連邦軍人とフェイトくんの旅。 (ばんどう)
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phase1 カルサア修練場
1.クレア・ラーズバード


 灰色の空を飛竜の巨大な影が、猛然と横切った。

 

 頭上わずかと錯覚させるほど、竜の羽ばたきは激しく、フェイトは息を殺して岩陰に身を潜めるほかなかった。曇天からちらつく白雪。吐く息も白く、身を切るような寒さが指先を痺れさせている。

 

「やっぱり出てきたね……疾風め。奴らがいかにアンタたちを重要視しているか分かるってもんさ」

 

「あれが疾風か」

 

 隣で長身の男、クリフがつぶやいた。金髪碧眼、二メートル近いクラウストロ人は視力もいいのか、去っていく飛竜をフェイトが確認するまえに腰を上げている。ぱっと見は地球人となんら変わらない。分厚い筋肉に包まれた体躯は重量級ボクサーといった趣で、顔立ちがシャープなためにスマートな印象を受ける。首に横線三本の変わった刺青がある。これが彼がクラウストロ人であることを示す証だ。その身体能力は地球人のフェイトをはるかに凌駕し、近距離で放たれた電子銃まで(かわ)すことができる。

 クリフの言葉を受けて、ネルが小さくうなずいた。

 

「そうさ。アーリグリフの誇る3軍の一つ、『疾風』。エアードラゴンを駆る竜騎士団だよ。厄介な奴らさ」

 

 そう答えたネルは、この未開惑星「エリクール」の現地人だ。一七〇センチはある長身の女性で、クリフとは対照的に細身だった。この極寒の大地にいるにはあまりにも薄着で、太腿がわずかに隠れる程度の丈も袖も短い和服をまとっている。首には黒と藍のボーダー柄のマフラーを巻いていた。申し訳程度の防寒具でも、彼女の切れ長の目は、凛と前をみつめている。

 ――たったいま、味方を囮にしたところだというのに。

 

「行くよ、奴らをタイネーブたちがひきつけてくれている間に、カルサアを抜けてシーハーツ領に入る」

 

 フェイトは思わず声を荒げた。

 

「ちょっと、待ってください。僕はまだ協力するなんて言ってないですよ。それにタイネーブさんたちを放っておいていいんですか!? あんな竜騎士たちに追いかけられたら逃げ切れるかどうか――」

 

「ああ、捕まる可能性は非常に高いだろうね。でも、それは仕方がないことさ」

 

「えっ?」

 

「それが彼女たちの任務。彼女たちも覚悟の上だよ」

 

「!」

 

「もし私だって仲間の足手まといになるようなことがあれば、遠慮なく切り捨てていかれるだろうさ。私たちの仕事ってのはそういうものなんだよ」

「任務……任務って! あなたは!」

 

 鋭く吼えたところで、自分の意識が浮上するのを感じた。急速に、雪の感触が遠くなっていく。

 温かく、柔らかい羽毛に(くる)まった感触が近くなる。ぱちぱちと薪が燃える音。

 フェイトは瞼を開ける前、漠然と思った。

 

(――夢か)

 

 遭難した先の雪国アーリグリフで敵国(シーハーツ)のスパイと断じられ、拷問にかけられた。そのあまりの仕打ちから逃れるために、本物のシーハーツという国のスパイ、ネルについてきた。アーリグリフとシーハーツは戦争中。シーハーツが戦争に勝利するためには、フェイトの持つ高度な機械知識が必要となる。そう言われ、兵器など作る気はなくとも、ともかく生きるためにがむしゃらにネルの手引にしたがった。

 その途中で、彼女の部下たるタイネーブが、アーリグリフの執拗な追撃を一身に引き受けるために放った言葉がフェイトの脳裏をよぎった。

 

 ――フェイトさん、ネル様をお願いします。

 

 

 さらに意識が浮上する。

 窓から射す朝日が、フェイトを瞼を震わせた。

 

 久しぶりに得た、安全な寝床。

 フェイトはようやく深い眠りから覚醒していった。

 

 

 ◆

 

 

 鈍い痛みに目が覚めたのは、空が白み始めた明け方のことだった。

 射し込む日差しを避けるように身じろいで、『彼』はぼんやりとした頭をふった。

 

「っ……!」

 

 刹那、鈍痛に呼吸を奪われる。

 それでも意を決して目を開けると、高い天井があった。木張りの天井だ。それなりに年季が入っていて、ところどころに染みもある。

 

(どこだ? ここは……)

 

 眼球を左に走らせると石壁に風景画がかかっていた。下から見上げているのでよく分からないが、見覚えのない景色だ。さらにその下、枕元にサイドボードの書棚があり、本が数冊並んでいる。背表紙は読めなかった。――見慣れない文字だ。右手の窓を見る。寝台から天井まで伸びた細長い大きな格子窓だった。厚手の豪奢なカーテンが開かれているが、ガラスが曇っているせいで外は見えない。

 『彼』は寝台に手をつき、身を起こした。

 

 ぎきっ、ぴきき……っっ

 

 腕に力を加えただけで、少なくとも十を超える関節が悲鳴を上げる。その痛みを無視して座ると、さきほどから聞こえていたパチパチという音の正体を見つけた。足許に暖炉がある。薪をくべて間がないのか火の勢いが強い。

 個室にしては広い部屋だった。部屋の奥に木戸があって、その左側に白桐の衣装ケース、右側に天井まで届く大きな本棚がある。テーブルやソファ、胸像といった調度類は手作りなのか、繊細な形をしていて木製が多い。

 ――どれも、親しみのない様式である。

 

 そのとき、『彼』は正面の木戸を見据えた。

 

 一拍して、顔を覗かせたのは若い女だった。二十前後。細い肩を袖のない和服から覗かせ、寒くもないのに黒と藍色のボーダー柄のマフラーを巻いている。くっきりとした目鼻立ち、栗色の瞳が『彼』を見て丸められた。

 

「気がつかれたんですね! ……よかった」

 

 彼女が相好を崩した。ベッド脇まで近づいてくると、細い腕に紋章が刻まれているのが見えた。昔、エクスペルで見たものだ。伝統芸術として残っているだけで、「紋章術師」という特殊な職でないかぎりは、滅多に見ることはない。

 彼女が深く、一礼してきた。

 

「はじめまして。私はクレア・ラーズバード。このシーハーツで、光牙師団『光』の隊長を勤めている者です」

 

「……え?」

 

 一言も理解できずに首を傾げた。一方で、自分の状態を確かめる。拳を握ったり開いたりすると痛むが、動かせないレベルではない。

 ――この治療の御蔭だろう。

 『彼』の胸から腹にかけて真新しい包帯が巻かれていた。気絶する前に負った脇腹の銃痕をすべて隠してくれている。手当てとしては応急に近いが適切だ。

 

 部屋に入ってきた女性――クレアは、『彼』にひとつ頷くと『彼』の背中にある片上げ下げ窓を開けた。弱い風が入ってきて頬を撫でる。それは早朝の爽やかな風に違いないが、同時に嗅ぎ慣れた死の匂いも運んできた。

 

 ――錆びた鉄のような血臭と、焦臭さ。

 

 かすかに目を細めてクレアを見ると、窓の向こうに、くたびれた教会と崩れた家屋を見つけた。災害に遭ったというより人の手によって取り壊されたと分かる代物。不穏な窓の景色を観察しながら、『彼』はクレアの次の言葉を待つ。

 クレアは外に視線を貼り付けたまま、言った。

 

「ここはアリアスという河岸の村です。あなたはこの先のパルミラ平原で気絶していたところを、私たちによって保護されたのです」

 

「……本当に、保護と受け取ってよろしいのですか?」

 

 慎重に問うと、クレアは寂しそうに微笑った。

 

「ある程度、この窓からお察しいただけたようですね」

 

 サイドボードの下に、引き出しがあった。クレアはそこからが『彼』が着ていた黒のインナーと赤いコートを取り出してくる。

 銀河連邦軍特殊部隊の制服だ。

 それを大事そうに抱えた彼女は、細かい刺繍が施された『彼』のかけ布団のうえにそっと置いた。

 

「貴方の服はぼろぼろでしたので、部下が似せて作ったんです。動けるようでしたら、是非これをお召しになって一階(した)へ。現状をご説明いたします。ちょうど、あなたに会ってもらいたい人たちが居るの」

 

 合点のいかない表情を浮かべながらも、『彼』は小さくうなずいた。

 

 

 ◇

 

 

「お……?」

 

 拍子抜けたクリフの声にフェイトはふり返った。

 昨日、ようやくシーハーツ領内の村、アリアスに辿り着いたフェイトたちは、この村を取り仕切るクレアの助言で、二階で休ませてもらっていた。

 いま、彼らがいるのは一階の居間だ。シーハーツ軍前線部隊が会議室として使っている細長い大きな室で、二十人程度なら一堂に会せる。

 

 そこに、包帯まみれの青年が、クレアに伴われて入ってきた。

 年齢も身長も、フェイトに近い青年である。

 適度に引き締まった体躯で、背中にプレートでも入れているか、ピンと背筋を伸ばしている。着ているのは、膝丈まである紅いコート。デザインが見慣れた銀河連邦軍の制服に似ている気がしたが、いままで一度も彼のような紅服は報道で見たことがない。

 シーハーツにも連邦と似た感性の文化があるのか、と思いながら『彼』の顔を見る。淡い金髪と濃い蒼色の瞳、平凡な顔立ちだが視線が強い青年だ。

 『彼』を連れてきたクレアが、「おはようございます」と頭を下げてきた。

 

「昨晩はよく眠れましたか?」

 

「ああ、おかげさまでな」

 

「それはよかった」

 

 クリフがクレアに答えている間に、フェイトは首をめぐらせて戸口を見やった。もうあらかた集まったという体なのに、ネルがまだ来ない。

 

「それでは交渉に入りましょう」

 

「ええ」

 

 彼女抜きで話を進めるのかと眉を寄せながらも、クレアにうなずいた。ただ『交渉』と言っても、この国の人間は一方的に兵器開発に協力しろ、と言ってくるだけで気が滅入る。思えばあの日、幼馴染と保養惑星で海水浴に行ったために全てが狂った。そこでまさかのテロに巻き込まれ、最初に遭難した未開惑星で連邦領内の犯罪者が村を荒らしているところに遭遇した。

 これまでの日常とはかけ離れた出来事ではあったが、あくまでひとつの村で起きた事件であり、フェイトがそこで出会ったクリフと協力してその犯罪者を倒すまでそう時間はかからなかった。

 国同士の戦争とは訳が違う。

 

 そう、フェイトが遭難したのは、二度目なのである。

 それもまた、最初についた惑星とはまったく違う、どこかもわからない未開の惑星に彼と、彼を迎えにきたというクリフは辿り着いてしまった。

 

 標高高い雪山が連なるアーリグリフと、緑豊かなこのシーハーツは現在、戦争状態にある。

 

 そんななかで、運悪くアーリグリフ王都に宇宙船を墜落させてしまったフェイトとクリフは、一方的に敵国(シーハーツ)のスパイだ、と決めつけられ、拷問にかけられた。それを辛くも救ってくれたのが、本物のシーハーツのスパイ、ネルだ。

 彼女の手引で牢から脱出し、ここに至るまでフェイトはずっと、アーリグリフとの戦争に勝つために人殺しの道具を作れ、と言われ続けている。

 

 あの保養惑星でテロに遭ったときから、フェイトの人生は急速に大きな変化を迎えようとしていたのだ。

 

 クレアが好きなところへ座るよう(うなが)してきて、フェイトは居間のテーブルを見た。大きめの木製テーブル。そこにかかった白いテーブルクロスには刺繍が入っており、木彫りの上等そうな椅子がテーブルを等間隔に囲っている。

 上座に向かうクレアの背を見つめて、フェイトはためらいながらも尋ねた。

 

「あの、ネルさんは?」

 

「え……ああ」

 

 クレアが一瞬、言葉を濁した。なんだ、とフェイトが眉をひそめる間もなく、穏やかな微笑を返してくる。

 

「彼女は別の任務につきました。あなた方のことは私が引き継ぎますから、安心してください」

 

「それは、いいんですが……」

 

「さあ」

 

 微妙なクレアの反応に戸惑っている間に、早く座るよう促されて、フェイトは俯きながらも手近な椅子に座った。

 居間の窓際、室の奥にいるクレアと直角をなす席。その隣にクリフが座り、入口近くに『彼』が座った。

 テーブルを囲んだみなが、探るように視線を交わし合う。その中でフェイトは一人、唇を引き結んで膝に置いた拳を見下ろした。

 

 ――もし私だって仲間の足手まといになるようなことがあれば、遠慮なく切り捨てていかれるだろうさ。私たちの仕事ってのはそういうものなんだよ。

 

 アーリグリフの追手に捕まりそうになったとき、部下に囮役を頼んだ彼女に抗議すると、毅然とそう言い返された。いまは戦時中。必要とあれば、彼女は部下を見殺しにする覚悟があると。

 そんな並々ならぬ想いを秘めた彼女が、フェイトをなにがなんでもシーハーツの王都まで連れていく、と言っていたのになぜ突然、居なくなってしまったのか。

 

(一体、どうしたっていうんだ……)

 

 ネルの真意が読めなくて考え込んでいると、クレアが話を進めてきた。

 

「見ての通り、我がシーハーツが、あなた方グリーテンの技術者に兵器開発の助力を要請している、という話はもう彼女から聞きましたね?」

 

「ええ」

 

 固い声で答えたからか、クレアは顔の前で指を組んだまま、わずかに苦笑した。

 グリーテン、というのはこの惑星で一番機械文明が発達した国らしい。どの国とも国交を持たず、どのような人種がそこに住んでいるのかは、クレアたちも詳しくは把握していないと言う。

 星の外からやってきたフェイトたちは、便宜上、その国の人間ということになっていた。

 

「まあ、彼女がどういう話をしたかは分かりません」

 

 クレアはそう断わって、首をふった。

 まるでこれまでのネルの強硬な態度を間近で見ていたかのような、少し呆れの入った柔らかな声だ。「ですが」と続けた彼女は、ネルとは違って、親しみやすい微笑みすら浮かべて言った。

 

「あなた方はすでにアーリグリフ領内を離れ、シーハーツ領内にいる。ですから、もし兵器開発の助力を断ったとしてもあなた方の身の安全は保障します。――ただ、我らが王都であるシランドまでは身柄を確保させていただく必要はありますので、回答もその時点で結構です」

 

「随分と歩み寄ってくれたもんだな。アイツとはエライ違いだ」

 

 クリフも同じことを思ったのか皮肉混じりに言うと、クレアは顔の前に組んだ指を解いた。少し考え込むように俯き、間を置く。

 

「正直な話」

 

 彼女の声の調子がわずかに落ちた。くっきりとした丸い栗色の瞳が険しく細められる。

 

「私もできれば手を貸してもらいたいとは思っています。でも実際、あなた方には直接関係のない戦争ですから。誰が死のうが国が滅ぼうが、あなた方には関係ないのですから、心を痛める必要もありませんし、そこまで無理強いもできません」

 

「イヤな言い方しやがるな」

 

「でも本当のことでしょう?」

 

 肩をすくめるクリフを見据えて、彼女は静かに言い放った。こちらを突き放すように俯き、胸の前に置いた指を組み直す。

 

「そう考えれば少なくとも、アーリグリフの手にあなた方が落ちなかっただけでも良しとしなければ」

 

 なかば独白に近いつぶやきである。

 それを見て、フェイトは眉間に皺を刻んだ。

 

(――結局、同じだ)

 

 心の中でつぶやく。

 このクレアという女性は、ネルのようにシーハーツの都合を一方的に押し付けてはこない。ゆえにある程度好感が持てるが、『戦争』を理由に他人の命を奪うことをためらわないところが同じだ。まるで機械のように人を推し量って「任務だ」「立場だ」と主張している。

 

(なら、ネルさんがここにいないのも、本当に「任務」のせいなのか……?)

 

 クレアはそう言っていたが、どうにも腑に落ちない。

 ネルは毅然とした女性で、態度にこそ難があったがフェイトたちをこのシーハーツ領アリアスの村まで逃がすのに全力を賭していたのは間違いない。少なくともいきなり友好的な態度を取ってきたクレアよりは、行動規範が読みやすい相手だ。

 こうと決めたら退かない。

 そんな強過ぎる意志を彼女からは感じていた。その彼女が「フェイトたちを王都まで連れていく」という前言を断りもなく撤回してまで向かった「別件」とは?

 思考している間に、話を進めていたクレアが、沈黙していた『彼』に話題を振った。

 

「そこに座っている男性も、実はパルミラ平原で発見されたグリーデンの方のようなのです。詳しい話はまだお伺いしていませんが……。よろしければ、貴方のお話も聞かせてもらえませんか?」

 

「え……?」

 

 そのときになって初めて、フェイトは『彼』をあらためてみた。

 入り口近くに座った、歳近い青年。たしかに、シーハーツの人間ではなさそうだ。連邦軍服に似ている紅いコートが、さらに彼を「この星の人間ではない」と教えるようでもある。

 ――フェイトやクリフと、同じように。

 『彼』は軽く目を伏せると、一拍置いてから言った。

 

「名は、アレン・ガード。ある仕事の途中でトラブルに遭い、パルミラ平原というところに墜落した」

 

「あなたも、お二人と同じ乗り物に乗っていたようですが……?」

 

 クレアが遠慮がちに問いかける傍らで、フェイトは息を呑んだ。

 

(――墜落した? 僕らと同じように、こいつも?)

 

 小型船の航行中に制御を失ったというのか。

 詳しい話を聞きたいが、シーハーツの人間(クレアたち)が居る手前、適わない。

 このときフェイトは気付かなかったが、隣に座るクリフの表情が険しくなっていた。なにか思い立ったように唐突に。

 クリフは普段からは想像もつかないような鋭い眼光をアレンに向け、その猜疑心を悟られないよう巧妙に隠しながら、アレンの動向を探っていた。その微細な変化を視界の端で捉えながら、アレンはクレアに言った。

 

「貴方の言う通り、俺もグリーデンの人間だ。だがあの乗り物は借り物のため、簡単な操縦以外は心得ていない」

 

「技術者ではない、と?」

 

 アレンが頷く。途端にクレアの顔がやや曇った。

 

「それでも、私たち以上の知識を持っている可能性が否定できないわけではありません。よろしければ、力を貸していただきたいのですが……」

 

「その前に少し、彼らと話をさせてもらえないだろうか? 同郷ということもあって、向こうの様子を彼らの口から直接確認したい」

 

「気が合うな。俺も、ちょうどそう思っていたところだ」

 

 クリフが横柄に腕を組んだ。――このままでは場が解散する。咄嗟に判断したフェイトは、クリフを手で制した。

 

「ん? ……どうした?」

 

 ふり返るクリフを始め、一同の視線が集まってくる。

 このあと、アレンという男の素性を聞くのはおそらく簡単だ。事情がフェイトたちに近く、遭難したなら嫌でも協力し合うことになる。

 だがネルは――彼女の方はいま聞かねば、永遠にうやむやにされてしまうような気がした。

 

「……やっぱり、納得できない……」

 

 フェイトは思案顔を浮かべたまま、じ、とクレアを見据えた。一瞬だけ、クレアが眉を寄せる。

 フェイトとしてはやはり、聞いておかねばならないのだ。これから戦争に関われという国の人たちが、一体なにを目指しているのか。

 ネルは、ただ冷たいだけの人間なのかを。

 

「……クレアさん。あの人の次の任務って、何なんです?」

 

 半ば睨むようにして、クレアに詰問した。

 

「どうしてそのようなことをお聞きになるのです? 彼女はもうあなた方とは関係ありませんよ」

 

「あの人は僕たちを王都まで送り届けるのが任務と言ってたじゃないですか! それなのに途中で――」

 

 そのとき、クレアの視線が刺すように鋭くなった。咄嗟にフェイトは息を呑む。

 ネルを悪く言おうとした瞬間に、クレアの険がきつくなったのである。

 

「彼女は――」

 

「タイネーブたちを助けに行ったんだろ?」

 

「……え?」

 

 フェイトが目を見開く。予想しない展開が、予想せぬ人物から述べられたのだ。まるで世間話でもするように、暢気な声で。

 フェイトがふり返った先に、クリフがいた。空転した頭が、何度もクリフの言葉を反芻するが、いつまで経ってもクリフの言った意味を正しく理解できなかった。

 クレアの傍らにいる女性兵士すら、事情を知らなかったのか息を呑んでいる。

 

「なぜそう思うのです?」

 

 顔色を失う彼らに構わず、クレアは静かにクリフに問いかけた。

 

「昨日、アイツが部屋に入ってきたんだよ。単にお辞儀だけして、な。あの状況で追っ手を振り切れる可能性はゼロに近い。――大方、カルサアでこいつが立ち聞きした話ってのも、どうせその件に関しての報告なんだろ?」

 

 クリフが肩をすくめた。その視線の先をフェイトも追う。沈痛に瞼を伏せたクレアの顔。どんな言葉を述べられるより、それで話の信憑性が得られた。

 

「そんな……」

 

(一人で?)

 

 思わず息を呑んだ。

 クレアは目を閉じ、顔の前で指を組んだ体勢のまま、先ほどよりも低い声で言った。

 

「ええ。確かに……彼女はタイネーブたちを助けに行きました」

 

「お前! 分かってたんなら、なぜ止めなかったんだよ!」

 

「ヤツに任務があるように、オレはお前をリーダーの元に連れて行くのが任務だ。それを放棄するわけにはいかんだろうが」

 

「それにしたって!」

 

 フェイトが机を叩いて首をふる。噴気で頭に血が上っていく。「命を粗末にするな」という、ただそれだけの主張が、なぜこうも通らないのかフェイトには分からない。それもネルだけでなく、フェイトと行動をともにするクリフにまで、通じないのである。

 背中を悪寒が走っていった。自分が、自分だけがこの場に取り残されているようで、どうしようもない孤独に、視界が暗くなる。

 クレアがふいに息を吐いた。

 

「分かりました。説明します」

 

 まるで観念したかのような溜息だ。

 フェイトは顔を上げてクレアを見た。唇を引き結んで彼女に向き直ると、クレアの脇にいた女性兵士もクレアに注目した。

 

「あなた方がカルサアについた頃、アーリグリフで告知があったんです。『二人の娘は人質だ。無事に帰して欲しければ、逃亡した二人の身柄を引き渡せ』……とね。あなた方を引き渡すわけにはいかない。だから一人で助けに戻ったんです」

 

 クレアは不自然なほど感情の乗らない顔で目を伏せた。まるで疲れているような、己を嘲笑うような、感情を押し殺した複雑な表情だ。

 その顔をあげて、話題を唐突に打ち切る。

 

「とにかく、そういうことです。彼女のことは気にしないでください。それでは、すぐにでもシランドへ向いましょう。ここも安全圏とはいえ、確実ではありませんからね」

 

「取引場所はどこです?」

 

 クレアがフェイトをふり返る。怒りの滲んだフェイトの碧眼が、じっとクレアを見返していた。

 

「それを聞いてどうするのですか?」

 

「僕もそこへ行く。行ってあの人に文句を言ってやるんだ!」

 

 フェイトは吐き捨てるように言った。そうでなければ、彼は納得できない。こんな別れ方など、絶対に許さない。

 

(死んでしまったら、もう二度と会えないのに――!)

 

 たったそれだけのことが、誰も分からない。

 ここにいるクレアも、クリフも、出て行ったネルさえも。

 「建前」があれば目を瞑っていいのだと、そう諦めている。自己犠牲に酔って逃げているだけだ。――少なくとも、フェイトはそう感じた。

 腹に溜まってくる怒りを噛み締めながら、フェイトは荒々しく席を立つ。クリフがニッと笑った。

 

「そう来なくっちゃな。そのセリフを待ってたんだ」

 

「それは出来ません。あなた方お二人とアレンさんには、私とともにシランドへ向かってもらいます」

 

 色めき立つ二人を、クレアは絶妙のタイミングで押しとめた。無表情だが険の籠もった彼女の眼差しは、ネルを見送った時点で覚悟していたようだ。

 だがフェイトももう動じない。根負けしないように無言でクレアを睨み返す。

 ――負けたくなかった。

 ここにいる人間の考え方には。

 意固地になった自分を自覚することなく顔を歪めたとき、ふいにアレンが、言った。

 

「救出なら俺も参加しよう。互いの事情を確認するくらいなら、道すがらでも出来る」

 

 予期せぬ第三者の発言に、クレアが眼を見開いた。

 一同の注目がアレンに集まる。『彼』は「それに」と付け足した。

 

「急がなければ失うことになる。――大切な人なんだろう?」

 

「…………っ」

 

 クレアの表情が一瞬、はっきりと歪んだ。――深い悲しみと、後悔。無表情の裏に隠された想いを垣間見て、フェイトは眼を丸めた。

 俯いたクレアが、押し黙ってしまう。

 クレアの肩がわずかに震えているように見えた。だからなのか、クリフが頭を掻きながら鷹揚に言った。

 

「心配いらねえよ。アイツからなにを聞いたかは知らねえが、オレたちをナメてくれるなよ。それにこうなったコイツは多分あの女よりタチが悪いぜ。筋金入りの頑固者だ」

 

 フェイトは片眉をつり上げる。自分をだしに取るような発言は気に食わないが、顔を上げたクレアの表情が、縋るようなものだったために力強く頷くしかなかった。

 震える唇を隠すようにクレアは俯き、顔の前で組んだ指にを下ろした。

 

「……分かり、ました」

 

 ぽつ、とクレアがつぶやいた。

 彼女は溜息のような小さな吐息を一つ零すと、意を決して眉をつり上げ一同を見渡した。

 凛とした眼差しがフェイトを見る。

 

「取引場所はカルサア南東部にある建造物です。元々、修練場として建設された建物ですが、現在は処刑場として使われています。またアーリグリフ三軍の一部隊、重騎士団『漆黒』の拠点でもあります」

 

「どう行けばいい?」

 

 クリフに答えるかわり、クレアは視線で傍らの女性兵士に地図を持ってくるよう指示した。女性兵士の顔がぱっと綻んでいく。彼女は早々に書棚から地図を引っ張りだすと、長机に広げた。

 この瞬間から、クレアからは迷いが完全に消え失せた。こつ、と広げた地図の一点を指差して、彼女はクリフ、フェイト、アレンを順に見る。

 

「一旦カルサアまで戻って、カルサア南門から道なりにまっすぐ進めば着くはずです。以前抜けてきた山道を行くより、アリアス南門から荒野を抜けてカルサアへ入ったほうが早く着けると思います」

 

「わかった」

 

 地図上を滑る指先を追いながら、フェイトが頷いた。顔を上げたアレンが、

 

「では、先導は任せる」

 

 と言ってくるので、それに頷き返す。

 

「よし、行くぞ」

 

 決めればすぐにでも駆け出して行こうと思った。とかく時間がない。

 ネルが発ったのは昨日。

 タイネーブやファリンが捕まったのは一昨日だ。

 アレン、クリフを連れて部屋を出る寸前で、顔を俯かせていたクレアが、ふいに行く手を遮った。

 

「クレアさん?」

 

 意図が分からず首を傾げると、クレアは数瞬思い悩むように押し黙って、それから順にフェイト、クリフ、アレンを見た。

 

「十分、気をつけてください」

 

 改まった言い方である。

 クレアは己の緊張を悟らせまいとどうにか声を抑えていたが、表情は硬いままだった。

 フェイトの視線を受けて自分の状態に気づいたのか、彼女は顔を隠すように深々と一礼する。

 

「彼女たちのこと……お願いします」

 

 九十度腰を折った彼女を見下ろして、フェイトは小さく苦笑した。「建前」を押し通すのも、なかなか大変なようだ。

 

「ああ、任せとけ」

 

 クリフが、クレアの思考を断ち切るように拳を鳴らした。フェイトは腰に手を当て、クレアを安心させるように笑った。

 

「必ず、みんなを連れて帰ってきます。一発ぐらいは殴らせてもらうかも知れませんけど、それくらい勘弁してください」

 

 フェイトが肩をすくめてみせると、ゆっくりと顔を上げてくるクレアと目が合った。彼女が笑う。まるで光にとけるような、白く透明な笑みだった。

 

 ――ネルが帰ってくるかもしれないという、ほのかな期待がこめられていた。



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2.処刑と朗報

「銀河連邦の軍人だと?」

 

 クレアの助言でアリアスの南西門から村を抜け出たフェイトたちは、急ぎ足で鉱山の町カルサアに引き返していた。

 鉱山を北側に抱くこの町は鍛冶場としての隆盛は過ぎたが、騎馬兵隊『風雷』の本拠地を構えているだけあって人に溢れている。シーハーツとの国境沿いにある最前線の町であるのに、町の規模が大きいことと『風雷』の防衛力が高いことからアリアスと違って戦争被害はほぼなかった。

 カルサアの埃っぽい空気を吸い込みながら、クリフは差し出されたIDカードを睨んで顔をしかめた。

 

 ――銀河連邦軍第六深宇宙基地特務第一小隊所属、アレン・ガード。階級は少尉。

 

 つまり、連邦軍の特殊隊員である。

 苦虫を噛み潰したようなクリフの反応に、金髪蒼眼の青年――アレンは表情を変えないまま言った。

 

「俺も、まさか貴方があの、反銀河連邦組織(クォーク)のクリフ・フィッターだとは思わなかった。……奇縁になったな、互いに」

 

 微妙なニュアンスを含んだ台詞に、クリフが皮肉げに肩を揺すっている。だがフェイトにとってはそれどころではない。連邦軍人だ、と名乗るこの青年が、あのとき保養惑星(ハイダ)にいたというのだから。

 

「それでソフィアや、父さん、母さんはどうなったんだ!? 皆の避難状況は……!」

 

 はやる気持ちを抑えようとしたが、無駄だった。考えるより先に唇が動いてしまう。自分でも驚くほど緊張していて、唇がまるで別の生き物のようだ。

 そのとき、

 

「……っ」

 

 アレンの落ち着いた蒼瞳と眼が合って、口をつぐんだ。

 理由は分からない。アレンは平凡な顔立ちの男で、外見だけで言えばどこにでもいそうな特徴のない男だ。一方で、瞳に吸い込まれるような、静かな迫力がある。彼にならなにを任せても大丈夫だ、と思わせるような自信が、切れ長の双眸から発せられているのだ。浮ついた自分を彼は要石のように抑えた。

 

「俺が答えられるのは、リョウコ・ラインゴッド博士の安全だけだ。君の言う二人――ロキシ・ラインゴッド博士とソフィアという少女に関しては、把握していない」

 

「母さんは無事なのか!?」

 

 心臓が高鳴った。すがるような想いでフェイトが尋ねると、アレンははっきりと頷いた。

 

「彼女については第六深宇宙基地に保護されている。――俺が重力波に巻き込まれたのは、それからテロリストの(バンデーン)艦を追撃した際だ」

 

「あの戦闘で、重力波が起こったってのか?」

 

 苦い表情のままにクリフが訝しげに問う。アレンは頷き、そこで早めていた足を止めた。

 

「どうしたんだよ?」

 

 ふり返ると、アレンは答えずに屈んだ。

 フェイトも地面を見る。ぼろぼろに汚れたビラが一枚、落ちていた。

 

 ――シーハーツのスパイ逮捕! 近日、カルサア修練場にて処刑決定!

 

 黒文字で大きく書いたビラだ。

 

「これって……!」

 

 思わず息を呑むフェイトの傍らで、アレンがビラを拾い上げた。コミュニケーターを貸してくれと言われ、渡すと、写真は載っていないが埃を払えば粗悪な印字で逮捕状況やスパイの活動内容などが大雑把に記載されていた。

 

「時間的な猶予は、どうやらねぇみたいだな」

 

 すでに印刷物になったビラの翻訳を横から睨んで、クリフが呻いた。フェイトも眉間に皺を刻みながら頷く。さきほどまで気付かなかったのに、ビラの文字を認識した途端、通行人の半数近くがこれと同じものを持っているのが目につく。

 

「……!」

 

 さらにそれを手にした誰もが、まるでカーニバルでも迎えるかのような明るい表情を浮かべていた。

 

「……こんな……っ、人が殺されるかもしれないっていう時に……!」

 

 フェイトは拳を握り唸った。そのときである。

 

「あら! あなたたちもこれ、読んだの!?」

 

 宿先の道を歩いていた若い女性が、フェイトたちを見て顔を輝かせた。そそくさと駆け寄ってくるとアレンの握るビラとこちらを交互に見てくる。どうやら話題に飢えていたらしい。嬉しそうな彼女にフェイトが思わず顔をしかめたが、彼女は気付かなかった。

 

「ああ」

 

 アレンが淡白に頷く。女性は話し相手が居ればいいのか、過剰な興奮をみせると、夢見るように瞳を輝かせた。

 

「凄いわよね~! 疾風団長であらせられるヴォックス様に捕まって、それから漆黒副団長のシェルビー様に処刑されるなんて! そんな超大物スパイの処刑、せっかくだから見学に行きたかったんだけど、修練場って一般の人間は立ち入り禁止なのよねぇ……」

 

 舌打ちとともに残念そうに顔をしかめ、彼女は長い溜息を吐いた。その様を見ていられなくてフェイトは顔を背けるしかない。

 自分の世界に浸る彼女は空を見上げ、そ、と胸の前で指を組む。

 

「聖王国シーハーツの女スパイ達の最後の瞬間をチョット見てみたい……。この湧き上がる好奇心をいったいどうやって満たせばいいのかしら?」

 

「さあな。おい、行くぜ」

 

 女性から背を向けるクリフに、フェイトは真っ先に続いた。腹に溜まった怒りを何とか押し込めながら、それでもやるせくなって唇を噛む。駆けだすような早足で遠退きながら。

 

「……この国の人は、最悪だ……」

 

 アレンとすれ違う際、フェイトは小さくつぶやいていた。

 肩越しにフェイトを見やったアレンが、改めて女性に向き直る。

 

「見学は諦めろ。わざわざ一般人の立ち入れない場所で行う処刑だ。なにか裏があると考えた方がいい」

 

「え!? それって、どういう意味?」

 

 さらに瞳を輝かせる彼女を、アレンはじっと見据えた。深海にも似た蒼の瞳が、まるで彼女に不吉を言い渡すように迫力を増す。

 

「……!」

 

 その凄みが、肌を通して分かったのか。

 思わず息を呑んだ彼女は、ハッと我に返って乾いた笑みを浮かべた。睨まれたわけでもないのに顔を白くしながら

 

「ん……。まあ、そう……よね……。確かに、何か理由があるのかも……」

 

「ああ」

 

 頷くアレンに会釈して、彼女は逃げるように去っていった。その背を見送り、アレンはカルサアの南門に向き直る。

 カルサア修練場に続く、その門。

 

「――……最悪、か……」

 

 つぶやいた彼は、先行する二人を追って走り出した。



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3.カルサア修練場

(おかしい……)

 

 カルサアの町と修練場とを繋ぐグラナ丘陵を越えて、フェイトは修練場の前で足を止めた。ここにたどり着くまでにプレートメイルで全身を固めたアーリグリフ兵と戦ったが、シーハーツを警戒しているにしては兵士の数が少なすぎる。アーリグリフ城を脱出してカルサアに逃れたときの方がよほど厄介だった。

 太い石柱で造られた修練場の入り口には番兵すら見当たらない。この無防備さが不気味で、フェイトは足音を殺して中に入る。

 白亜の煉瓦のみで造られた修練場。間取りは広く奥まで見渡せるが、天井が低く、支柱が多いので面積の割に狭苦しい。壁に据え付けられた松明が薄暗く部屋を照らしている。火が燃える音以外、物音ひとつ聞こえてこなかった。

 

「誰もいねえぜ。もう終わっちまってるんじゃねえだろうな」

 

「そんなこと言うなよ」

 

 あまりの静けさにクリフが眉をひそめた。フェイトがたしなめて、首をふる。考えたくもないコトだ。心から吐き捨てた。

 背中で、アレンが低く言った。

 

「油断するな」

 

「……どうやら、そのようだな」

 

 クリフもガントレットをこすりあわせながら笑う。視線は手前の支柱。フェイトも剣を握り直す。敵に気付かれないよう足音に気をつけて唇を引き結んだ。構えたクリフが、横目にアレンを見た。

 

「で? 結構な傷を負ってるようだが、戦れるんだろうな?」

 

「問題ない」

 

 そのとき、伏兵が打ち込んできた。気付かれた、と悟って一転、攻勢に出たのだ。名前通り『漆黒』の鎧を着た兵士たち。六人いた。襲いくる長剣が素早い。息をのむフェイトの背中で三つ、怒号が上がった。短い悲鳴。なんだ、とふり返る前に、六人中三人の伏兵が剣を取り落した。――フェイズガン。思い当たると同時にアレンが風のごとく踏み込み、剣を取り落した兵士の脇腹を貫手で刺していた。

 

「がっ!」

 

 鈍い音を立てて、一人目の漆黒兵がくずおれる。隣、二人目の頭が跳ね上がった。掌底だ、と認識したときには三人目の突きが、アレンの死角から放たれている。見事なフォローだ。息を詰めるフェイトを置いて、アレンの腕が別の生き物のようにしなった。

 風切り音。

 漆黒が突進し、剣が落ちていった。

 驚く兵。敵を貫かんと握った長剣がまるで刃物で切り落されたかのように剣先から、すぅ、とずれていく。それが床に当たって音を立てる前に、こめかみを殴りつけられ、横っ跳びに吹っ飛んでいった。

 手応えで倒れる、と確信したのかもしれない。

 三人目の漆黒が壁に叩きつけられた瞬間、アレンが後ろを向いた。剣を拾った漆黒兵と残りの二人が、三方向から同時に打ち込んでくる。

 

「やぁあああっ!」

 

 逃げ場がない。整ったチームワークに、フェイトは目を見開く。兵士の錬度が、丘陵をうろついている一般兵とは比較にならない。

 

「アレンっ!」

 

 叫んだのと、アレンの左腕が閃いたのは同時だった。

 

「流星掌!」

 

 短い呼気、彼の左腕が唸った。まるでマシンガン掃射のような苛烈な怒号が次々に轟く。荒れ狂う空気を閃光が切り裂き、石壁が瞬きするようにチカチカッと照った。

 

 

「……っ!」

 

 クリフが目を瞠った。アレンが繰り出した無数の拳打が、余すことなく相手の急所を打ち抜いている。

 

 静寂。

 

「ぐ、あ……っ」

 

 空気の塊のような息を吐いて、三人の漆黒兵が倒れ伏した。鉄製の鎧がべこりと凹んでいる。少なくとも胸部だけで八箇所。それも皮一枚、相手を殺さない程度に加減されていた。三人が、三人とも。

 

(ケガ人の動きじゃねぇ……!)

 

 IDカードを思い出しながら、クリフは言葉を飲み込んだ。

 アレンは倒れた兵たちからこちらに視線を上げると、言った。

 

「待ち伏せに遭うということは、まだ間に合うようだな。急ごう」

 

「……あ、ああ!」

 

 気を取り直したフェイトに、アレンは静かに頷き返した。

 

(これが……『特務』ってやつか……!)

 

 頬に伝う冷汗を、クリフは愛想笑いだけで拭った。

 

 

 ◆

 

 

 カルサア修練場、副団長室にて。

 陣中の将として座したシェルビーは、不機嫌そうに顔を歪めた。

 

「まだクリムゾンブレイドの片割れを捕獲できんのか!? この能無しどもめ!」

 

 かしずく兵を怒鳴りつけるなり、シェルビーは手にした酒樽を乱暴に床に置いた。がん、と鈍い音をたった。樽のなかで酒が激しく揺れている。

 シェルビーの眼前にいる兵は、頭をさらに垂れた。

 

「申し訳ございません。だいぶ追い詰めてはいるのですが、さすがに相手もやるもので……」

 

「感心している暇があったら、さっさとひっ捕らえて来い!」

 

「は、はっ!」

 

 短く言って立ち上がる。

 その彼を大仰に見送って、シェルビーは、ふん、と不満そうに鼻を鳴らした。

 

 

「シェルビー様!」

 

 先の兵とすれ違うようにして、別の兵が入ってくる。その慌てた様子から、シェルビーは頬に笑みを刻んだ。

 

「どうした? クリムゾンブレイドを捕らえたか?」

 

「あ、いえ……。報告と……、ヴォックス様より書簡が届きましたゆえ」

 

 前の兵同様、この兵もシェルビーから一メートル離れた位置にかしずいた。その彼を見下ろして、シェルビーは怪訝そうに眉をしかめる。

 

疾風団長(ヤツ)から? なんだ? ……まあいい。まずは報告が先だ」

 

「は。見張りの兵によると、新たに不審な男が三人。場内に侵入した模様です。情報と照らし合わせた結果、その内の二人がターゲットの男たちと推察できます」

 

「三人だと? 護衛でも付けたというのか? ……無駄なことを」

 

 シェルビーは喉を鳴らしながら中空を見据えた。どこか物思いに耽るように。

 

「しかし……、そうか。まさか本当に助けに来るとはな。クリムゾンブレイドの片割れのみが一人で来た時はどうしたものかと思ったが……。まったくアペリスの信者(バカ)どもは情け深くて助かる。その甘さが命取りになるというのに」

 

 くく、と喉を鳴らして、シェルビーは眼前の兵に言い放った。

 

「よし、あの女(クリムゾンブレイド)共々追い詰めて捕らえろ。しくじるなよ」

 

「はっ」

 

 短く答えた兵は軽く頭を下げ、懐から書簡を取り出した。

 

「……それと、これがヴォックス様からの書簡です」

 

 シェルビーは書簡を受け取り、片眉を上げながら目を通す。次第に顔つきが険しくなっていった。その眉間の皺が限界まで深まったとき、シェルビーは目を見開いて書簡を投げ捨てた。

 

「ハハッ!」

 

 沸き立った衝動に任せて高らかに笑う。目の前の兵が不思議そうに見上げていた。

 

「シェルビー様、いかがなされましたか?」

 

「ハッハッハッハ! こいつはいい。アルベルの奴、しばらく戻ってこれないようだぞ」

 

「団長がですか? 何故です?」

 

「どうも疾風団長(ヴォックス)漆黒団長(アルベル)のことが嫌いらしい。しばらくヤツを足止めしておいてくれるそうだ。その間に片付けて手柄を立てておけと言ってきたわ」

 

「なるほど……。つまり、アルベル様がお戻りになる前に、シェルビー様が目的の男たちを捕らえてしまえば、手柄はシェルビー様のもの。そうなればいずれは漆黒団長の地位も……」

 

「そういうことだ」

 

 シェルビーは、にやりと笑う。次の瞬間。彼は表情を入れ替えた。殺気のこもった、鋭い眼差しが兵を向く。

 

「いま、獲物は我が手中にあるのだ。ヤツが来る前にすべて終わらせてやる。男二人は殺すなよ。必ず生け捕りにするのだ!」

 

「はっ!」

 

 短く答えた兵は、深く頭を垂れた。

 

 

 ◇

 

 

「ったく……。迷路か? 此処はよぉ?」

 

 修練場を右へ、左へ。

 入り組んだ構造に悪戦苦闘しながらも、どうにか修練場三階、牢獄錬に辿り着いたフェイトたちは、クリフの文句をラジオ代わりに先を急いだ。

 

「この頑強な構造(つくり)からして、修練場というより砦として作られたんだろう。……外敵対策にはうってつけだな」

 

「やっぱり、罠だったってこと?」

 

「ああ」

 

 アレンの言葉に、フェイトの表情が沈む。

 

「――来る」

 

 そのとき、フェイトの思考を断ち切るように、アーチ状になった通路の向こうから巨大なハンマーを持った鎧が襲いかかってきた。その体長、二メートル強。

 

「散れ!」

 

 アレンの鋭い一喝。

 鎧がハンマーを振り下ろした。

 打ち当たって地面が震える。間一髪、ハンマーを躱した一同は、背中に冷たいものを感じながら鎧を睨んだ。

 ――中身の(・・・)ない鎧を(・・・・)

 

「なっ……!?」

 

「おいおい。処刑場とは聞いてたが……、幽霊か?」

 

 皮肉混じりクリフが笑った。それを横目に、フェイトは引きつった顔で剣を握り直す。

 

「さあね。でも……、道を阻むんなら容赦しない!」

 

 自分を奮い立たせるように叫んで、鎧に斬りかかる。重量武器をふり下ろす鎧の動きは速い。反面、移動速度はミミズが這うほど遅い。

 

(いける――!)

 

 フェイトは確信して接近。腰をきめて薙ぎ払った。だが、刃がびんと返って切れない。とんだ鎧の強度だ。

 

「……くっ!」

 

 舌打ち混じりに呻いて、フェイトは上段から打ち込む。浅い。

 たたらを踏んで体勢を入れ替える。鎧が、ハンマーを持ち上げていた。

 

「!」

 

 振り下ろされたハンマーを寸でのところで躱した。

 と、いうのに。

 床を這った衝撃波が、フェイトの細身を吹き飛ばした。 

 

「ッぐ!」

 

「フェイト!」

 

 クリフの叫び声と同時、肩から地面に叩き落ちる。――紋章術。敵のハンマーが地面に当たった瞬間、突風のようなものが吹いたのだ。腕に、肩に、脳に痺れが走った。咄嗟に両手をついて頭を打つのは回避したものの空中を舞ったせいか、平衡感覚が数秒狂った。

 

「く、そ……っ!」

 

 呻きながら身を起こす。

 フェイトの脇を、クリフが駆った。

 

「叩き潰すぜ! マイト・ハンマー!」

 

 頭上高く跳んだクリフが、両腕を叩きおろす。岩のような空気の塊、巨大な衝撃波を金色の闘気が追って同心円状の輪をつくる。鎧に当たると爆発し、その威力に鎧がたたらを踏む。

 ハンマーの重心がズレた(・・・)。鎧に、すぐの反撃は無理だ。

 

「はぁあああっ!」

 

 咄嗟に判断したフェイトが剣をふり切った。通常の剣では分厚い鎧を貫けない。ならば――

 

「ブレード、リアクタぁあああー!」

 

 下段から弧を描くように切り上げる。剣先に宿った青白い光が、フェイトの闘気に呼応して激しく輝いた。衝突。鎧がつんのめる。胸に、巨大なミミズが這ったような凹みが出来上がった。重心がさらに後ろへ。あと一撃繰り出せば、完全に倒れる――。

 

「はぁああっ!」

 

 フェイトはふり上げた剣を、最速でふり下ろした。

 だが、これは読まれたのか、鎧に半歩届かない。

 

「……!」

 

 大きく目を見開いたフェイトは、無造作に薙がれたハンマーを見据えた。

 ――当たる。

 

「跳べ!」

 

 言われた指示に、フェイトの身体が反応した。片足で地を蹴り、相手の脇をすり抜けるように、鎧の真横(・・)へ。ハンマーの当たらない、相手と数センチの距離まで詰める。すかさず、右足に体重を込め、遠心力をつけて蹴りを繰り出した。

 

「リフレクトストライフ!」

 

 三連の蹴打が鎧に炸裂する。ちょうど、ブレードリアクターを喰らった胸の部位だ。凹みがさらに深くなり、破れた。完全に胸を穿たれた鎧が、膝をつくようにしてくずおれた。ついで、腕、足のパーツが崩れていくと、抱えていたハンマーと他の全てのパーツまで床に落ちる。

 それ以上、動く気配はなかった。

 フェイトが貫いた胸のあたりに、鎧の動力炉があったようだ。

 

「…………ふぅ……」

 

 息を切らしながら、フェイトは戦いの緊張を解く。

 

「どうやら、一体だけみたいだね」

 

 周囲を見回して確認すると、アレンが静かに頷いてフェイズガンを抜き放った。

 

 パシュッ!

 

 光弾がフェイトの横を過ぎると、衝撃でフェイトの髪がはらりと宙を舞った。

 

「……え……?」

 

 顔を凍らせたフェイトの後ろで、ふぎゃっ、と潰れた声がした。

 一瞬、なにが起きたのか理解できない。

 だが、理解できないながらもぼんやりとアレンを見ていると、アレンはフェイズガンを構えた体勢のまま、ある一点をじっと睨み据えていた。

 

「なんだぁ?」

 

 その彼に呼応するように、傍らでクリフが素っ頓狂な声をあげる。アレンとクリフ、二人の視線の先をフェイトは不思議に思いながら追った。

 ふり返ると、そこに処刑場には相応しくない、丸々と太った男がいた。この質素な場所にはふさわしくない細かい刺繍の入った深緑の外套を羽織っている。男は、ひぃい、と耳障りな声を上げてうずくまった。

 

「え?」

 

 フェイトは目を丸めた。アレンが銃口を小太りの男に向けたまま、近づいた。

 

「貴様の差し金か?」

 

「差し金? どういうことだよ? アレン」

 

 アレンの問いに、フェイトは眉をひそめる。だがアレンはフェイトを手で制しただけで、こちらを一瞥しようともしなかった。

 代わりにアレンは男を睨む。その蒼瞳は、情けの欠片もない。

 

「答えろ」

 

 ささやくアレンの語調(こえ)が、今まで聞いていたものより格段に、低い。

 思わずフェイトが顔を引きつらせると、悪寒が凄まじい勢いで全身を駆けめぐった。

 

「は、はの……、わたくひはっ! そのっ、た、たた、頼まれただけでっっ!」

 

 視線を向けられていないフェイトでさえ感じるプレッシャーだ。気温が低くなった気さえする。男はただ震えて、首をふる。痙攣を始めた男の左手が、半狂乱一歩手前であることを物語る。

 

「な、なななっ! なにも悪いようなことは――!」

 

「捕らわれた二人はどこにいる? 我々より先に侵入してきた女性の居所は?」

 

「し、しし、しりませ……っ!」

 

 男は鼻水と涙が入り混じった顔で、ただただ拝むようにアレンを見上げた。

 そのとき、その額に黒いものが過ぎった。

 

 ごり……っ、

 

 それが銃を押し付けた音であることに気付いたのは、ようやくフェイトが悪寒に慣れてきたころだ。

 銃口を突きつけられた男の顔が、白く染まる。

 空気が凍てついた。

 

「……いま、嘘をついたな?」

 

「ひ、ひぃいいっっ! い、いいいっ、命ばかりはお助けをぉおお!?」

 

 土下座を始めた男は、だらだらと涙を振り乱しながら、何度も何度も頭を下げる。その様を淡々と見下ろして、アレンは続けた。

 

「二人は何処だ?」

 

「そ、そそ、それだけは言えま――っっ!」

 

「そうか」

 

 アレンは引き金(トリガー)を絞った。

 

「……は、……はひ……?」

 

 男の頬に、フェイズガンが血の線を刻む。男の後ろでは頑強なはずの修練場の壁が、直径一センチほど穿たれていた。

 

「ひ、っ!」

 

 それを横目で確認してしまった男が、頬を引きつらせた。目じりに溜まる涙。その男を見下ろして、アレンは改めて、ゆっくりと銃口を男の眉間に当てた。

 ちゃり、と軽い金属音が立つ。

 

「……五秒待つ。その間に答えろ」

 

「ひ、ひぃいいいいっっっ!」

 

 

 

(お、オイ……。クリフ……?)

 

 そのあまりに容赦ないアレンを見かねて、フェイトは助けを求めるようにクリフを見た。

 

(……んだよ?)

 

 視線だけをこちらにやって、クリフがぎこちなく唇を動かす。クリフの顔色も、どこか青白くフェイトには映った。その枯れた声音を聞きながら、フェイトはそっと語調を落とした。

 

(あれって、一体どういうことなんだ……?)

 

(俺も気付かなかったが、どうやらあの鎧。あの男の指示で動いてやがったらしい)

 

(あの男の指示って……)

 

 フェイトはなにやら銅像のようなものを懐から取り出す男を見た。だが、嘆願は空しく無視され、男はいよいよ命の危機を悟ったのか、言葉を失い、じりじりと後退り始めていた――。

 

(あれ、ホントに漆黒の一員なのか?)

 

(さあな。少なくともアレンの奴はそう見てんだろ。見ろ、あの容赦ない脅迫振りを)

 

 気の毒そうに男を見ながら、クリフがつぶやく。その言を受けて、フェイトはアレンに見やり、思わず口をへの字に引き結んだ。

 

(……………………)

 

(……………………)

 

 クリフすら、何も言わない。

 そのとき、乾いた銃声を上げて、アレンが立ち上がった。

 

「行こう。二人とも」

 

 ふり返った彼は、出合ったときと同じだ。殺気もなく、無表情で落ち着いた声。すでにフェイズガンをしまっている。

 クリフが眉をひそめた。

 

「なにか分かったのか?」

 

 アレンが短く頷いた。歩き出しながら、来た道を戻る。

 

「目的の二人を救出するには、四階に行くための鍵が必要ならしい。それを持っているのは、漆黒の中でも団長と副団長。それに――」

 

 言葉を切ったアレンに、フェイトは首を傾げた。

 

「それに?」

 

「配膳係の母娘、だそうだ」

 

「アイツはほっといてもいいのか?」

 

 クリフがやや放心状態になっている男を顎でしゃくる。短く頷いたアレンは、ちらりと男を一瞥してから、前に向いた。

 

「ああ。見たところ、知っていることはそれぐらいのようだ」

 

 すでに興味の対象ですらないのか、アレンは足を止めない。聞きついでに行き方まで教わったのだろう、彼の足取りに迷いはなかった。

 

「どうして分かるんだよ? そんなこと?」

 

「相手の真偽を見極められずして尋問を行うのは、ただの時間の無駄だ」

 

 アレンの無表情が、なぜか凶悪に見えた。フェイトは、はは、と乾いた笑みを返して

 

(……ってことは、アーリグリフの尋問もコイツからすると……。――いや、やめよう。どの道、アレンを敵に回しちゃいけないってことは良く分かったんだし……)

 

(あと、怒らせんのもどうかと思うぜ。俺はよ)

 

(……そうだね)

 

 小さく耳打ちしてくるクリフに、フェイトは呆れ半分に頷いた。

 

「どうした? 急ぐぞ」

 

 きょとんとこちらを窺う青年。

 フェイトとクリフは深いため息を零した。

 

 

 この三人が修練場の鍵を手に入れたのは、これから少ししてのことである。



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4.意志と信念

 ネルと言う女性に出会ったのは、人質が捕縛されている修練場の屋上――闘技場へと続くエレベーターが設置されている部屋だった。

 『アリアスの村』というアレンが保護された場所にいた女性達同様、ネルも黒い袖なしの和服――シーハーツの軍服を着ている。年齢は二十前後。肩にかかる赤髪に癖はなく、彼女の細面を鋭く縁取っている。ネルは細身な上に長身で、動きやすさを重視してか、クレアよりも丈の短い――太ももが半分ほど見える服装だった。

 短刀を鋭く構える彼女の前には、今、三人の漆黒兵がいる。いずれも長剣を握り、ネルを逃さぬように取り囲んでいる。

 

「ネルさん!!」

 

 敵の注意がこちらを向くよう、フェイトは叫んだ。クリフが顔をしかめる。

 

「やべえな、押し込まれてやがる」

 

「助けなきゃ!!」

 

 ネルに怪我は無い。いつも通り凛とした紫瞳は敵を睨んでいる。が、修練場を一人で駆け巡り、体力に限界を迎えつつあるのか、彼女は浅い呼吸を繰り返していた。

 アレンは目を細める。

 慌てて剣を握るフェイトに、クリフが短く首肯した。

 

「ああ!」

 

 その時だ。

 短刀を構え、漆黒の兵士と対峙しているネルが、フェイトとクリフを横目見た。

 

「フェイト! クリフ!! 何故ここにいるんだい!?」

 

 彼女の質問には答えず、フェイトとクリフはネルの傍らに駆け寄る。

 

「そんな事は後だ!」

 

「とにかく加勢しますっ!」

 

 二人の行動を受けてか、ネルを囲む漆黒兵達は剣を振り上げた。振り落ちる大剣を、フェイトは紙一重で躱して――

 

 ずどんっ、!!

 

 敵の隙を狙い、フェイトが剣を振り下ろす寸前で、アーリグリフ兵が白眼を剥いて床に倒れた。

 

「!?」

 

 フェイトが目を丸くしたのも束の間。倒れるアーリグリフ兵の後ろに、アレンが立っているのが見える。

 

「ア、アレン……?」

 

 首を傾げるフェイト。今の攻撃程度なら、フェイトは十分反応来た。アレンは無表情に、くず折れる漆黒兵から、まだ立っている漆黒兵へと視線を向ける。ネルとクリフが、叩き伏せているところだった。

 ――アーリグリフ精強と呼ばれる、重騎士団『漆黒』の兵二人を。

 

「あの、今のは別に――」

 

 フォローしなくても大丈夫だよ、と言いかけて、アレンに視線で制された。

 

「君は、以前の生活に戻りたいんだろう?」

 

「え……?」

 

 突拍子もないことを聞かれて、フェイトは瞬いた。

 

「それは、そう……だけど?」

 

 要を得ずに語気を濁すと、アレンは小さく頷いた。

 

「なら、人を殺すな」

 

「!」

 

 言われて、フェイトは初めて自分が握っている剣に視線を落とした。

 ――インフェリアソード。

 テロに巻き込まれ、遭難した先の未開惑星で護身用の為に作った剣だ。その刃は鋭く、当然、獣や人間を殺傷せしめる威力を持っている。

 この『未開惑星』と言う見知らぬ土地で、フェイトが遭難した先は、軍事国家アーリグリフだった。

 アーリグリフの人間にとって、空を飛ぶ不審な船に乗って現れたフェイトは、『グリーテン』出身のスパイという疑念があった。今は聖王国と呼ばれる宗教国家、シーハーツと戦争中。彼等(アーリグリフ)は慎重に慎重を期さねばならない。そこで彼等が下した結論は、情報の裏付け――拷問による自供だ。丸一日鞭打たれたフェイトは、心身ともに憔悴させられた。こんな未開惑星に『捕虜の人権』など存在しないと、改めて思い知らされたものである。

 昨日まで――そう、ほんの数週間前まで普通に大学に通って、幼馴染のソフィアと平穏な毎日を送っていた自分が、いつの間にかこんな無法地帯に投げ出され、剣を握っている。そんな異常事態が、――緊張した神経が、アレンに言われるまで『人に武器を向ける』ことの本質を分からなくしていた。

 

「ぁ、……」

 

 フェイトはつぶやき、思わずインフェリアソードを取り落とした。

 

「フェイト?」

 

 ネルが気遣わしげに問いかけてくる。それにも気付かず、フェイトは自分の手を見下ろした。――震えている。

 幸いと、まだ人を殺した事は無い。最初に遭難した先の未開惑星で、クラウストロ人――金髪長身の男性、クリフと出会ったからだ。彼は地球人を遙かに上回る身体能力を持つクラウストロ人に相応しく、優れた格闘術でフェイトを守ってくれた。『迎えに来た』とか言う訳の分からない言動を省けば、頼りになる男だ。

 そして赤髪のスレンダーな女性、ネルにしても。生まれて初めて拷問にかけられたフェイトを、アーリグリフの獄中から救ってくれた女性だ。フェイトが持っている科学知識を戦争に勝つために寄越せ、と言い出さなければ、信頼に足る人物である。――少なくとも、アーリグリフで鞭打ちの日々を送るよりは随分マシな待遇だ。

 だから――、忘れていた。

 自分がどのような世界で生まれ、育ってきたのかを。

 あの温かい日々を。

 

(ソフィア……!)

 

 本当なら、あの観光娯楽惑星でフェイトは幼馴染と遊び呆けていた筈だ。

 楽しい想い出をたくさん作って、久しぶりの家族旅行を満喫しただろう。

 幼馴染の少女の――眩しい笑顔を傍らに。

 

「ぼく、は……」

 

 床に倒れた漆黒兵を見ると、何故か寒気を覚えた。つい先ほどまで何も思わず握っていた剣を、拾うのが怖い。

 

「今ならまだ間に合う」

 

 アレンの言葉に従って、フェイトは剣を握るのを躊躇(ちゅうちょ)した。

 こんなものを握らずに済むのなら、それに越したことは無い。

 頭の中で、もう一人の自分が語りかけるようにささやいてくる。

 

(でも――……!)

 

 フェイトはそこで、目を細めた。

 ここには、二人の女性が捕まっているのだ。

 タイネーブとファリン。

 アーリグリフ軍に捕まった、シーハーツ兵士の名だ。二人は、フェイトがアーリグリフの獄中からシーハーツ領内に逃げ込むまでの間、追手を振り切る為に囮役を買って出て、この修練場――アーリグリフ軍重装騎士団『漆黒』の捕虜にされてしまった。

 ――自分の所為で。

 そう思うと、床に落ちたインフェリアソードをそのままにしておくことは出来ない。フェイトは、二人を助けに来たのだ。そして、二人の部下の為に命を投げ出そうとしたネルを、助けに来たのだ。

 

(だから……!)

 

 剣の柄を握る。震える手は、なかなか止まらなかった。

 

「……」

 

 アレンはそれを意外そうに見つめて、――小さく頷いた。フェイトから踵を返し、エレベータに乗る。

 ネルが不思議そうに、フェイトを窺った。

 

「フェイト……?」

 

 急に震え出した青年に、ネルは気遣わしげな声をかける。それを制したのはクリフだ。深刻な面持ちで目を瞑り、クリフは静かに首を横に振る。

 と、

 ネルも事態に気付いたのか。早々にエレベータに乗りこんだ金髪の青年に鋭い眼差しを向けた。

 

「クリフ、……彼は?」

 

「俺達と同じ、グリーテンの人間だ。――最も、部署は少々違うけどな」

 

「……そう」

 

 ネルは小さく頷き、エレベータに向かう。そのクリフ達に続いて、フェイトもどうにかエレベータに乗った。

 この最上階に、捕虜となった二人の女性兵士――タイネーブとファリンがいる。

 フェイトは深呼吸した。気を落ち着ける。

 そして、視線をアレンに向けた。――自分と、同じ年嵩の青年に。

 同じ状況に置かれている筈なのに、動揺した素振りすら見せない青年に。

 

「お前は……さ」

 

「?」

 

 問うと、アレンが静かに振り返った。エレベータがからからと音を立てて上昇していく。

 

「……どうして、軍人になろうと思ったんだ?」

 

 アレンは驚いたように目を丸くした。数秒、間を置いて彼は目を細める。――自嘲気味に口端をつり上げた。

 

「それ以外、生きる術がなかったからだ」

 

「……生きる術が?」

 

「俺の家系は、代々軍人を輩出する家系なんだ。だから、俺が軍人になる事は幼いころから父に決められていた」

 

「父親に?」

 

 アレンは頷くと、フェイトが握っている剣に視線を落とした。

 

「だから……君には、大切にしてもらいたい。君の、元の生活を」

 

「………………」

 

 フェイトは黙す。この剣を置いてもいいのなら、今すぐにでも置いておきたい。だが、彼の中には義務感もあった。自分を救ってくれた女兵士の二人を、救わねばならないという義務感が。

 アレンは穏やかに微笑った。

 

「だが君には――どうやら今、剣を握る理由があるらしいな」

 

 フェイトは無言のまま頷く。アレンは、なら、と言い置いた。

 

「自分の振る刃に、意志と信念を込める事だ。自分が決して誤らないように、自分を律する者は、自分でしかあり得ない」

 

「意志と……信念?」

 

「ああ。君は、幼馴染と笑顔で再会する為に、人を殺してはいけない。つまり、相手を殺さない術を覚えなければならない。その道は、ただ生き残ることよりも難しいだろう。だが――。君に、その意志と信念が宿るなら」

 

 優しい眼差しだった。フェイトはもう一度、自分の手を見下ろす。

 意志と、信念。

 こんな所で改めて聞くと、それは今まで考えた事もなかった単語のように思えた。フェイトは思考を巡らせる。

 自分にとって“こうしたい”と言う意志と、“こうせねばならない”と言う信念。

 それが何か、振り返ってみる。フェイトは目を閉じた。

 

(多分……、笑顔でソフィアと会う……それが僕の意志。……その為に人を殺さない、それが……僕の信念だ……)

 

 心の中で念じると、フェイトは顔を上げた。

 

「分かった……。うまく出来るか分からないけど、ともかくやってみるよ。お前の言う意志と信念――貫いて見せる」

 

 告げると、手中にある剣が、ずしり、と重みを主張してきた。だがフェイトはまだ、この重みの真の意味を知らない。アレンは小さく頷き、視線をエレベータの扉に向けた。カララララ、と音を立てて、扉が開く。ここを真っ直ぐ抜ければ――二人の女性兵士、タイネーブとファリンが捕まっている闘技場だ。

 クリフはエレベータを出る前に、フェイトの横顔を一瞥する。とりあえず恐怖心は一時的に治まったようだが、これからの彼を考えると、頭痛のする思いだった。

 

(やれやれ……)

 

 余計な事を、と胸中でつぶやきながら、頭一つ分下にあるアレンを見やる。

 ネルも同じ気持ちだったのか、どこか気の毒そうにフェイトを見ていた。――だが、それも数秒だ。ネルは闘技場へと続く廊下を見据えると、短刀を抜き放った。

 

「行くよっ! アンタ達!!」

 

「はいっ!!」

 

 フェイトがすかさず後について行く。その後ろを無言で駆ける連邦軍人を見やって、クリフはもう一度、盛大に溜息を吐き、駆け出した。



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5.剛腕のシェルビー

「タイネーブ! ファリン!」

 

 緊張したネルの声が修練場の屋上に響いた。

 

 だだっ広い真四角の闘技場。

 石壁の向こうに観客席があり、すり鉢状になっている。

 フェイトたちが闘技場に入ると、対面の壁の柱に、タイネーブとファリンが磔にされていた。両手首を鎖でつながれ、ぐったりとうなだれている。

 

 オレンジがかった金髪の方が、タイネーブである。女性にしては筋肉質な二の腕と太腿が、鎖帷子と軍服の合間から覗いている。そこに地肌の色が分からないほどに無数のミミズ腫れが走っていた。

 

 隣の女性、紫髪の方がファリンである。

 近接戦を得意とするタイネーブとは違い、ファリンは見た目では軍人と思えない。華奢で絹のように白い肌。代わりにネルやクレアのように腕と足に施紋を刻んでおり、遠距離攻撃を得意する施術士である。

 こちらも酷いミミズ腫れがあった。

 ――ふと、アーリグリフ地下牢の尋問官、黒頭巾を被った太った男を思い出す。

 相手が気絶するまでやる鞭打ちが、アーリグリフでの主流な拷問法なのだ。

 

「……っ!」

 

 ネルが眼を見開いて唇を噛んだ。傍らでクリフが、忌々しげにガントレットを弾く。

 

「ったく、お約束すぎんだよ!」

 

「タイネーブさん、ファリンさん! いま助けます!」

 

 フェイトが二人に向かって叫ぶと、呼びかけに気付いた二人が、力ない視線を持ち上げた。

 

「逃、げて……っくだ、さっ……! 待ち、伏せが、っ!」

 

 喉から搾り出すようにタイネーブ。顔が引きつって声のかすれがひどい。殴られたときに唇を切ったのかもしれない。血で粘りついて、唇がきちんと動いていなかった。

 

「そう、ですぅ……。柱の陰、に……、何人か……隠れてます、よぉっ!」

 

 ファリンもまた、ひゅっと息を呑みこみながら喋った。こちらは呼吸がおかしい。腹のあたりを庇うように身体を折っている。いつもののんびりした口調に変わりはないが、かすれた声の中には確かな緊張が滲んでいた。

 

「……ファリン、タイネーブ……!」

 

 ネルが抜身の短刀を握りこんだ。

 そのとき、ファリンの忠告に舌打った漆黒兵が、柱から躍り出てきた。

 全員で四人。

 

「よくも……っ!」

 

 ネルがつぶやき、駆けた。猫のようにしなやかな動き。逆手に持った短刀をはね上げる。

 

「肢閃刀!」

 

 斬線から縦一文字に疾風がほとばしり、踊りかかってきた漆黒兵の半分が風に吹き飛ばされた。

 悲鳴。

 それと同時にクリフの豪腕が唸った。

 

「カーレントナックル!」

 

 ネルが打ちもらした一人に、金色に輝く拳が叩き込まれる。大上段に構えた兵の剣をかいくぐって、その眉間にクリフの正拳が炸裂したのだ。鈍い音。一瞬で意識を失った漆黒兵の身体が、びんと立った。その脇腹にさらに左右のショートフックが決まって、漆黒は低く唸り、地面に倒れていった。

 

 その数センチ後ろで、残りの漆黒に詰め寄ったアレンが、拳を握り締める。腕から炎が迸った。眼を見開く兵。

 

「バーストナックル!」

 

 派手な炸裂音を立てて、漆黒兵の身体がくの字に折れて吹き飛んだ。弾丸のように宙を走って、闘技場の壁にぶち当たる。

 壁にめり込んだ漆黒兵が、だらりと首を垂らした。

 肢閃刀で退けられていた二人が、ひっと喉を鳴らす。そこに、フェイトが切りかかった。

 

「ブレードリアクター!」

 

 一瞬で込める裂帛の気。怯んだ漆黒の胸を薙ぐ、そのとき。

 

 ――ふと。

 脳裡に、斬殺された兵の姿が見えた。

 

「っ!」

 

 身体が痙攣した。剣を振りぬく手が止まる。

 

(――まずいっ!)

 

 本能的に叫んだとき、立ち直った二人の漆黒兵が、にたりと嗤ったのが見えた。

 甲高い気合が聞こえる。

 長剣を大上段に構えた二人が、襲い掛かってきたのだ。フェイトはそれを、ただ茫然と見ている。

 

(斬られるっ!)

 

 躱せっ、と心が吼えた。なのに身体が動かない。竦んでいる。

 息を呑んだ、そのとき。

 

「マイト・ハンマー!」

 

「気功掌っ!」

 

 フェイトの後ろから、上空に飛び上がったクリフの衝撃波と、地上から放ったアレンの気功波が、二人の漆黒兵を薙ぎ払った。

 

 轟音。

 

 フェイトがハッとして顔を上げる。

 中空を舞った二人の兵士は、まるでピンポン球のように、二、三回バウンドし――肩から地面に落ちて、動かなくなった。

 

「あ、……っ」

 

 気付けば、息を吐くことが出来なくなっていた。

 そのフェイトを見据えて、クリフが気の毒そうに眉をひそめた。

 

「……心配すんな。ちゃんと加減してるぜ」

 

「っ、っっ! ……ご、めん……っ」

 

 ふたたび震え始めた身体を見下ろして、フェイトは忌々しげに唇を噛む。締め付けられるような痛みに胸をつかんだ。努めて、息を整えるよう肩を揺らす。

 ――情けない。

 なにも考えずに剣をふっていたときは出来ていたことが、一つの決意を固めただけでこうも揺らいでしまうのが。

 

(……くそ!)

 

 敵は待ってくれない。それはアレンと出合うまでにフェイトが修羅場をくぐって覚えたことだ。

 なのに胸がざわついて落ち着かなかった。身体がまた竦みそうで、どうすればいいのか分からない。

 

 

 クリフが黙って、視線を落した。

 フェイトがこうなった原因は分かっている。

 

 ――人を斬ることが怖くなったのだ。

 殺すことを、恐れた瞬間に。

 

 クリフは拳を握りこんでアレンを見やった。当のアレンは、タイネーブとファリンを柱から下ろしに行っている。

 

(……フォローなし、だと?)

 

 余計な感情を呼び覚ましておきながら、アレンは膝をついて二人の容態をあらためている。

 その口ぶりからしてフェイトの懊悩は、アレンも予想していたはずだった。

 

「……ちっ! 行くぞ、フェイト」

 

 舌打ちして、クリフはタイネーブとファリンの下へフェイトを促した。

 

 

 フェイトは頷いて、ゆっくりと息を吐く。硬くつむった目を開けた。

 

(こんなにも、辛いことだったのか……!)

 

 インフェリアソードを握った両手を見下ろした。フェイトの心臓はまだ荒れ狂っていて、冷静になるにはしばらくかかりそうだ。

 顔を上げると、クリフと目が合う。気遣わしげな視線。だがなにも言わずにクリフは踵を返した。どこか歯痒そうな表情だった。

 フェイトは顔をそむけて、息を吐いた。

 

(くそっ、これじゃ足手まといだ……!)

 

 頭が混乱していた。胸のあたりにしこりのようなものが渦巻いていて、溜息程度では少しも晴れない。

 それを極力無視してクリフを追い、タイネーブとファリンに駆け寄った。

 予想を遥かに上回る凄惨な傷が、二人の身体に刻まれている。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 アレンがヒーリングを始めとした処置を行っている。軍人だけあって、動きに無駄がない。

 床に寝かされたタイネーブが、弱々しい視線ながらも微笑んだ。

 

「ありがとうございます」

 

「大丈夫ですぅ。……ちょびっと痛いですけど」

 

 照れくさそうにファリンも言った。

 

 ――こんな重傷を負ってまで、彼女たちは微笑うのだ。

 

 胸に重いものがのしかかった。知らぬ間に肩が落ちる。

 

(僕は――……!)

 

 拳を握りこむ。

 タイネーブが視線をネルに向け、切れた口端をもごもごと動かした。アレンに押し当てられた布のせいで、あまり口が開けていない。

 

「すみ、ません……。私、たちのためにっ、こんな……危、険な……、場所まで……」

 

「申し訳、ないですぅ……」

 

 タイネーブに続いて、ファリンも、血で黒々と染まった腹を押さえて、つぶやいた。搾り出すように小さく。

 ネルが無表情に首をふった。

 

「いいよ。それに礼なら彼らに言うんだね」

 

「気にすんな。たいしたことじゃねぇ」

 

「そう、ですよ……。それより急いでここを脱出しましょう」

 

 平静を装ったものの声が硬くなったのは、心のわだかまりを反映しているようだった。

 口の中が、ひどく乾いている。

 

「そうだな……、用は済んだんだ。こんな辛気くせえ場所、さっさとおさらばしようぜ」

 

 立ち上がるクリフに、ネルが続いた。アレンが一同を手で制す。タイネーブとファリンに向き合ったまま、横目で後ろをふり返っていた。

 

「ん!?」

 

 クリフの視線も鋭くなった。

 

「そうもいかないみたいだね」

 

 低く、ネルがつぶやく。ゆっくりと腰を落し、短刀を音もなく引き抜く。

 空気が明らかに変わった瞬間である。

 クリフが、やれやれ、と溜息を吐きながらガントレットを叩いた。

 

「だな。首の後ろが殺気でチリチリしやがるぜ」

 

 フェイトも遅れて視線をやる。背後に。

 そこに巨大な鉄球と斧を手にした巨躯の漆黒兵が立っていた。鎧の構造も、放つ雰囲気も、他の者とはまったく違う。頭一つ分、他の漆黒より高い。岩のような体格に相応しく、鎧のプレートが厚く、戦場で目立つよう派手なオレンジ色のラインを縁に引いている。

 鷹のように獰猛な目と鉤鼻、他人を蔑む酷薄な笑みがしっくり貼りついていた。

 フェイトは男を睨んで、剣を強く握りしめた。

 

「お前たちか? アーリグリフに落ちた、謎の物体に乗っていたという奴らは?」

 

「だったらどうだってんだ」

 

「大人しく投降することだ。そうすれば命までは取らないでおいてやる」

 

「お前は何者だ?」

 

 感情を乗せずにフェイトが問う。

 以前、ネルが言っていた。アーリグリフでは『力』が信奉されていると。

 この男の態度は、まさにそれである。自分をより大きく見せようと表情、言葉、態度から他人を見下す魂胆がはっきりと滲み出ている。

 これをハッタリと取るか、本物と見るかは、まだフェイトにはわからない。

 

「私はシェルビー……、漆黒の副団長だ。ま、もっともすぐに肩書きは団長に変わるだろうがな。私の管轄下に入ってきた己の不運を呪うがいい」

 

「……ここまで来てシェルビーが相手だとはね」

 

 ネルが忌々しげに言った。

 

「強いの?」

 

「ああ。彼は漆黒のナンバー2さ。伊達に留守を預かっちゃいないよ」

 

「確かにな。ただの留守番にしちゃ構えにスキがねえ……。他の奴らとはダンチの腕だろうぜ」

 

 クリフの忠告に固唾を呑んだ。

 並みの『漆黒』ならば、倒すのは難しくない。彼らの奇襲めいた速攻にはパターンがあり、隙を突けば一気に瓦解できる。これは闘技場にくるまでにフェイトが見つけた戦法であり、一期一会の真剣勝負を重んじるアーリグリフ兵の気質であった。

 ネルが昨夜から連戦して生き残っているのも、その戦術に気付くのが早かったのが大きい。

 

(けど)

 

 シェルビーの得物からして、同じ戦法は使わないだろう。

 こちらの警戒に満足したのか、シェルビーが大きな肩を揺すった。

 

「無論、生かしておいてやるのは男2人だけだ。餌の女どもには死んでもらう」

 

「そんなこと、させるものか!」

 

 フェイトが吐き捨てると、鷹のような目が弓なりに細まった。

 

「勝負は見えている。無駄なあがきはやめることだ」

 

「無駄かどうかはやってみなけりゃわかんねえだろうが! 大体、テメエに俺が殺れんのかよ?」

 

「その言葉、そっくりお返しさせてもらう」

 

「上等!」

 

 クリフが低く構える。

 

「タイネーブ、ファリン、あんたたちは下がってな」

 

「来るぞ」

 

 退く二人を尻目に、鋭くフェイトが言った。

 シェルビーの手にした鉄球が落ちる。腹の底が震えた。闘技場の床が砕け、めり込みそうに思われたが、傷一つない。相当頑強な造りだ。

 

 アレンが言ってきた。

 

「……フェイト。この戦闘、あまり長引かせるべきじゃない」

 

「分かってる! いくぞ、皆!」

 

「逃しはせぬ!」

 

 ずらり、と。

 闘技場の半分を埋め尽くす漆黒が、シェルビーに続いて現れた。その数、ざっと百は超えている。階下で敵とあまり遭遇しなかったわけである。

 

「……んだと?」

 

 フェイトが息を呑む隣で、クリフも声を落した。

 

「あ、あぁ……っ!」

 

 背中で、ファリンの悲痛な声。

 そのときである。

 

「ついてきてくれ、クリフ」

 

「!」

 

 アレンが、猛然と漆黒兵達の中に突っ込んでいった。

 

「バーストナックル!」

 

 黒山の人だかりに焔が爆ぜる。天まで届かんばかりの爆発。突風で人間が簡単に宙を舞う。悲鳴を上げて地面に叩き落ちる漆黒兵たち。

 アレンがその合間を縫って疾駆する。視線は常に次の獲物。まるでラッセル車の除雪作業のごとく、次々と漆黒兵を巻き上げていく。

 

「……上等だ! 一気に片付けてやらぁ!」

 

 クリフが反対側から駆けて行った。両腕がわっと膨らむ。黄金の闘気。遠心力を利かせた強烈な拳打、カーレントナックル。腕の長いクリフが、気功でさらにリーチを倍加させている。

 

「オラオラオラァッ!」

 

 クリフが鍛え上げられた両腕をコンパスのように振りまくる。深く考える必要はない。この数だ。振れば、必ず誰かに当たった。漆黒はアレンの強さに尻込み、怖気づいて棒立ちになっていたところをクリフに襲われ、クリフの周辺からは大量の悲鳴が湧き起こった。

 

「ぐぅっ!」

 

 もんどりを打って後退した漆黒兵に、クリフは膝を折り、追撃体勢をとる。素早く引き戻された拳が、再び漆黒兵に向かって走る。

 クリフがカーレントナックルを放ったところで、フェイトもまた、走り出していた。目標は一人。重量武器を二つも従える男、豪腕のシェルビーだ。

 アレンと出会う前からそれなりの場数を踏んでいるフェイトならば、相手取れない敵ではない。たとえそれが、漆黒の副団長であろうとも。

 フェイトは身体に染み始めた恐怖を振り払うように、叫んだ。

 

「加勢します! ネルさん!」

 

 シェルビーを睨み、フェイトは駆け出したまま上半身を斜に構える。剣を持つ腕は腰に、ちょうど両腕で突きを放つ体勢だ。

 

「ふん! 小僧が!」

 

 対するシェルビーも雑魚ではない。

 突きを放つ(フェイト)の切っ先を鉄球で押し切ると、シェルビーは右手の斧を無造作に振り下ろした。

 

「凍牙!!」

 

 その振り下ろす右腕に、ネルの短刀が突き刺さる――いや、突き刺さろうとしたところで、とっさにシェルビーが斧の軌道を変え、柄で弾いた

 だが。

 

「ぐぅっ!?」

 

 間に合わない。

 ちょうどシェルビーの脇腹を抉るように逸れた氷の刃が、闘技場の床に当たって弾けたのだ。怯んだシェルビーの隙を、ネルは逃さなかった。

 

「はぁっ!」

 

 逆手に持った短刀で、シェルビーの胸を薙ぐ。分厚い鎧越しでそれほど深くは入らなかった。シェルビーが身を起こす。そのときネルは腰を落として深く踏み込んだ。

 

「影払い!」

 

「……、ぐぉッ!?」

 

 短い悲鳴を上げたシェルビーの足元に、ネルの両短刀から放たれた剣風が迸る。相手の膝を薙ぐような攻撃に、シェルビーがバランスを崩して倒れる。

 

「ブレードリアクター!」

 

 フェイトが止めと言わんばかりに剣を振り上げた。瞬間。ネルの鋭い一喝が、走った。

 

「フェイトっ!」

 

「ッ!?」

 

 あまりの気合に一瞬、フェイトは振り上げる手を止めた。そのとき、眼前のシェルビーが怒気を孕んだ瞳で斧を振る。

 

「舐めるなぁっ!」

 

 それは一瞬の静止に過ぎなかった。

 巨体に似合わず素早いシェルビーの立ち直りに、フェイトは目を見張る。フェイトの首を切り落とさんと迫る斧の速度が、フェイトの動揺の分だけ、フェイトの剣速を上回っている。

 

(しま――、っ!)

 

 死を覚悟した、その瞬間。フェイトの身体が、横から襲ってきた衝撃に弾き飛ばされた。

 

「っ!?」

 

 きぃんっ!

 

 ついで金属がぶつかり合う鋭い音。倒れた体勢から、フェイトがハッと視線を上げると、そこにはシェルビーと対峙するネルの姿があった。

 

「ネルさん!?」

 

「悪いが、こいつだけは私に任せてもらう!!」

 

 短く答えたネルは、鍔競り合い――シェルビーとの純粋な力比べから逃れる為に、刃を流そうと右に体重をずらす。

 

「甘いわぁっ!」

 

 勝ち誇ったシェルビーの怒声が、ネルの痩身を鉄球で弾き飛ばした。

 たった片腕一本で、シェルビーはネルの腕力を上回る。

 

「か、は……っ!」

 

 声にならない息を吐いて、ネルの身体が闘技場の床をすべった。嫌な音がした。ぺき、と骨が砕けたような音が。

 

「ネルさん!」

 

「手出し無用と、言ったはずだよ!」

 

 駆け出そうとしたフェイトを、ネルの一喝が、その瞳にこめられた絶大な憎悪が、引き止めた。

 己の腹心を犠牲にした代償。部下が受けた屈辱の重みは、はりつけられた彼女達の傷が語っている。最後の力を振り絞って忠告を発したタイネーブとファリンの姿が、ネルを奮い立たせる。

 シェルビー(こいつ)は、許さないと。

 味方の援護は、今の自分には重荷なのだ。

 この怒りを『抑えろ』という――。

 

「やって……、くれるじゃないか!!」

 

 シェルビーを睨んで、猛々しく吼えたネルは、短刀を握り締めて立ち上がる。それを見返して、シェルビーがニッと笑った。

 

「フン! 無論、生かしておいてやるのは男2人だけだからな! 餌の女ども(きさまら)には死んでもらおう!」

 

「殺れるものなら!」

 

 ネルが吼えると同時。横目で事態を見守っていたクリフが、フェイトを鋭く一喝した。

 

「ぼうっとしてんじゃねぇ! 敵は一人じゃねぇんだ! 援護しろ!」

 

「あ、ああっ!」

 

 クリフの御蔭で止まりかけた思考が、正常に動き出す。

 それぐらい印象深かった。

 

 任務を最優先にしていたネルが、すべてを曝して怒る姿が。

 ファリンとタイネーブを傷つけられたことに対する、彼女の純粋な怒りが。

 

 それが『戦』というものなのだと、フェイトは初めて、まざまざと見せられたような気がした。

 

「…………ネルさん……!」

 

 剣を握り締めて、フェイトは前を見据える。

 先頭に立ってクリフが戦っているものの、数ある漆黒兵にシェルビーの加勢をさせないよう、ファリン、タイネーブへは手出しさせないよう、クリフも、アレンも、動きに制限が生まれている。

 圧倒的な数の暴力だ。

 二人とも、その所為で手間取っているらしかった。

 

「待ってろ! 今加勢を――」

 

 気を取り直して、クリフ達の戦場に向かおうとした、その瞬間。

 

 アレンと、目が合った。

 

 じ、と。

 ただ無言で、こちらを見据える彼と。

 

 ――君に、その意志と信念が宿るのなら。

 

 闘技場に出る前。エレベーターで言われた、あの一言。

 『相手を殺さない』という己の誓い。

 両親と、また平穏な暮らしを送るために。

 ソフィアと、また笑顔で再会するために。

 その誓いを、フェイトの覚悟を、アレンは試しているように見えた。ただ無言で、じっとこちらを見据えることで。

 

(僕、だけが……!)

 

 ネルの怒りの姿。

 タイネーブとファリンの、命がけの姿。

 

 そして彼女達の見せた意志の光が、フェイトの胸に焼きついた。

 見下ろせばまだ、震える両手の感覚が――殺人への恐怖がうっすらと残っている。

 だが。

 それでも――……。

 

「僕だけが、逃げるわけにはいかない!」

 

 己を奮い立たせるように叫んで、フェイトは剣を握りこんだ。眼差しに力がこもる。

 漆黒兵の数は、百を超える。常識で考えれば、圧倒的不利な状況だ。それでもアレンとクリフならば、そうそう負けるとは思えない。それぐらい彼らは尋常でないほど強い。

 ならば――。

 拳を握りこんで、低く、戦闘の物音に隠れるように小さく詠唱を開始したフェイトは、シェルビーを睨んで、右手を掲げた。

 

「ライトニングブラスト!」

 

 凛としたフェイトの詠唱と同時、雷が奔る。不意を突かれたシェルビーが、大きく目を見開いた。

 

「ぐぉをっっ!?」

 

 雷の射程は決して長いものではない。それゆえに凝縮された威力を誇る紋章術は、シェルビーの巨体を直立させた。

 

「フェイト!?」

 

 驚いたネルとクリフが、フェイトを見る。

 すると彼は、二人に視線を返して、力ある声で言い放った。

 

「僕は、僕の意志を押し通す! ――こんな人の命を何とも思っていないようなクズ相手でも、それは曲げない!」

 

「……!」

 

 思わず目を見張るネルとクリフに、フェイトは微笑む。

 斧の柄を杖代わりに、震えながらも起き上がるシェルビー。それを見据えて、フェイトは、でも、と言葉をつなげた。晴れやかな表情で、ネルを一瞥しながら。

 

「タイネーブさんとファリンさんを好き勝手にやった借りは、きっちり返してやろう! ネルさん!」

 

「…………!」

 

 はた、と瞬きを落としたネルの瞳から、強く根付いていた憎悪の色が払拭されていく。

 ようやく正気を取り戻した彼女に、こくりと頷いて、フェイトは鋭い視線をシェルビーに向けた。

 

「手加減はしないからね」

 

「舐めるなよ! 小僧が!」

 

 地に響くシェルビーの怒声を前に、フェイトは、ふっと微笑ってみせた。

 

「……そろそろ終わらせよう。クリフ」

 

 それを視界の端に入れながら、アレンが横目でクリフを見る。ちょうど、漆黒兵二人の三連突きを、クリフがガントレットで払いのけた直後だ。

 

「ああ!? お前、何言って――」

 

「いる。この場の兵よりも遥かに強い『気』を持つ猛者が」

 

「あん?」

 

 怪訝になって、アレンを見る。すると彼は、ファリンとタイネーブが磔にされていた柱を見据えていた。正確には、柱よりもう少し、右手の方を。

 クリフが、はたと瞬く。

 

(……確かに妙な感じだ。何か、いやがる)

 

 思わず舌打ち。

 アレンの言う猛者かどうかは知らないが、彼が目測を誤るとも思えない。

 

「まだ向こうが手を出す気配はない。片付けるなら、今だ」

 

 背中合わせに立ったアレンがつぶやく。それを受けて、クリフはやれやれ、と肩をすくめてみせた。

 

「ところでお前、その人使いの荒さは何とかなんねぇのか? ウチの親分といい勝負だぜ!!」

 

「……そうか?」

 

 きょとんとした顔でアレンがクリフを見やる。その彼に、クリフは大仰に頷いてみせた。

 

「縁があったらその内会わせてやるよ! とりあえず、ここを切り抜けてからな!」

 

「ああ!」

 

 頷きあった二人は、拳を握り締めて漆黒兵を睨み据えた。

 既に、半数近い兵が戦闘不能状態になっている。睨めば、びくり、と体を震わせて後退し始める者までいた。

 クリフとアレンの動きが、一気に加速する。アレンの足払いを皮切りに、クリフの体当たり(チャージ)が周囲を囲む漆黒兵三人を吹き飛ばした。

 

 

 ……………………

 

 

「はぁっ!」

 

 シェルビーの鉄球がフェイトを間合いに入らせない。振り回された鉄球は、確かにでたらめな軌道を描いているが、気付けば的確なタイミングでフェイトの死角を突いてくる。

 

「くっ!」

 

 またしても、剣先で鉄球の軌道を変えながら、そのあまりに重い衝撃にフェイトは歯を食いしばった。

 

「凍牙!」

 

 遠距離からネルが援護してくる。しかし距離ある攻撃は、その分、軌道を読まれ易い。特に苦労せず、シェルビーは斧で弾いた。

 瞬間。

 

(――隙をっ!)

 

 斧を持ち上げるまで、いくらシェルビーでも一秒かかる。

 中距離で足を止めたフェイトが打ち込む。同時。シェルビーが迎撃に入った。自分か、シェルビーか。先にどちらが打ち込むかは――瀬戸際だ。

 それでも、フェイトは勝負に出た。

 

「ぉおっ!」

 

 案の定、踏み込むフェイトに、牽制するようなシェルビーの鉄球。だが今まで散々かわした代物だ。おおよその動きなら、つかめる。

 

 ……が、ごっ!

 

 フェイトは剣の柄頭で鉄球を叩き落す。

 鈍い音と同時、軌道を逸らしたそれに目をくれず、フェイトは渾身の速度で剣を振るった。下段から弧を描く様に振りぬく。

 

「ブレードリアクター!」

 

「させるかぁ!」

 

 頭上から叩き落すようなシェルビーの恫喝。彼の斧が、最高速度で振り落ちる。

 間に合わない。

 ぐ、と目を見開くネルを置いて、フェイトは斧の一撃を全身の筋肉を使って避けた。左にねじ切った無理矢理の体勢のまま、改めて剣を振り上げる。

 

「フェイト!」

 

 背後でネルが叫んだのは、喜色からではない。弾かれた初撃の鉄球が、シェルビーの一引きで軌道を定め直したためだ。

 鉄球が、フェイトの後頭部まで一メートルの距離に迫っている。

 

「凍牙!」

 

 否。

 凍牙では、間に合わない。

 それを気取ってか、知らずてか。フェイトの剣速が、速度を増した。

 

「遅いっ!」

 

 短く言い切ったフェイトは、ブレードリアクターの初撃、振り上げをシェルビーの胸に当てると、次ぐ二撃目を、気を溜めずに放った。ゆえに威力は低い。

 が。

 振り下ろしたフェイトの剣に、シェルビーの巨体が、それを支える足が、たたらを踏んだ。鉄球のコントロールが一瞬、シェルビーの手を離れる。彼がバランスを崩した、ほんの一瞬の隙だ。

 その瞬きの間は、ネルの凍牙を受けるのに十分な時間だった。

 

 きぃんっ!

 

 甲高い音を立てて、フェイトの紙一重後ろに鉄球が叩き落される。

 驚いたシェルビーは、今度こそ最大に気を高めたフェイトの終撃を、その鋭い突きを腹に食らって――吹き飛んだ。

 文字通り、闘技場の壁まで。

 

 がんっ、っっ!

 

 叩きつけられたシェルビーが、あまりの衝撃に気を失う。

 シェルビーの腹を突き抜けなかったのは、フェイトがバランスを崩している状態で、終撃を放ったためだ。

 威力は高いものの、衝撃が分散されている。

 絶妙な力加減だった。

 

「オッケー、終わりだ」

 

 にっと口端をつり上げながら、クリフが自慢の拳を掲げてみせた。

 見ればクリフの後ろに、漆黒兵達が折り重なるように倒れていた。まさに小山だ。どうだ、と視線で問うてくるクリフにフェイトは笑みを返して、こくりと頷いた。

 傍らのアレンが、釈然としない面持ちでクリフに問う。

 

「何も重ねる必要はないと思うが?」

 

「へっ! さんざ、手こずらせてくれたからな! これぐらいしたって罰はあたらねぇよ!」

 

「……そうか?」

 

「んだよ? なんか文句でもあんのか?」

 

「いや。文句はない」

 

 首を振るアレンに、クリフは、にっと笑う。

 その二人に苦笑して、フェイトはネルを見た。

 

「さ。ネルさん、早くクレアさんに無事な姿を見せてあげよう!」

 

「ああ!」

 

 頷いて踵を返すネルを、クリフが右腕を広げて制した――……。



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6.歪みのアルベル

「……クリフ?」

 

 クリフを怪訝そうにフェイトが見やる。クリフが向ける視線の先は、ファリン達がいる位置から少し右手の方だ。

 導かれるままに視線をあげると、そこに男が立っていた。

 漆黒の長い前髪の奥から、赤い瞳の男がこちらを見据えいた。珍しいグラデーションを描いたその男の黒髪は、ある程度の長さから褪せた金に色を変える。細身だが、服の間から見える肢体は引き締まっており、彼の独特の衣装と鈍色に光る左腕のガントレットから、奇抜だが鋭い刃物のような印象を受けた。

 

「オレの気配に気付くとは……、ただのクソ虫ではないようだな」

 

 男が秀麗な面持ちを皮肉げにゆがめる。炎のように赤く濡れた瞳が、飢えた獣の光を備えていた。その男を睨み返し、アレンは拳を握り締める。

 カシャンという軽い音を立てて、男の左の義手が握りこまれた。瞬間。頭上の男が、に、と笑った。

 見上げたネルが、はっと目を見開く。

 

「その左手のガントレットは……、まさかアルベル・ノックス!?」

 

 息を呑むようなネルの呼気と同時。アレンが地を蹴った。一足飛びで柱の上の男、アルベルの下へ。飛び退いたアルベルが素早く腰に手をやる。同時。アルベルが抜きはなった。

 

(速いっ――!?)

 

 息を呑むフェイト。アルベルの一閃が、アレンの胴を捉えている。

 

「アレン!」

 

 クリフの叫声。急を要したとはいえ、アレンは素手だ。刃は――、受けられない。

 

「っ、っっ!」

 

 金属音にも似た、鈍い音が響いた。思わず目を閉じたフェイトは、クリフの息を呑む音を聞いて、顔を上げた。

 コンバットブーツの足底で、アルベルの刃を受け止めるアレンの姿があった。左の上段蹴りか何かで応戦したのだろう。

 軍靴でなければ、間違いなく(なます)斬りだ。

 完全に止まった刃と蹴り。

 両者に浮かんだのは、相手を探るような、冷たい笑みだった。

 

 どちらともなく飛び退く。

 間合いは二メートル。得物がある分、アルベルに優位な距離だ。

 

「……ちぃっ」

 

 クリフは思わず舌打った。アレンがどう飛び上がったのか定かでないが、アルベルが立っている柱は優に五メートルほどの高さがある。クラウストロ人のクリフでも、一足では越えられない。

 

「まずいね……。まさか、ここに来て奴とはち合うハメになるなんて……!」

 

 つぶやくネルに、フェイトは眉をひそめた。

 

「奴は一体何者なんです?」

 

 加勢は出来ないものの、フェイトも臨戦態勢は取っておく。横目でネルを見ると、彼女は苦々しげに顔をしかめながら、アルベルという男を睨み据えていた。

 

「カタナを使わせたらアーリグリフでも随一の騎士。通称『歪みのアルベル』。……漆黒騎士団の団長さ」

 

 ――シェルビー以上か。

 フェイトが納得して目を細めた時。

 頭上のアルベルが、ふん、と鼻を鳴らして刀を鞘に納めた。

 

「……何のつもりだ?」

 

 ぴくりとも眉を動かさず、アレンが問う。するとアルベルは、にっとこちらを振り返って笑った。

 

「貴様が満身創痍(その)状態では俺が楽しめんからな。……今は見逃してやる」

 

 明らかに相手を小ばかにした不遜な物言いに、クリフが拳を握り締めた。

 

「すかしてんじゃねえぞ、テメエ。ぶっ飛ばすぞ、コラ!」

 

「できもしないことを口にするな。なかなか潜在能力は高そうだが、まだまだ甘い」

 

「なんだと!?」

 

 クリフが唸る。今にも食ってかからんばかりのクリフを見下ろし、アルベルは踵を返した。

 堂々と。

 アレンの目の前で。

 

「フン……、疲れきったお前等など俺の敵じゃないんだよ、阿呆が。俺は結果の見えた勝負はしない主義だ。ヴォックスと違って弱者をいたぶる趣味もない」

 

「弱者、だとぉ?」

 

「二度も言わすな、阿呆。さっさと国へ帰れ」

 

 そのとき、クリフの中で、何かが、ぷつ、と音を立てて切れた。

 

「こっんの野郎ッ!」

 

 クリフの拳がわっと膨らむ。

 

 ――登れずとも、マイト・ディスチャージならば!!

 

 傍らからネルが飛び出してきたのはそのときだった。彼女は抱え込むようにクリフの拳を包む。――大人しくしてくれ、そう彼女の背が言っている。

 

「見逃してくれるというのかい? 随分と余裕見せてくれるじゃないか」

 

 緊張した面持ちのネル。

 その彼女の瞳には、微かな焦りと、――恐怖がある。

 こちらを見下ろしてくるアルベルが、さして面白くもなさそうに鼻を鳴らした。彼女に向けられたのは、冷笑といっていい嘲笑だ。

 刀の柄頭に悠然と腕を預けながら、彼は首を振った。

 

「勘違いするな。お前たち程度、相手にするのも面倒なだけだ。元々人質などというセコい真似は性に合わん」

 

 アルベルはそこでアレンを見やる。まるで他の者には手出しはさせないと言わんばかりに、この城壁を上ってきた彼を。

 ――今この場で、アルベルと唯一戦えるであろうこの男を。

 

(ただし、息が切れてなけりゃ、な)

 

 表情も、挙動も。まったく平静と変わらないアレンは、しかしアルベルに言わせれば瀕死の重傷人だった。下の連中は誰も気付いていないようだが、『気』の流れを見れば、あそこで倒れている隠密の二人よりも傷が深い事が窺い知れる。

 アルベルが視線を落とせば、二、三滴、アレンの上着から血が滴り落ちていた。それを見抜けないとでも思ったのか、と視線で挑発するアルベルに、アレンより先に、下に居るフェイトが口を挟んだ。

 

「現にやってるじゃないか」

 

「それはそこのクソ虫どもが勝手にやったことだ。俺は知らん。大体、お前等に逃げられたのはそいつのヘマだ。俺が尻拭いをしてやる義理もない」

 

「お前の部下だろ? 部下の尻拭いは上司の務めじゃないのか?」

 

「阿呆、そんなこと俺の知ったことか。さっさと行け……、でないとマジで殺すぞ」

 

 アルベルの背を見据え、アレンがやっと拳を納めた。

 一足飛びに柱を降りる。

 

「……アレン……」

 

 フェイトが窺うように見ると、アレンはフェイトを横目で見返して、視線をネル、クリフに向けた。

 

「行こう。……二人の容態が気になる」

 

 一同はあらためてタイネーブとファリンを見る。元より寝心地のいいはずもない闘技場の床で、いまにも戦闘が始まりそうな緊張感。そんな中で、二人が休めるはずがない。

 忌々しげに舌打ちしたクリフは、すでに去ったのか、誰もいなくなった柱の上を見やって、ガン、とガントレットを弾いた。

 

「チッ! ふざけやがって! 情けをかけたつもりかよ!」

 

「でも……。正直、助かったよ。今の状態でヤツとやるのは余りにも無謀だからね」

 

 ため息を吐いて、緊張をほぐすネル。

 その二人を交互に見やり、フェイトが言った。

 

「早くクレアさんに無事な姿を見せてあげよう」

 

「ああ」

 

 アレンに続いて、クリフが渋々ながらも頷く。それをネルは苦笑気味に見やって、闘技場を後にした。

 重傷の二人は、クリフとアレンが慎重に担ぐ。

 と。

 

「……フェイト」

 

 駆け出そうとしたフェイトを、アレンが呼び止めた。

 

「何?」

 

 首をかしげてフェイトが振り返ると、ぽん、と肩を叩かれた。

 きょとんと目を瞬かせたフェイトが、不思議そうにアレンを見上げる。

 

「よく、頑張ったな」

 

 アレンが穏やかに告げてきた。こちらを見る瞳が温かく、数秒、状況を理解して彼の手を振り払うのに時間を要した。

 

「……子供じゃないんだから! 止してくれよ!」

 

「すまない」

 

 アレンの手を振り払うと、アレンは気にした風もなく踵を返した。その背は予想よりもはるかに大きく見えて――、フェイトは思わず顔をしかめた。

 それでも不思議と嫌な感じはしない。

 ただ生まれたのは、高揚感だ。

 

「……目標、か……」

 

 アレンの背を見据えて、一人ごちる。

 アレンには聞こえないように、そっと。

 そこで深々とため息をついたフェイトは、改めて闘技場を後にした。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 アレンは、ふと目を剥いた。

 闘技場から一階の居住区に下りた小さな広場の隅に、ごろんと無造作に投げられた白い素足が見えたのだ。

 表情を変えないまま、皆には気付かれないよう、眼球だけを動かす。そこに全身を膾切りにされた人間が、全物言わぬ肉塊に変わっていた。

 遺体は、女。

 カルサアの町で見た娘のものだ。

 

 ――聖王国シーハーツの女スパイ達の最期の瞬間をチョット見てみたい……。

 この湧き上がる好奇心をいったいどうやって満たせばいいのかしら?

 

 彼女の、最期の言葉が脳裏を過ぎる。

 

「来て、しまったのか……」

 

 小さくつぶやいたアレンは、瞼を伏せた。

 ――軍人として、権力に仕える者として。

 ハイダが襲撃された今、連邦も黙ってはいないだろう。

 フェイトには見せられない、戦争の裏側。それは一歩踏み間違えれば、すぐに己にも降りかかってくる事だ。

 

 ――この国の人は、最悪だ……。

 

 フェイトの言葉を思い出しながら、アレンは拳を握り締めた。



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7.救出の理由

 鉱山の町、カルサア。

 ここは、戦争の最前線に位置するアーリグリフの町だ。

 戦時中だというのに、どこか長閑な空気に包まれた町は、広間を駆け回る子供達の笑い声や人々の活気で満ち溢れている。

 カルサアは、倒壊した家屋の残るアリアスとは比べ物にならない豊かさだった。

 とはいえ、のんびりしているのは市民だけ、というのがこの町の本質だろう。

 アレンは宿の窓から風雷基地を見下ろして、ネルに視線を戻した。

 

「どうして、助けになんか来たんだい……?」

 

 ファリンとタイネーブを安全な場所で寝かせた後。ネルはフェイト達に問いかけていた。

 

「どうしてって……」

 

 言いながら、フェイトは戸惑ったようにクリフ、アレンを見る。しかし数秒後には意見を募ろうとした自分を否定して小さく頭を振ると、ネルを見やって小さく笑った。

 

「見捨てられるわけないだろう?」

 

「……!」

 

 ネルがきょとんと瞬く。彼女もいろいろと反論を考えていたようだが、フェイトの率直な意見は、彼女が想定したどの言葉にも当てはまらなかったらしい。

 

「でも……!」

 

 気勢をそがれた彼女は、すぐに態勢を立て直した。ここで彼等の行動を認めてしまえば、これから先、同じような事があった時に彼等の安全を保障しきれなくなる。

 ゆえに彼女は思いつくまま反論しかけて、ふと、その自分を戒めた。

 首を振って、私情を殺し、なに食わぬ顔でフェイトに向き直る。

 

「いい、フェイト。私があんた達を助け出したのは、あんた達なら、聖王国シーハーツを救うことが出来ると考えたからだよ」

 

 諭すように、冷静に。

 ネルはフェイトを見据え、腕を組んだ。

 

「だからこそ私は、危険を冒してまでアーリグリフ城に侵入した。私一人を助けるために、あんた達が危険な目にあってしまったら、そもそも何の意味もないんだよ。たった一人の人間と国民全体の命。単純な計算だろ? どっちが大事かは子供でも分かるさ」

 

「人の命に重いも軽いもないだろう! もともと、そんな言葉に賛同する気もなかったけど、カルサア修練場でアレンに言われて気が付いたんだ。『生命』っていうのが、どれほど尊(おも)いものなのかを! なのに、助けることが出来るかもしれない命を見捨てるべきだなんて、絶対に間違ってる! 命の尊さは、計算なんかでは表せやしない!!」

 

 フェイトがネルを睨んだ。冷静に、まるでフェイトを観察するような視線を向けてくる彼女を。

 対峙した彼女は、冷めた表情で、呆れたように、疲れたように首を振った。

 

「確かに、理想はそうなのかも知れないさ……。けど、これは戦争だ! みんなを平等に救うことなんて誰にも出来やしない。私達は、少しでも多くの人を助けられるように動くしかないんだ」

 

 ネルは言い放つ。

 一分の、淀みなく。

 

(ネルさん……)

 

 それが、フェイトには腹立たしかった。

 修練場であれほど仲間のために激怒した彼女を、否定されたようだ。

 歯痒い気持ちで奥歯を噛むと、握った拳に、力がこもった。

 

「じゃあ聞くけど……。ネルさんは子供達にもそう教えるつもりなのかい? より多くの人を救うためになら、たとえ助けることが出来る人でも、見殺しにしろってさ……!」

 

「それは……」

 

 言葉に詰まるネルを、フェイトは畳み掛けようと口を開く。だがそのまえにクリフが割り入った。

 クリフを見上げると、苦笑するような表情がそこにある。

 

「まあまあ……。言いたいことは分かるぜ。二人ともな。そりゃ、理屈だけで言えばより多くの人間を助けられるように動くべきだろうさ。……けどよ、人の命を天秤にかけるのが正しいのかって言われると、俺にはどうも納得ができねぇ。こういうのは、そのときの状況と答える人間とによって、毎回正解が違うんだろうな。ま、いわば究極の選択ってヤツみたいなもんだ」

 

 場を和ませようと、クリフのどこか呑気な声が響き渡る。その気遣いに、フェイトは納得こそしていないものの、顔を伏せて唇を噛んだ。

 そのフェイトを、じっと見据えて

 

「納得なんか出来なくてもいいんだよ。そうするしか、道はないんだから……」

 

 ぽつりとつぶやいたネルが、颯爽と踵を返す。それが部屋を出る合図だった。フェイトは思わず、顔を強張らせた。

 このまま行かせてはならない。

 これから己の信念を実行するのなら、なおのこと。

 フェイトはネルを見据え、言った。

 

「ネルさん!」

 

 部屋を出ようとしたネルの、足が止まった。

 

「僕は、ネルさんだから理解(わか)ってほしいんだ! そうすればきっと、新兵器になんか頼らなくたって道は開ける!」

 

(…………フェイト……)

 

 小さくつぶやいたネルは、哀しげに瞼を伏せて、顔を俯けた。

 少なくとも、いま、それは――。

 その後に続く言葉を殺し、彼女はどこか遠くに視線をやる。息とも取れない、小さな溜息。すると、その彼女を労わるように、クリフが声をかけてきた。

 

「ともかく。お前が無事だってんで、俺もコイツも喜んでんだ。シランドまでは世話になるぜ?」

 

「…………ああ……」

 

 頷いた彼女は、フェイト達を振り返って、小さく微笑った。

 どこか、疲れた微笑みで。

 

 

 

 

 一連の会話が終わって、ようやく部屋に落ち着いたアレンは、膝から力が抜けると同時、その場に倒れこんだ。

 どっと鈍い音が立ち、頬を打ちはしたものの、幸いながら意識がある。

 歯を食いしばりながら、ベッドににじり寄ると、ほどけかけた包帯をゆっくりと剥がした。

 凍った脇腹が、姿を現す。皆には――特に敵には気付かれないよう、氷の紋章術で無理矢理血を固めていた。ヒーリングを使わなかったのは、少しでも体力に余裕が出来れば気絶すると自覚したためだ。

 アレンの身体が、動く時間もそう長くない。

 

(さすがに、そろそろ手を打つべきだな)

 

 苦笑する。先ほどの会話は、ほとんど聞こえていたが、加わるほどの余力がなかった。幸いネルもフェイトも会話に集中して、こちらの容態に気付かなかったようだが。

 

「……っ!」

 

 傷の具合をはかりながら、アレンは包帯を巻き直す。一応、ファリンとタイネーブを診る際に、消毒液と新しい包帯を拝借したため、簡単な処置は出来る。握力がほとんど無くなった所為で、傷口に消毒液を塗るだけでも手が震えて苦労した。この痙攣は、修練場で戦っていた時からずっと続いていたものだ。

 拳を握っていられたのは、それでも神経が繋がっていたから。

 それも、いま切れていた。

 

(……)

 

 包帯を巻き終えた所で、消毒液の瓶に蓋をしようとした手が、何度も空を掻いた。腕から先の感覚がないと知る。少し眠らなければ、ヒーリングどころか、この瓶を元に戻せるかどうかも分からない。

 今すぐ発つのならアレンの体はもたないが、明日の朝まで待ってくれるというのなら、少しは体力が回復する。それで何とかなるだろう。

 修練場でアルベルとの戦いを見送ったのは、これが理由の一つだ。

 それに――……。

 そう考えたところで、アレンは思考を停止した。瞬間。フェイズガンの銃口を扉に向ける。

 

 ――いつでも撃てる。

 

 反射的な臨戦態勢で、彼は引き金(トリガー)を絞る手を止めた。

 

「……なるほどな……」

 

 戸口に立っていたのは、思わせぶりに腕を組んだクリフだった。

 

「……ノックぐらい、するべきだと思うが?」

 

 苦笑しながら、銃口を下す。アレンの不遜な態度に、クリフは頭を掻いた。

 

「テメェが、んなタマかよ。……ったく! 修練場で妙な動きをすると思ったら、そういうことか」

 

 ため息を吐きながら、クリフは横目でアレンの脇腹を見た。既に傷口は新しい包帯で覆われている。だが、アレンの顔色は唇までもが白かった。

 相当、無理を重ねたようだ。

 険しい表情のクリフに、アレンは思わず苦笑した。

 

(やはり、彼だけは隠し通せないか……)

 

 そう胸中でつぶやいて、アレンは静かに、首を横に振る。

 

「緊急だったからな。仕方ない」

 

「アリアスを出た時から動ける傷じゃなかったんじゃねぇのか?」

 

 クリフが睨む。が。アレンは取り合わなかった。平静な様子で、首を横に振る。

 

「あの状況では、少しでも多くの情報が必要だった。それに傷がこの程度で済んだのは、あなた方の協力があってこそだ。……本当に、感謝している」

 

 改めて頭を下げてくるアレンを、クリフはため息混じりに見やった。

 

「俺が言ってんのは、そういうことじゃなくてだな――」

 

「傷の具合なら、自分が一番承知しているつもりだ。気遣いは有難いが、問題ない」

 

「……ったく」

 

 焼け石に水。

 どうやら、アレンは自分の身を労わる気はないらしい。

 困ったように頭を掻いて、クリフは踵を返す。肩越しに、アレンを睨みながら彼は言った。

 

「ともかく、今日のところはゆっくりしとけ。敵地とはいえ、一日ぐらい潜伏できねえわけじゃねえからな。フェイトとネル(あの二人)には、俺から言っといてやるよ」

 

「……すまない」

 

「まったくだ。じゃあな!」

 

 部屋から去っていくクリフを見届け、アレンはもう一度、包帯の下にある傷口に、視線を落とした。

 

「……………………」

 

 どうやら、これでもう一つの用件も済ませられそうだ。

 そう、胸中でつぶやきながら。

 アレンは静かに、窓の外を見下ろした。

 

 

 

 ……………………

 …………

 

 

 

「今日一日、カルサア(ここ)で待機?」

 

 宿屋のフロアに下りてくるなり、きっぱりと告げたクリフに、フェイトは目を丸くした。

 

「どうしたんだよ、いきなり? アレンの話じゃ、タイネーブさんとファリンさんの傷も、それほど深刻じゃないって……」

 

「それでも、一応休ませた方がいいに決まってんだろ? お前だって、いつまた倒れるやら――」

 

「それは……!」

 

 むっと反論しようとするフェイトを抑えて、クリフがネルを見る。腕を組んだ体勢で、考え込んでいる彼女は、無表情のままクリフを見返して、それから異論ないとばかりに首を横に振った。

 

「それじゃあ、アタシは部屋で休ませてもらうとしよう。――アンタ達も、くれぐれも目立つような行動は控えて」

 

「へいへい」

 

 大柄に頷くクリフに鋭い視線を送って、ネルは部屋に戻っていく。見送ったクリフが、さてと、とつぶやいて踵を返した。

 

「じゃ、明日まで自由行動だ。っても、騒ぎを起こすなって言われると、俺にゃ動くなってことと同じだけどな」

 

 それなりに楽しんで来い、とだけ残して、クリフもまた部屋に戻る。一人、置かれたようにフロアに残ったフェイトは、短いため息を吐いた。

 

(自由行動か……。タイネーブさんとファリンさんのこと、今までネルさんとアレンに任せきりだったし……。お見舞いくらい、行ってみようかな?)

 

 胸中でつぶやきながら、宿を出る。

 ネルの話によれば、宿の斜向かいに封魔師団の隠れ家があるとのことだ。宿を出て教わった通りに足を運ぶ。コンコンと適当なノックをしてから扉を開けると、焦げ茶色の短髪の青年が、こちらを振り返っていた。

 

「あなたは……」

 

 かすかに目を細めて、青年が窺うようにフェイトを見る。見た事のない顔だった。のっぺりとした起伏の少ない顔に、糸目ではないものの細めの双眸。どこかのんびりとした雰囲気はカルサアに馴染んでいる。派手な見た目が多いシーハーツの隠密にしては、あまりにも平凡な印象を受ける青年だ。

 思わず、家を間違えたと思ったフェイトは、反射的にその場を去ろうとして、慌てて自分を制した。

 

「す、すみません! 僕は……」

 

 一応、家間違いを謝ろうとして口を開閉させると、焦げ茶色の髪の青年は合点したように、ああ、と頷いた。こちらに歩み寄り、頭を下げてくる。

 

「あなたがフェイト様ですね。はじめまして」

 

 言われて、フェイトはハッと青年を見上げた。なんの特徴もない、と思ったが近寄られると意外に背が高いことに気づく。

 

「私はネル様の下で封魔師団『闇』の一員として働いているアストールと申します。以後、お見知りおきを……」

 

「アストール、さん?」

 

「はい。ネル様をお助けいただき、本当にありがとうございました」

 

 柔和な笑みを浮かべるアストールを前に、フェイトは、はぁ、と生返事を返した。

 理由は二つ。

 一つは、アストールが隠密などという不穏な職業をする人間には見えなかったこと。

 もう一つは、『二度と危険な真似をするな』とだけネルに釘を刺されていたからだ。

 彼女の部下ならてっきり、同じ事を言うと思った。それがまさか、礼を言われるとは。

 ぽかんとアストールを眺めていると、アストールはフェイトの考えを見透かしたようだった。

 

「あのお方の立場上、あなた方にはお礼を言いづらいのでしょうが。本心では心からの感謝をしているはずですよ」

 

「……そうだと、いいんだけど」

 

「ええ。それは確かなことだと思いますよ。……それに、ネル様のみならず、タイネーブとファリン、2人までも助けていただき、本当にありがとうございました。フェイト様には感謝の言葉もございません」

 

「そんな……。当然のことをしたまでだよ」

 

 照れ隠しに笑うと、アストールはなんとも言えない、複雑な笑みを浮かべた。

 どこか寂しい、哀しい表情だ。

 笑っているのに、そう見えた。

 

「アストールさん……?」

 

 その真意を測りかねて、フェイトは首を傾げる。アストールは社交的な、また最初に見せた柔和な笑みを浮かべて、その感情を拭い去った。

 

「それでフェイト様。この度はタイネーブとファリンの様子をお訪ねに?」

 

「うん、そうなんだ……。ずっとアレンやネルさんに任せっきりだったから……」

 

「アレン様……。ああ、あの方のことですね。何でも医術に覚えがあるとかで――。おかげでファリンもタイネーブも、大事に至らずに済んだのですよ」

 

「そうなの?」

 

「ええ。何分、処置が早かったものですから」

 

 言いながら、アストールは部屋の奥にある階段へ歩み寄る。フェイトを振り返った彼は、階段を右手で示して、にっこりと笑った。

 

「では、2人はこの上にいますので」

 

「分かった」

 

 階段を上がる。

 屋根裏部屋にはすでに、床をブラブラと歩く2人の姿があった。

 

「ふ、二人とも!?」

 

 驚いて眼を丸めた。こちらに気付いた二人が、ぱっと破顔する。

 

「あ、フェイトさん」

 

「もう起きて大丈夫なの!?」

 

 世間話でも始めるような、おっとりした口調のファリンに、フェイトはおろおろと視線を迷わせた。

 確かに、アストールからは大事に至らずに済んだ、といま聞いたが、クリフは二人の容態を考えてカルサアに留まるべき、と決定したのではなかったか。

 てっきり、自分が思っているより二人の傷は深いのだと思っていた。

 

「ええ。もう大丈夫ですぅ! ほら、この通りぃ」

 

 ファリンが元気に、右腕を曲げてみせる。力こぶを作っているようだが、残念ながら細い二の腕だった。傍らで、タイネーブが苦笑した。

 

「私もビックリなのです。まさか、これほどの医術をお持ちの方がグリーテンにいらっしゃったなんて」

 

 手当てしたばかりの包帯や湿布が痛々しいが、それでも修練場で見たときに比べれば、二人の容態は格段に良くなっている。

 こうして元気に、部屋を歩き回るぐらいには。

 

「そっか。アレンが――……って、あれ? そういえば、さっき、クリフがカルサアに泊まるって言った時、宿にいなかったような?」

 

「アレンさんが? ……おかしいですね。宿に戻るとおっしゃっていましたが……」

 

 首を捻るタイネーブに、フェイトも首を傾げながら、そう、とつぶやく。

 

(先にクリフから聞いて、部屋で休んでるのかな?)

 

「フェイトさん」

 

 思案顔を浮かべるフェイトに、タイネーブの声が重なる。顔を上げると、タイネーブの険しい視線と目が合った。

 何か、並々ならない決意を抱えているような、切羽詰った表情だ。

 

「何?」

 

 その真意を測ろうと、フェイトは声音を落とした。タイネーブが静かに頷く。

 

「実は……ネル様のことをお頼み申し上げるにあたって、貴方に言っておかねばならないことがあるんです」

 

「言っておかねばならないこと?」

 

 繰り返すと、タイネーブがまた頷いた。改まった彼女の表情は、ぴんと空気を張り詰めさせる。それを受けて、フェイトもまた表情を引き締めた。

 彼女は窓を見やって、ウォルター伯の屋敷の方に視線を貼りつけた。

 

「疾風団長、ヴォックスについてです。

 私は仮にも、こと戦うことだけに関しては、ネル様にすら匹敵するとまで言われています。ですがファリンと共に、囮としてグラナ丘陵に疾風を引き付けたとき、私はあの男と手合わせて、手も足も出なかった……。奴の強さはまさに化け物です。あの男が私と同じ人間だなんて、とても信じられません」

 

「……そんなに?」

 

「ええ」

 

 彼女は低い声のまま、フェイトに歩み寄った。

 

「私がこのようなことを言える立場にないことは分かっています。ですが、もし仮に、あの男とはち合うことがあれば――、迷わず逃げてください。貴方達の存在がなければ我々の勝利は有り得ない……。それに、ネル様も」

 

 そこで言葉を切った彼女は、フェイトをじっと見据える。懇願するような、祈るような眼差しだ。

 

「ネル様も、我々になくてはならない存在です。どうか、奴と出会った際には――」

 

「タイネーブさん……」

 

 深々と頭を下げるタイネーブに、フェイトはかける言葉が見つからなかった。

 彼女の気持ちがこもった言葉だと分かるから、半端に答えられない。

 

 ただ――……。

 

「そんな心配、いりませんよ。ネルさんには、絶対分かってもらわなくちゃならないことがあるからね」

 

「フェイトさん……!」

 

 嬉しそうに顔を上げるタイネーブに、フェイトは微笑った。それに、と語尾を付け足して、彼はタイネーブと、ファリンを順に見て、肩をすくめた。

 

「それに僕達には、クリフやアレンもついてるしね」

 

「ありがとうございますっ!」

 

「私からもぉ、よろしくお願いしますと言わせてもらいますね~!」

 

 深々と頭を下げるタイネーブと、にっこりと笑うファリン。その二人に笑い返して、フェイトは踵を返した。

 

「それじゃ、僕はそろそろ宿に戻るね」

 

「はい」

 

「お気をつけて~」

 

 見送る二人に別れを告げて、フェイトは階下へ足を運ぶ。

 アストール達の隠れ家を出ると、夕暮れが、ゆるゆると近づき始めていた――……。

 



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8.戦争と老婆

「フェイト」

 

 宿に戻る道すがら。背中に声をかけられ、フェイトは立ち止まった。

 振り返れば、道を挟んだ宿の戸口に、長身黒衣の青年が立っている。淡い金髪は項まで流れ、蒼穹にも似た深い眼差しを、とこちらに向けている。

 

「あ。アレン! やっぱり宿にいたんだね」

 

 表情を崩しながら駆け寄ると、彼は小さく頷いた。アレンは印象に残らない外見をしているのにフェイトより頭一つ分高い、長身だ。

 彼は修練場で着ていた赤いコートを脱ぎ、連邦軍の黒い上下服のみの姿だった。伸縮性に優れたズボンと、長袖のシャツ。コートを着ている時よりも、更にシャープな体躯が浮き彫りになる。

 アレンが確認するように町に一瞥すると、フェイトに視線を戻した。

 

「少し付き合ってくれないか? 行きたい場所がある」

 

「行きたい場所? この町には、まだ来たばかりだろ?」

 

 アレンは答える代わりに、視線を動かした。フェイトもならって後を追う。言葉よりは行動で示すタイプらしい。ほどなくして、フェイト達は先ほど出たばかりの隠れ家に行き着いた。

 

「ウルフリッヒ氏にこの町の情報は聞いている。問題ない」

 

 フェイトは眉根を寄せた。

 

「うるふりっひ?」

 

「……アストールさん、と言った方がわかりやすいか?」

 

「ああ!」

 

 ぽん、と掌を打つフェイトに、アレンが微笑って頷く。ついてこい、と言われて歩き出したアレンに、フェイトは更に首をかしげた。

 

「情報を聞いてるなら、どうしてこっちから行く必要があるんだ? それに何だって僕まで?」

 

「……俺が見ておきたいもの、見ておかなければならないものが、そこにあるからだ。――おそらく、君にも関係している」

 

 アレンの歩調は速かった。フェイトとのわずかな足の長さ(コンパス)の差もあるが、一歩を繰り出す速度も、見た目よりもずっと速い。そして彼は、足音も立てずに先へと進んでいく。

 やや小走りになるフェイトを、アレンは一瞥もくれなかった。内心で苛立ちながら、フェイトはアレンを見上げる。

 

「僕にも関係してるって、どういうことさ!?」

 

「行けば分かる」

 

 アレンの歩調を少しでも削がんと声を荒げる。小走りになっているフェイトに気付けば、彼が速度を落とすと思ったからだ。だがアレンは簡潔に答える際、フェイトを一瞥したにも関わらず、歩調を変えなかった。

 まるで必死でついてこい、というように音もなく、街路を歩いていく。

 

(……くそっ! 歩いてるはずなのに、なんであんなに――!)

 

 カルサアの日中は、それなりの人で賑わっている。中には雑踏と呼べる群衆もあるが、アレンの歩調は全く変わらない。

 まるで景色に溶け込むように、気を張っていなければ見失うほど自然に。

 先行くアレンを必死に追うが、距離が一向に縮まらない。

 いや、むしろーー

 

(見失う……!?)

 

 群集にもまれながらフェイトが確信した瞬間。アレンの脚が止まった。

 

「……よし!」

 

 思わずつぶやいて、フェイトは一気に距離を詰める。

 アレンが立ち止まった先は、何の変哲もない、小さな民家の前だった。

 

「……どうやら、ついてこられたようだな」

 

「お前、やっぱり撒くつもりだったのかよ!?」

 

 先ほどの彼の歩き方は、どう贔屓目に見ても人を案内するものではなかった。そんな確信を得られて声を荒げると、アレンは首を振った。

 

「それはない。俺が今やった歩行は、伏兵が良く使う運足法だ。……君にはまだ相手の気配を読む経験が足りないからな。早いうちに、慣れておく必要がある」

 

「――ふ、伏兵?」

 

 思いもよらない単語に、フェイトは首を傾げた。アレンが続ける。

 

「今の君に必要なものだ。相手の位置を素早く察知できれば、対処する幅も広がる」

 

「それで、あんな歩き方を?」

 

「クリフがいつも側にいるとは限らない。体得して損はない」

 

「それはそうかもしれないけど……」

 

 言葉を濁したフェイトは、視線を落とした。

 確かに“いざ”に備えることは大切だ。

 心積もりや臨戦態勢は、意識してすぐ対処できるものではない。だが、『伏兵』などといういかにも軍事的な言葉は、先週まで平穏な暮らしをしていたフェイトにはあまりピンと来なかった。

 困ったように頭を掻くフェイトに、アレンは続けた。

 

「まずは今の歩き方を自分なりに真似てみろ。そうすれば、理が見えてくる」

 

「……そう言われても、なぁ………」

 

 生返事を返すフェイトを置いて、アレンは改めて民家のドアをノックした。

 少しの間。

 扉の向こうで、どうぞ、と答えてきた。

 

「失礼します」

 

 断ってから、アレンが戸を開ける。視線で促されたフェイトが後に続くと、年季の入った暖炉を家の中央に配した、老夫婦が出迎えてくれた。

 

「ああ、貴方ですか」

 

 つぶやいた老婆は、ほこほこと湯気の立つポットを手に、頷いた。彼女の頰がアレンを見るなり、にこりとほころぶ。見るからに温和そうな、おっとりとした老婆だ。その彼女に一礼して、アレンは静かに、老爺に向き直った。

 

「お言葉に甘んじて、遊びに来させて頂きました」

 

 アレンもまた柔和に微笑む。老婆に茶を注いでもらった老爺が、白い頭を振りながら、こくこくと頷いた。

 

「おお、おお。よくぞ来てくださった。さきほどは妻を助けてもらって……。大したもてなしも出来んが、茶でも飲んでいくといい」

 

「ありがとうございます」

 

「さあさ」

 

 老婆に促されながら、アレンがテーブルに着く。その彼に疑問の視線を送るフェイトも、老婆に勧められるまま、アレンの隣に腰を下ろすことになった。

 

「妻を助けたって……、何かあったのか?」

 

 座るなり、フェイトが声をひそめて問う。アレンは首を振った。

 

「大したことじゃない」

 

「そんなことはありませんよ」

 

 老婆はおっとりと笑んだまま、つい、とフェイトに向かって乗り出した。右手でアレンを指差し、彼女は嬉しそうに告げる。

 

「この子はね。道でぎっくり腰になって、動けなくなった私を、わざわざここまで運んでくれたんですよ。買い物袋もたくさんあって、さぞ重たかったろうに」

 

 まるで孫でも自慢するように。

 にこにこ笑いながら事のあらましを説明する彼女に、フェイトはいかにも興味深そうに相槌を打ちながら、横目でアレンを見た。

 

(……えっと。それでこの夫婦と僕に……、一体どんな関係が?)

 

 老夫婦には聞こえないように耳打ちすると、アレンは目を細めた。だが彼が切り出す前に、相席の老爺が口を開く。しわがれた手を、杖の上で、そ、と重ねて。

 

「そうじゃのぅ。だからこそ、主らは早くシーハーツに帰るが良い。この町におれば、すぐに見つかってしまうじゃろうて」

 

「っ!?」

 

 フェイトは慌ててアレンを見た。アレンに動じた様子はない。やんわりと優しげな眼差しを、老夫婦に向けているだけだ。

 

(お前、自分から正体を明かしたのか!?)

 

 小声で問い詰めると、アレンはこちらを一瞥して、視線を前にやった。対面の老爺に。

 視線を感じて、フェイトも前を見る。老爺の深い眼差しが、じっとフェイトを見ていた。

 

「?」

 

 フェイトは首をかしげた。目の前の老爺が、難しい顔で指を組む。

 

「アリアスの奥……。ペターニやシランドといった大都市の周辺は、平地が多くあまり防衛には向いておらん。川に遮られたアリアスの周辺が落ちれば、古代王国シーフォートの代から長年続いた聖王国シーハーツの命運も尽きたといっていいじゃろう。残された時間はあまりないのではないかな?」

 

 語るように。謡うように。

 静かに紡がれた言葉に、フェイトは目を見開いた。先程まで、嬉しそうに話していた老婆も、表情を暗くしている。

 

「そうですね……。貴方達は早くアリアスへとお行きなさい。もしアリアスの村が制圧されてしまうようなことにでもなれば、貴方達はこのアーリグリフ王国に閉じ込められることになってしまうのですからね」

 

 老婆はどこか寂しそうだ。アレンは静かに頷いた。

 アレンを見る老婆の表情は優しく、昔を懐かしむようで、哀しげだ。

 まるで息子か、孫を見るような――。

 

(……あ!)

 

 フェイトは思わず手を打った。正体をバラしたのではなく、この二人はアレンに肉親を重ねているのだ。アレンを見ると、彼は少しだけ複雑な、寂しげな笑みを浮かべていた。

 

「お気遣い、ありがとうございます。我々も明日には発つつもりですので、最後にご挨拶をと思いまして」

 

 アレンの言葉に、老婆が目に見えて肩を落とした。老爺は老婆の肩を叩いてやりながら、にっこりと、こちらに向かって笑む。

 

「そうするがよい。お前さん達の未来に明るい光が差すよう、ワシも祈っていよう」

 

「はい。御二人も、どうかお元気で」

 

 静かに一礼するアレンに、老爺はこくりと頷いた――……。

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

「なぁ、アレン」

 

 老夫婦の家を出て宿に戻る道すがら。今度は二人並んで歩きながら、フェイトは傍らの青年を見上げた。

 

「もしかして、あのおばあさん、お前のこと――……」

 

 何故か、その先は言葉が繋がらない。

 明日には発つとアレンが言った瞬間。寂しそうに肩を落とした老婆の姿に、ぎゅ、と胸をつかまれたような気がした。

 たった数分、お茶をもらって話しただけの老婆に、これほど意識を引きずられているのが意外だった。

 

「最愛の息子を亡くしたらしい。この戦争で」

 

「…………そっか……」

 

 つぶやくフェイトに、アレンは頷いた。

 

「……それで。僕とあの老夫婦を会わせて、どんな意味があったんだ?」

 

「何だと考えられる?」

 

「え……?」

 

 まさか尋ね返されるとは思わなかったので、やや戸惑った。

 

(何が考えられるかって……)

 

 思考をめぐらせる。フェイトは困ったように、眉をしかめた。

 

「戦争は、ああいう可哀想な人々を作ってしまう、とか?」

 

「それもある」

 

 短く答えられ、フェイトはさらに首を捻った。

 

「あとは……、ああいう人達のために、自分にもできることを――」

 

「……フェイト」

 

 解答を模索するフェイトを制して、アレンは足を止めた。フェイトが、首を傾げながら振り返ると、アレンは前方に視線をやったまま、ただ一点を見据えていた。

 顔に感情はない。

 

「どうしたんだよ? いきなり?」

 

 問うと、アレンの視線がこちらを向いた。その瞳がどんな感情を孕んでいるのか、フェイトにはわからない。

 アレンは少し、間を置いた。

 

「最悪の場合、君にも当てはまる状況だ。――あの、老婦人の心中は」

 

「っ!」

 

 きっぱりと述べられた言葉に、フェイトは目を見開いた。

 

「それは……」 

 

 ハイダから脱出してしばらく。

 最早、正確な日数はわからない。

 だが。

 彼女達に何かあったのだとすれば、どうしようもない時が過ぎている。

 

(ソフィア……、父さん……!)

 

 きつく歯を食いしばらねば、強く拳を握り締めなければ、不安で押しつぶされそうになる。

 

「そして彼女達(シーハーツ)が作ろうとしている兵器も、この国(アーリグリフ)の軍も、どちらも必ず、多くの人の命と自由を奪う」

 

 アレンはのどかな町を尊ぶように、慈しむように、ゆっくりと告げた。

 まるでいま目の前にある町が、彼が失くしてしまった何かであるように。

 アレンは少しだけ、寂しそうに見えた。

 

「戦いは、必ずあの老婦人とまったく同じ人種を生み出す。たとえ多くの人の命を救う結果に終わっても、戦争でどちらかの国が勝利したとき。多くの人の自由は、消えることになるんだ」

 

「……どうしてさ?」

 

「戦争で勝った国は、負けた国に必ず支配力を持つ。敗戦国は、戦勝国の睨みの下で政治を行い、自国の権利や主張の自由を奪われる。……それは、場合によっては死ぬことより辛い」

 

 そこで言葉を切った彼は、微かに目を伏せた。

 

反銀河連邦(クォーク)が存在している意義も、それを防ぐためだ」

 

 おのずとフェイトは固唾を呑む。この青年は、言葉を発している時よりも、むしろ無言でこちらを見据える時に、得も知れぬ迫力を持っている。――言葉の意味を、より深くさせる力を。

 それを何となく肌で感じながら、フェイトはただ頷いた。その真剣な表情を見据え、アレンはふと相好を崩した。

 

「……俺が言いたかったことは、それだけだ。後は君が考え、決断するといい」

 

 アレンは踵を返す。

 まるで何もなかったかのように、平然に。

 その背を見据えて、フェイトは口を開いた。

 

「アレン!」

 

 呼ぶと、アレンが肩越しに振り返る。その彼に、フェイトは拳を握りしめて叫んだ。

 分かっているのは、修練場で決めた、自分の意思だけだ。

 アレンの意図はまだ、掴みきれない。だが

 

「僕は……、僕の意志を押し通す! ――そのために……、お前にいろいろ、相談してもいいかな?」

 

「俺で、力になれるなら」

 

「ああ!」

 

 答えるアレンに、フェイトはようやく破顔した。



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9.出迎え、出発

「ネル!」

 

 弾けるような笑顔とともに、彼女は灰色の髪を、ふわりとなびかせた。周囲の目もはばからず、クレアが駆けてくる

 

 河岸の村、アリアス。

 

 シーハーツ軍が拠点を置いている領主の館で、会議室に入るなり起きたことだった。クレア・ラーズバードは、同僚であり、一番の親友であるネルを感極まって抱きしめる。ネルは苦笑まじりに抱き留め返して、少しだけすまなさそうに顔をしかめてみせた。

 

「心配かけたね」

 

 ネルが静かにつぶやくと、クレアは首を横に振る。ネルの無事を噛み締めるように一度だけ強く掻き抱き、身体を引き離す直前で、さりげなく目じりに浮かんだ涙を拭っていた。

 それから一歩距離を置いて、ネルの後ろに控えている、タイネーブ、ファリンに視線を向ける。

 

「貴方達も……、良く無事で」

 

 アレンに巻かれた包帯が痛々しい二人は、しかし、顔色が包帯の量に比べてずいぶんとマシだった。クレアの労いに、タイネーブとファリンが敬礼で答える。クレアも黙って頷き返した。

 そしてフェイトに向き直ったクレアは、真に安堵した表情を見せた。

 

「お三方……。どうもありがとうございます。彼女達が無事に帰れたのも、あなた方のおかげです」

 

 深々とフェイト達に一礼して、彼女は嬉しそうに微笑う。思わず、こちらまで照れ臭くなるような嬉しさが染み出した笑顔だ。つられて微笑ったフェイトは、首を横に振った。

 

「いえ……」

 

 控えめにつぶやく彼に、クリフも頷いた。

 

「たいしたことはしてねぇよ。相手も雑魚ばっかりだったしな」

 

 言って、ガントレットを弾く。ネルが首を振った。

 

「そんなことはないよ。少なくとも漆黒の副団長を倒せたのは、あんた達の協力あればこそだからね」

 

「それって……漆黒のシェルビーを倒したってこと!?」

 

 目を見開くクレアに、ネルは誇らしげに頷いた。

 

「そうさ。まあ、もっとも。止めは刺しそこなったけどね」

 

 ちらりとフェイトを――いや、アレンをネルが一瞥する。目が合った(アレン)は、ネルを淡々と見返しただけで、悪びれた様子はなかった。その彼に苦笑して、ネルは肩をすくめた。

 対するクレアは、どこか期待に満ちた眼差しを、そっとフェイト達に送った。

 

「すごい……!」

 

「とはいえ、あのきざな甲冑野郎にはナメられっぱなしだったがな。……確か、アルベルって奴だったか」

 

 クリフが忌々しげに舌打った。これまで多くの危険な橋を渡ってきた彼が、あそこまで敵に情けをかけられたのは、彼の人生で初めてといっていい。

 

「次に会ったら、タダじゃおかねぇ!」

 

「アルベルですって!? まさか……『歪みのアルベル』?」

 

 クレアが息を呑みながら、ネルを振り返る。すると、頷く親友の姿を見て、クレアはさらに目を見開いた。二、三回、口を開閉させた彼女は、頭の整理がつかないのか、ぽかんとフェイト達を見ていた。

 

「ビックリだろう? 私もよく無事に帰ってこられたものだと思うよ」

 

 どこか嬉しそうなネル。クレアは無言のまま頷いた。九死に一生とはよく言ったものである。

 

「アイツ、そんなに強いんですか?」

 

 クレアのあまりの驚きぶりに、彼女の心中を知る由もないフェイトが、合点のいかない表情で訪ねた。

 クレアの代わりに、ネルが頷く。漆黒の副団長・シェルビーですら鮮やかに倒してみせた、フェイトの力量を知っている彼女でも、『当たり前だ』と言わんばかりの表情だ。

 フェイトの表情が改まる。そのフェイトに頷きながら、ネルはそっと息をひそめて答えた。

 

「相当にね。クリフには悪いけど、あんたでも勝てるかどうか分からないよ」

 

「クソ面白くねぇ話だ」

 

「問題ない。現段階で戦力差があったとしても、彼と戦う時に、その差が埋まっていればいい」

 

 言い添えたのは、アレンだった。

 

「……簡単に言ってくれるね?」

 

「容易ではないかもしれないが、やらねばならないなら、やるだけだ」

 

「…………確かにね……」

 

 ネルが釈然としない様子で顔をそむけた。アレンは相変わらずけろりとしている。ことの危険性を認識できているのか、さらには傍らのクリフまで、にっと口端を吊り上げていた。

 

「まあ、そう心配すんなよ! あの甲冑野郎はこの俺が絶対に叩き潰してやらぁ!」

 

「……アンタね……」

 

 分かってない、と思わず頭を抱えるネルに、フェイトが苦笑した。

 クレアが手を叩いて衆目を集める。

 

「まあまあ。話はそんな所にして、疲れているんじゃない? ――急いで準備させますので、食事にしましょう」

 

 彼女は上機嫌だった。

 

 

 

 ………………

 …………

 

 

 

 一通り食事を終えて、皆が落ち着いた頃を見計らったネルは、静かにフェイトに切り出した。

 

「やはり、協力はしてもらえないのかい?」

 

「まだ返事はできません。兵器を作りたくないという気持ち自体は変わっていませんから……」

 

 かといって、兵器の代案を立てられるわけでもない。

 国を守りたい――ネルやクレアの気持ちは分かったつもりだ。タイネーブとファリンが捕まった、あの時の取り乱したネルを見れば彼女の真意はよくわかる。

 しかし。

 顔を上げて、アレンを見やる。アレンは普段からそうしているのか、雑談中気配を消していた。いまもフェイト達のやりとりに耳を傾けているだけだ。話に入るつもりはない、と態度で表わすように両腕を組んで、わずかにうつむいている。フェイトは拳を握り締めた。

 そのフェイトの仕草を、決意と判断したのか、クレアは残念そうにつぶやいた。

 

「そうですか……。まあ、即答してもらわなくて構いません。王都に着くまでに心を決めてもらえばいいわけですから」

 

 すみません、と口の中でつぶやくフェイト。

 クレアの曇った表情は見ていて辛いが、そうそう容認できることではなかった。

 己を奮い立たせる。どこかに必ず、道はあるはずだと。

 対峙したネルが、言った。

 

「クレア、やっぱりシランドまでは私が同行するよ。……構わないかい、フェイト?」

 

 ネルの視線を受けて、フェイトは静かに瞳を閉じた。

 

 兵器開発の件。

 タイネーブとファリンの件。

 虐殺された、アペリス教徒達……。

 

 アーリグリフとの溝を埋めることは、容易ではない。それはフェイトが来る前から、すでに出来上がっていた溝だ。

 戦争を止める上で、一番の障害になるであろう両国の溝。

 これを解消できなければ、シーハーツか、アーリグリフ。どちらかの国の武力によって終結を迎えるしかない。

 アレンの言うとおり。

 

 ――たとえ、多くの命を救う結果に終わっても、戦争でどちらかの国が勝利したとき、多くの人間の自由は消えることになる。

 

 その言葉を胸に刻みながら、フェイトは瞼を開ける。

 この考えを、彼女に理解してもらわねばならない。彼女が納得できるよう、夢物語ではないと示さねばならない。シランドに、聖王都に着く前に。

 膝の上に乗った拳を握り締めて、フェイトはゆっくりとネルを見た。

 

「当然じゃないですか。それが貴方の任務でしょう?」

 

 アレンに誓った。

 意志と、信念を持つと。だから逃げるわけにはいかなかった。この困難から。

 表情を引き締める。対峙したネルは、無表情に首を振るだけだった。

 

「ああ、そうだったね」

 

 肯定とも、否定ともつかない、微妙な声音。それを耳にしながら、フェイトは小さく頷いた。

 ネルの言葉と、己の意志を、噛み締めるために。

 

 

 外に出ると、門前でネルが一同を振り返った。

 

「まずは北東のペターニという町まで行くよ。そこで補給をしてからシランドへ向かおう」

 

 言い放った彼女は、一同を見回して確認を取る。すでに大まかな地図は見せてもらっていた。二日も歩けば、目的地に着くはずだ。

 

「わかりました」

 

 答えるフェイトの声に、やや苦い色が混じった。シランドまでの道程、そのタイムリミットがここから始まるためだ。

 

「わかった」

 

 続くクリフは気楽なものだ。

 何も考えていないようにも見えて、彼もまたフェイトを試すように、すべての行く末を傍観している。それは彼と出会った頃から徹底して行われていることだった。

 同じく、傍聴していたアレンが、頷く。

 その三者を順に見渡して、ネルはクレアに向き直った。

 

「行ってくる」

 

「ええ……、いってらっしゃい。皆さんも、気をつけて」

 

「クレアさん達も」

 

 労わるようにフェイトが言うと、包帯まみれのファリンが、笑顔を見せながら両腕を振ってみせた。

 

「私達なら平気ですよ~」

 

 彼女に微笑を返すと、クレアがフェイトの前に立ち、一礼した。

 

「ネルのこと、よろしくお願いします」

 

 その別れの言葉を皮切りに、同じく包帯まみれのタイネーブが敬礼する。次いで、やや遅れたファリンも、同じように口を開いた。

 

「アペリスの導きがありますように!」

 

「アペリスのご加護がありますようにっ」

 

 重なる二人の言葉に、フェイトは小さく顎を引いて、アリアスの門をくぐった。



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10.クリムゾンブレイド

 アリアスからペターニへ向かう街道で、幾度目かの野宿をすることになった。エリクールを周回する三つの月が西へと向かう深夜帯だ。

 ネルは獣が寄ってこないよう、黙々と火の番をしていた。

 

「……………………」

 

 てっきりもう来ないと思っていた、明日を待つための夜。

 ペターニまでの道程を、ネル達はもうほとんど踏破している。明日には目的地に辿り着くだろう。

 くすぶる炎を見つめながら、ため息をつく。

 ――まっすぐな眼差しを向ける、フェイトの顔を思い出しながら。

 

「……少し、いいか?」

 

 そこで。

 ネルは顔を上げた。視線を横に流すと、声の主らしき青年が立っていた。闇に溶ける黒の上下に、対照的な深紅のコート。それがまず、ネルの目を惹く。

 

「……ああ」

 

 ネルの頷く声が、やや生返事になった。

 少しして焚火の前に現れたアレンは、ネルの対面に腰掛けた。

 

「貴方に聞きたいことがある」

 

 そう前置きする彼は、足音も気配すらも感じさせない。昼間の方が視認できる分、存在感があった。

 

「……何?」

 

「何故、助けに行ったんだ?」

 

 意外にもそこだけ強い光を宿した蒼瞳。その瞳を、じっと見返して、彼女は首を傾げた。

 ――質問の意味が分からない。

 

「何のことだい?」

 

「あの二人の部下のことだ。貴方は何故、あの二人を助けに行ったんだ?」

 

 思わぬところを突かれた気がして、ネルは彼を仰ぎ見た。

 冬の湖面のように澄んだ蒼の瞳には、ぱちぱちと燃える焚火が映っている。その炎は揺れていたが、彼の瞳は、少しも揺るぎはしない。

 彼は続けた。

 

「貴方はたった一人の人間と、国民全体の命なら、考えるまでもないと言った。……なら、あの二人の部下は、貴方が命を落としてでも救わなければならないほど、国を左右する大人物なのか?」

 

「……それは……」

 

「カルサアで、彼女達を治療したときに聞いた。貴方が『クリムゾンブレイド』と呼ばれる女王直属部隊の指揮官で、実質、シーハーツ(この国)の軍を、貴方と、ラーズバード指揮官が動かしていると」

 

 言葉を切ったアレンは、ネルを見据える。対する彼女は顔をしかめて唇を引き結んだ。視線が下がる。

 

「……………………」

 

 彼が何を言いたいのか、理解できたからだ。

 

「フェイトに言っていたな? 俺達を助けたのは、俺達なら貴方々の国を救うことが出来ると考えたからだと。だが、損得勘定の話をすれば、貴方が二人を助けに行ったのも、誤りじゃないのか?」

 

 俯くネルを、別段、責めている口調ではない。

 だがその指摘は、深く彼女の胸を抉った。返す言葉も見つからぬほど、深く。

 

「それでも――!」

 

 それでも何か言わねば、フェイトの行為を許すことになってしまう。

 もしかしたら、シーハーツを再び敗北の危機に追いやってしまうかもしれなかった、彼の行為を。

 

「それとこれとは規模が違うんだよ……! アンタ達の知識は、直接国の勝敗に左右する! だけど私は……!」

 

「現状不利なところに、国の一翼を担う存在(クリムゾンブレイド)が消えて、それで兵の士気がもつと? それも最前線(アリアス)の総指揮官が俺達の護衛についた状態で?」

 

「……っ、っ!」

 

 拳を、握り締めた。

 クレアなら、彼女がいれば何とかなると、そう確信していた自分をばっさりと切り捨てられた。

 

 そんな甘い考えでは、フェイト達が聖都に着く前にシーハーツは落ちると。

 

 彼の瞳が、彼の蒼が、言外に語っていた。

 淡々と、相手を見定めるように。

 彼は続けた。

 

「ゼルファー指揮官。俺も、ある機関に属する軍人だ。だから、軍人としての務めを果たすつもりでいる」

 

 切り出した彼に、ネルは顔を上げた。湧き立ってくる感情をこらえきれず、それでも無理やり抑えつけながら、アレンを睨む。

 首を傾げるネルは、見ようによっては今にも泣きそうな表情をしていた。彼は視線を外して、眼前の焚火に目を落とした。

 

「俺は民間人(フェイト)を守る。例えどんな状況であれ、軍人(オレ)がついていながら民間人(カレ)に人殺しはさせない。絶対に。――それが、俺の務めだ」

 

「!」

 

 表情をしかめるネルを、アレンは睨み据えた。まるで目の前にいる彼女こそが、仇敵と言わんばかりに。

 彼を包む空気が、底冷えする。

 だが不思議と、その焦点はネル自身を向いてはいない。例えるなら、ネルのいる空間を、睨んでいるようだ。

 ――彼女の後ろにある、何かに向けて。

 それを憎むように。

 許さぬように。

 

「……………………」

 

 ネルは思わず固唾を飲み込んだ。得も知れぬ緊張感が、肌に突き刺さる。

 しんと静まり返った空気は、凪いだように動かない。

 アレンが目を伏せた。すると、固まった空気が離散する。停止した時間が動き出して夜気がネルの頬を撫でた。

 少しの、間。

 緊張で喉を鳴らす彼女の、呆けた眼差しをとらえて、アレンは言った。

 

「少し眠って、気持ちを整理するといい。今ここで、俺に反論するよりは意義のある時間を過ごせる筈だ」

 

「何をっ!」

 

「貴方の、クリムゾンブレイドではない『貴方自身の』考えを聞かせてくれ。その方が俺も動きやすいし、きっとフェイトも喜ぶ。……積極的ではないだろうが、クリフも断らないだろう」

 

 どこか温かみのある声だった。

 反して、月明かりに照らされたアレンの表情は固い。感情を押し殺したような表情(カオ)だ。それが何の感情を押し殺したものなのかは、ネルにも分からない。

 ただ分かった風な口をきく彼に向かって、ネルは虚勢を張った。

 

「私の考えだって? そんなの――!」

 

「自分を殺しきれないんだろう? だから部下を見殺しに出来ず、危険を承知であの二人を助けに行った。……誰よりも、仲間を失う哀しみを知っているから」

 

「っ!」

 

 ちり、とネルは胸の奥が焼かれた気がした。苛立ちが湧き起こる。唇を噛んだ彼女は、彼が何か言う前に乱暴に立ち上がった。

 

「勝手なこと言うんじゃないよ! 私は、私の意志で行動してる! 最初から自分を殺してなんか……!」

 

「戦争は」

 

 ふと。底光りする蒼の瞳と目が合った。訳も分からず、他を圧倒する、その瞳と。

 息が詰まる。

 

「……っ」

 

 間。

 

 ネルの強張った表情を見上げて、彼は静かに言った。

 

「戦争は何も、兵器でするものじゃない」

 

「……え?」

 

 ゆるりとアレンの瞳が焚火を映す。ネルはきょとんと目を瞬かせた。先ほどまでの緊張が、その空気が、いつの間にか和らいでいる。

 脱力した。

 ため息が出る。

 

(遊ばれてるんじゃないだろうね……?)

 

 舌打ち混じりにつぶやくネルに、彼はようやく微笑った。

 

「それから――、あまり親友を泣かせるな」

 

「え……?」

 

 それは言葉(こえ)にもならないつぶやきだった。驚いて見返すネルの方は見ず、彼は薪をくべる。

 

「今日はもう遅い。火の番は俺がやろう」

 

 話はそうして打ち切られた。アレンを怪訝に覗き込んでも、彼は何事もなかったかのようにネルを見返すだけで、先ほど見えた複雑な眼差しは、もう影もない。

 ネルは鼻白んだ気分で、二、三度、瞬きを繰り返す。

 

「……………………」

 

 思考が空転した。――今の、複雑な彼の眼差しが、あまりに似ている気がしたのだ。

 ネーベル・ゼルファー、父の面影に。

 アレンがあらためて、こちらを見上げて言った。

 

「休むといい。……いろいろ言って、すまなかった」

 

 そうやって簡単に謝ってくるのが、どうにも気に入らない。まるでネルとは違う、余裕を見せつけられているようだ。

 だから彼女は鼻白んだ表情から目を覚ますなり、アレンを睨んだ。

 

「……別に。アンタの言いたいことは大体分かったよ。でも、私は国を守りたい。そのためなら、何も厭うつもりはない! ……そう、覚えておきな」

 

 言い放つ。不機嫌に口調が速くなったが、後の祭りだ。彼女は逃げるように野宿用の布団にもぐりこんだ。

 目を瞑る、ほんの数瞬前。

 確か火の番をするのは自分だったと思い出しながら。

 苦虫を噛み潰したような気分で、ネルは硬く目をつむった。

 

(クリムゾンブレイドであることが、私の証さ……!)

 

 心の中で叫んで。

 戦場は、私情など挟む余地なく無情であると知っているからこそ。

 彼女はきつく唇を噛み締めた。



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phase2 アミーナ
11.アミーナとの出会い


「ここがペターニか」

 

 クリフは華やぐ街並みに感嘆の息をこぼした。

 美しく整備された白煉瓦の大通りには左右に露天商が並び、さまざまな色の服をまとった人々が行き交っている。気を抜けば、仲間とはぐれることもあるかもしれない盛況ぶりだ。

 戦時の緊張感は、ここにはない。

 

「アリアスとは随分雰囲気の違う街だね」

 

 フェイトは辺りを見渡しながらそう評した。ただ色彩が明るいだけではなく、街角の装飾や露店に並ぶ商品に、いままで通ってきた町とは違う洒落っ気があった。ネルは、フェイト達の反応をどこか満足そうに眺めていた。

 

「ああ、ここはアリアスより聖王都シランドに近い場所にある街だからね。それに、ここは隣国のサンマイト共和国との貿易拠点としても栄えているのさ」

 

「なるほどな。道理でにぎやかなはずだ」

 

 クリフが合点して、横を見やる。傷の具合がいいのか、アレンの顔色がずいぶんと良くなっていた。

 

「私は定時連絡に行ってくるよ。その間は自由行動にしようか。集合場所は……。そうだね、そこの中央広場にしよう。自分の用事が済んだら広場に戻ってきて」

 

「いろいろすまない。ゼルファー指揮官」

 

 アレンの会釈に、ネルは肩をすくめた。

 

「気にすることはないさ。これは私の任務だからね」

 

 言い残して、彼女は肩で風を切るように颯爽と歩き始める。アレンの傍らを過ぎるとき、風の流れに乗ってネルの抑えた声がアレンの耳に届いた。

 

「それに。あんたの務めってのも、私の任務の障害になるなら容赦しないよ」

 

 聞き届けたアレンがふりかえると、ネルが牽制するように片眉をつりあげてみせている。

 それが、昨夜の答えだと言わんばかりだ。

 アレンは小さく苦笑した。

 

「それなら問題ない。……彼なら、必ず答えを導き出す」

 

「なら、いいけどね」

 

 ネルはため息を吐いて、フェイトに向き直った。首を傾げるこの青年が、本当にそんな大層な答えを導き出すのか。

 兵器に頼らず、人を殺さず、自分達を勝利に導く答えを。

 

「……………………」

 

 軽く頭を振って、ネルは思考を振り払った。理想を追うべきではない。そんなことは身に染みて心得ている。まっすぐにフェイト達を見据えて、言った。

 

「それじゃ、行ってくるよ」

 

「分かりました」

 

「了解」

 

 頷く二人を横目に、ネルは思案顔になる。

 

(厄介な相手になりそうだね……)

 

 いまさら迷う自分が、そもそも驚きなのだ。感情を揺さぶられる相手とはあまり付き合わないほうがいいかもしれない。彼女は気持ちを切り替えるように前を向いた。

 何にせよ、ネルがなさねばならないことは決まっている。

 遠ざかっていくネルの背を見送ったあとで、フェイトは改めて一同を振り返った。

 

「さて。僕らはどうしようか?」

 

「特にすることもねぇし、適当にブラブラしてるさ。後で会おうぜ」

 

 クリフは言い終わるなり、もう行き先を決めたのか、街中をきょろきょろと眺めている。

 酒場でも探す気なのだろう。浮き足立っているのが見て取れた。

 

「アレンは?」

 

「俺は装備を整えてくる。ここならば、ある程度は揃いそうだ」

 

「ある程度の装備? フェイズガンのカートリッジなんて売ってないだろ?」

 

 問うと、アレンは首を横に振った。

 

「俺が探すのは、別のものだ」

 

「別のもの? ……って、おい!」

 

 フェイトの質問を最後まで聞かず、アレンもまた歩き出す。見る間に二人とも、遠ざかって言った。フェイトはため息を吐く。

 

 どうやら、皆、一人で回りたいらしい。

 

(まあ、いいか……。僕も久しぶりに緊張しなくていい場所に来れたんだし)

 

 気を取り直して、街にくりだした。

 本当に、アリアスとは比べ物にならない活気だ。人の数も、街の華やかさも、とても同じ国とは思えない。

 露天商に導かれるまま、あてもなく歩いていると、アリアスと違って石造りの家が多いことに気づいた。白い煉瓦造りの壁に、赤や青色で彩られた屋根。ペターニは温暖な気候に恵まれているからか、アーリグリフの屋根よりも傾斜がゆるやかに作られていた。

 二階の木枠から、顔を出して隣人と話す人。

 露店をめぐる恋人たち。

 活気づいた街。

 みなの明るい表情。

 こんな景色がずっと当たり前だと思っていた。

 フェイトの知っている“日常”が、ここには揃っている。フェイトにとって馴染み深い、平和の香りだ。

 

「……いい街だな……」

 

 見ているだけで、気持ちが落ち着いた。

 当てもない散策を続けていると、いつの間にか、ネルが指定した待ち合わせ場所についていた。ペターニの中央広場だ。ここから、東西南北に大通りが伸びる。

 

「ここが集合場所の広場か……。さて、どうするかな?」

 

 先ほど別れたばかりのため、仲間の姿はまだない。

 広間に並ぶ露店にはオープンカフェもあり、色鮮やかな料理に香ばしい香りや音と触れてきたが、フェイトは誘惑されることもなく、またため息を吐いた。アリアスで休息をとったとはいえ、ここ最近はストレスが強すぎる。まだ店を見て回れるほどの元気はなかった。

 

「ノンビリと待つか……。最近、疲れてるみたいだしな」

 

 大きな教会前の階段に腰掛けた。あらためて一息つくと、どっと疲れが押し寄せてきて、行儀悪くも階段に仰向けに倒れたくなる。

 

「ホント、ちょっと疲れたかな……。のども渇いたし」

 

 目の前のカフェを見やった。立ち上がる気力が湧いてこない。

 やれやれと苦笑して、飲み物は諦めた。街並みをなんとなく観察していると、空転した頭が、また同じことを考え始めていた。

 

 ネルと行動を共にするようになってから、ずっと。

 

 いつでもその話題は、フェイトの脳を心を揺さぶってくる。

 

「兵器開発か……。みんなの気持ちも分かるけど。でも……」

 

 俯く。

 アレンのおかげで、自分がなすべき領分はわかったはずだった。それでも、ネルを助けてやりたい気持ちは消えない。

 戦争を終わらせるための、兵器開発の代案が一向に出てこない。

 シランドまで、あと少しだというのに。

 

「はあ、僕は一体どうすればいいんだろ?」

 

 ぐるぐると同じところを巡る思考回路に、うんざりして首をもたげた。

 多くの人命が懸かった問題だ。

 生半可な結論(こたえ)が、出せるはずもない。

 

「あの、大丈夫ですか? 具合でも悪いんですか?」

 

 ふと、頭上から声をかけられてフェイトは顔を上げた。

 冷静に考える。

 教会の前で、ぐったりとうずくまっている自分。それを見た誰かが、教会に助けを求められないほどの重病なのかと誤解しても、無理はない。

 

「え、いや、大丈夫です! ちょっと歩きっぱなしで疲れただけですから」

 

 慌てて弁明した。その際、彼は声の主を振り返って

 

「そうですか。よかった」

 

 朗らかに微笑う少女を目にするや、呼吸が止まった。

 

「っっ、っ!?」

 

 思わず、全身が震えた。

 すべての景色が彼の視界から消えて、ただ一人の少女しか目に入らない。

 栗色の髪を腰までなびかせ、くっきりとした丸い瞳が、愛らしい笑顔を振りまいている。どこかおっとりとしていて、ほわほわと優しい雰囲気の、幼馴染の少女。

 碧眼も、白い肌も、長い髪も、愛くるしい仕草も。

 すべてが、一致している。

 彼が知っている、少女と。

 

「ソフィア!」

 

 立ち上がり、叫ぶ。

 反射的に伸びた手が、彼女の腕を掴んだ。

 はぐれないように、見失わないように、強く。

 すると彼女は、驚いたようにこちらを見て、困ったように表情をくもらせた。

 

「え……?」

 

 低く、戸惑った声だった。フェイトははっと我に返る。

 それは直感に近い何か。

 まったく記憶通りの面影のなかに、微妙な違いを見出した瞬間だ。

 どくん、と心臓が音を立てた。

 

「あ、…………っ」

 

 停止した思考が、それでもまだソフィアの痕跡を探す。

 目の前の少女が、ソフィアであると――。

 

「あの……申し訳ありませんけど、人違いだと思いますよ。私はアミーナという名前なんですけれど……」

 

 遠慮がちにフェイトを見上げてくる『アミーナ』。

 のどに詰まった息が、凍るような感覚だった。

 

「アミーナ、さん?」

 

 ごろり、と乾いた喉がぎこちなく唾を飲み込む。

 彼女は、はい、と控えめだがはっきりとした面持ちで答えてきて、フェイトはそこでようやく、取り繕えた。

 

「ご、ごめん……っ! その……、知り合いの女の子に良く似ていたものだから、つい……」

 

 強張った手をどうにかアミーナから剥がす。

 たった数秒の間に嫌な汗をかいた。じんわりと背に、手に。

 

「そうなんですか。あなたが急に大きな声をだすから、私、ビックリしちゃいました」

 

 彼女は嫌味のない明るい調子でそう受け流して、フェイトの隣にちょこんと腰掛けてきた。近くで見れば、ソフィアと同じ碧眼ではなく、灰色の瞳をしている。

 

「本当にごめん」

 

 うなだれるようにして謝ると、鼓動が残り香のように細くなって落ち着いていった。

 こんなところに、いるはずがないのだ。

 

「あ、いえ。気にしないで下さい。え、えっと……」

 

「僕の名前はフェイト。フェイト・ラインゴッド。よろしく」

 

 アミーナが気安い空気を壊さぬように話しかけてきたので、フェイトも慌てて愛想笑いを浮かべる。すると彼女は、名前を反芻するように少し舌足らずな舌を転がした。

 

「フェイトさん?」

 

「うん」

 

 やはり、初めて聞いた名前らしい。彼女の反応があまりにも薄かった。yそれを残念に思いながら、フェイトはアミーナに頷く。

 目の前の少女が、礼儀正しくお辞儀した。

 

「よろしくおねがいします。私はアミーナ・レッフェルドといいます」

 

「よろしく、アミーナさん」

 

「アミーナでいいです。街のみんなからも、そう呼ばれてますから」

 

「うん、わかったよアミーナ。じゃあ僕のことも呼び捨てでいい」

 

「はい……。でも……、やっぱりさんづけでいいです」

 

 アミーナは遠慮がちにつぶやいて、街の方を見やった。

 その横顔も、まるで似ている。

 いつも隣にいた、少女と。

 

(本当に似てるなあ……。声もそっくりだし)

 

 無意識のうちに面影を探していた。彼女がソフィアでないと、頭では理解できても。

 

「そんなに見ないで下さい。なんだか恥ずかしいです」

 

「ご、ごめん。でも、ホントに似てるなあって思って」

 

「そうなんですか?」

 

「うん……。僕の幼馴染なんだけど」

 

「今はどこにいらっしゃるんです?お買い物ですか?」

 

 アミーナが興味深そうに街の人々をあらためる。

 その彼女の横顔から視線を剥がすことが出来ずに、フェイトはゆっくりと地面を見下ろした。

 

「いや……。今はここから随分と、離れた場所にいるんだ。だから彼女にそっくりな君を見てビックリしたんだよ。ここにいるはずがないのに……ってね」

 

「そうだったんですか……コホッ」

 

(ん?)

 

 アミーナはこちらを気遣いながらも、ひとつ、口元に手を当てて軽く咳き込んだ。あらためてこちらを見上げたときには、人懐こい微笑みが戻っている。

 

「あ、私にも幼馴染がいたんですよ。丁度あなたと同じくらいの年なんです」

 

「いた?」

 

 フェイトは問い返したあとで、自分の失言に気づいた。彼女が静かに瞼を伏せる。

 その横顔に悲哀の影はない。

 ただ、少しだけ寂しそうだった。

 

「はい。もう何年も会ってないんです。私はもともとこの街の生まれなんですけど、一度アーリグリフに引っ越していた時期があって……」

 

「へぇ……」

 

「一応、手紙とかで連絡は取り合ってたんですけどね。戦争が始まってから、それもなくなってしまって……。今では彼が何処にいるのかもわからないんです。最後の方の手紙では、研究者になるとか書いてあったんですけど」

 

「そうだったんだ……」

 

 アミーナと目を合わせづらくなった。

 

「でも、私はそのうち会えると信じてます」

 

 うつむくフェイトを案じてか、生来前向きなのか。フェイトが顔を上げれば、彼女は微笑みを返してきた。

 鬱々とした気分が、少しだけ晴れる。

 

「そうだね。うん、きっと会えるよ」

 

「はい。そうですよね」

 

 そこでふと彼女が、フェイトに背を向けて体を丸めた。

 

「コホ……コホッ」

 

 口元に手を当て、アミーナが咳き込む。初対面で、その背をさすってやるわけにもいかず、フェイトは眉をひそめて様子を伺うことしかできなかった。

 

「風邪かい? さっきから咳をしているみたいだけど……」

 

「あ、平気です。軽い風邪をひいてるみたいなんですよ。たいした事ありませんから」

 

「そう。ならいいけど」

 

 安堵したあとで、彼女の左手に目がいった。左肘にひっかけるようにして抱えた、藁の手持ち籠だ。そのなかに色とりどりの花々が規則正しく並べられている。

 

「その花かごは?」

 

 問うと、アミーナは思い立ったように、あ、とこぼして、花かごをフェイトにも見えるよう左手から右手に持ち替えた。

 

「これですか? 私、この街で花を育てて売ってるんです。花屋さんですね」

 

 彼女にならって、フェイトもまた花かごに視線を落とす。確かに、活力溢れる咲いた花々だ。ただし、ここにくるまでの道中で見かけたような、平凡な花が多かった。

 これで生活費が賄えるとも思えない。

 

「花を……?」

 

 微妙なニュアンスを含んで問うと、彼女は深く頷いた。

 

「はい。私、今一人暮らしで、特に出来ることもありませんし……。それで庭で育てている花や山で採ってきた薬草とかを売っているんです」

 

「一人暮らし? ご両親は?」

 

「この戦争で亡くしました」

 

 フェイトの顔がこわばる。アミーナは気にした風もなく、落ち着き払っていた。

 この華やかな街でも、考えられないことではなかったはずだ。

 

「ごめん。変なこと聞いちゃって」

 

 フェイトが拳を握りこむ。アミーナは不思議な表情をしていた。哀しさと寂しさを入り混じらせたような、静かな表情だ。

 

「いいんです。私が勝手に話したんですから。それに隣のおばさんとかもよくしてくれますし……」

 

「……本当にゴメン」

 

「あんまり気にしないで下さい。それより、フェイトさんは巡礼の途中ですか? この国のヒトではないみたいですけど」

 

「え、ああ。巡礼ではないけど、シランドまで行く旅の途中なんだ」

 

「一人で、ですか?」

 

 それにしては、ひどく軽装に見える――とアミーナの視線が言っている。

 

「ううん。他に三人、同行者がいるよ」

 

「そうですか」

 

 彼女は、なるほど、とつぶやいてから、表情をぱっと輝かせた。

 

「そうだ! これ、差し上げます」

 

 花かごに手を入れて、アミーナが花を取り出してくる。フェイトは慌てて顔の前で両手を振った。

 

「え、いいの? 売り物なんじゃあ……お金払うよ」

 

「あ、売り物の花じゃないんです。これは私の個人的なお守りですから」

 

「お守り?」

 

「はい。この地方に古くから伝わるお守りで、イリスの巫女花って言うんですよ。月と風の女神イリスを象徴する花で、この花をもっていると、イリスのお力で旅の安全が約束されるって言われてます」

 

「へぇ……、すごいものなんだね」

 

「もともと、私がアーリグリフからここに戻ってくるときに持っていた物なんです」

 

 だから、引越しを終えた自分には不要なものだ、とアミーナは言う。

 由緒を聞いていると、馴染みのない文化のお守りでもいざと言う時に使えるのではないか、と思えてしまうから宗教とは不思議なものだ。

 

「でも、悪いよ。貴重なものなんじゃないのかい?」

 

「大丈夫です。私にはもう必要ないものですから」

 

 アミーナがそう言ってイリスの巫女花をよこしてくる。フェイトは慎重に受け取った。見た目の派手さに反して、すぐに手折れてしまいそうな茎の細い花だった。

 

「ありがとう、アミーナ。大切にするよ」

 

「はい、大切にしてください」

 

 こちらがなにを話しても、アミーナは嬉しそうに笑顔を浮かべる。たおやかな少女だ。

 話しているだけで、気持ちが軽くなる。

 エリクールに来て、初めて心和んだ。緊張続きで疲れていたからこそ、彼女のちょっとした温かさが胸に染みる。

 もしソフィアがここにいたなら、巫女花をもらって自分の倍以上に喜んだだろうに――。

 

「よぉ、なにやってんだ」

 

 横合いからクリフに話しかけられ、フェイトは驚きに背筋を震わせた。素早くふり返れば、そこに見慣れた面々が、からかうような面持ちでこちらを見てきている。

 

「み、皆!?」

 

 もう報告を終えたのか、ネルまで一緒だ。

 クリフが意地悪く口端をつり上げながら、フェイトとアミーナを値踏みするように交互に見た。

 

「……ナンパか?」

 

「ち、ちがうよ! あの……彼女が僕の知り合いに似ていたものだからさ。それでちょっと……ね」

 

 視線でアミーナに同意を求めると、クリフは呆れたように肩をすくめた。

 

「おいおい、随分とベタな声のかけ方だな。今度俺がもう少し気の利いたセリフを教えてやるぜ」

 

「だから違うって言ってるじゃないか!」

 

「なんだよ、怒るこたぁねえだろ? ちょっとした冗談じゃねえか。大体、からかわれたくなけりゃ、待ち合わせ場所でイチャイチャしてんじゃねえよ」

 

「イチャイチャなんてしてないって!」

 

 否定すればするほどドツボにはまっていくことにフェイト自身は気がついていない。クリフが、どうだか、とまだからかう風に肩をすくめたのを見かねて、ネルが会話に割り入ってきた。

 

「……それはそれとして」

 

「え?」

 

 よほどフェイトが間抜けな顔をしていたのか、ネルは呆れ気味に視線を返してきながら、左手でアミーナを示した。

 

「彼女を紹介してくれないのかい?」

 

 言われて、思い至る。わざとらしい咳払いで気を取り直すと、アミーナをふり返りながら答えた。

 

「あ、ああ。彼女はアミーナ。この街で花売りをしてるんだって」

 

 ふと、アレンが不思議そうにアミーナを見た。

 

「花を?」

 

「あ、あの、アミーナです」

 

 突然見知らぬ人々にに囲まれたからか、アミーナが恐縮しながら自己紹介する。アレンは花かごを覗いていた。形良く整った花々は、種類に物珍しさこそないものの一本ずつよく手入れされている。

 

「……いい花だな」

 

 アレンがしみじみとつぶやく。アミーナは意外そうに目を丸くした。

 

「花のこと、わかるんですか?」

 

「少しだけなら」

 

「そうなのか? 初めて聞くけど、そんなこと」

 

 フェイトの問いに答えるようにアレンは花かごの一輪を指差した。桜色の小花が細かくついた、カスミソウに似た花だ。

 

「薬草も花も、基本は同じだ。……例えばこの花なんか、湿気の管理にうるさく、ここまで色づくのに相当な手間をかけているはずだ。野草ならば栄養がいきやすい上側だけに花がついて、この花のように茎毎に均等に開花したりはしない。いい仕事ぶりだ」

 

「そう言うお前は熟練の職人かよ」

 

 クリフの突っ込みに、アレンは感心しながらウンウンと頷くのをやめて、はた、とまたたいた。

 一方で、アミーナは嬉しそうだ。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 フェイトの想像以上に手間暇かかっていることはアミーナの一礼の深さから察せられた。フェイトは気を取り直して、アレン、クリフ、ネルの順に右手で示していく。

 

「アミーナ、この三人がさっき話した同行人。今目の前にいるのがアレンで、そこの二人がクリフにネルさん」

 

「アミーナちゃんか……いい名だ。よろしく。俺はクリフ・フィッターだ。ま、こいつの保護者みたいなもんだな」

 

「ネル・ゼルファーだよ」

 

「アレン・ガードだ」

 

 順に名乗って、それぞれがアミーナを見る。視線を受けたアミーナは、あらためて一同にお辞儀した。

 

「よろしくお願いします」

 

 たおやかに微笑う彼女を尻目に、ふと、ネルはフェイトを見た。正確には彼の胸ポケット差し込まれた白い花だ。

 

「あんた、珍しいものを持ってるね。それ、どうしたんだい?」

 

「え……これ? うん、アミーナがくれたんだ」

 

 フェイトは胸の花に触れた。

 白い花弁ついた、赤い木の実のような雌雄のしべ。

 飾り用に乾燥させた巫女花は、瑞々しさこそ失われているが、花弁が無様に折れ曲がることなくひょろりとしなり、清楚さと気品を感じさせる。

 クリフが眉根を寄せながらネルを仰いだ。

 

「一体なんだそりゃ? 珍しいって?」

 

「花飾りとは違うのか?」

 

 クリフに続いて、アレンも興味を持ったらしく問いかける。

 ネルは静かに頷いた。

 

「イリスの巫女花。最近では戦争で生息地があらされて、滅多に手に入らなくなっている花だよ。アペリス教では女神イリスを象徴する花として、神話にも幾度となく登場するのさ」

 

「……宗教花(シンボルフラワー)か」

 

 アレンが合点するのを横目に、ネルが、ああ、と頷く。

 

「現在では旅人の安全を守るお守りとして使われることが多いね。祈願成就のパルミラの千本花、戦の勝利を願うエレノアの花冠と同じようなものだと思って問題ないよ」

 

「へぇ……大層なもんだ。そんな大事なモン、こいつにやっちゃっていいのか?」

 

「はい、私にはもう必要のないものですから」

 

 アミーナは笑顔のまま頷いて、そこではっと街のほうを見た。日はまだ高いが、花かごの中身はまだまだいっぱいだ。売り切るまでもうひとがんばり必要だった。

 

「あ、私、そろそろ、仕事に戻らないといけないので……」

 

「そうなの?」

 

 フェイトがどこか残念そうにつぶやいた。アミーナは断りながらも申し訳なさそうに微笑う。

 

「すみません……。色々と話ができて楽しかったです。シランドまでの旅、気をつけてくださいね」

 

「うん。アミーナも色々大変だと思うけど、頑張って」

 

「はい」

 

 彼女が力強く頷く。

 ソフィアと、――幼馴染とよく似ているのに、この強さと穏やかさは彼女とは違う。そして幼馴染と会えないという状況は、まったくフェイトと同じはずだが。

 

(……信じる、か……)

 

 胸中でつぶやくと、アミーナの笑顔が脳裏に浮かぶようだった。フェイトはアミーナを見上げた。まだまだ彼女と話してみたいが、仕方ないと未練をふり切り、最後に一番伝えたかったことを口にする。

 アミーナに。

 ――自分に。

 

「幼馴染にもきっと会えるよ。僕も信じてるから」

 

「はい。ありがとうございます。あなた方にアペリスの加護がありますように」

 

 彼女は、深々とお辞儀した。

 

「それでは失礼します」

 

「ああ」

 

 フェイト達に背を向けた彼女は、小さく咳き込みながら、また雑踏に紛れていった。

 その背を見送って、クリフが怪訝そうにフェイトを見る。

 

「彼女、何かの病気なのか? 随分と咳してるみたいだが」

 

「え、うん。軽い風邪をひいてるって言ってたけど」

 

「そうか」

 

 クリフがもう一度、アミーナの背を窺う。その傍らで、アレンが難しい表情を浮かべていた。

 何かを考え込んでいるようだった。

 

「どうしたんだよ、アレン?」

 

「……いや」

 

 訊ねてみたものの、彼の返答はそっけない。ネルが、一同を見渡した。

 

「三人とも、立ち話もなんだ。そろそろ宿に入ろうか」

 

「そうだね」

 

 フェイトが頷く傍らで、アレンが首を傾げた。

 

「どこにあるんだ?」

 

「ペターニに宿は二軒あるんだけどさ。東部は何かと問題あるから西部の宿にするよ」

 

「問題だぁ?」

 

 眉をしかめるクリフに向き直って、ネルはちらりと横目で、東部へ続く街路を一瞥した。声音を落とす。

 

「酒場と一緒になった安い宿だからね。有り体に言えばガラの悪い奴が多いのさ。シーハーツ領内とはいえ、できるだけ揉め事は避けたいからね」

 

「分かりました。西部の方にしましょう」

 

 話が決まったところで、アレンが言った。

 

「すまないが、俺は少し行くところがある。先に宿で休んでくれ」

 

「何処に行くつもりだい?」

 

 間髪置かず、ネルが目を細める。アレンは先ほど皆で通ってきたばかりの南通路、パルミラ平原へと続く通りを見つめていた。

 

「……?」

 

 その先に、何があるというのか。

 合点のいかないフェイト達をふり返って、アレンは言った。

 

「是非とも会っておきたい人がいるんだ。……長引くと思う」

 

「おいおい、お前もナンパか?」

 

 クリフがからかい半分に問いかけると、アレンは微笑った。どこか嬉しそうに。

 

「似たようなものだ」

 

「てめ……、こんなときにっ」

 

「すまない。失礼する」

 

「お、おいっ!?」

 

 言ったきり、アレンは去ってしまった。取りつく島もない。クリフが呆れたように頭をかきながら、フェイト達をふり返った。

 

「どうすんだ? アイツ……?」

 

 ネルは難しい顔で南通路を見つめていたが、なにかを結論付けたのか、ひとつ瞬いて、クリフに視線を返した。

 

「彼が後で合流することは確かなんだろ? ……あんたと違って考えなしに面倒事を起こすタイプに見えないし、大丈夫なんじゃないかい?」

 

「……へいへい」

 

「それじゃ宿の方に向かうんですか?」

 

「ああ」

 

 ネルは短く、ついてきな、と言って踵を返す。

 人ごみに紛れたアレンは、すでに見えなくなっていた。



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12.パルミラの千本花

 アレンはひとり、パルミラ平原へと続く、ペターニのメインストリートに立っていた。

 雑踏の絶えない交易の町。

 このなかから、目的の人物を見つけ出すのは意外なことに難しくなかった。――なぜなら、その男は雰囲気からして周りと違っている。

 

 極限まで鍛え上げられた分厚い長身。銀髪に近い灰色の短い髪。さらされた褐色の上半身には、いくつもの傷がある。

 

 アレンですら見たことがない三メートル強の槌を男は片手で握っていた。

 

「優れた武具は己の力を過信させ、未熟なる者の心を腐らせる。我の作りし武具を携えるに値するのは真の勇者のみ」

 

「……貴方が名工、ガストとお見受けする」

 

 対峙してみると、岩のように泰然としたガストの気配がよくわかる。

 アレンはいま、手持金で購入したブロードソードを腰に差していた。切れ味と強度に多少問題があるものの、使えない得物(シロモノ)ではない。

 カルサアでアストールが武器をお求めならば、とこの男の情報をくれたことを、アレンは早くも感謝していた。

 

「いかにも。我が名はガスト。師より受け継いだ技で、至高の品を作る旅をしている」

 

「噂通り、か。俺はアレン。貴方に一振り、刀を打っていただきたい」

 

 ガストがゆっくりと槌を持ち上げた。瞬間。空気が変わったのを感じ取ってアレンは素早く後ろに跳んだ。すさまじい轟音とともに、ペターニの石畳が水のように波打って震え、はがれていく。

 

 

(この重量武器を、片手で……)

 

 土煙がもうもうと立ち、アレンは目を細める。さきほどまで立っていた石畳は粉々に砕け、クレーターのような凹みが生まれている。

 不意打ちをかけてきたガストは、満足そうに笑んだ。

 

「力を求むならば、示せ。お前の力を!」

 

 言うと同時、ガストが頭上で槌を旋回させ、アレン目掛けて打ち込まんと槌を大いに振り上げる。アレンは剣を抜かずに通行人がすれ違うような気安さでガストに近寄っていく。

 轟音が立った。

 ふたたび石畳が砕けるかに思われたガストは、槌を振るい損ねて両肩を開いている自分に目を丸くした。大槌を撃ち込まんとしたその瞬間に、右肩に気が篭った拳を叩き込まれたのだ。

 

「ぬぅっ!?」

 

 またたく間に首をアレンの左腕に抱き込まれ、巨体が前のめりになった。強烈な熱と痺れがガストの鳩尾に突き刺さる。たまらず息の塊を吐き、腹を抱えながらも火花散る視界で前を見た。

 

「ふっ!」

 

 鋭い呼気が聞こえた。アレンが背を向けた態勢から旋回し、蹴り上げてきている。

 奇跡的におのれのこめかみを守った左腕ごと、薙ぎ倒されんばかりの強烈な衝撃がガストを襲う。軋みをあげる左腕の痛みに歯を食いしばって耐え、ガストは右腕に握った槌を力任せに薙ぎ払った。

 

「つぇあああっ!」

 

 そのとき、ガストはわが目を疑った。

 目の前から、アレンが忽然と消えたのだ。

 

(否っ!?)

 

 放心したわずかな間、ガストは目を見開いて空を見上げた。

 アレンがいた。その右拳が青く光っている。青空で、気功にあぶられた男の蒼瞳が、抜き身の刃のような冴え冴えとした光を放っている。

 

「ぉをっ!」

 

 アレンが吼えた。ガストの視界が白く染まる。

 そのとき、平和なペターニの街に砲撃が打ち込まれたような、すさまじい轟音が響きわたっていった。

 雑踏の流れが止まる。

 群衆がそれぞれの語らいをやめて、一斉にガストとアレンをふり返った。

 

「か、は……っ」

 

 呼吸(いき)の塊を吐いて、ガストは自分の巨体が揺らぐのを感じていた。

 

 ずしぃ……ぃんっ

 

 地響きとともに手にした槌が地面にうずくまる。

 あわやのところで、ガストは地面に手をついた。視界がぐらぐらとしているが、不思議と意識は明瞭だ。荒い息をくり返しながら、アレンを見上げた。

 こうして片膝をついたのは、彼の記憶でも久しいことだった。

 

「い、まのは……っ!」

 

 どうにか言葉を発すると、アレンが静かに見下してきた。

 

「流星掌。さる機関に伝わる、気功闘法だ」

 

「……そうか……」

 

 動こうとするも、指先すらままならない。完全にこちらを戦闘不能にする拳だ。

 彼我の力量差に呆然とするガストは、流星掌が本来、連撃で放たれることなど知る由もない。この技の本質は、相手の意識どころか命すらも刈り取る拳であるなど。

 ガストは動かぬ躰にじれったそうに舌打ちし、諦めたようにため息を吐くと、アレンの腰にある剣を示した。

 

「何故、抜かなかった?」

 

「生憎、白昼の街中で抜く剣は持ち合わせていない」

 

「なに……?」

 

 ガストは眉根を寄せ、しばらく経ってからようやく周りを見渡した。ペターニは交易の町だ。白昼の街路は、人で溢れている。今は、こちらを遠くに様子見る人々で。

 いつのまにか観客の山ができていたことに、アレンは罰が悪そうに顔をしかめていた。

 

「それに、連れから揉め事を起こすなと言われている。……話の続きは町の外でもいいだろうか?」

 

 アレンの動きは自然なように見えて、どこにも隙がない。

 おそらく凡剣たるブロードソードですら、この男が振るったならばガストの槌を斬ったかもしれない。

 不思議とそう思えた。

 ――眉間に拳を受けるまえ、青空のなかで光る蒼瞳は、まさに刀匠が精魂込めて創った抜き身の刃に迫るものがあったのだ。

 

(力に溺れた者が、かような拳を手にできるわけもない、か)

 

 ガストは胸中でひとりごち、腹の底から湧いてきた衝動に、くく、と喉を震わせた。

 

「くく……、っ! くははははははっ!」

 

 久しぶりだ。

 鉱物の出が悪くなって、良い鉱物(しな)を求め旅に出て数年。幾多の武具を求める男達の中から、ようやく彼は巡り合えたのだ。

 最高の武具を作るに相応しい猛者(つわもの)に。

 

「その必要はない、勇者よ。俺はお前を認めよう」

 

「!」

 

 アレンが目を丸くする。ガストはただ頷いた。

 

「感謝する。……」

 

 アレンが、ガストの名字を知らないことに気付いて言葉に詰まった。苗字に敬称を付ける習慣など、ガストとは縁遠い。ガストは苦笑すると、遠慮するな、とばかりに笑みを深めて言った。

 

「ガストでよい、勇者よ。その代わり、あらためてお前の名を聞かせてくれ」

 

「アレン・ガード」

 

(アレン)……。わが師より受け継いだ剣を手にするに、相応しい名だ」

 

「……師の?」

 

 アレンが要領を得ない顔で首を傾げる。ガストは、こくりと頷いた。

 

「お前の剣、打ちたい気持ちに一切の偽りなし。しかし――、我の知る鋼ではお前に相応しき逸品を作ることは適わぬ」

 

 ガストは舌打ちしたい気持ちを抑えねばならなかった。一方で、相手の底も見えないおのれよりは、アレンを映す剣となるやもしれない、と一本の長い筒をそっとアレンに差し出す。

 剣というにはあまりにも長すぎる、その太刀を。

 

「俺にも抜くことすら適わなかった、一振り。アレン、お前ならばもしや……」

 

 アレンは慎重に、横たえられた筒を受け取った。ずしりと重い。太刀はアレンの身長より長い、二メートル近い長さを誇っていた。

 

「……………………」

 

 アレンが硬く縛られた紐をほどき、居合い筒から太刀を抜き出す。黒鞘黒柄の太刀は派手さの欠片もないが、高級な光沢ある漆を惜しみなく鞘に使用していた。

 

「……失礼する」

 

 ガストに断りながらも、ゆっくりと抜き払う。

 現れた刀身は――

 

 思わずアレンが息を呑むほど、燦然たる輝きを放っていた。

 

 空の色を映す刀身が、青く光っている。いや、光っていると錯覚させるほど純然たる鋼の輝きをもっているのだ。水を滴らせたようなその抜き身は、もはや芸術だ。

 

「これは……!」

 

 そのあまりに曇りなき刀身。刃を彩る波紋。長さこそあるものの、完璧に計算された太刀特有の反り。

 すべてが、揃っていた。

 アレンの求める以上の出来が、すべて。

 しばらく時間を忘れて、アレンは刀に見入っていた。

 我に返ったとき、慌ててガストを見上げる。

 

「これほどの物を、頂いていいというのか……っ!?」

 

 声が上ずったのは、感動を抑えられなかったためだ。アレンの反応にガストは満足そうな笑みをこぼすと、こくりと頷いてみせた。

 

「武具は使いこなせてこそ、価値あるもの。お前にその資格があるというなら、気に病む必要は仔細なし」

 

「……平原まで来てくれ」

 

 恐々と太刀を見るアレンに、ガストは唇を広げた。

 

「承知」

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

「ですよね、おばさん」

 

「そりゃそうだよねえ」

 

 西部宿で宿泊手続きを済ませてから夜までの時間。自由行動となったフェイトはあてもなく町をぶらぶらしていた。聞き知った声が聞こえてきて、フェイトは辺りを見渡し、耳をそばだてた。

 

(この声は……)

 

 ペターニ東部の、赤い屋根が連なる街路。その街並みの中でふと、花畑のある小さな一軒家が目に留まった。

 近づいてみると、楽しそうな声が通りに零れてくる。

 

「絶対に大丈夫ですよ」

 

「そういうこともあるもんだねぇ……」

 

「はい。私もそう思います」

 

 弾けるような、可憐な少女の声。間違いない、アミーナだ。幼い頃からすぐ傍にあった聞きなれた声。

 

(この家の中か?)

 

 半ば衝動的に扉を開けた。すると、中にいた少女が、フェイトを見て目を丸くした。

 

「あれ、フェイトさん……?」

 

 教会のまえで別れる前と同じ、彼女は無垢な表情で木椅子から腰を上げてくる。全体的に、木目調の落ち着いた部屋だった。白と茶色のコントラストが、アミーナに良く似合っている。

 

「やあ、アミーナ。外を歩いていたら、君の声が聞こえたから。それで、気になってさ」

 

「そうなんですか」

 

 アミーナはにっこり笑って、フェイトを迎え入れる。今日知り合ったばかりの人間なのに、互いに親近感を抱いていた。

 入口からテーブルを挟んで向かいに座っていた話相手の中年女性が、しげしげとフェイトを見詰めた。

 

「どなただい?」

 

「あ、フェイトさんです。シランドへの旅人さんなんですよ」

 

「へえ、シランドへねえ。……巡礼かい?」

 

「そうではないみたいなんですけど。まだ出発していなかったんですね」

 

 アミーナが扉を開けたときに驚いたのは、勝手に開けられたことではなく、フェイトが街にいないと思ったかららしい。

 話相手のおばさんも気さくな人物で、ほどなくしてフェイトは人懐こい二人に歓待されながらテーブルの席につくことになった。

 

「今日はペターニ(ここ)で一泊して、明日の朝にでも発つ予定なんだ」

 

 事情を話すと、アミーナが寂し気に視線を落とした。

 

「そうですか。……明日の朝じゃお見送りはできないですね」

 

「いいよ、見送りなんて。その気持ちだけで十分だからさ。……でも、何か用事があるのかい?」

 

 フェイトが問うと、アミーナは力ある視線を向けてくる。広場で会ったときよりも、ずっと生気に満ちていた。

 

「ええ。おばさんと一緒に山まで花を採りに行くんです。売り物じゃないんですよ。千本花は自分で摘んだものでないといけないって言われてますから」

 

「千本花?」

 

「あ、フェイトさんは知らないかも知れませんね。イリスの巫女花と同じようにこの地方に伝わるおまじないなんですけど、神の山に咲くパルミラの花を自分で数本ずつ摘んできて、一本一本想いを込めて縛るんです。でも、この花って滅多に見つからないものだから、なかなか大変で……」

 

 アミーナはおばさんも囲んでいるテーブルを見やった。つられて見ると、たしかにテーブルにはピンク色の花が几帳面にまとめられている。花冠や首飾りとは少し手法が違うが、茎をからめるところは同じようだった。

 

「へぇ……」

 

(ソフィアが子供のころ喜んで採ってた四葉のクローバーのようなものかな?)

 

 自身の知識に置き換えてなんとか完成系を想像しようとしたのが伝わったのか。おばさんが訳知り顔で説明してきた。

 

「束ねた花が千本に達すると、願いがかなうと言われているんだよ。月と雨の女神パルミラがあたしたちの想いを受け取ってくれるのさ。雨のように流した涙の分だけの想いをね」

 

「願いがかなう……」

 

 アミーナの表情に力がこもっていたのはそのためか、とフェイトは納得した。視線が合ったアミーナがにこりと微笑う。その傍らで、おばさんは複雑な表情を浮かべていた。遠くを見詰める眼差しが、どこか物悲しい。

 

「こんな時代だからね。一刻も早く戦争が終わって欲しいもんさ。この街の人間はみんなそう思って千本花を作ってるのさ。まあ、残念ながら、今のトコロ願いが叶ったものはいないけどねえ」

 

 話のオチが暗い方に転んで、なんとなく気まずい空気が流れた。

 おばさんはしばらく黙っていたが、アミーナを肘でつつきながら悪戯っぽく笑った。

 

「ま、この娘の場合は幼馴染に会いたいっていうのが一番の願い事なんだよ。もちろん戦争のこともあるんだろうけどさ」

 

「もう、おばさん!」

 

 アミーナが顔を赤くして、おばさんの言葉を遮ろうと大声で怒る。

 平和なやりとりだ。

 フェイトはしみじみと話を聞きながら、目を細めた。

 

「幼馴染、か」

 

 これほど、近くに感じているのに――。

 アミーナを見据えながら、どうしても重なる面影にフェイトは顔をしかめる。意識的に思考を追い払うと、アミーナが恥ずかしそうにこちらを見上げてきた。

 

「えっと…あの……。話しましたよね? 彼に会えたらいいなあって。あ、でも、願い事ってそれだけじゃないんですよ。私のびょう……」

 

 ふと。

 アミーナの表情から、笑顔が消えた。

 

「……びょう? 何?」

 

「あ、いえ、なんでもないです」

 

 アミーナは両手を顔の前で振ると、すぐにいつもの笑顔を浮かべた。詮索してくれるなというような反応であり、本当になんでもないような反応でもある。

 

「そう……、ならいいけど。願い、叶うといいね」

 

 アミーナは笑う。ソフィアとはまた違う。この包み込むような優しさが彼女の魅力だと、フェイトはあらためて思った。

 

「大丈夫ですよ。私、信じてますから。願いはいつかきっと叶うんです。諦めたら、終わりですから」

 

「そうだね……。僕もそう思う」

 

 まるで自分に言い聞かせるような、力強い言葉だ。

 フェイトは静かに拳を握り締めた。

 いつか――……。

 いまは、まだ途方もないように思われた。

 フェイトは苦笑すると、席を立った。

 

「じゃ、僕はそろそろ行くよ。元気でね、アミーナ」

 

「はい……、フェイトさんもお気をつけて。もし、またペターニに来ることがあったらウチに寄ってくださいね」

 

「ああ、そうさせてもらうよ」

 

 アミーナは通りの角にフェイトがさしかかるまで、ずっと家の前から見送ってくれていた――。



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13.兼定

「どうやら妖精(ソイツ)の言うとおり、ホントにモンスター共が道を遮ってたみたいだな」

 

 クリフはガントレットを打ち鳴らしながら、背後に広がる森を見渡した。

 鬱蒼と茂るペターニ近くの森。ここにフェイト達が急遽足を向けることになったのは、出立の朝、アレンが一度も宿に顔を見せていないことが発覚して騒いでいたときに、宿に駆け込んできたおばさんから急報を受けたためだ。

 

 ――花を摘みに行った山の中で、アミーナが倒れた。

 

 フェイトは衝撃にあまり目の色を変えたが、動転しているのはおばさんも同じだった。彼女は『神の山』で気絶したアミーナを負ぶって帰ることができず、フェイト達に助けを求めてきたのだ。

 倒れたアミーナが助けるためには、今しがた通ってきたこの森を抜けねばならない。しかし散策当初は、どの森道を行けども途中で木々が生い茂り、とても奥まで進むことは適わなかったのだ。

 事態が好転したのは、アミーナを捜す傍らで出会った、森の妖精を助けてからだった。妖精は原因不明の瘴気にあてられて元気を失くしていたが神聖な水を与えられることで回復し、そのお礼にと普通の木々と、森道を敢えて塞ぐ木のモンスターを見分けるナビゲーション役を買って出てきた。

 

 そうしてようやくだ。

 

 同じ景色しか見えなかったはずの森を抜けて、一同は岩山らしきエリアに到達した。

 おそらく地元の住人(あのおばさん)ならもっと安全な道を知っているのかもしれないが、フェイトたちが通った一番大きな道の障害物の多さには、一同、辟易としていた。

 特にアミーナをすぐにでも見つけたいフェイトと、そんなことより王都に向かいたいネルの機嫌は急降下の一途をたどっている。

 

 クリフはともかく事態が動いたことに安堵して、しみじみとつぶやいたのが冒頭の台詞である。皆より半歩ほど先行する妖精はクリフの物言いに不満そうに顔をゆがめて、クリフの目の高さまで降りてきた。

 

「嘘なんかつかないわよ! 失礼ねぇ!」

 

「俺は別に、嘘をつかれたとは言ってねぇぜ?」

 

「なによぉっ!」

 

 妖精は小さな羽をぱたぱたと動かして、全身で憤怒を表現する。その様をからかうように観察して、クリフはふと足を止めた。

 

「どうしたんだ?」

 

 つられてフェイトも止まる。

 と。

 

「危ないッ!」

 

 ネルとフェイトが、同時に叫んだ。妖精は事態を理解できずに首を傾げる。彼女の目の前には大きな――人の大きさほどの石球が岩山の奥から転がり落ちてきている。

 妖精は恐怖のあまりに目を見開き、その場を動くことも出来ない。

 否。

 たとえ出来ていたとしても、その小さな躰が岩の軌道外に逃れるには完全に手遅れだった。

 

「――……あ、っっ!」

 

「カーレントナックル!」

 

 妖精の視界が完全に石球の影で黒く染まったとき、傍らから黄金の光を纏った拳が、岩に向かって迸った。拳は一撃目で岩の速度を止め、二撃目でやや岩を押し戻して、三撃目で完全に岩を叩き砕いた。

 

 がこぉおおおおんっっ!

 

 打撃音とともに真っ二つに割れた岩が、騒音を撒き散らしながら左右の脇道へと落ちていく。その様を見送って、クリフは得意げにガントレットを弾いた。

 

「ま、ざっとこんなもんだな」

 

 妖精が、ぽかん、と口を開けてクリフを見ている。

 

「よぉ。怪我はねぇか?」

 

 いつもの減らず口で問いかけると、妖精は瞬きを二、三回落としてから、はっと目を見開いた。

 

「い、岩を壊すなら壊すって、ちゃんと言ってよねっ! 寿命が縮んじゃったじゃない!」

 

「おいおい。助けてもらっといて言うことはそれだけかよ?」

 

「……うっ!」

 

 居心地悪そうに妖精が顔をしかめる。フェイトには素直に礼を言ってきたのに、なぜか妖精はクリフとは反りが合わないらしい。フェイトは二人の様子をやれやれと流し聞きながら、石球が転がってきた山道の奥を見据えて、ふと、動きを止めた。

 

「……二人とも、怪我がなくてよかったとは思うけど……」

 

 言って、彼は軽く肩をすくめる。

 

「あと二、三個、転がってきたみたいだよ」

 

「ん?」

 

 クリフ達が振り返った先で、先ほどの石球と同じくらいのものが、がらがらと物々しい音を立てて坂を下ってきていた。

 それを見据え、クリフは口元に不敵な笑みを刻む。

 

「へっ! 俺一人で十分だ! いくぜ! カーレントナックル!」

 

 金の拳が、再び岩に向かって迸る。

 それは岩の動きを止め、押し返し、叩き壊す。リズムがはっきりとした完璧な三連打だ。続く二球目の岩に対しても同様に、クリフは冷静に拳で対処している。

 

 がこぉおおおおおおっっん!

 

 吹き飛んだ岩の破片が四方に散る。

 そのときクリフはふと、坂の上の――少し高台になっている丘に、誰かが立っているのを見た。そこにいる彼等は、せっせと岩を運びこんできて、またこちらに投げつけようとしている。

 

「なるほどな。そういうことか……!」

 

 つぶやくクリフに、フェイトも坂の上を見やった。そこにいるのが何人か、正確には見て取れない。しかしクリフの口許に浮かんでいるのは余裕の笑みだ。

 

「ったく。どんだけやっても無駄だってわからねぇのか? 奴らは」

 

「お、おい……。次のは、ちょっと……!」

 

 クリフが肩をすくめているのを、フェイトは青白い顔で制した。

 そのフェイトの異変に気付いて、ネルも坂の上を凝視する。

 すると、

 

「バっ!? ……っ逃げるよっ!」

 

 ネルの鋭い叱責が叫ぶ。

 その彼女の視線の先には、坂の上――より、もう少し上の切り立った小高い丘に、先ほど転がってきた岩とまったく同じものを抱えたモンスターが、ぞろりとこちらを向いて整列していたのが見えたのだ。

 数秒先の未来が、彼女には幻視出来た。

 予知と言ってもいい。

 

「あん? あの程度の岩ならこの俺が――」

 

「バカ! さっさと逃げろっ!」

 

 合点のいかないクリフを、フェイトが叱責した。クリフは怪訝な顔をしながらもみなと同じように坂の上を凝視する。そのとき丘に並んだモンスター達が、クリフを嘲笑うように、ぶんっ、と豪快に岩を投げつけてきた。

 

 ――軽く、十を超える岩を。

 

「な、にぃいいいいいっっ!?」

 

 思わず叫んだクリフは、妖精をむんずと掴んでフェイトに投げつける。きゃぁ、と妖精が甲高く悲鳴をあげる。

 寸での所でフェイトはキャッチできた。クリフも咄嗟に逃げようと走りだしたところで――岩の奏でる壮大な足音に、背筋の神経を鷲掴まれたような気がした。

 一気に投下されたことで、互いを前に押し合う岩達が徐々に加速しているのだ。

 

(や、やべぇっっ!)

 

「クリフ!」

 

「くっ! ……凍牙!」

 

 フェイトの切羽詰まった声と、ネルのクナイが同時に放たれる。だがキンっと冷たい音を立てて、クナイは呆気なく弾かれた。

 岩の速度に、変わりは無い。

 

(やはり質量が違いすぎたかっ!)

 

 ネルが胸中で舌打つ。しかし、さすがクラウストロ人の足は速い。このままいけば、全員無事に岩をやり過ごせるはずだ。

 曲がりさえ、すれば――。

 

「行き止まりっ!?」

 

「何だって!?」

 

 妖精が、フェイトの腕の中から悲鳴を上げた。耳を疑うネルも、ば、と背後の岩から先を行くフェイトに視線を向ける。

 退路がなかった。

 

(まずい――!)

 

 胸中でつぶやいた彼女は、胸に当てた手を握り締めた。

 

「だったらぁ! カーレントぉおお――!」

 

 足を止めたクリフが、一か八かの間合いで拳を振りかぶる。

 

「わわっ! 無理だよぉ!」

 

「君も、ちょっと下がってて!」

 

 クリフを制止しようとした妖精を脇に除けて、フェイトも緊張した面持ちで剣を握り締める。

 

「行くぞ! ブレードぉおお――!」

 

 岩に向かって走りながら、剣に光を凝縮させる。

 カーレントナックルの三撃すべてを入れて、ようやく岩の一つが砕ける。計算で表せば、三十ヒットさせてようやく全弾逃れることができる。

 無論。クリフ一人でその連撃を行うのは無理だ。

 ――おそらく、自分が加勢したとしても。

 

「でも! やるしかないっ!」

 

「おらぁああああっ!」

 

 二人の気合が、迫り来る岩石に向かって奔る。

 同時。

 放たれた二人の剣撃と拳撃で、一つ、二つ、岩が砕けた。

 

「フェイト! クリフ!」

 

 ネルの叱責が飛ぶ。両者ともに三撃目を打った後だ。予想通り、続く三、四の岩に間に合わない。

 

「――っ!」

 

 今一度、腕を振り上げようとした両者が歯を食いしばる。

 

「イヤァアア……!」

 

 妖精の、耳のつんざくような悲鳴。

 と。

 

「……退がっていろ」

 

 ふいに聞こえた声に、フェイト達は目を剥いた。瞬間。影が彼らの間をすり抜ける。ちょうど、人か獣ぐらいの大きさの影だ。

 

 ひゅっっ!

 

 鋭い風切り音が、耳を打った。

 妖精には、何が起こったのか理解できなかった。それは遠目とはいえ、ネルだからこそ見ることが早業だった。フェイトとクリフの間から、割って出るように現れたアレンが刹那、空中に銀の弧を走らせた。

 同時。

 岩が、静止した。

 十を超える、すべての岩が。

 そして――……。

 

 かしんっ、

 

 小さな鞘鳴り音が、アレンの左手から聞こえた。そこで、はっと瞬いたネルは、彼が気付かぬ間に抜刀していたのだと知る。

 

(あの光は……、刀の斬線……?)

 

 彼女が、胸中でつぶやくと同時。

 

 ごぉ、ぉお、おおおお……ん…………っっっっ!

 

 けたたましい地響きを立てて、十を超える岩が、同時に二手に分かれていった。その割れ目には横に一筋、一様な斬痕が刻まれている。

 

「な……っ!」

 

 フェイトは驚きに目を剥いた。クリフすらも呆然とアレンを見る。冷や汗すらにじんだ強張った表情で。

 

「た、った……、一撃、だと……?」

 

「ようやく会えたな。……まったく、宿で集合じゃなかったのか?」

 

 アレンは困った様に眉を下げていた。その左手に、二メートルを超える剛刀が握られている。刀というには、あまりにも長すぎる太刀だ。

 

「お、おい……。お前、それを……どこで……?」

 

「ああ。これか?」

 

 言われて、アレンは、ちゃり、と太刀を掲げた。長いが、見た目ほど重くないのか、アレンが扱いに困った様子はない。

 

「ペターニで出来た心友(とも)にもらった物だ。……正直、俺には勿体無い気もするが、な」

 

「それじゃあ、アンタの探してた得物ってのが、それかい?」

 

「ああ。シランドでの用が済んだら、アストールさんに改めて礼を言いに行かせてもらおう。彼の情報が無ければ、ガストとも出会えなかった」

 

「アストールさん?」

 

 フェイトが首をかしげると、アレンは、こく、と頷いた。

 

「カルサアでシーハーツの二人を治療している時に頼んでおいたんだ。一日かかるというので、待たせてもらったんだが……」

 

 ああ、それで、と納得するフェイトを尻目に、アレンは少しすまなさそうにクリフを見る。と。案の定、腕を組んだクリフが、静かな怒りを湛えて、じ、とこちらを睨んでいた。

 

「ほぅ? そいつぁ初耳だぜ? アレン……」

 

 楽しそうに、目だけは笑っていない微笑を口元に浮かべながら、クリフが声音を落とす。

 反銀河連邦に所属しているクリフだが、カルサアで見たアレンの傷をそれなりに気遣っていたらしい。

 思わず視線を逸らしたアレンは、気まずそうに手にした太刀に視線を落とした。

 

「すまない……。フェイズガンの残量が切れる前に、対策を練っておきたかったもので……」

 

「…………………」

 

 クリフは押し黙ったまま、静かに目を閉じる。

 だんだんと、声音が尻すぼみになっていったアレンも、下を向いたままアレンは言葉を詰まった。

 

「……………………」

 

 静寂。

 二人の間に、妙な沈黙が生まれる。

 先に折れたのは、アレンだった。

 

「すまない。今後、自重する……」

 

「……よし」

 

 頭を垂れるアレンに、こくりと頷いて、クリフがようやく顔を上げる。その二人のやりとりを不思議そうに見やりながら、フェイトはアレンを見た。

 

「何かあったのか?」

 

「いや。大したことじゃないんだが……」

 

「そうだな。大したことじゃねぇ」

 

「……………………」

 

 続くクリフを、アレンはちらりと見やって口を噤んだ。

 

「まあ、それはそれとして」

 

 その彼等の様子を見かねて、かは知らないが、ネルは、じろり、とアレンを睨んだ。

 

「連絡もなしに朝まで宿に戻ってこないなんて、どういう了見だい?」

 

 否。

 追い討ちだった。

 問われたアレンは、ああ、と苦笑気味に頷いて

 

「実は、宿に向かおうと思ったら、ウェルチ・ビンヤードという人に止められて……。彼女の話を聞いていたら、少し遅くなった」

 

「へぇ。少し、ね?」

 

 ネルの微笑みを見て、アレンが固まった。同時。クリフとネルが互いの顔を見合わせる。

 目だけは笑っていない、凍った瞳で。

 

「どうやら、全然自覚してないようだね」

 

「だな。……しかも悪びれてもねぇようだぜ」

 

「まったく困ったもんだね」

 

「ああ。困ったもんだ」

 

 頷き合う二人を、そぅっと窺ってアレンは弁明を続けようとしたが、フェイトに制された。

 

「アレン、無駄だって。……多分」

 

「…………すまない」

 

 肩をすくめるフェイトを振り返って、かくりと頭を垂れたアレンは、そこでふと、坂の上のモンスターを見上げた。

 また新たな岩を掲げている、モンスター達を。

 

「……懲りてないらしいな」

 

 小さくつぶやくアレンに続いて、妖精も坂の上を見やる。

 

「わわっ! また来たよぉ~!」

 

 彼女の声を皮切りに、一同にまた緊張が走った。フェイトは素早く左右を見渡して、退路を探す。

 

(ちょっと危険だけど、茂みの中に隠れるか――!?)

 

 かすかに顔を強張らせながら、岩の近づく音を聞いていた、そのとき。

 

「おい、どうする気だ!?」

 

 クリフの驚く声に、フェイトは、は、と顔を上げた。

 岩に向かって、ゆっくりと歩いていくアレンの姿がある。

 そして――……

 

 ザ……っ

 

 彼は手にした太刀を地面に突き刺した。

 刃部分を転がってくる岩に向けて突き刺しただけだ。それきり彼は柄から手を離している。

 

「お、オイ!?」

 

 クリフ同様、フェイトも意図を読めずに息を呑んだ。

 こちらを振り返ってきたアレンが、に、と微笑う。

 

 がん、がんっ、がらららら……っっ!

 

 相変わらず、けたたましい騒音が、岩の重量を物語る。

 今度は休まず、丘の上にいるモンスター、コボルト達が岩を投げつけてきている。数にすれば先より上だ。それらがまた押し合い、ヘし合いをして加速しながら転がり落ちてくる。

 

「バカ! 何やってるんだい!?」

 

 ネルの息を呑んだような叱責。

 そのとき。

 岩と、突き刺した刀が、ぶつかった。

 

「――っっっっ!」

 

 一同が、息を呑む。妖精にいたっては、恐怖のあまり、堅く目をつむった。

 同時。

 

 すぅ――……っっっ

 

 岩が、刀を避けるように縦に一筋、亀裂を描いて左右に割れていく。音もなく、まるで水はけでもするように、それらは左右に分かれ、茂みの方へ転がり落ちていく。

 

「な、……っっ!」

 

 ネルは目を剥いた。

 フェイトがゆっくりとアレンを見ると、彼は確信をもった表情で太刀を見据え、こくり、と満足げに頷いていた。

 

「おい、こらぁ一体、どういうことだ?」

 

 クリフの声音が自然低くなる。口調が早くなっているのは、彼も動揺しているためだろう。

 クリフに一瞥を送ったアレンが、静かに答える。

 

「斬馬刀、名を『兼定』。ガストから貰った、最高の逸品だ」

 

「……………………」

 

 誰もが言葉を失った。

 ただ地面に突き刺すだけでフェイト達の身長を上回る巨岩を切断する、その刀の切れ味に。

 

「…………で、でたらめな……」

 

 思わずフェイトがつぶやくと、アレンも苦笑した。

 

「そうだな。俺も、ここまで波紋の美しい刀は見たことがなかった」

 

「……いや、んな問題じゃねぇだろ……」

 

 クリフを、アレンは少しだけ不思議そうに見返している。すアレン。まるで刀身の美しい刀は、これぐらいの芸当が出来て当然だ、と言わんばかりの迷いない瞳だった。

 

(コイツ……、解ってやがったのか……!)

 

 信じられないが、アレンの言動を検めれば。

 どこでそんな知識を得たのか知らないが、クリフは連邦軍人のあり得ない博識ぶりに、ぅ、と息を呑んだ。

 そのときだ。

 山の奥から、岩の奏でる音が、次第に間隔を広げ始めてきたのである。

 絶え間ない巨岩の投擲に、コボルトが消耗している。

 

「そろそろか……」

 

 アレンが、小さくつぶやく。

 岩の陰でこちらの様子がわからないコボルト達は、まさか刀一本突き刺しているだけで場を凌いでいるとは思ってもいないのだろう。

 岩の下ってくる間隔が、次第に遅くなっていく。

 

「これは……!」

 

 ネルは息を呑んだ。

 

(戦ってさえいないというのに、相手の体力を削ったってのかい!?)

 

 と。

 そこで、フェイトは我に返った。

 アミーナを救わなければ、と。

 

「そうだよ、アレンっ! こんな所で時間を食ってるわけにはいかないんだ!」

 

「……?」

 

 アレンが不思議そうにフェイトを見る。

 

「アミーナが山で倒れて! 急がないと、彼女が危ないんだ!」

 

 瞬間。ぴく、とアレンの瞼がわずかに震えた。ついで深刻な表情を浮かべた彼は、コボルト達を見据えて、つぶやく。

 

「……了解」

 

 彼は、岩と岩の下りてくる間隔に、突き刺した刀を引き抜く。

 そして。

 一瞬で納刀。

 下半身を低く構え、右足を大きく出す。

 

 ――……っ。

 

 瞬間。アレンの放つ空気に、誰もが口を閉ざした。

 転がってくる岩を睨み据え、彼の瞳が冷える。

 と。

 

「弧月閃!」

 

 右手が柄に走った。鞘走る『兼定』の刀身が、青く輝く。右逆袈裟の抜刀で、岩が紙切れのように吹き飛ぶ。

 同時。

 斬撃の先に(・・)、青白い衝撃波が三日月のような弧を描いて走った。坂に向かって――コボルト達の立つ、丘に向かって。

 

 こぉっっっ!

 

 風切り音が、鋭く響く。青白い衝撃波を刻まれた丘は――

 

 ず、ずずずずずず……っ

 

 低い、妙な音を立ててゆっくりと滑り落ちていく。まるで合成写真か何かのように、衝撃波を浴びた斬痕を境に、景色が割れていくのだ。

 

「お、おい……。まさか……!」

 

 思わずつぶやいたクリフは、ふるふると首を横に振りながら、冗談だろ、と笑った。その彼を置いて、納刀したアレンは、静かに腰を上げた。

 

 ずしぃいい……いいいん……っっ

 

 コボルト達の立つ丘が横にズレ、騒音を立てて坂の上に落ちていった。

 残ったのは、綺麗にスライスされた、急な斜面だ。元々、フェイト達が上ろうとしていた坂道とは、おおよそ繋ぎ合わさらない、不自然な坂。

 それを見据えて、フェイトは思わずつぶやく。

 

「丘を……、斬った……?」

 

 アレンはいつも通りだ。平然とした顔で一同をふり返ってくる。

 

「さて。歩きながらでも詳しい話を聞かせてくれ」

 

 そのアレンを呆然と見据えて、我に返った妖精は、思わず目を見開いた。

 そして――……。

 

「こんっっの! 何てことしてくれんのよ! バカぁああああ!」

 

 叫ぶ彼女の、悲鳴にも似た声が森に響いた……。

 



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14.尋ねびと

「――……なるほど。それは急ぐべきだな」

 

 先の一撃、『弧月閃』が変えた新たな地形に、妖精からありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられたアレンは、フェイトの事情を聞いて得心した。

 

「そういうこった。急ぐぜ。……って、おい! どこに行く気だ!?」

 

 言った傍からあらぬ方にアレンが踵を返している。クリフの咎めでふり返った彼は、迷いなく答えた。

 

「二手に分かれた方が早い。フェイト達は道なりに山を登れ。俺は、こちらを行く」

 

 アレンが指差したのは、足元の定まらない茂みだった。

 

「ちょっ! 無茶するのは勝手だけど、私はアンタ達を無事に陛下に会わせなきゃならないっていう――」

 

 押しとめようとするネルを制して、彼は太刀を掲げてみせた。

 

「問題ない。俺には兼定(これ)がある」

 

「連絡手段はどうする? どっちかがアミーナを発見しても、それじゃわからねぇだろ?」

 

「通信機を持っているだろう? それで彼女を見つけ次第発信してくれ。こちらから改めて連絡する」

 

 アレンが連邦製の小型通信機を取り出した。

 

「お前、持ってたのかよ!?」

 

「一応、標準装備だからな」

 

 では、と断って、アレンが走り出した。その背を見送って、妖精が、は、と我に返った。

 

「あ! アタシ、アイツのあとを追うね! あんな化け物刀、ほっといたら森が滅茶苦茶にされちゃう!」

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 その妖精をすかさず止めようとしたが、間に合わなかった。妖精は身体が小さいためか、茂みに入るなり見えなくなる。

 去っていった二人に、フェイトは思わず舌打ちした。

 

「これで、もし木に化けるモンスターと鉢合ったら……どうするんだよ……っ!」

 

「しゃあねぇ、ともかく先に進もうぜ?」

 

「……そうだね。このまま岩山が続くことを願うしかないさ」

 

 ネルも組んだ腕を解いて、慰めるようにフェイトを見る。視線を返したフェイトは不満そうに顔をしかめながらも、気を取り直して先へと進んでいった。

 

 

 

 穏やかな陽気の差し込む、鉱山の町、カルサア。

 風雷団長と町の領主を兼任するウォルターの屋敷を見上げて、少女はふと、番兵として門の両脇に控えている兵士達に向き直った。

 

「すみません。『あーりぐりふ』っていう国の王様に会うために、ここの領主様の許可が必要だって聞いたんですけど、お会いするのにどれぐらい時間がかかりそうですか?」

 

 首を傾げる少女は、漆黒に濡れた髪をさらりと靡かせて、兵士を仰ぐ。

 歳は十五、六といったところか。

 百五十センチの小柄な体格に似合わず、腰に二振り、剣を差している。一本は黒鞘の刀。もう一本は白鞘の剣だ。番兵である彼等でなくとも少女には過ぎたものに見えた。

 

「ウォルター様と?」

 

 強い光を宿した少女の黒瞳が、こくりと頷く。その際、黒髪の間から赤いバンダナが見えた。彼女の肌の白さがより分かる。

 まだあどけない少女だ。

 その彼女を見返して、番兵たちは難しい表情で互いを見た。

 

「失礼だが、ウォルター様と謁見されるならば用件を聞かせてもらおう。あの方も忙しいお方なのでな。おいそれと会わせてやるわけにはいかんのだ」

 

「あの。実は私、人を捜しているんです」

 

「人?」

 

 たかがそれだけの理由で、一国の王と会おうと言うのか。

 思わず眉をひそめる兵達に、少女は迷わず頷いた。視線を横に流して、彼女自身が向かおうとしている王都、アーリグリフの方角を指差す。

 

「つい最近、空飛ぶ乗り物がアーリグリフに落ちたんですよね? 実はその乗組員、もしかしたら私の捜している人かもしれないんです」

 

「っ、なっっ!」

 

 息を呑む。

 王都、アーリグリフに多大な被害をもたらし、空より落ちてきた巨大な乗り物。その乗組員と言えば、疾風団長が今、血眼になって探している『グリーデンの技術者』に他ならない。

 顔を上げた兵は、おそらく門を挟んだ向こう側で同じ事を考えたであろう同僚を見据えて、小さく頷き合った。

 

「失礼だが、名をお聞かせ願いたい」

 

 彼女は、に、と笑って、見慣れない軍靴を、かつ、と揃えた。さっと上がった右手が、斜め四十五度で額に当てられる。

 伸び切った背筋や無駄のない動きから、慣れた所作であることが伺えた。

 

「はっ! 私、テトラジェネシス第一衛星(ル・ソレイユ)宗主、オフィーリア・ベクトラの側近を勤めておりますナツメ・D・アンカースと申します! 以後、お見知りおきを」

 

 深々とお辞儀した彼女は、規則正しい角度をつけて、さ、と上半身を起こす。その彼女の言葉の意味を、理解できる者はこの場にはいない。

 

「は?」

 

 思わず固まる番兵たちに構わず、彼女は笑顔のまま続けた。

 

「では改めてお尋ね申し上げます。銀河連邦軍、特務第一小隊所属、アレン・ガード少尉について、何かご存知ないでしょうか?」

 

 彼女が小首を傾げる。

 風雷の番兵達が我に返って、とりあえず詳しい事情を聞こうと奥へ通したのは、それから少ししてのことである――……。

 

 

「……きゃっ!?」

 

 山道を大きく外れた、道ともいえない獣道。

 先行くアレンを追う妖精は、出っ張った枝にふいに腕を引っかかれた。

 

(う、そ……!? 速いっっ!)

 

 身体の小さな妖精ですら、――飛行している彼女ですら、無数に伸びた枝の端が頬や腕を引っ掻いていく。それなのに、表面積が多いはずのアレンの足は、一向に止まらない。

 ――まるで抵抗を感じさせない走りだ。

 じりじりと開く距離が、次第に修正不能なものへと変わっていく。

 

「う、うぅっ……!」

 

 それでも、めげずに後を追う。

 何度も何度も小枝に皮膚を引っかかれたが、彼女は諦めなかった。正確には“諦めよう”と考える余裕が、彼女にはなかったのだ。

 

 と。

 

「……っ!」

 

 思わず、彼女は羽を止めた。アレンを、先ばかりを気にしていた自分が、知らぬ間に危険な場所へ踏み込んでしまったことに気づいたためだ。い

 ――彼女を囲む、五体のパペットゴーレム。

 彼等はまったく同じ顔でケタケタと笑いながら、妖精の退路を断つように陣取っていた。一見、子供のような背丈をした、土で出来た細身の魔物だ。

 視線を左右に振る。

 戦慄が、妖精の背筋を震わせた。

 

「キ、ッキキッ!」

 

 奇声を上げて、パペットゴーレムが空を見上げる。

 

 同じ森に棲む者として、彼女はそれが何の予兆であるかを知っていた。何故ならそれは、彼女や彼女と同じ妖精を何人も傷つけてきた技だからだ。

 彼女は、表情を引きつらせた。

 

「ま、待っ――!」

 

 咄嗟に叫ぶと同時、地面が盛り上がる。瞬間。大地を押しのけて、めり込む音と共に枝が伸びてきた。そして――それはパペットゴーレムの合図一つで大樹と化す。枝が鋭利に尖った、黒い大樹へ。

 妖精ほどの小さな身体でなければ、相手を突き殺す、死の大樹だ。

 

 メキ、……ガ、ガァアアンッ!

 

 土が巻き上げられた。

 あまりの轟音に視界を奪われる。悲鳴を上げようと吸い込んだ息は、結局吐かれることなく彼女の喉に留まった。

 ひ、という空気が擦れる音。

 恐怖のあまり響いたその音を聞くと同時、彼女は風に身体が巻き上げられるのが分かった。

 

 枝が伸びる。

 大樹の枝が。

 彼女を巻き上げんと。

 ――彼女を、突き殺さんと。

 

「っ!」

 

 そう思った瞬間。彼女は涙目になった目を開けた。

 か、と見開いた目を空に向ける。だが恐怖に固められた身体が、大樹の方を振り返るのを頑なに拒んでいた。

 

(でも……! 見なくちゃ……! 見なくちゃ死んじゃう!)

 

 麻痺したかのように、身体が動かない。

 そのとき、彼女の視界の端に金色の光が見えた。

 風に靡くその色は、まるで太陽に似て眩しく、透き通った金色が、とても綺麗だった。

 

「…………あ……」

 

 つぶやいた彼女は、はた、と瞬きを一つ落とす。時間の感覚が狂っているのか、目に映る光景が、ひどくスローモーションに見える。

 銀色の残光が、三層の弧を描く。

 それが彼女の先を行っていた男の剣線であると、妖精は理解出来なかった。

 

 ただ。

 

 音のない世界で、静かに大樹がくずおれた。

 根幹部に横一文字。ただ一文字の、美しい斬痕を刻んで。

 三メートル近い大樹の根幹が、真っ二つに切り離される。

 

 ……ど、ごぉおお……おおっ!

 

「ギ、ギキィ!?」

 

 けたたましい音を立てて、大樹の頂点に座っていたパペットゴーレムが、地面に叩き落される。その仲間の姿を見て、思わず声を上げた周りのパペットゴーレム達が、驚いた表情でアレンを見た。

 『兼定』の一撃を放った、彼を。

 妖精が感じた浮遊感は、アレンが彼女を、そ、と掬い上げた時のものだ。大樹に巻き上げられる、その一瞬前に。

 

「あ、あの……」

 

 きょとんとした様子で、アレンの左手に乗せられた妖精はアレンを見上げる。アレンはすまなさそうに見下ろしてきて目を伏せた。

 

「すまない。君に気付くのが遅れたな」

 

「え……? あ! え、と……っ」

 

 その彼の表情を何となく直視できず、妖精は視線を横に流す。

 と。

 彼女たちを囲む、パペットゴーレムがまだ退却していないことに気付いた。

 

「あ、あの……!」

 

 アレンに忠告しようと声を荒げる。だが彼は落ち着いたものだ。

 パペットゴーレム達を見下ろして、言い放つ。

 

「ここは、通してもらう」

 

 すると妖精を囲んでいたパペットゴーレム達が、じりじりと、後ずさっていった。

 包囲網が、崩れる。

 

「ギ、キ……」

 

 中には、アレンに頭さえ下げて道を譲る者までいる。

 彼等に、こくりと頷いて、アレンはまた駆け出した。今度は妖精を置いていかないよう、それでもいつでも抜刀できるよう、彼女を肩に乗せて。

 

「服の襟でも掴んでいてくれ。その方が、動きやすい」

 

「う、うん」

 

 前を見据えた彼は、先と同様、風のように森を駆け抜ける。

 その道を阻める者は、何一つ、存在しなかった――……。



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15.マッドマン

 フェイト達が空の山賊のアジトで狸の耳と尻尾をもつ少年を見付けているころ。

 アレンは岩山のエリアを抜けて、再び茂み深くなった景色に目を細めた。どこからともなく濃霧が立ち込めてきている。

 

「……これを」

 

 胸ポケットからハンカチを取り出して、妖精に託す。受け取った彼女は、どこか不思議そうにアレンを見た。

 

「口元に当てておいてくれ。この霧の感じ……、何か妙だ」

 

 油断なく左右を見渡す。

 妖精は気付かなかったが、腰に差した刀は、霧が濃くなってから、ずっと左手で握られていた。いつでも抜刀できるように。

 

「う、うん」

 

 どこか不安げに頷く妖精に、ふ、と微笑って、アレンは再び走り出す。

 それは天性といってもいいのかもしれない。

 

「……破っ!」

 

 濃霧のせいで妖精の視界が利かない中。突如現れる木のモンスター、グレープパインよりも先に、アレンの斬撃がグレープパインを切り裂く。原理は分からない。

 だが彼曰く

 

 ――モンスターの木は、微弱だが瘴気を帯びている。

 こちらの殺気に反応してくれば、真偽を見極めることは可能だ。

 

 ということ、らしい。妖精には、まったくちんぷんかんぷんの話だが。

 

「……そこか」

 

 グレープパインを切ったアレンが、すかさず走り出した。

 

「え?」

 

 妖精が要領を得ない間に、景色が目まぐるしく変わっていく。

 アレンが立ち止まった場所。そこは一見すれば、ただの沼だった。

 だが清濁を見分けられる妖精には、すぐ異変がわかった。ふもと付近の泉とはまったく違う、禍々しい瘴気を発する沼。

 ぶる、と身体が震えたのも、そこに強大にして邪悪な何かが棲んでいるのを感じ取ったためだ。

 彼女の傍らで、アレンが静かに顔をしかめた。

 

「……アミーナ……」

 

 沼の前に、ぐったりと倒れている少女がいる。彼女を見据えて、アレンは、ぐ、と刀を握った。

 そのとき、沼が壮大な泥飛沫を上げて、三十メートルほどの巨大な泥人形を起き上がらせてきた。

 

 ざっぱぁあああんっ!

 

 沼の主、マッドマンだ。その巨体を見上げて、

 

「除け」

 

 言った蒼の瞳が、静かに冷える。

 まるで鋭利な刃物のように。

 澄んだ刀身のように。

 

 ――『兼定』と同じ色に。

 

 アレンが刀を抜いて跳び上がった。同時。気と紋章術で強化された彼の下半身が地を蹴る。

 どん、と。

 一瞬、眩い光を地面に発して、三十メートル近いマッドマンの頂へ。

 いや。

 それよりも上へ。

 彼の襟首に張り付いた妖精が、目を見開く。

 

「ちょっ! ちょっと待っ――!」

 

 彼女が飛翔できる高度を遥かに超えた中空に、身体が浮き上がる。上昇中はまだいい。

 問題は――、

 

 降下。

 

「いっ、やぁああああああああ……!」

 耳をつんざくような、妖精の発せられる限界の悲鳴(こえ)が迸る。

 が。

 その声にも眉一つ動かさず、アレンはこちらを見上げるマッドマン目掛けて、ぐ、と上体を屈める。引き抜かれた状態の『兼定』が、妖しく輝いた。

 黄金に。

 その彼を牽制するかのように、マッドマンが野太い腕を振り上げる。が。アレンは、構わなかった。

 

 ず、……

 

 と。頭上に腕をかざした体勢のマッドマンに、剣先が触れる。瞬間。マッドマンを貫くように、縦に一線、光の柱が迸った。

 落雷。

 

 ごぉおおおおんっっ!

 

 聴覚を麻痺させる轟音が立つ。

 思わず目をつむった妖精は、は、として顔を上げた。ぎゅ、と硬くアレンの襟を掴むが、あまりの高度だ。投げ出されてしまうと、そう確信していた。

 なのに。

 

「あれ……?」

 

 そよ風すら、彼女に触れてこない。

 不審に思って顔を上げると、彼女の前に、いや、アレンを包むように、金の薄いヴェールが張られていた。

 

魔法障壁(マジックバリア)?)

 

 目を丸くしながら、胸中でつぶやくと、心に余裕が出来たのか、彼女は目を見開いた。

 マッドマンが、一刀両断される様。

 それはある種、夢か幻のように思えた。

 

(すごい……。私、土の中を走ってる!)

 

 まるでトンネルの中へ誘われているようだ。

 アレンの斬線に合わせてマッドマンの巨体が左右に割れていく。まったく抵抗を感じさせずに、重力に従って。

 沼の表面と刃が衝突する。瞬間。アレンが跳び退いた。

 沼が、割れる。両断されたマッドマンが、か、と輝くや炎が爆ぜる。

 

 ズガァアアアンンッッ!

 

 マッドマンの生えた沼から噴き出した炎はマッドマン全体をあっという間に包み込み、断末魔を上げるマッドマンを天に連れていくようにして上空へ舞い上がった後、かき消えていった。

 炎はまるで、飛翔する竜のようでもあった。

 妖精は、ぽかん、と口を開けたまま、つぶやいた。

 

「沼ごと、斬っちゃった……」

 

 放心気味の妖精とは違い、アレンは深刻な表情で納刀するや真っ先にアミーナのもとへ向かった。ひざまずいて、彼女が倒れた体勢のまま、あまり身体を動かさずに状態を検める。

 彼の傍らでまたたいた妖精は、渡されたハンカチを口元から離した。

 

「あれ……?」

 

 ふわり、と中空に舞い上がる。山頂を覆っていた霧が、いつのまにか晴れている。

 

「そっか……。マッドマン(あいつ)が霧を作ってたんだ……」

 

 アミーナを診ているアレンの所へ戻ると、彼は屈みこんでアミーナの耳元に呼びかけていた。

 

「アミーナ! しっかりしろ! 返事は出来るか!? アミーナ!」

 

 ぴく、と瞼を奮わせるアミーナ。幸い意識があるようだ。アレンは、こく、と頷いてブルーベリーと水筒を取り出す。最初に水筒の水で手をすすいだ彼は、ブルーベリーを片手で器用に潰した。種と皮を除いて、細かくした実と果汁を、水筒に入れる。

 今度は先ほどより声音を落とした。

 

「飲めなくてもいい。軽く口に含んでくれ」

 

 ゆっくりと彼女を抱き起こして、ブルーベリーをすりつぶした水を慎重に注ぐ。アミーナは多少咳き込んだ後、苦しげに眉をしかめ、しばらくしたあとで力強く飲み込み始めた。

 水を求めるように、アミーナの腕が空を掻く。喉が乾いていたのか、一気に水を流し込もうとして、アミーナの顔が歪んだ。その彼女の肩を、アレンはゆっくりと叩く。

 

「慌てず、ゆっくり飲むんだ。ゆっくり……そう」

 

 細々と動く喉の様子を見ながら、あやすように優しく囁く。

 きりのいいところで、彼女から水筒を引き離した。もう一度、彼女の首筋に手を当てる。

 

(――少しは、正常に近づいたか……)

 

 とりあえずの安堵だった。しかし、熱がある。

 ブルーベリーを与えたことで多少の体力は回復させられたが、早く街に戻って点滴を打つべきだろう。

 外傷はない。運べる。

 ざっとアミーナの身体を検めて、アレンは頷いた。脱いだコートでアミーナがこれ以上体温を逃がさないようくるむ。

 

「この女(ヒト)、大丈夫なの?」

 

「……いや。まだ楽観はできない」

 

 妖精の問いに答えながら、慎重にアミーナを担ぐ。ぐったりしてアレンの肩に頭を乗せた彼女は、まだ意識が朦朧としているようだった。

 

「うぅ……、オン……」

 

 うわ言をつぶやくアミーナをちらりと一瞥して、アレンは妖精に言った。

 

「急ごう」

 

 前を見据えたアレンは、器用に小型通信機を取り出しながら、走り出す。

 クリフからの応答はない。

 

(二十キロ下に信号があるな……。そこか)

 

 また道なき道を走り出す。アミーナのことを考えて、上下の振動を最小限に抑えながら、それでも彼は速度を緩めなかった。

 

「あ! 待ってよ!」

 

 慌てて妖精もアレンの肩に飛び乗った。さきほどまでは広々としたスペースに、いまは少女《アミーナ》がいる。その寝顔が、アレンの肩から首にぴたりとくっついた彼女が、なんとなく妖精には気に入らなかった。

 

(……なんでだろ?)

 

 不思議な違和感に首を傾げながら、妖精はちらりとアレンを見上げる。

 先を急ぐ彼に、迷いはない――。

 その横顔を、じ、と見据えて、妖精は無言のまま、彼の襟を掴んだ。

 来たときよりも、力強く。



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16.vs月影旅団

「おい! ホントにこっちでいいのかよ?」

 

 山賊に捕まっていた狸耳と尻尾をもつ少年、ロジャーは鼻歌でも歌い始めそうなほどに楽天的だった。フェイト達にとって嬉しい誤算は、普通の樹木とモンスターツリーのグレープパインをロジャーが見分ける能力を有していたことだ。

 岩山を抜け、再び茂み深くなった山道を案内をするロジャーの背は、ひとまず安心できそうだった。

 

「パルミラの花を採りに行ったってんなら、こっちの方が近道じゃんよ! 神の山は森の最奥にあるかんな!」

 

 自信たっぷりなロジャーの説明に、クリフは、確かに、と胸中で答えながら、うっすら見える山の外縁にため息をついた。

 

「っても、まだ山頂まであんなにあるぜ……。間に合うのか?」

 

「さあね。でも、どちらにしてもこのまま放っておくわけにはいかないさ」

 

 クリフを励ますように、というより、泣言が性に合わないのだろう。前を見ているネルに迷いはない。クリフは思ったよりも長い道中になりそうな予感に肩をすくめたあとで、ふと人の気配を感じ取った。同時。ネルも臨戦態勢に入っている。

 

(アレン……? いや。違う……!)

