「? どういたしまして?」

 

 しかし、アザゼルの反応はあっさりしたもの。蓮の離脱をあっさり認めると、引き止めようとするサーゼクス達を抑えてにこやかに送り出す。

 

 蓮は、そんなアザゼルの態度に少し首を傾げたものの、さっさと帰れるならそれに越したことはないと収穫の多かった今回の事件の結果に気持ちをルンルンさせながら背を向けた。

 

 遠足は家に帰るまでが遠足――何ていう言葉は、誰もが一度は言い聞かせられた言葉だ。それは、楽しいイベントが終わって弛緩した精神では、帰り道に会うかもしれない危険への対処がお粗末になるから。蓮も聞いた事のある言葉なのだが……この時は完全に油断していた。

 

 なので、

 

「ああ、そうだ。伊織にも礼を言っといてくれ、()

「わかった。伝えと………………我、オーフィス。伊織、蓮、知ラナイ」

「急に、片言になったな。動揺し過ぎだろう」

 

 こういうことになる。アザゼルが一端、蓮の離脱を認めたのは隙を作るためだ。

 

「動揺? 何のことかわからない。我は動画をうpする使命があるから、これで失礼する」

「お前、誤魔化す気ないだろう? まぁ、先入観とか現実逃避とか、それ以外にも色々とあって、俺も気が付くのが遅れたが……冷静に思い返せば、むしろ気が付いて欲しいのかと思うほど全く誤魔化せてないからな? 俺に、チョリース何てチャライ挨拶をする奴は後にも先にお前だけだ。一度気が付けば、もう蓮にしか見えねぇよ」

「……我、オワタ」

 

 確信と共に告げられる断定に、オーフィスがガクリッと崩れ落ちた。

 

 アザゼルの物言いに、一誠達やサーゼクスがどういう事かと説明を求める。それに対して告げられた事実。目の前で四つん這いになっている龍神様の正体が、あの東雲蓮であるという事に、全員がギョッとして一斉に視線を蓮に向けた。

 

「で? どういう事だ? お前はカオス・ブリゲードの頭じゃねぇのか? なぜ、伊織達と共にいる? 有り得ねぇとは思うが、まさか伊織もカオス・ブリゲードの一人なのか? そもそもどうして、東雲蓮なんて名乗っている?」

 

 矢継ぎ早に繰り出される疑問。正体を看破したとはいえ、やはり信じ難い気持ちが強いのだろう。アザゼルも見た目ほど冷静ではなく、かなり動揺しているようだ。なにせ、そうとは知らず二年もの間、無限の龍神と交流があったという事になるのだから。

 

「べ、弁護士を要求する」

 

 アザゼルにばれてしまった以上、これからも付き合いのある相手なのではぐらかすことは出来ないと悟り、蓮は、そんな事を言った。この場合の弁護士とは言わずもがなである。

 

「そりゃあいいな。是非、来てもらってくれ。俺も直接話したい。その弁護士さんとやらにな!」

 

 蓮は、嫌そうな顔でスマホを取り出すと、伊織の番号に掛け始めた。この時、一誠達は、ここ冥界なのに何で繋がるんだ? と疑問に思ったが、それ以上に衝撃の事実が重なっていたのでスルーした。ちなみに、繋がる理由は、デバイス技術の応用――龍神カスタムである。

 

 数回のコールのあと、プッと音を立てて通信が繋がる。スマホから若い男――伊織の声が聞こえ始めた。

 

『蓮か? どうした? 何かあったか?』

『大佐、緊急事態発生。指示を乞う』

『は? 取り敢えず、今北産業で』

『蛇回収中に不良中年現る。

 誤魔化しがむしろ致命傷。

 我、オワタ。

 今ここ』

『おk、把握……って乗ってる場合じゃないな。あ~、もしかして目の前に勢揃いな感じか?』

『ん。万年ボッチ総督と紅髪シスコン魔王、乳龍帝とその愉快な仲間達。あと、一番まともだけど、それ故に影が薄い元龍王がいる』

 

 蓮のあんまりな呼び方に、全員が一斉に抗議の声を上げた。特に、タンニーンに至っては「影が薄い、影が……」と呟いて項垂れてしまった。

 

『はぁ~、それじゃあ適当は出来ないな。カオス・ブリゲードの関係者と思われても仕方ない状況だ。きちんと説明しよう。直ぐそっちに転移する。座標送ってくれ』

『了解』

 

 蓮が、一端電話を切って流麗な手つきでスマホを操作すると、その数秒後には、眼前にベルカ式の転移魔法陣が出現し伊織達が現れた。

 

「あ~、アザゼルさん、どうも」

「どうもじゃねぇよ。どういう事か、きっちり説明してもらうぞ」

「ええ、わかってます。このままテロリストの一味と判断されるのは困りますからね。取り敢えず、落ち着ける場所ってありますか?」

 

 伊織の言葉に、確かに腰を据えて話し合う必要があるだろうとアザゼルも頷き、サーゼクスに目配せする。それを受けてサーゼクスはグレモリーの屋敷の一室を用意した。

 

 事が事だけに、事情がはっきりするまでは、余り周囲に知られない方がいいだろうという配慮だ。伊織達もその方が助かるので直ぐに了承する。なお、タンニーンは、後で教えてくれればいいと、事後処理の方に向かった。ドラゴンを取りまとめる役が彼しかいないので行かざるを得ないのだ。

 

 そして、一行は、グレモリーの屋敷の一室にあるソファーで対面することになった。そこで、アザゼルの疑問に答えていく。

 

 すなわち、二年前、【魔獣創造】の禁手に目覚めた伊織のもとへ、オーフィスがグレートレッド討伐の協力を仰ぎにやって来たこと、それを伊織が断り紆余曲折を経て東雲家に迎え入れられたこと、それから二年、東雲蓮として生きながら、カオス・ブリゲードの方にはミクの能力で偽物を送り込んだことなどだ。

 

「なぜ、テロ組織とわかっていながら何もしなかった?」

 

 アザゼルが当然の疑問を投げかける。伊織の在り方を思えば、直ぐにでも潰しに行きそうだと思うのは自然な考えだ。

 

「悪と断じきる事が出来ませんでした。例え、稚拙に感じられても、旧魔王派にはそれぞれ己の信じる主義主張があった。なら、それに相対すべきは現魔王方だと判断したんです」

「だが、奴らは……」

「もちろん、彼等はテロリストですから野放しには出来ません。偽オーフィスから情報を流して貰って、蓮が過去にばら撒いた蛇の回収や、現魔王派と関係のない者への襲撃は潰したりしました。現魔王派と関係のある場合でも、それが蛇を使用したものであれば、妨害しました」

「……確かに、そういう報告は幾つか受けているね。グラシャボラス家の次期当主も危ういところを謎の人物に救われたと言っていた」

 

 サーゼクスが、それが伊織達だったのかと納得顔を見せる。

 

「俺のところへカオス・ブリゲードの情報が都合よく流れていたのは……」

「俺達ですね。あと、安易にカオス・ブリゲードを潰しにかかれなかったのは、オーフィスという存在がプロパガンダだったという点もあったんです。旗頭があれば危険人物を一箇所に集めておけますからね。旧魔王派や英雄派以外にも、どうも影でこそこそ動いている連中や組織があるようで、カオス・ブリゲードという巣がなくなれば、そう言うただでさえよくわからない奴らが好き放題、野に放たれてしまいますから。もっとも、オーフィスに情報を流さない輩も多いですし、最近では、英雄派もほとんどオーフィスに関わろうとしませんから、潮時かとは思っていましたよ」

 

 アザゼルが唸る。情報を秘匿されていたのは腹立たしいが、伊織達には伊織達の主義主張がある。しかも、被害を抑える為に必要な事はしており、実際、救われている現魔王関係者達は多いのだ。

 

 それに、もっと言えば、二年前、オーフィスを説得してカオス・ブリゲードから抜けさせたという点は、類を見ないほどの大功績である。それがなければ、今も、オーフィスは蛇をばら撒き続けて、冥界は尋常ではない被害を受けていただろう。

 

 また、抜けさせたあと放置でもすれば、力の象徴を失ったカオス・ブリゲードは空中分解を起こし、危険な思想を持った者達が好き勝手に野に放たれることになったという伊織の予想は正しい。そうすれば、英雄派の存在をアザゼルは未だに知らなかったかもしれないし、今回のような旧魔王派一網打尽作戦も出来なかった可能性が高い。

 

 それ等の事を考えれば、一概に責めるわけにもいかなかった。

 

「それで、今までの事はわかったけれど、これからどうする予定かな? まだ、ミクくんの分身体をカオス・ブリゲードの方に置いておくのかい?」

 

 サーゼクスが、伊織のこれまでの行動に苦笑いを浮かべながら尋ねた。

 

「そうですね。今回の蓮が冥界でやらかしている間、幸いな事に偽オーフィスの方は、いつも通り雲隠れしていたようですから、カオス・ブリゲードの連中には気が付かれていない可能性が高いです。ここ数年の非協力的なのらりくらりとした態度のせいで、偽オーフィスはほとんど放置状態ですから、いても意味があるかはわかりませんが……念の為、現状維持にしておこうかと」

「まぁ、旧魔王派はほとんどいなくなったんだ。残党やら、他の派閥がどう動くかは気になるところだし、全く情報源がないよりはマシだな。た・だ・し! 今度からは俺達にも逐一知らせてもらうぞ!」

 

 アザゼルが、伊織にグイッ! と迫りながらジト目で釘を刺す。それに伊織は、苦笑いを零しながら、「もちろんです」と答えた。一応、事情説明も大体が終わり、伊織達が裏切り者でない事も理解できたので、少しホッとしたような空気が流れる。

 

 それを示すように、サーゼクスがしみじみしたように腕を組みながら言葉を零した。

 

「いやぁ、それにしても【魔獣創造】と【無限の龍神】が家族とはねぇ~。きっと、後にも先にも、こんな珍事を目の当たりにするなんて事はないだろうね。九尾の娘を取り返しに来た時も、全くドラゴンの気配なんて感じなかったし……いや、ホント、君には毎回毎回、心底驚かされるよ。どうだい、やっぱり悪魔に転生しないかい?」

 

 そして、さり気なく勧誘する。更に、今なら福利厚生が! とか、これだけの領地と使用人が! とか経営している会社の幾つかを! とか、まるでビジネストークのような文句を重ねた。苦笑いでかわす伊織だが、サーゼクスの目が笑っていない。魔王様が割かし本気になっている!

 

「お兄様、自重して下さい! 彼等は、アーシアと一誠の恩人なのですよ!」

 

 見かねたリアスが、サーゼクスを窘めた。流石、シスコン。妹の言葉は無下に出来ないようで「諦めないよ?」という言葉を残しつつも、どうにかこの場は引いてくれたようだ。

 

「まぁ、大目に見てやれよ、リアス。【魔獣創造】を手に入れた奴は、同時に【無限の龍神】も手に入れるに等しいんだ。しかも、限定的ではある死者蘇生が出来る奴に丸二年も大組織を騙し通せる変装擬態の使い手、更に、あらゆる結界を使いこなす奴まで付いてくる。場合によっちゃあ妖怪勢力もだぜ? これで欲しくならなきゃ、悪魔じゃねぇよ。実際、お前も欲しいと思ったろ」

「……まぁ、少しは。でも、直ぐに諦めたわよ。私の手には負えそうにないもの」

「ははっ、そりゃあ正しい判断だ。こいつらはどの陣営でも扱える奴なんていやしねぇよ。持ちつ持たれつで付き合うのが最良だ」

 

 アザゼルが、「そういう意味では、九尾は本当に運がいい」と愚痴混じりの苦笑いを零した。緩んだ雰囲気の中で、アーシアと一誠が改めて、蓮に礼をいう。リアス達も、目の前で茶菓子をもきゅもきゅと頬張りながら、むしろ自分の蛇のせいで迷惑をかけたと謝罪し返す蓮に、警戒心も無くなったようで口々に礼を述べた。

 

「それにしても、蓮がオーフィスか……未だに信じられん……というか、信じたくない俺がいるんだが。頭を下げるなんて、以前のお前からは想像もできねぇ。これも、伊織達のおかげか?」

「ん。そんなところ。おばあちゃんに、死ぬほど叱られ続けた我にもはや死角はない。学校の成績も常にトップ10入り。文武両道、才色兼備の完璧女子高生とは我のこと」

 

 そう言って、蓮は一誠をジッと見たあと、実に小馬鹿にした感じでふっと鼻で笑った。

 

『おい、相棒。あいつ、いま俺の事を嗤わなかったか? 相棒が馬鹿なせいで、俺まで頭の悪いドラゴンだと思われただろ! どうしてくれる! 乳龍帝だけではまだ足りないのか!』

「ちょ、ドライグ。被害妄想だって! 蓮が俺の成績知ってるわけないんだから、俺の見た目で馬鹿だと判断しただけで……見た目、馬鹿なのか……最近、成績も上がって来たんだけど……」

 

 ドライグが嘆き、弁解しようとして自爆する一誠。それを慰めるリアス達を尻目に、アザゼルが蓮にジト目を送る。

 

「そうなんだよな。天下の龍神様は、花の女子高生なんだよな。……おまけに、重度のオタク……どうしてこうなった? おい、伊織、お前のせいだろ! 一体、どんな教育してんだよ!」

「いや、そんな事いわれても……何でも一緒にした方が、色々共感も出来るしいいと思いまして。それに、趣味は人それぞれですし」

「なら、せめて、言葉遣いくらい改めさせろよ。ヴァーリの奴、蓮の言ってる事が全く分からなくて頭抱えてたぞ。っていうか、俺が蓮の正体に気がついたのも、言動からだしな。隠す気ねぇだろ」

 

 アザゼルの愚痴に、蓮がビクンッ! と反応する。そして、突如、隣から溢れ出した言い様のない気配に、おずおずといった様子で視線を向けた。

 

 そこには、満面の笑みを浮かべながらも、眼だけは全く笑っていない伊織の姿が。咄嗟に、ミク達に視線を巡らせ無言の助けを求めるが、苦笑いか自業自得だと肩を竦めて無視される。

 

「蓮? どういう事だろう? プライベートな時以外、よそ様にはきちんとした言葉遣いをしろと、あれほど言い聞かせたよな? アザゼルさんに誤魔化し切れなかったというのは、あくまでアザゼルさんの追求が鋭かったから、という理由だよな? まさか、ネットスラングを使いまくって自滅したなんて事はないよな? うん?」

「い、伊織。まず、クールに、クールになる。これには深いわけが……」

「どんな?」

「え? えっと、それは、その……アザゼルを見るとつい」

「つい?」

「……う……わ、我は悪くない! 我は悪くない! 悪いのはアザゼル先生なんだ!」

 

 対面の席で、突然の出来事に目を丸くしていたアザゼルが、思わず「おい!」とツッコミを入れる。誰がどう見ても、日頃から言葉遣いを注意されていた蓮が、言い付けを破った挙句、それを咎められて言い訳をしているようにしか見えなかった。

 

 しかも、ちゃっかりアザゼルのせいにするという、龍神の威厳など欠片もない有様。その場の全員が、蓮に呆れたような視線を送っている。

 

 そんな中、笑みを浮かべながらジッと蓮を見ていた伊織が溜息を吐いた。

 

「ふぅ。蓮、それは自白と同じだぞ。あれだけ、ばあちゃんと一緒に言い聞かせたというのに……しかも、まるで反省していない。これはお仕置きが必要だな」

 

 伊織の目がスっと細まる。一時期、日常会話にすらオタク的な俗語を多用するようになった蓮に対し、これは不味いと、ちゃんとした言葉遣いを教えたのだが、伊織の目が届かない所では普通に使っているようだ。

 

 蓮は、目を泳がせながらも不敵な笑みを浮かべて言い返す。

 

「い、いくら伊織でも、我には届かない。我は……」

『あ、もしもし、ばあちゃん? 伊織だけど。うん、仕事は終わったよ。うん。いや、ちょっと伝えとこうと思って。うん。晩飯だけど、蓮の分はいらないから』

「!? ま、待つ! 伊織!」

『え? 今日はつくねハンバーグ?』

「!!?」

『うん、大丈夫。蓮の分はいらないから』

「いおりぃーー! 我が悪かった! だから、つくねハンバーグ没収はダメ! 絶対!」

『え? 聞こえた? うん、わかった。じゃあ、帰ったら説明するよ。うん、じゃあ』

 

 伊織の連絡先は、ホームの依子。お仕置きの定番、晩御飯抜きの刑を伝えるためだ。蓮はオタク道以外にも、食事――特に依子の作る食事が大好物なので、何よりきついお仕置きなる。

 

 なので、蓮がジャンピング土下座をしても不思議ではないのだ。少なくとも伊織達にとっては。

 

『ば、馬鹿な……無限の龍神が……グレートレッドを除けば、ドラゴン族の最強が……伝説が……つくねハンバーグのために土下座だと? ……あはは、そっかぁ~、今代の神滅具使いと関係したドラゴンは皆おかしくなるんだぁ~ そっかぁ~』

「ドライグ!? どうしたんだ!? しっかりしろ!?」

「うわぁ、オーフィスの土下座……これ自体、もう伝説だろ……」

「はは……これは流石に、他の者には見せられないな……」

 

 天龍である自分より格上の龍神のまさかの土下座姿にドライグが壊れ、アザゼルとサーゼクスが頬を盛大に引き攣らせ、リアス達がこれでもかと眼を剥いた。

 

「はぁ。蓮。ばあちゃんな、帰ったら話をするけど、晩飯は取っておいてくれるってさ」

「おばあちゃんは、我の女神」

「……お仕置きは必要そうだな。蓮、俺はもう少し、今後の事についてアザゼルさん達と話をする。その間、部屋の隅で正座してなさい。スマホの契約を解約された挙句ゲームのデータを初期化されたくなかったらな」

「!!? 伊織は悪魔。むしろ魔王か……」

 

 愕然とした様子でそう呟いた蓮は、トボトボと部屋の隅に行き、ちょこんと正座を始めた。伊織は更に、どこかから取り出したボードを蓮に持たせる。そこには「龍神、ただいま反省中。声を掛けないで下さい」と書かれていた。

 

「……確かに、私より、魔王に相応しいかもしれないね」

 

 しょぼんとする龍神に、何とも言えない微妙な表情を浮かべるアザゼルや一誠達の間に、サーゼクスのそんな言葉が、やけに明瞭に響いたのだった。

 

 

 




いかがでしたか?

いろんなフラグをぶっ壊してしまった蓮ちゃん。
ストーリーなんて知らんとばかりに、突き進むしかない……
完結……できるかな……

次回も明日の18時に更新します。


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第46話 黄昏の前に

 

 

 

――真っ赤な鎧を着た男が、ドレスを着た紅髪の女の乳を突いてパワーアップしていた。そして、勝利を確信していた……

 

「もう冥界を歩けないわ……」

『どうせ俺は乳龍帝だ。もう、何もかもどうでもいいさ』

 

 それを見て、耳まで赤くなったリアスが両手で顔を覆い、赤龍帝ドライグが世を儚んだように虚ろな声音を響かせた。それを一誠が慰め、眷属達が何とも言えない表情をし、アザゼルがご機嫌に笑った。

 

 彼等がいるのは兵藤家地下一階にある大広間だ。そこで「乳龍帝おっぱいドラゴン」なる冥界で大人気の特撮ヒーロー番組の鑑賞会をしていたのである。先程のは、そのワンシーンだ。

 

 冥界で視聴率五十パーセントを超える超人気番組らしい。眷属達にも概ね好評だ。リアスも恥ずかしがってはいるものの、やはり眷属である一誠の活躍は嬉しいものらしく、最終的には笑顔を浮かべている。アザゼルの言葉にあっさり丸め込まれたともいえるが。

 

 何だかんだで、結構な盛り上がりを見せた「乳龍帝おっぱいドラゴン」の鑑賞会。本編が終わり、エンドロールと共に美しい旋律が流れ始める。重厚なバリトンサックスや繊細な音色のヴァイオリン、絶妙なテンポのドラム、流麗なピアノ、音に色を添えるギターにベース。本当に美しい音色で、流れた瞬間思わず耳を澄ませてしまう。

 

 そして、遂に響き渡る天上の歌声。画面越しで、かつ、録音だというのに、まるで眼前で生ライブを聞いているかのように錯覚する。するりと耳に入り、麻薬のように脳を蕩けさせ心を鷲掴みするそれは、聴く者に至福を与えながら――“おっぱい”を連呼していた。

 

「なにこれぇーー!! ちょっと先生! このエンディングテーマ、滅茶苦茶凄いんですけど、凄い真面目に“おっぱい”って連呼してますよ! 果てしなくシュールです! っていうか、このボーカルの女の子の声、何か聞いたことあるんですけどっ!!」

「はっはっはっ、どうだ、すごいだろう? おっぱいドラゴンの視聴率は、エンディングになっても下がらない事で有名なんだぜ? しかも、シングルCDの別売りでDVDとタメを張るほどの売れ行きを叩き出してやがるんだ。流石、人間界でも大人気のバンド“ストック”様だぜ」

「やっぱり、ストックなんですね。この歌声、どう聞いてもミク先輩です」

 

 狼狽する一誠がアザゼルに問い詰めると、アザゼルはニヤニヤしながら伊織達のバンド名を告げる。ストックの大ファンである子猫が、大好きなミクの歌声で“おっぱい”が連呼されている事に物凄く微妙な顔になっていた。

 

「やっぱり、伊織達なんですね。……あいつ等、一体何やってんだ」

「いや~、どうせグレモリー眷属がメインの番組作るならよ、こだわりてぇじゃねぇか。内容がよくてもオープニングテーマやエンディングテーマが微妙だと萎えるだろ? その点、伊織達なら何の心配もない。せっかく最高の音楽家への伝手があるんだ。頼まない手はない」

「よく、彼等がOKだしたわね。ミクさん、嫌がらなかったのかしら? こんな歌詞で……」

「いや、案外ノリノリだったな。ただ、エヴァンジェリンだけはすげぇ~嫌そうだったもんで、オープニングまでは受けて貰えなかった。まぁ、冥界でも既に“ストック”はかなり人気が出始めているからな。二期の制作が始まる頃には、オープニングやエンディングだけじゃなくて、挿入歌も含めて打診するつもりだ。赤龍帝と魔獣創造……神滅具所持者のコラボ番組だ。インパクトは最高だぜ!」

 

 一誠が、まさかのコラボに頬を引き攣らせながら視線を戻すと、ちょうど番組のテロップに、

 

EDテーマ

『未来へと導くおっぱい』

作詞:魔獣創造 東雲伊織

作曲編曲:魔獣創造 東雲伊織

   歌:ストック 東雲ミク

 

 と流れていた。

 

「せんせぇ! 魔獣創造って出てるぅ! バンド名じゃなくて、神滅具出てるんですけどぉ! しかも、あのおっぱい歌詞作ったの伊織かよっ! ほんと何やってんの、あいつ!」

「ひ、人は見かけに寄らないのかしら? てっきり、お兄様かアザゼルが作った曲を演奏しているだけだと思っていのだけど……」

「ス、ストックのイメージが……うぅ……」

「こ、小猫ちゃん! しっかりして下さい!」

 

 グレモリー眷属が混乱に陥る中、アザゼルは苦笑いを零しつつ、少し真面目な顔になった。

 

「一応、これにも理由はあるんだ。……お前等、今、カオス・ブリゲードの英雄派の動きが活発になっているのは分かっているだろう? 最近、しょっちゅう出動してるしな」

「ええ、かなり頻繁に襲撃して来てるわね」

「で、だ。その英雄派なんだが、各地で暴れまわっているその全員が神器使いなんだよ。どうやらあいつら、あちこちから神器使いを誘拐しては、洗脳・脅迫して各勢力に駆り出しているみたいでな」

「誘拐に洗脳……ですか」

 

 きな臭い話しに、一誠達も眉を潜める。そして、最近、頻発している英雄派の構成員は確かに全員神器使いだったと思い至った。

 

「伊織達もまた全員が神器持ち。それに東雲ホームの出身者も神器使いが結構いる。にもかかわらず、その親玉とも言うべき神滅具所持者の伊織は、正式には無所属と言っていい。退魔師協会は、日本の治安維持機関だから公務員のようなものだしな。超常の存在からみれば、どこかの勢力に入っているとは見なされない」

「……そういうことね。つまり、おっぱいドラゴンのような娯楽でさえ共同するような親密な関係が赤龍帝――ひいては悪魔側と魔獣創造にはあると、対外的に示そうというわけね? どの勢力も、魔獣創造は欲しいだろうし、英雄派も狙うでしょう。でも、赤龍帝に連なる者達が背後にいると分かれば、多少なりとも抑止力になる」

 

 リアスの相槌に、アザゼルが頷く。真面目な顔は既になくなり、代わりに悪戯っぽい笑み浮かんだ。

 

「ああ、そんなところだ。って言っても、あくまで一応だがな。実質的に、妖怪勢力が付いている事は割と知れているわけだし。メインは、素でおっぱいドラゴンの曲を担当して欲しかっただけだ。何せ、単純な戦力という意味じゃあ、あいつは俺達以上とも言えるからな」

「オーフィス……いえ、蓮ね。確かに、彼等への危害を許すとは思えないわ」

「そういう事だ。あいつには最強の龍神様が付いてる。本人や周りも含めて規格外ばかりだ。何の心配もいらねぇよ。それより俺としては、お前等の修行に是非とも付き合ってもらいたいんだがなぁ。頼んではいるんだが、英雄派のせいで、あいつらも滅茶苦茶忙しいみたいで、まだ実現できそうにねぇんだわ」

「……そんなに忙しいのに、おっぱいドラゴンのエンディングは引き受けたんですね」

「そうなんだよな……頼んだニ時間後には完成させて送って来たんだ。それで、あの完成度だぜ? むしろ戦闘方面より規格外だ。バグってやがるよ」

 

 小猫から辛辣なツッコミが入った。アザゼルが、作曲を依頼した時の事を思い出して首を傾げた。まさか、内外の時間がずれる“別荘”を使ったとは思わないだろう。

 

 一誠達は、蓮の正体について秘密を共有して以来、個人的に伊織達と連絡はとっている。世間話をするときもあれば、鍛錬のアドバイスを貰ったり、それこそカオス・ブリゲードの動向について話し合ったり、良好な友人関係が築けているのだ。なので、合同訓練が中々実現しないことに落胆は隠せなかった。

 

 しかし、英雄派の襲撃により忙しいのは一誠達も同じなので、アザゼルに文句を言うわけにもいかない。ままならないものだと、一同は、溜息を吐くのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 一誠達が伊織は案外エロい人なのかと疑いを深めていたときから数日、その忙しい伊織達――もとい東雲家の面々はというと……絶賛、その忙しさの真っ只中だった。

 

「くそっ、何なんだ! こいつら! おかしいだろ!」

「おのれ! 我等の崇高な目的を理解しない愚か者の癖に!」

「これが……東雲なのか……ぐふっ」

「ちくしょう! 東雲は化け物ばっかりかっ!」

 

 闇色の影が翻り、火炎が迸って、空気が凍てつき、風がうねる。それは神器の力。カオス・ブリゲード英雄派の構成員が繰り出した攻撃。

 

 しかし、そんな攻撃の嵐を物ともせず、クロスした腕で顔を庇いながら突撃して来た中学生くらいの女の子が、そのままの勢いで闇を操っていた男の顔面にジャンピングニーパッドを叩き込んだ。メリッ! と顔面にめり込む膝と「ぐぺぇ!?」と奇怪な悲鳴を上げる闇使いの男。

 

「このぉ! 何で効かないんだよぉ!」

「気合!」

 

 どんな攻撃をしても無類のタフネスを発揮して重戦車の如く突進してくる見た目は華奢な女子中学生。軽く悪夢である。

 

 そんな悪夢の体現者に泣き言を言いながら炎弾を放った男に、脳筋のような言葉を返しながら、空中を駆けた女の子――東雲薫子は、そのままその男の股間に回し蹴りをぶち込んだ。

 

「――ッ!!?」

 

 炎を操る神器の使い手は、悲鳴も上げられずに口をパクパクさせると、そのまま泡を吹いて意識を落とした。

 

 一瞬で戦闘不能にされた英雄派の神器使い二人。よく見れば、その周囲には既に八人程、同じように倒れている。その全員が、東雲を狙ってきた神器使いだ。正確には外出中だった、薫子と双子姉妹を、だ。

 

「神器すら使わず、この強さ……この化け物めっ!」

「失礼な。私は至って普通の女子中学生だよ!」

 

 風を操る神器使いが悪態を吐きながら薫子に腕を向ける。そこからは、不可視の風刃が飛び出すのだが、何度放っても、薫子は、まるで見えているかのようにひらりひらりとかわしていく。【円】を使っているので丸わかりなのだが……そんな事を知る由もない男は、焦燥に顔を歪めていた。

 

 そして、今までで一番、速度と威力を込めた風刃を放った直後、

 

「ぎゃあああ!! お、お前、何で……」

「えっ?」

 

 仲間の氷の神器使いが血飛沫を上げて倒れていく姿が飛び込んできた。氷使いの男は、まさかの一撃に、信じられないといった表情で風使いの男を見る。そんな視線を向けられた当の風使いの男の方も愕然としていた。

 

「お、俺は、ちゃんとあの女を……」

 

 自分は確かに薫子を狙った。上手く退路を断って、完璧なタイミングで最高の一撃を放った! そう声を大にして叫ぼうとした風使いに、瓜二つの可憐な声が届けられた。

 

「やっちゃたの」

「やっちゃったのよ」

「っ!? お前ら……」

 

 風使いの男がバッ! と音を立てて振り向くと、そこには瓜二つの顔をした姉妹の姿。この四年で随分と成長した東雲美湖と梨湖だ。二人の違いは、サイドポニーの位置が左右逆であることで辛うじて分かる。もっとも、東雲ホームの人間は、感覚で見分けられる。

 

 そんな二人は、片方の手を仲良く繋いだまま、二つに分かれた小さな銅鏡のようなものを、合わせて一つにし風使いの男に向けていた。

 

「夢から覚めるの」

「現実に冷めるのよ」

 

 美湖と梨湖の声が響くと同時に、どこか遠くでパリンッとガラスの割れるような音が響いた。

 

 その瞬間、風使いの男は認識する。もはや、自分以外、英雄派の構成員は残っていない事を。そして、自分の周囲で倒れ伏している仲間の幾人かが、よく見慣れた傷口を晒していることに。それは、ついさっき、訳も分からず切り裂いてしまった氷使いの男と同じ傷。己の風刃が与えた傷だ。

 

 美湖と梨湖の二つで一つの人工神器【境界世界】により認識を狂わされた風使いが自ら行ったことだった。薫子だと思っていた相手は、味方だったのだ。

 

「う、うぁ……」

「残念。鍛錬が足りないよ」

 

 呻き声を上げて後退る風使いの背後に、いつの間にか拳を振りかぶった薫子の姿。目を見開く風使いの男に、【硬】を施した拳が突き刺さる。風使いの男は、目玉をグリンッと裏返すと、白目を剥いて倒れ込んだ。

 

「ふぅ、美湖、梨湖、怪我は……ないよね?」

「薫子姉、あるわけないの」

「大丈夫なのよ」

 

 一応、確認する薫子に、双子はえっへんと胸を張りながら答える。今年で八歳になり、下に弟も出来たので随分としっかりして来た。“お姉さん”の自覚が出てきたようだ。

 

 そんな三人の元に、一人の少年が近寄る。

 

「三人とも、よくやったな。すごかったぞ」

「伊織兄!」

「伊織お兄ちゃん!」

「伊織兄様!」

 

 夜闇から浮き出るように姿を現した伊織に、三人が喜色を浮かべて飛びつく。そんな可愛い妹達を労いながら、伊織は、影から大型の猫型魔獣――チェシャキャットを呼び出した。チェシャキャットは、そのまま倒れている神器使い達のもとへ行くと、次の瞬間には周囲の空間を歪めて何処かへと消えていった。

 

「伊織兄の魔獣ってホント便利だよね。私の神器って地味だし羨ましい……」

「神滅具なんて面倒なだけだぞ。それより、あれだけの人数がいて、神器も魔導も使わずによく勝ったな。危なげなくて、安心して見ていられたよ」

「あ~、やっぱり、途中で感じた気配って伊織兄だったんだね。来てたなら手伝ってくれてもいいのに……」

「実戦は何にも勝る鍛錬だ。いざという時は、直ぐ介入できるようにしていたから文句はいわない。美湖と梨湖も、よく人工神器を使いこなしていたな。偉かったぞ」

「「えへへ~~」」

 

 大好きな兄に褒められて双子姉妹がてれてれとはにかむ。

 

「しかし、英雄派の襲撃が相次いでいるこの時期に、薫子がいるとは言え、三人だけで外出とは感心しないな」

「う~ん、確かにそうだけど、しょうがないよ。美湖達のお友達の誕生会だったんだもん。いつ来るか分からない襲撃に怯えて、お友達を蔑ろにしちゃダメでしょ? それに、いざという時の為に蓮姉の蛇も隠蔽状態で借りてるから大丈夫だよ。伊織兄達、最近忙しいんだしさ」

「まぁ、そうだろうが……遠慮だけはするなよ? どんなに忙しくても、家族が最優先なのは変わらないんだからな?」

「えへへ、うん!」

 

 薫子もはにかむ。ここ最近、今回のような襲撃が相次いでおり、伊織達は目の回るような忙しさに頭を痛めながら東奔西走していた。特に、東雲は、ホームの性質上神器使いも多く、また数年前の事件の際、侘びを兼ねてアザゼルから贈られた人工神器の使い手も多くいるので、家族が被害に遭わないか気が気でない日々が続いていた。

 

 もっとも、ホームの子達は、【念】や伊織達直伝の格闘術、更にはベルカから【魂の宝物庫】に詰め込んできたデバイス材料から作り上げた量産型ストレージデバイス(内包された魔力が尽きるまでは使える魔力電池式デバイス)も配られているので、今のところ、東雲を襲った英雄派は全員涙目状態となっている。

 

 と、伊織達が、そろそろ帰宅の途につこうとしたその時、不意に、辺り一面が霧に包まれ始めた。明らかに人為的に操作されている濃霧は、瞬く間に伊織達を囲む。

 

「異界を作ったのか……結界系、それも霧を使う……【絶霧】か。薫子、美湖、梨湖、俺の傍から離れるな。神滅具使い、いや英雄派幹部のお出ましだ」

「ご名答。頭の回転が早いね。流石と言っておこうか」

 

 伊織の警告に身を固くする薫子達を後ろに控えさせながら、伊織がとある場所に真っ直ぐ視線を注ぐ。すると、そこから学生服の上から漢服を羽織り、その手に神々しいまでの輝きを纏いながら尋常でないプレッシャーを放つ槍を持った男が現れた。その傍らには制服にローブを纏った魔法使い風の青年もいる。

 

「英雄派のリーダーもお出ましか」

「おや、俺を知っているのか?」

「そんな物騒なものを持っておいて何を言っているんだ、全く。神滅具所持者が雁首揃えて何のようだ。っと言っても予想はつくが……」

 

 伊織の呆れたような物言いに、漢服の青年が苦笑いを零す。

 

「まぁまぁ、一応、自己紹介させてくれ。俺は、カオス・ブリゲード英雄派のリーダーをしている曹操という。神滅具【黄昏の聖槍】の使い手だ。こっちはゲオルグ。見ての通り、【絶霧】の使い手だ。是非、一度、君と話してみたくてね。アポを取らなかったことは大目に見てくれ。なにせ、テロリストなものでね」

「知っての通り、【魔獣創造】の所持者、東雲伊織だ。話したいというなら聞こう」

 

 伊織の言葉に、曹操は意外そうな顔になる。そして、それを隠そうともせず、直球に尋ねた。

 

「意外だな。先程、君の大切な妹達を襲ったのは、俺が送り込んだ英雄派の構成員だ。門前払いか、最悪、即戦闘かと思っていたんだが……」

「最悪と言いながら、顔が笑ってるぞ? ちょっと試してみたいと思っているんだろう? テロリストの要求に素直に答えてはやるつもりはないからな。さぁ、まずは、平和的に(・・・・)コミュニケーションを取ろうか」

「……君、意外に嫌な性格しているね」

「テロリストに対する妥当な態度だ。で? 大体察しているが、話とは?」

 

 腕を組んで、「ほれ、話してみろ」というある意味不遜な態度に、曹操は何となくやりにくそうに頬をポリポリと掻いた。

 

「なに、察している通り勧誘だよ。【魔獣創造】の使い手、東雲伊織。俺達と来ないか? 神をも滅ぼす力――そんなものを持った俺達のような人間は戦う場所を求めているはずだ。魔王やドラゴン、そんな超常の存在を討つのはいつだって人間だ。君のその力、世界に示したいと思わないか? “自分はどこまで行けるのか”“人間は本当に超常の存在に打ち勝てるのか”その疑問に答えを出してみたいと思わないか!?」

 

 話している内に興奮してきたのか声を高らかに上げ、手を差し出す曹操。なるほど、確かに、強力な力を持ち、居場所を見つけられない者にとってはこの上なく甘美な誘いかもしれない。曹操は、そういう意味でカリスマ性を備えた人間なのだろう。

 

 しかし、その言葉は伊織にはまるで届かない。

 

「……確かに、力あるものは、その力を使う場所を求めるものだ。戦うために生まれて来たような心と体を持っていながら、その場がないというのは苦痛だろう」

「あぁ、やっぱり、君にも分かるか。もっと渋るかと思ったけど、それなら『だが…』」

 

 曹操が笑みを浮かべながら発した言葉を、しかし、伊織は遮る。その瞳は極めて静かだ。

 

「だが、理解は出来ても共感は出来ない。曹操、俺は平和を愛しているし、大切な者達との団欒に幸せも感じているんだ」

「……」

 

 そう言って、伊織は傍らに控えている薫子達に頭をポンポンと優しく撫でた。この子達がその幸せの一つだとでも言うように。それに、伊織の答えを察したのだろう。曹操は、スっと差し出していた腕を下ろした。

 

「曹操。俺はお前達の感情を否定しない。挑戦したい。高みへ登りたい。存在の証明をしたい。生まれ持った(さが)、理屈じゃない感情。それを押し殺せというのは、死ねというに等しい」

「なら……」

「でもな、それは、それを感じているお前達だけでやれ。お前達のその強い感情と同じくらい、今の生活を大切に思っている奴らがいるんだ。ホームの子達も、お前達に拉致され洗脳された者の中にも。そして、俺が立つ場所は常に、そういう人達の側だ。理不尽に泣く人達の側だ」

 

 曹操は理解する。伊織を組織に引き込むことは不可能だと。そう一瞬で理解させられるほど伊織の瞳に映る意志の煌めきは強い。自分達の感情は否定しなくても、その手段は決して認められないということだ。

 

「そうか……残念だな。人間同士で戦うのは英雄派の方針ではないんだけど……でも、しょうがない。東雲伊織。君は、今から俺達の敵だ」

「今、ここでやるつもりか?」

 

 曹操が、スっと聖槍を構えた。曹操の戦意向上に合わせて聖槍の纏う輝きが増大していく。伊織が、眉を顰める。

 

「ああ。君が断る事は想定していたからね、戦闘準備も万端だよ。上位神滅具である【魔獣創造】を相手に、迂闊な接触はしないさ。オーフィスまで関わるなと念を押してくるくらいだ。それだけ君が脅威ということだろう。だが、いつまでもオーフィスの顔色を伺っているのはうんざりして来たところでね。準備も大分整ったし、今、やらせてもらおう。弱点になりそうな子達もいて、他の場所にも襲撃犯を送ったから君の恋人達も各地に配属した魔獣達も暫く来られない。悪くないシチュエーションだ」

 

 どうやら、偽オーフィスの正体はばれていないらしい。しかも、今まで接触がなかったのは上手く牽制が効いていたからのようだ。分身ミク有り難しである。

 

「それで、俺を殺して新たな使い手に宿ったら、そいつを引き込もうってわけか」

「そういうことだ。勝手は重々承知だけどね。全部分かった上で我侭させてもらう。君が死んだ後、東雲の神器使いは俺が直接降して引き込ませてもらおう」

 

 どうやら、自分達のやり方が外道極まりなく、英雄らしくない事も承知の上で、それでも超常の存在と戦争がしたいらしい。おそらく、もはや個人の戦いですら満足できないのだろう。彼等は間違いなく“戦闘”ではなく英雄が必要とされる世界――“戦場”が欲しいのだ。どうしようもないほどに。

 

「そうか。なら、俺はお前達の凶行を止めるとしよう。――来い。そのどうしようもない感情、受け止めてやる」

「ははっ、振った相手に餌を与えるのか? 英雄色を好むというが、少々、八方美人が過ぎやしないかな?」

 

 そんな軽口を叩きながらも曹操の表情は、伊織が纏う静かなくせに体の芯から冷えていくようなプレッシャーに喜悦を浮かべた。彼の本能が悟っているのだ。目の前の相手は死力を尽くすべき相手だと。“戦闘”ではあるが、間違いなく最高の一戦になると。

 

 が、それは叶わなかった。

 

「ッ!? 曹操っ! 結界が破られる! この力はっ」

「何だって? っ……邪魔をするのか、オーフィスっ!!」

 

 そう、ゲオルグの張った【絶霧】の結界が、圧倒的というのもおこがましい莫大な力によって強引に破壊されようとしていたのだ。その力の気配は、曹操達も伊織達もよく知る力。【無限の龍神】オーフィスの魔力である。

 

「東雲伊織。君は、オーフィスと何かあるのか? 接触を禁じた事といい、この介入といい。なぜ、オーフィスは君をっ」

「……さぁな。自分の望みのため…だからじゃないか?」

 

 嘘ではない。蓮にとって伊織達家族を守ることは本心からの望み。しかし、曹操達は、オーフィスの望みがグレートレッド討伐と知っているので、異例の進化を遂げている【魔獣創造】を欲しているのだと勘違いする。

 

「……やはり、傀儡に出来ないオーフィスは邪魔でしかないか」

「っ、曹操! もう保たないぞ! どうするんだ!」

「まだ、オーフィスをどうにかできる準備は整ってない。歯痒いが……ここは引かせてもらおう」

 

 焦燥を浮かべるゲオルグに曹操は歯噛みしながら答える。伊織としては、蓮をどうにか出来ると取れる曹操の発言に眉をピクリと反応させる。そして、ここで逃がす理由もないと、飛びかかろうとした。

 

「悪いが、それを許すつもりはない」

「許しなどいらないさっ! 聖槍よっ!」

 

 曹操が真っ直ぐに聖槍を突き出すと、その瞬間、槍の先端が開いて光刃が出現し、レーザーの如く伸長した。一瞬、避けて間合いを詰めようかと考えた伊織だが、あくまで刃であるならその後、薙ぎ払いが来る可能性がある。そうすれば、自分はともかく、後ろの薫子達が危ない。

 

 伊織は瞬時にそう判断して、薫子達の傍に下がり【覇王絶空拳】を放った。ガラスが割れるような音と共に空間が粉砕されポッカリと虚数空間への穴が空く。聖槍の一撃は、その穴に吸い込まれ、伊織達に届く事はなかった。

 

 ゲオルグの転移によって瞬く間に霧に包まれていく曹操が、最後に、見事聖槍の一撃を凌いだ伊織の対応に唇の端を吊り上げたのが何とも印象的であった。

 

「伊織、薫子、美湖、梨湖……無事?」

「蓮姉!」

「蓮お姉ちゃん!」

「蓮姉さま!」

 

 スっと波が引くように霧が晴れていく。そして、曹操達がいないのを確認したようなタイミングで蓮が姿を現した。薫子達が、ついさっき伊織にしたように蓮に飛びつく。流石に、テロリストの親玉とその右腕のプレッシャーは中々堪えたようだ。

 

「蓮。来てくれたんだな。取り敢えず助かった。流石に、上位二つの神滅具所持者が相手だと、何が起こるかわからないからな。ホームの方は大丈夫か? 襲撃させたと言っていたが」

「平気。全部物理で片付けた。【絶霧】は無理だったけど……我の正体、ばれた?」

「いや、大丈夫そうだ。ただ、オーフィスの存在が鬱陶しいって感じだったな。何か、倒す方法を模索しているようだった。……ああいう奴は危険だ。蓮、あまり油断するなよ。不味いと思ったときは、躊躇いなく力を使え」

「大丈夫だ、問題ない。我が別荘まで使ってやり込んだゲームは五百タイトル以上。あらゆる戦闘をくぐり抜けてきた我に、もはや死角はない」

「うん、だから心配なんだよ」

 

 ドヤ顔しながら胸を張る龍神様に、伊織は深い溜息を吐いた。ゲームと現実の区別が本当に付いているのか……いざという時、死んでも神殿で甦れるから大丈夫とか言い出しそうで恐い。二年一緒に過ごしてきたが、まだまだ目を離せない奴だと、伊織は愛おしくも手のかかる龍神様に小さな笑みを零すのだった。

 

 そんな伊織のスマホ(セレス)が、タイミングを見計らったかのように鳴り出した。ミク達の誰かか? と辺りをつけてディスプレイを見た伊織は、おや? と首を傾げる。

 

 そこには、こう表示されていた。

 

“堕天使総督(笑) アザゼル”

 

 

 

 




いかがでしたか?


お知らせがあります。
……好き勝手やりすぎて先が思いつきません。
どうやら作者的に蓮ちゃん無双までで限界だったようです。
なので少々強引ですが、終息に持っていこうかと思います。
といっても、英雄派とクリフォトをどうにかしないと打ち切り漫画みたいで不完全燃焼感が凄まじいので十五、六話くらいは続くと思いますが……
取り敢えず、黄昏編をチョロっと書いて、後はヒャッハーを楽しみたいと思います。
最後まで、合わない辻褄はスルーして一緒に楽しんでもらえれば嬉しいです。


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第47話 土壇場の別荘ライフ

 

 兵藤家は現在、ある意味、異界と化していた。

 

 何せ、悪魔であるグレモリー眷属やシトリー眷属を始め、堕天使総督と幹部、天使、白龍皇とその仲間、戦乙女、そして北欧の主神オーディンが一堂に介しているのだ。この中で、ただの人間である一誠の両親は、きっと世界で一番自覚のない奇跡の体験者に違いない。

 

 なぜ、こんな事になっているのか。

 

 それは、数日前から一誠達がオーディンの護衛を任された事に始まる。北欧の神話大系の保守的な体制を打破し、他勢力との宥和政策を取るため日本の神々との会談を臨んだオーディンは、アザゼルを通して一誠達に護衛を依頼した。

 

 数日、観光という名の視察に連れ回された一誠達だったが、つい昨日、その護衛が活躍しなければならない事態となった。オーディンと同じ北欧神話の悪神ロキが、オーディンの宥和政策が気に食わないと襲撃を掛けてきたのである。

 

 グレモリー眷属に赤龍帝、堕天使総督のアザゼルに幹部のバラキエル。そうそうたるメンバーではあったが、相手は神格を持つ存在。苦戦は免れなかった。しかも、相手はロキだけではなく、彼が作り出した最悪最凶の魔獣フェンリルまでいた。

 

 魔獣フェンリルは神喰狼と呼ばれる存在で、文字通り、その牙は神をも殺す。速度は神速、爪は赤龍帝の鎧すら紙くずのように引き裂く。耐久力も並ではなく、戦闘意欲が異常なまでに高いので、どんな攻撃を受けても怯みもしない。現役時代の二天龍とタメを張るレベルというのだから、“脅威”などいう表現ではまるで足りない。

 

 結果、フェンリルのファーストアタックで、一誠は戦闘不能。その一誠が咄嗟に庇ったリアスも完全には庇いきれず重傷を負った。アーシアがいなければ、二人共死んでいただろう。この点、原作なら一誠はリアスを守りきるし、一発で戦闘不能になる程ではなかったが、蓮が【覇龍】化を止めたので、その分、能力の向上が中途半端になり、原作より弱い状態となってしまっているのだ。

 

 そんな彼等のピンチに現れたのが白龍皇ヴァーリとその仲間――美猴と黒歌、そして聖王剣コールブランドの使い手アーサー・ペンドラゴンである。

 

 ロキは、二天龍が同じ戦場で並ぶというレアな事態に興が満たされたようで、一時撤退を選択した。オーディンと日本の神々との会談の日に必ず現れると言い残して。

 

 その為、ロキとフェンリル対策を練り準備を進めるため、襲撃の日まで、一誠の家を拠点にしているというわけだ。ちなみに、護衛の増援はない。カオス・ブリゲード英雄派が各地で暴れている為に、どの勢力も臨戦態勢で警戒しているからだ。唯一、元龍王のタンニーンが駆けつけてくれるのが幸いである。

 

 そんな中、決戦と目される前の日の晩、何やら思い詰めたような一誠の姿が地下のトレーニング空間にあった。黙々と筋トレをしている。そんな様子を心配げに見つめるグレモリー眷属達。一誠は、先の戦いでリアスを守りきれなかった事が堪えているのだ。本人は隠しているつもりだが、少し注意深く見れば誰でも分かる。

 

「よぉ、一誠。ギリギリまでトレーニングたぁ感心だな」

「先生。……まぁ、俺は弱ぇっすからね。こうやって出来る事をするしかないですから」

「そういって実践できる奴はそうはいねぇよ。お前の根性は折り紙付きだ。そこは俺が保証してやる」

「ははっ、どもっす。……先生、俺……いや、何でもないです。すいません」

「はぁ、言いかけて止めるな、バカ野郎。不安なんだろ? 今度はちゃんと守れるのかって。誤魔化すなよ。見てりゃ分かる。そうやって、体動かしてないと落ち着かねぇって顔に書いてあるぜ?」

「あ~、やっぱりバレてますか」

 

 頬をポリポリと掻く一誠。先の戦いから暫くは戦いの準備に追われていたので下手な事を考えずに済んだのだが、決戦が近づくにつれ否応なく不安が膨れ上がってきたのである。本人も薄々、ばれていると思っていたようだ。

 

「当たり前だ。みんな気づいてる。お前はとことん腹芸に向いてないからな。……さて、一誠。お前、前に【覇龍】になりかけてから、ずっともう少しで何かが掴めそうな感じだって言ってたよな?」

「へ? ええと、そうですね。こう、もうちょっとで、なんて言うか、霧が晴れそうっていうか。もっと上手く力を使えそうっていうか……」

『アザゼル。一誠の言っている事は本当だ。きっかけさえあれば、大幅に力を使いこなせるようになるだろう。禁手化するまでのカウントや持続時間もじわじわと伸びてきている。一歩踏み出せれば、もっと伸びるだろう』

 

 曖昧な一誠の言葉をドライグが補足する。原作では、一誠は、生命力の大半を代償にした【覇龍】をきっかけにして大幅にパワーアップをしている。対して、今の一誠は、生命力はそのままに【覇龍】への成り掛けをきっかけとして、壁を越えつつあるという状態だ。

 

「そこでだ。もしかしたら、その“壁”を超えられるかもしれない一手を用意した。決戦までに、何とかものにして来い」

「い、一手……ですか? ま、まさか、俺にも匙みたいに実験を!? グリゴリの研究施設でドライグを弄り回すつもりですか!?」

『なんだとっ!? 精神的にいびるだけじゃ物足りないというのか! 今度はこの体も弄ぶというのかっ!? うぉおおおおん!! 乳龍帝には人権すらないというのかっ!!』

「ちげぇよ!! お前等、堕天使をなんだと……いや、まぁ、神器弄り回しているし、否定は出来ないんだが……今回は違う。協力者を呼んだんだよ」

「協力者?」

 

 ついにはモルモット扱いかと、号泣を始めた繊細な時期に突入しているドライグを尻目に、アザゼルが自身への信頼のなさを嘆きつつ、助っ人の話を出した。それに興味を惹かれたのか、グレモリー眷属やシトリー眷属、イリナが集まってくる。

 

 リアスが、アゼザルに皆を代表して質問した。

 

「アザゼル。協力者って……確か、どの勢力もカオス・ブリゲードのテロを警戒して人手を出せないんじゃなかったのかしら?」

「ああ、それは変わらん。その協力者も、こっちに来られるのは三時間か四時間くらいだそうだ」

「?? 益々、意味が分からないわ。そんな短時間来ただけで何が出来るというの?」

「まぁ、それは来てからのお楽しみだ。おっ、言ってる間に、そろそろ時間だな」

 

 アザゼルが時計に目を向けながら、一誠の家に掛けられている結界を解いた。その事に驚くメンバーだったが、直後、眼前に何度か見た覚えのある正三角系の魔法陣が出現し輝きだしたのでギョッとする。

 

 そして、もしかして……と、現れるだろう人物を頭に浮かべた瞬間、予測違わず、その人物が魔法陣の上に転移して来た。

 

「伊織!」

「一誠。こんばんは。他のグレモリー眷属も揃ってるんだな」

 

 一誠が驚いたように声を張り上げ、相手の名前を呼んだ。そう、そこに現れたのは東雲伊織、その人だったのだ。いつも傍らにいるミク達の姿は見えず、伊織一人だった。

 

 グレモリー眷属も驚いているし、シトリー眷属も突然現れたのが【魔獣創造】の使い手であることに驚いている。何人かは「“ストック”の伊織くん!」とバンドの方で興奮していたが。

 

「悪かったな。そっちも大変だろうに、わざわざ呼び出して」

「アザゼルさん。気にしないで下さい。神様相手にしようって言うんだ。本当なら全面的に協力したいところです。こんな事くらいしか出来なくて申し訳ない」

「それこそ、気にするな。お前の言う“別荘”を貸して貰える上に、一誠達の修行に付き合って貰えるだけで大助かりだぜ」

「え? え? 修行? 別荘? ちょっ、先生、伊織! 二人で納得してないで説明してくれ! 何が、どうなっているんだ」

 

 二人で話を進めるアザゼルと伊織に、一誠が困惑しながら説明を求めた。そして、説明を求めているのは、その場にいる全員が同じだった。アザゼルは、苦笑いしながら話し始める。

 

「ああ、すまん、すまん。実はな……」

 

 それは、伊織が曹操達の襲撃を受けた直後にきた、アザゼルからの連絡から始まる。

 

 あの後、電話に出た伊織に、アザゼルは事情を説明しロキ戦への協力を依頼した。本来なら、協会を通して依頼するのが筋なのだが、今回は時間がなかったので仕方なく直接連絡したのだ。

 

 しかし、伊織達とて厳戒態勢にあることに変わりはない。ミクは、七人分の分身体をフル活用して未熟な神器使い達の護衛に張り付いているし、それはテトやエヴァ、チャチャゼロも同じだ。蓮は、最後の砦としてホームの護衛を請け負っている。

 

 そして、戦力増強の依頼に応えて、伊織の魔獣達も各地に派遣し警戒している状態で、余力らしい余力はなかった。伊織の【魔獣創造】は、個体が馬鹿みたいに強力な分、大量に生み出すような力には向いていないのである。

 

 なので、最悪、一誠達が本気で不味い状況で助けを求められたら駆けつけるつもりではあったが、そうでなければ護衛拠点・対象の傍を長時間離れるわけには行かず、アザゼルの依頼に応えるのは難しいというのが結論だった。

 

 アザゼルもそれは分かっていて、手勢の多い伊織に、“あわよくば”くらいの気持ちで依頼したらしい。しかし、頼られてあっさりNoと言えないのが伊織だ。ロキとの決戦まで一誠達にずっと協力するのは難しくとも、どうも伸び悩んでいる一誠の修行に数時間付き合うくらいなら何とかしようというのだ。

 

 アザゼルは、数時間では……と遠慮したものの、そこは伊織達自慢の【別荘】がある。それを説明し、決戦前にみっちり鍛錬して“壁”を越えられないか試してみようと提案したのである。

 

「という訳で、伊織曰く、その“別荘”を使えば、えーと、伊織、どれくらい差があるんだ?」

「最大で七十二倍差ですから、三時間入るとして、中では九日間になりますね――“インデックス”“ゲイン”“ レーベンスシュルト城”」

 

 伊織は、そう説明しながら手元に顕現させた念能力【魂の宝物庫】から【ダイオラマ魔法球】を取り出した。

 

 突然現れた球体状のケースに入ったミニチュアに皆が目を丸くする。アザゼルが、「ほぅ、これがそうか、ふむふむ、なるほど……」などと呟きながらペタペタと魔法陣やらケースやらを触って確かめている。研究者肌が刺激されているらしい。

 

 伊織は、百聞は一見に如かずと言わんばかりに全員を魔法陣の前に促した。シトリー眷属もいるので中々の大所帯だ。

 

「みんな、合図をしたら魔法陣に飛び込んでくれ。時間差のせいで、一秒遅れるだけで、結構中の人を待たせる事になるからな」

 

 そう言って、伊織は全員を中へと送り込んだ。

 

 周囲をナイアガラのような巨大な滝と虹、海と木々の緑に囲まれた雄大な景色の中、天へと伸びる塔の如く鎮座する巨大な柱の上で呆然と周囲の景色に目を奪われている一誠達がいた。

 

 転移陣の描かれた白亜の巨柱からは、陸地に向けて真っ直ぐに空中回廊が伸びており、その先には中世風の威容を湛えた立派な城がそびえ建っている。

 

 伊織は、その回廊の入口まで歩くとくるりと一誠達に向き直り、かつてエヴァがそうしたように、胸を張って歓迎の意を示した。

 

「ようこそ、レーベンスシュルト城へ」

 

 

 

 

 そうして始まった別荘内での修行の日々。

 

 明日は決戦だ! と意気込んでいたのに、いきなり十日近い猶予が出来てしまった一誠達は、最初かなり戸惑っていたものの準備期間が大幅に増えた事を素直に喜んだ。シトリー眷属とアザゼルは三日ほど快適に過ごして英気を養ったあと、外の世界で用事を済ませるために出て行った。

 

 そして、今日も今日とて修行に励む一誠は、現在――フェンリルに襲われていた。

 

「ぎゃぁああああ!! 無理ぃいいい!! しぬぅううう!!」

『オォオオオオオン!!!』

 

 一誠の悲鳴が木霊する。同時に、フェンリルの咆哮が響き渡った。

 

『相棒、怯むな! これは所詮幻だ! 死にはしない!』

「ドライグぅう! そんな事いっても、爪で切られても、牙で噛まれても普通に痛ぇんだけどぉ! プレッシャーも本物と同じくらいヤバイ感じなんですけどぉ!」

『ああ、大した幻術だ。……いや、精神への干渉だったか。見事な再現率だ。全く、本当に引き出しの多いやつだよ』

 

 ドライグが感心したように、そう言いながら僅かに意識を逸らした。その先には、浜辺で必死に戦う一誠を見ながらヴァイオリンを演奏し続けている伊織の姿があった。

 

――念能力 神奏心域

 

 それが、この別荘内にフェンリルの咆哮が轟いている理由だ。【神奏心域】によって一誠にフェンリルの存在を見せているのである。幻故に、スペックは話に聞いた通りに再現できており、精神に干渉しているので、その爪牙が当たれば思い込みが実際に体を傷つける。

 

 言ってみれば、信心深い宗教家の思い込みにより聖痕が出来たり、焼きごてを押されたと思い込んだ者に本当にミミズ腫れが出来たりという現象と同じだ。もちろん、実際にフェンリルの攻撃を受けたときとは比べるべくもなく傷らしい傷も付かないのだが、精神への直接ダメージなので、ある意味、回復魔法で直ぐに癒せる肉体的ダメージよりもきついかも知れない。

 

 伊織は、実戦に勝る修行はなし、どうせならこれから戦う相手とのシュミレーションも兼ねれば一石二鳥と、この修行方法を選んだのだが……常に、世界最悪最凶の魔獣に襲われ続けるという悲惨極まりない荒修行によって急速に能力の引き出しを開け始めている一誠を見れば、正解だったというべきだろう。

 

ザシュッ!!

 

「うぎぃい! っのぉ、負けるかぁ!!」

 

 泣き言を言いながらも一歩も引かない一誠は、幻想フェンリルに脇腹を抉られながらも反撃の拳を放った。それはあっさり避けられたものの、修行を始めた当初は出来なかった事である。短い間ではあるが、確実にフェンリルの攻撃に慣れてきている一誠。伊織も、その成長を見て微笑みを浮かべる。時間があれば、対ロキ戦のシュミレーションも出来るだろう。

 

 そんな伊織は、更に別の場所に意識を向けた。そちらにも伊織の音楽は届いており、同じくグレモリー眷属がフェンリルと死闘を繰り広げていた。対フェンリル用の連携の修行だ。たった三日ではあるが、既に見事なコンビネーションを発揮している。

 

 と、その時、不意に魔法球の転移陣が反応を見せた。どうやら、複数人が転移して来たらしい。遠くに聞こえる声が、シトリー眷属やアザゼルではなかったものの聞き覚えのあるものだったので、伊織は構わず演奏を続けた。【別荘】の外は一誠の家に掛けられた結界で守られているので、アザゼル達の出入りに不便をきたさないようゲートはオープン状態にしてあるのだ。

 

 それから数分、いくつかの気配がレーベンスシュルト城のテラスから感じられた。しかし、どうやら見学をするつもりらしく動く気配はない。伊織は、その内の一人が戦いたそうにそわそわしているのを感じて、苦笑いを零しつつ、その人物――ヴァーリにも音を届けた。

 

 途端、

 

『オォオオオオオン!!』

 

 三体目の幻想フェンリルが、ヴァーリの眼前に出現する。ヴァーリは、一瞬、伊織に視線を向けると唇の端を吊り上げて笑みを見せ、一気に禁手化し飛び掛った。

 

 暫くの間。三ヶ所で爆音と轟音が響き渡っていた。

 

 

 

 

「ほっほっほ、【魔獣創造】の小僧は、中々面白いものを持っておるのぅ。先の技しかり、この空間しかり」

「これは北欧の主神様。別荘へようこそ。【魔獣創造】所持者の東雲伊織と申します」

「まぁ、そう畏まるな。ここはお前さんの城じゃろう? 中々、いい趣味をしておる」

「はは、実際には家族の一人が作ったものなので俺のセンスではないんですが」

 

 精神的限界で一誠がぶっ倒れたのを期に休憩に入った直後、一誠を担ぐ伊織の元へオーディンとお付の戦乙女ロスヴァイセがやって来た。

 

「おお、聞いておるぞ。赤龍帝の小僧と同じで、中々のすき者らしいの? えぇ? 既にハーレムを作っておるらしいではないか。堕天使の小僧に聞いたぞい。なるほど、ここはお前さんの女が作ったというわけか」

「いえ、誤解ですから。別に無類の女好きとかじゃありませんから。あとでアザゼルさんにその辺の事、よ~く言って聞かせないとダメですね、ええ」

 

 どうやら堕天使の総督様は、【魔獣創造】は女たらしだと噂を広めているらしい。伊織の額に青筋が浮かぶ。しかし、北欧の主神相手に失礼な態度を取るわけにもいかないので、伊織は、直ぐに気を取り直すとオーディンに尋ねた。

 

「それで、何か御用ですか? あと六日ほど一誠達の修行に付き合うので、その間であれば、好きに使って下さって構いませんが。ああ、一応、封印してある部屋への立ち入りは遠慮して頂けると幸いです」

「そんな無粋な真似はせんよ。なに、用事という程のものではない。わしが招いた問題に巻き込んだようなものじゃからな。一言、礼と詫びを、とな」

 

 伊織は、オーディンの言葉に恐縮したように頬を掻いた。同時に、本物の神様でありながら律儀な対応に少しの驚きを抱く。

 

「いえ、どうかお気になさらず。俺が協力したくてしているだけなので。むしろ、こういう時に頼って貰えるのは嬉しい事です」

「ほっほっほ、アザゼル坊が言う通りの人間じゃの。お前さんならそう言うだろうと言っておったわ。本気で助けを求めれば、どんなに無理をしてでも駆けつけるだろうともな」

「そうですね。一誠達ならやり遂げると信じていますが」

 

 事も無げに、いざとなれば神との戦いに参戦するという伊織の言葉にオーディンの笑みが深くなった。

 

「うむうむ。最近はとんと見なくなったが、主は英雄や勇者の資質を持っておるようじゃの。そのような者に神滅具の一つが渡った事は僥倖じゃわい。赤龍帝や白龍皇の小僧共も中々熱い魂を持っておるようじゃし……やはり、時代が動き出しておるのじゃろうな」

 

 感慨深げに髭を撫でながら何度も頷くオーディン。何やら琴線に触れたようだ。きっと、一誠やヴァーリの前へ進もうとする気持ちと同じように、彼の心を震わせる何かを感じたのだろう。

 

 が、次の瞬間、オーディンは悪戯っぽい笑みを浮かべると、傍らで静かに佇んでいる戦乙女を横目に阿呆な事を言い出した。

 

「ところで、お前さん、もう一人くらい嫁を取る気はないかの? このロスヴァイセは器量はいいんじゃが、どうにも堅くてのぉ。彼氏いない歴イコール年齢なんじゃよ。将来が心配での」

「ちょっとぉ! オーディン様! いきなり何を! っていうか、いい加減、私の恋人問題から離れてくださいぃ!!」

 

 地面を叩きながら猛抗議するロスヴァイセ。銀髪碧眼のクールビューティーかと思えば、実はかなり残念な人らしい。伊織は、思わず小さな笑みを零す。そんな伊織に、ロスヴァイセはキッ! と鋭い眼差しを送ると、伊織にハーレムなんて! と説教を始めた。それに苦笑いを深くする伊織。内心、いい加減、肩に担いだままの一誠を休ませてやりたんだが……と思いつつ、ロスヴァイセの説教をどうやって止めるか頭を悩ませるのだった。

 

 その後、どうにかロスヴァイセの説教から逃れた伊織は、一誠を城の一室に運び込み、アーシアやリアスなど眷属女性陣に看病を任せたあと、全員分の食事の支度をしてくれているメイドパンダのリンリンさんやチャチャネの手伝いでもしようかと炊事場に向かった。と、その時、不意に背筋に悪寒が駆け抜けた。

 

「おっと」

 

 そんな軽い声を残して身を翻した伊織の背後からスっと手が伸びてくる。伊織は、その手首を極々自然な動きで捉えるとくるりと捻り、合気の要領でその襲撃者を投げ飛ばした。

 

「ふにゃ!?」

 

 何とも可愛らしい悲鳴を上げて、文字通り猫の如く空中で身を翻した黒い着物の女性は何とか無様を晒さずに着地する。見れば、纏う着物は大きく着崩されており、艶かしい脚線美や魅惑の双丘が今にも零れ落ちそうになっていた。その妖艶な眼差しと相まって途轍もない色気を放っている。

 

 しかも、そんな色気を放っておきながら、頭の上にはネコミミが付いており、「もうっ、何で気づいたの!」とでも言うようにミョーンと伸びながら可愛らしい自己主張をしている。可愛らしさと妖艶さが混在した見た目は(・・・・)魅力的な女性――ヴァーリチームの黒歌だった。

 

「……今のを気づかれるとは思わなかったにゃん。気配は完全に消してたはずなんだけど……どうやったにゃん? 伊織ちん」

 

 黒歌は猫魈であり妖怪猫又の中でも特に強い力を持っている。そして仙術や妖術に長けており気配を消す術には相当の自信があった。さっきのも、特別手を抜いたようなことはない。なので、あっさり回避されたどころか反撃まで食らった事が少々、黒歌の矜持を傷つけていた。

 

 伊織は、黒歌の悪びれないどころか、質問までして来た挙句、“伊織ちん”呼ばわりに苦笑いを零す。

 

「どうも何もない。ただ“感じた”だけだ。実際、気配なんかまるで掴めなかったよ」

「?? 気配は掴めなかったのに感じた? 意味不明なんだけど」

「う~ん、説明が難しいんだけどな。……昔、常に致命傷級の事故(・・)に遭いまくるってことがあって、死に物狂いで足掻いていたら、本能的に危険を察知できるようになったんだ。気配とか何も感じなくても、ただ何となく分かる。まぁ、所謂シックスセンスみたいなものだ。だから、俺に奇襲は通じない」

「やっぱり意味不明なんだけど……」

 

 常に悪戯っぽく飄々としている黒歌が珍しく困惑するような眉を八の字にした。そんな黒歌に苦笑いを深めつつ、今度は伊織が尋ねる。

 

「で? 黒歌さんに、いきなり襲われるような心当たりはないんだが?」

「黒歌でいいにゃん♪ さん付とかむず痒いし。襲ったのはちょっとした茶目っ気にゃ。ヴァーリを瞬殺したっていう相手がどの程度のものか試してみたというわけ。それと、この空間に使われてる時間干渉の術について聞いてみたいにゃ。私でさえ、まだ空間干渉が限界だっていうのに……」

 

 どうやら、そういう事らしい。おそらく、そう簡単に術の詳細を教えてくれるとは思えず、さっきの一撃で気でも打ち込んで行動不能にしたあと、ゆっくり聞き出そうとでもしたのだろう。半分以上は悪ふざけだろうが。

 

「なるほど。それで先の一撃か。動けなくなった俺に何をする気だったのやら。今の状況でそういう行動に出るあたり、如何にも気まぐれで自由奔放な猫って感じだな」

「……やっぱり、気づいてたんだ。それでそういう反応って意外にゃん。もっと、激怒するか、叩き出すくらいするかと思ったのに。くふふ、何なら、動けなくなった時にしようと思ってたこと、今からして見るにゃ?」

 

 ペロリと舌舐りしながらそんなことをいう黒歌。微妙に前屈みで腕を寄せているため、ただでさえ迫力ある双丘が更に危険なことになっている。上目遣いも併用するという徹底ぶり。あざとい、流石、エロ猫、実にあざとい。並みの男なら、それだけで腰が抜けるかもしれない色香だ。

 

 しかし、いくら見た目は少年で、肉体に精神が引っ張られる感覚が皆無ではない伊織と言えど、中身は百五十年以上生きてきた男。酸いも甘いも噛み分けて来た上に、その傍らには常に極上の魅力を持つ妻達がいたのだ。今更、ほぼ初対面の女の誘惑に陥落するような柔な精神はしていない。正直、黒歌よりミク達の方が、伊織にとっては何十倍も魅力的だった。

 

「止めておくよ。そういうのは間に合ってるからな」

「……確かに、赤龍帝ちんと違って女を知ってるみたい。でも、他の女もたまにはいいと思うにゃ?」

「そう思えない程度には、がっちりと心を掴まれているんだよ。無謀で無意味な試みはしないことをオススメする」

「……言ってくれるにゃ」

 

 言外に、「お前はミク達以下だ。興味ない」と告げられた黒歌は、ピキリと額に青筋を浮かべる。そして、何なら、本当に力尽くで聞き出してやろうかと舌舐りをし瞳を煌めかせた。

 

「止めておけ、黒歌。戦いの前に余計な力を使うな。それに、東雲伊織を倒すのは俺だ」

「げっ、ヴァーリ」

 

 今にも色んな意味で伊織に襲い掛かりそうな黒歌に、突然、廊下の奥から声がかかった。ヴァーリである。黒歌は、ちょっとバツ悪そうに舌をペロッと出すと両手を上げた。

 

「東雲伊織。久しいな。直接会うのはお前に倒されて以来か……。あれからも随分活躍しているようじゃないか。さっきのフェンリルは中々面白い趣向だった。それに、この空間も悪くない。まだまだ、俺の知らない力を持っているようで嬉しいよ」

「ヴァーリ、相変わらずの戦闘狂ぶりだな。カオス・ブリゲードと繋がってるお前が、一誠達と組むとは意外だったよ」

「神と戦うなんて心躍るじゃないか。たまたま、そこに兵藤一誠達がいただけの話。いてもいなくても挑んださ」

「……それだけとは思えないが。まぁ、そういう事にしておこうか。俺の今回の役目は、一誠を鍛える事だけだからな」

 

 伊織が、相変わらずのヴァーリに溜息を吐く。そして、そろそろ夕食の時間だから食いたければ食っていけと言い残して、さっさと踵を返した。ヴァーリチームもグレモリー眷属と同じくらいユニークな奴らが集まっているので、これ以上、絡まれる前に退散してしまおうと思ったのだ。

 

 別荘内という自分の懐に容易に招き入れ、黒歌の行為も特に気にせず、以前襲ってきたヴァーリを前に簡単に背を見せる伊織に、ヴァーリは不敵な笑みを浮かべた。遠ざかっていく背中がとても大きく見えたからだ。黒歌の方は何となく面白くなさそうな顔だ。まるで大きな存在に、子共にするようなあしらわれ方をされたせいだろう。

 

 その後、結局、食事をもらうことにしたらしいヴァーリ達が、メイドパンダの存在とその実力(料理)に驚愕するのは言うまでもないことだろう。ちゃっかり食卓に付いていたオーディンの舌まで唸らせたリンリンは半端ではなかった。

 

 

 そんなこんなで最終日。

 

『JET!!』

 

 一誠の姿が掻き消える。背中の魔力噴出口から大出量の魔力を噴かせて超高速移動をしたのだ。それにより、一瞬とは言え、フェンリルの速度に追いつき、その鼻面目掛けて拳を振るうことが出来た。

 

 フェンリルは、それを避けてカウンター気味に爪を振るうが、一誠は予期していたようにあっさり回避し、逆に背中の翼を手のように展開した。そして、フェンリルを飛び越えながらその尻尾を捕まえる。

 

「ドライグ!」

『応っ!!』

 

 一誠の呼びかけにドライグが応える。一瞬で、爆発的に力を倍化させた一誠は、尻尾を掴む一誠の翼を切り裂いたフェンリルに向かって特大の魔力弾をぶっ放した。

 

 その一撃により消え去るフェンリル。実際のフェンリルなら耐え切るだろうし、そもそも今の一誠では単独で勝てる相手ではないのだが……それでも初日とは見違える程赤龍帝の力を使いこなしている一誠に、それは合格を知らせる合図でもあった。

 

「ぜぇ、ぜぇ、や、やった……やったぞ、ドライグ!」

『ああ。よくやった、相棒。九日前とは比べ物にならんほど力を使いこなしている。本物であっても、そう簡単に殺られはしないだろう』

 

 禁手化を解きながら、城の前にある砂浜に崩れ落ちる一誠が歓喜の声を上げる。それに、苦笑い気味ではあるもののドライグが称賛の言葉を送った。

 

「お疲れさん、一誠。ドライグの言う通り、見違えたぞ」

「伊織、へへっ、ありがとな」

 

 ザッザッと足音を立てながら伊織が称賛の言葉を贈りつつやって来る。実際、一誠は原作と同程度、あるいは戦闘経験という点では上回っている事を考慮すれば、原作より強くなっていた。

 

 心地良い疲労感とそよ風に身を任せながら砂浜に大の字で横たわる一誠の隣に、傍から見れば、まるで孫の成長を喜ぶジジイのような眼差しを向ける伊織が腰を降ろす。

 

 そして、小さな小瓶を一誠に差し出した。

 

「一誠、これを」

「ん? なんだこれ?」

『お、おい、それは』

 

 ドライグがその正体に気がついたのか驚いたような声を出した。一誠が首を傾げて伊織を見る。

 

「中身は、蓮の蛇だ。無限の龍神がこちら側にいると知られるのは、俺達的には困るから、出来れば控えて欲しいが……だが、お前等の命には変えられない。いざという時は遠慮せず使ってくれ」

 

 伊織の言う通り、その小瓶の中には蓮の蛇が入っていた。蛇を飲めば力が跳ね上がるのは自明の理。それはイコールでオーフィスが伊織達の側にいることを証明することでもあるので、今の生活を崩したくないと思うなら表に出すべきものではなかった。実際、小瓶に封印魔法が施されており、開封しない限り気配は微塵も漏れないように出来ている。

 

 また、一誠達が、ドーピングのような力の得方をよしとしないだろうという事も伊織にはわかっていたが、今回の相手が相手だけに、保険はいくら掛けても多すぎるという事はないだろうと考えたのである。既に、アザゼル達、蓮の存在を知っている者達には、いざという時の為に渡してある。

 

「それに、本当にどうしようもなくて助けが必要な時は、遠慮なく呼んで欲しい。蛇を通せば、蓮に伝わるから。その時は、万難を排して助けにいく」

「伊織……サンキュ。まぁ、こっちにはグレイプニルとかミョルニルとか切り札も沢山あるし、何てったって、ここまで修行に付き合って貰ったんだ。これを使わなくても、神様くらいぶっ飛ばして来るぜ」

「そうか。そうだな。一誠なら、きっと大丈夫だ。何せ、乳龍帝おっぱいドラゴンだもんな」

『東雲伊織ぃ! お前までその名をっ! いや、そうだった。お前はあの番組の曲を作った奴だった……やはり、俺に味方はいなんだな』

 

 冗談めかした伊織の言葉に、しくしくと泣き始めたドライグ。一誠が慰めながら、そういえばよくエンディングを引き受けたなぁと思いつつ、案外、おっぱい好きなのかと、おっぱい談義を持ちかけてきた。

 

 それに対する伊織の答えは「おっぱいもそれ以外も十二分に間に合っている」だった。

 

 一誠が血涙を流したのは言うまでもない。

 

 と、そんな一誠を尻目に、しくしくと泣いていたドライグが何とか立ち直り、伊織に水を向けた。

 

『東雲伊織。前から聞きたかった事があるのだが』

「ん? なんだ?」

 

 そこで、ドライグは少し躊躇ったように言葉を止めると、意を決したように質問を繰り出した。

 

『……東雲崇矢という人物を知っているか?』

 

 その質問に、伊織は、ああその事かと納得したように頷いた。やはり、ドライグは伊織の事を知っていたのだろう、と。一誠が、いきなりどうしたのだろうと、不思議そうな顔をする。

 

「東雲? 伊織と同じ姓だよな。ドライグ、知り合いなのか?」

『相棒、東雲崇矢は、お前の一つ前の使い手だ。期間は短かったが、歴代でも有数の使い手だった。成長速度だけなら一番だろう。あいつほど早く禁手に至った者はいない。それも、力に溺れず、自らの意志で至った者はな』

「へぇ、すごい人なんだな。東雲って退魔師では沢山いる名前だって聞いたけど、伊織の知り合いか? まぁ、少なくとも十七年は前の人だから知らなくても無理はないけど……」

 

 一誠が、ドライグの説明に感心したように頷きながら伊織に視線を向けた。伊織は、少し困ったような表情だったが、どれでもドライグの評価に頬が綻ぶのを止められなかった。そして、静かな声音で返事をした。

 

「知っているとも。東雲崇矢は……俺の父さんだ」

「ッ!?」

『……やはりか。何となく、あいつとあいつの伴侶の面影があったから、あるいはそうではないかと思っていた。俺は、お前が赤子だった時の姿を見ている。あの生まれたばかりの赤子が、まさか父親と同じ神滅具所持者とはな……。崇矢の……崇矢と静香の最後は……知っているか?』

「ああ。酒呑童子との戦いで邪魔が入ったんだってな。酒呑童子――崩月から聞いた」

『そうか。そうだったな。お前が、あの鬼を倒したのだったな。フッ、因果とは偶にこういう粋な事をする。あの赤子が立派になったものだ』

 

 伊織とドライグが話をしている間、一誠はただただ呆然としているようだった。あまりに身近な場所に、友人の親の死が関わっている事に衝撃を受けているようだった。そして、その衝撃に拍車を掛けているのが、伊織の父親が自分の一つ前の赤龍帝であることだ。

 

 つまり、十七年前、まだ赤子だった伊織を残して他界した伊織の父から自分は赤龍帝の籠手を受け継いだのだ、という事が、伊織が同じ神滅具所持者である事も相まって、何だか大切なものを取ってしまったような気がしたのである。

 

 もちろん、そんな事あるわけないのだが、何となくバツの悪い気持ちは抑えられなかった。どうせ神滅具所持者となるなら【赤龍帝の籠手】がよかったんじゃないかと。そんな心情のせいで歪む一誠の表情に、伊織が気が付く。そして、人生経験の豊富さ故に、その心情も手に取るようにわかってしまった。

 

 背負う必要のないものを背負いそうになっている一誠に、多少の呆れを感じつつも、何とも優しい男だと頬を緩める。

 

「一誠、今、お前が感じているのは全くお門違いだ。神滅具が誰に宿るかなんて誰も分からないし、赤龍帝の籠手が俺に宿らなかった事に対して、俺が思うところは何もない。むしろ、次の赤龍帝が一誠みたいな真っ直ぐな奴で、本当に良かったと思ってる」

「伊織……」

『全くだ、相棒。神滅具を受け継ぐなんて考え自体がどうかしている。馬鹿な事で悩むなよ』

「いや、馬鹿って……ああ、もう、わーたよ。俺が誰にも恥じない赤龍帝ならいいわけだしな」

『フッ、そうだ。……まぁ、既に俺は乳龍帝だがな……ぐすっ』

 

 どこに地雷が落ちているわからない繊細なドラゴン赤龍帝ドライグ。伊織も内心、既に乳龍帝おっぱいドラゴンだけどな、と思っていたが口を滑らせなくて良かった。自虐と他人から言われたのではダメージの深さも違うのだ。

 

「その意気だ。確か、一誠は今、赤龍帝の深層に潜って歴代の所持者と対話しようとしているんだよな? だったら俺の父さんにも会うかもしれない。父さんは、最後まで自分の意志で戦って果てた。崩月は、父さんとの戦いを最高だったと言っていた。もし残留思念が囚われているなら、あるいは、父さんが突破口になるかもしれない」

『ああ。あいつは最後まで己の意志を捨てなかった。静香を守れなかった事を悔やんではいたが……伊織の言う通り、語りかけるなら崇矢がいいだろう』

「そっか。伊織の親父さんなら、確かに頼れそうだよな。わかった。……何ていうか、その、色々とマジでありがとな。伊織」

「どういたしまして。全力で暴れて、悪神も犬っころもまとめてぶっ飛ばして来い。そして、生きてまた会おう」

 

 伊織が拳を突き出すと、一誠もニッと笑って拳を合わせた。

 

 その後、別荘を出て、グレモリー眷属やシトリー眷属達、オーディン達やヴァーリ達に挨拶を澄ませてお別れをした伊織。多少の心配はあったもの、それでも、伊織は半ば確信していた。一誠なら、いや、一誠達なら蛇を使うまでもなく、きっと勝利を収めるだろうと。

 

 もっとも、その翌々日に一誠達から礼を兼ねた連絡が来て、期待通り蛇を使わず勝ちを拾ったものの、蛇の代わりに異世界の乳神様とかいう謎の神様から(にゅう)パワーなるものを貰って一誠がパワーアップしたと聞いたときは、異世界の存在を知っている伊織をして「そんな馬鹿な」と呟いてしまったものだ。

 

 そんな予想の斜め上をいく結果ではあったものの全員無事に生き残った事を伊織達は大いに喜んだ。

 

 もうすぐ駒王学園は修学旅行だ。行き先は京都。一誠からも京都に来たら是非、一度会おうと約束をしており、伊織自身も楽しみにしていた。

 

 が、そう事はスムーズに行かないもので、一誠達が強敵と戦ったのだから、次はお前達の番だとでも言うように、伊織達に大きな戦いが待っているのだった。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

本格的にはロキ戦に関わらせないことにしました。
ただ、蓮ちゃんがやらかしたツケは払わねばと、修行に付き合うという形にしました。

崇矢さんについて、深層に囚われているのは妻を守れなかった悔恨から……ということで。
先に、最高の戦いとか言っちゃったから、憎悪に囚われているとか不自然ですし……

さて、次回はVS英雄派です。

明日の18時更新予定です


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第48話 修学旅行の前に

 

 

「乳神様……のぅ。今代の赤龍帝とは、何というか……うぅむ」

 

 異界は八坂邸にて、伊織から対ロキ&フェンリル戦における事の顛末を又聞きした八坂の第一声がそれだった。その表情は、苦笑いと僅かな困惑が混じった微妙なもので、九尾の御大将のものとしては些か不似合いだ。一誠がチャンネルを繋げた存在はそれだけ衝撃的なのだろう。

 

「気持ちはわかりますよ。俺も、一誠やアザゼルさんからその話を聞いた時は、同じような表情になっていたと思いますから。まぁ、俺達としては、蓮の蛇を使われなかったので助かりましたしね」

「とは言っても、旧魔王派は既に壊滅状態で英雄派はオーフィスに不信と不満を持っておる。そして、オーフィスの言動に関係なく既に奴等は各地で暴れている状態じゃ。もう、カオス・ブリゲードという籠を維持する意味もないと思うがの。むしろ、【無限の龍神】は【魔獣創造】と共にある、と知らしめた方が、色々動きやすいと思うのじゃが……」

 

 八坂の言う通り、アウトローを一箇所に纏めておくという意味や、情報を入手するという意味では、既に偽オーフィスは役目をまっとう出来ていない。むしろ、先日の一件で曹操達の邪魔をした事により敵視すらされている。なので、大々的に発表した方が抑止力にもなるし、蓮も力を隠す必要がなくなるので動きやすくはなる。

 

 しかし、この時勢だからこそ問題もあるわけで。

 

「そうですね。それは俺も思いましたし、そろそろ潮時かとも思っているのですが……如何せん、【無限の龍神】は強すぎる。テロリストに目をつけられるくらいどうという事もありませんけど、龍神の存在は、各神話の神仏も放置は出来ないでしょう。気長に様子見くらいで済ませてくれればいいですが、俺のような無所属の神滅具所持者に寄り添うというのは……」

「まぁ、傍から見れば危険じゃの」

 

 伊織の事をよく知らない各神話の神仏から見れば、伊織が第二の曹操となるのでは? と考えるのが自然だ。しかも、旧魔王派や英雄派と違って、自ら進んで伊織の敵となるものを排除しようとする上に、そこにあるのは損得の絡んだ契約ではなく、純粋な親愛なのだ。危険性は遥かに上と言えるだろう。

 

 そうなれば、私生活においても監視は溢れるだろうし、場合によっては伊織の取り込みが激化する、もしくは強行的な排除行動に出る可能性もある。もちろん、無限の龍神を敵にまわす事になるのであくまで最悪の可能性でしかないが。

 

 蓮を向かい入れた時点で覚悟の上ではあるが、少しでも今の生活が続けばいいと思うなら、やはり、ばれるのは極力後がいいと思ってしまうのである。

 

 そう言って、苦笑いを零す伊織に、八坂は扇子をパチンッ! と閉じながら微笑を返した。

 

「伊織よ。忘れるでないぞ。蓮がいる限り滅多な事はないと思うが、それでも必要ならば、この八坂を頼れ。どこの神話が相手でも、この八坂と京の妖怪達は主の味方じゃ。みなの“若様”なんじゃからな。みな、進んで主の後ろに寄り添い、百鬼夜行の群れとなるじゃろう」

「……八坂殿。有難うございます」

「なに、受けた恩に比べれば軽い軽い。それに、我等だけでなく、主の味方になろうという者は多いじゃろう。崩月率いる鬼共しかり、立山妖怪しかり、堕天使の総督しかり、赤龍帝とその仲間しかり、な。主が紡ぎ、守った(えにし)の数が、そのまま主の力じゃ。並の神仏など相手にならんよ」

 

 そう言って快活に笑う八坂に、伊織はむず痒い気持ちを感じながら同じく明るい笑みを返した。そして、暫く、そうやって笑い合った後、本日の本題に入った。

 

「伊織よ。実はな、須弥山(しゅみせん)の帝釈天殿から会談の申し込みがあった。しばらく、京の地を空ける事になる」

「帝釈天殿から……しかし、一誠達の修学旅行に合わせて、魔王セラフォルー殿と会談を予定していたのでは? もう余り日日がありませんが」

「まぁ、和平同盟と言っても完全に心まで足並みを揃えているわけではない。九尾たる妾は、どちらかといえば大陸よりじゃからな。魔王との会談前に、すこし顔を合わせて話しておきたいのじゃろう」

「なるほど。それで、京都の地と九重の守りを改めて頼んでおこうというわけですね」

「そういうことじゃ。主は京都守護筆頭じゃし、頼まんでも九重を守ってくれると確信しておるが、こういう事は言葉にしておくのが礼じゃからの」

「八坂殿らしい。どちらの守護も、東雲伊織が確かに請負います」

「うむ。頼んだぞ。……ふふ、留守中、九重の事は好きにして良いからの?」

「おい、こら、母親」

 

 何か企んでいいそうな含み笑いをする八坂に、最後の最後で台無しだよ! と伊織は思わずタメ口でツッコミを入れた。

 

 その数日後、八坂は、念の為にと伊織が付けた魔獣一体と分身体ミクを一人、及び烏天狗達の護衛を連れて京都を旅立っていった。

 

 テトやエヴァ、本体のミクは、今日も各地で起きているテロに対応しているため、京都の地で守護に付くのは伊織だけだ。そのせいか、八坂の見送りに出た九重が傍らの伊織をやたら意識し、周囲の妖怪がやたら目を爛々と輝かせ、八坂が悪い笑みを浮かべていた。ミク達の不在中に、一体何をしでかすつもりなのか……伊織は頬が引き攣るのを止められなかった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「さてさて、今頃、我が娘は、しっかりとやっておるかのぅ?」

「もう~、八坂さんったら直ぐに九重ちゃんを焚きつけるんですから。九重ちゃんはまだ十歳にも届いてないんですよ?」

 

 ニマニマとした口元の笑みを扇子で隠しながら八坂が呟くと、傍らの分身体ミクが困った人を見るような眼差しを向けて軽く窘めた。

 

 八坂とミクは、現在、朧車という妖怪に乗って夜天を翔けている。周囲には護衛の烏天狗達が漆黒の翼をはためかせて警戒の眼差しを巡らせていた。

 

「まぁ、そういうでない。主等の内に割り込むには、このくらいの積極性が無ければ一生“妹”止まりじゃ。しかし、九重は本気。本気で、伊織のものになりたいと願っておる。ならば、母親として早々に手を打っておいてやらねばならんじゃろ?」

「じゃろ? じゃないですよぉ。あまり、マスターを困らせないで下さい。毎度毎度、九重ちゃんを傷つけないようにアプローチをかわす方法に頭を悩ませているんですから」

「ふふふ、それくらい伊織の器量ならどうという事もなかろう」

 

 全く悪びれた様子のない八坂の楽しげな表情に、ミクは「だめだこの母親」と天を仰いだ。

 

 聞けば、異界の妖怪が一致団結して伊織と九重の仲を進展させようと、あれこれ画策しているらしく、九重も、八坂流夜這い術を仕掛けるつもりらしいのだ。どこの世界に、九歳の娘に夜這いの仕方を仕込む母親がいるというのか。

 

 他にも女たるもの~と教え込まれており、九尾の性質もあるのか、九歳にして時折女を魅せる事があるので、将来は何とも恐ろしい事になりそうである。エヴァの胃痛がマッハになるだろう。

 

 幸い伊織は至ってノーマルであり、変態と書いて紳士と読むような特殊な性癖は持っていないので今回も上手く九重のアプローチをかわすだろうが、九重が本気な分、色々と大変であることに変わりはない。

 

 そんな他愛のない? 会話をしつつ朧車に乗って夜天を駆ける事しばらく……

 

「八坂様……少々、霧が出てまいりました。護衛がはぐれると事ですので、少し速度を落とさせて頂いて宜しいですか?」

「む? 霧じゃと?」

 

 朧車の直ぐ脇を飛んでいた烏天狗が、物見窓に身を寄せて八坂に報告を上げた。八坂は、訝しげに眉を潜めると、その物見窓から外を覗き見る。すると、確かに、霧が周囲を急速に覆い始めており、編隊を組んでいた烏天狗の幾人かが見えなくなっていた。

 

 その霧の一部が、八坂の傍に漂う。直後、

 

「ッ!? 馬鹿者! この霧は自然のものではない! 術……いや、【絶霧】の霧じゃ! 速度を下げるな! 取り込まれては抜け出せんぞ!」

「しょ、承知しました! 皆の者! 敵襲っ! てきしゅぐぅわぁ!?」

 

 八坂が霧の正体に気がつき警告を発するものの、時既に遅く、一瞬の閃光が奔ったかと思うと、眼前の烏天狗を貫いた。警鐘を鳴らそうとした烏天狗は上半身を消し飛ばされながら宙に黒羽を盛大に撒き散らす。そして、その閃光は、烏天狗を消滅させたまま些かの衰えも見せずに、八坂と分身体ミクが乗る朧車を直撃した。

 

ドォバァアアアア!!

 

「っぅううう!!」

「わわっ!?」

 

 レーザーのような光の奔流により屋根を消し飛ばされた朧車が悲鳴も上げられずに地上へ落下する。八坂とミクは、咄嗟に消し飛んだ屋根から外へ飛び出した。周囲は既に濃霧に覆われており、そこかしこから護衛の烏天狗達の悲鳴が聞こえてくる。

 

「完全に待ち伏せられておったようじゃな……脱出は……既に取り込まれたか」

 

 八坂が苦みばしった表情を見せながら、周囲に視線を巡らせる。その目に映るのは、辺り一面を覆う濃霧のみ。しかも、先程まで空にいたというのに、今は足の裏に地面を感じる。【絶霧】による異界へと取り込まれたようだ。

 

 と、その時、少し離れた場所にいたミクが八坂に警告の声を発した。

 

「八坂さん! 霧がっ!」

「むっ!?」

 

 八坂の周囲に圧倒的な密度をもった粘性の高い泥のような濃霧が一瞬で展開される。それらはただの霧ではなく、八坂に触れると瞬く間に金属質の物体へと変わっていった。

 

 八坂の脳裏に、報告のあった【絶霧】の禁手【霧の中の理想郷】の能力が思い起こされる。霧の中で思い通りの結界装置を創り出す能力だ。一度、その装置に囚われれば、抜け出すことは容易ではない。何せ、手を抜いて作った結界装置でさえ、様々な要因が重ならなければ同じ神滅具である【赤龍帝の籠手】ですら破壊できない強固さを誇るのだ。

 

 八坂は、咄嗟に払おうとするが間に合いそうもなく、その表情に焦燥が浮かぶ。

 

 が、次の瞬間、

 

キィイイイイイイ!!

 

 硬質な音と共に半透明半球状の力場が八坂を中心に展開され、纏わり付いていた濃霧を一気に弾き飛ばした。それと同時に、八坂のモッフモフの九尾の一本から小さな少女型の魔獣が飛び出し、八坂の肩に腰掛けた。その小さな手は、悪意の侵入を拒むように真っ直ぐ前に向けられている。

 

――魔獣 クイーンオブハート アイギスの鏡

 

 あらゆる攻撃を防ぎ跳ね返す守護の力場だ。伊織によって小さめに創造されたクイーンが、八坂の隠れた護衛だったのである。

 

「ふぅ、助かった。礼を言うぞ、クイーンよ」

「――♪」

 

 言葉は話せないが、小さなクイーンは気にするなというように片方の手で八坂の肩をポンポンと叩く。そんなクイーンの仕草に少しほっこりしながら八坂は白くたおやかな指で刀印を作り、そっと言霊を紡いだ。

 

 八坂による祓いの術により、力場を突破しようと襲いかかって来た霧が少しずつ押し返されていく。禁手に至った神滅具相手では一気にと行かないまでも、八坂とてその実力は龍王と遜色はない。むしろ、こと術においては遥かに凌ぐと言ってもいい。【絶霧】により創られた異界そのものを破壊することは難しくとも、今も、霧の中で窮地にあるであろう烏天狗達の助けにくらいはなるはずだ。

 

 そんな八坂の思惑を読み取ったのか、再び、閃光が霧の中から飛び出してきた。レーザーのように空を切り裂き迫るその一撃は、間違いなく神滅具級の威力だ。しかし、クイーンとて禁手から生み出された防御特化の魔獣。数十秒くらいなら、【アイギスの鏡】でも耐えられるだろう。

 

 閃光を受けて悲鳴を上げる【アイギスの鏡】を横目にそう判断したミクは、さっきから一方的にやられっぱなしである事にイラっと来たようで、額に青筋を浮かべながら閃光の根元へと無月の鋒を向けた。

 

「いい加減にしやがれですぅ!!」

 

 直後、翠色の魔力が奔流となって撃ち放たれた。

 

――直射型砲撃魔法 ディバインバスター

 

 射線上の霧を吹き飛ばし、翠色の壁ともいうべき大威力の砲撃は、確かに相手に脅威を感じさせたようだ。閃光の軌道が一瞬彼方へ逸れて、直ぐに消える。おそらく、ミクの【ディバインバスター】を避けるか防ぐかする為に、攻撃を中断したのだろう。

 

 直後、突きの構えを取っていたミクに、二振りの斬撃が襲いかかった。霧の中から背後を突く完璧な奇襲攻撃。並の相手ならそれで終わっていただろう。しかし、ここにいるミクが“並”なわけがない。

 

 霧に覆われた時点で、すぐさま展開していた【円】と【サーチャー】による監視網で警戒していたのだ。故に、その二剣の襲撃者の動きは手に取るように分かっていた。

 

ヴォ!

 

「っ!?」

 

 空気を破裂させるような音と共にミクの姿が掻き消えて、二条の剣線は虚しく空を切る。襲撃者――カオス・ブリゲード英雄派ジークフリートが思わず驚愕に目を見開いた。ほんの一瞬とは言え、ミクの存在を見失ったからだ。

 

 そして、次の瞬間には、違う意味で更に目を大きく見開いた。奇襲をかけたはずの己の背後にミクの存在を感じたからだ。つまり、一瞬で背後を取られたということ。剣士が敵に背を見せるなど途轍もない屈辱である。

 

「疾っ!!」

「っ!!」

 

 ジークフリートの上空から重力加速と全体重をかけて放たれる唐竹の一撃。振るわれた無月は魔力とオーラで輝いている。

 

――飛天御剣流 龍槌閃

――神鳴流   斬岩剣

 

 ジークフリートは、咄嗟に手に持つニ振りの剣を交差させて掲げ、その超威力の一撃を受けた。

 

ドォガァアアア!!

 

「ぐぅう!?」

 

 衝撃が骨を軋ませ筋肉が悲鳴を上げる。ジークフリートの足が地面を踏み割り放射状に砕け散った。苦悶の声を上げながら、それでもどうにか受けきったのは流石英雄の子孫というべきか、あるいは二本の尋常でない気配を発する魔剣のおかげか。

 

 だが、剣士たらんとすれども、実際は、剣士でも(・・)あるミクの手がこんなところで止まるわけもなく、

 

解放(エーミッタム)、【雷の斧】!!」

「ッ!? うおぉおお!!」

 

 あらかじめ遅延呪文を唱えておいた雷系魔法が炸裂する。ジークフリートは雄叫びを上げながら、背中から三本目の腕を生やして新たな魔剣を振るい、どうにかミクのもたらした暴威から脱出した。

 

 そこへ重なる無数の剣戟。聖なるオーラを纏う無数の剣が、突如、ミクの眼下で咲き乱れる。更には、霧の中から幾本もの同じ聖剣が飛び出してきた。眼下から伸びる聖剣に串刺しか、それとも飛来する聖剣によって撃墜か……

 

――神鳴流 百列桜華斬

 

 空中で放たれたのは剣の結界。手首の返しで円を描くように高速全方位への斬撃を展開する。剣先が音速を超えているため空気の壁が発生し、それが破裂する度にまるで桜の花びらでも散っているかのような光景が広がる。

 

 結果、下方の聖剣も飛来した聖剣も纏めて砕かれ吹き飛ばされた。

 

「なんなのよ、あんた……」

「……面白いね」

 

 全く無傷で華麗に着地を決め、八坂の傍に下がるミク。そんな彼女に、霧の奥から姿を現した金髪の女性とジークフリートがそれぞれの感情を向ける。金髪の女――ジャンヌダルクは少し鬱陶しげに、ジークフリートは楽しげな笑みを浮かべている。

 

「ミク、無事かの?」

「はい、私は。でも、護衛の人達は……」

「そうか……そろそろ出てきてはどうかの? 聖槍の使い手よ」

 

 ミクに囁く八坂は、その返答に眉を潜めると感情を感じさせない声音で霧の奥へと言葉を投げかけた。

 

パチパチパチ

 

 そんな拍手と共に一気に霧が晴れていく。視線を巡らせば何やら見覚えのある建物があちこちにあり、ここが京都を模した擬似空間であるとわかった。そんな模倣京都の街角から、漢服の青年――曹操と、ローブの青年――ゲオルグ、そして巨漢の男――ヘラクレスが現れた。

 

 曹操は、聖槍で肩をトントンと叩きながら楽しげな眼差しを八坂とミクに送っている。

 

「初めまして九尾殿。知っての通り、俺は曹操。英雄派のリーダーをやっている。それにしても流石は妖怪の御大将だ。時間さえ稼げれば、【絶霧】を退けるか……それにその障壁。東雲伊織の魔獣だね。そっちは彼の女。ジークとジャンヌの奇襲をあっさり凌ぐなんて、本当に彼の周りは規格外ばかりだ」

 

 勧誘を失敗したのは本当に残念だよ……そんな事を言いながら、曹操は、聖槍の穂先を真っ直ぐ八坂へと向ける。

 

「さて、その障壁も聖槍の前ではそう長くは持たないだろう? 東雲ミクも、ジーク達の本気には余裕でいられないはず。多勢に無勢だしね。そして……」

 

 曹操がゲオルグに視線を向ける。その意味を察したゲオルグが霧を操ると、そこには瀕死状態の烏天狗達が出現した。

 

「護衛の妖怪達もこの通り。外部への連絡もとれはしないし、この空間に気付く事はまず不可能だ。つまり、詰みだよ、九尾殿。そうだな、ここはテロリストらしく、“こいつらの命が惜しければ大人しくしろ”とでも言っておこうかな」

「よく回る口じゃな。この八坂、貴様等如きに遅れを取るほど甘くはないぞ?」

 

 八坂の九尾がぶわっと膨れ上がり、その身から莫大な妖力が迸る。金の瞳は爛々と輝き、獣らしく瞳孔が縦に割れた。凄まじい威圧感が英雄の子孫達にのしかかる。しかし、そんなプレッシャーを受けても、曹操達は怯むどころか、むしろ楽しげに唇を吊り上げるのだから根っから戦闘狂である。

 

「おお、恐い恐い。だが、そんな事を言われては試してみたくもなるな。実験が終わったあとで、まだ意識を回復できそうなら戦ってみるのも悪くないか」

「実験じゃと? 貴様等、何を企んでおる。会談を邪魔する事が目的ではなかったのか?」

「ん? ああ、会談ね。割とどうでもいいな。……っと、いつまでも話していても仕方ない。九尾殿、そろそろ終わらさせてもおうか」

 

 曹操が聖槍に光輝を纏わせる。その威光だけで、瀕死状態で倒れていた傍らの烏天狗のうち何人かが絶命してしまった。最強の神滅具の名は伊達ではないのだろう。おそらく、次の一撃を【アイギスの鏡】は耐えられないに違いない。

 

「曹操、そっちの剣士は俺が貰うよ。久しぶりに尋常でない斬り合いが出来そうだ」

「おいおい、それじゃあ、俺の相手がいねぇじゃねぇか。カラス共はクソ弱ぇしよ。俺にも殺らせろや」

「ちょっと、私だってツインテちゃんとやりたいんだけど」

 

 ジークフリートが三本の魔剣を構えながら、その鋭い眼光でミクを射抜く。そんな臨戦態勢のジークフリートにヘラクレスが足元の烏天狗を踏みつけながら進み出て文句をいい、ジャンヌもそれに乗っかる。

 

 それに対してミクはというと、ただ静かに佇んでいるだけ。その顔には焦燥の影も窮地に追い込まれ者特有の必死さもなかった。

 

「あらあら、私ったら大人気ですね。しかし、安心して下さい。皆さんが戦うべき相手は直にここに来ますから」

 

 ミクがあっけらかんという。【絶霧】の結界の中へと仲間が助けにやって来ると。それを、追い詰められたが故の現実逃避と受け取った曹操が、多少の哀れみを込めた眼差しと言葉で返した。

 

「……残念だが、助けは来ない。信じるのは構わないが、有り得ない可能性に縋るより、死に物狂いで相手をしてやって欲しいね」

「ふふふ、本当にそう思いますか? マスターが魔獣と私を八坂さんに付けたというのに……これで終わりだと?」

「……何が言いたいのかな」

 

 スっと目を細めて警戒心をあらわにする曹操。この切り替えは流石というべきところだが、今更である。何せ、曹操の襲撃は、始まった時、既に伊織達へと伝わっているのだから。

 

「そうですねぇ。では、こう言っておきましょうか。“いつから私が東雲ミク本人だと錯覚していた?”と。本体の私とここにいる私は常に繋がっているんですよ?」

「! 式神の類かな? 日本の退魔師がよく使うと聞くが……だが、それは嘘だ。君からはそんな術の気配はしない。うちのゲオルグはその辺り優秀なんだ。気が付かないはずがない。それに、万一外部と連絡を取れても、この場所には入って来られない」

「ゲオルグさんは優秀でも、知らない(ことわり)までは看破できないでしょう? そして、あなたは知っているはずです。【絶霧】の結界を力尽くで破れる存在を」

 

 ミクの物言いに、曹操が訝しそうに眉根を寄せる。そして、脳裏を過ぎったのは、少し前、伊織を勧誘しにいって邪魔された時のこと。無限の魔力をもって力尽くで【絶霧】を破壊した存在。

 

 曹操の表情がハッとしたものになる。【魔獣創造】に手を出す事を否定するオーフィスが、九尾の襲撃に対する邪魔をするなど有り得ない。オーフィスは基本的にこの世の事について興味がないのだ。いくら、【魔獣創造】の使い手の女がいるとしても、そんな所まで意識するはずがなかった。

 

 そう、曹操の知る【無限の龍神】であったなら。

 

 ミクが笑う。

 

「ほら、来ましたよ。私達の頼れる家族が」

 

 直後、

 

ドォゴオオオオオオオン!!!!

 

 結界全体を揺るがすような激震が奔る。ただ一度の衝撃で空間が悲鳴を上げて亀裂が入り、大気が鳴動した。

 

「ッ!!? これはっ、馬鹿なっ!」

「曹操、どういうことだ! なぜ、なぜっここでっ、オーフィスが出てくる!!」

 

 驚愕に目を見開く曹操に、ゲオルグが必死の形相で霧を操りながら問い質した。曹操が知るわけないのだが、そう怒鳴らずにはいられないほど動揺していたのだ。そして、それは他の者、ジークフリートやヘラクレス、ジャンヌも同じだった。まるで重力が何十倍にも加算されたかのような絶大なプレッシャーが彼等を襲い、否応なく冷や汗が額から流れ落ちる。

 

「まさか…俺は、根本的に勘違いをしていたのかっ!?」

「ふふ、彼女を呼ぶときは、オーフィスではなく蓮と、“東雲蓮”と呼んで上げて下さい」

「ッ……そんな馬鹿な話がっ、有り得ない!」

 

 ミクの言葉をただ有り得ないと切り捨てる曹操。それも当然だ。一体誰が、かの龍神が、人の名を貰って人と同じように生活している等と思えようか。その無限の力を、ただ親愛のために振るう等と思えようか。曹操達の知るオーフィスからは、あまりにかけ離れた姿だ。

 

 曹操は、動揺をあらわにしながらも聖槍に光輝を纏わせていく。どんな存在が現れても、結界を突破して姿を見せた瞬間に滅ぼしてやろうというのだろう。

 

「ゲオルグ! 結界を保てないなら無理に力を使うな! 突破してきたところを穿ってやる!」

「くっ、わかったっ! だが、もし、本当にッ……」

 

 ゲオルグはその先を言わなかった。正確には言えなかったのだ。破壊の権化とも言うべき黒色の魔力弾が隕石の如く空間をぶち破って飛び込んできたが故に。その魔力弾は、そのまま曹操達の頭上を飛び越えると結界の端にあった町の一角に着弾し、その周囲一体を根こそぎ消滅させた。後には、巨大なクレーターだけが残る。

 

 この擬似空間は、悪魔がレーティングゲームやそのトレーニングに使うバトルフィールドを模して作られており、その強度は折り紙つきである。それが、ただの一撃でその有様。曹操達の頬が自然と引き攣った。

 

 と、その時、曹操は、魔力弾によって破壊された穴から複数の気配が飛び込んで来るのを感知した。曹操は、ハッと我を取り戻すと、その口元に不敵な笑みを浮かべる。もう、動揺は完全に収まっていた。今は、ただ英雄の血が激っている。

 

 そして、その闘志を力に変えて聖槍を真っ直ぐ突き出した。

 

「伸びろ! 聖槍よ!」

 

 その雄叫びと同時に、聖槍の穂先が開きそこから閃光が飛び出した。最初に、朧車や力場を襲った一撃。しかし、その威力は更に倍増しである。

 

 一直線に擬似京都の空を切り裂いた聖槍の一撃は、空間に空いた穴から人影が飛び出して来たとほぼ同時に直撃しようとした。

 

 しかし、その凄絶なる一撃は目論見通りには結果を出せなかった。最初から、曹操の攻撃が来ると分かっていたかのようなタイミングで、真っ先に姿を現した男が拳を振るい、いつか見た空間破砕による穴を作り出したからだ。

 

 聖槍の一撃は、その穴――虚数空間に呑み込まれあっけなくその力を失う。最強の神滅具の一撃をあっさり凌いだ相手に、曹操とゲオルグ以外のメンバーは剣呑に目を細めた。

 

 そんな彼等の前に、五人の男女が降り立つ。その内の一人は、今も八坂の傍にいる翠髪の女の子だ。ミクの言っていた分身体であるという発言が真実であると分かり、見破れなかった事に、術への密かな自信を持っていたゲオルグは僅かに眉をしかめた。

 

「曹操……覚悟しろ。ここがお前の終着点だ」

 

 伊織の静かな声音に、自然、曹操の顔が喜悦に彩られた。

 

 

 

 




いかがでしたか?