 

 黙々と最前列を歩くフェイトも、少し遅れて腰の剣に手をかけた。

 森を北に抜けた、開けた坂道。丁度、この位置からだと木々が邪魔になって向こう側が見渡せない位置だ。そこに、数人の人影が見える。

 先導役のロジャーはまだ気付いていない。

 声をかけるべきか、否か。

 先方の出方を窺うフェイト達に、ロジャーの叫び声が重なった。

 

「あぁーっ! あいつ!」

 

「……っ!?」

 

 突如の叫び声に、人影が一斉にこちらを振り向いた。そして、こちらを見るなり抜剣して臨戦態勢に入る。

 

「な、何だ!? 今の声は!?」

 

 が。

 正確な位置までは分からないらしい。

 木々に視界を邪魔されながら、互いに背中合わせの円を描いた盗賊達は、注意深く周囲を見渡しながら威勢よく声を張り上げる。

 

「おい! どこのどいつだ!? 出てきやがれ!」

 

 その彼等の様子を横目に見ながら、フェイトは声をひそめる。

 

「ロジャー。もしかして、アイツが?」

 

 罵声を喚き散らしている連中の中で、最も人相の悪い男を指す。するとロジャーが頷いて、にんまりと口元に笑みを浮かべた。

 

「ここで会ったが百年目って奴だぜ! オイラを檻に閉じ込めたこと、後悔させてやる!」

 

「あ! ちょっと!?」

 

 フェイトが止める間もなく、そう言って走り出したロジャーは、視界の開けた坂道に出て、盗賊の前を阻むなり、びし、と彼等を指差した。

 

「やい! バカチンども! とうとう年貢の納め時だぜ! 観念して、とっととお宝よこせ!」

 

「んだとぉ!? このクソガキ! どうやってあの檻から出やがった!?」

 

 ざ、と気色ばんだ盗賊達が、一斉にロジャーに向かって顔を強張らせた。そのロジャーを置いておくわけにもいかず、渋々ながらも彼の後に続いたフェイトは、ため息をつくと同時、愚痴を零す。

 

「……気付かれてない内に、奴らの不意をついて奇襲しようと思ったのに……」

 

「ま、やっちまったもんは仕方ねぇだろ。――にしても、人相わりぃなぁ。あいつ」

 

 ち、と舌打ちするフェイトをなだめて、クリフが一際悪党顔の男を見る。フェイトは同意して軽く肩をすくめた。

 

「ロジャーも、あいつが親分だって言ってたしね」

 

「訊かなくても判別できるっていうのは、楽でいいね。……ホント、絵に描いたような悪党面だよ」

 

 ふむ、と感心しながら頷くネル。

 

「確かになぁ……」

 

「うん……」

 

 と。

 眼前でロジャーと口論していた悪党面の男、盗賊団の親分(リーダー)が、殺意のこもった眼差しを、か、とこちらに向けた。

 

「うるせぇ! さっきから脇でごちゃごちゃと! あー! 人相悪くて悪かったな! やるぞ! お前等ッッ!」

 

「へいっ!」

 

 ざ、と見た限りでは相手の総数は人相の悪い盗賊団の親分を入れて五名。

 倒せない数ではない。

 

「へっへーんだ! お前なんかに負けるもんか! やるぞ! お前達!」

 

 背中から手斧を取り出したロジャーが威勢よく叫ぶ。その彼にやれやれとぼやいて、クリフは頭を掻いた。

 

「へいへい」

 

 同時。に、と笑ったクリフが盗賊との距離を一気に詰める。う、と息をつく間。盗賊は思わず目を瞠った。

 

「!」

 

 ご、という鈍い音と同時、盗賊の視界が急転する。頭を縦に揺さぶられた彼は、あまりの衝撃に空を見ることもかなわず、火花が散るのを見て気絶した。

 同様に、横合いから短剣を振りかざしてきた盗賊にカウンターの左ジャブを当て、鼻っ面にクリフのジャブを食らって怯んだ彼に、容赦なく右ストレートを打ち当てる。

 ど、と腹に突き刺さった拳に、盗賊の身体がくの字を描いた。

 

「……ぐ!」

 

 押し殺した悲鳴が盗賊から零れる。その彼に、に、と笑ってクリフはローリングソバットで盗賊の身体を蹴り飛ばした。ガンッと音を立てて、背後の木に背をぶつけた彼は、ずるずると力なく地面に転がる。

 同時。

 クリフが踵を返す。握りこんだ拳は、すでにカーレントナックルの予備動作に入っていた。ぐ、と落ちた上半身が、野生的にぎらつく碧眼が、次の獲物に向かって走る。

 と。

 

「たぁああっっ!」

 

「何!?」

 

 耳慣れない高い声。思わず呻いたクリフが、ば、と振り返る。と、そこには手斧を手にしたロジャーが、盗賊団長に向かって斬りかかっていた。

 

「うぉっ! 危ねっ!」

 

 ひゅ、と眼前をかすめる手斧に度肝を抜かれながらも、刃の煌きに盗賊団長の顔つきが変わる。ぐ、と表情を引き締めた盗賊団長が、今度は容赦なく腰の短剣を抜いた。

 

「チッ! 外したか! でも、もっかい!」

 

 舌打ちしたロジャーが、盗賊団長の空気に気付かず、手斧を振り上げる。クリフの背筋が、ぞ、と震えた。

 

「バカ!」

 

 発した忠告は、だが、届かない。

 よいしょ、という掛け声とともに、どうにか手斧を扱う少年に、盗賊団長の殺意の瞳が向けられた。

 

「もう許さねぇぞ! このクソガキ!」

 

「ロジャー!」

 

 クリフが叫ぶと同時。対峙したロジャーが驚きに目を見開く。

 初めて村を出て、本気になった盗賊を前に、ロジャーの身体が凍りつく。いや。凍りついたのではない。こちらに向かって走る短剣の速度に、単純に身体が反応できないのだ。

 彼が手斧を振り下ろすよりも、盗賊団長の短剣の速度の方が遥かに速い。

 しかも、すでに手斧を振り下ろし始めているロジャーには、その軌道を変えるだけの腕力が備わっていなかった。

 

(やべ――ッ!)

 

 思わず心中で悲鳴を上げたロジャーは、それでもどうにか、短剣から逃れようと身をよじった。が、――当たる。

 

「死ね!」

 

 短剣の軌道は、ヘルメットを被っているロジャーの頭部ではなく、心臓めがけて走っている。ち、と舌打ちをこぼしたクリフが最悪の事態に毒づいて走り出すが、間に合わない。

 だが、ダメもとでも彼は諦めなかった。

 振り下ろされる刃。

 それを見据えて、ロジャーの目が見開かれる。

 

「影払い!」

 

 刹那、ネルの短刀が盗賊団長の足を払った。うわ、と声を上げて盗賊団長の身体が宙に浮く。その盗賊団長に、颯爽と現れたネルは、渾身の力と遠心力を加えて肩を主軸に体当たり(チャージ)を打ち当てた。

 

 どん、という鈍い音。

 

 細身のネルの突進力を、気功術で特化させたそれは、盗賊団長を気絶させるのに十分な威力を誇っていた。

 

「ぐぇっ!」

 

 踏み潰された蛙のような声を上げて、盗賊団長が地面に倒れ伏す。それを見据えて、ふぅ、とため息をついた彼女は、す、とフェイト、クリフに視線を向けた。

 

「そっちは終わったかい」

 

 問う彼女に、加勢しようと出方窺っていたクリフは、やれやれとため息をついた。とんだ、取り越し苦労だったらしい。

 その少し向こうでは、盗賊二人を気絶させたフェイトが、ふぅ、と息を整えている。

 

「ええ」

 

 頷くフェイトは、どこか満足げだ。剣を握る手元を見据えて、何か確信したように、に、と口端を上げている。

 

(――よし、少しは慣れてきたな)

 

 そう呟く彼の声は、誰の耳にも届かなかったが、それでも彼は、自分の成長を僅かに感じた。もう、カルサア修練場の時のような自分を、誰にもさらしはしない。

 胸中で決意を新たにし、フェイトは剣を握りこむ。

 その彼を横目で見据えて、ふ、と微笑したネルは、足元の少年を改めて見下ろして、静かに訊いた。

 

「ケガはないかい?」

 

 と、足元のロジャーは、ぽかん、と地面に座り込んだまま、ネルを見上げていた。相当、緊張したのだろう。

 彼は瞬きもせずに、呆然と固まっていた。

 命の危険にあったのだ。

 当然だろう。

 

「大丈夫か、ロジャー?」

 

 その恐怖を最も共感できるだろうフェイトが、気遣わしげにロジャーに駆け寄る。が、ロジャーはその接近にも、気付かない。

 

「お……」

 

 ぽつり、とつぶやくロジャーに、フェイトは、はた、と瞬きを落とした。

 

「お?」

 

 刹那、嫌な予感を覚えて、フェイトの表情が歪む。同時。地面にへたりこんでいたロジャーが、勢い良く立ち上がった。

 

「おねいさまぁあああああああ!」

 

 叫び、ネルに飛びつく。が、それを寸でのところでかわした彼女は、きょとん、と瞬きを落としてロジャーを見下ろした。

 

「な、なんだってんだい!?」

 

 目標を失ったロジャーの身体が、どてっ、という音を立てて、地面に胴体着陸する。それから少しして、ざ、と起き上がった彼は、瞳をキラキラさせながらネルを拝み上げた。

 

「おねいさま! どうもオイラを助けてくれてありがとう! おねいさま! すっごく強くてかっこいいんだな!」

 

「……え?」

 

 ぽかん、とネルがロジャーを見る。その様子から、ネルが今一つ事態をつかめていないと窺えたが、ロジャーは構わなかった。

 

「おねいさまぁあああ!」

 

「うわぁっ!」

 

 追ってくるロジャーから、どうにか逃げ出すネル。その彼女を追うロジャーの瞳は、心酔に潤み、ここではない何かを見据えているようである。

 その二人を見据えて、フェイトは面白くもなさそうにため息をついた。

 

「やれやれ……」

 

「ったく、あのガキ……。俺達は無視(シカト)かよ」

 

 同様に、クリフも面白くなさそうにガントレットを弾く。

 眼前では逃走を試みたネルが、地形の狭さにやられたのか、ロジャーに捕まって抱きつかれていた。

 嬉しそうに彼女の足にしがみつくロジャー。それを困ったように、というより、頑張って振り払おうとネルがあくせくしている。

 

「おねいさまぁ~~!」

 

「ちょっ! アンタ達! この子を何とかするの、手伝いな!」

 

 真っ赤な顔で振り向くネルに、フェイトとクリフはやれやれと首を振る。

 が。

 

「んだぁ!? コイツは!?」

 

 二人がかりでロジャーをネルから引き離そうと協力するものの、まるで吸盤か何かがついているのか、びくともしないロジャー。身体がどう見ても五、六歳の少年にしか過ぎないため油断していたが、その腕力は、大人のそれをはるかに上回っていた。

 

「す、すっぽんだな……。まるで……」

 

 困ったようにつぶやくフェイトに、ロジャーが、ふふん、と顔を上げた。

 

「ったりめぇだろ! このバカチン! オイラとおねいさまを別れ別れにしようたって、そうはいくもんか!」

 

 勝ち誇って、笑う彼に、クリフが、ぴく、と片頬を引きつらせた。

 

「それよりもお前、金の彫像はもういいのか? このままほっとくと盗賊頭(コイツ)、起きちまうぜ?」

 

「あ、そっか……!」

 

 ぽん、と思い出したように手を叩くロジャー。それから彼は、名残惜しそうにネルから離れると、盗賊団長のところまでやってきて、ごそごそと金の彫像を取り出した。

 

「お、これだこれだ! これでオイラの勝ちだな! へへっ、ザマーミロってんだ、ルシオのやつめ!」

 

 言って、にんまりと笑う。

 その彼を見下ろして、フェイトは場の空気を改めた。

 

「それじゃ、アミーナを探しに行こう!」

 

「……ああ」

 

 少し疲れたのか、間を置いて答えるネル。それを、横目でにんまりとクリフが笑うと、真剣に怒った様子のネルが、き、とクリフを睨み返してきた。

 途端、クリフの表情が改まる。

 

「んじゃ、行こうぜ!」

 

「よし! オイラについて来い!」

 

 話を変えようとしたクリフに、こく、と頷いて、ロジャーは彫像を片手に元気良く拳を振り上げた。

 その、瞬間。

 

「その必要は無い」

 

 がさっ、という物音と同時、薄暗い茂みの奥から、木の葉を散らしてアレンが現れた。その彼の背には、固く目をつむったアミーナが背負われている。

 

「アミーナ!?」

 

 驚いて駆け寄ると、寒いのか、アミーナにアレンのコートがかけられていた。

 少し、顔が赤い。

 フェイトが不安そうに見上げる。と、アレンも深刻な顔で答えた。

 

「一応の処置はしている。……早く、彼女を町へ」

 

「ああ!」

 

 頷いたフェイトは、町に向かって駆け出そうとして――

 

「……悪いけど、オイラはここでサヨナラだぜ」

 

 言うロジャーに、は、と視線を落とした。

 

「……ごめん。助かったよ、ホントに。ありがとう」

 

 ロジャーの案内が無ければ、山頂までどうやって行けばいいのか分からなかったのだ。辿り着く前にアミーナが見つかったとは言え、その事実に代わりは無い。

 礼儀正しく礼を言うフェイトに、ロジャーは照れくさそうに鼻の頭を掻いた。

 

「へへっ、気にすんなって。お互い様じゃん! 姉ちゃん、見つかってよかったなっ!」

 

 走り去っていく彼に頷く。一同を振り返ったフェイトは、アミーナを横目に言った。

 

「急ごう!」

 

 拳を握り締めて、フェイトが走り出す。続いて、しばらくロジャーを見送った一同は、フェイトを追って町へと走り出した。

 

「あの……!」

 

 その彼等の背に慌てて、しかし、遠慮がちに妖精が声をかける。

 誰も振り返らなかった。

 声が、小さすぎたのだ。

 

「……………………」

 

 もう一度声をかけようか、迷う。その間にも、次第に遠ざかっていくフェイト達を、その背を見据えて、妖精は項垂れた。零れたのは、小さなため息。

 だがそれは確実に、彼女の心に波紋を起こした。沈黙した森で、俯きがちに空を飛びながら小さくつぶやく。

 

「……私、この森から出られないのよぉ……」

 

 思ったよりも泣きそうな声がこぼれた。

 誰も気付かない。

 妖精は唇を引き結ぶ。

 元々、あの少女を探すのが目的だ。それを達成した今、もう妖精に用はない。

 

(私だって……、もう、用なんか……)

 

 ただのお礼に、そのためだけに彼等に付き添ったに過ぎない。

 だからもう、用など……。

 

 

 ……………………

 

 

 胸中でつぶやいて、妖精はふわりと彼等が去っていった方向に背を向けた。もう、関係ないのだ。だから、これでいい。

 気を取り直して飛び立つと、森がひどく暗いような気がした。

 それでも彼女はここに居続ける。彼等が何処に行こうとも、ただ一人、森から出られぬ彼女だけは、ずっと――……。

 

「すまない。また置いていく所だったな」

 

 がさっ、という物音と同時。妖精は顔を上げる。口元が、いや、顔全体が、ほころんだ。

 

「……!」

 

 妖精が飛び込んでいくと、アレンは驚いたように妖精を受け止めて、不思議そうに彼女を見下ろした。

 

「……どうした?」

 

 ぎゅ、とアレンの襟首をつかむ妖精は固まったまま動かない。アレンは、そ、とその彼女の髪に触れた。この小さな妖精を傷つけないように、慎重に。

 

「どうした? ……どこか怪我でも?」

 

 重ねて、問いかける。彼の背には、アミーナがいなくなっていた。逆走する、という抵抗感から、クリフに預けたのだ。身一つなら彼等に追いつくことも不可能ではない。

 そう、アレンは考えていた。

 この妖精の、少し変わった雰囲気を見るまでは。

 

「……………………」

 

 静寂が、森に満ちる。

 いつもなら呼ばなくてもやってくるパペットゴーレム達だが、アレンの噂が広まったのか、一匹も通りを横切らない。

 

 それから、また数瞬。

 

 不思議そうに妖精を窺っていたアレンが、ふと、口を開いた。

 

「……そうか。君には、世話になった」

 

 そう、一言。

 

「!」

 

 思わず身を強張らせる妖精に、彼は “妖精”という立場から考えられる一番確率の高い解答を選んだのだ。

 彼女が何故、この森にいるのかを。それを彼女の態度から消去法で割り出した。

 妖精の唇が震える。アレンの襟に押し付けたままの唇が。

 

「……わた、しっ……!」

 

 名残惜しい。

 そんなことを一度も思いはしなかったのに。

 しゃくりあげる彼女に、アレンは微笑った。

 

「また時間が出来た時にでも来る。それまでに友達を一人作っておいてくれ」

 

「ともだち……?」

 

 優しい声でささやく彼に、妖精は首を傾げる。見上げると、あの蒼の瞳が静かに頷いた。

 

「約束できるか?」

 

 言われて、妖精は顔をしかめる。

 友達――。

 考えたことも無かったが、言われてみれば彼女は誰かと連れ添ったことが無い。

 今日の、さっきまでのアレンのように。

 

「……そんなの、わかんないわよ……」

 

 思わず尻込みする。その彼女に、アレンは言った。

 

「そう不安がることも無い。霧で分からなくなっただけで、この森は美しいところだ。……きっと出来る」

 

 そう言って、一本の木を見据えた彼は、躊躇無くグレープパインや丘を斬った時のような鬼気が消えていた。

 恐ろしく別人のように、穏やかに、彼は手近な木の木肌に触れる。

 妖精はふわりと空に舞った。

 感覚が、彼女の知る人間の感覚(モノ)とは少し違うのだろう。

 木肌に触れて、静かに微笑む彼はそうすることで木々の声を聞いているように見えた。妖精もつられてふわりと微笑った。

 その木は、いつも森の動物達を守ってくれる優しい木だ。そう、知っていたからだ。

 

「あなたって……、不思議ね」

 

 妖精の感覚が人間である彼に分かるのが不思議だった。

 こちらを振り返って、アレンは微笑う。

 

「それが分かるなら、作る相手を間違うこともないな」

 

 まるで冗談ごとのようにつぶやいて、アレンは妖精に会釈した、

 

「それじゃあ、俺は行くから。――次に会う、その時は」

 

「その時は……」

 

 軽く拳を握って、妖精の小さな手に、ぽん、と当てる。

 

「二人で、出迎えてくれ」

 

 それが、約束の合図だ。

 寂しいと。

 ただ名残惜しいと。

 それだけだった妖精の心に、ほんの少しだけ温かなものが過ぎった。別に、寂しくなくなったわけではない。

 それでも、彼女の心は少しだけ晴れていた。

 

「……うん!」

 

 彼女が頷くのを待って、頷き返したアレンが踵を返す。走り出した彼は、やはり風だった。見る間に彼の背が、木々の中へ消えていく。

 その様を、その少しの間を、妖精は、じ、と見据えて――小さく微笑う。

 彼と約束した温かい手を、きゅ、と握って。

 彼女は、ふわりと森の奥へと飛び立った。

 



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17.アミーナの病状

 静かに眠るアミーナは、医師の施術が効いたのか、穏やかなものだった。

 静寂。

 誰もが、神妙な面持ちでアミーナを見守る中、彼女の不調を報せに来たおばさんが、ふぅ、とため息をこぼした。

 

「何はともあれ、無事でよかったよ。あんた達のおかげさ」

 

 言って、フェイト達に視線を向けたおばさんは、ほ、としたように表情を緩める。アミーナを担ぎ込んできた当初に比べれば、よほど落ち着いたようだ。アミーナが気絶する前の症状を知っているだけに、不安も一入(ひとしお)だったのだろう。

 その彼女を見返して、クリフは頭を振った。

 

「何、気にすることぁねえよ」

 

 気さくに笑うクリフに、おばさんは、ありがとうよ、と告げて一礼する。

 アミーナの不調、というまさかの事態で再び訪れた彼女の家は、最初に入ったときよりも暗い部屋に思えた。今は寝室にフェイトを始め、不調を報せてくれたおばさんと、ネル、クリフが立っている。

 少し話を聞いてくる、と言い置いたアレンは、何か複雑な表情で医師追って部屋を出た。

 だから、四人だ。こうして、アミーナの容態を見つめている者は。

 途中、ネルが、去っていくアレンを不審そうに見据えていたが、敢えて何も言わなかった。アレンから直接聞いたわけではないが、恐らく医術に精通しているのだろう。

 医師も驚くほど、適切な彼の応急処置のおかげで、アミーナの容態は著しく快方に向かっている。完全に安心できる、というわけではないが、こうして病態が落ち着いた大体の理由がそれだ。

 すやすやと眠るアミーナを見据えて、おばさんは、ふ、と微笑った。何かに耐えるように、悔しげに。ぐ、と拳を握り締めて。

 

「この子も、不憫な子だよ。早くにお父さん達は亡くすし、自分は病気に……。今までずっと、どんなに辛くとも、たった一人で一生懸命に生きてるっていうのにさ……」

 

「……おばさん……」

 

 つぶやくなり、きゅ、と唇を引き結ぶおばさんを見上げて、フェイトはやり切れない気持ちで視線を落とした。その先にあるアミーナの寝顔は、穏やかだが、彼の知っている幼馴染の少女に比べれば、ずいぶんと青白い肌をしている。

 似ていると言っても、彼女(ソフィア)とは明らかに違う――。

 そ、と頬にかかった髪をはらってやると、彼女(アミーナ)の容貌が、筋張ってやつれ細っていた。浮いた骨格が、否応無しに彼女の苦痛を物語る。

 

 長く、病魔と闘ってきたのだろう。

 

「……………………」

 

 無言のまま、アミーナの寝顔を見据えて、フェイトは眉をひそめる。すやすやと聞こえる寝息が、心なしか、弱く感じた。

 

(アミーナ……)

 

 胸中で名を呼んで、じ、と少女を見据える。いたたまれない気持ちは、彼女がただ、ソフィアに似ているからと、そういう理由では、物足りなくなっていた。

 そのフェイトの傍らで、ぎゅ、と表情を押し殺したおばさんが、つぶやく。

 

「それもこれも、戦争が悪いのさ……」

 

 そう。

 まるで、この世のすべてを呪うかのような、低い、声音で。

 おおよそ、彼女には似つかわしくない、憎悪の声を聞いて、フェイトは、は、と彼女を見上げた。

 目が合ったおばさんは、しかし、どこか遠い所を睨んでいるのか、焦点が定まっていない。彼女は、拳を握り締めて叫んだ。

 

「戦争さえなけりゃ、この子の両親が死ぬことも、アミーナちゃんが病気になることもなかったんだ! そうすれば、この子ももっと平穏に暮らせただろうに! なのに、こんな……! ああ、もう……! 無力な自分が情けないよ!」

 

 彼女は口惜しそうに言葉を切る。それはただ面倒見が良いという理由だけでは収まりがつかないほど、感情的で、そして本能的なものに見えた。

 そこまで考えて、フェイトが、は、と顔を上げる。と。彼女は、ぎゅ、と拳をにぎったまま、口惜しそうに続けた。

 

「……あたしに力があればねぇ……。そうすりゃ、アーリグリフの奴らなんか、一気に蹴散らしてやるのに! なのに、ただ千本花でもってアペリス様に祈るくらいしか出来ないなんて……!」

 

「おばさん……」

 

 零れた言葉は、しかし、続くことなく大気の中で散った。どう、声をかければいいのか分からなくなったのだ。

 フェイトの視線が、下がる。

 

 ――力。

 

 それは、彼が最も恐れ、多くの命を奪うもの。

 

(だけど……)

 

 ちらり、とアミーナを見る。

 力さえあれば、きっと、この子を守ることが出来るだろうと。

 この子の様な不遇に、もう誰も逢わないだろうと。

 ――この戦争を、終わらせる程の力があるならば。

 

 まるで決まりごとのような思考の坩堝に、フェイトは拳を握り締める。この選択肢は、少なくとも正解ではない。だが、やらねば終わらない。ならば少なくとも、間違いでもないだろう。

 力が無ければ、何も勝ち取る事の出来ない、こんな場所だからこそ。

 

「……力による解決は、確かに一つの終息をもたらす。だがそれは同時に、新たな負の刃を生む火種と成り得る。貴方が仮に力を奮うなら、それは諸刃だということを肝に銘じておくべきでしょう」

 

「アレン!」

 

 突如、聞こえた声に振り返ると、戸口にアレンが立っていた。

 深い思考に落ちていたためか、それとも本当に気配がなかったのか。きょとん、と瞬きを落とすフェイトに、アレンが静かに微笑する。彼が部屋に入ってくると、後ろ手に閉めたドアが、ぱたん、と音を立てた。

 

「容態は、落ち着いたようだな」

 

 確認するようにフェイトを見る。こく、と頷き返すフェイトに視線で答えて、アレンは部屋の中央で足をとめた。アミーナの眠るベッドから一メートル。ちょうど、フェイトから三歩ほど下がった所だ。

 そこで彼は、半眼でこちらを見据えているネルに視線を向けた。

 どこか憮然とした表情の、腕を組んだ体勢の彼女。それはある種、怒りを孕んでいるように見えた。どす黒い、怒りを。

 

「だが、アーリグリフのやっていることを考えれば、彼女の思いは当然のものだよ。それに、このくだらない戦争を一刻も早く終えるには、強大な力が必要なんだ」

 

 ――それが、例え諸刃であろうと、ね。

 後に続く言葉を切って、ネルがアレンを見る。その彼女を見返して、アレンは何か言おうとした。

 が。

 

「う……、ん……」

 

 一同の傍らで、眠っていたアミーナが呻く。

 は、とそちらに視線を向ける一同は、フェイトを始め、心配そうに彼女を見据えた。ゆっくりと、瞼を上げる彼女の姿がある。

 

「アミーナ!?」

 

 はじけるような、嬉しそうなフェイトの声。それに、は、と驚いた彼女は、完全に目を開けて、それから不思議そうに、一同を見渡した。

 

「あ……れ……? どうして皆さんが、ここに? 今朝、シランドへ発ったんじゃ……?」

 

「それは――」

 

「この人達は、山で倒れたあんたをここまで運んできてくれたのさ」

 

 重なりかけたおばさんの声に、フェイトが口を噤むと、彼の代わりに、おばさんが事情を説明してくれた。

 それを聞いて、は、と目を見開いた彼女が、どこか空転する頭で記憶を探る。

 

(そうだ……。私……、千本花を採りに行っていて、それで……)

 

 はた、と瞬きを一つ落として、アミーナは左右を見渡す。見知った天井、見知った壁、見知った家具……。

 それらがすべて、ここが自分の家だと告げている。

 山に花を、採りに行っていたはずなのに――。

 おばさんの声が、もう一度、アミーナの頭の中で弾けた。

 

 ――倒れたあんたを、ここまで……。

 

「!」

 

 驚いて、フェイトを見る。すると彼は、ただ黙って、小さく笑った。

 布団を握ったアミーナの顔が、すまなさそうにしかめられる。

 

「……すみません。ご迷惑を、おかけしてしまって……」

 

 布団から起き上がろうとした彼女を、フェイトが慌てて押しとめた。

 

「いいよ。気にしなくて」

 

「ああ、大したことじゃねぇからよ」

 

 労うように微笑むフェイトに続いて、クリフも首を縦に振る。彼等を順に見据えて、アミーナは申し訳なく、頭を垂れた。

 

「……すみません。フェイトさん、皆さん、どうもありがとうございます」

 

 起きることはまだ出来ないので、布団を握って彼女は頭を下げる。恐縮しきったアミーナの様子に、ネルは小さく、微苦笑をもらした。

 

「アンタはそういうことは気にせず、ゆっくり養生しな。……それよりもアミーナ」

 

「はい?」

 

 アミーナに、ふ、と微笑って、ネルは懐から一枚の紙片を取り出す。不思議そうに見上げるアミーナを尻目に、ネルは紙片を彼女の枕元に置いた。

 

「アンタのことは、私の馴染みの医者に頼んである。具合が悪くなったら、すぐにここに行くんだよ」

 

 言われて、きょとん、と瞬いたアミーナは、枕元に置かれた紙片を広げた。

 

「これは……」

 

「この街に常駐してる医者の連絡先さ。腕の方は、私が保証するよ」

 

 ネルの言葉に、アミーナの表情が翳った。

「でも、私、そんなお金……」

 

「それは大丈夫だよ。診療代に関しては、もう話がついているからさ。アンタが支払いを気にする必要はないよ」

 

「そんな、そんなの悪いです」

 

 布団の中で、アミーナが遠慮がちに首を振る。それを見据えて、ネルは破顔した。組んだ腕を解いて、アミーナに言って聞かせるよう、声音を落とす。

 静かに、労わるように。

 

「人の好意は大人しく受けておくものさ。大丈夫だよ。何か企んでいるわけじゃない。それに彼女は私の馴染みだって言っただろう? ――まあ、どうしてもアンタが診療代を気にするっていうなら、イリスの巫女花の代金とでも思ってくれればいいからさ」

 

「それは……」

 

 それでも反論しようとしたアミーナを、フェイトが引き止めた。横目に、ネルが頷くのを見る。フェイトはアミーナに向きなおり、言い聞かせた。

 

「幼馴染に会いたいんだろ? だったら早く病気を治さないと……。ね?」

 

 なだめるように笑うと、アミーナは数瞬、言葉をなくした。

 幼馴染、という言葉が刺さったのだろう。

 彼女を見るアレンの目が、細められる。

 

「はい……。ありがとうございます」

 

 しばらく悩んだアミーナが、やがて決意したようにつぶやく。その言葉を耳に、フェイトは嬉しそうに微笑うと、背後から、クリフが窺うように尋ねた。

 

「フェイト、そろそろ行くか?」

 

「あ、うん」

 

 頷いたフェイトが、改めてアミーナを見る。

 

「それじゃアミーナ。君の病気のことも気になるけど、僕はもう行かなきゃいけないんだ」

 

「……はい」

 

 小さく頷くアミーナに、ふ、と微笑って、フェイトは腰を上げる。と。彼は、ネル、クリフを順に見て、それから、硬い表情で言った。

 

「……ネルさん。クリフ。ちょっと待っててもらっていいかな? アレンに、話があるんだ」

 

 三人が、それぞれ顔を見合わせる。

 首を傾げながらも頷いたのは、クリフだった。

 

「それは構わねぇが……」

 

「ありがとう」

 

 破顔したフェイトは、アレンを見るなり神妙に表情を曇らせる。その様を見据えて、アレンは、こく、と頷き返した。

 

「行こう」

 

 アレンとフェイトが部屋を出る。その際、アレンはネルに向かって言った。

 

「少し長くなる。……すまないが、先に北門で待っててくれ」

 

「あ? ああ」

 

 頷くネルに、もう一度謝って、アレンは、す、とクリフを見る。

 だがその合図だで、アレンの意図を察したクリフは、去っていく二人の背を見送って、小さく苦笑した――。

 



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18.決意

「相談事か」

 

 アミーナの家を出て、彼女と出会った教会前の広場に来るなり、アレンは尋ねた。

 対峙したフェイトが、思わず顔をしかめる。

 

「……ああ」

 

 言葉を濁すようにつぶやくと、微妙な沈黙が降りた。

 アレンは何も言わない。

 それは、フェイトが自分なりの考えをまとめるのを、待っているように見えた。

 

「……………………」

 

 ため息をついて、一拍置く。

 顔を上げたフェイトは、ペターニの街並みを見据えて、やがて意を決したように口を開いた。

 

「分からなくなったんだ……。アミーナの、あんな姿を見て」

 

「自分の意志が、か?」

 

「うん……。『ソフィアと笑顔で再会する』。その想いに嘘は無いけど……、でも、それを理由に逃げているような気がしたんだ。自分の、出来ることから。やらなくちゃいけないことから」

 

「それが、兵器を作ることだと?」

 

「だって僕が決断しなきゃ、シーハーツは!」

 

 拳を握り締める。

 目の前にあるのは、華やかで、けれどもアミーナのような少女を抱えた、美しい街だ。行きかう人々の表情は概ね晴れやかだが、それも硝子のような壁で隔てられた、束の間の平和に過ぎない。

 

「迷ってる時間がないんだ。カルサアでも、あのおじいさんが言ってた! アリアスが落ちれば、シーハーツは終わりだって! それに新兵器に変わる手立てが見つかったわけじゃない! だったらもう、やるしか……!」

 

 聖王都に着くまで。

 その猶予は、もう幾分もない。

 それでも全く新たな戦略が作れないなら、いっそ腹をくくるしかないのだ。

 

 ――アミーナを死なせないためには。

 

 嫌なのは今も同じだ。だがそれで、少なくともこの街は助かる。

 アリアスのような状態になれば、それこそ彼女は生きていけないだろう。

 唇を引き結んだフェイトは、それでもまだ、どこかで抗議を上げる自分を押し殺した。

 

(……アレンは、何て言うかな……)

 

 顔を上げれば、ちょうどアレンが口を開くところだった。

 

「俺が何故、兵器開発に反対なのか、分かるか?」

 

 アレンがぽつりとつぶやいた。フェイトと同じく街の喧騒を眺めながら、静かな表情を浮かべている。その様子を観察していても、相変わらず彼の真意は読めなかった。

 

「……え? いや……」

 

 歯切れ悪く、口ごもる。

 普通に考えればフェイトに人殺しをさせないため、もしくは以前言っていた、多くの人の自由を守るため、だろうか。だがアレンの不思議な面持ちは、それらとはまた、違う考えを持っているようにも見えた。

 

「剣は振る者の力で、紋章術は放つ者の精神力(こころ)で、人の生死を左右する。――だが、兵器はたった一つのボタンだ。……そこに加減は無い」

 

「……………………」

 

「仮に俺達の技術提供でこの戦争を勝ち抜けたとしても、知識は簡単に手に入る分、平和は長く続かないだろう。盗まれて――もしくは新たな技術を開発されて終わりだ。それは更なる戦禍となる。俺は軍人だ。だから、今まで多くの死を見てきた。……ハイダも、その一つ」

 

「っ!」

 

 思わず、息を呑む。

 『ハイダ』。

 そのたった一言が、フェイトにあの赤い星を、赤く炎に包まれた星を思い出させる。

 狂騒の中、フェイズガンを乱射して多くの観光客を殺し、両親と、ソフィアと離れ離れにさせた鮫の亜人たち(バンデーンの連中)を。

 きりきりと歯を噛み締める。許せないと。許さないと毒づく気持ちは、ともすれば腹の中で爆発しそうだった。

 ――どうしようもない黒い怒りで。

 

(あ……!)

 

 そこまで考えて、ふとフェイトはアレンを見た。

 彼に、強い感情は浮かんでいない。

 だがそういえば。

 

『ハイダで最も率先して死んだ人間は、銀河連邦の軍人だ』。

 

 救急ポッドを一つ残らず民間人に提供した彼等。輸送艦ヘルアの乗組員達の顔を思い出して、フェイトは震えた腕を握り締めた。

 

 ――アレンの知り合いも、居たのかもしれない。

 もしかすれば友人や、それより近しい人も。

 

 それでもフェイトと出会った時、彼は一度も連邦の様子を聞いて来なかった。どころか、終始、フェイトの身辺、特に母親に関する情報を伝えただけだ。

 フェイトを案じはしても、自らのことは口にしなかった。

 

「……………………」

 

 彼が軍人だからと。

 そう言ってしまえば、それまでのことだ。それでも『恐怖』以外の感情で震え始めた腕を、フェイトは止められなかった。

 

「……ごめん……!」

 

 声をしぼり出すように、つぶやく。

 一方的な暴力――兵器の恐ろしさは誰より、否、自分もまた知っていた筈なのに。

 アレンは静かに首を振った。

 

「……いや、すまない。そこまで気を遣わせるとは考えてなかった」

 

「……………………」

 

 聡いにも程がある。

 フェイトは唇を噛み締めて、硬く目をつむった。

 一呼吸。

 間を置いて、ゆっくりと目を開く。

 

「……アレン。この件、君に任せてもいいかな?」

 

 誰よりも痛みを知っている彼だからこそ。

 フェイトは表情を改めた。無責任と取られるかもしれないが、アレンほどの適任を、フェイトは思いつかなかった。

 対峙した、アレンの表情は動かない。

 フェイトは思わず固唾を飲んだ。

 

「鈍らの剣で、物を切るコツを知っているか?」

 

 つぶやくアレンに、フェイトは、え、と表情を固まらせた。

 数秒の間。

 ふ、と息を吐いて気を取り直したフェイトは、改めてアレンを見据えた。この問いかけの意味はどこにあるのだろう、と頭の端で考えながら。

 

「えっと……、気を高めて『斬る』ことだけに意識を集中させる、かな?」

 

 アレンは微かに頬を緩ませて、そうだ、と言った。それからペターニを()く人々を見やる。

 

「だが、この問いを実践できる者が、見える限りでいい。この町にどのぐらいいると思う?」

 

「それは……」

 

 アレンに続いて、つられるように視線を泳がせるフェイト。そのフェイトの横顔を一瞥し、アレンは自分の手元を見下ろす。左手には、ガストから譲り受けた『兼定』。その威力を、その脅威を手にした者として、まずやらねばならないこと。

 

 それは――物の本質を見極める事。

 

「兵器は、道具だ。加減は出来ない。使う相手も選ばない。……だが、それでも人が使う道具という点においては剣も兵器も、まったく同じ」

 

 そこで言葉を切ったアレンは、こちらに視線を向けるフェイトに向き直る。

 

「フェイト、お前は……鈍らで斬ってみせろ」

 

「!」

 

 思わず目を見開く。アレンは微笑っていた。

 不敵に、そして少しだけ不遜に。

 

「……それに。代案なら、既にお前は少しだけ果たしている」

 

「え……?」

 

「言っただろう? 兵器は容易く手に入る。――なら、その逆は?」

 

 問いかけてくるアレンに、何度か瞬きを返す。

 少し、頭を整理した。

 

(兵器の、逆……)

 

 劣勢に追い込まれているシーハーツ軍。その、そもそもの理由は――

 

「……兵力?」

 

「正解」

 

「お、おい! でも……それって……!」

 

 慌てて言葉を切る。途方もない時間がかかる提案のように思われた。だがアレンは淡々と話を続けてくる。

 

「考えても見てくれ。俺達はカルサア修練場に捕らわれた二人を救出できた。漆黒団長に見逃されたとはいえ、な。――それは、つまり?」

 

 フェイトは思わず顔をしかめる。

 もう一度、頭を整理する。しばらくしてはっと顔を上げたフェイトは、クレアの言葉を思い出していた。

 

 ――カルサア修練場は、アーリグリフ三軍の一部隊、重騎士団『漆黒』の拠点でもあります。

 

 身体が震える。自分がなした偉業に、今更ながら実感が伴った。

 眼前で、アレンが微笑う。

 

「そうだ。お前はすでにアーリグリフ三軍の一つ、漆黒の拠点を落とせる。条件さえ揃えばな」

 

 断言する彼に、ごく、と生唾を飲む。驚きのあまり、さ迷った視線が当てもなく方々に散った。くらくらする頭を押さえると、釘を刺すようなアレンの声が聞こえた。

 

「……そう考えることも出来るんだ。一個人の実力を上げるということは」

 

 え、とつぶやいて、フェイトが顔を上げる。すると目が合ったアレンは肩をすくめた。

 

「勿論。その成果を最大限に利用するのが一番難しい。だが、全体の実力を底上げするよりは、三軍の長とも戦える精鋭を作る方が、楽だろう?」

 

「いや、まあ……。それはそうかもしれないけど……」

 

 言いかけて、はた、とフェイトは言葉を切った。

 これは選択なのだ。

 兵器を作り、シーハーツに確実な勝利を呼ぶか。それとも腹をくくって真っ向からアーリグリフと戦うか、の。

 

「……………………」

 

 ソフィアと、笑顔で再会する――。

 その誓いを、意志をなす為の試練。

 フェイトは、ぐ、と拳を握り締めた。

 

「……確証は? 三軍の長よりも、強くなれるっていう」

 

 慎重に問いかける。するとアレンは、その慎重さに満足するように、ふ、と微笑った。

 

「一般人が漆黒の副団長を倒した。そして、こちらにはクラウストロ人と、未完成ながらもシーハーツ最高の才能と言われるクリムゾンブレイドまでいる」

 

「……………………」

 

「中でも、お前は一番成長が早い」

 

 確信した、アレンの瞳。

 それを見据えて、フェイトは、はは、と乾いた笑みを零した。

 そこまで太鼓判を押されれば十分だ。

 拳を緩める。表情筋だけで微笑うと、握った拳の重みが、ずしりと沈むような気がした。それを確認するよう目を閉じる。そして――、無言で頷いた。

 

「分かったよ。……僕は、僕を信じる!」

 

 アレンは小さく頷き返した後、広場の噴水のほうに視線を向けた。

 

「それで、構わないか?」

 

「……え?」

 

 首を傾げながわアレンの視線を追う。そこには、何とも言えない表情で腕を組むクリフの姿があった。

 

「……何だか、こうなるようお前に仕組まれた感があるが。まあ、仕方ねぇ。俺はそいつの指示に従うだけだからな」

 

「……クリフ……」

 

 きょとんとまたたくフェイトの後ろで、アレンが不敵な笑みを浮かべている。その見え見えの狙いを、しかし、クリフだからこそ跳ね除けることは出来なかった。

 苦そうに笑いながら、クリフがガントレットを弾く。

 

「へっ! ……たく、しゃあねぇな!」

 

 そのクリフに、こく、と頷いて、アレンは改めて、二人を見やった。

 

「それと。二人に見せておきたいものがあるんだ。ゼルファー指揮官には待たせて悪いが、ついてきてくれ」

 

「見せておきたいもの?」

 

 首を傾げる二人に、アレンはこくりと頷いた――……。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 アミーナの家を出て、数分。

 町の西部にやってきたフェイトとクリフは、アレンの案内で高級ホテル、ドーアの扉の隣にある建物に足を運んだ。

 一見すると、煙突のある、何やら工場のような場所だ。

 

「アレン……。ここは一体何だ?」

 

「ともかく入ってくれ」

 

 クリフの尋ねを脇に退けて、アレンは扉を開け、二人を中へ導き入れる。

 従うと、まず大きなカウンターが二人の前に現れた。カウンターのうえには、無造作に紙片が乗っている。左に目をやれば三人がけのソファと大きな炉が、右手には作業場らしき広い部屋がある。

 その作業場の中に一人、少女が座っていた。

 

「あ、おかえり~」

 

 間延びしたような声音で言った彼女は、金髪碧眼の十二、三歳の少女だ。青い大きな帽子が印象的で、横髪が左右、均等に帽子から垂れている。

 服装もどこか変わっていて、作りからすると、ネルが用意したフェイトの服装に似ていた。白を基調にした青い大きな襟が付いた上着と、同じく青の半ズボン。年齢の所為か、それとも服装の所為か、どこか中性的な印象を与える少女だ。

 

「ただいま。……さっそく頑張ってるのか?」

 

 フェイトとクリフが様子を見守る中、アレンが少女に向かって歩き出す。

 彼女の前のテーブルの上には、鉄の塊がごろごろと転がっていた。

 

「まあね。それで? その人達が?」

 

「ああ」

 

 アレンが頷き、ここでようやくフェイト達を振り返った。少女を左手で示して、彼は口を開く。

 

「紹介しよう。彼女はメリル。この町で知り会った機械屋(メカニック)だ。――俺の通信機も、彼女に直してもらった」

 

「直してもらっただと?」

 

 問うクリフに、アレンは頷く。

 

「実は連邦用小型通信機(これ)はすでに八割近くの機能が停止していて、使い物にならなかったんだ。だから、この辺りで普及しているらしい電波に合わせて、送受信可能な通信機に改造してもらった」

 

「そ! このテレグラフを基に、ね」

 

 少女が取り出したのは、手の平サイズの、クリフやアレンが持っている通信機に比べれば少し大ぶりの箱だった。上半分に画面(モニター)を、下半分に入力ボタンを配置した簡易通信機だ。

 ――簡易と言ってもフェイト達基準の装備に比べれば、の話だが。

 

「よろしくね~。えっと……、青髪で大人しそうなのがフェイトさんで、金髪で背が高いのがクリフさん。よね?」

 

「え? うん……。そうだけど……」

 

 フェイトの視線がアレンを向く。アレンはメリルがいじっていた鉄塊を一つを手に取っていた。

 

「機械式小型爆弾か……」

 

「ええ。グリーテンじゃ一般的(メジャー)なものだけど、この辺じゃあまり見ないかもね。投擲したときの衝撃(インパクト)で電磁フィールドを発生させるの。――いわゆる電磁スタンボムね」

 

「威力の程は?」

 

「使ってみれば分かるんじゃない?」

 

 即答するメリルに、こく、と頷いて、アレンはフェイト達に向き直った。合点の行かない表情を浮かべながらも、中でもクリフが、表情を改めていた。

 

「それでお前が見せたいものってのは、そのボムのことか?」

 

「いや。……二人とも、この装置に見覚えはないか?」

 

 問いに問いで返したアレンは、作業場に置かれていた、メリルの背後にある高さ五十センチほどの箱をぽんと叩いた。所々、赤黒いペンキのような跡がついているが、それはクリフや、そしてヴァンガードに不時着した際、フェイトが使った覚えのある機器だ。

 正確には、搭載されていた機器。

 

「亜空間通信機!?」

 

 二人の目が見開かれた。

 

「俺が不時着したのは、パルミラ平原と聞いていたからな。昨日、ガストと一緒に運んで来たんだ」

 

「でもお前!」

 

 未開惑星保護条約は――!?

 と、メリルを一瞥しながら続きかけた言葉を、ぐ、と飲み込むクリフ。その彼に、やや苦笑して、アレンは軽く、肩をすくめた。

 

「残念ながら、小型(この)通信機同様、損傷が激しい。俺達の知識で直すよりも、本場の人間に手伝ってもらった方が素材を探す面でも効率的だからな」

 

(だから! バレたらどうすんだよ!)

 

 アレンの肩を握って極力抑えた声音でクリフが叫ぶ。

 仮にも連邦軍人が、誰よりも先に条約を破ってどうするんだと主張する彼に、アレンは淡白につぶやいた。

 

「問題ない。バレなければいいんだ」

 

「……いや、アレン?」

 

 きっぱりと答える彼に、フェイトも思わず首を傾げる。その戸惑う彼等を、面白そうに見て、アレンは微笑った。

 

「まずは生き延びる。条約も、命があってこそ成り立つものだ。それでもし咎められることになったら――」

 

「なったら?」

 

 思わず声を揃える二人が、不審そうにアレンを見る。目が合った彼の表情は、少しも迷いがなかった。

 

「その時は、逃げるしかないな」

 

「バックレかよ……」

 

 額を叩くクリフ。その彼に、こく、と頷きながら、

 

「多少、父には迷惑をかけることになるが、な」

 

 アレンは苦笑する。少しも悪びれた様子が無いのが、意外だった。

 ぽかん、と開いた口をそのままに、フェイトが、は、とメリルを見る。

 

「そ、それで……。これの修理はもう済んだの?」

 

 見たところ、一応、布か何かで拭いた跡はあるものの、赤いペンキか何かがこびりついている亜空間通信機。外見は汚いが、もしかすれば――……

 

「残念だけど、それはまだ。超長距離通信を可能にするための素材条件が、厳しすぎるのよね。……ホントにアレンが言うくらいのスペックが出せるの? コレ?」

 

「構造自体は君も理解している筈だ。ならば可能だろう?」

 

 問い返されて、メリルが困ったように、うぅむ、と唸る。工具セットを手にした彼女は、やがてテーブルに乗った鉄の塊をいじり始めた。

 考え事をする時の癖らしい。

 

「それは分かってるんだけどぉ……。どう考えても出力がねぇ~!」

 

「じゃあ、やっぱり直せないの?」

 

 深刻に表情を曇らせるフェイトに、メリルは首を横には振らない。

 

「現時点では、ね。アレンに教えてもらったから、大体の理論は把握してるつもりだけど……、私が知る限りの素材で代用するには、改良が必要ってこと」

 

「んで、その改良に、もうちょい時間がかかる、と。そういうことだな?」

 

「そう! 久しぶりに腕の鳴る仕事だもの! ワクワクするわ!」

 

 かちゃかちゃと音を鳴らすメリルの腕が、彼女の情動に合わせて小刻みに揺れる。その彼女を尻目に、フェイトは、そ、とアレンに耳打ちした。

 

(でも……、あんな小さな女の子で大丈夫なのか? 機械屋(メカニック)だって言ってたけど……)

 

(そいつは俺も疑問に思ってたところだ。……どうなんだ? その辺はよ?)

 

 小さな円陣を組んで、声が洩れないように顔を下げるフェイトとクリフ。その左、右を見渡して、アレンは小さく頷いた。

 

(問題ない。グリーテンの知識を持っているとは彼女から聞いていたが、俺達の機械知識をあそこまで理解するには、柔軟な発想と元々の深い見識が必要だ。その点、彼女は高く評価できる)

 

(理解出来てるっつぅ、その確証がどこから来たのか聞きてぇんだがな)

 

小型通信機(これ)を直して見せた。俺の言った理論を組み込んだ上で、この惑星に対応するよう改良して、な)

 

(……まあ、確かに)

 

 どこか呆然、とした二人の様子に、アレンが苦笑する。

 

「それじゃ、メリル。そろそろ俺達は戻る」

 

「ええ。任せておいて」

 

 かちゃかちゃと通信機をいじりながら、視線も上げずにメリルが言う。その彼女に頷いて、アレンは改めて、フェイト、クリフを見た。

 

「では行こう。あまり彼女を待たせても失礼だ」

 

「ああ」

 

 率直に言うアレンに頷いて、フェイトはメリルを一瞥する。

 

(あれが、もし直ったら――)

 

 そう考えると、自然、拳に力が入った。

 それは、一筋の細い光。だがそれでも、フェイトは心が晴れるのを感じながら、口元に浮いた微笑を隠すように、言った。

 

「戻ろう。ネルさんのところへ」



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19.ネルの答え

 シランドへ続く巨大な平原、イリスの野。

 満月を迎えた夜は、いつにも増して冷え冷えとしていた。平原は見晴らしがよく、獣による夜襲の心配も無いが、逃げ場も無い。ネルは岩に、そ、と腰をかけた。

 

(シランドまで、後少し……)

 

 夜更け、というにはまだ少し時間が早い。すでに野営の準備を終えたフェイト達は、疲れを溜めない為に眠りに就いているだろう。とはいえ、火番は交代制なので仮眠に過ぎないが。

 本来なら、ネルももう床についている時間だ。だが何故か、今日は目が冴えた。気分転換にこうして独りになっているのも、心を落ち着ける為だ。

 

「新兵器に頼らない、戦争か……」

 

 零れた言葉が、夜に散っていく。

 フェイトの意志は、今も変わっていないのだろうか。

 そんなことを考えながら見上げた月は、分厚い雲に覆われようとしていた。

 ネルは神妙な面持ちで押し黙る。

 あの夜も、こんな雲の多い夜だった。父の帰りを、ずっと独り、待っていた夜も。

 

「眠れないのか?」

 

 彼女は顔をしかめた。

 よりにもよって。

 そう舌打ちしながら、絶妙なタイミングで現れたアレンを見る。クレアの部下が親切で作ったグリーテンの制服らしきものを、几帳面に着こなした青年。今は昼間に持っていた剛刀を手にしていないが、代わりにブロードソードを腰に差していた。

 思えば、彼には反感ばかり覚える。

 

 (ネーベル)と、同じ表情をする彼を見つけてしまってから芽生えた、固い対抗心。

 

 だから、だろう。

 ネルは拳を握り締めた。

 

「……そういうアンタこそ、こんな所に来てどうしたんだい? 火番なら、今はフェイトのはずだよ」

 

「あなたに、一度確認しておきたいことがある」

 

 邪険にするつもりはないのだが、ネルの口調に棘がこもった。協力者に対して、その態度は適切でないと分かっていても、どうしても表に出てしまう。

 この青年の瞳が、ネルを苛立たせるのだ。

 理想ばかりを口にする、迷いの無い瞳が。

 兵士(クリムゾンブレイド)以外の彼女を見ようとする、その瞳が。

 

「確認? ……兵器開発に協力はしないっていう、例の話についてかい?」

 

「いいや」

 

 怪訝にアレンを睨むと、彼は静かに首を振って、腰に差した剣を構えた。

 

「手合わせ願いたい。無論、全力で」

 

 言うなり、すいと剣尖がネルを向く。剣を中段に据えた自然な構え。周囲の空気が、ふ、と低下した。

 殺気――!

 咄嗟にネルは短刀に手をかける。柄を握りこんだところで、彼女は息を呑んだ。

 

(隙が無い……!)

 

 睨まれたことは、一度だけある。だがそのときとは、まるで空気が違っている。別人だ。

 

「……っ」

 

 氷塊を背に押しつけられたように怖気が立った。アレンはただ、剣を正面に向けているだけだ。なのに、ごろり、と飲んだ唾は、半分以上が呼吸(いき)だった。

 ネルの苛立ちが一層増す。自分が怯えているのが、手に取るように分かった。

 

「上等じゃないか! 手加減しないよ!」

 

「……来い!」

 

 大声を張り上げて己を奮い、ネルは地を蹴った。一足飛びで、アレンの懐へ。短刀ゆえ、刀身(リーチ)は無い。だが接近戦ならばブロードソードよりも絶大な威力を誇る。

 止まれば、ネルに勝機は無い。

 

「風陣!」

 

 叫ぶと同時、ネルの身体に刻まれた施紋が淡く輝いた。瞬間。突風が彼女を取り巻く。

 

(風の壁か)

 

 風の化身となったネルを見つめて、アレンはつぶやいた。――その瞳に、焦りは無い。

 

「はぁっ!」

 

 疾風の如く踏み込んだネルが、最高速度で短刀を薙ぐ。同時。ネルの身体が、後方に吹き飛ばされた。

 

 ドンっ、と。

 

 鈍い音を立てて。

 

「か、はっ!?」

 

 見開いた目で、アレンを見る。と、ブロードソードを右手で握った彼が、空いた左手をネルの方に突き出していた。それも、一瞬。

 

(気功――!?)

 

 ネルが胸中で叫ぶと同時、目の前に現れたアレンが、後方に飛んでいるネルの脇腹を蹴る。バランスの取れない状況でネルは両腕を挟んだものの、蹴りの衝撃を緩和し切れなかった。思わず、たたらを踏む。くぐもった声をあげながら、アレンを睨む。

 対する彼は、ブロードソードを掲げ、上段から振り下ろした。

 ――速い。

 

「っっ影払いッ!」

 

 ネルは彼の足元に向けて短刀を振るった。状態を、彼のバランスを崩せば――。

 

「……っ、っっ!」

 

 そう思って振るった短刀が、ぴたり、と止まった。十字を切って二連に続く技を、ブロードソードが押しとめている。短刀が交叉する、その僅かな接点を突いて。

 ――一瞬前まで、振り上がっていた筈の剣が。

 

「……遅い!」

 

 アレンが鋭く叫ぶと同時、ネルは後ろに吹き飛ばされた。短刀を軽く払った一線が、凄まじい威力で彼女の痩身を地面に投げ捨てる。

 

「ぐっ!」

 

 平野の草にまみれながら、ネルは受身を取って呻く。見下ろすアレンは、涼しい顔をしていた。

 

「技の出が遅い。施力を溜めるのに時間がかかりすぎだ。それに技を打った後の硬直も長いな。……つまり、隙だらけだ」

 

「……っ!」

 

 アレンを睨んで、ネルは短刀を握り締める。

 

「はぁっ!」

 

 反射的に立ち上がった彼女の踏み込みは、先よりも速かった。

 

「……それだ!」

 

 再度、アレンを薙ごうとした短刀が、呆気なく弾かれる。右から左に走った剣線が完全に流され、ネルの体勢が左に大きく傾ぐ。

 

「体重移動が遅い。踏み込みはもっと速く! 体勢を崩されても体幹は常に崩すな!」

 

 ネルは右足でたたらを踏んで、右の短刀を一閃する。今度はやや直線的に。下から伸びる鋭い突きだ。が。パンッ、と刃を怖れることなく、アレンの平手が短刀を弾く。

 

「短刀は腕の延長だ。それ自体は大した武器じゃない。問題はいかに隙なく敵の攻撃をいなし切り込むか! もっと体術を組み合わせて攻めて来い! 俺に息をつかせるな!」

 

「くっ!」

 

(勝手なことを――!)

 

 アレンに短刀を弾かれて、ネルの体が少し開いた。右足の位置が悪い。これでは、体重を乗せて左の短刀が触れない。

 だが。

 

(舐められてばかり、いるものか!)

 

 意地になって、ネルは左の短刀を振った。腕力だけを使った粗末な一振り。キン、と甲高い音を立てて、ブロードソードに止められる。

 それは、予測通り。

 左手に体重をかけながら、ネルはバランスを直すために右足をすくい上げて、踵からローキックを叩き込む。が、読まれていたのか、相手が足を引く方が速かった。内心で舌打ちし、そのまま体位を入れ替え、ネルは改めて地面を蹴る。

 

「あんたの意識! 絶たせてもらうよ!」

 

 吼えた彼女の闘気に呼応して、短刀が炎を纏う。施紋が輝いた。切り上げるネルの斬線を、アレンが紙一重で横にかわす。が、間髪置かず、ネルは振り上げた短刀を振り下ろした。アレンが剣を握った右腕の肘で、短刀の軌道を僅かにずらす。同時、真下から掬い上げるような、炎を纏ったネルの蹴りが伸びた。

 半身を切ってそれをかわし、続く、ネルのサマーソルトキックをバックステップで回避した。同時、左右から二振りの短刀が振り抜かれる。それを視界の端に、ちら、とアレンは蹴りを放ったばかりのネルの足を見た――。

 まだ地面に着いていない。

 初撃の――左の一線に威力は無い。

 

(……………………)

 

 案の定、弾いた剣線の感触が軽い。が、速度(スピード)はなかなかだ。合格点とは言えないものの、続く右の一線を払いながら、アレンは静かに頷く。

 それから、息を吐かせぬネルの乱打。気丈にも、間を置かずに左右から短刀を振るうネルの姿勢が傾いでいく。無理矢理な体勢であることは彼女も承知しているだろう。アレンは流れるようなネルの乱撃をかわしつつ、彼女の攻撃の間に蹴りを挟んで、彼女の傾きを正した。

 

 

 二十合以上打ち込んで、一発も当たらない。

 

 純粋な実力差を確信したときには、ネルの心はいつしか無になっていた。

 

「……くっ!」

 

(あと、もう少し――!)

 

 気付けば、夢中になっていのだ。

 まさか蹴撃で自分の姿勢を正されているとはネルも気付かない。不思議なほど自然に、体重移動させて短刀を振るっている。それは彼女が知る、自分自身の剣速をはるかに上回る速度(スピード)だった。

 なのに、当たらない。

 だが、惜しい。

 

(後一寸詰めれば、当たる――!)

 

 その事実が、ネルの集中力を極限に高める。身体に刻んだ、施紋が煌く。

 力で押し負けた彼女が、やや間合いを空けた瞬間。ネルは左手を掲げて雷を放った。

 

「喰らいな!」

 

 ドォオオオオンンッッ!

 

 青白く平野が閃く。追撃に、ダッシュで間合いを詰め寄ったネルが、短刀を閃かせた。

 

「……甘い!」

 

「!?」

 

 雷撃を放った位置に追撃の短刀を振るったネルは、突如、横から現れたアレンに目を見開いた。肩で当身を食らわされ、痩身の彼女が、また、平野に吹き飛ばされる。

 

「……くっ!」

 

 思わず呻いた彼女は、草むらに投げ出された体勢から起き上がろうとして――、アレンを見上げた。

 ブロードソードを納めた彼を。

 

「まだ勝負は……ッ!」

 

「今の連撃は悪くない。だが、まだ実戦で使える技じゃないな」

 

 静かに歩み寄ってきた彼は、す、とネルに手を差し伸べた。

 

「アーリグリフ三軍の長は、それぞれが相当な実力者と聞いている。……精進していこう。共に」

 

「……!」

 

 きょとんと目を見開くネルに、アレンは静かに微笑って、彼女を引き起こした。

 

「……アンタ、どうして……」

 

 思わず零れた言葉は、シーハーツの行動に否定的だった彼の言動に対して、だ。

 ネルが意図をつかめず呆然としている間に、アレンは失礼にならない程度に、彼女に外傷がないか確かめた。

 

「兵器は作らない。……だが、あなた方を負けさせはしない」

 

「!」

 

 言い切るアレンを、じ、と見据える。どこか自信に満ちた彼の眼差しは、迷うことなくネルを見返していた。雲に覆われ、薄くなった月明かりの夜でも。

 

「パルミラ平原での、あの問いの答えを聞いてもいいか?」

 

「……………………」

 

 何故か泣きたくなった。だが、間違ってもそんな感情は表に出さない。ネルは、きゅ、と唇を引き結んで――、一拍置いてから、アレンに問い返す。

 

「本当に、私達が勝てるって……そう言うのかい?」

 

「勝ちはしない。だが、彼等(アーリグリフ)には何も奪わせない」

 

 そして、あなた方にも――。

 そう続くアレンの声が聞こえたようで、ネルはやりにくそうに顔をしかめた。

 

「……それで、本当に戦争が終わるって?」

 

「約束する」

 

 きっぱりと言い放たれる。

 俯いた。

 

 ――兵士(クリムゾンブレイド)ではない、自分。

 

 それは、まるで自分では無いような気がする。

 なのに。

 

「私は……、これ以上、私を慕ってくれる者や、幸せに生きている人を失いたくない……。そのために、出来ることやりたいんだ……」

 

 理不尽なこの世界で、その願いは呆気なく踏みにじられてきた。だから、綺麗事を吐くことも理想を抱くこともやめた。自分自身の、非情になりきれない、弱い自分を戒めるために。

 だが、それでも。

 

 もう、待つだけの時間は過ごしたくない――。

 

 思わず吐露しそうになった言葉をネルは飲み込んだ。何も、ここまで言う必要は無い。慌てて心の鍵をかける。

 

「そうか……」

 

 つぶやくアレンを見上げると、彼は穏やかに笑んでいた。ネルはそっぽを向く。

 ずっと誰も言わずにいた、一人で抱え込むしかなかった心の傷に気づかれそうだったからだ。

 不機嫌に顔を歪める。

 歪めた、筈なのに。

 

(……なんだ、って言うんだ!)

 

 不思議と、笑みのようなものも浮かんでくる自分に、ネルは戸惑った。アレンが身を翻している。

 

「……どこに?」

 

「返事は聞かせてもらった。だから、フェイト達の所に戻る」

 

「……ちなみに、どう解釈したんだい?」

 

 こちらを一瞥したアレンが、ふ、とだけ微笑って、何も言わずに去っていく。

 

「ちょ、ちょっと……! 深い意味は、無いからね! 言葉通りの意味なんだ!」

 

 特に恥ずかしい事を口走ったわけでもないのに、ネルは早口にまくしたてた。アレンが淡白に、ああ、と返事をしてくる。

 大体、この男は思わせぶりなのがならない。

 弱い自分を、見られたくない心の傷を、あの微笑の下で悟ったのやとネルに思わせるのだ。

 

「間違っても、フェイト達には言わないでくれよ! 分かってるんだろうね!?」

 

「ああ、了解した」

 

 アレンが苦笑する。

 だがネルの猜疑心は晴れず、一見奇妙な彼女の弁論は、フェイト達のいる野営ポイントに着くまで延々と続けられた。

 

 

 

 野営ポイントで待っていた、フェイトとクリフの状態を見るまで。

 

 

「……っ!」

 

 思わず、ネルの口が、足が、止まる。

 焚火のある野営ポイントで待っていたのは、外傷こそないものの、衣服がぼろぼろに擦り切れた状態で、まるで死体か何かのように、昏々と深い眠りについているフェイトとクリフの姿だった。

 おそらく先程のネルと同じ様に、手合わせしたのだろう。

 

「……少し、やりすぎたか……」

 

 その彼等を見据えて、アレンが困ったように頬を掻いている。それを、じ、と見上げて、ネルは無言のまま、三歩、後ずさった――……。



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フェイトくん修行編part1 ……の始まり

 ――三軍の長とも戦える精鋭を。

 

 その言葉の胸に、フェイトは剣を取った。

 思えば、それが悪夢の始まりだったとこの時知る由もないが。

 時がさかしまに流れる事があれば、彼はきっと、この時の自分に向かって言っただろう。

 

「早まるなッ! 僕! そいつは罠だっ!」

 

 

 

 

 

 フェイトくん修行編part1 ……の、始まり。

 

 

 

 

「では。まず剣術の基礎からだな」

 

 ブロードソードを握ったアレンは、フェイトに言った。日はとっぷりと暮れ、野営の準備を終えた頃だ。

 フェイトはバスタードソードを握り、真剣な面持ちで頷いた。

 

「フェイト、全力で打ち込んできてくれ」

 

「いいのか?」

 

 問うと、アレンは当然の如く頷いた。

 

「大体は把握しているつもりだ。だが、今のお前の実力、見ておきたい」

 

「分かった。なら、手加減はしないよ?」

 

「来い」

 

 アレンはほぼ棒立ちだった。剣を水平に据え、鋭く踏み込んだフェイトの上段切りを、刃の角度を変え、受け流す。

 

 キィ……ッ!

 

 耳障りな金属音。標的を失った剣が空を切る。同時、フェイトはたたらを踏んだ。すぐ剣を握りしめ、下段から斬り上げる。――が。これも空振り。

 

(速い……っ!)

 

 アレンは剣の間合い、一歩外に居た。それをフェイトが認識すると同時。目の前に、軍靴。

 

 ドゴォッ!

 

 アレンの足刀蹴りが、フェイトの顔面を穿つ。

 

「っ、っっ!!」

 

 目の前に火花が散った。視界が滲む。歯を食いしばって耐えようとしたが、身体は重力に任せて尻もちをついた。

 瞬間。

 上段から剣を振り下ろすアレン。躊躇無く落ちる刃は、確実にフェイトを断たんとしていた。

 

(――っ!)

 

 フェイトは目を見開く。

 と。

 

 ギィインッ!

 

 横合いから黒い影が現れた。フェイトが目を凝らすと、それがクリフだった事に気付く。彼は拳で、アレンの刃を見事に止めていた。

 拳と刃越しに、クリフがアレンを睨む。

 

「テメエ、どういうつもりだっ! 殺す気かっ!?」

 

 問うが、アレンはニッと笑むだけで答えない。

 代わりに、

 

 ぴしぃ……っっっ!

 

 アレンから伝わってくる壮絶なプレッシャーが、言葉以上に教えてくれる。

 ――ここは“戦場”と。

 

「こ、こいつ……マジだ!」

 

「く、クリフ……!」

 

「油断するんじゃねえぞ! フェイト!」

 

「え……?」

 

 忌々しげに鋭く言い放つクリフを、フェイトは不思議そうに見上げた。クリフはこちらを見返して来ない。アレンと対峙し拳を構えたまま、眉間に皺を刻んだ。

 

「こいつはテメエを殺る気だっ!」

 

「え? 稽古なんだろ? そうなんだろ? な? アレン……」

 

 引きつった笑みで問うと、アレンは剣気を纏いながら頷いた。――その所作に、一分の隙もない。

 

「むろん稽古だ。だが、稽古だからと言って、加減するとは限らない。――俺は全力で行く。お前も全力で来い」

 

「なっ!?」

 

 フェイトは目を丸めた。

 

「馬鹿か、テメエっ!? 銀河連邦の特務(エリート)が、本気で一般人を相手にするんじゃねえよっ!」

 

「ならフェイトの穴を貴方が補うと良い。クリフ!」

 

「なぁにぃ~!」

 

「この先、アーリグリフに俺より強い奴が現れるかもしれない。その時に、フェイト。自分の身も守れないようでは、お前の意志を通すことなど夢のまた夢! ――それだけの覚悟と意志、お前の剣で見せてみろっ!」

 

 ごくり、とフェイトは唾を飲み込んだ。

 アレンの剣気に当てられて、喉が強烈に渇く。

 カルサアで感じた恐怖とは、また種類が違う。まるで野生の虎を前に身がすくむような、そんな恐怖心だ。

 アレンは静かに言った。

 

「必要な力は、お前がこれから学ぶといい。文字通り、お前の命を懸けて」

 

「コイツ……マジで特務仕込みの訓練を民間人にやるつもりかっ!」

 

「え、えっとアレン……前言撤回とか――」

 

「行くぞっ!」

 

「諦めろフェイト。奴はマジだ」

 

 クリフの言葉を聞いた瞬間。

 フェイトの中で、何かが弾けた。

 

「助けてぇえええええ! 誰かぁああ! 誰でもいいっ! 僕を助けてぇええええっ!」

 

「バカヤロッ覚悟決めろっ! ――来るぞ!!」

 

「ほぅ? 誰かに助けを求める余裕が、まだあるとは。やはりクリフ、貴方がいるからか?」

 

「何?」

 

「行くぞ」

 

 猛然と駆けてくるアレンの体が沈み込む。

 

 ぎしぃいっ、っっ!!

 

 気を纏った突きを、クリフは反射的に拳で受け止めた。

 

「この野郎、マジで来やがった!」

 

 百戦錬磨のクリフの頬に、冷や汗が伝う。

 特務部隊――銀河連邦軍のなかでも選りすぐりの精鋭部隊は、四百億人以上いる連邦軍人の中で、たった二百人しかなれない猛者中の猛者で構成されている。

 名実とも銀河連邦最強(クラス)(つわもの)を前に、クリフは口端をつり上げた。

 

「へっ! 上等だ! カーレントナックル!!」

 

 黄金の気をまとったクリフの拳が、鋭く走る。クリフは全体重を込めた。

 

「手がしびれたぜぇっ!」

 

 突きに対するコメント。

 が。

 

 ――ぱしぃ……っ!

 

 アレンはクラウストロ人の拳を止めた。――素手で。

 

「何っ!?」

 

「さすがクロウストロ人。見事な一撃だ」

 

 アレンの掌には青白の光が宿っている。それが“気功”によって強化された掌と、クリフが認めるのと同時、

 

「だが俺も、気の使い方には長けている。連邦軍特務第一小隊、アレン・ガード」

 

 アレンはクリフの拳を離し、

 

反銀河連邦(クォーク)クリフ・フィッター殿に、真剣勝負を申し込む!」

 

 言い放った。

 クリフが瞬く。

 

「はぁ? お前、フェイトを鍛えるんじゃなかったのか?」

 

「フェイトを鍛える上に、貴方と真剣勝負が出来る。この機会を逃す手はない」

 

「テメエも戦闘馬鹿ってことか? 調子こいてんじゃねえぞ! ガキがっ!」

 

 クリフは言い放つと、拳を握り締めた。

 

「フェイトに手を出す前に終わらせてやらぁっ! ――カーレント・ナックル!」

 

 鋭く走った右ストレートを、アレンは闘牛士のように剣で流す。ほぼ拳に触れない、剣先だけで。

 同時。

 アレンの退路を断つように走った左ボディを、アレンはバックステップで回避した。

 三撃目、右のオーバーハングスローに対しては、剣の刃を立て、正面から受ける。

 

 ギィインッッ!

 

 ガントレットと剣が触れた次の瞬間。

 アレンのブロードソードに、青い雷が走った。

 

「砕牙」

 

 交差方向気味にアレンが切りぬける。

 咄嗟に剣を受け流すクリフ。

 が。

 

 ばちぃいいんっっ!

 

「ぐぁっ!」

 

 雷により、一瞬、クリフの身体がマヒする。

 動きの止まったクリフに、アレンの容赦ない上段斬りが迫った。

 

 ――……

 

「エリアルレイド」

 

(消えた?)

 

 アレンが斬ったのは、ただの中空。

 そこにいた筈のクリフは――

 

「上かっ!」

 

 アレンが見上げると同時、黄金の気をまとったクリフの蹴りが落下した。

 

「派手に行くぜぇええっ!」

 

 ……ズドォオオオオオッッ!

 

 巨大な塊を水槽に投げ込んだ時のような、盛大な土埃が舞う。

 その中心部に着地するクリフ。

 アレンがいた地面は、クリフの蹴りによって深く抉れた。

 

「っ! ……いねえ!」

 

 息を呑むのも束の間。

 

「クリフ! 上だぁっ!」

 

「何っ!?」

 

 上空を見上げると、体を丸め、剣を振りかざし、回転しながら迫るアレンの姿があった。

 

「覇っ!」

 

「ちぃっ!」

 

 アレンの刃を、紙一重で左に避ける。サイドステップ。一瞬後、クリフがいた地面は、アレンのブロードソードによって切り裂かれた。

 

 斬ッ!

 

 距離を取るクリフだが、そのクリフの逃げる先に、アレンは剣先を定めていた。

 

「疾風突き」

 

「野郎ぉおおお!」

 

 右腕のガントレットで、アレンの気功を孕んだ突き――その剣先をかち上げる。

 アレンは上げられたと見るや、すぐに剣を引き、身を翻しての横薙ぎへとつなぐ。

 それに対し、クリフも左拳をリバーブローを打つように放った。

 

 ガキィッ!

 

 ガントレットと剣がぶつかり合う。

 間。

 若干、クラウストロ人のクリフが押し負ける。

 が、クリフの口元に浮かんだのは、笑みだった。

 

「テメエの負けだ。アレン・ガード! 無限に行くぜぇええ!」

 

 同時。

 クリフの両拳が、無限と思える数に量産した。

 

 ドドドドドドドドォ――ッ!

 

 アレンは並み入る拳をブロードソードで受ける。受ける。受ける。さばく。避ける。

 だがそれ以上に、クリフの拳が増えて行く。連打のスピードが上がっていく。徐々に徐々に、アレンの服を、肉をかすめ始める。

 

「やるな、クリフ・フィッター!」

 

 言ったアレンは、どこか涼しげな声だった。

 拳を剣でさばきながら、笑う。

 

「ならば、俺も夢幻の剣線にて貴方に応えよう!」

 

 好戦的に。

 蒼の瞳を光らせて。

 

「――夢幻」

 

 ずしゅいんっ……!

 

 抜刀術。

 その繰り出される刃は、クリフのどの拳よりも速く、拳がアレンに届く前に、クリフの胸を切り裂いた。

 

「……なんだ、今のはっ!?」

 

 フェイトが息を呑む。

 クリフは忌々しげに顔を歪めた。

 

「咄嗟にサイドステップで致命傷を避けるとは、さすがだな。だが、俺の剣はまだ止まってはいない。――クリフ!」

 

 身を翻しての上段から一撃。クリフが両腕でガードするよりも速く、クリフの身体を袈裟掛けに切り捨て、アレンの突きが繰り出される。

 

 っ!

 

「舐めんなぁあああっ!」

 

 左のフックで、その突きだけは自分の右脇へと飛ばす。

 クリフは確信した。

 ――スピード、見切り。共に、向こうが上。

 ならば、

 

(ここだ! ――渾身の右で、コイツの(ドタマ)をかち割る! それしか、俺に勝ち目はねぇっ!)

 

 クリフが右ストレートを放つ。が、それよりも速く。

 アレンは身を翻していた。

 先の袈裟掛けよりもさらに踏み込んだ、逆袈裟掛け。

 

(まだコイツの剣舞は――終わって、)

 

 クリフは息を呑んだ。

 

「ない……だとっ!」

 

 悲鳴に近い叫び。

 

 キィインッ……!

 

 両者、すれ違った。

 ――数瞬の、間。

 

「…………、」

 

 フェイトは瞬きを忘れて見入った。

 途端、

 

「ぐ、……っ!」

 

 胸を切り裂かれ、クリフが片膝をついた。

 アレンが振り返る。

 刃を構えて。

 

「さすがにタフだな、クラウストロ人。地球人なら、今ので終わっていたが」

 

「テ、メエ……!」

 

 胸の血を握り締めながら、クリフは呻く。

 

 ――そう言えば、聞いたことがあった。

 

 銀河連邦軍の中核を担うのは、地球人が多い。――種族としては、大した身体能力を持たない彼等が、他惑星人と渡り合う為に開発した格闘術。四百年前の『十二人の英雄』が使ったとされる剣術、体術、気功術、紋章術を体系化し、昇華させた連邦正規のマーシャルアーツのことを。

 

「さあ、次はお前だ。フェイト」

 

 この連邦軍人は、そのマーシャルアーツ――『ガード流』を会得している。

 クリフは、カッとフェイトを振り仰いだ。

 

「逃げろ、フェイト! 戦おうなんて思うんじゃねえっ!」

 

「ぁ、……ぁ……っ!」

 

 ゆっくりと、アレンが歩いてくる。

 壮絶な剣気を宿し、こちらの呼吸を奪うほどの重圧感(プレッシャー)を発しながら。

 

「どうした? お前が俺に語った信念とは、この程度で揺らぐものか? ――クリフはお前の為に傷を負った。それが彼の任務であったとは言え、ただの稽古で、彼がここまでの傷を負う事はない。その彼に、お前は逃げる事で答えるのか? それで、お前の語る信念は貫けるのか?」

 

「……っ!」

 

「敵を恐れてどうするっ! お前が貫こうとする信念は、俺と剣を交える事などより、遙かに難しいっ!」

 

 日頃見せていた穏やかさなど微塵もない。

 一度戦士の顔になった男は、一切の甘えを許さなかった。

 

 フェイトは剣を握る。

 

 ――気圧されたからではない。

 ただ、

 (アレン)の瞳を見据えていると、答えねばならない気になった。

 自分の意志を、示す為に。

 

「そうだ。それでいい」

 

「馬鹿、よせッ!」

 

 クリフが止めに来る。

 さっきは虎を前にしたように身体がすくんだというのに、何故か今は、不思議な高揚感がフェイトを包んでいた。

 

「そうだな……確かに馬鹿だ。けどさ、クリフ。こいつの言ってる事ももっともなんだよ。ここで逃げちゃいけない。……何もかも、難しい事を他人(ヒト)に任せて、自分はただ批判するだけなんて、そんな無責任なこと、言ってられる時じゃないだろ! ――今は!」

 

 言い放ったフェイトは、碧眼に強い光を宿した。

 ――己が意志を。

 

「僕は、強くなるっ! 父さんや、ソフィアを迎えに行くためにっ!」

 

 剣を構える。

 フェイトは腹の底から吼えた。

 

「行くぞ、アレンっ!」

 

「フェイトぉおおおお!」

 

 クリフの制する声。

 それを完全に無視して、

 

「その意気や、――良し」

 

 ニッ、と笑んだ連邦軍人は、壮絶に蒼の瞳を底光らせた。

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

「ぐはっ!」

 

 空気の塊を吐いて、フェイトが地面に倒れる。

 ドッ、と。

 同じく身体を地面に伏せたクリフが、忌々しげにアレンを仰ぐ。

 

「……ッ! て、てんめぇえええ!」

 

「フェアリーライト」

 

 クリフの抗議が届く前に、空が白く輝いた。

 頭上に――女神が降る。

 もう幾度となく見た、栗色の髪を腰まで伸ばした癒しの女神。

 

 ぱぁああああ……っ!

 

 彼女が全身から光を発すると同時、クリフとフェイトに刻まれた傷が、あっという間に治っていく。

 無慈悲なまでに、完璧に。

 

「さて、もう動けるな。構えろ」

 

「ちょ、おま……」

 

 こともなく言うアレンに、フェイトが割りこんだのも束の間、アレンは既に、剣を構えていた。

 

「来ないなら、こちらから行くぞっ!」

 

「て、テメ……ちょ、待っ――!」

 

 

 

「うわぁあああああっ!」

「ぎゃぁあああああっ!」

 

 

 彼等の意志が途切れるまで、その悲鳴はやむ事はなかったという。

 

 銀河連邦軍、特殊任務施行部隊の実務訓練。

 通称――『地獄』の、始まりである。



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phase3 施術兵器
20.謁見


 聖王都シランド。

 ついに辿り着いたネル達の都は、湖畔に浮かぶ小島でできた都市(まち)だった。

 イリスの野と聖王都を結ぶ橋は陽光を浴びて銀蛇のごとく光り、几帳面に並べられた石畳が王都に向かって続いていく。この橋から景色を仰げば、荘厳なシランド城が霧に包まれ、まるで雲間に端座しているように雅やかな様子がよく見えた。

 フェイトは感嘆の息をもらした。

 

「……これは……綺麗な街ですね……」

 

 ネルが得意げな顔でふり返ってくる。

 

「だろう? 私たち、自慢の都市(まち)なんだ。……でもそれを、我が物にしようと企む輩がいる」

 

「アーリグリフ、か」

 

 クリフの言葉に、ネルが表情を鋭くした。彼女が横目でアレンを見やる。それからクリフ、フェイトと順に目を合わせていった。

 

「私たちはただ奴らからこの都市を、人々を守りたい。だから……」

 

 ネルはそこで言葉を切って、フェイトをじっと見る。思いつめたような、相応の覚悟を積んだ兵士の目だ。

 その力強さをまえに、これまではどこか自分とは違う世界のことと認識している節がフェイトにはあった。いまは、違う。

 

「だから、アンタたちの力を貸して欲しい」

 

 ネルの言葉の重さに、フェイトは固唾を呑む。

 いよいよ事態は自分の決断に左右されていくようになってくるのだ。新兵器の技術提供をしろと口酸っぱく言っていたあのネルが、こうして意見を翻したのだから。

 クリフがわざとらしいため息を吐いて、場を和らげた。

 

「それで? これから会う女王陛下はどんな人なんだ? 個人的に美人だとすげぇ嬉しいんだがな」

 

「……頼むから、陛下の御前でそんなこと言わないでおくれよ」

 

 ネルは呆れ混じりに目を細めて、まるで冗談と取れない、鋭い殺気をクリフに向けた。得物を抜いていないというのに見事なプレッシャーだ。

 クリフは口許を引きつらせると、真顔になって咳払いした。

 

「冗談だよ。ジョ・ウ・ダ・ン」

 

(怪しいな……)

 

(怪しいもんだね)

 

 フェイトとネルの、白けた視線にクリフは押されたように小声で言った。

 

「……ホントだぞ。な? アレン」

 

「………………ん? ああ」

 

 アレンは心ここにあらずといった様子だった。まるで寝起きのような惚けた目だ。クリフが首を傾げていると、フェイトとネルが、同時に重いため息を吐いた。

 

「行きましょうか?」

 

「そうだね。この道をまっすぐ行けば、城だよ」

 

 連れ立っていく二人の背を、クリフの声が追った。

 

「お、おい! ちょっと待てよ!」

 

「どうしたんだ? あの二人は?」

 

 慌てて駆け寄る長身の男二人に、街の人が奇異な眼差しを向けた。

 ゆるやかな王都での時が過ぎていく。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 謁見の間は、城の外観を裏切らない厳かな空気に包まれていた。

 白壁に、床は格子状の藍と蒼のタイルを並べた幾何学模様。足音を吸収する毛の長い絨毯が、玉座から一直線に、謁見の間出口の階段下まで続いている。

 まるでこの街そのものが美術館のようだ、とフェイトは思った。

 白壁の一部は硝子張りだった。その硝子の向こうに数本の滝が流れている。人工的なものなのかはわからないが、水が絶える様子はない。落水の音が謁見の間には聞こえてこないことからも、硝子の密度が窺い知れた。

 フェイトたちは今、女王と、その側近の執政官と向き合う形で(かしず)いている。

 謁見の間の扉付近には、衛兵が二人、並んでいた。

 

(……少ない……)

 

 アレンは顔を伏せたまま気配で城内を探りながら、胸中でつぶやいた。第一、女王の傍に一人も兵が控えていない。

 万が一の奇襲を考えていないのだ。

 聖都に入って、ただの違和感にすぎなかったものが確信に変わる。アレンは静かに瞼を落とし、思考を打ち切った。

 

「只今、戻りました」

 

 先頭で傅くネルが、凛と告げる。

 

「ご苦労だったな。その者たちがそうなのか?」

 

「は、ラッセル様」

 

 ラッセルと呼ばれた女王の傍らに立つ執政官は、後ろに控えるフェイトたちを見下ろした。

 

「……面を上げよ。陛下がお話になる。心して聞くがよい」

 

 厳かな声に従い、技術者として招かれたフェイトたちは顔を上げた。

 気難しそうな執政官(おとこ)である。痩せぎすで視線が鋭く、容赦がない。ラッセルはネルの後ろに控えた三人を見渡したあとにわずかに息を呑んでいた。技術者のどれもが、想像以上に若いのだ。実年齢と知識量は比例しないにしても、二十前後の青年たちが三人という状況――実際はクリフは三十六歳なのだが、クラウストロ人の若作りはラッセルの常識に当てはまらなかった――に、不安を感じずにはいられない。

 玉座に腰かけた女王が、そ、と口を開く。

 

「聖王国シーハーツへようこそ。グリーテンの技術者よ……。私がこの国を治めるシーハーツ女王、ロメリア・ジン・エミュリールです」

 

 女王は作り物のように整った目鼻立ちをしている。彼女がたおやかに目を伏せてみせると、気品溢れる視線はフェイトたちを向き、ただそれだけで相手を委縮にさせる、カリスマ性を秘めていた。

 フェイトは緊張から、慌て気味に頭を下げた。

 

「フェイト・ラインゴッドです」

 

「アレン・ガードと申します」

 

「クリフ・フィッターと申します、陛下。御拝謁を賜り大変光栄に存じます」

 

 順に名乗り、頭を垂れる。意外にも一番礼儀正しく傅くクリフに、フェイトは意外そうに瞬いた。

 女王は三人を見据えて頷くと、静かに口を開いた。

 

「そなたたちを我が王宮に呼び寄せたのは他でもありません。そなたたちの助力を願いたいのです。既に聞き及んでいると思いますが、今我が国とアーリグリフは戦争状態にあります。そして戦況は我が国にとって好ましくない状況にある……。私は今の状況を考えるとアペリス教経典、イケロスの預言書第十五章を思い出さずにはいられません」

 

「イケロスの預言書、ですか?」

 

 耳慣れない言葉が出てきて、フェイトが首を傾げる。女王が頷いた。

 

「グリーテン人であるそなたたちには馴染みのないものかもしれませんね。アペリス教の開祖である初代シーハーツ王が書き記した預言書です。その中の第十五章に次のようなくだりがあるのです。『聖地において混沌あり。混沌は大いなる災いを撒き散らし、災いが新たなる戦乱を生む……』私は今がこの予言が成就しつつある時ではないかと考えています。そしてそなたたちが予言にある矢であると」

 

 そう言って立ち上がり、女王は長い青の絨毯が敷かれた階段を優雅に下った。施政者としては異例の、特にロメリア女王は純粋な王室育ちであるにも関わらず、フェイトと同じ高さにやってきて、やがて、そ、とフェイトの前で膝をついた。

 

「今、我が国はアーリグリフによって戦乱の渦に巻き込まれています。このままでは罪もない我が領民たちの命が失われてしまうでしょう……。そのような事態を回避するためにもぜひ、そなたたちの力を我が国のためにお貸しください」

 

 フェイトの手を取り、恭しく頭を下げてくる。慌てて、フェイトは首を横に振った。

 

「そんな、やめてください」

 

 女王はフェイトから手を離して顔を上げた。秀麗な彼女の貌が、その赤い瞳が、じ、とフェイトを見つめる。

 フェイトは緊張で硬い表情のまま言った。

 

「陛下、僕たちに何ができるかは分かりませんが、できるだけのことはさせていただきます。そのつもりでここに来たんですから」

 

「……よしなに」

 

「あの、陛下」

 

「?」

 

 玉座に戻っていく気配のあった女王を呼び止めると、意外にもあどけない表情が帰ってきた。シーハーツ二十七世のご尊顔を、面と向かって見ることは適わないが、フェイトは拳を握りしめて続けた。

 

「実は僕たち……、アーリグリフを討つための、兵器を作るつもりはありません」

 

「……何だと?」

 

 聞き返したのはラッセル執政官である。彼に次ぐように女王も、す、とフェイトを見下ろす。

 

「どういう意味です?」

 

「は、はい……っ! 僕たちは新兵器を作るつもりはありません。ですが、さっき言ったように、陛下たちの手助けをしに来たんです」

 

「……と、申すと?」

 

「我らに、軍の統括を助成する権限(ちから)を頂きたい」

 

 アレンが答えていた。無礼にも関わらず、女王の瞳を見据えて。

 

「無礼な! 面を下げよ!」

 

 ラッセルが腹の底から怒号してくる。だが、アレンは執政官に一瞥もくれない。

 

「……アレン!」

 

 ネルの押し殺した声が響く。だが意外にも、彼らの制止は女王に制された。

 

「よいのです。……それより、そなたの意を申してみなさい」

 

「は」

 

 発言の許可を得たところで、アレンはようやく顔を伏せた。

 

「私が存じますところ、戦とは将で決します。武将は十の敵を薙ぎ倒し、知将は百の敵を討つ。さらに武将と知将が合わさるところは、百の兵で万の敵を討ち取ることでしょう」

 

「……何が言いたいのだ? 簡潔に述べよ」

 

「ラッセル」

 

 ラッセルのどこか苛立ったような咎めを女王は一声で制し、アレンを見下ろす。アレン以外のだれもが型破りな謁見に肝を冷やしていた。話の着地点がどこに定まるのか見守ることしかできず、息を殺している。

 冷や汗もののアレンの話は続いた。

 

「恐れながら、この国には知将しかなく。彼の国、アーリグリフにはその双方が揃っているものとお見受け致しております。施術は人によるもの。しかし、兵器に頼った戦いは戦を虐殺の場に変える凶器とも成る」

 

「……………………」

 

「陛下。陛下はアペリスの聖女であらせられるお方。ならば、御心にお留めください。アーリグリフにも、アペリスを信ずる民がいることを」

 

「!」

 

 ネルが目を見開いた。謁見の間を満たす沈黙に、執政官はしばらくの間を押し黙っていたが、やがて、ふ、と鼻を鳴らした。

 

「何を言うかと思えば戯言を! アーリグリフのために、我が国に滅べと言うのか!? ……いや、それを置いても貴様、施術兵器なくして、そなたらが我が軍に助力するだけであの国に勝てるとでも!?」

 

「恐れながら」

 

 アレンがまた、女王の瞳を見る。

 

「無礼な!」

 

「……ラッセル」

 

 激昂したラッセルを、女王が制した。

 

「そなたの申すこと、たしかに一理あります。我等の刃がアーリグリフの巨軍に及ばぬこともまた、事実。……ですが、それを迷うことなく言うた、そなたの物言いには、私も少なからず不快な心地になりました」

 

「陛下……!」

 

 ネルの、息を呑む声がかかる。王族と対面するなど、死罪に値する無礼だ。床を見据えるフェイトも、傍らのクリフも、表情が凍っていた。

 数瞬の間。

 フェイトは、ゆっくりと顔を上げた。アレンの意を、間違いなく自分も敢行するつもりであることを伝えるためにだ。

 ――己の意志を、貫くために。

 床に置いた右拳を、ぐ、と握りこむ。

 

「……陛下。僕も、彼と同じ意見です」

 

「っ、フェイト!」

 

 ネルの表情が引きつる。その傍らで、クリフが、ふ、と笑っていた。その彼等を順に見やって、女王は最後、フェイトとアレンを見る。

 緊張した面持ちと、至って平静な面持ち。どちらも罰則を承知で女王を真正面から見ている。異なった表情だが、奇しくもその碧眼と蒼眼は、まったく同じ光を称えていた。

 

 曇りなき光を。

 

 女王は一つ、間を置いた。

 

「……いいでしょう。そなたたちの意が、そなたたちの実力(ちから)が、真に紛うことなきものと証しなさい。さすれば、その望みについて私も道を探しましょう」

 

「御理解、感謝致します。陛下」

 

「ありがとうございます!」

 

 アレンとフェイトが恭しく頭を下げる。その彼等を見下ろして、女王は頷いた。

 当事者でありながら、冷然とした青年と、緊張こそしているものの、堅固な意志を覗かせる青年を、まるで値踏みするように。

 

 彼女は、そ、と微笑んだ。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

「で?」

 

 謁見の間を出た直後。御前試合の準備のために、一行はしばしの暇を言い渡された。

 クリフが率直過ぎる問いを口にしながら、アレンとフェイトをふり返る。

 

「すげぇ大事になっちまったが、どうするつもりだ?」

 

 いつもより語気が強い。フェイトが視線を向けると、明らかな怒気というよりも呆れが、クリフの顔に滲んでいた。

 

「それもよりにもよって、女王陛下に直接啖呵切るたぁいい度胸じゃねぇか」

 

「……まったくだね」

 

 腕を組んだネルがクリフに続いて睨んでくる。こちらは完全に血が上っているのか、顔色が赤く、唇はやや蒼白に染まっていた。

 

「いや、つい……」

 

 剣幕に押されて、フェイトは歯切れ悪く頭を掻いた。

 選択肢こそアレンに任せたものの、彼が何かを成すと言うなら、その重責は必ず己も負う。

 そういった覚悟が、今のフェイトには出来ている。

 それ故の行動だった。

 クリフが、アレンに視線を向けた。

 

「それもお前の作戦か?」

 

「そのつもりだ。それに手立てが見つかった以上、早々にこの戦いを切り上げて、行かねばならない場所がある」

 

 ネルがいる手前、『手立て』――亜空間通信機の名を伏せて、アレンは神妙な面持ちでクリフを見る。

 フェイトは合点のいかない表情で首を傾げた。

 

「行かなければならない場所って?」

 

「グリーテンだ」

 

 言い切るアレンに、クリフとフェイトは瞬きを落とした。



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21.施術勝負

「なん、だと……!?」

 

 ラッセルは目の前の光景に、言葉を詰まらせた。

 謁見後、場をあらためて御前試合が開かれたのだ。その席でのことだった。

 

 

 白露の庭園。

 この世でもっとも美しい庭園として知られる女王のプライベート庭園に一同は招かれた。フェイトたちの実力をみる相手に選ばれたのは、ラッセルが信頼する十名の精鋭兵たちだ。

 いずれもこの城を警備し、あるいは最前線で名を上げた、言わずと知れた(つわもの)である。その十名が試合開始後、ものの数秒で敗れた。たった二人の異国の技術者に。

 

「これで最後とお見受けしてよろしいですか」

 

 問うアレンは、ブロードソードこそ差しているものの終始素手で戦った。傍らで、ふぅ、とため息を吐いているフェイトにも疲れた様子はない。

 

「う、うむ……」

 

 ラッセルは狐につままれたような心地だった。条件は条件だ。それでも腑に落ちずに唸るより他ない。庭園の入り口から騒がしい声が近づいてきたのは、そのときだった。

 

「ほぉ~! これは面白い!」

 

「!」

 

 ネルがそちらを振り返る。

 ラッセルもまた目を剥いた。気難しそうな彼の顔に浮かんだのは、焦りにも似た驚き。

 

「アドレー殿!?」

 

 ネルの、戸惑った声が庭園に響く。

 それを皮切りに、フェイトも庭園の入り口を見やった。恰幅のいい上半身裸の巨漢が刀を肩に担ぐようにして立っている。年齢は五十半ばといったところか。顔に年相応の皺が刻まれているが、均衡の取れた肉体美が『老兵』と呼ぶにはいささか精悍すぎる印象を持たせた。男は白髪混じりの頭を揺らしながら、フェイト達のもとに歩み寄ってきた。

 

「お久しゅうございます、陛下。このアドレー、只今戻りましたぞぃ」

 

 アドレーは渋みのある声で女王に一礼する。ラッセルから詰問が飛んだ。

 

「アドレー!? 貴様、何故ここに!」

 

「東国の視察とやらから、たった今戻ったのでな! 早速、陛下にお目通り願おうと、城の兵に聞いてここまでやってきただけのことよ!」

 

「そうでしたか。そなたの居ぬ城というのも、少し寂しく思っていたところです」

 

「光栄の極みにございますぞ、陛下。後にまた我が冒険譚でもお聞かせ致しましょう」

 

「それは楽しみなこと」

 

 そそ、と微笑む女王に笑い返し、アドレーはフェイトに向き直った。

 

「さて! ――ワシはアドレー。アドレー・ラーズバードと申す。小童ども、名は?」

 

「……フェイト・ラインゴッドです」

 

「アレン・ガードと申します」

 

 遠慮がちに答えるフェイトと端的に答えるアレンを見比べて、アドレーは含み笑った。

 不意にフェイトが、眉尻を下げる。

 

「え? ラーズバードって、もしかして……」

 

「そうさ。アドレー殿はクレアの父君なんだ。私とクレアがクリムゾンブレイドを襲名する前、シーハーツ最強の兵として、私の父と共にこの国の一翼を担った人物だよ」

 

「んな人材を、何で遠方なんかにやってたんだ? 割りにあわねぇだろ? この戦況で」

 

 至極全うな問いをするクリフに、ネルは眼球だけを動かしてラッセルを一瞥すると、声音を落とした。

 

「ラッセル様と折り合いが良くないんだよ。あの二人は、顔を合わせる度に衝突しあうからね」

 

「……なるほどな」

 

 話題の渦中にいる男は、仲の悪い執政官よりもいま対峙している青年二人に関心がいっているようだ。白露の庭園で、シーハーツの兵士達が肩や足を押さえてうずくまっている一瞥して、楽しげに唇をまくり上げた。

 

「これは皆、おぬしらがやったのか?」

 

 フェイトは警戒しながらも頷いた。途端、ネルが、は、と目を剥く。

 

「アドレー殿!」

 

「ならば次はワシが相手じゃ! いくぞ、小童ども!」

 

 アドレーの躰に刻まれた施文が輝く。振り上げられた両手から、強大な力の奔流がアドレーの胸に向かって集まった。白い光が、胸の前で閃く。

 

「なっ!」

 

 突然の展開に、フェイトが思わず眼を見開く。そのとき

 

「フェイタル・ヒューリー!」

 

 怒号にも似た鋭い一喝と共に、猛然とアドレーの巨体が突進してきた。

 思わず目を見開いたクリフが、ネルを仰ぐ。

 

「おい! あのおっさん……!」

 

「……ああ。施力だけなら、私以上。優れた体術と施術を組み合わせたその実力は、現在でもシーハーツ最強と言われてる」

 

「な!? ……んだとっ!」

 

 クリフがフェイトをふり返り、舌打ち混じりに顔を歪める。そのときすでに、『フェイタル・ヒューリー』と呼ばれる施術と気攻術を組み合わせた体当たりが、フェイトとアレンを襲っていた。

 

 どごぉおおおおおんんっっ!

 

 けたたましい物音を立てて、二人の背後に突風が吹き荒れる。

 ぱらぱらと土煙が舞った。それらが――晴れていく。

 

「……まったく。受けるなら受けるって、最初に言ってくれよ」

 

 フェイトがぼやく。すまない、と返す青年の姿が、一同の目を奪った。

 

「……なっ!?」

 

 クリフを除いた誰もが、突進を止められたアドレーまでもが、驚きに目を瞠る。アドレーの巨漢を、施術と気攻術を合わせた最強技『フェイタル・ヒューリー』を、真正面からアレンは片手で受け止めたのだ。

 アレンの左手には、凝縮された紋章が雷に似た動きでのたうっていた。

 

「威力は高い。――それだけだ」

 

 低くつぶやいたアレンの左手が、ぱ、と光る。

 瞬間。

 

 …………ォォッッ!

 

 音ともつかない音を立てて、アドレーの巨体が庭園の外壁に打ち据えられた。

 

「かはぁっ!」

 

 アドレーが息の塊を吐く。戦闘態勢にすぐ戻った老兵は、酷薄な笑みを浮かべた。

 

「やるのぉ、燃えてきたわい!」

 

 アドレーのかざした左手の指先に施力が集まっていく。アレンはフェイトを一瞥した。

 ――まず、俺から行く。

 そう、視線で告げてくる。

 苦笑したフェイトは、やれやれと首を振って剣を納めた。

 

「相談は終わったか! 小童ども! いくぞぃ!」

 

「いつでも」

 

 アレンが拳を軽く握る。瞬間。アドレーの施力が、カッと輝いた。

 

「ライトニングブラスト!」

 

「サンダーボルト!」

 

 二人の雷光が庭園の中央で激突し、相殺し合った。ネルやフェイトを上回る雷束が、ともに一瞬で練り上げられ、火花を散らせてかち合ったのだ。強烈な雷の激突は鼓膜を破かんばかりに間遠く木霊していく。

 

「何だと!? シーハーツ最強の、……アドレーと互角だと!?」

 

 思わず顔を庇ったラッセルが、皆に代わって叫んでいた。

 アドレーが腰の刀を抜き打ち、斬りかかった。猛然と走る剣尖を、アレンは紙一重で避ける。

 

「連れの助けは、借りんつもりか?」

 

「実力を知るなら、個別の方が分かりやすいでしょう」

 

「……小童め!」

 

 憎たらしそうにアドレーが笑う。アレンも微笑っていた。と。アドレーが両手で刀をはね上げた。

 

 ゴォウッ

 

「――ッ!」

 

 凄まじい太刀風に紙一重でかわさんとしたアレンの体勢が崩れた。

 

(んだとっ――!)

 

 クリフが目を疑う。同時。アドレーが大上段から猛然と打ち込んだ。

 

「ヌンッ!」

 

 アレンも抜剣していた。刃が打ち合う。アドレーの強烈な打ち込みを、アレンは柳のように剣をしならせて受け流している。

 そのとき、アドレーの口許に、にやりと男らしい笑みが浮かんだ。

 

「ようやく、抜いたな」

 

「抜くつもりはなかったのですが……、さすがですね」

 

 アレンが減らず口を叩いてくる。アドレーはますます愉快そうに笑う。

 

「遠慮するな、本気で来い!」

 

「……では」

 

 切りかかるアドレーに対し、アレンも正眼に構えた。刀と剣と激しく火花を散らし合う。幾度も斬り合い、身体をぶつけ合う。アドレーの剣は力任せのものもあれば、隙の生じない一閃もある。老獪な駆け引きがここにあった。数合切り結びながらアレンはアドレーに敬意を覚えた。だからこそ彼は全身の気を高め、『技』を放つ。

 ブロードソードの刃が、翳る(・・)

 

 ぞ……っ

 

 アドレーの背筋に強烈に嫌な予感が走っていった。視線を交わしたアレンが、鋭く見据えてくる。

 

「ケイオスソード!」

 

 ぱっ、と。

 アドレーの前で闇が弾けるのと同時、

 

「なにぃ!?」

 

 頭上で剣を止めたアドレーは我が目を疑った。斬撃が、アドレーの刀をすり抜けてきたのだ。アドレーは咄嗟に刀を離し、後方へ大きく退がった。それでも袈裟状に胸を切られ、苦痛に声が洩れる。

 

「アレをかわすとは、いい判断です。……久しいな、ケイオスソードを避けた者は」

 

 アレンの嬉しそうな声を聞きながら、アドレーは施術で、斬られた胸を癒す。とっさの判断が遅れていれば、危なかった。

 

「ここまでやるとはのぉ。剣では勝負にならんか、じゃがワシは剣士ではない。施術士じゃ!」

 

 アドレーが施文を輝かせ、両手に光をまとわせる。

 アレンが言った。

 

「切り合っている間に施力を溜めていたのか」

 

「はぁああああ……!」

 

 アドレーが施力を溜める、しばしの間。アレンもまた、一歩も動かなかった。

 

 施力を溜めていたのは、アドレーだけではない。

 

 アレンに集う力、大気の奔流が尋常ではない。それは女王の施力に迫り、よもや上回るのでは――そんな不吉さを感じさせる強烈な施力の流れだった。

 

「馬鹿な!? アイツは……、アレンは一体っ!?」

 

 ネルから血の気が引いた。

 観戦しているラッセルも、そして女王も、表情を固くする。

 その三人を、不思議そうにクリフとフェイトが見ていた。

 と。

 

「もう泣いて謝っても遅いわい!」

 

 アドレーが冗談のように笑いながらひねり出したのは、身の丈の三倍はありそうな鋼鉄の巨人だった。そして両手を突き出す。

 

「タイタン・フィストぉおお!」

 

 叫ぶと同時。鋼鉄の巨人が拳を振り下ろす。両肩についた刺々しい鎧に相まって、凶悪な野太い腕がアレンを襲う。

 アレンは、待ち受けていたかのように、紋章を解き放った。

 

「……エナジーアロー!」

 

 空が(かげ)った。

 青空が、雲に覆われていったのではない。一瞬、黒く闇に染まった。

 

 アレンの左手に宿る、赤黒い光の色に。

 気温が低下した。

 

 ズゴォオオオオオオンンンッッ!

 

 悲鳴にも似た大気の響きを皮切りに、アドレーの召喚した巨人が、天から降った強大な矢に貫かれる。まるで地面に杭を打たれたようだった。ぴん、と背筋を逸らし頭から貫かれた異界の巨人が、完全に動きを停止する。

 

――……ぉおおおお!――

 

 轟音か、それとも巨人の上げた悲鳴か。

 もはや震えとしか感じようのない騒音を立てて、庭園が、城全体が震える。

 白い煙が立ち上がる中、それでも不思議と、庭園の石畳や植え込みが飛び散った形跡は無い。

 だがそんなことは、フェイト達の意識の外だった。

 

 渦中に立つ二人は、しばししてようやく、白い煙の中から姿を現した。それが巨人を蒸発させた煙だとは、誰も解らぬまま。

 アレンは剣を鞘に戻した。

 

「……どうやらワシの、負けじゃ……!」

 

 アドレーが告げる。

 紋章と施術の衝撃で膝をついていたアドレーが立ち上がろうとしたところで、アレンが手を貸してきた。それを見上げて、アドレーは豪快に笑う。

 

「がっはっは! これ、ワシを年寄り扱いするでない!」

 

「……失礼しました」

 

 アレンが深々と一礼する。

 それからアドレーとアレンの視線が、同時にフェイトを向いた。



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22.襲名

「……へ?」

 

 まだ何かあったか――、

 フェイトが問いかけたところで、アドレーは立ち上がって、凶悪に笑った。

 

「次は、そっちの小僧じゃの!」

 

 言われて、フェイトが、は、と瞬きを落とす。剣を構える前、アドレーに問いかけた。

 

「連戦でかまわないんですか?」

 

「無論じゃ。おぬしのほうが、戦い慣れておらんようじゃからの」

 

「上等!」

 

 アドレーの挑発に、フェイトはホームラン宣言するように、空に向けて剣先を掲げた。その不思議な動作にアドレーが首を傾げた瞬間、

 

「もらったぁっ!」

 

 吼えると同時、フェイトが踏み込む。アドレーの施術はすでに見せてもらった。施力はネル以上。そんな相手と戦うのは、これが初めてだ。

 ならば、接近戦を置いてほかに選択肢はない。

 間合いを詰めるなり、フェイトは剣を上段から一閃した。

 

「うぉっと!」

 

 軽口を叩いて、アドレーがバックステップで回避する。

 同時。

 フェイトは左手を掲げた。

 

「ショットガン・ボルト!」

 

 闘気で固めた炎の炸裂弾が、アドレーに向かって走る。に、と笑ったアドレーが、施力に満ちた左手を振り下ろした。

 

「甘いわぁ! サンダーフレア!」

 

「うわっ!」

 

 生じた施力の、その流れの深さに眼を見張る。瞬間。ショットガン・ボルトの炸裂弾が、網の目状に張り巡らされた雷の中にかき消えた。

 直後、

 雷が縦横無尽にフェイトの足元から湧き上がった。

 

「ぐ、ぁあああああっ、っっ!」

 

 脳髄を焼ききるような凄まじい衝撃に、思わず悲鳴を上げる。棒立ちになったフェイトを嘲笑うように、アドレーが手にした刀を振り下ろした。

 抜いてはいない。

 鞘ごとだ。

 

「ほれっ!」

 

 敵を捕縛するような雷の嵐に、鉄の棒が振り下ろされる。瞬間。無意識に払ったフェイトの剣が、鉄棒をとっさに止めた。

 が。

 攻撃の重さにフェイトの身体がずしりと沈み込む。

 歯を食いしばった。

 そのまま、アドレーの膂力に剣撃ごとなぎ倒された。

 

「か……っ!」

 

 今度は、フェイトが庭園の床に叩きつけられた。呼吸(いき)を吐く。

 

「フェイト!」

 

 一喝のような、クリフの鋭い声。同時。降ってきた刀の鞘を、フェイトは横に転がってかわした。

 およそ鉄の棒を振るっているにしては重すぎる轟音に、フェイトは、ぴくりと眉をしかめる。

 見れば、自分の寝ていた位置の床が、鞘をめりこませていた。

 

(ッ! ……こいつも、殺す気で来てる――!)

 

 目を見開いて、フェイトは景気づけに口元を拭う。別段、血がこびりつくような傷は負っていないが、気分の問題だ。

 

「ったく……軍人って奴はよ……」

 

「ほぅ……。なかなかの反射神経じゃのぅ?」

 

 ぽつりとつぶやくフェイトを置いて、アドレーが邪悪に笑む。

 フェイトは、勝ち誇ったようなアドレーを睨んで、

 

「舐めるな!」

 

 仕返しとばかりに突き込んだ。風を巻く鋭い一線が、アドレーを襲う。アドレーは左足を大きく引くと、フェイトの突きを切り払った。同時。返す刃で、アドレーが抜刀する。

 

「ぬんっ!」

 

 上段からの斬り下ろし、だが、フェイトは構わない。気功を溜めた下半身をバネに、全力にアドレーに体当たる。

 どんっ、と。

 本来なら、相手を吹き飛ばすほどの威力を持つ体当たり(チャージ)は、アドレーの巨体を揺るがせない。

 が。

 

「……ぬっ!?」

 

 アドレーが目を見開く。わずかに打ち込みの軌道を変えられたか。紙一重でフェイトの脇を走る剣尖を見やるアドレーの顔が険しく歪む。

 ついで

 

「ブレードリアクター!」

 

 下からのフェイトの斬り上げに、アドレーは舌打った。ぎりぎり、刀で止めんと半歩下がる。――間に合った。

 だが。

 安堵するのもつかの間。次ぐ振り下ろしを、完全に止められなかった。

 

「!」

 

 アドレーの胸板が割かれる。

 後一歩、深く踏み込まれていれば重傷だった。

 

「……やるのぅ!」

 

 唸るアドレーに、フェイトはニッと笑った。

 

「まだまだ、これからですよ」

 

「小童が!」

 

 アドレーは胸元を見下ろし、口端をつり上げた。

 アドレーに比べれば腕力は足りないが、その剣速と身のこなしは、アドレーを上回っている。このまま肉弾戦を続ければ、フェイトの見立て通り、アドレーの分が悪い。

 ちゃき、と小さな金属音を立てて、フェイトがブロードソードを握り直す。

 

 間合い、二メートル。

 

 フェイトが切りかかるには少し遠すぎて、アドレーが施術を放つには近すぎる距離だ。

 じり、と両者がそれぞれ、己の間合いを求めて足を動かす。

 

 じり……、

 

 両者が相手の隙を突かんと、円を描くように、じり、じりと間合いを制し合う。

 しばらく。

 アドレー・ラーズバードという男は、いつまでも、小競り合いをする男ではなかった。

 

「来ぬなら、ワシから行かせてもらう!」

 

 凄絶な笑みを浮かべると同時、ダンッ、と踏んだアドレーが刀を掲げる。施力集中を示す緑光が、アドレーの腕に溜まっていた。

 

(っ!? もう紋章術を――!?)

 

 対峙すると、アドレーの詠唱力の反則さがよくわかる。フェイトが前傾姿勢になった、遠距離から一気に間合いを詰める、突きの体勢だ。

 

「それは違う」

 

 アレンが、ぽつ、とつぶやいて静かに目を細める。瞬間。ネルは、アドレーの刀に宿った緑色の光を見据えて、フェイトに向かって叫んだ。

 

「フェイト! 罠だ!」

 

「何っ!?」

 

 クリフが、意外そうに目を剥く。無理もない。施術は詠唱して当たり前。そんな常識を崩せる人間など、そうはいない。ネルは、突きを放ったフェイトが、刀に見掛け倒しの施力を宿したアドレーに突っ込んでいくのを息を呑んで見つめていた。

 あれは、施術を放つために溜めた光ではない。

 囮用だ。

 

「かかったな! サザンクロス!」

 

 瞬間。突き入ったフェイトの足元に淡く輝く光が生まれた。――正確には、アドレーを中心に描かれた施術の陣が、彼の足元まで及んだのだ。

 パリッという電撃の音が、軽やかに響く。施術発動を報せる、雷撃の音が。

 同時。

 

「跳べ!」

 

 鋭く響いた声に応じて、フェイトが、だんっ、と地を蹴った。

 

「ヴァーティカル……!」

 

 一瞬で気攻を溜め、剣を振り上げる。アドレーの胸板を斬るまでの、近距離ではない。

 が。

 

「何っ!?」

 

 振り上げの剣圧で上空にたたき上げられたアドレーが、か、と目を見開く。折角作り上げた地面(サザンクロス)の施術陣が、術者をなくして、消失していく。

 ―――そして、

 

「エアレイド!」

 

 二閃目の振り下ろしの剣圧が、容赦なくアドレーに襲いかかった。

 

「ぐぅっ、っっ!」

 

 アドレーは唇をかみしめ、眼を血走らせながら、また一瞬で施術を構成し直していく。

 左腕を一振りし、己の胸の前で中空に施術陣を描く。

 

「ウォーターゲイトォオオオオ!」

 

 腹の底からアドレーが叫ぶと同時。

 

 ざっぱぁああああんっっ!

 

 水しぶきを上げて、地面から、巨大なサメが姿を現した。フェイトに向かって、まるで水面から顔を出し、襲いかかるように。

 

「フェイト!」

 

 クリフとネルが、同時に叫ぶ。

 上空で、巨大ザメに横殴りに引き倒されたフェイトが、かは、と空気の塊を吐く。

 優に、五メートル。

 フェイトは地面に叩きつけられるなり、二、三回、バウンドした。

 

「く、ぉおっ!」

 

 それでも意識は飛ばしていない。

 フェイトは舌打ちすると、ブロードソードを鋭く構え、踏み込んだ。

 対するアドレーは、ヴァーティカル・エアレイドをまともに食らったその後で、傷を広げんばかりに施術を放ったために、すぐには立てない。

 

「……本当に、やるのぅ……っ!」

 

 膝をつき、刀を立ててフェイトを見据えるアドレーが、嬉しそうに口端をゆがめている。

 瞬間。

 

 ――ぴたり、と。

 

 ウォーターゲイトを受けきったフェイトの振り下ろしが、アドレーの首元で寸止めされた。

 

「僕の、勝ちです」

 

 肩で息を切らしながら、フェイがニッと笑う。あの『地獄』を経験していなければ、意識を刈り取られていたのは、間違いなくフェイトだった。

 

「……こんな、ことが……っ!」

 

 ラッセルは息を呑んだ。

 フェイトは顔をゆがめながらラッセルと女王に向き直った。恭しく膝をつき、剣を傍らに置いて、頭を下げる。その傍らに、アレンも膝をついた。

 

「度重なる非礼、お許し下さい」

 

「失礼しました」

 

「……う……」

 

 謝罪するアレンとフェイトに、顔を引きつらせるラッセルを、女王が、そっと制す。そして女王は、そそ、と歩み寄ってくると、白魚のような美しい手で、フェイトの肩に触れた。

 

「……え? あの……」

 

 彼女の手が、淡く青く光る。

 施術(ヒーリング)だ。

 気づいて、フェイトが、ぽかん、と女王を見上げる。すると彼女は、フェイトを労うかのように静かに微笑い、慈愛に満ちた赤い瞳を満足そうに、すぅ、と細めた。

 

「いいでしょう。そなたを、……いえ。そなた達を、仮のクリムゾンブレイド――クリムゾンセイバーに任命致します」

 

「へ……?」

 

 眼前で放たれた、言葉の意味を理解するのに数秒かかった。

 空っぽになった頭の中で、女王の言った意味を何度も反芻して。

 フェイトは花が咲いたように、ぱぁあ、と表情を明るくした。

 

「あ、ありがとうございますっ、陛下!」

 

「……有難き幸せ」

 

 それぞれ深くかしずくフェイトとアレンに、女王はゆっくりと頷いた。

 

 この男(グリーテンの者)達を『矢』だと。

 そう言った自分を思い出しながら。



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23.活人剣

 庭園の一幕から数刻。今夜ばかりはシランドに滞在することになった、夜更けまでの時間。アレンは誰もいなくなった白露の庭園にいた。

 

「……まったく。アンタ達のおかげで寿命が縮んだよ」

 

 背に、声をかけられた。振り返れば、ネルが心底呆れたような溜息を吐いている。アレンは思わず苦笑した。

 

「見回りはもういいのか? ゼルファー指揮官」

 

 手摺から離れる。階段上からゆっくりと近づいてくるネルが、肩をすくめた。

 

「警戒すべき場所を今、見回っている最中だよ。……とはいえ、我々の長旅を案じてくださった陛下から、今日は休むよう言われてるんだけどね」

 

「そうか」

 

 頷きながら、視線を都に落とす。白煉瓦で出来た家々と溢れる緑が、計算された一つの庭のように広がっている。

 どこに行っても、この街では水音が絶えない。それは、城の深奥に祀られている聖珠(セフィラ)から、絶えず水が湧き、流れてくるためだという。

 野に続く橋を遠目に見ながら、アレンは目を伏せた。

 ――静寂。

 流れるせせらぎの音が、二人の間に落ちる。

 ネルが傍らに立つ。何もしゃべらなかった。

 しばらく。

 

「アンタ、もう容態はいいのかい?」

 

 意を決したようにネルが尋ねてきた。振り返ると、気丈そうな翡翠の瞳が不信の色を浮かべて、じ、とこちらを見据えている。

 

「ああ」

 

 その瞳を見返して、アレンは頷いた。途端ネルの不信が、さらに深まった。

 

「馬鹿を言うんじゃないよ! アンタの傷は……、アレはどう見ても瀕死の重傷だった! 私たちがどれほど施術を施しても、一向に治らないほどに……!」

 

 そこで言葉を切ったネルは、数秒視線をさまよわせてから、アレンを睨みつけた。

 

「修練場じゃまだ辛そうだったじゃないか! それが何故、……そう、ペターニあたりから平気そうになってるんだい!?」

 

「……心配してくれたのか?」

 

「そんなんじゃないよ。……ただ、アンタを本当に、グリーテンの技術者と見ていいのかどうかを聞いてる」

 

 ネルは少しばかり、気を抜いていたのだ。

 先の、アドレーとの施術勝負を見てそう思った。

 思い詰めたような彼女を前に、アレンはいつも通り淡々としていた。

 

「技術者、とは言っていないはずだが」

 

「それでもその回復力は異常さ。……アンタ、何者なんだい? アンタからは、あの二人に無い、得体の知れないモノを感じる」

 

 微かに、緊張を孕んだネルの声。無意識からか、浮いた左手が短刀をいまにも抜き放ちそうだ。それを視界の端に、アレンは微かに含み笑った。

 

「剣があればいかな傷とて癒せるさ。……それが俺の気功術『活人剣』」

 

 アレンは手摺から、身を離した。

 

「それで納得出来ないなら、仕方ない。俺を斬ってみるか?」

 

 ネルは、う、と息を呑んだ。左手が短刀にかかる。パルミラ平原でやった組み手では、後にフェイト達と組んだ三対一でも戦いになっていない。

 まだ、アレンはその気ではない。闘気を宿した彼は、こんな生ぬるい男ではない。

 

 打ち込むなら、今。

 

 相手が油断している、今しかない。

 ネルは、ぎゅ、と唇を引き結んだ。

 そして――……。

 

 ず……っ

 

「!?」

 

 思わず、我が目を疑った。アレンが手にしたブロードソードで、己の左腕を軽く切ったのだ。

 

「……っ、何を!」

 

 思わず怯むネルに、アレンは慌てた風もなく言った。

 

「傷は浅いが、原理は同じだ。見ていてくれ」

 

「……え?」

 

 呆けるネルを置いて、彼はブロードソードの柄を握り締め、そ、と刃に左手を添えた。まるで刃を鏡のように、刃に、己の瞳を映す。

 そして。

 

「……覇っ!」

 

 鋭い気合と同時、か、と目を見開いた。瞬間。ブロードソードが、ネルにもはっきりと視認出来るほど、眩く光る。昼に撃った、エナジーアローとは逆の、青白い神聖な光。

 それが、アレンを一瞬、包み込んだ。

 

 すぅ――……

 

 ただでさえ、セフィラから流れる聖水で清らかな空気が、澄む。

 それを肌で感じながら、ネルは呆然と、何度も瞬きを繰り返した。

 

「……い、まのは……?」

 

 問うと、アレンは先ほど自分が傷つけた左腕を掲げた。まるで手品か何かのように、傷跡の無くなった皮膚を、ネルに見せるように。

 施術が発生した感覚は、まったくなかった。アレンは言う。

 

「これが内気功術『活人剣』。あらゆる傷を治すことが出来るが、自分以外には使えない」

 

「……………………」

 

「修練場では休むどころじゃなかったからな。これを使うほどの、精神力が無かったんだ」

 

 否。

 それだけではない。

 重傷の中、修練場まで足を向けて、戦った後。唯一休めたカルサアの町で、アレンは底をついた精神力でファリンとタイネーブにヒーリングを始めとした紋章術を施していた。そしてそこから先は、先を急ぐといってペターニまで休みらしい休みを取っていない。

 当然といえば、当然の成り行きだ。

 呆然としているネルに説明を終えて、アレンは窺うように彼女を見る。

 

「…………そうかい」

 

 ネルの反応は淡泊だった。

 肯定と取るには、あまりにも短い一言。

 

「……納得、してもらえたのか?」

 

 少し不安そうに、アレンの声も潜まる。

 と。

 

「ああ……。納得した。納得したよ」

 

 ふぅ、と息を吐いて、ネルは短刀から手を離す。緊張の糸を解いた彼女は、どこか嬉しそうでもあった。

 

「……悪かったね。陛下も言っていた通り、アペリスの予言では混沌の先に新たな災禍が訪れるとある。アンタがもし、人でないモノだったら……。そう勘ぐったんだよ」

 

 あまりにも、人にしてはあまりにも強大で純粋な闇の矢を呼び込んだから。

 その言葉を呑み込んで、横目にアレンを窺うと、彼は気にしていない様子だった。

 

「言われて見れば、たしかに。説明しなかった俺にも非があるな」

 

「……………………」

 

「それじゃあ、俺はそろそろ部屋に戻る。――あまり無理はするな」

 

 旅だけでも心労が重なるというのに、今後も見回りがあるというネルを案じて言うなり、アレンは庭園を出ていく。その背に向かって、ネルは叫んだ。

 

「アレン!」

 

 名を呼ぶと、彼が足を止める。振り返った彼に、彼女は言い放った。

 

「非公式とはいえ、アンタも私の仲間なんだ! ……ネルで、いいよ」

 

「了解」

 

 それだけ言って、アレンが去っていく。その背を、何とはなしに見送って、ネルは微かに、ため息をついた。

 

「ホント、変な奴だね……」

 

 

 

 

 謁見の間の真下に、アペリス教の聖地、カナンに続く礼拝堂がある。

 長い歴史を感じさせる荘厳な雰囲気のなかで、フェイトは目の前にいる金髪長身の男を見据えた。

 三十六歳という話だが、見た目も中身もそうは見えない、この男を。

 

「それで、ミラージュさんは何て?」

 

「そっけねぇモンだぜ。『わたしはイーグルに搭載されている緊急用の亜空間通信機の持ち出しを行いました。ですからクリフには、それを稼動させるだけの動力の確保とターゲットの保護を頼みますね』だってよ。しかも文句を言おうにも地下にでも潜ってるのか、こっちからの通信は全く繋がらなねぇときたモンだ。まったく……」

 

「ってことは……! これでアレンが持ち出した部品と合わせれば、動力を確保できるんじゃ……!」

 

 フェイトの口調が速まる。クリフも、否定はしなかった。

 

「ああ。その件についてはあいつ(ミラージュ)にも話してある。ペターニに亜空間通信機の壊れたものが置いてあるってな。……あとは、多少情報がこっちにも入ってきたぜ。イーグルの通信機は、機能自体は壊れてねぇから、惑星間の送信は流石にムリでも周囲を飛び交ってる通信を傍受するくらいなら出来たようでな」

 

「それで……。分かった事って?」

 

「マジな話、あんま大した情報じゃねえぜ。分かった事といえば、銀河連邦とバンデーンの艦隊がウヨウヨしててクォークの本隊がやってくるのはまだ先になりそうだって事くらいだな」

 

「バンデーンと連邦との戦争には、まだ決着がついていないのか!?」

 

「ああ。数の力で全体的に連邦が押してはいるが局地的に見ると、まだバンデーンの方が優勢な個所がいくつもある。アールディオンの横槍さえ入んなきゃ連邦が勝つのは動かねぇんだろうが、完全決着には時間がかかりそうだ」

 

 アレンは、このことをまだ知らないだろうが。

 クリフが胸中で付け足す。フェイトは神妙な面持ちで小さく頷いていた。

 

「そうか……。父さん、あとソフィアについての情報は?」

 

「そっちの方はサッパリだ。残念だが、特に無事だって情報は入って来てねぇよ。だが、ま……。その、アレだ。あんま気を落とすなよな。まだ無事じゃねぇって決まったワケじゃないんだからよ」

 

「分かってるよ。ありがとう」

 

 歯切れ悪いクリフに返す笑みが、自嘲気味になったのを感じながらフェイトは思考する。

 

 ――笑顔でソフィアと会う。

 

 その意志を、ペターニで迷ってしまった。こうやって、『ソフィア』の名を口にすれば、やはり兵器開発への躊躇が心に湧いてくるというのに。

 

(今回は……、アレンに頼っちゃったからな……)

 

 フェイトは顔がゆがみそうになるのをなんとかこらえて、気を取り直した。

 

「それじゃ、そろそろ部屋に戻ろうか」

 

「……だな」

 

 頷くクリフに連れ添って、フェイトは礼拝堂を出る。

 ――するとちょうど、廊下を歩くアレンの背を見つけて、フェイトは右手を振り上げた。



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24.施術兵器

 翌日。フェイト達が向かった先は、意外にも、アレンが協力しないと言った施術兵器開発室だった。

 毛並みのいい絨毯を踏みながら、フェイトは真意が分からず、アレンを見る。と、クリフが問いかけた。

 

「お前、兵器開発には協力しないんじゃなかったのか?」

 

 その質問に、ネルの表情がすごみを増す。訝しげな彼女に対し、クリフの方は訝しげと言うよりは、確認に近い様子だった。

 クリフを横目に見て、アレンが頷く。

 

「ああ。だが、アリアスに向かう前に一度見ておこうと思ってな。それに許可なら、ラッセル執政官から貰ってある」

 

「……いつの間に……」

 

 思わずつぶやくフェイトに、ふ、と含み笑って、アレンは開発室の扉を開けた。

 

「失礼します」

 

「ん?」

 

 部屋の椅子に腰かけた施術士の女性が、読みかけの本から顔を上げて、首を傾げた。

 この開発室の最高責任者、エレナ・フライヤだ。

 彼女は前列のアレンと――、いや、ネルを一瞥してから、用件を思い出したのか、ああ、と間延びした声を上げて、手元の本を閉じた。

 

「いらっしゃい。話は聞いてるから入って」

 

 椅子から立ちもせずに言う。

 

「エレナ様!」

 

 その彼女をたしなめるように、部屋の奥から、几帳面そうな青年が現れた。詫びるように、こちらに一礼する青年。やせ細った白い相貌に、眼鏡の似合う彼は、頑強から縁遠く、温和で理知的な雰囲気を孕んでいた。

 

「すみません。どうぞ、こちらへ」

 

 出迎えてくれる彼に従って先導で部屋に入ると、中は意外に広い、奥行きのある部屋だった。右の壁側は、部屋の端から端まで長い机が占めている。その長机を、覆うように施術兵器の設計図が重なっている。お世辞にも整理されていると言い難い状況だが、その机も、エレナが座っている机の上に比べれば可愛らしいものである。

 

「えっと……」

 

 床にまで散らばったエレナの周辺に目をやりながら、フェイトは窺うように、エレナと青年とを見比べる。答えたのは、青年の方だった。

 

「初めまして。私はディオン。こちらの方、施術兵器開発の総責任者を果たされているエレナ・フライヤ様の助手です」

 

「どうも~」

 

 間延びした、やや投げやりな声をかけてくるエレナ。その彼女を、む、と睨んで、ディオンは困ったような微笑をフェイト達に向けてきた。

 

「えっと……。フェイト・ラインゴッドです。よろしくお願いします、ディオンさん」

 

「ディオンでいいですよ。私は所詮、助手の身ですので」

 

「……分かったよ、ディオン」

 

 頷くフェイトに、穏やかに笑んで、ディオンはネルと、後ろの二人を見る。

 

「今日のご案内は、私がさせていただきますね」

 

 言い置く彼に、アレンは頭を下げ、クリフは、おう、と頷いた。ネルは、再び読書に熱中し出したエレナを見て、微かに苦笑する。そんなネルに、何とも言えない表情を返しながら、ディオンは一同を部屋の奥へと進めた。

 

「こちらです」

 

 ディオンが案内した先は、一階の倉庫のような部屋だった。天井を二階と同じ高さにしており、部屋の中央に五メートル程の砲台が置かれている。武骨、というよりは、どこか精緻な像のような、シーハーツらしいデザインの黒い砲台。

 

「……………………」

 

 一同の、視線が固まった。正確にはフェイト、クリフ、アレンの視線が。

 それは明らかに彼等の想像を超えたものだった。見た目に反して、重厚にして頑強なつくりを持つ砲台は、とても十六世紀程度の文明に存在していい兵器ではない。

 ごく、と喉が鳴る。

 フェイトは、尋ねた。

 

「……近くで、見せてもらってもいいかな?」

 

「ええ、構いませんよ」

 

 ディオンに促されたフェイトが、施術兵器の側まで歩いていった。膝を付き、構造を確かめるように施術兵器を検める。それを遠巻きに、アレンは目を細めた。傍らのクリフが、ディオンに思ったことを口にする。

 

「それで。一体、こいつのどこが問題なんだ?」

 

「装置としては、ほぼ完成しているのですが、兵器として使うには威力が少し……。だからといって今以上に出力を上げてしまうと、耐久性の面で問題が発生してしまいまして……」

 

「なるほど。威力を上げると壊れて、威力を下げると兵器としては使えない、か。……痛し痒しだな」

 

 クリフが相槌を打つと、アレンも尋ねた。

 

「それで。現段階で連射性はどれほどのものなんだ?」

 

「正確に測ったわけではありませんが、一発撃つごとに充填時間として十分ほど要します」

 

「十分、か。……フェイト」

 

 今だ、施術兵器を検めているフェイトに呼びかけると、彼は顔も上げずに答えた。

 

「はいはい。……ん~、そうだな。図面を見てないから何とも言えないけど、五分が限界ってとこじゃないか?」

 

「了解」

 

 アレンが頷く。

 それからしばらくしてフェイトが腰を上げた。

 

「あの、ディオン」

 

「はい?」

 

 丸眼鏡を押し上げて、ディオンが振り返る。その彼に、フェイトは続けた。

 

「この兵器の設計図を見せて欲しいんだ」

 

「あ、はい。それでしたら、開発室へ来てください」

 

「分かった」

 

 こく、と頷いて、施術兵器から離れる。

 促された次の部屋は、エレナと会った部屋の、すぐ隣だった。造りとしてはアリアスの会議室に良く似ている。緑を基調とした床と天井にクリーム色の壁。そこに、施術兵器の概要が何枚も貼られている。

 ディオンが差し出してきた設計図は、壁に貼られたものよりも小ぶりな、ほぼA4サイズのものだった。

 

「これです」

 

「ありがとう」

 

 受け取って、目を落とす。

 しばしの間。

 す、とフェイトは顔を上げた。

 

「……ごめん。あと、紙と書くものをもらえるかな?」

 

「はい、それを使ってください」

 

 言って、ディオンは設計図が貼られた壁の近くにある机を指す。そこに視線を向けると、羊皮紙と、シックな万年筆に似たペンが転がっていた。頷いて、フェイトは机に向き直る。

 

「……どうだ?」

 

 傍らから、アレン。構わず、設計図に書き込みを入れるフェイトは、しばらくしてから顔を上げた。

 

「二分、かな……。これで無抵抗アルミニウムでもあれば、充填時間を置かずに連射可能になると思うんだけど……」

 

「無抵抗アルミニウムって何です?」

 

 首を傾げるディオンに、フェイトは曖昧な笑みを浮かべた。

 

「いや、こっちの話だよ」

 

 再び図面に向き直る。アレンが問う。

 

「飛距離は?」

 

「……ディオン、施術によって発生する力を送り込むのに使っている導線は何かな?」

 

 フェイトはディオンを一瞥する。唐突の質問に、ディオンは慌てて答えた。

 

「鉄、ですが……」

 

「鉄か……」

 

 呻いて、しばらく沈黙するフェイト。

 

 と。

 

「あの、飛距離でしたら――」

 

「だいたい五十メートルが限界、でいいかな?」

 

 今までの実務経験を踏まえて、答えようとしたディオンを制して、フェイトが尋ねる。

 瞬間。

 ディオンが目を瞠った。

 

「……図面だけで、良く分かりましたね……!」

 

「いや、大したことじゃないよ……」

 

 感心したため息を吐くディオンを置いて、フェイトは設計図を机に置くなり、アレンに向き直った。

 

「……それで? どうするつもりなんだ?」

 

「施力は我々で言うところ、電気に似ているんだったな」

 

「え? あ、うん」

 

 首を傾げながらもフェイトが頷くと、アレンはポケットから小さな円板を取り出した。

 ――ペターニでメリルに貰った、電磁スタンボムだ。

 

「!」

 

 それを目にした瞬間、フェイトにも得心がいった。アレンを見上げる。

 この施術兵器を、巨大なスタンボムにしよう、という提案だ。

 

(そうだな。確かにこの導線をこう繋げば、電磁スタンボムの力場が完成する。けど……)

 

 これだけ砲台が大きいと電撃のさじ加減が難しい。不可能ではないが、考察が必要だ。うぅん、とフェイトが唸っていると、アレンが確認するように尋ねた。

 

「出来るか?」

 

「……まあ、やってみるよ。ただし、ちょっとだけ時間をもらえるかな? ディオンと、話を詰めたいんだ」

 

「了解」

 

 頷いて、踵を返すアレン。

 ただし、得心がいったのは彼等二人の間だけで、だ。クリフを初め、ディオン、ネルは不思議そうに二人を見比べている。

 

「おいおい。どんな感じに話がまとまったんだよ?」

 

「それについては追々話す。――それよりもクリフ。暇なら、フェイトが(ここ)を詰めている間、付き合ってくれないか?」

 

「あん?」

 

「ちょ、ちょっと……! アンタ達!?」

 

 首を傾げるクリフを連れて、アレンが部屋を出る。それを見送って、所在が無くなったのはネルだ。このまま開発室に留まるべきなのか、それとも彼等の後を追うべきなのか。

 行き場を失ったように、視線を漂わせている彼女に、フェイトは声をかけた。

 

「ネルさんも、しばらく休んで下さいよ。……多分、今日中には終わる筈ですから」

 

「フェイト……」

 

 どういう決定に決まったのか。せめてそれだけでも知りたそうに顔をしかめるネルに、くす、と微笑って、フェイトは改めてディオンに向き直った。

 

「じゃあ、ディオン。これからコイツを――生まれ変わらせようか」

 

 言ったフェイトは、少しだけ悪びれた表情を浮かべた。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 アレン達が向かったのは、聖王国シーハーツで最大の規模を誇る、王立図書館だった。

 城より少し離れた場所にあるそこは施術士を初め、多くの国民に愛用されている。

 ただし、それは一部の本好きな国民にとっての話であり、根っからの体育系であるクリフには居並ぶ本棚を見るだけで、ある種、眩暈を覚えた。

 

「……んな所に俺を連れ出すたぁ、いい度胸じゃねぇか……」

 

 白い石造りの建物。それをぼんやりと眺めながら、唸るようにクリフが呻く。

 城と同時期に作られた建物らしかった。図書館という名義上、景観こそ違うものの、内装や庭の造りが城と酷似している。古き良き時代の集大成とも言える外観は、クリフでなければため息ものの芸術品だった。

 

「そう言うな。……さすがに、俺一人で見つける自信が無いんだ」

 

 こちらを振り返り、悪態をずっとつき続けているクリフにアレンが苦笑している。クリフは眉をひそめた。

 

「探し物か?」

 

「ああ。――アミーナの、彼女の病気を治すための薬草を探している」

 

「アミーナ? ……おいおい、あの子の病気は、この惑星レベルの技術じゃ治らねぇ……」

 

「フェイトがもらった、イリスの巫女花。そしてアミーナが栽培していた花や薬草は、色や外観に差異があるものの、エクスペルのリンガ地方と植物の生態系が似ているんだ。……なら、アレがある筈だ」

 

「……あれ?」

 

「メトークス……。副作用の強い花だが、即効性の高い多年草の薬草だ。あれと同じような植物が、この国か、近隣の国に生えている筈なんだ。アレさえあれば、彼女の病気は完治する」

 

「おいおい、マジかよ……!」

 

 断言するアレンに、思わずクリフが息を呑む。頷いたアレンは、それでもどこか浮かない表情だった。

 

「じつは……。ペターニで医師に聞いてみたんだが、この国は薬草学に明るくないらしい。だから、この図書館にある植物図鑑から割当てるつもりだ」

 

 アレンは、じ、とクリフを見据えた。

 

「……フェイトが、ディオンと話を詰めている間だけでいい。手伝ってくれないか?」

 

 神妙な面持ちになったのは、本当にメトークスと同種の花があるか分からない、ということと、あったとしても、それを見つける手がかりがほんの僅かだ、という二重の点を踏まえてだ。

 クリフがやれやれと頭を掻いた。

 

「お前……。前から思ってたが、相当にお節介な性格だな」

 

「……よく言われる」

 

 答えるアレンは、自覚が無いのか、合点の行かない表情を浮かべている。クリフは苦笑して、肩をすくめた。

 

「ったく、しょうがねぇな。……どうせ暇だし、やってやるよ」

 

「すまない」

 

 安堵したように表情を和らげるアレンに、クリフはわざとらしくため息を吐いた。

 

「にしても、何でネルも呼ばなかったんだ? アイツも暇だろ?」

 

「彼女には今のうちに片付けて置きたい仕事があるだろう。……それに、休めるなら休んだ方がいい。どうも無理をしすぎる嫌いがあるようだしな」

 

「アレン。お前のそれ、なんて言うか知ってるか?」

 

「?」

 

 アレンは首を傾げる。と、対峙したクリフが、神妙に声をひそめて言った。

 

依怙贔屓(えこひいき)って言うんだぜ」

 

「……!」

 

 意外そうに、きょとん、と目を丸めるアレンに、クリフが重々しく頷く。その、クリフのしたり顔をしばらく見詰めて、アレンはこみ上げてくる笑いの衝動を何とか抑えて、すまない、と謝った。

 

「確かに。そうかもな」

 

「だろ?」

 

「ああ、確かに。俺は、フェイトや貴方に遠慮していない節がある」

 

「知ってるつーの!」

 

 顔を歪めるクリフに、ふ、と微笑って、アレンは図書館に向き直った。

 

「では、早速探そう。クリフ」

 

「へいへい」

 

 ぽりぽりと頭を掻くクリフが、図書館に入って己の決断を誤りだと確信したのは、――それから間もなくのことだ。

 

「んだ、この本の数はァああああああ!」

 

 とりあえず見てくれ、と手渡された本の山。

 絶叫するクリフに、アレンはただ冷ややかな視線を送ってくるだけだった。

 

「図書館では静かに。常識だ、クリフ」

 

 すぅ――……っ

 

 恐ろしく、底冷えする蒼の瞳に睨まれて、クリフは口許を引きつらせて、そういえばこの男はこういう男だった、と痛感したのだった。

 



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25.図書館

 小一時間――……。

 

 黙々とページをめくるアレンを尻目に、クリフは早くも飽きた自分を紛らわす為、目頭を揉んでいた。彼の手元には、一枚の紙片がある。

 アレンが五秒で描いた、メトークスのスケッチ画だ。たった五秒で書いた割には特徴をはっきり掴んでいるからか。植物図鑑と比べても見劣りしていない。

 故に、スケッチと図鑑を見比べる作業に少しも難しいところはないのだが――……。

 クリフは、ため息をついた。

 

「んとに、あんのかよ? メトークスなんて草……」

 

 愚痴る。もう十数回使いまわした台詞だ。だから、アレンが視線を上げることはない。おおよそ、検証しているというよりは、単に|捲(めく)っているだけとしか思えない速度で、図鑑を読み進めている。

 

 ぱらららららら…………っ

 

 クリフにしてみれば神業の速度(スピード)で、しかし、読んだ内容を、アレンは全て覚えているらしかった。

気分転換に、クリフが問う。

 

「そういや、お前がさっき読んでた『シランドの四季』って何が書いてあんだ?」

 

「p48の五行目から城周辺に関する植物分布図を|基本(コンセプト)に、p197までこの近辺に生息する草花の特徴が記してある。だが、メトークスに関する情報は無いな」

 

 おおよそ、本の著者よりも正確に暗記しているのではないか、と思われるような解答だ。試しに、クリフが確認してみると、ページ数どころか、書かれている内容の一言一句すらも、アレンは復唱してみせた。その驚異の記憶力に瞠目しながら、しかし、歳若い彼の、豊富な知識について、ある種納得がいく。

 

 天才、という奴だろう。

 

 ほぅ、とため息をつきながら、クリフは気を取り直して本と向き合う。正直、好きな作業ではないが、一度引き受けたからには、ないがしろにするわけにもいかない。

 自然、ため息が嵩んだ。

 

 

 ………………

 

 

 さらに、一時間。

 本を顔の上に置いて、すやすやと寝息を立て始めたクリフに苦笑しながら、アレンは黙々と本を読み進めていく。思った以上に資料が無い。

 アミーナの部屋に置いてあった医学書をもとに考えれば、もう少し実践的な書物があると思ったが、さすが宗教国家はアペリスになぞらえて本を出版することが多い。病になった時の祈祷法や、ならないための儀式。唯一の薬物知識たる蔵書は、打撲、打ち身、裂傷など外傷に対するものが多く、体内の異常――病は、ヒーリングで基礎代謝を上げて治すのが通説だった。

 

(……少し、方策を変える必要があるか……)

 

 ふむ、と唸りながらも、手は止めない。

 すでに百冊以上本を読んでいるが、――正直、参考の域を越えるものは何一つ無い。

 フェイト達も、そろそろ話を詰め終わる頃だ。

 手元の本を閉じる。クリフに向き直った。

 

「クリフ」

 

「お? 見つかったのか?」

 

 呼びかけると、間も置かずにクリフが身を起こした。もともと眠りの浅い男だが、寝起きも良いらしい。アレンは苦笑とも溜め息ともつかない息を吐いた。

 

「いや。大体の目星はついたが、確信までは……」

 

 クリフはしかつめらしく腕を組むと、ふむ、と唸った。

 

「やっぱ薬草学みてぇな専門書じゃねぇと解らねぇか?」

 

「恐らくな。後、考えられるのは伝承として人々に語り継がれている可能性だが……」

 

「おいおい、んなもん調べてたら一日じゃ全然足りないだろうが!」

 

 頭を掻くクリフに、アレンは首を横に振った。

 

「いや。そうでもない」

 

「あぁ?」

 

 アレンの視線が図書館の利用客に向いているのを察して、クリフは顔をしかめた。

 大体、メトークスに似た薬草があるのも解らない状況だ。彼の渋面は、当然だろう。

 アレンは、そこでクリフを制した。

 

「心配ない。俺が考えているのは、恐らく、かなり見聞の広い人だ」

 

「?」

 

 首を傾げるクリフを尻目に、アレンは読み終えた書物を棚に戻す。

 図書館を後にした二人は、昨日知り合った施術士の元へと赴いた。

 

 シーハーツ最強の施術士、アドレー・ラーズバード。

 

 城の兵に居場所を聞き出して、二人は城の裏手にある訓練場へと向かった。

 

「おぉ! おぬしらは!」

 

 兵の訓練をしていたのか、滝のような汗をかいたアドレーが二人を振り返る。その彼に、アレンはぺこりと一礼して、クリフがなるほどな、と短い感想を洩らした。

 

「どうした!? ワシとまた、手合わせ願おうというのか? アレン殿」

 

 男臭い笑みを浮かべながら、歩み寄るアドレーに、アレンは会釈した。

 

「名を覚えていただき、光栄です」

 

「これ! 一度剣を交え、互いを認め合った者に他人行儀になるでない!」

 

「……いえ。しかし……」

 

 言葉を濁すアレン。元が軍人なだけに、身分と年齢、両方の意味で目上の人物と対等な口調で話す事に抵抗があるようだ。

 

「気にするなというに!」

 

 しかつめらしく眉を寄せるアドレーに、アレンは困ったような微笑を返す。

 と。

 不意にクリフを向いたアドレーが、ぱ、と表情を輝かせた。

 

「む? ……おう! 主も一緒か! 確か、ネルの傍らに居った男じゃな!」

 

 人懐っこそうな笑みを浮かべるアドレーに、クリフは礼儀はいらない、という男に遠慮なく従った。

 

「初めまして、ってわけじゃねぇが……。アレン(こいつ)()の保護者をやってる、クリフ・フィッターだ。よろしく頼むぜ」

 

「うむ! お主も、初めて見た時から気にかけておった! アレン殿達の保護者という事は、かなりの実力者とお見受けするが」

 

「ま、そこはここで公開することじゃねぇだろ。……それより」

 

「む?」

 

 語調を落としたクリフに、アドレーが不思議そうに首を傾げる。と。傍らから、アレンが改めて言った。

 

「貴方に、幾つかお尋ねしたいことがあります」

 

 アドレーに言われたからか、気休め程度に言葉を崩したアレンは、そう言い置くと、図書館でクリフに見せていた、メトークスのスケッチ画をポケットから取り出した。

 

「この花について、何かご存知ないでしょうか?」

 

「むむ?」

 

 スケッチ画を渡されて、アドレーは顎に手を当てる。その様子から、彼に心当たりがあるのかどうかは今一つかめないが、対峙したアレンは、ある種の確信を得たように、ぐ、と身体を乗り出した。

 じ、とスケッチ画を見据えるアドレーに、静かに問う。

 

「……ご存知、ですね?」

 

(ホントかよ……)

 

 何やら断定的なアレンの語調に、クリフが肩をすくめる。と、スケッチ画から顔を上げたアドレーが、渋い表情のまま答えた。

 

「詳しいことは知らんがのぅ……。確か、サンマイトの辺りで見かけた花に似ておる気がするわい」

 

「マジかよ!?」

 

 ――ビンゴだ。

 思わず絶句するクリフをそのままに、アレンが表情を険しくする。

 

「ということは、サンマイト共和国の人間ならば解るかも知れないと?」

 

 さらに詳しい情報を聞き出そうとするアレン。その彼を横目で見て、クリフは彼が尋問術にも優れている事を思い出した。

 

(読心術っつぅより、こりゃ超能力じゃねぇか?)

 

 などと首を傾げながら胸中でつぶやく。

 だがアレンは、そのクリフの心境までは読めなかったのか、視線を、アドレーから離さない。

 

「いや……。というより」

 

 うぅむ、と手を顎に当てて唸るアドレーは、自身の記憶を探るように、視線を空に漂わせた。

 

「ルイドという占い師を訪ねてはどうじゃ? サンマイトの亜人の中でも、深い知識を持つ人物じゃと聞いておる」

 

「ルイド……、国境を越えることになりますね。解りました。ありがとうございます」

 

 思案顔を作りながら言うアレンに、こく、と頷いて、クリフはアドレーを見る。

 

「ちなみに、そのルイドって占い師の居所は?」

 

 クリフが問うと、アドレーはにやりと口端を吊り上げた。

 

「何なら、わしが案内してやるぞぃ!」

 

「!」

 

 アドレーの申し出にクリフとアレンが目を見開く。願っても無いが、旅に同行するとなれば、少なくとも他の二人にも断わる必要がある。任務外の私用をネルに強要するのは酷な話であり、フェイトもアミーナが助かる『かもしれない』と聞けば、メトークスを発見できなかった時の落胆が大きいだろう。

 自然、同じ考えに至った二人は、互いを探り合うように顔を見合わせた。

 

「……………………」

 

 しばしの、間。

 二人は同時に目を伏せた。クリフが、アドレーに向き直る。

 

「……いや、それには及ばねぇよ。アンタも今の戦況で持ち場を離れんのは得策じゃねぇだろ?」

 

「何を言うか! ラッセルに左遷されておるような老兵じゃぞ? 問題なくおぬしらの力になれるわい!」

 

 がん、とおおよそ、老兵らしくない大胸筋を叩くアドレー。その彼に、アレンが瞬きを落とした。

 

「本当ですか?」

 

 意見が合致したと思ったが、アレンが目を輝かせた。

 

「お、おい! アレン!」

 

 慌ててたしなめるようにクリフが呼ぶものの、アレンが返してきたのは自信に満ちた含み笑いだった。

 何か確信したように、に、と。

 蒼の瞳が、クリフを見据える。

 

「……………………」

 

 こういうときのアレンは、大抵何か企んでいる。

 クリフがため息混じりに肩を落とした。

 

「……ったく」

 

 アレンは嬉しそうに、少しだけすまなさそうにクリフを一瞥して、アドレーに向き直った。

 

「では、アドレーさん。貴方に頼みたいことがあります――……」

 

 続く言葉に、クリフとアドレーが、意外そうに目を丸くした。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

「これで、……よしっと!」

 

 施術兵器開発室の机に向かって、約三時間。比較的スムーズに作業が進んだとはいえ、ああでもない、こうでもないと推敲を重ねていったフェイトとディオンは、ようやく、紙面から顔を上げた。

 

「お疲れ様です。フェイトさん」

 

「ディオンこそ。……クリフ達はまだ戻ってないか」

 

「ええ。お呼びしてきましょうか」

 

 とりあえず、休憩がてらディオンが持ってきてくれたコーヒーに口をつける。こく、と半口ほど喉に通すと、フェイトは、今にも部屋を出て行こうとするディオンを引き止めた。

 

「いや、いいよ。多分、適当に頃合を見て来るはずだから」

 

「はぁ……」

 

 頷きながら、こちらに戻ってくるディオン。その彼を視界の端に、フェイトは、手元の資料を何気なく摘み上げた。

 

「こんなものでいいかな?」

 

 見落としがないかどうか、細部の設計図を、ざ、と見る。そのフェイトに、くす、と微笑って、ディオンはフェイトの机の側で足を止めた。

 

「問題ないと思いますよ。……まさか、今の素材条件でこれほどのスペックを叩き出すなんて……、さすがですね」

 

「……まあ、そこは科学者とは違う視点で兵器を考えたから、じゃないかな?」

 

「確かに。……このサンダーアローが、本当にフェイトさん達が為そうとしている事をお手伝いできたなら、多くの国民が、女王陛下が、お喜びになることでしょう。……それに、開発スタッフ(私たち)も」

 

 そこで、言葉を切ったディオンは、くい、と眼鏡を押し上げながら、ため息のような、微かな苦笑を零した。

 

「私達も、出来ればこれで、人殺しの兵器とはお別れしたいものです」

 

「ディオン……」

 

 その複雑な表情は、何と形容していいのか分からない。

 思わず、視線を落としたフェイトは、それから、ふるふると頭を振った。悲嘆は、同情は、もう終わりにすべきだ。

 やるべきことが、今はあるから。

 ソフィアのこと。ネルのこと。相反すると思っていた二つの想いを、ようやく繋げる方法を見つけたから。

 だからフェイトは、微笑った。

 精一杯、不敵に。

 少しは、その自信を、確信しているからこそ。

 

「任せてくれよ。……僕らは、その為に来たんだからさ」

 

 そのあまりに晴れやかな表情に、ディオンは呆気にとられたように、きょとん、と目を丸くした――。

 



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26.ロジャー・S・ハクスリー

 城門を抜けて。

 気晴らしに街に下りたネルは道行く人々との挨拶もそこそこに、王都の空気を楽しんでいた。

 

「……クリムゾンセイバー、か……」

 

 思えば、こんな事態になると誰が予想しただろうか。

 アーリグリフに勝つための施術兵器を完成させるために呼び込んだグリーテン人が、まさかシーハーツ軍の統括を図るとは。

 そしてそれを、少なくともネルは、心のどこかで歓迎している。

 

 彼等なら、信用できると。

 

 無謀としか言いようの無かったカルサア修練場の一件以来、何か、自分たちには無い可能性を彼等に期待してしまっているのだ。

 ただの過大評価かもしれないというのに。

 

「……やれやれ……」

 

 自嘲気味に笑ったネルは、そこで一度伸びをして思考を打ち切った。

 アーリグリフとの開戦以来、休みという休みを取っていないネルにとって、休め、と言われるのはなかなか難しい。クレアに散々心配性と言っている自分だが、身体を動かしていないと不安になるあたり、ネルも他人の事は言えないのかもしれない。

 

「……………………」

 

 そんなとりとめのない考えに、僅かに苦笑する。

 ゆるゆると流れるシランドの空気は、ネルにとって馴染み深く、優しい。どれほど疲弊しようと、どれほど任務が辛かろうと、この街の、この国の為なら仕方ないと、いつも思わせてくれる。

 この場所を失うくらいなら、と。

 

 ざっ……

 

 青々と茂る道の敷かれていない草むらを抜けると、墓地に出た。アリアスとは比べものにならないほど美しい花々で彩られた、精緻な墓地。正方形の白亜石を建てた、一際大きい墓石には、十年前の戦争で亡くなった、多くのシーハーツ兵の名前が刻まれている。

 

 ――ネーベル・ゼルファー。

 

 父の名も。

 それを無言のまま、じ、と見つめる。

 遺体はこの墓石の下にない。多くのシーハーツ兵同様、アーリグリフのどこか、名も無い所に放置されているのだろう。

 だが。

 

「……父上、見ていてください。私は必ず、この国を守って見せます」

 

 こうして語りかければ、言葉が父に届くような気がした。

 父のように立派なクリムゾンブレイドに、そう自分に、周りに叱咤される度に強く、父の存在を感じる。それが励みになる時も、重みになる時もあったが。

 彼女は今、真摯な気持ちでこの墓石と向き合っていた。

 クリムゾンブレイドに拝命された時のような高揚感でも、施力がうまく操れず思い悩んだ時のような、憂鬱な気分でもない。

 

 あるのは、使命感と一抹の不安。

 そして――、安堵という名の、ちょっとした確信。

 

「アイツなら……、彼等ならきっと、この戦争に新たな風を吹き込んでくれる……。そう考えている自分を、そんな風に思わせてくれる彼等を、私は信じたいと思っています。父上……」

 

 それが異国の民であるにも関わらず、ここまで真剣にシーハーツのことを考えてくれた彼等に対する感謝の気持ちだ。それがこの先、どういう結果を残すかは分からないが。

 それでも。

 戦う理由は出来ている。彼等を信じる覚悟も。

 アーリグリフには何も奪わせないと、戦争を終わらせると約束した、あのときから。

 

 数勘定を止めた、あの瞬間から。

 

 ネルは墓石に刻まれた父の名を見据えて――、深々と頭を下げた。その体勢のまま、しばらく制止する。そっと目を閉じて、己の言葉を噛み締めるように。

 

「……よし」

 

 つぶやくと同時、彼女は顔を上げた。

 これで、今日の元気をもらった。

もう動ける。

 そう思って、早速仕事にかかろうと踵を返す。と。シランド城に続く表通りで、何やら門番と子どもが、言い争いを繰り広げていた。

 目にしたネルが、ん?と首を傾げて足を止める。

 

「あれは……」

 

 言って首をめぐらせると同時、きょとん、と瞬きを落とした。

 その、言い争っている子どもに見覚えがあったのだ。――カーキ色のヘルメットを被って、丸い尻尾を揺らしている彼に。

 

「だ~か~ら~だなぁ!」

 

 大声を張り上げている子どもが、頭から湯気を立てんばかりの勢いでぴょんぴょんと跳ねた。苛立ちの所為で、顔が歪んでいる。

 

「オイラは麗しのお姉さまに会いにきたんだって! おっちゃん達! ちょっと通らせてくれてもいいじゃん!」

 

「ダメだ! すでに礼拝時間は終わっている! 城仕えのお姉さんに会いたいなら、その人の仕事が終わるまで待ちなさい」

 

「ケチぃいい!」

 

 ぎゃいぎゃいと喚く声はやはり、聞き覚えのあるものだ。

 ネルは一瞬、ぎくりと身体を強張らせた。

 

(……ま、さか……)

 

 胸中でつぶやくと同時、固唾を呑んで門番と少年のやりとりを見据える。

 ――彼がもし、あのときの少年だとしたら。

 ロジャーだったら。

 ネルは逃げようとする足を、どうにか留めた。

 

「お、ネルじゃねえか。何やってんだ? んなトコで?」

 

「!」

 

 びくっと身体を震わせて、ネルは反射的に振り返る。そこにはクリフとアレンがいた。不思議そうにこちらを見ている。肩のコリをほぐすように、腕をぐるぐると回すクリフは、状況を把握していないようで、小首すら傾げていた。

 

「ああ、アンタ達……」

 

 もう戻ったのか、と。いつもの調子で問おうとした瞬間、はっと目を見開いたネルは、慌ててクリフの口を塞いだ。

 ついで、ざ、と門前の少年の様子を窺う。

 と――、

 

「……ん? ネル……?」

 

 案の定、ぴくりと反応を示す少年に、ネルは、さっと血の気が引くのが分かった。

 

「っ、っっ!」

 

 だから、声には出さず、クリフの首をぎりぎりと締め付ける。

 

「ぐぉ、ぉおお……っ!」

 

 パンパンッとクリフが首を絞めるネルの腕を叩いたが、彼女は構わなかった。ぐい、と襟首を掴んだ手で、クリフの顔を引き寄せるなり、目で人を殺さんばかりの剣幕で睨む。

 

「……アンタ、ちょっと黙ってな!」

 

「い、一体……何だってんだ……っ!」

 

 がふ、と空気(いき)の塊を吐いたクリフが、白目を剥く寸前、遺言を残した。

 それを少し離れた所で見ていたアレンは、ああ、とつぶやくなり、門扉を見やって――、

 

「確か……ロジャー、という少年だったか?」

 

「っ、っっ!? アレンっ!」

 

 思いもよらぬ追撃に、ネルは息を呑んだ。声が悲鳴に近くなったのは、彼女の心境を表しているからだろう。

 振り返ったアレンは、不思議そうだった。

 

「どうしたんだ? ネル?」

 

 しかも名前まで呼ばれた。

 ――また。

 

(こ、この……っ!)

 

 短刀に手をかけて、ネルがそれを引き抜こうとした瞬間。

 

「おねいさまだぁああああああああ!」

 

「っ!?」

 

 門扉から、少年の叫び声が響いた。ネルが一挙動で臨戦態勢に入る。が。ロジャーは、すぐ目の前まで迫っていた。 

 

「っ、っっ!」

 

 目を見開いたネルが死を覚悟する。と同時。反射的に目を閉じた。

 両手で頭を庇うように、ぎゅ、と身体を小さくしている。

 

 ………………

 

 予想していたロジャーのすっぽん攻撃は、いつまで経ってもネルに届かなかった。

 

「……?」

 

 それを疑問に思いながら、ネルが、そ、と目を開ける。すると、そこにはロジャーを空中キャッチしたらしいアレンが、ロジャーを抱きとめていた。

 

「大丈夫か? 凄い跳躍力だったが……」

 

 恐らく門扉から続く長い階段を、一挙動で飛び降りたからだろう。瞬時に怪我をする、と判断したアレンが、咄嗟にロジャーを捕まえていた。腕の中に納めた少年を見下ろして、怪我が無いと分かると、彼は安堵の息をついて、ロジャーを地面に下ろした。――というのはアレン視点での話だ。

 ネルとの感動の再会を阻止されたロジャーは、地面に足が着く瞬間、ギラリと瞳を底光らせた。

 

「男がオイラに抱きつくなぁあああああ!」

 

 凄まじい踏み込み音と同時、体当たり(タックル)を放ったロジャーは、ヘルメットの先についた角をドリルのように回転させ、アレンに襲い掛かった。

 通称、『ラスト・ディッチ』。

 ロジャーがパルミラ平原で遊んでいるときに習得した、最強の頭突き攻撃だ。それがアレンの脇腹に決まる瞬間、反射的にアレンは拳を握りこんだ。

 

 ズドンッ!

 

「ふげっ!?」

 

 およそ拳らしからぬ音を立てて、ロジャーのヘルメット――についた『角』が、粉々に砕け散った。アレンの正拳突きで勢いを削がれたロジャーが、奇声を上げて、ぼてっ、と地面に崩れ落ちる。

 我に返ったアレンが、慌ててしゃがみこんだ。

 

「す、すまない! 大丈夫か!?」

 

「……………………」

 

 クリフは無言のまま、視線をネルに向ける。するとネルは頬に冷や汗をかいているものの、ロジャーの動きが気になるのか、固まった表情のまま、じ、と彼等の行く末を見守っていた。

 ちらりとクリフがロジャーに視線を戻す。

 奇跡的にロジャー自身には怪我が無かったのか、ピンピンしていた。

 

「痛てててて……っ」

 

 それでも頭をさすっているあたり、ヘルメットの『角』が無くなったことに違和感を覚えたのかもしれない。屈みこんだアレンが、心配そうにロジャーを窺ったが、少年からすればそんなものはどこ吹く風だ。

 きっとアレンを睨み上げるなり、叫ぶ。

 

「こらぁ! 子どもにはもうちょっと加減するのが礼儀ってもんじゃないのかよ!? 大人気ないにもほどがあるぜ! この非常識っっ!」

 

(良く言ったっっ!)

 

 クリフは思わず親指を立てた。

 相変わらず、小憎たらしい少年の物言いだが、この際どうでもいい。しかし、クリフの思惑など、この連邦軍人には通じないのか、彼は思い当たった素振りも無く、ロジャーに対してぺこりと頭を下げた。

 

「すまない。今のは完全に俺の不注意だ。……本当に、怪我が無くてよかった」

 

 ふぅ、と息を吐く。ロジャーはプンプンと頭から湯気を出さんばかりの勢いで怒鳴った。

 

「怪我が無くても痛かったじゃんよ!」

 

「それはすまない。……少し、じっとしてくれ」

 

 言ったアレンは、そ、とロジャーの頭の上に手をかざして、詠唱を始めた。途端。アレンの掌から青白い光が生まれる。

 それは淡く、ふわりと輝くと、すぐに四方へと散っていった。ヒーリングまではいかない。精神集中しただけの回復術だ。

 

「――どうだ? 痛むか?」

 

 気遣わしげなアレンの声。

 それを適当に聞き流しながら、ロジャーは、お、お、とつぶやきながら自分の身体を見下ろした。

 

「おぉ! すげぇじゃん! ……兄ちゃん、オイラの子分にしてやってもいいぜ♪」

 

「喜んでもらえてなによりだ」

 

 笑顔で見上げるロジャーに、アレンも笑顔で応える。そのアレンが、まさか子分になることを肯定したわけではないだろう、と胸中でつぶやきながら、クリフはアレンを窺ったが、彼の心情は良く分からなかった。

 

「だが」

 

 言い置いたアレンが、少し表情を険しくする。ちらりとネルを一瞥して

 

「ずいぶんと警戒されているようだが、君は彼女に何かしたのか?」

 

 静かに、しかし言い逃れを嘘を許さない厳しい声でアレンが問いかけた。ロジャーが思わず、う、と息を呑む。それも数秒で、彼は、ぶんぶんっ、と首を横に振るなり、目じりを吊り上げた。

 

「オイラがそんなことするわけねぇだろ、このバカチン! オイラはネルお姉さまに会うためにわざわざサーフェリオからやってきたんだぃ!」

 

「……サーフェリオ?」

 

 きょとんと瞬きを落として、アレンは視線を、クリフ、ネルに向ける。すると、げっそりした様子のネルが、重々と、だが答えてくれた。

 

「隣国、サンマイト共和国にある村の名前だよ。彼はサンマイト共和国の狸を祖とするメノディクス族なんだ。サンマイト共和国はシーハーツの北西にある亜人の国でね。サーフェリオは、シーハーツに最も近い村でもあるんだ」

 

「……!」

 

 ぐっと表情を引き締めるなり、アレンがクリフを見上げる。ああ、と気の無い声でつぶやいたクリフが、ぽん、と手を叩いて、アレンに頷き返した。

 

「こいつぁ、ちょうどいいんじゃねぇか?」

 

「……ああ!」

 

 顔を見合わせて頷きあうなり、二人の視線がロジャーを向く。

 

「んん?」

 

 彼等の視線に、ロジャーは首を傾げていたが――、不意にネルを振り返ると、輝かんばかりの笑顔で尻尾を揺らした。

 

「おねいさまぁあああああっっ!」

 

「きゃっ!?」

 

 ぴょんっ、と跳躍すると同時、ネルの口から、ネルらしからぬ声がこぼれた。瞬間。は、と口を塞いだ彼女が、顔を赤くする。彼女の足にガッシリとしがみついたロジャーは、嬉しそうにおねいさま~、とつぶやきながら、えへへと笑っている。

 すらりとしたネルの足は、低身長のロジャーでも容易く腕が回る。その彼を振り払うようにぶんぶんと足を動かしながら、ネルがそろりと視線を上げると、クリフとアレンが意外そうにネルを、ぽかん、と眺めていた。

 

「きゃ……?」

 

 思わず、と言った顔でつぶやきながら首を傾げる二人。その彼等に、更に顔を赤くしたネルが、叫んだ。

 

「アンタ達ねっ……! 私だってっ、……て! こら! 離れないか!」

 

「おねいさまぁ~~♪」

 

 反論も、ロジャーによって阻まれる。

 彼はすりすりとネルの足に頬をこすりつけながら、嬉しそうに目を細めた。ロジャーが頬をこすり付ける度に、彼の柔らかい耳がさわさわとネルの足に触れ、思わず、く、とネルが呻く。くすぐったさのあまり身をよじるネルの不意な艶かしさに、口笛を吹くクリフと、困ったように視線を逸らすアレン。

 が。

 こほんと一つ、咳払いすると、アレンは気を取り直してクリフを見上げた。

 

「これは……?」

 

 今一、状況をつかめていないのだろう。

 クリフはやれやれとつぶやきながら肩をすくめると、ネルとロジャーを顎でしゃくった。

 

「これは、も何も。あのチビがネルを気に入っちまったんだよ。……まさか、ここまで追ってくるたぁ思わなかったけどな」

 

 びたり、とまるで蝉かコアラのようにネルにくっついたロジャーが、クリフを振り返って、にやりと笑う。まるで己の偉業を誇るように。

 

「へっへ~んだ! デカブツごときにオイラの愛の深さが分かるもんか! ……オイラ、おねいさまと出会って以来、おねいさまの事が忘れられなくて、毎日やきもきしてたじゃんよ! そしたら、ゲロロのおっちゃんが、おねいさまがシランド(ここ)にいるって噂を教えてくれて……こうして出会えたのは、まさに運命ってやつじゃん♪」

 

 上機嫌に笑うロジャーに、クリフは何か言いたげな眼差しを向けてくる。それに苦笑したアレンは、ロジャーに視線を移して微笑った。

 

「そうか……。それは長旅だったろう。ここまで良く頑張ったな」

 

「おぅよ! 分かってるじゃん! 兄ちゃん!」

 

「おいおい、アレン?」

 

 労うアレンに、思わずクリフの表情が引きつる。そのクリフを振り返って、アレンは首を傾げた。

 

「こんな子どもが、わざわざ国境を越えてシランドまで来たんだぞ? 歩くだけでも大変な距離だ。……まったく、無事だったから良かったものの、あまり無茶をするな」

 

 無茶をするな、でロジャーに向き直ったアレンが、少し表情を強める。その彼に、お? と首を傾げたロジャーは、ドンッと大きく胸を張った。

 

「何言ってるじゃんよ! 危険な冒険にも足を突っ込む! それが、男を磨くための花道ってもんだぜ!」

 

 言い切るロジャーに、アレンは感銘を受けたのか、ほぅ、とため息を吐いていた。

 

「……意外に、しっかりしているな」

 

「おいおい! マジで言ってんのか?!」

 

 途端。問い質すクリフに、アレンは首を傾げながら頷いた。

 

「何故だ? この少年は、サーフェリオという所からシランドまでの旅が危険だと分かった上で、やって来たんだぞ? ……この歳で、物の分別がきちんとついている」

 

「『危険』の意味が分かってねぇだけだろが!」

 

「んだとぉ! このデカブツぅ!」

 

 プンプンと頭から湯気を発さんばかりの勢いで、ロジャーがクリフを睨む。そのロジャーをじろりと見下ろして、クリフは、あんだよ、と声音を落としながら膝を付いた。

 じっと。

 両者がにらみ合う。

 

 ――ネルの、足元で。

 

「アンタ達……」

 

 ゆらり、とアレンやクリフの援護を期待していた、ネルの体が揺れた。途端。はっと瞬きを落としたアレンが、慌ててネルを見る。

 

 ネルの体に、施力が集っているのだ。

 

 彼女の腕の、足の施紋が輝くのを見て、アレンはバッと彼女を振り返った。

 

「待……っ!」

 

 が。

 時、既に遅かった――……。

 

「吼えろ、我が雷! ……雷煌破ぁあ!」

 

 

 バリリリリィイイイイイイッッッ!

 

 ネルの右手から、盛大な雷が迸った。

 

 ズドォオオオンンッッ!

 

 途端。

 クリフ、ロジャー、アレンの居た場所が、雷光によって爆散した。直径二メートルの粉塵が、ズドンッと音を立ててシランド王都の景観を一瞬汚す。

 まるで暗幕を張ったように。

 粉塵が晴れると同時、けほけほ、と咳き込むアレンが現れた。

 

「無茶をしてくれるな……。ネル……」

 

 埃を少し吸い込んだのだろう。それ以外、特に目立った外傷のないアレンを睨んで、ネルは忌々しげに、ちっと舌打ちした。

 

「…………お前な……」

 

 彼女の不遜な態度に一言もらして、アレンは視線を、クリフ、ロジャーに向けた。

 

「怪我は無かったか? 二人とも?」

 

 左、右。視線を振ったが、見当たらない。

 

「?」

 

 首を傾げたアレンは、ふと、雷煌破が抉った地面の先を見据えて――、二人が、仲良く黒焦げになっているのを見つけた。

 だが幸いなことに、寸でのところでその先にある民家に被害は無い。

 それに目を丸くしながら、アレンは嬉しそうにネルを振り返った。

 

「大分、制御が巧くなったな。ネル」

 

「……まあ、ね」

 

 頷きながらも、微笑うアレンから、そっぽ向くネル。その彼女に、すまない、と声をかけて、アレンはクリフ、ロジャーに向き直った。

 

「二人とも、動けるか?」

 

 言いながら、手を貸してやる。ぐったりと道に横たわっていたクリフとロジャーが、のそりと身体を起こし始めた。

 

「死ぬかと思ったぜ……」

 

「……お、ねいさま~……」

 

 相変わらず、クリフの紋章に対する耐久力には問題があるな、と胸中でつぶやきながら、アレンは同時に、ネルの雷煌破をまともにくらって、黒焦げにこそなっているものの大した傷にはなっていないロジャーの頑強さに目を丸くした。

 途端。

 アレンの口元から、ふっと微笑が零れる。

 

(……なるほど)

 

 国境を越えて、わざわざシランドまで来るだけのことはあるらしい。

 アレンは改めて、クリフ、ネル、ロジャーに視線を送ると、城を一瞥して言った。

 

「ではそろそろ、フェイトの所に戻ろう」

 

「っ!?」

 

 アレンの発言がロジャーにも向いていることを悟ったネルが、ざ、と抗議の眼差しを向けてきた。それを制して、アレンは続けた。

 

「行きが無事だったからと言って、帰りまで無事とは限らないだろう? ……心配するな、彼の面倒は俺が見る」

 

 そうネルに耳打ちして。

 抗議の視線を送ってくるネルに、アレンは少しだけ苦笑した。

 



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フェイトくん修行編part2 むしろアリアスが来い!

 シーハーツ軍内で新たな役職を得たフェイトは、クリムゾンセイバーとして最前線のアリアスに向かうことを命じられた。

 

 聖王都・シランドからアリアスに向かうには、二つの広原を越える必要がある。

 一つ目のイリスの野を命からがら乗り越え、一行は『もう一つの難関』に辿り着いたのだ。

 

 パルミラ平原。

 

 シーハーツ国内でも有数の広大さを誇るこの平原を越えねば、安息の時はやって来ない。

 ――そう。

 この悪夢を終わらせるには。

 

 

 

 フェイトくん修行編part2 むしろアリアスが来い!

 

 

 

「人を相手にする為に、己の刃を加減する方法を、俺も修行しなければ……」

 

 悪夢の男が、恥も知らずにそう言った。

 

「その為に、俺達を利用するつもりかぁああああああっっ!」

 

 クリフの絶叫が、平原に響き渡る。

 移動中は――まさに“地獄”の真っ只中だ。

 

 

「ん? どういうコトじゃん、デカブツ? あの兄ちゃんは、何を言ってるじゃんよ?」

 

 ロジャーは、殺気立つ一行を不思議そうに見渡した。

 先ほどまで、和気あいあいとしていたのだ。――少なくとも誰一人、こんな妙に高いテンションでは無かった。

 (ペターニ)に居る時は。

 フェイトが剣を握り、叫ぶ。

 

「ついに……、ついにその剛刀を、僕に向けてくるつもりかぁああああ!」

 

「丘をぶった斬るようなバケモノ刀を、人に向けようってのか!? テメエの脳みそ、腐ってんじゃねえのかぁああああっっ!」

 

 クリフの叫びに、一同が同時に頷く。が。獲物を狩る瞳をした連邦軍人は、最早聞く耳を持たなかった。

 

 ぴしぃ……っ!

 

 空気が、張り詰める。

 フェイトは空に向かって叫んだ。

 

「アミーナァアアア! 僕に力をォおおおお!」

 

「行くぜっ! マイトハンマァアア!」

 

「ブレードリアクタぁあああ!」

 

「タレルマイン!」

 

「黒鷹旋!」

 

 フェイトの声を皮切りに、一同が一斉に技を放つ。

 剛刀・兼定を正眼に据えて――、アレンは大上段から一気に振り下した。

 

 ――斬っ!

 

 一閃。

 高さ三メートルほどの真空刃が、無情にもフェイト達の攻撃を斬り伏せる。『技』だけに飽き足らず、その先にいる――術者達まで。

 アレンは無言で息を呑み、手元の兼定を見下ろした。

 

「……これほどの力を乗せて放っても、ビクともしないとは……! ……兼定っ!」

 

 昔使っていた(シャープネス)でさえ、今程度の気を乗せれば、剣軸がブレてしまった。

 だがこの剛刀は、ブレるどころか気を増長してくる。気負った一閃では無かったにも関わらず、フェイト達の必殺技を全て両断して見せるほどの斬撃と化したのだ。

 

「これが……、兼定……!」

 

「んなことより、早くフェアリーライト撃てよテメエ! こちとらテメエの空破斬で全滅なんだよ!」

 

「……ハハッ」

 

 フェイトは思わず笑った。あまりの理不尽に、乾いた笑みが零れたのだ。

 

「ちょ、ちょっと新入り! しっかりしなよ! ……マズいね。新入りのタヌキ、まともに喰らったみたいだよ……」

 

「お前、いくらなんでもガキ相手に……!」

 

「よせよ、二人とも。アイツがそう言う奴だって事は、最初の最初に分かってたことじゃ、ないかぁああっっ!」

 

 話の終わりは気合いをこめて、フェイトは立ち上がった。

 

「フェイト……!」

 

「逞しくなったじゃないか、フェイト……!」

 

 クリフとネルが、感慨深げにフェイトを見る。

 クリフはフッと微笑い、鼻の下を指でこすった。

 

「まったくだ。初めて会った時は、どうすんだこの青二才と思うほどにヘボい奴だったが、いつの間にかデカくなってやがったな」

 

「フッ……誰が青二才だこの野郎っ!」

 

 ぱしぃっ!

 

 いきなり振ってきたフェイトの上段切りを、クリフが白刃取りで止める。

 

「テメエ……!」

 

 カチカチと鳴るバスタードソード越しに、クリフはフェイトを睨みつけた。

 ネルが叱責してくる。

 

「圧倒的な力の差に絶望したからと言って、現実逃避すんのは止めなっ! 敵は待っちゃくれないんだよ!」

 

「クッソォ~! このクリフ、かつて無いほどのピンチだ!」

 

「フッ……そうか。僕はこんなピンチをしょっちゅう味わってきたような気がするよ。毎日、毎日! あの馬鹿、ちったぁ加減って言葉を覚えろぉおお!」

 

 フェイトが剣を握り締めると、アレンに向かって踏み込んだ。

 対峙したアレンが、ニッ、と笑う。

 

「不屈の闘志だな、フェイト。――来いっ!」

 

「てぁあああああっっ!」

 

 当初から比べれば、数段鋭くなったフェイトの踏み込み。

 切り合いながら両者、すれ違う。

 次の瞬間、フェイトのバスタードソードが、スパッと音を立てて柄から斬り落されていた。

 

 ズババババァッ!

 

 血飛沫が舞う。

 持っていたバスタードソードの刃ごと、膾切りにされたフェイトが、前のめりに倒れていった。

 

「フェイトォオオオオオ!」

 

 クリフが、劇画タッチの渋い顔で叫んだ。

 

「チッ! 大口叩くだけでまったく使えなかったね……!」

 

「テメエは鬼かっ! むしろあの悪魔に、一人で挑んでいった勇敢さを褒めろよっっ!」

 

「それにしたって、あいつに手傷の一つも負わせてくれりゃ、まだ攻め込めたんだ。無傷ってんなら、こっちの戦力が一個減ったに過ぎないんだよ!」

 

「女って奴ぁ、時たま打算で動きやがるからな……」

 

 クリフがどこか冷めた顔で遠くを見つめる。

 と。

 対峙した連邦軍人が、二人に向き直った。

 

「どうした、クリフ。ネル。来ないなら、こちらから行くぞ」

 

「クソが! 来るなら来やがれっ!」

 

「そう何度も何度も、アンタの思い通りにはならないよっ!」

 

「では遠慮なく。――朧・弧月閃っ!」

 

 下段から斬り上げ。

 

 ゴォ――ッッ!

 

 剣先に宿った『気』と剣風、そして『衝撃波』が、パルミラ平原を走った。

 

「フェアリーライト」

 

 構えを解き、連邦軍人は容赦なく唱える。

 回復魔法が、仲間全員に降り注いだ。

 起き上がったクリフが小さく笑う。口端を引きつらせて。

 

「ヘッ……まったく絶妙だぜ。気を失う寸前でかけて来やがる……!」

 

「本当、ありがたくって涙が出るね」

 

「さあ。そろそろあいつから一本取ろう。クリフ、ネルさん。――もう充分だろ? 皆で力を合わせれば、あの悪魔を討伐する事だって出来る筈だ」

 

「やってやろうぜ!」

 

「望むところさ」

 

 ぐっ、と互いを見合い、頷く三人。

 ロジャーは少し離れた所で、大きな瞳をパチパチと瞬せた。

 

「兄ちゃん達……、いっつもこんなことやってんのか?」

 

「さあ、兼定。お前の限界を見せてくれ」

 

 剛刀を握った軍人は、『人に向ける』という肝心のコンセプトを忘れたようだった。

 

「死ねぇええええ! アレェエエンッッ!」

 

 瞳に殺意を滾らせながら、フェイト、ネル、クリフは得物を手に踏み込む。

 

「フェイト兄ちゃんっ! デカブツぅっっ! ネルおねいさまぁああ……!」

 

 ロジャーの絶叫が、どこまでも響いていった。

 

 

 

 ……………………

 ……………

 

 

 

「誰も……誰も、オイラの声に答えてくれなくなったじゃんよぉ……。……皆、燃え尽きたように倒れ込んじまった……」

 

 ロジャーは静かになった周りを見渡して、不安げに、タヌキの尻尾を揺らした。

 死屍累々。

 言葉通り、ロジャーの声に反応する者は、誰一人も残されていない。

 ――剛刀を握る、軍人でさえ。

 

「いかん……。人に向ける為に加減を覚えるつもりが……この刀の可能性を見ようとしてしまった……! これは俺のミス……! 俺もまだまだ修行が足りない……!」

 

 だんっ、と平原の地面を拳で叩き、アレンは奥歯を噛みしめた。

 

「もっと、……もっと訓練しなければ……っ!」

 

 さすがに自責の念に駆られたのか、彼は兼定を握り、しばらくうずくまった体勢から立ち上がって来なかった。

 

 

 こうして、パルミラ平原での彼等の死闘は、アリアスに辿り着くまで続いていった――。



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ohter phase1 アーリグリフへの訪問者
1.ウォルター


カルサアを訪れた少女のサイドストーリーです。
本編『14.尋ねびと』以降のアーリグリフ視点。


「ぎ、ぎ……銀河連邦をご存じないっっ!?」

 

 激しく机を叩いて、彼女は風雷兵に詰め寄った。

 ウォルターの屋敷内にある取調室。のどかなカルサアの陽射しが、嵌め殺しの窓から室に降り注いでいる。

 取調官と書記官の風雷兵達は、彼女のただならぬ剣幕に押されながらも、渋面を浮かべて確かに頷いた。

 途端、顔面蒼白になった少女が、慌てて背を向けうずくまる。抱え込むようにして取り出したのは、この惑星には存在しえないはずの小型通信機だった。

 

(こ、こここここっ! コンピュータさん! こ、ココッ、い、いいっ、一体どこですかっっ!?)

 

 彼女がガタガタと震える指でオートオペレータの指示を仰ぐ。

 しばらく間を置いて、ぴぴ、という電子音が立った。検索終了の合図だ。

 

[惑星の名はエリクール2号星。重力0.9G、大気組成は地球に近く呼吸に問題ありません。住民は人間型。技術レベルは地球の十七世紀程度。銀河連邦が定める条例を適用すると、『未開惑星』です]

 

「っっっんなっっ!」

 

 絶句と同時。彼女は勢い良く立ち上がる。

 すると膝が机の脚にぶち当たって、全身に電流が走ったように力が抜け、少女――ナツメは息を殺して呻いた。

 また、違う意味での絶句が洩れる。

 

「だ、大丈夫か?」

 

 気遣わしげな風雷兵の声。その彼等に、大丈夫だ、と手を振ってから、ナツメは改めて姿勢良く、素早く座りなおしてみせた。

 

「私の言ったこと、忘れてください! お願いします!」

 

「それは、どういった意味かな?」

 

「えっと……。探し人がいるのは確かなんですけど、どうもこちらの事情で、身元は明かせないみたいで……」

 

「ほぅ? それは異な事じゃのぅ」

 

 不審さしか感じさせないナツメの正直な言葉に、風雷兵たちが気色ばんでいくそのときだった。入口から老人の声が滑り込んできて、風雷兵たちが慌てて席を立つ。

 

「ウォルター様!」

 

「……?」

 

 ナツメは二人の兵士につられて入口の戸を見やった。

 入ってきたのは、声の印象と同じ六十代の男性だ。禿頭が目立つ白髪を丁寧に撫でつけ、深い皺が刻まれた顔に収まった瞳が、じ、とこちらを見据えてくる。紫色の上等なマントを羽織った老人は、見るからに好々爺の、優しい笑みを浮かべていた。

 

「ウォルター様……、この方が!?」

 

 ナツメが風雷兵を見ながら、老人を凝視する。老人は、いかにも、と首を振ってきた。数々の激戦を繰りぬけて来ただけあって、不審者が目の前にいるというのに、落ち着いた物腰だ。

 ナツメは表情を改めた。席を立ち、床に膝をついて深々と頭を下げる。

 

「お願いします。この国に落ちたと言う飛行体の、乗組員に会わせて下さい」

 

 突然の物言いなのは彼女も分かっていた。

 それでも――……

 

(アレンさんなら、きっと生きている筈だ……)

 

 拳を握り締めて、ナツメは祈るように老人の言葉を待つ。

 

「会うて、どうするつもりじゃ?」

 

 至極当然の問いが上から降ってきた。

 ナツメは膝をついた体勢のまま、顔だけを上げた。

 

「共に帰ります。……私は、あの人を迎えにここまで来たんですから」

 

「ほぅ?」

 

 意味深な視線を送ってくるウォルターを、じ、と見据える。老人の印象は確かに好々爺だが、瞳の深さが常人とは違う。鈍色の眼光を放つ、その瞳だけは。

 ナツメは厳しい表情で押し黙った。老人という外観に惑わされてはいない。相手は相当の修練を積んだ武芸者だ。だが今は取調べの為に、腰に差した刀と剣を預けてある。

 今、ここにいる兵と共に斬りかかられれば――……。

 そう考えて、ナツメはきゅっと唇を引き結んだ。

 

(……でも。私だって、負けられません!)

 

 ウォルターを睨み上げる。

 そのときウォルターの瞳に、好奇の色が混じった。彼女と同じく老人もまた、少女の力を量っている。

 

(こやつ……、この状況で我等が手を出せば、返り討ちにするつもりじゃ……!)

 

 どこにでもいる小娘に思えた。

 黒髪黒目の幼い少女。だが、瞳に強い意志がある。

 ウォルターは見せつけるように悠然と踵を返した。

 

「良かろう。……しかし彼の者達は今、この国にはおらん。情報が欲しくば、己で手に入れるが良い」

 

「どこかへ向かった、という情報も入ってないんですか?」

 

「隣国、シーハーツの兵にさらわれての。それきりじゃ」

 

 ナツメが目を見開いた。彼女の全身を、怖気が走る。

 

「……っ、っ本当ですか!?」

 

 勢い良く立ち上がっていた彼女は、一瞬で思考を回転させた。

 当然だ。

 いつもの、万全の状態のアレンがさらわれたのならば、心配するに値しない。だが今回は事情(ワケ)が違った。

 アレンと別れた、ハイダ近くの第七深宇宙基地。

 彼は重傷を負った身で、バンデーンを追ったのだ。民間人の避難と護衛に連邦が追われ、軍人の治療が後回しにされた、あのとき。

 

 ――バンデーン艦の砲台から、民間人のシャトルを庇ったあの身体で彼はナツメと別れた。

 

 正直、普通なら生死を確かめる必要などない。

 小型船の船内を紅く染め上げた出血量。そして、あのバンデーンとの戦いで、生き残った第七基地の連邦艦は一つとてない。

 だが。

 

(アレンさんなら、きっと……。そう思ってたのに)

 

 身体が震えた。精神統一にもう一度、拳を握って己を戒める。この目で確かめるまでは、そう自分に、また言い聞かせる。

 

「シーハーツ……。確かアペリス教、という宗教を統括している国ですね」

 

 静かにつぶやく。

 さらわれた。

 それが未開惑星以外で起こったなら、生死不明だ。だがここが未開惑星である限り、彼等は生きたアレンに価値を見出す筈だ。死体には興味がないだろう。

 ナツメはウォルターから取調官の風雷兵に視線を移し、一礼した。

 

「……失礼しました。私は、この国を出ます」

 

 言って、右手をかざす。預けた刀剣を返せ、という合図だ。

 戸惑う風雷兵に、ほっほ、とウォルターの笑い声がかけられた。

 

「……?」

 

 それが自分に向けられたものだと察したナツメが、ウォルターを振り返る。老人は、好々爺の仮面を被ったままに言った。

 

「そう急くでない。我が国とシーハーツは戦争中じゃ。いま出て行った所で、おいそれと国境は越えられぬぞ?」

 

「……見逃しては、もらえないんですか?」

 

「当然じゃ。あの乗組員の仲間と言うからには、いろいろと聞いておかねばならぬことが山積みじゃからの。……ただでさえ不審者のそなたが、シーハーツのスパイという可能性も拭えまい? 故にそなたを、現時点で我が領内から出すつもりはない」

 

 ウォルターの言葉に、ナツメが目を細めた。少女の顔が、戦士の(それ)へと姿を変える。

 黒き瞳が冷える。

 およそ十五、六の少女とは思えぬほどの、壮絶な鬼気である。

 

「……っ!」

 

 室内に居合わせた風雷兵達が、どちらともなく息を呑んだ。身が竦んでいる。

 だが、ウォルターだけは臆せず少女を見返している。

 

「では、私と戦いますか」

 

 まだ得物を手にしていないのに少女の声音は酷く落ち着いており、そして、鋭い気を孕んでいた。

 

 ――この国(アーリグリフ)の誰よりも純粋な剣気だ。

 

 ウォルターが笑う。

 これほどの剣士の原石と言わんばかりの少女を、逃すつもりはないのだ。――そして、ここで戦うつもりも。

 

(わしがもう二十、若ければのぅ……)

 

 手合わせるには老い過ぎた自分に苦笑しながら、ナツメを見る。彼女はわずかに腰を落としていた。

 

「だからそう急くでない。近頃の若者は、せっかちでいかんの」

 

「……どういうつもりです?」

 

 抑えたナツメの声。気を和らげたのではなく、隠したのだ。

 つまり(こころ)をそこまで操れる、ということである。

 

(その若さで……!)

 

 ますます興味が湧く。

 ウォルターは、好奇の笑みを消そうともしなかった。

 

「我等も彼の者達の追跡を全力で行っておる。……どうじゃ? お主、兵になってみぬか?」

 

「なっ!?」

 

 がた、と取調官と書記官の風雷達が立ち上がった。

 彼等の反応を尻目に、ナツメはウォルターを、じ、と見ている。用心深い眼差しだ。

 ウォルターが続けた。

 

「兵になれば、シーハーツの情報は自ずと手に入る。そして、主の活躍次第では彼の国を自由に行き来することも可能になるじゃろう。……闇雲に一人で捜すより、組織力を手に入れた方が効率的じゃと思うがの?」

 

「……………………」

 

 腰溜めに構えた彼女の体勢は、まだ変わらない。

 だが――……。

 

「分かりました」

 

 しばらくの逡巡の後。ナツメは構えを解いた。取調室に籠もっていた剣気が晴れていく。少女の頬が緩んだ。

 

「全面的に信頼できる内容ではありませんが、その話、乗ります。……しかし、約束を違えた時は容赦しませんよ」

 

「ほっほ。それでよい」

 

 頷くウォルターに、ナツメは安堵したように笑い返した。そうしていると、ナツメはやはり、あどけなさを残した十五、六の少女に過ぎない。

 見慣れぬ軍靴の踵を揃えて、ナツメは敬礼する。

 

「では、これからよろしくお願い致します。ウォルター様! 私はナツメ・D・アンカースと申します!」



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2.入団試験

 ウォルターの勧めでアーリグリフ軍に志願したナツメは、数日後に風雷兵の軍牛馬(ルム)の背に乗せられ、王都に向かうことになった。

 

 入団試験は、城で行われた。内容は新卒兵で一番の出世頭になると期待されている中流貴族の息子との模擬戦だ。ここで成績がよければ即漆黒入り。悪ければ即退場の流れとなる。

 ナツメの真価がようやく発揮される――かに思われた。

 が。

 彼女は腰の二振りの得物――二刀流を使う者は普通大小を帯刀するが、なぜか彼女は刀と剣という作りのまったくことなる武器を二振り、差していた――そのいずれにも手をかけなかった。

 対戦相手にあてがわれた兵士、ウィリー・スタンツは五歳のときから徹底した英才教育で剣を磨いてきた優良株だ。彼の名を知る者は少なくない。特に、貴族の中では。

 その好評が影響してか、それとも相手が女であるからか。入団試験が始まった当初は誰もが、細身の少女の敗北を信じて疑わなかった。

 

「やあっ!」

 

 鋭い踏み込みと同時。流れるようなウィリーの振り下ろしを、ナツメは半歩、右足をさげて避ける。ついで追いすがるような横薙ぎを身体をしならせるだけでかわし、ぐ、と前に踏み込んだ。ウィリーの顔と数センチの距離。突如迫ったナツメに、懐に潜り込まれたウィリーが、う、と息を呑む。

 瞬間。

 ウィリー・スタンツの額に、痛烈なデコピンが炸裂した。

 

 ぺんっ!

 

 軽快な音を立てて、ウィリーの白い額に屈辱の赤い痕が刻まれる。

 最初、何が起こったのか、みなには理解できなかった。

 ただ――。

 

「私の勝ち、ですね」

 

 に、と朗らかに笑むナツメと目が合って――じわり、と広がったデコピンの感触に、ウィリーは呆然と額に手をやり、目を見開いた。

 

「なにをっ!」

 

 言って、油断した彼女に剣を突き立てる。

 いや、立てようとした。

 が――。

 

 動かない。

 

「……?」

 

 不思議に思って剣尖を見る。そこには、ウィリーの刃先を、二本の指でしっかりと挟んだナツメの姿があった。

 

「っっっ!」

 

 恥ずかしくなって、慌てて剣を納めようと引く。が。微動だにしない。

 あれほど、細い指をしているのに。

 あれほど、か細い腕なのに。

 それを認めた瞬間、ウィリーは力なく、剣から手を離した。だらんと垂れた両腕が、彼の頭まで押さえ込んだように下を向く。

 試合は、あっけなく終わった。

 

 

 

(やはりダメか……)

 

 うぅむ、と唸るウォルターの隣で、アーリグリフ国王アルゼイが柄にもなく、ぽかんと口を開けていた。

 ウォルターが推薦する人物であるから当然と言えば当然かもしれないが、まさか新兵No.1の『漆黒』として入団した彼が、こうもあっさりと敗れるとは。

 そのとき、

 ウォルターの背後で、鍔鳴り音がした。

 

「……フン」

 

 聞き知った声に、ウォルターは思わず、ほくそ笑みそうになるのをこらえて、重々しく問いかける。

 

「……やる気か? 小僧」

 

 問うと同時、視線だけをこちらに送って、アルベルが席を立っていく。

 その背を見送って、ウォルターはおもむろに口端をつりあげた。

 

「ほっほっ。やっと面白くなってきおったわい」

 

 思わず洩れ出た言葉を、隣にいるアルゼイは苦笑混じりに聞いていた。

 ――あの他に興味を示さないアルベルに、今日だけは絶対にここにいろと厳命した、この老人は侮れないとつくづく思い知りながら。

 

 

 

(よし! これで入団できる! これでようやく! アレンさんに近づけるぞ……!)

 

 嬉々として拳をにぎりしめる少女に、アルベルは大股で歩み寄る。

 きっかり2メートル。

 一足で刀の間合いになる地点にアルベルが立った瞬間、ナツメが、は、と振り返った。同時、アルベルの殺気に反応した彼女の瞳が光を宿す。

 

「ほぅ……。どうやら、ただのクソ虫ではないようだな……」

 

 その底冷えするような彼女の瞳を見つめて、アルベルは酷薄な笑み、無造作に得物(カタナ)を抜く。

 

「……ほぇ? あの……」

 

 試合は終わっていた。と、途中で気付いて、ナツメが我に返り、視線を迷わせる。瞬間。容赦ない刀の一閃が、つ、とナツメの頬を裂いた。

 驚いたように、じ、とナツメがアルベルを見る。

 

「余所見してんじゃねぇ。阿呆」

 

 言い終わるや。アルベルが地を蹴る。無造作に襲う横薙ぎの一閃を、ナツメは今度こそ見逃さなかった。

 

 ガキィッ!

 

 咄嗟に鞘で受け止めて、彼女は歯を食いしばる。

 受け流す――。

 そう考えたときには、続けざまの一閃が、真横に迫っていた。

 

 ぎきぃっ!

 

「くっ!」

 

(速い――!)

 

 舌打ちと共に零れた感想に、ナツメは一度だけくれた迎撃のチャンスを不意にした事を後悔した。

 ともかく、距離を取らねば――。

 

「逃がすかよっ!」

 

 追いすがるような、しかし、ウィリーの太刀筋とは比べ物にならないほど精錬された一撃一撃が、縦横無尽に襲いかかってくる。今度は刀を抜いている時間が――ない。

 ナツメの眼に、再び鋭利な光が宿った。

 一定タイミングで襲い来る横薙ぎを、――その中の一撃を、ナツメは思い切り弾き飛ばす。と同時。上体を沈めて、()り出したアルベルの足元にローキックを叩き込んだ。が。バックステップでかわされている。その勘の良さに目を細めながらも彼女も、ざ、と後ずさる。

 両者に空いた間は、最初と同じ、2メートル。

 だが明らかに、その場を包む空気が変わっていた。

 ナツメの手が、やっと刀にかけられる。

 

「ようやくその気になったか!」

 

 壮絶な笑みを浮かべるアルベルを、ナツメは正面から見返した。

 と。

 踏み込んだのは、アルベル。

 ナツメはまだ、動かない。

 

(なに――っ!?)

 

 首をかしげるウォルターを余所に、蛇行しながら猛スピードで迫るアルベルの一閃が、ナツメを捕らえた。

 と同時。

 

 ぎぃぃ……ぃぃいんっっ!

 

 甲高い金切り音と共に、ウォルターは絶句した。

 空に真一文字の斬線を描かれる。アルベルと交差した、ナツメの軌跡をなぞるように。ナツメは、刀を振り切っていた。

 

「何が……、起こったんだ……?」

 

 傍らでアルゼイ国王が首をかしげている。事態が把握できないのも無理はなかった。ていない。ウォルターですら、自分の目を疑ったほどなのだ。

 あまりにも鮮やかに、アルベルの一閃を切り崩したあの少女の抜刀術。

 完全に待ちに徹した、あの奇襲攻撃法は、アーリグリフには存在しない武術だったのだ。

 

「……っ!」

 

 居合いという概念を知らないウォルターは、美しい、と思った。

 素直に、心の底から。

 

(こんな……っ! 剣術にこんな型があったとは……!)

 

 その感嘆の間にも、ナツメの攻撃は続いている。

 居合いで払われた初撃の所為で、アルベルの身体が一瞬、外に開ききる。その隙を、容赦ない上段振り下ろしが襲う。舌打ちし、アルベルは咄嗟に身を翻した。だが不安定に傾いだアルベルの胸に、横薙ぎの一閃が追いすがる。

 胆の冷える思いで、アルベルが手甲で弾く。――ぎりぎり、間に合った。

 そのとき眼前の少女が、もう一振りの愛剣、シャープエッジに手をかけた。

 

「クロスラッシュ!」

 

 アルベルが予想するよりも断然速く、剣が抜き放たれ、上段から切り下ろされる。

 

「甘いっ!」

 

 それを刀で弾いた。

 瞬間。

 ナツメの横薙ぎが、アルベルの胴めがけて襲い掛かる。

 踏み込む速度が、尋常ではない。

 

「ッッ!」

 

 ギキィイイイインッ!

 

 火花が散るほど凄惨なナツメの横薙ぎ。

 対峙したアルベルは、絶句しながら、どうにかして横殴りに剣を流した。

 すれ違う様に交差した両者は、体位を入れ替えて、再び互いをにらみ合う。

 距離は、約四メートル。

 アルベルが動かない限り、一瞬にして埋められない間合いだ。

 普通なら、そうだった。

 

 が。

 

 雪が舞う。

 剣と刀を携えた少女を、まるで霞ませるように。

 アルベルは、静かに刀を握り直した。ちゃり、と鍔の鳴る音を聞きながら、開いた間合いを、詰めるタイミングを推し量る。

 瞬間。

 

 フッ……

 

 雪に霞んだ少女の姿が、完全に消えた。

 

「何っ!?」

 

 思わず目を見張る。瞬間。

 

 ガキィイイイイッ!

 

 半ば勘で振るった刃が、偶然、ナツメの剣戟を防いだ。

 

「ッ!」

 

 背に汗がにじむのを感じながら、次いで、袈裟状に切りつけてくるナツメの一撃を、今度こそ刀で受け止め、アルベルの体勢が崩れきったところを狙うかのような、下段からの切り上げに、つんのめりながら紙一重でかわす。

 アルベルの鼻先をナツメの刀が通り抜ける。さらりとした彼の髪が数本、宙を舞った。

 と。

 不意に背を向けたナツメに、アルベルが勝機を見る。その時。

 

 ぞく……っ。

 

 いきなり背を這った悪寒に、アルベルは、握り直した刀を振り下ろすことを咄嗟に躊躇した。

 同時。

 

「ケイオスソード!」

 

 ぐぉっ!

 

 異様な、青白く光る刀身が、ナツメによって振り上げられた。それは今までの太刀筋とは比べ物にならないほどの剣速を誇り、風を巻いて地面から巻き起こる。

 途端。

 地面が、薄く割れた。綺麗な断面を描いて、ざっくりと。

 そのあまりの破壊力に、ウォルターは固唾を飲み込んだが――、

 

「こ、降参……です……」

 

 今にも死にそうな声でナツメがつぶやいている。ウォルターは、は、と我に返った。

 寸での所で攻撃をかわしたアルベルが、ナツメの喉元に鉄爪を突き立てていたのだ。

 

「こ、小僧……!」

 

 大地に達するほどの剣線が自分のすぐ傍らをすり抜けたのだ。極度の緊張に捕らわれていたアルベルの頬には、冷たい汗が一筋、つぅ、と流れている。

 が。それも一瞬のこと。

 アルベルは左腕を下ろすと、一つ息をこぼして、颯爽と刀を納めた。

 

「……ふん」

 

 もう身を翻している。その彼の後ろ姿に、ウォルターは自分の拳が打ち震えるのを感じた。

 

(これは……!)

 

 この戦乱の中、彼がウォルターの認識している以上に、強くなっているのは感じていたが、まさかこれほどの相手にこうも鮮やかな戦いを見せてくれるとは――。

 実際、終わってみればナツメは、アルベルの髪数本を切ることしか出来なかったのだ。

 少なくとも、ウォルターにはそう見えた。もしも今のが真剣勝負だったなら、ナツメは――。

 そこまで考えて、ウォルターは、は、と目の前の二人に視線を戻した。

 

「お強いですね! それも物凄くっ! 私! アレンさん達以外に全部攻撃をかわされたの初めてですっ!」

 

 目をキラキラさせながら、ナツメが早口にまくしたてる。アルベルはもう興味を失ったのか、去っていく歩幅を緩めない。

 ナツメは構わなかった。変わらぬ調子で、追いかけながら話を続ける。

 

「どんな鍛錬をなされているのですか!? 私、自分以外の女性の方に力負けしたのも初めてでっ!」

 

「……あ?」

 

 空耳のように聞こえた彼女の言葉に、アルベルは思わず眉をしかめた。

 

「ウォルター様も言ってくだされば良かったのにぃ~♪ ルムにも飛竜にも乗ってないってことは、漆黒ですよね!?」

 

 はしゃいでいるナツメを尻目に、城の訓練場にはかつてないほどの緊張感が走っていた。

 そんなことにも気づいていないナツメは、ウォルターに向かって叫んだ。

 

「漆黒には私以外女性がいないだなんて! ここに立派な方がいらっしゃるじゃないですか! 年上美人さんが!」

 

 びし、とアルベルを示して、ナツメは何やら夢見ている。その彼女の言動に、誰もが思わず凍りついた。中には、ひっ、と悲鳴を上げる者もいる。

 静寂。

 最初に動いたのは、言われた当人だった。

 

「……なんだと?」

 

 壮絶に険しく歪んだアルベルの瞳が、殺気をたたえて振り返る。

 

「え? あれ? いや、でも服装が……」

 

 ようやく、不穏な空気を察したナツメが、合点の行かない様子で、きょろきょろ、と周囲を見渡す。と同時に、ざ、と鉄爪を構えたアルベルが、無造作にそれを振り下ろした。

 

「いい度胸だ、この阿呆!」

 

「え? うわぁっっ!」

 

 紙一重で、かわした。だがアルベルの猛威は、その程度では終わらない。すでに、二、三の手が、ナツメに伸びている。

 

「え? え? えっ! あの……っ!?」

 

 かわす度、徐々に速度を増していくアルベルの鉄爪。

 ついに、ナツメが身体を百八十度反転させて逃げ出した。移動しながらも、攻撃の手を休めないアルベル。涙目になったナツメが、空しく叫ぶ。

 

「た、たぁ~すけてぇ~っっ!」

 

 その二人のやりとりを、しばらく呆然と見守っていたウォルターは、ふと、我に返った。途端、笑いの衝動がこみ上げてくる。

 

「ぷ……っ! ほっほっほっほっ! ナツメ! それは違うぞ。そ奴はアーリグリフ三軍の一つ、重騎士団『漆黒』の団長、アルベル・ノックスじゃ! ほれ、いろいろと屋敷で教えてやったろう? 昔、ルムをぶちまけたクソ生意気な小僧じゃよ」

 

「っ! じじい!」

 

 思わず、アルベルの足が止まる。と同時に、ぽん、と彼の後ろで、手を叩くナツメの気配が上がった。

 

「あぁ~! あの(・・)!」

 

 反射的に、ナツメを睨む。彼女は必死な顔で口元を押さえて首を振ってきたが――、すぐに視線を逸らされた。

 

「……っ!」

 

 その反応が気に入らず、再度攻撃に移ろうとした瞬間。中空を見つめていたナツメの目が、か、と見開かれた。

 

「……って!? えぇええええええっっ!? ウォルター様っ!? この方がぁあああ!?」

 

 ぎょぎょ、とウォルターとアルベルを見比べるナツメ。

 出鼻をくじかれて、アルベルは体裁悪く舌打ちする。するとその腕を、がし、とナツメがわしづかんできた。

 ぎょ、として、彼女を見る。

 

「触るな! クソ虫が!」

 

 振り払おうとしたアルベルにもめげず、ナツメは愕然とした表情をウォルターに向ける。

 見かけ、好々爺のウォルターは、彼女に、こくり、と頷き返していた。

 途端。絶句したナツメが、ば、と絶望に打ちひしがれたような顔でこちらを振り仰ぐ。彼女が、ば、とアルベルから離れた。膝を突いて、頭を地面にこすり付ける勢いで土下座する。

 

「すみませんでしたぁっ!」

 

「!?」

 

 さすがのアルベルも、突然のことに反応できない。ともかく喜怒哀楽が激しい少女だ。地面にはいつくばった彼女は、平身低頭のまま、声を張り上げていた。

 

「まさか女の人と間違うなんて! あまりの失態に返す言葉もございませんっ! それも、ウォルター様のご子息同然の方に――!」

 

「……誰が!」

 

 低く反論したが、届いていない様子である。

 

「しかもよりにもよって! これからお世話になる漆黒の団長――すなわち上司様に向かって、なんたる非礼の数々! たとえどんな贖罪をなそうとも、許されることではありません!」

 

 ナツメは自分の腰から得物を引き抜くと、その場に正座してアルベルを見上げた。

 

「かくなる上はこのナツメ! 腹を切ってお詫びを――!」

 

 言って、刀を抜く。

 刃を己に向けたナツメが、躊躇無く腕を振り下ろした。

 その寸前、

 

「待てっ!」

 

 場の空気を震わす、アルゼイの叱責が、ナツメの手を止めた。

 

「……ふぇ?」

 

 不思議そうに、少女がこちらを見てくる。

 アルゼイは反射的に、勿体ないと思った。いまのふぬけた顔をしている少女ではなく、先ほどの、鋭利な光を瞳に宿す彼女を失うことが。

 と――……。

 

「……クソ虫が!」

 

 誰よりも早く、ナツメのギャップから立ち直ったアルベルが、低く吐き捨てるなり踵を返す。それを呆然と見送って、アルゼイは自分も呆気にとられていたことに気付いた。

 

「アルベル……!」

 

 アルゼイの制止を振り切り、アルベルは訓練場を抜ける際、王の隣で、にやりと笑う老人を、苦々しげに睨みつけた。

 

 また面倒を、押し付けやがって……!

 

 そう吐き捨てんばかりに表情を歪めて。アルベル・ノックスはその場から離れていった。

 

「……っ!」

 

 ナツメが、は、とアルベルの背を見つめる。

 何か驚いたように、じ、と。

 

 来賓席に座り直したアルゼイは、満足そうに笑った。

 

「なかなか面白いことになりそうだな。ウォルター」

 

「左様にございますな」

 

 頷く老人は、予想通り動く若者達に、ほっほ、と人の良い笑みを浮かべてみせていた。



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3.オッドアイ

 入団試験を終えたナツメが控え室を出ると、ウォルターともう一人、冠を被った壮年の男が彼女を待っていた。

 肩まである褐色の髪と、短く整えられたヒゲ。そして精悍そうな男の顔。

 一目で彼が王だと思わせる、一種のカリスマ性。

 それにナツメが表情を引き締めると、国主、アーリグリフ十三世は、微かにつり上げた唇で笑った。

 

「見事な腕前だったな」

 

「あ、ありがとうございますっ」

 

 言って、ナツメは、かっ、と軍靴を揃える。

 そもそもウォルターを脇に従えるほどの男だ。間違えようも無かった。

 

「国主、アーリグリフ十三世陛下とお見受けしてよろしいですか?」

 

「ああ、そうだ」

 

 問うナツメに、アーリグリフ十三世は悠然と頷いた。敬礼しながらナツメはやはり、と口の中でつぶやく。目の前の国主は男臭い笑みを浮かべるなり、態度を軟化させた。

 

「そう固くなる必要はない。ウォルターより話を聞いてな。お前に興味を持ったのだ」

 

 柔和に笑う彼に、ナツメは不思議そうに瞬きを落とす。

 

「興味、ですか?」

 

「うむ。あの待ちに徹した剣さばきなど、俺は見たことがない。グリーテンには、あのような刀の使い手がいるのか?」

 

 問われて、ナツメはどうにか、違います、と即答しかけた自分を抑えて虚空を見上げ――、考えをまとめる。

 

「グリーテン……というより、私の恩師が指南してくださった技なんです」

 

「ということは、独自で編み出したというのか? あれほど高度な剣術を!?」

 

 思わず声を荒げる国王に、ナツメは何と言っていいものか、更に頭をひねる。下手を言えない状況で、息をするように適当な嘘が吐けるほど、ナツメは器用ではない。

 数秒思考して、彼女は答えた。

 

「……恩師は、剣術を父に習ったのだそうです。恩師の父も軍人だったそうですから、もしかすると軍の型なのかもしれません。直接聞いた事がない上に、私も軍人ではないので詳しいことは知りませんが」

 

「……そうか。しかしその歳でそれほどの剣の腕とは、我が軍も見直さねばならぬな」

 

 顎に手をやって考え込む国王を、ナツメは不思議そうに見る。剣が得意という自信はあるが、『それほどの』と称されるほどの腕だと、ナツメは思ったことが無い。

 ゆえに国王が感銘を受けていることが、ナツメには理解できなかった。

 

(この方は……、何をそんなに興奮されているんだろう?)

 

 何故なら自分は――今まで一度も勝ったことがないのだ。正確には、勝敗を気にする前に一撃も入れたことすら無い。(アレン)を相手に。

 その現実が彼女の実力と、彼女が持つべき自信を縁遠くさせていた。あのアルベルを相手に、さほどひけを取らない実力を持っているにも関わらず。

 と。

 傍らのウォルターが右手を上げる。控えていた兵が、甲冑を手に歩み寄ってきた。

 漆黒の甲冑――アーリグリフ重装騎士団の甲冑だ。

 

「ナツメよ。我が王は、お前が早く軍に慣れるよう、まずは城内を回れと仰っておる。小僧は先に帰ったようじゃが、後で漆黒の者にお主を案内させよう。それまで、ゆるりと見て回るが良い」

 

「はい」

 

 敬礼を取って、ナツメは甲冑を受け取るナツメ。腕にのしかかる鉄の防具は見た目通り重厚で頑強だ。優に十数キロあるだろう。足腰の負担が増すのは間違いなかった。

 

(……まあ、これも鍛錬ですね)

 

 甲冑を届けてくれた兵に礼を言って、ナツメはウォルターと国王に一礼した。満足そうに頷いた国王が、笑みをたたえてその場から去っていく。その彼が廊下の角を曲がるまで見送って、ナツメは控え室に入り直すと、早速もらった甲冑を身につけ始めた。

 

「……ぅ、やっぱり重いですね……」

 

 そこに更に、(シャープネス)(シャープエッジ)。二振りを持つ。

 恐らく、この装備だけでナツメの体重近い重さがある。

 

(手甲一つが三キロとして、胴衣が十、帷子(かたびら)が十、兜が五、膝当てがそれぞれ五……。漆黒の団長が甲冑を着ないのも納得だ……)

 

 しかし規則は規則である。

 部屋に鏡はないため、正しく着られているかもわからないまま三十分ほど格闘して、ナツメはようやく控え室から出た。

 屋外直結のこの部屋は、左手に訓練場、右手に城内、という位置取りだ。

 野外の冷え込みが、容赦なく甲冑の隙間から入ってきた。

 

「うぅっ、……っっ! こっちの方が寒いんですね……!」

 

 思わず身を縮めて、ナツメは城内に戻る。甲冑でこれ、ということは、ウォルターや国王、そしてアルベルと言った人物は皆、この低温の中を風の通る服でいるということだ。

 がたがたと震え出す身体を抱きしめながら、ナツメは大したものだ、と頷いた。身体を温めるためにも城内を歩くしかない。城の構造など微塵も理解していなかったが、もともとはそれを把握する事が目的だ。

 城内の警備兵は既に国王から達しが出ているのか、ナツメの姿を目にしても、これといった反応は示さなかった。

 

 

 

 ………………

 

 

 

 ――そして。

 彼女は、自身が持つ決定的な欠陥を、ようやく思い出した。

 長くアレンにたしなめられ続け、常に団体行動を取るよう義務づけられていたため忘れていた、自分に潜む決定的な欠陥を。

 

「…………あれ……?」

 

 彼女は方向音痴だったのだ。――それも極度の。

 きょろきょろと周りを見渡して、ナツメは首を傾げる。慣れない場所である所為で、余計、彼女の方向感覚は鈍くなっている。

 

(困りましたねぇ……)

 

 眉根を寄せて、顎に手をやる。むむむ、と唸りながら記憶を掘り起こして、何とか、元居た訓練場まで帰ろうと試みるも。

 

 

 

 ………………

 

 

 

 徒労に終わった。

 

「ぐ、くぅぅ……っ!」

 

 拳を握り締め、滲み出す涙をこらえながら、それでもめげずに出口を――否、知り合いを探す。正確には、傍を通る人間を。

 が。

 見当たらない。

 

(確か、謁見の間は上にあるって話だったな……)

 

 ナツメは仕方なく窓に歩み寄ると、そこから顔を出して左右を窺った。下は何も無い、ただの広間だ。現在地は二階。見上げれば、更にうず高い位置に窓がある。

 

「よし」

 

 つぶやくなり、彼女は窓枠に足をかけ、うず高い天窓へ飛びついた。手が、頭上の窓枠にかかる。

 瞬間、

 

「冷たっ!」

 

 思わず怯んで、手を引きかけた。地上まで十メートル。咄嗟に思い出して彼女は、ぎょ、と目を見開くと、必死に指先の力を込め、一気に片腕で窓枠の上まで体を持っていった。

 どうにか脚をかけられ、よじ登る。

 

「ふぅ……!」

 

 九死に一生とはまさにこのことだ。

 偶然入った部屋は、だれもいないからか、真っ暗だった。

 

「ん?」

 

 物置か、とつぶやきかけた刹那、ぬ、と暗闇より現れた大きな影に、彼女は目を見開いた。

 

「あ……!」

 

 最初に目が合ったのは、瞳だ。ナツメのそれよりも何倍も大きい、赤と黒の瞳。左右違った色の瞳が、松明の炎に照らされて、じ、とこちらを見据えていた。

 城のうず高い天井に、今にも頭がつきそうな、巨大な竜だった。

 

 ずる……っ、

 

「う、わわっ!」

 

 驚きのあまり、バランスを崩してナツメは窓枠から落ちかけた、ところを何とか耐える。

 改めてその巨大な竜を、じ、と見据えて、彼女は何度も、瞬きを繰り返した。

 

「竜?」

 

 疾風は竜に乗る、とウォルターが言っていたのを忘れて、彼女は首を傾げる。否。竜という初めて見る生命体に、彼女の思考が、一瞬、固まったのだ。

 天井近くにある、換気窓に腰掛けたナツメと、まったく同じ高さにある竜の顔を見据えて。

 彼女は、か、と目を見開いた。

 

「竜っっ!?」

 

 ざ、と思わず身を引く。途端。また窓からずり落ちそうになって、彼女は必死に、窓枠を引っ掴んだ。

 と。

 

「我が塒(ねぐら)に何の用だ? 娘よ」

 

 地底から響くような重低音が、ナツメの耳に届いた。

 

「へ?」

 

 瞬きを落として、脳を停止させるナツメ。その彼女に、オッドアイと呼ばれる赤と黒の瞳を持つ竜は、ぬぅ、と体を迫り出した。

 丁度、ナツメと数十センチの距離まで接近する。

 

「……見ぬ顔だな。漆黒の甲冑を着ているが、何者だ?」

 

 オッドアイは、すぅ、と目を細める。その彼を置いて、ナツメはハッと我に返ると、反射的に敬礼体勢を取った。

 換気窓ゆえ、直立することは出来ないが。

 

「あ、はい! 私、新たに漆黒に入団することになりました、ナツメ・D・アンカースと申します!」

 

 名乗ると、オッドアイは低く唸った。

 威嚇しているようにも聞こえる、が、それよりもっと抑えた低い声。知り合ったばかりのナツメには判別がつかないが、これは彼が思考に入った時の癖だった。

 

「あの」

 

 その彼に、おずおずとナツメが声をかける。すると、細めた目を、す、と開いて、オッドアイが向き直った。

 

「貴方が……、飛竜、と呼ばれる種族の方ですかっ?」

 

 ナツメの瞳が好奇の色でキラキラと輝いている。それを、じ、と見据えて、オッドアイは如何にも、と低い声で応えた。

 

「じゃあ……! 疾風の人は、皆、貴方のような方に乗って空を飛ぶんですね!?」

 

 オッドアイが二度目の頷きをする前に、ナツメは興奮した様子で、凄いなぁ、とつぶやいた。

 心底、純粋に。

 その、疾風に憧れるアーリグリフの人間とは少し違うナツメの興奮に、オッドアイは不思議そうに目を丸めた。

 

「アーリグリフの人間ならば、誰でも知っていること。……お前は、アーリグリフの者ではないのか?」

 

「え!? あ、……はい。実は私、グリーテンの方から来たんです。人捜しに」

 

 言いながら、はは、と愛想笑いをする彼女は、どこか困ったように頭を掻いた。誰がどう見ても怪しい様子だが、それはオッドアイの知る、注意すべき悪人とは違う。

 彼女の持つ気配が、そう告げている。

 

(そして、何より)

 

 心中でつぶやいたオッドアイは、目を細める。

 目の前の少女を見据え、ただ、すぅ、と。

 

 この少女には他の人間にはない、『混じり気』がある。

 

 はっきりとは分からないが、注意して見なければオッドアイでも見落とすほどの、些細な香りだ。

 それは不気味ではなく、むしろ心地よくオッドアイの興味をくすぐる。

 

「……不思議な娘よ」

 

 低く喉を鳴らして、目を細めるオッドアイに、ナツメが首を傾げる。と。彼女は、に、と破顔して言った。

 

「娘ではなくナツメとお呼びください。飛竜さん」

 

 初めて会った知らない生物を前に、ナツメは物怖じせず言う。

 かと言って、多くの人間がそうするように、相手を見くびる訳でもなく、丁重に。そんな彼女の態度に、オッドアイは少なからず好感を覚えていた。城の兵達のように、必要以上に腰が低い訳でもない、彼女に。

 

「ならば、我はオッドアイだ。ナツメよ」

 

「はい! よろしくお願いしますね!」

 

 健康的に笑う彼女に、オッドアイは低く、喉を鳴らす。それを肯定と取ったナツメはふと、背中を振り返った。何か、物音が聞こえたのだ。城の外――雪の所為で良く見えないが、遥か遠くから、物音が。

 

「あれは……?」

 

 不思議に思って振り返った先には、アーリグリフを抱く山脈だった。その山と山の谷間に、黒い影が無数にある。

 カラスか、と首をひねった。だがそれにしては、影がやや大振りに見え、この雪の中、群れを成して飛んでいる事に一種、違和感がする。

 どこがどう、というわけではないが、直感的に。

 すると。

 傍らのオッドアイが、ナツメの見る方角を見据えて、静かに呟いた。

 

「我が同胞の群れだな。……疾風か」

 

 規律正しく隊列した一団に、オッドアイは目を細める。

 野生の飛竜は、成人すれば群れを成さない。それが鉄則だ。

 目の前の少女が、ば、とオッドアイを振り返った。

 

「あれが疾風ですか……! ……確か、入隊試験には疾風の団長がいらっしゃらなかったから、任務か何かですか?」

 

「………………」

 

 黙すオッドアイに、不穏な空気を読み取って、ナツメの表情が改まる。と。ばさ、と羽音を立てて、オッドアイが翼を広げた。

 瞬間、

 静かにうずくまっていたオッドアイの体が、三倍ほど大きくなったように感じられた。

 

「!」

 

 思わず、目を見開くナツメ。その彼女には構わず、オッドアイは、ごぉおおお、と低く唸った。

 途端、洞窟のような部屋が揺れる。

 

 が、ががががが、がこ……ぉんっ、

 

 天井が震えた。まるでオッドアイに臆すように、石の擦れる、古い音を立てて屋根が左右に割れていく。

 

「へ?」

 

 見上げるナツメの頭上から、はらはらと雪が降り込んできた。完全に、空と繋がったそこに、ナツメ同様、視線を向けたオッドアイは、口を大きく開けて咆哮すると、広げた翼を一気にはためかせた。

 

 ごぅ……っ!

 

 風が、起きる。

 突風だった。

 

「わ! 、わわっ!」

 

 窓にしがみついたナツメの痩身が、甲冑で、倍近く重くなった筈の彼女の体が、簡単に宙に上がる。

 かじかんだ指が、つるりと窓枠から離れた。

 

「え゛!?」

 

 思わず目を見張るナツメの体が、なす術も無く浮き上がる。途端、翼をはためかせたオッドアイが、空へと飛び立った。

 

 ばさっ、ばさっ……!

 

「ぎょえぇええ!」

 

 突風に揉まれ、涙を振り乱すナツメ。死を覚悟した瞬間、宙に投げ出された彼女は、必死に、微かに当たったオッドアイの胴にしがみついた。

 風を切り、凄まじい速度で飛び立つオッドアイの巨体が、あっという間に城から離れていく。

 

「ひ、ひぃいいいい!」

 

 オッドアイの体にしがみついたナツメの悲鳴が、宙ぶらり体勢で怯えている彼女の魂の叫びが、ひたすら遠く、山間に響く。

 オッドアイが陸に下りる、その時まで――。

 

 

 

 ………………

 …………

 

 

 

 勇壮に空を翔る、オッドアイが地上に降りたのは、雪の無い山奥だった。岩石の多い、赤茶けた山。バール山脈だ。

 

「ふ、ふぃ~……」

 

 ようやくの地面に、腰から下の緊張が途切れ、へたり、と倒れこむナツメ。その彼女を、オッドアイは思い出したように見下ろすと、凛々しい瞳を、少しだけ丸めた。

 

「お主も来たのか。ナツメよ」

 

「…………ついて来た、というか。まぁ……」

 

 疲れ切った様子でつぶやく彼女に、わずかに首を傾げるオッドアイ。しかし、その彼女の話は最後まで聞かず、彼は周囲を見渡した。

 

 城から見えた、あの疾風達の姿がない。

 

「逃がしたか……」

 

 わずかに目を細め、つぶやく。と。彼の足元でうろちょろしていた少女が、は、と息を呑んだ。瞬間。すぅ、とナツメの目に、緊張が走る。

 

「どうした?」

 

 気配が変わった少女を見下ろし、問うオッドアイに構わず、ナツメが走り出す。

 歩幅は明らかにオッドアイが上だが、その彼でも素早い、と思わせるほどの脚力で、彼女は地面を疾駆する。

 

 だっ!

 

 この山に棲むブラストドラゴンと同等か、それとも――。

 そんな思考に落ちている間に、ナツメの背がどんどん小さくなった。何事だ、と首を傾げながら後を追うと、人間の男が、二十人近い武器を持った人間に囲まれていた。

 オッドアイに人間の男女を見分ける力は無かったが、取り囲まれている男の方には、見覚えがあった。

 

「奴は、……シェルビー」

 

 肩で息をし、腹を抱えたシェルビーは、息も絶え絶えに獲物の戦斧を握っていた。彼の背後にはバール山脈の険しい崖。取り囲んだ人間は、すべて山賊のような出で立ちだったが、その動きに無駄は無く、顔に覆面をしていた。

 自らの身分を隠すように。

 

「き、さまら……!」

 

 歯噛みするシェルビーに、覆面の男達は容赦が無い。両手で大剣を天に向け、統率の取れた所作で、じりじりと間合いを詰めている。

 普段のシェルビーならば、相手取れない敵ではなかったかもしれない。

 だが。

 

 ぽた、ぽた……、

 

 流れる血が、シェルビーから自由を、力を奪う。そして対峙した二十人近い男達は、そんなシェルビーが、戦斧を落とすのを待つように、彼を睨んだまま動かなかった。

 が。

 

「いやぁああああ!」

 

 突如、男の一人が、剣を振った。シェルビーの顔が引きつる。ただ一瞬、貧血で気が抜けた所を、男が狙ってきたのだ。

 

「いやぁああ!」

 

 続く、他の男達も一斉に剣を突き立てる。距離は二メートル。周囲を囲まれ、最早逃げ場は無い。

 

 ――死っっ!

 

 目を瞠った。漆黒副団長として、栄誉ある未来を約束されていた筈の自分が、今、恐怖に毛をそばだてた。

 剣が迫る。

 さばき切れるほどの余力は、ない。

 そのとき

 

「ノーザンクロス!」

 

 突如響いた声と同時。シェルビーの目の前を囲んでいた男達が、現れた氷柱に薙ぎ払われていった。

 

 がこぉおんっっ!

 

 迫り出すように地面から現れた氷柱が、男達を薙倒したのだ。

 

「ぐぁあああ……!」

 

 横殴りに近い形で、側面から衝撃を受けた男達が、地面に転がり落ちる。

 

「何!?」

 

 氷柱の不意打ちを免れた後ろの男達が、周囲を見渡した。瞬間。少女は間合いを詰めていた。

 

「クロスラッシュ!」

 

 斬っ、と縦に走る一閃が、声を張り上げた男を斬る。ついで、だっ、と地面を踏み込んだ少女は、居並ぶ男達を二閃目の横薙ぎにて討ち取った。

 

「くっ!」

 

 慌てて、ナツメに向き直る男の首に、瞬間、つ、と刀が突きつけられる。

 

「それ以上動くと、斬ります」

 

 少女の声が冷える。思わず息を呑んだ男は、伝う冷や汗を隠して、か、と目を見開いた。

 

「ひぃやぁああ!」

 

「!」

 

 完全に勝負を取ったナツメが、わずかに目を丸くした。首に刀が付いているというのに、男が構わず剣を振ってきたのだ。何、と眉をひそめたのも束の間。男と交差する瞬間、その男の鳩尾に柄頭を叩き込む。白目を剥いた男が泡を吹いて地面に倒れ伏せていった。

 

「……ふぅ」

 

 それを見届けて、ナツメは刀と剣を納める。

 一応、全員生かせている。ナツメは問いかけた。

 

「さて。事情を聞かせて頂きますよ」

 

 特に、最初のノーザンクロスで脳震盪を起こしているだけの連中を振り返ると、立ち眩みから回復した彼等は、他の生きている仲間を引き連れて、崖淵に立っていた。

 

「なっ!?」

 

 思わず、目を見開くナツメよりも先に、男達が一斉に崖下へと跳び下りる。

 

「――っ!」

 

 駆け寄って男達を掴もうと、ナツメは手を伸ばした。だが掴んだのは空。顔を引きつらせた彼女は、崖下で、どぉんっ、という爆発音が響くのを聞いた。どこまでも続く、崖下から。

 それをジッと見据えて、ナツメは潤む目にぐっと力を込めて、唇を引き結んだ。それから硬く目をつむり、ぶんぶんっ、と雑念を追い払うように首を左右に振る。

 彼女は気を取り直してシェルビーへと向き直った。

 重傷で、息も絶え絶えのシェルビーを。

 

「大丈夫ですか?」

 

 走り寄ってシェルビーに問いかける。力ない視線を上げたシェルビーが、ナツメを見るなり訝しげに顔をしかめ――、地面に倒れた。

 

「……あ、あの?」

 

 気絶しただけとはナツメも分かったが、状況が分からずにまた尋ねるしかなかった。返事は返ってこない。

 少なくとも、何か深い事情があると肌で感じた彼女は、ゆっくりと後ろを振り返って、弱った視線をオッドアイに向けた。

 

「え、えぇっと……。どうしましょう?」

 

 つぶやく少女に、オッドアイは、ぐるるる、と喉を鳴らす。

 凛々しく細まったその瞳は、何か、深い思考に落ちているようだったが、その彼の考えをナツメが耳にすることはなかった――……。

 



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4.修練場での日々

 疾風が本拠地を構える王都、アーリグリフは今日も雪だった。

 仕事に没頭するあまり、食事すら忘れる王は相変わらず、今日も執務室に缶詰だ。

 そして、疾風団長室に篭もったヴォックスもまた、シーハーツの現状を報せる報告書に鋭い視線を落としていた。

 戦争の中の、日常。

 ぴりぴりと空気は張り詰まっているが、それでも緊迫とまでは行かない、そんなひと時の事だ。コンコンと団長室をノックしてくる者がいた。

 

「入れ」

 

 短く応える。すると、失礼します、と言い置いて、30半ばの疾風兵が部屋に入ってきた。知った顔、というより、馴染みだった。

 幼い頃から忠実に自分に仕える男、シュワイマー。

 

「ヴォックス様」

 

 眼球だけを動かして、話の催促をするヴォックスに、シュワイマーは礼儀正しく一礼すると、利発そうな顔を上げて、報告を続けた。

 

「ベクレル山道に賊が現れたようです。被害者は重装騎士団漆黒のシェルビー副団長。何でも負傷されたとの事で、現在、城内で治療を受けられています」

 

「――何?」

 

 書面から完全に目を離して、ヴォックスがシュワイマーの顔を見る。と、ヴォックスは片手に持った報告書を執務机に置いた。

 

「……それで。状況を詳しく聞かせろ」

 

 立ち上がって、シュワイマーの傍らに歩み寄るヴォックスに、シュワイマーは、はっ、と歯切れ良く返事を返すと、精密機械のように正確に、起こった事象を述べ始めた。

 

「賊は二十名。いずれも腕の立つ者ばかりで、シェルビー副団長をあわやのところに追い詰めたのですが、エアードラゴンに乗った女が突如現れ、その賊、全てを斬り伏せたそうです。――そして女が乗っていたエアードラゴンが、我等が王、アーリグリフ十三世陛下の飛竜、オッドアイだと聞いております」

 

 ヴォックスが、目を細める。小さく、そうか、と呟いた彼は、シュワイマーの肩をトンと叩いて、執務机に寄りかかった。

 

「ご苦労だった。もう下がるが良い」

 

「はっ!」

 

 深々とかしづくシュワイマーを視界の端に、ヴォックスは窓を見やる。今日も雪深そうな、厚い曇空だ。

 

(……フン、奴らめ。しくじりおったか……)

 

 空を見上げ、ヴォックスは両腕を組みながら、つぶやいた。

 

「今宵は、空が荒れようぞ」

 

 

 

 ………………

 

 

 

 カルサア修練場、牢獄練。

 最上階の闘技場に程近い調理場で、ナツメは気難しい表情で彼女を見ていた。

 漆黒の給仕班、団員のアイドル、マユを。

 

「………………」

 

 漆黒に入団して二日。

 初めて訪れた調理場で、一体どんな料理が待ち構えているのか。楽しみにしていた矢先のことだ。

 額に浮かぶ、冷ややかな汗。

 マユを見つめるナツメの表情は、誰がどう見ても蒼白に歪んでいる。ごとり、と鳴った喉が、いかにも彼女の心境を物語っているようだ。

 

「…………マユさん」

 

 意を決して、ナツメは唇を動かした。鼻歌混じりに鍋をかき混ぜていたマユが、嬉しそうに振り返る。

 

「なぁに? ナツメちゃん」

 

「……いえ」

 

 そのあまりの喜色満面に、ナツメは言葉を濁して押し黙った。

 

 そもそも、ことの始まりが自分にあったからだ。

 

 

 

 一時間ほど前。

 初めて修練場に入ったナツメは、三階から漂ってきた美味しそうな香りにつられて、調理場に辿り着いた。

 

(あぁ~……! 美味しそうですね~! この先では一体何が……)

 

 うきうきしながら戸を開けると、給仕係のマユがいた。

 

「あら?」

 

 首をかしげる彼女と目があって、ナツメはにっこりと笑った。

 

「はじめまして。私、ナツメと申します! ――お給仕の方でいらっしゃいますか?」

 

「……ああ! 最近、入団されたっていうウォルター様の!」

 

 ぽん、と合点して頷くマユ。

 それに満足げに頷き返して、ナツメは腹の辺りをさすった。

 

「そうです! ――それで、少しお腹が空いてしまって……。今、何を作ってらっしゃるんですか?」

 

 コトコトと音を立てる鍋に目をやる。蓋がしてあったので、中は見えなかった。

 

「ゴールデンカレーですよ」

 

「ゴールデンカレー?」

 

「ええ。最近、カレーに飽きてきたって兵士の皆さんが言うので、それならば究極のカレー、ゴールデンカレーを作ろうと思って……!」

 

「へぇ。ゴールデンカレーですか……。なんだか美味しそうですね!」

 

「でしょう?」

 

「はい! ……ところで、えっと……」

 

「マユです!」

 

「マユさんは、お一人でお給仕を?」

 

「いいえ! 今、母が買い出しに出かけていて……。だから、今のうちに料理の研究をしてるんですよ!」

 

「お母様がいらっしゃると、どうしてダメなんです?」

 

「料理に失敗すると、お母さん、すごく怒るんですよ! 食材を無駄遣いするなって」

 

「ああ、なるほど。ということは、作品が出来上がった場合、試食する人間が一人もいないんですね?」

 

「……そうなんです。残念ながら」

 

 そそ、と目元にハンカチを当てるマユに、ナツメは、ぱ、と表情を輝かせた。どん、と胸を叩いて言い切る。

 

「任せてください! オフィーリア様の下で鍛え上げられたこの味覚! ウォルター様をも、うならせるほどなんですから!」

 

「本当ですか!?」

 

「はい!」

 

 そうして頷いた彼女は、うきうきと調理を再開し始めたマユの背を見つめて――……、現在に至るわけである。

 途中。

 

(えっ!? もう煮立っているのに、キャベツ入れるんですか!?)

 

(鶏肉と魚肉の共存!? そ、それはちょっと……!!)

 

 などと、一人胸中で騒ぎながら。

 

「はい! 完成で~す!」

 

 額の汗を嬉しそうに拭いながら、マユはそれ(・・)を皿に盛り付けた。

 なんだか妙に青臭い、通称「まずいシチュー」を。

 

 ナツメの頬を伝っていた汗が、静かに零れ落ちた。

 

 

 

 カルサア修練場、訓練施設。

 砦に残った兵達が、日課の組み手で汗を流しているときのことだった。

 いつも通り、団長室から大股で通路を歩くアルベルが、適当な兵に声をかけた。

 

「おい」

 

「はっ!」

 

 大剣を持つ手を止めて、呼ばれた兵が振り返る。その彼に向けて、アルベルは端的に言い放った。

 

「最近入ってきたあの阿呆を、俺の部屋に連れてこい。今すぐだ」

 

「……はっ!」

 

 失礼します、と言い置いて、兵が去っていく。

 その背を何気なく見据えて、アルベルは鼻を鳴らした。来た道を早くも戻る。

 

「……ふん」

 

 その背を、意外なものを見るように漆黒兵達が見据えていたが、アルベルは気付かなかった。

 

 ――それは団員呼び出しなど今まで一度もしたことのなかった彼に対する、好奇の眼差しだ。

 

 他人の視線など歯牙にもかけないアルベルは、つまらなそうに一枚の紙片を睨む。

 書簡は、アーリグリフ王からのもの。

 ナツメの初陣を促す内容だった。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 この世に救いの神が居たことを、ナツメは初めて知る。

 カルサア修練場、牢獄練。

 気合だけでかきこんだ、まずいシチューを平らげたときのことだ。

 

「どう!? お味のほうは?」

 

 突き抜けるような刺激に耐えていた。悪意の無いマユの笑顔が、ナツメには痛いほど眩しい。ぐらりと倒れかけた頭を、理性を総動員させてナツメは微笑う。

 いつも通りの笑顔で。

 

「おいしゅうございましたよ」

 

 ただし、彼女の顔色は青かった。そして――

 

「本当!? じゃあ、おかわり、ついであげますね!」

 

 颯爽とマユが空になった皿に、シチューを盛ってくれる。ナツメはにこにこと青い顔でそのさまを見つめて、今度こそ、ぐらり、と頭が傾ぐのを感じた。

 

 ――げふぅっ!?

 

 だが。ここで引くわけにはいかない。

 胸中でこぼれた悲鳴を、ナツメは頭を振って追い払う。

 

(そう! 曲がりなりにも私の方からっ、食べさせてくださいとお願いしたのだから……!)

 

 笑顔を貼り付けながら、ごとりと覚悟の喉を鳴らす。引くに引けないこの状況を、打破することだけ考える。

 

(……打破?)