次回から戦闘回です。
ストレス発散するぞぉ

感想について
伊織と一誠達がいきなり親し過ぎる、という点について、一応、蓮のことがバレたあと、よく連絡を取り合って良好な友人関係を結んでいると書いておいたのですが、やはり閑話でもいれて具体的なシーンを書くべきだったかもしれませんね。

修行について、念など伊織達が保有する特殊技能を伝授する予定はありませんよ~、ご安心を。あくまで、イベント潰したせいで、一誠に死ぬ以外の未来が見えないことを回避するためですから。
ある程度、自分で何とかしてくれないと見捨てない伊織の立場からすると、原作にド介入となってしまうので

明日も、18時に更新します。


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第49話 本物と紛い物 前編

 

 創られた偽りの京都の一角で、異世界の英雄と英雄の力を持って生まれてきたテロリストが相対した。

 

 両陣営の表情は対照的だった。伊織達が一様に静かな、されど強い意志を秘めた真剣な表情であるのに対して、曹操達は、オーフィスが伊織達側にいるという動揺さえ収めてしまえば、そこには不敵で楽しげな笑みしか浮かんでいなかった。龍神が敵に回ったという事実すら、超常の存在へと挑む事を理念とする彼等には嬉しい事なのかもしれない。

 

「やぁ、東雲伊織。随分な登場をしてくれるなぁ。まるで作られたように劇的な展開だ。正直、心が滾るのを止められない」

「相変わらずの戦闘狂振りだな。見たところ、お仲間も似た者同士か」

「そりゃあそうさ。俺達はそういう風に生まれて来たんだ。英雄たるもの常に強者との戦いを求めるのが自然だ」

 

 曹操がそんな事を嬉しそうにのたまう。そして、その視線は、他のメンバーと同じく、黒髪ゴスロリ少女オーフィスへと向けられた。

 

「オーフィス……正直、貴方がそこにいる事が未だに信じられない。グレートレッドを打倒し、故郷である次元の狭間に帰還するとい目的はどうなったんだ? それとも、東雲伊織といる事でその目的が叶うと確信したのか? 俺達ではなく?」

 

 それは当然の疑問だ。オーフィスという存在を、力の象徴としてしか見た事のない者には到底理解できないだろう。静寂を求めた理由も、常に人型をとっている理由も、その人型が常に弱者を象徴するものである理由も。きっと、ただの戯れにしか見えていない。

 

 だからこそ、今のオーフィスはもっと理解できないはずだ。ネット世界ではグレートレッドすらネタにしてあらゆる神達の上を行くナンバーワンうp主“龍神P”様である事も、それが今、オーフィスにとって何よりの楽しみである事も、パソコンの前に齧り付いて離れないオーフィスにジャーマンスープレックスをかまして食事を取らせる東雲ホームの子供達や反省中プラカードを渡して部屋の隅で正座させる依子など、そんな遠慮のない家族とのやり取りが何より嬉しいと感じている事も……そして、そんな幸せに己の手を引いて導いてくれた伊織達に、溢れんばかりの親愛を感じている事も、曹操達には到底理解できない事だろう。

 

 故に、オーフィスはただ一言で返した。

 

「無限の龍神の名は“蓮”。それが全て」

 

 新たな名をもらった時から、新たな生き方をしているのだと、大切なものも、叶えたい願いも、譲れないものも、全て新しくなったのだと、そう言外に伝える。

 

 果たして伝わったのかいないのか、曹操は「そうか」と肩を竦めるだけで、それ以上何も言わなかった。あるいは、オーフィスの動機などどうでも良かったのだろう。ただ、敵か否かを確信したかっただけなのかもしれない。

 

 曹操は、伊織達から視線は逸らさずに、ゲオルグに呼びかけた。その意を汲み取ったゲオルグは、霧を操って転移の準備をしようとする。いざという時の退路は確保しておきたいのだろう。

 

 しかし、ゲオルグの霧がその効果を発揮することはなかった。

 

「さてさて、好き勝手しておいて、あっさり逃げられると思ったのかのぅ? この八坂にどれだけ時間を与えたと思うておる」

 

 その声の主は九尾の御大将。刀印を組んだ指にうねる九尾、そして黄金色に輝く瞳が曹操達を睥睨する。いざとなれば逃げればいいなどと、これだけ勝手をしておいて甘いことを()かすなと、常人ならただ傍に寄っただけで発狂しそうな高密度の妖力を撒き散らしながら宣言する。

 

 八坂は、伊織達が登場し曹操と言葉を交わしている間も、ひたすら【絶霧】に対抗すべく術を練り上げていたのだ。結果、戦闘に備えて結界は解除せず、むしろその結界を利用して曹操達が簡単に逃げ出せないよう檻にする事に成功した。もちろん、転移する事も出来ない。

 

 もっとも、【絶霧】を抑える代償にその力の大半を使っているので、十全な戦闘は不可能となっている。何せ【絶霧】は神滅具であり、禁手に至っているのだ。言ってみれば、【赤龍帝の籠手】のブーストをさせない、あるいは、赤龍帝の鎧を強制的に解除するといった事を行っているに等しい。八坂の技量は神懸かっていると言えるだろう。

 

「チッ、九尾の術で転移を阻害……いや、結界そのものに干渉したか。曹操、すまないが撤退するとしても時間がかかりそうだ。九尾の術を破らねば」

「そうか……ますます、英雄向きのシチュエーションだ。いいとも、ならば覚悟を決めてやり合おうか」

 

 曹操は、ゲオルグの言葉に動揺するでもなく、聖槍で肩をトントンしながら不敵な笑みを浮かべた。

 

「ゲオルグ……あれの準備を頼む。それと、外にいる構成員に京都の地で盛大に暴れろと伝えてくれ。ジーク、ジャンヌ、ヘラクレス、相手は神滅具使いと無限の龍神だ。彼に侍る女も、紛れもなく強者揃い。相手にとって不足はないだろう?」

「ああ、全く、心躍るよ」

「まぁね、久しぶりに全力でやれそう」

「ハッハッハッー!! いいじゃねぇか! 実験なんてまどろっこしいと思ってたところだぁ!」

 

 曹操が聖槍に光輝を纏わせ、ジークが三振りの魔剣を薙ぎ払い、ジャンヌが細身の剣を掲げ、ヘラクレスが巌のような拳を打ち鳴らす。どいつもこいつも戦闘意欲旺盛だ。

 

「伊織よ。すまんが【絶霧】への干渉で精一杯じゃ。霧使いは何とかするでの、後は頼むぞ?」

「ええ、逃がさないようにしてもらえるだけで十分です。……ここで、終わらせます」

 

 伊織は、そう言って一歩前に出ると、ミク、テト、エヴァに語りかけた。

 

「感情が理解できないわけじゃない。だが、こいつらは己の快楽の為にやり過ぎた。……ミク、テト、エヴァ。……叩き潰すぞ」

「はい、マスター」

「了解、マスター」

「ふん、当然だ」

 

 次の瞬間、誰の合図もなく戦いの火蓋は切られた。

 

 一瞬で、戦うべき相手が選別される。

 

 最速で飛び出したジークフリートの魔剣が迷う事なくミクに振るわれ、それをミクが正面から受け止めた。ジークの目には最初からミクしか見えていなかったようだ。同じ剣士として斬り合わずにはいられなかったのだろう。

 

 一拍遅れて聖槍から閃光を奔らせようとした曹操に伊織が肉薄し、伊織を狙っていたらしいヘラクレスが一瞬で脇を抜けられた事に驚きながらも追撃しようとしてエヴァの合気を喰らい投げ飛ばされた。更に、そのエヴァを魔のものと看破していたらしいジャンヌが聖剣を振るうが、その剣をピンポントでテトが銃撃し、更に飛び蹴りをかまして吹き飛ばした。

 

 後方では、【絶霧】への干渉で余裕のない八坂に、ゲオルグがその制御を取り戻そうとしながら、魔法攻撃を仕掛けていた。その攻撃を、八坂の前に立ち塞がったオーフィスが捌く。ゲオルグは、八坂の術を破る事と何かの召喚術も並行しているというのに驚異的な技量と言えるだろう。

 

 

 

 

 それぞれが、己の敵と相対した中、いち早く切り札の一つを切った者がいた。

 

「禁手化――【阿修羅と魔龍の宴】」

 

 その言葉と共に戦場の一角で光が溢れる。現れたのは背中から四本の龍腕を生やし計五本の魔剣と一本の光剣を構えた阿修羅像――もとい、禁手化したジークフリートだった。

 

「うわぁ、いきなりですねぇ」

 

 ジークフリートの神器は【龍の籠手】。一定時間、使い手の力を二倍に引き上げるというありふれた物ではあるが、これはその亜種であり、生えた腕の数だけ倍化する。つまり、ジークフリートの力は都合十六倍に跳ね上がったというわけだ。しかも、その手に持つ剣は尋常でないプレッシャーを放つ魔剣ばかり。

 

 だというのに、対するミクは無骨な無月を構えたまま特に気負うでもなく、あっけらかんとしている。

 

 そんなミクに、ジークフリートは思わず苦笑いを零した。

 

「君の実力は、さっきのである程度把握したつもりだ。手を抜くなんて有り得ない。最初から全力で行かせてもらうよ。……尋常でない斬り合い。剣士なら誰もが求めることだ。君もわかるだろう?」

「理解は出来ますが、共感は出来ません。っと言っておきましょう。きっと、マスターならそう言うでしょうし。私も同感です」

「それは、残念だっ!!」

 

 ミクの切り捨てるような言葉に笑みを零しつつ、ジークフリートは一気に踏み込んだ。その速度は、並の相手では瞬間移動にも思えただろう。しかし、速度に関しては自信のあるミクが、反応できないはずがない。

 

 背後から振り抜かれた唐竹の一撃を無月の鞘で受け止める。しかし、今回は相手が悪かった。振るわれた剣は、魔剣の帝王とも呼ばれる最凶の剣。全てを切り刻む魔帝剣グラムだ。故に、無月の鞘は、その凶刃の侵入をあっさり許してしまう。

 

 ミクは、堅さにだけは定評のある無月が両断されそうになった事に驚きつつ、加速された世界で、一瞬にして【周】を強化すると、そのまま脇へとグラムの威力を逃がした。

 

 だが、ジークの剣戟はまだまだ終わらない。何せ、手に持つ剣は魔剣五本に光剣一本の計六本もあるのだ。

 

 ミクがグラムに対応した刹那に、右薙、左薙、袈裟斬り、逆風の剣閃が走る。更に、最後の一本は突きの体制だ。後方に逃れようとすれば、神速で踏み込んだジークにより一突きにされるだろう。

 

 逃げ場はない。六刀流という有り得ない剣戟の嵐は一瞬にして全ての生存の可能性を斬り捨てるのだ。故に、逃げない。むしろ、この絶対絶命をチャンスに変える。己の身を囮として、反撃に出る!

 

「アデアット」

「ッ!?」

 

 その瞬間、今まさにミクを切り刻もうとしたジークの背筋を氷塊が滑り落ちた。殺気を感じたわけではない。しかし、それでも背後に死を感じたのだ。しかも、正面のミクは、逃げるどころか、むしろ踏み込んできており、このまま剣を振るえば深刻なダメージは与えられるだろうが至近すぎて致命傷には至らないだろう。

 

 すなわち、死ぬのは自分だけ……

 

 ジークは、咄嗟に先に弾かれた魔帝剣グラムの力を解放し、その反動で身を捻った。

 

 直後、一瞬前までいた場所に、無骨な刀の斬閃が走った。更に、体勢を整えようとするジークの左右背後から三条の斬撃が襲う。

 

 手数で圧倒しようとしたジークの攻撃への当てつけのように、今度はジークが無数の剣戟に襲われる。

 

「舐めるなぁ!!」

 

 気合一発。ジークの魔剣が空に踊り、全ての斬撃を迎撃した。しかも、魔剣からは空間を削り取るような渦巻く衝撃や、空間そのものを切り裂く斬撃まで飛び出し、ジークを襲っていた分身体ミクの持つ無月を破壊する始末。前者を魔剣バルムンク、後者を魔剣ノートゥングという。

 

 ジークは更に、ミクの追撃を避けるため、魔剣ダインスレイブによって氷柱を発生させ周囲に無差別な殺意を撒き散らした。

 

 ミクの方にも氷の柱が襲い来る。それを、抜刀一閃で両断すると、ミクはジークの魔剣を観察するように目を細めたまま抜刀姿勢を維持して動かなくなった。ジークを取り囲むように七人のミクが包囲網を形成する。

 

「くっくっ、あぁ、楽しいなぁ。手数には手数を、か。そうだった。君には、この分身体があったんだ。ゲオルグでも見抜けないってどういう原理なんだい?」

「あなたの魔剣の性能は?」

 

 自分を取り囲む分身体ミクを楽しげに見回しながら、ジークがそんな事を聞くと、ミクは逆に魔剣の詳しい性能を尋ね返した。言外に、敵に教えるわけないでしょう? と言っているのをジークも違えず察する。

 

 それに苦笑いを零しながら、禁手化しても容易に攻めきれないミクに精神がどんどん高揚していくジーク。次第に、自分を見つめる眼差しに熱がこもり始めている気がして、ミクの背筋が嫌な意味で粟立った。ハンター世界の某変態ピエロと同類でない事を祈りたい。

 

「ふっ、お互いの事は斬り合いの中で知り合おう」

「はぁ、私と相対する人はどうしてこうも病気持ちばかりなんでしょう?」

 

 深い溜息を吐くミクに、ジークが再び踏み込む。ミクも、ほぼ同時に踏み出し、神速の抜刀術を連続で繰り出した。

 

 しばらくの間、擬似京都の一角に魔剣の閃光と銀色の剣閃が流星雨のように走り続けた。

 

 ジークが魔剣を振るえば、その圧倒的な性能から繰り出される威力を神業的な技量で受け流し、またはかわしていくミク。そして、一瞬の隙をついて研ぎ澄まされた神速の一撃がジークを掠める。

 

 魔剣ダインスレイブの氷柱が飛べば、手首の返しで円を描く高速の斬閃が剣戟の華を咲かせ氷柱を砕き、細かな氷の粒子がダイヤモンドダストを作り出す。

 

――神鳴流 百烈桜華斬

 

 魔帝剣グラムと魔剣デルウィングのもたらす圧倒的な破壊に対し、微塵も臆さず踏み込む。そして、剣戟の僅かな隙間に飛び込んでかわしながら体を捻り、交差する一瞬で背中の龍腕に剣戟を叩き込む。

 

――飛天御剣流 龍巻閃

 

 突き出された魔剣バルムンクの空間ごと破砕するような螺旋の衝撃を分身体ミク数人を犠牲にしながら弾き飛ばし、技後硬直の一瞬をついて九箇所同時剣戟を叩き込む。

 

――飛天御剣流 九頭龍閃

 

 どうにか凌いだものの無数の細かな傷を負いながら体勢を崩したジークに、離れた場所から分身体ミクの斬撃が飛ぶ。不自由な体勢ではあるものの、同じく、ジークは魔剣ノートゥングにより迎撃の斬撃を飛ばした。しかし、ミクの斬撃は、スっとノートゥングの斬撃を透過すると、驚愕しながらも咄嗟にグラムを盾にしたジークを、そのグラムすら透過して斬り付けた。

 

――神鳴流 斬空閃 弐之太刀

 

 魔帝剣のオーラによって幾分威力を弱めていたようで致命傷にはならなかったが、胸を真一文字に刻まれたジークは、僅かに苦悶の表情を浮かべる。

 

 同時に、少しの焦燥が鎌首をもたげ始めた。それは、純粋な剣の腕で、ジークがミクに及んでいないという事が、ここまでの斬り合いで分かり始めたからだ。今は、何とか、剣の圧倒的な能力差で均衡を保てているが、それも先の一撃で崩れ始めた。

 

 ミクが、明らかにジークの動きに慣れ始めているのである。それは、ミクの高度な演算能力が分析と解析、そして対応方法を算出し始めているという事が原因なのだが、そんな事とは知る由もないジークにとっては、文字通り、“見切られ始めている”と感じているのだ。

 

「はは、まさか極東の地に、これほどの剣士がいるなんて……純粋な剣技で、劣るとは思わなかった。もしかして、君も誰か英雄の血を引いているのかい?」

 

 当初の楽しそうな笑みは鳴りを潜め、今は、悔しさと殺意にあふれた眼差しを送るジーク。古代ベルカの百年以上に及ぶ技術の粋を集めて作られた上に、この世界の更に上位にいる高次存在の手が加わったミクは、どこからどう見ても人間にしか見えない。故に、まだ年若く見える女の子が自分より上だという事実が、戦闘狂をして平静さを奪わせていた。

 

「いいえ? そんなものありませんよ。単純に、あなたが私に及ばないだけです」

「っ……言ってくれるね。だが、まだだ。僕はっ、英雄の子孫だ! 超常の存在を降し、誰にも虐げられない高みへ至るんだ!」

 

 激情を押し殺したような声音で叫んだジークは、グラム以外の魔剣や光の剣の力を高めていく。

 

「……その為なら、超常の存在と関係のない人達を襲ってもいいと? 神器があっても平穏に暮らしている人々の日常を壊してもいいと? そういうんですか?」

「何事にも犠牲は付きものだ」

「典型的なセリフですね……いいでしょう。あなたの動きも魔剣の性能も解析済みです。次で終わらせましょう」

「それは僕のセリフだ!」

 

 ジークが決死の形相で魔剣と光の剣を掲げながら突進する。ミクは、抜刀体勢のまま瞑目し、次の瞬間には、カッ! と眼を見開いて抜刀術の奥義を繰り出した。

 

「っ!?」

 

 ミクが、右足ではなく刀を構えた左足で踏み込んで来た事に、そして、そのせいか只でさえ神速と言っても過言ではなかった抜刀術が、更に加速し認識すら埒外に置く超神速とも言うべき域に達した事に、ジークは自分でも知らず息を呑んだ。そして、本能のなすままに全魔剣を盾にしながら体に無茶な制動をかける。このまま踏み込んでも、両断されるイメージしかわかなかったのだ。

 

 だが、同時にチャンスでもあると察した。超神速の抜刀術なら、技後の隙も大きくなるはずだと。最後の最後で一瞬の隙を突いてやるつもりで、集中力を極限まで研ぎ澄ます。

 

ガキィイイイ!!

 

 金属同士がぶつかり合う硬質な音が響き渡ると同時に、ミクの体が流されていく。

 

(ここだ!)

 

 ジークは、既に半身になってしまっているミクへ魔剣グラムを横薙ぎに振るおうとした。が、その瞬間、

 

ゴオゥ!!

 

「なっ!?」

 

 凄まじい衝撃に襲われると共に、豪風が吹き荒れ体が強制的に中央へと引きずり込まれていく。思わず、驚愕の声を上げてグラムの太刀筋を乱すジーク。グラムはミクのツインテールの端を僅かに切り裂いただけで虚しく空を切る。

 

 そして、泳いだ体を立て直そうとするジークの眼に、いつの間にか一回転して再び正面を向き、その手に納刀状態の無月を抜刀姿勢で構えるミクの姿が映った。

 

 コンマ数秒の出来事。しかし、極限の集中がもたらしたジークの引き伸ばされた知覚は、ミクが鯉口を切る瞬間をその眼に映させた。ニ擊目の斬撃が来るとわかっていながら、しかし、吹き荒れる風に体の自由を奪われ動くことが出来ない。

 

 そして、

 

――飛天御剣流 奥義 天翔龍閃

 

 龍の牙と龍の爪、二段構えの抜刀術がその真価を余すことなく発揮し、ジークの腹を銀閃と共に両断した。

 

「がふっ……こ、こんな事が……」

 

 崩れ落ちながら呆然と目を見開くジークフリート。

 

「あなたの剣は軽いんです。重み(想い)のない剣士なんてこんなものです」

 

 そんな彼から少し離れた場所に無月を振り抜いた姿勢で残心するミクは、スっと姿勢を戻すとチンッ! と小気味いい音を響かせながら納刀を済ませた。

 

 肩越しに振り返るミクを仰向けに倒れながら上下に反転した視界に映したジークは、ミクの瞳に、勝利への喜びも、敗者への哀れみも何もない事に愕然とした。

 

 ミクとしては、ただ強くなりたいだけ、力を振るいたいだけの相手など行動をインプットされた機械と何ら変わらないという思いがあった。生きる者が力を求めるなら、その力を何のために、誰のために、いつ、どこで、どのように振るうのかを心に秘めておくべきだと考えていたのだ。少なくと、ミクが剣を交えた強者と呼べる者は皆、剣の在り処というもの持っていた。

 

 故に、強くなるためなら外道も辞さない。しかも、その外道な行いすら明確な意志のもとではなく、その方が都合がいいからと言うふざけたもの。

 

 そんな相手に払うべき敬意を、ミクは持ち合わせてはいないのだ。

 

 だが、半端に剣士たる矜持を持つジークに、取るに足らない相手と思われた事実は耐え難かった。とても、看過できるものではなかったのだ。

 

 故に

 

「ふざけるなっ! 軽いだと! ふざけるなっ! グラムさえ十全に扱えれば、君如き! くっくっ、そうだ。見せてやる。グラムの本当の力をっ!」

 

 いつの間にか取り出して使用していた【フェニックスの涙】により、両断された胴体を再生していたジークが立ち上がりながら懐から注射器のようなものを取り出した。切り口が洗練されすぎていたが為に回復効果も上がってしまったようだ。その身から溢れる殺意は、胴体を両断された者とは思えない程、濃密である。

 

 ジークは、不気味な笑みを見せながら、その手に持つ注射器を首筋に躊躇う事なく突き立てた。

 

 その途端、

 

「ぐぅうううああああゴゲグユギョベゴガッ!!」

 

 ジークの体が変貌していく。背中から生えた四本の龍腕が次々に肥大化していき、その手に持つ魔剣と同化していく。体も筋肉が肥大化しているようで細身だったジークの体が嘘のように化け物じみた巨漢へと変わっていった。

 

 そして、全身から禍々しいオーラを撒き散らす異形が出現した。その姿はまさしく怪物。

 

「コレデ、グラムヲヅガエ…ル、グギッゲッ、…キザマをゴロズゥ!!」

 

 どうやら、膨れ上がったオーラの代償として、まともに話す事も出来なくなったようだ。

 

 魔帝剣グラムは、その最凶たる切れ味の他にもう一つ特性を秘めている。それは凄まじいまでの“龍殺し”の特性だ。並みの龍では、ただ傍にあるだけで看過できないダメージを負う上に、かの五大龍王の一角【黄金龍君】ファーブニルを滅ぼした凶剣なのである。

 

 そのため、神器【龍の籠手】を持つジークフリートは、魔帝剣グラムを十全に扱えなかった。その問題をクリアするために使用したのが、あの注射器。神器に魔の属性を無理やり混合する薬で、その力を無理やり引き出し服用者に爆発的な能力の上昇をもたらす事が出来る。

 

 この状態を魔人化といい、ジークは、魔帝剣グラムを含めた魔剣の力を十全に引き出すことが出来るようになるのだ。

 

 もっとも、原作と違い、かなり弊害があるようだ。言語機能や理性といった面がかなり不安定になっている。おそらく、原作と異なり、【魔獣創造】やオーフィスの協力がないことで、それに代わる力を求めた結果、急ピッチで作り上げられた試作品段階のものなのだろう。

 

 そんな、無差別に殺意とドス黒いオーラを撒き散らす怪物に変貌したジークに、しかし、ミクは焦燥も嫌悪もなく、ただ呆れたような眼差しを向けた。

 

「英雄派というのは、人間が(・・・)、超常の存在に挑み打倒する、というのを理念に掲げていたのでは? どう見ても人間には見えませんが」

「ダマレェ! 僕ハカツンダ! アクマもテンしも、ダテンシもすべて全てコロズぅ!」

「既に会話も出来ないんですね……想いがないから、そうやって簡単に道を外れるんです」

「ジネェ!!」

 

 溜息を吐くミクに、地面を放射状に砕きながら魔人ジークが襲いかかる。

 

 ミクは、速度や威力は比べ物にならないほど上がったものの、大味になった剣戟の合間を縫うようにくぐり抜け、次々と斬撃を叩き込んだ。

 

「モウ、お前ノ攻撃ハキカナイっ!!」

 

 魔人の体は耐久力が凄まじく上昇しているようで、ミクの斬撃でも浅く傷を付けるので精一杯のようだった。魔人ジークは、斬りつけられるのもお構いなしに、ミクへ暴威を振るい続ける。

 

 魔剣と同化した龍腕が振るわれる。螺旋を描いた衝撃と氷柱が同時に地面を穿ち、強固なはずのバトルフィールドの地面を消滅させ、空間そのものに激震を走らせる。更に、ノータイムで振るわれた魔帝剣グラムの一撃が、かわしたミクの背後にある京都の町並みを根こそぎ破壊し尽くした。

 

 しかし、どれだけ威力と速度が上がろうとも、ミクには掠りもしない。あるいは、原作通りの魔人化であったなら、ミクに剣術以外の全てを出させる全力戦闘を強いたかもしれないが、半ば獣に身を落とした剣士モドキには、到底、ミクを捉える事は出来なかった。

 

 そして、しばらく魔人ジークの攻撃が空を切り、ミクが効かない斬撃を繰り出すということが続いていると、獣じみた魔人ジークの苛立ちと共に、その体に異変が起き始めた。

 

ガクッ!!

 

「ッ!?」

 

 突如、踏み込んだ足から力が抜けてたたらを踏む魔人ジーク。先程まで溢れんばかりだったオーラも、今では身に纏う程度にしか見えない。疑問を抱く魔人ジークに、どんなに斬撃を繰り出し続けても一向に効いた様子がないもかかわらず、全く顔色を変えなかったミクが、苦笑いを零して指摘した。

 

「どうです? そろそろ、魔力も限界じゃないですか? 沢山、斬らせてもらいましたからね」

「ナ、ナニヲシタッ……ヂカラガッ、ヌケテル?」

「ええ、こうすればわかりますかね?」

 

 ミクがパチンッ! とフィンガースナップを効かせると同時に魔人ジークの体がネギに埋め尽くされた。

 

「ナ、ナンダ、コレハ!!」

「うん、やっぱり滅茶苦茶シュールですね……」

 

 それは、ミクの念能力【垂れ流しの生命】の発動の証。二度刻んだ場所から任意のエネルギーを流出させる能力だ。長年の研鑽により、その流出速度は最初の頃の数倍になっている上に、【隠】によってネギマークを見えなくする事も出来るようになった。

 

 今、こうしている間も流れ出ていく自身の魔力に、魔人ジークが動揺したような声を上げる。必死に自身の体に付けられている情けなさ溢れるネギマークを剥ぎ取ろうと剣まで突き刺すが、その程度の解呪できるほど柔なものではない。

 

「終わりですね。普通なら止めを刺すところですが……テロリストの幹部となれば、各勢力のお偉いさん方も色々聞きたいこともあるでしょうし確保しておきましょうか」

「フザケルナッ! フザケルナっ! 僕はコンナアァトコロデぇえ!!」

 

 ジークは狂乱するように、どこからかもう一本の注射器を取り出した。どうやら、ドーピングの重ね掛けをするつもりらしい。

 

「……やめた方がいいと思いますけど」

 

 ミクが眉を顰める。既に人間を止めているとしか思えないジークが、更に変貌すれば、それこそ、英雄に討たれるべき怪物に成り果てるだろう事は容易に想像できる。一体、何が彼をそうさせるのか。

 

 ジークは、ミクの忠告も既に耳に入っていないようで、躊躇いなく注射器を首筋に打ち込むと、人間の声帯では発することが出来ないような雄叫びを上げ、更にその肉体を肥大化させた。そして、【垂れ流しの生命】により目減りした力を一気に回復させる。

 

 力の流出までは、やはり止められないようだが、今しばらくは、更に強大な力を以て戦えるだろう。

 

 ジークが、全ての魔剣を頭上に掲げた。ヘドロのような澱んだオーラが天を衝くように吹き上がる。それが放たれれば、あるいは【絶霧】の結界を抜けて外の世界に影響を与えるかも知れない。実は、ミク達が分身体を通して異変を知り、蓮の力を以て探り当てた場所は、八坂達が【絶霧】に包まれた場所ではなく、京都だった。おそらく、最初から京都の地で“実験”とやらをするために作った擬似空間だったのだろう。

 

 つまり、ジークの捨て身のような一撃が放たれれば、京都の町が被害を負うかも知れないということだ。その可能性が万に一つでもあるのなら、ミクは東雲伊織のパートナーとして、見過ごすわけにはいかない。

 

 ならば、すべき事は一つ。

 

「斬りましょう」

 

 ミクはそう言うと、スっと抜刀術の構えをとった。同時に、その身を魔力とオーラが合わさった燦然たる輝きが包む。【咸卦法】の光だ。膨れ上がった力を全て納刀された無月へ注ぐ。

 

 相対するのは都合五本の魔剣と一本のただ堅いだけの無骨な刀。一方は、台風を圧縮したような激烈な破壊力を秘めていると一見してわかるほど余波を撒き散らし、一方はただ静かに洗練されていく。

 

 静かに瞑目していたミクは、スっと眼を開いた。その視線の先にはジークではなく魔帝剣グラムがある。空間すら軋ませて唸る魔剣の帝王。掲げられた伝説の魔剣の中でも一際凶悪かつ強大なオーラを放っている。いくら使い手が優れていても、ただ堅いだけの無月に、果たしてその全てが斬れるのか……

 

(斬ります。必ず、斬ります!!)

 

 ミクの意志が、帝王へ叩きつけられる。あるいは、その意志だけで斬り裂いてやろうとでもいうかのように。

 

 その瞬間だった。

 

カッ!!

 

 光が爆発する。その原因はグラムだった。グラムが、ヘドロのようなオーラを吹き飛ばして燦然と輝きだしたのだ。同時に、魔人ジークの体から物凄い勢いで白煙が上がり始めた。その大元は、グラムを握る手だ。

 

「っあ!!? ナンダ!? ナゼ、ぐらムがァ!!?」

 

 魔人ジークが驚愕と耐え難い苦痛に歪に崩れた顔面を更に歪める。グラムは、まるで魔人ジークを拒絶するように光を放ち続けた。そして、遂にその姿がフッと掻き消える。

 

 次にグラムが現れたのは、ミクの眼前だった。宙に浮きながらミクに呼応するように脈動を打つ。

 

「……マサカ、ココデ裏切るノカ!? 彼女ヲアルジに選んダトデモイ言うのカ!?」

 

 愕然とした魔人ジークの声。その認識は極めて正しかった。グラムは、人間を止めていくジークに愛想を尽かしたのである。己を剣としてではなく、ただの砲台のように使うような者を最強の名を冠する魔剣は主とは認められなかったのだ。

 

 同時に、眼前の強烈なほど強い意志を叩きつけてきた少女に、己の主として資質を見たのである。絶対に引かない、必ず守る。魂を燃やすその圧倒的な意志を、ただ“斬る”という行為に込めていくミクの姿に、魔帝剣グラムは、己を使う権利を与えたのだ。

 

 眼前で宙に浮き、その手に自分を取れと言わんばかりの魔帝剣グラムを見て、ミクは少し首を傾げた後、キョトンとした声音で言ってのけた。

 

「え? 別にいらないですけど」

「……」

「……」

 

 一つは、他の魔剣を構えたままの魔人ジーク。もう一つはきっと、魔帝剣グラムである。

 

「っていうか邪魔なんで戦う気がないなら脇にでもどいてくれませんか?」

「――!」

 

 更にミクが追撃をかける。眼前にいられると邪魔だという身も蓋もない理由で脇にどけようとまでする。それに焦ったのは……グラムのようだ。ドックン! ドックン! と抗議するように光を迸らせる。

 

「え? 自分を使え? 全てを切り裂く力をやろう? だから要りませんって。剣士たるもの自分の斬りたいものだけを斬ってこそですよ。勝手に斬ろうとする剣なんてむしろ邪魔…」

「! ――!!」

「なんです? そんな何の力もないただの剣と自分、どっちがいいんだ、ですって? そんなの無月の方がいいに決まってるじゃないですか。意思なんてありませんけど、頑丈で私に応えてくれる良い刀ですよ」

「!! ――!?」

「自分だって滅茶苦茶頑丈だ? そんな奴には負けない、ですか? まぁ、そりゃあ、そっちはすごい力もっているんでしょうけど……正直、身内や友人に龍族がいるので、龍殺しの特性とか迷惑極まりな…」

「!!!! ――? ――!!」

「オーラは抑えてやるって言われても……っていうか、微妙に上から目線じゃありませんか? 今だって、戦闘中に持ち主を変えるなんて……正直、そんな剣に命なんて預けられないですし…」

「――。――!」

「え? そりゃあ、まぁ、剣なのに砲台替わりにされちゃあ腹立つのも分かりますけど……う~ん、やっぱりいらな…」

「!!!!!!! ――!!」

「うわっ、何ですか、いきなり? ちゃんと言うこと聞いてやるからって……じゃあ、取り敢えず、その使わせてやるっていう上から目線、どうにかして下さい。使い手に従わない剣なんてゴミ箱にポイッしますよ?」

「――」

「あら、意外に従順じゃないですか。仕方ないですね。分かりました。貴方を受け入れましょう。……次回から」

「!!!」

 

 ジークが呆然と、「え? 普通に会話してる?」と魔人化の影響もないような滑らかな口調で疑問の声を発した。それ程、有り得ない光景だったのだろう。会話中? の間も攻撃を忘れるほど。

 

 そして、どうやら上から目線でミクを使い手にしてやろうと迫ったグラムを、ミクがあっさり振ったために、収まりが付かなくなったグラムが、あれこれ言い募ったようだ。

 

 グラムの声は聞こえないが、何となく雰囲気から、「そんな何の取り柄もない刀と、俺様とどっちがいいんだ!」とか「仕方ない、お前に従ってやろう! 感謝しろ!」とか俺様ツンデレ風にミクに迫った結果「言うこと聞くから、使ってくれよぉ~。いらない子扱いするなよぉ、いえ、しないで下さい……」という感じになったと思われる。

 

 どうやら最強にして伝説の魔剣は、いらない子扱いされるという初体験に動揺が隠しきれなかったらしい。伝説の名に掛けて、ただの頑丈なだけの刀に負けるわけにはいかなかったようだ。最終的に、ちょっとSの入ったミクに大人しく従う事にしたようである。

 

 ただ、このクライマックスのタイミングでミクを選んだというのに、使って貰えるのは次回からのようで、ひどくショックを受けたようだ。もしグラムが擬人化したなら木陰からハンカチを噛み締めながら悔し涙を流し、ミクに寄り添う無月を睨みつけている事だろう。

 

 そんな剣達のちょっとした愛憎劇の末、デバイスの格納領域にしまい込まれてしまったグラム。

 

 ミクは気を取り直したように無月を抜刀姿勢で構えると、魔人ジークに視線を向けた。呆然としていた魔人ジークは、慌てて残りの魔剣を構える。しかし、少々、時間をかけすぎたようだ。

 

「ぐぅうう、力がぁ、ぬけぇ~」

 

 そう、ミクとグラムと無月が昼ドラをしている間にも【垂れ流しの生命】は発動中だったのである。

 

「今度こそ終わりですね。では、どこかの神様か魔王様にでも、たっぷり尋問されてから裁かれて下さい」

 

 ミクは、それだけ言うと、苦し紛れに四本の魔剣の力を解放して砲撃のように撃ち放ったジークの攻撃に対して、その場を動かず真正面から神速の抜刀を行った。

 

――神鳴流 斬魔剣 弐之太刀 咸卦バージョン

 

 曲線を描く斬魔の太刀が、咸卦の光を帯びながら空を駆け抜け、一瞬で魔剣の砲撃を両断すると、そのまま、ジークを魔人化足らしめている因子のみを切り裂いた。

 

「がっ! ぐぁ……」

 

 一瞬、体を痙攣させて己の中の力そのものを斬り裂かれたような感覚を覚えたジークは、斬りたいものだけを、ただの刀で斬り割くその剣技に、魔剣やら魔人化やらに現を抜かしていた己を省みて、最後に自嘲の笑みを浮かべ崩れ落ちた。

 

 チンッ! と鍔鳴りが響き、ミクが無月を納刀する。

 

 それが、今度こそ本当に、戦いの終わりを告げる音となった。

 

 

 

 




いかがでしたか?

剣達の持ち主を巡る愛憎劇……
グラムがツンデレな俺様なら、無月は寡黙な真面目君ですかね
他の魔剣達はどうなるか……ブリーチ世界に行って擬人化させるか……
あと、木場くん……すまん

あと、毎度、感想有難うございます

明日、18時更新予定です。


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第50話 本物と紛い物 中編

 

「ぉお!?」

 

 伊織を狙ったヘラクレスが、エヴァに合気の技で投げ飛ばされて、その巨体を宙に舞わせた。見た目、華奢な金髪少女に片手で吹っ飛ばされたことに、思わず驚愕の声を上げながら、遠く離れた場所の地面に背中から叩きつけられる。

 

 

 地響きが擬似京都の町に響き渡った。しかし、ヘラクレスの特徴は、その異常なまでの防御力と攻撃力。単純に、頑丈で膂力が並外れているのだ。故に、そのダメージは皆無。それを証明するように、ヘラクレスは喜悦に顔を歪めながら立ち上がった。

 

「おいおいおい、投げ飛ばされたのなんて何年ぶりだぁ? ちっこいのにやるじゃねぇか嬢ちゃんよぉ」

「口に聞き方に気をつけろ、坊や。いや、自称英雄くんとでも呼んだ方がいいか?」

「……あぁ?」

 

 ヘラクレスの軽口に、エヴァ節が炸裂する。悪い笑みを浮かべながら悠然と歩み寄ってくるエヴァに、ヘラクレスは剣呑な眼差しと恫喝するような声で返した。更に、その身から爆発的にオーラが噴き上がる。流石は英雄ヘラクレスの子孫。そのポテンシャルは常軌を逸している。

 

 しかし、そんなヘラクレスの雰囲気に“自称(・・)悪の魔法使い”であるエヴァが動じる事などあるはずがなく、更に意地の悪そうな笑みを浮かべる。

 

「どうやら見た目通り鈍いようだな。自称英雄くん? 話せば話す程、程度の低さが露呈するぞ? と忠告してやっているのだよ」

「死ね」

 

 悪者全開! エヴァは、ノリノリで辛辣な言葉を投げつける。実を言うと、英雄派が各地で起こすテロのせいで伊織と過ごす時間が少なくなった事に、かなり腹を立てていたりするのだ。

 

 そんなエヴァの物言いに即行でキレたヘラクレスは、踏み込んだ地面を粉砕する勢いで飛び出し、一瞬でエヴァに肉薄した。そして、その巌のような拳を何の躊躇いもなくエヴァの顔面目掛けて振り抜いた。

 

 と、思った瞬間、

 

「っあ!?」

「学習能力のない奴だ」

 

 ヘラクレスの視界が反転する。再び拳擊をいなされた挙句、一瞬で関節を取られて地面に叩きつけられたのだ。

 

「そんなに力技が好きなら味わわせてやろう」

 

 エヴァは足元でひっくり返りながら目を白黒させているヘラクレスの頭部に、真祖の吸血鬼としての絶大な膂力と【硬】、更に伊織から習った覇王流【断空拳】の複合拳擊を瓦割りのように美しいフォームで打ち下ろした。

 

「――ッ!?」

 

 言葉にならない絶叫と共に、ヘラクレスの頭部を中心にして地面が放射状に砕けて小規模なクレーターが作られた。エヴァの小さな拳が突き刺さったヘラクレスの額が割れてブシュ! と血が噴き出している。

 

「ほれ、寝ていては直ぐに終わってしまうぞ?」

「くそがぁああああ!!」

 

 唇の端を吊り上げてあくどい笑みを浮かべるエヴァの言葉に、ヘラクレスが激高する。そして雄叫びと共に跳ね起きながら拳を振り回した。

 

 再度、転ばせてやろうとその手を伸ばしたエヴァ。が、その直前で神器発動の気配を感じ取り逡巡する。しかし、それも一瞬、ニヤリと笑いながら、ヘラクレスの思惑通りに掴み取る。その瞬間、

 

ドバァアン!!

 

 眩い閃光と共にエヴァの腕が爆発した。ヘラクレスは、更に地面にも拳を叩きつけ、同じように強烈な爆破を発生させ、その衝撃で一気にエヴァから距離を取る。砂塵が舞う中で、不意に吹いた風がエヴァの無残な姿をあらわにした。

 

「ハッハッハッー、どうよ、嬢ちゃん。調子に乗ってるから、そうなっちまうんだぜ? 英雄様を舐めすぎって話だ」

 

 ヘラクレスの一撃を受けたエヴァの右腕は肘から先が吹き飛んで無くなっていた。攻撃と同時にその箇所を爆破する能力を持つヘラクレスの神器【巨人の悪戯】が原因である。

 

 肘から先は完全に爆砕されたようでどこにも見当たらない。そんなエヴァの姿を見て、自分を虚仮にした少女が泣き叫んで許しを乞う姿を期待したのかニヤニヤした笑みを浮かべるヘラクレス。

 

 しかし、その笑みは直ぐに訝しげなものに変わっていく。エヴァがクツクツと愉快そうに笑っていたからだ。

 

「気でも触れちまったか?」

「いやいや、そうではない。お前が滑稽でならないだけさ」

 

 右腕を失いながら、それでも小馬鹿にしたような笑みを浮かべるエヴァに、ヘラクレスの額に青筋が浮かぶ。怒りによって更にオーラが膨れ上がった。

 

「どうやら右腕だけじゃなく、左腕も吹っ飛ばされてぇみたいだなぁ。いや、体の端から少しずつ爆破してやるのもいいか。てめぇが、もう殺してくれと懇願するまで嬲ってやるよ」

「ふっはははーー! よりによって嬲ると来たか……ここまで来れば、滑稽を通り越して哀れだな。自称英雄くんではなく、電波くんと呼んだ方がいいかもしれん」

「てめぇ……」

 

 怒り心頭で一歩を踏み出したヘラクレスに、エヴァはニヤッと笑うと、肘から先のない右腕を水平に掲げた。訝しげに眉を潜めるヘラクレス。そんな彼の前で、無くなったはずのエヴァの右腕が一瞬にして再生した。

 

「なっ!? 冗談だろ!? なんで……【聖母の微笑】か? だが、あれに“再生”出来るほどの能力はなかったはずだろ! 禁手なら可能性はあるが、そんな気配は微塵もねぇ! 一体何をしやがった!」

「よく吠える奴だ。私が吸血鬼であるという情報くらい手にしているのだろう? 私は、正真正銘の不老不死さ。自分の体であれば、消失した腕を再生するくらい訳ないこと。神器を使うまでもない」

「有り得ねぇだろ! 吸血鬼は確かに不老不死だが、そんな再生力はねぇ! 単に外見が変わらず、寿命で死なねぇってだけだ! そんな、そんな力……」

 

 有り得ない生き物を見るような目で動揺をあらわにするヘラクレス。無理もない。堕天使の総督クラスですら欠損した体の部位を瞬時再生することなど出来はしないのだ。そんなヘラクレスに、エヴァは揶揄するように告げる。

 

「どうした自称英雄。お前達は、私のような化け物を討つ事こそ命題としているのだろう? 少し予想を越えたくらいで何を狼狽えているのだ。さっさとかかってこんか。ああ、出し惜しみなどするなよ? 面倒だ。最初から全力でやらねば――直ぐ終わらせるぞ?」

「っ……調子こいてんじゃねぇぞ! そんなに死にてぇなら見せてやるよぉ! こいつが俺の禁手だぁあああああ!!」

 

 エヴァの挑発に、ヘラクレスが雄叫びを上げる。それと同時に、彼の体が隆起し、いたるところからミサイルのような突起物を生やし始めた。いや、それは“ような”ではなく、正しくミサイルだった。

 

「いけぇええええ!!」

 

 ヘラクレスの怒号と共に、一斉に放たれたおびただしい数のミサイル。攻撃した場所を爆破する【巨人の悪戯】――その禁手を【超人による悪意の波動】といい、その効果がこのミサイル群なのだ。当たれば上級レベルの超常の存在と言えどただでは済まない。

 

 そんな幾百のミサイル群が、エヴァを逃さないように包囲しながら四方八方から迫る。

 

「ふん、“魔法の射手 連弾 闇の199矢”」

 

 対して、エヴァはと言うと一瞬でミサイルを上回る量の【魔法の矢】を発動する。そして、狙い違わず全てのミサイルに直撃させていった。どんな威力があろうと、追尾性能のため回避が難かしかろうと、到達する前に誘爆させれば問題ないだろうと言わんばかりである。

 

 そして、その狙いは正しかった。空を覆ったミサイルの群れは空中で【魔法の矢】により誘爆させられ盛大な爆炎の花を咲かせた。空間全体が激震し壮絶な爆風が吹き荒れる。周囲の家屋が纏めて吹き飛び粉塵が濃霧のように視界を閉ざした。

 

「おらぁあああ!!」

 

 そんな中、粉塵からボバッ! と音をさせて飛び出してきたヘラクレスは、全身からミサイルを乱射しながらエヴァのいた場所へ豪腕を振り下ろした。

 

 しかし、

 

「いねぇ! どこいった!?」

「勘も鈍いようだな。脳筋め」

 

 エヴァの姿を探すヘラクレスの影からぬるりとエヴァが姿を見せ、その手に展開した【断罪の剣】を容赦なく振り抜いた。咄嗟に防御姿勢をとったヘラクレスだったが、それは悪手だ。なぜなら【断罪の剣】は物質を強制的に気体へと相転移させる防御至難の剣なのから。

 

「ッぐぁああ!?」

「狙ったわけではないが、意趣返しになってしまったな」

 

 エヴァの言葉通り、ヘラクレスは先程のエヴァのように右腕を斬り飛ばされ肘から先を失っていた。呟くエヴァにヘラクレスは苦悶の表情を浮かべながらもミサイルを発射する。

 

 エヴァは、ミサイルをかわして一瞬で上空へ上がると、眼下からミサイルを発射しようとしているヘラクレスに向けて指をタクトのように振るった。

 

 途端、突然足が跳ね上がり盛大に転倒するヘラクレス。彼の頭上には大量の“?”マークが飛び交っている事だろう。更に、起き上がろうとして、自分で自分の顔面を殴り、足を絡めさせて再び倒れ込んだ。

 

「ちくしょう! なんだってんだ!」

 

 悪態を吐きながら、正体不明ではあるものの、エヴァが何かをしているのは間違いないと察したヘラクレスは、自分ごと周囲一帯を吹き飛ばすつもりミサイルをぶっ放した。

 

 ヘラクレスを中心に激烈な爆炎が上がり、その目論見通りエヴァの糸――念能力【人形師】の神経に直接介入して対象を操る能力が途切れる。

 

 爆炎の中から、ところどころ煤けたヘラクレスが現れる。その眼には何度も転ばされるという屈辱的な事実に対する溢れんばかりの怒気と殺意が迸っていた。上空から女王のように地面に這いつくばるヘラクレスを睥睨するエヴァに、沸点を完全に通り過ぎたヘラクレスは、懐から注射器を取り出した。

 

 そして、それを躊躇いなく己の首筋に打ち込む。ジークフリートが使ったのと同じドーピング剤だ。只でさえ巨体を誇るヘラクレスの肉体が脈動と共に肥大化していく。既にその体長は五メートルを優に超えており、突出するミサイルの山も今や剣山のようになっている。見た目は、伊織の魔獣ドーマウスのようだ。能力までそっくりであり、単純な威力だけなら同等以上だろう。それは、ヘラクレスの纏う尋常でない禍々しいオーラから察する事が出来る。

 

「ゲゴガッア、テメェハ、跡形もなくケシトバしてヤル」

 

 魔人ヘラクレスが血走った眼をギョロギョロと動かしながら、奇怪なイントネーションでエヴァに殺意の言葉を投げつける。

 

 そんなヘラクレスを見て、エヴァは失笑した。変わり果てた姿に笑いを堪える事が出来なかったのだ。

 

「そんなだから、お前は自称英雄だというのだ。どこまでも滑稽な奴め」

「このチカラをミテ、マダそんなことがイエンのかァ!!」

 

 ヘラクレスから絶大な威力を秘めたミサイルが発射される。エヴァは自らミサイル群に突っ込むように【虚空瞬動】を発動すると自分に当たるものだけ集束型【魔法の矢】で迎撃し、一気にヘラクレスの懐へと肉薄した。

 

 そして、人外の膂力で再び殴りつけてやろうとしたところで、その手を引っ込めて距離をとった。そんなエヴァの動きに、ヘラクレスの凶相が嫌らしく歪む。

 

「ヨォく気がついたナァ。俺ニ触れれバ、それでアウトだゼェ!」

 

 ヘラクレスの言う通り、彼の体は今や全身が武器庫であり、その肉体は爆発反応装甲のようなものだった。触れるだけで相手を爆破する。離れてもミサイルで爆撃される。接近戦で殴られれば、その膂力と爆破力で粉微塵。まさに、無敵状態。

 

 これでエヴァには為す術もないと確信しているのか、ヘラクレスの中の残虐性が咆哮を上げる。

 

「理解デキたカヨぉ? これが英雄ノチカらだァ」

 

 しかし、一見絶望的とも思えるその状況を前にして、エヴァは、ヘラクレスの攻撃を捌きながら詰まらなさそうに溜息を吐いた。

 

「英雄というのはな。名乗るものではなく呼ばれるものであり、行為ではなく結果を指して言うのだ」

「ア゛ァ゛!?」

 

 突然、語り始めたエヴァに、ヘラクレスが攻撃しながら怒鳴り返す。エヴァは、まるで独り言のように言葉を紡いだ。

 

「超常の存在を倒したからではなく、困難を乗り越えたからでもなく、誰かの救いであったから称賛を向けられる。その称賛の形が“英雄”という称号なのだ。そこに力の強弱は関係ない。やり遂げた事の大きさも関係がないのだよ」

「ナニ、わけのワカラネぇことをゴチャごちゃと!」

「わからないか……そうだろうな。ただ超常の存在を打倒したいだけのお前達は、誰の救いにもなれない。お前達の世界には、どこまでもお前達しかいないから己の滑稽さに気が付くことも出来ない。“負けたくない”だけで、“負けられない”戦いなどした事がないから、言葉にも力にも“重み”がない」

「ダマッテぇシネぇええ!!」

 

 いくらミサイルを撃っても、いくら一撃で全てを粉砕する拳を振るっても、どんな攻撃をしても、掠りもしない己の攻撃に、魔人ヘラクレスは焦れたように雄叫びを上げる。そして、同じ英雄派の仲間を巻き込む事も辞さないような周囲一帯を全て破壊するようなオーラを練り上げ始めた。

 

 このまま際限のないミサイル群を無差別に放たれれば、擬似京都はもちろんのこと、外の世界にも影響が出るかも知れない。しかし、そんな事は、やはりどうでもいいのだろう。きっと、最終的には英雄派の仲間すらどうでもいいのかも知れない。

 

 今にも放たれようとしている絶大な殲滅の力を前に、しかし、エヴァは哀れな者を見るような眼差しを向けたまま右腕を静かに掲げた。

 

「吹けば飛ぶような軽いお前が、本物の英雄を知る私に、そんなあいつに寄り添うと決めた私に……勝てるわけないだろう?――“解放 【えいえんのひょうが】”」

 

 直後、350フィート四方を絶対零度の凍獄領域に変える氷系最上級魔法が発動する。魔導の理も取り入れて更に効果の上がった広域殲滅魔法は、回避も防御も許さず一瞬で魔人ヘラクレスを捉えた。

 

「げガァ、ナンダぁこれハァ!?」

「英雄どころか“人間”にすら成れなかった愚か者。生き永らえる事が出来たなら、己を省みてみるがいい。自称英雄の滑稽さに気が付くことが出来れば、あるいは正道へ戻れるかもな。――“解放 【こおるせかい】”」

「チクショウ!! 俺ハ! 俺はっ!!」

 

 ビキビキッと音を立てて白く染まっていくヘラクレスは、最後に空に手を伸ばした。それは一体、何を掴もうとしたのか。誰にもわからぬまま、次の瞬間には巨大な氷柱の中で、その意識を闇に落とした。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「あ~、もうっ、鬱陶しいわね!」

 

 倒壊する家屋の轟音の中に、そんな悪態が響いた。その声の主はジャンヌダルク。神器【聖剣創造】の使い手だ。舞い上がる粉塵を振り払い飛び出したジャンヌは、足元から聞こえたチュイン! という音に頬を引き攣らせながら咄嗟に身を捻る。

 

 直後、下方からジャンヌの頬を掠って一発の弾丸が空へと抜けた。と、思った次の瞬間には、そこへ飛来した別の弾丸と衝突し、弾かれた弾丸が正確にジャンヌを狙い撃つ。

 

「ッ!? このっ!」

 

 横っ飛びで回避しながら二発目の弾丸が飛んできた射線上に視線を向けるジャンヌだったが、まるでジャンヌが飛び退く場所が分かっていたかのように、四方から、地面や家屋の壁に跳弾した弾丸が彼女を狙って飛んで来た。

 

 それを、創り出した聖剣の二刀流で弾くジャンヌ。その顔には紛れもない苛立ちが含まれていた。先程から、狙撃手の姿は見えず、神業とも言うべき銃技を以て一方的に撃たれ続けているのである。

 

「っ! いい加減に、出てきなさいよ! 腰抜け!」

「腰抜けは酷いな。ちょっとした嫌がらせじゃないか。ボクなりの挨拶だよ」

 

 出てくる事は期待していなかったジャンヌの思わずといった怒声に、意外にも狙撃手――テトの返事があった。

 

 二丁のリボルバー式銃型アームドデバイス“アルテ”をだらんと両手に下げたまま悠然と歩み寄ってくる。その口元には微笑すら浮かんでいた。その緊張感皆無な上に余裕たっぷりな態度に、ジャンヌの額は自然青筋を浮かべる。

 

「あら、いいの? こそこそ隠れて狙撃していれば、時間くらいは稼げたかもしれないのに」

 

 苛立ちを胸にジャンヌはその口から毒を吐く。

 

「時間稼ぎ? 君如きに? 何の冗談だい? さっきのはただの嫌がらせだって言ったじゃないか」

 

 それに対して、手元のアルテをくるくるとガンスピンさせながら、にこやかに毒を吐き返すテト。

 

「嫌がらせねぇ? 私とあなたって初対面だったと思うのだけど?」

「ボクはね。でもボクの知り合いは君の事をよく知っているよ。何せ、君に大切な人を奪われてしまったんだから」

 

 テト達が協会を経由してテロが起きている場所へ東奔西走していたおり、当然、神器所有者と出会う事は多々あった。そして、友人になった事もある。それ以前に、“東雲”はその筋では有名なので、神器所有者の知り合いは多いのだ。

 

 その中には、英雄派にやられてしまった者も多い。いくらテト達が強くても、体に限りがある以上、全てを守りきることは難しいのだ。知り合いの中には、今も病院で意識が戻らない者もいれば、洗脳されてテロに加担し他勢力に討たれてしまった者もいる。

 

 そんな知り合い達の事を思うと、テトは意趣返しの一つでもしなければ気がすまなかったのだ。

 

「あっそ。それで、出て来たって事は気は済んだわけかしら?」

「まさか。君を直接、お仕置きしに来ただけさ。いつまでも駄々こねてる子供にきつ~いお仕置きをね」

 

 テトの言葉に、ジャンヌはイラっと来たようで口元をヒクつかせると何の前触れもなくテトの足元から聖剣の剣山を生やした。

 

 しかし、それを読んでいたのか、一瞬早く、テトは地面をトンと足先でノックした。途端、足元の地面がうねり螺旋を描くように流動する。その為、生えてきた聖剣の群れはその切っ先をあらぬ方向に向けてしまい、テトには一本も届かない。アーティファクト【賢者の指輪】の能力である。

 

 ジャンヌは舌打ちをしつつ切り込もうと足に力を溜める。

 

 その瞬間、呼吸を読んだようにテトが先に踏み込んだ。ヴォ! と音をさせて刹那の内にジャンヌの懐へ侵入すると右のアルテをジャンヌの顎先に、左のアルテを腹部に添えて発砲する。

 

「くっ!」

 

 思わず声を漏らしながら首を振り、半身になってかわそうとするジャンヌ。が、いつの間にか、隆起した地面が足元を拘束しており、思うように動けず半ば被弾してしまった。顎先を襲う衝撃が脳を揺さぶり、腹部を掠めた弾丸が胃液を押し上げる。

 

 ジャンヌは、地面から雷属性を付加した聖剣を作り出し無差別に放出させた。同時に自分の手に持つ聖剣には耐雷属性を付加する。至近距離で盛大に咲いた雷華にテトは再び高速機動を発動して距離を取りながら、置き土産とばかりに魔力弾を放っておく。

 

 その魔力弾を、定まらない焦点でどうにか捉えながら切り裂いたジャンヌに、爆発の衝撃が襲う。【バーストショット】という、着弾と同時に爆発する魔力弾である。

 

 ジャンヌは、その衝撃に大きく仰け反りながらも足元に生やした聖剣に破壊属性を付けて足の拘束を解いた。そして、ゴロゴロと自ら転がりながら衝撃を逃がし、どうにか立ち上がる。

 

 そこへ息もつかせぬ追撃。瞬間移動じみた速度でジャンヌの側面からこめかみに銃口を押し当てたテトが引き金を引く。今度は、ジャンヌも反応して頭を反らしながら、右の聖剣を横薙ぎに振る。

 

 テトは、その聖剣を銃口で受け止めると即座に発砲。衝撃で聖剣が明後日の方向へと弾き飛ばされるが、ジャンヌはその衝撃を利用して一回転すると左の聖剣を逆袈裟に振り下ろし、同時にテトの背後から破壊属性の聖剣を、足元から氷属性の聖剣を生やした。

 

 テトは、その背後と足元のニ擊をかわしつつ、撃発の反動を利用して逆袈裟の一撃も回避した。そして、回転しながら足元に銃弾を撃ち込み、跳弾を利用して下方からジャンヌを狙う。

 

 その弾丸を右手の聖剣で両断するジャンヌだったが、続く左手の聖剣に襲い来た衝撃と直後に走った肩への激痛に、その端正な顔を盛大に歪めた。

 

 テトは、最初の跳弾の銃声に紛れ込ませて同時にもう一発放っていたのだ。その弾丸は、かわしたばかりの左手の聖剣の剣腹に当たって跳弾しジャンヌの肩を穿ったのである。

 

 ジャンヌは堪らず、光属性の聖剣から強烈な閃光を迸らせた。目晦ましにより一時、距離をおこうとしたのだ。通常の人間であれば、どれだけ訓練しても眼前で許容量を越えた閃光が爆発すれば意思とは関係なく身が竦むものだ。しかし、テトはユニゾンデバイス。視覚から入る光量を調整することなど造作もない。

 

 故に、その場を飛び退いたジャンヌの額にまるでホーミングでもしているかのようにピッタリと銃口が付いてきた。ジャンヌに合わせてテトが銃口を突きつけたまま移動したのだ。ただそれだけの事ではあるが、ジャンヌからすれば閃光の前後で全く相対距離が変わっていないという奇怪な現象でしかない。

 

「なっ!?」

 

 なので、そんな間抜けな声を出すのも仕方のない事だろう。直後、容赦なくアルテの引き金が引かれる。

 

ドパンッ!!

 

「――っ!?」

 

 それでもジャンヌは常人離れした反射神経で辛うじてその一撃を避けた。もっとも完全にとは行かず、その額を魔力弾によって抉られ盛大に血を噴き出したが。

 

 ジャンヌは苦し紛れに、テトの背後から数本の聖剣を飛ばした。飛翔効果を持たせた聖剣だ。しかし、やはりテトには届かない。背後を振り返る事もせず、手首の返しだけで背後に向けた銃口から連続して弾丸が飛び出し、一発も狙い違わず剣腹を穿って半ばからへし折ってしまった。

 

 ジャンヌは、どれだけ動いてもピッタリとくっついたまま離れず、超至近距離で神業のような銃技を繰り出し続けるテトに対して、徐々に畏怖に似た感情を覚え始めた。その刻一刻と膨れ上がる嫌な感情は、叫びとなって発露する。

 

「何なのよ、何だって言うのよ! あなた、本当に人間なの!? 私は英雄の子孫なのよ!? どうして、その私が、こんなっ!!」

「君は、引けない戦いをした事がないんだろうね。いつもどこかで、“最悪逃げればいい”って考えてる。だから、踏み込むべきときに踏み込めない。リスクを背負って一歩を踏み出す事が出来ない」

「そんなの当然でしょ! こっちは弱い弱い人間なのよ。リスクを極力減らして、退路を確保して、万全を期して超常を倒す。当たり前の事じゃない!」

 

 聖剣の軌跡と魔弾の閃光が交差する中で、ジャンヌの主張にテトがやれやれと呆れた表情をしながら更にギアを上げた。

 

「ッ!?」

「“掴むに値するものはリスクの先にある”ボクの家族の言葉だよ。リスクを背負おうとしない君は、何も掴めやしない。いや、君は掴み取りたいものがないんだろうね。大切なものが何もないから、平気で他者の大切を奪えるし、己を賭ける事も出来ない。所詮は、感情を持て余した子供の駄々というわけだ」

「あ、あんたに! あんたに何がわかるのよ! 好き勝手言ってくれるわね!」

 

 ジャンヌは苛立たしげにテトを睨むと、離れないテトへの苦肉の策として自爆覚悟で聖剣の剣山を盛大に咲かせた。自分すら傷つける密度の剣山に、テトは咄嗟にジャンヌの頭上へと飛び上がる。

 

「禁手!」

 

 その一瞬の隙に、ジャンヌは禁手化を果たす。おびただしい数の聖剣が一気に生み出され、それが集まり形を作っていく。瞬く間に出来上がったそれは聖剣で作られた竜だった。更に、その聖剣の竜がテトに咆哮を上げ無数の閃光を飛ばしている間に、ジャンヌは注射器を取り出して首筋に打ち込んだ。

 

 魔人化の薬を即行で使ったのは、ただの禁手化くらいでは未だ本気でないテトに負けるかもしれないと考えたからだ。曹操やゲオルグがどうにかするまで、【絶霧】の空間から逃げられない以上、最悪、ゲオルグが八坂の対抗術を破るまで時間を稼ぎつつ逃げなければならない。

 

 無理をしてまで勝とうとする必要はないのだ。背負うものなど何もないのだから、また好きな時に、好きなように挑戦すればいい。いつか打倒する為に、あらゆる手段を選ばず。英雄の血を受け継いで生まれただけ(・・)の自分は、そういう生き方しか知らないのだから。

 

 魔人化を果たしたジャンヌは、内から溢れる全能感に、これならテトにも負けないと半ば確信した。その姿は、聖剣で作られた蛇女ラミアのようで、先の二人のように禍々しいオーラを放ちながら、聖剣で作られた蛇の下半身がとぐろを巻いている。

 

「遂に、人間まで止めちゃうんだね。討つべき存在に、自らなってどうするんだい?」

「ウルサイわね。超常の存在ニ挑むノハ楽しイケレど、全ては生キテいてコそよ。その為ナラシュンダンは選んデイられないノヨ」

 

 テトはもはや言葉もなく、血走った目で辛うじて理性を保っている様子のジャンヌに対して深い溜息を吐いた。

 

「そんナタイドをとってイラれるのモ今のウチよ。直ぐニ八つ裂キにしてアゲる」

「その汚いオーラに酔っているみたいだね……うん、君のような子には、ボクも神器を使うのがいいかな。見せてあげるよ。ボクの禁手を」

 

 テトは、そういうと、残像すら残さない超速で不規則に突っ込んできた魔人ジャンヌを静かに見据えた。

 

 そして、魔人ジャンヌがテトまで後一歩というところまで来たところで、魔人ジャンヌの真下に巨大な八卦図が燦然と輝きながら出現した。

 

――禁手 創世される十天界の絶陣

 

「ナッ!? これはっ――」

 

 光が世界を純白に塗りつぶす。思わず目を閉じた魔人ジャンヌが、次に目を開いた時、そこは模倣京都の擬似空間ではなく、まるで銀河を見下ろす宇宙空間のような場所だった。

 

「ようこそ、ボクの世界へ」

「ッ!? これが、あなたの禁手? ゲオルグと同じ結界系というのは知っていたけれど……知っているわよ。サイラオーグは自力で脱出したって。魔力のない無能が簡単に脱出できるレベル。魔人化した私にはッ!? え、え? どうして?」

 

 どうやら悪魔側から情報が漏れていたようで、サイラオーグが数分で突破した事も知られているようだ。しかし、余裕の表情でペラペラと口を回していたジャンヌは、そこで漸く己の姿に気がついて混乱したように言葉を零した。

 

「気が付くのが遅くないかな?」

「どういうこと!? どうして、どうして、私の魔人化が解けているのよ!」

 

 そう、いつの間にか、ジャンヌの魔人化が解けていたのだ。それどころか、禁手も解けているようだった。あるのは、手に持った神器そのものである細身の聖剣のみ。

 

 何をしたのかと詰問しながら、再び禁手を発動しようとしたジャンヌは、今度こそ愕然とする。手に持った神器である聖剣が、うんともすんとも言わないのだ。返ってくるのは、ただ硬質な柄の手触りのみ。禁手どころか、通常の聖剣創造すら発動しない。

 

「ここは、そういう空間だからね。【創世される十天界の絶陣】――その効果は、あらゆる異能を打ち消す、だよ。この空間では、神器だけじゃなくて、魔力や気といったエネルギーも外部に放出された時点で無効化される。まぁ、体内で身体強化に用いるくらいなら問題ないよ」

「そ、そんなデタラメな能力があるわけないじゃない!! そんなの、ゲオルグの【絶霧】だって……」

 

 狼狽えながら聖剣を構えるジャンヌに、同じく実弾(・・)装備のアルテを引っさげたテトがゆっくり歩み寄る。

 

「少し前に、アザゼルさんに話す機会があってね。その時、アザゼルさんは、こう言ってたよ。“可能性としては考えていたが、まさか本当に十四番目以降の神滅具をこの目で見ることになるとはな”ってね」

「堕天使の総督が……神滅具と……認定した? ハハッ、冗談でしょう?」

「わかっているよね。同格の神器だとするなら、この世界は君のドーピングまでした禁手を無効化する事なんて出来はしないよ」

 

 テトのこれ以上ない証明の言葉に、ジャンヌから乾いた笑いが漏れ出す。

 

「それじゃあ、純粋に……互いの武技で決着を付けようか」

 

 それがジャンヌの聞いたテトの最後の言葉。

 

 数分後、結界が解かれた後には、白目を向いて倒れ伏すジャンヌの姿があった。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

テトの禁手……前にも書いたかもですが、十絶陣は原作とは違う部分も多いです。そんな中、禁手レベルなら、これくらいかなぁと。物理勝負しか出来ないので神滅具と言っても過言ではない、はず。ミクの禁手も考えているのは大概です。

感想有難うございます。
誤字報告も助かりました。有難うございます。
あと、蓮については……一応、わざとだったりします

明日も18時更新の予定です。長そうなので二つに分けるかも


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第51話 本物と紛い物 後編 上

 

 

 英雄派と東雲一家。

 

 両陣営が対峙し、その戦いの火蓋が切って下ろされた瞬間、曹操は僅かに目を見開いた。それは驚愕の証。原因は一つ。

 

 早い者勝ちだと言わんばかりに先に飛び出したジークフリート、ジャンヌダルク、ヘラクレスの脇を、東雲伊織がスっと通り過ぎ、完全に背後に抜けられるまで、その事実をかの三人が気付けなかったからだ。

 

 同時に、曹操がそれ認識した次の瞬間には、ぬるりと自身の間合いに踏み込まれていた事に、さしもの彼も心臓を跳ねさせ、表情を崩さずにはいられなかったのである。

 

ドンッ!!

 

 極めて自然に間合いを詰めておきながら、踏み込んだ右足がもたらすのは地震じみた震脚の衝撃。同時に集束された純粋な打撃力が右拳と共に突き出される。

 

「――っ」

 

 見えている。認識している。なのに、体が反応しない。その動作が、まるで水が高い場所から低い場所へと流れるが如く自然であったためだ。曹操の口元が喜悦か焦燥か判別の難しい引き攣りを見せる。

 

 短い呼気と共に、伊織の拳が触れる寸前になって漸く、曹操の体は反応した。集中力がもたらす知覚の拡大が世界をスローにさせ、その中で、曹操はギリギリ回避に成功することを確信した。同時に、残心するであろう伊織を薙ぎ払わんと聖槍を握る手に力を込める。

 

 が、その時、曹操の目は自身の腹部に掠るように触れる伊織の拳が霞むようにぶれる光景を捉えた。

 

――陸奥圓明流 奥義 無空波

 

 掠らせながらも回避に成功すると確信していた曹操。実際、伊織の拳が通過したあと、特に問題もなくカウンター気味に聖槍を薙ぎ払った。伊織は、それを読んでいたのか、スっと地を這うように身を伏せると、地面に手を付いて逆立ち蹴りを放つ。

 

 曹操は、それを身を引くことで回避しようとしたが、刹那、その身を凄まじい衝撃が襲う。

 

「ぐぁ!!?」

 

 一拍遅れてやって来た衝撃に硬直する体。何せ、体の内部に直接衝撃を叩き込まれたのだ。意志だけではどうにもならない。故に、突き出した拳の勢いそのままに、伊織が逆立ちしながら跳ね上げた蹴りをかわすことも出来なかった。ズバンッ! とそんな音を響かせて曹操の頭が勢いよく弾かれる。

 

 しかし、ここでやられっぱなしでないのが英雄の子孫にして、英雄派のリーダーたる所以だ。仰け反りながらも、聖槍を握った腕だけは別の生き物のように動き、逆立ち状態から戻った直後の伊織を横薙ぎにした。

 

 伊織は、咄嗟に【堅】をしながら自ら後ろに飛んだ。クロスした腕を更に瞬間的に引いて直撃部分の威力すらも消滅させると、そのまま十メートルほど曹操から離れた場所に着地した。圓明流【浮身】だ。

 

「……驚いたな。君の武は調べたつもりだったけど、評価を上方修正しないといけないみたいだ」

 

 曹操は、口の端から滴る血をピッ! と指で弾くと、ダメージを感じさせない不敵な笑みを浮かべて聖槍を肩に担いだ。

 

「それは俺もだ。今のを受けて、平然と立っているなんてな。即行で終わらせるつもりだったんだが。ポテンシャルの高さは想像以上のようだ」

「ははっ、それは嬉しい評価だ。正直、かなり効いたよ。俺も闘気を纏って強化しているんだけどね。まさか、こうも易々と抜かれるとは思わなかった」

 

 どうやら見た目ほど無事ではないらしい。軽口を叩きながらも、曹操の眼は全く笑っていなかった。極度に集中して伊織を観察しているのがわかる。

 

「オーフィスは不参加かい? 一応、九尾の護衛をしているようだけど、正直、君の魔獣がいれば問題ないだろう? ゲオルグも一杯一杯だからな」

「なるほど、俺を観察しながらも、完全に集中しきっていないのはあいつを警戒してか。まぁ、相手は神滅具だ。余裕のない八坂殿に万一があっては困る。それに、龍神はそう簡単に暴れちゃいけない。今後の生活もあるからな。神仏達に無用な警戒は抱かせられないんだ」

「……そうか? まぁ、そういう事にしておこうか。俺としては、君と十全に死合いたいところだしねッ!!」

 

 言葉の終りと同時に、曹操は前触れ無く聖槍を突き出した。先端が開き、そこから光輝がレーザーの如く伊織目掛けて奔る。先程の意趣返しだろうか。正面から伊織の腹部を貫かんと刹那の内に相対距離をゼロにした。

 

 だが、その閃光が伊織を貫くことはなった。ゆらり、風に舞う木の葉のように揺れた伊織が閃光の一撃をあっさりかわしたからだ。同時に、停止状態から一気にトップスピードに乗って射線をなぞる様に曹操へと迫る。

 

 曹操は、聖槍の先から伸びた光刃を横薙ぎに振るい、伊織を両断しようとする。

 

 が、その途端、意図せず曹操の腕が跳ね上がった。

 

「これはっ、糸!?」

 

 曹操は、自分の腕を吊り上げたものの正体が糸であると瞬時に看破する。そして、聖槍を手首の返しのみでくるりと回すと、その光刃を以て断ち切り自由を取り戻した。

 

 もっとも、その僅かな間で伊織には十分だった。恐ろしく見切りにくい不可思議な歩法――【覇王流 歩法之奥義 朧】で肉迫する。

 

 再び、あっさり懐に侵入された曹操は、しかし、今度はしっかり対応した。伊織と同じく無拍子での移動により伊織の初撃をかわす。同時に、幾条にも分裂して見えるほどの苛烈な突きを放った。

 

 ミクの放つ九頭龍閃もかくやというその鋭い突きは、一瞬にして伊織を串刺しにしたかのように見えた。しかし、当たったはずの攻撃は、まるで伊織の体をすり抜けるように虚空を穿つのみ。ゆらりと揺れる伊織は、全てミリ単位で見切って避けきったのである。

 

 再び、認識の外から間合いを詰める伊織。そして、繰り出される怒涛の武技。

 

「っああああ!!」

「ぅうおおお!!」

 

 伊織が拳を振るえば曹操がカウンターの一撃を返し、そのカウンターにカウンターを返しながら次手を繰り出す。反応し難いその動きに、曹操は英雄の子孫としてのスペックを遺憾無く発揮して半ば反射だけで捌いていく。

 

 互いに、その動きは洗練の極地。一つ一つの動きが恐ろしいまでに無駄のない最小の動きであり、繰り出す技の一つ一つが次の動作に繋がっている。同時に、刹那の内に拳と槍を何度も交差させながら、それを遥かに超える応酬が脳内で繰り広げられていた。互いに次の一手を出し抜こうと幻想の中で遥かに熾烈な戦いを繰り広げているのだ。

 

「ハハハ、楽しいなぁ! 東雲伊織! 超常の存在ではなく人間とここまでやり合うなんて思いもしなかったよ!」

「俺は全く楽しくない。さっさと殴られて膝を折れ。そいて牢獄の中でド反省しろ」

「つれないな! だが、牢獄は勘弁だ。もう少し本気でいこう」

 

 そんな言葉と同時に聖槍が輝いたかと思うと、次の瞬間には波動となって放射された。至近距離からの爆発じみた衝撃。伊織は咄嗟に総計五十枚のシールドを重ね掛けにする。

 

――防御魔法 オーパルプロテクション・ファランクスシフト

 

 強度はそれほどでもないが展開速度は最速というシールドを幾重にも重ね、破壊された瞬間から内側より補充していく伊織オリジナル防御魔法だ。当初はシールド数十枚が限界だったが、今では総計五十枚の重ね掛けを一瞬で出来る。展開速度もコンマ世界で行えるので文字通り鉄壁を誇る障壁である。

 

 そのプロテクションは、聖槍の衝撃で一瞬にして二十枚を破壊されたが、二十一枚目を破壊する時には内側から二十枚追加されて、結局破壊しきることはできなかった。

 

「変わった術だな……君の手札の多さには感心させられるよ」

「口を開く暇があるとは余裕だな」

 

 聖槍の衝撃が霧散した直後、伊織の姿が曹操の脇に出現する。曹操は慌てず、読み切っていたような正確さで石突を繰り出した。その一撃は伊織の顔面を貫く。……そう、打撃されたのではなく、貫いた。

 

――幻術魔法 フェイクシルエット

 

 魔導が生み出すホログラムのようなものだ。

 

 魔力や気による偽者なら感知できただろう曹操だが、流石に半分以上科学で作られた映像までは咄嗟に見分けられなかったらしい。伊織を見失ったことに、曹操の心臓が跳ねる。

 

「解放、雷の101矢【雷華・断空拳】」

 

 その声は曹操の背後から聞こえた。咄嗟に、聖槍を回し見もせず背後を横薙ぎにする。

 

 しかし、そんな大雑把な攻撃が伊織に当たるわけもなく、ぬるりと踏み込んだ伊織の拳が曹操に突き込まれた。拳に込められた雷が解放され宙に踊り出す。その威力の全てが曹操に伝播する直前、曹操は聖槍の光輝を爆破させた。衝撃で、僅かに伊織の体勢が崩れる。

 

 それが、曹操を救った。

 

 振り向きかけた瞬間の脇腹に突き込まれた雷纏う強烈な打撃により吹き飛びながらも、僅かに打点がずれた為にどうにか意識まで飛ばさずに済む。伊織の方は、【堅】と【バリアジャケット】を瞬間的に高めたので無傷だった。

 

「ガフッ、ゲホッ! くぅうう、これは効くなぁ~。ここまでまともに入れられたのは久しぶりだ」

 

 曹操は、再び口から血を吐きながらも即座に聖槍を杖代わりにして立ち上がってみせた。戦意は些かも衰えていないようで、その眼は爛々と輝いている。

 

 ここまでの攻防で、曹操は漸く目が覚めた思いだった。純粋な武でも、能力を併用した場合でも伊織に上を行かれているという事に。同じ人間として競い合うのではなく、超常の存在に挑むような心構えが必要である事に。

 

 故に、人間らしく勝つためにあらゆる手を尽くしてやろうと決心する。

 

「くくっ、これだけの強さがあるのなら、英雄派の人員が日本で上手く活動できなかったのも頷ける。退魔師協会の守護神の名は伊達じゃないね」

「その呼び名は初耳だが……」

 

 曹操は、伊織の【雷華・断空拳】により拳大の穴が空いた漢服を見ながら、「英雄派の中での勝手な呼び名だからね」と苦笑する。

 

「ああ、本当によく邪魔をしてくれたよ。結局、東雲の神器使いは一人も確保できなかったし、他の神器使いも君の魔獣や女達がうろちょろしていて中々手が出せなかった。あちこち散発的にしかけて疲労を誘うって作戦も、なぜか君達には効かないし……本当に、どんな体力をしているんだ? ターミ〇ーターかと思ったよ」

「しっかり休息はとっていたからな」

 

 ただし【別荘で】とは言わない。まさか曹操達も、わずか一時間で一日分の休息を取っていたとは思いもしないだろう。

 

「ふふ、休息ね。一体いつとっていたのやら……まぁ、いい。作戦自体は上手くいかなかったが、それでも収穫はあったからね。一つは、君達が圧倒的だったがために禁手に至るものが幾人もいた事、そしてもう一つは、君が決して他者を見捨てられないという事だ」

「退魔師だからな。それがどうしたと言うんだ?」

「うん、なに、今、この擬似空間の外――京都の町では英雄派の構成員が大暴れしているって言いたかっただけさ」

「……」

 

 曹操の言葉に、伊織はただ静かな眼差しを返す。曹操は、内心、伊織が怒りをあらわにするか焦燥でも浮かべるのではないかと考えていたのだが……少なくとも表面上は平然としている。精神的揺さぶりをかけるのは常套手段ではあるのだが……

 

「おや、心配じゃないのかい? 言っておくけど、今までの襲撃と同じとは思わない方がいい。ああ、ほら、感じるだろう? ちょうどジークが成ったみたいだ。俺達は魔人化と呼んでいる」

「……それで? 禁手に至った者以外の神器使いには無理やり服用させて大量の魔人を送り込んだとでも言いたいのか?」

「話が早くて助かるな。大体、三百体くらいの魔人を呼び寄せさせてもらったよ。量産型の弊害で完全に理性なき怪物になってしまっているけれど、その分、力は折り紙つきだ。最低でも、一体一体が上級クラスの力を持っている」

 

 放っておいていいのかい? と伊織を煽るように笑みを浮かべてそう告げる曹操。しかし、やはり伊織は静かなままだ。ただ、ジッと曹操を見つめているだけ。

 

 曹操の分析では、伊織は決して一般人や仲間への危難を見過ごせない質の人間だ。なので、少し離れた場所で感じる魔人の禍々しく強大なオーラを感じれば、今の話と相まって全く動揺しないということはないだろうと推測していたのだ。故に、伊織が精神に全くぶれた様子が無いことに訝しげな表情となる。

 

「心配じゃないのかい?」

 

 思わず、再度そう尋ねた曹操に、伊織は静かに答える。

 

「心配さ。だが、不安はない」

「不安は……ない?」

「ああ。外には俺の全魔獣とチャチャゼロがいる。京都の妖怪達もいる。東雲の兄弟達がいる。仲間の退魔師達がいる。アザゼルさん達も呼んである。そして、その全てを九重がまとめてくれているはずだ。だから、心配ではあるが、不安はない。たかだが獣とテロリスト如きに負ける程……この地は易くない」

 

 その言葉を聞いて伊織が本当に何の不安も焦燥も感じていない事を察する曹操。思わず苦笑いが浮かぶ。

 

「君が、魔獣を出さないのはそのせいか。……しかし、君の魔獣とアザゼル以外は、魔人に太刀打ち出来るとは思えないけどね? まして、魔人達は無差別に一般人をも襲う。京都のあちこちで無差別に起こる襲撃に、どれだけ対応できる? まとめて吹き飛ばすなんて不可能だ」

 

 更に煽るような事を言うが、伊織の鋼の精神は微塵も揺るがない。そこには絶大な信頼があるからだ。紡いできたキズナがそれを信じさせるからだ。

 

「言っただろう? 京都の地には九尾の御大将――その娘がいると。あの子が、九重が指揮をとっている限り、烏合の衆なんて恐れるに足りない。俺の魔獣の指揮権も譲渡してある。種族に関係なく、みな九重のもとで戦うだろう」

「……人間も超常の存在も関係なく、か」

「ああ。大切なものを守りたいと思う気持ちに、種族は関係ないだろう。お前が、お前のような奴が、真っ先に弱い部分を狙ってくる事は予想していた。だから、京都の地の守りは最初から万全なんだ」

 

 伊織は言葉にしなかったが、実は、京都にはもう一人、絶対の守護神がいる。万に一つも、理性なき獣如きに敗北するなど有り得なかった。

 

「なるほどね。まぁ、あわよくば、君達の動揺を誘えるか、京都にいない間に神器使いを確保できないかという程度のものだし構わないさ。どうせ、魔人化した奴は使い捨てだしね」

 

 曹操はそう言うと、思惑が外れたと言うのにどこか嬉しげな表情をして聖槍をスっと構えた。

 

「東雲伊織。君の強さに敬意を表して、俺も本気で相対しよう。未だ不安定ではあるが、世界最強の神滅具の力、存分に味わってくれ! 禁手化ッ!」

 

 直後、曹操の背後に輪後光と七つの球体が出現した。神々しい輝きを放つ後光と曹操を中心に衛星のように周回する球体。禁手にしては随分と静かな変化だ。もっとも、静かな禁手と言えば、単に魔獣が驚異的に強化されるというだけの伊織の【進撃するアリスの魔獣】も同じなのだが。

 

 なんにしろ、世界最強最高の神滅具の禁手だ。文字通り、神をも滅ぼす力を秘めている。故に、伊織の警戒は最大限まで高まっていく。

 

 そして、曹操が壮絶な殺気と共に聖槍から光輝の斬撃を放って来たのと同時に、離れた場所へ(・・・・・・)防御網を展開した。自身への攻撃は半身になって回避する。

 

ギィイイイイ!!

 

 そんな金属が軋むような音を響かせて、少し離れた場所に曹操が展開していた球体――七宝の一つが無数の鋼糸に絡まれて動きを止めていた。更に、伊織がフィンガースナップをすることで光の鎖――拘束魔法【チェーンバインド】が出現し鋼糸と合わせて球体を縛り上げていく。

 

「アクセルシューター」

 

 伊織は、お返しと言わんばかりに誘導型射撃魔法を曹操に向けて不規則に動かしながら撃ち放ち、同時に【瞬動】で拘束した球体の場所へ移動した。

 

「インデックス」

 

 曹操が、球体や聖槍で【アクセルシューター】を払おうとするのを並列思考で巧みに操り時間を稼ぎながら、更に【魂の宝物庫】を呼び出す。手に現れた重厚な本を開き、球体に触れながら封印魔法を幾重にも施しつつ格納する。

 

 伊織としては、収納できれば御の字という感じだったのだが、鋼糸とバインドと封印魔法を重ね掛けされた球体は、スっとその姿を薄れさせると見事に【魂の宝物庫】に収納されていった。

 

「……驚いたな。女宝(イッティラタナ)を呼び戻せない。それ以前に、どうして女宝の動きを……」

 

 アクセルシューターを潰した曹操が、禁手の開幕早々、手札の一つを封殺された事に目を見開いて驚きをあらわにした。

 

「あれは女宝というのか。名前からして、女限定で何かをする能力でも込めていたか?」

「う~ん、やっぱり、能力は知らないんだな。あるいは知っていて防いだのかと思ったけど……」

「当たり前だろう。初見だぞ?」

「じゃあ、どうして俺が女宝を飛ばすのが分かったんだ? あのタイミング……最初から張っていたんだろう?」

「そんなもの……さっきも言ったはずだ。お前のような奴が取る手段など大体決まっている。禁手化すれば、その威容への警戒を利用して仲間を狙うというのは容易に予想できることだ」

「ハハッ、君も人間だなぁ。やりにくい……ちなみに、女宝は女限定でその異能を完全に封じるというものだ。だから君には効果がないんだけれど、それでも俺の禁手だ。一体、どうやって奪った?」

「教えてやる義理はないな」

 

 曹操も伊織が話すとは思っていなかったのか肩を竦めて聖槍を構え直した。女宝を伊織に封印された事はさほど気にしていないようだ。伊織を倒せば戻ってくる可能性はあるし、そもそも伊織との戦いでは役立たずだからだろう。

 

「そうか。では、君を打倒して奪い返すとしよう。あれは、これから超常の存在と戦っていく上で必要だからね」

 

 その言葉と共に、曹操の姿が消える。刹那、伊織の背筋をゾワッといつもの感覚が走抜けた。その本能の警鐘に従って伊織はスっと半身になる。

 

 直後、伊織の腹部を貫くように聖槍の穂先が突き込まれてきた。更に左側に悪寒を感じ、伊織はゆらりと仰け反る。すると、いつの間にか腹部の位置にあった聖槍が消えて左側から顔面に向けて突き込まれてきた。

 

 次もまたフッと消えた聖槍。同時に頭上に危機感を覚えて、伊織はくるりとダンスでも踊るようにその場を離脱。直後、大上段から光輝を纏った聖槍の一撃が迸った。

 

「……俺が攻撃するより一瞬早く動いている。未来予知の類か?」

 

 曹操が分析する。当たらずとも遠からずといったところか。伊織の危機対応能力は、本人にも説明が付かないシックスセンスとも言うべきもので、未来予知に分類されてもおかしくない予見能力を誇っている。

 

 だが、そんな事を親切に教えてやる義理はないので、伊織は魔弾を放射状にばら撒きながら、曹操の攻撃の秘密を【円】や【聴力】を使って確認した。結果、曹操自身が突然出現しては消えるという事を繰り返しており、高速移動の類ではないことを即座に察する。

 

「球体の二つ目は転移系か……」

「ご名答。馬宝(アッサラタナ)と言うんだ」

 

 そう言いながら再び転移して聖槍の一撃を繰り出す曹操。その動きは本来の曹操の武技と合わせて、超人のレベルを遥かに超えている。よほど戦闘経験を積まなければ、瞬間移動プラス一撃必殺には対応できないだろう。瞬殺される可能性大だ。

 

象宝(ハッティラタナ)

 

 曹操は球体の一つを足元に呼び寄せると、そのまま上空に上がる。地に足を付けていれば少なくとも下方からの転移攻撃は出来ない。戦術の幅を上げるため空中戦を選択したのだろう。

 

 伊織もまた、曹操を追って上空に上がる。

 

「……知ってはいたけどね。君、一体どうやって飛んでいるんだ? いや、魔力を纏っているのは分かるんだが……ゲオルグでも飛翔術を使いながら戦闘なんて出来ないんだがな」

 

 伊織は、無言で【虚空瞬動】を発動し、曹操に肉迫する。曹操は、【馬宝】で転移し伊織の背後から強襲するが、やはり伊織はスっと避けてしまう。

 

 が、その回避を予測していたのか曹操は球体の一つを伊織に飛ばした。ご丁寧に退路を塞ぐようにして聖槍から無数の光刃を飛ばす。

 

 絶妙なタイミングで迫った球体を伊織は覇王流【旋衝波】で投げ返そうとするが、セレスが変形した籠手に接触した瞬間、

 

バキィン!

 

 と、そんな破砕音を響かせて籠手が粉砕されてしまった。しかも、そのまま勢いを止めず槍状に変形すると伊織を穿とうと迫る。

 

 伊織は、咄嗟に接触したままの手で槍の軌道を逸らす。更に力に逆らわず、円を描くように回って槍を完全にやり過ごした。

 

 伊織を通り過ぎた槍は再び球状に戻ると曹操の元に呼び戻される。

 

輪宝(チャッカラタナ)。武器破壊の能力が付与されている。その籠手。突然現れた上に、時々魔力の反応があった。おそらく君の珍しい魔法を使うのに一役買っているんじゃないかな? 少しは魔法が使いづらくなるはずだ」

 

 曹操の分析は的確だ。驚嘆すべき洞察力である。しかし、伊織のセレスはただのストレージデバイスだ。作りは特別性であるとは言え。インテリジェントデバイスのようにAIを搭載したコアがあるわけではなく、応答もあらかじめインプットされたもの。

 

 故に、予備ならそれなりにストックがあるのだ。長い生の中で戦い続けてきた伊織にとってセレスを破壊された事は一度や二度ではないのである。なにせ楽器形状にした場合の耐久力など紙同然なのだから。

 

 なので、伊織は懐から金属製のカードのようなものを取り出すとあっさり二機目のセレスを復元した。

 

「セレス、セットアップ」

「Yes,my,master」

 

 光の粒子が舞い、伊織の手に先程破壊されたのと全く同じ籠手が装着される。

 

「……神器……ではない。まるで量産型の機械のようだが……」

「【万象貫く黒杭の円環】」

 

 伊織に対して武器破壊が不毛であると察した曹操が目を細めるのと同時に、伊織が石化の黒杭を放つ。突然、虚空に出現した無数の杭に瞠目する暇もなく、曹操は新たな七宝を発動する。

 

「っ、居士宝(ガハパティラタナ)!」

 

 曹操は、馬宝で転移せず、代わりに居士宝と呼ぶ球体を発動した。直後、光り輝く人型が無数に現れ曹操の盾となった。数に押され消滅していく人型だが、その間に高めたオーラを聖槍に纏わせ一気に振り抜く。

 

 津波のような光輝が黒杭を一気に押し流し、そのまま伊織に迫った。

 

「ディバインバスター」

 

 対して、伊織は一点突破。直射型砲撃魔法で光輝の津波に穴を穿つ。衝突した瞬間、凄絶な衝撃を撒き散らした津波と魔力砲撃だったが、拮抗は一瞬。範囲攻撃と貫通特化という性質の違いから、【ディバインバスター】が押し通る。これは、伊織がカートリッジを使用したからというのもあるだろう。そうでなければ、一点突破のバスタークラスですら押し負けていた。

 

 津波を突破した穴を通ってやり過ごした伊織は、その場で宙返りをした。上下反転した世界で、頭上を神々しい光の奔流が駆け抜けていく。更に、避けた伊織に向かって曹操が馬宝で転移を行い空間すら穿ちそうな突きを放った。

 

 伊織は、鋼糸を操って自分の体を引っ張る。頬を掠める聖槍を感じながら、【虚空瞬動】で一気に距離を取ろうとした。

 

 そうはさせじと曹操が追撃をかけようとするが、その瞬間、足元に魔法陣が展開され光の鎖が曹操に絡みつく。

 

――設置型捕縛魔法 ディレイバインド

 

「全く、多芸だなっ!」

 

 曹操が、聖槍を器用に振り回してバインドを破壊する。しかし、その時には伊織から【ディバインバスター】が放たれていた。完璧なタイミング。直撃かと思われたその砲撃は、しかし、

 

珠宝(マニラタナ)!」

 

 曹操の眼前に出現した黒い渦に余さず呑み込まれた。

 

 黒い渦は、濃紺色の光を全て呑み込むとフッとその姿を消し、次の瞬間には、丁度最終局面(魔帝剣とデバイスの訳の分からない愛憎劇)を迎えているミクの背後へと出現した。

 

 勘のいい者なら察するだろう。先程呑み込まれた砲撃が放たれるのではないかと。当然、伊織も察していたが、特に焦燥は浮かべない。なぜなら、

 

「? どういう事だ? なぜ砲撃が出てこない? 未だ不安定なせいか?」

 

 そう、攻撃を他者に流す能力を持っていると推測できる黒い渦からは何も出現しなかったのだ。疑問を呟く曹操に伊織が平然と答える。

 

「やはり、そういう能力を用意していたか。……まぁ、そもそも攻撃を受けていなければ、何も流せはしないだろう」

 

 そんな言葉に、ここまで自分の手札を攻略され続けた曹操の頬に冷たい汗が流れ落ちた。

 

 

 

 

 

 




中途半端ですみません。
やっぱり、二つに分けました。

さくっと終わらせることも考えましたが、原作の人類最強があっさりやられるのはどうかと思い、それなりに戦闘を行わせることに……

次回、決着です。

更新は明日も18時です。


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第52話 本物と紛い物 後編 下

 

 

「やはり、そういう能力を用意していたか……まぁ、そもそも攻撃を受けていなければ、何も流せはしないだろう」

 

 伊織の平然とした声音が響く。

 

「攻撃を受けていない? だが……っ…そうか、さっきの砲撃はフェイクか」

 

 曹操が伊織の意図を察して息を呑んだ。そう、さっきの【ディバインバスター】は幻術魔法の応用で本物の砲撃ではなかったのだ。

 

「だが、そうなると、最初から珠宝の能力を知っていた事になるんだが……どういう事だ? 実戦ではまだ使った事はない。何せ君の空間を割って攻撃を放逐する技を参考にして作ったものだ。なぜ、フェイクを使ったんだ」

 

 曹操の疑問に、伊織は戦闘開始当初から全く変わらない静かな瞳を向けたまま、独り言のように呟いた。

 

「【女宝】女限定の異能無効化能力、【馬宝】転移能力、【象宝】飛行能力、【輪宝】武器の破壊能力、【居士宝】手数の創造能力、【珠宝】攻撃に対する受け流し能力……大体予想通りだ。さて、後一つは何か。回復系がまだないからそれか? それとも認識作用系か? あるいは単純に身体強化系か……魔人化はリスクが高そうだからな」

 

 まるで曹操が七宝という禁手に至る事を予測していたかのような物言い、そして、その能力まで予想通りとはどういう事か。

 

 思えば、伊織は最初から、曹操がどんな能力を見せても動揺したりはしなかった。それどころか、一つ一つ、より詳しく能力を見ようと試しながら戦っているようにも思える。最後のフェイクの砲撃などは、大威力の攻撃を前に、曹操がどんな対応をするのか見るためのものに他ならない。

 

「……俺の禁手が予想できたっていうのか? 俺の禁手は過去の使い手が至った【真冥白夜の聖槍】とは異なり亜種だ。【極夜なる天輪聖王の輝廻槍】という。過去の資料を漁っても分からないと思うんだけどね? 裏切り者でもいたのかな?」

「あっさり仲間を疑うなよ。まぁ、そんなお前だから予想できたんだ」

「何だって?」

 

 伊織の言っている事が分からないというように首を傾げる曹操。そんな曹操に、伊織は淡々と告げた。

 

「俺がお前について知っている事は二つだけだ。超常の存在へのあくなき挑戦心、そして、仲間を仲間だとは思っていないこと」

「……それで?」

「神器というのは意志によって進化する。その意志が強烈であればあるほど神器の進化は影響を受ける。それは神滅具も例外じゃない。なら、神滅具に影響を与えるお前の意志とは何か? それがお前の禁手を予想するための鍵となる。そして、その答えは、先の二つを考慮すれば簡単に出る。すなわち“例え、一人になっても戦い抜き生き抜く力を”だ」

 

 図星だったのか曹操の眉がピクリと反応する。

 

「だとしても、能力までは把握できないだろう?」

「いいや、そうでもない。超常の存在と戦う上で絶対必要、あるいは極めて有効だと思う能力を片っ端から考えればいい。そして、その全てに対して対策をしておけばいいだけだ」

「全部だって? 一体、いくつ予想したんだい?」

「……ざっと百二十ほどだ」

「ひゃくっ……これでも能力を考えるのに苦労したんだが」

 

 伊織の答えに曹操の表情が明確に変化した。大きく目を見開き驚愕をあらわにする。無理もないだろう。何せ、狂いそうなほど研究に研究、分析に分析を重ねて生み出してきた能力なのだ。それを、ただ曹操の人柄だけから推測し、軽く上回られたのである。曹操の心中が穏やかなはずがない。

 

 しかし、ここには少しばかり誤解がある。伊織のいう百二十ほどの能力とは伊織自身が考えたものではない。そのアイデアの源は、日本の漫画家先生、ラノベ先生方の血と涙と汗の結晶である。伊織の魂は、日本で生活していた時の記憶をそのまま受け継いで劣化しないようにされている。なので、二次元知識も年月によって劣化しないのだ。

 

 しかし、まさかそんな事情があるなど知る由もない曹操からすれば、いろんな意味で伊織が化け物じみて見えた事だろう。本当は、自分よりよほど超常の存在を打倒する事を考えているのではないか? と疑いすら持ち始めたくらいだ。

 

「ああ。実際、お前が発現した能力は極めて合理的で有用だ。俺が予想した上位のものとほとんど変わらない。だが、だからこそ読み易い。曹操。お前の肉体的ポテンシャルは俺を圧倒している。だが、こと戦闘経験に関しては俺が圧倒しているようだ」

 

 伊織はそこで一旦言葉を切ると、少し耳を澄ませ、再び言葉を紡ぎだした。

 

「……どうやら英雄派の幹部連中は全滅したようだぞ。俺の仲間の勝ちだ」

「……ああ、そのようだね」

 

 曹操も一瞬、視線をミク達がいる方角へ目を向けて、苦笑いしながら肩を竦めた。

 

「一応、聞こう。投降する気は?」

「ないね」

「はぁ、だろうな」

 

 曹操は肩をトントンしていた聖槍を構え直す。

 

 と、その時、ずっと八坂と術のせめぎ合いをしていたゲオルグが声を張り上げた。

 

「曹操! 準備完了だ! 即興だがアレンジして結界破壊にも力を回せるようにした!」

「! ふっ、そうか。ゲオルグ、やってくれ。無限を喰らってやろうじゃないか」

 

 曹操が号令をかけた直後、巨大な魔法陣が瞬時展開される。黙って見ている伊織の前で、その魔法陣からドス黒く禍々しいオーラが噴出した。大気が悲鳴を上げるように激しく鳴動する。

 

 やがて、背筋に氷塊でも落とされたような寒気を感じたと同時に、その魔法陣から何かがせり出てきた。

 

「これは……磔にされた堕天使? いや、ドラゴン?」

 

 流石の伊織も圧倒的な負の感情を撒き散らす異様な存在に一筋の冷や汗を流した。

 

 現れたものは、上半身が堕天使で下半身が東洋の龍のような姿。全身をキツく拘束され、十字架に極太の杭で磔にされており、目を覆う拘束具の隙間からは血涙が流れている。

 

「サマエルよ、存分に喰らえ!」

 

 曹操が叫ぶと同時に、唾液と怨嗟の絶叫を撒き散らしていたサマエルの口から高速で何かが飛び出した。それは、一瞬で、八坂の傍にいたオーフィスに迫るとバグンッ! と音を立てて黒い球体の中に閉じ込めてしまった。

 

 いや、この場合、呑み込んだというのが正しいだろう。その黒い球体からは触手のようなものが伸びており、その正体はサマエルの舌だったからだ。

 

 曹操が、ニヤリと笑いながら得意げに話し始める。

 

「サマエル――ドラゴンを憎悪した神の悪意、毒、呪いというものを一身に受けた天使。存在そのものが龍殺し。【龍喰者(ドラゴンイーター)】だ。コキュートスに封印されているのを冥府の神ハーデスから一時的に借り受けたのさ」

「……蓮を殺すためか」

 

 伊織の呟きに、曹操はノンノンと指を振る。

 

「いやいや、力を集めるのに“力の象徴”は必要だ。だが、言うことを聞いてくれる象徴が欲しくてね。――ただ殺すわけじゃない。力を奪って新たなオーフィスを作る。俺達の言うことなら何でも聞く傀儡の龍神様を生み出すのさ」

 

 まるで追い詰められた火サスの犯人のように目的を自ら語ってくれる曹操。その言葉を証明するように、オーフィスが取り込まれた黒い球体からゴキュという音と共に何かの塊が触手を通してサマエルの口へと運ばれていった。おそらく、オーフィスの力だろう。

 

 伊織は、無言で触手や舌に向かって魔弾や石化の光を当ててみるが、一切効果がなく、全て消失してしまった。どうやらサマエルには、攻撃を無効化するような何かがあるらしい。一応、通常の攻撃でダメージを与えるのは至難であるという情報と、セレスによってデータ収集だけをして、最悪、虚数空間に放逐といういつもの対応で行くしかないと結論づけた。

 

 サマエルへの攻撃を止めた伊織を見て諦めたと思ったのか、曹操が余裕たっぷりの表情で肩を竦める。

 

「こんな時でも冷静なんだな。君の精神力には脱帽するよ。それとも、オーフィスは君にとって大した事のない存在だったのかな?」

「いや? 蓮は、大切な家族さ。もし蓮に取り返しの付かない事をされていれば、俺は、そこのサマエルごとお前達を殺そうとするだろうし、冥府とやらに乗り込んで何としてもハーデスに土下座をさせているだろうな」

「ハハハッ、冥府の神に土下座させる、か。君ならやってしまいそうだな! ……ん? されていれば(・・・・・・)?」

 

 伊織の痛快な物言いに笑い声を上げた曹操だったが、妙な言い回しに気がついて首を傾げる。まるで、今この瞬間も、オーフィスは無事であるかのような言い方だ。曹操がそう思った直後、右腕たる魔法使いから若干パニック気味の声が響いた。

 

「ど、どういうことだ! なぜ、力が吸い取れない! どうして、たったこれだけなんだ! くそっ、サマエル! 何をしている! 召喚を維持するのにも限界があるんだぞ! さっさと喰らい尽くせ!」

 

 それはゲオルグの叫びだった。曹操が驚いたようにゲオルグを見る。

 

「ゲオルグ?」

「くっ、曹操。問題発生だ。オーフィスからほとんど力が吸い取れない。せいぜい、蛇、二、三匹分くらいだ」

「何だって? それはどういう……っ、まさか……君か? 東雲伊織」

 

 曹操とゲオルグの眼差しが伊織に向く。先程の妙な言い回しから、伊織が何かをしたのだと判断したようだ。

 

 その推測は間違っていなかった。

 

「全く、とんでもないものを持ち出してくれたもんだ。想定していた方法を遥かに上回る。万一の為に用意していた方法の九割が無意味だ。最初から、蓮を遠ざけておいてよかった」

「遠ざけて?」

 

 独白じみた伊織の言葉に、曹操がハッとしたように黒い球体を見た。黒い球体は、もはやそこには喰らうべき龍はいないとでも言うように、あっさり拘束を解くとシュルシュルと音をさせて舌を戻していく。

 

 その後から無傷のオーフィスが出て来た。どうやら力は吸い取られても傷を負うようなものではないらしい。そんな事をされていたら分身体(・・・)ではあっさり霧散してしまう。

 

 平然と突っ立っているオーフィスに向けて、伊織が話しかける。

 

ミク(・・)。もういいぞ」

「はい、マスター」

 

 その瞬間、オーフィスの姿をした分身体ミクはポンッ! と音を立ててその姿を消してしまった。

 

「あれも分身だったというのか? 馬鹿な! 確かにオーフィスの気配がしていたんだぞ! 大体、本物でもなければ【絶霧】を破れるはずが……」

「……そうか。入れ替えたんだな」

 

 半ば狂乱するように頭をガリガリと描きながらゲオルグが叫ぶ。それに対して、曹操は冷静に考察を進めたようで直ぐに結論に達した。

 

「正解だ。結界の破壊自体は蓮がやった。だが、その後、突入したのはミクが創り出した分身体だ。そのままでもバレないだろうとは思っていたが……究極の龍殺し相手では、蛇なしで騙せたかどうか。念の為、飲ませておいてよかった」

「彼女の変装能力はそこまでのものか……蛇を呑み込んだ後も確かにオーフィスの気配がしていたというのに」

「変装特化の神器――その禁手ともなれば、もはや偽者は本物と遜色ない。対象が龍神では、どうしても地力差は出てしまうけどな」

 

 伊織の言葉に、曹操は天を仰いだ。片手で目元を覆うように隠し上向く。サマエルの召喚は、ハーデスとの交渉の末、一回限りという条件で借り受けたのだ。他にも、出涸らしとなったオーフィスの身柄の引き渡しというのもあるが……とにかく、その一回勝負で確実にオーフィスの力を奪わなければ、各地で鎮圧されつつある英雄派に未来はなかった。

 

 つまり、英雄派はこの時点をもって完全に瓦解したのである。

 

 曹操が、ふぅーと息を吐きながら視線を伊織に戻す。

 

「いつからだい? いつからオーフィスは……」

「二年前からだ」

 

 いつからカオス・ブリゲードのトップが入れ替わっていたのかという曹操の問いに、正直に答える伊織。その答えを聞いて曹操は苦笑いを零した。

 

「全く、君の掌の上だったというわけか。オーフィスを力の象徴にして力を集めていたつもりが、逆に厄介者を纏めさせられていたというわけだ」

「……」

 

 実際には、【蛇】を渡すわけには行かなくて非協力的過ぎたため、内情を探るなどということは、ここ最近ほとんど出来ていなかったが、確かに、アウトローを纏めておくという点ではカオス・ブリゲードという鳥籠は役立っていた。

 

 なので、自嘲気味に笑う曹操に伊織は声をかけない。どんな言葉も、今は曹操を嗤うものとなってしまうからだ。

 

 と、そんな伊織達の傍に三人の人影が降り立った。それぞれ英雄派の幹部に勝利したミク、テト、エヴァだ。

 

「マスター、英雄派の三人は一応全員生かしてあるよ。首謀者一味は、お偉いさんが処理した方がいいだろうしね。今は、ボクの十絶陣の一つに隔離してあるよ」

「そうか。三人とも、お疲れ様」

 

 伊織の労いと微笑に、三人も微笑を返す。伊織は、今も集中して【絶霧】に干渉し続けている八坂に視線を向けた。八坂もまた、ミク達の勝利を祝福するように、笑みを浮かべながら僅かに頷く。どうやら、曹操達が逃亡できないように抑える事はまだまだ可能なようだ。

 

 伊織の仲間が揃い、九尾の御大将により退路を絶たれる。そして、召喚維持の限界を迎えたのかサマエルが「何のために呼び出されたんだ?」と言わんばかりに、どこか悲哀の篭った絶叫を上げながら魔法陣の奥へと消えていた。――まさに“詰み”の状態。

 

「くっ、こうなったら蛇を使って……」

「させんよ」

「させません」

「させないよ」

 

 ゲオルグが、吸い取った蓮の蛇を使って力の底上げをし、【絶霧】の制御を八坂から取り戻そうとする。が、次の瞬間には、影から出てきたエヴァに首を捕まれながら【人形師】の糸で自由を奪われ、テトによって開けた口へ銃口を突き込まれ、更にミクによって、いつの間にか取り出された魔剣帝グラムの刃を股下から掬い上げるように股間に当てられた。

 

 グラムが発するオーラがゲオルグの股間をふるふると震わせる。何だか、グラムが抗議するようにオーラを波打たせるので、尚更、ふるふるする。ゲオルグの目の端に光るものが溜まり始めた。

 

「……何というか、君の女は怖いね」

「……普段は穏やかで優しいんだ、いや、本当に」

 

 曹操が、ゲオルグの現状に頬を引き攣らせながらポツリと呟く。伊織はスっと目を逸らしながら、一応の弁護を試みた。しかし、涙目のゲオルグを更に追い詰めるようにそれぞれの武器をぐりぐりするミク達を見れば説得力は皆無だった。

 

 曹操は、早々に仲間の悲惨な状態を見捨てる事にしたようで、視線を伊織に戻すと聖槍に光輝を纏わせた。

 

「やるのか?」

「やるとも。退路はなく、仲間は全滅。敵は全て健在で強力無比。相手が超常の存在でないのが些か残念ではあるが……英雄が挑む困難としては上々だ。逆に、同じ人間である君ですら打ち砕けないというのなら、超常の存在に挑む資格すらない! 聖槍の使い手足りえない!!」

 

 カッ! と曹操の背負う輪後光が輝きを増す。女宝以外の七宝が衛星のように周回する。その戦意は絶対絶命にして際限なく高まっていくようだ。

 

「……なら俺は、その衝動に巻き込まれ悲鳴を上げている人々の為に、お前を打倒しよう。――本気で行く。これからお前に与える痛みは、全て、お前が巻き込み苦しめた者の痛みだと思え! ――解放! 【千の雷】【燃える天空】! 固定、双腕掌握!! 【雷炎天牙】!!!」

 

 遅延呪文の解放により出現したのは激しくスパークする雷と灼熱の渦巻く球体。掲げる伊織の両手の先で超圧縮されていくそれは、小型の台風のようだ。目を見開く曹操の前で、伊織はその球体二つを握り潰すような仕草を見せ、そして、次の瞬間、伊織の体が変貌した。

 

 雷と炎を迸らせ、莫大な力を放射する。そこにいるだけで、周囲の地面が灼き焦げ放射状に吹き飛んだ。

 

「はは……まだ、そんな隠し玉を持っていたのか。訂正しよう。君は人間じゃない。既に、超常の存在だッ!!」

 

 曹操は、喜悦と闘争心に表情を歪めながら、聖槍から信じられない威力の衝撃波を撒き散らした。伊織は、それを【雷速瞬動】であっさりかわす。

 

 しかし、あらかじめ避けやすい場所を用意しておいたのだろう。ピンポイントで馬宝により転移して来た曹操が既に光そのものと化しているような聖槍を突き出してきた。同時に、最後の七宝――将軍宝(パリナーヤカラタナ)を伊織の背後に転移させて挟撃する。

 

 伊織は、最後の七宝は回復系かバッドステータス系だと予測していたので、直接攻撃に出た事に眉を潜めた。予想が外れているとすると、どんな力を秘めているか分からない。なので、優先すべきは最後の七宝だ。

 

 伊織は、聖槍の一撃を無視すると、将軍宝に向かって鋼糸による軌道逸らしと集束型【雷炎の矢】を放った。

 

 しかし、将軍宝は、その尽くを破壊して伊織に直撃する。同時に、聖槍が伊織に突き刺さった。

 

 一瞬、殺ったかと思った曹操だったが、よく見れば、攻撃が直撃したと思われた場所にはぽっかりと穴が空いていた。それは、決して聖槍や将軍宝で空けた穴ではない。触れる前に自ら空いたのだ。――完全雷化及び炎化である。

 

 雷炎化した伊織は、自らの体を切り離すことも、切り離した一部を操る事も可能なのだ。

 

 そして、それを曹操に教えるように、パシッ! と音をさせて消えた伊織は曹操の背後に出現し【雷炎華・断空拳】を放った。伝播する絶大な電撃と、壮絶な爆炎を上げる拳が曹操に転移する間も与えず直撃する。

 

「ぐぅう!! まるで、自然の驚異そのものだ! やっぱり君は人間を逸脱している!!」

 

 吹き飛ぶ曹操に伊織が追撃を放つ。

 

「エクセリオンバスター!!」

 

 自然そのものと称されながら、次の瞬間に放つのは魔導の光――誘導制御型砲撃魔法【エクセリオンバスター】。しかし、それを知らない曹操は、大規模攻撃にはこの手を使ってしまう。

 

「珠宝!」

 

 攻撃を任意の場所に受け流す黒い渦だ。また、ミク達を狙うかとも思ったが、出現した場所は伊織の背後。どうやら、攻撃の手を緩めてミク達に意識を裂いた瞬間には殺られてしまうと考えたようだ。同時に、伊織には奇襲が通じない事も分かっているので将軍宝と輪宝を飛ばしながら、聖槍から凄絶な聖なる波動を放射した。

 

 伊織は、背後の珠宝から出現したエクセリオンバスターを操って曹操に向かわせながら、手を正面から迫る聖なる波動に向けた。

 

「解放! 【千の雷】!!」

 

 異世界の最上級魔法が、擬似京都の夜空に雷の華を咲かせる。有り得ない軌跡を描いて莫大なエネルギーを秘めた千の落雷が、轟音と共に聖なる波動とぶつかりあい凄まじい衝撃を発生させた。

 

 だが、拮抗するそれを無視して、伊織は更に魔法を行使する。

 

「解放! 【雷炎の1001矢】!! スティンガーブレイド・エクスキューションシフト!!」

 

 並列思考で同時発動した二世界の掃射魔法。雷炎の矢と魔導の刃の総計は二千発。その内の半分はロックオン機能付きで、既に曹操をロックしていた。

 

 輪宝と将軍宝は当たらなければどうという事はない。なので、雷速で動き続ける伊織を捉えきれず虚しく宙を飛び交うのみ。

 

 そして、伊織を止められない間に、誘導された【エクセリオンバスター】の光が曹操に迫った。珠宝から出てきたばかりであるから、直ぐには発動し直せない。咄嗟に、居士宝で出せる限界まで輝く傀儡を出すが、拘束飛来したスティンガーブレイドに撃ち抜かれて数が足りない。

 

 曹操は、チャージが不十分ながらも聖槍から飛ばした衝撃でエクセリオンの光を一瞬、押し止め、その隙に馬宝で転移しどうにか回避する。しかし、その場所は既に【雷炎の矢】の豪雨圏内。

 

「ぐぅうううう!!」

 

 曹操は、象宝で空を飛びながら聖槍を風車のように頭上で高速回転させ【雷炎の矢】の豪雨を弾き飛ばしつつ、馬宝で転移を続ける。その表情には既に一切余裕はない。まさに必死の形相で流星雨を捌き、連続転移で砲撃をかわし、勝機を探るためオーバーヒートしそうなほど頭を回転させる。

 

 しかし、

 

パシッ!