 

 ぴく、と頭の端にかかった単語に疑問を持ちながら、そ、と皿ではなく寸胴鍋を見るナツメ。

 つまり、この状況の打破とは――

 

 すなわち、あの鍋をすべて平らげる。

 

 体がもつか否かは、運次第だろう。

 ナツメの頭に重い衝撃がのしかかる。

 その時だった。

 調理場の扉が開かれたのは。

 

「マユちゃん! あの新人がどこにいるのか知らないか!?」

 

 軽く息を切らしながら走ってきたのは、歳若い漆黒兵だった。ナツメがまだ知らない顔だ。――いや、知っている顔など数えるほどもないが。

 

「あの新人?」

 

 首をかしげるマユを置いて、ナツメは席を立つ。

 

「どうかなさったんですか?」

 

 スプーンを持ったままだったのは、彼女の決意の表れだろう。だがそれは、漆黒の美青年には、あまり良い印象を与えなかった。

 

「……こんなところで何をやっているんだ? 君は?」

 

 修練場を駆け回った所為か、彼の額にはうっすらと汗が浮かんでいる。その彼に、ナツメは神妙な面持ちで頷いて見せた。

 

「試食です」

 

 達観したように、きっぱりと。

 それを聞いた彼の方はふとナツメの手元に見やって――いかにもまずそうなそれに、ぎょ、と目を見開いた。

 ナツメの顔色と皿を、もう一度、呆然と見比べてくる。

 

 こくり……、

 

 ナツメが静かに頷くと、彼は何か悟ったように押し黙った。そのまま、無言で見合う。

 

「…………………」

 

 おそらく、彼にも経験があるのだろう。だからこそ多くの言葉は必要ない。

 ただ、今にも土気色に変色しそうなナツメの顔が、まるで何事も無かったかのように微笑んでいるのを見て、彼は声にもならない拍手喝さいを心の中で起こした。

 そして、頷く。

 いかにも、おもむろに。

 

「どうかしたんですか、二人とも? さっきから黙ってますけど?」

 

 不思議そうに、首をかしげるマユ。その彼女に、二人は同時に答えた。

 

「いえ。なんでも」

 

 改めてスプーンを置いたナツメは、す、と笑顔を消すと、やはり青白い顔で彼を見た。

 

「それで。何か御用がお有りだったのでは?」

 

「あ、ああ!」

 

 それを受けて、彼は当初の目的を思い出した。

 ナツメを見る。

 

「アルベル様がお呼びだ。至急、団長室に来いと」

 

「……団長室、ですか?」

 

 合点の行かない表情で首をかしげる彼女に、漆黒兵は小さく頷いた。

 

「心配ない。私が送ろう」

 

「ありがとうございます。――すみません、マユさん。残りは必ず食べますから」

 

 言って、マユにも頭を下げる。

 

「こっちだ」

 

 先行する彼の後に続いて、ナツメは調理場を出る。

 呼びに来た兵にそれほど緊迫感が伴っていないことから、さほど重要な用件ではないのかもしれない。

 そう胸中でつぶやきながら。

 二人の背を、呆然と見つめて――マユは、ぽつり、とつぶやいた。

 

「……母が帰ってきちゃったら、終わりなんですけど……」

 

 途方にくれた彼女は一人、鍋のシチューを見据えて、がくり、と肩を落とした。

 出来上がったまずいシチューを、その後、彼女がどうやって始末したのか。

 ナツメは知らない。

 

 ただ――……。

 

 調理場を出た彼女(ナツメ)は、ぐ、と呻いて腹を抱え込むと

 

「団長の用事が終わりましたらば、お手洗いにも案内お願いします……」

 

 今にも死にそうな声でつぶやいて、冷や汗を流しながら足を動かした。

 そんな彼女を見つめて、漆黒兵は頷いた。彼女の勇姿をたたえて。

 

 アルベルの、遅い、という叱責を覚悟して。

 

 二人は、修練場の廊下を走り抜けた。



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5.ヴォックスとの邂逅

「遅ぇ!」

 

 開口一番の罵倒と共に、鋭い眼差しを向けられながら、ナツメは直立不動からきっちり九十度、腰を曲げて深々と頭を下げた。

 

「も、申し訳ありません! ここまで保つと思ったのですが、予想以上にアレ(・・)の作用が強く、少々お手洗いのほうに――……」

 

「あ?」

 

 不審げに眉をしかめるアルベルに、ナツメは慌てて首を振り、もう一度、頭を下げ直した。

 

「いえ! なんでもありません! ――申し訳ありませんでした!」

 

「……ふん」

 

 納得はしていないが、あまり興味が無かったのか。

 小さく鼻を鳴らして、アルベルは改めて、ナツメを睨み据えた。

 

「王からの勅命だ。これから都に向かえ」

 

「王都に、ですか?」

 

 首を傾げる彼女にアルベルは構わない。

 

「分かったらさっさと行け、阿呆。疑問なら直接王にでも聞くんだな」

 

「はぁ……」

 

 やはり合点の行かない表情で首を傾げながら、彼女はアルベルに一礼して、踵を返す。

 団長室を出ると、彼女は、す、と細い顎に手を当てた。

 

「……王都……」

 

 先日、そこからやってきたばかりだ。用があるなら、その時に告げれば良さそうなものだが、勅命と言うからには重要な任務があるのだろう。否。現時点では、国王直々の小手調べといったところか。

 

(それとも、この間オッドアイさんと見つけた怪我人の具合が良くなったんでしょうかね?)

 

 詳しい事情は知らないが、オッドアイと共に、行き倒れの男をアーリグリフ王都に連れて帰ったあの日、城の兵達が騒然とした。よほど、行き倒れの男が有名であるのは分かったが、アーリグリフに来たばかりのナツメにはさっぱり事情が飲み込めない。

 

(……それに。あの人が名のある兵士だったとして、そんな方が賊に襲われるなんて事もないでしょうしね)

 

 第一、ナツメが助けたあの時、彼は一人だったのだ。

 あのアルベルでさえ、修練場から城に向かうときは付き人を従えているのだから、あの男が有名な兵士という可能性は、ナツメの中で希薄だった。

 それ故に分からない。

 王都に自分を呼ぶ国王の真意が。

 

(まあ、ともかく行きましょうか)

 

 こく、と一つ頷いて。

 早速、ナツメは、王都へ向かうべく修練場をあとにした。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 王都、アーリグリフ。

 降雪で白く染まった街を見下ろしながら、ヴォックスは傍らにいる王を睨むように見据えた。

 

「正気でございますか、王!? 女を兵にするなど!」

 

 場所は王都を見下ろせる高台、物見の塔。

 今は千里眼を持つ亜人の兵が二名、それぞれ東西に配備されている。シーハーツだけでなく、王都に近づく人の出入りを全て把握させるためだ。

 人払いはしても、この見張りの二人だけは外さなかった。

 そんな慎重な人物である疾風団長ヴォックスを真正面から見据えて、国主アルゼイは、ニッと口端を吊り上げる。

 

「そうだ。あれは役に立つ。お前の了承さえ得られれば、戦場にとて立たせるつもりだ」

 

「何を馬鹿な! シーハーツの間者(スパイ)の疑惑は晴れておられないのでしょう? ならば、拷問にかけて相手の真意を探るべきです!」

 

 相変わらず、不穏分子は使うつもりはない、と断言するヴォックスに、アルゼイは苦笑する。

 しんしんと降る雪が、あの少女のまっすぐな眼差しを思わせた。

 穢れを知らない、純粋な白。

 そこに闇の残光を刻んだ、あの少女の戦う姿を。

 

「ヴォックス。お前は剣技に見惚れたことはあるか?」

 

「は?」

 

 はた、と動きを止めるヴォックス。

 すると彼は数秒間、視線を空にやって、それから小さく頷いた。

 

「……お恥ずかしながら、一度だけ」

 

「グラオか?」

 

「……………………」

 

 問うアルゼイに、沈黙のまま頷くヴォックス。その彼に頷き返して、アルゼイは王都を見下ろした。

 今日も厳しい寒さが続く、我が国を。

 

「俺もだ。アルベルの奴も力を付けてきたが、あれの剣技に張り合うには、少なくともあと二年は必要だろう。――何しろ、あの腕だ」

 

 僅かに、目を伏せるアルゼイ。その横顔を真顔で見据えて、ヴォックスは、じ、と次の言葉を待った。

 アルゼイの視線が上がる。

 

「だが。俺はグラオとウォルターの試合を見た、あの時以上の感動を彼女に感じた。実力というより、あの瞳に。何か、固い意志のようなモノを感じたのだ。まだ十五になるかならぬかの少女に、な」

 

 言って、お前にも見せてやりたかった、と笑いかけるアルゼイ。その瞳に猜疑の色は無い。ヴォックスは、心中でため息を吐いた。

 

「ならば余計、放置しておくのは危険ではありませぬか! 老の薦めとおっしゃるが、素性の程は王も良く聞いておられぬのでしょう」

 

「だから、お前にも一度会わせたいのだ。俺が感じたほんの一部でも、お前が共感出来れば、それで納得がいくだろう?」

 

「手緩い事を!」

 

 吐き捨てるヴォックス。

 聞く耳は、分かっていたが、最初からなかったようだ。

 

「国王様!」

 

 と。

 見張り役の兵が、アルゼイとヴォックスに向かって頭を下げてきた。

 ナツメが到着したらしい。

 

「噂をすれば、というやつだな。行くぞ」

 

 ともかくついて来い、と言うアルゼイに、心中、顔をしかめながらもヴォックスは続く。

 階下に行くと、入り口の門番と何やら話している少女が、目に付いた。噂通り、黒髪黒目の小柄な少女。入団試験に合格したからか、漆黒の甲冑を几帳面に着こなしている。

 

「ん?」

 

 その少女の腰には、およそ小柄な体格には相応しくない、二振りの剣があった。

 正確には、剣と刀が。

 

「あ! どうも初めまして! 疾風団長のヴォックス様ですね?」

 

 と。

 少女がこちらに気付いて、パッと表情を輝かせた。タタッと軽い足取りで走り寄って来た彼女は、ヴォックスの前で足を止めて、ぺこりと頭を下げる。

 

「失礼致します。私、この度アーリグリフ軍として務めることになりました、ナツメ・D・アンカースと申します」

 

 言って、顔を上げた彼女は、人懐こそうな笑みを浮かべる。

 とてもあのアルベルと張り合ったとは思えないような、無害な笑みを。

 

「お前が?」

 

 つぶやいたヴォックスの眉間が、ぐっとしかめられた。

 いかにも怪しい。

 あまりに殺気が無いだけに、余計。

 そう胸中でつぶやく彼を置いて、はい、と歯切れ良く答えるナツメ。そして、す、と表情を改めた彼女は、視線をアルゼイに向けた。

 

「それで国王様。勅令との仰せでございましたが、私はこれからどうすれば?」

 

 表情を引き締めた彼女は、笑顔のときより少し利発そうに見える。

 観察するヴォックスに、アルゼイは一瞥くれて、それからナツメに頷いた。

 

「お前にはまず、我等の食糧難を何とかしてもらわねばならん。これよりカルサア山道に赴き、シーハーツの物資を強奪せよ」

 

 厳かに言い放つアルゼイに、ナツメは目を細めた。

 

「……盗み、ですか」

 

「兵糧は我が国の死活問題でな。主要都市にはまだそこまでの影響は出ていないが、それも戦況によっては分からん。今から作物が実るのを待つ時間も人も無い。ならば、すでに存在するモノを奪うしかないのだ」

 

「……………………」

 

「これもアリアスを陥落させるまでの辛抱だ。引き受けてくれるな?」

 

 うつむくナツメに、淡々と告げるアルゼイ。

 数秒の間。

 ナツメは、ぐ、と拳を握り締めた。

 

「分かりました」

 

 顔を上げた彼女は、挑むような視線をアルゼイに向ける。

 

「ですが、やるのは一度きりです。それで決着します」

 

「……ほぅ?」

 

 アルゼイが興味深そうに眉を上げる。

 踵を返した彼女は、颯爽と城外へと歩き始めていた。

 

「待て」

 

 ヴォックスがその背を呼び止めた。こちらを振り返るナツメは、人畜無害そうなきょとんとした顔をしている。ヴォックスが不快気に顔をしかめた。

 

「お前が物資を強奪している間、護衛隊の隊長としてシェルビーを抜擢した。必要ないとは思うが、万一、護衛隊がやられるような事があっても、お前は物資を持って帰還せよ。何があろうと、な」

 

 重々しく言い放つヴォックスに、ナツメの表情が引き締まる。

 何かを押し殺したような彼女の表情は、確かに王が言うように何か、不思議なものを孕んでいるように見えた。

 

「……分かりました」

 

 頷いて、今度こそ城を出る少女。

 その彼女を見送って、ヴォックスは低く、つぶやいた。

 

「……王。奴の動向を見張る者として、疾風からも二、三人。出動致しますぞ」

 

「いいだろう」

 

 頷くアルゼイを横目に、ヴォックスもナツメとは別方向に踵を返す。

 彼の中で、パズルのピースがはまった様な気がした。

 アルベルと互角に戦ったという噂の女。

 

(奴がオッドアイの力を借りた者か……)

 

 あの一瞬、ナツメが戦士の(それ)をしなければ、絶対に気付かなかったであろう、彼女の真の姿に、に、と口端を吊り上げる。

 かつかつ、と床を叩く軍靴の音が、冷たく、アーリグリフ城に響き渡った。



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phase4 河岸の村アリアス
27.始動


 シーハーツの兵士として、アリアスの領主の館の門扉をくぐることになった初めての日。も

 

「――それで。クリムゾンセイバー殿、今後の作戦についてご提示願いたいのですが……」

 

 歓迎のあいさつもそこそこに、会議室に集まった面々を見据えて、クレアが話を切り出した。既に報告を受けているらしく『クリムゾンセイバー』とフェイトを称す彼女に、フェイトはむず痒いものを感じながら、机の上に広げられた、一枚の地図に視線を落とす。

 

「まず三軍の機能を停止させる為に、アーリグリフ側の流通を止めようと思ってます」

 

「……カルサアを、襲撃するということですか?」

 

 唐突な難題を切り出されて、クレアが声を落とす。集まった部隊長達も息を呑んだが、フェイトはあっさりと否定した。

 

「いえ。さすがにカルサアを落とすのは無理です。少なくとも現段階では。だから、先に輸送隊を強襲するんです」

 

 地図上のカルサアを指先で示したフェイトは、そっと指を北上させた。止まった先はベクレル山道。フェイト達がアーリグリフから脱出する際に利用した、険しい山道だ。

 クレアが深刻な表情になる。フェイトの意図を推し量っているのか、癖なのか、きめ細かい繊手をそっと顔の前で組んだ。

 

「クレアさんならもう気付いてると思いますけど、アーリグリフは痩せた土地が多い国です。だからあれだけの軍隊を動かすために、肥沃な土地から食糧を横取りしているはずなんです」

 

 ちょうど、シーハーツ軍から勝ち取ったアイレの丘がいい例である。

 クレアは俯いた顔を上げる。合点したらしかった。

 

「人目に付かない山道から、我々の物資を搾取している――そう、言いたいのですね?」

 

「ええ」

 

 フェイトは頷き、ネルを一瞥した。

 

「ネルさんから聞いたんですけど、アーリグリフで農作地として使える見込みがあるのは、カルサア丘陵とグラナ丘陵の二つだけ。ですが知っての通り、グラナ丘陵の面積は狭く、一国を支えるほどの土地じゃありません。となれば、カルサア丘陵で食糧のほとんどを確保している――と言う話になりますが、あそこは肥沃な土地であると同時に、シーハーツとの戦争で最前線となっている場所でもありますから、アーリグリフの食事事情は現在、死活問題なんですよ」

 

 模範解答を続けるフェイトに、アレンが静かに笑む。そして視線を落とし、胸中でつぶやいた。――クレアは『搾取』と言葉を選んだが、その中には『横流し』も含まれている。

 会議室を無言で見渡して、アレンは静かに瞼を閉じた。フェイトが言う。

 

「そこで、クレアさんにはアリアスやほか近隣の村民たちがアイレの丘以外でどこを耕作しているのか、教えてもらいたいんです。ただでさえ押され気味の戦況ですからね。せっかくみんなが作った農作物を、アーリグリフ軍に奪われる――この問題が後回しになったのも、アリアスの防衛にシーハーツ軍が尽力せざるを得ない状況が続いているからでしょう?」

 

「ええ……」

 

 クレアは僅かに目を伏せた。

 そう。

 このアリアスは、小さな村でありながらも戦の勝敗を左右しかねないほどの、シーハーツにとって大事な防衛拠点だ。

 だが、兵力ではアーリグリフが上。村は長い戦いで傷ついた兵士が増えるばかりで、前線を押し返すことも出来ない。そんな状況で村が占拠されるよりは、耕地を荒らされるほうがマシ――と彼女は判断せねばならなかった。

 アリアスの村民は元々、半数以上が農民だ。その彼等の努力を無碍にするのは胸が痛んだが、命には変えられない。家先の庭が荒らされているからと怒って玄関から外に出ていけば――そこに怪物が待ち受けているのは、分かっているのだから。

 

 それ故に、クレアは村の警備を強化した。警備範囲の境界を明確にしたのだ。そこにつけこまれ、アーリグリフ軍が村民の遠目の耕作地を更に荒らすようになった――この現状は、どうしようもないのだ。戦力で劣る現状では。

 むしろ兵数・気力・戦闘力――すべてにおいて下回っているにかかわらず、アーリグリフをことごとく退けるクレアの手腕が、驚嘆に値している。それが分かっているからこそ、村民もクレア達シーハーツ軍には文句を言わないのである。

 それがクレアには心苦しかった。

 アリアスが戦争最前線の村として指定され、アーリグリフ軍のせいで困窮に喘がされる。

 クレアが今よりさらに知略に優れ、耕作地をも守れる力があったなら――皆に飢えの苦しみを与えず済むのに、とどうしても考えてしまう。

 ネルが、ぽん、とクレアの肩を叩いた。

 

「クレア。私は今後、彼等とともにその耕作地の奪還に行って来るよ。だからアンタはこれまで通り、この村を守ってて」

 

 クレアは浮かない表情で首を振った。

 

「……行って来るって……、耕作地の奪還を貴方達だけでやろうというの?」

 

「ああ」

 

 にべもなく頷くネル。その表情は、いつの間に身につけたのか――揺るぎない自信に満ちている。

 彼女の任務達成率はクレアも知っている。ネルは慎重な気質で、見通しのつかない内は表立って動かない。それは隠密として不可欠な臆病さであり、自分自身を守るために必要な知恵だ。

 彼女が判断を誤ったのは――修練場での一件だけ。

 部下の生死が絡まない限り、ネルは冷静かつ慎重なのである。

 クレアは、ネルの表情を見て、“クリムゾンセイバー”の名を与えられた青年達が、一体どのような作戦を持っているのか、気になった。

 

「なら、聞いてちょうだい」

 

 そう言って、彼女はじっとネルと、フェイト達を順に見回して、地図に視線を落とす。一同の視線が集中した。

 

「皆さんも察せられた通り、元々アリアスの村民が農作物を耕していた場所は、二つあります。一つは現状、戦禍のメインとなっているアイレの丘――彼等からすると『カルサア丘陵』です。そしてもう一つは――村の北方、アリアスの台地と呼ばれる場所です。ここはベクレル山脈を隔てた平地ですから、アーリグリフ軍が陸路で辿りつくのは極めて難しい。――それで、ほんの数年前まではアリアスの村民も安心して、土地を耕していたのですが――」

 

「最近になってアーリグリフ軍が姿を見せ始めたわけだな?」

 

 クリフの問いに、クレアが頷いた。

 

「最初は疾風による嫌がらせのような軽いものだったのです。ですが最近、ここにアーリグリフ軍の一般兵までもが姿を見せ始めた。――原因を調査した結果、台地に続く穴倉を、アーリグリフ軍が通したのではないかと言う疑惑が出て来たのです」

 

「……つまり、アーリグリフ側がカルサア山脈にトンネルを掘って、台地に現れた――ということか」

 

「とんねる?」

 

 首を傾げるクレアに、アレンは、何でもない、と言った。

 フェイトが問う。

 

「でも、そんなことされたら北側からも村が攻められるんじゃないですか? 山脈の地形を無視して、台地に現れるなんて」

 

「そこは問題ありません。調査結果によると、穴蔵は開いているとしてもまだ人一人がかろうじで通れるくらいの大きさ、と聞いています。ただ――これを調査し、あわよくば塞ごうとしたシーハーツ兵は、誰一人無事に帰って来ませんでしたが」

 

 沈黙が、会議室に降りた。

 クレアは顔を上げて、続ける。

 

「そして今、穴蔵の入口があると考えられているベクレル山道には、漆黒が配備されています。まだほんのわずかな兵数ですが」

 

「なら、楽勝じゃねぇか」

 

 にっと口端をつり上げるクリフに、クレアは首を振る。もう一度、地図に視線を落として、アリアスよりも西に外れた場所を指差した。

 その地点に、ネルが首を傾げる。

 

「……ベクレル鉱山だね。ここが、どうかしたのかい?」

 

「ここに、疾風が最近常駐しているの」

 

「……………………」

 

 沈黙するネル。その彼女を見据えて、クレアは視線を会議室にめぐらせる。

 空気がどんよりとこもる。そんなはずはないのに、皆が皆、同時に息を呑んだような気がした。

 直線上でアリアスの台地とベクレル鉱山を繋ぐと――疾風の足なら一刻もかからぬ距離、という目算がシーハーツ軍で立っている。

 台地が完全に占領されるのも、時間の問題である。

 そして、ここが完全にアーリグリフの手に落ちた暁には――北側からも、アリアスが攻められる危険が高まる。いまは『穴倉』に過ぎないトンネルを、本格的に整備させるわけにはいかないのだ。

 とはいえ、現状で一つ言えることは、仮に台地が完全占領されたとしても、まだ時間的な猶予は残っているということ。代わりに猶予を使い切ってしまったら、今までのような防衛線は絶対不可能になるであろうことだ。

 二方向からアーリグリフ軍に攻められるなど、地獄以外の何物でもない。

 それでも正面からアリアスを潰されるわけにも行かず――がんじがらめのシーハーツ軍は、不気味な未来を予想して、顔を白くした。

 居並ぶシーハーツ兵にならって、フェイトも表情を改める。

 兵器開発が急がれる理由がここにあった。

 

「それは、ちょうどいいな」

 

「だな」

 

 その彼等を置いて、後ろでアレンとクリフが互いを見合わせた。固まった空気が、動き出す。一同、驚いたように二人を振り返った。

 

「何がちょうどいいんだ? 兄ちゃん達?」

 

 周りの大人の反応に、ロジャーがまったくついていけない様子で首を傾げている。するとアレンが微笑して、クリフがやれやれと腕を組んで見せた。

 

「まあ、考えてもみろよ」

 

 言い置いて、クリフはロジャーと、それから意外そうにこちらを見詰めているシーハーツ軍を面白がるように見返して、腰に手を置いた。自信たっぷりに笑む彼はまさに不敵だ。

 クリフは話を続けた。

 

「つまりはフェイト(こいつ)の読み通り、そのアリアスの台地は向こうが喉から手が出るほど欲しい代物だ。土地と食糧、その二つが同時に手に入るんだからな。――けどよ、空を飛んでる奴等の目ってのは確かに厄介だが、だからこそ裏をかきやすいじゃねえか」

 

「?」

 

「……どうするつもりだい?」

 

 さっぱり事情の飲み込めないロジャーが、さらに首を傾げる。ネルが慎重に、クリフを見た。

 

「夜襲するんだ」

 

「夜襲?」

 

 言葉の意味を反芻して、合点のいかないフェイトを始め、会議室のシーハーツ兵達も首を傾げる。その中で、クレアとネルが、はっとしたように目を見開いた。

 

「でも、失敗したらどうするんだい!? 相手は……、漆黒に疾風だよ!?」

 

「問題ない。陽動(そちら)は俺とロジャーで引き受ける」

 

 微妙な空気の中、きっぱりとアレンが答える。見れば、彼はガストから譲り受けた太刀を掲げた。途端にクリフが不服そうに眉をしかめる。

 

「おいおい、んな役をガキんちょ連れで引き受ける気かよ?」

 

「……付いて来るか?」

 

 挑戦的に笑むアレンに、クリフの瞳が底光りした。

 

「上等だ! ちゃんと倒した敵の数、数えとけよ。勝負と行こうぜ」

 

 ガントレットを弾く彼に、静かに微笑うアレン。その二人を見据えて、ロジャーはやはり戸惑ったように視線をさ迷わせていた。

 

「兄ちゃん達、一体どんな話に……」

 

「……二人とも。誰か忘れてないか?」

 

 ロジャーの少し抑えた声を、フェイトが制した。

 一同の視線が集まる中、フェイトがこほん、とわざとらしく咳払いする。適任者はここにもいる。

 そう主張するようにチラチラと視線を二人に投げるフェイトに、クリフとアレンは同時に首を振った。

 

「お前は駄目だ」

 

 口調も、ついでにタイミングまで合わせて言い放ってくる。途端、フェイトの顔が、ムッと歪んだ。

 

「なぁ、兄ちゃん達……」

 

「おい! 僕が足手まといとでも……!」

 

「んなに陽動(こっち)に来ちまったら、耕作地の奪還は誰がやんだよ?」

 

「ロジャーはまだ気配の消し方に長けていない。まさか、ネル一人に任せる気じゃないだろう?」

 

 クリフに言葉を切られて、表情を引きつらせるフェイトに、アレンも追い討ちをかけてくる。

 

「ち……っ!」

 

 盛大に舌打ちして――数瞬後、フェイトはがくりと肩を落とした。ついでにため息まで吐く。

 

「にい……」

 

「……せっかく、修行のチャンスだと思ったのに……」

 

 彼の言葉に、アレンが眉をひそめた。

 

「修行なら、いつも俺達でやっているはずだが?」

 

「久しぶりに勝てる(・・・)修行だと思ったんだよ! たまには重要だろ、そこ!」

 

 力いっぱいに、どこか自棄気味に叫ぶフェイトは、傍目には情けない姿だったが、その理由を理解しているクリフとネルは、無条件に頷いている。

 その彼等を見渡して、アレンは苦笑した。

 と。

 

「こ、の……ばかちぃいいいんっ!」

 

 黙っていたロジャーが、怒りの咆哮を上げた。

 ゴンッ! と。

 ロジャーの体当たりがフェイトの腰に突き刺さる。

 背後から襲われる形になったフェイトが悲鳴をあげながら無造作に倒れた。手足を投げ出すようにして、少しも正しい姿勢とは言えない状態で着地する。

 その彼よりも一足早く着地したロジャーは、腰に手を当てて憤然とフェイト、そしてクリフとアレンを代わる代わる睨み据えた。

 

「オイラを無視して話を進めんなって、さっきから言ってんだろ! このバカチンども!」

 

 ぷんぷんと頭から蒸気を吐かんばかりの勢いで、仁王立ちするロジャー。その彼を恨めしげに見返して、フェイトは打ちつけた腰を押さえたまま口を開いた。

 少し涙ぐんでいた。

 

「……っ! なんだよ?」

 

 フェイトの語調がいささか落ちる。その彼を制して、アレンがロジャーに向き直った。

 

「すまない。……どの辺りが解らなかったんだ?」

 

 殊勝に問いかけると、ロジャーは腕を組んで、えへんと胸を張った。

 

「全部じゃん!」

 

「あん?」

 

 きっぱりと答えるロジャーに、クリフが顔をしかめる。が、クリフが口出しする前にアレンが答えた。

 

「つまりは敵の不意をついて、アリアス村民の畑を奪還しようという作戦なんだ。それでロジャーには、俺と同じ、敵を驚かせる役を担ってもらいたい」

 

「ネルお姉さまも一緒か?」

 

「いいや」

 

 期待に目をきらきらさせているロジャーに、アレンは端的に答えた。瞬間。カッとロジャーの目が見開かれる。同時、

 

「バカチィイインっ!」

 

 裂帛の気合と共に、ロジャーの体当たりが再度炸裂した。だがそれは、パンッとあっさりアレンに払われた。

 

 

 ……………………

 

 

 間。

 じっとアレンを見上げていたロジャーが、がくりと膝を付いた。

 

「くっっそぉ……! オイラとネルお姉さまを引き離すなんて……! それも、よりにもよってアレン兄ちゃんが! ……くそぉ! こんなの横暴すぎるじゃん! 訴えてやるぜ!?」

 

 ガンガンと床を叩きながら、口惜しそうに唸るロジャー。だがそれは、誰であろうネルによって阻まれた。

 

「やめておきな。今のあんたじゃ、返り討ちにあうのが関の山だよ」

 

「ネルお姉さま……!」

 

「今は堪えるんだ」

 

 きゅぅん、と今にも鳴きそうな勢いでネルに擦り寄るロジャー。その肩を、ネルが心なしか優しく叩く。その様はさながら、苛められた子犬をネルが助けたような構図だ。

 事の成り行きを見守るアレンが、少しやりづらそうに言った。

 

「……えっと、一応加減したんだが……」

 

 ロジャーの体当たりを、払ったときの力加減を気にするアレン。その彼の肩をぽんと叩いて、クリフは無言のまま首を横に振った。

 

「プライドの問題だ。アレン」

 

 クリフの隣で、フェイトもこくりと重々しく頷く。その二人をじっと見比べて、アレンはやれやれとため息をついた。

 そして改めて、視線をロジャーに寄越す。

 

「ロジャー。陽動作戦は、ネル達が負う任務よりも遥かに危険だ。……だが俺は、お前の実力を過小評価しない」

 

「アレン兄ちゃん……!」

 

 危険、という言葉にぴくりと反応したロジャーが、アレンを見上げる。その彼の、どこか期待に満ちた眼差しを受けて、アレンは、ふ、と微笑った。

 

「頼む。力を貸してくれ」

 

「!」

 

 ――力を貸してくれ。

 

 その言葉がロジャーの心を打った。

 

「任せとけ!」

 

 反射的に、力強くロジャーが頷く。頼まれる、ということは、アレンが自分を一人前の男として見てくれたということだ。

 それが素直に嬉しい。

 使命感が、ロジャーの心を熱く燃え上がらせた。

 

「やってやるじゃん!」

 

 硬く拳を握るロジャーを横目で一瞥して、クリフが苦笑混じりにアレンを振り返った。

 

「お子様はお手軽だな、おい?」

 

「世辞を言ったつもりは無い」

 

 冷やかし混じりに問うクリフに、率直に答える。どうやらあながち嘘を言っているわけではないらしい。アレンの表情が動かないのを見て、クリフは思わず、マジかよ、とつぶやいた。

 そのクリフに、ふ、と微笑って、アレンは改めてフェイトに向き直った。自然フェイトも表情を改めた。

 

「フェイト、確かに危険度は俺達の方が高いと思う。だが、内容は陽動よりも重要だ。……ぬかるな?」

 

「……分かってるよ。ていうか、奪還役ならクリフがやればいいんじゃないか?」

 

 ぶつぶつと不平を言い始めるフェイトに、クリフは知らぬ存ぜぬと口笛を吹いている。それを恨めしげに睨むフェイト。

 その二人を戸惑ったように見比べて、クレアは表情を厳しくした。

 

「あなた方は……! 事の重大さが分かってるんですか!? 漆黒も、疾風も! そんな簡単に倒せる相手ではありません!」

 

 睨まれて、互いを見合わせたクリフとフェイトが、慌てたように口を噤んだ。

 代わりに、アレンが応える。

 

「ラーズバード指揮官。そちらについては自分に任せて欲しい。結果は出す」

 

「……っ!」

 

 クレアもカルサア修練場の一件から、彼らの実力を知らないわけではない。それでも、こんな軽い気持ちで行かせるわけにはいかない。

 きっと顔を上げて警告を発そうとした彼女は、ふと、そこで制された。何故、と鋭い眼を向けると、意外にも相手はネルだった。

 

「あなたまで……!」

 

 ネルは苦笑気味に、断固首を横に振る。ぶつかった視線は何故か、いつもよりも真っ直ぐにクレアを向いていた。

 

(そうさ……。疾風相手だからって、私は何を臆してたんだ……)

 

 そのネルの心中を、クレアは初めて察することが出来なかった。ついで、ネルの口元に、にっと不敵な笑みが刻まれる。

 

「心配ないよ。私達は、必ず成功して帰るからさ」

 

 力強い笑み。

 それはクレアを励ますためでも、己を奮い立たせるためでもない。この戦時中、ネルが一度も浮かべたことの無い種類の笑みだ。どこか楽しげな、子供のように純粋な、挑むような瞳。その彼女の視界の端にアレンがいるのを知らないクレアは、不思議そうに首を傾げる。

 何故、こんな晴れやかな表情をしているのだろうと。

 ネルは続けた。

 

「だから、留守は任せたよ」

 

 言ってクレアと、居並ぶタイネーブ、ファリンを始めとした会議室の面々を見渡すネル。その堂々とした、今までの彼女とは違う悠然とした佇まいに、兵達は自然、拳を握りしめた。

 心から、勇気が湧いてくる。

 

「はい! お任せ下さい」

 

「がんばりま~すっ!」

 

 敬礼する二人を皮切りに、ざ、と兵達が姿勢を正す。その彼等にこくりと頷いて、ネルは視線を、クレアに向けた。

 

「……………………」

 

 今だ、よしとは言わない彼女の表情。それを無言で見返すネル。

 それも少しの間だった。

 観念したようにため息をついたネルは、やれやれと少しだけ苦笑した。

 

「事は一刻を争う。早ければ早いほど、アーリグリフ(やつら)を追い込めるんだ。――だから、クレア」

 

 言い聞かせるようにささやくと、クレアはようやく顔を上げた。こちらも観念したように、ふ、とため息を吐きながら。

 

「……分かったわ。なら私達も出来るだけ、フォローするよう気を配ってみる」

 

「ああ」

 

 頷くネルに、クレアは小さく苦笑した。

 ――何やら無茶な性格が、酷くなっている気がする。

 そう、胸中でつぶやきながら。

 

「では、作戦決行は今夜でいいか?」

 

「OK」

 

 二人の会話が一段落着いたのを見て、アレンが一同を窺った。一切のためらいなく頷いたのは、フェイトとクリフだ。周りの兵達が固まった。

 

「え!? そんな、急がれるにしても明日でいいのでは……」

 

 兵達を代表して、タイネーブが問いかける。当然だ。彼等は今日アリアスに着いて、その足で夜襲しようというのだから。

 無謀すぎるというもっともな指摘に、フェイトは不敵に笑った。

 

「|いつもの修行に比べれば、何てこと無いよ。ね、皆?」

 

「ああ」

 

「そうだね」

 

「当ったり前じゃん!」

 

 にべもなく頷く三人。どこか遠い視線を送っている彼らに、アレンも異は唱えない。

 そしてフェイトは、今だぱくぱくと口を開閉させているタイネーブたちに向かって、言った。

 

「まあ、見ててください。……僕達、結構強くなったんですから」



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28.夜襲

 月明かりのない、深夜のベクレル山道。

 囮役として買って出たクリフは、傍らに控えた相棒に向かって問いかけた。

 

「で? どう切り崩す?」

 

 闇夜でもクリフの目は利いている。油断無く周囲を見渡す彼は、すでにアリアスに向けて進軍する漆黒の影を捉えていた。

 松明の数は、ざっと二十。一個小隊といったところだろう。

 同じく、アレンもそちらを見据えながら、アリアスから引いてきた荷台を物色し始める。

 

「まずは松明で俺達の位置を報せよう。こちらがまるで進軍しているように見せかける」

 

 声を落としながら、昼間の内に作っておいた長いロープを取り出してくる。そこに等間隔に二本ずつ松明がくくりつけられていた。ロープの端と端を持って、実際には居ない人間が、あたかも居るかのように見せる、というのがアレンの作戦である。

 一見うまく行きそうに無いが、新月の――エリクールを回る三つの中でも最大の月、イリスが隠れる今夜に限ってはそうとも言い切れない。

 昼の時点でそこまで読んでいたのだろう。

 惑星の天候事情を早くも把握しているアレンに、クリフは内心で舌を巻きながら、肩をすくめた。

 

「……なるほどな。よし、奴等を引き離すぞ」

 

「了解」

 

 頷き合って、クリフはアレンが用意したロープの端を持つ。ロープは全部で三本。巻きつけられた松明の数から考えると、約二十人編成の、ちょうどさきほど確認した漆黒と同程度の小隊だ。

 

(無難だな……)

 

 クリフは胸中でつぶやきながら、アレンと距離をとる。山道のために見晴らしは悪いが、アーリグリフ側がこの道を侵入ルートに選ぶ理由もよく分かる。

 今更ながらにクリフは思った。

 

(確かにこの山道じゃ、連中が何も考えずに松明つけてんのも頷けるぜ……)

 

 ため息を吐きながら、眼下の漆黒を見据える。劣勢に追い込まれたシーハーツ軍など、と侮っているのかもしれなかった。

 

「兄ちゃん、オイラは?」

 

 一人、手持ち無沙汰のロジャーが、左右を見渡しながら――こちらはあまり夜目が利いていない様子で首を傾げている。

 

「ロジャーの任務は敵の注意がこちらを向いてからが本番だ。……気を抜くな」

 

「お、おう!」

 

 緊張を孕んだ調子で、ぐっと拳を握るロジャー。その彼に微笑を送って、アレンはクリフに向き直った。

 

「火を点ける。……気をつけてくれ」

 

 背中から聞こえた声に、クリフがこくりと頷く。瞬間。短い詠唱を終えて、松明に火が点った。

 周りが少し明るくなる。

 

「……んなもんまで付けてたのかよ……」

 

 途端、姿を現した――兵士の上半身を模した案山子(かかし)に、クリフはため息を吐いた。一体、昼間のどこにこんなものを取り付ける時間があったというのか。

 やれやれと首を振るクリフに、アレンはあっさりと答えた。

 

「シーハーツ兵は忙しそうだったからな。村人に事情を話すと、快く手伝ってもらえた」

 

「……抜かりないことで」

 

 クリフは肩を竦める。

 村人に直接、手を貸してもらうのはなかなかいい判断()だった。軍の統率を任された身とはいえ、フェイト達はまだ、シーハーツ軍人達と強い結びつきを持っているわけではない。その点、一般市民たるアリアスの村民は『軍人』の一括りで彼等を見る。

 アレンは兵が忙しくて、と言ったが、無論、その中にはこの意味も含まれているだろう。

 

(つくづくだな……)

 

 銀河連邦にこんな人材がいたとは。

 肝が冷える思いを押し殺して、クリフは山道を歩く。傍らのアレンが、敵を呼び込むための施術を、漆黒兵に向かって放った。

 

「――サンダーボルト!」

 

 ほとんど詠唱のない雷が、(そら)から降る。けたたましい雷撃が進軍していた漆黒兵をかすめると、ものの数分もしない間に周りが慌しくなった。

 

「これは……、施術!?」

 

「シーハーツ軍だと!? 馬鹿なっ!」

 

 それが皮切りだった。

 

「火を! 火を持て! まずは相手の確認を――!」

 

「行くぜ! アレン! ロジャー!」

 

「了解」

 

「任せとけ!」

 

 言って、慌てて周りを照らそうとする漆黒兵に、クリフは松明つきのロープを近くの岩にくくりつけた。同時。彼の豪腕から、自慢の『カーレントナックル』がうなる。

 

「オラオラオラァッ!」

 

 鋭い呼気と同時に、放たれた三連の拳が手当たり次第に漆黒兵を吹き飛ばした。

 

「うわぁっ!?」

 

「ぐわっ!」

 

 悲鳴を上げて怯む兵。ついで、クリフは地を蹴る。上空に飛ぶと、疾風の影が見えたが、彼は気にしなかった。

 

「叩き潰すぜ! マイトハンマー!」

 

 ドォンッッ!

 

 土埃が舞う。派手に迸った火炎が、地を、人を、大気を照らし上げる。

 悲鳴が、怒号と相成った。瞬間。頃合を見計らったかのように、詠唱を終えたアレンが、かっと目を見開く。

 

「ディープミスト!」

 

 空が、曇る。

 アレンの紋章術によって突如発生した霧が、松明の、シーハーツ軍を模した案山子を巧みに隠す。だが漆黒に、もうそれが本物の人間か案山子かを見やる余裕は無い。

 それが、見えるとすれば――……。

 クリフが凄絶に笑う。

 闇の中で、喧騒が沸き立った。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 アリアスから少し奥まった土地に、その耕地はあった。

 クリフ達が陽動としてベクレル山道に向かって数刻。深夜の耕作地に姿を現した幾つもの影が、慌しくなり始める。

 

「何……!? シーハーツ……!?」

 

「まさか……! ……かったのか……!」

 

 しん、とした闇の中。さすがに畑から作物を盗むときばかりは松明を消していた兵たちの声に緊張が籠もる。

 ばらばらと現場に報せを持ってきたのは、クリフの読み通り、疾風のようだ。闇夜でも羽音を響かせるドラゴンは一匹なのか、それらしき影が一つしか見えなかった。

 

「それで……! 護衛の連中は!?」

 

「それが……」

 

 そんな話を遠巻きながらも耳にして、フェイトはニッと口端を緩めた。ついで、ネルを見る。

 

(ネルさん、敵の数は分かる?)

 

 声を落として訊ねると、ネルは、六、とだけ短く答えた。

 

(……六。よし、間違いないな)

 

 夜闇の中、視線を凝らすことなく、フェイトは口端を吊り上げる。

 気配の消し方を心得た彼は、それと同時に、相手の気配の察し方もわかるようになってきていた。

 修行の成果、というやつだろう。

 確かな手応えを感じながら、フェイトは拳を握りこむ。

 

(仕掛けよう!)

 

(ああ!)

 

 頷き合うなり、二人は一斉に駆け出す。新月の、松明一つ無い闇の中。わずかな音を立てて二人は兵に近づいた。同時。フェイトは剣を、ネルは短刀を引き抜いて、体当たり気味に合計二名の兵を後ろから吹き飛ばす。

 

「っな!?」

 

 息を呑むような、兵達の声が聞こえた。

 瞬間。視覚を封じられた所為で澄んだフェイトの聴覚が、次の獲物を求めて走る。

 フェイトは迷わず剣を左に振った。

 

(――そこに、二人!)

 

 が。

 

 キィ……ンッッ!

 

(弾かれたっ!?)

 

 ざ、と素早く体勢を立て直すフェイト。が。その頃には、敵の兵が袈裟状に剣を振り被っていた。

 狙いは、首から胸。

 何とか自分の剣を差し込む。

 

(――速い!)

 

 確信した瞬間、剣と剣のぶつかる感触に、表情が引きつった。歯が、震えた。

 

「……ちっ!」

 

 敵も見えていない筈だ。だが。その動きに迷いは無い。鍔迫り合いになった剣を払う。同時。更にもう一段、フェイトの胴を薙ぐ一撃が放たれた。

 

 ギィンッッ!

 

 肝が冷えた。今の一撃を防げたのは奇跡に近い。

 

(コイツ……強い!)

 

 ごく、と呼吸(いき)を呑む。闇の中だから反応が遅れているのか。攻撃の隙が、まるで見当たらない。

 

「フェイト!」

 

 そのフェイトの危機を察知したネルが、フェイトの知らぬ間に放たれた三撃目――逆袈裟の一撃を凍牙で牽制する。だが。見切られていた。

 キィンッと甲高い音を立てて、ネルのクナイが落ちる。

 フェイトを狙う三撃目の速度が――、変わらない。

 

「馬鹿な!?」

 

 思わず絶句するネルを余所に、闇に紛れた兵は、逆袈裟から面打ちに切り替えた一撃を振り下ろした。風切音が、立つ。

 

 ぎきぃっ!

 

 寸でのところで止めたフェイトの頬を、剣風が、ふわりと撫でた。

 

「……っ、っっ!」

 

 カチカチという鍔迫り合い。先程は流せた。だが今度は、少しでも力を抜けば斬られる。そんな殺気が、こちらに伝わってくる。

 フェイトは唇を噛んだ。

 腕力で負けているのだ。

 

(こ、このままじゃ――!)

 

 歯を食いしばりながら、ネルの援護を期待する。が。視界の端に見えた彼女も、残る五人の兵に囲まれて動けないようだ。

 そんな折、

 力の拮抗が、破れた。

 

 キィンッ!

 

「……!」

 

 剣を払われた。同時、音も無く、敵が距離を取る。フェイトの眉間に皺が寄る。怪訝に思いながらも、彼は距離を取った相手を睨み据えた。

 途端、その兵が闇の中、す、と右手を掲げる。

 

「ライト」

 

 短い詠唱と共に、兵の右手に現れたのは、手鞠ほどの赤い小球だ。それは直視しても眩しくないほどの光量で、しかし、この完全に闇に満たされた空間では実用的な照明としてその場に現れる。

 同時。

 

「空破斬!」

 

 一閃した兵の剣風に、五人の兵を相手取っていたネルが、吹き飛ばされた。ぐ、と呻いた彼女は、影払いで決着をつけようとしたところを邪魔されて、苦々しげに唇を噛んだ。

 そして身軽に、猫のようなしなやかさでフェイトの傍らに着地する。

 

「……厄介な相手だね!」

 

 ちっ、と舌打つ彼女に頷いて、フェイトも対峙した兵を睨む。

 小球(ライト)に照らされた甲冑は、アーリグリフ軍の重装騎士団『漆黒』のものだ。だが実力は、フェイトの知る他の兵と明らかに違う。――修練場で手合わせた、シェルビー以上だ。

 

「……皆さん、ご無事ですか?」

 

 そのフェイト達の逡巡を無視して、目の前の兵は、仲間の五人の様子を窺った。ああ、と掠れた声を返す彼等は、あの数瞬でネルに手ひどくやられたようだった。

 だが。

 それより――。

 ネルとフェイトは、目を見開いた。

 

「……何故、漆黒(アーリグリフ)の者が施術を……?」

 

(それに、女の子だ……!)

 

 ぽつ、とつぶやくネルの傍らで、フェイトも驚きを隠せない。

 声音が、まるで男と違ったのだ。

 兵は――彼女は、仄明るい照明の中で仲間の安否を確かめると、一つ頷いてフェイト達に向き直った。



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29.漆黒の女兵士

「……ここは私に任せてください。皆さんは、急ぎ隊長に報告を」

 

「お、おい! それじゃ嬢ちゃんが……!」

 

 狼狽した負傷兵の声。その彼の言動が、確かに目の前の相手を女性だと物語る。

 彼女は――ナツメは静かに負傷兵を振り返ると、ふ、と微笑って言った。

 

「私は、目的を果たすまで負けません」

 

 それで話は終わりだ、とフェイト達に向き直るナツメ。抜いているのは彼女の愛剣、シャープエッジ。

 仄かな明かり、とはいえ半径五メートル以上を見渡すことの出来る人工照明の中で、鈍色に光るその剣は一種、独特の雰囲気を孕んでいた。ふと見えた、兜を被っていない彼女の相貌は、見渡しが良くなったとはいえ、深い影に覆われてフェイト達には殆ど見えない。

 ――あるいは、彼女自身がそれを意識しているのかも知れないが。

 去っていく五人の兵を見送って、彼女は照らされた口元を、ふっと緩めた。

 瞬間。

 

 ふっ……

 

「消え――っ!?」

 

 目を見開く。息を呑んだのは、ネルとフェイト、ほぼ同時だ。

 ナツメの身体が数センチ、ネルの前にある。瞬きの間。それで、間合いを制された。

 

「くっ!」

 

 だが得物が短い分、短刀が潜り込む方が速い。

 否。

 

「が……っ!」

 

 剣ではない。掌底で、顎をかち上げられた。脳が揺れる。平衡感覚を失う直前、心臓に重い衝撃が走った。どっ、と。鈍い音を立てて、ネルの痩身が吹き飛ばされる。見れば、相手の肘打ちが、容赦ない角度でめり込んでいた。

 

「ネルさん!」

 

 慌ててフェイトが加勢の斬撃を放つ。が、女兵の剣(シャープエッジ)で払われた。舌打ちし、流れるようにリフレクトストライフを放つ。片足で地面を蹴り、攻撃中の相手の脇へ。

 蹴りと気を巧みに練りこんだこの技は、通常ならば三連撃の威力を誇る。だが、一撃目の衝撃が鈍い。二、三に繋ぐには、感触が良くない。

 はっと息を呑んで相手を見ると、フェイトの剣を払った、左腕で防がれていた。(シャープエッジ)を握る左手。それが、柄頭でリフレクトストライフの弱点を狙い打っていた。

 

 フェイトの、アキレス腱を。

 

「――っっぁああ!」

 

 声にもならない悲鳴が、フェイトの口から漏れる。足を抱えようとした。だがそれも、ナツメの衝裂破――横薙ぎに払った剣風に身体を吹き飛ばされて、適わない。

 

「破っ!」

 

「……くぁっ!」

 

 彼女の呼気と、フェイトの呻き声が重なる。咄嗟に受身をとったフェイトは、つぶされた右足をかばいながら、ナツメを睨み据えた。

 

「フェイト……!」

 

 フェイトの加勢に回ろうと短刀を握り締めたネルが、顔をゆがめている彼を一瞥して、ハッと息を呑んだ。

 彼の足の状態は分からない。だが、リフレクトストライフの速度(スピード)とナツメの柄頭で殴る速度(スピード)が相対的に働いた一撃だ。一刻も早い、ヒーリングを要するのは確かだろう。

 少なくとも、目の前の敵に勝つためには。

 だが。

 問題は、その隙がどこにもない、ということだ。そんなネルの逡巡を切り捨てるように、目の前の少女は左手の剣(シャープエッジ)を軽く振るった。

 

「……そろそろ、決めましょうか」

 

 剣を納めて、やや斜に構えるナツメ。軽く膝を折り、前傾姿勢で右手を腰の辺りに置いた彼女は、居合いの姿勢で動きを止めた。

 夜気が冷える。

 苦々しくナツメを見据える二人の背に、緊張が走った。

 

 じりじりと時間が過ぎる。

 

 というより、体感時間がひどく長く感じるのだ。

 距離はきっかり、三メートル。ナツメの脚力をもってすれば、どうということのない距離だ。

 居合いの姿勢のまま、微動だにしないナツメ。その彼女が放つ、異様な空気に、フェイトもネルも、攻めの一歩が踏み出せない。

 

 

 ……………………

 

 

 だがそれでも、ぐ、と剣の柄を握りなおすフェイト。傍らのネルも、覚悟を決めたように短刀を顔の位置に持ち上げた。

 瞬間。

 

「行くぞっ!」

 

 景気づけに叫んだフェイトが、右足の痛みを無視して剣を振り仰いだ。

 

「ヴァーティカル!」

 

 やや相手とは距離がある。それを逆手にフェイトは剣を振り上げた。地面から沸き起こる剣風がナツメに迫る。同時。か、と目を見開いた彼女はもう一振りの刀――シャープネスに手をかけた。

 

「朧っ!」

 

 フェイトよりも垂直に、(シャープネス)を振り上げる。放たれた斬撃と折り重なった三層の剣風が、フェイトの剣風と正面からぶつかり合う。

 両者とも、気を孕んだ最高の一撃だ。

 が。

 

 ズシュィンッ!

 

 地面から沸き立つフェイトの剣風が、苦も無く切り払われた。瞬間。

 

「――っ!?」

 

 朧を放ったナツメが、地面から走る無数の剣風を穿つと同時。そこにいる筈のフェイトが、上空に飛んで、さらに剣を振り下ろしていた。

 

「エアレイド!」

 

「っ!」

 

 振り下ろされる剣圧が、無数の衝撃波を生む。ぎ、と歯を噛んだ彼女は、迷わず帯剣したシャープエッジを引き抜いた。瞬間。はっ、とナツメが息を呑む。眼前に、ネルの凍牙が迫っていた。

 凍牙を払えば、ヴァーティカル・エアレイドの剣圧が。剣圧を払えば、凍牙が確実に当たる。

 振りぬき――は、間に合わない。

 

「ちぃっ」

 

 舌打ちして、シャープエッジで自分を守るように、かざす。だが、腕と足の肉が削がれた。唇を噛み締める。同時、バックステップで距離を取った。

 仕返しと言わんばかりに、ざ、とハの字に両剣を開いたナツメが、紋章術を唱える。

 

「ピアシングソーズ!」

 

 瞬間。右に三本、左に三本の紋章術で構成された氷の刃が、ネルに向かって放たれた。動作は小さい。フェイトが隙をつく間はない。

 が。

 

「ぉおおおっっ!」

 

 構わず、ナツメの懐に飛び込んだフェイトは、剣を上段から振り下ろした。キン、という甲高い音を立てて、難なく左手の剣(シャープエッジ)に払われる。瞬間。右手の刀(シャープネス)がフェイトの心臓めがけて走った。

 

「っ、っっ!」

 

 間一髪、フェイトがどうにか剣を挟みこむ。

 

 ごっ!

 

 左側頭に、衝撃が走った。

 

(蹴られた――!?)

 

 火花散る視界で考えると同時。次いで、ガンッとシャープエッジの柄頭で眉間を穿たれた。

 視界が揺れる。緩急無き縦横の衝撃を受けて、脳が容易く機能しなくなる。

 棒立ち。

 ぎ、とナツメの黒瞳が底光りした。

 

「終わりです!」

 

「させるものか!」

 

 柄を握りこむ彼女の傍らに、ピアシングソーズをどうにか切り払ったネルが、迫る。ナツメの刀を下から払い上げるような、短刀による切り上げ。炎を孕んだその一撃に、わずかに重心をずらされたナツメが、く、と呻く。同時。ネルは上げた短刀を振り下ろした。

 

 どどっ!

 

 二連に続く斬撃を、しかし、ナツメは耐える。同時、応戦しようとナツメが柄を握りこむ、と、ネルの蹴打がナツメの鼻先をかすめた。ぐ、と絶句して距離を取る。否、取ろうとしたところで、ネルのラッシュが火を噴いた。前後左右。嵐のような短刀の乱撃が怒涛の勢いで放たれる。

 

「鏡面刹!」

 

 鋭く吐くネル。否、乱撃は短刀だけではない。より隙を無くすために、肘うちや掌底まで精密に計算されている。

 リズムが取れない。

 緩急さえも、考え尽くされていた。

 乱撃を、かわし、流し、払う。手数が多い。それら一つ一つに、ネルの渾身の気合が込められていた。

 ネルは気付いているのだ。一瞬でも気を抜けば、それをナツメが狙ってくると。

 そしてそれは、正確に相手(ナツメ)の動きを見極めた証拠だった。

 

(ですが――……)

 

 それには、経験が足りない。

 終撃の雷を放つネルに、ナツメが吼えた。

 

「ぉおっ!」

 

 迫り来る雷撃を、氷を宿した剣で振り払う。突進力を生かした短刀の一撃を加えようとしたネルが、ぐ、と息を呑んだ。が、速度は変えない。

 

(突っ切る!)

 

 短刀を握りこんで、気を全身に纏った彼女はナツメに切りかかった。

 ナツメの刀剣は、既に鞘に納められている。

 居合い。

 それが意味する結果を、ネルは知らない。

 

「砕牙ぁあっっ!」

 

 鋭い彼女の呼気がネルの耳朶を打つ。同時、ナツメは抜刀した。雷を切ったおかげで、ナツメの抜刀速度は最高潮に達する。

 己を鼓舞するために、ネルが吼えた。

 

「私の勝ちだ!」

 

 言葉通り、一瞬、ネルのほうが速い。

 当然だ。ネルの方はすでに勢いをつけ短刀を抜き払っているのだから。

 そう、思った。

 

 ばちぃいいいんんっ!

 

 轟音が、耳朶を打つ。視界が白く染まる。それが居合いの一振りと同時に放たれた、ナツメの雷撃だったと、ネル自身は知らない。まるで彼女(ネル)の気を両断するように、抜刀から一メートル。凄まじい瞬発力(ダッシュ)で抜刀から横薙ぎに繋がれた一閃を放つ。

 刃から雷光が、真一文字を空に描いた。

 相手の意識を完全に停止させる、蒼白の雷光が。

 

 ――相手の『牙』を『砕く』刃が。

 

「……か、っ!」

 

 呻くと同時、鮮血がネルの胸元から零れた。雷に脳髄を焼かれて、ネルが昏倒するように地面に倒れる。

 

「ネルさん!」

 

 息を呑む、フェイトの声。

 それを脇に、ナツメは眼下で血溜まりを作り始めたネルを見下ろした。

 

(殺った、と思ったんですが……。咄嗟に、急所を外されましたね)

 

 だが別段、とどめを刺すつもりはない。――いや、それどころではなかった、と言うのが本音か。

 視線を横に流す。

 地面にうずくまっていた青年の、怒りの殺意がぴりぴりと伝わってきた。

 

「……許さないからな……」

 

 地を這うような、低い声。か、とナツメはシャープエッジを掲げた。

 

 キィンッ!

 

 フェイトの振り下ろしの斬撃。先ほどまでとは踏み込みの速度(スピード)も、重み(パワー)も、全然違う。片腕で受けた、ナツメの身体が沈んだ。

 

「――くっ!」

 

 呻きながら、どうにかフェイトの剣を払う。同時。その勢いで切り込もうとしたナツメの斬撃を、バックステップでかわされた。

 

(反応も、上がっている?)

 

 右足を潰したはずだ。なのに動きは、急激に鋭利(シャープ)に、苛烈になっていく。最早踏ん張ることすら不可能と思われた右足を、フェイトがまったく気にした様子はない。

 

「はァッ!」

 

 かわすと同時、フェイトの斬撃が上段から落ちた。

 

(流す――!)

 

 咄嗟に判断したナツメが左手の剣(シャープエッジ)で受け止め、その刃を右手の刀(シャープネス)で殴るように斬り上げた。が、一瞬。それに対応したフェイトが、が、と膝を折って、衝撃を緩和する。

 思わず、相手の反射神経に舌を巻いた。

 急成長というより、別人。そんな印象を与えてくる相手の、得体の知れない何かを感じ取りながら、ナツメはシャープネスを構える。同時。フェイトが追撃に踏み込むより先に、ナツメが刀を振り下ろす。

 

「っ!」

 

 鼻白むようにたたらを踏んで、フェイトが間一髪のところでかわす。が。髪が数本、宙を舞った。

 ナツメの刀に触れたわけではない。

 これは――……

 

(剣風でも斬られる!)

 

 フェイトが確信すると同時、ナツメのシャープエッジが横に一閃した。

 

「クロスラッシュ!」

 

「くぅっ!」

 

 フェイトが咄嗟に、剣を立てる。彼女の瞬発力を生かしたその一撃は、ネルが食らった『砕牙』のように雷を孕んでいないものの、凄まじい衝撃を受け手に送ってくる。

 握力を、失いかけた。

 歯を食いしばる。踏ん張ると、やられた右足が鈍く鋭く痛んだ。

 だが、構わない。

 

「ブレードリアクター!」

 

 受けきると同時、ざん、と敢えて負傷した右足で踏み込んで、剣を振りぬく。振り上げの斬撃は左に流された。次ぐ振り下ろしを、身をひねってかわされ――フェイトは、ぐ、と柄を握り締めた。

 

「ヴァーティカル……!」

 

 三撃目の突きの代わりに剣を振り上げる。否。振り上げようとした。

 だが。

 身をひねった彼女は、刀剣を手に、切り上げの一閃を放った。

 

「ハリケーンスラッシュ!」

 

「ッ!?」

 

 名の通り、風を巻いた切り上げの斬撃に、ヴァーティカル・エアレイドの出だしが潰される。

 思わず、フェイトは怯んだ。

 

 ぞく……っ

 

 背中を走る、得体の知れない予感。思わず表情を引きつらせたフェイトは、少女の持つ刀剣が、赤と青に輝くのを見た。

 (シャープネス)の赤と(シャープエッジ)の青。

 それはフェイトが使う紋章剣、炎の『ブレイズソード』と氷の『アイシクルエッジ』に他ならなかった。

 

「双竜破!」

 

 ただし、込められた紋章力は桁が違う。凝縮されつくした二振りの斬撃を、それが交叉する、一瞬の隙をついてフェイトが剣を挟みこむ。

 

 スパ――……ッ

 

 受けようとしたフェイトの剣が、まるで豆腐か何かのように、斬られた。

 

「なっ!?」

 

 絶句する。同時。慌ててバックステップを――。

 視界が、白く光った。

 身体が浮く。――痛みは無い。

 ただ。

 自分が浮いていることに気付いたのは、しばらく後だ。

 意識が遠い。

 

(気を、失う――?)

 

 ぼんやりとした頭の中でそう考える。滞空時間が長いのは、自分の中でだけ、のことだ。

 空転する思考の中、ちらりと赤いものが見えた。

 

 地面に倒れた、ネルだ。

 

 血溜まりが、直径一メートルほど広がっていた。

 

(――ネル……さんっ!)

 

 途端、が、と舌を噛んだ。意識を、脳を覚醒させる。

 

(……動けぇええっ!)

 

 どっ!

 

 現実時間のフェイトが、鈍い音を立てて崩れ落ちる。

 それを認める前に刀剣を払ったナツメは、ぴ、と飛ぶ血を一瞥することなく、二振りの剣と刀を鞘に納めた。その背に、骨が軋むほどの勢いで歯を食いしばったフェイトの力が、斬撃が、迸る。

 

「ブレードリアクタぁああ……!」

 

 二撃を放つ余力は無い。フェイトは、全ての力を一撃目の振り上げに賭けた。

 青白い剣線が、夜闇でも凄まじい光を放って弾ける。

 

 

 ………………

 

 

 だが、それは。

 ナツメには半歩分、届かない。

 渾身の斬撃が、顔のすぐ前を通り抜ける。それを、じ、と見据えて――彼女は、力尽きた青年から踵を返した。

 完全に、殺したかと思った。

 なのに。

 

「……まだまだ未熟ですね。私も」

 

 つぶやいた彼女は、そ、と自分の左頬に手をやる。浅いが、確かな血の筋が、す、と引かれていた。

 最初に作った炎のライトで、手の平に乗った血を眺めて、ナツメは、ふ、と口端を緩める。もみ消すように左手をこすり合わせると、彼女は、任務内容である農作物を積んだ荷台を転がし始めた。

 

(漆黒が帰ってこない……。見張り部隊は、一体どうなって……?)

 

 隊長(シェルビー)に現状を報告するために退却させた五人の兵を思い出しながら、ナツメは少しだけ、表情を曇らせる。

 

 アーリグリフが目的こそ達成したものの、大打撃を被る結果になったのは、これから少しのちに発覚した――。



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30.クレアの嫉妬

「大したことねぇな。お山の大将」

 

 ニッと口元に不敵な笑みを浮かべたクリフは、修練場で一度会った漆黒副団長、シェルビーを見下ろした。

 

「ぐっ……! 馬鹿なっ!」

 

 得物の手斧を杖代わりに、膝をついたシェルビーは忌々しげにクリフを見上げる。立ち上がろうと下肢に力を込めたが、かなわない。

 舌打ちが零れた。

 否。

 そこには少しばかり、安堵も含まれている。

 

 今、目の前に居る――漆黒と一般兵で織り成された五十人近い編成を、僅か数分で叩き伏せた化け物と、対峙せずに済んでいることを。

 

 そこここで動けなくなった兵たちの、呻き声が聞こえてくる。

 

「……くそっ! 退却だ! 引き上げろ!」

 

 その呻き声を耳に、忌々しげに叫ぶシェルビー。だが負傷した兵達の動きは、きびきびしているものの、決して速いとは言えなかった。

 当然だ。

 全員、腕や足を折られているのだから。

 

 ――とても、人間業ではなかった。

 

「一昨日来やがれってんだ! このバカチンども!」

 

 彼等の背に、ロジャーの罵声が浴びせられる。いつもなら、そんな余裕を口にすることも許さない最強の漆黒が、しかし、今はグゥの音も出ぬほどに惨敗していた。肩越しにロジャーを、否、クリフ達を睨んで、忌々しげに顔を歪めたシェルビーは、ぎり、と奥歯を噛み締めて退却していく。

 その恨めしそうな彼等の背を視界の端に、クリフはハッと肩をすくめてみせた。

 

「ったく。チョロいもんだぜ」

 

「……ああ。任務完了だ」

 

 傍らのアレンが、ふっと息を吐く。戦闘の緊張を解いたのが、空気だけで分かった。勘の鋭いアレンが緊張を解いたということは、完全に周囲に人の気配がなくなったのだろう。

 クリフは小さく頷いて、踵を返した。

 

「んじゃ、ちょっくらフェイトとネルの様子でも見に行くか! 多分、向こうも終わっちまってるだろうが」

 

「おう! オイラ、すっげぇがんばったからな! きっとお姉さまが……! ふふ、ぐふふふふっ!」

 

 不気味な笑みを浮かべるロジャーの思考が、手に取るように理解できたのか。クリフは組んでいた腕を解いて、どうだか、と肩をすくめた。

 

「あいつがそんなことするタマかよ」

 

「んだとぉ!? このデカブツ!」

 

 ロジャーの蹴りがクリフの脛に炸裂する。存外、鈍い音が立ち、う、と息を呑んだクリフが、その痛みを訴えるように涙の溜まった目でぎろりとロジャーを睨み下ろした。

 

「こ、のっ! 上等だ! その喧嘩、買ってやらぁ!」

 

「やるか! このデカブツぅうう!」

 

「もう泣いて謝っても許さねぇ! そこに直れ! このチビ!」

 

 そんな彼等のやりとりを苦笑しながら見詰めて、アレンも先行くクリフ達に続いた。段取り通りに事が進んだならば、フェイト達はこの坂を上った耕作地に居るはずだ。

 そして今は、そこから物音一つ響いてこない。

 

 ――坂を上って。

 クリフ達は、血溜まりに倒れたフェイトとネルを見据えて、目を見開いた。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 重傷とまではいかないものの、かなりの深手を負ったフェイトとネルは、アレンとクリフによってアリアスまで担ぎ込まれた。 

 

「痛み分け、だな」

 

 夜襲後の明け方。

 ともかく、アレンの紋章術で傷は完治した二人を部屋で休ませた後。ロジャーはネルが心配で側を離れなかったので、その場に留めて、クリフとアレンだけで結果報告の為に会議室にきていた。今後の打ち合わせも兼ねて会議室に集まった一同は、フェイトとネル――特に、クリムゾンブレイドのネルが敗れた事に意気消沈していた。

 重い沈黙の中、痛み分け、と告げたアレン自身も、難しい表情で腕を組んでいる。

 その彼にクリフが頷いた。

 

「……ああ。しかもあいつらの話じゃ、あの甲冑野郎の仕業でもないらしい。――完全な伏兵(ダークフォース)だな」

 

「ああ」

 

 ぼりぼりと頭をかくクリフに頷いて、会議室の上座に座るクレアを見る。すると彼女は考え込むときの癖の、目の前で指を組んだ体勢で、じ、と一点を見つめていた。

 こちらも険しい表情だ。

 

「それも、女で――『施術』を使うときた」

 

 続けるクリフに、アレンは目を細める。

 それだけではない。

 二人の話を統合するならば、その女兵士はアレンと同じ『空破斬』や『衝裂破』といった技まで繰り出しているのだ。

 十中八九、アレンの知り合いの仕業だろう。

 

「……………………」

 

 黙すアレン。それを横目で見て、クリフは話題を変えるように言った。

 

「で? こっからどうする?」

 

 相手は知り合いだろう、という憶測を込めて尋ねる。顔を上げたアレンは、クリフと会議室にいる皆を見渡して、はっきりと答えた。

 

「問題ない。相手が誰であろうと、俺は俺の目的を果たすだけだ」

 

 ただし、その目的が一つ増えたが――。

 その言葉は敢えて口にせず、アレンは組んだ腕を外す。上座で指を組んだクレアが、こちらを睨み据えてきた。

 

「問題ない? たった二人で耕作地の奪還に向かわせて、それで重傷を負わせたこの作戦の、どこが問題ないというんですか!」

 

 バンッと机を叩きこそしなかったものの、確かな怒りを込めてクレアが唸る。その彼女をじっと見返して、アレンは続けた。

 

「だが。これでアーリグリフも物資強奪が難しくなった。問題の『穴倉』は塞いだからな。となれば食糧に不安がある以上、こちらの様子を見ながら近々総力戦を挑んでくる筈だ」

 

「……っ!」

 

 事も無げに言い切る彼に、ぐっと室内の気温が冷える。息を呑んだのは、誰ともつかない室内全員の意思だ。アレンが今言ったことは、誰もが『考えたくない事態』だった。

 室温の体感温度が冷えるのも、圧倒的戦力差を知っている彼等だからこその判断だった。

 その彼等を奮起するように、アレンの蒼瞳が、す、と一同を見渡した。

 

「そこを叩く」

 

 瞬間、クレアがカッと頭を上げた。

 

「貴方は! 何を!」

 

「勿論、その前の準備はさせてもらう。彼等に相応しい、結果を導くためにもな」

 

 平然と言い返してくる。その彼の一向に勢いを衰えさせない姿に、クレアは唇を噛む。村の防衛が第一任務とはいえ、ネルをあんな目に合わせたことが、彼女にとっては致命的な失敗(ミス)なのだ。

 それをぬけぬけと。

 平静になって話を聞こうとする理性と、――何よりアレンを責める怒りがせめぎ合う。

 その彼女を置いて、クリフはアレンを仰いだ。

 

「で? どうすんだ?」

 

 問うクリフを皮切りに、会議室に集まった兵達の視線もアレンを向く。それら一つ一つを見返して、アレンは静かに答えた。

 

「二人が目覚めるまで、と思っていたんだが……」

 

 そこで言葉を切った彼は、じ、とクリフとクレアに視線を向けた。珍しく神妙に、表情を改めて。

 

「カルサアに向かおうと思う。風雷団長、ウォルター伯に会ってみたい」

 

「っ!?」

 

 つぶやかれた言葉に、クレアが目を見開く。同時。静寂が波紋のように広がった。口を噤んだ誰もが、アレンを凝視し、事態を見守るために息を呑む。 

 対峙したクレアが唇を噛む。その下で、組んだ指に力が籠もった。

 

「会って、どうしようというのですか?」

 

 自然、語調が落ちた。頭に上っていた血が、すぅ、と引くのが解った。

 

「まずはウォルター伯爵がどういった人物なのかを見極める。その上で、今後の方針を決めようと思う」

 

「出来ません」

 

 にべ無く断言するクレア。その彼女に、アレンは一瞬、首を傾げた。

 彼女は冷静に物事を判断する人物だ。その認識でいたため、こちらの真意を聞く前に否定されるとは思わなかったのだ。

 クリフも少し意外そうにクレアを見ている。

 納得していない様子の二人を見返して、クレアは続けた。顔の前に組んだ指を、そ、と解いて。

 

「貴方にどのような考えがあるのかは知りません。ですが今、我が国とアーリグリフはとても会談など開ける状態に無いのです。そんな中、無事にこの国に帰って来られるとはまさか本気でお考えなわけではないでしょう?」

 

 説得するように言葉でありながら、クレアの表情に迷いは無かった。その彼女を見返して、アレンは表情を緩めた。

 

「御心配には及ばない。この件に関しては、私一人で向かわせて頂く」

 

「……んだと?」

 

 口にする彼に、語調を落としたのはクリフだった。アレンが視線を横に流す。不審な眼差しをこちらに向ける、クリフと目が合った。

 しかつめらしく片眉をひそめているクリフに、アレンは微かに笑う。まるで相手を安心させるように。信じさせるために。

 

「クリフを始め、ネル達にはその間、いろいろと動いてもらいたいことがある。それからラーズバード指揮官、貴方々への連絡手段にウルフリッヒ氏をお借りしたい」

 

「動いてもらうって……、具体的にどうする気だ?」

 

 慎重に問いを重ねるクリフを、アレンは力強く見据え返した。

 

「情報戦だ」

 

 言い切った彼は、そこで、ぐ、と拳を握りこんだ。

 

 修練場で見つけた、女性の、一般市民の遺体。

 

 あれはアーリグリフが行った、口封じの犠牲者だ。

 険しい眼差しを返してくる麗人(クレア)を見据えながら、アレンは己を静めるように、ぐっと表情を引き締めた。

 

「……まったく、大げさだね」

 

 ふと会議室の入り口から、腕を組んだネルがロジャーを伴って現れた。傍らにはまだ眠気眼なものの、元気そうなフェイトまでいる。

 

「ネル……!」

 

 ハッと席を立つクレア。その彼女に続いて、クリフも目を丸めた。

 

「おいおい。施術で治ったとはいえ、もう動いていいのかよ?」

 

 シーハーツ兵のいる手前、『施術』と言い換えるクリフが、ネルの言葉の真偽を確かめるように横目でアレンを窺ったが、その彼が返答する前に、ネルが肩をすくめた。

 

「当然だろ? 発見されてから、すぐに施術で治して貰ったんだ。一晩も寝れば、嫌でも元気になるよ」

 

「そういうこと」

 

 まったく、だからそこが大げさなんだよ、とため息を吐くネルに、フェイトも生あくびを噛み殺す。とはいえ、体力疲労までは抜け切っていないようだ。クリフと目が合うなり、フェイトは苦笑しながら頷いた。

 

「へっへ~ん! お姉さまはそこらのデカブツとはワケが違うんだぜ! ……どうだ!? 驚いたか!?」

 

 ロジャーが自慢げに胸を反らせる。その彼に、ああん、と眉根を寄せたクリフは、じろりとロジャーを見下ろした。

 

「んだ? チビッ子? テメェは何にもしてねぇだろうが?」

 

「うるせぇ、このバカチン! オイラはお姉さまの危機に駆けつけられなくて、いたく不機嫌なんだ! 今、喧嘩売ると怪我するぜ!」

 

「んだとぉ?」

 

「こら、クリフ」

 

 がっと拳を握り締めるクリフを、アレンがたしなめる。

 と。

 

 すとん……、

 

 彼等のやりとりを見ていたクレアが、砕けたように腰を下ろした。呆けた彼女の表情は、ただ、ネルの元気そうな姿に安堵したようだった。

 

「……よかった……!」

 

 ほぅと胸を撫で下ろす彼女に、ふ、とネルが苦笑する。その彼女達のやりとりを見ていたタイネーブが、はは、と苦笑しながら言ってきた。

 

(とんだとばっちりを受けちゃいましたね)

 

 耳打ちされたアレンが、微かに笑う。タイネーブの傍らにいるファリンも続いた。

 

「でもでもぉ~。どうやって、アーリグリフ軍の兵を五十名近く倒したんですかぁ?」

 

「それは……実力、かな?」

 

 言って、クリフを仰ぐ。するとロジャーといがみ合っている(クリフ)が、ロジャーの口端を人差し指で左右にこじ開けながら、に、と不敵に笑ってみせた。

 

「ホントですかぁ~? 正面から戦って~?」

 

 合点いかない表情で尚も問うファリンに、タイネーブを始めとした他の兵も注目する。と。クレアと話を交わしていたネルが答えた。

 

「だから、フェイトが言っただろ? 彼との修行の方がはるかにキツイってね」

 

「まあでも、今回は意外な強敵に遭遇しちゃったんだけど」

 

 肩をすくめるネルに、続いてフェイトも、やれやれとため息をつく。その二人を、ほう、と見て、兵達はアレンをちらりと見た。

 

「おいおい! 俺もいただろうが! んで、アレンばっかなんだよ!?」

 

「お姉さま! オイラもっ! オイラもがんばりましたよ!?」

 

 がじがじ、とロジャーに右手を噛まれているクリフが、痛みをこらえながら、こちらを振り返る。その彼に、否、クリフの右手を噛んでいる最中のロジャーを含めて彼等に、フェイトとネルはやれやれとため息を吐いた。

 

「だってクリフとロジャー、だし」

 

「あの場にアンタ達が居ても、あの漆黒兵に勝てたかどうか分からないし」

 

「んだよ、それは! どこの当社比だ!」

 

「お姉さま~!」

 

 怒鳴るクリフと泣き声混じりのロジャーに、少しも悪びれないフェイトとネル。その四人を、アレンが微笑ましげに眺めていると、す、と。不意にネルとフェイトがこちらを振り返った。

 

「ところで、アレン?」

 

 言い置いたのは、フェイトだ。こちらを見据えるなり、ネルと同じく、不満そうに顔を歪めている。アレンは、少しだけ不思議そうに首を傾げた。

 

「どうした?」

 

 問うと、更に険を増した二人の視線が向けられた。フェイトの傍らでネルが腕を組む。

 

「一人で敵陣に乗り込むって話……。本気かい?」

 

 半眼でこちらを睨むネル。その彼女に、ああ、と返すと、彼女に代わるようにフェイトがつかつかとこちらを歩み寄ってきた。

 ぴたりと。

 フェイトが足を止めたのは、ちょうど三十センチほど手前の近距離だ。上背のあるアレンを、フェイトの碧眼が睨み上げる。

 

「お前……、つまり、カチ込むんだろ?」

 

「…………」

 

 フェイトの問いかけに、アレンは無言で笑った。

 

「やっぱりそうか……。いつかやらかすとは思ってたけど」

 

 したり顔で頷くフェイトとクリフを、アレンは首を振って否定する。

 

「違う。どちらかと言えば、試みだ。俺達の故郷(くに)でも、対話は重宝されてきただろう?」

 

「対話、ねぇ……」

 

「お前が言うと、違和感あんな……」

 

「そう心配するな。――俺はこの状況で、フェイトに人殺しをするなと言ったんだ。だったらその為に成さねば成らない事をする。それが、俺の責任だ」

 

「………………」

 

「意志と、信念を押し通す」

 

 黙り込むフェイトに、アレンは言った。

 フェイトの顔が上がる。その彼の手を取って、アレンは自分の拳で、こん、とフェイトの拳を叩いた。

 

「俺は必ず戻る。約束する」

 

 断言する彼に、フェイトは一瞬だけ――口惜しそうに目を細めた。

 話はそれで終わりだ。

 アレンは颯爽と踵を返す。と、同時。不満そうに腕を組んだクリフとネルが、やれやれとため息を零した。

 

「ったく……」

 

「……解ってないね……」

 

 悪態をつく二人に苦笑するアレン。そのクリフとネルの下では、会話に入れないロジャーが、しかし、重要な話題だと本能で察知したのか口を挟まずにいた。

 そのロジャーに、アレンは事情を話す代わりに静かに微笑する。

 大丈夫だと。

 態度だけでロジャーに示すように。

 と。

 アレンの隣に、頭を垂れたクレアが現れた。

 

「……アレンさん、すみません。先程は、その……」

 

 言って頭を下げる彼女に、アレンは首を振る。

 

「いいえ。実際、二人の傷は私のミスだ」

 

 ――もっとも、この二人ならそうそう死にはしないと思っていたが。

 だがそれはあまりにも無責任な言葉だ、と失笑混じりに飲み込んで、アレンはクレアに向き直った。

 

「すまなかった。貴方が、ネルを心配しているのは分かっていたのに」

 

「……いえ」

 

 力なく首を振る彼女の反応に、アレンは困ったように表情を曇らせた。と。側に寄ってきたクリフが、のそりとアレンの肩を抱いた。

 

「クリフ?」

 

 不思議そうにアレンが顔を上げる。するとにやりと、クリフが邪悪に笑った。

 

「そういやアレン? 実は前から聞きたかったんだが……、いつからなんだ?」

 

「?」

 

 そのクリフの質問に、さらに不思議そうに首を傾げる。そのアレンの頬を、ぐりぐりと拳でいじって、クリフは続けた。

 

「おい、とぼけんなよ。ネルのことに決まってんだろ? いつから名前で呼び始めてんだよ?」

 

「なっ!?」

 

 一同が目を瞠る。

 何故か、空気が凍った。

 

「え? ああ……、確かシランドで……」

 

 言いかけて、彼ははた、と口を噤んだ。

 目が、合ったのだ。

 ――クレアと。

 先程までしおらしく、謝ってきた彼女と。

 

「……………………」

 

 今は、凄まじく切れる眼差しを向ける彼女と。

 ごく、と無意識下で息を呑むアレン。その様子に、クリフが、にぃ、とネルを仰いだ。

 

「で? シランドで何があったって?」

 

 すると目が合った彼女は、合点の行かない表情で、ああ、と淡白に頷いた。

 

「お、お姉さま……!」

 

 傍らに立ったロジャーが、今にも泣きそうな表情で彼女を見上げている。それにやや気圧されて、はっと何かに気付いたネルは瞬きを落とした。

 

「べ、別に何も無いよ! ただ、彼だけが名前(ファーストネーム)で呼ばなかったから、それで……」

 

「意識し始めてしまったんですか……」

 

 何故か、したり顔で頷くフェイト。

 

「違う!」

 

 叫ぶと同時、フェイトの頭に手刀を叩き込んだ。その彼女の反応に、気を良くしたのか、ますますクリフの表情が緩んだ。

 

「へぇ?」

 

 アレンを見下ろすクリフの声が、クレアのものと重なった。

 壮絶なクレアの視線を受けて、蛇に睨まれたカエルのように表情を硬くするアレン。ぴく、と片頬が痙攣していた。

 別に、やましいことがあるわけではない。

 なのに。

 

 ――とんだとばっちりを受けちゃいましたね。

 

 先程のタイネーブの台詞に胸中で深く頷きながら、アレンは数秒思考を回転させた。それから一つ、ため息にも似た苦笑をもらす。

 

「仲間として認めてもらった。そう取っている」

 

 すでにクレアに聞く耳はなさそうなので、クリフと、それから心配そうにこちらを見上げるロジャーを見る。と、いたずらな笑みを浮かべたクリフが、ネルを一瞥しながら言った。

 

「お前は、な」

 

「……何?」

 

 眉をひそめるネルとアレン、そしてロジャー。

 と。

 再び何かに気付いたネルが、はっと目を見開いた。次いでクリフを振り返るなり、慌てたように一喝する。

 

「私だってそうだよ! というか! なんで私がそんな悪魔となんだよっ!」

 

「誰が悪魔だ」

 

「お前だっ!」

 

 ビシリッとタイミングよくアレンを指差して、フェイト、クリフ、ネルが声を揃える。

 が、

 フェイトはすぐに、ふっと表情を崩すと、爽やかな笑顔を浮かべた。

 

「……でも。違うにしては、ちょっと必死すぎですよね。ネルさん……」

 

「うるさい! 大体何だい、その嬉しそうな顔は! 違うって言ってるだろう!」

 

「あれ? そうでしたっけ?」

 

「っ、っっ! このっっ!」

 

 ぷるぷると拳を振るわせるネル。今にも短刀を抜き払わんばかりの剣幕に、対するフェイトはからかいながらも、きっちり間合いを測っている。

 そんな二人のやりとりを眺めて、クリフは満足げにこくりと頷いた。

 

「……そうか。アレンか」

 

「違う!」

 

 吼えると同時、ネルの手元からシャッと何かが走った。それは余すことなくしたり顔で腕を組んでいたクリフの額に突き刺さり――、それがボールペンであることをようやく認識させる。

 

 ぐらり……。

 

 クリフの巨体が、傾いだ。

 

「く、クリフ!?」

 

 ぎょっとして崩れ落ちそうになったクリフの身体を抱きとめるアレン。だらり、と意識を失った彼は、額にちょうど一センチ、ボールペンが突き刺さっていた。

 

「お、おい! しっかりしろ!」

 

 慌てて、処置に当たるアレン。それを目の当たりにしたフェイトは、会議室で迷うことなく折れた自分の愛剣を引き抜いた。

 

「……殺る気ですね、ネルさん」

 

 き、と表情を引き締めるフェイト。その彼に、ネルも短刀を引き抜く。

 

「何だい? 決着を着けようってのかい?」

 

 やけに据わった目をしたネル。少しからかいすぎたか、と反省するフェイトだが、時は逆には戻らない。

 

(なら、――突っ切る!)

 

 何故そういう思考に至ったのか、経路は不明だが、ともかくその結論に達したフェイトは剣を握って、か、と目を見開いた。

 

「行きますよ! ネルさん!」

 

「そんな折れた剣で! 吠え面かかせてやるよ!」

 

 叫ぶと同時。両者とも斬撃を繰り出す。

 否。

 繰り出そうとした。

 が。

 

「いい加減にしろ」

 

 そこを『流星掌』が襲った。こんなときは加減を心得ているアレンは、威力を程よく抑えていた。気弾を横っ腹に受け、中空に浮いたフェイトとネルが、びたん、と蠅たたきに捕まった虫の如く、仲良く会議室の壁に打ち据えられる。

 

「……ぐぁっ!」

 

 短い息を吐く二人。その二人を見下ろして、クリフを床に横たえたアレンが、少し怒気を孕ませた。

 

修行(さわぎ)なら外でやれ。……なんなら、俺が相手をする」

 

 無表情の内に秘められた、無言の重圧。

 それをひしひしと感じながら、へにゃりと苦笑いを浮かべたフェイトは小さく頷いた。その際、ごめん、と謝ることも忘れない。よし、と頷き返したアレンは、同じ表情のままネルを見た。――ネルは不機嫌そうに、そっぽを向いたままだ。

 

「……大体、アンタが原因じゃないか……」

 

 愚痴っぽく、そんな事まで言ってくるネル。

 

「…………」

 

 アレンは溜息を吐いた。

 ――しょうもない。

 ロジャーが仲間になって以来、小学生レベルでからかわれているネルに、アレンは肩を落とした。

 

「だからと言って、こんな場所で抜くような得物(モノ)じゃないだろう」

 

「…………分かったよ……」

 

 渋々だが謝るネルと、さっさと難を逃れようとするフェイト。その二人に苦笑して、アレンは介抱された後、何事もなかったかのように横になっている三十六歳男性に向き直った。

 

「クリフも。あまりネルをからかうな」

 

 その彼の意識が、すでに回復していることをアレンは知っている。ため息混じりにクリフを睨むと、顔だけをこちらに向けたクリフが、へ~い、と間の抜けた返事をしてきた。

 瞬間。

 (アレン)の瞳に、冷たい光が宿る。

 

「……クリフ」

 

「すみませんでした」

 

 ザッと土下座するクリフ。そのまったく懲りていなさそうな彼にため息をこぼして、アレンはさっさとクレアに向き直った。

 

「そう言う訳だ。だから、貴方が心配するような事態はない」

 

 きっぱり言って、ぽん、とロジャーの頭を軽く叩く。視線はクレアに、しかし、言葉は明らかにロジャーにも向けて放たれている。その彼の気遣いに、ロジャー・S・ハクスリーはいたく感動した。

 

「に、兄ちゃん……!」

 

 つぶやくなり、アレンを見上げるその瞳がゆらゆらと震える。そのロジャーに一瞥だけをくれたアレンが微笑んだ。

 それを、じぃ、と睨んで。穴が開くほど睨んで。

 クレアは猜疑心で満ち溢れた視線を上から下までアレンに浴びせた後――。ようやく、幾分か和らげた視線を、ネルに向けた。

 

「そう。なら、いいんだけど……」

 

「当然だよ! さっきから言ってるだろう?」

 

 その彼女に、間髪置かずに答えるネル。その反応にクレアは満足したのか、すっと表情を改めると、口元に微笑さえ浮かべて口を開いた。

 

「それじゃあ、皆さん。ともかく疲れているでしょう? そろそろ昼食にしましょう」

 

「はっ」

 

 慣れているのか、その彼女の豹変振りにシーハーツの面々が驚く様子はない。

 

「……………………」

 

 黙すアレンに、タイネーブが、ぽん、と肩を叩いてくれた。

 

(クレア様、ですから)

 

(ですからぁ~)

 

 続くファリンの声を聞きながら、アレンは重く、ため息を吐いた。

 

「……疲れる……」



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31.野戦病院

「まったく……!」

 

 会議室での一件の後。宛がわれた部屋のベッドに腰を下ろしたネルは、不機嫌そうにため息をこぼした。

 場所はタイネーブやファリンと同じ部屋だ。

 

「お疲れ様です、ネル様」

 

 やや苦笑気味の、タイネーブの労いの言葉。それに、ああ、とだけ答えて、ネルはだらりと頭を垂れる。

 

(まったく。この私をからかうだなんて、やってくれるじゃないか! ちょっとフェイトを見直したばかりだっていうのに……!)

 

 胸中で毒づいて、彼女にしては珍しく、だらしなくベッドに身を預ける。ぎしりと軋みを立てたベッドは、快適な弾力をネルに返してきた。

 

(しかし……、一体何者なんだ?)

 

 昨夜、ネル達が手合わせた漆黒の女兵士。容貌は今一つかめなかったが、小柄な身長だった。おそらく、ネルほども無いだろう。

 無意識に、彼女に切られた胸元に手を当てる。鏡面刹を見事に破られたネルは、動けなかったもののフェイトの奮闘を音と気配で察知していた。意識を失う寸前、彼がブレードリアクターを放ってあの女兵士を退けたことも、かろうじて覚えている。

 だから、彼女はフェイトを見直していたのだ。

 なのに。

 

「……薮蛇だ」

 

「は?」

 

 布団の中に顔をうずめて、ぽつりとつぶやくネルに、タイネーブが振り返った。その彼女に、いや、と言い置いて、ネルはまた、今度は脱線しないよう、あの女兵士のことを思案し始める。

 

(あの時私が放った鏡面刹は未完ながらも、今までで一番、最高の出来だった。それを、あの兵士は苦も無く受けきり、そして斬り返してきた――)

 

 それも、アレンに良く似た剣技で。

 偶然にしては、あまりにも出来すぎていた。

 

「……………………」

 

 ラッセルにまだ報告はしていない。

 そして、クレアにも。

 

「……あれは」

 

 ふと、窓辺のタイネーブが瞬きを落とした。

 部屋の空気が止まる。反射的にベッドから身を起こしたネルは、タイネーブ同様、窓に視線をやった。

 

「ん? どうしたんだい?」

 

「あ……、いえ。アレンさんが教会の前にいらっしゃったので、つい……」

 

 大したことではない、と言い置くタイネーブに、ネルは首を傾げる。とはいえ、それ以上つっこむべき内容でも無いと判断して、ネルは、そう、とだけ残して話を終わらせた。

 対するタイネーブが、ぺこりと一礼する。そして再び視線を眼下へやると、アレンがロジャーとともに村の女の子と話しているのが見えた。

 

(……何をやっておられるんだ?)

 

 アレンを見据えて、タイネーブは首を傾げる。長身の彼は、そ、と地面に膝をついて、村の少女やロジャーと同じ目線で何やら二人の話を聞いていた。

 

 

 

「で。だな! アレン兄ちゃん!」

 

 慌しく会議室から引っ張り出されたアレンは、アップルと名乗る少女と自己紹介を果たすと、不思議そうにロジャーを見上げた。

 

「オイラが思うに、兄ちゃんの施術ならコイツの願いを叶えることなんてお手のもんじゃん! だからさぁ~。ここは一つ、オイラに免じてアップルの母ちゃんの傷、治してやってくれよぉ~!」

 

「この子の、お母さんの傷?」

 

 言って、アップルに向き直るアレン。屈んでいるため、少女の顔は少し上にある。だが沈鬱な表情で俯いている彼女は、自分より下にあるアレンの顔をちらりと見上げた。窺うように、確認するように。

 その彼女に、アレンは静かに微笑った。

 

「お母さんはどこにいるんだ?」

 

「……教会……」

 

 ぽつ、と。アレンが柔らかな声で問いかけると、アップルはそれだけつぶやいた。ついで窺うように、ロジャーを見る。するとロジャーは困ったように頬を掻いて、傍らにある建物を指差した。

 

「オイラもよく知んねぇんだけど、戦争で怪我した奴はここで治してもらうらしいんじゃんか! そんでアップルの母ちゃんも、ず~っとここで世話になってて家に帰れねぇんだって」

 

「ということは、今まで一人で家の留守を?」

 

 そ、とアップルを見上げるアレンに、彼女は俯いたまま、小さく頷いた。

 

「そうか」

 

 つぶやくなり、アップルの頭を撫でる。不思議そうな面持ちで彼女が顔を上げると、アレンが静かに、優しく微笑った。

 

「それは……、辛かったな」

 

「!」

 

 その彼の、表情に大した動きはない。だがこちらを見詰める蒼の瞳が、優しく澄んでいた。

 理由はわからない。

 ただ気持ちが、溢れ出した涙が、アップルの目尻から零れた。

 

「……う、んっ!」

 

 頷きながら、しゃくり上げる。

 ふわり、と彼女の身体が宙に浮かんだ。

 

「……!」

 

 驚いて目を見開く。アレンの顔がすぐ横にあった。きょろきょろと周りを見渡せば、いつもよりも数段高い所から地面が見下ろせた。

 彼が抱き上げたのだ。

 

「お母さんのところまで、案内してくれるか?」

 

「う、うん……」

 

 優しい声で窺うアレンに、アップルは彼と目を合わせるのが気恥ずかしくなって、視線を逸らした。頬を染めて頷くと、いつの間にか涙も止まっていた。

 

「お兄ちゃん、あったかい……」

 

 うわごとのようにアップルがつぶやくと、一つ瞬きを落としたアレンが、不思議そうにアップルを見下ろしてきた。

 

「……そうか?」

 

「うん」

 

 照れ笑いをするアップルがその胸に頭を預けると、安心のあまり眠ってしまいそうな気さえした。不思議だが、その気持ちがおかしいとは思わなかった。

 『嬉しい』。

 そう思うのだ。

 

「えへへ……っ」

 

 思わず表情をほころばせるアップルをようやく認めて、アレンは小さく微笑った。そ、と視線をロジャーに下ろす。

 

「ロジャー、行こう」

 

「……お、おう!」

 

 そのアレンに頷きながら、ロジャーはたらたらと流れる冷や汗をぬぐった。先程まで、ロジャーと談笑していた時でさえ暗い影を落としていたアップルが。

 

(ね、ネルお姉様と引き離す作戦が……! この兄ちゃん、三秒で落としちまったじゃん……!)

 

 ちらりと、アレンの腕に納まっている彼女を見上げる。今は幸せそうに、照れ笑いさえ浮かべている彼女。その彼女を、じ、と見据えて、ロジャーはごくりと固唾を飲み込んだ。

 思ったより、事態は深刻だ。

 

「……こ、こいつはとんだ強敵じゃん!」

 

 ぐぐ、と拳を握り締めてロジャーは唸る。と。教会の扉を開けたアレンが、不思議そうに彼を振り返っていた。

 

「どうした? 来ないのか?」

 

「あ、ああ! ちょっと待ってくれよぉ!」

 

 わたわたと彼の後を追う。

 教会の扉をくぐると、蝋燭に似た照明に照らされた室内が見えた。木目調の壁と、石造りの床。アレンの知っている教会とはさすがに造りが違っているが、三箇所、部屋を巡るように置かれている月の女神の彫像が、まったく異なる場所だというのに故郷と同じ、荘厳な雰囲気を放っている。

 扉と反対側にある神父席を最奥に、入り口までの距離を左右対照に並んだ長椅子が道を作るように置かれており、教会のベッドに納まらなかった負傷兵が横になっていた。比較的軽傷の者を椅子にやっているようだが、そこかしこから聞こえる呻き声が、教会という閉鎖的な空間を不気味なものに変えていた。

 

「痛ぇ……っ! 痛ぇよ~……っ!」

 

「……さむ、い……! 火、火を……っ!」

 

 その彼等を尻目に、アレンは目を細める。腕の中のアップルは、この光景に慣れているのか、少し心配そうな表情をしただけで、それ以上の反応を見せない。

 代わりに――。

 

「に、にい……ちゃん……!」

 

 ぎこちなく周囲を見渡すロジャー。その彼の頭を、ヘルメット越しに、ぽん、と叩いて、アレンは負傷者の治療にあたっている白衣の女性に声をかけた。

 

「貴方が、この教会の責任者の方ですか?」

 

「……あら? 貴方は?」

 

 女性が振り返る。五十がらみの彼女は、温和そうな面立ちを少し意外そうに歪めて、軽く首を傾げた。

 怪我人以外の人間が、ここに訪れることが珍しいのだろう。

 アレンは、そ、とアップルを床に下ろすと、女性に一礼した。

 

「失礼しました。私はアレン・ガードという者です。こちらへは、ある方の見舞いに伺わせて頂きました」

 

 女性はああ、と頷くと、治療にあたっていた兵に向き直り、包帯を手早く巻き直した。

 

「それはどうもありがとう。床に臥せてられる方には、外の人との会話が一番の薬ですからね」

 

 言って、兵に一礼するなり、こちらを振り返る。すると床まで着いた彼女の長いローブの裾が、くい、と遠慮がちに引かれた。

 ――アップルだ。

 

「ママ、大丈夫……?」

 

「ええ」

 

 心配そうに見上げるアップル。その彼女の頭を優しく撫でてやりながら、女性は視線をアレンに向けた。

 

「あら。もしかして、ある方ってこの子の?」

 

「はい」

 

 その問いに、こくりと頷くアレン。すると女性は柔らかく微笑んで、兵士達に一礼するなり、ベッドの脇から腰を上げた。

 

「そうだったの。私はミレーニア。この教会で、シスターをやっている者よ」

 

「おいらはロジャー! ロジャー様だ! よろしくな!」

 

「ええ。よろしくね」

 

 野戦病院と化しているこの教会でも、ロジャーの元気は相変わらずだ。密室ゆえ響く大声を、だが咎めることもなく、ミレーニアはにこやかに応える。

 その彼女を一瞥して、アレンは教会を見渡した。

 

「……シスター。アペリスの教会は、どこもここと同じく窓が無いのですか?」

 

「まど?」

 

 ロジャーが首を傾げる。改めて教会の壁を見回すと、確かに窓が一つもなかった。

 

「ん? んん?」

 

 そういえば、と思って更に首を傾げる。するとアップルに笑いかけていたミレーニアが、不思議そうに振り返った。

 

「ええ、そうよ。アペリス様を信仰する人々は外ではなく、己の内側に向けて教えを授かるの。だから教会も己の内側、という意味を込めてこのような造りになっているのよ」

 

「……なるほど」

 

 少しアレンの語調が落ちた。何気なくロジャーがアレンを見上げる。すると、気難しく表情を曇らせたアレンが、何か思い悩むように顔を俯けていた。

 

「にいちゃん……?」

 

 声にもならない声で、ロジャーが遠慮がちに問いかける。が、気付かなかったのか、アレンは視線を寄越さなかった。ミレーニアが、にこりと笑って教会の奥の扉を開いた。

 

「さあ、どうぞ」

 

 言われて、ロジャーはおずおずと中に入る。

 三畳ほどの小さな部屋だった。部屋の中央にベッドが置いてあり、そこに三十半ばの女性が横たわっている。女性は部屋の扉が開いたことに反応して、頭だけをこちらに向けた。

 服に隠されて具体的な傷は解らないが、彼女の左腕に痛々しい包帯が巻かれている。

 ミレーニアの傍らを歩いていたアップルが、弾かれたように駆け出した。

 

「ママ~!」

 

 それを受けて、アレンがミレーニアを一瞥する。確認を受けたミレーニアは、ただ静かに、こくりとだけ頷いた。

 

「アップル……! きょう、も……、来て、くれたのねぇ……!」

 

 ひゅうひゅうと荒い呼吸を繰り返しながら、アップルの母はやんわりと微笑んだ。

 血色の悪い肌と落ち窪んだ目で、それでも精一杯笑おうと。気丈にも顔を綻ばせる彼女の目元には、疲労から出来たクマが、微笑というよりは引きつった表情を彼女に浮かべさせていた。

 ベッド脇に立ったミレーニアが、そっとアップルの母の髪を払う。そのミレーニアの浮かべている表情は穏やかだったが、同時に、どこか寂しそうでもあった。

 それが、彼女に出来る最後の慈愛だとでも言わんばかりに。

 

「ア、アレン兄ちゃん……。大丈夫、だよな? あの母ちゃん……」

 

 アップルの事を気遣っているらしいロジャーが、そっと声音を落として尋ねてくる。

 心なしか、その顔色が教会に入る前よりも悪い。それほど、ロジャーの目から見ても一目で分かるほど、アップルの母の容態は深刻だった。

 不安そうに揺れるロジャーの瞳を、じっと見返して、アレンは小さく微笑んだ。アップルの母に歩み寄る。ベッド脇にいるミレーニアとアップル。その二人の、邪魔にならない程度、傍に。

 だが、いつでも届く距離に。

 

「貴女が、アップルのお母さんですね?」

 

 声をかける。すると、力ない視線をこちらに向けてきた彼女に、アレンはそっと自分の手を重ねた。

 前かがみになって、彼女の耳元に語りかける。

 

「私はアレン・ガードと言う者です。先日、旅の仲間と共に、お嬢さんとお友達になりました」

 

 そこで言葉を切る彼に、アップルの母は首だけをめぐらせて、こくこくと何度も頷いた。動きは柔らかだが、力ない。

 アレンは続けた。

 

「お嬢さんは、元気でお利口にしていらっしゃいますよ。我々が感心するほど、お母さんの分までしっかりなさっています」

 

 言って、そっとアップルを一瞥するアレン。その彼に合わせて、視線をアップルにやった母親は、力なくだがほがらかに微笑んだ。

 

「そ、う……」

 

 他人の口からアップルのことを聞くのが嬉しいのだろう。

 だがロジャーにとっては、こうも容易くアップルの母が表情を緩めた事が不思議だった。思わず呆けて、ぽかんと口を開いたまま、アップルの母とアレンを交互に見比べる。

 アレンはアップルの母を見つめて、静かに微笑った。

 

「お母さん。どうぞ、楽になさってください。これから貴女に施術をかけますので」

 

「施術、師……様……?」

 

 つぶやくアップルの母の傍らで、ミレーニアも少し驚いたようにアレンを見た。母の問いかけにアレンは穏やかな表情のまま頷くと、アップルの母に重ねた手を、そ、と離した。

 ちょうどベッド脇に寄り添っているアップルの、目の高さでアレンの右手が止まる。アップルの母の、腹の上に手をかざす格好だ。

 瞬間。

 

 すぅ――……っ

 

 空気が、晴れる。

 ふわりと。

 ゆるやかな微風に、アレンの金髪がなびいた。

 アレンが目を閉じる。

 

「フェアリーライト」

 

 彼の右手に、淡い、蒼白の光が宿る。それは、ふわふわと彼の髪を撫でる風に乗って部屋に広がると、転瞬、アレンの右手を中心に眩い輝きを放ち始めた。

 

 ぱぁあああ……、

 

 『眩しい』。

 確かにそう感じるのに、不思議とロジャーの目は痛くない。あの、目がくらむ時特有の痛みが。

 

「んぁ?」

 

 修行で、幾度となく受けた回復施術だ。――にも関わらず、今日のフェアリーライトは、いつもより温かい気がした。

 ベッド脇のミレーニアが、驚いたようにかすれた声で言った。

 

「これは、何と言う澄んだ慈愛の光なの! まるで聖都の宝珠(セフィラ)そのもの……!」

 

 ぐ、と息を呑むミレーニア。その彼女の声はしかし、ロジャーの耳に途中から入ってこなかった。ぽかん、とだらしなくロジャーの口が開く。だが、それにも気付かず、ロジャーは呆然とした眼差しを、神父室の天井に向けた。

 そこから降るように現れた、美しい女性を見上げるように。

 

 女性は、纏った白い衣から、波打つ亜麻色の髪から、優しい蒼白の光を放っていた。

 

 白く細い指で、目を閉じたままのアレンを抱くように、アレンの頬を、つぅ、と女性が撫でていく。まるで竪琴を弾くように優しく。

 愛でるような、静かな眼差しで。

 女性が、すぅ、と強く光を放った。全身から、己の姿を光の粒子に換えるように。女性の身体が、徐々に透けていく。

 

 ぱぁああああ……っ!

 

 光が強くなる。

 

「わわっ!」

 

 視界が白い。

 思わずロジャーは目を閉じた。だがその間にも蒼白の光は輝きを増し、ロジャーの頬を、身体を、神父室を撫でていく。波紋が、ゆらりと広がった。静寂という空気を、優しく波立たせるように。

 光の粒子が、一面に広がっていく。

 

 そして――……。

 

 光が、晴れた。

 アレンがゆっくりと目を開ける。かざした右手を下ろすと、じ、とこちらを見据えるアップルの母と 目が合って、彼は小さく微笑した。

 

「ロジャー、もう目を開けていい」

 

「ん……、んん?」

 

 恐る恐る、周囲の様子を確認するロジャーにそう言うと、ロジャーは咄嗟に庇った手をどけて、目を開いた。

 

「アレン兄ちゃん……、どうなったんだ?」

 

 ロジャーはきょろきょろと辺りを見回す。が、別段、アレンが紋章術を使う前と変わった所は無い。あれほど眩い、光の紋章術であったというのに。

 

「?」

 

 首を傾げるロジャー。

 と。

 

「……ママ!」

 

 アップルが、驚いたように息を呑んだ。

 ざ、とロジャーが振り返る。すると、アレンが微笑を浮かべてアップルの母と見合っていた。

 

「もう、起きてくださって結構ですよ」

 

「……!」

 

 アレンの言葉を受けて、アップルの母が、ぐ、と目を見開く。

 そして決意したようにベッドに手をつくと、ゆっくりとその身を起こして――アップルを振り返った。

 さっきまで指先を動かすことすら出来なかった、その腕で。

 

「あ、ああ……っ!」

 

 震える手で、そ、とアップルに手を伸ばす。すると、アップルが感極まったかのように母親に抱きついた。

 

「ママ~!」

 

 ぎゅぅ、と。

 己の胸の中に飛び込んできた娘を、母親は力強く抱き返す。その目じりから、じわり、じわりと涙が溢れ出した。

 

「アップル……!」

 

 娘の名を呼んで、母は我が子の頭に自分の頬をこすりつける。強く娘を掻き抱いた母の腕は、臥せっていた間の持て余していた愛情を、一心に注いでいる証だった。

 その母娘をじっと見詰めて、アレンはそっと席を立つ。場を濁さぬように、まるで黒子のように、そ、と。視線だけをロジャーにやって、彼は踵を返した。

 

(もう、行くのか? アレン兄ちゃん……)

 

 まだ礼さえ言ってもらっていないというのに。

 不思議そうにこちらを見上げるロジャーに、ふ、と微笑って、アレンは静かに頷いた。

 

 

 ………………

 

 

 ミレーニアが母娘感動の余韻から覚めると、そこに青年の姿は無かった。

 

「あの、シスター……。あの方はどこへ? お礼を、差し上げたいのですが……」

 

 その彼女と同じく、改めてベッドから立ち上がったアップルの母が、所在なく周囲を見渡す。

 

「ちょっと待っていて。……多分、気を使って席を外してくれただけの筈よ」

 

「そうですか」

 

 ほっと微笑を浮かべるアップルの母。その彼女に、にこやかな笑みを返したミレーニアは、そそ、とアレンを追って神父室を出た。

 

「……!」

 

 するとそこには、信じられない光景が彼女を待っていた。

 

「皆さん……っ!」

 

 思わず息を呑む。

 神父室から礼拝堂に入ると、整然と並んだ長椅子に、教会の入り口近くに設けた診察台に、横になっていた人々が不思議そうに座っていた。重傷人だった診察台の兵士が、ミレーニアを見つけるなり口を開く。

 

「シスター! ……これは一体?」

 

 自分の手を握ったり開いたりしながら、見舞いに来てくれていた同僚の兵と顔を見合わせる兵。その彼に、二、三、説明しようとして――ミレーニアは、は、と瞬きを落とした。

 

「さっき、こちらに金髪の青年と小さな男の子が来なかったかしら? 四、五歳くらいの、亜人の男の子なんだけど……」

 

 問うと、診察台の傍らに腰掛けた見舞いの兵が答えた。

 

「さっき教会から出て行きましたよ? ……彼等が何か?」

 

 首を傾げる兵の、語調が落ちる。クリムゾンセイバーといえば、今、彼等の間で話題になっている兵士だ。当然、アレンの顔を彼は覚えていた。

 だが、そんな経緯などミレーニアは知らない。兵の語調が落ちた理由など、気にかける術もなく、ミレーニアは慌てて教会から飛び出した。

 落ち着いた女性と。

 そう村の中で認識されている彼女には、珍しい光景だ。

 取り残されるようにミレーニアを見送った兵達が、不思議そうに顔を見合わせる。

 

 バンッ

 

 と。

 彼女に似合わぬ慌しさで扉を開けて、ミレーニアは左右を見渡した。

 村の巡回をしていたシーハーツ兵が、不思議そうに彼女を振り返る。だがそれには構わず、ミレーニアはアレンの姿を捜して――、そうして、あるものにふと、目を奪われた。

 

 教会の前にある墓地に、花が咲いていたのだ。

 

 白く美しい、ユリに似た花が何本も。

 荒れ果てていた墓地に。

 

「……!」

 

 ぐっと息を呑む。すると、ミレーニアにつられて墓地に視線をやった兵が、意外そうに目を見開いた。

 

「おや、シスター。墓地(ここ)にも花が咲いてらしたんですか! 戦争が始まったきり、無くなったかと思ったが……いや、美しい!」

 

 素直に感嘆の意を述べる兵。その彼を置いて、呆然と墓地を見据えるミレーニアは、白く咲き乱れた花を、じ、と見詰めた。

 

「……………………」

 

 そして小さく、ため息を吐く。

 脱力。

 

「……シスター?」

 

 その彼女の様子に、見回りの兵が気遣わしげな声をかける。が。それすらもミレーニアの耳には入らずに、彼女は突如咲いた、墓地の花の前に腰を下ろした。

 兵達の治療と介護で豆だらけになった手で、そ、と花に触れる。

 名は分からない。だが、香りの良い花だ。

 まるで休息を、兵達の治療にいささか疲れていた自分を、労わるような。

 

「……私も、歳ですものね……」

 

 花を見下ろして、彼女は、ふふ、と微笑んだ。

 

「は?」

 

 その彼女を、背後から不思議そうに見下ろしていた見回りの兵は、しかし、教会から現れた元気な同僚の姿を見て、大きく目を見開いた。

 ――三日前まで、重体だった兵だ。

 

「し、シスター……!」

 

 息を呑むような、見回り兵の声。

 だがそれすらも意識の外に、ミレーニアは静かに、空を見上げた。

 良く澄んだ、晴れた空だ。

 

 ――まるで先程の、青年の瞳のような。

 

 その空を見上げて、ミレーニアは心から、優しく微笑んだ。

 

「ありがとうございます……。パルミラ様……」

 

 あの時現れた、蒼白の光の女神に向かって。

 ミレーニアはそう、小さくつぶやいた。

 



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32.最強の鍛冶師

「エリアルレイド!」

 

 風を切る轟音が、頭上から降るクリフの蹴りが、フェイトの目の前を通り過ぎた。

 金の光を宿した蹴りは地面とぶつかった瞬間、閃光弾のように四方に気を迸らせ、地面の土を巻き上げる。バックステップで飛び退いた。紙一重でクリフの飛び蹴りを回避したフェイトは、衝撃に備えて、ぐ、と歯をかんだ。

 

 どぉんっ!

 

「っ、っっ!」

 

 覚悟していた重みが伝わってくる。歯を食いしばったものの、気を凝縮させた爆発は、フェイトの痩身を軽々と吹き飛ばした。咄嗟に、フェイトは両腕を交差(クロス)させて頭を守る。同時。ごっ、という鈍い音を立てて、フェイトは肩から地面に着地した。

 

「く、そっ!」

 

 転がるように身体を丸めて、遠心力で立ち上がる。爆発の瞬間、わずかに距離を取ったおかげで傷は無い。

 が。

 

「カーレントナックル!」

 

 立ち上がり際を、クリフの豪腕が襲う。右から始まる大振りなクリフの三連撃はかすっただけで人間を卒倒させる。

 フェイトが思わず舌打ちした。

 起き上がり際でなければ、かわせる。だが流石に、その弱点をクリフは心得ている。体勢が悪いまま、初撃の右ストレートをフェイトはサイドステップでかわす。もつれる足をどうにか支えて、次ぐクリフの左拳と対角線を結んだ瞬間。

 

(大振り――っ!)

 

 前身を屈め、身を切るような緊張感の中、クリフの懐へ飛び込む。同時、フェイトは、ぐ、と腰溜めに拳を握る。左腕が伸び切ったクリフの顎へ、フェイトは迷わず拳を振り上げた。

 

 ごっ!

 

「っ!?」

 

 突如、こめかみに重い衝撃が走った。何が起こったのかも解らず、フェイトは白くなった視界で呆然と自分が倒れるのを自覚する。

 がっ、と。地面に倒れる寸前、フェイトの腕をつかんだクリフが、無造作に青年の身体を引き上げた。くるくると揺れる視界に、フェイトが顔をしかめる。すると一つ、クリフが呆れたようにため息をもらした。

 相手が安定するのを待って、クリフがつかんだ腕から手を離す。

 

「……ったく。素手で俺の相手なんて、出来るわけねぇだろ? 一体、どうしたってんだ? フェイト?」

 

 ぱんぱん、と服についた砂を落とすフェイトが沈黙する。その何やら思い詰めたような彼の顔を、クリフは眉根を寄せて見据えた。

 

「……フェイト?」

 

 もう一度尋ねる。

 フェイトが、きっと睨み上げてきた。何かを決意したような、しかし、何かを躊躇するような、そんな表情で。

 

「……僕って弱いか? クリフ」

 

 一言だけ、フェイトはつぶやく。

 声音や表情に、喜怒哀楽に当てはまる感情は含まれていない。

 ただ。

 こちらを睨み据える瞳は静かなくせに、つぶやくフェイトの声音は固く尖っていた。

 

「……………………」

 

 クリフが思わず口を閉ざす。別に、肯定の意味で黙ったわけではない。だが、目の前の青年はそんなクリフの反応に、少し自嘲気味に笑った。どこか疲れたような、ため息にも似た失笑で。

 

「……ありがと」

 

 そうつぶやいて、フェイトは踵を返す。

 彼の脳裏に、先程の出来事が思い出された――……。

 

 

 あの漆黒の女兵士に剣を折られた。

 

 ハイダを脱出してヴァンガード星に着いてから、ずっと世話になっていた剣を。

 

「新しいの、あるといいんだけど……」

 

 ようやく扱い慣れてきた剣を失ったことに軽いショックを受けながらも、フェイトは村の西北にある店、ジャックポテトに足を向けた。

 この店は村に常駐しているシーハーツ兵には欠かせないもので、武器、防具、薬草等を比較的リーズナブルな価格で提供している何でも屋だ。当然、フェイトが求めるインフェリアソードの代わりになる剣も取り扱っている。

 

(剣の選び方なんて分からないけど、ま、適当に選べばいいか……)

 

 こく、と一つ頷き、店の戸を開けた、瞬間だった。――その男を見たのは。

 

「っ!」

 

 その時、何故息を呑んだのかは分からない。

 ただ。

 立っていた男は、岩だった。武骨で頑強な岩。剣山のように髪は天を向いて立っていた。白髪だ。だが、老人、と言うにはいささか抵抗がある。だから、何と形容したものなのか。

 それを考えていると、男が振り返った。歴戦の猛者を思わせる風格ある面立ちに、いくつもの深い皺が刻み込まれた、年齢にすれば――少なくとも、ここ、エリクール星の標準的人間の外見で言えば、五、六十といったところだろう。

 黒革の鎧が、良く似合う男だった。

 

「何だ? 小僧……」

 

 のそりと。想像通りの重低音を響かせながら、男は何でも屋の陳列棚から視線をこちらに向ける。

 長身だった。フェイトの百七十七センチという上背を、余裕で見下ろせるほどの。

 目線で言えば、クリフと良い勝負だろう。そんなどうでもいいことを頭の隅で考えながら、フェイトは、二、三、何かしゃべろうと口を開閉させた。

 

「……ほぅ。お前、兵士か」

 

 フェイトの腰に差してあるインフェリアソードを見るなり、男はがやりと笑った。挑戦的な、探るような笑みだ。その男の態度に、我に返ったフェイトが顔をしかめる。

 何故か、馬鹿にされたような気がした。

 

「いいや。似てるけど、ちょっと違うかな?」

 

 答えて、あ、と口をつぐんだ。

 『クリムゾンセイバー』

 役職的に言えば、立派な軍人だ。成り行きとはいえ、臨時ではあるけれども。

 

(……ま、いいか)

 

 それでもそれを目の前の男に言うと、更に馬鹿にされそうだったので、フェイトは曖昧に話を流した。

 男が、くく、と喉を鳴らす。

 

「……お前、半人前だろ?」

 

「え?」

 

 ば、と男を振り仰ぐ。すると男は、フェイトの腰に差さったインフェリアソードを見て、続けた。

 

「剣が死んでやがる。……己の非力を剣の所為にするようじゃ、半人前もいいとこだぜ」

 

「っ! 別に剣の所為になんか!」

 

 むっとして言い返すと、男は不気味な笑みを浮かべて、じぃ、とフェイトを見据えた後。興味を失ったように、くるりと踵を返した。その直前、ぽん、とフェイトの手に、筒状の何かを握らせて。

 

「だったら、コイツを扱えるようになってみせな。俺がお前を一人前と認められるように。……そうしたら、また、会いにこい」

 

「え……?」

 

 そう言って、男は何でも屋の女主人に、またな、と声をかけた後、店を出て行った。

 残されたのは、フェイトと渡された筒――否、剣だった。

 

「ちょ、ええっ? いくらなんでもいきなり過ぎだろ……!」

 

 フェイトが戸惑っているときに、店の奥から大きなため息が聞こえてきた。そちらに視線を向けると、気の強そうな何でも屋の女主人が、やれやれと苦笑を浮かべている。

 

「兄さん、えらいのに目をつけられちまったね」

 

「それってどういう?」

 

 要領を得ず、首を傾げる。すると女主人は男が去っていった、店の出入り口に視線を向けた。まるで、あの男の背を見据えるかのように。

 何か、思い出話でもするように。

 女主人は、微かに語調を落とした。

 

「さっきの(ヤツ)はね。ボイドっていう凄腕の鍛冶師なんだ。その筋の者じゃ、名を知らぬ者無しなんだけど、最近はどうも、武具を作る気力が無くなっちまってるようだね」

 

「武具を作る気力が無い? ……でも、今って戦争中ですよね?」

 

「そうさ。戦争は鍛冶師の腕がせめぎ合う、大舞台といってもいい。だけど、その所為でヤツは一つのジレンマに陥っちまった」

 

 そこで言葉を切る彼女に、フェイトの表情も自然引き締まる。見据えた彼女の表情が、何か、哀れみのような感情(いろ)を浮かべていた。

 彼女は続けた。

 

「どれほど鍛冶の腕を上げようとも、己の下に集った兵達が、自分の作った武具で殺し合い、死んでいく。それをずっと、ずぅっと繰り返すばかりの毎日。そんな日々に、あの男は嫌気がさしたのさ。道を究める者が必ず通る、試練って奴なのかもしれないけどね」

 

「……どうして。そんな大切な話を、僕に?」

 

 慎重に問いかける。すると女主人はこちらをちらりと一瞥して、ふ、と笑って見せた。レジ台に両肘を突いて、乗り出すようにフェイトを見る。

 

「そうさねぇ……。やっぱり、アンタがあのボイドに変化をもたらしたから、かな?」

 

 言われて、先程渡されたばかりの剣に目を落とす。

 

 それは、ただのブロードソードだ。

 

 この店にも置かれている、兵の標準装備。特別な剣ではない。だが女主人は、どこか嬉しそうに笑った。

 

「アンタなら、あのボンクラの目を覚ませるかもしれない。……アイツが人に剣を渡すってのはね。『見込みあり』ってことなのさ」

 

「……………………」

 

「別に大層なことを言うつもりはないんだけどさ。もし良かったら、アイツの望み、叶えてやっておくれよ」

 

 きゃらきゃらと笑った彼女は、じ、と剣を見据えるフェイトを気遣ったのかもしれない。今までで一番、不自然なほどに明るい声でそう言ってきた。

 

「……あの」

 

 その彼女に、フェイトは確認の問いをかける。

 

「おばさんは、あのボイドって人と親しいんですか?」

 

「こら、ちょいと! レディに対して『おばさん』はないだろ! あんた!」

 

 きっと目を細められて、フェイトは反射的に、すみません、と謝った。その青年の初々しさに満足したのか、彼女は、よし、とつぶやいて――視線を落とした。

 

「そうさねぇ……。まあ、腐れ縁って奴さ。長い付き合いになる」

 

「……!」

 

 その表情を、何と形容したものなのか。

 思わず目を見開いたフェイトの視界には、女主人と重なる面影が見えた。

 顔も年齢も性格も。まったく違うというのに。国さえも、違うというのに。

 

 女主人の表情(それ)は、カルサアで出会った、息子を失った老婆と同じだった。

 

 ちくり、と胸のどこかが痛む。

 他人(ひと)の、暗い面影を見るのが辛い。辛くて、怖い。

 何故ならそれは、

 

 自分に降りかかるかもしれない現実だから。

 

 肉親を――、大切な人を失うという現実は。

 

「……っ」

 

 ぐっと拳を握りこむ。顔を上げたフェイトは、女主人の顔を見るなり、微笑った。

 自分がそうしてもらったように。相手を安心させるために、己に負けないために。

 

「いろいろ、話してくれてありがとう。……僕は、そろそろ行きますね」

 

 ちゃり、と装備がこすれる音を立てながら、踵を返す。すると女主人はレジ台から肘を浮かして、見送ろうとしたところで動きを止めた。

 ちょうどフェイトが、店の戸口に手をかけてこちらを振り返ったときだ。

 

「試してみます。どこまで出来るか分からないけど、僕の目標に、少しでも近づけるように。だから……、そう気を落とさないで、待っててください」

 

 にこりと微笑った青年は、それきり振り返らずに店を出て行った。見送りの言葉も、女主人の返事も待たずに、それきり。

 その彼に微かな苦笑を洩らして――、女主人は、ふぅ、とため息を吐いた。

 

 彼女が見てきた誰よりも、澄んだ瞳をした青年に。

 

 彼女は一言、つぶやいた。

 

「……頼んだよ」

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

「おい?」

 

「……!」

 

 軽い追想からハッと我に返ると、心配そうにこちらを見下ろすクリフと視線が合った。

 ブロードソードをボイドから託されて、そうして、クリフと手合わせしていたのだと思い出す。

 ぶるぶると頭を振った。

 靄のかかった思考が、それで晴れるかどうかはともかくとして。

 

「ん……。いや、何でもない」

 

 愛想笑いを浮かべて、クリフの言及から逃れる。正確には、触れてくれるな、というフェイトの意図をクリフが読んだに過ぎなかったが、クリフの表情からも疑念の色が消えることはなかった。

 クリフが詮索する代わりに、フェイトの腰に目を向ける。

 そこに帯剣されている、ブロードソードに。

 

「で? 何でそいつを抜いて()らねぇんだ? せっかく買ってきたんだろ?」

 

「……それは……」

 

 視線をさまよわせる。

 言うべきか、否か。フェイトが決心しかねているところに、少年の、元気のいい声が聞こえてきた。

 

「おぉい! 兄ちゃん達~!」

 

 ロジャーだ。

 思わず、フェイトとクリフが、きょとん、と目を瞬かせた。

 

「ロジャー! それに、アレンも。……今まで何処行ってたんだ?」

 

 会議を終えた後、すぐに部屋から消えた二人に向かって。

 フェイトが首をかしげると、じ、と動かない視線が、フェイトを向いていた。

 

「何か、あったのか?」

 

 それと同時、こちらを見据えていた当人、アレンが問いかけてきた。いつもの、あの相手を見透かすような瞳で。

 

「え? ああ……」

 

 答えるフェイトに、緊張が走る。ヘタなことを言う前に、すべて言った方がスマートなのは分かっている。だがそれでも、恐々とブロードソードの柄を掴んだフェイトは、手元に視線を落として――沈黙した。

 複雑な思いで、奥歯を噛む。

 そんな彼の横顔を見据えて、クリフとロジャーが、不思議そうに互いを見合わせた。アレンが、つぶやく。

 

「……剣か」

 

 電撃が走った。

 背筋に、全身に。

 

「ま、まだ何も言ってないだろぉ……っ!」

 

 思わずこぼれた呻きに、フェイトはだらだらと溢れ出した冷や汗を拭う。

 アレンはただ黙ってこちらを見ていた。

 

「違うのか?」

 

「心の! 準備を! させてくださいっ!」

 

 決死の顔で胸を叩いて言うフェイトに、アレンは戸惑いながらもこくこくと頷いてくる。

 

「一体どうしたってんだ? フェイト?」

 

 クリフが追い討ちのような問いかけてきたが、フェイトは敢えて聞かずに、腰からブロードソードを鞘ごと引き抜いた。

 一同に見えやすいよう、自分の胸の前で(ブロードソード)を横たえる。右腕を伸ばして、ちょうどクリフに譲り渡すように。

 

「ソイツがどうかしたのか? フェイト兄ちゃん?」

 

「……斬れないんだよ……」

 

「へ?」

 

 首を傾げながら、ロジャーが見上げてきた。その彼を弱々しく見下ろして、フェイトはまた、自嘲気味に笑った。

 

「だから、斬れないんだ……。クリフと手合わせしてもらう前、パルミラ平原まで行っていろいろ試し斬りしたけど、全然っ!」

 

 ふるふると剣を握る手に力がこもる。その彼をなんとも言えない表情で見下ろして、クリフは視線を『何でも屋ジャックポテト』に向けた。

 

「おいおい。不良品つかまされたのかよ!?」

 

「つまりはそういうことだ!」

 

 剣の腕にそれなりの自信がついてきた昨今、これほどフェイトの気を落とさせるものはなかった。平原の岩で試し斬りをし、『斬る』どころか、岩にひびも入れられなかったこのブロードソードは、魔獣とはち合った時も、遺憾なくその非力ぶりを発揮してくれた。

 己に『リフレクトストライフ』という技が無ければ、こうして無事に村に帰ってくることさえ難しかっただろう。

 そう確信させてくれるほどに。

 

「凄腕の鍛冶師だか何だか知らないけど! こんなの、役に立つわけ……っ!」

 

 そこまでつぶやいて、フェイトはハッと動きを止めた。

 

 ――フェイト、お前は……鈍らで斬ってみせろ。

 

 以前、アレンにそう言われたことがあったからだ。

 目の合ったアレンは、静かにブロードソードを見つめただけだった。

 

「……その剣、少し見せてもらってもいいか?」

 

「え? いや。えぇっと……」

 

 突然の申し出に、フェイトは視線をさまよわせる。それ自体は構わないのだが、アレンならこの鈍らで岩をも斬りそうな気がして――、思わず口ごもった。

 代わりにクリフが、ガッ、とフェイトからブロードソードを取り上げる。

 

「お、おいっ!」

 

「あん? これが何かあんのか?」

 

 抗議の声は一瞬遅かったらしい。クリフは鞘から剣を引き抜くと、不慣れな動きで抜き身の刃を観照し始めた。

 

「オイラも! オイラにも見せてくれよ! デカブツ!」

 

 その彼の下で、ぴょんぴょんと跳ねていたロジャーは、クリフがいじわるをする前に、アレンによって抱き上げられた。

 

「これでどうだ?」

 

「おぉ~!」

 

 嬉しそうに声を上げながら、剣に触れようとするロジャー。

 

「おいっ! 刃に指紋つけるバカがどこにいるんだよ! ちゃんと見るだけにしとけ!」

 

「えぇ~! いいじゃんよ~! ったく、ケチんぼめ!」

 

「ほぅ? 人の忠告を聞かねぇチビに、俺が剣を見せると――」

 

「こら、クリフ」

 

 不機嫌に腕を組むロジャーに、制裁を加えようと腕を伸ばしたクリフだったが、肝心なところでアレンに止められた。それに不満を覚えたのか、あん、とつぶやきながら挑戦的な眼差しをアレンに向けたところで――、クリフはグッと押し黙った。

 アレンに睨まれたためだ。

 それで気を良くしたロジャーが、アレンの腕の中で、へへん、と嬉しそうに胸を反らしたが、クリフが反撃に出ることはない。まさに虎の意を借る狐状態だったが、両者とも、そこはあまり気にしていないらしい。

 論点を微妙に外されたフェイトが、疲労だか安堵だか分からないため息を零す。

 が。

 アレンばかりは話を外しきれなかったらしい。彼はクリフが持っているブロードソードをじっと見据えて、静かに微笑った。

 

「なかなか、興味深い剣だな……」

 

「あん?」

 

 そうつぶやいたアレンを、クリフが不思議そうに振り返る。と、アレンはそこでロジャーを地面に下ろした。

 

「クリフ、斬りかかってきてくれ」

 

「……は?」

 

 拳を握るアレンに、一同が目を丸くする。だが、アレンはそんな彼等に静かに微笑っただけだ。

 説明はしない。

 というより――。

 

「出来れば全力で。……その方が、分かりやすい」

 

 論より証拠と言い放つアレンに、クリフは一応、フェイト、ロジャーと顔を見合わせる。だがアレンに限って考えなしの提案ではないだろう、とクリフは直感的に判断した。

 にやりといつもの不敵な笑みを湛えて、剣を構える。

 

「んじゃ、遠慮なく。……行くぜ!」

 

 ぉおっ、という気合と共に剣を振り下ろすクリフ。てっきり腰のブロードソードで止めると思っていたフェイトとロジャーは、そこでハッと目を見開いた。

 ――素手だったのだ。

 

「アレン!?」

 

「兄ちゃん!?」

 

 ぐ、と息を呑む。

 

 がつんっ!

 

 思わず、悲惨な末路を想像したロジャーとフェイトが、恐々とアレンを見る。

 

 クリフの振り下ろしたブロードソードを右腕で受け止めたアレンに、傷は無かった。

 

 否。おおよそ、剣、という刃物が繰り出す音には聞こえない。どちらかというと、鉄の棒だ。ごつ、という硬い音は。

 

「……っ!」

 

 一番肝の冷える思いをしたクリフが、絶句しながらブロードソードを退ける。それを受けて、アレンも己の右腕を鑑みるように、軽くさすった。

 

「やはり、そうか……」

 

 一人、得心が言った表情で頷くアレン。その彼に、クリフがガッと掴みかかった。

 

「やはりそうか、じゃねぇ! なんつぅことさせんだ、テメェは!? 危うく俺の繊細な(メモリー)に、血なまぐさい記憶が刻まれるところだったじゃねぇか!」

 

「すまない。だが、あらかじめ腕で受けると公言すると、剣という性質上、クリフが潜在的に手を抜く可能性が……」

 

「るっせぇ! そのおかげで、俺の寿命が五年は縮んだんだよ! この天然おトボケ君がっ!」

 

「…………。すまない」

 

「謝って済む問題か! 大体、テメェはいっつもいっつも、人の気苦労も考えねぇで……っ!」

 

「ちょっと黙っててくれ、クリフ」

 

 爽やかな笑顔と共に、クリフの脇腹をフェイトの『リフレクトストライフ』が穿った。

 

 ドドドンッ!

 

 ぐあっ、と呻き声を上げて倒れるクリフ。が。そんな彼を完全に放置して、フェイトは目の前の青年、アレンに向き直った。

 意識の外で、ロジャーの『デカブツ~』と叫ぶ声が聞こえる。

 だが、完全に無視した。

 

「……それで。何がやはりそうか、何だよ?」

 

 キリッと表情を引き締めるフェイトに、二、三。アレンが何か言おうと口を開いたが、咳払いをした後、話を戻した。倒れたままになっているクリフに、ヒーリングをかけてやりながら。

 

「フェイトも気付いたようだが……、その剣は今の状態では『斬れない剣』なんだ。刃の部分を見れば、わざと研ぎを甘くして殺傷力を抑えているのが分かる。つまり今の状態では、紙すら切れない」

 

 言われて、フェイトはクリフからブロードソードを取り上げると、刃の部分に視線を落とした。――確かに、インフェリアソードに比べれば、刃が曇っている。

 

「だが」

 

 言い置いたアレンは笑っていた。少しだけ好奇に、その瞳を輝かせながら。

 傍らでは復活したクリフに、ロジャーが嬉しそうな声を上げていた。

 

「その剣は使えば使うほど――斬るものが増えれば増えるほど、その真価を、切れ味を発揮していく。その証拠にクリフがさっき斬った部分は、刃の輝きが少し増しているだろう?」

 

「……!」

 

 そこで思わず、フェイトは目を見開いた。――確かに。納得したフェイトを尻目に、アレンの説明が続く。

 

「使い方によっては、今のお前に最も必要な武器だ。……外見はただのブロードソード。だが誰か――……名の有る職人が作った、業物に違いない」

 

「ホントかよ?」

 

 むくりと身体を起こしたクリフが、ロジャーを伴って問いかける。それに、ああ、と答えたアレンは、もう一度、フェイトを見据えて言った。

 

「フェイト。これは『斬るべきもの』と『斬らざるもの』を使い分けることが出来る剣だ。刀のように峰があるわけじゃないが、斬る場所を一点に絞ったとき、これはお前が望むべき剣となる」

 

 すなわち、『人を斬らず、物を切る剣が完成する』――。

 

「……!」

 

 理解した瞬間、フェイトは視線を剣に落とした。

 あのボイドという男は、そこまでフェイトのことを考えてこの剣を作ったわけではないだろう。

 だが。

 

 ――コイツを扱えるようになってみせな。俺がお前を一人前と認められるように。

   ……そうしたら、また、会いに来い。

 

 そう言った男の真意がわかって、フェイトは口端を吊り上げた。

 振り返ればあの何でも屋、ジャックポテトの看板が目に入る。

 

「……認めさせてやるさ!」

 

 それに向かって、フェイトは言い放った。



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other phase2 アリアスの台地
6.ベクレル鉱山


 敗走に終わったシェルビーの部隊は、互いに肩を貸しあいながら、カルサアを目指していた。そこに、ナツメの姿は無い。

 台地で奪取した物資を届けることを最優先にしろと命じられた彼女は、一足先にカルサアに向かう必要があったのだ。とはいえ、事情を知らないシェルビーからすれば、敗北と決まる前から退却したように見える。

 

「あ、の……! 小娘ぇえええ!」

 

 暗い怒声を吐きながら、シェルビーは抜け道をいく。不思議なことに、負傷兵はいるが、死者のない戦だった。しかし死者こそいないものの、無傷で済んだ兵も一人もいない。

 その所為で、敗走の足が遅れている。

 

(く、そぉ……! くそぉおおっっ! この私が、二度も、三度も……!)

 

 こんな無様を晒すのは、グリーテンの連中に敗れた時と、あの、正体不明の覆面達に襲われた時で最後のはずだった。

 それなのに。

 またしても惨めな思いで、鎧を引きずるシェルビーは、どうしようもない怒りで視界が黒くなる。

 新月の夜が、洞穴に近い抜け道を、更に暗闇で覆う。自分がどちらに向かって歩いているのかは、先頭を行く松明を持った兵に一存するほかなかった。

 

 ゆえに、気付かなかったのだ。

 

 己が今、ベクレル鉱山を歩いているなど。

 

 ――ギシャァアアアアア……ッッ!――

 

「ぬ?」

 

 地を這うような獣の声。シェルビーは首を傾げる。洞窟の所為で音がよく反響し、距離は解らない。だが、負傷しているとはいえ、その辺に現れる魔獣ならばシェルビーの敵ではない。

 片斧を握り締めて、シェルビーは油断なく周囲を見渡した。

 

 ぶぉ……っ

 

 風が、頬を撫でる。何かが、自分達の頭上をかすめていった。

 

「しぇ、シェルビー……様?」

 

 緊張した、部下の声。事態を把握しきれないシェルビーの背にも、凄まじい怖気が走る。

 生臭い風が、む、と鼻を突く。事態はまだ把握できない。異臭と疑問で、眉間に皺が寄る。

 

 ――ぐぉおおおおおおおっっ!――

 

 間近で聞こえた、竜の咆哮。

 先頭を行く、兵の松明が消えた。

 

「っ、っっひっ!?」

 

 全員の表情筋が無意識に動く。

 すぐそこに竜の息吹が聞こえる。緊張が、身体の自由を奪った。呼吸が荒くなる。

 

(この……、この状況で戦えだとっ!?)

 

 野の魔獣ならば瞬殺できる。だが、竜は格が違う。 

 焦燥が、シェルビーの脳髄を焼いた。

 

「くっ! 迎え撃て!」

 

「し、しかし――!」

 

 竜が咆哮を上げる。瞬間。鉱山の消えていた松明がふたたび勢い良く灯った。

 

 こぉ……っ!

 

 ベクレル鉱山の一角が照らし出される。そこはトロッコに荷物を積むためのスペースだ。その中央に固まるようにして立ったシェルビー達は、二体のドラゴンに行く手を阻まれていた。

 

「おのれっっ!」

 

 シェルビーは反射的に先導していた松明を持つ兵を睨んだ。

 だが――、いない。

 

「っ!」

 

 視線を左右に振る。

 やはり、いない。

 思わず呻く。あの先導が罠の仕掛け人と気付くのが遅すぎていた。

 

「お、のれぇええ……っ!」

 

 歯噛みする。来た道を引き返そうにも、どちらが来た方か、また、どちらであろうとドラゴンに阻まれているという現実が、シェルビー達の絶望感を煽る。

 トカゲに似た刺々しい面立ちに白い一本の角。細いが、鋭い二本の足で立ったドラゴンは、中でも足が速いことで知られるブラストドラゴンだ。こうもりの羽に似た翼を背に担ぎ、二体のそれらは獰猛な眼差しをシェルビー達に向けていた。

 血の臭いに誘われ、興奮しているのだろう。

 ドラゴン達の息遣いが荒い。

 

「いけぇっ!」

 

 シェルビーの恫喝を皮切りに、一同が一斉に動いた。南通路を塞ぐドラゴンが犬歯をちらつかせながら凄まじい勢いで駆けてくる。サイのような角が、手近な兵を片っ端から吹き飛ばした。

 

「うわぁああっ!」

 

 もともと怪我で満足に動かない者を筆頭に、人間の身体が宙を舞う。同時。ぴしゃっ、という乾いた音と飛沫が飛び散った。

 シェルビー達の陣形が崩れる。

 

「ちぃっ! 足止めしろ! 役立たずども!」

 

 部下の一人を片手でぶらさげ、シェルビーはブラストドラゴンに向かって放り投げる。

 

「ひぃいいっっ!」

 

 竜の注意が一瞬、放り投げた兵を向く。同時。中央に固まっていただけの彼等は、わずかな生存確率を巡って、各々、ドラゴンをかいくぐって北と南の通路へ辿り着こうと必死に走り出した。

 

「う、うわぁああああああああああ!」

 

 足止めろ、というシェルビーの命令は最早意味がない。各自、恐慌状態に陥って意味不明な単語を叫ぶだけだ。

 が。

 

――ぐぉおおおおおおっっ!――

 

 ブラストドラゴンの息吹が逃げ惑う兵達を容易く捕まえる。部下を盾に、後ろに控えたシェルビーさえも、その息吹の範疇だった。

 

「……な、に?」

 

 紫色の不気味な息吹が、獲物の足を確かに引き止めた。全身に強烈な痺れが走る。びりぃっ、と腱を剥がされるような、そんな痛みが鋭く駆け抜ける。

 

「っぁああああ!」

 

 ドラゴンの息にかかった兵達が悲鳴を上げる。息吹の所為で動けなくなったシェルビー達に、ドラゴンの角が、牙が、襲った。どっどっどっどっ、とドラゴンにしては軽い、それでいて確かな重量を感じさせる足音が、近づいてくる。

 そして、

 

 ぶぉっ!

 

 風切音を立てて、横殴りにドラゴンの角が伸びる。威力は周知だ。触れれば、人間の身体など石ころ同然だった。

 

「――ぃっ!」

 

 だからシェルビーは、迫り来るドラゴンの角を穴が開くほど見据えて――ただただ息を止めた。目をつむることなど出来ない。硬直した身体が、凝視すること以外を許さない。手に持った斧は、痺れのせいで結局、振れそうにもなかった。

 見開いた目が、動かなくなった部下と、そして己の死を呼ぶ、ブラストドラゴンの顔を映し出す。

 鈍色に輝く、人殺しの角を。

 

(死――っ、っっ!?)

 

 息を呑む。がたがたという耳障りな音が、脳に反芻した。食いしばった歯の根から零れる、恐怖の叫びが。

 視界が、黒く染まった。

 

「空破斬!」

 

 …………ぃんっ!

 

 火花が散る。眩さに顔をしかめたシェルビーは、はた、と瞬きを落とした。視界が、徐々に開けてくる。遠くに聞こえた金属音は、ドラゴンが奏でる角の音と――、闇を断ち切るような、青白い閃光を放つ刃の音だ。

 

「……貴様は!」

 

 思わず、目を見開く。その彼を見返す瞳は、恐れを微塵も感じさせない強い輝きを宿し、暗がりの中で毅然と立っていた。短い黒髪を揺らして、周囲を照らす松明の光に黒瞳を照らされながら。

 

「ご無事ですか? 皆さん」

 

 発せられた声音は、この場に居る誰よりも落ち着いたものだった。

 彼女の背後で、鈍い音が立つ。視線をそちらに向けると、彼女と刃を合わせたブラストドラゴンが、真っ二つに両断されていた。

 

「っ!」

 

 慌てて、少女を見る。彼女は残る一体を睨んでいた。動かない。ブラストドラゴンの角を両断した刃を、その威力を知っていると言わんばかりに、竜も動かない。ナツメは刀の柄に手をかけている。

 

――ぐるるるるる……!――

 

 警戒した竜が喉を鳴らす。あるいは、仲間をやられて怒っているのかもしれない。

 

「……………………」

 

 じりじりと。

 ブラストドラゴンとナツメが距離を推し量る。

 

 だんっ!

 

 動いたのは、ブラストドラゴンが先だ。

 

 ――ぐぉおおおおおおっっ!――

 

 凄まじい咆哮を上げながら、急速に距離を縮めてくる。ナツメはまだ動かない。腰溜めに上体を落としたまま、竜を睨んでいる。

 

「嬢ちゃん!」

 

 どこかから、少女を呼ぶ声が聞こえた。

 少女が僅かに腰を浮かせる。

 同時。

 鮮やかな一閃が、シェルビーの目を奪った。薄暗い坑内を、一瞬、覆い隠すように。

 

「……っ!」

 

 呻きながらも、事態を把握しようとシェルビーが懸命に目を凝らす。

 すると、坑道を光で満たした雷が、まるで竜の自由を奪うように、パリパリと音を立てて竜の身体に纏わりついていた。

 ナツメとすれ違うように交叉した竜が、二メートルほど直進して――、ぱ、と上下に両断される。力尽きたその身体から、血飛沫が舞う。それを振り返りながら見据える少女の瞳は、アーリグリフの雪に似て、冷ややかだった。

 

 ぞくり……っ

 

 背筋を、悪寒が舐める。ぶるりと身体を震わせると、少女は、そんなシェルビーを置いて抜刀した刀、シャープネスを鞘に納めた。

 わずかに地面の砂をこすり合わせながら、ナツメが振り返る。

 

「……ひっ!」

 

 誰にともなく、口腔から悲鳴が零れた。

 

 目の前の、竜を殺した化け物に。

 それの放つ、異様な空気に呑まれて。

 

「状況を! シェルビー隊長!」

 

「……っ!」

 

 が。

 その寒気も一瞬のことだ。

 ブラストドラゴンに突き殺された兵達を見渡して、ナツメが険しい表情で訊ねてくる。その少女は普段の、否、普段よりも少しだけ緊張した、ただの女兵だった。

 全身の緊張を解く。

 ――拍子抜けした。

 

「隊長!」

 

 叱咤するようなナツメの声が、坑内に響いた。

 我に返ったシェルビーの、引いていた血の気が、戻ってくる。途端。シェルビーの顔色に、ぐ、と朱が上った。

 

「小娘! 貴様、今まで何を……っ!」

 

 そこで、言葉が切れた。

 こちらを見据えるナツメの、その黒瞳が確かな怒りをたぎらせていたからだ。ぐ、とシェルビーを睨む、ナツメが口を開く。

 押し殺した、感情の起伏を一切感じさせない声音で。

 

「ヴォックス団長より命ぜられた任務を完遂するため、カルサアに常駐している見張り兵に物資を届けて参りました。その後、すぐさま戦線へ。この間、およそ半刻です。そして現場に折り返した私は、隊長がおわす台地の向こう、アリアスの坂へ向かい、複数の足跡を見つけた……。

 それを辿れば、隊長はカルサアどころか、このような野生竜の生息する危険区域に敗走されていた! その真意を私に納得できるようご説明願いたい!」

 

 歯噛みせんばかりの勢いで一気に立てる少女に、シェルビーは思わず息を呑んだ。

 返すべき言葉が無かったわけではない。

 こちらを見据える少女の視線が、あまりにも純粋(まっすぐ)で、かけるべき言葉を飲み込んでしまったのだ。

 

「……き、さまっ! それ、は……」

 

 それでもどうにか、言葉を紡ごうと口を開閉させる。ぱくぱくと。二、三、何かを言いかけては、言葉が頭の中を空転していった。

 思わず、苛立たしげに舌打ちするそんな彼の様子を見ていたナツメが、ふ、と視線をシェルビーから外した。

 呻き声を上げている兵達に向き直る。

 

「……いえ、すみません。今はここを出るのが先、ですね……」

 

 言うなり、ブラストドラゴンに殺された者を除いた兵達を順に見る。

 比較的軽傷者が生き残ったようだが、それでも皆、足の骨や関節が二、三本、折れている。このベクレル鉱山に入る前よりも、更に進軍速度は遅れると見ていいだろう。

 ナツメは、き、と表情を引き締めるとシェルビーに向き直った。

 

「隊長。先導を私に任せては頂けませんか」

 

「なに……?」

 

 突然のナツメの申し出に、シェルビーは眉をしかめる。ナツメは腰に差した二振りを鞘ごと引き抜いて、そ、と地面に横たえた。ついで自身の膝を折り、シェルビーに傅く。

 

 剣士として。

 

 竜をも斬る、絶大な剣技をその身に宿していながら。

 彼女は尚も、謙虚だった。

 

「……何の真似だ? 小娘……!」

 

 その彼女の挙動に、シェルビーが息を呑む。見上げるナツメの瞳は黒く、相変わらず、穢れを知らずに澄んでいた。

 

「誓います! 私の言が真であることを、我が心と主君、オフィーリアの名にかけて。……ですから――隊長。私を信じてください」

 

 見下ろすシェルビーが、無言のまま、押し黙る。否、二人のやりとりを見守る兵達の間にも、濃厚な沈黙が降りた。

 

 間。

 

 頭を下げるナツメ。

 どの道、この娘の力がなければ、ここから脱出することは不可能なのだ。

 

 その上、今は味方の誰が信用できるのか分かったものではない。

 

 ならば、顔の割れている彼女を、ナツメを警戒しながらでも利用するのが得策だろう。

 ――それに。

 ナツメを見下ろして、シェルビーは静かに口を開いた。

 

「……いいだろう。小娘、お前に任せてやる」

 

「はい!」

 

 立ち上がった彼女は、生き残った兵達を順に見据えて、踵を返した。

 

「こちらです!」

 

 

 

 

 

 

 温暖な気候に唯一恵まれた町、カルサアの領主邸は、今、ちょっとした緊張に満たされていた。

 いかにも高級そうな執務机に向かって、書類やら何やらに目を通しているウォルターの、その風体に大した変化は無い。が。時折。手元にある金時計をちらちらと横目で窺う様は、この老獪な戦略家には珍しいことだ。

 単に約束の時間を気にしている、というよりは、焦っているように見える。

 

「……遅いの」

 

 つぶやくウォルターの言葉も、かれこれ、五回目になる台詞だった。

 

「ウォルター様!」

 

 と。

 その時、執務室の扉が開かれた。ちゃっ、と上品な音を立てて、風雷の甲冑に見を包んだ壮年の男性が、部屋に入ってくる。

 ウォルターは、書類から顔を上げた。

 

「おぉ、主か。……どうじゃった?」

 

 礼節のあれこれをすっ飛ばして、本題に入る。と、目の前の男も心得ていたらしく、ぴし、と背筋を反らした体勢で、答えた。

 

「はっ。例の――ナツメの件でございますが、やはり物資をこちらに届けに来たきり戻っていないようです。そしてもう一点、奇妙なことが」

 

 語尾を落とした男に向かって、ウォルターは鑑みるように目を細める。好々爺の面は、この男の前では着ける必要が無い。それぐらい、馴染み深い男だ。

 有能と。

 そうウォルターが認定した、熟練の兵。

 その彼が語調を落とす、ということは、聞く側にもそれなりの緊張感を与える事態だった。

 

「奇妙、とな?」

 

「……はっ。様子見に兵を台地へ送りましたところ、台地の作物が一つも荒らされていなかったのです。とはいえ、ナツメがあれほどの食糧を、別の場所から搾取したとはとても思えず、兵が進軍した痕跡も確認されたとのことです」

 

「つまりは、台地に向かった跡も、そこから奪取した農作物もあるというのに、田畑にそれらの作業がなされた跡だけがなかった、というのか?」

 

「はい」

 

「……それは、妙じゃな」

 

 むぅ、と思わず唸る。

 相手は、施術という自分たちには理解できない妖術を使う連中だ。その中には、人間の傷や病を治す、いわば、治癒の術も備わっており、物資が不足しがちなアーリグリフにとっては喉から手が出るほど欲しい技術だったが、根こそぎ奪われた田畑を一瞬で元通りにするほどの、そんな神懸った現象を引き起こすことは不可能なはずだ。

 ――少なくとも、ウォルターが知る『施術』というものでは。

 あの、シーハーツ最強と謳われたアドレー・ラーズバードをもってしたとしても。

 

(何にせよ、これでアリアスの軍勢は盛り返す。……台地の物資を奪うことで、奴等の食を断つつもりが、もはや通じぬということじゃな)

 

 奇しくも、ナツメの言葉どおりになった。

 

 ――やるのは一度のみです。それで決着します。

 

 それを、ウォルターが直接聞きはしなかったが。

 

「まさか、のぅ……」

 

 つぶやいたウォルターは、自らの頭に浮かんだ思考を整理するために、椅子に背を預けて、目をつむった。

 畑が、荒らされた後、元に戻っていた。

 そして。

 それを出来る者は少なくとも、少し前までのシーハーツ内の施術士には不可能だ。

 だが。

 もし仮に、ナツメが施術を使ったのだとすれば――。

 

(………………)

 

 思案顔を作ったウォルターは、そこで思考を打ち切った。

 ナツメが田畑を施術で戻したという説は、利点(メリット)が考えられない。そんなことをして、あの娘がこの国で無事にいられるわけがない。

 考えられるとすれば、逃亡か。

 シェルビー以下、複数の部下を別の場所で殺して、そのまま――……。

 しかしこの考えは、あの黒瞳を見た後ではどうにも説得力に欠けている。

 少なくとも、あの娘はそういうことの出来る人種ではないだろう。それに彼女が本当にシーハーツのスパイであるなら、もっとこちらの信用を得、ある程度、高役職になってから動き始めるはずだ。たかが新人漆黒兵に、さほど向こうが求める情報が入ってくるとは思えない。

 ――そう考えているからこそ、ウォルターは少女にもう一度、会う必要があった。

 こうやって風雷を、少数とはいえ本土防衛から外して捜索に当たらせて。彼女は敵ではない、と確認しなければならない。

 後に続く、シーハーツに現れた、新たな脅威に立ち向かうためにも。

 

「…………引き続き、ナツメを捜索せよ。報告を待っておる」

 

「ですが、ウォルター様! そろそろ休まれませんと……!」

 

「急げ」

 

「……はっ」

 

 渋々だが頷く壮年の兵に、に、と笑って、ウォルターはその男が去って行くのを見送る。

 傍らの金時計に目をやる。

 後数時間で――、夜明けだ。

 

彼奴(ヴォックス)の尻尾を掴むはずが、逆に丸めこまれたかのぅ……」

 

 つぶやいたウォルターは、そこで一つ、長いため息を吐いた。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 ベクレル鉱山という場所は、広大だった。

 ナツメの方向感覚など、無に帰してしまうほどに。

 

「ゼェッ、ゼッ……! おい! 小娘! 貴様を信用してやるとは言ったが……、どう見ても出口ではないのはどういうことだ!?」

 

「…………」

 

 それは、薄暗い坑内からようやく抜け出した、直後のことだった。

 新月故に、か。

 見上げた夜空は澄んでいて、満天の星空がちりばめられた宝石のようにその美しい輝きを放っている。――それを、ただ、じ、と見据えて。ナツメは、笑っていた。

 

(……どうしよう……?)

 

 今更、迷った、などと言う事も出来なくて。

 彼女は、だらだらと流れ始めた冷や汗を拭いながら、シェルビーを始め、漆黒の面々を振り返った。

 

「み、皆さん! 見てください! ほら、満天の星空ですよ! 綺麗ですね~!」

 

 ささ、と空を、その中の適当な星を指差して、ほがらかに微笑む。と。殺気を増したシェルビーが、すらりと剣を抜き始めた。

 

「……そうか。やはり貴様、ただのスパイであったか……!」

 

「ま、ままっ! 待ってくださぁああい! こ、ここ、これは自ら道案内を買って出たというのに完全に裏目に出てしまった己の非を決して隠そうとしたわけではなく――!」

 

 言葉を切ったのは、シェルビーの表情が見る見るうちに赤くなっていったからだ。

 

「この期に及んで! ここまで私を歩かせて――迷っただとぉ!?」

 

「い、いけません! 暴力はいけませんっっ! ともかく穏便に事を運びましょう! ねっ!?」

 

「穏便だとぉ!?」

 

 不思議なことに、この少女はシェルビーが「任せる」の一言を発してからずっとこの調子だった。威圧感も無ければ、あの時見せた圧倒的な戦闘力の気配もない。

 あまりにも自然に『脅威』という存在を伏せた少女だ。

 だから、こちらが強気な態度に出ても何ら違和感がなかった。

 

「ず、す゛み゛ま゛せ゛ん゛~~~~! 次こそはっ! 次こそはぁ! 必ず外に出てみせますからぁああ!」

 

「き、さ、まぁああ……!」

 

「シェルビー様!」

 

 は、と息を呑む部下の声が聞こえた。

 振り返る。そこには、シェルビーも何度か見たことのある、トロッコが置いてあった。

 此処、ベクレル鉱山に埋まっている鉱石を外に運ぶための、精錬所のトロッコだ。

 

「これは……!」

 

 思わず、息を呑む。竜が棲み付いて以来、数ヶ月間は放置されていた代物だが、状態はそれほど悪くない。恐らく、まだちゃんと動くだろう。

 

「これがどうかしたんですか?」

 

 したり顔で、にやりと口端を緩めるシェルビーに、傍らに立っているナツメが、何ともマヌケな声でこちらを窺ってきたが、シェルビーは構わなかった。

 

「よし! これで脱出するぞ! 者共! 配置に就け!」

 

「はっ!」

 



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7.連邦の使者

 フェイト達の夜襲から、三日後。

 アリアスの台地で敗走に終わった漆黒兵達は、負傷兵を抱えながらカルサアへと続く、ベクレル山道を、重い足取りで歩いていた。

 

「よ、ようやく……」

 

 ぜぇぜぇと息を切らしながら、一睡もせずに歩き続けていた彼等の顔に、疲労の色は濃い。ドラゴンに襲われ、戦以外の要因で数名の同胞は帰らぬ人となった。その現実が、重く彼らの肩に重くのしかかっているのだ。

 

「……ん?」

 

 先頭を行く女兵士、ナツメが、ふと、何かに気付いたように立ち止まった。

 

「どうした!?」

 

 それを受けて困憊ながらもシェルビーが振り返る。途端、緊張を孕んだ漆黒達に、ナツメは慌てて、顔を横に振った。

 

「いえいえ! 何でもないんです。ただ、通信機がちょっと……」

 

「何?」

 

「いえいえいえ! 『痛感覚』がちょっと、鈍ってきたかな、と!」

 

 怪訝な表情で睨むシェルビーに、苦しい言い訳をして、彼女は改めて、腰の通信機を取り出した。小型なので、抱え込めば後ろの連中に見られることもない。音声案内を字幕に置き換えて、彼女は改めて通信機の画面に視線を落とした。

 

(――転送(トランスポート)? 銀河連邦から!?)

 

 ぎょ、と目を見開く。そのときナツメの目の前で転送用の紋章陣が、ふわり、と姿を見せ始めた。まだ後ろの兵達は気付いていない。

 慌てて、ナツメは詠唱を唱えた。

 

「ら、ライト!」

 

「何?」

 

「っわ!」

 

 突如、太陽のように眩い光の小球を発生させた少女に、兵達が悲鳴を上げる。だが、ナツメの意識は完全に兵達ではなく、目の前の紋章陣へ。大気圏外からの転送だ。保護条約を気にして着艇を避けた、というところだろうか。誰が送られてきたのか、彼女は固唾を呑んで見守った。

 

 そして――……。

 

 光が晴れる。

 ライトで目をやられていた兵達が、不満そうな声を上げながら、ナツメを睨んだ。突如現れた、見知らぬ男に気付くまで。

 

「久しぶり。……ナツメ」

 

 抑揚のない声でつぶやいた男は、二十歳ぐらいの青年だった。アルベルよりも更に暗色の、紅の瞳をしている。

 

「っ! っっ! ……アルフさん!?」

 

 ナツメが目を見開く。

 アルフと呼ばれた青年は、周囲を見渡した。うなじまで伸びた銀の髪と、女のように透明感のある白い肌が、相手が男だというのに、思わず見惚れてしまうほどの色香を放っている。

 ――死の、色香を。

 戦場で発揮されるその色香の正体を、アレン以外に生きている者は知らない。

 『狂人』と。

 決して少数とは言えない人間に、そう称されている彼は、しかし、呼び名とは裏腹に、穏やかに問いかけてきた。

 

「アレンは? 通信入れたけど、繋がらなかった」

 

 光を浴びて輝く銀髪が、目元を隠すように若干長い。完璧に整った容貌が、その所為で中性的な印象を彼に与えていたが、見る者が見れば一目で分かる、冷え切った紅の瞳が、それ以前に強烈な迫力を放っていた。

 銀河連邦軍特務部隊の制服――アレンと同じ、赤いコートを着た男だ。

 

「どうやら壊れたようなんですよ。あの衝撃ですから、無理もありませんが……。でも! 心配は無用です! こちらは既に、シーハーツという国にアレンさんが連行されたという情報をつかんでるんですから!」

 

 得意げに胸を反らすナツメに、ふぅん、とつぶやいて、アルフは視線を、後続のシェルビー達に送った。

 

「で。そいつ等は?」

 

 問われて、あ、と思い出したようにナツメがシェルビー達を振り返る。

 

「この方々はですね――」

 

「貴様! 一体、何者だ!? 突然現れおって、シーハーツの者か!?」

 

 相手を叩き伏せるように吼えるシェルビーを、しかし、アルフは平然と見返す。正確にはシェルビーに注意を払っていないだけだが、彼は視線をシェルビーと後ろの漆黒兵、そしてナツメに送って、合点したように、ふぅん、とつぶやいた。

 

「ナツメ。お前、こいつ等の仲間になったんだ?」

 

「あ、はい! ウォルター様が私の働き次第では、アレンさんの情報を提供してくださるというので!」

 

「……また安請け合いを」

 

 屈託なく笑うナツメに肩をすくめて、アルフはシェルビー達に問いかけた。

 

「で? あんた等の傷は? ……結構な数だが、戦争した割には、刀傷っぽいのが見当たらないな?」

 

 腰や手に、身の丈ほどもある長剣を握っていたためだろう。

 即座に遠距離武器――銃などの先鋭武器の存在を消去したアルフは、漆黒達を見渡して確認するように首を傾げた。

 その所作は、漆黒の元・副団長たるシェルビーを、完全に無視したものだ。

 

「貴様――!」

 

「討論する気はない。どこの国だか知らないけど、俺が興味あるのは、アレンだ。……さあ。さっさと答えてくれ」

 

「舐めるな! 小僧がっ!」

 

「シェルビー隊長!」

 

 言って、両斧を抜こうとしたシェルビーを、ナツメが制した。

 

「いいぜ。抜けよ?」

 

 その前で、アルフが微笑った。アレンとは明らかに違う、相手を蔑むような、どこまでも冷めた薄笑い。

 ふと、シェルビーに強烈な怖気が走った。

 

「っ、っっ!」

 

 息を呑んだその瞬間に、胸にフェイズガンの銃口が貼り付けられていたことに気付いたのだ。確実に、心臓に当たる位置だった。

 これが一体なんの武器なのか、そしていつ抜いたのかすら、シェルビーは理解していない。

 だが歴戦の猛者(シェルビー)は、相手が放つ独特の雰囲気だけで危険を察知できた。ゆえに空転する思考とは対照的に、身体が凍り付いている。彼の本能が顔を強張らせた。

 その男の顔を見据えながら、『狂人』は言った。

 

「お前程度じゃ俺の相手にもならない。それでも、殺りたいってんなら相手してやるよ」

 

 くく、と嗤う。

 シェルビーは激しい嫌悪を覚えながら相手を睨み、しかし、その実、指一本まともに動かせなかった。相手の鬼気に呑まれ、殺したいという感情が、殺されるという予感に勝ってしまっている。

 その彼をかばうように、ナツメが前に出て、慌てて首を横に振った。

 

「ダメですよ! アルフさん! この方は今、私の大事な上司なんです! シェルビー隊長に何かあったら、私、腹をかっさばいてでも団長やウォルター様にお詫びしなくちゃいけません!」

 

「……お前……!」

 

 き、とアルフを睨み上げる少女の顔を、シェルビーは呆けたように見据えた。

 途端。緊張の糸が切れる。

 少女の背は小さいが、この上なく頼りがいのある盾に思えたのだ。シェルビーの顔という表情(カオ)から、闘気も恐怖も消え失せた。

 それを冷たい微笑で見据え、アルフは視線をナツメに落とす。頭三つほど下にある、小柄な少女に。

 

「ま。お前がそう言うなら勘弁しといてやるよ。……で? 俺のさっきの質問に対する答えは?」

 

 意外にあっさりと引き下がったアルフは、それきりシェルビーを視界から外した。

 ナツメが思い悩んだ表情で答える。

 

「それが。実は私達、食糧調達の任務から引き上げてきたんです。でも、カルサアに帰る筈が全然関係のない場所を歩いてしまっていて……。それまで先導してくれた者もいつの間にかいなくなってて、……それで、迷い込んだ洞窟の中で多くの仲間を失いました……」

 

「その任務ってのは、敵地の近くなのか?」

 

「へ? ……あ、はい。そうですけど?」

 

「それで? 敗走したのか?」

 

「え、えと……はい……」

 

「その時点では死人を出さずに?」

 

「へ? はい……」

 

 気落ちして俯きながら、それでも、アルフの意図を読もうと首を傾げるナツメ。瞬間。アルフは、心底楽しそうに喉を鳴らした。

 まるで、弾けたように。

 不思議そうにアルフを見上げるナツメに、彼は嗤いながら問いかけた。

 

「なぁ。今、お前等は戦争をやってるんだよな?」

 

 心なしか、問いかける口調が速い。

 それに嫌な予感を覚えながら、ナツメは控えめに、はぁ、と頷いた。

 

「あの……、アルフさん?」

 

「そいつはいい。最高だ! あいつと、こんな形ではち合う事になるとはな!」

 

 途端。狂ったように嗤い始める。

 アルフはその感情の多くを、表に出すことは少ない。

 今でも嗤う声は、常人にとっては含み嗤う程度だったが、それは数少ない、アルフの上機嫌の笑いだった。

 くくっ、と喉を鳴らして、一頻り嗤った後。

 視線を、ちらりとナツメにやったアルフは、相変わらず冷たく、相手を斬る様な紅い瞳を光らせて言った。

 

「ナツメ。お前、その食糧調達の妨害を指揮したのは、アレンだ」

 

「えぇええええっ!?」

 

「でなきゃ、これだけの人数相手に死人出さずに戦うなんて器用な真似、出来るわけがねぇだろ。……仮に出来たとして、それだけの戦力がありながら、今だ相手国が押されているわけがない」

 

 表情で、察知したのだろう。

 敗走してきたシェルビー達はアーリグリフ領であるカルサアに近づくにつれて、どこか安堵したような空気を漂わせていた。それ自体は優劣、どちらの国の兵であっても変わらないのだが、彼等が安堵の中に含んだ、一種、優越感、とでも言うべき雰囲気を、アルフはたった一目で看破したのだ。

 特別、他人に注意を払っているわけではない。

 彼の観察眼が、常軌を逸している。

 

「……っ、っっ!」

 

 思わず、シェルビー達が息を呑んだ。

 別の意味で、ナツメも。

 

「じゃあ! やっぱり! アレンさんは生きて……! それも、シーハーツにいらっしゃるということなんですね!?」

 

「ああ。状況的にはお前と似たようなもの……。戦争を早いとこ終わらせて、墜落した小型艇の代わりを探そうって算段だろうよ」

 

「じゃあ! シーハーツに行けば会えるんですね!?」

 

 表情を輝かせながら、問いかけるナツメに、アルフはしかし、首を横に振った。

 ちらりと、漆黒の連中を見渡して顎でナツメをしゃくる。

 

「お前には、こいつ等の面倒見なきゃいけない理由があるだろ。一度契約しちまった以上、それを違えれば……、無事にこの国から出られる保障はない」

 

 否。

 嘘である。

 アルフは、ナツメの『任務と関係のない場所に連れて行かれた』の発言を受けて、ナツメを信用していない誰かが、ナツメと、恐らくその誰かにとって邪魔になるだろう人員を抹殺するために、別の場所へ連れて行ったのだと読み切っていた。

 ならば、今、この時点でナツメが姿を消すことなど簡単だ。

 だが。

 

(あいつと、アレンと殺り合う、いい機会なんだ)

 

 口端だけで微笑いながら、アルフはナツメを見下ろした。案の定、人を疑うこと――特に自分が信用している人間の言うことを疑わないナツメは、ぎゅ、と口を引き結んで押し黙っている。

 これさえ丸め込めば、後はままである。

 

「じゃ。そういうわけだから、さっさと行こうぜ。お前等の本拠地」

 

「ほぇ? アルフさんも一緒に来るんですか?」

 

「当たり前だろ?」

 

 言ってにやりと嗤う彼に、ナツメは乾いた笑みを返す。

 彼女も、知っているのだ。

 連邦最強の軍人と噂されるアレンと、対等に渡り合えるアルフが、優劣をはっきりさせようと、ことある毎に殺し合いを始めるのを。

 困りましたねぇ、と胸中でつぶやきながら、口をへの字に引き結んだナツメは、肉眼では見える筈がないが、アルフを転送してきたと思われる空の上を、そこに浮かぶだろう戦艦を、じ、と見据えた。

 

(ど~して、ヴィスコム提督は、わざわざ……よりにもよってアルフさんを?)

 

 首を傾げながら、考えてみる。『狂人』と噂されるアルフは、アレンと対を為すほど有能だ。それ故に、各界の要人が公私を問わずアルフを引き抜きにくることは多い。

 率直に言うと、殺人的な仕事量を抱えている、連邦軍の最重要人物だ。

 そんな彼が基地を抜け出て、人を捜索しに来ていることが不思議だった。表向き、生きているかどうかも分からない、アレンを捜すために。

 いろいろと考えていると、久しぶりに再会したアルフが、以前と変わっている所を見つけた。

 

「そう言えばアルフさん。髪、伸びましたね」

 

 思いつきのまま、つぶやくとアルフは自分の前髪を手でつまんで、興味なさそうに言った。

 

「そうか? ……まあ。最近、切る暇なかったし」

 

 ナツメは、はぁ、とため息とも感嘆ともつかない息を吐いた。

 バンデーンにハイダを落とされた後、連邦はアールディオン帝国への警戒を一層強めながらも、バンデーンの対処に当たった。アレンを失った皺寄せは、全てアルフに向かったはずだ。

 平時の時でさえ、労働時間十四時間超。風呂に入って床に就けばすぐ次の日、という過酷な環境で、仕事量にすればオフィーリアの護衛を務めるナツメの数倍、と思われる過密なスケジュールを、特務隊員たちは行っている。

 その特務部隊の中でも優秀といわれるアルフが、ここ数日に受けた任務量は、まさに超人の域に達したことだろう。

 

「……さすがですねぇ。でも、いいんですか? そんな特務の方が、こんな所に来ていて」

 

「俺にとって、アレンのいない世界なんて興味ないから」

 

「なるほどぉ!」

 

 ぽん、と手を叩きながら、ナツメは敢えて合点して話を流した。アルフの顔は、どう見ても冗談を言っている様子だったが詮索したところで真意を話すことはない。

 その思考を読まれたのか、アルフは薄ら笑いを返して、ふと手元の通信機に視線を落としていた。

 画面を、熱源探知モードに切り替えている。

 

「……ナツメ。この先にすごい熱源が密集してるけど、大都市でもあるのか?」

 

「え? カルサアは、それほど大都市では……」

 

 言いながら、ナツメは目を見開いた。慌てて、アルフの通信機に目を落とす。

 熱源は――、カルサア丘陵。

 アーリグリフとシーハーツの国境、最前線だ。

 

「っ、っっ! み、皆さん! 急ぎましょう!」

 

 叫んだナツメは、不思議そうに首を傾げている漆黒達(かれら)に、最前線に人が集まっている事を告げた……。



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phase5 vsアーリグリフ軍
フェイトくん修行編part3 ついに、手に入れました。


 死屍累々。

 その中で、フェイトはただ一人、立っている。

 

 ズバァアア!

 

「ガハッ!」

 

 飛び散る鮮血に、フェイトは思わず空気の塊を吐いた。

 ざざ、と地面を掻いて、踏みとどまる。

 

「ゴフッ……!」

 

 空気だけに納まらず、吐血した。

 それを右腕で拭って、フェイトはニヤリと、アレンを見やる。

 

「ぐ、ぅ……っ。……フッ、どうした? その刀を人に向ける為の特訓の筈だろう?」

 

 対峙する連邦軍人は、衝撃を受けたように目を見開いた。

 

「っ、!」

 

「お前の訓練の成果とは、そんなものか! ――今の一撃。僕じゃなかったら、問答無用で死んでたぞ」

 

「…………くっ!」

 

 フェイトの気迫に、思わずアレンは気圧された。

 その、一瞬の隙。

 フェイトは迷わず上段に剣を振り上げ、踏み込んだ。

 

「ぬぁああああっ!」

 

「破っ!」

 

 

 斬っ!

 

 油断なく――相変わらず、小憎いほどにちゃっかりと、抜刀術で答えるアレン。

 

「……全っ然だな」

 

 ぶしゅぅううっっっ、と、フェイトの腹から鮮血が、勢い良く抜けて行く。

 既に失血で膝が緩み、気を抜けば今にも倒れそうだった。

 しかし、彼は倒れない。

 

 ――この悪魔にだけは弱みは見せてはならない。

 

 彼は本能で、それを察しているのだ。

 

「くっ……! どうしても、どうしても……兼定の、この刀の可能性を、見たくなってしまう……! それではダメだと分かっているのに……! っっ、くっ!」

 

 刀を握り締めながら、歯痒そうにアレン。

 フェイトはそれを見据え、眉間にしわを寄せた。

 

「未熟者がぁっ! 以前、僕に言ったよな? 信念を貫きたければ、それに見合う実力を備えろと」

 

 ざ、とフェイトは前に出る。

 アレンは息を呑み、兼定を構えた。

 

「その刀を人に向ける。自分の言った言葉さえ達成できないとは、無様だな!」

 

「っ! ……フェイト……!」

 

「言っておくが、僕はお前なんかに負ける気はないぞ……。二度も三度も四度も五度も、負けてたまるかぁっっ! いい加減、僕の命も限界だぁあ!」

 

 フェイトは既に限界を超えた所にあった。

 血走った目が、本能的に構えられた剣が、彼の生存本能の現れである。

 

「ここいらでお前を倒しておかないとぉおおお! 命がいくつあっても足りないんだよォおおおお!」

 

「だからそれまでに、俺が兼定の使い方を覚えて見せる!」

 

「その前に僕等が死ぬわぁあああああ!」

 

「くっ……! 話し合いは平行線か……。ならば、行くぞ! フェイト!」

 

「来やがれ悪魔ぁあああ! 僕の(タマ)を取ってみろぉおおお!」

 

 

 

 ――今日も、修行は続くのである。

 

 

「全っっ然だなぁああ!」

 

「くそぉおおおお!」

 

 

「兄ちゃん達……実は仲良いだろ?」

 

(バカヤロッ! 話しかけるなっ!)

 

(今はタヌキ寝入りしときな! フェイトの犠牲を無駄にするんじゃないよ!)

 

(ゴメンよ……フェイト兄ちゃん)

 

 

「未熟者がぁあああああ!」

 

「俺は兼定を使いこなしてみせるっっ!」

 

 

 

 

 

 こうして、フェイトは『対兼定戦 GUTS発動率100%』スキルを手に入れた。



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33.交渉

 アリアスの台地を奪い返したことで、物資も兵の士気も増したアリアスは、ちょっとした活気を取り戻し始めていた。

 

「それじゃ、私達もそろそろ行くよ」

 

 その少しではあるが、笑顔の増えた村を嬉しそうに眺めて、ネルは後ろを振り返る。

 南西の門。カルサアに続くアイレの丘――カルサア丘陵への最前線基地として、シーハーツ兵が最も多く通る門を前にしてのことだ。

 顔を合わせたクレアは、相変わらず心配そうな表情を浮かべていた。

 

「ええ……。十分、気をつけて」

 

「あんたもね」

 

 言いながら、クレアに向けて微笑む。

 これからネル達が向かうのは、二日前アレンが先に向かったカルサアより手前の、アーリグリフとの国境だ。殿(しんがり)をクレアに任せ、アレンが戻ってくるまで、ネル達は前線を出来るだけカルサア寄りに侵攻させておくことが目標となっている。

 情報戦、と。

 アレンが言い切った作戦に、フェイト達は起爆剤として敵地を乗り込むのである。

 クレアに見送られながら南西の門から村を出たフェイトは、カルサア丘陵に着く手前で、ぽつりとつぶやいた。

 

「さて。アレンの作戦、巧く行くかな……」

 

 ボイドと名乗る鍛冶師と出逢った後日。

 アレンは改めて、自身が言った『情報戦』の中身を明かした。

 

 

 

 ――三日前。

 

「ネルが指揮する封魔師団『闇』は、アーリグリフ方面の情報収集が主な任務だったな」

 

「ああ」

 

「なら、その人員すべてを使って噂を流してくれ」

 

「――噂?」

 

 突拍子も無いことを言い始めたアレンを、ネルは不思議そうに見返した。上座に座ったクレアがいつも通り、両指を組みながら聞いている。

 その二人の反応を探るように見比べて、アレンは続けた。

 

「『アーリグリフが戦況不利である』という噂だ。それをカルサア市民、いや、出来ればアーリグリフ王都まで広めてほしい」

 

「分かった。……それで? 他に、私達は何をすればいいんだい?」

 

「他には特に何もない。噂を広めるだけでいいんだ。それだけやってもらえれば十分、俺の手が届く」

 

「封魔師団すべてを使って、噂を広めるだけだって?」

 

 思わず不信に目を細めるネルに、アレンは頷いた。上座のクレアが、じっとこちらを睨み据えた。

 

「その程度で戦力を削げるほど、アーリグリフは甘くありませんよ」

 

 クレアの傍らに座ったネルも、クレアに賛同するように、合点の行かない表情でアレンを見る。腕を組んで座ったネルと、両肘をついて指を組んでいるクレア。両者ともにアレンの真意をはかりかねているのだ。

 それは傍聴していたフェイトにも、クリフにも言えることだった。

 

「問題ない。今回俺が噂を流してほしい真意は、戦力を削ぐためではなく、相手の戦意を削ぐためだ」

 

「どういう意味だい?」

 

「俺は――……、アーリグリフとの和平の道を拓く」

 

「!?」

 

 誰もがアレンを振り返った。一様に、彼の顔色を確認するように。

 中でも反応が顕著だったのは、クレアとネルだ。目を見開くネルの傍らで、クレアも柄にもなく、がたん、と音を立てて、血の気を失った顔で椅子から立ち上がった。

 

「何を言っているの!? もう、そんな段階ではないのよ!?」

 

 思わず早口になった。

 慌てているのは、アレンの勘違いがここまで深刻だとは思わなかったからだろう。あるいはカルサア修練場での人質奪還、アリアスの台地奪還に一役買った彼を、どこかで信頼したのかもしれない。

 フェイトが複雑な視線をアレンに送る。だがアレンは、ただ真っ直ぐにクレアを見据えていた。いつも通り冷静な面持ちで。

 

「だからこそ準備(・・)が必要なんだ。ついこの間、シーハーツ軍に入ったばかりの俺が、カルサアでウォルター伯と交渉するにしても、アーリグリフにとっても(えき)にならなければ、さほど力を伴わない。アーリグリフ(むこう)に面が割れていて、なおかつシーハーツ国内で絶大な権力を握っているラッセル執政官あたりにお任せするのがベストなんだが、わざわざシランドから呼び寄せるわけにもいかない上、他の二軍、漆黒や疾風のことを考えると、いま女王陛下のもとを離れるのは得策じゃないしな」

 

 アレンはそこで、とん、と組んだ指をテーブルに置いた。

 

「だからこの穴を埋めるために、俺はクリムゾンセイバーの名を使う。アーリグリフにはまだ通っていない名でも、国内(シーハーツ)での特権は女王陛下に約束されている」

 

「……!」

 

 ふと、ネルが目を見開いた。何かに気付いたのだろう。放心した様子で口元に手を当てた彼女は、探るようにアレンを見る。その彼女に一瞥だけを送って、クレアを見据えたアレンは、静かに言った。

 

「……既に、この件は女王陛下の許可を頂いている」

 

 そう。

 シランドで、城の見回りをしていたネルがアレンを見つけた場所は――白露の庭園だった。女王陛下の私室に、謁見の間に最も近い場所だ。

 

「……!」

 

 謁見していたのだ。

 

 ネルやラッセル、アドレーに、果てはフェイトとクリフを置いてまで、女王ロメリアと二度目の謁見を。

 会議室を包む空気が、急変する。沈み込むような緊張が張り詰めた。

 当然だ。女王の勅命とあらば、アレンの発言は、その根本から意味を変える。その彼等の、寝首をかかれたような反応を確かめるように、アレンはネルに、否、フェイトやクリフ、ロジャーにも向けて話を続けた。

 

「ネル達には、アリアスの戦力増強を図って貰いたい。ラッセル執政官は敵の疲弊を待つ長期戦を企てているようだが、持久戦をしかければこの村の負担が増える。無理はしなくていいが、出来るだけがんばって欲しい」

 

 そう言って、アレンは話を括った。

 

 

 

 あの時の会議室の一件を思い出して、クリフはやれやれと肩をすくめた。

 

「こっちのチームリーダーは一応、クリムゾンセイバーってことでお前(フェイト)に決まったわけだが。わからねぇことがありゃ、俺なりネルなりにすぐに相談しろよ。……ま。本気かどうかは知らねぇが、アレンが和平を望んでるんなら、俺達が前線に出なきゃ間違いなくシーハーツ兵は、相手を殺すだろうしな」

 

「……分かってる」

 

 つぶやいて、フェイトは顔を俯かせる。

 作戦自体の心配ではない。それも含まれているが、フェイトの横顔を見据てクリフは息を吐いた。常識で考えて無謀なアレンの作戦に、フェイトの葛藤は当然に思えたのだ。

 

(僕は……、どうしたらいい――?)

 

 フェイトはブロードソードを握りしめる。

 

(あいつはまったく加減も知らない悪魔だ……。けど、あいつがやってることに対して、僕は――何らかの形で答えなくていいのか?)

 

 考え込むフェイトを横目見ながら、クリフはフッと笑った。ばんっ、とフェイトの背を叩いてやる。

 

「アレンのこたぁ、心配しても仕方ねぇ。それにああ見えてちゃっかりしてやがるからな。早々ヘマもしねぇだろ。……どうしてもってんなら、たまにクォッドスキャナで通信でも入れてやればいいしな」

 

「……ああ」

 

 フェイトは思考を止めると、小さく肩をすくめた。クリフが、よし、と頷く。後ろを振り返れば、ネル、ロジャーの他に、今回、補強要員として抜擢されたタイネーブ、ファリンの姿も見受けられた。

 

「話は済んだかい?」

 

「ええ」

 

 様子を窺うような顔で、ネルが問うてくる。

 これから戦争の、最前線に入るのだ。最早アーリグリフ軍の一般兵は敵ではないといえ、おしゃべりはここまでだ。

 フェイトは息を吐いて、それから一同を見渡した。

 

「それじゃ、行きましょう」

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 アーリグリフ本土防衛軍、風雷。

 穏やかなカルサアの町並みに、溶け込むようにして配備されている兵達を見据えて、アレンは己を守る唯一の武器、剛刀『兼定』を右手で握り締めた。鞘を右手で持つと言う事は、刀をすぐ抜けないと言う事だ。非戦闘の意志を表す連邦の(ふる)いしきたりだった。

 

「カルサア領主、……いや、風雷団長ウォルター伯爵にお取次ぎ願いたい」

 

「……何?」

 

 カルサアに入る門前で、二人の番兵は怪訝な表情でアレンを振り返る。その彼等に、アレンは懐から書状を取り出した。

 

 シーハーツ王家の紋が入った、ロメリアからの書状だ。

 

「なっ!」

 

 思わず目を見開く二人の番兵。怯むような、驚いた彼等の反応を受けて、アレンは構わず続けた。

 

「私はシーハート二十七世の使者として来ている。至急、お取次ぎを」

 

「す、少し待て!」

 

 番兵が慌てて町の奥に消えて行った。恐らく新米兵だろう。落ち着きの無い彼の背を見送って、アレンは静かに眼を閉じる。

 カルサアは完全な無防備というわけでなく、町の外に配備された風雷兵に、アレンの動向は監視されている。敵意と疑惑を入り混ぜたような、複雑な視線を一身に受けていると、他の兵に旨を報せた番兵が、早々にアレンの許へ戻ってきた。

 ぞろぞろと。

 番兵の上官らしき兵を先頭に、町から二十人ほど風雷兵を引き連れて。

 町の外の人数と合わせれば、大体五十人ぐらいの数に膨れ上がるだろう。――真剣に戦闘を始めれば、更にその数倍に兵の数が増えるだろうか。

 

(……さすがだな)

 

 不審人物の、いや、確実に『敵』と断定できるアレン一人を相手に、この兵の召集力は戦況の、ひいては風雷という部隊の余裕を窺わせる。

 全体の兵数をアレンが知っているわけではないが、シーハーツ軍が押される理由は、個々人の戦闘力だけでなく、こういった統率力にも起因するのだろう。

 

「シーハーツの使者、というのはお前か?」

 

 問いかけてきたのは、壮年の風雷兵だった。いかにも貫禄を感じさせるこの男は、上から下まで、アレンを検めるように睨み据えて、視線をアレンの目の高さでぴたりと止めた。

 

「はい」

 

 壮年の風雷兵は、訝しがるような眼差しのまま、続けた。

 

「このような時期に使者とは。……貴殿は、すでにシーハーツのスパイが一度捕まった事件をご存知かな?」

 

「そのことも含めて、話させて頂く所存です」

 

「失礼だが、名は?」

 

「アレン・ガード。と、申します」

 

「アレン?」

 

 聞いたことのないシーハーツ兵の名前に、壮年の兵は首を傾げる。瞳はそれ以上に深い、疑惑の色を宿した。

 

「近頃のシーハーツは、無名に使者を?」

 

「現状を思えば、我等シーハーツの使者が殺される可能性は考えないわけではありません。ですが……女王陛下の意思をお伝えするには、私が最も適任と思い、志願させて頂きました」

 

 言いながら、アレンは壮年の兵を観察した。恐らく、アーリグリフにいるであろう彼女――アレンの知り合いが、アレンの名を口にした確率は大いに高い。

 だが。

 アレンはそこで微かに視線を落とす。

 

「……………………」

 

 対峙した風雷兵が、無言のままアレンを見据えて――すらりと腰の剣を引き抜いた。

 

「……退け。町中で民に血を見せたくはない」

 

 穏やかな口調だが、瞳だけは異様に冷えている。このままアレンが首を横に振れば、警告はしているものの風雷兵は剣を振り下ろすだろう。確信したアレンは、彼の言葉に応じなかった。

 

「返答次第では?」

 

「否。お前のような不穏分子を閣下にお会いさせるわけにはいかん。選択の余地など、最初(はじめ)からないのだ! 即刻、立ち去れぃ!」

 

「その要請には遺憾ながらお応えできない。こちらも、任務ですので」

 

 威圧を込めて怒鳴る兵を、アレンは静かに睨み返した。歳の割りに堂々とした態度だ。それに一瞬、息を呑んだ兵は、すぐに表情を引き締めると、瞳に怒りの色をたぎらせて、言い放った。

 

「愚かな。ならば、死ぬがよい!」

 

 引き抜かれた剣が、天に向かって掲げられる。

 

「者ども! こやつの首を斬って、シーハーツに送り返せ!」

 

「ぉおおおお!」

 

 途端、アレンを囲んでいた風雷兵が一斉に動き始めた。

 剣を、槍を掲げる彼等をざっと見渡す。最初の予想通り、敵兵は五十。時間経過でこれより数は増えるだろうが、問題ない。

 『兼定』を、今だ右手で掴んだまま。アレンは拳を握りこんだ……。



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34.vsデメトリオ

 アレンの言う『事前準備』には、戦線を少しでもシーハーツ側に押し返す、というものがある。

 フェイト達はその日、両国間を結ぶアイレの丘――カルサア丘陵の至るところにある入り組んだ峡谷のひとつにいた。広大な丘の地形と違い、深く奥まっているこれらの場所は、伏兵を置くには見晴らしが悪く、行軍するにも足場の悪い、そんな通常の戦では用いられない辺鄙な所だ。しかし、負傷兵が身を隠すのには適していた。

 戦場投入されたときの施術兵器設置所として、いま、ここが注目されているのだ。

 

「まさか、こんな所にまで出向いてたとはね……」

 

「……酷い……」

 

 ネルが険しい表情でつぶやいたのを皮切りに、皆は辺りを見渡した。

 累々と。

 髑髏曝首(しゃれこうべ)になった人骨。ざっと数えただけで、十数人分だ。折り重なるように、誰の目にもつかない場所でひっそりと死んでいた。

 最早、死肉喰らいの禿鷹(とり)すら飛んでいない。

 そんな寂れた死の区域。

 装備はアーリグリフのものもあったが、大抵はシーハーツ兵のものだ。ここで争った形跡はなく、負傷したあと連れ帰られることもなく、戦闘が終わるまで身を潜めていたのかもしれない。

 

「――誰だっ!?」

 

 鋭い一喝と同時、フェイトは岩陰の向こうを睨んだ。後ろで、ロジャーとファリンに緊張が走る。残りはフェイトと同時か、それより先に気付いていたようだ。

 臨戦態勢のクリフが、にやりと唇を広げた。

 

「ざっと三十ってとこか……。んな数で俺達を仕留めようなんざ、良い度胸だぜ!」

 

 アーリグリフ一般兵が大挙しているのが見えた。フェイト達の左右は崖がそびえており、偶然にも、アーリグリフ軍と衝突しても道幅の狭い地形を陣取れている。

 クリフは、三十と言った。

 だが。

 

「どう見たって、百はいるだろ!?」

 

「おい! デカブツ! でたらめ言ってんじゃねぇぞぉ!」

 

 フェイトが叫ぶや下からもロジャーが追撃の抗議の声を上げた。うるせぇ、と返すクリフが空を見上げている。

 視線を追ったネルが、はっと目を見開いた。

 

(疾風!? ――そうか! そういうことか!)

 

 一瞥すれば、クリフがこくりと頷き返してくる。

 三十。

 空を飛んでいる疾風の数だ。今はほかの岩陰に隠れている。だが、耳を澄ませば微かに竜の羽音が聞こえてくる。クリフは逸早く察したのだ。

 

「ともかく、やるしかなさそうだね! 行くよ、アンタ達! 遅れるんじゃないよ!」

 

「任せてくれよ! お姉さまっ!」

 

「はん! こんな奴等じゃウォーミングアップにもなんねぇぜ!」

 

「行くぞ!」

 

 ネルに威勢よく答える一同に、フェイトが合図を送る。同時、クリフが上空に飛び、ロジャーがヘルメットを駆使した体当たり――ラストディッチを放って、戦いの火蓋を切って落とした。

 タイネーブが棍棒を構える。彼女の身長と同じ長さの、使い込まれた棍だ。

 ファリンは慌てて施術を唱え始めた。

 その二人の間を、ネルが駆ける。上空に飛んだクリフが、エリアルレイドの気を纏って、地上の兵に襲い掛かった。

 

 どぉおおおんっっ!

 

 土埃が舞う。ラストディッチで先制を取られたアーリグリフ兵が停滞し、エリアルレイドの直撃を食らっている。全体の規模は、土埃で掴めない。だが、人の気配を読むことを覚えたフェイトは、土煙が晴れる前に、ヴァーティカルエアレイドを残りの兵に叩き込んだ。

 

「これで、どうだ!」

 

「ぐぁああっ!」

 

 兵達が悲鳴を上げながら、宙を舞う。今、フェイトが持っているブロードソードには殺傷力がほとんどない。一撃一撃に渾身の力を込めて、技を放つしかないのだ。

 案の定、ロジャーのラストディッチ、クリフのエリアルレイドを喰らった兵は、立ち上がらない。

 一方で

 

「ぐぅうううッ!」

 

 フェイトのヴァーティカルエアレイドを喰らった兵達だけが、呻きながらも剣を振り上げてきた。その残党を薙ぎ払うようにネルの黒鷹旋が走る。タイネーブが、黒鷹旋の軌道に合わせて突っ込んでいく。

 

「はぁあああっ!」

 

 ファリンの施術、エクスプロージョンが、後方の兵を狙う。

 さすがのネル、タイネーブ、ファリンのコンビネーションに、力強いものを感じながら、フェイトもまたブロードソードを握り締めた。

 

(――やっぱりこの剣で、真っ向から斬り合うのは無理か)

 

 気を斬撃にのせようにも剣で滞留してしまう感覚があるのだ。それが技の弱体化に繋がっている。

 あまり得意ではない紋章術も、積極的に使ってみるしかなさそうだ。

 思考していた、そのとき。

 

「ほぅ? 話には聞いていたが、まさかこれほどとはな……」

 

「!?」

 

 羽音が聞こえた。空を駆り、風を切る力強い羽音だ。

 それに紛れて、くく、という哂い声の後、男が降ってきた。クリフ、ネルを除く皆が、目を見開く。

 

「お前は!?」

 

 フェイトは声の主を見た。

 陽光に映える、なめらかな暗色の肌。空に佇むことを許された巨大な両翼に、攻撃的な鋭い顔。時折見える、ぞろりと伸びた凶暴な牙が、アーリグリフが誇る最強の獣の威厳を、その危険な存在感を否が応にも見る者に感じさせる。その獰猛な獣の上に、男は甲冑を着て騎乗していた。

 

「……疾風……!」

 

 初めて見たわけではない。だが、初めて戦うことになる空の敵を前に、フェイトは身構えた。リーチ差が一番のネックになりそうな相手だ。対峙するだけで相応の圧力(プレッシャー)を受けている。それが竜からか、それとも騎乗している疾風兵のものなのかは分からない。

 ただ。

 どちらも一般兵や漆黒とは、レベルが違う。肌でそう感じた。

 

「まさか本当にクリムゾンブレイドが二人、前線に出てくるとはな……! 今開発しているという新型兵器とやらの、時間稼ぎのつもりか?」

 

 意外に、声の高い男だった。

 疾風の甲冑に身を包んだ男は、おのれこそがこの場を支配する者と信じて疑っていない。人を見下す態度が板についている。

 後ろでファリンとタイネーブが顔を見合わせた。ついで、ば、とネルを振り返る。振り返った先のネルは、どこか覚悟したような、強張った表情をしていた。

 

「なぜ兵器のことを知ってる? アンタ達がここに現れたのも偶然じゃない、ってことだね」

 

 シーハーツ軍のなかでも施術兵器の存在は極秘機密だった。今日の下見は、兵器設置場所を前線の様子を見るついでに確かめることにある。こんな辺鄙な場所に、アーリグリフの兵士がこれだけ集まっているのが異常なのだ。

 緊張で声音を落として問い詰めるネルに、疾風兵――副団長、デメトリオは薄ら笑いを浮かべた。

 

「あまり見くびってくれるなよ。それくらいの情報、とっくに入手している。隠密行動はお前達の専売特許ではないのだ」

 

「……っ!」

 

「大体、施術兵器だかなんだか知らんが、そんなものがあったとて、お前達に万に一つも勝ち目などない。無駄なあがきはやめることだ。所詮、弱者は強者には適わないのだからな!」

 

「……弱者、か。言ってくれる」

 

 微かに笑ったネルの語調が更に落ちる。短刀を握りこむ彼女を、デメトリオは、ははっ、と高笑うと、視線を、いつでも戦闘に入れるよう構えているフェイトとクリフに向けた。

 

「そこの二人、フェイトとクリフと言ったか。お前達はなかなか見所がある。今からでも遅くはない。我等の仲間になれ。……もし拒否するのであれば、今ここで死ぬことになるぞ」

 

「けっ、誰がお前らの仲間になるかよ。冗談じゃねぇ」

 

「ああ。悪いが、僕にはお前なんかに足踏みしてる時間も、余裕もないんでね」

 

「もう少し利口だと思ったがな。残念だ」

 

 デメトリオは抑揚をなくし、神経質そうな早口で告げたあと手を挙げた。途端。三十近い疾風兵が岩陰から姿を現す。

 逃さぬように、

 竜の巨体が、空を翳らせる。

 

「かこまれてますぅ!」

 

 ファリンが悲痛な声で叫ぶ。フェイトはざっとネル、クリフ、ロジャーを見渡した。

 まだアーリグリフ一般兵も残っている。

 ならば。

 

「行くぞ! 皆!」

 

「おうっ!」

 

 予想通り、この三人に迷いはない。それを心強く感じながら、フェイトはおろおろしているファリンと、表情が険しいタイネーブに向かって言った。

 

「二人はネルさんの援護を! クリフ! ロジャー! 僕らは前衛だ! 行くぞ!」

 

「合点だ!」

 

「任せとけ!」

 

 フェイトは上体を低くして敵に突っ込む。前傾姿勢からの突き。このブロードソードは切れ味こそ無いものの、頑丈な武器だ。突き、という技の特性上、剣の切れ味は関係ない。

 踏み込み音が、盛大に弾ける。フェイトの突きが竜に迫る。

 

「甘いっ!」

 

 デメトリオが空に旋回するほうが速かった。に、と微笑ったフェイトは、続くクリフが、デメトリオの更に上から、マイトハンマーを叩きつけるのを見た。

 

「叩き潰すぜ!」

 

「何っ!?」

 

 フェイトに気を取られ、空に上がったデメトリオが顔を引きつらせる。同時、クリフの闘気が、両腕からオーバースローイングで地面に叩きつけられた。

 

「マイトハンマー!」

 

 ゴゴォンッ!

 

「ぐわぁっ!」

 

 悲鳴を上げながらデメトリオと、竜の巨体が地面に落ちる。

 

「アイシクル・エッジ」

 

 フェイトはブロードソードに氷を宿す。飛竜は紋章耐性が高いと聞いている。

 ならば、狙いは一つ。

 素早くフェイトが踏み込む。デメトリオはどうにか体勢を立て直そうと、竜の手綱を引く。息を呑むデメトリオ。空には逃げられない。デメトリオの剣を握る手に、力がこもる。

 

「せぃやぁあああああっ!」

 

 デメトリオは裂帛の気合と同時、剣を振って迎え打った。が。振り抜くフェイトの方が速い。紋章剣に甲冑の防御性の弱い足を斬られ、デメトリオは苦痛に顔を歪めながら、フェイトを睨み据えた。

 

「く、そぉおおおお……!」

 

「終わりだ!」

 

 その彼に、フェイトは叫ぶと同時、ヴァーティカルエアレイドを叩き込む。上下、二段に吹き荒れる剣風の衝撃波は、威力こそ落ちたものの、フェイトの経験に応じて、着実にその攻撃範囲を広げていた。

 

 ドゴォオオオンンッッ!

 

 竜を、デメトリオごと、まるまる包み込めるほど。

 回避不能と悟ったデメトリオが、衝撃波に包まれる一瞬、引きつった声で叫んだ。

 

「ぐ、おっ!? ば、馬鹿な!? こんな……っ!」

 

 竜の巨体が地面に横倒しになる。空中できりもみ回転したデメトリオは、手綱を操る間もなく崖に背を打って、そのまま戦闘不能になった。

 

「な、……っ!」

 

 見守るタイネーブとファリンが、呆然と周囲を見る。目の前の事象が、理解できない。

 

「……ば、かなっ! あの……、疾風の副団長を、こんな短時間で?」

 

 言う間にも、返す刃でフェイトが別の疾風兵にブレードリアクターを放っている。その剣線からちらりと僅かに炎のようなモノが散っていた。紋章術と気功術は本来、発生形態が著しく異なるため、その二つを同時に駆使することはできない。

 

 だが、フェイトの、実戦で研ぎ澄まされる鋭い感覚が、ブロードソードに滞留した気のなかに、紋章術を重ねがける術を、徐々に、徐々に覚え込ませている。

 凝縮された青白い闘気が剣線から走る。一振りで疾風兵を二、三人弾き飛ばしながらも、武器の非力さを悟らせないために、フェイトは敢えて大きく動く。自然、使う技も派手なものが多くなった。

 その穴を、フェイトの大振りをフォローするように動いているのは、クリフだ。

 

「ヴァーティカルエアレイド!」

 

 奔る初撃の、地上から走る衝撃波で、疾風、一般兵を問わず、四、五人の身体が一気に巻き上がる。ついで叩き下ろす二撃目の後、大振りになっている所為でフェイトはまるきりがら空きになる。そこを横から現れたクリフが、フェイトが相手取っていた敵を奪い取るように、カーレントナックルを始めとした拳蹴打で応戦している。

 背を預けあう、というより、戦場全体が視界に入っているのだろう。

 クリフが自分のフォローに回っていることに感づいているフェイトは、ある一定以上、クリフから離れない。

 付かず、離れず。

 それが無言のままに二人の間に出来た、連携だった。

 

「……勝てる……!」

 

 デメトリオが倒れた今、そうそうタイネーブの相手になる敵は残っていない。とはいえ、三桁近い兵数だ。数で攻められれば、覚悟を決めなければならないと思っていた。

 だが。

 

「ヒートウィップ!」

 

 ひゅっ!

 

 風切音を立てて、小柄な身体の下から鞭が放たれる。それはファリンの詠唱を妨害しようとした兵の身体を絡め取り、ロジャーが鞭を引くと同時、凄まじい勢いで兵の身体を回転させた。

 

「ぐぁあああっ!」

 

 悲鳴を上げているのは、何もその回転の所為ではない。

 ヒートウィップ。その名の通り、熱線を鞭に引いた電磁ウィップの高熱の所為だ。

 

「あ、ありがとうございますぅ!」

 

「へへっ! 気にすんなって♪」

 

 けたけたと笑いながら、ロジャーは上機嫌に鞭を、斧を、そして自身の身体を振り回す。一体、どこにそんな力が隠されているのか知らないが、彼の立てる斧の破壊音や、爆弾は、聞いていて目を疑うほど、凄まじい轟音を立てていた。

 だが何も、そんな彼に隙がないわけではない。

 

「黒鷹旋!」

 

 ロジャーの斧を振り上げる時の致命的な動作を、ネルがフォローしているのだ。そしてクリフと同様に、ネルはフォローに回りながらも、しっかりと自分の周りの敵を掃討していく。

 

「鏡面刹!」

 

 そのあまりにも鮮やかな手並みは、タイネーブの知らないネルだった。こと肉弾戦においては、決して引けを取らなかったタイネーブの実力をもはるかに凌いでいる。

 

「……っ!」

 

 それらを視界の端に置きながら、タイネーブが苦しげに歯を噛みしめる。今は集中。

 出来なければ、死だ。

 一つ呼吸して、彼女は思考を振り払った。

 

「はぁああっ!」

 

 吼えて、裂帛の気合で棍棒を振るう。こんなにも昂揚させられる戦場は初めてだった。

 

 ――……そうして間もなく、タイネーブたちは奇跡的な勝利を手にした。

 延べ百五十近いアーリグリフ兵を、たった十人足らずで撃退するという奇跡的な大勝利を。

 ほんのわずかな、時間(とき)とはいえ。



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35.vsアルベル

 ふぅ、とフェイトは息を吐いた。

 足許で倒れている百五十人近い兵を相手取り、少し疲れただけではない。新たな敵と対峙する、いわば区切りのためだった。

 

「何やら面白いことをしていると思って来てみれば……、お前達が関係しているとはな。遊びに来て正解だったようだ」

 

 そう言って哂う男は、特徴的だった。哂い声よりも雰囲気が。

 フェイトは剣を強く握る。半身を切って睨めば、堂々と、傲岸不遜な笑みを浮かべて、男がそこに立っている。

 修練場で出逢った、最強の漆黒兵。

 

「アルベル!」

 

 フェイトは反射的に構える。後ろで、クリフがゆっくりと息を吐いたのが聞こえた。

 緊張。

 楽勝だった前線の空気が、一気に重苦しい沈黙を運び込む。神妙に押し黙ったフェイト達を見渡して、アルベルは悠然と、左手の鉄爪(ガントレット)をカシャリと鳴らした。

 

「残念だったな。お前達の活躍も、どうやらここまでのようだ」

 

「そいつぁどうかな? ……そういや、テメェには舐められっぱなしだったからな! おい、フェイト! 他の連中を頼むぜ」

 

「……クリフ!」

 

 ガントレットを叩きつけるクリフを睨む。が。視線だけをこちらにやったクリフは、悪びれた様子なく、続けた。

 

「言っとくが、こいつだけは譲らねぇぜ。ネル。お前にも、だ」

 

 顎でネルをしゃくりながら牽制するクリフを、しかし、ネルは許さなかった。

 いつもより語調を抑えて、慎重に、彼女は相手との間合いを測る。

 

「悪いけど、それは承諾できない。……相手は、あの漆黒のアルベル・ノックスなんだ。舐めてかかっちゃこちらが痛い目を見る」

 

「へっ! 言ってろ! ……つぅか、俺を信じろよ」

 

「信じてないわけじゃ……っ!」

 

 言いかけて、ネルは噤んだ。横目でフェイトを伺うと、フェイトは、しばらく黙ったあと、首を横に振った。

 相手があまりにも悪すぎる――と、ネルは思った。多くの仲間を死に追いやったアルベル・ノックスの存在はあまりに危険だ――。

 もどかしい思いでアルベルを睨むと、アルベルは悠然と、しかし、一切の隙がない立ち振る舞いで哂った。

 

「ほぅ? お前が俺の相手を? ……それは楽しみだ。ま、精々がんばってくれ」

 

「ほざけ!」

 

 クリフが叫ぶと同時、踏み込む。後方支援のファリンが、ぎょっと目を見開いた。

 

「ね、ネル様ぁ~! あれ、見てください~」

 

 ファリンにしては尋常でない慌てぶりに、ネルはファリンの視線の先を鋭く追う。そこには、アルベルが連れてきたと思われる漆黒兵が、ずらりと並んでいた。崖で狭くなる通路を塞ぐように、こちらに向かって進軍しながら。

 

「ちぃっ!」

 

 これでは、本格的にクリフの支援をしてやれなくなる。ネルは思わず舌打ちする。

 フェイトが言った。

 

「ネルさん! ロジャー! タイネーブさん、ファリンさん! あの漆黒兵達(あいつら)、頼みます!」

 

「……あんた!」

 

「僕はクリフの援護を! どうせ、この剣じゃ大したことは出来ませんから」

 

 ニッと微笑うフェイトを、ネルは数瞬だけ見据えて、頷いた。その時、胸中を過ぎった諸々の感情を、ネルはどうにかして押さえ込んだ。

 

「お姉さま?」

 

「行くよ、ロジャー」

 

 ネルの微妙な心境に気付いたのか、気遣わしげな視線を送ってくるロジャーに、ネルは静かに微笑った。

 

「フェイト! アンタ無茶すんじゃないよ!」

 

「ネルさんも。……それじゃ!」

 

 彼は力強く、笑っていた。ネルも深く頷く。

 

「ああ! クリフを頼んだよ!」

 

 ネルは短刀を握りこむ。施力を集め――白く奔る光線、雷煌破を敵陣に叩き込む。と、驚いたようにファリンとタイネーブが顔を見合わせた。

 

(速い――!?)

 

 ネルが施力を溜めてから放つまで、その時間が明らかに短くなっている。二人が知っているタイミングから考えれば、わずか半分ほどだ。さらに威力まで一直線上の漆黒をすべて吹き飛ばす。強大だ。以前の――と言っても精々二週間ほど前の――技と比べて、施力の凝縮量が異常である。

 

(……馬鹿な! この方は、どれほど強くなられるというんだ……!)

 

 この、短期間で。

 思わず、息を呑むタイネーブは、自然、棍を強く握りこんだ。気を取り直して漆黒と対峙すると、数人相手ならば引けをとらないタイネーブでも、あまりの数に押されそうになる。

 

「はぁっ!」

 

 タイネーブは棍棒を薙ぎ払って、一人目を後退させた後、次ぐ、ファリンの詠唱を妨害する兵に、突きを放つ。が、一撃では仕留めきれず、更に上段から棍棒を振り下ろして、相手の肩と、首の付け根に棍棒を打ち当てると、詠唱を終えたファリンが、並み居る漆黒兵に、炎の範囲施術を放った。

 

「エクスプロージョン!」

 

 タイネーブも、四人までなら何とかさばける。

 だが。

 

「ぉおおおおおおっっ!」

 

 雄叫びを上げて、エクスプロージョンの炎に臆する事無く突っ込んでくる漆黒兵は、四人などという良心的な数ではない。仲間がやられる、という前提の戦い方だ。捨て身の戦法に、タイネーブは顔を歪めた。

 

「仲間を盾にしてまで……!」

 

 数の上で圧倒的に勝っているアーリグリフならではの戦法だった。

 先ほどまで考えずに済んだ状況的、圧倒的不利の現実が、タイネーブにのしかかる。

 

「このままじゃ~、まずいですよぅ!」

 

 同じことを考えていたのか、ファリンも、いつにも増して投げやりだった。

 そこをファリンとタイネーブを囲むように押し寄せる漆黒を、一陣の風が、赤い髪をなびかせた彼女が、颯爽と駆け抜ける。

 漆黒の鎧と、銀の刃が視界を埋め尽くす、絶望的な戦場の中で。

 

 唯一、目を引くネルの赤髪が。

 

「鏡面刹!」

 

 雷煌破と見紛うばかりの、壮絶な雷を纏わせて、ネルの体が嵐のように、アーリグリフ兵を吹き飛ばす。一閃の度に、二、三人。ついで、

 

「ファリン! 施術を! タイネーブ! 私についてきな!」

 

 ざっと二、三十の兵を払い上げながら、ネルが鋭く、檄を飛ばす。

 

「は、はい!」

 

「わかりましたぁ!」

 

 それに叱咤されながら、改めてタイネーブは棍を握る。

 泣言を言っている時間は、無いのだ。

 

 

 ――一方。

 

 

「衝裂破!」

 

 横薙ぎに走る剣風を、フェイトはブロードソードで受け止め、クリフがバックステップで距離を取る。瞬間。重い衝撃がフェイトの両腕に落ちた。

 

「っ!」

 

 衝撃に逆らうように踏み込んだフェイトは、衝裂破の威力を無視して、アルベルとの間合いを詰める。

 殺しきれなかったアルベルの剣風が、フェイトの肉を切る。

 

「はぁっ!」

 

 ブロードソードをやや斜に構えて、体当たりに近い突きを放った。衝裂破後、完全に身体が開き切っているアルベルの体勢では躱せない。

 ――とった!

 フェイトは確信する。瞬間、アルベルは流水のように自然な動きで刀を返し、フェイトの突きを弾いた。力も何もいれず、そ、とフェイトの剣先に刀を触れるようにしただけだ。

 キン、と金属の擦れる音が響く。と、当時。

 

「双破斬!」

 

 両手で刀を握ったアルベルが、フェイトの剣を掬い取るように、下段から刀を振り上げる。甲高い音を立ててかち合う刃。体捌きのレベルが違っている。フェイトはあまりの痺れに剣を取り落しかけた。

 が。

 

 ヒュンッ!

 

 フェイトが握り直すよりも速く、次ぐ、アルベルが刀を振り下ろしている。

 

(速――っ!)

 

 フェイトは息を呑む。振り上げよりも、尚、速い。ぎらりと光るアルベルの刃が、獲物を睨んで凄絶に光り、振り落ちる。

 フェイトの首を叩き切らんばかりに。

 

(っ、っっっ!)

 

 絶句しながら、身をひねる。リフレクトストライフ、は打てない。バランスが安定しない所為で、蹴りの体勢ではない。

 サイドステップ――、

 迫る刃をフェイトが睨みながら直感した瞬間、双破斬の切り下ろす刃が加速したように見えた。ざん、とアルベルの刀が空を切る。フェイトの肩をかすめた刃が、ちっ、と摩擦して落ちる。

 フェイトは歯を噛む。

 覚悟したおかげで、痛みには耐えられたが。

 

「剛魔掌!」

 

 飲み込んだ|空気(いき)を、吐く間もない。

 

「く、そ……っ!」

 

 たまらず、バックステップで距離を取る。アルベルの踏み込みは、フェイトの二歩を一気に詰める。

 

 かわせない――!

 

 確信した瞬間、頭上に、ふ、と影が落ちた。

 

「!」

 

 慌てて、フェイトは身を伏せる。

 同時。

 

「エリアルレイド!」

 

 凄まじい轟音を上げて、舞い上がった土埃がフェイトの視界を黒く染めた。

 アルベルが呻く。口端をニッと吊り上げたクリフは、拳を握って、壮絶に笑った。

 

「無限に行くぜっ!」

 

 クリフの両腕に凝縮された黄金の闘気が、一瞬、ぱ、と迸った。

 アルベルが刀を構える。迎撃――される前に、クリフの両拳が、まるで嵐のように吹き荒れる。

 

「フラッシュチャリオット!」

 

 一体、何発打っているのか分からないほどの(ラッシュ)がアルベルを襲う。

 瞬間。

 だんっ、と横跳びに場を離れたアルベルが、側面からクリフを斬りつける。

 

「遅ぇ!」

 

「クリフ!」

 

 フェイトの背筋が震えた。

 アルベルはクリフの腕が伸びきった所を狙って、側面から切りかかったのだ。

 つまり――、

 

(あの、フラッシュチャリオットの拳が、見えてるのか!?)

 

 クラウストロ人の、それも相当高度な格闘術を体得しているクリフの拳を。

 

 キィ……ンッ!

 

 瞬間。

 聞こえた金属音に、フェイトは目を丸めた。

 完全に相手の死角をついたアルベルの横薙ぎ。それを、ジャブの一指しで、クリフは弾いている。

 体捌きのレベルで、クリフはアルベルに劣っていない。

 アルベルの赤い瞳が凄絶な光を放つ。

 瞬間。クリフは、ぐ、と上体を後ろに逸らした。

 

 ヒュンッ!

 

 さらに横薙ぎ一閃。クリフの鼻先を掠めるように、アルベルの斬線がクリフの前髪をさらっていく。

 

「そんな斬撃(モン)で!」

 

 この俺が、と続くクリフの口を、アルベルの鉄爪が黙らせた。

 カウンター気味に、びゅっ、と右拳を振り下ろすクリフの横合いから、禍々しい闘気が、凄絶に輝く。

 鉄爪に宿る、赤い闘気の光が。

 

「!」

 

 気付いたクリフが、距離を――取ろうとして、忌々しげに舌打ちした。

 

「ちぃ!」

 

 同時。

 

「剛魔掌!」

 

 ザザザザァンッッ!

 

 鉄爪が赤い闘気を放ち、空に三層の風を起こす。牙のような鋭い剣風だった。

 

「ぐぉっ!?」

 

 咄嗟に両腕を交叉させ、防御するもクリフが呻いた。――身体が浮く。

 クリフの背に嫌な汗が伝う。同時。それは現実となってクリフに襲い掛かった。

 

 ズザザァンッッ!

 

「ぐぁああああああああっっ!」

 

 クリフの口を、悲鳴が割る。深く、深くクリフの腕を抉る鉄爪が、鮮血を景気良くばら撒いていく。力を込め、鋼のように硬くなった筋肉を、まるで嘲笑うかのように簡単に、残酷に。

 肉切り包丁のごとくクリフの両腕を切り刻んだアルベルは、右手の刀を翻し――、

 

「これで終わりだ! クソ虫!」

 

 凄絶に嗤うアルベルが、止めを刺す、瞬間、

 

「ヴァーティカル! エアレイド!」

 

 フリーになっていたフェイトが、悪魔的なタイミングで剣を振り下ろした。

 

「っ!」

 

 突如、フェイトに視線を向けたアルベルは、巻き上げる剣風と、叩き下ろす剣圧の、同時攻撃に目を細めた。視界を覆う凄まじい衝撃波。アルベルはつまらなさそうに、ふん、と鼻を鳴らして、クリフを斬る予定だった愛刀を、ヴァーティカルエアレイドに向かって振る。

 

「っ、っっっ!?」

 

 瞬間。走った横薙ぎ(アルベル)の斬線が、難なくヴァーティカルエアレイドの衝撃波を切り払う。

 武器の性能(ブロードソード)ゆえに威力が落ちたとはいえ、フェイトの技を造作も無くあっさりと。

 

「……その程度か?」

 

 フェイトを睨む赤瞳が、隙の小さい技(ヴァーティカルエアレイド)から次の攻撃に入るフェイトを捕らえる。

 

「剛魔掌!」

 

 鉄爪を構え、まるで悪魔のように横殴りに左腕を振るうアルベル。瞬間。水平に剣を構えたフェイトが、突きを放とうとして――、

 

「……くっ!」

 

 爪の振る速度(スピード)に、舌打ち混じりに防御に入った。が、右、左に薙がれる爪が、フェイトの身体をまるで玩具のように振り回し、鉄爪を止める剣を揺るがす。

 そして、

 フェイトの握力がアルベルの腕力に屈した瞬間――

 鉄爪は容赦なくフェイトの胸を、深く切り裂いた。

 

「ぐぅうっ!」

 

 フェイトがかすかに呻く。振り回された直後、身体を投げ飛ばされるようにして地面に落ちたフェイトは、強く頬を打ち付けるもすぐに転がって立ち上がった。

 アルベルは動きながらも目を細める。

 フェイトの戦闘力ははっきり言ってまだアルベルの脅威ではない。だが、異常なほどの頑健さだったのだ。

 

「フェイト!」

 

 クリフが仲間に気をやった隙に、アルベルは、ヴァーティカルエアレイドで削がれた傷に構わず、鉄爪を振るった。剛魔掌でフェイトの胸から腹を引き裂き、その足でクリフの下まで踏み込んだのだ。

 

「お前の方が楽しめそうだな、クソ虫」

 

「……ちぃっ!」

 

 眼前に迫るアルベルに、クリフが舌打ちする。同時、びゅっ、と走るクリフの左ジャブが、アルベルの頬を削いだ。眉一つ動かなさないアルベルは、クリフの顔を、に、と睨み据え、ありったけの闘気を放出する。

 

「魔障壁!」

 

「ぐぉっ!?」

 

 クリフは何かに引き込まれる感触に、声をひっくり返す。牽制用の左ジャブが闇に引き込まれ、ついで脳髄を穿つ鈍痛に、目を見開く。

 

「……!」

 

 例えるなら、極度の眠気にさらされている状態で脳に釘を刺されているような、鋭くも、鈍い痛みが、脳を中心に全身を駆け巡ったのだ。クリフは歯を食いしばり、それでも、気だけは失うまいと拳を握る。だが、アルベルが放った紫色の壁はクリフの精神力を削ぎ取り、身体を動かすことさえ出来ない。

 そこを、アルベルの斬撃が襲った。

 

「終わりだ!!」

 

 左右、滅多切りに、アルベルの刀が振るわれる。フラッシュチャリオットの返礼と言わんばかりに、一分の隙なく。

 回避も防御も出来ない、無防備なクリフはたまらず悲鳴を上げた。

 

「ぐぉあああああああ!」

 

 本来なら滅多切りにせずとも、アルベルほどの腕があれば、二、三太刀で相手は絶命するはずだ。

 だが。対峙したこの男も、アルベルの予想を遥かに超える、卓越した筋肉の持ち主だった。

 

(……ちっ!)

 

 その分厚い筋肉が、骨を断とうとするアルベルの斬撃を、紙一重で押しとめる。幾千、幾万と振った刀の感触に比べて、明らかに鈍い感触に、アルベルは忌々しげに胸中で舌打った。刃が通らない。アルベルの斬撃に反応し、クリフは致命傷を避けているのだ。が、滅多切りで腱は絶った。これで、この男は使い物にならない。

 

「が、……っ!」

 

 アルベルは身体を九十度反転させ、踏み込まんとしているフェイトに抜き打ちをかけた。

 

「空破斬!」

 

 地を這う衝撃波が、凄まじい勢いでフェイトに迫る。

 

「っ!」

 

 それをサイドステップでフェイトはぎりぎりにかわした。瞬間、フェイトの懐に飛び込んだアルベルは、双破斬を相手の胸に叩き込んだ。振り上げる一閃と振り下ろす一閃が、続けざまにフェイトの胸に刻んだ剛魔掌の傷を狙う。

 が。

 

「舐めるな!」

 

 双破斬の振り上げを更にサイドステップで回避したフェイトは、アルベルが刀を振り下ろす一瞬前に地を蹴って、アルベルの背後に回る。

 

「何!?」

 

 思わず、アルベルが目を見開く。その彼に、

 

「リフレクトストライフ!」

 

 強烈なフェイトの蹴打が、アルベルの背に決まった。青白い闘気を孕んだ、輝くような右の蹴打。

 

「ぐぉっ!?」

 

 蹴りの一撃目で、アルベルは身体の軸をずらされ、続く、二、三撃の衝撃波で確実に前のめりに倒される。双破斬の振り下ろしを相殺されたアルベルは、歯を噛み締めて、だん、と重々しいたたらを踏んだ。

 

「これで、どうだ!」

 

 その、完全に体勢が崩れきったアルベルを、フェイトの斬撃ヴァーティカルエアレイドが再び容赦なく襲う。

 威力はない。

 だが。

 ――かわせない。

 

「ちぃっ!」

 

 肉を斬る剣風と剣圧に耐える。が。

 ヴァーティカルエアレイドが広げるフラッシュチャリオットの傷が、アルベルの身体を、ぎりぎり抑えていた血を、盛大にぶちまけた。

 

「がぁあああっ!」

 

 血飛沫を上げて、全身を走る激痛に、アルベルが顔を歪める。瞬間、初めて聞いた彼の悲鳴に、ぎ、とフェイトの瞳が光った。

 

(――今だっ!)

 

 直感的に、ブロードソードを握る。と、同時、

 

「ブレードリアクター!」

 

 力む度、フェイトも剛魔掌にやられた胸の傷が、溢れ出したが構わない。渾身の闘気を孕んだ斬撃を振り上げたフェイトは、悲鳴を上げて仰け反るアルベルに、容赦なく、次ぐ振り下ろしの斬撃を叩き込む。

 と。

 感触が鈍い。ブロードソードに切れ味が伴っていない。

 

(倒しきれないっ!)

 

 フェイトは胸中で舌打つ。それでも、三撃目の突きを放とうとしたフェイトに、アルベルの鉄爪が唸った。

 

「調子に乗るな! クソ虫がぁっ!」

 

 明らかに危険な量の血をばらまきながら、剛魔掌の禍々しい闘気が、アルベルの鉄爪から、三層の紅い線を空に描く。ブレードリアクターで、剣を振り下ろした体勢のフェイトが、突きを放って迎撃するには、タイミングが速い。

 ――間に合わない。

 

「く、そっ!!」

 

 フェイトが毒づく。遠くなった時間軸の中、アルベルを睨む。剛魔掌を放つ鉄爪が、獰猛な光を帯びて自分に迫っていた。

 

「アクロバットローカス!」

 

「!?」

 

 アルベルの背後に現れたクリフが、腱の切れた両腕を、だらりと垂らしながら笑っていた。

 いつもなら拳で突き上げるアクロバットローカスを、蹴りで代用したクリフは、右足で、アルベルの首と腰を蹴り抜いた後、掬い上げるようにして、アルベルの腹を足に乗せて上空に蹴り上げた。

 

「へっ!」

 

 邪悪に笑うクリフの気配。途端、地を蹴ったクリフは、完全に仰け反った体勢のアルベルに右回し蹴りを叩き込み、遠心力をつけたローリングソバットから、踵落としで相手を沈めた。

 上空から落下し始めるアルベルに体当たり(チャージ)で追い討ちをかけ、クリフは、アルベルが地面と衝突する瞬間に、エリアルレイドをとどめの一撃として叩き込んだ。

 

「堕ちなっっ!」

 

 アルベルの断末魔が、轟音に混じる。

 

「ぐぁあああああ……っ!」

 

 凄まじい衝撃波の余波が、戦場に広がった。

 ふわっ、と。

 離れているフェイトの頬を、静かに撫でるほどに。

 

「決まったのか!?」

 

 背後で、フェイトの声。

 終撃の衝撃波が土煙を起こし、晴れる。そこに、ただ一人立つクリフが、口端を吊り上げた。

 フェイトはホッとしながら頷き、アルベルを見る。真っ向勝負では勝てなかった。クリフも、フェイトも。小さなクレーターのど真ん中に倒れているアルベルは、気絶したのか、ぴくりとも動かなくなっていた。

 

「言ったろ? 俺に任せときゃ万事オッケーだってな」

 

「クリフ……! 正直、滅多切りにされてた時点でもう終わったと思ってた」

 

「バッキャロ! だからどこの当社比だってんだ! 腕がダメでも脚があんだろ? 脚が」

 

「下手な期待は、理不尽相手に禁物って身に染みてるんだ」

 

「……その無駄にキラキラした純粋な目をやめろ。良心が痛んじまう」

 

「悪魔には通じない(ねえ)けどな」

 

 同時に言ったフェイト達の表情が、明るくなっている。それを視界の端に、短刀を納めたネルは、小さく微笑んだ。

 

「まさか、ここまでやるとはね……!」

 

「やるじゃんか! デカブツ! フェイト兄ちゃん!」

 

 そう言う、彼女達の後ろには、百名近いアーリグリフ兵達が、戦闘不能状態で呻いている。

 

「へっ! ……テメェ等も、な」

 

「何とか(しの)げた、ってところだ」

 

 フェイトはブロードソードを地面に突き立て、少しぎこちなく笑った。その隣で満足そうに笑っているクリフも、アルベルに滅多切りにされた胸の傷が生々しく、注意してみれば、わずかに身体が震えている。

 満身創痍。

 その二人に、ネルは詠唱を始める。

 

「ちょっと待ってて。すぐに施術(ヒーリング)をかける」

 

「ああ、頼む」

 

「お願いします」

 

 ネルはこくりと頷いて、詠唱を終え、二人の傷を癒す。

 腱を切られていたクリフが、状態を確かめるように、ぐ、ぐ、と拳を握り締めた。

 

「ネル様!」

 

 は、と息を呑むタイネーブの声と同時、ば、と振り返ったネルは、倒れていた筈のアルベルが、刀を杖代わりに片膝をついているのを見た。

 

「……なかなかやる……。だが!」

 

「なっ!?」

 

「馬鹿な!? まだ!」

 

 慌てるシーハーツ兵を置いて、臨戦態勢に入るフェイト。拳を握ったクリフが、壮絶に笑った。



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36.vsアルフ

「しつけぇ野郎だな! 今、とどめをさしてやるぜ!」

 

「クソ虫如きの分際で! ……ぐぅっ!?」

 

 壮絶に笑うクリフに対し、アルベルが立ち上がろうと刀を握りしめる。だが、確かに体は限界なのだろう。意識のあるアルベルは、実際には動けなかった。

 

「終わりだ! カーレントナックル!」

 

 そこを、クリフの拳が襲う。

 瞬間。

 

「空破斬!」

 

「うぉっ!?」

 

 眼前を走った衝撃波に、クリフが止まった。衝撃波の形状は、アルベルが放つ技に良く似ているが、弾速はアルベルのそれより速い。

 何より――。

 

「この、声は……!」

 

 ば、とフェイトが振り仰ぐと、そこにはアリアスの台地で出遭った女兵士が、剣と刀を携えて、こちらに駆けてきていた。

 

「団長! ご無事ですか!?」

 

 言いながら、彼女は即座にクリフとアルベルの間に割り入り、構える。アルベルを背にした女兵士は、フェイト達にまだ、戦う気があるのを察したのだった。

 

「……何をしに来やがった!」

 

 唸りながらも、アルベルは低く問いかける。彼女、ナツメは小さく笑った。

 

「そう言う強がりは、傷が治ってからにしてください。……私は癒しの紋章術(ヒーリング)を使えません。そのまま、ゆっくり下がって頂けると有難いです」

 

「……ちぃ!」

 

 舌打ちするなり、ずるずると身体を引きずり始めるアルベル。それを視界の端に、ナツメはクリフと対峙した。

 

「さて……」

 

 彼女は、クリフ、フェイト、ネル、ロジャーを順に見据えて、ゆっくりと刀と剣を握り締めた。

 前見たときは深夜で、それも少ない明かりの中であったため、少女の容貌は良く掴めなかったが、今、見た彼女は、冷厳とした戦士だった。

 同世代ぐらいのソフィアとは雰囲気がまるで違う。凛々しく形作られた切れ長の双眸に、殺気を宿した意志の強そうな黒の瞳。癖のない黒髪はうなじの辺りで短く切られ、目元にかかるかどうかの前髪が、額に巻かれた赤いバンダナをやや隠している。

 どちらかと言えばネルに近い雰囲気だが、ネルよりも尚、冷たくて硬質的だった。

 今は漆黒の鎧に身を包んでいる彼女。

 その彼女が、確かに言ったのだ。

 

 ――紋章術、と。

 

「やっぱり……」

 

 思わずつぶやきながら、フェイトは戦うべきかを思案する。剣を握る手は緩めない。

 彼女の実力を、身をもって知っているからこそ。

 フェイトと目が合った彼女が、その様子に気付いたのか、微かに目を細めた。

 

「へぇ……。まぁまぁやるじゃん。アレンの奴はいないみたいだけど」

 

 その彼女の後ろから、新たに男が現れた。年齢にすれば二十前後。異常に整った容姿と、華奢そうに見える体格から一瞬女性かとも思ったが、適当に倒れているアーリグリフ兵を見てつぶやく声は、確かに男のものだった。

 だが。

 そんなことはどうでもいい。

 

「なっ!?」

 

 絶句すると同時、一同は目を見開く。

 何故なら、目の前の青年はアレンと同じ、銀河連邦の制服を着ていたのだ。

 

 連邦の中でも精鋭中の精鋭とされる特務部隊の、赤い制服を。

 

 ただし、似せて作ったアレンが着ているものと違って、彼のものは防護力が桁外れに高い。その性能を熟知しているからか、悠然とした足取りで歩み寄ってきた銀髪の青年、アルフ・アトロシャスは、(シャープネス)(シャープエッジ)を構える少女の頭を、ぽん、と叩いた。

 

「ま、そう気張るなよ。ナツメ」

 

「っ!」

 

 途端、凛々しく形作られていた少女の双眸が、丸くなる。そして、叩かれた頭を不思議そうに抱えたナツメは、アルフを見上げた。

 

「ダメですよ、アルフさん。私、今お仕事中なんです! ……邪魔するおつもりでしたら、帰ってもらいますよ?」

 

 キッとアルフを睨むナツメを、じ、と見返して――、アルフは薄く微笑んだ。

 

「……へぇ?」

 

 片眉を上げるなり、ナツメの頬を片手で掴み、持ち上げる。見た目筋肉質ではないのに悠々としている。

 

「ハガッ!?」

 

 奇声を上げてアルフの手を叩きながらナツメは、いだだだっ、と呻く。『ギブアップ』の意思表示だ。が、アルフの指は離れない。

 焦った彼女は、アルフの腕をぱんぱんと叩きながら、頭三つ分上にあるアルフに向かって叫んだ。

 

「ず、ずみまぜん~~! ちょっと、アクアエリーに連絡つけてみたくなったんですぅ! もう言いませんからぁ~! だから、離して……! 痛だだだだだっっ!」

 

「……分かってくれりゃそれでいい」

 

 突如、気が変わったように無造作に、アルフは、ぱ、とナツメから手を離した。音を立てて地面に倒れたナツメは、力尽きたかのようにぐるぐると目を回している。

 その彼女を適当なところに押しやって、アルフは視線を、フェイト達に向けた。

 

「……で? 特務(この)服に見覚えあるみたいだけど、あんた等、アレンの仲間?」

 

「あ、あの、アルフさん? アレンさんは、どうやらこの中にはいないみたい……」

 

「ああ。ナツメ(こいつ)の事は無視してくれて構わない。見たとおり、コツさえ掴めば大した害にならないから」

 

「えっ!? ちょ、ちょっと! 困りますよ! アルフさん!?」

 

 横から口出してくるナツメを完全に無視して、アルフはフェイト達を、否、フェイトを見据えていた。

 

「……っ!」

 

 思わず息を呑む。

 目が合った途端、アルフの放つ強烈な存在感に萎縮したのだ。

 金縛りにあったように、反射的に凍った思考が、それでも己を奮い立たせようと剣を握る手に力を込める。

 それを、どうということもなく見て、アルフはにやりと三日月状に笑った。

 

「へぇ? ……あながち馬鹿、ってわけでもねぇんだ」

 

「っ! フェイト!」

 

 つぶやくアルフが、軍服の下からフェイズガンを取り出すのと、クリフ、ネルが叫ぶのは同時だった。 

 

 ドドンッ!

 

 フェイズガンの轟音が、耳を突く。一、二発とも、フェイトの急所を狙う危険な射撃だ。それを紙一重でかわす。と、

 

「俺相手にそんな真似すると、死ぬぜ」

 

「なっ!?」

 

 ちゃり、と金属がこすれる音を立てて、気付けばフェイトの眉間に、フェイズガンが押し当てられていた。

 フェイトは息を呑む。強張った表情でアルフを見上げると、彼は薄く笑った。

 

「この場で一人ぐらい(バラ)したら、あいつ、どんな顔するだろうな?」

 

「……っ!」

 

 フェイトの背筋を、ぞ、と冷たい恐怖が這った。狂人(アルフ)の紅い瞳が、フェイトを見下ろしている。人の命をいとわない、殺人鬼の瞳が。

 本能的に震え始めるフェイトをまるで嘲笑うように。

 

(……こ、の野郎……は、強い……っ!)

 

 その感覚に、フェイトは震える歯を、ぐ、と噛み締める。己を奮い立たせるために相手を睨む。

 それでも全身の震えは隠しようもないほど大きかった。背後でクリフ達が色めき立つ。

 

「テメェ! ふざけてんじゃねぇ!」

 

「……やってくれるじゃないか!」

 

「メラ許さねぇぞ!」

 

 三人は同時に武器を構えた。その彼等を、紅い瞳が、じ、と見据える。獰猛な狂気を宿した美しいが狂った笑みだった。

 

「そっちは頭悪いのが揃ってるみたいだな……。こりゃ、アレンの奴も苦労しそうだ」

 

 くく、と喉を鳴らす。瞬間。相手の注意がクリフ達に向いた隙に、フェイトが迷わずブレードリアクターを抜き放った。

 アルフの狂気が、己が感じた恐怖が、クリフ達に向く前に――!

 無意識にそう考えていた。

 

「ぶっ飛ばしてやる!」

 

 青白い闘気を孕んだ斬撃が、アルフの顎めがけて走る。

 

 ぎきぃいっ!

 

 突如、フェイズガンに見えたそれが、刀へと姿を変えていた。

 

「なっ!?」

 

 ――正確には、銃の形から、いかにも硬質な黒い刀に武器が変わったのだ。

 それで止められた。

 フェイトの、ブレードリアクターを。

 

「形状が変わった!?」

 

「何だ!? 野郎の武器は!?」

 

 首を傾げるネルと、思わず叫ぶクリフ。それを完全に無視して、

 

「……なんだ。お前も、実は馬鹿の口か」

 

 ふ、と失笑したアルフは、それ――レーザーウェポンと名付けられた武器を一閃した。刃と刃がかみ合った状態から、フェイトのブロードソードを巻き上げる。どんっ、と重い音を立てて、アルフは鋭く剣尖を舞い上げた。

 

「っ!」

 

 フェイトは予想以上の相手の力強さに、息を呑む。自分(フェイト)の身体が一瞬浮いた。追撃を恐れて身構えたが、予想に反してアルフは動かなかった。

 

「……?」

 

 不審に思って、アルフを睨む。

 と。

 

 どぉおおんっっ!

 

 一拍遅れて、凄まじい衝撃波が、フェイトの身体を弾き飛ばした。

 

「っ!」

 

 息を呑む。フェイトを、二、三メートル後退させたアルフが、レーザーウェポンの柄で肩を叩きながら、フェイト、クリフ、ネル、ロジャーを順に見渡した。

 

「まあいいや。……かかってこいよ、お前等。どうせアイツに鍛えられてんだろ」

 

 にやりと笑うアルフに、タイネーブも、ファリンも臨戦態勢を取った。

 この相手は、本当に強い。

 それが空気を通して伝わってくるのだ。

 

 強烈な重圧(プレッシャー)として。

 

「雑魚は引っ込んでな。……俺は、アイツと違って加減も容赦もしない」

 

「っ!」

 

 タイネーブとファリンの機微を、見もせずアルフは見切る。

 思わず止まった二人は、ふ、とこちらに冷たい笑みを返してくる男を、呆然と見据えて――、

 

「ぶっ潰す!」

 

「オイラもいくぜぃ!」

 

 勢い良く叫んだ、クリフとロジャーの声に、は、と瞬きを落とした。

 

「行くぞ!」

 

 フェイトの掛け声と同時、ネル、クリフ、ロジャーが一斉に地を蹴る。成り行きを見守っていたナツメが、ば、とアルフを仰いだ。

 

「もう! 何やってるんですか! それは私の役目ですよぉ!」

 

「気にすんなって。お前はそこの『団長さん』とやらをさっさと引かせろよ。……どうせお前じゃ、こいつら四人をいっぺんには相手に出来ない」

 

「……!」

 

 は、と瞬きを落として、数瞬、思案顔を作ったナツメは、二、三。フェイト達を見据えて――、不服ながらもアルフに従った。

 踵を返し、アルベルを見る。彼は気絶したのか、ぴくりとも動かなった。その状態をあらためて、ナツメは血で固まり始めているアルベルの服を剣で器用に切り裂いていく。

 

「お、おい! 一体、何をやって……」

 

 思わず問いかけてくる漆黒兵に、ナツメは振り返らず答える。

 

「今から団長に応急処置をした後、カルサアまで運びます。……アルフさんが紋章術(ヒーリング)使ってくれると早いんですが。まあ、そこは気紛れな人ですから仕方ありません。我慢してください」

 

 言って、アルベルの服の邪魔な部分を剥がしたナツメは、懐から布の切れ端を取り出し、止血作業に入る。外傷は酷いが、大事な脈管系はほとんど無事だ。さすがと言うべきなのか、これなら、さほど布の量も要らない。

 とはいえ、放っておけば危険な状態に変わりはないが。

 

「……まさか漆黒団長(アルベル)をここまで……!」

 

 その彼女に同調したのか、シェルビーが唸る。てきぱきと止血作業を終えたナツメは、行きますよ、と言い置いた後、アルベルの身体を持ち上げた。

 痩身とはいえ、成人男性の体重を軽々と。

 

「な……っ!」

 

 容姿からはまったく考えられない彼女の膂力に、一同が瞠目する。気を失っていたアルベルが、重い瞼を、ぐぐっ、とこじ開けてきた。

 

「……余計な、ことっ、すんじゃねぇ……。クソ虫が……!」

 

 震える唇で、吐き捨てるアルベル。動かなかったが、意識はずっとあったのだろう。鎧越しのため分かりにくいが、体の冷え切ったアルベルを無表情に振り返って、ナツメはフェイト達を、否、アルフを一瞥した。

 

「……確かに、私は未熟です」

 

 言い置く彼女を、意外そうにシェルビー達が見据える。次ぐアルベルも不審そうにナツメを見上げたが、彼女の視線はそんな彼等に動じず、ただ一点を見据えていた。

 感情を抑えた、戦士の瞳で。

 

「ですが団長。相手の実力を見誤った団長もまた、未熟。他人(ヒト)をクソ虫呼ばわりするのは、相当の修練を、相手との絶対的な実力差を見せ付けてからにしてください」

 

「っ!」

 

 アルベルの赤い瞳がゆらりと燃え滾る。今にも噛み殺さんばかりの獰猛な鬼気だ。だがナツメの表情は変わらない。アルベルの敵意の瞳を真正面から受けて、彼女は首を横に振った。

 

「私は、少なくとも団長相手には絶望しません。貴方ならば、私は勝つための策を考えられる。……でも、あの人達は違う。あの人達とはまだ、私は同じ土俵にすら立てない!」

 

 言ったナツメは何かを押し隠すように、歯を食いしばった。その視線の先にはアルフがいる。

 レーザーウェポンを携えて嫣然と笑う、アルフが。

 

「……っ!」

 

 か、と目を見開いたアルベルは、引き剥がすようにナツメの背からずり落ちた。地面の土を掴んで、食い入るように戦場を見る。

 

「な、んだと……!?」

 

 つぶやく。

 つぶやくより他、なかった。

 

「空破斬」

 

 刀を象ったレーザーウェポンが、抜刀から衝撃波を繰り出す。

 

 斬ッ!

 

「うぉっ!?」

 

 カーレントナックルで接近しようとしたクリフが、ざ、と動きを止める。衝撃波の弾速はナツメのそれより速い。形状はナツメの技より、アルベルの丈に酷似していた。

 つまり、衝撃波が高くて太い。

 正確にはアルベルの空破斬よりも。

 ――まるで大地を裂かんばかりだ。

 紙一重で立ち止まったクリフの下に、アルフが迫っていた。

 ぬ、と。

 まるで蜃気楼のように突如。面を食らったクリフが、ぐ、と拳を握る。

 

 ヒュヒュンッ!

 

 牽制の左ジャブ。アルフは構わなかった。わずかに体位を傾け、二連の左ジャブが見事に避けられる。と、同時、にやりと笑って、最小の所作で突きこんできた。

 それもただの突きではない。

 空破斬同様、衝撃波を生み出すアルフの『疾風突き』が、青白い闘気と風を孕んでクリフに迫る。完全にがら空きになった、クリフの胸元。大きく目を見開く彼の表情を、紅瞳が睨み上げた。

 

 ズドンッッッッ!

 

 踏み込み音さえ、重い。

 反射的にクリフが後ろに跳んだのは、半分以上運だ。わずかにクリフは半身を切る。

 

「ぐぁあああああっっ!」

 

 咄嗟に直撃を避けたクリフの胸板が剃られた。

 ドリルで抉られたように、ざっくりと。

 

「なっ!?」

 

 思わずフェイト達が目を見開く。クリフがやられたからではない。あの『疾風突き』という技が、突きの衝撃波だけで、クリフの身体を竜巻のように吸い込んで切り刻んだからだ。

 

「クリフ!」

 

 叫ぶフェイトに、アルフがひっそりと笑う。

 

「言ったろ? 俺相手に紙一重で回避(そんなマネ)すると、死ぬってな」

 

 弾かれたように、ネルが目を見開く。瞬間、アルフの刀が、下方から凄まじい速度で振り上げられていた。

 

「くぅっっ!」

 

 上下に繰り出される斬撃『双破斬』を、ネルは何とか凌ぐ。あまりの剛剣に腕が痺れた。

 瞬間。

 よろめいたネルに追い討ちをかけるように、更にもう二撃、上下に刀が二閃された。

 

 ざざんっっ!

 

 アルベルの双破斬と違い、上下に振る斬撃が二つ、つまり四連斬で『双破斬』だ。青白い闘気を宿した斬線が、空中に美しい山を描いた。

 

「かっ!」

 

 ネルの胸元から鮮やかな血が散る。袈裟状に、二本の紅い血が。

 

「お姉さまっ!?」

 

 レーザーウェポンの刃が三分の一、食い込んでいた。直接見えたわけではないが、後に続く残光が、深々とネルの身体を突き抜ける。

 

「ネルさんっ!」

 

「さて」

 

 息を呑むフェイトを置いて、アルフがロジャーに迫る。たった一歩、それでロジャーの目の前まで詰めるアルフ。瞬間、ロジャーは斧を握った。

 

「ヒート・アッ……!」

 

 斧を振りかぶったロジャーを、振り上げの抜刀で迎え撃ったアルフの斬撃『朧』が吹き飛ばした。

 

 ドォオオオンッ!

 

 半ば空破斬のように、抜刀の斬撃で空中に巻き上げられたロジャーの身体が、続く三層の剣風に切り裂かれ、吹き飛ばされる。

 

「うわぁっっ!」

 

「ロジャー!」

 

 血をばら撒きながら、ロジャーの小さな身体が上空を三、四メートル飛んだ。どっ、と鈍い音と共に、ロジャーが落ちる。フェイトは胸の奥から滾る怒りを、アルフに向けた。

 一人、一撃。

 それで完全に相手を沈黙させた、この化け物。

 

「……これで、邪魔は無くなったな」

 

 作り笑いだったのか、レーザーウェポンについた血を払ったアルフは、フェイトを見るなり表情を消した。ブロードソードを握る、フェイトの手に力がこもる。無意識下で、彼は吼えた。

 

「――ぉおおおっ!」

 

 だんっ、と地面を踏みしめて、平突きに近い、剣を斜めに寝かせた突きを放つ。が、苦もなくレーザーウェポンに弾かれた。キィッと金属がこすれる、嫌な音が鳴る。構わず横薙ぎを放つフェイト。アルフは読んでいたのか、左手で弾いた。

 

 パンッッ!

 

 まったく刃を恐れず、刃に視線を向けず。最小の動きでフェイトの顔を見据えながら、

 

「アンタのご大層な力とやら……。俺が見てやるよ」

 

「何っ!?」

 

 言葉の意味を理解する前に、フェイトの腹に拳が叩き込まれた。ぐぅ、とフェイトがえづく。フェイトの身体が浮いた。

 

「っ!」

 

 そのとき、フェイトの腹に埋まった拳が炎を孕み、ゆっくりと旋回した。

 同時。

 

 ドゴォオオオンッッッ!

 

 凄絶な轟音を立てて、フェイトの身体が吹き飛んだ。

 

「ぐぁああああっっ!」

 

 激痛が腹から全身を駆ける。拳をねじこまれた彼の腹は、クリフ同様、ドリルで抉られたような傷を作り、炎に焼かれて煙を吐き出す。

 事実、喰らったフェイトは、腹に穴が開いたような気がした。その穴から体内に、『炎』という名の熱湯を叩き込まれたような。

 

「フェイトさんっ!」

 

「フェイトさん!」

 

 遠目で見たファリンやタイネーブには、良く分かった。アルフが鈎突きでフェイトの体を持ち上げ、フェイトの腹にめり込ませた腕に炎を纏わせて、フェイトの全身を焼いたのだ。

 

「か……、っ!」

 

 フェイトの身体が二、三メートル後退していた。まるで人形(おもちゃ)のように不自然な体勢で中空をバウンドしながら。フェイトは溝を地面に作ってようやく停止した。

 

「くっ!」

 

 加勢しようと棍を握るタイネーブ。が。アルフはすでに、フェイトの目の前にいた。

 見下すように、そ、と無感動な目でフェイトを見据えている。

 

「さあ、立てよ。……俺が見たいのは実力(そっち)じゃない。能力の方だ」

 

 一切の手加減なしに放たれた『バーストナックル』は、正真正銘フェイトの意識を断っていた。

 アルフの呼びかけに、フェイトが応えることは無い。

 

 しばしの、間。

 

 フェイトを観察していたアルフが、す、とレーザーウェポンを振り上げた。そして――、無造作に振り下ろす。

 風切音を立てて落ちる刃を、

 

「させるかよぉっ!」

 

「喰らいなっ!」

 

「ラストディッチ!」

 

 クリフのカーレントナックルとネルの凍牙、ロジャーの体当たりが遮った。

 カーレントナックルがアルフの心臓を、凍牙が振り下ろす腕を、ラストディッチがアルフ自身を狙う。

 

 キィンッ!

 

 苦も無く払われた。振り下ろしから自然、横薙ぎに変更したアルフのレーザーウェポンが、半ば横殴りに――

 

「邪魔だ」

 

 一動作でクリフの身体を、剣風『衝裂破』で弾き飛ばす。

 

 ズドンッ!

 

 クリフの巨体を軽々と。

 

「……ぁっ!」

 

 無論、衝裂破の威力に耐えるほどの体力は、最早クリフに残っていない。立つことすらやっとだった彼の身体は、悲鳴を上げることすらままならず地面に崩れ落ちた。

 力尽きたように、頭からやや不自然に。

 瞬間。

 

「デカブツーーッッ!」

 

 目を見開いたロジャーが、走った。斧を手に、アルフに向かって。

 目に涙が溜まっているのは苦痛か、それとも――。

 

「ヒート・アックスッッ!」

 

 渾身の力を込めてロジャーの振るう斧が、炎をまとって、赤く、赤く輝いた。

 アルフが、に、と笑う。

 

「威勢がいいな。……斬り応えがある」

 

 ダンッ! と踏み込んだロジャーが、アルフの頭蓋を割る勢いで迫る。一切の躊躇も、疑問も無く。

 ――少年は、ただただ無心だった。

 それを、

 さらに高く跳び上がったアルフが、無情にも叩き落した。空中で二閃。左、右袈裟状に斬撃は、あまりに速過ぎてロジャーの眼に映っていない。

 ――気付けば、斬られていたのだ。

 

「ぐぁあああああああっっ!」

 

 鮮血が少年の身体から四方に散った。ロジャーの胸の辺りで十字を描いた斬線が、深々と少年を切り刻んだのだった。

 

「ロジャ、ぁっっ! クリ、フっ……っ!」

 

 胸の傷に耐えながら、ネルが叫ぶ。だが、言葉の途中で血反吐を吐いた。声にもならない自分の喉の唸りを聞きながら、ネルはそれでも、痛みを誤魔化すように、裂かれた胸を手で押さえる。ぼたぼたと零れる血の大粒が掌に染みたが、ネルは、ぐ、と歯を噛んで、敵を睨み据えた。



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37.覚醒

「っ、っっ!」

 

 ネルは短刀を握る。恐ろしいまでに、手が震えていた。傷故か。それとも――恐怖ゆえ、か。

 

 カタカタカタカタッ、……

 

 まるで笑い声のように。短刀が、鳴る。

 

「……っ!」

 

 それを耳にしながら、ネルはそれでも、刀を振るおうと精一杯力を込めた。

 ところを――、

 

「どうやら、マジで殺さないと分からねぇらしいな」

 

 怖気の走る声が、ネルの背後で、そ、とささやいた。明らかに戦闘不能のネルだが、短刀を離さなかったのを見逃していない。

 

 ぞく……っ、

 

 息を呑むタイネーブとファリン。

 今や、ほとんど身体が動かないネルには、一体何が起こっているのか理解できない。振り返る力が無い。

 ネルの首を斬り落とさんと、無造作にレーザーウェポンが振り下ろされたことなど――。

 

「ネル様っ!」

 

「ネル様ぁ~っ!」

 

 叫ぶ、二人の悲痛な声。

 同時。

 

 ざんっ!

 

 鮮やかな血が、ネルの視界を覆った。

 自分の身体が、引き倒されたと同時に、

 

「…………っ!」

 

 大きく目を見開いたネルの目の前で、彼女を抱くようにして現れたクリフの背が、ざっくりと裂かれていた。

 

 

 ………………

 

 

「……ぐあっ!」

 

 赤黒い塊が、クリフの唇から溢れる。ずしんとした重みがネルにのしかかると、白い背骨がわずかに顕になったクリフの刀傷が、ネルの目を焼いた。

 

「へぇ……。疾風突きと衝裂破を食らって、まだ動けるのか」

 

 つぶやく、アルフの声が遠い。

 

「あ、……あ、……ぁっ!」

 

 呆然と開いたネルの唇が、意味の無い音を搾り出す。

 ずり、と引きずるような音が、ネルの耳に届いた。

 

「で、か……ぶつっ!」

 

 それがロジャーが駆け寄ろうとした音であると、ネル自身が理解することは無い。

 ただ無感動に、クリフを見下ろすアルフの手元が、ちゃりっ、と金属の擦れる音を立てた。

 

「それも、これで終わりだ」

 

 わざとらしいほど足音を立てて、アルフはゆっくりとレーザーウェポンを掲げた。

 ネルの意識を、奮い立たせるように。

 敵はまだそこにいると。

 そうネルに、起き上がろうと必死でもがいているロジャーに、報せるように。

 

 ――否。

 

 これが絶対的な実力の差だと二人に知らしめたうえで、とどめをさそうというのだ。

 アルフのレーザーウェポンが、再び振り下ろされる。仕留め損ねた、ネルに向かって。

 

(動け、動けぇええっっ!)

 

 そのレーザーウェポンの刃を見据えながら、タイネーブが叫ぶ。必死だった。走馬灯のように一秒が長く感じる時間軸で、この場で唯一無事で、体術に優れた自分が動かなければ。

 ――しかし

 

 ぴき、ききき……っ

 

 恐怖が全身を氷付けたように動かない。

 殺される。

 ネルが。

 目の前で――。

 

(……っ!)

 

 そのあまりの異常事態に、タイネーブの呼吸(いき)が止まった。

 振り下ろされる黒い刃は、やはり慈悲や容赦という言葉を知らない。

 だから――、

 

(うご、けぇええええっっ!)

 

 胸中で叫んだタイネーブが、棍を握り締めると同時、

 

 びゅんっ!

 

 もう、間に合わなくなっていた。

 

「……!」

 

 アルフが突如、後ろに飛び退らなければ。

 

 ずざっ、

 

 一足飛びで優に二、三メートルの距離を開けたアルフが、地面を踏みながら、険しい表情で刀を握る。

 

「はぁっ!」

 

 一瞬遅れて入った、タイネーブの棍棒が、空を切った。

 完全な空振り。

 

(――殺されるっ!)

 

 読まれた、と舌打つと同時にタイネーブは覚悟して歯を噛む。

 だが驚いたことに、アルフはタイネーブを全く見ていなかった。薄ら笑いを浮かべて一点を見据えたまま、アルフはレーザーウェポンを構える。

 

「え……?」

 

 それを疑問に思って、タイネーブは首をめぐらせた。

 

「あ、あぁ……っ!」

 

 ネルの唇から、声が漏れる。呼吸が正常に出来ないのはさっきと同じだ。だが、今度は満面に喜色を、こぼれんばかりの希望の光を込めて。

 ネルは、ロジャーは、呼んだ。

 

 ――彼の、名を。

 

 

「フェイト……っ!」

 

「フェイト、にいちゃ……っ!」

 

 二人の声に呼応するように、そちらを見据えたタイネーブは、あまりの眩さに目を瞠った。

 

 白い閃光が、タイネーブの視界を埋め尽くしたのだ。

 白く、眩く、冒しがたい光が。

 全てを飲み込む、フェイトの光が。

 

 ばさっ……

 

 鳥が飛び立つような羽音とともに、視界を覆う光が、徐々に晴れていった。

 二、三回。瞬きを繰り返して、ようやく目を慣らしたところで、レーザーウェポンを構える、アルフの姿が目に映った。

 あの光の中でも、微動だにしなかったのか。

 アルフは光に包まれる一瞬前と、まったく同じ表情でフェイトを睨んでいた。

 嫣然とした、死の色香をまとわせて。

 

「……それが、お前の本性か。フェイト・ラインゴッド」

 

 微笑む彼は、フェイトの姓名(フルネーム)を知っていた。その異常性に、タイネーブが気付くことはなかったが――、タイネーブは、ば、とフェイトを仰ぐと同時、大きく目を見開いた。

 白い翼を背負った、フェイトの姿に。

 

「……っ!」

 

 天使が、そこにいた。

 額から強烈な閃光を迸らせるフェイトは、全身が淡く輝いている。胸元にあるアルフにやられた傷が、その中で異物の存在感を放っているが、彼は痛みの一切を感じていないように思われた。

 静かに、静かに。

 アルフを見据えるフェイトの碧眼が、ゆっくりと細められる。

 と、同時、

 

「我が手にあるは天帝の剣戟……、裁きをもたらす神器なり!」

 

 フェイトがブロードソードを掲げた。全身を覆う光の粒子が、ブロードソードの刃に集まる。螺旋を描くように、空を舞うように、きぃいいっ、と甲高い、不思議な音を立てて剣に光が集中していく。

 

「スゴイ……!」

 

 つぶやくタイネーブの目には、その光が奇跡のように見えた。

 美しく、気高い光。

 

 すべてを白に染める、フェイトの光。

 

 だが、アルフは違う。

 

「……へぇ」

 

 アルフは、その光がただ、美しいばかりの代物ではないと察していた。

 例えるならばあれは、――核だ。

 アルフの目つきが変わった。レーザーウェポンを構え、冷笑を浮かべる彼の瞳が底光る。獲物を、血を求めて光る刃物のように。

 瞬間、

 

 どんっ!

 

 フェイトがブロードソードを手に、地を蹴った。白い光を全て飲み込んだ、淡く輝く、ブロードソードを手に。

 

「ブレードリアクター」

 

 一拍子で、三つの斬線がほぼ同時に迸る。

 振り上げ、振り下ろし、突きの斬線が。

 が。

 衝裂破が、アルフの身を守るように周囲を、彼の間合いに突っ込んできたフェイトを薙ぎ払う。

 

 ざざんっ!

 

 まるで嵐のようだ。アルフの剣速が、先程より明らかに増している。

 

「!」

 

 そのとき、微かに目を見開いたアルフが距離を取った。

 

 きゅぅんっ!

 

 己の放った衝裂破が、フェイトの斬線に呆気なく葬られたのだ。

 斬られた、のではない。――吸い込まれた。アルフの放った、衝裂破の空間ごと。

 

「……なるほど」

 

 薄く、目を細めるアルフ。瞬間、身をかがめたフェイトが、左手を広げてオーバースローイングに炸裂弾を放った。

 

「ショットガンボルト!」

 

 ドドドンッ!

 

 炸裂弾が音を立てて、アルフを襲う。アルフが後退したのに追い討ちをかけてきたのだ。アルフは動じない。剣で放たれた技でなければ、どうということはない。

 だが――。

 

 ズドンッ!

 

 旋風を巻いて走るアルフの『疾風突き』を、フェイトは難なく弾いた。キンッと小さく、甲高い音を立てて、アルフの剣先をわずかにずらしている。

 

(反応が、上がってやがる?)

 

 フェイトを睨むアルフの瞳に、観察の色が宿る。試しにアルフはその状態から刀を払い上げた。

 

 ヒュパ――……ッ!

 

 まるで空気そのものを削ぎ落とすような神速の剣を、フェイトはバックステップでかわした。剣先から出るであろう、衝撃波も計算した上で。

 先ほどまでなら、確実に反応できずに棒立ちしていたであろう剣線を。

 

「そうか……! アリアスでの別人のような動きは、この前兆……!」

 

 息を呑むナツメの声に呼応するように、白く輝くフェイトの身体が、ざ、と反転する。その上で、

 

「ヴァーティカルエアレイド」

 

 白く輝く剣を、フェイトは無造作に切り上げた。空間を丸ごと消し去る剣。フェイトは普段の数倍、否、別人のような実力を発揮してくるのだ。当たれば必殺の、その剣を携えて。

 

「アルフさん!」

 

 緊張したナツメの声。

 

「……面白い。久々に、|本気(マジ》でいかせてもらおうか」

 

 うっすらと笑ったアルフは、(レーザーウェポン)を無造作に薙いで、『ヴァーティカル』の衝撃波を切り払った。きゅぅんっ、と不思議な音を立ててアルフの剣風が消え行く。それをアルフは冷静に見据えて、

 

「ダメだ! 消される!」

 

 ナツメの声が響いた。

 幾重にも重なった消滅の衝撃波が、アルフの斬線をかき消して迫っているのだ。掠っただけで致命傷。まだアルフは食らってはないが、その危険性が空気を通して伝わってくる。

 それを、じ、と正面から見据えて、アルフは刃を寝かせた。

 途端、

 アルフの身体から、青白い煙が立ち上がった。ゆらり、と形を成さぬ煙が直後、竜を象る。

 青く、白く、強く輝く、竜の形を。

 まるでアルフ自身が、竜の化身であるように。

 背に竜を、紅い瞳を、滾らせる。

 

――ォオオオオオオオオッ!―――

 

 その竜が、人を丸呑みするほどの竜が、吼える。

 フェイトを覆いつくさんと、フェイトを食い殺さんと。

 アルフの握るレーザーウェポンが異様に輝いた。同時、アルフが地を蹴る。トンッ、と存外、小さな踏み込み音で。

 『蒼竜疾風突き』というアルフ特有の大技だった。

 

 ズドォオオオオオオンンッッ!

 

 視界が青く、白く染まる。

 

「――っ!」

 

 フェイトの名を呼んだはずが、己の声すらタイネーブの耳には届かなかった。

 穢れを知らない白く輝く羽毛が、ふわり、と宙を舞う。『エアレイド』の衝撃波が、アルフに襲いかかっていた。

 

 きゅぅんっ!

 

 光がアルフの蒼竜を吸い込んでいく。竜を、空間を。

 だが。

 その剣でも、竜と疾風と突きが重ね合わさった技を消しきれない。

 

「……!」

 

 消すよりも、速いのだ。

 アルフが気を、闘気を高める方が。

 

「――――」

 

 時間が、長い。

 否、

 それはフェイトの時間軸での話だ。

 『エアレイド』で起こした振り下ろしの衝撃波を貫かれたフェイトは、現実時間では大きく目を見開いて、ブロードソードを握ったまま、己の腹が貫通されるのを見ていた。回避も、そうする準備もない。

 瞬きを落とせばいつの間にか、アルフの竜がフェイトを飲み込んでいた。

 

(――千切れる……)

 

 思考が鈍くなった所為か、レーザーウェポンの刀身を見詰めながら、フェイトは思った。

 それは己の腹のことか、あるいは意識か、――命か。

 どれともつかない言葉が、フェイトの脳裏を過ぎった。

 

「死ぬつもりか? フェイト」

 

 不意に、傍らから声が聞こえた。フェイトは、はた、と瞬く。瞳に、翡翠の双眸に、輝きが戻った。同時。フェイトの背負った白い翼が、消失した。

 

 ふ……っ、

 

 フェイトを覆っていた光とともに。

 途端、アルフにやられた腹の痛みが、激烈にフェイトを焼いた。

 

「……ぁっ!」

 

 思わず顔をしかめる。ついで腹を手で押さえると、――貫通されたはずの腹が、まだ繋がっていた。首を傾げると、視界の隅で炎が巻き上がった。

 フェイトの腹を穿った、バーストナックルと似て非なる赤い炎だ。

 力強く、フェイトを守る赤い炎だった。

 

「おぉっ!」

 

 鋭く放たれたその声は、フェイトの知っているものだった。

 

「あ、……ぁっ……!」

 

 つぶやく、フェイトの視界がじわりと滲む。

 

――コォオオオオオオオッ!――

 

 甲高い、朱雀の鳴き声がフェイトの耳朶を打った。地面が、揺れる。

 

 コゥ――……ッッッ!

 

 落雷にも似た、真空に身を投げ出されたような、音にもならない音を立てて。

 

「……っっ、っっっ!」

 

 タイネーブは――、否、ファリンや、途切れ途切れの意識の中、何とか目を開けているネルやロジャーまで、苦痛を忘れて、それに見入った。

 

 蒼竜を飲み込む、朱雀を。

 

 竜の三倍の大きさがある、その鳥を。

 

「覇ぁっ!」

 

 初めて、アルフの気合が唇を裂く。と同時、蒼竜が打ち負けた。

 迫り来る衝撃波を利用して、アルフが後ろに跳ぶ。レーザーウェポンを袈裟状に払った。一分の隙なく両手で柄を握り、刃を、アレンの放った朱雀に対峙させるように、アルフは堅く構えた。

 

「アルフさんが受け太刀っ!? ……いや、駄目だ!」

 

 アーリグリフ側から少女が叫んだのに呼応するように、防御体勢に入ったアルフを、朱雀が苦もなく吹き飛ばす。

 まるで人形のように、呆気無く。

 

 ズドォオオオオオンンッッ!

 

「……っ!」

 

 弾き飛ばされたアルフが、五メートルは上昇して、堕ちる。吹き抜ける風に身を委ね、地面と激突する直前、体勢を立て直して彼は見事に着地した。アルフは軽く右手をついた体勢で、目の前の男を睨み据えた。

 



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38.vs兼定

「へぇ……」

 

 ざんっ、と力強く着地したアルフは、煙を立てる自分自身の胸元を見下ろしながら、立ち上がった。軽く煙を払うように叩くと、傷一つついていないアルフの特務服が姿を現す。

 

「ば、かな……っ!」

 

「あれで、倒せないんですかぁ~!?」

 

 タイネーブとファリンが、思わず絶叫する。座り込んだままクリフを抱えているネルも、立ち上がれないままのロジャーも、顔が引きつった。

 化け物だった。

 戦いようのない化け物。

 先ほどまで善戦していたフェイトですら、唇を噛んでいる。

 

 瞬間、

 

 刀を納め、対峙するアレンの右手が輝いた。青く、白く――眩い光が空に向かってはじける。

 

「フェアリーライト」

 

 詠唱と同時、全てを包む慈愛の光が、空から降りそそいだ。温かく、眩い光の雨。その雲間から現れた、神々しい金の光に包まれた女性を見て、タイネーブたちは息を呑んだ。

 タイネーブとファリン――、否、アペリス教の人間ならば、誰もが知っている女性。

 月と雨を司る女神、パルミラだ。

 

「なっ、っっっ!?」

 

 天から召喚された女神の容貌にタイネーブとファリンが目を見開いている間。

 

「悪ぃな、アレン……」

 

 ぐぐ、とネルに抱えられたクリフが、身を起こした。そのクリフに小さく微笑んで、アレンはすぐさま鋭い視線をアルフに向けた。

 

「あ、あの傷を一瞬で……」

 

 施術士として目を剥くファリンが言うまでも無く、タイネーブはアレンを凝視していた。

 普通でない事は分かっている。

 あの傷が、一瞬で治るなど普通ではない。しかもそれは、クリフに限ったことではない。

 

「気をつけて。……奴は、本当に強い」

 

 緊張の面持ちでつぶやくネルの声が、力を取り戻している。

 ロジャーも、フェイトも。アーリグリフ軍と戦った時に負った、タイネーブ達の傷でさえ完全に。

 思わず顔を見合わせるタイネーブとファリン。

 カルサア修練場で、今更ながらに自分達が生き残った理由が分かった。

 

「一つ、確認しておく」

 

 言い置くアレンを、薄笑いとともにアルフが見る。

 

「フェイト達の傷は、お前がやったな?」

 

「他に誰かいたか? アレン」

 

 静かなアレンの問いかけに、問いで返すアルフ。瞬間、アレンは朱雀疾風突きの後、納刀した兼定(カタナ)に手をかけた。

 

「そうだな……」

 

 つぶやいて、アレンが、そ、と視線を下げる。

 

「お前にどんな考えがあるのかは知らない。……だが」

 

 アレンが鯉口を斬る。瞳はただ静かに、深く、蒼く、――今は冷たく、アルフを睨む。

 

「俺を怒らせたな。アルフ」

 

 いつもより格段に落ちたアレンの声が、タイネーブの耳に届いた。

 

 ざわ……っ、

 

 全身の、毛穴という毛穴が、収縮する。

 タイネーブが呼吸しようと息を吸うものの、萎縮してしまった身体が動かない。

 気温が急激に低下する――、否、低下した気がした。

 直接殺気を向けられているわけではないのに、目の前の青年が放つ殺気(それ)は、壮絶だった。

 

「あ、アレンさ……!」

 

 それでもどうにか、喜色を浮かべたナツメが、アレンに呼びかける。だが。その声は、ただ一瞥、無感動にこちらを見据えるアレンの視線によって制された。

 

「…………ぅ……っ」

 

 思わずナツメが閉口する。その彼女を置いて、『狂人』は嬉しそうに紅の瞳を細めた。

 

「いいね。久しぶりに、本気(マジ)()ろうか。アレン」

 

 アレンの、底光りする蒼瞳を見据えて、アルフもレーザーウェポンを握る。

 瞬間、

 

 ひゅっ……

 

 二人が、消えた。フェイズガンの光弾さえ見切れるクリフには、二人が同時に地を蹴ったのが見えている。

 が、

 

 ……ィンッ!

 

 次ぐ剣戟は、クリフですらいつ繰り出されたのかまったく見えなかった。鈍く、重い金属音。

 相手に刀の尺を、太刀筋を測らせない、見事な一振り。両者、抜刀術で挑んでいた。鈍い金属音は、鞘走りの音だ。

 と。

 珍しく、目を見張ったアルフが、己の得物を見た。

 

「……!」

 

 剣速、威力、踏み込み……。

 どれを取っても、まったく互角だったというのに――、

 

 パキンッ……

 

 アルフのレーザーウェポンが、無造作に切られたのだ。文字通り真っ二つに。

 その事実にアルフが動きを止めた、わずかな一瞬。

 

「バーストナックル!」

 

 轟っ!

 

 アレンの拳が、炎を宿してアルフに奔った。

 

(……げ)

 

 思わずつぶやいたアルフが後ずさる。わずか数ミリ。アルフの頬をかすめた拳は、後一瞬、アルフの反応が遅れていれば直撃だ。本能的に距離を取ったものの、アルフの頬にはうっすらと、炎の痕が残った。

 白い肌に、ただ一線。

 紅い線が。

 

「やってくれる」

 

 ドンッ! と鋭い踏み込み音を立てて、アルフはレーザーウェポンで無造作に突きを放つ。アレンの喉を狙った危険な一撃。『疾風突き』がアレンに迫る。

 切っ先の折れたレーザーウェポンで。

 が。

 パンッ、と軽くアレンに(はた)き落とされた。抜刀後、素早く納刀した剛刀(兼定)を握る、左手で無造作に。

 瞬間、アルフの瞳が鋭く光った。アレンの右手が、兼定の柄に走る。

 

(アレンさんが、抜く――っ!)

 

 傍観しているナツメが、ぐ、と息を飲む。

 同時。

 

「朧!」

 

 叫ぶアレンが、抜刀する。

 

 コォッ!

 

 およそ刀が立てる音とは思えない異音が迸った。突きを放ったアルフには、回避する手段は無い。

 否、

 回避など、最初(ハナ)から彼の頭に無かった。

 アレンの斬撃がアルフの肉を断つ。構わず、半身を切ったアルフが踏み込んでいた。

 

「砕牙ァッ!」

 

 重い踏み込み音を立てて、およそアルフらしからぬ気合の一閃が、迸る。

 

「!」

 

 そこで初めて、アレンが目を見開いた。瞬間。アルフの折れたレーザーウェポンから、凄まじい光量の雷が迸った。

 

 ずがぁああああんっっ!

 

「アレンっ!」

 

 一斉に、フェイト達が叫ぶ。

 アルフの抜刀術が、凄まじい雷を孕んでアレンと飛び違いざまに振り抜かれた。横に一閃。アレンの背後、一メートルのところまで剣を薙ぎ払ったアルフは、小さく舌打ちしながら、背後のアレンをふり返った。

 そして――……、

 

「砕牙の雷まで斬るのか?そいつは」

 

 アレンは兼定を、す、と立てただけの態勢で静止している。

 

「……俺も、驚いている」

 

 言って、アレンもまた静かに振り返る。そのアレンを、じ、と見据えて、アルフはレーザーウェポンを一閃した。

 途端。

 折れた刀は鉄の棒に姿を変え――、再び刀を模した。刀身が、完全に蘇っている。

 

「……なるほど。道理でお前がそんな古風なモン持ち歩いてんのか、納得した。未開惑星にまで来て、ちゃっかりしてやがる」

 

 にやりと笑ったアルフは柄を左手で握り、刀身を水平にして右手を添えるなり、か、と目を見開いた。

 

「あれは――!」

 

 思わず叫んだネルが、ば、とアレンを見る。アレンの方はアルフを睨んだまま、視線を動かさなかった。

 ――活人剣。

 前に一度、ネルに見せた、アレンの技だ。

 

(傷が――、治る!)

 

 喉を鳴らすネル。だが、活人剣は治癒の気功術。もともと大した傷を負っていないアルフには、意味の無い技の筈だ。

 なのに――

 

 ドォオッッッ!

 

 爆発音を立てて、レーザーウェポンの刀身が青白く輝くと同時、アルフの気配が変わった。

 どこがどう、というわけではない。

 暗色の紅い瞳が、さらに深い闇を宿して微笑んでいた。

 

「さあ、続行だ」

 

 踏み込み音の、切れが変わる。瞬間、アレンは兼定の刃を立てて――

 

 斬ッ!

 

 『双破斬』の初撃、斬り上げの一閃をアルフの(レーザーウェポン)ごと切り落とした。だが、刃を折られたアルフに驚きは無い。

 

(肉弾戦――)

 

 アレンは考えるまでも無く、ぐ、と拳を握るアルフに反応する。

 

「こいつは何も、刀じゃない」

 

「!」

 

 そのとき、アルフのつぶやきが聞こえて、アレンは目を見開いた。瞬間。レーザーウェポンが黒く光り、鉄棒から、フェイズガンへと姿を変える。

 

 ダダダァアンッッ!

 

 容赦ない三連打。

 アレンが、ぐ、と表情を引き締め、刀を振る。

 

「破ッ!」

 

 兼定を一振り。上段から打ち込んだアレンの剣線が風を呼び、眉間、喉、心臓を狙ったフェイズガンの光弾を、すべて断ち切る。

 が。

 それすらも読んでいたのか、アルフは嫣然と嗤って、フェイズガンを刀に戻していた。

 

「食らえ」

 

 アルフの剣が紅く輝く。炎と気、どちらも宿した強力な一閃がくる。

 アルフが吼えた。

 

「鳳吼破!」

 

「!?」

 

 あまりの異音に、フェイトが、クリフが、アルベルが目を見開く。だがそれは、この場にいる、ナツメを除いた誰もが同じで、誰もが同じ表情で、アルフを見やった。

 アルフの剣先から迸った、赤い鳳凰を。

 

――ォオオオオオオオオッッッ!――

 

 人の等身を、はるかに上回る鳳凰が啼く。

 

「アレンッッッ!」

 

 反射的にフェイト達の声が重なった。ぐ、とナツメが固唾(いき)を呑む。

 同時。

 

「破ァッッ!」

 

 裂帛の気合を込めて、アレンが兼定を振り切った。振り下ろした刀を、両手で右逆袈裟に舞い上げる。瞬間。アレンの瞳の色に呼応するように、兼定の刀身が青く輝いた。

 

 ……キィイインッッ!

 

 その剣線が、ただの一振りが、巨大な鳳凰を両断する。空破斬でも、朧でもない、斬線から風を巻き起こしたそのただの上段からの一振りが。

 

「……反則だろ、それ」

 

 小さくつぶやいたアルフの身体を、呆気なく吹き飛ばす。

 

 どふぅんッッ!

 

 否。

 

「さすがだな」

 

 それがわざとであることを一目で見抜いたアレンは、後ずさるアルフを見据えてつぶやいた。吹き飛ばされなければ、アルフは今の、兼定の斬撃で胸に深い刀傷を負ったはずだ。

 この男は、そんな致命的な判断ミスを行わない。

 知っているからこそ、アレンも兼定を振り切った。

 

 ――初めて。

 

 大地を二つに断つ兼定(バケモノ)を見据えて、アルフはナツメを振り仰いだ。

 

「おいナツメ。シャープネスを貸せ。……あの刀、意地でも叩き折って――いや、それが出来ないにしてもヒビぐらい入れてやる」

 

「ほ、ほぇ? 私の、ですか?」

 

 突如名指しされて、ナツメは腰に差した刀、シャープネスを引き抜く――手を止めた。

 

「……待ってください? あれって、今、鳳吼破を斬った刀、ですよね?」

 

 静かに確認して、彼女は、じ、とアルフとアレンを見やる。その彼女に、こく、とアルフが頷いてくる。

 

「心配すんな。活人剣を使った今の状態でも、シャープネス(それ)なら俺の本気に、……まあ、一回くらいは耐えてくれるはずだ」

 

「……ほ、本気の一撃って、あれ、ですよね?」

 

 遠慮がちにアルフを見る。するとアルフは一分の躊躇もなく、こく、と首を縦に振った。

 

「で、ですが! アレンさんだって、この刀ではあれの全力は出せないって……!」

 

その刀(シャープネス)の死を無駄にはしない」

 

「絶っっ対、お断りしますぅううう!」

 

 拳を握り締めて叫ぶと同時、ナツメの腰から、シャッと鞘走り音を立てて(シャープネス)が引き抜かれた。

 

「……え?」

 

 ナツメが目を丸くする。一瞬で間合いを詰めたアルフが、シャープネスを手に、言った。

 

「お前。ホント戦闘の時以外は油断しすぎだな。……じゃ、借りるぜ」

 

「ぎゃぁあっ!? 待ってくださぁあああああああいぃっっ!」

 

 泣き叫ぶナツメを置いて、アレンに向き直ったアルフが、に、と嗤う。滾るように、紅の瞳が、暗く輝いた。

 一方で、対峙したアレンは、少し緊張を解いていた。

 

「……相変わらずだな。お前達……」

 

 顔をしかめる彼の殺気が、和らいでいるのだ。それに舌打ちしたアルフが続けた。

 

「だが。……お前の仲間を殺そうとしたのは、俺だぜ」

 

 挑発をかける。微笑ったアレンは乗ってこなかった。

 代わりに――

 スッと刀を構えて、殺気に変わる鬼気――剣気を走らせる。これが答えだと言わんばかりに。

 

 ドンッ!

 

 先ほどまでの凍るような空気ではないものの、張り詰める緊張の度合いは、まったく変わらない。微笑っているが、相当の剣気だった。

 ぎゅっ、と。

 誰にともなく傍観者は拳を握り、固唾を呑んだ。

 

「一体、この勝負……どうなるってんだ……!」

 

 誰かが、つぶやく。

 瞬間。

 

「今度は、こちらから行く」

 

 アレンが踏み込んだ。

 

「――右っ!」

 

 反射的に、ナツメが叫ぶ。同時、アレンの横薙ぎが、アルフの右側面を狙う。瞬間。アルフの持つシャープネスが、眩い光を放った。

 

 ぱぁあああああ……っ!

 

 紅い瞳が、ぎらつく。

 

 きぃいいんっっ!

 

 迫り来る兼定の斬撃を、アルフがついに止めた。活人剣によって高められた、闘気に呼応したシャープネスによって。

 

「止めたっ!?」

 

「おぉっっ!」

 

 アーリグリフ軍から、歓声が上がる。

 口元に笑みを浮かべたアルフは、しかし、そこで大きく目を見開いた。

 

 ぅいん……っ!

 

 止めた斬線から剣風が走り、アルフの肉を裂いたのだ。――ケイオスソードのように。

 

「ちっ!」

 

 舌打ちながら、次ぐ上段からの切り下ろしを左に流す。作用点を、兼定が最も良く止まる一点を狙う、神経の磨り減る作業。それを嘲笑うように、アレンの斬線から放たれる剣風が、アルフの肉を斬ってくる。

 刃の軌道をずらしても、兼定は容赦なくアルフを襲ってくるのだ。

 

「破ァっ!」

 

 ギィインッッ!

 

 剣風を、アルフは流星掌の気功で消し飛ばす。が。

 

(……流すことも不可能か……)

 

 胸中でつぶやく。その時。眼前のアレンが、不敵に笑んだ。

 

「……良くかわした」

 

「!」

 

 言葉の意味を察して、アルフが身構える。同時。アレンが、兼定の柄に手をかけた。

 

「げ……」

 

「鏡面刹ッッ!」

 

 裂帛の気合が、アレンの喉を割る。と、同時。

 

「――……え?」

 

 そこにいる誰もが、あまりのことに口を開けた。

 ぽかん、と。

 

 ――ぴっ、ぴぴぴぴぴぴぴぴっ、

 

 音が、なかったのだ。兼定を振る、アレンの斬撃の音が。

 ただ――、

 気付けば、縦横無数の斬線が、空に描かれていた。

 

「ぉおおおおおおっっ!」

 

 紅い瞳を滾らせながら、アルフが吼える。

 他の者には、見えぬ斬線であったとしても、実力自体は互角のアルフには、斬線すべてが見えている。

 対応は可能だ。

 

「夢幻鏡面刹ッッ!」

 

 アルフの口腔を、気合が裂く。同時。横薙ぎから始まったアレンの斬線に、アルフの抜刀と唐竹が同時にぶち当たった。瞬間。アレンの刀が左、右袈裟状に振り落ちる。

 

 ヒュンッ!

 

「チッ!」

 

(速いっ!)

 

 互角――否、活人剣を使って、身体機能を極限に高めている今のアルフは、速度(スピード)腕力(パワー)共にアレンを上回っている。

 それを、兼定という刀が、圧倒的にカバーするのだ。

 アレンの放つ一撃が、アルフの二連撃に相当している。斬撃と――何より、剣風がやっかいだ。

 故に、アレンの斬線が速いと感じた。

 

 ギキィインッッ!

 

 アルフは息を殺しながら、左、右に走る兼定の斬撃を、横薙ぎと左右の逆袈裟で対応する。ついでアレンの胴薙ぎ――これに、疾風突きを合わせた。

 

「かかったな」

 

 そのときのアレンの言葉に、は、と瞬きを落とす。

 同時。

 

 カァアアアアアア……っっっ!

 

 兼定の刀身が、白く光る。眩いほどに青く、白く、澄んだ光を。

 ――アレンの眼光に、呼応するように。

 

「まずいっ!」

 

 アルフの気持ちを代弁するように、ナツメが叫んだ。瞬間。光の剣と化した兼定が、アルフの胴を下から切り払った。

 

 ズドォオオオオオンンッッ!

 

 轟音を立てて、アルフの身体が吹き飛ぶ。

 

「か――……っ!」

 

 今度は、計算などではない。完全に血反吐をばらまいて、アルフの身体が吹き飛んだ。

 ――フェイト達にはあの、音にもならない異音が聞こえた、その後の事象にすぎなかったが――。

 

「……な、んだとっ!?」

 

 つぶやくアルベルには、事態の、半分ぐらいは見えていた。

 

「アルフさんっ!」

 

 そのアルベルよりももう少し、動体視力に優れた少女には、事のおおよそが把握できている。

 吹き飛んだアルフが、アレンに切り払われる寸前、シャープネスを挟んでいたと――。

 誰よりも、アレンが知っていた。

 

「……さて、次はお前の番だ」

 

 悠然と口端を緩めて、アルフを睨む。そのとき。

 

 コオゥッ!

 

 吹き飛ばされたアルフが、地面に着地するなり、凄まじい闘気を背負った。

 青白い、すべてを凍てつかせるような、冷たい殺気を。

 

――ォオオオオオオオオオオオオッッ!――

 

 蒼竜の、絶大な冷気を。

 

「蒼竜……」

 

 ギンッとアレンを睨むアルフの瞳が、見開かれる。紅く、血の色に似た暗色の瞳が、ぎらりと底光った。その下で、ぐ、と握り締められたシャープネスの刀身が、どす黒く、紅く、輝く。

 

「鳳吼破ッッ!」

 

 アルフが唇を割くと同時、紅く染まったシャープネスの刀身から鳳凰が解き放たれる。鳳吼破同様、アルフが刀を振ることによって。

 

――グォオオオオオオオオオオオオオッッッッ!――

 

 蒼竜と紅い鳳凰が、折り重なるように吼え合いながら、アレンに向かって走る。その二匹は、すさまじい赤と蒼のコントラストをつけながら、猛速度(スピード)で空を駆り――、やがて、蒼い渦を巻いた赤い鳳凰へと姿を変えた。

 

 しゅぉおおおおん……っ!

 

 約十メートル。

 それが鳳凰の頭の(・・)大きさ(・・・)だった。

 対峙したアレンが兼定を構える。と。彼の瞳も、蒼く輝いた。

 ――兼定の刀身と、まったく同じ色に。

 

「朱雀……!」

 

 アルフとは逆に、赤い闘気の朱雀を背負ったアレンが、兼定の刀身から蒼白い光を放つ。

 迫り来る青光をまとった鳳凰に、アレンは斬撃を繰り出した。

 

「吼竜破!」

 

 ……っっ、コォオオオオ――ッッ!

 

 激突。

 青光をまとう鳳凰と灼熱を宿す蒼竜が、互いを食い合うように大口を開けてぶち当たった。

 瞬間。

 ばふんっ、という奇妙な音を立てて、フェイトの頬に、凄まじい熱風と冷風が吹き荒れる。

 

「……わっ!」

 

 思わず目を閉じる。

 風が、渦巻く。台風のように。竜巻のように。

 同時。

 赤い炎をまとった蒼竜が、鳳凰を――十メートル近い巨大な鳳凰を、完全に消し飛ばした。鳳凰の巨大な頭を、更に上回る巨大な竜の牙で。

 それが、次いでアルフを襲った。炎をまとった蒼竜にしてみれば、米粒ほどの大きさのアルフに。

 

 ずしゅぃんっ!

 

 鳳凰を食った直後、アルフに向かった蒼竜はアルフのシャープネスによって断ち切られていた。蒼竜鳳吼破が敗北すると、確信しての一撃だった。アルフは蒼竜鳳吼破で、アレンの朱雀吼竜破を減衰させ、ケイオスソードで断ったのだ。

 だが――。

 

「……やめた」

 

 シャープネスの峰で肩を叩きながら、アルフはふとつぶやいた。少し不満げに。否。彼にしてみれば、大いに不満で。

 

「活人剣使ってこの程度って事は、お前のその刀……、必殺技を強化させる紋章でも刻んでるのか?」

 

「いいや……」

 

 対峙したアレンが、構えを解く。

 アルフはシャープネスの刀身を検めながら、じ、とアレンを睨んだ。

 

「ってことは、ようやく自分の気に耐えうる武器(カタナ)を見つけたか……。まさか、活人剣を使った蒼竜鳳吼破まで、その状態で防がれるとは思わなかった」

 

「シャープネスが耐えられる、活人剣を使った奥義の上限は六割……。ならば俺が全力を出せば、いかに活人剣の奥義とて消せないわけはない」

 

「………………それだけか?」

 

「違うだろうな」

 

 片眉を上げて問いかけるアルフに、アレンは首を振る。ちらりと手元の、兼定を見下ろせば、己が偉業を自慢するように、兼定がキラリと輝いた。

 それに苦笑して、

 

(ガストに貰ったこの刀……。凄まじい!)

 

 その、まだまだ実力の断片を出したにすぎない相棒(カタナ)を見据えて、アレンは改めてアルフを仰いだ。

 

「さて」

 

 そう一言、言い置いて。

 

「サンキュ、ナツメ。……意外に頑張ったな。シャープネス(これ)

 

「無事で良かったですぅうう! ホントに、無事で良かったですぅうううう!」

 

 グズグズと泣き出すナツメに、アルフがシャープネスを返したのを確認して、アレンは本題を切り出した。

 相手の、真意を探るために。

 

「……何のためにここに来た? アルフ」

 

「ほへ?」

 

 開口一番の問いかけに、ナツメが首を傾げている。戦いの成り行きを傍観していたクリフが、弾かれたように、ば、と顔を上げた。

 

「っ!」

 

 クリフの妙な反応に、フェイトが不思議そうな目を向ける。

 だが当のクリフは警戒に表情を引き締めたまま、フェイトの無言の問いに答えなかった。

 代わりに、

 

「へぇ……。どこまで聞いてんのか知らないけど、そのクラウストロ人から、ある程度の事情は飲み込んだようだな? アレン」

 

 薄く嗤うアルフに、フェイトが瞬きを落とした。

 

「え……?」

 

 クリフと、アレンを仰ぐ。

 

 そう言えば――。

 

 アルフが、こちらを見ているのを確認して、フェイトは目を見開いた。

 

(そう、言えば……)

 

 ――……それが、お前の本性か。フェイト・ラインゴッド。

 

 遠い意識の端で、確か、アルフがそんなことを言った気がした。

 アルフがフェイトの何を見て、本性、と言ったのかは知れない。

 ――だが。

 

「……お前、どうして僕の名をっ!?」

 

 思わず叫ぶフェイトに、アルフは静かに嗤う。

 

「お前、本当に何も知らないつもりか?」

 

 逆に問われて、フェイトは、え、と言葉を詰まらせた。やや混乱した頭で、しかし努めて冷静に、言葉の意味を考える。

 が。

 フェイトが結論を出すより先に、アルフは話題を打ち切った。

 

「まあ、それならそれで構わない。ただ……一つだけ、同僚の馴染で教えてやるよ」

 

 これはアレンに向けての言葉だった。

 

「俺の計算だと、バンデーンがもうすぐ来る」

 

 そう、一言。

 

「――何?」

 

 眉をしかめるアレンを見据えて、アルフはそれきり踵を返した。話の流れについていけないアーリグリフ軍に向かって、アルフは言う。

 

「じゃ。用も終わったところで、とっとと引き上げようぜ」

 

「待てっ!」

 

 引き止めるフェイトに、アルフは答えない。代わりに――

 

「詳しい話は仲間に聞けば? 俺より、親切に教えてくれるはずだぜ」

 

 くく、と喉を鳴らしてアルフは去っていった。その背を、やや遠慮がちに見据えて、ナツメはアレンを振り返った。

 

「……アレンさん……」

 

 迷い猫のような、弱り切った視線を向けてくる少女に、アレンは無言で首を横に振る。

 今は何も言うな――。

 そう言ってくるアレンは無表情で、厳しい眼差しだった。

 

「…………うぅ……っ」

 

 アレンの二度目の拒絶を受けて、ナツメはしょんぼりと肩を落とすと、意を決したように踵を返した。とぼとぼと歩き始めるナツメの背が、彼女の苦難を物語るように寂しげだ。

 

 ――アレンの無事を信じて、わざわざ捜しに来た彼女にとって、敵対関係のまま、顔を合わせたというのに何の言葉を掛け合わないまま、去っていくのは辛い。

 

 ナツメの心情を、理解しているアレンは静かに瞼を閉じた。

 

(……すまない、ナツメ)

 

 声には出さず、謝罪する。拳を握ったのは無意識のことだ。

 だが、それも一瞬のこと。

 周りの誰にも気付かせないように未練を断ったアレンは、瞼を開けて、一同を振り返った。

 

「俺達も戻ろう。……アリアスで、話がある」

 

 そう。

 今後の指針を示すために。

 アレンは、フェイトとクリフ、そしてネルに向かって告げた――……。



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39.シランドへ

 アリアスに戻った一行は、作戦本部である領主の館へは行かず、近くの宿に顔を揃えていた。

 ネルが、そう提案したのである。

 

「……………………」

 

 そう広くない宿の一室で、暗い沈黙の中、口火を切ったのはアレンだった。

 

「すまなかった」

 

 一言。皆の前で頭を下げる彼に、ネルの表情が険しくなる。下唇を噛んだ彼女は、アレンを見据えて次の言葉を待った。

 

「皆も察した通り、先ほど戦ったあの銀髪の男は俺の知り合いだ。――仲間と言っていい」

 

「……っ」

 

 『仲間』。

 そう言い切るアレンに、フェイトの表情も険しくなる。だが。この場にいる誰よりも、鋭い眼差しを送るのはクリフだった。

 それが反銀河連邦(クォーク)としての反応か、それとも別の理由からなのかは、アレンには分からない。ゆえにアレンは、己の誠意を示すためにクリフの眼差しを受けたうえで続けた。

 

「俺にはアイツにどんな考えがあるのか、具体的なものは分からない。だが、一つだけ言えることは……」

 

 自分の知り得る、『アルフ・アトロシャス』という人物について。

 一同を見渡したアレンは、皆の表情が硬いのを確認して――、少しだけ寂しげに目を伏せた。ただ一瞬の間だけ。

 

「アイツは任務でここに来ている。恐らく連邦上層部(うえ)からの命令で。……それが何なのか、あなたには心当たりがあるんじゃないのか?」

 

 クリフを見る。クリフは難しい思案顔を浮かべた後、フェイト、アレンの順に視線を動かした。相手の表情を探るように。

 否、

 何か話そうとして、言葉で説明できない何かを、どう説明するか悩んでいるようだった。

 

「……まあな」

 

 答えたクリフは、ゆっくりと目を閉じた。

 

「……悪りぃが、ネル、ロジャー。それからタイネーブとファリンも。少し席を外してくれねえか?」

 

「……………………」

 

 クリフの提案に、ネルの視線が鋭くなる。

 猜疑と、抗議の目。

 そうなる原因を作ってしまった自分を詫びるように、クリフの代わりにアレンが、頭を下げた。

 

「すまない……。だが少なくともアイツは――アルフは『グリーテン』の任務を果たそうとしているだけだ。貴方々を巻き込んでおいて今更と思うだろうが、シーハーツに敵意は無い」

 

「……それを、信じろってのかい? アーリグリフと、漆黒と一緒に現れたあの男を!」

 

「信じてもらうしかない。……すまない」

 

 言って、じ、とネルを見るアレンに、ネルの鋭い眼差しが返ってくる。

 しばらくの間。

 ネルは不意に踵を返すと、無表情にタイネーブとファリン、それからロジャーに向き直った。

 

「行くよ」

 

 それだけ告げて、部屋を出て行く。

 

「ね、ネル様!?」

 

 その彼女に意外性を感じたのか、タイネーブが問い質すような声をかける。ネルはふと足を止めた。振り返らず、部屋の外に視線を置いた状態で、

 

「私は先にクレアに経過報告をしに行ってくる。……アレン。あんたにはカルサアでの成果についても話してもらわなきゃならないんだ。分かってるだろうね?」

 

「ああ」

 

「そう。……なら、いい」

 

 つぶやいて、ネルが颯爽と部屋を出て行く。その後を慌ててタイネーブとファリンが追った。珍しく最後尾となったロジャーが、不安げな眼差しをアレンに向けていた。

 

「……兄ちゃん……」

 

 ロジャーらしからぬ弱り切った声に、アレンが視線を向ける。アレンは複雑な表情だった。ロジャーは不安そうに尋ねた。

 

「兄ちゃんは……、敵、じゃねぇよな?」

 

 問われて。覚悟していたが、アレンは一瞬、喉を詰まらせた。

 あの時のアルフの選択が、恐らく連邦の最適解だと分かっているからこそ、アレンは即座に二の句を告げない。

 

 ――任務とはいえ、連邦軍人が無関係の人間を傷つけるなどあってはならないというのに。

 

 彼が、アルフが、合理的な手段以外を選ばない男と知っているからこそ。

 アレンは拳を握った。

 

「ああ」

 

 その言葉の危うさを、誰よりも知っていながら。

 アレンは敢えて、それを口にした。

 

「……俺は、約束を守る。この先何があろうと――、決してロジャー達の敵にはならない」

 

 力強く、そう。

 

「!」

 

 瞬間。先に部屋を出て行ったネルが顔を上げた。

 驚いたように、は、と。

 

「ネル様?」

 

 そのネルの反応に、会話を聞いていなかったタイネーブが、問いかける。だがネルは振り返らず、しばらく、じ、と足元を見つめて――、

 

 ………………

 

 それから一階に下りていった。

 代わりにこちらを見るロジャーの表情が、ぱぁ、と明るくなる。

 

「そっか! なら、許してやるじゃん!」

 

 言ったきり、ぴょんっ、とロジャーは高くジャンプして、上機嫌に部屋を出て行った。その彼等の背を見送って、クリフが苦笑するように肩をすくめてみせた。

 

「ったく。単純な奴だぜ」

 

「……それで」

 

 フェイトが言い置き、クリフ、アレンを順に見る。先ほど戦ったアレンの同僚という青年の話を把握するために。

 クリフはがしがしと頭を掻きながら、まだあれこれと考えている。観念したような眼差しが、フェイトに返ってきた。

 

「まあ、なんだ。俺が知ってる事はなんつーか……。口ではちょっと言い表しにくいことでな。お前がそれを、信憑性を持って聞けるかどうかも微妙なところだ」

 

「信憑性?」

 

「ああ。実際、アイツに会って話をしねぇと納得も理解も出来ねえはずだ。――前も言ったが、俺が説明しても意味がねぇ。だから、俺は反銀河連邦(クォーク)親分(リーダー)が来るまで、と話を先送りにしてきた」

 

「だから、そのリーダーに会えばって! 一体、なんなんだよ!? 会えば何が分かるって?」

 

 フェイトが苛立たしげに問いかける。クリフの煮え切らない態度に焦れてきたのだ。

 強烈な敵がフェイトの前に現れた。それも、フェイト自身の何かを知っているらしい相手と、今後も戦っていかねばならない。

 そんな状況が、フェイトの心を粟立たせる。

 耳を傾けていたアレンが、問いかけた。

 

「そのクォークのリーダーは、ラインゴッド博士と関係がある人物なのか?」

 

 唐突に。

 

「え……?」

 

 振り返ったフェイトが不思議そうにアレンを見る。アレンは構わず、クリフを観察して――、フェイトに視線を向けた。

 

「考えてもみろ。クリフの話を統括すると、バンデーンにロキシ・ラインゴッド博士はさらわれ、その時期を境に、クォークのリーダーがお前に接触を図った。つまり、ラインゴッドの血縁者を巡って、少なくとも二つの組織が動いたんだ」

 

「父さんが……」

 

「察するに、クォークのリーダーは以前からお前に会う機会をうかがっていたんじゃないか? クォークのリーダーが知っている、お前についての何かを伝えるために。博士がバンデーンにさらわれたあと、連邦やバンデーンよりも早く、ハイダから脱出したお前をクリフが発見できたのは、バンデーンの襲撃目的を予想していたからだろう。……何故予想できたのか? それは博士がさらわれる理由を、クォークのリーダーが知っていたからだ」

 

「バンデーンに、父さんがさらわれる理由を?」

 

「ああ。でなければ襲撃直後、遭難したお前をクリフが一週間もせずに発見するのはおかしい。事件当時、クォーク艦がハイダ近くの宙域にあったのでもない限り、な」

 

 言いながらもう一度、クリフを見るアレン。そのアレンの言い分に、フェイトは深刻に表情を歪め、合点できずに首を傾げた。

 

「だからって父さんと反銀河連邦(クォーク)のリーダーに何の関係が? ……あり得ないよ。だって父さんは銀河連邦の研究員で……、一体どんな関係が持てるっていうんだ?」

 

「それは分からない。だが、少なくともバンデーンの狙いにはフェイト、お前も含まれているはずだ」

 

「僕が?」

 

 フェイトがぐっと表情を固め己を指差すと、アレンは頷いた。横目にクリフを見る。

 

「反銀河連邦のリーダーが民間人のお前に個人的ではなく、クォークという組織を寄越してきたのは、それだけフェイトが一部の人間にとって重要な人物だからだ。……違うか?」

 

「出会ってから今まで、何も反銀河連邦(おれたち)について聞いて来ないと思ったら……。そこまで読んでやがったか」

 

 ふ、と失笑して、クリフはお手上げと言わんばかりに肩をすくめた。だが、表情を改めたときには、真剣な眼差しでアレンを慎重に見ている。

 

「だがなアレン。お前そこまで分かってんなら、どうしてフェイト(こいつ)について何も聞いて来なかった? バンデーンが狙う標的だってのに――」

 

「だからフェイト自身がある程度、事態に対処出来るよう彼を鍛えている。いざという時に選択肢が無いというのは、なるべく避けねばならないからな」

 

「いや、そうじゃなくてだな」

 

 頭を掻くクリフに、アレンは、愚問、とばかりに静かに微笑った。

 不敵に。

 他の者を寄せ付けぬ、絶対の自信を込めて。

 

「……彼自身が何者であるかは、俺にとっては大した問題じゃない。俺が気にすべき点。為さねばならない点は、いかな状況であっても民間人(フェイト)を守ることだ。敵がバンデーンなら尚のこと。俺は俺に出来ることをする。――軍人として。友人として」

 

「!」

 

 瞬間。クリフとフェイトが、目を見開いた。

 迷う事無く、フェイト自身、と言い切ったアレンの洞察力にクリフが、友として自分を守る、と言ったアレンの人柄にフェイトが、それぞれまったく別の理由で、しかし、同時に息を呑んだのだ。

 クリフの反応を受けたアレンが、失笑気味に微笑う。

 

「あれだけ無関係な人間を虐殺したバンデーンが、この星に来ると言うんだ。ただの民間人のフェイトを巡って、クォークの貴方、そして連邦軍人のアルフがいるこの星に。これでフェイトに何もないと言う方があり得ないだろう」

 

 そう言い置いて、アレンは静かにフェイトに向き直る。蒼瞳はいつにも増して深い感情を滲ませていた。

 

「フェイト。俺がこんな事を言うのはお門違いかもしれないが。俺も、クリフ自身を信じている。彼はお前の為に身体を張れる。恐らく任務ということを度外視しても、お前が思っている以上に、お前のことを考えている男だ。そのクリフが会えば分かると言うのなら、今は待とう」

 

「…………」

 

「自分が何者であるか、当事者のお前が気にするのは当然だ。だが、いずれ分かると言うなら、性急になる必要は無い。クォークが来るまで――、もしかしたらバンデーンが来るまで取っておけば良い」

 

「…………ああ……」

 

 静かに微笑うアレンに、フェイトはぎこちなく頷いた。

 アレンの言いたいことは分かる。おかげで、クリフが何も話さないことについても、ある程度の納得はできた。

 だが――、

 

(……それでも、バンデーンが僕を狙ってるだなんて……、非現実的すぎるだろ……? 僕は普通の、ただの一般人だっていうのに……)

 

 父親がさらわれた現実と、バンデーンの狙いが自分だという非現実が、どうしても理解に二の足を踏ませる。

 ―――それに。

 

(それにもし……。もし仮に、奴らの狙いが真実(ほんとうに)僕だったら……、ハイダは、ヘルアは僕の所為で……?)

 

 ハイダが炎に飲まれたのも。

 ヘルアの乗組員を犠牲にして、逃げなければならなかったのも。

 ――ソフィアと、別れることになったのも。

 

(ソフィアを……、皆をあんな目に遭わせたのは、僕の所為、なのか……?)

 

 考えると、ぞ、と背筋に寒気が走った。恐ろしいまでに、ぞわりと全身の毛穴が開く感覚に、フェイトは一瞬、身を強張らせた。

 

 ――そんな筈は無い。

 

 ささやく声が、思考に歯止めをかける。即座に歯を噛んだフェイトは、ぶんぶんと頭を二つ振って、思考を断ち切った。

 

「……………………」

 

 フェイトの様子を無言で、アレンは見ている。今、自分(アレン)が言った事に何も嘘は無い。

 無い、が――。

 

(この先、何が待っているか分からない。だが、その状況に陥った時、フェイトの精神(こころ)が折れない事を、俺は祈るしかない)

 

 彼の未来が過酷であろうことは、想像がついていた。恐らくそのとき、自分は力になれないことも。

 

 ――当事者では、ないのだから。

 

 アレンは静かにクリフの横顔を一瞥して、目を伏せた。

 

(ロキシ・ラインゴッド博士……。紋章遺伝学の銀河的権威……)

 

 バンデーンが狙う、博士の息子。

 その関連から導き出せる結論を、アレンは胸の奥に押し込める。

 誰にも気付かせぬように。

 ただ杞憂である事を願って。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 ――アリアス作戦本部、領主の館にて。

 宿を出た後、その足でクレアの元に向かったネルは、ロジャーを置いて定時報告に来ていた。

 

「すまないね、クレア。後のこと、頼んだよ」

 

 ネルはいつものように報告を終わらせたあとクレアを労い、急ぐように席を立つ。頷くクレアが、真剣な眼差しをこちらに向けてきた。

 

「心配しないで。……シランドに戻るのね?」 

 

「ああ、極秘のはずの施術兵器……。サンダーアローのことがアーリグリフに筒抜けなんだ。早急に陛下に報告しておく必要がある。奴らも馬鹿じゃない……。きっと何かしら動いてくるはずだよ」

 

 言いながら、頭の隅ではアレンと同じ服をまとった――あの男のことを考えている。

 奴がどう動くのか。

 それによって戦況も変わる。さすがにアルフの事ばかりは、クレアに報告せざるを得なかった。

 ――アレンの信用を、一時落としてしまうことになるが。

 

(彼ならきっと、その辺は自分で何とかするさ……)

 

 心のどこかに、確信めいたものがあった。

 そのネルの沈黙を『悩み』と取った目の前の親友は、気遣わしげに声を落としてきた。

 

「その件なんだけれど、私の部下で一人行方知れずの者がいるのよ。あなたたちが戻って来てすぐにいなくなったわ。恐らく、彼がアーリグリフに情報を流していたのでしょうね……。残念だわ」

 

「そう……」

 

 ちらり、とこちらを伺ってくるクレアが、アレンとの関連性を指摘しているようだったが、ネルは取り合わなかった。

 

「そろそろ、決戦の時が近いのかもしれないね」

 

 ネルは扉を見やる。

 そうやってクレアの話題に乗らず、アレンへの信頼を態度で表すと、一瞬、む、とクレアの表情が固まったが、ネルは気付かなかった。

 

「……まったく、貴女は。えらく彼を信用してるのね……」

 

「まあね。……アレンはあの時、迷う事無く私達に加担してくれた。相手が自分の本来の仲間と理解した上で、自分の国でもないシーハーツのために。私がアレンの立場で、もしあの時、戦った男がクレアだったら……私はアレンのように動けたかわからない。私たちのような信頼関係があの二人にはなかったのだとしても、仲間に刃を向けるのは相当に覚悟がいる事だよ。……そう思うんだ」

 

 言った彼女の口許に宿るのは、クレアの知らない、力強い笑みだ。

 誰かを励ますためでも、己を奮い立たせるためでもない。この戦時中、少し前までクレアは一度も見たことの無かった笑み。どこか楽しげで、子供のように純粋なネルの眼差しは――以前、台地奪還の即日決行を言い始めた、あの無茶な夜を思い出させる。

 ネルはドがつくほど実直な人間だ。その彼女が作戦立案をしたなら、クレアは恐らくハラハラさせられることはあれ、度肝を抜かれたりはしない。事前相談と報告が、必ずあるためだ。

 ならばクレアですら全容を掴めない状況で、ネルが未来を期待するような、そんな表情にさせる無茶な作戦の首謀者といえば――

 

「……そう。それは何よりね」

 

 つぶやくクレアの声が、そっと落ちる。

 

「どうかしたかい? クレア?」

 

 表情を凍らせている親友を、ネルが不思議そうに尋ねてくる。クレアはふるふると首を横に振った。少しだけ愁いを帯びて。

 

「まあ、そこは追々、決着をつけていきましょう」

 

「……ああ?」

 

 合点のいっていないネルが、曖昧に返事をする。気にせず、クレアは続けた。

 

「それじゃ。私達も会議室で皆さんを待ちましょうか」

 

「ああ」

 

 いつもどおり、クレアがにっこりと笑うと、ネルが安心したように頷き、席を立つ。

 その背を見送って――、クレアは、そ、と目を閉じた。

 

「……アペリスの御加護がありますように」

 

 それはネルにか、自分にか。

 つぶやいたクレア自身にも分からなかったが――。

 

「少なくとも、そう簡単にネルはあげませんよ。アレンさん……」

 

 言ったクレアは、挑戦的に、ふふ、と微笑んだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 カルサアでアレンが行なったウォルター老との会談は、思いの他うまくいっていた。

 アレンの提案した『和平』にウォルターは合議しなかったが、代わりに一時、風雷はシーハーツ軍との交戦を避けると口約してきたのだ。

 

 ――それもアストールの報告によれば、なかなか積極的な姿勢(かたち)で。

 

 この予想外の展開には、クレアも、そしてネルでさえも驚いた。

 

「一体、どんな手段()を使ったんだ? アレン」

 

「技術協力の話を持ちかけただけだ。寒冷地でも食糧を栽培するための」

 

 本人から報告を受けたとき、誰もが抱くクリフの疑問に、アレンは簡潔に答えた。

 曰く、ネルも知らなかったが、グリーテンには植物を強化させる技術が発展しており、その技術を使って寒さに強い植物を培養する、というのだ。

 これがうまく行けば、アーリグリフは雪山にも稲を植えられ、食糧難に喘ぐこともなくなるという。

 その話をどうやってウォルターに納得させたのか、ネルには分からないが、あの慎重な老人が動いた、ということは、それなりの証明をやってみせたのだろう。

 にわかには、信じがたいが。

 

 ――そうして

 

 シランドの女王に現状報告をしにいくことになったフェイト達は、アリアスでアレンと別れた。

 アーリグリフ軍の動向を気にしての、アレンとしては同僚の動きを配慮しての、提案だった。

 

「もしアルフがアーリグリフ側につけば、あいつを止められるのは俺しかいない。仮にもシーハーツ軍に余計な重荷を負わせた本人が、一番危険な場所(ここ)を離れるわけにはいかないだろう」

 

 と、いう言だった。

 一応の承諾と、何より、何故かクレアからの大賛成を受けて、アリアスを出たフェイト達は、これよりシランドに向かうこととなる。

 

 フェイト自身の事。

 シーハーツの戦況。

 

 道中に考えねばならないことは多い。

 アレンがいないだけで、シランドとはこんなに近い都市だったのか――。と誰もが思ったのは、その日、フェイト達だけの暗黙の了解となった。



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side phase1 アレンとクレア

 日中のアリアスは天候に恵まれ、澄み切った青空と照りつける陽射が心地良い。

 村の中心にある領主の館には、シーハーツ軍が駐屯している。屋内のため、武具を身につけている者は少ないが、シーハーツ軍最高司令官クリムゾンブレイドの前とあって、場の空気はいま凛としていた。

 皆、一様にある男を見ている。最高司令官、クリムゾンブレイドのクレアを含めて。

 

「本日付でアリアス配属となった、アレン・ガードです。女王陛下の仮の刃という名目でクリムゾンセイバーの名を拝領しましたが、ここではラーズバード指揮官に従うつもりです。――これから、よろしく頼みます」

 

 几帳面に一礼した青年は、会議室に集まった兵士を、一人ひとり見渡した。

 金髪碧眼。

 どこにでも居そうな青年だが、一つだけ、他の若者と違う点がある。

 瞳だ。

 色は珍しくない。濃い蒼色の瞳。だが、彼の眼差しはスッと前を向いていて、底知れない自信や誇りに満ちている。

 

(あれが、噂の……)

 

(しかしアリアスの台地を取り返したのは、ネル様では……)

 

(カルサアの件もあるぞ……)

 

 会議室がにわかに活気付く。シーハーツ軍人としてその場に集まったクレアも、また、値踏みするような視線を向ける一人だった。

 

 

 

 ………………

 …………

 

 

 

「どうにも、腑に落ちない点があるんです」

 

 改めて二階の客間を通されたアレンは、荷物を棚に置いた後、後ろを振り返った。

 部屋の戸口に、女総司令官クレアが立っている。

 ちょうど自分が初めて、この部屋で目覚めた時と同じ距離間だった。

 アレンが首を傾げた。

 

「腑に落ちないこととは?」

 

 初めて会った時より数段警戒の混じった視線がアレンを貫き、小振りな彼女はこくりと首を縦に動かした。その際、肩から落ちた黒と青の縞模様のマフラーを手で払いながら言ってくる。

 

「アレンさん……でしたね? 貴方は、アリアスの台地を取り返す時――もしや我が軍にスパイが潜伏していたと気付いたのですか?」

 

 アレンは答えず、わずかに目を細めた。クレアを観察する。

 ぶらりと落ちたクレアの右手が、静かに握りしめられた。彼女は言った。

 

「貴方はあの時、台地の状況を聞くや否や、その日のうちに作戦を決行しました。でも――状況的に言えば台地奪還は急務じゃない。確かに、早い段階で奪還できればアリアスの村人達に希望を与えます。けれど、村の防衛線に直接かかわらない以上、タイネーブが言っていたように一日置いてから決行してもなんら不都合はなかったはずなんです」

 

「……だから、あのとき私が報告と同時に動いたのは、貴方が知らなかった情報を――アーリグリフに情報を横流すスパイがいたことを私が知っていたと?」

 

「ええ」

 

「いい判断です」

 

 アレンは小さく笑った。クレアの眼差しは変わらない。相手の一挙手一投足を逃さない――そんな厳しい視線をアレンに送ってくる。

 彼女は続けた。

 

「それでは、貴方はスパイがいることを知った上でそれを放置した、という認識で間違いないですか?」

 

「誰がスパイだ――とまで分かりませんでしたから、手の出しようがなかったんです。それに聖王都(シランド)にもアーリグリフのスパイが潜り込んでいましたので、どこで発言するのかは難しいところでした。……台地の奪還はアーリグリフ側に、シーハーツ軍にはまだまだ余力があると見せつけ、スパイを黙らせるために、早目に片付けたかったんです」

 

「まさか、シランドにもスパイが!?」

 

 息を飲むクレアを、アレンは手で制した。

 

「残念ながら、そちらは見事に雲隠れしました。スパイが居たらしい場所の特定は済んでいます。封魔師団の報告書を見れば向こうの状況も何となく見えて来る……。私がカルサアに行った時期を覚えていますか?」

 

 ここでアレンは、無意識の内に自分のことを『私』と称していた。これは軍人としての彼の癖で、彼は(おおやけ)の者と認めた相手と話すとき自分のことを『私』と言いかえる。

 これまでネルに協力しているだけに過ぎなかった彼が、シーハーツ軍人として思考している証だ。

 クレアは思考しながら、答えた。

 

「ほんの二、三日前ですね」

 

「ええ」

 

 アレンは頷いて、戸口のクレアに近づいた。その彼女の脇を抜けて、通路を視線で指す。

 

「とりあえず、場所を移しませんか? 大した話ではありませんが、念のために」

 

 彼がアーリグリフのスパイを懸念しているのだと悟り、クレアは小さく頷いた。

 

 

 

 話す場所として二人が選んだのは、パルミラ平原ではなくアイレの丘だった。

 ここなら、いつアーリグリフ軍が攻め込んで来ても、すぐに対応できる。

 アレンはアリアスの村近郊を流れる川が、大海に向けて広がっていく様を見ながら、話を続けた。

 

「さて。カルサアでの成果は、一昨日ネルが居る時に話しましたね」

 

 クレアを振り返る。

 彼女はすぐさま頷き、同じく大海を見据えながら答えた。

 

「アーリグリフに技術協力をする話でしたね。寒冷地でも栽培できる食糧があると、ウォルター伯爵を説得されたとか」

 

「ええ。シランドで調べ物をした時に、アーリグリフのこれまでの動きを資料室で一通り見せてもらいました。――その結果、かの国が侵略戦争を続ける理由は、主に食糧不足から来ている可能性が高いのです」

 

「……そんな問題……、それだけの理由で我が国を攻めたてに?」

 

 クレアの声に失笑が籠もる。

 今回の戦争の発端は、現アーリグリフ王がアペリス教徒に暗殺を企てられた、という証拠不十分な見解から始まった。そのために多くの罪のないアペリス教徒達が不当に処刑台にかけられ、アーリグリフの勝手な都合でシーハーツの軍人達も命を落とすことになったのだ。

 

「自国の民が飢えるのを見たくないなら、正式にシーハーツに援助を求めればいいだけのことでしょう? 剣と炎で、相手を蹂躙する必要なんてない。それが……あの人達には分からないの?」

 

「飢えている子どもに食料を分け与えれば、その子はその日だけ生き残ることが出来る……。けれど、その次の日も、またその次の日も食料を与え続けられなければ、その子はまともな一生を送ることはできない」

 

「……どういうことですか?」

 

 クレアは胸がざわつくのを感じながら、アレンを見た。胸元に手をやる。その手を握りしめた。

 アレンは言う。

 

「援助と言うのは、その先に相手が自立できる見通しがなければならないんです。食糧援助は効果こそ高いものの、いわゆるその場凌ぎの政策に過ぎない。その国を本当に思うなら、一時的な救済措置でなく、その国が自立するためのノウハウが必要になってくるんです。……けれど、アーリグリフは知っての通り、一年の半分以上が雪におおわれ、シーハーツのような凍らない土地を見つけることが難しい。――そんな環境で、食糧を栽培するというのは並大抵の技術ではないし、かといって一方的に食糧を貰い受けるだけの国になり果てれば、アーリグリフはいつしかシーハーツが内政干渉をして来ても、生き残るために従わざるを得なくなる」

 

「我が国の属国となると?まるでこちらが援助をすれば、内政干渉するのが当然のように仰られるんですね」

 

「ええ。利害なき国交はあり得ませんので。シーハーツとアーリグリフが友好な関係にあった頃は、アーリグリフに鉄がありました。優秀な鋼が、銅が、山を少し掘れば見つかった。その時代に、資源に頼らない生活を模索すればよかったものを、アーリグリフの人間にそこまで知恵の回る者は影響力のある場に残念ながら現れなかったようです。そのため、現国王が食糧枯渇に躍起になって、この戦争を起こさざるを得なくなった――。それが今回の戦争です」

 

「……その話を聞いていると、我が国(シーハーツ)にはまったく落ち度がないように見えますが……」

 

「何か思うことが?」

 

 クレアは自国に非はないと言いながらも、表情を陰らせていた。

 アレンには、その真意はわからない。

 クレアが顔を上げる。

 

「教えと……違い過ぎているのです。戦争というのは」

 

「アペリスの?」

 

「……ええ。シーハーツの国民は、そのほとんどがアペリス教徒として育ちます。毎朝聖書を読み、食事の前に、私達が生きるために今日犠牲となった尊い命に祈りを捧げる。……相手を傷付けず、盗まず、殺さず。訓令にはそうあるのに、私達は時に、それを自ら冒さねばならない。自分達が生き残るために」

 

 そこまで言って、クレアは自嘲気味に笑った。

 

「変ですよね……。アーリグリフのことは自業自得と考えるのに、口では『人を愛し、慈しむべし。いかなる存在も、その魂の価値は等価である』なんて。

 私は部下を――分の悪い戦いにも向かわせます。それを嫌だと思っているのに、自分ではどうにも出来ないから、仕方がないと諦める。……なのに、いくら諦めても――心のどこかでネルのように変わらない、純粋な姿が羨ましい。変われない自分が疎ましくて、自分が変わってしまったら、味方にどれほどの被害が出るのか、冷静に計算する自分が浅ましくて、どうしようも……!」

 

 クレアの声は徐々に熱を帯びていき――、震える。

 彼女は少しうつむくと、唇をかみしめて、喉の奥から絞り出すように言った。

 

「たまにたまらなく、自分が怖くなるんです。……アレンさん。もし貴方がアーリグリフに技術提供をすれば……、すべて丸く収まりますか?」

 

「すぐにとは、いきません。両国の溝はあまりに深い。アーリグリフが過剰な力を得た以上、シーハーツ側もそれなりの力を見せなければ、対等の交渉は出来ないだろうと考えています」

 

「……そうやって、あなたはすぐに結論を出せてしまうんですね」

 

 抑揚のない彼女の声を聞いて、アレンは目を細めた。

 クレアは――歯痒いのだ。

 才能に溢れながら、周りの人間に絶賛されながらも、彼女は本当になりたい姿とはかけ離れた現実に対する嫌悪。

 それは数か月前までは、耐えられた。

 けれどこうして――ネルに影響を与えた男と正面から向き合って、自分にはない相手の知識の広さが、憎いと思った。

 彼らはクレア達が死ぬ気でやってきたことの、さらに上を行って見せる。

 それが憎い。

 カルサア修練場から、同胞を助ける手立てなどクレアは生み出せない。

 台地の現状を聞いて、その日の内に二軍編成のアーリグリフ軍を相手に、勝利する術などクレアにはない。

 この状況で――戦争以外の方法を模索する余裕など、クレアにはない。

 ネルを明るい笑顔にしてやることも、クレアには出来なかった。

 

 ――なのに。

 

 拳を握りしめた。

 嬉しいことばかり起こっているのに、なぜこんなにも気持ちが晴れないのか――自分の心が汚れているのか、彼女にも理解できない。

 アーリグリフから現れた助っ人が、アレンの仲間であると聞いて――心のどこかで、なぜ自分は喜んでしまったのか、彼女は理解したくない。

 顔を上げてアレンの顔を見ると――悲しそうな表情をしていた。

 クレアを憐れんでいるというより、遠い昔を思い出しているような、そんな目だ。

 クレアは不思議そうに瞬いた。

 アレンが言う。――彼が結論を見出す理由を。

 

「間違いを……たくさん冒して来たからですよ」

 

「――間違いを?」

 

「ええ……。私は――私も、ずっと胸を張れるような道を進んではきませんでした。時には斬りたくない相手も、斬ってはならない人も手にかけた。……幼い頃は、そんな自分が、どれだけ相手の心を、命を蹂躙するかも分からずに過ごしていました。しかし時に、相手の気持ちが断片的に理解できてしまうことがある。それでも私は――人を斬る以外に選択肢があることに気が付かず、馬鹿の一つ覚えのように同じことを繰り返していた……。何度も、何人も――手にかけた。剣術の鬼才だとか、次代を担う才子だとかいくら言われても、私は自分がどうしようもない愚か者だとわかっていました。そのうえで生きることを捨てられず、自分にはこうするしか道はないんだと言い聞かせて生きていました。――あの人に、出会うまで」

 

「あの人?」

 

「私の上官です。その人は、剣を振るしか能のなかった私に、こう教えてくれたんです。

 『軍人は、民間人を守るためにある』と。

 私はそれまで父に『情けを捨てて人を斬れ』と教えられてきました。けれど、父の考えに共感できず、私は戦う宿命から逃げられないのなら――せめて相手の意を汲み、情けを持って斬れる人間になろうと努めていました……。

 同じ『斬る』でも、それが彼らのせめてもの救いになれば、と。

 けれど上官は違った。彼は『民間人を守るために剣を振れ』と教えてくれたんです。ずっと――相手を殺すことしか考えてこなかった私に」

 

「…………」

 

「もちろん、民間人を守るためでも、人を斬ることがまったくなくなるわけではありません。それでも――あの日から私の視野は格段に広がった。相手を必ず殺さずともよくなった……! それがどうにも嬉しくて、あの人が笑ってくれて――皆が私を認めてくれた。

 私の判断を、拙いながらもどうにか死者を出さずに事件を解決できたあの日、皆が褒めてくれた……。その感動が今でも忘れられなくて――、相手と和解出来る喜びが、人を斬ることよりもどんなに大切で、尊いのか――。それを知ってしまったから、私は色んなことを模索しないと気が済まなくなってしまったんです」

 

「それが、……貴方が我々とは異なる結論を導く理由……?」

 

「それだけでありません。私の育ったところは、ここよりもずっと、戦争を繰り返してきました。その度に作られてきた多くの記録を見、見識を広げる機会があったんです。――だから、私は運が良いのでしょう。

 多くを学べる環境にあり、正しい方へ導いてくれる人がいた。

 上官に出会えなければ、私は今のようには生きられない」

 

 そう言って嬉しそうに、誇らしげに微笑むアレンを見て、クレアは視線を落とした。

 溜息が零れる。

 

「……何か?」

 

 アレンが不思議そうに首を傾げる。クレアはなんでもない、と答えた。

 

(……ズルイわね、これは……)

 

 そう思った。

 アレンの表情を見て。

 これでは――アレンを疑う人間が、汚く見えてしまう。

 自信満々に笑うネルを思い出す。

 そういえば誇らしげな表情が少し似ていた。

 クレアは長い溜息を吐くと、アレンを振り返った。

 

「貴方の作戦……、巧く行くといいですね」

 

「……ええ。まずは、シーハーツ軍の力をアーリグリフに見せつけねばなりませんから」

 

 『戦争』の話をする時、アレンの表情からは柔らかいものが消える。

 それは『守るべき』と定めたもののために、あらゆる事象を完全に割り切って考えるからこそ出来る厳しい表情だ。

 彼は――誰かを『守る』行為に、妥協しない。それにこの上ない誇りを持っている。

 

(そういうところが、――そのまっすぐさが、ネルに気に入られたのかもしれないわね)

 

 『クリムゾンセイバー』。

 

 もう少し彼等のことを、信頼してもいいのかもしれないと、心の中でつぶやきながら。

 大海から視線を外す。アレンを見上げて、クレアは言った。

 

「アレンさん。貴方に名前(ファーストネーム)で呼んでもらうのは、こちらが仲間として認めた証、でしたね?」

 

「え……?」

 

 アレンが意図をはかりかねて、首を傾げた。ネルの時はそう認識した、と以前、彼が言ったのをクレアは覚えていたのだ。

 クレアは小さく笑むと、続けた。

 

「ならば私のことは、クレアと呼んでください。プライベートでの、ネルとのことはまだ認められませんけど」

 

「いえラーズバード指揮官、貴方は誤解されています。プライベートもなにも、私とネルは」

 

「クレアです。よろしくお願いしますね。アレンさん」

 

 笑顔のまま、有無を言わせず迫られて、アレンは目を見開き数秒、押し黙った。

 話の流れを理解できずに困惑している彼に、クレアはそこだけ笑っていない瞳をうっすらと開いて、口許に笑みを貼り付けたまま言った。

 

「それとも――特別な感情がないと、やはり異性を名前で呼ぶのは難しいですか?」

 

「ぃぇ、……そんなことは……」

 

「なんですって?」

 

「こっ、……こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。クレアさん」

 

「はい。『クリムゾンブレイド』として、今後とも貴方の活躍に期待しています。アレンさん」

 

 満面の笑顔で告げるクレアに、アレンはこくこくと頷いていた。

 自分の命の恩人は、少し厄介な相手なのかもしれない、と胸中でひとりごちながら。



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side phase2 公開訓練

 アリアスに駐屯しているシーハーツ軍も、毎日戦争しているわけではない。

 アーリグリフに偵察に行った封魔師団『闇』から報告書を受け取り、敵軍の出方を見張りつつ対策を練り、現状を聖都に報告する。

 現在、聖王国シーハーツにおいて、最も緊迫した戦線に立つ部隊には違いない。

 

「ホントに良かったんですかぁ? フェイトさん達と一緒にぃ、シランドに行かなくて?」

 

 会議室で型どおりの挨拶を終えて、領主の館から出てきたアレンを、ファリンが間延びした声で呼びとめた。顔を上げたアレンが、ファリンを見るなり微笑う。

 

「ええ。施術兵器に関する知識は、ほとんどフェイトのもの。それに、関係各所への報告はネルに任せきりですから、実際に俺がシランドでやることはありません。一同の護衛という意味ではクリフやロジャーがついているし、ね」

 

「それは、……そうですねぇ。というかぁ、どちらかと言えば、貴方と同じ服を着た、銀髪の人の方がよっぽど危険だってことですよねぇ?」

 

 反応を窺うように、ファリンがこちらを見る。アレンは迷わず頷いた。

 

「ええ。俺と同じ服を着た軍人――アルフにつきましては、フェイトを巡っての目的で行動している、ということしか分かっていません。やつの言動からして、まだ積極的に動く気はないようですが一番予想しづらい相手に変わりはありませんからね」

 

「でも、カルサアでの対話はうまくいったんでしょう?」

 

 ファリンの隣からタイネーブが口出しすると、アレンは首を横に振った。

 

「まだ仮契約です。こちらの思惑通りに動いてもらうには、いろいろと準備をせねば」

 

「準備、ですかぁ?」

 

 首を傾げるファリンに頷いて、アレンはファリンとタイネーブに言った。

 

「今から少し、私に付き合ってもらえませんか? ……確かめたいことがあるんです」

 

「はぁ……?」

 

 首を傾げる二人に、アレンは静かに微笑った。

 

 

 

「公開訓練?」

 

 村の巡回をしていた兵士は、思わず同僚に聞き返した。まだ陽の高い、正午の話だ。

 領主の館から休憩でやって来た同僚は、彼の言葉に何度も頷いた。

 

「今日来たばかりのクリムゾンセイバーってやつが今、パルミラ平原で公開組手してんだよ! ファリン様やタイネーブ様達相手に! ……それがともかく凄いのさ! お前もともかく見に来いよ!」

 

 興奮気味に説明する同僚に、彼は思わず口を引き結んだ。

 

「無茶言うな、巡回中だぞ? こんな時に組手なんぞ見に行った日にゃ、職務怠慢どころか、それより大事(おおごと)に……」

 

「バカ! クリムゾンセイバーって言や、あのシェルビーやアルベルを退けた奴らなんだぜ!? 今見なきゃ、いつ見るんだよ!」

 

「でもなぁ~……。見には行きたいけど、巡回がなぁ~……」

 

「もういい! 俺一人で行ってくらぁ!」

 

 ぷんぷんと湯気を立てんばかりに憤慨して去っていく同僚を見送って、彼はため息を吐いた。

 

「フン、最前線におると言うのに、いい気なもんじゃの」

 

「あ、オヤジさん……!」

 

 同じく村の巡回をしていた中年兵士に、彼は息を呑んだ。

 中年兵士は血気盛んな男で、ネルやクレアのために命を張ることを生きがいとしている。先のアーリグリフとの小競り合いでは重傷を負い、少し前まで教会で治療を受けていた。仲間内では『熱血オヤジ』の異名を持つ男だ。

 熱血オヤジは頑強な腕を組んで、フンと鼻から息を吐いた。

 

「まあ、あの若造には少し、ワシも期待しておるがの」

 

「あの若造……って噂のクリムゾンセイバーですか?」

 

 文句が多いことでも知られるオヤジがそんな事を言うのは、珍しいことだった。

 

「まあな。なんせそ奴は、教会で治療を受けていたワシの傷を、他の奴等もろとも一瞬で治してしまった奴じゃからの」

 

「えっ!? あの奇跡の事件は、施術の仕業だったんですか!?」

 

 やれパルミラの加護だ、アペリスの導きだと一時期大騒ぎになった事件を思い出して、彼は目を見開いた。熱血オヤジが、にやりと口端を歪める。

 

「直接見たわけではないがの。ワシの怪我が治ると同時に、あのクリムゾンセイバーが教会を出て行ったんじゃ。……もしかしたら、奴の血はシーハーツのものかも知れんの」

 

 ニヒヒと笑ったオヤジは、組手の様子を窺うように、パルミラ平原の方角に視線を巡らせた。

 

 

 

 

「どうした、もっと打って来い!」

 

 鋭い檄と同時に、タイネーブの身体がぐるんっと宙を舞った。

 

「っ、ぁ!」

 

 自分でも分らない間に、地面に落ちていた。草むらで無ければ、完全に鞭打ちだ。ヒュンッと風を切る音が聞こえ、顔の真横に持っていた棍が突き刺さった。呻いた彼女は、それを手に立ち上がる。

 目の前には、タイネーブと同じ、練習用の棍を握ったアレンがいた。今だ一撃も食らっていない――どころか、一歩たりともその場から動いていない。

 

「拍を殺した独特の打ち方は確かに読みづらいが、威力とスピードがなければ怖くない。もっと『気』を乗せて、脇をしめろ」

 

 言って、アレンは先ほどのタイネーブと、同じ構えを取った。棍を杖代わりに、立ち上がったタイネーブが頷く。

 タイネーブが構え直したのを見てから、アレンは、ぐっと棍を握り込んだ。

 

「例えば、こうだ」

 

 目にも止まらぬ速さで打ち抜かれた棍が、素振りにも関わらず、施術兵器を打ち放った時のような轟音を立てる。

 アレンが立っている位置から二メートル。近くにあった岩が、素振りと同時に砕け散った。まるで棍で直接打たれたようだ。横一線。穿たれた痕が出来ている。

 

「……凄い……!」

 

 タイネーブは思わず息を飲む。アレンが言った。

 

「もう一度やってみてくれ。最初よりはずいぶんよくなっている。もっと思い切り、俺に気をぶつけてこい」

 

「……はい!」

 

 気合の籠ったタイネーブの返事を聞きながら、ファリンはため息を吐いた。

 

「なんだかぁ~。棍棒を持ってから、人間が変わったようにぃ思えるんですけどぉ~……」

 

 もちろんアレンの事だ。ネルとは対等の立場で喋るくせに、ファリン達には敬語を使う彼は、組手を始めてから完全に『地』だった。

 手加減はあるが、容赦はない。

 既にファリンの精神力が、底を突き始めていた。恐らくタイネーブもそうだろう。

 タイネーブの棍を打ち抜く速度が遅れ始めていて、しかし、遅れることをアレンが許さない。

 まさに、

 

「鬼ですぅ……」

 

 恨みがましくつぶやくと同時、タイネーブの棍を(さば)き切ったアレンが、すっとファリンを見た。

 

「げ……!」

 

 その左手に、既に施力が集っている。

 

「いつ、詠唱してるんですかぁ! この人はぁあ……!」

 

 半分泣きごとになりながら、ファリンは慌ててファイヤーボルトの施術を放った。

 

 ドドドォンッ!

 

 火花と言うより溶岩の飛沫のようなものを上げて、炎の塊がアレンに走る。だが背筋が凍るような声が届くと同時に、ファリンの視界は赤く染まった。

 

「集中力が落ちているな、ファリンニ級構成員」

 

「うそですぅ! っこ、こんなのぉ、ファイヤーボルトじゃ……いやぁあああ!」

 

 咄嗟に張った施力の結界が、いともあっさりと撃ち抜かれる。悲鳴は半ば自棄だった。

 

「もらった!」

 

 アレンが施術を放ったわずかな隙を突いて、タイネーブが棍を繰り出す。全体重を乗せ、気を、アレンに撃ちつける――!

 しかし、全身全霊をかけて放ったタイネーブの棍は、ファリンを向いた態勢のアレンに握りしめられていた。

 

(そんな……! こちらの打ち筋も見ずに!?)

 

「正直すぎる」

 

 まるでタイネーブの心を読んだようにそう言って、アレンは棍を翻し、バランスの悪い彼女の肩に、とんと棍の先を当てた。

 

「ぅわっ!」

 

 悲鳴を上げて、タイネーブがひっくり返る。尻もちをついたタイネーブは、痛む個所を押さえながら、アレンを見上げた。

 

「痛たたたた……」

 

 やはり、一撃も決めらない。

 歯痒さと悔しさを噛みしめながら、じっとアレンを見ていると、こちらを向いた彼が、鋭い眼差しを解いた。

 

「少し、手荒くし過ぎましたね」

 

「…………」

 

 タイネーブは瞬いた。――また(・・)だ。まるで別人と思える所作で、そっと手を差し出される。これで訓練は終わりなのだと悟って、タイネーブはほっとしたような、残念なような感覚にとらわれた。

 

「っ、っっ!」

 

 差し出された手を取ろうとして、安堵した所為か、体中が悲鳴を上げた。思わず顔をしかめるタイネーブに、アレンの手が、そ、と肩に触れる。

 

「え? ……あ、あの!」

 

 異性と関わる経験の少ないタイネーブが、アレンの接近に慌てて顔を上げた時、タイネーブの肩に触れた手が、光を放った。

 一瞬で構成される、紋章陣。

 

「ヒーリング」

 

 彼がつぶやくと、タイネーブの体から痛みとだるさが、すぅ、と通り抜けていった。

 

(あ……)

 

 そういうことか、と合点してほっと息を吐く。その彼女に、アレンはにこりと微笑いかけた。

 

「痛む所はありませんか?」

 

「っ、……ぁ……えと、……いえ……!」

 

 何となく照れて、視線をさまよわせるとアレンは、そうですか、とだけ言ってファリンの方へと向かって行った。タイネーブとすれ違う際、ふわりと置いていった彼の残り香に、頬が熱くなる。

 

(ど、どど……どうしたんだ……、私は……!)

 

 首を傾げながら、タイネーブはアレンを目で追う。するとさほど重傷でないにも関わらず、動かなかったファリンが、ヒーリングで元気になったのか、いつになく饒舌に、アレンに文句を言っていた。

 

「で~す~か~らぁ~」

 

 ヒーリングの前からそれなりに体力だけは残っているファリンは、自分に活力が戻るなり頬を膨らませた。

 

「施術の短縮と言われてもぉ、すぐ思うようにはいかないんですよぉ~。なのに、ずぅ~っと同じ作業を繰り返しさせられてぇ~」

 

「ですが、対応は早くなっていましたよ。最後のファイヤーボルト、あれに対する障壁のタイミングは完璧でした」

 

「……あ、……えと……。いや、私が言いたいのはぁ~、そういうことじゃなくてぇ~」

 

 先ほどは視線だけで殺されそうな緊張感を持っていた蒼の瞳が、優しく微笑ったのを見て、ファリンは決まり悪く顔を背けた。

 

「ほかに何か?」

 

 珍しく言いよどんでいるファリンに、アレンは不思議そうに首を傾げる。

 と、

 

「おぉ! やっておるようだの! アレン殿!」

 

 不意に渋みのある、歯切れのいい声を聞いて、アレンは顔を上げた。この声には、アレンだけでなく、ファリンやタイネーブも聞き覚えがある。

 

「あ、アドレー様……!」

 

 声を揃えるファリンとタイネーブに、アレンだけは驚いた様子もない。

 

「予定より、早い到着ですね。アドレーさん」

 

「フフ、シーハーツの一大事とあらば、ワシはどこへでも駆けつけてくれようぞ!」

 

 自慢の二の腕の筋肉を見せびらかして、ガハハと大きく笑うアドレーに、アレンも微笑った。

 

「では、まずクレアさんに挨拶なさいますか? いまなら館にいらっしゃいます」

 

「おぉ、そうか! すまぬな、アレン殿!」

 

「いえ」

 

 いつもよりも更に上機嫌なアドレーの様子に、タイネーブとファリンが顔を見合わせる。

 すると、二人に視線を向けたアドレーは、タイネーブが握った棍と、倒れたままのファリンを一瞥して、ニッと邪悪に笑った。

 

「で、アレン殿。ウチの娘も、もう見てもらえたかの?」

 

「いえ。書類仕事に忙しそうでしたから、今はまだ」

 

「そうか」

 

 笑いをかみ殺すように、ニヒヒと口の中でだけ笑ったアドレーは、早々に踵を返した。

 

「ではもう少し待っているがよい! 組手の特別ゲストを呼んでやるわい!」

 

 返事を待たずに、アドレーが走り去る。その背を見送って、アレンは静かに微笑った。

 

「それは……――、手間が省けますね」

 

 つぶやいた彼の言葉に、血の気の引いたタイネーブとファリンの顔があった。




アレンの修行難易度
normal=シーハーツ兵との訓練
hard=シーハーツ隊長格との訓練
lunatic=フェイトくん修行編


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40.アミーナとの再会

 フェイトたちは無事シランドに辿り着いていた。壮麗なシランド城を霧の向こうに見ながら、街に繋がる橋を渡っている最中、フェイトからこぼれたのは重いため息だった。

 

(くそっ……! 時間はいっぱいあったのに、全然考えがまとまらないっ!)

 

 自分の事、父親の事、クォークやバンデーンの事。身の回りで起こっている諸事情は、着々と進行しているのに、その全容はまったく理解できない。

 一方で、アレンはアーリグリフ、同僚、そしてフェイトとバンデーン……と次々に起こる事件について具体的な方策や考えを持っていた。

 ――この、ブロードソードを手に入れた時でさえ。

 

 自分と同い年。軍人とはいえ、まだ成人もしていない彼が、フェイトには遥かな高みのように感じられた。恐らく、相当密度の濃い人生を歩んできたのだろう。あの思慮深さと達観した物腰に追いつくのは容易ではない。

 だが。

 

(いい加減、置いてけぼりってのも格好つかないよな)

 

 早く、同じ立場になりたかった。

 少なくともそうできたなら、どうにかなる。そう思わせるなにかがアレンにはある。

 

 バンデーン、クォーク、――そして父やソフィアの事も。

 

 その為にもまずフェイトにできる身近なことは、このブロードソードを一刻も早く使いこなすことだった。

 時間的な猶予が、あとどれほど残っているかはわからない状況だが。

 

「え……?」

 

 拳を見つめていたフェイトはそこで、ふと足を止めた。

 

 もう少しで城下町につく橋の途中で、人が倒れていた。

 

 それを介抱している人もいる。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 慌てて駆け寄る。フェイトの後ろで状況が見えなかったクリフとネルは、互いを見合わせた後、フェイトの後を追った。

 介抱している人間が、毅然と答えてくる。

 

「ええ……。でも、早く医者(ドクター)に見せたほうがいいと思います」

 

 女性だ。それも妙齢の。

 その声に、行き倒れの方に注意を払っていたクリフが、片眉をあげた。同時、反射的に介抱している女性を見下ろす。

 

「お、ミラージュじゃねぇか」

 

 少し驚きながらも、道端で知り合いに出会ったような気安さだ。

 フェイトの方は目を見開いた。

 

「ミラージュさん!?」

 

 意外というか、想定外の人物との再会だった。思わずひっくり返る声に、ミラージュはくすりと笑って会釈した。

 

「クリフ、フェイトさん。二人とも、やっと会えましたね」

 

「お前、何やってんだ?」

 

「噂を頼りにあなたたちの後を追ってきたんですよ。それでここまで来たら、前を歩いていた彼女が急に倒れて……」

 

 そこで、ふと。言葉を切ったミラージュは、す、と口元の微笑を消した。即座に緊張感を走らせて、ふるふると首を横に振る。

 

「ああ、そんなことはいいんです。早くこの娘を医者に見せないと」

 

「そんなにヤバイのか?」

 

「ええ」

 

 クリフの問いに簡潔に答えて、にべもなく頷く。と、話の六割を聞いていないロジャーが、素っ頓狂な声を上げた。

 

「あ! この姉ちゃん、あの時の!」

 

「え……?」

 

 言われて、行き倒れの――小柄な少女の方に視線を向ける。

 瞬間。

 

 フェイトは、

 呼吸を忘れた。

 

「アミーナ!?」

 

 悲鳴にも近いフェイトの声。それにクリフも目を見開く。

 

「何だと!?」

 

「何で、彼女がここにいるんだい?」

 

 次ぐネルの声も、静かだが緊張していた。

 その問いかけがフェイト自身に向いていないことを知りながら、真っ白になった頭が、ただ一点の言葉だけを脳裏で繰り返していた。

 

 ――非常に危険な状態だ、と。

 

 フェイトは心臓がしめつけられそうになるのを感じながら、言い放った。

 

「わかんないよ! でも早く医者に見せなきゃ!」

 

「アミーナを連れて先に宿へ行ってて。私が医者を連れてくるよ」

 

 静かだが鋭く。有無を言わせぬ態度でネルの指示を受けたフェイトは、我に返って小さく頷いた。

 

「頼みます!」

 

 それを聞くか聞かざるか。颯爽と去っていったネルの背を一瞬だけ見送って、フェイトはアミーナに向き直った。

 檄をもらったお陰で、少しは頭が冷えている。

 

「僕が運びます! 早く彼女を、宿へ!」

 

「ええ」

 

 短く頷くミラージュの言葉を受けて、フェイトは迷う事無くアミーナを抱え上げた。

 その彼女の体重が、軽い。持ち上げた瞬間、思わず、目が丸くなった。

 フェイトはシランドの街路を駆け抜けた。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 すやすやと、幾分かペターニで会った時よりも細い呼吸を繰り返しながら、アミーナは眠っていた。

 医師が施術を施して、随分経った頃の話だ。

 

「……今は落ち着いていますが、危険な状態に変わりありません。とりあえず、無理はさせないようにしてください」

 

 宿屋に担ぎ込まれた時の状態を思い出しながら、厳しい口調で告げる医師に、フェイトは無意識に頷いた。

 ベッドに横たえたとき、不意に触れた彼女の頬が、異様に冷えていたのだ。真っ青な唇に、土気色の肌。そんな状態のアミーナを見たとき、フェイトは息が止まるような気がした。

 

「それでは」

 

 そう言って、去っていく医師に一礼をする。

 ネルの話では、シランドでも腕利きの医者ということだったが、その彼女の施術をもってしても、アミーナの容態はなかなか落ち着かなかった。

 当然、フェイトの中の焦りも次第に強くなってくる。

 パタンとドアが音を立てて、医師が部屋を出て行ったのを見送ると同時。

 

「くそっ!」

 

 フェイトはやりきれない思いでアミーナの寝顔を見据えた。

 ペターニで病気を治すことに専念すると、そう言っていたのに。

 ようやくちゃんとした治療が受けられると、安心していたのに。

 

 ――それなのに。

 

「なんで……、なんでこんな無理をしたんだ!」

 

 問いかけるように、しかし幾分か声を抑えて怒鳴ると、部屋の壁に背を預けたクリフが、至極冷静に口を挟んできた。

 

「まあ、そうイラつくな。彼女が起きちまうぞ」

 

「分かってる。でも――!」

 

「だから落ち着けって。お前がいきり立った所で、彼女が良くなるわけじゃねえんだ」

 

「……っ」

 

 確かにそうだ。

 理性で同意しながら、感情を抑えきれずフェイトは唇を噛む。

 どうして、こんなことになってしまったのか。

 この惑星(ほし)には彼女を治す方法などないと、そう聞いているのに。

 

(死んでほしくない――! アミーナ、君にだけは……!)

 

 それがいつかクリフが言っていた、余計な思い入れとは思わない。知らぬ間に、どこかでソフィアを重ねてしまっている事は、フェイト自身も薄々勘付いてはいる。

 だが。

 それでも――。

 

(それでも確かに、アミーナだから助かって欲しいって……。そう思ってもいるんだ……!)

 

 両親を亡くしても。

 病魔に侵されても。

 ただ幼なじみに会うと真摯に言い切った、彼女の意志の強さに自分は惹かれていた。

 あの時のフェイトには、まだ備わっていない強さだった。そして、今も。

 彼女の純粋さに比べれば、今の自分の決意などちっぽけなのかもしれない。だから彼女が、凛々しく見えたのだ。――それなのに。

 

「こんなの……、あんまりじゃないか……!」

 

 思わず、つぶやく。つぶやいてしまう。

 そんなフェイトを、じ、と見据えていたミラージュが、どこか残念そうにも見える、哀しい瞳でアミーナを見やった。

 

「彼女はどうやら肺に病気を持っているようですね。イーグルが無事ならばなんとかなったと思うのですが……」

 

「本当、ミラージュさん?」

 

 言葉を切るミラージュに、フェイトが、ば、と顔を上げる。弾かれたように問いかけると、その彼を制すように、クリフが首を横に振った。

 

「そりゃあな……。小型艇だってな、ここよりマシな設備があるぜ」

 

「ですが着地時の衝撃で大部分の機器が損壊してしまいました。それにあなた達が連れて行かれた後、イーグルは軍によって厳重に警備されています。ドアはロックしてありますから、中に入られることはありませんが、私達が入るためには、アーリグリフ軍を排除しなければならないでしょう」

 

「……まあ、アレンの小型艇はどうだか知らねえが」

 

 クリフはつぶやいてみたあとで、首を横に振った。

 

 できるならやっている。

 あの男はそういう男だ。

 

 クリフの心の動きは、フェイトにも正確に読み取れた。

 もう時間が無い。アミーナが生きていられる――。

 フェイトは自然に、す、と翡翠色の瞳を細めた。ミラージュと、クリフを見据えて。

 

「僕が、イーグルまで行って確かめてきます」

 

「どうやってだ? ブロードソード(その剣)じゃ単身で戦えもしねえだろ。隙が多すぎる」

 

 こちらを見据えるクリフの眼差しが、静かな怒りを孕んでいる。実際は違うのかもしれないが、フェイトにはそう見えた。

 落ち着いた声音で。

 感情を殺した、無表情で。

 クリフは、じ、とフェイトを見てくる。

 

「あのアルフとかいう野郎に鉢合った時はどうする? ……お前、幼馴染と笑顔で再会するんじゃなかったのか?」

 

 フェイトは唇を噛み締めた。拳を握って、胸の奥からこみ上げてくるさまざまな感情を、爆発させないように押し込めた。

 

「それでも。助かる可能性があるなら、無茶でも何でも賭けるしかない」

 

「面が割れてる俺達じゃ話になんねぇよ」

 

「だったらこのままアミーナを見捨てろっていうのか! 冗談じゃない!」

 

「すまないね」

 

 頭に血ののぼったフェイトを制すように、部屋の外から声がかかった。

 視線を上げる。戸口に立ったネルがいつも通り冷静に、しかし、険しい表情で腕を組んでいた。

 

「どうやら、こっちもそうノンビリはしていられないみたいだよ。陛下があんたたちをお呼びだ」

 

 言いながら、ネルは足音も無く部屋に入ってくる。その彼女をちらりと一瞥して、クリフが不思議そうに首を傾げた。

 

「ロジャーの奴はどうした?」

 

 部屋に入ってきたのが、ネル一人だった。ネルは、軽く首を横に振って

 

「さあ。何だか、行く所があるって言ってどこかに行ったよ。すぐに戻るとも言ってたけど」

 

「そうか」

 

 頷くクリフ。合点したのか、それ以上話を続けなかった。

 

「………………」

 

 クリフを視界の端に、フェイトはネルに向き直る。気持ちを切り替えたいが、話に決着はついていない。

 それでも『クリムゾンセイバー』としては、シーハーツの状況を聞かねばならない。

 フェイトは拳を握りしめたあと、顔を上げた。自分の感情を、努めて振り払いながら。

 

「……それで。ノンビリしていられない状況って、どういうことですか?」

 

 ネルは満足するようにこくりと頷いた。破顔しなかったところを見ると、こちらも相当深刻な内容らしい。

 ネルは険しい表情のまま、フェイト、クリフを見た。まるで確認するように。

 

「詳しい話は城で聞けると思うけどね。アーリグリフの侵攻が始まったらしい。既にアリアスの手前まで部隊が来ている。おまけに今回は、アーリグリフ三軍の全部隊が作戦に参加しているという情報もあるしね……」

 

「三軍だと?」

 

「風雷は手を引いたんじゃなかったんですか?」

 

 ネルは部屋の窓の外を、じ、と見据えた。その青空に広がるであろう、竜の群れを想定して。

 

「奴らが約束を守る、なんて保証がどこにあるのさ? 恐らく、アーリグリフは噂の施術兵器が完成する前に私達を叩いてしまおうと考えてるんだろうね。作戦指揮官はヴォックスのようだよ」

 

「……ヴォックス。まだ一度も戦ったことのない相手ですよね」

 

「ああ。不幸中の幸いは、アーリグリフに流された情報は、我が軍の胆じゃない点だ。アンタ達のほうが詳しいだろうが、いまディオン達が進めている施術兵器開発はそのままじゃ実戦投入できない。個々に詳しい指示は飛んでるらしいけど、戦略の全容はアレンの頭の中にしかない。情報は洩れようがないのさ。

 それでともかく、今までに完成している兵器を持ってディオンがアリアスに向かう手筈になった。だけど、どこまでやれるか――」

 

「ディオン……?」

 

 ふと。

 思わぬところから響いた声音に、一同はベッドを振り返った。そこでようやく、眠ったはずのアミーナが目を覚ましたことに気が付く。

 

「ディオンを、知っているんですか……?」

 

「あ、アミーナ!? まだ寝てないと!」

 

 起き上がろうとするアミーナを、慌てて制す。するとフェイトの声に驚いたのか、びく、と身体を震わせたアミーナが、緩慢な動きでフェイトを見上げて――

 

「あれ、どうして……?」

 

 不思議そうに首を傾げた。

 意識が混濁しているのかもしれない。

 茫洋としたアミーナの瞳には、ペターニで出会った時の力強さは無かった。

 

「そんなことはどうでもいい。いいから、ともかく横になって」

 

「……はい」

 

 なるべく穏やかに。自分の中の焦りを悟らせないように、そ、とアミーナを横たえると、彼女は幾分か躊躇してから、おずおずとフェイトに従った。

 そのアミーナの顔を、フェイトは正面から見据える。

 

 ――何故。

 

 もうかれこれ十回はつぶやいた心の叫びを、どうにか抑える。

 

「それで。どうしてこんな無理をしたんだ?」

 

 抑えて問いかけたつもりが、わずかにフェイトの声には怒気がこもった。びくり、と震えたアミーナが、掛け布団の端をつかみながら、言いにくそうにじっとフェイトを窺う。

 

「それは……、あの。……話しましたよね? 私にも離れ離れになった幼なじみがいるって。その彼がここにいるって、知り合いのおじさんに聞いたんです」

 

「その幼馴染の名前が……、ディオン?」

 

「はい」

 

 頷くアミーナを置いて、ネルを見る。

 確かアミーナの幼馴染は研究者のはずだ。ならば――、

 

「ネルさん。このシランドの研究所に、あのディオン以外のディオンって名前の人、いるかい?」

 

 瞬間。アミーナが顔を跳ね上げた。フェイトの口から『ディオン』という名の知り合いがいることに、過剰に反応してしまったのだろう。

 フェイト自身はそれに取り合わず、あくまで冷静にネルを見据えた。

 向かい合ったネルが、首を横に振る。

 

「いいや。シランドに研究所は一つしかないよ。エレナ様の施術兵器研究所、それだけさ」

 

「ってことは……」

 

 言ってアミーナを振り返る。彼女は、喜色というよりも必死さを窺わせる形相で、じ、とフェイトを見返してきた。

 

「ディオンを、彼を知ってるんですか!? それじゃディオンはやっぱりここに……。私、行きます」

 

「ダメですよ、あなたは病人なんです。そんな無茶をさせるわけにはいきません」

 

 アミーナがベッドから起き上がらんとするのを、今度はミラージュが両肩を抱いて制した。

 

「でも――」

 

 対するアミーナには必死さがにじみ出ている。まるで明日になったら、もう幼馴染に会えない。そう思っているような強く脆い眼だ。

 フェイトも首を横に振った。

 

「アミーナ、そんな身体じゃ無理だ。僕がディオンをここに連れてくるから」

 

「フェイトさん……」 

 

 灰色の瞳が、アミーナの内にある色々な感情を垣間見せてくれた。

 焦りや、期待、希望、不安……。

 そんなものがないまぜになった、なんとも言えない表情だ。

 

(……アレンやクリフも。僕が無茶を言ってるとき、こんな心境だったのかな?)

 

 ふと頭にわいた疑問に、フェイトは数秒思考して、首を横に振った。

 

(いや。奴等に僕ほどの繊細さは無いか……)

 

 だから、あの二人のように、完全に感情を表情から消すことは出来なかったが。

 

「アミーナ、言うことを聞いて……ね? また倒れたら元も子もないだろ?」

 

 彼女をあやすようにささやくと、彼女は数瞬、思い悩むようにうな垂れて――、それから小さく頷いた。とても残念そうに、そ、と。

 

「はい」

 

 ぽつ、とつぶやく彼女に、フェイトはいたたまれない気持ちのまま頷く。気を取り直してミラージュの方を振り返ると、ミラージュはすでに得心がいっているのか、小さく微笑っていた。

 

「ミラージュさん、彼女についてあげていてもらえますか?」

 

 ミラージュは、ええ、と間を置かずに快諾してくれた。

 フェイトはぺこりと頭を下げると、次に視線をネルに向けた。

 

「ディオンは、まだ研究室にいる?」

 

「ああ……。今はアリアスに運び込む施術兵器の準備をしていると思うよ」

 

 こく、と頷いて、フェイトは視線をクリフ、ネル、ミラージュの順に送った。

 

「ちょっと行ってきます」

 

 一言言い置いて。

 フェイトは部屋を出る際、クリフをちらりと一瞥した。

 ただ無表情に、こちらを見返してくるクリフを。

 

 ――例えば、イーグルに向かうとアレンが言ったならば、クリフは強く反対しただろうか?

 

 脳裏にちらついた疑問にフェイトは歯噛みしながら、施術兵器開発室へと急いでいった……。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

「だぁ~かぁ~ら! 大変なんだってばよ! アレン兄ちゃん!」

 

「え……?」

 

 ディオンを呼びに行くため、宿を出たフェイトは、街路から聞こえた甲高い声に足を止めた。二、三歩戻って、左右を見渡す。すると、特徴的な狸の尻尾が街角で揺れているのが目に付いた。

 

「えっと……、確かアミーナって姉ちゃん? の病気が悪くなって……! ほら、アップルの母ちゃんの時みたいに兄ちゃんの施術で治してやってくれよ!」

 

 恐らく、ロジャーの声は周りの民家、二、三軒に聞こえているだろう。ぎゃいぎゃいと喚く彼に、フェイトは大きく目を見開いた。

 

(アレンの施術で……、治せる?)

 

「それ本当なのか!? ロジャー!」

 

「わわっ!」

 

 反射的にロジャーに詰め寄ると、道に背を向ける形で座り込んでいたロジャーが、びく、と全身を振るわせた。

 慌ててロジャーが通信機を隠している。

 しかし、フェイトはそんな彼に取り合わなかった。

 ロジャーが手にした通信機をひったくったのだ。

 

「あぁ!」

 

 眼下でロジャーが喚いている。そんなものは意識の中にない。フェイトは、モニターに映るアレンを睨み据えた。

 

[フェイト? お前もいたのか?]

 

「そんな事はどうだっていいんだよ! それより! お前の施術でなら治せるって本当なのか!?」

 

 何故、ロジャーが通信機を持っているのか。

 何故、アレンと通信する必要があったのか。

 そんな諸事情を飛ばして、フェイトはアレンを睨む。するとアレンは、小さく首を横に振った。

 

[残念だが、それが出来るならアミーナが倒れたあの時にやっている。……それより、何か慌てていたようだが、俺と話していていいのか?]

 

 フェイトの形相が必死だったからだろう。

 一目でフェイトに別の目的があったと看破したアレンは、静かな眼差しをこちらに向けてきた。フェイトからすれば、もどかしい態度で。

 

(なら、やっぱり……! アミーナを助けることは……!)

 

 ぐ、と唇を噛む。足元にいるロジャーが、通信機を奪い返してきた。

 

「ったく!」

 

 不服そうにつぶやいて。ロジャーは通信機を懐に突っ込むなり、半眼になってフェイトを睨み上げた。

 

「そうだぜ! フェイト兄ちゃん! やる事があんなら、そっちをさっさと終わらせてこいよ! アレン兄ちゃんとは、オイラが話をつけといてやるから!」

 

 しっし、と手を振るロジャー。その彼の行動が、普段のフェイトならば奇妙に思えただろうが――、頭に強烈な衝撃を受けたようにフェイトは落胆し、そのとき頭に残らなかった。

 

「……分かったよ。行けばいいんだろ……!」

 

 去っていくフェイトを見送った後、残されたロジャーは、ふぅ、と安堵の息を吐く。かいてはいないが、額の汗を拭うような素振りをして。

 

「何とかフェイト兄ちゃんを追い払ったぜ! アレン兄ちゃん!」

 

 懐から、もう一度通信機を取り出して、ロジャーが笑む。

 『もにたー』というらしいが、そこに映るアレンも、苦笑しただけで何も言ってこなかった。

 代わりに。

 

[本当に今、ロジャーの周りに人はいないな?]

 

 尋ねてくるアレンの言葉で、ささっ、と首を左右に振ったロジャーは、確かに人がいないことを確認して、満足そうに頷いた。

 

「その辺は任せるじゃんよ! オイラは出来る男だぜぃ♪」

 

[そうか。では、ロジャー。サンマイト方面は、お前に任せる。落ち合う場所は今言った通りだ]

 

「OK! 任せとけ!」

 

[……頼む]

 

 頷いて、通信を切る。大分、慣れた手つきだった。

 それもその筈、アレンに内緒で持っておけ、と渡されたこの通信機は、ロジャーがネルを追ってシランドに来た後に、ペターニで譲り受けたものだ。

 アルフとの戦いのとき、アレンが都合よく現れたのも、ロジャーがこれから峡谷に行くことをアレンに伝えていたためである。

 フェイトに見られたのは残念だったが、そう気にしても仕方がないだろう。

 鼻息荒く息を吐いたロジャーは、一仕事終えた時のような、晴れ晴れとした表情で空を見上げた。

 

「予定よりはちぃ~っと早まっちまったけど! ま、いっか!」

 

 ロジャーはちらりとネル達がいる宿の方を一瞥して――、それから走り出した。

 町の外に出る、平野に続く橋に向かって。

 

「オイラ、ちょっと行ってくるな!」

 

 そう大声で叫んで、ロジャーはふりふりと尻尾をなびかせながらシランドを出て行った……。

 



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side phase1 サーフェリオ

 ネル達がシランドを出立するより少し前。

 ペターニに向かうため、イリスの野に出たロジャーは、二時間ほど走った所でふと、その足を止めた。

 フェイト達に追いつかれぬよう、頑張って走ってきたのであるが――。

 足を止めたのは、何も疲れたからではなかった。

 

「あ! アレン兄ちゃん!」

 

 広い、広いイリスの野。

 日の高く上がった昼時に、どうやってロジャーを見つけたのか、ロジャー自身には良く分からなかったが、目的の人物はそこにいた。

 実際は、アレンが通信機の信号を頼りに、ロジャーのが通るだろうルートの前で、待機していただけのことだ。

 アレンは見たこともない『なにか』に(またが)っていた。それは勢い良く脈打っている。

 

「すまない。随分走らせてしまったな」

 

「に、兄ちゃん……!?」

 

 その、黒い物体を見上げて、ロジャーはぽかんと口を開けた。アレンがそれから降りて、ゆっくりとついてロジャーのもとに歩いてくる。

 それは鉄製の、正確にはパルミラ平原に転がっているジャンクと化した小型艇のアルミ部分を駆使して、アレンがオーダーし、ペターニの職人達が作り上げた合作品、大型バイクだ。

 総排気量は600cc。

 ガソリン代わりに、炎晶石を資源にしたエンジンモーターが積んである。施術兵器よりも格段にエネルギー効率は高く、炎晶石より生まれる爆発力を倍加させ、最高時速三百キロの風速に耐えるために空気抵抗の少ない、円滑かつシャープなデザインが取り入れられている。

 飾り気は一切無いが、動力性能と車体の取り回しやすさのみに重点を置いた流麗なフォルムは、アレンの服の色に同調するように、赤と黒の鮮やかなコントラストをロジャーに見せ付けてきた。

 そして、今やアレンの相棒とも言える剛刀『兼定』は、バイクの側面に取り付けてあるホルスターに納められていた。

 シートの高さは約八十センチ。

 ちょうど、ロジャーの背丈と同じ高さだ。

 それを見上げて、ロジャーは一目で自分を惹きつけたそのバイクに奇声を上げた。

 

「スゲェ! 何だコレ!? カッコイイじゃん!」

 

 言いながら、嬉しそうにぐるぐるとバイクの周りを走る。アレンがひょい、とロジャーを抱え上げて、シートの上に乗せた。

 それから自身も、ロジャーを覆うようにバイクに跨る。

 ハンドルを握る彼の姿は、手馴れたものだった。

 

「これはバイクと言う乗り物なんだ。アドレーさんに頼んでグリーテンについて調べていたら、出てきてな。随分旧時代(むかし)のものだからこちらで設計図を起こしてみたものの、どうなるか分からなかったんだが……。さっきペターニに寄ってみたら、メリル達が見事に再現してくれていた」

 

 二、三回、右ハンドルを捻ってエンジンを吹かす。それで回転数を上げるやアレンはバイク立てを蹴るなり、クラッチを入れた。

 

「安定性は良いが、速いぞ。しっかり掴まっておけ」

 

 確かめるようにロジャーを自分と前面のボディに挟んだアレンは、一つ、地面を蹴ってバイクを走らせた。

 

 ……スォオオオ……

 

 沈み込むような、しかし、力強い音を立ててエンジンが唸ると、バイクが走り出す。

 

「え? ……えぇえええ!?」

 

 その予想もしない高速に、ロジャーは大きく目を見開いた。

 思わず、シート前のカバーにしがみつく。

 だが。

 

「すげぇえええ!」

 

 同時に、異様な高揚感にロジャーは瞳を輝かせた。

 風が強い。それは分かる。

 だが、空気抵抗を考えているだけあって、前面のフロントガラスがほとんどの風を防いでいる。

 最初の力強いエンジン音も、走り出してしまえば落ち着いたものだ。

 ぐんぐんとスピードを増すバイクに合わせて、カチッカチッ、とアレンがバイクのギアを上げていく。だが、そんな原理が分からないロジャーには、ただ、そのカチッという音が聞こえるたびにエンジン音が小さく――そして、速くなっていくことに、ひたすらに感動していた。

 

(こんな乗り物(モン)、オイラ乗ったことねぇじゃんよ!)

 

 しかし、そうやって景色を楽しんでいられたのも、ロジャーの目の前にあるメーターが八十キロ毎時を指していた頃だけだ。

 

 ぐぉぅううん……っっ!

 

 さらに唸りを上げるバイクのエンジンが、百、百二十、百四十……と、速度を増していく。

 だだっ広い、イリスの野だ。

 アレンでなくとも、バイクの上限――時速三百キロを出すことは可能だった。

 

「ぎ……!」

 

 つぶやくロジャーが、風に押されて息を飲み込む。

 ロジャーは、体感したことの無いスピードに表情を引きつらせながら叫んだ。

 

「ぎゃぁぁあああああ……!」

 

 身体を取り残されるような不安感に駆られたのは、最初の五分ぐらいの間のことだ。

 スピード感に慣れてしまえば、それまでだった。

 アレンと、メリルの作ったバイクの安定性。

 ロジャーは五日かけて踏破する、シランドからサーフェリオの間を、たった二時間足らずで走り抜いていた。

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

「着いたぞ、ロジャー」

 

 あの高速の中。いつの間にか眠ってしまったロジャーは、アレンに身体を揺さぶられて、うとうとと目を開けた。

 

「んぁ?」

 

 シートとハンドルの間にある、身体を密着させるためのスチームカバーから身を起こす。んん、とつぶやきながら伸びをすると、本当に、そこは彼の故郷だった。

 

 水没都市、サーフェリオ。

 

 そう呼ばれている、ロジャーの父が村長を務める穏やかな村だ。

 

「おぉ!」

 

 感動していると、アレンがバイクを停車させて、そ、とロジャーを降ろしてくれた。

 最初に、二、三回、久しぶりに着いた大地に体が驚いたのか、思わずたたらを踏んだ。すぐに感覚を取り戻したロジャーは、驚いたように何度も何度も辺りを見回して、それから嬉しそうにアレンを見上げた。

 

「すげぇな、兄ちゃん! こいつ!」

 

 未開惑星人の、それも機械とはまったく縁のないロジャーは、バイクを見て笑った。その純粋な彼の反応に、アレンも静かに微笑い返して、それから視線をサーフェリオへと向ける。

 さすがに水没都市と言われるだけあって、村の正面玄関たる石畳の階段を下りれば、木柱で村を支える水上民家が軒を連ねていた。

 村の下を流れる水はシランドに比べて穏やかだ。もしかしたら、シランドよりも海に近い下流に位置するのかも知れない。だが、水は澄んでいた。

 

「……凄いな……」

 

 村の様子を見渡して、アレンが率直な感想を述べる。すると、ぴょんっ、と高くジャンプしたロジャーが、まるで自分の自慢をするように、へへんっ、と鼻の下を掻いた。

 

「あったりめぇじゃん! オイラ達の村だぜ!」

 

 アレンは表情を緩ませる。

 銀河連邦で色々な惑星(ほし)を巡ってきたが、これほど緑豊かな土地、というのはアレンの経験でもあまり見たことがない。

 

「そうだな」

 

 だからつぶやくその一言にも、感嘆が混じった。

 村を行き交う人間は、ネルから聞いた通り、亜人――つまりは人と同じ外見的特徴を備えているものの、動植物を祖先に持ち、身体の一部が人ならざる者たちばかりだ。

 ロジャーで例えるなら、狸の耳としっぽを持っている。周囲に目を向ければ、人魚までいた。

 

「んじゃ! 早速ルイドのばあちゃんトコに行こうぜ!!」

 

 こっちだ、と促されながら、アレンも村の中核に降りていく。

 テケテケと尻尾を揺らしながら走るロジャーは慌しく、足を踏み外して水流に落ちてしまわないだろうか、とアレンが心配したが、ロジャーは慣れているのか、そんな危なっかしい場面は彼が足を止めるまで一度もなかった。

 それに人知れず安堵の息を吐くと、ロジャーが足を止めた地点まで歩み寄って、小さいとも大きいともつかない一軒家を見上げた。

 

「ここが?」

 

「おぅよ!」

 

 ロジャーが元気に頷き返してくる。アレンはわずかに緊張しながら家の扉をノックした。

 

 ……………………

 

 無反応。

 

「?」

 

 首を傾げながら、ロジャーを見下ろす。するとロジャーは、んん、と、アレンと同じく首を傾げて、扉の向こうに在るであろう、ルイドの部屋を見詰めた。

 

「っかしいな~、留守かぁ? ……お~い! ルイドのばあちゃ~ん! メルト~!」

 

 言うなり、扉を開ける。

 低身長のため、ジャンプしてドアノブを回したが、やはりそこも慣れた動作でロジャーに危なげなところはなかった。

 

(本当にしっかりしているな……)

 

 その仕草を何とはなしに見詰めて、アレンは小さく苦笑する。

 見た目、四、五歳のロジャーがこんなにもハキハキと動くのに対し、あの少女の、なんと頼りないことか――。

 

「……………………」

 

 アレンはふと、アイレの丘で出会った少女の、あの寂しそうな顔を思い出して、自然、表情を曇らせた。

 

「なんだい! うるさいね! メルトの奴なら、外に遊びに行ったよ!」

 

 部屋の奥から聞こえた老女の声に、アレンは顔を上げる。

 年の頃は、六十前後といったところか。黒いローブを身にまとい、日に焼けた褐色の肌に、白髪が目立つ長い髪が垂れている。

 腰が曲がっているためか、それとも亜人だからか。

 部屋の奥から現れた老女は、アレンの腰にも満たない、ロジャーよりは幾分か背の高い、百二十センチぐらいの小柄な女性だった。皺塗れの手には、樫の木で出来た杖が握られている。

 年老いてはいるが、利発そうな亜麻色の瞳は、睨むようにロジャーとアレンを向き、アレンはその一目で、彼女の知識量を垣間見た。

 

「なんだい? アンタは?」

 

 鑑定にかかるアレンの視線を受けてか、ルイドは不満そうに顔をしかめると、眉間に深い皺を刻んだ。

 アレンが一礼する。

 

「失礼しました。自分は、アレン・ガードと申します。この度、薬草学についてお詳しいとのお噂を耳にしまして、ルイド女史の知識を拝謁願えまいかと足を運んで参りました」

 

「ふんっ。無学じゃないとでも言いたげだね……。で? 人を尋ねるのに、まさか手ぶらできたんじゃないだろうね?」

 

 アレンの手には兼定以外、何も握られていないのを目ざとく見つけたルイドは不満げに片眉を吊り上げる。その彼女に、アレンの傍らに立つロジャーが、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。

 

「んなこと言ってる場合じゃねぇんだって! ばあちゃん! ……オイラ達、『めとーくす』って花を捜してて! それがないと、アミーナ姉ちゃんが危ないんだよぉ~!」

 

 地団駄のつもりなのだろう。

 全身で自分の焦りを表現するロジャーに、ルイドは皺塗れの顔をひそめた。

 

「メトークス? ……ダグラスの森の最奥にある、あの神秘の薬草のことかい?」

 

 薬草名が、アレンの知るエクスペルと同じ名前になったのは、クォッドスキャナーの翻訳機能の所為か。

 アレンは、誤訳、という可能性も考えて、自分がスケッチしたメトークスの絵をルイドに手渡した。

 

「失礼。そのメトークスという薬草は、これと同じものですか?」

 

 手渡されたルイドは、やはり手土産を寄越してこないアレンを、不満そうに見上げて、それからやる気のない眼差しを手元の紙片に送った。

 彼女は、ああ、と小さく頷いた。

 瞬間。

 アレンとロジャーが、ば、と互いの顔を見合わせる。ロジャーは喜びのあまり、飛び上がった。

 

「ひゃっほ~い!」

 

 アレンの表情にも、喜色が広がる。

 その二人を心底鬱陶しそうに眺めて、ルイドはぽきぽきと首の骨を鳴らしながら、意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「でも喜ぶのは早いよ。メトークスはダグラスの森の向こう、『サーフェリオの空中庭園』と呼ばれる未踏の遺跡の最奥にあるんだ。私も若い頃、多くのギルド仲間を連れて遺跡に足を運んだが、メトークスを見たのは一度きりだよ。あまりに危険すぎて採取なんて出来やしないね」

 

 それも三十年近く昔の話だ。

 今も生えている、という保障は何処にもない。

 だが。

 ロジャーとアレンは顔を見合わせるなり、頷いて――

 

「いえ、ありがとうございます。……それで、僭越ながらこれを」

 

 そう言って、アレンはコートのポケットから、赤いリボンでラッピングされた白い紙袋を取り出した。片手に乗るサイズの、可愛らしい紙袋だ。

 受け取ったルイドは、その場で紙袋を開ける。

 すると中には、アーモンドの香ばしい香りがする、手製のクッキーが入っていた。

 

「ロジャーから、アーモンドがお好きだと聞きましたので」

 

 殺伐としたアリアスの村で、兵士たちの英気を養うためにアレンは保存に向いたクッキーなどの嗜好品を手ずから振る舞っていた。料理の腕こそ鍛えているものの、ラッピングセンスは皆無だった彼に、贈り物だからと手を加えてくれたのは、よくキッチンに立ったせいで仲良くなった下手に家庭的で貧乏くじな女兵士だ。

 ルイドへの手土産となれば、ペターニでそれなりの品を用意するのが筋だったが、『絶対これで行けます!』と彼女に念押されて持ってきてしまったことに、アレンは詫びるように一礼して、

 

「では」

 

 と断わってから、ルイドの家を出て行く。

 その彼に、ふんっ、と悪態をついたルイドは、これっぽっちしかないのかい、とぼやきながらクッキーを一つ頬張って――

 

「……っ、っっ!?」

 

 そのあまりの美味さに、大きく目を見開いた。

 甘すぎず、しかし淡白ではなく。サクッとクッキーを口に入れるなり、アーモンドの香りが口の中に広がり、薄い生地だというのに、中からしっとりとした食感がルイドの舌を楽しませる。

 二、三回、噛むたびに上品な甘さを醸し出すクッキーの味は、アーモンドとバニラの絶妙なハーモニーを口の中で奏で、ルイドがこれまで一度も口にした事のない完成度で仕上がっていた。

 

「う、まい……!」

 

 貪るように紙袋をつつきだす。

 じぃん、と広がる幸福感は、ここ数年ルイド自身が忘れかけていた温かい感情だ。

 その様をにんまりとロジャーは見据えて、満足そうに踵を返した。

 

「おぉい! 待ってくれよぉ! アレン兄ちゃ~ん!」

 

 いつもより大きな声で呼びかける。その声で立ち止まる、アレンに向かって。

 

 

 

 ルイドの家の外では、村の橋脚近くに、ロジャーと同じ年頃の少年が立っていた。

 

 黒い猫耳に、ぐるぐる眼鏡。白の半そでインナーと褐色の半ズボンの上から、黒のフード付マントを羽織るという、ちょっと変わった服装の少年だ。

 肌は白い。

 あまり外に出ないのか、活発的なイメージとはかけ離れている彼は、いかにも陰気な含み笑いを浮かべたあと、鼻の上にある分厚い眼鏡を、くい、と押し上げた。

 

「フフフ……、これは面白い話を聞かせてもらいました。あの占い師ルイドでさえも、採取不能だった神秘の薬草、メトークス……。そして、それが生息していると言われる空中庭園……。早速ウチの熱血小僧に教えてやるとしましょうかねぇ」

 

 くっくっく、と喉を鳴らして、少年、レザードは笑った。

 ロジャーに気付かれぬためとはいえ、すぐ目の前にある水流に飲まれぬよう、蛙を祖先に持つシャドウグリム族の背に乗った彼は盛大に高笑う。

 

「ハハハハハ……!」

 

 少年、レザードは、どうやって村に戻るのか。

 高さ三メートル以上にある、自分の村の床板を見上げながら、レザードはひたすら笑っていた。行きのように村の西側の崖を使って登るのは、無理そうだなと頭のどこかで分かっていながら。

 

「ハーッハッハッハッハッハッハッ……!」

 

 彼は、サーフェリオの水流でひたすら笑い続けていた……。



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side phase2 妖精との再会

 ブルォウンッッ!

 

 バイク効果とでも言うべきなのか。

 ダグラスの森まで、ほんの十数分で辿り着いたロジャーは、まったく疲れ知らずに走り続けるバイクを見上げて、ほぅ、と感嘆の息を洩らした。

 

「兄ちゃん、こいつ……ちっとも疲れねぇんだなぁ!」

 

 しげしげとバイクを観察してみる。

 ロジャーのこれまでの経験から、どうやらこいつは疲れるどころか息切れすらせず、ずっと走り続けている。

 それが機械ゆえに、ということを理解出来ないにしても、ともかくこのバイクは「凄いのだ」と直感的に察したロジャーは、おぉ、と称えるようにバイクの装甲を叩く。

 傍らで、きょろきょろと辺りを窺っていたアレンが、不意にぴたりと視線を止めた。

 

「……居た」

 

「へ?」

 

 つぶやくアレンに、ロジャーが首を傾げながら顔を上げる。するとアレンは、森の奥をじ、と見据えて――、静かに微笑した。

 

(んん?)

 

 アレンの視線の後を追ってみると、明るいオレンジ色の髪をなびかせた妖精が、ふわりと飛んできた。

 白のフリルがついた紫色のドレスをまとった、ダグラスの森の妖精だ。

 

「あれ? アイツは……」

 

 その妖精に見覚えがあって、ロジャーがきょとんと瞬いた。木々の間をふんわりと飛んでいた妖精が、こちらに気付くなり、嬉しそうに破顔する。

 

「あぁ! 会いにきてくれたんだ!」

 

 弾むように言って、妖精はアレンを見つけるなり嬉しそうに飛び込んできた。その彼女を、そ、と左腕に留めて、アレンが問う。

 

「友達は出来たか?」

 

「……えっと……、それは、まだ……」

 

「そうか。焦る事はない……。ゆっくり作ればいいんだ」

 

「……うんっ!」

 

 妖精はどこまでも嬉しそうだ。目に見えて興奮している彼女は、少し目が潤んでいるようにも見える。

 と。

 二人の傍らに立ったロジャーは、一向に話がこちらに振られるそぶりがなかったので――、特に、妖精の方がロジャーの存在に気付いていないようだったので、ことさら大きく、こほんげほん、と咳払いをした。

 ――しかし。

 

「それでね! 是非あなたにも見て欲しい場所があるの♪」

 

 愛らしく笑う妖精は、やはりロジャーに視線を向けない。

 

「うぉっほん! おっほんっっ!」

 

「どうした?」

 

 わざとらしいまでのロジャーの演技を、アレンが不思議そうに見下ろしてくる。その隣で、アレンを見上げていた妖精が、ロジャーに気付いて、げ、と渋面を作った。

 

「よ! 久しぶり!」

 

 しゅたっ、と右手を上げて挨拶するロジャー。少し前まで幸せそうに笑んでいた妖精が、なし崩しに不機嫌に顔を歪めていった。

 

「ロジャー!? あなた、また凝りもせずにルシオとの男勝負とか言って、迷子になりにきたの!?」

 

 じろり、と上から下まで、ロジャーを睨み付けて、妖精は、ふん、と小さな背を反らす。

 それ自体は構わないのだが――、

 

「……迷子?」

 

 首を傾げるアレンの声に、ロジャーの顔が凍った。

 視界の端では、妖精が腰に手を当てて、叱るような素振りを見せている。すっかり『お姉さん』顔だ。こちらの気も知らずにぱたぱたと飛んでいる。

 ロジャーは冷汗が頬を流れるのを感じながら、ぶんぶんと首を横に振った。あたふたと両手足を振って、

 

「ち、違わぃ! オイラがそんな、格好悪いことするわけねぇだろ!? ……やい! 森の妖精! それはオイラとお前だけの秘密だって、あれほど言ったじゃんかよ! 約束を破る奴は最低なんだぞ!」

 

「お、お前って! 馴れ馴れしく呼んじゃダメ! 誤解されちゃうでしょロジャーの馬鹿!」

 

 両者が時間差でアレンを窺いながら声を張り上げ合う。その二人を交互に見やって、アレンが小さく頷いた。

 

「……つまり。二人は知り合いなんだな?」

 

「う、うん! そう! ただの知り合い! 良く森に迷い込んでくるから、私が面倒見てあげてるの!」

 

「んだとぉ!? オイラがいなきゃ、いっつもパペットゴーレムの連中にいじめられてるじゃんか! むしろそれを言うなら、オイラがお前の面倒見てやってるんじゃん!」

 

「なんですってぇ!?」

 

「んだよぉ!?」

 

 ぱたぱたと羽を羽ばたかせながら、手足をやきもきと動かす妖精に、ロジャーも全身から湯気を出さんばかりにぷんぷんと怒っている。

 その二人をなだめて、アレンは話を続けた。

 

「という事は、自己紹介の必要はないな。……すまないが、今回は君に道案内を頼みたい」

 

「道案内?」

 

 会いに来てくれたんじゃないの、と首を傾げる妖精に、アレンはすまなさそうに首を振った。

 

「……すまない。俺達はこの森の先にある遺跡――、サーフェリオの空中庭園という所に用があるんだ」

 

「おぅよ!」

 

 アレンの傍らで、ロジャーもこくと首を縦に振る。その二人を交互に見やって、妖精は残念そうに、そっか、とだけつぶやいた。

 目に見えて落ち込んだ彼女に、アレンはすまなさそうにしながらも、視線をダグラスの最奥――空中庭園があると言われている方角に向ける。大体の方角が分かっているのは、サーフェリオでロジャーから借り受けた、方位磁石のためだ。

 とはいえ、今回はロジャーが同伴しているため、道なき道を行くわけにもいかない。

 

「君は、空中庭園がどれぐらいの規模の遺跡か、知っているか?」

 

 森の妖精が心配そうに、アレンを見据えた。

 

「規模って、広さの事でしょう? ……私、森から出られないから、詳しいことは分からないけど、仲間の妖精から『あそこには凄い守人(ガーディアン)がいる』って聞いたことがあるわ」

 

守人(ガーディアン)……?」

 

 遺跡といえば仕掛けがあるのは当然だが、アレンは別の何かを考え込むように少しだけ目を細めた。

 妖精が続けた。

 

「お宝目当てなら、引き返した方がいいよ。……強欲な人間が、あの遺跡から帰ってこなくなった話なんて五萬とあるの。危ないわよ」

 

「心配すんなって! オイラ達はただ! えっと、……」

 

「メトークスだ」

 

「そう! 『めとーくす』っていう花を求めてここにやって来ただけだぜ! 言わば、アミーナ姉ちゃんのためじゃん!」

 

 ロジャーが胸をドンっと叩く。

 妖精はやはり不安そうな表情のまま、押し黙っていた。



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side phase3 真の男

 バササッ!

 

 けたたましい羽音と共に、ルシオの頭上が暗く陰った。風が起こる。陰りを作った何かが、ざっ、とルシオの目の前を過ぎていった。

 

「うわっ!」

 

 反射的に両腕で頭を抱えると、続いて弟のレザードと子分のベリオンの悲鳴が、後を追うように響いた。

 

「ひぃっ!」

 

「ほわぁぁん!」

 

 その大声に、びく、と身体を震わせたルシオは、ゆっくりと頭を覆った両腕を解いた。警戒に息をひそめながら。

 

「……、お……?」

 

 油断なく、左右を見渡す。

 と。

 

 ばさ、ばさ……、

 

 これ見よがしに羽音を立てる彼女が、まるでルシオを見下すように両の翼を広げていた。口元に、邪悪な笑みを浮かべて。

 

「あら。ずいぶんとかわいいボウヤ達が引っかかったねぇ……! 久しぶりの食事にしては、上出来だわ」

 

 くすくすと、不気味に笑う女性。

 両腕はない。本来、腕のあるべき場所には、鷲を思わせる巨大で頑強そうな翼が、美しい赤いグラデーションを描いて、雄々しく、妖艶に彼女を飛び立たせている。

 人間の両足の代わりに、鶏の五倍はありそうな太い足と、そこから伸びる鋭い爪。

 唯一、人間のパーツを持っている、秀麗な彼女の貌からくびれた腰までは、女性の柔肌そのままに、しかし、決して健康とは言い難い、青みがかった肌をしていた。そして、そのふくよかな両胸を隠すように、グラデーションの美しい、あの赤い羽毛が彼女の胸元に生えている。

 人、というよりは、鳥の部品(パーツ)が多い亜人。

 それがレディ・ビースト、と呼ばれる種族だ。

 

「……う、わ……っ……!」

 

 ルシオは思わず呻いた。顔が引きつる。

 レディ・ビーストの気性は、獰猛にして残酷。

 サーフェリオに棲む亜人ならば、誰もが知っている、街道で出会ってはならない種族ベスト4にランクインされている危険人物だ。

 まともに相手をしては殺される。

 

「ひ、ひぃぃ……っ!」

 

 傍らで、弟の声。レザードも同じ事を考えたのか、悲鳴とも、呼吸とも取れない声を洩らして、ルシオ同様、じりじりと後ずさる。

 

「る、ルシオちゃんっ! レザードちゃんっ!」

 

 最後尾を歩いていた筈のベリオンが、凄まじい勢いで叫んだ。

 

「っ!?」

 

「……ひっ!」

 

 掠れる声で、ひゅっ、と息を飲んだルシオは、顔が引きつった。ついでズボンを握る。どっと溢れた嫌な汗が、じわりとズボンの裾に染み渡るのが分かった。

 ――絶望的だ。

 

 背後まで、レディ・ビーストの従者、アックスビークに囲まれている。

 

 体は小型だが、鋭く大きな嘴に、攻撃的な赤い羽のタテガミを持つ、アックスビークが五体。

 最早、己の不運を呪う以外、ルシオに出来ることはない。

 

「ルシオちゃんっ! レザードちゃん! どうしようっ、っっ!?」

 

 喚くベリオンに、いつもなら「うるせぇ!」と返すところだが、声を発そうにも、妙な異音しか出てこなかった。

 とっとっとっとっ、と急なスピードで、心臓が脈打ち始める。

 かたかたと震える身体を、ルシオはプライドだけで宥めようとした。

 

「お、おお、オマエっ、なん、かにっ――っ、っっ!」

 

「わ、わわ、私なぞっ! 食べたところで――……っ!」

 

 粋がって声を荒げたが、ただ、ひっくり返っただけだ。隣で弟のレザードが、早口に説得に似た命乞いのようなものを始めている。その、いつもは生意気しか言ってこない弟の声が必死なのは、あの弟でも危機的状況と察しているからだろう。

 が。

 

 ぺろり……、

 

 レディ・ビーストが意地悪く、妖艶に唇を舌でなぞった。

 

「っ、っっ!」

 

 戦慄が、ぞ、と背筋を駆ける。

 恐怖が身体を縛って、動けない。

 思えば、軽い気持ちで空中庭園に足を踏み入れた。

 

 あの、大嘘つきのロジャーとは、まるで格が違うのだと。そう知らしめるために。

 ――ダグラスの森まで無事に行けたのだから、大丈夫だろうと。

 

「そうだよ、もうボウヤ達に逃げ場なんてないのさ」

 

 うふふ、と不気味に笑うレディ・ビーストが、楽しそうにばさばさと両の翼をはためかせる。

 凄まじい勢いで。

 徐々に、風を巻きながら。

 

「あははははははっ!」

 

 凄絶に笑ったレディ・ビーストは、上空にふわりと巻き上がるなり、どんっ、と身体を丸めて急降下してきた。

 柔らかそうな羽毛を、瞬時に鋼鉄化させて。

 

 びゅおんっ!

 

 走る彼女の肢体から、ルシオ達が逃れる術はない。否、反応することさえ不可能だろう。

 剣山のように尖った彼女の羽が、ぎらりと光った。

 

「うわぁああ!」

 

 身体を縮めて、ぎゅ、と目をつむる。が、彼等が自分を庇って両腕を掲げるよりも、レディ・ビーストの急降下の方が遥かに速い。

 頭を庇う暇すらなく、ルシオ達は突き殺されるのだ。

 あの、鋭い翼に。

 

 ギュキュィインンッッ!

 

 壮絶な摩擦音に、ルシオは思わず顔をしかめた。鼓膜を打つ、不快極まりない摩擦音。反射的に、しかし、ゆっくりと目を開けると、ぱらぱらと散る火花と、レディ・ビーストの体当たりを手斧一本で受け止める少年の姿が目に入った。

 片手で握った、手斧一本で。

 自分の身長をはるかに超えるレディ・ビーストの巨体を、軽々と受け止めた少年。

 

 ――ロジャーだ。

 

「……なっ……!」

 

 ルシオが目を見開く。否、ルシオの後ろに隠れるように立っていたベリオンも、腰を抜かしているレザードも同様だ。

 あの凶暴で知られるレディ・ビーストを、あの凶悪で知られる彼女を、まるでものともしない彼に、呆然と目を奪われた。

 

「コイツ等に手ぇ出そうなんて、いい度胸だぜ! メラ許せねぇ!」

 

 非現実的な光景で、ルシオが見聞きし、知っているままのロジャーが、ほっ、と軽い掛け声とともに、レディ・ビーストの巨体を上空に叩き返す。

 己の三分の一――いや、それ以下の小さい少年に、自分の体当たりを易々と跳ね上げられ、レディ・ビーストは驚愕に目を剥いた。

 

「貴様! ただのメノディクス族の子供(ガキ)では……!」

 

「くらえっ! しびれムチ!」

 

 悲痛に近い彼女の叫びは、しかし、ロジャーに阻まれた。にんまりと笑った彼が、懐から電磁ウィップを取り出し、一閃したのだ。レディ・ビーストに、ではなく、周囲を取り囲むアックスビークへ。

 ヒュォンッ、と風を切る鞭が、敵を巻き込むのではなく、敵を吹き飛ばす方向に逆回転してしなる。ロジャーを中心に、頭上から見れば、鞭で円を描くように。

 鞭は意志を持っているのか、アックスビークとロジャーの間にいる、ルシオ達を完全に無視して敵を倒すため、走る。――攻撃力こそ絶大だが移動力の無いアックスビーク達が鞭にかかるのは、それこそ、あっという間だった。

 

 バチィイイイインンッッ!

 

 けたたましい雷撃音を立てて、アックスビークが悲鳴を上げながら地面にひっくり返っていく。

 ただ、一閃。

 それで周囲の従者(アックスビーク)を黙らせたロジャーは、とん、といつも手にしている斧を肩に担いで、彼女を見上げた。

 

「オイラの勝ちだぜ、姉ちゃん! とっとと帰った方が身のためじゃんよ!!」

 

 勝ち誇るロジャーに、レディ・ビーストの表情が口惜しげに歪む。一瞬にして彼女の従者達を戦闘不能にした手並みを見ては、さすがにこの少年に戦いを挑む気が削がれる。

 が。

 だからといってこのまま引き下がるのは、彼女のプライドが許さなかった。

 

「……お、のれ……っ!」

 

 低く、暗く、彼女は呻く。と同時。

 ぽかん、とロジャーを眺めていたルシオが、は、と目を見開いた。

 

「バカダヌキ! 後ろだ!」

 

「――んぁ?」

 

 切迫した彼の声に反して、のんびりと後ろを振り返るロジャー。そこに、『水中庭園の壁』と錯覚してしまいそうな、槍を持った、黒い石像が迫り出した石版が、ロジャー目掛けて、その得物を振り下ろしていた。

 

「お……?」

 

 普段のロジャーならば、対応できた攻撃だ。

 だが――。

 

 がっ、

 

 何かに身体を引き倒されたロジャーは、おぉ~、と素っ頓狂な声を上げながら、狙いを定めて握った斧を手に、地面に倒れた。と、同時。槍を持った石版――水中庭園の守人(ガーディアン)、インテレクチュアルの槍が、寸前まで迫る。

 

(やべ――っ!)

 

 咄嗟に応戦しようと斧を握る。自分の上に乗った重い何かが、ロジャーの動きを完全に止めている。

 

「ルシオちゃん!?」

 

 ベリオンの悲鳴。それに、は、と顔を上げたロジャーが視線を向けると、自分の上に乗っかっているものがルシオであることに気が付いた。

 ――このままでは、ルシオごと斬られる。

 

「く、そっ!」

 

 舌打ち混じりにロジャーは呻いて、槍を回避するため、捻ろうとした首を止める。体は固められても、首さえ動けばロジャーは無事だ。

 だが、それでは――。

 断念した斧での応戦を決意し、ロジャーは腕に力を込めた。

 そのときだ。

 

 ――すぅ、

 

 インテレクチュアルの正中線に、亀裂が走った。

 音はない。

 ただ、それが当然のように亀裂が徐々に開けると同時、身体の中央を縦に両断されたインテレクチュアルが、無造作に、左右に分かれた。

 石版から迫り出すように彫られた、人に良く似た彫像が、手にした槍を振り下ろすことは、もうない。

 ――石版の守人(ガーディアン)は、二つに割れ、倒れていった。

 

 ず……しぃいい……ん……っ!

 

 重々しい、床とインテレクチュアルだった石がぶち当たる音が、ロジャーの腹に響く。

 ロジャーはぺたりと脱力した。深いため息を吐く。

 

「ふぇ~……。助かったぜ、アレン兄ちゃん」

 

「え……?」

 

 つぶやくロジャーに、覆いかぶさったルシオが、硬い瞼を開ける。そして、ルシオがのそりと身体を引き起こすと、インテレクチュアルが襲ってきた方向に、陽光を背にした青年が立っていた。

 おそらく、青年自身の身長よりも長い、『剛刀』と言われる刀を手にしていた。

 青年は、ちん、と静かな鍔鳴り音を立てながら、刀を鞘に納めた。

 

「いい動きだったな、ロジャー」

 

 透けるような金の髪と、そう言って優しく微笑む蒼の瞳が、ルシオの目を数瞬奪う。特別美形というわけではないが、それなりに整った相貌に、何よりインテレクチュアルを一刀両断し、身の丈以上の剛刀を苦もなく携えた彼の姿に、ルシオの幼心は強く刺激された。

 

「――――」

 

 思わず、呼吸も忘れてしまうほどに。

 ほぅ、とこちらを見上げるルシオに、アレンは向き直ると、膝を付いてルシオと同じ目線になった。ゆっくりと、ルシオの腕を引いて立たせてやる。

 

「怪我はないか?」

 

 問いかけながら、アレンは恐怖と緊張で固まっていたルシオの両肩に、ぽん、と手をかけた。何と言うことはない、励ましでも、労いでもない、ただのスキンシップ。それで不思議と、ルシオの心が、身体が、ふわりと軽くなるのを感じた。

 

「……え? あ、はい……!」

 

「『はい』ぃい?」

 

 咄嗟に頷くルシオを尻目に、身を起こしたロジャーが、顔をしかめてルシオを見上げた。それを完全に無視して、ルシオは口を台形に開けたままアレンを見ていた。

 

「そうか。良かった……。ロジャーを助けてくれて、ありがとう」

 

 ゆるやかに微笑うアレンの瞳には、優しさと、強さ。そして底の見えない、深く、澄んだ何かがある。

 それを覗き込むというわけではないが、アレンの顔を、じぃ、と見詰めたルシオは、突如我に返るなり、照れ臭そうに頬を染めて、その照れを隠すために眉間に皺を刻みながら、ぷい、とそっぽを向いた。

 

「……べ、別に! 誰があんなバカダヌキのことなんか……!」

 

 吐き捨てる。手斧を背中に納めたロジャーが、んん、と眉根を寄せて、ルシオを睨んだ。

 

「誰がバカダヌキだ! このアホ猫! 大体、人に助けられといて、お礼の一つもねぇとは、とんだ礼儀知らずだぜ!」

 

 ロジャーに言われて、ルシオは目の前の青年にまだ礼を言っていないことに気がついた。しまった、と内心で舌打ちするものの、ロジャーの前で礼など言いたくないという気持ちが、ルシオの心を縛る。

 

「……っ!」

 

 だから彼は、忌々しげにロジャーを見るなり、噛み付かんばかりの勢いで怒鳴り返した。

 

「うっせうっせ! バカダヌキ! 誰がお前なんかに礼なんぞ言うもんか! 余計な所でしゃしゃり出てきやがって、オマエなんかの世話にならなくてもオレたちは平気だって~の!」

 

「お~、カッコイイ、カッコイイ。それが口だけじゃなけりゃいいんだけどな!」

 

「んだとぉ!」

 

「へっへ~んだ!」

 

 ロジャーがにんまりと口端を緩めながら腕を組む。その彼の、小さな背を見据えながら、アレンはやれやれとため息を吐いた。

 

「彼等の悲鳴が聞こえた時、真っ先に血相変えて走って行ったのに。素直じゃないな……」

 

「兄ちゃんは黙ってるじゃん!」

 

 蚊がささやくほどのアレンの小声にも関わらず、背中を張ったロジャーが、目を血走らせながら怒鳴ってくる。その彼に、アレンは小さく苦笑しながら、はいはい、とだけ答えた。

 

「ロジャーって、わかりやすいよね~」

 

 そのアレンの肩から、妖精は、ひょい、と顔を出した。森から出られないはずの彼女は、『ヤドリギ』という施術用の杖にも使われる小枝につかまることで、空中庭園まで遊びにくる試みに成功したのだ。彼女は庭園の奥深くに生えているメトークスを大事そうに抱えて、照れ隠しにそっぽを向いているロジャーを呆れたように見ていた。

 

「それが良い所だ」

 

 アレンの言葉に、そうかなぁ、と返しながら、妖精は首をひねる。視線をロジャーに向けると、彼は無言のまま、ルシオと睨み合っていた。

 

 ――狸と猫の、あまり迫力のない睨み合い。

 

 彼等のまばたきに合わせて、ふりふりと揺れる耳や尻尾が、何とも愛らしい。

 それを、じ、と見詰めて。

 

「……私には、不毛に見えるけどなぁ……」

 

 つぶやく妖精に、アレンは困ったように苦笑した。

 と。

 

「あ、あの……!」

 

 真下から声が聞こえて、視線を落とす。そこにいかにも気弱そうな少年、ベリオンが、緊張した面持ちで、おずおずと立っていた。

 

「ああ、すまない」

 

 言いながら、ベリオンの前に膝を付くアレン。視線を合わせた青年は、人見知りの激しいベリオンの緊張を解く、穏やかな雰囲気を纏っていた。

 雰囲気、というよりは、瞳、だが。

 自然、いつも抑えても溢れ出るベリオンの警戒心が、ふ、と解けた。それにベリオン自身がまるで狐にでもつままれたような表情で、ぽかん、とアレンを見上げている。

 

(あれ……?)

 

 そう、首を傾げながら。

 

「君達も、怪我はないか? 俺は施術師なんだ。ヒーリングなら使える」

 

「あ、いえ! ……大丈夫、です」

 

 言って、ぺこり、と頭を下げるベリオンに、そうか、とだけアレンは答えた。ベリオンは、ズボンの端を、ぎゅ、とつまむなり、勇気を振り絞って言った。

 

「あ、あの! ルシオちゃんと、僕らをっ、助けてくれて、ありがとう!」

 

 頭を、深く下げる。反射的に固く目をつむったのは、警戒心が解けたとはいえ、相手の反応を見るのが怖い、ベリオンの性格ゆえだ。彼は緊張で体が震えるのを感じながらも、声を絞り出した。

 静寂。

 

「…………?」

 

 アレンから、反応らしい反応が返って来ず、ベリオンは背筋が凍るのを感じながら、ゆっくりと、窺うように彼を見上げた。

 

 ベリオンを見据えて、静かに微笑む、彼を。

 

 その、蒼の瞳を。

 

「……っ」

 

 理由は、分からない。

 ただ、その瞳と目が合った瞬間。ベリオンも、ルシオ同様、言葉を失った。

 

「そんなことより!」

 

 アレンの肩口から、いつの間に居座ったのか。妖精が腰に手を当てて、澄まし顔でこちらを睨んできた。

 

「どうした?」

 

 その彼女に、アレンが問いかける。森の妖精は薬草を示した。

 

「――メトークス! 病気で苦しんでる子がいるんでしょ! だったら早く持っていってあげないと!」

 

 もっともな意見に、ああ、とアレンは頷いて、ロジャーを見る。

 今だ、――迫力はないが、決して『育ちが良い』とは言い難い、そんな睨み合いを続けているルシオとロジャーを。

 

「メトークスですって!?」

 

 ベリオンの脇から、黙っていたレザードが、ずい、と近づいてきた。

 

「おぉ! コレがあの! ……私の調べによると、どんな難病をも治す作用を持っていながら、あまりに強すぎる副作用ゆえに時には死に至らせてしまうこともあるという、伝説の万能薬!」

 

「知っているのか? 調べた、という事は独学で?」

 

 目を丸くするアレンに、レザードは不気味に、ふふ、と微笑った。

 

「当たり前ですよ、そんな事は。この明晰過ぎる頭脳を持つレザードに、不可能などないのです。ちなみに、そのメトークスの特性を活かせば、最高の毒薬、麻薬、麻酔薬までこの草一つで作ることが可能です! これを応用し、脳に直接信号を送り込む薬を調合すれば、人類のロマン。究極の惚れ薬や従順ロボットを作り出すことも可能なのです」

 

「……後ろ二つはともかくとして、良く調べているな。サンマイト共和国は薬学に優れていると聞いたが、……そうか。独学でそこまでの結論を割り出せる資料が、整っているのか」

 

 勿論、このレザードという少年の柔軟性を考慮しての結論だ。

 アレンは一つ頷くと、立ち上がった。

 

「ロジャー。俺たちも引き揚げよう」

 

 言うなり、踵を返す。眼鏡の縁を、くい、と押し上げたレザードが、更に絡んできた。

 

「お待ちなさい。そのメトークス、我々に渡していただきましょうか」

 

「は?」

 

 あまりにも唐突すぎる申し出に、妖精が目を丸くする。レザードに背を向けたアレンは、振り返りもせずに答えた。

 

「すまないが、それは出来ない。我々にも、都合があるからな」

 

「ほほぅ? バカダヌキのお連れ様のご都合ですか」

 

 くく、と嘲るように喉を鳴らすレザードに、ああ、と頷いて、アレンはレザードに視線を向けた。

 その代わり、と言い置いて。

 

「君達をサーフェリオまで送ることは可能だ。……俺としては、同行してもらえると助かるんだが?」

 

「ふむ……」

 

 顎に手をやって、考え込むレザード。正直、考え込むまでも無い問題だったが、レザードとしては『メトークスをもらえない』という事態の方が深刻なのだ。

 

(やはり、あの熱血小僧とベリオンだけでは私の身辺を守るのに心許ないか……。しかし、この男を利用すれば、奥地のメトークスを更に採取することは可能……)

 

 胸中でつぶやきながら、アレンを見る。

 『相手の都合』は、最初から考えないのがレザード流だ。

 

「レザードちゃん、良かったね。この人が一緒だったら、僕らも安心だよ~」

 

 隣でベリオンが何か言っている。ここは完全無視だ。――否、するはず、だった。

 

「それじゃあ、行こっか。レザードちゃん、ルシオちゃん」

 

 いつもならおどおどしているだけのベリオンが、まさかこの自分を、ひょい、と持ち上げたりしなければ不測の事態は起こらなかった。

 まるで小荷物のように、いとも簡単に。

 

「こ、こら! およしなさい、ベリオン! 私は今、大切な交渉をですねぇ!」

 

「よろしくお願いします」

 

「ぬなっ!?」

 

 そしてベリオンに自分の意見を無視されたのも、レザードにとって初めてだった。

 ぺこりとアレンに向かって頭を下げるベリオンに、アレンも会釈を返す。

 

「こちらこそ」

 

「こら! お待ちなさい! まだ話の決着は――!」

 

「で? あの子達どうするの?」

 

 否。

 レザードにとって、自分が完全無視されるというのが、初めてのことだった。

 

「っ、っっ! お、お待ちなさいと言っているでしょう! この私を無視しようなど――!」

 

「ルシオちゃん。帰るよ~」

 

「ぁあ? まだこのバカダヌキとの決着が……!」

 

「この人が村まで送ってくれるんだって」

 

 そう言ってアレンを示すベリオンに、ルシオは、きょとん、とまばたきを落とした。

 

「その人が?」

 

「うん」

 

 笑顔で頷くベリオン。ルシオが視線を上げれば、アレンが静かに自分を見下ろしている。

 

「……ちっ」

 

 そのアレンを、じ、と見上げて、ルシオは舌打ちするなり、わざと不機嫌そうにそっぽを向いた。

 拍子抜けたロジャーが首を傾げる。

 

「お? 何だ? もう終わりか? アホネコ?」

 

「うっせ! バカダヌキ! お前の相手すんのが馬鹿らしくなっただけだ!」

 

「へぇ~? ほぉ~?」

 

 言いながら、じろじろとルシオを見上げるロジャーに、ルシオの眉間に刻まれた皺が、ぐ、と険しくなった。

 

「何だよ!」

 

 噛み付かんばかりの勢いで怒鳴るルシオも、やはり、ベリオンに抱え上げられているレザードのことには触れてこない。

 

「……皆さん?」

 

 その事に、レザードはひく、と頬を引きつらせながら、ベリオンを始め、アレン達を順に見る。

 アレン以外、視線を寄越そうともしなかった。

 

「どうした?」

 

 アレンが問うてくる。

 ――しかし。

 

「いいの! その子はもういいから。早く行かないと」

 

 そのアレンも、妖精によって先を急かされた。

 

「だが……」

 

「アミーナって子が危篤なんでしょ。急がなくっちゃ!」

 

「……ああ」

 

 頷きながら、ベリオンに抱えられたレザードを見る。まるで小荷物か何かのように、肩に担がれたレザードは、今は顔を俯けていて、脱力しているようにも見え、その表情を窺い知ることは出来ない。

 

(……やれやれ)

 

 胸中でつぶやき、アレンは気を取り直して、尚も訝しげな視線をルシオに送っているロジャーを呼んだ。

 

「ロジャー、行こう」

 

 そのアレンの声を聞いて、お、とつぶやくなり、視線をこちらに向けたロジャーが、次いで、おぅ、と頷いてくる。

 

「そだな! アレン兄ちゃん!」

 

 その彼に、こく、と頷き返して、今度こそ踵を返したアレンは、ダグラスの森に置いてきた、バイクの下へと急いでいった――……。

 



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side phase4 闘病

「アミーナ。これから、君の肺の治療を行う」

 

 シランドに着くなり、ロジャーの案内で宿屋にやって来たアレンは、彼女の目を見てそう言った。空中庭園で入手したメトークスを、無理を言ってルイドと共に特効薬に精製したあとのことだ。

 

「……え?」

 

 目の合ったアミーナは、あまりに突然な話に首を傾げた。ちょうどそのときは病態が安定して、ベッドに座っていた。彼女の隣には容態急変に備えて、シランドの女医も控えていた。

 

「肺の治療って……」

 

 つぶやく女医と顔を見合わせて、アミーナはもう一度、部屋を訪れた青年を見上げた。

 

「治るん……ですか?」

 

 とても信じられない話だ。心の奥でつぶやきながら、アミーナは夢のようなことを言い出した彼を見詰める。

 頷くアレンは、嘘を言っている顔ではなかった。アミーナが瞬く。自分が見たものを、一瞬信じられなかった。

 ――これは夢ではないか。

 心にブレーキをかけるが、対峙した青年は、夢と思わせるには存在感のあり過ぎる。

 彼はアミーナのベッド脇に、医師の邪魔にはならないよう、考慮した位置で足を止めて言った。

 

「ああ。この薬を使えば、君の病気は完治する。だが、この効能は強すぎて、君の身体に多大な負担をかけ、命を落とすこともある」

 

「な……っ!」

 

 手にした薬を示すアレンに、女医と、アレンの後ろをついてきていたロジャーが目を見開いた。だが、意外にも死ぬ、と言われた当人のアミーナは驚きもせずジッと、アレンと、彼の持つ薬を見据えていた。

 長く『死』と向き合ってきただけに、彼女は病気を治すために負う危険を厭わない。覚悟が出来ているのだ。アミーナの緊張した灰色の瞳を、じ、と見据えて、アレンは静かに微笑った。

 

「そう気張らなくていい。君の身体は元々弱い。メトークスの毒にはとても耐えられないと、ペターニで会った頃に見切りをつけていた」

 

「兄ちゃん!? 表情の割りに、すげぇ不吉なこと言ってるぞ!? それ、ちっとも気張らなくていい理由じゃないぜ!?」

 

「……大丈夫だ」

 

 そう言って、アレンがアミーナを見る。

 気丈に見返してくるアミーナだが、アレンからすれば、あまりの不安に押し潰されないよう、胸の前で必死に拳を握っている少女に過ぎない。

 故に元気付ける意味も込めて、彼は力強く言い放った。

 

「アミーナ。君の体力の不足分は俺の施術で補う。だから、心配ない」

 

「アレンさんの……?」

 

 つぶやく彼女に、アレンは頷く。ロジャーが表情を明るくした。

 

「ホントか!? じゃあ、姉ちゃんの病気、ホントに治るんだな!?」

 

 興奮で早口になる少年を、穏やかに見返す。アミーナのベッド脇に控えた女医が、驚きに目を瞠った。開いた口を、そ、と手で押さえて首を振る。

 

「そんな……! 彼女の病気は、あの発作は現在の施術ではどうにも……!」

 

 その女医を、ちらりと一瞥して、アレンはアミーナに向き直るなり、説明を続けた。

 

「だが、今から一晩。俺に命を預けることになる」

 

「待ちなさい! まさか……、あなた自分の施術で、薬の毒に奪われる彼女の体力を癒し続けるつもりでは……!」

 

 医師の言葉の途中で、アレンは無言で頷いた。途端、か、と顔色を変えた彼女が、激しい剣幕でアレンを睨む。

 

「……無茶よっ! 貴方の施力が少しでも弱まれば、彼女は毒で死んでしまうんですよ!?」

 

「ええ、分かっています」

 

 アレンの声はひどく落ち着いている。そのあまりの冷静さに、ロジャーも今ひとつ現実味を持てなかったが、女医師の狼狽ぶりが、その顔色が、メトークスの危険性を強く示していた。

 

「お止めなさい! よしんばうまく行ったとしても、一晩中施術を発動し続けたりなどしたら、あなたの命が――!」

 

「っ!?」

 

 ロジャーとアミーナが、驚いてアレンを見る。が、当のアレンは、やはり表情を変えなかった。

 

「それは集中力が切れた場合の話です。心配要りません」

 

「馬鹿なことを!」

 

 吐き捨てた彼女は、そこでアレンから視線をそらした。

 施術は、術者の集中力によって構成密度が決まる。人の集中力が最大限に高まる時間が、せいぜい十分から十五分、訓練された者で一時間から二時間である。

 これからアレンが施術を使い続けねばならない時間は、十四時間以上。

 その間、少しも施術を衰えさせず、集中し続けることは不可能だ。そこで時として集中力の代替として使われるモノが、術者の生命力である。

 一分あたり、一年。

 その速度で減っていく生命力を、よしんば使ったとしても一時間なら六十年分の生命力がこそげ落ちる計算である。

 とても、一晩などという長丁場を乗り切れるわけがない。最悪、アミーナともどもーー。

 その医師の指摘を最後まで言わせず、アレンはアミーナに向き直った。

 

「……アレンさん……」

 

 医師とアレンの不穏な空気を、アミーナが強張った表情で見ている。その彼女に、気にするなと微笑ってやると、彼女は力なく頭を垂れた。

 医師とアレンの間で、どんなやりとりがあったのか、アミーナには分からない。

 だが。

 フェイト達がシランドを出たのは、昨日だ。あの時のフェイトの怒りようを見れば、昨日の時点ではまだ、薬は手に入っていなかったのだろう。

 つまりアレンやロジャーが、この薬を取ってきてくれたのは、昨日から今日の間。

 それは、つまり――、

 

「……すみません。私、また皆さんにご迷惑をおかけしてしまって……」

 

「誰かに迷惑をかけてでも、自分の身体がどうなろうとも、会いたい人がいるんだろう? なら、そんな表情(カオ)をするな」

 

「…………すみません……」

 

 謝る自分が、しかし、飾りであることに彼女は気付いていた。

 胸の前で、強く、強く握った拳。『この病気が治る』とアレンに言われてから、胸の中にあった死への恐怖が、いつの間にか薄れていた。代わりに湧き出した希望が――それでも、希望を持つ度、打ちのめされてきた現実が、アミーナの脳裏をちらついて、決心を鈍らせる。

 ――だが。

 今の彼女には、生きる意味があった。『ディオン』という、生きる意味が。

 

(この病気が治れば、ディオンと……もっと、長く居られる……!)

 

 その想いが、今は頭を占めている。

 ぐ、と強張った表情で見上げてくるアミーナに、アレンは小さく頷いた。

 

「そうだ。それでいい」

 

 くしゃ、と頭を撫でられて、アミーナは、きょとんと瞬いた。

 

「……え?」

 

 目を丸める。視線の合ったアレンの表情は、無表情だったが、どこか優しい、穏やかな空気を纏っていた。彼女の頭に乗った手は、硬く、大きく、そして温かい。自然と、ふぅ、と力を抜いて、寄りかかってしまいそうな、そんな深い、深い安堵感に襲われた。

 温かくて、懐かしい――……。

 それはアミーナが失った、『家族』の温もりだった。

 

(……お父さん、お母さん……)

 

 久しく、彼女が忘れていた――否、思い出さずにいた感覚だ。

 自然と目を閉じるアミーナの脳裏に、優しい両親の笑顔が浮かぶ。

 家族を失ったとき、ディオンが生きていると思わなければ、また会えると信じなければ、彼女はあまりの悲しみで、立つことさえ出来なかった。

 もう、自分は独りなのだと。

 そう考えるだけで、頭が真っ白になったのだ。

 両親の顔を思い出すと、ぶるりと身体が震えた。手先が冷える。

 

「大丈夫だ」

 

 ふと、アレンの声が近くで降った。アミーナが気付いて薄目を開けると、知らぬ間に、彼女は身体をアレンに預けていた。瞬間。びく、と身体を震わせたアミーナだったが、それが『安堵感』を求める彼女の本能だと、アレンも理解しているからこそ、もたれかかる彼女を抱き留めたまま、動かない。

 

「……ぅ、っ……!」

 

 そのアレンの優しさがじんわりと伝わってきて、アミーナは、ぎゅ、とアレンの胸元を握った。涙が滲むが、声は出さない。

 彼女をじっと見下ろして、アレンはアミーナが安心できるよう、彼女の頭と背を撫でた。

 戦禍の中、たった一人、生きるために花を売って、病魔と闘って。

 懸命に前を向いて生きるアミーナが、完全に家族を失った心の傷を埋めたかと問われれば、そうではない。

 傷の痛みに打ちのめされ絶望に涙しても、生きねばならない現実に、気を張っていただけだ。そんな彼女の苦しみを、痛みを、悩みを。すべて包んでくれるような、あまりに優しく、懐かしい温もりは――もう、居ない。

 喪失が活力を奪う。

 久しぶりに触れた人の温もりに、アミーナは涙した。

 

「ふっ、……ぅっ……ぁ……っっ!」

 

 零れる嗚咽が、次第に大きくなる。顔をアレンの胸に押し付けると、彼女は人目をはばからずに泣き出した。

 アミーナとは思えない、細く、弱く、大きな声で。

 『誰か』を頼るにしても、頼るべき『誰か』はもう、この世に存在しない。無償の愛を注ぎ、養ってくれる両親は、もうどこにもいない。

 そんな現実に、なす術も無く泣き叫ぶ。

 わずか十七歳の少女にとって、一人で生きていくことがどれほど辛い現実であったのか。その上で、理不尽な不治の病に侵された事が、どれほど苦痛であったのか。それはアミーナ以外、誰にも解らない。

 ただ――千本花でもってディオンを、幸せだった頃を思い出すことで――縋りつくことで――、生きる糧としていた。

 その孤独を、寂しさを、不安を――受け止めてくれる温もりが、彼女はずっと欲しかった。失った家族の温もりを、与えてくれる者が。

 それが、今、目の前にある。ならば、それを必死で掴むアミーナの姿は、あまりに当然で――、哀しい光景だ。

 

「……人を頼っていいんだ。アミーナ」

 

 弱々しくとも、現実は一人であろうとも。懸命に生きようとしたアミーナに、アレンの言葉(こえ)が、深く、刺さる。

 アミーナの頭を撫でてくれる手が、どうしようもなく優しく、哀しい。――もう、二度と得られない温もりに、あまりにも似ているからこそ。

 ちゃんと果たせなかった両親との決別を、アミーナは疑似体験しているようだった。

 

(……お父さん、お母さん……!)

 

 見守るロジャーも、女医師も、あまりのアミーナの迫力に、口を挟めないでいる。

 彼女の背負ってきた、十七歳の少女が背負うにしてはあまりに重過ぎる長い苦行に、ただ圧倒され、かける言葉が見つからないのだ。

 ただ――。

 

「っく! ひっ、く……っっ!」

 

 泣き咽ぶアミーナの姿が、ロジャーの心臓を、ぐぅう、と締め付けて、見ているだけでも痛々しくなった。

 

「……姉ちゃん……」

 

 つぶやいて、ロジャーは自分の心臓を掴むように胸元を握る。それで目の前の光景が、ロジャーに降りかかる悲しい気持ちが、晴れることは無かったが、拳を握っていなければ、ロジャーもつられて泣き出してしまいそうだった。

 

 そうして、しばらくの間。

 

 黙って、じ、とアミーナをあやしていたアレンが、ゆっくりと彼女を引き離した。アミーナの瞳を、真正面から覗き込むために。

 

「アミーナ」

 

 言い置くアレンに、アミーナが涙を拭きながら、顔を上げる。まだ泣いているが、それでも何処か、憑き物が落ちたような、すっきりとした表情だった。

 その彼女に、こくりと頷いて、アレンは続けた。

 

「……俺を、信じてくれ」

 

 そう、力強く。

 こちらを見据える蒼の瞳は、どこまでも澄み、深く、温かい。

 その彼を、――ただの知り合いに過ぎなかったアレンを、じ、と見つめて、アミーナはゆっくりと、破顔した。

 フェイトやロジャーに向けた優しい笑顔でも、ディオンに向ける美しい笑顔でもない――、ただ、帰る家を見つけて顔を綻ばせる、少女の笑顔で。

 アミーナは、自然とその言葉を紡いだ。

 

「……はい。アレンさん」

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 翌日。

 城の客間で待っていろと言われたロジャーは、目が覚めるなり、いの一番でアミーナのいる宿へ駆けつけた。――と言っても、昨夜は遅くまでアミーナの様子を窺っていたため、起きたのは昼過ぎだ。

 アレンの話では、とっくに治療が終わっている時間帯である。

 

「やべぇ! 寝過ごした~!」

 

 たらたらと冷や汗をかきながら、店の人に怒られる覚悟で宿の階段を三段飛ばしで上がり、荒々しくアミーナの部屋の扉を開けた。

 

 バンッ!

 

「兄ちゃん! 姉ちゃんは!?」

 

 簡潔なロジャーの問いは、昨日から部屋にいた女医によって、たしなめられた。しっ、と口許に人差し指を当てる彼女を見上げ、恐らくずっと、アレンとアミーナの付き添っていた彼女に、ロジャーは照れ笑いのような、ごまかし笑いを浮かべる。後ろ手で、ぽりぽりと頭を掻いた。

 横目でアミーナを窺うと、ベッド脇の椅子に座ったアレンが、今だ術を終了させていないのか、アミーナに対峙したまま、ぴくりとも動かなかった。

 

「……先生?」

 

 その、あまりにも集中しているアレンに気後れして、やべ、と口走りながら、ロジャーは女医師に様子を尋ねる。すると、彼女は微苦笑のようなものを浮かべて、首を横に振った。

 

「今、ようやく眠ったところなんです。……患者の基礎体力を上げるヒーリングだけでも、一晩中使うなんて不可能だと言うのに、彼は彼女(アミーナ)に毒の負担をかけないよう解毒とヒーリングの二重施術をかけていたようで。さすがの私も、恐れ入りました」

 

「それじゃ……!」

 

「ええ。もう、心配ありません」

 

 頷く女医に、ロジャーの表情が一気に晴れた。

 光が差したように、見る見る内に明るくなる。

 

「やったじゃん! 兄ちゃん、お手柄じゃん……!」

 

 騒ぐな、と怒られたので、ぎゅ、と拳を握り締めて、溢れる感動を抑える。それも長くは持たず、ロジャーはあまりの嬉しさにアミーナのベッド脇に走り寄った。すると意外にも、眠っている、と言われた相手は、アレンの方だった。

 器用に座ったまま、目を閉じているアレンを、きょとん、と見上げて、ロジャーはハッと隣を振り仰いだ。

 アレンの影で見えなかったが、ベッドに腰掛けたアミーナが、元気そうな顔色で嬉しそうにロジャーを見ていたのだ。

 

「姉ちゃん……! もう起きても大丈夫なのか!?」

 

 ロジャーは声を抑えながら、それでも興奮気味に問いかける。すると、アミーナがにっこりと笑って頷いた。

 

「ええ! 今、とっても身体が楽なの……! ホントに、嘘みたいに……!」

 

 じわり、と涙が浮かんでいるのは、それだけ感極まっているのだろう。

 

「ありがとうございます、アレンさん……!」

 

 アレンに向けて、深々と一礼するアミーナにつられて、ロジャーも視線を向ける。余程疲れたのか、すやすやと眠るアレンの寝顔が見られた。

 

(そういやアレン兄ちゃんの寝顔、初めてじゃん……!)

 

 フェイト達と旅を始めて、何かと床を共にする機会は多い。だが、ロジャーは最年少という事もあって寝る時間は誰よりも早かった。だから、当然といえば当然なのだが、フェイトやクリフでさえ、アレンはいつ寝ているんだ、と口にしていたくらいだから、彼が寝ている姿、というのは本当に希少なのだろう。

 いつもは凛々しく形作られた目元が閉じられただけだというのに、大人びた雰囲気が消え、アレンの顔が『少年』らしくロジャーには見えた。

 

「……兄ちゃんって、ホントにフェイト兄ちゃんと同い年だったんだなぁ……」

 

 顎に手をやって、ロジャーがしみじみと頷く。

 アレンやフェイトが聞いていれば、一体どんな反応が返ってくるか分からない発言だったが、幸いなことに、その双方には聞かれていない。

 代わりに、隣にいたアミーナがくすりと微笑った。

 

「ロジャー君、先生。ともかく、アレンさんをベッドに」

 

 そう言い置いて、アミーナがベッドを立つと同時、アレンの瞼が開いた。

 何の脈絡もなく、す、と。

 

「……ロジャー?」

 

 覚醒と共に、少年らしさを失ったアレンが、ロジャーを見つけて首を傾げる。それも一瞬のことだ。彼は、ああ、と納得とも、生返事とも取れない言葉を残すと、こくりと頷いた。

 

「すまない。少し眠っていた」

 

「いえ! こちらこそ、起こしてしまったみたいで……。あの、もう少しお休みになられた方が」

 

 席を立つアレンを、アミーナが押しとめる。アレンは首を軽く横に振って、その申し出を断った。

 

「いや。仮眠なら今取った」

 

「仮眠……?」

 

 首を傾げるロジャーに、控えていた女医も驚いたように目を瞠る。

 

「何を言っているんですか! あなたは治療が終わって、まだ5分も……!」

 

 そこで言葉を遮られた女医は、施術師だけにアレンの疲労を誰よりも理解しているのだろう。だがそれ故に、その心配はアレンに当てはまらなかった。

 

「仕事上、慣れているもので」

 

 やや苦笑したアレンは、ロジャーに、行こう、と断って部屋を出る。その背を女医師が眺めていると、ベッドから立ち上がったアミーナが慌てて声をかけた。

 

「待ってください!」

 

「んぁ?」

 

 首を傾げながら、ロジャーが振り返る。それに倣って、アレンもぴたりと足を止めた。

 走り寄ってきたアミーナが――、久しぶりに走れた彼女が、息を弾ませながら、ぎゅ、と胸元を握ってアレンを見上げる。

 肩肘を張った、少し前までの彼女とは少し違う。生気に満ちた、眩しい眼差しだ。

 

「あの! 本当に、ありがとうございました!」

 

 深々と、アミーナが頭を下げる。その彼女を見下ろして、ふ、と微笑ったアレンは、ああ、と返して、それから改めて踵を返した。

 

「それから! あの……!」

 

 それで話は終わったと思った彼に、更にアミーナが言ってくる。不思議そうにアレンが振り返ると、淡く、頬を朱に染めたアミーナが、ややアレンから視線を逸らして、続けた。

 

「あの、私がアレンさんに寄りかかって、泣いちゃったこと……。ディオンには内緒にしておいてください」

 

 胸の前で指を組んで、アミーナがもじもじとつぶやく。

 冷静になって見れば、年頃の異性に泣き付いた自分が恥ずかしくなったのである。

 その彼女を、じ、と見返して――アレンは、首を傾げた状態から、は、と思い出したように目を見開いた。

 

「そうか、ディオン……! それであの時……」

 

 ダグラスの森で彼女を担ぎ上げた時、譫言(うわごと)でつぶやいていた意味にアレンが合点する。そのアレンを、じ、と見上げて、ロジャーは不思議そうに首を傾げた。

 

「……ディオンって、誰だ?」

 

「ロジャーはまだ会っていないのか。ディオンは、シランドで施術兵器開発をしている技術者なんだ。真面目で温和な人で、開発部のエレナ博士の助手として――」

 

 そこで言葉を切ったアレンは、何か思い当たったように、アミーナを振り返った。

 

「ディオンと、知り合い……! なら!」

 

 ぐ、と表情を引き締めるアレンに、アミーナが不思議そうに瞬きを落としている。その彼女を見据えて、アレンは続けた。

 

「なら、君に協力してもらいたいことがある」

 

「えっと……はい。私に出来ることでしたら、なんでも」

 

 首を傾げながらも、頷くアミーナに、今度はアレンが破顔した――……。



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side phase5 アレンの迷い

 宿を出たロジャーとアレンは、シランドの門前に止めたバイクに跨った。

 わざわざ見送りに来たアミーナに礼を言って、その足でペターニまで急いだ時のことだ。一気にペターニを抜け、アリアスに向かうと思っていたロジャーは、意外にもペターニでバイクを止めたアレンを、不思議そうに見上げた。

 

「兄ちゃん? どうかしたのか?」

 

 機動力が増したおかげで、旅支度はごく簡単なもので済む。だが、ペターニで何か買い物があるのだろうか、とロジャーが勘繰った時のことだ。

 ロジャーをバイクから降ろすなり、アレンの口から、予想外の言葉が飛び出した。

 

「……ロジャー。ここでお別れだ」

 

 そう、アレンが言い出した。ロジャーを、じ、と真正面から見据えて。

 

「へ……?」

 

 あまりの唐突さに、ロジャーが目を見開く。穴が開くほどアレンを見据えていると、アレンは厳しい表情で、――いつもの、修行時の厳しい表情とはまた違う、有無を言わせぬ雰囲気を纏わせて続けた。

 

「思いの外、シランドで時間を食ってしまったからな。お前をサーフェリオまで送ってやる事は出来ない。だが、今のお前なら、俺は安心してここで別れられる。お前なら無事に故郷(サーフェリオ)まで帰れると、確信して言えるから」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」

 

 反論するロジャーの声が、掠れた。淡々とつぶやくアレンの表情は変わらない。その彼に訴えるように、ロジャーはアレンを見据えたが、何の反応も返ってこない。そのことに、ロジャーの顔が引きつった。

 ――アレンが本気であると、悟ったのだ。

 

「本当は、メトークスを採りに行った後で別れようと思った。だがお前の性格上、アミーナの病気がどうなったのか、直接見届けた方がいいと俺が勝手に判断したんだ」

 

 淡々と続くアレンの言葉を、ロジャーは、ぐぬぬ、と下唇を噛み締めて聞き、自分のズボンの裾を、力の限り握り締めた。

 

「……兄ちゃん。オイラとお別れって、それってオイラが弱いから……。お荷物だから、なのか……?」

 

 震えた。

 問う声が、その問いにアレンがどう返してくるのか考えただけで、震えた。

 アリアスの台地を奪還に向かった時、ロジャーは『一人前の男』と認められたと確信した。

 なのに――。

 そう思うと、口惜しさで、歯痒さで、ロジャーは胸が締め付けられるように痛くなる。対する、アレンの表情は変わらない。

 ただ。

 

「……いいや」

 

 端的に応えるアレンを見上げて、ロジャーは叫んだ。

 

「だったら! なんでだよ!」

 

 嬉しかったのだ。

 アレンに認めてもらえたと思うと、それだけで強くなった気がした。だから、とても嬉しかったのだ。

 ロジャーの考える真の男道に、その理想像に、アレンは近い存在だったから。

 ――だから。

 クリフやネルですら音を上げてしまいそうな修行にも、ロジャーはついていった。

 相手が、アレンだったから。

 そのロジャーの気持ちが、焦りと憤りと、涙となって溢れようとしていた。

 精一杯にこちらを睨んで、全身で己の怒りを表すよう、ぴょんぴょん跳ねるロジャーの、その真っ直ぐな眼差しが、故に彼をここに置いていくべきだ、とアレンに告げる。

 

 彼に、戦場を踏ませてはならないと。

 

 いかに和平を掲げようとも、そこはロジャーが踏み込むには血なまぐさすぎる。あまりにも暗く、悲しい念に満ちすぎている。

 悲しいと一括りにするには、あまりにも激しく、あまりにも残酷な念に。

 だから――。

 アレンはわずかに瞼を伏せて、つぶやいた。

 

「これから俺達がやるのは戦争だ。多くの人間の、エゴとエゴがぶつかり合う。暗く、汚い世界だ。善も悪もない、ただ生きるか、死ぬか。国を賭け、自分の命を賭けて、互いに剣を振るい、ぼろぼろになって死んでいく。――身体だけじゃなく、精神(こころ)も。まるでお互いを『物』のように踏みにじって、踏みにじられて。……それは、今回のシーハーツ軍でも同じだ。アーリグリフと対等の立場になれなければ、交渉は為しえない。だがそれを為すためには、アーリグリフ軍人の命を犠牲にする必要がある。シーハーツの軍事力が彼等に決して劣らぬと、彼等に見せつけねばならない。その状況だけは、どうすることも出来ないんだ。だからアーリグリフであろうと、シーハーツであろうと――必死に。周りが見えなくなるほど必死に骨身を削って、我が身を堕として、祖国のために全てを捨てて戦い合う。……勝利のために。その先にある、未来のために」

 

「……………………」

 

「ロジャー。お前は優しくて、強い男だ。……だから」

 

 す、と視線を向けてくるアレンを、真剣に見つめ返して、ロジャーは続きを待った。このあまりにも深い、蒼い瞳の奥には一体何があるのだろうと、漠然と考えながら。

 

「だから、これから皆が捨てていくものを、お前だけは持っていて欲しい。戦争が終わったその先の未来のために。ネル達に、それを思い出させる手伝いをしてやって欲しい」

 

「……兄ちゃんは?」

 

 ぽつ、と低くつぶやくロジャーに、アレンは無言のまま首を横に振る。そのアレンを、き、と睨み上げて、ロジャーは地団駄を踏んだ。

 

「何でだよ! メラわけわかんねぇ! その手伝いってんなら、兄ちゃんだって出来るじゃんか! 兄ちゃんだって、十分優しくて強い男じゃん!? 捨てちゃいけないもの、いっぱい持ってるじゃんか! フェイト兄ちゃんだって、デカブツだって! ……なのに、なのに何でオイラだけ――!」

 

 言葉が続かなかったのは、気付けばこちらを見据えるアレンが、寂しそうだったからだ。どんな時も冷静で、どんな時も強く凛々しい、そんなロジャーの知るアレンとは、遠くかけ離れた、どこか痛々しい表情。

 

「……兄ちゃん?」

 

 それが不思議で、ロジャーは窺うようにアレンを見上げる。が、当のアレンは何も言ってこなかった。――代わりに、アレンは首を横に振る。自分の感情を、振り払うように。

 そのアレンの感情の正体が、ロジャーには分からない。

 分からない、が。

 

 ――泣いているのだろうか、と。

 

 アレンの抱える確かな傷に触れたような気がして、ロジャーは、ぐ、と息を呑んだ。

 目の前のアレンが、感情を殺した無表情で続ける。

 

「……本当は、フェイトも置いていこうと思った。クリフから、奴等の目的がフェイトだとはっきり聞かされなければ、民間人だからとそう言ってこの戦争から手を引かせることは出来たんだ……」

 

「やつ、ら?」

 

 首を傾げるロジャーに、こくと頷いて、アレンは空を見上げた。

 

「だが、そうもいかない。……多分、あいつの抱える問題は誰よりも深く、根強く、あいつにのしかかってくる。バンデーンが狙うほどの、アルフに奥義を撃たせるほどの、力。恐らくあれはまだ断片だろうが――、あの紋章陣を浮かべたフェイトに、俺は寒気を感じた」

 

 つぶやくアレンの視線は、ここではないどこかを向いている。独白という言葉がぴったりと当てはまる、そんなつぶやきは、アレンの考えを反映させるように、口を挟みづらい、重い緊張を孕んでいた。

 

(あの『もんしょーじん?』を、浮かべたフェイト兄ちゃん?)

 

 心の中でつぶやき、ロジャーは、は、と目を見開いた。ロジャーも、ネルも。クリフですら相手にならなかった、アレンの同僚(アルフ)と戦った時の、翼を生やしたフェイトのことだ。

 

「何でだよ? あの光、メラ白くて綺麗だったじゃん?」

 

 そう、まさに神話に出てくる天使だった。

 首を傾げるロジャーに、アレンは小さく、そうだな、と頷いた。

 そして――……、

 

「美しいが、危険な紋章陣だ」

 

 視線を自分の拳に落とし、アレンは、ぐ、とそれを握る。

 カルサアから急いで駆け付けた時、アルフが、翼の生えたフェイトに蒼竜疾風突きを放っていた。そのときフェイトに浮かんでいた紋章陣の詳細をアレンは見ていない。

 代わりに、一瞬だがアレンは確かに目にしていた。

 アルフに走ったヴァーティカル・エアレイドが、アルフの蒼竜を消し去る所を。

 あの時、慌てて放った朱雀疾風突きは、本当は、フェイトとアルフ、どちらのためだったのか、よく分からない。

 ただ――。

 あの力の危険性を、本能が、そして兼定(カタナ)が報せるように、啼いた。

 兼定が、あの時力を貸してくれた。でなければ、いくらアレンであろうとも両者の技が発動していたあの一瞬で、両者が激突する前に、朱雀を繰り出すことなど不可能だった。

 

「どんな理由があって、あの力をフェイトが持っているのかは知らない。……だが持っている以上、あいつは知らなくてはならない。『力』の本質を、人間が『死ぬ』という事の凄惨さを。それがどんなに残酷で、目を背けたくなるほど理不尽な事でも」

 

「……オイラには、よくわかんねぇ!」

 

 そう言って首を傾げるロジャーに、アレンはどこか嬉しそうに、哀しげに微笑った。

 ――それこそが、アレンが失くした『何か』であったから。これから、アレンがフェイトから奪おうとしているものであるから。

 

(それでも……、『不殺』を貫き通すためには。あの力を前に、己を曲げず、立ち向かうためには……)

 

 人を殺すということ。人が、殺されるということ。

 その真意を見なければ、味わわなければ、信念というものは、いずれ折れる。それもフェイトほどの潜在能力を秘めた者が『不殺』を捨てれば、本当に、呆気なく。

 だが、それでも――……。

 『奪う』ことの意味を、その残酷さを知っているアレンには、踏み入れさせてはならないことだった。フェイトと代われるものならば、アレンは惜しむ気もない。

 

「オイラには、フェイト兄ちゃんがそこまでしなきゃなんねぇ理由が……、アレン兄ちゃんがそこまで苦しまなきゃなんねぇ理由が、わかんねぇよ」

 

 つぶやくロジャーの言葉が、胸に刺さる。思わず拳を握り、アレンは視線を下げた。

 

「けど、さ。アレン兄ちゃん」

 

 続くロジャーの言葉に、アレンは顔を上げる。すると、に、と笑ったロジャーが、アレンを励ますように見上げていた。曇りも、穢れも無い、蒼穹のように澄んでいて、そこに浮かぶ、太陽のように眩いロジャーの笑顔を。

 輝かんばかりの、彼の笑顔を。

 

「兄ちゃんが、オイラやフェイト兄ちゃんのこと、一生懸命考えてくれてんのは、わかってるつもりだぜ! だからそこは……、そこだけはオイラ。兄ちゃんに感謝してやらなくもないじゃん!」

 

 えへん、と胸を張って両腕を組んだロジャーが、こくりと深く頷く。

 

「けど――」

 

 言い置いたロジャーは、にんまりと笑って、か、と目を見開いた。

 

「オイラとネルおねい様を別れ別れにするなんて、断固阻止だぜっ!」

 

 ラスト・ディッチ、の掛け声でダンッと地面を蹴ったロジャーが、ヘルメットを突き立てて、体当たり(タックル)を放つ。それに反応し、反射的に迎撃するのがアレンだ。何千、何万と繰り返してきた彼の戦闘習慣。だがこの時ばかりはただ呆然と、回転するロジャーのヘルメットを眺めていた。

 

「え……?」

 

 ロジャーの真意を聞き返そうと、はた、と瞬きを繰り返して。

 気付けば、ラスト・ディッチが、アレンの腹に炸裂していた。ずどんっ、と大口径の砲弾が直撃したような鈍い音を立てて、アレンの身体が後ろにずれる。

 

「……っ」

 

 フェイト達に膝をつかせるロジャーの一撃は、確かに重く、深く、強力だった。ロジャーの、強烈な意志の強さを表すように。

 ぐ、と腹を押さえたアレンが、ロジャーを見る。すると、初めてアレンに一撃入れた驚きに目を剥いたロジャーが、ぽかん、と口を真四角に開けたまま、アレンを見返していた。

 まるで、その大きな栗色の瞳を、取りこぼさんばかりに大きく、見開いて。

 そのロジャーの顔が、あまりにも滑稽で、無邪気だったので――。

 アレンは腹から湧いた衝動で、思わず吹き出した。

 

「ふ、ふふ……っ、ははははっ!」

 

 ラスト・ディッチの痛みが、笑うたびにズキズキと腹を刺激する。が、アレンは腹を押さえ、痛みに構わず声を立てて笑った。その彼を、ロジャーがきょとん、と見据えている。

 

「アレン、兄ちゃん……?」

 

 アレンの笑顔は、何度も見たことがある。静かにこちらを見据え、相手を安堵させる、信用させる、不思議な力を持った微笑は。

 だが。

 こんな風にアレンが声を上げて笑ったのは、エリクールに着いてから初めてだった。

 人を想うために、ではなく、――こんな風に、純粋に笑ったのは。

 その他人にとっては当たり前の笑顔を、アレンは抑えるために口許に手をやりながら、ロジャーを振り返った。

 

「そう、だったな……」

 

 それでも笑声を抑えきれず、小さく肩を震わせながらつぶやく彼の瞳は、いつもの、深く澄んだ、優しい光を宿していた。相手の心をも見透かしてしまいそうな、空のように蒼く、澄んだ瞳だ。

 その瞳を、じ、と見返して、ロジャーはニッと笑って見せた。胸を張って、己の偉業を誇るように。

 

お前(ロジャー)は、そういう男だった」

 

 つぶやくアレンの真意をあまり理解できずにいながらも、アレンの気持ちに応えるように、ロジャーは自信たっぷりに笑う。

 

 自らの危険を顧みず、ただ、己が大切だと思うもののために動く――。

 

 それが、アレンから見たロジャーという男だ。

 簡潔にして明瞭。それ故にその信念を押し通すのは、時に難しい。その苦難を、若干十二歳のロジャーが知っている筈も無いが、そのために動くロジャーの純粋な心が、アレンには眩しく見えた。

 だからこそ――。

 

(戦争には、関わって欲しくなかった……)

 

 そう思う自分を、アレンは抑え切れなかったのだ。

 それが自分のエゴであることに気付いていながら。それが結果的にロジャーの信念を捻じ曲げることになると分かっていながら。

 だが。

 案の定、ロジャーからの真っ向否定を受けて、アレンは言葉を失った。自分に、彼を止める権利はないと分かっているから。そして、ロジャーの覚悟を、アレンは受け入れなければならないのだ。

 それが戦争にロジャーを巻き込んだ、アレンの責任だった。ロジャーを手放す折を見失い、ただ、ロジャーの成長を楽しんでしまった、自分の。

 

「兄ちゃん!」

 

 元気良く、どんっ、と胸を叩くロジャーを見据えて、アレンは小首を傾げる。すると、に、と口端をつり上げたロジャーが、いかにも威厳たっぷりに声を張り上げた。

 

「心配すんなって! オイラに任せとけ!」

 

 まるで、こちらの心配事など、ただの取り越し苦労だと笑い飛ばすようなロジャーの力強い言葉に、アレンは、そ、と目を伏せた。

 

「…………お前は、本当に凄い男だな……」

 

 アレンにとって欲しい言葉を、何より頼りになる笑顔を、ロジャーはいつも向けてくれる。恐らくネルにとっても、フェイトにとっても、クリフにとっても同じように。

 ロジャーには、ここぞと言う時に相手の緊張や不安を、和らげる力があるのだ。

 それがどれほど貴重なことか、アレンは噛み締めるように、静かに目を閉じて。

 意を決したようにロジャーを見返した。

 ロジャーの心が変わらないことを、心から祈りながら。だが、それがどれだけ乱暴で、どれほど傲慢な願いであるかを知っていながら。

 アレンは、口を開いた。

 

「ロジャー。……ネル達を、頼む」

 

 そうして彼女達を守ることで、ロジャーが自分を保てることを祈りながら。

 つぶやくアレンに、ロジャーは、おぅよっ、と元気良く答えた。



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phase6 全面戦争
41.嵐の前


 フェイト達がアリアスに戻ると、すでにアーリグリフ軍を警戒して東門を除いたすべて村の門が閉鎖されていた。

 村を行き交う兵達にも緊張が走っている。

 領主の館に入ると、中でも総指揮官であるクレアの緊張が、空気を通して伝わってくるようだった。

 

「ネル・ゼルファー、只今参りました」

 

 会議室に集まった各部隊長達に向けて、ネルが敬礼を取る。それを横目見ながら、フェイトもネルにならって敬礼した。

 

「フェイト・ラインゴッド、只今戻りました」

 

 たどたどしくはあるが、それなりに様になったフェイトの姿。クレアが微笑して頷くものの、やはり室全体の緊張はほぐれず、クレアはすぐに厳しい表情に戻って、空いている席を示した。

 

「座って」

 

 促され、一礼してから適当な席に腰掛ける。そこでフェイトは首を傾げクレアに尋ねた。

 

「あの、アレンは……?」

 

 フェイト達がシランドに向かっている間、アーリグリフを警戒してアリアスに残った筈の彼が、会議室にいなかったのだ。

 尋ねられたクレアは、ああ、とつぶやくなり朗らかに微笑んだ。

 

「ちょっと、所用があって外出されているんです。もう少しすれば帰って来られますよ」

 

「そうですか」

 

 頷いて、話を打ち切る。

 ネルがフェイト達を代表して王都に向かった際の状況報告を、そして各部隊長が、見張り成果や戦況について今後の指針となるべく情報を、提示し合った。

 

「……わかりました」

 

 それら一つ一つに適切な質問を交えて聞いていたクレアは、頷くと一同を見渡した。

 息を呑むような緊迫感が広がる。

 クレアがはっきりと言った。

 

「敵は多数だけれど、いつも通り遠方から施術兵器で敵を撹乱しつつ、疾風には施術で対抗します。まともに戦ったらアーリグリフの思う壺。なるべく距離を取って戦い、近接戦闘はさけるように」

 

 いつも通りだが、それ故に効果の程が分かっている、アリアスの地形を活かした戦法だ。これがアリアスがアーリグリフにとって強力な牙城となる要因だった。これまで幾度も侵攻を受けてきたが、しかし、落とし切られてはいない。周りを山野に囲まれた村だからこそ、出来る芸当である。

 ネル達も、この戦略を打ちたてたクレアに対して何ら疑問に思うことは無い。言い置くクレアに、左右に居並ぶ部隊長達が、こく、と頷いた。

 静かな中の緊張感。

 クレアは肌身で皆の空気を感じながら険しい表情のまま、こく、と頷き返して、それから各部隊長を順に見渡した。

 

「総指揮はアレンさんが執るそうだから、詳しくは彼の指示に従って。では、作戦は夜明けとともに実行します。各自、それまでに準備を完了させておくように」

 

「はっ!」

 

「解散」

 

 鋭く言い放つクレアの掛け声にしたがって、きびきびと部隊長達が部屋を去っていく。その彼等が、全員いなくなったことを確認して、クレアは視線を、す、とネルとフェイトに向けてきた。

 険しい表情の中に、少しだけ不安の色を漂わせながら。

 

「ネル、貴方には本隊と別行動を取ってもらうわ。貴方の任務は本隊が敵部隊と交戦している間に敵陣に突入し、アーリグリフの司令系統を破壊すること」

 

「ヴォックスだね?」

 

 間髪おかず、ネルが問う。その彼女の機転に小さく微笑して、クレアはこくりと頷いた。表情が優れないのは、その作戦の難しさを彼女自身が知っているからだろう。

 

「ええ。……それで、フェイトさん達には、出来ればネルと行動を共にしてもらいたいのですが?」

 

 問うクレアは、ふと視線をミラージュのところで止めた。軽く首を傾げて、視線だけでネルに問いかける。するとネルは、ああ、と頷いてミラージュを示した。

 

「何でもクリフ達の仲間だそうだよ。シランドでたまたま再会して、私達に協力してくれるそうなんだ」

 

「ミラージュ・コーストと申します。よろしくお願いしますね」

 

 ネルが事情を説明するなり、ミラージュはぺこりと一礼する。その彼女にクレアもまた一礼を返すと、ミラージュが朗らかに微笑んだ。

 

「それで」

 

 その二人のやりとりが落着くのを見計らって、フェイトはクレアを見た。

 

「僕らもヴォックス……、アーリグリフの指令系統を破壊する、って話でしたが、具体的にはどうするつもりです?」

 

 クレア達がアーリグリフ軍と交戦している間に、と言っていたが、それまでの経路が確保できなければ、大掛かりな陽動作戦もうまくは行かない。

 仮にうまく行ったとしても、具体的なフェイト達の経路をクレア達が把握していなければ、フェイト達は指令系統を破壊した際に退路を断たれて孤立してしまうのだ。

 フェイトの合理的な質問に、クレアは小さく頷きながら、地図を広げた。

 

「まずはタイネーブ率いる先鋒部隊が先頭に立ってアーリグリフ軍に突撃をかけます。それによって敵軍を分断し、道を作る。支援はファリンの右翼遊撃部隊に任せていますので、おそらく成功する確率は高いかと」

 

「中央突破、ってわけかい?」

 

 分断された敵軍の、間を縫っていけ。

 

 クレアの考えに、ネルが警戒の色を強める。が。当のクレアは即座に否定した。

 

「いいえ。あなた達には残念だけど支援部隊がいないわ……。数の上で圧倒的に不利な戦だもの。先鋒隊をカルサアまで直結させるのはハッキリ言って無理に等しい」

 

「つまり道が割れてんのはアリアス近い最初だけで、後は戦場のど真ん中を俺達だけでどうにかしろってか? そりゃ、いくらなんでも無茶だろが」

 

 俯くクレアの表情が硬い。その空気感で彼女の言っている事が本当だと察したフェイトは、誰にとも無く固唾を飲み込んだ。

 

「見立てがないわけじゃない」

 

 そのとき、姿の見えなかったアレンが、会議室の入り口に立っていた。いつの間にかいなくなっていた、ロジャーを引き連れて。

 その奇妙な組み合わせに首を傾げながら、フェイトはアレンを見上げた。

 

「どういう意味だよ?」

 

 問うと、アレンは小さく微笑った。

 

「お前達に相応しい乗り物がある。……あれのスピードなら、漆黒は勿論、ルムや飛竜に乗っている風雷、疾風とて手は出せないだろう」

 

「あれ……?」

 

 首を傾げるフェイト達にこくりと頷いて、アレンはロジャーを見下ろす。すると、視線の合ったロジャーが、じゃん、と叫びながら誇らしげに胸をそらせた。

 

 

 

 ……………………

 

 

 

 話によると、フェイト達がシランド-アリアス間を往復する間に、アレンは一日半ほどアリアスを離れていたらしい。

 アレンがフェイト達を連れてやってきたのは、アリアス近接区のパルミラ平原だった。色とりどりの緑や花々が咲き乱れるその場所で、アレンはそれを示したのだ。

 ある種、独特の空気を孕む、それ。

 

 一台の、黒いバイクを。

 

「おぉ! こいつぁスゲェじゃねぇか!」

 

 まずクリフが飛びついた。バイクに近寄るなり、クリフはハンドルを握ってバイクの全身を検めるように忙しなく視線を動かす。黒を基調にしたそれは、要所で赤いラインを入れて、己の存在を鼓舞するように、重々しくフェイト達の目に飛び込んできた。

 機能美を極限まで追求した、空気抵抗を最大限に抑えたデザインは、まさに芸術品だ。一体どこに、このバイクを形成するほどの金属があったのかは知れないが、フェイトは思わず、ほぅ、と感嘆した。

 

「以前、クリフは小型艇の免許を持っていると言っていただろう? だから、メリルにオーダーを出して作ってもらったんだ。クリフなら、ものの一時間もしないうちに乗りこなせると思う」

 

 クリフが上機嫌だからか、アレンは少し嬉しそうだった。

 

「ルムは足の速い動物だと聞いているが、骨格からして、せいぜいが時速六十~八十キロ程度が限界だろう。それを振り切るのは造作もないが……飛竜のスピードが把握出来なかったので、念を入れて、これの最高時速は三百キロに設定しておいた」

 

「三百キロ!?」

 

 ぎょ、と目を見開くフェイトに、平然と頷くアレン。

 好奇に瞳を輝かせたクリフが、早速バイクを検分しながら問いかける。

 

「で? もう試乗したのかよ?」

 

 その少年のような表情は、もはやバイクに乗ってみたくて仕方がない様子だ。

 旧時代に忘れ去られた乗り物とはいえ、それが秘めている強烈な力を敏感に察知しているのかもしれない。

 

「ああ。さっきまでロジャーと二人で乗ってみたんだ。最高は三百だが、百五十前後で走れば十分だろう。急勾配の対応も悪くないし、七速までのギアチェンジも問題なく出来る」

 

「?」

 

 そりゃ凄ぇ、とひたすらつぶやくクリフにアレンが頷く。その二人を交互に見やりながら、首を傾げているのはネルだ。

 彼女はまったく話についていけない様子で、しかし、どうにかこの場に対応しようとうろうろと視線をさまよわせている。その彼女に小さく苦笑したフェイトは、硬い表情のままアレンに向き直った。

 

「なあ」

 

「何だ?」

 

 まだ一度も乗ってはいないが、アレンの言うことが確かならば素晴らしいバイクなのだろう。

 性能、走行スピード。安定感。

 そのどれもが備わっていそうに見えるバイクだ。だが――これには一つ、欠点がある。

 

 座席(シート)が、乗れてせいぜい二人なのだ。

 

 フェイト、クリフ、そしてミラージュとネル。小柄ゆえ、ロジャーを数に入れずとも、成人が四人いる。どう考えても定員オーバーだった。

 

「あの、さ。これってどう考えても二人しか乗れなさそうなんだけど?」

 

 フェイトの問いかけに、アレンは迷わず頷いた。まるでそう問いかけられるのを待っていたかのようだ。

 

「ああ。だから、二人で行ってもらう。クレアさんはどうしてもお前達を全員で行かせたかったようだが、今のお前達なら二人で十分のはずだ。指揮系統を破壊するなり、早々に帰って来い」

 

 その視線が、最初からクリフとフェイトに向いていたので、フェイトは、ひく、と片頬を引きつらせた。

 

「……二人?」

 

 鸚鵡返しに問いかける。アレンはにべもなく頷いた。やはり迷わずに。

 

「ネルにはタイネーブと同じ、先鋒部隊でアーリグリフ分断の指揮を執ってもらう。ロジャーはその補佐。それから……」

 

 そこで、ふと。

 視線をミラージュで止めたアレンは、きょとん、と瞬きを落として、それから、ああ、とだけつぶやいた。合点したように、表情をほころばせながら。

 

「よろしければ、あなたにはクレアさんとともに左翼部隊をお任せしたい」

 

 金髪碧眼。そして何より、ミラージュの首筋にある刺青から、即座にクラウストロ人と判断したアレンは、知り合いである、という前提の下にそう言った。

 対するミラージュが、わかりました、と柔らかく答える。その二人の間に流れる、ちょっとした矛盾を解消するためにもクリフは敢えてミラージュの名を呼んだ。

 

「だってよ、ミラージュ。今日顔を合わせた奴との合同作戦ってのは難しいが、お前なら大丈夫だろ?」

 

 言いながら、アレンに目配せするクリフに、こく、とアレンが頷く。

 ――これでアレンはミラージュの名を覚えた。

 その二人の意図を読んで、フェイトも続いた。

 

「って、そんな簡単に……。おい、アレン。他にいい作戦は無かったのか?」

 

「お前達の退路を確保する。そちらの方が、人数的な問題から難しそうだったからな。……俺はミラージュさんの実力を知らないから何とも言えないが、無理だというなら他の役に回ってもらおう」

 

 言いながらも、アレンは確信した瞳でミラージュを見ている。

 彼女なら出来ると。

 ただの一目で看破した、と言わんばかりに。

 小さく苦笑したミラージュが、そ、とクリフに耳打ちした。

 

(……確かに。彼が敵となれば、厄介なことになりそうですね)

 

 冗談とも、真剣とも取れる調子で。

 す、と顔を上げたミラージュは、柔らかく微笑んだ。

 

「その必要はありません。……作戦決行は明日の夜明けでしたね? でしたら、それまでの時間を使って、指揮官の方と作戦(ハナシ)を詰めるまでです」

 

 その頼もしい物言いに、アレンが一礼とも、頷きとも取れない角度で頭を下げる。

 と。

 話が一段落ついたところで半眼になったネルが、ちらりとアレンを睨み据えた。

 

「……それで? 少し見ない間にずいぶんクレアと仲良くなったようだけど、何かあったのかい?」

 

 まるでアレンの出方を窺うように。

 

 ――ネルは、アレンが『ラーズバード指揮官』から『クレアさん』と呼び名を変えたことを指摘しているのだ。

 

 上下関係を念頭に置く彼が、態度を軟化した真意を。

 静かにつぶやくネルに、対するアレンはいたって普通だった。首を傾げつつも、思い出したように、ああ、とだけつぶやいた。

 

「彼女にもどうにか仲間と認めてもらえたらしくてな。お前を『ネル』と呼んでいるのに、彼女を『ラーズバード指揮官』と呼ぶのは妙だ、と言われたんだ」

 

「……そう」

 

 ふぅん、とつぶやいて、ネルは今一腑に落ちない様子で視線を下げる。その彼女を不思議そうにアレンが窺っていると、二人のやりとりを見ていたフェイトとクリフが、にやりと口端を緩めた。

 

「へぇ……」

 

 おもむろにつぶやく彼等に、凄まじい視線が送られる。ネルは腰の短刀に、そ、と手をかけた。

 

「……そうやってすぐそっちに話を繋げるの、いい加減にしな?」

 

 半眼になる。

 が、

 

「いや、だって……ネルさん、今の反応は――」

 

「むしろ、そう取られた方が普通だぜ?」

 

 にやにやと笑う彼等に、ネルの頬が、ひく、と引きつった。

 と。

 

「こ、の! バカチィイインンッッ!」

 

 ネルの短刀が煌く直前、ロジャーの体当たりが、どむっ、と鈍い音を立ててクリフとフェイトに炸裂した。

 

「ぐはぁっっ!?」」

 

 もんどりを打つクリフとフェイトが、くぐもった声を上げて地面に転がる。その様を、憤然とした様子で見下ろして、ロジャーはぷんぷんと怒りながら腕を組んだ。

 

「オイラとおねいさまの恋路を邪魔する奴は誰であろうと許さねえぜっっ!」

 

 かっ、と目を見開いてロジャーが断言する。クリフとフェイトは半死人のような眼差しを向けながら、しかし、咄嗟に急所を外していたので意外に元気そうに起き上がった。

 のそり、と。

 恨めしげに、ロジャーを睨みつけて。

 

「痛っ……! ロ、ジャー……!」

 

 フェイトはずしりと大地を踏みしめ、相変わらず加減を知らないロジャーの攻撃に抗議の声を上げる。が、当の本人には聞こえていないらしく、すでに眩いばかりの笑顔をネルに向けていた。

 

「ね! お姉さま♪」

 

「……ん。まあ、ね……」

 

 自分が仕留める前に終わった制裁に、ネルは少し拍子抜けしている。短刀から手を離し、褒美とばかりにロジャーの頭を撫でているネルと、撫でられてご満悦なロジャーの様をじっと見詰めて、フェイトとクリフは小さくつぶやいた。

 

「……あいつ、覚えてろよ」

 

 タイミングまで被ったのは、恨みのなせるワザかもしれない。

 ネルが仕切り直すように切り出した。

 

「それじゃあ、そろそろ屋敷に戻ろうか。明日も早い。鋭気を養っておかないとね」

 

 ネルは、フェイト、クリフ、ロジャー、ミラージュを順に見るなり、促すようにアリアスを視線で示した。それに、こく、とフェイトが頷くと、アレンの声がかかった。

 

「待て」

 

 と。

 ぴたりと同時に動きを止めたミラージュ以外の人間が、やや引きつった表情でアレンを見る。――今の、彼の左手には修行と称した悪魔の剛刀・兼定が握られていた。

 

「……開戦前に。お前達の実力、見せてもらう」

 

 そう告げる彼に、一同の表情が固まる。無論、その言葉はミラージュにも向けられていた。

 アレンと視線が合ったミラージュは静かに笑って、いいでしょう、とつぶやくだけだったが、クリフ達からすれば承諾できるような騒ぎではない。かといって逃げられる相手でもなく。ミラージュに一礼するアレンを見据えて、クリフ達は腹をくくった様子(カオ)で、ごくりと固唾を飲み込んでいた。

 

「……それに。今日は、お前達以外の者も見ておく必要があるからな」

 

 アレンは言うなり、アリアス方面に視線を向ける。

 すると、そこにタイネーブとファリン、そしてクレアの姿があった。

 ファリンは察しがいいのか、今にも腹痛を起こしそうな表情で。タイネーブは、まるで教官に試験される直前のような険しい表情で。そしてクレアは二人とは違う、ネルと共に戦えることを喜んでいる様子でこちらを見ている。

 

(そんな悠長なことが言ってられるのは、最初の内だけだよ。クレア……)

 

 嬉しいが、親友の危機察知能力にふるふると首を振ったネルは、やがて意を決したように短刀を引き抜いた。

 その傍らでフェイトも、ブロードソードを抜き払う。

 

「いくぞ! アレンっっ!」

 

 声がやや震えているのは、自棄の所為だろう。

 対峙したアレンが挑戦的に、ふ、と微笑って答えた。

 

「全力で来い。後の面倒はきっちり見てやる」

 

「言ってくれんじゃねぇか、アレン!」

 

 不遜なアレンの態度にため息を吐いたクリフは、しかし、ガントレットを弾いてミラージュを仰いだ。

 

「いくぞ! ミラージュ!」

 

「了解です、クリフ」

 

 クラウストロコンビが瞬時、走り出す。アレンはまだ動かない。意味深に微笑う彼に、クリフは尊大に言い放った。

 

「叩き潰すぜっ!」

 

 オーバースローイングで高めた気を地面に叩きつける――マイト・ハンマーの炎が、アレンに向かって走る。それを皮切りに、ミラージュ、フェイト、ネル、ロジャーが一斉に動き始めた。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 誰も、立っている者がいなくなったパルミラ平原で。

 自分以外の誰もが、死んだように倒れ伏したその場所で、一つ小高い岩に腰掛けたアレンは皆を見渡して、こくりと頷いた。

 

「なるほど。各部隊長の実力はフェイト達が来る前に見ていたが、……そうか」

 

 誰にとも無く、ぽつりと。考え込むように沈黙したアレンは、ふとファリンの声に視線を上げた。

 

「あ、のぅ……。私達の実力も~、その時見てもらっていたハズなんですがぁ~……」

 

 地面に倒れ伏していながら、恨めしげにつぶやくファリン。すでに紋章術(フェアリーライト)で傷は治っているため、身体自体は辛くない。加えて後方支援が主のファリンとクレアには、ネル達ほどのアレンのしごきが待っているわけではなかった。

 それでも体力と――何より、底をつくまで連発させられた、施力を回復させるために、倒れた姿勢のまま動かないファリンに、アレンは視線を向けると悪びれずに答えた。

 

「貴方々は、作戦の中核人物だろう? だから正確に把握しておきたかった。貴方がどれほど俺の課題をこなしてくれたのか、な。……そうしたら、こちらの予想以上に呪紋構成が良い。貴方は、覚えが早いな」

 

「…………それは、どうもですぅ」

 

 朗らかに笑むアレンに邪気がないせいで、ファリンは毒気を抜かれて二の句が継げない。

 実際、フェイト達がシランドに向かっている間、集中特訓と言えるアレンの指導を受けていたシーハーツ兵達は、たった一週間にも満たぬ期間で、驚くほどの成長を遂げていた。

 確かに、自分は強くなったと。

 その手応えを皆が感じているのだ。クレアを筆頭に。

 ――当然、ファリンもその内の一人である。

 アレンが総指揮官に抜擢されたのは、この一週間の劇的な変化を部隊に及ぼした為でもあった。

 

(確かにこの人から~、施術構成の短縮法を教えてもらって、術を撃つのはかなり楽になりましたけどぉ……)

 

 詠唱時間、威力。

 そのどちらもがこれほど上がるとは、ファリン自身も思ってもみなかった。が。

 

「……修行が、辛すぎますよぉ~……」

 

 しくしくと嘆くファリンに、きょとんと瞬きを落としたアレンが、慌てて問いかけた。

 

「すまない。通常任務には障らないよう注意しておいたんだが、なにか不都合が?」

 

 アレンは知らず知らずのうちに相手の実力を量り違えたか、と息を詰まらせた。

 その彼を見上げて、ファリンは深刻にこくりと頷くと、

 

「私はぁ~、どちらかというと頭脳労働担当なんですぅ~……。ですからぁ、体力バカのタイネーブ達のようには……」

 

 そこで言葉を切ったファリンは、アリアスからやって来た、二十人近い兵達の顔を見るなり、げ、と一言。悲鳴を洩らした。

 

「アレン様!」

 

「アレン殿!」

 

 皆、一様に瞳を輝かせて。

 駆けてきたのは、今まで散々ファリン達と共にアレンの修行を受けていた、各部隊の部隊長達だ。

 

「どうした、何か異常でも?」

 

 その彼等に、アレンはざっと視線を向けるなり、岩から立ち上がる。

 手には兼定。

 アレンが臨戦態勢に入った証拠だ。その彼に、いえ、ときっぱりと答えた部隊長達は、アレンを見るなり元気一杯に言い放った。

 

「アレン殿! 我々にも是非、指南を!」

 

「あなたに教えられた施術構成がやっと成功したのです! 見てください!」

 

 突然の申し出に、アレンはきょとんと瞬く。

 

 ――明日は、早朝から戦に出るというのに。

 

 一様に、晴れやかな表情を見せる部隊長達に、アレンは、ふ、と微笑った。

 

「あなた方は無理をしすぎる嫌いがあるからな……。今日はやめておこうと思ったんだが」

 

 目の前のやる気に満ちた彼等を、このまま帰す気など無かった。

 ――と言っても、あまり無理もさせられないが。

 アレンは、そ、とブロードソードに手をかけるなり、一同を見て言った。

 

「いいだろう。……相手になる」

 

「ありがとうございます!」

 

 一様に頭を下げる彼等を、ファリンと同じく意識こそ回復しているものの、まだ身体を動かせないフェイト達が、じ、と見上げていた。

 

「……クリフ。シーハーツの兵士(ヒト)って、すごいね……」

 

 自棄とも言える――否、すでに悟りきったような表情でつぶやくフェイトに、傍らのクリフもこくりと頷く。

 

「肩凝るぜ、ホントによ……」

 

「……じゃん!」

 

 続くロジャーの表情が妙に渋かったのは、じゃん、に全ての心中(キモチ)を詰め込んだからだろう。

 

「……はぁ……」

 

 これだけの人数を相手にしたあとで、まだシーハーツ兵達の訓練に向かう男の背を見て、フェイト達はぱたりと地面に突っ伏し、意識を手放した。



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other phase3 嵐の前 in アーリグリフ

「双破斬っ!」

 

 アルベルが刀を二閃する。上、下。間髪を置かぬ二連の斬撃を、しかし、目の前の男は苦もなく弾いた。キィンッと甲高い音を立てて、やや突きに似た剣先で、アルベルの刀を絡め取るようにして。

 ――そして。

 

「十年早い」

 

 斬っ!

 

 轟音とも取れる、盛大な風切音を立てて、アルフのレーザーウェポンがアルベルの胸から顔めがけて走る。フッと、一つ瞬きでもしようものなら、根こそぎ肉を、骨を断ち切らん勢いで。

 

「……ちぃっ!」

 

 それに舌打ちし、半身を切る。ざっ、と過ぎる風。アルベルの頬をアルフの剣線が削いでいった音だ。血が飛び散る。傷を検める余裕(ヒマ)はない。

 

「剛魔掌!」

 

 右足で流れる体勢を立て直すなり、アルベルは左腕の鉄爪を開いた。ジャキッという金属音を立て鉄爪は、次の瞬間、アルフに向かって――

 

「遅い」

 

 ズドンッ!

 

 走る予定が、拳を握りこんだアルフの右ストレートが、アルベルの鳩尾に決まる方が速かった。

 

「ぐぅっ!」

 

 思わず、胃液の混じった唾液を吐きそうになる。が、そこでにやりと笑ったアルフは、アルベルの腹に決まった拳を、ぐぐ、と更にねじ込んだ。

 

「――っ、っっ!?」

 

 ズガァアアンンッッ!

 

 瞬後。炎が爆ぜる。思わず身構えたアルベルは、しかし、予想以上の爆炎に思わず悲鳴を上げた。

 と。

 ガンッ、と腰に衝撃が走る。そちらに見やると、横合いから現れたナツメが、やや体当たり気味にアルベルの身体を左に流していた。

 ――アルフの炎から、逃すために。

 アルフを睨むナツメは、額から流れる血にも構わず、剣と刀を握り締める。瞬間。

 

「ソードダンス!」

 

 少女の咆哮と同時、(シャープエッジ)(シャープネス)が煌く。まさに『舞』の言葉が相応しいナツメの斬線が、アルフに向かって走る。

 

 ……ズザザザザザァンッ!

 

 ナツメが三つ振ったところで、一つ目の斬線が聞こえる。そんな不思議な時間差(タイムラグ)を生じて、右薙ぎから走った彼女の一撃を、冷たく笑ったアルフが真っ向から対峙する。

 

 ギキィンッ! という金切り音と同時、ナツメの右薙ぎに自分(アルフ)の右薙ぎを当てた両者の間に、火花が散った。

 

「――ぐぅっ!」

 

 しかし苦しそうな表情を浮かべたのはナツメだ。体重、腕力、そして技の威力。そのすべてが、アルフが上。

 故に、同じ一撃がかち合えばナツメの身体ごと持っていかれかねない。ナツメが右薙ぎを当てた瞬間、ぐぅ、と流れる身体を左手の剣(シャープエッジ)で立て直すように、彼女は初撃の右手の刀(シャープネス)の斬線を追って剣を振るう。

 (シャープネス)(シャープエッジ)を合わせるように。

 

 ギキィンッッ!

 

 二振りの体重の乗った斬撃にアルフの身体が、若干ブレる。同時。か、と目を見開いたナツメは、レーザーウェポンを払い上げんと(シャープネス)を振り上げた。

 

 が、き……っ!

 

 短い音を立てて、しかし、アルフの手からレーザーウェポンを外しきれない。それは予想のうちだ。即座に、(シャープネス)で打ち込んだナツメは、相手の握力を完全に奪ったところで(シャープエッジ)を振り上げた。

 

「お前、俺が受け太刀すると思うか?」

 

「っっ!」

 

 不意に聞こえた狂人の声に、ぐ、と目を見開く。

 

 ギキィインンッッ!

 

 瞬間。剣を振り上げた状態のナツメを、叩き切らんばかりに、アルフの左袈裟が振り落ちる。

 それを、

 

「破ぁああああッッ!」

 

 咄嗟に交差(クロス)させた剣と刀で受け止める。

 に、と笑う狂人。

 即座、ナツメは左から来るアルフの右袈裟に、か、と目を見開いた。

 

(――さすがに、速いっっ!)

 

 胸中で叫ぶと同時、

 

「砕っっ!」

 

 ぐ、と膝を曲げ、ナツメは瞬発力を付けて全身で切り上げる。これで三つ。アルフの鏡面刹は全部で五連斬の技だ。あと二つ凌げば――、

 

「っ!?」

 

 途端、リズムを変えたアルフの剣線に、全身で切り上げを放ったナツメは、即座に剣を振り下ろした。いつの間にか、納刀されたアルフのレーザーウェポンが、キンッとわずかな音を立てて抜刀してくる。技が、いつの間にか鏡面刹から夢幻という連続斬に変わっていたのだ。

 

 キィイインんぅぅ……っっ!

 

 ナツメの振り下ろしと、アルフの抜刀がぶつかり合う。

 重力を味方につけたナツメの斬線が、しかし、跳ね除けられた。重力の付加を、アルフの腕力はものともしない。

 瞬間。

 もう一振り、右手の刀(シャープネス)に力を込めたナツメが、やや体当たり気味に刀を振り下ろす。

 アルフの唐竹が落ちる方が、速かった。

 

 ぶしゅ……っ!

 

 肩に突き刺さるレーザーウェポンの感触に、ナツメが、ぎ、と歯を食いしばる。それでも、刀は離さない。勢いは衰えない。

 そのまま――、(シャープネス)を切り下ろす。

 アルフが、ぐ、とレーザーウェポンを引き寄せて、疾風突きの構えを取っていても。

 

「この、阿呆が!」

 

 一喝するように響いた、アルベルの声が無ければ。

 

「っ!」

 

 ナツメは命懸けで渾身の振り下ろしを放っていたところだ。

 

「剛魔掌!」

 

 アルベルが、わずかながらもアルフの身体をずらさなければ。

 

「……へぇ?」

 

 に、と口端をつり上げるアルフ。薙ぎから始まるアルベルの鉄爪を、レーザーウェポンをくるりと回して標的に定める。

 

 ズドンッッ!

 

 不発に終わった疾風突きが、そのままの威力でアルベルに向いた。

 

「上等だっっ!」

 

 それを振り払うように鉄爪。

 アルフの突きとアルベルの薙ぎが、ぶつかり合う。

 

 ギキィンッッ!

 

 一撃の威力はアルフが上。だがアルベルの剛魔掌は、一撃では終わらない。

 

「甘ぇっ!」

 

 突きの威力を流した瞬間、勝ち誇ったようにアルベルの赤い瞳がぎらりと光った。

 更に鉄爪で二、三撃。間髪置かずに左、右に振るアルベルに、アルフも狂った笑みで、にやりと笑った。こちらは闇を宿した、紅い瞳で。

 

「お前が、な」

 

「団長!」

 

 疾風突きを完全に止めたアルベルの頭上に、アルフの唐竹が走っていた。は、と瞬きを落とすアルベルは、ナツメの声に呼応し、ざ、と距離を取る。

 

「それでかわせると――」

 

 言いかけたアルフは、ふと、ナツメを一瞥した。悪魔のように嫣然と、含み笑う彼女を。

 

「双竜破っっ!」

 

 右手の刀(シャープネス)が赤く、左手の剣(シャープエッジ)が青く輝く。

 炎と、氷。

 まったく異なる、二つの紋章術を宿して。

 

――グォオオオオオオ……っっ!――

 

 (シャープネス)から炎竜が、(シャープエッジ)から氷竜が迸る。野太い、咆哮を上げて。

 アレンやアルフに比べれば、まだまだ拙い二匹の竜が。――竜、というよりも気砲に近い、二つの異なる刃が。

 

「へぇ……、ちゃんと竜になってるじゃないか」

 

 狂人の薄笑いを止めんばかりに大口を開けて走った。

 

 ずがぁああんんっっっ!

 

 カルサア修練場、最上階。闘技場を埋め尽くさんばかりの光を放って。

 

(やったか――!?)

 

 厳しい表情のナツメが、煙ふくアルフのいた場所に向かって身構える。

 が、

 案の定。

 手ごたえはあるが、そこから湧き出る殺気に、ナツメはぴくりと片頬を吊り上げた。

 

「……まずい」

 

 つぶやく声に悲壮が走る。と。ドンッという鈍い衝撃音とともに、姿を見せたアルフが、赤い鳳凰を背負いながら笑っていた。

 

「だが、まだまだ練気が甘いぜ。ナツメ」

 

「は、はは……」

 

 身に染みるアドバイスに、ナツメは泣きそうな顔で、引きつった表情で笑う。

 と。

 

「阿呆が……!」

 

 傍らから聞こえた相棒の声に、ナツメが振り返った。

 

 ――赤黒い、禍々しいまでの闘気を孕んだアルベルを。

 

 

「団長、それは!?」

 

 初めて見る技に目を見開く。すると意味深な笑みだけを、酷薄に刻んだアルベルが、アルフに向かって叫んだ。

 

「これで終わりだ! 阿呆!」

 

()ってみせろよ。大馬鹿が」

 

 売り言葉に買い言葉。か、と目を見開いたアルベルは、鉄爪に宿った『魔力』と言うべき闘気を、まるでアルフに叩きつけるように、ざんっ、と翳した。

 

「吼竜破!」

 

 赤黒い闘気が爆ぜる。思わずアレンの吼竜破を連想したナツメが、しかし、あまりにも禍々しい『吼竜破』に息を呑む。

 と。

 大地から赤い竜が、まるで水面から顔を出すように大口を開けて現れた。

 

――グォオオオオオオッッッ!――

 

 アレンやアルフの蒼竜に比べれば、大きさはそれほどでもない。せいぜい、三分の一から四分の一――それが六匹、各々の竜が先を取り合うかのようにアルフに向かって走る。

 

「複数竜!?」

 

 小ぶりとはいえ、数が増すほど力の制御が難しい。アレンもアルフも、ただ『威力』を取って一匹にしたに過ぎないが、ナツメの記憶では六匹もの闘気の竜を呼び出したのは、このアルベル・ノックスが初めてだった。

 

「……面白い」

 

 その六匹の竜を見据えて、アルフが笑う。数ではなく、一撃。それにすべてを込める、アルフの『鳳吼破』が――

 

「俺とお前、どっちが上か。真剣勝負と行こうか」

 

 レーザーウェポンから全力で放たれた。

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 完全燃焼、とはこの事だろう。

 

「……………………」

 

 アルベルとナツメ。二人仲良く沈黙した闘技場で一人、平然と立っているアルフは、レーザーウェポンを軍服の下にしまうなり、冷めた表情で二人を見下ろした。

 

「ま、これはこれで。それなりに楽しめたか」

 

 特務以外の人間が、アルフとここまでまともに戦えた記憶は、数えるほどもない。

 が。

 

「資質はあるが、まだ敵じゃないな」

 

 発展途上という現実が、アルフには物足りなかった。

 もっと死の淵で、ただ生死を賭けて斬り合うほどの強敵でなければ――。

 

(……足りない。これでは)

 

 アルベルとナツメ。

 この二人を同時に相手にし始めてもう三日になるが、最近はコンビネーションを覚えたために、こちらが活人剣を使っても、そこそこ楽しめるようになってきていた。だが、それもアルフにとっては問題で――、中途半端に相手が強くなった所為で、中途半端に燃えてしまう。故に、この身体の疼きを、アルフは抑えなければならないのだ。

 全力で、相手を斬り殺そうとする己の本能を。

 魂の震えを。

 

「やっぱ強敵のいない世界なんて興味ねぇな……」

 

 今はその強敵(アレン)と再び同等に戦い合うため、アルフもアルベルの特権を使ってアーリグリフ中の鍛冶屋を当たっている。

 まだ当たりは引いていない。

 ――だが。

 

「……楽しみだ」

 

 くく、と喉を鳴らして。

 やはり生きていた同僚に、アルフは満足げに微笑んだ。

 

 

 アーリグリフとシーハーツの全面戦争、前夜のことだった。



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フェイトくん修行編part4 究極の武器

「全力で来い。後の面倒はきっちり見てやる」

 

「言ってくれんじゃねぇか、アレン!」

 

 不遜なアレンの態度に、クリフはガントレットを弾き、ミラージュを仰いだ。

 

「いくぞ! ミラージュ!」

 

「了解です、クリフ」

 

 クラウストロコンビが瞬時、走り出す。アレンは動かない。意味深に微笑う彼に、クリフは尊大に言い放った。

 

「叩き潰すぜっ!」

 

 オーバースローイングで高めた気を地面に叩きつける――マイト・ハンマーの炎が、アレンに向かって爆ぜた。それを皮切りに、ミラージュ、フェイト、ネル、ロジャーが一斉に動く。

 

「バーストナックル!」

 

 ズドオオゥッ!

 

 アレンの拳の炎が、マイト・ハンマーを打ち破る。強烈な炎の槍は攻撃線状にいたネルをも襲い、彼女は舌打ちと同時、左に跳んで炎を躱した。

 

「ハァッ!」

 

 そこにフェイトが身体を縮め、猛然と突き込む。狙いはアレンの左脇腹。剣尖が軍服に触れる寸前、アレンの裏拳がブロードソードを叩き落とした。

 

(ちっ!)