 

「っ!?」

 

 そんな音を立てて、曹操の背後に雷炎化した伊織が姿を現した。そして、空中だというのに、あの反応し難い歩法でぬるりと間合いを詰めるとスっと拳を曹操の腹部に当てた。

 

 表情が引き攣る曹操。直後、強制的に流し込まれる超圧縮された台風の如き魔力と気。

 

――覇王流 崩天拳

 

 魔力と気が反発しあって曹操の中で荒れ狂う。抗う事も出来ずに体内での狂乱を許してしまった。結果、

 

「がはっ!!?」

 

 宙に撒き散らされる大量の血。吐き出されたそれは尋常な量ではない。看過し難いダメージが通った証だ。

 

 それでも戦意を喪失せず、それどころか反撃に出た曹操は、流石というべきだろう。曹操が聖槍の切っ先をスっと伊織に向けてその先端を開き、刹那の内に閃光が伸びる。

 

 しかし、

 

パキャァアアアン

 

 そんなガラスが割れるよう破砕音を響かせて虚数空間に繋がる小さな穴が穿たれる。曹操の放った聖槍の光刃は吸い込まれるように虚数空間へと呑み込まれて霧散した。

 

 伊織は、再びパシッ! と音をさせて消えると、曹操の頭上に現れ雷速のかかと落としを斧のように振り下ろす。

 

――陸奥圓明流 斧鉞

――西洋魔法  雷の斧

 

 雷鳴とスパークを迸らせながら繰り出されたそれを、超人的な反応で辛うじて聖槍の端で受け止める曹操だったが、その威力までは殺すことが出来ず、感電しながら地上へと隕石のように落下した。

 

 地響きを立てて口から更に吐血しながら仰向けに横たわる曹操。衝撃の余り、曹操を中心にクレーターが出来ている。曹操は意識を失っていないようで、どうにか立ち上がろうとしているようだが、僅かにもがくだけだ。

 

「っぐぅ……」

 

 そして呻き声を漏らしながら薄ら開けた曹操の眼に、雷炎を纏って流星の如く落下しくる伊織が見えた。その姿は、どう見ても自然の化身のようで……

 

「……超常の存在め」

 

 次の瞬間、曹操の腹に伊織の拳が突き刺さり、同時に、解放された【雷炎の槍】が大地に磔にするように突き立った。

 

「超常かどうかは関係ない。背負って戦う者と何もない者の差だ」

 

 伊織が、術式兵装を解いて下がる。曹操は、大の字となって横たわったままピクリとも動かず、その手に持つ聖槍も輝きや威圧感を失っている。

 

 それでも、曹操は未だ意識を失っていなかった。

 

「……わからない、な。でも、君の強さは……意志によって…っ……進化する神器とは…っ……別のところから来ている……常軌を逸した力……守る者がいるだけで? 君が特別なんじゃ…うっ……ないのか?」

「俺だって最初は弱かった。周りには理不尽ばかりが溢れていて、結局、家族を傷つけて、もう二度と何も出来ないままは嫌だと、足掻いた結果だ。曹操、この世には理屈じゃない力っていうものが確かにあるんだ。たった一つの言葉や笑顔だけで、絶望だって粉砕してしまえるような……言葉に出来ない何かが。そういうものが俺をずっと支えていたし、強くしてくれたんだ。……お前だって、それだけの力があれば、少し耳を傾ければ、誰だって、何だって救えただろうに」

「……そしたら……君にも勝てたって?」

「いや、それでも俺は負けない。負けられないから負けないんだ」

「……やっぱり……よくわからないな」

 

 曹操は自嘲気味に笑う。伊織のいう力なんて全く分からなかった。それでも、それがきっと“英雄の力を持って生まれた者”と“英雄”の違いなのかもしれないと、そんな事を漠然と考えた。

 

 しかし、だからといって、やはり「はい、そうですか」と敗北を認められる訳が無い。故に、曹操は最後の一手を発動する。

 

 すなわち、

 

「わからないけど……それでも俺は俺の生き方……を間違いとは思わない。故に、【覇輝】に全てを賭けよう!」

「【覇輝】?」

 

 曹操の呼びかけと共に聖槍が輝きを取り戻し始める。

 

「そう、【覇輝】だ! 槍を持つ者の野望を吸い上げて、相対する者の存在の大きさに応じて多種多様な奇跡を生み出す。亡き聖書の神の遺志が、未来を選ぶんだ!」

 

 聖槍の輝きが刻一刻と激しさを増し、曹操を磔にしていた【雷炎の槍】を消し去った。ダメージが深くまともに動けないようではあるが、曹操の口元には不敵な笑みが浮かんでいる。

 

 正真正銘の切り札なのだろう。この土壇場で神がもたらす奇跡。曹操の傷を完全に癒した上で絶大な力でも与えるのか……

 

 離れた場所でゲオルグを半泣きにさせていたミク達が尋常でない気配を発する聖槍の輝きに瞠目している。

 

 しかし、伊織は静かな瞳でそんな聖槍と曹操を見つめるだけで止めようとしない。

 

「やりたければやれ。俺は一向に構わない。神の遺志とやらが、多くの関係ない人々に悲鳴を上げさせるお前の野望を選ぶというなら……その奇跡ごと打ち砕くだけだ」

「っ……ああ、出来るものならやってみせてくれ!! 神を射抜く真なる聖槍よ! 我が内に眠る覇王の理想を吸い上げ、祝福と滅びの狭間を抉れ! 汝よ! 遺志を語りて、輝きと化せ!!!」

 

 伊織の威風堂々とした宣言と自分を真っ直ぐ見つめる眼差しに、曹操は一瞬息を呑みながら、【覇輝】発動の呪文を唱える。爆発的に膨れ上がっていく光は、内側から【絶霧】の結界すら圧迫し亀裂を入れ始めた。

 

 その光輝に呑み込まれながら、それでも全く動じない伊織は構えながら宣言する。

 

「半端なく全てを注いで奇跡を起こせ。でなければ――俺の(意志)は、容易くお前の奇跡(遺志)を撃ち抜くぞ!」

 

 直後、【絶霧】すら霧散させ外の世界まで溢れ出た光の奔流は、伊織の意識を真っ白に染め上げた。

 

 

 

 

 視界は効かず、音も聞こえず、手足の感触もない。何もかも消失したかのような喪失感に襲われながら、更に、ズルリと何かが内に侵入してくる――そんな感覚を、伊織は漠然と感じていた。

 

 何かが伊織の奥深くに侵入し、一番大切なものを侵食――いや、この場合は書き換えとでも言うべきか、いずれにしろ何か別のものに変えられるようなそんな強烈な違和感を覚えさせられる。

 

(……なるほど。所持者を強化しても勝てるか分からないから、敵を堕とそうとうってわけか……聖書の神の遺志……随分と舐めた真似をしてくれる)

 

 今、【覇輝】がしようとしていることは、伊織の人格の改変といったところだろう。思想・感情が変われば、あるいは所持者に同調するものであれば、そもそも敵は生まれないという発想だ。伊織を敵足らしめる“意志”そのものを消してしまおうというわけである。

 

(こんなものが……奇跡なわけあるか)

 

 ズルリ、ズルリと内側へと侵入してくるおぞましい感覚に、伊織は魂が反応する。

 

脈動するそれは二度の転生を経て昇華した魂の輝き。ただ生きただけではない。困難に困難を重ねたような修羅場で、紡いだキズナと積み重ねて来たものがもたらす輝きだ。その光は、聖槍がもたらす【覇輝】の光にも劣らない。

 

 純白に染まりつつあった伊織の精神が、彼の魔力色――濃紺色に染まり直していく。

 

 光輝と魔力光がせめぎ合い、精神世界の主導権を握ろうと輝きを強めていく。

 

(過去の遺志如きが、今を生きる意志に! 勝てるわけないだろうがぁ!!)

 

 伊織の絶叫がどこからともなく轟き世界に響き渡っていく。拮抗していた濃紺色の魔力光が一際強く輝き出した。そして、一拍の後、拮抗を破りザァアアアーーと全てを洗い流す川音を響かせながら純白故に不純な光を一気に押し流していった。

 

 後には、濃紺の魔力光を中心に様々な色が混じりあった、混沌としていながらもどこか温かみのある空間が広がっていた。

 

 その空間――伊織の精神世界に二つの存在があった。一つは、光を弱めた光輝の球体、もう一つは五体満足で佇む伊織の姿だ。

 

「あんたら神様ってのは、どいつもこいつもしゃしゃり出すぎなんだよ。神様はさ、後ろの方でどっしりと見守ってくれていればいいんだ。何かをする必要なんてない。人の可能性を見たいなら、ただ、そこで俺達の決意や祈りを聞いていてくれればいいんだ。それで十分なんだよ」

 

 伊織は、かつて世界を創った神様に届けたのと同じ言葉を送った。そして、スっと覇王流の構えを取る。魔力も気も纏わない。ただの拳を構える。

 

「この程度の奇跡じゃあ、人の意志は止められない! 俺の拳は砕けやしない! もう一辺、一から出直してこい!」

 

 伊織は、そういうと何千回、何万回と繰り返してきた基本にして奥義でもある拳――覇王断空拳を光輝の中心に突き出した。

 

 直後、

 

パァアアアアン!!

 

 そんな破裂するような音が響き渡り……

 

「がはっ!! ……馬鹿な……【覇輝】が破られた?……」

 

 精神世界が一瞬で解けて現実世界となり、伊織の突き出した拳は曹操の顔面に突き刺さっていた。

 

 未だ光に満ちた現実世界の中、曹操は、信じられないという表情で目を見開いて、至近距離から己を真っ直ぐに射抜く伊織の眼差しを見つめ返した。ずっと現実世界にいた曹操からすると、聖なる輝きに呑まれた侵食されていったように見えた伊織が、突如全てを吹き飛ばして己を取り戻し、自分に拳を振るってきたように見えたのだ。

 

 拳を叩き込まれた瞬間、魔力も気も一切感じないにも関わらず耐え難いほど重みを伝えるそれに、曹操は何かを悟ったような表情で口元に笑みを浮かべると、そのまま無言で仰向けに倒れ込んだ。

 

 曹操の倒れた後にふわりと砂埃が舞い、カランッと音を立てて聖槍がその手から離れる。

 

 直後、周囲を純白に染めていた光は吸い込まれるように聖槍へと消えて行き、やがて、完全に輝きを失った。

 

 周囲には【絶霧】の霧もなく、そこが本物の京都の町の一角であることがわかった。少し離れたところではミク達がゲオルグの意識を奪って拘束したままキョロキョロしており、八坂も疲れたような表情で周囲に視線を巡らせていた。

 

 伊織が拳を突き出したままの残心を解いて姿勢を戻すと同じに、彼女達の視線が伊織と、その眼前に倒れている曹操の姿を捉える。そして、終わったのだと察して、輝くような笑みを浮かべた。

 

 伊織は、大きく息を吐くとミク達に一人一人に視線を合わせて、同じく勝利の笑みを浮かべた。

 

 直後、

 

「伊織! ミク! テト! エヴァ! あと八坂!」

 

 と、ドラゴンの翼をはためかせながら蓮が、

 

「母上ぇーー!! 無事ですかぁーー!!」

 

 と、連に抱き抱えられた九重が、

 

「ケケケッ、ヤッパソッチノ方ガ面白ソウジャネェカ」

 

 と、蓮の頭の上のチャチャゼロが、

 

「伊織ぃ!! てめぇ、連絡だけ寄越してさっさと突入するんじゃねぇよ!!」

 

 と、漆黒の翼をはためかせ青筋を浮かべつつも、どこか心配そうな表情のアザゼルが他にも幹部を率いて、

 

 その他にも、東雲の兄弟姉妹や京都妖怪、助っ人に駆けつけた立山妖怪や酒呑童子崩月率いる鬼の軍団やらがわらわらと集まって来た。

 

 どうやら京都の町の襲撃も無事に鎮圧できたようである。

 

 伊織は、ミク達ともう一度視線を合わせて笑い合うと、そんな彼等に向けて手を掲げながら自ら歩み寄って行くのだった。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

オタク故に、定番の能力を知り尽くしている伊織。
……本質的には蓮と変わらないかもしれない。

というわけで、英雄派編は終了です。
めっちゃ戦闘書けて楽しかった……出来はともかく

明日も18時更新予定です。


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第53話 修学旅行と和平会議

 

 

「えぇ~!? それじゃあ、カオス・ブリゲードは壊滅したって事ですか!」

 

 駒王学園オカルト研究部部室にて、ソファーから腰浮かして驚きをあらわにしたのは赤龍帝こと兵藤一誠だ。彼だけでなく、他の眷属達も、驚きを隠せないようだった。

 

「いや、カオス・ブリゲード自体が壊滅したわけじゃない。あくまで最大派閥だった英雄派が事実上壊滅したというだけだ。旧魔王派の残党や、今回、京都入りしなかった英雄派の連中も健在だし、二大派閥の影に隠れてこそこそしていた連中もいる。悪党ってのは、いつの時代もそう簡単に消えたりはしねぇんだよ」

 

 一誠達に、京都の事件を説明していたアザゼルが、肩を竦める。

 

「しかも、オーフィス……いや、今は蓮の存在も各方面にばれちまった。力の象徴たる無限の龍神が自分達の側にいないと知ったカオス・ブリゲードの連中は、総じて姿くらませたみたいでな。今度、どういう行動に出るやら……」

「それでも、元々、ある程度彼等の動向を掴めていたこと自体、凄いことよ。こういう言い方は変だけれど、フェアに戻ったといったところじゃないかしら」

「そうですわね。いずれにしろ。伊織君達は大手柄ですわ」

 

 アザゼルの言葉に、リアスと朱乃が感心したような表情だ。しかし、リアスは、直ぐにどこか心配げな表情となった。

 

「それで、曹操達の処遇は? それに蓮の今後も……各神話の神仏が黙ってはいないでしょう? 一応とは言え、テロ組織のトップだったわけだし……」

 

 その質問に、さもありなんとアザゼルが頷く。

 

「曹操達については、尋問した後、総じて冥府送りだ。神滅具に関しては、天界と冥界で一つずつ保管する事になった。曹操達が生きている以上、次の宿主に宿ることはないからな。尋問も引渡しも、俺が同席するから心配はいらん。……サマエルの召喚について聞いておきたいからな」

 

 サマエルが召喚された件は、リアス達を驚愕させたのは当然であるが、何よりドライグを戦慄させたようだ。当然と言えば当然である。世界最強最悪の龍殺しなのだ。どれだけ大きな力を持っていようと、ドラゴンでは敵わない。それは未だ未熟な一誠なら尚更だ。どう考えても瞬殺される未来しか思い浮かばない。

 

 どこか怯えにも似た感情を察した一誠が、そこまでのものなのかとドライグに聞き、あるいはグレートレッドにすら痛痒を与える可能性が高いと知らされ、以前見た、かの真龍の威容を思い出し、一誠は無意識に冷や汗を掻いた。

 

 あの強大な存在が痛手を負うなど想像の埒外だ。

 

「あの、蓮は大丈夫なんですよね?」

 

 思わず心配になった一誠が、おずおずとアザゼルに聞いた。他のメンバーも、アザゼルが深刻な表情をしていないので大丈夫だろうとは思いつつも、スマホのゲームに一喜一憂していた何とも微笑ましい龍神の姿を思い浮かべて心配そうな表情となる。

 

「ああ、そりゃあ大丈夫だ。伊織の野郎、曹操の手を尽く読んでやがったみたいでな。そもそも戦いの場に蓮を連れて行くことすらしなかったんだ……」

 

 そう言って、アザゼルは一連の出来事を話した。曹操の言動から蓮に対する何らかの対抗手段を用意していると察していた事。その為、決して曹操達の前には出さなかった事。結界破りと京都の守護だけ任せて、偽者と入れ替えておいた事。それ以外にも、曹操の禁手を何百通りもシュミレートしておいて、完封した事などだ。

 

 話を聞き終わった一誠達は、感心半分呆れ半分という表情で深い深い吐息を漏らした。

 

「伊織はな……戦闘力を見ると、規格外というか人間とは言えねぇレベルなんだが、発想や戦い方は“人間”そのものだ。ある意味、曹操と似た奴だよ。在り方が違うだけでな。……覚えておけ。戦いにおいてもっとも怖い手合いというのはああ言う奴だ。油断も隙もなく、格上だろうが格下だろうが関係なく、あらゆる手段を尽くして針の穴を通すような可能性すら掴み取る。一見して勝ち目がないような戦いですら、結局最後は勝利を引き寄せやがるんだ」

「……彼が、情に厚い人柄でよかったわ。本当に」

「ですね。伊織君がカオス・ブリゲード側にいたらと考えるとゾッとします」

 

 超常の存在に挑み、最後には勝利をもぎ取ってしまう人間――それにより救われた人々は、その背中を見てこう呼ぶのだ。

 

 “英雄”と。

 

 故に、伊織が英雄派側にいなかった事に皆が安堵の息を吐いた。少し、脅かしすぎたかと苦笑いするアザゼルは、もう一つの質問に対する回答と共に、本日の本題に入った。

 

「で、だ。蓮の事についてだが……やはり、各勢力は脅威を感じているようなんだよな。何せ神滅具――それも禁手状態を二つも相手にした上に、自分は【魔獣創造】を使いもせずに打倒しちまうような奴が、打算抜きで【無限の龍神】と通じているんだぜ? そりゃあ、第二の曹操にならないか気にせずにはいられないって話だ」

「まぁ、そうよね。……私達みたいに“蓮”を知っているわけじゃないのだし……」

「そうだ。だが、この二年、蛇を回収して回ったり渡さなかった事、お前達を助けた事、曹操達の捕縛や京都を守った事も合わせると、一概に危険視も出来ない。それに、伊織は、今回の手柄もそうだが、無限の龍神をこちら側に引き込んだという功績がある。これは、歴史的に見ても類を見ないほど莫大な功績だ。だから、このまま一緒に生活したいという伊織の要望を各神話の神仏達は無碍には出来ない、はずだ」

 

 アザゼルは、そこで懐からカードらしきものを取り出しグレモリー眷属全員に手渡した。

 

「これって……」

「リアス達三年は見覚えがあるよな。これは、悪魔が京都に入る場合の許可証みたいなものだ」

「一誠達の京都への修学旅行に必要なのはわかるけれど……どうして私達の分まで?」

 

 元々、一誠達、修学旅行で京都へ行く二年生組に用意するつもりだったそれは、リアスと朱乃の三年生組だけでなく、子猫達一年生の分もあった。どういう事かと、リアスが首を傾げる。

 

「話を戻すが、蓮の――無限の龍神の考えが分からなくて不安だってんなら知ればいい。【魔獣創造】の人柄をその目で見たいってんなら見ればいい。って事で、ちょうどセラフォルーが予定していた妖怪の大将との和平会談が修学旅行中にあるんでな。俺も教員としてついて行くし、この機に各勢力のトップ連中とも顔合わせしようって事になったんだよ。今や、駒王学園より、ある意味、京都は中立で安全な場所でもあるから丁度いい。で、蓮の事を説明するのに、実際に助けられた本人であるお前等にも同席してもらいたいんだよ」

「ああ、そういう事ね」

 

 アザゼルの話を聞いて、リアス達も納得顔で頷いた。魔王の妹と赤龍帝の言葉であれば説得力がある。実際に、蓮が打算なく手を差し伸べてくれたと語れば、安易に否定は出来ないだろう。

 

「修学旅行中に面倒なことだと思うが、いっちょ頼むわ。蓮には何としても、このまま伊織達の家族でいてもらいてぇからよ」

「そんな。伊織達には俺達も世話になったんです。それくらい何て事ないですよ」

 

 頼むというアザゼルに、一誠は快く了承の意を伝えた。それは他のメンバーにしても同じだったようで、皆、笑顔で頷いている。

 

 アザゼルは、伊織達と会うのも楽しみだと修学旅行の話で盛り上がる一誠達を見ながら、自分を含めた堕天使にグレモリーのような悪魔達、そして日本の妖怪達、挙句に龍神にと、退魔師のくせにやたらと良縁を繋いでいく伊織を思い浮かべた。

 

 そして、二年前、自分の部下が暴走して伊織の家族を襲った時、取り返しの付かない溝が出来なくて本当によかったと、改めて胸を撫で下ろすのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 兵藤一誠は現在、京都行きの新幹線の中にいた。修学旅行のためだ。

 

 もっとも、その眼に映る光景は、清掃の行き届いた車内でも、気持ち悪い笑を浮かべて寝こけているエロ友達でもなく、真っ暗な空間だった。一誠は、京都に到着するまで今しばらく時間があったので、最近の修行法の一つ、赤龍帝の深層に潜って歴代の使い手達と対話しようとしているのである。

 

 一誠の意識は、真っ暗な空間を進んでいき、やがて、真っ白な空間に出た。そこにはテーブル席があり、全てではないが歴代の使い手達が虚ろな瞳でピクリとも動かず座り込んでいる。

 

「どーも、一誠でーす。また来ました!」

 

 一誠は、声を張り上げて来訪を伝える。原作通りであるなら、この時点で彼等は何の反応もしない。しかし、ここは似て非なる世界であるからして、原作にはない意識も存在する。そして、その主は、既に何度も一誠を迎え言葉を交わしているのだ。

 

「やぁ、一誠くん。今日も来たね。せっかくの修学旅行なのだから、移動中にまで修行はしなくていいと思うのだけど……」

「いや、時間あるときは何かしてないと落ち着かなくて。それに……さぼってたらヴァーリの奴にも、伊織にも追いつけませんから」

 

 グッと力を表情に込める一誠に、声の主――東雲崇矢は苦笑いを浮かべた。

 

一誠がこの空間に来てから少し、伊織のアドバイスもあって崇矢に積極的に話しかけてみたところ、最初は虚ろだった崇矢だが、伊織の話しも交えている内に急速に表情を取り戻していき、今では普通に会話できるまでになった。

 

 他の者達は未だピクリとも反応しないのだが、崇矢は元々、禁手には至ってもほとんど赤龍帝の力を使わず秘匿し、しかも、最後の戦いでも負の感情に支配されることなく亡くなったので、それが原因だろうとドライグ辺りは推測している。

 

「伊織か……神滅具を通して見聞きしたけど、どうやら大活躍だったようだね。ふふっ、かの龍神と家族か……改めて口にしても中々信じがたいね。あぁ、そう言えば、せっかくの修学旅行なのに、伊織達のために時間を割かせてしまって申し訳ないね」

「いやいや、そんな! 伊織には修行とかで世話になりましたし、蓮には俺もアーシアも命を救われてます。ちょっと神様達の前で蓮は危険じゃないって言うくらい何て事ないっすよ!」

『相棒の言う通りだ、崇矢。あの時、相棒が覇龍になっていれば、今頃俺は新たな宿主のもとへ転移していただろう。今を気に入っている俺としても、お前の息子達には感謝している』

「そうかい? それならいいのだけど」

 

 終始穏やかな笑を浮かべる伊織の父親に、やっぱり落ち着きが違うなぁ~と感心半分照れくささ半分で頭を掻く一誠。同時に、伊織が話した事のない父親と、頻繁に会話している事に僅かな罪悪感も抱く。“せめて”というわけではないが、一誠は、力の可能性を探る一方で、崇矢に伊織の話をよく話していた。それもあってか、今ではかなり気さくに話し合える仲となっていた。

 

そんな一誠達に、突如、新たな声がかかった。

 

「ちょっと、崇矢。いつまで待たせる気なの?」

 

 一誠が驚いたように、その声のした方へ視線を向ける。そこには金髪のスレンダーな美人がいた。その女性の表情には感情が浮かんでおり、その事に一誠は更に驚く。

 

「ああ。済まない。息子の話になるとついね。一誠くん。紹介しよう。彼女はエルシャ。歴代でも一、二を争う強者だった。奥の方で引き篭っていたのを何とか連れ出せたよ。まぁ、もともと意識はあって乳龍帝に興味があったようだから、いずれ出てきたかもしれないけれど」

「そうね。私もベルザードも、乳を突いて禁手に至った時には目を剥いたわ。意識が失われそうだったベルザードなんて一時的に復活したしね。しかも……ぷふっ、乳龍帝おっぱいドラゴン……くふっ」

『笑えよ……好きに笑えばいいだろうぉ!! どうせ俺は子供に大人気のおっぱいドラゴンだぁ!! うぉおおおおおん!!』

「ドライグぅ! 天龍だろぉ! 泣くなよぉ」

 

 白い空間に天龍の泣き声が木霊する。しばらくしくしくと泣き続けていたドライグだが、一誠達の懸命の慰めによってどうにか持ち直して話の続きが出来た。

 

 元々、一誠の成長に興味はあったものの、大切な者を失って力に呑まれそうになった一誠に不安も感じていたエルシャとベルザード。そんな二人を説得したのが一誠と交流を続けた崇矢だった。

 

 結果、一誠は、エルシャから“赤龍帝の可能性が詰まった宝箱”を受け取ることになった。以前、魔王の一人アジュカ・ベルゼブブからイーヴィルピースに関連する“鍵”を受け取った事があり、その鍵で可能性の箱を開けられるという事だった。

 

 崇矢やエルシャが見守る中、そっと鍵を開ける一誠。次の瞬間には、光に視界を塗りつぶされ、強制的に現実世界へと戻されてしまった。

 

 新幹線の中で、ドライグから“一誠の可能性”は逃げ出したと聞かされ悲鳴を上げる一誠だったが、必ず戻ってくると聞かされ不安を抱きながらも一応納得する。

 

 そして、そうこうしている内に、駒王学園修学旅行組は京都駅に到着するのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 修学旅行三日目。

 

 一誠達は、現在、二条城の近くの茶屋で和菓子に舌鼓を打っていた。

 

 初日に伏見稲荷に行き、夜は風呂場を覗くため修羅場を繰り広げ、エロ仲間の目を盗んでアーシア達とイチャイチャし、二日目に入っては清水寺を満喫して、恋愛クジで一喜一憂し、銀閣寺が銀色でない事に絶望するゼノヴィアに軽く引いて、金閣寺が金色である歓喜する。三日目の今日は、天龍寺で別の班であった佑斗と合流し、渡月橋でやはりアーシアとイチャイチャしながら二条城まで来たという具合だ。……実に、青春である。

 

「なぁ、木場。待ち合わせの場所ってここで間違いないんだよな?」

「うん? 間違いないよ。確かに、この店だ。時間的にもそろそろだと思うけど……」

 

 そう言って腕時計に視線を向ける佑斗。二人の会話通り、一誠達はただの休憩でこの店に入ったのではなく、蓮の処遇に関する会議に赴くため、その迎えを待っているのである。

 

「イッセーさん。桐生さん達はどうしましょう?」

「それだよなぁ~。まぁ、上手く言って誤魔化すしかないか」

 

 一誠に寄り添うアーシアが、困ったような表情をする。一誠も同じだ。ゼノヴィアとイリナなどは、佑斗の班の女子がいるとは言え、エロ二人組と残される同じ班の女子桐生藍華に、同情の眼差しを向けている。

 

 と、その時、不意に周囲の景色が色褪せ出した。同時に、一誠達以外の人間がスっと風景に溶け込むように消えていく。

 

「な、なんだ!?」

「これは……」

 

 思わず立ち上がって周囲に視線を巡らせる一誠。他のメンバーもどこか警戒したような表情で席から立ち上がった。

 

 そこへ、聞き覚えのある声が響く。

 

「悪い。驚かせたか」

「っ、伊織!」

 

 そう、その声の主は伊織だった。一誠達の表情から警戒の色が抜け落ちたのを見て、苦笑い気味に驚かせた事を謝罪する。

 

「一般人がいると面倒だからな。空間を切り取らせてもらった。それと、同級生達については心配しなでくれ。ミクの分身体と神器で五人分のダミーを送ってある。一誠達がいなくなったことにも気がついていないだろう」

「ま、まじかよ。スゲーな……」

 

 伊織の説明に、悩みの種が勝手に解決していたと知り感心するやら驚愕するやらで一誠達は目を白黒させる。

 

「今回は悪いな。修学旅行中だっていうのに、俺達の為に貴重な時間を貰ってしまって」

「いや、ホント気にしないでくれ。むしろ、呼ばれなかった方が気にしちまうよ」

「そうか。そう言ってもらえると助かる。既に、リアスさん達は異界へ入ってる。これから案内させてもらうよ」

 

 一誠の気軽な返答に他のメンバーも頷いた。それに微笑む伊織は、一誠達を促すと転移魔法を使って異界へと跳んだ。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 異界へ案内した一誠達に、先に来ていたリアス達やアザゼル、セラフォルー、サーゼクスを引き合わせ、更に、八坂や九重を紹介する。自分の事だというのに、ギリギリまでPCにかじりついて離れない蓮にジャーマンスープレックスをかましつつ、それぞれ歓談していた伊織達は時間になったので会議場へと移動した。

 

 会議の場所は異界にある老舗の旅館だ。温泉と日本庭園が素晴らしい。少し前からほとんどの神仏が到着していたのだが、きっと西洋にはない独特の雰囲気と風情を持つ日本の美を大いに堪能していたに違いない。

 

 そんな神仏達が既に集まっている会場に、伊織、ミク、テト、エヴァ、そしてある意味主役である蓮が入る。

 

 部屋に入った瞬間、一斉に向けられる数々の視線は、流石神仏というだけあってそれだけで物理的圧力すら伴っていた。視線に含まれる感情はそれぞれだ。胡乱なもの、緊張を孕んだもの、面白げなもの、興味深げなもの……

 

「さて、それではメインが来たことですし、始めましょうか」

 

 司会進行を務めるのは天界はセラフの一人――熾天使ミカエルである。

 

 ミカエルの進行で、まず、妖怪側の同盟への参加が話し合われ、八坂の賛同のもと直ぐに合意に達した。細かい話は、セラフォルーと数日掛けて詰められていくだろう。次に議題に登ったのは、今回の曹操達が起こした騒動の顛末と、曹操達の処遇、そして神滅具の扱いだ。

 

 顛末については当事者である伊織達が直接説明をした。伊織の【覇輝】破りについては、かなり胡乱な眼差しが向けられたが仕方のない事だろう。同時に、ミク達の神器についてや、ミクが魔剣帝グラム等を所有している件も報告がなされた。

 

 そして、ついにメインの議題。蓮について今までの事が伊織の口から報告されていく。二年前の事件から、今回の事件まで。ほぼ蓮の正体がバレた時にアザゼル達に対して行った説明の内容と同じだ。

 

 途中、予定通り、一誠達やサーゼクス達に確認が行われた。蓮が、身を持って赤龍帝達を守ったという点について懐疑的な視線も向けられたが、ドライグ本人と魔王、そして堕天使の総督、更にはタンニーンの認証が入った証明書まで出てきたので信じ難い気持ちを持ちつつも、取り敢えず認めようという雰囲気となった。

 

「それで? 【魔獣創造】はこれからどうしてェんだ? このまま龍神ちゃんと“家族ごっこ”がしたいのか?」

 

 一通り話が終わった後、帝釈天が揶揄するように頬杖を付きながら伊織に水を向ける。わざわざ“家族ごっこ”を強調する辺り、実にいい性格をしている。

 

 伊織は、安い挑発だと受け流しながら静かに答えた。

 

「はい。帝釈天様。二年前から蓮は既に“東雲”であり、家族です。それはこれからも変わりません。誰が何と言おうと」

「“誰が何と言おうと”ねェ~。お前さんよォ。意味分かって言ってんのか?」

「もちろんです。家族を守るのに、躊躇う事などありますか?」

「おぉおぉ、言うねェ? えぇ? 虎の意を借る狐ってわけでもなさそうだしなァ」

 

 楽しげに、しかし瞳の奥には凍えるような冷たさを宿して帝釈天が神気を伊織に叩きつける。瞬間、蓮が反応しそうになったが、伊織はそれを片手で制止し、【練】によって高めたオーラで【纏】を行った。

 

 神の気当たりを前にすれば人間の気など木っ端に等しいが、それでも伊織の極まった【纏】はしっかり伊織の意識を繋ぎ留め、神気を受け止めるのではなく流していく。一瞬で行われた美しさすら感じさせるオーラの扱いに、帝釈天が「ほぉ」と更に楽しげに頬を歪めた。その後ろに控えている闘勝戦仏――孫悟空も顎を摩りながら感心したような眼差しを伊織に向けた。

 

 伊織は、帝釈天の意図が、伊織に危害が及んだ場合の蓮の反応を見るという点にあると見抜いていたので、内心ボルテージが上がっている蓮の頭をくしゃくしゃと撫でながら宥める。それに目を細めて気を落ち着かせる蓮。

 

「……なるほどねェ。こいつはたまげた。実際目にしても、未だに信じ難いぜ」

 

 そんな親密で遠慮のない伊織と蓮のやりとりに、帝釈天が天を仰ぐ。実際、長い生の中でも、一、二を争う驚きだった。オーフィスの、あんな心底綻んだ表情など想像も出来なかったのだから仕方ない事だろう。

 

 他の神仏達も、されるがままに伊織に撫でられる蓮を信じられないといった表情でマジマジと見つめている。

 

「ほっほっほっ、本当に、長生きはするもんじゃのぅ。このようなオーフィスを見ることが出来るとは思いもしなかったぞ? ふむ。わしは、このまま東雲伊織に任せてよいと思うが、他の者はいかに?」

 

 北欧の主神オーディンが、顎鬚を撫でながら楽しげにそう言う。以前、直接伊織と話たこともある事から、伊織達が危険思想のもと【無限の龍神】の力を使って良からぬ事をするかもしれないという考えは否定したようだ。

 

「もちろん、私は、賛成だよ。伊織くんはカオス・ブリゲードのテロの関して多大な貢献をしている上に、日本妖怪からの信頼も厚い。何より、【無限の龍神】をこちら側に引き込んだという功績は決して無視できない。私は、東雲伊織と東雲蓮を信頼しよう」

 

 オーディンの呼びかけに魔王サーゼクス・ルシファーが真っ先に結論を示した。

 

「俺もだ。伊織達とはそれなりに長い付き合いだが、こいつを信頼できねぇなら誰も信頼できねぇのと同じだ。大体、蓮の変わりようといったら……もう、伊織達以外にゃあ手に負えねぇよ」

 

 続いて、苦笑い気味にアザゼルが蓮の現状を認める意を示した。もっとも長い付き合いであるが故に、その表情には言葉通り深い信頼が宿っている。

 

 その後も、魔王セラフォルー・レヴィアタン、ミカエル、帝釈天と続いて各神話の神仏達が蓮の現状とこれからを認める意を示した。カオス・ブリゲードとの縁は切れていると、自分達の和平同盟側にいるのだと認めたのだ。

 

 例え、彼等が認めなくても蓮との生活を諦めるつもりなど微塵もなかった伊織だが、それでも神仏と事を構えるなど冗談でも勘弁なので内心でホッと胸を撫で下ろした。蓮はどこ吹く風といった様子だが、傍らに控えるミク達も安堵したように頬を緩めている。

 

 しかし、そこで水を差す存在が現れた。

 

《……私は反対です》

 

 アザゼルが、その相手に対し剣呑に目を細めて問い返す。

 

「……何故だ? プルート」

 

 最上級死神プルート。それが伊織達と蓮との関係を否定した者の正体だ。道化師のような仮面に装飾されたローブを羽織っている。冥府の神ハーデスの右腕的な存在だ。普段はほとんど姿すら見せない伝説的な存在である。本日の会議に参加した事も驚かれたくらいだ。

 

《龍神と神滅具所持者が通じる……余りに危険です。確かに、オーフィスの有様には驚かされはしましたが、逆に言えば、【魔獣創造】が翻意すればオーフィスもまた無条件に従うという事でしょう。それは、利害関係でのみ繋がっていたカオス・ブリゲードの者達より危険なこと》

「……だったら、てめぇはどうするべきだってんだ?」

《そうですね。では、オーフィスの力を減じるというのはどうでしょう? 【無限の龍神】としての力が危険なのですから、その力そのものを無くしてしまえば問題ないでしょう》

「てめぇ、それはっ!」

 

 プルートの真意を察してアザゼルが怒りに顔を歪める。結局のところ、サマエルで奪えなかった力を公然と頂こうという提案だ。サマエル召喚の許可を出した時点で、ハーデスが蓮の力を奪おうとしていた事は自明の理。この会議に、右腕たるプルートを送り込んだのも、蓮を狙っての事なのだろう。

 

《何か問題でも? オーフィスがただ人としての生活をしたいというのであれば、むしろ力など不要でしょう? それを冥府が管理して差し上げようというのです。これはハーデス様の御厚意ですよ》

「いけしゃあしゃあとっ!!」

 

 プルートは、アザゼルから顔を逸らし伊織の方を向いた。

 

《他の方々に、オーフィスの力を取り出す術はないでしょう。どうですか、【魔獣創造】。あなたに危険思想がないと言うなら、この提案、受けて頂けますね?》

 

 他の神仏は皆黙って事の推移を見守っている。十中八九、蓮の力を冥府に預ける等という事を許すつもりはないだろうが、それでも、サマエル以外に蓮の力を奪える手段はないので、それだけ冥府に任せた後、力の処遇を改めて話し合うつもりなのかもしれない。世界から、聖書の神ですら手に負えないようなドラゴンがいなくなることは、他の神話にとっても望むところなのだろう。

 

 サーゼクスだけは、アザゼルと同じく剣呑な眼差しをプルートに向けていたが、取り敢えず、矛を向けられた伊織に任せるようだ。

 

 そして、プルートに水を向けられた伊織は、プルートの、引いてはハーデスの蓮への執着を理解した上で、ニッコリと微笑みながら断言した。

 

「もちろん、お断りします」

《……おや、それはつまり、オーフィスの力を使う予定があるということでしょうか? 危険ですね。とても危険な兆候です》

 

 道化の仮面が、どこか不気味な影に染まる。伊織を追い詰めるように、言葉が紡がれる。

 

 しかし、当の伊織は微笑んだまま、真っ直ぐプルートと見返した。

 

「ええ、危険です。この世はとても危険なんですよ、プルート様。何せ、最重要封印指定の囚人を、あっさりテロリスト如きに奪われてしまう無能がわんさかいるのですから」

《……》

 

 伊織の返しに、アザゼルとサーゼクスが「ぶふっ」と吹き出した。

 

 伊織は、サマエルの召喚がハーデスの許可のもとに行われたと分かっていて、敢えて、奪われたと表現した。召喚許可を出した等と口が裂けても言えない冥府側の事情を知った上で、奪われたと断じ、それはそれで無能だと言っているのだ。プルートは、それを否定できない。否定はイコール、各神話への裏切りの発覚に繋がるからだ。

 

 沈黙したプルートに、嫌味な言い方をした自分を恥るように苦笑いを零した伊織は、咳払いを一つして、今度は凪いだ水面の如き静かな表情と眼差しをプルートに向けた。

 

「プルート様。私は、今日、皆様に蓮の事を、これからの生活の事を認めて貰いたく参上しました。それは、その方法が一番平和的だからです。……しかし、万が一認めてもらえずとも、一切、引くつもりはありませんでした」

《……まるで我々と敵対することも辞さないと言っているように聞こえますが?》

「はい、その通りです」

《……あなたは……》

 

 神々を前にして余りに堂々とした宣言した伊織に、流石のプルートも絶句した。他の神々の視線も伊織に向く。不遜とも言える言葉に、目を細める者も多い。

 

 そんな中、伊織の言葉は続く。静かな声音であるのに、やけに明瞭に響くそれは、するりと神々の内へと反響していく。

 

「蓮は家族です。共にあろうと二年前に誓いました。それが違えられる事はない。これは、決して譲れない私達の一線なのです」

 

 伊織の言葉に意志の力が、魂の輝きが宿っていく。

 

「平和的に解決できるならいい。ですが、神々が私達家族を引き裂こうと決断したのなら、私達は不退転の決意を以て神々に挑むつもりでした」

《……傲慢ですね。これだけの神仏を前に勝てるとでも?》

「勝率なんてものを、神に挑もうという大馬鹿者が気にするとでも?」

《……》

 

 見るものが見れば分かる。今や、伊織の魂の輝きは太陽の如く。その紡がれる言葉は既に言霊だ。

 

「蓮の力を奪っても、その身が龍神のものであることに変わりはなく、良からぬ事を企む者は必ずいる。そうでなくても、理不尽は生きる者にとって隣人。生きるためには、力が必要なんです。故に、決して奪われるわけにはいかない」

 

 伊織は、その強靭な意志の炎が宿る眼差しを真っ直ぐプルートに向けながら、更に、その奥にいるハーデスすら射貫く力強さで宣言した。

 

「私達には覚悟がある。貴方は、貴方方は、どうだろうか?」

 

 その静かな問い掛けに、プルートは答えなかった。あるいは答えられなかったのか。超常の存在は、大抵の場合、その強さ故に享楽的であることが多い。譲れぬものの為に身命を賭す覚悟といったものとは余程のことでもない限りないのが普通なのだ。

 

 だからこそ、極稀に見せる弱者の圧倒的な輝きに魅せられるのかもしれない。不遜な発言をした伊織に、怒りの矛を向けない程度には。

 

 沈黙が会場を支配する。先程まで蓮に集まっていた視線は、今や、伊織が独占していた。ほとんどの神話の神仏が伊織の放つ輝きに視線を吸い寄せられ凝視している。帝釈天やオーディンなどは、実に楽しげな表情であり、魔王方は少し欲望的だ。

 

 その静寂を破ったのはサーゼクスだった。

 

「プルート殿。我々は、サマエル召喚の件について、冥府とカオス・ブリゲードの関与を疑っている。その冥府に、蓮殿の力を預けるというは決して認められない事だ。まして、どんな理由があろうとサマエルの封印を解く事は決して許されない。これは、全ての神話における神々の総意だ」

 

 サーゼクスが視線を巡らせると、神仏達は肯定するように頷いた。それを確認して、サーゼクスは続ける。

 

「カオス・ブリゲードとの関与が否定されるまで、冥府側に発言力があるとは思わないでもらおう。そして、蓮殿や伊織君達に手を出すというのなら、この私が直接相手になる」

 

 サーゼクスの厳しい視線がプルートに突き刺さる。溢れ出る滅殺の魔力が否応なしに本気であることを物語っていた。

 

 そんなサーゼクスに、ニヤリと不敵な笑みを浮かべながらアザゼルが賛同する。

 

「ついでに堕天使の総督も相手になるって覚えとけ」

「魔法少女レヴィアたん☆も蓮ちゃん達の味方だよぉ!」

「当然、日本の妖怪も敵に回すと思って貰って構わんのぅ」

 

 セラフォルーと八坂も宣言した。更に、赤龍帝の一誠やリアス達、そしてオーディンまで伊織達に味方すると宣言した。

 

 半ば、四面楚歌の状態に黙り込んでいたプルートは黒い靄のようなものを纏い始める。

 

《……【魔獣創造】と【無限の龍神】は随分と人気があるようですね。主に伝えておきましょう》

 

 それだけ言うと、黒い靄と共に姿を消してしまった。どうやら転移魔法で冥府に戻ったようだ。オーフィス奪取の命令を受けていたのだろうが、取り敢えず、ハーデスに事の次第を伝える事にしたらしい。

 

 プルートが去って、僅かに空気が弛緩する。伊織も、頬を緩めた。そして、味方をしてくれると宣言してくれたサーゼクス達に深々と頭を下げ感謝の言葉を述べた。

 

 そんな伊織へ帝釈天が再び声をかける。

 

「それにしても、随分な啖呵を切ったものだなァ。神々に挑む覚悟でこの場にいるってか。ヨォ、【魔獣創造】。その大言に見合った実力があるのか、いっちょ俺らに見せてみろや」

「……どういう事でしょう?」

「なに、中々見所のありそうな人間だからなァ、興味があんのよ。神仏に挑むことに躊躇いがなく、【覇輝】まで自力で破った何て聞かされちゃあ、この目でその実力を確かめずにはいられねェ。それに、死神野郎ォが言ってた事はあながち的外れでもねぇだろ? 今のお前さんは兎も角、これから先心変わりしねぇ保証はない。ならよォ、実際に戦って、手の内の一つや二つ晒しとけや」

 

 どうやら、会議の結果に関わらず、伊織達を戦わせる提案をするつもりだったようだ。神仏達の中で、秘匿性の高い伊織達の戦闘を実際に目にしたのは、魔王達とアザゼル、九尾、そして一誠達だけ。全員、伊織に対してそれなりに親しい間柄だ。報告内容を嘘と断じるつもりはないのだろうが、やはり、己の眼で確かめたいのだろう。

 

 帝釈天は、背後に控えている闘戦勝仏――孫悟空に視線を向ける。

 

「東雲伊織。うちの先兵とやりあってみな。この猿はめっぽう強ぇからな、どこまでやれるか見せてみろ」

 

 小さな猿のような老人が苦笑いする。他の神仏達も、伊織達の戦闘に興味があるようで特に反対する素振りは見せない。蓮を自分達の側に引き込んでおくために、懐いているなら伊織に管理を任せようという判断をしていたのだろうが、それはやぶ蛇を突きたくないという感情からくるもので、やはり危機感がないわけではないようだ。

 

 しかし、対戦相手に選ばれた闘戦勝仏は、顎をさすりながら少し思案する素振りを見せると、逆に提案をした。

 

「ふむ、折角だがよぉ、【魔獣創造】の相手は、【赤龍帝】の坊主がしてみたらどうだぃ?」

「へっ? お、俺!?」

 

 いきなり水を向けられた一誠が自分を指差しながら狼狽したように声を漏らした。帝釈天もどういうつもりかと片目を眇める。

 

「なに、こんなジジイが相手するより、同じ神滅具所持者であり、同年代の坊主同士の方が相応しかろう。互いにいい影響を与えそうってこった。まぁ、実力に開きがありそうだからなァ、何なら紅髪の嬢ちゃん達全員と【魔獣創造】の坊主って事でどうだぃ?」

「ほぉ、うちのリアス達と伊織くんか……確かに、リアス達にとってもいい経験になりそうだ」

 

 孫悟空の提案に、面白そうだとサーゼクスが賛同の意を示した。妹の眷属である一誠の成長のためにも、同年代で先を行く伊織との対戦はためになると考えたのだろう。リアス達が「えっ? えっ!?」と困惑している間に、アザゼルやセラフォルーまで賛同しだし、結局、リアス眷属VS伊織一人という「何それ、イジメ?」という対戦が決定してしまった。

 

「はぁ、どうしてこうなった……」

 

 盛り上がる会場を尻目に伊織の呟きが虚しく響いた。

 

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

取り敢えず、蓮ちゃんがバレたことに対するアクションを一つ。
それと、このままでは一誠がサイラオーグの旦那に瞬殺されそうなので、パワーアップフラグを。

明日も18時更新予定です。


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第54話 魔獣VSグレモリー眷属

 広大な荒野のただ中に、十人の人影がかなりの距離を置いて対峙している。

 

 ここはレーティングゲームにも用いられる、特別頑丈な作りになっている専用空間だ。会議の後、即行で連れて来られた事から、おそらく最初から何らかの形で伊織を戦わせるつもりだったのだろう。ルールもレーティングゲーム同様、ダメージ量による強制転移機能とアナウンス機能が付いている。

 

 対峙しているのは一人と九人。言わずもがな、伊織とリアス眷属の面々である。

 

「……ホントに全員とやるのかよ」

 

 もっともな事を、一誠がポツリと呟いた。それに対し、戒めるように返したのは一誠の主様であるリアスだ。

 

「一誠、同情も手加減も禁物よ。【魔獣創造】は本来、多数相手にこそ真価を発揮する神滅具。上の方々も、だからこそ私達全員を相手にさせたのでしょう。それに……彼は、途轍もなく強いわ」

「部長……うっす。わかってます。正直、同じ神滅具を持ってるのに一人じゃ相手にならないって言われたのは悔しいですけど……例えチームでも、伊織に勝って見返してやります!」

「ええ、その調子よ一誠。彼の実力を確認する為とは言え、噛ませ犬になる必要なんてないわ。全力で打倒しましょう! みんなもいいわね!!」

「「「「「はい!!」」」」」

 

 リアスの号令に、眷属達は威勢よく返事をする。その瞳には、勝利を掴もうという熱い意欲が激っていた。

 

 一誠達からそれなりに距離を開けた直線上で、そんなやり取りを聞いていた伊織は、どうやら本気で自分を倒しに来るようだと理解し苦笑いを浮かべる。普通に考えれば、いくら神滅具所持者とは言え、人間相手に、実力的には上級悪魔クラスである上、それぞれ規格外の特質を持つ悪魔十人を相手させるなどどうかしている。

 

 伊織としては少々、自分に対する評価が高すぎやしないかと愚痴を零したくなる気分だった。おそらく、リアスの言った推測もあるのだろうが、あの場の神仏を相手にする覚悟があるという伊織の発言に対する、ちょっとした仕返しではないだろうかと、伊織は内心で考えていた。不遜な若造に、ちょっとばっかし無茶を吹っかけてやろうと。

 

「さて、多勢に無勢は初めてではないけれど、手札を安易に晒すのは少々癪だな。取り敢えず、神器だけでどこまで出来るか……やってみようか」

 

 伊織は、そう呟いて、己の影に語りかけるようにそっと視線を向けた。

 

 その直後、何処からともなくアナウンスが流れ戦闘開始のカウントダウンがなされた。刻一刻と減っていくカウントに、伊織は自然体のままだが、リアス達は緊張感を滲ませる。

 

 そして、遂に……カウントがゼロになった。

 

「木場ぁ!!」

「ああ、行こう!!」

 

 グレモリー眷属自慢のフロントアタッカー二人が、一気に飛び出した。一誠は禁手化して【赤龍帝の鎧】を纏い、背中の噴射口からブーストした魔力を噴出して、佑斗は二振りの聖魔剣を手元に作り出して神速で駆ける。

 

 瞬く間に距離を詰めた二人は、自然体のまま佇んでいる伊織にその拳と聖魔剣の暴威を振るった。

 

 しかし、

 

ギィイイイイイ!!

 

「っ!?」

「これはっ!?」

 

 赤龍帝の拳と聖魔剣は、伊織に当たる寸前で不可視の力場に阻まれ完全に塞き止められていた。伊織の肩には、いつの間にかデフォルメされた小さな少女っぽい姿の魔獣が腰掛けている。

 

――魔獣 クイーンオブハート 【アイギスの鏡】

 

 攻撃箇所を中心に波紋のように力場が波打ち、金属同士が擦れ合うような衝撃音が響く中、一誠と佑斗から驚愕の声が上がった。

 

 同時に、

 

「ナイトにはナイトを、ドラゴンには魔獣で相手をさせてもらおう。来い、ナイト! ジャバウォック!」

 

 伊織の号令が響く。その影からナイトとジャバウォックが飛び出した。

 

 ナイトは、その光り輝く超振動の武器【ミストルテインの槍】を佑斗目掛けて横薙ぎに振るい、反対側では、ジャバウォックが一誠に向かってその凶爪を振るった。

 

「くぅうう!!」

「うわぁああ!!」

 

 咄嗟に聖魔剣を盾のように創造し身を守ろうとした佑斗だったが、超振動の破砕機能によって尽く破壊され、その衝撃で盛大に吹き飛ばされた。

 

 一誠の方も、ジャバウォックの爪によってあっさり装甲を引き裂かれ、更に追撃の体当たりを受けて遥か後方へと吹き飛んだ。

 

 ナイトとジャバウォックは、そのままそれぞれの獲物に向けて追撃をかけた。

 

 と、その瞬間、伊織に向かって幾百の閃光と消滅の魔弾、雷光が襲いかかった。ロスヴァイセの北欧魔術によるフルバーストは、量産型とはいえミッドガルズオルムを粉砕できるほどの威力。そしてリアスの消滅魔力は言わずもがな、朱乃の雷光も北欧の悪神にすら痛手を負わせる威力がある。

 

ズドォオオオオオオオオオオン!!!

 

 いくらクイーンの【アイギスの鏡】と言えど、耐え切るのは少々厳しい。一誠達を攻撃した瞬間を突いた為、伊織は回避行動にも出ておらず、その破壊の嵐は伊織に届いたかに見えた。

 

「みんな、気を引き締めて! この程度のはずは……」

 

 しかし、リアスは警戒を弱めない。この程度で伊織がノックアウトされるなど露ほどにも思っていないらしい。相手の状態を確かめるまで気を抜かない姿は、今までの経験の賜物だろう。

 

 そのリアスの警戒が正しかった事は、次の瞬間、砲撃じみた雷撃が放たれるという形で証明された。

 

「きゃぁああ!!」

「っ、アーシア!?」

 

 アーシアを狙った雷撃を開幕の一発を我慢して守護に徹していたゼノヴィアが聖剣デュランダルの聖なるオーラで辛うじて切り払う。だが、その直後、ゼノヴィアをその場に磔にするように荷電粒子砲(手加減バージョン)がガトリングガンの掃射の如く放たれた。

 

「ぐぅうう!!」

「ゼノヴィアさん!!」

「だ、大丈夫だ! それよりアーシア! 私の後ろから出るなよ!」

 

 デュランダルの剣腹を盾にして聖なるオーラを以て猛攻を防ぐ。アーシアは、グレモリー眷属の要だ。【聖母の微笑】による回復があるのとないのとでは戦い方が全く異なってくる。失うわけにはいかない重要人物だ。故に、当然、その弱点を伊織は容赦なく突く。

 

 リアス達が、砲撃の飛んでくる方に視線を向ければ、そこには骸骨のような容貌に巨大な骸の手を合わせて砲撃を連射している魔獣の姿を捉えた。【魔獣:マッドハッター】である。

 

「くっ、やっぱり仕留められてない。彼はどこにっ」

「リアスっ!!」

 

 リアスが歯噛みしながら伊織を探して視線を巡らせた瞬間、朱乃から焦燥に満ちた警告が響いた。

 

 慌てて背後を振り返れば、視界いっぱいに広がる黒い斑点……それは幾百幾千という針の群れだ。

 

――魔獣 ドーマウス 【魔弾タスラム】

 

 その小さな針全てが絶大な威力を秘めたミサイルである。小さく余りに多い為に宙に浮かぶ斑点に見えたのだ。

 

 斑点に埋め尽くされた空間の奥には、伊織の姿も見える。その頭には、三本のカギ尻尾を持った悪戯っぽい笑みを浮かべる猫を乗せていた。先ほどの魔法の集中攻撃は、この魔獣【チェシャキャット】の空間転移によって回避し、同時に死角に回り込んで【魔獣ドーマウス】の魔弾を放ったのだ。

 

 小さな針と言えど、その危険性を本能的に感じ取ったリアスは総毛立った。

 

「ぼ、僕だってグレモリー男子なんだぁ!!」

 

 あわや直撃かと思われたその時、小さな美少女見紛う最後のグレモリー男子――ギャスパーが雄叫びを上げながら、その瞳を光らせた。

 

 途端、無数の魔弾が空中で静止する。ギャスパーの神器【停止世界の邪眼】。その時間停止の効果だ。

 

「っ、ナイスよ! ギャスパー! ロスヴァイセ、威力は度外視でいいわ! 上空から手数重視で彼を釘付けにして! 転移されても決して手を緩めてはダメよ!」

「わかりました!」

 

 チェシャキャットの転移能力が厄介だと判断したリアスが、上空からの俯瞰視点で伊織を狙い撃ちし続けるようロスヴァイセに指示を出す。ロスヴァイセは、その指示に頷いて勢いよく空へ駆け上がった。

 

 直後、

 

「きゃぁああ!!」

 

 天高く上がったロスヴァイセに音速の衝撃が襲いかかった。錐揉みしながら宙を吹き飛び、それでもどうにか衝撃に痺れる体を叱咤して体勢を立て直したロスヴァイセの目に、背中から翼を生やした兎をデフォルメしたような姿の魔獣が飛び込んでいきた。

 

――魔獣 ホワイトラビット

 

 既に、原作のホワイトラビットとは比べ物にならないほどの速度――文字通り神速ともいうべき飛行能力を得ている魔獣ホワイトラビットは、その赤い瞳をキラリと光らせると再び、ロスヴァイセに襲いかかった。

 

「撃墜してあげます!!」

 

 ロスヴァイセを中心に一瞬にして幾百もの魔法陣が浮かび上がり、直後、色取り取りの魔弾が、どこぞ幻想郷における弾幕ごっこの如くホワイトラビットへ殺到した。

 

 視界を埋め尽くす閃光の嵐に、術者の宣言通り、空飛ぶ兎は呑み込まれ地に落とされるかと思われたが……

 

「なっ、何ですか、その変態機動はっ!!」

 

 思わず叫んだロスヴァイセの言葉通り、ホワイトラビットは、高速飛行中にも関わらず体表の形状を微妙に変化させることで空気抵抗を巧みに操り、有り得ない軌道を描いて弾幕の嵐を見事突破して見せたのだ。まさに、変態機動という他ない。

 

 ホワイトラビットは、そのまま驚愕の余り刹那の隙を晒したロスヴァイセへ突進した。発生した衝撃は、咄嗟に障壁を張ったにも関わらずロスヴァイセの内臓にまで衝撃を与え、その息を詰まらせる。

 

 全身を強かに打ちのめされたロスヴァイセは、体が上げる悲鳴を聞きながら、それでも再突入しようと、再び変態機動で反転するホワイトラビットを睨みつけた。そして、一瞬の内に、無数の魔法陣を展開する。

 

「絶対、堕としてやりますっ!」

 

 その宣言と同時に、制空権をかけた戦乙女と魔獣兎の戦いが再開された。

 

 一方、リアス達の方にも新たな魔獣が送り込まれていた。標的は、ハーフヴァンパイアのギャスパーだ。

 

「うぅ、ここは一体何処なんですかぁ~」

 

 泣きが入った声音でそう呟くギャスパーは、何故か、全く見覚えのない街の中にいた。【魔弾タスラム】をどうにか停止させ、ロスヴァイセがリアスの指示のもと飛びたった瞬間、周囲の風景がぐにゃりと歪み、気が付けば何処ともしれないこの街に一人で取り残されていたのである。

 

 立ち止まっていても仕方ない。グレモリー男子たるもの一人でもどうにかしなければ! と己を叱咤して立ち上がったギャスパー。何もない前方をキッ! と睨みつける。もっとも、目の端に光るものが溜まっているので全く迫力がなかったが。

 

「た、たぶん、結界に隔離でもされたんだよね? 何とか脱出して合流しないとっぴゃぁ!?」

 

 意気込み、現状の考察をするギャスパーだったが、突然、奇怪な悲鳴を上げて飛び上がった。その両手はお尻に回されており、更に、抑えた指の隙間からは細い白煙が上がっている。

 

「な、なにっ!? 今、お尻に激痛が」

 

 決壊寸前の目元を拭うことも忘れて振り返るギャスパー。そんな彼のお尻に更なる衝撃が。

 

ビィイイイ!!

 

ジュ!!

 

「ひぃいい!!?」

 

 突然、虚空から照射された細いレーザーがギャスパーのお尻を強襲し再び焦げさせた。二本目の白煙をお尻から上げながら、情けない悲鳴を上げるギャスパー。混乱の極みに達しながら振り返るが、そこには誰の姿もなく、同時に、三度目の熱線がお尻を狙う。

 

「だれっ!? 誰なんですかっ!? 僕のお尻に何の恨みがっ!?」

 

 必死に呼びかけるギャスパーだったが、襲撃者――魔獣マーチ・ヘアは全く容赦せず、執拗にお尻だけを狙い続ける。

 

ビィイイ!! ビィイイ!! ビィイイ!!

 

「ひぃいいい!! やめてぇ! 僕のお尻を狙わないでぇ!!」

 

 軽く焦げ目が付くだけで大したダメージはないのだが、正体不明かつ目に見えない敵から一方的にお尻を嬲られるという事態に、ギャスパーの精神的限界はあっさり超えてしまた。泣きべそを掻きながら、ピャアーーと見知らぬ街の奥へと走り去っていく。現実では、周囲から隠された状態で戦場から離れていっているのだが、それに気がついた者はいない。

 

 ちなみに、マーチ・ヘアがお尻を集中攻撃したのは伊織の指示ではない。断じて、伊織がギャスパーのお尻を狙ったわけではないのだ。

 

 

 

 

 ギャスパーが幻術空間の街を逃げ惑い、現実では一人戦場から離れていっている頃、その現実では、リアス、朱乃、アーシア、ゼノヴィアが絶賛ピンチに陥っていた。小猫は既に、伊織を討たんと飛びかかり、自分ごと巻き込むタスラムの嵐に巻き込まれリタイアしている。伊織本人は【アイギスの鏡】で無事だ。

 

 ゼノヴィアは、マッドハッターによる一方的な掃射からアーシアを守るため足止めをくらい、アーシアは、必死に魔獣と相対するリアスと朱乃を回復している。

 

ギィイイイイ!!!

 

「くぅうう、うるさいのよ!」

 

 周囲に響き渡る不協和音に、リアスがその端正な顔を歪める。そして悪態と共に消滅の魔力弾を、その元凶に撃ち放った。

 

 しかし、直線で進む魔弾は軌道が見え透いており、相手――魔獣グリフォンはあっさり、その攻撃をかわす。そして音波の衝撃を放ちながらそのブレードでリアスを切り裂かんと急迫した。

 

 衝撃波で一瞬体勢を崩したリアスに凶刃が迫る。焦燥を浮かべるリアス。

 

 刹那、グリフォンとリアスの間に稲光が轟音と共に落ちた。その衝撃で後退を余儀なくされるグリフォン。ドーマウスと戦闘中だった朱乃が、リアスのピンチに雷光を放ったのだ。

 

 体制を立て直す時間が稼げたリアスは、逆に体勢を崩していたグリフォンに向かって特大の消滅魔弾を放った。

 

 咄嗟に身を捻ったグリフォンだったが、右肩から先をごっそりと持って行かれてしまった。体幹が狂い崩れ落ちる。

 

 が、一連の攻防における成果は、リアスだけのものではなかった。

 

「きゃぁあああ!!」

 

 リアスに意識のソースを割いた代償に、魔弾タスラムが朱乃に着弾してしまったのである。悲鳴を上げてボロボロの姿で爆炎から放り出される朱乃。

 

「朱乃!」

「朱乃さん!」

 

 リアスとアーシアの強ばった声音が響く。アーシアは直ぐに【聖母の微笑】を発動して朱乃癒しにかかる。

 

「このっ、よくも!」

 

 リアスが怒りの形相で消滅魔力をドーマウスに向けて放った。流石に、タスラムを以て消滅の魔力を相殺するのは厳しいと判断し、伊織は、ドーマウス共々、チェシャキャットによって転移しようとする。

 

「そうはさせませんよ!」

 

 その瞬間、周囲の空間が細波を打ち、更に流星のような魔弾の嵐が伊織を襲った。

 

「ロスヴァイセ!」

「すみません、リアスさん。少し手こずりました」

 

 ロスヴァイセの姿は、“少し”というには随分とボロボロではあったが、それでもどうやらホワイトラビットを下したらしい。伊織が視線を向ければかなり離れた場所でボロボロのホワイトラビットが地に横たわっている。

 

 流石は、北欧の主神オーディンの傍付きを許される程の才媛。一族の特性も無視して攻撃に特化した生粋の戦乙女である。もっとも、その魔力は相当目減りしており、かなり疲弊しているのは明らかだ。おそらく、速度に翻弄されてかなり無駄弾を撃たされたのだろう。

 

 ロスヴァイセとリアスは一瞬の目配せの後、魔弾の豪雨に囚われたドーマウスを置いて転移した伊織を尻目に、それぞれの標的に向かって最大の攻撃を放った。

 

「フルバーストですっ!」

「消し飛びなさい!!」

 

 ロスヴァイセの魔弾フルバーストはドーマウスのタスラムを威力・量共に超えてその身を霧散させた。禁手状態での“アリスの魔獣”は、死にはしないものの粉砕されれば復活にはそれなりに時間がかかる。この戦いでは、既に回収されたグリフォンやホワイトラビットと合わせて、もう戦えないだろう。

 

 そして、リアスの消滅の魔弾は、ずっとゼノヴィアを釘付けにしていたマッドハッターを襲い、ドーマウスと同じくその身を霧散させた。

 

 グレモリー眷属は健在。伊織は四体の魔獣を失いリアス、ゼノヴィア、ロスヴァイセ、アーシア、そしてたった今回復した朱乃と相対することになった。それでも、特に焦燥は浮かべず静かに佇む伊織を睨みながら、リアスが口を開く。

 

「強力な障壁にほぼタイムラグのない転移……厄介ではあるけれど、対処できない程じゃない。みんな、もうひと踏ん張りよ!」

「「「はい!」」」

 

 気合の入ったリアスの号令に、朱乃達も同じく気迫を込めて返す。そして、一斉に攻撃を繰り出そうとした、その瞬間、

 

『リアス・グレモリー様の「騎士」一名、「僧侶」一名、リタイア』

 

「え?」

 

 無常のアナウンスが流れた。それに思わず呆けるリアス達。その隙を伊織が逃すはずもなく、

 

――魔獣 バンダースナッチ 

 

 ジャバウォックと似て非なる氷雪と凍獄の魔獣が顕現する。リアス達の真後ろに。体長三メートルの白き魔獣の肩にはいつの間に悪戯な笑みを浮かべる猫が乗っていた。

 

「っ!? みんなっ」

 

 リアスが指示を出そうとしたその瞬間、吹き荒れるのは極低温の竜巻。バンダースナッチを中心に吹き荒れるそれは、一瞬で周囲百メートルを氷の世界に塗り替えた。

 

 その氷雪の竜巻からボバッと音を響かせて飛び出てきたのは三人。リアスとアーシア、そしてロスヴァイセだ。

 

 体表を凍てつかせたリアス達が表情を歪めて振り返る。竜巻が晴れた後には、氷の柩に包まれた朱乃とゼノヴィアの姿があった。朱乃は雷光を以てリアスを庇い、ゼノヴィアは咄嗟にアーシアを氷結圏外に投げ飛ばしたのである。

 

『リアス・グレモリー様の「騎士」一名、「女王」一名、リタイア』

 

 再び流れるアナウンス。形勢逆転かと思った直後に仲間を四人も一気に失ってしまった。その事実に歯噛みしながらリアスとロスヴァイセが魔弾を放つ。

 

 一直線に伊織を向かうそれは、しかし、

 

――魔獣 ハンプティ・ダンプティ

 

 手抜きイラストのような黒い靄を纏う魔獣に呑み込まれ、直後、そのまま返されてしまった。放った直後の反撃に焦燥を浮かべるリアス。

 

「くぅ、リアスさん、すみません!」

「え?」

 

 咄嗟に、リアスとアーシアを突き飛ばしたロスヴァイセ。その姿が、自身の放った魔弾の嵐と消滅の魔弾に呑み込まれる寸前、光の粒子に包まれて姿を消す。

 

『リアス・グレモリー様の「戦車」一名、リタイア』

 

 そのアナウンスが流れると同時に、バンダースナッチが動き出す。ガパッと開いた顎門から氷結の砲撃を放った。

 

「あっ」

 

 迫る白き砲撃に、リアスは敗北を覚悟する。

 

 その瞬間、

 

『JET!!』

 

「なにしてくれてんだァ、てめぇ!!」

 

 現れたのは流星と化した赤い鎧。赤龍帝一誠だ。速度で優れる「騎士」にすら劣らない速度で駆けつけた一誠は、魔力を纏った拳でバンダースナッチの砲撃そのものを殴り飛ばした。

 

 衝撃音を響かせて消し飛んだ砲撃には目もくれず、そのままの勢いでバンダースナッチに肉薄した一誠は、そのブーストの重ね掛けをした拳を遠慮容赦なく叩き込んだ。

 

 再び、凄まじい衝撃音が響き、バンダースナッチが一撃で消滅する。

 

 一誠は、直ぐにリアスとアーシアのもとに駆けつけた。

 

「部長! 無事ですかっ! アーシアは!?」

「一誠……ええ、私とアーシアは何とか……でも、他のみんなは……」

「イッセーさん。私、回復する暇もなくて……」

「っ!? やっぱり、あのアナウンスは……」

 

 一誠が、ギリッと歯を食いしばった。改めてみれば、その姿は既に満身創痍だ。装甲の至るところが破壊されており、頭部のバイザーも既にない。

 

 伊織が、そんな一誠から視線を逸らせば、後からジャバウォックが駆けつけて来た。どうやら、アナウンスを聞いてダメージ覚悟で振り切って来たらしい。ちなみに、ナイトは佑斗と刺し違える形で消滅している。

 

 アーシアの回復を受けながら、一誠が厳しい視線を――いや、怒りに満ちた眼差しを伊織へ向けた。伊織は、その眼差しを正面から静かに受け止める。

 

「伊織……これが、ゲームだってのはわかってるし、転送された皆が無事だってのも分かってる。でもさ、俺、ちっと我慢できそうにねぇわ」

「……当然だな。道理なんて関係ない。俺がお前の立場なら同じように感じただろう」

「だよな。うん、だから、マジで行くぞ」

「もとより、遠慮の必要なんて微塵もない。……来い、一誠」

 

 合図はない。一拍の後、一誠は、ブーストした莫大な力を以て神速の領域に入り、刹那にして伊織の間合いに入った。

 

「らぁああああ!!」

 

 裂帛の気合と共に繰り出された絶大な威力を秘めた拳は、【アイギスの鏡】に衝突。最初の時と同じく力場に波紋を打たせる。しかし、その結果は違った。

 

ビキビキビキッ! ドパァアアアン!!

 

 拳を中心に亀裂を入れたかと思うと、次の瞬間には障壁を粉砕してしまったのだ。そのまま突き進む拳と伊織の間にクイーンが割り込み、刹那の時間を稼ぐ。伊織が離脱したのと、クイーンが消し飛んだのは同時だった。

 

「うぉおおおお!!」

 

 そのまま追撃に入る一誠。しかし、それを許すほど伊織は甘くない。

 

「グゥガァアアアア!!」

「っ!?」

 

 踏み込んだ瞬間の一誠を狙って、ジャバウォックが絶妙なタイミングの凶爪を振るう。その超振動の爪は、あっさり鎧の装甲を切り裂き、内部の肉体へ浅く届く。

 

「ぎっ!? この野郎っ!!」

『落ち着け、相棒!』

 

 大振りな一撃を繰り出した一誠をドライグが嗜めるが、その拳をがっしりと掌で受け止めたジャバウォックを前にしては遅すぎる忠告だった。ジャバウォックの右手が一誠の腹に添えられる。掌ではない。その甲に付いている砲撃口だ。

 

「しまっ!?」

 

 一誠が魔力を噴出して離脱しようとするが、ジャバウォックは左手でしっかり一誠の拳を握り込んでいる上に爪まで喰い込ませているので逃げられない。直後、

 

「ガフッ!!」

 

 青白いスパークを放つ肥大化した右手から、電磁加速された弾丸が容赦なく一誠の腹に突き刺さった。修復されかけていた装甲は再び激しく損壊する。

 

「一誠!」

「イッセーさん! 今、回復を!」

 

 一誠のピンチにリアスが消滅の魔弾を放とうとし、アーシアが回復の光を飛ばそうとする。だが、それは叶わなかった。

 

「悪いが、そうはさせない」

 

 伊織の呟きと共に、二人の周囲の景色がぐにゃりと歪む。魔獣マーチ・ヘアの空間だ。

 

「部長! アーシア!」

 

 一誠が未だにジャバウォックに掴まれながら、それでもリアス達に意識を向ける。しかし、その時には既に二人は幻術空間の向こう側へ消えた後だった。リアスの消滅魔力なら容易に幻術を破られそうなので、伊織は、念のためハンプティ・ダンプティも送っておく。

 

「くそっ、放せよっ、この野郎っ!」

『Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!』

 

 二人の姿が見えなくなった事に、更に激高した一誠は、本日何度目かの倍化を行い、至近距離から特大の魔力弾を放った。

 

 これには流石のジャバウォックも吹き飛ばされ、一誠の拘束を解いた。しかし、魔力弾の衝撃により舞い上がった粉塵が晴れた先には、両腕をひしゃげさせながらもそれ以外は無傷のジャバウォックが佇んでいた。

 

 その両腕も、瞬く間に再生し元に戻ってしまう。

 

「ちくしょう! 効いてねぇのかよっ!」

『相棒ッ! 落ち着けと言っている! あの魔獣は、東雲伊織の魔獣の中でも別格だ。練り込まれた力の大きさも相棒とは段違いだ。あいつは、それだけ【魔獣創造】を使いこなしている』

「じゃあ、負けるってのかよ」

『馬鹿者。俺達の目的は、あの魔獣を倒す事ではないだろう』

 

 ドライグの言葉に一誠はハッとした表情になった。ジャバウォックに勝てなくとも、術者たる伊織を倒せば勝ちなのだ。というか、むしろ、伊織を倒す以外に、今の一誠ではジャバウォックを倒しきれない。かの魔獣のポテンシャルは、既にあのフェンリルと大差ないレベルなのだ。

 

「よし、ドライグ。何とかあの魔獣を掻い潜って伊織をぶっ飛ばすぞ!」

『応ッ!』

 

 一誠は再び、ブーストしてジャバウォックに魔力弾を放ちながら、しかし、今度は伊織に飛びかかった。伊織には既に障壁を張ってくれる魔獣はいないはずなので、今度こそ! と気合の入った雄叫びと共に拳を振るう。

 

 しかし、

 

「っ!? くそ、消えたっ!?」

 

 伊織には未だ、ジャバウォック以外にも魔獣が残っている。ある意味、八面六臂の活躍をしているチェシャ猫だ。一誠が、拳を振るった瞬間、透過するようにすり抜けて姿を消した伊織は、ジャバウォックの背後に転移していた。

 

 そして、ジャバウォックに一瞬視線を向けると力を注ぎ込む。

 

「グルァアアアアアアッ!!!」

 

 空気がビリビリと震え、咆哮の衝撃だけで周囲の地面が吹き飛んだ。そして、フッとその姿を消す。

 

 次に現れたのは、拳を泳がせる一誠の眼前だ。

 

「ッ!?」

 

 知覚できない速度で接近してきたジャバウォックの凶相が至近距離から一誠を睨め上げる。直後、その莫大な力を秘めた拳が一誠の顔面に突き刺さった。

 

 修復したばかりのバイザーを粉砕され、鼻血を噴き出しながらもんどり打つ一誠。先程まで相対していたときよりも尚、速く、尚、力強い。明らかに跳ね上がったスペックに戦慄しながら、どうにか立ち上がろうとする。

 

 しかし、

 

「あ、あれ?」

『相棒……』

 

 膝に力が入らず、一誠は崩れ落ちた。四つん這いになって何とか立ち上がろうともがくが、体は一向に言うことを聞いてくれない。

 

「なんで? なんでだよ? くそっ、動けよっ! 俺はまだ戦える! なのに、なんでっ!!」

『相棒。体力が尽きたんだ。今日、一体何度倍化した? さっきの一撃で、止めを刺されたんだよ』

「そんなわけあるかっ! まだ、一発も殴ってないんだぞ! みんなやられちまったのに、まだ何にも出来てない! ここで終わっちまったら、そんなの、そんなのまるで、ライザーの時と同じじゃねぇか!」

『相棒……残念だが、相手が悪い。あいつは強すぎる。相棒ならいつかは届くと信じているが、今は未だ無理だ』

「ッ!? くそっ、ちくしょう!」

 

 一誠の瞳からポロポロと涙が零れた。悔しさ故だ。仲間がやられてもお返しの一発も届かせることが出来ない。同年代の同じ神滅具所持者だというのに、触れることすら敵わない。これが伊織の実力を見るための模擬戦である事など関係ない。全力で立ち向かって全く歯が立たなかったのだ。悔しくて悔しくて、己が不甲斐なくて情けなくて……

 

 唯一の救いは、一誠を見つめる伊織の眼に同情も哀れみもない事か。ただひたすら真剣な眼差しで真っ直ぐ見つめている。だからこそ、もう限界だと分かっていても、気持ちだけは立ち上がろうともがいている。

 

 と、突如、そんな一誠に何者かが語りかけた。

 

『息子と、伊織と未だ戦いたいかい?』

「え?」

 

 次の瞬間、一誠の懐から飛び出した宝珠が赤い光を放ち、ゲーム盤の荒野の輝きで埋め尽くした。

 

 その後に起こった出来事はいろんな意味で衝撃的だった。突然、溢れ出た光が人型をとったと思ったら瞬く間に数百規模に膨れ上がり、「おっぱい!」を連呼しながら陣を汲み出したのだ。そして、姿は見えないが実はすぐ近くにいるリアスをわざわざ召喚して、その胸を鼻血を噴き出した一誠がつつき、気が付けば新たな力――【赤龍帝の三叉成駒】を手にしていたのである。何を言っているのかわからなry……

 

 だが、伊織にとって本当に驚いたのは、何故か一誠が、直ぐにその力を使わずに何かと話しているかのような素振りを見せ、その直後、【赤龍帝の籠手】から一人の日本人男性が光の粒子と共に現れたことだ。

 

 伊織が知る由もないが、実は、一誠が新たな力に目覚めた事をきっかけに【赤龍帝の籠手】の深層において赤龍帝の呪いから解放されエルシャ達が別れを告げた際、崇矢が消える前にどうしても少しだけ息子と話したいと一誠とドライグに懇願し、二人が了承した結果だった。

 

 成長した息子を目の前に、幸せそうに頬を綻ばせる崇矢はそっと語りかけた

 

『やぁ、伊織。私としては久しぶりだけど、伊織にとっては初めまして、かな? お父さんだよ』

「え? え? と、父さん?」

 

 いきなりの出来事に伊織をして困惑をあらわにする。そんな伊織に「無理もない」と苦笑いしながら崇矢は言葉を続ける。

 

『といっても、私は残留思念のようなものだけど……それでも、最後にどうしても息子と話したくてわがままをさせてもらった。ドライグには感謝しないと』

 

 その言葉で、どうやら【赤龍帝の籠手】の深層に囚われていた崇矢の残留思念が伊織と話す為に出てきてくれたのだと察する伊織。動揺を収め、初めて対面する父親に、自分をこの世に招いてくれた大切な家族に目を細める。

 

『神器の中から、それに一誠くんとの話から伊織の事はそれなりに知っているよ。……本当に立派になったね。依子母さんに預けて正解だった』

「父さん……うん。ばあちゃんのおかげで幸せに暮らしてるよ。家族も沢山増えたんだ。東雲家のおかげで、俺はここにいる」

 

 伊織の穏やかな、されど強い想いのこもった言葉に、崇矢もまた嬉しげに目を細めた。そうした表情は、確かに二人が親子なのだと思わせる程そっくりである。

 

『語り合いたい事は山ほどあるけれど、残念な事に時間は少ない。だから、最後に一つだけどうしても伝えたい事だけ伝えておこうと思う』

「……わかった。聞くよ」

 

 真剣な表情の崇矢から、それが父親からの本当に最後の大切な言葉なのだと察し、伊織は、その瞳に悲しさを宿らせながらも、しっかりと頷いた。そんな強さを見せる伊織に、殊更嬉しそうに微笑むと表情を戻して口を開いた。

 

『伊織、伝えたいのは……母さんの……静香の事だ』

「っ……母さんの……」

 

 真剣で、かつ深刻な表情で紡がれた言葉は、伊織の母親である静香の名前。思わず息を呑む伊織に、崇矢は重苦しい口調で続ける。

 

『ああ。静香は、静香はな……』

「……」

 

 沈痛な面持ちで表情を歪める崇矢。静香は、崇矢と共に、酒呑童子復活事件の際に亡くなったはずだ。まさか、真実は違うところにあって、言い渋ってしまうような何かがあったのかと、伊織は固唾を呑む。

 

 そうして一拍の後、語られた母親の真実とは……

 

『静香はっ、静香の胸はっ、ぺったんこだったんだぁ!!』

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………はい?」

 

 長い沈黙の末、伊織が聞き間違いかと首を捻りながら聞き返す。崇矢の後ろにいる一誠も予想外だったようでポカンと口を開けて崇矢の後頭部を眺めている。きっと、見学しているお偉方もポカンとしているに違いない。

 

『聞こえなかったかい? 伊織のお母さんである静香はね、胸がぺったんこだったんだ。貧乳なんてレベルじゃない。あれは絶壁だよ。私はリアルに背中と胸を間違えて半殺しの目にあったことがある。それくらいのレベルでぺったんこだったんだ』

「……は、はぁ」

『私はね、神器の中から伊織のお嫁さん達を見た。その若さで既にハーレムを築いているのは流石私の息子と賞賛したい。だが、如何せん、あの子達は総じて胸が乏しい。金髪の子が一番あるようだけど、それでも巨乳の域には全く足りない』

「……」

 

 既に伊織は困惑を通り越して、冷めた眼差しになりつつある。

 

 どうやら、自分の想像していた父親像と実際の父親は大きく食い違っているようだと悟りつつあるようだ。そんな瞳の温度を凄まじい勢いで下げている息子の様子には気がつかず、崇矢は周囲の全てを置き去りにして熱く語り始めた。それこそが、息子に残せる最初で最後の大切な教えだとでも言うように。

 

『伊織、いいかい? よく聞くんだ。おっぱいはね、夢だよ。男の夢なんだ。一誠くんを見ればわかるだろう? おっぱい一つで不可能すら可能に変える。先の悪神ロキとの戦いでは異世界の神を呼び寄せた程だ』

「……で?」

『もちろん、今のお嫁さん達がダメだなんて言わない。おっぱいに貴賎はないし、私は、静香が怖くてハーレムなんて作れなかったし、ドラゴンは女を引き寄せるから秘匿しろと言われて、赤龍帝の力でモテモテ計画も潰されてしまったから、心底羨ましいくらいだ』

 

 まさか赤龍帝であることを秘匿していたのが、家族への危険を減らす為ではなく、嫉妬する妻への配慮……もとい命令されたからだったとは……伊織の中の立派な父親像はこの瞬間、完全に崩壊した。断言しよう。崇矢は、一誠と同類にして同レベルの変態だ。

 

 伊織の眼差しは既に氷点下である。崇矢の背後で、『崇矢が相棒と同類…だと? そんな……なぜ、気がつかなかった……』とドライグが愕然としたような言葉をポロポロと零している。今にも精神を失調しそうな危ない様子だ。

 

『だが、それでも敢えて言おう。おっぱいに貴賎なくとも、やっぱり巨乳が正義だと! その点、残念だが、あの子達に望みはない。あの子達のおっぱいはあれで完成してしまっているんだ。本当に可哀想な子達だよ……』

 

 どこか遠くで三人の美少女が鬼気を発して周囲の神仏からドン引きされている気がする。

 

 崇矢は、これこそ伝えたかったこと、伝えねばならなかったことなんだ! と言いたげな勢いで拳を握りながら息子に父親の教えを授けた。

 

『伊織、父さんから最初にして最後のアドバイスだ! あの九尾の女の子を必ずお嫁さんにしなさい! あの子の胸には夢と希望が詰まっている! それは母親を見れば自明の理! そう、光源氏計画だよ! いいかい? 決して父さんのようにはなるな! 愛情はあっても、ストンと落ちる手に虚しさを感じ続けるような人生を送るな! 父さんが果たせなかった夢を! 掴み取れぇぶべらっ!?』

「取り敢えず、あの世で母さんに土下座してこい」

 

 思念体だというのに、何故か伊織の拳を受けて吹き飛ぶ崇矢。【覇王断空拳】を顔面にくらい錐揉みしながら地面に顔面ダイブする。そして、言うべきことは言ったという満足気な表情のまま、光の粒子となって天へと登っていった。

 

 ゆらりと残心を解く伊織の表情は、前髪が不気味に垂れ下がっているせいで分かりづらい。

 

「あ~、えっと、その、なんていうか……伊織?」

 

 【赤龍帝の三叉成駒】の状態で、ごつい鎧に包まれているというのに、どこかおずおずとした雰囲気で伊織に話しかける一誠。

 

 そんな一誠に、伊織は顔を上げるとニッコリと微笑んだ。しかし、その瞳は全く笑っていない。

 

「一誠……うちのダメ親父が悪かったな」

「え? あ、いや、別に、そんな」

「取り敢えず、新しい力に目覚めたようで何よりだ。……折角だし存分に続きをやろうか。俺も今は、やたらと暴れたい気分なんだ」

「…………」

 

 初めて見る暗い笑みを浮かべる伊織の姿に、一誠が無言になる。一拍の後、

 

「ジャバウォックぅ!! おっぱい野郎をぶちのめせぇ!!」

「ちょっ、それ八つ当たりぃ!!」

 

 ジャバウォックの咆哮が響き渡る中、再開した伊織と一誠の戦いは熾烈を極めた。

 

 一誠が、【赤龍帝の三叉成駒】の一つ、装甲を薄くして防御力を犠牲にする代わりに極限まで速度を突き詰めた【龍星の騎士】化をして戦場を駆け抜ければ、伊織もまたジャバウォックに力を注いで高速機動をさせながら、自らはチェシャキャットの空間転移で一誠をかく乱する。

 

 未だ、速度だけは神速の域に達している一誠だが、未だ制御が甘く直線軌道でしか移動できないので、その弱点を突かれてジャバウォックに反撃を喰らう。すると、すかさず防御力重視の形態【龍剛の戦車】に変化してジャバウォックと殴り合う。

 

 そして、一瞬の隙をついてジャバウォックを弾き飛ばすと、伊織とジャバウォックを射線上に並べて【龍牙の僧侶】へと形態変化する。両肩に担ぐように構えた砲塔から幾度も倍化した絶大な威力を秘めた砲撃を放った。

 

 隙の大きい大技なので難なく回避に成功する伊織だったが、頑丈さだけは折り紙付きのゲームフィールドが大地震でも起こったように鳴動し、空間が粉砕されかかったのを見て内心冷や汗を流す。

 

 一方、一誠は一誠で、焦燥と悔しさ、そして伊織の強さに心を乱れさせていた。自分でも相当だと自負できる強大な力に目覚めたというのに、やはり一撃も伊織には届いていない。

それは、伊織が一切の油断をせず、常に一誠に対して全力ではないにしろ本気だったからだと分かるのだが、だからこそ、その伊織に全力を出させることが出来ない事が、一撃も届かない事が、悔しくてならなかった。

 

 しかも、新たに目覚めた力は頗る付きで燃費が悪く、もう数十秒も維持することが出来そうになかった。……戦いは、一誠が力尽きるという結果で終を迎えようとしていた。

 

「……でもよぉ、それで納得できるかよォ!!」

 

 今にも解除されそうな【赤龍帝の三叉成駒】状態を尻目に、一誠は最後の特攻をかける。当然、ジャバウォックが迎え討ち、その凶爪を振るう。

 

「うぉおおお、根性ぉおお!!」

 

 そんな叫び声を上げて、一誠は、その一撃を耐えようとする。しかし、防御力を引き上げる【龍剛の戦車】には変化しない。変化したのは【龍牙の僧侶】。ジャバウォックの攻撃を喰らう覚悟で、その背後にいる伊織に攻撃することを優先したのだ。

 

 ジャバウォックの爪が一誠の肩と脇腹を抉る。駆け抜ける激痛に悲鳴が漏れそうになるが、歯を食いしばって耐え、限界の倍化と砲撃を行った。ジャバウォックの巨体を目くらましにして、威力よりも速度を重視した二条の閃光。

 

ドゥウウウウウウ!!

ドゥウウウウウウ!!

 

 二つの砲門から赤の閃光が空を切り裂いて伊織へ迫る。一誠の鎧が、【龍牙の僧侶】から通常の【赤龍帝の鎧】に戻るのを確認しながら、伊織はチェシャキャットの力であっさり、その砲撃をかわし、一誠の背後へと転移した。

 

「馬鹿な俺でもぉ、いい加減読めるんだよぉ!!」

 

 そう言って放たれたのは最後の倍化をされたドラゴンショット。ジャバウォックに地面へ叩きつけられながらも片手で放たれたそれは、言葉通り転移先を読んでいたようで真っ直ぐに伊織へと飛ぶ。

 

 伊織は、転移直後に眼前に迫った魔力弾に少し驚いたように目を見開き、直後、スっと身を捻ってかわそうとした。だが、そこでもう一手、一誠が踏ん張る。

 

「曲がれぇえええ!!」

 

 その雄叫びと共に、今まで直線でしか飛ばせていなかった一誠の魔力弾は、空中でクイッと軌道を曲げて伊織に迫った。今度こそ、本当に驚いて目を丸くした伊織は……

 

「ゼェア!!」

 

 そんな裂帛の気合と共に、急迫する魔力弾を殴りつけた。【硬】を施された拳は、衝撃波を発生させて一誠最後の一撃を正面から打ち砕いた。

 

 限界を超えて意識が遠ざかる一誠は、目撃する。伊織の放った拳が白煙を上げているのを。籠手が破砕し、その拳から血が滴り落ちているのを。そして、当の伊織が、してやられたというように手をプラプラさせながら賞賛のこもった眼差しで自分を見つめているのを。

 

「へへっ、届いたぜ」

『ああ、よくやったぞ。相棒』

 

 口元に笑みを浮かべ、相棒たるドラゴンの労いの言葉を耳にしながら、一誠はその意識を闇に落とした。

 

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

今回は魔獣オンリーでの戦いです。
ちなみに、概念付与はしていません。いわゆるアンチモンスター化させるとマジで勝負にならないと思うので。

小猫が一瞬しかでない件。
書き終わってから、小猫がいないことに気がついた。不憫……

感想、毎回、有難うございます。
楽しみに読ませて頂いてます。

明日も18時に更新します。


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第55話 龍神様の腐攻撃

 

「ふん、結局、【覇輝】破りの片鱗も分からなかったじゃねぇか」

 

 不満そうな声で、そう愚痴を零したのは帝釈天だった。グレモリー眷属と伊織の戦いは、どうやら余りお気に召さなかったらしい。

 

「やっぱり、うちの猿が相手する方がよかったなァ」

「そうでもないぜぃ? 赤龍帝の小僧も聖魔剣の小僧も中々のもんを見せくれたじゃねぇの。それに、魔獣共の特性もしっかりとなァ」

 

 帝釈天の愚痴に、闘勝戦仏が苦笑い気味に答える。実際、曹操達と相対した時のような戦闘はなかったが、それは曹操達から聞けばある程度わかることであり、だとすれば、神滅具の本領を見せた今回の戦いは、まずまず神仏達を満足させるものであった。

 

「だがよォ、あの魔獣にしたって未だ本気って感じじゃねぇだろうがァ。おい、アザゼル。そこんとこどうなんだよ?」

 

 水を向けられたアザゼルが、少し逡巡した様子の後、どこか警戒したような眼差しを帝釈天に向けながら答えた。

 

「まぁ、俺の知る限り八割前後ってところだな。だが、あいつの【魔獣創造】は、常時禁手化ともいうべき特異な進化を遂げている。――【進軍するアリスの魔獣】それが、伊織の禁手化の名だが、異例過ぎて全貌はさっぱりわからん。通常の発動状態と禁手化の区別がないなんて前例がないからな。ただ、ジャバウォックが最大の攻撃である反物質砲を使わなかったことからも、あれでまだ全力でないのは確かだし、未だ、伸びしろがあるらしいということは聞いている」

 

 実際、ジャバウォックを含め伊織の魔獣達は、もう一つ禁手としての能力があるのだが、それについては実際、アザゼルも知らないので嘘はついていない。もっとも、知っていても、アザゼルは伊織が見せた以上の事を帝釈天には伝えなかっただろう。帝釈天もまた、ハーデスと同じくらい胡散臭く、和を求めるような大人しい気性の人物ではないからだ。

 

 アザゼルの物言いもあるのだろうが、思ったような回答が得られず帝釈天の機嫌は更に下降した。若干、不穏な空気が流れる中、そんな雰囲気を払うようにオーディンが楽しげな声を上げる。

 

「ほっほっほっ、それにしても、前赤龍帝が【魔獣創造】の小僧の父親とはのぉ? おっぱいは夢か……中々、含蓄のある言葉を残しよる。そこんところどうじゃ? おっぱいが残念な三人娘よ?」

「死ねばいいと思います」

「地獄に落ちればいいと思うよ」

「この手で首り殺せないのが残念でならんな」

 

 ドス黒い瘴気を撒き散らしながら、辛辣な返事をするミク、テト、エヴァ。何故か、その隣で蓮が自分のぺったんこな胸をペタペタと触っている。

 

「まぁまぁ、そう憤るでない、三人とも。例え、成長した九重が夢と希望で胸をたぷんたぷんにして伊織を満足させても、主等に対する愛情は変わらんよ。きっと、たぶん、おそらくの?」

 

 八坂のニヤついた笑みとセリフ、そして、九重の将来を示すように誇示された八坂自身の見事な双丘にミク達の「あぁん!?」とヤクザのような声音と視線が突き刺さった。

 

 強調されて着崩した着物から今にもこぼれ落ちそうな瑞々しいメロン、いや、スイカがふるふると震え、オーディンやアザゼルを筆頭に他の神仏達の視線をも釘付けにする。……やはり、おっぱいには、神仏すら魅了する夢と希望が詰まっているのかもしれない。

 

 帝釈天だけは、上手く場の雰囲気を誘導された事に気がついてオーディンと八坂に鬱陶しげな眼差しを送ったが、直ぐに気を取り直して元のファンキーな雰囲気を取り繕った。

 

 その後、少々の話し合いを経て、会議は本格的にお開きとなった。結論としては、当初と変わらない。蓮に関しては伊織に任せて放置。触らぬ龍神に祟りなしということだ。伊織に関しても、特に曹操達のような戦闘狂の気もなく、話してみて危険思想を持っている様子もないので、その実力の片鱗を見て報告内容もあながち間違いではないだろうと判断し、一応の信用をすることになったようだ。

 

 

 

 

 

 会場からある程度離れ場所で、帝釈天が闘勝戦仏と幾人かの護衛を伴って須弥山に帰ろうとしたとき、不意に人影が歩み寄って来た。小さな黒い人影――蓮だ。

 

「お? オーフィスじゃねぇの。どうしたよ? なんか用かァ?」

 

 明らかに帝釈天に用がある言わんばかりの眼差しを向ける蓮に、帝釈天は実にフランクな感じで先に声をかけた。闘勝戦仏は兎も角、他の護衛は、【無限の龍神】が無言で歩み寄ってくる事に不穏なものを感じたのか緊張に表情を強ばらせて身構える。

 

 そんな彼等を無視して、蓮は、一定の距離を置いて立ち止まった。

 

「オーフィスじゃない。我は、蓮。蓮と呼べ」

「HAHAHAッ! 【魔獣創造】のガキに貰った名前かァ? マジで気に入っちゃんてんのなァ? あの【無限の龍神】ともあろうものが、変われば変わるもんだ。で? わざわざそれを言いに来たんかよ?」

 

 ふるふると首を振った蓮は、その目をスっと細めるとピンポイントで帝釈天達に叩きつけるように力を解放した。全力には程遠い、警告的な意味合いでの僅かな力の行使だが、それだけで帝釈天と闘勝戦仏以外の護衛達は皆膝を付いてしまった。顔からは大量の汗が噴き出ている。

 

「……おいおいおい。何のつもりだァ? まさかやろうってのか?」

「違う。これは忠告。今日の集まりで、一番危険なのはお前。間違っても我の家族に手を出さないように」

 

 帝釈天は、言動の軽さに反してプライドはそれこそ天を衝くほど高い。己は天そのものと考えており、自分より強いものの存在には無条件で敵意を抱くような存在なのだ。

 

 そして、その実力は武神の名に恥じないもので、あのアザゼルでさえ太刀打ち出来ないレベルだ。今日の集まりにやって来た各神話の神仏と比べても、オーディンや魔王を除けば頭の一つ二つ余裕で飛び出す強さなのだ。当然、伊織ともっとも近しい八坂では全く歯が立たないだろう。

 

 故に、帝釈天を歯牙にもかけない龍神である蓮と強く結びついている伊織達の事を穏やかな目で見ることなど有り得ない。むしろ、現在進行形で敵意を抱いるはずである。なので、蓮を敵に回すような下手な事をするとは思えないが、今一度釘を刺しておきたかったのだ。

 

「……ほぅ。そんときは、てめぇ自ら俺等と戦争でもするってか?」

 

 プライド故に、やや挑発するように返してしまう帝釈天。そんな彼に、蓮は、「フッ」と鼻で笑ってどこか馬鹿にするような表情になると、おもむろに懐から黒い板を出した。そして、訝しむ帝釈天にその板――スマホを掲げると、

 

パシャ! パシャ! パシャ!

 

 と、彼の姿を激写し出した。

 

「……なにやってんだ?」

 

 現代文明の利器を華麗に使いこなす龍神の姿に、さしもの帝釈天も若干困惑したような表情になる。しかし、その真意を聞いた途端、武神にあるまじき動揺を見せた。

 

「ふっふっふ、お前がいくら強くても、目に見えない広大な電子の海にまでは手を出せない。そして、我は、そんな電子世界の新たな神“龍神p”――我がその気になれば、世界中にお前の写真がばら撒かれ、歴史上類を見ない変態野郎として名を残すことになる」

「……」

「“聖☆お○いさん”のようにパロディ化して、間抜けな帝釈天をばら撒くのもあり。あるいは、お前が嫌っている他の神話の神々――ゼウスやオーディンと掛け算した薄い本を出すのも。受けは当然お前。帝釈天という存在に対する人々に認識は我の掌の上と思うがいい!」

 

 えげつなかった。力云々ではどうにも出来ないところが最悪だった。そして、早速スマホで帝釈天の画像を加工して、隣に控えている闘勝戦仏の猿顔とマズイ感じにし、どこかに転送しながら浮かべる笑みは、実にあくどい感じだった。

 

 蓮の言っている事が十全に理解できたとは言えないが、それでも、下手なことをすれば、自分はとんでもない変態として世界に認知されてしまうという事だけは理解した帝釈天。その頬は、盛大に引き攣っている。

 

 一体誰が、神に対して、それも最古のドラゴンが、情報戦争を仕掛けてくるなどと思えるのか。全く予想外の警告内容に、帝釈天はいろんな意味で戦慄を覚えた。

 

 と、そこへ、物凄い勢いで駆けてくる人物が。

 

「蓮! そこで何やってる!」

「ゲェ!? 伊織!?」

 

 龍神が「ゲェ!?」と言った時点で凄まじくシュールなのだが、それが気にならないほど、どうしたものかと困惑していた帝釈天は、その駆けつけた人物――東雲伊織に視線を向けた。

 

 帝釈天のどこか引き攣った表情と困惑したような眼差しを受けて、伊織は瞬時に蓮が何をしたのか察する。

 

「帝釈天様。うちの蓮が申し訳ない。ただ私達を想ってのことなのです。それだけはどうかご理解頂きたい」

「……【魔獣創造】の坊ちゃんよォ? お前さん、こいつに何吹き込んだんだァ? 龍神のくせに有り得ない嫌がらせを宣言されたぜ?」

 

 いくら蓮が自分達の事を思って何かをしたのだと分かっていても、和平同盟の面々が集まっている中で事を荒立てるのは好ましくない。しかも、武神の頬を引き攣らせる方法など限られており、人間同士であっても「それはやっちゃダメだろう?」という方法を提示したに違いないので、一応、謝罪の言葉を口にする伊織。

 

 帝釈天は、伊織が蓮に仕込んだと勘違いしたようで、どこかおぞましいものを見るような眼差しを伊織に向けている。図らずとも、どうやら世界トップクラスの武神に畏怖を与えてしまったらしい。

 

 一方の蓮は、伊織が謝罪したことに物凄く不満そうな表情となった。唇を尖らせて、文句を言う。

 

「……伊織、謝る必要ない。こいつは危険。調子に乗る前にヤキを入れとく必要が……」

「あのなぁ、蓮、何ヤンキーみたいな事言ってるんだ。和平同盟を結んだって言っても、そもそも聖書の神に領域を犯された神々が腹に何も抱えてない分けないだろう? 危険性で言えば、全ての神話の神々が等しく危険なんだよ。最初から覚悟してるから、わざわざこっちから吹っかけるような事しなくていいんだ。……でも、まぁ、俺達を想ってしてくれたのは嬉しいよ。ありがとな」

「むぅ……仕方ない。おい、ファンキージジイ。伊織に免じて“受け”は勘弁してやッブッ!?」

 

 伊織の言葉に渋々頷いて、しかし、物凄く不遜な態度で帝釈天に上から目線の言葉を送る蓮に、全く話を理解していないどころか、その言葉から蓮が帝釈天を“腐”の餌食にしようとしていた事を知り伊織のゲンコツが炸裂した。

 

 某七武海の見下しすぎな女帝のポーズをとっていた蓮は、頭部にゲンコツを受けてそのまま地面をのたうつ。

 

「……蓮。後でOHANASIがあるから、取り敢えず、これ持ってなさい」

「伊織は我に厳しい……」

 

 伊織は、どこからともなく取り出したボードを蓮に持たせる。何だかんだで素直に受け取った蓮は、唇をアヒルみたいに尖らせてボードを胸の前に掲げた。そこには達筆な文字で「龍神は聞き分けのない子です。只今、猛省中」と書かれていた。

 

 そんな二人の仲睦まじい? 様子に唖然としていた帝釈天は、傍らの闘勝戦仏が堪えきれずに吹き出したのを皮切りに、同じように爆笑し始めた。それに、「おのれ……」と蓮が怨嗟のこもった呟きを漏らす。

 

「いやぁ~、いいもん見れたぜぇ! ここまで笑ったのは久しぶりだ。【魔獣創造】の坊主よぉ、お前さん、中々いいZE! 取り敢えず、手は出さずに人間と龍神の行く末ってやつを見ててやんよ!」

「うむうむ。赤龍帝や白龍皇といい、今代の若もんは面白い。気張れよォ、坊主。おじいちゃんは応援してるぜぃ!」

 

 帝釈天と闘勝戦仏から機嫌のいいお言葉を貰った伊織と蓮は、彼等が転移術で消えるのを見送った。そして、改めて、蓮に気遣ってくれた事への礼を述べつつ、“腐”に関してささやかな家族会議をしながら、皆のもとへ戻るのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 その後、一誠達の見舞いを行ったり、会議の後片付けや、八坂とセラフォルーの具体的な和平条約締結の手伝いをしたりして時を過ごした。

 

 一誠達に関しては、伊織一人にやられたことでギクシャクしたりしないかと心配したが、どうやら杞憂だったらしい。お見舞いに行けば、意欲旺盛に意見交換を行い、むしろ、いい経験になったと礼を言われたくらいだった。

 

 特に、一誠が【赤龍帝の三叉成駒】に目覚めた事、そして、魔獣ナイトとの戦闘で佑斗が新たな禁手に目覚めた事で、二人からは盛大に礼を言われた。ナイトは、ジャバウォックに次ぐ戦闘力を持っているので、佑斗としては良い切っかけになったようだ。

 

 一誠達は、その後、何事もなく修学旅行に戻り、リアス達もサーゼクスと共に駒王学園に戻っていった。

 

 それからしばらくして、駒王学園学園祭を間近に控えた一誠達がサイラオーグ・バアルとのレーティングゲームに挑み、カオス・ブリゲードの残党や、地下に潜った正体不明の集団が襲撃する可能性に備えて、伊織達が応援がてら警備を引き受けたり、その戦いで一誠が更なる躍進を遂げた挙句、リアスに公開告白を行って見事恋人同士になったり、という何とも記憶に残る出来事があった。

 

 また、学園祭では、伊織達が遊びに行き、“ストック”のサプライズライブを行うという出来事もあった。駒王学園がプチパニックになったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 それから幾月かは、割と平穏な日々が続いた。未だに潜伏中のカオス・ブリゲードが、まるで嵐の前の静けさのようで不気味ではあったが、テロ続きの日常にうんざりしていたこともあって、伊織達は平和を満喫していた。

 

 そんなある日、再びアザゼルから連絡が来る。珍しい事に伊織宛ではなく、エヴァ宛だった。

 

 その内容は、

 

――吸血鬼の特使との会談に同席して欲しい

 

 というものだった。

 




いかがでしたか?

五千字書いて、少なっと思う今日この頃。
まぁ、閑話的な話だとでも思って頂ければ……

次回から、いよいよハイスク編の最終章に入ります。
また、沢山戦闘を書きます。
作者、ヒャッハーして気持ちよさそうだな~と思いながら、一緒に楽しんで貰えれば嬉しいです。

更新は18時です。


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第56話 悪者全開

 

 ルーマニアの奥地。濃霧に閉ざされた山道を四輪駆動車がガタガタと揺れながら進む。舗装されていない道なき道は凸凹で、いくら山道に強い四駆と言えど乗り心地は最悪である。

 

 そんな四駆の車内にいるのは、アザゼル、リアス、ギャスパー、佑斗――そして、伊織とエヴァだ。運転席のアザゼルがフロントガラス越しに視界を閉ざす濃霧へ鬱陶しげな眼差しを向けている。助手席にいる佑斗は、ずっと地図と睨めっこだ。秘境ともいうべきこの場所で迷子にならないようにナビ役をするのは相当神経を使いそうである。

 

「全く……助けを求めてきたくせに迎えもなく、こんな悪路を進ませるとは……あの小娘、もう少し礼儀というものを教えてやるべきだったか……」

 

 車内にエヴァの愚痴が響く。その目はここにはいない美貌の少女に向けて剣呑に細められていた。それに対して、伊織、アザゼル、ギャスパーが、それぞれ反応を返す。

 

「いやいや、止めてやれよ、エヴァ。あの子、最後の方は涙目だったじゃないか。あれ以上やったらトラウマになるぞ。吸血鬼が吸血鬼にトラウマとか……あの子、生きていけなくなるって」

「ああ、あれは心臓に悪かったぞ。頼むから吸血鬼側と戦争になるような事は止めてくれよ。今は同盟にとってマジで大切な時期なんだからよ」

「うぅ、エヴァンジェリンさん恐かったですぅ~」

 

 よっぽど恐かったのかギャスパーは思い出し涙目になっている。リアスや佑斗は苦笑いだ。

 

「ふん、むしろ私としてはあの程度で済ませてやったつもりなんだがな。人の夫を侮辱したのだ。本来なら氷漬けにしてやるところだ」

「エヴァ……」

 

 なお不機嫌そうに鼻を鳴らすエヴァに、伊織は目を細めながらそっと手を伸ばした。その指先が優しくエヴァの頬にかかった輝く金糸を払い、そのまま頬を撫でる。途端、エヴァの頬はほんのり赤みを帯びて。目尻も、どこか甘えるようにトロンと下がった。

 

 突然出現した桃色空間に、アザゼルは「やってられるか」と舌打ちをし、リアスはここにいない恋人を想って少し羨ましそうな表情になった。ギャスパーは恥ずかしげに両手で顔を覆っているが、指の隙間からしっかり覗いている。

 

 伊織は、機嫌を直し猫のように伊織の愛撫を受ける愛らしいエヴァを見つめながら、ここに来る事になった原因である数日前の事を思い出した。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 アザゼルから連絡があって数日後、伊織達は吸血鬼との会談に参加するため駒王学園は旧校舎、そのオカルト研究部の部室にやって来ていた。和平同盟の参加要請を無視し続けた吸血鬼側が、エヴァの参加を条件に会談を開いてもいいと連絡してきたらしく、アザゼルから懇願されたためである。

 

 なお、この場には、アザゼルとグレモリー眷属の他、天界側の御使いグリゼルダとイリナ、ソーナ・シトリー率いる生徒会メンバーもいる。

 

 実のところ、吸血鬼とアザゼル達の同盟会議に伊織達が参加するというより、エヴァとの会談にアザゼル達が参加しているという方が正しい認識かもしれない。ただ、その場合、なぜ吸血鬼側が直接伊織達にアポイントを取らず同盟側を仲介して接触してきたのか明確な理由はわからなかった。

 

 それ故に、アザゼル達は、吸血鬼側にきな臭さを感じているようで相当警戒心を高めているようだ。

 

 元々、吸血鬼というのは、純血の吸血鬼とそれ以外に世界を分けて、自分達を至高の存在とし、他は家畜かゴミとする価値観を持っており、極めて排他的で閉鎖的な種族だ。その為、最初からいい印象がない事も、警戒心に拍車を掛けている理由なのだろう。

 

 しばらく吸血鬼に関する基本情報をアザゼルから雑談交じりに聞いていた伊織達だったが、不意に冷たい気配を感じてスッと視線を遠くに向けた。どうやら吸血鬼御一行が到着したようだ。リアスの指示を受けて佑斗が出迎えに行く。

 

 やがて、佑斗の恭しい言葉と共に部屋の扉が開けられ、そこから最高級ビスクドールのような美貌の少女が二人の男女を背後に引き連れて入ってきた。見れば足元に影はなく、美しくはあるがまるで生気の感じられない青白い顔色をしており、生命力というものを一切纏っていなかった。正真正銘、純血の吸血鬼だ。

 

 豪奢なドレスを纏ったお姫様のような吸血鬼の少女は、その瞳に凍えるような冷たさと傲慢さを宿して優雅に挨拶をした。

 

「ごきげんよう、三大勢力の皆様。お会い出来て光栄です。私の名はエルメンヒルデ・カルンスタイン。エルメとお呼び下さい」

 

 光栄と言いつつ、その視線にその感情をあらわす色は皆無だ。代わりに、横柄な態度を崩しもせず足と腕を組んだまま興味深げに己を観察するエヴァに対してだけ、同じく興味の色を宿した眼差しを向けた。

 

「カルンスタイン……吸血鬼の二大派閥、カーミラ派とツェペシュ派の内、カーミラ派の最上位クラスの家だな。純血で高位の吸血鬼に会うのは久しぶりだ」

 

 アザゼルがエルメの立場を説明してくれる。どうやら、それなりに気合の入った会談の要請だったようだ。

 

 ちなみに、カーミラ派とは女尊主義の派閥でツェペシュ派は男尊主義の派閥のことだ。今も純血種を前に緊張でガチガチになっているギャスパーはツェペシュ派の家に生まれたハーフである。

 

「それで、いきなりで悪いが俺達との会談を望んだ理由を教えてくれ。今まで、散々こちら側の要請を蹴っておいて、今更、なぜ接触を図った? 会談を開く条件にエヴァンジェリンの参加を要請したのは何故だ?」

 

 エルメは、再び、チラリとエヴァに視線を向けると、一度瞑目し端的に答えた。

 

「エヴァンジェリン・A・K・東雲の力をお借りしたいのです」

 

 その言葉に、やはり単なる興味以上の理由があったかと、一同は半分納得、半分頭痛を堪えるような表情になった。それは、排他的でプライドがエベレストより高い純血の吸血鬼をして外部の手を借りる必要があるような事態に見舞われているということ示しているからだ。

 

「……吸血鬼側に何があった? 順を追って説明してくれ」

「いいでしょう……」

 

 説明を求めるアザゼルへの回答を要約すると、つまりこういう事らしい。

 

 ある日、ツェペシュ側に生命に関する神滅具【幽世の聖杯】を発現した吸血鬼が現れた。ツェペシュ側は、聖杯の力を使い、純血種の弱点である陽の光や白木の杭、銀や十字架といったものを克服し、極めて滅びにくい体を手に入れた。それは吸血鬼の誇りを捨て、価値観を根底から覆すような唾棄すべき事らしい。

 

 しかも、弱点を克服し本来の吸血鬼としての力と相まって強力になったツェペシュ派の吸血鬼はカーミラ派を襲撃までしたらしい。既に被害が出ており、正真正銘不死身に近い肉体を手に入れたツェペシュ派に、カーミラ派は相当マズイ状態へ追い込まれているらしかった。

 

 そこで、最近何かと耳に入る奇異な吸血鬼であるエヴァンジェリンに協力を要請しに来たというわけだ。吸血鬼の閉鎖的な思考は、他勢力への助力を望まないが同じ吸血鬼であるエヴァなら構わないと言うことらしい。あくまで内部抗争を同族だけで始末したいのだろう。

 

 エヴァは異世界の【真祖の吸血鬼】であるから、吸血鬼らしい弱点はない。当然、エルメが挨拶の時に一瞬視線を向けたエヴァの足元には影があり、それは、この世界ではハーフである証だ。つまり蔑みの対象である。実際、エルメのエヴァに向ける視線にも、既にギャスパーに向けるのと同じ侮蔑の感情が入っている。

 

 そんな感情を隠しもしないくせに堂々と力を貸せというのだから純血種の価値観がよく分かるというものだ。エヴァも、その辺を見極めたようで、末にエルメを興味の対象から外してしまったようだ。どうやら、つまらない、取るに足りない相手と見切りをつけたらしい。

 

 エルメがエヴァに語りかける。

 

「エヴァンジェリン。あなたの事を調べさせてもらったわ。……しかし、それは徒労に終わった。少なくともカーミラ側では何一つ、あなたが存在した痕跡を見つけられなかった。可能性として考えられるのは、あなたがツェペシュ派の生まれであり、忌み子として徹底的に隠され、挙句、追放されたというもの。違うかしら?」

 

 全くの的外れである。エヴァの出身は平行世界なのだから当たり前だ。しかし、そんなことを知る由のないエルメとしては妥当な推測だろう。もちろん、出奔した吸血鬼と人間との間に出来て人間界で生まれた吸血鬼という可能性もないではないが、いずれにしろ大外れである。

 

「さぁ? どうだろうな?」

 

 しかしエヴァは、お前に何か興味ねぇ! と言わんばかりにそっけない返事をする。エルメはそれを肯定ととったようだ。我が意を得たりと滑らかに舌を滑らせる。

 

「回復系神器の禁手化に優れた魔法も使うと聞いているわ。その力でカオス・ブリゲードを幾度も退け、三勢力のお歴々も一目置いているとか。……あなたがその力を私達カーミラ派の為に役立てるというなら、相応の扱いを約束して上げましょう。もう、家畜共に紛れて暮らす必要はないのよ。……来てくれるわね?」

 

 質問ではなく確信に満ちた一応の確認。そんな雰囲気でエヴァが自分達に協力するのは当然といった傲慢さを見せつけるエルメ。ハーフ如きが、高待遇を約束されて飛びつかないわけがないと、エヴァを完全に見下している。

 

 一方のエヴァは、エルメが“家畜”と言った瞬間、隣に座っている伊織に一瞬視線を向けた事に気が付き、ボルテージをふつふつと上げているようだ。剣呑な雰囲気を纏いながら鼻を鳴らして端的に返答する。

 

「断る」

「……なぜかしら? カーミラ派が信用できないのかしら?」

 

 やはり的外れなエルメの疑問に、エヴァは小馬鹿にしたような眼差しを向けた。

 

「世界の色を二色しか持たんようなつまらん種族に興味はない。それとな、小娘。私の前で、二度と私の家族を“家畜”と呼ぶな。……挽き肉にするぞ?」

 

 にわかに溢れ出るエヴァの殺気。エルメと護衛と思しき二人の吸血鬼が思わず体を強ばらせる。しかし、エルメは純血種の意地からか直ぐに居住まいを正すと、これまで以上に侮蔑の、いや、むしろ汚らわしいものを見るような眼差しをエヴァに向けた。

 

「……やはり所詮は雑種ね。既に汚れきっている可能性は考えていたわ」

 

 そう言うと、背後の護衛に合図をして一枚の紙を持ってこさせた。そして、それをスッとアザゼル達の前に差し出す。

 

「っ……これは……カーミラ側の和平協議についてか」

「ええ、我らの女王カーミラは長年の不和を憂いて休戦を提示したいと申しております」

 

 脅迫だった。つまり、エヴァが協力しなければ和平協議はしないということだ。

 

 エヴァは、所属としては退魔師協会なので人間側というべきである。なので、和平同盟を盾に取られても直接的には何の痛痒も感じはしない。

 

 しかし、友人であるアザゼル達が困るのは確実だ。そして、そんな友人を決して無碍にしないのが伊織であり、その妻であるエヴァなのだ。すなわち、的確に心理を突いた間接的な強制なのである。

 

 きっと、過去を一切調べられなかった分、“今”のエヴァについて徹底的に調べ上げたのではないだろうか? そして、その行動原理を知り、利用に出た。

 

 それを証明するように、唇を吊り上げたエルメが追撃をかける。

 

「ちなみに、神滅具に目覚めた者の名はヴァレリー・ツェペシュです。……確か、ギャスパー・ヴラディの大切な幼馴染でしたね? お友達が大変な事になって……心中お察しします」

「そ、そんな、ヴァレリーが、なんで……」

 

 心中察すると言いながら、唇の端は吊り上がったまま、その視線は激しく動揺するギャスパーに向けられてもいない。視線の先には伊織とエヴァ。愉悦に浸った瞳が言外に伝える。「ほら、お友達が皆、困っているわよ?」と。

 

 それに対して、伊織は隣をチラリと見て苦笑い気味に頬を掻いた。そして、その視線の先のエヴァは面白げに口元を緩めた。想像していたような悔しそうな表情でも、怒りを孕んだ表情でもない二人にエルメが訝しそうな表情になる中、エヴァの緩んでいた口元がニィイイと吊り上がった。背後に控えていたミクとテトが「エヴァちゃんのドSスイッチが……」と呟きながらエルメに同情の視線を向ける。

 

「クックックッ、小娘、中々面白い趣向じゃないか。こちらの信条を突いてくるとはな。道理で私に用がありながら、こいつらを同席させたわけだ。人間側とは言え、少し調べれば私達が和平同盟に協力するため奔走しているのは容易に分かること。その行動理由もな」

「さぁ? 何のことかしら?」

 

 澄まし顔でうそぶくエルメに対し、更に頬を歪めるエヴァは指をタクトのように振りながら言葉を続ける。

 

「しかし、一つ疑問がある。“助けを求められたら手を差し伸べる”という私達の、まぁ、正確には伊織のだが、その信条を調べておきながら、なぜ、こんなまどろっこしい事をした? 一言“手を貸して欲しい”と言えば、伊織は断らん。吸血鬼のみで解決したいのだとしても、私だけに手を貸して欲しいと頼めば、いやとは言わなかっただろう」

「……」

 

 無言のまま何も答えないエルメ。エヴァの質問を無視するように、自分達がエヴァを動かす為に利用されたと理解し歯噛みするアザゼル達へ視線を向け、同盟やヴァレリーの事を考えるなら精々頑張ってエヴァを説得しろと視線で伝える。

 

 そして、アザゼル達が何かを言う前に、話は終わったと席を立った。

 

「私からは以上です。解釈はお好きなように。よいお返事を期待していますわ。それではみな『座れ』……」

 

 辞そうとするエルメの挨拶を遮るように、エヴァが命令をする。それに不快げな眼差しを向け直したエルメにエヴァはもう一度命じた。

 

「聞こえなかったか? では、もう一度言ってやろう。“座れ”」

 

 その瞬間、エルメはエヴァの命令に従うように素早く腰を落とした。

 

「っ!? ……なっ、これはっ」

 

 その表情は驚愕に歪められており、座った事が全く本人の意図ではなかった事が分かる。

 

「エルメ様!?」

「どうなさいました!?」

 

 主の異変に気がついた護衛の吸血鬼二人が慌てたようにエルメのもとへ駆けつけようとした。

 

 だが、

 

「お前達もだ。そこに“正座”してろ」

「なっ!?」

「馬鹿なっ!?」

 

 同じく、エヴァが命令した瞬間、そのまま部屋の床に正座してしまった。二人もエルメと同じく、自分が正座した事に驚きをあらわにしている。

 

「クックックッ、素直なのはいい事だ。では、もう一度聞こう。なぜ、直接頼みに来なかった?」

「っ、そんな事より、私に何をしたのかしら? 体の自由をうばっ『ペシンッ!』きゃ!?」

 

 エヴァの質問を無視して強制的に座らされた原因を詰問しようとしたエルメは、その言葉の途中で自らの手で自らの頬を張り飛ばし言葉を詰まらせた。再び、信じられないといった表情で勝手に動いた己の手を見つめるエルメ。

 

 周囲に視線を巡らせば伊織達とアザゼル以外全員目を丸くしてエルメを見つめている。アザゼルだけはエヴァが何をしているのか検討が付いているのか天を仰ぐように片手で目元を覆ってしまっている。

 

「ふむ。答えないなら私が代わりに答えよう。――単純にプライドが許さなかった。それだけだろう? 外で人と暮らす私はもちろんの事、家畜としてしか見ていない伊織になど、それこそ死んでも頭を下げたくない。だから、周囲の者を利用した。むしろ、協力させて欲しいと私達に言わせたかった。そういうことだろう?」

「そんな事はどうでもいいでしょう! それより早く解放しなさい! 特使たる私にこんなことをしてただで済むと」

「閉鎖的なお前たちが外部に頼らねばならんほど窮地にありながら、何が出来るというのだ? んん? ちなみに私は、お前達の想像より遥かに強いぞ?」

 

 怒りと屈辱に表情を盛大に歪めるエルメ。プライドの塊のような彼女にとって体の自由を奪われ見下されるのは耐え難いものがあるのだろう。

 

 しかし、この程度でドSモードのスイッチが入ったエヴァが手を緩めるわけがない。エヴァは、更に“いい笑顔”になる。

 

 その様はまさに、

 

――悪 ☆ 者 ☆ 全 ☆ 開 ♡ 

 

 その笑顔を見て悪寒に襲われたのかエルメが身震いする。そして、遅まきながら「あれ? 私ヤバクない?」と感じたのか頬を盛大に引き攣らせる。

 

 そんなエルメを尻目にエヴァは指をタクトのように振るった。【隠】で秘匿されたオーラの通った極細の糸がエルメに本意でない命令を与える――念能力【人形師】である。

 

「仕方ない。素直でないお前達に私が“頼み方”というものを教えてやろう。感謝するがいい。さぁ、まずは跪いて頭を垂れろ。深く深く、地に額を擦りつけるようにな?」

「うぅ! うぅうう!!」

 

 エルメはその言葉通り席から立ち上がるとエヴァの前まで行き床に膝を落とした。唇や舌の動きまで主導権を支配されてしまったようで、可愛らしい唸り声しか挙げられていない。主の窮地に護衛二人が必死の形相になっているが、こちらも唸り声だけで何も出来ないようだ。

 

「あぁ~、エヴァンジェリン? もうそれくらいに……」

「ア゛ァ゛?」

「いや、何でもない……」

 

 見かねたアザゼルが、堕天使の総督らしくないおずおずとした口調で諌めようとするが片目を眇めたエヴァの睨みと苛立ちの混じった声音に直ぐに引いた。一誠達が「先生のヘタレ!」と視線で責める。

 

 そして、その間に遂にエルメはエヴァに頭を垂れてしまった。

 

「うぅ~、うぅ~」

「うむ。理解したか? それが“頼み方”というものだ」

 

 怨嗟の籠った唸り声を上げるエルメ。エヴァが顔を上げさせると、それだけで射殺せそうな憎しみすら籠った眼光をエヴァに向ける。そして、土下座したんだから、さっさと戒めを解け! と無言で訴える。

 

 しかし、ここで手を緩めないのがエヴァクオリティー。

 

「クックックッ。いい眼だ。……では、次は私の足を舐めろ。犬のように舌を抜き出して、尻を振りながらなぁ!! ふはっ、ふははははははっ!!」

「!? うぅ!! うぅううう!!」

 

 エルメの目が大きく見開かれた。そして、高笑いするエヴァを前に、絶望したように瞳が焦点を失っていく。

 

 目を細め口元を三日月のように裂きながら、実に悪どい哄笑を上げるエヴァの姿は、悪魔より悪魔らしかった。悪魔であるはずのグレモリー眷属とシトリー眷属がドン引きするほどに。

 

 美貌のエルメが四つん這いになって、その小さな舌を出し、もう少しでエヴァの靴に届くというその瞬間、

 

ベチコンッ!!

 

「ぶべッ!?」

 

 流石に見かねた伊織の、デコピンがエヴァの額に炸裂した。涙目で額をさするエヴァは、伊織を睨みながら抗議する。

 

「何をする! 痛いだろうが!」

「いや、流石にやりすぎだろう。この娘、目が虚ろになってるじゃないか」

「ふん、家族を家畜呼ばわりされ、友人を利用されたんだぞ。これくらいの報いは当然だ」

 

 拗ねたようにプイッとそっぽを向くエヴァに、伊織は苦笑いをこぼす。エヴァの憤りの理由が分かっていた為に伊織も静観していたのだ。拗ねたエヴァの頬を、感謝と愛おしさを込めてそっと撫でる。一瞬で機嫌が直るエヴァ。

 

 他人が見ればむず痒い思いをすること間違いなしの雰囲気を醸し出す二人だが、その足元で、エルメが足を揃えて崩れ落ちているので果てしなくシュールだ。実に哀れを誘うその姿は、まるで暴行にでもあったかのよう。

 

「うぅ、うぅ」

「ん? もう動けるだろ? 用件は分かったからもう帰れ」

 

 あんまりな物言いだが、未だにショックが抜けきらない様子のエルメは反論することもなくフラフラと立ち上がって出口に向かう。しかし、いざ扉から出て行こうという時になって、最後の意地が口を動かしたのか捨て台詞を吐いた。

 

「……この屈辱、決して忘れませんわ」

 

 そう言って振り返らず出ていこうとし……エヴァの指がクイッと動く。

 

 直後、

 

ビターーン!!

 

「はぅうう!!」

 

 エルメは転けた。両手をバンザイの状態にして、それはもう盛大に顔面から。ビターン! とギャグのような音を響かせて。

 

 静寂が周囲を支配する。伊織がエヴァの大人気の無さに溜息を吐き、エヴァはニヤニヤと笑っている。エルメの護衛二人は凍りついたように固まっていて、それはアザゼル達も同じようだ。

 

 やがて、ピクピクと動き出したエルメは、ゆっくりと立ち上がった。そして、肩越しにエヴァをキッ! と睨みつける。その紅玉のような瞳の端には今にも零れ落ちそうな光るものが……

 

 睨むエルメに向かって、エヴァはニヤァーと笑って見せつけるように指をクイクイと動かす。エルメは、一瞬ビクッと震えたあと、零れ落ちそうなそれを隠すように顔を背け、ぷるぷると震え始めた。

 

 そして、

 

「無礼者ぉおおお!! うわぁああああん!!」

 

 叫びながら夜の闇の中へと走っていった。

 

「エ、エルメ様ぁあああ!!」

「お待ち下さいぃいい!! 姫様ぁあああ!!」

 

 二人の吸血鬼もエルメを追いかけて姿を消した。

 

 やって来た時の冷たく静かな気配はどこに行ったのか。しばらくの間、駒王学園の夜闇に、吸血鬼の泣き声が木霊していた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 伊織達が、山道をえっちらおっちら進み濃霧を越えた先は一面雪景色だった。

 

「どうやらカーミラ領に入ったようだな。どこかに迎えが来ているはずだが……」

 

 アザゼルが雪にタイヤを取られないよう注意しながら、そう呟く。

 

 伊織達は、まず救援要請のあったカーミラ領に赴く事になっている。リアス達は、ギャスパーの幼馴染であるヴァレリー・ツェペシュに用があるわけだが、ひとまずカーミラ領である程度、ツェペシュ側の動き教えてもらう予定なので行動は同じだ。

 

 しばらく舗装された道を進んでいると前方に黒塗りの自動車と人影を捉えた。アザゼルが、すぐ近くに車を止める。

 

 そこにいたのは、マイナスに入っていそうな気温の中でも以前見たのと変わらないドレス姿のエルメだった。護衛らしき二人もいる。

 

「ようこそカーミラ領へ。皆さん、お待ちしておりました。もっとも、我らとしてはエヴァンジェリンだけでよかったのですが……」

 

 侮蔑の眼差しを隠そうともしないエルメ。相変わらず純血種以外には気温と同じくらい冷たい態度だ。

 

「ほぉ、そんなに私に会いたかったのか? んん? また遊んでみるか?」

「っ!? いえ、結構です! さぁ、案内しますから、遅れないで下さい!」

 

 エヴァの言葉と表情に、エルメはビクッ! と体を震わせるとギュウウと唇を噛み締めてから声を荒らげて踵を返した。どうやら、エヴァに対して相当な苦手意識を持ってしまったらしい。吸血鬼らしい超然とした静かな気配が一瞬で崩れ、ろくに反論もしないまま逃げるように自分の車に乗り込んでいく。

 

「まるでイジメっ子とイジメられっ子の構図だな……エヴァンジェリン。頼むからカーミラの女王を前に問題を起こさないでくれよ」

 

 アザゼルの疲れたよう声が響く。エヴァはそんなアザゼルにも相手次第だなっと実に不安になる言葉を送った。頼みの綱は伊織だけである。そんな視線がエヴァ以外の全員から向けられ、伊織は苦笑いをするしかなかった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 結果として問題は起こった。

 

 但し、エヴァが引き起こしたものではない。カーミラの女王との会談中にツェペシュ派の吸血鬼が襲撃して来たのである。

 

 そしてそれらをあっさり撃退し、負傷したカーミラ派の吸血鬼を瞬く間に全快させたエヴァにカーミラ派の者達は一目置いたようだ。

 

 それも当然かもしれない。迎撃に出ようとした者達を制止し、ただ一人、無人の野を行くが如く、超人的な身体能力で襲いかかるツェペシュ派の吸血鬼達を極限の合気術でいなしてはそのまま力を返し、不死性など何のそのと片っ端から氷の柩へ閉じ込めていく威風堂々とした姿は、むしろエヴァこそ女王という感じであった。

 

 銀色の世界に墓標の如く突き立つ氷柩。その中で物言わぬ標本となっている吸血鬼達。自分達が言い様にやられた弱点なき彼等を歯牙にもかけないエヴァに、カーミラ派の吸血鬼達は希望を見たような眼差しを送った。エルメだけは不本意そうだったが。

 

 そんな中、ツェペシュ派の情報が入る。どうやら、ツェペシュ派の中でクーデターが起こり、ヴァレリー・ツェペシュが王に即位したようなのだ。その情報をもたらしたのは王都を追われた前王一派であるから確かな情報だろう。

 

 男尊主義の派閥で女王が即位する。明らかに異常事態である。情報を整理したアザゼルの推測では、十中八九、カオス・ブリゲードが関わっているとの事だった。一誠達が襲撃を受け、それにカオス・ブリゲードが関わっていた事も推測を後押ししているのだろう。

 

 そんなわけで、伊織達は、カオス・ブリゲードと通じた現ツェペシュ派からカーミラ派を守るため、また、ギャスパーの幼馴染に起きている異常事態から彼女を助けるため、急遽、ツェペシュ派のもとへ向かうことになった。

 

 伊織達が現在いる場所は、ツェペシュ領の城内である。意外にも、ツェペシュ派が出迎えて案内してくれた。町中には混乱も破壊痕もなくクーデターが起きた様子は微塵もない。王をすげ替えるだけのような静かなクーデターだったようで、それだけ新生ツェペシュ派には余裕があるのだろう。あるいは、伊織達を懐に入れても問題ないような何かが待ち受けているのか……

 

「こちらが謁見の間です。中央にお進み下さい」

 

 案内役の吸血鬼が荘厳な両開きと扉を脇に控えていた兵士二人に命じて開けさせる。

 

 レッドカーペットの奥、玉座には二十歳くらいに見える濃いブロンドを一本に纏めた美女と言っていい女性が座っていた。その両脇には、同じく美貌の男性吸血鬼が数人控えている。

 

 玉座の女性を見て、ギャスパーが頬を緩めると同時に瞳を悲しげに潤ませた。中央まで歩みを進めた一行に、玉座の女性が挨拶をする。

 

「初めまして、皆様。ヴァレリー・ツェペシュと申します。えーと、一応、おうさま? になりました。以後、よろしくお願いします」

 

 微笑む新生ツェペシュの女王ヴァレリー。

 

 しかし、その瞳はどこまで空虚だった。

 

 

 

 




いかがでしたか?

少々、強引な介入となりましたが、何時もの如く皆さんの温かく華麗なスルーを期待しております。

さて、エルメちゃん涙目の回。
イジメっ子エヴァちゃんの前で、あの態度はいけませんでしたね。

そして、久々にこの作品の評価を見た作者も涙目……
いつの間にか評価1が量産されとる(汗
やりたい放題故に仕方なしとも思うのですが、ちょっと凹みましたorz
しかし、作者は止まりません。このまま妄想のままに駆け抜けます。


感想有難うございます。
楽しいとか、面白いとか、ツッコミなど書き込んで下さり嬉しい限りです。
次の世界は~という話題が早くも出ているようですが、作者的はやっぱり原作リリなのですかね~
崩壊しまくった原作をどう処理するべきか……
まぁ、取り敢えずは、ハイスク編を完結させますね。
最後まで楽しんでもらえれば嬉しいです。

明日も18時に更新します。


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第57話 異世界の守護者VS大魔王 前編

 神滅具【幽世の聖杯】

 

 それは生命に関する能力を持つ神器であり、生物を強化したり魂から肉体の再生を行ったりすることが出来るというものだ。但し、その理の一端に触れるような能力故に、代償として精神が汚染され見えてはいけないものが見えるようになってしまうらしい。

 

 そんな危険な神滅具に目覚めてしまったヴァレリーは、ツェペシュ派の吸血鬼が揃って肉体を強化した事からも分かる通り、その乱用から酷く精神を汚染されてしまっていた。辛うじてギャスパーと語り合う事は出来るが、ふとした瞬間に負の気配漂う虚空と会話を始めてしまうのだ。

 

 そんな大切な幼馴染の悲惨な姿にホロホロと涙を零すギャスパーを横目に、アザゼルが怒りを宿した眼差しでヴァレリーの隣に立つ男――宰相にしてクーデターを起こした首魁、同時にヴァレリーの兄でもあるマリウス・ツェペシュに事の次第を問い詰める。

 

 マリウスは、はぐらかすこともなく、あっさり答えた。すなわち、聖杯の研究がしたいから、邪魔な王族を排除するためクーデターを起こし、壊れることも厭わず妹は実験台にしたのだと。悪びれる様子など微塵もなく、たっぷりの悪意と冷笑を持って。

 

「ヴァレリーを、ヴァレリーを解放して下さい! お願いします! これ以上、ヴァレリーを傷つけないで!」

 

 悪意を撒き散らすマリウスにギャスパーが叫ぶ。悲痛そのもの叫び。大切な仲間のそんな声に、そして嫌悪感を抱かずにはいられないマリウスの所業に、リアス達が怒りに震える。

 

「いいですよ? 解放しましょう」

「ほ、本当ですか!?」

「ええ、構いません。ただ、女王という立場を即位して直ぐに返上するのは体裁が悪いので、少し時間は頂きますが……ヴァレリーには随分と頑張ってもらいましたからねぇ。いい加減、聖杯からも解放して上げますよ」

 

 その言葉に、困惑するヴァレリーと歓喜するギャスパー。

 

 しかし、その真意に気がついている者は、余りの悪意に身震いする程の怒りを覚える。マリウスは、聖杯を強制的に抜き取る気なのだ。そんな事をすればヴァレリーが絶命すると分かっていながら、気がつかずに喜ぶギャスパーを冷笑しながら。己の、聖杯を研究したいという欲求の為に、全てを踏みにじろうというのだ。

 

 アザゼルが額に青筋を浮かべながら口を開こうとしたその時、機先を制するようにマリウスに問いかける者がいた。伊織だ。

 

「聖杯を抜き取る気なんだな? 妹が死ぬと分かっていて、ギャスパーの求めるものが何か分かっていて、止める気はないんだな?」

「おや、人間如きが随分な口の利き方ですねぇ。まぁ、いいでしょう。君の言う通りです。死という安らぎを与えてやるのですから、私ほど、妹思いの兄もいないでしょう」

 

 その言葉に、ギャスパーの表情が凍り付いた。ようやく、マリウスの真意に気がついたのである。リアスが、気遣うようにギャスパーの手を握る。当のヴァレリーは曖昧な笑みを浮かべたままだ。

 

 伊織は、マリウスの悪意などまるで意に介さず、その静かな瞳をヴァレリーに向けた。

 

「ヴァレリーさん。一つ聞かせてくれ」

「私? ええ、何かしら?」

 

 焦点の定まらぬ濁った瞳を向けるヴァレリーに、伊織は最後の確認をする。

 

「ギャスパーが貴女を求めている。貴女はどうだ? 陽の光のもと、彼と生きたいと思うか? この冷たい場所を飛び出して、温かな生を生きたいと思うか?」

「え、えっと、私は……」

 

 伊織のいきなりの質問に戸惑ったように眉を八の字にするヴァレリー。そんな彼女に、ギャスパーが叫ぶ。泣きべそを掻いた声音ではない。立派な男の声だ。

 

「ヴァレリー! 一緒に行こう! 一緒に生きよう! 楽しい事も、温かい事も、優しい事も全部教わったんだ! 今度は僕がヴァレリーに教えてあげるから! だから! 一緒に行こう!」

「ギャスパー……そうね。そう出来たら、とても素敵だわ。貴方とお日様の下を歩くのが、私の夢だったの」

「ヴァレリー!」

 

 感極まったように嬉し泣きするギャスパー。ヴァレリーもどこか力の宿ったように見える眼差しで一心にギャスパーを見つめ返している。

 

「ギャスパー……よく言ったわ! それでこそ私の眷属よ!」

「流石、グレモリー男子だね。格好良かったよ」

「へっ、言うようになったじゃねぇか」

 

 リアス、佑斗、アザゼルがそれぞれギャスパーに称賛の言葉を送る。伊織とエヴァも、よく言ったと感心の眼差しを送った。

 

「エヴァ、出来るか?」

「……実際に触れてみんと分からんが、問題ないだろう。以前やった事とやることは変わらんからな。まぁ、どうとでもしてやるさ。任せろ」

「ああ、任せる。邪魔はさせない」

 

 会話の内容が分からず眼に困惑を乗せるアザゼル達。そんな彼等――正確にはギャスパーに向かって伊織は静かな、されど確かな意志の炎を宿した眼差しを向けた。言葉はなくとも、明確に伝わるそれ。

 

 すなわち、

 

――救おう

 

 頷いて強い眼差しを返すギャスパーに頷き返して、伊織がスッと前に出る。

 

 今の今まで、当事者の一方からだけしか情報を得ておらず、吸血鬼の内部抗争ということで詳しい事情が分かるまではと大人しくしていた。あるいは、ヴァレリーという女性も、自ら国の為に立ち上がったのではないかと考え安易な行動に出なかった。

 

 しかし、もう十分だった。知るべき情報は手に入れた。やるべき事は理解した。誰が悲鳴を上げていて、誰が救いを求めていて、誰を打倒し、何をすべきなのか……救うべき者の守護を誓った男――東雲伊織が動き出す。

 

「? 何のつもりだい? 人間如きが、まさ『黙れ』っ、何だって?」

「黙れと言った」

 

 視線すら向けない伊織の言葉に、マリウスの額が青筋を作った。家畜同然の人間に、相手にすらされていないと察し、怒りが湧き上がる。

 

「どうやら口の利き方を教育して上げる必要があるようだ。授業料は、取り敢えず、手足でいい」

 

 マリウス他、側近と思しき数人の吸血鬼達が、身の程をわきまえない人間に格の違いを見せようと動き出そうとした。

 

 その瞬間、

 

「っ、何だこれはっ!?」

「う、動けんだと!?」

「ま、魔法か? しかしっ」

「くそっ、離せっ!」

 

 濃紺色の光の円輪が全ての吸血鬼達の四肢を一瞬で拘束し空中に磔にした。

 

――捕縛魔法 レストリクトロック

 

 更に、

 

「アルス・ノーバ・アド・リビドゥム 小さき王 八つ足の蜥蜴 邪眼の主よ 時を奪う 毒の吐息を 【石化の息吹】」

 

 動けない吸血鬼達に向けて石化の白煙が襲いかかった。不死身に近い肉体を持っていても、エヴァが氷柩に閉じ込めたように、石化させてしまえば問題ないという事だ。

 

 突如発生した煙に危機感を感じたのかマリウスが叫んだ。

 

「た、助けなさい! 早く!」

「ッ!?」

 

 刹那、伊織の危機対応能力が盛大に警鐘を鳴らした。即頭部を無数の針で突かれたようなピリピリした感触。一瞬のタイムラグもなく、体に染み付いた動きのまま身を沈めた伊織の頭上を豪風が通り過ぎる。

 

 その正体は腕だった。黒いコートを羽織った金と黒のオッドアイの男が伊織に奇襲をかけたのだ。その男は、伊織が完璧に反応したことに僅かに目を見開く。しかし、すぐに視線を逸らしてマリウスのもとへ行き、腕の一振りで豪風を発生させ石化の白煙を吹き散らしてしまった。

 

 ついでに、その爪でマリウスを縛る円輪も破壊する。

 

 マリウスは拘束されていた手首を撫でながら、煙が晴れた先で石化している同胞に視線をやり、ついで傍らに静かに佇む黒コートの男を見て、ニヤリの悪意に満ちた笑みを浮かべた。

 

「ふっふっふ、少し焦りましたが、彼が来た以上、もう私に危害は加えられない。随分とふざけたことをしてくれましたね。私の代わりに国を動かす役目があったというのに……クロウ・クルワッハ、彼等の石化、解除できますか?」

「俺の専門外だ」

 

 静かに答える男は、その雰囲気にあった静かなオーラを纏っている。しかし、それは伊織をして冷や汗を流さずにはいられない常軌を逸したレベルの密度を誇っていた。鍛錬の時に感じたことのある蓮に次ぐ異常なプレッシャー。伊織の本能が、先程から警鐘を鳴らしっぱなしである。

 

「クロウ・クルワッハだと!? 馬鹿な……いや、聖杯の力で……一誠からの報告でもグレンデルが復活したと言っていたな。くっそたれ、奴らこんな奴までっ」

 

 アザゼルが、伊織と同じく冷や汗を流しながら悪態交じりに呟く。正体を知っているらしいアザゼルに、伊織が黒コートの男から視線を逸らさずに尋ねた。

 

「アザゼルさん、奴は?」

「……クロウ・クルワッハ。戦いと死を司るドラゴン。かつて、三日月の暗黒龍(クレッセント・サークル・ドラゴン)と呼ばれた、最強の邪龍だ。しかも、何故か昔より強くなってやがる。あるいは二天龍と遜色ない気配だぞ。伊織、絶対に戦うな。レベルが違いすぎる」

 

 アザゼルが静かに忠告をする。しかし、伊織は、それには答えず、前進を再開した。止まる理由などなかったのだ。敵の巨大さなど、足を止める理由にならない。救うと決めたのだ。ここでマリウスを逃したら、ヴァレリーは連れて行かれるだろう。そうなれば、聖杯を抜き取られ彼女は死ぬ。

 

 故に、誓いのままに、伊織は前進する。

 

 クロウ・クルワッハが、僅かな興味の宿る視線を伊織に向ける中、突如、世界が色褪せた。石化した吸血鬼とクロウ・クルワッハが姿を消す。逆に、クロウ・クルワッハから見れば、突然、伊織達が消えたように見えただろう。

 

――結界魔法 封時結界

 

「な、何だこれはっ、結界? くそっ、クロウ・クルワッハはどこだっ」

 

 冷静な態度が崩れ素が出つつあるマリウスを尻目に、伊織は険しい表情のまま右手に魔力を集束し始めた。

 

「お、おい、伊織、一体、どうする気で」

 

 アザゼルが疑問の声を上げる。しかし、全て言い切る前に、眼前の空間に亀裂が入った。封時結界を外部から破壊して侵入しようとしている者がいるのだ。

 

 それは当然、クロウ・クルワッハ。

 

 伊織は、それを予想していた。あのドラゴンなら空間すら破壊してやって来るだろうと。

 

 故に、

 

パキャァアアン!!

 

 封時結界が破られるのと同時に、絶妙なタイミングで伊織の奥義【覇王絶空拳】が空間を破砕し、虚数空間に通じる穴を開ける。

 

 正面から飛び込んで来たクロウ・クルワッハは、凄まじい勢いで己を呑み込もうとする眼前の穴に瞠目するように目を見開いた。咄嗟に、龍の翼を展開して呑み込まれまいと踏ん張る。

 

 しかし、

 

「悪いが、少し向こう側に行ってもらうぞ」

 

 伊織のそんな言葉が響くと同時に、突如、クロウ・クルワッハの足が掬い上げられた。

 

「ッ!?」

 

 クロウ・クルワッハが驚いたように視線を向ければ、そこには極細の鋼糸がいつの間にか巻きついている。更に、大きく迂回するように飛ばされた誘導型の魔弾【アクセルシューター】が、これまた絶妙なタイミングでクロウ・クルワッハの肩と翼に直撃した。

 

 クロウ・クルワッハにとって何の痛痒も感じない程度のものではあるが、それでも衝撃は伝わり体勢が勢いよく崩される。そう、これは言ってみれば、鋼糸と魔弾を利用した合気なのだ。

 

 見事に体勢を崩されたクロウ・クルワッハ。その結果は当然、

 

「っ……面白い。必ず戻って来るぞ。人間」

 

 その言葉を残して、クロウ・クルワッハは虚数空間に放逐された。

 

「ば、馬鹿な、クロウ・クルワッハが……最強の邪龍が……」

 

 動揺をあらわにするマリウス。彼を護衛するものは既に何もない。焦った表情で、この場から逃亡しようとヴァレリーに視線を向ける。おそらく、聖杯だけは確保したいのだろう。

 

 そんなマリウスの懐に、ぬるりと伊織が踏み込んだ。認識すら出来ず、すぐ眼前にまで一瞬で距離を詰められたマリウスの表情が「人間が風情がっ」と屈辱と怒りに歪む。そんな美貌でありながら、どこまでも醜いマリウスの、その瞳に自分が映っているのを見返しながら伊織は、激烈な震脚を行う。

 

 地震のような衝撃と共に、静かでありながらも明確な怒りを宿した眼差しで真っ直ぐにマリウスを射抜く伊織は、巌のように固く握り締めた拳をマリウスの顔面に突き刺した。

 

ドパンッ!!

 

 凄まじい衝撃音。

 

 マリウスの頭部は弾かれたように地面へ叩き付けられ、小規模なクレーターを作り出す。それだけの威力がありながら、マリウスの頭部が原型を留めているのは、伊織の打ち方故だ。

 

 衝撃のほとんどを内部――脳に伝える。聖杯の力で、ほぼ不死身であるマリウスならそれでも復活するかもしれないが、それでも肉体で一番デリケートな場所を破壊されたのだ。しばらく時間がかかるだろう。

 

 クロウ・クルワッハを異空間へ放逐し、クーデターの首魁と一味を一瞬で無力化した伊織は、僅かに息を吐き、肩越しに指示を飛ばした。

 

「エヴァ、頼む」

「うむ、少し時間がかかるぞ」

 

 邪魔者がいなくなった謁見の間を進み、エヴァがヴァレリーのもとへ駆け寄る。

 

「アザゼルさん、外交の問題もあるでしょうから、こいつ等の身柄は預けます。後をお願いできますか? 石化も後で解きますから、尋問すればカオス・ブリゲードとの繋がりも、新政府の所業も明らかに出来ると思いますが」

「お、おう。いや、まぁ、何だ。色々言いたいことはあるんだけどよ……うん、もう、伊織だからって事でいいわ。考えすぎたらハゲそうだ」

 

 少し前は、クロウ・クルワッハ相手に自分が時間を稼いで他を逃がさねば! くらいの覚悟を決めていたのに、あっさり解決しやがってと疲れた表情で投げやりに言葉を発するアザゼル。

 

 そんな中、ギャスパーが不安そうな眼差しを、神器を発動したエヴァと未だ厳しい眼差しを周囲に向け警戒心をあらわにしている伊織に向けた。

 

「あ、あの伊織先輩。ヴァレリーは……」

「ああ、大丈夫だよ。エヴァの神器で精神の汚染を回復させる。エヴァの禁手【輪廻もたらす天使の福音】は、魂にすら干渉し一定条件下では死者蘇生も可能だからな。魂から正常状態の情報を抽出し上書きする要領で精神を回復していけば……治るはずだ」

「ほ、本当ですか!?」

「大丈夫。エヴァが何とかすると言ったんだ。だから、大丈夫だよ。ギャスパー」

 

 その力強い言葉を後押しするように、清廉な空気が謁見の間に満ちる。純白の光が蛍火のように舞い散りながら天へと登って行き、その光の中心でヴァレリーがどこか心地よさそうな穏やかな表情を浮かべていた。それに、安心したように涙ぐむギャスパー。急いで、自らも治療を受けるヴァレリーのもとへ駆け寄る。

 

 それを見送りながら伊織は、ここにはいないはずの者に呼びかける。

 

「ミク」

「はい、マスター!」

 

 打てば響くと言うように、伊織のコートの内側からぴょん! と体長十センチくらいの翠髪ツインテールの女の子――ミクが飛び出した。

 

「なっ、お前、連れて来てたのか! ってかそのサイズ、俺の時と同じ……【如意羽衣】か」

「ええ、ミクの分身体なら魔法による通信より確実に、リアルタイムで向こう側と情報を共有できますからね。ツェペシュ領に入った時点で、一誠達にもこちら事情を知らせるように言ってあります」

「はぁ~、そう言う事は言っておけよ。で、呼ぶんだな?」

 

 アザゼルの呆れたような表情に、苦笑いで謝罪しつつ頷く伊織。

 

「はい。色々とやばそうな気配を複数感じます。さっきのクロウ・クルワッハも、そう掛からずにこちらへ戻って来そうですし、カオス・ブリゲードがこのまま何もせず吸血鬼領を放っておくとは思えません。……いい加減、こそこそ暗躍されるのも鬱陶しいですしね。ツェペシュの暴走を止め、カーミラを保護するついでに……潰しましょう」

 

 伊織の瞳が剣呑に細められた。いい加減、カオス・ブリゲードに好き勝手されるのも終わりにしたいという思いがありありと伝わる。それは、アザゼル達も全く同じ気持ちだった。

 

「ああ、賛成だ。俺の予想が正しければ、厄介な奴がカオス・ブリゲードの頭を張ってるはずだ。一誠からも邪龍やグレイフィアの弟――ユークリッドの存在が報告されている。戦力は多い方がいいだろう」

 

 アザゼルの言葉に、リアス達も頷く。吸血鬼領で暗躍しているカオス・ブリゲードをこの機会に打倒するのだ。その決意を瞳に宿す。未だ、ヴァレリーの治療が続く中、ミクが本体のミクと協力してベルカ式転移魔法陣を完成させる。吸血鬼領には侵入を拒む結界が張ってあるのだが、形式の全く異なる魔導で両側から繋げれば可能だ。

 

「行きますよぉ! 転移魔法、起動!」

 

 プチミクが、高位転送魔法を発動すると正三角系の特徴的なベルカ式魔法陣が回転しながら浮かび上がった。翠色の魔力光が溢れ立ち上る。

 

 そして、一瞬の爆発するような輝きの後、そこには一誠達グレモリー眷属とシトリー眷属のルガールとベンニーア、御使いのイリナ、そしてミク、テト、チャチャゼロ、蓮がいた。

 

 みな、事情はミクを通して把握しているようで、ヴァレリーに心配気な眼差しを送っている。同時に一誠達グレモリー眷属はギャスパーの成長に誇らしげな眼差しを送っていた。

 

 改めて集まった者達へ、マリウス派の強化吸血鬼達の捕縛と吸血鬼領で暗躍しているであろうカオス・ブリゲードの構成員の打倒ないし捕縛を説明しようとしたとき、不意に謁見の間の扉の方から声が響いた。軽い口調だが悪意を煮詰めたような声音だ。

 

「およよ? なになに、何なのこの状況、マリウスちゃんぶっ倒れてるし、クロウちゃんいねぇし、って、お~、アザゼルのおっちゃんじゃん。超おひさ~」

 

 視線を向ければ、そこには銀髪の中年男性がいた。ニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべるその男は、異質で底知れないオーラを纏っており、何より驚くべきは魔王の衣装を身に付けていることだろう。

 

 名指しされたアザゼルが、苦さと憤りを綯交ぜにしたような表情で相手の正体を叫ぶ。

 

「リゼヴィム・リヴァン・ルシファーぁ!! やっぱり、てめぇだったか!」

 

 リゼヴィム・リヴァン・ルシファー――サーゼクスの前の魔王、前ルシファーとリリスの間に生まれた息子で聖書にも“リリン”の名で記載されている大悪魔だ。その力は当然魔王級であり、しかもサーゼクスやアジュカ・ベルゼブブと並ぶ“超越者”の一人である。

 

「んな恐い顔すんなよぉ、僕ちんチビっちゃうだろぉ」

「リゼヴィム、一体、何を企んでる。姿をくらましたお前が、なぜ、今更出て来た? カオス・ブリゲードを纏めて何をする気だ?」

 

 アザゼルが直球で聞く。それに対してリゼヴィムは軽薄な笑みを浮かべたまま、その視線をエヴァとヴァレリーに向けた。治療はほとんど終わりかけだ。それを証明するようにギャスパーに寄り添われたヴァレリーが、確かな意思の輝きを放つ瞳と声音で警告の言葉を発する。

 

「皆さん、お気をつけ下さい! 彼は、聖杯の一つを所持しています。私の【幽世の聖杯】は三つで一つの亜種。彼は既に、私から一つを奪っているのです!」

「うひょお、ヴァレリーちゃん、マジで治っちゃったのかよ! スゲーなぁ、聖杯に汚染された奴が元に戻るなんて前代未聞じゃん! なになに、そっちの吸血鬼ちゃんがやったわけ? いいねぇ、どう? うちに来ない?」

 

 リゼヴィムのテンションが気持ち悪いくらい上がる。一方でアザゼル達は驚愕に目を見開いていた。【幽世の聖杯】が三つもあるという時点でも驚愕ものだが、既にその一つをリゼヴィムが所持している事が最悪の事態を悟らせる。

 

 それはつまり、悪意の塊のようなリゼヴィムが、自由に生命を弄べるということだからだ。もう限界だったヴァレリーで散々実験したあと、比較的安全に、邪龍を復活させたり、構成員の生命を強化したりしたに違いない。

 

「リゼヴィム、もう一度、聞くぞ。聖杯を奪い、伝説の邪龍を復活させ、カオス・ブリゲードを纏めて、一体なにをするつもりだ」

「ふっふっふ、気になる? アザゼルのおっちゃん、気になっちゃう? しょうがないなぁ~。いいよぉ、僕ちん、教えちゃう!」

 

 そう言って邪悪そのものの笑みを浮かべつつ語り出したリゼヴィムの、そして率いる新生カオス・ブリゲードの目的は、とんでもない内容だった。

 

――異世界侵略

 

 それこそが、彼等の目的だというのだ。数ヶ月前、一誠達が北欧の悪神ロキと戦った際、一誠は異世界の神を名乗る“乳神”の力を借りた。それが、確認されてはいないが存在が議論されていた“異世界の存在”を証明してしまった。

 

 それが、永遠に近い長き生に飽きて生きる屍同然になっていたリゼヴィムの野心に火を付けた。すなわち、異世界を侵略し、蹂躙し、君臨する大魔王になってみたいという思いに。

 

 しかし、次元を越えようにも、“次元の狭間”には最強のドラゴン【真なる赤龍神帝】がいる。異世界侵略の野望を成し遂げるには、かの存在が邪魔だった。だが、だからといって、リゼヴィム達に最強を退ける力などない。かの【無限の龍神】ですら無理なのだから当然だ。

 

 その問題を解決する手段としてもたらされたのが、聖杯の深層から世界の果てに存在することが明らかになった黙示録の皇獣――666(トライヘキサ)を真龍にぶつけるというものだ。

 

 聖書の神により、禁術を含めた数千の封印を施された真龍と並ぶ聖書の獣。それを聖杯と、同じくカオス・ブリゲードの構成組織である”魔女の杖”の神滅具所持者ヴァルブルガの【紫炎祭主による磔台】――聖十字架で解除しようというのである。

 

 そして、新生カオス・ブリゲードと邪龍軍団、トライヘキサを率いて異世界侵略を成すのだという。

 

 嬉々として己の野望を語るリゼヴィムの姿は無邪気で、それ故にどこまでも邪悪であり、一般的な人々の悪魔に対する認識をそのまま体現したようだった。

 

「ふざけんなよっ! そんなくだらない事の為に、邪龍なんて復活させて、学園襲って、あんな、あんなフェニックスのクローンを作るなんてひでぇ事を……それに、ギャー助の大切な人まで酷い目にっ」

 

 怒声を上げたのは一誠だ。自分が呼び込んだ異世界の神から、こんな事態になるなんて思いもしなかった。一誠の責任など微塵もないが、それでも、何も感じないわけではない。やりきれなさと、リゼヴィムの身勝手で邪悪な思想に対する怒りが止めど無く湧き上がる。それは、一誠以外のメンバーも同じだった。

 

 しかし、全員から嫌悪と怒りの眼差しを向けられても、むしろ心地いいといった表情で軽く返すリゼヴィム。

 

「ひゃははははは、な~に、怒ってんの? 怒っちゃってんの? お前ら悪魔だろう? 悪魔ってのは、外道で鬼畜で、邪悪で悪辣でなんぼだろうが。知ってるぞ? 正義のおっぱいドラゴンだっけ? お前さぁ、“悪魔”で“ドラゴン”の癖に何“ヒーロー”とかしちゃってんの? 気づけよ。それこそ異常だってなぁ。お前らも、ちっとは見習ってもいいんだよん? この僕ちゃんの正しい悪魔道ってやつをさぁ! うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」

 

 哄笑を上げるリゼヴィム。自分のあり方に疑問を微塵も持たないどころか、むしろ誇りすら持っているようだ。そんな彼に、静かな、されど何処か挑発的な響きを持った声がかかる。

 

「異世界侵略か……なら、まずは俺を倒してからにしてもらおうか」

「ァん?」

 

 進み出るのは、やはりこの男。東雲伊織だ。伊織の前進に合わせて、付き従うようにミク、テト、エヴァ、チャチャゼロがその背後に控える。

 

「おぉ、確か、【魔獣創造】の坊主だっけ? なになに、神滅具があるからって僕ちんに勝てるとか調子こいたこと思っちゃったわけ? それとも人間らしく、魔王様倒して英雄になりたい! とか思っちゃってる? ひゃは」

 

 リゼヴィムの“超越者”としての能力は“神器無効化”。神器を強さの源にする者に対しては無敵を誇る。それ故に、神滅具所持者という点を除けば人間でしかない伊織が、木っ端にしか見えないのだろう。

 

「大外れだ。言葉通り、異世界を侵略したいなら、ます俺を倒してみろ言っているのさ。俺すら打倒できないようじゃ、異世界に行ったところでお前の野望は叶わないだろうからな」

「……さっきから、なに言っちゃんてんの? 異世界侵略と坊主に何の関係が――」

「俺は異世界を知っている」

 

 リゼヴィムの表情が変わる。軽薄極まりなかった表情から緩みが消えて、代わりに興味の色が浮き出る。伊織達の背後でも一誠達が驚いたように伊織に視線を向けた。

 

 伊織は語る。

 

「科学と魔法が融合し次元の海を自由に渡る世界を知っている。人間を極めたような奴らがわんさかといる世界を知っている。別の星に異世界を作っちまうような心配性の神がいる世界を知っている。俺は、そんな世界を渡り歩いて来た」

 

 伊織が更に一歩、魔王のもとへ踏み出す。そして、強き眼差しと共に威風堂々と宣言する。

 

「リゼヴィム・リヴァン・ルシファー。お前の目の前にいるのは、異世界からの来訪者――いや、その先鋒だと思え」

 

 リゼヴィムが行き付くかもしれない世界が、伊織の知る世界とは限らない。十中八九、伊織も知らない世界だろう。

 

 しかし、それでも、己の快楽のために暴力と恐怖をもって数え切れない悲劇を生み出そうというのなら、伊織が立ちはだからない訳がない。異世界の防壁となり、先鋒となり、悪意の尽くを砕いて見せる。己の立てた誓いのままに。

 

 そんな壮絶な意志が、魔力もオーラも纏っていないのに伊織から尋常でないプレッシャーを放たせる。それは魂の力。輝く意志の力が、魔王をして無視できない圧力を感じさせる。

 

「うひょう~、これまた衝撃の事実だねぇ? 本当ならだけど。それで、異世界の先鋒くんは、俺をぶっ倒そうってわけだ。人間が魔王に挑んじゃうわけだ。ひゃひゃひゃひゃ、なにこれ、すげぇ盛り上がる展開じゃん。僕ちん、ちょっと感動。いいねぇ~、そんじゃあ、英雄くんがどこまでやれるか試してみようか?」

 

 リゼヴィムは、哄笑を上げながら指をパチンと鳴らした。すると、彼の脇に立体絵像が現れる。そこには雪で包まれた城と城下町が映っていた。見覚えのある光景――それもそのはずだ。映っているのは数時間前まで伊織達がいたカーミラ領の光景だったのだから。

 

 リゼヴィムは、その表情を邪悪に歪める。

 

「さぁて、俺は魔王らしく、この世界と異世界に混沌と破壊をもたらすつもりだ。止められるものなら止めてみな?」

 

 その言葉と同時に、立体映像の中に黒い斑点が現れ始めた。それらは空を飛び交い、徐々に正体をあらわす。

 

「これは……黒いドラゴン?」

 

 誰かの呟き。それを証明するように、黒いドラゴンはカーミラの城下町に向けて巨大な火炎を吐き出した。雪景色に包まれたカーミラの街が紅蓮に染まっていく。

 

「はいはい、大正解! これからあの黒いドラゴン軍団がぁ、吸血鬼ちゃん達を町ごと滅ぼしちゃいます! うひゃひゃ! すげぇーだろぉ!」

「なにをした、リゼヴィム!!」

「アザゼルのおっちゃんなら想像付いてるだろ? あれはな、強化吸血鬼ちゃんたちの成れの果てさぁ! 僕ちんが指パッチンすると、聖杯の力で黒い量産型邪龍に大変身!」

 

 上機嫌なリゼヴィムの告白に、全員が絶句する。邪龍軍団を率いるとは、クロウ・クルワッハのような伝説の邪龍だけでなく、弱点を克服したいと集まった吸血鬼全てを邪龍に変えて軍団を組織する事を指していたらしい。

 

 と、その時、伊織達のいるツェペシュの城に激震が走った。激しい衝撃と爆音が不協和音を奏でる。

 

「これはっ」

「あ~、言うの忘れてた。俺が指パッチンすると、ツェペシュ側の強化吸血鬼ちゃん達も邪龍化するんだった! というわけで、外では絶賛、邪龍くん達が大暴れしてます! まさに蹂躙激の始まり始まりぃ~……で? 大言吐いた坊主はこの惨状どうする?」

 

 視界の端でマリウスが変貌し始めたのを確認しつつ、伊織は、右手に魔力を集束させた。

 

「アザゼルさん、マリウスは任せます。リアスさん、城下の人々の保護と避難を。 セレス、カートリッジロードだ」

「ちっ、しゃあねぇ、わかったよ」

「え? えぇ、わかったわ!」

「yes,my,master load,cartridge」

 

 伊織は、ニヤニヤと笑うリゼヴィムを尻目に濃紺色の閃光を天井に向かって放った。バシュン! バシュン! と二発の薬莢が宙を舞う。

 

――直射型砲撃魔法 ディバインバスター・エクステンション

 

 高密度に圧縮され減衰することなく対象を打ち抜くディバインバスターの発展型砲撃魔法。いわゆる壁抜き砲撃である。

 

 天井をぶち抜き、上階の床、天井を尽くぶち抜いて外までの直通路を強引に作る。外から見れば、突然、城から濃紺色の閃光が飛び出し天を衝いたように見えただろう。

 

「エヴァ、チャチャゼロ、そこの魔王の足止めをっ!? このタイミングでか」

 

 伊織が体を浮かせながら、エヴァとチャチャゼロにリゼヴィムの足止めを指示しようとした瞬間、にわかに鳴動が起こり、玉座近くの空間がひび割れ始めた。そこから、先程感じた尋常でないプレッシャーが溢れ出てくる。そう、放逐したはずの最強の邪龍が戻って来たのだ。この短時間で。

 

パキャァアアン!!

 

 そんな破砕音と共に飛び出してきた黒コートとオッドアイの男――クロウ・クルワッハが、一瞬、謁見の間に視線を巡らせ、伊織を見つけるやいなや視認も難しい速度で飛びかかった。

 

 本能の命ずるまま回避しようとした伊織の耳に、見知った家族の声が響く。

 

「ところがぎっちょん!!」

「っ!?」

 

 伊織を引き裂こうと、龍の双腕を振りかぶったクロウ・クルワッハに、横合いから強烈な飛び蹴りが炸裂した。言わずもがな、我らの頼りになる龍神様である。

 

「っ、オーフィスだとっ!? なぜ、お前がっ!!」

「蓮と呼べ。伊織に手は出させない」

 

 蓮は、チラリと伊織を見る(ドヤ顔)と、そのままクロウ・クルワッハに追撃をかけた。流星のように突っ込み体当たりをしたまま壁をぶち抜いて城の奥へと消えていく。

 

 同時に、闇と氷の螺旋を描く砲撃がリゼヴィムに襲いかかった。

 

「うわぉ!!」

「伊織! この哀れな精神の中年は引き受ける! 行け!」

「ケケケ、魔王退治トハナァ、最高ニハイダゼ!!」

 

 エヴァの【闇の吹雪】だ。先程の指示をきちんと聞いていてくれたらしく、それだけ伊織に告げると、テンションアゲアゲのチャチャゼロと共に、蓮と同じく壁をぶち破りながらリゼヴィムを引き離しにかかった。

 

「ミク、テト、行くぞ!」

「はい、マスター!」

「了解、マスター!」

 

 伊織は無言でそれに頷くと、リアス達に視線を送り、ミクとテトを伴って天井から飛び出した。マウリスの邪龍をアザゼルが光の槍で突き刺し止めを刺す。吸血鬼領が存続の危機にあるのに外交の問題など語っていられないのだ。

 

「行くわよ、皆。吸血鬼とは言え、何も知らない人々を見殺しには出来ないわ!」

 

 それを確認して、リアス達も伊織を追って飛び出していく。

 

 空から見た城下町は酷い有様だった。高い建物は軒並み破壊され、あちこちで量産型邪龍が飛び交い、眼下の町に向けて強大な火炎を吐き出している。美しい町並みは、既に紅蓮に染め上げられていた。カーミラより、強化吸血鬼が多かったのも悲惨な現状の要因だろう。

 

「ひでぇ……」

 

 一誠が、思わずといった感じで呟く。他のメンバーも気持ちは同じだった。そんな一誠達の更に上空から、突然、音が降り注いだ。

 

 腹の底までに響くような、重厚で繊細な音楽。何事かと一誠達が上空を仰ぎ見れば、そこには黄金に輝くバリトンサックスを吹き鳴らす伊織の姿があった。極度の集中故に、額に青筋を浮かべながら町の隅々まで行き渡る程の音量で奏で続ける。

 

 戦場には似つかわしくないオンステージに、一誠達は訝しむと同時に、かつて一瞬で行動不能にされたときの事を思い出した。目立つ伊織目掛けて、襲い来る邪龍の群れを、彼の最高のパートナー達が鉄壁をもって守りぬく。

 

 突然の事態に恐慌を来たしていた町の住民達が素晴らしい音色に少し冷静さを取り戻し始めた頃、戦場全ての音を掌握した“音階の覇者”以上の力を持つ奏者は、その場で大きく仰け反った。ギラリと輝く眼光に、グワッと肥大化する胸部。有り得ない音を立てて吸い込まれる空気の量は異常。

 

 その溜まりに溜まった空気が、次の瞬間、余すことなく黄金のバリサクへと注ぎ込まれた。

 

ドォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!

 

 天から轟音が降り注ぐ。発生した頗る付きの超衝撃超音波が秒速340mでツェペシュの城下町を奔り抜け、対象――全ての黒い邪龍のみを狙ってその脳髄を揺さぶり尽くした。硬い鱗も、強靭な肉体も関係ない初見殺しの殺人音楽。

 

 空を飛んでいた全ての邪龍が一瞬体をビクン! と震わせると次いで力なく地上へと落ちていった。

 

「マジかよ……」

「……嘘、でしょう?」

「ははっ……もう笑うしかないね」

 

 そんな呟きがリアス達の間から漏れ出す。そんな彼等に伊織の声が響いた。

 

「……流石、ドラゴンか。本気でやったんだがな。みんな、すまない。どれも仕留めきれていないんだ。しばらくは動けないと思うが、ある程度すれば回復してしまうと思う。今のうちに避難誘導と、止めを頼む」

「あ、ああ。そいつはいいが、お前は?」

 

 アザゼルの少し引き攣った頬を見ながら、伊織は事も無げに答える。

 

「ここから、カーミラ側の邪龍共を撃ち抜く」

「「「「「「はい?」」」」」

 

 全員の目が点になる中、伊織は両手を水平に伸ばした。そこに、そっと寄り添うようにミクとテトが手を重ねる。そして、一誠達が何事かと見守る中、異世界はベルカの真骨頂を示す呪文を紡いだ。

 

――ユニゾン・イン

――ユニゾン・イン

 

 光の粒子となって伊織の内へと融合するミクとテト。見たこともない現象に「えぇーー!?」と叫びながら一誠達の目が飛び出す。

 

 直後、小型の台風の如く螺旋を描いて天を衝く魔力の奔流。濃紺色の光がツェペシュの城下町を照らし出す。

 

 莫大な魔力を収束させて身に纏うと、瞠目する一誠達を尻目に、濃紺色の髪と瞳に変わった伊織は、カーミラ領に向けて凛然と片手を突き出した。

 

 すると、足元には正三角系のベルカ式魔法陣が、その手の先に巨大ディスプレイが現れる。そして、ディスプレイには転送魔法で飛ばした【サーチャー】が送る現地の映像が映っており、同時に蠢く黒いドラゴンに対してピピピピピピッ! と赤い菱形の囲みが重なっていった。その光景は、どう見ても、戦闘機などに見るロックオンサイトである。

 

 やがて、無数に蠢くドラゴンの全てを捉えた伊織は、カッ!と目を見開いて呪文を紡いだ。同時に、全身から絶大な魔力が迸り、正三角形の魔法陣が五つ眼前に出現する。

 

「来よ、白銀の風、天よりそそぐ矢羽となれ! “フレースヴェルグ”!!」

 

 “死者を呑み込む者”という名を冠された超長距離砲撃魔法が発動される。眼前の魔法陣から幾条もの白銀の閃光が放たれ、超速をもって吸血鬼領の曇天を切り裂きカーミラ領へと突き進んだ。

 

 伊織の眼前のディスプレイには、やはりロックサイトそのままに、飛翔する砲撃がリアルタイムで映し出されていた。下方には、着弾まで残り“10”と出ている。

 

 その間に、かつてのベルカのどんな騎士にも不可能だった神業が行われる。

 

「閃光よ、降り来りて敵を討て、“サンダーレイジ・Occurs of DimensionJumped”!!」

 

 それはロックオン系範囲攻撃魔法“サンダーレイジ”の上位版。次元の壁を超えて、目標を雷で撃ち抜く次元跳躍魔法だ。これ一つでも、発動できる者、まして精密射撃が出来る者などそうはいない。異常なレベルの魔力制御能力を要求される絶技だ。それを、先のフレースヴェルグと同時発動など常軌を逸しているとしか言い様がない。

 

 フレースヴェルグだけでは、どうしても一度の攻撃での手数が足りなかったので、サンダーレイジO.D.Jを並列思考で同時起動したのだ。

 

 そして、その結果は、直ぐに示された。ディスプレイのカウントがゼロになる。

 

 その瞬間、ディスプレイから光が溢れた。天より降り注いだ絶大な威力を秘めた砲撃が邪龍一頭に付き、四発、五発と着弾していく。その度に、カーミラ領の曇天に、光の華が咲き誇ることになった。黒い影がボロボロと光の中からこぼれ落ちてくる。フレースヴェルグの直撃を受けた邪龍達は全身から白煙を上げたまま、なすすべなく地に落ちていった。

 

 同時に、虚空から突如発生した極大の雷が雷速をもって残りの邪龍達に降り注ぐ。轟音と共に次々と落ちる稲光。その全てが、狙い違わず邪龍に突き刺さり問答無用に地に落としていく様は、まるで神威が示されたかのようだ。

 

 ディスプレイの端に映るカーミラ領の吸血鬼が呆然と、あり得べからざる光景を見上げているのが分かる。彼等からしても、それこそ超常の存在による救いでももたらされたような気持ちなのかもしれない。

 

「これじゃあ、どっちが超常の存在かわからねぇな」

 

 冷や汗を流しながら思わずといった様子で呟いたのはアザゼルだ。しかし、誰も反論するものはいない。バシュー! と白煙を上げながら排熱するセレスに、攻撃中何十発と飛び出したカートリッジを補充する伊織の事も無げな様子を見れば、何も言えなくなってしまう。

 

 伊織は、極度の集中から解放され額の汗を拭いながら息を吐く。そして、禁手【進軍するアリスの龍滅魔獣】を発動して全ての魔獣を呼び出すと、チェシャキャットに命じてカーミラ領へと転移してもらった。

 

 ドラゴンというのはタフさが売りだ。あれだけ攻撃しても死んでいないものもいるかもしれないし、そうなればいつ回復するかわからない。あるいは、まだ邪龍化する者もいるかもしれないし、カオス・ブリゲードの構成員が襲い来る可能性もある。なので、全ての魔獣をカーミラの保護に回したのだ。

 

「さぁ、避難誘導と邪龍への止めを刺しに行きましょう。俺は、エヴァ達……」

 

 伊織が、アザゼル達を促し、自らはエヴァ達の援護に行こうと、その旨を伝えようとしたその時、それを遮るように不快な声が響いた。

 

「うひゃぁ~!! 僕ちん自慢の邪龍軍団がやられっぱなしじゃん! まじかよ、まじですかぁ! マジでお前さん異世界の人間かよ? さっきの科学っぽい魔法が異世界の力か?」

 

 幾分、軽薄さが抜けたものの、その分邪悪さが増したように感じる声音で伊織の前に現れたのはリゼヴィムだった。

 

 同時に、伊織の傍らにエヴァとチャチャゼロが出現する。二人共、特に深刻な被害は受けていないようだ。それはリゼヴィムの方も同じで着衣の乱れすらない。どの程度やりあったのか分からないが、エヴァが傷一つ付けられなかったとするなら、流石は大魔王を名乗るだけのことはあるだろう。

 

 更に、眼下の城の一部を破壊しながら、クロウ・クルワッハと蓮が飛び出して来た。

 

 それを視界に端に捉えながら、リゼヴィムは邪悪にして喜悦に歪んだ笑みを浮かべる。

 

「認めよう。伊織ちゃんよ。お前は俺が蹂躙すべき敵だ。お前も、お前の大切な者も、みんな纏めて踏みにじってやるよ」

 

 その言葉と共に、リゼヴィムが指をパチンと鳴らす。

 

 次の瞬間、吸血鬼領の空が割れた。

 

 同時に、その隙間から禍々しく、恐ろしいほど濃密な尋常ならざる気配が幾つも溢れ出る。更に、城の一角から光が溢れたかと思うと、そこから大量の邪龍と魔術師っぽいローブを身に着けた者達が現れた。

 

「なるほど、総力戦か……」

 

 伊織の呟きに、リゼヴィムの頬が心底楽しそうに歪められた。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

取り敢えず、戦いの狼煙が上がったって感じです。
このままクリフォト勢をピチュンします。なるべく派手に戦闘しながら!
読んでくれている方々のテンションが上がればいいなぁと思います。

感想、いつも有難うございます。
何だか色々気に掛けて励ましコメントを下さった方も多く、とても嬉しかったです。
アドバイス通り評価は気にせず、楽しむこと第一に書いていきますね。

それと、やはりリリなの原作に皆さん食いつきますね。
夜天と天王とかベルカとか、アランさんとか(覚えてます?)……色々書いてみたいとは思ってますが、今のところ何にも構想がありません。
取り敢えず、ゆりかごVS蓮ちゃんとかしてみるか……

その後ならカンピオーネの世界には是非行ってみたいですね。
神滅具ありますし。護堂に反物質撃ち込みたい。



明日も18時更新です。


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第58話 異世界の守護者VS大魔王 中編 上

 

 

 吸血鬼領の曇天を裂いて溢れ出て来たのはいずれも伝説の邪龍だった。

 

 その総数は五体。大罪の暴龍グレンデル、原初なる晦冥龍アポプス、外法の死龍ニーズヘッグ、宝樹の護封龍ラードゥン、霊妙を喰らう狂龍八岐大蛇である。

 

 一体一体が、量産型邪龍とは比べ物にならない程の絶大かつ禍々しいオーラを纏っており、ただそこにいるだけで常人なら発狂してしまいかねない狂気を撒き散らしている。その内の一体、大蛇姿のアポプスがくるりと反転してカーミラ領の方へ飛び去っていったのを皮切りに皆の意識が呆然から復帰する。

 

 伊織は、ジャバウォック達に、カーミラ領に入る前に撃退しろと命じながら、同時に大規模封時結界を展開して町の住民だけを弾き出した。そして、眼前で頗る付きの邪悪な笑みを浮かべているリゼヴィムに視線を向けた。

 

「ひゃは、これまた優しい事で。にしても、簡単にこの規模の空間切り取っちゃうなんて、異世界様マジ素敵。いよいよ嬲りがいが出てきて、おじさん感無量だよ」

 

 のたまうリゼヴィムの傍らに銀髪をなびかせた美貌の青年とゴシック衣装を来た二十代前半くらいの女、そして黒コートをボロボロにしたクロウ・クルワッハが並び立った。クロウ・クルワッハと戦っていた蓮が伊織の傍にやってくる。同時に、白の閃光も伊織の傍にやって来た。

 

「ヴァーリ……奇遇ってわけじゃなさそうだな」

「ああ。さっきまであの銀髪の男、ユークリッド・ルキフグスとやりあっていてね。仲間の方は、伝説の邪龍アジ・ダハーガとやりあってる」

 

 そう言いながらもヴァーリの視線はリゼヴィムに注がれていた。尋常でないほどの憎悪を込めた眼差しだ。闘志を燃やす以外ではいつも比較的冷静沈着なヴァーリには似つかわしくない。

 

「おぉ、ヴァーリちゃんじゃないの! いいタイミングで来るねぇ! そんな眼で見られちゃあ、おじいちゃん気持ちよくなっちゃうじゃないの!」

 

 お互い浅からぬ因縁があるようだ。首を傾げる伊織達にアザゼルがさくっと説明する。それによると、どうやらヴァーリはリゼヴィムの孫にあたるらしい。そして、リゼヴィムは面白半分でヴァーリの父親にヴァーリを迫害するよう命じたのだそうだ。その為、ヴァーリはアザゼルに拾われるまで相当不遇な幼少時代を送ったらしい。その時のリゼヴィムへの恨みが、今尚ヴァーリの心の中で燃え盛っているようだ。

 

「さてさて、取り敢えずヴァーリちゃんは置いとくとして、オーフィスよぉ? なんでそっちにいるんだ? 俺と来た方がグレートレッド、確実に倒せちゃうぜ? 異世界に進軍した後は、次元の狭間も好きにしていいし? どう? こっち来ない? っていうか、ぶっちゃけクロウくんがボコられた時点でマジ困る」

 

 ヘラヘラ笑いながら、蓮を勧誘するリゼヴィム。やはり、【無限の龍神】が付いている時点でかなり困るらしい。

 

 クロウ・クルワッハは蓮と戦える事に無常の喜びを感じているようだが……伝説の邪龍達が、この会話中、辛うじて暴れるのを我慢しているのも蓮の存在あってだろう。その立ち位置がよくわからず、蓮を見てはリゼヴィムに視線を向けて、どうすんだよ? と苛立ち交じりに問いかけている。アポプスが早々に戦場を変えたのも、蓮がいたからかもしれない。

 

 そんなリゼヴィムの勧誘に対し、毎回敵側に「こっちおいで」をされている蓮はいい加減うんざりしたような表情をしつつ肩を落として呟いた。

 

「モテすぎて辛い。こんなリア充は嫌だ……」

 

 世の非モテ達が聞いたら発狂しそうなセリフだが、言い寄ってくる相手が全員テロリストとなれば、きっといい笑顔で納得するだろう。同じく、テロリストに人気者だった伊織が、物凄く慈愛に満ちた眼差しで蓮の肩をポンポンと叩く。「仲間! 仲間!」という内心が聞こえて来そうだ。

 

 一方、リゼヴィムも、蓮に視線すら合わせて貰えていないことから相手にされていないことは理解できたようで、流石に苦笑いを浮かべている。

 

「おい、リゼヴィム。オーフィスとは俺がやる。手を出すな」

「そうは言ってもねぇ、いくら努力の末、二天龍クラスまで上り詰めたとは言え、無限にはねぇ~。うん、まぁ、時間稼ぎにはなるかな。取り敢えず、強化しときま~す」

 

 リゼヴィムは、亜空間から聖杯を取り出すと、それを以てクロウ・クルワッハを強化しだした。嫌そうに目を眇めるクロウ・クルワッハだが、護衛の仕事を引きけておきながら失敗した挙句、蓮相手では時間稼ぎが精一杯というのも分かっていたので、渋々といった感じで受け入れている。

 

「チッ、伊織、あいつの強化をさせるな! 厄介だぞ!」

 

 アザゼルが警告を発しながら光の槍を投げつけてクロウ・クルワッハの強化を妨げようとする。

 

 しかし、その直前、

 

「だめよ~ん♡」

「ッがぁ!?」

 

 そんな甘ったるい悪意に満ちた声と同時に紫炎が噴き上がった。それを察知した伊織が鋼糸でアザゼルを引き寄せるが、片腕が掠ったようで、魔の者なら一撃で消滅する神滅の炎によって大ダメージを負ってしまった。

 

 すぐさまエヴァが神器の力でアザゼルを癒す。脂汗を流すアザゼルを横目に、伊織が攻撃をしようとするが、やはり邪魔が入った。我慢できなくなった邪龍達が襲い来たのだ。

 

「邪龍くん達も限界みたいだし、それじゃあ、いっちょ殲滅戦いってみようか。神滅具所持者が三人、魔王の妹に堕天使の総督、聖剣使いに、聖魔剣使い、そして異世界の守護者気取りくん……蹂躙の狼煙にはちょうどいいね!」

 

 そんな軽薄な宣言と同時に事態が一斉に動き出す。

 

 クロウ・クルワッハが尋常でない速度で蓮に突っ込むと同時に、神滅具【紫炎祭主による磔台】の使い手ヴァルブルガが、無差別に紫炎を撒き散らそうとする。それをエヴァが無詠唱の【魔法の矢】を撃ち込み阻止した。

 

「あの神滅具使いは私がやろう。チャチャゼロ、他の魔女共と量産型邪龍に邪魔をさせるな」

「ケケケ、承知ダゼ、御主人」

 

 聖十字架からもたらされる紫炎は魔のものを一撃で消滅させかねない危険極まりないもの。放置すれば戦場を引っ掻き回されることは必定だ。確実に仕留めねばならない相手と判断したのである。

 

 エヴァがヴァルブルガに向かって飛び出すと同時に、ヴァーリは憎悪を滾らせてリゼヴィムに突進した。

 

「待て、ヴァーリ! くそっ、あの馬鹿、【神器無効化】を忘れたわけじゃないだろうな!」

 

 アザゼルの焦ったような声音が響く。

 

 その直後、邪龍が一斉にリアス達へ襲いかかった。グレンデル、ニーズヘッグ、ラードゥン、八岐大蛇――いずれもリアス達が戦力を割いて勝てる相手ではない。

 

 伊織は、咄嗟にユニゾンを解除した。阿吽の呼吸で伊織の意図を察したミクとテトがリアス達と共に邪龍を相手にするため飛び出していく。

 

「では、私は、その忌々しい紅色を駆逐しますかね」

 

 邪龍の強襲で散開させられたリアス達。そこへ、僅かに憎悪を滲ませた声音が響き、グレイフィアの弟であるユークリッド・ルキフグスがリアスの眼前に出現した。瞠目するリアスに致命の手刀を繰り出したユークリッドだったが、刹那、

 

「リアスに触んじゃねぇ!!」

 

 一誠が飛び込み、ユークリッドを殴り飛ばした。ユークリッドは自ら飛び退くことで威力を消したようで、ダメージはなさそうだ。一誠は、サイラオーグ戦で会得した赤龍帝の新たな力【真紅の赫龍帝】化を行いユークリッドに相対した。紅を纏う一誠に、ユークリッドが憎悪の眼差しを向ける。

 

「いいでしょう。まずは赤龍帝からお相手しましょう」

 

 そう言って、流石は最強角の一人であるサーゼクスの女王グレイフィアの弟というべき強大なオーラを纏いだした。どうやら、聖杯による生命強化を受けているようで、グレイフィアより確実に上であると感じる。

 

 冷や汗を流す一誠だったが、リアス達が不在の間に学園を襲撃した挙句、フェニックスのクローンを大量に作って秘薬“フェニックスの涙”製造機にするという非道を働いたユークリッドに怒りの眼差しを向け、自ら飛びかかっていった。

 

『チッ、ドライグが行っちまったじゃねぇか! 俺と殺し合えよ!』

 

 ユークリッドと戦いながら流星のように飛んでいってしまった一誠に、邪龍グレンデルが悪態を吐きながら、後を追おうとする。ただでさえグレイフィアを超える強大な悪魔であるユークリッドの他に、【真紅の赫龍帝】の力を以てしても苦戦を強いられた事のある一誠では、非常にまずい。

 

 リアス達が、ユークリッドは一誠に任せるしかないとしても、グレンデルだけは行かせるわけにはいかない! と、止めに入ろうとする。

 

 と、その瞬間、

 

「極大・雷鳴剣!!」

 

 天より翠髪の剣士が隕石の如く落ちて来た。そして、グレンデルの頭部目掛けて奥義をぶちかました。しかも、手に持たれているのは“龍殺し”の最高峰にして魔剣最強の【魔帝剣グラム】である。凄まじいオーラを放つグラムに、ミクの腕が合わさって絶大な一撃となった。

 

『ッ!? ぐぉおおおおお!!』

 

 まさに一条の雷となって突き刺さったミクとグラムに、邪龍中最高の硬度を誇る龍鱗を持つグレンデルも悲鳴を上げて地に落とされる。

 

 もっとも、生命強化を受けているため“龍殺し”にもある程度耐性がある上に、防御力も上がっているので致命傷には程遠いようだが、厄介な邪龍が一体、引き離されたのは事実である。

 

『ふむ、この宝樹の護封龍と呼ばれた私を結界に閉じ込めるとは不遜ですね。いささか矜持が傷つきました。少し強度が下がったようですし、破らせて貰いましょう』

 

 眼下でグレンデルとミクが戦闘を始めたのを尻目に、結界と障壁を領分とする宝樹の護封龍ラードゥンが、そんな事を呟きながら莫大なオーラと共に膨れ上がる障壁を展開しだした。その障壁は、生き物や建物を透過して巨大化していき、ついには【封時結界】を内側から圧迫し始める。

 

 手数の確保のためにユニゾンを解いた事で結界強度が下がった事を見抜かれていたようで、【封時結界】がビキビキと嫌な音を立てる。

 

「っ、マズイ、セレス、カートリッジロ…」

『無駄です』

 

 伊織は咄嗟に、カートリッジをロードして結界を維持しようとするが、それよりラードゥンが更に力を解放する方が早かった。

 

パキャァアアン!!

 

 そんな音を立てて【封時結界】が破られる。世界に色が戻り、現実世界が回帰する。結果、あちこちで起こる破壊の嵐が現実の町を襲った。飛び交う魔力弾や火炎、衝撃が容赦なく町並みを破壊していく。

 

 不幸中の幸いは、【封時結界】を張る前に分身体のミクに避難誘導をさせておいた事だろう。住民達は、特に頑丈で魔術的措置の施されたシェルターのような建物や郊外の森の中にある隠れ家に逃げ込めたようである。

 

 もう一度、【封時結界】を張りたいところだが、大樹そのものが龍の形をとったような威容を晒すラードゥンがいる限り、何度でも破られてしまうだろう。伊織は、まずサポート能力に長けたラードゥンを沈めるべきだと判断し攻撃の意志を示した。

 

 と、その瞬間、伊織目掛けて翼を生やし黒い鱗で覆われ二本の腕を生やした大蛇――ニーズヘッグが伊織を頭上より強襲した。

 

 咄嗟に回避しようとした伊織を、ラードゥンが赤い双眸を光らせて球体状の障壁で覆う。きっと直撃寸前で障壁を解く気なのだろう。逃げ場をなくした伊織に、全長八十メートルはありそうな巨体が襲いかかる。

 

「させないよ」

 

 あわや、伊織が押し潰されるかというその瞬間、伊織とニーズヘッグの間に輝く巨大な八卦図が出現した。

 

『ぬおっ、なんだこりゃ!!』

 

 その威容に似合わぬ軽い口調で、しかし、落下の勢いを止められなかったニーズヘッグは、絶妙なタイミングで展開されたテトの神器【十絶陣】に自ら飛び込み、その姿を消した。

 

ドパンッ!

 

 銃声一発。テトの全ての物質を強制的に分解する【拒絶の弾丸】が伊織を捕えるラードゥンの障壁を霧散させる。

 

「それじゃあ、マスター。ボクは、あの蛇に風穴空けてくるよ」

 

 テトはそれだけ言うと、パチリとウインクしてから自らも【十絶陣】の中へと飛び込んだ。

 

 それに苦笑いをしてから、伊織は【虚空瞬動】でその場を飛び退く。直後、伊織がいた場所にシャボン玉のような球体障壁が瞬時発生した。犯人は当然ラードゥンだ。

 

『リゼヴィム曰く、“あなたには最大の絶望を”とのことです。どうやら私の役目はお仲間が戦っている間、あなたに何もさせないことのようですね。捕らえさせてもらいますよ』

 

 どうやら、リゼヴィムから念話か何かで指示を受けたらしい。伊織を結界に捕らえて仲間が戦っているのを何も出来ずに見ていろとは、伊織の性格を的確に突いた実に嫌らしい手だ。

 

 もっとも、ある程度は、異世界の未知の力を使われる前に、他を倒してしまいたいという戦術的な意味合いもあるのだろうが。

 

 伊織は、再び、スッとその場を移動し、ラードゥンの球体障壁をかわす。ラードゥンは、それに目を細めながら更に伊織を捕えるべく障壁を展開するが、やはり伊織は【虚空瞬動】や高速移動系魔法【ブリッツアクション】で尽くかわしてしまう。

 

 予備動作も予兆もなく、指定した座標に瞬時展開される障壁だというのに、まるで未来予知でもしているかのようにラードゥンの拘束から逃れる伊織。その正体は当然、危機対応能力である。

 

『素晴らしい。どうやって感知しているのかは知りませんが、是が非でもあなたを捕えたくなりましたよっ!』

 

 口調は丁寧でも、やはりそこは邪龍。獲物を前に狂気が溢れ出す。同時に、ラードゥンを中心にしておびただしい数の球体障壁が放出された。それらは建物をあっさり透過すると伊織に向かって凄まじい勢いで迫る。おそらく、対象以外は透過して、相手が触れた瞬間に内へ取り込んでしまうタイプなのだろう。

 

 まるで、どこぞの幻想郷の弾幕のような光景を前に、伊織は耳を澄ませた。

 

 町の外れではミクとグレンデルが死闘を繰り広げており、反対側の郊外でも蓮とクロウ・クルワッハが激しい衝突を繰り返している。上空では、ヴァルブルガとエヴァが紫炎と氷を撒き散らし、ヴァーリは白き閃光となってリゼヴィムに襲いかかっていて、いつの間にかアザゼルが諌めるように加勢している。

 

 カーミラ領との堺に近い場所では、一誠とユークリッドが感情もあらわにぶつかり合い、町の中心では八つ首から破壊を撒き散らす八岐大蛇を倒そうとリアス達グレモリー眷属が死力を尽くしていた。

 

 更に、新たに現れた量産型邪龍や、ヴァルブルガが所属する【魔女の杖】の魔術師達、止めを刺しきれず復活しつつある強化吸血鬼の邪龍達を、チャチャゼロ、イリナ、ルガール、ベンニーア達が駆逐している。

 

 それら全てを把握して伊織はスッと動き出した。視線の先の喜悦を浮かべる邪龍ラードゥンに挑発を以て返す。

 

「俺を捕える? お前には無理だ。その前に、俺がお前を滅するからな」

 

 その言葉に更に狂気を膨れ上がらせたラードゥンに向かって、伊織は弾幕を回避しながら飛び込んだ。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

『ガァアアアア!! クソ鬱陶しいぞぉ、小娘ェ!! いい加減俺様に嬲られろぉおおお!!』

 

 ツェペシュの城下町郊外で、巨人型ドラゴンのグレンデルが苛立たしげに雄叫びを上げながら、巨石のような拳を振るった。

 

 ヴォ! と音を立てて姿を消したミクが一瞬前まで居た場所に、凄絶な衝撃が吹き荒れ地面を根こそぎ削り取っていく。一撃でも当たればミクが体は木っ端微塵になるだろうことは容易に想像できる破壊力だ。

 

 ミクがツインテールを靡かせながらグレンデルの背後に現れる。そして、その手に持つ無月を以て銀線を描き出した。

 

『見え透いてんだよぉ!!』

 

 そんなミクの一撃は、裏拳のように振り抜かれたグレンデルの腕によって肉体ごと薙ぎ払われる。まさに致命の一撃。余りの威力に空気が破裂したような衝撃音まで響き渡る。

 

 しかし、

 

ポンッ!!

 

 そんな音を立てて、薙ぎ払われたはずのミクは姿を消してしまった。そう、グレンデルの一撃を受けたのは、アーティファクト【九つの命】により生み出されたミクの分身体だったのである。

 

『チッ、またかっ!! って、ぐぉ!?』

 

 思わず悪態を吐くグレンデルだったが、裏拳を振り抜いて無防備な脇腹を晒しているところに魔帝剣グラムと魔剣ノートウィングを持ったミクが斬り込んだ。

 

 強力無比な“龍殺し”を纏った最強の魔剣と薙ぐだけで空間すら切り裂く伝説の魔剣が、グレンデルの邪龍中最高硬度の鱗を深く斬り裂く。

 

 それでも致命傷には程遠いようで、直ぐに反撃に転じるグレンデル。それをかわしながらミクは呟く。

 

「う~ん、硬いですね。無月ではまずかったかもしれません」

『――!』

 

 どこか「そうだろう、そうだろう♪」と言っているような雰囲気を漂わせるグラム。

 

「でも、最強の龍殺しなのに、それでもあの程度なんですねぇ」

『――』

 

 上げて落とす。マスターたる伊織以外には、結構辛辣なミクだった。

 

『クソガキッ! ハエみたいにブンブンブンブン飛び回りやがって! 正面から掛かって来いやぁ!』

「そんなアホな事するわけ無いでしょう。何一つ、あなたが喜ぶような事などしてあげませんよ。せいぜい苛つきながら果てて下さい」

『てめぇ。絶対ェ嬲り殺してやらぁああああああ!!』

 

 グレンデルは、ミクの冷めた眼差しと言葉に、一瞬で激高すると特大の火炎を吐き出した。同時に、大地を踏み割る勢いで急迫しミクを押し潰さんと拳を振り下ろす。

 

 ミクは、回避するのではなく、むしろ一気に踏み込んだ。同時に、別の三方向から分身体のミクがそれぞれ魔剣バルムンク、魔剣ディルウィング、魔剣ダインスレイヴを以て突進技最高峰を繰り出す。

 

――飛天御剣流 九頭龍閃・朧十字

 

 九箇所同時斬撃、それが四方向から同時に行われるオリジナル奥義だ。

 

『しゃらくせぇえんだよぉおおおお!!』

 

 グレンデルは、体中を無数に斬り刻まれながらも独楽のように体を回転させ、己を中心に竜巻状の衝撃を発生させた。残心するミク達が全てその強烈な衝撃に巻き込まれて吹き飛ぶ。“肉を切らせて骨を立つ”を地で行く強靭なドラゴンならではの強引な攻撃だ。

 

 衝撃をモロに浴びたミク達は、その全てが地面に叩き付けられ……霧散した。

 

『なっ、全部偽物だとぅ!?』

『――!?』

 

 グレンデルと、何故かグラムが驚愕をあらわにする。「え? 本人が俺を使ってくれたんじゃないの!?」と言っているかのようだ。

 

 その本体はと言うと、

 

ゴォオオオオオオオ!!

 

『ッ!? 上か!』

 

 グレンデルの言葉通り、ミクは上空にいた。魔法陣で足場を作り、その上で無月を持って抜刀術の構えを取っている。その納刀された無月には凄まじい勢いで莫大なオーラが集まっていく。

 

 集中するように半眼になっていたミクの眼がカッ! と見開かれると同時に、膨大なオーラを集束された無月が神速を以て抜刀された。

 

「疾ッ!!」

 

 気合一閃。空に銀線を奔らせながら振り抜かれた無月から超高密度の斬撃が放たれた。

 

――京都神鳴流 奥義 斬空閃 弐之太刀 

 

 神速で飛んだ曲線描く斬撃は、狙い違わず衝撃の竜巻を放ち終わったばかりのグレンデルに直撃した。

 

『ぬおわぁ!!』

 

 最高硬度の鱗を透過して内部を直接斬り裂く斬撃に、さしものグレンデルも思わず苦悶の声を上げる。だが、直後にはギラリと眼を輝かせて、斬りたければいくらでも斬って見やがれと言わんばかりに、雄叫びを一発。ドラゴンの翼をはためかせてミサイルのようにミク目掛けて飛び出した。

 

「来て下さい! 魔剣さん達!」

『――!!』

 

 魔剣達が、ミクの呼び声に答えて一斉に転移する。同時に、ポポポン! と新たな分身体が出現し、それぞれ魔剣を手にとった。グラムが「本人が使えよ!」と抗議するように脈打つがミクはお構いなしだ。

 

 魔剣バルムンクと魔剣ディルウィングを持つ分身体ミクが正面からグレンデルを迎え撃つ。

 

『グゥオオオオオ!!』

 

 龍の咆哮が衝撃となって二人を襲うが、空間を削り取る螺旋のオーラを飛ばすバルムンクと斬る事より破壊する事に特化したディルウィングを振るって衝撃を散らす。そして、すれ違い様に体を回転させながら遠心力も利用してグレンデルの背を斬り付けた。

 

――飛天御剣流 龍巻閃

 

 龍殺しの力を有しているわけではないので、その傷は決して深くはない。もっとも、仮に深くとも、グレンデルは気にも止めなかっただろうが。

 

 迫るグレンデルを魔剣ノートウィングと魔剣ダインスレイヴを持った分身体ミクが迎え撃つ。空間を裂くノートウィングが神鳴流【斬岩剣】を以てグレンデルの片翼を刻み、氷を操るダインスレイヴがもう片翼を氷漬けにしてその動きを阻害する。

 

 大したダメージはないが、それでも僅かにバランスを崩すのは避けられない。その隙をミクは逃さない。

 

「グラムさん! 行きますよぉ!」

『――!!』

 

 いかにも「わかったよ! ちくしょう!」と言いたげな波動を発しながら、魔帝剣グラムを持つミクは、右手を前方に突き出し、そこへ引き絞るように突きの構えをとったグラムを添えた。そして雷を纏わせながら、凄まじい勢いでグレデルへ突進する。

 

 ミクの眼がギラリと輝いた。次の瞬間、絶大な雷と龍殺しのオーラを集束したグラムが、上半身のバネを利用した極限の突きとなってグレンデルの頭部目掛けて突き出された。

 

――牙突 零式 雷鳴剣&龍殺しVer

 

 一条の閃光の如く空を奔った突きの極地を、グレンデルは辛うじて頭を振ってかわした。しかし、先のニ撃でバランスを崩していたこともあり、完全にかわしきる事は出来ず、右肩に直撃を受ける。

 

 魔剣の帝王たるグラムの尋常ならざる切れ味と、ミクの卓越した剣技が合わさって、その一撃は容赦なくグレンデルの体内へ潜り込んだ。そして、解放された雷が体内で直接暴れまわる。

 

『いてぇじゃねぇかぁあああああ!!』

 

 だが、それもでもグレンデルは止まらない。グラムもろとも分身体ミクを弾き飛ばすと、本体のミクに豪腕を振るった。

 

 しかし、

 

『っ何だ!?』

 

 グレンデル自慢の豪腕は、スッとミクを透過して虚しく空振りしてしまった。そこにいたのはミクの幻影だったのである。

 

――幻術魔法 フェイクシルエット

 

 そして、次の瞬間、そのフェイクの下から無数の光る鎖が飛び出しグレンデルに絡みついた。

 

――捕縛魔法 ディレイバインド

 

『うざってぇ!!』

 

 グレンデルの力なら直ぐに引きちぎられるだろう拘束だが、一瞬動きは止まる。

 

 そして、放たれるのは

 

――京都神鳴流 奥義 斬魔剣 弐之太刀

 

 袈裟斬りに銀線が奔りグレンデルの内部を斜めに斬り裂く。

 

 更に、ミクは、無月を振り下ろした遠心力を利用して空中で一回転するとグレンデルの頭部を両足で挟み込んだ。そこから後方へバク転するように身を捻る。身の内を抉る斬撃に一瞬持って行かれた意識の間隙を突いた絶妙なタイミングでの技に、グレンデルは体を独楽のように回され地上へ叩きつけられた。

 

――京都神鳴流 浮雲・桜散華

 

『クソガァアア!! 鬱陶しいんだよぉ! クソガキガァ!!』

 

 周囲の地面をオーラで吹き飛ばしながら怒りもあらわに立ち上がるグレンデル。それほどダメージはないようだが、それでも一方的に斬られ続けて苛立ちが頂点に達したらしい。

 

 グレンデルは、邪龍らしく己の命すら軽く見てひたすら殺し合いに心を向けるような存在だ。しかし、パワーファイタータイプの彼にとって、テクニックタイプに言い様にやられるのは好みの殺し合いではないらしい。既にその瞳には狂気以外にも憎悪の影がチラついている。

 

 その負の感情のままに、上空から自分を睥睨するミクに再度突進しようとしたその瞬間、

 

シュウウウウ

 

『あ? なんだ?』

 

 グレンデルが訝しげに己の体を見下ろした。見れば、音を立てて傷口のいくつかが白煙を上げている。その傷は全てグラムが付けた傷だ。今の今まで大して効果を発揮しなかった龍殺しの呪いが、ここに来てグレンデルの身を苛み始めたのである。

 

 その理由は簡単。ミクの強敵を相手にした場合の常勝パターン――念能力【垂れ流しの生命】だ。【隠】で見えなくなっているが、既にグレンデルの巨体には、おびただしい数のネギマークが刻印されており、かなりオーラを流出させたのだ。それ故に、消耗した分、生命強化によって克服した龍殺しへの耐性が減少しグラムの呪いが効いて来たのである。

 

 しかし、当のミクはというと浮かない顔であった。

 

「あれだけ刻印して、この程度ですか……流石は伝説のドラゴンですね。この分では打倒しきるのにどれだけ時間が掛かるか……」

 

 そう、ミクの懸念はグレンデルを倒しきる時間だ。このまま【垂れ流しの生命】で邪龍の魔力が尽きるのを待ちつつ、グラムで斬り続けるという戦法であれば、そのうち勝てる。

 

 しかし、今、こうしている間にも各地で激戦が繰り広げられており、吸血鬼の領土は破壊されているのだ。それに、リゼヴィムと戦っているヴァーリ、アザゼルや八岐大蛇と戦っているリアス達グレモリー眷属は、かなり苦戦をしているようで、いつ瓦解してもおかしくない。

 

 正直、一刻も早く倒してしまいたかった。

 

「仕方ないですね。消耗は激しいですが、一気にケリを付けてしまいましょう」

 

 ミクは、オーラを垂れ流し確かに目減りしながらも、未だに戦闘力を失う気配を見せないグレンデルに決然とした表情を向けた。そして、右手を掲げ、神器を呼び出そうとした。

 

 その瞬間、吸血鬼領の空に強大な魔法陣が出現する。複雑な紋様が描かれた直径百メートルはありそうな円陣で、ドス黒い不気味な魔力を溢れさせている。

 

 その魔法陣が一際強く輝いた。ミクは、そこに空間の揺らぎを感じ取る。どうやら何者かが転移してくるつもりらしい。魔法陣の纏う闇色の光が、碌な存在でない事を容易に想像させる。

 

「うわぁ、マジですか……」

 

 溢れ出るように転移してきた存在を見て、ミクは嫌そうな顔でそう呟いた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 時間は少し遡る。

 

 曇天から舞い降りる雪と一面の銀世界。気温は極めて低く防寒着なしでは、数分と持たずに永遠へと繋がる眠りに誘われるだろう。一見すると、ルーマニアの奥地にある吸血鬼領と変わらないように見える。

 

 しかし、ここは吸血鬼領のどこでもない。それどころか現実世界ですらなく、また美しい雪景色は薔薇のトゲの如く、いや、それ以上の危険性を孕んでいた。

 

『くそったれぇ、ふざけた真似をっ!!』

 

 雪だけが舞う静かで広大な雪原世界に怒声が響いた。声の主は【外法の死龍ニーズヘッグ】だ。そう、テトの神器【十絶陣】に捕えられた翼と腕を持つ黒き大蛇の姿をした伝説の邪龍である。

 

 そのニーズヘッグは、空を泳ぎながら苛立たしさを隠しもせずに凶悪な魔力弾を無差別に撃ち放っていた。着弾した雪原の雪が舞い上がる。そこに何があるわけでもない。ただの癇癪のようだ。

 

 自分でもそれが分かっているのだろう。無差別で適当な魔力放出を止めると、ガパッ!と、その顎門を開けて魔力を溜めだした。キュワァアアアア!! とどこぞの戦艦の主砲のように強大にして絶大な魔力を集束していく。

 

 その主砲が放たれれば、間違いなくこの空間は破壊されるだろう。

 

 だが、当然、テトがそうはさせない。

 

ドパァアアアン!!!

 

 何処からともなく飛来した紅色の弾丸が、今まさに放たれようとしていたニーズヘッグの魔力砲に直撃した。その瞬間、莫大という表現ですらおこがましい集束された魔力が、バババババッ!! と霧散していき、放たれた時には百分の一程度の威力に減少してしまっていた。

 

 放たれた弾丸は、有機物・無機物・魔力等の一切を問わず霧散させる念能力【拒絶の弾丸】だ。一日五発しか撃てなく能力だが、長年の研鑽の末、撃たなかった分をストックできるようになったので残弾は有り余っている。

 

 今回も放たれた合計十二発の弾丸すべてが【拒絶の弾丸】だ。それでも消しきれなかったニーズヘッグの主砲がすごいのか、伝説の邪龍の全力をその程度まで霧散させるテトがすごいのか悩むところである。

 

『そこかっ! 死肉喰らう蛇よ、我が眷属よ! 敵を喰らい尽くせ!』

 

 弾丸が飛んできた方向には、一見何もない。しかし、ニーズヘッグは確かに何かを感じたようで、その身からおびただし数の大蛇(体長十メートル程)を解き放った。数百を優に超える大蛇の群れが、見えない敵を探して流星の如く飛翔する。

 

 だが、たどった射線上には既に何の痕跡も見当たらなかった。標的を見失い右往左往する大蛇の群れ。

 

『またかっ! 小賢しい真似ばかりしやがってぇ!! 必ず見つけ出し、苦痛と絶望の果てにくびり殺してやるっ!!』

 

 ニーズヘッグが憤るのは、一連の出来事が既に何度も繰り返されているからだ。

 

 すなわち、ニーズヘッグが結界を破れるような攻撃を放とうとした時だけ邪魔をして、それ以外の時は徹底的に姿を隠すというものだ。先のように、攻撃した後も、直ぐに身を隠す。【絶】と【オプティックハイド】のコンボだ。

 

 最初は、面白い趣向だと余裕の態度で嗤いながら、テトを追い詰めたところを想像して喜悦に酔っていたのだが、それが十回も続けばいい加減苛立ちしか感じないのは、当然と言えば当然である。

 

 まして、ニーズヘッグは今、邪龍にあるまじき焦燥を感じており、それが苛立ちに拍車を掛けている。その理由は、

 

『ぐっ……この最奥の痛み……やはり……これではまるで神滅具ではないかっ』

 

 ニーズヘッグが感じている魂の痛みだった。この空間に引き込まれてから、それなりに時間が経っているのだが、ニーズヘッグの最奥を苛む痛みが刻一刻と増しているのだ。ニーズヘッグは本能で理解していた。間違いなく、己は魂に直接攻撃を受けている、と。

 

――神器【十絶陣】 誅仙陣

 

 本来は【十絶陣】に数えられない陣であり、テトの意志に応じて進化した【十絶陣】の十番目の陣だ。その能力は、魂を溶かす雪が降る極寒の雪原世界を創造すること。

 

 ニーズヘッグが神滅具と口に出してもおかしくない廃スペックである。なお、禁手【創世される十天界の絶陣】にしなかったのは、異能の一切を封じてもドラゴンはその肉体だけで脅威なのでむしろスペック的にテトが不利になってしまう事と、聖杯がある限り魂が残っていれば復活させられてしまうからだ。

 

 そんなわけで、テトとしては、この空間から脱出さえさせなければ、降りしきる雪がニーズヘッグの鱗も肉体も全て無視して魂そのものを消滅してくれるのである。

 

「並みの生き物ならとっくに消滅してるんだけどね。……ドラゴンっていうのはタフすぎるよ」

 

 気配と姿を完全に隠しつつ、大蛇の群れから隠れ続けるテトは、そう愚痴を零した。視線の先では、テトを捕まえようと魂の痛みに身悶えながらも再び膨大な魔力を集束し始めたニーズヘッグがいる。

 

 いざという時の為の退路を幾つも用意しながら、テトもまた【拒絶の弾丸】を撃ち放った。集束魔力を霧散させると同時に一目散に場所を移動するテト。一瞬前までいた場所に、大蛇が殺到するのを見て、徐々にテトの位置把握が正確になっている事を察し冷や汗を流す。

 

「でもまぁ、時間の問題だね。外で戦力差がひっくり返るような大蛇の大量召喚なんてされちゃあ敵わないから、ここで確実に仕留めさせてもらうよ」

 

 ただでさえ、量産型邪龍やら魔術師達が大量にいるのだ。これ以上、戦力を増やされては堪らない。一個体としてよりも戦略的に自軍を優位に出来るニーズヘッグは絶対に逃せなかった。

 

「この銀色の世界で、しんしんと溶けるがいいよ」

 

 遠くで再び怒りの咆哮が上がるのを聞きながら、テトは不敵な笑みを浮かべて宣告するように呟いた。

 

 と、その時、現実世界でにわかに不穏な気配が発生した。【十絶陣】はテトの世界なので、本人だけは外の様子を中にいてもある程度知ることが出来る。その感じた気配は、強大でおびただしく、深淵のように濃い闇を感じさせる不気味なものだった。

 

「これは……少し、急いだ方がいいみたいだね」

 

 テトは、表情を険しくすると、作戦を変更して、ニーズヘッグの消耗を早めるため動き出した。

 

 

 

 




いかがでしたか?