 

 胸中で舌打つ。同時、アレンが抜刀し、ガラ空きになったフェイトの首を狙う。

 ――そこを、

 

「クレセントローカス!」

 

 ミラージュの蹴りが走る。

 その日も、彼らの地獄は続いていた。

 シーハーツ兵たちが行っている実科訓練など比ではない、本物の地獄の時間が。

 

 

 

 フェイトくん修行編part4 究極の武器

 

 

 

 数刻もすると、いつも通り、立っている者がフェイト以外に居ない。

 彼は倒れ伏した仲間達を静かな瞳で見つめ、す、と悪魔の連邦軍人を睨んだ。

 

「流石だよ……。ならば僕も使わざるを得ない。この日の為にコツコツと稼いで作り上げた、究極の武器を!」

 

 言って、彼がさっそうと取りだしたのは――輝かしいほどの光沢を放つ、鉄パイプ。

 

「何だそりゃぁああああ!」

 

 クリフは声を限りに叫んだ。

 

「フェイト兄ちゃん……オイラのおやつを買わずに、そんなもん鍛えてたんか……?」

 

「アンタ……、最近路銀が少ないと思ったら、アンタの仕業かい」

 

 ロジャーとネルの瞳が、殺気で暗くなる。フェイトはそんな事には構わず、くるりと振り返って、ビッと親指で自分を指差した。

 

「オーナーと呼んでくれっ! その筋では、僕は多くのクリエイターと契約してるんだっ!」

 

 爽やかな営業スマイルと共に、フェイトは鉄パイプを構えると、アレンに向き直った。

 

「そして今こそ見せよう! 多くのクリエイターを集めて作り上げた究極武器、鉄パイプの力を!」

 

「テメエがレプリケーターで剣作る前に持ち合わせてた、ただの鉄パイプじゃねぇかぁあああ!」

 

「アンタ、その棒っ切れで、どうするつもりだい?」

 

「いいから見ていろぉおおお!」

 

 改造された鉄パイプに、フェイトの気と紋章が宿る。

 黄金に輝くパイプを手に、フェイトは鋭く踏み込んだ。

 

「つぇりゃぁあああああ!」

 

 カァアアンッ……!

 

 陽光を浴びて、鉄パイプが美しく輝く。

 が。

 

 ズバ――――

 カラン、カランカラン……

 

 迎え撃つ兼定に、呆気なく切り裂かれた。

 

 ぶしゅっ……!

 

 フェイトの胸に袈裟状の傷が出来る。――彼は、穏やかに笑った。

 

「フッ……。まだ究極武器には遠かっ……た……」

 

「アホぉおおお!」

 

「ネル、フェイトさんは何をしたかったのですか?」

 

「聞くんじゃないよ、馬鹿の事は。タイネーブ、ファリン、本気で行くよ。あの馬鹿の分まできっちり決めないとね」

 

 据わった目をしたネルが、短刀を構える。

 一方のアレンは、兼定を見、こくりと満足げに頷いた。

 

「よし。とりあえずフェイトに限ってだが、致命傷を避ける一撃が出来るようになったぞ、兼定……! あとはこれを、全員に出来るようになるだけだ。――今の感触を、忘れないようにしないとな」

 

「テメエはまったく加減なんぞしてねえだろうがぁあああああ!」

 

「どの口がほざいてんだい! どの口がっ!」

 

 

 

 ――彼らの死闘は今日も続く……。



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42.開戦

「クリフ、フェイト。お前達はこちらの指示があるまで動くな」

 

 

 

 ………………

 

 

 

 翌日の、早朝。

 体力が回復した後、バイクの試乗を散々行ったフェイト達に、もう操作における不安はない。それでもクリフが上機嫌にそのエンジン音を楽しんでいた時の事だった。

 各部隊長と施術士を広場に集めたアレンは、出陣の前にそう言った。

 

「ん? ああ……」

 

 思わずフェイトが頷く。アレンはこくりと頷き返して、視線を各部隊長と施術士達に向けた。

 

「では手筈通り。あなた方には地形を巧く使ってもらう。戦況が少しでも不利になったら、すぐに施術で報せてくれ。無理をせず、決して仲間から離れないように。……いいな?」

 

「はっ!」

 

 敬礼する彼等に、アレンは頷き返す。

 アリアスに滞在していたアレンは、シランドにいたネル達よりも早く全面戦争の話を聞いており、すでにどの部隊が、アイレの丘からカルサア丘陵までどのように配置されるべきなのか、打ち合わせを済ませていた。

 

 今朝方、その打ち合わせ内容を聞いたフェイトは、昨日クレアが言っていた作戦とは少し違っていることにすぐに気がついた。

 

 というのも、各部隊に最低二人、施術士が配備されているのだ。そしてその彼等は、フェイト達がシランドに行っている間、アレンが考案した『施術の信号弾』を頼りに行動するよう訓練されている。

 例えば、空に向かって黄の施術を放てば『劣勢』。青の施術で『制圧』。緑の施術で『膠着』。そして赤の施術で『撤退』を意味する。

 この方法で、アレンは戦場を駆ける早馬――伝令役を廃止した。

 加えて、施術士だけで構成された部隊には施術兵器を、その護衛役としてミラージュを抜擢している。ミラージュ一人に施術部隊すべてを護衛することは不可能だが、もともと、施術士達の主な任務は後方支援および怪我人の治療だ。

 前線の――ネル達が率いる先鋒部隊が『道』を作るまで、施術兵器を動かさず遠距離から疾風を狙撃する。

 そして『道』を作った先鋒部隊と合流し、改めて進軍する時、初めてミラージュが活躍することになる。言わば、保険のような存在としてミラージュは置かれているのだ。

 総指揮官のアレンは、殿(しんがり)としてアリアスを守るのが役割だった。故に、どの兵よりも最後尾になる配置だが、逆にどの兵よりも広く戦況を見定め、即座に各部隊に指示を送る必要がある。

 

 例えば、第一小隊が赤の施術で『劣勢』を指示した際、すでに『制圧』の合図を送っている部隊に『増援に向かえ』の合図をするのが彼の役目だ。この『制圧』を完了した部隊が、仮に第二小隊ならば、赤の施術が二発、空に向かって放たれる手筈になっている。

 ここで、施術士は絶対に疾風を攻撃してはならない、という制約が生まれた。

 空に向かって施術を乱用すれば、信号弾との区別がつかなくなるためだ。

 つまり疾風に対しては、すべて施術兵器で対応する。

 アレンの仕事は淡白だが、タイミングを見誤ればシーハーツ軍が傾く。その大任を圧力(プレッシャー)と思っていないのか、彼はいつも調子で引き受けていた。

 威力が弱まったとはいえ、連射性の上がった施術兵器ならば疾風を抑えることは可能だ、と。

 

「……でも、それだけでホントに疾風をどうにか出来るのか?」

 

 誰もが考える言い分に、アレンは不敵に笑い返してくる。

 

「空に施力が溜まる。――それで十分だ」

 

 なにやら、企んでいる様子だった。

 施術兵器の性能を誰よりも知っているディオンが口出ししてこないことから、確証があるのだろう。

 フェイトは首を傾げながらも、こくりと頷いた。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

「準備はいいわね。ここが勝負の分かれ目よ。私達がここを死守できなければ、奴らは王都まで一気に攻め込むでしょう。なんとしても食い止める。……全軍、進軍!」

 

 凛とした面持ちでクレアが南西門を指差すと同時、居並ぶ兵達が、一挙に己が武器を掲げた。

 

――おぉおおおおおおおおっっ!――

 

 びりびりと。

 まるで地鳴りのような迫力に、フェイトは腹の底が揺さぶられるのを感じながらクリフを見た。すでにバイクに跨っているクリフは、いつでも準備万端だ、と言わんばかりに、に、と口端を吊り上げている。

 

 ――開戦だ。

 

 門が開け放たれると同時、凄まじい勢いで兵達がアイレの丘へと出て行く。まるで川に放流される稚魚の群れのようだ。

 兵達の大地を踏みしめる音が、確かな重みを持ってフェイトの耳朶を打っていく。

 

(いよいよ、か……!)

 

 ブロードソードを握りながら、フェイトも意を決したようにクリフの後ろ、バイクの後部座席に跨る。

 と。

 全ての兵が村から出て行った後、残ったアレンは、二メートルはある剛刀『兼定』に手をかけた。

 

「少し離れていろ」

 

 フェイト達にそう言ってアレンが移動する。

 南西の門を出てすぐの地点で足を止めた彼は、一挙動でその刀身を抜き払い、ちゃっ、と柄を両手で握るなり、息を吐いた。

 

「爆裂……」

 

 つぶやいた瞬間、アレンの持つ『兼定』が青白く輝いた。これでもかと言わんばかりの、眩い光を。

 アレンの瞳と同じ、蒼き光に。

 

「空破斬っ!」

 

 か、と目を見開いたアレンが真上から叩き斬るように兼定を地面に振り下ろす。ただそれだけでも強力な一撃だ。――それが地面に触れた途端、爆散した。

 

 ズガガガガガガガァアアンンッッ!

 

 地面に叩きつけられた衝撃で、大地が、悲鳴を上げるように鋭い岩を突き出した。空破斬の軌道に沿って、五メートル近い剣山のような岩塊が、フェイトが視認できる視界の端まで走っていった。

 施術兵器を持つ施術士達を守るように。

 ――アリアスの、城壁のように。

 

「……こんなものだな」

 

 長大な『アースグレイブ』のような岩塊を、斬撃で作ったアレンは、慣れた様子で兼定を納める。地形が変わるほどの必殺技を撃ったというのに、息一つ乱さず、動揺した様子もない。

 

「……マジかよ……」

 

 傍観するクリフの方が、ぽかんと口を開いていた。そのクリフに同調するように、同じ表情でフェイトも。

 そんな彼等を置いて、アレンは戦況を把握するためにも自分が作った岩塊の、一番身近な剣山に、トッと跳び乗ると、クォッドスキャナーを展開して熱源反応を調べ始めた。

 ――自分の物は一度壊れて精度が悪くなったため、フェイトに借りた物だ。

 

「……そろそろ、先鋒部隊――ネル達が衝突するな」

 

「!」

 

 つぶやく彼に、ば、とフェイトの顔が起き上がる。その前で指示を待つクリフに、アレンはこくりと頷いて――、言い放った。

 

「フェイト、クリフ。……出動だ!」

 

「おぅっ!」

 

「ああ!」

 

 バイクエンジンを噴かせるクリフの手の動きに従って、意外に小さなエンジン音がフェイトの耳に届く。

 ヘルメットなどという安全具はまったくない。

 だがフェイトは、に、とアレンを見るなり言った。

 

「この戦い、絶対勝つぞ! アレン!」

 

 それが誓いであるように、す、と己の得物である、ブロードソードを掲げてフェイトが宣言する。アレンもこくりと頷いた。

 

「今回、俺はシーハーツ軍の援護を第一任務として動く。……だが、出来るだけ二人の支援もするつもりだ。指令系統は頼んだぞ、二人とも」

 

 フェイトに応えるように、ぐ、と兼定を握り締める。

 

 自然、二人の口元に浮かんだのは、互いを信頼しているような、自信に満ちた笑み。

 

 無言のまま、にやりと笑いあう二人に、やれやれとクリフがため息を吐いた。

 

「お堅いねぇ……。もう少しユルクいこうじゃないの」

 

 言って、肩をすくめる。するとアレンは、クリフに視線を向けて気負ってなどいない、と態度で示すように微笑った。

 その彼を、ふん、と野次を飛ばすように見返して、クリフは横目でフェイトを見る。

 

「じゃ、行ってくるぜ。おい、フェイト。しっかりつかまってろよ」

 

「OK!」

 

 いつでもブロードソードを抜けるよう鞘を左腕に抱えて、空いた右手でバイクのフレームを掴む。それを横目で確認して、こくりと頷いたクリフは、す、とアレンを一瞥してからバイクを発進させた。

 

 ドルゥンッッ!

 

 雄叫びを上げて、総排気量600ccのバイクがアリアスから猛速度(スピード)で遠ざかっていく。

 それを、じ、と見送って、アレンは静かにクレアに視線を向けた――……。

 

 

 

 

 同日・早朝。

 鉱山の町カルサアを出て、カルサア丘陵に整列したアーリグリフ軍は、自信に満ちた表情でそれぞれが胸を張っていた。

 シーハーツに負ける要素など何処にもないとでも言うかのようだ。

 

「へぇ……。結構士気が高いな」

 

 その一人ひとりの表情を見るともなしに見たアルフが、率直な感想を述べる。間髪を置かずにアルベルが、漆黒に指示を終えたのか、口を挟んできた。

 

「当たり前だ阿呆。この戦、負ける気でいるクソ虫なんぞ使い物にならん」

 

 横柄に刀の柄に腕を乗せて、ふん、と鼻を鳴らすアルベルに、アルフはまあな、と小さく頷いた。視線を少しだけ下に向けて

 

「ただ――、そこを突かれるかもしれねぇけどな」

 

 くく、と嗤う。

 確かに良い士気だ。総指揮官のヴォックスという男、なかなかの求心力、統率力を持っている。問題は――優勢に戦を進めすぎているが故の過信。それが、兵一人ひとりから、微かだが感じ取れる。

 シーハーツ軍は確かに施術を使う厄介な相手だが、まともに戦えばこちらの勝ちだ、と心の底で侮っている彼等の気持ちが、他人の動向を探る術に長けたアルフには手に取るように分かる。

 アレンと対峙するには、致命的と言える奢りが。

 

(まあ、俺には関係ねぇ話だ)

 

 それで死ぬなら、それまでのこと。

 問題は――、

 

「なぁ、アルベル」

 

 ようやく名を覚えたのか。今まで呼ぶ気がなかったのか。

 何にせよ、初めて自分の名を呼んだ狂人(アルフ)を振り返ると、彼は暗い闇を孕んだ瞳を左右に振って、ある人物を探しているようだった。

 

「ナツメは?」

 

 そう、短く問いかけてくる。

 この男が他人を気にかけるところを初めて見た。アルベルは思わず瞬きを落とすと――、気を取り直して、顎で整列する漆黒をしゃくった。

 

「あの阿呆なら、漆黒(あの中)だ」

 

「なら、悪いがアイツを後方に下げてくれないか。……後で回収するのも面倒だ」

 

「……回収?」

 

 ふ、と微笑うアルフの貌が、しかし、ナツメの生死に関する心配からきた一言ではないとアルベルに確信させる。

 他人を、相手の命を心配するには、あまりにも冷たい目。

 命を――相手を、己をも顧みない、狂人の目。

 アルベルが窺うように、じ、と見据えていると、アルフは目を伏せて微笑った。

 

「そろそろタイムリミットでね。帰り支度も始めないと、間に合わない」

 

「どういう意味だ?」

 

 その彼の言葉が、理解できないまでも警戒すべき言葉だとアルベルは直感的に察した。アルフを睨む。が。アルフは薄笑いをこちらに返してくるだけで、話を変えてきた。

 

「それで、刀は? 団長さん?」

 

 まるで人を小馬鹿にするような、それでいて真剣とも取れる声で問いかけてくるアルフに、アルベルの片眉がぴくりと引きつる。話題逸らしにしては不自然だが、この男に限っては判断に困る。言葉の真意が、裏の裏にあるこの男に限っては。

 だから今の話題が転化か、ただ興味を失ったためか、それとも聞かれてはならない何かがアルフにあるのか。それはアルベルには分からなかった。じ、とアルフを観察するも、アルフは公然と無視して首を傾げただけだ。

 

「ないと、アレンの奴が大暴れするんだが?」

 

 ぬけぬけと言い切るアルフのおかげで、アルベルの脳裏にあの、凄まじい威力を誇った剛刀が過ぎった。思わず、ち、と舌打ったアルベルは思考を打ち切って、頭を横に振る。

 元々アルベルは謀略だの、策略だのを考えるのは好きではない。

 ならばアルフの考えている事など、分かるまで待っていればいいだけのことだ。敵ならば斬り、そうでないなら捨て置けばいい。――もっとも、相手の腹に抱えているものが解らない分、気分は悪いが。

 

「あんな業物。そう易く手に入るか、阿呆」

 

 アルベルが、ふん、と鼻を鳴らして、忌々しげに吐き捨てる。

 実際いまアルフが装備しているレーザーウェポンを上回る刀を探すことさえ、アーリグリフには難しいのだ。乱掘の所為で鋼の質が落ちた、というのもあるが、それ以上にレーザーウェポンの持つ殺傷能力はエリクールの技術からすれば、まさに神懸りと言っていい。それを至極あっさりと断ち切ったあの兼定ほどの剛刀を、たった数日で探し出せ、という方が無茶なのである。

 アルベルをして『業物』と。

 そう言わしめた兼定ほどの名刀を。

 

(……親父の剣でも、果たしてアレに勝てるかどうか)

 

 無意識のうちに歯を食いしばる。その彼の肩を、ぽん、とアルフが叩いてきた。いつものどおりの無表情で。

 

「ま、期待はしてねぇよ」

 

「……斬られてぇのか、この阿呆!」

 

 飄々と肩をすくめるアルフにここ数日、鍛冶屋を求めて奔走したアルベルは、刀の鍔に手をかける。

 と。

 アルフは薄く笑って、それから早々にアルベルの肩に置いた手を引いた。

 

「まあ、短い間だったがアンタのお陰で退屈せずに済んだ。その礼に一つだけ、忠告してやるよ」

 

「何だ?」

 

 問いかける。するとアルフは空を見上げて――、それから小さく微笑った。まるでそこに何かが待っていると言わんばかりに。

 その何かを嘲笑うように。

 いつもの、死の色香を漂わせて。

 

「空にデカい影が見えたら、すぐに退却命令を出しな。……でないと、犬死する」

 

 ぴく、と聞く側のアルベルに殺気が宿る。目を細め、炎のように赤い瞳を、ぎろりとアルフに向ける。

 

「……どういう意味だ」

 

 語調が落ちたのは、犬死に反応したためだ。それに退却というのもアルベルの性に合わない。

 が。

 アルフはそれらすべてを無視して、ただ静かに、ふ、と微笑っただけだった。

 

「じゃ。縁があったら、また会おうぜ。団長さん」

 

 それが別れの言葉だと言うようにアルベルから背を向けたアルフは、一度も振り返らずナツメのいる、漆黒の中へと消えていった。

 

「おい!」

 

 その後を慌てて追う。が。漆黒の中に紛れたアルフは、アルベルほどの達人でも気配が読めないほど、まるで蜃気楼のように、すぅ、と姿を消していた――……。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

「私達の行動が、シーハーツの明暗を分ける! やるよ、アンタ達! 遅れるんじゃないよ!」

 

「はっ!」

 

 

 先鋒部隊。

 ネル率いるシーハーツ中央部隊は、アーリグリフ軍の分断に成功した。

 大陸最強と謡われる破壊力を持つ漆黒と、機動性に優れる風雷を、見事出し抜いたのだ。

 

(これほどまでに、皆の戦力が上がってるとはね……!)

 

 諜報活動を主な任務としていたネルにも、各部隊長達が目覚ましい成長を見せているのが手に取るようにわかる。数で圧倒的不利を示すシーハーツ軍が、戦場を大きく使うのは得策ではない。そこを突くため、アーリグリフ軍は風雷の機動力を生かしてシーハーツ軍の背後を、漆黒はその破壊力を生かしてシーハーツ軍本隊と真正面から衝突し、シーハーツ軍を前後から挟撃するという構図を展開してきた。

 ――それに対し、

 

「グランド・アースグレイブ!」

 

 一個小隊に最低二人、配備された施術士達が、一斉に施術をぶつける。

 漆黒、風雷に対してではなく、自分達の周りに施術を放つのだ。

 

 ズガガガァアアアンンッッ!

 

 シーハーツ軍の背後に回り込もうとして部隊を広く展開した風雷の、その進路を塞ぐような岩塊だった。

 少なく見ても、三十人近い施術士たちの同時詠唱。アーリグリフ軍は、目を白黒させ、部隊を寸断された。

 

「何だと!?」

 

 焦るシェルビーと、どよめくアーリグリフ軍に、ネル達は間髪を置かずに突っ込んだ。

 シーハーツ軍が作った巨大な岩塊が、相手の退路を断ち、敵の意表を突いた。そこをなし崩し的にネル達、先鋒の兵士達が討ち取っていくことは容易い。

 

 ――が。

 

 一度体勢を崩されたというのに、思いの他、敵の粘り強さが目立った。

 部隊を分断され、混乱に陥ったはずの漆黒から冷静さが消えていないのだ。正確には、兵一人一人は動揺していが、その指揮系統に期待したほどの乱れが見られない。

 その所為でネル達先鋒部隊が手間取っている。

 ――意外に、厄介な相手だ。

 

「ちっ!」

 

 思わず舌打ちするネルに、シェルビーが陣取っている部隊より更に後方から、少女の凛とした声が響いた。

 

「皆さん! ここが勝負どころです! ここから体勢を立て直し、シーハーツ軍を一気に切り崩す!」

 

 剣と刀を持つ、あの少女だ。

 漆黒の――今や副団長となったナツメ。

 

「!」

 

 その彼女の一喝に、漆黒兵達がハッと表情を引き締めた。それにナツメはニッと笑い返して、剣と刀を一気に抜き放つ。

 

「これ以上好きにはさせない! ――私に続け!」

 

「おぅ!」

 

 ざ、と剣を構える漆黒の士気が高い。そのナツメの意外な統率力に、ネルは忌々しげに表情を強張らせて、迷わず彼女へと斬りかかった。

 

「この間の借り、ここで返させてもらうよ!」

 

 だんっ、と地を蹴るなり、左の短刀を振り切る。瞬間。ギキィンッと甲高い鍔競り音を立てて、ナツメの(シャープエッジ)がネルの太刀筋を受け止めた。

 相変わらず、まったく隙の窺えない動きで。

 対峙するネルに緊張が走る。眼前のナツメが、に、と口端を吊り上げた。

 

「その短刀――、望むところです!」

 

 円を描くように、キィンッという刃の擦れあう音を立てて、ネルの短刀が払われる。が、元々尺の短い得物だ。巻き上げられたところで、それほどの痛手にはならない。

 が。

 

「今回は私も、最初から本気でいかせていただく!」

 

 ぞくり……っ、

 

 鋭く言い放つナツメの瞳が、恐ろしく冷たい。

 思わず息を呑んだネルは、無意識下で短刀を握り締めて――、弱い己を振り払うように、に、と笑った……。

 

 

 

 ………………

 

 

 

「ひゅぅ♪ コイツはご機嫌だぜ!」

 

 ブルゥンンッッ!

 

 雄々しく唸るバイクのエンジン音を耳にしながら、クリフ達は戦場を駆ける。途中、風雷や漆黒の傍を通り過ぎたが、彼等は追いつくどころか、こちらを見て、あ、と驚く声をクリフ達に届けることすら出来なかった。

 

「お、おい! 人がいっぱいいるのに、こんなに飛ばして大丈夫なのか!?」

 

 バイクのタコメーターは既に二百ロを超えている。それを穴が開くほど覗き込んで、クリフを仰ぐと、クリフは、に、と笑って、こちらを振り向く余裕すら見せた。

 

「安心しな。クラウストロ人(オレたち)にしてみりゃ、こんな速度(スピード)、屁でもねぇよ!」

 

 そのうち鼻歌でも口ずさみそうなクリフの表情から、地球人のフェイトには理解し難い身体能力(ポテンシャル)の高さが窺えた。信じられないが、バイクを自在に操っているのは確かだろう。

 ――が、

 

「本っっ当に! 信じていいんだよな!?」

 

 叫ぶフェイトは、やはり気が気ではない。

 当然だ。

 人のすぐ傍を通るたびに、ゴゥッ、と凄まじい風の音が、耳を打ってくる。少しでも身を乗り出せば、身の安全は完全に放棄されたと言って良い状況だ。

 自然。後部座席で、ぐ、とフレームを握る手に、力が入った。

 

「ああ! 信用しろって!」

 

 クリフの声が、気休めにしか聞こえないのも無理からぬことである。

 速すぎるスピード、というのは、得てして風の抵抗を強く受けるということなのだから。

 

 と。

 

 ぎゃぎゅきゃきゅきゅっ、っっ!

 

「う、ぉおっ!?」

 

 突如、急ブレーキをかけたバイクに、フェイトは身体を前につんのめらせながら、目を見開いた。周りの景色を見る余裕など最初からなかったため、どうやら、目的地に辿り着いたことに気付かなかったようだ。

 

「よぅ」

 

 バイクにまたがった状態で、に、と口端を吊り上げたクリフに、ヴォックスが表情を強張らせていた。バイクの物珍しさ、それから、戦場を真正面から突破してきたそのスピードの非常識さに、さしものヴォックスも瞠目しているのだ。

 

「き、貴様達は……!」

 

 だが、その動揺も束の間だった。

 ヴォックスはすぐに表情を引き締めると、それから油断無くフェイト、クリフを見据えて、腰の剣に手をかけた。

 まだ飛竜には騎乗していない。

 これほど早く敵の勢力がやってくると思わなかったのか、それとも、総指揮官として報告を聞くために地上に待機していたのか。どちらかだろう。

 

「……そうか、貴様達が例の奴等だな。アルベルの奴をやったという……」

 

「だったら、どうだってんだ?」

 

 クリフ、フェイトは相手を警戒しつつもバイクから降りた。ぱきぽきと関節を鳴らす、クリフの瞳に闘志が宿る。ブロードソードに手をかけるフェイトも、既に臨戦態勢に入っている。

 

「ヴォックス様!」

 

 ヴォックスの周りに控えている疾風兵は、せいぜい二十人前後。

 伏兵を考慮して、周りに注意を張り巡らせたフェイトだったが、不思議なことに、控えている者は他にいないようだった。

 

 ――アルフの言った『油断』、それがここに出ているのだ。

 

 ヴォックスは、クリフとフェイトを順に見やって、にやりと口端を歪めた。

 

「威勢のいいことだ。その度胸に免じて、貴様らはこの私自ら葬ってやろう……。お前等、邪魔するなよ」

 

 つぶやくヴォックスに、だんっ、と地を蹴ったフェイトが、一息で剣を抜き放った。

 

「行くぞっ!」



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43.全面戦争

「凄い……!」

 

 クレアは左翼部隊指揮官として戦況を把握している。始めは『膠着』や『劣勢』の信号弾をあげる部隊がちらほら見受けられたというのに、岩塊を成し、大陸史上、最速の援軍要請を行えるシーハーツ軍は徐々に『制圧』の青い信号弾を出し始めるようになっていた。

 あのアーリグリフを相手に、持久戦ではなく、シーハーツ軍が勝ち始めているのだ。

 

 

(こんなに――、こんなにも巧く行くものなの!? あのアーリグリフ軍を相手に……!)

 

 想像以上の戦果に、クレアの心が震える。アレンに伝授された『集団合成魔法』アースグレイブは、アーリグリフ軍三軍を分断し、攻撃を防ぐ盾の働きばかりでなく、敵を足止めする障害物ともなる。

 

 戦況は現在、シーハーツ有利に運んでいるが、さすがのアーリグリフ軍でもあった。不意を突かれて一時陣形を乱したものの、総崩れさせるにはまだまだ時間がかかるらしく、フェイト達が帰還する『道』はまだ作られていないのだ。

 とはいえ、クレア率いる左翼部隊とネル率いる先陣部隊の連携は巧く行っている。このまま先陣部隊が中央突破するのは、時間の問題となるだろう。

 問題は――、ファリン率いる右翼部隊だ。

 

(風雷の本隊とぶつかっているはずなのに、あちらだけ際立った行動が見られない……。敵将はあのウォルター伯。侮るわけには行かない相手だけど……)

 

 制圧の信号弾はもちろん、救援要請の信号弾さえ特に上がってこないのだ。それに連射性を上げた施術兵器で対抗しているといえど、まだまだ疾風の足を止め切れてはいない。

 やはり攻撃力に難があるのだ。

 先ほどから施術兵器を砲撃手たちが休むことなく撃ち続けている。にもかかわらず、疾風は、まるで砲弾を恐れずに向かってくるのだ。

 

(疾風は地形を気にせず、後方にいる施術士を狙ってくる危険な相手。そうそう遊ばせるわけには――……)

 

 とりあえず地上部隊は抑えた。

 次は、空だ。

 クレアがそう考えていたときに、それは起こった。

 

「なっ!?」

 

 自分の目が信じられない、というのは、この事だろう。

 クレアは目の前で起こった事態に、大きく目を見開いた……。

 

 

 

 ――シーハーツ軍、本陣。

 ディオン率いる施術兵器部隊の下に現われたアレンは、群れ成す疾風を見上げて、に、と小さく微笑った。

 

「あ、アレン様!」

 

 呼ばれて、視線をそちらに向ける。施術師が施術兵器を自棄気味に乱射しながら、決死の形相で叫んできた。

 

「アレン様、いけません! やはり竜の雷への耐性が強く、このままでは疾風に突破されてしまいます!」

 

 早口になっているのは、焦りからだ。その彼に、アレンはそうか、とだけつぶやいて右腕を掲げた。

 

「皆、ディープフリーズの準備を頼む。ディオン、君は俺の合図とともに全施術兵器を空に向かって放て」

 

「え? あ、はい!」

 

 ディオンが目を白黒させながらも全軍に言い渡し施術兵器の照準を空に定める。それを視界の端で確認して、アレンは話している間に溜めた紋章力を、疾風に向かって放った。

 

「今だ!」

 

 ディオンに、そう合図を送って

 

「ディープミスト!」

 

 アレンが詠唱するのと同時、空がかげった。

 暗雲が、今にも雨を降らさんばかりの黒々とした雲間が、見る間に空に広がっていく。

 ごろごろと喉を鳴らす空は、やがて疾風を残らず飲み込み、巨大な竜の陰影を深い霧の中へと沈みこませていく。

 その、瞬間。

 

「撃てぇ!」

 

 ディオンの号令で全施術兵器が空に向かって放たれた。

 殺傷力はそれほどでもない。電磁スタンボムを改良して作った今の施術兵器に、攻撃力など付加的なものだ。

 それが――、空で弾けた。

 

 バチィイイインンッッッ!

 

 けたたましい破裂音を立てて、雷が、一瞬にして空一面を覆う。

 施術兵器の雷が、ディープミストの水蒸気によって四方に拡散したのだ。それまで散々乱射して空に溜まっていた、施術兵器の余波ごと爆発した。

 当然、雷耐性の強い竜は無事でも、騎乗している兵が無事ですまなかった。

 

「ぐわぁああああああっっ!」

「ぎやぁああああっっ、っっ!」

 

 悲鳴を上げる疾風兵が、ぼろぼろと空から落ちていく。

 

「鎧が仇になったな」

 

 つぶやくアレンの言葉を立証するように。

 四肢が痙攣した疾風兵達が、落ちる。――否。一部の疾風兵は堕ちかけたところを、竜が何とか支えている。恐らく竜との信頼関係が深い上級兵、と言ったところか。

 アレンは後ろに控えていた、ディープフリーズの詠唱を終えた施術士達を見るなり、こくりと頷いた。

 ついで。

 開いたアレンの掌に、再び紋章力が宿る。今度はさほど力を溜めない。

 

「グラヴィテーション!」

 

 溜めずとも、十分だったのだ。

 

 ずんッ!

 

 放ったのは、アレンにしてみればほんの微弱な紋章術。

 だがそれは、帯電しきった空に、一瞬にして巨大な重力場を広げた。

 

――ぉおおおおおおおお……っっ!――

 

 竜が、野太い咆哮を上げて地面に落ちていく。

 悲鳴を上げるように、大口を開け、忌々しげに空を仰ぎながら。

 今度こそ、例外なく――堕ちる。

 

 ずしぃいんんっっ!

 

 地響きを起こさんばかりの、重々しい音が立っていった。

 そこを、

 

「ブリザード・ディープフリーズ!」

 

 シーハーツ軍最大の施術士部隊が迎え撃つ。

 疾風兵を囲むように陣取っていた彼女達の集団施術が、疾風兵を竜ごと一網打尽にしていった。

 

 カシィイ……イインッッ!

 

 大地の全てを凍て尽かさんばかりの勢いで集団合成魔法は、見事に成功した。

 シーハーツ施術士部隊を守る盾を、倒した疾風兵で作りながら。

 

 

 

 

「……なっ……!」

 

 空を覆っていた疾風兵が一瞬で消えると同時、シーハーツ軍の士気が一気に高まった。

 クレアの目の前で。

 

――おぉおおっっ!――

 

 まるで地鳴りだった。

 地上戦を繰り広げていた兵達が、一斉に歓声を上げたのだ。

 

「ば、ばかな……っっ!」

 

 

 

 

 一方。

 アーリグリフ軍には、目の前の信じられない事態に対する動揺と、アーリグリフ随一の精鋭部隊、疾風がやられた、という衝撃が、一瞬にして広がっていた。

 

「こんな、馬鹿な!? 兵力では……、戦力では、完全に我々が優位(うえ)だったのだぞ!?」

 

 指揮官の声が悲痛に響く。

 無理もない。

 数で圧倒的有利を誇ってい地上部隊が、いまだシーハーツ軍の先鋒部隊に分断されたまま、戦況不利に持ち込まれている。

 このタイミングでの疾風の壊滅は、より一層アーリグリフ軍への絶望感を深めていた。

 

「阿呆! 敵を目前に、よそ見してんじゃねぇ!」

 

 アルベルの一喝が走る。

 

「っ、っっ!」

 

 途端、息を飲み込んだ兵達が、口を閉ざす。

 表情は優れない。

 その彼等に、ふん、と鼻を鳴らして、アルベルは施術士部隊を守るようにして、前線にやってきたミラージュをぎろりと睨んだ。

 皆が皆、一様に呆けたように空を見上げる中で、唯一こちらから目を離さない、彼女を。

 

「どうやら骨のあるのがいるようじゃねぇか……」

 

「あなたが指揮官ですね?」

 

 油断なく、アルベルは一息で刀を抜くア。ミラージュはいたって平静だ。疑問というより確認といった声色で問いかけてきて、ミラージュは両拳に当てたガントレットを、す、と構えてくる。

 瞬間。

 

「ならばどうする!」

 

 下段から切り上げるアルベルの斬線が、風を巻いてミラージュに走った。大振りな上、スピードもどうということはない剣だ。

 当然、ミラージュはこれを難なく避けた。

 ――ところを、

 

 斬っ!

 

 刀を両手で握った、アルベルの振り下ろしが襲う。

 

「……!」

 

 それを横に半身切ってかわすと、彼女は、地面を蹴って左ジャブを放った。全身で叩きつけるように斬り付けてきたアルベルには、どうしてもかわせない角度での、高速ジャブだ。

 

 びゅっ、

 

 ミラージュの拳が風を切る。

 が。

 アルベルは膝を折って、頭の位置を下にずらすなり、そのバネでミラージュのジャブを紙一重で避けた。ややミラージュが瞠目する。

 

(凄まじい反射神経ですね……)

 

 つぶやきながらも、更に左ジャブ。風を裂く音が、今にもアルベルの肉を断たんと走るが、紙一重、当たらない。

 アルベルの左腕が、ざ、と音を立てた。

 

「危ない――っ!」

 

 クレアの声で、視線をさっとアルベルの腕に落とす。すると鈍色に光る鉄爪が、禍々しい赤い闘気を孕み始めていた。ふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らすアルベルが、しかし、にやりと嗤う。

 

「死ね、阿呆」

 

 更に闘気を増す鉄爪。それを尻目に、ミラージュはクスリと笑った。

 

「発動は、私の方が早いようですよ」

 

 拳を握るミラージュの両腕に黄金の闘気が宿る。

 腰溜めに構えた彼女は、瞬後、それをアルベルに向けて放った。

 

「カーレントナックル!」

 

 ミラージュの気功を宿した拳が、ごぅ、と風を切ってアルベルを襲う。その凄まじい練気に、表情を引き締めたアルベルは、鉄爪を、カシャ、と打ち鳴らすなり、ミラージュに向かって吼えた。

 

「上等だ! ――剛魔掌!」

 

 赤黒い闘気を孕んだアルベルの鉄爪が、ミラージュより一瞬遅れて放たれる。

 

「っ、っっ!」

 

 クレアは激突する両者の技の威力に、呆然と目を見開いた。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

「ブレードリアクター!」

 

 

 ざざざんっ!

 

 アレンの修行の所為か、それともフェイト自身の才能か。

 間隙ない三連撃、振り上げ、振り下ろし、突きのコンボで容赦なくヴォックスを切り立てる。

 

「ちぃいっっ!」

 

 舌打ったヴォックスが、体勢を崩しながらも剣を振る。

 甲高い金属音が立った。

 いつもなら、これで大概の敵を倒して来たが、さすがは疾風団長だ。フェイトの三連撃を、見事に捌くなり、ヴォックスは最後、剣を大きく振り下ろして、フェイトを後方へ下がらせる。

 

「させるか!」

 

 が。

 相手が上空に飛べば、自分が不利になることを察しているフェイトは、後退するなり、ざ、と右手を掲げ、炸裂弾を相手に向かって放った。

 

「ショットガンボルト!」

 

「くっ!」

 

 唸るヴォックスが、基本に忠実な剣線(フォーム)で炸裂段をどうにか切り払う。風にあおられた炸裂弾が、ヴォックスの手前で火を噴いた。途端、ち、と舌打ったフェイトは、追撃に握った剣をとめる。こちらの炸裂弾が煙幕にされたのだ。いま、うかつに追撃すれば待ち伏せたヴォックスに殺される。

 炸裂弾の火の向こうから、ヴォックスが笑った。ついで竜を操る手綱を、ぐ、と引くと、彼の飛竜、テンペストが野太い咆哮を上げてヴォックスを守るように、身体を大きく仰け反らせた。

 

「く、そっ!」

 

 同時。

 巨大な飛竜が翼をはためかせた。すさまじい突風が吹き荒れる。その突風に視界を奪われたが最後、ヴォックスは――すでに手の届かぬ、空の上だった。

 

「魂を砕くこの一撃を!」

 

 上空に上がったヴォックスが、剣を二閃する。振り上げと振り下ろし。それがヴォックスの気と、風を巻いて地面を走る。

 カマイタチのような、上空から放たれる空破斬だった。

 フェイトはサイドステップでかわし、やや焦った表情で敵を見上げた。

 

「ったく、やりにくい相手だな。おい……」

 

 その彼に同調してか、辟易した様子のクリフが、ふぅ、とため息を吐く。それに頷き返して、フェイトは油断なく、剣を握り締めた。

 

(こっちの技が当たらない……。相手が空を飛んでるだけでも厄介なのに、あのヴォックスの剣術(ディフェンス)の所為で、せっかく地上に落としてもやり過ごされてしまう! ――何か、他に手を考えないと……)

 

 数瞬の、思考。

 奴をどうにか落とせば、勝てる。

 対峙する、飛竜に乗るヴォックスが、ふん、と鼻を鳴らした。左手に手綱を、右手に剣を、それぞれ握り直して。

 

「意外とやりおるわ! しかしこうでなくては面白くない!」

 

 高々に言い放って、ヴォックスは己の闘気を、剣に込めた。

 

 そんなヴォックスの剣線はもう覚えていた。

 

 恐らく――次の一手、ヴォックスは上、下に剣を振る剣風攻撃、疾風斬りで仕掛けてくる。

 アレンから習った気の流れが、そう報せている。

 フェイトはクリフを横目見た。

 

「――クリフ。次に奴が攻撃してきたら、僕が止める。お前はその隙にヴォックスを」

 

「いいのか? ……お前には、対空用の技なんかなかった筈だが」

 

 確認してくるクリフに、フェイトは、に、と笑って答える。片目だけ細めたクリフは、にやりと口端を歪めるなり、ヴォックスを睨み上げた。

 

「ま、そうだな。そろそろコイツの相手にも飽きてきた頃だ」

 

 がんっ、とガントレットを弾き合わせ、存外に言い放つクリフ。

 瞬間。

 恭しく、剣を自分の胸の前に立てたヴォックスが、か、と目を見開いた。

 

「行くぞ!」

 

 

 

 ――その、瞬間。

 

 

 

 異音が、聞こえた。

 地鳴りと似た音だが、この場合は空から。

 

 シュォオオオオ――……ッッ

 

 風の音にも似た、しかし、明らかにソレとは違う、何かの音が。

 

「……ん? 何だ?」

 

 空を見上げる、ヴォックスの親衛隊の声と共に、それは降ってきた。

 白く。

 空を白く染める、それが。

 

「……ん?」

 

 その背後のあまりの明るさに、ヴォックスが振り返った瞬間。

 それは、もう目の前に迫っていた。

 視界すべてを白く染め上げて。

 

「な、なんだと!?」

 

 空を埋め尽くす、白い光。

 遥か上空から放たれた、それが、ヴォックスを、丘全体を呑み込んだ――。

 そう思った。

 だが、実際は、

 

 ヴォックスの目の前で、光が左右に裂けていった。

 

 何の脈絡もなく、すぅ、と静かに。

 

「――っ!?」

 

 ヴォックスの頬を、ふわり、と風が撫でる。呆けて、口をだらしなく開けた、彼の頬を。

 そして――……、

 ヴォックスがふと、瞬きを落とす。それが夢から覚めるときの、一つの合図だった。だが、前を見据える瞳は依然、非現実的な出来事に呆然としたままだ。

 

「……っ、っっ!?」

 

 それを認識した瞬間。ヴォックスの全身から、大量の冷や汗が噴き出した。

 

 白い光が左右に分かれた理由が、たった一振りの剣線だった。

 

 ヴォックスの左手後方――、アリアス方面からやって来たと思われる、己の身の丈よりも長い刀を抜き放った青年が。

 その一撃で、大地を、迫り来る光の矢を断ち切っていた。曇り一つない、蒼く輝く兼定(カタナ)で。

 ――瞬後。

 左右に分かれた光が、地面に触れる。と、白い光は赤い紅蓮の炎と化して、大地を深く、深く刳り貫いた。

 

 ズドァアアア……アアッッ!

 

 爆発が、見る間に広がっていく。

 

「うわっ!」

 

 そのあまりの爆風に、フェイトは両腕で頭を押さえ、咄嗟に地面に伏せた。

 伏せようとしたところで――、

 

「アイツ、何でこんな所にいやがる……!」

 

 クリフの息を呑むような声に、フェイトは、え、とそちらを振り返った。

 爆発の中心点――ヴォックスがいた方向を。

 そこに見えた、兼定(カタナ)を握る赤い軍服の青年を。

 

「アレンっっ!?」

 

 叫ぶや向かおうとして、クリフに身体を引き倒された。瞬後。フェイトが立っていた場所を、地面から吹き上げた炎が、まるで名残惜しげに舐めていく。

 そのあまりに容赦ない爆発に、ぐ、と歯の根を食い縛る。

 ごぅ、と吹き荒れる熱風が、咄嗟に気功の障壁を張っていなければ、一瞬にしてフェイトを焼き尽くすところだった。

 

 ――……そして、

 

 光が、晴れた。

 

「く、そ……っ!」

 

 想像以上に凄まじい質量を持った熱風を受けて、フェイトは一瞬、眩暈を覚えた。

 地面を叩いて、意識を覚醒させるよう首を左右に振る。平衡感覚が戻ってきた。ため息を吐いて、フェイトは今度こそ起き上がった。

 

 傍らの、べこりとへこんだクレーターを見る。

 

 しゅぅうう、と煙を上げる、黒い焦土と化したその場所を。

 

「……………………」

 

 自然、固唾を呑む。と。カシンッ、という音を立てて、アレンが兼定を納刀した。

 

「貴様、何故……!」

 

 その彼の後ろにはヴォックスと飛竜、テンペストが倒れている。

 爆風の衝撃波は食らったものの、熱風自体にはやられなかったのか。倒れているヴォックスやテンペストに目立った外傷は見られない。それがアレンの仕業だと分かっているからこそ、ヴォックスは息を呑んで彼を睨み上げていた。

 

「どうやら、時間切れらしい」

 

「――え?」

 

 対峙したアレンは、ヴォックスの問いを全く無視した。独白とも取れる、小さなつぶやき。何か把握しているらしい彼の言葉はあまりに唐突で、フェイトには理解できなかった。

 

「こいつは……」

 

 ふと、クリフがつぶやいて、フェイトも空を仰い。艦影が見えた。

 まるで空を覆わんばかりの、大型航宙艦の群れだ。

 

「バン、デーン……?」

 

 つぶやくと同時、先の白い光の正体が一瞬で理解できた。

 あれは、航宙艦の砲撃だった、と。

 ――そして。

 目の前には航宙艦が放ったと思われる砲撃で焦げた、大地があった。奇跡的に死傷者こそまだ出ていないものの、一様に倒れ伏した兵達で、地上は覆い尽くされている。

 本陣に至るまでに通ってきた、戦闘を繰り広げていた兵士達は戦いの手を止めて空を見上げていた。

 まるで死神か何かのように、静々と空に浮かんでいる航宙艦の群れを。

 

 ――俺の計算だと、バンデーンがもうすぐ来る。

 

 確かに、そう聞いていた。

 もしかすればクリフ達の、クォークの艦が来るよりも早いかもしれないと。

 この、事態が。

 

「と、突撃ぃいいい!」

 

 状況を把握しきれないまま、砲撃を向けられた疾風兵が、慌てて号令を出している。

 その声もどこか遠く、フェイトは呆然と聞き届けて――。

 いつかアレンが言っていた言葉を思い出した。

 

「本当に、バンデーンが……僕を?」

 

 つぶやくと同時、ばしっ、と背中に激痛が走った。

 

「痛っ!」

 

 呻くと、彼の背を容赦なく引っ叩いたクリフが、すでにバイクに跨って、エンジンを噴かせていた。

 

「オイ! ここから逃げるぞ!」

 

 早口に怒鳴るクリフに、フェイトの思考が回り始める。表情を引き締めたフェイトは、後部座席に乗らんと駆け出して――、ふと足を止めた。

 

「待ってくれ! バイクじゃアレンが……!」

 

 言って、アレンを振り返る。こちらに一瞥をくれたアレンが、静かに首を横に振った。

 

「問題ない。俺もここに用がある。――先に行け」

 

「用……?」

 

 フェイトは首を傾げる。クリフが一喝するように声を荒げた。

 

「いいから急げ! 奴等の目的はお前なんだ! ……行くぞ!」

 

「あ、ああ!」

 

 疑問が解消されたわけではなかったが、促されるままに後部座席に乗る。クリフは迷わずアクセルを全開にして、カルサア丘陵を駆け抜けた。

 

 

 

 

「……なんだい!? あれは!」

 

 戦場の中心地に立ったネルは、空を暗く翳らせる艦影に、そのあまりの大きさに息を呑んだ。

 

「あれは、バンデーン……!」

 

 対峙していた、今しがた最後の一撃を繰り出さんと『気』を高めていた少女がぽつりとつぶやく。

 ネルと同じ双刀、しかし、こちらは剣と刀を携えた、小柄な少女だ。

 

「バンデーン……?」

 

 その少女のつぶやきを、ほぼ無意識の内に反芻する。

 聞いたこともない言葉だ。

 それが一体何を意味しているのかも、ネルには全く分からなかった。

 

「アンタ、一体何を――!」

 

 知っているんだ、と言葉を続けようとしたその瞬間。

 視界が白くなると同時、それは地上に降ってきた。

 

 ――遥か上空から放たれた、艦隊の砲撃が。

 

 音という音を飲み込み、二つの名を持つ大地を等しく黒く染め上げる。

 

「くぅううう!」

 

 そのあまりの爆風に、ネルは低く呻いた。

 視界の端では、対峙していた漆黒の女兵士が、踵を返して部下に指令を出している。

 

「皆さん! 急いで撤退の準備を! ここは一度退却し、体勢を立て直します!」

 

「お、おぅ……!」

 

 頷く漆黒兵達に、こく、と頷き返して、彼女もまたアーリグリフ本陣へと走り出す。そのナツメの背に、ネルは慌てて問いかけた。

 

「待ちな! あれは一体――!」

 

「ネルお姉さま! オイラ達も早く下がろうぜっ! でないと、皆が!」

 

 ナツメにつかみかからんばかりの勢いで唾を吐く。が、ネルと共に戦っていたロジャーが、戦場を見渡して叫んできた。その彼の背には、先ほどの砲撃の余波に当てられ、気を失ったタイネーブが担がれている。

 外傷はない。ネルは、は、と息を呑んで周りを見渡した。

 

 ――あの艦影から放たれる白い光に、人が無造作に吹き飛ばされていく。地獄のような光景だった。

 

「ちぃっ!」

 

 忌々しげに舌打ちし、ネルは部隊に向かって叫んだ。

 

「撤退だ! 一度本陣に戻って状況を確認するよ!」

 

「はっ!」

 

 言う間にも、空から降り注ぐ砲撃が、大地を、シーハーツ軍を、そしてアーリグリフ軍を等しく吹き飛ばす。

 何の慈悲も、一切の躊躇もなく。

 

「ぐぁああああ!」

 

 発射される砲撃を、見てから躱す事など、恐らく出来るのはクリフぐらいのものだろう。

 本陣まで戻る、とネルは言ったが、それは運よく生き残った者についての話だ。

 

「行くよ、アンタ達! 遅れるんじゃないよ!」

 

 あまりに危険すぎる道のりに、ネルは冷たい汗が全身を這うのを感じながら、それでも己を奮い立たせるために短刀を握り締めた。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 空を行き交う艦隊が、まるで鳥の群れのように姿を現した頃。

 アーリグリフ軍の漆黒、シーハーツ軍の左翼部隊が撤退したというのに、彼等はまだ、そこに立っていた。

 

 じゃり……、

 

 互いの縄張りを牽制しあうように。

 すり足気味にゆっくりと体位を変える、アルベルとミラージュ。

 周囲にすでに人は居ない。それでも両者が退かないのは、『殿(しんがり)』という役目の所為か、それとも――……、

 

「さすがに、やりますね」

 

 ちゃり、と愛刀の鍔を鳴らすアルベルに、ミラージュは小さく微笑んだ。全身の至る所、致命傷ではないが、刀傷が、ミラージュの白い肌にいくつもの赤い線を引いている。

 ふぅ、ふぅ、と控えめに呼吸を整えるものの、彼女の頬からは、大量の脂汗が浮かんでいた。乱れた呼吸の所為で、肩が上下する。

 しかし、眼光だけは、彼女の浮かべる微笑だけは、戦う前から少しも変化しない。いつも彼女が浮かべる、優しさに満ちた笑みではなく。上品だが挑戦的な、相手を確実に仕留めんと狙う下手人の目だ。

 一切の、容赦や慈悲という感情を捨てた戦士の瞳。

 その彼女の青い瞳を見据えて、アルベルはにやりと口端を吊り上げた。

 

「そろそろ死ね。阿呆」

 

 義手の鉄爪で牽制するように身体を前に突き出し、右手に握った刀を水平に寝かせる。

 瞬間。

 

 ヒュンッ!

 

(左――っ!)

 

 無造作に振られた、アルベルの切り上げを、ミラージュはバックステップでかわす。が。か、と目を見開いた彼女は、その斬線が、風を巻いてさらに自分を追って来たことに驚いた。

 

「くっ!」

 

 咄嗟に右手で防御体勢を、同時、身体を最大限に屈めて敵との間合いを詰める。ガントレットの甲で衝撃波をはじいた、その瞬間。

 アルベルが、頭上に居た。

 

「ぉおりゃっ!」

 

「!」

 

 飛び込んできたアルベルが、素早く刀を振り下ろす。前傾姿勢を取っていたことが裏目に出る。勢いを殺せない。相手の懐に入る前に、アルベルの刀は、確実にミラージュを殺す。

 それを確信した瞬間。

 

 ギキィイインッッ!

 

「……!」

 

 右拳を天に突き立て、ぎりぎりでアルベルの刃を受け止めたミラージュから、表情が消えた。それまで極度の緊張と戦闘による疲労で掻いていた汗が、すぅ、と引いていく。

 体力的にも、限界を迎えているミラージュは、しかし、乱れた息を、突如、正常に行い始めた。

 さきほどまで浮かべていたあの微笑さえ、消えた。

 瞬間。

 

 ずっ……、

 

 背中に妙な感覚を得たアルベルは、舌打ちと同時、相手を蹴散らさんと力任せに刀を薙ぐ。

 が。

 ――動かない。

 

(な、んだと……っ!?)

 

 アルベルの中にある本能が、正体不明の警鐘を鳴らしている。

 ぴたりとミラージュの拳が張り付いた愛刀は、不思議なことに、アルベルがいかな方向に力を加えても、びくともしない。

 だが、力自体は拮抗しているのか、ミラージュのガントレットと、アルベルの刀は、カチカチと鍔迫り合いのような音を立てて微かに震えていた。

 と。

 すぅ、とこちらを見上げたミラージュの冷たい瞳と、目が合った。

 

 ギキィインンッッ!

 

 咄嗟に、身を守るように、鉄爪を顔の横に持っていく。と、同時。そこに雷の如きミラージュの蹴りが、ずどんっ、とアルベルの身体をずらすほどの衝撃で迫っていた。

 

(ぐ、っ!)

 

 歯を噛む。

 よろめきかけたが、追撃(つぎ)が来ると歴戦の感覚が警告し、左足でたたらを踏んでアルベルはその場に留まった。瞬間、

 

「フェスティブアベンジャー」

 

 別人のように冷えたミラージュの声が、そ、と耳に入った瞬間。ぶわ、と彼女の内にある『(ほのお)』が爆散した。

 赤く、目の乾く鮮やかな炎が、アルベルの視界に入る。

 と。

 

「――ちぃっ!」

 

 前傾姿勢のミラージュが、下段からアルベルを()ち上げるような蹴りで、彼の身体をすくい上げた。同時。反射的に鉄爪を耳の横に持って行ったアルベルの側頭部に、義手を挟んでミラージュの左後ろ回し蹴りが、ずどんっ、と鈍い衝撃を与えてくる。

 常人ならば、その蹴りの威力と、蹴りが孕んでいるミラージュ自身の『(ほのお)』の所為で防御(ガード)した腕を焼かれているが、――皮肉なことに、アルベルは義手であるが故にその『(ほのお)』をものともしなかった。

 とはいえ、

 

 ずどどどどどどぉおんっっ!

 

 鮮やかなミラージュの連続攻撃に、アルベルの反撃の機会が完全に潰される。(リーチ)が長い分、優位に戦いを進めていたアルベルだったが、懐に飛び込まれれば当然、ミラージュの連撃についていけるはずもない。

 否。

 繰り出される蹴打の数々をぎりぎりで受け流しながら、アルベルは鉄爪に力を込め続けていた。

 紅く、黒く。

 人にしてはあまりにも闇を孕んだその『力』を、気取らせないように、徐々に、徐々に。

 

 そして――……、

 

「破ァッ!」

 

 ミラージュの呼気と同時、アルベルの腹の前に持っていった義手に、突きのような鋭い蹴りが決まった。

 

 ずどぁああああっっ!

 

 その、あまりの鈍痛に、えづきかける。

 

「――ッ、ッッ!」

 

 が。

 アルベルには、笑みが浮かんでいた。

 それがミラージュの見せる、最大の隙。反撃の機会だった。

 

「調子に乗るな、この阿呆!」

 

 炎のように苛烈に、鮮やかに。

 アルベルの赤い瞳がミラージュを睨み据える。ジャキッ、という無機質な音で開いた鉄爪が、迷わず彼女の喉元に向かって走った。

 

「剛魔掌!」

 

 相手の身体を薙ぎ倒さんばかりの勢いで、鉄爪が左、右に走る。それは相手に踏み込むための、己の距離を作るためのきっかけに過ぎない。

 いわば、(ブラフ)

 何故ならばミラージュは――、彼女は既に、アルベルの眼下に潜り込んで、左手で地面を、勢いを付けるために右足を、だんっ、と踏みしめている。

 

(――来るッ!)

 

 アルベルが確信した瞬間。蹴りの突きを放ったミラージュの身体が、ぐるん、と反転した。軌道が九十度、今度は地面すれすれの位置から、アルベルを蹴り上げるように。

 同時。

 

 ざんっ、

 

 唐突にバックステップしたアルベルに、ミラージュが目を見開いた。

 

(読まれた――!?)

 

 そんな、と彼女の内にある驚きを表すかのような表情だった。

 にやりと笑ったアルベルが、本命の刀を握り締めた。

 

「双破斬っ!」

 

 空振りに終わったミラージュの蹴り上げの後を追うように、下から走った斬線が、ざんっ、と容赦なく空を切る。

 ミラージュの肉を、骨を断つまで数センチ。

 そこで、

 

 シュォ――……ッ!

 

 アルベルの脇を過ぎる、バンデーン艦の砲撃に、彼は咄嗟に身をひねった。

 瞬後。

 

 ズド……ァアアアッッ!

 

 砲撃が地面に触れると同時、炎が膨れ上がった。ち、と舌打ちして刀を一閃する。炎への牽制、ではない。縦に伸び切った体を戻すための、いわばバランスを取るための一閃だ。同時。アルベルは全力で地面を蹴って、低く、頭を下げた。

 フェスティブアベンジャーの蹴打で上空に飛んだミラージュが、少し離れた場所に着地する。

 と。

 爆散した炎の、舐めた後が大地を黒々と焼いた。

 咄嗟に張った気の障壁が無ければ、アルベルとて無事では済まなかっただろう。その、あまりにも暴力的な炎の威力を目の当たりにして、ぐ、と奥歯を噛んだアルベルは、忌々しげに顔を歪めて、ゆっくりと立ち上がった。

 

 ――空にデカい影が見えたら、すぐに退却命令を出しな。……でないと、犬死する。

 

 開戦前、アルフがつぶやいた言葉を思い出す。ち、と小さく舌打ったアルベルはそれきり、刀を鞘に戻した。

 

「……ふん、どうやら今はそれどころじゃないらしいな」

 

「……………………」

 

 そのアルベルの様子を、まるで観察するように見据えているミラージュ。まだ、構えは解いていない。その所作は、これまでのミラージュの任務達成率を物語るように隙が無い。

 アルベルはその彼女に一瞥くれただけで、興味をなくしたように踵を返した。

 

 ――その、瞬間。

 

 アリアス方面に一条の白い矢が、空を覆いつくすほどの光を放って上空へと奔っていった。

 



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44.破壊の力destruction

 目の前の光景に、フェイトは息が詰まった。

 カルサア丘陵からアリアスの手前まで、早々に引き揚げて来た時のことだ。

 

 そこここに転がる、並み居る死屍に。

 ぽっかりと目を見開いたまま、どこかを見据えている、シーハーツ兵に。

 その中で、ぐったりと倒れているディオンに。

 フェイトは、ぐぅう、と心臓が締め上げられた。

 衝動的に駆け出す。

 

「――っ、っっディオン!」

 

 膝をつき、動転した頭で、彼を揺する。と。すでに、ディオンの呼吸が弱まっていた。

 ディオンを揺すった右手が、ずるっ、とぬめった。それが何であるか、認識するのを拒絶するように頭が白くなる。背筋に悪寒が走る。呼吸(いき)が詰まった。だがそれでも、見なければ、と自分に言い聞かせて、フェイトは自分の右手を見る。

 すると、ディオンのものと思われる黒々とした血が、命の雫が、まるでフェイトの掌から零れ落ちるように、ぽとり、ぽとりと不気味な音を立てて地面に滴った。

 

「あ、……あ、あ……っっ!」

 

 右手を、握り締める。力の限り、ぐぐ、と。

 こびりついたディオンの血が、まるで悲鳴を上げるかのように、弱々しくぴしゃっ、と飛散した。

 視界が、黒く染まる。

 

「ぼ、くが……」

 

 ――ハイダの時もそうだ。

 彼等は何の断りも無くやってきて、圧倒的戦力で関係のない人間を次々と虐殺した。

 星を、赤く、紅く染め上げて。

 そうして父を、ソフィアを奪っていった。二度と会えないかもしれないという絶望に、フェイトを突き落として。

 

 そして今度は、やっと幼馴染と再会したディオンを。

 

 状況は違えど、フェイトとよく似た立場の彼を。

 アミーナの、生きる意味を奪った。

 ――また、一方的に。

 

「ぼく、が……っ!」

 

 つぶやく。

 黒くなった視界の中、速まる動悸に合わせて、憎しみが、怒りが渦を巻く。

 このあまりにも理不尽な暴力に。残忍な行為に。

 

 カチン……ッ、

 

 何かが組み合わさる、そんな小さな音を立てて。

 フェイトの中にある『枷』は外れていった。

 ――理性、という名の。

 

「おい! フェイト! 落ち着け!」

 

 クリフが肩を掴んでくる。

 何か言っているようだったが、フェイトにはまったく耳に入ってこなかった。

 ただ、空を見上げて。

 そこに浮かぶバンデーンを、きつく、強く睨み上げて。

 フェイトは、拳を握って吼えた。

 

「僕が、狙いだろうがぁあああああああ!」

 

 力の限り、彼は天に向かって吼えていた。

 

 ――……っっっ、

 

 額が、熱くなった。ずがんっ、と鈍器で殴られたような激痛が、脳に走る。だが渦巻く激情が、殺気立った彼の瞳が、ぎ、とバンデーンを睨んだまま、閉じることは無い。

 代わりに、そこで、ふつ、と意識が切れた。正確には、視界が周りから黒くなっていき、身体が深く沈んでいく感覚だ。静かな水面に、身を浸していくような。薄れ行く意識に反して、全身の血流は、ざぁあああ、と音を立てて湧き上がっていくようだった。

 まるで津波のような、耳の奥で響くその不思議な音を、フェイトは暗い視界の中で聞いていた。

 バンデーンを強く、きつく睨み上げながら――……。

 

 

 

「な、に……!?」

 

 青年が、怒りを天にぶつけて強く、雄々しく吼えた瞬間、それは起こった。

 白く、強く――彼の身体が、光を発したのだ。

 意志の強そうな、彼の碧眼から焦点が消える。変わりにその瞳の奥にある光が、茫洋と、強く、強く輝き始めた。

 フェイトの額に集まる、白い光に呼応するように。

 光は、凄まじい勢いで凝縮されると同時、さ、と彼の頭上に小さな紋章陣を描いた。

 その、紋章陣から召喚されるように、広がった光が、一人の少女を象った。

 顔は良く分からない。だが、翼を持った彼女は、そそ、と光の粒子で構成された自分の両腕を天に掲げると――、

 

 そこに、巨大な紋章陣を一瞬にして練り上げた。

 

 まるで杯を掲げるように。

 両腕を上げた少女が、そ、と瞳を閉じると同時。

 

 ――パシュッッッ……!

 

 紋章陣から白い光が、矢となって奔った。

 天に向かって。

 意外にも軽快な、小さな音を立てて。

 否。

 『矢』、と言うには語弊がある。

 何故ならソレは、傍らに立つクリフの視界を覆うほどの、巨大な光の柱だったためだ。

 

「…………!」

 

 無意識下で、ごくり、と息を飲むクリフ。

 と。

 天に奔った光の柱が、バンデーン艦を貫くと同時。空一面に、紋章陣が広がった。

 

 ―――コ……ゥウウウウウッッッ!

 

 遥か上空で、異音が立つ。

 『音』とも取れない、『音』が。

 それが耳に触れると同時、バンデーン艦は、光の柱に貫かれ、ぽっかりと穴を開けて――、その穴を広げるように、まるで『空』という絵の具に塗りつぶされていくように消滅していった。すぅ、と音も無く、上空に広がった紋章陣に――あるいは吸い込まれるように。

 それは確かな消滅だった。

 跡形もなく、完全な消滅。

 まるで冗談のような光景を目の当たりにして、クリフは引きつった表情のまま、思わず叫んだ。

 

「航宙艦を……、消しやがっただと……!?」

 

 視線を、フェイトに戻す。

 すると、フェイトの額に浮かんだ光は、羽根となって四方に飛び散り、糸の切れた人形のようにフェイトが、がくん、と身体を揺らして、地面に倒れた。

 

「おい!」

 

 駆け寄って、フェイトの状態を検める。どうやら気を失っただけらしい。それにため息を吐いて、クリフはやれやれ、と頭を掻いた。

 

「どうやらこいつは、とんでもねぇ代物らしいな……」

 

 小さく、つぶやいて。

 視線を脇に振れば、今しがた本陣に到着したネルが、ロジャーが、ただ驚愕に、異物を見るような目で、フェイトを凝視していた――……。

 

 

 

 アリアスに上がった光の柱が、バンデーン艦を消し飛ばした瞬間。カルサア方面にいたアレンは、無言のまま、空を見上げていた。

 

「……思ったよりやるじゃないか、アイツ。さすがは紋章遺伝学の権威ロキシ・ラインゴッドの研究成果、と言ったところか」

 

 ふと、アレンに声がかけられる。良く知っている声だ。彼と同じ軍服を纏い、『狂眼』を持つ同僚の青年。アルフ・アトロシャスのもの。――今は一応、『敵軍』にいる男。

 だが、アレンはアルフを振り返らず、空のバンデーンを睨んでいた。フェイトが放った光の柱によって、不用意な砲撃を控えたバンデーン艦を、じ、と。その、アレンの背から滲み出すような冷たい殺気が、時間(とき)と空気を凍らせるように、周囲に立つ者の体感気温を降下させている。

 心地良い殺気を傍に、アルフは、にやりと口端を歪めて、異常に底光る紅瞳で空を見上げた。

 そこに浮かぶ、バンデーン艦隊を。

 

「俺が通信で伝えた通りのタイミングだったろ? ……まあ、奴等(バンデーン)が来る十分前の話だけどな」

 

 つぶやくアルフに、バンデーン艦を睨み据えたまま、アレンは頷く。ぎりぎりだったが、その一報を受けたおかげで、アレンはフェイト達の下に駆けつける事が出来たのだ。

 ヴォックスを助ける形になったのは、あくまで偶然に過ぎない。

 アルフに背を向けていたアレンが、ちゃり、と音を立てて兼定を握り直した。まるで己の意思を固めたように。

 空に浮かぶ艦隊に、刃を向けるために。

 

「……ああ。おかげで、フェイト達をアリアスに帰せた。――これで」

 

 空を睨むアレンの動向を、逸早く察したアルフは、ふぅ、とため息とも失笑ともつかない息を吐いた。

 

「あの高度で、あの質量、さらに航宙艦フィールドだ。――今すぐの反撃は無理だぜ。ともかく今は、この場に居る人間をさっさと退かせて……」

 

「アルフ。アーリグリフ軍とシーハーツ軍の撤退は、概ね完了したんだったな?」

 

 問いかけ、というよりは、確認だった。アルフがきょとん、と瞬く。

 

「おい、まさか――……」

 

 その先は、続かない。

 兼定の柄を握りこんだアレンが、瞬後、周囲の大気を飲み込むほどの『気』を、その身に、刃に、凝縮し始めている。

 

 ざわ……っっっ、

 

 まるで悲鳴のように、大地が揺れた。

 今だ座り込んだままのヴォックスは、あまりの圧迫感(プレッシャー)に呼吸することすら出来なかった。――正確には、ヴォックスが率いていた疾風、全員が。

 アルフに――疾風兵達に背を向けたままのアレンから、低く冷たい声が零れた。

 

「これでようやく、奴等に借りを返せる……」

 

 アレンの蒼瞳が、細められる。抜き身の刃がゆっくりと舞い上げられ、アレンの肩の位置で止まった。

 

 ――ドンッ!

 

 鋭く、何かが爆発するような音を立てて、アレンの背に赤い闘気が、朱雀が具現化する。天に向かって発現した朱雀が一つ、大きく啼く。大気が震えた。

 一瞬にして、丘陵全域に風の波を湧き起こした朱雀は、ゆっくりとアレンの視線の先――バンデーン艦を、睨む。(アレン)に従うように、彼の背でその大きな翼を広げながら、アレンと同じ、蒼く、深い瞳で。

 

 その朱雀は、バンデーン艦の三分の一ほどの大きさを誇っていた。

 

「……おい、アレン。お前、まだ活人剣使ってないんじゃ……!」

 

 つぶやくアルフの声が、途切れた。

 朱雀が鳴き、鋼鉄の艦隊に襲いかかっていったのだ。

 

 アルフはただ、茫然と空を見上げることしか出来なかった。

 

 赤く、強烈な炎で空が染まった。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 ――聖王都シランド。

 大陸の四分の三以上の人口が信仰しているアペリス教の、聖地と崇められる都市に戻って来たクリフ達は、バンデーン艦を消失させるほどの紋章術を放った直後に気絶したフェイトをどうにか運び込んだ。

 フェイトが目覚めたのは、気を失ってから三日後。

 ちょうど、空を占拠していたバンデーン艦が、姿を晦ませた時のことだ。

 

「もう、目を覚まさないのかと思ったよ……」

 

 フェイトの身体を労わりながらも、ネルが安堵したようにつぶやく。城の客間に寝かされていたフェイトは、見慣れた室内にネルのみがいるのを確認し、ぼんやりする頭で気絶する前の記憶を辿り始めた。

 

「バンデーンは……」

 

 つぶやくと、ネルがふるふると首を横に振って、今は安静にしていろ、とだけ言ってきた。彼女に頷くものの、フェイトは起きようと身体に力を込め――激痛に顔を震わせた。

 

(なんだ……? 体中が、痛い……!)

 

 まるで、全身に鉛を乗せられたような、筋肉痛を更に酷くしたような鈍い痛みが、ずきんっ、と身体中に走っていく。

 その痛みのおかげで思い出せたことが一つ、あった。

 フェイトが、は、とネルを見上げる。

 

「……そうだ、ディオン! ディオンは大丈夫なんですか?」

 

 気絶する前に見た、血まみれのディオン。

 抱き上げた時の感触が指のなかに蘇って、フェイトは思わず身体を震わせながら、拳を握りこんだ。

 視線の合ったネルが、ただ無言で首を横に振る。その彼女の反応に嫌な予感がして、心臓が冷たくしぼりあげられていくような感覚に見舞われながら、フェイトはどうにか言葉を続けた。

 

「…………ディオンは、どこです?」

 

 問う。すると、感情を抑えているはずの、無表情のはずのネルの顔が、何故だか泣いているように、フェイトには見えた。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

「ディオン……。もう、ダメなんだってさ。体がボロボロで、ほとんど魂を肉体が繋ぎ止める力が残ってないんだって……」

 

 つぶやかれた言葉に、アミーナは血の気を失った。

 

「……え?」

 

 覚悟しなかったわけではない。

 だが期待の方が強く、強く彼女を縛っていた。

 

 ――ディオンが、帰ってくると。

 

 白くなった頭の中で、アミーナは寝台に横になった想い人を見る。まるで物言わぬ屍だ。ひゅうひゅうと、時折聞こえるディオンの細い呼吸が、しかし、肺を動かすたび痛むのか、ディオンの眉間に皺を作っている。

 胸部に巻かれた包帯は、おびただしい量の血を吸って、赤く濁っていた。

 まだほんの一時間も経たない間に、巻き直したものだというのに。

 

「ディ、オン……」

 

 ぽつ、と。

 唇から言葉が洩れると、ついで涙までアミーナの目尻から零れ落ちた。

 眠るディオンの手をそっと握る。つかんだ彼の手は、両手で慎重に包み込んでもまだ、手折れそうなほど心もとない。

 また、ぽとり、ぽとりと涙が流れた。

 

(ようやく……)

 

 ぐ、と奥歯を噛み締めて、アミーナは嗚咽を殺してディオンの顔を、じ、と見据える。ディオンの表情は少しも穏やかではない。今でも苦痛と戦っているような、険しさと悲壮感に満ちている。

 

(ようやく、会えたのにね……。ディオン……)

 

 冷たい指先が、血色の悪い顔が、ただそれだけで『もう手遅れだ』とアミーナに認識させる。

 だからこそ、ぞろり、と冷たい感触が、背中を這うのが分かった。

 

「……っ、っっ!」

 

 それが恐怖から来るものだと、アミーナ自身は知っている。

 それでも、アミーナは微笑んだ。

 ディオンが死んでしまうという恐怖を微笑みの裏に隠して、ただただ、じ、と。愛しい幼馴染を目に焼き付ける。

 

「アミ……ナ……」

 

「ここにいるよ、ディオン」

 

 いつかの、戦争に行く前、シランドの宿屋で交わしたやりとりと、真逆の立場にいるアミーナが、つぶやく。するとディオンは、見えていないのか、アミーナの声がする方を――視線はこちらを向いているのに焦点の定まらない瞳で、小さく微笑んだ。

 

「……ご、めん。約束まも……れなか……」

 

 微笑にしては、あまりにもくたびれた、しかし、達成感に満ちた表情だった。

 ただし彼の眉間の皺が、未練を物語るように深く、深く刻まれている。

 ディオンは、つぅ、と涙を流した。

 

「ディオン……」

 

 彼の目が見えていない。

 もしかしたらまだ、彼は夢と現実の狭間をさ迷っているのかもしれなかった。

 それが肌を通して伝わってくる。だからアミーナは、ディオンの手を包んだ自分の手に頭を乗せて、そ、と目を閉じた。

 抑えているのに、嗚咽が零れる。

 自分の震えが、ディオンに届きそうで怖かった。

 

(諦めないで……!)

 

 生きることを。

 だから、この震えを感じさせずに、明るい声で、アミーナはディオンを元気付けなければならない。

 

 ――それなのに。

 

 ディオンの手に自分の額をうずめると、アミーナはもう、笑えなかった。

 ずっと、恋焦がれてきたディオンの香りが。

 ずっと、祈り続けてきた彼女の想いが。

 アミーナに笑うことを、許さない。

 

「……ごめん……っ、ごめん、ね……ディオン……っっ!」

 

 こんなことなら、薬を飲まなければ良かった。

 そうすれば、少なくとも彼と共に逝けたのに。

 置いていかれる哀しみが、焦りが、恐怖が、アミーナの手に力を込めさせる。ふと頬の辺りに柔らかな感触を覚えて、アミーナは瞼を開けた。

 冷たい、ディオンの手だ。

 

「ネル……さま、そこ、の……箱を……」

 

 視線をアミーナから逸らしたディオンは、どこともつかない方角を指差してつぶやく。

 痰が絡んでいるのか、それとも、唇を動かす力がもう無いのか。

 まごつくディオンに、しかし、ネルは力強く頷いて、几帳面に整頓された机の、その上に置かれた箱を、そ、と押し開けた。

 

「……それ、は……!」

 

 つぶやくアミーナの目に、また涙が溜まる。

 箱を開けて、慎重な手つきでネルが取り出したのは――ほぼ完成された、パルミラの千本花だ。

 奇しくも、アミーナと同じ。

 それにディオンは照れくさそうに、しかし、顔面筋が弱っているため、実際には引きつった表情で、言った。

 

「僕も……アーリグリフにいる、君と……また会えるように、って……。その為に、も……戦争、……終わらせ、よう……と……」

 

 来る日も来る日も。

 研究に明け暮れた。

 これが、どれほど人間を殺すのかは知れない。だが。自分にできる事はこれしかないのだと、何度も、自分に言い聞かせて。

 ディオンは、アミーナに会える事だけを糧に研究を続けていた。

 

 ――アミーナが、病魔と闘うためにそうしたように。

 

「ディオン……」

 

 その想いに、彼の心の機微に気付いたネルが、ぐ、と唇を噛んでディオンを見る。だが、そんなネルには気付かず、ディオンはただ、アミーナの声の方を見て、笑った。

 ――今度こそ。

 

「戦争、は……終わらせられなかった、けど……君に、会え、たから……願掛け、は、……成就したんだね……」

 

 ふふ、と。

 いつもの優しい表情で、ディオンは顔をほころばせるなり、ごほごほっ、と弱々しく咳き込んだ。白いシーツが、ディオンの口から吐き出た血で汚れる。すでに何度か繰り返した症状だったのか、白いシーツはすぐにでも交換できるよう、ベッドに何重にも敷かれた内の、一枚に過ぎなかった。

 

「ディオン。私の願掛けも、だよ」

 

 そんな彼の頬を撫でてやりながら、アミーナが静かに、優しく語りかける。すると、ディオンは心底嬉しそうに目を細めて、

 

「会えて……よかっ、た……」

 

 そう確かに、唇を動かした。

 声にもならない、声で。

 

「……うん」

 

 答えるアミーナも、目を細める。その彼女の気配を敏感に察して、ディオンは静かに笑った。

 

「あ、みぃ……な……」

 

 途端。

 ――ずしり、と。

 ディオンの手を支えていたアミーナの手に、重みがのしかかる。

 

「っ、っっ!」

 

 アミーナの顔が引きつる。その彼女の変化を、嫌な気配を、敏感に読み取ったフェイトが、ざ、とディオンに向かって叫んだ。

 

「おい! ディオンっ! しっかりしろ! ディオン!」

 

 衝動のまま、ディオンのベッドにすがった。瞬間。それを見咎めた女医師が、凄まじい剣幕でフェイトを制す――が、彼女は、ちらりとディオンを見下ろすなり、ぐ、と表情を曇らせて、フェイトの肩から手を離した。

 

 まるで、もうどう扱っても構わない、とでも言わんばかりに。

 

「……先生?」

 

 その彼女の対応に、問いかけるフェイトの表情が、固まる。

 アミーナを見下ろしたが、彼女は、何の反応も返してこなかった。

 

 間。

 

「う、そだろ……?」

 

 つぶやくフェイトの声に、力が籠もらない。

 二、三歩。

 ディオンから後ずさるように身を引いたフェイトは、こみ上げてくる感情に、ぎり、と奥歯を噛み締めた。

 

(僕が……、僕が、もっと……っ!)

 

 もっと早く、ディオンの所に駆けつけていれば。

 もっと早く、バンデーンを追い払っていたら。

 ――もっと早く、この星から去っていれば。

 

 もっと、もっと早く……。

 

 食い縛った歯の根から、零れていくようだった。

 嗚咽に混じり、じわりと視界を滲ませる涙が、しかし、自分に泣く権利は無いのだと、目に溜まったまま動かない。

 否。涙を零すことをフェイトが許さない。

 

「ディオン……」

 

 つぶやくアミーナの表情から、力という力が抜けていた。まるで死魚を思わせる、ぼう、とした瞳で。

 ――信じると。

 ただ、幼馴染に会えると信じると。

 それなのに、

 ――それ故に、

 視界に映る、パルミラの千本花が口惜しかった。

 

 ……束ねた花が千本に達すると、願いがかなうと言われているんだよ。月と雨の女神パルミラがあたしたちの想いを受け取ってくれるのさ。

 雨のように流した、涙の分だけの想いをね。

 

 報われない。

 ディオンの作ったパルミラの千本花が、こんな結末を生むためにあったのだとしたら。

 食い縛った歯の根から、フェイトは嗚咽が零れるのが分かった。

 

「アルフ、ぬかるな」

 

「……そんなに念を押さなくても分かったよ、アレン」

 

 突如、開け放たれたディオンの私室に、来訪者の声が聞こえた。

 そう言えば姿の見えなかった、アレンの声が。

 

「――……え?」

 

 フェイトとネルの声が重なり、振り返る。そこに清廉な青白い光に包まれた、赤い軍服の軍人が二人、立っていた。

 

 (アレン)と、(アルフ)が。

 

 視界をすべて光で呑み込む、凄まじい紋章術の力を帯びて。アレンの金髪と、アルフの銀髪が、浮かび上がるように風に靡く。

 アレンが右手を、アルフが左手を空に向かって掲げ――、

 

 フェアリーヒール

「神の祝福を!」

 レ イ ズ デ ッド

 

 

 鋭く叫ぶと同時、フェイトは眩しさのあまり、わ、と呻いて目を庇った。

 圧倒的な質量が、フェイトの肌を撫でていく。思わず声を殺すほど――、しかし、どこまでも暖かく、優しい光の粒子が。

 目を閉じているのに、一人の女性の姿を瞼に映し出した。

 

 白い十字架を抱いた、女神の姿だ。

 

 亜麻色の波打つ髪に、透き通るような白い肌。繊細な裸身を包む、白く輝く衣と、女神の胸から腿まで伸びる、大きな十字架。

 そのどれもが、白く、眩く、美しい。

 女神の眼差しが、彼女の全身から迸る青白い光が。

 

「パ、ル……ミラ……さま?」

 

 呆然とつぶやくアミーナを、ちらりと見つめて、微笑んだ。

 まるでアミーナを労うように。

 

 すぅ――……っ

 

 音という音が消えた世界で、見えるもの全てを浄化する。

 そして――……、

 

「……あ……」

 

 目を、開ける。

 すると、いつもの見慣れたシランド城が目に入って、フェイトは思わず左右を見渡した。

 アレンを、戸口に立っている彼の姿を見つけて。

 

「お前、今……もしかして……!」

 

 つぶやくフェイトの声が、徐々に力を帯びる。瞬間。ざ、とアミーナを振り返ったフェイトは、その先に眠っているディオンに向かって、駆け出した。

 

「アミーナ!」

 

 彼はどうなった、と。

 ぐ、と呼吸(いき)を殺して問いかける。

 

「………………」

 

 彼女は彫像のように固まったまま、動かなかった。

 ディオンの手を、くたびれたその手を掴んだまま。

 

 つぅ――……。

 

 アミーナは、泣いていた。

 

「……!」

 

 フェイトの表情が固まる。

 ――ダメだったのか、と。

 口に出す代わりに、それでも、認めたくないとディオンの顔を見た。死の恐怖に、身体をすくませながら。

 ――すると、

 

「アミー……ナ……?」

 

 事切れた筈の、ベッドに眠っていたディオンの声が、ふ、と耳に入った。

 フェイトが、目を見開く。

 

「ディオン!?」

 

 呼ぶと同時、ベッドにすがりつく。

 アミーナの名をつぶやいたディオンの顔色が、嘘のように明るい。

 

「あんた……!」

 

 その事に、ネルも息を飲んでいる。

 するとディオンは、真剣な表情でまじまじと自分を見る、ネルとフェイトを不思議そうに見詰めて――、それから、ざ、と自分自身を見下ろした。

 

 血糊こそついているものの、あらゆる傷が消えた、自分の身体を。

 

 ディオンは驚いたようにアミーナを見上げて、笑った。

 

「は……っ! はははは、っ! アミーナ!」

 

 衝動のままに、ベッドから起き上がるなり、ぎゅ、とアミーナを抱き寄せる。そのとき初めて、はた、と瞬きを落としたアミーナは、涙を滲ませながら、ぎゅぅ、とディオンの服を握り返した。

 

「ディオン! ……ディ、オンッッ!」

 

 ディオンの胸に顔をうずめて、嗚咽を殺すようにディオンに擦り寄る。

 その彼等を見据えて、フェイトも思わず拳を握り締めた。

 

「やった……! やった!」

 

「ディオン!」

 

 ネルからも笑みが零れる。

 ベッド脇に控えていた女医者は、ただ無言で、息を呑んだ表情で私室の入り口に視線をやっていた。

 

 ――完全に息を引き取った、ディオンを呼び戻した二人を。

 

 ほっとしたように微笑む青年と、まるで無感動な青年を。

 思い出したようにフェイトが振り返って、笑う。

 

「ありがとう! アレン! ――それに……」

 

 そこで、はた、と表情を固めたフェイトは、敵だった筈の青年を認めて、思わず瞳に警戒の色を浮かべた。

 

「よぉ」

 

 その反応が気に入ったのか、にやりと笑った青年・アルフは、まるで挑むような眼差しをフェイトに向ける。すると、こら、と傍らからアレンにたしなめられて、アルフは興を削がれたように肩をすくめた。

 その二人のやりとりに、フェイトの表情から警戒が消える。

 代わりに――、ネルと全く同じ表情でアレンを見た。

 疑念の顔で。

 

「アレン……?」

 

 その二人の視線を受けて、少し罰が悪そうにアレンは表情をしかめた。まるで詫びるような表情だ。

 アレンはやや視線をフェイト達から逸らすなり、言いにくそうに答えた。

 

「すまない。ディオンの傷だけは、どうしても俺一人では治せそうになかったんだ……」

 

 それが自分の非力を詫びているのだと、アルフ以外の者が理解することは無い。――アレンと同等の力を持つ者にしか、理解できない。

 アレンの懺悔に、薄く笑ったアルフは、まるで己の偉業を誇るように、というより、アレンの傷口を広げるために続けた。

 

「そ。だから、俺を呼んでその不足分を補った。アレンと俺の合成呪紋なら、不可能なんてザラにないからな」

 

「……………………」

 

 アルフの講釈の間、アレンは黙り込んでいる。その彼を面白そうに見据えて、アルフは視線を、ディオンたちに向けた。

 

「しかし、お前も好きだな。こんなことぐらい、いい加減慣れてるだろ?」

 

 さらりと言うアルフに、当然、罪悪感などない。

 だが。

 

「っ!?」

 

 その失言に、フェイトとネル、そして医師が、ぎろりとアルフを睨んだ。息を呑むような緊迫感が室内に走る。だがそれすら興味の対象にないらしく、アルフは、アレンからも身を切るような凄まじい視線を送られていようが、肩をすくめただけだ。

 アルフは失笑を零して、早々と部屋を出て行く。

 

「……すまない」

 

 その彼の非礼を、代わってアレンが詫びる。一礼したアレンは、間を置かず、アルフの後を追うように部屋を出て行った。

 

「……………………」

 

 残ったフェイト達が、居心地悪そうに視線を迷わせる。すると、涙を拭いて顔を上げたアミーナが、にこり、と微笑みかけてくれた。

 

「ありがとうございます、フェイトさん」

 

 その彼女の笑顔があまりにも眩しくて、思わず視線を逸らしたフェイトは、アレン達が去っていった方向を一瞥して、言いにくそうに口を開く。

 

「……あの、アミーナ……。今の、は……」

 

 そのフェイトを、ディオンが止めた。

 フェイトが、これから謝罪しようとしているのだと悟って。

 アレンには部屋を出て行かれてしまったが、今度は、逃がさないように。

 

「いいんですよ、そんなこと。……僕だって、呆れるほど多くの人の死を見てきたんだ。だから、あの人の言っていたこと、よく分かるんです」

 

「……ディオン」

 

 優しく笑うディオンに、フェイトの表情も少しだけ晴れる。その彼の人の良さに、ため息とも、安堵の息ともつかない息を吐いたネルは、心底嬉しそうに笑った。

 

「そうだね……。ともかく、アンタが無事で、本当に良かったよ」

 

 ネルの言葉に、フェイトも頷く。ディオンはまるで照れたように笑って、ぽりぽりと頭を掻いた。

 

「それにまさか、命の恩人に向かって文句なんて。とても言えませんよ」

 

 ちらりとアミーナを一瞥して、はは、と笑うディオン。彼を見返すアミーナの眼差しも、こちらの笑みを誘うほど優しい。そんな二人を交互に見やって、こくりと頷いたフェイトは、ネルを一瞥するなり、言った。

 

「ありがとう。……それじゃネルさん、僕らもそろそろ行きましょう。ディオン、アミーナ。また、後でね」

 

「はい」

 

 仲良く頷く二人に、フェイトは思わずため息をついた。

 まるで、見えないバリアにでも包まれているように。

 そこだけ、花が咲いたような神々しい空気に。

 

「行きましょうか」

 

 ――馬に蹴られる前に、と胸中で付け足したフェイトは、悪戯な笑みでネルを見るなり、早々に部屋を後にした。



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45.アーリグリフの決断

「団長!」

 

 バンッ、と荒々しくアーリグリフ城の扉が開くと同時、部屋の椅子に、気だるげに寄りかかっていたアルベルは、視線を上げた。息を切らして、彼の部屋に入ってきたのは黒髪黒目の小柄な少女だ。すでに見覚えのある顔だが、アルフに言われたからか、今は漆黒の鎧を着ていない。

 アルベルには馴染みの無い、異国の服をまとった彼女は、そのあどけない顔立ちに、必死とも取れる悲壮な色を乗せて、アルベルを見据えていた。

 

「なんだ、阿呆」

 

 どうせろくでもない用だろうが、と思いながら聞いてみると、今にも泣きそうな表情(カオ)のナツメが、ぐ、と涙をこらえて叫んだ。

 

「アルフさんが何処にもいないんです! 通信にも出てくれなくて……! うぅ、もしかしてバンデーンにアルフさんまで……っっ!」

 

 言っている途中で、最悪の事態でも想像したのか、少女は絶望的な表情(イロ)を浮かべると、両手で頭を押さえて、ぼたぼたと泣き始めた。

 シーハーツ軍と全面戦争をしたあの日。シーハーツ、アーリグリフ両軍とも、撤退が早かったため、星の船による被害は、それほど深刻にはならなかった。それでも『星の船』に向かって行った疾風は壊滅状態になり、それ以前のシーハーツ軍との戦いによって斃されたアーリグリフ兵の数も鑑みれば、今回の戦はアーリグリフにとって致命的な痛手となった。

 ――それに。

 

(アルフが警告してなけりゃ、漆黒だってタダで済んじゃいねぇ。……空から突然現れやがった奴らは、一体何だ?)

 

 珍しく思案顔を作って、考え込む。そうする一方で、考えても状況が変わらないことを、アルベルは知っていた。こうしてアルベルがアーリグリフ城に来ているのも、あの得体の知れない連中への対抗策を講ずるために、王によって呼び集められたのだ。

 

「おい、阿呆」

 

 一人、騒ぎ立てながら、ぼろぼろと泣いている少女に話しかけると、彼女のマヌケな顔がこちらを向いた。戦っている時は、恐ろしく凛とした少女であるにも関わらず、普段は今のように、こちらがどんなに頑張っても敵意はおろか、警戒する気すら起こらない。

 ――今は唯一、アーリグリフに居る者の中で、あの得体の知れない連中について説明できそうな少女だ。

 少し頼りないが、王が尋ねる前に、尋ねてみた。

 

「テメエが言ってる、『バンデーン』ってのが、あの空にいる連中のことか?」

 

「あ、はい。そうです!」

 

 意外にもあっさりと頷いて――、ナツメは、は、と表情を硬くした。

 

「ちょっとタイムです!」

 

 言うなりアルベルに背を向け、一人考え込むナツメ。

 両腕を胸の前で組んだ彼女は、うぅむ、と唸りながら虚空を見上げた。

 

(いいのか!? 保護条約が……っ、でも! バンデーンが目の前に迫ってるんだし、ちゃんと対策を練ろうにもアルフさんはいないし! バンデーンが攻めてきた時のことを考えると、やはりここは、話しておいた方が……!?)

 

 だが、しかし、と唸りながら頭を捻るナツメに、アルベルはのそり、と近付くと、小さく屈みこんだ彼女の背を、無造作に蹴り倒した。

 

「はぉう!?」

 

 受身も取らずに、顔面から床に突っ込むナツメ、を見下ろして、アルベルは蹴り倒した右足で彼女を足蹴にしたまま、言った。

 異様に殺気で冷えた、その赤い瞳を細めて。

 

「テメエの都合なんざ知ったこっちゃねぇ。洗いざらい、吐け」

 

 これ見よがしに、カシャ、と鉄爪を鳴らすアルベル。そのアルベルを、そぉ、と見上げて――、その容赦ない瞳と目が合った瞬間、ナツメはガタガタと震えながら、絶望に顔を歪めた。

 

(ま、まずい……!)

 

 殺る気だ、と胸中で叫びながら、しかし、どう話せばいいのか、彼女自身も整理がつかない。敵がバンデーンであること。そして、あの朱雀吼竜破でなければ、恐らく、この星には他に対抗できる威力を持った武器が無いであろうこと。

 

(それから……、あの朱雀吼竜破をも上回る射程と、バンデーンの戦艦を一瞬で消滅させたあの光の柱……)

 

 あの光が、どうやって放たれたのかは分からない。だが、光が撃ち上がった方向を考えれば、恐らくそれが、シーハーツのものであるということ。

 ナツメが分かるのは、せいぜい、それぐらいのものだ。

 

「相変わらず仲が良いのか悪いのか、わかりにくいな? お前たちは。アルベル」

 

 苦笑しているような、明瞭な重低音がナツメの後ろから聞こえた。

 頭上のアルベルが、そちらを向く気配が起こる。

 

「王か」

 

 ぽつ、とつぶやくアルベルは、しかし、主君が目の前にいるというのに、敬う様子もなく、平然とナツメを足蹴にしたままだった。その彼に続いて、遅ればせながら首をめぐらせたナツメは、部屋に入ってきた男――アーリグリフ十三世の姿を見つけるなり、へにゃり、と表情を緩ませた。

 

「あ、どうも」

 

 あまりに緊張感のないアルベルとナツメの様子に、苦笑したアーリグリフ王は、視線でアルベルにナツメを解放するように促す。ふん、とだけつぶやいたアルベルが、右足を退けて、ふと王の後ろに控えていた二人の男を見つけるなり、目を細めた。

 風雷団長ウォルターに、――疾風団長、ヴォックスだ。

 いたたた、と腰を押さえながら立ち上がったナツメに、王が問いかける。

 

「ナツメよ。先ほどアルベルの奴も尋ねていたようだが、お前はあの星の船が、いかな者達なのか、知っているのか?」

 

 ナツメは困ったように眉根を寄せていたが、やがて観念したように、こくりと頷いた。

 途端、ヴォックスの瞳に、警戒の色が走る。それには気づかず、罰を待つ子供のように、しゅん、と小さくなったナツメは、二、三回、考えをまとめるように口を開閉させてから、改めてアーリグリフ王を見上げた。

 

「私も、全てを知っている訳ではありません……。ですが、奴等が何者であるか。そして、私が何処から来たのかは、ご説明出来ます」

 

 それが、彼女の知っている全てであったから。

 その真意を伝えるため、ナツメは表情を引き締めてアーリグリフ王を見る。己の言葉に、嘘偽りが無いことを示すように、真っ直ぐに。穢れを知らない黒瞳を真正面から見返して、アーリグリフ王は深々と、頷いた。

 

 

 

 ……………………

 

 

 

「ううむ……。なんとも突拍子もない話よな。それを信じろと言うのか? ナツメよ」

 

「はい」

 

 自分がこの星の人間では無い、と言うこと。

 アルゼイ達が『空』と認識していた場所の向こうには、実に様々な文明を持った知的生命体が、数多くいると言うこと。そしてハイダで、ナツメの師がバンデーンという種族の艦隊に襲われ、この星に遭難した彼を救出するために、ナツメはここに現れた、と言うこと。

 それらを順に、ナツメは話した。

 ハイダのことを話す時だけは、少し苦しそうに。

 

「しかし、これでおぬしの言動にも、合点がいったわい」

 

 うつむくナツメに、ウォルターの優しい声がかかる。そのウォルターを見上げて、感銘を受けたナツメは、早くも目に涙を浮かべて、泣かないよう、ぐ、と唇を引き結んだ。

 

「ウォルター様……!」

 

 そのウォルターの隣では、思案顔を作ったヴォックスが、更にナツメに問いかけた。

 

「と、いうことは、我が国に落ちたあの正体不明の船と、シーハーツに落ちた船。そしてあの巨大な星の船は、我らの知る世界とは違う、異界の産物だと言うことか?」

 

 こちらは好意的ではなく、警戒の入ったヴォックスの顔を正面から見返して、ナツメは真剣な表情で、こくりと頷いた。

 

「はい。ですが、船の大きさで分かるように、今回の『星の船』の装備は、他の二つとは格が違います。あの戦場で、彼等(バンデーン)を退却させられたのは、本当に奇跡としか」

 

「……………………」

 

 つぶやくナツメに、ヴォックスも黙す。黙っていたアルベルが口を開いた。

 

「御託は良い。……で? 奴等を倒す策はあるんだろうな?」

 

 声音を落とすアルベルの問いに、ナツメの表情が曇る。静かに俯いた彼女は、ふるふると首を横に振った。

 

「この国には無理です……。あの光の柱が何なのか分かれば、まだ対処のしようもあるかもしれませんが……」

 

 朱雀吼竜破を放てるアレンも、今はシーハーツにいる身だ。

 よりにもよって戦争の只中に、敵国のアレンに助力を要請するのは不可能だろうと、さしものナツメも気付いていた。

 

(それにアレンさんと合流できたとしても、朱雀吼竜破の射程にバンデーンは最早いない……)

 

 そう。

 あの光の柱がバンデーン艦を消し去った時から、バンデーンは地上からの攻撃を恐れて艦隊の高度を上げている。全面戦争からこちら、一度も地上からバンデーン艦の姿を見ていないのがいい証拠だ。

 

「光の柱、か……」

 

 つぶやくアルゼイに、ナツメも難しい表情で頷く。

 

「シーハーツに、一度使者を送ってみてはいかがですかな。王」

 

「……ヴォックス!?」

 

 意外な人物の、意外な提案に、誰もが耳を疑った。アーリグリフ三軍の中でも、際立った鷹派のヴォックスから、まさかそんな言葉が出てくるとは思わなかったのだ。

 一目で一同が何を言いたいのか分かる、そんな視線を受けて、ヴォックスは皮肉げに失笑し、和平を望む者ではあり得ない、いつもの好戦的な表情で、彼等を順に見渡した。

 

「あの騒ぎの中、私は見たのですよ、王。シーハーツの女王が、我が国に対抗するために『クリムゾンセイバー』と名付けたと言う例の、長刀を持った赤い服の男が、星の船を揺るがせたのを」

 

「何!?」

 

 驚きに目を瞠るアルゼイの傍らで、ウォルターとアルベルが、す、と目を細めた。その微妙な空気の流れを感じて、ヴォックスが訝しげに二人を見たが、次の瞬間には、アルベルとウォルター、そのどちらからも微妙な気配は消えていた。

 代わりにナツメが、ぽりぽりと頭を掻いてつぶやく。

 

「あのぉ~……。確かに、この星に来てから『人間兵器』になってるっぽいアレンさんにバンデーンの相手を頼むのは、一番安定した良い判断だと思うんですけど……。いいんですか?」

 

 今回の戦争は、アーリグリフが仕掛けたものであることは、ナツメでも知っている。

 そのニュアンスを含めて尋ねると、ヴォックスはナツメを振り返って、ふん、と鼻を鳴らした。

 

「シーハーツにあのような化物がいるのでは、おちおち戦争もしておれん。やむを得まい」

 

「……確かに。ヴォックスの話が本当ならば、よくあの戦場で皆無事だったものだ」

 

 つぶやくアルゼイの言葉に、ウォルターが、は、と目を見開いた。何か思いついたように、突然。

 

「?」

 

 ウォルターの異変に、長い付き合いのアルベルだけが気付く。異変、というには、あまりに小さい、老人の変化に。

 

(こういうことか……。あの小僧め!)

 

 しかし、気付いたアルベルには構わず、ウォルターは一人、相手の器量に舌を巻いていた。脳裏を過ぎるのは、カルサアにやってきたあの若い使者だ。

 長刀を持った赤い服の男。その特徴をヴォックスが口にした瞬間から、彼であることは察していた。そして、カルサアで彼が言っていた言葉の意味を、ウォルターは改めて理解したのだ。

 

 ――では。この話を受け入れられるよう、こちらで取り計らって置きます。

 

 そう言っていた、彼の真意を。

 彼はシーハーツ軍を使って、戦でアーリグリフに対抗してきた。疾風を一瞬で壊滅させた星の船をも脅かす力を、その手にしながら。

 

(奴は敢えて、シーハーツ自身の軍事力で我等と戦い、我が軍をあそこまで追い詰めた……!)

 

 信じられないが、圧倒的数の不利を、自らが有利に戦える戦場を作り出すことで勝利をもぎ取ろうとしていた。

 星の船が出現して無事に済んだのは、言わばアーリグリフの方だ。

 

「……うそ寒い話じゃのぅ……」

 

 つぶやくウォルターに、神妙な顔のアルゼイが頷く。鼻で笑ったのは、ヴォックスだ。

 

「何を気弱いことを」

 

 失笑したヴォックスは、今回の戦から考えられる危機を、あまり重要とは感じていなかった。横柄に腕を組んだ彼は、嘆かわしい、とぼやくなり、ウォルターを侮蔑した。

 

「此度の戦は、すべて異界の住人どもが起こしたこと。なれば、奴等さえいなくなり、星の船を追い払ってしまえば、シーハーツを再び陥落させる事など難しくもありますまい」

 

 ヴォックスが喉を鳴らす。その彼を、じ、と見据えて、ウォルターはやれやれとため息を吐いた。

 

「それは油断よ、ヴォックス。もしもあの時、お主の指摘通り小僧(アルベル)を投獄し、ナツメを漆黒の副団長に起用せなんでみよ。……シーハーツの巨大な施術攻撃を食らって、指揮官のおらん漆黒が真っ先に倒れ、我等が圧倒的に勝っていた『数』は削られ、分断された戦況からワシらは一瞬で国を傾けておったわい」

 

「……っ!」

 

 息を呑むヴォックスが完全に押し黙ったのを見て、アルゼイが深刻な表情でウォルターを振り返った。

 

「ではウォルター。星の船を追い払ったその後でも、お前はかの聖王国を攻め落とすのは不可能、と申すのか?」

 

 問うアルゼイに、ウォルターは重々しく、首を横に振った。

 

「不可能、とまでは申しませぬ。しかし、もうじき冬がやってくると言うのに、星の船を追い払った後の我らに、シーハーツを攻め落とすほどの国力は残っていますまい。何せ、我が軍は此度の戦で、向こうよりも甚大な被害を出しておりまする。その上、強化された施術士たちはこれまでとは比べものにならない広大な施術で対抗してきますゆえ、たった数日の間で別人のように成長した敵兵の強さを考えますれば、冬が明くのを待ったとしても、今までの様には」

 

「……星の船が現れたのは、むしろ我らにとってシーハーツから手を引く機になった、と?」

 

 探るようにウォルターを見るアルゼイを筆頭に、ウォルターの話を聞いていたヴォックスとアルベルが不服そうに顔をしかめた。その彼等を見渡して、ウォルターは、に、と好々爺の仮面ではない、不敵な笑みを口元に浮かべてみせた。

 

「我が王よ。シーハーツと手を組むのは、それなりの利点(メリット)がありますぞ」

 

 そう言ってウォルターが取り出したのは、一枚の親書だ。カルサアで極秘に行われた会談で、アレンがウォルターに渡した手紙だった。

 

「何?」

 

 アルゼイが首を傾げながら、ウォルターから手紙を受け取る。差出人は、シーハート27世だった。アルゼイは息を飲むようにして目を瞠るなり、慎重に、書面に目を通した。

 

「これ、は……」

 

 読み進めるアルゼイの表情が、険しくなっていく。

 

 ――……そして。

 

 読み終えたアルゼイは、手紙から顔を上げた。酷く、深刻な表情で。

 アルゼイは、丁寧に手紙を折り直すと、ウォルターと視線を合わせて――途端、やられた、と叫びながら、呵々、と笑った。

 訝しげにヴォックスが見る。アルゼイは手紙を、ヴォックスに渡すと興奮した調子で叫んだ。

 

「まさかこの俺が、ロメリアに出し抜かれるとはな! ……まったく! 確かに俺も、敵を侮っていたか!」

 

 言っている間も、アルゼイはずっと笑っている。ヴォックスは首を捻りながら、手紙に目を落とした。

 書かれている内容は、以下のようなものだった。

 

 ――此度、私がこのような書をしたためたのは、我が国と貴国、アーリグリフとの現状を嘆いてのものです。

 既に聞き及んでいるでしょうが、我が国は今、戦況を我が国の勝利と言う形で打破すべく、施術兵器を改良させた新兵器、サンダーアローを開発中です。ですが、アペリスの聖女と称される私にとって、この兵器を振るうことは本意ではありません。

 そこでウォルター卿。そなたに頼みがあるのです。

 そなた等が求める豊穣の地の、手がかりと成る者を使者として送る代わり、我らが愛すべきアペリスの信者を解放することをここに要求致します。

 ですが、これは今すぐの話ではありません。

 我らが示す来るべき時に、この親書をアーリグリフ王にお渡し下さい。

 色好い返事を期待しております。 

 シーハート二十七世、ロメリア・ジン・エミュリール

 

 

「な、んだ……っ! この書は!?」

 

 掠れる声で、叫ぶヴォックス。声が悲鳴に近くなったのは、不遜極まりない手紙の内容と、まるで未来を予言するような今の事態に、瞠目したためだ。

 横合いから手紙を読んだナツメが、あ、と何か思い立ったように表情を固めている。が、そんな彼女には気付かず、ヴォックスは衝動のままに、その手紙を破り捨てようとした。

 

「フザケおって!」

 

 叫んで、手紙を無造作に丸めるその手を、アルゼイに制された。反射的に、歯噛みせんばかりの勢いで睨み返すヴォックスが、確かに自分のプライドを傷つけられたことを物語っている。

 その彼を真っ向から見据えて、アルゼイは首を横に振った。

 

「器の差を見せ付けられたのだ。口惜しい限りだが、な」

 

 言いながら、アルゼイの瞳はしかし、敗北を認めた言葉であるにも関わらず、夢から醒めたような、毅然とした光を宿していた。

 何か気付いたように、す、と。

 アルゼイの表情に言葉を失したヴォックスが、ぐ、と息を詰まらせた。

 理由は、分からない。

 だが、目の前にいるこの男の顔は紛れも無く、アーリグリフを強力な軍事国家に仕立て上げた、あの時の野心に溢れる王の顔だ。

 

「ウォルター、正式に使者を送るぞ」

 

「はっ」

 

 かしずくウォルターを余所に、負けた、と豪言する割に明るいアルゼイを、ナツメが不思議そうに見上げた。

 

「あの? 使者を送る、とおっしゃいますと?」

 

 アルゼイの中で、何かが変わった。

 それを肌で感じながらも、何が変わったのか分からないナツメは、アルゼイの考えが理解できずに首を傾げる。すると、ナツメを振り返ったアルゼイが、その野心に燃える瞳を輝かせて、に、と笑った。

 

「まずは星の船をどうにかせねば始まらん。ならば奴らに対抗するため、シーハーツの手を借りるより他はあるまい。必要であれば親書も用意する。……それで、あちらの様子をうかがうのだ」

 

「王よ!? それでは国の体面が!」

 

 秘密裏にアレンにだけ接触せよ、とヴォックスが言外に告げてくる、血の気を失したヴォックスに、アルゼイは最後まで発言させなかった。

 

「ヴォックス。星の船を陥落させるには、かの国の力がどうしても必要なのだ。ならば、俺はそれを利用するまで。……国の体面など! お前は俺にまた、あの船に我が国が焼き払われるのを黙って見ていろと言うのか?」

 

 航宙艦フィールドの凄まじさをナツメが語るまでも無く、アーリグリフの人間は――少なくとも、ここにいる三軍の長は、星の船がどれほど危険なものであるか、ある程度、肌で認識しているようだった。

 

(さすがは武人、ということか……)

 

 言葉を呑み込むヴォックスを尻目に、ナツメは心中でつぶやく。と。それにな、と続けたアルゼイが、城の窓から空を――シーハーツの方向を、じ、と見据えて、言った。

 

「件の異界の住人は、なかなか狡猾なようだ。我らが国を挙げて相手をせねばならぬよう、『クリムゾンセイバー』という称号をシーハーツで手に入れた。この短期間にだ。……いちグリーテンの技術者として追っていた頃とは違う。奴等を捕らえるならば、シーハーツと事を構えよと言外に威圧している」

 

 二人を狙えば、シーハーツ軍そのものが動き出す。

 アルゼイの言葉は、戦争を続行させるには分が悪いと言うウォルターの見解を受けていた。これ以上の戦は起こすべきではない、という決意の表れである。

 それに今は、星の船のこともあった。

 シーハーツと再び戦えば、両国ともども星の船に滅ぼされることもあり得るのだ。

 と。

 それまで、会話に参加しようとしなかったアルベルが、口を開いた。

 

「王よ。使者なら俺が行ってやる」

 

「お前が!?」

 

 またも意外な人物の意外な台詞に、アルゼイが目を丸めると、アルベルは鉄爪をカシャリと鳴らして、口端を吊り上げた。

 

シーハーツ(あそこ)にいるアレンと言う奴には、俺も興味がある」

 

 ナツメが、そしてアルフが、何度も会話に出す相手。その実力の断片をアルベルは見たに過ぎないが、敵が強者であるならば、避けて通るわけには絶対に行かない。更なる高みへ、辿り着くためには。

 その、アルベルの酷薄な笑みを見据えて、ふ、と失笑したアルゼイは、視線をナツメにやった。

 

「ならば、お前にも行ってもらおう。あそこにいるアレンと言う異界の者と、面識のある人間が行った方が話もはかどるだろう」

 

「え!? いいんですか!」

 

 ぱぁ、と表情を輝かせる少女にアルゼイが頷く。ナツメは心底嬉しそうに、はいっ、と答えた。その彼女をほのぼのと見て、アルゼイは、視線をアルベルに戻すなり、続けた。す、と表情を改めて。

 

「だが。どうもお前達だけで行かせると言うのは心許無い。……よって、今から親書を書く。少し待ってろ」

 

「ほぇ?」

 

「……ふん」

 

 今すぐにでも部屋を出て行こうとした二人を、押しとめる。すると、それぞれ別の反応をアルゼイに返した二人は、肩をすくめて失笑するアルゼイを見据えて、まったく同じタイミングで瞬きを落とした――……。

 



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phase7 セフィラ
46.真実を語る者


 ディオンの私室を出た後、ネルに連れられてフェイトは白露の庭園に来た。ネルによると、クリフがそこで待つよう指示したらしい。

 謁見の間を抜けて、城下を見下ろせる庭園で、クリフとミラージュを見つけた。

 ――そして、

 誰よりも先に目が行くシーハーツ女王、ロメリア・ジン・エミュリールを見て、彼は息を呑んだ。

 

「へ、陛下!?」

 

 声がひっくり返ったのは、それだけ驚きが大きかった為だ。女王が此処にいるのをネルも聞かされていなかったのか、驚いた顔をしている。

 振り返った女王が、ネルを見据えて頷いた。

 

「大まかな話を彼等から聞きました。……あれは、どうやらグリーテンの兵器ではないようですね」

 

 女王がクリフを見る。クリフは会釈混じりに頷き、視線をフェイトに向けた。

 

「……戻ったか」

 

 庭園に入ってきたフェイトの表情から、ディオンの様子を察したようだ。微妙なニュアンスを含んでつぶやくクリフに、フェイトは言った。

 

「それで、バンデーンは?」

 

「バンデーンはあれから静かなもんだ。連邦の二人が様子を探るっつって出て行ったが……、仮にも特務だしな、心配するだけ野暮ってもんだ。ロジャーの奴も、気合入れて奴らについていきやがった」

 

「連邦の二人って、まさかアレンと……?」

 

 あの銀髪の男か、と言いかけたところで、クリフが、そうだ、と即答した。途端、フェイトの顔が強張る。先のアルフの失言もあるが、何より、アルフの紅い瞳が、フェイトの潜在的な不安を呼び起こす。

 対峙した者に言い知れない威圧をかける、あの紅い瞳。

 フェイトは無意識に、固唾を呑んだ。

 

「フェイト、ついに全てを話すときが来たぜ」

 

 クリフの言葉に、フェイトは顔を上げた。

 白露の庭園、手摺側に立っているクリフの後ろ――その上空に、一隻の小型艇が姿を現した。

 

「なっ!? あれは」

 

 バンデーン。

 機影を見上げて、ネルが臨戦態勢を取る。が、クリフに制されて、ネルは訝しげにクリフを睨んだ。小型艇を見上げて、クリフは笑っている。その傍らにいるミラージュも同じだ。二人を交互に見やって――ネルは警戒したまま、わずかに構えを解いた。

 

「やっと来たか……」

 

 そのネルの判断が間違っていないことを裏付けるように、クリフはわざとつぶやいた。

 瞬間。

 

 庭園の一角に、白い光が集まり始めた。

 

 水が流れるように螺旋を描いて、光は庭園に舞い込むと、まばゆく輝いて人の形と為す。

 

「これは……」

 

 警戒に表情を険しくしながら、ネルが呻く。

 彼等の現れたのは、フェイトと同い年ぐらいの、青い髪の少女だった。

 

「待たせちゃったね」

 

 彼女は肩から胸に流れた髪を、右手で払った。

 年齢はフェイトと同じぐらいで、利発そうな少女だった。瞳も、髪も青く、体型はほっそりとしている。黒を基調にしたプロテクターとミニスカートを着ており、黒のパンストで細い脚を固めている。ミニスカートをしめるベルトから、白いマントが足首に向かって伸びており、凛とした彼女の視線に合わせて、女性の気丈さを際立たせた。

 

 マリア・トレイター。

 

 現クォークのリーダーを務める少女である。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 アルフと合流したアレンは、クリフ達にバンデーンの様子を見てくると伝えた後、シランド城から城下に出ていた。

 

「今の機影……。連邦でもバンデーンでもないな。大方、反銀河連邦(クォーク)ってところか」

 

 城下から見えたクォーク艦に、アルフが目を細める。と、連邦製通信機から顔を上げたアレンが、伺うように問いかけた。

 

「お前がここに来ていると言う事は、連邦が来るのはまだ先なのか?」

 

「まあな。ヴィスコム提督は、鮫連中相手に六深で足止め食らってる状態だ。長くなりそうだったから俺が先に抜けて来た」

 

「……小型艇(カルナス)は私物じゃないぞ、アルフ」

 

 やれやれとため息を吐くアレンの周りを、最新機器に囲まれたロジャーが、おぉ、と歓声を上げながら走り回っている。そのアレンの相変わらずの人柄に、アルフが肩をすくめていると、ふと、アレンが思い出したようにアルフを見上げた。

 

「そう言えば、ナツメはどうしたんだ?」

 

「ん? 置いてきた」

 

 簡潔に答えるアルフに、アレンが絶句する。アレンの反応が気に入ったのか、にやりと笑ったアルフは、説明を続けた。

 

「お前、俺が惑星軌道(エリクール)に小型衛星を飛ばして、この惑星内なら何処にでもトランスポート出来るって知ってただろ? それで、あのディオンって奴の傷を治すために通信で俺を呼び、その真偽を確かめた。……いや、正確には俺がトランスポート出来る事に賭けた、ってところか」

 

 確認するようなアルフに、頷くアレンの表情が、次第に暗くなっていく。話の終わりに既に気付いてしまったような、そんな表情だ。

 それを満足げに見やって、アルフは続けた。

 

「で。この俺が、連邦の船がまだ来ないって分かってて、アイツを連れてくるわけがないだろ?」

 

 ナツメをトランスポートさせる小型衛星の稼動力(エネルギー)が無駄だ、と言わんばかりのアルフの態度に、アレンは頭を抱える。この様子では恐らく、ナツメに何の説明もなく、やって来たのだろう。

 アレンの考えに気付いたアルフが、まるで失笑するように薄く笑った。

 

「アイツ、全面戦争が始まるって時に、俺の話を聞かずに前線に出たんだぜ? 戦争で俺とはぐれることを承知の上で、漆黒の指揮を取るとか言い出してな。あれだけアーリグリフに入れ込んでるなら、迎えが来るまで、置いてやった方が親切ってもんだろ?」

 

「それにしても、一言ぐらい断ってやれ」

 

 ため息を吐いて、アレンはやれやれと首を振る。

 アルフの言いたい事は分かる。

 つまり、アルフとしてはアーリグリフの今後の行動を把握するために、ナツメをあそこに置いてきたのだ。邪魔にならない限りは放置する、情報源として。

 だが、問題は――、それをナツメには一言も話していないことだ。

 急にアルフが居なくなって、あたふたと慌てる彼女が想像できる分、アレンはナツメが気の毒に思えた。

 

「……何か、最初の印象とちょっと違うな。この兄ちゃん……」

 

 アルフの考えの全てが、アレンのように理解できるわけではないが、アレンの反応から、何となく二人の関係を察したロジャーが、同情的な眼差しをアレンに向けている。  

 ロジャーの言葉を受けたアルフは、無表情のままロジャーを振り返って、それからその貌を愉快そうに歪めた。

 

「へぇ?」

 

 左目を細めて微笑うアルフに、あの独特の色香が混じる。それを見据えて、寒気を覚えたロジャーが、う、と呻くと、無造作にロジャーとアルフの視線にアレンが自分の右手を差し込んだ。

 はた、と瞬きを落としたロジャーが、金縛りから解けたように、目をぱちぱちさせる。

 アレンと話している時のアルフは、視線がこちらを向いていなかったため、無害に見えた。が、直接、彼と話すとなればそうもいかない。あの紅い瞳と対峙して、アレンのように平静に話が出来るのは、他に、ナツメぐらいのものだ。

 ロジャーやアルベルのように、正常な人間ならば、目が合っただけで思わず身構えてしまう危険な瞳。暗く、深い闇のような紅い瞳。それはまさに、目が合っただけで警戒心を解いてしまうアレンの蒼い瞳とは、全く正反対だった。

 

(極端じゃん!)

 

 くわ、と目を見開くロジャーに、アレンはすまなさそうな視線を向けた後、アルフを見上げた。

 

「いちいち他人にちょっかいをかけるな。お前は」

 

「かけてるつもりはないんだが。……この()は生まれつきでね」

 

 そう言って、飄々と肩をすくめるアルフを、アレンが訝しげに睨む。

 

「それにしては、ずいぶん『やる気』に見えたが?」

 

「……結構、威勢の良い子どもだったと思ってね」

 

 にやりと笑うアルフがロジャーを一瞥すると同時、くわ、と目を見開いたロジャーが、絶望的な影を作って叫んだ。

 

「お、オイラ! 狙われてるっ!?」

 

 途端、がたたたた、とポルターガイストが起こったかのように震え出すロジャーを、ぽん、と叩くアルフ。ロジャーが顔を上げると、人形のように美しく笑ったアルフと、視線が合った。

 ――美しいが、狂った笑みと。

 

「ぎぃやぁあああああ!」

 

 まるで幽霊かモンスターに肩を鷲掴まれたかのように、壮絶な表情で悲鳴を上げるロジャーを、アルフは満足げに見ている。その、いかにもいい性格なアルフの行動に、アレンは半眼で睨みながら

 

「ロジャーで遊ぶな。アルフ……」

 

 そう言って、ロジャーを、ひょい、と持ち上げた。それを名残惜しむわけでもなく、簡単に諦めたアルフは、バンデーンの進路計算が終わったアレンの通信機を、ロジャーの代わりに受け取った。

 目を落とす。

 

「全部で十一隻、か。一隻はあのフェイト・ラインゴッドが沈めてるから、元は十二隻の艦隊だな。……大盤振る舞いじゃねえか」

 

 アルフの言葉に、アレンも頷く。地面に下ろされたロジャーが、ぎょ、と目を見開き、アレンとアルフを交互に見た。

 

「十一隻!? ってぇことは、あと十一個、星の船がいるってことか!」

 

「ああ」

 

 ひぇ~、と大口を開けるロジャーに、アレンも思案顔を隠せない。驚くロジャーの表情には、悲壮感が無かった。むしろ、アレンが何を悩むのか、理解できないといった風だ。首を傾げたロジャーが、訝しげにアレンを見てくる。

 

「なぁ、アレン兄ちゃん。星の船なら、フェイト兄ちゃんの、あの光の柱でやっつけりゃ問題ねぇんじゃねえか?」

 

 質問の答えは、意外にもアルフが返してきた。瞳だけは鋭いが、表情自体は茫洋とした、アルフが。

 

「お前、気付かなかったのか? あれはあの場限りの能力。あいつが自分で制御した訳じゃない。それに、例えあれが制御して放ったものだったとしても、一発ごとに気絶されちゃ、とてもバンデーン艦隊を全滅させられねぇ」

 

「ぜ、全滅!?」

 

 息を呑むロジャーに、アルフが意外そうに瞬きを落とした。それから、ふ、と薄く笑う。瞳の異様に冷えた、狂人の笑いだ。

 

「俺はあそこまで好き勝手にやった奴らを、放って置く気はないんだ。あれだけ派手に虐殺した限りは、自分たちがどんな手で殺されても構わねぇって、そういうことだろ?」

 

 くく、と喉を鳴らすアルフを強張った顔で見据えて、ロジャーはアレンを見る。正確には、彼の左手に握られた刀と、アレンを。

 

「て、ことは……」

 

 つぶやくロジャーの反応を受けて、アルフはこくりと頷いた。

 

「ま、ラインゴッドのように戦艦を沈めこそしなかったものの、掠っただけで航宙艦フィールドを破った兼定(ソレ)を使うのが妥当だろうな」

 

「ああ。……後は、射程だ」

 

 つぶやくアレンに、アルフはやれやれと肩をすくめる。

 兼定が破ったのは航宙艦フィールドだけだ。だが、バンデーンの最新技術を駆使したあの戦闘艦隊でなければ、朱雀吼竜破を回避することは不可能だっただろう、とアルフは考えている。

 その証拠に、朱雀吼竜破の減弱仕切った余波を、最初に食らったバンデーン艦は、驚くべきことに戦闘不能になっていた。

 あの時の、アレンと兼定(カタナ)の考えられない非常識ぶりに、思わずアルフでさえ、寒気を覚えたところだ。

 

(しかもそれを、俺に向けても撃ちやがった……)

 

 正確にはフェイトも、だが、そちらは織り込み済みだ。

 能力値に幅が無く、いつでも自在に使える分、――バンデーン艦に向けて撃った本気の朱雀吼竜破を間近で見た補正もあってーーアレンの方が、アルフにとっては脅威に感じられた。その上、自分の倒すべき相手が、自分の手の届かない所に行ってしまったことも、気に入らない。

 と。

 そこで、はた、と思考を停止したアルフは、アレンをゆっくりと見据えて、それから真剣な表情で、口を開いた。確かな重みを、含ませて。

 

「アレン」

 

 改まった表情のアルフに、アレンが不思議そうに、しかし、真剣な表情で振り返る。その彼の反応に、こくりと頷いたアルフは、重々しく続けた。

 

「お前に刀を渡した相手に会わせな」

 

「何か、策があるのか?」

 

 尋ねてくるアレンに、アルフはにやりと笑って、答えた。

 

「俺の今の最優先事項は、バンデーンじゃなくてその刀をへし折る事なんだ。実際、奴等(バンデーン)の相手はその後でもいい」

 

「……………………」

 

 半分予想していたのか、黙ったアレンが、こめかみを押さえる。が、兼定の出生にはロジャーも興味を持ったのか、おぉ、と声を上げてアレンを見上げてきた。

 その二人を交互に見て、アレンは仕方が無いな、と苦笑した後、言った。

 

「ペターニでガストという鍛冶師に会ったんだ。シーハーツの人に頼んで、探してもらった鍛冶師の情報を頼りに、な」

 

「……シーハーツって、漆黒より断然使えるな」

 

「そうか?」

 

「ああ」

 

 深く、深く頷くアルフに苦笑しながら、アルフから手渡された――と言うより、アルフが予備に持っていた通信機を受け取って、アレンはそれに視線を落とした。

 それには一つ、光点(グリッド)が点いている。

 Out-of-Place Artifacts――通称、オーパーツと呼ばれる解析不能な波長を発する、強大な信号を示す光点(グリッド)だ。今立っている位置より、東の方にある。そして、そこに近付くバンデーン艦の熱源反応。

 これが、アレンが予測した、次のバンデーン降下地点だった。

 

「なら、お前(アルフ)はペターニに向かうのか?」

 

 確認のために問いかける。が。既にアルフは踵を返して、歩き始めていた。予想通り、ペターニに向けて。

 アレンがため息を吐くと、背を向けたアルフが、ひらひらと手を振りながら言った。

 

「バンデーンは任せたぜ。アレン」

 

「了解、はしてないが?」

 

 つぶやきながら、しかし、言ってもムダだと分かっているので、それ以上は言わず、アレンも踵を返す。シランドの東方――オーパーツのある、その場所へ。

 その彼に続こうとしたロジャーを、アレンは制して言った。

 

「ロジャー。お前はネルか、陛下に『星の船が、次の目標をシランドの東方に定めた』と伝えてくれ。そこに、奴等は何か嗅ぎつけたようだ」

 

「ほ、星の船が!?」

 

 聞いた瞬間、戦場に現れたバンデーン艦を連想して、ロジャーは目を見開いた。が、それも一瞬だ。

 アレンは即座に首を横に振ると、ロジャーの考えを改めるように、説明を続けた。

 

「星の船と言っても、俺が今から相手をするのは、船の乗組員の方だ。奴等は星の船から地上に降りて、行動するらしい。だから、俺の心配はいらない」

 

「そっか……。じゃあ、オイラはお姉さま達に伝えればいいんだな?」

 

 首を傾げるロジャーに、そうだ、と頷いて、アレンはシランド城を一瞥した。

 

「場所が城に近い。俺も対処に向かうが、出来るだけ早く、シーハーツの兵にも警戒してもらいたい」

 

「分かったじゃん!」

 

 どん、と胸を叩くロジャーに、こくりと頷いて、アレンは今度こそ、オーパーツのある、その場所へと向かった――……。



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47.禁断の研究

 ネルの先導で会議室にやって来たフェイトは、中に入るなりマリアに向き直った。視界の端で、クリフが部屋の扉を閉めた。

 

「あの、マリアさん」

 

 これから何が話されようとしているのか。

 それを考えると、フェイトは息が詰まるような想いがした。表情を引き締めると、マリアが穏やかに微笑って、首を横に振った。

 

「マリアでいいと言ったでしょ。その代わり、私もフェイトと呼ばせてもらうわ」

 

 気さくな物言いだった。こちらの緊張をほぐすような、優しい声。きびきびとした利発さは少しだけなりをひそめ、いま、目の前にいるのはクォークのリーダーではなく、自分と同年代の少女だと教えられたようだ。

 

「それは構わないけど。じゃあ、マリア」

 

 フェイトの表情から、無駄な緊張が抜ける。

 ――だが、腹に呑み込んだ、その不安だけは払拭できずに。

 拳を握り締めながら、フェイトは重々しく口を開いた。

 

「教えてくれ。一体何が起きているんだ? バンデーンはどうして父さんを攫っていった? 何故僕を狙う? ……僕が一体何だというんだ?」

 

「慌てない、慌てない。とても一言では答えられないわよ。とにかく、心して聞いて」

 

 クスクスと笑う、マリアの表情が更に穏やかになる。とにかく、とつぶやいた時だけは、少しだけ緊張を孕ませて。彼女は、ざ、とクリフ達を振り返ると、その前に、と断ってから口を開いた。

 

「……発現したんでしょ? どうだった?」

 

 つぶやく彼女に、会議室の壁にもたれかかって腕を組んでいたクリフが、ああ、と頷く。その様を、じ、と見据えながら、フェイトは不思議そうに瞬きを落とした。

 

(発現……?)

 

 マリアの声に神妙なものが混じる。会議室の壁にもたれかかって腕を組んでいたクリフが、ああ、と声を落とす。奇妙な緊張感が部屋を覆った。フェイトは眉をひそめる。

 

(発、現……?)

 

 一体何の話をしているのか、皆目検討がつかない。

 壁から背を離したクリフが、一瞥をフェイトに向け、マリアに言った。

 

「デカいのは一度だけだが、な。しかしあれは予想以上だぜ。こと破壊力だけならお前より断然上だな」

 

「記憶はどう?」

 

「これが自覚してる人間の顔に見えるか?」

 

 クリフが長い溜息を吐きながら肩をすくめた。親指でフェイトを指している。するとマリアは、どこか値踏みするような視線をフェイトに向けて、何だよ、とつぶやくフェイトに、ため息をこぼした。

 

「いや、だから何だって……」

 

「なぁ、フェイト。お前、あの戦争でバンデーンが襲ってきたとき、奴等が何で逃げてったか、覚えてるか?」

 

 二人の反応が気に入らず、問いかけようとしたフェイトを、クリフが制した。反射的に振り返ったフェイトが、一瞬、質問の意味が分からずに首を傾げる。

 

(バンデーンが、何で逃げたか……?)

 

 質問の内容を反芻すると、フェイトは顎に手をやって、考え始めた。

 

(そう言えば――そうだ。奴等はハイダを丸ごと焼き尽くした……。なのに、何で今回、奴等は途中で引き返していった?)

 

 引き返す、と自然に頭に浮かんだのは、ネルの話によると、三日三晩寝込んでいた自分が、生きていたためだ。ハイダの時を思えば、砲弾に当たって死んでいてもおかしくない。そしてネルも、クリフも、何よりシーハーツと言う国が、まだ存在できている。

 これはまさに、幸運と言わざるを得ない状況ではないか。

 

「それに……何故、僕はあそこで、気を失った……?」

 

 バンデーンに強い怒りを、憎しみを抱いたことは覚えている。それ以上は思い出せない。自分が気を失う瞬間も、その前後の記憶も、曖昧なものだ。

 

「ま、見ての通りだ」

 

 つぶやくクリフの声を聞いて、フェイトは顔を上げた。そこが重要なのだ、という口ぶりである。短く頷いたマリアが、顔に暗い影を落として目をつむった。

 二人を用心深く観察する。こちらに視線を向けたマリアが、重々しく言い放った。

 

「今から説明するわ」

 

「………………」

 

 フェイトは無意識のうちに、表情を硬くした。何となく、明るい話題でないことは分かる。クリフが頑なにリーダーのことを話さなかった。アレンが少しも、穏やかな表情を見せなかった。

 自分が、何者であるか。

 それを聞いてしまったら、引き返せない所へ行ってしまいそうで、それがフェイトに緊張を強いる。

 

(でも……!)

 

 それを知らねば、またハイダと同じことが起こる。多くのモノを失うことになる。

 それが何となく肌を通して分かる。だからフェイトは、意を決して向き合う。

 ――ラインゴッド博士。父と、関係があるというこの少女と。

 

「そうそう、その前に最新情報があるの。もっとも楽しい話じゃないんだけどね」

 

「……え?」

 

 意気込んだ気勢を削ぐように、マリアが別の話題に水を向けた。咄嗟に反応できなかったフェイトを置いて、マリアが続ける。意外に、マイペースな人物のようだ。

 

「君の父親であるラインゴッド博士が、バンデーンに捕らえられている話は聞いているわよね?」

 

「……ああ」

 

 今更な確認をするマリアに、しかし、話題の方向性を考えると、それほど離れた話でもないのか、とフェイトは首を傾げる。対峙したマリアが、す、とフェイトを見据えてきた。

 

「調査の結果、実は君の幼なじみも一緒に捕まっていることが分かったわ。……ヘルアから君と一緒に脱出した時に、拿捕(だほ)されたらしいのよね」

 

「っソフィアが!?」

 

 どくんっ、と心臓が跳ねた。強く、高く。フェイトを締め付けるように。

 体温が冷める。血の気が引いていくように、すぅ、と頭の中が白くなった。

 

「……ぁ、っ!」

 

 思わず呼吸を忘れそうになる。と、同時。今度は、かぁあ、と頭が熱くなる。

 

(バンデーンに! ソフィアが!)

 

 もう一度、復唱する。

 それは気持ちを整理するためか、それとも頭を冷やすためだったハズだが、この時のフェイトには、自分の気持ちを吐き捨てるためだけの、ただの言葉に過ぎなかった。

 

(あの殺戮者に、ソフィアがっっ!) 

 

 拳を握る。

 エリクールに遭難して、随分。父と幼馴染の心配を、何十回としてきたが、新たな事実が、さらにフェイトを困惑させる。

 ――せっかくソフィアが生きていたと言うのに、喜べない。

 むしろ、バンデーンの側に彼女がいるという事実が、より一層、絶望感を広げた。

 

「……くそっ!」

 

 腹の底から吐き捨てて、床を蹴った。

 父がバンデーンに捕まったと聞いた時よりも、動揺が大きい。

 当然だ。

 ソフィアは、父のように軍属の人間ではない。朗らかで、どこか抜けていて、だがしっかりとした面もちゃんと持っている、フェイトの妹のような少女だ。

 

(拷問とか……、まさか受けてないよな!?)

 

 ふとアーリグリフに不時着した時のことを思い出して、フェイトは肝が冷えていった。両手で、自分の身体を抱く。

 ――今まで、どうしようもなかったのは分かっている。

 だが仮に、フェイトがこうしている間に、ソフィアがあの時のフェイトと同じ経験を――もしかしたらそれ以上の拷問を、ずっと今まで受けていたかと思うと、全身から血の気が失せた。

 

「……やっぱり何も知らないのね、君は」

 

 フェイトの様子を見つめていたマリアが、つぶやいた。どこか憐れむような表情だ。そのマリアを見上げると、フェイトは、ぐ、と唇を噛み締めて、自分の内にあるあらゆる考えを、無理矢理頭の端に押し込んだ。

 

(ダメだ! 今は……、今は続きを聞かないと!)

 

 拳を握りこむ。

 パニックになって周りが見えなくなる自分を、許してはならない。――これは、ディオンに習った強さだ。

 覚悟を決めて顔を上げるフェイトを、真正面から見返して、マリアは静かに頷いた。

 

「君の父親は、禁じられた研究に手を出したのよ。銀河連邦法で禁じられている遺伝子操作による生物兵器の研究をね。そして、それを完成させたの」

 

「……生物、兵器?」

 

 思いがけぬ単語を茫然とし、フェイトは、はっ、と目を見開いた。

 不意に点と点が、繋がったのだ。

 

 ――なぁ、フェイト。お前、あの全面戦争でバンデーンが襲ってきたとき、

 奴等が何で逃げてったか、覚えてるか?

 

 そう言った、クリフの意図が。

 

 ――それが、お前の本性か。フェイト・ラインゴッド。

 

 そう言った、アルフの意味が。

 先ほどマリアとクリフの、会話の真意が。

 

 ――発現したんでしょ? どうだった?

 ――デカいのは一度だけだが、な。しかしあれは予想以上だぜ。こと破壊力だけなら

 お前より断然上だな。

 ――記憶はどう?

 ――これが自覚してる人間の顔に見えるか?

 

 すべて、フェイトのことだ。

 フェイトの能力が発現したのか。フェイトの記憶があるのか。

 

「……っ!」

 

 気付いた途端。体中を、蟲が這ったような気がした。全身の毛穴が収縮し、ぞわりと粟立つ。

 そして――……、

 

 ――こと破壊力だけなら『お前より』断然上だな。

 

 クリフの言葉に、フェイトは、ざ、とマリアを見た。

 呼吸を忘れて、ただ目を見開く。フェイトは無意識のうちに、口を開いた。

 

「アレンが、言った通りだ……」

 

 クォークのリーダーと、父には関係がある、と。

 そう指摘した、連邦軍人の話と。

 だが、マリアは耳慣れない名前に、不思議そうに眉をひそめるばかりだ。フェイトが、一点を見据えて黙しているのを、訝しげに眺めている。

 不意に、マリアを見やったフェイトが、表情を引き締めて言った。

 少しだけ、言いにくそうに。

 

「……君も、そうだって……言うんだろ?」

 

「!」

 

 そのフェイトの顔を真正面から見据えて、マリアは驚いたように息を呑んだ。向き合った翡翠の、フェイトの瞳が言っている。

 

 君も、僕と同じだと言うんだろ、と。

 

 自分を――生物兵器と。

 言外にだが、言い切ったフェイトに、マリアは少しだけ遠慮がちに、相手を探るように尋ねた。

 

「ずいぶんと、あっさりと受け入れたものね。……もう少し、反論してくるものとばかり思っていたけど?」

 

「……今は、それどころじゃない。それより真実を知りたいんだ。僕の意志を、曲げないために」

 

 つぶやくフェイトの表情に、確かな悲哀の影を見つけて、マリアは息を呑んだ。

 

(ただの民間人、って聞いていたけど……)

 

 そういう風に、育てられていると。

 だが、目の前のフェイトは、ただの民間人と一括りにするには無理があるほど、言葉の重みを知っている。

 突然――それも自分の父親によって、生物兵器にされていたというのに。自分が今まで信じていた、父親に。

 

「………………」

 

 拳を握るフェイトを見詰めながら、マリアは圧倒されて言葉を失った。

 かつて、自分も生物兵器だと知った時、彼女はまだ『ロキシ・ラインゴッド』という憎むべき相手がいたからこそ、自分を保っていられたのだ。 

 ――なのに。

 マリアはフェイトを見詰めて長いため息を吐いた後、小さく笑った。

 

「……そうね。君の言う通り、今はそれどころじゃないわ。そして、君が察した通り、君と私は博士の実験体。私は君が完成された後に作られたらしいから、言わば実験体二号ね」

 

「…………そうなんだ……」

 

 うつむくフェイトの声は低く、かすれていた。

 当然だ。

 この事実は、突然には受け止め切れないほど、過酷な現実なのだから。

 それでもまだ、心の内にある様々な感情を押し殺して、ただ事実を受け入れようとするフェイトの姿は、マリアには雄々しく見える。

 意志の強そうな翡翠の瞳が、マリアを見据えてくる。

 

「マリア。……それで君は、僕がバンデーンを追い払ったっていう、力の使い方を知っているのか?」

 

 事実を受け入れ、その上でまだ前を向こうとするフェイトの姿に、マリアは微笑って、上等、と口の中でつぶやいた。踵を返し、会議室の棚にある、三つの壷に視線を止める。

 

「アレがいいわ」

 

 独り言のように言って、彼女は壷の前に歩み寄った。

 瞬間――……。

 マリアは、すぅ、と人差し指で壷の一つを指すなり、くるり、と小さな円を描くように指を旋回させた。

 

 きぃいいいいい……、、

 

 途端。不思議な音が、フェイトの耳に入る。甲高いが、耳障りではない、例えば空気に溶けた光の精霊が、翻訳できない歌を、歌っているような不思議な音が。

 マリアの人差し指に集った小さな光の球が、すぅ、と彼女が指差した壷の一つに飛び立ち、そこで、紋章陣を描いた。

 瞬間。

 

 じゃきっ!

 

 か、と目を見開いたマリアが、腰のホルスターから一瞬で銃を抜き放ち、三つの壷を撃つ。

 

 ドドドンッ!

 

 ほぼ同時に聞こえた銃声が、壷に向かって三発走るなり、マリアは銃を納めた。かしゃんっ、と腰のホルスターに銃が納まる軽快な音と同時。ぱきん、と音を立てて、壷が崩れ落ちる。マリアの愛銃、マイクロブラスターの光弾に穿たれて、呆気なく。

 ――……ただ、

 マリアが最初に指差した、紋章陣に囲まれて、淡く発光したその壷だけは、全く同じ条件でマイクロブラスターの光弾を受けたというのに、傷一つ無く、健在していた。

 実弾よりも遥かに威力の優れた、光弾(レーザー)を受けたと言うのに、だ。

 

「……!」

 

 信じられない光景にフェイトが息を呑むと、こちらを振り返ったマリアが、改まった表情で説明してきた。

 

「これが、私がラインゴッド博士達の紋章遺伝子改造によって与えられた力。私は物質の性質をアレンジする能力を持ってるの」

 

 そう言って、フェイトの顔色を窺う。対峙した彼は、表情を強張らせて、どこか血の気を失っているようだった。 

 

(無理もないわね……。頭で理解することと、実際それを目にすることは、意味が違うんだもの……)

 

 それが気の毒に思えて、マリアは表情を一瞬曇らせたが、すぐに首を横に振るなり話を続けた。

 

「私は博士達をバンデーンから奪い返し、何故こんなことをしたのか、その理由を聞き出すわ。そのためにはフェイト、君の力が必要なの。私だけ、私一人ではできない――」

 

 そう言って、フェイトを見る。彼がどういう風に自分(マリア)を受け取ったのかは知らない。だがマリアには、やらねばならないことがあるのだ。

 自分の、存在意義を確かめるために。

 両親から、生きろ、と託された自分の身を、守るために。

 

「君にしても、父親や幼なじみを助けるのに異論はないでしょ? 大事な肉親だものね」

 

 わざと冷たく振舞うと、我に返ったフェイトが、ああ、と頷いてきた。

 意外にも、その瞳には力強い光が宿っている。この話を聞く前と、そこだけは少しも変わらない、強い意志の光だ。

 ――まるで彼にも、何か果たさねばならない目的があるようだった。

 

(強い、のね……)

 

 絶対口には出さないが、口の中でつぶやくと、マリアは踵を返した。

 

「そうと決まれば……」

 

 と。

 マリアを制したクリフが、やれやれとため息を吐いて、無造作に会議室の扉を開けた。

 バンッ、と。

 会議室の扉で中の様子を探っていた人間が、距離を取った。軽やかに跳躍し、まるで鹿や猫を思わせる、鮮やかな身のこなしで地面に着地する。

 

「……ネルさん!?」

 

 それが、よく知ったシーハーツの隠密であることに気づいて、フェイトは目をしばたかせた。傍らのマリアがため息を吐く。

 

「まあ、聞かれたからといってどうってことはないからいいけどね」

 

 マリアは肩にかかった髪を払う。フェイトは二、三度、瞬きをしてから、自分が想像以上に話に熱中していたのだと、この時初めて気が付いた。

 

「この星を出る艦はどうする?」

 

 クリフの声で、視線を上げるフェイト。傍らのマリアが、利発そうな外見に違わず、はっきりと答えた。

 

「大丈夫……。ディプロ本艦は後から来る手筈になっているわ。後はマリエッタが上手くやってくれるでしょ」

 

「用意周到だな。予想通りってわけか」

 

 肩をすくめるクリフに、マリアは不敵に笑って、ため息も吐いた。

 

「だけど、そうも言ってられないわよ。問題も山積みなんだから」

 

「問題だ?」

 

 眉をひそめるクリフに、マリアはため息を吐いた。ふと。フェイトが瞬く。

 

「そうだよ。大体、クォーク本艦が来るのはいいけど、バンデーン艦に妨害されるんじゃないのか?」

 

「そうなのよね……。軌道に乗る時間、転送に要する時間、ワープアウトが完了するまでの時間……。トータル5分はかかるでしょうね」

 

 言って、顎に手をやるマリアに、フェイトも思案顔を浮かべる。同じく、簡単なシミュレーションを描いたミラージュが、ふるふると首を横に振った。

 

「いくら本艦でも5分間もの時間、バンデーン艦の攻撃に耐えるのはキツイと思いますけど?」

 

「そうね……」

 

 つぶやく、マリアの声も低い。

 考えても見れば当然だ。ハイダは保養惑星であったため、防備は手薄と言われていたが、それでも銀河連邦軍の宇宙基地が傍にあった惑星だった。

 クォークがいくら社会的地位を銀河内で確立していると言っても、こと、武装に関せば、数的にも、技術的にも“軍隊”である銀河連邦に並ぶとはお世辞にも言えない。

 

(そしてバンデーンは、その銀河連邦をも上回る技術を持った連中なんだ……)

 

 ミラージュが、即座に不可能と告げるのも無理はない。

 

「理想を言えば、地上からも何か牽制できるといいんだけど。まあ、この惑星の文明レベルじゃどうしようもないことは分かってる。それでも何か手を考えないといけないわ」

 

 顎に手をやったまま考え込むマリアが、唸るようにつぶやいた。その彼女に、肩をすくめたクリフが、どこか困ったように、ちらりとフェイトを見やる。

 

「コイツは力の制御方法がわからねえしな」

 

「私自身も完全に力の制御が出来るわけではないし……。どちらにせよ不確定な要素をアテにすることはできないわね」

 

 言いながらも、マリアは視線をミラージュにやっている。すでに自分たちの力ではどうしようもないと判断し、他の妙案を探るために、エリクールと言う惑星に条件範囲を広げたのだ。

 

「ミラージュ、この惑星の兵器でもっとも強力かつ有効な物は何? バンデーンのシールドを破れなど、無茶は言わないわ。こちらの兵力を誤解させられる程度の時間が稼げればいいの」

 

「このシーハーツにある施術兵器が唯一の可能性を持っていたと思いますが……。残念ながら、今回の戦争であれは兵器としてではなく捕獲用に作り変えられています」

 

「兵器として威力の底上げは出来ないの?」

 

「可能です。ですが……、恐らく時間がかかるかと」

 

 答えるミラージュに、マリアが、そう、と声音を落す。

 八方塞がりだ。

 

(でも、何か策を考えないと……)

 

 更に思案し始めるマリアに、クリフが、あぁ、とどこか芝居がかった声を上げた。

 

「……どうかした?」

 

 ぽりぽりと頭を掻くクリフに、視線をやる。すると、クリフにしては珍しい、躊躇らしきものが見えて、マリアは不審そうに、眉をひそめた。

 

「……いや、あいつはどうかと思ってよ……」

 

 つぶやくクリフの視線の先には――、意外にも、マリアにとっては一番馴染みの無い、ネルがいた。

 ネルは突如、話題を振られて表情を引き締めると、数瞬、考えるような間を置いて、一同を見渡した。

 

「バンデーンって、この間の敵のこと?」

 

 確認するように、そう尋ねる。

 フェイトが頷いた。すると、ふむ、とつぶやいたネルが、確認するようにマリアに問いかけた。

 

「あれがまた現れると言うんだね?」

 

「まず間違いなく来るでしょうね」

 

 簡潔に答えるマリアに、こく、と頷いて――、ネルは視線を、クリフに向ける。

 

「それで、奴等に対抗するために……彼を?」

 

「……正直、俺もそんな非常識は信じたくねぇんだが。どう見ても、あの鳥は……なぁ?」

 

 言葉を濁すクリフに、神妙な面持ちながらも、ネルが頷く。その二人のやりとりが理解できず、ミラージュ、マリアに混じってフェイトが、クリフとネルを見やった。

 

「アイツとか、彼とか……。鳥って?」

 

「一人しかいねぇだろ?」

 

 問うフェイトに、肩をすくめて答えるクリフ。その彼を、フェイトは固まったように、見据えて――……、

 

「……………え?」

 

 とりあえず、聞き返してみた。

 途端に、気持ちは分かる、とクリフに言い返される。クリフはマリアに向き直るなり、少し言いづらそうに言った。

 

「実はよ。今、この星には銀河連邦の軍人もいるんだ。……そいつの力を借りるのが一番手っ取り早いと俺は思うんだが、構わねぇか?」

 

「連邦軍が!?」

 

 驚いたように目を見開くマリアに、クリフは、ああ、と頷いた。

 

「何か、アイツの方も救援が来たらしいから、出来れば他人同士で別れた方がお互いの為と思ったんだが、な」

 

 言って、肩をすくめるクリフに、フェイトが、あ、とつぶやいた。

 

(だから、か……)

 

 バンデーンが来てからこちら、元々、人とはあっさりとした付き合いをするクリフが、アレンの話をするとき、いつも以上に余所余所しく感じられたのは。

 忘れていたが、クリフは反銀河連邦(クォーク)なのだ。そしてアレンは連邦軍人。

 今までのように、クリフとアレン。どちらとも気さくに話が出来るのは、この星にいる間だけなのだ。考えてみれば、何とも物寂しい話だった。

 

「?」

 

 そのフェイトとクリフの間に流れる、微妙に重い空気に、ネルはよく理解出来ないながらも、二人を励ますように言った。

 

「……ともかく。奴等が再び攻めてくると言うのなら、私も力を貸すよ」

 

「え……、いいんですか?」

 

 顔を上げるフェイトが、やや意外そうに目を丸くする。その彼が、何をそんなに驚くのか分からないネルは、首を横に振って肩をすくめた。

 

「正直、事情は良く分からないけど。また、あの星の船がこの地にやってくるのなら、恐ろしい事態になることは間違いないわけだろ。……それにね。アンタ達には、返し切れない借りが、私にはあるんだよ」

 

 そう言って、ネルは笑う。初めて会った時よりも、ずっと柔らかく。ずっと、温かい表情で。

 

「……ありがとう」

 

 礼を返すフェイトも、つられて笑んでしまうほど、優しい笑みだった。

 肩をすくめるクリフが、まるで照れ隠しのように、ぶっきらぼうに言った。

 

「どっちにしても、ここで一悶着起こすってことは、お前等に迷惑をかけることになっちまうしな。……そう言ってもらえると助かるぜ。ネル」

 

「ただ事情を話すにしても、簡単に信じてもらえないとは思うけどね」

 

 苦笑するフェイトに、クリフは、まったくだ、と肩をすくめた。

 対峙したネルの、その朗らかな微笑を視界の端に収めながら――……。



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48.バンデーン強襲

「居ぃたぁあああああ!」

 

「!?」

 

 会議室を出て謁見の間に向かう途中。いきなり聞こえた奇声に、フェイト達は反射的にそちらを振り返った。

 そう言えば、アレンとどこかに行ったという、ロジャーを。

 

「あれ? ロジャー、お前アレンと一緒だったんじゃ……?」

 

 言いかけたフェイトの言葉を、完全に遮って。

 ロジャーは涙を振り乱しながら、しゅばっ、と地面を蹴るなり、ネルにしがみついた。

 

「……わっ!」

 

「良かったじゃん~! おねいさま、部屋にもいないから、どっか行ったかと思ったぜぇ~!」

 

 どうやら階段を駆け上がってきた所だったらしい。

 いつもの、超人的なスピードでネルにしがみついたロジャーは、いつもと違って涙を振り乱して叫んでいた。その真意が読めず、ネルは身構えることも許されず、太ももにしがみついたロジャーを恐る恐る見下ろすと、ぐ、と覚悟を決めて問いかけた。

 

「……いったい、どうしたっていうんだい?」

 

 思いの外、声が小さくなっているのは、ロジャーに対する潜在的な恐怖によるものかもしれない。どうにかネルが尋ねると、ば、とネルを見上げたロジャーが、先ほどまで切羽詰った表情をしていた彼が、瞬間、いつも通りの緩んだ表情を浮かべた。

 

「おねいさま~♪」

 

 言って、嬉しそうにすりすりと頬を寄せるロジャー。その彼に、く、と呻きながら、ネルは努めて、平静に、もう一度だけ問いかけた。

 

「……何かあったんじゃないのかい?」

 

「つぅか、チビ。お前、何しに来たんだ?」

 

 ネルに続いて、呆れ顔のクリフも問いかける。すると、は、と顔を上げたロジャーが、そうじゃん、と叫びながらネルを見上げた。

 

「実はオイラ。アレン兄ちゃんに言われて、お姉さまに伝えなきゃいけないことがあるんだ!」

 

「伝えなきゃいけないこと?」

 

 フェイトが問うと、おうよ、と横柄に頷いたロジャーが、ぴょん、とネルの足から離れて胸を張った。

 

「実はな! あの星の船の連中が、王都の東側に何かを見つけたらしいんだ! で。星の船の奴等がそいつを狙って降りてきたから、アレン兄ちゃんも向かってったんだけど、どうも城に近い場所らしいから、兵士のおっちゃん達にも警戒して欲しいって!」

 

「なっ!?」

 

 一様に、皆の表情が強張る。

 

「ほぉ。あのフザケた連中が、空から降りてきたってのか」

 

「誰だ!?」

 

 背後から聞こえた声に、ざ、とフェイトが振り返る。そこに見覚えのある顔が立っていた。

 漆黒に濡れた長い前髪に隠れた、そこだけ異様な光を放つ、炎のように赤い瞳の男。

 フェイトにとってはそちらの方が印象深いが、世間的な身体的特徴を述べるなら、左腕のガントレットが有名な、アーリグリフが誇る武将だ。

 

「……アルベル!?」

 

 声を揃えるクリフ、ネル、フェイトに、名を呼ばれたアルベル・ノックスは、ふん、と鼻を鳴らした。横柄に刀の柄に腕をよりかけて、睨むようにフェイト達を見る。

 正確には、反射的に武器に手をやった、彼等の手元を。

 

「あ! ちょっと待ってください!」

 

 傍らからナツメが飛び出さなければ、アルベルもそれなりの対応を取っていたところだ。

 

「君は……!」

 

 そのナツメに気付いて、は、とフェイトが目を瞠る。今までフェイト達と対峙するときは、漆黒の甲冑を着ていた彼女が、黒の上下に蒼のジャケットという、フェイト達と同じ世界の服装を、身にまとっていたからだ。

 

(やっぱり!)

 

 赤いバンダナだけは、甲冑を着ている時と代わりないが、身体のラインがハッキリする分、今のナツメの方が『少女』という概念をしっかりと持っているような気がした。

 

「我々は今回、使者としてココに来たんです!」

 

「使者、だって……?」

 

「ええ。彼女のおっしゃる通りです、ネル様」

 

 問うネルに、後ろから声をかけられた。聞き覚えのある、男の声。それに、は、として振り向くと、そこにはココにいない筈の、ネルの良く知る男が立っていた。

 

「アストール!?」

 

 ぎょ、と目を丸くするネルに、アストールが恭しく一礼する。

 まるで驚くネルの方が、ここでは間違っているというように。アストールは堂の入った様子で、社交向けの笑みを口元に浮かべていた。彼の第一任務は、カルサアでの隠密だ。その彼が、何故シランドに来ているのか。

 ネルは我が目を疑うように、アストールを凝視した。

 

「アレン様より頼まれまして。アーリグリフより使者が来られた際はよろしく頼む、と」

 

 隠密である彼が、アーリグリフの使者が、いつ、どこに来るのかを知る事は難しくない。そして、アーリグリフ軍代表としてやってきたアルベル、が考えたのかどうかは怪しいが――シーハーツとの体面を気にして、飛竜ではなく馬車でやって来た使者(アルベル達)の後を追うのも、アストールにしてみれば容易いことだった。

 それらの条件を考慮して、案内役にアストールを抜擢したのだろう。

 しかしネルは、何故アレンが、アーリグリフから使者がやって来ることを知っていたのか、見当がつかなかった。

 

「アレン、が……?」

 

「いやぁ~、すみません。こうなることが分かってて出迎えてくださったのに、団長が何も考えずに先々行くものですから……」

 

「いえ。私が至らぬばかりに、御迷惑をおかけしました。どうかお許し下さい」

 

 ほのぼのと謝り合うナツメとアストールを、ネルはどう対処すればいいのか、悩むように表情をころころ変えている。

 と。

 ふん、と鼻を鳴らしたアルベルが、くるりと踵を返した。

 

「さっさと行くぞ、阿呆」

 

「団長! そっちは謁見の間じゃありません!(アストールさん曰く)」

 

 アルベルの背に、ナツメが声をかける。すると、肩越しにナツメを振り返ったアルベルが、ぁ゛あ、と不機嫌に呻きながら続けた。

 

「阿呆。今から向かうのはシランドの東方とやらだ。そこにあのクソ虫どもがいるんだろうが」

 

「国王様の親書はどうするんです!?」

 

「そこの出迎えにでも渡しておけ。……王も、まさか本気で俺に使者をさせるつもりはねぇだろうよ」

 

「……いいのかなぁ?」

 

 むぅ、と呻きながら、ナツメはアストールに向き直るなり、ぱ、と表情を輝かせると、意外にあっさりと、はい、と親書をアストールに手渡した。

 国王の親書らしいが、それにしてはずいぶん、ぞんざいに。

 肩の荷が下りたような、すっきりとした表情で、ナツメは笑った。

 

「いやぁ~。実は私も、謁見とか挨拶とか。そういう社交的なことは苦手だったんです! 団長が付き添いでよかった~!」

 

「阿呆。テメェが付き添いだ」

 

「む? ……まあ、いいです。そこは東方に向かう道すがら、決着をつけましょう」

 

「……ふん」

 

「と、いうわけで。親書の方、よろしくお願いしますね!」

 

 言って、ぺこり、と頭を下げるナツメに、さすがのアストールも少し面を喰らったように、はた、と瞬きを落としている。

 

「いや、良かねぇだろ……」

 

 思わずつぶやくクリフに、フェイトも反射的に頷いた。が。アーリグリフの二人は、さほど気にしていないのか、気にする気も無いのか。さっさと踵を返すなり、城を出ようと歩き出す。

 

「………………」

 

 一同が言葉を失して呆然と背中を見送る中で――唯一、ネルが、は、と顔を上げた。

 

 シランドの、東方――……。

 

「まずいっ! シランドの東に何かを見つけたって……! まさか、セフィラが!?」

 

「……セフィラ?」

 

 反射的に問いかけるフェイトに、ネルは答えなかった。さ、とアストールに向き直るなり、号令を発す。

 

「アストール! 五分以内に兵を集めて! 私は陛下に報告を!」

 

「はっ」

 

 敬礼するなり、さ、と踵を返すアストールの背を見送ることもなく、ネルは謁見の間へ走る。

 いつもよりも慌しく扉を開けたネルは、簡易的な敬礼を取った。

 

「どうしたのだ、ネル。陛下の御前と言うのに、騒々しい」

 

 ラッセルの叱責を覚悟しての、無礼だった。ネルは、ぐ、と拳を握るなり、女王、ロメリアを仰いだ。

 

「陛下! 賊が城の東側に向かっているとの情報が入りました! 方角から考え、奴らはセフィラを狙っている可能性があります! 私はこれより、部隊を指揮し賊の討伐へと向かいます!」

 

「……なんだと!?」

 

 一瞬、あまりに唐突な話に、ラッセルが、ぎょ、と目を見開いた。瞬時。謁見の間に緊張が走る。ネルより少し遅れて、部屋に入ってきたフェイトは、その緊張の正体が読めずに首を傾げた。

 ネル達の慌てようを見ると、何か重大な事が起きているとの予想はつく。ネルを横目に見るなり、フェイトは問いかけた。

 

「ネルさん、僕らは」

 

「悪いけどフェイト! 今、アンタ達の相手をしてる暇はないんだ!」

 

 怒声に近いネルの声に、思わず口を噤むフェイトだったが、それも一瞬だ。フェイトは、はた、と瞬きを落として、首を横に振った。

 

「待って、ネルさん! 『賊』ってロジャーの話じゃ、バンデーンのことだろ? だったら、おそらくシーハーツ軍の装備じゃ、奴等の相手は無理だ!」

 

 振り返ったネルが、ぐ、とこちらを振り返る。そのネルに代わって、玉座に座したロメリアが、す、とフェイトを見据えてきた。

 

「どういう意味ですか?」

 

 問うロメリアに、フェイトの代わりにクリフが、マリアを顎でしゃくった。話題を振られたマリアは、静かに頷くと、皆の注目が集まるのを待って、腰のホルスターから銃を引き抜き――……、

 

「失礼します」

 

 断ると同時。銃口を謁見の間の一角に向けるなり、だんっ、と短い轟音を立てて、部屋の壁を撃ち抜いた。

 石造りとはいえ、頑強に作られた城の壁を。

 

「な……っ!」

 

 その威力を見据えて、ラッセルが言葉を失う。改めて向き直ったフェイトが、ロメリアに向かって言った。

 

「そのセフィラに向かったという賊は、先日の星の船の者です。そして彼等は、彼女の銃と同様に、詠唱を全く必要とせず、相手を傷つける力を持っているんです」

 

「それも向こうの武器は恐らく、エリミネートライフル……。私の銃よりも、威力は格段に上です」

 

 続くマリアの言葉に、ラッセルのみならず、ネルやロメリアまで、無言のまま、息を呑んだ。

 静寂。

 少しの間、ロメリアは沈思したあと、首を横に振った。

 

「ですが、彼等の狙いがセフィラとあれば、放置しておくわけにもいきません」

 

 女王の表情は、何か、覚悟を決めたようにも見える。それにフェイトは首を横に振ると、に、と不敵に笑った。

 

「だから、僕が行きます」

 

「あんた……! 何を?」

 

 驚いたようにフェイトを見るネルに、フェイトはすまなさそうに笑った。少しだけ、寂しそうに。

 

「元はといえば、バンデーンがこの地に来たのは僕の所為なんです。だから、僕が責任を持ってなんとかしますから……」

 

 そう言って、フェイトはロメリアを、す、と見抜く。

 初めて彼女と対峙した時よりも、ずっと強い、強い意志の光を帯びた眼差しで。

 

(おぉ……!)

 

 そのフェイトの成長に、対峙したラッセルも思わず感嘆を洩らした。何があったのかは知らないが、前よりもずっと彼は堂に入った態度でロメリアと対峙している。

 自信を持った、というより、不敵に成った印象だ。

 その翡翠の瞳を、しかし、初めて会ったときから少しも変わらない、穢れ無き瞳を、じ、と見返して、ロメリアは少し、目を細めた。

 眩しいものを、見るように。

 と。

 

「オイオイ、僕たち、だろ? お前、一人で行く気かよ」

 

 やれやれとため息を吐きながら、肩をすくめるクリフを、フェイトが思い出したように見る。すると、その傍らに立ったマリアも、腕を組みながらクリフに続いた。

 

「そうね。一人で行くのは自殺行為だわ。大体、君に死なれたら、私がココに来た意味がないでしょ? 当然、私も行くわ」

 

 言い切るマリアに、やや苦笑しながら、フェイトは一同を見渡して――、

 

「実際のとこ、オイラ、あんまり事情が分かんねぇケド。あの星の船の奴等を、好きにさせとくわけにはいかないじゃん! 男として!」

 

「みんな」

 

 フェイトがこくりと頷いた。

 そのフェイト達の空気がまとまるのを察したのか、ロメリアがタイミングよく口を開いた。

 

「……分かりました。そなたらに任せましょう」

 

 そう言ってくれた彼女に、ありがとうございます、と返して。

 踵を返そうとしたフェイトは、ふと、足を止めた。

 

「陛下。私も彼等に同行します」

 

「ネルさん……」

 

 振り返るなり、いいのか、と視線で問う。

 敵はエリミネートライフルを持ったバンデーン兵だ。実戦経験は豊富なネルだが、フェイトと同じで銃を相手にするのは初めてだ。――それも、フェイトと違ってエリミネートライフルを一度も見たことのないネルが。

 それを指摘して問いかけると、半眼になったネルが、逆に、文句でもあるのか、と睨み返してきた。その、ネルの視線から逃れるようにクリフを見ると、視線の合ったクリフは、やれやれと肩をすくめただけで、何も言ってはこなかった。

 ロメリアが、改めて口を開く。

 

「事態は一刻を争いますね。ネル、封印洞の使用を許可します。彼等を案内しなさい」

 

「封印銅を、ですか?」

 

 そのロメリアの言葉が、どれほど意外性のあるものなのか、良く分からないフェイトは、ためらいがちに復唱したネルを、何となく見詰めた。

 すると、そのフェイトの疑問に答えるように、玉座からロメリアが言い放つ。

 

「ええ、王族しか通ることが許されない場所ですが。緊急時です。仕方ありません。……しかと頼みますよ」

 

「はっ!」

 

 ネルがシーハーツ式の敬礼を取ると同時、兵を招集しろ、と指示を受けたアストールが、謁見の間にやって来た。

 後ろに三十人近い部下を連れている。さすが、短時間ながらも仕事をこなすところは頼りになる男だ。その彼を、じ、と見据えてネルは言った。

 

「アストール。悪いけど、事情が少し変わった。私は彼等と共に、今からカナンへと向かう。だからアンタは、城の警護を頼むよ」

「はっ。では、アーリグリフからの親書も、その間に陛下にお見せしておきます。お気をつけて」

 

「ああ」

 

 頷きながら、足早に謁見の間を出ようと踵を返す。と、そのネルが歩き出す前に、ミラージュを振り返ったマリアが、言った。

 

「ミラージュ。あなたは私達がカナンに行っている間に、陛下にこれまでの事情を説明して差し上げて」

 

「了解です、マリア」

 

 緊急だが、冷静に落ち着いているところはさすがミラージュと言ったところか。

 その彼女に向き直ったフェイトは、す、と頭を下げた。

 

「すみません、ミラージュさん」

 

 気持ちが逸っている分、フェイトに今までの経緯を説明することは不可能だ。その非を詫びると、ふ、とこちらに視線を向けたミラージュが、いいえ、と返してくれた。

 その彼女の優しさに、安心したように、フェイトが、ふ、と笑う。そしてフェイトは、ぐ、と表情を引き締めると、拳を握って踵を返した。

 

「行こう! 皆!」

 

 そう、クリフ達を振り返って。

 言い放つフェイトに、一同がこくりと頷き返した――……。

 



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49.封印洞

 聖殿カナンに行くための近道、封印洞への入口は、シランド城の大聖堂だと聞いたフェイト達は、謁見の間から多くのアペリス教徒が集う、その場所へと向かった。

 今は一般人が入れないよう、人の出入りを強化しているためだろう。大聖堂に入ると、そこにいたのは、神官と大神官と呼ばれる、女性の二人だけだった。

 

「……お待ちしておりました」

 

 大聖堂の祭壇の前に立った、四十がらみの大神官に言われ、フェイトは、え、と目を丸めた。謁見の間から、急いでこちらにやって来たのだ。

 ロメリアが封印洞を使うことを決意してから、大聖堂にやって来たのは、フェイト達が初めてのはずだった。

 

(なのに、どうして『お待ちしてました』って……)

 

 不思議そうに首を傾げる。と、傍らのネルが説明してくれた。

 

「大神官様は、陛下の姉君にあたるお方なんだ。だから、陛下に次ぐ高い霊視能力を持っておられる。私達の謁見の間(うえ)での会話を、ここで視ていらしたんだろう」

 

「そんなことが出来るのかよ……!」

 

 きょとん、と瞬きを落とすクリフに、ネルが誇らしげに、こくりと頷く。と、そこで言葉を切ったネルは、す、と大神官に向き直ると、恭しく、頭を下げた。

 

「大神官様」

 

「……ええ。お願いします、ネル」

 

 そう言って、大神官は聖堂の祭壇から降りる。代わりに、その祭壇にネルは上がると、人差し指を、す、と立てて印を結び、目を閉じた。

 

 ―――……ぅ、

 

 しん、と静まり返った聖堂の、その聖なる『気』が集うように、印を結ぶネルの指に、施力の光が宿る。と。彼女はかざした指を、頭上に掲げて、指揮棒(タクト)を振るように流麗に、直線というより曲線の多い施術陣を空に描いた。描いた、と言っても、フェイトに見えたのはネルの手の動きだけだ。どういう陣なのかは分からないが、円に近い、陣、というよりは『字』に近い施術陣だった。

 その『字』の外周を、ネルが最後にくるりと指でなぞる。と、フェイト達でも簡単に視認出来る程にネルの描いた施術陣が、ぽぅ、と浮き上がり、す、と目を開けたネルが、その陣の中央に、人差し指を押し当てた。

 ――瞬間。

 発光した施術陣が、祭壇の下――聖堂の中央通路に、すぅ、と下りていき、そこで陣を広げた。

 と。

 陣が、通路に溶け落ちる。

 

 ご、ご、ごごごご……っ!

 

「な、なんだなんだ!?」

 

 遠くで聞こえた地鳴りに、バタバタと騒ぐロジャーを置いて、フェイトも、ざ、と視線を左右に振った。

 

(何だ……!?)

 

 それを皮切りに、聖堂が揺れた。まるで、大型の地震か何かが起きたかのように。正確には、どこか遠くで、地鳴りが起こったかのように。

 フェイトが異変を感じた直後、彼の足元で、中央通路を作っていた鉄製透かし蓋が、がこん、がこんっ、と鈍い音を立てて、三層のヘリを作るなり、折りたたみ式の床下収納のように、一番奥の透かし蓋の下へとスライドしていった。

 ――その奥にある、地下道への入り口を、開くために。

 

「……これは!」

 

 中央通路の下に隠れた、地下への階段が出現したのを見て、フェイトは思わず目を見開いた。その傍らクリフも、大仕掛けの聖堂に、ひゅぅ、と感嘆の口笛を吹いている。

 地下通路を出現させて、一仕事を終えたネルが、こちらを振り返るのを待って、マリアもこくりと頷いた。

 

「……隠し通路ね」

 

「ああ。この先が封じられた地下通路『封印洞』さ。かつての王族が聖殿に行くために作られた通路なんだけど、もう数百年も使われてない。ここなら湖の下の地下を最短距離で通っていくから、地上を行くより早くカナンまで到達できるはずだよ。……ただ、長い間放置されていた場所だから、中はどうなっているか分からないけどね」

 

 表情を引き締めるネルに、マリアも自然、ぐ、と警戒心を強める。その二人に、こくりと頷いたフェイトは、封印洞へと繋がる隠し階段に視線を向けて、それからネル達、三人を仰いだ。

 

「急ぎましょう」

 

「ああ」

 

 頷くネルが、祭壇から颯爽とこちらに下りてくる。と、そこで、お待ち下さい、と声をかけられたフェイトは、小さく首を傾げながら、祭壇脇に控えていた、大神官を振り返った。

 

「どうかしたんですか?」

 

 何気なく問うてみる。と、少し複雑そうに笑った大神官が、視線を脇にやって、入ってきてください、とつぶやいた。

 

「……!」

 

 大神官の言葉で姿を現したのは、アルベルとナツメだった。どうやら、聖堂の脇に控えていたらしい。フェイトは現れた二人を交互に見比べて、思わず目を見開いた。

 

「えぇっと、すみません……! シランドの『東』って、そう言えば、どっちなのか、そもそもまるきり見当がつかなかったもので」

 

 そう言って、気恥ずかしそうに頭を掻くナツメと、不機嫌そうに黙っているアルベル。

 ネルは瞬間的に、ざ、と短刀の柄を握った。途端、ナツメが慌てて、ぶんぶんと首を横に振る。

 

「あのっ! さっきも言いましたが、我々は貴方々と戦うつもりはありません! ただ、この先にバンデーンと、アレンさんがいらっしゃるんでしょう? ですから……、その。出来れば……同行させていただけたらなぁ~、なんて」

 

 そう言って、ナツメはしかし、自分の言っていることがどれだけ無茶なことか分かっているのか、恐る恐る、ネルを見た。すると、眉間に深い皺を刻んでネルが、ぎ、と睨み返してきて、ナツメは困ったように眉根を寄せた。

 

 ――……そして、

 

 ゆっくりとアルベルを振り返ったナツメは、言い聞かせるように、というより、覚悟を決めたように、仕方ありませんね、とつぶやいた。

 

(ん!?)

 

 戦う気か、とフェイトが身構えた瞬間。す、とネルに向き直ったナツメが、表情を正して、腰からアレンから貰い受けた刀――シャープネスを引き抜いた。

 鞘から、ではなく、鞘ごと。

 訝しげにナツメを観察するネルに、ナツメは、す、とシャープネスを差し出した。

 

「……お預けします。我が、誠意の証として」

 

 つぶやく彼女に、ぐ、と。

 皆が我が目を疑うようにナツメを見る。傍らの、アルベルでさえ。

 その一同を、す、と見返して――。その、あまりにも真っ直ぐなナツメの黒瞳に、フェイトが、目を見開いた。否。正確には、クリフやネル、ロジャーもだ。

 

(アレン……!)

 

 彼とよく似た光を放つ、その瞳を。ただ面を食らって、呆然と。

 すると。

 さて、と言い置いたナツメが、アルベルに向き直って、自分の腰に差してある残りの一振り剣、シャープエッジをすらりと引き抜いた。

 

「次は団長ですね」

 

「………………」

 

 瞬間。ぎらりとアルベルの眼光が走る。が、それをナツメは笑顔で受け流すと――しばらくの間。躊躇するように、黙考したアルベルが、眉間に深い皺を刻んで、それから意を決したように、静かに目を閉じた。

 

「……好きにしろ」

 

 意外にも素直に鉄爪を差し出すアルベルに、ナツメがこくりと頷く。

 

「動かないでくださいね」

 

 そう一言、アルベルに断って。フェイト達が事態を巧く飲み込めない間にも、ナツメは一息で抜き払ったシャープエッジを上段に構えた。

 そして、

 か、と目を見開いた彼女が、剣を一閃する。

 

 ぱき――っ、

 

 アルベルの左腕――ガントレットの先が、砕け散った。短く、小さな悲鳴を上げて。禍々しい威力を放つ凶器が、鋭さを失う。爪をナツメが断ち切ったのだ。

 

「……あ」

 

 つぶやくフェイトを置いて、ナツメは颯爽と剣を納めると、ネルに向き直った。

 

「……これで、お許し願えませんか」

 

 ネルの表情は厳しい。ナツメ達に誠意を見せられて、それで少し、迷っているようにも見えたが、真意の程は定かではない。と。傍らのマリアが首を横に振った。

 

「今は一刻を争う時でしょ。迷っている時間はないわ」

 

 そう言ったマリアは、痺れを切らしたのか、組んでいた腕を解いて、ナツメとアルベルを見るなり、言い放った。

 

「悪いけど、信用できない仲間を連れていくわけにはいかないの。……ごめんなさいね」

 

 そのマリアの指摘に、ナツメが黙り込む。それを言われてしまえば、ナツメに話す余地はなくなる。そう思っての、シャープネスとアルベルの鉄爪の代償だったが、やはりそれだけでは、まかり通らなかったらしい。

 だがそれで、ナツメも引き下がるわけには行かなかった。

 

「でも、私は……!」

 

 アレンに会う。それが、ナツメにとっての第一課題だ。ぐ、と拳を握って俯くナツメの、その言葉を途中で制したのは、アルベルだった。

 

「……団長?」

 

 不思議に思って、アルベルを見上げる。すると、視線が合ったアルベルは、ふん、と小さく鼻を鳴らして、カシャ、と爪を無くした鉄甲を鳴らし合わせた。

 

「面倒くせぇことをいつまでもやってんじゃねぇ阿呆。邪魔するなら、こいつ等全員、叩き潰せばいいだけの話だろうが」

 

「それはいけませんっっ!」

 

 びぃぃんっっっ、と。

 ナツメの怒声に、空気が震えた。びく、と姿勢を正されるように、鋭敏にフェイトがナツメを見ると、彼女は、ざ、とアルベルを見上げて、その黒瞳に、戦士の光を滲ませて、叫んだ。

 

「団長! 先ほどは私や、国王様の事を思って退いてくださったのでしょう? ……だったら、それだけは絶対にいけません!」

 

 ぐ、と唇を噛むナツメを、アルベルの赤い瞳が見下ろす。一見、馬鹿にしているようにも見える、無感動な視線だ。

 が。

 見返すナツメの瞳は対照的に、どこまでも真剣で――真っ直ぐだった。見据えていたアルベルが、ふん、と鼻を鳴らして、興が醒めたように背を向ける。

 

「思い上がってんじゃねぇ、阿呆。……時間の無駄だ、行くぞ」

 

 言うなり、アルベルが大聖堂の出口へと大股に歩き出す。隠し通路と、反対方向の出口へ。その彼の意図を確かに読み取って、ナツメは少し、安心したようにこくりと頷いた。

 

「はい! ……と。その前に」

 

 ネルに向き直り、預けた刀を受け取ろうと右手を差し出す。

 と。

 かすかに俯き、考え込むように目を閉じていたネルが、ナツメを見返した。

 

「……アンタ、本当に(これ)なしで私達に付いてこようって言うのかい?」

 

「え……?」

 

 その突然のネルの問いかけに、目を丸くしたのはナツメだけでは無かった。

 

「ネル?」

 

「ネルさん!?」

 

 先ほどから状況を見送っている、フェイトやクリフもだ。これまで、ネルがアーリグリフに良い感情を持っていないのは、戦争で多くの仲間を失ってきた彼女の経緯を考えれば、当然だ。だからこそ、その彼女から、まさか許しが出るとは誰も考えなかった。

 ネルの士気を気にして、ナツメ達を退けたマリアも、意外そうにネルを見ている。

 その彼等を見返して、ネルはどこか、覚悟を決めた表情で、言った。

 

「アレンが言っていた『和平』って言葉……。それが実現するなら、私は一個人の感情に捕らわれるわけにはいかないだろ」

 

「ネルさん……!」

 

 そこまでアレンの、自分たちの考えを汲み取ってくれたネルに、フェイトは驚きと共に、感動すら覚えた。最初は完全否定された人間的な部分を、初めて、彼女が正式に認めたような気がして、それが妙に喜ばしく思えたのだ。

 出会った頃と、何かが変わった。

 そのことに関わり合えたコトが、フェイトには嬉しかった。

 

「かっこいいじゃん……! お姉さま!」

 

 傍らで、がっ、と指を組んだロジャーが、目をウルウルさせながら、拝むようにネルを見上げている。が。そのロジャーとフェイトには視線をやらずに、ネルは首を振って話を続けた。

 

「……それに。いざとなれば、爪のない歪みのアルベルと、刀を持たないアンタを、一緒に始末出来るということだろ?」

 

 ナツメに預けられた(シャープネス)を掲げて、ネルが挑戦的に笑う。

 これは、確認だ。

 ナツメが見せた覚悟が、果たしてどれだけ真剣に発せられたものなのか、どうか。

 ネルが、ナツメとアルベルを、じ、と観察する。それを受けたナツメが、本当に嬉しそうに破顔した。

 

「ありがとうございます!」

 

 頭を下げるナツメに、ネルは少しだけ黙考して――、組んだ腕を、す、と解いた。そして刀を神官の娘に託す。視線だけで彼女に、よろしく頼む、と言って。

 ネルは改めて、フェイト、マリア、クリフ、ロジャーを順に見るなり、封印洞への隠し通路を視線で促した。

 

「行くよ。……最早、星の船の奴等に、好きにはさせない」

 

「ええ!」

 

 頷くフェイトに続いて、一同が一斉に首を縦に振る。ネルも頷き、隠し通路を下って行った――……。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

「バケモノが!」

 

 忌々しげに叫んだバンデーン兵は、緊張で強張る手を何とかなだめながら、エリミネートライフルの弾倉を入れ替えた。かしゃんっ、と機械的な、軽快な音を立ててエネルギーが補填される。

 が。

 

 ひゅっ、

 

 バンデーン兵が、ふ、と頬に風を感じた瞬間、剛刀『兼定』を手にしたアレンは、既に刀を振り切っていた。

 

「な?」

 

 つぶやく間で、自分の脇をすり抜けていった連邦軍人を振り返る。すると、不思議なことに、彼の腰から下が、まったく言うことを聞かず正面を向いたまま――、アレンを振り返ろうとした上半身を、すぅ、と滑り落とした。

 視界が、徐々に斜め下にずっていく。

 アレンが刀を振り切ったとき、胴を両断されていたのだ。

 

「!」

 

 斬られた事を認識したバンデーン兵が、強張った表情で目を見開く。瞬間、彼の眼球が、ぐるんっ、と反転した。視界が暗転する。そして――、どっ、と鈍い音を立てて地面に崩れ落ちた、バンデーン兵の上半身と下半身から、血がどろどろと流れ始めた。じわり、じわりと。見る間に広がる血の池に、しかし、アレンは一瞥もくれず、す、と構えを解いて、その場に居合わせたバンデーン兵の死体をぐるりと見回す。

 ――さっきの兵で、最後だ。

 最早、周りに敵はいない。

 

 オーパーツと思われる光点(グリッド)まで、あと五十メートル弱。

 

「……っ」

 

 そこで、ぐ、と奥歯を噛みしめたアレンは、光点(グリッド)に近付くにつれて強くなる頭痛に、顔をしかめた。

 少し目を閉じて、頭に手をやる。

 

紋章力(ちから)の流れが速いな……)

 

 普段ならば、どうということのない負担だ。

 ――少なくとも、アレンにしてみれば、ぐらい、で済む疲労の筈だった。

 

「…………」

 

 確かに、アリアスで抱えた患者の数は膨大で、ディオンが重傷を負っていることにも気づかないほど深刻だった。――だがそれは、多くの負傷者を抱えたシーハーツ軍が、あの三日間、アレンをアリアスから引き離すわけにはいかなかった結果にすぎない。

 だから、後になってディオンが重篤だと聞いたとき、アルフの力を借りるしかなかったのだ。負傷してすぐの傷ならばアレン一人でも治せただろうが、ディオンの場合、三日間の間に傷口が化膿して、肉が腐り始めていた。

 アレンはそこで思考を中断して、ため息を吐いた。気を落ち着けるため、深呼吸する。

 ずきんっ、ずきんっ、と鋭く頭が痛んだが、弱音を吐いている場合でもない。アレンは、す、とオーパーツが存在するであろう光点(グリッド)の方向を見据えた。

 ともかく、今はバンデーンを追い払ねば。

 そうやって、自分を奮い立たせて。

 アレンは兼定を握った。頭痛が始まった辺りから、次第に刀身の光を増す兼定に、気付かないまま。

 

 キィイイイイイ……ッ

 

 この先にある危険を示すように。あるいは、共鳴でもしているように。

 いつもなら意識せずとも判る、小さく啼く兼定の『(こえ)』に、頭痛の所為で思考の鈍くなったアレンは一瞥もくれず、名も知らぬ遺跡、聖殿カナンの最深部へと向かって行った。

 まるで、そこに在るものに吸い寄せられるように――……。

 

 

 

 

 

 

「カナンはアペリスの聖地。セフィラが安置されている場所さ。セフィラとは清廉な光輝を放ち、聖なる水が溢れ出る神秘のオーブ。シーハーツの統治者の命を受け、様々な奇跡を起こすと言われている。シランドを囲む湖も、セフィラから溢れる聖水で満たされているんだよ」

 

「へぇ……」

 

 封印洞に入ったフェイト達は、長年放置され続けていたという王族の、侵入者対策を講じられた地下道を、難と言うこともなく進んでいく。

 中は構造が入り組んでいるため、道順的な苦戦こそ強いられたものの、概ね順調、というのが現状だ。そこで、少し余裕の出来たフェイトが、カナンやセフィラについて改めて尋ねた。その解答が、今のネルの説明だった。

 フェイトの傍らを歩いていたマリアが、考え込むようにうつむき、顎に手をやった。

 数瞬。

 顔を上げた彼女は、す、としゃがみ込むと、ポケットからスキャナーを取り出して、素早くデータを入力する。

 と。

 

「ふぅん……。なるほど。そういうことね」

 

 ピピッ、という電子音の後、算出されたデータを眺めて、一人頷くマリア。その彼女に、片眉を上げたクリフが尋ねた。

 

「どういうことだ?」

 

 問うと、立ち上がったマリアが、肩にかかった髪を払って、クリフを振り返った。

 片手間に、スキャナーに更なるデータを打ち込みながら、

 

「カナンという場所にはこの惑星の技術水準では……。いいえ、私達の技術でも識別できない種類のエネルギー反応があるわ」

 

「何だって?」

 

 聞き返すように顔をしかめるフェイトを振り返って、マリアは説明を続けた。どこか冷めた、ただ状況を冷静に吟味しているような、事務的な口調で。

 

「Out-of-Place Artifacts……いわゆる、オーパーツかもしれないわね。多分バンデーンは私達を索敵しているうちに、セフィラの反応をキャッチしたんでしょ」

 

「やはり、奴らはセフィラを狙ってるのかい?」

 

 表情が険しくなるネルに、マリアは相変わらず、冷静な表情でこくりと頷いた。飄々、とも取れる態度で、平然と、最悪の事態を言い放つ。

 

「十中八九そう考えて間違いないでしょ。今までの宇宙史を紐解いてみても、オーパーツを入手した者は皆、強大な力を手にしているわ。彼等がそれを欲しても、なんらおかしいことはない。むしろ当然のことでしょ」

 

「……ちょっと待って下さい。ということは、奴らは……オーパーツの反応を見つけて、この星にやってきたのではなく我々を索敵するのが本命だと?」

 

 その鋭いナツメの指摘に、マリアは答えなかった。

 視線だけをナツメにやって、答える義理はない、とばかりに前を向く。

 と。

 マリアに代わって、意外そうに表情を変えたのは、フェイトだった。

 

「……君、あの銀髪の軍人から何も聞いてないの?」

 

 てっきりアルフと行動を共にしていた彼女だから、事情には明るいと思っていた。それなのに、目の前のナツメは困ったように眉間にしわを寄せて腕を組むと、うぅん、と唸りながら、首を横に振った。

 どこか諦めているような、やれやれとため息を吐くような素振りで。

 

「アルフさんの言ってることは難しくて、理解出来ないことが多いんです。……でも、そうか。だから特務が派遣されたのか……」

 

 アレンを救助するためではなく――。

 つぶやいて、一人納得するナツメに、今度はマリアが目を丸くした。

 ぐ、と息を呑むような、強張った表情で。

 

「特務ですって!?」

 

「……マリア?」

 

 声を荒げるマリアを、不思議そうにフェイトが見やる。が、それを完全に無視したマリアは、ざ、とクリフを振り返った。

 

「どういうこと? クリフ」

 

 言及するように、鋭く。

 アレンに関する――否、銀河連邦の軍人二人に関する、正確な報告を受けていなかったマリアが、じ、とクリフを睨む視線の合ったクリフは、事態を重く見ていないのか、彼女の怒りにも似た切羽詰った様子を、軽く流すように肩をすくめた。

 

「どういうこと、も何も。たまたまこの星に遭難した連邦軍人が、特務の人間だった……。それだけの話だぜ?」

 

「その連邦軍人を救出に来た人物についても、そう言えるのかしら?」

 

 一分の隙なく、クリフを睨むマリアに、クリフは諦めたようにため息を吐いた。

 ぽりぽりと左手で頭を掻きながら、困ったように話を続ける。

 

「そいつに関しちゃ、そこの嬢ちゃんが言ってたように俺にもよく分からねぇ。……俺が言えんのは、お前の考え通り、奴が特務の人間で、そいつ(フェイト)のことについても色々知ってそうだってことぐらいだな」

 

「………………」

 

 考え込むマリアが、ちらりと横目にナツメを見る。恐らく自分より年下の少女(ナツメ)は、マリアとクリフの会話に不穏な空気を読み取って、表情を硬くしていた。

 一見、隠し事をしているようには見えないが――。

 マリアは、す、と目を伏せて一拍置くと、気を取り直すように、まあいいわ、とだけ告げた。

 瞬間、

 

「……皆!」

 

 フェイトの鋭い掛け声と同時、マリアを除いた一同が、一斉に、ざっ、と地面を蹴った。と、同時。どんっ、とマリアの肩に衝撃が走った。

 

「っ!」

 

 はっ、と視線をやる。と、一行の最後尾を歩いていたアルベルが、体当たり気味にマリアを突き飛ばしていた。瞬間。マリアの傍ら――つい先ほどまで彼女が立っていた地面から、雷が巻き上がった。まるで、その場に立っていたマリアを捕らえんと、空間ごと包み込むように、網目状に広がった雷が。

 

 バリリリリリリリリ……ッ、ッッ!

 

 後一瞬、アルベルの反応が遅ければ、確実に彼女を襲っていた。

 

「空破斬っ!」

 

 その後方から、一気にシャープエッジを抜き放ったナツメが、斬撃による衝撃波を走らせた。場所は――ちょうど、先頭を行っていたネルの左手側。古い騎士の彫像が並んでいる硝子ケースの向こうだ。

 

 斬っ!

 

 鋭く、速く走った空破斬が、ナツメの見切り通り、(サンダーフレア)の奇襲を仕掛けてきたメイジを吹き飛ばす。

 

「っぎゃ!?」

 

 短く叫ぶメイジが、物陰から叩き出される。瞬間、刀を抜いたアルベルが、メイジの目の前に迫っていた。

 ひっ、と息を呑む、メイジが杖を握るよりも速く、

 

「双破斬っ!」

 

 容赦なく振り切られた、上、下段の二連斬が、メイジを両断する。強張ったまま、こちらを見据えるメイジが、恐らく『斬られた』と自覚するよりも早く。

 どっ、と二分され、その身体が封印洞の床を叩いていった。

 それを無感動に見下ろして、鼻を鳴らしたアルベルは、ゆっくりと刀を納めた。

 

「……ふん、所詮はクソ虫か」

 

 フェイトやクリフ、ネルにロジャーが動くよりも早く。

 

「………………」

 

 身構えていた四人が、アルベルとナツメを見やる。恐らく趣旨は違うだろうが、同じような表情で。

 その彼らの様子をまったく気にしていない――というより、気づいていないナツメが、アルベルを見て親指を突き立てた。

 

「ナイスコンビネーションですね! 団長!」

 

 言って、に、と笑う彼女に、アルベルは素っ気なく、吐き捨てるように答えた。

 

「阿呆! 今のは、相手がクソ虫だったからうまく行ったんだ。(アルフ)相手に、こうも技が決まるかよ」

 

 顔をしかめて、いかにも不機嫌そうに舌打つアルベルに、ナツメの方は楽天的だ。そうかなぁ、とつぶやきながらシミュレーションを描いて――固まっている。

 そのナツメを横目に一瞥して、アルベルは視線を、こちらを見据えている――というより、睨んでいるフェイト達四人に向けた。

 

「……何だ、クソ虫共?」

 

 どこか、挑発的に。

 否。

 完全に、挑発だった。アルベルは納刀した刀の柄頭に、どっかりと義手を乗せて、横柄にフェイト達を見下している。

 瞬間。

 クリフとロジャーの瞳が、ぎらりと輝いた。

 

「……野郎!」

 

「メラ、ムカつくじゃん!」

 

 唸って、同時に拳を握りこむ、クリフとロジャー。その二人の肩を、ぽん、とフェイトが叩いた。

 

「そうムキになるなよ、二人とも」

 

 溢れんばかりの、無駄に、爽やかな笑顔だった。

 にこにこと、どう見ても嘘くさい作り笑いを浮かべたフェイトは、クリフとロジャーが、不審そうにこちらが振り返るのと同時、

 

「ヴァーティカル・エアレイド!」

 

 部屋の隣を歩いていた、長柄の斧を持った中身の無い鎧――フローディングアーマーに、ブロードソードを二閃させ、振り上げの剣風と、振り下ろしの剣圧を叩き込んだ。

 

 ……ず、しぃいいいんんん……っっ!

 

 電池の切れたロボットか何かのように、フローディングアーマーの巨体が地面に転がる。硬い地面と、硬い鎧が叩き合う音が、甲高いが重量を窺わせて、クリフ達の腹に響いた。

 フローディングアーマーが、部屋の戸口に姿を見せた一瞬のことだった。

 その一瞬の隙で、フェイトがは言語道断で敵を轟沈させたのだ。

 

「……フェイト!」

 

「兄ちゃん……!」

 

 悠然と、ヴァーティカル・エアレイドを放って上空に飛んでいたフェイトが、とっ、と軽やかに着地する。その彼を見上げて、クリフとロジャーが、感極まったかのように、がっ、と拳を握りこんだ。

 

「悪だな!」

 

「悪じゃん!」

 

 完全なる不意打ちを揶揄する二人に、フェイトが無言のまま、ふ、と微笑いかけて――そのまま、勝ち誇ったかのような視線をアルベルに向ける。刀の柄頭に義手を投げ出し、棒立ちになっていたアルベルでは、決して反応できなかったタイミングでのフェイトの荒行だった。

 アルベルは、ぴくりと瞼を震わせ、少しだけ目を細めると、低く、ほぅ、とだけつぶやいた。

 

「……上等だ、阿呆」

 

 義手を柄頭からどけ、アルベルは、カシャリ、と爪の無くなった義手を鳴らす。

 フェイトはどこか悠然としていた。――全面戦争を終えてから、少しずつだが、切れ味の増しているブロードソードを手に、無駄に、爽やかに笑う。

 

「この程度で調子に乗られちゃ、こっちも困るんだ」

 

 それがフェイトなりの答えだと察したアルベルは、ふん、と鼻を鳴らして、興味深そうに口端を吊り上げた。

 瞬間。

 フェイトの傍らで、がんっ、とクリフが、ガントレットを打ち鳴らした。

 

「待てよ。その勝負(ケンカ)、俺も買うぜ」

 

「クリフ……!」

 

 不遜に笑うクリフをネルが見やると、視線の合ったクリフは、酷薄に刻んだ笑みを、さらに凶暴にするように、うっすらと目を細めた。

 

「舐められっぱなしってのは、俺の一番嫌いな言葉なんでな」

 

 その視線の先には、アルベルがいる。

 挑戦的、というよりは挑発的だろう。そんなクリフの視線を受けて、ふん、と鼻で笑ったアルベルは、挑発に答えるように、次の部屋へと視線を向け、大股に歩き始めた。

 その後を、無言でフェイトとクリフが続く。

 その彼等三人の背を見送りながら、やれやれとため息を吐いたのはナツメだ。

 

「喧嘩っ早いですねぇ。協調性、っていうのが感じられません」

 

 そう言って首を横に振るナツメを、ネルはしかし、外見に惑わされずに油断無く睨んでいた。

 当然だ。

 戦場で出会った時のナツメは、恐ろしく冷たい光を、その黒瞳に浮かべていたのだから。

 そして何より、彼女の持つ戦闘能力が、ネルに警戒を怠ることを許さない。そんなネルの鋭い視線を気配で察したのか、ネルを振り返ったナツメが、にこりと笑った。

 

「ああ、大丈夫ですよ! 私はあの人達のように単独行動を取ったりしませんから!」

 

 無言のまま睨み合うアルベル、クリフ、フェイトを横目に、ナツメはそう言って視線をマリアに向ける。何やら驚いた表情のまま、固まっている彼女を。

 ナツメが少し、不思議そうに見やった。

 だが。

 そんなナツメの視線には気づかず、マリアは呆然と、瞬きを繰り返していた。

 

(なん、ですって……?)

 

 本心を押し隠すように、胸中でつぶやいた後。そ、と口元を手で覆った。

 ミラージュより戦闘訓練を受けたおかげで、マリアは射撃、体術の両方においてそれなりの自信があった。だから、バンデーン兵が船を降り、地上に降りてきた所を迎え撃つフェイト達と同行したのだ。

 ――それなのに。

 目の前にいる彼等は、マリアの実力をはるかに凌駕していた。

 マリアの予想、ではなく、実力を。

 その事実が、彼女に重い衝撃として圧し掛かる。少なくとも、先ほどのメイジの奇襲攻撃に、マリアは気づかなかったのだ。

 アルベルとナツメが対処したとはいえ、マリアを除いた誰もが、即座に臨戦態勢を取っていたにも関わらず。

 

「……!」

 

 ぎ、と奥歯を噛む。じわりと滲む劣等感を、マリアはプライドだけで押し隠した。

 銃を握る手に、力を込める。

 と。

 ずっとマリアが沈黙していたからか、足元から、声が上がった。

 

「姉ちゃん! そんなに心配しなくても大丈夫だぜ! あの兄ちゃん達じゃ頼りねぇだろうから、オイラが守ってやるじゃんよ!」

 

「え……?」

 

 はた、と瞬きを落として視線を落とす。と、足元にいるロジャーがこちらを見上げて、ニッと白い歯を見せていた。

 

「え、と……。ええ、ありがと」

 

 そのロジャーに、小さく笑うマリア。だが彼女は「でも」と言い置いて、肩に流れた青い髪を、さっ、と後ろに払った。

 改めて銃を持ち上げて、

 

「私、守られるだけの女じゃないわ」

 

 言い切る。

 あくまで毅然と。まるで自分に言い聞かせるように。

 そのマリアを横目で見据えていたナツメが、視線を進路に向ける。マリアと対峙していたロジャーが、不思議そうに、んぁ? と素っ頓狂な声を上げたが、ネルにヘルメットを叩かれ、行くよ、と催促されるなり、その疑問を打ち消した。

 早々に先へと進んでいったフェイト達の後を追ったナツメに続いて、ネルも封印洞の奥へと急ぐ。少し歩調を速めてマリアの傍らに着くなり、

 

「同感だね」

 

 そう小さく、ネルはマリアにささやいた。

 顔を上げ、こちらを見据えるマリアを肩越しに振り返って、ネルは小さく微笑った。

 

 



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50.セフィラ

 頑強な石造りではあるものの、年季の入った封印洞は、所々、石段が崩れている所がある。それでも概ね、遺跡としての機能を保持しているそこは、マリアのクォッドスキャンがなければ、恐らく迷い込んだだろう。地下に潜ったフェイト達が、カナンへ続く階段を見つけたのは、封印洞に入って、少ししてからだった。

 

「どうやら、あそこが聖殿カナンの入り口みたいだ」

 

 床に紋章陣が大きく描かれた広間の奥に、上に上がる階段があった。

 フェイトの言葉に、一同が頷き、歩を進める。

 瞬間。

 先頭を行く、フェイトの足が紋章陣を踏むと同時、紋章陣が、強く輝き始めた。

 

 ぱぁあああ……っ!

 

 その白い光を見据えて、一同が臨戦態勢に入る。

 白い光の中――紋章陣から、中身の無い、胸部だけの鎧が、両腕に剣を持って迫り出してくる。

 瞬間。

 

「ヴァーティカル……」

 

「させるかよっ!」

 

 気を剣に凝縮し、強化の紋章陣を描きながら振り上げの一閃を放つフェイト、を脇にどけ、上空高く飛んだクリフが、右足に黄金の闘気をまとった。踵に、気が集まる。

 瞬間。

 かっ、と目を見開いたクリフが、地面へと急降下する。フローディングナイトの――恐らく中身があれば心臓を、加速されたクリフの蹴りが、上空から射抜いた。

 

「エリアルレイド!」

 

「ばっ――!」

 

 と、同時。

 マリアが悲鳴に近い声を洩らす。思わず頭を左腕で庇った彼女は、フローディングナイトの胸を蹴り抜いたクリフの蹴りが、地面を穿ったのを見据えて――

 

「げ――っ、っっ!?」

 

 マリアより少し遅れて、事の重大さに気付いたフェイトが、慌てて後ろに跳んだ。行き場を無くした、クリフの闘気が爆散する。

 一瞬、音が遅れた。

 静寂。

 

 ずどぁああ……っ!

 

 視界が、白くなる。

 静寂を引きちぎって広がった衝撃波が、凄まじい勢いで吹き荒れた。髪が後ろに引っ張られていく。突風にもまれ、目も開けられない。

 当然だ。

 密室で、フローディングナイトを蹴り抜くだけでは納まり切らなかった闘気が、部屋全体に広がっていったのだから。

 逃げ遅れたロジャーが、爆心地から、ぎゃああああっ、と悲鳴を上げていた。

 

 ――そして、

 

 盛大に部屋の砂塵すべてを吹き飛ばした闘気の、爆心地に立ったクリフは、満足そうに笑っていた。

 己の偉業を誇るように。

 

「ま、こんなもんだな。おい、もう出てきても大丈――」

 

 言って、振り返った彼は――、砂塵まみれの仲間の姿に、あ、とつぶやいた。くもの巣を全身につけたマリアが、ぎろり、とこちらを睨んでいる。

 マリアだけではない。砂塵まみれで白っぽくなったネルや、無言のまま刀を抜いているアルベル。そしてアイシクルエッジの準備を終えたフェイトも、静かに己の内にある闘志を燃やしていた。

 ひんやりと、クリフの背に冷たい汗が伝う。そんな中。唯一、場の空気を読んでいないナツメが、埃をかぶっても気にしていないのか、けらけらと笑っていた。

 

「いやぁ……! さすが古代遺跡! すごい埃ですねぇ~!」

 

 そんな彼女の言葉で場が和むほど、皆、大人ではない。

 

「お、おい……。ちょっと待てよ。こいつぁ不可抗力――」

 

 ふるふると首を横に振って弁解するクリフ。冷や汗が、焦りに変わっている。

 じりじりと、間合いを詰めるフェイト達は、恐ろしく無表情だ。

 そして、

 

 パシュィンッッッ!

 

 マリアの銃口が火を噴いた瞬間。フェイト達は一斉にクリフへと踊りかかった。

 

「ぐ、ぉおおおお……っっ!」

 

 断末魔とも、最後の抵抗への意気込みとも取れる、クリフの叫声が、ただ、遠く響いていた――……。

 

 

 ◇

 

 

 アルフの頭上から降り注ぐ水が、けたたましく鳴っている。水が、岩を叩く音。とめどない、自然が作る調和の音を耳に、彼は紅瞳を彼方へと向けた。

 イリスの野。

 都と街を繋ぐ街道とは表情が違い、高い雑木に囲まれたこの場所は、『野』というより森林のような場所だった。

 アルフが初めて見る『滝』の下流に、彼の求める男が立っていた。

 頑強にして、壮健。

 アルフと同じ銀髪であるにも関わらず、その印象はまったく異なる、まるで野生の獣のように乱れた髪と、鍛えこまれた体。褐色の肌に幾重にも刻まれた、戦いの痕が、本来の男の職業を兵士か何かと誤解させる。

 その背から滲み出す、心地よい空気に、アルフは、に、と口端を吊り上げた。

 

「ずいぶんと探したぜ。鍛冶師ガスト」

 

 名を呼ばれ、巨大な槌を手にした男は、ゆっくりと振り返った。みずぼらしい、と形容したくなる要素ばかりを持った男は、しかし、精悍な眼差しをこちらに向ける。

 鍛冶師ガストは、初めて対した狂人の瞳に、静かに目を細めた。

 

「お前は?」

 

 問うと、狂人は薄く笑った。

 

「野暮なことを」

 

 瞬間。アルフを取り巻く空気が変わった。

 

 ……ぴしぃ……ぃいいいいっ、っっ

 

 風に吹かれ、さわさわと揺れていた木々が、突如、張り詰まった空気に呼応するように、ぴしぃっ、ぴしぃっ、と音を立て始めた。はらはらと散る木の葉が、枝を打つ木々が、水が、風が、悲鳴を上げるように、一瞬にして表情を変える。

 ざわ、と空気が啼いた。

 

「ぬ」

 

 それを肌で感じながら、ガストはゆっくりと槌を握り締める。幾千、幾億の血を受けて染まったような狂人の紅い瞳が、ガストを見る。

 

 ふっ、

 

 気付けば、それは目の前にあった。

 

「覇ァッ!」

 

 反射的にガストが叫ぶ。

 

 ズドォンッ……!

 

 巨砲が放たれたような音を立てて、アルフの拳がガストの掌にぶち当たる。後一瞬。ガストの判断が遅ければ、ガストの命を絶つ。そんな意思を示すかのような拳が。

 アルフが女のように美しく笑んだ。狂人の色香を引き立たせる。――死の、色香を。

 

 ぞ……っ、

 

「っ!」

 

 背に走った悪寒に、ガストはアルフの拳を握り締めると、狂人の痩躯を川べりの巨岩に叩きつけた。

 

 ずだぁんっっ!

 

 清々しい軽快な衝突音が耳に響く。が、アルフは足から着地していた。ダメージはない。が。まるでそれを読んだように、ガストの巨大な槌が、アルフの真横に振られていた。

 

「!」

 

 見るからに超重量武器。その癖、ガストの槌は、鋭く、速く。確実にアルフを捕らえている。それに、軽く目を見張ったアルフは――、

 

 とっ……、

 

 槌に向かって、拳を握り締めた。

 紅く、苛烈に燃える、炎の闘気を込めて。

 紅い瞳が、狂おしく輝いた。

 

 ……ズドォオオオオオンンッッッ!

 

 炎が、迸る。

 職業柄、幾度も炎と対峙してきたガストをも、一瞬、怯ませるほどの巨大な炎が。

 大きさではなく、収まり切らないほどの質感を、無理矢理凝縮したような炎が。槌の威力を殺すだけでは飽き足らず、川の水を、風を、木を巻き込んで空へと立ち上がった。

 

 ずどぁあああああっっ!

 

 巨大な、水柱が立つ。視界を水しぶきで白く染めるその一撃は、ガストが初めて見たものではなかった。

 

(……アレン!)

 

 型は違えども、練気、拳速、隙の無さ。そのどれもが、ガストが唯一、勇者と認めた男と同じだ。豪雨のような水が、水柱から降る。その所為で立ち込めた一時的な濃霧が、あの狂人の、姿を隠した。一度見ただけで、強烈な印象を与える、あの紅い瞳を。

 そして――、

 

「……なるほど。噂通りか」

 

 霧の晴れた場所に、素知らぬ顔で立った狂人は満足そうに微笑った。アレンとはまったく違う、優しさや温かみとは疎遠の、薄笑いを浮かべて。

 その男を、じ、と見据えて――。

 人にしては、あまりにも完璧すぎる美貌。だがそれだけではない男を、じ、と見据えて。

 

「……名を、何と言う?」

 

「アルフ・アトロシャス。アンタから刀を貰いにきた」

 

 率直に答える男に、ガストは、に、と笑った。

 男が持つ凄まじい狂気に隠れた――魂の気高さを、確かに見咎めて。

 

(よもや、この短期間に、二度もこのような逸材に出遭えるとはな……!)

 

 ガストは自分の中に湧いた衝動を、抑えられなかった。

 

「いいだろう。瓊鋼(たまはがね)を振るうに相応しき、剣士よ」

 

 くく、と喉を鳴らしたガストは、アルフを見据えて言った。

 

 

 

 ………………

 …………

 

 

 

「気を引き締めていくよ。本来、この奥は王家の者もしくは神の使いしか入ることができないとされる聖域なんだ。賊除けの罠が無数に仕掛けられているという話もある」

 

 フローディングナイトを撃退した後、奥にあった階段を上ると、案の定、聖殿カナンと思われる、白い石造りの遺跡内に入った。

 それを認めたネルが、開口一番にそう言ったのだ。

 傍らで、青痣をいくつも作ったクリフが、真面目な表情で目を細める。

 

「奴らがそれにやられてくれると助かるんだがな」

 

「あまり期待はできないわね。彼等は高性能のスキャナーを持っているはずだし」

 

 マリアがそう言って、スキャナーを操作する。ぴぴっ、という電子音の後、バンデーンの位置を確認している彼女に、ふぅ、と長いため息を吐いたクリフは、肩をすくめた。

 

「だろうな」

 

「とにかく、急ごう!」

 

 言うと同時、駆け出そうとして――、ナツメに引き止められた。

 

「あの……、フェイトさん。これは何ですか?」

 

 ナツメが指差したのは、部屋の中央に置かれていた、男性の石像だ。右手に杖にも、槍にも見える大振りの得物を握り、遥か虚空を見据えて立っている。精悍そうな顔つきと、漂う風格から、ただ一枚の長衣を着ているだけでも男性が高貴な身分の彫像であることがうかがえた。

 遠い地球の歴史にあった、ギリシャ神話の神に造形が似ている。そんな一見、何の変哲もない石像に歩み寄って、フェイトは石像の下にあるプレートに目を留めた。

 

「『誇りをかけて証を手に入れよ』か……。何かの暗号かな?」

 

「扉が四つであることと、何か関係があるんでしょうか?」

 

 フェイトの言葉を聞いて、ナツメが目の前に並んでいる四つの扉を見る。途端、それまで大人しくしていたロジャーが、斧を振り上げた。

 

「オイラオイラ! 絶対、オイラが行くじゃん!」

 

「ま、仕掛けか何か知らねぇが、俺の敵じゃねぇぜ」

 

 ロジャーに続いて、クリフもガントレットをはめ直す。

 はた、と瞬きを落としたフェイトが、思いついたようにつぶやいた。

 

「なるほど……。つまり四つに分かれて、全部の扉を網羅すれば早いってことか」

 

「……ふんっ。貴様等など敵じゃねぇが、まあいい。その勝負、乗ってやる」

 

「言ってろよ、気障野郎が。すぐにでも吠え面かかせてやらぁ」

 

「クソ虫が」

 

 拳を握りこむクリフと、爪のない義手を鳴らすアルベルが、ぎろりと睨み合う。それを満足げに見やって、フェイトは改めて扉へと向き直った。

 

「じゃ。一着には、ペターニのクリエイターたちから豪華景品プレゼントってことで」

 

「そいつはもちろん路銀全部つぎ込んで、だよな? フェイト」

 

「当然だよっ!」

 

「……なんだって?」

 

 悪い顔で笑い合うフェイトとクリフに、ネルが殺気立った視線を送る。だが彼女の制止より先に、フェイトは一番左端の扉へと入っていった。

 

「景品があんのか!? ……よぉしっ!」

 

 そのフェイトに続いて、ロジャーも左から二番目の扉に入る。それを見咎めて、クリフが、は、と目を見開いた。

 

「くそっ! フライングか!」

 

「小賢しい!」

 

 クリフとほぼ同時に吐き捨てたアルベルが、クリフと同時に部屋へと駆けていった。

 クリフが右から二番目、アルベルが右端の部屋だ。

 そんな彼らの行動に、ネルは忌々しげに舌打った。

 

「勝手なことを……!」

 

「待って。……この崩れた壁、跡がまだ新しいわ。恐らく、バンデーンが壁を破壊してセフィラに向かってるのよ」

 

 頭の痛い気持ちで彼等の後を追おうとしたネルを制して、マリアは右手の壁を指差した。正確には壁であった壁、だ。

 無残にも、人が通るほどの大きさに刳り貫かれたその壁は、マリア達が今、立っている場所からライフルを放ったのを窺わせるように、穴の奥へ瓦礫が流れている。

 

「あ、ホントですね! でも、これだけの大掛かりな穴ともなると、敵の装備はエリミネートライフルだけじゃなさそうだ」

 

 言いながら駆け寄ったナツメが壊れた壁を触れる。からんっ、と小さい音を立てて、壁から石が転がり落ちた。

 

「聖殿に、なんて真似を……!」

 

 拳を握るネルを横目に、マリアもこくりと頷く。

 

「…………」

 

 じ、と。

 腕を組んだまま、バンデーンの作った『通路』を見据えて、ネルは静かにつぶやいた。

 

「……行こうか」

 

「そうね」

 

 短く答えるマリアの声は、これ以上ないほど素っ気ない。それを指摘するほど、ネルも野暮ではなかった。

 

「ちょっとだけ、部屋の中も気になりますけどね……!」

 

「景品は、あたしたちで山分けにしようか」

 

「それは良い考えだわ。巻き上げられるだけ巻き上げてやりましょ」

 

「っふふ」

 

 楽し気に笑うマリアとネルを尻目に、ナツメはフェイト達が入っていった部屋の扉を振り返った。

 

(これはヤバい導火線に火を点けちゃったんじゃないですかね? フェイトさん、クリフさん、ロジャーくん、団長……っ!)

 

 あなた方、生き急ぎ過ぎですよ、などととても口にできないナツメを先頭に、マリアとネルはクスクスと笑いながら、部屋に入ったフェイト達よりも遥かに早く、セフィラが安置されている間へと進んでいった――……。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 石造りの遺跡を最奥に進むと、祭壇に掲げられるように浮かんだ銀色の球体が、噴水のように止めどなく、水を生み出していた。白く、仄かに輝く球体は、ほわほわと低空をホバリングし、球体の下、腰の高さにある四角い台に向けて、水を流し続けている。

 球をすっぽりと包むほどの台座は、球体より生まれる水を四つに分かち、部屋の四方へ流していく。水の流れは、かなり速い。量にすれば激流と言っていいはずだが、水音は不思議と静かだった。

 そのことに首を傾げながら、アレンは視線を、クォッドスキャナーに向けた。

 

「これがオーパーツ、か」

 

 ずきずきと痛む頭が、限界を告げている。アレンは痛みに耐えるように目を閉じると、クォッドスキャナーを握った右手で頭を抱え、頭を軽く振った。

 途端。

 眩暈のようなものを感じて、アレンは、がくん、と落ちた下半身に、息を呑んだ。

 

「……、っ!」

 

 倒れる――寸前で、台座に寄りかかって体を支えた。さわさわと流れる白く光る水が、アレンの左手と、兼定の鞘を伝っていく。だが、そんなものを気にしている余裕もない。

 

 ……ばしゃっ!

 

 台座に寄りかかった手が滑り、鈍い音を立てて、膝から球体から流れる水に倒れこむ。

 

「く、……っ!」

 

 前のめりに、台から滑り落ちたアレンは、ここに来て自分の異常を完全に認識した。座り込むように台にもたれかかり、うつむく。

 

(一体、どうしたと――)

 

 頭痛にしても、これは異常すぎる。胸中でつぶやいた瞬間。倒れた拍子に、セフィラに触れた右手から、大量の紋章力が流れ込んできた。

 

 紋章――否、情報が。

 

「っ、……っっ!」

 

 アレンは息を呑んだ。

 どっ、と。確かな重みを持って流れ込んでくる紋章力に、なす術もない。

 苛烈に。激烈に。

 見開かれた蒼の瞳に、それは押し流れてきた。

 

(なん、だ……っ!?)

 

 アレンの瞳孔が、完全に開き切る。瞳が正常に機能していたとしても、アレン自身、何かを見る余裕はなかっただろう。

 

 最初に視たのは、時計だった。

 

 暗い――宇宙の闇のような漆黒のなかで、金と青で出来た大きな振子時計が揺れていた。文字盤はない。時計塔のように真っすぐに伸びたそれは、精緻な装飾を幾重にも刻み、振り子が左右に揺れるたび、かち、かち、と規則的な音を奏でていた。

 宇宙の中で、そこだけ、時が流れているようだ――……。

 

 そして。

 視界が急転する。ぐるんっ、と頭が振られるような感覚だ。それと同時、今度は、壮健な白い石造の建物が、軒を連ねていた。

 

 照りつけるような強い日差しが、ちりちりと石畳を焼いている。そこを多くの、鎧をまとった兵士達が埋め尽くしていた。

 兵士達の容貌は、茫として分からない。

 ただ白っぽい鎧の兵士達は、高台に乗った女性を見上げて、何やら喚いているようだった。

 上空に向けて、白い球を掲げている彼女に――。

 

 暗転。

 

 ぐるんっ、と回転した視界の先は、不毛の大地だった。

 岩がある。赤茶けた、しわがれた岩だ。

 空も赤い。

 他は何もない。寂しい場所だ。

 そこに柱が立っていた。どこかで見たこと気がしたが、アレンがそれを認識するより早く――……。

 

 最初に見た、時計の音が、かちっ、かちっ、と頭に響く。

 段々、速く。

 

 かちっ、かちっ、

 かち、かち、かちかち、

 かかかかかかかかっっっ、

 

 音が速く鳴るにつれ、視界が、目まぐるしく変わっていく。

 

 水の無い海。

 赤い空。 

 枯れた森。

 半透明の町。

 そして――、

 

 情けを捨てよ

 人を斬るために、情けを捨てよ!

 

 幼い頃、幾度となく聞かされた、父の教え。

 手に残る、骸の感触。

 

 そして――……

 

 門。

 

 二つの紐を幾重にも絡めて作った逆三角形の杯に、球体を乗せた紋様の、門。

 空に――、宇宙(そら)に続くその門が……、

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

「ここまでだ」

 

 こめかみに、ご、と違和感が当たって、アレンは顔を跳ね上げた。兼定を握る。

 

「おっと、動かないでもらおうか?」

 

 続く言葉に、アレンは眼球だけを動かして、男を見た。目の前に銃口がある。白い砲身は、人間の組織細胞を完全に消滅させるエリミネートライフルのものだ。アレンを取り囲むように、その銃口が向けられている。

 気づけば、バンデーン兵に囲まれていたのだ。

 アレンの背中を、冷や汗が伝う。だが、絶体絶命な状況に対してではなかった。

 反射的に兼定を握るが、これを振り上げる余力がない。

 

(なんだ……! この、脱力感は……!)

 

 かつて感じたことのない疲労。瞼が重く、兼定を握る感覚以外、自分が立っているのか座っているのかも認識できない。

 

「よくも、ここまで。ご苦労だったな」

 

 くく、と喉を鳴らすバンデーン兵の声が、遠く聞こえた。余興に酔っているのか、彼は絶対的有利を誇示するように、口端を吊り上げる。

 

「まさか、たった一人にここまで同胞を殺られるとは思わなかったぞ。……さすがは特務(スペシャル)と言ったところか」

 

「だが、それも終わりだ」

 

「死ね」

 

 四方に立ったバンデーン兵が、引き金(トリガー)に手をかける。チャッ、という金属のかすれる音がしたが、アレンに聞こえたのは自分の荒れた呼吸だけだった。ここまで体力を――、否、精神力を削り取られたのは、初めてのことだ。

 死ね、とつぶやいたバンデーン兵が、エリミネートライフルの引き金を引く。反射的にアレンは迎撃しようと息を呑んだ。

 

 ゅぃんっっ、……!

 

 アレンを囲んでいたバンデーン兵の首が、ふいに切断されていった。

 ライフルを握ったままの兵達が、倒れこんでいく。切断された拍子、上空に飛んだ首が不思議そうに目を見開いていた。

 

 べしゃっ……!

 

 肉塊と化したバンデーン兵から、瞬間、おびただしい量の血が噴き出した。

 ばしゃぁあああああっ、と。

 シャワーを最大限に開いたときのような、けたたましい勢いで。

 

「……やれやれ」

 

 それを一瞥もせずに、アレンを見下ろすもう一人の連邦軍人は、心底興ざめた様子でため息を吐いた。

 

「この程度の相手に手こずられちゃ困るぜ、アレン」

 

 言って、台に寄りかかったアレンの腕を掴むなり、兼定ごと彼を引き立たせる。アレンの珍しく力無い蒼瞳が、緩慢な動きで見返してきた。

 

「……アル、フ……?」

 

 憔悴し切ったアレンの顔を見下ろして。アルフは、はた、と瞬きを落とした。

 

「どうした? お前?」

 

 問いかける。

 今まで見たことのない、同僚の異常。土気色の肌をしたアレンは、唇が真っ青だった。アルフがふと兼定を見る。力なく――しかし、握りしめられた兼定の刃が、鞘から抜け出そうとするように、淡く、黄金の光を、鞘の隙間から放っている。

 

 キィイイイ、

 

 啼くような、兼定から不思議な音が聞こえていた。

 

「?」

 

 それが理解できずにアルフが首を傾げると、ばんっ、と荒々しく、セフィラ安置所の扉が開かれた。

 

「セフィラから離れろ!」

 

 鋭く恫喝したフェイトが、剣を握り締めてアルフを睨んだ。彼の後ろに続く仲間達も、緊張した面持ちでそれぞれの武器を携えている。

 彼等を見返して、アルフは、ああ、とつぶやいた。

 

「終わったみたいだぜ。それとも、まだ用か?」

 

「え……?」

 

 きょとんと対峙したフェイトが、間の抜けた表情で固まる。敵が居る、そう確信していたのだろう。アルフの終わった、という一言に、彼は所在なく視線を動かした。

 

「え、……っと?」

 

 首を傾げながら、フェイトはアルフに支えられているアレンを見た。傍らから、アルベルがカシャリと義手を打ち鳴らす。

 

「テメエ、一体今まで何処に――」

 

 アルフを睨んで、事の次第を問おうとしたアルベル――を、完全に無視して、最後尾を歩いていたナツメが、アレンに駆け寄った。

 

「アレンさん!」

 

 その声を皮切りに、呆然と、弱ったアレンを見据えていたクリフ達が、はた、と瞬きを落とす。

 徐々に現状を理解し始めた彼等は、思わず首を振った。

 

「お、おい……!」

 

「まさか、アレンがやられたってのかい!?」

 

「あり得ねぇじゃん……!」

 

 息を呑む彼等に、フェイトも頷いた。視線をもう一度アレンに戻すと、ナツメが慌ててアルフを見上げていた。

 

「アルフさん! 一体何が!」

 

「さあ? それはコイツに聞いてくれ。俺が来たときには、もうこの状態だった」

 

 顎をしゃくってアレンを示すアルフに、ナツメは視線をアレンに落とす。

 見たところ、外傷は無い。だが顔色が最悪だ。恐る恐るアレンの首許に手を当てると、微かにアレンが震えているのが分かった。

 

「!」

 

 息を呑むナツメが険しい表情で、今にも泣きそうな表情で、心配げにアレンを見る。すると、アレンを支えていない左手で、アルフが、ぽんぽん、とナツメの頭を叩いた。

 瞬きを落としたナツメが、視線を上げる。

 対峙したアルフが、視線で出口を示した。

 

「とりあえず、ここにいても仕方ない。出ようぜ、ナツメ」

 

「……はい」

 

 頷いて、ナツメも出口に視線を向ける。

 すると、フェイト達と図らずも対峙する形になったアルフは、マリアを見るなり軽く片眉を上げた。それ以上の反応は示さない。

 

「それじゃ」

 

 誰ともつかない相手にそう言って、アルフは歩を進める。背中に視線。それはフェイト達の中で、最も警戒した眼差しを向けている、アルフと初対面の少女のものだ。

 服の材質や、装備を検めなくとも分かる。

 彼女が――反銀河連邦(クォーク)(リーダー)、マリア・トレイターであることなど。

 

(なるほど。リオナ博士も、なかなかやるじゃん……)

 

 バンデーンの真意を探る際、上層部(うえ)から命令が下る前に始めたロキシ・ラインゴッドの研究捜査――それに先立って手伝ってくれた研究員を思い出して、アルフは小さく肩をすくめた。

 

「待ってくれ!」

 

 アルフの背に、声がかけられる。振り返ると、あの青髪の青年が、神妙な面持ちでこちらを見ていた。

 

「そいつは……、アレンは、僕等の仲間だ! そいつを連れて行くなら、僕等も付き添わせてもらう!」

 

「仲間……?」

 

 思わず問い返したアルフは、不思議そうにフェイトを見返した。完璧すぎる美貌を、本当に不思議そうに、傾げて。

 

「お前と、こいつが?」

 

 もう一度、問いかけた。すると拳を握ったフェイトが、重々しく頷いた。

 アルフがわずかに目を瞠る――数瞬の間を置いて、気を取り直すように長いため息を吐いた彼は、やれやれとつぶやいて踵を返した。

 

「悪いが、俺はアンタに付き合う気はない」

 

「待て!」

 

 部屋を出て行くアルフを引き止めるも、完全に無視された。

 振り向くことも、歩調を緩めることもせずに、アルフはすたすたと去っていく。迷わずフェイトが追った。否、フェイトだけではない。ネルやロジャーも、だ。

 

「待ちな!」

 

「このバカチン! マイペース過ぎるじゃんよ!」

 

 当然、歩いているアルフにはすぐに追いついた。ばたばたというフェイト達の足音を耳に、先行するアルフが、小さく溜息を吐いてアレンを見る。

 

「ったく……、だから何でもほいほい拾うなって言ってんのに。面倒な」

 

「アレンさんですから!」

 

 に、と笑うナツメを横目に、アルフはお手上げ、と言わんばかりに肩をすくめる。

 

「それに。アルフさんだって目を付けられてますよ!」

 

 言われてアルフが振り返ると、フェイト達に混じって、追ってくる漆黒団長を見つけた。アルフは苦笑とも失笑ともつかないつぶやきを残して、片眉を吊り上げる。彼の唇から、ゆっくりとため息がこぼれていった。

 

「……勘弁してくれ」

 



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51.報告

 カナンからシランド城へ戻ってきたフェイト達は、アルフを伴って謁見の間に来た。

 当然、そもそも使者という名目でシランドを訪問したアルベルも一緒だ。

 フェイト達から少し離れた、謁見の間を中央で分かつ赤い絨毯の向こう側に悪名高い漆黒団長は突っ立っていた。まるで女王に媚びる気が無いと告げるように、刀に腕を預けて。

 一方、ある意味、アルベルよりも危険な狂人は、意外にも大人しいものだ。フェイト達の最後尾で、静かに頭を下げている。

 場を弁えているのかもしれない。

 気絶したままのアレンは、ロジャーとナツメが付き添い、アストールに頼んで客間まで運んでもらった。

 だから、今、この場にいるのはフェイト、クリフ、ミラージュ、ネル、マリアだ。

 フェイトは改めて、女王の方に視線を向けた。女王の顔を見ることは出来ないので、その彼女の足元を。

 すると、女王が頃合を計ったように口を開いた。

 

「カナンに賊の侵入を許したのは残念ですが、セフィラが無事だったのが不幸中の幸いです。皆さん、ありがとうございました。そなたもご苦労でしたね」

 

「いえ。彼等の協力あってこそです」

 

 是非もなく頭を下げるネルに、女王が、そそ、と微笑む。と。女王は表情を改め、立ったままこちらを見据える男、アルベル・ノックスに向き直った。

 

「アーリグリフ王の親書より、そなた達の意向は分かりました。我が国のクリムゾンセイバー、アレン・ガードを星の船殲滅に助力させよ、と言うのですね」

 

「そのつもりらしいな。王は、こちら側からエアードラゴンを出兵させ、至近距離での戦闘を考えているようだ」

 

 言っていることは真っ当だが、その態度が真っ当とは言えないアルベルは、素っ気無く答えた。女王の右側に控えたラッセルが、礼節を弁えないアルベルに、不快感を示すように眉根を寄せる。女王が視線で制すと、ラッセルは私見を殺すように、す、と表情を改めた。

 同時。

 傍聴していたマリアが、視線を鋭くして問いかけた。

 

「バンデーン艦を相手に、接近戦を挑むですって?」

 

 常軌を逸脱した発想だ。奇策というより無謀としか取れない。

 少なくとも、マリアやミラージュと言った、真っ当な人間はそう思った。

 

「……やっぱ、それっきゃねぇか……」

 

「クリフ?」

 

 耳を疑うクリフの発言に、正気か、と問わんばかりの勢いでマリアが振り返る。否。クリフの傍に控えていた、ミラージュすらも、だ。

 眉間にしわを寄せ、言外に否定する二人を。

 クリフは交互に見据えて、肩をすくめると、どこか投げやりに答えた。

 

「信じられねぇのも無理はねぇけどな。……ミラージュも見ただろ? フェイトが能力を発現させた後、空を覆うほどの巨大な鳥が現れたのを」

 

「……ええ」

 

「ありゃ、アレンの仕業だ」

 

 息を呑むミラージュの背に、空恐ろしい寒気が這う。前にも、クリフがそれらしいことを話していたが、それが事実だと直接告げられた瞬間、彼女は押し黙り、視線を落とした。

 

(確かに。クリフの言っていることが本当ならば、彼が最も有効な手段となりますね……)

 

 あのとき、朱雀の炎がかすっただけで航宙艦フィールドが蒸発したのをミラージュも見ている。

 まさか人の手によるものとは思わなかったが。

 

(あの青年に、そんな力が……?)

 

 全面戦争前に、アレンとは一度、手合わせていた。

 クラウストロ人の身体機能をまったく無視する、隙の無い連続技。練気の高さと速さ。ミラージュをも凌ぐ格闘センスと、クリフ以上の反射神経。そして何より、三百六十度すべてを見通すかのような、彼の広い視野は驚愕に値した。

 ミラージュが幾度と無く戦ってきた相手の中でも、トップクラスの戦士だろう。

 だが――。

 それはあくまで、人としての話だ。航宙艦フィールドを破壊させるとなると、少なくとも戦闘専用艦並の出力が無ければ出来ない。つまり、クリエイションと同程度の出力。惑星を丸ごと一個、消し去るほどの出力が無ければ――。

 にわかには信じられなかった。

 

「…………」

 

 ちらり、と横目にクリフを見る。

 長い経験則から、こういう局面でクリフが冗談を言うとは思えない。それは頭で分かっていたが、考え込むミラージュを尻目に、マリアも、深刻な表情でクリフを見据えた。

 

「……事情はよく分からないけれど、本当に可能だと言うの?」

 

「ああ。多分、な」

 

 頷くクリフの言葉を皮切りに、沈黙が降りた。

 ――そして、

 

「では」

 

 場を仕切りなおすように、アルベルに向き直った女王が、アーリグリフへの返答を告げようとした瞬間。アルベルが、頃合を計ったように話の続きを口にした。

 

「話はもう一つだ。シーハーツの同意を得られた場合、王はこちらの女王と一度、直接話がしたいと言っていた」

 

「直接だと!? 冗談ではない! そんな危険な真似、できるわけないだろう!」

 

 悪名高い漆黒団長、アルベル・ノックスを前にしても、ラッセルは臆さず恫喝した。だが、今、ラッセルと対峙しているこの男も、それしきの事で萎縮するような人間ではない。長い黒髪の奥で燃えるような赤い瞳をラッセルに向けて、アルベルは小さく鼻を鳴らした。

 

「そんなこと、俺の知ったことか。文句なら王にでも言うんだな」

 

「それで、その場所はどこです?」

 

 横柄な態度で答えるアルベルと対峙しても、女王、ロメリアの態度は変わらない。

 淡々と話の本質を問いかける彼女に、傍らのラッセルが思わず目を瞠る。そんなラッセルには視線を向けず、ロメリアはただ、アルベルを正視していた。

 相手の出方を――アーリグリフ王の真意を探るように。

 

「まさか、こちらに来るわけではないのでしょう?」

 

 重ねて問うと、女王の視線を受けたアルベルが、わずかに目を細めた。口端を、に、と吊り上げて、左腕の義手をカシャリと打ち鳴らす。

 

「モーゼルの古代遺跡、円卓の広間だ」

 

 まるで果たし状でも突きつけるかのように言い放つアルベルに、ラッセルが、かっ、と目を剥いた。

 

「モーゼルだと!? 砂塵遺跡ではないか! お前たちにはエアードラゴンがあるからいいが、こちらは徒歩で向かわねばならんのだぞ!」

 

「この条件が呑めなければ、反故だと。余程、謀られたのが気に入らなかったようだな。王は」

 

 言って、じ、とロメリアを見据えるアルベルに、ロメリアは少しだけ目を細めた。

 数秒。

 ロメリアは、す、と顔を上げると、アルベルに向かってこくりと頷いた。

 

「……分かりました。モーゼルへ出向きましょう」

 

「陛下!?」

 

 耳を疑うラッセルのみならず、謁見の間を警備していた兵達もロメリアを凝視する。じ、と虚空を見据えたロメリアは、玉座から立ち上がると、自分の考えをまとめるように、静かに口を開いた。

 

「彼は私を試しているのでしょう。本来であれば、そのような場所に行くことはできませんが。今はそのようなことを気にしている場合ではありません」

 

 振り返ったロメリアの視線が、す、とラッセルを射抜く。

 高いカリスマ性を秘めた、神秘的な彼女の赤い瞳が。

 

「国と言う小さな枠組みの中で収束できる事態ではないのです。モーゼルへ行って、私自らがアーリグリフ王を説得いたします」

 

「ですが、罠の可能性もありますぞ!」

 

「信じることから全ては始まるのです。……相手を信じず、どうして相手に信じてもらえましょうか」

 

 ロメリアはそこで、つ、と目を細めた。

 今、この場にいない、彼を思い出しながら。

 

(そう。そなたの大業を、無駄にするわけにはいかないのです……)

 

 白露の庭園から、空を見上げたあの夜を思い出す。女王になるべく、英才教育により植えつけられたロメリアの思想。その根本を揺るがせた、あの夜を。

 顔を上げて、ロメリアは表情を改めると、アルベルに向かって問いかけた。

 

「護衛に関しては、何か条件が出されましたか?」

 

「好きにしろとのことだ」

 

 存外に言い放つアルベルにこくりと頷いて、ロメリアは視線を、ネルへと向けた。

 

「分かりました。では、護衛はそなたらに頼むことにしましょう」

 

「はっ」

 

 深々とかしずくネルに頷いて、ロメリアは、確認するようにフェイト達に視線を向ける。

 

「よろしいですか?」

 

「はい、問題ありません」

 

 短く答えるフェイトにも、迷いはない。もとはと言えば、自分が起因している事件だ、と少なくともフェイトは思い、負い目を感じている。だからこうして、真正面から『国の事』として当たると言ってくれるロメリアの好意を、フェイトが無にする事は無い。

 フェイトにとっては、是非もない申し出なのだ。

 そのフェイトにこくりと頷き、ロメリアは改めて、ラッセルに言い放った。

 

「ラッセル。留守中はエレナたちと協力して事にあたりなさい。私の事は心配いりません」

 

 言い切るロメリアを、じ、と見返して――その意志の光を宿した、赤い瞳に、ラッセルは諦めたように目を伏せた。

 

「仰せのままに」

 

 深々と敬礼するラッセルに、ロメリアが頷く。フェイトを振り返ったラッセルは、少し、硬い声で言った。神経質そうな面立ちを、さらに緊張で険しくして。

 

「お前達……、陛下を頼むぞ」

 

「分かりました。お任せ下さい」

 

 答えるフェイトに、ラッセルが慎重に頷く。ロメリアへの忠義を反映させるように、力強く。

 

「……それで。何人出して頂けますか?」

 

 大人しく黙っていたアルフが、不意に口を開いた。

 きょとん、と瞬きを落とした一同が、警戒した表情で、アルフを振り返る。

 と。

 美しく口端を緩めたアルフが、あの狂眼を光らせて、じ、とこちらを見つめていた。

 一人ではなく、アルフと対峙した者、全てを。

 

「っ、っっ!」

 

 ラッセル、否、施力の流れを見極める聖女の瞳を持つ、女王(ロメリア)でさえ、危険と分かっていたのに思わず身をすくめた。鳥肌が立つ。表情には決して出さないが、膝の上に置いた白い手を、ぎゅ、と握り締めて。

 

「どういう意味です?」

 

 声からハリが消えなかったのは、女王としての威厳だ。それが彼女に出来る、彼女が持って生まれたカリスマ性が為せる、狂人への反抗だった。

 人というより、作り物めいたこの男に。

 あのアルベルでさえ、刀の柄に手をかけていた。

 

「女王陛下。まさか陛下ともあろう方が、無事にこの戦いを終結できるとは考えておられないでしょう」

 

 静かに告げたアルフが、そ、と立ち上がる。瞬間。アルフ同様にかしずいていたフェイト達が、一斉に立ち上がった。武器を手に。

 反射的な行動だった。だからこそ、フェイト達に囲まれたアルフが、いつ刃を向け返すとも限らない状況でもあった。

 アルフが、普通の人間だったならば。

 が。

 狂人は瞳を女王に向けたまま、ぴくりとも動かない。

 血で濡れたような、――刃と称するには、あまりにも暗く、鋭い瞳は、四方を敵意で固められても動じない。まったく揺るがなかった。

 狂人は続けた。

 

「少なくともこの国の施術士を一人残らず出して頂きたい。アルベル、お前の(トコロ)は疾風だ。疾風の構成員全てを。……それでアレンをお貸ししますよ」

 

「なっ!?」

 

 驚いたのはラッセルを始め、その場に面した全員だ。

 アーリグリフの要請は、アレン一人を助力させよ、という内容だった。それがシーハーツの軍事力、その根幹を担う施術士に及ぶとなれば、ラッセルの驚きも無理は無い。

 ラッセルと動機こそ違うものの、自分が招いた厄災ゆえに、己の手で終結させねばならないと腹をくくっているフェイトも、アーリグリフとシーハーツ、その双方の人々を真正面から危険にさらすアルフの提案を鵜呑みには出来なかった。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 

 それでは何のためのアレンの和平政策だったのか、分からない。

 バンデーン艦と対峙して無事で済むとは、フェイトも思っていない。いくら率先してアレンが戦ったとしても、危険は同じだ。そんなフェイトの考えを一蹴するように、こちらを一瞥したアルフは、ふ、と薄笑いを浮かべた。

 

「当然の要請だろ? もともとほぼ勝算のない勝負。たった一匹飛竜を飛ばしたところで、バンデーンの総攻撃を受けるのがオチだ。連中も馬鹿じゃない。遠距離スキャナーの粗悪な画像だろうが朱雀吼竜破が放たれた状況を、そろそろ解析し終えてるころだ。だから複数の飛竜でバンデーンの攻撃目標を散らし、この国の施術で奴等の目を眩ます必要がある」

 

「無茶言わないで! 君。仮にも軍人なら作戦の無謀さが分からないわけじゃないでしょう!」

 

 詰問するマリアを、狂人は目で制した。失笑とも微笑ともつかない、暗い笑みがアルフの口元に落ちる。彼は視線を、ネルに向けた。

 言い逃れを許さぬように、じ、と。

 

「アイツから習っただろ。集団合成魔法」

 

 ネルの表情が強張った。

 恐怖が体を縛るが、彼女は拳を握り締め、改めてアルフを見る。恐らく今は敵意を向けていない彼を。そのくせネルに決して気を緩めさせない、ひどく危険な光を宿した彼を。

 背に滲む冷や汗は、生理現象だった。

 

「私達にも、出来る事があるって言うんだね」

 

 気丈にもつぶやくネルは、覚悟を決めた兵士の顔だ。是非もなく、ただ己が使命を全うすべく志を固くした戦士の瞳。それを真正面から見返して、アルフはこくりと頷いた。

 

「施術を目晦ましに使うには射程が問題だ。だから、施術士達には飛竜に乗ってもらう。腕の鈍い疾風と組めば撃墜されてあの世行き。一蓮托生の特攻作戦ってことは理解してるよな?」

 

 まるで死刑宣告だった。

 あの日。バンデーンが空に現れ、尖兵として突っ込んでいった疾風兵は、そのほとんどが死亡している。当然だった。相手は、精緻な計算を幾度も繰り返して開発された、索敵照準(オートセンサー)付の砲台なのだ。それが光線(レーザー)で放たれる。

 いかに疾風がアーリグリフの精鋭部隊であっても、まるで土俵が違うのだ。

 それをまた繰り返せと言う。この狂人は。

 マリアを始め、皆が首を縦に振らないのも当然だった。

 

「お前の言いたい事は分かった。だが、それならば施術士を一人残らず出兵させる必要はない。我が国からも、いくつかの師団を――」

 

「全部だ」

 

 ラッセルの言葉を途中で制して、アルフは事もなくつぶやいた。息を呑んだラッセルが、アルフの放つ強烈な緊張感にもめげず、睨み返す。

 

「ふざけるな! そのような要請! 受けられると思っているのか!」

 

「呑めなければ、降りるだけ。後はアンタ達で好きにすればいい」

 

「戯言を! クリムゾンセイバーは、我が国の尖兵だぞ!」

 

「アレンがこの国の尖兵? 何言ってるんですか。奴が異界の住人である事は、そこのクラウストロ人から聞いたでしょう」

 

 視線だけでミラージュを指すアルフに、ラッセルが表情を険しくした。そのラッセルを庇うように、横合いから女王(ロメリア)が口を挟む。

 

「ですが、彼はそれ以前に私と誓約を済ませているのです。そなたの言い分が、分からぬではありませんが」

 

「それはつまり。シーハーツは、フェイト・ラインゴッドを国の尖兵と認めている。果ては、ラインゴッドただ一人を追って現れた星の船と、全面交戦なさるおつもりということですか?」

 

「なっ!?」

 

 目を瞠るロメリアを始めとしたシーハーツ勢に、アルフは失笑とも苦笑ともつかない音を零して、ちらりとミラージュを見やった。

 

「やっぱりな……」

 

 皮肉を込めて、つぶやく。

 読み通り、フェイトの事を伏せて話したミラージュに、アルフは続けて言った。

 

「道理でシーハーツがいやに協力的だと思ったんだ。国宝を持ち去られかけたってのに、ここの人間はアンタ等に対する警戒が、あまりに弱い」

 

「……何が言いたいの?」

 

 慎重に問いかけてくるマリアを振り返って、アルフは薄く微笑んだ。

 美しいが、冷たい微笑で。

 

「俺相手にシーハーツという人質は通用しないぜ? 反銀河連邦(クォーク)のリーダーさん」

 

「!」

 

 息を呑むマリアは、何も図星を突かれて黙ったわけではない。むしろマリアの後ろでミラージュが、表情を硬くしていた。

 当然だ。

 アレンは銀河連邦軍人。

 そしてアレンとクリフを、否、アレンとフェイトを繋げているのが、クリムゾンセイバーというシーハーツでの地位だ。クリフが言うように、アレン自身が航宙艦フィールドを破壊できるかどうかは知らないが、少なくともその可能性を秘めている彼の潜在能力(ポテンシャル)の高さが、ディプロと合流するために使えると考えたミラージュは、立場を越えてより交渉しやすいように『シーハーツ』という緩和剤を間に挟むことにした。

 その案を、こうもあっさりと見破られるとは思わなかったが。

 警戒心を強めて、ミラージュがさりげなくアルフを窺うと、視線の合った連邦軍人は、くく、と喉を鳴らした。

 クリフが割り入る。

 

「だが、お前としても奴ら(バンデーン)を野放しにするわけにゃいかねぇだろ。ここはお互いに協力し合うしかねぇんじゃねぇのか?」

 

「悪いが敵に囲まれた状態で、信用できない仲間を作る気はないんだ。アンタ等と同じでね」

 

 言ったアルフは、ちらりとアルベルを見やる。正確にはアルベルが刀の柄頭に寄りかけている左腕――爪のない義手を。

 

「!」

 

 思わず、マリアが凍りついた。

 アルフの視線に気づいたアルベルが、自分の左腕を見下ろして、不機嫌そうにアルフを睨み返す。それを鼻で微笑ったアルフは、視線をマリア達に向けた。

 

「アルベルの性格からすると、体面を気にして自分の爪を折るって事はまずない。だが奴の傍にはナツメがいた。なら、そこで何があったのかは大体察しがつく」

 

 言い逃れを許さぬように、そ、とこちらを見据えてくるアルフに、クォークの三人は押し黙った。

 

(……嫌な野郎だな……!)

 

(ですが)

 

(正確にこちらの行動を見抜く力。……侮れないわね)

 

 険しい表情で、アルフと対峙する。

 それまで黙っていたフェイトが、す、とアルフを見上げた。

 

「だったら、どうすればいい? どうすれば、お前は僕等に協力する?」

 

 静かに。

 狂人の視線を真正面から受け止めたフェイトは、ただ静かに問いかけた。平静に、否、必死に平静になろうと拳を握り締めて。

 

「バンデーンの狙いはお前の言うとおり、僕だ。ここでお前と反目し合ってみんなを危険に晒すなんて状況、僕は死んでもごめんだ。僕にだって守りたいもの、助けたい人がいる。だから教えろ、アルフ・アトロシャス。お前は、どうすれば僕等に協力する」

 

 ナツメのように、剣を預ける覚悟ならある。そう言外にフェイトが言い放つ。

 アルフが答えた。

 

「なら、背負うんだな。お前も」

 

「背負う?」

 

 首を傾げるフェイトに、アルフはこくりと頷いた。

 

「大方、お前等は反銀河連邦(クォーク)の迎えでこの星(エリクール)を抜ける算段だろ。だが相手は連邦ですら手を焼く新鋭艦(バンデーン)だ。軍としての機能が弱い反銀河連邦艦では落とされる可能性がある。……だから、アレンだなんだと小細工を考えた」

 

 そこでアルフは言葉を切ると、じ、とフェイトを見据えた。

 

「バンデーンを全滅させる。それまで決してこの星から出るな。それが条件だ」

 

「この星から?」

 

 問い返すフェイトは、一刻も早い脱出がこの星のためになると考えていた。奴等は自分(フェイト)を追ってここに来た。故に、自分がここを出て行けばすべてが終わるはずなのだ。

 だからクリフ達の話も納得出来たし、クリフ達についていこうと思えた。銀河連邦軍人であるアレンの方が、世間的な安全は保障されるものの、そちらはまだ到着が先になるとアレンから聞いていたからこそ。父の研究、という疑問を共に明かそうとしているマリアが、反銀河連邦(クォーク)にいるからこそ、フェイトは結論を出したのだ。

 反銀河連邦(クォーク)についていくと。

 なのに。

 

(どういうことだ?)

 

 頭に湧いた疑問を、フェイトは問いかけようとした。瞬間。傍らのマリアが叫んだ。

 

「ふざけないで! バンデーンを全滅させるですって!? そんなことが出来るなら、とっくに……!」

 

 言いかけた彼女は、しかし、最後まで続かない。

 こちらを見据える狂人の瞳が、すぅ、と細められたのだ。背筋を冷や汗が伝う。マリアが思わず歯を噛み締めると、アルフは彼女の努力を一笑した。鬱陶しげに。

 途端。空気が、張り詰めた。

 

 ……しぃ……ぃいいん

 

 それまで微笑っているだけのアルフが『殺意』を宿したのだ。紅瞳が底光る。口元の薄笑いが消え、彼の全身からうっすらと、紅い闘気が膨れ始めていた。

 ゆるり、ゆるりと。

 

「……っっ!」

 

 その場にいる者すべてを凍てつかせる、時間さえも止めるような、突き刺さる闘気。

 彼が、続けた。

 

「ラインゴッドを今の状況で惑星から脱出させる。それはつまり、この惑星をハイダの二の舞にするってことだ。アンタ等反銀河連邦(クォーク)本艦が落とされる可能性を考慮しても、あまりにフェアじゃない」

 

「ハイダの? それってどういう――」

 

 言いかけたフェイトを、アルフは視線で止めた。

 

「分からないか? 連中にはお前を確保できないなら、星ごとお前を破壊する算段すらあるんだぜ。奴等の戦闘艦は数が多い。二隻もあれば十分、アンタ等の脱出したこの星でオーパーツの回収を始められる。その上で邪魔になる、シーハーツという国を滅ぼしてな。三日前の戦場でそうならなかったのは、向こうがこちらの戦力を誤解して情報収集に回ったからだ」

 

「!」

 

 ハッとして、フェイトはクリフ達を振り返った。

 無表情だが、アルフの言葉を全面否定しない、彼等を。

 

(それが分かってて――……!)

 

 フェイトは、ぶるっ、と体が震えるのを感じながら、奥歯を噛み締めた。

 対峙したアルフが、構わず続ける。

 

バンデーン(やつら)をどうしても連邦軍(おれたち)に任せられないなら、ラインゴッドは飛竜に乗れ。奴等が発見し易いよう、出来るだけ目立たせて。その上でアンタ等三人が、バンデーン艦に乗り込むんだ」

 

「バンデーン艦に、乗り込むですって?」

 

 問うマリアに、アルフは頷いた。

 

「アーリグリフにデカイ落し物をしただろ? あれを使えるようにしておいた。確かイーグルって名の小型艇だ。あの機動力なら、バンデーンの砲撃を三発はかわせる」

 

「なっ! おい、イーグルだと!?」

 

 目を瞠るクリフに対して、アルフは平然と頷いた。

 

「あれはいい(カモ)になる。何せ、相手は十一隻もいるんだ。使える物は何でも使わねぇとな」

 

「十一隻!?」

 

 耳を疑うフェイトを横目に、アルフは肩をすくめた。

 

「連中も。それだけ博士の研究を知ってる、ってことだろ」

 

 つぶやくアルフに、フェイトとマリアが息を呑む。だが、今は問いただす場ではないと踏んだ二人は、胸に沸いた焦燥にも似た疑問を、表情の裏に押し隠した。

 

「で? 肝心要のお前はどうする気だ? ……まさかここまで啖呵切っといて、自分は何もしねぇわけじゃねぇだろ」

 

 その皮肉交じりのクリフの指摘については、アルフは、ふ、と薄く微笑った。

 

「俺も飛竜で出る。試したいことがあるんでね」

 

 狂人は、その血の色にも似た瞳を、ぎらりと輝かせた――……。



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52.刻まれた紋章

 アレンの為に用意された部屋は、フェイト達も使用していたシランド城の客間だった。

 緑を基調にした調度類の中で、アレンは静かに眠っていた。穏やかなわけでも、寝苦しそうなわけでもない。ただ目を閉じている、表情の無い寝顔だった。ゆっくりと上下する彼の胸は、正確に呼吸を繰り返し、時計のように単調だった。

 ナツメが診た通り、アレンに外傷は無い。それが城に着いてからのアストールの診察結果だが、世辞にも医療が発達しているとは言えないエリクールでは、アレンが何らかの感染症にかかったとしても、それを証明する手立てが無い。

 気休め程度の診察を横目で見守る間も、ナツメの不安は大きくなるばかりだった。

 

「……アレンさん……」

 

 ベッド脇に腰掛けナツメは、じ、とアレンを見て拳を握り締める。脳裡を過ぎるのは、いろいろなパターンが予想される、最悪の事態だ。それを振り払おうと、強く、強く拳を握っても、ナツメの心配が絶えることはない。

 そんな彼女の傍らにいるロジャーは、ナツメよりは落ち着いた表情で、気遣わしげな視線を、ちらちらと向けていた。

 

(この姉ちゃん……、まるで別人じゃん……!)

 

 傍らに座る少女を横目で見上げて、ロジャーは全面戦争で対峙した時のナツメを思い出す。

 例えるなら、女豹――。

 そう称したくなるほど、冷たく、硬く、強烈な光を放つ、ナツメの黒瞳が。今は弱りきった眼差しで、まるで、願掛けでもするように、アレンを見下ろしている。

 今のナツメには覇気がない。それどころか、彼女の腰に差した剣が場違いに見えるほど、彼女は弱った表情をしていた。

 ゆるゆる揺れる彼女の黒瞳から、今にも涙がこぼれ落ちそうだ。

 

「そう心配されずとも、直に目を覚まされます」

 

 心配そうなナツメに感化されてなのか、事務的とも、気遣いとも取れる声を挟むアストールに、ナツメは視線をアレンに貼り付けたまま、小さく頷いた。

 

「はい……。はい!」

 

 自分に言い聞かせるように、二度。深く、深く頷いたナツメは、膝の上に置いた両の拳を、ぎゅ、と握る。二度目の、はい、で目を瞑った彼女は、微かに震えていた。

 何かに、ひどく怯えるように。

 と。

 そこでぴくっと、アレンの瞼が震えた。

 

「兄ちゃん!?」

 

 慌てて、ロジャーが詰め寄る。目を見開いたナツメが、強張った表情でアレンを見下ろした。

 

「…………ロジャー、と……ナツメ、……か?」

 

 その、心配そうな二人の表情を見上げて、アレンは一つ、不思議そうに瞬いた。次第に彼の瞳が力を帯び始める。アレンは、ざ、とベッドから起き上がった。

 

「状況を。バンデーンは今……、っ!」

 

 瞬間。鋭い痛みが、ずきんっ、と、アレンの肩に走った。まるで、肩を焼かれるような。

 

「兄ちゃん?」

 

 反射的にアレンが肩を庇っている。ロジャーが不思議そうに見上げた。が、アレンは答えられず、庇った手を除けた。これと言って違和感はないが、それでも慎重に、患部を見るべく胸元をはだけさせる。

 すると――。

 

「これは……?」

 

 不思議そうに瞬きを落とすアストールが、アレンの肩を見るなり、声を上げた。

 そこに――アレンの左肩に、三センチ平方程度の、黒い紋様が刻まれていたのだ。二つの紐を幾重にも絡み合わせ、まるで知恵の輪のように繋げた逆三角形と、その上に乗った円。

 杯の上に乗った球のような紋章だった。

 

「……!」

 

 それはアレンが、セフィラに触れた瞬間に見た紋様だった。はっきりとは覚えていないが、確かに――。

 

(セフィラの、影響か?)

 

 そこでアレンは思考を打ち切った。

 

「……っ、ぐ、ゅぅぅ……っ!」

 

 傍らから、唸り声が聞こえる。ちょうど、アレンのベッド脇――ナツメがいる辺りから。

 

(…………)

 

 ため息を吐いて、アレンは振り返った。目いっぱいに涙を溜めて、しかし泣くまいと、口をへの字に引き結んでいる、ナツメを。

 

「心配をかけたな。ナツメ」

 

 苦笑混じりにつぶやくと、せっかく堰き止めていたナツメの涙が、ぼろぼろと流れ落ち、それでもがんばってこらえようと、ぐぐ、と背を反らした彼女は――、やはり耐え切れなくなって、アレンに飛び込んだ。

 

「ア゛~レ゛~ン゛~さ゛ぁぁああん゛っっ!」

 

 勢い良く突撃してきたナツメから、ふわりと懐かしい香りが広がる。陽の光をたくさん浴びた、彼女の香り。それがアレンの右肩に乗ると、アレンを強く掻き抱いた彼女の両腕から震えが伝わってきた。盛大に、涙を降り乱すナツメの表情が、見ずともアレンの脳裏に浮かぶ。

 

「無事で良かったですぅう! ……ホントに、無事でっ、っっ!」

 

 そう言ってすすり泣く少女に苦笑しながら、アレンは少女の背中をさすった。

 

「すまない。いや、すまなかったな」

 

 いつも通り、ナツメが落ち着くようにゆっくりと言い聞かせる。すると、彼女が、こくこくっ、と必死になって頷いてきたので、アレンは少し安堵しながら、少女の背をぽん、ぽん、と叩いた。

 思えば、彼女と顔を合わせていたのに、ちゃんとした再会はしていなかった。そう、思い出しながら。

 心配性で泣き虫――。

 まるで変わっていない、少女を。

 

(少し、無理をさせすぎたか……)

 

 胸中でつぶやいて、アレンはすまなさそうにナツメを見下ろした。アレンの首を抱きしめて、滝のような涙を流すナツメは、くっついたまま離れない。

 その代わり、嗚咽の混じった、涙声で言ってきた。

 

「……ぐゅ、ぅっ、! ぅ……っ、また、亡くしたかもしれないって……! また、一人かもしれないってっっ! ……行っちゃ、ダメですっ! もう誰もっ! ……置いて、ってはっ、ダ、メ、なんですっ、っっ!」

 

「ああ、すまない。もう大丈夫だ」

 

「ぃっ、……はい! ……はいぃっっ!」

 

 くぐもった声で答えてくるナツメに、アレンは少し哀しげに微笑った。

 今年で、十五歳。

 ずいぶん明るくなったが、それでも癒え切らない少女の傷に。あの頃から少しも変わらない、泣いている彼女を、割れ物を扱うように慎重に、抱き締め返す。いつものように腕の中で、彼女が落ち着くまで、ずっと。

 と。

 

「……?」

 

 視線を感じて、アレンはふとドア口を見やった。たったいま謁見の間から降りてきた、アルフやフェイト達だった。

 

「お邪魔だったか? アレン」

 

 ドアノブに手をかけて、言葉のわりにさして気にも留めていない顔で問いかけるアルフに、アレンは小さく苦笑した。視線を、フェイト達に向ける。

 

「皆……、そうか。オーパーツの方は、うまく対処出来たようだな」

 

 ロジャーを見ると、ぽかん、とナツメとアレンを見上げていたロジャーが、は、と我に返って胸を反らせた。

 

「おぅよ! ったり前じゃんか! オイラ、出来る男だぜぃ!!」

 

「そうだな」

 

 にこにこと笑うロジャーに、アレンも微笑い返す。

 と。

 アレンはそこで、つ、と動きを止めた。いつものメンバーではない。彼等の中に、シーハート二十七世の姿を見つけたのだ。

 

「女王陛下!?」

 

 思わず瞬きを落とすアレンに、ロメリアは微笑んだ。その間にすたすたと客間に入ってきたアルフが、ベッド脇まで来て、足を止めた。

 

「で。どうだ? 動くのか?」

 

 本来ならば、女王にいろいろと礼儀を尽くすのがセオリーだが、そんなものは一切無視しろ、と言わんばかりに、アルフがマイペースに話を続けてく。アレンが物言いたげに見上げたが、返ってきたのはアルフの不思議そうな顔だ。

 アレンは深いため息を吐くと、代わりに、ロメリアに非礼を詫びるため、一礼した。

 対峙したロメリアが、気にするな、とばかりに首を振る。アレンは改めて礼を施してから、アルフに向き直った。

 

 ――動くのか。

 

 アルフへの返事の代わり、アレンは自分自身を見下ろして、ナツメを抱いていない、空いた左手を開閉させる。自分の意思で動く左手に、――少なくとも今は、異常を感じられない。

 アレンは視線を上げ、答えた。

 

「問題ない、と思う。それで状況は……」

 

 言いかけて、言葉を止めた。

 フェイト達が部屋に来たのはいいが、その中に、ロメリアの他に、あの漆黒団長――アルベル・ノックスまでもがいるとなると、そのまま話を続けていいものか、迷ったのだ。

 正確にはそこにいただけならば、気にもしなかったのだろうが。

 

 一人だけ見舞いにはそぐわない、闘志を剥き出しにしているアルベルがいた。

 

 アレンは改めて向き直った。ぎろり、とこちらを見据えるアルベルは、まるで獣のように獰猛で苛烈だ。アルフとは違った種類の迫力を放つ瞳が、アルベルの内にある闘志をひしひしと感じさせる。

 今、ここで刀を抜くと言うように。

 その瞳を真正面から見返して、アレンは小さく笑う。すると無表情だったアルベルが、アレンの言葉に反応して口端をつり上げた。

 

「修練場での決着を、つけに来たのか?」

 

「……ふん」

 

 自分の向けた闘志に、アレンが応じたことを喜ぶように。

 カシャリ、とこれ見よがしに義手を打ち鳴らしたアルベルは、ゆっくりと刀の柄に手をかけて――、ふと、まだアレンの胸にしがみついている少女を見下ろした。

 

「何の真似だ? 阿呆」

 

 今まで見えなかったわけではないが。

 アルベルが挑発している間にさっさと除くと思った少女が、依然アレンにくっついたまま微動だにしなかったので、アルベルは邪魔者(ナツメ)を見下ろして、つぶやいた。

 普段ならば警告もなく、くっついたならくっついたままでナツメごとなます斬りにすることも厭わないアルベルだが、今回は邪魔そうに目を細めただけで、刀を抜ききらない。

 それはただの部下から、ナツメが『相棒』に昇進した、確かな証だ。

 が。

 そんな事情を知らないアレンは、『戦闘』に重きを置いていると思っていたアルベルが、一時的とは言え闘気を納めた事が意外だった。

 だから少し驚いたようにアルベルを見上げて、視線をアルフに向けた。自分よりはアルベルを知っている、アルフを。

 しかし、視線の合ったアルフは、肩をすくめただけだ。

 改めてアレンが不思議そうにアルベルを見上げると、彼は不可解なものを見るようにナツメを見下ろして、彼女の首根っこをむんずと鷲掴んだ。

 

「除け」

 

 べりっ、と服についた虫でも払うように、無造作にナツメを払い除ける。――否、除けようとした。

 が。

 

 ぎゅぅううううううっっ

 

 アレンにしがみついた少女は、動かない。全力で腕に力を込めて、その場に踏ん張ったナツメは、己の意思を表すように、ぶんぶんと頭を横に振った。

 小さい子どもが、『嫌々』するように。

 アルベルの左頬が、ぴくりと痙攣した。

 

「……いい度胸だ。クソ虫が――」

 

「和んでるところ、悪いんだけど」

 

 誰がどう見ても和んでいる、とは言い難いアルベルとナツメのやりとりだったが、それらを無視して、マリアはアレンに向き直った。

 アレンが少しだけ目を細める。マリアと会うのはこれが初めてだが、彼女が何者であるか、それは彼女の顔立ちと、凛とした眼差しが教えてくれる。

 

 フェイトに瓜二つの美貌と、その青い髪が。

 

「貴方が」

 

 つぶやくアレンに、マリアは頷いた。

 

「マリア・トレイター。察しの通り、反銀河連邦(クォーク)のリーダーよ。君の事はある程度クリフ達から聞いてるわ。アレン・ガード少尉」

 

「……恐縮です」

 

 言って、アレンは、ぽん、とナツメの頭を叩いた。それが合図だった。

 顔を上げたナツメが、目いっぱいの涙を溜めて見上げてくる。その彼女に、ナツメ、と言って聞かせると、彼女はずびびっ、と鼻水をすすった後、渋々とアレンから離れた。そのナツメを景気付けるように、アレンが小さく微笑ってやる。ごしごしと目元を拭いた彼女が、自分の頬を打つなり、腫れぼったい目で、にまっ、と笑い返してきた。

 そのナツメを、困ったように見返して。アレンは気を取り直して、ベッドから立ち上がり、マリアに向き直った。

 

「お見苦しい所をお見せした」

 

 アレンは言って、さっ、と服装を正すなり、軍人らしくぴんと立つ。アルフとは対称的な対応に、マリアが目を丸くした。てっきり彼も『敵』として、警戒心を剥き出しにしてくると思ったのだ。銀河連邦軍人として。

 だが意外にも、礼節を弁えたアレンの言動にマリアは二、三秒、間を置くと、気を取り直して肩にかかった髪を払った。

 

「……気にしないで」

 

 彼女の隣では、アレンの言うことは素直に聞いたナツメに、アルベルが気を悪くしている。

 

 ――テメエ、俺を舐めてんのか。

 ――違う違うっ! アレンさんの言うことは、ちゃんと聞いとかないと後が怖いんですっ!

 ――やっぱ舐めてんじゃねえか!

 ――違うよぉっ!

 

 そんな二人のやりとりを後ろに、両腕を組んだマリアは、改めてアレンに向き直った。

 命乞いをする、ナツメの叫び声が響く。

 

「うわぁあん! ごめんなさぁい!」

 

「率直に言わせてもらうわ。君の力を借りたいの、我々に協力して」

 

「にょわぁああっっ! 団長、刀が! 刃がぁっ!」

 

「……その様子からすると、アルフの条件を呑んだようですね」

 

 言いながら、ちらりとアルベルとナツメのやりとりをアレンは見やる。ちょうどナツメが、刀を抜いたアルベルに乾いた笑顔を向けて、場を乗り切ろうとしているのが見えた。

 

「話せばわかります! ていうか、団長だってきっとアレンさんと付き合ってたらわかりますよぅっ!」

 

 彼女の命乞いは恐らくだが、成功しないだろう。

 

「うわぁああんっ! アルフさんっ、笑ってないで説明してよぉ!」

 

 アルフが不気味に喉を鳴らしながら傍観している。アレンは頭の痛い想いを抱えて、マリアの出方を窺うべく表情を改めた。

 

「ええ。こちらの戦力が圧倒的に不利な状況だもの。贅沢を言うつもりはないわ」

 

「了解」

 

 連邦式の敬礼を取ったアレンは、視線をネル、フェイトに向けた。

 

「改めて、よろしく頼む」

 

 どこがどう、というわけではないが――。

 事務的なアレンの態度に、フェイトは少し複雑な心境だった。反銀河連邦(クォーク)についていく、とまだアレンに言ったわけではないが、マリアの顔を見た瞬間に、アレンはフェイトの決断を察したようだ。

 

「……ああ。よろしく、アレン」

 

 意識したわけではないが、気のない返事をつぶやくフェイトに、アレンが少しだけ苦笑した。

 

「それで……」

 

 言い置いて、アレンは視線を左右に振る。先ほどから気になっていたが、いつものメンバーの中にクリフとミラージュがいない。それを不思議に思ってフェイトを見ると、傍らで白刃取りしているナツメ、ではなく、傍観しているアルフが答えてきた。

 

「ああ。あのクラウストロ人二人には、クォークの小型艇を取りに行ってもらった」

 

「クォークの小型艇、ですか?」

 

 白刃取りしつつも首を傾げるナツメに、ああ、と頷いて、アルフは視線をアレンに向ける。そのアルフの表情を読んだのか、それとも場の空気を読んだのか、微かに目を細めたアルベルが突然、刀を納めた。

 

「ほぇ?」

 

 アルベルを不思議そうにナツメが見たが、誰も構わなかった。

 代わりに、考え込むように視線を伏せたアレンが、す、と顔を上げた。

 

「……状況は大体分かった。ならクリフ達が帰ってくるまで、少し時間があるな」

 

「えぇっと? どういうことです?」

 

 白刃取りは免れたものの、それ以上に不得意な状況整理に、ナツメがぐるぐると目を回している。そのナツメを振り返って、アレンは続けた。自分の読みを、起こった事実と照らし合わせるように、アルフを見据えて。

 

「恐らく、クリフはこの惑星に降下した時の船を取りに行っている。アルフがアーリグリフにいる間に直した小型艇を、バンデーンの囮役として使うために」

 

 アルフが満足そうに、ああ、と頷いた。それに頷き返して、アレンは視線をロメリアに向ける。次の確認事項を、シーハーツへと移すために。

 

「陛下が此処にいらっしゃるということは、アーリグリフ側から要請があったのですね?」

 

 問うと、ロメリアが少しだけ寂しそうに、アレンに答えてきた。

 

「ええ。これから私はアーリグリフ王と直接話をするために、モーゼル遺跡へ向かうつもりです。護衛として、そなたにも協力してもらえますか?」

 

「はっ」

 

 ネルから習ったシーハーツ式の礼をすると、ロメリアが息を呑んだので、アレンは少しだけ、訝しげに目を細めた。

 数秒、思考する。

 

「……」

 

 顔を上げたアレンが、アルフを見た。謁見の間には居合わせなかったが、アルフとはそれなりに付き合いが長い。故に、彼が何を言ったのか、大体想像できたのだ。

 

「……何をやった? アルフ」

 

 それでも確認のために問いかけると、アルフが、わざとらしく肩をすくめた。

 

「称号が邪魔だったから取り払った。この先、お前が連邦軍人であった方が、話が早いだろ?」

 

「悪いが、今はまだやり残したことがある」

 

「相変わらず面倒が好きだな。お前は」

 

「連邦が来るのはまだ先、だろう?」

 

 アルフが深い溜息を吐く。こちらも、この先にアレンが何をしようとしているのか、察したようだ。だがアルフの方は、アレンの真意を確かめようとはしなかった。

 代わりにフェイトが、大きく目を見開いた。

 

「……お前、今、なんて……?」

 

 言葉少なに問う。すると、フェイトを振り返ったアレンが、頷いた。

 

「では……!」

 

 ゆっくりと喜色が広がっていくロメリアに、小さく微笑ったアレンは、視線をマリアに向けた。

 

「この状況でシーハーツ軍人に助力するのは、クォークとして当然のことだとお見受けしますが?」

 

 そう言って差し出された右手と、差し出した本人を、マリアは意外そうに見上げた。

 アルフと、真逆だ。

 連邦軍人としてクォークとは手を組まない、と言った、アルフと。

 最初の態度から二人は違うと認識していたにも関わらず、そのギャップに気圧されて、マリアが困ったようにアレンの右手を見据える。傍らから、フェイトが耳打ちしてきた。

 

「大丈夫だよ、マリア。こいつは信用しても」

 

 マリアがフェイトを見ると、フェイトはどこか嬉しそうに、に、と微笑っていた。心の底から信頼を寄せている、そんな様子が分かるほど、自信に満ちた表情だ。

 その彼を、じ、と見つめて――、マリアは改めて、アレンに向き直った。

 

「マリア・トレイターよ。……これから、よろしく頼むわね」

 

 差し出された右手を取る。こちらこそ、とアレンが握り返してきた。

 と。

 それまで思考停止状態だったナツメが、ハッと驚いて、アルフを見上げた。

 

「ちょっ、ちょっと待ってください!? アーリグリフにあった反銀河連邦(クォーク)艦を修理した、ってことは……ですよ! アルフさん! そんな前から、この惑星にバンデーンが来ることをご存知だったんですか!?」

 

 一歩下がって、悲鳴に近い声を上げるナツメに、アルフとアレンがきょとんと瞬いた。一瞬、彼女の言ったことが理解できなかったようだ。

 二人は同時に顔を伏せると、まったく同じタイミングで、深いため息を吐いた。

 ――何を今更。

 そう言わんばかりに。

 その、ぴったりと息の揃った彼等を見据えて、フェイトが不思議そうに首を傾げた。

 

「あのさ。前から聞きたかったんだけど、アレン達って、その子(ナツメ)とどういう関係なんだ? 見たところ、彼女も連邦軍ってわけじゃないんだろ?」

 

 連邦軍服を着ていない彼女が、事情を聞かずともアレンやアルフと親しい人物であることは把握出来た。だが接点がわからない。

 アレンを訪ねて部屋を開けるなり、ただならぬ雰囲気だった二人に、フェイトは疑問を覚えたのだ。

 

「ずいぶん仲が良いのは分かったけどね」

 

 両腕を組んだネルが、冷ややかな視線をアレンに送っている。そのネルの隣で、そうですね、と相槌を打ったのは、意外にもロメリアだった。彼女は作り物めいた美貌に、そそ、と静かな微笑を浮かべる。女王の表情に不思議と肌寒いものを感じながら、フェイトは自分が振った話題であるにも拘らず、下手なことは言うなよ、と祈るような気持ちでアレンを見据えた。

 

「関係、か」

 

 問われたアレンが顎に手をやって、考えをまとめている。それより先に、ナツメが元気いっぱいに答えてきた。誇らしげで満面の笑みだ。

 

「師弟関係ですよ!」

 

「……師弟?」

 

 首を傾げるフェイトに、はいっ、とナツメは元気良く答え、腰に差している刀、シャープネスを、ぽんぽん、と叩いた。

 

「アレンさんは、戦災孤児だった私に剣術を教えてくれた人なんです! アルフさんとは、連邦の宇宙基地でアレンさんにお世話になっていた頃に知り合ったんです。アレンさんと同僚で、しかも同じ部屋ということもあって、たまに私の剣を見てくれる人でもあるんですよ! ……そしてこの刀、シャープネスは、アレンさんが軍に上がる時にくださった物なんです!」

 

「師弟、って言うより、母親って感じだけどな?」

 

 部屋の端でナツメの話を聞いていたアルフが、同意を求めるようにアレンを一瞥する。と。アルフを睨んだアレンが、声音を落とした。

 

「……どういう意味だ、アルフ」

 

「そうです! せめて父親です!」

 

「…………おい」

 

 ナツメにすれば助力のつもりだったのかもしれない。

 思わず沈黙し、頭を抱えるアレンを見て、フェイトは詳しい事情こそ分からないが、今まで彼が味わってきた苦労の断片を、垣間見たような気がした。

 

(大変、そうだなぁ……)

 

 他人事のように胸中でつぶやく。傍らのネルも、毒気を抜かれたように、ため息を吐いている。

 

(ほっとしました? ネルさん?)

 

 ロメリアのいる手前、フェイトがそっと耳打ちすると、ネルは、あぁ、と深く頷いて、意外にも素直に答えてきた。

 

(当たり前だろ。……これで、クレアが傷つかずに済む)

 

(へ? クレアさん?)

 

 首を傾げたフェイトは、はた、と瞬きを落とした。

 確かに、ネルと悪魔(アレン)の間で恋愛感情を挟む余地があったか? と問われれば、焦るネルの反応が楽しいのでからかっていた、とフェイトは胸を張って供述する。女性だらけのシーハーツ軍でいつも毅然としているネルが、我を忘れて可愛らしく反応するのだから仕方がない。

 気を取り直して、フェイトは続けて問いかけてみた。

 

「えっと、あの……? なんでそこでクレアさんが?」

 

 声音が普段通りになってしまったのは、ネルの思考があまりに複雑でわからなかったためだ。ネルは本当に安堵したらしく、フェイトの声量には触れず、満足げに答えてきた。

 

「何故って……アンタ、気付かなかったのかい? 私が誰の話をする度に、クレアが不機嫌になっていったのか」

 

「え? だってクレアさんは――」

 

 ネルさん大好きじゃないですか、と言いかけて、フェイトの灰色の脳細胞は、ふいに閃いてしまった。

 

「っな、馬鹿なっ!?」

 

 まさかの誤解――まさかのネルの感性に、冷や汗が伝う。

 つまり今まで冷やかされて、ネルが真剣な怒りを見せていたのは――限りになくゼロに近い可能性でアレンに気があった、とか、異性扱いされることに照れていた、とかそんな甘っちろい感情からではなく。

 すべてクレアの為だった、というのか。

 

(く、クリフぅううううう!)

 

 この衝撃の事実を、何故聞き逃したんだ、とフェイトは胸中で罵った。だがこの場にいないクリフに、その叫びが届く筈もない。なのでフェイトは声を大にして突っ込んだ。

 

「なんでだよネルさんっ! お互い大好き過ぎだろ、あなた方!?」

 

 そんなフェイトの動揺を、ネルは見事に勘違いしたのか、こくり、と深く頷きながら言い放ってきた。

 

「驚くのも無理ないよ、フェイト。私も、まさかクレアがあんなに嫉妬深いだなんて知らなかったんだ。正直、悪魔が相手なんて死に急いでるとしか思えないけど……クレア自身の判断なら尊重してあげないとね」

 

 などとしたり顔で語っている。視界の端で、アレンが呆れ顔で口を挟んできた。

 

「おい、ネル。この際、不本意だが悪魔云々のくだりは置いておく。それよりお前達はなぜ俺を巻き込むんだ」

 

「ん? なんだいアンタ? まさかクレアほどできた()をつかまえて不服だとかぬかすんじゃないだろうね? ちょっとさすがにそれは控えめに言って、いっぺん死んだほうがいいんじゃないかと思うけど?」

 

「だから、なぜそうなる。むしろ俺はクレアさんからも似たような尋問を受けたぞ。そちらはお前に手を出すなという警告付きでな。大体、あえて触れてこなかったが、どう見てもフェイトやクリフのほうが俺よりお前と仲がいいだろう。お前たちの判断基準がわからなくて対応に困るんだがどうしたらいいんだ?」

 

「――――え?」

 

 ネルは見たこともないほど呆けた顔で、目を丸くしてぱちぱちと瞬いた。

 

「え? ……いや、待ちなよ。だってアンタ、アリアスでやたらと人気だろ。アンタがいるだけでタイネーブや他の女兵士たちは浮つくし、アンタと話してるとクレアの様子まで変だし、アドレー殿はアンタを気に入りすぎて私たちの旅にまでついてこられようとしていたし、アンタはアンタでクレアを『クレアさん』なんて呼んでるし、どう考えたって――…………あれ? えぇっと……つまり?」

 

 思考がねじれてループし始めたのか、ネルが目を廻し始めている。アレンが掌を見せて止めた。

 

「……なるほど。悪かった、ネル。あまり慣れないことは深く考えないほうがいい。ただ、お前とクレアさんが大親友で、その輪からもう少し遠いところに俺を外してくれれば充分なんだ。……本当は、アリアスの女兵士(あのこ)たちはフェイトやクリフが来ても浮ついてるから判断材料にはならないぞ、とかいろいろ言いたいことはあるがこの際、仕方がない」

 

「お前、この話題にノってこなかった割に、意外と気にしてたんだなぁ」

 

 フェイトが顎に手をやって、しみじみとつぶやいた。

 

「……そもそもの原因はお前とクリフじゃないのか、フェイト」

 

 若干声音を落とすアレンに、フェイトは純真無垢に瞳を輝かせて、ぱちぱちと瞬いてみせる。

 そのときアレンの付き添いで、ベッド脇の腰掛けていたロジャーが、がたんっ、と椅子を蹴倒しながら、立ち上がった。

 

「お、お姉さま……!」

 

 まさかの真相に、こちらは感激で目を潤ませながら。

 祈るように両指を組んだロジャーは、きらきらと目を輝かせて、ネルを見上げる。ロジャーにとっての脅威が、たった今、この世から去ったのだ。

 

「ネル。……その話は後ほど、詳しく聞かせなさい」

 

 たおやかに微笑むロメリアが、そ、と口を挟んできた。慌てて振り返ったネルが、目を白黒させながら、言葉の意味を理解する前に、はっ、と頷いている。その反射的なネルの行動に、何やら危険なものを感じながら、フェイトも驚いたように目を見開いた。

 まさかこの賢君と称されるロメリアが痴話々に乗ってくるとは、さすがのネルも、いや、ネルだからこそ余計、思わないだろう。

 フェイトは、ぶんぶんと頭を横に振ると

 

「えぇっと……。まあいいや! 気を取り直していこう!」

 

 パンパン、と柏手を叩き、場の空気を直す。それから表情を改めた。

 

「それじゃあ、陛下。そろそろモーゼル遺跡に行きましょうか」

 

 さすがにロメリアをからかう豪胆は持ち合わせていない。というより、触れてはならないと察したフェイトに、ロメリアが照れたように、そそ、と微笑んでいた。

 アルフが、アルベルを見るなり言った。

 

「そうだな。じゃ、アルベル。アーリグリフ王への連絡は頼むぜ」

 

 まるで買出しにでも行かせるように気軽に言ってのけるアルフを、じろり、と睨んで、アルベルは、ふん、と鼻を鳴らした。ついで、きびすを返す。

 

「あ! 待ってくださいよ! 団長!」

 

 アルベルの背を追ってナツメが、ネルに返してもらった刀と剣を掴んだ。あたふたと部屋を出る際、アレンやアルフ、それからフェイト達に一礼する。

 

「それでは、行ってきますね!」

 

「ああ。怪我のないように、気をつけて行け。それから、あまりノックス団長に迷惑をかけるなよ」

 

「はい!」

 

 ぴっ、と親指を立てたきり、部屋を去っていくナツメを、心配そうに見送って、アレンがため息を吐いていた。その二人の掛け合いを尻目に、フェイトが微妙な顔で顎に手をやる。傍らからアルフが言ってきた。

 

「な?」

 

 ――母親だろ?

 

 と、続く質問を。

 それに、フェイトは無言のまま頷いて。

 改めて微笑っているロメリアに向き直った――。



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53.Let's Creation!

《陳謝》
 本日(2018/8/20 AM8時ごろ)投稿したPA(プライベートアクション)が、本来は十話後のものだったため今後の展開に齟齬が生じることが判明し、先ほど取り下げました。
 最新で追ってくださっている方に、特にご迷惑をおかけしますがご了承くださいませ(なるべく早めに追いつくようにします)。


 フェイトたちはモーゼル古代遺跡に向かうため、王室専用馬車とともにシランドから交易の町ペターニへと渡った。

 街の西側にある高級ホテル、ドーアの扉でロメリアを休ませた後。

 フェイトは明朝の出立時刻を確認し、控えの客間を出た。

 この宿は一度眠ってしまうと二度と起き上がれない最高のベッドが完備されているが、フロアに一歩出ればきらびやかな内装とすれ違う貴族たちの勿体ぶった会話に巻き込まれて、肩が凝る。

 そう感じるのは、この旅においてフェイト自身に余裕が出来てきた証だ。が、フェイトに自覚はなく、いそいそと人に見つからないようにホテルのロビーを横切っていた。

 

「……あれ?」

 

 ふとそこで足を止めた。

 広々としたロビーの一角で、アレンとアルフが一つの丸テーブルを囲んでいたのだ。

 近づくと、テーブルに置かれた盤面からアレンが顔を上げて、話しかけてきた。

 

「フェイトか。……どうした? 出立までまだ時間がある。休むなら今だぞ」

 

「そうそ。どうせ会談が終われば、バンデーンと戦り合うんだ。そこから先は休憩一切なし。民間人には、ちょっとキツいだろ」

 

 アレンの向かいに座ったアルフは、ちょうどフェイトに背を向ける席にいた。振り返りもせずに言ってくるアルフの肩越しに、丸テーブルの中央に置かれた白と黒の格子盤が見えた。

 

「……チェス?」

 

 黒がアレン、白がアルフのようだ。

 ちょうどアルフの番だった。左手で白のナイトを弄びながら、言っている間に右手で盤上の駒を動かす。対峙するアレンが、一秒もせぬ間に、とん、と黒の駒を動かし返していた。

 一見すれば、ただのチェスだ。

 が――。

 

 とん、とん、とん、とん……

 

 駒を打ち出す速度が、ともに尋常ではない。

 

(速!)

 

 フェイトが思わず、目を丸める。その間に三手、打ち合っていた。

 駒の動きを追っているだけだと、適当に打っているようにしか見えない。しかし、何らかの意図をもって繰り広げられる攻防のさまは、さしづめテレビで見るプロプレイヤーの勝負を早送りにしているような激しさだった。

 

 とん、とん、とん、とん……

 

 目まぐるしく変わる盤面の動きを、フェイトはなんとなく目で追うだけだ。ファイトシミュレータを始めとした、近代ゲームにはまっているフェイトにとってアナログゲームは専門外だった。

 ただアレンもアルフも、見た目以上に集中していることは肌を通して伝わってくる。

 

「……凄い、のか?」

 

「ただの頭の体操だ。大した事じゃない」

 

 アレンが答えてくる。その間も、盤上の駒は動いている。アルフに至っては、盤すらろくに見ていなかった。

 

「本当は盤なんていらないんだけどな。ないと、味気ないだろ」

 

 ナイトをくるくると回しながらアルフが答える。フェイトが不思議そうにしているのがわかったらしい。二つのことを同時進行できるのが、この軍人たちの恐ろしさなのかもしれなかった。

 

「……それで。ガストには会えたのか? アルフ」

 

「まあね」

 

 アレンの問いにアルフが抑揚のない声で答える。と、アレンが不思議そうに視線を上げた。まだ立ったままのフェイトに、空いた席を視線で示す。

 

「座らないのか?」

 

「え? ああ……、お邪魔かなって思ってさ。いいのか?」

 

「アンタに聞かれてマズい話は、反銀河連邦(むこう)の仕事だろ。俺には関係ねぇ」

 

 そう切り捨てるアルフは、このとき不思議とあの狂人の目ではなかった。

 茫洋と、まるで獣が眠りについたような、静かな瞳だ。チェス盤がよく見えるよう、円卓の一角に座ったフェイトが、アルフを意外な顔で一瞥すると、アレンが苦笑して肩をすくめた。

 

「無駄に敵を作りたがる奴なんだ。……すまない」

 

「お前は、無駄に相手を懐柔しようとするけどな」

 

「相手の理解を得る事は、俺にとって無駄じゃない」

 

「そういうこと。俺にとっても、敵を作るのは無駄じゃない」

 

 絶妙なタイミングで切り返すアルフに、アレンが困ったように顔をしかめる。

 そのアレンを見上げて、アルフが眉を上げた。

 

「お前。俺が他人の事で心を砕くような人間に見えるか?」

 

「見えないから困るんだ。……いつも、な」

 

 アレンが長いため息を吐いて、背もたれに身をあずける。アルフが、ああ、と淡白な返事をしてしみじみと頷いていた。どうやら自覚しているが、直すつもりはないらしい。

 

(うわぁ……)

 

 フェイトは思わず口許に手をやった。その時、後ろから、凛とした声が割り入ってきた。

 

 

「随分な言い草ね。流石は、連邦の狂人と呼ばれるアルフ・アトロシャス少尉と言ったところかしら」

 

 フェイトが後ろを振り返る。そこにフェイトと同じ青い髪を、腰まで伸ばした少女が立っていた。

 すらりとした痩身と、利発そうな青い瞳が印象的な美人、マリア・トレイターだ。

 

「マリア……!」

 

 部屋で休むと言っていたマリアがここにいるのが意外で目を丸くする。ようやく駒を弄る手を止めたアルフが、視線を上げた。狂人と言われる所以の、あの狂気の瞳を。

 対峙するマリアも覚悟していたのか、容赦ない指揮官の面を被っている。一瞬にして広がった二人の重苦しい空気に、フェイトは、まあまあ、と両掌を見せて割り入った。

 

「せっかく協力する事になったんだからさ。もっとこう、気楽にいこうよ」

 

「逆だぜ、ラインゴッド」

 

 狂人の光をたたえたアルフが、薄笑いを浮かべながら、ふ、と失笑する。

 

「え?」

 

「協力する事になったから、腹を探り合うんだ。こうやって、なぁ?」

 

 アルフが片目を細めながら同意を求めると、マリアも警戒の色を強めた。和ませるつもりが、一触即発の空気だ。

 慌ててフォローしようと口を開くも、適当な言葉が浮かばない。

 ――その時。

 

 ぱしぃいいいんっっ!

 

 成り行きを見守っていたアレンが、無造作にチェス盤をアルフに投げつけた。

 チェス盤がアルフの顔面に激突し、軽快な音を立てて駒がぱらぱらとテーブルに散っていく。

 空気が止まった。

 

「ぅ、……っ!」

 

 思わず、フェイトが息を呑む。

 静寂。

 チェス盤を投げたアレンが、改めてマリアに向き直った。

 

「すまない。コイツの言う事は、あまり気にしないでくれ」

 

「いや、絶対無理だと思うよ。アレン……」

 

 フェイトはアルフが激突したであろう右頬を押さえて、思わずつぶやいていた。アレンが、問題ない、と即座に答えてくる。横目でアルフを見やれば、彼もやはり頬を押さえながら、じ、とアレンを見ていた。

 

「……なぁ」

 

 声をかけられて、アレンが思い出したようにアルフを見る。

 アルフが言った。

 

「お前、たまに過激だよな」

 

「放っておくと何を仕出かすか分からないからな、お前は」

 

「………………」

 

 アレンのどうしようもないほど素っ気ない態度にアルフが沈黙する。彼はゆっくりと頬から手を離し、なにか考え込むような表情になった。

 

「何度もすまない。トレイター代表」

 

 アルフに代わり、アレンが頭を下げる。その姿に、うちの子が、という語尾が自然とフェイトの脳裡でちらついた。

 

「お前、……ホントに苦労してるんだなぁ……」

 

 しみじみと言うと、アレンが不思議そうに、不審そうにフェイトを見返してくる。

 

「なんの話だ? フェイト」

 

「気にするな」

 

 フェイトは目を細めながらアレンの肩をぽんぽんと叩く。

 自分なら対峙するだけでも一苦労の狂人(アルフ)と、性格は素直そうだが空気を読まない少女(ナツメ)。その二人の面倒を、これまでもアレンは一手に引き受けてきたのだろう。道理で自分と同い年の割に大人びてるはずだ、とフェイトは内心でつぶやいた。

 

 ――分かってやってよ、マリア。

 

 マリアに視線を向けて、ニュアンスを込めて頷くと、マリアは空気が霧散したのを感じ取ったのか、警戒を解いていった。ため息のようなものを零す彼女に、フェイトは何度も頷く。

 と。

 はた、と瞬きを落として、フェイトは思い立ったように手を打った。

 

「そうだ! 皆、暇してるんならちょっと来てくれ!」

 

「え?」

 

 合点のいかない表情でこちらを見る彼等に、フェイトは、に、と笑って、席から立ち上がるなり皆を連れて高級宿を後にした。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

「まったく。陛下まで連れ出すなんて、どういうつもりだい?」

 

 ホテルから出るなり、開口一番にネルが呻く。フェイトは曖昧に笑ってみせた。

 

「ネル。『陛下』と言う者はここには存在しません。……分かっていますね?」

 

 たおやかに、す、とネルを見るロメリアは、意外にも乗り気に、お忍びの服装に着替えていた。どこか嬉しそうな女王に釘を刺されて目を見開いたネルが、背筋を伸ばして申し訳ございませんっ、と早口に謝っている。その所作が、一番目立っていたので、フェイトが更に曖昧な笑みを浮かべたが、フェイト同様、誰もネルをたしなめる者はいなかった。

 というより――。

 

(マリアが完全に臨戦態勢なのは、気のせいかな……)

 

 ぽりぽりと頬を掻きながら、抑えてはいるものの、鋭い視線を時折アルフに投げるマリアを一瞥する。それに気付いたマリアは、利発そうな目を、ふ、と和らげて、フェイトに向き直った。

 

「それで。結局このメンバーでどこに向かうの?」

 

「ここだよ!」

 

 そう言って、フェイトは足を止めた。高級ホテルの向かいにある、二階建ての店の前だった。看板には『ギルド』という文字が書かれている。

 

「本当はクリフ達も連れてきたかったんだけど、仕方がない! 以前、アレンが言ってたウェルチさんって人に、僕も最近、よくお世話になっててね。せっかくの機会だから、お互いのことを知るためにも体験しといてもらおうと思ってさ」

 

「体験って?」

 

 首を傾げるマリアに、フェイトは「中に入れば分かるよ!」と元気よく答える。

 なにかを察したアレンが、半眼になって尋ねてきた。

 

「お前……まだ諦めてないのか?」

 

「僕、鉄パイプ派だから」

 

 静かに笑うフェイトに、アレンは押し黙った。と。ロジャーが、不思議そうに首を傾げた。

 

「んぁ? オイラも、そんな話聞いた覚えねぇぞ?」

 

「ウェルチさんに世話になったのは、ロジャーに会う前のことだ。……そう言えば、もう結構経ってたんだな」

 

 アレンが感慨深げにフェイトとネル、そしてここにはいないクリフを思い起こして、つぶやく。

 すると傍らのアルフも、ああ、と続いた。

 

「お前が失踪した十日間。俺は倍増した任務で五キロ痩せたぜ」

 

「…………すまない」

 

 思わぬところで衝撃を受けたアレンが、深々と頭を下げる。が、中空を見据えたままのアルフは、あまりアレンの方を気にしていなかった。

 

「ちなみにその時の総睡眠時間、聞く?」

 

「本当にすまなかった、アルフ」

 

 アレンの頬に、だらだらと冷や汗が流れ落ちている。それを暗い眼差しで見下ろして、アルフは満足したようにこくりと頷いた。

 

「ま。とりあえず、今は勘弁してやるよ」

 

「すまない……」

 

 倍は疲れた様子で、肩を落とすアレン。その彼に、慰めの言葉をかける者などここにはいない。

 ロメリアすら要を得ない顔で首を傾げていた。

 

「で? このギルドが何だっていうんだい?」

 

 ネルが両腕を組みながら、話の続きを催促した。

 フェイトはにんまりと笑って、木製の扉を押し開けた。

 

「ネルさんはもう知ってるかもしれないけど。――ともかく入って」

 

 戸を開ける彼に、マリア、ロジャー、ロメリア、ネル、アレン、アルフと続いた。

 外装も木造建築だが、やはり中も木目調の床や壁が目立つ、落ち着いた風情の店だった。白い上下に、白のエプロンとコック帽といった出で立ちの少女や、ねじり鉢巻にハッピ姿の壮年の男性。さらに、こちらは職業がはっきりとしない、何やら柄の悪そうな若者までいる。

 

(何の店?)

 

 マリアが首を傾げながら奥に進むと、カウンターで受付嬢をしている女性が、マリアを見るなり、ぱ、と表情を輝かせた。

 

「クリエイター志望の方ですか?!」

 

「えっ!?」

 

 クリエイター? と口の中で反芻するマリアに、女性は、にこにこと笑う。

 見たところ、十代後半から二十前後の若い女性だ。落ち着いた金色の髪を、左右同じ高さで藍のリボンでしばり、栗色のくっきりとした目鼻立ちから、生き生きとした雰囲気(オーラ)を発している。彼女はエリクール人にしては珍しいデザインの、藍と黒のワンピースを二枚着て、人差し指だけ伸ばした、孫の手ならぬ白い手を先につけた棒を持っていた。

 美人だが、妙。

 それが、マリアの持った第一印象だった。

 

「お久しぶりです。ウェルチさん」

 

 と。

 マリアが対応に困ったところで、後ろからフェイトが名乗り出た。ウェルチ、と名乗った女性が、フェイトを見やる。と、ああ、と表情を輝かせた彼女は、しかし同時に、ん? と小首をかしげた。

 

「新商品の特許申請なら、テレグラフで出来ますよ?」

 

「実は、新しいクリエイターに彼等もどうかと思いまして。……いまからでも認定ってしてもらえます?」

 

「なるほど、クリエイター認定試験ですね。分かりました。ギルドマスターを呼んで来ますので、少々お待ちください」

 

 一礼して、店の奥に入っていくウェルチ。

 途端、アルフが不思議そうにアレンを見た。

 

「クリエイターって?」

 

「しかも試験って言ってたぜ、兄ちゃん! オイラ、対策も何もやってないじゃん!」

 

 ばたばたと手足を動かして焦るロジャーに、フェイトはにっこり笑うと親指を突き立てた。

 

「大丈夫! ありのままのLvが重要だから!」

 

 アレンがふと、なにかを察したように頷いた。

 

「……考えたな、フェイト。確かに、たまには息抜きもいいだろう。皆、楽しんできてくれ」

 

「きてくれ?」

 

 声が被ったのは、ロジャーとアルフだ。両者、心底不審そうな目でアレンを見ると、振り返ったアレンが、意味深に微笑った。

 

「ん? アレンはもしかして、登録すんでるのか?」

 

「ああ。メリルの付き添いをしたときに。お前は登録していないのか? フェイト」

 

「うん。基本的に、僕は雇う側の方が性に合ってたから」

 

「なら、ついでに行ってくればいい」

 

 受付嬢ウェルチが、華やかな笑みを浮かべて戻ってきた。

 

「お待たせしました」

 

 彼女が連れてきたのは、彼女の胸の高さにも満たない、白いひげをたくわえた初老の男性だった。身長の割りに、体重は成人男子よりも重そうな、丸々と太った体躯が特徴的で、愛嬌のある目鼻立ちをした彼は、その頭よりも随分小さい帽子をつまんで、軽くフェイト達に一礼した。

 

「キミ等が志願者諸君かね?」

 

 ぐるり、とフェイト達を一瞥して、ギルドマスターと呼ばれた男性は、フェイトを見上げる。一見して、誰がリーダー格らしい人物か、見破ったらしい。

 話を振られたフェイトは、腰に手を据えながら答えた。

 

「ええ。ちょっと気分転換に」

 

 ギルドマスターはよろしい、とつぶやくと、一つ頷いて講釈を始めた。

 

「知っておるとは思うが……。わが職人ギルドは国からの出資を受け、大陸の文化発展を目指して商品流通と発明品の特許登録を一手に引き受ける巨大流通組織なのじゃ」

 

「何と業界最大手! ナノックスとドラエースが潰れちゃったから。」

 

 傍らのウェルチが持てはやすように相打つ。が、アルフが聞きとめたのは、彼女の絶妙な相槌ではなかった。

 

「なぁ。潰れたって、この業界、つまりもう落ち目なんじゃ――」

 

「我々は志を高く持つ若人の道を遮る門は作っておらん。ウェルチ、アレを渡すのじゃ」

 

 アルフの言葉を完全に無視して、ギルドマスターはウェルチを振り返る。すると、はい、と歯切れよく答えたウェルチが、両手で包んだそれを、マリアに手渡した。

 

「どうぞ」

 

 受け取ったマリアが、首を傾げながらも視線を落とす。

 静寂。

 マリアは、か、と目を見開いた。

 

「これは小型通信機?! も、モニターまで付いてる……!」

 

(うんうん。僕もそこ驚いた)

 

 同じ物を以前ウェルチから渡されたフェイトが、両手を組んで頷く。

 

「そうじゃ。これがあれば離れていても我々といつでも連絡を取ることができるのじゃ」

 

 得意げに頷くギルドマスターを見上げて、マリアは二、三回。ぱくぱくと口を開閉させる。

 ウェルチが、持ち前の明るさと要領の良さで、きびきびと続けた。

 

「私がオペレーターを務めせて頂きます。店頭に並んだ新製品情報や、特許申請の報告、果ては貴方が発明したアイテムの特許申請もこれ一つで簡単に行えるんですよ」

 

「クリエイションを行うなら、街にある工房を自由に使ってくれたまえ。拡張機能や増築も好きにやってOKじゃ。そのかわり自費じゃがな。はっはっはっ」

 

「……はぁ」

 

 とりあえず頷くマリアに、ウェルチは、では、と言い置いた。

 

「皆さんの登録を済ませるために、お名前と、タレントLV認定試験をさせて頂きますね。私がご案内しますので、ついてきてください」

 

「はぁ……」

 

 合点の行かない様子で頷くマリアを筆頭に、一同は、ウェルチがギルドマスターを呼びに使った、店の奥へと入っていった。

 

 

 

 ………………

 

 

 

 小ざっぱりとした店の奥は、しかし、傍に炉があったり、各種機器があったりと、多目的の機材があちこちに、整然と置かれていた。

 そこに一同を連れてくるなり、こちらを振り返ったウェルチは、置かれた機材の一式を示して続ける。

 

「では、まず『料理』タレントLvを見させて頂きますので。皆さん持ち場についてください」

 

 ウェルチに聞いた認定試験とは、物を作る、という『職人ギルド』の看板を背負う一環で、多くのクリエイターを登録する際、そのクリエイターの持つ能力を、ギルド側が正式に把握するために設けられた制度だ。

 というのも、ギルドは職人が作った物を売り込み、全世界へ特許を取るだけではなく、世界が必要としている物作りの職人を、ニーズに合わせて提供するという、就職斡旋の面も存在する。それ故に、新たに加入されたクリエイター候補者の能力を把握することは、ギルドにとって最も重要な項目の一つなのだ。

 

「心配しなくても、出来ないものは出来ないでいい。自分が持っている能力を知ってもらう。それだけの目的だから、気楽にやってくれ」

 

「ただし、タレントLvの高いクリエイターには、当方が責任を持って売り込ませて頂きますので、どんどんガンバってくださいね!」

 

 すでに『観覧席』と書かれている椅子に座っているアレンを横目に、フェイトは腕をぐるぐると回した。

 

「よぉーし! ならソフィア直伝のアレをお見舞いするから、楽しみにしろよ。アレン」

 

「ああ」

 

 厨房に立ったフェイトはふと、暗い表情のまま、やや俯いているマリアに、視線を止めた。

 

「どうかした? マリア?」

 

「……何でもないわ」

 

 首を横に振って、颯爽と髪を払うマリアに、フェイトは不思議そうに首をかしげた。彼の隣では、クリムゾンブレイドと呼ばれる女性が、拳を握り締めて、鋭い視線をフェイトに送ってくる。

 

「……アンタ、こんなくだらない事に陛下を……!」

 

「ネル。陛下という方はここには存在しない。そう言った筈です」

 

「はっ」

 

 殴りこみをかけようとするもロメリアに止められ、ネルは渋々ながらも拳を下ろした。そのロメリアに、フェイトに代わってアレンがすまなさそうに笑う。するとロメリアも、ゆっくりとアレンに頷き返し、ウェルチに向き直った。

 

「すみませんが、私は彼等の旅に一時的に同行している身。認定試験のほどは辞退させていただきます」

 

「分かりました。では、そちらへおかけ下さい」

 

 そう言って、アレンの隣を示すウェルチに、ロメリアは、そそ、と微笑んで、腰を下ろした。

 と。

 フェイトと同じく、認定試験に大人しく参加したアルフが、厨房を物色している。彼はすり鉢に目を留めて、不思議そうに首をかしげていた。

 

「これって、何に使うんだ?」

 

 アルフの厨房の隣には、ロジャーがいる。およそ流し台よりも背の低いロジャーは、不便そうにわたわたと動きながら、それでもアルフが指す、すり鉢を見上げて、えへん、と胸を張った。

 

「ゴマをするのに使うじゃん!」

 

「ふぅん」

 

 頷いて、興味が失せたのか、すり鉢を隅に置くアルフ。次に取り出したのは、ピーラーだった。

 

「これは?」

 

「皮むき機じゃん! ……兄ちゃん、そんなことも知らないのかぁ?」

 

 にや、と笑って腕を組むロジャーに、アルフは不思議そうに首をかしげると、

 

「お前はよく知ってるね」

 

 素直に頷くアルフに、気をよくしたロジャーが、当然じゃん、と得意げに笑っている。そのやりとりを眺めながら、アレンが長い、ため息を吐いた。

 

「どうかされましたか?」

 

 問うロメリアに、アレンが少しだけ視線を上げて、いえ、と首を横に振った。

 

「……そう言えば、包丁はおろか、台所に立たせた事はなかったと……」

 

「飯はお前担当だろ」

 

「掃除した事あったか、お前」

 

 事もなく言ってくるアルフに、アレンがため息を吐く。

 もっとも、都合の悪い事は聞かないのが、六深基地の連邦軍人だ。

 

(まともな物を作れとは言わない。……だが、せめて食える物を作ってくれ)

 

 アレンは一抹の不安を抱えながらも、今まで起こしたナツメとアルフの奇跡を思い出して、アレンは遠い目をしていた。

 しかも今回は、気になる相手がアルフだけではない。

 少し視線をずらせば、どこからか、自前のエプロンとコック帽を被ったロジャーが、やる気を漲らせて包丁を握っている。

 

「その前に、怪我の心配か」

 

 つぶやくアレンを余所に、審査員兼進行係のウェルチが高々と叫んだ。

 

「では。クリエイション、スタート!」

 

 部屋の隅で、ギルドマスターが自分と同じくらいの身長の銅鑼を鳴らす音が響いた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

(えぇっと、確かここは卵白を泡立たせてメレンゲを……)

 

 以前、ソフィアと一緒に作ったケーキレシピを思い出しながら、フェイトはあくせくとボールに入った卵白と砂糖を、メレンゲ状に泡立たせる。

 当然、この場に文明の利器などない。完全に手作業だ。

 慣れない手つきで、いつもなら見ているだけでソフィアが勝手に進めていく工程を、思い出しながら作業する。

 

「あ、そっか。バター溶かさないと……」

 

 途中、思いつきに近いタイミングで要領悪く事を進めてしまうのも仕方がない。

 作る機会は多くとも、真面目に取り組んではこなかったためだ。

 

 そうして、数分後。

 

「よし、こんなものかな?」

 

 フェイトは満足そうに頷いた。大体の感じで作ったスポンジらしきものに、バニラエッセンスを入れて香りを――

 と。

 つぶやきながら、始めに用意しておいた生クリームに手を伸ばした、その時。

 

 ぼぉおんっっ!

 

 傍らで、くぐもった音とともに鍋が爆発した。

 

「!?」

 

 びく、とそちらを振り返った一同が、何事だ、と目を瞠る。アルフを除いた誰もが、思わず手を止めた瞬間だ。すると、鍋をかき混ぜていたマリアが、片手におたまを持ったまま、固まっていた。

 盛大に飛散した油が、容赦なくキッチンを汚している。爆発源はマリアがかき混ぜていた鍋の隣――揚げ物用鍋のようだ。100℃近い熱油が、マリア自身には降りかからなかった事が幸いだった。

 

「だ、大丈夫か!? マリア!」

 

 慌ててフェイトが駆け寄る、ところで、うず高く食器を積んだロジャーが、あ、と足を滑らせた。フェイトの背後で妙な気配がする。

 

「お?」

 

「へ?」

 

 振り返ったフェイトの表情が、固まった。

 気づけば、彼の前にうず高い食器の群れが――、

 

 がっしゃぁあああああんっっ!

 ぱりぃんっ……!

 

 頭を鈍器で殴られたような衝撃が、フェイトの頭に走った。

 

「フェイト!」

 

 遠くで、アレンの声。ロジャーが転げた先にいたフェイトは、大量の食器を頭から被ったのだ。容赦なく、割れる皿が、甲高い音を立てて四方に散っていく。それだけならまだしも、割れた拍子に欠けた破片が、凶器だった。

 

「いっ、っった!」

 

 声にもならない声を上げて頭を抱えるフェイトに、食器を盛大にぶちまけたロジャーが、あわわわ、と動転していた。

 さすがに日々、兼定の脅威に晒されているフェイトに、深刻な怪我はない。それでもフェイトは衝撃の所為でくらくらする頭を押さえると、目の前でオロオロと視線をさ迷わせているロジャーをじろり、と見下ろした。

 

「ロ・ジャ・ー……!」

 

「ぎくっ!」

 

 叫んだロジャーが、顔を引きつらせて、びし、と背筋を伸ばした。

 フェイトが指の関節をパキポキと鳴らす。ロジャーが、ひぃい、と表情を引きつらせた。

 その二人の様子を、アレンはため息混じりに見据えて、す、と右手に紋章力を集中させた。

 床に散らばった砕けた皿と、ついでにフェイトの頭にできたたんこぶに、白い光が宿る。皿はまるでビデオを巻き戻すように、ふわり、と宙に浮かび上がり、散った破片を収集して元の姿へと戻っていく。アレンのイメージ通り、白く、丸い姿に。

 それらはまるで意志を持つ生き物のように、宙に浮かび上がると、アレンが戸を開けるのを見計らって、規則正しく食器棚の中へ収まっていった。

 

「こんなものか」

 

 元通り片付いた食器棚を見据えて、アレンがつぶやく。と。その間にぼろ雑巾のように見る影のなくなったロジャーが、フェイトの足元に転がっていた。

 

「マリア!」

 

 そんなロジャーを、とどめ、と言わんばかりに蹴飛ばして、フェイトがマリアの下へ駆けて行く。それを、頭の痛い思いで見届けて、アレンは一応、大丈夫か、とロジャーに問いかけた。

 ぼろ雑巾のロジャーが、ニヒルな笑みを浮かべて、ぐ、と親指を突き立てる。

 が、

 力尽きた。

 それを困ったように見下ろして、アレンは頬を掻きながらフェイトを振り返る。と、鍋を爆発させたマリアの下に走ったフェイトが、すかさずコンロの火を消していた。

 

(冷静な判断だ)

 

 それに、こくり、と頷くアレン。

 そんなアレンを置いて、フェイトはマリアの傍まで行くと、固まったままの彼女の肩を、ぽん、と叩いた。精一杯、優しい笑みを浮かべて。

 

「無理するなよ、マリア」

 

 優しい、というより、無駄にまぶしい笑みだ。

 マリアに反論を許さない、悟りの目かもしれない。それを困ったようにマリアは見返して、

 

「でも、コロッケが……」

 

「いいんだ、無理しなくて。ね? マリア」

 

 言って聞かせるフェイトに、マリアは数瞬の逡巡の後、小さくため息を吐いた。包丁を置いて、諦めたようにつぶやく。

 

「そうね……。確かに慣れない事をやろうとしても、上手くはいかないわ」

 

「そうさ! まだまだ先は長い! 僕等はこの料理という関門を、全面的に無視しようじゃないか!」

 

 チョット飽きてきたし、と胸中で付け足して、がっ、と拳を握り締め力説するフェイトに、マリアは迷っているような、戸惑っているような表情を見せながらも、仕方ないわね、とつぶやいた。瞬間。ガッツポーズを取るフェイト。それをマリアには見られないよう、完全な死角でやっているところが流石だった。

 と。

 

「えっと……。つまり、もう料理は終わりってコトかい? こっちはもうすぐ出来上がるんだけど」

 

 かぽ、と大型の鍋に蓋をして、フェイトの返事を待つネルが、首をかしげる。

 瞬間。

 倒れていたロジャーが、ざっ、と立ち上がった。

 

「おねいさまの手料理!」

 

「!?」

 

 思わず、目を丸くしたのはアレンだ。

 完全にフェイトにのされたと思っていたロジャーが、気絶したどころか、ぼろ雑巾姿であるにも関わらず、颯爽と立ち上がっている。

 クリフがいたなら、奴はゾンビか、と洩らしてくれただろうが、残念なことに、かのクラウストロ人は今、アーリグリフだった。兼定を相手にする時の、フェイトの不死身ぶりほどではないが、ロジャーがピカピカと輝いている。

 ウェルチはトコトコと、ネルの傍まで歩いていくと、透明な蓋越しに鍋の中身を見て、わぁ、と歓声を上げた。

 

「この香ばしい香り、これは期待が持てますね!」

 

 その台詞に、フェイトとアレンが、目を丸くした。驚いたようにネルを、というより意外そうにネルを見る二人に、視線を向けられた当人が、目を細める。

 

「……何? 私が料理出来ると、不満かい?」

 

「いや……」

 

「ちょっと意外だな、って思ってさ」

 

 言って、共に視線をずらす二人を睨んで、ネルはふと、手元の鍋に視線を落とした。

 

「そろそろいいね」

 

 つぶやく彼女が、蓋をどける。白い蒸気が鍋から躍りだし、ウェルチの言うとおり、香ばしい香りがフェイトのところまで届いてきた。

 

(えぇっと、僕もちょっと興味あるかも。ネルさんの手料理)

 

 そぅ、と首を伸ばしてネルの厨房を覗き込んだところで、ロジャーの隣の厨房が、燃え上がった。

 文字通り。

 

「……火力弱ぇな。よし」

 

 つぶやいたアルフが、拳を握ると同時、は、と振り返ったアレンが、切羽詰った様子で叫んだ。

 

「止せっ! アルフ!」

 

 だが、そのアレンの制止よりも早く、アルフはそれを振り下ろしていた。

 

「バーストナックル」

 

 ズガァアアアンンッッ!

 

 壮絶な、爆発音。

 一瞬、赤く染まった視界に、棒立ちになったウェルチが、え、と表情を固まらせた。

 バーストナックルの余波が、凄まじい風圧を生んで、彼女の髪を後ろに引っ張っていく。

 それも、ただのバーストナックルならば、まだこうは行かなかったかもしれない。だが、かの狂人は、どこで得た知識か知らないが、フライパンにワインを入れる、という高等テクニックを覚えていたらしく、

 

「ぎゃぁあああああ……!」

 

 隣の厨房にいたロジャーを巻き込んで、その場全体を激しく炎で包んだ。明らかに天井をつく炎が、視界を黒く、赤く染め上げる。

 瞬間。

 

「ディープフリーズ!」

 

 一瞬で紋章を編み上げたアレンが、火炎放射のようなフライパンに向かって氷の紋章術を叩き込む。

 

 じゅわっっ!

 

 圧倒的な質感を持った炎と氷が、正面から衝突した瞬間。空気の塊、とでも言うべき水蒸気が、ぼふんっ、と音を立てて霧散した。

 一番遠い厨房からの水蒸気であったにも関わらず、審査員席で座っている、ロメリアの髪がなびくほどの、風。

 

「……やはり」

 

 その風を一身に受け止めながら、しかしロメリアは、その風より、爆発よりもアレンの紋章術に目を留めていた。

 シランドで、アレンがアドレーと手合わせた時から思ったのだ。

 

 彼は、詠唱をしない、と。

 

 勿論。皆無というわけではないが。

 紋章力の流れを『物』として見ることが出来るロメリアだからこそ、アレンの術構成は異物だった。

 砂場で城を作るのに、普通の人間は砂を集め、山を作ってから、城の形に整える。

 だが、アレンの場合。砂場から、砂城が生えてくるような現象が起こるのだ。

 まるで生き物のように。

 

「よし」

 

 一番遠い厨房から、アルフの満足げな声が響いた。彼の足元で、がほっ、とロジャーが黒い煙を吐いているが、まったく気にしていない。アルフは何故か、爆心地にいたにも関わらず、まったくの無傷で満足そうに頷いた。

 彼の頭上では、先ほどの炎上で黒くなった天井が、痛々しい姿を晒している。

 

 ――そして、試食。

 

 居並ぶ五人の料理人によって作られた、一種独特の作品達を見下ろして、ウェルチは、うげっ、と胸中で呻いた。

 五作品の内、二品。明らかに食べ物でないものが混じっている。

 それを肝の冷える思いで見下ろして、ウェルチはアレンに耳打った。

 

(これは……、さすがにちょっと……)

 

「………………」

 

 そのウェルチと同じく、それらの品々を見下ろして、アレンも緊張した面持ちだ。

 勿論、こんな品をロメリアに食させるわけには行かず、故に審査員はウェルチとギルドマスター、そしてウェルチの熱い要望で、アレンという構図になっていた。

 とりあえず、安全そうなものから手をつけることにする。

 

「そ、それじゃあ認定試験を始めますね……!」

 

 ぎこちない笑顔で笑うウェルチに、フェイトも参ったなぁ、と頬をかきながら笑う。

 長年、ソフィアと共にお菓子作りをしてきたため、彼女がいないとこうも上手くいかないのかと、先ほど痛感したばかりだ。

 とりあえず、完成させたことは完成させたのだが――。

 

 フェイトの作った品は、デコレーションケーキだった。

 

「おぉ! 見た目がキレイじゃの!」

 

 嬉しそうにつぶやくギルドマスターに、ウェルチも期待が高まっているのか、そうですね、と笑顔で返している。その間に、デコレーションケーキを八つに切り、その三片を三枚の皿に乗せたウェルチは、どうぞ、とそれをギルドマスターとアレンに手渡した。

 

「ありがとう」

 

 早速、フェイト作のデコレーションケーキに、フォークを入れるアレン。瞬間。ぴくり、と何かに勘付いたアレンが、目を細めたが、彼はそこでは何も言わず、食べやすい大きさに切ったそのケーキを、フォークで突き刺した。

 

「パサッパサじゃの」

 

 傍らで、ギルドマスターがケーキの断層、スポンジを見て、残念そうな声を上げる。それにウェルチも、こくりと頷き返して

 

「それでは、頂きますね」

 

 彼女がフェイトに断ると同時。審査員の三人は、それを口に運んだ。

 途端。

 

 電流が、審査員達の全身に走った。

 

「……か、らいっっ!」

 

 思わずフォークを引き抜いたウェルチが、眉をしかめて呻く。と、同時。傍らのギルドマスターが膝を叩き、ごほごほっ、と咳き込んでいた。

 一瞬にして、二人の審査員が秒殺された瞬間だ。

 そんな中、

 

「塩と砂糖を間違えてるな。……ちゃんと確認したのか? フェイト」

 

 もぐもぐと普通に食すアレンが、フェイトを見上げる。途端。え? と表情を固まらせたフェイトに、アレンは納得したように、こくりと頷いた。

 

「それと、泡立てが足りないんだ。卵白を泡立てる時は、ちゃんと角が立つまで混ぜる。まあ手動だと大変だが」

 

「……ああ!」

 

 ぽん、と手を打って頷くフェイトの視界の端で、ウェルチとギルドマスターが何か言っていたが、フェイトは敢えてそれを無視した。

 

「そういえば、そんなコト。ソフィアも言ってたっけ?」

 

「よく作ったのか? 二人で」

 

「うん。まあね」

 

「そうか」

 

 つぶやいて、小さく笑うアレンに、フェイトもつられて笑う。こういう風に、以前の自分を認められるのは、フェイトにとって嫌な気分ではない。

 まるであの頃に、戻れたようで。

 

(や、やりますね……。彼……!)

 

(うむ。この、突き抜けるような絶妙なマズさを、物ともしておらぬ……!)

 

 口直しの紅茶をすするウェルチとギルドマスターの顔は、渋い。一気に近い速さで紅茶を飲み干し、最早、二口目を口に入れようとする気配すらない。

 

「では! 次の商品に移りますね!」

 

 それでも営業スマイルを忘れないのが、ウェルチ・ヴィンヤードという女性だ。

 続いてやってきたのは、マリア作・カレーライスだった。

 

「本当は、上にコロッケを乗せようと思ったんだけど……」

 

 つぶやく彼女に、アレンが問いかけた。

 

「もしかして、コロッケを一度冷やしたのか?」

 

「え? ……ええ。その方が、衣がしっかりつくってマリエッタが……」

 

 不思議そうに首を傾げる彼女に、アレンは納得したように頷いて、それから続けた。

 

「高温の油に、低温のコロッケを入れたから鍋の中でコロッケが爆発したんだ。衣を馴染ませるのに一度冷やすのは正解だが、凍らせたのがマズかったな」

 

「なるほどね。参考にさせてもらうわ」

 

 頷くマリアに、こくりと頷き返してアレンはウェルチを見る。と、少し不安げなウェルチが、しかし営業スマイルは崩さないまま、告げた。

 

「で、では! 二品目、試食しま~す」

 

 額に汗。それでも、カレーライスを少しだけすくい上げるウェルチ。確かに見た目は悪くないが、フェイトのこと、そしてマリアが鍋を爆発させた事実に、さすがに慎重になっている。

 さっ、と視線を左右に振った彼女は、先にアレンとギルドマスターの様子を探ってから、食べることにした。

 ギルドマスターが、スプーンに乗ったそれをぱくりと含む。

 瞬間。

 

「あんまいっっっっ!」

 

 ぱんっ、と膝を叩くギルドマスターを視界の端に、アレンも困ったように首をかしげた。もぐもぐと、よく口の中で吟味して、

 

「……チョコレートの味が濃いな。それとクリームに……きな粉?」

 

 ただ甘いだけではない。最早、クドいレベルだ。それも、調和の取れたクドさならば、甘党のギルドマスターもどうにかなっただろう。だがこの場合、カレー本来の風味を完全に押し殺して、甘さは不気味なものへと変貌している。それがご飯と共にあるのだから、不味さも更に倍増だ。

 

「カレーに甘いものを入れると美味しいって、マリエッタが……」

 

 不安げに言葉を切るマリアは、ギルドマスターとアレンの反応が、とてもうまいものを食している反応と思えなかったためだ。

 そんな、少しでも自分の料理をうまいと勘違いしたマリアのカレーを見下ろして、アレンは納得したように頷いた。

 

「そうだな……。ちょうど十人前のカレーの量に、一欠けら。チョコレートを入れるなら、それで十分だ」

 

「そうなの!?」

 

 意外そうに目を瞠るマリアに、ああ、と頷き返して、アレンはまだ、激甘カレーに口をつけていない、ウェルチを振り返った。

 

「どうしたんですか、ウェルチさ――」

 

「さあ! 次の商品にいきましょう!」

 

 強引にアレンを退かせて、ウェルチは次の作品に移る。

 次は今回の目玉、兼、安全作。ネルのグラタンだ。

 適度に焦げたグラタンの表面から、ほこほこと沸きあがる湯気が、何とも美味しそうな香りを運んでくる。

 

「これは期待できそうですね!」

 

 口の中で、ようやく、と付け足して、ウェルチは上機嫌にスプーンを手に取る。と、ネルが粉チーズを、とん、とテーブルの上に置いた。

 

「そのままでもいけるんだけどね。一応、これをつけた方が、味が落ち着くかと」

 

「おぉ! 嬉しい心配りじゃの~!」

 

 更に口直しに含んだ紅茶で、激甘カレーの名残を追い払ったギルドマスターが、心底嬉しそうに頷く。端に控えていたロジャーが、じ、とアレンを見上げた。

 

「兄ちゃん、兄ちゃん! オイラにも! オイラにも一口くれよ!」

 

「ああ」

 

 その彼に笑い返して、アレンは皿のグラタンを半分、別の皿に移動させた。それをロジャーに手渡して、

 

「ありがとな! 兄ちゃん!」

 

 感涙するロジャーに、大げさな、と苦笑した。傍らからフェイトが、ロジャーを押し退ける。

 

「あのさ。ボクも興味あるな。ネルさんの料理」

 

「そうか」

 

「それでは、いただきますね!」

 

 アレン用のグラタンをさらに細かく取り分けて、ウェルチの合図で、フェイト、ロジャー、アレンはグラタンを口に含んだ。

 

「あ……! ホントだ! グラタンだ!」

 

 クリーミーさ。ほどよいマカロニの硬さ。

 意外そうに顔を上げるフェイトに、ネルが複雑な表情で、まあね、と答えた。アレンも味わいながら、こくりと頷いている。

 

「ああ。ここまで作れるとは、大したものだ」

 

「旨いっ! こいつは旨すぎる~っ!」

 

 ちまちまと、大事そうにグラタンを食べながら、ロジャーが体を震わせて感動している。それを呆れたように、というより、戸惑ったように見据えて、ネルは小さく苦笑した。

 

「大げさだね、アンタ達」

 

「そんな事ありませんよ。グラタンなんて、誰でも作れるってわけじゃ……」

 

 フェイトが答えている間に、ロジャーの傍にいたアルフが、不思議そうに首をかしげた。

 

「そんなに旨いの?」

 

「オイラの生涯に、悔いはないじゃんっ!」

 

 即答するロジャーに、ふぅん、と頷いて、アルフは横合いから、アレンのグラタンをぱくついた。

 もぐもぐと、口の中でよく味わって。

 アルフは不思議そうに、首をかしげた。

 

「……ん? これならまだお前の方が――」

 

「それで。次の料理は誰なんだ?」

 

 問うアレンに、グラタンを食していたウェルチとギルドマスターの手が、止まった。

 五作品中、二作品。

 明らかに食べ物ではない品が、残りの二つだったためだ。

 名残惜しそうにグラタンを一気にかきこんで、ロジャーが自信満々に料理を持ってきた。

 

「オイラの料理じゃん!」

 

 ロジャー特製、ジャンボギョウザ。……を目指したもの。

 長さ二十センチほどの巨大なそれは、恐らく、ロジャーの夢を反映したのだろう。皿の上に置かれた塊が、彼のイメージとはかけ離れた所で具現化され、禍々しいオーラを惜しみなく放っていた。

 

「まるでオブジェね」

 

 顎に手をやって、神妙な面持ちでつぶやくマリアに、ウェルチやギルドマスターも冷や汗混じりに頷く。その彼等を視界の端に、まるで巨大マグロが横たわっているようなギョウザにナイフを入れたアレンは、とりあえず食べやすい大きさに切り分けた。

 

「……焼き足りないな」

 

 ナイフに引っ付く、伸びる皮を見ながら、冷静につぶやくアレン。その彼の指摘通り、ジャンボギョウザは外見こそ焼けているが、中の具材は生だった。

 早くも危険、と察したギルドマスターとウェルチが、同時に頷いて、アレンを見る。

 審査を、彼に託した証だ。

 それにやや苦笑しながら、アレンはそれを口にした。

 

 ……くらり、

 

 最初、彼を襲ったのは浮遊感だった。思わず拳を握り、俯くアレン。

 

「お、おい!?」

 

 慌ててフェイトが駆け寄ると、だらだらと大量の脂汗をかいたアレンが、それでも必死に、口に入れたモノを噛もうと顎を動かしていた。

 

「よ、よせって!」

 

「……あり? 兄ちゃん?」

 

 足元でロジャーが、ミスったかな?と首を傾げている。

 ネルとマリアが、ジャンボギョウザをあらためてみると、アレンが切り分けた切り口から、つぅん、と饐えた臭いがやってきた。

 食物が腐って酸っぱくなったときの、あの臭いだ。

 

「な、何? 一体何なの? これ?」

 

 思わず顔をしかめ、つぶやくマリアに、思案顔のネルが慎重に答える。

 

「恐らく、鯖だね。……ロジャー。アンタ、これ作るのに魚も使ったのかい?」

 

 問われて、様子のおかしいアレンと、問いかけてきたネルを交互に見やったロジャーがたらたらと冷や汗をかきながら、頷いた。

 

「ま、マズかったかな? おねいさま?」

 

「切り身で出したんなら、まだマシだったろうけどねぇ……」

 

 言って、ジャンボギョウザを見るネルは、そこに明らかに、鱗が混ざっているのを見つけていた。

 恐らく、アレンも食べる前に気付いただろうが――

 

「こほっ、ごほごほっ……!」

 

 咳き込むアレンを尻目に、ネルはふるふると首を横に振った。

 

(それでもこれを飲み込むだなんて……アンタ、大したモンだよ)

 

 思わず、顔を背けたくなるような異臭に、めげもせず。

 本格的に危険な咳を始めたアレンに、フェイトはすかさず水を持っていった。ソレを無言でつかみ、一気に飲み干すアレン。カンッ、とテーブルに叩きつけるようにコップを置いた後も、まだ戦いが続いているのか、顔を上げないアレンが、落ち着くのを待ってから、ついに、それは運ばれてきた。

 五作品中、最後の品。

 アルフの作品、原始肉だ。

 

「遠慮せずに食え、アレン。ちょっと黒いが、まあ、大丈夫だろ」

 

 久しぶりに満足そうに、無邪気に笑うアルフ、とは視線を合わせず、アレンはありったけの水でどうにか立ち直った喉で、ああ、と小さく頷いた。

 目の前に置かれたそれを、じ、と見据えて、アレンはテーブルに置かれたナイフとフォークを、アルフの作品に入れる。と、通称、消し炭と言われるそれは、カキッと硬い音を立てて二つに割れた。

 明らかに黒焦げ。

 だが、完成された料理、それも失敗作などというものは口にした事の無いアルフは、素材が食べられるものだからと、あまり事の重要性には気付いていないようだった。

 

「……元は肉か何か、か? これは」

 

 口に運ぼうとしたところで迷いが生じたのか、フォークに刺さった炭を見据えて、アレンが問いかける。するとアルフは、ああ、と事もなく頷いた。

 

「そうか」

 

 頷き返して、炭を見下ろすアレン。ウェルチとギルドマスターが、神妙な面持ちで見届けている。

 

「よ、よせって……。明らかにソレ、もう――」

 

 ふるふると首を横に振るフェイトに、足元のロジャーも、兄ちゃん……、と悲壮感を漂わせながらアレンを見ている。その二人に、アレンは静かな視線を返して、

 

 ぱく……っ、

 

 炭の一欠片。およそ二センチ角を口に含んだ。

 瞬間。

 か、と目を見開いたアレンがしかし、めげずに二、三。噛み砕く。その度、カリッ、ゴリッと不気味な音が響いた。

 明らかに、硬い音。

 マリアすらも気の毒そうにアレンを見守る中で、当のアルフは、ようやく事態の異常に気付いたのか、不思議そうに首をかしげていた。

 

「あれ? 肉って、そんな音だっけ?」

 

 口に入れると柔らかく、舌に蕩けるようなステーキ、しか知らないアルフは、しかし、焼く、という工程を経たのに不思議だな、と合点のいかない表情を浮かべている。

 

「…………っ!」

 

 だんっっ!

 

 凄まじい勢いで、アレンが拳でテーブルを押し叩いた。どうやら、噛んでいる内に顎の筋肉が麻痺し、嚥下しようとして――詰まったらしい。

 

「アレン!」

 

「兄ちゃん!」

 

 ば、と立ち上がったフェイトとロジャーが、無駄に悲壮感を漂わせながら、もう見ていられない、とバケツを持って駆け寄る。

 アレンは顔を俯けたまま、ごほごほっ、と咳き込んでいた。

 

「もうペッしちゃえって。な?」

 

「そうだぜ、兄ちゃん! もう顔真っ青ジャン! やめとけって!」

 

 ぐぅうう、と力強く握られた、アレンの右手が、汗をかいている。が、どうにかこうにかその炭を飲み込んだアレンは

 

「た、だの……炭じゃ、ない……っ!」

 

 かすれた声で、つぶやいた。

 途端。ぽんっと手を叩いたアルフが、合点のいった様子で頷く。

 

「なるほど。塩と胡椒。やっぱ入れすぎたのか」

 

「……ちなみに、どれくらい入れたんだい?」

 

 問うネルに、アルフは事もなく答えた。

 

「瓶一本」

 

 それが、聞こえたのかどうかは知らないが――。

 アレンの意識は、既になかった……。



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フェイトくん修行編part5 意地とプライドの問題

 モーゼル砂漠。

 灼熱の太陽に愛されたこの地は、じりじりと焦がすような熱気に溢れている。

 

「勝てるっ! 勝てるぞっ! この暑さの中なら奴だって……! あの悪魔だって、倒れるはずだぁああああ!」

 

「フェイト兄ちゃん……」

 

「なんだ、ロジャー?」

 

「……アルフ兄ちゃんが、オアシスから出て来ねえじゃんよ」

 

「ちょぉ待てぇええええっっ! なんだそのザマはっ!? 連邦の狂人っ!」

 

「お前、そんなノースリでよく居られるな。つーか、暑苦しい」

 

「ばかやろっ! 燃えなくてどうする! このくそ暑い太陽っ! 立っているだけでも痛いっ! もはや殺人的だっ! そんな時に、さあ修行だと訳の分らんことを言い出した、この悪魔に付き合うんだぞ!? それこそ中途半端なテンションで行ってみろ! 死ぬじゃないかぁあっ!」

 

「大変だね、お前も」

 

「ちょっと待てぇええええっっ! お前、この間すごい楽しそうに戦ってたろっっ!? どうした狂人っ!? さてはお前、狂人の皮を被った凡人だなっ!? 狂気をどこへ置いてきた!」

 

「そういうお前も、前ほどビビってねえじゃん」

 

「だからっ! ビビるとかビビらないとか、そんなこと言ってる場合じゃないんだよっ!」

 

「だから。殺るとか殺らないとか言ってる状況じゃねえだろ、この暑さ。無理」

 

「馬鹿ぁあああっっ! 殺らなきゃ殺られる状況なんだよっっ!」

 

「その割にやる気なの、お前だけだけど?」

 

 そう言って、狂人と呼ばれる男は、ネルとロジャーを見た。

 

「なん、だと……?」

 

 フェイトが目を見開いて振り返る。

 するとそこに、オアシスの中で身を休める仲間達がいた。

 

「おい。いつまで待たせる気だ」

 

 苛立ったように、兼定を構えるアレン。アルフが肩をすくめた。

 

「お前も元気だね」

 

「軍人たるもの、いついかなる状況でも気を抜く事はない。――お前は、ちょっとダレ過ぎだな。アルフ」

 

「メンドクサ。……ラインゴッド、構ってやれよ」

 

「ちょっと待て。……どういうことだ? これは」

 

 フェイトは何度も瞬くと、オアシスにいるネル達を穴があくほど見つめた。

 

「まあ、マリアとアルフは仲間になってから日が浅いから仕方がないとして――、……ネルさん。ロジャー……。僕らの熱い絆はどこへ行ったんだいっ!?」

 

 フェイトは言うと、だんっ、とオアシスに生えている木を殴りつけた。

 

「こんな……、こんな太陽なんかに負けるような安っぽい絆だったのか!? 違うだろ!? 僕らの魂はこんな太陽に負けるほど……、ヤワじゃないだろぉおおおお!」

 

「フェイト兄ちゃん」

 

「なんだ、ロジャー!」

 

「暑いじゃんよ……」

 

「馬鹿ぁあああああ!」

 

 フェイトは声を限りに叫んだ。

 ネルが言う。

 

「私もだね。……と言うか、陛下の前で生き恥をさらせってのかい? アンタは。私にもプライドってもんがあるんだよ」

 

「敵前逃亡の方がよっぽど情けないわぃっ! しかもっ! 仲間を見捨てるなんてさ! 最低のすることじゃないかっ!」

 

「言うね、フェイト。じゃあ私からも一言」

 

「なんだいっ!?」

 

「とりあえず、そのオーブよこしな。そしたら戦ってやるよ」

 

「っ!?」

 

 フェイトはバッと自分が羽織っている『アクアヴェイル』を抱きしめた。砂漠の暑さをも緩和する、水の加護を得た神秘の羽衣だ。

 

「フェイト兄ちゃん。魂が熱いなら大丈夫じゃんよね?」

 

 ロジャーがどこか投げやりに聞いてくる。表情は恐ろしいほどない。

 ネルが静かに続けた。

 

「さっきあんだけデカい口叩いたんだ。当然、平気だよね? アンタ」

 

 フェイトはただ黙って、目を見開いた。

 

(――何を……、何を言っているんだ……!? 仲間たちよっ!)

 

「どうかしている……、皆どうかしてしまっているんだっ! しっかりしろ! 目を覚ませよ! 今はそんな、細かいことをとかく言ってる場合じゃないだろう!」

 

「そうだね。分かったから、そのオーブよこしな」

 

「細かいことだったらいいじゃんよね? 兄ちゃん」

 

 二人は恐ろしいほどに淡白だった。

 兼定を構えたままのアレンが、言う。

 

「おい。――まだか?」

 

「どうやら僕だけが、お前の相手をしなければならない時がやって来てしまったようだな……」

 

「へぇ。根性あるじゃん、ラインゴッド」

 

 アルフが少し意外そうに眼を丸める。

 瞬間。

 フェイトはカッと目を見開いた。

 

「貴様のような凡人に褒められても、ちっとも嬉しくないわぁあっっ!」

 

「……ほぅ?」

 

 薄く笑った狂人は、ガッとフェイトの顔をつかむと、無造作に釣り上げた。いわゆる――アイアンクローである。

 

「ふっ……図星つかれてムキになってるようじゃ、たかが知れてるな……。狂人」

 

「タフだね」

 

 狂人の握力が増す。

 

「ミッシミシ言ってきたねぇ、僕の頭蓋……って、やってる場合じゃないって、なんで分かんないかなこの馬鹿っ! どうしようもねえな、この馬鹿っ!  僕の可愛い顔がつぶれたらどうすんだ! つーか、アレンっ! お前も見てないで、さっさとなんとかしやがれっ!」

 

「……なるほど。やるじゃん」

 

 必死にタップするフェイトを心底物珍しそうに眺め、アルフは言った。

 アレンが首をかしげる。

 

「もしかして気に入ったのか? アルフ」

 

「そこそこ」

 

「この軍人ども、いつか僕が殺してやるぅぁあああああああ!」

 

 カッと目を見開き、フェイトは声を限りに叫んだ。もちろん、仲間からの救援はない。

 

「ま、なんにせよ。フェイト兄ちゃんの犠牲一つで済んでよかったじゃんね」

 

「アイツが馬鹿で助かったよ」

 

「……複雑な気分だわ。ただの民間人じゃないと思ったけど……、クリフを超える大バカだったなんて……」

 

 マリアの表情は暗かった。

 

 

 

 

「そんなことより。遊んでないで、さっさと構えろ」

 

 アレンが改めて兼定を構えていた。 

 

「ちっとも回避になってねぇえええ!」

 

 ロジャーの顔が濃くなる。

 ネルの頬に冷汗が伝った。

 

「……本気かい、あの悪魔め」

 

「ネ、ネルおねいさま……!」

 

 

 

「だからこの軍人なんとかしろっつってんだろ! そこの軍人っ!」

 

 アイアンクローを喰らってなお、フェイトは叫ぶ。連続Guts百回が――最早Guts発動率百パーセントにまで昇華したフェイトには、この程度の攻撃で気絶するヤワな精神は持ち合わせていない。

 そんなフェイトをじっと観察し、アルフはパッと手を離した。

 

「やっと離しやがった……!」

 

 アルフが首をかしげる。やや不満そうに。

 

「耐久力は申し分ねえが……リアクションがいまいちだな、こいつ」

 

「うすらやかましいわっ! この凡人がぁあっっ!」

 

 声を限りに叫んで、フェイトはアレンを見、構えた。

 

「長らく待たせたなっ! 今日こそ……、フェイト・ラインゴッドの名にかけて――アレン! お前をひざまずかせてやるっ! 覚悟はいいか! 兼定ぁああああっっ! 調子こいてんじゃねぇぞ、鉄片がぁああああ!」

 

「鉄片……だと?」

 

 ぴくり、とアレンの頬が震えた。

 

「……アレン兄ちゃん……?」

 

 ロジャーの表情が固まる。砂漠にいるのに、なぜか壮絶な冷気が、アレンから流れてくる。

 ネルは頭を抱えた。

 

「……あの、馬鹿!」

 

 もちろん、フェイトのことである。

 

「加減を知らない方は、馬鹿とは言わないのかしら?」

 

 涼しい顔でマリアが尋ねた。ネルは首を振る。

 

「甘いよ。馬鹿なんてのは、まだ話が伝わる相手に使うものさ。――だが、あの金髪は違う。あれはもう人の言葉なんか通じない、悪魔なんだ。可哀想だけど、あんたも……この先、知ることになるよ」

 

「フェイト……。鉄片とは、――何を指す?」

 

 静かなアレンの声。

 いつもより、二オクターブ低かった。

 

「フッ」

 

 フェイトは笑って見せる。心の底から、嘲笑してやった。

 

「心地よい殺気だな、アレン! このくそ暑い太陽の中で、僕の全身から冷や汗が出まくってるよ! いや、クーラーいらずだ!」

 

「いい空気だね。ほんと」

 

 狂人は隣で満足そうに笑った。

 

「それほど悔しいか? そのバケモノ刀を鉄片呼ばわりされた事がっ!」

 

「――馬鹿っ!」

 

「フェイト兄ちゃぁああああん!」

 

 斬っ!

 

 踏み込みすら、マリアの目には映らなかった。

 ただ、陽光を浴びて輝いた兼定が――

 

「……がはっ!」

 

 フェイトの胸を袈裟状に切り、叩き落とす。

 それを尻目に、アルフは鼻を鳴らした。

 

「情緒もくそもないな、お前ら。……殺る気あんのか?」

 

「フッ……クッ、……くっくっくっくっくっ……!」

 

 ゆらり、とフェイトが立ち上がる。アルフは目を丸めた。

 

「まだ立てるのか」

 

 感心したように、フェイトを見て頷いている。

 フェイトは、悪魔の軍人に向かって笑った。

 

「そんなものか? その刀を人に向けるべき努力をするんじゃなかったのか? ……今のは、確実に殺る気だったなぁ? アレン」

 

「……ああ、振り切ってやった」

 

 軍人はあっさりと認めた。目は据わったままだ。

 ロジャーが顔色を変えた。

 

「み、みみ、認めたぁああああ!? 認めたじゃんよぉお! フェイトにいちゃぁああんっっ!」

 

「うろたえるな、ロジャーっ! ついに本性を現したな! この薄汚い悪魔がっ!」

 

「心配するな。お前が前言撤回するまで、俺は加減する気はない。――毛頭な」

 

「僕はお前が諦めるまで、立ち上がるのを止めないっ!」

 

「――言ったな?」

 

「勝負だぁああああああっっ! 僕の意地かっ! それとも、お前の兼定かッ! どっちが上か、勝負だぁあああああああっっ!」

 

「分が悪すぎる賭けじゃんよ! 兄ちゃぁあああああんっっ!」

 

「アイツ、アホだろ?」

 

「だから言ったじゃないか。馬鹿だって」

 

「いや、アレンが」

 

「あれは悪魔さ」

 

「あ、そう」

 

「ああ」

 

 淡白に頷くネルに、アルフは深々と溜息を吐いた。

 民間人相手に、目の前で特務軍人がバケモノ刀を振り回して、真剣に斬りかかっている。

 それを見据えて――、

 アルフはもう一度、溜息を吐いた。

 

「俺が殺りたいのは、そういう死闘じゃねえんだが……」

 

「アンタの方が、人間的にはマシみたいだね」

 

 いままで一度も言われたことのないような言葉をネルにかけられ、アルフはあきれた顔でアレンとフェイトを見た。

 

(やっぱアホだ)

 

 それ以外、彼らにかける言葉は無かった。

 

「どうしたっ! 僕の意地を斬ってみろ! 兼定ぁああああ!」

 

「フェイト……もう許さぁああんっっ!」

 

 

 続く――……。



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phase8 バール山脈
54.モーゼル会談


 アーリグリフに指定されたモーゼル古代遺跡という所は、砂漠の真ん中にあった。

 照りつける太陽に大量の水分を奪われながら、ようやく会談の場に辿り着いたフェイト達は、休憩もそこそこに会議場へと向かった。

 二千年前からあると言われる伝説の遺跡は、積み重ねた年月の割に美しい姿を残している。白い石畳を踏みながら中に入ると、巨大な円卓が、フェイト達を出迎えた。

 軍事国家、アーリグリフの第十三代目国王は、その円卓の間の、右側の席に座っていた。左右に控えているのは、疾風団長ヴォックスと、風雷団長ウォルターだ。アルベルの姿は、ない。

 

「よく来た、ロメリア。……久しぶりだな」

 

 アーリグリフ十三世は、言って口髭を蓄えた表情をゆるめた。向こうの国王自体と会うのはフェイトにとって初めてのことだが、侵攻国としての印象が濃いだけに、彼の親しみやすい表情には拍子抜けする。

 ロメリアに動揺は無かった。彼女は楚々と笑んで、彼とは向かいの、左側の席に腰をおろした。

 

「ええ、そなたもね、アルゼイ。ご壮健そうで、なによりです」

 

「お互い様だ。お前も相変わらず美しい」

 

「そなたも相変わらずですこと」

 

 それが、社交辞令の終わりだった。

 やんわりと笑んでいたアーリグリフ十三世の表情が、鋭いものに変わる。

 

「それで。今回の談義だが」

 

 ちらりとアレンを見やるアルゼイを、ロメリアが制した。

 

「その前に、確認しておきたい事があります。……アルゼイ、そなたは生き残った疾風、そのすべてを此度の戦に導入する覚悟がありますか?」

 

「疾風……そのすべてだと!?」

 

 思わず目を瞠るアルゼイに、ロメリアはにべもなく頷いた。

 ヴォックスの表情に、険が籠る。

 

「どういうことですかな?」

 

 低く問いかけるヴォックスに、ロメリアは言った。

 

「星の船は、強大で凶悪な力を持つモノ。それを相手に我等が打ち克つには、それ相応の戦力が必要となります。我等、シーハーツも施術士すべてを動員する覚悟です。よって、そなた等もそれに協力して欲しいのです」

 

「フフ、なんと大それたことを」

 

 苦笑気味に、アルゼイが喉を鳴らす。彼は言った。

 

「実は、わが国も今、二つに意見が割れていてな。そなた等に協力すると決めた我等と、『敵に対抗するだけならシーハーツと手を結ぶ必要などない』『シーハーツを制圧し、武力で新兵器を奪えばよいのだ』などとほざく連中とが存在する」

 

「分かりやすい発想ですこと」

 

「全くだ。敵の力を見誤ると、どうなるかということが全く分かっておらぬ。この度の敵は強大だ。今はこちらの戦力を疲弊させるわけにはいかないというのにな」

 

「ということは、こちらの申し出を了承していただけると?」

 

「ああ。この際致し方あるまい。先の大戦で、わが国の戦力にも大きな被害が出た」

 

 言ったアルゼイは、横目でアレンを見据えて、小さく苦笑した。

 

「それにしても、あの敵は一体何者なのだ? 先日その隠密からも説明を聞いたが、にわかには信じがたい」

 

 正確にはナツメにも同じ情報をもらっていたが、アルゼイはそれを伏せておいた。

 ロメリアが頷く。

 

「それは私にしても同じこと。恐らくは彼等が説明をしてくれるでしょう」

 

 ロメリアに視線で促され、フェイトは小さく咳払いすると、女王の隣に立った。

 

 ――……、

 

 説明を聞き終えたアルゼイは、困り顔で俯いた。

 

「ううむ……。やはりなんとも突拍子もない話よな。これを信じると言うのか? ロメリアよ」

 

「ええ、アルゼイ。信じなければ国は……シーハーツ、アーリグリフともに滅ぶでしょう」

 

「しかし、奴らにその者共を引き渡すと言う選択肢もあるのではないか?」

 

「以前であれば、可能であったかもしれません。しかし、今となってはそれも不可能でしょう」

 

「何故だ?」

 

「聖殿カナンが彼等によって襲撃されたのです」

 

「なんだと!?」

 

 息を呑むアルゼイに、ロメリアは事も無く頷いた。

 

「この者達とは直接関係ない場所が攻撃された時点で、もはや私達が攻撃目標として認識されたと見て間違いないでしょう……。となれば、私達に残された手段はただ一つ」

 

「全面交戦、か」

 

「ええ。その為にわが国の施術士とアーリグリフの疾風。この二つが力を合わせる必要があるのですよ」

 

 アルゼイはそこで、小さく溜息を吐いた。視線をウォルター、ヴォックスにやる。

 だが、それも一瞬だった。彼はロメリアに向きなおると、頷いた。

 

「国の体面を気にしている場合ではないのだな」

 

「その通りです」

 

「……わかった。協力しよう」

 

 二つ返事で頷くアルゼイに、ロメリアは、そそ、と微笑んだ。

 と。

 

「それじゃ。さっそく本題に入りましょうか」

 

 突然のアルフの言葉に、一同は彼を見た。アルフは彼らの質問には答えず、アルゼイとヴォックスを見る。

 

「約束通り、貴方々の持つ飛竜の中で、最高のものを連れて来てもらえたんですよね?」

 

「ああ。無論だ」

 

 にべもなく頷くアルゼイに、アルフは小さく薄ら笑うと、一同を外へと促した。

 

 

 

 

 和平会談を無事に済ませたフェイト達は、アルフの指示の下、アーリグリフから来訪した飛竜、オッドアイとテンペストを見比べた。

 

 疾風の構成員全てを動員するという条件。

 

 それを、アーリグリフ側が承諾した為だ。

 会談の場にはいなかったアルベルは、ナツメと共に飛竜のいる外にいた。

 

「我が飛竜と陛下のオッドアイ。この二匹を是非とも連れて来いと言ったのは、貴公だそうだな?」

 

 会談を終えるなり、モーゼル砂漠の凄まじい熱気にあぶられながら、ヴォックスは静かにアルフを見た。頷いたアルフが、視線をアレンに向ける。すると、兼定を抜き払ったアレンが、オッドアイとテンペストに向き直った。

 

「失礼する」

 

 一言、断って。

 

「どうする気だ? アレン?」

 

 首を傾げるフェイトを始め、アルフを除いた誰もが、不思議そうにアレンを見た。

 瞬間。

 

 ざわ……っ、

 

 大気が身震いした。砂漠に立った、アレンを中心に。

 

(これは……っ!)

 

 覚えのある感触にヴォックスは目を見開く。忘れたくとも忘れ難い、この巨大な『気』の流れ。それがアレンに――兼定の刀身に、吸い込まれるようにとぐろを巻いて、青く、蒼く、光る刃として凝縮されていく。

 アレンの全身が闘気に満たされ、青白く輝く。その中、アレンはゆっくりと兼定の刃を寝かせると、刀身に右手を添えた。刀身に己を映すように。

 

「活人剣……!」

 

 ネルがつぶやくと同時、アレンは、か、と目を見開いた。

 

「覇っ!」

 

 裂帛の気合。同時、青白く輝く兼定の刀身が、更に鋭く輝いた。

 

 ――ゴォッ!

 

 砂嵐が起こる。天まで届きそうな、少なくとも雲を穿つほどの巨大な竜巻が、アレンの立っていた砂丘を中心に吹き荒れた。小高い丘となっていた砂丘が、風圧でべこりと凹む。

 その上に現れたのは、巨大な朱雀だ。灼熱の砂漠よりなお強烈な、圧倒的な質感と熱風を孕んだ、炎の化身。それはバンデーン艦を襲った時とまったく変わらぬ姿で、テンペストやオッドアイなどまるで比べ物にならないほどの壮絶な大きさでもって、天からフェイト達を見下ろした。

 アレンに付き従うように、彼の背で。

 

「これが、クリフの言っていた赤い鳥……!」

 

 熱に浮かされたように、マリアは無意識下で固唾を呑んだ。朱雀を見上げて、呆然と。そんなマリアを置いて、朱雀を召喚したアレンが、静かにオッドアイとテンペストを見据えた。

 

「この状態の俺を、運ぶことは可能だろうか?」

 

 慎重に、問う。

 だが獣であれば――否、獣などより遥かに高度な知能を持つ二匹の飛竜には、無理な相談だった。彼等は目の前にある炎の化身に瞠目し、後ずさった。これを自分の背に乗せることなど、あまりに恐れ多い。言うなれば、何も知らぬ平民が、国王の前で膝をつかないのと同じ行為だ。

 神獣なのだ。これは。

 

 ぐ、るるる……っ、

 

 普段、人語を解せるオッドアイでさえ、身を小さくして唸る。

 恐怖というより、圧巻。あまりにも神々しい朱雀の炎に、誰もが言葉を失い、動けない。

 アルゼイは呆然と朱雀を見上げて、つぶやいた。

 

「この地アーリグリフ。邪悪なる脅威に民苦しむ時、異国の服を纏いし勇者現れん。彼の者、大いなる光の剣を以って迷える民を救わん……」

 

 エクスの預言書、と呼ばれるアーリグリフ聖書の一説だ。

 アルゼイは信心深いワケではないが、預言書を体現すれば、このような感じだろうと納得していた。

 

「大いなる、光の剣……」

 

 そのアルゼイに続いてロメリアも呆然と、『彼』が持つ兼定を見据えている。今まで見た、どんな施力よりも強烈な光を放つ刀を。

 と。

 

「……少し、驚かせてしまったか?」

 

 ふ、と力を抜いたアレンが、背中の朱雀を消した。空気中にある大気を、何千倍にも凝縮したような質感が、それと同時に消え失せる。

 

「やっぱりダメみたいだな」

 

 兼定を納めるアレンを傍らに、アルフが肩をすくめて言った。いつも通り平坦な声。予測していた事態に、落胆する様子も無い。彼を尻目にアレンは改まった表情で、オッドアイとテンペストに向き直った。

 

「お付き合い、感謝する」

 

 一礼するアレン。

 相手が竜であっても、礼節を重んじる。この自分の、腹にも満たない小さな人間が、あの巨大な朱雀――神の獣を平然と従えて。

 それは長い時を生きたオッドアイにすら稀有と言わしめる存在だった。

 オッドアイはかすかにうつむき、アーリグリフ王に向き直った。

 

「我が主よ」

 

 オッドアイの言葉に、フェイトとロジャー、そしてマリアが目を丸くする。

 竜が人語を解す――。

 その事に驚いたのだ。その彼等を置いて、オッドアイが話の先を促すと、アルゼイも、うむ、と低く首肯した。ロメリアとフェイト達に向き直って、詫びるように首を振る。

 

「残念ながら、この二匹は我が国最高の飛竜だ。この二匹をもって、お前を乗せる事が出来ぬとあれば、もはや今現在のアーリグリフに、お前を乗せて星の船に攻め入る事は難しいと言わざるをえない」

 

「そんな……!」

 

 思わず言葉を失うフェイトの傍らで、アルフが低く失笑した。アルゼイを見据え、彼はその紅瞳をわずかに細める。

 

「前置きはいい。策があるなら、話してください」

 

 率直に言い放つアルフの態度は、どこかアルベルに似ているが、より険がある。アルゼイは紅瞳を見返して、む、と表情を引き締めた。

 

「――うむ。今いるエアードラゴンでダメなら、それより大きなエアードラゴンを手なずけるしかない」

 

「この二匹より、大きなエアードラゴン?」

 

 首を傾げるフェイトに、アルゼイは重々しく頷いた。フェイトの傍らでネルが険しい表情でアルゼイを睨む。

 

「そんな奴がどこにいるんだい?」

 

 注意深く、相手を観察するように。

 鋭い視線を向ける隠密を飄々と見返して、彼女の問いに答えたのは例の好々爺だった。

 

「お主たちも行った事のある場所の近くじゃよ。ベクレル鉱山の近くにウルザ溶岩洞と呼ばれる洞窟があるのじゃが……。その中に巨大なエアードラゴンが住んでおる」

 

「だったら、さっさとひっ捕まえに行こうぜ! フェイト兄ちゃん!」

 

 突拍子も無く、ぴょんっ、と高くジャンプするロジャーに、アルゼイも頷いた。

 

「そういうことだ」

 

 恐らく、見込みがあってのことだろう。

 フェイトが力強く頷くと、ヴォックスが、ふん、と不満げに鼻を鳴らした。

 

「彼の者をただのエアードラゴンと侮るな。相手は高度な知能と強大な力を持つ偉大な侯爵(マーカス)級ドラゴン。……この私ですら、従えることのできなかった相手なのだからな!」

 

「それは結構。アンタで相手になるなら、そもそも洞窟に行く意味がない」

 

 淡々と言うアルフに、それまで黙っていたアルベルが、面白くもなさそうに、舌打った。

 

「そう簡単な話か、阿呆。侯爵(マーカス)級の化け物なんぞ、人間が相手にできるレベルじゃねぇ」

 

「へぇ? 詳しそうだな、お前」

 

 喉を鳴らし、アルフが片眉を吊り上げる。切れ長の紅瞳に、探るような気配が含まれる。アルベルは無造作に顔を背けた。相変わらずの仏頂面で、面白くもなさそうに鼻を鳴らす。

 途端。アルフは何か察したように、ひとつまたたいた。何を読み取ったのかは知れないが、アルベルが不快そうにアルフを睨む。が、彼は薄笑いを浮かべているだけで、それ以上は何も言わなかった。

 代わりに傍らからナツメが、悪びれない笑みでアルベルに言った。

 

「まぁまぁ、団長! 仮に、以前失敗した人がいたとしても、今度は大丈夫ですよ! こちらには、アレンさんやアルフさんがついてるんですから!」

 

 瞬間。

 

 すぅ――……っ、!

 

 アルベルから凄まじいまでの殺気を送られて、ナツメは、きょとん、と瞬きを落とした。

 殺気――いつもアルベルが向けてくる剣気ではなかった。純粋に、憎悪を孕んだ黒い殺気だ。

 確実に、ナツメを『敵』と見たアルベルの視線。

 

「団、長……?」

 

 射すくめられたナツメが、強張った表情で問いかける。が、即座にナツメから視線を外したアルベルは、不機嫌に舌打ちするなり、何も言わずに踵を返した。

 合点の行かない顔で、ナツメがアルベルの背を見送る。その間に、ネルが場を仕切り直すようにヴォックスを見た。

 

「で? そのウルザ溶岩洞への道案内は、アンタがやるのかい?」

 

「いや、ヴォックスには来るべき日の為に施術士達と打ち合わせておく必要がある。そこの男が言うには、集団合成魔法とやらには陣形が必要なのだろう?」

 

 ヴォックスに代わり、アルゼイがアレンを指して問いかけると、視線を受けたアレンが、小さく頷いた。

 アルゼイの視界の端では、ウォルターがため息混じりにアルベルの背を見送っている。それにアルゼイも困ったように眉をしかめると、アルフが突拍子も無く、ぽん、とナツメの頭を叩いた。

 

「ま、そんなことだろうと思ったが。意外に的を射たらしいな。ナツメ」

 

「……ほぇ?」

 

 殺気に反応して表情を硬くしたナツメが、アルフを振り返る。それを視界に入れるわけでもなく、

 

 がつ、

 

 無造作に、アルフはアルベルの長い髪――触覚のように二つにまとめた髪の一束を、鷲掴んだ。

 

「ぐぁっ!?」

 

 ぐきっ、という妙に嫌な音を立てて、アルベルの首が妙な方向に捻じ曲がる。が、狂人はそんなアルベルに構わず、アルゼイに向かって言った。

 

「じゃ。水先案内人はコイツってことで?」

 

 飄々と確認をするアルフに、アルゼイはぽかんと口を開けていた。

 二、三秒。

 アルフの言葉を理解するのに間を要す。

 あの『歪のアルベル』が――。

 戦場での彼を、少しでも知っている人間が見れば、信じられない光景だ。それに圧倒されて、意味もなく口を開閉させていると、アルゼイは、はっと思い出したように、唇を引き結んだ。

 

「う、うむ」

 

 口頭で頷くと、アルフは得心がいったように、にやりと笑って、フェイトに向き直った。

 

「だったら、さっさと行こうぜ。今は一寸の時も惜しい」

 

 それが出発の合図だったのだろう。

 アルフは片手にアルベルを引きずったまま、事もなげに歩き出した。

 そんなアルフを、じ、と見据えて――、

 

「命知らずってのは、ホントにいるんだね……」

 

 ぽつり、とつぶやくネルに、フェイトが無言のまま、頷いた。

 

 

 

 ………………

 

 

 

 侯爵竜を連れ帰るという前代未聞の難題に、戦力増強を図ったフェイトは、アーリグリフにいるクリフとミラージュを迎えに行った。

 今回はアーリグリフ側の協力があったため、フェイト達は飛竜で一気に王都まで辿り着く事が出来たのだ。

 エリクールについた時墜落したイーグルと、久しぶりの再会を果たしたフェイトは、別れの時より格段に綺麗になったイーグルに、思わず目を丸くした。

 

「凄い……!」

 

 もはや、目につく所に損傷は見受けられない。驚くフェイトを他所に、艦内からクリフが出て来た。

 

「……あれ? ミラージュさんは?」

 

「バンデーンとやり合うために、少しでも勝率を上げるためのシミュレーションだの微調整だのをやるってよ。……で? 話はどんな風にまとまったんだ?」

 

 問うクリフに、フェイトは場所を移しながら現状を説明した。

 

 

 

 …………

 

 

 

「ここが、ドラゴンロードの入り口か……」

 

 バール山脈の麓。

 さすがにドラゴンの住処と呼ばれる山脈は、空を見上げれば、野生の飛竜が多く飛び交っていた。

 アーリグリフから麓まで送ってくれた疾風兵の話によると、飛竜とは一口に言っても、様々な種類があるらしい。空に浮かぶ、野生の竜をドラゴンと称するのに対し、疾風が従える竜をエアードラゴンと称する。

 エアードラゴンは、アーリグリフでは畏敬の念の象徴だ。

 節度ある対応をするのが礼儀と言われている。

 

「にしても、意外だな。お前は誰よりも、部下の信用がない奴だと思ってた」

 

「……ほぅ?」

 

 意外そうに目を丸めて、アルフがまじまじとアルベルを見る。

 視線を鋭くしたアルベルは、悪びれずに見返してくる狂人を見て、不服そうに舌打ちした。

 

「お前には言われたくないんじゃないか?」

 

 アレンが苦笑気味に指摘すると、アルフが、さも当然、と言わんばかりに肩をすくめた。

 

「まあな」

 

「にしても、お前。どうやってイーグルをあそこまで修理させやがった? レプリケーターで合成っつっても限度があるだろうがよ」

 

 アーリグリフから戻ってきてからこちら、何やら疲れた様子で、がしがしと頭をかいているクリフに、アルフは意味深な笑みを落とした。

 

「ま、いろいろあるんだよ」

 

 答えにもなっていない返事だ。

 そんな一行を見据えて、フェイトが得心のいった顔で頷く。

 

(それにしても、増えたなぁ……)

 

 しみじみと胸中でつぶやくと、更に感慨が深まる気がした。

 全員で十人。

 ミラージュが作業を終えるのを待って、ついて来てもらったのだ。

 

「しかも今回はアレンと互角って噂のアルフまで居るし。コレは、今後の行動が楽になると言っても過言じゃないよな」

 

 小声で言っているつもりなのだろうが、丸聞こえの声量で、こくこくと頷くフェイト。その彼に、失笑したのはアルフだった。

 

「ま、この惑星(エリクール)に居る間はな」

 

 途端。フェイトが困ったように眉をひそめる。

 会話を聞いていたマリアが、至極当然な問いを口にした。

 

「それなんだけど」

 

「?」

 

 片眉を上げて振り返るアルフに、マリアは慎重に問いかけた。

 

「不思議に思ってたの。連邦でも極秘とされている私やフェイト――、いえ、クォークに所属している私を拿捕するのは難しいとしても、フェイトを連邦軍(あなたたち)が見逃す理由は、何?」

 

「連れて行っても構わないのか?」

 

 問いに問いで返すアレン。マリアは眉を寄せた。

 アレンを見据える。彼の、意図が読めない。

 肩をすくめたアルフが、面倒くさそうにため息を吐いた。

 

「アンタの言いたい事は分かるぜ。俺ももともと、この星にはアレンを迎えに来たわけじゃない。『フェイト・ラインゴッドを確保しろ』と言われて来たんだ。が、誰とは言わねぇけど、偶然この星でばったり出くわした横暴かつお人よしの金髪が、フェイト・ラインゴッドをアンタに任せるべきだって言って聞かなくてね」

 

「言ってくれる」

 

「俺の十日間。埋め合わせてくれるんだろ?」

 

「…………」

 

 肩をすくめるアルフに、アレンは二の句が告げない。片頬を震わせるなり、黙りこんだ。

 アルフは満足そうに笑むと、改めてマリアに向き直った。

 

「ま、一番悪いのは、バンデーンが来る前に本陣を寄越さなかった提督だ。派手に暴れて事をうやむやにしちまえば、アンタ等がラインゴッドを連れて行ったって問題はない」

 

「そんなんでいいのか?」

 

 思わず首をかしげるフェイトに、ああ、と即答するアルフ。何だかんだ言って否定しないアレン。その二人を見比べて、マリアは、ふぅ、とため息を吐いた。

 肩の荷を下ろすように、そ、と。

 

(マリアも苦手なんだ。……アルフのこと)

 

 マリアを横目で観察しながら、合点したようにフェイトが頷くと、前を歩いていたアルフが、後ろを振り返って不思議そうに首をかしげた。

 正確には、アレンの後ろを付き従うようにとぼとぼと歩いている、ナツメを振り返って。

 

「どうかしたのか、ナツメ。珍しく静かじゃん」

 

「……? そんな事はありません! いつも通りですよ、アルフさん」

 

 言って、にこりと笑う彼女には確かに覇気が無い。フェイトも気付くと、ナツメの前を歩いていたアレンが、ぽんぽん、と彼女の頭を撫でた。不思議そうにアレンを見上げるナツメと、しかし視線は合わせずに。

 

「今は急ごう」

 

 何事も無く言い放つアレンに、いいのかな、とフェイトは首をかしげながらも頷く。

 そう言えば、こんな風にアレンと行動を同じくするのは、カルサア修練場以来だと思い出しながら。

 

 故に――、

 

「……こんな、楽だったのか……」

 

 道中、鉢合う竜を無造作に退けるアレンを尻目に、フェイトは感慨深げに頷いた。

 さすがは『鬼教官』。

 竜と対峙する物腰が、クラウストロ人のクリフよりも素早く、堂に入っている。

 そのアレンと引けを取らない動きをするアルフも、フェイト達が竜の迎撃をする前に次々と敵を斬っていく。

 まさに一刀両断だ。

 この二人の活躍で、一行は難なくバール山脈を登り、山奥にある遺跡へと辿り着いた。

 



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55.バール遺跡

 研究室を出て、さらに遺跡を奥に進むと、壁一面に竜の顔を模したレリーフが現れた。

 前方と左右。それぞれ、表情の違うレリーフが三枚ある。中でも、真正面にある竜の怒りのレリーフは、左右の側道に繋がるレリーフの二倍ほどの大きさで、まさにフェイト達を睨み下ろすような威圧感があった。

 

「いかにもって感じのレリーフだな」

 

 それを見上げて、クリフがつぶやく。

 

「そうね」

 

 後ろにいたマリアも、こくりと頷いた。正面にあるレリーフの脇に、石版がある。それに気付いてネルが近づくと、思わせぶりな箇所が見つかった。

 

「これは……、ドラゴンロアーのようだね」

 

「ドラゴンロアー?」

 

 つぶやくネルに、アレンが首を傾げる。と、頷いたネルが端的に答えた。 

 

「竜の言葉をヒューマンにも分かるように記した文字さ。と言っても、ドラゴンロアーを操るほどの長命な竜は、人語を解す事が多いと言われている。だから、実際には目にする機会の少ない文字だね」

 

「つまり、ここのレリーフはあそこで研究をやってた連中が仕掛けたわけか」

 

 竜の怒りのレリーフを見上げてつぶやくクリフに、ネルは恐らくね、と返して、石版に目を落とした。

 

「『十字の中心に竜の頭蓋をささげよ。竜のレリーフは例外なく友の声を求めるもの也』か……。さて、これが何を意味するものなのか……」

 

 腕を組むネルに、フェイトも首を傾げた。

 

「竜の頭蓋って……あの部屋の白骨のことかな?」

 

「かもな。が、どうする? やっぱ、これまでと同じように、レリーフごと斬っちまうか?」

 

 問うクリフに、アレンはそうだな、とつぶやいて兼定に手をかけた。

 ところを、

 

「待て」

 

 アルフが制した。

 抜刀姿勢に入りかけたアレンが、振り返る。すると、かの狂人は真面目な表情で首を横に振った。

 

「さっきの一回目、二回目と。俺が制止する前に、無情にもレリーフが切られたが、今度はそうはいかない。諦めて遺跡の仕掛けに従ってもらうぜ、アレン」

 

「素直に『兼定の切れ味を見たくない』って言った方が伝わるんじゃないですか? アルフさ――」

 

 横槍を入れてきたナツメの頭を、がっ、と鷲掴んで、宙吊りにして黙らせると、アルフは真面目な表情のまま、アレンを見据えた。兼定に手をかけたアレンが、呆れ顔で見返してくる。が、アルフは気にせず、やはり真面目な表情で続けた。

 

「未開惑星の貴重な遺跡を、そうそうぶち壊すなよ。バンデーンじゃあるまいに」

 

「事が済めば、ちゃんと紋章術で直す」

 

「味気ってもんがねえだろ。それに仕掛けた研究員の意図ってのも気になる」

 

「今は時間が惜しい」

 

「急がば回れって言わないか?」

 

「光陰矢の如し、とも言うな」

 

「諦めろ」

 

「お前がな」

 

「…………」

 

「…………」

 

 くん、と小さな音を立てて、レーザーウェポンの鯉口を切られる。瞬間。甲高い金属音が響いた。斬線が、フェイトに見えたわけでは無い。が、気付けば、レーザーウェポンと兼定、両雄の鍔迫り合いが始まっていた。

 否。

 正確には、紙の如くあっさりと斬られたレーザーウェポンの刃が、遺跡の床を叩いて、何とも空虚な音を奏でた。

 鍔迫り合いが出来たのは、ほんの一秒程度のもの。

 それを視界に入れずに、アルフは、じ、とアレンを見据えて、美麗な相貌を不満そうに歪めながら、失笑にも似たため息を吐いた。無造作に、落ちたレーザーウェポンの破片を拾い上げる。

 

「このレリーフの気持ちは、俺も良く分かるつもりだぜ。アレン」

 

 見事に両断されたレーザーウェポンの、刃先を見下ろして、アルフがつぶやく。が、応えるアレンは、容赦が無かった。

 

「いまはバンデーンの対処が先だ」

 

 あっさりと切り捨てる。が。アルフはめげずに口端を歪めた。

 

「だったら、俺の剣をその腰に差してる方ので止めてみな。そうしたら、レリーフを切らせてやる。――ちょうどお前は、この間のなんたら神殿でぶっ倒れてるしな。ちゃんと動けるか確かめとかねえと」

 

「……聖殿カナンだ、アルフ」

 

 アレンのブロードソードを指すアルフに、小さなため息を吐いて、アレンは観念したように兼定を鞘に納めた。

 

「ナツメ、頼む」

 

 そう言って、兼定を渡され、ナツメは慎重にそれを受け取った。

 

「重いぞ、気をつけろ」

 

 アレンが手を離す寸前、忠告されて、ナツメは得意げに頷いた。腕力には自信がある。実際、彼女は並みの成人男子よりは遥かに卓越した筋肉を要する人間だった。

 が。

 

 ……ずし、

 

「ほぇ!?」

 

 両腕にかかる相当な重みに、思わず、兼定を取り落としかけた。それを慌てて両手で持ち直して、ナツメはよろめきながらも兼定を持つ。

 人一人を抱えるよりも、よほど重く感じられた。

 

「…………」

 

 それを視界の端で見届けて、アレンはアルフに向き直る。そしてブロードソードに手をかけた。アルフが、得心が言ったように二、三。続けて頷く。

 

「じゃ、行くぜ」

 

「……来い」

 

 腰を落として、迎撃体勢に入るアレン。

 

「…………」

 

 一同に沈黙が降りた。

 皆が皆、ただの遊戯の中にも、二人の軍人の壮絶な剣技に興味を示している。じ、と目の色を変えて睨む。――マリアとナツメを除いて。

 

「ああ、また始まった……」

 

 呆れたように、ため息を吐くナツメを横目で一瞥し、マリアは首を傾げた。ただならぬ皆の緊張を読み取って、少し真面目に、二人の軍人に目を向ける。

 アレンが、まず(ブロードソード)を抜き払う。

 向かいのアルフが、切られた刃先をレーザーウェポンの根に合わせる。同時。切られた刃先とレーザーウェポンの根が、すぅ、と繋ぎ合わさった。

 アルフが、何かしたわけではない。

 兼定とアレンの剣技が、それだけ見事なのだ。

 レーザーウェポンの金属構成を、少しも崩さずに切り落とした――。それに、マリアが気付くよりも先に、アルフが仕掛けた。

 ――先手は、アルフの疾風突きだ。

 

 ズドンッ!

 

 レーザーウェポンを寝かせ、凄まじい勢いでアルフが踏み込む。直後。アルフは、は、と瞬きを落とした。

 アルフが踏み込むと同時、アレンが跳躍している。

 

「げ」

 

 その真意に気付いて、アルフが頭上を警戒。その時には既に、上空に飛んだアレンが

 

「ソードボンバー!」

 

「……汚ね」

 

 (ブロードソード)を横に一閃させ、アレンは凝縮した『気』を炎に変えて放っていた。アルフの上半身と同じ大きさの火炎球が六つ、間断なくアルフに降り注ぐ。

 

 ががががががぁんっっっ!

 

 地面に触れた瞬間、炎球がアルフの足元で爆散した。遺跡内が真っ赤に染まるほどの盛大な爆発。フェイト達の目が、一瞬眩む。

 ナツメが能天気に叫んだ。

 

「アルフさ~ん!」

 

 部屋の気温が、三度ほど上がる。

 

「覇ッ!」

 

 ――ドンッ!

 

 上空に飛んだ煙の中で、アレンの気が膨れ上がった。が、爆発音でフェイトの耳までは届かない。

 ただ、

 

「俺の……勝ちだぜ、アレン」

 

 爆散した煙の中から、地上に降りたアレンに、アルフが迫っていた。寝かせた刃を、ぎらりと光らせて。

 

「そこだっ!」

 

「!?」

 

 は、と目を見開くアレンに、いつの間にか竜を背負ったアルフの突きが激突する。

 竜の恫喝が、遺跡の壁を、床を揺らした。

 

――ォオオオオオオオオッ!―――

 

 アレンを丸呑みするほどの竜が、吼える。

 同時。

 アレンは拳を握りこんだ。

 

「バーストナックル!」

 

 炎が、爆ぜる。

 アルフの蒼竜の炎と、アレンの赤い炎が、遺跡の中央で激突する。同時。完全に拮抗した二つの炎が、部屋の温度を一気に上昇させた。

 

「ぅわっ!」

 

 思わず顔を覆うフェイト達を置いて、アレンの前でアルフが、に、と口端を緩める。

 それにつられて、アレンが視線を落とすと、レーザーウェポンを受け止めた、自分の右拳が見えた。

 

 ギィイインッッ……!

 

 今だ、両者の拳と刃からは、互いに物質を硬化させる気が迸っている。

 それをただ、見下ろして――。

 

「俺は、俺の剣を、『腰に差してる方ので止めろ』って言ったよな?」

 

「……決めるのは、まだ早い」

 

 アレンはレーザーウェポンを拳で払う。キンッ、と金属音を立てたレーザーウェポンが、しかし、再び振られる事は無かった。

 踵を返して、アルフがレーザーウェポンを鞘にしまったのだ。

 

「言ったろ? 俺の勝ちだ」

 

「――!」

 

 瞬間。アレンが目を見開く。

 何か言いたそうに、アレンが見据えていたが、アルフは肩をすくめただけだ。

 ――勝ちは勝ち。

 言外に言い放つアルフに、アレンは、ぐ、と息を呑んだ。アルフは言う。

 

「最初のソードボンバーは良かったぜ? あれで俺の目を晦まし、活人剣。鈍らの剣(ブロードソード)俺の剣(レーザーウェポン)を止めるには、必要な判断だ。が、それでも蒼竜に耐える気は、凡剣(それ)じゃ練れない。刀が折れちまうからな。――だから拳で迎え撃とうとしたんだろうが、それじゃ『剣で止める』という勝負条件を根底から覆してる。どの道、お前に分はねぇよ」

 

「……それは、続投しても蒼竜を使い続ける意思表示か? アルフ」

 

 やや険のこもった声でアレンが問いかけると、アルフはわずかに、片眉を吊り上げた。

 

「何言ってんの。お前の兼定(それ)は、これ以上の脅威だろうが」

 

「…………」

 

 押し黙った。途端、クリフが感嘆の息を洩らす。

 

「凄ぇ……!」

 

「あのアレンが!」

 

「見事な手並みだね」

 

 いままで絶対に退くことを知らなかった『鬼教官』が、言いように言いくるめられた瞬間だった。フェイトたちが目を丸くしている隣で、感慨深げにつぶやいたのはロジャーである。

 

「つまり、アレン兄ちゃんはブロードソード持ってる時よりも、素手のが強いってことか?」

 

 顎に手をやって、しみじみ頷く。

 瞬間。

 静寂が、場を満たした。

 

「はっ!?」

 

 一斉に皆、目を見開く。

 凝視されたアレンは、ナツメから兼定を受け取って、不思議そうに首を傾げた。

 

「ああ。気功術を使う、という面ではな」

 

「紋章術もですよ、アレンさん」

 

 得意げに付け足されて、アレンは小さく笑いながら、ぽん、とナツメの頭を撫でた。ナツメの表情がへにゃりと緩む。ほのぼのとしたアレンとナツメに対して、一同は信じられないものを見るような目でアレンを見据え、ネルは考え込むように顎に手をやった。

 

「だが、素手だと戦いのバリエーションが限られちまうのが難点だ」

 

 そう付け足すアルフに、なるほど、とフェイトは頷いた。

 

 ぱんぱんっ、

 

 マリアが手を叩いた。

 

「ん? マリア?」

 

 振り返ったフェイトが、不思議そうに首を傾げる。と、マリアがため息混じりに肩をすくめた。

 

「そろそろ、本題に入らない?」

 

 アルフがレーザーウェポンを颯爽と軍服の下にしまい、頷いた。

 

「勿論。遺跡の仕掛け通り動くって、今決まった所だしな?アレン」

 

「……ああ」

 

 条件付き勝負とはいえ、不満そうなアレンを残して、アルフはマリアに向き直った。

 

「そう言うわけで。さっさとあの研究室に行こうぜ」

 

「フェイトの読み通りだと、あそこに置いてある白骨が鍵って事だよね」

 

 確認に問うネルに、フェイトが、多分だけど、と少し曖昧に頷く。クリフは、そんなフェイトの背を叩いて、さほど気にしていない様子で肩をすくめた。

 

「やってみりゃ分かんだろ。それにいざとなりゃ――」

 

 言葉を切ったクリフが、緊張の面持ちで頬を引き攣らせた。不思議に思って、フェイトがクリフを振り返ると、クリフの後頭部に、アルフのレーザーウェポンが、銃を象って押し付けられていた。

 

「いざとなりゃ、何ですか? クリフ・フィッターさん」

 

 ぞくり……っ、

 

 恐ろしいほど冷えた声で、寒々しいまでに美しい微笑を浮かべたアルフが、小首を傾げる。つぅ、とクリフの頬を流れるクリフの冷や汗が、ともすれば、傍で見ているフェイトにも伝染してきそうだった。

 

 かぁんっ!

 

 そのレーザーウェポンの銃口を、ブロードソードの鞘が無造作に叩き落す。それを不満げにアルフが見返すと、無表情のアレンが、じ、とアルフを見据えていた。

 

「そこまでだ」

 

「へぇ? 次は兼定(ソレ)で切りかかる、ってか? アレン」

 

 視線で背中の兼定を指すアルフに、アレンは答えない。ただ無言で、睨み合う二人を、ナツメが長いため息とともに見据えて、クリフ達に向き直った。

 

「じゃ。アルフさんはアレンさんに任せて、我々は行きましょう!」

 

「……いいのかい?」

 

 問うネルに、ナツメはにべもなく頷く。

 

「お二人に付き合うと日が暮れます。実際、日が暮れるどころか、夜が明ける事もありますから!」

 

「明けるんだ……」

 

 つぶやくフェイトに、ナツメはしたり顔で頷いた。眉根を寄せて、困ったように顔をしかめる。

 

「実際、私がお二人に付き合ったのは二度ほどですが。その時たまたま居合わせたフラン大尉も、あまりの二人のしぶとさに、顔が引き攣ってらっしゃいました!」

 

「……分かるような気がするわ」

 

 ため息混じりにつぶやくマリアに、ナツメも困ったものです、と頷き返す。

 確かに、二人の連邦軍人は戦闘能力が高く頭脳も優秀そうだが、あの調子では話が先に進まない。性格や考え方が真反対で、どちらも退く気がない。

 

「二人揃うと戦力ダウンってか?」

 

 クリフが後頭部をがしがしと掻きながら、肩をすくめる。ナツメは意外にも、首を横に振った。

 

「そんな事はありません。最近は、日が暮れる頃には終わってますよ」

 

「それのどこが戦力ダウンじゃねぇんだよ、姉ちゃん?」

 

「だってお二人が揃うと、本当に不可能なんて無いんじゃないかって思えるほど可能性が広がるんです! ――協力し始めてさえくれれば!」

 

「……いろいろ突っ込みたいところはあるけど。とりあえず、僕等だけで調べた方がいい事は伝わったよ」

 

「あのアレン兄ちゃんが、フェイト兄ちゃん以外でムキになることなんてあったんだなぁ」

 

 ロジャーはぼやきながら、その場を後にした。



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56.手分け捜査 前編

「っかし、どうすんだ? あの扉(レリーフ)を開ける方法っつっても、それらしきものは見当たらなかったぜ?」

 

「それも、扉は一往復すると元の形に修繕される仕掛けが施してあるみたいね。もう私達が、ここから同じ扉を通って遺跡内に入ることは出来ないわ」

 

 バール遺跡を出て、山脈へと続く洞窟の中で、フェイト達は改めて竜のレリーフと対峙していた。

 遺跡に入るための最初の扉。そのレリーフと。

 

「どうする? フェイト」

 

 問われ、フェイトは思案顔のまま視線を落とす。クリフが言った通り、巨大なレリーフが置いてある部屋から研究室に至るまでの通路には特に変わった所は無かった。

 

 フェイトの推察を要約すると、遺跡の奥に続く巨大レリーフの他に、同じ図柄が描かれたレリーフが遺跡の各所に彫り込まれたあった。これを踏まえて、なんらかの仕掛けでレリーフは開くのではないか。ドラゴンロアーを駆使する研究者ならば、恐らく竜に関するモノ――手掛かりはこのバール山脈にあるはずだ、というものだ。

 

 一番、ヒントが隠されていそうな場所は、やはり最初に入った遺跡内の研究室なのだが、一度閉じると鍵がかかるシステムらしく、二度目の探索はできない。

 最悪の場合は、アレンのように扉を破壊してでも先に進むしかないだろう。

 

「ともかく、手分けして手がかりを探そう。ここで立ってても、出来ることはなさそうだ」

 

「分かった」

 

 クリフが頷く。

 フェイトは一同に向き直ると、アレンとアルフが抜けた八人の仲間を見渡して、よし、と小さくつぶやいた。

 

「出来るだけ皆と連絡を取りたいから、通信機を持っている僕等と、ネルさん達を組み合わせて行こう。二人一組。四手に分かれれば、そんなに時間をかけずにバール山脈を網羅出来るはずだ」

 

「ってことは――」

 

「ネルとクリフ。ナツメとフェイト。ロジャーとミラージュ。アルベルと私ね」

 

 間髪を置かず答えたマリアに、クリフの表情を険しくなった。目を細め、マリアの肩を軽く掴んで、顎でアルベルをしゃくる。

 

「マリア。そりゃ確かに今は味方って形だが……、ミラージュと変わっとけ。お前の手に負える奴じゃねぇ」

 

「普通に考えて、戦力の偏りは避けたい所でしょ? クリフやフェイトは因縁があるみたいだし。私はミラージュほど、体術に優れていないわ」

 

 ロジャーを『子供』と認識しての選択。その合理的な決断に、クリフは小さく失笑した。

 

「あのチビなら心配いらねぇよ」

 

「話がそれだけなら、さっさと行きましょ。あのアルフって連邦軍人に付き合った所為で、時間制限(タイムリミット)がかなり厳しくなったわ」

 

 聞く耳持たない様子のマリアに、クリフがため息にも似た苦笑を返す。

 と。

 

「すみません」

 

 マリアの傍らに立っていたナツメが、ぺこり、と頭を下げた。緊張感は無いが、一応自覚しているようだ。

 

「でもマリア。いままでは大丈夫だったけど、こういった遺跡じゃどんな仕掛けが隠されてるのかわからない。アルフの慎重さも必要じゃないか?」

 

 フェイトのフォローにマリアは小さなため息を返し、腕を組んだ。

 

「そうね。でも最短で行ける方法があるなら、いまはそちらを優先したいものだわ。……もしバンデーンの攻撃や、ディプロがここに来るまでに間に合わなかったら、その時は覚悟しておいて」

 

「……はいぃ~……」

 

 たらたらと冷や汗をかきながら、引き攣った笑みを浮かべるナツメ。険のある声でマリアが牽制したからか、少女は真に申し訳なさそうに頭を下げている。その様がどこか憎めなくて、マリアは柔らかい苦笑を返すと、アルベルに向き直った。

 

「そういうわけで、早速行きましょう。よろしく頼むわね、アルベル」

 

「……フン」

 

 肯定か、返事のつもりなのか。

 目も合わせないアルベルは、無言で踵を返した。その後を追って、マリアも踵を返す。

 その二人の背を見送ったクリフは、引き下がりこそしたものの、どことなく不満そうだ。ミラージュと顔を合わせるなり、やれやれ、と肩をすくめている。

 フェイトはナツメに向き直ると、改めて元来た道を見据えた。

 

「じゃ。僕等も行こうか。早く手がかりを見つけられれば、クリフの心配も減るだろうし」

 

 言った後でアーリグリフ側にいたナツメに、この言動は不適切だったか、と気付いたが、対するナツメは、満面の笑みだった。

 

「はい! がんばりましょう、フェイトさん!」

 

 元気に返してくる少女に、こくりと頷いて、フェイトはバール山脈に向かった。

 

 

 

 

「空破斬!」

 

 一足飛びで間合いを開けると同時、二人の空破斬が巨大レリーフの間で激突した。大理石、もしくはそれより高い硬質の石材で出来た床を滑走して。

 

 ずしゅぃんんっっ!

 

 両者の空破斬が部屋の中央で霧散する。行き場を失った風の塊が、アレンとアルフの元で微風となって走った。

 

 ……ふわり、

 

 微風が、両者の頬を撫でる。

 ――互角。

 が、それを確認することも無く、二人は互いにレーザーウェポンを構え、踏み込んだ。

 

「破ぁっ!」

 

 アレンが刃を寝かせ、凄まじい突進力でアルフに迫る。疾風突き。ドンッ、と力強い踏み込み音が、遺跡に響く。対するアルフは、刀を鞘に納め、抜刀術の体勢で踏み込んでいた。

 その距離、二メートル。

 

 グォッッ!

 

 神速で走ったアルフの抜刀が、衝撃波を生む。地面から湧き起こった縦に半円の、弧を描いた衝撃波、弧月閃がアレンに走る。だが、アレンの疾風突きの体勢は変わらない。

 

(――来る!)

 

 に、と口許を歪めたアルフの読み通り、弧月閃の衝撃波を、アレンの疾風突きが貫いた。

 

 ズドォォオオンッ!

 

 轟音と共に、烈風が吹き荒ぶ。風の合間を縫い、剣を突き立てるアレンを鼓舞し、弧月閃の衝撃波までも吸収した疾風突きを見据えて、アルフは笑った。

 

「三連」

 

 つぶやくと同時、アルフの手中で、ざ、レーザーウェポンの刃が横たわる。アレンの疾風突きが目の前まで迫っている。

 

「疾風突き!」

 

 踏み込みの時間はない。それでも凄絶な突きを、アルフは一瞬で気を爆発させて放った。眼前に迫ったアレンの疾風突きに、寸分違わず同じ場所に、アルフの疾風突きが三発、ほぼ同時に決まる。

 

 ズドドドォオオオンッッ!

 

 アレンの疾風突きと、正面から激突する。かっ、と目の眩むような気の爆発が、一瞬、その場の時を止めた。

 

 ……ぴしぃいいいいっ……っっ!

 

 風が、悲鳴を上げるように爆ぜた。爆心地の二人は、動かない。

 

「おぉおおおおおお……っっ!」

 

「覇ぁああああああ……っっ!」

 

 ぴたりと静止した両者の間から、気という気が激突する。純粋な力比べ。互いの喉を、気合の一声が割る。

 練気は――互角。

 

 ギキィイインッッ!

 

 刃から火花が散った。刀を払った両者が、一歩、後ずさる。

 とん、と一息。

 同時。

 

「夢幻」

 

「鏡面刹」

 

 ずどんっ、と踏み込み音を立てて、再び両者が交じり合う。アレンが夢幻、アルフが鏡面刹の構えを取って、風のように疾駆した二人の剣戟が、レリーフの間で弾けた。

 

 ぎき、……んぅぅっっ!

 

 アルフの横薙ぎと、アレンの抜刀がぶつかる。瞬間、左袈裟に走ったアルフの斬線に、アレンの唐竹が振り落ちた。火花を立てて刃が擦れあう。右袈裟と胴薙ぎ――一本の剣で、同時に二つ走るアルフの斬線に、アレンは疾風突きを合わせると、アルフは刃を寝かせ、紅い光を刀身に宿らせた。それが、下段からアレンを狙う。対するアレンは上段から迷う事無く刀を切り下ろした。

 

 ガキィイイイイイ……っっ!

 

 アルフが五連斬、アレンは四連斬――神速のアルフに、剛速のアレンの刀がひしめき合う。その技の持つ威力は、

 互角。

 何度太刀を合わせようとも、両者、傷一つつかない。――つけられない。

 蒼穹のような蒼の瞳が、鮮血のような紅の瞳が、底光る互いの瞳を睨み、笑む。

 

「……いいね、アレン。意外に動けそうじゃねえか」

 

「お前も、腕は落ちていないようだ」

 

 アレンの抜刀と、アルフの唐竹が走る。

 

 きぃ……んぅ……っ!

 

 レーザーウェポンの刀身が、鮮やかに、苛烈に輝いた。

 一合を交える度、走る緊張感。躍動感。

 互いに距離を取った二人が、同時、刀を振り上げる。

 

「行くぜ、アレン!」

 

「来い、アルフ!」

 

 二人の緊張に呼応するように、裂帛の気合が走った。

 アレンの蒼竜、アルフの鳳凰が具現化する。レリーフの間を覆い尽くすような、二匹の獣が。

 

――グォオオオオオオオ……!――

 

――コォオオオオオオオ……!――

 

 互いを睨み、吠えた。

 

「吼竜破!」

 

「鳳吼破!!」

 

 極限に高まった二人の闘気が、レリーフの間の中央で激突した――。

 

 

 

 ………………

 

 

 

「さぁて、どこから調べたもんか……」

 

 バール山脈に出て、山を北上したクリフとネルは、周りの景色を見回した。

 調べる、と言っても、まったく手掛かりが無いので、こうして当ても無く歩くしかない。

 

「遺跡の中にあったレリーフに関する情報は、『十字の中心に竜の頭蓋をささげよ。竜のレリーフは例外なく友の声を求めるもの也』だったよね。十字の中心っていうのは、恐らくあの巨大レリーフの部屋の床の事……だね?」

 

 考えをまとめるネルに、クリフは頷く。

 

「とすると、だ。竜の友の声ってのが、レリーフを開ける鍵になるワケだが……」

 

「竜を捕まえて啼かせようにも、遺跡の中に飛竜が入るとは思えないね」

 

「……だな」

 

 がしがしと頭を掻くクリフ。

 検索目標が決まっているなら、スキャナーで捜査範囲を絞れそうな気もするが、これは確かに、虱潰しに山を歩く以外ないかも知れない。

 最も、山に手掛かりがあれば、の話だが。

 クリフはため息を吐くと、心底困ったように肩をすくめた。

 

「ったく。えらいコトしてくれるぜ、あの連邦軍人め」

 

「……そのことなんだけど」

 

 ぴたり、と歩く足を止めて、ネルは静かにクリフを見上げた。先行していたクリフが、不思議そうにネルを振り返る。その、精悍に整ったクリフの顔を見据えて、ネルが神妙な顔を作っている。

 

「あいつも、アレンと同じ『レンポウ』とか言う軍の人間なんだよね?」

 

 慎重に問うネルに、クリフは、ああ、と頷いた。先ほどまでより少し、低い語調で。

 ネルは腕を組むと、マフラーに口許を埋めた。

 

「聞かせて欲しいんだ。フェイトに……いや、フェイト達は……一体どうなるっていうんだい?」

 

「どうって……、どういう意味だ?」

 

「話してただろ。マリアがシランドに来た時に。マリアとフェイトが実験体だとか、研究がどうとか……」

 

 言葉を切るネルに、クリフは得心がいったのか、長いため息を吐く。困ったように腕を組んで、眉間にしわを作ると、クリフはやがて観念したように顔を上げて、首を横に振った。

 

「詳しい事は俺も知らねぇが。要するにフェイトは、俺達の技術レベルでも粋を極めた科学者に人体実験されたんだ。さっきの遺跡にいた研究室の竜みたいに、な。だがアイツはあそこの竜と違って、成功した実験体、という事になってる。能力の方はお前も見た通り。星の船を一撃で消し去る程だ。――これでいいか?」

 

「マリアは、その実験を施した研究者に理由を聞くんだって言っていたよね」

 

「ああ」

 

「その実験を受けて……、二人に何か、後遺症みたいなものは無いのかい?」

 

「能力を使った後、ぶっ倒れる。それも強く使えば使うほど、な。これはフェイトとマリア、二人に共通して言えた点だ。訓練次第で、マリアの奴は少しだけ能力を使えるみたいだけどな」

 

「…………」

 

 視線を落としたネルが、黙り込む。

 先ほど見た、瓶詰めの竜と同じ――生体実験。

 クリフも、成功、と口にした時だけは皮肉を交えていた。どこか忌々しげに。

 視線を伏せたネルも、ずん、と気持ちが落ちるような気がした。

 

「……父親、だったんだよね……」

 

 フェイトを実験体にした科学者は。

 つぶやくネルに、クリフは頷いた。

 

「つっても、当のフェイトはあの通りだ。まったく親の愛情を知らずに育ったってワケじゃねぇ。……だろ?」

 

 問いかけるクリフに、ネルは答えない。

 代わりに、

 彼女は空を見上げた。

 

「……アンタ達は、星の船を追い払ったら、行ってしまうんだよね……」

 

「あん?」

 

 突拍子もないことをつぶやいたネルを、クリフが不思議そうに振り返った。ネルは空を見上げて、どこか、寂しそうに目を細めていた。

 

「……恩返し、するつもりだったんだけどね」

 

 独り言のように、ネルがつぶやく。空の高さを、空の遠さを噛み締めるように頭上を見上げて。そんな彼女に、クリフは小さく笑った。

 

「恩なんぞ返されるモンでもねぇよ。俺らの所為で、あの鮫野郎共を呼び寄せちまったんだぜ? ……むしろ、恨まれるのが当然だろ」

 

 この星そのものを、揺るがすようなバンデーン艦。

 その脅威を言外に語るクリフに、ネルは静かな表情のまま首を横に振った。クリフを見据えて、静かに微笑う。

 美しく、優しい笑みで。

 

「おかしいね。アンタ達に会ってから、随分楽天家になってしまったんだ。……アンタ達となら何でも出来る。きっと、何でもやれるって。そう信じて疑わない自分が、確かに私の中にいるんだよ」

 

 胸元に手を当てて、ネルはつぶやく。それが希望的観測であることは、星の船を目前にしたネルが一番よく知っている。だがそれでも、フェイト達の存在はネルに勇気をくれる。恐れず、立ち向かっていく勇気を。迷わず、前に進む勇気を。

 希望を。

 ネルは、クリフを見て言った。

 

「……ありがとう、クリフ」

 

 ネルを、じ、と見据えて――いや、見蕩れていたのかもしれない。クリフは瞬きを落とすと、少しの間押し黙って、やがて困ったように苦笑した。

 

「別に、俺は大した事はしちゃいねぇぜ。お前の為に粉骨砕身したのは、フェイトやアレンだろ」

 

「そんな事はないよ。……少なくともアンタやフェイトは、私の命を救ってくれた」

 

「?」

 

 首を傾げるクリフに、ネルは答えずに、微笑った。

 

 ナツメと対峙した、あの時。

 アルフに殺されそうになった、あの時。

 

 まさか、クリムゾンブレイドと言われた自分が、二度も誰かに守られるとは思ってもみなかった。もっと言うなら――自分の心をも。

 

「……寂しくなるね」

 

 カルサアで、ペターニで。

 ネルが私情を殺そうとする度、真剣に怒ってくれたフェイトと、止めてくれたアレン。そして、渦中のネルの気持ちを汲んでくれたクリフ。

 彼等をネルは『仲間』だと思う。シーハーツ軍として行動してきた今までとは少し違う、親友と相棒を、同時に手に入れたような。

 

「この先……何があっても、私はアンタ達を忘れない」

 

 つぶやくネルが、覚悟したような顔だった。クリフは目を細め、慎重に問いかけた。

 

「一体、何だってそんな話をしやがるんだ?」

 

「何となく、さ。今を逃したらきっと……もう、こんな話をゆっくりする暇はないんだろ?」

 

「多分、な」

 

 慎重にネルを観察するクリフに、ネルは視線を落としたまま、ふ、と笑った。

 

「だから言っておきたいんだ。もう、アンタ達に私が関わる事は出来ないから。私は、私の全てを賭けて星の船を相手する。そして――星の船(やつら)を追い払ってアンタ達がここを去った後も、アンタ達の為に毎日祈るよ。……フェイトに、どんな苦難が待ち構えていようと、アンタ達ならきっと乗り越えられるように。アンタ達が、その誇り高い心と勇気を忘れず、ずっと持っていられるように、てね」

 

「……お前……」

 

「クリフ。アンタにはこんなコト言う必要もないだろうけど、忘れないで。アンタ達が教えてくれた勇気を、どんな時も忘れず、諦めない心を持ち続けて。……フェイトのこと、頼んだよ」

 

「……ああ。任せとけ」

 

 一拍の間を置いて、ふ、と苦笑気味に笑ったクリフは、差し伸べられたネルの手に、ぐ、と握手を交わした――……。

 

 

 

 

 バール山脈を西に進んでいたフェイトは、当てもなく山中を歩き回り、二時間ほど経過したところで深いため息を吐いた。

 

「……ホントに、どこ行っちゃったんだよ……?」

 

 ぐったりとうなだれ、肩を落とす。さっきまで自分の後ろをついてきていた相棒(ナツメ)。その姿が、今はどこにも見当たらない。

 広大な空を見上げて、フェイトは困ったように眉根を寄せると、また一つ、大きなため息を吐いた。

 

 時は数刻、遡る。

 

 バール山脈の西方を任されたフェイト達は、ともかく西に向かって歩を進めた。そんな時の事だ。

 

「ほげ?」

 

 後ろで聞こえた奇妙な声に、フェイトは首を傾げつつ振り返った。一瞬、鳥の鳴き声と思ったが、それにしては声が近い。振り返ったフェイトは、飛び込んできた情景に、か、と目を見開いた。

 

「なっ!?」

 

 言葉を失したのも束の間。振り返った先で、ついて来ていたナツメの両肩が、飛竜の爪によって鷲掴まれていた。当のナツメは、何が起こっているのか理解していない。フェイトを見返し、彼女は不思議そうに首をかしげた。

 

「あれ? フェイトさ――」

 

 ばさっ……、

 

 彼女が問いかけるより先に、飛竜が飛び立った。正確には飛竜の羽音に、彼女の声がかき消されたのだ。

 

「ほげっ!?」

 

 ふわり、と中空に浮かんだ足を見下ろして、ナツメは目を白黒させた。その彼女の下で、フェイトはブロードソードを一閃した。

 

「はぁっ!」

 

 下半身に気を凝縮し、地面を蹴って、フェイトは飛竜に向かって薙ぐ。下段から上段へ、飛び上がる勢いに任せ、大きく弧を描いた一閃だ。

 が。

 

 ばさっ、ばさっ!

 

 力強く上昇した竜に一歩、届かなかった。ぎょ、とフェイトが目を見張る。

 

「ほげぇええええ………!」

 

 一瞬、目が合ったナツメは、目を取りこぼさんばかりに、盛大に泣いていた。

 ブロードソードを右手に、たんっ、と着地したフェイトは、ナツメを連れて山脈の奥に飛び立っていく竜を見据え――つぶやいた。

 

「……嘘だろ?」

 

 それはほんの一瞬の出来事。連れ去られたナツメの悲鳴が、虚しく山脈に響き渡った。

 

 ――ほげぇええええええ……!

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

「今、何か聞こえなかった?」

 

 不意に空を見上げて、マリアは足を止めた。先を行くアルベルが、気配に感づいて同じく歩を止める。が。気難しい性格なのか、彼はマリアを振り返りもしなかった。

 数瞬。

 考えるように立ち止まって、アルベルは、ふん、と鼻を鳴らし歩き出す。

 

「あ、こら! 待ちなさい!」

 

 小走りに彼を追うと、彼は振り返らずに言った。

 

「どっかの阿呆が(トラップ)にでもかかりやがったんだろ。……マジで戦闘以外は使いモノにならねぇクソ虫だぜ」

 

「何の話?」

 

「…………」

 

 首を傾げるマリアに構わず、アルベルは先を歩く。

 こうした話の噛み合わないやり取りは、今が初めてではない。山脈を東に進んでいくらか――と言っても二時間程度だが、共に過ごしたマリアは、アルベルの気質を半ば以上理解していた。

 

(……私の話を聞かない代わりに、自分の話にも入れさせない。というわけ)

 

 二人でいるものの、たまたま同じ道を通るだけの余所余所しい関係だ。眉を寄せるマリアに追い討ちをかけるように、アルベルは今も二メートルほど先を歩いている。

 マリアも、別に馴れ合いたいわけではない。

 だから、ある程度はアルベルの態度を評価していたが、最初だけだ。

 アルベルの場合、まったくマリアを空気のように扱っている。あまりに素っ気無い。

 無視が過ぎると、さすがのマリアも苛立ちを隠せなかった。これでは、一人で行動にした方が気が楽というものである。

 

「…………」

 

 ふつふつと湧き上がる不満を宥めながら、マリアは俯いてアルベルを追う。不満からか、マリアの足取りが、次第に重くなり始めていた。

 と。

 

「?」

 

 先を行くアルベルの気配が変わった。さくさくと、大股に歩いていた彼が、五メートル先で止まったのだ。

 

「……何だと?」

 

 低く呻いたアルベルが、刀に手をかける。

 

「どうかした?」

 

 マリアは首をかしげながら、小走りに彼の許に駆けた。と。つん、と鼻を刺く異臭に、彼女は顔をしかめた。息を呑む。

 

「っ――!」

 

 ずっと上り坂だったため見えなかったが――平地になったそこは、竜の死体にまみれていた。地面も、山の斜面も。

 その数、ざっと数十体。

 全てが紅い、凄まじい光景だ。

 

「……何、これ……?」

 

 死体の山を見つめて、マリアがつぶやく。

 と。

 

――グォオオオ……!――

 

 近くで、鳴き声がした。表情を改めたマリアが、マイクロブラスターを引き抜く。同時。低く唸った風が、横殴りにマリアの傍ら――岩を粉砕した。

 

 がこぉおおおおんっっ!

 

 計ったように、マリアが崩れた岩に向かって発砲する。左手の、岩陰に向かって二発。瞬間。岩塊を貫いた光弾が、跳弾したのを見て、マリアは眼を見開いた。

 

(弾いた――!?)

 

――グォオオオオオ!――

 

 更に近くで、野太い咆哮。同時、岩陰から現れたのは、巨大な竜だった。今まで出遭ったどの竜よりも大きい。

 否――、

 その竜は、二本の足で立っていた。人のように長い両腕を持ち、巨大な曲刀を二本握っている。竜のパーツが、人を擬態したような魔物だ。

 

「これは……!?」

 

 息を呑むマリアが、竜の腰の高さだった。

 紫色の(たてがみ)が背中まで流れ、竜の頭蓋に皮膚を貼り付けたその魔物は、落ち窪んだ眼窩でマリアを見据えた。

 両手に持った曲刀が、どす黒い血に濡れている。

 

(まさか――!)

 

 この魔物が、とつぶやきかけたところで、傍を、一陣の風が駆けた。

 

「ぬぉぉ……りゃぁっ!」

 

 アルベルだ。マリアをすり抜けるように、アルベルが刀を上下、二閃する。

 

 ギキィインッッ!

 

 が、竜は巨大な曲刀でアルベルの双破斬を受け止めた。

 

「何っ!?」

 

 アルベルが目を見開く。竜の頭蓋を叩き割ろうとした振り下ろしが、竜の片腕一本に止められる。アルベルの全体重を乗せた一撃だったにも関わらず、微動だにしない。 

 アルベルの刀を受け止めた曲刀が、無造作にアルベルを弾いた。アルベルの痩身が宙に浮く。ぎょろり、と落ち窪んだ竜の眼窩から、人を模した赤い瞳が、アルベルを睨んだ。と、同時。

 竜の持っていた二本の曲刀が、十字に――袈裟状に振り下ろされた。

 

 ギィイインンッッ!

 

 かちかち、と鍔鳴り音を立てながら、義手と刀で竜の斬撃を止めたアルベルが、奥歯を噛み締める。

 

「……ちぃっ!」

 

 同時。アルベルのすぐ後ろに控えていたマリアが、蹴りを放った。

 

「クレッセント・ローカス!」

 

 ズドドドドォオンッッ!

 

 下から竜を蹴り上げるように、縦に一閃、蹴りが気を孕み、地面から生えるように幾筋もの衝撃波が竜を襲う。

 

――グォオオオ!――

 

 竜が曲刀を交差(クロス)させ、呻きながら後ろに下がる。と、ざっ、と鉄爪を開いたアルベルが、ぎらりと瞳を滾らせた。

 

「剛魔掌!」

 

 たたらを踏む竜を追うように、アルベルの鉄爪が竜の巨体を左右に薙ぎ倒す。まるでおもちゃの様に、アルベルの倍はある、竜の巨体を振り回して。

 が。

 

「アルベル!」

 

 マリアの声が響くと同時、曲刀を交差(クロス)させて固まっていた竜の口端が、にやり、とつり上がった。

 

(――コイツ!)

 

 目を見開くアルベルに、悪寒が走る。竜の曲刀が、逆袈裟に切り上がった。

 

 斬っ!

 

「ぐぉぉっ!」

 

 アルベルの肩が削がれる。だが、浅い。アルベルは構わず、刀を両手で握って振り下ろした。

 

 ギキィイインンッッ!

 

 反撃の一撃は、竜のもう一振りの曲刀に止められた。アルベルは歯の根を食いしばり、鍔迫り合いを交わす。しかし、腕力は竜が上。クレッセント・ローカスと剛魔掌を喰らった竜の皮膚は、無傷だった。

 

 キィンッ!

 

 竜に、刃を弾かれる。

 

「ちぃっ!」

 

 忌々しげに舌打ちするアルベルを嘲笑うように、竜の曲刀が振り上がった。中空でバランスを保てないアルベルに、竜の曲刀が、下から十字に――両の曲刀を交差(クロス)させるように、振り落ちる。

 

 ギキィイインッッ!

 

 それを間一髪、義手で受け止めて、アルベルは衝撃をバネに後ろに跳んだ。距離を取って、改めて竜と対峙する。

 すると、

 

〈くくっ……〉

 

 竜が、低く嗤った。マリアとアルベルが目を見開く。――竜にしては、あまりにも人間臭い仕草。それに戸惑いを感じる一方で、アルベルは、やはり、と胸中でつぶやく。

 明らかに、違ったのだ。

 本能、と。一括りにするには、洗練された竜の太刀筋に――剣術を使うこの竜に、アルベルは口端を歪めて、竜を睨んだ。

 

〈久しぶりに斬りがいのある獲物がかかったものよ〉

 

 およそ人の声とは思えない――しかし、竜が操る人語よりも遥かに流暢な言葉を話す、この『竜』に向かって、アルベルは、ちゃり、と刀の鍔を鳴らした。

 

「殺れるものなら、殺ってみろ。この阿呆が」

 

〈……くくっ〉

 

 低く嗤う竜が、曲刀を握り直し、か、と目を見開く。

 瞬間。

 両者、同時に踏み込んだ。

 

 

 

 

 ――グォオオオオ……!――

 

 突如、頭上から聞こえた竜の啼き声に、クリフとネルは、は、と空を見上げた。

 

「なっ!?」

 

「何だと!?」

 

 空から降ってきた、その獣に。

 クリフとネルは、同時に目を見開き、ざ、と拳を、短刀を握った。

 

「凍牙!」

 

 ネルが素早く施力を集約させ、氷のクナイを投げつける。が。突き刺さる筈だったクナイが、弾かれたのを見て、ネルは目を見開いた。

 

「ビーン・バッガー!」

 

 そのクナイの後を追って、闘気を纏ったクリフの拳が、凄まじい跳躍力と重みを持って、獣の腹に突き刺さる。垂直に飛び上がったクリフの拳に、降下していた獣の体が、一瞬、衝撃で停止した。

 

 ずどぉおおん……っっ!

 

 クリフの気が、炎を巻いて吹き荒れた。獣が悲鳴を上げる、と同時、

 

「おらぁっ!」

 

 すかさず上段回し蹴りを獣の延髄に打ち当てて、クリフが飛び退さった。三メートルはある獣の巨体が、衝撃で地面に叩き落される。

 

 ず、しぃいい……ん!

 

 それを横目に、と、と軽やかに着地したクリフが、警戒した表情で獣を睨む。

 獣――否、竜を。

 

「……!」

 

 ネルが息を呑んだ。四つん這いにして立ち上がった竜は、ライオンや虎のような野太い四肢を持っていた。翼はあるが、とても飛べそうには見えない、竜と言うより鈍重な獣のような、竜。

 それを見据えて、クリフは小さく失笑した。

 

「何て岩肌だ。……拳がジンジンしやがるぜ」

 

 そう言って、ぴっぴっ、と手を振る。ガントレットのお蔭でクリフに大した被害は無いが、彼の語調から、予想以上にビーン・バッガーの拳が効いていないことが窺えた。

 

「厄介な相手になりそうだね」

 

「まったくだ」

 

 互いに言い合って、クリフとネルは同時に、白い牙を剥く竜を睨み付けた。

 

 

 

 …………

 

 

 

 飛竜に攫われた直後、無造作にナツメが投げ捨てられた場所は、子竜の巣穴だった。

 何十匹といる子竜に囲まれ、その巣穴から命からがら逃げ延びたナツメは、死角になっていた小穴に足を滑らせて、落ちた。

 暗い洞窟の、一角に。

 

「……痛たた……」

 

 座り込んだ体勢のまま、頭上高くから差しこむ光を見上げて、ナツメは小さく苦笑した。

 

「結構、高いですねぇ……」

 

 果たして登れるだろうか、と胸中でつぶやきながら、洞窟の岩肌に触れて、ぐ、と両腕に力を込めた。

 途端、

 

「……っ、!」

 

 がくん、と少女の体が折れる。屈み込んで右の足首に手をやると、触れただけで凄まじい鈍痛が駆け抜けた。息を呑み、その痛みに耐えて足首を手で包み込む。いつもの二倍は膨らんだ、腫れた足首の感触が、彼女の指に伝わった。

 

「……ドジだなぁ……」

 

 まるで使い物になりそうもない足に向かって、ナツメは困ったように眉根を寄せる。仕方が無いので、洞窟内を這って移動するしかない。そう結論付けて、洞窟に視線を移すと、予想以上の暗さに、彼女は引き攣った笑みを浮かべた。

 

「く、暗いですね……」

 

 辺りの気配を探るものの、竜の一匹の気配も感じられない。と。彼女の腰に差した(シャープエッジ)(シャープネス)が擦れる音を立てた。彼女は視線をそちらにやると、軽く目を伏せて深呼吸した。

 

 ……かた、かたかたかたっ

 

 (シャープエッジ)(シャープネス)に当てた手が、震えている。軽く伏せた瞼を、ナツメは、ぎゅ、ときつく閉じた。

 心臓が、激しく脈打っている。

 

 耳の奥で、銃声が聞こえた。

 眼を閉じた瞼の裏で、陽炎が激しく燃え盛っていた。

 

 もう一度、深呼吸。

 呼吸が荒くなるのを何とか堪えながら、ナツメは下唇を噛んで頭を横に振った。

 

「大丈夫。……私は、大丈夫だ……」

 

 消え入りそうな声を、ゆっくりと搾り出す。剣と刀を握り締めると、手に、じわりと冷や汗が滲んだ。

 ナツメはシャープネスを抱きしめた。

 

「大丈夫なんだ……!」

 

 シャープネスの柄に額を押し付けて、つぶやく。祈るように、祈りが届くように強く。

 そうする事で、ナツメは自分自身を保つ。この刀は自身を守り、律する――お守りだ。瞼の裏に浮かぶ陽炎と、耳の奥で聞こえる銃声を追い払うためのお守り。

 陽炎と銃声が幻のものであると分かっていても、震えだす。暗闇に一人、身を置く事で思い出してしまう。――悪夢を。

 

 かたかたかた……っ、

 

 震えに合わせて鳴る刀剣の金属音が、耳障りだった。シャープネスを強く握る。うずくまった少女は、目に溜まる涙を隠すように顔を伏せた。

 

「……ここは、……暗い……」

 

 つぶやいた声が、洞窟の中に虚しく木霊した。

 

 

 

 

 バール山脈を北東に進んだミラージュとロジャーは、ふと、足を止めた。

 

「……いますね」

 

「じゃん!」

 

 膝を折り、ミラージュは拳を、ロジャーは手斧を握り締めて前方を睨む。竜の巣穴と思しき洞窟の中に、巨大な影が一つ。洗練されていない人間が見れば、ただの岩の塊を勘違いしてしまいそうな、巨大な影。それが呼吸をする度、小さく揺れていた。

 

――グォオオオオオオ……ッッ!――

 

 影がミラージュ達の気配に気付いて吼えた。洞窟が震える。地の底を震わせる影の咆哮が、それと同時、ミラージュとロジャーに向かって牙を剥く。

 異臭がした。大口を開けた影が、火炎を吐き出す。

 

「臭ぇっ!」

 

 一足飛びで後退し、思わず顔をしかめるロジャーの傍らを炎がかすめていく。洞窟の気温が上がった。影から吐き出された炎が一瞬、影の――腐った竜の皮膚を照らし出す。

 

「ドラゴンのゾンビ、ですね」

 

 冷静につぶやくミラージュの隣で、ロジャーが、気味が悪そうに影を見据えている。と、地を蹴って跳び上がったミラージュの気弾が、オーバースローイングに振り下ろされた。

 

「マイト・ハンマー!」

 

 人の上半身を、丸呑みしそうな気弾が、

 

 ズドォオオンッッ!

 

 影――ドラゴンゾンビに触れるなり、爆散した。竜が咆哮を上げて後ずさる。同時、手斧を手にしたロジャーが、怯んだ竜に切りかかった。

 

「ブッた斬るじゃんよっ!」

 

 炎を帯び、赤く滲んだ手斧を振り下ろす。

 

 ずどぉおおんっっ!!!

 

 およそ、この小さな体が生み出すとは思えない爆音を立てて、炎を帯びた斧が竜を切り裂いた――が。

 

 ……どろり、

 

 感触は、水を――否、泥を切ったように呆気無かった。

 霧散した筈のドラゴンゾンビの皮膚が、見る間に塞がる。感触通り、泥で塗り固められたかのような腐った皮膚が――、

 

「無傷ぅう!?」

 

 ぎょ、と眼を見開くロジャーを無視して、ドラゴンゾンビが大きく口を開けた。

 

 コォ――ッ!

 

 竜の口から、炎が吐き出される。それを、一足飛びでどうにか躱して、ロジャーはミラージュの隣に着地した。

 

「や、ヤバイじゃん! ミラージュ姉ちゃん!」

 

 手斧を握って、気を引き締めながらロジャーが警告する。と、ふ、と口許を緩めたミラージュが、まるで他人事のように、そうですね、とつぶやいた。

 

「では我々の技が効くまで、端から順に見舞って差し上げましょう」

 

「……あ、そっか♪ 任せとけぃ!」

 

 俄然、強気になってドラゴンゾンビを睨むロジャーに、ミラージュはこくりと頷いた。



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57.手分け捜査 中編

「フン!」

 

 ぎきぃいいんんぅっっ!

 

 竜の曲刀と刃を合わせると同時、アルベルは後ろに跳んだ。

 六度目の鍔迫り合い。それに、アルベルが力負けした時の事だ。追撃に曲刀を振るう竜に向かって、マリアはマイクロブラスターを連射した。

 

「そこっ!!」

 

 ドドドンッッ!

 

 竜の皮膚を貫けないのは分かっている。故に、マリアは竜の手首を狙った。最も力の重心がかかった、バランスを崩しやすい関節を。

 しかし、竜は嘲笑うようにマリアを一瞥して、構わず曲刀を振り下ろした。

 

 ギィインッッ!

 

 全く威力の変わらない振り下ろしが、義手で受け止めたアルベルの体を、人形のように吹き飛ばす。完全に受け太刀していたので損傷(ダメージ)はない。しかし、その衝撃に低く呻きながら着地したアルベルは、竜を睨んで忌々しげに舌打ちした。

 

「……ちぃっ!!」

 

 剣術ではアルベルが上。しかし、相手の圧倒的な攻撃力と防御力の前では、全くの無意味。今だ致命傷を喰らっていないものの、アルベルの体力がじりじりと削られていくのは、時間の問題だった。

 

「まずいわね」

 

 マリアが神妙な面持ちでアルベルを見る。が、アルベルは敵を睨んだまま、視線を交わそうとしなかった。

 代わりに、

 

「ぉをっ!」

 

〈ハァッ!〉

 

 ギキィインッッ!

 

 竜の振り下ろしと、アルベルの振り上げが正面からぶつかる。剣速は僅かにアルベルが上。――が、腕力は遥かに、竜が上。

 

〈非力なり!〉

 

 ずどぉおおおんっっ!

 

 完全に振り落ちた竜の刃が、地面に触れた瞬間。爆炎が舞った。

 

「ぐぉおおっ!」

 

 両腕で自分をかばって、アルベルが後ろに跳ぶ。瞬間。竜の体が、マリアの目の前に迫った。

 

(速い――!)

 

 竜の巨体に似合わず、圧倒的なスピードだ。マリアは歯を噛み、一瞬で集約した気の蹴りを放った。

 

「トライデント・アーツ!」

 

 ズドドドォオンッッ!

 

 下段、中段、上段と繋がる三連の蹴りが、竜にぶち当たる。

 

〈……終わりか? 娘よ〉

 

 にやりと嗤う竜を見上げて、マリアは息を呑んだ。怯まない。曲刀が、マリアに向かって袈裟状に振り落ちた。

 

 斬っ!

 

 咄嗟にバックステップで距離を取る。が、わずかに間に合わず、マリアの肩を、曲刀がかすめた。

 

「……っ、!」

 

 マリアが身をよじる。と、もう一振りの曲刀が水平に薙がれ、マリアの後を追った。

 腹を――マリアを上下に両断するために振られた斬撃。

 かわせない。

 

(――しまっ!)

 

 銃に手をやるも、曲刀の方が速かった。

 

 斬っ!

 

 そこを、疾風が駆けた。地面を滑空するように竜に走ったそれは、竜の曲刀によって無造作に薙ぎ払われる。だが一つに見えたその疾風は、すぐ後ろに二段目の衝撃波が走っていた。地面を滑走する白い風が、竜の胸に直撃する。

 

「お前の相手は、この俺だ! 阿呆!」

 

 恫喝するアルベルに、しかし、竜は軽い『風』を感じただけだ。分厚い胸板は傷一つつかず、竜は疾風が走ってきた位置を見据えて、嗤った。

 

〈効かぬな!〉

 

 疾風――空破斬を放った、アルベルを。

 

「ほざけ!」

 

 くく、と嘲笑う竜に、アルベルは刀を握り、踏み込んだ。対峙する竜が、ふん、と小さく鼻を鳴らす。

 

「ぉおっ!」

 

 アルベルの切り上げに、竜の曲刀が振り落ちる。一本ではない、二本の曲刀だ。左右から振り落ちる曲刀が、アルベルの痩身を挟み込むように十字の軌道を描く。

 片腕一本でも、力では竜が上。

 

 ……みしぃいっっ!

 

 曲刀を受け止めたアルベルの体が、悲鳴を上げた。それを冷徹な眼で見下ろして、竜が腕に力を込める。ぐ、と曲刀が持ち上がる感触がして、アルベルは衝撃に備え、身を固めた。

 同時。

 

 ずどぉおおんんっ!

 

 竜の凄まじい体当たり(タックル)が、アルベルの体を殴り倒した。

 

「……っ!」

 

 アルベルの視界が赤く染まる。一瞬、呼吸を忘れた。

 

「アルベル!」

 

 マリアの声。しかし、平衡感覚を完全に奪われたアルベルに、答えるだけの力はない。

 

〈終わりだ、人間よ!〉

 

 くるんっ、と手首を返して、両の曲刀が十字を描いてアルベルに振り落ちる。瞬間。かっ、と目を見開いたマリアは、青い瞳を散瞳させた。

 

〈ぬっ!?〉

 

 異変に気付いた竜が、眼を瞠る。

 

 ……キィイイイイ、

 

 白い光が、マイクロブラスターの銃口に集約すると、同時。

 

「グラビティ・ビュレット!」

 

 竜の胴体に向かって、ただの光弾に過ぎなかったマイクロブラスターの弾が、黒い闇の球体となって竜に奔った。

 

〈なにっ!?〉

 

 僅かに目を瞠った竜が、闇の球体に触れた、瞬間。

 

 ズドドドドドドォオオンッッ!

 

 闇色の球体に、紫電の雷が走った。

 

――グォオオオ……!――

 

 雷光が爆ぜる。竜は天を仰ぎ、苦しげに吼えた。闇色の球体が竜に枷を為したように動きを止め、幾筋にも走った紫電が、竜の肉を焼く。

 その様を横目に、マリアは素早くアルベルに駆け寄った。

 

「アルベル!」

 

 刀を杖代わりに、頭を振っているアルベルに呼びかける。すると、アルベルが焦点の定まっていない赤い瞳をマリアに向けてきた。

 

「良かった、無事だったみたい――」

 

 つぶやこうとした、マリアの体が押し倒された。

 

「っ!?」

 

 圧し掛かるアルベルに、事態が把握できず、マリアが眼を白黒させる。その紙一重後ろを、竜の曲刀が通り過ぎた。

 

「な――っ!」

 

 マリアは驚愕した。先程が放った重力の檻で、完全に竜の動きは封じた筈だった。

 なのに、

 

〈……今のは驚いたぞ?〉

 

 薄ら笑う竜に、マリアは目を見開く。咄嗟にマイクロブラスターを握り締めた。

 

「っ、ぐっ!」

 

 アルベルの右肩から、鮮血が溢れ出す。ちょうど、マリアを庇った時に迫り出したのだ。

 

「斬られたの!?」

 

 息を呑むマリアに、アルベルの険しい眼差しが睨んだ。

 

「戦闘中に余所見してんじゃねぇ! 阿呆!」

 

「……っ!」

 

 だんっ、とマリアの、顔の真横の地面を叩いて、アルベルは無理やり立ち上がるなり、刀を竜に向けた。

 

〈フン。いささか、貴様との戯れにも飽きた。この辺りで引導を渡してやろう〉

 

 竜を睨み据えて、アルベルは口端を吊り上げた。

 

「上等だ」

 

 アルベルが刀を握り、踏み込む。その一瞬前に、マリアが、がっ、とアルベルの左肩を鷲掴んだ。

 

「邪魔をするな! 女!」

 

 反射的に恫喝するアルベルに、マリアは構わず、言った。

 

「君、さっきから一人で戦ってるわ。その状態で、アイツを倒すのは無理よ」

 

「……何?」

 

 視線を鋭くするアルベルに、マリアは動じない。ただ真っ直ぐと、アルベルを見ていた。

 

「私を信じて」

 

 強い意志の光を宿した、青の瞳で。

 

〈算段はついたか? 人間どもよ〉

 

 悠然とつぶやく竜に、マリアとアルベルが向き直る。素早く身構えたアルベルが、ちらりと自分の右肩に視線をやった。肩から流れる血が、刀を握る手を滑らせる。傷自体は大した事はないが、どの道、ジリ貧であることに変わりはない。

 アルベルはマリアに視線を向けず、つぶやいた。

 

「……やってみろ」

 

「任せて」

 

 静かに微笑うマリアに、返事の代わりにアルベルは踏み込んだ。竜が静かに嗤う。アルベルの剣戟など、竜にとっては怖くとも何ともない。

 ――が。

 

「……ぬ?」

 

 竜は目を丸くした。マリアが、後ろで紋章陣を構成させている。

 

「いつまでそうやって嗤っていられるかしら? ……グロース!」

 

 紋章陣が光り、弾けた。それはただの紋章術ではない。マリアの額に浮かぶ白い紋章陣――アルティネイションの光が、アルベルに向かって奔る。一瞬、光がアルベルを包んだ。

 

〈無駄な事を!〉

 

 凄絶に嗤い、竜が曲刀を振り下ろす。

 

 キィンッッ!

 

 その竜の手許に、刀を横に一閃させたアルベルが、切り込む。刀身にマリアのアルティネイションの光が宿っている。甲高い音を立てて振り下ろした曲刀の軌道が、人間に(・・・)打ち上げられた。

 

〈何っ!?〉

 

 何度やっても、圧倒的な腕力でアルベルを捩じ伏せた曲刀の振り下ろしが。

 目を見開く竜を見据えて、アルベルは、ぎらり、と赤い瞳を底光らせた。

 

「何度も見せられりゃ、貴様の太刀筋なんぞ馬鹿でも覚えるんだよ!」

 

 ドンッッ!

 

 凄まじい踏み込み音を立てて、アルベルの刀が輝いた。白い闘気が刃に集う。アルベルと対峙して、竜が初めて見る剣の型だ。刀を水平に寝かせた、突きの構え。

 

(突きだと――!?)

 

 それも、ただの突きではない。

 白い闘気を、刃と踏み込む足に宿した『疾風突き』と呼ばれる剣技だ。

 竜の背に、初めて悪寒が走った。

 

 ズドォオオオオンンッッ!

 

 白い光が竜の眼を灼くと同時、両の曲刀を交差させた一点を、疾風突きが貫いた。アルベルの刃が、集約した気の塊が、曲刀を穿って竜の鳩尾を完全に突き刺さる。

 

〈――……っか!〉

 

 上空を見上げて、竜が空気の塊を吐く。巨体が空を舞った。

 瞬間、

 アルベルは刀を握り締めた。

 

「ぬぉぉ……りゃっ!」

 

 ずしゅぃいいんっっ……!

 

 上下に走るアルベルの斬線が、竜の胸を深く刻む。地響きのような音を立てて、竜の巨体が背中から沈んだ。

 

――グォオオオオオオ……!――

 

 野太い、断末魔を上げながら。

 

「……やった!」

 

 マリアの歓声。

 荒い息を吐きながら、アルベルは刀を地面に突き刺した。

 

「くそ虫風情が、手こずらせるな」

 

 倒れ伏した竜を睨み、アルベルは一つ大きな息を吐くと、呼吸を整えた。散々、竜の重い太刀を受けた所為で手の感覚が無い。潰れた手の豆に視線を落として、アルベルは忌々しげに舌打つと刀を鞘にしまった。

 

「……何の真似だ?」

 

 アルベルの傍までやって来て、ぐ、と彼の右肩を持ち上げたマリアに、アルベルは剣呑な眼差しを送った。

 

「応急よ。動かないで」

 

 そう言って布を宛がうマリアを見下ろして、アルベルは彼女の手を振り払った。が。マリアに患部を、ぎゅっ、と握られ、アルベルは激痛に息を呑んだ。

 

「っ、貴、様……!」

 

 眼の色を変えるアルベルに構わず、マリアは改めてアルベルの右肩に、布をあてがう。すらりと伸びた彼女の指が、きゅ、と布を引き結んだ。

 

「じっとしてなさい! ……けじめくらい取らせて」

 

 わずかに目を細めて、アルベルは怪訝そうにマリアを見る。が、彼女は視線も上げずに丁寧に布を包む。

 その彼女を尚も、じ、と見下ろして、アルベルは鼻を鳴らした。

 

「好きにしろ」

 

 淡白につぶやく彼に、ようやく顔を上げたマリアが、にこりと微笑した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――グォオオオッ!――

 

 野太い咆哮を上げて、獣型の竜が地を蹴った。蝙蝠のように左右に伸びた竜の長い翼が風を切る。

 

 びゅぉんっっ……!

 

 一瞬にして間合いが詰まる。同時、クリフも踏み込んでいた。

 

「おらぁっっ!」

 

 鋭い前足を突き立てる竜に向かって、クリフが肩からぶつかる。

 

 ズドォオオンンッッ!

 

 両者、純粋な力比べ。

 風が、二人の背後に奔った。

 互角。

 

――グルゥッ!?――

 

 その異常性に眼を瞠る竜に向かって、クリフが拳を握る。に、と邪悪に笑んだ彼の顔が、竜の瞳に映った。

 

「カーレントナックル!」

 

 ズドドドォオンッッ!

 

 左右の拳が、黄金の猛烈な闘気を孕んで竜の巨体を振り回す。クリフの三倍はある、竜の巨体を。

 その怪力に竜が驚愕するより先に、悲鳴を上げて空を見上げた竜の視界に、ネルの姿があった。短刀を握り、こちらに向かって落下してくるネル。

 

――グォオオオオッッ!――

 

 威嚇するように、あるいは、クリフの拳に貫かれ、痛みを訴えるように吼える竜に向かって、ネルの短刀が突き刺さった。

 眉間に一突き。高々と吼える竜の、突き刺さった短刀の先を蹴ったネルが、上空で身を翻し、右手を開いた。瞬間。パリィッ、と甲高い音を立てて、青白い雷光が、ネルの掌で弾ける。

 同時、

 地上にいたクリフが、ぐ、と拳を握って胸を突き出した。黄金の闘気が、クリフの目の前――竜に向かって弾ける。

 

「マイト・ディスチャージ!」

 

「雷煌破!」

 

 上空のネルも、右手に溜めた施力を一気に放出する。

 

 ズドドドドォオオンッッ!

 

 黄金のクリフの闘気と、ネルの放つ青白い雷光が、竜を挟み打った。

 

――グォオオオオオ……ッッ!――

 

 地響きを立てるような、けたたましい悲鳴を上げて渦中の竜が身をそらす。上空を仰ぎ、眼を瞠った竜の瞳から、光が消えていく。

 二メートル強の巨大な黄金の球体に、青白い雷光が奔る。それに、竜の身を包まれ――一つ、大きな轟音を立てると同時に弾けた。

 

 ズドォオオオンンッッ……!

 

 気柱が立つ。

 それを視界の端に、たっ、と軽やかに着地したネルは、颯爽と短刀を納めた。

 

「因果応報ってやつさ」

 

 軽く息を吐いて、す、とクリフに向き直る。と、こちらを見据えて、に、と笑うクリフに、ネルは、こん、と拳を合わせた。

 

「言ったろ? 俺に任せときゃ万事オッケーだってな」

 

「……だね」

 

 小さく苦笑して、煙を立てる竜の遺骸に視線を向ける。と、ネルは表情を鋭くして、腰の短刀に、ざっ、と手をかけた。

 

「誰だっ!」

 

 凛とした声で問い詰める。と、獣型の竜の遺骸の向こうから、女性が現れた。

 暗い紫色のローブに身を包んだ、白い肌の女性。

 ネルの隣で拳を握っていたクリフが、不思議そうに、ゆっくりと構えを解いた。

 

「……あん? 人、だと?」

 

 上から下まで、じろりと女性を眺めて、クリフは小さく、ふむ、とつぶやく。

 女性は、透き通るような白い肌に、静かにかかった灰色の髪が、女性の不思議な雰囲気に妖艶さを孕ませていた。唇には、暗色のルージュが艶っぽく彩られている。ぱっ、と見た印象では、歳の程は定かではないが、まだ若い女だった。

 とろん、と落ちた瞼から見える黒瞳が、じ、とクリフを見詰めている。

 

「……まあまあ、だな」

 

 その彼女の視線を受け止めながら、顎に手をやって、頷くクリフ。その彼の脇腹に、ネルの容赦ない肘打ちが決まった。

 

「ちょっと黙ってな」

 

 ごすっ、と鈍い音を立てて、突き刺さった肘打ちに、クリフは声にもならない悲鳴を上げてうずくまる。が、その彼には一切関わらず、ネルは短刀を構えたまま、女性を睨み据えた。

 明らかに今まで出遭ってきた竜とは違う、獣型の竜を倒すと同時に現れた、この女性を。

 

「アンタ、一体何者だい? こんな所で何をしている」

 

 問うと、女性はネルに視線を向けた。白い――病的なまでに白い女性の指が、小さな珠を握っている。 その女性の、一種、独特の気配に、ただならぬものを感じ取って、ネルは油断無く女性を観察する。

 慎ましやかな女性の唇が、割れた。

 

「……何も。私は、もう何をする事も出来ないのです……」

 

 零れた声の弱々しさに、ネルは気を抜けない、と頭で分かっていながら、構えを解いた。

 女性の気配に、少なくとも殺気や敵意といったものが含まれていなかったためだ。

 うずくまっていたクリフが、不思議そうに首をかしげた。

 

「何もって……、連れもいねぇようだが、こんな山を一人で登ったのか?」

 

 クリフの問いに、女性は弱々しい視線を返してきた。僅かに俯き、悲しげに目を伏せる。

 

「…………」

 

 静寂に、クリフはがしがしと頭を掻いた。やれやれ、とつぶやきながら、小さく苦笑を零す。

 

「ま、話したくねぇなら無理強いはしねぇけどな」

 

「クリフ!」

 

 警戒した眼差しを送ってくるネルに、クリフは大仰に肩をすくめた。

 

「がっついたって聞き出せるワケでもねぇだろ? だったら、いいじゃねぇか」

 

「…………」

 

 軽く目を瞑って、ネルはやれやれ、とため息を吐く。そのネルを視界の端に置いて、クリフは女性に向き直った。

 

「そういうわけだ。ワケ有りのようだが、アンタが俺達のやる事に干渉しねぇなら、俺達もアンタに干渉しねぇよ。安心しな」

 

 俯く彼女にそう言ってやると、女性はゆっくりとクリフを見上げて、そ、とつぶやいた。

 

「果たして、死んだ者の魂を救う術はあるのでしょうか?」

 

「あん?」

 

 首を傾げるクリフに、女性のゆるりとした視線が返ってくる。力無い瞳だが、代わりに得体の知れない、ひんやりとした雰囲気を持つ、不思議な黒瞳。冷徹さや、冷酷さとは少し違う。

 夏場の洞窟の、冷えた空気に似た瞳。その、女性の黒瞳を見返して。クリフはぽりぽりと頬を掻いた。

 

「死んだ者の魂を救うって、何故そんな事を?」

 

 静かに問うネルに、女性は、そ、と眼を伏せた。

 

「私は、最愛の者を失ってしまったのです。失われた体、砕け散った魂……。私に出来る事は、ただ己の罪を悔いる事だけ」

 

 小さくつぶやく女性に、深刻な影を見つけて、ネルは押し黙った。どうしたものか、横目でクリフを見る。すると、ネルと同じように反応に困ったクリフが、あぁ、と頭を掻いた。

 対策は、ないらしい。

 

(……やれやれ)

 

 胸中でため息を吐きながら、ネルは女性に視線を向ける。すると女性は、はっ、としたように顔を上げて、クリフの胸元を、じ、と見据えた。

 

「アナタは、もしや……」

 

 つぶやく女性に、クリフは首を傾げる。つられて視線を落とすと、彼女が胸ポケットに集中していることが分かった。

 

「……あぁ、もしかして」

 

 そう一言、断って。

 首を傾げるネルを尻目に、クリフは胸ポケットから小さな石を取り出した。碧い、手の平サイズの小石だ。

 

「これのことか?」

 

「それは?」

 

 不思議そうにクリフと石、そして女性を見るネルに、クリフが答えた。

 

「この山を登った時に、アレンが拾ったモンだ。確か『霊力を持った石』とかって、ご大層なモンらしいぜ」

 

「……やはり、魂玉石!」

 

 ぐ、と息を呑む女性に、クリフは首を傾げた。その傍らで、女性の言葉に目を丸くしたネルが、改めてクリフの手の平に乗った石を見る。

 

「魂玉石だって? これが!?」

 

「あん?」

 

「魂を輪廻させる、冥府の加護を受けし鉱石だよ! 死後の安寧を約束する効果があるけど、あまりに希少な鉱石のため、王族の埋葬時にしか用いられないと言われている。……これが、本当にそれだってのかい?」

 

 問うネルに、女性は口許を綻ばせて、哀しげに微笑った。微笑、と言うには、あまりにも複雑な表情で。

 

「どれだけ苦しもうと、悩もうと、私にはそれを作ることが出来なかった。ああ……、もしそれを作ることが出来たならば……」

 

 つぶやく女性に、クリフとネルは顔を見合わせる。そして、クリフはがしがしと頭を掻いて、魂玉石を女性に渡した。

 

「ほらよ」

 

「よろしいのですか?」

 

 驚いたように顔を上げる女性に、クリフは大仰に肩をすくめてみせる。

 

「生憎と、俺には必要のねぇモンだ」

 

 言って、横目でネルを見ると、ネルは口許をマフラーに埋めて押し黙っていた。どうやら、異論は無いらしい。

 女性が、柔らかく微笑った。

 

「ありがとうございます。これで娘の魂も救われる事でしょう」

 

 恭しく魂玉石を受け取って、女性は深々と頭を下げる。その彼女に、ネルは小さく苦笑した。

 

「それで。私はネル、こっちはクリフさ。アンタの名を、聞かせてはもらえないのかい?」

 

 両腕を組んで、催促するように右手を差し出すと、女性は下げた頭を上げて、ふんわりと微笑った。

 

「ミスティ。ミスティ・リーアと申します」

 

「なっ!?」

 

 ネルが眼を瞠る。その様子に、クリフが首を傾げていると、表情を改めたネルが、苦笑した。

 

「……なるほどね。アンタがあの高名な錬金術師か。道理で魂玉石を作るなんて無謀なことを……」

 

 つぶやくネルに、ミスティ・リーアは哀しげに微笑って、視線をクリフに向けた。

 

「私には、返せるものは何もありません。ですから……これから先、私の事を自由に使って頂いて構いません。それが私に出来るせめてものお礼です」

 

「自由にって、……おいおい」

 

 頭を掻くクリフに、ミスティ・リーアは微笑う。独特の雰囲気を孕んだ、艶のある笑み。それにクリフが困ったように眉根を寄せていると、傍らのネルが言った。

 

「いいんじゃないかい? 彼女が本当にあの伝説の錬金術師、ミスティ・リーアだと言うなら、あの遺跡の謎が解けるかもしれないよ」

 

「あの遺跡?」

 

 首を傾げるミスティ・リーアに、ネルはこくりと頷いた。

 

「ああ、この山を登った先にある竜のレリーフのある遺跡さ」

 

「……竜の、レリーフ……」

 

 つぶやいたミスティ・リーアが白い指を顎にやる。その艶っぽい挙動を眼で追いながら、クリフは問いかけた。

 

「分かんのか?」

 

 ミスティ・リーアの視線が上がる。白い繊手を、そ、と下ろした彼女は、小さく妖艶に微笑った。

 

「お任せ下さい、ご主人様」

 

「……ご主人様?」

 

 問い返すクリフに、ミスティ・リーアは微笑を崩さずに頷いた。

 ぴくり、と片頬を動かしたクリフが、固まった表情で、じ、とミスティ・リーアを見つめる。そのクリフに、ミスティ・リーアはただただ艶のある微笑を返すのみだ。

 反応に困っているのか、表情を動かさないクリフを横目に、ネルは構わずミスティ・リーアに向き直ると、ミスティ・リーアは、ちりん、と鈴の音を立てて、ローブの下から珠を取り出した。

 蒼い、真珠ほどの小さな珠だった。

 

「この珠には、魔除けの力があります……。山の竜は、これの発する気配を嫌って、私を避けて通るのです」

 

 つぶやくミスティ・リーアに、ネルが合点したように頷く。

 

「それで、こんな場所まで一人で来られたわけだね?」

 

「はい」

 

 ミスティ・リーアはクリフを見上げて、やんわりと微笑んだ。

 

「それでは、参りましょう」

 

「……ま、よろしく頼むぜ」

 

 こほん、とわざとらしい咳払いをして答えるクリフに、肩をすくめたネルが、どこか悪戯な表情で耳打ちした。

 

「良かったじゃないか、すごく美人な女性に慕われて」

 

 いつかの仕返し、と言わんばかりの彼女の笑みに、クリフは険のある眼差しを送って――小さく、つぶやいた。

 

「いい気なもんだぜ……」

 

 人の気も知らずに、とつぶやくクリフの脳裡に相棒の顔が過ぎる。このまま皆と合流することになれば、当然、顔を合わせることになる彼女を――。

 クリフは視線を下げると、やんわりと微笑い返してくる美女と眼が合って、小さくため息を吐いた。

 

「……ま、悪い気はしねぇけどな……」

 

 つぶやいた声は、クリフの胸中だけで反響していった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 応急手当の出来上がった自分の右肩を見下ろして、アルベルは静かに目を閉じた。その眉間に、深い皺が寄る。

 

「…………」

 

 数秒の間を置いて、ゆっくりと眼を開けたアルベルは、改めて自分の右肩を――こんなザマにしてくれた女性を睨み下ろした。傷口を完全に覆うため、要領悪く巻かれた布は、幾重にもなる。

 

「……ふぅ。こんなものかしら?」

 

 ようやく成長を終えた布の塊を見て、マリアはため息を吐いた。その顔が、何とも達成感に満ち溢れている。

 アルベルはわずかに、ぴくりと片頬を引き攣らせた。

 

「何のマネだ? 阿呆」

 

 すでに右腕は動かせない。

 幾重にも巻かれた布の所為で、ギブスか何かのように、がっちりと肩を固定されている。それは良い。

 が。

 巻きすぎた布の塊の所為で、アルベルの肩が丸くなっていた。

 

「何の真似って?」

 

 不思議そうに顔を上げるマリアに邪気は無い。が、アルベルはその程度では引き下がらない。彼は鉄爪で、無造作に自分の右肩――布の塊を掴むと、遠慮なくそれを引き裂いた。

 

「あぁっ! ――何を!」

 

「阿呆! こんな格好で戦闘が出来るか!」

 

 意外そうに眼を瞠って、アルベルと彼の右肩を見比べるマリアに、アルベルは容赦なく罵声を浴びせた。だがマリアも引き下がらない。

 

「何言ってるの! そんな深手で、戦闘なんて出来るわけないでしょ!」

 

「ハッ! 戦場で刀を置いたクソ虫が、生き残るとでも思ってんのか?」

 

「その為の二人一組よ!」

 

「お前が俺を庇うだと? それこそ笑わせる!」

 

 軽い失笑と皮肉を交えてアルベルが吐き捨てた瞬間、アルベルですら気付かぬ間に、マイクロブラスターを引き抜いたマリアが、銃口をこちらに向けて、言った。

 

「確かに、私は敵の気配を読む力について君に劣ってるわ。銃も体術も、あの竜に通用しなかった。それに反省もしてる」

 

 でもね、と言い置いたマリアは、睨むようにアルベルを見据えて――

 

「少なくとも今の君よりは戦えると思うけど?」

 

「……上等だ」

 

 静かに義手を開くアルベルに、マリアは不敵に笑った。

 

「私が勝ったら、言うことを聞いてもらうわよ。アルベル?」

 

「フン。せいぜいほざいてろ、この阿呆!」

 

 義手を構え、踏み込むアルベルに向かって、マリアのマイクロブラスターが火を噴いた。



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58.手分け捜査 後編

 ドラゴンゾンビの吐く炎を紙一重で躱して、ロジャーは懐に手をやった。得物の柄を掴むなり、勢い良くそれを引っ張り出す。

 

「ヒート・ウィップ!」

 

 ヒュォンッッ!

 

 風を切って、ロジャーを中心に同心円状の軌跡が描かれる。手元のスイッチ一つで高圧電流が流れる電磁ウィップが、ドラゴンゾンビの腐敗した身体の中に、どぼんっ、と沈み、腐敗液を一時的に両断する。

 

――グォォオオ……!――

 

 濁った声で悲鳴を上げるドラゴンゾンビに対し、上空に跳んだミラージュのエリアルレイドが、ドラゴンゾンビの眉間の短剣に、寸分違わず直撃した。

 

 ズドォオンッッ!

 

 ミラージュから放たれる黄金の気が、ドラゴンゾンビの身体を突き抜けて四方に走る。その風を受けながら、ロジャーは傷だらけになった顔で、に、と笑って見せた。

 

「一丁上がりだな♪ ミラージュ姉ちゃん」

 

 地響きのような音を立てて、ドラゴンゾンビの身体が横たわる。ロジャーが言う通り、もう動きそうもなかった。

 たんっ、と地面に舞い降りたミラージュが、ロジャーを振り返って静かに微笑う。

 

「ええ」

 

 と。

 

――グォオオオオッ!――

 

 死んだと思ったドラゴンゾンビが一声、啼いた。思わず身構え、ロジャーとミラージュは振り返ったが、当のドラゴンゾンビは天に向かって一声すると、淡い光の粒子となって大気の中に散っていった。

 ぽろぽろと、白い光の玉を幾つも放って。

 

「…………これは……」

 

 光の玉となって消えたドラゴンゾンビの遺体から、白い石が、ぽとりと落ちた。細長い、十五センチほどの白い石だ。

 ミラージュは石の許まで行くと、しゃがみ込んで通信機(スキャナ)を展開した。

 

 ――竜の共鳴腔。

 

 要するに、ドラゴンゾンビの喉仏だった。

 

 

 

 ………………

 …………

 

 

 

「僕は、さ」

 

 つぶやきながら、フェイトは空を見上げた。青く澄み渡った、いい天気だ。ここが竜の巣穴でなければ、一息つきたいところである。

 フェイトは、改めて地上に視線を下ろした。

 

「僕はここに来るまで、そこに転がってるのと同じ人型っぽいドラゴンとか、四つ足の獣っぽいドラゴンとか、デカイ目の上に十匹ぐらい小さいドラゴンを生やしてる、もうドラゴンっていうよりモンスターだろっていうのとかに囲まれて、命からがら逃げてきたんだよ。そりゃ、もう必死だった。どれくらい必死だったかって言うと、アレンの修行でちょうど終わりを迎える寸前――ぐらい必死だったんだ。いわゆる、死ぬか生きるかって話だね。ナツメが居たら、もう少し余裕ある逃走が出来たと思うんだけど、これが知らないうちに飛竜に連れてかれちゃってさ。今、がんばって捜してるトコなんだよ。通信機に呼びかけてもまるで応答しないし、危険な状況に陥ってるんじゃないかって、気が気じゃないわけだ。だから途中で遭った、桁違いの強さを誇るドラゴン達から、逃げ回ってでも彼女を捜してるわけなんだよ。――なのに、随分余裕そうだね? ……マリア、アルベル」

 

 長い講釈の後。

 フェイトはゆっくりと首を傾げた。目の前にいるのは、件の男女、アルベルとマリア。フェイトが発見した時、何故か仲間割れをしていた彼等に向かって、フェイトは至極冷静に疑問を口にしていた。

 

「あら、フェイト。協調性(チームワーク)を高める上で、重要なのは指揮官が誰であるかを分からせる事でしょ? だからこのアルベルに、白黒はっきりつけさせてあげようと思って」

 

 マイクロブラスターを手に、マリアはやけに据わった目で答えてきた。普段は冷静なのに一度火が付くと段々本気になるところがネコ科動物を思わせる。刀を握ったまま、フェイトに一瞥もくれようとしなかったアルベルの方は、フェイトの発言に思うところがあったのか、す、と横目にフェイトを窺ってきた。

 

「あの阿呆と、はぐれただと?」

 

「隙あり!」

 

 パシュィン……ッ!

 

 間髪置かずに放たれたマイクロブラスターの光弾を、紙一重で躱して、アルベルはフェイトに視線を向けたまま、続けた。

 

「どう言う事だ? お前らには、連絡を取り合う術があると言っていただろうが」

 

 無数に走るマリアの弾丸を躱しながら、アルベルは問う。十二、三発これまでに射撃されて、弾道とマリアの動きは、既に把握出来ていた。

 時折、際どい射撃のみ義手と刀で対応するアルベルの、超人的な動きに感心しながら、フェイトはため息と共に首を横に振った。

 

「だから、その連絡を取り合う手段の、通信機っていう装置で呼びかけても応答がないんだよ。剣の腕は確かだから、大事はないって信じてるけど……」

 

「応答なし、ねぇ」

 

「……ふん」

 

 刀を納めたアルベルは、そこで、マリアから背を向けた。

 

「……逃げるの?」

 

 マリアの問いに、アルベルは鼻を鳴らした。

 

「フェイト、と言ったな。お前はそこの阿呆の相手でもしておけ」

 

「お前は何処に行くつもりだよ?」

 

 フェイトが首を傾げると、アルベルは足を止めずに言った。

 

「奴には借りがある」

 

 端的に答えるアルベルに、マリアも終わりと見たのか銃を下ろした。不機嫌そうにフェイトを一瞥するなり、じろりとフェイトの手元にある通信機を見やりながら言ってくる。

 

「それで? あの連邦の娘が、行方不明なのは分かったけど、それはクリフ達にも伝えたの? 私の所には、君からそういう通信、入って来なかったけど」

 

「あ!」

 

 ぽん、と手を叩いて、フェイトが納得する。確かに、広範囲に捜索するなら、別行動しているクリフ達に協力を仰ぐのが正解だ。ナツメと連絡を取ることばかりに気を取られてすっかりと失念していた。

 

「……意外に抜けてるのね、君……」

 

 ため息混じりにつぶやかれて、フェイトは苦笑いを返す。マリアが颯爽と踵を返した。

 

「だったら、クリフ達を駆り出してさっさと見つけましょ。――分かった?」

 

 肩越しに、半ば睨むように念を押されて、フェイトは首を傾げながらも頷いた。それを見送ったマリアが、素早い動きでアルベルの後を追っていく。その横顔は、さながら戦場に向かう女神のように毅然としていて――容赦が無かった。

 

「絶対に、アルベルが見つけるよりも先に、見つけるのよ。先に(・・)

 

 もう一度念を押すマリアを見据えて、フェイトは無言で頷いた。

 鬼気迫る。

 そんな言葉を体現したような、恐ろしい顔だった。

 

「…………化けの皮、か……」

 

 去っていくマリアを見送って、フェイトは空を見上げてつぶやいた。その頬に、一筋の涙が流れたのかどうかは、フェイト以外、知る由もない――。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 危機とは、突如現れるものである。

 背中に冷や汗の感触を受けながら、クリフは強張った表情で、彼女を見下ろした。壮絶に。冷え切った目をしたミラージュを。

 

「随分と仲がよろしいんですね、クリフ。確か登山する前は居なかった女性に思われますが。どういった経緯で、お知り合いになったのですか?」

 

 あくまで柔らかく、あくまで穏やかに。ミラージュは笑っていない目とは裏腹に、口許に微笑を浮かべて問いかけた。

 

「ご主人様は私の恩人、運命の導き手。私が最も欲する物を与えて下さった、尊き人です」

 

 妖艶な笑みを浮かべて、ミスティは少し潤んだ瞳でクリフを見やる。瞬間。ミラージュの瞳が、更に底冷えするような緊張感を増した。

 

「……運命、ですか」

 

 ミラージュの微笑は崩れない。語尾は少し震えていた。

 

「……ちょっと待て、ミラージュ。最初に言っとくが、別に変な意味じゃねぇぞ。なんてったって、傍にはネルもいたんだ。なぁ?」

 

「嫌ですね、クリフ。私は別に変な捉え方なんてしていませんよ。貴方の言い方では、まるで言い訳のように聞こえます。私たちには必要のないものじゃありませんか。――それに、例え言い訳だったとしても支離滅裂な話ですね。品性がないにしても、あんまりです」

 

 笑顔のままそう言って、ミラージュはクリフの腕にがっちりと絡みついたミスティを見やる。クリフは更に冷や汗の量が増すのを感じながら、困ったように、がしがしと頭をかいた。

 

「……分かった、分かった。……まあ、ともかく落ち着けよ。な?」

 

「落ち着いていますよ? むしろ、取り乱しているのは貴方です。クリフ」

 

(…………)

 

 ミラージュから視線をそらして、クリフは渋面を作る。声に出さなかったのは、出すとどういう結果になるか、知っているためだ。ミラージュはミスティとクリフを順に見て、言った。

 

「ミスティ・リーアさんと仰いましたね? 貴女ならば、遺跡の謎が解けると伺いしましたが、具体的にはどうなさるおつもりです?」

 

「まずは現物を見てみない事には……。しかし、伝承ではこう言われております。『竜は、等しく友の声に応えるもの』と」

 

「友の声?」

 

 首を傾げると同時に、ネルは、はっ、と顔を上げた。

 

『十字の中心に竜の頭蓋をささげよ。竜のレリーフは例外なく友の声を求めるもの也』

 

 巨大レリーフの間の石版に、書かれていた文字だ。ミスティは小さく頷いた。

 

「竜の喉笛には、相手に己の意思を伝える力があるのです。先人達は、その喉笛を使って竜を使役していたと聞きます」

 

「喉笛って……」

 

 つぶやくと同時、ロジャーはミラージュを見上げた。ようやくの『お姉様』との再会だったが、クリフ達のおかげで派手に騒ぐことも出来ず、少しおどおどと様子を窺っている。

 視線の合ったミラージュは、クリフに向けるものよりも明らかに優しい色を浮かべて、そ、と微笑んだ。

 

「それならば覚えがありますね。――取りに行きましょう」

 

 冷静につぶやくミラージュは、いつものミラージュだ。だが、この時を境に、しばらく彼女との会話が交わされないであろう事を、クリフはこれまでの経験で知っていた。

 

 

 

 ………………

 

 

 

「ナツメが」

 

「行方不明だと?」

 

 バール遺跡内部、巨大な竜のレリーフの前で。

 アレンとアルフは互いに息を切らしながら、睨むようにして通信機を見据えていた。

 

「……もう一度、言ってみな。フェイト」

 

 いつもの調子で、しかし、いつもよりは低い語調でつぶやくアルフの口許には、薄ら笑いが浮かんでいる。画像付きの通信でなかった事が、フェイトにとって幸いだった。

 兼定を手に、アレンが立ち上がる。

 

[だから、飛竜に連れてかれちゃってさ……]

 

「山の西側には、ナツメの姿はなかったんだな?」

 

[うん。マリアの話によると、東側にも見かけなかったって]

 

「了解」

 

 言うなり、回線を切るアレン。至る所に刀傷を負った両者は、互いの顔を見合わせるなり、こくりと小さく頷いた。

 

「行くか」

 

「ああ」

 

 短く言い合って、フェイト達が足止めを喰らっている原因、竜のレリーフを無造作に断ち切るアレン。この時ばかりはアルフも、妨害はしなかった。

 

「どうする?」

 

「俺は山を北上する」

 

「じゃ、俺は南下。待ち合わせは此処」

 

 アレンが頷くなり、二人は駆け出す。互いに負った傷の深さを、互いに打った技の威力を、崩れかけた巨大レリーフの間が物語っていたが、二人はその影すら見せずに、駆け出した。

 疾駆。

 まさにそう呼べる、風のような速度(スピード)で――。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「っ!」

 

 ばっ、と眼を瞠って、ナツメは左右を見渡した。相変わらず、暗い。洞窟の暗闇だ。自分の荒い呼吸が、耳の奥から聞こえてくる。歩き出そうとした時、不意に、右足の感触が消えている事に気が付いた。

 

「……痛くない?」

 

 緊張した全身をほぐす様に、わざと声に出してつぶやく。すると、どっとかいた冷や汗が、彼女から体温を奪うように張り付いた。

 鼓動が、響く。

 ナツメは前方を見やる。相変わらず、薄暗い洞窟内は見渡しが悪い。それでも、自分が落ちた場所からはそれなりに移動した。

 右足に視線を落とす。痛感覚が麻痺したおかげで、もう何も感じない。その代わり、右足はぴくりとも動かなくなっていた。

 通信機を手に取る。フェイトに連絡を付けたかったが、落ちた拍子に壊れたらしく、もう使い物にならない。

 (はや)る鼓動を、震える心でなだめながら、ナツメはそこで、ため息を吐いた。

 また、右足を引きずりながら歩き出す。もう痛みはないので、ナツメは気にせずに前に進んだ。涙がぽとぽとと頬に流れていたが、ナツメは努めてそれを意識の外に出した。

 ナツメは肩を震わせながら、歩いた。止まりたくなかったわけではない。『歩く』という行為を捨てれば、自分が崩壊することを本能的に知っていたのだ。

 

「……アレンさん……」

 

 シャープネスを抱きしめる。お守り代わりに貰った、アレンの刀。どれだけ月日を重ねようとも、彼の言葉は覚えている。

 ――独りじゃない。

 

「わたしを想う人は……、いつも、傍に」

 

 つぶやきながら、歩く。

 すると、遠くで足音がした。ナツメは顔を上げる。

 

「フェイトさん……!?」

 

 祈るような気持ちで、逸る心を抑えながら、足を引きずる。足音はまだ遠い。加えて、見通しが悪いため、向こうがこちらに気付いていない可能性がある。

 

「フェイトさん!」

 

 ナツメは暗闇に向かって叫んだ。遠くの足音が、速くなる。

 

(気付いてくれた――!?)

 

 ナツメは表情を綻ばせる。続いて、フェイトの名前を呼ぶ。だが、彼女の意に反して目の前に現れたのは、冷たい洞窟の、岩壁だった。

 

「行き、止まり……?」

 

 ぺたぺたと岩壁を叩きながら、ナツメは道を探す。心なしか、聞こえていた足音が遠ざかった。

 ナツメが目を見開く。

 

「フェイトさん! フェイトさん!」

 

 慌てて、フェイトを呼んだ。自分はここに居ると。だから、行くなと。

 だが、無情にも足音は遠ざかる。

 

「ふ、ゅぅうう……!」

 

 ナツメはついに、堪えていた涙を流した。絶望感が押し寄せる。何より、長時間に渡る暗闇の中で、すでに恐慌状態に陥っていた。

 

「アレンさぁあんっ! ア、レ……っ、さぁあん……っっ!」

 

 子供のように泣きじゃくる。道に迷ったとき、いつも迎えに来てくれる少年に向かって。

 ナツメの耳の奥で、銃声が近づいてくる気がした。目の前が熱い。記憶の中の炎が、忍び寄ってくる。

 ――そして、

 母が、

 

「……や、だっ! やだぁあああ!」

 

 屈み込んだ。耳を塞ぐ。動悸が早い。耳の奥の幻聴が、次第に大きくなる。

 ナツメの知人を、友人を、村人を――皆殺しにした、あの音が。

 目の前が赤く染まる。ナツメの村を、森を、家を、燃やし尽くしたあの炎が。

 ――母が、冷たくなっていくあの感触が。

 

「ぁ、……ぁっ、ぁあ……っ、っっ!」

 

 ナツメは目を見開く。もともと暗闇で何も見えなかった視界が、赤く塗りつぶされる。

 ――引き込まれる。あの闇の中へ。

 生きることさえも拒絶した、あの闇の中へ。

 

 

 

 ―――――、

 

 

 

 マリア達が洞窟の中に入ると、不気味な音が反響した。

 

――ぁあああ……!――

 

 隙間風の音とも、竜の鳴き声ともつかない、不気味な音が。

 

「……アルベル?」 

 

 傍らに立つ、男の気配が変わった気がして、マリアは眉をひそめた。刀に手をかけたアルベルが、深刻な表情で舌打ちする。マリアの持っていたペンライトで照らされた洞窟の、先を見据えて。

 

「あの、阿呆!」

 

 その一言で、マリアは察しがついた。

 不気味な音、そう聞こえたこれは、ナツメの声だ。壮絶な傷に、のた打ち回るように、断末魔のような悲鳴がマリアの耳に届く。

 

「まずいわ!」

 

 さすがのマリアも、血相を変えて駆け出した。洞窟の分岐点がいくつもある。が、アルベルはその聴覚だけを頼りに、当たりをつけて突き進んだ。

 

 しばらく、洞窟の中を走って――、

 

 ペンライトの明かりを頼りに、見つけた少女はうずくまったまま、ぴくりとも動かなくなっていた。

 

「おい! 阿呆! ……ナツメ!」

 

 アルベルが駆け寄って、ナツメの身体を揺すってみる。だが、反応は無い。マリアがペンライトでナツメの顔を照らすと、力ない黒瞳が、アルベル達を――否、虚空を、じ、と見据えていた。

 

「……おい、て……か……な、……かあ、さ……」

 

 音にもならない、掠れた声を立てて。

 ナツメの濡れそぼった頬に、また一つ、涙が零れる。死んだような瞳を、開いたまま。

 

「おい! しっかりしやがれ! ……ナツメ!」

 

 アルベルが、ナツメを揺する。だが、弱々しく目を開けたナツメは――そのまま、アルベルの声に応えなかった。

 

 

 

 ………………

 …………

 



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59.合流

 洞窟を出たアルベル達が、仲間にナツメ発見の通信を入れたのはその後すぐのことだった。

 初めに現れたのは、山を南下していたアルフだ。ナツメを見るなり目の色を変え、足早にアルベルの許にやってくる。

 

「発見は?」

 

 短く問うアルフに、マリアは通信する直前だと答えた。小さく頷き、アルフはアルベルの背に乗った、ナツメの脈を慎重に測る。

 

「……弱いな」

 

 つぶやきながら、アルフが慣れた手つきで通信機を取り出した。その間に、目を見開いたままのナツメに、ひらひらと手を振ってみる。

 ――反応なし。

 同じ頃、アレンが応答に出た。

 

「アレン、今何処だ?」

 

[クリフ達と合流した。高度は八六〇メートルほど。後五分でそちらに行く]

 

[五分!? あいつ等がいんのは、遺跡だろ!? こっからじゃ……!]

 

 通信の隣でクリフの声がしたが、アルフは完全に無視した。

 

「発作レベルはBだ。二分で来い」

 

[了解]

 

[兄ちゃぁああん……!]

 

 ロジャーの悲鳴のような声が聞こえたが、通信はそこで終了した。アルフはアルベルからナツメを受け取るなり、アルベル達を外に促す。

 

「遺跡まで行くぜ」

 

 断って、歩き出すアルフに、アルベルは眉間に皺を寄せながら問いかけた。

 

「おい、発作ってのは何だ?」

 

「見ての通り。この状態」

 

 半ば走るような速度(スピード)で歩きながら、アルフは端的に答える。アルベルは、ちっ、と短く舌打ちした。

 

「持病があるの?」

 

 そんな彼の問いを引き継いだのがマリアだ。アルフは遺跡の入り口まで行くとナツメを下ろし、軍服の上着(コート)で彼女を包んだ。

 

「精神的なモンだ。暗闇が弱点。今は誰かと一緒なら無事だが、独りにするとこうなる」

 

 その発言を受けて、アルベルは、はっと瞬いた。そう言えば、修練場に居る時も、何度かマユに一緒に寝てくれと、ナツメが頼んでいたのを見た気がする。

 アルフが来てからは、見かけなくなったので気にしなかったが――。

 アルフは紋章術で明かりを作った。それをナツメの前に掲げてやりながら、ため息を吐く。

 

「しかし、ライトの呪紋すら打てなくなるとは……修行不足も良いとこだぜ? ナツメ」

 

 眼を見開いた少女は、かたかたと震えていた。ナツメの腕が伸びる。その手をアルフが掴むと、彼女は吸い付くようにアルフにしがみついた。

 

「い、か……なぃ、で……」

 

 掠れる声で、ナツメがつぶやく。そのナツメを、神妙な顔で見詰めて、マリアはアルフに問いかけた。

 

「……もしかして、この子」

 

「七つの時に母親を亡くした。コイツの住んでた村は、今は誰一人この世にいない。……アーリアの生き残りって言えば、アンタも分かるだろ?」

 

「っ!?」

 

 マリアが息を呑む。アルフはナツメを見下ろして、ぽんぽんと彼女の頭を撫でていた。そのナツメを見詰めて、マリアは首を横に振る。

 

「そんな、まさか! アーリアで起きたテロでは、生存者は一人も……」

 

「心が死んでるって言えば、こいつも一度は死んだ事になるかもな」

 

「……それも、連邦の保身というわけ?」

 

「まあね」

 

 他人事のように答えるアルフに、マリアの険が酷くなる。それに構わず、アルベルがアルフに問いかけた。深刻そうに、眉根を寄せながら。

 

「そいつはどうなる? ……治るのか?」

 

「発作は一時的なもの。時間が経てば治る。その根幹の、精神病の方は俺にも分からない」

 

 光球(ライト)に照らされたアルフの顔は、あまりに無表情で、彼が何を考えているのか分からない。

 ただ、一つだけ言える事は――、

 

「こうなるって分かっているなら、どうして私達に忠告しておかないの!?」

 

「本人に聞かれると、いろいろと面倒なんだ。発作を起こしてる時の事はまるで覚えてないらしくてね」

 

 ナツメを見据えて、アルフはそこで語調を落とした。

 

「ま、俺が楽観したのは違いない。……悪かったな、ナツメ」

 

「……か、な……で……。……い、か……ない、で……」

 

 譫言のようにつぶやくナツメの頬からは、涙が消えていた。アルベルが抱え上げている間も、ずっと掠れる声でつぶやきながら、泣いていた彼女が。

 

 ――村は全滅。母親は、死。

 

 『テロ』という言葉の意味は、アルベルには良く分からなかったが、アルフ達が交わした言葉の端から、ナツメがどういう時間を過ごしたのかは窺えた。 

 いつも屈託なく、戦闘の時以外は本当に役立たずに笑っていた、ナツメが――。

 

「おい、て……か、ない……で……」

 

 こうも簡単に、崩れてしまうとは想像もしなかった。

 

「アルフ! ナツメは!?」

 

 その時。凄まじい土埃を上げて、アレンがやってきた。

 本当に二分。時間を計っている者がいれば、アレンの脅威の速度(スピード)を確かめられただろう。

 アルフはわずかにアレンを向くと、ため息混じりに言った。

 

「遅いぜ、アレン」

 

「すまない」

 

 言いながら、アレンがナツメの傍までやってくる。アルフが僅かにナツメを引き離して、焦点の合わないナツメの瞳を、アレンの方に向けさせた。

 

「ほらアレンだぞ、ナツメ」

 

「……ぁ、……ぅ……」

 

 つぶやくナツメの手を、アレンが握る。

 

「すまない。辛い思いをさせたな、ナツメ」

 

 アレンが言うと、意味の無い言葉をつぶやいていたナツメが、不意に、瞬きを落とした。

 

「ぅぅ、……ぁ……!」

 

「君を想う人は、いつも傍に。ナツメ」

 

 ナツメを握る手に力を込めて、アレンがつぶやく。ナツメは弾かれたように、もう一度、瞬きを落とした。

 ぽたり、ぽたりと。

 頬を涙が伝う。

 

「ふ、ゅ……っ!」

 

 それは、劇的な変化だった。ナツメが焦点の合わない目でアレンを見つめながら、嗚咽する。

 やがてナツメはアルフの許を離れ、アレンの許へと飛び込んだ。元々、小柄な少女の肩を、背を、すっぽりと収めるように抱きしめて、アレンは続けた。

 

「もう大丈夫だ、ナツメ」

 

「ふゅううううう……!」

 

 泣き声が、しっかりとしたものになる。

 ナツメの焦点が、ようやく結ばれた。それを確認したアルフが、ふぅ、とため息を吐くと、ナツメは思い出したかのように、盛大に泣き始めた。

 

「おにい、ちゃんっ! お兄ちゃんっっ!」

 

 ぎゅぅ、とアレンの服を握り締めて、嗚咽混じりにナツメが叫ぶ。そのナツメの背を撫でてやりながら、アレンは何度も頷いた。

 

「大丈夫、ここにいる」

 

 ナツメを納得させるように、何度も、何度も。

 その光景を見据えて、アルフは疲れたように肩をすくめた。

 

「やっぱ『母は偉大』って、な?」

 

 揶揄するように、アルフがアルベルを見上げる。すると目の合ったアルベルは一つだけ、ふん、と小さく鼻を鳴らして、アルフ達から背を向けた。

 

 

 そして――……、

 

 

 一同が揃ったのは、十分後のことだ。その間に、マリアから色々と事情を聞いたアルフとアレンは――、フェイトを見るなり、拳を握り締めた。

 

「歯ぁ食い縛れ、ラインゴッド」

 

「え? 何が? ――え゛っ!?」

 

 一言だけ、アルフが忠告する。

 そのフェイトに与えられた僅かな時間、彼は不幸な事にも、状況を呑み込めずにアレンとアルフを見渡してしまった。

 

 ズドォンッッ!

 

「ぐぼぉお……っ!?」

 

 フェイトの両頬に、連邦軍人二人の鉄拳がめり込んだ。悲鳴を上げられたのも束の間。フェイトの痩身が、洞窟の暗闇の中に消えていくように後方へと吹き飛ぶ。

 

「兄ちゃぁああん!」

 

「フェイトぉおおお!」

 

 ロジャーとクリフの悲鳴(こえ)が聞こえたが、特に意味はない。フェイトは背中から、壁に強かに打ち据えられ、何度かバウンドして洞窟の床に倒れこんだ。

 残念ながら、その彼が動く気配はない。

 

「ん。すっきり」

 

 つぶやいたアルフが、自分の拳を見下ろして頷く。その傍らでアレンも、自分の拳を見据え――視線を、アルフに向けた。

 

 ――兄ちゃん、しっかりしろ! フェイト兄ちゃぁあん!

 ――おい! 川とか渡ってる場合じゃねぇぞ! 戻ってこい!

 

 動かないフェイトの身体を、ゆさゆさとクリフとロジャーが揺らしていたが、アレン達は無視した。

 

「アルフ、俺にも頼む」

 

 かっ、と肩幅に足を開き、アレンは両手を背中にして立つ。するとアルフが、こくりと頷いて、ぐ、と握った拳をアレンの頬に向けて放った。

 

「折角だから、派手に行くぜ? アレン」

 

「ああ」

 

 そのやりとりを、寸前で交えて。

 

「じゃ」

 

 アルフは拳を振り切った。

 

 ドゴォオオッッ!

 

 アレンの頬にぶつかった拳が、人の頭をボールのように跳ね飛ばす。凄絶な轟音。一瞬、洞窟内全てを照らした光に、マリア達が息を呑むと同時、アレンの身体が、がくりと落ちた。

 

「っ!」

 

 しかし歯を食いしばり、立て直すアレン。

 アルフの拳の威力を知っているアルベルには、まるで信じられない耐久力だ。鉄拳で内出血を起こしたアレンの頬が、手加減など一切なかったことを物語っている。

 

「ッ!!」

 

 アレンは血痰を吐くと、一つ頷いて、マリア達に向き直った。

 まるで、何事もなかったかのように。

 

「すまない。皆には、心配と迷惑をかけたな」

 

「……? 迷惑、ですか?」

 

 そのアレンの言葉に、首を傾げたのはナツメだ。不思議そうにしているナツメに、アレンは微笑だけを返す。その微妙なやりとりに、マリアとアルベルが何となく視線を逸らすと、ようやく意識を取り戻したフェイトが、二人に殴られた両頬を押さえながら、一つ、つぶやいた。

 

「……何故、僕が殴ら……」

 

「ん?」

 

 振り返ったアルフが無表情のまま、ぐ、と拳を握る。瞬間。押し黙ったフェイトは、ナツメに向き直って言った。

 

「……無事で良かったね、ナツメ」

 

「……はぁ……。でも、洞窟に落ちてから、どうも記憶がないんですよねぇ~……」

 

「寝ぼけたんだろ、どうせ」

 

「そうかなぁ?」

 

 悪びれもせず言うアルフに、ナツメは首を傾げたまま、更に不思議そうに目を瞬かせる。そのナツメを置いて、アルフはフェイト達に向き直った。

 

「それで? レリーフの謎、解けたのか?」

 

「つーか、お前は殴られなくていいのかよ?」

 

 クリフが呆れた様子で尋ねると、アルフは軽く肩をすくめてみせた。

 

「俺は保護者じゃない」

 

「まあ、それはいいとして。クリフ、そちらの女性は?」

 

 マリアに問われて、クリフは歯切れ悪く、あぁ、と頷きながら頭を掻いた。山を登る時はいなかった筈の女性、暗い紫色のローブを被ったミスティ・リーアが、マリアの問いに合わせて、そそ、と微笑む。白磁の頬に浮かぶ暗色のルージュが、何とも魅惑的だ。

 

「私はミスティ・リーアと申します。こちらのクリフ様には私がもっとも欲する物を与えて頂き、代わりに、私がお力になれればと同行させて頂いている所です」

 

 そう言って、静かにクリフに寄り添うミスティ・リーアに、マリアは目を細めて、クリフを一瞥した。心なしか、その眼差しが刺さるように痛い。それを肌で感じながら、クリフは困ったようにミスティ・リーアを見下ろした。

 

「……クリフが、ねぇ……」

 

 表情(イロ)のない声でつぶやいて、マリアは踵を返す。と、ミラージュと視線が合って、彼女はその、いつもよりは随分と殺気めいたミラージュの姿に、ふ、とため息を零した。

 たまたまマリアと同じ位置にいたフェイトも、目が合った瞬間――殺気に、背筋が凍った。

 

(……ハハハ)

 

 乾いた笑みだけを残して、フェイトはミスティ・リーアに向き直る。そのミスティ・リーアの手には、一本の、白い笛が握られていた。

 フェイトと同じく、ミスティの笛を一瞥したアルフが、確認するように問いかける。

 

「へぇ。それが遺跡の謎を解く……?」

 

「ええ」

 

 頷くミスティに、ナツメが感心したように頷いた。

 

「じゃあ、早速お願いします!」

 

 バール遺跡の竜のレリーフ。遺跡へと続く最初の扉は、楽しみを表現したレリーフだった。

 

 

 

 ………………

 …………

 

 

 

 ミスティ・リーアの助言通り、喜怒哀楽の四つの音色を使い分ける事で、竜のレリーフはその戸を開いた。御蔭で遺跡を踏破したフェイト達は、溶岩に程近い真っ赤な洞窟を過ぎて、その場所に着いた。

 無骨な溶岩洞には、あまりにも不釣合いな、煙突のついた小屋に。

 

「人が住んでんかぁ?」

 

 首を傾げるロジャーに、フェイトも同じように首を傾げながら、とりあえず小屋の扉を開けてみた。

 外気とは全く違う、温度の調節された冷気が、ひんやりと扉から這い出てくる。

 工房だった。

 

「……あれ?」

 

 その小屋の中央に居た人物は、フェイト達を見るなり、不思議そうに顔を上げた。白いふさふさの毛に、長い耳。つぶらな黒い瞳と、緑色の大きな帽子が印象的な――二本足で立つウサギだ。

 正確にはサンマイト共和国の亜人、マーチラビット族だった。

 

「亜人!?」

 

 ネルが驚いたように、マーチラビット族の青年を見据えてつぶやいた。

 マーチラビット族の青年は、短い足をちょこちょこと動かして、フェイト達の前まで来る。彼の背丈は、フェイトの腰ほども無かった。

 

「それで、君たち一体誰なの?」

 

 首を傾げるマーチラビット族の青年に、フェイトは気を取り直して、ああ、と頷いた。

 

「僕はフェイト。そして、彼女がマリアだ」

 

 ちょうどマリアが傍らに立っていたので、フェイトは自分の自己紹介を兼ねて言った。

 

「それから、その他大勢」

 

 肩をすくめたマリアが、悪びれもせず言う。と、

 

「おい、誰がその他大勢だ!」

 

「無理ですよ、団長~。まじめに自己紹介したって、多分覚えてもらえません」

 

「自己顕示欲強いね。まあ、お前の場合、その奇抜な格好で一発で覚えられるだろうしな」

 

「……何か言ったか? この阿呆」

 

「やるかい?」

 

 ざ、と義手を開くアルベルに、アルフも薄笑いを浮かべる。そんなアルフを、アレンが鉄拳で黙らせた。

 

「こう、とう……ぶっ!?」

 

 断末魔を放って、アルフが倒れる。アレンは拳を握ったまま、フェイトに言った。

 

「気にせず、続けてくれ」

 

「……オッケ!」

 

 フェイトが満面の笑みで親指を立てたのは、自分を殴られた恨みが残っていたからだろう。フェイトは改めて、マーチラビットの青年に向き直った。

 

「僕はバニラっていうんだ。ま、よろしくね。それで? こんな所に何か用?」

 

「実は僕達、侯爵級のドラゴンに会いに来たんだ」

 

「あの方に? ふ~ん……。でも、あの方が住む遺跡の入り口は火山岩で封じられているから入れないよ」

 

「あん? 入れないだと?」

 

 あっさりと今後の指針を潰してくれるバニラに、クリフは不審そうに眉根を寄せた。その傍らでネルも、両腕を組んだまま、マフラーに口許を埋めてバニラを睨む。

 

「……どういう意味だい?」

 

「どう言う意味もこういう意味も……」

 

 静かに投げかけられる質問に、バニラは困ったように頭を掻いた。

 

「そこは君が管理してるんじゃないのかい?」

 

 そのフェイトの質問にも、バニラはあっさりと首を横に振った。

 

「僕は全然関係ないよ。ここには勝手に住んでるだけだからね」

 

「でも、見たトコ兄ちゃん、マーチラビットだろ? こんな人通りのないトコで、商売なんか出来んのかぁ?」

 

 首をかしげるロジャーに、フェイトは問いかけた。

 

「商売?」

 

 言って、バニラを見る。すると両腕を組んだバニラは、えへん、と得意げに胸を張った。

 

「そうさ。僕等マーチラビット族は商人としても有名な亜人の一族。僕がここに来たのは、新しい市場の開発、独占の為なんだ。商売っていうのは、生物。他の人間と同じ事をやってたら追い抜かれちゃう」

 

 チッチッチッ、と丸々とした人差指を左右に振って、バニラは得意顔で講釈を垂れる。それを耳に、仲間から外れた所に座ったアルベルが、ふんっ、と小さく鼻を鳴らした。

 

「ちっ……。だからこんな所に来るのはムダだと言ったんだ。阿呆が」

 

「あんた、そんなこと言ってたっけ?」

 

「俺も初めて聞いた」

 

「…………」

 

 悪びれもせず応えるアルベルに、ネルは眉間に皺を寄せて、首を横に振る。と、同じく深刻な表情を浮かべたフェイトが、バニラを見据えて言った。

 

「なんとか封印を解く方法はないのかな? ……アルフの奴がこの期に及んで兼定を使わせないってうるさいんだよ」

 

「……ないこともないよ。魔光石があれば『バニッシュリング』を作ることができる。それを使うんだ」

 

「バニッシュリング?」

 

 マリアが不思議そうに首を傾げると、バニラは小さく頷いた。

 

「バニッシュというのは、物質を消し去る施力のこと。その力を封じ込めて誰でも使えるようにしたのがバニッシュリングさ」

 

「そのバニッシュリングというのを、君が作る……ということかい?」

 

「僕はこう見えてもクリエイターだからね。魔光石は……、そうだな。アーリグリフに地下水路があるの知ってる? そこの床一面が凍りついたところに隠されていると思うけど」

 

 つぶやいたところで、クリフの傍らに控えていたミスティ・リーアが、す、と前に出た。

 

「それには及びません。魔光石ならば、ここに」

 

 その紅く燃え上がる炎の鉱石に、バニラは、ぴょんっ、と長い耳を立てた。

 

「そう! それだよ。……で、納期はいつ?」

 

「それはすぐにでも欲しいけど……」

 

 バニラの言う『バニッシュリング』が出来る相場時間が分からないため、マリアは少し言葉を濁らせる。すると、小さく頷いたバニラが、す、とフェイトを見上げた。

 

「開発費はいくらくれる?」

 

「えぇ~っと……、そうだなぁ?」

 

 言って、ネルを見る。旅にかかる費用の管理は、主にネルが行っているためだ。ネルは所持金を検めると、バニラに向かって

 

「五千フォルなら――、」

 

「ああ、ダメダメ! 商品ってのは、もっと金と時間をかける物なんだって! 五千フォルぽっちじゃ、話になんないよ」

 

「ならば不足分はこの鉱石にて」

 

 ミスティがしずしずと前に出て、そ、とバニラの小さな手に石を乗せる。

 内に莫大な施力を篭めた石――炎の練金石だ。

 バニラは、それを鑑定するようにまじまじと見ると、まあ、いいか。とつぶやいてフェイト達に向き直った。

 

「分かったよ。これで引き受けてあげる。それじゃちょっと待ってて。ささっと作っちゃうから」

 

(……なんだか、都合のいいように話を持っていかれた気がするなぁ……)

 

 工房の奥に引っ込んでいくバニラを見ながら、フェイトは心の中でつぶやいた。

 

 

 

 …………、

 

 

 

 しばらくして。

 バニラが工房の奥から戻ってきた。

 

「出来たよ。これがバニッシュリング。本当はもっとお金と時間をかけるものなんだけど、両方とも足りなかったから消せる物は限られてるよ。お金と時間は才能なんかよりずっと大事な要素なんだから、仕方ないよね」

 

 それならば、注意事項ぐらい述べろ、や、結構高額の支出だった筈だが、という意見を胸の内に閉まって、フェイトは作り笑顔のまま、小屋から出て行った。

 その寸前に、アレンがバニラを振り返った。

 

「最後に、一つ尋ねてもいいか?」

 

「何?」

 

 つぶらな瞳を瞬かせて、バニラが不思議そうに首を傾げる。その彼を見下ろして、アレンは一瞬、フェイトに一瞥を送った後、言った。

 

「最近、この山で異変が起こっていないか? 竜の変種が現れた、とか」

 

 山を北上した際、合流したフェイト達の話を聞いて、アレンは疑問に思っていた。クリフやフェイトの目撃談を総合すると、変種の竜に遭ったのは、山の中腹よりも更に上。つまり頂上付近での事、ということになる。

 問われたバニラは、あぁ、と肯定とも否定ともつかない声を洩らした。

 

「あの方も言ってた竜のことか……。君たちも遺跡を通ったでしょ? そこの研究員達が作った副産物だよ。ほとんど動いてないものばかりだから、山の異変ってほどでもないよ」

 

「……そうか」

 

 一つ頷いて、アレンも踵を返した。

 

「すまない。待たせたな」

 

 そう、フェイトに断って。小屋を出る寸前、バニラが思い出したように、ぽん、と手を叩いた。

 

「あ、そうそう。このヒミツ道具も持っていきなよ。これを装備していれば、弱っちぃ敵とも結構トレーニングになると思うよ」

 

 そう言って渡された、小さなウサギの置物と共に、フェイト達はクロセルの住処へと向かった――。



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past phase ナツメの過去

 八年前、宇宙暦七六四年。

 それは突然起きた。

 彼女の都合など構わず、彼女の希望など、紙切れ同然に吹き飛んでいった。

 

 惑星、エクスペル。

 街から程遠い、広大な森に囲まれた村は、銀河連邦加入を果たした今でも、青々とした自然を残していた。

 ナツメ、七歳。

 

「コラッ! ナツメ! 明日は村のお祭りがあるんだから、ちゃんと手伝いなさい!」

 

 後ろから、ぴしゃり、と降った声に、ナツメは肩を震わせた。

 二階にある自分の部屋から、昨日用意した靴を手に、外へ出ようとした時の事だ。

 しまった、と反射的に口を押さえて、彼女は満月のように丸い目を何度も瞬かせる。

 振り返ると、躾に厳しい母親が、両手を腰に据えてこちらを睨んでいた。その母にナツメは、へにゃ、と愛想笑を返すと、母はいつも通り、片眉をぴくりと震わせた。

 

「手・伝・い・な・さ・い!」

 

 強い調子でもう一度念を押される。しかし、ナツメは手に持った靴を放さないまま、びくりと肩を震わせてつぶやいた。

 

「で、でも……、約束したのです。今日はおじいさんが、わたしに剣をおしえてくれるって……」

 

「ナ・ツ・メ!」

 

「うぅ……っ」

 

 呻くと同時、込み上げる涙をどうにか押しとめるナツメ。その少女を、じ、と見下ろして、母は腰に手を据えたまま、いい? と続けた。

 

「あなたには、剣術なんてものは必要ないの。女の子はそんな事をやらずに、立派に家事をこなしていれば、その内素敵なお婿さんが迎えに来てくれて、幸せになれるのよ」

 

 もう何度も言い聞かされた、母の得意文句だ。それを半分聞き流すように手元の靴をいらいながら、ナツメは遠慮がちに口を開いた。

 じ、と母を見上げて。

 

「でも……、剣ジツは『そのうち』じゃなくて、今、しあわせになれます。とってもたのしい。わたし、だい好きです」

 

 言って、得意げににんまりと笑う彼女に、母の声がぴしゃり、と響いた。

 

「いけません! あなた、昨日も痣を作って帰ってきたところでしょう? もうこれ以上、そんな危険なマネをさせるわけにはいきません! 母親として!」

 

「……うぅっ」

 

 眉根を寄せて、ナツメは困ったように首を傾げる。

 確かに昨日の稽古で受けた腕の傷は、まだズキズキと痛むが、それでも祖父に剣を教えてもらい、褒めてもらう度に、ナツメの心はわくわくしている。その稽古での興奮と緊張に比べれば、こんな傷の痛みなど、彼女にはどうということの無いものだった。

 母には、分かってもらえないが。

 だからそれをどう伝えればいいのか、ナツメは悩む。

 痛くない、と言うのはダメだ。以前使って、凄い反発を受けてしまった。

 

(うぅ~……)

 

 考える。何か、この楽しさを知ってもらう方法を。

 と。

 腰に手を当てて、仁王立ちしていた母が、す、と表情から厳しいものを消した。ナツメの目の前に膝をついて座り、絆創膏だらけの娘の頬に、つ、と触れる。

 母の語調が、和らいだ。

 

「……ナツメ、あなたに剣の才能があるかも知れない事は、お爺様から聞いているわ。でもね。母さんは、あなたが怪我をするのが辛いの。お爺様に打ち込まれる度、折れそうになるあなたを見るのが、怖い。……分かって」

 

 祈るように。

 ぎゅ、とナツメを抱きしめて、つぶやく母に、ナツメは何も言うことが出来ない。

 父が生きていた頃はまだ、これほど剣を習うことに反対されていたわけではなかった。

 だが、その父が半年前に他界してからは、ナツメが剣を持つ事を、母は極端に嫌った。娘の剣が上達する度、軍に上がるのでは、と顔を蒼くし始めたのだ。

 と言っても、父は軍人ではなく、商人だった。その父が、アールディオンと連邦の抗争に巻き込まれて、他界したのだ。それから母は『軍』という存在に極端な怯えと、憎悪を抱くようになった。

 幼さゆえにこの頃のナツメに、そんな母の心境は分からなかったが、それでも何となく、母が『軍』を嫌っているのは知っていたため、ナツメ自身も『剣=軍』というイメージを払い切れなかった。

 だが。

 だからといって、母を慮って自分の好奇心を抑えるほど、自制心が育っていたわけではない。故に結論として、ナツメは母にバレない様、こっそりと祖父に剣術の指南を受けようとしたのだ。

 ――上手くはいかなかったが。

 

(しっぱい、です……)

 

 残念そうに肩を落として、ナツメは森で待っている祖父に、心の中で謝る。

 祖父は、母がこうして、ナツメが剣を習うことを嫌っていると知って尚、彼女に剣を教えてくれる唯一の肉親だ。

 母の――父にあたる人物。

 その彼の存在が、ナツメの中の罪悪感を希薄にさせる原因でもあった。と言っても、一番の原因はやはりナツメ自身の自制心の欠如、であるが。

 

「ナツメ……。可愛い子。私の一番大事な、大切な子」

 

 つぶやく母に、優しく撫でられる感触に、ナツメはくすぐったさを覚えて、嬉しそうに目を細める。

 母が大好きだ。厳しいが、それでも優しい。ふんわりと笑う、彼女の笑顔が中でも一番、大好きだ。

 そして剣を教えてくれる、祖父も大好きだ。まだまだ剣の腕はついていけないが、ナツメが上手く踏み込む度、手を叩いて褒めてくれる、祖父が大好きだ。

 稽古場の森も、ナツメは大好きだ。

 特に朝陽が差した森は、木漏れ陽がまるで光のカーテンのように綺麗で、しぃん、と静まり返る。その厳粛な雰囲気が、大好きだった。

 

 ―――すべて、失ったが。

 

「お、かあ……さん?」

 

 それは、突然起きた。

 前触れも無く、突然に。

 

 今日の稽古を諦めて、ナツメは大人しく、豊作を願う祭りの水を森まで汲みに行った。バケツ一杯、同い年の子より三倍は大きいバケツを、得意げに提げて帰った時の事だ。

 

「はぁ……っ、はぁ……っ!」

 

 急いで走ったが、もう夕暮れも過ぎて、夜になろうとしていた。それでもナツメは危なげなく家に戻り、汲んできた水を、母に預けようと息を切らせた。

 そんな時の事だ。

 閑静な村が、炎に覆われていた。

 ごぅごぅ、と。森に燃え移りそうなほど、激しく。

 最初、ナツメはそれを祭火だと思って歓声を洩らした。今年は例年よりも盛大な炎だと。村の広間を使って、いつもより高く木を積んだのだろうかと。

 だが。

 

「おかあ、さんっ!」

 

 明らかに様子が違った。村を徘徊するのは村人ではなく、ライフル銃を構えた男の群れだ。彼等は無作為に、――いや、大声で何か話していたが、火の勢いが強すぎて、ナツメの耳には届かなかった。

 慌てて、母の安否を確かめようと飛び出す。

 瞬間。

 

 どどどどどどっ!