戦闘シーンを書いていると自然と字数が伸びます。
決戦編だけで一体何字くらいいくことやら。
最後までお付き合い頂けば嬉しいです。

八岐大蛇は原作では違う形で出ましたが、数合わせ的な意味でそのまま出しました。
でも原作で戦闘シーンのない邪龍に関しては、余り書かないと思います。

感想、有難うございます。
作者の妄想も、あっちの世界へふらふら、こっちの世界へふらふらと彷徨っております。
ハイスクは少々書きすぎたなぁと思っていたので、もう少しコンパクトに色々な世界を書くのもいいかもしれませんね。

明日も18時に更新します。


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第59話 異世界の守護者VS大魔王 中編 下

一万七千字近く書いてしまった……
読み疲れのないよう、目を気遣ってくださいね。
長くてすみません。


 吸血鬼ツェペシュ領の城下町を眼下に空気すら焦がしそうな紫炎と極低温の氷雪が荒れ狂っていた。戦闘開始と共に無差別攻撃を仕掛けようとした【魔女の杖】の幹部にして神滅具【紫炎祭主による磔台】――聖十字架使いのヴァルブルガと、それを阻止して相対しているエヴァである。

 

「いい加減のしつこいのよん。さっさと萌え燃えになりなさいな!」

「ハッ、燃やしたければ燃やせばいいだろう? もっとも、その生温い炎でこの身を焼き尽くせるとは思えんがな」

 

 ゴスロリ服をはためかせ、宙をぴょんぴょんと飛び回りながら曇天を紫炎で染め上げるヴァルブルガは、そんなエヴァの言葉と不敵な笑みに僅かな苛立ちと残虐性を瞳に宿して、更に紫炎を撒き散らした。

 

 空中に噴き上がり十字架の形をとる巨大な紫炎。聖遺物であるが故に、魔の属性を持つものが触れれば一撃で消滅しかねない極悪な威力を誇る。聖なる力だというのに、使い手が邪悪そのものであるのは皮肉が効き過ぎというものだろう。

 

 予備動作も予兆もなく、指定座標に突然噴き上がる紫炎は、伊織のような超能力じみた危機察知能力でもない限り回避は著しく困難だ。ランダム移動をしていても、ほとんど範囲攻撃と変わらない規模で、タイムラグなく連続発動も可能なので、どう頑張っても完全に避けきることなど出来ない。

 

 それは当然、エヴァも同じだ。どれだけ高速かつランダム行動に出ても紫炎を避けきる事は出来ないし、真祖の吸血鬼であるエヴァは“魔”に属する者なので掠るだけでも尋常でないダメージを喰らう。

 

 接近戦を試みても己を覆う紫炎を噴き上げて防壁となし、遠距離からの魔法も属性に関係なく燃やし尽くされる。流石は神滅具といったところだ。

 

 一見すると、エヴァには対抗手段がないようにも思えた。それは、ヴァルブルガも同じだったようで、最初は、残虐性を隠しもせず、醜く表情を歪めては嬲るようにエヴァを狙っていたのだが……

 

「それ、もう神滅具の域ではありませんのっ!? 聖十字架の炎を浴びて瞬時に回復なんてあり得ないのよん!」

「ふん、神器とは意志によって進化するものだ。単に、お前の意志が私のそれより弱い……それだけの事だろう。クックックッ、まさに宝の持ち腐れというやつだな?」

「キィイイイイーー!! 調子に乗ってますのん!! たかが吸血鬼の分際でぇ!!」

 

 エヴァの小馬鹿にしたような表情と辛辣な物言いに空中で地団駄を踏むヴァルブルガは、十字架の形をとった紫炎をガトリングガンの掃射のように撃ち放った。

 

「魔法の射手 集束 闇の101矢」

 

 対してエヴァは集束した【魔法の矢】で自分に当たりそうなものだけを迎撃し紫炎の弾幕をすり抜ける。

 

「おほほほほほ! 避けていいのかしらん? 同胞が萌え燃えになって死んじゃいますわよん!」

 

 言われて見れば聖十字架の炎が背後の建物に着弾し包み込んでいるところだった。

 

 そこは、多数の吸血鬼達が逃げ込んだ場所だ。避難所のような場所であるから一際頑丈な作りになっているとは言え、神滅具の炎が相手では耐えられないだろう。量産型邪龍による火災もいよいよ酷くなって来ており、建物が崩壊すれば町の住民達は逃げ場をなくして果てるしかなくなる。

 

 エヴァへの意趣返しに、いつの間にか射線を重ねて吸血鬼達を狙ったようだ。エヴァの心理的動揺を誘う目的もあるのかもしれない。

 

 エヴァとしては、同胞という意識などないので精神的動揺など微塵もないのだが、吸血鬼達の争いを止めたり、テロリストから彼等を守るために来たようなものなので、見捨てるわけにはいかない。なので、チッと舌打ち一つ。

 

「リク・ラク ラ・ラック ライラック 契約に従い 我に従え 氷の女王 疾く来たれ 静謐なる千年氷原王国 咲き誇れ 終焉の白薔薇 【千年氷華】」

 

 街一つを氷漬けに出来る氷系最上級魔法が発動する。一瞬で眼下の町を駆け抜けた冷気は、紫炎も邪龍の火炎も関係なく蹂躙し、一瞬で鎮火させてしまった。霜が降りて白銀色を取り戻した町並み。エヴァの妙技により、地上で戦っている者達には影響はない。

 

「で? 萌え燃え? がどうかしたか?」

「っ! もう、もう怒りましたわよん! わたくし激おこですのん!!」

 

 余裕そうな表情でニヤっと笑うエヴァに、ヴァルブルガが再び地団駄を踏んだ。そんな彼女に、エヴァは呆れ半分、哀れみ半分の眼差しを向けつつ口を開いた。

 

「と言うかだな。お前、その口調どうにかならんのか? 正直、二十歳越えた女がやるとイタイだけだぞ。しかも、ゴスロリを着るのは、まぁ、センスはないがいいとして、その頭に付いている大量のリボンは何だ? どういうコンセプトだ? お前のイタさを助長する以外にどんな意味があるんだ?」

「~~っ! ~~ッ!」

 

 ヴァルブルガの怒りは既に言葉になっていない。エヴァが、嫌味などではなく本心から哀れんでいるのが伝わったからだ。

 

 言葉の出ないヴァルブルガは、代わりに殲滅の聖なる炎をもって返答とした。

 

 極大の紫炎が曇天すら焼き払う勢いで顕現する。十字架の形をとった聖なる炎は、そのままエヴァを呑み込まんと迫った。更に、飛び火した紫炎は生き物のように広がり、エヴァを逃がさないように球体状となって包み込む。

 

 逃げ場のない紫炎地獄の中に……エヴァの姿が消えた。

 

「おほほほほほほ! 思わず超強めの炎を使ってしまいましたわん! 嬲ってから萌え燃えにするつもりでしたのに。仕方ないですわねん。他の方々で遊びますのんッガフっ!?」

 

 フリフリの日傘をクルクルと回しながら唇を歪めるヴァルブルガだったが、全ての言葉を言い終わる前に、腹部に衝撃と熱さを感じて咳き込んだ。

 

 何事かと、肩越しに背後を振り返れば、そこにはいるはずのない吸血鬼の姿が。

 

「な、なぜ……」

「貴様は戦闘センスが皆無だな。大方、その神滅具に頼りきって殲滅戦ばかりしていたのだろう? 戦術というものがまるで感じられん」

 

 エヴァは、ヴァルブルガの腹部を手刀で突き破ったまま、冷めた眼差しを送り、そう酷評した。エヴァが紫炎の包囲網から抜け出した方法は簡単だ。地上で破壊を繰り返している【魔女の杖】の魔術師の影にゲートを開いて転移しただけである。

 

 そして、【絶】を以て気配を消し、高笑いしているヴァルブルガを背後から突いた。

 

「がっ、は、離せぇええええええええ!!」

「おっと」

 

 自らの腹から突き出す手と激痛に、ヴァルブルガは絶叫を上げながら紫炎を噴き上げた。エヴァはズボッ! と手を引き抜くとあっさり退避する。

 

「ごろず、絶対、に、ごろずわぁっ!!」

「クックッ、どうした? 口調が乱れているぞ? この半端者め」

「~~~~っ!!」

 

 ヴァルブルガは懐から小瓶を取り出すと、それを半分傷口に振り掛け、半分を服用した。途端、シューと音を立てて瞬く間に傷が癒えていく。

 

「ふむ、【フェニックスの涙】というやつか」

 

 上空からヴァルブルガを見下ろしながら、心底面倒そうに溜息を吐くエヴァに、ヴァルブルガは美女台無しの血走った目を向けつつ紫炎を奔らせる。そして、エヴァに追撃をかけるかと思いきや踵を返した。

 

 エヴァ本人ではなく、エヴァの大切な者を不意打ちで襲って意趣返ししようという魂胆なのだ。本人を嬲るのは当然だが、その前に、目の前で大切な者を燃やして憎悪に身を焦がすエヴァを見てやろうというのだろう。

 

 だが、

 

「蓮風に言うなら、【真祖の吸血鬼】からは逃げられない、というやつだ」

 

 耳元でエヴァの声が聞こえ、思わず「ひっ!」と情けない声を上げながら紫炎を噴き上げるヴァルブルガ。

 

「馬鹿の一つ覚えだな」

「うるさいのよん!」

 

 癇癪を起こしたように紫炎を乱発するが、攻撃パターンを見切ったようにエヴァには当たらない。しばらく、観察するように回避に徹していたエヴァは、やがて見切りをつけたように冷めた眼差しを向けた。

 

「貴様、やはり禁手に至っておらんな?」

「っ!? それが何ですのん? この聖なる十字架だけで十分ですわん!」

「ふん、警戒して様子見をしていたのが阿呆らしいな。底が見えたぞ、半端な魔女。一気にカタをつけさせてもらおう。私の詠唱が終わるまでに止められるものなら止めてみろ」

「なにをっ」

 

 エヴァの宣言に、より一層苛烈な聖十字架の炎を放つヴァルブルガだったが、エヴァにはまるで当たらない。

 

 先程のように、大規模な紫炎で包囲しようにも、いつの間にか転移していたり、比較的炎の薄いところを見極めて自ら突っ込み、傷は禁手【輪廻もたらす天使の福音】で瞬く間に再生してしまう。一瞬の紫炎では、エヴァ本来の再生力と回復系神器の禁手状態による回復力を突破できないのだ。

 

 その間にも、宣言通りエヴァの詠唱は紡がれていく。一つ、二つと詠唱は完了し、しかし、放たれる事はなく、遂に最後の詠唱が始まった

 

「リク・ラク ラ・ラック ライラック 契約に従い 我に従え 氷の女王 疾く来たれ 静謐なる千年氷原王国 咲き誇れ 終焉の白薔薇 【千年氷華】 固定 掌握! 術式兵装 【氷の女王】!!」

 

 詠唱の完了と共にエヴァの突き出した掌の上に超圧縮されたような氷結の嵐が渦巻く。エヴァはそれを躊躇うことなく握りつぶすようにして身の内へと取り込んだ。

 

 直後、エヴァを中心に氷の華が咲き誇る。巨大な氷柱が幾本も発生し、空気すら凍りついて次々と結晶を作り出した。エヴァ自信も氷の彫像のように、どこか透明感のある姿に変貌している。元の美貌と合わせて得も言われぬ芸術品めいた美しさを体現していた。

 

 不敵に吊り上がる口元と自信に溢れた眼差し、そして周囲一帯を己の氷結圏として全ての氷雪を支配下に置くその姿は、まさに【氷の女王】だ。

 

「な、なっ」

 

 開いた口がふさがらないといった様子のヴァルブルガに、エヴァが宣告する。

 

「では、お前の聖なる炎と私の魔なる氷雪、どちらが上か試してみようか」

 

 次の瞬間、エヴァからノータイムで闇と氷雪が螺旋を描く砲撃が放たれた。【闇の吹雪】だ。ただし、のその数は三十。

 

「ッ!? こんなものっ」

 

 眼前を埋め尽くす闇と氷雪の砲撃を前に、ヴァルブルガは頬を引き攣らせながら紫炎の壁を作り出した。ぶつかり合い、凄まじい衝撃が発生する。気を抜けば突破されそうな紫炎の壁に力を集中する。

 

 と、その直後、今度は頭上に巨大な氷塊が出現した。

 

――氷系西洋魔法 氷神の戦鎚

 

 瞬く間に肥大化したそれは直径二十メートルはありそうだ。ヴァルブルガは、咄嗟に聖十字架の炎をぶつけて時間を稼ぎつつ、その場から離脱を図った。が、退避したヴァルブルガを中心に一瞬で大気中の水分が凍てつき、凄まじい凍気と衝撃をともなった爆発が発生した。

 

――氷系西洋魔法 氷爆

 

「ぐぅうう!!」

 

 吹き飛ばされながら思わず苦悶の声を上げて地上へ落下するヴァルブルガ。とにかく、追撃を防がねばと半ば本能的に周囲に紫炎を撒き散らす。それは結果として、ヴァルブルが命を救ったと言っていいだろう。

 

 なぜなら、地上に落ちる直前で、大地からおびただしい数の鋭い氷柱が咲き誇ったからだ。まるで巨大なクリスタルの建築物の如くそびえ立つ氷柱の群れ。紫炎で少しでも蒸発させなかれば、ヴァルブルガは串刺しになっていただろう。

 

 それでも体を強かに打ち付けたヴァルブルガが、咳き込みながら体勢を立て直したその瞬間、全く情け容赦なく、氷と闇の流星群がヴァルブルガ目掛けて絨毯爆撃の如く降り注いだ。

 

――氷&闇系西洋魔法 魔法の矢 連弾 1001矢

 

「ひぃいいいいい!!」

 

 悲鳴を上げながらも全力全開で聖なる炎を頭上に展開し身を守るヴァルブルガ。あまりの弾幕に移動することも出来ず、氷柱に囲まれたミラーハウスのような空間の中央で必死に神滅具を行使する。

 

 神滅具と言えど、使えば使うだけ使用者は消耗する。ヴァルブルガもそれは同じで、若干聖なる炎は勢いを減じさせていた。同時に、肩で息をし始めたヴァルブルガの表情に焦燥感が浮かび始める。

 

 数十秒か、それとも数分か……感覚が麻痺する中、ようやく死の豪雨が止んだ。青ざめた表情でそれでも耐え抜いたヴァルブルガは、流石にエヴァはヤバイと感じたようで、エヴァの顔を心に焼き付けながら転移して逃げようとした。

 

 リゼヴィムとの協力体制において、それは非常にマズイ決断ではあるが、命あっての物種だ。そもそも、約定だとか仲間だとか、そんなものに価値を見出すような心根をヴァルブルガは持ち合わせていない。

 

「……覚えたわよん。必ず 燃やして萌やして、萌え燃えにしてやるわん」

 

 憎悪を込めた捨て台詞を吐いて、ヴァルブルガが逃亡を図ろうとする。

 

 その瞬間、

 

「言っただろう? 真祖の吸血鬼からは逃げられない、と」

「ひっ!」

 

 エヴァがいた。それもヴァルブルガを取り囲む巨大な氷柱の全てに、姿が映り込んでいて、四方八方からヴァルブルガを睥睨している。思わず悲鳴を上げるヴァルブルガに、エヴァは「悪の矜持もないのか」と鼻を鳴らしながら、その細くしなやかな腕を突き出した。

 

「まっ、待つのよん! ここは一つっ…」

「終わりだ。――解放 【えいえんのひょうが】」

「まっ」

 

 命乞いでもするように咄嗟に制止の声をかけながら、実はこっそり紫炎を発動しようとしていたヴァルブルガだったが、一瞬の躊躇いも一切の容赦もなく、エヴァは、【魔法の矢】発動中に詠唱を終えておいた最上級魔法を行使した。

 

 一瞬にして周囲一帯に絶対零度がもたらされ、あらゆるものが問答無用に凍てついていく。

 

 ヴァルブルガも、手を伸ばした状態で凍てつき、そのまま氷柱の中で意識を闇に落とした。

 

 そして、

 

「全ての命あるものに等しき死を 其は安らぎ也 【おわるせかい】」

 

 絶対零度の凍てつかせたものを完全粉砕する魔法の呪文が紡がれる。

 

 容赦なく放たれた最後の魔法は、白く染まったヴァルブルガを粉微塵に破壊した。細かな氷の欠片となって散らばる聖十字架の魔女。

 

 その最後は、聖遺物の担い手でありながら他者を虐げることにしか力を使わなかった、文字通りに“魔女”に相応しい悲惨なものとなった。ヴァルブルガが砕け散ると同時に、同じく砕けた周囲の氷柱が風に煽られて宙を舞い、ダイヤモンドダストのように世界を煌めかせる。

 

 術式兵装を解いたエヴァが、ふわりと凍てつく地上へ降り立った。禁手【輪廻もたらす天使の福音】を使ってヴァルブルガの魂の状態を調べる。回収されて【幽世の聖杯】で復活させられては敵わないからだ。

 

「……ふむ、ドラゴンでもあるまいし、人間では魂だけ残り続ける事などないだろうが……一応散らしておくか」

 

 エヴァの禁手は魂に干渉する能力を持つ。ヴァルブルガが、どこかの大蛇と期を同じくして「神滅具のよう」と評したのはあながち間違いではない。確実に、生命の理に触れる、【幽世の聖杯】に近しい常軌を逸した能力なのだ。

 

 もちろん、聖杯のように肉体の情報から何かを創り出したり、別の種へ変貌させたりなどは出来ないが。

 

 その力が、ヴァルブルガのものと思わしき濁った魂を感知した。エヴァの死者蘇生が三分以内という限定なのは魂が霧散してしまうまでの大体の時間を示しての事なのだが、ヴァルブルガも例に漏れず魂が残っていた。

 

 もっとも、肉体が原型を留めないほど破壊され尽くしているので、ホロホロと崩れるようにかなりの速度で霧散していっており、三分も持ちそうになかったが。

 

 それでも、念の為にと、エヴァは、本来、霧散する魂を保護するための能力を応用して逆に霧散を促進させた。一気に崩壊していくヴァルブルガの魂。その後、三十秒も掛からずにヴァルブルガという存在は完全に消滅した。

 

 それを見届けて、エヴァが、取り敢えず戦闘センスは兎も角、戦場を引っ掻き回せそうな厄介者を討伐できた事にふっと息を吐いた。

 

 その時、

 

「ッ!? なんだ!? これはっ、神器!? いや、まさかっ」

 

 突然、眼前に光り輝く十字架が浮かび上がったかと思うと、次の瞬間、光の粒子となってエヴァの胸元に飛び込んでしまった。胸に宿る温かな感触が、自分の所有する【聖母の微笑】と同じ感覚なので神器かと考えたエヴァだったが、現在の状況と十字架という形からは自ずと答えが出てしまう。

 

「おいおいおい、既に神器を所有しているものに神滅具が宿るなど有り得るのか……っというか、なぜ私なんだ!! 私は【真祖の吸血鬼】であり魔性に属するものだぞ! なぜ、癒し系とか聖なるものばかり集まるのだ!」

 

 余りに予想外の事態に、流石に狼狽えるエヴァ。既に前世の孤児院で聖母扱いされていた時から諦めてはいたが、やはり六百年かけて培った“悪の矜持”というものは、どこか捨てがたいものがあり、それがこういう形で度々否定されるのは実に不本意だった。

 

 エヴァを前にしたヴァルブルガやエルメンヒルデのように地団駄を踏むエヴァだったが、不意に、上空の方から不穏な気配を感じた。視線を向けてみれば巨大で不気味なオーラを漂わせる魔法陣が浮き上がっている。

 

「どうやら、新たなお客らしいな。……さて、増援か、あるいは別口か……」

 

 不本意にも新たな、そして強力な力を手に入れてしまったエヴァは、溢れ出す闇色のオーラにスッと目を細めた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 ツェペシュの城にほど近い場所で巨樹のドラゴンが鎮座していた。

 

 伊織に、仲間がやられていく様を何も出来ずに見させるために、障壁に閉じ込めようとしている宝樹の護封龍ラードゥンである。

 

 このラードゥンは、結界と障壁を領分とする邪龍で障壁込みの防御力ならグレンデルを超える程。また、一度障壁に囚われてしまうと、ノータイムで繰り出される多重障壁により脱出は至難となってしまう厄介な相手だ。

 

 そんな最強の防御力と神速多様な障壁を繰り出すラードゥンは、しかし、見るも無残な姿に成り果てていた。

 

『……あなたは本当に人間ですか……』

 

 ラードゥンがそんな事を呟く。最近、相対する相手に人間か否か疑われてばかりの伊織は、内心で苦笑いするもののそれを表に出す事はなかった。雷炎を迸らせながら、雷炎そのものとなって縦横無尽に戦場を駆け抜けるその姿では反論にも説得力はないからだ。

 

 そんな伊織の視線の先では、ラードゥンが七本もの大槍に貫かれて、全身から白煙を上げている姿が映っていた。狂気に爛々と輝く赤い瞳にも、心なし疲弊の色が見て取れる。

 

 その大槍の正体は【巨神殺しⅢ 喰らい尽くす雷炎槍】である。ワインレッドの三叉大槍は、対象のエネルギーを吸収し、それを攻撃力に転化し続けるという特殊効果がある。つまり、七度、【千の雷】を体内に直接ぶち込まれたラードゥンは、今尚、自分のエネルギーを喰らわれ、雷炎で体内を灼かれ続けているということだ。

 

 それでも、七本の大槍を打ち込まれて、なお戦闘意欲を失わないというのは、流石、伝説の邪龍といったところだろう。

 

『この宝樹の護封龍と呼ばれた私が、ただの一度も捕らえられないとは……ですが、まだです。まだ、私は倒れない! さぁ、龍殺しの大業、出来るものならやってみなさい! 私は、どのような攻撃も耐え切ってみせる!!!』

 

 邪龍としての殺し合いへの狂気故か、それとも魂さえ残っていれば聖杯で何度でも復活できると高を括っているのか……きっと前者だろう。木の虚にめり込んだようなラードゥンの赤い瞳がギラギラと輝いている。

 

「なら、俺は、その狂気ごと、この拳で撃ち抜こう」

 

 伊織は、喜悦に歪むラードゥンの瞳を静かに見返しながら雷速を以て突進した。

 

 ラードゥンは、その矜持たる障壁を展開する。並みの攻撃では傷一つ付かない頑強極まりない盾。しかし、伊織の放つ異世界の技はその力に喰らいつく!

 

「解放固定! 【雷の暴風】【雷の投擲】! 術式統合! 巨神ころしⅡ 【暴風の螺旋槍】!」

 

 伊織が障壁に拳を振り下ろす。雷炎を纏った激烈な拳撃が障壁に衝突した瞬間凄まじい衝撃が発生し、障壁全体に幾重にも波紋が広がった。

 

 刹那、

 

「解放! 抉れ雷の狂飆(きょうひょう)!!」

 

 螺旋を描く大槍が伊織の拳より放たれた。空間すらねじ切りそうな凄まじい勢いでラードゥンの障壁を抉っていく雷の螺旋槍。伊織の纏う雷炎もより一層激しく輝いた。

 

 数秒の拮抗。

 

 そして、遂に、

 

パァアアアアアン!!

 

『見事です! 私の防御障壁をこうも容易く! しかし、あなたの力では私を滅ぼすには足りないっ!!』

 

 砕けた障壁の残骸が飛び散る中、ラードゥンが叫ぶ。

 

 その瞳は、言葉通りどんな攻撃も耐えて、今度こそ伊織を封じてやろうという激烈な意志が浮かんでいた。事実、マギア・エレベア【雷炎天牙】では、打撃力が足りなかった。【喰らい尽くす雷炎槍】を七本も打ち込んで相当ダメージを与えているものの、ラードゥンの方もいい加減、接近した伊織を捕えるだろう。

 

 故に、伊織はここで勝負に出る決断をした。障壁の内側に踏み込みながら【雷炎天牙】の術式兵装を解く。訝しむラードゥンの前で、伊織は即座に装填していた遅延魔法を解放した。

 

「解放固定! 【引き裂く大地】! 双腕掌握! 【地神灼滅Ⅱ】!!」

 

 両手の先に出現した灼熱の渦巻く球体。それを握り潰すように取り込んだ伊織は、雷炎から純然たる溶岩の化身へと変貌する。

 

――マギア・エレベア 地神灼滅Ⅱ

 

 某海軍ワンコ大将の能力と同じくマグマや溶岩を自在に操り、上級以下の地属性魔法をノータイム無制限で放てる【地神灼滅】に、更に、【引き裂く大地】を術式兵装し強化したもの。それにより新たに付加された能力は、マグマの放つ熱エネルギーを膂力に変換すること。

 

 その威力は伊織の次手をもって証明された。

 

「ゼェアアア!!」

 

 裂帛の気合と共にラードゥンの捕縛障壁をかわしながら、その懐に踏み込んだ伊織は、更に変貌した伊織に瞠目するラードゥンを尻目に、その腹部へ【覇王断空拳】を炸裂させた。

 

ズドォオオオオオオオオオオオオオン!!!

 

『ッ!!? ガハッ!!』

 

 そんな大砲のような衝撃音と共にラードゥンの巨体が浮き上がる。ラードゥンから、思わず苦悶の声が上がった。直後、溢れ出た灼熱のマグマが殺到する。ジュゥウウウウウ!! と音を立ててラードゥンの体を焼き滅ぼそうとする。

 

『この程度っ!!』

 

 ラードゥンは、己を覆うマグマを、障壁を展開して弾き飛ばす。そして、伊織を封じようと多重障壁を張ろうとした。

 

 しかし、

 

『むっ、どこに……グォオ!?』

 

 いつの間にかラードゥンの足元がマグマに変わっており、そこから伊織が全身を赤熱化させて出現した。そして、握り締めた拳を、全力をもって突き上げた。再び宙に浮きながら、しかし今度は口から盛大に吐血するラードゥン。

 

 しかし、浮き上がるラードゥンは、直後、吸い寄せられるように地面へ引き戻された。ラードゥンの周囲にはいつの間にか六本の石柱とこれらを結ぶ六芒星の魔法陣が出来ており、この地属性捕縛魔法より重力が加算されているのである。

 

ズドン! ズドン! ズドン! ズドン! ズドン! ズドン! ズドン! ズドン!

 

「おぉおおおおおおお!!」

 

 そこへ再び、雄叫びを上げながら伊織が拳を振るう、振るう、振るう! 

 

 遠慮容赦の一切ない打ち上げるようなラッシュが続く。ラードゥンの巨体は、超重力によって上から押さえつけられたまま、下方からの伊織の拳打によって宙に磔状態となった。

 

 咄嗟に、ラードゥンは多重障壁を張って全てを弾き飛ばそうとした。しかし、その瞬間、突き刺さったままの【雷炎槍】の一本が激しくスパークしながら体内で弾け飛び、特大のダメージを与えながらラードゥンの意識を焦がす。意識の間隙を突いた絶妙なタイミングでの衝撃に、ラードゥンは障壁を展開し損ねる。

 

 その間も、ひたすら伊織のラッシュは続き、ラードゥンの体を爆砕していく。ラードゥンが障壁を張ろうとすれば、やはり絶妙のタイミングで【雷炎槍】が弾け飛び障壁の展開を阻害する。

 

『ガァアアアアアアアアアアアアア!!!』

「らぁあああああああああああああ!!!」

 

 一人と一体の絶叫が響き渡り、最後の【雷炎槍】が弾け飛ぶ。その瞬間、伊織が最後の拳打と同時に解放した【引き裂く大地】の赫灼(かくしゃく)たる灼熱の光が周囲を染め上げた。

 

 爆音、轟音が響き渡り、粉塵と白煙が視界を閉ざす。

 

 五秒、十秒と時間が過ぎ、やがて吹いた風がそれらを払い除けたその場所には……

 

『……この…ような……やはり…あなたは……人間ではない……』

 

 首から下の体を全て消失し頭部だけとなったラードゥンの姿があった。

 

 その傍らには、術式を解いて佇む伊織がいる。伊織は、あれだけの攻撃を受けて、なお話せる邪龍の生命力に呆れた眼差しを向けた。これで、聖杯さえあれば何度でも復活できるというのだから、溜息の一つや二つ吐きたくなるというものだ。

 

『……ふふっ……肉体を取り戻した暁には……今度こそ…あなたを封殺して……みせましょう』

「悪いが、お前はここまでだ。リゼヴィム一派は、今日ここで潰える。復活などさせはしない」

 

 伊織の言葉に、ラードゥンは赤い瞳をギラつかせながらもドラゴンの転移魔法【龍門】を開こうとした。

 

『あなたには、私の魂まで消滅させる事など……』

「ああ、俺はな……」

 

 ラードゥンの言う通り、伊織にはドラゴンの強靭な魂を直接滅するような術はなかった。しかし、伊織の家族に関してはその限りではない。

 

 それを証明するように、【龍門】の向こうへ消えようとしたラードゥンに、突如、黒いぼろ布が覆い被さった。

 

『むっ? これは一体、――ッ!?』

 

 訝しむラードゥンだったが、次の瞬間、声にならない絶叫を上げた。ラードゥンを包み込んだボロ布は、シュルシュルと音を立てながらどんどん縮小していく。

 

――神器 六魂幡 禁手 真六魂幡

 

 通常の【六魂幡】は防御力と拘束力に特化した能力を有しており、包み込んだものを圧壊させることが出来るが、その禁手である【真六魂幡】は、封神演義通り、包み込んだ全てのものを消滅させる。それには当然、魂も含まれる。

 

 そして、その使い手は、もちろんチャチャゼロだ。伊織が、最後の突撃前に念話で呼び寄せたのである。ラードゥンに逃げられる前に魂を消滅させるために。

 

「ヨォ、伊織。見事ニ一体、仕留メタナァ」

「チャチャゼロ。まぁ、止めはチャチャゼロに任せたから仕留めたと言えるかは微妙だな。とにかく、来てくれて助かった」

「ナニ、気ニスンナ。ソレヨリ、御主人モチョウド仕留メタヨウダゼ?」

「そうか、それじゃあ……」

 

 チャチャゼロと話している間にも、【真六魂幡】は圧縮を続け、遂にはラードゥンを魂ごと消滅させてしまった。シュルシュルとボロ布を回収するチャチャゼロと、その物言いに苦笑いをこぼしつつ、伊織が、他のメンバーのもとへ救援に行こうと視線を巡らせたその瞬間、

 

ズドォオオン!!

 

 と、衝撃音を響かせて、白い人影が少し離れた場所に落下していった。

 

「ヴァーリ!」

 

 伊織の動体視力は、その正体を状態ごと完璧に捉えていた。落ちたのは白龍皇ヴァーリだ。全身あちこち鎧を砕かれ、血飛沫を撒き散らしながら満身創痍で力なく落ちていったのだ。明らかに、戦闘が困難なレベルまでダメージを受けている。

 

 伊織が、ヴァーリが飛んできた方向に視線を向ければ、そこではニヤニヤと笑うリゼヴィムと、必死の形相のアザゼルが一騎打ちしているところだった。しかし、リゼヴィムは聖杯の力を使っているようで、アザゼルの光の槍を受けても平然とし、傷ついても直ぐに癒えている。

 

 どうやら、神器無効化の能力は、サーゼクスが己の消滅魔力の扱いを極めたのと同じく、自分の意思である程度調整できるようだ。万一、神器そのものを無効化してしまわないように触れることはないようだが。

 

 逆に、アザゼルの方は、巧みに戦っているものの既にいたるところに傷を負っており、かなり不味い状態に追い込まれているようだった。

 

 伊織が、すぐさま加勢に向かおうと、体を浮かせたその時、更に問題が起こる。

 

 不穏な気配を発する巨大な魔法陣の出現である。

 

「こんな時に……」

 

 伊織が歯噛みした直後、それらは現れた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「どうしたオーフィス!? なぜ、全力を出さない!! 俺など取るに足りない相手だとでもいう気かっ!?」

 

 カーミラ領とツェペシュ領の境界あたり、両領土を繋ぐ巨大な橋と結界を越えるための特殊な措置が施されているゴンドラがある山中で、爆音と共にそんな怒声が響いた。

 

 山の一角が強大な魔力弾によって消滅したのを横目に、蓮は更に飛んできた魔力弾を相殺しながら答える。

 

「我の名は“蓮”だと言ってるのに……全く失礼な。そんなだから、お前は何時までたってもクロウ・クルワッハなんて呼ばれる」

「名前なのだから、呼ばれて当然だろうっ!」

 

 まるでダメな龍の代名詞みたいに、哀れみと呆れを乗せた眼差しを向けられてクロウ・クルワッハは額に青筋を浮かべながら反論(ツッコミ)した。戦い始めてから、ずっとこの調子で、正直馬鹿にされているとしか思えなかったのだ。

 

 一方、蓮はというと、内心、心底鬱陶しいと思っていた。

 

 というのも、蓮は、ここに吸血鬼達を守るために来た伊織に呼ばれて協力しているわけで、伊織達に配慮すると吸血鬼領が灰塵に帰すのも避けるべきだと考えていたのだが、【無限の龍神】と戦えるという事にテンションアゲアゲになったクロウ・クルワッハが嬉々としてその絶大な魔力を撒き散らすので、それが周囲を破壊しないよう気を使わなければならないのだ。

 

 何せ、クロウ・クルワッハの力は、かの二天龍を僅かに超えるほど。言ってみれば、蓮の次に強いドラゴンなのだ。そんなドラゴンが本気で暴れれば、吸血鬼領など一瞬で塵芥である。蓮が、全力を出すクロウ・クルワッハの攻撃や力を上手く削いでいるから、山の一部が消し飛ぶくらいで済んでいるのだ。

 

 また、速攻で沈めるにしては厄介な相手でもあった。実は、クロウ・クルワッハは、長きに渡って人間界と冥界を練り歩き、鍛錬と見識を深めていたというのだが、そのせいか、蓮の攻撃を紙一重で凌いでしまうのである。

 

 では、無限の魔力に物を言わせて周囲一帯ごと! という方法は、もちろん本末転倒なので出来ない。

 

 つまり、蓮としては伊織達の期待に100%応える為に、全力は出さずに、できる限り必要最小限の力でクロウ・クルワッハの戦闘技術を出し抜いて倒さなければならないのである。本当に面倒だった。

 

 再び、天龍クラスの魔力弾がカーミラ領の方へ飛んで行きそうになったので、それを迎撃する蓮。

 

「貴様はまたっ! 俺との戦いなど、集中する必要もないということかっ」

「周囲に被害を出さず、全力も出してはダメ。……とんだ縛りプレイ」

「またわけの分からぬ事をっ!!」

 

 クロウ・クルワッハの魔力弾が乱れ飛ぶ。同時に、凄まじい勢いで接近し、その腕をドラゴンの腕に変えて豪速の一撃を放った。

 

 蓮は、全ての魔力弾を相殺しつつ、振り抜かれたドラゴンの腕に少女の肉体を翻して一瞬で組み付く。そして、

 

「サブミッションこそ王者の技」

 

 などとのたまいながら、しかし、ベキッ!! と生々しい音を響かせてクロウ・クルワッハの腕の関節を破壊した。

 

 クロウ・クルワッハは、やっぱり蓮が何を言っているのか分からなかったので、スルーしながら関節の壊れた腕を強引に振り抜く。同時に、反対の腕に莫大な魔力を纏わせながら手刀の形にして宙を泳ぐ蓮に突き出した。並みの存在なら軽く消し飛びかねない威力だ。

 

 しかし、相手が【無限の龍神】では分が悪い。

 

「フッ、当たらなければどうということはない! 当たってもどうということもないけれど!」

 

 そんな事を言いながら、あっさり……左腕を消し飛ばされた。……言葉通り、どうということもないようで直ぐに再生したが。

 

「……ハズい」

「貴様は、ふざけてるのかっ!!」

 

 かわしきる自信がちょっぴりなかったので一応保険をかけて言った言葉が見事活用されてしまい、両手で顔を覆う蓮。格好よくかわしきりたかったのだ。

 

 当然、そんな蓮に激高するクロウ・クルワッハ。

 

 再度、攻撃を仕掛けるが、魔力弾も砲撃も全て蓮によって相殺されてしまう。更には、蓮とのスペック差をテクニックによって凌いでいたクロウ・クルワッハだったが、それすら徐々に慣れてきたようで、攻撃が正確になりつつあった。

 

「我は百万回以上の戦闘をくぐり抜けた。もはや、攻略の出来ぬ相手などいない!」

「百万回だとっ! 貴様もまた修練を積んできたというのかっ」

 

 確かに、蓮はこの二年だけで百万回以上戦っている……ゲームの世界で。

 

 攻略ウィキを見てから挑むなど邪道、むしろウィキは我が作る! と言って自ら戦闘を繰り返し、数多くのタイトルで完璧な攻略ウィキを作ってきたのだ。……【ダイオラマ魔法球】まで使って。家族のジャーマンスープレックスや怒った伊織にプラカードと共に締め出しをくらっても諦めなかった。

 

 例え、反省するまでご飯抜き! と言われて放り出され「開けてぇ~、開けてよぉ~」と玄関をペシペシと叩くという龍神にあるまじき屈辱的な姿をご近所に晒し、主婦方から「あらあら」と生暖かい眼差しを頂くという黒歴史を重ねても頑張って来たのだ。

 

 なので、相手の弱点やパターンを探るのは十八番なのだ!

 

 しかし、そんな事を知らないクロウ・クルワッハは、昔の蓮が修練など積んでいない事は知っているので、最近になって濃密な修練を行ったのだろうと考え戦慄の表情を浮かべた。

 

 勘違いである。

 

「気の遠くなるような鍛錬(レベル上げ)不意の天災(セーブデータのクラッシュ)魔王(伊織)(依子)との戦い(引き篭る蓮への説教)手の届かぬ(小遣いが足りなくて新作)理不尽(が買えない)に歯噛みした事も」

「……そうか。無限でありながら、貴様もまた己を高めていたというわけか」

 

 勘違いが加速する。

 

 激高していたクロウ・クルワッハの瞳に冷静さとどこか畏怖のようなものが宿った。グレートレッドを除けば、世界最強のドラゴンでありながら、なお高みを目指すその姿勢に敬意をもったとも言える。勘違いだが……

 

 と、その時、不意にクロウ・クルワッハが何かを感じたように視線を遠くに向けた。そして、誰かと会話でもしているのか何度か頷いた後、凄絶な笑みを浮かべ、蓮に向き直った。

 

「どうやら、今の俺では、まだ歯牙にもかけてもらえんらしいな。だが、天龍クラスまで登ってきたのだ。登る事が出来たのだ。ならば、この爪牙も、いつかは無限に届くだろう。今は引かせて貰う。他の楽しみが出来たのでな。……無限の龍神よ、お前は、かの獣に勝てるか?」

「? (おや? 何だか戦わなくいいっぽい? ……流石、我。戦わずして勝利する。我ながら己の力に身震いする)」

 

 自分に酔いしれてジョジョ立ちをしていた蓮に随分と楽しげな笑みを浮かべたクロウ・クルワッハは、【龍門】を開きながらそんな謎の言葉を残して、蓮の返事も聞かずに転移してしまった、

 

 蓮は、戦いの終わりを悟る。

 

 が、その時、クロウ・クルワッハと入れ替わるように不穏な気配がツェペシュ派の城下町の方に発生した。

 

 同時に、蓮の近くに、その不穏な気配よりも更にヤバイ気配が溢れ出てきた。見れば、少し離れた場所に深淵のような深い闇色の魔法陣が出現しており、そこから尋常でないプレッシャーが吹き出している。

 

 蓮は香ばしいポーズを取りながら、タラリと冷や汗を流した。そう、蓮が冷や汗を流したのだ。それは、蓮が本能で感じ取ったため。そこに現れようとしている“それ”が、自分を打倒し得る天敵であると。

 

オォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!

 

 憎悪と怨嗟の絶叫が木霊する。それだけで蓮の纏う魔力が削がれた気さえした。肌は危機感に粟立っている。

 

「……マジですか」

 

 そう、世界で二番目に強い無限のドラゴンをして、その頬を引き攣らせる相手、ドラゴンの天敵、神の憎悪を一身に受ける者、かつて京都の地に召喚された禁忌の存在――サマエルだ。サマエルが召喚されようとしているのだ。

 

 蓮は、ツェペシュ領の方角を少し心配そうに眺めた。サマエルは冥府の最奥に封印されている存在だ。盗まれたのでなければ、その召喚許可が出来るのは一人しかいない。そう、冥府の神ハーデスだ。ハーデスが自らサマエルを送り込んだのだ。

 

 だとするなら、今も感じるツェペシュ領の不穏な気配は、十中八九、ハーデスの私兵――死神の軍団だろう。伊織達は、だたでさえ伝説の邪龍やら量産型邪龍、リゼヴィム率いる幹部連中に魔術師達の相手に忙しいはず。このタイミングで、死神の軍団に横槍を入れられて無事でいられるのか……

 

 そんな蓮に、念話が届く。

 

『蓮、無事か!? そっちから覚えのあるヤバイ気配がしてるぞ!』

 

 伊織だ。いつも冷静な伊織には珍しく焦ったような声音が届く。当然だろう。蓮の傍にサマエル――最悪の組み合わせだ。

 

 しかし、当の蓮はというと、先程までの危機感は何処へやら。その頬を綻ばせて、ニヨニヨしていた。伊織が、それはもう本気で心配している事が伝わって嬉しくなったのだ。同時に、サマエルをツェペシュ領に入らせるわけにはいかないという決意が生まれた。

 

 サマエルは、ドラゴンにとって天敵ではあるが、それ以外の者に対しても途轍もなく危険な存在なのだ。邪龍達への特効薬になるだろうが、同時に味方も尋常でない被害を受ける可能性が高い。そんな危険は断じて犯したくなかった。

 

『おい、蓮! 無事なのか!?』

『平気。サマエルは我が相手をする。ボッコボコのメッコメコにしてやる』

『馬鹿、なに言ってんだ! お前の天敵だぞ! 危険過ぎる!』

『でも、ここで我がサマエルにも負けないと証明できれば、ハーデスも下手な事は出来なくなる』

『それは……そうだが……』

 

 伊織は言葉に詰まった。ハーデスが蓮に執着しているのは知れていること。【無限の龍神】相手に、下手な事を考えられるのもサマエルという絶対の切り札があるからだ。それが覆されれば、容易に手は出せない。

 

 しかし、ドラゴンである蓮をサマエルにあてがう事は危険すぎて、どうにも納得し難い伊織は返事を渋る。そんな伊織に対し、蓮は不敵な笑みをもって答えた。伊織には見えないだろうが、きっと声音に乗って伝わるだろう。

 

『伊織、我を誰だと思っているのだ?』

『……少なくとも赤い彗星でないことは確かだよ。……無理はするな。無事に帰って来たら、【別荘】で好きなだけゲームさせてやる』

『ひゃっほーー!!! 流石、伊織。我の嫁』

『男に使うな。某ひとなつさんか、俺は。……気を付けてな』

『伊織も』

 

 伊織が、呆れた声でツッコミを入れつつ、信頼の言葉と共に通信を切った。

 

 その瞬間、遂にサマエルが召喚された。堕天使の上半身に龍の下半身。十字架に磔にされ、血を撒き散らしながら怨嗟と憎悪の絶叫を上げている。包帯のような者で隠された目元からも血涙が流れている。その見えていないはずの視線が、がっちりと蓮を捉えた。

 

 刹那、視認も難しい超速でサマエルから触手のような黒い舌が伸ばされた。槍のように鋭く伸びたそれは、蓮に触れる寸前で一気に広がり、そのままバクンッ! と音をさせて呑み込む。

 

 しかし、

 

「フッ、それは残像だ」

 

 そんな事を言いながら蓮の姿がサマエルの後方に現れた。どうやら喰われたように見えた蓮の姿は神速が生み出した残像だったらしい。サマエルにもう少し理知的な思考が残っていれば、蓮のドヤ顔にさぞかし苛立ったことだろう。

 

オォオオオオオオオオオオ!!

 

 サマエルは、すぐさま触手を蓮に向けて放った。以前より拘束が緩んでいるようで、何と、血を礫にして飛ばすようなことまでしてくる。サマエルの血は究極の龍殺しが宿った猛毒だ。蓮と言えど、一滴でも浴びれば瞬く間に死に至るだろう。

 

 血の礫が、ドヤ顔している蓮に殺到する。が、その礫が蓮に当たることはなかった。蓮の体が残像を残しながら分裂するようにぶれたからだ。下半身はそのままに上半身だけ次々と分裂しては消えていく。

 

 その様はまさに、マ○ッリクスのエージェントのよう!! 蓮のドヤ顔は崩れない!!

 

 そこへ、とぐろを巻いて包み込むように触手が襲いかかった。

 

「見える! 我にも敵が見える!」

 

 最初から見えているので驚くような事ではない。蓮は、更に、惑わすように残像を生み出しながら高速移動を繰り返し、天龍の二倍くらいの力で魔力弾を放った。当然、サマエルには何の痛痒も与えない。

 

 それを見て、蓮は不敵に笑いながら宣言した。

 

「いいだろう。種族の特性の違いが、戦力の決定的差でないことを……教えてやる! 変☆身!!」

 

 やはり、某赤い彗星の言葉を借用して、しかし、どこぞのライダーさんのようなポーズを決めながら輝いた蓮は、次の瞬間……ちょっと高級っぽい白ジャージ姿になっていた。ワンポントで入ったラメがキラキラと眩しい。

 

「我が白ジャージを纏った意味……わかるな?」

 

 わかる訳が無い。サマエルは問答無用に血の礫、触手、更には龍殺しの概念が乗せられた咆哮を衝撃波として放った。

 

 蓮は、それを見ても全く動じずに、両手をパンッしたあと、おもむろにポケットに手を入れた。

 

 そして、

 

「いく! 豪☆殺☆居合い☆拳ッ!!」

 

 某白スーツなダンディの技が炸裂した。ちなみに、両手パンッに意味はない。ポケットを鞘代わりにしているわけでもない。単純な膂力による力技である。

 

 それでも、魔力も気も使用しない純粋な拳圧が砲撃の如く飛び、サマエルの放った攻撃の尽くを吹き飛ばした。サマエルは気にした様子もなく、更に追撃をかける。途中で枝分かれした舌が、四方八方から蓮を狙う。

 

「千条☆閃鏃☆無音拳ッ!!」

 

 その全てをガトリング掃射のような居合い拳の連撃で弾き飛ばし、更に、

 

「七条☆大槍☆無音拳ッ!!」

 

 豪殺居合い拳を超える極太のレーザーのような拳圧を打ち放った。

 

ゴガンッ!!

 

 サマエルの顔面にクリーンヒット。どうやらドラゴンの力を使っていない純粋物理攻撃で、しかも【無限の龍神】の膂力を以て放たれた絶大な拳圧であったことから、それなりにダメージが入ったようだ。

 

「ドラゴンの力がダメ? なら、物理に殴ればいいじゃない!!」

 

 そんな事を言いながら、次々と拳圧を打ち放っていく蓮。宣言通り、フルボッコにするつもりである。

 

 滅多打ちにされながら更に怨嗟と憎悪を撒き散らすサマエルと、白ジャージを纏いポケットに両手を突っ込んだチンピラのような龍神は、吸血鬼領の境で激しくぶつかり合うのだった。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

はい、エヴァが更にチート化しました。
神滅具級の回復系神器と正真正銘神滅具……誰に止められるんだ
ヴァルブルガさん、原作では禁手に至っているようですが内容が分からないので、至っていないことにさせてもらいました。エヴァの禁手も考えないといけないので、ご勘弁を。

伊織は……某海軍のワンコを超えてますね、きっと。

蓮ちゃんは……決してふざけてはいません。本人は至って真面目です。

リゼヴィムの能力の扱いはオリジナル設定です。

感想、ありがとうございました。
修正ポイントも時間が出来次第直していきますね。

明日も18時更新です。


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第60話 異世界の守護者VS大魔王 後編 

 

 

『グルゥアアアアアア!!』

「わわっ、ちょっ、あの死神さんの大群が見えないんですか?」

 

 深淵の如き闇色のオーラを溢れさせる巨大な魔法陣から転移して来た死神の軍団。ドス黒いオーラを漂わせ、魂を直接傷つけることが可能だという【死神の大鎌】を持ち、上空より吸血鬼領とそこで戦う者達を睥睨する彼等の数は、優に1000体はいると思われた。

 

 見れば、アザゼルと相対していたリゼヴィムも驚いたような表情をしている。この世の全てを混沌に陥れたいリゼヴィムと他の神々や魔王が頗る付きで嫌いなハーデスが手を組むとも思えないので、明らかに第三者としての介入と考えるべきだ。

 

 にもかかわらず、ミクの相対する邪龍グレンデルは、そんなもの知った事ではないと言わんばかりに、憎悪と狂気を宿した瞳をギラギラと光らせながらミクに襲いかかった。咄嗟にかわしながら、ミクが不測の事態を告げるが……

 

『知るかっ!! 俺様はなぁ、てめぇをぶち殺せればそれでいいんだよぉ!!』

 

 そういう事らしい。一気に踏み込んで来たグレンデルは、ミクに喰らいつくように肉薄する。

 

 その間にも、黒い靄のような不気味なオーラを纏わせた実体の掴み難い死神達が、吸血鬼領に散っていった。ミクの方にも数十人の死神が襲いかかってくる。

 

「くっ、こんな時に」

 

 ミクはグレンデルの猛攻をかわしながら、漁夫の利を狙うかのように展開する死神に、分身体を迎撃に当たらせる。その隙を、グレンデルは逃さなかった。

 

『よそ見してんじゃねぇぞおおおお!!』

「ッ! くぅううううう」

 

 グレンデルの拳が、遂にミクを捉えた。喜色を浮かべるグレンデルだったが、しかし、妙に手応えが薄くて眉をしかめる。

 

 ミクは、グレンデルの豪腕に吹き飛ばされたものの、陸奥圓明流【浮身】によって衝撃を辛うじて削いだ。しかし、その余りの破壊力に完全には消しきれず、それなりに衝撃が通ってしまった。全身を襲う痺れに思わず苦悶の声が漏れる。

 

 しかし、目論見通りではあった。死神に対応しながら、肉薄するグレンデルから距離をとるには吹き飛ばされるのが一番よかったのだ。

 

 ミクは、スッと右手を掲げた。死神軍団の登場で中断してしまった神器を取り出す。虚空から美しい透き通った羽衣が現れ、ふわりとミクの肩にかかる。そして、それ自身は重さを持っていないかのようにふうふわと漂った。

 

『へっ、神器か? いいぜ? そんな布切れで何が出来るか知らねぇがなぁ!!』

 

 ミクは、無言のまま、神器【如意羽衣】の禁手を発動する。

 

 直後、グレンデルは、周囲の死神共々瞠目することになった。

 

 ミクが神器の禁手を発動した瞬間、ミクとは異なる異質で常軌を逸したプレッシャーが周囲を満たし、まるで恐れ慄くように大気が鳴動を始めたからである。本能的に感じる危機感のまま、グレンデルは、姿を現したミクに引き攣った表情で疑問の言葉を発した。

 

『おいおいおい、どういうこった。その力は何だ? どうして、お前が、その力を使えるんだ?』

 

 グレンデルの視線の先、そこには、本来の翠色のオーラではなく、紅いオーラ、それも【滅びの魔力】を纏ったミクがいた。バアル家しか持たないはずの、特殊な魔力。悪魔ですらないミクが持ち得ない力。それが【滅びの魔力】であることを証明するように、周囲の地面は塵も残さず消滅している。

 

「禁手【千変万化の後天羽衣】――能力を模倣する能力です。さて、余り時間もないことですし、現役魔王さんの滅びの力、その身でたっぷり味わって下さい」

『ッ……ハッ、上等だぁあああ!!』

 

 一瞬呆けたグレンデルだったが、直ぐに狂的に表情を歪めるとミクに飛びかかった。

 

 ミクの禁手【千変万化の後天羽衣】は、その言葉通り、変化した相手の能力までコピーする完全模倣能力であるのだが、鍛錬の末、一部変化という使い方も出来る。

 

 今回の場合で言えば、サーゼクスに変化せず、サーゼクスの能力だけ扱うといった具合に、だ。もっとも、変化する対象、その能力の強大さ複雑さによって消耗の度合いは異なり、魔王の特殊能力ともなれば今は未だ一分程度しか持たない。使った後の疲弊も無視できないレベルになる。

 

 それでも、現在は、サーゼクスの技量も模倣できているので、今のミクは正直、無敵状態だった。

 

 ミクが、突進して来るグレンデルに手を突き出すと同時に、超圧縮された高密度の魔弾が放たれた。サーゼクスが使う、触れたもの全て消滅させる【滅殺の魔弾】だ。

 

『ぐぉおおお!!』

 

 高速で飛翔した消滅の魔弾を危機感から身を捻ってかわそうとするグレンデルだったが、ミクの意思に従って誘導された魔弾はグレンデルの右腕を、バシュッ! と音をさせて肩からごっそり消滅させた。

 

 それでも、突進を微塵も緩めないグレンデルだったが、それはミクも織り込み済みだったのだろう。ヴォ! と音をさせて高速機動を行うと、グレンデルの攻撃を掻い潜りながら懐に踏み込み、神速の抜刀を行う。

 

 それは当然、滅びの魔力が宿った剣戟である。

 

『がぁああああああっ!?』

 

 絶叫を上げて、ごっそり斬られたグレンデルは、それでもなお攻撃を止めようとしない。狂気そのままに、ミクに向けて拳を振るおうする。

 

 しかし、

 

バシュウ!!

 

『ぐぁあ!』

 

 先程放った消滅の魔弾が、いつの間にか戻って来て振りかぶったグレンデルの残りの腕をきれいさっぱり削り取った。

 

 腕無しになったグレンデルは、口をガパッと開き、ドラゴンのブレスを吐こうとする。それをミクが上下に百八十度開いた天を突くような蹴りを以て阻止する。強制的に口を閉じさせらる――わけではなく、上下の顎を纏めて消し飛ばされた。

 

 思わずたたらを踏むグレンデルに、ミクは全身から滅びの魔力を放射した。それだけで、グレンデルの最高硬度を誇る鱗が一気に削り取られ薄くなる。滅びの魔力を受けて完全に消滅しないところは流石だが、ミクにとってはそれで十分。

 

「来て下さい! グラム!」

『――!!』

 

 待ってましたぁ! と言わんばかりに手元に転移して来たグラムを握ったミクは、龍殺しのオーラと滅びの魔力を練り合わせ、極大の一撃とする。グレンデルによって、致命となり得る凶悪な二つのオーラが紅黒いオーラとなって噴き上がった。

 

 近づくことも許されない莫大にして絶大な破壊の力。グラムを真っ直ぐ天に掲げたミクは、ギラリと輝く瞳でグレンデルを射抜いた。

 

 そして、

 

「これで終わりです!!」

『ッ、ちくしょうがぁああああ!!』

 

 大罪の暴龍の絶叫と、それを掻き消す程の轟音と共に、周囲一帯が極光で満たされた。

 

 粉塵すら上がらない。消滅の魔力がそれすらも消し飛ばしてしまったからだ。グラムの一撃が放たれた直線状には、文字通り、何もなかった。グレンデルは魂レベルで消滅し、山へと続く森は戦艦の主砲でも受けたかのように真っ直ぐ数百メートルに渡って消え去っている。周囲の死神も何体か巻き込まれたようで、数が減っていた。

 

「っ、うぅ、やっぱりサーゼクスさんへの変化はヤバイです。ごっそり持って行かれましたね」

 

 グラムを支えに膝を付いていたミクは、頭をふるふると振りながら何とか起き上がる。実際、魔力もオーラもすっからかんだった。

 

 と、そこへ、ミクの放った一撃に動きを止めていた死神達がチャンスと見たのかミクに一斉に襲いかかった。

 

 分身体ミクが、魔剣を以て大鎌の一撃を防ぎ反撃するが、本体のミクの動きが鈍く、それを庇うようにして戦わねばならないので、劣勢に追い込まれる。魔剣の性能差で何とか凌いでいるが、正直、少し厳しい状況だ。ここで、増援など来たら……

 

「うっ、フラグでしたか。あぁ、もうっ、うろちょろと鬱陶しいです!」

 

 分身体のミクが、本体を守るように円を描きながら戦う。しかし、更に数十人の死神が現れて、一斉にミクに襲いかかった。二体の分身体ミクが、猛攻に耐えきれず消え去り、防衛線に僅かにほころびが生じる。

 

「やばっ」

 

 ミクのそんな焦りを含んだ声と共に、死神が二体、挟撃を図った。

 

 刹那、

 

 紫炎の十字架が死神を包み込み、同時に、紅色の弾丸が死神の頭部にヒットして消し飛ばした。

 

「無事か、ミク!」

「ミクちゃん! 大丈夫!?」

「ふぅ、エヴァちゃん、テトちゃん……助かりました」

 

 見知った二人の家族の声に、ミクは、安堵の吐息を吐く。そんなミクの傍らに声の主、エヴァとテトが降り立った。エヴァは直ぐに、ミクに手をかざし神器【聖母の微笑】で癒しいく。

 

「お二人も、どうやら無事に倒せたみたいですね。……っていうか、エヴァちゃんですか? さっきの炎。あれって……」

 

 不思議そうな表情で視線を向けるミクに、エヴァは、ムスッとした表情になった。それに苦笑いしながら、テトが簡潔に説明する。

 

 そして、死神には絶大な威力を発揮するとは言え、早速“聖なる十字架”のお世話になっている事に、また、ますます聖性に磨きが掛かっている事に不貞腐れているのだと分かり、ミクも苦笑いを零した。ちなみに、テトも手傷を少し負ったものの、しっかりニーズヘッグを消滅させたらしい。

 

「それより、早く、他の救援にいくぞ。死神共め。見境なく襲い掛かりおって」

「マスターと蓮ちゃんは……」

「どうもサマエルとやりあってるみたいだけど、さっき確認した限りだとノリノリみたいだよ? 大丈夫だって。マスターは……」

 

 テトが視線を向ける。それは大量の死神とリゼヴィムと共に三つ巴の戦闘を繰り広げている伊織の姿があった。伊織も相当疲弊しているようで動きにキレがなくなってきているが、何とか拮抗を保っている。アザゼルの姿はない。

 

 リゼヴィムの方も、死神の中に最上級クラスまでいるようで伊織を殺しきれず、膠着状態になっているようだ。おそらく、やろうと思えば蹴散らせるのだろうが、万に一つでも【死神の大鎌】に当たればリゼヴィムとて無事では済まない為、慎重になっているのだろう。

 

「とにかく、伊織があの魔王を抑えている間にできる限り死神を駆逐するぞ。あいつら、おそらく口封じに全員始末するつもりだ」

 

 蓮を得ても、死神が襲撃したとなれば他の神々が黙っていない事は容易に想像できる。それならば、死人に口無しとするのがもっとも簡単な方法なのだ。

 

 ミクとテトもエヴァの言葉に頷き、伊織に心配そうな眼差しを向けつつ、今も八岐大蛇と死闘を繰り広げているグレモリー眷属や吸血鬼の住民達を守るべく邪龍や死神を相手に踏ん張っているチャチャゼロやシトリー眷属の二人がいる方向に向かおうとした。

 

 その時、

 

『行かせるわけにはいきません。特に、そこの吸血鬼、貴女は』

 

 突然、そんな言葉が響いたかと思うと瘴気のような闇色の魔力が出現し、そこから道化師のような仮面を付け、装飾の施されたローブを来た死神が現れた。

 

「……プルートか」

 

 エヴァが目を細めて呟く。以前、蓮の処遇を話し合う会議にて、一人、蓮のあり方を否定した存在。ハーデスの右腕、伝説の最上級死神プルートだった。

 

『先程の紫炎、あれは間違いなく神滅具の聖なる炎。貴女の神器は【聖母の微笑】だったはず。まさか、二つの神器を、それも神滅具を宿すとは……看過できません。貴女は危険だ』

「ハッ、真祖の吸血鬼相手に、今更だなぁ。あの時から、貴様の事は気に食わなかったんだ。ちょうどいい、今ここで神滅具の実験台にしてやろう!」

 

 エヴァは、不敵に笑うと予備動作なくプルートに向かって聖十字架の紫炎を発動した。それを神速で回避するプルート。エヴァは、それを追って飛び上がった。

 

「ミク、テト、奴は私が引き受けた。他を頼んだぞ!」

「了解です! エヴァちゃん、気をつけて下さい!!」

「死神の鎌には気をつけて! 無理しないでね!」

 

 ミク達は互いに一瞬微笑み合うと、それぞれの戦場へ向けて再び別れていった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「およ? あ~、また一体殺られたのかぁ~。クロウちゃんは用事があるし、聖十字架は取られちゃうし。あと、残ってんのは三体だけ? ホントやってくれるよねぇ。お前の女ってどうなんてんの? これも異世界補正ってやつ?」

 

 死神に襲われながらも、それを片手間で薙ぎ払い、世間話でもするように伊織に話しかけるリゼヴィム。既に、ニーズヘッグ、ラードゥン、グレンデルが魂も残らないほど徹底的に撃破された事を察したようだ。

 

 しかし、その表情に焦りの色は微塵もなく、むしろ楽しげな雰囲気さえ漂わせている。大方、666(トライヘキサ)さえ復活させられれば、何の問題もないと思っているのだろう。伝説上の邪龍も、探せば他にもいる可能性はあるし、量産型邪龍など、それこそ聖杯さえあれば作りたい放題なのだ。

 

「はぁはぁ……ッ疾!!」

 

 伊織は、リゼヴィムには答えず、肩で息をしながら首筋に迫る死を回避し、同時にカウンターで死神を一体屠った。ラードゥンとの戦闘で、それなりに魔力とオーラを消費し、満身創痍だったアザゼルを離脱させて、リゼヴィムと隙あらば魂を刈り取ろうと襲いかかって来る死神を一人で相手にしているのだ。既に、倦怠感を感じる程度には疲弊していた。

 

「あ~らら。なに? もしかして限界? そりゃあねぇ、人間の身で伝説の邪龍相手にしたんだから仕方ないよねぇ。んじゃ、そろそろ終わりにしちゃうぞぉ?」

 

 ふざけた口調で、しかし、絶大なオーラを発しながら魔力弾を散弾のように撃ち放つリゼヴィム。

 

 一発一発が、上級クラスの存在ですら一撃で滅ぼしそうな威力だ。にもかかわらず、そんな魔力弾すら片手間なのか、攻撃のタイミングを狙って肉薄した死神の群れを、やはり閃光のような魔力を放ってあっさり片付けてしまう。

 

「っあああ!!」

 

 一方、伊織の方も、魔力弾を回避した瞬間を狙おうというのだろう、多数の死神が虎視眈々と伊織を狙って周囲を旋回している状況だった。伊織は、気合一発、独楽のように回りながら掌に魔力を集束し、飛んで来た魔力弾をそっと撫でる様に受け流し、その軌道を捻じ曲げた。

 

――覇王流 旋衝波

 

 絶妙なタイミングで伊織を狩ろうとしていた死神は、逆に絶妙なタイミングで魔力弾の直撃を受けて、その身を消滅させた。

 

「おほっ! やるじゃん! それじゃ、これはどうよ?」

「ッ!」

 

 伊織の妙技にはしゃいだように瞳を輝かせたリゼヴィムは、次の瞬間には、その表情を邪悪に歪め、その手を見当違いの方向に向ける。それを見て、伊織は瞳に憤怒を宿しながらも飛び出し、射線上に割り込む。

 

 リゼヴィムが矛先を向けた先には、住民達の避難所があったのだ。ドンッ!! と、そんな凄まじい衝撃音と共に、絶大な威力を秘めた魔力弾が放たれる。

 

 それを前に、伊織は、空中に作った魔法陣の足場を踏みしめて、気合の声と共に魔力を集束させた右拳を真っ直ぐに放った。

 

「ゼェアア!!」

 

 直後、伊織の眼前の空間が粉砕され、一切の力を否定する虚数空間への扉が開く。リゼヴィムの放った魔弾は、そのまま空間の穴に吸い込まれ消えていった。

 

――覇王流 覇王絶空拳

 

 しかし、気を抜く暇など微塵もない。

 

 なぜなら、空間の穴が塞がる間もなく、リゼヴィムが邪悪に笑んで別方向に腕を向けたからだ。

 

「それじゃあ、次はあっち。それとこっちも行っておこう!」

 

 心底楽しそうな声音で、次々と爆撃じみた魔力弾をばら撒く。伊織は、翻弄されるように、高速移動を繰り返しながら、射線に入っては、【絶空拳】で空間に穴を開けつつ死をもたらす魔王の魔力弾を放逐していく。

 

 そんな嬲られるような伊織を横目に、リゼヴィムは鬱陶しそうに視線をあらぬ方向へ向けた。その視線の先には、周囲の数百という死神とは一線を画す存在感を放つ死神が四人。いずれもプルートには及ばないまでも底知れない力を感じさせる最上級死神だ。

 

「ああ、まただ。君達でしょ? さっきから俺の転移を邪魔してくれちゃってんの。最上級クラス四人から“行かないで!”なんてラブコール送られると、おっちゃん年甲斐もなくはしゃいじゃうよぉ!!」

 

 そう言ってリゼヴィムは、伊織に向けているのとは逆の腕を最上級死神に向けて魔力弾を放った。しかし、流石は最上級というべきか、四人ともきっちりかわしきると、付かず離れずの距離を保ち続ける。どうしても避けきれなさそうなものは、他の死神が盾になるように魔力弾を妨害し、その隙に回避してしまう。

 

 四人の死神は、戦いが始まってからというもの、ずっと沈黙したままフードの下から炯々と光る眼差しをリゼヴィムに向け、リゼヴィムが転移しようとすればそれを妨害し、攻撃されては回避に徹するという事を繰り返しているのである。

 

 リゼヴィムは、流石に邪龍をかなりやられてしまったので、体勢を立て直した方がいいかな? と考え、隙あらば転移しようとするのだが、このために上手くいかないのだ。また、死神の排除に集中しすぎれば、

 

「解放! 【巨神ころし】!!」

 

 と、伊織からリゼヴィムと言えど無視できない威力の攻撃が来るのだ。

 

 しかも、一度、聖杯の再生能力を見せつけて絶望を誘おうとしたのだが、伊織の鋼糸によって危うく掠め取られそうになり、どんな手を使って奪取されるかわからないので迂闊に出せなくなった。

 

「おっと、お返しだよん!」

 

 再び、伊織自身ではなく、住民達や他の仲間を狙って魔力弾を放つリゼヴィム。それに対応すべく駆け出す伊織。

 

 アザゼルを下げてから、ずっとこの調子で拮抗状態が続いているのである。しかし、この拮抗状態でもっとも不利なのは伊織だった。死神は数が多く、リゼヴィムは魔王ルシファーとして莫大な魔力を内包している上に、自らの【神器無効化】能力を調整することで聖杯による強化と再生が出来てしまう。

 

 事実、伊織の魔力とオーラは既に限界に近かった。

 

 そして、遂に【覇王絶空拳】が間に合わない瞬間が訪れてしまった。リゼヴィムの放った魔力弾に【絶空拳】を放たとうとして死神の妨害にあったのだ。伊織は、操弦曲【針化粧】によって死神を串刺しにしつつ、咄嗟に防御魔法【オーパルプロテクション・ファランクスシフト】を展開した。

 

「ぐぅううううう!!」

 

 曇天の下、巨大な爆発が起きる。凄まじい衝撃音と共に、何かが砕けるような音が響き渡った。魔力弾の放つ閃光が周囲を満たし、それが収まった時、そこには、クロスさせた両腕から血を滴らせる伊織の姿があった。苦悶の声も響く。

 

「うひゃひゃひゃ、クリーンヒットぉ! ほれほれ、そろそろ避けないと死んじゃうぜぇ~」

 

 リゼヴィムが、嗤いながら更に苛烈に魔力弾を放つ。伊織が深いダメージを負った以上、均衡は崩れたようなものだ。それがわかったのか、リゼヴィムの邪魔だけをしていた最上級死神達の瞳もギラリと輝き始めた。魔王という巨大な敵を前に伊織が少しでも力を削げれば万々歳といった事でも考えていたのだろう。その望みが薄まったため、自ら魔王と伊織の魂を刈り取ろうというのだ。

 

 他の死神も伊織を狙って殺到する。

 

 伊織は、【覇王絶空拳】を振るう暇もなく、次々と襲いかかって来る死神の攻撃を捌きながら、決死の覚悟でシールドを張り続けた。少ない魔力と障壁の強度を補うためロードしたカートリッジが豪雨のように地上へ降り注ぐ。

 

 しかし、魔王の魔力弾をそう何度も正面から受け続けられるわけもなく、【堅】も使いながら体を張って食い止める伊織は直ぐに満身創痍となった。全身から白煙を上げ、体中の至るところから血を流している。

 

 ちょうど最上級死神の一体を屠ったリゼヴィムが、そんな伊織の様子を見て嗤う。

 

「紙一重で致命傷を避けるねぇ。でも、もう終わりっしょ? 放っておいても死神くんにやられそうな感じだしぃ? 邪龍も死神も溢れているこの場所で、全てを守ろうなんて不可能だよん? 潔よく諦めな。散るときは美しくねぇといけないぜ」

 

 そんなリゼヴィムの言葉に、伊織は、荒い息を吐きながら答えた。その声音に焦燥の響きはなく、瞳も凪いだ水面のように静かで、奥に輝く意志の炎は些かの衰えもない。

 

「……泥にまみれても、なお、前へと進むものであれ」

「あ? 何だそれ?」

「受け売りさ。だが、人間のあるべき姿をよく表している。リゼヴィム。“不可能”なんて唯の言葉なんかで、人間が止まると思っているのか? 人間が一体どれだけの“不可能”を“可能”に変えて来たと思ってる」

「……」

 

 伊織の言葉に、目を眇めるリゼヴィム。そんな彼に、伊織は続ける。

 

「リゼヴィム、お前みたいな“悪”と断じる事のできる奴は、快楽の為に他者の大切を踏みにじる奴は、みな同じ弱点を持っている」

「……ほぉ、そいつは是非とも聞いてみたいねぇ。何だ? 俺の弱点ってやつは」

 

 リゼヴィムは、面白そうに口元を歪めた。

 

「……“必死さ”がないことだよ」

「は?」

 

 予想外の答えだったのか、リゼヴィムがキョトンとする。それに構わず伊織は、今まで相対していきた悪党共を思い出しながら、リゼヴィムに真っ直ぐな眼差しを向けた。

 

「お前みたいな奴は、自分の快楽が全てだ。だから、何事に対しても“必死さ”がない。死に物狂いで何かを成し遂げようという意志がない。どんな事も、自分が楽しむための余興でしかない」

「だから?」

「だから、強靭な意志あるものには勝てない。最後には、不可能を可能に変えてしまう力に、お前達の方こそ蹂躙されるんだ」

 

 伊織が、満身創痍のまま一歩、進み出る。魔力もオーラもほとんど感じられないのに、明らかに限界だと分かるのに、なぜか無視できない力を感じる。

 

 何者にも覆すことの出来ない不退転の意志が魂を燃やす。魂の管理人たる死神が、その燦然たる輝きに気圧されたように後退った。

 

「リゼヴィム。俺は引かない。この身が塵芥になるまで戦い続けよう。全てはお前を滅ぼすために。全てを守りきるために。それは、俺の仲間達も同じだ。快楽しか頭にないお前如きには決して負けない」

「……へぇ、だったら、この状況でもひっくり返せるんだよなぁ? えぇ? ほらほら、そのお前のお仲間さんとやら絶賛ピンチだぜぇ?」

 

 リゼヴィムは、嗤いながら、されど先程までよりどこか冷たい眼差しを伊織の背後へと向けた。

 

 そこでは、吸血鬼の住民を守ろうと戦うミク達や、八岐大蛇相手に、ユークリッドをどうにか撃破したらしい疲弊し切った様子の一誠を加えたグレモリー眷属が、今にも死神と量産型邪龍の群れに呑み込まれそうになっていた。

 

 伊織は満身創痍で、蓮は未だにサマエルを撃破しきれず、エヴァもプルートから手を離せない。リゼヴィムの言う通り、まさに絶対絶命。

 

 しかし、伊織に動揺の色はない。リゼヴィムの前に相対したときから変わらず揺らがずの真っ直ぐな眼差しを向けている。それが、妙に気に入らないと感じ始めるリゼヴィム。

 

 僅かに苛立つような雰囲気を纏い始めた彼に、伊織は、フッと笑みを浮かべた。

 

「……何が、おかしいんだ? あぁ?」

「いや、どうやら間に合ったようだから、思わずな」

「間に合った? なにを言って……あん?」

 

 伊織の言葉の意味が分からず、問い返そうとした瞬間、遠くで巨大な魔法陣が輝きだした。死神達が転移して来た時と同じように黒いオーラであるが、彼等の場合と異なり、その色は漆黒。不気味さのない、全てを塗りつぶすような不敵な色だ。

 

「アザゼルさんの存在を忘れていたな? 戦線から離脱したあの人が、ただ休憩していたとでも思ったのか?」

「アザゼルだって? まさか……」

 

 リゼヴィムが、アザゼルの事を指摘され思わずといった様子で魔法陣の方角を見た。

 

 直後、爆発するように漆黒の輝きが増し、その光の中から大量の人影が現れる。

 

 そして、次の瞬間には、

 

――氷雪と落雷が荒れ狂い、死神と邪龍を纏めて氷漬けにし、灼滅させた

 

「あ~、よかった。間に合ったみたいっすねぇ。これも神の思し召しっと。アーメン、アーメン」

 

 天界の切り札。神滅具【煌天雷獄】の使い手、ミカエルの御使い“ジョーカー”――デュリオ・ジェズアルド。軽い口調で、しかし、吸血鬼領の天候を瞬く間に掌握すると絶大な力を振るう。

 

――特大の火炎球が空を蹂躙し、邪龍と死神を纏めて焼き尽くした

 

「伊織、ミク、テト、エヴァ、チャチャゼロ! 無事かえ!?」

「伊織ぃ! 九重が助けに来たのじゃ!」

 

 妖怪の頭領、九尾の狐八坂と、その娘九重。周囲には、腕に覚えのある名立たる妖怪達。驚いた事に、酒呑童子率いる鬼の姿も見える。伊織に対して不敵な笑みを一瞬送り、すぐさま、邪竜と死神を蹂躙しにかかった。

 

――八岐大蛇の間に踊りでた男が、その拳一つで伝説の邪龍を吹き飛ばした

 

「どうした、兵藤一誠! 貴様、この程度で力尽きるような男ではないだろう! さぁ、立ち上がれ!」

 

 滅びの力を持たないバアル家の異児。されど、努力のみで全てを捩じ伏せて来た男。サイラオーグ・バアル。満身創痍で膝を付いていた一誠に、聞く者全ての心を奮い立たせるような叱咤が飛ぶ。サイラオーグだけでなく、彼の眷属も既に戦場に散らばり、邪龍と死神を駆逐しだした。

 

――黒炎を噴き上げる邪龍が量産型邪龍を舐め尽くした

 

「邪龍で龍王の俺達が負けるわけにはいかねぇよなぁ、ヴリトラ!」

『我が分身よ、その通りだ。さぁ、見せてやろう、我等の邪炎の力を!』

 

 ソーナ・シトリー率いるシトリー眷属が、【黒邪の龍王】たる匙元士郎の黒炎と共に戦場を駆け出した。ソーナの計算され尽くした効率のいい連携が、吸血鬼の住民達への鉄壁の防壁となる。

 

「なるほどねぇ。アザゼルのおっちゃんは、転移陣を構築してたわけか」

「吸血鬼の結界を越えなきゃならないから、少し時間はかかったようだがな」

 

 眼下の状況を見ながらリゼヴィムが呟き、伊織が正解だと言うように答えた。そんな伊織の傍らに、ミクとテトがヴォ! と音を立てて現れる。

 

「マスター無事……ではないですね。直ぐに治療を」

「もう、無理しすぎだよ、マスター」

 

 二人は、伊織の状態に眉をしかめながら、治癒魔法【フィジカルヒール】をかけ始めた。二人掛りの治癒に、伊織の傷がかなりの速度で塞がっていく。突然の事態に、動きを止めていた死神達が、一斉に襲いかかるがミクの分身体とテトの【十絶陣】に囚われて伊織には届かない。

 

 リゼヴィムも、また一体、最上級死神を屠りながら戦場を睥睨し、八岐大蛇も邪龍軍団も倒されるのは時間の問題と察し、溜息を吐いた。

 

「あ~あ。せっかく集めた戦力がおじゃんか。まぁ、また集めればいいだけだし、トライヘキサが居れば問題はないんだけどねぇ。取り敢えず、ここは引かせてもらいましょうかねっと。第一ラウンドはお前の勝ちって事にしといてやるよ」

 

 そんな事を言いながら最上級死神の攻撃をかわしつつ、転移を発動しようするリゼヴィム。妨害していた最上級死神が減ったので、どうにか転移できそうである。

 

 しかし、

 

「そんな事、許すと思っているのか?」

 

――ユニゾン・イン

――ユニゾン・イン

 

 伊織から濃紺色の魔力が噴き上がる。伊織自身は魔力を相当消費しているが、ミクとテトの二人とユニゾンすれば、二人の内包する魔力を共有できる。全快時には及ばないが、復活といって言い程度には魔力も充溢している。

 

「魔王に向かって“許し”とは不遜だよん? まぁ、ここは魔王らしく、ッ!?」

 

 リゼヴィムが何かを言おうとした瞬間、問答無用で伊織の魔法が発動する。

 

「闇に染まれ――【デアボリック・エミッション】」

 

 障壁阻害能力をもった広域殲滅型純粋魔力攻撃。スパークする暗黒の球体が、全てを呑み込むように広がっていく。伊織の周囲にいた中級から上級下位の死神は全て暗黒に消滅させられ、リゼヴィムもまた魔力を纏って防御するが、浸透する破壊力が少なくないダメージを与えた。

 

 リゼヴィウムは、伊織に魔力弾を放ちながら聖杯をもって再生しようとするが、

 

「ディバインバスター・エクステンション!!」

 

 貫通特化の砲撃が、魔力弾を貫きながらリゼヴィムを襲う。

 

 更に、

 

「刃以て、血に染めよ、穿て、【ブラッディーダガー】!!」

 

 ロックオン機能付きの血色の刃が千本。半数は死神に、残り半数はリゼヴィムと、彼の傍らに浮く聖杯を直接狙って放たれる。リゼヴィムが、しゃらくさいと言わんばかりに、圧倒的な物量の魔弾を迎撃にばら撒くが、その隙に、

 

「レストリクトロック!!」

「うおっ!?」

 

 リゼヴィムの四肢が濃紺色のリングで空中に固定される。思わず驚きの声を上げるリゼヴィムに殺到する血色の刃。

 

 リゼヴィムは、聖杯を弾き飛ばされては敵わないと、再生する前に亜空間に引っ込めた。そして、拘束を解くと同時に魔法刃を吹き飛ばすために魔王としての絶大な魔力を全身から発する。

 

 しかし、一瞬でもリゼヴィムを足止め出来れば、伊織としては十分だった。

 

「サンダーフォール!!」

 

 天候操作魔法により瞬く間に暗雲が作り出され、そこから極大かつ自然の雷が断罪の一撃となって落下した。

 

ゴガァアアアアアン!!

 

 落雷の轟音が鳴り響き、稲光が周囲を白に染め上げる。余波だけで更に上級クラスの死神が何体か消し飛んだようだ。最上級死神は、落雷に打たれたリゼヴィムよりも、大技を繰り出した後の伊織を片付けるつもりのようで、瞬間移動じみた速度で伊織の背後に回り込むと首狩りの一撃を放とうとした。

 

 しかし、その瞬間、死神の足元にベルカの輝きが生まれ設置型捕縛魔法【ディレイバインド】が発動し、その身を拘束する。すぐさま拘束を破壊しようとする最上級死神だったが、その前に、伊織が振り返ることもせず、後ろ手に指を突きつけ呟いた。

 

「【永久石化】」

 

 指の先から放たれた光線は、バインドを破壊したものの一歩遅かった最上級死神に当たり、その身をビキビキと石化させていく。終始無言で不気味な雰囲気を漂わせていた死神は、ここに来て初めて少し焦ったように解呪を試みた。

 

 だが、そんな隙を伊織が与えるわけもなく、いつの間にか背後に回っていた【ブラッディーダガー】が最上級死神に襲いかかる。石化し始めている今、下手な衝撃を受ければ砕かれてしまうと判断した最上級死神は咄嗟に回避行動に出るが、やはり、いつの間にかその身に極細の鋼糸が絡みついており動く事が出来なかった。

 

 結果、

 

ゴバッ!!

 

 そんな音を立てて石化部分――体の半分を砕かれた。そして、その間にも石化は広がり、遂に死神の全身を侵食した。それを、やはり見もせずに鋼糸で刻んでバラバラにする伊織。

 

 その視線の先には、全身から白煙を上げるリゼヴィムの姿が。見れば、雷を受けた後に追い打ちで殺到した【ブラッディーダガー】が全身のいたるところに突き刺さっている。伊織は、それを確認してフィンガースナップと共に一言。

 

「ブレイク」

 

 直後、【ブラッディーダガー】が一斉に爆破された。

 

「ぐぁあああ!?」

 

 これには流石のリゼヴィムも、思わず苦悶の声を上げる。全身から血を噴き出し、荒い息を吐く姿は、先程の焼き回しのようだ。ただし、今度は立場が逆であるが。

 

「やって、くれるねぇ。ほんと魔法とは随分、毛色が違う。どちらかと言えば科学の色が強い。異世界ってのは、そんな力が溢れてんの?」

「俺の知る世界は、個人では扱いきれない程の兵器もあったさ。それこそ世界を滅ぼしかねないようなものもな」

「うひょ~、それは楽しみすぎるぜ。そういう奴らを蹂躙するのは、さぞかし楽しいだろうな」

 

 相当なダメージを受けているにもかかわらず、邪悪に嗤うリゼヴィム。伊織は答えず、更に【レストリクトロック】と【リングバインド】を重ね掛けし、再びリゼヴィムを拘束した。同時に、転移しようとしたリゼヴィムを、ベルカ式の転移魔法の応用で空間に干渉し逃がさないようにする。

 

「おいおい、まだやんのか? わかってるぜ? お前、さっきの攻撃で、もうすっからかんだろう? 今にも意識飛びそうなんじゃねぇの? 俺も相当やられたが、まだまだ余力はあるぜ」

 

 それは事実だった。全身ボロボロに見えるが、リゼヴィムはまだ余力を残していた。全快状態の伊織ならともかく、既にユニゾンすら解けそうなほど疲弊している伊織では、とても倒しきれないことは明白だった。

 

 リゼヴィムの方も、いよいよ邪龍や死神が駆逐されかかっており、限界でも有り得ないほどの粘りを見せる伊織など放って撤退を図りたかった。しかし、限界に達しようとも、決して揺るがないのが伊織だ。たかが“限界”などで、立ち止まる理由などない。

 

 魔力枯渇で飛びそうな意識を噛み切った唇の痛みで繋ぎ留めながら、伊織は、リゼヴィムの下方に陣取った。

 

「リゼヴィム。それがどうかしたのか? 俺が立ち止まる理由になると本気で思っているのか? だとしたら、お前は力があるだけで魔王の素質もない、ただの三流犯罪者だ」

「……」

 

 伊織は、リゼヴィムに向けて右手を掲げた。その瞳には限界を示すように霞が見て取れたが、それでも奥に燃え盛る輝きは鎮火するどころか、なお激しく煌きを増していく。

 

 同時に、この戦場で、邪龍が、死神が、魔術師が、味方の悪魔や天使、堕天使達が、そして魔王ルシファー自身が撒き散らした色とりどりの魔力が伊織の頭上に集束していく。輝く魔力は流星群となって集い、急速に撃滅の星を創世する!

 

「リゼヴィム。お前が悪の御旗を掲げ、大魔王を体現した存在だと言うのなら、俺は譲れないもののため巨悪を滅ぼす人間を体現しよう」

 

 様々な色が入り混じった煌く星は、既に天龍を凌ぐほど。それでもなお、周囲から根こそぎ魔力を奪い取っていき、高密度に圧縮されていく。流石に危機感を覚えたのか、リゼヴィムがバインドの拘束を破壊し逃げようとするが……途端、聖十字架の紫炎がリゼヴィムを取り囲んだ。

 

 見れば、少し離れた場所でエヴァが疲弊の様子を見せながらも不敵に笑っている。どうやらプルートを下したようで、リゼヴィムを逃がさないように聖十字架の炎を放ったらしい。

 

【聖母の微笑】も禁手状態を使い過ぎて機能を停止しているのか回復が追いついていないようで、疲弊状態での紫炎は聖杯のオーラに退けられている。が、少なくとも拘束の役目はしっかりと果たしているようだ。

 

 リゼヴィムの頬が引き攣る。そんなリゼヴィムを真っ直ぐ見つめたまま、伊織が宣言した。

 

「この一撃(意志)は、必ずお前の邪悪を撃ち抜く!」

 

 直後、放たれた一撃。

 

――集束型砲撃魔法 スターライトブレイカー

 

 この激戦の最中、撒き散らされた敵味方全ての魔力を集めて放たれた星砕きの一撃は、極光となって天を衝いた。

 

 吸血鬼領全域を鳴動させ、次元震を起こしながら邪悪を呑み込む光の奔流。それは、まるで龍が天に登るが如く。

 

 上空の曇天が一瞬で吹き払われ、大気圏すら突破して世界を光で満たす。

 

 その神話の如き光景を、八岐大蛇を倒し切った一誠達や、邪龍と死神の脅威から解放された吸血鬼の住民達は、ただただ圧倒されたように見つめ続けた。

 

 やがて、虚空に溶け込むように消えた極光の影から、白煙を上げた人影が落下した。リゼヴィムである。彼は、そのまま力なく、ピクリとも動かずに地上へ落下すると、小さなクレーターを作って着弾した。その窪みの中で大の字になっている。既に魔力の欠片も感じられない。

 

 非殺傷設定で撃ったわけではないのだが、あれだけの一撃を受けて魔力枯渇と全身のダメージだけで済んだのは驚きだ。塵一つ残さず消滅してもおかしくなかったので、流石は大魔王を名乗るだけはあるというべきか。

 

 そんなボロボロの大魔王のもとへ異世界の守護者が歩み寄る。

 

 クレーターの淵から睥睨する伊織と、地の底で横たわるリゼヴィムの姿が、何より雄弁に、この戦いの決着を告げていた。

 

 

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

ミクの禁手、チートです。はい。
しかし、今のところ消耗も激しい。今のところ。
時間があれば、ピンチになることもなく倒せたんですけど、やっぱり禁手は見せて起きたかったので、その弊害と合わせて書いてみました。

そして、最後はやっぱりスターライトブレイカー。魔王には魔王の技を、ということです。

感想について、いつも有難うございます。
リゼヴィムが聖杯を自分に使った描写について、全くその通りです(汗
サーゼクスが滅びの力を極めたというように、リゼヴィムも神器無効化能力を調整できるという設定でどうでしょう?
そのうち書き加えておきますので、一つご納得の方、宜しくです。

明日も18時更新です。


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第61話 666

リゼヴィムの神器無効化能力は、本人の意思である程度調整可能という設定を第59話に書き加えました。



 

 

「……参るぜ。まさか本当に地を舐めさせられるとは思わなかった」

 

 意外な事に、大の字で倒れているリゼヴィムは意識を保っているようだった。伊織がユニゾンを解いたミクとテトに支えられながらクレーターの淵から覗き込んだのを確認すると、口の端に苦笑いを浮かべながら口程にも悔しさは感じさせない口調で、そんな事を言う。

 

「……聖杯を使わないのか」

「使わせてくれるのか?」

 

 伊織の質問に、リゼヴィムが嫌味ったらしく質問を返す。同時に、使う隙は与えて貰えないという事を確信してもいるようだった。事実、伊織は魔法の類はもう使えないが、まだ鋼糸や攻性音楽という手札が残されている。

 

 また、同じく戦いを終えて駆けつけて来た傍らのエヴァや蓮が許しはしないだろう。蓮がサマエルを倒し、フリーになった時点で負け確定という事もある。

 

「なぁ、東雲伊織。異世界の連中ってのは、どいつもこいつもお前等みたいな奴ばっかりなのか? 人の身でそんな力を持って、特に関わりもない奴の為に命賭けるような馬鹿野郎ばっかりなのか?」

 

 虚空を眺めながら、そんな事を聞くリゼヴィム。その表情には軽薄さはないものの、何を考えているのか分からないような“無”が浮かんでいた。

 

 伊織は、少し考えたあと答える。さっさとリゼヴィムに止めを刺す事も考えたが、アザゼルがこちらに向かって来ているのを感知したので、その処遇については任せようと思ったのだ。

 

「力に関してはどうだろうな。俺のいた世界ではトップクラスだったと自負しているが……。だが、誰かの為にと何者にでも立ち向かえる人間ならごまんといた」

「うひゃひゃひゃ、そりゃあいい。異世界を侵略できてりゃ、そんなクソ面白い奴らの足掻きをたっぷり見られただろうになぁ。このくそったれが」

 

 悪態を吐くリゼヴィム。その口ぶりからすると、まるで異世界侵略を諦めたかのように聞こえる。随分と潔いことだ。伊織が若干の違和感を覚えていると、そこへアザゼルが駆けつけて来た。

 

「ははっ、やってくれたな、伊織。魔王を倒すたぁ歴史に残る偉業だぜ」

「アザゼルさん……貴方こそ立役者でしょうに。転移魔法が間に合わなければ、どうなっていたことか。もう少し、救援が遅れていれば負けていたかもしれません」

「そうか? お前なら、何だかんだで最後には帳尻合わせそうな気がするけどな」

 

 アザゼルが伊織の言葉に苦笑いしつつ、伊織の視線に応じてリゼヴィムに意識を向けた。そして、手に生み出した光の槍をリゼヴィムに突きつけながら口を開いた。

 

「よぉ、リゼヴィム。一応聞いておいてやるぜ。潔く散るか、コキュートスの深奥に引き篭るか」

 

 そんなアザゼルの問いかけに、リゼヴィムは途端、先程のまでの“無”を散らして軽薄で邪悪な嗤い顔になった。眉を潜めるアザゼルに、リゼヴィムは答える。

 

「アザゼルのおっちゃ~ん、昔のよしみでさぁ、見逃してよぉ~」

「リゼヴィム……てめぇ」

「うひゃひゃひゃ、そんな恐い顔すんなって。こんな死に体相手に酷いっしょ? イジメだと思います! ひゃひゃひゃ」

「……OK。わかった。てめぇは、ここで果てろ」

 

 アザゼルが、一応、伊織に視線を向けて確認をとる。伊織もまた目を細めて頷いた。魔力が枯渇したリゼヴィムなら、アザゼルの光で十分滅ぼせる。これで本当の終わりだと、皆が、リゼヴィムの最後に意識を向けた。

 

 と、その時、突如、上空から慌てたような青年の声が響いた。

 

「アザゼルさ~ん! みなさ~ん! ヤバイっぽいよぉ!」

「ん? デュリオ?」

 

 伊織達が怪訝な表情で声の主――神滅具【煌天雷獄】の使い手にして御使い【ジョーカー】のデュリオに視線を向けた。

 

 直後、それは同時に起きた。

 

「天界から連絡が来て、聖槍が奪われたって!」

「ひゃはははは、クロウちゃん! お帰りぃいいい!!」

 

 デュリオが、手でメガオホンを作りながら天界で起きた緊急事態を告げるとの同時に、リゼヴィムが哄笑をあげながらクロウ・クルワッハの帰還を叫ぶ。

 

 すると、空間に【龍門】が出現し、一本の槍を携えたクロウ・クルワッハが、天龍クラスの衝撃波を撒き散らしながら現れた。

 

 咄嗟に、蓮が伊織達の前に出て衝撃から守る。アザゼルはなすすべなく吹き飛ばされたものの、途中でデュリオがキャッチした。もっとも、衝撃をモロに浴びて直ぐには動けない状態だ。

 

 すぐさまデュリオが雷を飛ばし、伊織が鋼糸を薙いだが、それも全身から発した魔力で吹き飛ばして、開きっぱなしだった【龍門】を使ってリゼヴィム諸共姿を消してしまった。

 

「くそっ! デュリオ、どういうことだ!! なぜクロウ・クルワッハが【黄昏の聖槍】を持っているっ!? あれは天界でセラフのメンバーが封印していたはずだろう!!」

「だから、奪われたんですって!! いきなり天龍クラスの邪龍に襲撃受けて、向こうもかなり被害が出ているんですよぉ!!」

 

 アザゼルが怒声を上げて、デュリオも怒声を上げて返す。そして、至近距離で怒鳴り合う不毛さに気がついて、苦虫を噛み潰したような表情となった。

 

「組織は瓦解したってのに、野郎、何のつもりで……って、まさかっ」

 

 アザゼルが頭をガリガリと掻きながら聖槍の奪取と姿を消したリゼヴィムについて、その目的を察し顔を青ざめさせた。アザゼルの考えが、最悪の事態を想像させたのだ。それを裏付けるように蓮が呟いた。

 

「……我と戦っている時、『お前は、かの獣に勝てるか?』って言われた」

「……トライヘキサか」

 

 伊織が、二人の推測を裏付けるように重苦しい口調でリゼヴィムの目的を告げる。

 

「だろうな。野郎、聖槍と聖杯を使ってトライヘキサの封印を解く気だ。最強の聖遺物……それも他の二つと違って攻撃特化仕様だ。……だが、それでも聖書の神が施した封印だぞ? 解けるのか?」

 

 アザゼルが、思考に没頭するように眉間に皺を寄せた。そんなアザゼルに、伊織もまた苦虫を噛み潰したような表情で推測を語る。

 

「もしかすると、リゼヴィムは死ぬ気かもしれません」

「……どういうことだ?」

「リゼヴィムは、異世界侵略を諦めたような語り口でした。だが、それで大人しくするような存在ではないでしょう。なにせ、他の世界を侵略するついで、この世界を破壊し尽くそうなんて発想をする輩なんですから」

「つまり、聖杯で限界まで……いや、限界以上に再生・強化した上で、命を代価に封印を破る気か。奴は、神と並び立つ初代ルシファーの息子“リリン”だ。その力と、聖杯と聖槍が合わされば、あるいは可能かもしれねぇな。くそっ、手負いの獣が一番ヤバイってのに、よりよってそれがルシファーかよ!」

 

 現実味を帯びた危機的状況に、アザゼルだけでなく他のメンバーも表情が険しくなった。

 

 と、その時、突如、吸血鬼領の空に魔法陣が輝き巨大な立体映像のようなものが現れた。そこにはストーンヘンジのように歪な岩が不規則に並んで円環を形作っている。そのストーンヘンジの中央に、宙に浮く聖杯と聖槍を両サイドに伴ったリゼヴィムが佇んでいた。

 

「あ~、あ~、てすてす。聞こえてる? ちゃんと映ってる? う~ん、まぁ場所が場所だけに感度が悪いのは仕方ないか。うん、気にせず行こう。え~と、俺の可愛い邪龍ちゃん達をぶっ殺してくれた吸血鬼領の諸君、および冥界と天界のお偉いさん方ぁ~、どーも、俺です! リゼヴィム・ルシファーでっす!」

「……野郎」

 

 軽い口調で始まったリゼヴィムの映像。口ぶりからする、どうやら冥界や天界にも中継が繋がっているようだ。サーゼクス達やミカエル達も同じ映像を見ているのだろう。アザゼルが、そのふざけ調子に、そして見覚えのない何処か不気味さを滲ませるその場所を見て、歯軋りしながら映像の向こうのリゼヴィムを睨んだ。

 

「さてさて、僕ちんてば、異世界侵略!! と大見得切ったものはいいものの、異世界の先鋒くんに見事ぶっ飛ばされちゃって、もうプライドズタボロです。というわけで、腹いせに、この世界をぶっ壊してやる事にしましたぁ~!! いえ~い、はい、拍手ぅ、パチパチッ!!」

 

 ニヤニヤ嗤いながら拍手するリゼヴィムに、伊織もミク達に支えられながら歯噛みする。いよいよ、推測が現実味を帯びたからだ。

 

「それで皆気になっているこの場所は、何を隠そう! あの【黙示録の皇獣】666(トライヘキサ)ちゃんが眠っている世界の果てなのですぅ!! 驚いた? 驚いちゃった? うんうん、そうだろうね。というわけで、僕ちゃん、これから捨て身で神が施した封印を無理やり解いちゃおうと思います! 破滅する世界が目に浮かぶぜ! うひゃひゃひゃひゃひゃ」

 

 真っ暗な闇の中、聖杯と聖槍の仄かな輝きだけがリゼヴィムの姿を浮かべる。

 

「えっ? なんでわざわざ命投げ出すのかって? そりゃあねぇ、決まってんじゃん? 大魔王様が無様に落ち延びて、何十年もこそこそ人目を気にしながら生きるなんて……クソ喰らえだ」

 

 最後の瞬間、軽薄さが吹き飛び無表情になるリゼヴィム。その声音は極めて静かで、しかし、どうしよもないほどの激情が込められているようだった。

 

「ずっと生きている意味、存在する意味を考えてきた。死んでいるのと変わらない生は、もううんざりだ。この命、悪魔らしく、魔王らしく、邪悪に、外道に、鬼畜に、魔道に、悪辣に、最低に! 散らしてやるのが最高って話だろう! さぁ、世界中の何もかも! いっちょ派手に心中しようぜ!」

 

 狂気と邪悪で満ちた雄叫びを上げながら、リゼヴィムは両腕を掲げた。

 

「よせっ! リゼヴィムぅううう!!」

 

 アザゼルが思わずといった様子で空中の映像に手を伸ばすが、当然、その手も声も届くはずなどなく、映像の中で聖杯の輝きが爆発した。

 

 リゼヴィムは、聖杯により生命力を強化したのだろう。映像越しでも分かる絶大な力を纏っていた。そして、宙に浮いている神滅具【黄昏の聖槍】に力を躊躇いなく全力で注ぎ込みながら、手掌で遠隔操作して地面に突き立てた。

 

 途端、ガラスが砕け散るような音を立てて、映像から光が溢れ出す。余りの光量に手をかざして光を遮る伊織達。そんな伊織達の視線の先で、辛うじて見える映像には、幾重にも重なった魔法陣が一枚、また一枚と砕け散っていく姿が映っていた。

 

 同時に、封印術式に組み込まれていたのであろう禁術の反動や呪いの類が溢れ出しリゼヴィムに襲いかかる。

 

 その身を喰われ、灼かれ、腐らされ、削られ、侵され、消され、変えられ、呑み込まれ、抉られ、吹き飛ばされ、苦痛という苦痛を味わされ、それでも絶叫を上げることもなく、嗤いながら【神器無効化】の能力を限りなく抑え込んで聖杯で再生する。

 

 それを何度も繰り返し、力尽くで封印を突き壊し、やがて聖杯の力も及ばなくなれば、その力も封印の破壊に費やして、文字通り、聖書の悪魔“リリン”としての力と命の全てを【黄昏の聖槍】に注ぎ込んでいく。

 

 身の端から崩れていくリゼヴィムの姿に、息を呑む。凄絶に嗤いながら、世界の破滅を願うその姿は、まさに人々の中にある悪魔――魔王の姿そのものだ。

 

 四肢を失って立つこともままならず、仰向けに倒れ込んだリゼヴィムは、最後に邪悪を体現した笑みを浮かべながら絶叫した。

 

「世界に!! 災いあれ!!!!」

 

 直後、聖杯と聖槍が一際大きく輝いたかと思うと、凄まじい光が爆発し映像がプツッと途切れてしまった。

 

 凄絶な光景に、耳に残る魔王の言霊に、誰も言葉を発しない。周囲を静寂が包み込み、どうなったのかと顔を見合わせた。

 

 その瞬間、

 

ゴッゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!!!

 

 世界が激震した。

 

「うおっ!?」

「わわっ!?」

「な、なに!?」

「これはっ」

「おいおいっ、冗談だろっ」

 

 各人、地震というより空間そのものが激震しているような衝撃を受けて、バランスを崩しながら短い悲鳴を上げる。

 

 地面に膝を付きながら、振動に耐える伊織達。遠くで、崩れかかっていた城下町の建物が倒壊する音が聞こえた。数十秒か、それとも数分か、やがて鳴動が収まると、再び、伊織達は顔を見合わせた。

 

「楽観は止めよう。十中八九、復活したと見るべきだ。くそっ、あの野郎っ」

「アザゼルさん……」

 

 地面を拳で叩きながら絶望したように言葉を零すアザゼル。グレートレッドと違って、トライヘキサは神が死ぬ気で封印を施した存在だ。復活した後、大人しくしているという考えは楽観を通り越して滑稽だろう。確実に、世界に災禍をもたらすはずだ。

 

 伊織は、そんなアザゼルを見ながら、ふらつく体を叱咤して立ち上がる。

 

「まだ、諦めるのは早い。トライヘキサが世界を壊す前に、グレートレッドとやり合う前に、俺達で何とかしましょう」

「伊織、お前……」

 

 果たして状況がわかっているのかと疑ってしまうほど軽く、“何とかしよう”という伊織に、アザゼルは信じられないといったような眼差しを向ける。

 

 と、そこへ、救援組とグレモリー眷属が駆けつけて来た。そこには途中から傷を癒して参戦していたヴァーリと他のヴァーリチームのメンバーもいた。どうやらアジ・ダハーガを討伐したようだ。

 

 伊織の方にも、魔獣達がアポプスを討伐できたようで影の中に帰ってくるのが分かる。ジャバウォック以外はやられてしまったようで暫くは再創造できないだろう。

 

「伊織ぃーー!! 無事か!! お主の九重が来たぞぉーー!!」

 

 深刻な表情でやって来る皆に紛れて、ステテテテーー!! と駆け寄ってくる緋袴姿の狐幼女――九重が、ニパッと笑いながら伊織に飛びついた。立ち上がったばかりなのに、ふらついて倒れ込む伊織。

 

 九重は、いつもなら難なく受け止めてくれるはずの伊織が、パタリと倒れてしまったことから、途端、キューと眉根を寄せ悲しげで心配げな表情になると、馬乗りのまま伊織の体をペタペタと触り始める。

 

「伊織ぃ! 怪我だらけなのじゃ! 早く、早く、治療せねば!」

 

 オロオロしながら九重が、更に伊織の体を弄る。体に負担を掛けまいとしているせいか、徐々に乗っている場所をずらしていくので、現在は非常に危険な位置に来てしまっていた。そんな九重に、周囲の者達は呆気に取られた様子で、しかし、次第に微笑が広がっていく。

 

 九重とて現在の状況は理解していた。あの映像を遠目ではあるが見たのだから当然だ。しかし、そんな絶対絶命の時、深刻な状況でも、想い人を心配しなくていい道理などないし、単純に会えた事を喜んだっていいはずだ。そんな単純な事を全身で示す九重に、周囲の者達も少し肩の力が抜けたようだ。

 

「全く、この狐っ娘は、空気を読まんか」

 

 そんな事を言いながらも、同じように九重の純粋さに頬を綻ばせたエヴァは、ひょいと襟首を掴んで九重を持ち上げた。一瞬、キョトンとした後、やはりニパッとエヴァに笑顔を向ける九重。

 

「おぉ、エヴァなのじゃ。それにミクとテト、チャチャゼロに蓮も、みな無事で何よりじゃ!」

「思いっきり伊織のついでっぽいぞ。全く……」

「ケケケ、拗ネルナヨ、御主人」

「あははは、九重ちゃんも無事で良かったです」

「まぁ、九重ちゃんはマスターラブだから仕方ないね」

「流石、九重。幼女たるもののポイントを抑えてる」

 

 プラプラとエヴァに掴まれて浮かぶ九重に、伊織もまた微笑みを浮かべながら立ち上がると、諸々の礼を込めて優しく頭を撫でた。ふわふわの髪が優しく伊織の掌を撫で返す。

 

 ニヘラと笑う九重に癒されながら、伊織はその視線を他の者達に向けた。何だか微笑ましいを通り越して、呆れたような眼差しを向けられている。小猫が、ボソッと「……ロリコン」と呟いたように思えたのは気のせいに違いない。

 

「あ~、お前ら、遊んでる場合かよ。シリアスしてる俺が馬鹿みてぇじゃねぇか」

 

 伊織が、八坂や崩月、シトリー眷属に挨拶を交わしているとアザゼルが呆れたように頭をガリガリと掻きながら周囲を見渡した。それを合図に、皆も再び真剣な表情を取り戻す。

 

 と、その時、デュリオとリアス、それにアザゼルを通して各勢力から連絡が来た。眼前に小さな魔法陣が展開し、そこからサーゼクス達魔王陣、天界のセラフメンバー、グリゴリのシェムハザ達堕天使幹部の姿が映し出される。

 

 そして、サーゼクスが口を開いた。

 

『そちらは皆、無事かな?』

「サーゼクス。ああ、欠けた奴はいねぇよ。全員無事だ。それより……」

『うん。わかってると思うが……トライヘキサが復活した。先程、確認したが奴が復活した際の衝撃で冥界の一部が消し飛んだよ』

『それは天界も同じです。クロウ・クルワッハの襲撃ですら可愛く思えますね。幸い、端の方が消滅しただけなので人的被害はありませんが』

「っ……あれだけで、もう被害が出たのか。それで、あれが何処なのかわかるか?」

 

 サーゼクスとミカエルの言葉に、一同息を呑んだ。復活した際の衝撃だけで、次元を異にする両世界の一部が消し飛んだというのだ。かつて二天龍が【覇龍】に目覚めた時の衝撃は、都市一つを消滅させる程であったが、流石は【黙示録の皇獣】。世界で唯一、【グレートレッド】と並ぶ存在。まさに、桁違いというわけだ。

 

 アザゼルが、戦慄の表情を浮かべながらサーゼクス達に尋ねる。

 

『それについては私が答えましょう』

 

 それに答えたのは、シェムハザだ。グリゴリは堕天使の住処というより研究機関なので、異常が発生した場合の特定方法も豊富なのだろう。

 

『振動の発生源を辿りましたところ、かの場所は人間界、冥界、天界のいずれでもないようです。ちょうど三世界の全てをまたぐように、狭間の次元にもう一つ世界があるようですね。あの衝撃で空間に綻びが出来て気が付く事が出来ましたが、それがなければ誰にも分からないままだったでしょう』

 

 シェムハザは、更に、おそらく三世界の土台となった世界ではないだろうかと推測を語った。だとすれば、現在の三世界は家のようなものだ。家の中は目に付いても、軒下の土台までは誰も気にしない。なくてはならない空間ではあるが。その忘れ去られた空間が、【黙示録の皇獣】が封印されている場所らしい。

 

『時間がありませんでしたので確かなことは言えませんが、どうやら、かの獣は未だ完全復活とはいかないようです。体にも直接封印術式が施されているようで、それの解呪をしているようですね。ですが、おそらく十分もかからないでしょう』

 

 果ての世界に、さっそく空間のほころびを通して転移したシェムハザの部下からの報告らしい。大元の封印が壊れているのだから仕方の無い事だろう。直ぐに暴れださないだけでも幸いである。

 

 シェムハザからの報告が終わり、再びサーゼクスが口を開いた。

 

『さて、世界は今、滅亡の危機に瀕している。トライヘキサだけでも十分に世界を蹂躙できるが、グレートレッドと衝突すれば、それだけで世界は終わる。そこで聞きたい。東雲伊織くん……君は異世界の実在を知っている。そうだね?』

 

 サーゼクスの視線が射抜くように伊織に定められた。他の者達も伊織に注目している。伊織もまた、そんな彼等に真っ直ぐ視線を返すと頷きと共に答えた。

 

「はい。その通りです」

『うん。リゼヴィムが言っていた“異世界の先鋒”という言葉。特異な事が多い伊織くん以外にはいないと思っていたよ。そんな伊織くんに私が聞きたいのは一つだ。……この世界の人々をその異世界とやらに避難させることは出来るかい?』

 

 サーゼクスの言葉に、その考えを察して皆が瞠目した。この世界を捨てて、新天地に行けるか? サーゼクスはそう聞いているのだ。この短い時間に出した考えとしては、思いきりの良すぎる決断だろう。流石は、旧魔王派を黙殺して、冥界に新たな風を吹かせた張本人である。

 

 しかし、そんなサーゼクスの大胆な提案は、伊織によって却下された。

 

「申し訳ないが、無理です。異世界に行く術はある。だが、肝心の異世界の座標が分からないと次元転移は出来ないんです。俺達は、確かに異世界を知っていますが、それは一度向こうで死んで、この世界に転生したから。記憶と能力は継承できましたが、世界を渡った道程に関する記憶はないんです」

『転生……私達の転生システムとは異なる、本当の意味での転生か……』

 

 あてが外れてサーゼクスは天を仰いだ。同時に、伊織の事情を聞いて周囲の者達が更に伊織に驚いたような眼差しを向けた。九重達には伊織の事情を話してあったので驚きはない。何故か、九重が、ドヤ顔をして小さな胸をふふんっと張っている。

 

 サーゼクスが思考に没頭するように黙り込む。沈黙の静けさが周囲を満たした。

 

 そんな中、アザゼルが伊織を見ながら口を開く。

 

「伊織。お前、さっきトライヘキサを倒そうって言いやがったよな。まさかと思うが、何か策でもあるのか?」

 

 その疑問に、皆がまさかという表情になった。魔王達やセラフ達も同じだ。グレートレッドに挑もうと言っているのと同じなのだから信じられないのは仕方ないだろう。

 

 しかし、そんな皆に対して、伊織は実にあっけらかんとした表情で肩を竦める。

 

「いや、策なんて立派なものはありませんよ。ただ、黙って滅亡を待つくらいなら、挑む方がマシだって、そう思っただけです」

「お前、相手はグレートレッドと並ぶ伝説の存在だぞ! 勝てるわけが……」

 

 思わず怒声を上げたアザゼルに伊織は苦笑いを浮かべた。

 

「俺から見れば、みんな伝説の存在ばかりですよ。ちっぽけな人間から見れば、魔王も伝説の獣も変わらない。等しく、逃げ出したくなるような怪物です。でも、やるしかないからやる。奴が動き出せば、間違いなく誰かの悲鳴が上がる。救いを求める人達で溢れかえる。……なら、俺は引かない。俺の存在と誓いに賭けて引くわけにはいかない。例え一人でも、俺は奴に挑みます」

「お前……」

 

 不退転の意志、静かな瞳の奥に燃え盛る炎、魂の煌き、満身創痍でありながら、その言葉は言霊にまで昇華されていると錯覚するほど力強く、堕天使の総督、悪魔、妖怪達をして思わず息を呑ませる。

 

 伊織は、その場の全員に視線を巡らせた。まるで、王が守るべき民を見渡すように、あるいは先導者が迷い人に光を指し示すように、ゆっくり視線を巡らせ言葉を紡ぐ。

 

「希望に縋る必要なんてない。絶望に足を止める理由なんてない。そんな言葉で俺は、俺達は止まらない。不可能を可能に変えるのは、いつだって一歩を踏み出した奴だ。一見、愚かに見えるような事に本気で挑む奴だ。人生には、魂の燃やしどころっていうのがあるんだよ。どうだ、みんな。一つ、俺と一緒に馬鹿をしてみないか? 世界最強の獣を倒すなんて不可能を可能に変えてみないか? 今、この時、魂を燃やして……世界を救ってみないか?」

 

 まるで、かつて世界を救った事があるかのような、単なる言葉だけでない重みがあるように感じる。今度こそ言霊にまで昇華された言葉が、超常の存在達の魂に火をくべる。人のもたらす、可能性という燦然たる輝きが彼等の魂を震えさせ、魅せていく。

 

「……魂を燃やす…か。美しい表現だ。そんな事を言われては乗らないわけにはいかないな」

 

 最初に答えたのはヴァーリだった。積年の恨みを持つリゼヴィムの凄絶な最後を見てからというもの、敗北した挙句、復讐の相手がいなくなって何処か呆けていた彼だったが、どうやら元の不敵で挑戦的な質が戻って来たようだ。その眼は爛々と輝いている。

 

 ヴァーリチームのメンバーも、元々、バトルジャンキーばかりなので好戦的な笑みを浮かべてやる気を漲らせた。特に、フェンリルなどは、同じ魔獣でありながら、自分より格上とみなされているトライヘキサが気に食わないようで、その神殺しの爪牙をギラリと光らせ殺意を溢れさせていた。

 

「まぁ、伊織の言う通り、伝説の相手と戦うなんて今更だよな。どっちにしろ、やらなきゃやられるんだし、俺は行くぜ」

 

 ヴァーリの言葉を受けてか、一誠が苦笑いしながら賛同する。それにグレモリー眷属が一瞬驚いたような表情を見せるが、直ぐに同じように苦笑いを浮かべると肩を竦めて参戦を希望した。

 

「もちろん、妖怪も参戦するのじゃ。未来の婿を失うわけにはいかんしのぅ」

 

 八坂が扇子をパチンと音を立てて閉じながら、周囲の名立たる妖怪達と共に頷いた。酒呑童子達鬼など、世界最強の獣と聞いて既に闘志を滾らせている。やはり伊織に関わるのは面白いと失礼な事を言っており、他の妖怪が、「若様をお一人にはさせません!」とか言っているのと相まって、伊織は苦笑いを浮かべずにはいられなかった。

 

「お前の言葉は心地よいな、東雲伊織。出来ることなら、いつかお前とも拳を交えてみたいものだ。その為にも、邪魔な獣は排除せねばな」

「はぁ~、とんでもない事になったけど、確かにやらなきゃだよねぇ。教会の子達の為にも引くわけにはいかないか」

 

 サイラオーグとデュリオも戦いの決意を示した。それに触発されるように、シトリー眷属も頷く。

 

 そんな若手達を見て、冥界と天界とグリゴリのお偉方は、揃って何か堪えきれないような、堪らなくおいしい果実を頬張ったような、世界最高の美術品に魅せられたような、そんな形容しがたい恍惚じみた表情を浮かべた。

 

『ふっふふふふ、あははははー!! あ~、やっぱりいいね。お利口な計算なんて捨てて、未来の為に不可能へ挑戦する。これだよ。私が吹かせたかった新たな風は。種族なんて関係ない。この魂の輝きで世界が満ちるのを私は夢想しているんだ。うん、やろうじゃないか。一つ、伝説殺しといこうじゃないか!!!』

『ふふ、サーゼクス、ノリノリですね。ええ、いいでしょう。神なき今、かの獣を制するのは我らの役目でもありましょう。セラフも全面的に協力しますよ』

『では、我らもそいう事で出来る事をしましょうか。宜しいですね、アザゼル』

「はぁ~~、ああ、それでいい。こういう時、自分が年食ってるって事を実感するぜ。ちくしょう」

 

 どうやら、全員、戦う決意を固めたようだ。再び、トライヘキサが動き出すまで、シェムハザの見立てでは後五分ほど。伊織は、念能力【魂の宝物庫】から【ダイオラマ魔法球】を取り出し、時間設定を最大の七十二倍にする。これならニ、三分の休憩でも中ではニ、三時間の休息が可能だ。皆、疲弊しているので、少しでも回復しておこうという意図である。

 

 その間に、現実世界では、サーゼクス達がトライヘキサ戦に向けて可能な限り手を打つようだ。

 

 

 

 

 別荘レーベンスシュルト城では、吸血鬼領での戦いで疲弊したメンバーが思い思いに寛いでいた。リンリンさんやチャチャネ達が作った料理をもりもりと食べる者、ふかふかベッドや砂浜で仮眠をとる者、城の天辺で雄大な景色を見ながら精神統一を図る者など。

 

 そんな中、伊織はと言うと、周囲を滝で囲まれたテラスにて、エヴァに膝枕をされながら【聖母の微笑】による治療を受けていた。傍らにはミク、テト、チャチャゼロ、蓮、九重がいる。

 

「ふむ、こんなもんだろう。どうだ、伊織?」

「ああ。何の問題もない。ありがとう、エヴァ。そっちこそ、神器の回復具合は大丈夫か?」

「実際、十全に癒せただろう? 【フェニックスの涙】をサイラオーグの眷属からもらったからな。私は既に万全だ」

 

 エヴァの治療が終わり、起き上がりながら伊織がした質問に、エヴァは平然とした態度で答える。その様子を見て本当に完全回復したようだと分かり、伊織は安心したように微笑んだ。そんな伊織を見て、伊織自身も万全だと分かり、ミク達も安堵したように息を吐く。

 

 そんな中、九重が伊織の服の袖をキュと掴んだ。小さな紅葉のような手が痛いほどに握り締められている。

 

「伊織、ミク、テト、エヴァ、チャチャゼロ、蓮……必ず、帰って来るのじゃぞ。九重は、役に立てんが……信じておる。みなの勝利を信じて待っておる。だから……」

「九重……」

 

 明るく振舞っていても、やはり九重にも不安はあるのだ。そして、自分の実力では伊織達の決戦に付いて行くことは出来ないと分かっている。だから、以前伊織に言われた通り、“勝利を信じる”ことで精神的にでも力になろうというのだろう。

 

 そんな健気な九重に、バキュンとやられたようで、ミク達が速攻で抱き締めにかかる。

 

「九重ちゃ~~ん!! 大丈夫ですよぉ~~!! 絶対帰ってきますかね!!」

「マスターの事はボク達に任せて! みんなでちゃんと帰って来るからね!!」

「ふ、ふん、言われんでも帰るに決まっているだろう。わ、私達を誰だと思っている!」

「ケケケ、御主人。顔ガ真ッ赤ダゼ? 萌エテンノカ? ウン?」

「流石、リアル金髪ロリ狐っ娘。緋袴に“のじゃ”口調も合わせて最強の装備を整えているだけはある。萌力53万は伊達じゃない」

 

 若干一名、萌えるというより戦慄していたが、それは置いておいて、いつもの調子で九重をもみくちゃにしていると、他のメンバー達が集まって来た。そして、キャッキャッとじゃれ合う伊織達を見て、呆れたような眼差しを向けた。

 

「お前ら、ほんと余裕だな? もうすぐ世界の存続を掛けた決戦だってのによ」

 

 アザゼルがガリガリと頭を掻きながら、苦笑いを浮かべる。そして、咳払いを一つすると、真剣な顔になった。

 

「さっき、サーゼクス達と連絡をとった。伊織、お前の案で行くそうだ。もちろん、それ以前に俺達でトライヘキサを倒せれば、それに越したことはないがな」

「確かに。期待してますよ」

「阿呆。それが出来たら苦労しねぇっての。まぁ、蓮がいるのは不幸中の幸いだがな。あと、隔離結界は最大で六分が限界だそうだ。外界の残り時間と合わせると、七、八分。それが世界の命運を掛けたタイムリミットってわけだ。一応、各神話に連絡しているそうだが、おそらく決戦には間に合わないだろう。三勢力と俺達……これでリミット内にあの怪物を倒さねぇといけねぇ」

 

 アザゼルの余りに厳しい現状を伝える言葉に、しかし、伊織は肩を竦めるだけだった。

 

「どっちにしろ、トライヘキサ相手に長期戦なんて出来ませんよ。刹那の間に命を賭ける程の全力を……これはそういう戦いでしょう? 何の問題もありません」

「はぁ~、一度でいいから、お前が狼狽えてオロオロするところを見て見たいぜ。この戦いが終わったら堕天使の綺麗どころにでも襲わせるかな?」

「そんな事したらエヴァに燃やされますよ。今や、神滅具使いですからね?」

 

 悪戯っぽく冗談を言うアザゼルだったが、エヴァの視線が突き刺さり、その手に小さな紫炎の十字架が浮いているのを見て冷や汗を掻きながら口を噤んだ。

 

 と、その時、にわかに外と魔法球内を繋ぐゲートの方が騒がしくなった。気配を探る必要もなく、一人の吸血鬼が駆け込んでくる。吸血鬼には、サーゼクス達との連絡をとる橋渡しをしてもらっていたのだ。

 

 その吸血鬼の青年が、焦燥の滲んだ表情でサーゼクス達からの伝言を報告した。

 

 曰く

 

――トライヘキサから無数の魔獣が生み出され、三世界に出現した

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

前回で決戦が終わったと思いましたか?
実は今回と次回が本当の決戦でした。
もう少しお付き合い下さい。

トライヘキサの封印などあれこれは原作情報がないのでオリジナルです。
ご勘弁を。



次回、決戦。明日の18時更新です。


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第62話 決戦

 

 

「どういうことだ!?」

 

 吸血鬼の青年が報告した簡潔な伝言を聞いて、詳しい状況を知るためダイオラマ魔法球の外に出てきた伊織達。そこには、三つの魔法陣からホログラムのように姿を見せているサーゼクス、ミカエル、シェムハザが待ち構えており、アザゼルが怒声を上げて状況説明を求める。

 

『少し前に、トライヘキサから推定六百体の魔獣が生み出された。体の一部を切り離すようにね。それらは、空間の綻びを通って三世界に散らばり、手当たり次第に破壊をもたらしている。既に、各勢力から迎撃に出ているよ』

「強さは!」

『一体一体が、龍王クラスだ。トライヘキサの周囲にもまだ六十体ほどいるらしい。おそらく666の獣らしく、六百六十六体の魔獣を解き放てるのだろう。力の一部を行使できたということは、タイムリミットということだ。アザゼル、伊織くん。君達は直ぐに【世界の果て】に行ってくれ。私も直ぐに向かう』

 

 サーゼクスの、かつてないほど険しい表情に、事態の切迫をこれでもかと感じる。

 

『わかっていると思いますが、【世界の果て】を隔離できるのは最大で六分です。アジュカ殿を中心にセラフォルー殿とファルビウム殿、それにセラフのメンバーで確実に他の世界に影響を出さないようにしますが、結界の維持だけで我等は力尽きるものと思って下さい。ご武運を』

 

 ミカエルが既に【超越者】の一人、魔王アジュカ・ベルゼブブの結界構築に力を貸しているのだろう。全身から光を放ちながら苦しそうに告げる。

 

 サーゼクス以外の全魔王と、天界のセラフメンバー全員、そして堕天使の幹部達が協力して、【世界の果て】そのものを隔離するのだ。それだけのメンバーが集まっても僅か六分しか保たない代わりに、アジュカの計算では、グレートレッドの力でも外に影響を出さないという。

 

 と、その時、

 

ゴッゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!!