 

 業火の中で、男のライフル銃が怒号を上げた。

 たまたまナツメの目の前を通りかかった中年の女性が、背中を撃たれて崩れ落ちる。

 

「っ!」

 

 ナツメは目を見開いた。村の、パン屋のおばさんだ。

 いつもナツメがパンを買いに行くと、育ち盛りだからと、小さなコッペパンをおまけしてくれる、気さくなおばさんだ。

 その、おばさんの背から――、

 

 どろどろと、血が流れる。

 

 じわり、と広がる血溜まりの中で、ぽっかりと空いた口が、目が、恐怖で引きつっていた。

 

「っ、ぅっっ!」

 

 ぎゅ、と胸元をつかんで、ナツメは声を上げまいと息を呑んだ。バケツを足元に置く。目の前の自宅に駆け出そうとしたが、今出ては殺される。

 

(……ふ、ぅ……っ!)

 

 目から溢れる涙を、ぐ、とこらえた。

 おばさんが、あのいつも笑顔のおばさんが、その死に顔が、瞼の裏に焼きつく。それでも、ナツメは意を決して踵を返した。自分の家に急ぐ。森を迂回すれば、男達に気付かれず家に着けると知っていた。

 自分が、こっそり剣術を習いに行くルートを通れば。

 

「お、かあさんっ!」

 

 ごしごしと涙を拭いながら、それでも溢れる涙に、ナツメは視界を滲ませながら、家に向かう。

 すると、

 

 ごうごうと燃える、自分の家が見えた。

 

 最早一階は火に覆われている。外周を回っただけなのに、自宅の玄関はもう、見る影も無かった。

 

「おかあさんっ!」

 

 涙目になって、駆け出す。

 考える余裕などなかった。

 一目散に、家へ。

 

 ごぅっ!

 

 燃え盛る炎が、そんな少女を正気に戻したのは、灼熱の片鱗を彼女に浴びせたためだ。頭上から降ってきた火の粉に、ナツメは、ひっ、と悲鳴を上げた。思わず手で振り払い、その火の粉の熱さに、息を呑む。

 

「っ、っっ!」

 

 肉を焼かれる痛みが、右腕に走る。痛いとも、痒いとも言えない、壮絶な感触が。

 だが。

 それよりも、

 

「おかあ、さんっっ! おかあさっ、っ! おかあさぁあああんっっっ!」

 

 燃える我が家に、流れる涙の感触に、胸が締め付けられる。

 どうすればいいのか、分からない。

 ただ祭りの準備のために、母が中で料理を作っていた事を、ナツメは知っていた。

 

 だから――。

 

 母を呼び、泣き叫ぶことしか出来なかった。

 

「ナツメ!」

 

 不意に、自分の名を呼ばれて、ナツメは動きを止めた。

 じんわり、と別の涙が込み上げてくる。聞きなれた声。何度も自分を呼んだ、声。

 母の声だった。

 

「おかあさぁああんっっ!」

 

 ナツメと同じく、母も森の中で騒ぎが収まるのを待っていたのだ。娘の姿を見つけて、慌てて駆け寄ってくる彼女に、ナツメも駆け出す。

 否。

 母は、この騒ぎの中、娘を探して村中を走り回っていた。

 故に、

 ナツメは、気付くべきだったのだ。

 母が、自分を見つけて喜んでいるだけの表情ではないと――。

 

「きゃぁああああああ……っっ!」

 

 急に叫んだ母の声に、ナツメは驚いて、びく、と動きを止めた。

 母との距離は、約1メートル。

 そこで、

 

 どんっ!

 

 銃声が響いた。すぐ、近くで。

 母が前のめりに倒れる。

 ナツメを抱いて、前のめりに。

 

 どどどんっ!

 

 ナツメの耳に、また銃声が聞こえる。今度は三つ。

 密着した母の体が三回、銃声に合わせて揺れた。

 

「が、ふっ……っ!」

 

 母が、吐血した。

 

「――え?」

 

 ナツメはつぶやく。

 何が起きたのか、理解できない。ただ母は、ナツメを掻き抱いたまま、地面に倒れた。覆いかぶさるように、前のめりに。

 そして――、

 

 かしゃんっ、

 

 本来なら、叩きつけられるように地面に倒れたナツメを、母の腕がクッションになった。母の腕と、肩の隙間から――母を撃ち殺した、ライフル銃を持った男が、エネルギーの切れたカートリッジを、地面に投げ捨てた。

 そして、

 

 どどどどどどどど……っっ!

 

 補填し終えたライフルを、撃ちまくる。ナツメのよく知る村人を、友人を、家族を。

 ただの一人も、生かさぬように。

 母に抱かれて、ごうごうと燃える炎から。聞こえる銃声と悲鳴が、その一部始終を物語っていた。

 

「きゃぁあ……っ!」

 

「助けてくれぇ!」

 

 遠く聞こえる、見知った人の断末魔。それが目を見開いたまま、凍り付いたように固まった、少女の耳に届く。

 目の前には、自宅を焼く地獄の業火。

 

 連邦軍が、テロ鎮圧に成功したのは、発生から五時間後の事だった。

 

 

 ………………

 

 

 銀河連邦第六深宇宙基地、総合医療センター。

 珍しく、多忙なヴィスコムに声をかけられ、施設に足を運んだアレンは、何故自分が連れて来られたのか、理解できずにいた。

 

「……あの、提督?」

 

 向かったのは、医療センターの奥の病室だった。

 ナースステーションに寄って、慣れた様子で先行くヴィスコムを呼び止めると、廊下の突き当たりを右に曲がったところで、ヴィスコムがようやく振り返ってきた。

 

「君に是非、会ってもらいたい子がいるのだ。アレン」

 

 思わせぶりに言って、ヴィスコムは視線で病室を示す。

 

「?」

 

 話の趣旨が読めないながらも、アレンはヴィスコムの視線に従った。指示された病室の、中を見る。

 

「……?」

 

 病室は四畳ほど。ベッドとサイドテーブルが置いてあるだけの簡素な部屋だった。

 そこに、少女が一人。

 ベッドの上で、小さく丸まっている。眠っているのか、ぴくりとも動かない。

 檻のような、幾重もの隔壁で孤立したこの病室の住人は、まるで生気が無かった。部屋の照明が、部屋を明るく見せている筈なのに、どこか暗い。

 アレンは、ヴィスコムを振り返った。

 

「……提督、彼女は?」

 

 問うと、アレン同様、部屋の少女を見据えたヴィスコムは、少しだけ目を細めて、辛そうに息を吸い込んだ。

 

「アレン。君は三年前起きた、エクスペルでのテロを覚えているかね?」

 

 病室を、じ、と見据えたまま、視線の動かないヴィスコムを見上げて、アレンは表情を改める。ヴィスコムの顔色が暗い。理由ありの少女である事は説明されなくとも分かる。

 問題は、これからヴィスコムが言おうとしている、話の本題だ。

 アレンは事実関係を把握するために、慎重に答えた。

 

「宇宙暦七六四年に起きた事件ですね。確か、アールディオンに内通したゲリラ部隊によって、アーリアという村が占拠された――、もしや彼女はその時の?」

 

 問うアレンに、ヴィスコムが頷く。アレンは驚いたように、目を丸くした。

 

「ですが、あの事件は占拠された村人が全員殺害されるという、近年でも最悪のテロだと」

 

「そう。私も、当時はそう思っていた。……だが。事件発生から三日後、遺体処理を担当した部隊が偶然、瓦礫の中で母親に抱かれている彼女を発見したのだ」

 

 つぶやくヴィスコムに、アレンは病室に視線を落とす。

 その情報が公開されない理由は、何となく察しがついた。

 ベッドの上でうずくまった少女。サイドテーブルには、冷めたスープと、一口もかじられていないパンがある。

 

「……………………」

 

 ぐ、と拳を握るアレンの姿に、ヴィスコムは頷くと、少女、ナツメを見やって、説明を続けた。

 

「察しの通り、彼女は今、完全に心を閉ざしてしまっている。唯一のテロの生存者。彼女から有益な情報が得られればと、連邦上層部がこの施設に彼女を預けたのだが。この三年間。出される食事には一切手をつけず、ベッドの上でずっとああやったままだ。……実際に、私が彼女と知り合ったのは半年前だがね。少なくともその間に、彼女は、眠ることさえなかった」

 

「催眠薬の投与は?」

 

「勿論やっている。だがその度に幾許かの眠りについた彼女は、必ずショック状態に陥るのだ。大量の冷や汗と不整脈で体温が下がり、四肢が痙攣し始める。静脈が落ち込んで注射による鎮静剤投与もままならない。――我々はただ、彼女が自然に落ち着くのを待つしかないのだ。医者も、生命維持装置がなければとっくに死んでいると言っていたよ。……そして、そのショック状態は、部屋を消灯した場合でも起きた。彼女は『闇』に、強い恐怖心を抱いている」

 

 心が、壊れている。

 そうつぶやくヴィスコムに、アレンは少女を見下ろした。病室の、少女を。

 アレンはヴィスコムを見上げ、問いかける。

 

「中に、入ってもよろしいですか?」

 

「ああ、勿論だ。私は実際、この半年間彼女を見てきて、自分の限界を思い知った。彼女に何かしてやりたい気持ちはあるのだが、私のスケジュールでは彼女にずっと会ってやる事が出来なくてね。……出来れば、君が彼女の友達になってくれれば、と思ったのだが」

 

「光栄です、提督」

 

「……ありがとう」

 

 頭を下げるヴィスコムに、アレンは一礼を返して戸を開ける。案の定、ベッド上の少女は動かなかった。

 近くまで行って、注意深く少女を見なければ、彼女が呼吸している事すら忘れてしまいそうなほど。少女は、抜け殻だった。

 

 ナツメ・D・アンカース。

 

 ベッド脇に置かれた名札(ネームプレート)だ。

 焼け焦げた彼女の自宅から見つかった、唯一の彼女の情報だという。

 

「ナツメ、と呼んでもいいか?」

 

 遠慮がちに、ナツメを見るアレンに返事は無い。が、予想していたので、アレンは少女のベッド脇に、一言断ってから腰を下ろした。

 

「初めまして。俺は、アレン・ガードという者だ。提督から紹介を頂いて、ここに来た」

 

 つぶやいて、そ、と少女の顔を窺う。すると少女が、壁を見据えたまま、瞬きもせずに、じ、と固まっているのが見えた。

 死んだような目で、じ、と。

 その黒瞳は、意志の無い、ただの闇だった。

 

「……ナツメ」

 

 思わず、言葉を失うアレン。生気の無い彼女の横顔が、完全栄養剤を投与されているにも関わらず、痩せ細っている。落ち窪んだ眼窩は、睡眠不足の所為だろう。弱った体が、ゆるゆると、少女が死に近づいているのを予感させる。

 

(……母さんなら、こういう時)

 

 つぶやいて、アレンは五歳の時生き別れた、母のことを思い出す。

 優しい、母。

 彼女ならこんな時、どうやって少女を元気付けるだろうかと。

 遠い、遠い記憶を掘り起こして、アレンはそっとナツメの肩に触れた。

 

「……辛かったな。でも……、君を想う人は、いつも君の傍にいる」

 

 小さく、言い聞かせるようにつぶやきながら、アレンはナツメの肩から腕を撫でる。

 ゆっくり、ゆっくり。

 勿論、そんなことで、少女が反応を返すわけはないが、アレンは声を落として、優しく語りかけた。

 

「一人じゃない。……君は、一人じゃないんだ。ナツメ」

 

 触れた少女の、骨ばった感触に、アレンは哀しげに目を伏せる。

 今まで彼女が失ったものが、こうしていると、伝わってくるような気がしたのだ。

 

 ――この三年で彼女が失った、心と、繋がり。

 

 重度の精神分裂症と診断された彼女は、最初の半年で、遠戚の者たちから見放された。

 彼女に剣術を教えていた祖父でさえ、あのテロ事件で命を落としたのだ。

 そして、事件から一年。彼女は遠戚だけではない、医療スタッフにすら見切りをつけられていた。回復の見込みの無い彼女に、カウンセリングでいくら声をかけても反応のない彼女に、医師も、看護師も、手の施しようが無かったのだ。

 それでも、ただ一日一度。食べ物を運んでくる。彼女の生命線である、点滴を打つ。

 実験用のラットを育てるのと、何ら変わりない延命作業を繰り返して。まだ動き回るラットの方が、幾分か可愛らしいとため息をはきながら。

 テロという特殊な境遇で孤児になった彼女を、今は報道に悟らせない為だけに、軍上層部が預けている少女。

 精神科医が彼女の元へ来たのは、二年前が最後だった。

 

「……アレン」

 

 少女をあやすアレンの背を見つめて、ヴィスコムは深く、目を瞑る。

 少女の存在を友人に聞いてから、半年間。ヴィスコムも何度か見舞いには来た。が、多忙である彼にそう休みは無く、月に一度、足を運べれば良い方だったのだ。

 彼女の病室を訪れる度に何度か、カウンセリング紛いのものをしてみたが、効果は無かった。当然だ。専門家でさえ、彼女の心を開く事は出来なかったのだから。

 故に、ヴィスコムは気になるが、どうすることも出来ない少女として、多くの人間がそうしたように見切りをつけた。代わりにヴィスコムは意志を、次に継がせようと判断して。

 そうして白羽の矢が立ったのが、アレンだった。まだ軍に上がっていない、彼にと。

 アレンには、重荷を背負わせてしまうだろうと危惧しながら。それでも、あまりに哀れなこの少女に、救いをと。

 

(……神よ)

 

 宗教などヴィスコムは信じていなかったが、少女に会うたびに何度も祈った。

 彼女の目が、覚めるようにと。

 彼女に夜が、訪れるようにと。

 

(闇は何も、怖ろしいばかりのものではない。それを示してやってくれ、アレン)

 

 まだ十四歳の、しかしヴィスコムの知る、誰よりも聡い少年に願いをかける。彼の優しさが、勇気が。少女に奇跡を起こすことを信じて。

 

 そうして――、半年が過ぎた。

 

 ヴィスコムにナツメを頼まれてから、半年。

 アレンは一日も欠かさず、少女の下へ足を運んだ。自らの願いを込めて、昔、母が教えてくれた、御伽噺を引用して鶴を折り続けた。

 

「これは地球の古代文明にあった、一枚の紙から出来る折鶴なんだ。これが千羽になると、願いが叶うらしい」

 

 いつも通り、ナツメの病室で。

 ベッド脇に腰掛けたアレンは、言う間に鶴を折る。その鶴の羽を広げて、とん、と病室の机の上に置くのが、今のアレンの日課だった。

 

「今日でちょうど半分だな。が、資料と少し違うような? ……まあ、君が元気になるなら、なんでも構わないんだが」

 

 ベッドに丸まって、今日も、じ、と壁を見るナツメの様子は変わらない。今日も一人、あらぬ場所を見据えて、ナツメは微動だにしない。

 その彼女と、一方的な握手を交わして。

 

「君を想う者は、いつも傍に。ナツメ」

 

 今日もアレンは、祈りに似た言葉をかけた。

 一人ではない。

 彼女は闇の中に孤独を見ていると、そう思うから。

 アレンは決して、ナツメの見舞いを欠かさなかった。軍の訓練施設から、一日の課題が終わって、皆が外に遊びに行く中で、アレンは一人、ナツメの元を訪れ続けた。

 

「それじゃあ、また明日」

 

 ほんの五分でも、十分でも。

 必ず会いに来て、アレンは一方的な握手の後、ぽんぽん、と彼女の頭を撫でて、病室を後にする。

 

 その少女に変化が現れたのは、――それから、数日後のことだった。

 

「こんばんは、ナツメ」

 

 いつものように訓練が終わった後、病院に寄ったアレンは、ベッド脇に腰掛けて紙を取り出した。そもそも、千羽鶴は同じ大きさの紙で作るものだが、古代文明の遊びと化した千羽鶴の存在は、そこまで詳細な資料がどこにも残されてはいなかった。

 ゆえにアレンは、今日もてんでバラバラの大きさの鶴を折る。

 千羽になった鶴を繋げる、という発想も無かった。

 

「それにしても、さすがに慣れたな」

 

 初めて挑戦した頃は、二十枚ほど紙を無駄にしたが。

 今では淀み無く、そして折り目正しく作る折鶴に、アレンは満足そうに一つ、頷く。ベッドのナツメは、相変わらず動かない。

 折鶴を今日も一つ、作った後。

 アレンはぽんぽん、と少女の頭を撫でた。

 

「今日は、いつもより遅れてすまなかったな」

 

 訓練の後、急いでここに来たため、今日のアレンは左手に刀を握っていた。

 今朝方、父から譲り受けた刀、シャープネスだ。アレンが十五の誕生日を迎えた証に、と珍しく父が渡した刀。

 人を――相手を殺すために情けを捨てろと言う、父の。

 

「………………」

 

 自然、アレンの視線が下がる。今日一日で一体、何度シャープネスを見たのかは知らない。

 だが、この刀を見る度、アレンは思うのだ。

 これは一体、どれほどの人の命を奪ったものなのか、と。

 考える度に、もらった刀の重みが、ずしり、と腕に、胸に染みる気がした。まるで父の言葉のように。

 

 と。

 

「……けん、じつ……」

 

「!?」

 

 ぽつ、と響いた声に、アレンは思わず目を見開いた。今、ベッドから確かに、ナツメの声が聞こえたのだ。

 一度も声を聞いた事は無いが、恐らく、彼女の。

 驚いて、ば、とアレンが少女を振り返ると、壁を見据える彼女の頬に、つぅ、と一筋。涙がこぼれていた。

 死魚を思わせる、闇ばかりを映した黒瞳に、涙。

 

「ナツメ……?」

 

 初めて、表情を歪めた少女に、アレンは心配そうに彼女を覗き込んだ。

 

「お、じい……さん、も……いない……。おかあ、さん……も」

 

 今にも消え入りそうな、息がこすれているだけにも聞こえる、そんな声。だがアレンは、少女の言葉を聞き逃さなかった。

 

「っ!」

 

 彼女の抱えた、孤独。それが、直に触れた気がしたのだ。瞬間。アレンの頭を過ぎったのは、母の顔。痩せ細った少女の顔と、母の顔が重なる。

 母の儚い笑顔と、――泣いた横顔を。

 アレンは気付けば、ベッドに横たわっている少女を、抱き寄せていた。

 

「大丈夫! ……君を想う人は、いつもっ、傍にっ!」

 

 ちょうど、十年。

 母と別れて、父に情を捨てろと叱られながら剣を振って、今日で十年。

 ぐ、と歯をかみ締めて、アレンは涙をこらえる。何故泣いているのか、自分にも分からない。

 ただ――。

 

「おかあ、さん……」

 

 つぶやくナツメの声が、少しずつ力を帯び始めた。頬に流れた涙が、次第に量を増やしていく。とめど無く、堰を切ったように。

 

「ふ、ゅうううううう……っ!」

 

 ぼとぼとと涙を流すナツメを抱きしめて、アレンはただ、少女の背をさすった。

 

「大丈夫。もう、大丈夫だから」

 

 言い聞かせるように声をかけて、少女をゆっくりあやすと、ナツメは四年ぶりの涙を搾り出すように盛大に泣き始めた。

 

「おかあ、さ……っ! おかあさぁ、っっ!」

 

「今まで、良く耐えたな。……よく頑張った」

 

 頭が白くなるほど、盛大に。

 喉が割れるほどの大声で『傷』を訴えるナツメに、彼女がこの四年間、ずっと身を浸していた暗闇で、唯一聞こえた少年の声が、ナツメの傷を癒すように、哀しく、暖かく、ナツメの胸に響いた。

 

「……おかえり、ナツメ」

 

 つぶやくアレンの声が、ナツメの耳に残った――……。



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60.vsクロセル

 バニラから授かったバニッシュリングで、火山岩を消滅させたフェイトは、クロセルの住処に辿り着いた。

 石畳が据えられたその場所は、外の灼熱が嘘のように遮断され、ひんやりと冷たい空気に満ちていた。長い年月を感じさせる埃と、湿気。部屋の中央に鎮座した巨大な竜は、ドーム型に伸びた屋根の無い天井が、下から見上げるフェイトには見られないほど、竜の間近にいるものの視界を遮る存在だった。

 竜は横になっているが、少なく見積もっても20メートルの高さはありそうだ。

 その竜を見上げて、フェイトは一つ、ほぅ、とため息を零した。

 

「大きい……」

 

 クロセルは、いつでも飛び立てるように放たれた空から陽光を浴びて、静かに眠っていた。

 竜にしてみれば、フェイトは彼の頭部にも満たない、小さな相手だ。

 深く眠っている所為か、クロセルはぴくりとも動かなかった。

 

「無駄に大きいわね」

 

 フェイトの傍らに歩み寄ってきて、マリアも竜を見上げてつぶやく。続いてクリフも、感心したように息を吐いた。

 

「こいつが侯爵級の迫力って奴か……」

 

 ここに来るまでに出合った竜も、相当大きい生物だったが、この竜はもはや一つの山だ。茶褐色の頑強そうな身体が、こちらを頭にして眠っていなければ、竜と識別すらしなかったかもしれない。

 

「……いいね」

 

 その竜を見据えて、アルフが小さく微笑う。傍らで、アレンも頷いた。

 

「あらゆる気が彼に向かって流れている。――間違いなく、竜の長だ」

 

「ただ……」

 

 つぶやいて、アルフがアレンを見る。視線の合ったアレンは、眼を伏せた。

 

「素直に言う事を聞いてくれればいいんだけどね」

 

 しみじみとつぶやくネルに、そうだな、とアレンが相打つ。

 後方にいたアルベルが、忌々しげに舌打った。

 

「そう上手くいくか、阿呆」

 

「怖気づいたか? 団長さん」

 

「……テメェ……!」

 

 激しい剣幕でアルベルが振り返った瞬間、クロセルに近い位置にいたフェイトが、は、と目を見開いた。

 

「ん!? 動いた!?」

 

 瞬間。

 一同が、ざっ、とクロセルを振り返る。

 

 ぶぉっ……!

 

 突風が吹く。と。眠っていた茶褐色の山が、威圧するように立ち上がった。美しく伸びた両翼が、ぴん、と広がる。

 クロセルの野太い首が、天に向かって、ぐぅう、と突き上げられた。

 そして――、

 

「吾ノ眠リヲ妨ゲル不届キナル者ハダレカ?」

 

 地響きと間違えてしまいそうなほど低い声で、クロセルは問いかけた。

 

「うわ、竜がしゃべりやがった!?」

 

 クロセルが人語を操るのを見て驚愕するクリフに、クロセルは小さく鼻を鳴らした。

 

「……礼儀ヲ弁エヌ奴ダ。自ラヲ万物ノ霊長ト信ジテ疑ワヌカ。何故、他ノ生物ガ言葉ヲ解セヌト思ウノダ? 自分ニ理解ノデキヌコトハ無イモノトスル。何時マデ経ッテモ変化ノ無イ奴ラヨ」

 

 ぅ、と息を呑むクリフを横目に、アレンは納得したように頷いた。

 

「そういえば、二国和議の時クリフはいなかったな」

 

「国王陛下の飛竜(オッドアイ)さんの方が流暢ですよ!」

 

「ま、所詮は隠居した身。長く使わないでいたから、忘れたんだろ」

 

「ははぁ~」

 

 頷くナツメとアルフを、クロセルの青瞳が、す、と射抜いた。

 

「控エヨッ! ワレ、数百年ノ時ヲ生キタ大イナル存在。人間風情ガ我ヲ侮ルナド許サレルト思ウテカッッ!」

 

 クロセルの恫喝に、ナツメは、びくっ、と肩を震わせた。

 アルフは小さく笑んで、血のように紅い瞳をゆっくりと細める。紅瞳に――狂気。匂い立つような、壮絶な色香が満ちる。

 

「貴様……!」

 

 クロセルの瞳に、闘気が宿った。

 

 ぐぉっ!

 

 それだけで、洞窟内の空気がクロセルに向かって集う。

 

「――アルフ」

 

 クロセルに応えようとしたアルフを、アレンが制した。紅瞳がアレンを見る。視線が合っただけで、壮絶な鬼気だ。それを軽く受け流したアレンは、紅瞳を見据えたまま、に、と微笑った。

 

「……やれやれ」

 

 数秒、睨み合って。不意に肩をすくめたアルフは、対峙したクロセルから視線を外し、瞳の狂気を内に収めた。それを確認し、アレンはクロセルへ歩み寄る。左手に剛刀、兼定を握って。

 

「クロセル侯爵。貴方に、お頼みしたい事があります」

 

 言って、蒼瞳がクロセルを見据える。アルフとは全く逆の、清廉とした光を放つアレンの瞳。それを見下ろして、クロセルは僅かに目を細めた。

 

「……何者ダ、貴様……」

 

「私の名はアレン・ガード。異界から来た者です」

 

「異界、ダト……?」

 

 不思議そうに声をひそめるクロセルに、アレンの傍らからネルが前に出た。クロセルの前で、彼女は恭しく跪く。

 

「侯爵閣下。私はシーハーツが隠密、ネル・ゼルファー。今、この地域に大いなる脅威が押し寄せてきております。そしてその脅威に対抗するために、ぜひ閣下のお力添えが必要なのです」

 

「……巫女ノ国ノ者カ。フン。何ヤラ外ガ騒ガシイトハ思ッタガナ。シテ、ワシニ何ヲシテ欲シイノダ?」

 

「私を、貴方の背に乗せて頂きたい」

 

 臆面も無く言ったアレンに、クロセルは、かっ、と目を見開いた。

 

「何ダトッ!? 人間風情ガ、フザケルデナイワ!」

 

「座興でこの場を訪れるほど、我々は酔狂ではありません」

 

 言ったアレンは、ネルを後方に下げた後、手にした剛刀を抜き払った。

 瞬間。

 

 ざわ……っ、

 

 静謐に満ちたクロセルの部屋が、アレンを中心に身震いした。

 

(何……ッ!?)

 

 クロセル同様、大地が、大気が、アレンに向かって集まる。激流のように、しかし、穏やかに。アレンの持つ兼定の刀身に、吸い込まれるようにとぐろを巻いて、青く、光る刃として凝縮されていく。

 アレンの全身が、闘気に満たされて青白く輝く。そんな中、アレンはゆっくりと兼定の刃を寝かせると、刀身に右手を添えた。

 刀身に、己を映し込むように。

 ――活人剣。

 アレンは、か、と目を見開いた。

 

「覇っ!」

 

 裂帛の気合。同時、青白く輝く兼定の刀身が、更にカッと鋭く輝いた。

 

 ――ゴォッ!

 

 突風が起こる。巨大な山、揺るがぬ泰山として聳えるクロセルさえも震わせる、巨大な竜巻が、アレンを中心に吹き荒れた。

 その頭上に現れたのは、巨大な朱雀だ。このバール山脈に流れる灼熱のマグマよりも強烈な、圧倒的な質感と熱風を孕んだ炎の化身。それは、クロセルの住処たるこの場所に、クロセルと同等の大きさをもって現れた。

 アレンに付き従うように、彼の背で。

 アレンは静かに、クロセルを見据えた。

 

「我々が脅威と戦うには、どうしても空を制する必要がある。この状態の私を、臆さず乗せて飛翔する竜が不可欠なのです。だから貴方に、ご助力願いたい」

 

「……知ッタコトカ!」

 

「クロセル侯爵、どうかお願いします。我々に協力を」

 

 言って頭を下げるアレンに、クロセルは自分と同じ高さにいる朱雀を見据えた。圧倒的な、炎の化身。――アレンと同じ、朱雀の蒼瞳が、じ、とクロセルを見据えている。高貴な赤い炎を、滾らせて。

 クロセルは、ふん、と鼻を鳴らした。

 

「タカガ朱雀ヲ従エタ程度デ、図ニ乗リオッテ! 我ハ七百年ノ時ヲ生キタ大イナル存在! 矮小ナル者ヨ、己ガ無知ヲ恥ジルガヨイワ!」

 

 クロセルの翼が広がる。

 

 ぐぉっ!

 

 瞬間、ひんやりとした住処の温度が、一気に上昇した。

 

「……チッ、やっぱダメってことか!」

 

 クリフが身構える。それをアレンが制した。クロセルに集うバール山脈の灼熱を感じながら、アレンがクロセルを見据えて言い放った。

 

「ここは俺にやらせてくれ、クリフ」

 

「アンタ、正気かい!?」

 

 ネルが驚いた表情でアレンを見る。と、アレンの蒼瞳が、壮絶に輝いた。――兼定の刀身に合わせて。

 

「……ようやく、俺の全てを試せる相手に出合えた……!」

 

 ぽつりとつぶやいたアレンの声は、轟音の中に掻き消えた。

 

 ぐぉおおおっっ!

 

 朱雀が、さらに膨れ上がる。それを見据え、アルフは肩をすくめた。そしてフェイトを一瞥し、警告する。

 

「病気が発動したぜ。さっさと退がった方が身の為だ」

 

「……病気?」

 

 フェイトが首を傾げると、アルフは朱雀を滾らせるアレンを顎でしゃくって、紅瞳を細めた。

 

「見ての通り。ああなると手が付けられない。……あいつは、俺以上の戦闘狂だからな」

 

 くく、と喉を鳴らすアルフ。傍らでナツメが何度も頷いた。

 

「せっかく休暇をもらっても、強敵を求めて旅に出ちゃう人ですからね」

 

「その間は音信不通」

 

「それはアルフさんもです!」

 

 困ったように眉根を寄せるナツメに、アルフは薄笑いで答えた後、アレンを見据えた。

 

「ま、勉強させてもらえよ。ナツメ」

 

「はい!」

 

 言って、気合を込めるナツメに、フェイト達も続いた。

 

「身ノ程ヲ知ルガ良イ、人間ガ!」

 

 クロセルが飛翔する。アレンは兼定を八双に構えた。

 

「尋常に勝負! クロセル侯爵!」

 

「捻リ潰シテクレルワ!」

 

 巨大な砲台のようなクロセルの口から、炎が吹き荒れる。溶岩洞の熱気を凝縮したような炎の息吹(ブレス)

 

 ズドォオオッッ!

 

 それを受けてアレンは、兼定を縦に一閃した。

 

 斬っ!

 

 クロセルの放った炎が断ち切れる。と、同時。アレンは兼定を握りこんで、侯爵竜に向かって突っ込んだ。

 

「朱雀疾風突き!」

 

――コォオオオオッッ!――

 

 朱雀が啼く。

 クロセルが吼えた。

 

――グォオオオオオッッ!――

 

 炎と炎が、遺跡の中央で激突した。

 

 ズガァアアンッッ!

 

「うぉっ!?」

 

 熱風に、クリフが頭を庇う。フェイトも同様に目を庇いながらも、アレンを追う。両者まったくの無傷で次の動作に入っていた。

 

「朧!」

 

 アレンが下段から抜刀術を三層放つ。同時、クロセルの体表から炎が吹き荒れた。

 

「フンッ!」

 

 クロセルが右腕を振るう。

 

 ぶぉおおんっっ……!

 

 それだけで巨大な空気の塊が、灼熱の炎がアレンに襲い掛かった。

 

 ギィインッッ!

 

 兼定で受け止めるアレン。巨木と枯れ枝ほどの、クロセルの腕と兼定の得物差が、しかし、まったくの拮抗を見せる。

 侯爵竜の驚異的な硬度と、兼定の壮絶な切れ味。完全に止まった両者。

 拮抗――。

 そう、見えた。

 

 斬っ!

 

――グォオオオオオッッ!――

 

 クロセルが吼える。朧を止めた筈の腕が、深く斬られていた。

 

 ぴしゃぁっ!

 

 血が飛ぶ。

 

「やった!」

 

 思わず歓声を上げるフェイトに、アルフが静かに言った。

 

「……いや」

 

「え?」

 

 フェイトが瞬きを落とす。

 と、

 

 ぶしゅ……っ!

 

 アレンも、兼定を握る腕から、わずかに血が滲んだ。

 

「アレン!」

 

 掌の皮が剥けたのだ。凄まじい訓練を重ねた特殊部隊の肉体をもってしても、クロセルの一撃を受けきる事は出来ない。

 が、

 アレンの表情は、まったく変わらない。タンッ、と地面に着き、半身切る。

 

「打点をずらそうと侯爵竜はあの巨体。刀は無事でも、生身の人間に止められる代物じゃねぇよ。……本気でも出さない限り、な」

 

「だったら、出しちまえばいいじゃねえか!」

 

 怒鳴るクリフに、アルフは答えず、壁に視線を向けた。

 

 ……ぴし、ぴしぴしぃ……っ、

 

 クロセルの住処たる洞窟が、不気味な音を発ち始める。石造りの壁に――無数のヒビ。

 

「そんな……!」

 

「やべぇじゃんよぉ!」

 

 フェイトとロジャーの、悲痛な声が響く。

 

「……やれやれ」

 

 壁のヒビとアレンを見据えて、アルフが苦笑した。アレンとクロセル。両者が放つ攻撃の余波に、洞窟が崩壊しようとしているのだ。

 上空のクロセルが、アレンを見下ろして言った。

 

「ヨモヤ人間風情ニ傷ヲツケラレルトハ……! コノ屈辱、倍ニシテ返シテクレル!」

 

 ばさっ、!

 

 滑らかな茶褐色の翼が、天で広がる。それを見据えながら、アレンは唇を噛んだ。背から、朱雀が消えうせる。

 

「愚カ者ガ!」

 

 同時、クロセルの口腔から灼熱の炎が吐き出された。

 

「死ヌガイイ!」

 

 ズドァアアアッッ!

 

 爆炎が床を舐めた瞬間、すさまじい勢いで蒸発する石畳にフェイト達の視界が塞がれた。

 

「アレン!」

 

 むせ返る様な熱風。直撃ではないのに、マグマを目の当たりにしたような質感で目眩がする。

 

 斬ッッ!

 

 爆風を、兼定が断ち切った。と、同時。アレンは素早く紋章術を構成した。

 

「ディープフリーズ!」

 

 通常の術者が必要とする半分の詠唱時間で術を完成させ、軋み始めた床を固める。

 

 ぴきぃい……っん!

 

 氷塊が床の崩壊を防ぐと同時、アレンは上空のクロセルを険しい表情で見上げた。歯噛みするように唇を引き結んで、兼定を――鞘にしまう。

 

「ここまで、だな」

 

 横合いからアルフに言われ、アレンは無言のまま、兼定を握りしめた。

 

「ああ」

 

「ここまでって、ちょっとアンタ!?」

 

 目を丸くするネルに、アレンは無表情のまま、兼定を握っていない手をアルフに差し出した。

 

「武器を」

 

「ここから一人じゃキツイぜ? アレン」

 

 くく、と喉を鳴らしながら、アルフは二振りのレーザーウェポンを懐から取り出す。その内一本を、アレンに手渡した。

 

「そうだな」

 

 受け取ったアレンが、レーザーウェポンを一閃する。と刀を成した得物を握って、アレンは上空のクロセルに向かって振りぬいた。

 

「弧月閃!」

 

 グォッッ!

 

 神速で走ったアレンの抜刀が、衝撃波を生む。地面から湧き起こった縦半円の、衝撃波がクロセルに襲う。

 が、

 

「小賢シイ!」

 

 バサッ!

 

 両翼の羽ばたきだけで掻き消える。先ほどの兼定で放った斬撃に比べれば、微風に等しい。クロセルがいぶかしげに目を細めると、風の中からアルフが現れた。

 

「朧!」

 

 ズシュィンッッ!

 

 大気を切り裂く轟音が、洞窟で反響する。だが直撃したクロセルに、ダメージは無い。

 見据えるアルフが、面倒くさそうに目を細めた。

 

「……ほぅ」

 

 つぶやきと同時、観戦していたナツメが腰の刀剣を抜く。彼女の剣先に、紋章力が集った。

 

「ピアシング・ソーズ!」

 

 六本の氷剣が風を切ってクロセルに走る。

 

 ヒュヒュンッッ!

 

 が、クロセルが両翼をはためかせると同時、吹き荒ぶ突風で氷柱はいともあっさりと弾いた。その後ろをアルフが駆る。

 たん、と地を蹴ったアルフの剣線が瞬後、煌いた。

 

「ヌンッッ!」

 

 クロセルが、その大木のような右足でアルフの疾風突きを受け止める。そこに渦巻く疾風が、アルフの疾風を押しとめる。

 

 ギィインッッ!

 

 苛烈に咲く火花の中で、弾き飛んだのはアルフだった。

 

「アルフさん!」

 

 ナツメが叫ぶ。と、同時。アレンのレーザーウェポンが光った。

 

「吼竜破!」

 

 ――ズドォオオッ!

 

 アレンの闘気で出来た蒼竜が、クロセルの胴に直撃する。クロセルの野太い胴を、半分ほど飲みこむ蒼竜。クロセルの身体が、一瞬傾いた。ずしぃ、と確かな重みを感じさせる音が、侯爵竜の翼から立つ。

 が。

 

「効カヌッ!」

 

 わずかによろけたクロセルが翼を広げると同時、吼竜破を放ったアレンが吹き飛ばされた。

 

「っ!」

 

 アレンが舌打つ。だぁんっ、と激しい音を立てて、彼は洞窟に背をぶつけた。

 

「アレン! ……っ、皆! 援護だ!」

 

 はっと我に返ったフェイトが、剣を握って叫ぶ。と。一行は、一様に頷いた。

 

「エイミング・デバイス!」

 

 正面に銃を据えたマリアの追尾レーザーがクロセルの眉間を狙う。

 が、

 

 キンッ!

 

 マイクロブラスターの銃弾が、いとも簡単に弾かれた。クロセルの表皮。セラミック以上の硬度に、マリアはチッと舌打ちを打つ。

 

「やっぱり効かないみたいね……!」

 

「どいてろ、マリア」

 

 その傍らをクリフが駆けた。

 

「行くぜ! カーレント・ナックル!」

 

「剛魔掌!」

 

 左からクリフ、右からアルベルがクロセルを襲う。クリフとアルベルの挟撃だ。クロセルはカッと目を見開いた。

 

「――裂ケヨ!」

 

 叫ぶと同時、クロセルが天に向かって吼えた。

 

 キィイイイイ……ッ!

 

「団長!」

 

「クリフ!」

 

 ナツメとネル、フェイトが声を揃えて目を瞠る。一瞬の静寂。――その後、

 

 ……パァンッッ!

 

 風船が破裂したような音を立てて、クリフとアルベルが吹き飛んだ。

 

「ぐわぁっ!?」

 

「アルベル!?」

 

 マリアが悲鳴に近い声で叫ぶ。その彼等が洞窟の壁に叩きつけられる寸前、アレンは軽く右手を振った。

 

「――プロテクション!」

 

 クリフとアルベルの身体が白い風に包まれる。瞬間。しゅるんっ、と音を立てて二人の身体が白い風に包まれた。勢い良く巻いた風は、洞窟の壁に触れると同時、ぽふんっ、と軽い音を立てて二人を地面に下ろした。まるで見えないマットの上に下ろされたような、柔らかな弾力を伴って。

 

「た、すかったぜ……!」

 

 狐につままれたような表情のクリフが、要領を得ないながらも言った。アレンはクロセルを見据えたまま、険しい表情で頷く。

 

「いや。それより気をつけろ。表皮の硬さもさる事ながら、今の技、後一歩踏み込んでいれば危なかった……!」

 

 そのアレンを一瞥して、アルベルはクロセルを睨みながら立ち上がった。足の感覚が覚束ない。やや、頭がふらふらした。

 

「野郎、何をしやがった……!」

 

「紋章術の一種です、たぶん。さっき一瞬でしたが、クロセルさんの周りに凄まじい『気』が流れた。竜は精霊と深い結びつきがあると言いますから、詠唱なしでも術を使える可能性はあります」

 

 クロセルを見据えて刀剣を構えたナツメは、怜悧な光を瞳に宿して静かに言った。先ほどとは打って変わって、凛とした横顔。アルベルは彼女の横顔を見据えて、ふん、と鼻を鳴らした。

 無表情だがどこか満足げに。

 

「どうすればいい?」

 

「不用意には踏み込まないこと。それだけです」

 

 言ってナツメが身構える。と、ナツメの後方からアルフが踏み込んだ。

 

「さっきはどうも」

 

 クロセルの圧倒的質量に押されたアルフは、中空で体勢を立て直すと、地を蹴り、クロセルに切迫した。アルフが突きの構えを取る。と、同時。

 フェイトとネルが、アルフの後に続いた。

 

「援護する! ヴァーティカル・エアレイド!」

 

「凍牙!」

 

 風と氷の嵐がクロセルの足を一瞬止める。が。キンッ、と硬質的な音を立つと、二つの技は呆気なく大気に散った。

 

「っ!?」

 

 フェイトが息を呑む。

 その時、

 

「ヌッ!」

 

 クロセルの視界に、紅瞳が飛び込んできた。

 狂眼を滾らせた男――アルフの持つレーザーウェポンの刀身が、凄まじい光を放つ。

 気が、風が――、凝縮されていく。

 アルフの手に、刀身に。

 

 ズドドドォオオンッッ!

 

 凄まじい踏み込み音を立てて、三発同時の疾風突きがクロセルに肉薄する。先ほどの疾風突きよりも『気』の練度が高い。

 が、

 

「笑止!」

 

 クロセルは鼻で笑うと、天に向かって吼えた。

「――裂ケヨ!」

 

 竜の嘶き(ドゥームレイド)。 

 

 キィイイイイ……ッ!

 

 眼に見えぬ音波が、場を、静寂で満たした。いかなる者の聴覚をも奪って。

 例の、風船が割れるような音、

 そして。

 

 ズドォオオオオンンッッ!

 

 ドゥームレイドの衝撃波が、アルフの三連疾風突きと交わり、爆ぜた。冗談ごとのようにアルフの体が吹き飛ぶ。――直撃だ。

 

「アルフ!」

 

 アレンが叫ぶと同時、アルフの体がウルザ溶岩洞の最奥にある遺跡の壁に激突した。

 

「……かっ!」

 

 アルフが血を吐く。

 と、

 

――グォオオオオオ……ッッ!――

 

 三連の刃が確実に、クロセルの眉間を貫いた。巨大な翼を広げ、クロセルがたたらを踏む。それを紅の瞳でアルフが見据えると同時、彼の口端から紅い血が一つ、零れ落ちた。瞳の色と同じ、禍々しくも鮮烈な紅い血が。

 アルフの握っていたレーザーウェポンが、パキィインッ、と音を立てて砕け散る。

 瞬間、

 ナツメとアレンの目の色が変わった。

 

「……よくも!」

 

「やってくれたな……」

 

 ナツメが刀剣を構える。わずかばかり眉間に傷を負った侯爵竜は、何百年ぶりかの血に興奮したのか、蒼の瞳を滾らせた。

 

――グォオオオオオ……ッッ!――

 

 クロセルが吼える。

 大気の、大地の熱がクロセルに集う。部屋の空気が、震えた。

 

「ナツメ! 油断するな!」

 

 アレンが鋭く警告する。と、ナツメの姿が消えた。

 

 ……ふっ、

 

 わずかに吹いた、一陣の風に溶け込むように。

 

「リーフスラッシュ!」

 

「何っ!?」

 

 瞬きの間にナツメがクロセルに切迫している。クラウストロ人のクリフの目すらも欺く、ナツメの速攻抜刀術だ。

 が、

 

 キィンッッ!

 

 クロセルの硬質な表皮が、ナツメの刃を難なく弾いた。と、同時。

 

「!」

 

 ナツメの傍らに、巨大な影が迫る。――クロセルの尾。

 

(まずい……!)

 

 躱せない。

 

 ギィインッッ!

 

「アレン!」

 

 巨大なクロセルの尾が、ナツメの体を叩き落とす寸前。間に入ったアレンが受け太刀した。ずどぉんっ、と鈍い音を立てて、アレンとナツメの体が吹き飛ばされる。地面に激突する寸前。ナツメは両腕を交差させて威力を分散させ着地する。その彼女の傍らに着地したアレンは、腹を押さえた。

 

「っ、ぐ!」

 

 呻くと同時、鮮やかな血が口から零れる。ナツメは目を見開いた。

 

「アレンさん!」

 

「……やってくれんじゃん」

 

 壁からアルフが起き上がる。彼は、ひゅんっ、とレーザーウェポンを振って、砕けた刀身を元に戻した後。うっすらと口許に笑みを浮かべた。

 ――狂眼の笑みを。

 そのアルフに、フェイトが横目見ながら提案する。

 

「待ってくれ。バラバラに攻撃しても、奴にダメージは与えられない。ここは協力しよう!」

 

 数瞬の間。ナツメとアレンを一瞥したアルフは、紅瞳をフェイトに向けた。

 

「……いいぜ、フェイト・ラインゴッド。いまはお前に合わせてやる」

 

 静かに言い放つアルフに、フェイトはぐっと表情を引き締める。

 

「分かった!」

 

 頷いたフェイトは、きっとクロセルを見据え、剣を構えた。

 

「……認めさせてやるさ!」

 

 言い放つフェイトに、アルフはふっと薄笑った。

 

「アレンさん……! アレンさん!」

 

 少し離れた所で、クロセルに叩き落されたナツメが、アレンを伺っていた。彼は何もしゃべらない。

 相当の重傷だったのか。

 ナツメは唇を噛みしめると、刀剣を握り締めて立ち上がった。――が。そこを、肩を押さえて制された。

 アレンだ。

 

「……アレンさん……」

 

 ナツメが閉口する。と。ヒーリングを唱え終わったアレンが、フェイト達を見やった。

 

「じっとしていろ。アルフがようやく、その気になりつつある」

 

「ほぇ?」

 

 不思議そうに首を傾げるナツメに答えず、アレンは、に、と口端を緩めた。

 

 

 

 

「行くぞ、皆!」

 

「おう!」

 

 フェイトが駆けると同時、ネル達が一斉に四散した。

 

「黒鷹旋!」

 

 遠距離からネルが、短刀に施力を込めてブーメランのように放つ。が。やはり侯爵竜にダメージは喰らわせられない。

 キィンッ、と乾いた音を立てて、短刀が弾かれた。

 

「チョコマカト!」

 

 鬱陶しげにクロセルが吼える。地上にいるネルに向け、彼は着地した。

 

「今だ!」

 

 フェイトが叫ぶ。と、クロセルの上からミラージュとクリフが、黄金の闘気を孕ませて降った。

 

「エリアルレイド!」

 

 ドォ……ッ!

 

 クロセルの延髄が蹴りぬかれる。ヌゥ、と唸ったクロセルが、たたらを踏んだ。その足元を、フェイトとロジャーが斬る。

 

「ブレイドリアクター!」

 

「エクスアーム!」

 

 支点、作用点を的確に狙った二人の一撃。クロセルの身体が傾いだ。レーザーウェポンを握るアルフの紅瞳が、ぎらつく。

 

「行くぜ、アルベル」

 

「……ふんっ!」

 

 刀を握ったアルベルも駆る。二人は同時に、地を蹴った。

 

「双破斬っ!」

 

 狙いは――兼定で負傷した、クロセルの右腕。二つの太刀が容赦なく硬い皮膚に傷をつける。クロセルが吼えた。

 

――貴様等ァアアアア……!――

 

 竜の激怒が、音として響く。地鳴りだ。ピシピシと悲鳴を上げる洞窟の壁を見やって、アレンは静かに立ち上がった。

 

「一気に決めるぞ。ナツメ」

 

「……ほぇ?」

 

「フェイトから、合図が来る!」

 

 言ってレーザーウェポンに、アレンが気を高めた瞬間。刃を白く輝かせたフェイトが、叫んだ。

 

「皆! 今だぁあ!」

 

 同時。

 得物を手にした一同が、カッ、と目を見開いた。

 

「バースト・タックル!」

 

「クレッセント・ローカス!」

 

「ラスト・ディッチ!」

 

「影払い!」

 

「吼竜破!」

 

 

 ズドォオ……オオ――ッッ!

 

 同時に、全員の必殺技がクロセルに直撃する。壮絶な気の塊が、クロセルの口から悲鳴を上げさせた。

 

――グァアアアア……!――

 

 馬鹿ナ、とつぶやいたクロセルが、目を見開く。痛みのあまり、上空を仰いだ侯爵竜の視界に、青髪の青年がいた。その手には、白く光る剣。――光の翼を背負った、青年だ。

 

「何ッ……!?」

 

 クロセルが息を呑む。と、同時。フェイトの上段切りが、クロセルの眉間を直撃した。

 

「これで、終わりだぁあああ!」

 

 クロセルの巨体が、十メートルほど後方に吹き飛んだ。ズドォンッ、と爆発のような、重苦しい音を立てて静止したクロセルは、ガッ、と呻いて、雄大な翼を畳んだ。

 ピシシッ、と鳴る壁の地割れが酷い。フェイトが着地すると同時、彼の背から翼が消失した。アルフが、くく、と喉を鳴らす。

 

「やるじゃん。一瞬とはいえ、能力をも使いこなすとはな」

 

 レーザーウェポンを納めたアレンの表情は、険しかった。

 

「まずいな……」

 

「この洞窟、何とかしないとかなりヤバイよ」

 

 即座に同意したのはネルだ。アレンが頷く。紋章を練ろうとしたところで――鎮座したクロセルが、口を開いた。

 

「クゥ……地上ニ生マレ出デテ七百年。ヨモヤ人間ナドニ苦汁ヲ舐メサセラレルトハナ」

 

「約束、守ってくれるんでしょ?」

 

 クロセルの正面に立ったマリアが、腰に手を据えて尋ねる。

 クロセルは数瞬の沈黙の後、起き上がった。

 

「人ニ使役サレルハ屈辱ナレド、約束ヲ違エルハ汚行。仕方アルマイ」

 

 渋々ながらも、了承する。ネルの表情に、喜色が広がった。

 

「それでは我らに――」

 

「我ガ背ニ乗ルガ良イ、小サキナレド強キ者ヨ。何処ヘナリト運ンデヤロウ」

 

 言ったクロセルは、音にもならない声で鋭く吼えた。

 

 ……ィイイイッ……!!

 

 瞬間。ぴしぴしとひび割れていた洞窟の壁が、巻き戻しをするように再生されていく。

 アレンは目を瞠った。

 

「これは……!」

 

「竜は精霊に最も近き存在。己の住処である大地を戻すことなど、容易いことなのです」

 

 微笑混じりに説明して来るミスティ・リーアに、クリフは、ペシッ、と額を叩きながら言った。

 

「……そういうこた、もっと早く言ってくれ……」

 

「残念だったな? 兼定の真価を発揮できなくて」

 

 揶揄するようにアルフが言うと、アレンは深刻な表情で兼定を見つめ、首を横に振った。

 

「いや。洞窟に被害が広まったのは、俺が気を一点に練れていない証拠だ。……感謝する」

 

「アホだな……。こいつ……」

 

 呆れ混じりにクリフがつぶやくと、アルフとナツメが、無言で頷いた。

 

「それじゃあ。さっそく乗せてもらおうか」

 

 フェイトの言葉を皮切りに、一同が顔を見合わせて頷く。

 

 クロセルの背にて――。

 

 フェイトは侯爵竜を見つめ、首を傾げた。

 

「えっと、なんて呼べばいいのかな?」

 

「くろせるト呼ブガイイ、小サキナレド強キ者ヨ」

 

「それじゃ、クロセル。まずは東のシランド城へ向かってくれるかい?」

 

「承知!」

 

 翼を広げたクロセルが、悠然と空を飛ぶ。瞬間。初めて飛竜を体験するロジャーとクリフが、振り落ちるのではないかと震えていたが、一同は無視した――……。

 

 

 

 

 その日。シランドの上空に、今だかつて見たことのない、巨大な飛竜が舞った。

 施術兵器を疾風の背に乗せ、微調整を行っていた者や、集団合成魔法の段取りを確認していた兵士達が、一様に手を止めて空を見る。

 ――侯爵竜、クロセル。

 伝説と呼ばれる竜は、彼の持つその壮大さで、シランドにいるすべての人間を、絶句させた。

 

 

 

 

「只今戻りました」

 

 シランドに辿り着くと同時、クロセルから飛び降りたネルは、出迎えたロメリアに敬礼した。

 

「よくやってくれましたね」

 

「本当に捕らえてくるとはな」

 

 彼女の後ろに控える、巨大な侯爵竜を見上げて、アーリグリフ十三世・アルゼイはしみじみとつぶやく。と。クロセルの青瞳が、じろりとアルゼイを見た。

 

「捕ラエラレタノデハナイ。少シバカリ力ヲ貸スダケノコトダ。勘違イスルナ、虚勢ノ王ヨ」

 

 毒を向けられたアルゼイが、意外だったのか。鼻白む。

 

「ふん、まあ良い。で、女王よ。作戦決行はいつなのだ?」

 

「そうですね……。できればすぐにでも良いと思うのですが」

 

 ロメリアが伺うようにアレンを一瞥すると、彼は首を横に振った。

 

「クリフ達にはアーリグリフでイーグルに搭乗してもらわねばなりません。それが済み次第、というのが妥当かと」

 

「ということのようですから、彼等に任せるとしましょう」

 

「仕方あるまいな。まあ、アーリグリフまでは、我が疾風がお送りしよう。既存の施術兵器を搭載した部隊を、一度お前に見てもらわねばならんしな」

 

 言われて、アレンは頷いた。

 

「それでは後の事は任せましたよ。ネル、フェイト、アレン。そして皆さん」

 

「はっ」

 

 几帳面に敬礼するネルに、アレンもフェイトも続いた。



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PA(プライベートアクション) 漆黒団長と連邦軍人

 クロセルの協力を得たその夜。

 集団合成魔法の陣形について、ネルやヴォックスと綿密な訓練計画書を作成した後、アレンは白露の庭園に居た。

 ここは城下が見下ろせる――見晴らしの良い場所だ。

 

 

 そこに一人、珍しい客が来た。

 

「……何か用か?」

 

 アレンが問うと、左肩から腕をすっぽりと覆うアルベル・ノックスの鉄爪が、カシャリと金属音を鳴らす。明日の早便でアーリグリフに向かう漆黒団長は、もう夜も遅いというのに、ぎらついた赤い瞳をアレンに向けてくる。

 好戦的な眼差しを。

 

「フン。――貴様とは、一度話がしてみたかった」

 

 アレンは手摺から手を離す。

 

「言われてみれば、貴方とはろくに話した事が無かったな」

 

「…………」

 

 ちっ、と顔を歪めて舌打つアルベル。

 アレンは首を傾げた。

 

「何か?」

 

「なんでもない。……それよりも、テメエに聞きたい事がある」

 

 アルフと同じ軍服を着て、アルフと同じ実力を持った男に『貴方』と称された事が気色悪かったなど、アルベルは口が裂けても言わない。彼は、半ば睨むようにアレンを見据えた。

 

「?」

 

 要を得ない様子で、首を傾げているアレンに、アルベルは、す、と姿勢を正す。赤い瞳は野生の獣のように好戦的で――しかし今は、どこか真摯な印象を受けた。

 

「お前等の邪魔、星の船の出現、様々な要素があったとは言え結果として俺達は負けた。たとえ過程がどうであろうと、戦争でこの国を滅ぼすことが出来なかった。つまりは、敗北だ。お前は俺達が勝つ為に、いったい何が足りなかったのか分かるか? 単純なコトだぜ」

 

「この国が、勝った理由?」

 

「そうだ。国力の差は確かにあったが、それでも勝機があると判断したからこそ仕掛けた。だが、結果は見ての通りだ。何故だと思う?」

 

 アレンはフッと息を洩らすと、アルベルを見据えた。

 

「フェイトはなんて答えたんだ?」

 

 チッ、と再びアルベルが舌打つ。アルフと若干の違いはあるものの、やはりこの男も油断ならない相手だ。同じ質問をフェイトにした事を、一瞬で見透かされるのだから。

 アルベルは黙し――、答える。

 

「『運が悪かった』……と、ほざきやがった」

 

「アイツが?」

 

 意外そうにアレンが目を丸める。

 アルベルは頷いた。

 

「奴は、『アーリグリフもシーハーツも、国民のことを考え、そのために戦った。今回こんなことになってしまったのは、神様の気紛れにしかすぎない』と言ってやがった。だが実際は、違うだろう? 血反吐を吐くような努力と、山のような行動の積み重ね。ベストな行動を選択する分析力と咄嗟の判断力。負ける方ってのは、どっかが必ず欠けてんだ」

 

 言うアルベルに、アレンは微笑う。その含み笑いが気に入らず、アルベルは眉間にしわを寄せた。

 

「何がおかしい?」

 

「なら。貴方は俺がどう答えるのか、分かる筈だと思ってな」

 

「…………」

 

「俺も、貴方と基本的な考え方は同じだ。兵士の実力と修練、戦況を見極める分析力と判断力、その基礎となる情報収集能力。……いずれが欠けても、戦争で良い結果は出せない」

 

 言い置いたアレンは、スッとアルベルを見据えた。蒼穹にも似た、蒼瞳。アルフとは真逆の、清廉な眼差しだ。

 

「だが。俺の考えるアーリグリフの敗戦理由は、もっと簡単だ。人々の思いやりとか、国王に冷酷さが足りなかったとか、そういうことじゃない」

 

「!」

 

 アルベルは視線を鋭くした。

 国王の冷酷さの欠如こそが、アルベルの考える敗戦の理由だったからだ。

 

 アーリグリフ十三世は、優しすぎた。

 

 民を思う故に己の生活を質素にして、国を潤す為に軍事を縮小した。

 民衆をまとめる為のアメは、十分な食料と安定した政治。その二つが、国民の闘争本能を鈍らせ、自分の立場は争って勝ち取るものではなく、統治者によって与えられるものと誤解するようになっても、王は民衆の過ちを正そうとしなかった。

 王は民衆を奮い動かす為に、シーハーツという国そのものに対する、不安を植えつければそれで良かったというのに。

 

 殺さなければ、殺されるという『不安』を。

 

 だが王は、奪われる事の不安を民衆が考えなくなったことすら、許した。その優しさが、アーリグリフを傾けたのだ。国を良くしようと必死になった結果が、国全体を戦いを忘れた烏合の衆にしてしまった。

 それがアルベルが考える、アーリグリフが敗戦した理由――その考察だ。

 

(バカな話だな……)

 

 と、彼は思う。

 だが、アレンは違った。

 

「本当に、考えることを放棄したのは国民だけか?」

 

「――何?」

 

 不意に問いかけてくる男に、アルベルは眉根を寄せた。

 アレンは視線を城下の街へ――アーリグリフ王都の方角へ向ける。

 

「今回の戦争を顧みれば、貴方は自ずと答えを出したはずだ。だが貴方は自分の考えだけで満足せず、アーリグリフが負けた理由を、敵国の将に尋ねてきた。

 つまり、自分でも一つの違和感を覚えているんじゃないか?

 ……だからもう一度、貴方に問う。本当に、考えることを放棄したのは国民だけか?」

 

「…………」

 

 アルベルは黙し、思考を巡らせた。

 アルフならば、なんと答えるだろう――。そう考える一方で、『人々に思いやりの心が欠けていた』などという歯の浮くような理想を、この男が口にするとは思えない。

 ――この男は、何かを伝えようとしている。

 だが、何を?

 考える。

 と。

 軽く視線を上げたアルベルに、いつの間にか、蒼瞳が向けられていた。敵に容赦しない、闘気を剥き出しにした瞳。

 

 チャッ!

 

 アルベルは思わず、刀に手をかける。だがアレンは敵意を向けてくるだけで、兼定には一本も指を触れない。棒立ちのままだ。

 

(何故だ――?)

 

 思う一方で、アルベルは既視感を覚えていた。

 

(この瞳……)

 

 アルベルは、はた、と瞬いた。

 この視線には、覚えがある。

 初めてカルサア修練場でアレンと対峙した、あの時の瞳だ。

 

「!」

 

 途端。

 弾けたように顔を上げるアルベルを見て、アレンはスッと、敵意の眼差しを収めた。

 

「そうだ。貴方はあの時――俺とカルサアで対峙した時点で、俺達を殺しておくべきだったんだ。俺は重傷で、クリフもネルもフェイトも、今ほどの実力をつけていない。誰も、あの時の貴方に勝つことは出来なかった。だが貴方は俺達を殺すチャンスを、わざわざ自分から見逃した。『セコい手など性に合わん』と言ってな」

 

「…………」

 

「ノックス団長。貴方ほどの人ならば、分かるだろう? 戦争に、綺麗も汚いも無い。あの時の我々を逃した行動は貴方の武人としての誇りを護るためであって、決してアーリグリフのためではない。貴方は『アルベル・ノックス』であることにこだわるあまり、アーリグリフ軍人としての職務を放棄したんだ。――そのツケが、俺達クリムゾンセイバーの存在を許してしまった。サンダーアローを都合良く改良され、施術師達に集団合成魔法を会得させてしまった。……だから言いたかったんだ、同じ軍人として。『考えるのを放棄したのは、国民だけか』と」

 

「!」

 

「弱者をクソ虫と称する貴方には、考えもつかなかったろうな。……だが。クソ虫と称する奴等にも、誇りや意地がある。ひとりの時に力はなくとも、数人集えば大きな力を生みだす。それが軍隊だ。それを……貴方は侮った。凡百の兵と軽んじたんだ」

 

「っ……」

 

 アルベルは、ぐ、と喉を鳴らす。返す言葉は見つからない。左腕が――義手の下に隠れるおぞましい傷が、熱く滾るように疼いた。

 己の力のみに固執するアルベルには、確かに思いつかない理論だ。

 ――正確には、思いついてはならない(・・・・)理論、である。

 アルベルは右手で拳を握り、歯を食いしばる。いつかナツメが言っていた言葉を思い出した。

 

 ――確かに、私はまだまだ未熟です。

 ですが団長。相手の実力を見誤った団長もまた、未熟。

 他人(ヒト)をクソ虫呼ばわりするのは、相当の修練を、相手との絶対的な実力差を見せ付けてからにしてください。

 

 アルベルは自嘲気味に嗤う。あんな阿呆に、この男の言っていることが本当に理解できたとは思わない。

 だが、

 それでも――……

 

(それでも、俺よりは上等(マシ)だったということか……)

 

 口惜しさが、――己の弱さが、両肩にのしかかる。

 

 『焔の継承』を行って、嫌と言うほど実感した己の弱さが。

 

 アレンは、義手を抱え呻くアルベルをジッと見据えた。

 

「ノックス団長。……貴方に、お頼みしたいことが一つある」

 

「……なんだ」

 

「貴方が三軍の長を名乗るなら――、貴方が本物の武人であるのなら。……この先。どうか兵士を無事に帰すことも考えてやって欲しい」

 

「…………」

 

 アルベルは小さく鼻を鳴らした。漆黒団長とは思えぬほど、力無い表情で。

 

「……おい」

 

 踵を返すアレンを、アルベルは呼び止めた。

 蒼瞳が、こちらを向く。

 アルベルは義手から、右手を離した。

 

「お前、名は?」

 

 姿勢よく立つ。いつもなら、刀の柄に横柄に腕を置くアルベルだが、今はどうしても、そんな気分にはなれなかった。

 そのアルベルの――真摯な眼差しと、心の機微を察したのか。アレンは小さく息を吐いた。

 こちらを見据える赤瞳には、新たな光が宿っている。アルベルの瞳の中にあるその光は――自分が最も尊敬する提督(あのヒト)に比べれば、まだ小さな明かりだ。

 だが、

 それでも。

 この男は、ただの『歪みのアルベル』ではない。

 敵の言葉を聞き、己の弱さと向き合う強さを持っている。

 それが――何より重要であるから。

 アレンはニッと笑って、アルベルの問いに答えた。

 

「アレン・ガードだ。……共に星の船を撃退する為に、戦おう。アルベル・ノックス団長」

 

 差し伸べられたアレンの右手を、アルベルは掴もうとはしない。

 代わりに、アルベルは好戦的な笑みを、ニヤリと浮かべて言った。

 

「アルベルで構わん。それに、お前もアルフも、いずれこの俺が必ず倒す。――あんな星の船如きにやられんじゃねぇぞ。アレン」

 

 颯爽と去っていくアルベルの背に向かって、アレンは力強く、ああ、と笑った。



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PA(プライベートアクション) アミーナの笑顔~フェイトの哀しみ~

 驚きとは、いつも突然にやってくるものである。

 たとえば――この時もそうだ。

 

 フェイトはシランド城の客室に向かうべく、歩を進めた。

 今日のクリエイター作業を終え、床に就く道すがら。

 

 フェイトは、栗色の髪を腰まで伸ばした、灰色の瞳の少女と再会した。

 

「フェイトさん?」

 

 ペターニで出会った時と同じ、蔓の花籠を提げて、彼女――アミーナ・レッフェルドが驚いたように瞬く。その彼女の傍らには、細身の温和そうな青年、ディオン・ランダースがいた。

 

「これはフェイトさんっ! 聞きましたよ、今回のご活躍! 無事にクロセル侯爵のご助力を、取り付けられたそうですねっ!」

 

「そうなの? ディオン?」

 

「ああ! しかも、相手はあの侯爵竜だ。フェイトさんじゃなかったら、アーリグリフの疾風でも捕えられない超大物竜なんだぞ!」

 

 人差し指を立てて、得意げに説明するディオンに、アミーナは、そうなんだ、と感心しながら頷いた。

 

 その二人の姿に、フェイトは無言で頷く。

 

 顎に手をやり、両腕を組んで、彼は温かい目で二人を見据えた。

 が。

 

「……あれ?」

 

 アミーナに違和感を覚えて、フェイトは首を傾げた。

 この少女はこんなにも、血色のいい肌をしていただろうか――?

 フェイトは要を得ずに瞬きながらも、アミーナに笑いかけた。

 

「今日は調子が良いみたいだね。アミーナ」

 

「え……?」

 

 アミーナが、きょとんと瞬く。ディオンも同じだ。二人とも目を丸くして、意外そうにフェイトを見返してきた。

 

「ん?」

 

 フェイトは首を傾げる。

 と。

 アミーナは小さく微笑って、口元に手を当てた。ディオンも同じく微笑う。

 

「……なんだ。まだ聞いてなかったんですか? フェイトさん」

 

「え? ――何を?」

 

 クスクス笑うディオンとアミーナに違和感を覚えながら、フェイトは折り合い悪く問いかける。

 すると、ようやく笑い終えたアミーナが、わずかに溜まった涙を指ですくいながら答えた。

 

「私。もう治ったんですよ?」

 

「――へ?」

 

「ロジャー君とアレンさんが、私の病気を治してくれたんです」

 

「てっきり一緒に行動していらっしゃるから、フェイトさんならご存知だと思ってましたよ。その節は、本当にどうもありがとうございます。――僕の事も含めて」

 

 にこりと笑うディオンに、アミーナも幸せそうに笑って頭を下げてくる。

 沈黙。

 

「なっっっ、んっ、だ、とっっっ!?」

 

 フェイトはカッと目を見開いて、左右を見渡した。見えるのはすべて、シランドの廊下。

 そこに――クリフ発見!

 

「クリフゥウウウウウウウ!」

 

 体当たり(チャージ)で接近した。ミラージュと仲良く話していたクラウストロ人が、完全な不意をつかれて、廊下の彼方に吹き飛んで行く。ドゴォッ、と轟音を立ててシランド城の壁に激突したクラウストロ人は、そのまま白目を剥いて、ぐったりと動かなくなった。フェイトはチッと舌打つ。そしてミラージュに向き直ると、キリリと表情を改めた。

 

「ミラージュさんっ!」

 

「は、はいっ!」

 

 思わず、ミラージュは委縮した。凄まじい鬼気だ。

 ディオンとアミーナが、互いの顔を見合わせる。フェイトは鬼の形相だった。

 

「ぁ~んの、連邦軍人とぉ、たぬき~……知りませんか……?」

 

「れ、連邦軍人……ですか?」

 

「ええ……! 金髪のォ~、悪魔のほうです……っっ!」

 

 ゴゴゴゴ、という異音が聞こえてきそうなくらいの圧迫感だ。

 ミラージュの目に、フェイトが炎を背負っているように見える。

 

(こ、これは……あまり深く関わらない方がよさそうですね……)

 

 ちらりとクリフを一瞥して、ミラージュは愛想笑いを浮かべると、ひらひらと手を振った。

 

「申し訳ありません。私はクリフと、明日の段取りについて話し合っていただけですから……」

 

「そ~ですか……! ありがとぉ~ございます……!」

 

 三白眼になったフェイトは、そう言い残すと疾駆と言える速さで廊下を駆けて行った。ミラージュが茫然と瞬きながら、ディオンとアミーナを見る。

 

「あの……フェイトさんに一体何が……?」

 

 不思議そうにこちらを見返す二人は、さあ? と、折り合い悪く首を傾げた。

 

 

 第二参考人、発見!

 

 フェイトは心の中で叫ぶと同時、忙しく書類整理をしているネルの肩を、がっ、と鷲掴んだ。

 

「ネルさぁああああんっっっ!」

 

「ぅわっ! ……な、なんだい! 騒々しいね……っ!」

 

 うたた寝していたのか、ネルはわたわたと両手を動かす。そんな彼女を睨み据え、フェイトは尋ねた。

 

「あの悪魔……どこにいるか、知りませんか?」

 

 沸々と沸き立つ怒りを抑える為、フェイトは努めて声音を落とす。すると、ネルは不思議そうに瞬いて――首を傾げた。

 

「アレンに何か用事かい?」

 

 問われて、そう言えば、と瞬いたフェイトは、訝しげな眼差しをネルに向けた。

 じ~ろじろと、ネルの頭の先からつま先までを舐めるように睨んで。

 

「…………アミーナのこと、ネルさん知ってました?」

 

「アミーナ?」

 

(やはりっ! ネルさんもっっ!)

 

 気づけば、ネルの執務机を、ダンッ、と殴りつけていた。ネルがその音に驚いて、びくりと震える。小さくなる彼女を、フェイトはやはり、鬼の形相で振り返った。

 

「野郎っ! 隠してたんですよ! 僕らがどれだけアミーナを心配していたか、知っていたくせにっっ! ……くっっっそぉおおおお! 僕を嘲笑いやがったな! あの悪魔めぇええええええ!」

 

「ちょ、ちょっと……! 一体どういうこと!? まったく話が見えないんだけど……」

 

「だからっ! アミーナの病気が治ってたんですよっ! 僕等の知らない間に! アレンの奴が治したんです!」

 

「――彼女(アミーナ)の病気が?」

 

 きょとんと瞬くネルに、フェイトは、ええっ! と力強く頷いた。

 ネルはさらに瞬く。

 

「それの……どこに怒る要素があるのさ?」

 

「馬鹿ぁああああ! シランドで再会した時っ、僕がどれだけ心配したと思ってるんですかっっっ! 大体、治せるなら治せるって! 治ったんなら治ったって! 僕に一言入れるのが筋じゃないですかぁああああ!」

 

「別にアンタ、アミーナの恋人でもなんでもないだろ」

 

「いや……でも、僕……かなり心配してたの、……分かるでしょ?」

 

 出鼻をくじかれ、ぱちりと瞬きながらフェイトは状況を整理する。

 ネルにも分かりやすいよう、順を追って。

 

「僕はわざわざさ。シランド城まで走って行ってさ、ディオン連れて来たんだよ? おまけにさ、アーリグリフに墜ちたイーグルを取り返そうとか言ったんだよっっ!?」

 

「だから?」

 

「いや、だかっ、……だか……だからさっ! 言えよあの野郎! じゃないか、やっぱり!」

 

「じゃあ、今聞いたんだからいいじゃないか。それも、元気になったアミーナとよろしくやってるディオンから聞けてさ」

 

「素直に、……感動できなかったんです」

 

 落ち込むフェイト。

 ネルはあくまで冷静だ。

 

「それはアンタの我がままじゃないか」

 

「我がままでもなんでもいいじゃないッスかぁ! アレンは僕にこそ言うべきだったんじゃないんッスか!? そうじゃないんですかぁ!? なんなんすか! アイツもう!」

 

 ネルは首を横に振ると、呆れ切った顔で、しっしと手を振った。

 

「あ……じゃあがんばって、アレン探すんだね」

 

「言われるまでもないっ! あんな素敵なアミーナの笑顔を、ディオンの優しくこぼれる笑みを! その光景を見て、感動できないというこの生殺しッ! この怒り、晴らさずでおくべきかぁああああ!」

 

 フェイトはそう言って、ネルの部屋から出て行った。

 

 

 

 標的(ターゲット)、確認!

 

「排除開始!」

 

「あ、フェイトにいちゃ――」

 

 ロジャーの言葉は最後まで続かなかった。

 大聖堂に飾られたアペリスの三女神を、ロジャーとアルフが見上げていた時だ。

 

「エリアルレイドっっ!」

 

 上空高く跳んだフェイトに、ロジャーは目を見張った。

 

「それデカブツのわ――ぶふゥうッ!?」

 

 口を台形にして、ロジャーが大聖堂の壁に叩きつけられる。

 黄金の闘気を纏ったフェイトは、スタッと華麗に着地した。

 

「え、何事?」

 

 アルフが瞬きながら、吹き飛ばされたロジャーとフェイトを見やる。だが、フェイトは答えず、無言でロジャーの下へと歩いて行った。

 白目剥いているロジャーの襟首をつかみ、フェイトは無理やり引き立たせると、

 

 ボゴォッ!

 

 無表情のまま、容赦ない右ストレートをロジャーの頬に叩きこんだ。

 

「――痛っ! 何するジャンよ! フェイト兄ちゃんッ!」

 

 気絶していたロジャーが目を覚ます。

 同時。

 

「何する……だと?」

 

「へ?」

 

 ロジャーの視界に飛び込んできたのは、鬼の形相。

 もう、フェイトとも言えないような、鬼の形相だった。

 

「それはこっちのセリフだ、タヌキ……! なぜ、アミーナの病気が回復したことを僕に言わない?」

 

「あれ? そういや~、フェイト兄ちゃんに言うの、忘れてたじゃんね? 悪ぃ悪ぃ兄ちゃん♪」

 

 ロジャーはニッと笑うと、尻尾をふりふりと揺らしながら、ひょい、と右手を挙げた。

 途端。

 フェイトは笑う。爽やかに。

 ロジャーを空中に放り投げ、

 

「おぉ~! 何するよ、兄ちゃん!」

 

「無限に行くよっ」

 

 ドガガガガガガガガガッ!

 

「ポグポグポグポグポグゥウッッ!」

 

 数十発を超える拳が、ロジャーの顔面に当たる。

 そして――、

 

「オラオラオラオラオラオラオラッ……バーストナックル!」

 

 フェイトの手に炎が宿り、

 

 ドガァアアアッッ!

 

 右ストレートがロジャーの腹に決まった。

 ロジャーは無残にもバウンドしながら、倒れ伏す。

 フェイトの拳から煙が立ち上る。彼は己の手を見下ろし、静かな表情でつぶやいた。

 

「悪は滅びた……。いや、一番肝心な奴が残っていたか……」

 

 颯爽と踵を返し、大聖堂を後にするフェイト。

 その背を見据えて、アルフは不思議そうに首を傾げた。

 

「いや。だから、どうしたんだよ?」

 

 信徒席にいたマリアが、深刻な面持ちで顎に手をやった。

 

「見よう見まねでクリフの技を真似るなんて、恐るべき身体能力だわ……! これがディストラクションの力だというの? 物理法則を破壊するとは聞いていたけど……ただのバカじゃ無かったわね……!」

 

「なぁ。これって幼児虐待? それとも動物虐待?」

 

 去って行ったフェイトの方角を見据えて、アルフはロジャーを片手に首を傾げた。

 同じくフェイトが去った方角を、マリアはただ無言で、眉間にしわを寄せて見据えていた。

 

 

「アルフ……兄ちゃん……アレ……ンにいちゃ、に……つたえるじゃんよ……! ふぇいと、にいちゃ……が」

 

「いや。もう手遅れじゃね? まあ、面白そうだから結末は見に行くけど」

 

 

 

 

 白露の庭園。

 

 そこに例の悪魔がいた。

 ちょうどアルベルと話していたのか、場をアルベルが去ろうとしたところだ。

 フェイトはゆっくりと、彼ら二人に近づいた。背に陽炎を負いながら。

 

「フェイト、俺に何か用か?」

 

 アレンが振り返る。

 フェイトの表情は窺いしれない。彼はうつむきがちに、静かにアレンに近づいていった。

 アレンは目を細める。

 

「なんだかよく分からないが、この鬼気……本物のようだな」

 

「?」

 

 アルベルは訝しげにフェイトとアレンを見る。その両者の間に交わされる、妙な空気を感じ取って。

 

「お、やってるね」

 

「来たのか阿呆」

 

「まあね」

 

 狂人の左脇には、ぐったりしたまま動かないロジャーが抱えられていた。まるで小荷物のように。

 

 

「いいだろう」

 

 アレンは兼定に手をかけ、引き抜いた。

 

「――全力で来い」

 

「フッ、言いたいことはそれだけか……? 味わわせてやるぞ、アレン。僕のあの、絶望と悲しみと、そして苦しみを。味わわせてやる」

 

 フェイトの背負った陽炎が、白い光へと変わる。額に浮かぶ紋章陣。

 それを見据え、アレンは目を見開いた。

 

「こ、この力は……!」

 

 ディストラクション。

 

(右っ!)

 

「リフレクトストライフ」

 

 

 ドゴォオオッッ!

 

 兼定で受けたアレンの体がズレる。

 

「ぐっ!? ――何っ!」

 

 痺れる己の腕を見るアレン。そしてフェイトに視線を戻した時、フェイトは目の前に居た。

 

「しま――っ!」

 

 バキィイイイッッ!

 

 右ストレート。

 アレンはなすすべもなく後方へ吹き飛んだ。

 受け身を取る。臨戦態勢になった彼は、鋭くフェイトを見据えた。

 

「フェイト……! 一体何がお前に、これほどの力をっ!?」

 

「立て、アレン。僕はこの程度でお前を許す気は無い」

 

 ゴキッ!

 メキッ!

 

 およそフェイトの細い指が奏でるとは思えない豪快な音を立てて、フェイトは拳を鳴らした。

 アレンはそんなフェイトの姿に何を感じ取ったのか、静かに兼定を構えた。

 

「いいだろう。お前の全力、見せてみろ!」

 

 活人剣。

 朱雀の炎を身にまとうアレンに呼応するように、フェイトの体からもディストラクションの白い光が強烈に輝き始める。

 

「アレン……。人にはやっていいことと、やっちゃいけないことがある。今度という今度は、僕も堪忍袋の緒が切れた……。この怒りと悲しみ、もはやお前の血をもって償うしかない」

 

 フェイトはゆっくりと首を横に振る。

 そして――構える。拳を。

 

「この兼定を相手に、素手で戦おうというのか。フェイト」

 

「お前だけは……この拳で倒さなきゃ意味が無いんだよ。人の心を分からない奴は、僕の魂の拳でね」

 

「無謀だな。兼定を侮っているのか?」

 

「フッ、侮る? そんな価値があるのかい? お前と、その鉄片(・・)に」

 

 カッとアレンの目が見開かれる。

 瞬間。

 いつもの如く、踏み込みすら見えぬアレンの斬線が振り抜かれる。その動きを追えたのはアルフだけだ。

 

 が。

 

 アレンの見据える視線の先に、フェイトはいない。

 

「!」

 

 紙一重でかわされたとアレンが悟ると同時に、リフレクトストライフがアレンの脇に決まっていた。

 

 ドゴォオオオッッ!

 

「が、っっ!」

 

 思わず空気の塊を吐きながら、アレンが地面をずって堪える。蒼瞳に光が宿った。

 

「朱雀疾風突き!」

 

 フェイトはそれをサイドステップで躱す。

 アレンは、打ち込む拍子を変えた。

 

「夢幻鏡面刹」

 

 ぴぴぴぴぴぴぴっ――!

 

 宙に網目模様の斬線が(はし)る。剛刀・兼定の凶悪な連続斬。

 アルベルはあまりに完成されたその斬線に目を見張った。

 

「何っ!?」

 

 そして――、

 以前は『クソ虫』と称せたはずの青髪の青年が、その斬線をすべて紙一重で避けている。

 その光景に、息を呑んだ。

 

 見切る、見切る見切る――!

 

 バックステップでアレンの斬線から逃れたフェイトは、ザっと着地した。全身から、血しぶきが舞う。

 

「剣風をどうにかしねえと、面倒だぜ。その兼定(カタナ)は」

 

 アルフの忠告もどこ吹く風と、フェイトは切り刻まれた自分の体を、無表情に見下ろすだけだ。

 

「弾けろ」

 

 無拍子で放つ、炎の炸裂弾。しかし、今回は違った。

 

 赤く輝く炎が、青白く光る球となって放たれた。

 

 この時、初めてアレンがサイドステップで避ける。アルフは口端をつり上げた。

 

「あいつが敵の攻撃から逃げるのは、久し振りだな」

 

 (かわ)された光弾は、アレンの夢幻鏡面刹によって切り裂かれた石畳に触れると、一瞬で石畳を消し飛ばした。

 

「なんだっ!? 今の技は!?」

 

「お前も見ただろ。俺と戦った時、妙な紋章をまとって来た。――あれだ」

 

「次は外さない。……喰らえっ!」

 

 再びショットガンボルトを放つフェイト。

 次の瞬間。兼定の刀身が青白く光る。

 一閃。

 無数の光弾が、兼定に切り裂かれ、消えていく。

 

「終わりだ、フェイト」

 

 アレンはさらに踏み込み、刃を振り下ろした。

 

 バシイィイイイイッッ!

 

 見事な白刃取り。

 アレンが目を見開く。

 かちかちと刃を震わせながら、兼定を白刃取ったフェイトが両手にディストラクションの光をまとわせる。額に――紋章が浮かんだ。

 

「この忌々しい鉄片。……今日こそへし折ってやる!」

 

「出来るものならやってみろ!」

 

 

 

「ハァアアアアアアアッッ!」

 

 

 女神と朱雀が睨み合う。

 壮絶な、風。熱。気。

 庭園の地面が、びきびきと音を立ててひび割れて行く。

 力と力の拮抗。

 十数秒。

 庭園の床が、抜けた。

 

 ドゴォオオッッ!

 

「え?」

 

 二人が瞬くのは同時。

 純粋な力比べを行っていた二人は、仲良く下の階へと落下した。

 

 ドガァアアンッッ!

 

 轟音を立てて、瓦礫と共に埋まるフェイトとアレン。

 その二人を、アルフは上から見下ろした。

 

「無事?」

 

 問いかけたが、返事が無い。ただ、瓦礫の合間から金髪と青髪が見えた。ぴくりとも動かないが、あの分だと大丈夫だろう。

 狂人は一つ頷いた。

 瞬間。

 

 ドガァアアンッ!

 

 のしかかる瓦礫を物ともせず、アレンが立ち上がった。さすがに数秒、彼も気絶したようだが。

 アレンは兼定の刀身を見据えると、真剣な面持ちでごくりと息をのんだ。

 

「…………どうやら、なんとも無いようだな……」

 

 眉間にしわを寄せながら、穴があくまで兼定をチェックする。あのディストラクションの能力は知っている。それだけに、綿密に調べた。

 アルフは肩をすくめた。

 

「第一声は刀の無事かよ」

 

「……こいつら、いつもこんな修行してやがんのか……!」

 

「あいつ、加減知らねえからな」

 

 驚くアルベルに答えながら、アルフは興味深そうにフェイトを見る。

 と。

 

「何やってるんだい! アンタ達ぃいいいい!」

 

 轟音を聞いて駆け付けたネルが、絶叫した。

 その傍らにはクラウストロ人が一人。ボキボキと拳を鳴らして笑っている。

 

「よぉ、フェイト。さっきはよくもやってくれたな?」

 

「フェイト兄ちゃん。気絶してたって許してやんねぇじゃんよ?」

 

 回復したロジャーも、やたら笑顔でフェイトに近寄る。

 

 そして――、

 

 クリフとロジャーによる逆襲は、ここから小一時間ほど続いた――……。



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phase9 vsバンデーン艦隊
61.人質交換


 クロセルの協力を無事取り付けたフェイトは、アーリグリフに来ていた。

 カチャカチャとレンチを回すクリフを眺めながら、フェイトは頬杖をつく。これから連邦軍人の合図があるまで待機、と言うのが当面の方針だ。

 

「――それにしても。飛竜で特攻に比べれば、いくらかマシとは言え。このイーグルでどうにかなる相手なのか?」

 

「馬鹿言え! イーグルはそんじょそこらの艦よりは機動力に優れんだぜ? 敵にダメージを負わせることは無理でも、撹乱ぐらい出来らぁ」

 

 コンソールパネルの下に潜り込んで、電子機器と格闘するクリフが、眉をしかめて言う。

 

「でもこの星に不時着したのがそもそもさ……」

 

「……うるせぇよ。っつうか、なんでお前がここにいんだよ? クリムゾンセイバーだろ?シランドで指示飛ばさなくていいのか?」

 

 にやりと笑うクリフに、フェイトは深い溜息を吐いた。

 

「僕は紋章術師じゃないからね。御蔭で、アルフとこっちに来るはめになったわけだ」

 

「なにぃいっ!?」

 

 ゴツンンッ!

 

 急に立ち上がろうとして、勢いよく机の角に頭をぶつけたクリフが、無言で屈み込む。

 フェイトはまた、溜息を吐いた。

 

「何やってんだよ? お前……」

 

「……痛っぁあ……! るっせ! つうか、そういう大事な事は先に言え!」

 

「そんなに変わらないタイミングだったと思うけど?」

 

「気持の問題だ! 気持の! ……ったく、マジかよ。あの連邦軍人が?」

 

 渋面を作るクリフに、フェイトが無言で頷く。と、船尾の様子を見に行ったマリアとミラージュがブリッジに顔を見せた。

 

「なに。ビビってるの? クリフ」

 

 腕を組んだ態勢で、呆れたようにマリアが言う。クリフはレンチを握りしめ、マリアを睨み上げた。

 

「あぁ?」

 

「無謀なやり取りですよマリア。……それにしても、(くだん)のアルフさんが見受けられませんね。どちらかに行かれたんですか?」

 

 フェイトとマリアが、アーリグリフにあるイーグルを訪れて、小一時間が経つ。

 船内に姿形が見えない相手に、ミラージュが首を傾げていると、フェイトが、ああ、と言って、表情を和らげた。

 

「何か、城に用があるそうですよ。ちょっとした用だから、すぐにこっちに来るって言ってましたけど」

 

「彼が何か仕掛けてくるにしても、まずはバンデーンと戦うのが先でしょ。だから、しばらく好きにさせたの。まずかった?」

 

 問うマリアに、クリフは肩をすくめた。

 

「とんでもない」

 

「それで。イーグルが飛ぶのに、後どれぐらいかかりそうなんだ?」

 

 フェイトが問うと、クリフとミラージュが、無言で顔を見合わせた。頭を掻くクリフが、不服そうに顔を歪める。

 

「もう、終わってんだよ」

 

「……え?」

 

 クリフの言葉に、フェイトは目を見開いた。

 

 

 ――フェイト達がモーゼル古代遺跡で会談をしているとき、クリフとミラージュはイーグルを前に、愕然としていた。

 

「どうなってやがる、コイツは……!」

 

 山奥の居城、アーリグリフ。雪深い閑静な街に、鉄くずとして放置されたイーグルは、クリフを驚愕させるのに十分な力を持っていた。

 正確にはクリフと、ミラージュの目を。

 

「これではまるで専門家が手を加えたようですね。エンジン系は全て制御不能。最早スクラップと言って良かった状態のイーグルが、まさかここまで修繕されているとは」

 

 つぶやいて、美しい彼の相棒は細い指を、そ、と顎にやる。操作(コンソール)パネルに視線を落としたままのクリフは、その彼女に小さく頷くと、人工知能(オートコンピュータ)が叩き出した小型艇の動力数値を疑うように、わずかに目を細めた。

 が。

 クリフはとうとう諦めたように息を吐き、がしがしと頭をかいた。

 

「まったくだ。ここまで完璧な仕事だと文句のつけようが無ぇ。あのアルフって野郎。連邦の特務とは聞いていたが、まさか小型艇を丸々造り上げる技術を持ってやがるとはな」

 

 言って、肩をすくめる。クリフ同様、イーグルの状態を検めているミラージュが、操作パネルを叩きながらつぶやいた。

 

「銀河連邦軍・特殊任務施行部隊第一小隊所属、アルフ・アトロシャス少尉。通称、特務と言われる、連邦でも最高(クラス)のエリート集団……。その活動理念は、任務内容を問わず、あらゆる面で軍をサポート、及びワンランク上の次元で問題を解決する総合(トータル)専門家(スペシャリスト)であること。特務用の優秀な兵士を輩出するために、連邦政府の高官が戦災孤児を引き取り、英才教育させる事も少なく無いんだそうです」

 

「ハッ! それであの歳で小型艇の造船ってか? そりゃ、ご苦労な話だな」

 

「中でも、あのアルフという隊員は並み外れた能力を持っているようですね。連邦のデータベースによると、彼はアレンさん共々、最年少で特務に入隊しています」

 

「そいつは凄ぇな。……確か、アレンが十九って話だから」

 

 そこで言葉を切ったクリフは、シランド城でのアルフを思い出して、ふ、と小さく失笑した。タイプは違うが、それは、アレンにも当てはまる事だとつぶやきながら。

 

「あの世間を舐めた態度を見ると、入りたてって事はねぇな。入隊は十六ってとこか?」

 

「良い読みです。が、正解は十八歳、だそうですよ」

 

「十八? 現場経験は一年ってことか? それであの落ち着きようだってのかよ?」

 

 意外そうに目を見張るクリフに、ミラージュは小さく頷いた。

 

「四年前、お二人が十五歳の時に、特務候補生に選ばれ、その時から実践も兼ねた訓練をされていたようです。お二人が目上の方に物怖じしないのは、その時に培われたんじゃありませんか?」

 

 そう言って、パネルを叩く手を止めたミラージュは、呆れたようにため息を吐いた。

 イーグルが完癒した事で、先ほどから時間潰しに連邦のデータベースにアクセスしているのだが、興味半分、警戒半分で調べたアレンとアルフの経歴は、完璧といってもいいくらい見事なものだった。

 まず取得免許数が三十を超えている。その中には合格率一割を切るような、難関で有名なものも当たり前のように含まれていた。造船技術の免許も、その内の一つだ。

 それが、ここ二年で全て取得されている。

 

「家柄も、非常に確かなようですね。アレンさんの父方は連邦軍の第一宇宙基地で大将を、アルフさんの父方は連邦政府で防衛長官を、勤めていらっしゃいます」

 

「第一宇宙基地の大将って言やぁ、ヘルメス司令長官の懐刀――あの鉄の軍人か! 七年前にアールディオンの攻撃で占拠された第十八宇宙基地を、奴等から奪還した連邦の名将……!」

 

 名は、リード・ガード。

 途端。合点したように、ぽん、と手を叩くクリフに、ミラージュはそのようです、と簡潔に答えた。

 溜息を吐くクリフが、座席に身を預けるなり、両指を組んで後頭部に当てる。

 

「しかもエイダ・アトロシャス防衛長官と言や、アールディオンから第十八宇宙基地を奪還する際に交渉を行った、影の立役者だ。――連邦の新星が、そのまま受け継がれたってワケか」

 

「そのようですね。……それにしても、七年前に奪われたあの基地を、二人のお父上が奪い返したなんて、奇妙な縁を持ったものです」

 

「……まあな。アイツが両親を失うことになったあの事件。それに奴等の父親が介入し、俺とアレンが期せずしてこの惑星に墜落したってんだから、なぁ」

 

 この家柄、経歴を見れば、二人が誰を相手にしても物怖じしない理由も分かる。道理で、アルフは社交慣れしている、というより、人を見下している感があるわけだ。

 

(しかも、性質(タチ)の悪ぃことに、そう出来るだけの実力もあるわけだ)

 

 恐らく、挫折や絶望、そして屈辱といった言葉を、一番知らない人種なのだろう。

 イーグルに視線を落として、クリフはもう一度、溜息を吐いた。

 

「あの二人、そんな偉人の子供だったんだ……」

 

 意外そうに目を見張るフェイトに、クリフは肩をすくめる。

 

「ま。偉人って言や、ラインゴッド博士もそうだがな。通りで、世間を舐めくさった態度のわけだぜ」

 

「……それって、僕も世間を舐めてるって言いたいのか?」

 

 クリフは答えず、肩をすくめた。

 その時だ。

 船尾のドアが開いた。

 

「正確には、俺はエイダ・アトロシャスの養子で、血のつながりはない。アレンの方は、実子みたいだけどな」

 

「!?」

 

 足音もなく現れたアルフに、一同が振り返る。その彼等を見据えて、アルフは続けた。

 

「それより。ようやく魚が網にかかったぜ」

 

「一体どういうこと?」

 

 マリアが問う。

 

「通信回線を開きな。バンデーン(ヤツら)からの交信(アクセス)だ」

 

「何だと!?」

 

 クリフが目を見開くのと同時、イーグルのモニターに、のっぺりとした白い面の男が映し出された。

 

 バンデーンである。

 

「……!」

 

 知らぬ間に、フェイトが息を呑む。モニターに映ったバンデーン兵は、サメを思わせる小さな目を、じっ、とフェイトに向けると、口を開いた。

 

[バンデーン帝国所属艦ダスヴァヌの艦長ビウィグだ。お前達に選択の余地は無い。大人しく我等が指示に従え]

 

「また、いきなりご挨拶ね」

 

 ビウィグと名乗るバンデーン兵を見据えて、マリアは失笑した。ビウィグは構わず、淡々と話を続ける。地球人よりも感情に乏しいのか、どこか機械音声を思わせる声だった。

 モニターの画面端に、後ろ手に縛られた中年の男と少女が、映っている。彼らの頭には、銃口。動かないように、または、下手な抵抗を見せないように、エリミネートライフルがつきつけられている。

 ビウィグは静かに言った。

 

[こっちは銀河の敵であるロキシ・ラインゴッド達を捕えている。お前達に要求を断る権利はない]

 

「父さん! ソフィア!」

 

 フェイトが声を限りに叫ぶと、二人がこちらを向いた。ハッとしたように目を見開き、首を横に振る。来るな、と言っているようだった。遠目で分かりにくいが、憔悴したソフィア達を見つけて、フェイトの瞳に怒りが宿る。

 

「お前達、何故父さんを!」

 

[我々の要求は一つ。そこにいるラインゴッドの息子とロキシ・ラインゴッドの交換だ]

 

「何?」

 

「僕と、父さんを?」

 

 人質交換だった。それも、銀河最高の頭脳と呼ばれる男と、自分を。

 アルフが小さく薄ら笑った。

 

「へぇ……」

 

「交換方法は? お互いの艦への転送では、信用出来ないでしょ」

 

 マリアが淡々と話を進める。モニター上のビウィグも、小さく頷いた。

 

[当然だ。我々は後数分でそちらに到着する。その後新たに指示を出す。しばらくそこで待っていろ]

 

 ブツッ、

 

 一方的に回線が切られる。イーグルにいるフェイト達は、無言で顔を見合わせた。

 マリアの視線が、アルフを向く。彼女の青い瞳に、警戒の色が広がった。

 

「アルフ。貴方たち連邦やバンデーンは、どこまで情報を把握しているの?」

 

「なんのことだ?」

 

「とぼけないで。情報がなくて博士はともかく、フェイトの身柄を確保したいと思うわけないでしょ?」

 

 秘密裏に行われていた、ラインゴッド研究所の研究内容について。と、言外に語るマリアに、アルフは肩をすくめた。

 

「連邦に関しちゃ、アンタと大差ないぜ。俺も、詳しい話は聞いていない。バンデーンは知らないが、ある程度の察しはつく。――その程度だ」

 

「そう」

 

 つぶやいたマリアは、思案するように顎に手をやった。クリフが、モニターからマリアに視線を移す。

 

「で、どうすんだ? 大人しくコイツを引き渡すのか?」

 

 顎でフェイトをしゃくるクリフに、フェイトは猛然と、拳を打ち鳴らした。

 

「冗談じゃない! 僕は父さんに聞きたいことがあるんだ!」

 

「当然よ。あなたも博士も、あんな奴等に渡さない。そんなこと、私は許さないもの」

 

「マリア……」

 

 断固、言い切るマリアに、フェイトがニッと口端を緩める。しかしマリアの表情は晴れない。これからの対応について途方に暮れているような様子だった。

 不意にアルフが口を開いた。

 

「博士の身柄さえ確保出来れば、ダスヴァヌ以降のバンデーン艦は無視していい。アクアエリーで対処する」

 

「アクアエリーですって!? 連邦の戦闘艦が、こんな辺境惑星に来るって言うの?」

 

「もともと、アクアエリーはバンデーンより先にここに着く予定だった。シミュレーションの得意な学者がいてね。その学者のおかげで、俺はアンタのことも知った。……だが今の状況じゃ、やっぱりクォーク本艦や、ダスヴァヌが来る方が先になるだろうな」

 

 マリアの表情がかげる。

 

「……アクアエリーが来られないのなら、私達に勝機はないわ」

 

「だから、人質交換に乗るんだろ?」

 

 飄々と言ってのけるアルフに、マリアは小さく息を吐いた。

 

「状況は、圧倒的にこちらが不利……。でも、なんとかするしかないわ」

 

「なんとかする、か。作戦もへったくれもねえな」

 

 はっ、と息を吐くクリフに、マリアは眉根を寄せる。

 

「仕方ないでしょ」

 

「あなたの好きなパターンじゃないですか」

 

「まあ、そうなんだがな」

 

 ミラージュの指摘にクリフが肩をすくめる。フェイトは一点を睨んだまま、噛みしめるように言った。

 

「なんとしても、父さん達を助けなきゃ」

 

「そうね……。博士にどうして遺伝子操作なんかしたのかを聞くために、必ず助け出してみせる」

 

「へへっ、腕が鳴るぜ」

 

「頼りにしてる」

 

「任せとけ」

 

 マリアの言葉に応えるように、クリフがガントレットを打ち鳴らす。それを耳に、フェイトはイーグルの窓から、外を見やった。

 

「泣いてないけどいいけどな。泣き虫だからな。ソフィア(あいつ)……」

 

 つぶやくフェイトの声が、イーグル艦内に響いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「人質交換だと?」

 

 シランドにいるアレンは、通信機を睨んで声を落とした。ネルが不思議そうに、覗きこんでくる。

 

「どうしたんだい?」

 

 問われ、ネルを一瞥する。と、集団合成魔法の演習を行っていたナツメも、真剣な表情でアレンに問いかけた。

 

「……アレンさん。それってもしかして……」

 

 眉根を寄せるナツメに、アレンは無言でうなづく。

 ネルが訝しげに首を傾げた。

 

「どういうことなんだい? アレン」

 

「星の船が、フェイトの父と幼馴染を返す代わりに、フェイトを差し出せと言ってきた」

 

「なんだって!?」

 

 ネルが目を見張る。アレンは険しい表情のまま、クロセルを一瞥した――……。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「――マリア。ダスヴァヌから通信が入っています」

 

「スクリーンへ」

 

 毅然と言うマリアに従って、ミラージュが的確にコンソールを叩く。スクリーンにダスヴァヌ艦長、ビウィグが出現する。

 マリアは視線を鋭くした。

 

[身柄の交換は、転送後に行う。今から送る地点に転送しろ。……余計なことは考えるなよ]

 

「ダスヴァヌから座標が送られてきました。〈147.5834,34.8874〉です」

 

「表示して」

 

「了解」

 

 ミラージュがコンソールを叩く。スクリーンに地図が表記され、表記された個所が、拡大される。

 

「これは……」

 

「ああ、あそこだな……」

 

 つぶやくフェイトとクリフに、マリアは首を傾げた。

 

「知ってるの?」

 

「ああ、知ってる」

 

「……カルサア修練場、だな」

 

 頷くクリフに続いて、アルフが、に、と口端を緩めた。サイドスクリーンに映ったビウィグが、淡泊な口調で続ける。

 

[今送ったタイミングで転送しろ。もう一度言うが、余計な小細工はするなよ]

 

「ええ、分かっているわ。そっちこそ分かっているんでしょうね? 彼とロキシ博士、エスティード嬢の二人の交換よ」

 

[ああ、分かってるさ]

 

 言ったビウィグは、また一方的に通信を切った。ブツンッ、という耳障りな機械音。

 クリフは顎に手をやって、顔をしかめた。

 

「こっちが一度に転送できるのは四人か。まあ、あっちもそう変わらない数字だろうな」

 

「たぶんね」

 

「四人だったら、まあ、なんとかなるだろ」

 

「父さん達が人質に取られてるんだ。気をつけて行動してくれよ」

 

「心配性だな、お前は。もうちっとは俺を信用しやがれ」

 

「分かってる。分かってるけど……」

 

 俯いたフェイトは、自分の拳を見つめた。相手はバンデーン。セフィラを奪うため、フェイトを確保するためには、手段を選ばない非情な連中だ。

 ――いざとなれば、この手で。

 と。

 イーグル艦の席を立ったマリアが、そ、とフェイトの肩に手を置いた。

 

「落ち着いて。……大丈夫、私を信じて。みんな無事に取り返すわ」

 

「マリア……。ああ」

 

 頷いたフェイトを見るや、マリアはミラージュに向き直った。

 

「ミラージュ、転送準備をお願い」

 

「分かりました」

 

「俺も手伝おう」

 

 ミラージュと共に、クリフも後部デッキに向かう。それを見送って、アルフが立ち上がった。

 

「どうしたんだ?」

 

 フェイトが問うと、アルフが振り返って、こともなく言った。

 

「取引先が修練場なら、アルベルに断わっといた方が楽だ。それと、アルゼイ国王に俺の飛竜は必要なくなったと伝えておいてくれ」

 

 ひらひらと手を振る。去っていくアルフの背を見送って、フェイトは小さく頷いた。

 

 

 

 

 ――カルサア修練場。

 定時通り、修練場にやってきたフェイトは、ビウィグの連れるロキシとソフィアを見るなり目の色を変えた。

 

「逃げて……!」

 

 後ろ手で拘束されたソフィアが、声にもならない声で叫ぶ。フェイトは剣を握り、ビウィグを睨み据えた。

 イーグルから、転送されたのは4人。フェイト、クリフ、マリア、そして、修練場に連絡を終えたアルフだ。

 ミラージュはフェイト達がロキシとソフィアを確保した直後、イーグルに転送収容するために艦に残った。バックアップ要員である。

 

(二人とも……待ってろ。今、助ける)

 

 拘束されたロキシとソフィアを見据えて、フェイトはクリフ達を一瞥する。マリアの合図があれば、いつでも――。

 と、その時。

 

「ん――?」

 

 ビウィグ達以外に転送されてくるモノを見、フェイトは目を丸くする。マリアが声を荒げた。

 

「あれは! ――……転送妨害装置!?」

 

 彼女の驚きに満足したのか。ビウィグは能面のような白い貌を歪めた。彼の部下が、エリミネートライフルをこちらに向ける。――総勢、三名。

 

「さあ。大人しく博士の息子を渡してもらおうか」

 

「どういうこと? これは取引じゃなかったの?」

 

 三つの銃口がこちらを向いている。悠然と発すビウィグに、マリアは銃のグリップを掴みながら尋ねた。ビウィグが、面白くもなさそうに鼻を鳴らす。

 

「フン、貴様等も同じ事を考えていたんだろ? 装備を見ればすぐわかる。汚い連邦の奴らのやりそうなことだ」

 

「それは当然でしょ。万が一のためよ。大体、私達は連邦じゃないわ」

 

「御託はいい。――来な」

 

 嫣然と薄笑ったアルフは、レーザーウェポンを引き抜いた。一閃する。と、それが筒から刀へと変貌した。

 同時。

 空気が張り詰める。

 

 ……ぴしぃ……ぃいいっ、っっ、

 

 アルフが放つ、壮絶な殺気。

 

「っ、!」

 

 思わずビウィグが鼻白む。と、彼は、ざっ、と右腕を掲げた。

 

「ターゲット以外に用はねぇ! 殺せ!」

 

 同時。バンデーン兵が引き金を引く。

 

 ドドド、ドンッッ!

 

 速射されるライフル。と同時、アルフは地を蹴った。人間の組織細胞を完全に消滅させるエリミネートライフル。そのレーザーを、彼は紙一重で躱す。

 距離が――縮まる。

 

「なっっ!?」

 

「命が惜しくないのか!?」

 

 バンデーン兵が目を見開くのも束の間。紅瞳が、バンデーン兵の胴を両断した。

 

 ゅぃんっっ……!

 

 ライフルを握った兵が、硬直したまま倒れる。切断された拍子、飛んだ上半身の顔が、不思議そうに目を見開いていた。

 クリフが舌打ちする。

 

「ったく無茶しやがる!」

 

 苛立ったような彼の言葉と同時、バンデーン兵が怯んだその一瞬に、フェイトがブロードソードを一閃した。

 

「はぁっ!」

 

 上段から振り下ろす。

 

 ゴッ!

 

 不意を打たれたバンデーン兵が、延髄をやられ、倒れる。と。マリアの銃が残った兵の銃を弾き、クリフが兵の頬を蹴り貫いた。

 

 ダァンッ!

 

 ボールのように壁にぶち当たり、跳ねて、バンデーン兵が沈黙する。

 ――一瞬の決着。

 ビウィグは思わず息を呑んだ。

 

「……さすがは、特務(スペシャル)だな……」

 

 皮肉混じりのビウィグに、アルフは刀の柄で肩を叩きながら言った。

 

「特務は俺だけだぜ。艦長(・・)

 

「小賢しい……!」

 

 ビウィグは、連邦服を着たアルフを睨む。と。フェイトがロキシとソフィアの前に立ち、それを庇うように、マリアが銃口を向けた。

 

「形勢逆転ね。ビウィグ」

 

 油断ない彼女の構え。後ろで剣を握るフェイトも、迎撃態勢だ。逆サイドから拳を握るクラウストロ人と、目の前の連邦軍人。三方から囲まれる様に立ったビウィグは、しかし、表情を緩めて、くく、と喉を鳴らした。

 クリフが訝しげに、眉をひそめる。

 

「何がおかしい! 残ってるのはテメエだけなんだぞ!」

 

「くくくくくっ!」

 

 クリフが声を荒げるも束の間。ビウィグの周囲に、転送(トランスポート)の紋章陣が浮かんだ。

 現れたのは、――機械兵。ハイダで見たものと同種だ。それが、次から次へと現れる。

 

「転送されてきてる!?」

 

 フェイトが目を見張ると同時に、マリアも声を荒げた。

 

「どういうこと!? 転送妨害装置があるのに!」

 

 言うと、ビウィグは嬉しそうに笑った。

 

「ぐはははははっ! バカめ、これは我々以外の転送を妨害する新開発の装置なんだよ! こっちはいくらでも補充がきくのさっ!」

 

 高笑うビウィグの前には、既に数十の機械兵が転送されている。アルフはそれを見、静かに微笑った。

 クリフが忌々しげに舌打ちする。

 

「ちっ! ――逃げろ!」

 

 ソフィアとロキシを抱え、フェイト達は闘技場を去る。背中から、ビウィグの怒号が聞こえた。

 

「追え! 逃がすんじゃねぇぞ!」

 

 

 

 ……………………

 

 

 

 修練場三階、牢獄棟に逃げ込んだところで、ソフィアに異常が起きた。

 

「っ!」

 

 平坦な床を走っていたにも拘らず、躓いたのだ。彼女の顔が歪む。フェイトはすぐさま、足を止めた。

 

「ソフィア?」

 

 駆け寄る。と、彼女はフェイトを見、小さく笑った。

 

「平気。ちょっとつまずいただけだよ」

 

 人質生活で疲れたのか。力ないソフィアの声は、それだけで不安を煽った。平気と言いながら、ソフィアはひらひらと手を振る。だがそれを見ていられなくて、フェイトは屈んで、彼女の足を検めた。

 

「足。見せて」

 

 つぶやくと同時、その場に彼女を座らせる。ハイダの時と同じ――青いビーチサンダルを、彼女の足から引きぬくと、足の裏の豆が潰れて、血塗れになっていた。それに裂傷もいくつかある。

 

「怪我してるじゃないか!?」

 

 驚いてソフィアを見上げると、彼女は、びくりと身をすくませた。負い目でも感じたのか。すまなさそうに顔を俯ける。

 クリフが腕を組んだ。

 

「さっきの戦闘のとばっちりを食ったんだな。なんてこった」

 

「くそ……っ!」

 

 ぐ、とフェイトは唇を噛むと、悔しさで拳を握りしめた。ソフィアが不安そうにこちらを見上げ、ふるふると首を横に振る。

 

「大丈夫。私は大丈夫だよ、フェイト」

 

「……」

 

 フェイトはソフィアの肩に手を置き、怒りを抑えて笑った。耳を澄ませば、修練場を駆け回るバンデーン兵の足音が聞こえる。

 フェイトは無言のまま、立ち上がった。

 と、その時。

 

「ようやく来たか。阿呆」

 

 聞き知った声に、フェイトが振り返る。相変わらず奇抜な甲冑に身を包んだアルベルがいた。彼が現れたのは、修練場の一部屋。以前、フェイトが訪れた時に、給仕係のマユと出会った部屋だった。

 

「やっぱりお前は残ったか」

 

 嘆息するアルフに、アルベルは刀の柄に腕を置き、横柄に胸を張った。アルフはやれやれとつぶやいただけで、それ以上の言及はしない。代わりに、彼はアルベルの現れた食堂を一瞥すると、フェイト達に言った。

 

「アンタ等はそこにいな。民間人を、戦場に連れ込むわけにはいかない」

 

 そう言うアルフに、警戒したフェイトの視線が向く。が、アルフは肩をすくめ、右手に紋章陣を描いた。同時、

 

「ヒーリング」

 

 唱える。

 と、

 

 すぅ――……、

 

 まるで狂人とは思えない、清廉な光がソフィアの足に宿り、血に塗れた彼女の足と、ビーチサンダルを、美しい姿に戻した。

 フェイトが、はた、と瞬きを落とす。

 

「お前……!」

 

「ここなら、しばらく籠城出来る。この馬鹿はさておき、他の漆黒は逃がした。エリミネートライフル相手に、奴等の装備じゃ対応できないからな」

 

「……何を企んでるのか。そろそろ聞かせてほしいんだけど?」

 

 注意深くマリアが問う。アルフはレーザーウェポンを持ち上げた。

 

「俺は『守る』ってのが面倒なんだ。足手まといはアンタ等に任せる」

 

 言ったアルフは、すらりと刃を抜いた。こつこつと、軍靴を鳴らして扉に向かっていく。

 フェイトが押し止めた。

 

「待てっ! お前一人で、奴等を相手しようってのか!?」

 

アイツ(・・・)一人に任せるわけにもいかない」

 

 それだけ言って、アルフは歩き出す。と。フェイトの傍らでガントレットが鳴った。

 

「俺も付き合うぜ」

 

 クリフが名乗り出たのだ。ガントレットを鳴らす彼に、アルフは前を向いたまま、肩をすくめる。

 

「好きにしな。――だが、アルベル。お前はここにいろ。邪魔だ」

 

「なんだと?」

 

 アルベルの瞳に、ゆらりと影が宿る。が。アルフは一方的に話を終えると、部屋を出ていった。

 最新のエリミネートライフルに、エリクールの装備では、かすり傷でも致命傷となりかねない。それを視線だけで示唆され、アルベルは忌々しげに歯噛みした。クリフが肩をすくめながら、後を追う。

 クリフまでもが部屋を出ると、残った五人に、静寂が降りた。

 

「…………」

 

 去っていく二人の背を見送って、マリアはフェイトに向き直った。

 

「ともかく。中に入りましょ」

 

「……ああ」

 

 頷き、フェイトもソフィアとロキシを連れて食堂に入る。アルベルは憮然としながらも、静かだった。

 食堂の椅子に、ソフィア達を落ちつけて。

 マリアはフェイトに向き直った。

 

「転送妨害装置の効果範囲は半径二キロ程度のはずよね?」

 

「連邦のスペックはそうだ。だがバンデーンのものは新開発の装置だ。少なくとも、それ以上だと思って間違いないだろう」

 

 思わぬところから、解答が来る。マリアが視線を向けると、ロキシ・ラインゴッドが、確信を持った表情で、食堂の椅子に座っていた。彼の言葉には、確かな自信がある。

 マリアは頷いた。

 

「なら、逃げ切るのは難しいわね」

 

「どうせ逃げても追ってくるさ。なら――!」

 

 ぱんっ、と拳を叩くフェイトに、マリアは小さく頷いた。思慮深げに顎に手をやる。

 

「そうね。アルフはともかく、クリフなら適当な所で帰ってくる筈よ。……そこで算段をつけなくちゃね」

 

「ああ。――アルベルも、それでいいだろ?」

 

「……ふん」

 

 視線を合わせようともしないアルベルだが、それを肯定と取ったフェイトは、小さく頷いた。

 そして、父に向き直る。

 

「ところで父さん。聞きたい事があるんだ……」

 

 話を切り出すと、ロキシの表情が曇った。自信に溢れていた彼の表情に、陰りが出る。

 フェイトはそんな父を見、言葉を待った。

 

「……知ってしまったんだな」

 

「うん」

 

 頷くと、父の表情から笑みが消えた。ソフィアが不安そうに、フェイトとマリア、そしてロキシを見渡す。

 ロキシは一つ瞬くと、重々しい調子で口を開いた。

 

「ただ分かってくれ。私はお前を実験の道具だと思ったことは一度も無い。お前は実験の為に生まれてきたわけではないんだ」

 

 つぶやくロキシに、マリアの目が、かっ、と見開かれた。

 

 

 

 ……………………

 ………………



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62.宇宙へ

「あいつ、無茶苦茶しやがるぜ……!」

 

 ロキシによる紋章遺伝子操査の説明は『迫りくる脅威』のため、の一言に尽きた。それ以降の詳細はこの場で話せない。脱出してからにしよう、というロキシの言葉に、マリアの激昂は止まらなかった。

 そんな一触即発の空気を変えたのが、冒頭のクリフのセリフである。

 クリフは三階牢獄棟の厨房に帰って来るなりそう言った。

 五体満足。さすが、クラウストロ人なだけあってバンデーンの掃討に向かったあとでも外傷が見当たらない。

 フェイトが小さく頷くと、部屋の微妙な空気を感じ取ったのか。クリフが眉をひそめた。

 

「……どうした?」

 

 マリアを一瞥し、フェイトに聞いてくる。フェイトは首を横に振った。

 

「なんでもないよ。それより、外はどうだった?」

 

「どうってお前……! バンデーンはうじゃうじゃいるわ、機械兵もうじゃうじゃいるわで、目につく奴から適当に掃除はしてきたがよ。奴等、ゴキブリかってんだ! いくら掃除してもキリがねぇ」

 

 肩をすくめるクリフに、フェイトが首を傾げた。

 

「なら、さっきの轟音は?」

 

「決まってんだろ? アルフの野郎だよ! あいつ、俺が軌道上にいるの分かってて、『鳳吼破』とかいう技打って来やがったんだ! おかげでバンデーンも機械兵も、ついでに修練場も滅茶苦茶! ……っとに、何考えてんだか」

 

「……連邦軍人って、破壊者(クラッシャー)なのかな?」

 

「あり得るぜ」

 

 真顔で頷くクリフに、フェイトは少しだけ笑った。マリアを一瞥する。

 

「僕はこれから、転送妨害装置を破壊しに行こうと思う。消耗戦になったら、こっちが不利だ。……マリアは、どう思う?」

 

 俯いた彼女は、しばらくの沈黙の後。頷いた。

 いつものように振舞う為、――しかし、いつもよりは小さい声で応じる。

 

「そうね。それしかないでしょ」

 

 涙を拭うように、フェイト達から背を向けた彼女は、耳の通信機に手をやった。

 

「マリアよりイーグル」

 

[はい]

 

 話しかけると、ややあってミラージュが答えた。

 

「ビウィグのヤツ、新型の転送妨害装置を用意していたの。これからそれを破壊するから、それと同時に私達を収容してちょうだい」

 

[ムリです]

 

 にべもなく答えるミラージュに、マリアは眉をひそめた。

 

「どうしたの?」

 

[現在、本艦は大気圏外で待ち伏せていたバンデーン艦隊に攻撃されている、ディプロを援護しています。標的を攪乱させ時間を稼いでいますが、防御だけで手一杯です。現段階で転送収容は……、っ!]

 

「アクアエリーはどうしたの!? もう到着していい時間よ?」

 

[さらに別艦隊のバンデーン艦の妨害を受けていたようです。到着にはもうしばらくかかるとの連絡がありました]

 

「分かったわ。何とかアクアエリーが到着するまで耐えて!」

 

[了解]

 

 プツッ、と通信が切れる。クリフが忌々しげにガントレットを鳴らした。

 

「くそっ!」

 

「迂闊だったわ。相手の方が用意周到だったというわけね」

 

「でも、イーグルやディプロが転送できないように、戦闘行動中のバンデーンも、転送ができないんじゃないかな?」

 

 首を傾げるフェイトに、マリアは首を横に振った。

 

「ダメよ。バンデーンには、ダスヴァヌ以外にも十一隻の戦闘艦があるわ。それをどうにかしない限り――」

 

 マリアの言葉に、フェイトは、はた、と瞬いた。

 

「そう、か……!」

 

 つぶやいたフェイトは、アルベルを見る。

 

「なあ。アルベル! もしかしてアルフの奴――!」

 

 興奮気味にまくし立てたフェイトの言葉は、マリアやクリフを驚愕させるのに、十分な威力を持っていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「第三、第四部隊は山脈まで前進! 第五、六部隊は俺に続け! 星の船を、平野上空まで押し切る!」

 

 クロセルの背に乗ったアレンは、兼定を抜いて号令をかけた。風精(シルフ)が声を運び、シーハーツ、アーリグリフ両軍で結成された『疾風』隊員から「応」の返事が返ってくる。

 アレンは並み居る十一隻の艦隊を睨み、兼定を水平に構えた。その刀身に、己の瞳を映し、右手を添える。

 活人剣。

 

「覇ァッ!」

 

 鋭い呼気と同時、空気が震えた。

 

 ――ドンッ!

 

 鋭く、何かが爆発するような音を立てて、アレンの背に朱雀が具現化する。刀身が青白く輝き、天に向かって朱雀が一つ、大きく啼いた。

 

 びりぃいっっ、っっ!

 

 大気が、震える。飛竜の手綱を握る疾風が数名、バランスを崩しかけたが、アレンは構わずバンデーンを睨み、言った。

 

「これより作戦を開始する! 命が惜しくば、俺の命令に従え!」

 

 鋭い彼の言葉は、まるで刃のようだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 修練場を、蒼炎を纏った鳳凰が駆る。レーザーウェポンで模した刀の刃に、赤黒い気を宿したアルフは、消し飛ぶ機械兵とバンデーン兵を見据え、笑った。

 

「どうした? 怖気づいてないで、さっさと来な」

 

 こつこつと、アルフの軍靴が不気味に鳴る。機械兵は既に全滅。

 唯一、鳳吼破の射線軸から外れたバンデーン兵は、エリミネートライフルを握る手に力が入らず、かちゃかちゃと耳障りな金属音を立てていた。

 

「ひ、ぃ……ぃぃっ!」

 

 体の芯から震える、己の恐怖の音。

 アルフは生き残ったバンデーン兵の前で、ぴたりと足を止めた。

 

「残念だったな。白兵戦は特務(オレたち)の専売特許。このレーザーウェポンでも、十分お前らを始末できる」

 

「ぃっ! ……この、化け物ッ!」

 

 最後の抵抗に、バンデーン兵が銃口を上げた瞬間だった。アルフが刀を一閃し、バンデーン兵の首と胴が離れる。

 

 斬っ!

 

 噴き出る血を一瞥することもなく、アルフは、ざっ、と刃についた血を払った。

 

「……。引き籠ってろって言った筈だが?」

 

 振り返ると、フェイト達がいた。武器を手に、こちらを見る彼等が、視線で戦う意志を示している。

 アルフは溜息を吐いた。

 

「博士とエスティード嬢は?」

 

「アルベルの伝で、安全な場所に避難させたよ。疾風に任せたから大丈夫。地上からソフィアや父さんを狙う事は出来ない」

 

「へぇ」

 

 意外そうに頷いたアルフは、アルベルを見やった。ふん、と鼻を鳴らすアルベルが、義手を掲げて言う。

 

「それよりもアルフ。テメエ、星の船を全滅させるつもりなんだろ? だったら、俺にも戦わせろ」

 

「やれやれ」

 

 溜息をついたアルフは、観念したようにアルベルを見た。

 

「ま、そこまで言うなら、お前らにも参加してもらおうか。それでいいな? フェイト・ラインゴッド」

 

 問うと、フェイトはにべもなく頷いた。

 

「僕らの行動次第で、アレンやネルさん達にも影響が出るんだろ? だったら、確実に仕留めないと」

 

「……分かった。なら俺も、お前を民間人として扱うのをやめる。そこのクォークもな」

 

 マリアとクリフを一瞥するアルフに、クリフが肩をすくめた。

 

「俺らを民間人として? ……ハッ! 扱ったことねぇじゃねぇか! 出会った当初からよ」

 

「あれは『敵』である方が、潜在能力を測れたから。アレンのフェアリーライト一発で、治る程度の怪我だったろ」

 

「……その、『さも手加減した』って言う主張、間違ってると思うな。僕」

 

 深く頷くフェイトとクリフに、アルフは嘆息した。

 

「何言ってやがる。フェアリーライト打っても、しばらく動けないだろうが。アレン(あいつ)の修業は」

 

「……あ、悪魔どもめ……っ!」

 

 目を見開く二人に、アルフは満足したように頷いた。

 

「そういうことだ。――ま。あの時の殺気だけは本物だったけどな」

 

 くく、と喉を鳴らす。アルベルが不機嫌に言った。

 

「阿呆。くっちゃべってねぇで、行くなら早くしろ」

 

「そうだな。そろそろ、増援を呼ぶ速度(スピード)も上げさせる頃か」

 

 つぶやくアルフに、マリアは目を見開いた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 その時。バンデーン艦で観測手を勤める男は、我が目を疑った。巨大な飛竜がモニターに一体。そして、このバンデーン艦隊を囲むように、小さな飛竜達が数十体。

 取るに足らない、敵戦力だった。

 

「原始的な奴らめ!」

 

 砲撃手が、くく、と喉を鳴らす。だが、主砲の発射レバーに彼が手をかけると同時、それは起こった。

 

[――ライトクロス!]

 

 通信機が、周辺音響である現地人の声を拾った。数人――否、数十人の声だ。瞬間。

 

 カァッ!

 

「ぐわっ!?」

 

 観測手は、一斉に目を閉じた。太陽を直視したような眩さ。高精度センサーが放つ光に、数人の観測手が目を焼かれる。と。レーダーを見ていたオペレーターが、目を見開いた。

 

「な、何っ!?」

 

「レーダー反応が、こんなに……っ?」

 

「馬鹿なっ!」

 

 変化は劇的に、そして唐突に起こった。

 

 

 

 

「さ、寒い……っ!」

 

 疾風団員――シュワイマーの飛竜に乗せてもらったナツメは、あまりの寒さに歯をカチカチと鳴らした。手綱を握るシュワイマーが、鋭い表情で振り返る。

 

「おい、貴様っ! ちゃんと施力は練っているんだろうな!?」

 

「は、はひぃ~……!」

 

 こくこくと頷くナツメ。しかし、鼻と耳は真っ赤で、両腕をさする彼女の姿は、とても戦える身とは思えない。シュワイマーは舌打ちし、戦闘の前線を見る。

 そこに浮かぶ、朱雀を――。

 

 バンデーン艦隊をどうにかイリス上空まで誘き寄せたネル達は、艦隊が動きを止めたのを見て、目を丸くした。

 

「氷を張って、光を反射させたのか」

 

 騎手のヴォックスがつぶやく。ネルは空を見上げ、ニッと口端を緩めた。

 

「――なるほど。だからあたし達に、手当たり次第にアイスニードルを打てって言ったんだね。アレン」

 

 朱雀を見やる。クロセル同様、どこに居ても目につく、炎の化身を。

 アレンは風精(シルフ)を通し、言った。

 

「敵の目は潰した。今から打って出る! ――各員、施力を集中しろ! 飛竜を操る者は気を緩めるな!」

 

 鋭い彼の声。ネルが頷く。と。飛竜(テンペスト)の手綱を握るヴォックスが、苦笑した。

 

「貴様等が、あの新参者を信頼する理由――良く分かった!」

 

「……」

 

 ネルが笑う。

 

「そうさ。アンタが敵にしたのはクリムゾンセイバー。私達の、強力な味方だ」

 

 つぶやいたネルは風陣をまとい、四方に散った氷の破片を集約させた――。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

「ば、馬鹿なっ!?」

 

 ビウィグはあまりの事に目を見開いた。辺境の未開惑星に、バンデーン艦十一隻。

 どう考えても勝てる戦い。――その筈だ。

 が。

 

 上空を、巨大な朱雀が駆ける。

 

 修練場から遠く離れたその場所で、バンデーン艦の三分の一もある、巨大な飛竜・クロセルが、翼を広げていた。

 抜けるように蒼く澄み切った、高い空。快晴。

 陽光が反射し、空がキラリと光ると、朱雀が疾駆する。転送のため高度を下げたバンデーン艦が、遠目にも次々と食い荒らされていくのが分かる。レーザー光のように走った、朱雀の炎に。

 銃を握るマリアが、冷然と言った。

 

「残念だったわね、ビウィグ。ここまでよ」

 

 銃口がビウィグを向く。と同時、狂人の瞳がビウィグを貫いた。

 

「さあ。もっと呼びな。自分の艦を預かる、兵隊をな」

 

 闘技場に累々と積まれた機械兵と、バンデーン兵の亡骸。刀を握る狂人は、悲惨な光景の中で、美しく映えた。自分が斬り殺した血と同じ、狂った紅瞳が、死の色香と猛烈な殺気を放つ。

 フェイト達が、ビウィグを囲む。

 (ビウィグ)はただ、息を呑んだ。

 

「っ、馬鹿な……!」

 

 転送妨害装置を、アルフは敢えて壊さなかった。ビウィグが戦闘員を呼ぶ度、上空待機の戦闘艦が、動きを鈍らせていく。船員が減っていき、対処しきれなくなって来たのだ。

 朱雀がまた一隻。バンデーン艦を撃沈させた。――その事に、ビウィグが気付く頃には。

 

「……ぐぅっ!」

 

 アルフの真意が読めた時。ビウィグは心の底から歯噛みした。

 ――だが。ラインゴッドの研究成果を得るまで、ビウィグは退くわけにはいかない。

 戦闘艦を消滅させる、ディストラクションを手に入れるまでは――。

 だが、

 だが――……。

 

「そう。どうせ空中戦をやっても、あの朱雀一匹倒せない。ならここで。全戦力を投入して、ラインゴッドを捕まえないとな。――お前も、軍人なら」

 

 くく、と含み笑うアルフは、戦闘艦十一隻を動員して、ビウィグが逃げ帰った後のことを言っていた。

 既に、艦は八隻落とされている。

 これで、ラインゴッドを捕まえられずに帰りでもすれば――。

 

「無能は、切り捨てるぜ。『軍人』はな」

 

「っ、っっ! ……化け物が!」

 

 唇を噛むビウィグに、アルフの白刃が輝いた。

 

 

 …………

 

 

 クロセルが勇猛に翼をはためかせる。アレンは兼定を握り、吼えた。

 

「ぉおおおおお……っ!」

 

 瞳と同じく、刀身が蒼く輝く。前方に、並みいるバンデーン艦の主砲。

 

 っっズドォ――……ッッ!

 

 轟音とともに高速で迫りくる砲撃を見据えて、アレンは言った。

 

「クロセル!」

 

「承知!」

 

 矢継ぎ早に繰り出される砲撃を、クロセルは巧みに躱す。制空権は、もはや侯爵竜が制した。アレンの背で、朱雀が啼く。

 

――コォォオオ……ッッ!――

 

 バンデーンの主砲が唸る。クロセルのギリギリを、砲撃が過ぎる。風のように空を駆るクロセルに、副砲が狙いを定めた瞬間。アレンは下段から、兼定を振り上げた。

 

「朧・弧月閃!」

 

 ズォッ!

 

 異音を立てて、兼定の気が――朱雀が刃となって、迸る。バンデーンから副砲の迎撃。それらが、クロセルと艦の中央で弾けた。

 

 ――ズ、シュ……ィイインッッ!

 

 すべてを断ち切る、刀の音が響く。副砲が裂け、バンデーン艦が航宙艦フィールドごと、両断された。

 更に、二。三。バンデーン艦が、あっという間に両断されていく。チキッ、と鍔を鳴らして、刀を構え直すアレンの背で、艦隊が微塵となって爆発する。

 クロセルは大口を開けて笑った。

 

「クハハハッ! ヨモヤ人間ニ、コレホドノ『チカラ』ガアロウトハ! 面白キモノヨ!」

 

 空を駆る。クロセルは巨体だが、他のどの飛竜よりも機動力が高い。風の抵抗を肌で感じながら、アレンは兼定を振るう。主砲を躱し、ある時は流し、斬り裂き――艦隊を薙ぎ払う。

 ネルの合図で、施術が一斉に放たれた。

 

「行くよ! ……リフレクション!」

 

 アイスニードルで中空に散った氷を、風の施術で集め、それを雷のシールドで固める。瞬間。アレンは兼定に、紋章力を集約させた。詠唱を始める。

 

「宇宙の秩序が湛えたるソフィアの救済を賜りて、綺羅たるメキドの聖断仰ぎ大星辰の裁きを与えん」

 

 エリクールを回る、三つの月が輝いた。――空が、陰る。

 

「ルナライト!」

 

 アレンが叫ぶと同時、バンデーン艦隊を囲む雷の盾に、上空から降る月光の紋章陣が光線となって反射した。

 

 パァアアアア……ッッッ!

 っっっズドォオ――――!

 

 いくつにも重なった光線が、バンデーン艦隊の砲台を潰していく。防御態勢に入っていた艦隊は、航宙艦フィールドを全開にして後退するだけだ。だが、飛竜を狙おうと砲身にエネルギーを充填させていた砲台は、ほとんど全滅した。

 それを見据え、アレンはさらに気を高める。

 

「……侯爵。そろそろ決める」

 

 言ったアレンは、疾風の飛竜に乗るネルに、鋭い視線を向けた。

 

「ネル! ヴォックス団長! 全軍を後退させろ! ――次で仕留める!」

 

「分かった! 気を抜くんじゃないよ!」

 

「ああっ!」

 

 頷くアレンに、ネルも頷き返し、彼女は騎手のヴォックスを見た。

 

「行くよ!」

 

「……よ、よかろう!」

 

 一八〇度反転して、飛竜――テンペストに乗った二人が、クロセルから離れていく。それを見届けて、アレンはバンデーン司令艦・ダスヴァヌを睨み据えた。

 

「これで」

 

 背に負う朱雀が、徐々に、はっきりと具現化されていく。クロセルが吼えた。

 

――グォオオオオ……!――

 

 兼定の刀身が、青白く輝く。

 ――その時。

 空が、翳った。

 

 ……っっ!

 

 地上にいるフェイト達が、空を仰ぐ。蒼空が黒く――夜に染まる。見る間に暗雲が立ち込め、雲間をのたうつ様に、雷が迸った。

 ――その中で。兼定の刀身が、陽光の如き蒼白の光を放つ。

 

 ぱぁあああ……っ!

 

 ビウィグを斬り伏せたアルフが、冗談混じりに失笑した。

 

「あれが、――あの刀の本性、ってか……」

 

 つぶやく声は、震える大気の中に消えた。朱雀が炎と化し、蒼白の刀身に宿る。同時、

 

「朱雀吼竜破!」

 

 直線上に並んだバンデーン艦隊を、艦の大きさを上回る炎の蒼竜が呑み込んだ――。

 

 

 

 

 

 ――……ォオオオッッッ!

 

「くぉっ!?」

 

 あまりの乱気流に、ヴォックスの腕をもってしても飛竜(テンペスト)を操るのに一苦労だった。だが驚くべきは――、

 

[マリア! 何か来ます――!]

 

 珍しく、通信からミラージュが声を張り上げる。

 瞬間、

 フェイトとマリアに、異常が起きた。

 

「っ、!」

 

 二人が揃って、頭を抱える。クリフが、どうした、と尋ねるその前に。

 空を――奇妙な光線が駆けた。アレンが放った、朱雀吼竜破よりも早く。

 

 ザァア――……ッッ!

 

 赤光る光線が、バンデーン艦隊を消滅させる。一切の容赦なく、一瞬で艦隊を貫通する。

 その軌道上に――クロセルとアレン。

 

「アレン!」

 

 皆の声が重なった。

 まるで正面からぶつかるように、朱雀吼竜破の蒼竜が、光線に向かって吼える。

 両者、相打った。

 

 ズド――……っっォオオ!

 

 光線が止まった。

 瞬間。

 アレンはクロセルの上で足を開き、兼定を握りこんだ。

 

「クロセル! 兼定ぁああっ!」

 

 ――グォオオオオオオオッッッ!――

 

 クロセルが吼える。兼定が巻き起こす爆風は、気を抜けばクロセルをも吹き飛ばすほど強大だった。だが侯爵竜の名にかけて、そんな恥はさらさない。アレンを伝って、背中に走る猛烈な鬼気。その反動を肌で感じながら、クロセルは勇猛な翼を広げ、場にとどまり続ける。

 と、

 蒼竜が――『黄金』へと化した。

 

 ――……ァアアッ!

 

 暗がりの空に、光が射す。

 と。

 バンデーン艦隊を消滅させる光線が――押し返された。

 黄金の龍は光線を喰らい、陰りの増した空を、払拭させるべく雲の中へと消える。

 そして、

 

 そして――……、

 

 龍が駆けた後に、晴れ間が戻った。

 高く澄んだ、蒼空が。

 

「…………!」

 

 ヴォックスは、シュワイマーは、そして――疾風の者は皆、つぶやいた。

 

「……この地、アーリグリフ。邪悪なる脅威に民苦しむ時、異国の服を纏いし勇者現れん。彼の者、大いなる光の剣を以って迷える民を救わん……」

 

 ネルは無言で、ヴォックスを見やった。それはアーリグリフに伝わるエクスの預言書。禁教とされた、アペリス聖書の一説だ。

 

「………………」

 

 神妙な面持ちで俯いたヴォックスは、ただ己の握る手綱と――長年を共にした飛竜を、見据えていた。

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

「マリエッタ、ミラージュ。無事なの!?」

 

 通信機に向かってマリアが問いかけると、ややあってクォーク本艦のオペレータ・マリエッタが応答した。

 

[はい。なんとか……! ミラージュさんが援護してくれたおかげで、イーグルはもう使えませんが、ディプロは無事です! ミラージュさんも転送収容して無事ですから、安心して下さい!]

 

「……そう。それで、そっちの状況は?」

 

 マリアが安堵の息を零す。マリエッタが続けた。

 

[はい。たった今、アクアエリーのクリエイション砲で大気圏外にいたバンデーン艦隊、撃沈しました]

 

「提督、遅ぇよ」

 

 傍らで肩をすくめるアルフを尻目に、マリアは、クリフ達を振り返る。

 

「とりあえず。当面の危機は脱したわね」

 

「ああ!」

 

 フェイトが頷く。と。オペレータのマリエッタが、問いかけてきた。

 

[それよりリーダー……さっきの、見ましたか?]

 

「ええ。まったく別方向からの砲撃でしょ? イーグルやディプロに、ああいうのは装備されてない筈だけど。コンピュータの分析結果は?」

 

[えと、待ってください……出ました。――えっ!?]

 

「どうしたの?」

 

 息を呑むマリエッタに、マリアが眉をひそめる。数秒、間をおいて、マリエッタの驚いた声が届いた。

 

[信じられません! 今の光線にはクラス3.2ものエネルギーが凝縮されていたと記録されています! あの細い光線の中にですよ!]

 

「クラス3.2……だとぉ!?」

 

 目を見張るクリフに、フェイトも顔を見合わせる。

 

「冗談だろっ……。現在の連邦の最新鋭艦のクリエイション砲だって、せいぜいがクラス2なんだぞ!」

 

「ってことは、アイツ……!」

 

 上空を見上げるクリフに、アルフも脱力しきった表情を浮かべた。

 

「……クラス3.2……以上?」

 

「冗談じゃねぇ……!」

 

 ごくりと息を呑む。

 と。咳払いしたマリアが、気を取り直して問いかけた。

 

「そ、それでマリエッタ……。あの光線の発射元は、どこなの?」

 

[特定できません。ですが、かなりの長距離のようです。ディプロのセンサーでも捕らえ切れていません。おそらく、これは――]

 

 フェイト達は顔を見合わせた。

 

「……おそらく?」

 

 だが、問いにマリエッタが答える前に、マリアの通信機に、別の通信が入って来た。

 

[リーダー! 連邦のアクアエリーより通信です]

 

「繋いで」

 

 マリアがつぶやくと同時、手元の通信機に、壮年の男性が映し出された。日焼けしたのか、地かは知らないが、褐色の肌をした、凛々しい面差しの男性だ。

 短く刈った黒髪と、暗色が多い彼の顔を引き締めるような、両耳にぶらさがった金のイヤリングが印象的である。

 彼が口を開いた。

 

[私は連邦艦アクアエリー艦長ヴィスコムだ。はじまして、クォークの諸君。会えて光栄だよ]

 

「私もです。こんな辺境の地で連邦きっての腕利き、ヴィスコム提督に会えるとは思ってもみませんでしたから」

 

[ふふ……君に名前を覚えてもらっているとはな。光栄だよ。まあそんなことはいい。君の後ろにいるのが、ラインゴッド博士のご子息かね?]

 

 問うヴィスコムに、マリアは頷いた。

 

「そうです」

 

「提督。反銀河連邦(クォーク)の艦とアクアエリー。二隻とも降下させるんですか?」

 

 マリアの傍らからアルフが問うと、ヴィスコムが大いに、目を丸めた。

 

[アルフ!? なんだ! 無事だったのかっ!]

 

「緊急非常信号で、アクアエリーがここに来るって通信入れたのは、提督でしょう。それに超長距離通信なんかやったら、バンデーンに気付かれる」

 

[……相変わらずユーモアに溢れるな。お前は]

 

「どうも。――それで、質問の答えは?」

 

[保護条約に関わるが、お前達がいるなら今さら気にすることはないな。我々も、一度クォークの諸君と直接話がしたい。博士と、その御子息であるフェイト君のことでね]

 

 言って、マリアを見るヴィスコムに、彼女は小さく頷いた。

 

「それは……そうでしょうね」

 

[だが、事態は切迫している。……こちらへ来るかね?]

 

 問うヴィスコムに、マリアは目を丸めた。

 

「いいの? 私達は反銀河連邦組織なのよ?」

 

[構わないさ、アクアエリーは私の船だ。艦長の私に一体誰が文句を言うというのだね? 何も問題などないさ。何、文句など言うヤツは、その間、営倉にでもぶちこんでおけばいい]

 

「……お邪魔させていただくわ」

 

[うむ]

 

 頷いたヴィスコムは、最後にアルフを見、優しそうに笑った。

 

 

 

 ………………

 

 

 

「陛下、僕たちは自分の世界に戻ります。先ほどの艦隊が消滅したことで、この星は元の状態に戻るはずですから」

 

 シランド城に戻ったフェイトは、ロメリアを振り返った。対峙したロメリアが、少し寂しげに眉をひそめる。だが口には出さず、彼女は小さく首肯した。

 

「そうですか……。私共が救われたのは、そなた方の御蔭です。礼を言いますよ、クリムゾンセイバー」

 

「勿体ないお言葉です。本当に、ご迷惑をお掛けいたしました」

 

「いえ、私たちも世の中にはまだ新しく、そしてより広い世界があることを知りました。そしてこんな国同士で争いごとをしている時ではないことも……」

 

 頭を下げるフェイトに、ロメリアは朗らかに笑む。彼女の瞳が、ついで、アレンを向く。彼は静かに頷いた。

 アルゼイも神妙な面持ちのまま、頷く。

 

「その通りだ。アペリスの残した預言を、悪しき形で成就させないためにも、我等は争うべきではない」

 

「ええ」

 

「それに……、今回は我等の完敗だ」

 

 苦笑するアルゼイに、ロメリアは凛と微笑った。

 フェイトが左右を見渡す。

 

「……あれ、アルベル(あいつ)は?」

 

 ナツメとアルフはいたが、シランド城にアルベルの姿だけが無かった。首を傾げるフェイトに、ウォルターが答える。

 

「アヤツはさっさと戻りおったわい。『脅威は去ったのだろう。ならば俺はここにいる必要はない』……だそうじゃ」

 

「別れの挨拶もなし、か。最後まで相変わらずね」

 

 不服そうに唇を尖らせるマリアに、ウォルターは苦笑した。

 

「まあ、そう言うな」

 

「挨拶ぐらいはしたかったんだけど」

 

 ぽつりとつぶやくフェイトに、アルゼイが言った。

 

「俺からその旨、伝えておこう」

 

「そうですか……。よろしくお伝えください」

 

「ああ、任せておけ」

 

 アルゼイの好意に、フェイトはもう一度頭を下げた。視線をアレン達にやる。

 

「ソフィアと、父さんは?」

 

「既にアクアエリーに収容されている。安心してくれ」

 

「逆に不審と取られるかもしれないけどな」

 

「……アルフ」

 

 アレンの語気が落ちる。フェイトは笑った。

 マリアが、アレンとアルフを見た。

 

「アクアエリーに行く前に、一度仲間と合流させてもらえるかしら? 向こうの状況を聞きたいの」

 

「ああ。構わない」

 

 即答するアレンに、アルフが肩をすくめる。

 

「お前が判断していいのか?」

 

「提督には言っておく。きっちり(・・・・)と」

 

 にべもなかった。

 アルフはさらに嘆息する。肩を落とし、空に合掌。

 

「そいつぁ……、ご愁傷様」

 

「……」

 

 つぶやくアルフに、クリフがぽりぽりと頭を掻いた。余所余所しい空気になるまでもなく、アレンはアレンだったようである。

 

「それじゃあ、僕等も行こうか」

 

 アクアエリーに向かおうとするフェイトに、アレンは首を横に振った。

 

「先に、トレイター代表とディプロに行って来い。今回の『敵』は、たぶん連邦だけでは対処しきれない」

 

「……敵?」

 

 首を傾げるフェイトに、アレンは頷いた。

 『敵』。

 そのアレンの言葉は、不気味な意味合いを持っていた。

 

「行くわよ」

 

「ああ」

 

 肩で風を切るように、マリアは颯爽と踵を返す。その際、彼女はロメリアとアルゼイ、そしてアレン達に小さく一礼した。

 クリフがニッと口端を緩めて軽く手を振る。白露の庭園のベランダ――トランスポートが出現する場所へ向かいながら。

 フェイトも一礼を施すと、それきり振り返らずにトランスポートの地点へと向かった。

 

「さよなら」

 

「元気でなっ!」

 

 ネルとロジャーがフェイト達に声をかける。彼らは誇らしげに微笑って、光の中に消えていった。



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phase10 FD空間
63.研究の真相


 フェイトがディプロメンバーと折り合いをつけ、マリアとクリフとともにアクアエリーにやってくるとアレンに出迎えられた。ようやく正規の連邦軍服に袖を通した彼は几帳面な性格に珍しく服を着崩していたが理由は言わず、会議室までフェイトを案内した。

 広い室内に、アルフとヴィスコム提督がいた。向かいの席に、父、ロキシ・ラインゴッドとソフィアが並んで座っている。

 

「父さん……!」

 

 ロキシの顔を見るなり、神妙な面持ちになるフェイトに、ロキシは小さく頷き、視線で席に座るよう勧めた。会議室の円卓に全員が着いたのを見計らって、ロキシが口を開く。

 

「まずは現状を知って欲しい。その後に、お前たちに私が遺伝子操作を行った理由――それを話そう」

 

 そう前置くと、ロキシはフェイトたちを見渡した。

 みな緊張した面持ちだった。

 後を引き受けるように、ヴィスコムが告げる。

 

「現在、本艦は惑星ストリームに向かっている」

 

「惑星ストリームに?」

 

 マリアが眉をひそめた。ヴィスコムが頷く。

 

「そうだ。そこに博士の目的があるらしい。惑星ストリームまでは重力ワープで行ってもしばらく時間がかかる。それまでの間に現状を説明しておこう。特に、君たちに関してはずっとエリクールにいたんだ。状況がわからないだろうからな」

 

「ええ、よろしくお願いします」

 

 フェイトは几帳面に一礼した。

 ヴィスコムも礼を返す。そしてヴィスコムは、一同を見渡した。

 

「今、地球を含む銀河系に未曾有の事態が起こっている」

 

「それは、バンデーンやアールディオンとの戦争を指しているわけではないんですね?」

 

「ああ、その通りだ。君たちも強力なエネルギーの流れを確認しているだろう?」

 

「クラス3を超えるエネルギーでしょ」

 

 即答するマリアに、ヴィスコムは頷いた。

 

「そうだ。あれは地球に向けられていた。幸いにも、我々の近くを通ったものは、エリクールから発生した、謎の超高エネルギー物質によって消滅したのだが。――あれは、実は四方から放たれたものだったんだ。残り三つのエネルギーは地球を直撃し、何とか惑星シールドで防いだものの、それでも地球にはかなりの被害が出た」

 

「惑星シールドで防ぎきれなかったんですか!?」

 

 目を見開くフェイトに、ヴィスコムは重々しく頷き、続けた。

 

「ああ……。でだ。そのエネルギーだが、実は宣戦布告の意味を持つものだったのだ」

 

「宣戦布告? それほどの遠距離攻撃能力を持つ勢力とは一体どこなんです?」

 

 フェイトは話の要が掴めなかった。

 アレンと兼定という特異性(イレギュラー)を差し置いても、兵器同士の戦いであれば、連邦はアールディオン・バンデーンにも引けを取らない。どころか、この銀河での影響力は他の追随を許さぬまでに肥沃した巨大勢力だ。その銀河連邦でも最強と名高い戦闘艦の艦長が、ここまで暗い表情になる理由が見当もつかない。

 注意深くヴィスコムを見ていると、彼は静かに、首を横に振った。

 

「今まで確認されていなかった新興勢力だよ。彼等は自らを神の執行者、『エクスキューショナー』と名乗っている。つまり、彼等は自分たちをその名の通り、処刑執行人であり、神の使いだと言っているんだ」

 

「神……ですか?」

 

 ソフィアが不安げに言う。ロキシが無言のまま、目を細めた。

 ヴィスコムの説明が続く。

 

「まあ、自らを神と名乗ることは、独裁国家にはよくあることだが……とにかく。彼等は通信で人間の科学は禁断の領域に達してしまったため、神の意志で滅ぶことが決定したと一方的に告げてきたのだ。――彼等の真意はともかく、その力は侮れないことは間違いない。少なくとも、我々以上の技術力を持っていると見ていいだろうな」

 

「抵抗するのが難しい、というわけだ?」

 

「ああ」

 

 クリフの問いにヴィスコムは頷くと、傍らに座る女性を一瞥した。女性は、青みがかった翡翠の髪に、同じ色の瞳の、どこか冷たい印象を受ける妙齢の研究者だった。華奢な体を白衣に包み、きりりとした表情にどこか近寄りがたい雰囲気がある。

 だが彼女は半獣(フェルプール)人のため、耳が猫のものだった。茶褐色の、ピン、と立った耳が、さわさわと動くさまがどこか愛らしい。

 彼女は高々と組んだ足を解き、右手を前に出した。

 会議室の中央にあるテーブル上の球が像を結び、空間に三次元画面を展開させる。ホログラムだ。太陽を中心に周る蒼い球体と、その他の星々が映し出されていく。

 ヴィスコムが言った。

 

「彼女はリオナ博士と言ってね。ムーンベースに常勤していた所を、我々が引っ張って来た」

 

 提督からの紹介が終わると、彼女が説明を始めた。

 

「このホログラムに映し出された蒼い球体が地球だ。提督が先ほどおっしゃったように彼らの宣戦布告のエネルギー兵器の道筋をたどるとこうなる」

 

 三次元画像のある一点から、四つの軌道を取って、光線が同時に放射状に広がったあと地球に辿り着いていくのが分かる。内、一つが途中で消失していた。この一つが、おそらくエリクールに向かってきたアレだ。

 リオナは一同を見据え、言った。

 

「このエネルギー兵器は、我々の知らない空間を光速以上の速度で通過していった」

 

「知らない空間って?」

 

 マリアが問う。

 

「言葉通りだ。亜空間でもなく、重力空間でもない未知の空間。この一点をとっても我々を超える技術力を有している。そして驚くべきことに、これは五万光年以上離れた、我々の探査範囲の及ばない場所から放たれている」

 

「五万光年以上!?」

 

 リオナの説明に、フェイトが息を呑んだ。ヴィスコムが首を振る。

 

「ああ……我々もデータを見て愕然としたよ。観測官が何人か眼科に駆け込んだほどだ」

 

「艦隊は来ているの?」

 

「それも不明だ。少なくとも現時点では確認されていない。だが、宣戦布告されている以上、やがて来ると考えるべきだろうな。数にもよるが、これだけの技術力を持つ艦隊に攻め込まれたら、連邦も危ない」

 

「そんな……」

 

 フェイトが視線を落とす。傍らで、クリフが声をひそめた。

 

「てことは、クラウストロも……。バンデーンやアールディオンですらヤバイってことだな」

 

「ああ。既に、アールディオンは壊滅状態だ。――これを見てくれ」

 

 ヴィスコムがリオナを一瞥すると、彼女は会議室の三次元画像を天体のシミュレーション画像からある不思議な映像に変更した。

 そこに映っていたのは、一体の翼を広げた生物だった。黒い生物だ。鮫のように尖った鼻先と牙。人間に似た、長く伸びた肢体。背中から生える翼は何対にもなっており、そのどれもが先の鋭い、重い刃物のようだ。

 リオナは黒い生物を指し、言った。

 

「これの全長は、二十メートルほどと推測される。見た目は生物のようだが、宇宙空間を自在に移動することが可能だ。アールディオンが壊滅した時のデータを解析すると、『攻撃力』、『速力』、『防御力』。どれをとっても、連邦やアールディオンの戦艦の上を行っていた。……おそらくこれによって、アールディオンは壊滅に追いやられたと見られている」

 

 神妙に押し黙る一同を見渡し、リオナは付け足した。

 

「こいつは集団で行動する。アールディオンに向かったモノを、ざっと数えるだけでも数十体、確認できた」

 

「そして、バンデーンは連邦の最終兵器と呼ばれるものの奪取を読み、利用しようとしたのだろう。彼らにとって連邦と協力するなど、屈辱以外のなにものでもないからな」

 

「それが……僕なんだね。父さん」

 

 つぶやくフェイトに、ロキシは頷いた。

 

「そうだ。私は、二十年前の惑星ストリーム探索で全てを知った。そこにいるアレンくんも、当時の探索メンバーだ」

 

「え……?」

 

 一同の視線が、アレンを向く。二十年前――宇宙歴七五二年といえば、フェイトがまだ生まれてすらいない。

 視線を受けたアレンは、居心地悪そうに視線を逸らした。

 ロキシが説明を続けた。

 

「惑星ストリームは知っての通り、タイムゲートがある謎の惑星だ。タイムゲートは、時間を行き来できる一種のタイムマシンのような存在。七五二年の調査では、そのタイムゲートを含む惑星ストリーム全域の探索を目的として行われた。研究員は、私、妻リョウコ、トレイター女史、エスティード博士」

 

「パパが?」

 

 目を丸めるソフィアに、ロキシは頷いた。

 

「アレンくんは当時十一歳だったが、惑星探査隊の護衛隊員として我々に同行した」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ父さん! 十一歳で軍の仕事なんて――」

 

 にわかには信じがたいと言いかけたフェイトを、ロキシは首を振って制した。

 

「フェイト。お前には縁のない話だが、彼の実家――ガード家は、言わば銀河連邦軍の中核を担う存在でね。アレンくんはガード家の次期後継者となるべく幼くして護衛任務を与えられていたらしいんだ。惑星ストリームの探索は、その謎の多さから機密性にも優れる。彼の父、リード将軍はその点において息子を送り出したと言っていたよ」

 

 フェイトは無言でアレンを見た。数か月前まで話半分で父を送り出していた社交パーティ。そこで父が、どんな繋がりを軍と作っていたのか垣間見たような気がした。

 

「それじゃ、アレンは……」

 

 言葉に詰まるフェイトを置いて、クリフが目を見開いた。

 

「二十年前の探査のときに十一歳だってんなら、アレンは今年、三十一になるって話か? 俺と五つ差!?」

 

 まじまじとアレンを見る。ロキシの表情が曇った。

 

「それが不幸な事故でね。彼は我々の所為で、人とは違う、ズレた時間を生きることになったのだよ」

 

「ズレた時間?」

 

 マリアが眉をひそめる。ロキシは頷いて、続けた。

 

「『タイムゲートは自分の意志を持っている』。そこまでは従来の研究で分かっていたのだが、我々は不注意で彼を――時の彼方へと追いやってしまったのだ」

 

「つまり、十二年後に?」

 

「そうだ。彼が帰って来たのは、七六四年。ちょうど、エクスペルで大々的なテロがあった年だな。

 当時の我々はタイムゲートに呑み込まれた彼を助けるべく、決死の捜索と調査を続け、ある事実を突き止めた。『タイムゲートが紋章データに反応する』ということだ。

 我々はそこから、ある特殊な紋章データを流し込むことで、タイムゲート自身の記録データを取得することが可能であることを知ったんだ。

 結局、アレンくんを連れ戻す方法だけは分からず、十二年もの時間のズレを経験させてしまったのだが」

 

 その点に関しては、何度謝っても謝りきれない、とロキシは言った。

 アレンが首を横に振っている。

 そして、

 ロキシはそこで表情を険しくすると、自身が読み解いたタイムゲートの記録データについて語りはじめた。

 

「我々は、ゲートの記録から知ったのだよ。――FD人の存在を」

 

「FD……人?」

 

 首を傾げるソフィアに、ロキシは頷いた。

 

「Four Dimension人……。我々を遙かに凌ぐ技術力を有し、時間を行き来できる人間のことだよ。研究を進めていくと、実は彼らこそ、我々の住むこの世界の創造主である可能性が出てきたのだ。我々が現在、普通に使用している紋章技術も、彼らの残した技術だったんだ。惑星ストリームのタイムゲートも、彼らの高度な紋章技術を使って生み出されたもの。我々は、タイムゲートを時間を旅するものと認識していたが、それは違った。タイムゲートは、FD人の世界であるFD空間への扉。時間旅行はFD空間の存在を我々に感知されないようにするプロテクトの結果、発生した事象だった。時間を行き来できるFD世界。そこを経由することで、タイムゲートは時間旅行が可能となったのだ」

 

 ロキシは、そこで顔を上げた。

 

「そのことが分かったとき、我々研究者は沸き立ったよ。何しろ、今まで謎とされてきたタイムゲートのシステムを解明することが出来たことに加え、新たなる人類の存在を確認することが出来たんだから。……しかし。そのとき、ゲートが我々に警告してきたのだ――」

 

 場の空気が緊張する。

 ロキシは一同を見渡して、小さく頷いた。

 

 

 

 

〈覚悟せよ〉

 

 タイムゲートは言った。

 

〈エターナルスフィアの科学は発達し過ぎてしまった。もはや見過ごすことはできない〉

 

「エターナルスフィア?」

 

 ロキシが問いなおすと、タイムゲートは機械音声にも似た、低く、不気味な声で答えた。

 冷たい印象を受ける、不気味な声で。

 

〈エターナルスフィアとは、貴様等人間の世界。紋章技術は創造主の技術。そしてその紋章技術を取り込んだ紋章遺伝学。これは禁断の科学である。人間は、愚かにも許されていない領域に踏み込んでしまった。過度に発達した人間の科学は、いずれ創造主に刃を向けるかも知れない。近い将来、創造主は執行者を以て人間を滅ぼすであろう〉

 

 

 

 

 静寂が、会議室を満たしていた。

 ロキシが、静寂を切るように言った。

 

「我々はゲートに尋ねた。『紋章遺伝学を放棄すれば、人間は滅びを免れるのか?』と。しかし、ゲートの答えは無情にも、否だった。一度手に入れたモノを、人間が手放すことは無い。後にまた、紋章遺伝に手を染める者が出るだろう、と。タイムゲートに『警告』では無く『宣告』をされた我々は、ムーンベースに帰り着き、選択を余儀なくされた。人知を超えた存在に滅びを宣告され、言葉通りの意味なら、アレン君が助かる見込みも、無いだろうと予測された。――そして我々は、抵抗する道を選んだのだ。滅びの運命など受け入れる事は出来ない。同じく滅ぶなら、せめて戦って滅ぼう。当時、あまりにも突拍子もない発見に、連邦上層部に報告することも出来なかった私たちは、そう決断した。だが、我々ではFD人に戦いを挑むことすらできない。このままでは、我々は彼等の世界に干渉することができないからだ。そこで私たちは紋章遺伝学の粋を集め、FD人に対抗する兵器を作る事に決めた」

 

「……それが、私たち」

 

 つぶやくマリアに、ロキシは頷いた。

 

「忌わしいことに、次元に干渉するには強力な紋章力が必要だった。そして、それを可能とするには、人間を媒介とした兵器がいる。……つまり、生体兵器が」

 

「フェイトたちはFD空間に乗り込む為に作られたってことか……。破壊の力・ディストラクションで空間同士の間で生じる矛盾を破壊し、改変の力・アルティネイションでこちらの物理法則を顕現させる――ずいぶん大それた話になったもんだ」

 

 両腕を組みながらつぶやくアルフに、ロキシは頷いた。

 

「そうだ。正確には、ディストラクションは、FD空間においても自己の周囲空間に、我々の世界の物理法則を適応させる能力なのだ。アルティネイションは、我々の世界に存在する物質のデータを任意に変換し、FD空間上に安定させる能力。――そして、ソフィア。君には、この世界とFD空間とを繋げる――コネクションの力を与えた。コネクションは空間同士を繋げ、FDへの道を開く」

 

「……えっ?」

 

 ソフィアが息を呑む。

 フェイトの顔が、強張った。

 

「……お前も、なのか?」

 

「そんな、私――」

 

 ロキシが、静かに頷く。ソフィアは言葉にできず、ただ俯いた。

 アルフが言う。

 

「で。FD空間に乗り込んで、創造主を倒す。アンタのシナリオは分かったが、それでこの世界が消失する可能性はないのか?」

 

「その計算は、すでにプロジェクトを実行する前に終わっているよ。――だが」

 

 言葉を切ったロキシは、フェイト、ソフィア、マリアを見渡した。真摯な彼の眼差しが、三人を向く。

 

「私たちは、お前たちに遺伝子操作をした。それについて、許してもらおうとは思わない。……だがそれは、自分たちの未来は、自分たちで切り開いてほしかったからだ。自分で考え、納得して行動してほしい。たとえ、それが辛い戦いの道であっても、滅びの道であってもだ。――それが私たち親の、唯一の望み」

 

「父さん……」

 

「お前たちが神と戦わないと言うのであれば、私はそれを止める気はない。こんなことをしておいて何を今更と思うかもしれないが――、お前たちが抵抗を選ばなくとも、私たちはそれを受け入れよう。何故ならそれは、お前たちの意志だからだ」

 

 フェイトは頷き返し、そしてわずかに、顔を俯けた。

 目を閉じる。

 

 数秒――……。

 

 目を開けたフェイトは、マリアと、ソフィアを見渡し、言った。

 

「行くよ。僕たちは、惑星ストリームへ」

 

「フェイト……」

 

 つぶやくロキシに、フェイトは頷く。

 ヴィスコムが、ゆっくりと首を振った。

 

「『神』というだけでも、信じ難い事だと言うのに……」

 

「提督。今は真偽を確かめるより、事態に対処する方が先決かと」

 

「そうだな」

 

 アレンの言葉に、ヴィスコムは苦笑しながらも頷いた。瞬間。反対側から、アルフが問いかけてくる。

 

「提督。ヘルメス長官の指令、――太陽系の護衛任務はどうします?」

 

 ヴィスコムはまた苦笑した。

 

「……まったく。非常時になると真逆の意見を言う」

 

「それはこいつの仕業です」

 

 指差し合う二人が、互いを意外そうに見ている。ヴィスコムは、こほんっ、と咳払いをすると、話題を打ち切った。傍らでリオナが、肩をすくめる。

 ――その時だった。

 

[ブリッジより提督]

 

 オペレータの声に、アレン、アルフ、ヴィスコムの表情が引き締まった。

 

「何だ?」

 

 ヴィスコムが応じる。オペレーターが、ややあって報告した。

 

[第九宇宙基地から通信が入りました]

 

「こちらのスクリーンで見る」

 

[了解しました]

 

 球体のホログラムが、像を結ぶ。

 ザザッ、と雑音が入り混じった、乱れた画像だった。

 

『提……、神の執行……と……乗る集……の……撃を受けています! 至急、応援……うわぁ……あれ……、……れは、艦し……ない! 神……いだ! 神は……当にいたの!』

 

 ブツンッ、と音が切れた。

 

[通信、中断しました。連邦基地リンクによると、第九宇宙基地は……消滅してしまいます!]

 

「なんだと!?」

 

「第九宇宙基地……セクターα方面か!」

 

 ヴィスコムと、アレンとアルフが顔を見合わせる。

 

[いかがいたしますか?]

 

「……」

 

[提督?]

 

 黙すヴィスコムに、オペレータが問う。はっ、と顔を上げたヴィスコムは、表情を引き締めた。

 

「分かった。本艦はこのまま、惑星ストリームへのコースを維持するんだ」

 

「提督。命令違反ですよ?」

 

 アルフが忠告する。ヴィスコムはフェイトたちを見、言った。

 

「彼等の行動が、銀河の命運を決するのだ。――それにアールディオンや、第九宇宙基地を一瞬で壊滅させるほどの相手。我が艦一隻でどうにかなる相手ではない。そうだろう? アルフ」

 

「ええ、まあ」

 

 肩をすくめるアルフに、ヴィスコムは、ふ、と微笑った。反対側から、アレンが、カッ、と軍靴の踵を合わせて言う。

 

「提督。反省室に行く際は、私もお供します!」

 

「無用の気遣いだよ。アレン」

 

 ヴィスコムが表情を凍らせた後、ゆっくりと目頭を揉む。

 

「今から気の重い話すんなってさ」

 

 アルフがひらひらと手を振ると、彼を遮るように、こほんっ、とヴィスコムがさらに咳払いした。その二人を見て、アレンは目を丸くしたあと、小さく微笑った。

 

「そう言えば。ナツメはどうしたんだ?」

 

 フェイトが問うと、アレンが、ああ、と答えた。

 

「あいつはエリクールに来た時の小型艇で、ジェネシス星系に帰った。ナツメはあれで、テトラジェネシスの人間だからな。いつも一緒とはいかない」

 

「寂しいことにね」

 

「……黙ってろ、アルフ」

 

 微塵も寂しさを感じさせないアルフを振り返り、アレンが釘を刺す。フェイトは苦笑すると、ヴィスコムを見た。

 

「でも、本当にいいんですか? 僕らなら、ディプロで――」

 

「無理だ。あのような艦で敵の攻撃をかいくぐり、惑星ストリームまで行ける筈がないだろう? それにアルフにも言ったように、このアクアエリー一隻でどうにかなる敵では無い。それなら、君たちが危険を冒して、敵の本拠地に乗り込む必要も無いんだからな」

 

「提督……」

 

 気遣わしげにヴィスコムを見るフェイトに、アレンが首を横に振った。

 

「すまない。本当なら、そのFD人とやらも、俺たち軍人が相手取るべきなんだ。だから、せめて――」

 

「なっちまったもんは仕方ねぇ。俺たちも出来るとこまでは協力するぜ。その道場破り」

 

 アルフの比喩に、フェイトは思わず笑った。



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64.博士との別れ

 ヴィスコムが退席し、後を追うようにアレンやアルフが室を出て行ったところで、フェイトは父に向き直った。

 

「父さん。僕やマリアの――破壊の力(ディストラクション)改変の力(アルティネイション)は、まだ完全じゃないんだ。いつでも望んで、力を出せるわけじゃない。それで惑星ストリームに行って、本当に僕らは、FD空間に行けるんだろうか?」

 

 息子の問いに、ロキシは頷く。視線を左右に振ると、真剣な眼差しを向けてくるマリアと、戸惑った様子のソフィアが、こちらを見つめていた。

 ロキシはもう一度、確認するように頷いた。

 

「その筈だ。お前達は三人集まることにより、それぞれの特殊紋章が共鳴して、力を発揮する。トレイター女史がマリア君を引き取ったのも、三人が一所に集まらないため。――私達も出来れば、紋章遺伝の力を使わずに済めばと、願っていたからな」

 

「……それで、お母さんが私を」

 

 つぶやくマリアに、ロキシは小さく頷いた。

 

「子供に遺伝子操作をしたことは、研究員だけの秘密だった。故に、研究には関係ないキョウコさんを、我々から離す事は出来なかったんだ。周りに不審と取られてしまうかも知れないからね」

 

「じゃあ。ママは研究のこと、知らなかったんですね?」

 

 問うソフィアに、ロキシは頷いた。フェイトが神妙な面持ちで父を見る。

 

「それで。これから父さんはどうするの?」

 

「出来れば私も、ストリームに行こうと思うのだが……」

 

 つぶやいたところで、会議室の扉が開いた。フェイト達が振り返ると、そこにあの、リオナという女性が立っていた。

 

「ロキシ博士には、私と共にムーンベースに来てもらいます。御子息方がFD空間に行っている間。銀河の被害を抑えるためにもエクスキューショナーに対抗し、足止めする手段を開発せねばなりませんので」

 

「……リオナ君!」

 

 目を丸めるロキシに、リオナは無表情のまま近づき、サインを、と書類を提示してきた。

 緊急時の為、略式ではあるが研究室に入るための手続き書だ。ロキシがそれを受け取ると、彼女の後ろから、アルフとアレンが現れた。

 

「白兵戦は俺らに任せろってこと。妥当だろ?」

 

「現在、本艦は惑星ストリーム航行軌道上にある、第6深宇宙基地に向かっています。そこで、ラインゴッド博士とリオナ博士には艦を乗り換えて頂き、ムーンベースに向かっていただく運びとなります。……御子息とお嬢様方は、我々二人が責任を持ってお守りしますので、ご安心ください」

 

「そうか……」

 

 二人の言葉に、ロキシが顔を俯ける。手渡された手続き書を見つめて、

 数秒――。

 顔を上げたロキシは、小さく頷いた。

 

「分かった。……君達二人も一緒と言うなら、私も心強いよ」

 

「はっ!」

 

 敬礼するアレンに頷き、ロキシは手続き書に署名した。それをリオナに渡す。受け取った彼女は、小さく会釈した。

 フェイトの傍らで、クリフが嘆息混じりにつぶやく。

 

「いよいよ、連邦と手を組むことになったわけか」

 

 彼が肩をすくめると、対峙するアレンが微笑った。

 

「俺はお前を、敵と思ったことはないがな。クリフ」

 

 アレンの科白に、クリフは溜息を吐きながら腕を組む。渋い表情だ。アレンが苦笑すると、傍らからアルフがこくりと頷いた。

 

「俺はお前を、いつでも『敵』と思ってるけどな」

 

「……後でトレーニングルームに顔を出せ。アルフ」

 

「その前に。さっさと部屋に戻れば? 待ってるぜ。連中(・・)

 

 ぅ、とアレンが息を呑む。尻ごむ彼に満足したのか、アルフは紅瞳を細めた。

 

「それともう一つ。このアクアエリーで剛刀(ソレ)振ったら、全員仲良く心中だからな?」

 

「…………自重するとも」

 

 一瞬兼定を見、言葉を失ったアレンは、弱々しく頷いた。

 バンデーン艦隊を相手に勝利した彼だが、まさか兼定に、あれほどの力があったとは本人も思わなかったらしい。

 強張ったアレンの表情を見て、フェイトは何となく安心した。

 クリフが、ん? と首を傾げる。

 

「なぁ、ラインゴッド博士。アレン(こいつ)も、バンデーン艦隊相手に生身で挑み――あの妙な光線を消し飛ばす力を持ってんだが……。こいつはその、紋章遺伝子がどうってのと関係無いのか?」

 

 クリフが問うと、ロキシが目を見開いた。

 

「何だって!? あの、クラス3.2の光線を消しただと!? ……本当、なのか!?」

 

 言葉を失うロキシが、アレンを見やる。アレンが頷いた。

 

「私の場合は、私の能力――というより、この刀。銘を『兼定』と言うのですが、これが原因ではないかと考えています」

 

 言ったアレンは、自分の背丈よりも長い、剛刀を掲げる。アルフが肩をすくめた。

 

「さっき、リオナ博士にも見てもらったんだが、オーパーツって可能性は無くてね。この刀そのものから、妙な力が出たりってことは無いらしい」

 

 疑わしいけどな、と付け足すアルフ。そのアルフを横目で睨んだリオナは、ふんっ、と鼻を鳴らした。

 

「アクアエリーに装備されている解析ソフトは、連邦でも粋を極めたモノだ。それでもって何の反応も得られなかった、ということは、これはただの刀に過ぎん。オーパーツは【解析できない波長を放つもの】だからな。そういった代物なら、解析は出来なくとも検出器が何らかの反応を感知する」

 

「それじゃあ――、」

 

 フェイトが、アレンを見る。と、

 

「やっぱ」

 

 クリフが、呆れた表情で続いた。

 

「……お前?」

 

 そして最後に、アルフが、小首を傾げながら訊ねる。一同の視線を受けたアレンは、しかし、首を振った。

 

「それはない。俺はあのとき――バンデーン艦隊を消滅させる意気込みで朱雀吼竜破を放った。……だがそのときに、兼定から力が流れて来るのを感じたんだ」

 

「それはそうだろ。じゃなきゃ、あの威力は――な」

 

「ああ。今まであらゆる刀剣類、銃火器を扱ってきたが、あんなことは初めてだった」

 

 つぶやくアレンに、アルフは頷き、兼定を見る。兼定とアレンを見据えて、一同は神妙に押し黙った。

 リオナが、ロキシを見やる。

 

「そこで。可能性の一つとして、タイムゲートを通った際に、ガードの遺伝子情報が書き換えられたのではないかと考えたのです。……ガードが帰還した時の、七六四年の資料はムーンベースに?」

 

「あ、ああ。……しかし。当時の精密検査にも、特に目立った変化は見られかったよ。彼は地球人の他に、エクスペルとネーデの血も入っていてね。高い紋章力を持つ、理想的な遺伝子配列だったのは憶えているが……」

 

 首を傾げるロキシに、リオナも思案顔を作る。アルフが肩をすくめた。

 

「ま。どれだけ強力だろうが、宇宙空間に出れなきゃ現状じゃ意味は無いけどな」

 

「だから連れて行ってもらうんだ。フェイト達に、な」

 

 言ったアレンに、フェイトは小さく苦笑した。

 

 

 

 ………………

 

 

 

「わひゃひゃひゃっ! こりゃめでてぇ!」

 

「ほんっとだよ! 良く生きてた! 偉いぞアレン! おいアルフはどしたぁっ!? 人に心配かけやがって、あんにゃろ~! なぁ~にが! 敵に見つかるだよ、馬鹿野郎!」

 

「ローランと大尉が今っ、探ってるぜ! それよりハイダの被害見たか!? まさに九死に一生だぜ! お前ら!」

 

「良かった! ホントよかった! 最近は身内の殉職ニュースばっかだからよぉ~! 暗くてしょうがねぇよ!」

 

「おぉ~! 飲め飲め! 出撃命令があるかも知れねぇから、度数は低めがなっ!」

 

「っ!? ギルムさん! それ、ビールじゃ――!」

 

 言いかけたアレンを、がっ、とケイン曹長の右手が押さえた。

 

「あははははっ! ビールなんかこの非常時に持ってくるわけねぇだろ! 『泡の出るお茶』だよ! なぁ!?」

 

「がはははははっ!」

 

 盛大な笑い声とともに、大量の飲食物が部屋に運び込まれてくる。

 それを呑め、食え、と促されて小一時間。出撃を前に控えていると言うのに、連邦軍人達はがぶがぶと飲み干していた。――それでも、誰ひとり赤ら顔になっていないのは、事態の深刻さを頭のどこかで理解しているからなのか。

 酔うに酔えない、妙なテンションの男達に囲まれ、囃し立てられ、もまれ、『泡の出るお茶』をかけられ。

 

 

「……はぁ」

 

 アレンは溜息を吐いた。手洗いに行くと言う名目のもと、部屋を出たのだ。まだしばらく、あの騒ぎが続くと思うと、頭が痛い。

 通路のロッカーに用意しておいた、新しい服に着替えると、アレンはもう一度、溜息を吐いた。ルームメイトのアルフは、既に別室に避難したようだ。それを羨ましくも思ったが、

 

「…………」

 

 笑い合う職員の顔を思い浮かべて、アレンは小さく微笑った。歓迎は過剰だし、女性職員までももみくちゃしてくるし、男性職員はいつも以上に悪乗りが過ぎるし……。仕様の無い面々だ。

 ――それでも、嬉しい。

 これほど自分を気にかけてくれる仲間が、傍に居てくれることが。素直に嬉しい。

 

(……贅沢病だな。これは)

 

 溜息を吐く自分に苦笑する。顔を上げると、アクアエリーの無骨な天井が見えた。

 宇宙歴七六四年。タイムゲートから帰ってきた彼を、唯一迎えてくれた艦。提督や、アクアエリーのクルーと出会って、もう七年が経つ。

 光栄だった。

 身に余るほど。

 そう思うと、せっかく自分の為に開いてくれた歓迎会だからと、帰る気持ちが湧いてくる。が、疲れているのも事実だったため、アレンは少し休んでから戻ろうと決め、散歩がてらに船尾に行った。

 船尾の多目的ルームには観葉植物のほかに噴水やベンチがある。

 多目的ルームに入ると、一人、リオナ博士がいた。基本的に彼女は自室か研究室しか居ない為、かなり珍しい光景だ。

 彼女はベンチに腰掛け、パソコンのキーボードを叩いていた。

 アレンが入ってきたことに気付いたのか、彼女の猫耳が、ぴくり、と揺れた。

 

「……」

 

 リオナがパソコンから顔を上げる。視線の合ったアレンが、微笑った。

 

「先ほどぶりですね。博士」

 

 リオナに一礼する。彼女はすぐにパソコンに視線を落とし、キーボードを叩き始めた。

 アレンはオートコンピュータの前に行って、コーヒーを淹れる。少々温かいものが飲みたくなったのだ。

 

「……ふぅ……」

 

 ようやく落ち着いた空間に来れて安堵の息を吐いていると、視線を感じた。振り返れば、リオナが、じ、とこちらを見ている。

 

「……何かご用ですか? 博士」

 

 アレンが問うと、リオナはサッと視線を外し、首を横に振った。

 

「何でもない。お前の気の所為だ」

 

「そうですか」

 

 考え事だろうか、と納得し、再び紙コップに口をつける。三口ほど飲むと、液面が零れる心配もなくなり、アレンはコップを手に、リオナの座るベンチに移動した。

 多目的ルームは広くないため、ベンチはこの一つしかない。彼女と距離を置いて、端に座ると、ぴくり、とまた彼女の猫耳が揺れた。――今度は肩も。

 

「……?」

 

 いつもはもう少し、会話をしてくる女性だ。横目に彼女を見ると、彼女は一心不乱にキーボードを叩いていた。

 余程、執行者(エクスキューショナー)と名乗る連中が気になるのだろうか。

 ヴィスコム提督と、ロキシ・ラインゴッド博士。両者の話を思い出して、アレンは目を細めた。

 

(……神……創造主、か……)

 

 相手の呼び名など、アレンにとっては何でも良かった。ただアールディオンを一瞬で壊滅させるほどの相手。想像もつかない強敵であることは間違いない。

 数刻を有して、コーヒーを飲みほすと、彼はリオナの邪魔にならないよう、静かに席を立った。

 途端。

 

「!」

 

 リオナが顔を上げる。彼女は、ぐ、と息を呑んだが、ゴミ箱にコップを投げ入れる音に紛れて、アレンには届かなかった。

 

「…………」

 

 リオナの眼差しに、険が籠る。アレンが振り返った。

 

「すみません。お邪魔でしたか?」

 

「…………」

 

 リオナは黙す。彼女は無言のまま、腕を組んだ。

 

(何か、閃いたのか……?)

 

 こちらを見据えるリオナだが、瞳は全く動かない。瞬きすらもしないので、見つめている、というよりは、ここ以外のどこかを見据えているようだ。

 アレンは彼女の思考を邪魔しないよう、そっと足音を殺して入口に向かう。

 が。

 

 すぅ――……っ、!

 

 リオナの険が、更に激しくなった。

 ぴたりと。

 アレンは足を止める。

 

「……あの。博士、本当に何かご用はありませんか?」

 

 三白眼になった彼女を振り返り、再び尋ねると、彼女はようやく眉間の皺を緩めた。さわさわと、忙しなく猫耳が動いている。リオナは変わらず、腕を組んだままだった。

 

「用など無い。言った筈だ」

 

 ぶっきらぼうに言ってくる。アレンは首を傾げながら、小さく頷いた。

 

「そう言えば博士。七六四年に、私がタイムゲートを通った際、遺伝子情報が書き換えられた可能性があると言っていましたが……、そんなことが本当に?」

 

 リオナは眉間に皺を刻み、どこか不機嫌そうにそっぽを向いた。忙しなく動いていた猫耳が、ぴたりと止まる。

 

「分からん。何せ、執行者(エクスキューショナー)に関する資料が少なすぎる。それに私はラインゴッド博士のようにFD空間の存在を、以前から知っていたわけでも無い。……だから」

 

 リオナは腕を解き、パソコンを閉じた。翡翠の瞳が、じ、とこちらを見上げる。

 

「だから、……タイムゲートがFD空間への扉と言うのなら、その影響がお前に出ていないか、確かめるべきだ。セフィラとやらを奪還した時、お前に異常が起きたと、あのアトロシャスからも報告があった」

 

 リオナに言われて、アレンは、はた、と瞬いた。

 セフィラ――。

 エリクール二号星、聖王国シーハーツに祀られているOut-of-Place Artifacts。通称『オーパーツ』と呼ばれる、解析不能な強力エネルギー体だ。それに触れて、アレンは一度、意識を失った事があった。

 ――そして、

 

「…………」

 

 アレンは自分の肩に触れる。セフィラに触れて意識を失った後、目が覚めた時に出来た奇妙な痣。

 この痣が出来てから数日経つが、一向に治る気配は無い。

 左肩を押さえているアレンに、リオナが眉をひそめた。

 

「……どうした?」

 

「少し、気になる事がありまして」

 

「?」

 

 首を傾げるリオナの前で、アレンはシャツの胸元をはだけた。

 

「っ!? 何を……!」

 

 目を白黒させるリオナを置いて、アレンは左肩を(あらわ)にする。そこに彫り物のような痣があった。

 痣を見やって、アレンは言う。

 

「実はセフィラを手にした後、こんなものが出来たんです。軍医のレベッカ先生にも診てもらったのですが、やはり異常は認められず……」

 

 言いかけるアレンを止めて、リオナは彼を睨んだ。

 

「貴様。何故、刀を解析している時に言わなかった?」

 

「それは……その。兼定に少し、興味がありまして……」

 

 決まり悪そうに、語尾を小さくするアレンを、じ、と見据えると、彼は居心地悪そうに俯いた。

 

「すみません……」

 

「…………ふん」

 

 リオナは鼻を鳴らすと、おずおずと、彼の左肩にある痣を覗き込んだ。

 三センチ平方程度の大きさの、黒い紋様だ。盃の上に乗った球、のようにも見える。二つの紐を幾重にも絡み合わせて、まるで知恵の輪のように繋げた逆三角形の盃と、その上に乗った球。――まるで紋章陣のようにも見えた。

 

「……これは」

 

 言って、リオナは痣に指先で触れる。アレンがくすぐったそうに、ぴくりと動いた。鎖骨下に出来た痣だ。ちょうど、胸筋との骨の窪みに当たる。

 リオナは痣をなぞってみた。紋章――だとすれば、その陣に意味がある。

 

「痛みや、疼きを覚えたことは?」

 

「ありません。FD人の宣戦布告があったという時も、特に何も……」

 

 首を振るアレンに頷き、リオナは痣をまじまじと見た。顔を近づけると、彼の香りがする。それに体を強張らせながらも、彼女は紋章紋章、と頭の中で唱える。

 唱えるが――、

 軍人。それも精鋭部隊に所属しているためか、頑強そうな胸板だった。首から鎖骨にかけてのラインが綺麗だ。痣を観察していたにも(かかわ)らず、リオナの視線が勝手に泳ぐ。こく、と小さく息を呑むと、彼女は、じ、と彼の肌を見据えていた。

 

「どうですか、博士?」

 

「ん?」

 

 不意に問われ、リオナは顔を上げた。

 

「っ!」

 

 思った以上に彼の顔が近く、彼女は、ばっ、とその場を離れた。ピコピコと、彼女の猫耳が震える。

 背を向けた彼女に向かって、アレンは軍服の前を閉めながら言った。

 

「一応、痣の写真も含めて、データをレベッカ先生に預けています。セフィラが作った痣だとすれば、これが紋章陣である可能性もありますので」

 

「そ、……そうか。分かった」

 

 今だ、ぴこぴこと耳を震わせながら、リオナは小さく頷いた。

 リオナ・D・S・ゲーステという女性は、あまり表情の変わらない。代わりに感情の変化があると、すぐ耳に表れる。耳が忙しなく動いている時は、驚いた時か、興味がある時だ。――その裏に恋愛感情が含まれていることは、アレンは知らない。

 故にアレンは、顔の近さに彼女が驚いたのだと解釈した。半分正解で、半分間違った解釈だった。

 彼はキュッと音を立てて襟元を締めると、小さく微笑った。

 

「それでは博士、私はこれで。――我々が戻るまでの間、連邦を頼みます」

 

「……ああ」

 

 彼の笑顔を見上げて、リオナは頷いた。蒼穹のような瞳は、相変わらず高潔で力強い。眩しく感じて目を細めるが、彼女は相変わらず、貼り付けたように無表情だった。

 ――その翡翠の瞳が、かすかに寂しげに翳る。

 一礼して、アレンが去っていく。リオナは見送って、目を瞑った。

 目上の者、対外的な者と話す時、アレンは必ず『私』という一人称を使う。彼より年上でありながら、彼が『俺』と称するのは、彼と親密な仲にある者だけだ。

 リオナは、多目的ルームの扉が閉まるのを聞きながら、じ、と翡翠の瞳を、床に向けた――。



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PA(プライベートアクション) ラインゴッド

「……やっぱり、私は貴方を許せそうにないわ」

 

 皆が部屋を出て行った後、マリアはロキシ・ラインゴッドに向かってそう言った。

 ロキシの視線が下がる。自嘲気味に笑った彼は、力無い瞳をしていた。

 

「……ああ。分かっている」

 

「分かっている? 父さんや母さんがどうして死んだのか、どうしてハイダにいた人たちまで巻き込まれなくちゃならなかったのか、貴方は本当に分かってて言ってるの!?」

 

 悲痛なマリアの声が会議室に響く。ロキシはハッと顔を上げ、マリアの顔をようやく見た。

 だがそれも数秒で――、彼はすぐに俯いてしまう。

 

「……すまない」

 

「っ!」

 

 マリアは、ぎり、と歯を噛みしめた。この男は、出合った時からそうだ。自分の知識に絶対の自信を持っているからか、それとも科学者故に事の重大性が分かっていないのか。

 他人の気持ちを考えない、自分本意な所がある。

 

「……どうして……!」

 

 マリアは右手で顔を覆った。怒りで声が震えたが、涙など見せたくない。 

 ――絶対に、この男にだけは。

 

「どうして……、どうしてそんな簡単に謝れるのっ!? 私は……、私達はっ! 一体貴方の何だって言うのっ!? 貴方の所為で……フェイトだって! あのソフィアって子だって……っ!」

 

「…………」

 

 ロキシはマリアの名を呼ぼうとして――その資格が自分に無い事に気付いた。沈黙以外に、返す術が無い。

 堪えていた熱い涙が、マリアの頬を滑り落ちた。

 

「ねえ? 私の父が、母が――ディック・トレイターとジェシー・トレイターが亡くなったのは、七年前なのよ……? なのにどうして、自分の子供に考える時間をあげなかったの? 何も知らずにバンデーンに追い回されて、フェイトやソフィアがどれだけ不安だったか、貴方は考えなかったのっ!?」

 

「私は……」

 

 ロキシが話し始めたのを確認して、マリアは、ぐ、と息を呑んだ。静かに拳を握る。何を言われても、ブレないように。

 だがロキシは、そんなマリアの覚悟を一蹴するように首を横に振った。

 

「君の責めは、甘んじて受けよう」

 

 静かにそう言ってくる。

 マリアは、悔しさで涙が滲んだ。そんな言葉が聞きたいのでは無い。何故こうも、この男は人の気持ちが分からないのか――。

 

(私は……何なの?)

 

 ラインゴッド研究所の研究記録によれば、博士達は“自分の子供”に遺伝子操作を施したと言う。

 その研究に携わったのは、三つの家族。

 一つは、トレイター家。

 もう一つは、エスティード家。

 そして、ラインゴッド家だ。

 マリアは育ててくれた両親から、「貴方は実の子供ではない」と聞いている。ジェシー・トレイターが死の際、マリアに向けて哀しげに、優しく微笑んで教えてくれた。

 どんな時も諦めるな、と言う言葉と共に。

 ならば――マリアの実の(・・)両親は。

 研究に携わっていないソフィアの母を慮って、エスティードの子供を家から離せなかったと考えれば。

 表向き“廃棄処分”だった自分は――、

 

 ラインゴッドの血を引く者だ。

 

「っ……!」

 

 考えたくなかった。認めたくもない。

 ロキシ・ラインゴッドの事を、マリアは出会う以前よりも許せなくなっていた。

 父の死を、母の死を――あの第十七宇宙基地の消滅を、彼はどう考えたのだろう。

 FD人と関係しないから、だから無事だと思ったのだろうか。

 それゆえ、フェイトやソフィアに、何も告げずに居たのだろうか。

 

 最後の選択肢を、自分達に明け渡しておきながら。

 

 勝手だった。

 それが、許せなかった。彼の話を聞けばなおさら。クォークとして、クリフ達の下で戦ってきた自分でさえ辛いと言うのに――。

 

「私は……逃げていたのかも知れない……」

 

 ぽつりとロキシが言った。マリアは袖で涙を拭って睨み据える。

 彼は、マリアとは視線を交わさなかった。茫洋と、自分の掌を見つめているだけだ。その顔を、じ、と見据えて――

 

「…………」

 

 マリアの怒りが――いつの間にか、どうしようもない絶望に塗り変わる。

 怒りの根源が、底の抜けたバケツのように抜け落ちていった。

 ――失望。

 マリアは激しい脱力感に見舞われながら、それでもロキシ・ラインゴッドを睨み据えた。

 

「……バンデーンに襲われる直前まで、私はフェイトやソフィアのことを、普通の子供だと思っていた。時が経てば経つほどに、あのタイムゲートでの出来事が嘘だったかのように、私の周りは平和だった」

 

 ロキシの声が、どこか遠い。マリアは自分の唇が、震えているのを感じた。

 

「母さんと連絡は取ってなかったの? 第十七宇宙基地が滅ぼされた時――私の父さんと母さんは、七年前のあの時に亡くなったのよ?」

 

「機密性の高い研究だったからな。トレイター女史が君を引き取ってからは、連絡の一切を取り合わなかった。少なくとも七年前のアールディオン侵攻の報告は、私は連邦から一般の者と変わらない情報しか与えられなかった」

 

「…………」

 

 マリアは押し黙った。ロキシを完全に信用したわけでは無い。ただ、反銀河連邦(クォーク)として多くの案件を抱えていく内に、“銀河連邦”という巨大組織の横暴なやり方を、彼女もまた、十分すぎるほど理解していたのだ。

 自尊心の高い連邦上層部が、観察対象である“生体兵器”の自分を見失った事を揉み消そうとするのは、十分に考えられた。

 

 マリアが十六歳の時。

 連邦の最新鋭艦・インビジブルが襲ってきた事を考えれば。

 

「はっ……」

 

 思わず、溜息が零れた。頭を押さえる。どうしてこうも、現実はマリアを嘲笑うように廻って行くのか。

 マリアは長い息を吐くと、顔を上げた。肩にかかった髪を払う。

 

「……ラインゴッド博士」

 

 マリアの声に、ロキシが顔を上げる。済まなさそうに、沈痛な面持ちを浮かべた彼は、罪悪感からかマリアと視線を交わすことすら出来ずにいた。だがマリアも、もうそんなことには構わない。

 彼女はいつだって、前を向いて歩くのだから。

 いつまでもラインゴッドの影に、引きずられたりはしない。納得できない部分は、それでも残っているけれど――。

 彼女はそれを脇に置くぐらいの、自分を守る術を身に着けていた。

 

「…………」

 

 拳を握り締める。ふと、未開惑星で出会った青年が脳裡に思い浮かんだ。少しも協調性が無くて、全然思いやりが無いくせに――自分を守ってくれた青年の顔が。

 あの時、自分を信じてくれた人。

 

(お願い……少しだけ、力を貸して)

 

 あまり面識が無い相手からこそ、マリアはそうつぶやいた。クリフやミラージュに頼ったらきっと、自分はそのまま依存してしまう。

 ――だから。

 

 ……やってみろ。

 

 無愛想に言ったアルベルを思い出して、マリアはこくりと頷いた。

 す、と青瞳に力が宿る。ロキシ・ラインゴッドを正面から見返すマリアは、反銀河連邦(クォーク)のリーダーの顔だった。

 

「ラインゴッド博士。もし貴方が、私やフェイト達の事を『希望』だと思うのなら――執行者達(エクスキューショナー)のこと、必ず解析して見せて。私は母から、ジェシー・トレイターから、最後まで諦めない心をもらったのだから」

 

「!」

 

 ロキシの視線が、ようやくマリアと合う。彼女は、力強く微笑っていた。

 

 ――“諦めない”。

 

 そうロキシにも誓ってくれと、マリアの青瞳が言っている。他は何も望まないからと。

 

「っ、っっ!」

 

 謝ることしか出来ない男に、少女はそう言うのだ。まだ二十歳にもなっていない年で、不甲斐無い男に向かって。

 

「……っ!」

 

 ロキシの頬を、涙が伝った。肩が震える。眼鏡を押し上げた彼は、無言のまま涙を拭き取った。

 それでも、次から次へと涙は溢れて来る。

 

 彼女の自由を奪ったのは自分。

 彼女の幸せすら護らず、他人に預けたのも自分。

 そして――その結果、彼女の悲しみとすら向き合えない自分。

 

「……っ!」

 

 ロキシは歯を食いしばった。

 何を言っても言い訳にしかならない。それが分かっていたから、謝ることしか出来なかった。

 視線を交わすことすら満足にしてやれない。

 マリアに何かしてやるには、言い残すには、自分はあまりにも怠惰過ぎた。フェイト達との日常に、ロキシは溺れ過ぎていた。

 平和な日常に。

 

(私は、大馬鹿者だ……!)

 

 ずっと、自分が作った“自己防衛機能”が彼等を守る――そんな安直な考えでいた。だが自分の傲慢を、子供達は証明してみせる。

 自分の予想を遥かに超えた所で、傷つきながらも前を向いて。

 そんな彼等にした事を、自分はどれだけ自覚していなかったのか。

 

「…………」

 

 今さらながら、気付いてしまった。

 彼等は何も、譲り受けた能力故に(・・)、ここに居るのではない。

 これは彼ら自身が勝ち取って、積み上げて来たのだ。自分達の未来の為に。信念の為に。

 

「マリア――」

 

「!」

 

 ロキシに名を呼ばれ、マリアは思わず息を呑んだ。顔を上げた少女が、不安そうな青瞳を揺らしている。その少女の顔が、今まで負った心の傷(トラウマ)が決して癒えた訳ではないと語っている。

 だから(・・・)こそ(・・)、ロキシはこの娘の顔を、目に、頭に焼き付けねばならないのだ。

 かつて研究を共にした、ジェシー・トレイターの為にも。

 今まで失って来た、多くの犠牲者達の為にも。

 そして――自分の為に。

 

「誓おう」

 

 ロキシはマリアを初めて正面から向かい、言った。拳を握る。フェイトに己の内を明かした時よりずっと、真摯な目でマリアを見据えた。

 力強く、じ、と。

 

「私は、何があっても諦めない。お前達に辛い戦いがあるように、私は必ず、何があっても執行者達の侵攻を食い止めて見せるっ!」

 

「……っ、」

 

 マリアは大きく眼を見開いた。

 数秒。

 

 

 …………

 

 

 彼女はサッと顔を背けると、拳を握ったまま言った。

 

「期待しているわ、ラインゴッド博士……」

 

「ああ!」

 

 力強く頷いたロキシは、そこで初めて――嗚咽する少女を抱きしめた。長い旅を続けた娘を、出迎える父親のように。

 

 マリアは初めて、人前で気を張る事無く、声を上げて泣いた。



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65.アクアエリー突貫

 ロキシ・ラインゴッドとリオナ・D・S・ゲーステの両名は、ムーンベースまでの安全性を考えて、航路上にある第十宇宙基地で下艦した。

 

 博士達と別れて六時間後――。

 

[惑星ストリームの周辺宙域に到着したのだが、どうやら問題が発生したようだ。すまないがブリッジに集まってくれたまえ]

 

 ヴィスコムの艦内放送を耳に、フェイトは首を傾げながらもブリッジに向かった。連邦最強艦たるアクアエリーは、ブリッジからしてディプロやイーグルよりも遙かに大きい。

 そのブリッジ中央に、背中で両手を組んで立つ男は、フェイトの足音を聞くなり振り返った。

 

「すまないね」

 

 ヴィスコムは一言断り、ブリッジに集まったクォークメンバーと、フェイト、ソフィア、そしてアレンとアルフを見やった。それからややあって、パネルを叩いていたセカンドオペレータが、画面を見据え、目を細める。

 

「提督、惑星ストリームまで後十七分ですが、周囲に強力なエネルギー反応があります」

 

「エクスキューショナーか……」

 

 嘆息混じりのヴィスコムの声。セカンドオペレータも、語気を落として頷いた。

 

「残念ながら、そのようです」

 

 ピピピッ、という電子音を立てて、画面に黒い生物――執行者(エクスキューショナー)の姿が映し出される。リオナが言った通り、尋常では無い数だ。姿や動きからして生物のようだが、宇宙空間を自在に浮遊できている。

 ヴィスコムは画面を見据え、唸った。あの、アールディオンをも、あっけなく陥落させた怪物達。

 背中で組んだ手に力が籠る。顔を上げたヴィスコムは、フェイト達を振り返った。

 

「……どうやら、君達を惑星ストリームへ転送降下させることは出来ないようだ」

 

「諦めるっていうの!?」

 

 マリアは大きく眼を見開いた。

 ヴィスコムが首を横に振る。

 

「まあ、待ちたまえ。そうは言ってないだろう? 君達には、アクアエリーが周回軌道に入る前に、シャトルで惑星ストリームに向かってもらう」

 

「……!」

 

 アレンが拳を握る。

 フェイトは嫌な予感を覚えながらも、ヴィスコムに尋ねた。

 

「提督。貴方達は?」

 

 問うと、沈黙が返って来た。少しの間を置いて、ヴィスコムが力強く笑い、頷く。彼は視線を、画面中央――執行者達(エクスキューショナー)に向けた。

 

「決まっている。エクスキューショナーを引きつけるのさ。このアクアエリーでな」

 

「そんな、自殺行為ですよ!?」

 

 放たれた言葉に、フェイトが息を呑む。ヴィスコムは覚悟を決めていた。晴々とするぐらい、精悍な表情。

 彼は執行者達(エクスキューショナー)を見据え、言った。

 

「しかし、それ以外に方法はない。君達を無事に送り届ける事が出来なくて残念だが、仕方のないことだ。……なに。私とてむざむざやられはしないさ。連邦最強のこの艦の力、奴等に見せつけて見せる」

 

 彼はフェイト、アレン、アルフを見る。それぞれが異なった表情だった。

 俯いたアレンが、ぎりりと奥歯を噛みしめる。アルフはヴィスコムに小さく頷き返した。フェイトが語気を荒げる。

 

「しかし!」

 

「おっさんの言う通りだ。俺も、その方法しかないと思うぜ」

 

「残念だけど……」

 

 釘を刺すように、クリフとマリアが後を追う。フェイトは思わず絶句した。ヴィスコムを見据えると、彼はもう一度力強く笑い、頷いてみせた。

 『任せろ』というように。

 

「…………」

 

 フェイトが俯く。

 エリクールで、タイネーブとファリンを囮にしたときのことが思い出される。あの時は、幸運にも二人を死なせずに済んだ。だが、今度は――。

 

 連邦が長年対決していた、アールディオン帝国を短期間に滅ぼした相手。

 連邦の宇宙基地を、ものの数分で撃墜できるほどの相手。

 戦艦一隻では到底――……、

 

 そう思うと、苦しかった。

 

(ダメだ、そんなこと……!)

 

 フェイトは首を振る。ヴィスコムの言う事は理解できる。だが納得出来ない。

 そんな時だ。

 ヴィスコムが小さく、苦笑した。ふわりと場の空気が和らぐ。ヴィスコムの苦笑先は、フェイトでは無かった。

 

「少しは、私を信頼してくれないか? ……アレン」

 

「え?」

 

 不意なヴィスコムの言葉に、フェイトは顔を上げ、隣を見た。傍らのアレンが、顔をゆがめて押し黙っている。彼の握った拳が、震えていた。

 アレンがまた俯く。

 フェイトは思わず、口を噤んだ。

 

(…………)

 

 言葉は無い。

 ただ、アレンの押し殺した感情が、見えるようだった。フェイトよりもずっと深い、ヴィスコム達への想いが。

 アルフが、ぽん、とアレンの肩を叩く。

 

「行くぜ、アレン」

 

 促すアルフを、アレンは押し止めた。拳を握り、ヴィスコムを睨むように見上げる。

 蒼穹の瞳が――、ぴたりと震えを止めた。

 

「……私に、別シャトルに乗る許可をください。提督」

 

「アレンっ!」

 

 低く言うアレンを、ヴィスコムが叱責する。

 しかしアレンはヴィスコムを見据え、続けた。

 

「私は、私のやり方で、任務を遂行して見せます。特務第一小隊、アレン・ガードの名に懸けて」

 

「ダメだ。お前には、フェイト君達と共に行く責務がある」

 

「その為の、別シャトルです」

 

「………………」

 

 険しい表情でヴィスコムは目をつむり、長いため息とともに首を横に振った。

 押し黙ったヴィスコムの眉間に、深いしわが刻まれる。アルフが嘆息した。

 

「その辺にしとけよ、アレン。お前の気休めにアクアエリーを巻き込むな。――軍人なら、覚悟してるだろ」

 

 いつになく、力の籠ったアルフの声だった。

 アレンは、アルフを振り返る。

 

「覚悟はしている。だが、やれる事をやった後での話だ。それに今回はもしもの場合にお前も、クリフもいる。……いくら無茶でも、ここでやっておかなければ俺は一生後悔する。だから」

 

 アルフが拳を振り切った。

 

 ドゴッッ!

 

 ぶつかった拳が、アレンの頭をボールのように跳ね飛ばす。凄絶な轟音。一瞬、視界を白くさせた光に、マリア達が息を呑むと同時、アレンの膝が、がくりと落ちた。

 

「ふざけんなよ」

 

 恐ろしく冷えた、アルフの声。アレンはアルフを睨み上げた。

 

「ふざけてなどいない!」

 

 恫喝が、空気を震わす。艦内に緊張が走った。

 アレンの眼光が宿る。鋭く、強い意志を孕んだ蒼い瞳だ。それに対するアルフも、紅瞳が冷徹に底光っていた。蒼瞳と紅瞳が、正面からぶつかり合う。

 アレンは静かに言った。

 

「お前も知っているだろう……。この兼定の威力を」

 

 感情を押し殺したアレンの言葉に、アルフは失笑した。

 

「俺も言った筈だぜ。宇宙空間じゃ意味がない。このアクアエリーで剛刀(ソレ)を振るったら、全員心中だってな」

 

「紋章術なら、問題ない」

 

「なら、それで戦艦のクリエイション砲を超えられるってのか?」

 

 失笑するアルフ。アレンはこくりと頷いた。兼定を、握り込む。

 

「バンデーン艦隊は落とした。それに、あのFD空間から放たれたエネルギーも」

 

 アルフが黙る。彼は無言で兼定を見据え――、もう一度、冷えた紅瞳をアレンに向けた。

 

「……言うじゃん」

 

「確証は無い。――だが、賭けたいんだ! 頼むアルフ、提督!」

 

 アレンが、狂人と提督を見る。両者、共に頷くには難しい顔だ。

 しばらくの沈黙。

 アルフは肩をすくめた。ヴィスコムを見る。

 

「提督」

 

「……そうか。エリクールにいた時、我々の近くを通過した宣戦布告は、お前が……」

 

 ヴィスコムがつぶやき、アレンを見た。この青年のどこに、そんな力があるのか分からない。だが青年は、こういう場面で嘘をつく人間ではない。

 ヴィスコムは小さく、苦笑した。

 

「……いいだろう。ただし、条件がある」

 

「?」

 

 アレンが顔を上げる。ヴィスコムの代わりに、アルフが言った。

 

「俺も、その別シャトルに乗る。お前一人じゃ、護衛任務を忘れて敵の殲滅を優先させそうだからな」

 

 肩をすくめるアルフの提案に、ヴィスコムは頷いた。狂人と言われる男は、それだけに手段を選ばない。――しかし、効率的な結論を下す彼だからこそ、ヴィスコムも安心して一任出来るのだ。

 

「そういうことだ」

 

 小さく笑むヴィスコムに、アレンは頷いた。

 

「有難う御座います、提督!」

 

 敬礼したアレンは、小型艇へ駆けて行った。

 

 

 …………

 

 

 話の段取りがついたところで、ヴィスコムはブリッジクルーを見渡した。

 艦長席にあるマイクを、onにする。

 

[全艦のクルーに告ぐ。諸君、これから行う戦闘は人類の命運を賭けた戦闘だ。このアクアエリーのクルーは連邦一、いや銀河一のクルーであることをここで証明しよう。たとえ滅びが神の意志であろうとも、我々はそれに逆らい生き延びることを選択しようではないか!]

 

 力強く言い放ったヴィスコムに、席から立ち上がった軍人達が一斉に湧いた。

 

「任せて下さい!」

 

「やってやりましょう、艦長!」

 

「奴等に一泡吹かせてやりますよ!」

 

 ガンッ、と鋭く拳を叩く彼等に、ヴィスコムは頷いた。

 

「行くぞ! 我が盟友達よ!」

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

 小型艇(シャトル)に乗り込んだマリアは、着席するなり嘆息した。

 

「……妙な話になっちゃったわね」

 

「まあな」

 

 クリフが頷く。彼等の視線の先にあるのは、カルナスという機動力特化の小型艇だ。クリフは眼を細めた。

 

「けどよ。アクアエリー(ヤツラ)に借りを作ったままってのもシャクだ。――それに、アイツなら本当にやるかもしれねぇしな」

 

 いつになく真剣な表情のクリフに、フェイトも頷いた。

 

「ここは信じるしかないよ。あいつを」

 

「だな」

 

 フェイトを一瞥するクリフに、マリアは難しい表情で顎に手をやった。伏せた目が、物憂げに翳る。

 

「……そうね。そんな奇跡が、もし本当に起こるなら」

 

 つぶやくマリアに、フェイトとクリフは同時に頷いた。

 

 

 

「フェイズエンジン始動。出力8.36e2/s。二十七秒後に発進(リフト・オフ)可能」

 

「了解。二十七秒後発進(リフト・オフ)し、戦線に突入する。進撃軌道(ルート)算出――敵エクスキューショナーとの距離、およそ二十光年。発進後、ルートdから二十秒で戦線に入る」

 

「なら、もう始まったようなもんだな」

 

 計器類から顔を上げ、アルフが苦笑する。アレンが振り返らずに笑った。

 

「降りるなら今だぞ、アルフ」

 

「誰に言ってるつもりだ? アレン」

 

「そうだな。……行こう!」

 

「了解。推力1/4に保ち、発進する。通信班(オペレータ)、指示を」

 

 通信機に向かってアルフが促すと、アクアエリーのセカンドオペレータが答えた。

 

[了解。十秒後に三番ハッチを開放。健闘を祈る]

 

「アンタもね」

 

 何気ないアルフの言葉に、セカンドオペレータが息を呑んだ。アクアエリークルーとの付き合いは長いが、彼がそんな事を言うとは思わなかったらしい。二秒ほど沈黙して、通信機の向こうで、セカンドオペレータが微笑う気配がした。

 そして――、十秒後。

 彼女の声と共に、ハッチが開く。

 

[三番ハッチ開放。……気を付けてね、二人とも]

 

「了解」

 

 同時に言ったアレンとアルフは、執行者(エクスキューショナー)の待つ、星の大海へと向かった。

 

 

 

 アクアエリーのクリエイション砲が、宇宙の闇を裂く。と、惑星ストリーム周辺を浮遊していた執行者が、緋色の瞳を向ける。

 

――グォオオオ……!――

 

 彼等は一声鳴くと、内、ニ体がアクアエリーへと向かって来た。

 

 シュパァンッッ!

 

 副砲のフェイズキャノンが、執行者の脇をかすめる。続いて、二、三、四、五……アクアエリークルーのガンナーの腕を持ってしても、当たらない。

 

「……速ぇ」

 

 滑るように動く執行者を追いながら、アルフはつぶやいた。

 ガンナーが悪いのではない。狙い打つ副砲より、執行者が速いのだ。つまり、光速より速い。だが、ガンナーもさすがだ。八発目あたりから、執行者を副砲がかすめている。本来ならば、かすめた時点で相手は即死だ。副砲と言えども、エネルギーは1.6もある。

 だが、執行者はアルフ達の常識を超えて、健在。

 執行者(エクスキューショナー)の『速力』、『攻撃力』、『防御力』が、いずれも連邦艦に比べて桁外れというのは、疑いようも無くなった。

 目を細めるアルフを置いて、アレンが操縦席を立つ。

 

「やんの?」

 

 尻目に、アルフが問う。アレンは頷いた。呼応するように、兼定がカシャリと鳴る。

 

「そ」

 

 アルフも頷き、立ち上がった。アレンが目を丸くする。

 

「どうするつもりだ?」

 

 アレンが問うと、アルフは嘆息混じりに肩をすくめた。

 

「単体より合成魔法――だろ?」

 

「……恩に着る。アルフ」

 

「一応、提督の世話になってるからな」

 

 アレンは頷き、兼定を抜き払った。既に臨戦態勢に入っているように、刀身が青白く光る。アレンは柄を握りこんだ。

 

「何から行く?」

 

 確認するアルフに、アレンは画面の執行者を見、蒼瞳を細めた。

 

「奴等は、連邦艦隊よりも上の技術を持っている。……だろ?」

 

「了解」

 

 頷いたアルフが、詠唱に入る。

 アレンは兼定を、正眼に構えた。

 

 すぅ――――……、

 

 気が通る感触。兼定から力が流れてくるのを感じながら、アレンは精神を集中する。

 ――その時、

 

 ズドォオ――ッッ!

 

 アクアエリーのクリエイション砲が、ついに執行者を捉えた。副砲で執行者の退路を断ち、そこを仕留めたのだ。

 瞳と同じ、緋色の闇を振りまいて、執行者の一体が消し飛ぶ。

 それを見たもう一体の執行者が、星の大海に向かって吼えた。

 

――グォオオオオ……!――

 

 まるで慟哭のような、怒りの咆哮。

 消滅した同胞(エクスキューショナー)から、ゆっくりとアクアエリーに向き直った生き残り(エクスキューショナー)は、ざっ、と掌を広げた。

 執行者の掌に、急速に紋章力が集う。

 

(――ッ!)

 

 思わず顔を上げたアレンは、執行者を睨んだ。執行者の手に、緋色の紋章陣。

 地球を襲った、あのエネルギーだ。

 アレン達の紋章が出来上がるまで、後五秒。

 

(兼定――!)

 

 祈るような気持ちで、アレンは柄を握る。

 四、

 執行者の掌に浮かんだ緋色の紋章陣が、球体(スフィア)を象る。

 三、

 球体はキラリと輝くと、執行者がそれを、アクアエリーに向けた。

 二、

 執行者が発射する。

 

「――っ!」

 

 冷や汗が、アレンの背を伝う。

 そして。

 

 キィ――……、

 

 緋色の紋章陣が、アクアエリーを貫いた。球体(スフィア)状に展開された紋章陣が、ドーナツ状に変化し、アクアエリーを囲む。

 戦艦に向けた、執行者の掌が緋色に光る。

 魔力制御。

 アレンは、執行者が掌を握れば終わると感じていた。兼定が、壮絶に光る。

 

 キィイイイイイ……!

 

 兼定の(こえ)だ。アレンと、アルフの紋章陣が完成した。

 

「行くぜ、アレン」

 

「ああ!」

 

 アレンが右手を、アルフが左手を掲げる。

 

「メテオスォーム!」

 

 現紋章学には登場しない――旧世代の最強紋章術。幾多もの隕石が、朱雀の炎を孕んで執行者を襲う。

 だが。

 紋章が発動すると同時、執行者が掌を握っていた。

 緋色の紋章に囲まれたアクアエリーが、

 

 ――ズドォオオオ……ッッ!

 

 轟音を立てて、消滅した。

 ――船尾が、丸ごと。

 かろうじて生き残った船首も、激しく損傷し、燃え盛っている。艦隊に走る火花が、悠然と語っていた。――アクアエリーが、堕ちると。

 

「提督っっ!」

 

 アレンが通信機にかじりつく。ややあってから、雑音混じりにヴィスコムが応えた。

 

[……頼む、ぞ、……そして、生き……れ……]

 

 『生き残れ』とヴィスコムの口が動く。力強く笑った彼は、揺れる画面の中に消えた。

 

「提とっ、――!」

 

「……回線がイカレやがった……!」

 

 ちっ、とアルフが舌打つ。生き残っていた執行者は、合成紋章術で消滅した。

 画面上から、執行者の(グリッド)が消える。そして、味方(アクアエリー)(グリッド)も――。

 

「………………」

 

 重苦しい沈黙。

 アルフは舵を取った。

 

「行くぜ、アレン」

 

「……ああ」

 

 アレンは震える拳を握ったまま、ゆっくりと小型艇(シャトル)の天井を見上げた――。

 

 

 

 

 大型画面に映ったアクアエリーが、炎上し――爆発する。

 シャトルは、すでに惑星ストリームの周回軌道に入っていた。だが、事の成り行きを見守っていたマリアは、モニターから目を離して、静かに首を振った。

 

「……アクアエリーの反応が消滅したわ」

 

「っくそ!」

 

 フェイトが歯を噛む。

 ソフィアはただ悲しそうに、食い入るように、爆発したアクアエリーを見つめていた。

 悲壮感が、広がる。それを、クリフが押し止めた。

 

「オレ達には悲しむ前にやる事があんだろ!? タイムゲートから一キロメートルの地点に着陸する。行くぞ!」

 

 叱咤するクリフ。彼の膝の上では、拳が硬く、握られていた。

 

 

 

 

 …………………

 …………



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66.それぞれの戦い

 惑星ストリームは、砂塵に満ちた荒野が広がっていた。そこでフェイト達を待っていたのは、おぞましい光景。――鮫のように尖った鼻先と、何対にも広がった鋭い翼。人間のような、上半身を持った黒い生物。

 執行者(エクスキューショナー)が横行する世界だった。

 

「予想通り、ゴロゴロいるわよ。皆、覚悟はいい?」

 

 執行者の群れを見据え、マリアは一同を振り返った。

 その時だ。

 連邦軍人二人の覇気が爆発するや視界が蒼と紅に――、そして白に染まった。

 

 ……ォオオオオ――……ッッ!

 

 音にもならない音が、ストリームを駆ける。朱雀の炎を纏った蒼竜と、鳳凰の炎を纏った蒼竜が混ざり、更に強大な龍と化す。

 ――金色の、巨大な竜に。

 惑星ストリームの、目につく場所にいた執行者達が、全て消滅していった。

 それを見据えて、狂人は言った。

 

「御託はいい。とっとと行こうぜ」

 

 ぽんぽん、とレーザーウェポンの峰で肩を叩く。アレンも、兼定を納めようとはしなかった。

 フェイトは一瞬、二人を見据えて悲しげに表情を曇らせたが――、表情を引き締めると、力強く頷いた。

 

「一気にタイムゲートまで行くぞ!」

 

「任しとけってんだ!」

 

「うん!」

 

 鼓舞するフェイトに、クリフとソフィアが頷く。と。クリフは、元々殺伐としたストリームの地表が、更に抉れているのを一瞥した。

 

「こっちにゃ、強力な助っ人もいるしな」

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

「これが……、タイムゲート」

 

 大地と、空。それ以外はなにもないこの惑星で、唯一、文明があったことを示す建造物。

 タイムゲート。

 フェイトは、その十五メートルほどの巨大な物体を見上げた。

 白い石のようなもので出来た、縦長い長方形の門だった。接合面も無い。これは元々こういう形の石だった、と言われれば納得してしまいそうなほど、人工的だが人工的ではありえない代物だった。

 門と言うより、巨大な鏡枠のようだ。

 クリフがアレンを一瞥した。

 

「間違いねぇよな?」

 

「ああ」

 

 頷いたアレンは、タイムゲートに歩み寄った。

 瞬間、

 

 ゴゴゴゴゴ……っ!

 

 地響きを立てて、タイムゲートの石が動いた。二重枠になっていた門が回り、上辺の石を中心に交差する。

 交差し開いた石枠が、映像を映し出した。背後に細かな字が流れ、いくつもの小さな映像が、早送りのようにくるくると変わっていく。

 フェイトは驚いたようにアレンを見た。

 

「お前……!」

 

「これは通常動作だ。誰が近付いてもこうなる」

 

 言ったアレンは、ソフィアを見た。顎に手をやったマリアが、頷く。

 

「コネクションの紋章遺伝子……。空間を繋ぎ、道を開くのは貴方、と博士は言っていたわね」

 

「でも私……、そう言われても、一体どうしたらいいのか……」

 

「……そうか。そりゃそうだよな」

 

 戸惑うソフィアに、クリフが頷いた。

 どうしたものかと思いあぐねる一向に、ソフィアが俯いてしまう。

 

「……ごめんなさい……」

 

「何だよ、お前が謝ることじゃないだろ?」

 

 フェイトが優しく笑う。ソフィアは顔を上げて、少しだけ笑った。やはり、申し訳なさそうに。

 アレンがタイムゲートと、そしてソフィアを一瞥したあと言った。

 

「タイムゲートは紋章に反応する。だから、多分――」

 

「……ソフィア。もうちょっとタイムゲートに近づいてみよう」

 

 アレンの言葉に続きを察したフェイトが、は、とした顔になってソフィアの手を引き、タイムゲートに近づいていく。

 と。

 

「あ……」

 

「どうした!?」

 

 フェイトが振り返ると、ソフィアは右手を、そ、と押さえていた。彼女の右腕に、紋章力が集まっていく。

 

「手が、熱いの……!」

 

「ビンゴ」

 

 アルフがつぶやくと同時、ソフィアは右腕を、タイムゲートにかざした。

 彼女の右腕に、紋章陣が宿る。

 

 キュィイイイイ……!

 

 集った紋章が、タイムゲートに向かって放たれた。

 

「きゃっ!」

 

 ドンッ、という小さな爆発音と同時、紋章がタイムゲートに放たれる。その反動で、ソフィアは尻もちをついた。

 

「だ、大丈夫か?」

 

 フェイトが駆け寄る。すると、小さく頷いたソフィアが、自分の右腕を見つめていた。

 腕を囲うように、紋章陣が、まだ光っている。

 

「私……、一体……」

 

 紋章を受け止めたタイムゲートの画面が、投石された水面のように波紋を描いた。波紋は大きく揺れ、そして次第に――一つの、街を映し出す。

 揺れる街の映像を見つめて、クリフが参ったように肩をすくめた。

 

「オイオイ、なんだこりゃ?」

 

「FD空間だろ。ラインゴッド博士の理論が正しければな」

 

「いや、FD空間ったってお前……」

 

 忙しなく頬を掻くクリフに、フェイトが、いや、と力強く首を振った。

 

「たぶん、アルフの言う通りだと思うよ。……何となくだけど、感じる。ここがFD空間なんだ」

 

「私も……そう感じる」

 

「体の奥の何かが、そう言ってるんです」

 

 頷き合う三人を見、アレンはタイムゲートを見上げた。

 ――かつて、自分を十二年後の世界に送った門を。

 

「…………」

 

 目を細める彼に、フェイトが言った。

 

「行こう。この先に、倒すべき創造主がいるんだ!」

 

 フェイトの言葉に、アレンを始め、クリフ達が力強く頷いた。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 

「……、ぅ……!」

 

 瞼を開けると、天井と――黒い影が見えた。じ、と影を見る。すると影は、あ、と声を上げた。人の頭だったようだ。

 ぼんやりとした思考の中、人――彼女が嬉しそうに笑うのが見えた。

 

「提督! 気がついたんですね!」

 

 ナツメだった。

 はた、と瞬いたヴィスコムは、質問しようとして――鋭い痛みに顔を歪めた。見れば、彼の胴を包むように、包帯が巻いてある。

 

「っ、ナツメ……。アクアエリークルーは……っ! アレン達はどうなったのだ!」

 

 痛みに脂汗を浮かべながらも、ヴィスコムが問う。すると、はた、と瞬いたナツメが、困ったように表情を曇らせた。

 

「え、っと……」

 

「危ない所だったわね。ヴィスコム提督」

 

 こつこつという(ヒール)音と共に、一人の女性が部屋に入ってくる。腰まで伸びた金髪が、透けるような白い肌の上で、彼女の歩調に合わせて軽やかに跳ねる。完璧な肢体と、完璧に整った美貌。彼女の額で第三の瞳が、双眸と同じ、琥珀色の光を放っていた。

 

 オフィーリア・ベクトラ。

 

 ジェネシス星系を統べる、若き宗主だ。こつ、とヒールを鳴らして、オフィーリアがベッド脇に立つ。シンプルな中にも高貴さを感じさせる黒いドレスのスリットからは、彼女の白く長い脚が覗いていた。

 

「現在、本艦は惑星ストリームから三万光年ほど離れた所にいるわ。貴方のアクアエリーが爆発する寸前、ウチのクルーが、アクアエリーの船首に居た全乗員を転送収容させたの。……もっとも、この(ル・ソレイユ)で息を引き取った者もいるけれどね」

 

 静かに語るオフィーリアに、ヴィスコムは俯き、頷いた。

 

「命を救ってもらって感謝するよ。ベクトラ嬢」

 

 礼を伸べるヴィスコムを、オフィーリアは堅い表情で制した。彼女の声音が落ちる。

 

「それよりも提督。貴方なら知っているでしょう? ……アレンは、船尾に居たの?」

 

「!」

 

 ナツメがびくりと顔を強張らせる。オフィーリアの瞳は、一切の誤魔化しを許さないように、ぴたりとヴィスコムを見据えていた。

 

「どうなの? 提督」

 

「アレンとアルフは特務だよ。我が艦が撃墜される前に、シャトルで惑星ストリームに向かわせた」

 

「ストリームに、ですか?」

 

 首を傾げるナツメに、ヴィスコムは頷いた。

 

「そうだ。そこに、執行者を送って来た元凶が潜んでいる」

 

「……入れ違い、というわけね。まったく……あの子と来たら、ナツメに言付けるだけで、私に挨拶も無く……!」

 

 忌々しげにオフィーリアが拳を握る。

 と。

 艦内放送が医務室に響いた。

 

[オフィーリア様。至急ブリッジまでお越しください]

 

「どうしたの?」

 

[……地球が、壊滅しました]

 

「!?」

 

 息を呑んだ三人は、思わず顔を見合わせた――……。

 

 

 

 

 タイムゲートの、FD空間の街に向かって跳び込む。すると視界が白く染まり――、映像の中の街に入った。

 視界が、開ける。

 地面の感触を得て、フェイトは腰の剣を一気に引き抜いた。剣を握ったまま、鋭く視線を左右に動かす。

 

「エクスキューショナーはどこだ!?」

 

 マリアが、銃のグリップを握りながら笑った。

 

「さあ……。とにかく、ここがFD空間のようね」

 

「なら、やる事は一つだ」

 

 つぶやくアレンも、抜き身の兼定を構える。が、視界に入ったのは、茫羊とした平らな街。文明は極めて高度だが、活気の無い街だった。

 

「きゃぁああっっ!」

 

 街の女性が、こちらを見据えて目を剥く。恐怖と言うより驚愕と言った方が正しい顔。彼女の声に足を止めた男性が、フェイトを不思議そうに見た。

 

「なんだ?」

 

「エターナルスフィアのディスプレイから、何か出てきたよ」

 

 男性の連れていた女の子が、きょとん、と瞬きながら言った。人が集まってくる。だが、まるで殺気が無い。誰もが不思議そうな顔をしているだけで、民衆に敵意は無い。

 アレンとアルフは、背後を振り返った。――そこに聳える、巨大画面(スクリーン)を。

 

「まさか、画面から……?」

 

 つぶやくアレンに、アルフはソフィアを見、笑った。

 

「味な真似するじゃん」

 

「あ、あの……」

 

 戸惑ったように、ソフィアが目を泳がせる。クリフは集まった人だかりを見据えて、眉をひそめた。群衆から、新手のパフォーマンスか? と首を傾げる声が聞こえてくる。

 

「オイオイ、敵の本拠地ってのはもっと緊迫感があるんじゃねぇのか、普通?」

 

「…………踊らされているのは、俺達だけと言うことかっ!」

 

 忌々しげに歯噛みするアレン。兼定を握る手に、力が籠る。

 アルフは肩をすくめた。

 その時だ。

 好奇の眼差しでこちらを観察する人の群れから、少年が走り寄って来た。

 

「ねぇねぇ、お兄さん達。今、エクスキューショナーって言ったの?」

 

 十歳くらいの少年だ。薄緑色の髪に、大人しそうな面立ち。どこにでもいそうと言えば、それまでの少年だが、『FD空間』という前提条件があるだけで、彼の無邪気さがどこか不気味だった。かと言って、少年も他の人間同様、敵意や殺気を持っているわけではない。

 ――本当に、『普通』の少年だ。

 フェイトは相手の意図が読めないまま、歯切れ悪く頷いた。

 

「あ、ああ……。君は一体……?」

 

 問うと、少年は嬉しそうに笑った。

 

「僕はフラッド・ガーランド」

 

「そんなことを聞いてんじゃねぇんだがな」

 

 険を含んでつぶやくクリフに、少年・フラッドは慌てて手を左右に振った。

 

「あ、大丈夫、大丈夫! 僕は敵じゃないからさ。ウチにおいでよっ。多分、お兄さん達の知りたい事が分かると思うんだ」

 

「………………」

 

 アレンとアルフの瞳が冷える。途端、少年はひっと息を呑んだ。笑顔だった彼の顔色が、一瞬で蒼白に変わる。いくつもの死線をくぐり抜けた軍人の殺気だ。フラッドが恐怖するのも無理は無い。

 カタカタと震え出す少年に、クリフが嘆息した。

 

「ま。こんな子供に、俺達をどうにか出来るとは思えねぇがな」

 

「ええ。それに情報を集める必要はあると思うわ」

 

 マリアは制するように、アレンとアルフを一瞥した。数秒。アレンは少年から背を向け、アルフは小さく肩をすくめて殺気を解いた。

 アクアエリーの事で、感情的になっているのだろう。

 惑星ストリームからこちら、ずっとこの調子の二人を、フェイトは咎められなかった。

 

「……行ってみよう。どうやら、この子はエクスキューショナーについて何か知っているみたいだし。多少の危険は承知でいかないと」

 

 フラッドを見据え、フェイトが言うと、クリフが頷いた。

 

「虎穴に入らずんば虎児を得ず、ってやつだな」

 

「二人も、それでいいでしょ?」

 

「ああ」

 

 問うマリアに答えたのは、背を向けたアレンだった。

 ソフィアが心配そうに、アレンとアルフを見る。ごくりと息を呑んだ少年・フラッドは、フェイトに向かって言った。

 

「早くしないと、セキュリティサービスがやってきちゃうよ! 早く、早く!」

 

 フラッドが走り出す。フェイト達も彼の後に続いた――。

 

 

 

 

 惑星ストリームから、オフィーリアはすぐにテトラジェネシス第一衛星に向かうこととなった。

 ジェネシス星系と、その他周辺惑星の重鎮と会合し、今後の指針を決める為だ。

 別動隊として艦を降りたナツメは、今、第五宇宙基地・ムーンベースに来ていた。ここで執行者の解析を進めているラインゴッド博士と連絡(コンタクト)を取るのが、彼女の仕事だ。

 

 第五宇宙基地・ムーンベース。

 研究施設を中心とした地球の衛星基地は、研究所の多い研究エリアを囲むように、娯楽エリアと居住エリアがある。機密保持のため、博士達のいる研究エリアには、居住-娯楽エリアから徒歩で向かうしかない。

 まだ十にも満たない年の頃、アレンと一緒に訪れた場所を懐かしむように眺めながら、ナツメは研究エリアに向けて駆け出した。

 

(早く、みんなと合流しないと!)

 

 執行者の猛威は、すぐそこまで来ている。いつもは人で賑わう通路も、今は皆、避難所にいるのか。人っ子一人見当たらなかった。

 ――その時だ。

 

 べしっ!

 

「痛っ!?」

 

 突如、背中に衝撃が走り、ナツメは前のめりに倒れた。痛たた、と呻きながら背中――腰の辺りをさする。少女が不思議そうに周りを見渡すと、少し離れた所に、自分を打ったと思われる石が転がっていた。十センチ大の小石だ。

 

「……石……?」

 

 ――この、ムーンベースに?

 首を傾げた瞬間。頭上から、声が降った。

 

「覚悟しなさいっ!」

 

 高い声だった。ナツメは顔を上げる。すると、誰も乗らないような巨大コンテナの上に、人がいた。

 びしっ、とこちらを指差している。

 その『人』は言った。

 

「あんた達がやってきたおかげで、アタシ達の公演がまた潰れちゃったじゃないのよっ! 稼ぎが減って、お~損だわっ! さあ、どうしてくれようかし――って、あれぇ?」

 

 女の子だった。銀色の長い髪を、高い位置で左右に結っている十二歳ぐらいの女の子。百三十センチの小さな身体を、目一杯動かして、彼女は怒りを表現した。褐色の肌に長い銀髪が良く映える。痩身の彼女はしかし、ナツメを見ると意外そうに目を丸め、首を傾げた。ナツメも同じ顔で尋ねる。

 

「え、っと……どちら様ですか?」

 

「あれれれ~? どうして~!?」

 

 女の子――スフレ・ロセッティは、呆気に取られたように何度も翡翠の瞳を瞬く。が。すぐに正気に戻ると、ぱんっ、と両手を合わせた。

 

「ご、め~んっ! アタシ、てっきり君が避難勧告の総元だと思ったから……。ホントにごめんねっ!」

 

 すまなさそうに謝るスフレに、ナツメは不思議そうに、はぁ、と頷いた。

 

 ――十分後。

 

「ふ~ん……、そんなことがあったんだねっ」

 

 得心が言ったように、スフレが頷く。彼女の身体がふわりと動くと、両足の靴の甲についた鈴が、しゃんしゃんと鳴った。動きやすそうな薄手のピンク色の衣装に、背中と両手首に伸びる赤いケープ。

 どこか浮世離れした服装だと、ナツメが思うのも当然で、スフレは『ロセッティ一座』というサーカス団の団員ならしい。

 

(……ん? ロセッティ一座……?)