 

「「「「「ッ!?」」」」」

 

 再び世界が鳴動した。一同に戦慄が奔る。ミカエルと同じく苦しそうな表情のシェムハザが叫ぶような声で報告した。

 

『くっ、トライヘキサが封印を完全に解いたようです。貴方達も早く転移を! 武運を祈ってますよ!』

 

 その声を最後に立体映像を映していた魔法陣が消えた。いよいよ結界の維持に全力を注ぐのだろう。隔離結界は、中のものを出さない事を突き詰めた特殊な結界であり、外から入る分には何の問題もない。逆に言えば、一度中に入ってしまえば、六分は外に出られないという事だ。

 

 伊織は、あらかじめ貰っておいた座標を次元転移魔法に組み込み、ベルカの魔法陣を足元に展開しながらその場の全員に視線を巡らせた。

 

「敵は神すら軽く凌駕する世界最強の魔獣。周囲には龍王クラスが六十体以上。おまけに制限時間ありだ」

 

 改めて口に出すととんでもない内容だ。普通に考えれば、天災を前にしたただの人間のように、嵐が過ぎ去るのを頭を抱えて待つような場面だ。

 

 しかし、伊織は表情には静かさが宿るのみ。全ての覚悟を決めた者の澄んだ雰囲気を纏っている。その空気が、他のメンバーにも伝播していく。魂に火をくべられた時のように、異世界の英雄が無意識に力を分け与えていく。

 

 やがて、転移の準備が整い、いつでも決戦の場に行けるようになった時、静謐な伊織の表情は、突如、ニヤリと不敵な笑みに彩られた。

 

「つまり、何の問題もないってことだ。そうだろう?」

 

 自分達の勝利を信じて疑わない。厳しい現実など物ともしない。そんな力強く、大胆不敵な言葉に、メンバーの表情も自然、不敵さを宿した。

 

「さぁ、世界を救うぞ」

「「「「「「応っ!!」」」」」」

 

 伊織の号令に男性陣は勇ましく、女性陣は凛々しく応え、次の瞬間、彼等はベルカの光に包まれ決戦の地へと飛び立った。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 伊織達が転移した先は、地平線の彼方まで何もない荒野だった。赤銅色の地面とその地面から風に巻き上げられた砂が世界そのものを赤銅色に染めている。

 

 そんな何もない【世界の果て】に、巨大な岩石かと見紛うような黒く蠢く物体があった。一見すると、オーストラリアのエアーズロックを黒くしたもののように見える。

 

 だが、ただの一枚岩でないことは明白だ。その身から発せられるプレッシャーは、まだ相当距離があるというのに、並の相手では意識を飛ばされかねない程のもので、伊織達も全員が冷や汗を掻いている。

 

 何より心胆寒からしめるのは、纏うオーラが余りに禍々しい事だろう。リゼヴィムや邪龍達の纏っていたドス黒いオーラを何倍にも煮詰めたようだ。ヘドロのように、どこかドロリとした暗黒色のオーラを無造作に撒き散らしており、触れるだけでただは済まないと無条件に思わせる。その推測はきっと間違ってはいないだろう。グレートレッドの、畏怖を与えるような神々しいオーラとは真逆の性質である。

 

 と、その時、黒い巨石――【黙示録の皇獣】666(トライヘキサ)が、おもむろに立ち上がった。岩石のような体から、ボトボトとヘドロのような黒い塊が落ちる。同時に、全体的に丸みのあった体が変形し始めた。

 

 狼を思わせる頭部がせり出てきて、その頭部に無数の紅玉が出現する。おそらく、眼なのだろう。ついで、背中から翼が生えてきた。ドラゴン、コウモリ、鳥類、昆虫といったありとあらゆる生き物を模した翼が、ズラリと66対。更に触手のような尾が無数に伸びる。足もまた、多数の生き物の足が無秩序に生えていた。

 

 そのトライヘキサが、突如、その頭部を天に向けた。直後、

 

ゴォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッーー!!!!!

 

 世界が鳴動する。ただ咆哮を上げただけにもかかわらず、トライヘキサを中心に凄まじい衝撃が発生した。宙を舞う赤銅色の砂の粒子が吹き飛ばされて、その衝撃波の軌跡を描く。ドーム状に広がっていく衝撃の波を前に、サーゼクスが前に出た。

 

「任せたまえ」

 

 そう言って、サーゼクスは己の魔力を全解放する。出し惜しみはしない。この六分に全てを賭けるのだ。

 

ゴォオオオ!!

 

 直後、サーゼクスが真の姿をあらわにする。それは実の父親であるグレモリー卿をして同じ悪魔として分類していいのか分からないと言わしめた【超越者】の力。バアル家の滅びの力を最も色濃く受け継ぎ、更に才能の大半を費やした極地。

 

 瞬間的に前方へ広がった紅いオーラが迫って来た衝撃を消し飛ばした。そこにいたのは紅い紅いオーラで出来た人型の滅びの力そのもの。滅びの化身だった。

 

「この状態の私は、近すぎると勝手に周囲のものを消し飛ばしてしまう。トライヘキサと戦う時は注意して欲しい。では、一番槍は頂くぞ。伊織くん、あとは任せた!」

 

 瞠目するメンバーに、サーゼクスはそれだけ言うと、周囲の一切を消し飛ばしながら真っ直ぐトライヘキサに向かって飛び出していった。

 

「へっ、元気のいいこった。それじゃあ、俺も行きますかね。いいか、シトリー眷属とグレモリー眷属、バアル眷属は、あの魔獣共の相手だ。伊織の邪魔をさせるなよ!」

 

 アザゼルも、残りのメンバーに確認を含めた指示を出して、最後に不敵に笑むとサーゼクスの後を追うように飛んでいく。

 

 途中、アザゼルが視線を向けた先には、先程、トライヘキサが立ち上がった際に落としたヘドロがいつの間にか小型版トライヘキサのような姿をとって伊織達に向けて迫って来ている光景が見えた。

 

「では、行ってくるぞ、伊織。帰ったらたっぷり労ってもらうからな」

「ああ、エヴァ。終わったら暫くバカンスでもしよう。エヴァの言うことなら何でも聞いてやるよ」

「言ったな? ふふ、覚悟しておけ!」

 

 ピッ! と指を突きつけたエヴァが颯爽と飛翔する。

 

「では俺も行こう。フェンリル!」

「リアス、みんな、俺も行ってくるぜ!」

「さてさて、これも神の試練ってねぇ~」

「いくぞ、レグルスよ。俺達の力、どこまで通じるか存分に試そうではないか!」

 

 更に、【白龍皇】ヴァーリと【神殺しの魔狼】フェンリル、【赤龍帝】兵藤一誠、【煌天雷獄】デュリオ・ジェズアルド、【獅子王の戦斧】サイラオーグ・バアルという豪勢極まりないメンバーがそれぞれの魔力光を流星の尾のように棚引かせてトライヘキサへと突貫した。

 

「無限の龍神! 東雲蓮! 目標を駆逐する!」

「あ~、うん、いってら」

 

 ドヤ顔でチラチラと伊織を見ながらそんな事をのたまう蓮に、伊織はお座なりに手を振って送り出した。

 

 同時に、グレモリー眷属、シトリー眷属、バアル眷属、八坂率いる妖怪達が急迫するトライヘキサの魔獣の群れに相対する。

 

 龍王クラスが六十六体。死闘になるだろう。全員が、魔力を解放して前に進み出た。その発するオーラは以前の比ではない。実は、ここに来る前に蓮の【蛇】を支給されており、全員、大幅に力を上げているのである。

 

 彼等も、伊織に視線を向け一つ頷くと、そのまま防衛戦を張るように展開しトライヘキサの魔獣軍団と激突した。

 

「ミク、テト、急ぐぞ!」

「はい、マスター!!」

「了解、マスター!」

 

 伊織は、そう言ってミクとテトに号令をかけると、マギア・エレベア【雷炎天牙】を発動し、雷速の世界に入りながらトライヘキサを倒すべく切り札の準備に入るのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 紅い滅びの魔力が同じ輝きを放つトライヘキサの紅玉の眼に迫る。

 

 同時に、人工神器【堕天龍の鎧】という五大龍王ファーブニルが封じられている神器の擬似禁手状態となったアザゼルから極大の光の槍が迸った。更に、天候支配による強大な雷と凍獄がトライヘキサの六十六対に翼を襲い、禁手【獅子王の剛皮】を纏ったサイラオーグが異型の足に拳を振りかぶる。

 

 全て、直撃した。凄まじい衝撃がトライヘキサを襲い、轟音が鳴り響く。

 

 しかし、

 

ゴォガアアアアアア!!

 

 トライヘキサは些かの痛痒も感じていないかのように、即座に反撃に出た。

 

 咆哮と共のその巨体からドス黒い閃光が走った。まるで全方向に砲台でもあるかのように周囲三百六十度全ての方向へ極大のレーザーが放たれ、空気を焼き焦がす。地面は抉れ飛び、空間が不安定になってゆらゆらと揺らめいた。

 

 当然、吹き飛ばされたサーゼクス達。それと入れ替わるように魔狼フェンリルが飛びかかった。神速でトライヘキサの顔面まで肉薄すると、神殺しの爪でザシュッ!! と紅玉を切り裂く。眼と思しき紅玉は、全部で六十六個。一つ一つが大玉くらいある。そのうち三つが、切り裂かれた。

 

 直後、トライヘキサの口から業火が吐き出される。それは既に火炎というレベルではない。炎で出来た津波だ。神速の足を持つフェンリルだったが、至近距離から超広範囲攻撃を喰らえばひと堪りもない。

 

「グゥルアアア!!」

 

 炎の津波に呑み込まれ、悲鳴を上げるフェンリル。かつて一誠達と相対した際は、どんな攻撃を喰らっても怯まず戦闘を続行してきたというのに、今は必死に退路を探している。それだけ尋常でない熱量を誇っているのだろう。

 

『Divide!Divide!Divide!Divide!Divide!Divide!Divide!Divide!Divide!』

「フェンリル!」

 

 咄嗟に、ヴァーリが半減の力で炎の津波の威力を軽減し、更に魔力弾を放ってフェンリルに退路を開いた。全身から白煙を噴き上げながらフェンリルが飛び出してくる。

 

 直後、

 

『Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!』

「いけぇー!! クリムゾンブラスタァアアアーー!!」

 

 幾度も倍化された【真紅の赫龍帝】による砲撃が炎の津波を貫いてトライヘキサの頭部に直撃した。

 

 同時に、同じ箇所に巨大な紫炎の聖十字架が噴き上がる。

 

「チッ、攻撃が効いていないわけではない。だが……」

 

 神滅具【紫炎祭主による磔台】によって聖なる十字架の炎を浴びせたエヴァが、舌打ちと共に上空からトライヘキサを見下ろした。

 

 悪態の理由は、トライヘキサのタフネスだ。攻撃が効いていないわけではない。サーゼクスの滅びの力は、確実に、それも最大限トライヘキサを削っているし、アザゼル達の攻撃も要所に撃ち込んでいるので翼や足が砕けたりしている。しているのだが、それでもトライヘキサは何の痛痒も感じていないのだ。

 

 ダメージはあってもそれは全体から見れば無視して差し支えない程度のものなのだろう。他方、最初から全力戦闘を行っているエヴァ達の方が、既に疲弊を感じていた。

 

 エヴァが神器【聖母の微笑】で全員を回復し続けているからこそ、まだまだ戦えるが、それでも疲弊してしまっているのだから、どれだけ消耗が激しいか分かるというものだろう。

 

 そして、何より、

 

「ッ! 回避だっ!!」

 

 アザゼルと絶叫が轟く。見れば、トライヘキサがドス黒いオーラを波が引くように体へ吸収していく。

 

「我の後ろへ!!」

 

 蓮が、今まで見せた事がないほど険しい表情で叫ぶ。アザゼル達も最初からそのつもりだったようで、全員が一瞬で蓮の背後に回った。

 

 次の瞬間――音が消えた。

 

「――ッ!!!」

 

 蓮から声にならない悲鳴が上がる。それでも両手を前にかざしたまま、無限の黒い魔力を全力で放出し防壁となす。奇しくも、あるいは狙い通りなのか、トライヘキサの撃ち放った砲撃は、背後でトライヘキサの魔獣達と戦う伊織達を射線上に捉えており、文字通り、死んでも通すわけにはいかなかった。

 

 視界に映るのはドス黒い濁ったオーラと、純粋な黒のオーラのみ。余波だけで空間が粉砕され、大地が捲れ上がり、蓮に庇われていながらアザゼル達にもダメージが入っていく。エヴァが、禁手【輪廻もたらす天使の福音】で、蓮を含めて回復し続ける。

 

 そして、永遠にも思えた数秒が過ぎた後、遂にトライヘキサの攻撃が止まる。

 

 途端に戻った音と視界。周囲を見渡せば、蓮を起点に背後は扇状に大地が残り、他は全て深さ数十メートル単位で消し飛んでいた。直線距離では、どこまで破壊し尽くされたのか……

 

 背後の伊織達が無事なのを確認すると、蓮がグラリと傾く。

 

「蓮! 無事か!」

「だ、大丈夫だ。問題…ない」

「ド阿呆っ! ネタに走っている場合か!」

 

 進軍するトライヘキサの足止めをするため、間髪入れず再度飛び出していったサーゼクスを横目に、エヴァが蓮に集中して回復をかける。

 

 見れば、蓮の両腕は肘から先が消し飛んでおり、【無限の龍神】でなければ戦闘不能になっているところだった。腕を再生しながら、蓮は自力で空を飛ぶ。

 

 直後、再び、トライヘキサから弾幕のような砲撃が全方位に向けて放たれた。しかも今度は、触手のような尾が神速で宙を飛び、不規則で読みづらい動きで同時に全員を襲った。それどころか、ダメ押しのように、翼からあらゆる属性の魔法が飛ぶ。

 

 まるで対空兵器のように魔力の弾幕を張りながら、津波の炎を吐き、幾本もの巨大なトルネードを周囲に展開し、地面を割って溶岩を噴き上げ、豪雨の如く雷と氷柱を降らせる。歩く度に、それだけで地震が発生し、咆哮だけで空間が悲鳴を上げる。

 

 まさにこの世の終わりのような光景だ。アジュカ達が隔離結界を敷いていなければ、おそらく三世界は相当な被害を受けているに違いない。

 

「お返し。特大のいくから、注意!!」

 

 蓮が大声で警告を発する。そして、返事を待たずに両手を突き出し、龍神本気の砲撃を行った。どこまでも深い黒が、螺旋を描いて空を切り裂く。

 

ドゴォオオオオオオオオオオッ!!

 

 途中でトルネードを吹き飛ばし、トライヘキサの首筋に突き刺さった砲撃は、凄まじい衝撃を撒き散らした。おまけに、今までその歩を鈍らせることもなかったトライヘキサは、軽く足を浮かせてバランスを崩しグラリと傾くと、そのまま横倒しになった。

 

 大地震を発生させながら倒れ込んだトライヘキサに、全員が集中攻撃をする。狙うのは蓮の一撃により、大きく抉れた首から肩にかけての部分だ。

 

 極大の滅びのオーラ、極光の大槍、真紅の砲撃、紫炎の聖十字架、肉体を削る半減空間、天より落ちる雷の大柱。蓮の言った通り、先程のお返しとばかりに、世界が震えた。

 

 更に、追撃。遠距離攻撃が終わった直後、黄金の獅子と神喰いの魔狼が神速で踏み込み、傷口を抉るように拳と爪を繰り出した。衝撃でトライヘキサの下の地面が放射状に砕け散る。

 

ゴォオアアアア!!

 

 トライヘキサから絶叫が上がった。しかし、それは今までのような負の感情を煮詰めたような攻撃色の咆哮ではない。明らかに苦痛を感じさせる悲鳴だった。

 

「流石に効いたかっ!」

「これでもノーダメとかだったら、泣きますけどねぇ!」

 

 アザゼルが喜色を浮かべて声を上げれば、一誠がぜぇはぁと息を荒げながら怒鳴り返す。

 

「油断するなよ! 反撃に備えっぐぁ!?」

 

 それにエヴァが注意の声を上げた瞬間、粉塵の中から魔力弾が飛来した。それは、咄嗟に避けたエヴァの直前でクイッと軌道を曲げてそのまま直撃する。今の今まで直線にしか撃たなかったので、不意を突かれてしまった。

 

「エヴァ!?」

「平気だっ! 狼狽えるなっ!」

 

 蓮の叫びにエヴァが再生しながら怒鳴り返すが、半身を吹き飛ばされたのだ。蓮でもなければ、普通は死んでいる。エヴァが【真祖の吸血鬼】だからこそ助かったのだ。それ故に、思わず、エヴァの安否を気にしてしまったメンバーに隙が出来てしまった。

 

「一誠っ! 馬鹿野郎っ!!」

「えっ?」

 

 トライヘキサから一瞬、意識を逸らしてしまった一誠に極大の閃光が迫った。呆ける一誠に対し、アザゼルは彼を蹴り飛ばして射線から逃がす。そして、その反動を利用して自分も回避しようとした。

 

 しかし、

 

「ッ!? やべぇ!!」

 

 漆黒の翼をはためかせ動こうとしたアザゼルの体がガクンッとつんのめる。慌てて見れば、アザゼルの足にトライヘキサの触手が絡みついて逃がさないよう拘束していた。

 

 焦燥を滲ませて、光の槍で切り離そうとしたアザゼルだったが……少し遅かった。

 

「先生ぇええええええ!!」

 

 一誠の絶叫が木霊する。極大の閃光がアザゼルを呑み込んだのだ。ドス黒い闇の中へ消えるアザゼル。思わず駆けつけようと、背中の翼を動かす一誠だったが、それを邪魔するように落雷と氷柱が集中豪雨となって一誠を襲う。

 

「ちくしょう!! 邪魔すんなっ! 邪魔すんじゃねぇよっ!!」

『落ち着け、相棒!! アザゼルの気配は消えてない!! トライヘキサから意識を逸らすなっ!!』

 

 錯乱気味の一誠にドライグが諌めの言葉をかける。そのドライグの言葉通り、ドス黒い砲撃の半ばからボバッ! と音を立ててアザゼルが飛び出した。死んでいなかったと安堵の息を吐く一誠。

 

 しかし、アザゼルの姿は酷いものだった。全身から白煙を噴き上げ、自慢の漆黒の翼は大量に散らされ、全身から血を噴き出し、【堕天龍の鎧】は核となる宝珠を除いて完全に破壊されてしまっている。

 

 アザゼルは既に意識を喪失しているようで、飛び出した勢いのまま落下し地面に激突、そのまま力なく横たわってしまった。

 

「エヴァ! 早く、先生の治療を!」

「分かっている!!」

 

 一誠の言葉に、エヴァは返事をしながらアザゼルを回復しようするが、途端、おびただしい数の触手と魔弾がエヴァを集中して狙い始めた。最初の時のように直線的ではない。全方位から迫る誘導弾だ。

 

「くっ、こいつ、まさかっ」

 

 エヴァの想像した通り、どうやらトライヘキサは回復要員であるエヴァから先に始末にかかったらしい。立ち上がったトライヘキサの紅玉の眼は、明らかにエヴァを睨みつけていた。

 

「エヴァ!」

「くっ、させん!!」

「無視しないでくれるかな!!」

 

 蓮とサーゼクス、デュリオがトライヘキサに攻撃をしかけ、注意を分散しようとする。しかし、三人に対してもある程度の攻撃はするもののエヴァほど苛烈ではない。確実にエヴァを仕留める気だ。蓮の魔力弾に対しても、黒い渦のようなものを出して威力を軽減している。

 

 エヴァが、必死にトライヘキサの攻撃を凌いでいると、ヴァーリが訝しそうに視線を巡らせた。

 

「フェンリルと獅子王は何処だ?」

 

 そう、先程、追撃をかけてから姿を見せないサイラオーグとフェンリルの姿が見えないのだ。

 

 と、その時、その二人の雄叫びが響いた。

 

「おぉおおおおおおおおおっ!!!」

「ウオォオオオオオオオオン!!!」

 

 直後、サイラオーグとフェンリルがトライヘキサの傷口から血肉を引きちぎって飛び出して来た。どうやら、傷口の再生に巻き込まれたらしい。

 

「いや、それだけではなさそうだなっ!!」

 

 力なく地面に落下するサイラオーグとフェンリル。そこへ追撃のようにトライヘキサのドス黒い血がまるで生き物のように宙を飛んだ。ヴァーリがそれを魔力弾で弾き飛ばす。

 

 地面に着地したフェンリルは、殺意で激った眼光をトライヘキサに向けたが、直後、体から力が抜けたように四肢を折ってしまった。その体からは美しい毛並みが失われ、トライヘキサの血でドロドロに汚れてしっている。

 

「くっ、しっかりしろレグルス!!」

『申し訳……ありません。サイラオーグ様……あの血に含まれる呪いは……強すぎる……』

 

 獅子王の鎧が勝手に解除され、後にはトライヘキの血に塗れた巨大な獅子が現れた。どうやら、トライヘキサの血は、強力な呪いの媒介になっていたらしく、その呪いを浴びてしまったフェンリルとレグルスは、その身を犯されてしまったようだ。

 

 レグルスが庇ったおかげで、それほど多くは浴びていないもののサイラオーグも既に両手をドス黒く染めてその身を呪いに侵食されつつある。

 

「エヴァンジェリンは……くっ、回復要員を狙うのは定石とはいえ、あの怪物がそれを実践するとは……」

 

 エヴァが集中攻撃を受けているのを見て、サイラオーグは歯噛みする。そこへ、軽減しているとは言え、龍神の砲撃でダメージを負ったトライヘキサが、傷口から血の雨を飛ばし始めた。

 

 血の呪いに関して大声で全員に警告したサイラオーグは、フェンリルとレグルスの傍で拳を打ち上げ、拳圧で血の雨を吹き飛ばしていく。

 

「もうすぐの筈だっ」

 

 自分に言い聞かせるように、自由の効かなくなってきた両腕を歯を食いしばって振るい続けるサイラオーグ。

 

 と、その時、トライヘキサの咆哮にバランスを崩したエヴァが、遂に、砲撃の一つに捉えられた。左半身を吹き飛ばされ、更に宙を舞うエヴァに、絶妙なタイミングで誘導された特大の魔力弾が殺到する。

 

 いくらエヴァと言えど、絶大な威力を秘めた魔力弾の掃射を受けてはひと堪りもない。

 

 蓮の絶叫が響く。咄嗟にその身を盾にしてエヴァを庇おうと飛び出しかける蓮だったが、それを見越していたように、何と、トライヘキサが蓮目掛けて飛び出した。大地を悠然と進軍していたのに、突然、ふわりと浮かび上がると砲弾の如く飛翔し、その巨体で蓮に体当たりを行ったのだ。

 

 大質量の衝撃に、蓮は吹き飛ばされ、そのまま地面にプレスされる。

 

 庇う者のいなくなったエヴァ。その絶対絶命のピンチを救ったのは天の御使いだった。

 

「あとで回復お願いしますよぉ~」

「なっ」

 

 そんな軽い口調でエヴァを真横に吹き飛ばすデュリオ。

 

 ちょうどエヴァとデュリオが手品のように入れ替わった形だ。最後までにこやかな笑みを絶やさなかった【煌天雷獄】の使い手は、直後、魔力弾の掃射を受けて、大爆発と共に地に落ちていった。見るも無残な姿になりながら、それでも原型を留めているのは、流石、天界の切り札といったところだろう。

 

 と、その時、突如、大地が鳴動する。直後、凄まじい衝撃と共にトライヘキサの巨体が宙に吹き飛んだ。踏みつけにされていた蓮が、全力を以てカチ上げたのだ。反動で大地に巨大なクレーターが出来る。

 

 しかし、吹き飛ばされたトライヘキサは、そのままふわりと宙に留まると、眼下の蓮達にその紅玉を向けた。そして、一拍の後、特大の咆哮を上げる。

 

 衝撃と共に常軌を逸した莫大なオーラが大瀑布の水圧の如く襲いかかった。

 

 必死に耐え凌ぐ面々。しかし、元々自力が低い一誠は既に限界だった。耐えている最中に【真紅の赫龍帝】状態が解けて【赤龍帝の鎧】まで戻ってしまう。そして、通常の鎧では、トライヘキサの攻撃には耐え切れなかった。

 

「ぐぁああああ!!」

 

 押し潰されるように地面に叩き付けられる。

 

 ようやくトライヘキサの攻撃が止む。エヴァもヴァーリも、凌ぐために相当力を消費したようで肩で息をしている。健在なのはサーゼクスと蓮くらいだ。そのサーゼクスも、未だ真の姿を維持しているもの、その魔力は半分近くまで目減りしてしまっていた。このままでは、もう数分ももたないかもしれない。

 

 その時、不意に空を飛ぶトライヘキサが、どこか表情を歪めたように感じられた。邪悪な嗤いだ。小癪にも足掻く者達に絶望を与えてやろうという意志が透けて見える。負の感情が溢れ出ているような歪みだった。

 

 何をする気かと警戒を強めるエヴァ達の前で、トライヘキサの視線が遠くを向く。その視線の先にいるのは……

 

「まずいっ!」

「止めろっ!!」

「させないっ!!」

 

 そう、トライヘキサの魔獣達と死闘を繰り広げるグレモリー眷属、シトリー眷属、バアル眷属、妖怪達、そして伊織のいる方向だった。

 

 蓮が素早く飛び上がり、トライヘキサの進路上に割り込む。エヴァが、最大出力で聖十字架の紫炎を放つ。サーゼクスが、残りの魔力全てを注ぎ込む勢いで滅びのオーラの密度を極限まで高め突貫する。ヴァーリが、なりふり構わず【覇龍】の進化形態【白銀の極覇龍】の詠唱を始めた。

 

 トライヘキサは、全てを無視して伊織達の方へ飛翔しようとする。それを正面から止める蓮。姿は小さくとも出力は【無限の龍神】だ。トライヘキサの動きが鈍る。蓮とトライヘキサを中心に絶大な魔力が荒れ狂った。

 

 しかし、それだけだった。至近から無限のオーラを受けても最初の時のように直撃は受けず、同じようにドス黒いオーラで相殺しながら突き進む。

 

 サーゼクスの突貫により体の一部を消し飛ばされても、それがどうしたと言わんばかり。ヴァーリにはついでのように極大の竜巻と落雷を降らせて邪魔をし、エヴァの聖十字架の紫炎も煩わしそうにオーラを発散させてあっさり振り払う。

 

 そして、詠唱と力の制御に気を取られすぎたヴァーリが落雷の集中砲火を受けて白煙を吹き上げながら地に落ち、サーゼクスも力を消費し過ぎて紅髪の悪魔姿に戻ってしまった。

 

 蓮を正面に据えたまま、直進していくトライヘキサ。勢いは減じても止まらないその進路上には、信じて足止めを任せてくれた愛しい家族がいる。時間は既に5分を回った。本当なら、とっくに切り札の準備が整っているはずだが、遠目に見ても魔獣の群れが入り乱れており、邪魔をされているのが分かる。

 

 それでも、伊織なら必ず帳尻を合わせると信じているエヴァは、そんな伊織のために足止めすら出来ないことに歯噛みした。悔しさで唇を噛み切り真っ赤な血が滴り落ちる。

 

 回復に周っている時間はない。遠隔で回復するには離れすぎているし邪魔が入りすぎる。蓮は正面からトライヘキサを抑えるので精一杯で、それもぐいぐいと押されている。

 

 自分がやるしかないのだ。

 

 見れば、トライヘキサが、周囲の魔力を波が引くように体内へ収めていっている。最初に放った、周囲一体を根こそぎ吹き飛ばしたあれだ。悪知恵の働くトライヘキサの事である。今度は蓮に防御させずに伊織達を狙うかもしれない。

 

 エヴァは己の中に感じる確かな感覚を握り締めるように、ギュと胸元で手を組んだ。祈るように、願うように。そして、思いの丈を叫ぶ。

 

「神器は極限の意志に応えて進化する。ならば! 今、この時にこそ! 私の意志に応えてみせろ! 私の願いに応えてみせろぉ! 聖十字架ぁああああ!!!!」

 

 直後、【世界の果て】に巨大な光球が出現した。純白に輝くその光は、やがて左右上下に形を崩し、十字架の形をとって宙に留まる。エヴァの意志に応えて神滅具【紫炎祭主による磔台】の何らかの力が発現したはずなのだが、色といい、どこか淡く儚さを感じさせる光といい、元の紫炎とは大きく雰囲気がかけ離れている。

 

 しかし、その効果は確かにあったようだ。

 

ゴガァアアアアアアアアッ!!!

 

 突如、トライヘキサが悲鳴を上げたのである。見れば巨体全体から白煙を上げており、その身を十字架と同じ淡い純白の光が包んでいた。

 

 後に、神滅具【紫炎祭主による磔台】の禁手【光焔聖母による断罪の聖十字架】と名付けられたそれは、天に純白の聖十字架が輝いている間、その光の届く範囲内の敵と定めた者を空間に固定し、かつ聖なる光で焼き続けるという効果を発揮する。攻撃を当てる必要のない、範囲内にいるだけで拘束されダメージを負うという、まさにバランスブレイクな能力だった。

 

 その能力は、トライヘキサにも辛うじて通じたようだ。蓮が抑えながらも突き進んでいたトライヘキサの動きが止まっている。ダメージもある程度入っているようだ。少なくとも紫炎とは雲泥の差である。

 

「くぅうううっ」

 

 しかし、その代償に、エヴァの消耗は尋常ではなかった。維持できるのはどう頑張っても十秒が限界である。体の内から搾り取られていくような感覚に呻き声が上がる。

 

 その声に反応したのか、いつの間にか、トライヘキサの紅玉がギロリとエヴァを射抜いていた。悪寒が全身を駆け抜ける。本能が全力で警鐘を鳴らした。しかし、薄れゆく光焔の聖十字架と同じく、薄れそうになる意識をつなぎ止めるので一杯一杯のエヴァに、対応する力は残っていなかった。

 

 トライヘキサから、巨大な魔力砲が放たれる。疲弊した今の状態では、神器による回復も、まして回避・防御も出来ない。エヴァの視界がドス黒いオーラ一色で埋め尽くされる。

 

「エヴァ! 避ける!」

 

 焦燥をあらわにした蓮の声が響く。それが妙にはっきり聞こえて、エヴァは思わず苦笑いした。こんな時なのに、初めて出会った時と比べて何と変わった事かとしみじみしてしまったのだ。

 

 そんな余裕とも取れる思考が出来たのは、諦めが宿ったからか。いや、違う。最後まで信じていたからだ。己の最愛の夫を。頼もしく愛おしい家族を。

 

『強制転移!!』

「ふははっ、どうだ。流石、私の夫だろう?」

 

 ぐったりと疲弊したまま、それでもからかうようにトライヘキサの紅玉を見返したエヴァは、砲撃が直撃する寸前、念話と共に発動したベルカ式強制転移魔法の光に包み込まれて姿を消した。

 

 見渡せば、倒れていたはずの他のメンバーも全員消えている。トライヘキサは、思い通りにいかない事に苛立ったように咆哮を上げ、今までのどこか余裕そうな、あるいは遊んでいそうな雰囲気を霧散させて遠方の伊織達に殺意を迸らせた。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

トライヘキサは完全にオリジナルです。
デュリオさん、原作では禁手があるそうですが分からないのでスルーです。


次回決着 & 最終回
やたら書いてしまいましたが、ここまで楽しんで貰えたなら嬉しい限りです。

更新は18時です。


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第63話 一時の眠りへ

 時間は少し戻る。

 

 エヴァ達がトライヘキサと死闘を演じていた頃、伊織達の側もまさに死闘という有様だった。

 

 グレモリー眷属も、シトリー眷属も、バアル眷属も、ヴァーリチームも妖怪達もよく戦っている。満身創痍ではあるものの、誰一人欠けてはいなかった。

 

 それは、龍王と同等以上の力を持つ八坂や酒呑童子率いる力の象徴たる鬼達、そして魂さえ消滅させる神滅具級の神器【六魂幡】を操るチャチャゼロの獅子奮迅の活躍があったという事もあるが、仲間の危機にシトリー眷属の【黒邪の龍王ヴリトラ】を宿した匙が禁手に至った事と【魔人バロールの断片】を宿したギャスパーが闇ギャスパーという状態を発現したというのも大きいだろう。

 

 そんな中、伊織もまた【雷炎天牙】状態で、【雷炎槍】を乱発しながら戦場を縦横無尽に駆けていた。ミクやテトも同じだ。ソーナ・シトリーの卓越した指揮には加わらず、その穴を塞ぐように遊撃を繰り返す。付かず離れず、円を描くように戦場を転々とした。

 

 伊織を知る者が、何も知らずその光景を見れば、きっと、らしくない行動に首を傾げた事だろう。普段の伊織なら真っ先に前線へ赴くはずだからだ。

 

「っ、解放! 【巨神ころし】!!」

 

 伊織の放った雷撃の大槍が飛びかかって来た魔獣の腹部に突き刺さり、体内から千の雷で灼き滅ぼした。その脇を雷速で通り抜け、地面に着地し手を付く伊織。そこへ、更に魔獣が躍りかかる。

 

「チッ、時間がないってのにっ」

 

 悪態を吐きながら、魔力を集束し砲撃を放とうとする。先の【巨神ころし】で、この【世界の果て】に突入する前にストックしておいた遅延呪文は尽きてしまった。そして、今の伊織に新たに西洋魔法のために力を割く余裕はない。必然、魔導で対応することになるが、それでも今している事を邪魔されている事に変わりはない。

 

 苛立つ伊織。そこへ、頼もしい声が響く。

 

「ボクに任せて! ディバインバスター!!」

 

 今、まさに伊織へ、その爪牙を振るわんとしていた魔獣に、横合いから紅色の砲撃が突き刺さった。改良を加え、螺旋を描かせた魔力砲は魔獣の腹部を抉り取り薙ぎ払う。そして、横倒しなったに魔獣の頭部に銃口が押し付けられ、引き金が引かれた。

 

「テト! 助かった!」

「どういたしまして。こっちは何とかなったよ。援護するから、マスターは陣構築に集中して!」

 

 そう言ってテトは、【拒絶の弾丸】を連射し、時に数発を束ねてより強力な一撃とし、捌き切れない相手は【十絶陣】に放逐して時間を稼ぐ。

 

 伊織は頷き一つで直ぐさま行動を再開した。華麗なガン=カタで、言葉通り、伊織を死守するテトの弾幕。しかし、相手は龍王クラスだ。いくらテトとは言え、無傷で、とはいかない。テトの防衛陣を抜けて幾つもの魔力砲撃、魔力弾が襲い掛かり、やはり作業は遅々としている。

 

 その内、ミクも駆けつけて【九つの命】と魔剣達で伊織を援護するが、タイムリミットは刻一刻と過ぎていく。魔獣達の猛攻は、余りに邪魔すぎた。トライヘキサと戦っているメンバーが、一人また一人と落とされていくのを感じ取れてしまう事も、より伊織を追い詰める。

 

 残り時間は一分三十秒。構築すべき魔法陣は残り三ヶ所。しかし、運が悪いというべきか、その全てに魔獣が群がっている。

 

「どけぇえええ!!」

 

 怒声を上げて【覇王絶空拳】を放つ伊織。正面から飛びかかって来た魔獣が、粉砕された空間へ吸引されて虚数空間へ放逐される。ポイントへ辿り着いた伊織が陣の構築を始めると、隙ありと言わんばかり魔獣が殺到する。

 

「させません!!」

「行かせないよっ!!」

 

 それをパートナーたる翠と紅の少女が迎撃し、伊織を守る。代償に、二人の体も傷ついていく。

 

 残り一分二十秒。構築すべき魔法陣は残り二箇所。

 

 魔獣の魔力砲撃が、雷炎化している伊織を根こそぎ吹き飛ばす。千切れ飛んだ雷炎の体を引き戻し再び一つとなるが、そんな時間も今は惜しい。ミクとテトが魔導も魔法も念能力もフル活用して魔獣共と相対するが、単純な破壊力と数の暴力によってどんどんボロボロになっていく。

 

 残り一分十秒。構築すべき魔法陣は残り一箇所。

 

 猛烈な火炎が四方八方からポイントに吐き出される。ミクとテトが【プロテクション】を張って伊織を守る。魔獣達にとっては、ただの射撃魔法など豆鉄砲みたいなものであり、バインドも簡単に力尽くで破壊されてしまため、有効な攻撃は常に全力のものばかりだった。そのため、二人の疲弊は相当なもの。【プロテクション】も、振り絞った魔力を注ぎ込み続けているが、限界は近くビキビキとヒビが入る。

 

 と、その時、トライヘキサの咆哮が迸った。その衝撃は、伊織達にも届き、微妙な均衡を保っていたミクとテトの障壁は砕かれてしまった。幸いなのは、衝撃で火炎も止んだことだろう。

 

 伊織達が、トライヘキサの方へ視線を向けると、トライヘキサが空を飛んでいる光景が目に入った。そして、こちらに飛翔しようとしているのを蓮が正面から抑え、それでも抑えきれずに進軍を許してしまっているのが見えた。

 

 その直後、天に輝く純白の十字架が出現する。淡い光が戦場を照らし出し、気が付けばトライヘキサだけでなく伊織達の周囲の魔獣達まで、淡い純白の光に包まれて白煙を吹き上げながら動きを止めていた。

 

「エヴァちゃん!」

「さっすがっ!!」

 

 ミクとテトが、満身創痍ながらエヴァのなした事と察し、笑顔を浮かべて称賛の言葉を贈る。

 

 僅か十秒程の効果。しかし、価千金の成果だった。

 

 残り一分。魔法陣構築完了!

 

 直後、距離があってもわかる明確な殺意の奔流が伊織の肌を突き刺した。ただし、その殺意の矛先は伊織ではなく……

 

「エヴァ! させるかっ! 【強制転移】!!」

 

 エヴァだけでなく、他のメンバー達も同時に回収する。そっちはミクとテトだ。

 

 ベルカの光が間一髪のところでエヴァを包み込み、次の瞬間、伊織達の背後へとエヴァ達を引き戻した。

 

「待ちくたびれたぞ、伊織」

「悪かったな。犬っころ共が邪魔で仕方なかったんだ」

 

 お互い軽口を叩き合い、無事を喜び合う。しかし、直ぐに気を引き締め直すと、エヴァは伊織から魔力の供給を受けてある程度回復し、そのままアザゼル達の回復に取り掛かった。それを確認して、伊織は蓮に視線を向ける。

 

「蓮、頼む。何としても奴に撃たせてくれ」

「おk。任せる」

 

 蓮はビシッ! とサムズアップを決めるとドラゴンの翼をはためかせて再び前線に出た。そして、再び、蓮本気の魔力砲撃を撃つため、これみよがしに魔力を溜め始める。

 

 同時に、大きく仰け反ると、一瞬の溜めの後、その小さな口から出たとは思えない激烈な龍神の咆哮を解き放った。

 

ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!

 

 それは挑発だ。この【無限の龍神】の一撃、受けられるものなら受けてみよ! と、そんな意思を込めた咆哮。力ある存在というのは、ほぼ例外なく侮られる事を何より嫌う。挑発には挑発で返し、右の頬をぶたれたら往復ビンタで返すような者ばかりなのだ。

 

 それは、力ある存在としての矜持なのだろう。一撃をもらったのなら、一撃を以て、それも圧倒的な一撃で返さねば気がすまない。鬼しかり、ドラゴンしかり、各神話の神仏しかり。そして……【黙示録の皇獣】しかり、だ。

 

 蓮の純粋黒色の魔力砲撃が、突進してくるトライヘキサを真正面から迎え撃つ。凄まじい衝撃と共に空間が鳴動する。この世界の幾つかの存在を除いて、全ての存在が塵も残さず消滅させられる絶大なオーラ。

 

 しかし、やはりグレートレッドと同格の怪物には届かなかった。

 

ゴォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!

 

 トライヘキサから咆哮と共に常軌を逸したドス黒いオーラが閃光となって放たれた。蓮の本気の一撃を正面から叩き潰し、呑み込み、蹂躙し、絶望を与えてやろうというのだろう。狙い通りに。

 

 蓮とトライヘキサの中間辺りで正面からぶつかりあった二つの黒は、周囲の地面を根こそぎ吹き飛ばし、空間にヒビをいれながら一瞬拮抗し、直ぐに蓮の方が押されていった。

 

「くぅうううううううっ!!!」

 

 蓮から苦しげな呻き声が漏れる。それを見て、トライヘキサから邪悪な嗤いが聞こえた気がした。そのまま後ろに背負う羽虫共と共に滅びろとでも言うように。

 

 しかし、

 

「ヴァカめっ! 一体いつから、我が最後の砦だと錯覚していたっ!」

 

 そんな事を言って、砲撃の最中で蓮は、さっと射線から外れてしまった。当然、トライヘキサの砲撃は、真っ直ぐ伊織達の方へ向かう。僅かに意外そうな雰囲気を滲ませたトライヘキサだったが、蓮が他の者達を見捨てたと思ったのか、喜悦を滲ませて木っ端の絶滅に力を注いだ。

 

 全てを破壊する古の怪物の砲撃。例え、二天龍であっても消滅は免れない。この世で蓮とグレートレッド以外には、正面から受け止められるものなど存在しない。ある意味、この世の法則、理と同等の絶対の力。

 

 しかし、そんな道理を捻じ曲げ、理を塗り替え、残酷な運命を叩き潰すのが英雄たる者の仕事だ。

 

「来いっ!! ジャバウォックぅうううう!!!!」

 

 戦場に、伊織の絶叫が迸る。トライヘキサの攻撃を察して、波が引くように退避した魔獣達。後に満身創痍の味方だけ。視界の全てを塗りつぶすような極大にして絶対の破壊を前に、正面に立つ伊織は、己の魔獣を召喚した。

 

――神滅具【魔獣創造】の禁手【進軍するアリスの魔獣】ジャバウォック。

 

 伊織の足元から顕現したジャバウォックは、伊織がそうしたのと同じように腕を前に突き出した。

 

 直後、

 

ドォオオオオオオオオオオッ!!!

 

 トライヘキサの絶対が、体長三メートル程のジャバウォックに正面から受け止められた。

 

 いや、正確には違う。ジャバウォックの両手の先、少しの空間を隔てて、複雑な紋様の描かれた魔法陣が展開しており、それがトライヘキサの魔力砲撃を受け止めているのだ。

 

 足元を見れば、いつの間にか複雑極まりない紋様を刻まれた魔法陣が燦然と輝いている。直径三百メートルはあろうかという超巨大な陣。それが、ジャバウォックの眼前の魔法陣と連動して、トライヘキサの攻撃をせき止めているのだ。

 

 だが、それはただ凌いでいるわけではない。

 

ドクンッ!! ドクンッ!! ドクンッ!!

 

 ジャバウォックが脈動を打つ。世界を震わせるような鼓動が響く。その音が響く度に、ジャバウォックが一回り、また一回りと肥大化していく。既に、その大きさは六メートルを超えた。

 

 そう、ジャバウォックは、トライヘキサの攻撃を吸収し、その身に取り込んでいるのである。

 

――闇の魔法(マギア・エレベア) 太陰道 敵弾(キルクリ・)吸収(アブソル・)(プティオーニス)

 

「ぐぅうううっ」

 

 呻き声を上げているのは、肥大化するジャバウォックの肩に立つ伊織だ。

 

 元々、ジャバウォックには、ものを取り込んでエネルギーに変える能力が備わっている。しかし、触れなければ取り込めないジャバウォックでは、取り込む前にトライヘキサに跡形もなく消し飛ばされるのがオチだ。

 

 そこで、伊織が考えたのがマギア・エレベアの集大成とも言える究極の技法【太陰道・敵弾吸収陣】である。ジャバウォックに魔法を扱えるわけがないので、その制御を伊織が受け持ち、吸収した力をジャバウォックに受け流すのだ。

 

 しかし、相手はトライヘキサという規格外の怪物だ。その力を想定して陣を構築すると超巨大なものとなり、準備には随分時間がかかってしまった。そして、今、こうしてトライヘキサの攻撃を取り込んでいて改めて感じるその強大さ。伊織の処理能力を超えて今にも弾け飛びそうである。

 

「「マスター!!」」

 

 そこへ、伊織の頼るパートナー達が駆けつける。同時にその身を光の粒子に変え伊織の内へと入った。

 

――ユニゾン・イン

――ユニゾン・イン

 

 爆発的に処理能力が上がる。魔獣達の猛攻の中、必死に構築した前代未聞の超巨大敵弾吸収魔法陣と相まって、トライヘキサの力を完璧にジャバウォックのものとする!

 

グルァアアアアアアアアアアアアッ!!!

 

 湧き上がる膨大な力に、ジャバウォックが歓喜の咆哮を上げた。その身は既に二十メートルを超えて尚、増大し続ける。

 

 更に、

 

「我の力も!!」

 

 蓮から大量の【蛇】が生み出された。蓮の力の化身であるそれらは、スルスルとジャバウォックに近づくと、自ら同化するように取り込まれていく。直後、ジャバウォックの力が爆発的に膨れ上がった。肥大化が一気に進み、既にその身は百メートルに届こうかというレベル。

 

「ドライグ、俺達も!」

『エヴァンジェリンのおかげでかなり回復している。いけるぞ、相棒っ!!』

 

 再び禁手になった一誠が、エヴァの治癒により回復して、その手をジャバウォックに向けた。

 

『Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!』

「受け取れぇ、伊織ぃいい!!」

『Transfer!!』

 

 赤龍帝の倍化と譲渡の力がジャバウォックに降り注ぐ。天龍の力を受けてジャバウォックの力が留まるところを知らず増大する。

 

 遂に、その全長が三百メートルにまで達したジャバウォックは、おもむろに右手を腰だめに構えた。上下に五指が現れ顎門のようになり、その奥で青白い光が集束していく。

 

 ジャバウォック――破壊の化身たる魔獣の、その最大の力。

 

――反物質砲

 

 世界を壊す破壊の光が生み出されていく。ARMSの世界では、核を取り込んだジャバウォックの反物質砲によって世界の危機となったが、今のジャバウォックは確実にそれを超えているだろう。果たして、あらゆる超常の力を取り込み、世界の理を超えて顕現した平行世界の怪物と黙示録の怪物とでは、どちらが上か……

 

 やがて、トライヘキサの砲撃が止む。全てを吸収しきったジャバウォックの右手に集まる力に、さしものトライヘキサも危機感を覚えたのか、進軍を止めて再び力を内へ引き込み始めた。

 

 ジャバウォックの凶相が青白い滅びの光による陰影によって凄惨に彩られる。牙がズラリと並んだ三日月型の口元から、排熱するように白煙が立ち上っている。

 

 一拍。俯き気味だったジャバウォックが面を上げた。そして、トライヘキサの紅玉の眼と火花を散らす。そこに宿る意志は同じ。すなわち、

 

――破壊する!!

 

 その瞬間、再び世界から音が消え、視界の全てが光で満たされた。

 

 ジャバウォックの放った反物質砲の青白い閃光とトライヘキサのドス黒いオーラが激突する。蓮の時のような、どこか余裕のある雰囲気は微塵もなく、トライヘキサから初めて本気の咆哮が放たれた。

 

 塵となって消滅していく大地。隔離結界の限界まで未だ三十秒ほどあるはずだが、既に空間が粉砕され始めている。余波だけで絶大。散らばっていたトライヘキサの魔獣が怯んでいる隙に、満身創痍の仲間達が集まって伊織の後ろで必死に防壁を張った。

 

ゴォオオオオオ!!!

 

 拮抗が崩れ音が戻る。遂に、ジャバウォックの力がトライヘキサのオーラを打ち破った。正面からドス黒い閃光を吹き飛ばした一撃が、そのままトライヘキサへ直撃した。

 

ゴガァアアアアアッ!!

 

 トライヘキサの絶叫が響き渡る。背後の仲間達が、喜色を浮かべる。これで終わりだと、自分達の勝利だと期待を膨らませる。

 

 しかし、黙示録の魔獣はしぶとかった。

 

 その身の四分の一を消し飛ばされながらも、辛うじて拮抗しだしたのだ。対応力に優れているのか、それとも再生力に力を注いだのか。分からないが、あるいは、このまま反物質砲を耐えるかもしれない。

 

 伊織達に、二の矢はない。これが正真正銘、最大最後の攻撃なのだ。伊織の表情に険しさが増す。

 

「まだ、まだ終わらんよ!!」

 

 そんな事を言って立ち上がったのは、力の大半をジャバウォックに注いだ蓮だった。その小さな手をトライヘキサに向けると純粋黒色の閃光を放つ。流石は、【無限の龍神】といったところか。力の大半を消耗しても、その放たれる力は天龍クラスはあった。文字通り、死力を尽くして絞り出した力なのだろう。

 

 それに合わせて、本当の天龍も立ち上がる。

 

「リアス! 君のおっぱいが欲しい! 吸わせてくれれば、いけそうな気がするんだ!」

『相棒……最後までそうなんだな……ああ、いいさ、思う存分に吸え! 俺達は乳龍帝おっぱいドラゴンだっ!』

 

 一誠の言葉に、遂にドライグが同調した。そして、極限の状態でリアスの乳を吸った一誠が、再び【真紅の赫龍帝】となり、かつてないほどに力を倍化させる。

 

「アルビオン、どうやら俺達にも未だ戦いの場が残っているようだぞ」

『ああ、ヴァーリ。先程は邪魔が入ったからな。存分にやってやろう!』

 

 ドライグの事はスルーしてアルビオンとヴァーリも【覇龍】の進化形態【白銀の極覇龍】の呪文を詠唱する。エヴァの禁手と同じく未だ十秒程度しか持たないが、その増大される力は各神話の主神クラスを凌駕する。

 

 そして、その二天龍の力が解き放たれた。

 

『Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!Boost!』

「うぉおおお!! クリムゾンブラスタァーーー!!!!」

 

 一誠の雄叫びと共に、赤龍帝そのものの力が余す事なく空を切り裂いた。

 

「圧縮しろ!!」

『Compression Divider!!! Divid!Divid!Divid!Divid!Divid!Divid!』

 

 ヴァーリが手を向ける先、トライヘキサと青白い閃光が衝突しているその場所がピンポイントで空間ごと圧縮され削り取られていく。

 

 紅、黒、白銀、そして青白い閃光がトライヘキサを追い詰める。

 

ガァッ、グガァアアアアアッ!!

 

 咆哮は既に絶叫であり悲鳴だ。苦し紛れに、魔獣を伊織達にけしかけようとするが、それは、エヴァとアーシアによってある程度回復した仲間達が迎撃し近寄らせない。

 

「終わりだ、(いにしえ)の怪物っ! どんな悪意を前にしても、俺達は決して滅びはしない! 可能性の灯火は決して消えはしない! 骨身に刻んで果てろぉおおおお!!」

 

 伊織の絶叫が轟いた。常軌を逸したオーラを制御し続けたせいで、ユニゾン状態でも耐え切れず体中から血を噴き出しながらも、揺るがぬ意志の炎を宿した眼差しで真っ直ぐにトライヘキサを射抜く。

 

 トライヘキサが、その言葉に反応したように、伊織へ紅玉の視線を向けた。ほとんどが砕かれ、残り一つとなっているそれは、死の間際にしてなお激烈な憎悪と殺意を宿している。

 

 だが、伊織にはどこかそれだけでないように感じた。負の感情の奥底で、何となくトライヘキサが笑ったような気がしたのだ。嘲るようなものではない。まるで、伊織の言葉を理解して、ならばこの先の未来でもその意志を貫けるかやってみろと挑発するような面白がるような、そんな気配。

 

 勘違いかもしれない。だが、伊織には何となく、真実であるような気がした。

 

 直後、

 

ドォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!

 

 トライヘキサが閃光に呑み込まれ、爆発するようにその絶大なオーラを肉体と共に四散させた。世界を、凄まじい閃光と衝撃が襲う。トライヘキサの獣が霧散していくのを尻目に、伊織達はトライヘキサの置き土産によって吹き飛び捲れ上がる大地と共に盛大に吹き飛ばされた。

 

 文字通り、死力を尽くした伊織は、最後に赤銅色の大地を目にして意識を闇に落とした……

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 暗闇の中、水の底でたゆたうような感覚の意識が徐々に定まり浮上していくのがわかる。黒一色の世界に、ぼんやりとした光が見え始め、伊織は、自分の意識が覚醒しようとしていることを自覚した。

 

「ん……ここは」

 

 目を開いた伊織の目に映ったのは白い天井。背中や後頭部に感じる感触はひどく柔らかだ。どうやらベッドに寝かされているらしい。

 

「伊織、そこはテンプレをしてもらわないと。我、がっかり」

 

 そんな伊織に声がかかる。聞き慣れた声のした方へ視線を向けると、そこには案の定、ベッド脇の椅子に腰掛けた我らの龍神様がいた。何故か欧米人のように肩を竦めて「やれやれだぜ」と首を振っている。地味にイラっとくる仕草だ。

 

「そいつは悪かったな、蓮。それで、ここは? みんなはどうした? トライヘキサは?」

 

 意識が完全に覚醒し、体を起こしながら矢継ぎ早に尋ねる伊織に、蓮はピョンと椅子から飛び降りると、その小さな手で伊織の額を抑えて再びベッドに寝かせた。

 

「落ち着く。伊織の疲労は半端ない。人の身では到底扱えない魔力を制御した。その反動で体がボロボロ。しばらく休む」

「いや、しかしな……」

「大丈夫。みんな無事。トライヘキサは“汚ねぇ花火”になった。あと、ここは冥界の病院」

 

 蓮の話では、どうやらあの最後の衝撃の後、討伐メンバーは仲良く【世界の果て】の片隅で昏倒していたらしい。みな、かなり酷い怪我で危ない者もいたらしいが、どうにか救援が間に合い、事なきを得たようだ。

 

 ちなみに、三世界で暴れたまわったトライヘキサの魔獣のせいで、各勢力も相当な被害が出たらしいが、取り返しがつかなくなる前にトライヘキサの消滅と同時に魔獣も消え去ったので何とか無事のようだ。。しかし、そのせいで医療関係者がフル活動となり、彼等も患者の命だけつなぎ止めてダウン状態となったそうだ。その為、伊織も回復には今しばらく時間がかかるという。

 

「エヴァが回復したら、神器で癒せる。だから、それまで大人しくする」

「あ~、わかったよ。とにかく皆無事ならそれでいい」

 

 伊織は、蓮から大体の話を聞いて安心したようで、体から力を抜いた。深くベッドに体を埋もれさせる。

 

 すると、そんな伊織を見て何を思ったのか、蓮は布団の端をめくり、いそいそとその体を滑り込ませてきた。そして、伊織の引っ付くようにして横たわり、至近距離からジーと伊織を見つめだした。

 

「蓮……何やってるんだ?」

「少年は少女の体の柔らかさを感じ、逆に体を固くするのであった」

「変なナレーション入れるなよ。龍神p」

 

 わけが分からないが、取り敢えず居心地良さそうで機嫌も良さそうなので、ツッコミを入れつつ好きにさせる伊織。そんな伊織を、やはりジーと見つめながら、やがて蓮は、ポツリポツリと零すように口を開いた。

 

「……トライヘキサはグレートレッドと同等。……我は、グレートレッドに勝てる可能性を得た」

「……そうだな」

 

 それは蓮がオーフィスだった時の願い。グレートレッドを倒し、次元の狭間に帰って永遠の静寂を得たいという寂しい目的のこと。

 

「あの時、伊織は言った。伊織達と一緒にこの世界を感じてみないかって」

「ああ。言ったな。一緒に、いろんな事をした」

「……我は、寄り添う者を得た。寄り添う事の意味を知った。無知ではなくなった。暖かいのも優しいのも、美しいのも楽しいのも、今ならわかる」

「そうか……」

 

 チクタクと時計の音だけが響く病室に、どこか優しい空気が満ちる。

 

「グレートレッドを倒せる。……でも、今の我には何の意味もないこと。静寂なんていらない。……伊織」

「なんだ?」

 

 二年前の伊織の言葉を思い出しながら、これからの未来を思って呼びかける。蓮は、当たり前のように帰ってくる返事に、胸の内が暖かくなるのを感じながら、最後の問いかけをする。答えは分かりきっているが、大切な事は言葉にしておくべきだ。それも、この二年で学んだ事である。

 

「伊織達と一緒がいい。これからも傍にいていい?」

 

 そんな蓮に、伊織はとびっきり優しい眼差しを向ける。それからしっかり目を合わせて頷くと、

 

「当たり前だ」

 

 そう言った。今更ではある。だが、きっとこの二年を締めくくる大切な言葉だった。それを証明するように、蓮がふわりと微笑む。今までで一番美しく暖かい微笑みだった。

 

 しばらく、二人して微笑み合っていると、扉の向こう側からステテテテー! という、やはり聞き慣れた足音が響いてきた。更に、その後ろから、「九重ちゃ~ん、危ないですよぉ~」とか「病院では走っちゃダメだめだってばぁ」とか「こら待たんかっ!」とか「ケケケッ」とか、そんな声まで聞こえてくる。

 

 思わず顔を見合わせる伊織と蓮。そこへ、扉をバンッ! と勢いよく開けて金色の塊が飛び込んでくる。

 

「伊織ぃ! 伊織の目覚める気配がしたのじゃ! 目を覚ましておるのか……」

 

 どうやら動物的な勘で伊織の覚醒を察知したらしい。それで急いで駆けつけたようだ。そして、飛び込んできた勢いのまま、同衾している伊織と蓮を見て固まる。

 

 そこへミク達も現れた。部屋の状況を見て「あらあら」といった様子である。蓮が時折、東雲家の誰かの布団に潜り込んでくるのは日常なので特に驚きはない。

 

 しかし、そこまで冷静になれないのが九重だ。

 

「うぅ~~~~~、九重はこんなにも心配しておったのにぃ! 蓮ばっかりずるいのじゃ!!」

 

 そんな事を叫びながら、涙目になった九重は、そのままピョンとベッドに飛び乗ると蓮とは反対側に潜り込んだ。そして、ヒシッ! と伊織に抱きつく。

 

 見た目、幼女二人と同衾する男――伊織。小猫あたりに見られたら間違いなくロリーでコンなレッテルを貼られるだろう。

 

 そんな伊織に、ミクとテトはニマ~と笑うと、それぞれ蓮と九重を挟み込むようにしてベッドに入り、ギューとサンドイッチする。更に、どうしたものかと視線を彷徨わせていたエヴァも、チャチャゼロに「御主人ダケ仲間ハズレダナ」と呟かれ、寂しくなったのか伊織の上に馬乗りなってピタリとくっついた。

 

 キャッキャッと騒ぐミク達。

 

 その後、騒ぎを聞きつけてやって来た病院のスタッフにしこたま怒られ、その騒ぎを聞きつけて入院していた一誠達グレモリー眷属やシトリー眷属、バアル眷属、ヴァーリチーム、御使い達、妖怪達が集まって来た。

 

 そのまま、伊織の病室に溢れんばかりに人が互いの健闘をたたえて話に華を咲かせ始め、半ば宴会のような様相を呈し始めた。そして、流石に病室では狭いと誰かが文句を言い始め、伊織に【別荘】コールを送る。

 

 伊織は、苦笑いをしながらも、戦勝祝いだ! と【別荘】と共に溜め込んだ食料や酒を全開放し、女性陣には【美肌温泉】なども開放した。

 

 途中、サーゼクス達魔王方やアザゼル率いる堕天使幹部、天界のセラフメンバーや各神話の神仏達がこぞってお見舞いに来て、そのまま宴会に加わり、最終的には、やんややんやの異種族神仏入り混じっての大宴会となった。

 

 レーベンスシュルト城のテラスから、そんな大騒ぎを見つめる伊織。

 

 騒がしくはあるものの、とても美しい光景だと感じる。

 

 魔法球内にはとっくに夜の帳が降りており、夜天からは月が包み込むような優しい光を降り注いでいる。伊織は、そんな月明かりの下で、そっと嬉しげに幸せそうに目を細めるのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「あれから、どれくらい経ったのかな?」

 

 大きな桜の木の下で、幹にもたれ掛かりながら呟いたのは老人だった。しかし、老人といっても、一見すると初老の男にも見える。それは、肉体の限界が来てなお、魂が輝きを失っていないからだろう。

 

 老人は、今、死の淵にいた。本人もそれを自覚し、【世界の果て】に自ら植えた桜の木の下で最後を迎えようとしているのだ。同時に、大切な家族を待ってもいた。

 

「忘れたのかの? およそ八百年といったところじゃよ、伊織」

 

 老人――伊織に答えたのは、妙齢の美女だった。長くふんわりした美しい金髪に、可愛らしいキツネ耳がぴょこんと生えている。また、正面からでもわかる立派な九尾が、風に吹かれてふわふわと動いていた。大きく着崩した着物からは、こぼれ落ちそうな双丘と細く引き締まった美しい脚線が覗いている。

 

 とても扇情的で、その瞳に宿る理知的な光や優しげな色と相まって、途轍もない魅力を放っていた。傾国、あるいは絶世の美女という表現が、これほど似合う女性もそうはいないだろう。

 

 そんな彼女の正体はもちろん、

 

「九重、遅かったじゃないか。危うく、このままポックリ逝くところだった」

「冗談にしては笑えんのじゃ。妾を置いて行ったりしたら、異世界侵略でも何でもして追いかけるからの」

「はは、恐いなぁ。流石、九尾の狐様だ」

 

 伊織は、笑みを浮かべながら傍らに腰掛けた九重に視線を向けた。大人になった九重は、あの頃のちんまい姿が嘘のようで、今ではエヴァにその双丘を涙目で弄ばれるくらいだ。ミク達との仲も良好で、小さい時の〇〇さんのお嫁さんになるぅ! という夢をそのまま叶え、伊織の妻となった。

 

「何が、恐いじゃ。人の身で仙術を極めた挙句、八百年も生きる奴の方がよっぽど恐かろう。神仏達も、『あれは人間じゃない。東雲伊織という生き物だ』とか言っとったろ?」

「ああ~、孫悟空殿に修行を付けてもらって皆伝を貰った辺りで、そんな事を言われたなぁ」

 

 伊織は、トライヘキサとの戦いで、その身に余りに膨大で、かつヘドロのようなオーラを一時的にでも取り込んだ事で生命力を著しく減らしてしまった。それを回復するために元々【念】という仙術に近い技能を有していた伊織は、仙術と妖術のエキスパートである闘戦勝仏孫悟空に師事したのである。

 

 結果、回復するどころか半ば仙人化してしまい、人の身でありながら何百年という年月を生きる事になったわけだ。

 

 その間、伊織という人間を手に入れようと様々なアプローチがあった。中には力尽くでどうにかしようとしてきた者達もいたが、その全てを伊織は排除した。

 

 結果、神仏ですら手を出せない人間――いや、あんなの人間じゃない――じゃあもう【東雲伊織】っていう生物だと思えばいいじゃない、という結論が世界に浸透したのである。

 

「さて、九重、そろそろ限界みたいだ。……本当に、一緒に……」

「今更、言うてくれるな。子供達と離れるのは寂しいが、ギリギリまで時間を貰った。十分じゃ。伊織もそうじゃろう?」

「ああ、みな立派になった。思い残す事はない」

「うむ、妾もじゃ。だから伊織、どこまで連れて行っておくれ」

「……ああ、一緒に行こう、九重」

 

 九重が、少し別れを惜しむように、その唇を伊織のそれに重ねる。そして、潤んだ瞳で微笑むと、【ダイオラマ魔法球】の転移陣が発する光に包まれその姿を消した。

 

 伊織は、【ダイオラマ魔法球】を【魂の宝物庫】に格納すると、再び、視線を世界に巡らせた。

 

 かつて世界の命運をかけて戦った【世界の果て】は、人の手が入り、赤銅色の荒野から緑あふれる世界へと変わっていた。もう、忘れ去られた世界ではない。これは、かつてテラフォーミングした時の知識を利用して伊織が主導で行った事だ。

 

 世界には、まだまだ神話同士のいがみ合いや、不穏な組織が蠢いている。

 

 それでも最後には、あの決戦の時のように手を取り合って共に歩めると伊織は信じていた。そんな時、種族に関係なく共に過ごせる世界があればいいと、そう思ってこの【世界の果て】の再生に取り組んだのだ。

 

 その意志は、伊織の子孫達や、最上級悪魔となって世界を引っ張る人物の一人となった一誠達が受け継いでくれている。

 

「ああ、本当に、思い残す事はない。……さて、次は一体、どんな世界かな?」

 

 そんな呟きを最後に、伊織は、穏やかな表情のまま、そっと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 このとんでもない世界で新たに加わった二人の家族。彼女達と共に、伊織は再び、どこかの世界へと旅立ってゆく。

 

 

                                         終わり

 

 

 




いかがでしたか?

はい、ようやくハイスク編が完結と相成りました。
沢山の感想、本当に有難うございました。
皆さんのおかげで、楽しい執筆が更に楽しいものとなりました。。
読んで下さった方々も、こういう終わり方にしましたが、最後まで楽しんで貰えたなら嬉しい限りです。
完結のご挨拶は活動報告にもさせて頂きますので、宜しければそちらをご覧下さい。

一応、補足。
蓮ちゃんと九重は連れていきます。
九重も色々と超強化してたりします。能力が、ですよ? 断じて夢のオッパオのことではないですよ?

まぁ、とにかく、蓮ちゃんも九重も伊織の妻として旅立ちます。
新たなメンバーとの新たな旅……どうなるかわかりませんが、書く事があればまた読んで貰えると嬉しいです。

それでは、またいつか!
有難うございました!



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リリカルなのは古代ベルカ編 おまけ
リリカルなのは古代ベルカ編 おまけ


ハーメルン民のみなさま、お久しぶりです。唯の厨二好きです。

久々に二次を書きたくなってちょびっとだけ戻ってきました。
伊織がイオリアだったころ――古代ベルカ編のエンディングおまけみたいな話です。



 ベルカのとある地方にある心地よい風の吹く草原に、幾人もの人影があった。レジャーシートを敷き、お弁当を広げ思い思いに寛いでいる。どこからどう見てもピクニック風景である。

 

 今日、ここに来ているのはルーベルス家の面々とオリヴィエ、クラウス夫妻の王家の面々、それに夜天の書の主と騎士達だ。

 

「おとぉさん、あ~んして!」

「……全く、スーリアは甘えん坊だな」

 

 青年の膝の上にちょこんと座り、お弁当の一角に指をさしながら、スーリアと呼ばれた三歳くらいの女の子は、思わず「こやつ出来る!」と言いたくなるような見事な上目遣いで可愛いおねだりをした。

 

 それに相好をあっさり崩された青年――イオリアは、娘の言いなりとなって指定された料理を取り、そっとその小さな口元に添えた。にへら~と笑いながら、パクリと食いつくスーリア。

 

 ふっくらした頬は薔薇色に染まり、もみじのように可愛らしい手と、パタパタと機嫌良さそうに動くあんよは愛らしさの極み。まるで、物語に出てくる幼い天使の如く。母親似の美しい金糸の髪に、ルーベルス家特有の切れ長の瞳は、この幼い女の子の両親が誰であるか如実に物語っている。

 

 そう、スーリア・ルーベルスは、イオリアとエヴァの間に出来た娘なのである。

 

「何が甘えん坊だ。お前がそうやって甘やかすのが原因だろうが」

 

 呆れたような表情で、イオリアに苦言を呈したのは十五、六歳くらいの美貌の少女――エヴァだ。イオリアの隣に座り、何だかんだ言いながら娘を甘やかす夫にやれやれと肩をすくめる。

 

 もっとも、そんな態度を取りつつも……

 

「おかぁさん、あ~ん」

「むっ、食べさせてくれるのか? ふふ」

 

 スーリアがむにっと掴んだ卵焼きを、満面の笑みでエヴァに差し出せば、途端、エヴァの表情はでれっでれに崩れた。元のネギま世界で、闇の福音としてのエヴァしか知らない者からすれば、きっと卒倒するか現実逃避するに違いない、ふにゃふにゃの笑顔だった。

 

 そしてすかさず、愛しい娘に「あ~ん」を仕返す。その表情は母性と慈愛に満ちていて、もはやどう言い繕っても「私は悪の魔法使い」という主張は通りそうになかった。エヴァ自身は往生際悪く、未だにその主張を崩そうとはしなかったが。

 

 そんなエヴァを見て、微笑ましそうに、あるいは愛しそうに目を細めるイオリア。どう見ても、幸せな家族の光景そのものである。

 

 イオリアは母娘のやり取りを視界に収めつつ、その手を湯呑に持っていった。が、イオリアの手は、湯呑が置いてあったはずの場所を素通りしてしまう。「おや?」と思いつつ、イオリアが視線を転じると、絶妙なタイミングで、そそと湯呑が差し出された。

 

「どうぞ、イオリア。空になっていたので入れておきました」

 

 そう言って、湯呑を差し出したのは銀髪緋眼の美女――リインフォースだ。黒を基調にしたシャツにジーンズだけという何ともラフな格好で、顔には穏やかな微笑みが浮かんでいる。およそ、長い年月を闇に囚われていたとは思えない、魅力的な表情だった。

 

「ああ、ありがとう、リイン。……ところで、カリナのところに行かなくいいのか?」

 

 イオリアが視線を転じれば、その先にはミクやテトと何やら弾幕ごっこをしている新生夜天の書の初代主――カリナ・ホールディンの姿がある。傍には夜天の守護騎士であるシグナムやシャマル、ヴィータやザフィーラの姿もあり、刻一刻と増していく弾幕の激しさから、もはや鍛錬の域に突入していそうだ。

 

 なので、カリナ自身の力を十全に補うことができる夜天の書の管制人格であり、ユニゾンデバイスでもあるリインフォースが加わらなくていいのかと、イオリアは尋ねたのである。

 

「構いません。大規模な魔法でも使わない限り、あのような遊びは良い制御訓練になります。私が補助しない方が、主の地力も上がりやすいでしょう。……それとも、私がここにいてはお邪魔ですか?」

 

 リインフォースが、カリナを眩しそうな眼差しで見つめた後、イオリアに向けて少し寂しそうな表情でそんなことを言った。

 

「そんなわけないだろう。いつもいつも、“恩人だから”って、何かと気を遣ってくれるからさ。そんなの気にせず、カリナを優先してくれていいんだって言いたかっただけだ。まぁ、これも、いつも言っていることだが」

「はい。そして、私の返答も同じです。確かに恩は感じていますが、それだけでなく、ただ私は私がしたいようにしているだけです。さぁ、イオリア、それにスーリアも。こちらをどうぞ」

 

 リインが差し出したフルーツに、スーリアは瞳をキラキラさせながら小さなお口を精一杯大きく開く。そこへ、にこにこと笑みを浮かべながらリインが「あ~ん」をする。そして、イオリアの方にも「あ~ん」をしようか迷うようにチラチラと視線を彷徨わせるものの、結局、気恥ずかしさが勝ったようで、そっと入れ物を差し出すに留まった。

 

 控えめで、気遣いを忘れず、そっと傍に寄り添う。歩き出せば、きっと三歩下がって付いてくるに違いないその姿は、まさに大和撫子。今もまた、さり気なく、イオリアの湯呑に継ぎ足している。

 

 そんなリインの姿を見て、ぷるぷると震えるのは我等が吸血姫様だ。

 

「お・ま・え・はぁ~~~。毎度、毎度、さり気なく妻ポジションに収まりおってぇ! イオリアは私の夫だと、何度言えばわかるっ」

 

 うがぁ~と怒声を上げて立ち上がったエヴァに、リインは不思議そうな眼差しを向けながら「はて? 一体、なにを怒っているのかしらん?」と首を傾げた。

 

「くっそぉ。その何も分かっていないという顔が演技ならぶっ飛ばしてやるものをぉ。本気で分かっていないから始末に負えんっ」

 

 地団太を踏むエヴァ。その言葉通り、リインの言動は全て混じりっけなしの天然である。主であるはずのカリナがいようが、傍にエヴァやミク、テトといったイオリアの妻がいようが、気が付けばそっとイオリアに寄り添っており、決して前に出ることはなく、実にさり気なく世話を焼くのだ。

 

 リインにとってそれは、別にエヴァ達からイオリアを奪ってやろうとか、妻である彼女達に嫉妬して煽っているだとか、ましてイオリアの好感度を上げたいなどという意識すらなく、本当にただひたすら、恩人であるイオリアに少しでもお返しがしたいという意識のもとにやっているようで、事実、その世話焼きは比重としてはイオリアが最も多いものの、ミク達にもしっかり反映されている。

 

 なので、エヴァとしても、そんなリインには強く出られず、しかし、イオリアに寄り添われるのは何となく嫌なのでフラストレーションは溜まり……という悪循環が出来ているのだ。

 

 ただでさえ、妻がいると分かっていながらイオリアを狙う女は多いというのに、「本当に、どうしてくれようか、この天然は……」といった感じなのである

 

「あぁ、もういいから、取り敢えず、イオリアからもう少し離れろ!」

「は、はぁ……エヴァがそういうのでしたら……」

 

 困惑しながらも、エヴァの言う通りにイオリアから離れるリインフォース。そして、自分とイオリアとの間に空いた距離感に、少し眉を下げた。いかにも寂しそうである。

 

「ぬっ、ぐぅ~」

 

 エヴァが、リインの表情を見て気まずそうに呻き声を上げる。すると、そんなエヴァにまさかの追撃がかかった。

 

「むぅ、おかぁさん! りぃんおねえちゃんをいじめたら、メッだよ!」

「なっ、む、むすめに叱られてしまった……うぅ、イオリアぁ」

「はいはい。大丈夫だぞ、エヴァ」

 

 めそめそと泣きついてきたエヴァの頭を、イオリアは、よしよしと優しく撫でる。途端、ふにゃりと“たれエヴァ”になるエヴァ。苦労も多いが、夫婦仲は良好である。そして、エヴァに“悪の魔法使い”の面影はゼロだった。

 

「ははは、我が息子ながら見せつけてくれるな。なぁ、アイリス」

「えぇ。まぁ、私としては娘が一人二人増えたところで何の問題もないわ。特に、リインみたいな人なら、ね。どう、リインもこの際、イオリアのお嫁さんになる?」

 

 イオリア達と同じく、スーリアの一挙手一投足にデレデレしていたイオリアの両親、ライドウとアイリスがそんなことを言った。一瞬、ポカンとするリインだったが、直後にはりんごのように真っ赤になりながら、あわあわと両手を振る。

 

「お、およ、およよ、お嫁さん、な、などと……からかわないで下さい」

「あら、別にからかってなんかいないわよ? ミクやテトだってユニデバだけど、お嫁さんだし、三人も四人も変わらないでしょう?」

「……いえ、いいのです。私は……もう十分に幸せです。救われ、夜天に戻ることができて、新たな素晴らしい主に出会い、今もこうして陽だまりの中にいる。ええ、本当に……これ以上、何を望めというのです」

 

 まるで、そこに大事な宝物があるかのように、リィンはそっと胸元で両手を握り締めた。和らいだ表情や、ほのかに染まる頬、柔らかく弧を描く口元……その全てが、彼女の言葉通り、嘘偽りなく、“十分に幸せだ”と示していた。

 

 そんなリインを見て、ライドウやアイリスの隣で杯を傾けていた覇王が、何やらやたらと感心するような声音と表情で、深く頷きながら口を開いた。

 

「何とまぁ、謙虚なことだな。淑やかに、美しく、他者への気遣いを忘れない……女性のお手本のようだ」

 

 うむうむと、一人感じ入るように褒めるクラウスだったが、この場の二人の男性陣――イオリアとライドウは、「あ~あ、やっちまったよ」といった呆れた表情を向けた。

 

 その理由は一つ。

 

「……そうですか。女性のお手本ですか。クラウスは、リインのような女性が好みなのですね」

「っ!? オ、オリヴィエ」

 

 そう、酒が入っていい感じに出来上がっているクラウスの隣には、当然、彼の妻であるオリヴィエがいたのだ。薄い桃色がかったワンピースというラフな格好で、膝を揃えながら寛ぐ姿は、彼女が自然と発する気品と相まって深窓の令嬢のようだ。普段の、武人然とした雰囲気はない。

 

 否、なかったのだが……今は、ふつふつと覇気を発し始めている。笑顔で。それはもう素晴らしく可憐な笑顔で、されど、お約束のように笑っていない無機質な瞳を真っ直ぐクラウスに向けて。

 

「い、いや、違うんだ、オリヴィエ。今のは、一般論であってだな、俺は別に……」

「ふふ、どうしたのですか、そんなに動揺して。覇王ともあろう人が情けないですよ?」

「ちょ、話を聞いて……」

「話、ですか? それならちょうど“お手本のような女性”がいることですし、彼女に聞いてもらえばいいのでは? 私では、力不足かもしれませんし、ね」

「……」

 

 クラウスが、覇王にあるまじき涙目でイオリアへと救援を伝える視線を向ける。

 

 イオリアは、そっと視線を逸らした。

 

(おい、イオリア! 主の危急だぞ! 何故、目を逸らす! こっちを見ろ! そして、俺を助けろ!)

(いやぁ、奥さんが隣にいるのに、他の女性を“お手本”と言っちゃあダメでしょう。自業自得ですよ)

(俺の騎士だろう! 主を見捨てる気か!)

(ザー、ザー、あれ、念話が……ザー、不調のようで、ザー)

(お前ぇ、ザーザーって口で言ってるだろうが! っていうか、念話に無線みたいな雑音が入るわけないだろう!)

 

 念話でイオリアに助けを請うたクラウスだったが、イオリアは既にクラウスを見てすらいない。赤の他人を装うかのように、膝の上のスーリアに世話を焼いている。

 

 最も信頼している騎士からあっさり見捨てられたクラウスは、パッと視線をもう一人の男へと向けた。

 

(ライドウ、お前の息子に見捨てられた! 責任を取ってライドウが……)

(ただいま、ルーベルス家は留守にしております。御用のある方は、“ピー”という発信音の後に、人生をやり直してください。“ピ~~~~”)

(留守も何も、今、目の前にいるだろうがぁっ!! しかも、人生をやり直せってどういう意味だっ!)

 

 ライドウは何事もなかったようにアイリスへと視線を固定して、我関せずを貫いた。

 

 ルーベルス父息子に見捨てられた覇王様。そんな彼の頬へ、そっと手が添えられた。思わず、ビクッとなるクラウス。もちろん、手を添えたのは妻であるオリヴィエだ。

 

「ふふ、今度は無視ですか。自分の妻を無視ですか。そうですか」

「あ、いや、違うぞっ。今、ちょっ――グペッ!?」

 

 慌てて弁解しようとしたクラウスだったが、突然、首が90度以上、グリンッと強制的に回されたことで奇怪な悲鳴を上げて言葉を詰まらせた。

 

 当然、首を回したのは、クラウスの頬に添えられたオリヴィエの手だ。咄嗟に、首が回るのに合わせて体を回さなければ、ペキョ! っと逝っていたかもしれない。戦慄を表情に浮かべるクラウスに、オリヴィエは満面の笑みで言い放った。

 

「久々の休日ですし仕方のない面はありますが、それでも少々気が緩みすぎのようですね。いいでしょう、クラウス。酔い覚ましに少々、鍛錬相手をして上げます」

「それ、絶対お仕置き――」

「さぁ、逝きますよっ! 最近、ようやく【発】も形になってきたのです。ちょうどいいので、あなたで試してみましょう」

「っ、嘘だろう!? いつの間に、そんなところまで……俺でもまだ、四大行をどうにか終えたところなのにっ」

 

 首根っこを掴まれてズルズルと引きずられていくクラウス。どう見ても覇王の威厳は皆無だった。

 

 ちなみに、その会話から分かるように、実は、クラウスとオリヴィエには【念】が教えられている。危険な力なので拡散しないよう気を付けなければならないが、二人にならと、イオリアが決断したのだ。二人も、後世に伝えるとしても王家の直系のみにすると確約している。

 

「オリヴィエさんの【発】、割と凶悪だからなぁ。俺は、今日、王を失うかもしれん」

「笑いながら言うことか。まぁ、“犬も食わぬ”だからな。五十歳近いくせに、よくやるよ」

「むしろ、【念】とか “別荘”の“美肌温泉”で若返っているからなぁ。どう見ても、二十代後半、多く見積もっても三十代中盤くらいにしか見えない」

「最近、ベルカの覇王と聖王は若返りのロストロギアでも使っているんじゃないかと噂が出ているようだぞ。特に、女はオリヴィエの若さの秘密を探ろうと躍起になっているようだ」

 

 イオリアとエヴァが呑気に会話している向こう側で、盛大な爆音と悲鳴が響いてきた。誰の悲鳴かは言わずもがなだ。

 

 その“犬も食わない”夫婦ゲンカに、遠くで弾幕ごっこをしていたカリナやミク達が面白がって野次馬と化す。

 

 すると、タイミングよく、伊織達の近くでベルカ式の魔法陣が輝き出した。転移魔法の輝きだ。

 

 そこから現れたのは、イオリアの妹――リネット夫妻とその子供達、ルーベルス家のユニゾンデバイス“リリス”。更に、クラウスとオリヴィエの子供達に、アルフレッドを筆頭にした腹心の騎士達とその家族。騎士学校時代からの友人であるタイル達友人とその家族達だ。

 

 彼等は、イオリアがいなくなっていた二十二年の間に、それぞれ一角の人物になっており、こうして全員揃って日程を合わせるのは至難だった。なので、どうにか時間を作って後から参加することになっていたのだが、どうやら、ようやく休暇をひねり出せたようである。

 

 一気に人数が増えて、賑やかさが倍増しになった草原。

 

 早速、リネットの子供達を筆頭に各家族の子供達が、“末っ娘”のスーリアを見つけてワッと駆け出した。スーリアも、“お姉ちゃん、お兄ちゃん”達に気がついてパァ! と顔を輝かせる。そして、チラリと上目づかいにイオリアを見やった。

 

 言いたいことは明白。「遊んできてもいい?」だ。イオリアが微笑みながら頷くと、スーリアは、三歳とは思えないほど軽やかな身のこなしでイオリアの膝上から降りると、ステテテテーと彼等のもとへ駆け出した。

 

 子供達は、そのままキャッキャッと楽しそうな声を上げながら、スーリアを構い倒すべく遊び始めた。大人組も、新たなレジャーシートを広げては、それぞれ持ち寄った料理や飲み物、酒の類を出して、どんちゃん騒ぎを始める。

 

 誰もがすっかりくつろぎ始めた頃、それを見渡せるような少し下がった位置へいつの間にか移動していたイオリアは、隣にエヴァを侍らせながら、目を細めて、幸せを噛みしめるような表情をして、彼等を眺めていた。

 

「ふふ、マスター。何だか、おじいちゃんみたいな顔をしてますよ?」

「前世の年齢を合わせても、まだ“おじさん”の領域だし、ちょ~とその雰囲気を出すのは早いんじゃないかな、とボクも思うよ? マスター」

 

 聴き慣れた心地よい二人の声が耳に届く。同時に、左隣へ、寄り添うようにテトが座り、真後ろから包み込むようにミクが抱きついてくる。いつの間にか、カリナ達との遊びを終えて、イオリアの元へ帰って来ていたようだ。

 

「そんな顔してるか? 子供が生まれたばかりなのに、もうおじいちゃんみたいか……割とショックだな。人生がハード過ぎるのが悪いんだ。きっと」

 

 自分の顔を撫でながら、むぅと唸るイオリア。確かに、今思い返しても中々にハードな人生だ。

 

 そんな唸るイオリアに、ミク達はくすくすと笑いながら、

 

「嘘ですよ~。マスターはまだまだお若いです」

「まぁ、もう“お父さん”だからね。子供っぽすぎるのは考えものだしね」

「うむ。スーリアの前では、格好いい父親でいてもらわねば。間違っても、覇王なのにツッコミキャラ化しているクラウスのようにはなるなよ」

「俺の王様になんてこと言うんだ。まぁ、奥さんにお仕置きされてぶっ飛ばされるような姿は見せたくないのは同感だが」

 

 視界の端に、また何かやらかしたらしい覇王が宙を飛ぶ姿が入った。その下では青筋を浮かべた奥さんが、天を衝くような拳を掲げている。その様は、まさに覇王の如く。ぶっ飛ぶクラウスには目もくれず、子供達が「おぉ~~」とキラッキラした眼差しをオリヴィエに向けている。

 

 と、その時、

 

「イオリアさぁ~ん! 私、さっきの弾幕ごっこで一つ新しい魔法を覚えたんですよ! 褒めて下さい! 具体的には、撫でて下さい! 頭だけでなく、至るところを!」

 

 妻に囲まれるイオリアを見てか、何やら「ぬかったっ。出遅れた!」といった表情で突進してくるカリナが、とんでもないことを口走る。

 

 更に、

 

「イオリア様! 私も、母から教わった技を習得しました! 見ていただけませんか! なんでしたら、技だけと言わずに、全てをっ」

 

 クラウスとオリヴィエの娘にして、聖王・覇王連合国の第一王女“クラリオーネ”が、カリナに負けず劣らずの際どい発言をしながら健脚を発揮して迫る。

 

 それだけに留まらず、

 

「イオリア。そんな端でどうしたのです? もしや、お疲れですか? で、でしたら、私がマッサージなどを……夜天の名にかけて、必ずや気持ちよくさせてみせます!」

「おい、リイン。お前また、エヴァのやつにどやされるぞ。なぁ、イオリア。そんなことより、あたしとアイス食べようぜ。これギガうめぇんだ」

「ヴィータ、そんなに美味いアイスならスーリア達に食べさせてやれ。ところでイオリア殿。ミクから異世界の剣術を習っているんだが、どの程度のものか、マスターである貴方にも見てもらえないだろうか」

「もう、みんな、せっかくの休日なのに、押しかけたらイオリアさんがご迷惑でしょう。イオリアさん、お疲れなら私にお任せを。癒しの魔法は私の領分ですから」

 

 と、夜天組が揃ってイオリアへと迫る。何だかんだと理由を付けているが、顔を見れば構って欲しいという感情が透けて見える……気がする。

 

「イオリア叔父さん! あのね、あのね!」

「イオリアさん、是非、私とっ!」

 

 その他にも、リネットの娘や、騎士の後輩の女性陣などがわらわらと集まって来る。実は、ここに到着した時点から、虎視眈々とイオリアの隣を狙って瞳を光らせていたのだが、互いに牽制している内に、あっさりミク達に座を奪われてしまい、「こうなりゃ形振り構ってられるかぁっ! 乙女は突撃じゃい!」と、内心通り、突撃してきたのである。

 

 イオリアが「うん?」と彼女達に意識を向ける――前に、

 

「甘いわっ! トラップ発動! 強制転移ぃいいい!!」

 

 エヴァが魔王のような威厳と言動で事前に仕掛けておいた魔法を発動する。途端、イオリア達の場所を中心に周囲三百六十度の地面が一瞬で光に埋め尽くされ、西洋魔法とベルカ式魔法のハイブリット式隠蔽型速攻強制転移魔法(エヴァオリジナル)が発動する!

 

「へっ、しまっ!?」

「おのれっ、エヴァさんめぇ! でも、たとえ私を転移させても、第二第三の私が――」

「ちょっ、あたしはただアイスを――」

「ぬっ、これしき斬魔の剣で切り裂いてって、なんだ!? いつの間にか糸がっ――」

「やぁん! 体が動かないぃ」

 

 カリナ、クラリオーネ、ヴィータ、シャマルが「やられたっ」といった悔しげな表情でエヴァに視線を向けた瞬間、彼女達は光に呑まれて何処かへと消えていった。当然、彼女達に抗えなかったものを、他の女性陣がどうにかできるわけもなく、「いやぁ!」とか「イオリアさぁ~ん!」とか、「やっぱり、魔王の壁は高かった……」などと、エヴァに悔しげな、それでいて戦慄するような表情を向けて消えていく。魔王が誰を指しているのかは言わずもがな、だ。

 

「ふぅ。事前に用意しておいてよかった。あいつらめ、チラチラとイオリアを狙う視線を向けておきながら、この私が気がつかないとでも思ったか」

「すごいです、エヴァちゃん! 流石、第一夫人!」

「本妻の本気、ここに見たり! だね!」

 

 不敵な笑みを浮かべながら、何やら香ばしいポーズを取るエヴァに、ミクとテトが称賛の言葉と拍手を送る。ちなみに、第一夫人とか、本妻というのはこの場のノリである。イオリアが彼女達につけた順位とかではない。

 

「……エヴァ。何やら、大勢が駆け寄ってきたかと思ったら、いきなり消えたんだが」

「! いや、イオリア。あいつらは私に遊んで欲しかっただけだ。だから、ちょっと撫でてやった。それだけのことだ」

「普通に、俺の名を呼んでいたと思うが……」

「気のせいだ」

「気のせいか?」

「うむ、気のせいだ」

「そうか。エヴァがそう言うなら、気のせいだな」

「うむ」

 

 満足げに頷くエヴァに、イオリアは困ったような、それでいて愛しそうな表情を浮かべる。

 

 本当のところ、イオリアは、どこぞのギャルゲー主人公のように、病的に鈍感なわけでも、肝心なところで難聴になったりもしないので、大体のところを察しているのだ。ただ、エヴァが、イオリアの前では余り“女の戦い”を見られたくないと思っていることも察しているので、鈍感を装っているのである。

 

 そして、イオリアがそう装っていることを、エヴァ自身も察している。その上で、お互いに分かっていないことにしているのだ。その方が、何となく、互いに嬉しいから。もちろん、ミクとテトも、その辺りの心情は理解の中なので、やはり同じように分かっていないことにしている。

 

 なので、互いに“分かっていながら”、意思の疎通もなく“分かっていない”ことにしているということが、何となくおかしくて、イオリア達は顔を見合わせてくすくすと笑い合うのだった。

 

「まぁ、百キロ程離れた場所に飛ばしただけだから、三十分もしない内に戻ってくるだろうが……それまでは少しゆっくりできるな」

「おや、転移では戻って来れないのですか?」

「うむ、無理だろう。こんなこともあろうかと、周囲百キロ圏内の空間を適当に乱しておいた。まともに転移はできんだろう」

「すごい……道理で、レジストするのに手間取ったわけです。あとコンマ一秒遅れていたら、私も飛ばされているところでした」

「ふふふ、そうだろう、そうだろう。空間遮断に比べれば乱すのはそう難しくはないのだが……まぁ、範囲が範囲だけに手間はかかるからな」

「なるほど。数日前から、いそいそと一人でこの草原に来ては、準備をしていたのですね。何だか、可愛らしいです」

「か、可愛いとか言うな。私はただ……………………………………………………リイン。何故、お前がここにいる。というか、何故、さっきまで私がいた場所に、当然の如く収まっているのだっ」

 

 普通に会話をしていたものの、「はて? 何やら聞き覚えがあるような」と振り返ったエヴァの視線の先には、さっきまでエヴァがいたイオリアの右隣で行儀よく正座したままお茶を淹れるリインの姿があった。

 

 リインは、ビシリと指を指して訴えるエヴァに小首を傾げつつも、イオリアにそっとお茶を差し出してから、「さっき言った通り、レジストしたからですが?」と不思議そうに答える。

 

「ぬがぁーー!! お前という奴はっ、ごく自然に廃スペックを見せつけおってぇ!」

「はい、これも私の調整をして下さったアイリス様とライドウ様のおかげです。以前なら、流石に間に合わず、他の者達と同じように飛ばされていたでしょう。流石は、イオリアのご両親です」

 

 ほっこりと微笑むリイン。全く分かっていなさそうな様子に、エヴァは地団駄を踏む。

 

 リインの言う通り、エヴァは、本日のピクニックが決まってからというもの、暇を見つけてはこっそりとこの平原にやってきて、えっちらおっちらとトラップ作成および空間乱しの仕掛けをほどこしていた。

 

 なので、幾日にも及ぶ、飢えた女達から旦那を守るための仕掛けを、あっさり凌がれたとあっては何とも穏やかではいられない。

 

 まして、凌いだ本人には悪気も嫌味もないのだから始末に負えない。

 

 結果、「うぅ」と変な唸り声をあげ始めたエヴァに、イオリアは苦笑いしながら歩み寄った。そして、柔らかく抱き締めてやると、エヴァはイオリアの胸元に顔を埋めてグリグリと擦りつける。

 

 ……やっぱり、そこに〝闇の福音〟としての威厳は皆無だった。

 

「あ~、おかぁさんがおとぉさんにぐりぐりしてるぅ~~! スーリアもぐりぐりするぅ~」

 

 母が父に甘えている姿を目撃して、スーリアが駆け込んできた。幼女にしては嫌に速い足で、そのままぴょんっと二人の元へ飛び込む。

 

 イオリアとエヴァはスッと距離を離すと、互いの間に愛娘を迎え入れた。何を言わずとも、完全に動きがシンクロしているイオリアとエヴァ夫妻は、傍から見れば十分に〝犬も食わぬ〟というやつだ。

 

 正直、誰がアプローチをかけようと、イオリアがエヴァやミク達の他に女性を受け入れることなどあるわけがないことは、その光景だけで明白なのだが……

 

「ほんと、いつまで経っても可愛いですねぇ~」

「だねぇ。だけどミクちゃん。感心ばかりもしていられないよ。ボク達も、マスターの隣を明け渡す気はないんだから」

「そうですね、テトちゃん。私達の間では問題なくても、周囲の人達に〝エヴァちゃんこそ本妻〟と認識されちゃうのは、私達の矜持に傷がつきます!」

「というわけで!」

「「マッスタ~~ッ!!」」

 

 ミクとテトはユニゾンデバイスだ。故に、エヴァのように、イオリアの子供を産んであげることはできない。だからこそ、エヴァという親友で仲間で家族でもある彼女が傍にいてくれることを、二人は心から感謝しているし、幸せだと思う。

 

 だが、それでも、たとえ大した意味はないのだとしても、周囲の人々に、後の歴史家に、〝イオリア=ルーベルスの妻はエヴァンジェリン一人である〟などと言わせるのは認められない。

 

 だってそれは、イオリアがくれた想いを無下にするものだから。妻として認知されないなど、求愛の言葉を贈ってくれたイオリアに申し訳が立たない。

 

 イオリア本人は否定するだろうが、ミクとテトにとってはそうなのだ。

 

 望まれて生まれて、求められて永遠を共にする。ならば、〝イオリア=ルーベルスの傍らに、最高の妻ミクとテトあり〟と言わしめねば、二人の矜持に傷がつく。

 

 いつも通り、気が付けば、妻まみれになっているイオリアに、ライドウとアイリスは微笑ましそうな表情。頬を擦りながら戻って来たクラウスはジト目を、オリヴィエは生温かな表情を、他の大人組は「やれやれ、またか」みたいな呆れ顔を見せている。

 

 と、そのとき、

 

「い~お~り~あ~さ~~~~んっ」

「イ~オ~リ~ア~さ~ま~!!」

 

 不意に声が聞えた。ギョッとした様子でエヴァが視線を転じれば、そこには黒い六枚翼をはためかせて超高速飛行してくるカリナの姿と、虚空瞬動の奥義・縮地无疆により空中を爆走してくるクラリオーネの姿があった。

 

 更にずっと後方からも砂煙を上げ、あるいは爆音を響かせながら何らかの手段で高速移動してくる集団――エヴァに強制転移させられた女性陣が戻ってきている姿も見える。

 

「ちょっと待てぇえええええっ! 百キロは飛ばしたんだぞ! まだ十分も経ってないのに、物理的に戻って来るやつがあるかぁああっ」

 

 流石のエヴァもツッコミを入れずにはいられない。

 

「「愛故に!!」」

「やかましいわっ」

 

 大気との摩擦熱で熱気と衝撃波を撒き散らしながら急停止したカリナとクラリオーネが、実にいい笑顔でサムズアップを決める。

 

 ちなみに、カリナの黒翼――高速移動魔法スレイプニルだが、百キロの距離を五、六分で走破できるほどの熟達を、今までカリナは見せていなかったので、リインは目を丸くしているし、未だ自分達すら習得していない虚空瞬動の奥義を普通に使っている娘に覇王と聖王夫妻はぽかんっと口を開いて唖然としている。

 

 流石は新生夜天の書の初代と、聖王と覇王の才を受け継ぎ、更には世界最強の騎士から異世界の武を学ぶ次期女王というべきか……

 

「ふっ、ふふふっ。エヴァさん、いつまでも私達をあしらえると思ったら大間違いですよ。私は、必ずこの手を届かせてみせる! 夜天の主の名にかけて!」

「この程度で私は止めれない! 私は、必ず望んだものを手に入れる! 聖王と覇王の名にかけてっ!」

「こんなことに名をかけるんじゃない! 見ろ、リインとクラウスとオリヴィエが、物凄く微妙そうな表情になっているだろうがっ。ええい、こうなったら、〝九天〟で全員まとめて氷漬けに……」

 

 不敵に笑うカリナとクラリオーネを前に、エヴァはちょっと危険すぎる魔法を放とうかと思案する。

 

 そんなエヴァ達を見て、スーリアが心配そうにイオリアを見上げた。「おかぁさん達、けんかしているの?」と。

 

 イオリアは、スーリアの頭を撫でるとゆるりと首を振る。そして、「心配ないよ」と優しい声音で声をかけると、スーリアをそっと脇に下ろし、おもむろにセレスへと呼びかけた。

 

 忠実なデバイスたるセレスは瞬時に主の意図を解し、その姿をバリトンサックスへと変える。

 

 そうして、傍らのスーリアがぱぁっと瞳を輝かせるのを横目に、スッと息を吹き込めば――

 

「ぁ」

「ふわぁ」

「むっ」

「おぉ」

 

 小さな声が無数に。それは、「待ってました!」という期待と、言葉にならない感動と、心捕らわれた幸せの証。

 

 穏やかな風がそよぐ平原に、黄金の調べが響き渡る。

 

 風と調和し、葉擦れの音さえ旋律に加え、まるで天へと上るが如く世界を駆け巡る――

 

 天上の音楽。

 

 遠くから駆け付けてきていた者達の音が明らかに弱まった。不粋な音を、自ら潜めたのだろう。

 

 そこへ、歌声が重なる。静謐な泉に、一滴の水滴が作り出す波紋のように広がる美しい声。そのためにこそ生まれた二人の、想いに想いを重ねたそれは、今このとき、この場所に集った人々への感謝と幸せを伝えるもの。

 

 世界に響く。

 

 みな、幸せであれと。

 

 世界に響く。

 

 どんな困難にも負けはしないと。

 

 世界に響く。

 

 ここに、救いをもたらす者――

 

 ベルカの騎士イオリア=ルーベルスと、彼に寄り添う者達あり、と。

 

 

 

 

 魂の旅に出た彼等が、再びこの世界に戻って来るのは数百年後のこと。

 

 より多くの力と絆を携えて。

 

 数多のイレギュラーに混沌へと落とされた世界を救うべく。

 




いかがでしたか?

リリカルなのは古代ベルカ編のあと、めでたいことにエヴァとイオリアの間には子供ができました。ということにしました。
聖王と覇王の子供達も元気いっぱいです。
新生夜天組も、ちょう元気です。
やっぱりハッピーエンドのあとは、ハッピーなアフターがいいですよね。

さて、最期にリリカルなのは現代偏の予告みたいなこと書いちゃいましたが……
まったく投稿できる未来が見えない……

書きたくはあるんですけど……
このハーメルンでは基本的に完結まで書いたものを毎日更新していましたが、そうなると本当に何年先になるんだよって感じです。
そうなると、エタるの覚悟で書け次第、随時更新の方がいいのかな。

まぁ、そのうちさりげなく何か書いていくかもしれませんが、そのときは、一緒に楽しんでもらえると嬉しいです。

それでは、ハーメルン民の皆様に、毎日いい厨二がありますように。


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リリカルなのは 現代偏
第64話 プロローグ


注意書き

・元祖主人公体質のため、対応が基本的に甘い。
・ご都合主義
・作者のやりたい放題。
・本章より転生者複数登場

前回までのあらすじ。
・斎藤伊織くん、超不幸体質→トラックでぺしゃんこ
・観測者アランに、音楽の才能とミクテトとの出会いを貰ってリリなの古代ベルカに転生。
・ゆりかごにバキュンされてハンター×ハンター世界へ
・戻ろうとしたらギュンされてネギま世界へ
・火星をテラフォーミング→真祖の吸血鬼からは逃げられない
・古代ベルカに戻る→滅亡寸前なのでさくっと救う。ついでに闇の書も救う
・ハイスクD×Dの世界に転生
・666をぶっ飛ばして、800年ほど生きる→神仏から「SHINONOME」と呼ばれる。
・龍神様と九尾のお狐様をお嫁にして転生。
・リリなの現代へ←今ここ


 その日は、少年にとって八歳となる誕生日だった。

 

 小学校の友達や先生達にもお祝いされ、気分はどんどん盛り上がった。迎えに来た、少し変わっているが優しい母に手を繋がれて、半ばスキップしながら帰宅する道中は今晩のご馳走とケーキで頭がいっぱいだった。

 

 日が落ちる頃には父親も帰ってくる。その腕には少年がおねだりした誕生日プレゼントが抱えられているはずだ。父親はきっとそわそわする少年に、まずは料理が先だと悪戯っぽい表情で焦らすのだろう。

 

 父親はお調子者の嫌いがあるのだ。子供相手でも容赦なく意地悪したり、お遊びなのに本気で息子を負かして高笑いするような人なのである。

 

 そのくせ、少年が悔しさにわんわん泣き始めると途端にオロオロとしだすのだから、少年としてもまるで年上の友人を相手にしているような感覚で何とも嫌いになれなかったりするのである。

 

 そして、そんな父息子の様子に腹を抱えてケラケラと笑うのが母親の常だった。「止めろよ!」というツッコミがダース単位で入りそうなものだが本人に治す気はないようである。

 

 それでも、最終的には夫も息子も纏めて抱き締めて、そしておいしい夕食を作ってくれるのだから、やはり嫌いにはなれない。

 

 つまるところ、色々と大人げないというか、変わり者の両親ではあるものの少年にとっては大事な大事な家族であり、普通の子供がそうするように親に対して無条件の信頼を寄せていたのである。

 

 そんなわけであるから、母親が作ってくれたデミグラスソースがたっぷりトロリとかけられた特製はなまるハンバーグや、外はカリカリ中はジュワッとくるジュシー唐揚げや、食後に出された誕生日プレート付きの特大チョコレートケーキでお腹をはち切れんばかりにした少年は幸福の絶頂であって、後はねだっていたプレゼントを父親から受け取るだけだと思っていた少年にとってそれは青天の霹靂というべきものだった。

 

「さぁさぁ、可愛い息子お待ちかねの誕生日プレゼントの時間よ!」

「はっはっはっ、動くなよ、息子よ。当たり所が悪いと何かいろんな大切なものが吹き飛んでいってしまうかもしれんからな!」

 

 夜闇を思わせる長い黒髪に蛍光灯の光を反射させながら、切れ長の瞳をニンマリと楽しげに細める母と、黒髪短髪、日焼け気味の精悍な顔でアメリカ人のような快活な笑い声を上げる父。

 

 十人中十人が美人と美丈夫と称するだろう自慢の両親の言葉。父親の言葉には首を傾げざるを得ないものの、母親の言葉は客観的に実に心躍るものだ。

 

 そう、母が巨大なハンマーを大上段に構えながら少年の前に立ちふさがり、父親が思わず後退去った少年を後ろで退路を塞ぐように陣取りながら肩を掴んで来なければ。

 

「お、おかぁあさん? おとぉさん? な、なにするの? どうしてプレゼントって言いながらそんなものを僕にむけるの? おとぉさんはどうして僕を捕まえるの? 僕、新しいゲームが欲しいって……」

 

 必死に状況を理解しようとする少年は矢継ぎ早に疑問を投げかける。

 

 しかし、その疑問に対する返答は、

 

ゴゥッ! ドギャッ!

 

「ッ――!?」

 

 風を切る豪風とフローリンングの床が粉砕される轟音だった。

 

 間一髪、何故か背筋に氷を流し込まれたような感覚を覚えて後ろに下がった少年の眼前にハラリと自身の前髪の一部が舞う。ハンマーの風圧で前髪が引きちぎられたのだ。どれだけ本気の一撃か分かるというものである。

 

「あら、流石ね。記憶は蘇っていなくても体に染み付いた“危機対応能力”は健在というわけね」

「ふむ。それもあるだろうが、培った経験の賜物でもあるんじゃないか? 一世界とは言え、神仏を相手に寄せ付けなかったほどの武力だもんな」

 

 感心したように「ふむふむ」と頷く二人。たった今、息子がただの肉塊になるような仕打ちを躊躇いなくしておいて特に何も感じていないらしい。

 

 少年は、豹変した両親に涙目を向ける。

 

「ど、どうして……おかぁさんも、おとぉさんも、ぼ、僕が嫌いになったの? 僕、悪い子だった? ご、ごめんなさ――」

「あらあら、違うのよ? 言ったでしょう? これは誕生日プレゼントだって」

「そうだぞ? 俺達がお前を嫌いになるわけないじゃないか」

「う、うそだっ。じゃあなんでおかぁさんはハンマーをかまえてるの! どうしておとぉさんは僕をつかまえるのさ!」

 

 混乱しながらイヤイヤと首を振る少年。既に状況は詰みであり、その目には両親が自分を殺そうとしているようにしか見えなかった。もう少し、少年の精神年齢が高ければ両親の瞳に憎しみも嫌悪の色もないことに気がついただろう。そして、その言葉の不自然さを問い詰めることも……いや、無理かもしれない。

 

 遂に瞳のダムは決壊し、少年は悲しみと混乱でホロホロと涙をこぼし始めた。

 

――朝からずっと楽しいこと嬉しいことばかりだったというのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう……

 

 少年の胸中にまるであらゆる食料をぶち込んだミキサーの中身のようだった。

 

 そんな少年に、両親二人は、

 

「どうしてって……もう、さっきから言ってるでしょう?」

「そうだ。俺達は、これが最高のプレゼントだと確信してるぞ。だからそんなに泣くなよ」

 

 両親二人は顔を見合わせ困ったように眉を八の字にしながらもそんな訳の分からないことを言う。そして、母親はハンマーを振り上げ、父親は少年を突き出すようにしてその身を拘束した。

 

「それじゃあ、行くわよ」

「な~に、痛いのも最初の内だけさ!」

 

 少年の表情に絶望が過る。

 

 ハンマーの振り下ろされる光景がやけにゆっくりに見えた。遅くなった世界で、両親が己の名を呼ぶ声が聞こえる。

 

「「さぁ、思い出(せ)しなさい。――伊織!」」

 

 直後、少年――伊織の視界は飛び散る星で埋め尽くされた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「……変ね。中々、目を覚まさないわよ」

「……だな。っていうか少しずつ心音が弱まっていっているような……」

 

 頭部に漫画のような特大のたんこぶを作って床に突っ伏す伊織と呼ばれた八歳の少年。

 

 その眼前で顔を見合わせる男女。女の手にはこれまた漫画に出てくる“ピコピコハンマー”のようなものが未だに握られている。もっとも、何の冗談かハンマーのヘッド部分には“100tはんまぁ~”などと書かれており、実際にフローリングが軋んでいることからすれば相当な重量があると察せられる。

 

「おい。これちょっと不味くないか? 三月(みつき)、お前のそれ、調整を間違えたんじゃないだろうな?」

「ちょっと、なに人のせいにしてるのよ。魂の強大さに肉体がついてこられるように、生まれたときから伊織の体を調整していたのは白兎(はくと)の方でしょう? あなたこそ何かミスったんじゃないの?」

「おいおい。冗談キツイぞ。それならお前だって気が付くはずだろうが。うん、やっぱりきっと三月がミスったに違いない」

「私、失敗しないので」

「お前、それが言いたかっただけって……あれ? 伊織の心音、止まってない?」

「……」

 

 ピクリとも動かない息子を前に責任の擦り付けあいをしていた父親――北条白兎と、母親――北条三月は思わず顔を見合わせる。

 

 そして、ツーと冷や汗を一筋流し一拍。

 

「い、伊織ィーー! 死ぬなぁ! 目を覚せ、我が息子よぉ!」

「起きなさい、伊織! うっかりで息子殺しとか有り得ないから! お願い、起きてぇ!」

 

 悲鳴じみた声を上げながら伊織の小さな体をガックンガックンと揺らす白兎と三月。その表情は「やべぇ、マジで洒落にならんっ」と隠し様のない焦燥感が溢れ出ている。

 

 だが、二人が必死に呼びかけても白目を剥いた伊織は一向に目を覚まさない。

 

 焦れた三月は、何やら追い詰められた表情で一歩下がると再びミシリとフローリングを軋ませながらハンマーを担いだ。

 

「こここここ、こうなったらもう一度衝撃をっ。母からの愛の一撃でぇ!」

「まてぇぇい! 止めの一撃になったらどうする気だっ。壊れた家電を直すのとはわけが違うんだぞ!」

「そんなの今更でしょう! 別にハンマーを使う必要はなかったのに、その方が面白いからって理由で“殴って覚醒☆”を言い出したのはあなたじゃない!」

「喜々としてハンマーを用意したのは誰だよ! お前だってノリノリだったじゃねぇか!」

「うるさい、うるさい、うるさいっ! 私は悪くない! 私は悪くない! 悪いのはアラン先生なんだっ」

「お、おま、こんな時にネタに走るなよっ」

 

 ギャーギャーと喚きながらハンマーを息子に振り下ろそうとする母親と、それを必死に止めようとする父親。伊織の八歳の誕生日はまさにカオス状態だった。

 

 伊織の心音が止まってから既に二、三分は経っている。いい加減、焦りが頂点に達した三月は、見事なフェイントで白兎の制止を振り切ると轟風を吹かせながら遂にハンマーを振り下ろした。

 

「母の愛を受けて目覚めさない! 伊織ぃ!」

 

 後ろで「あぁ、伊織の今世オワタ」と目元を手で覆ってしまった白兎を尻目に、三月の愛と焦燥のたっぷり詰め込まれた絶叫が響いた。

 

 返ってくることのないはずのその雄叫びに、しかし、不意に言葉が返ってきた。

 

「いや、重過ぎるだろう、その愛は」

 

 途端、風に舞う木の葉の如く、ハンマーの軌道がふわりと変更させられる。

 

 ドギャッと再びフローリングを破壊する音を響かせながらめり込んだハンマー。着弾先には潰れたトマトのような有様は当然なく、あるのは少年らしい小さな片手を突き出した伊織の姿。

 

「さて、察するに二人は俺に害をなそうとしたわけではなく、どういうわけか俺のことを知っていて記憶を取り戻させようとしてくれたようだが……これまた察するに、そんなものでぶん殴る必要性はなかったんじゃないかな? どうだろう、今世の母さんと父さん?」

 

 ゆらりと立ち上がりながらにこやかな笑みを湛える伊織。しかし、その瞳にはまるで感情が見えず、底知れぬ威圧感が醸し出されている。

 

 自然、一歩後退る三月と白兎。さっきとは違う意味で冷や汗が流れる。

 

「お、落ち着いて、私の可愛い伊織。これはね、仕方のないことだったのよ。ね、ねぇ、あなた」

「お、俺に振るのかっ。いや、えっと、あ、ああそうだぞ、伊織。これがベストな方法だったんだ」

「……ふむ。“殴って覚醒☆”」

 

 八歳の子供、それも息子相手に必死の誤魔化しを図る大人二人。それを聞いた伊織は一つ頷くとポツリとそんなことを言った。二人はビクリと震える。「まさか聞いていたのかっ」と、その表情を引き攣らせる。

 

「……ノリノリでハンマーを用意した、か」

「あ、あのね。お母さんはね、その息子に喜んで欲しかっただけなのよ? だって、普通に起こすより、何ていうの? こう、風情があるじゃない?」

「そ、そうだ。転生する度にニ○ニ○動画を作って世界を席巻するお前のことだからな。ただ起こすというのも趣がないだろう。父と母からの粋な演出というやつだ」

 

 あれこれと弁明ならぬ誤魔化しが宙にふわりふわりと飛ばされる。

 

 それらを聞いた伊織の結論は……

 

「よく分かったよ。俺の為にありがとう。それじゃあ、俺からもお礼をしないとな」

 

 振りかぶられる小さな拳。しかし、そこ収束しているオーラは洒落にならない。

 

「「っ――ま、まって」」

 

 静止の声も虚しく、住宅街の一角にゴチンッとそれはもう痛そうな音が響き渡った。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「今回は割と短かったですね。十年くらいしか経っていませんよ」

「ふむ。大方、三回目の転生でまた伊織の魂が強化された結果ではないか?」

「有り得るね。マスターのオーラも魔力もまた総量が跳ね上がってるし」

「質も更に向上しておるしの」

「ケケケ、今世デモHOUJOUトカ呼バレンジャネェカ?」

 

 竹林の細道を歩きながら複数の男女が言葉を交わす。最初の声の主はミク、次いでエヴァとテト、九重、そしてチャチャゼロである。

 

「魂だけの異世界転生……魂が強化されれば多少無茶な世界越えも可能ってところかな。それが転生期間の短縮に繋がっているのかもしれない。相変わらず、どういう経路で転生しているのかは分からないが」

 

 十五歳くらいの少年姿に転じた伊織がミク達の推測を補強する。黒髪茶目、堀の浅い顔という純日本人顔の少々目つきが鋭い風貌だ。もっとも、瞳の奥に湛える深森の奥地にある秘された泉の如き静謐さや、そこから感じられる深い理性、そして意志の輝きが、見た目と相反する大人を感じさせる。

 

 そんな伊織は、両親二人にお仕置きがてらの拳骨をかました後、さっそく【魂の宝物庫】から【ダイオラマ魔法球】を取り出し最愛の家族達へと会いに行った。

 

 そうして、ひとしきり再会を喜びあった後、現実世界へと戻るためにゲートのある竹林の広場へ向かっている最中というわけだ。

 

 ちなみに、八歳の伊織が少年に変化したのはミクの神器【如意羽衣】や西洋魔法に連なる秘薬【年齢詐称薬】などが原因ではない。完全な自前の術である。

 

――闘戦勝仏直伝仙術 転身の法

 

 ハイスクールD×Dの世界で闘戦勝仏孫悟空に師事した際、直々に伝授された数多の術技の一つだ。八歳の体ではどうにも動き難かったのでとった一時的な措置である。

 

「何でもいい。きちんと生まれ直した伊織に会えた。我はそれだけで嬉しい」

「蓮……」

「伊織……一万年と二千年前から愛してる」

「うん。感動をぶち壊してくれてありがとう。多めに換算しても出会ったのは八百年と少し前だけど、お前の変わらない残念ぶり、俺も愛しているよ」

「照れる……伊織は生まれ変わっても女たらし」

 

 両頬を小さな手で挟みながらイヤンイヤンと身をくねらせる愛らしい龍神様に、伊織は生暖かい眼差しを送った。

 

 再会を祝ってくれているのか、蓮は大好きな白ジャージ姿ではなくエヴァお手製の豪奢なゴスロリ姿であり、艶やかな黒髪と芸術品の如き幼い美貌と相まって何とも可愛らしいのだが……中身は半分ネタで出来ていることを思うとやはり“残念”という感想しか出てこない。

 

「それにしてもお前の今世の両親……いったい何者なのだ?」

 

 伊織と同じく蓮に生暖かい視線を送っていたエヴァが真面目な表情になって首を捻る。それに同じく、ミク達も瞳に真剣さを宿して、今までにない事態に思考を巡らせつつ口を開いた。

 

「確かに気になりますね。マスターの事情を知っているなんて……」

「伊織よ。確かにこの世界はお主の知らぬ“日本”なのじゃな?」

「ああ。それは間違いない。俺の八年分の記憶も、少しサーチャーを飛ばして周辺を探ってみた感じでも、ここが俺達の知っている“日本”でないことは確かだ。そして両親もまた、今日この日まで普通の人達だった……まぁ、子供相手に本気だしたり、泣く息子を見て爆笑したり、おふざけが過ぎる嫌いはあったが」

 

 苦笑いする伊織。視線が宙を彷徨い、この八年間の両親との思い出を脳裏に巡らせる。そんな伊織に、テトが失笑しつつ確認するように尋ねた。

 

「あはは、殴って記憶を取り戻そうって発想が既に普通とは言い難いよね。……でも、マスター。悪い人達じゃないんだよね?」

「それは間違いない。父さんも母さんも、確かに俺の両親だし愛情を注いでくれている。悪意の欠片も感じられない。伊達に何百年も生きちゃいないんだ。その辺りは大丈夫だと断言するよ」

 

 伊織は確信に満ちた声音で断言した。この場にいる者で伊織の言葉を信じないものはいない。故に、予想外の事態ではあるもののミク達は皆、肩から力を抜いた。

 

「まぁ、何にせよ、別荘から出るころには父さんと母さんも目を覚ましているだろうし、時間はたっぷりあるんだから、ゆっくり話を聞けばいいさ。この世界での俺達の家族なんだから」

 

 伊織の言葉にミク達は今世の家族に想いを馳せつつ、前世での東雲家のように絆を育めればいいなぁと少しのドキドキを感じながら頷いた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 部屋の中に光が溢れる。それはリビングに置かれた魔法球の前に描かれた魔法陣の輝き。伊織達の現実への帰還を知らせる光だ。

 

 そうして、数秒の光の後、一斉に魔法球の外へと戻ってきた伊織を待ち構えていたのは……

 

「伊織、俺と一緒に人類の新たな歴史を作らないか?」

 

 リビングのテーブルで、何故かサングラスを着用し、いわゆるゲン○ウスタイルで肘をついて両手で口元を隠す父親の姿だった。

 

 それに対し伊織はというと、

 

「その前に、お前の歴史を終わらせてやろうか」

 

 見事なジト目と冷めた声音で返した。スタイルはそのままに、白兎のこめかみからツーと冷や汗が落ちる。

 

「んまっ、お父さんに向かってなんて口を……あなた、息子が早くも反抗期よ!」

 

 よよよっと泣き崩れる三月。まだ遊ぶ気のようだ。

 

「伊織、お母さんを泣かせるなんて……お前には失望した」

「そのセリフが言いたかっただけだろう」

 

 伊織のこめかみピクつく。にわかに拳へオーラが集まり出した。全ての生を合わせれば千年近く生きている伊織だが、転生直後の茶番の連続で少々気が立ち始めているようだ。ある意味、成熟した精神をもつ伊織を相手に即行でささくれ立たせるなど只者ではない。

 

「あ、あはは……これは想像以上に愉快なご両親のようですね」

「もしかして僕達が戻ってくるまでずっとあの姿勢で待ってたのかな?」

「だとしたら、ある意味凄い芸人根性じゃの」

「むぅ、出来る。サングラスも髭もっパないクオリティ。流石、伊織の親」

「変なところで感心するな、蓮。それと落ち着け伊織」

 

 ミク達が伊織の今世の両親を見てそれぞれの反応を見せた。ほとんどは引き攣るか乾いた笑みを浮かべていたが。

 

 伊織は、何とか精神を鎮めると白兎から付け髭とサングラスを毟り取り、未だに嘘泣きをしている三月を鋼糸でマリオネットのように動かして強制的に椅子へと座らせた。

 

「全く、ノリが悪いぞ伊織。父さんは伊織をそんな子に育てた覚えはないんだがなぁ」

「あの頃の可愛い伊織はどこに行ったのかしら……そう、あの十年前の可愛い私の伊織は」

「まだ生まれて八年しか経ってないんだが? 父さんも母さんもそろそろOHANASIしようか」

 

 伊織の笑顔が怖い。光源の位置的に有り得ないのに、目元に影が出来ている。白兎と三月は即座に居住まいを正した。見事な引き際だ。

 

「では、まずは挨拶を。今世における伊織の父親、名を北條白兎という。シロウサギと書いてハクトだ」

「私は母親の三月。サンガツと書いてミツキよ。初めまして、伊織の可愛いお嫁さん達。私のことはお義母さんでいいわよ?」

 

 二人の挨拶にミク達も座席につきながら自己紹介をしながら挨拶をした。

 

 そして、全員の挨拶が終わった後、伊織が核心に入る。

 

「それで、父さんと母さんはいったい、何者なんだ? 何故、俺が転生者であることを知っているんだ? そして俺の記憶を蘇らせたあれは……ふざけた道具ではあったけどあれは確かに魂へ干渉する道具だった。普通の人が持ち得ない秘宝級の道具だ」

「うん、当然の疑問だな。その疑問へのもっとも簡潔な答えをするならこう名乗るべきだろう。俺と三月は……“観測者”である、と」

「っ、観測者……」

 

 それはとても聞き覚えのあると同時に、とても懐かしい存在の名称だった。伊織の記憶は魂に直接刻まれるが故に色褪せることがない。たとえ千年近い昔の、ほんの一時のことであっても鮮明に覚えている。まして、その名を名乗った存在は伊織にとって最大の恩人なのだ。

 

「では、俺を知っていたのは……アランさんから?」

「……いや、彼じゃない。彼と親しくしていた他の仲間だ。俺達は友人だからな」

 

 どうやら二人はアランの友人らしい。伊織は、なぜ友人なのに直接アランから話を聞かなかったのか少し疑問に思ったものの、思わぬところで恩人との繋がりを得て胸の内に込み上げるものを感じた。

 

「もっとも、私達は現世へと降りた存在だから元観測者というべきね。人間として受肉したことが原因で力の大半は失ったわ。あの道具も、せいぜい“魂を揺さぶる”程度のものだし、一回こっきりの使い捨てよ」

 

 三月が補足する。

 

 過去にアランから聞いた話では、観測者という存在は本来現世への干渉が禁じられた存在だ。それがこうして現世に降り立ったのだから、当然に代償は必要だったのだろう。

 

 だが、そうだとすれば当然気になるのは、そんな代償を払ってまで現世に降りた理由だ。

 

「どうして、アランさんの友人であり観測者でもあった父さんと母さんが現世にいて、しかも俺の今世の両親になっているんだ? 偶然ではないんだろう?」

「ああ、もちろん偶然ではない。転生途中のお前の魂を導いて三月のお腹の中の未だ魂を持たない赤子に定着させたのは俺達だ」

 

 白兎はそこで一端言葉を切ると長い話になると前置きをして、伊織が最初に転生した後の話を始めた。

 

 それによると、こういうことらしい。

 

 伊織がアランによって魂の干渉を受け転生した後、アランはその罪を問われて観測者の統治組織に拘束、存在の凍結という幽閉状態にされることになった。その刑期は千年。最初から覚悟の上だったらしい。

 

 しかし、そのアランの幽閉をきっかけに少しずつ観測者達の間で変化が起きた。

 

 それは現世への干渉に興味を持つ者達が少しずつ増え始めたというものだ。

 

 元々、幽閉を覚悟で伊織の魂に干渉したアランだが、その根本は償いと是正だった。すなわち、同族による現世への干渉により伊織が不幸体質となって命を散らしたことへの償いと、その同族の処分である。

 

 これにより単に伊織を助けただけなく、不要な干渉には相応の罰が下るということを、自ら処分した同族の末路と自身の幽閉を以て観測者達に示そうとしたわけである。

 

 だが、事態はアランの予想外の方向へと転がっていった。それは、先の同族が伊織から奪った幸運を分け与えた人間や、伊織自身が、ある種、進化の果てに行き着いたが故に停滞の海を漂っていた彼等を刺激してしまったというものだ。

 

 つまり、観測者の干渉を受けた伊織達の生き方が彼等の精神を揺さぶるほどに鮮烈だったのだ。

 

 かつてアランは言った。自分は伊織の魂の輝きに魅せられたのだと。アランは、そんな自分と同じく他の者達が惹かれることについて甘く見てしまったのだ。自分達の末路だけで抑えられると思ってしまった。

 

 観測者達の中にはその力の大きさ故に現世への干渉を取り締まる集団がいるし、アランにそうしたように幽閉する場所も方法もある。それ故に、数百年くらいは、観測の動きが大きくなったくらいで問題にはならなかった。

 

 だが、燻る火がやがて大きな火災になるように、観測者達の間で世界や魂への干渉に対する興味が大きくなっていった。同時に、取り締まりの網を掻い潜って干渉を行う為の集団が水面下で動き始めたのだ。

 

 その結果は言わずもがな。魂に干渉を受けた転生者が一人、また一人と増えていった。彼等は、よくも悪くも鮮烈な生き方をした。それが更に観測者達の興味を煽っていった。

 

 その動きは次第に大きなうねりとなっていき、遂には観測者達の間に大きな派閥が生まれるほどになった。すなわち、干渉肯定派と干渉否定派だ。

 

 肯定派の動きはどんどんエスカレートしていった。もっと面白い人生を見せて欲しい。自分達が干渉した人間が世界をどんな風にかき回すのかもっと見せて欲しい。ある意味観測者らしいと言えばらしい想いから。

 

 当然、取り締まりも激化した。過度な干渉は世界への影響が強すぎる。実際、転生者の数も、与えられる力の大きさも加速疎的に増大していき、いくつかの世界は転生者同士の争いで凄まじい犠牲者が出てしまったのだ。

 

「今現在も、否定派の勢力が肯定派を止めようと動いている。だが、奴等は巧みでな。中々捕まえられないし、気が付けば転生者を作り出している」

「全く、何が『我々は上位の存在であり、世界に干渉する権利がある』よ。やっていることは人の人生を弄んで、それを傍から見て高笑いしている悪趣味以外のなにものでもないっていうのにね」

 

 二人の話を聞いて、伊織の表情に苦さが浮かんだ。それは、アランが長きに渡り幽閉されていた理由の一端が自分にあること、あの出来事がきっかけで大きな問題が生み出されたことへの忸怩たる思いからだった。

 

「……すまない。そんな表情をさせるために話したわけではないんだ、伊織」

「父さん……」

「そうよ。むしろ、これはアランの見込みが甘かったことが原因と言えるし、転生者の起こした問題なんて、それこそ伊織には関係のない話よ」

 

 白兎も三月も真剣な、これ以上ないほど誠実な表情で訴えた。伊織はしばらくそんな二人と見つめ合うと大きく深呼吸をしながら気を取り直した。

 

「ありがとう、父さん、母さん。ここで自分を責めるのは誰が望むことでもない。アランさんの厚意があったからこそ、今の俺がいる。俺は転生者だが、誰に恥じることもない人生を送ってきたと自負しているし、それはこれからも変わらない。あの時、アランさんの干渉を受けなければなんて、たとえ一瞬でも思っていいことじゃなかった」

 

 伊織はそういうと、傍らのミク達に少しの申し訳なさ宿した眼差しを向けた。後悔は、彼女達との出会いすら否定することに繋がる。一瞬でもそんな考えを持ってしまったことへの謝罪だ。

 

 そんな伊織に、ミク達はしょうがないなぁといった表情で肩を竦めた。

 

「ふふ、皆が皆、伊織のようであれば問題もなかったのかもしれないわね」

 

 三月が微笑ましげに伊織達を見つめてそんなことを言った。白兎も同感だというように綻んだ表情で頷く。そんな二人へ、伊織は改めて向き直り事情説明の続きを促す質問をした。

 

「母さん、父さん。わざわざ二人が人間となって俺をこの世界に導いたのは……この世界に他の転生者がいるからかな?」

「その通りだ。肯定派の連中は我々同族でどうにかする。だが、現世への干渉を否定する我々が、既に現世へ転生した者達に干渉することは極めて難しい。どんな理由であれ、それでは否定派の主張は霞んでしまう。そうなっては、ますます肯定派が勢いづくだろう」

「だから、観測者には観測者を。転生者には転生者を、というわけか」

 

 伊織の結論に白兎と三月は頷いた。

 

「私達否定派の者達が知る限り、もっとも強く、もっとも信頼できるのは伊織、あなただった」

「アランの刑期は間もなく終わる。彼は、俺達観測者の中でも一際大きな存在だったから、出てくれば事態も大きく変わるだろう。だが、それにはまだ数十年の年月がいる。それまで手をこまねいているわけにはいかない。特に、この世界は異常なほど転生者が多いんだ。放っておけば最悪の事態も考えられる」

 

 伊織は、真剣な表情で事情を語る二人に向けて掌を突き出した。それは、もう聞くべきことは聞いたが故に多くの言葉は不要という合図。

 

 だから伊織は、穏やかに、されど鋼鉄よりも尚強靭な意志を宿らせた瞳を真っ直ぐに向けて口を開いた。

 

「言ってくれ、父さん、母さん。俺に何を求めてる? その言葉だけでもう十分だから」

 

 白兎と三月は互いに顔を見合わせると、どこか「あぁ、これが伊織か」と改めて何かを実感したような表情で頷き合い、そしてそれを言葉にした。

 

「「力を貸して欲しい」」

 

 対する伊織の答えは遥か昔から決まっている。

 

「もちろんだ。この魂にかけて全力を尽くそう」

 

 伊織の傍に侍る愛しい家族も、共に頷いた。部屋の中に、温かく、それでいて力強い空気が満ちる。

 

「そうか。頷いてくれると予想はしていたが、実際に躊躇いなく頷かれると嬉しいものだな」

「そうね。いつ、この世界が転生者達の騒動で壊されるかって戦々恐々としていたから、何だかホッとしたわ。……最悪の事態が起きても、私達にも、もうそれを止めるだけの力はないし、伊織は一向に記憶を取り戻す気配がないし……」

 

 三月の心底安堵したような表情と言葉に、伊織は、「そう言えば、転生期間は十年程度だったのに、八歳になっても記憶を取り戻さなかったな」と不思議な現象に首を傾げた。

 

 先に推測した通り、伊織の魂が転生によって昇華され、世界の壁を越える力を増し、転生期間が短くなってきているのだとしても、それだけ力を持ちながら記憶を直ぐに取り戻せなかったのは些か疑問だ。

 

 その疑問を漏らした伊織に、答えをもたらしたのは三月達だった。

 

「単純に、魂の強大さに幼子の肉体がついてこられなかっただけよ。私達も自然に目覚める方がいいと思って待ってはいたのだけど……流石にもう時期的にも待てなくてね。強攻策を取らせてもらったのよ」

「赤ん坊の時から、少しずつ魂と肉体が上手くバランスを取れるように調整はしていたんだが……この人間の身では出来ることにも限界があってなぁ」

 

 三月と白兎によれば、二人とも大半の力を失ったとは言え、少しは特殊な力を行使できるらしかった。三月の方は「揺さぶる程度の能力」を、白兎の方は「調和させる程度の能力」を少しだけ使えるらしい。ネーミングが某幻想郷風なのはスルーだ。

 

 これにより、白兎は赤ん坊の伊織の魂と肉体が上手く適合するように調整を続け、それでも記憶を取り戻さない伊織に、三月の方が適当な材料で作ったハンマーに能力を付与して魂に揺さぶりをかけたということらしい。ちなみに、ハンマーに付与する必要は全くなかったりする。

 

 伊織達は、白兎達からその辺りの事情を聞いて「なるほど」と納得顔を見せた。ハンマーやネーミングについては当然、蓮を除いて誰も納得などしていないが。

 

 そして、納得すると同時に三月の言葉に新たな疑問を抱く。そう、「時期的に待てない」という言葉だ。しかし、その疑問を口に出す前に、三月から答えが間接的にもたらされた。

 

「それじゃあ、さっそく欲望と闘争と運命が渦巻くあの街へお引越ししましょうか」

「あの街……そう言えば、ここがどういう世界なのか聞いてなかったな。父さん、母さん。ここはどこなんだ? 俺の知識にある世界かな?」

 

 伊織の疑問に、二人はニンマリと面白がるような表情を浮かべた。目を瞬かせる伊織達を前に二人は答えを伝える。

 

「「引越し先は――海鳴市だ(よ)!!」」

 

 それを聞いた伊織は大きく目を見開き、

 

「なん……だと……」

 

 思わず、そんな言葉を呟いた。

 

 千年近く生きても劣化しない魂。それは伊織のオタク魂も同じ。それを感じ取って、白兎と三月、ついでに蓮は更にニンマリと笑みを浮かべるのだった。




いかがでしたか?

結局、時間を見つけてちょくちょく書き、書け次第随時更新という方針で行くことにしました。
完成してからの毎日更新が、本当はいいですけどね。読んでくれる人達にも、ストレスためずにすみますし。
しかし、やはり完成が何年後になるかわからない状況なので、随時更新で行きます。

なので、不定期更新なうえ、なろうのオリジナル作品の執筆もあるので、エタる可能性も大であるという点は、許していただけると助かります。

それでは、ハーメルン民のみなさま、またよろしくお願いします。



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第65話 海鳴へ

ちょっと思い出しながら書いてたら説明回みたいになってしまった。
重ねた書くのにリハが必要かも。


 

 心地良い風が開け放った車の窓から流れ込んでくる。メーカーの宣伝通りの快適な走行を見せている大型ワゴンは、更に心地良い振動まで伝えてくれる。いっそ運転手への居眠り運転を誘発しているのではないかと疑ってしまいそうだ。

 

 そんな気持ちのいいドライブを楽しんでいるのは伊織達だ。運転は父親である白兎、助手席には母親の三月とその頭の上にチャチャゼロ。後ろの席に伊織、ミク、テト、更にその後ろにエヴァ、九重がいる。

 

 ちなみに、我等の龍神様は、直ぐにちょこまかと落ち着きなく動き回る幼稚園児の如く、あちこち座席を移動するので指定席はない。少し前までは九重のモフモフ九尾に埋もれていたのだが、現在は伊織の膝の上に腹這いになりながら足をパタパタさせつつP○Pでドラゴン狩りをしていらっしゃる。

 

「ふっ、ドラゴンなどたわい無い。所詮はただのデカイトカゲよ……」

「いや、お前もドラゴンだからな? むしろ、いろんな技とか覚えて鍛錬までした今のお前ならグレートレッドとだって普通にやりあえるんだから、ドラゴンの中のドラゴンっていえる存在だからな?」

 

 自分のアイデンティティーを丸っと無視する龍神。伊織のツッコミが炸裂するが龍神様は古代龍を狩るのに夢中だ。

 

「伊織、蓮のことは置いておけ。それより、結局のところどういう方針で行くのだ?」

「うむ。昨日の今日でいきなり引越しじゃからのぅ。朝からドタバタしてその辺りははっきりしとらん。転生者への対応、“原作”とやらへのスタンス。そして、伊織がこの世界に残したものへの在り方……父上殿達の頼みを引き受けるのはよいが問題は山積みじゃろう?」

 

 エヴァが後部座席から身を乗り出しつつ伊織に尋ねる。合わせて九重も扇子をパシパシと手で弄びながら尋ねた。

 

 エヴァはフリルのついた白のキャミソールにハーフパンツといったラフな姿だ。季節が春時ということもあって、涼しげで可愛らしさに溢れたその格好は彼女によく似合っている。鋭さを孕んだ眼差しとのギャップがエヴァの魅力を何倍にも押し上げていた。

 

 九重の方は着物を基調とした上着とミニスカートといった姿。着崩した和服からはたわわに実った双丘が今にもこぼれ落ちそうになっており、スカートから覗くむっちりした脚線は実にエロティクだ。その美貌と相まって“妖艶”という言葉がピタリと当てはまる。

 

 二人共、キラキラと煌く美しい金糸の髪だ。エヴァの方が少し白金に近いかもしれない。そんな二人が並んでいれば傾国の美人姉妹と言っても疑う者はいないだろう。老若男女を問わず視線を奪われることは必至だ。

 

 事実、自動車が停車した際、隣のレーンに並んだ運転手が、窓から見えた二人の姿に二度見、三度見をした後、陶然としたままメデューサに睨まれ石化した犠牲者の如く動きを止めて、盛大にクラクションの嵐に晒されるという事態が何度も発生していたりする。

 

 そんな魅力全開の二人の質問に、伊織は特に悩む様子も見せずあっさりと答えた。

 

「うん? そんなことはないぞ? 全くもっていつも通りだ。世界がどうとか、状況がどうだとか、そんなことで俺のスタンスも、やることも変わったりはしない」

 

 その言葉に、白兎と三月が「ほぅ?」と興味深げにバックミラー越しの視線を向ける。

 

 九重が改めてその真意を問うた。

 

「いつも通りとな? して、具体的にはどうすると?」

「うん。溢れかえる転生者達に対しては、基本はそのままだ。たとえ世界へ及ぼす影響が大きかろうと、干渉否定派の観測者達にとって好ましくなかろうと、この世に生を受けた以上、彼等には自由に生きる権利がある」

 

 白兎と三月の表情に変化はない。夕べ、溢れる転生者対策に協力したと言ったはずなのにそれを撤回するような発言をしているのだ。反論の一つや二つありそうなものだが静かに伊織の言葉に耳を傾けている。

 

 それに、伊織は少し微笑みつつ言葉を重ねた。

 

「もっとも、余りに非道が過ぎれば諭すし、言って分からなければ拳骨の一つや二つ落とす。起こしてしまった望まない事態への対応も協力しよう。転生者の多くは若くして生まれ変わった者も多いだろう。いきなり与えられた大きな力と、創作の世界への生まれ変わりなんて特異な状況になれば暴走はしてしまうものだろうから、それを諭してやるのは多少長く生きた俺みたいな奴の努めだろう」

「……まぁ、お前が甘い男だというのは今に始まったことではないがな。それで、いつも通りということは……既に堕ちた者に対しては、ケリをつけるということだな?」

 

 しょうがない男を見るような、それでも誇らしさも含むような眼差しを向けるエヴァが、確認する。

 

 伊織は決然と頷いた。

 

「ああ。不幸を撒き散らすことを止めようとしないなら、そのことに快楽しか感じないというのなら、俺はその者の生存を否定しよう。その者が更生するかもしれない未来よりも、その者を排除することで誰かが確実に傷つかない未来を選択しよう」

「つまりいつも通りということですね、マスター」

「人の心を失った化け物……ボク達が手を下す相手。確かにいつも通りだね」

 

 ミクとテトが遥か昔、ベルカの地に生まれた時からやって来たことを確認するように口にした。

 

 静かに頷く伊織の眼差しはとても静かで、それ故に揺るがぬ心を示しているようだった。

 

 変わらぬ伊織の在り方――それを聞いて九重も納得したように頷く。そして、溢れる転生者を場合によっては見逃すという伊織の発言を元干渉否定派観測者である二人はどう思っているのかと視線を運転席と助手席に向けた。

 

 バックミラー越しに重なる視線。九重はホッとしたように息を吐いた。静かに伊織の話を聞いていた白兎と三月が穏やかに微笑んでいたからだ。その表情から、二人が伊織の方針に賛同してくれていることがよく分かる。

 

 それを示すように白兎が口を開いた。

 

「やはり伊織を選んで正解だったな。問答無用に全ての転生者を排除するなんて言われたらどうしようかと少し思っていたんだが、全くの杞憂だったようだ」

「そうね。私達の望まない転生ではあっても、彼等は肯定派の身勝手さの被害者とも言えるのだもの。頑張って生きている命を、こっちの都合で消してしまうなんて……それこそ身勝手極まりない話だわ。だから、伊織のスタンスは大いに歓迎よ」

「ありがとう。父さん。母さん。俺も、二人が問答無用にリセットしろなんて言うような人でなくて良かったと思っているよ。そんなことになったら、俺の最初の説得相手は父さんと母さんになるところだった」

 

 微笑みを返す伊織に、白兎が確認をする。

 

「それで、伊織。転生者へのスタンスは分かったが、原作に対してはどうする気だ? 介入するか? それとも見守るか? 原作派と改変派というのにも分けられると思うが……」

「とは言っても、既に原作から相当乖離しているよ。闇の書事件は既に元凶が存在しないし、ベルカの滅びていない世界で管理局がどういった立場や勢力を持っているのかも不明だ。そうなるとスカリエッティの存在も不確かだし、連鎖してプロジェクトFも行われているのか分からないからプレシア達の状況も分からない」

 

 伊織が言葉を切ると、ミクが首を傾げながら白兎達に質問の声を上げる。

 

「確か、パパさんとママさんは観察者としての力を失っているから次元世界の状況は知らないんですよね?」

「そうなのよ、ミクちゃん。一応、海鳴市や原作関係者については、現実的な手段で調べられるだけ調べはしたのだけどね。流石に、次元世界のこととなるとお手上げだわ。だから、伊織が言ったこと以外にも転生者によって既に何かしらの手が入っている可能性も否定できないわね。あるいはアリシアも亡くなっていないなんて可能性もあるわけだし……」

「ふむ。そう考えると原作だのなんだの考えるだけ無駄ではないか。……あぁ、だからいつも通りなわけだな、伊織?」

 

 ようやく伊織の言葉の真意を掴み取ったエヴァが確認するように話を振った。それに伊織は頷きつつ考えを口にする。

 

「そういうことだ。自分達で今の次元世界がどうなっているのかは調べていく必要があるだろうけど……わからないならいつも通りでいい。そもそも、原作だとか原作でないとか、転生者とかそうでないとか、原作登場人物であるとかないとか……そんなことはどうでもいいんだ。何があっても俺がやることは変わらない。いつも通り、“救いを求める者へ救いの手を”ってわけだよ」

 

 伊織はそこで視線を車内に巡らせた。伊織の在り方を肯定して世界まで飛び越えてついて来くれた最愛の家族達に。当然、真っ直ぐに見返して頷きと共に“これからもついて行く”という想いを返すミク達。何となく、車内に甘い空気が流れる。

 

 が、白兎と三月がバックミラー越しニマニマしているのに気がついて、伊織はわざとらしく咳払いをして気を取り直すとまとめに入った。

 

「とにかく、まずは世界の状況を知ることだ」

「なのはちゃんとかどうなってるでしょうね? やっぱり転生者に群がれているんでしょうか? あるいは主人公体質の子に守られてポッしちゃってるんでしょうか?」

「原作までは後一年。普通に考えれば、テンプレで孤独な幼少期を過ごしているなのはちゃんの心を誰かが救っていて、高町士郎の怪我も直して、高町家と家族ぐるみの付き合いを~みたいな展開になってると思うけどね。あとは、アリサちゃんやすずかちゃんなんかと踏み台系に追いかけられているとか、そんな感じかな? ボクの、っていうかマスターの記憶だと一年生の頃にはアリサちゃん達と友達になっていたはずだし」

 

 やはり何だかんで原作主人公である高町なのはと、その周辺事情は気になるようで原作知識を有するミクとテトが思いを馳せる。そして、海鳴市関連についてはある程度調べたという白兎と三月に、その辺りはどうなのだろうと疑問の視線を向ける。

 

「取り敢えず、バニングス家と月村家がそれぞれ代表を務める大企業は存在するわね。娘の名前も、アリサとすずかよ。他にも、喫茶翠屋や高町家も確かに存在しているわ」

「受肉してただの人間になったとは言え、俺達も全く力がないわけじゃないからなぁ。あまり探りを入れて、その手の能力を持っている転生者に気がつかれるというのは避けたかったから、主要な場所ほど近寄れなかったんだが……高町士郎は健在のようだし、何より、一つ大きな変化があった。どうも、高町家にはもう一人、娘がいるようだぞ? なのはちゃんの双子の姉が、な」

 

 どうやら高町家にはイレギュラーな人間がいるらしい。十中八九、転生者だろう。

 

「まぁ、彼女が孤独を感じずに幼少期を過ごせたというのなら、それに越したことはない。双子の姉だという転生者にしろ、他の転生者達にしろ、その存在が高町なのはの救いであることを祈るよ。リリカルなのはの世界は、魔法少女ものという夢と希望が詰まったジャンルにしては、登場人物に対して些か以上にハードな面があるからな」

 

 伊織の優しい祈りに、ミク達も祈るように目を細めた。と、その時、エヴァが違う理由から目を細めた。その視線は何かを思い出すように遠くに向けられている。

 

「あいつらは……どうしているだろうな」

「……リィン達か?」

「うむ。リィンと守護騎士達は不死だからな。この時代にも生きているはずだ。それにリリスも、ユニゾンデバイスである以上はいるはずだ。きっと、私達がいなくなった後も、ルーベルス家や孤児院の歴史を見てきたに違いない」

「そうですね~。リィンさんはギリギリまでマスターについて行くか苦悩していましたし……最終的に、“夜天”に戻してもらった恩は“夜天”として返したいからって、マスター亡き後のベルカを守るって、そう言って残ることを決断したときの表情は忘れられません」

「ふふ、そのマスターが戻ってきたと知ったら……リィンってば卒倒しちゃうんじゃないかな? あと、ボクとしては子孫がどうなっているのかも気になるね。っていうか、エヴァちゃんが一番気になっているのは子供達のことでしょ~? マスターとの愛の結晶……その未来の子孫がどうなったのか、気になっちゃってしょうがないんでしょ~?」

 

 テトのからかい混じりの言葉に、エヴァはぷいっとそっぱを向いてしまった。頬が真っ赤になっているので照れているのは丸分かりだ。伊織が後ろの席を振り返り、優しげな眼差しをエヴァに向ける。自分も気になっているよと伝えるように。エヴァがもじもじしだした。何百年経っても初々しく可愛らしい奥さんである。

 

「むぅ~。妾と出会う前の話は聞いてはいたが……共感ができんのは寂しいのぅ」

 

 思い出話に華を咲かせる伊織達に、九重が少々不貞腐れたような表情で言葉を零した。伊織が困ったような表情で拗ねる奥さん二号においでおいでをする。

 

 するとほわぁと微笑んだ九重は、次の瞬間、ポンッと音を立てて出会った当初の幼女姿に変化した。車内では大人の姿で自由には動き回れないので、幼女モードになったのだ。変化は妖狐の十八番だ。この程度、呼吸をするよりも自然に出来てしまう。

 

 もふもふの毛玉のような愛らしい姿となった九重は、古代龍に罠を仕掛けている龍神をグイグイと押しのけて伊織の膝の上に陣取った。その表情は実に満足げで、とても数百年を共に過ごした熟年夫婦の片割れには見えない。初々しい成り立ての恋人のようである。

 

 九重の頭を、伊織は優しく撫でた。そんな光景を見れば、エヴァもまた「むぅ」となるわけで……

 

 直後、これまた自前の術と魔法丸薬で十歳くらいの姿になると、古代龍に麻痺玉を投げている龍神様をペイッと放り投げ、九重とは反対側の伊織の膝の上に座り込んだ。

 

 伊織はこれまた困ったような表情をしながらもエヴァのお腹に手を回して優しく抱き締めてやる。エヴァの少し照れているような、でもそれを見せたくないといったようなツンデレな表情がほわりと緩んだ。

 

「テトちゃん、これは私達も参戦しないわけにはいかないと思いませんか?」

「同感だね、ミクちゃん。ここで引いては女が廃るよ」

 

 そんな会話が車内に響いた直後、ピカッと漫画のようなエフェクトを発してミクとテトが共にプチモードに変化した。

 

「いや、なんでみんなわざわざ子供姿になるんだ?」

 

 伊織が何とも言えない表情でツッコミをいれるが、そんなことはお構いなしにプチミクとプチテトはいそいそと伊織の両腕で抱きついた。

 

 そこでようやく自分が蚊帳の外に置かれている現状に気がついたらしい我等の龍神様は、少し慌てたようにミク達の隙間へと体をねじ込んでいく。

 

 見事に幼女まみれとなった伊織。

 

「流石、俺の息子。親の前で幼女ハーレムを愛でるとは……何という剛の者だ」

「ふふふ。きっと自意識過剰な俺様転生者君達が黙っていないでしょうね」

 

 伊織は内心で思った。確かに、自分にヒシッと抱きつきながら幸せそうに頬を緩めている彼女達を見て、転生者達が黙っているはずはないだろうと。その場合、むしろ原作組を巡る騒動よりも自分達の方が騒動の火種になるのでは? と。

 

 そんな風に白兎と三月が面白げにカラカラと笑い、伊織が内心で頭を抱えていると、やがて車の窓から潮の香りが流れ込んできた。視線を巡らせば自然の緑も多くなってきている。

 

 海と山に囲まれた町――海鳴市への到着だ。

 

 

 

 

 

「さぁ、ここが新しい北條家だ! どうだ? 中々だろう?」

「へぇ、確かにいい雰囲気の一軒家だな。父さんと母さんのことだから、もっと突飛もない家を用意しているんじゃないかと思ったけれど……」

 

 感心したように目を細める八歳の男の子――伊織。「ほぅ」と頷きながら顎を撫でる姿は随分と老成している。確かに、もうすぐ千歳に届こうかという爺ではあるのだが……

 

 そんな伊織の視線の先には、立派な門構えと道路に面した広めの庭、その奥に建つ二階建ての一軒家が映っていた。雑草がぼうぼうと生えていて人気が全くなく、長年使われていなかったことが伺えるが、それでも“家族が住む場所”という視点から見れば十分に住みやすそうな、どこか温かみを感じさせる家だった。

 

 伊織の感想に、白兎の隣でドヤ顔をしていた三月が「んまっ」という心外をあらわした表情で大げさに声を張り上げる。

 

「酷いわっ、伊織! 父さんと母さんを何だと思っているの!?」

「愉快犯だと思っていると思いますよ?」

「ネタに塗れた残念キャラかな?」

 

 ミクとテトが的確に伊織の心情を代弁した。

 

 ますます心外だという表情になった三月は一歩前に進み出るとくるりと振り返り、まるでモデルハウスを売り込もうと躍起になる営業マンのように熱弁を振るい出した。

 

「まったく、まったくもって心外よ! この家を探すのにどれだけ苦労したと思っているの!?」

「む? 義母上よ。この家を(・・・・)探していたのか? なんでまた……」

「よくぞ聞いてくれたわ、エヴァちゃん。いい? この家には、一部の人間にとってそれは素晴らしいセールスポイントがふんだんに盛り込まれているのよ?」

「義母上殿……普通の家ではないという時点でミクとテトのツッコミを心外とする資格はないと思うんじゃが」

「シャラップよ、九重ちゃん! そんな幼女モードでくぁわいらしく首を傾げてもママは絆されませんからね。コホンッ。それでは皆様、まずは正門を潜って右手をご覧下さい。素晴らしい庭が見えますでしょう?」

「ケケケ、ヤッパリ一カラ十マデフザケテンジャネェカ」

「新しいマミーのノリ。我は嫌いじゃない。続けて?」

 

 ニマニマしている蓮の頭の上でチャチャゼロが呆れた表情をしている。エヴァと九重も半笑い状態だ。ちなみに、全員、伊織の本来の肉体年齢に合わせた見た目年齢に変化している。

 

 取り敢えず止まりそうにない三月の言葉に従って、雑草の自由奔放さを許しまくっている庭に視線を向けた。

 

「今は荒れておりますが、お手入れすれば十分な広さを持ったこの庭で剣の素振りだってできるでしょう。そして、ちょうどリビングの窓と面しておりますから、そんな家族が鍛錬する様子を窓辺に腰掛けながら見るというアットホームな光景を実現できるでしょう」

「ふむ。わたし達には別荘があるし、現実世界で鍛錬をすることなどないと思うが……っていうか、なぜ素振りなんだ?」

 

 エヴァの疑問はあっさりスルーされる。三月は、「うんうん」と訳知り顔で頷く白兎に玄関の扉を開けさせながら、いつの間にか取り出した小さな旗をピラピラと振りつつ伊織達を先導していく。

 

 玄関の先には二階へと続く階段と、リビングへと続く扉があった。三月はリビングへの扉を開けると再び口を開いた。

 

「さぁ、ここがリビングです。そこに大きめのソファーをおけば、毎日の略奪に疲れた心と体も瞬く間に癒されることでしょう。広い間取りなので、犬なのか狼なのかよく分からない大型の獣が寝そべっていても気になることもありません!」

「……これはツッコミをいれた方がよいのかのぅ?」

 

 この辺りで、妙に偏ったというか、奇妙な言い回しの案内口上に伊織やミク、テトは「まさか」という表情をすると共に頭痛を堪えるように眉間を揉みほぐし始めた。決して、見た目、八歳の少年少女がする仕草ではない。

 

「母さん……まさかと思うけどこの家は……」

「ふふ、遂に気がついたようね。そう! 何を隠そう、この一軒家、元、八神さんのお家だったのよ!」

 

 どういう原理か盛大に語尾をドップラーさせながら極まったドヤ顔を見せる三月。

 

 リリカルなのはの原作を知らない九重やエヴァ、チャチャゼロ、蓮などは頭上に“?”を浮かべて「八神さんて誰かしらん?」と疑問顔を見せているが、逆に知識を持っている伊織達は困惑を隠せないようだった。

 

「……これも、この世界における原作乖離の一ってことか? 母さん……結局、その八神家――正確には、“八神はやて”はどうしたんだ?」

 

 伊織が最大の疑問をぶつける。どう見ても長年住む者がいなかったと分かる家の様相に、伊織は、たった一人でこの家に住んでいたはずの幼い少女の安否を憂慮して硬い声音で尋ねた。

 

「分からないわ。私達がこの家を見つけた時には既にもぬけの殻だったのよ。一応、不動産会社や登記なんかも調べたから、五年くらい前まで八神家の所有になっていたのは確かなのだけど……」

「行方までは掴めなかった。今の俺達ではこの程度が限界だ。ただな……どれだけ調べても、八神はやての両親の訃報すら見つけられなかったんだ。人が二人死んで、その痕跡が何もないというのは流石に不自然が過ぎる。それに、この家も突然一家が失踪したとかそういうことではなくてな、きちんと売却手続きを経た上で手放されているんだ。ということは……」

 

 三月と白兎の真剣さを取り戻した言葉を伊織が推測と共に引き継ぐ。

 

「この世界の八神はやての両親は健在である。かつ、既に、この世界には(・・・・・・)いない、か」

「どこかの次元世界……ですかね?」

「有り得るね。原作では管理外世界だったとはいえ、ギル・グレアムしかり、この地球にも次元世界との繋がりが全くないわけじゃないしね。はやてちゃんの資質が何らかの形で管理局なんかに伝わって、ご両親共々、地球を出た可能性はあるよ」

 

 それはあくまで可能性に過ぎない。だが、そうであればいいと、伊織、ミク、テトの三人は顔を見合わせて頷き合った。原作での八神はやての境遇は、魔法少女ものというには余りにシビアで、胸を痛めずにはいられないものだった。

 

 この世界の八神はやてが、両親を失わず、長い孤独と、下半身不随という不安や苦痛に苛まれずに過ごせているというのなら、これほど喜ばしいことはない。

 

「そうね。私もそう思うわ。それでね、どうせ海鳴に拠点を移すなら、このままこの家を放っておくより、私達が使った方がいいんじゃないかと思ったのよ。もしかしたら、懐かしくなった八神家の人達が戻ってくるかもしれないしね」

「それに、ここが八神家だと気がついたタチの悪い転生者に荒らされるというもの、何だか不憫だからなぁ」

「そういうことか。……うん。いいチョイスだと思うよ。流石、父さんと母さんだ」

 

 伊織は、改めて家のリビングに視線を巡らせながら、自分達の新居に目を細めた。その間に、ミクやテトがエヴァ達に“八神はやて”と彼女にまつわるエピソードを教える。あらかた聞いたエヴァ達が、はやての九歳とは思えない度量の深さと、いじらしいまでの頑張りに涙目になったのは言うまでもない。

 

 その後、伊織達は引越し業者のトラックを迎えて搬入し、(【魂の宝物庫】などに格納は出来るが、ご近所が突然越してきて、しかもいつの間にか家具を搬入し終えているというのは不自然なため引越し業者に頼んだ)ご近所さんへご挨拶に伺い、一段落した後、夕食を交えながら、伊織達は再び、今後の話を始めた。

 

 ちなみに、ご挨拶回りの際、伊織は元の八歳に戻っていたのだが、ミク達も合わせて八歳くらいの少女姿になっており、合計五人もの美少女、それも金髪を含む外人美少女集団に挨拶されたご近所さん達が度肝を抜かれたのは言うまでもない。そして、挨拶が終わった後、即行で主婦ネットワークが起動し、数日に渡って盛大に盛り上がったのも言うまでもないことだった。いったい、あの一家にどんな事情がっ!? と。

 

 実は、両親の子供は唯一の男子である伊織一人だけで、女の子達は全員がその男の子の嫁であると知ったら……奥様方はいろんな意味で狂喜乱舞するに違いない。

 

「それで伊織。あなたが記憶を取り戻したことで私達ももう転生者達から隠れるように動く必要はなくなったわけだけれど……まずは何から手をつける?」

 

 三月が白兎に御味噌汁のおかわりを手渡しながら尋ねる。それに対して伊織は、少しだけ考える素振りを見せたあと、口の中のからあげを呑み込んでから答えた。

 

「そうだな……取り敢えず、高町家の様子くらいは見ておくか。それから海鳴市を中心に、この世界の状況を調べつつ、他の次元世界を見て回ろうか。車中で話していたように、俺もベルカのことや子供達のことは気になるからな」

「そうしますと、マスター。まずは高町家――いえ、翠屋辺りにでも行きますか?」

「ああ。あそこは転生者達にとって重要な場所であるし、主要な人物達が集まる場所でもある。一客として訪れて様子を見守るだけでも、色々と分かることはあるだろう。手始めとするには悪くない場所だと思う」

「なるほどね。う~ん、喫茶翠屋のシュークリームかぁ。美味しいって有名だよね。原作でも二次小説でも。楽しみだなぁ。ね? マスター」

 

 テトがほわわ~んとした実に女の子らしい笑みを浮かべながら伊織に同意を求める。当然、伊織は深く頷いた。なにせ、“翠屋のシュークリーム”といえば、サブカルチャーにおける伝説の一つといっても過言ではないのだ。いったい、どれだけの二次創作で、その美味さが表現されてきたか……

 

「いいわねぇ、翠屋のシュークリーム。私も楽しみだわ。でも、問題は、伊織達が翠屋に行った場合に騒動にならないか、よねぇ」

 

 三月が、少し思案するような表情で口にする。確かに、少年一人に、美少女五人。しかも、そのうちの二人は目の覚めるような金髪で、もう二人は翠髪と紅髪だ。纏う雰囲気からして、とても九歳児には見えないだろう。

 

 明らかに目立つ、目立ちすぎるメンバーである。転生者達にとって重要な場所であるだけに、そんな目立つメンバーが訪れれば、それだけでなんらかの騒動の火種になりかねない。

 

「そうだな。まぁ、その辺はどうにでもできるさ。ミクや九重の十八番だしな」

「はいはい。任せてください、マスター。見事に、目立たない普通の子供に変えてみせますよ~」

「うむ。気配や雰囲気、魔力等の隠蔽や認識阻害なら任せよ。伊達に、九尾の妖狐ではないぞ。ミクの神器とて負けんよ」

 

 確かに、ミクの神器――【如意羽衣】や、九尾の狐である九重の術ならば、そうそう見破られることはないだろう。まして、相手の認識を誤魔化す類の術ならば、特に二人が特化しているというだけで他のメンバーも一流以上の使い手なのだ。

 

 わいわいと、伝説のスイーツを想像して盛り上がる女性陣に、伊織は微笑みを向ける。

 

 と、そのとき、不意に慣れ親しんだ感覚が、北條家のリビングに届いた。地続きの道が突然遮断されたかのような、あるいは空間そのものにポッカリと空白地帯が出来てしまったかのような、そんな感覚――

 

「封時結界か……場所は、海鳴の中心辺りだな」

「うぅむ。どうやら、二陣営複数人で争っているようじゃの。魔導以外の気配も感じるのじゃ。十中八九、転生者同士の争いじゃの」

 

 九重が、瞑目しながら答える。

 

 封時結界により位相のずれた世界は、本来、外界から観測することが出来ない。熟練者や、観測機器などがあれば、ある程度内部を窺い知ることは出来るが、詳しいことまでは分からないのが普通だ。

 

 それを離れた場所から、片手間の術を以て詳細に探るなど並外れたという言葉でも足りない絶技だ。

 

「どうする、伊織?」

「もちろん。様子を見に行く。だが、顔見せはしない。横槍になるのは勘弁だからな」

「それがいいですね。パパさんとママさんはどうしますか?」

 

 ミクの質問に、白兎と三月は苦笑いをしながら首を振った。遠慮をするということらしい。いざというとき、自分達では足手まといにしかならないという自覚があるのだ。

 

「一応、魔獣を残していくよ」

「おう、ありがとよ、伊織。それより、そっちも気をつけろよ。お前達なら心配はないと思うが、相手は転生者だ。所持する能力は、いずれも創作世界の“とんでも”だ。場合によっては、盤上ごとひっくり返されるなんてことも有り得るからな」

「分かっているよ。油断はしない。彼等を神仏と思って対応するよ」

 

 しっかりと頷いた伊織に、忠告をした白兎は「よし」と頷いた。おふざけが過ぎる嫌いはあっても、その姿は実に父親らしい。伊織の中身は、酸いも甘いも噛み分けた成熟した大人だが、それでも今は生まれ直した子供の身。実に、数百年ぶりの立場に、くすぐったさと懐かしさ、そして温かい気持ちが湧き上がる。

 

 父親に応え、伊織もまた力強く頷くと、ミク達を伴って夜の帳が降りた海鳴の町へと繰り出した。

 

 




いかがでしたか?

ただの会話だけで一万も書いてしまった。
次からはもうちょいテンポよく進めていきます。

……2年も経つと、いろいろ忘れてるよ



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第66話 原作遵守派

 轟ゥッ!! と、大気を唸らせ、ビルの窓ガラスを風圧で粉砕しながら、竜巻が水平に(・・・)爆進する。その自然現象としては有り得ない風の暴虐が目指すのは、宙に浮く一人の少女。

 

「なのはっ。避けなさい!」

「えっ、きゃぁっ!?」

 

 別の場所から少女の怒声が響き、ハッとした様子で振り返った宙に浮く少女――高町なのはは、しかし、目前に迫った竜巻を回避すること敵わず、そのまま凄まじい勢いで吹き飛ばされた。

 

 竜巻が直撃する寸前で、なのはの前に桃色の障壁が展開されたことから、風圧に押されて吹き飛んだだけで大事はないだろう。

 

 が、ビルの谷間に消えていくその姿に、先程、警告の声を上げた少女が、再び「なのはっ」と声を張り上げた。

 

 そんな彼女へ、別の声がかかる。

 

「あら、あの子の心配をしている余裕があるのかしら、スグハさん?」

 

 幼いながらも、どこか妖艶さを含む少女の声音。それが、栗毛をポニーテールにした少女――なのはの双子の姉――高町スグハの真後ろから響いた。

 

「っ」

 

 直後、スグハの姿が消えると同時に、今の今までいた場所を強烈な閃光が通り過ぎた。

 

「疾ッ!!」

 

 残像すら残さない速度で背後からの奇襲を回避し、同時に敵の側面に出現したスグハは、腰に佩いた納刀状態の小太刀二本を、これまた抜く手も見えないほどの速度で抜刀する。

 

――御神流 奥義之六 【薙旋】

 

 小太刀二刀の抜刀術による高速四連撃。あまりの速度に刀身は見えず、描かれる剣線の軌跡のみが宙に描かれる。その瞳に宿るのは確かな戦意。とても、見た目九歳程度の女の子とは思えない練度と覇気だ。

 

 だが、その戦意の風は、虚しく空を切り裂いただけだった。スグハの視線の先には、豊かな金髪をふわりとなびかせながら、ギョロギョロと不気味に蠢く無数の瞳に装飾された空間の亀裂に消えていく少女の姿がある。

 

(チッ。相変わらず、厄介な能力ね。――境界を操る程度の能力、だったかしら。反則すぎるわよ)

 

 そう、スグハと相対する金髪の少女――転生者“サーシャ・ロコノフ”は、東方projectの大賢者“八雲紫”の能力【境界を操る程度の能力】を与えられた存在なのだ。

 

 奥義が空振りに終わったスグハは、内心で悪態を吐きつつも直ぐさま追撃に移ろうとした。が、直後、その体がビシリと硬直する。

 

「お前こそが世界の歪み。今日こそ、排除させてもらうぞ!」

 

 今度は男の声音で怒声が響く。

 

 硬直した体のまま、スグハが視線のみを向ければ、そこには機械的な強化外骨格を纏った青年の姿があった。

 

 スグハ自身は知らなかったが、青年が身に纏うそれはインフィニット・ストラトスと呼ばれる強化外骨格で、その中でも某黒ウサギの専用機体として登場したシュヴァルツェア・レーゲンと呼ばれたものだった。

 

 そして、シュヴァルツェア・レーゲンの搭載能力【慣性停止結界(AIC)】こそが、スグハを拘束しているものの正体だった。

 

 もっとも、搭乗している青年――観測者より、【IS世界の全ての専用機を使える】という特典を貰い受けた転生者“上垣刹那”のセリフは、意識的にか、それとも無意識的にか、別の物語の刹那的な人そのものだったが。

 

 青年の自分に酔ったようなセリフと同時に、夜空の星がそのまま落ちてきたのかと錯覚するほどの光弾が降り注いだ。幻想郷特有の“弾幕”だ。しかも、おまけと言わんばかりに、シュヴァルツェア・レーゲンの両肩に装備された大型レールカノンがガコンと不吉な音を響かせてスグハへと向けられる。

 

 人を一人殺すには、あきらかに過剰な攻撃。しかし、二人の転生者が相対する少女は、そうするだけの、否、それでも足りないかもしれないと思わせるだけの実績があるのだ。

 

「――【ディスアポーレション(姿くらまし)】」

「っ、――がぁっ!?」

 

 全方位からの過剰攻撃にも焦った表情を微塵も見せず、冷徹な表情のまま、スグハがボソリと呟けば、刹那、慣性停止結界に捕われていたはずの彼女の姿は、まるで宙に発生した渦に吸い込まれるかのように消えてしまった。

 

 そして、次の瞬間、ISを纏う上垣の背後へと出現し、その無防備な背に向かって再び御神流【薙旋】が振るわれる。

 

 ガガガガッと衝撃音が響き渡り、上垣が前方へとつんのめるように吹き飛んだ。そう、光弾の降り注ぐ死のポイントへ。

 

 思わず、「ひっ」と小さな悲鳴を上げて目を瞑るが……直撃寸前で、上垣の頭上に空間の亀裂が広がり、光弾を余さず呑み込んだ。

 

 スグハの周囲にも、ほぼ同時に亀裂が作られ、上空から降り注いでいた弾幕は、全方位掃射へと一瞬で変化する。

 

 しかし、その時には、既にフッと姿を消したスグハは包囲の外へ出ており、弾幕は虚しく互いを相殺するに終わった。

 

「私達二人を同時に相手して、かすり傷一つ負わせられないなんて……本当に、厄介な人ですわね。あなたの転生特典“ハリー・ポッターの魔法”も、実戦では隙が多くて余り役に立たない部類かと思っていましたのに……」

 

 空間の亀裂から、まるで小窓から外を覗くお嬢様のように姿を見せるサーシャ。口元を扇子で隠しているが、不快げに歪む目元が隠せていないので、内心の苛立ちがまる分かりだ。

 

 そんな彼女の言葉通り、高町なのはの双子の姉として転生したスグハの手札は、御神流とファンタジー小説“ハリー・ポッター”の魔法だ。確かに、一見すると、ハリー・ポッター世界の魔法戦闘は、ファンタジー色が色濃いため、リリカルなのは世界のデバイスを用いた速攻に比べると、どうにも隙が多いように思える。

 

 転生特典としてもらうなら、リリカルなのは世界の魔法技術を上回る利点のある能力が望ましいのだ。そうでなければ、優秀なデバイスと強大な魔力をもらった方が、遥かに優れた戦闘能力を発揮できる。

 

 もっとも、それは、あくまで“与えられたもの”の上にあぐらをかいている者、あるいは、熟練するには圧倒的に鍛錬も経験も少なすぎる者の場合だ。どんな力でも、極めれば、そして工夫すれば、その効果は何倍にも膨れ上がる。

 

 そう、たとえば、生まれてからこの時まで、数多の転生者達から家族を守り通してきた高町スグハのように。

 

「私は、転生特典なんてもらったことないわよ?」

「……なにを言っているのかしら?」

 

 心底、理解できないとでもいうように、小首を傾げるサーシャ。そんな彼女へ、小太刀を構えながら、スグハが静かな声音を響かせる。

 

「私は、この世界に生まれる前から(・・・・・・・)御神の剣士だったし、魔法の力は、役に立ちそうだったから、前世で(・・・)きちんと学んで覚えたのよ。半世紀をかけてね」

「……意味が、わからないわ」

 

 眉を潜めるサーシャに、スグハは「分かる必要はないわ」と切り捨てつつ、凪いだ水面のように静謐な、それでいて燃え盛る業火のように熱い決意を乗せて、ただ、己の在り方のみを宣言した。

 

「永全不動八門一派・御神魔刀流(・・・)小太刀二刀術“高町スグハ”。覚えておきなさい。誰かを背に戦うとき、御神の剣士は不敗となるのよ」

 

 自覚なく、サーシャと、ようやく立ち上がった上垣の二人は息を呑んだ。高町スグハの宣言に、転生者“サーシャ・ロコノフ”と“上垣刹那”は気圧されたように絶句する。

 

 まるで、言霊を叩きつけらたかのような、重く、強い言葉。それは、僅か数十年を生きただけの少年少女――前世と合わせれば二十歳を越えていても、子供時代しか過ごしたことのない者達では、到底宿せないもの。

 

「宣戦布告したのはあなた達よ。覚悟は……出来ているわね?」

「「っ」」

 

 凄まじいまでの殺気が暴風となって二人に叩きつけられる。咄嗟に、サーシャは空間の亀裂を閉じて退避し、上垣はISそのものの高速換装(ラピッド・スイッチ)を行い、手数に優れる蒼穹の機体――“ブルー・ティアーズ”を展開した。

 

 と、その瞬間、スグハの姿が煙のようにフッと消える。

 

「またっ」

 

 ガガガッと機体に響く斬撃音と凄まじい衝撃。

 

(どうなんてんだっ。空間転移しているわけでもないのに、ハイパーセンサーで捉えきれない速度なんて、有り得ないだろっ)

 

 戦慄を表情に浮かべ、内心で絶叫しつつ、ブルー・ティアーズの名前の由来にもなったオールレンジビット兵器“ブルー・ティアーズ”を展開する。そして、瞬時加速を用いて前方へと離脱しつつ、総計六つのビットで背後のスグハを乱れ撃つ。

 

 しかし、ブルー・ティアーズのビットレーザーが、スグハを穿つことはなかった。スグハが、逃げる上垣を斬撃の踏み込みそのままに追撃していたからだ。まるで、磁石が引き合うようにピッタリと張り付き、必殺の間合いから離れない。

 

 距離を取れば、ISによる数多の兵器と、今もどこかの空間の狭間で虎視眈々と隙を伺っているはずのサーシャに狙い撃ちにされると理解しているのだ。

 

 そうして放たれる小太刀の二刀の連撃。しかも……

 

「――【セクタムセンブラ】」

 

 そっと囁くように放たれた言霊と同時に、宙に描かれる殺意の銀線が一気に膨れ上がる。

 

「このっ」

 

 上垣が表情を盛大に引き攣らせつつ、瞬時加速の連続使用でどうにか引き離そうとする。バイザーに映るエネルギー残量が冗談のような速度で減少していくことに、焦燥を隠すことができない。

 

 通常の小太刀二刀の連撃くらいなら、ISのシールドバリアが完全に防いでくれるし、攻撃を防ぐ度にエネルギーを消費するシールドとはいえ、生身で放つ物理攻撃などISにとっては蚊に刺された程度のダメージ量のはずだ。

 

 にもかかわらず、まるで大規模な砲撃による集中砲火でも受けたかのように、猛烈な勢いでシールドエネルギーが喰われていく。

 

(斬撃の数と、喰らった攻撃回数が合ってないっ。何かの魔法なんだろうが、それにしたって、このダメージ量は異常だろうっ!!)

 

 霞のように消えては有り得ない数の斬撃と、その斬撃数とすら噛み合わないダメージを与えていくスグハ。

 

 その原因は、確かに上垣の推測通り、相手を引き裂く魔法――【セクタムセンブラ】だ。これにより、小太刀二刀の連撃が数倍の手数に膨れ上がる。単なる魔法の行使ではない。御神の技と完璧に調和した不可視の斬撃。

 

 そして、もう一つ。高火力兵器並みのダメージを与えているのが御神流基本――【徹】だ。魔法の斬撃である【セクタムセンブラ】にすら込められた数多の浸透衝撃が、ISのシールドバリアを貫通して、最後の砦――【絶対防御】の発動を強いているのである。

 

(くそっ、【絶対防御】の消費量は、シールドバリアの三倍だぞっ。このままじゃ、剥ぎ取られる(・・・・・・)っ)

 

 上垣の表情に浮かぶ焦燥が、いよいよその色を深める。

 

 と、そのとき、不意に上垣の視界が一瞬暗闇に途切れ、刹那、遥か上空から地上を見下ろすような場所へと移り変わっていた。

 

「空間転移……サーシャかっ。助かった!」

「彼女相手に接近戦を許すなんて……死にたいのですか? あの化け物相手には、遠方から圧倒的物量で押し切るしかないと、そう結論づけたでしょうに」

「分かってるっ。だからブルー・ティアーズに変えたんだ。くそっ、今まで相対したときより更に速くなってやがる」

「……あるいは、今までが本気でなかった……ということも有り得ますけど」

「冗談キツいぜ」

 

 ギョロ目が蠢く空間の亀裂から、扇子で口元を隠しつつ眼下を見下ろすサーシャ。扇子の向こう側の口元は、あわや、あの僅かな戦闘で仲間が墜されかけたことへの戦慄に引き攣っている。

 

 隣では、上垣が、真下の道路上から自分達を真っ直ぐに見上げるスグハに対し、同じような引き攣り顔を見せていた。

 

 と、次の瞬間、その引き攣り顔は、更に酷くなることになった。

 

「なっ、あいつ空中戦をっ!?」

「っ、ハリポの空中戦といえば箒でしょうに。宙を走ってくるなんて(・・・・・・・・)……」

 

 その言葉通り、彼の視線の先で、スグハは二刀を従えたまま、空中を踏みしめてロケットのように宙を駆け上がってきた。理屈は簡単。防御系統の魔法――【プロテゴ】により、空中に足場を作っているのだ。

 

 今まで、サーシャ達がスグハと刃を交えたのは二度や三度ではないが、過去一度足りとて、箒を使わずに空中戦を仕掛けられたことはない。それはつまり、上垣がスグハの速さを見誤ったことと同じく、今までただの一度も、スグハは本気でなかったということ。

 

 思わず、二人が動揺してしまうのも無理からぬことだった。そして、その動揺は、スグハの狙い通り、決定的な隙だ。

 

「――【ディスアポーレション】」

 

 小さく、風の音に紛れてしまいそうな呟きが溢れるように放たれた瞬間、スグハの姿が空間に呑まれたかのように消え失せる。

 

 そして、

 

「しまっ」

「っ」

 

 ひゅるりと、サーシャと上垣の間に姿を現した。同時に、冷え冷えとした眼差しが、小太刀二刀とともに二人を切り裂かんと乱舞した。空中で、独楽のように回りながら振るわれた二刀から、おびただしい数の斬撃が飛ぶ。

 

 その斬撃をまともに受けた上垣が悲鳴をあげながら落下し、直ぐに空間の亀裂を閉じて退避しようとしたサーシャは、しかし、完全には間に合わず咄嗟にかざした腕を裂かれて血を噴き出した。

 

「何の躊躇いもなく、殺しにかかるなんてっ。やはり、あなたはこの物語には相応しくない!」

「最初に殺し合いを望んだのは、そちらでしょう? 何を今更」

 

 冷めたスグハの言葉と視線に、別の空間の亀裂から凄まじい数の魔弾を放ちながら、サーシャは憤りもあらわに言葉を放つ。

 

「それは、あなたがこの世界の歴史を歪めたからでしょう! テロから御神を救い、高町士郎を無傷で健在させ、高町なのはから孤独な幼少期を取り上げた!」

「家族を守って何が悪いのかしら? 理解に苦しむわ」

 

 数多の光弾を切り裂き、盾の魔法をいくつも空中に展開して、それらを足場に空を賭けるスグハ。幻想郷の弾幕ごっこがそのまま再現されたかのような魔弾の嵐の中を、まるでダンスでも踊るかのようにいとも容易くくぐり抜けていく。

 

「そのせいで、どれだけ未来が歪むかわからないのか! 確かに、御神が滅ぶことも、なのはの孤独も辛いことかもしれない。だが、原作通りなら、確実にハッピーエンドが待っているんだぞ! 確かな未来の為に、今を耐えることの重要性が、何故分からないっ」

 

 上垣が、ラファール・リヴァイブ・カスタムに機体を換装し、無数の銃火器によって実弾の弾幕を張りながら叫んだ。その言葉から、彼等の思想が“原作の遵守”であることが分かる。

 

 そして、どうやら、スグハがテロによって御神家が滅ぶという悲劇を回避し、なのはの父である士郎が、護衛の仕事中に深手を負って昏睡状態となり、その看病と翠屋の経営のために、なのはが孤独な幼少時代を過ごすという本来の歴史を変えたらしく、彼等はそれが許せないようだった。

 

 つまり、今夜の闘争は、原作の開始時期が迫り、今まで小競り合いをしつつもスグハの説得をしていた“原作遵守派”が、遂にしびれを切らして強攻策――高町スグハの抹殺を決断したというわけだったのだ。

 

 だが、サーシャや上垣の言葉は、スグハの心には何の波も立てはしなかった。

 

 故に、スグハは、この期に及んでスグハの在り方を批判する言葉を止められない二人に対し、酷く冷めた眼差しと言葉を返した。

 

「原作だの、確かな未来だの……くだらない」

「なんですって」

「なんだとっ」

 

 自分達の主義主張を、“くだらない”の一言で切って捨てられた二人が気色ばむ。そんな二人へ、スグハの言葉が矢のように放たれた。

 

「家族の死を“仕方ない”で済ませられる……あなた達にとって、この世界は紛れもなく“物語”なのでしょうね。この世界に生まれても、結局、画面越しにアニメを見ているのと変わらない。――私は、この世界で生きてすらいない(・・・・・・・・)者の言葉に、価値を認めないわ」

 

 冷めた声音なのに、火傷しそうなほど熱い激情の込められた言葉。夜天に輝く月光に照らされて、二刀の小太刀が妖しく輝き、妹と同じ栗色のポニーテールが、夜風に弄ばれてゆるりと流れる中、言葉はこれで最後だと、そう言わんばかりにスッと目を細めた。

 

「どんな理由があろうと、どんな形であろうと、私の大切な人達を、私を大切に想ってくれる人達を、害そうというのなら、御神の名にかけて全て切り捨てる!」

 

 声音に乗った裂帛の気合とは裏腹に、静かな気配のまま一瞬で納刀したスグハ。

 

 刹那、

 

「がぁっ!?」

「上垣っ」

 

 サーシャが悲鳴じみた声音で上垣の名を叫ぶ。その視線の先で、上垣の周囲から光の粒子が飛び散り、纏っていたISの外装が消えていった。転生者故に有していた膨大なエネルギーが、一瞬で吹き飛ばされるほどの絶大な攻撃を受けて、強制的にISが解除されたのだ。

 

――御神流 斬式奥義之極 【閃】

 

 間合いや剣速といったものを無視して、斬撃を認識させることもなく対象を斬る、斬撃の極地。御神流の使い手の中でも、この領域にたどり着ける者は多くないというほどの奥義中の奥義だ。

 

 シールドバリアを紙くずのように切り裂いて、絶対防御ですら消しきれない衝撃とダメージを刻まれた上垣は、為す術もなくISを剥がされ地に落ちていく。

 

 それを、空間を渡って出現したサーシャが拾い上げ、近くのビルの屋上に出現する。

 

「がっ、がはっ」

「上垣っ、しっかりなさい!」

「ぢ、ぢくしょうっ。なん、だよ、あれはっ。あれが、御神だって、のかよっ」

 

 辛うじて意識を保っているらしい上垣が、恐怖と苦痛に引き攣った表情で悪態を吐く。

 

 そんな二人の耳にスタッと屋上に降り立つ足音が響いた。

 

 終わってみれば、破格の能力を有した転生者二人を相手に、無傷で圧倒した高町スグハ。確かに、ハリー・ポッターの魔法という要素はあったものの、それはあくまで武技の補助としてしか使っていなかった。

 

 すなわち、転生者二人は、御神の剣士――それも、未だ修練を初めて数年程度にしかならないはずの少女に、敗北したということになる。

 

「化け物、ね」

「……」

 

 サーシャが引き攣り顔を隠すこともなく呟くが、スグハの表情をピクリとも動かない。無表情を貫いたまま、僅かにも躊躇う様子を見せずサーシャの様子に注意しながら歩みを進めてくる。

 

 油断も隙もない。確実に仕留める為に、もう、サーシャの転移を許すつもりはないようだった。サーシャが転移に意識を移した瞬間にも、再び冗談のような斬撃を以て首を跳ばすつもりだ。

 

 その精神性もまた、サーシャには酷く恐ろしい。確かに、自分達とてスグハを殺すつもりではあった。だが、それは、確かな未来のため(・・・・・・・・)という大義名分があるからこそ。正義のための(・・・・・・)、苦渋の選択だったのだ。

 

 なのは達に対しても、スグハを切り離した後は、仲間の転生特典によってスグハに関する記憶を消し、元の高町家に戻すつもりで、それ以上、手を出すつもりはなかった。

 

 自分達こそ正しいのに。全て、高町なのはと、約束されたハッピーエンドの為にやっていることなのに。今まで、何度も、高町家から(・・・・・)離れるべきだと、同じ転生者として(・・・・・・・・)忠告して上げたのに。何故、自分達の主張の正しさが分からないのかっ。

 

 サーシャは気がつかない。己の正義以外、何も見えてはいないから。スグハは、転生者として生きているのではなく、高町スグハとして生きているのだということも、高町家の記憶を消すということが、人殺しと同じくらい罪深いということも、気がつかない。

 

「残念ね。それだけの力があれば、この世界の正しい歴史を、他の転生者達から守ることも出来たでしょうに。本当に、高町家のことを想うなら、彼等の前から消えて、影から守れば良かったのに」

「……あなた達の薄っぺらい正義感も、安っぽいヒーローごっこも、もう十分よ」

 

 上垣を抱えたまま、スグハの間合いに入ったサーシャ。しかし、何故か、スグハに対する戦慄の感情は見えても、これから命を散らす悲愴さはまるで伺えない。

 

 そのことに、違和感を覚えて僅かに眉を顰めたスグハに、直後、切羽詰った、悲鳴じみた念話が届いた。

 

『お姉ちゃんっ、逃げてぇっ!』

「っ、なのは!?」

 

 刹那、スグハの足元、ビルの屋上に、雨など降っていないのに何故か付着していた大量の水滴が、ふるりと震えた。

 

「チェックメイトよ」

「ざまぁみやがれ」

 

 なのはの警告と、足元から急激に膨れ上がった死の気配に気を逸らされたスグハの隙を突いて、サーシャと上垣が足元に空けた空間の亀裂へ、落下するように消える。

 

 スグハは、そんな失態に歯噛みする間も惜しんで、即、その場を離脱しようとしたが……【姿くらまし】が瞬時に発動しない。まるで、スグハの周囲の空間のみ、境界でも引かれたように固定されている。

 

 それでも、スグハの優れた魔法力は、強引に境界を越えようとして――

 

一歩、遅かった。

 

「ッッッ!?」

 

 悲鳴が掻き消える。

 

 凄絶なまでの、まるで太陽の如き白熱の閃光と、尋常ならざるエネルギーを伴った衝撃により、一瞬で周囲一体の建物が消滅した。封時結界が余りのエネルギー量に悲鳴を上げ、仮初の町並みは、原子爆弾の直撃を受けたかのように外へ向かって放射状に薙ぎ払われていく。

 

 夜天に浮かぶのは、灼熱の白き太陽。それがあらゆる存在を粉砕し、消滅させていく。海鳴の町そのものを更地へと変えていく。

 

 スグハを中心に、海鳴の町の中心部は、ただ一撃によって消滅したのである。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 時は少し戻る。

 

 スグハが、サーシャと上垣のペア相手に戦いを始めた頃、引き離されたなのはもまた、別の転生者の襲撃を受けていた。

 

「もう止めてっ。どうしてこんな酷いことをするの!? 私が、私達家族が、何をしたっていうの!? どうして放っておいてくれないの!?」

 

 なのはは、空中から自分を睥睨する相手へ悲鳴じみた怒声を上げた。その手には頑丈そうな木で出来た棍が握られている。

 

 いずれ、物語通りに進んだ場合、なのはは、レイジングハートという杖形のデバイスを得ることになる――可能性が高いということを転生者との争いの中で知った士郎達は、それを見越して、少しでも、なのはが自分の思いを通せるようにと教えているのだ。

 

 もちろん、御神流は小太刀二刀術であるから、長物の扱いを十全に教えられるわけではないが、それでも経験豊かな御神の剣士達が戦いのイロハを教えていることもあって、九歳の女の子にしては中々様になっている。

 

 慣れた手つきで腰だめに構えながら、普段ののほほんとした雰囲気とはかけ離れた、怒りを帯びた眼差しを真っ直ぐに向けているなのはに、相対する者――膝上まであるダークブーツを纏い、袖口が大きく広がった独特の衣装と、ブーツと同じ黒髪を靡かせる十四、五歳くらいの少女が溜息を吐きながら答える。

 

「それはね、なのはちゃん。放っておいたら、大変なことになるからだよ。あるべきものを、あるべき姿に戻す。これはただ、それだけのことなの。なのはちゃんには、まだ難しいかもしれないけれど、いずれ、私達が正しかったのだと分かる時がくるよ」

 

 まるで、聞き分けのない子供に言い聞かせるような雰囲気と言葉。あるいは、自分は憎まれ役をして上げているのだという、恩着せがましい言動に、なのはのボルテージが上がっていく。

 

 うつむいた表情は、彼女の艶やかな栗毛に隠れて見えない。しかし、小刻みに震える肩が、彼女の深い怒りを如実にあらわしていた。

 

「……あなた達は、いつもそうだよ。いつも、いつも、どこか遠いところから私達を見てる。“高町なのははこうだ”って決め付けて、思い通りにならなかったら暴れて、私の言葉なんかなんにも聞いてなくて……」

「私達を他の馬鹿な転生者達と一緒にしないで欲しいな。私達は、この世界の為に命をかけてるんだよ? 約束された未来の為に泥をかぶる覚悟でね」

「一緒だよっ。あなた達が戦うのは、世界の為でも、未来の為でもない。ただ、自己満足に浸りたいから! そうじゃないっていうなら、どうして一緒に頑張ろうとしてくれないの!? 約束されていなくても、良いことが起きますようにって、一緒に頑張っていけばいいのに! どうして、私の家族を傷つけようとするの!」

「……ふぅ、だからさ、何度も言っているじゃない。高町スグハなんて存在は、いちゃいけないんだよ。既に、起きるべき沢山の過去が歪めれちゃった。その結果、何が起きるか分からないんだ。なのはちゃん。いくら君が“主人公”でも、解決できない何かが起きるかもしれないんだよ?」

「私をっ、“主人公”なんて呼ばないでっ!!」

 

 激昂するなのはに、ダークブーツの少女――ディーグレイマンのイノセンスである【“ダークブーツ”“鉄槌”“クラウン・クラウン”を使える】という能力を持つ転生者“日野芽亜子”は、やれやれと肩を竦めた。

 

「君がいないこの世界がどうなるか……それに、私達は世界を守ると同時に、正史からはずれたなのはちゃんが傷つかないよう守っているんだけど……言っても分からないよね。ま、理解されない道だというのは覚悟の上だよ」

 

 なのはに話すというより、独り言に近いそんなことを言った日野芽は、そのままビルの屋上を蹴って、なのはに向かって一気に落下した。

 

「これもなのはちゃんの為だから。今は眠ってね? 起きた時には、きっと正しい世界が待っているから」

 

 内心で盛大に「ふざけるなっ」と怒声を上げたなのはだが、それを表に出すことはない。日野芽が落下してきた瞬間には、気炎を上げる心をグッと鎮めて臨戦態勢を取る。これもまた家族から教わった戦うための心構え。

 

 原作では、なのはは運動神経が切れていると言われるほどの運動音痴だ。だから、膨大な魔力という己の特性を生かして、強固な防御と遠距離砲撃という特化型の魔道師への道を選んだ。

 

 だが、果たして、この世界のなのははどうだろうか。

 

「はっ」

「ふぅ――」

 

 日野芽が落下の勢いそのままに空中で回転すると、なのは目掛けて踵落としのような蹴りを放った。それに対し、短く息を吐いたなのはは、棍を盾にするように掲げると、ダークブーツが接触した瞬間を狙って片腕から力を抜いた。

 

 蹴りの圧力に負けて棍が回転するのに合わせて、ダークブーツも棍の表面を滑るように逸れていく。

 

 直後、

 

「フラッシュムーブ!」

 

 なのはの足元に桃色の光る羽が生え、刹那、その姿が霞んだかと思うと、日野芽の背後に出現する。

 

「やぁっ!」

 

 そして、可愛らしくも気合の入った声とともに、棍による突きを放った。しかも、ご丁寧に、突く側とは反対の先端にも、高速移動魔法【フラッシュムーブ】発動の証であるピンク色の羽が付いており、それが棍による突きのレベルを九歳の女の子が放ったとは思えないレベルへと昇華させていた。

 

「っ、お、恐ろしいね」

 

 咄嗟に、棍の突きをリンボーダンスのように上体を逸らして回避しつつ、バク転をして距離をとった日野芽が頬を引き攣らせながら呟く。

 

 デバイスもなく既にいくつかの魔法が使えることは、これまで説得を兼ねた幾度かの衝突の際にも確認していることだ。

 

 自分こそオリジナル主人公と言ってはばからない転生者を打倒した御神の剣士が、尋問の果てにあれこれ聞き出し、ついでに魔法の基礎も盗んだのである。相手がインテリジェントデバイスを所持していたことから、専用故に奪うことはできなかったものの、なのはが魔法を習得するための基礎は得ることができた。

 

 もっとも、デバイスがないことに変わりはなく、当初は大した魔法も使えなかったのだが――その練度が凄まじい勢いで上がっている。成長率の高さに、圧倒的なスペック差があるにもかかわらず、日野芽は戦慄を禁じえない。

 

「アクセルシューター!!」

「円舞――【霧風】」

 

 なのはの周囲に浮き上がった八個もの魔弾が、それぞれ不規則な軌道を描きながら迫る。日野芽は、最初になのはを吹き飛ばしたのと同じダークブーツによって発生させた竜巻をもって、まとめて吹き飛ばす。あわよくば、このまま竜巻に呑まれて、なのはも気絶してくれることを祈りながら。

 

 しかし、その願望は甘かったらしい。背後から聞こえた「たぁっ!!」という掛け声にハッとしつつ、日野芽は空中へ跳び上がった。その下を、鮮やかな桃色の光をなびかせた棍の一撃が通過する。

 

「ふぅ、中々やる――」

「リングバインド!」

 

 フラッシュムーブの発動速度は半端なく上がっているし、以前は四発が限界だった魔弾の数は倍になっているし、戦い方もずっとよくなっていることから、思わず称賛の言葉を贈ろうとした日野芽に、容赦のないなのはの声が響く。

 

 空中に飛び出していた日野芽は、自分が転生者であるという事実を以て、なのはに対し油断が、否、正しく言えば慢心があった。故に、あっさりと、なのはが発動したリングバインドに四肢を絡め取られる。

 

 もっとも、日野芽の能力にはイノセンス“クラウン・クラウン”もあるので、それを発動すれば自然と発現する爪であっさりと破壊できる程度の拘束だ。足の拘束だけなら、ダークブーツの蹴りのみで直ぐに破壊できる。

 

 だが、それを実行する前に、日野芽は視線の先で起きている余りの出来事に呆然としてしまった。

 

「ディバイ~~~~ン」

「ちょっとぉおおおっ。いくらなんでも、砲撃魔法はないでしょう!? デバイス無しなのよ!? っていうか、ひ、非殺傷設定とか出来ているんでしょうね!?」

 

 なのはは、少し首を傾げた。ツインテールが「非殺傷設定って何かしらん?」と言うかのようにくにっと揺れる。その間も、なのはが腰だめに構えた棍の先には膨大な桃色の光の塊が膨れ上がっていく。

 

 流石に、ちょっと焦った様子の日野芽が、道化師の外套を発現してリングバインドを破壊しようと……

 

「バスタぁああああああああっーー!!」

「ちょっ、まっ――」

 

 白い魔王の片鱗、ここに見たり。桃色の“壁”が、先ほどの竜巻のお返しだとでもいうかのように日野芽を余さず呑み込んだ。轟ゥ!!と光の奔流が仮初の世界を染め上げて、背後のビルを貫通していく。

 

 轟音と共に、ビルが激震し、大量の窓ガラスが粉砕されて豪雨の如く降り注ぐ。

 

「はぁはぁ。もう、私だって、守られるだけじゃないんだからっ」

 

 肩を激しく上下させ、荒い呼吸を繰り返すなのは。デバイス無しの砲撃魔法は、演算が出来ただけでも一般の魔道師から見れば驚愕の余り気絶するレベルであり、当然、魔力効率は著しく悪い。原作では十八番(おはこ)のバスターも、今のなのはにとっては正真正銘の切り札だった。

 

 それでも、苦しそうな表情の中に輝くような強い意思を滲ませて声を張り上げたのは、今までの守られるだけだった自分との決別。

 

 今まで、なのはを己の思い通りにしようとする者達や、決めつけた未来を歩ませようとする者達、あるいは下心満載で擦り寄る者達から、双子の姉や士郎達家族を含め、スグハが救った御神の剣士達が守ってきてくれた。守られることしか出来なかった。

 

 だからこそ、転生者達からの、吐き気すら覚える価値観や下心、何より、人形を見るかのような眼差しに耐えて、“高町なのはが使う魔法”の習得に心血を注いだ。苦手な運動に苦心しながら、必死に武術を学んできた。

 

 全ては、守られるだけの自分から脱却するため。友達を守るため。闘う家族に、並び立つため!

 

(絶対、大丈夫。私は、戦える。“原作”なんてものが始まっても、そのせいで転生者の人達が何かしてきても、お姉ちゃん達も、アリサちゃん達も、みんな守って、ずっと一緒にいるの!)

 

 内心で決意を新たにするなのは。強大な力を持つ転生者を、本領を発揮させる前だったとはいえ打倒したのだ。未熟を感じることはあっても、自信には繋がった。

 

 そうして、なのはが大好きな姉の援護に向かおうと、ふらつく体で踏ん張って歩き出そうとした、そのとき、

 

「全く、油断しすぎだ。転生者ではないとはいえ、彼女は紛れもない“主人公”だぞ。ご都合主義の権化相手に気を抜くな」

「うぅ~、面目ない。まさか、デバイス無しであそこまで魔法を使いこなすとは思わなくて……」

 

 青年と日野芽の会話する声に、なのははハッとして振り返った。その視線の先には、襟首を掴まれた状態で猫のように抱えられる日野芽と、バイザーをつけた全身白服で固めた青年がいた。

 

 バッと棍を構え直し、臨戦態勢になるなのは。だが、そのこめかみには冷たい汗が流れている。既に疲弊はかなりのもの。その上で、転生者が二人。今度は日野芽も、なのはを戦闘不能状態にすべく本気でかかってくるだろう。

 

 だが、緊迫するなのはを余所に、バイザーの青年はやれやれと肩を竦めるだけでなのはと戦う意思を見せず口を開いた。

 

「まぁいい。目的は達した。時間稼ぎは十分だ」

「お、以外に早かったね。もう少しかかるかと思ったけど」

「まぁな。これでも相当練習して、少しずつ処理速度は上がっているんだ。まぁ、それでも酷く扱いづらい能力であることに変わりはないが」

「そりゃあねぇ。世界を滅ぼしうる魔法だよ。七詩(ななし)さんは、“司波達也”じゃないんだから、そう簡単にはいかないでしょ。私だって、未だに臨界突破は出来ないし」

 

 二人の何気ない会話に、なのはの中の嫌な予感が膨れ上がっていく。そして、アクセルシューターを浮かべながら口を開こうとして、

 

「高町なのは。目を閉じて、耳を塞いでおくといい。どうせ消す記憶とは言え、身内が消し飛ぶ光景が深層心理にでも残っては事だからな」

「な、何を言って――」

 

 疑問を口にするなのはには答えず、バイザーの青年――魔法科高校の劣等生主人公、司波達也の【再生と分解の魔法を使える能力】を持つ転生者――七詩七雄は、銀色に輝く銃型デバイスを取り出し、真っ直ぐ、なのはとは別の方向(・・・・・・・・・)に向けた。

 

 その方角は、未だ激しい戦闘音が響いてくる方。そう、双子の姉であるスグハがいる方角。

 

 七詩の念話が響く。

 

「サーシャ、上垣、準備が完了した。カウントスリーだ」

「っ」

 

 何をする気なのかは分からない。だが、なのはは総毛立つほどの悪寒に襲われた。それは死の恐怖。自分の、ではない。大切な誰かが永遠の彼方へ去ってしまう、そういう恐怖だ。

 

 故に、自分でも意識しないまま、必死に念話を飛ばした。

 

『お姉ちゃんっ、逃げてぇっ!』

 

 次の瞬間、

 

「発動――マテリアルバースト」

 

 七詩の言葉と同時に、仮初の海鳴が灼熱の太陽に包まれた。

 




いかがでしたか?

なのはちゃんが魔改造というほどではないければ、原作前から強い系です。

ただし、それなりなので、複数転生者から身を守れていた理由として双子の姉を入れました。

こいつが滅法強い系です。実は、御神の剣士がハリーポッター世界に行ったらという二次を考えていたときの主人公だったりします。ちょびっと書いていたので、そのうち流そうかと思っていたり。

さて、今回の相手は〝原作通りが一番!〟派の転生者達。
一見、信念があるようにも見えますが……なのはちゃん激おこモードです。

次回は、ピンチのところへ……

来週辺り、投稿できればいいんですどね。


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第67話 悪戯猫と女王様

 

 灼熱の太陽。

 

 それが仮初の海鳴市中心街を更地に変える。凄絶な爆風は、当然、引き離されていたなのはにも容赦なく襲い掛かったが、戦略級の魔法を放った転生者――七詩七雄が何かをしたようで、閃光により一時的に視力を奪われたくらいで余波の影響はほとんどなかった。

 

 だが、そんな事実は何の気休めにもならない。なぜなら、あの滅びの光の中心には、なのはの大切な、ずっとずっと自分を守ってきてくれた大好きな双子の姉――スグハがいるのだ。

 

 いくら、スグハが超一流の武技と、常識外の魔法を会得しているからといって、周囲一帯丸ごと消滅させられて無事に済むとは思えない。瞬間移動の魔法を得意としていることから普通なら直ぐに離脱できるだろうが、それは七詩達も重々承知のはずで、だからこそ転生者二人に時間稼ぎをさせたはずなのだ。

 

 何より、なのはが警告を出した瞬間の、スグハの焦燥。

 

 双子だからか、それとも無意識の内の魔法的な何かなのかは分からないが、昔から、なのはとスグハは互いの強い感情については、離れていても不意に感じることがあったのだが……それが、強く伝わった。

 

 姉は無敵だ。今までだって、幾人もの転生者達を、士郎達御神の剣士が手を出せない場所ではたった一人で退けてきた。だから、無事なはず。消えてしまったなんて、そんなことあるはずがない!

 

「お姉ちゃん! 返事してっ。お姉ちゃん!」

 

 滅びの余韻覚めやらぬ現場からは、未だ、応答がない。胸に湧き上がる不安を押し殺し、なのはは必死に、スグハに呼びかける。

 

 だが、

 

「……すまないな。これも世界と、君の未来の為だ。なに、目が覚めたときは、全てが元通りだ。心配することはない」

 

 ハッとしたなのはが視線を転じれば、そこには銀色の銃型デバイスをなのはに向けている七詩と、チェックメイトだとでもいうかのように肩を竦める日野芽の姿があった。

 

 なのはは悟る。七詩が引き金を引けば、自分は意識を喪失し、そして、目覚めたときには何もかも忘れた後なのだろうと。大切な姉がいたということを、忘れたことすら忘れて、のうのうと生きていくのだろうと。

 

 それは、今の高町なのはが死ぬことと、いったい何が違うというのか。

 

(そんなの、絶対にイヤっ)

 

 心で絶叫し、なのははその場を離脱しようとする。が、

 

「――【クラウンベルト】。悪いけど、チェックメイトだよ。イレギュラーとはいえ、実の姉が死んだなんて記憶、さっさと消しちゃおうね」

 

 道化師のベルトがなのはを拘束する。そして、まるで走馬灯のように家族との思い出が脳裏をよぎる中、無慈悲に、七詩の引き金が引かれた。

 

 その瞬間、

 

「え?」

 

 なのはは、わけの分からない光景に呟きをもらした。彼女の眼前には、夜空が広がっていたのだ。

 

 足は地についている。場所はビルの屋上――その淵だ。眼下では突然消えたなのはを探して、動揺をあらわにする七詩と日野芽がいる。そう、なのはは、一瞬にして、自分でも意図せずに、ビルの屋上へ瞬間移動していたのだ。

 

 突然の事態に、呆然とするなのはへ、その犯人が声をかける。

 

「にゃぁ~」

「ふぇ!? って、ネコさん!? いつの間に、私の頭の上に!?」

 

 わたわたと手を振りながら、眼前にふりふりと垂れるモフモフのカギシッポ。直後には、なのはに注意を促すようにネコ足が垂れてきて、なのはの額を肉球でぽふぽふする。

 

 どうにか自分の頭に鎮座しているネコを降ろしたなのはは、それを眼前に掲げてギョッとした。確かに、一見するとどこにでもいる黒猫なのだが……

 

「どうしてシッポが三本もあるの!?」

 

 そう、その黒猫には、ふさふさの毛に覆われたギザギザのカギシッポが三本もついていたのだ。しかも、なのはが驚愕の声を上げた瞬間、

 

「笑ったっ!?」

 

 ニィイイイと口元を歪めて、実に悪戯っぽく笑ったのだ。

 

 思わず放り投げたなのはの反応は正しい。故に、そんないかにもな化け猫が空中でくるりと回転し、そのままスタッと自分の頭に返って来くれば「いやぁああ~~」と悲鳴を上げてあたふたするのは仕方のないことだった。

 

 当然、そんな風に騒げば、七詩と日野芽も気が付くわけで、

 

「驚いたな。転移魔法までデバイスなしで修得しているなんて……」

「本当、主人公っていうのは厄介よね。ここぞっていうときに、なんとかしちゃうんだから」

 

 二人とも屋上に飛び上がってくる。そして、もう転移する暇は与えないとばかりに、七詩が速攻でデバイスの引き金を引いた。それは、対象を一種の酩酊状態に陥れて意識を奪う非殺傷の魔法だ。

 

 それに気がついたなのはが身構えた瞬間には、既に、なのはがいる座標を中心に発動した後だった。

 

 もっとも、七詩の目論見は盛大に外れることになる。

 

「なっ、ノータイムで転移だと!?」

「ちょっ、いくらなのはちゃんでも、チート過ぎない!? っていうか、今更だけど、なんで頭にネコ乗せてるわけ!?」

 

 七詩と日野芽が動揺を隠せずに声を上げる。慌てて気配を探れば、隣のビルの屋上に、黒ネコを頭にポフッと乗せたなのはが目を白黒させている姿が目に入った。

 

「デバイスもなく、そんな連続転移が何度も出来るわけがない! 悪あがきだよ、なのはちゃん!」

 

 日野芽が、道化師の衣からおびただしい数のクラウンベルトを放出する。それはさながら蜘蛛の糸の如く、一瞬でなのはのいるビルを中心に空間全体へと展開された。

 

 二度の転移が、自分達から逃げるにしては短距離であったことから、デバイスのない速度重視の転移ではごくごく短距離が限界なのだろうと推測し、どこに転移しても捕まえられるようにしたのだ。

 

 が、そも、その推測は、前提を間違えている。

 

 故に、

 

「にゃあ~」

「にゃっ!? 今度はなに!?」

 

 ネコの鳴き声が一つ。口元が悪戯っぽくニィイイイイッと歪み、カギシッポがゆらりとゆれれば、刹那、なのはの視界が、周囲の空間が、一斉に――ずれた。

 

 幾百と奔る空間のずれ。

 

 それは、線上にある万物を空間ごと切り裂く神殺しの魔剣。その軌跡。悪戯ネコが巻き起こす空間断裂の証。

 

――【魔剣アンサラー】

 

 結果は言わずもがな。神の道化が織り成した結界は、いとも容易く細切れの残骸と成り果てた。

 

「違うっ、高町なのはの力じゃない! あの黒ネコだっ」

 

 息を呑む日野芽の傍らで、ようやく異常事態の原因に気が付いた七詩がデバイスを構える。

 

 が、次の瞬間、当の黒ネコが空間からにじみ出るように現われた。七詩の構えるデバイスの上に。

 

「うわぁっ!?」

 

 先程までのクールな印象とはかけ離れた悲鳴を上げて、デバイスを乱暴に振る七詩だったが、振り落とされたのは黒ネコではなく、細切れにされたデバイスの残骸だった。

 

「っ、このっ、調子に乗るな!」

 

 怒声を上げて、もう一つのデバイスを取り出す七詩だったが、銃口を向け引き金を引こうとした瞬間、死に物狂いで指を止める。

 

「っ、ちょっ、どこ狙ってんの!? 殺す気!?」

「お前が、いきなり現れたんだろうがっ!」

 

 そう、いつの間にか、黒ネコを狙って向けた銃口の先には、日野芽が出現していたのだ。そして、その日野芽の頭には黒ネコがニヤニヤしながら乗っかっている。

 

 日野芽が慌てて、頭上に爪を振るうが、それが黒ネコを捕える前に、当の本人がスッとその姿を消してしまった。同時に、七詩のデバイスがまたもや分解でもされたように破壊され、咄嗟に距離を取ろうとした七詩自身もスッと溶け込むように姿を消してしまう。

 

「にゃ」

 

 そんな鳴き声一つ。二人をかき消した直後、なのはの肩にゆらりと現れた黒ネコは、再び自慢のカギシッポを振るった。

 

 直後、なのはの視線の先で、凄まじい轟音と共にビルが幾重にも割断されて崩壊していった。

 

 ちなみに、消えた日野芽と七詩は、その崩壊するビルの中心に転移させられていたりする。二人とも、分解能力と破壊力抜群の能力を持っているので、ビルの崩壊に巻き込まれたくらいで死にはしないだろうが、流石に直ぐさまなのはへと攻撃をしかけることは出来ないだろう。

 

 転生者二人を、あっさり手玉にとった正体不明の黒ネコに、なのはは半ば呆然としながら視線を向ける。自分の小さな肩に乗っている黒ネコは、相変わらず人を食ったようなニヤニヤ笑いをしているが、何となく、なのははその尋常ならざる黒ネコが危険なものではないような気がした。

 

「……ネ、ネコさんは、私を助けに来てくれたの?」

「なぁ~お」

 

 なのはの質問に、「そうさ~」と返事をするように鳴く黒ネコ。ついでとばかりカギシッポでなのはの頭をポフポフする。まるで「まぁ、中々、頑張ったじゃん」と言うかのように。

 

 そんな黒ネコの態度(?)に、少なくとも自分に対する危険はないと確信したなのはは、泣きそうな表情で黒ネコへと懇願する。

 

「あのねっ、あのねっ、ネコさん! 私のお姉ちゃんが大変なの! お願い、お姉ちゃんを助けて!」

 

 あれほどの戦略級魔法が放たれた後でも、なのははスグハの生存を信じていた。それでも、無傷では済まなかったかもしれない。酷い傷を負っているかもしれない。そして、戦っていた二人の転生者が、そんな姉に、今にも迫っているかもしれない。

 

 そう思うと、とても落ち着いてはいられなかった。

 

 そんな焦燥と不安に揺れるなのはへ、黒ネコは黄金の瞳を優しげに細めると、再びカギシッポでなのはの頭をポフポフした。いかにも「心配すんな~。大丈夫さ~」と言っているかのようだ。

 

 そして、それを証明するように、視線を明後日の方向へと向ける。その視線を追ってなのはが視線を転じれば、更地の一角から何かが宙を駆けてくる。それが何か、理解した瞬間、なのはの不安と焦燥は吹き飛んだ。

 

「お姉ちゃん!」

「なのはっ」

 

 【神速】すら使って駆けたスグハは、そのままなのはに飛び込みそうな勢いで迫ったものの、しかし、なのはの肩の上に鎮座する黒ネコを見て思わず臨戦態勢を取った。

 

「お姉ちゃん、このネコさんなら大丈夫だよ。なんだかいろいろ普通じゃないけど、なのはのこと助けてくれたし……それに何となくあったかい感じがするの」

「……なのはがそう言うなら。というか、なんだかいろいろ普通じゃないものに、私の方も助けられちゃったし」

「え?」

 

 なのはが首を傾げる。すると、スグハの肩からひょこっと女の子が顔を出した。手乗りサイズの女の子が。

 

「ぇええええええっ!? お、お姉ちゃん!? なんかいるよ!? 小さいとかそんなレベルじゃないお人形さんみたいなのが! よ、妖精さんなの?」

「分からないわ。あのとき、流石に死を覚悟したのだけど……気がついたらこの子がいて、あの衝撃と熱波から守ってくれたのよ。障壁みたいなものを展開してね。なんにせよ、尋常じゃないわ」

 

 スグハが、自分の肩に座って「えっへん!」と胸を張る騎士甲冑を纏った美貌の少女に、どうしたものかと困ったように眉を八の字に下げた。スグハもまた、少女の存在がなんなのか分からずとも、なのはと同じく、なんとなく敵ではないと感じているのだ。もっとも、なのはより、経験則に基づく判断に比重は傾くが。

 

 と、その時、不意に閃光が瞬いた。

 

 咄嗟に、スグハがなのはと共に転移しようとするが、それを肩に乗った騎士甲冑の少女がペチッと頬を叩いて制止する。

 

 そして、スッと手を掲げた瞬間、スグハ達の手前で猛烈な閃光と轟音が鳴り響いた。見れば、空中に砲弾が留まっており、着弾地点を中心に障壁らしきものが波紋を広げている、かと思った次の瞬間、その砲弾がそのまま飛来した方角へ返された。

 

 神威すら受け止め、因果応報を体現するかのように悪意、敵意の全てをそのまま返す。絶対にして、最強の盾。

 

――【アイギスの鏡】

 

 追撃してきていたIS使い――上垣が、跳ね返された己の放った弾丸を辛うじて回避しつつ、障壁へ特攻する。

 

 機体はラファール・リヴァイヴ・カスタム。その手には大型の盾――【灰色の鱗殻】が装備されている。

 

「おぉおおおおらぁああああっ」

 

 最高速度のまま突撃し、大盾をシールドバッシュのように叩きつけ、次の瞬間、その大盾から爆音と同時に巨大な鉄杭が発射された。所為、パイルバンカーだ。破壊力は折り紙付き。第2世代ISの中では最強の攻撃力を持つ。しかも、リボルバー機構が取り付けられており、連続発射が可能だ。

 

 今も、連続した轟音と共に鋼鉄の杭が障壁を食い破らんと打ち込まれる。

 

 しかし、障壁は波紋を広げるだけで亀裂一つ入りはしない。その行使者である小さな少女も、実に涼しげな――否、頭部が背面に隠れるほど仰け反った姿勢のまま、上垣をビシリッと指差している。

 

 そう、これは、某見下しすぎな海賊女帝のポーズ!

 

「くそがっ。なんなんだよ、そいつは! マテリアルバーストに耐える障壁ってのはどんな冗談だっ。まだ、そんな隠し玉を持ってやがったのかよ、高町スグハ!」

「いえ、全くの誤解なのだけど……」

 

 見下しすぎな女帝のポーズを続ける肩の上の少女に、何とも言えない表情を向けながらスグハが言うが、言葉の途中で、上垣の隣に空間の亀裂が生じ、サーシャが現れた。

 

「しかも、空間に干渉できるネコの使い魔まで従えているようね。奇襲をかけようと思ったのに、空間の亀裂そのものを破壊されて邪魔されたわ」

「いえ、だから、誤解だと……」

 

 更に、瓦礫の山を粉砕して七詩と日野芽が飛び出してくる。

 

「高町スグハ……サーシャと上垣を同時に相手して圧倒し、俺のマテリアルバーストすら凌ぎ、その上、妹の援護までし続けていたとは……お前は化け物か」

「だから――」

「どうやら、今の私達じゃまだ届かないみたいだね。今回は、スグハの奥の手をさらけ出させたということで満足しとこうかな」

「……」

 

 どうあっても、誤解は解けそうになかった。彼等が誤解したセリフを吐き始めたときから、黒ネコがスグハの肩に飛び乗り、いかにも「我が主様~」と言いたげな雰囲気で頭を垂れ、見下しすぎな女帝のポーズを取っていた少女は、肩の上で行儀よく片膝立ちをしている。まるで、主の命を待つ騎士の如く。

 

 黒ネコは、頭を下げたまま口元を盛大にニヤニヤさせ、少女は無表情を貫きつつも、口元が微妙にピクピクしている。明らかに悪ノリしていた!

 

 スグハの頬も盛大にピクる。なにより、隣のなのはが、「えっ、この子達がお姉ちゃんの切り札!?」と半ば信じている辺りが、なんとも言えない。

 

「高町スグハ。私達は撤退するわ。それとも、どちらかが死ぬまで戦う? その使い魔がいれば、私達四人、いえ、結界を維持しているもう一人と合わせて五人を相手に、疲弊したなのはちゃんを庇いながらでも勝てるかもしれないけれど?」

 

 サーシャが空間の亀裂を開きながら、鋭い眼差しをスグハへと送った。スグハは、少し考える素振りを見せた後、何故か明後日の方向を向いている少女と黒ネコを見て溜息を吐きつつ、サーシャへと向き直った。

 

 凄絶な殺気を放ちながら。

 

 身構えるサーシャ達に、スグハは静かな声音で口を開く。

 

「次、会えば……斬るわ」

「っ、出来るかしらね? 私達も、このままではないわよ?」

 

 冷や汗を流しつつ、サーシャ達はジリジリと後退るようにして、空間の亀裂へと消えていった。同時に、封時結界も消えていき、人の営みがもたらすざわめきが聞こえ始めた。

 

「ふぅ。なのは、ごめんなさい。今回は、してやられたわ。格好悪いところを見せたわね」

「ううん、お姉ちゃんが無事でよかった。……私、もっと強くなるね。“原作”が始まったら、もっと転生者の人達が好き勝手し始めると思うし」

「そうね。転生者の能力は本当に厄介だわ。私も、もっと精進を積まないと……さて、それで、あなた達はいったいどういう存在なのかしら? 転生者? それとも、どこかの転生者の使い魔さん? 助けられたことには礼を言うわ。でも、顔見せもしない人を、全面的には信用できない。正体を教えてくれないかしら?」

 

 スグハが、騎士甲冑の少女と黒ネコへ言葉を向ける。なのはも、気になっていたのか真剣な表情で見つめ出した。

 

 が、その一人と一匹(実際には、二体)は、互いに顔を見合わせると、少女の方がぴょんと飛び上がって黒ネコの上に跨り、バイバイと手を振り出した。

 

小さなビスクドールのような少女が黒ネコに跨っている姿は、なんとも愛嬌があるのだが……明らかにどこかへ行こうとしている彼女達に、スグハは慌てる。

 

「ちょっと、まさか、そのまま消えるつもりじゃ……」

「ま、まって、ネコさん! お話しようよ!」

 

 二人して引き止めるが、直後には、スッと空気に溶け込むように少女と黒ネコの姿が希薄になっていく。どうやら引き止めること叶わないと察したスグハが、盛大に溜息を吐きながら、せめてと伝言を託す。

 

「あなた達を送ってくれた人に、お礼を伝えてちょうだい。おかげで、私はまだ、この世界で家族とともに生きられる、ありがとう、て。お願いできる?」

「わ、私も、助けてくれてありがとうって伝えて!」

 

 虚空に消える瞬間、黒ネコはニィと、騎士甲冑の少女はニッコリと笑みを浮かべ、コクリと頷いた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「おかえり。そして、ご苦労様。チェシャ、クイーン」

「にゃぁ」

「――!」

 

 海鳴市の遥か上空。雲海の更に上の月下において、黄金の雲に腰掛けた伊織が、自分の膝上に帰還した二体の魔獣――【チェシャキャット】と【クイーンオブハート】に労いの言葉をかけた。

 

 もちろん、チェシャキャットとは先の黒ネコであり、クイーンオブハートとは騎士甲冑の手乗り少女である。

 

 この二体の魔獣、本来は金属質なボディを持った、もっと生物味のない風体なのだが、伊織の長年の鍛錬と改良により、もふもふふネコとビスクドール少女の外観を取得している。

 

他の魔獣も、それぞれ外観がかなり生物的なものに変わっており、チェシャとクイーンがそうであったように、明確な自我を持つに至っていた。現場において、伊織の指示がなくとも、臨機応変な行動を取ることができるようになっているのだ。

 

 その二体が、伊織の影へ沈み込み消えた後、静謐と月光で満ちる雲海の上に、伊織へ話かける声が響いた。

 

「マスター。名乗りでなくて良かったんですか? なんだか、なのはちゃんも、スグハちゃんも、話したそうにしてましたけど……」

「だね。それに、結構切羽詰まった状況みたいだよ? 味方になってくれる人がいるって分かるだけでも、気持ち的にかなり楽になると思うけど」

 

 伊織が腰掛ける黄金雲――前世において師匠に当たる闘戦勝仏“孫悟空”より譲り受けた有名な“金斗雲”――に、同じく腰掛けたミクとテトが首を傾げながら尋ねた。

 

「まぁ、名乗り出ても良かったんだが……何人か、さっきの戦いを観察している連中がいただろう? 彼等に見られるのは、まだ時期尚早かと思ってな」

 

 伊織の言葉に、エヴァが「ふむ」と考えるように頷く。

 

「それは、私達の存在が、完全に高町姉妹の味方であると思われるのを避けたい、という意味だな?」

「ああ。彼女達も言っていたように、原作が始まれば、彼女達の状況は更に緊迫と混迷を深めるだろう。変化を嫌い、あるいは変化を望み、自分の為に、誰かの為に、転生者達は動き出す。今まで、様子見に徹していた者も含めて、な」

「高町スグハ……転生者複数人を相手に圧倒できるほど強者ではあったが、流石に、たった一人で大きな流れに抗し切るのは難しいじゃろうのぅ」

 

 感嘆と憂いを瞳に宿して、九重が言う。伊織はそれに頷きつつ、続きを口にした。

 

「そのとき、俺は、高町家の力になりたいと思うが、高町家だけの力になりたいわけでもない。転生者達に、高町家側の陣営なのだと認識されてしまうと、言葉の説得力が薄れてしまう気がするんだ」

「“結局、お前もなのは側のオリ主したいだけだろ!”っていう感じにですね」

「そういうこと。こと“原作”を巡る争いにおいて、俺は、あくまで第三者でいたいと思う。打ち倒さなきゃならない相手が現われたとき、誰かの陣営について、“敵対したから倒す”というのではなく、俺が俺の誓いを果たすために手を下す、というスタンスを崩したくはないんだ。わがままかもしれないがな」

 

 わがままという言葉に、ミク達は首を振って、伊織のスタンスを肯定した。そして、気になっていたことに話題を移す。

 

「それにしても、スグハちゃん……見事な剣技でしたね」

「転生者が御神流を習って無双するっていうのはテンプレだけど、それにしたって隔絶していたね。魔法は、ハリー・ポッターの魔法だったけど、あれも潔いくらい剣技の補助にのみ使っていたし」

「ふむ。確かに、ミクには及ばないものの、超一流の使い手と言っていいな。技量においても、精神においても。この年まで、家族を守り通しただけのことはある。だが……」

「疑問じゃの。果たして、“転生特典”とやらがあったとしても、たった数年であれほどまでになるものか……」

 

 ミク達がスグハの強さに首をかしげていると、少し考える素振りを見せた伊織が顎をなでながらポツリと零す。

 

「あるいは、彼女も幾度かの転生を果たしているのかもしれないな」

「その可能性は高いですが……でも、御神流に習熟している理由にはなりませんよ?」

「それはそうかもしれないが……まぁ、その辺はおいおいでいいだろう。彼女が何者であるにせよ、この世界で本気で生きていて、家族を大切にしている。十分に、信用と敬意を向けるに値する人だ」

 

 伊織が言葉を切ると、ちょうど高町姉妹が自宅の前に転移したところだった。遥か上空ではあるが、仙術と“音”を利用すれば、彼女達の動きは容易く捉えられる。たとえ空間転移したとしても、半径十数キロ程度なら瞬時の捕捉が可能だ。

 

 伊織は、二人が無事に帰れたことに少し安心したように吐息を漏らすと、ついで髪の先端部分を数本切り取り、そっと風に乗せるように吹き払った。

 

「天巻く風来りて、泡沫を現す。疾く息吹け」

 

 直後、ポンッと音をさせて手乗りサイズのデフォメルメされた伊織が複数出現する。

 

――闘戦勝仏直伝仙術 身外身の法

 

闘戦勝仏が使用した有名な分け身の術だ。プチ伊織達は、そのまま【絶】と【オプティックハイド】で姿どころか気配すら完全に消すと、スグハ達が帰宅した直後からバラバラに動き始めた転生者達のもとへと飛び出していく。きっと、数日もすれば彼等の素性を暴いてきてくれるだろう。

 

 と、そのとき、不意に、伊織へ不満のにじんだ声音とジト目が突き刺さった。

 

「むぅ。マスター、そういう役目は、アーティファクトと羽衣がある私に任せてくださいよぉ」

「幻術と分け身が十八番の妾としても同感じゃのぅ。闘戦勝仏殿に師事してからというもの、伊織の反則具合が半端ないのじゃ。大抵のことは一人で出来てしまうからのぅ」

 

 伊織が、ファンキーだが滅法強い師匠――孫悟空から学んだ仙術は恐ろしいほどに汎用性が高い。かの世界において、こと妖術と仙術の扱いに関しては極みの領域にあった仏が皆伝を与えたのだ。故に、今まで役割分担していた事柄も、やろうと思えば大抵出来てしまう。

 

 伊織が強くなっていくのは嬉しいが、自分達が役に立てる機会が減って何とも複雑な感情を抱いているのはミクや九重だけではなかった。

 

 そんな彼女達に、伊織は困ったように眉を八の字にして頬を掻く。

 

「う~ん、この程度、ミク達の手を借りるまでもないんだが……まぁ、気をつけるよ。それより、そろそろ帰ろうか。高町家の現状も、転生者の一派の有り様も、ある程度分かった。明日からは、本格的に調査だ。この地球において、転生者達の影響がどの程度あるのか、あるいはないのか、確かめて行こう」

 

 ミク達の肯定を示す返事を聞きながら、伊織は金斗雲を風に流すように移動させていく。

 

月光により白銀の輝く雲海の上を滑るように飛ぶ黄金の雲。その光景は、傍から見れば、どこぞの神の安行のようだったが……本人に自覚はない。

 

 そして、夜天の散歩を楽しみつつ、伊織は、チラリと肩越しに背後を見た。そこには、金斗雲に寝そべり、ちっちゃなあんよをプラプラと揺らす、デバイス技術をも組み込んだ超高スペックスマホをいじいじしている龍神様の姿が……

 

「……蓮。さっそくこの世界のネトゲをダウンロードして熱中するのはいいんだが……転生者に興味があったんじゃないのか? お前のことだから、転生者達の能力を見て、一喜一憂するかと思ったんだが」

 

 伊織達と家を出たときは、明らかにワクテカしていた(実際に、ワクテカワクテカと口に出していた)蓮。なのに、転生者達の戦いを見たあとは、まるで「失望した!」とでもいうかのように興味を失い、ゲーマーモードに入ってしまった。

 

 伊織の質問に、ひょこっと顔を上げた蓮は、疑問に答えるべく口を開く。

 

「拳で語らぬ者に興味はない。居合拳か百式観音辺りの使い手が出たら教えて欲しい」

 

 どうやら、龍神様はちょこざいな能力合戦など興味の埒外らしい。

 

「無限を司る龍神なのに、お前はすっかり物理一辺倒なのな……」

「猛る拳、熱き拳、語り合う拳こそロマン。我に妥協はない!」

「……そうか」

 

 伊織が遠い目をしながら明後日の方向へ視線を向けた。お月様が、苦笑いするように瞬いた……ような気がした。

 

 

 

 




いかがでしたか?

なんか可愛い方向で進化した魔獣ちゃんたち。
さて……ジャバくんとバンダーちゃんとか、どうすっか……


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第68話 御神の剣士とベルカの騎士

大変お待たせしまた。
お正月で時間ができたので何とか更新。
内容が薄くてすみませんです(汗

エタらせることだけはありませんが、次の更新も先になりそうです。
2、3カ月したらいろいろ落ち着きそうなので、そしたら一週間に一話くらいで更新できたらと思います。

まだ読んでくれている方がいるかは分かりませんが、ハーメルン民の皆様、今年もよろしくお願い致します。




 なのは達の戦闘に介入した翌日から、伊織達は本格的な調査に乗り出した。

 

 調査項目は、地球に存在する転生者の数と、派閥、およびその主義・思想、それから可能ならば能力だ。

 

 同時に、転生者達が目をつけそうな人物達――生き残った御神・不破の者達、神咲や妖狐の久遠とその周辺の人物達、フィアッセ・クリステラなど高町家と関わりの深い“とらいあんぐるハート”の登場人物達の存在確認と存在する場合の現状、八神はやて一家の痕跡、バニングスや月村家の周辺、そして海外と周辺次元の海。

 

 海外や周辺の次元の海は、転生者達が拠点を築いている可能性を考慮したものだ。原作では、テスタロッサ達は次元の海にある時の庭園を拠点にしていたし、転生者の何かしらの能力なら、そんな奇抜な場所に拠点を作っていてもおかしくないからだ。

 

 そんなわけで、海鳴市の転生者達に気取られないように、調査を進めること半日。既に日が傾きかけ、夕日がオレンジの神秘で世界を照らす頃、伊織達は自宅で早めの夕食にありつきながら情報の整理をしていた。

 

「取り合えず、バニングス家と月村家は問題ないようだな」

「そうですね。“俺の嫁ぇ~”って言いながら追いかけてくる如何にもな転生者くんはいましたが、意思を縛られたりしている様子はありませんでしたし」

「他にも、まるで見計らったようなタイミングで現われて“止めろ、アリサ達がいやがっているじゃないか”なんてテンプレなことを言っていた子もいたね」

「ような、ではなく実際に、隠れて見ていただろう。下心が隠せておらんわ」

「アリサ嬢もすずか嬢も、物凄い逃げっぷりじゃったのぅ。しかも、凄腕の護衛つきじゃ。あれ、全員、御神の剣士とやらじゃろう? スグハ嬢と動きがよう似ておった」

 

 伊織達が調査に向かったとき、ちょうどアリサ・バニングスと月村すずかは行動を共にしていたのだが、そこへちょうど、転生者がテンプレなちょっかいをかけにきたのだ。

 

 そして、いかにも偶然通りかかりましたという様子で、止めに入った他の転生者もいたのだが、アリサとすずかは、彼等を見るなり、一言もしゃべらず、脇目も振らず、いっそ見事と言いたくなるような逃走ぶりを見せた。

 

 当然、置いてけぼりを喰らった二人の転生者は、アリサ達を追いかけたのだが……実にさりげなく追撃を妨害されまくったのだ。突然、角から人が出てきてぶつかったり、車が道を塞いだり、足元に糸が絡みついてずっこけたり(一瞬で巻きついて、一瞬で回収されたので本人達は気がついていない)……

 

 俯瞰していた伊織達が気づいたところでは、六人の護衛がさり気なくアリサとすずかを護衛しているようで、全て彼らの仕業だった。

 

 九重の予想通り、彼らの動きは洗練された武人のそれで、明らかに御神の人間と分かった。どうやら、高町スグハが回避した御神家の悲劇は、こういう形で活かされているらしい。

 

 健在な幾人もの御神の剣士が、高町家と関係の深い人物達の護衛を務めているのである。

 

「正面から能力をフルに使われては、御神の剣士と言えど勝利は至難だろうけど……流石は、“守り”を掲げる流派なだけはある。能力勝負にならないよう戦闘そのものを避けているようだったし、おそらく、戦いになれば不破流のように暗殺型で行くんだろうな。能力に頼り切った中身が未熟な転生者では、戦いを認識する前に下されることもありそうだ」

 

 伊織が、御神の剣士達の、実に合理的だった動きから予想を語り、感心したように頷く。それにエヴァが同意するように頷きながら続いた。

 

「経験がダンチだろうからな。それに、いざとなれば、直ぐに高町スグハを呼び出す方法も確立しているのではないか? あいつには非常識な転移魔法があるようだからな」

「そうだな。おそらく、その辺りが、これまで高町家やその周辺の者達を、転生者が好きに出来なかった理由だろう」

 

 ちなみに、“とらいあんぐるハート”の登場人物達も、幾人かの存在を確認することができたのだが、そこにも御神の剣士が護衛についていた。

 

「妾としては、久遠という妖狐が気になるところなのじゃが……八束神社にはおらなんだし、この町にも気配が感じられん。存在する者としない者がおるのかのぅ?」

 

 九重が、同じ妖狐である久遠の存在を思い、難しげな表情をする。“原作”では、神咲家が多大な被害を出しながらもどうにか封印し、子狐状態となっている久遠が、神咲那美に養育されながら八束神社で過ごしているはずなのだ。

 

 だが、八束神社に久遠はいなかった。それどころか、神咲那美もおらず、代わりに初老の女性が神社の管理をしているようだった。久遠も神咲那美も、とらいあんぐるハートの中では重要人物だ。故に、他の登場人物が実在するにもかかわらず、二人だけいないというのは腑に落ちない。何とも嫌な予感が湧き上がる。

 

「……結論づけるのは早い。海鳴に存在する転生者の中に、久遠を連れている者はいなかった。もしかしたら、海鳴市の不穏な気配を察して移住したのかもしれない。海鳴の現状は大体把握できたし、これから地球全体の調査に入るから、その過程で見つかるかもしれないしな」

 

 伊織の言葉に、九重も頷く。

 

 それから二、三、海鳴市の転生者達について話し合ったあと、白兎がコロッケを頬張りながらウキウキしたように尋ねる。

 

「それで伊織。明日からは日本の各地や世界を回るんだろう? 取りあえず、香港のマフィア連中とか、フィアッセ・クリステラ辺りとか、存在が確認できているところから」

「まぁ、そうだね。とらいあんぐるハートでも出て来た香港系マフィア“龍”の動向は気になる。あるいは、御神の剣士が健在である以上、既に壊滅させられている可能性もあるけど、直接聞きに行くわけにもいかないしな。クリステラさんも、転生者には手を出されやすい立場ではある……メディアに出ている情報からすると特に大きな問題はなさそうだけど、念の為、周辺は探っておこうと思うよ」

 

 伊織の言葉に我が意を得たりといった表情になった白兎は、一つ、提案を口にした。

 

「そうだよな! よし、それじゃあ調査ついでに、ここは北條家初! ワクドキ世界一周旅行! とシャレこもうじゃないか!」

「え? いきなりどうしたんだ、父さん。家には転移座標を設定してあるから、海外へ調査に出ても日帰りは簡単だぞ。普通に、毎日、帰ってくるつもりだったんだが……何日も海鳴の町を放置していくのは気が進まないし」

 

 戸惑うように眉を下げる伊織に、白兎はチッチッチッとわざとらしく指を振る。なかなか、イラッとくる仕草だ。

 

「伊織、そう真面目なことを言うな。数日、旅行に行くくらい構わないだろう? 確かに、俺達はお前に使命を預けたが、それに縛られて欲しいなんて思っちゃいない。せっかくまた生まれて来てくれたんだから、十分に楽しんでくれないとな」

 

 仕草はイラッとくるが、白兎の言葉は実に父親らしいものだった。よくよく考えれば、今まで、旅行先で転生者に遭遇し、伊織の魂の大きさに気が付かれて、覚醒する前に殺されるかもしれないという心配から、遠出の旅行はしたことがなかった。

 

 白兎も三月も、普段から飄々とした態度を取っているが、伊織が前世の記憶を取り戻すまでは、それこそ常に気を張って生きていたのだ。万が一にも、伊織の存在を知られるわけにはいかないと、戦々恐々としながら。

 

 だが、それももう終わりだ。これからは、こそこそと隠れながら生きる必要はない。しかも、今はミク達もいて本当の意味で家族が揃った状態だ。だからこそ、調査のついでに、北條家初の長期旅行に行こうというのである。

 

「白兎とね、ずっと話していたのよ。伊織が自分を取り戻したら、まず家族旅行に行こうって。当然、伊織のお嫁さん達もいるはずだから、一気ににぎやかになって、すごく楽しいに違いないって」

「母さん……」

 

 三月がニコニコと笑いながらそんなことを言う。伊織は、二人がただ伊織をこの世界に産み落とすためだけ降りて来たわけではないと、改めて実感した。白兎も三月も、使命だけでなく、確かに家族になろうと決意してこの地に降り立ったのだ。

 

 そして、伊織の軌跡を全て理解した上で、父と母になろうと、そう誓って伊織を生んだのだ。それこそ、前世の記憶に目覚めず、無力な少年に過ぎなかった伊織を、命がけで守ってきたように。

 

 そんな今世の両親からの素敵すぎる提案を、伊織が断るわけもない。伊織が、視線を巡らせば、ミクも、テトも、エヴァも、九重も、蓮も……蓮はニヤニヤしながらギャルゲーをしているが、とにかく他のメンバーも、嬉しそうに、楽しそうに頷いている

 

 伊織は、取りあえず、「空気を読め」と言いながら、蓮にジャーマンスープレックスを決めつつ、白兎の提案に乗る返事をした。

 

「引っ越し早々、家族旅行か……まぁ、時期的にはちょうど春休みだし、ちょうどいいな。一応、高町家には、チェシャとクイーン、それと……手数重視でドーマウス辺りにでも護衛を頼んでおこう」

 

 ちなみに、今の魔獣ドーマウスは、ボテボテと歩く、非常に愛嬌のあるずんぐりしたハリネズミである。ただし、普通のハリネズミと違って、普段は毛もモフモフだ。自由に硬化、軟化と変化させられるのである。瞳もつぶらでラブリーだ。鳴き声は、女性陣のリクエストで「もきゅ」である。

 

「うふふ、楽しみですね、マスター。私、エベレストの天辺でピクニックしたいです! デザートに、山頂の氷で作ったカキ氷を食べましょうよ。マンゴーシロップ持っていかなきゃ」

「マスター、僕は、太平洋で海底遊覧したいな。この世界にもムー大陸があるのか探してみようよ。それから深海魚料理を堪能しよう」

「むっ、では私は、アラスカをリクエストしよう。オーロラ酒というのも悪くないだろう? なに、オーロラが発生しなくても、私が自力で起こしてやる。過去に類をみないほどのな」

「妾は、崑崙がよいのぅ。奥地に行けば、人の入り込めぬ秘境くらいありそうじゃ。あそこの静謐さが好きなんじゃよ。なんなら妾が異界を作って、霊脈と風水を利用した秘境を創ってやるのじゃ。北條家の避暑地にしようぞ」

「我はこの世界の聖地――秋葉原の現状が知りたい。果たして、そのレベルは如何ほどのものか、龍神pが、直接確かめてくれる!」

 

 次々とリクエストされる旅行先。白兎と三月が笑顔のまま冷や汗を流す。「もしかして、俺達が今はただの人間だって忘れてね?」と。そして、リクエスト先や要望がいちいちぶっ飛んでいることに比べ、秋葉原を指名した龍神様の何と庶民じみたことか。

 

 そして、そんな彼女達の無茶な要求を、紙にいちいちメモしながら、「うぅ~ん、どういうルートで回ろうか?」と、普通に旅行日程に組み込んで悩んでいる伊織に、「悩むところはそこじゃないだろう!」と白兎と三月はツッコミたくなった。いつもと立場が逆転している。

 

「な、なかなか楽しい旅になりそうだ」

「……そうね。問題は、私とあなたが、五体満足で帰ってこられるか、ということだけど、ね」

「……」

 

 旅行先に、北極や南極、火口からの地底探索、各国の軍事機密基地見学、月面旅行などを加えていく息子、娘達に引き攣った笑み浮かべる白兎と三月。

 

「伊織、何故、我を無視する。アニメイ○ととら○あなとメロンブ○クスと、ゲー○ーズ。さぁ、旅行先に加えて。早く加えて! さぁ、さぁ!」

 

 龍神様が、伊織の袖をグイグイと引っ張りながら要求を突き付けている姿に、何故か、白兎と三月は凄く癒された。旅行から帰ったら、いくらでも連れて行ってあげるからね、と。

 

 翌日、調査兼初の世界旅行に出発した北條家。

 

 彼等の旅行が穏便に済むわけもなく、普段着のままエベレストの山頂でカキ氷を楽しむ一家が目撃されてニュースになったり、

 

 中国の奥地で巨大な九尾の狐と漆黒の龍が目撃されて、「すわっ、傾国の危機か!? それとも神龍による中華の救済か!?」とニュースになったり、

 

「謎の凄腕路上バンド現る! サックス奏者は、あの世界の歌姫フィアッセ・クリステラの恋人か!?」と世界中のファンを阿鼻叫喚させるニュースが流れたり、

 

「怪奇! 北極と南極の陸地が三パーセントも増加した!? 突如、凍てついた海の謎」とか、

 

「歴史上、類を見ない大規模オーロラ発生。太陽に異常が!? 地球の危機!!」とか、

 

「ムー大陸は実在した!? 衛星に映った幻の大陸! 調査団の派遣が検討される!」とか、

 

 そんなニュースが一週間の間に世間を騒がせた。

 

 犯人は言わずもがな、である。大体の調査が終わった後だったので、もう、いつ伊織達の存在が知られてもいいのだが、白兎と三月の胃が、ある意味強靭になったのは言うまでもないことだった。

 

 ちなみに、ネットの2chや専門店のコミュニティでは、「爆買美少女現る! 一人称が“我”という極まりっぷり! 大変フレンドリーなので、見かけたら声をかけてみよう。何も言わずともポーズまで取ってくれます!」という噂が流れたりしていた。

 

 そうして、おおいに世間を騒がせつつ、十日ほどの調査旅行を済ませて帰ってきた伊織達。

 

 帰宅前に近くのスーパーで買い出しをしてから、わいわいと旅行の思い出話に花を咲かせて道を歩いていると、伊織が「おや?」という表情をして視線を遠くへ向けた。

 

「マスター?」

「どうやら、お客さんのようだ。家の前に、誰かいる。これは……」

 

 他のメンバーも気が付いたようで顔を見合わせた。そして、少し急ぎ目に歩き、自宅に続く最後の曲がり角を曲がったところで、その待ち人の姿を確認する。

 

 北條家の玄関の、その塀に背を預けて静かにたたずむその人物は、

 

「……ようやく帰ってきたわね。黒ネコと、妖精さんと、ハリネズミの飼い主さん?」

 

 そう、高町スグハ、その人だった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「粗茶ですが……」

「……ありがとうございます」

「お菓子もどうぞ。アラスカのお土産で“白い恋人”といいます」

「……………どうも、ありがとうございます」

「あ、椅子にクッションはいります? これ、中国の秘境で、自称“仙人”という人から買った、座っているだけで金運が上がる座布団なんですが……」

「…………………いえ、お気遣いなく」

「あ、私としたことが、せっかく手にいれたアトランティス製の空気清浄機のスイッチを入れ忘れてわ。ごめんなさいね。直ぐに新鮮でおいしい空気にしますから」

「……」

「おお、そうだ、三月。せっかくだから、エベレストから仕入れた氷で作ったかき氷も出して差し上げたらどうだ?」

「あら、それもそうね。直ぐに用意するわ。ついでに、海底遺跡に潜んでいた深海魚もお出ししましょうか」

「いやいや、かき氷と魚は合わないだろう。お土産に持って帰ってもらったらいいじゃないか」

「あら、やだ、私ったら!」

「はははっ。いやぁ、すみませんね、うちの妻はうっかりさんなもので。あ、それとも、かき氷と魚、一緒にいける口だったりします?」

 

 北條家のダイニングテーブルには、現在、訪ねてきた高町スグハと伊織、そして白兎が座っている。三月は、スグハに出す飲み物やお茶請けを用意するためパタパタと動き回っており、ミク達はリビングのソファーから「パパさん、ママさん。スグハちゃんがドン引きしてるよ~」と心配そうな表情を向けていた。

 

 世界旅行から帰宅した伊織達を待ち受けていたスグハを、取り敢えず、落ち着いて話ができるようにと家に招き入れたのだが、何故か妙に下手に出ながら、まるで会社の上司を家に招いた部下とその妻のような雰囲気で接待する白兎と三月に、スグハの精神は早くも追い詰められているらしい。

 

 その証拠に、遠い目をしながら明後日の方向を見ている伊織に対して、スグハは疲れたような表情を向けながら助けを求めた。

 

「………………ねぇ。確か、北條伊織くんと言ったわよね? そろそろ助けてくれてもいいんじゃないかしら? 私、初めてよ。転生者じゃなくて、そのご両親に追い詰められるのは」

 

 その言葉に反応して、白兎が何かを口走ろうとするのを察知した伊織は、テーブルの下で足をグリグリと踏むことで黙らせる。隣から「ひぎぃ!? 息子が反抗期ぃ!?」という声が響いてきたが、無視だ。

 

「いや、まぁ、何というか……二人の歓迎の気持ち? みたいなものっていうか。悪気があるわけではないというか、これが普通っていうか」

「これが普通? ……ハワイとかにありそうな木彫りのお面をつけて、北海道の定番お土産をアラスカのお土産だと言い張り、中国の秘境やらアトランティスやら海底遺跡やら日常会話で出るはずのない単語をボロボロ零して、八歳の子供相手に接待するのが普通? ホントに? ねぇ、ホントに? っていうか、ここ数日のニュースで、聞き覚えのある単語ばかりなのだけど……。私、あなたの能力で、不思議ワールドとかに飛ばされたりしてない?」

 

 ちょっと本気で不安顔になっているスグハが身を乗り出すようにして伊織を詰問する。戦闘においてあれほど冷静沈着だったというのに、この狼狽ぶり……伊織の両親はそれほどまでに衝撃的だったのか……

 

 もっとも、玄関前でスグハを発見した瞬間、どこからともなく取り出した木彫りの民芸品らしきお面をかぶり、そのまま普通に挨拶すれば、確かにドン引きしても仕方がない。

 

「そんな能力はないから安心してくれ。っていうか、俺も、なんで父さんと母さんが、こんなお面をつけて接待なんてしてるのか、よく分からないんだが……二人共、どうしたんだ?」

 

 伊織も、ちょっと困惑したように白兎と三月を見ながら怪しさ満点の理由を尋ねる。すると、白兎は、やれやれといった様子で肩を竦めながら、

 

「分かっていないな、息子よ。ここにいる方は、御神最強の剣士様だぞ? お前が言っていたんじゃないか。転生者複数人を相手取って圧倒していた、と」

 

 その言葉に、スグハの目元がピクリと反応する。やはり、十日前の戦闘を見られていたのか、と僅かに警戒心を孕んだ表情になる。

 

 それに気がつきつつも、取り敢えず、白兎の話を聞こうと、伊織が視線で先を促すと、

 

「伊織達の内、一人でもいれば問題はないけどな。……たとえば、ちょっとビールが飲みたくなって、俺と三月だけでコンビニに行ったとする。そこで、スグハ嬢と遭遇するわけだ。そのとき、顔を知られていて、俺や三月が転生者の存在をよく知る転生者の親だとわかったら……」

「――『どうもこんにちは、高町さん』『あら、奇遇ですね。転生者のご両親さん。お買い物ですか?』『ええ、主人と今夜の酒盛り用のビールとつまみを』『まぁ、それは素敵ですね。では、御神流最終奥義【閃】ッ!!』となる可能性があるわ。恐ろしい……」

「あるわけないでしょう!! 私はどこの殺人狂よ!」

 

 失礼千万な発言に、冷静沈着さをかなぐり捨てたスグハがウガー! と怒声を上げた。しかし、それを華麗にスルーした白兎と三月は、スグハに恐ろしそうな眼差し(お面の目の部分の隙間から覗いている)を向けつつ、ガクブルしながら続けた。

 

「いくら伊織達が強くてもな、俺と三月だけのときに、神速の御神に『こんにちは【閃】ッ!!』をされたら助からない」

「こんにちは【閃】ッ、ってなによ!? それじゃあただの通り魔でしょう!?」

「それだけじゃないわ。私達もいつかは翠屋に行ってみたいけど、そのとき『いらっしゃいま【閃】ッ』とか『お待たせしました、シュークリームで【閃】ッ』をされる可能性も……」

「あるかぁーーー!! 御神の剣士を何だと思ってるのよ!? ねぇ、本当は、馬鹿にしてるでしょう!? そうなんでしょう!?」

 

 スグハの精神がレッドゾーンに突入している。明らかにキャラが崩壊しかけていた。どうやら二人は、伊織達が傍にいないときに、御神の剣士に“ミカミ”されるのが恐ろしいらしい。なので、取り敢えず、面割れだけは避けておこうというつもりらしいのだが……明らかに、御神との関係は悪化していた。現在進行形で。

 

 伊織は、深い、それはもう深い溜息を吐くと、テトへ視線を向けた。それだけで正確に意味を汲み取ったテトは、神速でアルテを抜き撃ちする。一発の激発音が響くと同時に、「おふっ!?」とか「あはんっ」といった悲鳴が響き、白兎と三月が綺麗な弧を描きながら吹き飛んだ。

 

 夫婦仲良く並んで倒れた二人の顔から、パカリと割れた怪しげなお面がずり落ちる。クイックドロウにより、テトがゴムスタン弾で二人のお面を撃ち割ったのだ。ついでに、強烈すぎるデコピンにより、二人は完全に目を回した。

 

 倒れた二人を、しゅるしゅると伸びてきた九重のモフモフ尻尾が巻きついて、そのままリビングの方へ回収していく。

 

「まぁ、その、なんだ。両親に代わって謝罪するよ。御神の剣士を馬鹿にしたわけじゃないと思うんだが……あれでも、内容を抜きにすれば、デフォルトの言動なんだ。一日のうち、半分以上の時間をふざけていないと落ち着かないという」

「そ、そう。なんというか、大変なお家に生まれてしまったのね。というか、スルーしそうになったけど、今、狐の尻尾が……」

「うん。その辺も含めて、本題に入ろうか。取り敢えず、どうして我が家にたどり着いたのか、それだけ先に教えてもらっていいかな? チェシャ達が教えるわけがないし」

 

 伊織が静かな声音でそう尋ねれば、コホンッと咳払い一つ、スグハも居住まいを正して口を開いた。

 

「あの黒ネコ……チェシャというのね。確かに、あの子達が教えてくれたわけではないわ。魔法的な何かで探したわけでもない。というか、最初はそうしようと思ったのだけど、どういうわけか、私の魔法も上手く発動しなかったのよね。おそらく、術的な防衛をしているのでしょうけど……」

「そうだな。簡易ではあるが、奇門遁甲の一種を施してある。悪意や害意のある者が近づけば、知らずあらぬ方向へ歩かされることになるし、術的な探査も惑わされることになる」

 

 さらりと出てきた有名な術法に、一瞬、スグハは目を細めるが、話を進めるべく質問はせずに続きを口にした。それによると、どうやら至って現実的な手段を取ったようで、要は最近海鳴市に来た者がいないか調べたというのだ。

 

 具体的には、近場の宿泊施設の利用客や、不動産業者、役所の住民票などを調べたのである。御神家の伝手を使えば、大して難しいことではなかった。その結果、あの原作遵守派との戦いの当日に、海鳴市へ引っ越してきた者がいることを突き止めたのだ。

 

 これは怪しいと、さっそく家を訪ねて来たらしいのだが、ちょうど伊織達は世界旅行中で留守だった。仕方なく、二、三日、周辺を張って待っていたのだが、一行に帰ってくる気配はなく、どうしたものかと考えていたところ、ご近所さんと遭遇。

 

 八歳のスグハが、最近ウロウロしているところを見て、ピ~ンと来たご婦人は、聞かれもしないのに北條家のあれこれをペラペラ喋ってくれたらしい。

 

「私を、あなたのハーレムメンバーに入りたい新たなお嫁さん候補として見ていたわね、あの目は……。で、好奇心を迸らせているおば様の話の内容が、金髪の外国人美少女を含む五人もの美少女と、彼女達は全員息子の嫁だと両親が(・・・)断言する同じ年の男の子がいるという話だったから……確信したのよ。そんな非常識な集団と価値観を持っているのは転生者に違いない、と」

「返す言葉もない。しかし、如何にも典型的な迷惑系転生者のような事前情報を与えられておいて、よく一人で訪ねて来たな。御神の剣士達が家の周辺に張り込んでいる様子もないし……」

 

 少々、無用心ではないかと眉を潜める伊織に、スグハは肩を竦める。

 

「命の恩人だもの。最初から、疑いと警戒心だけで接するなんて仁義に悖るわ。それに、下心があって助けてくれたのなら、普通は名乗り出るものでしょう? なのに、あなた達と来たら、翌日から一家総出で海外旅行じゃない。それもご丁寧に、護衛にチェシャちゃん達まで置いて。これで、詰問なんてしようものなら……それこそ恥知らずというものよ」

「……なるほど」

 

 そして、実際のところは自分の目で確かめる、ということらしい。伊織の感心まじりの頷きに、リビングの方ではミク達も「おぉ、スグハちゃん男前です!」と称賛の小声が呟かれていた。

 

 しかし、中々に立派な心意気ではあるものの、そんな考え方を前世で十代、今世で八歳のまだ若いといえる年齢の女の子ができるものなのか。彼女の洗練された武技やハリー・ポッター魔法の熟練した使いこなし方と相まって疑問は高まる。

 

 そんな疑問が顔に出ていたのだろう。スグハは、お互い様と言いたげな様子で己の数奇な軌跡を話した。

 

「私の記憶の中の最初の人生は、御神美織という御神家の女だったわ。美由紀姉さんとは、再従姉妹(はとこ)に当たる、ね。もちろん、この世界ではなく、おそらく平行世界と呼ばれる世界よ」

 

 高町スグハは、元々、御神の人間だったらしい。御神家最強の剣士である御神静馬や、不破流に精通する強者であり静馬の妻でもある美沙斗に師事したこともあり、最終奥義には届かなかったものの、十七歳にして【神速】の初段階には手をかけていたほどの腕前だったのだという。

 

 そして、平行世界でも御神家に対する悲劇の序章は進んでいたのだが、どういう因果の流れを辿ったのか、御神家の会合に向かう途中で、偶然、香港系マフィアである“龍”の構成員を発見したのだそうだ。

 

 当然、本家に連絡を入れつつ、見失わないよう追跡し、紆余曲折を経て御神本家への爆弾テロ自体は阻止することが出来たのだが……その代償は、美織(スグハ)本人の命だったらしい。

 

 そうして死んだはずの美織だったが、気が付けばイギリスのとある裏路地で目を覚ましたのだという。どうやら、生まれつき特殊な能力を持っていて、どこぞの町の裏路地に捨てられていたのだが、争いに巻き込まれて頭を打ち付けた際に、前世の――御神美織の記憶を取り戻したのだそうだ。

 

 それから色々あったものの、その特殊能力は実は魔法であり、ホグワーツ魔法学校で魔法を学びつつ、これまた小説七巻分になりそうな大冒険を繰り広げたそうなのだが……最終的にきちんと往生できたらしい。享年八十八歳だったというから、精神年齢的には百十四歳といったところか。

 

 一世紀に及ぶ剣術の研鑽と、一生をかけた魔法の鍛錬……それが、高町スグハの強さと、精神の成熟性の理由だったのである。

 

 ちなみに、観測者という存在には会っていないし、転生特典とやらも貰った覚えはなく、自分の魔法が“ハリー・ポッターの魔法”と呼ばれていることも、実は、前世も“原作”とやらが存在している世界だったということも、今世で他の転生者の言葉から察したらしい(リリカルなのはの“原作”知識も、襲ってきた転生者にOHANASIをして聞き出したものだったりする)。

 

 本人的には、夫の名前(・・・・)を連呼されて何とも言えない微妙な気分らしいが。

 

「夫? ……まさか、前世での君の伴侶は……」

「ええ、ハリー・ポッターその人よ。まぁ、確かに、あの人に降りかかる理不尽なあれこれとか、分かりやすい悪役とか、その辺のことを考えると、如何にも物語の主人公っぽいけれどね。生まれ直しても、夫の名前が見ず知らずの人達に周知されている挙句、魔法を使う度に、“ハリポ”と略されて連呼されるのも……実に複雑な気分よ」

 

 リビングから「告白はどちらから!?」とか「子供は何人!? 御神流教えた!?」と、興味津々な声が飛ぶ。ハリー・ポッターの原作知識を持つ、ミクとテトだ。女として、ワクドキせずにはいられないらしい。

 

 そんな二人に、ちょっと苦笑いしつつ「猛烈なアプローチに、ほだされたのよ」と返すスグハ。どうやら、平行世界のハリーは、異世界から転生してきた少女剣士に夢中だったらしい。「おぉ~~!!」と声を上げて盛り上がるミク達。

 

 このままガールズトークに突入されては困ると言いたげに、スグハは、視線を伊織へ戻した。

 

「さて、私の素性は話したわ。今度はこちらから聞かせてもらっていいかしら。あの異常なほどの力を秘めた使い魔? らしき子達は何なのか、あなたは、あなた達は何者なのか。そして……私達、高町家を、どう思っているのか」

 

 真剣な、あるいは緊張を孕んだ表情と眼差しで、スグハが切り込んだ。伊織としては、第三者的立場であるスタンスを崩すつもりはなかったが、そのこと自体も含めて、隠すようなことは何もない。なので、包み隠さず、彼女の質問に答えることした。

 

 最初の人生では、不幸体質故に十五歳で死んだこと。恩人とも言える観測者に助けられ、この世界のベルカの地に生まれ直したこと。聖王や覇王と出会い、ベルカの騎士となり、ベルカの戦争を止める過程で別の世界へ飛ばされたこと。そこで作った能力を利用し、出会った家族を連れて再び別世界に転生したこと。

 

 その世界では神仏悪魔妖怪といった超常の存在が跋扈しており、伊織はそこで退魔師をしていたこと。そして、聖書の神が創った神器、その中でも世界のバランスを崩すとまで言われた神をも滅する具現――神滅具【魔獣創造】を宿したこと。スグハ達の護衛に回したのは、それぞれ“不思議の国のアリス”をモチーフ(実際には、アリス物語を更にモチーフにしたARMSだが)に創造した、神殺しの能力を秘める魔獣であること。

 

 そこで割と長く生きて往生し、この世界へ再び転生したこと。

 

 ここまで簡単にまとめて話したところで、伊織はスグハが妙に汗をかいていることに気がついた。体調が優れないのかと心配そうに声をかける伊織へ、引き攣り顔のスグハが静かに尋ねる

 

「……ね、ねぇ。あのチェシャネコちゃん……神殺しなの?」

「うん? いや、いい線はいくだろうし、位階の低い神仏や眷属くらいなら問題ないだろうが……戦闘系の神話を持つ神仏相手では厳しいだろうな。まぁ、能力の性質上、負けることはないだろうが」

 

 超常の存在が普通に存在する世界というだけでも仰天なのに、「神殺ししてます」など言われては冷や汗も掻きたくなる。なので、実際には神殺しをしていないと言われて、少し安堵の吐息を漏らした。

 

 そこへ、我らのドS女王がニヤニヤしながら口を挟んでくる。

 

「おいおい、何をホッとしているのかは知らんが……高町スグハよ。神殺しならチェシャについて確認するまでもなく、目の前にいるだろう?」

「……え?」

「そうじゃのぅ。確か、闘戦勝仏殿に皆伝を貰った辺りで、悪神を屠っておったのぅ。一人で」

「……え?」

「それを言うなら、最初の酒呑童子さんの件も、殺してはいませんが下したわけですから、一応、神殺しに当たるんじゃないですか? 鬼神レベルと言われていたんですし」

「……え?」

「聖書の悪魔リリンを下したのもカウントできるね。神殺しじゃなくて、魔王殺しだけど」

「……」

「その神仏魔王ですら一蹴できる伝説の皇獣666(トライヘキサ)を、ジャバウォックと共闘したとはいえ消し飛ばしたのは、人生最大の戦果ですね」

「……」

 

 思い出話に花を咲かせるように、キャッキャッ言いながらとんでもないことを口走っていくエヴァ達。スグハの顔色が青ざめていく。

 

「……あの、失礼ですが……伊織く――伊織さんの年齢をお聞きしても?」

「別に、今世においては同い年なんだから敬語なんていらないんだが……まぁ、一応答えると、そろそろ千歳に届くっていうくらいだな」

「せっ!? ……あの、彼女達も?」

「そうだな。ミクとテトは俺と同じくらいだが、エヴァは千六百年くらい、か。九重が一番若いな。八百歳くらいだし。ちなみに、みんなが長生きなのは、ミクとテトはユニゾンデバイスだからで、エヴァが真祖の吸血鬼だからで、九重は妖狐だからだな」

「……そう、ですか。彼女達の話は事実、なんですよね?」

「……まぁ、そうなんだが……本当に、敬語とか不要だからな? 同い年の女の子に畏まられたら、ご近所さんから変な目で見られる」

 

 神殺しが、何を所帯染みた心配をしているのかと思わないでもないが、それでも自分の十倍は生きていて、神仏やら魔王やらを下してきた人間だと言われれば、自然と態度は改めたくなる。

 

 年功序列という常識もあるし、チェシャ達の圧倒的な力を見た後では話の信憑性も高い。下手な態度を取って逆鱗に触れては事である。必要ないと言われても、なかなかに難しい注文だ。

 

 思った通りの反応をするスグハにドS心が満たされて満足げな表情をするエヴァに、神速の指弾により角砂糖狙撃をしてお仕置きをしつつ、伊織は、緊張を隠しきれていないスグハへ、それをほぐすための言葉を紡いだ。

 

「……超常の存在を討つのは、いつだって人だった。それは、人々が、超常の存在がもたらす理不尽に対し、譲れない、奪われるわけにはいかないと奮い立ったからだ。その意志が、不可能を可能に変えた。その気持ち、スグハさんなら分かるだろう?」

 

 君は、誰かの娘であり、友人であり、妹であり、姉であり、何より、“御神の剣士”なのだから、と。

 

 スグハの緊張した表情が少し和らぐ。

 

「……ええ、分かります」

「ならば、君にも神殺しの資質はある。その気持ちを知る者は、誰もが神すら超えられる可能性を秘めているんだ。故に、俺もスグハさんも変わらない。神殺しなんて、所詮は結果に対する大仰な名称だよ。ただ、戦わねばならない相手が神だったっていう、それだけのことだ」

 

 伊織のどこか優しげな表情と、確信を抱いた言葉に、スグハもようやく緊張を解くことができた。それでも、武人として、母親の経験も、祖母の経験もある常識人として、遥か年上の、それも強者に対し、気軽な態度で接していいものか迷いはある。

 

 それを見越したように、伊織は、肩を竦めて冗談めかした表情をしながら、必殺の言葉を放った。

 

「それに、神ならさっきからずっと傍にいるんだぞ?」

「え?」

「ほら、あそこで白ジャージをだらしなく着崩しながら、だらしなくソファーに寝そべって、ネトゲに興じているだらしない女の子――あれでも歴とした神だぞ」

「え、ええ? いや、でも、えぇ? そういえば、さっきの説明で、年齢とか聞いてないけど……」

 

 伊織が指さした先にいるのは、今日もぶれない、白ジャージのゲーマー蓮ちゃん。二人の会話が聞こえたのか、視線を画面から上げて「何かしらん?」と小さく首を傾げる。

 

 一見して、ただの怠惰で可愛い女の子にしか見えないのだが……

 

「あのダメ人間を体現したような女の子の名前は蓮。正体は、無限の龍神様(ウロボロス・ドラゴン)。文字通り、無限を司る龍の神で、その気になればただ一人で世界も滅ぼせる存在だ。年齢は不明。万は軽く超えているだろうけど」

「うそん……」

 

 スグハさんのキャラが軽く崩壊した。その視線の先で、白ジャージの龍神様は、無意味にソファーの上に立ち上がると、無意味に腕をクロスさせ、無意味にドヤ顔しながら、無意味に「ふっ」と不敵な笑みを浮かべた。

 

「な? 神なんてあんなもんだ。なんだか、気が抜けるだろ?」

「おい、伊織。我を“あんなもん”と申したか、失礼な。我こそ、ネット界を席巻する龍神Pなるぞ!」

 

 香ばしいポーズを取りながら、抗議の声を上げる龍神様。スグハが何とも言えない表情をしながら、「龍神P?」と首を傾げれば、伊織が「ネット動画の投稿をするときのユーザー名だよ」と説明を入れる。

 

 世界すら滅ぼせる龍の神が、おかしなポーズとドヤ顔を晒しながら、自分はネット動画界の神であると主張する……。スグハは思った。「確かに、案外、勝てるかもしれない」と。

 

 そんなスグハの様子に笑みを浮かべつつも、伊織は居住まいを正して話を戻した。

 

「さて、俺達の素性や経歴を知ってもらったところで、高町家に対するスタンスについて話したいと思うが」

「……ええ。聞かせてください」

 

 スグハの表情も引き締まる。正直、第一印象から、今、話を聞いたところまでで、伊織達が勝手な正義を振りかざし、スグハ達の生き方を強制するような人柄には見えなかった。

 

 だが、伊織の話が本当なら、否、今、こうして向かい合っている間にも何となく感じる強者の雰囲気に、スグハは思わず息を呑まずにはいられなかった。一度、伊織達が高町家に対し、「こうであれ」と要求を突きつけてきたら……スグハには、それを退けられるイメージが出来なかったのだ。

 

 それこそ、人が、不退転の意志を持って、神に挑むが如く。そんな印象すら受ける。

 

「そんなに緊張しないでくれ。俺達のスタンスは、他の人達に対するものと何も変わらない。高町家を特別視することもないし、逆に、助けを求められれば喜んで貸す。人道に悖る行為だと思えば諌めるし、外道に堕ちたのなら討滅する」

 

 絶対的な高町家の味方ではない。されど無関心を貫くわけでもないし、必要なら手を貸そう。己の誓いのために。

 

 伊織からベルカの騎士として立てた、そしてその生き方の根幹となった誓いを聞かされていたスグハは、ストンと胸に落ちるものを感じた。

 

 守護の御旗を掲げ、誓いと共に生きる。それは、御神の剣士も同じこと。歩んできた道程も、得られた経験や力も異なるが、それでも、本質的に自分と伊織は同じなのだと、そう心で理解したのだ。

 

「高町家の敵となるものを容赦なく殲滅するようなことはできないが、少なくとも、スグハさん達を傷つけるようなことはない。……(あかし)は立てられないが、信じてもらえると嬉しい」

「ストレートなんですね」

 

 スグハは、真っ直ぐに自分へと向けられる伊織の眼差しに、微笑みをもって返した。そして、一つ、しっかりと頷くと「信じます」と返答し、静かに手を差し出した。

 

「改めて、私は高町スグハ。永禅不動八門一派、御神魔闘流(・・・)小太刀二刀術師範。私と、貴方のかかげる心は同じだと信じます」

「……ありがとう。俺は北條伊織。特に肩書きがあるわけじゃないが……そうだな、この世界に帰って来たのなら、こう名乗らせてもらおうか。――ベルカの騎士だ」

 

 今、御神最強の剣士と、ベルカ最強の騎士が、手を取り合った。

 

「どぅえきてぇるぅうう~~?」

 

 残念すぎる龍神様が、巻き舌で茶化す。伊織の、「対龍神様用――愛の拳」が脳天に炸裂した。蓮ちゃんは「頭がっ、頭がぁ~」と床を転げ回っている。「おのれ、伊織めぇ。毎度、毎度、我の耐久力を軽く無視してぇ~」と涙目で頭を抱える姿に、もはや龍神としての威厳は皆無だった。

 

 伊織さんの()は、容易く龍神様を撃ち抜くのだ!

 

 ミクとテトが蓮の両足を掴んでリビングへと引き摺って行く。

 

 こうして、高町家と北條家の初会談は、なんとも微妙な空気で終わりを迎えるのだった。

 

 




特に進展なし。なろうの方ばっかり更新しててすみませんです。
でも、今年の抱負として、今年中にリリなの現代偏を終わらせたいと思う。

カンピ世界とか、ワンピ世界とか、ブリーチ世界とか、いろいろ行かせたいのです。

趣味全開、亀更新ですが、一緒に楽しんでもらえれば嬉しいです。


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第69話 テンプレ転生者

ハーメルン民の皆様、お久しぶりです。
長らく更新できず、すみませんでした。
オリ小説関係とか、仕事とか、いろいろ詰まって手がつけられませんでした。
やはり、1日って37時間くらい必要だと思うんですよね。

次の更新も目処が立っていない上に、今回の話も長いだけであんまり中身がない気がしますが、ゴールデンウィーク最終日の暇つぶしの一つになればいいなぁと思います。


一応、前回までのあらすじ。
・リリなの世界よ、私は帰ってきた!
・八神さん家が行方不明。じゃあ、お家貰っちゃおう。
・むっ、複数転生者の気配。チェシャ、クイーンやっておしまい!
・どうもイオリさん、私、高町スグハです。仲間になりましょう、いいですよ。
 ↑ 今ここ。


 “準備中”の札がかけられた喫茶店の店内で、一人の青年が同じ場所を行ったり来たりしていた。手にはモップが持たれていることから、彼が閉店後の掃除をしているのは分かるのだが、全く同じ場所を往復しているだけで、彼の心が彼方に飛んでいるのは明白だ。

 

「恭也。いつまで同じ場所を掃除している気だ? 少しは落ち着きなさい」

「あ、ああ。悪い、父さん。……というか、そういう父さんも、その磨きすぎて光りまくってるグラス、いつまで磨く気なんだ?」

「……おっと」

 

 床の一か所だけやたらとピカピカにしていた青年は、この喫茶店――翠屋を経営する高町家の長男である高町恭也だ。そして、恭也のように一見して分かるほどの落ち着きの無さは見せていないものの、やはりいつもの泰然とした雰囲気が薄れているのは、翠屋のマスターにして高町家の大黒柱――高町士郎だ。

 

 父と息子は、互いに顔を見合わせると、他人から見ればそっくりな苦笑いを浮かべ合った。

 

「スグハ……大丈夫かな」

「すまない、不安にさせたか。でも、大丈夫さ、美由希。スグハは、私や静馬すら凌駕する、正真正銘、御神最強の剣士だ」

 

 高町家の長女――高町美由希が、父士郎や兄恭也の様子に、もともと抱えていた不安感を煽られたようで、ポツリと零した。それに対し、士郎は「娘を不安にさせるなんて、私もまだまだ修行が足りないな」と苦笑いしつつ、力強い言葉で返す。

 

 だが、美由希の表情は晴れない。その理由は、苦虫を噛み潰したような表情の恭也が言葉にした。

 

「だが、父さん。スグハやなのはの話によれば、スグハですら危ない状況で、転生者複数を歯牙にもかけないような使い魔? みたいなものを従えている奴なんだぞ? 正体も分からないし、そんな奴のところへ、スグハ一人を行かせるなんて……やっぱり、俺達もついていくべきだ。今からでも遅くはない。相手の住所は分かっているわけだし、向かうべきだ」

 

 強く訴える恭也に、士郎は磨いていたグラスを食器棚に戻しながら静かに首を振る。

 

「スグハが、一人で行くと言ったんだ。それに、私達の存在が、会談の行方を悪い方向へ流してしまうかもしれない。スグハにとって、イレギュラーなことはするべきじゃない」

「だがっ、相手は転生者だぞ! 信用なんてっ」

 

 冷静に、諌めるように言う士郎へ、恭也は咆えた。その表情には、転生者に対する大きな不信感がありありと浮かんでいた。今までの経緯が、転生者であるというだけで碌でもない連中だという印象を、どうしても与えてしまうのだ。

 

 たとえ、今、スグハが会いに行っている相手が、おそらく先の戦いで助けてくれた相手だろうと分かっていても。

 

「恭也、少し落ち着きなさい。お兄ちゃんでしょ? なのはの前で取り乱さないの」

 

 そんなことを言いながら、厨房より現れたのは高町家の母――高町桃子だった。その手には、キラキラと輝く銀色のトレイに乗せられた、湯気を立てるカフェオレと、一口サイズのサンドイッチが乗っている。

 

 高町家の面々が、閉店からしばらく経ったこの時間に、もうとっくに掃除なども終わっていながらも未だ留まっているのは、スグハの向かった相手の家が、自宅より翠屋の方が近かったからだ。

 

 桃子は、スグハの会談が長時間に及ぶ可能性があることと、すきっ腹は精神的によくないと、軽食を用意してくれたらしい。もちろん、きちんとした夕食は、高町家の大切な次女が帰って来てからだ。

 

 恭也は、笑顔なのに何故かやたらと迫力のある桃子の忠告に思わず「うっ」と言葉に詰まる。そして、チラチラと、視線を高町家の末姫へと向けた。

 

 そこには、カウンターに座ったまま、ジッと店の電話を見つめているなのはの姿があった。スグハが出て行ってから、ほとんど動いていない。

 

 待っているのだ。静かに、湧き上がる衝動を押し殺して。大切で、大好きな姉の「待っていて、必ず戻るから」という言葉を信じて、その言いつけを守って、待っているのだ。

 

 そんななのはの隣に、温かいカフェオレを置きながら座った桃子は、優しい手つきで愛娘の栗毛を撫でる。なのはが、本当は今直ぐにでもスグハを追いかけたいと思っていることを看破しているが故に、小さな身で、グッと我慢しているなのはを褒める気持ちを込める。

 

 恭也はそんな妹の姿を見て、恥じ入るように顔を俯かせた。そして、頭をガリガリと掻くと、小さく「なのは、すまん」と口にする。

 

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。なのはだって、本当はお姉ちゃんと一緒に行きたかったもん」

「なのは……」

 

 ますますバツの悪そうな顔になる恭也。士郎に「妹に気を遣われてどうするんだ」と苦笑しながら言われ、桃子の微笑ましそうな眼差しを頂戴すれば、恭也はもう何も言えない。

 

 なのはは、兄のむすっとした様子にくすくすと笑い声を上げつつ、しかし、その視線は直ぐに、吸い寄せられるように電話へと向いた。それが、なのはの張りつめた心情を、これ以上ないほど示していた。

 

 スグハが会いに行った相手は、自分達を助けてくれた人。

 

 だから、頭では、きっと大丈夫だと思っている。自分達を助けたあと、名乗り出もせず、それどころか次の日から家族旅行に出てしまうような人達だ。今まで、度々いた下心が透けて見える転生者達とは違うように思う。

 

 だが、実際に会ったわけではない以上、あくまで推測に過ぎない。実際は、あの原作遵守派のように、スグハを“イレギュラー”と称して排除を考えているかもしれない。

 

 あの日、助けてくれた黒猫達の存在が自分達の近くにあることを、スグハは感知していた。おそらく守ってくれていたのだろうと思う。

 

 だが、お礼をしたいと、スグハの術で場所を特定し、なのはも一緒になって追いかけてみても、自分達を避けているように消えてしまう。

 

 単に、自分の正体を知られたくなくて高町家と接触しないよう指示を受けているのか、それとも、なにか良からぬことをたくらんでいて正体を隠しているのか……

 

 なのはには判断がつかなかった。前者であると思うし、そう信じたいところだが……

 

 分からないということが、今宵の会談への不安を掻き立てる。

 

 と、そのとき、まるで、なのはの様子を見かねたように、とある存在が突如、虚空より現れた。

 

「なぁ~お」

「ふにゃ!?」

 

 突然感じた頭の上の重みと、聞き覚えのある鳴き声、そして、なのはの小さな肩に垂れている、これ以上ないほど特徴的な三本のカギシッポ。

 

 なのはが、猫語に答えるように猫っぽい驚愕の声を上げている間に、今度は、ぷにぷにの肉球が彼女の額をぽふぽふと叩く。いつかのように「心配すんなぁ~」という緩い励ましの声が聞こえてきそうだ。

 

「ね、猫さん!? 会いに来てくれたの!?」

「にゃ~ん」

 

 黒猫――チェシャの出現に、なのはのテンションが上がる。

 

 今まで自分達を避けていたチェシャの方から会いに来てくれるとは思わず、それがまるで吉兆のように感じて、なのはは先程までの強張った表情をだらしなく崩し、ふにゃりと笑った。

 

 もっとも、突然、虚空からにじみ出るようにして現れ、高町家の末姫の頭に乗っかるという非常識振り(しかも、猫なのに表情が明らかにニヤニヤしており、しっぽが三本もある)を見せた化け猫っぽい存在に、シスコンは盛大に取り乱した。

 

「貴様っ、なのはから離れろ!」

 

 一瞬で小太刀を抜き、なのはに手を出したら許しはしないと、強烈な殺気を叩きつける。

 

「お、お兄ちゃん! この子は大丈夫だよ!」

 

 なのはが慌てたように制止の声を張り上げた。ニヤニヤと笑うチェシャを頭に乗せたままわたわたと両手を振る。美由希と桃子が、そんななのはとチェシャを見て、「可愛い!」とテンションを上げる。

 

 チェシャは、なのはの言葉を受けても臨戦態勢を崩さない恭也に、悪戯猫そのままにニィイイイと笑った。そして、次の瞬間、

 

「うおっ!? こ、このっ! 頭に乗るなっ、この化け猫ぉ!」

 

 チェシャが、なのはの頭からふわりと消えて、恭也の頭の上に出現した。突然の急接近に、恭也が慌てて頭上へ手を伸ばすが、そんな恭也をおちょくるようにひょいひょい避けるチェシャは、更にカギシッポで恭也の頬をぐりぐりする。

 

「あー! お兄ちゃん! なのはのネコさん、取らないで!」

「ち、違うぞ、なのは! こいつが勝手に!」

 

 なのはがぴょんぴょんと飛びながら、恭也の頭に手を伸ばす。恭也がわたわたする。カギシッポがぐりぐり、ベシベシする。

 

 ぴょんぴょん! わたわた! ぐりぐりべしべし!

 

「え、えっと、なんだろう? この状況」

「あの子が、なのはやスグハが言っていた恩ネコさんね。ふふ、なんだか楽しい子ね。私にも悪い子には見えないわね」

「本当に空間を操れるんだな。能力的には脅威と言えば脅威なんだが……遊ばれている恭也と、“私のネコさん”なんて言っているなのはを見ると……なんだか和むなぁ」

 

 困惑する美由希に、桃子が頬に手を添えてのほほんと笑う。士郎は、人を見る目に関しては自分より優れている妻が悪い子ではないと評価したことで、もともと恩人ならぬ恩ネコでもあることから薄かった警戒心が、更に和らいで頬を緩める。

 

「父さんも母さんも、和んでないで助けてくれ!」

「ネコさ~ん! なのはのところに帰って来て~!」

 

 先程ほどまでの張りつめた空気はどこへやら。恭也の醜態と、ツインテールをぴょこぴょこ動かしてネコじゃらし代わりにしつつ必死に気を引こうとするなのはの可愛らしい様子に、高町家の空気はふわりと和らいだ。

 

 それで、目的は果たしたということなのか、ドヤ顔しながら恭也をカギシッポで弄んでいたチェシャは、ふわりと虚空に身を躍らせてなのはの頭上に帰還した。

 

 重さを感じさせずにぽふっと頭に乗って来たチェシャに、なのははぱぁと顔を輝かせる。……恭也は、ハァハァしながら四つん這いになっていた。

 

「あのね、あのね、ネコさん。この前は助けてくれてありがとう! それでね、私、ネコさんに聞きたいことがあって――」

「んなぁ~」

 

 頭の上から降ろし、両手でチェシャを抱えながら、なのはが興奮したように早口でまくしたてる。チェシャは、「取り敢えず、落ち着け~」というように、肉球でなのはの鼻先をぽふぽふした。

 

 なんとなく、チェシャの言っていることが分かったなのは、士郎達が見守る中、一つ深呼吸し改めて尋ねた。

 

「あのね、私のお姉ちゃんが、たぶん、ネコさんの飼い主さんのところに行ってると思うの。ネコさんの飼い主さんだし、大丈夫だと思うんだけど……」

 

 スグハが会いに行った相手は、間違いなくチェシャの飼い主だ。そして、そうであるならば、お姉ちゃんとチェシャの飼い主さんは、きちんとお話が出来ているだろうか。

 

 それが、なのはの聞きたいこと。

 

 チェシャは、「分かってるさ~」というように、にゃんにゃんと頷き、そのままスゥと姿を消していく。なのはが「あっ」と声を上げて焦ったような表情になるが、直ぐに「にゃ」と鳴き声が聞こえて視線を向ける。

 

「電話?」

 

 呟きながらなのはがトコトコと歩み寄った先は、店の電話の上に座るチェシャのところだった。

 

 直後、トゥルルルルと電話のコール音が鳴り響く。ハッとしたなのはは、慌てて受話器を取り上げた。

 

『もしもし、スグハだけど』

「お姉ちゃん!」

 

 案の定、電話の相手はスグハだった。喜色に彩られたなのはの声に、士郎達もわっと電話の前へ駆け寄る。気になって仕方がないといった様子で、恭也が電話機のスピーカーボタンを押した。

 

「スグハ! 無事か!? こっちは化け猫のせいで大変なことになってる! お前は大丈夫なのか!?」

『大変なこと? 兄さん、化け猫ってチェシャのことよね?』

 

 急く恭也がいろいろと誤解を招きそうな発言をするが、スグハは、チェシャが翠屋に出現していることを知っているようで、特に慌てた様子はない。

 

「もうっ、お兄ちゃん、変なこと言わないで! お姉ちゃん、ネコさんの名前、チェシャちゃんっていうの? お話は大丈夫だった? 今、どこにいるの? もう帰れる?」

『落ち着きなさい、なのは。順番に話すから』

 

 電話の向こうで、妹のあたふた振りにくすりと笑う音が響いた。その雰囲気で、会談が上手くいったこと、スグハの身に悪いことは起きていないことが伝わって、高町家の面々はホッと安堵の息を吐く。

 

 スグハは、『ネコさんの名前は、チェシャで間違いないわよ。主の許可が出たから姿を見せてくれたのよ』と教えつつ、会談の行方を語った。

 

『今、まだ相手の家にいるわ。話し合いは上手くいった。チェシャの主は、一応、私と同い年の男の子よ。まぁ、中身はとんでもないけど、ね。北條伊織くんというの。取り合えず、信用も信頼も出来る相手と判断したわ』

 

 その言葉に、なのはと美由希、そして桃子は未だ僅かに入っていた肩の力を抜いた。だが、恭也と士郎は、何故か逆にグッと力が入ったようだ。

 

 それは、スグハの声音に、ただ信頼できる相手――肩を並べるに足る相手、というよりも、もっと目上の者に対するような敬意が伺えたからだ。

 

 スグハが、元を辿れば平行世界の御神の人間であったことは既に高町家にとって周知の事実であり、自分達より遥かに長く生きた人間であることも分かっている。

 

 だが、それでも、スグハ自身がそう願った通りに、士郎にとって愛すべき娘であることに変わりはなく、恭也にとっては可愛くて頼りになる妹であることにも変わりはない。

 

 そして、その隔絶した強さで家族を守り、他の転生者からのアプローチ(・・・・・)も軽くあしらい、浮いた話(・・・・)など微塵もなかったスグハであるから、それの心配(・・・・・)も全くしていなかった。

 

 いなかったのだが……

 

『これから家に帰るけど、彼の家から歩いて帰るから、少しかかるわ』

「へ? お姉ちゃん、【姿あらわし】しないの?」

 

 士郎の目がスッと細くなった。恭也の眉間に皺が刻まれる。そんな中、なのはが、いつものように空間転移で帰って来ないのかと当然の疑問を投げる。

 

『ええ。もう少し彼と話してみたくて。送ってくれるらしいから、少し話しながら帰るわ。先に夕食を取っていて――』

「今すぐに帰って来なさい、スグハ」

「ああ、早く【姿あらわし】をするんだ、スグハ」

 

 スグハの言葉を、士郎と恭也が遮る。曰く、先方に迷惑だろう。曰く、もう遅いから危ない。曰く、夕食は皆で取るべきだ、などなど。

 

 もっとも、二人の眉間の皺が、それらの言葉が建前に過ぎないことをこれ以上ないほど明確に示していた。

 

 愛娘が、同い年の男と、もっと話したいから、夜道を一緒に帰る……

 

 そんなこと、父として、兄として、断じて許せない! というわけだ。

 

 二人の心情を察した桃子が「あらあら」と頬に手を当てて微笑む。そして、「スグハったら、短い時間で随分と仲良くなったのねぇ」なんて言うものだから、士郎と恭也の眉間はマリアナ海溝になった。

 

 美由希の、「そんなっ、スグハに春が!? 妹に先を越された!?」と叫んで、二人の精神に追い打ちをかける。

 

『なにを考えているのか、何となく察したけど、そういうのじゃないからね。同じ武人として、守る者として、通じるものがあるの。それに、彼の経験談はとても興味深いから……。とにかく、徒歩で帰るから心配しないで』

 

 電話の向こうから呆れたような声音が届く。「だがっ」「しかしっ」と男二人が言い募る二人に、スグハは、更にストレートパンチで返した。

 

『お父さんも、兄さんも、そんなに気になるなら、自分の目で確かめればいいじゃない。私を送るついでに、顔見せと挨拶もしたいって言ってくれてるから、そのときにね。会って話せば、悪い人ではないと分かるはずよ』

 

 単純に、今後、手を取り合う者として挨拶をしておきたい、というだけの話なのだが……

 

 今まで、スグハがそこまで信頼を向ける異性の話をしたことなどなかったので、親馬鹿とシスコンの脳内では、こんな風に意訳された。

 

“お父さんとお兄ちゃんに、紹介したい人がいるの! とってもいい人よ! お願い、会ってあげて!”

 

 まるで、初めて家に彼氏を連れて来るかのような言葉。士郎と恭也の精神にビキリと嫌な音が響く。

 

 そこへ、電話の向こうからダメ押しのやり取り。

 

『え? 日も暮れてるし、挨拶は後日でもいいって? そんなの悪いわ、伊織さ――伊織くん。近くまで送ってもらうだけなんて……いいえ。気を遣わないで。私が、家族に会って欲しいのよ。顔を知っているのと、そうでないのでは、全然違うものでしょう?』

 

 士郎&恭也的意訳

 

 “遠慮なんてしないで。私が、家族に紹介したいのよ。第一印象が大事なの。お父さんと兄さんに、伊織くん♡とのことを認めてもらいたいの!”

 

 親馬鹿、シスコン、ここに極まれり。

 

『そういうわけだから。お父さん、兄さん、後で彼を紹介――』

「あ~、お姉ちゃんだよ、スグハ。あのね、お父さんも恭ちゃんも、もういないよ。神速で出て行ったから。たぶん、そっちに向かってるよ。あ、ついでになのはも二人を追いかけて行ったよ」

『……』

 

 言葉はない。しかし、カランカランと音を立てる店の扉を横目に、美由希は、電話の向こうでしっかりものの妹が深い溜息を吐いてることが手に取るように分かるのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 街頭と月明かりだけが頼りの暗い夜道を、この時間帯に出歩くには一般的に相応しくない二人が歩いていた。帰宅中のスグハと、それを送っている伊織だ。

 

「う~ん。やっぱり、俺は引き返そうか。士郎さん達を随分と心配させたみたいだし。違う意味でな」

 

 頬をポリポリと掻きながら、「それとも、ミク達を今からでも誰か呼ぼうか?」と口にする伊織に、スグハは苦笑いしながら首を振る。

 

「いいえ、大丈夫よ。私が異性といるだけでいちいち過剰反応していたら、今後のためにもならないわ。路上で、ということになってしまうけど、伊織くんさえ良ければ、挨拶してもらえれば嬉しいわ」

「まぁ、スグハさんがいいなら、俺は構わないが……。ちょっと不注意だったな」

 

 伊織は苦笑いしつつ、スグハの隣りを歩く。そんな伊織に、「気にする必要はないのに。お父さんも恭也兄さんも、反応しすぎなのよ」と困ったように言う。

 

「そう言ってやるなよ。父親ってのは、いくつになろうが、どれだけしっかりしていようが、娘のことが心配で心配でたまらないものさ。まして、異性関係となれば、取り乱す方が自然な反応だろう」

「……経験は語る、っていうやつかしら?」

「ああ。俺も、初めて娘を授かったときは、もう、周りの全てが娘に悪影響を与えるものみたいに見えてな、よくエヴァに叱られたもんさ。あいつは、どちらかというとスパルタ派だからさ。それで、よく口論したりしたよ」

「へぇ。なんだか、想像し難いわね……」

 

 遠い昔を思い出すように、視線を虚空に彷徨わせる伊織を横目に、スグハはくすりと笑みを浮かべる。

 

「まぁ、年を重ねて、孫が出来て、転生して……また子供が出来て、沢山の孫を見てきて、ようやく少しは泰然と出来るようになったってところか。それでも、心配は尽きない。親ってのはそういうものなんだろう。どれだけ心身を鍛えても、こればっかりはどうしようもないのかもしれない。スグハさんはどうだ?」

「そうね……。私は、娘には恵まれなかったから、その辺は想像しかできないわね。しかも、うちの息子ときたら、それはもう名を馳せるくらいの悪戯小僧でね。【徹】を打ち込んで止めるか、【石化呪文】をぶち込むかでもしないと反省のはの字も見せない子だったのよ。一体何度、ホグワーツの先生方から相談という名の悲鳴が届けられたか……」

 

 遠い目をして、遥か過去に思いを馳せるスグハ。どうやら、彼女の前世での息子は、相当な悪ガキだったらしい。ハリー・ポッターは、そこまで悪戯小僧というイメージがないし、スグハも武人気質であるからちょっと想像しづらいところがある。

 

 もっとも、伊織がふと思い出したところでは、確かハリーの父親であるジェームズは、相当な悪ガキだったと語られていたはずであるから、祖父の血が色濃く遺伝したのかもしれない。

 

 何はともあれ、夜道を、互いの子供について語り合いながら歩く八歳児の男女の姿は……果てしなくシュールだった。

 

 それからしばらく、前世での互いの家族の話や、譲れない戦いの話、伊織に至っては各神話の神々の話などをしていると、時間はあっという間に流れていった。もともと、二人共、守護を掲げる武人であるからして、やはり相当気が合うようだった。

 

 最初は、伊織のことを“くん”呼びすることに抵抗感があり、ぎこちなさを感じさせたスグハも話している内に打ち解けたようで、自然と敬語の抜けた話し方になっている。

 

 前世のことで、ここまで語り合えた人は今までいなかったし、それが自分と同じ武人となれば、やはり会話は弾むようだ。

 

 と、そのとき、不意に会話を切って、伊織が虚空に視線を向けた。「どうしたの?」と小首を傾げるスグハに、伊織は少し眉を顰めながら口にする。

 

「気配を捉えた。おそらく、士郎さん達だろう。だが、直ぐ近くに魔力反応もある。これは……転移魔法の反応だ。誰かが、士郎さん達の直ぐ傍に転移したらしい」

「っ、なのは!」

 

 腕を組んで虚空を睨む伊織がそう告げた瞬間、スグハは一瞬で渦に呑まれた。【姿くらまし】で転移したらしい。

 

「……敵意はないようだ、と言おうとしたんだが……まぁ、彼女にはそんな言葉、関係ないか」

 

 伊織は苦笑いを零しつつ、周囲一帯に広域探査をかけ、横やりや漁夫の利を狙う輩がいないか確認しながら現場に向かうのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 夜の住宅街を二人の男が疾走する。常人ではあり得ないレベルの健脚をもって、風が唸るような速度で走るその姿は、人によればただの影にしか見えなかったかもしれない。

 

 そんな逸般人な二人の後を、ステテテテテテテッーー!! と可愛らしくも凄まじい足音を立ててぴったりと追走している、ある意味、二人よりも逸般人な栗毛ツインテの女の子がいた。

 

「もうぅ、お父さんもお兄ちゃんも、いきなりどうしたの! 私だって、お姉ちゃんのところに行くの我慢してたのに、ずるいよ!」

「なのは、そういう話ではないんだ! いいから家に戻っていなさい!」

「意味わかんないよぉ! ちゃんと説明してよ、お父さん!」

「なのは、聞き分けろ! 俺と父さんは、スグハに言い寄る野郎とOHANASHIしてくるだけだ!」

「そのセリフは、お兄ちゃんが使っちゃダメな気がするよ!」

 

 結局のところ、親馬鹿とシスコンが、娘が初めて認めた上に、親密(?)にしている小僧が気に食わなくて暴走しているだけなのだが……

 

 原作を遥かに超える技量を有していても、そこはまだ八歳の女の子であるなのはには、二人の焦りやもやもやっとした感情は理解の外だった。ただ、「チェシャちゃんの飼い主さんと仲良くなれて良かったなぁ」とか、「どんな男の子なのかなぁ」とか、思っているだけで、二人で話していることがイコール恋愛感情には結びつかない。

 

 未だ、初恋も知らないなのはには無理からぬことではある。

 

「ふ~ん、いいもん。よく分からないけど、お父さんとお兄ちゃんがお姉ちゃんの言いつけを破るんだったら、なのはも言うこと聞かないもん。ぜぇ~ったい、お家に戻ったりしないから!」

「なのは!」

 

 士郎と恭也が肩越しに振り返りながらメッと叱るが、なのははツンとそっぽを向いて「言うこと聞きません態勢」を取る。こうなると、意外に頑固ななのはは梃子でも動かない。

 

 原作では、良い子でいなければという強迫観念に捉われていたなのはであるが、スグハの存在が甘えることを許容していたためか、割とわがままを見せるようだ。

 

 そんななのはの様子に、士郎と恭也は何とも言えない表情で顔を見合わせた。

 

 時々わがままで、時々甘えん坊で、時々すごく頑固な末娘。

 

 同じ年頃の子達ではまず経験しない殺伐とした経験を味わっておきながら、こうして普通の女の子のように困らせてくれるところが、困ると同時に割と嬉しくもあるのだ。

 

 ある意味、ほのぼのとしたやり取りを、オリンピック選手も真っ青な高速移動しながら交し合う廃スペック一族高町家。

 

 彼等を一般家庭と称したら、きっと多くのご家族が苦笑いを浮かべるに違いない。

 

 三人がそうやって言葉を交わしつつも、まったく息を乱さないという超人な一面を晒していると、不意に、なのはが何かに反応した。チャームポイントであるツインテールがピコンッと動いたのだ。……原理は不明だが。

 

「お父さん! お兄ちゃん! なにか来る!」

「恭也、備えろ」

「ッ」

 

 士郎が一瞬で立ち止まり、喫茶店のオーナーではなく、剣士としての顔を覗かせる。一拍遅れて、恭也も同じように身構えた。なのはは、二人の少し後ろで立ち止まり、ジッと正面を向いている。

 

 直後、なのは達の視線の先で、銀色の光があふれだした。光の源は、地面に浮き上がった幾何学模様――転移魔法陣だ。

 

「うわぁ、この魔力の色って……」

 

 なのはが心底嫌そうに顔をしかめた直後、あふれる銀色の魔力の中から人が現れた。

 

「やぁ、なのは。奇遇だな。こんな夜更けに出会うなんて、俺達はやっぱり運命の赤い糸で結ばれているみたいだな」

 

 そんな、使い古されたどころか、とっくにごみ収集車に持っていかれた感のあるセリフを恥ずかしげもなく吐きながら、舞台俳優のような大袈裟な動きでなのはに声をかけたのは、銀髪にオッドアイの少年だった。

 

 そう、銀髪にオッドアイなのだ。銀髪にオッドアイなのだ! 特に重要ではないけど二回言った。

 

「……天条院くん。悪いが、私達は急いでいてね、そこを通してくれるかい?」

 

 ピンポイントで転移してきたくせに、何が奇遇だボケェ!! という心の声を、大人の精神力で華麗に押さえつけた士郎が、穏やかな口調で訴える。なのはは答える気もないのか、嫌そうな顔を隠しもせずに、恭也の後ろに身を隠している。

 

 だが、そんななのはの態度や、穏やかだが有無を言わせない雰囲気の士郎、そして、今この瞬間も険しい表情を向けている恭也など、まるで気にしていない様子の彼――転生者、天条院王騎はへらへらと笑いながら口を開く。

 

「まぁまぁ、そう焦らないでくださいよ、お義父さん。あんまり娘さんを束縛しちゃうと、嫌われますよ?」

「……君に、“お義父さん”などと呼ばれる筋合いはないと、いつも言っていると思うが?」

「はぁ。テンプレな言葉ですけど、なのはの気持ちも考えてあげてください。恋人を邪険にされちゃあ、なのはも傷つきますよ」

 

 勝手な“お義父さん”呼びに、士郎のこめかみがぴくぴくと反応する。それでも怒りを抑えて冷静に返した士郎だったが、まるで自分がなのはのことをまるで考えていないかのような言葉を吐かれて、いよいよ血管が浮き出始めた。

 

 恭也の後ろに隠れているなのはが、嫌悪感の余り「勝手に恋人にしないで! 気持ち悪い!」と叫ばなければ、殺気の一つでも叩きつけていたかもしれない。

 

 もっとも、そんななのはの心からの叫びを聞いても、テンプレよろしく「お義父さんとお義兄さんの前だからって照れてるのか? なのはは可愛いなぁ」などとにこやかに言うのだから、テンプレ転生者ここに極まれりというべきだろう。

 

 埒が明かないと、士郎は恭也となのはに視線で合図を送り、王騎をスルーして先へ進もうとした。が、やっぱりそのままとはいかないようで、

 

「こんな時間に三人で疾走なんて、なにかあったんでしょ? 可愛いなのはのためですからね、俺が力を貸してあげますよ」

 

 そんなことを言って、なのはの隣に並び出す。

 

 なのはが再び、恭也を中心に反対側に回って身を隠した。そんなあからさまな態度にも、「なのはは恥ずかしがり屋さんだな」なんて言いながら苦笑いするのだから、筋金入りである。

 

 なのはが、嫌悪感丸出しの表情でそっと恭也の影から顔を覗かせ、シッシッと手で追い払う真似をするが、そんななのはへ「やっぱり、俺が気になるのか?」などと言いながらニッコリとほほ笑む。

 

 毎度のことであるが、途端、なのはは、まるで何日も徹夜した後のように頭の重くなるような感覚を覚え、もはや条件反射となっている魔力放出を行う。そうすれば、スッと晴れていく頭の中の霧。

 

「いつも、やめてって言ってるでしょ! 魅了の魔法を使うなんて最低だよ!」

 

 スグハから、王騎に限らず、多くの転生者が魅了の魔法を持っていることを聞いているなのはは、こんなときでも隙あらば魔法をかけようとする王騎に怒声を上げた。それで、士郎と恭也も、なのはが魔法をかけられそうになったと察し、足を止めて王騎に身構える。

 

「魅了の魔法だなんて……俺もいつも言っているけど、そんなの使ってないって言ってるだろう。俺に魅力を感じているのは、なのはの本心だよ。なのはって意外にツンデレなのな」

 

 くすくすと笑いながら、全部分かっているよと言いたげな王騎は、士郎達の表情がどんどん険しくなっていくのも気に留めず、なのはへと手を伸ばした。撫でる気なのだろう。その行為も、魅了の魔法が発動するトリガーであることを知っているなのは、思わず後退りする。

 

 抵抗できないわけではないが、単純に触れられるのが嫌なのだ。

 

 当然、士郎と恭也が立ちふさがるが、その前に、王騎となのはの間の空間がぐにゃりと歪んだ。

 

「お姉ちゃん!」

「おっと」

 

 【姿あらわし】により空間から現れたスグハに、なのはは喜色満面の声を上げる。

 

 一方で、いきなり小太刀の切っ先を突きつけられた王騎は、軽い一言と共にバックステップで距離を取った。

 

「おいおいスグハ、相変わらず過激だな。そんなに嫉妬するなって。俺はお前のことも――」

「相変わらず、一人の世界で(・・・・・・)生きてるわね。そろそろ、虚しさを覚えたらどうかしら?」

「……そんなに怒るなよ。可愛い奴だな。心配しなくても、俺は二人とも平等に愛してるからさ。なんならこの後、姉妹揃って可愛がってやるよ」

 

 スグハの言葉に、一瞬、ピクリと目元を引き攣らせて反応した王騎だが、直ぐに自分本位全開の言動を取り戻した。

 

 まさに柳に風。暖簾に腕押し。何を言おうと、どれだけ辛辣に返そうと、全ては自分に対する愛情の裏返し、自分に惚れているなのは達の可愛いわがままだと思い込む。会話そのものが成立しない、原作遵守派とは違う意味での厄介者。

 

 スグハ達が、ハーレム願望系オリ主派転生者と呼んでいる者(以前、他の転生者がそう呼んでいたため)の特徴だ。

 

 自分こそオリジナル主人公。自分こそ、原作キャラに愛されて止まないハーレムの主。世界は全て自分を中心に回っていて、都合の悪いものは全てなかったことにする。そういう人種だ。

 

 一応、ハーレム願望の主なので、原作遵守派と異なり、ニコポやナデポのようなテンプレの魅了系統魔法以外で、直接危害を加えて来るようなことは、まだない。その点では、まだマシといえるが、言動のかみ合わなさと女子以外に対するぞんざいな扱いは許容できる範囲を超えている。

 

 なにより、余りの言動の痛さに、なのはは今にも元気なマーライオンになりそうだ。王騎のニッコリ笑顔自体と、その魅了魔法(俗にいうニコポ)も合わさって、胃に来たらしい。口元を押さえてプルプルしている。

 

 そんな娘の様子に、当然、父親が黙っていられるわけもなく、

 

「父親を前に、よくそんなセリフが吐けるね。……以前から、なのは達には近寄るなと忠告していたはずだが?」

 

 士郎が、額に青筋を浮かべながら、王騎に静かな怒りの声をかける。だが、王騎は、そんな士郎の怒りにもやれやれと肩を竦めるだけ。

 

「ふぅ。お義父さん。俺も以前から言ってるでしょう? 過保護もほどほどにしろと。なのは達が俺に惚れているってこと、まずはそれを認めて欲しいもんです。そして、娘の幸せとはなにか、それをちゃんと考えてもらえませんかね?」

「「……」」

 

 上から目線の的外れな忠告。まるで、自分が家族の幸せを考えていないかのように無神経な言葉。士郎の手が背中に回る。そこに何が仕込まれているのかは自明の理だ。

 

「お? なんだ、やるのか? やめとけよ。あんたじゃ俺には勝てない。現実ってやつを教えてやるのもいいが、流石に、なのは達の前で無様を晒させるのは良心が痛むからな」

 

 そういった王騎の背後の空間が波紋を打つように揺らいだ。そこから、凄まじいプレッシャーを放つ幾本もの剣が鋒を覗かせる。同時に、王騎からも絶大なプレッシャーが噴き上がった。もしここに魔力測定器があったのなら、余裕でSSSランクを叩き出したことだろう。

 

「ぐっ」

 

 物理的な圧力すら伴っていそうな莫大な魔力に、士郎の表情が歪む。距離的に、御神流の奥義【神速】を使えば、仕留められないことはないだろうが……

 

「おっと、御神流の神速は忘れてないぜ。殺さないように加減するのは難しいんだ。下手なことはしてくれるなよ。どうせ、俺には誰も勝てないんだからな」

 

 更に士郎達へ魔力を叩きつける王騎。いよいよ、士郎の表情が苦しそうに歪む。スグハが、吹き荒れる魔力の中、瞳に殺意を宿し始めた。

 

「今すぐ、止めなさい」

「な、何だよ」

 

 今まで、王騎は直接的に手を出してきたりはしなかった。魅了の魔法を使っても、女子を傷つけるようなことはなかったのだ。

 

 もちろん、その言動の鬱陶しさと、なのは達に近づく男への極めて危険で好戦的な言動は、スグハ達に嫌悪感と警戒心を与えるものではあったが……殺意をもって排除しようと思うほどではなかった。

 

 原作遵守派の、スグハを排除しようとする行動にすら、そこに警告的な意味が強く、本気で命を奪おうとまでしていないという段階では、スグハも殺意を抱くほどではなかったくらいなのだ。

 

 だが、今、スグハは確かに、いつも通りと言えばいつも通りな王騎の言動に、自然と殺意を抱いた。

 

 それは、すなわち、スグハの余裕の無さのあらわれだ。

 

 迫る原作開始の日。動き出す傍観者達に、一線を越え始めた転生者派閥。数日前に死にかけた己の失態……

 

 スグハは感じていた。劇的な変化はなくとも、自分達は確実に追い詰められつつあると。

 

 たとえ、個人の戦力としては並の転生者相手でも圧倒できる自信があっても、数の暴力や混迷する情勢、なりふりを構わなくなった転生者達の攻勢は、そう遠くない未来に、スグハへチェックメイトをかけるだろう。

 

 だからこそ、いとも簡単に大切な家族へ自分本位な言動を向ける相手に、これほどあっさりと殺しを許容するようになってしまった。

 

 そんな様子に、士郎や恭也も気がついたようで、思わず視線を王騎からスグハへと逸らしてしまう。なのはも、普段、王騎や彼と似たような言動をする下心満載の相手に対する態度とはどこか異なると、不穏な気配を感じとって不安そうな表情になった。

 

 スグハの視線はそれない。家族からの、己の心情を察したような視線を感じていても、これ以上後顧の憂いを残すわけにはいかないと。

実際に害意あるかどうかに関係なく、その片鱗を見せただけでも、もう容赦をするわけにはいかないと。

 

 その手に握る小太刀にグッと力を籠めて……

 

『スグハさん』

「っ」

 

 たった一言。穏やかで、どこかそよ風を思わせる優しい声音が頭の中に響いた瞬間、スグハはハッと我を取り戻した。煮え立った精神が、膨れ上がった殺意の波が、スッと凪の状態へと変化する。

 

(いけない。思考が短絡的になりつつある。律する心を忘れたら、それこそ、一気に瓦解してしまうわ……)

 

 スグハは心の中で己を戒めると、一つ、大きく深呼吸をした。百数十年を生きてなお律しきれない己に心の中で苦笑いを浮かべつつ、今日、意を決して会談を申し込んだ理由を思い出す。

 

(私達は追い詰められている。だからこそ、正体不明の助力者を、相手が隠れたがっていると分かっていて探し出した。情報ゼロの状態で、それでも転生者の家という虎穴に踏み込んだ。私達の未来のために、どうしても手を取り合える仲間が必要だったから……。自覚している以上に、焦っていたみたいね。会談成功の直後に、この有様なんて)

 

 スグハは、今なお溢れている王騎の魔力を受けながら、突きつけた小太刀を納刀した。

 

 それを見て、スグハの殺気に腰が引けていた王騎は、「過激な愛情表現だな」と少々引き攣った表情でのたまいつつ、再び笑顔を向けようとした。

 

 だが、その前に、スグハが虚空へと話しかけだしたことで、表情は訝しむものへと変わる。

 

「ありがとう、伊織くん。恥ずかしいところを見せたわね。でも、助けてくれるって言ったくせに、未だに傍観しているのはどうなのかしら?」

『……彼はハーレム願望のある転生者だろう? 男の俺が出て行っても、余計、状況を引っ掻き回すだけだ。彼は、言動はともかく、未だ君達を本気で傷つける様子も見られない』

「確かに、彼はただ自己中心的なだけで、原作遵守派や悪意ある転生者に比べれば、まだマシではあるけれど……どうせ、顔見せする予定だったのだし、挨拶がてら助けてくれてもいいんじゃないかしら?」

『出来る限り姿は見せず、中立的な立場で立ち回りたいところなんだが……』

「周囲に、他に転生者はいる? 私には感知できないのだけど」

『取り敢えず、物理的にも、術的にも、今のところ監視の目はないな』

「なら、一つ、貴方の在り方を見せてもらえない? 私は信頼できる人だと思っているけれど、父と兄が心から貴方を信頼するには、やっぱり、直接見た方が確実だと思うわ」

『……う~ん。まぁ、力になると、さっき言ったばかりだしな。それに……彼のことも気になる。分かったよ、この件、俺が預からせてもらおう』

「ふふ、よろしくね」

 

 伊織の念話は、リリなの世界の魔導による念話とは術理が異なる。どちらかと言えば、仙術の類だ。故に、リンカーコアを持つなのはや王騎でも、二人の会話を聞くことは出来なかった。

 

 そのため、一見すると、スグハが何もない虚空に話しかけているという微妙な状況である。場合によってはエア友達という悲しい現実を思い浮かべるところだ。もちろん、訝しむだけで、スグハの呼びかけた“伊織”という名前などから、高町家の面々は、スグハが誰と話しているか分かってはいるが。

 

「おいおい、スグハ。いったいなにをしてるんだ? 俺は――」

「初めまして。北條伊織という。最近、この町に引っ越して来た者だ。取り敢えず、話がしたいから、この魔力を引っ込めてくれないか?」

「ッ、な、なんだてめぇっ」

 

 王騎が、ちょっぴり可哀想な者を見るような目を向けながらスグハに話しかけようとして、自分と高町家の間にスッと割って入った人影に思わず狼狽した声を上げた。

 

 それも仕方のないことだ。なにせ、転移してきたわけでも、超速度で飛び込んできたわけでもないのだ。普通に、散歩するような自然さで、いきなり視界の中に入って来たのである。視界に入って、声をかけられるまで、ここまで接近されていることにまるで気がつかなかったのだ。

 

 それは、王騎よりも遥かに気配に敏感な御神の剣士三人をして同じだったようだ。呼び出したスグハですら、いきなり目の前に現れたように感じる伊織へ目を見開いている。と、同時に、あることに気がついた。

 

「圧力が、なくなった?」

 

 そう、王騎から噴き出る魔力のプレッシャーが、嘘のようになくなったのだ。だが、それは王騎が収めたわけでないことは、今なお、波紋を打つ彼の背後の空間や、彼自身が纏う銀色の魔力光から明らかだ。

 

 王騎との間に立っている伊織が、何かをしているのは明白だった。

 

 と、そのとき、誰もが絶句している中で、小さな影が宙を舞った。その影――チェシャは空中でくるくると華麗に舞うと、そのまま伊織の頭の上にぽふっと着地する。

 

 伊織が頭の上に手を伸ばしてチェシャの首筋を指先で撫でてやると、文字通り、猫撫で声で気持ちよさそうにすりすりとすり寄った。途端、なのはがハッと我に返ったような表情になり、そのまま伊織のもとへ駆け寄っていく。

 

「チェシャちゃん!」

 

 余程、チェシャが離れてしまったことが我慢ならないのか、なのはは今にも泣きそうな表情でチェシャへ手を伸ばす。

 

「……チェシャ。お前、随分と気に入られたな。ほら、行ってやれ」

「なぁ~お」

 

 苦笑いする伊織に、チェシャは「まったく、やれやれだぜ」と言いたげにカギシッポをふりふりすると、そのまま宙返りでなのはの頭へと帰還した。

 

 大好きなチェシャが帰って来てくれて少し落ち着いたらしいなのはは、そこでチェシャを胸元に抱き直すと、おずおずとした様子で伊織に話しかける。

 

「あ、あの、君が、チェシャちゃんの飼い主さん?」

「ああ、そうだよ。初めまして、高町なのはちゃん」

 

 なのはは、チェシャを抱き締めたままジッと伊織の瞳を見つめた。そして、波ひとつ立たない、静かで穏やかな瞳に何かを納得したのか、にっこりと微笑んだ。それは、なのは本来の魅力が詰まったとても自然で、魅力的な微笑みで……

 

「初めまして、高町なのはです! あのね、北條く――」

「なのはから離れろ! このモブ野郎!」

 

 挨拶と、何かを言おうとしたなのはの言葉を遮って、王騎が飛びかかって来た。その手に握られているのは目もくらむような黄金の聖剣。尋常ならざる気配を持つ、最上位級の宝具の一つ。

 

 それを、大上段から伊織へ振り下ろす。一応、まだ分別はあるのか、剣の腹を向けてはいるが……普通は、そんな鈍器で殴られれば痛いでは済まない。

 

 伊織を挟んで王騎の暴挙を目にしたなのはが、「あっ」と声を上げる。

 

 もっとも、そんな子供の(・・・)の一撃が、この千年近くを生きる歴戦の猛者に通るわけもなく、

 

「なっ」

「……もしかして、エクスカリバーか? いきなり、とんでもないものを出してくるんだな」

 

 事も無げに白刃取りされた。それも、片手の人差指と親指の二本で、振り下ろされた剣を横から掴みとるという離れ業で。

 

「は、離しやがれ!」

 

 押しても引いてもビクともしない白刃取りに、王騎が咆えた。全身からSSSランクの魔力を吹き出し、至近距離から伊織へと叩きつける。

 

 しかし、どうしたことか、どれだけ魔力を放出しても心地よいとすら感じる微風が吹くだけで周囲には何の影響も及ぼさない。

 

「てめぇ、いったい何してやがる。なんかの能力か?」

「そういうわけじゃない。ただ、俺の魔力を合流させて自然に還しているだけだ。それより、一度、落ち着いて話をしないか? まずは、君の名前を教えて欲しい」

「うるせぇ! いきなり現れやがって好き勝手言ってんじゃねぇぞ! てめぇ、なのはとスグハに何をしやがった!?」

 

 どうやら、スグハが呼び出したらしいこと、なのはが笑いかけたことで、伊織がなのは達に洗脳紛いのことをして取り入ったと思っているようだ。なんというブーメラン。

 

 その瞳には、自分のものを奪おうとする伊織に対する憤怒と、なのは達に対する狂気じみた妄執が見え隠れしている。

 

 伊織は、王騎の瞳を至近距離からジッと見つめた。王騎は、その視線すら気に食わないようで、否、むしろその視線こそ気に食わないというように、背後の空間を波打たせる。

 

 ズズズッと波紋を広げて切っ先を覗かせる数多の剣。白刃取りされてエクスカリバーを動かせないなら、別の宝具を射出して吹き飛ばそうというのだろう。

 

 しかし、

 

「落ち着いて」

「――ぁ」

 

 トンッと、実に軽く、伊織の指先が王騎の額を突いた。途端、王騎はよろめきながら後退り、背後の空間――数多の宝具を内包する【王の財宝】も閉じてしまう。

 

――闘戦勝仏直伝仙術 【点断】

 

 指先から針の如く練り上げたオーラを、人体の必要箇所に打ち込むことで、身体能力や意識を阻害したり、相手のオーラや魔力といったエネルギーを一時的に断つ術だ。

 

 今回は、一瞬だけ意識を断つことで、王騎の【王の財宝】の機能を停止させたのである。ついでに、王騎から噴き出していた魔力もなくなった。

 

「な、なにが――って、てめぇ、俺のエクスカリバーをどうする気だ! 返しやがれ!」

「かまわないが……名前くらい、教えてくれないか? きちんと、君の口から」

 

 興奮の度合いを強める王騎に内心で苦笑いしながら、手慣れた様子で一回転させたエクスカリバーの柄を掴み、そのまま差し出す伊織。王騎は警戒しながらもひったくるように取り返した。そして、更に、目を剣呑に細める。

 

「……てめぇ、もう終わりだよ。俺を本気で怒らせたな。妙な能力を持っているようだが、俺が本気で宝具を使えば塵も残らない。舐めた口をきいたこと、後悔しながら死ねよ」

「勇ましい言葉だが、やっぱり、目も合わせてくれないんだな」

 

 再び、王騎が【王の財宝】を発動した。伊織は、次々と切っ先を覗かせる宝具になど見向きもせず、困ったように眉を下げる。

 

 名乗ってくれないこともそうだが、王騎は、あれだけの啖呵を切っておきながら、ただの一度も伊織と目を合わせていないのだ。睨み付けていても、その視線はどこか微妙にずれている。

 

 それが、どういう理由から来るものなのか……

 

 数多くの子供達を、父として、あるいは祖父として見て来た伊織には、何となく察することが出来た。故に、伊織はただの一度も、王騎から視線を逸らさない。

 

「くたばれ、モブ野郎!」

 

 王騎が指揮棒のようにエクスカリバーを伊織へ突きつけた。直後、一本の力を持つ剣が伊織へと射出される。伊織は、小さく「クイーン、頼む」と呟いて、こっそりと背後にいる高町家のもとへ魔獣クイーンオブハートを送り込む。

 

 自分の肩に、ひょっこり現れた美貌の騎士少女に、スグハが思わずギョッとする中、飛び出した宝具の剣は、伊織の肩に直撃――

 

 する寸前で、やはり指二本だけで白刃取りされてしまう。

 

「チッ。やっぱり加速系の能力でも持っているようだな。だが、いつまでも凌げるほど、俺の能力は甘くないぞ!」

「……」

 

 どうやら王騎は、伊織が加速系の能力を転生特典にもらった転生者だと考えたようだ。さきほどの自分ですら(・・・・・)認識できない速度の(・・・・・・・・・)デコピンや、射出される宝具を軽く受け止めたのは、伊織の認識能力や身体能力が加速したから、と推測したというわけだ。

 

 故に、王騎は手数で攻めることにしたようだ。そんな王騎に、伊織は静かな眼差しを注ぐ。王騎は、一瞬たじろぐものの、直ぐに雄叫びを上げて宝具を連続射出した。

 

 先の射出より、更に速くなった剣の群れが、伊織目掛けて殺到する。

 

 流石に、これはまずいと思ったのか、スグハが助力しようと小太刀を抜きかける。

 

 だが、

 

「……凄まじいわね」

「これはこれは……絶技、というのもおこがましいな」

「す、すごいの」

「……」

 

 ほんの数メートル先。そこで繰り広げられた絶技に、誰もが魅せられた。

 

 それも無理はない。なにせ、常人ならば視認するのも難しい速度で飛来する剣の群れが、伊織を中心にして放射状に規則正しく並び立っていくのだから。

 

 やっていることは単純。ただ、飛んでくる剣に手を添えて、そっと軌道を逸らし、脇の地面へ流しているだけだ。勢いそのままに軌道だけを逸らされた宝具達は、まるで伊織にこそ抜いてもらうのを待っているかのように、彼に柄の方を傾けて地面に突き刺さっていく。

 

 そして、それをなしているのは、ただ一本の腕だけなのだ。

 

「なっ、くそっ。調子に乗んじゃねぇ!」

 

 己の自慢の宝具が軽くいなされることに、あっさりと激昂した王騎は更に射出の速度を上げる。

 

 速さは、イコール破壊力だ。真名の解放がされていない宝具とはいえ、弾丸に等しき速度で射出されれば、それだけで致命傷級の威力である。

 

 流石に、これをそのまま地面へ流すと、いくら念の為にクイーンを防御に回したとはいえ、余波だけで危険だ。

 

「なら、上だな」

 

 小さく呟かれた伊織の言葉。直後、飛来する剣群は、軌道を先とは違う方向へと捻じ曲げた。

 

 すなわち、誰もいない上空へと。

 

 撫でるような片手の動きだけで、ライフル弾もかくやという凶悪な速度で襲い来る剣群の威力を、回転力に変えて上方へと導いていく。

 

 高速回転する剣群はラウンドシールドのように円を描きながら上空へと打ち上げられ、やがて、回転力はそのままに地上へと落ちて地面へと次々に突き刺さっていった。ただし、今度は、伊織と王騎の間に、防波堤となるように。

 

 それどころか、まるで狙い澄ましたかのように、飛来する剣群を落下の勢いと回転力で地面へと叩き落としていく。まさか、一直線に飛んでくる剣をいなして回転させ上空に打ち上げるだけに止まらず、落下位置と飛来する剣の軌道およびタイミングまで図っているなど、誰が思おうか。

 

 だが、事実として、王騎の放つ宝具の剣は、ただの一本も伊織に届くことはなく、その全てが規則正しく周囲の地面へ突き立てられていくのだ。その数は、直ぐに百を超えた。

 

「君、自分が今、何をしているか……分かっているか?」

「あぁ!? なに余裕こいて――」

 

 片手間に飛来する宝具をさばきながら、伊織が静かな声音で語りかけた。伊織に宝具を当てることに夢中になっている王騎は怒声をもって返そうとするが、チラリと見てしまった伊織の瞳に、思わず言葉を詰まらせる。

 

 呑み込まれるかと思った。怒りが宿っているわけでも、苛立ちや憎しみがあるわけでも、迷惑や焦燥があるわけでもない。ただ、ぴたりと見つめているだけの静かな瞳。だが、まるで素っ裸のまま、広大な大地に一人、放り出されたかのような気持ちになった。

 

 慌てて視線を逸らした王騎に、伊織は少しだけ悲しそうな表情をしつつ、言葉を重ねる。

 

「君の放つこの一撃一撃は、容易に人を殺せるものだ。その剣の先には、俺だけでなく、君が求める人達がいる。理解しているか? 君は今、誰よりも君自身を追い詰めているということを」

「な、なにを……なにを訳の分かんねぇことをごちゃごちゃ言ってやがる!」

 

 王騎は今度こそ怒声を上げつつ、虚空へ手を掲げた。途端、ジャラジャラジャラと音を立てて、伊織の周囲の虚空から幾本もの鎖が飛び出してくる。

 

――宝具 【天の鎖】

 

 神性を持つ相手には絶対的な拘束力を誇る神造の縛鎖だ。

 

 もちろん、ただの人間にはそれなりに頑丈な鎖、というレベルでしかないが、高速射出される宝具の嵐の中で、絡みつかれて一瞬でも動きを鈍らせることは致命的であり、なかなか悪くない手である。

 

 当然、伊織は放置せず、宝具をいなしている手とは反対の手で、軽く虚空を薙いだ。一瞬、腕先がぶれたように見えた刹那、四方八方から伸びて来ていた【天の鎖】が一瞬で細切れになった。

 

「え?」

 

 思わず呆ける王騎。自分の見間違いか、あるいは制御を誤ったのかと、現実逃避の入った思い込みで再度、【天の鎖】を召喚する。

 

 が、やはり、伊織が片手をかかげ、軽く薙ぐだけで、【天の鎖】はあっさりと細切れにされてしまった。

 

――西洋魔法・神鳴流混合奥義 【断罪の百花繚乱撃】

 

 その名の通り、あらゆる物質を気体に相転移させる西洋魔法【断罪の剣】で行う、円運動と手首の返しで周囲一帯を薙ぎ払う神鳴流奥義【百花繚乱】だ。ミクほど冴えた技を放てるわけではないが、八百年の長き生は、伊織達が互いの得意分野を習得し合うには十分な時間だった。

 

 宝具の掃射が通じない。【天の鎖】が届かない。それどころか、始まってからただの一歩、相手を動かすことすら出来ない。その事実に、再び王騎が呆ける中、伊織が語りかける。

 

「求める相手と言いながら、その相手の心を無視する。なのはちゃん達とすら目を合わせようとしない。彼女達の大切な人に、躊躇いなく暴力を突きつける。君は、それで君の求めるものが手に入ると、本気で考えているのか? ……本当は、全部分かっているんじゃないのか?」

「っ。な、なに言ってやがる……」

 

 攻撃を受けたわけでもない。にもかかわらず、真っ直ぐに自分を見つめて来る伊織を前に、王騎は狼狽えながら後退った。

 

「どうしたんだ? 君に、本当に絶対の自信と確信があるのなら、なにを引き下がることがある。ぽっと出の俺の言葉など、軽く論破すればいいだろう? なぜ、そんなに怯えるんだ?」

「うるせぇ! 誰がビビってるだと、あぁ!? マジで殺されてぇか!」

 

 伊織が、一歩を踏み出した。同時に、王騎が一歩下がる。言葉とは裏腹に、王騎は明らかに動揺していた。伊織の言葉に、というよりも、今なお自分を捕えて離さないその眼差しに。

 

 苦し紛れに射出した剣は、今度は逸らされることもなく二本の指で挟み取られ、そのまま手首の返しだけで投げ返されると、【王の財宝】へと投げ込まれた。

 

「俺は君の敵なんだろう? なら、きちんと俺の目を見てくれ。敵から視線を逸らして、どうして攻撃など当てられる」

「……う、うるせぇ!」

 

 また一歩、伊織が進む。王騎は一歩引き下がる。

 

「下がるな。前を見るんだ」

「黙れっ」

 

 王騎の瞳の奥に、危険な揺らめきが宿り始める。ただの一度とて、伊織から攻撃されたわけではないのに、その瞳にちらつくものは、明らかに追い詰められつつある者の揺らめきだった。

 

 また伊織は進み、王騎は下がる。そうして、トンッと、背中に感じた堅い感触に、王騎はハッとする。いつの間にか道路の端にまで下がっていたらしい。

 

「もう下がれないぞ」

「だま、れ」

 

 呼吸が乱れる。王騎自身、自分がどうしてこれほどまでに動揺しているのか、理解できなかった。ただ、伊織の発する言葉の一つ一つが、やたらと不愉快で、どうしようもないほど心の底に封じ込めた嫌なものを刺激して……

 

 もう下がれない。背中には壁。伊織はまた一歩、歩み寄って来る。

 

「来るな」

「よく聞こえないな。そんな小さな呟きでは」

「黙れ」

「もう一度言うぞ。俺の目を見て話してくれ」

「黙れっ」

「告げる名前もなく、視線も合わせず、小さな声で、世界が変わるとでも?」

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇっ」

 

 王騎が、癇癪を起したように「黙れ」を連発する。そして、激情に突き動かされるように手を伸ばした。すると、呼応するようにエクスカリバーが飛来し、王騎の手に収まった。王騎は、そのまま大上段からエクスカリバーを伊織目掛けて振り下ろす。

 

「黙れぇえええええっ」

 

 なんの捻りもないただの振り下ろし。

 

「こんな言葉だけで追い詰められるほど、瀬戸際だったか……」

 

 伊織は軽く人差し指を曲げた。途端、王騎はその場で一回転し、更には遥か道路の先へと吹き飛ばされていく。

 

 が、地面に激突する寸前で、再びくるりと一回転し、足から着地することに成功した。もっとも、その愕然とした表情が、王騎の技ではないことを雄弁に物語っている。

 

 王騎は自分の足に巻き付く極細の糸に気がつくと、それが伊織の仕業だと気がつき、顔を真っ赤にして激昂した様子を見せた。距離を取ったことで、少しだけ心の余裕を取り戻したようで、それが馬鹿にしやがってという憤怒へと転換される。

 

 エクスカリバーに、強烈な光が集束し始めた。

 

 放つ気だ。真名解放の力を。伊織の傍には、なのは達もいるというのに、もはや、不愉快な存在を消すことしか頭にはないらしい。

 

 背後で、スグハ達が何かを言いかける気配に気がついた伊織だったが、その視線は真っ直ぐ王騎に注がれたまま、「クイーン、チェシャ。高町家の皆さんを頼んだぞ」と言って歩き出してしまった。

 

 なのはの胸元で、チェシャが「うにゃ!」と力強くカギシッポを揺らし、スグハの肩で、クイーンが「ラジャー!」というように惚れ惚れするような見事な敬礼を決める。

 

 それを気配で感じ取った伊織は小さく口元に笑みを浮かべつつ、次の瞬間、全身に淡い光を纏った。

 

 直後、スグハ達は瞠目することになる。

 

「子供の姿では、少々説得力に欠けるか。……仕方ない」

 

 そう言った伊織の姿は、次の瞬間、二十歳を超えたくらいの、精悍な顔つきの青年のものになっていた。

 

 




いかがでしたか?

原作遵守派の次は、テンプレ転生者。
長く生きた者として可能な限り説得をしたいという伊織の言葉は、有言実行となるのか。
そういう話ですね。

やっぱり二次は頭空っぽにして楽しく書けるから好きです。
必然、中身がうすっぺらい感じになっちゃうこともありますが、そこはご容赦いただければと。
こう、ふわっとした感じで楽しんでもらえれば嬉しいです。

次の更新は、いつ頃になるか分かりませんが、ひょっこり更新したときは、またお暇な時間にでも読んでいただけたら幸いです。



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