 

 ナツメは首を傾げながら、そう言えば誰かがそのサーカス団のファンだったような……と、しばらく思案した。

 思い出せないまま、スフレに連れてきてもらったのは、今、ムーンベースにいる人達が固まっている避難所だ。スフレの話から推測すると、急に避難命令が出て、ここに閉じ込められたらしい。

 地球はすぐに破壊されてしまったが、月はまだ執行者の手が本格的に伸びておらず、無事だったのだ。まさに幸運と言わざるを得ない。

 スフレ達一般人には、『執行者』のことはまだ伏せられているようだった。

 ナツメは『執行者』という言葉だけを伏せ、ムーンベースの研究エリアにいる、博士達を訪ねていることを話した。

 

「ええ。ですから、私は急いで研究エリアに行かねばならないんです。ところで、スフレさん、でしたよね。お嬢さんはどうしてこちらに?」

 

 問うと、避難所のコンテナの上に、ぴょんと飛び乗ったスフレは、にんまりと笑った。

 

「アタシ達は当然、公演をしに来たんだよっ♪ だけど、その準備してたら急に避難勧告が出てさっ。こんな所に押し込められたってわけ。――で。ムシャクシャしたから、避難勧告の元にでも一発くれてやろうかと思ったんだよねっ☆」

 

「……んな、無茶な……」

 

 少しも悪びれた様子無く、えへへ、と笑うスフレに、ナツメは困ったように眉根を寄せた。民間人の不安を和らげる為に『執行者』の名を伏せたのが、逆に災いしたケースだ。連邦の宇宙基地が既に、十数個破壊されている。それを画面越しとは言え、目の当たりにしたナツメの表情は暗かった。

 スフレの行動は、無謀としか言いようが無い。だが彼女は、そんな危険など歯牙にもかけず、ナツメを見上げて笑った。スフレはコンテナの上から、ぴょん、と飛び降りる。

 

「でもさ。何もしないよりはいいと思ったんだ。何か悔しいじゃん? やられっぱなしってのはさっ」

 

「そりゃあ、そうですけど……。危険なことには変わりはないんです。スフレさんはこれ以上動いちゃダメですよ! 大人しく、ここでじっとしてて下さいね」

 

 めっ、と人差し指を立てて、言い聞かせるようにナツメが言うと、スフレは不服そうに視線をそらしながらも、

 

「うん……」

 

 とだけ、頷いた。

 

 

 

 

 高速航宙艦を降りるなり、颯爽と歩き出したオフィーリアは、すぐさま軍法会議所へと向かう。列席者は既に顔を揃えていた。彼女は小さく頷き、議長席に座る。

 オフィーリアを除き、全員が五十代中盤以降の大物政治家だ。オフィーリアの二倍、三倍の年を重ねた彼等を相手に、彼女は少しも臆さず、口火を切った。

 

「既に聞き及んでおられるように、現在、この銀河には未曾有の混乱が押し寄せています。銀河の2/3を掌握する一大勢力。銀河連邦の総本拠地、地球が殲滅したのはつい先日であり、この先、連邦が今までのように戦線を率いるのは非常に難しいでしょう。故に私は、テトラジェネシス宗主として、我々こそが、残存勢力の旗となる事を提案します。――反対者は立席下さい」

 

 作り物のように整ったオフィーリアの表情は、酷く冷たかった。政治家としての、彼女の顔。琥珀色の三つ瞳が、列席者達をずらりと見る。周辺惑星の重鎮は渋い表情のまま、互いの顔を見合わせていた。

 それも束の間。

 彼等は一様に俯くと、一人の男が席を立った。惑星ミトラのカナド首相だ。今年で八十近いベテラン政治家を前に、オフィーリアは薄く眼を細めた。

 

「オフィーリア嬢。卿の勇気は賞賛に値するかも知れぬ。しかし、連邦の総本山である地球すら抵抗し切れなかった巨大艦隊。付け焼刃の連合軍でどうなるものでしょうや?」

 

「おっしゃる通りです、カナド首相。ですから私は、このテトラジェネシスに連邦残存兵力と、我等の軍勢力全てを集結し、執行者に対して総力戦を挑むつもりです。連邦最強の戦闘艦、アクアエリーが撃墜される寸前に収集したデータによれば、執行者とてクリエイション砲を前には無事では済みません。撃退は可能なのです。無謀とお思いでしょうが、正攻法で戦っても、我々がエクスキューショナーに勝つ算段はありません。持久戦に持ち込み、敵データを収集する間に、億を超える兵士が、民が死んでいくのです。ならば、あって無きが如き守りより、少しでも兵力を増強して敵殲滅に乗り出すのが得策でしょう」

 

「果敢な事だ。……しかし、それが適わなかった場合はどうするのです? 無駄に被害を広げるだけだ。何の益も無い。そうは思いませぬか?」

 

 問うカナド首相に、オフィーリアは嫣然と見返した。これ以上無いほど社交的な笑みを。

 

「では。閣下は、前線の兵にこうおっしゃられるのですか? 『我々は安全な所で戦いを見守っている。解決策はない。だが、お前達は足止めの為に鉄箱で殉職せよ』と。執行者は連邦艦の『攻撃力』『防御力』『速力』のどれをとっても上を行く相手。後手に回っては、殺されるだけ。我々の技術の粋を極めた地球が、あのアールディオンが、あっさりと陥落したのをお忘れではないでしょう?」

 

「しかしオフィーリア嬢。カナド首相の仰ることも一理あります。わざわざ蜂の巣をつつくことは……」

 

 ざわざわと、列席者が騒がしくなる。

 オフィーリアは、口を挟んできた五十がらみの男を、視線で、すぅ、と射抜いた。

 

「こうしている間にも、兵士が、各惑星に住む民が、深刻な被害を受けているのです。観測官の話によれば、このセクターηに執行者が到着するのも時間の問題。この強大な敵を前に、我々以外の誰が、国民を導くというのです? こちらに攻撃してこないかも知れないから大人しくしろと、誰に仰られるのでしょう?」

 

 議長席の机を、ダンッ! と強かに打ったオフィーリアは、列席者達を睨むように目を細めた。

 元々整った顔立ちの彼女は、老齢の政治家達の中では異彩を放っている。『カリスマ』とでも言うべき、圧倒的空気に、思わず列席者は息を呑んだ。

 議長席から立ち上がったオフィーリアは、琥珀色の瞳を列席者達に向けた。

 

「いい加減、覚悟を決めなさい。私達には、星を背負う義務がある! 決断の遅れは兵と戦力を無駄に削ぐことになるわ! 戦力が減れば残るのは虐殺。万の民が命を落とす。――さあ、もう一度(・・・・)聞くわ(・・・)

 

 オフィーリアの厳しい眼差しに、列席者達の表情が固まる。皆、一様に同じ顔をしていた。オフィーリアがここに到着するまでに、身内で打ち合わせていたのだろう。

 彼等はオフィーリアから視線を外すように、互いの顔を見合わせた。

 その時だ。

 

「他の民を見殺しにしてでも出来るだけ奴らから逃げるのか。それとも、巻き込まれるのを承知で、全員玉砕覚悟で他の民と連結して戦うのか――ですか。嬢も、うまいこと言われるようになりましたな」

 

 不意に、列席者の中から七十くらいの老爺が口を開いた。

 エルフのように耳が長く、落ち着いた風情の男だ。

 垂れた皺は幾層にも重なり、男はその割に精悍な、青色の瞳をオフィーリアに向けると、好々爺の笑みを顔いっぱいに浮かべた。

 樫の杖に両手を乗せて、彼は、ほっほ、と小さく笑う。

 オフィーリアは視線から、す、と険のある凄みを薄めた。

 

「それは、私の意見に賛同して頂けると言うことかしら? レージス卿」

 

 レージス卿――惑星レージスを束ねる老爺は、今年で300歳になる超高齢の政治家だ。

 かつてのエストーク星系に比べれば微量ではあるが、無抵抗アルミニウムが採掘できる星として、連邦内でも発言権が強い。

 レージスは嬉しそうにオフィーリアを見ると、何度も頷いた。

 

「我がレージスは、研究員の弾きだした可能性を熟慮し、元より抗戦を決議しておる。……皆様はいかがなものかな?」

 

 造反だった。

 目を丸くするカナド首相を始め、会議場にざわめきが広がる。

 と、

 

 ぱちぱちぱち……、

 

 一人の議員が、オフィーリアとレージスを支持するように拍手を始めた。

 

 パチパチパチッ……!

 

 更に一人。二人、

 

 パチパチパチパチッ!

 

 三人。四人……雨のように降り始めた拍手に、カナド首相は信じられないものを見るような目で、一同を見渡した。

 ――だが。

 彼は、ぐ、と息を呑むと、忌々しげに拳を握り締めた。



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67.FD空間

 フラッドに連れて来られたのは、彼が言った通り、彼の『自宅』だった。

 ドーム状の見慣れない家屋。その中に入ると、リビングと思しき広間のソファに、母親が座っていた。

 

「ただいまぁ」

 

「おかえり……ん?」

 

 ソファでくつろいでいたフラッドの母が、雑誌から顔を上げる。と、彼女はフェイト達を見て眉をひそめた。

 

「フラッド、その人達は? ずいぶんと変わった服装だけど……」

 

 窺うように、フラッドに問う。彼女は心なしか、語調を落とした。

 

「え? あ、友達友達!」

 

 ハハッと笑いながらフラッドは頭を掻く。そうする一方で、フェイト達を自室に連れていくフラッド。

 そんな息子が連れてきた『友達』を、まるで一人一人観察するように見据えて、母は眉間に皺を刻んだまま、首を傾げた。

 

「お友達……そう」

 

 『ただの友達』しては、雰囲気が妙だ。彼女はそう思った。

 現実離れした服装に、彼等は凶器と思しき剣や銃を携えている。年齢も、フラッドより年上ばかりだ。殺伐とした彼等の雰囲気が、どうにも不安で仕方がない。――特に、蒼瞳の青年と、紅瞳の青年が放つ空気は、観察している母親の方が、寒気を覚えるほど禍々しい。

 

 そして、

 

 部屋の扉が閉まるなり、フラッドはフェイトを振り返った。十歳前後の少年に相応しく、彼の笑顔はあどけない。フラッドは、どこか興奮しているようだった。

 

「ねぇ、お兄さんのフルネームを教えてもらえるかな? それと出身地も」

 

 弾むような声で、フラッドはフェイトに問いかけた。

 フェイトは目を細める。

 少年を――FD人を、信じていいものかどうか、一瞬迷う。

 名前を告げて、事態が悪化してしまわないか――。

 と。

 目の合ったアレンが、小さく頷いた。フェイトの脳裡に、自分の言葉が思い出される。

 『多少の危険は、承知で行かないと』。

 つい先ほどの言葉だ。苦笑するように肩をすくめたフェイトは、フラッドを見て、名乗った。

 

「……僕は、フェイト・ラインゴッド。地球という惑星の出身だ」

 

 フラッドは一つ頷くと、がらんとした自室の椅子に腰かけた。途端。彼の前に、半透明のコンソールパネルと、画面が出現する。

 フラッドは慣れた手つきで、パネルを叩いた。

 

「これでよし、と」

 

 入力が終えたパネルが、合図もなしに消える。フラッドは画面を見、嬉しそうに目を輝かせた。

 

「出た! ……やっぱり、お兄さん達はそうだったんだ。なるほどね、納得~! ブレアの言った通りだ」

 

 鼻歌でも歌いだしそうな調子で言い、フラッドは頭の後ろで腕を組む。にんまりと口端を緩めた彼は、好奇心に満ちた眼差しをフェイト達に向けた。

 フェイトは眉をひそめた。

 

「どういうことなんだ? ブレアって?」

 

「お前、奴等の関係者じゃねぇだろうな」

 

 クリフの眼差しにも険が籠る。だが、逆に狂人は笑っていた。

 

「むしろ、その方がこっちの都合はいいけどな」

 

「早まらないで。……私達が失敗したら、もうこの世界に来ることも出来ないのよ」

 

「心配すんな。俺は冷静だぜ。――アイツに比べて、な」

 

 言って、顎でアレンをしゃくる。目を閉じたアレンは、ただ、無言だった。

 フラッドが、困ったように中空を見つめる。

 

「えっと……なんて言えばいいのかな? お兄ちゃん達は、エターナルスフィアの住人なんだよね?」

 

「エターナルスフィア?」

 

 どこかで聞いた言葉だった。フェイトが首を傾げていると、フラッドは頷いて、画面を操作する。

 

「これだよ」

 

 映し出されたのは、よりにもよって執行者と戦い、炎上爆発したアクアエリーだった。

 画面の中で、連邦最強艦が、宇宙の塵となっていく。

 

「――!」

 

 フェイトは息を呑んだ。

 

「これは!?」

 

「連邦と、エクスキューショナーの戦いね」

 

 確認するようにマリアが問うと、フラッドは小さく頷いた。

 

「そう。これはエターナルスフィアで実際に起きていることさ。エターナルスフィアってのはね、シミュレータの中での世界なんだ。で、地球もその世界に存在する惑星の一つってわけ」

 

「――――っ!」

 

 フェイトの表情が凍りつく。――否、この場にいた、誰もがそうだ。

 静寂が、占める。

 

 

 …………………、

 

 

(……シミュレータ?)

 

 皆が沈黙する中で、フェイトは自分の独白を聞いた。すると、ぐぅぅ、と胸を締め付けるような不吉な予感が押し寄せてくる。言葉にもならない、不吉な絶望感が。

 フラッドは変わらぬ調子で、説明を続けた。

 

「エターナルスフィアは個々の端末から鑑賞できるんだ。だから銀河系で起きている事件も、ここで見れるというわけ。つまり、お兄ちゃん達はエターナルスフィアと言うシミュレータの中にいる登場キャラクターなんだよ」

 

 少年の明るい声は、固まった心臓には重くのしかかった。

 場が止まる。

 

 『キャラクター』。

 

 意味は分かる。だがそれが孕む、あまりにも非現実的な設定に、フェイトはとても首を縦には振れなかった。

 ごくりと固唾を呑む。

 ソフィアは少年を見つめ、フェイトを振り返った。

 

「……ねぇ。この子、一体何を言ってるの?」

 

 不安そうに、ソフィアが眉をひそめる。彼女も同じ事を考えたのだろう。顔色が心なしか蒼白で――しかし、それを認めないように、訝しげな表情を浮かべていた。

 フェイトは返答に窮した。

 脳裡を、少年の言葉が反芻する。

 

(僕等が……キャラクター?)

 

 銀河が、世界が、ただのシミュレータで――、

 

 あり得なかった。

 

 納得どころか、理解すらも出来ない。

 自分が生物兵器と言われるよりも。自分の存在そのものが否定されるような、少年の言葉に、ただ絶句するしかない。

 

(キャラクター……?)

 

 ハイダも。エリクールの惨状も。

 すべての人が生死を賭けて、尊厳を賭けて戦ったというのに。

 アクアエリーは、フェイト達を生かす為だけに、たった一隻で執行者と戦った。

 ――そして、轟沈したのというのに。

 それも、すべて――。

 

 シミュレータの中での出来事。

 

 認められない。

 認められる訳がなかった。

 

(そんなの、……じゃあ、僕等は一体――!)

 

 マリアが両親を失うことになったのも、

 ソフィアの両親の安否が、未だ分からないのも――。

 執行者による虐殺に、震える皆の恐怖も。

 すべてが、

 

 『作り物』――……。

 

 アレンが、ぎり、と奥歯を噛んだ。

 

「俺達が、……シミュレータ内の登場キャラクターだというのか」

 

 努めて冷静に、あくまで感情を殺して、アレンは確認するように、フラッドを見る。するとフラッドは、満足げにこくりと頷いた。

 

「そう!」

 

 まるで教え子を諭した先生のように。

 得意げに頷く少年に、クリフは青ざめた顔で問いかけた。

 

「つまり、俺達はプログラムだってのか?」

 

「まあ、端的に言えばそう言うことになるよね」

 

 あっさりと頷く。

 ソフィアはフラッドを見、ごくりと息を呑んだ。

 

「じゃあ、銀河と言う世界は、ただのゲームのステージだというの?」

 

 慎重に問うと、フラッドは気さくに首を振った。

 後頭部で腕を組んで、違うよ、と小さく笑う。フラッドは、ふふん、と得意げに、鼻を鳴らした。

 

「エターナルスフィアは、オンラインで参加者全員が共有しているんだ。勝手にリセット出来ない。だから、ゲームって言うのとは少し違うよ。まあ、一種のパラレルワールドみたいなものかな」

 

 ドンッ!

 

 アレンが拳を壁に叩きつけた。蒼穹にも似た蒼い瞳が、彼の前髪に隠れる。

 

「……ふざけるなっ! 何が、オンラインで参加だ? 何がパラレルワールドだっ!? そんな娯楽のために、提督や皆は――……っ!」

 

 途中で言葉に詰まる。口惜しげに歯を噛むアレンから、皆、目を背けた。

 フェイトとしても、怒っているのは同じだ。すべてを蹂躙するような――執行者の群れが、脳裡を過ぎる。

 フェイトの声が、震えた。

 

「……答えてくれよ、フラッド。僕は……僕達は、君たちFD空間の住人に、踊らされていただけなのか!?」

 

 フラッドに詰め寄った。すると、フラッドは困ったように眉を寄せて、少しだけ反省するように語気を下げた。

 

「そう言ってしまえばそうだけど……。でも、お兄ちゃん達はそれぞれ独自のAIプログラムで動いているわけだから、本質的には僕達と一緒だよ? 別にコントローラで操作してるわけじゃないもんね。少なくとも僕はそう思ってるけど。存在している次元が違うだけさ」

 

「だから、パラレルワールドと評したわけね」

 

「うん!」

 

 頷くフラッドは、子供ゆえか、はしゃいでいるようにも見える。まるでこの状況を楽しんでいるような――。

 マリアは静かに瞼を閉じた。自分の感情を、殺すように。

 アルフが問いかけた。

 

「なら。エクスキューショナーも、シミュレータ内のキャラクターってことだな?」

 

「まあ、有り体に言えばね。この間発表されたブレスリリースによると、エターナルスフィアのプログラムの一部である『銀河系』って区画に異常が認められたらしいんだ。お兄ちゃん達の出身区画だよね? ――それで。その異常をそのまま放置しておくと、プログラム全体に悪影響を及ぼすって判断した会社が、その悪影響を削除する為にプログラムを作ったんだ。それが執行者。つまり、エクスキューショナーってわけ」

 

「……要するに、執行者はバグフィックスプログラムか」

 

「その通り!」

 

 フラッドは頷いた。

 クリフが失笑し、茫然と首を横に振る。

 

「冗談じゃねえ……。神だ何だっていうのも、十分馬鹿みてえな話だと思ってたが、プログラムだと!?」

 

「でも、……私達がプログラムだとしたら、どうしてここに存在出来るんでしょう? この子の言う事が本当だとしたら、私達はここに存在出来ない筈じゃ?」

 

 ソフィアの疑問に、アルフが肩をすくめて答えた。

 

「そいつは違う。ガキとラインゴッド博士の言葉を思い出せば、符号が行くぜ」

 

「え……?」

 

「博士が言ったろ。『FD空間には、今のままでは我々が干渉することが出来ない。だから、人間に紋章遺伝を施した』ってな。俺達が博士の研究無しにFD空間(ここ)に干渉できないのは、俺達がシミュレータ内の存在だからだ。そして、そこのガキが言うように、俺達が独自のAIプログラムを持っていると仮定すると――俺達は紋章研究によって自分達の世界の物理法則を顕現し、空間を繋いで、法則を安定化させることでFD空間(ここ)に存在するようになった。これは、パラレルワールドっていう性質が働いたからだ。――で。その『ブレスリリース』とやらが言ってる『バグ』ってのは、間違いなく紋章遺伝による空間破壊のことだろう。普通に考えて、たかがゲームの存在が、現実世界に干渉して来るなんて誰も思いもしなかっただろうしな。こっちの住人も」

 

 アルフの説明に、ソフィアは息を呑んだ。

 それはつまり――、

 

「僕達が存在出来るのは……マリアの、アルティネイションの力が働いているから。そういうことなのか……」

 

「多分な」

 

 頷くアルフに、マリアが顎に手を添えた。

 

「ラインゴッド博士が与えてくれた力、プログラムが生みだしたプログラム。……考えてみれば、空恐ろしい力だわ」

 

「しかし坊主。なんでお前、そんなに詳しいんだ?」

 

 クリフが問うと、フラッドは得意げに笑った。

 

「僕の友達がエターナルスフィアの開発会社の関係者だからさ。ブレアって言うんだけど。僕にいろいろ教えてくれたんだよ。……あ! でも勘違いしないで!! 僕は敵じゃないからさ」

 

 慌てて首を振るフラッドに、マリアは言及するよう尋ねた。

 

「ではなんで、私達をここに連れて来たの?」

 

「うーん……。やっぱり一番の理由は、お兄ちゃん達に興味があったから、かな? そこのお兄ちゃんも言ってたけど、やっぱり信じられないでしょ? 普通。プログラム生命体が、自分達の力でこっちの世界にやって来るなんて。想像も出来ない話だからさ」

 

「……ま。そりゃそうか」

 

 得心がいったように、クリフが頷く。眉間の皺が取れたクリフに、フラッドは満足そうに頷いて、笑顔のままフェイトを見上げた。

 

「お兄ちゃん達はエクスキューショナーに対抗するために来たんでしょ? で。どう? 勝てそう?」

 

 問うフラッドに、アレンは目を堅くつむって、息を吐いた。肩から力を抜くように。

 アレンは壁から離れると、フラッドを見、問いかけた。

 

「……フラッド。そのことで君に一つ聞きたい。君の言う事が本当だとすれば、執行者のプログラムを開発した、総元を教えてくれ」

 

「エクスキューショナーの?」

 

「ああ。俺達の世界、エターナルスフィアを作った者が、ここにはいるんだろ?」

 

「それはそうだけど。でも、『スフィア社』は、アクセス権を持ってない僕みたいな一般人じゃ行けない所だよ? ……そこはブレアに聞いてみるしか――」

 

 フラッドがつぶやいた、その時。

 

「動くな! 両手を上げろ!」

 

 黒い防護服を着た男達が、入って来た。手には機関銃らしき大型のハンドガン。銃口をフェイト達に向けている。フェイトは鋭く、フラッドを仰いだ。

 

「フラッド、君やっぱり……!」

 

 緊張が走る。

 『バグフィックスプログラム』。自分達を『キャラクター』と称する少年は、敵意が無くとも、あまりに不気味だ。

 フラッドが首を横に振る。

 

「ち、違うよ! 僕は何もしてない!」

 

 フラッドは防護服の男達の後ろに、母親を見つけた。

 

「母さん!? 母さんがセキュリティサービスに連絡したの!?」

 

「だって、フラッド……。母さん、あなたが心配で……」

 

「まったく! 余計なことして!」

 

 頬を膨らませるフラッドを置いて、クリフが鋭くフェイトに問いかける。

 

「どうする?」

 

「正直、僕にもどうすればいいのか分からないけど……」

 

「ここで捕まっちゃ終わりだろ」

 

 さらりと言うアルフに、フェイトは頷いた。マリアが問う。

 

「行く?」

 

「ああ! 皆、外へ!」

 

 鋭くフェイトが指示を出す。と、

 瞬きの間に、アレンとアルフが動いていた。防護服の男達が全員ハンドガンを取り落とす。

 

「なっ!?」

 

「強い……っ!」

 

 セキュリティサービスが息を呑むと、延髄や腹に、手刀と拳が叩きこまれた。鈍い呻き声を上げて、セキュリティサービスがくず折れる。

 クリフは溜息を吐いた。

 

「さすが特務……」

 

「荒事はお手の物ね」

 

 マリアもつぶやいて、マイクロブラスターを腰のホルスターに仕舞った。普段からアールディオンや裏組織(マフィア)を相手しているだけあって、アレン達の動きはあまりに自然だ。

 クリフ達の後ろで、フラッドが目を輝かせた。

 

「わぁ! すっげぇ……!」

 

 アルフは気絶したセキュリティサービスの面々を見下ろした。

 

「こいつら。連邦警察より弱ぇ」

 

「俺達の物理法則は、この世界を元にしたんだろう。……胸の悪い話だが」

 

「ああ、それで」

 

 いかにも平和そうなFD空間の街並みを思い出して、アルフは肩をすくめた。

 本物の荒事など、経験したことも無いのだろう。セキュリティサービスの動きは、素人に毛が生えた程度だった。

 ――ただし、防具は一級品だ。

 顔を見合わせたアレンとアルフは、家の外に視線を向けた。

 

「ともかく、ここを出よう。フェイト」

 

「長居無用ってやつ」

 

「あ、ああ!」

 

 頷いたフェイトが、部屋を出ようとした時、後ろからフラッドが言った。

 

「お兄ちゃん達!」

 

 振り返ると、フラッドが何かを放り投げる。それをクリフが受け取ると、彼は首を傾げた。

 

「何だこりゃ?」

 

 ディスクのようだ。

 フラッドは笑顔で言った。

 

「認証ディスクだよ。レコダの時空ステーションからジェミティ市に行けば、少なくとも僕の言った事が本当だって分かる筈だから」

 

「こらっ! フラッド!」

 

「ぁ痛っ!」

 

 コンッと軽快な音を立てて、頭を小突かれたフラッドは、家の中から出てきた母親に、強制的に連れ戻されていった。その彼を見据えて、クリフは忌々しげに顔をしかめる。

 

「あのガキ、味な真似を……」

 

 言いながら、ディスクをフェイトに渡す。受け取ったフェイトは、ディスクを見据えた。

 

「ともかく、行ってみよう! ……ジェミティ市へ!」

 

 フェイトの言葉に一同は頷き、レコダからジェミティ市へと向かった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 色とりどりの照明が街を照らし、明るい音楽が心地よく流れる。星と思って見上げた『空』が、紫色のヴェールがかかっているだけで、それが本当に『空』と言うべき空間なのか、フェイトには分からない。

 巨大な、ドームのようにも見える街。それがジェミティ市だ。

 行き交う人は、奇抜な衣装に身を包み、食べ物を片手に談笑していた。ここでは、フェイト達に注目する者は誰もいない。それだけ多くの珍妙な服が行き来しているのだ。

 街頭から、放送が流れた。

 

[ただいまの時間より、マッタリン伯爵を主人(あるじ)としたバトルチェス大会を開催いたします。皆さん、ふるってご参加ください]

 

 着ぐるみバーニィが、愛らしいジェスチャーで子供達に風船を配る。

 一言で言えば、『遊園地』のような場所だった。自分と同じ文化の服を、慣れないながらも着る人々に暗い影は無い。皆、談笑しながら、次のアトラクションを何にするか相談している。

 フェイトは息を呑んだ。

 

 空気が、軽い(・・)

 

 レコダよりも更に。

 銀河を襲う執行者など、まるで『夢』のように――。

 フェイトは喉が渇くのを感じながらつ、ぶやいた。

 

「ここが、フラッドの言っていたジェミティ市か……」

 

「うわぁ……」

 

 傍らでソフィアも、呆気に取られていた。あんぐりと口を開けた彼女は、お祭り気分に看過されてか、頬の緊張をやや解いている。単純に、壮大な遊園地に驚いているようだ。緊張感の無いソフィアの横顔を見つめて、フェイトは少し目を伏せた。

 無理もない。

 バンデーンに捕まってからこちら、ずっと緊張の連続だったのだ。むしろこの平和な空気こそが、彼女には慣れ親しんだモノ。――自分も、含めて。

 だがフェイトはどうしても、この街を認める気になれなかった。腰に差した剣の重みが、『現実』を思い出させる。『エターナルスフィア』の現実を。

 クリフが忌々しげに――否、もう諦めたように、肩をすくめた。

 

「こういうのを見せられると、本当に俺達の世界をこいつらが作ったんだと思い知らされるぜ」

 

 ぽりぽりと頭を掻くクリフ。フェイトが頷くと、マリアがぴしゃりと言った。

 

「呆けてる場合じゃないでしょ。フラッドの話していた、エターナルスフィアの端末を探さないと」

 

 フェイトはもう一度頷き、ジェミティ市に繰り出した。

 

 

 

 ………………

 

 

 

「いらっしゃいませ。ココは我が社が誇る多時空体感プログラム、エターナルスフィアのマスター端末です。この端末では、お客様がご家庭でご使用のキャラクターデータを、他の時間、他の銀河系へと転送することが可能となっています。もちろん、通常の端末と同じようにご使用いただく事も出来ますよ」

 

 極上のスマイルで『異世界への案内人』こと、ジェミティ市の職員は頭を垂れた。レコダでは『妙な格好』のフェイト達も、ここでは立派な『FD人』と遜色ない。

 眼球だけを動かして、フェイトは一同を見やる。返ってくる視線が皆、覚悟を決めたように落ち着いているのを見て、フェイトは一つ頷いた。口許に笑みを浮かべ、受付嬢に笑い返す。

 

「じゃあ、お願いします」

 

 受付嬢はにこやかに頷くと、フラッドがやってみせたようにパネルを出現させた。それを操作しながら、彼女は笑顔で言う。

 

「現在、銀河系へのアクセスは全ての時代において完全に禁止されております。もしお客様が銀河系世界でプレイなさっていたのならば、他の銀河へと移動なさった方がよろしいでしょうね」

 

 ぽん、と軽い音を立てて入力が終了した。パネルが消える。

 

「それでは皆様、ワタクシの正面に立って、目をお瞑りになって下さい。異世界への案内人であるこのワタクシが、責任を持って皆様をエターナルスフィアの世界にお送りいたします」

 

 言われた通りに、フェイト達は彼女の前に立ち、目を閉じた。地面に埋め込んだ特殊画面が輝き、それが『紋章陣』を映し出す。

 ――哀しいほどに紋章力の無い、陣だった。

 

「リーユ ルオカ ナーセ キーユ。開け時空の扉よ!」

 

 言葉だけの詠唱がつむがれると、フェイト達は『紋章陣』の中心に浮かんだ、転送装置(トランスポート)によって別室へと転送された。

 

 

 ………………

 



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68.出会い、再会

「どうやるんだ、こいつぁ?」

 

 巨大な円形機器が、部屋の壁をくり抜いて備え付けられていた。モーターなのか。それはゴゥンゴゥン……と、けたたましい駆動音を立てて、くるくる回っている。あの巨大な装置を動かすのだろうか、と首を傾げたクリフは、ソフィアの、あ、と言う声に背中を振り返った。

 

「あそこのデバイスで、設定操作するみたいですね」

 

「ああ……、あれか」

 

 アルフも頷く。ソフィアが指したデバイスは、三十センチほどの水晶球を埋め込んだ、不思議な装置だ。

 マリアが装置に近づいてみると、彼女が水晶球の前に立った途端、装置の左右から板状の天板が伸び、弧を描いてマリアの背後で繋がった。

 どうやら、椅子だ。

 マリアは腰掛け、デバイスを動かしてみた。

 

 ピピピッ……、

 

 適当に入力する。

 が、

 

「……ダメね。認証ディスクを要求してきたわ。元々登録されていないと、ここでプレイは出来ないみたい」

 

「マジか?」

 

 クリフが眉根を寄せる。マリアの後ろから様子を窺っていたアルフも、お手上げ、と言うように肩をすくめた。――まず、文字が読めない。マリアには別言語のように見えているようだが、アルフの眼にはまったく未知の、別文化の記号文字でしかない。

 

「くそっ! せっかくここまで来たっていうのに……!」

 

「フラッドにもらったディスクはどうなんだ?」

 

 アレンの問いに、フェイトは、はた、と瞬いて、預かったディスクをポケットから取り出した。

 

「確かに! 試してみる価値はありそうだ。マリア!」

 

 彼女に手渡すと、マリアは頷いて、水晶球の中央――ディスクを入れる凹みに、フラッドからもらったIDを差し入れた。 

 ERROR画面で停止していた水晶球が、新たな情報を映し出す。マリアの口端が緩んだ。

 

「OK、いけるわ!」

 

 新たに入力を開始する。だが水晶球はすぐに、またERRORの文字を出現させた。

 

「……ダメ」

 

 マリアは首を横に振る。すると、一同の不安げな眼差しが彼女に注がれた。――実際に、水晶球に映った文字を『ERROR』と認識できる人間は、マリアだけだ。他の人間には、FD人による異文化の文字でしかない。

 

「どうした?」

 

「認証出来たんだろ? 何がダメなんだ?」

 

 クリフとフェイトが問う。後ろを振り返ったマリアは、表情を曇らせたまま、もう一度首を横に振った。

 

「フラッドの言う通りよ。銀河系はロックされていて、入れないみたい」

 

「っ!? それじゃあ、連邦には……!」

 

 息を呑むアレンに、マリアは暗い表情のまま、俯いた。

 フェイトが拳を握る。

 

「くそっ! どうすればいいんだ?」

 

 こうしている間にも、執行者の猛威は続いている。そう考えると、歯痒さが増した。

 

「すみません……。ちょっといいですか?」

 

 その時。

 ソフィアがおずおずと近づいてきた。自信無さ気に一同を見やるソフィアを、皆が皆、困惑の表情で見つめる。

 

「え? ああ。かまわないけど……」

 

 ようやく平静に戻って、マリアが席を退けると、ソフィアは水晶球の前に立った。水晶球をおずおずと眺め、その表面に、そ、と触れる。

 瞬間。

 

 ――ばつんっ!

 

 回線が切れたような音が響いた。びっくりして、ソフィアが身を強張らせる。途端、ERROR画面で止まっていた水晶球が、猛速度(スピード)で新たな画面を映し出し始めた。画面を覗き込んだマリアが、はっ、と息を呑む。

 

「これは……、どうして!?」

 

「どうした?」

 

 クリフが問うと、マリアは画面を見つめたまま、首を横に振った。呆気に取られたように、彼女は珍しく口を開けている。

 惚けた様子で、彼女は言った。

 

「信じられない。開発者用のページにアクセスしてる……」

 

「やるじゃん」

 

 アルフは片眉を上げ、ソフィアを見る。視線の合ったソフィアは、恥ずかしそうに俯いた。フェイトが訝しげにマリアを見る。

 

「なんだって? どういうことだ?」

 

 腕を組んだマリアは、ソフィアを見据えた。

 

「あなたが触れたことが原因としか考えられないわね。ねえ、どうやったの?」

 

「えっと、その……触っただけなんですけど。なんとなく、その、タイムゲートの時と同じかなあと思って……。一生懸命、銀河系に行きたい、行きたいって考えて……。その……すみません」

 

 ぺこりと頭を下げるソフィアに、フェイトは得心がいったように頷いた。

 

「コネクションの……空間を繋ぐ力か。まさか、こっちの空間でも効果があるなんてね」

 

「礼を言う。エスティード嬢」

 

「……あ、いえ……」

 

 話しかけられると思わなかったのか。アレンにふるふると首を振ったソフィアは、困ったようにフェイトを一瞥した。

 画面を見据えるマリアの表情が、力強くなる。

 

「まあ、いいわ。とにかくここまで侵入出来れば、後は私の力で何とかなると思う。情報を書き換えて銀河系にアクセスするわ」

 

「すまない。トレイター代表」

 

「気にしないで」

 

 画面を叩き始めながら、マリアが答える。フェイトも画面を覗き込んで見たが、やはり何が画面に書かれているのか、さっぱり分からなかった。

 水晶球に映ったマリアの瞳が、ちらりと水晶越しにフェイトとアレンを見る。

 

「銀河系のデータは見つけたんだけどね。私達のデータの登録にもう少し時間がかかりそうなの。悪いけど、しばらく待ってて。普通にこのゲームを作動させるだけなら、こんなに手間はかからないんでしょうけどね。もしも、あのフラッドが言った事が全て本当だったとしたら……。私達が私達のままで存在する為には、私達全員のDNAを正確に打ち込まなきゃならないのよ」

 

「分かった」

 

 頷いたアレンは、踵を返した。

 少し離れた所に立ったクリフが、にんまりと口端を緩める。フェイトは首を傾げた。

 

「マリアの打ち込み速度はハンパじゃねえぞ。恐らく宇宙で二番目じゃねえか?」

 

 軽口を叩いてくるクリフに、フェイトは肩をすくめた。

 

「へぇ……。じゃあ、宇宙一は誰なんだよ?」

 

 疑いの眼差し。

 それを受けたクリフは、フッ、と鼻で笑いながら、首を横に振った。

 

「チッチッチッ。この俺じゃねぇコトだけは確かだ」

 

「違うのかよ……」

 

 脱力したフェイトが、やれやれと溜息を吐く。すると、逆サイドにいたアルフが、データを打つマリアを見据えながら、言った。

 

俺達(こっち)の共通言語で打ち込んだ文字が、FDの文字らしき文章に勝手に変換されてる。これも、アルティネイションの力か」

 

「多分ね……」

 

 フェイトが頷くと、アルフは腕を組みながら、ふぅん、とつぶやいた。

 

「思ったより万能みたいだな。ラインゴッド博士の研究は」

 

「アルフ」

 

 咎めるように、アレンがつぶやく。それを、フェイトは制した。

 

「いいよ。ホントの事だし。こうなったからには便利な能力だし、ね」

 

「お前のは凡庸性低そうだけどな」

 

「うるさいな」

 

 痛い所を突かれて、フェイトは口端を引きつらせた。傍らのアレンを見る。

 

「アレン。お前は大丈夫なのか?」

 

 努めて平静になろうとしているアレンに、問う。すると、小さく苦笑した彼は、視線を落とした。

 

「さあな。……だが心配無用だ。ありがとう、フェイト」

 

 相当アクアエリーの件が効いているのだろう。いつになく弱々しい彼の顔に、フェイトも表情を曇らせた。

 嘆息したアレンが、す、とソフィアを見やる。

 

「俺よりも、お前には幼馴染を支える仕事があるだろう? 行ってやれ」

 

「……ああ」

 

 観念したように肩をすくめたフェイトは、アレンから踵を返した。

 所在なさそうにしていたソフィアが、フェイトの接近に表情を緩める。だが表情は不安そうに曇ったまま、彼女はデバイスに向き合っているマリアを見つめた。

 

「マリアさん、大丈夫かな? もうちょっと私が巧く自分の力を使いこなせれば良かったのに……。自分の力がカギになっていたのに全部マリアさんにお任せなんて、ちょっとカッコ悪いよね」

 

「そんなことないよ。最初からうまくできる奴なんて、そうはいないからさ」

 

 ぽん、とソフィアの肩を叩くと、彼女は顔を上げて――、小さく頷いた。

 ――そして、

 マリアは、ぽんっ、と一つ、パネルを大きく叩くと、笑顔で皆を振り返った。

 

「OK……! 完了よ。どこに行ってみる?」

 

 アレンとアルフが、無言でフェイトを見る。それに続いて、ソフィアがにこりと笑った。

 

「どこでもいいよ、私は」

 

「ミラージュ達は何やってんだろうな? ……エクスキューショナーにやられてなきゃいいんだが」

 

 がしがしと頭を掻くクリフが、更にフェイトを見る。量らずも、一同の視線が集中したのを受けて、フェイトは、そうだな、とつぶやいた。

 

「……マリア。どこに行けそうなんだ?」

 

「ディプロは動いているから無理ね。惑星ストリーム、エリクール二号星、ムーンベース辺りなら、すぐに転送可能よ」

 

 画面を見ながら答えるマリアに、フェイトは顎に手をやった。

 アレンが言う。

 

「ムーンベースなら、博士たちが執行者の研究を進めているはずだ」

 

「エリクール二号星も捨てがたいぜ? FD空間(ここ)は艦隊戦じゃねえ。アルベルなら暇そうだし、戦力増強にはちょうどいいだろ」

 

 続くアルフに、フェイトは首を捻った。執行者対策か。戦力増強か。悩むところだ。

 ムーンベースなら、執行者の侵攻具合も分かる筈だが――。

 アルフの言葉に、アレンが眉をひそめた。

 

「待てアルフ。その理屈だと、ロジャーまで巻き込むことになる」

 

「いいじゃん。あいつ使えるし」

 

「……お前な」

 

 半眼になるアレンに、アルフは肩をすくめた。連邦軍人だが、『保護条約』は気にしない二人らしい。

 フェイトは嘆息した。

 

「そうだなぁ……。どうしたもんか……」

 

「エリクール二号星に行ってみるのね? OK、そこにしましょう」

 

「え? マリ――……」

 

 フェイトが不意をつかれた瞬間。

 彼等の視界が、急に白くなった。

 

「きゃっ!?」

 

 ビリッ、と若干の痺れが、彼等を襲う。

 白い世界から、ゆっくりと瞼を開けると――、

 だだっ広い、赤茶けた大地が、目の前に広がっていた。

 

「ここは……」

 

「カルサアだな」

 

 フェイトのつぶやきに、アルフが答える。ごつごつとした岩肌。赤茶色い大地が広がるこの平野。間違いなく、カルサアの丘だ。巨大な岩石が多いため、見晴らしは良くない。かつて、ネルと共に通り抜けたカルサアの丘を見渡して、クリフは、ぱん、と額を叩いた。

 

「参ったな。タイムゲートを介さず、こっちに帰って来れるとは……」

 

「信じられない……」

 

 続くソフィアも、息を呑む。狂人は軽く肩をすくめた。

 

「いいじゃねえか。楽で」

 

 アレンが少しだけ、複雑そうに目を細める。

 マリアはカルサアの丘に一歩踏み出し、景色を見据えて、振り返った。

 

「こうなると、フラッドの言う事を信じないわけにはいかないみたいね」

 

 観念したような彼女の口ぶり。嘆息混じりにつぶやくマリアに、ソフィアが不安そうに顔を歪めた。

 

「じゃあ本当に、私達は彼等の作り出したプログラムだと言うんですか?」

 

「この状況を見るとね。そう考えるしかないでしょう?」

 

 逆に問い返すマリア。

 フェイトは俯いて嘆息した。

 ――やはり、認めたくない。

 自分の存在が、消えてしまうようで――。

 

「やはり、僕達は作り物だというのか……」

 

 それでも認識しなければならない苦痛に、フェイトは歯噛みする。するとマリアが、カルサアの丘を見渡しながら、言った。

 

「そうよ。でもね。作り物だとしても、私達は生きている。それもまた事実でしょ? 私達が現実だと思えば、それは私達にとって現実であり、真実なのよ」

 

「…………」

 

 フェイトは顔を上げる。彼女の言わんとする事――、それは例え本質はシミュレータであっても、キャラクターであっても、『自分』は、『自分』以外の何者でもないと――そう『自覚』しろと言う意味合いだ。

 揺れるフェイトの瞳を見つめて、ソフィアは静かに微笑うと、彼の手を取った。

 

「感じる事を素直に信じる。……信じる道を進もうよ、ね?」

 

 暖かな、柔らかなソフィアの手。その手を見つめて、フェイトは目を閉じた。

 ――この手までもを、『作り物』と、想いたくない。

 その想いが、一番強かった。

 顔を上げたフェイトが、小さく苦笑する。

 

「ああ……。そうだな。どっちにしても、このままじゃ終われない。僕らを送り出してくれた皆のためにも」

 

「うん」

 

 ソフィアが嬉しそうに頷く。彼女もまた、フェイトを慰める事で自分を確かめるように。

 クリフが、ガンッ、とガントレットを弾いた。

 

「そうだ。俺達にはまだ出来る事がある。クソふざけた創造主をぶっ潰すって大仕事がな!」

 

「ま。存外張り合いが無さそうだけどな。あの空間だと」

 

 肩をすくめるアルフに、フェイトは苦笑した。

 

「……それは、そうかもな」

 

「でも……。私達で本当に、創造主であるFD人を倒すことが出来るのかな?」

 

 ソフィアが不安げに問いかけて来る。それに答えたのは、アレンだった。

 

「問題ない。俺達は既に、あそこのセキュリティサービスを倒している。創造主に致命傷を与える事は出来るはずだ。――必ず、倒してみせる……!」

 

「うん。そうですよね。……がんばらなくっちゃ!」

 

 ぎゅっ、と両手を握るソフィアに、フェイトは力強く頷いた。

 

「ああ!」

 

 

「――と。まあ、建前はこれくらいにして」

 

 突如、話を切り出したアルフは、フェイト達を振り返って言った。

 

「悪いけど。俺は用があるんで、この辺で失礼するぜ」

 

「――へ?」

 

 一同が、反射的にアルフを振り返る。アルフは構わず、懐から遠隔捜査器を取り出すと、それを調節しながら手を振った。

 

「じゃ」

 

 つぶやくと同時、彼の足元に紋章陣が展開する。

 ――転送(トランスポート)だ。

 瞬く間に文字通り、姿が見えなくなったアルフに、一同は顔を見合わせた。

 

「え、っと……」

 

 フェイトが所在なくアレンを見る。険しい表情を浮かべたアレンは、ハッと眼を見開いて忌々しげにつぶやいた。

 

「あいつ、衛星をまだ回収してなかったのか!」

 

「どういうこった?」

 

 問うクリフに、アレンは深い溜息の後、説明した。

 

「以前、アルフはエリクールに到着する際、小型艇(カルナス)から人工衛星を飛ばして、この惑星内ならどこにでも転送(トランスポート)できるようにしていたんだ。バンデーン戦後に、てっきり回収したものと思っていたが……」

 

「それであいつ、エリクールに来たいって言ったのかな?」

 

「と、思う。妙に積極的だったから、おかしいとは思ったが……」

 

 アレンはもう一度、溜息を吐いた。クリフがやれやれと言いながら頭を掻く。

 

「しゃあねえ。あいつが戻ってくるまで、しばらくは自由行動だな」

 

「いいのか?」

 

「一応、頼りにしてるんでな。お前ら二人の戦力は」

 

「……すまない」

 

「気にすんなって」

 

 言ったクリフは、アリアス方面へと歩き出す。

 ところを、

 

 パシュィンッ……!

 

 マリアのマイクロブラスターの光弾が走った。高速のレーダーが、クリフの髪を二、三本さらっていく。

 

「うぉっ!?」

 

 後一瞬、クリフの反応が遅ければ、危ない所だ。下手をすれば、脳が飛んでいた。

 無言のまま、クリフが振り返る。――空気が、凍った。

 

「…………」

 

 一同の視線がマリアに集う。すると、彼女は髪をさっと?き揚げて、マイクロブラスターを腰のホルスターにしまった。

 

「カルサア修練場に行きましょ。アルベルを戦力に加えるなら、そこに居る筈よ」

 

 颯爽と踵を返して歩き出すマリアを見据えて、フェイトは思わずつぶやいた。

 

「仁義なき頂上決戦は、まだ終わってなかったのかっ……!」

 

「なんの話だ、フェイト?」

 

 劇画タッチの濃厚な影を落とすフェイトに、アレンを始め皆、要を得ずに首を傾げている。

 そんな彼らを振り返って、フェイトはただ、優しく微笑んだ。

 

 

 

 ……………………

 

 

 

 第五宇宙基地・ムーンベース。

 十二階層からなる宇宙基地の、居住エリア西部を抜けて、ナツメは研究エリアに差しかかっていた。

 ――その時、

 

[イントルーダーアラート、イントルーダーアラート。当施設内に侵入者を確認]

 

 ナツメは足を止めた。オートコンピュータの施設内放送が、警告音をけたたましく鳴り響かせる。ナツメは、(シャープネス)の柄に手をかけた。

 

「っ」

 

 鋭く、目の前の敵を見据える。

 と。

 『侵入者』は、そこにいた。

 

「天……使?」

 

 『侵入者』を見つめて、ナツメはつぶやいた。

 僧侶のような法衣を着た『女性』だ。

 背中に三対の羽根があり、宙に浮いている。

 『侵入者』はナツメを見下すように、顎を引いた。美しい顔だが、目は固く閉じられて、人と言うよりも彫刻のようである。

『それ』は言った。

 

〈我は執行者の代弁者。貴様らを滅すべき存在なり〉

 

 合成された、機械音声のような『声』が響く。途端。ナツメの背に悪気が走った。

 一息で(シャープネス)を抜き、八双に構える。

 『侵入者』――代弁者と名乗る『彼女』は、喋る時も口を開かない。

 

〈執行者は穢れた世界を浄化する存在、代弁者(われら)は穢れを粛清する者なり。滅せよ……世界を汚染する異物どもよ〉

 

「……他の人には、手出しさせません!」

 

 ナツメは鋭く言い放ち、地を蹴った。

 羽音を立てて、代弁者の翼が広がる。

 ――寒気。

 

「っ!」

 

 ナツメは左に飛んだ。瞬後、

 

 ズァッ!

 

 空間が、X字に切られる。ナツメに見えたのは、眩い光が閃光のように散った様。空間を切断したそれが何であったのか、彼女は着地してから気付いた。

 ――翼だ。代弁者の。

 

(ケイオスソードっ!?)

 

 寸前を過ぎた代弁者の疾風に、ナツメは目を見開く。『ケイオスソード』は、神速で刃を振る事によって出来る衝撃波に、自らの『気』を乗せて放つ技だ。

 代弁者による攻撃は、『気』のような感覚では無かった。が、風と形容しきれない『何か』が、ケイオスソードの放つ気配と似ていた。

 ナツメの額に、汗が滲む。

 

(――強い!)

 

 確信した瞬間。代弁者が翼を広げ、くるりと回った。

 

 ぱぁあああ……!

 

 代弁者を中心に、地面に巨大な紋章陣が浮かび上がる。ナツメは舌打ちし、紋章の中心にいる代弁者に向かって踏み込んだ。

 

「クロスラッシュ!」

 

 (シャープエッジ)を縦に、(シャープネス)を横に神速で振る。

 が。

 紋章の方が早かった。

 ナツメの剣と刀が、代弁者の一寸前を過ぎる。――地面から湧いた、数百の光の粒子――その一つを、空しく切り裂いて。

 同時。

 

 ズドドドドァッッ……!

 

 紋章から湧く『光』の威力に、ナツメは目を見開いた。

 

「ぐ、ぁああ、っっ!」

 

 直撃。

 体を貫くような激痛。人の頭ほどの『光球』が、人間の五感をまるごと焼き切り――引き攣られるような痛みが全身を走る。

 ナツメの手から、刀と剣が落ちた。

 

 からんっ、っっ……

 

 代弁者が優雅に、すぅ、と眼前にやって来る。

 地面から二十センチほど宙に浮かんだ彼女は、接近する時も衣擦れの音一つ響かせない。

 

「…………っ!」

 

 ナツメが睨み上げると、『彼女』は能面のような顔を、にぃ、と引きつらせた。

 ――『微笑』だ。

 分かった途端、ぞくりと総毛立った。あまりにも酷薄な、残虐な代弁者の顔。

 

(……やられるっ!)

 

 代弁者の閉じた目を見据えて、ナツメは思った。地面に垂れた両腕に力をこめる。が、とても刀を握れる状態では無い。

 

(アレンさんっ! アルフさん……っ!)

 

 ナツメの脳裡に、二人の顔が浮かんだ。

 

 ――ダメです! 国の為だって、軍の為だって……死んじゃダメです!

 ――俺を殺せる奴がいれば、の話だろ。

 ――生還するのも、軍人の務めだ。

 

 『戦死』について語った時の、二人の微笑った顔。

 アレンもアルフも、諦めたりはしない。

 どれほど過酷な環境であっても。

 どれだけ不利な状況であっても

 だから――、

 

「っ!」

 

 ナツメは歯を食いしばり、代弁者を睨み上げた。

 

 ――……ギィインッッ!

 

 金属の弾ける音が、ムーンベースの研究エリアに響く。

 振り下ろされる、代弁者の翼。それを受け止める刀と剣を、強く握りこんで、ナツメは両腕に力を込めた。

 

「っ……ぉをっ!」

 

 キンッ!

 

 乾いた音を立てて、代弁者の翼を押し返す。

 と同時。

 彼女は内にある『気』の全てを、刀と剣。双方の刃に集約させた。

 

「生きるんだ……。私は、生きるっ!」

 

 刀に炎が、

 剣に氷が、宿る。

 代弁者の身体も、時を同じくして輝き始める。

 『気』を、全力を込めて、ナツメはその技を放った。

 

「双龍破ぁあっっ!」

 

 いま自分に放てる技で、最高の攻撃力を誇るものを。

 交差させていた刀と剣が、X字に振り切られる。

 同時。

 

 ――グォァアアアアアアッッ!――

 

 刀から炎の魔龍が、剣から氷の魔龍が奔った。

 ナツメ自身も驚くほど綿密に練り上げられた『気』の龍。

 赤と青の双頭の魔龍が、大口を開けて代弁者を呑みこむ。

 

〈ウァアアア……!〉

 

 機械音声を上げて、代弁者が龍に呑まれる。

 ムーンベースの建造物をもあっさりと射抜くほどの強力な魔龍は、代弁者をムーンベースの床に磔にしていた。

 瓦礫に埋もれるようにして倒れた代弁者が、ぴくぴくと動く。機械(オート)人形(マタ)なのか、痙攣する代弁者の節々から、火花のようなものが散っていた。

 

〈我ハ執…こウ…者のダい弁シャ……。ヲろカ者どモニ死を、消滅ヲ……永遠の地獄を……〉

 

 代弁者は接触の悪い機械音を立てながら、立ち上がる。ナツメは腰溜めになって剣を構えながら、鋭く代弁者を見据えた。

 翼を広げる代弁者。

 ナツメは間合いを計る。

 と。

 

「てぇええいっ!」

 

 べしっっっ!

 

 鈍い音を立てて、代弁者が前のめりに倒れた。ナツメが、わずかに目を見開く。

 倒れた代弁者の先に立っていたのは、アルフと同じ銀髪の少女、スフレ・ロセッティだった。

 

「フン! ざまあないよねっ!」

 

 得意げに胸を反らす彼女の前で、代弁者が光の粒になって消えていく。ナツメは、光が完全に消え去っていくのを見届けてから、(シャープエッジ)(シャープネス)を鞘に納めた。

 少女――スフレ・ロセッティに向き直る。

 

「ス、スフレさん!? どうしてここに……っ!」

 

「やっぱりじっとしてらんなくって。それにナツメちゃん。研究エリアに行くっていうのに、まったく逆の方に行くんだもん! 心配でついて来ちゃったよっ!」

 

「……え? 逆でした?」

 

「うんっ! それに待ってろって言われたけどさ。何だか我慢できなくって。みんなや団長(パパ)の言うこと聞かないで、飛び出してきちゃった。てへっ!」

 

「てへっ、じゃありません! また無茶して~!」

 

 腰に手を据え、困ったように、きゅ、と唇を引き結ぶナツメに、スフレはぶんぶんと首を横に振った。

 

「いいじゃん、いいじゃん! あたしも一緒に連れてってよぉ。役に立つよ、あ・た・し♪」

 

 にんまりと得意げに笑う彼女に、ナツメは眉根を寄せる。

 

「むむむ……」

 

 呻きながら、ナツメは顎に手をやった。さらに悩む。

 正直、スフレの実力を認めたわけでは無い。が。元の場所まで一人で帰すわけにもいかないと思ったのだ。

 

(……やっぱり、連れていくべきかなぁ?)

 

 その場合、相応の覚悟が必要だ。

 アレンに教わった剣術は、まだ人を守るには未熟なレベルだが、彼の剣で、民間人を見捨てるわけにはいかない。

 ナツメは刀と剣の柄に触れ、目を閉じた。

 

(いざとなれば、私は……)

 

 スフレを共に連れていく上で、必要な覚悟。

 それは、スフレの為にこの身を投げ打つ覚悟だ。

 自分の身を犠牲にしてでも、スフレだけは安全な場所まで連れ帰る。

 連邦の宇宙基地を900秒で潰すような執行者(バケモノ)を相手に、無謀な覚悟かもしれない。だが、最悪の事態を常に想定すること。これも、アレンに教わった訓令だ。

 ナツメは目を開け、頷いた。

 

「仕方ありません……。研究エリアまで、一緒に行きましょう」

 

「やったぁ! よろしくね! ナツメちゃん!」

 

 くるりと回るスフレに、ナツメは、めっ、と念を押した。

 

「言っておきますけど、ここにいる間だけの話です! ……まったく! 周りの皆さんに心配かけて~!」

 

「へーきへーきっ! さあ、がんばっていこーっ!」

 

 元気よく拳を突き上げるスフレに、ナツメは一抹の不安を拭えないのだった。

 

「……ダイジョブかな? ホント……」

 

 つぶやいたナツメの声は、ムーンベース通路に虚しく響いた。

 

 

 

 ××××

 

 

 

 チャッ、

 

 マイクロブラスターの銃口が、無慈悲に持ち上がる。グリップを握る女の手は白く、四十インチはあろう銃身を支えるには、心許無く感じた。

 クォーク代表、マリア・トレイター。

 若干十九歳にして反銀河連邦組織をまとめ上げる才女は、ただ静かに、翡翠の瞳を老人に向けた。――底冷えするような、若干の殺気と共に。

 

「隠すと為にならないわよ?」

 

 硬質的なマリアの声。執務机に腰かけた老人は、対照的に深く溜息を吐いた。ちらりと、伸びきった白い眉毛の奥から羽交い締めにされたマリアを見やる。才女の左右を固めているのは、最年長のクリフと、連邦軍人のアレンだった。二人はやや戸惑ったように、しかし、それを表情に出さないよう口を真一文字に結んで、マリアの両腕を羽交い絞めている。マリアは自由を奪われ、焦点の合わない銃口に苛立ったように、左右の二人を見た。

 

「邪魔しないでっ! 修練場にアルベルがいない以上、匿ってるのはこのウォルター卿か、アーリグリフ国王しかないわ!」

 

「だからって無茶すんなっ!」

 

「早まった行動は慎むべきだ、トレイター代表。落ち着け!」

 

「っていうかさ。なんでそんなにアルベルに会いたがってるんだ?」

 

 マイクロブラスターの銃口が、間違ってもウォルターに向かないよう、銃身を確保しているフェイトが首を傾げる。と。マリアは、自分の腕と銃身を握っているフェイトを見下した。ちょうど、マリアの腕から銃身にかけての隙間に、フェイトが立っている格好だ。彼が一番、ウォルターを狙撃する上で邪魔になっている。

 マリアは忌々しげに舌打った。

 

「せっかくこんな辺境惑星に来たのに、アルベルに会わないで帰るつもり? だったら、ウォルター卿の前にまず君達から――」

 

「マ、マリアさん! 落ち着いてください!」

 

 ソフィアが所在なく視線を泳がせる。ウォルターはそんなフェイト一行を見据えて、もう一度深く、溜息を吐いた。執務机に投げた両手を、胸の前で組む。

 

「少し見ぬ内に騒がしくなったものよの。アルベルならばここにはおらぬ。今頃、灼熱の地で、滝のような汗を流しているに違いなかろうよ」

 

「灼熱の地?」

 

 首を傾げるフェイトに、ウォルターはほっほと笑いながら頷いた。

 

 

 

 ………………

 

 

 

 うだるような暑さが、洞窟を満たしている。

 初めて訪れた時も思ったが、この気候はどうにも、アルフの肌に合わない。

 かと言って、アーリグリフのような極寒の地も、まったく相性が良いと言わないが。

 ウルザ溶岩洞と呼ばれる、マグマの噴き上げる洞窟を抜けて、アルフは竜王・クロセルの住処にやって来た。岩一枚を挟んだだけだと言うのに、相変わらず竜王の住処は、溶岩の暑さが嘘のように涼しい。

 アルフはだだっ広い石畳に鎮座した竜王を見上げ、それから不思議そうに、その前に立っている男を見据えた。

 

「お前、なんでこんなトコにいるんだ?」

 

「――っ、テメエは! 貴様こそ、何故ここに……!」

 

 言いかけた漆黒団長アルベル・ノックスは、不意にニッと口端を緩めると、腰の刀を抜き払った。左手の義手を、これ見よがしにカシャリと打ち鳴らす。

 

「丁度いい。俺の腕がどれほどのものになったか、試させてもらうぞ」

 

「知らねえよ。俺の用はそっちの侯爵竜だ。――なぁ?」

 

 アルフはクロセルを見上げた。バンデーン艦の三分の一もある侯爵竜は、相変わらず間近にすると大きさが良く分かる。圧倒的な存在感を持ってアルフを見下ろすクロセルは、フン、と鼻を鳴らすなり口を開いた。

 

「契約ハ契約ダ。仕方アルマイ」

 

「なんだと?」

 

 アルベルが首を傾げる。と。クロセルは大きく口を開いた。ぐぐ、と彼の腹が震える。

 そして――、

 

 ごぽっ、

 

 クロセルの口から、五十センチ大のサイコロ状の物が飛び出した。竜の唾液がかかっているが、金属のようだ。アルベルは用を得ない顔で、アルフを見た。

 

「どういうことだ? アルフ」

 

 問う。アルフはクロセルが吐き出したサイコロ状の金属を持ち上げると、くるりと踵を返した。

 

「お前の部下に、『竜は貴金属を集める習性がある』って聞いてね。ちょいと分けてもらったんだ」

 

「?」

 

「――刀を打つためにな」

 

 にやりと薄く笑ったアルフは、それきりアルベルから背を向けて、ウルザ溶岩洞を後にした――……。



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69.無の紋章術

 ムーンベース研究エリアの最奥に、銀河連邦最高の頭脳と呼ばれるロキシ・ラインゴッドの研究所がある。立体通路の堅い床を蹴って、ナツメは緊張の面持ちで研究所前のシェルターで立ち止まった。

 

「ラインゴッド博士! ジェネシス星系宗主、オフィーリアの遣いで参りました。ナツメと申します!」

 

 タッチパネルに話しかけると、少しして研究所の分厚い扉が開いた。

 

「何の用だ」

 

 出迎えたのはロキシではなく、青みがかった緑髪の女性、リオナだった。ナツメが目を瞠る。

 

「あれっ。博士? どうしてこちらに?」

 

 きょとんと瞬く。リオナとはアクアエリーで顔を合わせる仲だ。ナツメは首を傾げながら、上から下までリオナを見る。リオナは素っ気なく答えた。

 

「ラインゴッド博士の補佐だ。用があるなら入れ。『奴等』が来る」

 

「!」

 

 『代弁者』の事だと察して、ナツメは表情を引き締めた。スフレと共に研究室に入る。室内は大型コンピュータが部屋全体を覆うように置かれており、ロキシは数ある中でも、メインコンピュータの前に座っていた。

 

「うわぁ……! 凄いね、ナツメちゃん……」

 

 様々な形状の計器類、設備に、スフレが目を瞠る。

 メインコンピュータの前に座ったロキシが、こちらに気付いて振り返った。

 

「おや? 君達は……?」

 

 ナツメとスフレを見て、ロキシが首を傾げた。どちらも「少女」と呼べる年嵩だ。連邦の研究員でない者の訪問に、ロキシが不思議がるのも無理はない。ナツメは一歩前に出ると、ロキシに一礼した。

 

「宗主オフィーリアの遣いで、ナツメと申します。つきましては『執行者』の事で、御相談に参りました」

 

「ベクトラ嬢の遣いだって? これは、また……随分とお若い」

 

 驚くロキシに、リオナが研究室の扉をロックしながら言った。

 

「ジェネシス星系宗主の遣いと言うのは、間違いありません。私が保証致します。ラインゴッド博士」

 

「リオナ君の知り合いか?」

 

 リオナとナツメを交互に見るロキシに、リオナは頷いた。

 

「以前、連邦に出入りしていた娘です。ガードやアトロシャスに縁の深い者ですから、その関係で知り合いました。――それよりもラインゴッド博士。あの検証結果(データ)を」

 

「ああ、そうだね」

 

 ロキシはメインコンピュータに向き直ると、キーボードに指を走らせた。画面が無数に展開され、高速でくるくると変わっていく。バンデーン、アールディオン……そして、地球を襲った時の『執行者』の映像も流れた。ナツメはぎゅっと拳を握った。

 

「エクスキューショナーのことで相談したい、と言ったね」

 

「はいっ!」

 

 コンピュータに向かったまま、ロキシは一つ頷いた。

 

「残念だが、効果的な対処法に関しては有益な情報は得られていない。撃退法は現行通り、クリエイション砲を直撃させるしかないだろうな。これから研究が進めば、少しは希望が持てるかもしれないが」

 

「……やはり、避難場所の確保は難しいと言う事ですか?」

 

「その通りだ。この銀河に居る限りは、どこに居ても危険と考えるのが妥当だな。――リオナ君」

 

 ロキシの呼びかけに、リオナはサイドコンピュータにある映像を映し出して答えた。

 一つは、執行者が光球を放つ寸前の画像。もう一つは、アレンの肩に出来た奇妙な痣の画像だ。

 

「!」

 

 目を瞠るナツメに、リオナは言った。

 

「この二つの画像は、どちらもタイムゲートに縁のあるものだ。まずは右側――執行者の画像についてだが、奴等が駆使する紋章術は、我々が把握しているどの術式にも当てはまらない。これを仮に『無』の紋章術、と呼称する。効果(エフェクト)は名の通り、精霊に働きかけずとも物質を消滅させる。つまり、力の媒介となる物が存在しないと言う事だ。

 ラインゴッド博士が開発した『破壊(ディストラクション)』に似ているが、物理法則そのものに干渉しているわけではなく、純粋に高出力な『力』と考えた方がいい。そして――、この紋章陣を最新演算ソフトで解析すると、『基礎』となる紋様が、左に提示した『痣』の形と完全一致した」

 

 リオナがカーソルを二度叩くと、執行者の画面が上書きされ、紋章陣が謎の紋様に変わった。左側の――アレンの肩に出来た痣と同じ、逆三角形の盃と、その上に球が乗った謎の『紋様』。

 リオナが『無』の紋章陣と名付けたものだ。

 不思議そうに首を傾げているスフレの隣で、ナツメは息を呑んだ。

 

「あの。この……左側の痣の写真って……」

 

「ガードの肩に出来た、痣の写真だ。知っているのか?」

 

 視線を鋭くするリオナに、ナツメは頷いた。

 

「セフィラっていうオーパーツにアレンさんが触れた後、出来たものです。なんだか痣にしては変だったから、覚えてます……」

 

 ナツメは顔を上げ、不安げにリオナとロキシを見た。

 

「もしかしてアレンさん、危ないんですか?」

 

「断定は出来ない。故に、安全であるとは言えない」

 

 リオナの言葉に、ナツメは深刻な面持ちでうつむいた。

 

「…………」

 

「……ねえ、ナツメちゃん」

 

 スフレに声をかけられ、ナツメは首を傾げながら顔を上げた。

 

「だったらその――アレンって人に会いに行けばいいんじゃないのっ? 会ってみれば、影響があるのかどうか、分かるよ」

 

「それが……アレンさん達は今、FD空間と言う所にいるんです。我々に行く手立てはありません」

 

「えふでぃー空間……?」

 

 不思議そうなスフレを置いて、リオナは顎に手をやった。考え込むように沈黙する。

 と。

 

 ビーッ! ビーッ! ビーッ!

 

 警報がけたたましく鳴る。 

 全員に緊張が走った。

 

「エクスキューショナーが!?」

 

 ナツメが鋭く天井――ムーンベース通路を見やる。

 ロキシは冷静だった。

 

「心配いらない。ここのセキュリティロックは避難施設にも匹敵するからね。奴等が襲ってくることは無い筈だ」

 

「でも! 敵は基地ごと消滅させるような奴なんですっ!」

 

「……その時ばかりは我々も、諦めるしかないだろう。もっとも、私には最後までやり遂げねばならない理由があるがね」

 

 小さく笑うロキシを置いて、ナツメは剣と刀を手に取った。

 

「どうするつもりだっ!」

 

 リオナが鋭く問いかける。

 ナツメは扉に向かうと、振り返らずに答えた。

 

「私は剣士です。剣を振ることしか知らない。だから――、執行者(やつら)は私が引きつけます」

 

「馬鹿を言うな! 死ぬ気かっ!?」

 

「……スフレさんをお願いします。博士」

 

「アンカース!」

「ナツメちゃんっ! 行くならアタシも――!」

 

 二人の言葉をナツメは笑顔で制して、研究所を後にした。

 

 

 

 ××××

 

 

 

「よぉ。鍛冶師ガスト」

 

 男は五十センチ大の金属塊を抱えて、にやりと笑った。目にかかるほどの長い銀髪と、白皙に浮かぶ紅瞳。精巧な人形のように整った男の顔を見据えて、ガストは巨大槌を握る拳を、パンッと打ち鳴らした。彼が座っていたのは小ぶりな木製の椅子。床も壁も板目で出来たこの建物は、鉱山の町カルサア南西にある工房だ。

 既にガストの準備は整っているようで、彼の傍らには樽に入れられたセフィラの聖水が、ずらりと並んでいる。

 

「いよいよ手に入れたか。(たま)(はがね)を」

 

 男臭く笑うガストに、アルフ・アトロシャスはにやりと嗤って返した。

 

「……始めようぜ」

 

「承知」

 

 ガストは短く頷き、相棒の巨大槌を持ち上げた――。

 

 

 

 

 ウルザ溶岩洞。

 再び訪れたここは、相変わらず熱い。

 猛烈に。

 砂漠とはまた違う熱気を持っている。

 フェイトは額から滑り落ちる汗を拭いながら、息を吐いた。ブロードソードを持ち直す。バニラからもらった例の人形――ウサギの置物はまだ、大事にしまってある。

 

 ど根性バーニィ。

 

 弱い敵とも熱い勝負が出来る――敵強化ファクターを持つレアアイテムである。だが一行は、まだその凶化ファクターに気付いていない。バニラからもらってずっと、そのファクターが一行を苦しめている事に。

 クリフは肩で息を切らしながら、首を傾げた。

 

「……はぁ、はぁ……! ったく、こんな強かったか? こいつら」

 

「ハハッ! テンション上がって来たねっ!! 『修行』とかいう訳の分かんない制限(スキル設定)までされたおかげで、僕の体力もいよいよ限界に近いぞっ!」

 

 素早くブロードソードを振り回しながら、フェイトは高らかに笑った。本当に限界が近いのか、滑り落ちる汗を袖で拭うと、新たな汗が出なくなった。肌がカラリとしている。

 

「こ、このくらい……! 早く行って、アルベルと決着をつけるのよ……!!」

 

 同じように肩で息を切らしながら、マリアはマイクロブラスターを杖代わりに頭を振った。

 その三人を見つめて、ソフィアは言葉に詰まった。デフォルトされたネコストラップを先端に付けた杖を抱きしめ、彼女は恐る恐る尋ねる。

 

「あ、あの……皆さん。本当に大丈夫ですか?」

 

 フェイトがくるりと振り返る。満面に笑みを湛えて。

 

「もちろんっ! 心配無用だよ、ソフィア! 最初からうまくできる奴なんて、そうはいないから……さぁああああっっ!」

 

 最後は叫びながら、溶岩洞に住まうモンスター・マッドマンに斬りつけた。剛刀兼定を手にする悪魔(アレン)はそんなフェイトを見て、一つ、こくりと頷くのみである。

 

「そういうわけだ。エスティード嬢。気にせずもう一度、フェアリーライトを」

 

「は、はいっ!」

 

 緊張した面持ちでソフィアは、杖を構え直す。彼女は穏やかなあどけない顔を引き締めて、精神を集中する。

 このバール山脈に入ってからずっと、彼女はアレンから紋章術の手ほどきを受けているのだ。

 

 上級回復紋章術――フェアリーライト。

 

 紋章術の才能を見込まれたソフィアは、初めての実戦でこの練習を繰り返していた。

 成功はまだ無い。

 だが、補助紋章の構成全てがこの呪文に集約されているため、フェアリーライトさえ覚えれば、後の紋章術を覚えるのが格段に楽になる、というのがアレンの説だ。

 フェイト達はその為の贄だった。

 

「なあ、おい。フェイト」

 

「んだぁっ!?」

 

 マッドマンをどうにか倒して、フェイトが自棄気味に振り返る。視線の合ったクリフは、神妙な面持ちだった。

 

「……もしかして、あの嬢ちゃん(ソフィア)が紋章術成功させるまで、俺達ゃ回復無しなのか?」

 

「言うなぁあああああ!」

 

「マジかよ……っ!」

 

 舌打ちと同時、絶望で顔を引き攣たせるクリフ。怪我はフェイトやクリフに比べて軽いとはいえ、精密射撃型のマリアも、精神力を根こそぎ削り取られていた。

 彼女は肩を上下させ、息を切らしながら鋭い眼差しをクリフに向ける。

 

「泣き言は聞かないわよ……クリフ……っ! あの岩を越えれば、……あとちょっとで! クロセルなんだからっ!」

 

「あんにゃろぉおおおお! 何が護衛任務だっ!? 何が連邦軍人として出来るとこまで手伝うだっ!? 完っ全に、僕を殺す気じゃないかぁああああっっ!」

 

「フェイトっ! 取り乱さないで、さっさと先に進むのよっ! クロセルの住処にさえ入ればっ! この地獄だって一時的に終わるんだからっ!」

 

「ぉ、おうっ!」

 

 フェイトはブロードソードを手に、駆けた。

 ソフィアが眉間にしわを寄せて杖を握り、叫ぶ。

 

「フェアリーライトっ!」

 

 青い紋章陣が浮かぶ。

 しかし――それは完全な円を描く前に中空に散っていった。

 ソフィアが肩を落とす。

 

「うぅ……、おかしいなぁ……」

 

「精神集中が甘い。紋章構成はもっと丁寧に、綿密に行うんだ。奴等なら死にはしない。焦らず、落ち着いてもう一度」

 

「はいっ!」

 

 きゅっ、と表情を引き締め、ソフィアはもう一度杖を構える。

 ブロードソードを振り回すフェイトの絶叫が、どこまでもウルザ溶岩洞に響いた――。

 

「殺してやるぁあああああ!」

 

 

 

 ………………

 …………

 

 

 

「フン、お前達までここに来るとはな。一体何の用だ?」

 

 クロセルの住処に辿り着くと、ウォルター伯爵の言った通り、長身痩躯の漆黒団長がそこに居た。

 フェイトは据わった目でアルベルを睨んだ。

 

「お前がここに居るって聞いたからさ。ちょっと寄ってみたんだ。――ちょっ(・・・)とね(・・)

 

「?」

 

 くく、と喉を鳴らすフェイトに、アルベルは要を得ないながらも、ふん、と鼻を鳴らす。彼は刀の鍔に手をかけた。

 

「まあいい。俺とお前、どっちが強いのか……。確かめさせてもらう」

 

「フッ……限界間近なこの僕に挑んでくるとは。なかなか良い度胸だな、アルベル・ノックス! ……いいだろう。僕の怒りと悲しみ、受け取れぇええええ!」

 

 勢い(ナチュラルハイ)のままブロードソードを振りかぶろうとした、その瞬間。

 

 てぃらりらりんっ♪

 

 テレグラフの軽快な着信音が、洞窟内に響いた。

 

(へ? ウェルチさん?)

 

 フェイトが瞬くと同時、アルベルの空破斬が走った。

 

「とぁっ!?」

 

 凄まじい反射神経で、右に避ける。と。後ろでマリアが、ポケットからテレグラフを取り出した。

 

「この忙しい中、何っ!?」

 

 鋭い口調で問いかける。テレグラフから、女性の明るい声が響いた。

 

[こんにちはっ! 新製品開発の調子はどうですか?]

 

「ウェルチ! 今、俺達ぁそれどころじゃねえんだっ!」

 

 一礼する女性のツインテールが軽快にはねる。クリフが頭を掻きながらク顔を歪めると、テレグラフに映る女性――ウェルチ・ヴィンヤードは不思議そうに瞬いた。

 

[え? それじゃあ、以前フェイトさんから依頼を受けたウサギの置物のファクターは、後ほどお知らせした方がよろしいですか?]

 

「すぐ終わるなら、今してちょうだい」

 

 フェイトとアルベルを一瞥して、マリアが髪をかき上げながら答える。ウェルチはパンッと両手を合わせ、にこりと笑った。

 

[分かりました! それではお伝えしますね!]

 

 彼女は勢い良く、人差し指を立てて『一番』を示す白手袋の指し棒を画面に向けると、左手を腰に据えて言った。

 

[……なんとっ! フェイトさんが持っている置物の名前は『ど根性バーニィ』! 戦っている相手の体力と精神力を倍にする――修行にうってつけの代物(アイテム)ですっ!]

 

「なっっっ、ん、、、、だ……とっ!?」

 

 フェイトの背に冷や汗が伝う。咄嗟に、上段から斬り下ろしてくるアルベルの刃を止める。

 

 ドォッ!

 

「カッ!」

 

 フェイトは目を見開いた。止めた両手が痺れる。驚いたのは、アレンも同じだ。

 

(――速い)

 

 以前よりも格段に。

 フェイトは慌てて態勢を整える。その時には既に、アルベルの義手に赤黒い気が纏わりついていた。

 

「剛魔掌!」

 

「ちょっと待てアルベルっ! ちょっと待てぇええっ!?」

 

 寸での所でアルベルの鉄爪を躱す。顔色を失ったフェイトの目に涙が浮かんでいた。

 

「早くその置物寄越せっ!」

 

「懐に引っかかって取れないんだよっ!」

 

 胆が冷える想いで、ど根性バーニィを掴む。拳を握っているクリフに一刻も早く投げ渡したかったが、バーニィの耳がちょうどフェイトのチャックに噛まれている。

 

「この期に及んで、悪ふざけとは余裕じゃねえか!」

 

「ちっがぁああああうっ!」

 

 殺気の増したアルベルに向かって、フェイトは声を限りに叫んだ。

 

「タイム! タイムタイムタイム一旦タイム~~~ッッ!」

 

「? ……フン」

 

 恥も外聞も無く泣き叫ぶフェイトに、アルベルは眉間にしわを寄せながら刀を納めた。

 

「早くしろ」

 

「恩に着る!」

 

 ホッと一息つくと、フェイトはチャックの噛みからバーニィを救出するや、クリフに向かって投げつけた。

 

「クリフ~!」

 

「しゃあ!」

 

 パシッと軽快な音を立ててバーニィを受け取り、クリフは拳を振り下ろした。

 

「叩き潰すぜっ!」

 

 黄金の闘気をまとったクリフの拳が、ど根性バーニィを打ち砕く。瞬間。今まで内包されていたフェイトの能力が、一気に膨れ上がった。

 

「来た来た来たぁああっ!」

 

 喜びに声の調子(トーン)を引き上げながら、フェイトは、ざ、とブロードソードの切っ先をアルベルに向けた。

 

 

 

 

「長らく待たせたな、アルベル! ここからが本当の勝負だ!」

 

「……ほぅ。どんないかさまか知らねえが、なるほど。確かに気が膨れ上がりやがった」

 

 訝しげにフェイトを見やりながら、アルベルは刀を構える。腰を落とし、右手で握った刀の尺を誤魔化すように、身体の後ろにやる。じゃり、と音を立てて足を肩幅に開き、義手を嵌めた左肩を突きだす前傾姿勢だ。

 

「本気で行くぞ」

 

 静かにつぶやくアルベルに、フェイトは頷いた。

 

「本気で来い、アルベル」

 

 口許に浮かんだ笑みは崩さないまま、フェイトの翡翠の瞳が真剣味を増す。

 その時、マリア達から声がかかった。

 

「フェイト! 負けたら許さないわよっ!」

 

「フェイト~! がんばって~!」

 

「ま、俺ぐらい応援してやるぜ。アルベル」

 

「フン、要らぬ世話だ。――ん?」

 

 アルベルがクリフの申し出をぞんざいに断った時、目の前にいるフェイトの雰囲気が、明らかに変わった。

 アルベルが眉をひそめる。

 

「悪いなアルベル……。ソフィアの前でダサい姿は見せられない」

 

 つぶやいたフェイトの口許から、笑みが消えた。

 アルベルはにやりと嗤う。ここまで真剣なフェイトを見たのは、もしかしたら今が初めてかも知れない。

 フェイトに向けて突き出した義手を、カシャリと鳴らした。

 静寂。

 そして――、

 

「剛魔掌!」

 

「ブレードリアクター!」

 

 両者、交差方向で斬り合う。踏み込みは同時。

 アルベルは闘気をまとった鉄爪、フェイトは上段から振り下ろす青い気をまとった剣撃。互いに背を向けた態勢で止まった二人は、肩越しに相手を見やった。

 お互いの肩が、うっすらと斬られている。

 アルベルの赤瞳が、ゆらりと揺れた。

 

「の野郎……。上等だっ!」

 

「甘い! (ロング)距離(レンジ)なら僕の方が有利だ! ストレイヤーボイド!」

 

 フェイトはある意味、紋章剣士とも言える存在だった。何の付加も無い剣に、魔力を宿らせる事が出来る。深い闇を帯びた剣で突きを放つフェイトの攻撃を、アルベルは右に大きく跳んで避けた。

 同時。

 

「遅ぇ!」

 

 右手の刀を一閃する。

 

「なにっ!?」

 

 フェイトが目を見開く。突きから咄嗟に剣を頭上に掲げ、フェイトの右方向から走るアルベルの薙ぎを防ぐ。と、剣に青い気を宿らせた。

 

「くそっ!」

 

 音を立てて迫るアルベルの刃を、ブレードリアクターの一閃で弾く。

 と。

 

「剛魔掌!」

 

「遅いっ!」

 

 痩身にも関わらず、アルベルの義手はまるで熊のように鋭く、凶暴だ。触れただけで相手を吹き飛ばす。赤い闘気をまとった鉄爪の横薙ぎを見据え、フェイトは振り上げた剣を振り下ろした。

 

「さっきと同じ技のぶつかり合いか。――なんかあるぞ! 気をつけろ、フェイト!」

 

 クリフの忠告を背に、両者、交差方向で斬り合う。

 が、

 背を向けた状態で倒れたのは、フェイトだった。全てを薙ぎ倒すようなアルベルの鉄爪は、問答無用で相手を昏倒させる。

 

「紙一重で見切られた……!?」

 

 斬られた本人までもが驚いた。ガリッとクロセルの住処たる石畳を掻き、フェイトが立ち上がる。――ところを、

 

「この俺に同じ技が二度通じると思うなっ! ――気功掌!」

 

 人間の上半身以上の気功波がフェイトを襲う。その圧倒的な質量に、むっと熱い風が迫って来るのが分かった。

 

「んのやろぅっ!」

 

 フェイトは咄嗟に左にサイドステップして躱し、顔の横に右手をかざした。

 

「ショットガン……」

 

 アルベルの目が瞬間的に細められる。同時。アルベルは刀を一閃した。下段から刀を振り抜き、剣術と気功術を合わせたこの技は、刃から疾風を走らせる。

 

「空破斬!」

 

「ボルトォッ!」

 

 同時。フェイトは右手に溜めた紋章力を解放し、顔の横にかざした手を振り下した。

 スイングに沿って扇状に走る無数の火球と、地を駆る衝撃波が激突し、爆発する。

 

 ドォッ!

 

 吹き荒れる爆風を、フェイトは真っ二つに切り裂いた。

 

「何っ!?」

 

 アルベルが目を瞠る。物体で無い『風』を切る。それは相応の修練、練気があっての技だ。だが、フェイトの場合はそのどちらでも無かった。

 あるのは――白刃のきらめき。

 ディストラクション能力が付加された、白く輝くブロードソードだ。

 

(あの時、アレン・ガードを相手に見せた力……)

 

 アルベルは、空間が丸ごと(・・・)斬られるのを見て、にやりと口端をつり上げた。

 

「使いこなせるようになったか!」

 

 言いながら、地を蹴る。上段から刀を振り下ろす。

 

「今だっ!」

 

 フェイトはディストラクションの光の上に、さらに闇の剣を付加させた。

 

「そんじょそこらの(なまくら)で、僕の剣を止められるかぁあああっっ!」

 

 濃い闇がフェイトを中心に同心円状に集まる。同時。フェイトは突きを放った。アルベルの腹を穿つ一撃。

 ――が。

 

 ギィッ!

 

 無造作に刀を一閃したアルベルは、フェイトとは刃を合わせず、(ブロードソード)の腹を切り払っていた。

 

「コイツ……! 僕の斬撃の腹を狙って――!?」

 

 つぶやいたのも束の間。目を瞠るフェイトの体は、アルベルの体当たり(チャージ)で吹き飛ばされた。

 

「なにぃっ!?」

 

 気功をまとったアルベルの肩は、さながらルムの如く強烈だった。剣も気功も間に合わず、それどころか防御態勢に入る前にフェイトの身体が宙を舞う。

 

「フェイトの斬撃を見切って、剣の腹狙って一撃入れるとはな……!」

 

 クリフはアルベルの動体視力、戦闘センスに思わず舌を巻いた。アレンが傍らで小さく頷く。

 

「剣術のレベルならば、やはりアルベルの方がフェイトより上か」

 

 蒼瞳は険しく細められていた。

 

 フェイトは体当たり(チャージ)で後方に吹き飛ぶ身体を丸めて整えるや、ぐっと拳を握った。

 

「だがこっちには、有り余る才能があるっ!」

 

 気が拳に宿ったのは一瞬。

 直後、ショットガンボルドの火弾が、再びアルベルに向かって走った。

 

 ドドドォッ!

 

 アルベルは右にサイドステップして避ける。火弾は地面に触れて炸裂し、二十センチ大の穴を作った。

 

「剛魔掌!」

 

 フェイトとの間合いはわずか五十センチ。刃を振るより身体の一部である鉄爪を振る方がはるかに速い。

 が、

 それ故にフェイトもアルベルの戦法は心得ていた。赤い気を宿した鉄爪を見据え、フェイトはにやりと笑う。

 

「ヴァーティカル・エアレイドォオ!」

 

「何っ!?」

 

 フェイトが剣を振り上げると同時、疾風の柱が直線に――波状攻撃でアルベルを襲った。(かわ)される事をあらかじめ予想していたのか、フェイトの練気は十分だった。アルベルは咄嗟に左の爪と刀を交差させて防御する。だが衝撃だけはどうする事も出来ず、空中に吹き上げられ、フェイトの振り下ろしと同時に走る頭上からの剣圧に、アルベルは吹っ飛ばされた。

 

 ずざざざざざっ!

 

 着地すると同時、アルベルは忌々しげに唇を噛みながら地面を掻く。

 フェイトが斬りかかった。アルベルとの距離は三メートル。

 

「ぉおっ!」

 

「阿呆が!」

 

 フェイトが間合いを詰める間に、アルベルの義手に赤黒い闘気が集う。

 

「吼竜破!」

 

 途端。何もない石畳の床から、黒い竜が迫り出した。剣を握り、斬りかかるフェイトが目を見開く。大口を開けた竜。それはフェイトの上半身を軽く飲み込むほど大きい。

 その竜が、まず三匹。

 

「うぉっ!?」

 

 フェイトは息を呑むと同時ディバインウェポンを咄嗟に発動させ、一匹、二匹目を斬り、三匹の一撃を止めた。竜の牙は思いの外、重い。消滅させるのに手こずった僅かな一瞬、剣を握る手が痺れるのをフェイトが自覚する前に、四匹目の竜がフェイトの脇を襲い、更に五匹目が正面からフェイトに突撃し――彼の痩身を弾き飛ばした。

 

 

「フェイトのディストラクションを破った!?」

 

 クリフが目を瞠る。隣でマリアが、顎に手をやりながら嘆息した。

 

「情けないわね。あの程度のわずかな時間でしか、ディストラクションを顕現出来ないなんて」

 

 呆れたような声でつぶやくものの、マリアも目の前の勝負が切迫しているのを肌で感じている。それ故に、フェイトの一瞬のミスが歯痒い。冷静(クール)に腕組んだ彼女は、ぎゅっと自分の腕を握り締めた。

 

 

「どうした、阿呆」

 

 アルベルはカシャリと義手を鳴らした。右手は刀を鋭く下段に構え、臨戦態勢は崩していない。

 

「女の前で無様はさらせないんじゃなかったのか?」

 

「く……っ! くそっ!」

 

 アルベルを睨み返し、フェイトは低く唸った。ブロードソードを杖代わりに、立ち上がる。

 アルベルはその様を見据え、鼻を鳴らした。

 

「以前言ったな。守るべき者の為に戦うと。その程度の力で、何かを守れるのか?」

 

「フン……お前の口からそんな言葉が聞けるなんてな。見たいのか、アルベル。守るべき者の強さってやつを」

 

 フェイトは口端をつり上げる。ブロードソードを正眼に構えると、アルベルは盛大に剣気を放った。

 

「減らず口を! なら、見せて見やがれっ!」

 

 今一度、黒い竜を召喚するアルベル。その義手に赤黒い気が宿るのを見るや、フェイトはギッと剣の柄を握りしめた。

 

「遅い!!」

 

 ディストラクションの刃に更に、闇の波動が宿る。フェイトの周りが同心円状に黒い闇に覆われ、彼は渾身の紋章力と気を掛け合わせた突きを放った。ストレイヤーボイドとフェイトが名付けた技だ。

 一瞬、フェイトがアルベルの視界から外れ、目の前に現れる。

 

「何っ!?」

 

 アルベルが目を瞠った。まるで消えた(・・・)かのようなフェイトの動き。が、驚く間にも、アルベルは刀の切っ先でフェイトを捉えた。

 

「だが、その程度のスピード。見切れねえと思ったかっ!」

 

 吼竜破を放とうとした気を全て捨て、アルベルは咄嗟に全体重を込めて上段から振り下ろす。爪と刀を交差させた、渾身の一撃。

 だがそれを、サイドステップで避けた。

 

「僕もお前の癖、動きは大体分かってるんだよっ! そこだっ!」

 

 フェイトはサイドステップと同時に右足に気を込めた。アルベルの右脇腹を強かに穿つ蹴り。アルベルの身体がずれる。同時。フェイトは肩からアルベルに体当たり(チャージ)した。全身を白い気が包み、アルベルが耐えきれずに後方へはじけ飛ぶ。

 と。

 フェイトはぐっと拳を握った。

 

「弾けろッ!」

 

 顔の横からオーバースロー気味に火弾を放つ。フェイトの腕の軌道を追うように扇状に走った火弾がアルベルを容赦なく襲う。咄嗟に爪と刀を盾にして受け切ったが、一発着弾する度にアルベルの腕が痺れた。

 

「……ぐ、ぅ!」

 

「どうした? お前の言う強さってのは、そんなもんなのか?」

 

 フェイトはブロードソードを右手で持ちかえ、風斬り音を立てて横に一閃する。まるで仕切り直しだ、と言わんばかりの彼の素振りを見据え、アルベルは赤い瞳をぎらつかせた。

 

「吠えるじゃねえか……!」

 

「さあ。とことんやろうか!」

 

「上等だ!」

 

 吼えるフェイトにアルベルは応え、両者、剣と刀を振り被って地を蹴った――。

 

 

 

 …………………

 ……………

 

 

 

 そうして、半日余りが過ぎた頃。

 二人は立っていることすらままならず、仰向けに倒れていた。

 

「僕の、勝ちだぁ……! ふふふふふ~!」

 

 限界の限界の限界を超えたフェイトが、不気味な笑みを洩らす。くつくつと唇を震わせていると、すぐに傍らから抗議の声が上がった。

 

「どの面下げて吠えてやがる、クソ虫が……!」

 

「なんだとぉ、まだ負けを認めないつもりか……! いい加減にしろよぉ!」

 

 吼えはするものの、フェイトには最早、剣を握る力すら残っていない。それはアルベルも同じだった。

 まさか、これほどまでにこの青年が腕を上げていたとは。

 アルベルは内心で苦笑しながら、す、と表情を改めた。

 

「ハッ! 認める気なんざねぇ……。だから、付きとまとってやる。貴様やアレンの強さを手に入れる、その時までな!」

 

 仰向けに倒れたまま、鋭い視線を向けて来るアルベルに、アレンは微笑って頷いた。

 後ろの方でマリアが、人知れずガッツポーズを取っていた事は――恐らくクリフのみぞ知るところである。

 フェイトはアルベルの言葉を半ば夢見心地で聞きながら、ふと視線が合ったソフィアににこりと笑って――意識を手放した。

 

「ぁ、……眠……っ」

 

 寸前につぶやいたのはそんな一言。

 初めて『フェイトが倒されるかも知れない』と思う実戦を見せつけられ、ソフィアが涙混じりに駆け寄ったが、フェイトはすやすやと寝息を立てるばかりだった。

 

「フェイト……!」

 

 知らぬ内に逞しくなった幼馴染を見つめて、ソフィアはそれが嬉しい事なのか哀しい事なのかも分からないまま――ともかく彼の無事に安堵して、微笑んだ。

 

 

 フェアリーライト。

 上級回復紋章術として知られる紋章術をソフィアが初めて成功させたのは、それから数分後の事だった。



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70.それぞれの武器を手に

 ウルザ溶岩洞を後にした一行は、カルサアの工房でアルフを見つけた。

 

 カァンッカァンッ!

 カンカンカンカァアンッ!

 

 規則的に槌を打つ音が、工房に響き渡る。

 整った相貌に浮かぶ紅瞳は狂気に打ち震え、ただ一心不乱に槌を振っている。それに相槌を打つのは、名工ガストだ。彼の傍らには大きな樽が五つほど、板張りの床に並んでいた。この樽の中にはシランドから汲んで来た、セフィラの聖水が入っている。鍛造して出来た刃を冷やし、刀の峰に混ぜた柔軟性のある金属を収縮させる事で『反り』を作る。そして、出来た刃を研ぐ為に用いるのだ。

 クロセルから貰った金属『瑤鋼』は、高い硬度と純度を兼ね備えた――まさに武器を作る為の金属だった。それ故に8000度の熱で鋼を軟らかくして槌を打っても、中々変形しない。常人の腕力ではビクともしない加工しづらい代物を、アルフは真剣に見据えている。作業中の彼は、こちらを振り返ろうともしなかった。

 雑然と書類が散らばった木製カウンターを抜けると、フェイト達に気付いたガストが顔を上げた。

 

「お前達か」

 

 言いながら、槌を置いて歩み寄って来る巨躯の鍛冶師に、ソフィアはきょとんと瞬いた。身長は二メートル近く。浅黒い肌で隆々とした筋肉から、鍛冶作業で掻いた汗が滑り落ちる。なんの飾り気も無い褪せた茶色の和服を脱ぎ、黒に近い焦茶色の袴に引っかけた巨躯の鍛冶師は、清潔な白いタオルで灰色の髪をがしがしと掻き、汗を拭った。

 

「ガスト。これは、まさか?」

 

 アレンが炎と向き合うアルフを一瞥して問う。ガストは力強く頷いた。意志の強そうな黒瞳が、アレンからフェイト、そして一行を見る。

 

「刀を打っている所だ。かの剣士の全力に応える刀を」

 

「三日で仕上げる。――待てるか」

 

 槌が奏でる音に混じって、アルフが訊いて来た。フェイトは腰に手を据えながら、ざっと一同を見渡す。表情はさまざまだ。事態は切迫しており、急ぐならば三日と言う空白は避けたい所である。だがアルフの狂気に気圧される部分もあり、皆が何とはなしに刀を打ち続ける狂人を見据えていた。

 

「それと。そなたがフェイト殿だな」

 

「え?」

 

 腰に差したブロードソードを見て、ガストが訊いてきた。顔を上げたフェイトが、はい、と頷くと、ガストは口端を緩め、木枠の窓から、斜向かいの工房を指差した。

 

「この町のもう一つの工房で、そなたを待っている方がおられる。是非、()かれるがよい」

 

「僕を?」

 

 首を傾げると、ガストは深く頷いた。

 

 

 

 

 特に予定もないので、フェイトは皆と解散すると、一人でカルサア南方の工房を訪ねた。古くは鍛冶職人が使っていた施設をギルドから借り受け、改装したものだ。

 味わい深いコルク製の戸を開けると、奥に男が鎮座していた。

 

「来たか」

 

 男の渋い声が響いた。巨岩のようにがっしりとした体躯。鍛え上げられた肉体を、黒革の鎧が誇示するように更に大きく見せている。髪の色は白。逆立った髪は短く、男は鋭い眼差しをフェイトに向けた。

 大陸最高の鍛冶師、ボイド。

 以前、アリアスの村でフェイトにブロードソードを渡した男だ。

 

「お前は……!」

 

 目を丸めるフェイトに、ボイドはにやりと笑った。

 

「ずいぶん顔つきが変わったもんだな、小僧」

 

「……僕を待ってるって言うのは、お前でいいのか? ボイド」

 

 雑貨屋の女将に聞いた名を思い出しながら問うと、ボイドはフッと息を吐いて目を伏せた。穏やかな表情(カオ)だ。何かをふっ切ったような、不思議な雰囲気だった。

 フェイトは首を傾げながらも、工房の奥――ボイドに歩み寄った。

 

「俺が預けた剣。見せてもらうぞ」

 

 ボイドはそう言って、樫のように堅い手をフェイトに向ける。フェイトは無愛想に用件を言って来るこの男に苦笑しながら小さく頷き、剣帯からブロードソードを外した。

 

「にしても、僕が会いに行くって話じゃなかったか?」

 

 言いながら、剣を渡す。ボイドは口をつり上げただけで、フェイトの質問には答えなかった。

 ブロードソードを受け取ったボイドが、剣を水平にして持ち、ごくりと喉を鳴らす。それは無意識下でのことだった。

 

「…………」

 

 この刃が鞘から解き放たれた時、この青年がいかにして自分の剣を使って来たのかが分かる。それは、ボイドにして見れば一種の賭けだ。

 

(コレが凡百の(なまくら)であれば、俺は二度と――剣を打つことの適わぬ男だ)

 

 剣は職人の魂。

 兵の心。

 曇った者が振るえば、その刃も次第に輝きを失っていく。

 多くの武具を作ったボイドは、これまで様々な兵を見て来た。数えるのも億劫になるほどの作品が戦場で散って行き、それでも彼の作った武器の本質を見抜き、操る者はほんの一握りに過ぎなかった。多くは金に物を言わせ、刃を磨く事も忘れて死んで行った愚者達ばかりだ。

 それだけならまだしも、中には刃を振るう暇すら無く朽ちた者までいる。

 昔は――アーリグリフとまだ仲の良かったあの頃は、アリアスの村で酒を飲み交わした男達が、国のため、この戦のために死んでいった。ボイドはその男達の顔を、すべて覚えている。

 旧友を二度と失わずに済むよう、防具を作った。洗練された防具が、友の命を守るようにと。

 だが、そんな願いが叶ったのはほんのひと月で、すぐにその優れた防具を巡って人が押し寄せて来た。そうして起こったのは、ボイドが作った武器と、防具を持って互いに殺し合う戦場だ。昔はアーリグリフもシーハーツも無く、酒を酌み交わした男達が、無残にも散って行った。

 一度も剣を握った事の無い、百姓の小倅(こせがれ)まで駆りたてて。

 

「…………」

 

 ボイドはブロードソードを見据える。柄を握る手は、微かに震えていた。

 この青年は、どう刃を振るって来たのか――。

 それを知る為に、ボイドは意を決して剣を抜き払った。

 

 シャッ、

 

 軽快な鞘走りの後、放たれた抜き身。それを見つめて、ボイドは目を瞠った。

 

「これは……!」

 

 白い刃だった。

 フェイトのブロードソードは、曇り一つない白い刃。

 多くの戦場をくぐり抜けて来た事は、柄のへたり具合を見れば分かる。だが、フェイトが握る刃は、まるで生まれたての剣のように無垢だった。

 研ぎを甘くして殺傷力を押さえた刃は、持ち手が物を斬れば斬るほどに切味を増す。その性質を知ってか知らずてか。フェイトのブロードソードは、たった一点のみが鏡のように美しく輝き、他の部分はまばらになっていた。殺傷力の低い刃と、殺傷力の増した刃を巧みに使いこなしている。最も輝く刃の部分には、人を斬った痕跡が無かった。

 ファイトシュミレータで戦い方を確立したフェイトは、その類まれなる才能から『剣』と少し異なる性質のブロードソードを見事に使いこなしたのだ。彼自身が意識してやったことではなく、自然と身に着いている。

 相手を殺さないと言う意志を抱いた、あの時から。

 ボイドは口端をつり上げた。それだけに飽き足らず、笑いが零れる。巨岩のような体躯がクスクスと揺れ、彼は次第に額に手を当てて吹き出した。

 

「な、なんだよ?」

 

 緊張した面持ちでフェイトが尋ねて来る。

 ボイドは肩を揺すりながら言った。

 

「二日……いや、一日もらうぞ。小僧。この刃――俺の手で完成させてみたくなった」

 

「へ?」

 

 要を得ず瞬くフェイトに、大陸最高の鍛冶師はかつての光を取り戻した瞳で、頷いた。

 

 ――クリムゾンセイバー。

 

 かつてアリアスの村で出会った無名の青年が、ものの数カ月でそう呼ばれ、アーリグリフとシーハーツの両国の戦いに終止符を打った事を、ボイドも知っている。

 二国が雌雄を決する戦いで、その二国でも相手にならなかった災禍――星の船との戦いで、もっとも功績を成した兵士。

 それが、クリムゾンセイバーだ。

 

(……まさか、これほどとはな)

 

 戦を切り抜けながらも、穢れを知らぬ刃。

 それは強靭な意志を持ってしなければ、決して成せぬ所業だ。

 ボイドは口端をつり上げて――自分がずっと考えていた、ある剣を完成させた。

 

 

 名剣ヴェインスレイ。

 肉体と共に人の負の感情――精神の歪みを断ち切る、活人の名剣である。

 

 

 

 ××××

 

 

 

「それでは、この件はこれで」

 

「うむ。お主らの協力、期待しておるぞ」

 

 カルサア領主、ウォルター伯爵に向かって、栗色の髪を腰まで伸ばした少女、アミーナ・レッフェルドは深々とお辞儀した。傍らで、幼馴染のディオンも同じように頭を下げる。

 執務机についたウォルターは、アミーナから書類を受け取るや、それにざっと目を通し、小さく頷いた。これはカルサア丘陵・アイレの丘で行う両国共同作業の日程表だ。

 フェイト達がエリクールを去った後、アーリグリフ・シーハーツの両国は首脳会議を開き、アーリグリフはシーハーツから農作業の手ほどきを受ける代わりに、二つの名を持つ丘での採掘用道具の提供を確約した。長く、鉱山の町として栄えたカルサアは、シーハーツよりもはるかに優れた採掘技術を持っているのである。

 ウォルターは長い白眉毛に隠れた目を、二人の護衛役として同行しているシーハーツの女兵士に向けた。赤髪を尖った顎の位置で整えたスレンダーな隠密の女兵士、ネル・ゼルファーに。

 

「それから、お主に話すべき事がある」

 

「私に?」

 

 首に巻いたマフラーに口許を埋め、ネルが半眼で問う。アミーナとディオンは、ウォルターとネルを心配そうに交互に見やるばかりだ。

 アミーナが胸元で手を握って、眉を寄せる。

 

「あの。……私達、少し席を外した方がいいですか?」

 

「そうしてくれると助かる」

 

 答えたのはネルではなく、ウォルターだった。ディオンが声をひそめる。

 

「ネル様」

 

「――いいよ。先に行ってな。私もすぐに追うからさ」

 

「はい」

 

 緊張した面持ちながらもディオンが一礼して、アミーナを連れて部屋を後にする。その背を見送り、ネルはウォルターに向きなおった。

 

「それで。人払いまでして話したい事ってのはなんだい?」

 

「お主の父親について、聞いておくことは無いのか?」

 

 神妙な面持ちで切り出すウォルターは、表情を隠すように口許で指を組んだ。ネルは静かに目を閉じる。

 数秒。

 彼女は顔を上げると、首を横に振った。

 

「いや、特に無い。あんたら風雷に追われていた父は、より多くの部下を逃がすために単独行動を取り行方不明となった。そこまでは、父の部下だった者から報告を聞いている。恐らくは殺されたんだろうが、それも戦場の倣い。あたし個人の感情はどうあれ、あんたらに文句を言える筋合いじゃないだろ?」

 

「お主の父を直接倒したのは、このワシじゃ。それでも、そのようなことが言えるのか?」

 

 ネルは目を細めた。

 

「今のアタシは、あくまでも女王陛下の使い、クリムゾンブレイドのネル・ゼルファー。個人的な感情で、国の命運を左右するつもりは無いよ」

 

「そうか、わかった……」

 

 ウォルターは長い息を吐くと、穏やかに微笑んだ。口許で組んだ指を下ろし、とんと執務机の上に置く。

 

「己を殺し、よく咆えおったな。今のお主になら、これを渡しても構わぬだろう」

 

「え…………?」

 

 要を得ないネルを置いて、ウォルターが机の引き出しから取りだしたのは、二振りの剣だった。普段は鍵のついた引き出しなのか、ウォルターの机の上に金属製の高級そうな鍵が置いてある。

 ごとっ、と鈍い音を立てて交差状に置かれた二振りの剣を手に取り、ネルは、もしや、とつぶやいた。

 一振りは、まるで冬の湖面のように青白い直刃の短刀(ナイフ)。もう一振りはさながらフランベルクのようにギザギザと波打つ幅広の小太刀だ。

 短刀(ナイフ)は何の飾り気も無い代物で、刀身は細く、柄も短い。剣と言うよりは大きめの針――アイスピックをもう少し幅広にさせたもののようである。斬るよりも刺す事に使いそうな得物。短刀(ナイフ)の大きさは30cmほどだ。柄の色は短刀と小太刀、どちらも黒。 

 小太刀の大きさは60cmといったところか。ちょうど短刀の倍はありそうな剣だった。こちらは刀身が黒い。しかし、ギザギザと波打つ部分は青白く、さながら夜の海を思わせる代物だ。まるでのこぎりのように鍔許では幅広で、切っ先に向かうにつれ細くなる逆三角形状の剣。

 ネルは視線をウォルターに向けた。

 

「こいつは……」

 

「たしか、『竜穿』とか言ったな……。お主の父が使っていた剣じゃ。おぬしが、この剣を持つに相応しい人物に成長していたら渡すよう頼まれた」

 

 ネルは目を丸めた。眉間にしわを寄せる。

 

「父に。だが、何故? ウォルター卿。あんたは、この剣を自分の物にしようとすれば出来たはずだ。敵と交わした、誰も知らぬ約束など守る必要などあるまいに……」

 

「命を賭して交わした勇者との約束。それを違えることなど、ワシには出来ぬよ」

 

「………………」

 

 ネルは押し黙った。成長していれば渡せ――そう父が言い残したと言う剣を見つめる。

 ネルが仕官すると言った時、哀しそうに微笑っていた父の顔が過った。

 

「この剣が、あんたとあんたの国に再び振り下ろされないという保証は何処にも無いんだよ。それでもいいのかい?」

 

「そうなったら、再びこのワシが預かりに行くだけじゃ。次の持ち主が、この屋敷を訪れるその時までな」

 

 ウォルターは一秒の間も置かずに答える。

 ネルはジッと父の形見の短刀、竜穿を見据える。握り締めたこの刃の重みを、確かめるように。

 

「いいだろう。父のこの剣、返してもらう」

 

 ネルは、腰の剣帯に二振りの短刀を差した。

 

「願わくば、この刃が二度とこの国に振るわれないよう祈ってるよ」

 

 

 ネルが執務室を出ると、見知った人物達がいた。見知っているが、もう二度と会うはずの無かった人物達が、そこにいたのだ。

 

「――――」

 

 彼女は目を見開く。黒のレザーパンツに、袖なしのベスト。百九十センチを超える長身はしなやかな筋肉に覆われ、両手に黒のガントレットを嵌めている。巨躯の男性の髪は金色。女性ほどの繊細さは無いが、直毛で陽が当たると透ける美しい色だ。それを、いつも通りぞんざいに、がしがしと左手で掻いている。左腕の付け根から伸びる籠手は防護能力にも優れており、巨躯の男性の拳に適したしなやかさと強度を備えた逸品だ。

 クリフ・フィッター。

 ネルが初めて出会った、この星の外から来た男だった。

 

「お? ――よぉ、ネル」

 

 頭を掻いていた左手で軽く挨拶して来る彼の後ろには、四人の男女がいた。マリア、アルベル、ソフィア、アレンだ。

 

「アンタ達は……!? どうして、まだここに?」

 

「それが、どうもやり残した事があるみたいでよ」

 

 工房を見やりながら、クリフが答える。ネルは首を傾げながらも、そうか、とだけつぶやいて表情を和らげた。

 

「いずれにせよ、また会えて嬉しいよ。ゆっくりしていけるのかい?」

 

「そうもいかないわ。最悪の場合は、彼を置いてでも次に向かう事になるでしょうね」

 

「……次?」

 

 マリアの回答に、ネルが眉を寄せる。マリアは小さく頷くと、伯爵邸二階の椅子に腰かけているアミーナとディオンを振り仰いだ。

 

「貴方も、仕事の途中なんでしょ?」

 

「ああ。簡単な護衛任務さ。けど……」

 

 そこで深刻な面持ちになって、こちらの様子を探って来るネルを、マリアは穏やかに押し止めた。

 

「大丈夫。私達で何とかしてみせるわ」

 

「心配すんなって。俺がいれば楽勝だってぐらいは知ってんだろ? ネル」

 

 腕を叩くクリフに、ネルは溜息を吐きながら、やれやれと苦笑した。

 

「相変わらずだね、アンタは」

 

「まだこの星を発ってから、一月も経っちゃいねえだろうが」

 

「それもそうか」

 

 肩をすくめるクリフに頷く。と、彼女はそこで、語気を落とした。

 

「――で? まだバンデーンの話を引きずってるのかい? 共に戦った仲間として、私にはアンタ達の近況を聞くくらいの権利はあると思うんだけど?」

 

 言い逃れを許さないように視線を鋭くして、ネルは片眉をつり上げる。クリフとマリアは顔を見合わせた。

 そして、溜息を吐く。

 二人はどちらとも知れず、事の経緯を説明した。

 

 

 

 ………………

 …………

 

 

 

「なるほど……それは大事だね。世界が消える……か」

 

「だから、こっちのこた心配すんなって。――それより、お前の方はどうなんだよ?」

 

「見ての通りさ」

 

 ネルは右手でディオンとアミーナを示した。アミーナが驚いた顔で、瓜二つの少女――ソフィアを見上げている。

 

「本当に、フェイトさんの言った通りですね……!」

 

 そう感嘆を洩らしたのは、隣にいるディオンだった。声をかけられたソフィアが、アミーナの顔を見て驚き返す。

 

「え!?」

 

「初めまして、ソフィアさん。アミーナ・レッフェルドと言います。こっちのディオンともども、フェイトさんのお世話になった者なんです」

 

 楚々と微笑んで一礼するアミーナに、ソフィアは戸惑いながらも問いかけた。

 

「フェイトが、何かしたんですか?」

 

「僕達の命を救ってくださったんですよ」

 

「え……?」

 

 真顔で返されて、ソフィアは首を傾げた。彼女の中のフェイトは、あくまで普通の大学生だ。いきなり『命を救われた』などと他人の口から言われるとは思わず、彼女は目を丸くしながら何度も瞬いた。

 

「フェイトが、……ですか?」

 

 要を得ない彼女に、クリフとネルが、顔を見合わせてクスクスと笑う。比較的ソフィアの印象(イメージ)に近いフェイトを知っている二人だからこそ、ソフィアの戸惑いを幾らか理解できた。

 だが、ディオンは二人の意など介さず、両手を広げて賞賛した。

 

「それはもう! フェイトさんや皆さんは、僕達二人だけじゃなくて、シーハーツ-アーリグリフ両国の英雄なんです! 長く続いていた戦争に終止符を打って、ようやく二国間に平和が訪れようと言うのですから」

 

「え、英雄――!?」

 

 目を白黒させるソフィアを置いて、ディオンは賞賛を続ける。自分が歴史の節目に立ち会え事が嬉しいのか、事細かにフェイト達との出会いから順を追って説明しているのだ。それを横目に、アミーナは、もう、と溜息を吐いた。

 

「すみません、皆さん……」

 

 マリア達を見上げて言う彼女(アミーナ)に、マリアは首を横に振った。

 

「気にしないで」

 

「クッ……! フェイトが英雄? あ~、そうかそうか……くくっ!」

 

 クリフが腹を抱えながら、ディオンの絶賛を聞いている。それにつられ笑ったのはネルだ。彼女は頬を緩めながら、しかし、首を横に振った。

 

「しょうがないだろ? アンタ達がやってくれた事は、私達にとっちゃ歴史的な事だったんだ」

 

 言っている内に、御輿として祭り上げている人物(フェイト)に違和感を覚えたのか、ネルも口元に手を当てて、クスクスと笑い始めた。ディオンに背を向けながら、爆笑するクリフとネル。その二人を見て、アレンは呆れたように溜息を吐いた。

 

「ずいぶんだな、お前達……。アイツは元々、学生だったんだぞ?」

 

「そりゃそうだけどよ! どっかの悪魔のせいで、どぉ~もなぁ……悪い悪い!」

 

 言っている間も笑うクリフに、マリアが肩をすくめた。

 

「そう言えば――。フェイトって、昔は『生真面目な好青年』って言われていたらしいわね。残念なことに、今は面影も無いけど」

 

「生きる為にがんばった。それだけだ、奴は……」

 

 フッ、といきなり真顔になってつぶやくクリフに、ネルが深刻な面持ちで頷いた。

 アレンがアミーナに問う。

 

「ところで、耕作の方は巧く行きそうなのか?」

 

「あん? 耕作?」

 

 首を傾げるクリフに、ネルは両腕を組んで半眼になりながら、言った。

 

「アンタ、忘れたのかい? アーリグリフとの和平協議で決まった条件が、両国の技術提供じゃないか。それで、シーハーツ(ウチ)は寒冷地でも育ちやすい食糧の耕作技術を教える事になっただろ?」

 

「そうなのか?」

 

「……アンタね」

 

 ネルは深々と溜息を吐いた。アレンが説明する。

 

「ディオンの科学と、アミーナの栽培技術。この二つが合わされば、そう難しくない話なんだ。具体的に品種改良の話をしたら、エレナ女史が『可能だ』と答えてくれてな。そこから話が進んでいる」

 

「そりゃ結構なことじゃねえか」

 

 顎に手をやって、クリフが頷く。ディオンが拳を握って頷き返した。

 

「勿論です。僕等の技術が、平和の為に使われる時が来たんですから。何があってもこの計画は、成功させてみせますよ!」

 

「少し前まで、アーリグリフにいる親戚のおじさんに、私もお世話になっていましたから。アーリグリフの気候は分かるんです」

 

 ディオンの隣で、アミーナがそう言って微笑する。志を高く持った二人を、ソフィアは気圧されるよう見ながら、頑張ってください、と微笑み返して一礼した。不意にネルが、アレンとクリフを睨み上げる。

 

「で。――一つ言いたいんだけどさ。以前、一緒に行きたいって言った私に、アンタ達はこう言ったよね? 『貴方には貴方の世界がある』ってさ」

 

「ああ……」

 

 主にそう説得したのはフェイトだが、想いはクリフもアレンも同じだ。言葉を濁して頷く二人を、ネルの眼差しが射抜く。二人は彼女から視線を外した。

 『先』が予想できる。

 恐らく――正確に。

 ネルは両腕を組むと、言った。諭すように。

 

「今、危機に瀕している世界は『あんたたちだけの世界』じゃない、……『私の世界』でもあるんだ。『私の世界』の危機なんだ。今度は断らせやせいないよ……いいね?」

 

「いや……なぁ?」

 

 クリフが頭を掻きながらアレンとマリアを振り返る。視界に入ったアルベルは、フン、と鼻を鳴らしただけで異論なく、ソフィアに至ってはネルとの面識が無い為に視線を泳がせていた。

 マリアが穏やかに苦笑しながら、頷く。アレンは溜息を吐いただけで答えなかった。

 

「OKだね……よろしく頼むよ」

 

 そんな一同の反応を受けて、ネルは勝ち誇ったように、にこりと笑った。クリフは苦笑を返す。言いたい事が無いわけでは無かったが――ネルの実力は、正直信用に足るものだったのだ。

 

 

 

 ――そして、三日後。

 クロセルより貰り受けた金属『瑤鋼』によって、アルフは一振りの刀を完成させた。

 飾り気も何もない、質素な黒柄黒鍔の刀だ。

 名は、『無名』。

 何があっても折れず、斬れればそれで良いと言うアルフの意志を反映した刀である。



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フェイトくん修行編part6 激突

「これが名剣ヴェインスレイか……」

 

 刀匠ボイドより授かった剣が、鋭い光を放っている。

 フェイトは剣を見つめ、小さく呻く。

 アリアス東南の井戸近くで、皆とたむろしていた時のことだ。

 アルフがカルサアの工房で刀を打っている間、皆は手持無沙汰になって、とりあえず円陣を組んでいる。その中で、クリフが同じように神妙な面持ちでヴェインスレイを見ながら、顎を撫でた。

 

「なんだかスゲエ業物くせえな」

 

「その剣ならば、もしかすると――」

 

 アレンが身を乗り出す。わずかに目を細めた彼は、小難しい顔で押し黙ったあと、東門を見上げた。

 

「フェイト」

 

「なんだよ?」

 

 フェイトが首をかしげる。アレンは半身だけフェイトを振り返って、言った。

 

「パルミラ平原に来い」

 

「……なんだと?」

 

「組み手だ」

 

 そう断じられる。

 途端、フェイトの目が見開かれた。細身の体から、わっと気が膨れ上がる。

 

「いいだろう! 今日こそ引導を渡してやらぁ、悪魔ぁあ!」

 

 親指で自分を指しながら、フェイトは大股で東門に歩いて行く。アレンは頷いてその後を追った。

 二人の背を見送りながら、クリフが首をかしげる。

 

「ん? なんだ、今日はフェイトだけか?」

 

「何か考えがあるのかもね、あの悪魔にも」

 

 ネルが言うと、マリアは胡散臭そうに眉間にしわを寄せた。

 

「考え? どうすれば効率よくフェイトを倒せるかって、そういう考えかしらね。あの悪魔の考えは。――それより、どうしてアルベルがいないの……!」

 

 忌々しげに拳を握るマリア。

 クリフが東門とは逆方向の――領主の屋敷で半分隠れてしまっている、西門を見つめながら、肩をすくめた。

 

「なんでも、アーリグリフ城に置いてある刀を取りに行ったんだってよ。アレンの兼定に触発されて」

 

「刀なんていくらでもあるじゃない!」

 

「バカ野郎、あのバケモノ刀をそんじょそこらの刀で止められるか! 紙っきれのように斬られるわ!」

 

 クリフに予想以上の剣幕で怒られ、マリアは遠く目を伏せた。

 

「……そうね、悪かったわ」

 

「分かってくれればいいんだよ。それにしても――フェイトは大丈夫なのかい?」

 

「いざとなりゃタオル投げてやるぜ。タオルが通じればな」

 

「それが、最後の望みなんだね」

 

「夢見させろよぉお!」

 

 まるで遺言を聞きとったかのようなネルの口調に、クリフは声を荒げた。

 マリアもまた望み薄と感じ取って、首を横に振っている。両腕を組んだ彼女は、東門の先に広がるパルミラ平原を見つめながら、つぶやいた。

 

「夢どころか現実を言っていいかしら、クリフ? たぶん――タオルを投げた瞬間、『お前も参加するつもりか?』って言うのよ、きっと」

 

「たった数日……、たった数日で悪魔の本質を見抜いただと!?」

 

 クリフは頬に伝う汗を拭う。

 ネルが素気なく言った。

 

「分かりやすいじゃないか……。あの悪魔は」

 

「ネル。貴方の言った意味、よくわかったわ」

 

「出来れば分かりたくなかっただろうね。アンタも」

 

「えっと……、アレンさんは悪魔さんなんですか?」

 

 きょとんと大きな目を丸くさせて問いかけたのは、ソフィアだ。

 通り名は『悪魔』で固定されているアレンだが、最近仲間になったばかりのソフィアには、まだピンと来ない部分がある。

 クリフがやや表情をやわらげて遠い目をした。東門から出ていったアレンを見送るように。

 

「そういや、ソフィアにだけは甘いんだったな。あいつ……」

 

「なぜかしら」

 

「さあね」

 

「まあ……な」

 

 首を傾げ合うネルとマリアを視界の端に、クリフはシニカルに哂う。

 途端、

 

 ドドンッ!

 斬っ!

 

 ……どしゃ、

 

 光の弾丸と、由緒正しいシーハーツ製の短刀が、クリフの額と脇をそれぞれ貫いていた。

 クリフが爽やかな笑みを浮かべて空を見上げている間のことだ。あまりに遠慮が無い攻撃をくらったクリフは、地面に倒れるまで嗤っていたが、すぐに顔をゆがめて

 

「ソフィア。フェアリィ……、フェアリーライトぉお……!」

 

 助けを求めるように右手をのばす。

 

「え、えっと……!」

 

 ソフィアはおろおろと杖を握りしめた。その肩を、優しくマリアが叩く。

 

「いいのよ、ソフィア。気にしないで」

 

「バカに触ると、バカが伝染(うつ)っちゃうよ。ソフィア」

 

「え、でもマリアさん、ネルさん……クリフさんが」

 

「さ、フェイトを見ましょう」

 

「どうするつもりなんだろうね、あの悪魔」

 

 何事もなかったかのように、ソフィアを連れて、ネルとマリアが東門から平原にむかう。その背を見つめて、――クリフ・フィッターは血走った眼で恨みの言葉を吐いた。

 

「こ、この女どもが……!」

 

 

 

 

「さあ来いや、悪魔ぁああ! 今日こそ叩き潰してやらあ!」

 

 平原に出た瞬間。

 フェイトはいつも通り、ネジが数本飛び散った思考回路で叫んだ。

 こちらに背を向けたアレンが、静かに振り返る。その目は真剣そのもので、いつもの理不尽とやる気に満ちた顔ではない。

 

「ん?」

 

 フェイトは意表を突かれて、首をかしげた。

 

「なんだよ、アレン。いつものテンションじゃ無いな」

 

 それが悪いわけではないが、調子を狂わされる。

 そういう意味を込めてアレンに言うと、アレンは真っ直ぐな視線を返してきた。

 

「フェイト。初めて俺と修行した日のことを覚えているか? あの時の誓いを」

 

 語調まで、いつもと違う。

 今のアレンからは殺気が感じられず、ともすれば普段の覇気まで消えているように思えた。

 フェイトは首を傾げながら、構えを解いて素立ちし、腰に手を置いた。

 

「忘れるわけがないだろ。初めて半殺しにされたんだから」

 

「なら――お前は今、その信念を貫けるか? 相手は、この世界を滅ぼそうとする圧倒的なまでの力を持っている。こちらの言い分など聞きはしない。それでもお前は、俺に言った覚悟を貫けるか?」

 

 言葉はどこまでも静かだ。

 そこにアレンの想いが眠っているのだと知って、フェイトはがりがりと頭を掻く。

 

 『世界の命運を――』

 

 と言われても、本当はしっくり来ていないのが本音だ。

 ただし、負けるつもりだけは毛頭ない。

 フェイトは言った。

 

「どうかな? その時になってみるまで分からないや。自分が、本当にその状態に陥った時、そこまで自分が追い詰められたときじゃないと、どうするのかは――分からない」

 

「正直だな。だが、それでいい。口でいくら言ったところで、実際にその現場に直面すればどんな行動を取るか、誰にも分からないんだから」

 

 アレンはそう言うと、時折見せる柔らかい微笑を見せた。だが、数秒後には鋭い表情に変わる。

 アレンの蒼瞳に覇気が宿った。

 

「だが俺は、民間人を守る銀河連邦軍人だ。FD人がやろうとすることは、この世界に生きるすべての生命を壊すこと。そこに軍人も民間人もない。そんな無意味な死を、俺は許すわけにはいかない。仲間の為にも、俺はこの戦い、必ず勝ってみせる」

 

「不思議だな。お前が言うとさ、なんとなく――本当に勝っちゃうんじゃないかって思うよ。でもさ、アレン。その生き方、しんどくないか? なんでお前は、そうまで背負おうとするんだよ?」

 

「連邦軍人だからだ」

 

「軍人か……。アクアエリーの人たちもそうだったけどさ、なんていうか――おかしくないか、それ? だってさ、お前らだって帰りを待つ人がいるんだろう? 家族がいるだろう? 僕がソフィアに会いたいみたいに、お前らにだって」

 

「フェイト」

 

 アレンはフェイトの言葉を遮るように、言った。それでも、と。

 

「それでも民間人を守るのが、軍人だ。その程度の覚悟もなく、特務は名乗れない」

 

「……凄いと思うよ、その覚悟は。でも――僕は認めない。お前だって一人の人間だろう!」

 

 フェイトは拳を握ると、アレンを見据えた。

 いつもとは違う、アレンの気配。

 同じ覚悟を語っていても、今だけはいつもと違う。そうフェイトの直感が告げている。

 フェイトは、揺るがない蒼瞳を見据えて、言った。

 

「お前……死ぬ気だな」

 

 アレンはわずかに視線をそらした。

 

「時折、お前は鋭いな」

 

 そう言って、彼はほんの少しだけ微笑う。

 顔を上げた時には、いつも通りの表情で。

 

「死ぬつもりはない。だが、死ぬかもしれない。――いつも通りだ。死地に向かうのは、慣れている」

 

「嘘吐けよ。死ぬかもしれないなんて、お前が思うかよ……。他の誰が思っても、お前は思ったことなんてないだろう! 絶対になんでもやり遂げてみせる。必ず任務を遂行してみせる! 生きて帰ってくるのが、軍人の務めじゃないのかよ!」

 

「ああ、その通りだ。……だが、かつてない強敵に、身が震えているのも事実」

 

 アレンの脳裏にあるのは、連邦最強のアクアエリーが葬り去られた瞬間だった。

 その光景、その時の衝撃は今でもはかり知れない。

 フェイトは首を振った。

 

「僕は……お前が臆病になっているから責めてるんじゃない。お前が、刺し違えてでもFD人を止めようとしているから――」

 

「その先は、触れるな。口にするだけで安っぽくなる」

 

「いいや、言わせてもらうね! 安っぽくなる? なにが安っぽくなるだ! 僕とお前の絆は、そんな言葉くらいで安っぽくなるのかよ!? お前とアクアエリーは――そんなに弱っちい絆なのかよ!?」

 

「お前に――!」

 

 一瞬、アレンの顔面が震えた。

 だがその先の言葉は続かず、彼はかすかにうつむいたあと、真っ直ぐに視線で射抜いてくる。

 

「俺たち特務は連邦最後の砦。これが連邦軍の、特務軍人たちの常套句だ。奴らに勝つ。いまはそれ以外に、目を向けるつもりはない」

 

「この分からず屋が……! いいだろう。どうせこう言いたかったんだろ? 『僕がどれだけ強くなったのか、見てやる』ってな! 教えてやるよ、お前を止められるくらい強くなったってな!」

 

「吼えたな」

 

 アレンの蒼瞳に、いつもの覇気、剣気が宿る。

 フェイトはそれを睨み返して、構えを取った。

 両者、得物を抜く。

 

 

「フェイト、どうしたの?」

 

 フェイトを追って平原に来たソフィアは、よく知っているフェイトの表情とは違うことに気づいて、不安げに胸に手を当てた。

 その傍らで、ネルが訝しげにアレンを見る。

 

「アレン……一体、何があったんだい?」

 

「そういうこと」

 

 二人のやり取りを見て、納得したのはマリアとクリフだ。

 アクアエリーの消滅、エクスキューショナーの猛威。

 予測のつかない最悪の事態は、クリフ達の度肝を抜いた。

 ――そして、

 若き軍人に、新たな決意を固めさせたのだ。

 クリフは目を細めながら、対峙する二人の青年を見据えた。

 

「だが、フェイト。お前に止める権利はねえぞ。アレンの覚悟を」

 

 

 互いに剣を突きつけ合う両者。

 同時の振り下ろしは、両者の中央で激突し、高い金属音を弾きだす。

 

「バカ野郎! 真正面から行く奴があるか!」

 

 クリフが思わず叫んだ。

 兼定の威力は知っている。普通の剣ならば、その刃ごと切り落とされる。

 ――だが、

 

「クリフ! あれを!」

 

「な、なにいぃ!?」

 

 マリアの言葉で、その目を凝らしたクリフは、完全に静止した両者の剣を見据えて息をのんだ。

 

「あの、兼定を……!」

 

「止めた!」

 

「フェイト……」

 

 ネルまでも我が目を疑っている。

 その中で、ソフィアだけは心配そうにフェイトを見ていた。

 

 

 

「やはり、止めるか」

 

 アレンはヴェインスレイを見据えながら、口端を上げる。

 ボイドの魂が宿った名剣は、伝説とまで言われる剛刀の刃を完全に受け止め、ヒビ一つ入らない。

 フェイトもまた、ヴェインスレイを握りながら言った。

 

「正直、自分でも驚いてるよ。こんなにも素直に、お前の刀を止められるなんてな」

 

「だが兼定と俺の力。この程度では無いぞ!」

 

「なら見せてみろよ!」

 

 同時。

 フェイトは剣を弾いた。

 後方へ下がったアレンは、活人剣の構えを取る。

 対するフェイトは青眼。

 両者、同時に目を見開き、己が力を解放する。

 

「覇ぁああああっ!」

 

 

 

「な!? アレンの身に纏う炎が――黄金に!」

 

「な、なんて気だ……!」

 

 吹き荒ぶ風が、傍観するクリフ達の髪を乱暴に逆立てる。

 あまりの砂塵にソフィアは目を瞑って、衝撃に耐えた。

 クリフが、三人の壁となるよう最前列にいるのだが、その庇護があっても風の勢いは止まらない。

 

「この力……、まさかFDの攻撃を退けたあの時の!」

 

 マリアはそこで息をのんだ。

 クラス3、2のレーザーを消し飛ばした、黄金の光だ。

 それは赤い朱雀になりかわってアレンに従うよう背に現れ、高く吼える。

 赤から金色に焔の色を変えた、朱雀が。

 

 

 

「これが俺の全力だ。止められるか、フェイト」

 

 常識外れの練気を見せるアレンに、フェイトは鼻を鳴らした。ヴェインスレイを握りこむ。

 破壊の力、ディストラクション。

 それは世界の物理法則を消滅させる――白い光だ。

 

 

 

「まさか、フェイトも!?」

 

 ネルが息を呑むのを皮切りに、マリアが悲鳴に近い声で言った。

 

「ディストラクションを使いこなしている!? いつの間に!」

 

「もしかして……、私とマリアさんが揃ったから?」

 

 フェイトの父、ロキシ・ラインゴッドは言っていた。

 フェイト達に刻まれた特殊紋章は、三人が集うことで力を発揮するのだと。

 クリフは白い光の翼を負い、輝くフェイトを見ながら、空恐ろしいものを覚えていた。

 

 

 

「――止めてやるさ。僕の全力でな、アレン」

 

 だが、そのフェイトの光も、アレンの朱雀に比べれば一回り小さい。

 フェイトは額に白い紋章陣を浮かび上がらせると、最後の気合とばかりに力強く吼えた。

 

「ぁあああ……っ!」

 

 フェイトの背についた白い翼が、羽音を立てて大きく広がる。

 その上に、細身の少女が現れた。

 破壊の女神、とでも言うべきか。 

 彼女は強い光を発して、フェイトに力を与えるように静かな視線を地上に向けている。

 風が、もはや空気の塊となって同心円上に広がった。

 

 

 

 風だけに留まらない衝撃に、ついにマリアが見かねてプロテクションをクリフの前に張った。

 だが、それでもずしりと両腕が軋む。

 マリアは息を呑んで、障壁越しにフェイトとアレンを見た。

 

「こ、これは……!」

 

「ヤバいぞ!」

 

「どっちもなんて力だい……!」

 

「……どうして、どうして全力でぶつかり合わなきゃいけないんですか? こんなこと――意味ない。ただ傷つけあうだけじゃないですか」

 

 ソフィアは胸の不安がだんだんと現実味を帯びているような気がして、それを拒絶するように首を横に振った。

 

「残念だけど。それは今のあの二人には聞こえないわ」

 

「そんな……、フェイト!」

 

 

 

「行くぞ、フェイト」

 

「来い」

 

 宣言の後、鋭い踏み込みとともに放たれる斬戟。

 上段からの振り下ろしを、フェイトは無表情で止めた。

 

 ィインッ……!

 

 衝撃の重さを物語るように、白い風がかちあった二つの刃の間から零れる。

 アレンは口端をつり上げた。

 

「ついに兼定の斬戟を、ディストラクションできるようになったか。面白い!」

 

「面白がってられるのも、今のうちだぞ」

 

 フェイトはまた剣をはじき返し、ぶつけあう。

 腕力、剣の強度、威力はほぼ拮抗している。

 両者の中央で、激しくぶつかり合う剣撃の応酬。

 その中で、フェイトはたった一つの斬撃のタイミングをずらした。

 

「ブレードリアクター!」

 

 光が走る。瞬間。扇状の山を描く剣が、アレンの刀の柄で止められた。

 即座にフェイトは、剣を振り下ろす。硬い音が立った。痺れる両腕。アレンが刀を横にして止めている。

 フェイトはさらに踏み込んで、剣を振り上げた。

 

 キュィンッ……、!

 

 一瞬の三合。空気がすり切られ、悲鳴を上げて高く鳴く。 

 アレンはバックステップでフェイトの剣を避ける。

 瞬間、

 

「ストレイヤーボイド」

 

 赤黒い闇の渦がフェイトを中心に起きるのと同時に、アレンは咄嗟に刀の切っ先を垂直に下げ、体の脇に構える。そこに、フェイトの胴薙ぎが一閃。ギィンッという甲高い音が響き渡る。

 九十度で交わる刃を振り切らず、フェイトはブレードリアクターの初撃、切り上げに技を切り換える。

 

 

 

 ネルはあんぐりと口を開けていた。

 

「す、すごい攻めだ……!」

 

「フェイト、こんなにも動けたの!?」

 

 マリアも息を呑む。

 

「兼定の間合いにならねえように、攻めて攻めて攻めまくってる! だが、一瞬でも攻撃の手を休めたら――」

 

「!」

 

 クリフの言葉に、ソフィアの顔色からサッと血の気が引いた。

 

 

 

「俺に斬撃勝負を挑むか。いいだろう」

 

 アレンは低くつぶやくと、兼定を両手で握りしめた。

 

 ――夢幻鏡面刹。

 

 二つの異なる連続斬撃を重ね合わせた、アレンの剣術は、まさに檻。

 二メートル近い剛刀が振り切られる速度(スピード)を、空を切る音が遅れて追ってくる。

 兼定は青白い光を放つように凛と輝き、空間に網の目を描くように縦横を裂く。

 

「……ぐぅ!」

 

 フェイトが唸った。

 手数でアレンが上。

 それでもフェイトは防ぐ。

 肩、二の腕、手首、脇に浅い裂傷が刻まれる。

 フェイトがいくら最高速度で動いても、アレンは最小の動き――体捌きでその上をいく。

 

「チィッ……! やっぱ、剣術は分が悪いか……!」

 

「なら体術でくるか?」

 

 思わず零したフェイトのつぶやきに、アレンが静かに返した。

 途端。

 金髪がブレる。

 フェイトが、ぃ、と息を詰めた時には、アレンがフェイトの懐に踏み込んでいた。

 

「桜花連撃」

 

「なにっ!?」

 

 フェイトが目を見開く。

 アレンの左拳が肋骨の上からフェイトの肝臓を直撃し、くの字に身を丸めたフェイトの頬を左のハイキックが穿(うが)った。ピンポン玉のようにフェイトの頭が揺れる。ついで左のひじ打ちがフェイトの延髄に落ち、右の蹴り上げでフェイトの身体を浮かせる。

 と、

 アレンが鋭くジャンプして、空中で左ソバットをフェイトの胴に決めた。

 

 ォオ……ッ!

 

 呻く間もなくきりもみに回転しながら、フェイトが地面が迫ると同時に着地する。

 そこに、アレンの鏡面刹が走る。

 フェイトは咄嗟にストレイヤーボイドの瞬間移動で、斬撃の檻の後ろへ避けた。

 兼定が、フェイトの鼻先数ミリを駆る。

 アレンが言った。

 

「なるほど。ディストラクションをそんな風にも使うか……。さすが物理法則を破壊するだけのことはある。だが――それで終わりか? 受けているだけでは俺は倒せんぞ、フェイト」

 

 途端、朱雀が高く鳴いた。

 風が、焔が、吹き荒れる。

 

 

 

 

「ま、待て! アレン! それは――」

 

「まさか、クラス3.2以上の……! フェイト!」

 

 クリフとマリアが絶句する。

 澄み渡った青空さえも黄昏色に染める練気は、ソフィアに嫌な予感以外を与えない。

 

「フェイト!」

 

 悲鳴に近いソフィアの叫びは、轟音の中に掻き消えた。

 

 

 

 

「朱雀吼竜破!」

 

 短く、アレンが吼えるのと同時、

 蒼く輝いた兼定の刀身から、あり得ないほど強烈な力が放たれた。

 背の朱雀がその力と絡み合い、溶けて黄金の龍となる。

 

 ――グォオオオ……!――

 

 大口を開けて吼えた龍は、バンデーン艦すらをも丸呑みする巨大さと、壮麗さを持っていた。

 

 

 

 

「アルベルの比じゃない!?」

 

「あの時、あの星の船たちを沈めた――! あの光を超える黄金の龍!」

 

「やべえ……!」

 

 

 

 

「く、……っ、ぐ、ぉおおおお!」

 

 黄金の龍を真正面から受け止めたフェイトは、ディストラクションの光をこれでもかと溢れさせた。

 以前ならば、刃を交えた時点で終わっている。

 だが今は、名剣ヴェインスレイ――、そして幾多の猛者を相手に戦い方を覚えたフェイトの実力によって、どうにか持ちこたえている。

 それに異を唱えるように、目の前の巨大な龍は邪悪な口を開けて鋭く吼えた。

 まるで、『喰わせろ』とでも言うように。

 フェイトは歯の根を噛み締める。

 負けられない。

 物理的にも、精神的にも。

 

「ぐ、ぁ、っ、……く、ぉおおっ! つぇぃゃぁあああ!」

 

 フェイトの翼が更に大きく広がる。

 浮かびあがった少女神が光を放ち、ディストラクションの力を開放する。

 ――だが、

 十九年。生まれた時から最強の軍人となるために剣を振り続けた青年と、

 数千年。伝説の刀として在り続けた剛刀が作り上げた純粋な練気は、フェイトの眩いばかりの才能で生みだされた物理法則を破壊する力をもってしても、

 

 消せない。

 

 龍はそのまま在り続ける。

 それだけに留まらず、徐々にフェイトを押し返す。

 

「ふぬぁああああ!」

 

 フェイトは声を限りに叫んだ。

 光の向こうから、アレンの声が届いて来る。

 

「どうした。それで俺を止められるのか?」

 

 そこには、まだ余裕の色があった。

 アレンは黄金の龍を猛らせながらも、再び刀を振りかぶる。

 

 

 

 

「まさか!?」

 

「もう一撃!?」

 

「フェイト!」

 

「ま、待ちなさい! アレン!」

 

 マリア達の顔色が白くなる。

 だが、

 アレンは仲間の制止を聞き入れなかった。

 

 兼定を振り切る。

 

 途端、

 龍が、さらに巨大化した。

 

「……クッ、ぐぅうう、ぁあああああああ!」

 

 最後は悲鳴だった。

 黄金の光の中に、フェイトが呑まれて行く。ディストラクションの光が消されて行く。

 

 

「フェイト……!」

 

「フェイト!」

 

 マリアとソフィアは息を呑んだ。拳を握る。

 身体の奥が、心臓が、どくんっ、と激しく脈打った。

 ソフィアの右腕を中心に、光の紋様が同心円上に幾つも描きだされる。

 マリアの額に、白い紋様が浮かびあがった。

 

 コネクション、

 アルティネイション、

 そして――ディストラクション。

 

 三つの特殊紋章による、共鳴だ。

 

 フェイトの翼が再び雄々しく伸びる。

 彼は態勢を立て直しヴェインスレイを握りしめると、額の紋章に力を込めた。

 

「これに耐えられるものなら……」

 

 フェイトの背に浮かんだ女神が、カッと目を見開く。

 

 

 

「まさか!」

 

「あれは……バンデーン艦を沈めた!?」

 

 ネルとクリフが息を呑む。

 どちらも常識から外れた、超破壊力の必殺技。

 勝つのはアレンか、フェイトか――

 

 

 

「耐えてみろ! アレェエエエエン!」

 

 フェイトは挑むようにアレンを睨み据えると、ディストラクションの光を宿した剣を大きく振り被った。

 

「イセリアル・ブラストぉおおお!」

 

 野太い光線が、平原を駆ける。

 黄金の龍が、その光の線を喰らわんと大口を開ける。

 打ち合い。

 光と轟音と突風で、二人の戦いは熾烈を極めた。

 

 

 

「互角!」

 

 両腕で頭を庇いながら、クリフがつぶやく。

 

 

 

「――だと思うか? なぁ、兼定」

 

 アレンは低くつぶやいた。

 兼定が、蒼く輝く。

 龍がけたたましく吼え、三つの紋章を重ね合わせた光線を押し返していく。

 フェイトは足を開き、地面を削りながら低く呻いた。

 

「くっ、……兼定と、アレンだけのパワーじゃない……! これが、これが……っ、真の剣士ってやつか……!」

 

 忌々しげに舌打つ。

 アリアスで出合った昔ながらの刀匠は、フェイトに剣を渡す時、こう言っていたのだ。

 

 ――剣は剣士を選び、剣士は剣を選ぶ。互いに、力を高め合う存在。

 

(どうする!? 能力だけじゃ、……勝てないっ! 無理なのか……! ディストラクションだけじゃ、僕はアレンに勝てないのか!? これじゃあ、あの時と一緒じゃないか! 自分は、無力だって思ったあの時と――……違うだろ! ディオンを、アミーナを、あんな目に遭わせるような、そんな無力な自分じゃ、もうないだろうっ!」

 

 心の叫びは、いつしかフェイトの口から発せられていた。

 アレンが目を細める。

 

「良い目だ。この期に及んで、なお諦めないか」

 

 抑揚なくつぶやいた彼は、兼定を握りこみ、剣気にぎらついた蒼瞳をフェイトに向け、吼えた。

 

「見せてみろ! お前の覚悟をっ!」

 

「見せてやるさぁあああ!」

 

 フェイトは返しながらも、さらに紋章力を高める。

 翼から零れた白い羽根が、宇宙に散りばめられた星々のように輝き、光線がその太さを増していく。

 

「イセリアルぅうう……ブラストォオオオ!」

 

 途端、

 龍と激突していた光線の先に、フェイトの負っている光の翼が生えた。

 それは爆発的な力を更に生み出すと、龍を巻き込んで一気に激発する。

 

 ――相殺。

 

「!」

 

 アレンは息を呑んだ。

 

 

 

「や、やりやがった……! フェイトの奴!」

 

 クリフが驚きと感動のあまり、手を叩く。

 ネルは目で見たものを信じられずに首を横に振っていた。

 

「あの、アレンの龍を止めるなんてね……!?」

 

「馬鹿げてるわ……。これが、ディストラクション……!」

 

 マリアが息を呑む。

 

「フェイト……!」

 

 ソフィアは眉を寄せて、ただこの戦いが早く終わることだけを願っていた。

 

 

「なるほど。口先だけじゃなかったか」

 

 口許に笑みを浮かべながら、アレンがつぶやく。

 仕切り直すように名剣ヴェインスレイを一閃したフェイトは、ニッと笑い返しながらアレンを見据えた。

 

「言ったろ? 止めてやるってさ」

 

 アレンは苦笑しながら、そうか、とだけつぶやく。

 次の瞬間には、鋭い戦士の瞳だった。

 

「だがその結論は、まだ早い」

 

「ああ」

 

 フェイトも頷いて、両者、構える。

 

「さあ!」

 

「勝負!」

 

 吼え合い、二人は駆けた。

 と同時、

 

「空破斬!」

 

 疾風の刃が二人の間を割っているように走り、フェイトとアレンは思わず足を止めた。

 

「うぉっ!?」

 

 短く呻いて飛びのく。

 アレンが左に視線を投げかけると、そこに魔剣を携えて帰ってきたアルベルがいた。

 

「この俺を抜いて、最強決定戦なんぞしてんじゃねえよ。阿呆どもが。さあ、混ぜてもらおうか!」

 

 にやりと口端を歪めながら言い放つアルベルに、アレンは頷く。

 

「いいだろう。二人まとめてかかってこい」

 

「かちーん」

 

 分かりやすい反応の返したのはフェイトだ。

 先程までちょっと押されていたとはいえ、『二人まとめて』とは相変わらずこの悪魔も大きく出たものである。

 フェイトは据わった目でアルベルを一瞥した。

 

「おい、アルベル。アイツまじで潰すぞ」

 

「ぬかせ。貴様の助けなどいるか」

 

「なんだとぉ!? もうお前なんか頼らないっ!」

 

 頬を膨らませて、ぷいとそっぽを向いたフェイトは、名剣ヴェインスレイをブンブンと振った。

 いつのまにか――、アレンからは黄金の炎、フェイトからはディストラクションの光が消えている。

 

「うぉりゃぁあああ!」

 

「とりゃぁああ!」

 

 そして――、主にフェイトによる奇妙な掛け声が、平原に響き渡った。

 

 

「な、なんとかいつものノリに戻ったみてえだな……」

 

 クリフは頭を掻きながら、一連の流れにホッと安堵の息を吐いた。

 いくらアレンが加減を知らない男とは言え、先程までの激突は常軌を逸している。

 下手をすれば、後ろにあるアリアスの村や、ペターニにまで影響が及ぼすような強烈な力だった。

 ネルも両腕を組んで息を吐く。

 

「一時はどうなるかと思ったよ……!」

 

「まったくね。あの二人」

 

 マリアは前髪をさっと払った。

 

「……どうして、フェイト……」

 

 ソフィアだけが、胸のざわめきを抑えられずにいる。

 それは予感とも言い難い、曖昧で漠然とした不安であったが、すべてを消し去るディストラクションの光を惜しみなくまとったフェイトは、ソフィアの知るいつものフェイトとは、少し違って見えていた。

 フェイトは、無駄な争いを好まない青年のはずなのに――と。



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phase11 スフィア社
71.無音の剣


 エリクールからジェミティ市へと戻った一行は、スフィア社が存在するというロストシティへ向かう事にした。

 相変わらず眩いほど派手な装飾の街を駆け、南に行く。すると、ネオン文字で『ステーション』と書かれた看板の下に、ひょろ長い係員が立っていた。彼にロストシティへの転送を頼むと、係員はフェイト達の名前を聞いて奥に引っ込んだ。戻って来たのは、五分ほど経ってからだ。人の良さそうな係員は、困ったように眉をひそめた。

 

「申し訳ないけど、君達にはロストシティへのアクセス権が無いようだね。ロストシティにはセキュリティの都合上、アクセス権がない方の転送はできないことになっているんだよ。すまないね。何か用があるのかい?」

 

「いえ、すみませんでした」

 

 詮索される前に、フェイトは一礼して話題を切った。係員が同情するように、ごめんね、と言ってステーション奥に引っ込んで行くのを尻目に、フェイトは溜息を吐きたい心地で、顎に手をやった。

 

「……まいったな」

 

「どうする?」

 

 クリフが片眉を上げ、大仰に両手を広げる。フェイトは顎に据えた手を離し、首を捻った。

 

「どうするって言ったって……」

 

 腰に手を当てる。困ったときの彼の癖だ。

 マリアが上目使いで、窺うように声を潜めた。

 

「係員を排除して強行突破する? アクセス権を書き換えるのは恐らく可能だと思うわ」

 

「う~ん……」

 

 差し出される強硬案に、フェイトは言葉を濁らせた。横目で係員が引っ込んだステーション奥を見やる。友好的で――見るからに善良そうな男性を、問答無用に黙らせるのはどうかと思うのだが。

 

「あ、いたいた。君達!」

 

 今まさに叩き潰そうかと悩んでいる相手が駆け寄ってきて、フェイトは目を丸めた。まだ何もしていないのに焦って作り笑う。腰から手を離し、フェイトは係員を見た。

 

「な、なんですか?」

 

 平静を装って尋ねると、係員の男性は人懐こそうな笑みを浮かべた。

 

「今、ロストシティから連絡があってね。君達にアクセス権が与えられたよ」

 

「え!?」

 

 フェイトは目を見開く。

 係員の男性は続けた。

 

「スフィア社のBという人からの連絡だったんだけど、知り合いかい?」

 

「Bさん……ですか?」

 

 無論、心当たりは無い。FD空間に初めて来たのが数日前だ。こちらの住人と何らかのコンタクトを取れる筈もない。

 要領を得ないフェイトに、係員も不思議そうに瞬いて、首を傾げた。

 

「そう言ってたよ。フラッドの知り合いだと言えば分かる、だってさ。よく分かんないんだけどね」

 

 彼もそれ以上どう説明すればいいのか分からず、苦笑する。クリフが首を捻った。顎に手をやる。

 

「フラッド?」

 

 聞いた名だ。努めて思い出そうとしていると、隣からソフィアが相の手を入れた。

 

「ほら、レコダ会ったあの少年ですよ」

 

 ああ、とクリフは頷いた。FD空間に初めて来たとき出合った十歳くらいの少年だ。頭を掻きながら、クリフは言葉を濁した。

 

「あ、ああ。そうか……」

 

「フラッドの知り合い? どういうことだろう?」

 

 フラッドにもらったのは、エターナルスフィアに行く為のディスクだけだ。彼が何らかの報告を、その『B』という人物にした、という事なのか。

 マリアも深刻な面持ちで俯いた。

 

「そういえば関係者がスフィア社にいるって言ってたわね。ブレアとかなんとか……。きっとその人なんじゃないの?」

 

「そうかもな」

 

 警戒する方向で考え始めるマリアに対し、クリフは楽天的だった。マリアが呆れたように溜息を吐く。それを見ていて、ソフィアは控えめに、自分の髪をいらいながら言った。

 

「でも、信用できる人なんじゃありませんか?」

 

 ソフィアから見たフラッドは、好奇心旺盛なものの、元気で可愛らしい普通の少年だ。悪意や敵意、裏がある人間のようには思えない。――そう主張したかったのだが、自分の慣れ親しんだ空気とは全く異なる緊張感を前に、彼女の言葉は尻すぼみになっていった。自分の髪をいらうのは、緊張している時の彼女の癖だ。窺うようにマリアを見上げると、若き才女は、残念そうに首を横に振った。

 

「それはどうかしら? それ自体が罠という可能性もあるわ」

 

「ま、罠と考えるのが妥当だろうな」

 

 クリフが頷く。相変わらず物言い軽いのだが、事の重みを語るように表情自体は真剣そのものだ。クリフを視界の端に、マリアは慎重に考えをめぐらせる。右手を肘に、左手を顎に据えて、彼女は一同を見た。確認を取るように、首肯を交えながら。

 

「ええ。彼等はエターナルスフィアを管理しているのだから、こっちへ来た私達の動きをつかんでいてもおかしくないし」

 

「おい」

 

 その会話を、アルフが制した。一同の視線が集まる。アルフは冷めた表情でマリア達を見返すと、静かに言い放った。

 

「行く気がねえなら、ここで戻りな。俺は立ち止まる気はねえ。――それに付き合う気もな」

 

 いつもは茫洋とした紅瞳が、狂気に底光る。刀の鍔に手をかけた彼は、既に臨戦態勢を整えていた。言い終えるなり肩で風を切って、ステーションの大型転送装置へ歩いて行く。アレンが無言で続き、アルベルが楽しそうににやりと嗤った。

 フェイト達は顔を見合わせる。思わず、肩をすくめた。

 

「……フェイト」

 

 大型転送装置に向かおうとした所で、ソフィアの声がかかる。振り返ると、不安そうにソフィアが服の袖を()まんで来た。きょとんとフェイトが瞬くのも束の間。彼は穏やかに微笑むと、まるで子供みたいだ、と胸中で呟きながら、彼女(ソフィア)の頭に、ぽん、と手を置いた。

 

「大丈夫。お前は僕が守ってやるから。――行こ?」

 

 柔らかい声で促すと、ソフィアはキュッと唇を閉じて、小さく頷いた。

 マリアがクリフを横目見る。

 

「そうね。現状、他にロストシティに行く手段が無い以上、たとえ罠だとしても行くしかないでしょうから」

 

「ああ。ありがたく招待を受けさせてもらおうぜ」

 

「異論は無いよ」

 

 同意するクリフとネルに、マリアが頷く。フェイトは大型転送装置を一瞥した後、マリアに笑いかけた。仲間と歩調を合わせるために、マリアは節目で皆と意見交換をする。それぞれが心の準備を終え、万全の状態で戦いに臨むように。

 フェイトの気遣いに気付いたのか、マリアも先に言った三人を苦笑混じりに見やると、困ったように息を吐いて、行きましょ、と笑い返してきた。フェイトは無言で頷く。ソフィアが怯えていたので、彼女の手を引いてステーション奥の転送室まで移動した。

 

「スフィア社かぁ……。エターナルスフィアの開発元だよね。僕もやってるんだけどさ。面白いよね、あれ」

 

 転送室の外から、係員が気さくに声をかけてくる。フェイトが顔を上げると、係員はデータ入力している最中だった。

 

「知ってるんですか?」

 

 世間話に付き合ってみる。係員は得意げに頷いた。

 

「そりゃ勿論。この転送装置なら、スフィア社にすぐ着くよ」

 

「スフィア社に直接行けるんですか?」

 

「そうさ。ロストシティは情報技術開発を中心に行っている先進企業ばかりが集まった都市だからね。スパイ行為を防止するために、基本的に目的の場所以外には行けないようになっているんだよ」

 

「そうなんですか」

 

 意外にもあっさりとした道程だ。フェイトは思わず視線を下げた。クリフが額を叩く。

 

「こりゃまた、罠が仕掛けやすい造りな訳だ」

 

「ええ。ゲートを塞いでしまえば簡単に退路を断つことができるものね」

 

「危険なんじゃ……」

 

 マリアの言葉に、ソフィアが顔色を失ってフェイトを見上げて来た。

 

「大丈夫さ、ソフィア」

 

 すかさずフォローすると、ソフィアは不安そうに眉根を寄せたまま、小さく頷く。

 

「……うん」

 

 その様を、ネルは不思議そうに見やる。フェイト達とアレン、アルフ。彼らの温度差が異常だったからだ。いつも通り励まし合うフェイト達に対し、連邦の二人組は先ほどから一言も喋らない。いつもならアレンがソフィアを思いやって、雑談でも絡んでくる筈なのに。

 この二人が目に見えて無言になったのは、この『じぇみてぃ市』に着いてからだ。

 ネルは眉をひそめていたが、いくら考えても、原因らしきものは分からなかった。

 ただ――、

 押し殺した二人の怒りが、ぴりぴりと肌を通して伝わってくる。

 ネルは神妙な面持ちで、青と黒の縞模様のマフラーに唇を埋めた。

 

 

 

 

 ジェミティ市の職員が言った通り、転送先はスフィア社内のようだった。オフィスと言うよりは研究施設のような室内で、天井、壁、床が一体となった球体空間に、無数の電子機器が埋め込まれている。この球体空間に、薄茶色の床が浮かんでいた。床と言うより、薄っぺらい『板』に見える。その巨大な板によって球体空間にはフロアが作り出され、そのフロアを球体空間の中央にあるドーナツ状の光の輪(リング)が支えている。巨大な室内だった。二十畳はありそうだ。

 フェイト達は目の前にあるカウンターを見る。受付と思われる(デスク)とコンピュータが一体になったカウンター。後ろに、別の部屋に続く扉もあった。

 その扉に向かって、ふぅ、と息を吐きながら歩き出そうとしたのも束の間。

 

「チッ! やっぱり罠かよ!」

 

 クリフは忌々しげに舌打ちしながら、拳を構えた。立ち塞がる者がいたのだ。

 防護マスクを被った保安員と、長身素面の男だった。短い黒髪が無造作に跳ね、見るからにインドアそうな白い肌に、吊った切れ長の目。眼鏡の奥にある瞳は黒で、男は白い手袋を嵌めていた。その細い指で彼は、つ、と鼻の頭に乗った眼鏡を押し上げる。

 男が纏っているのは、コートのような黒い長衣。

 スフィア社員の制服だ。

 男はフェイト達を見て、嫌味な笑みを浮かべた。

 

「ようこそスフィア社へ、特異体の諸君。私はスフィア社オーナー直属の保安部を統括しているアザゼルだ。どのような手段を用いて、ステーションのセキュリティを突破したのかはわからないが、歓迎するよ。(もっと)も、虚構の存在であるお前たちが現実の世界に出てきている時点で、私には既に理解不能なのだがね」

 

 見た目を裏切らない、鼻から抜けるような色気のある声だった。クリフが、ケッと悪態を吐く。

 

「どのような手段もクソもあるか。そっちが呼んどいて」

 

 吐き捨てたクリフは、拳を構えた。アザゼルが、眼鏡の奥にある瞳を丸める。粘質的な声に相応しく、どこか芝居がかった動きをする男だ。

 

「呼んだ? 一体何のことかね?」

 

「ステーションの件はお前たちの差し金じゃねえのか?」

 

 クリフは間合いを測りながら、距離を詰める機会を窺う。表面上はあくまで平静無害に。銃を構える保安員は五人。アレンは眼球だけを動かして、フェイトとソフィア――それから、ネルとアルベルの位置を確認した。

 アザゼルが神妙に顎に手をやって、首を振る。眉間にしわを寄せた彼の様子からすると、本当に『B』という人物に心当たりは無いようだ。アザゼルは難しい表情のまま、半ば呆れたような溜息を吐いた。

 

「何を言ってるのか分からんが……、少なくとも私は関知していないよ。後で調べてみるとしよう。思わぬ鼠が引っかかるかも知れないな。――しかしその前に、お前たちのもてなしをしなくては」

 

 そう言って、にやりと口端をつり上げたアザゼルは、大仰に両手を広げる。マリアが後ろ手で銃のグリップを握りながら、鼻を鳴らした。

 

「もてなしね。さぞや手厚くもてなしてくれるのでしょうね?」

 

「ああ、当然だとも。(もっと)も、もてなしの方向性に関しては、お前たちの態度如何だが」

 

 アザゼルが謡うように言うと、フェイトの後ろで失笑が上がった。背中から静かな――猛烈な殺気が突き刺さってくる。見るまでも無く、アレンかアルフ、もしくは両方の殺気(モノ)だろう。

 フェイトは息を吐いた。

 

「どういう意味だ?」

 

「面倒なので、手短に言う。大人しく投降したまえ。私達に協力すれば、お前達は消去しないでおいてやろう」

 

「協力……ですか?」

 

 緊張の面持ちでソフィアが問う。心配そうな彼女を見て、アザゼルは穏やかに頷いた。

 

「お前達は非常に興味深い存在だからな。研究セクションから是非研究材料にしたいとの要望があるのだよ」

 

「モルモットになれというわけね」

 

「ご名答」

 

 マリアに向けて、アザゼルは満足そうに笑む。穏やかに声の調子(トーン)を抑えても、この男の人を見下すような態度は変わらない。フェイトはそんなアザゼルと――後ろに控えた保安員の動きを観察しながら、尋ねた。

 

「僕達が研究材料になれば、銀河に放ったエクスキューショナーを止めてくれるのか?」

 

「いや、それは無理な話だ。銀河は既に汚染されている。お前たち特異体の存在によってな。あの区画は完全に消去する。消さないでやるのはお前たちだけだ。尤も帰る場所は――」

 

 アザゼルの言葉は、最後まで続かなかった。

 

 ……斬、

 

 アルフが刀を一閃する。エリクールで鍛え、造った(それ)の切れ味は凄まじく、保安員の防弾ベストをいとも簡単に両断した。ライフル銃を構え、居並ぶ保安員達が一撃で吹き飛ばされる。

 剣技、衝裂破。

 無造作に払われた横薙ぎの一閃を、猛烈な『気』と『剣風』が追う。アルフの接近に気付けなかった保安員達が、驚く間もなく倒れていく。あくまで静かに、唐突に起きた衝裂破。フェイトでさえ目を見開く。いつ『気』が放たれたのか、はっきりとは分からない。

 

(――え?)

 

 思わずアルフを見やった。フェイトが彼に斬られたのは、一度だけ。

 アイレの丘で剣を交えた――あの一戦だけだ。その時の彼の技は、強力だったが静か(・・)では無かった。今のように幽霊の如く、忍び寄るような戦い方では無い。

 アレンを見やると、アレンは口端をつり上げたまま、頬から冷や汗を垂らしていた。

 

「ハッ!」

 

 開戦に、アルベルが楽しそうに笑う。アザゼルの顔つきが変わった。目を見開いた彼は、忌々しげに舌打った。

 

「っ、データ如きが! ……仕方ない。研究セクションには後で私から謝っておくとしよう。まあ、所詮は壊れた存在だ。消されるのがごく自然な流れだとは思うがね」

 

 言う間に、アザゼルは制服のポケットから銃を取り出す。それを一閃すると、赤いレーザーが剣のように伸びた。

 瞬間。

 

 ……キン、

 

 小さな鍔鳴り音を立てて、アルフが刀を納めた。何が起きたのか、アザゼルには分からない。刀を抜いていたアルベルが、ハッと目を見開いた。アルベルが双破斬を放とうとした、その瞬間。

 

 ……パッ!

 

 眩い光が散ると、光は銀の斬線となって一閃、煌めいた。まるで花が咲いたように紅い血が飛ぶ。

 

「!」

 

 動体視力の良いアルベルには、アルフが抜刀術でアザゼルの胸を斬り払ったのが見えた。――ただ、問題は――コマ送りのようにゆっくりと、剣を振るアルフを見守って(・・・・)いた(・・)事だ。

 見えていたのに、アルフの剣線を美しいとも、速いとも鋭いとも感じず、ただ茫然と、無為に視ていた。

 鞘走りの音も、敵を斬る気迫すら感じさせず、彼はアザゼルを斬っていたのだ。ただ静かに。

 数秒後、

 

「――ガッ、ッッ!」

 

 アザゼルの胸板から血が噴き出る。自身を見下ろしたアザゼルは、驚きに目を見開いて口を開閉させた。だが言葉にならず、がくんっ、と膝が折れ、手をつく事すらままならず床に倒れる。

 

「く、……くそっ……!?」

 

 アザゼルは首を傾げながらも、唇を噛んだ。ワケの分からない内に、体が言う事を聞かなくなっている。斬られた(・・・・)事にも(・・・)気付かない(・・・・・)彼は、疑問と苛立ちを募せながら、痛感を忘れて床を這う。

 空気抵抗を極限まで減らした一閃――『無音の剣』。

 殺気や闘気、剣気の全てを無にし、敵に悟られぬ間に斬り殺す、アルフが用いる究極の殺人剣。

 いくらアレンが剣の達人であろうと、アルフほど気配を消すことは出来ない。まして、空を切る刃の音すら消すことなど。

 アルフの剣はまるで幽霊のように無音で、素早く――ただ敵を斬る。相手の急所に刃物を届かせる――それのみに特化した一閃。

 鮮烈な狂気を持つ男には不釣り合いなほど、威力も派手さもない、確実な(・・・)斬撃だ。『殺す』と決めた、彼の剣は。

 

「バグの、分際で……生意気な……! この……まま……で、いられると……思うなよ!」

 

 斬られたアザゼルには、立ち上がる体力さえ残っていなかった。それを脳が認識出来ず、アザゼルは匍匐前進で奥にあるデスクに向かう。

 ――が。

 

 チャキ、

 

 紅瞳が、殺気を(たた)えてアザゼルを睨む。狂人の口に浮かぶのは冷たい微笑。なまじ顔が整っているだけに、その笑みは抜き身の刃物のようだった。アザゼルの首にそっと刃を当てて、彼は声を落とす。

 

「覚悟するのはお前の方だぜ。FD人(・・・)

 

 一切の容赦を知らない狂人は、床に転がったアザゼルを蹴り飛ばした。

 

「がっ!?」

 

 くぐもった鈍い音と同時、アザゼルがくの字に身体を折る。荒事ばかりを処理する特務隊員(アルフ)は、アザゼルが剣も兼ねた電子銃以外、何も武装していない事を見抜いていた。『敵』が抵抗しないよう、彼はアザゼルの肩を強かに踏みつけ、刀をアザゼルの首筋に当てたまま、視線を寄越さずフェイトに言った。

 いつもの、抑揚のない静かな声で。

 

「しばらく向こうに行ってな。ここから先は、アンタらに見せられねえ」

 

「……わかった!」

 

 しばらく口を開閉していたフェイトだが、表情を引き締めて頷いた。ソフィアが顔色を失う。

 

「……あ、あの……?」

 

 狂人がいくら『いつも通り』を演出しても、並々ならぬ気配が部屋に立ち込めている。ソフィアは震えていた。こちらを向いた殺気では無いのに、身体が(すく)み上がって動けない。アレンがソフィアの肩を叩き、首を振った。

 

「こっちだ。行こう」

 

「ちょっと待て、アレン」

 

 フェイトは言うと、アルフに駆け寄り――

 

 スパーンッ!

 

 アルフの銀髪を思い切り(はた)き倒した。

 

「なっ、っっ!!?」

 

 クリフやネル、アルベルやアレンですら、フェイトの奇行に目を瞠る。フェイトは、平時なら頭を押さえて茫洋な目で抗議してくる狂人が微動だにしない事に、内心冷汗をかいたが、いまさら元には戻れない。気にせず突き進む。

 

「ソフィアを怖がらせるなよ、アルフ」

 

「……フェイト」

 

 つぶやいた狂人は、やはりフェイトを振り返らない。彼はフェイトに背を向けたまま、いつもより少し低い声で言った。

 努めて――いつも通りの調子(トーン)で。

 

「確かに、俺はアレンより冷静だと言ってたが……、キレて(・・・)ないわけじゃない。早く行け」

 

「……そりゃそうか」

 

 フェイトは一つ頷くと、小走りにクリフ達の下へ戻った。クリフが目を白黒させながら問う。

 

「テ、テメッ! 何やってんだよっ!? 命が惜しくねえのかっっ!?」

 

「いや。……戻るかと思ったんだけど。ダメだったみたいだ」

 

「見りゃ分かんだろうがっっ!」

 

 ーーいや、ここらで止めとかないとアイツ、やばいんじゃないかって……

 

 胸中に湧いた言葉を、フェイトは口にする勇気が持てなかった。

 アレンもそうだが、アルフもFD空間に来てから、明らかに雰囲気が変わっている。不吉なほうに。

 フェイトは敢えて爽やかに笑った。

 

「イケる気がしたんだけどね!」

 

「アホぉおおお!」

 

「空気ぐらい読みやがれ、阿呆」

 

 絶叫するクリフと、眉間に皺を刻むアルベルを尻目に、マリアが神妙な面持ちでアルフを睨む。

 

「――君、何をする気なの?」

 

 色々な意味を乗せて問うと、彼はフッと失笑した。

 

「俺は、いつまでもこんなトコに居る気はねえんだ、トレイター代表。アンタ達には感謝してる。アンタらの協力が無ければ、FD空間に来られなかったからな。けど、ここからは俺達の仕事だ。アンタらには悪いが、任せてもらう。――アレン」

 

 連れて行け、とでも言うように、アルフは強制的に会話を打ち切った。アレンが静かに頷き、フェイト達に、行こう、と促す。

 ソフィアが怯えきった顔でアレンを見る。狂気に満たされたアルフは恐ろしく、ソフィアは直視する事さえ出来なかった。もう戦えない人間に、それでも情け容赦なく刃を向ける男が、怖くて――。止めて、と言いたかったが、アルフの放つ猛烈な殺意から、一刻も早く逃げたかったのが本音だ。アザゼルに同情しながらも、ソフィアは震える足で部屋の外に向かう。アレンの誘導で。

 クリフが深々と溜息を吐いた。

 

「所詮、お前らも連邦軍人ってわけか」

 

「……否定しない」

 

 スフィア社の別室に進みながら、アレンはわずかに目を伏せて、そう言った。

 

 

 

 

「さて」

 

 一行が部屋を出たのを確認するや、アルフはアザゼルを見下ろした。刃を首筋に当てながら、敵が抵抗できないよう関節を見事に()めている。

 呻くアザゼルを見下しながら、彼は紅瞳を細めて言い放った。

 

「エクスキューショナーを今すぐ停止しろ。……まあ、出来ないってんなら、それでも構わないが」

 

「……?」

 

 忌々しげに歯噛みながら、アザゼルは顔を上げた。クス、という嗤い声が、狂人から洩れ聞こえたのだ。

 瞬間。

 

「っ、っっ!」

 

 見上げたアザゼルの、表情(カオ)が凍る。氷塊を押しつけられたように、あるいは背中に電流が通ったように、ビクリと全身が硬直して動かなくなった。

 狂人は艶めかしい微笑を浮かべていた。虫でも見るような眼で、アザゼルを見下して。

 アザゼルの口から、呼吸とも、悲鳴とも取れない『音』が洩れる。

 狂人は言った。

 

「その時はエクスキューショナーを停止出来る人間に会うまで、スフィア社(このビル)の人間を片っ端から殺していく。……その一人目が、お前になる――それだけのことだ」

 

 つい、と視線を逸らそうとしたアザゼルの顎を、アルフは刀の切っ先で持ち上げる。アザゼルが凍りついた。ガタガタと、自分の意志に関係なく体が震え始める。猛烈に、強烈に。

 狂人は微笑う。あくまで穏やかに、少しも嗤わぬ、その紅瞳を向けて。

 

「……ぁ、ぁぁっっ、……だっ、誰がっ、……! おまえのっ、ような……っ!」

 

 ぐりゅっ、

 

 アルフは刀を、アザゼルの掌に突き刺した。ただ刺すのではなく、相手の痛覚を刺激するよう、刺してから抉る(・・)

 

「ぎゃぁあああっっ!?」

 

「言ったろ? 時間がねえんだ。答えはYesかNo、それだけでいい。……それとも、一本ずつ指を落とされていくのが好みかい?」

 

 狂人の笑みは、いつの間か消えていた。



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72.ブレア

「ここが研究セクションか……」

 

 アルフが掴んだ情報によると、このスフィア社(ビル)の最上階に、エクスキューショナーを放ったオーナーの開発室があるらしい。エターナルスフィアへの直接干渉を制限した今、それをどうにか出来るのはオーナーだと言うコトだ。

 クリフはビルの上階に行く度、数を増す保安員と機械兵に辟易していた。

 

「にしても、次から次へと湧いて来やがるぜっ!?」

 

 通路を埋める勢いで現れる彼等を叩き潰しながら、クリフは溜息を吐いた。機械兵だけでも、既に三ケタは破壊している。

 その上、

 

「だめだ。ここも開かない」

 

 スフィア社内は要所にあるシェルターで通路を閉鎖されていた。ちっ、と忌々しげに――クリフは何度目になるか分からない舌打ちをする。

 と、

 

「退け」

 

 ついに焦れたアレンが、剛刀・兼定でシェルターを斬り裂いた。分厚い合金製扉が、あっさりと割れ、倒れていく。フェイトは肩をすくめた。

 

「さすが、化け物刀だな」

 

「フェイト。俺達は、これから右の通路を行く」

 

 兼定を納刀しながら、アレンは言った。フェイトが要を得ずに首を傾げる。

 

「なんで?」

 

「今は一分一秒が惜しい。――そう言う事だ」

 

 アレンはほんの一瞬だけ、すまなさそうに目を細めると、アルフと頷き合うなり、駆けて行った。相変わらず、二人とも足が速い。

 見る間に遠ざかった連邦軍人達を見送って、クリフは頭を掻いた。

 

「だぁあ! もうっ! どいつもこいつもっ!」

 

「仕方ないわ。こうやってる間にも、あの二人の仲間はそれこそ万単位で亡くなってるわけだし。私達も急ぎましょ」

 

「……いいのか、マリア?」

 

 フェイトは敢えて訊いてみた。彼女が、二人の行動にある程度の危惧を覚えている筈だからだ。マリアは肩にかかった髪を払うだけで、答えなかった。

 

「今は先を急ぐことの方が大事でしょ。私達は私達で行けばいいわ。その方が効率的だもの」

 

「それもそうか」

 

 フェイトは二人が去って行った通路を一瞥して、反対側の通路を駆けた。

 

 

 

 ………………

 …………

 

 

 

「……さすがにこの人数は厳しいわね」

 

 地形は向こうの方が熟知しているからか。袋小路に追い込まれたマリアは、うんざりと溜息を吐いた。隣で、クリフがあからさまに顔をしかめている。一行の右手には保安員、左手には機械兵。正面が保安員で、後ろは開かない扉だ。

 

「そう言うな。滅入るだろうが」

 

 鼻を鳴らすクリフの隣で、ネルが静かに竜穿を構える。マリアの傍らではアルベルが、鬱陶しそうに保安員と機械兵を睨み、刀を抜いた。息を切らしているソフィアの前には、フェイトが陣取っている。

 社内散策を初めて二時間少々。休む間も無く戦い続けているのだから、ソフィアが息切れするのは当然だった。むしろ、他の面々が誰一人集中力を切らしていない事が奇跡だ。

 今、フェイト達を囲む保安員と機械兵は、二十人と四十体ほど。

 

(一人一殺一機体として――十ちょっとか……。勝てなくもないけど――)

 

 いくら数で圧してこようとも、スフィア社内は通路が狭い。それ故にフェイトやクリフ、アルベルが盾となれば、女性陣の紋章術や飛び道具で保安員達を撃退するのは難しくなかった。

 問題は――、

 先が、まったく見えないこと。

 

(どうしたものか……)

 

 内心つぶやくフェイトに、背中から声がかかった。

 

「こっちよ!」

 

「――へ?」

 

 首を傾げて振り返った先は、閉じた扉だ。その前に見知らぬ女性が現れ、フェイト達を手招きした。フェイト達が顔を見合わせたのは束の間。彼等は、後ろの扉に飛び込んだ。

 

「待てっ!」

 

 慌てて保安員が追ってくる。が。扉が閉まる方が早く、フェイト達は見事、部屋の中に逃げ込めた。

 一瞬の隙を突かれた保安員が、忌々しげに舌打つ。急いで部屋の解錠ワードを打ち込むが、びくともしなかった。

 

「クソッ! 中からロックしやがったんだ!」

 

 荒々しく扉を叩く保安員。現在、スフィア社では『特異体の排除』が最優先課題となっているのだ――。

 

 

 

 ………………

 

 

 

 四面楚歌のスフィア社内で、間一髪、フェイトたちを救った女性は『ブレア』と名乗った。

 上品な顔立ちに微笑みを絶やさない彼女は、二十代から三十代前半の女性で灰色の髪をベリーショートにして右に流している。瞳は蒼。肌は白く華奢で、さりげなく配された薄紅色の口紅ルージュと柔らかな物腰が、上品な大人の魅力を醸し出す。彼女の両耳には、金の三角錐形ピアスが配されていた。

 

 社内でも有数のプログラマーと称される、今回の件について社の判断を是としない者たちを集める中心人物だった。

 

 彼女は、エターナルスフィアはパラレルワールドのデータは博物館に安置して不干渉とすべきだと考えを持ってていた。世界を破壊するエクスキューショナーのような悪魔の存在を放置しておくわけにはいかない。そのために、フェイトたちに協力してほしい、とフェイトたちに申し出てきたのだ。

 

「エクスキューショナーを放置しておけないと言っていたわね? 具体的に方策はあるの?」

 

「ええ。既に奴らを消去するためのアンインストーラーを用意してある」

 

 マリアが問いに、ブレアは簡潔に答えて、胸ポケットから三cm大のディスクを取り出しソフィアに手渡した。プラスチックケースに入った『アンインストーラー』を見下しながら、ソフィアが一礼する。

 ブレアは一つ頷いて、続けた。

 

「このアタックプログラムはエターナルスフィアの在来種であるあなたたちには効果を発揮しないけど、エクスキューショナーのような特殊な存在に効果を発揮するように作られているわ。大層な名前はついているけど、エクスキューショナーもプログラムの一種には違いない。十分、効果が期待できるはずよ」

 

 彼女はこう話す一方で表情を曇らせた。曰く、このプログラムはエターナルスフィア内部で作動させなければならない。だが、銀河区画には現在、ブレアたちFD人は侵入できないというのだ。

 そこで二つの空間を行き来できる、フェイトたちに助力の話がきた。

 スフィア社の反勢力と言えるブレアを始めとした面々に、嘘を言っているようなそぶりは見られない。

 元々、具体策を持たないフェイトたちは、ともかく乗ってみる他なかった。

 

 次に問題となったのは、エターナルスフィアへの戻り方だ。

 最初にマリアが危惧した通り、すでにスフィア社とジェミティ市のステーション間は、遮断・封鎖されていたのだ。ゆえに、オーナー室のある最上階の端末以外に、フェイトたちが元の世界に帰る術はないと言う。

 この危険な道中に、ブレアは同行することを願い出た。エターナルスフィアでは力になれないかもしれないが、ここならなれる、と主張するのだ。

 こうして一行は、彼女の案内で大型エレベーターに向かった。最上階に繋がると言う、その場所に。

 

 

 

 ………………

 

 

 

「ブレア……君も無茶をしたねぇ。自分は何をしても大丈夫だと思ったかい?」

 

 オーナー室に繋がる大型エレベータの手前で、二人の男が立っていた。一人は巨漢で、褐色の肌に武骨な強面、黒髪を後ろに撫でつけた男。もう一人は痩身で、金髪の猫っ毛を左に流し、唇に紫色の口紅(ルージュ)を引いた優男だ。

 どちらも、スフィア社員の制服を着ている。ブレアは目を瞠った。

 

「べリアル、ベルゼブル!」

 

「残念だったねぇ。オーナーは君も処分なされることにしたようだよ。しかしオーナーに逆らったんだ。覚悟の上なんだろう? ククッ」

 

 優男のベルゼブルは、右手に電磁鞭を握りながらクスクスと嗤った。化粧でもしているのか顔が白く、くねくねとしな(・・)を作る様が花魁の如く艶めかしい。

 

「長い付き合いだ。せめて苦しまないように殺してやる」

 

 対して巨漢の男、べリアルは素気ないものだった。言葉少なに語ると、いかつい拳を打ち鳴らす。その二人を見据えて、ブレアは、ぅ、と息を呑んだ。フェイトが前に出る。彼は、す、と左腕を掲げた。

 

「皆、ここは僕に任せてくれないか?」

 

 そう言って、皆を制止するように広げた左手を見るフェイト。クリフは目を丸めた。

 

「あん?」

 

 どういう意味だ、と聞こうとしてフェイトを見ると、鋭くべリアルとベルゼブルを睨むフェイトの表情(カオ)があった。先程の――アルフを茶化しに行った時とは空気が違う。クリフは思わず瞬き、苦笑した。拳を下ろす。

 

「いいんだな?」

 

「ああ」

 

 フェイトは短く答え、ヴェインスレイを抜き払った。

 

「フェイト!?」

 

 ソフィアが目を白黒させる。杖をぎゅっと握る彼女を肩越しに振り返って、フェイトは穏やかに笑った。

 

「――ソフィア。僕は、お前の前で負けない」

 

 ヴェインスレイの白刃が光る。――破壊の力、ディストラクション。全てを等しく無に帰す光が、ヴェインスレイの刃の後を追い、光の線を引く。

 ベルゼブルが心から嘲笑した。

 

「おいおい、お前なんかが僕に勝てるってのかい? ボーヤ」

 

「お前なんか僕の通過点に過ぎない。わかったか、カマ野郎」

 

「な……っ!?」

 

 絶句したベルゼブルの顔つきが変わった。目を見開いた彼は、口端を(いびつ)に動かす。ベルゼブルは、くく、と小さな嗤い声を洩らすと、鼻の頭に皺を刻んで恫喝した。

 

「ぶっ殺してやる!」

 

 腹の底から吼えるベルゼブルを見据え、フェイトは地を蹴った。剣を水平に構え、鋭角に突く。電磁鞭が火花を散らして襲い掛かる。が、フェイトが間合いを詰める方が速い。鞭はしなる分、攻撃速度は遅く、隙が多い。

 

 ギィッ!

 

「ッ!?」

 

 ベルゼブルは息を呑んだ。眼前に、ヴェインスレイ。振った鞭は自動(オート)でしなり、フェイトの突きを止めている。熱探知の鞭だからこその反応だ。

 

(コイツっ……!)

 

 ベルゼブルの顔が赤く染まる。

 

「そら――っっ!?」

 

 反撃の鞭を振るおうとした瞬間。すぐ傍らにフェイトがいた。

 

「甘いんだよっ!」

 

 黄金の気を纏った蹴りが、轟音を立ててベルゼブルの脇に決まった。突きが捌かれる事など、フェイトにとっては不測の事態ではない。

 

「ガァ、……、ッ!」

 

 しかし、高性能装備に頼ったベルゼブルにとっては予想外だった。目を見開く。予想以上の衝撃に胃液を吐いた。脇を抱える。

 と、

 

「遅いっ!」

 

 ヴェインスレイの三連撃がベルゼブルを斬り裂いた。ブレードリアクター。振り下し、振り上げ、突きの斬線が宙に青白い線弧を描く。

 血飛沫が舞う。

 ベルゼブルは目を見開き、呻きながらたたらを踏む。そこを、更にフェイトの体当たり(チャージ)が肩からぶつかった。

 

「ぎ、ぇ……っ!」

 

 息を呑んだのも束の間、防御態勢もままならず、ベルゼブルは体当たり(チャージ)を顎に喰らって後方に吹き飛ぶ。ベルゼブルの顎が割れ、血が吹き出る。彼は地面に倒れ伏した。

 フェイトはヴェインスレイを下ろさない。視線を、もう一人のスフィア社員に向けた。

 

「――見事」

 

 褐色の肌の巨漢、べリアルは瞬殺されたベルゼブルを見、驚きながらも賛辞を口にする。

 フェイトは眉間に皺を寄せた。

 

「見事?」

 

 柄を握り、フェイトは上に跳ぶ。直後。ベリアルが放ったミサイル弾が床を叩いた。ベリアルは巨躯に相応しい、バズーカ砲を両肩に担いでいる。(ベリアル)は、鋭く左を見た。

 着地後、サイドステップしたフェイトを目で追う。

 そこで、

 

「どこを見ている、阿呆」

 

「!」

 

 右から声がした。同時。アルベルの刀が、ベリアルの胴を薙ぐ。と、刀に気が集約し、赤白く輝いた。ただの薙ぎから、己の周り全てを斬り払う剣技、衝裂破を放つ。

 ベリアルは目を見開き、咄嗟にバックステップして両腕を交差(クロス)させた。衝撃をやり過ごすが、予想以上の衝撃に、みしぃ、と腕が悲鳴を上げる。

 

「お返しだよ、弾けろ!」

 

 フェイトの指先からオーバースローイングで炸裂弾が放たれる。ベリアルは、肩に担いだバズーカ砲を盾にした。息が詰まる。やはり、衝撃が重い(・・)。保安部の中で、最も実戦経験を積んだベリアルでさえ対処しきれない、フェイトとアルベルの速攻。

 

(――なんと!?)

 

 驚いている間に、盾にした砲身の逆サイド――アルベルの剛魔掌がベリアルの首を攫い、強引に引き倒した。赤黒い闘気を孕んだ鉄爪の斬撃が、彼の視界を白く染める。

 

「寝てろッ!」

 

 更にフェイトは下段から剣を上段に振り上げた。斬線の後を地面から生えるように剣風が追う。

 

「ヴァーティカル・エアレイド!」

 

 ベリアルの巨体が剣風で舞い上がり、剣圧で後頭部から叩き落とす。悲鳴を上げたのも束の間。彼は轟音を立てて、仰向けに倒れた。

 

「俺の……負けだ」

 

 意識を失う寸前、ベリアルはつぶやく。短く空気の塊を吐いた彼は、それ以後動かない。

 フェイトは着地し、ヴェインスレイを鞘に納めた。『活人の剣』と言われるだけあり、ベリアルもベルゼブルも死んではいない。傍らでアルベルが刀を納める。

 フェイトは視線をアルベルに向けた。

 

「加勢するなよ、せっかく格好つけようと思ったのにさ」

 

 肩をすくめて言うと、アルベルは鼻を鳴らした。

 

奴等(・・)に追いつくのはテメエだけじゃねえ。諦めろ、阿呆」

 

 フェイトが答えあぐねて、頭を掻く。

 と。

 倒した筈のベルゼブルが、床に転がった状態で身を丸めながら、くく、と笑いだした。

 

「……フ、……フフ。折角のアンインストーラーだけど……、なんの……役にも立たない……よ。既に、オーナーが……!」

 

 言葉の途中で、ベルゼブルの言葉が途切れる。フェイトは眉間にしわを寄せ、飛び付いた。

 

「おい!」

 

 吐血したベルゼブルの襟首を掴む。揺り起すが、ベルゼブルは反応しなかった。かくかくと首だけが大袈裟に揺れる。

 

「おい! 一体、オーナーが何をしたって言うんだ!? おい!」

 

 それでも問い詰めるが、ベルゼブルは動かない。アルベルがそれを見、忌々しげに舌打った。――どうやら吐血の所為で、本格的に昏倒したらしい。

 

「厄介な阿呆だ」

 

「……ああ」

 

 フェイトも同じ心境だった。オーナー側が罠を仕掛けているのか。それとも、アンインストーラーを起動させない策でもあるのか――。

 読めない。

 マリアが顎に手を据え、首を横に振った。

 

「……分かってはいたつもりだったけど、やっぱり生で見ると信じがたいものがあるわね」

 

 ふと、ブレアの声がしてフェイト達は後ろを振り返った。思案顔のブレアがそこにいる。腕を組んで、眉に皺を刻んでいる彼女が。

 

「何が……ですか?」

 

 ソフィアが不安そうに問いかけた。

 

「あなたたちの力よ。この二人まで倒しちゃうなんて……。それに紋章術がこっちの世界で具現化するなんて驚きだわ。どういう理屈なのかしら?」

 

 ブレアは首を捻る。自分の設計した紋章術が――この現実には存在しないものが――、なぜ成立しているのか。

 考えれば考える程、理解出来なかった。

 

「怖気づいた?」

 

 マリアが問う。紋章術は脅威の『力』だ。いくら自分達を『パラレルワールドの住人』と称せても、同胞(FD人)を撃退する様を間近で見せられて、掌を返すことも考えられた。

 

「私達は、やはり消去しておいた方がいいなんて思ってるんじゃないの?」

 

 故にマリアは問いながら、背中に冷汗が伝うのを感じていた。ここでブレアが、自分達を憐れむだけの人間ならば、彼女が敵に回ってもおかしくはない。

 同情はただの感情。気分が変われば、答えも変わる。そして自分の脅威となる存在に対して、人がどんな対応をするのか、マリアは反銀河連邦(クォーク)のリーダーとして知っていた。

 これはある意味、転機だった。ブレアが敵か、味方か、見定めるための。

 

「見損なわないで」

 

 ブレアはさほど間を置かず、言い放った。眉をつり上げ、怒った彼女の瞳に嘘はない。

 

「……ごめんなさい」

 

 マリアは素直に謝った。ブレアが義侠心に駆られて行動したのなら、何も言う事はない。それでも頭の片隅には、自分達を本当に助けてくれるのか疑問はあった。

 マリア達は『シミュレーション内の存在』。

 どう足掻いても、その事実だけはブレアの思考から引き剥がす事が出来ないからだ。

 

「いいのよ。分かってくれれば」

 

 マリアの葛藤を察した様子もなく、ブレアは優しい声で言った。元々、気性が穏やかな人物なのだろう。彼女はすぐにマリアの言葉を信じてくれた。

 クリフが溜息を吐きながら、問う。

 

「ま、それはそれとしてどうする? エレベータ(こいつ)はこの有様だ。他の手段で最上階まで行けるのか?」

 

 クリフの言う通り、べリアルとベルゼブルが立ちはだかったエレベータは、二人の手によって爆破されていた。恐らく、べリアルのロケットランチャーを使ったのだろう。エレベータの床に焦げた跡が残っていた。

 ブレアは、心配しないで、と微笑って言う。

 

「それは平気よ。他にも道はあるわ。ただ……、敵がウジャウジャといるでしょうけど」

 

「でも、それしかないんであれば行くしかない」

 

「ええ」

 

「今まで通りだね」

 

 フェイトの言葉に頷いて、一同は来た道を戻る事にした。

 

 その途中、スフィア社員の一人、アイレと言う名の男が声をかけて来た。ブレアの考えを支持する、スフィア社員の一人だ。

 彼はフェイトとアルベルを自分のパーソナルコンピュータの前まで連れて行くと、こう言った。

 

「俺はアイレ。主に君達のようなキャラクターのパラメータ管理を担当してるんだ。どうやら君達二人は、パラメータの方が万全じゃないみたいだな。ちょっと待ってろ」

 

 彼はそう言って、キーボードに指を走らせる。

 と。

 光が空から降り、まるでフェアリーライトをかけられたように、フェイトとアルベルの服の袖がふさがった。基はかすり傷にも達していないとは言え、べリアルのランチャー、ベルゼブルの電磁鞭で多少焦げた服の生地まで戻っているのだ。

 言葉に詰まるフェイトを置いて、アイレはニッと笑った。

 

「と、こう言うことが可能なわけだ」

 

 現状では有難い援護。言われてみれば体力だけでなく、ここまで来るのに消費した精神力の方も、回復したように思える。体が軽くなったのを感じる反面、自分達が『シミュレーター内の存在』と言う部分を誇張された気がして、フェイトは得意げに笑いかけて来るアイレに、ぎこちない愛想笑いを返した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

[――いたか? アレン]

 

「いや、見つけていない」

 

 通信機に答えながら、アレンは内心焦っていた。

 最上階のオーナー室に着いたのは、つい十分前。

 重役用直通エレベータでなく、一般エレベータを使った彼は、フェイト達より先にオーナー室に入っていた。しかし、そこに肝心のオーナーはおらず、どこを探してももぬけの殻だ。

 

 それでも、オーナー専用マザーコンピュータを使えば、執行者をどうにか出来る。

 

 そう思ってマザーを触ってみたものの、FD文字が読めない。どこをどう触ればいいのか、彼にはさっぱり分からないのだ。

 下手をすれば、『エターナルスフィア』と称される自分達の世界が、ボタン一つで消え去る。

 その辺りの事情もあって、彼は迂闊に手出しが出来ないでいた。

 

「くそっ!」

 

 アレンは忌々しげに舌打つ。今、アルフと二人で最上階から一階までを虱潰しに探している。オーナーは必ずどこかに居る筈だ。そう考え、FD界に来るのは、この一度だけで終わらせるつもりで、隈なく社内を捜索している。

 一刻も早い解決を、目指さねばならない。

 連邦の為にも、フェイト達の為にも。

 なのに――。

 

 オーナーが、見つからない。

 

 アルフが通信機越しに言った。

 

[おい。……どうやら、フェイト達が最上階に着いたみたいだぜ。スフィア社から、俺達に協力する者が現れたらしい]

 

「協力者だと?」

 

 アレンが眉をひそめて問うと、アルフが溜息を吐いた。

 

[ガキが言ってた『B』って女だ。俺達をここに呼び寄せた相手でもあるな]

 

「信用できるのか?」

 

[さあ。だが、とりあえず、信用するしかねえだろ?]

 

「………………」

 

 アレンは深刻に唇を引き結ぶと、頷いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「こっちよ」

 

 ブレアの案内で、フェイト達はスフィア社最上階――オーナー室に着いた。彼女の言う通り、ここに来るまで保安員と遭遇したが、そもそもブレアと合流する前に相当な数を相手にして来たのだ。今更、数が増えたぐらいで、フェイト達の障害と言えるほどのものでは無かった。

 五階にある一般エレベータを使うと、百階まで一気に昇れ、更に百階のフロアから最上階へのエレベータを使って、フェイト達一行はこのオーナー室に辿り着いた。

 そして、フェイトは不思議そうに辺りを見回した。家主のオーナーがいない。それに、連邦軍人の二人も。

 

「誰もいないみたいだな」

 

 クリフが意外そうに目を丸めた。ベルゼブルの言葉を借りるなら、『もう手遅れ』との事だが、ここで仕掛けてこなければ、一体どこで仕掛けて来るつもりなのか。

 フェイトも首を傾げながら、ブレアに向き直った。

 

「まあ、ともかく今は先を急ごう。ブレアさん」

 

「ええ」

 

 ともかく今は、一刻を争う時だ。

 そう思って、フェイトがブレアを催促した――まさにその時。

 

 ピーッ、ピーッ、ピーッ……

 

 フェイトの通信機が音を立てた。びく、と肩を震わせて、フェイトはポケットから通信機を取り出す。アルフからだった。

 

[どうやら、最上階に着いたみたいだな]

 

 前置きも無く本題を切りだす彼に、フェイトは苦笑しながら腰に手を据えた。

 

「今回は、僕等の方が早かったみたいだな」

 

[ああ。――それで、オーナーは見つけたのか?]

 

「いや。今、不思議がってたところだ」

 

[こちらもまだ見てない]

 

 アルフの声には緊張感があった。フェイトは、ふ、と口端を緩める。

 

「心配しなくても、僕等はこれからアンインストーラーを発動するよ」

 

[アンインストーラー?]

 

「ああ。フラッドの友達の――『B』さんが僕等に協力してくれてね。このプログラムを僕達の世界で起動すれば、執行者を一掃出来るんだ」

 

 通信機の向こうで、アルフが息を呑んだのが分かった。

 

「そう言う事だから、ともかくお前もアレンも急いで来い。今は一刻を争うんだから」

 

[ああ。……分かった]

 

 アルフとの通信を終える。フェイトは改めてブレアに向き直ると、ブレアはひとつ頷いて、オーナー室の中央にあるメインコンピュータまで歩み寄った。

 

「これが現在使用できる、このビル唯一の銀河系へアクセス可能な端末よ。さあ、中に入って。設定は私が外からやるから」

 

「分かりました。――あの、さっきも言いましたけど、あと二人来る予定なんです。転送はそれからでも構いませんか?」

 

「分かったわ」

 

 穏やかに笑うブレアに、フェイトも安堵して破顔する。

 マリアが深々と一礼した。ここまで来れば、ブレアが何者かなど気にする必要も無い。――否、気にしなければならない人間であれば、自分達が終わるだけだ。自分達の世界が。

 だからマリアは、『希望』の方に賭けて、深く一礼した。

 

「ありがとう、ブレア。必ずエターナルスフィアを救って見せるわ」

 

 そう言い残して、彼女はブレアから二メートルほど離れる。

 

「助かったぜ。あんたのおかげで何とかなりそうな気がする。……じゃあな」

 

 クリフはもう少し楽天的だった。ブレアを信用して、ニッと男くさい笑みを浮かべている。マリアは堅い表情でそれを横目見ながら、苦笑した。

 礼を述べたクリフが、マリアの隣に歩み寄る。

 ネルとアルベルが、その後に続いた。

 

「この恩は忘れないよ……。後は私達の仕事さ」

 

「……世話になったな」

 

 彼女達にとっては、まさに異世界の話だ。事が事だけに、事情すら把握し切れていないだろう。だが、彼女達は、『ブレアが危険を冒して協力してくれた』という事実だけを理解している。その意味での礼だった。

 続いてソフィアが、丁寧に頭を下げる。

 

「あの、ブレアさん……。本当にお世話になりました。このご恩は一生忘れません」

 

 ソフィアは完全にブレアを信用しているようで、心からの礼を述べた。

 最後に、フェイトがそっと右手を差し出す。

 

「ブレアさん。いろいろとありがとうございました」

 

 ブレアはその手を握り返すと、上品な笑みを浮かべた。

 

「がんばって。あなたたちの世界は、あなたたちにしか救えないのだから」

 

「はい」

 

 もっともな言葉だ。ブレアは手段だけを託して、命運をこちらに委ねてくれる。マリアの胸にある警戒が、少し溶けた――。

 

「さよなら。それじゃ……」

 

 そう言って、フェイトもマリア達が集う場所――ブレアから二メートルほど離れた地点に立った。

 

「すまない! 遅れた!」

 

「ぎりぎりみたいだな」

 

 丁度その時、連邦の二人組がエレベータからやって来た。息を切らしている彼等に、フェイト達は小さく笑う。

 

「早く来いよ。ほら、こっちだ」

 

 フェイトが誘導すると、彼等は頷いて駆けて来た。

 オーナー室にあるマスターコンピュータがいよいよ文字を紡ぎ出す。

 

 LOGIN LEVEL ADMINISTRATOR……

 BREA LANDBERD

 ACCESS POINT

 『GALACTIC SYSTEM』

 

 OK……

 SYSTEM START……

 DOOR CLOSE

 

「……頑張って」

 

 エターナルスフィアに戻る前。そう言って微笑んだブレアに対して、フェイトは力強く頷いた。



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73.アンインストーラー

 転送された先は、タイムゲートのある惑星ストリームだった。荒涼とした大地が広がるこの惑星は風が強く、砂塵が視界を塞ぐ。

 

 その中に、執行者と代弁者がいた。

 

「チッ! どこまでも邪魔な奴等だぜ!」

 

「アンインストーラーを頼む!」

 

 クリフが舌打ち、フェイトが鋭くソフィアに指示を出した。眼前で、鮫や鰐のように三角形に尖った顔の執行者と女性に似た代弁者が翼を広げる。

 ソフィアは堅い面持ちでその二体を見据え、自らの手を強く握りしめた。

 

「う、うん! やってみる!」

 

「僕等は……こいつらを食い止める!」

 

 フェイトの声を背に、ソフィアはオレアスから預かったアンインストーラーを、手持ちの携帯端末に差し込んだ。画面に文字が踊り、彼女は手慣れた様子で携帯端末を操作する。

 フェイトはそれを背に、ヴェインスレイを構えた。視線を振る。

 

 執行者一体、代弁者一体。

 

 このストリームに来て、タイムゲートに辿り着くまでに何度か戦った相手だ。このメンバーなら、問題なく倒せる。

 

「行くぞ! 皆!」

 

「おう!」

 

「任せて!」

 

「気を抜くんじゃないよ!」

 

 それぞれの帰って来る声を聞きながら、フェイトは目算で距離を測る。近いのは――執行者だ。距離は約五メートル。相手は触手を伸ばして地面から攻撃する事もあり得る。フェイトは執行者の下半身たるイカやタコのような触手がうねる様を見据えながら、飛び込む拍子を窺う。

 と。

 まず、アルフが速攻をかけた。

 

 ドン(・・)ッ!

 

 相変わらず重い踏み込み音を立てて、彼は疾風突きで執行者に肉薄する。見る間に懐へ。それを皮切りに、アルベルがカシャと音を立て、鉄爪を開いた。

 

「剛魔掌!」

 

 こちらは代弁者を狙う。頭を低くし、地面すれすれの態勢で懐へ。同時。ネルが短刀を抜く。マリアは銃の照準を代弁者の眉間に据えた。

 

「黒鷹旋!」

 

「エイミングデバイス!」

 

 疾風突きで後ろに退がった執行者に、ネルの短刀がブーメランのように走る。漆黒の気を孕んだ短刀は、執行者の分厚い胸板を削ぎ、執行者がたまらず空に向かって鋭く吼える。脚ともひれ(・・)ともつかない触手を地面に突き刺し、一体全てを串刺しにしようとしたが、アルフの無名(カタナ)が薙がれる方が速かった。剣閃が砂塵の中で煌きを放ち、執行者の身体が地面にくず折れる。

 一方、代弁者はエイミングデバイスの銃撃により動きが止まっていた。代弁者にも脳があるのか、眉間を穿たれてしばし呆然としていたのだ。その間に接近したアルベルの鉄爪が、容赦なく代弁者を引き倒す。代弁者は機械音声のような悲鳴を上げ、翼をいびつに痙攣させながら開こうとした。アルベルは右手で刀を引き抜き、空破斬で相手を地面に磔にする。

 と、空から、クリフとアレンが降った。

 

「エリアルレイド!」

 

「覇ぁッ!」

 

 黄金の気を纏った蹴りと刃が、代弁者と執行者に振り落ちる。代弁者と執行者の翼が砂塵の中で舞い、激しくバウンドして宙に散った。

 そこを、

 

 カァ……ッ!

 

 上空で翼をはためかせたフェイトが見下す。ヴェインスレイの刃に白い光が宿っている。全てを等しく無に帰す――破壊の力(ディストラクション)

 

「イセリアルブラスト!」

 

 刃に熱い光が集うのを感じながら、彼は剣を上段から振り下ろした。

 音と言う音を飲み込んで、消滅の光が執行者と代弁者を蹂躙する。辺り一面が白く染まり、ストリームの砂塵さえも呑みこんで――

 晴れる。

 フェイトは羽音を立てて着地すると、破壊の力(ディストラクション)を解いて息を吐いた。

 代弁者と執行者。

 この両者を相手にするには、相手に何も(・・)させない(・・・・)事が重要だ。

 

「……こんなもんか」

 

 光に呑まれて消えた二体を見据え、フェイトはつぶやいた。携帯端末と格闘していたソフィアが、嬉しそうに顔を上げる。

 

「出来た!」

 

 嬉しそうに言う彼女に、クリフがにやりと笑った。

 

「おぉ! 速ぇじゃねえか!」

 

「ありがとう、ソフィア!」

 

 フェイトも笑顔で振り返る。ソフィアは嬉しそうに破顔して、顔を上げた。

 ――と、その時。 

 地震が起きた。

 

「な……なんだ!?」

 

「キャッ!?」

 

 立っているのも辛くなるほど、強烈な揺れ。戸惑いながらフェイトは周囲を見回す。と、新たに現れた代弁者と執行者に、雷が落ちた。

 

〈●■、……◆▼、、×◆■●▲……!?〉

 

 言葉にならない(ひめい)をあげて、執行者と代弁者ががくがくと体を震わせる。フェイトはヴェインスレイを正眼に構えた。追い打つべきか、考える。

 と。

 

 コォ――ッ!

 

 代弁者と執行者の頭上に巨大な紋章陣が現れ、二体の姿が消し飛んだ。

 残ったのは、惑星ストリームの荒野。

 地震も、おさまっていた。

 

「これで……いいのか?」

 

 フェイトは首を捻った。ストリームには多くの執行者達が蔓延っているのを知っている。見晴らしのいいところもまで歩いてみるも、なにもない荒野と、白みがかった砂塵が辺りを満たすのみだ。

 何も起こらなかった。

 

「フェイト、これで終わったの?」

 

 ソフィアが隣から不安そうに問いかけてくる。フェイトは彼女を振り返り、要領を得ないながらも頷いた。

 

「たぶん……」

 

「オーナーって人はどうしたのかな?」

 

「気にする事はねえさ。現にクソ忌々しい天使どもは消えたんだ。終わったのさ」

 

「ああ、任務完了ってやつだね」

 

「そうね」

 

 クリフの飄々とした言葉に、ネルとマリアも続く。それを聞いて、ずっと臨戦態勢を取っていたアレンが、安堵の息を吐いた。

 

「……そう、……そうなのか……。ありがとう、皆」

 

「銀河を救うのは連邦だけじゃねえって、やっと分かったか?」

 

「まったくね」

 

 クリフとマリアに皮肉混じりに言われ、アレンは罰が悪そうに苦笑した。

 

「すまない……」

 

「まったくだ。何でも自分中心に考えんのは、連邦(オメエら)の悪い癖だぜ」

 

「……ああ」

 

 アレンは素直に頭を下げた。アルフはまだ釈然としない表情で黙っている。

 その二人を苦笑混じりに見やって、フェイトは、さて、と言の端を続けた。

 

「それじゃ、一件落着した所で、……帰ろう!」

 

「うん!」

 

 フェイトの提案にソフィアが明るく頷いた。一同も続き、ストリームに停めたシャトルに向かう事にする。

 ――その時。

 再び空に異変が起きた。

 

 バチィッ!

 

 雷が、空を駆ける。

 

「キャッ!?」

 

 突然の事にソフィアが驚き、よろめく。彼女をフェイトが支え、油断なく周囲を見渡した。

 また地震。

 それも先程より大きい。立っていられないほどの強烈な揺れだ。

 

「なにっ!?」

 

 フェイトが目を見開いた。空が黒く染まって行く。暗雲が立ち込め、雲間を走る雷が次第に数を増やしていく。

 

「何だってんだ!?」

 

「ただの地震じゃなさそうね……!」

 

 深刻な面持ちでつぶやくマリアに、クリフが眉間にしわを寄せた。

 

「どういうことだ? 終わったんじゃねえのかよ!?」

 

 突如。

 地震に態勢を崩したのか、アレンが膝をついた。

 

「ぐ、……ぅっ、……!」

 

 アレンが身を丸くして唸る。

 

「ア、アンタっ! 大丈夫かい?」

 

 ネルが駆け寄った。アレンは顔を上げない。低く呻き、左肩を押さえている。焼け付くような痛みがアレンの肩に走っていた。額に脂汗が浮かぶ。肩を掴んだアレンの右手が、蒼く光った。――否、光っているのは、左肩に出来た痣の紋章陣だ。

 

「アレン! しっかりしなっ! アレンっ!」

 

 ネルの呼びかけに、アレンは答えない。

 

 ぐぅううううう……!

 

 ただ、彼の視界が黒く塗り潰されていく。

 

「が、っ! ……ぁ、っっ……ぁあっっ!」

 

 蒼瞳から、光が消えていく。アレンは何が起きているのか把握しようと思考を巡らせるが、急速に視界が暗くなっていく方が早い。ネルを見上げる。

 

「ネ……ル……!」

 

「っ、……アンタ!?」

 

 何が起きている――と、聞こうとした、アレンの言葉は続かなかった。

 ネルが息を呑む。ネルだけでは無い。傍らで見ていたアルベルも、感情の起伏が乏しいアルフでさえ、目を瞠っている。

 

「アレンっ!」

 

 ネルが顔色を失いながら、アレンの腕を掴む――筈だった。

 

 ……ふっ、

 

 だが掴んだのは、空気。アレンは自分自身を見下ろす。――消えていく、自分の身体を。

 

「!?」

 

 それに目を瞠った瞬間。彼の意識は完全に途切れた。

 

 ぶつ、

 

 闇が全てを覆う。アレンを中心に、濃密な闇の霧が立ち込める。

 

「アレンッ!」

 

 水音を立てて闇に沈んだ仲間を、ネルは助けようと手を伸ばした。

 が。

 アルフに止められる。

 

「離してッ!」

 

 反射的に振り払おうとしたが、彼の膂力は大したものだ。びくともしない自分の腕を、ネルが意外そうに振り返った時。闇を見据えるアルフが、ぽつりと言った。

 

「……こいつは……」

 

「っ、……!」

 

 フェイトも息を呑む。闇に沈んで行ったアレンの身体。その中で、彼の肩に刻まれた紋章陣が凄惨に輝く。

 不吉な――清廉な、白い光。

 破壊の力(ディストラクション)と似て非なるその光は、世界を白く染め――数秒後、散って行った。

 

 晴れた視界に現れたのは、宙に浮かぶ一人の青年。

 

 そして、彼につき従うように空から現れた、黒い人(・・・)二体(・・)。『黒い人(それ)』は、全身を黒い布で覆われていた。電球のような大きく丸い目があり、口はチャックでふさがれている。撫肩で腰が屈んでいた。びろんと垂れた両腕はゴムのようにしなやかで、人間にしては長すぎる。『それ』の茫洋と明滅する目がやけに白く、不気味だった。『それ』は背中に二対の鳥類の翼を生やしている。

 嫌な予感しかしなかった。

 

〈――覚悟せよ〉

 

 『それ』を連れたアレンが、能面のように生気の抜けた顔で言った。『彼』の声に抑揚はなく、まるで機械音声のような『(こえ)』が動かぬ唇から零れる。喉で発声していないと、一目で分かった。

 

「お、おい……アレン……?」

 

 フェイトは冷ややかな感触が臓腑を伝うのを感じながら、呼びかけた。

 『彼』は答えない。

 

〈我は神の代行者。断罪者を引き連れ、世界を汚染する異物どもをすべからく抹消する存在〉

 

 いつもは意志の光で満たされた蒼瞳が、今は茫洋と、伏し目がちになっている。彼はいつもの剛刀では無く、巨大な槍を握っていた。背中にはフェイトと似て非なる白い翼。

 

 ばさ……っ

 

 羽音を立てる『それ』は、翼と言うには語弊があった。アレンの肩甲骨から鳥類の羽が生えているのではない。彼から少し離れた空間に、巨人が両手の付根を合わせ、掌を広げたように右に五本、左に五本、細長い笹状の物体が、左右非対称の動きでうごめいている。その物体の材質は分からないが、砂塵の多いストリームの僅かな光を拾っては鋭い煌きを放った。『それ』は恐らく、凶悪な殺傷力を持っている。

 

「マジかよ……」

 

 クリフは思わず呟いた。

 

「……チッ」

 

 アルベルが眉間にしわを刻み、黙って刀に手をかける。

 

「気をつけて、皆。何か……今までとは違う『力』を感じる」

 

 冷静につぶやくマリアを、フェイトは半ば聞き流していた。苦笑しながら手を伸べる。

 

「急にどうしたんだってんだよ、アレン……。お前らしくもない」

 

 言って、聞きわけの無い子どもを窘めるように近づいて行った。

 『彼』は無拍子で、手にした槍を一閃した。

 

〈異物共よ、滅せよ〉

 

 薙いだ槍の切っ先から衝撃波が生まれ、ストリームの地面が轟音を立てて切り裂かれる。フェイトが咄嗟にバックステップで避けた。

 

「、っ……」

 

 息を呑んだのは、何も槍の威力に驚いたからでは無い。杭で胸を打たれたように、全身が重く感じられる。

 わずかに俯いたフェイトは、震える拳を握りしめながら唇を噛みしめた。

 

「なんの、つもりだ……?」

 

 問いかける。声は掠れた。頭のどこかで、『彼』が答えない事は分かっている。

 『これ』は、普通では――無い。

 だが、

 

「何のつもりだって聞いてたんだよ!」

 

 翡翠の瞳に怒りが宿る。額に白い光の紋章――破壊の力(ディストラクション)。それは周囲に光を放って、白い羽となり散って行く。

 ヴェインスレイの刃が輝く。

 

「ディバイン・ウェポンッ!」

 

 破壊の力(ディストラクション)が、剣先に宿った。

 『彼』が槍を横に薙ぐ。

 

 ゴォッ!

 

 鋭い轟音が立ち、穂先から疾風が走る。フェイトが名剣(ヴェインスレイ)で疾風を斬り払った。強烈な紋章力のぶつかり合いが中空に白い斬線を浮かび上がらせ、散っていく。『黒い人』――断罪者が動いた。彼等はキキキキ、と笑い声のような音を立てて、長い腕をぐるぐると回していた。まるで糸車を引くようにくるくると。

 すると、フェイト達の足許に竜巻が起きた。

 

「散れ!」

 

 アルフの叱責を皮切りに、一同は後方へ跳ぶ。フェイトはソフィアの腕を掴んで、半ば引き倒すように竜巻から逃れた。

 

「きゃっ!」

「ぐぅっ……!」

 

 殴り付けるような暴風を前に、体を伏せる。轟音を立て吹き荒れる竜巻が、砂塵を百メートルほど舞い上げた。空を切る音が竜巻の威力を物語り、鋭く局地的な風に、フェイトは息を呑んだ。

 ヴェインスレイを握りしめる。

 

「……お前、民間人(ボク)を守るんじゃなかったのか?」

 

 ぽつりと言った。目の前の男は構わず槍を振る。

 

 ゴゴォオっ、っっ!

 

 槍を振るだけで三つ、疾風が穂先から放たれた。フェイトより先に、アルフが態勢を低くし、神速の抜刀で疾風ごと『彼』の突きを切り払う。ついで跳び込んでいった。柄を握る――『彼』に。

 

 ズドドドドドォっ、っっ!

 

 途端。アルフを懐に跳び込ませまいと、『彼』が突きを放った。二、三十本、槍が増えたかのような鋭い槍捌きだ。穂先に紫色の光が纏わり、それが疾風を呼んでいる。壮絶な突きの連撃に、アルフの紅瞳が底光った。

 

「ぉおっ!」

 

 三連疾風突きでアルフも応戦する。

 アレンにしては、冷たい攻撃だった。いつも苛烈に、こちらの闘志を揺さぶってくる感情の流れが、『彼』の行動からまったく感じられない。冷たく、ただひたすら重い槍。

 

 ズドドォオオ……、、ッ!

 

〈――〉

 

 『彼』の槍が退けられた。三発同時に放たれた疾風突きは、全て槍の穂先(・・)を捉えている。三十本近くあるように見えた槍が消失し、『彼』がのけぞる。

 瞬間、アルベルが鉄爪を開いた。

 

「剛魔掌!」

 

 傍らの断罪者ごと、アルベルは赤黒い闘気を纏った爪で『彼』を引き倒す。が、『彼』は槍を水平にするとアルベルの爪を弾き、離れた位置に居るもう一体の断罪者が、くるくると両腕を回して云った(・・・)。『彼』を庇うように。

 

〈サンダーフレア!〉

 

 ゴゥッ!

 

 竜巻が吹く。

 

「ぐおっ!」

 

 アルベルが目を見開いて身を屈めた。雷から逃れるべく左に側転する。直後。アルベルの髪を攫うようにして、地面に浮かんだ紋章陣から雷の檻がそり立つ。

 フェイトはその雷の檻(サンダーフレア)をディストラクションを宿したヴェインスレイで切り払った。

 

 きゅぅんっ……!

 

 ディストラクションの光に、サンダーフレアが吸い込まれて行く。

 マリアが遠方から銃を発砲した。

 

「そこ!」

 

 断罪者に向けて三発。紋章術を撃ったばかりの断罪者の眉間に、フェイズガンの光弾が直撃する。クリフが拳を握り、剛腕を唸らせた。

 

「カーレント・ナックル!」

 

 黄金の気を纏った大ぶりの三連撃が、断罪者の細身をいとも簡単に弾き飛ばす。ネルが『彼』の傍らに立つ断罪者に忍び寄り、短刀・竜穿を二閃した。

 

「影払いっ!」

 

 断罪者の足許をすくうように竜穿が走り、バランスを崩して断罪者が背中から地面に倒れる。と、フェイトが狙い打ったように踏み込んだ。

 

「終わりだ! ブレードリアクター!」

 

 斬り上げ、振り下ろし、突きの三連撃が断罪者に直撃する。ギシャアアアッ、と悲鳴のような声を上げる断罪者には構わず、フェイトとネルは『彼』に向けて己の刃を握りこむ。

 

「鏡面刹!」

 

「ヴァーティカル!」

 

 ネルが『彼』の懐に入り込み、フェイトが剣を振り上げる。剣の軌道を追うように地面から剣風が柱の生え、『彼』は槍の穂先に紫色の光を宿すと、横に薙いで、ネルの突きに近い短刀の一閃とヴァーティカルの剣風を切り払った。

 槍から繰り出される衝撃波は凄まじく、ネルは舌打ちしてバックステップで距離を取る。上空に跳んだフェイトが、エアレイドの剣圧を衝撃波に打ち当てるも、相殺までは行かない。

 

「ちっ!」

 

 それでもヴェインスレイから放たれるディストラクションの光で消し損ねた衝撃波を斬り払うと、(フェイト)は着地して剣を構えた。いつも(・・・)の修行なら、ここで鏡面刹が返って来る。

 だが。

 この時の『彼』の左掌には、赤黒い紋章陣が浮かんでいた。――人が放つにしてはあまりにも強大で純粋な闇。

 

「え……?」

 

 ソフィアの表情が凍りつく。『彼』の掌に浮かぶ赤黒い紋章陣は、音も無く皆の足許に広がった。フェイト達全員を飲み込んでもまだ余りあるほど、巨大な紋章陣だ。それが、『彼』の足許を中心に伸びている。惑星ストリームの地面全てを覆うように。

 『彼』は言った。

 

〈レイ〉

 

 空が黒に塗り潰される。フェイトは目を瞠ると、白く輝くヴェインスレイを地面に突き刺した。地面の――『彼』が生成した紋章陣を消す為に。

 しかし、

 消せない(・・・・)

 

「皆! 逃げて!」

 

 『彼』の紋章力の方が上、と悟ったわけではないだろう。それでもソフィアは直感に近い危機感を察して、悲鳴に近い声を上げた。同時。空から、光矢の豪雨が降る。

 

 ……ズドドドドドドドォ――っっ!

 

 仲間の悲鳴が、光矢の豪雨が爆発する音に紛れて聞こえる。フェイトもまた悲鳴をあげて、ディストラクション――ヴェインスレイの刃に力を蓄えた。一秒ごとに削り取られるような痛みを覚える。握力を失いかけたが、精神力で耐えた。

 

(イセリアル・ブラストで……一気に斬り払うしかない!!)

 

 ぎり、と奥歯を噛みながら、フェイトは紋章力を高める。額に白い紋章陣が浮かぶ。

 

「きゃあっ!」

 

 視界の端で、ソフィアが悲鳴を上げてくず折れたのが見えた。

 

「――!」

 

 フェイトは目を見開く。猫好きの、彼女の杖に付けた猫ストラップが地面に転がる。光矢の豪雨の中、彼女は縋るように杖を握りしめて、紋章の壁――リフレクションを展開している。半球状のバリアは仲間全員を守る為に張られたものだが、光矢の威力が強過ぎて震えている。光矢は何度も何度もソフィアのバリアを叩き、小さなヒビを入れて、だんだん侵食していく。

 フェイトの瞳が、ゆらりと揺れた。

 

「お前、やったなっ!」

 

 フェイトの額に浮かんだ紋章陣が急速に拡大する。イセリアル・ブラストに必要な力が溜まっていく。それで応戦しようと剣を握りしめた――その時、

 

「終わりにしようぜ、アレン」

 

 アルフの言葉(こえ)が耳に触れ、フェイトはふと瞬いた。キン……と、豪雨の爆音に掻き消される小さな鍔鳴り音。

 

「!」

 

 フェイトが目を見開いた。彼の脇をすり抜けるように、いつの間にか接近したアルフが、『彼』に向けて刀を抜いている。他の仲間と同じく、アルフも光矢の豪雨を打たれ、出血している。だがアルフは意に介さない。構わず突き進み、自作の刀――無名で『彼』の頸を(・・)容赦なく斬る(・・)

 気配も、音も立てずに。

 

 ごぱっ!

 

 水音を立てて、レイの赤黒い紋章陣が空と大地から消え失せた。『彼』の頸から黒い霧が、まるで血のように吹き出し、くず折れる。

 『彼』がまだ人間であれば、確実に頸動脈に達する一閃だ。

 

「…………」

 

 防御魔法も、回避行動すらかなぐり捨てたアルフは、全身に光弾を受けながら、頸を斬られてくず折れた『彼』を見下ろしていた。その紅瞳に力は無く、いつもの茫洋としたものでも、殺気と狂気に満たされた冷たいものでもない。

 彼はただ、アレンを見下し――どこか寂しそうだった。

 

「殺、……したのか……?」

 

 フェイトは血の気を退くのを感じながら、アルフを見た。アルフは答えない。無名の刃についた黒い霧をヒュンッと一閃して振り落とすと、鞘に納める。

 と。

 クリフのカーレントナックルに弾かれた断罪者が、すぅううう、と音も無く闇の中に沈んで消えて行った。

 そしてその後を追うように、『彼』も霧に沈んで――消えて行く。

 

「アレン!」

 

「待ちな!」

 

 クリフとネルが、闇に沈む『彼』に言い放つ。だが、『彼』はまるで死人のようにぴくりとも動かなかった。水の中に沈んで行くように、闇に埋まって行き――消える。

 後は、風が強く砂塵の多いストリームの荒野と、主を失った剛刀・兼定だけが残った。

 

 ………………、

 

 静寂。

 一同は皆、言葉を失していた。レイによって負った傷を庇いながら、『彼』の居た場所を見据える。

 

「……そん、な……」

 

 ソフィアが呟いた。目に涙を溜めて、彼女は項垂れる。

 

「こんな……こんなのって……、無いですよ!」

 

「…………。……そうね」

 

 マリアはソフィアの肩を抱き、頷いた。やり切れないのは、何も彼女だけでは無い。

 『シミュレーター内の存在』、『生体兵器』――数々の精神(こころ)を砕かれるような事態が起きている事さえマリアには信じられないのに、その上にまだ、このような事態が起こるとは。

 

「本当にそう……」

 

 マリアは噛みしめるようにもう一度、つぶやいた。溜息のようなものが混じる。立場は違えど、『彼』は人の為に剣を振るう人物だと、反銀河連邦(クォーク)であれど認めていたのだ。

 なのに――、

 

〈……な! みんな!〉

 

 不意に覚えのある声が聞こえ、マリアは顔を上げた。首を巡らせると、左手のタイムゲートが水面のように波紋を描いて、ゆらゆらと揺れている。その中から、スフィア社で別れた筈の女性、ブレアが現れた。



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74.断罪者

「よかった……無事だったのね」

 

 彼女はフェイト達を見るなり、別れた時と同じ、上品な微笑みを浮かべて安堵の息を吐いた。

 

「ブレアさん……。これは一体、どういうことなんです?」

 

 フェイトはわずかにうつむき、振り返らずに問いかけた。目許に影が落ちている。顔を上げる気には――なれなかった。

 対して、ソフィアは縋るようにブレアを見上げ、首を横に振る。

 

「アンインストーラーを使ったのに、エクスキューショナーが消えないんです!」

 

「それどころか、アイツが……っ!」

 

 言いかけて、ネルは口を噤んだ。クリフが、ぽん、とネルの頭を叩き、ブレアを真顔で見据える。

 

「俺たちの仲間が一人、エクスキューショナー(やつら)の手先になっちまったんだ。しかもその上、代弁者でも執行者でもない、妙な奴まで現れやがった。コレが一体どういう事なのか、説明してくれねえか?」

 

「なんですって!?」

 

 ブレアは息を呑むと、フェイト達全員を見渡して――ハッと目を見開いた。

 

「その一人って、まさか――!」

 

「アレンです」

 

 フェイトが淡白に答えた。抑揚の無い声を発す彼に続き、アルベルが刀の柄に手をかけたまま、問いかける。

 

「――で。これはどういうことだ、女。……事と次第によっちゃあテメエ――!」

 

 ドスの利いた声で睨むアルベルの肩を、意外にもアルフが叩いた。

 

「お前……」

 

 アルベルは目を丸くする。アザゼルへの対応を見る限り、アルフは率先してFD人に刃を振るう人種だ。だが彼はアルベルの視線を意に介さず、無表情のままブレアに問いかけた。

 

「アンタ等、何か不具合を見つけたんだろ? なら、そっちを聞くのが先だ」

 

「…………」

 

 アルベルはアルフの横顔を見据え、舌打つ。刀の柄から手を離した。今、狂人と称された男に迫力は無く、ただどこまでも静かな――抜け殻のような顔がそこにある。

 ブレアは眉を下げた。

 

「そこなのよ。やられたわ……」

 

「どういうことだ?」

 

「何がやられたってんだい?」

 

「説明してくれるわよね」

 

 矢継ぎ早にクリフ、ネル、マリアが問う。内、二人にはわずかな殺気が含まれていた。

 ブレアは深刻な面持ちで表情を曇らせながら、頷く。

 

「ええ。実はオーナーに先手を打たれていたようなの」

 

「先手……ですか?」

 

 ソフィアはオレアスにもらったディスク――アンインストーラーを握りしめた。ブレアはソフィアに視線を向

け、そう、と小さく頷く。彼女は両腕を組んだ。

 

「オーナーは私達がアンインストーラーを作動させるのを見越して、セキュリティプログラムを仕掛けておいたのよ。アンインストーラーを起動した場合にのみ動き出す、特殊なプログラムをね」

 

「それが……、あの新しいエクスキューショナー」

 

「そして、アレンってことか」

 

 フェイトの後を、アルフが続けた。ぐ、と息を呑んで振り返るフェイトをそのままに、アルフはジッとブレアを見据えて瞳を揺らさない。

 ブレアは驚きながらも頷いた。

 

「ええ……そうよ。戦ってみて分かったと思うけど、彼等『断罪者』は今までの『執行者』達とは違うわ。サイズは小型化しているけれど、設定されているパラメータは強大よ。このままでは銀河の消失は避けられないわ」

 

「どうにかならないんですか?」

 

 ソフィアが問う。ここまで来て銀河消失など、冗談では無い。消えるのが嫌でずっと抵抗して来たのだ。なのに、こんな所であっさり――仲間まで敵になった状態で諦めるわけにはいかない。

 怯えながらも抵抗しようと強張ったソフィアの顔を見返しながら、ブレアは力強く頷いてみせた。

 

「そのセキュリティプログラムはそちらの世界で起動された痕跡があるの。つまりオーナーは、エターナルスフィア内にいるということ。オーナーを説得して、セキュリティのアンインストールをさせることができれば、銀河の消失は避けられるかもしれないわ」

 

「……説得すれば、アレンも元に戻るんですか?」

 

 フェイトは拳を握って、ブレアに問いかけた。

 これは賭けだ。現にブレアは新たなエクスキューショナーについても『かもしれない』と、明言を避けている。オーナーに裏をかかれた彼女が、今回オーナーが発動させたプログラムを推測しているとは言い難い。

 案の定、視線の合ったブレアは、眉を寄せながら小さく頷いた。

 

「保証は出来ないけれど、恐らく戻ると思うわ。元々、『断罪者』を起動させるプログラムに連動して、彼は変異したのでしょう?」

 

「ええ」

 

「なら、可能性はゼロじゃない」

 

「……でも、素直に説得に応じてくれるんでしょうか?」

 

 ソフィアは眉を寄せて、首を傾げた。杖を握る。大好きな猫ストラップは、先程の紋章術で焦げてしまった。

 不安そうな彼女に、マリアは努めて力強く笑う。

 

「その時は、力ずくでもアンインストールさせればいいんでしょ」

 

「だな」

 

 クリフも、にっ、と笑い、ソフィアは視線をさ迷わせながら、小さく頷いた。ブレアは考え込むように顔を俯ける。顎に手を据えた。

 

「オーナーは恐らく自らが創り出した特殊空間にいるはずよ。ただ、そこに行くためには特殊IDが必要になってくるんだけど」

 

「特殊ID?」

 

「貴方達が見ても多分何に使うか分からない謎のアイテムよ。いわゆるオーパーツと言えばイメージは伝わるかしら。私達がエターナルスフィア内で使う為に用意された……まあ、デバックツールのようなものよ。使い方を理解した者が使えば、それはエターナルスフィア内で強大な力となるわ」

 

「それはどんなものなの?」

 

「形状は様々よ。立方体のクリスタルキューブである場合もあれば、謎の機械だったりする場合もあるし。設定した開発者の趣味や配置場所によって変わるものだから……」

 

 ブレアに曖昧な回答を返され、クリフは忌々しげに額を叩いた。

 

「それじゃ、お手上げだぜ。今から形状の分からないものを銀河中探して回るのか? 間に合うわけねえだろうが」

 

「ちょっと待って。今こっちでデータベースに検索をかけるから……、これね」

 

 ブレアはそう言って空中にキーボードとモニタを顕現させると、FD製ツールを駆使して、検索する。モニタに表記されたFD文字にザッと目を通した。

 

「銀河系に配置されている特殊IDは、おおよそ銀色に輝く球体のようだわ。特に特殊な効果はないけれど、保有エネルギーはかなり高く設定されているみたい。データスキャンを行えば確認ができると思う」

 

「銀色の……球体?」

 

 首を傾げるフェイトに、ブレアは頷いた。

 

「ええ……。そうデータにはあるわ。待って……配置してある場所の検索もかけるから」

 

 彼女は手早くキーボードに指を走らせる。空中に浮かんだ画面がくるくると動き、大量の文字が流れて行く。

 ブレアは眉間にしわを寄せた。

 

「ああ、この星も既に消失してしまっているわ。他には……ああ、もう!」

 

「なあ、ブレア。もしかして大きさはこれくらいか?」

 

 クリフはふと、両手の幅で球体の大きさを示した。十センチも無い、五センチ大の小さな球だ。

 ブレアは要を得ず首を傾げる。

 

「丁度それくらいね……。どうして?」

 

 フェイトが代わりに答えた。

 

「ブレアさん、エリクール2号星にそれはありませんか?」

 

「エリクール2号星? ちょっと待って……」

 

 言われた通りの検索をかけて、彼女は目を見開いた。

 

「あった……あるわよ!?」

 

「やっぱりね」

 

 マリアが小さくつぶやき、頷いた。

 ブレアは一同に流れる微妙な空気を感じ取って、頸を捻る。尋ねてみた。

 

「どうして分かったの?」

 

「一度見ているからよ」

 

 明確な答えだった。

 フェイトが、マリアの返答に解説を加える。

 

「僕達がエリクールにいる時に、そのアイテムを守ったことがあるんです。確かセフィラとエリクールでは呼ばれていましたが」

 

「セフィラが、そのオーナーとやらに会いに行く鍵になるってことかい?」

 

 意外そうに目を丸くしているネルに、クリフが頷いた。

 

「ああ、間違いねえ」

 

「……そう」

 

 ブレアは顎と肘にそれぞれ手を据え、つぶやいた。

 

「そんな偶然があったなんて……。そのセフィラを使えば特殊空間にアクセスできるはずよ」

 

「分かりました。みんな、エリクールに行くぞ!」

 

「ああ」

 

 慌てて踵を返すフェイトに、クリフを筆頭に、皆、無言で頷いた。

 ブレアが思いだしたように、あ、とつぶやく。

 

「そうそう、ソフィア。セフィラを発見したら、あなたが触れて見て」

 

「私がですか……?」

 

「特殊IDは元々FD人(わたしたち)が使用するために設定されているアイテムなの。だからFD人(わたしたち)以外には本来の使い方で使えないように設定されているわ。つまり、あなたたちではダメということ。だけど、今までのケースから考えて、あなただけは使えるような気がする」

 

「分かりました」

 

「反応したら、思念で私の事を考えて。この地点の事を……。恐らくそれで私とコンタクトが取れるようになるはずだから」

 

「はい。やってみます」

 

「気をつけて」

 

 心配そうに手を振るブレアに、フェイトは力強く頷いた。

 

「……?」

 

 小型艇(シャトル)に向けて駆けだす一行に反し、アルベルは足を止めた。振り返ると、アルフが地面に転がった兼定を握り、ジッと見つめている。

 

「持って行くのか? アルフ」

 

 問うてみた。アルフの傍らに立ったが、彼はアルベルに視線を向ける事も無く――構わず、兼定の柄を左手で握っている。

 と、

 刃を引き抜く――。

 

 が、きっ……!!

 

 鈍い音を立てて、兼定の鯉口が鍔にくっつき、刃が止まった。どこも錆びていないのに、どれほど力を込めても刀が抜けない。鯉口が切れないのだ。それは刀自身が抜刀を拒んでいるようでもあり、アルフは兼定を見据え、頷いた。

 

「……やっぱりな」

 

 確信めいた声でつぶやくと同時、

 

 ……ドッ!

 

 無造作に、彼は兼定を惑星ストリームの大地に突き刺した。アルベルが目を丸くする。

 

「どうするつもりだ?」

 

「欲しけりゃ自分で取りに来るだろ? ――そう言う話」

 

 アルフは茫洋とした眼差しでアルベルを振り返ると、小さく薄笑った。アルフが思いだすのは、アレンがセフィラに触れて倒れた時のことだ。

 

 あの時、兼定は鯉口からわずかに光を発して――まるでアレンに『触れるな』と警告するような、妙な音を出していた。

 

 それが、どんな意味を持つのかは知らない。だが、アルフは、地面に突き刺した兼定を見据える。

 兼定(これ)はオーパーツでは無い。それでも、何らかの力を持っているのだろう。直感に近い何かが、アルフの琴線に触れていた。故に、兼定をこの場所に据えておく事にした。『彼』が元の状態に戻れば、どこに置いたとしても、必ず取りに来るだろうから――。

 アルベルが神妙な面持ちで、アルフと兼定を見る。

 

「そうか……」

 

 相手を気遣うような微妙なニュアンスを含んだアルベルの言葉に、アルフは軽く肩をすくめると、立ち上がった。顎で小型艇(シャトル)に向かったフェイト達の後を追うよう、アルベルを催促する。お前はどうする気だ? と問われる前に、アルフは歩き出した。

 アルベルはマイペースに前を行くアルフを見据え――、小さく舌打った。

 

「相変わらず、分かり辛ぇ野郎だ……」

 

 悠々と歩く男には、いつもの茫洋とした仮面を取り戻していた。

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

「なんだ、こりゃぁ……」

 

 クリフは思わず眼の前の惨状に向けて言った。

 ひび割れた大地、切り立った丘、重なり合った巨岩の数々――来る時も決して美しいとは呼べない大地だったストリームは、今、完全にその地形を変えていた。

 

「さっきの地震のせいね。ひどい有様だわ」

 

「シャトルは大丈夫なのかな?」

 

 これからエリクールに向かうに付け、彼等はやって来た時と同じ小型艇(シャトル)での移動を決意したのだ。小型解析機(スキャナー)がある為、現在地が分からず、遭難したりはしないものの、これほどの地殻変動があって小型艇(シャトル)が無事とは言い難い。

 アルフは眼の前の状況と――遠目にも見える執行者、代弁者、そして断罪者の群れを見据えて、目を細めた。

 

「ともかく行こうぜ。軽微損傷なら直せる」

 

「そうだな。気をつけて進もう」

 

 フェイトに頷き、一行は祈るような気持ちで小型艇(シャトル)の許に急いだ。視界の端にうつるエクスキューショナー達に向けて、最大限の警戒を払いながら。

 

 

 ………………

 

 

「えっ……」

 

 フェイトは思わず絶句した。嫌な予感が、的中した為だ。

 フェイト達の乗って来た小型艇(シャトル)は地割れに負けず、谷底には落ちていなかった。だが、そのい機体からどうしようもない量の黒煙が上がっている。甲板はへしゃげ、どこから修理すればいいのかすら見当がつかない有様だ。

 

「オイオイ、どうすんだ?」

 

 クリフは頭を掻きながら溜息を吐いた。

 ネルが絶句しながら首を振る。

 

「これは……困ったことになったね」

 

「マジか……ふざけんなよ……」

 

 アルベルは眉間にしわを寄せた。

 フェイトは混乱で頭が白くなるのをどうにか理性で抑えつつ――一つ、深呼吸をすると、マリアに問いかけた。

 

「……通信は?」

 

「ちょっと待って」

 

 マリアがそう言って、耳許にかけた小型通信機にスイッチを入れる。ざーざーと砂嵐の音が聞こえ、周波をいろいろ弄ってみるも、向こうからの応答は無い。

 小型通信機から傍受できる範囲は、せいぜい半星間距離だ。音を拾えないのも無理は無い。

 

「ダメ……」

 

 マリアが首を横に振ると、フェイトは忌々しげに拳を鳴らした。

 

「くそっ! ここまで来て!」

 

「……カルナスは、谷底に落ちたみたいだな。姿形すら見当たらねえ」

 

 アルフは底の見えない地盤の割れ目を見ながら言った。

 クリフが深い溜息を吐く。

 

「どうする? ってことは、修理部品もねえってことだ。レプリケーターでもありゃ、まだ何とかなっただろうが……」

 

「俺達がFD空間に行ってる間、こっちでどれだけの時間が経ったのかもはっきりしねえ。アレンの奴は確か――ゲートの調査から帰って来た時には十二年経ってた、って話だったよな?」

 

「冗談じゃないっ! エクスキューショナーが十二年ものさばってたら銀河は……!!」

 

 息を呑むフェイトを、マリアが制した。

 

「ちょっと待って。……何か……聞こえる!?」

 

「!?」

 

 一同はマリアを振り返った。耳障りな砂嵐の音に混じって――女性の、かすかな声が洩れ聞こえる。

 

[……ダー……マリ……聞こえ……ま……か……]

 

「マリエッタ!?」

 

 マリアは驚愕と嬉しさで声を荒げた。

 

[……あ! ……みん……マリア……つながっ……ね!]

 

「マリエッタ! ディプロ、聞こえる?」

 

 はやる気持ちを抑え、マリアは鋭く通信機に問いかける。相手が聞き取りやすいよう、なるべく声を張り上げた。

 

[聞こえ……す! ……リーダー!! ミラージュさん!!]

 

 徐々に砂嵐が減って行き――受信周波が整合されて行く。やがて、ミラージュの声が鮮明に届いた。

 

[皆さん、無事だったんですね。心配しましたよ]

 

[そうですよ! アクアエリーの反応が消えたので、どうしたのかと……]

 

「ええ。そっちも無事のようね」

 

 マリアは安堵の息を吐く。マリエッタとは、反銀河連邦(クォーク)でオペレータを勤めるマリアと同い年の少女だ。彼女は声を弾ませながら言った。

 

[はい! でも大変だったんですよ!!]

 

「細かい話は後で聞くわ。急いで迎えに来てくれる?」

 

[了解]

 

 ミラージュが一も二も無く頷く。すると、マリエッタが不思議そうに声の調子(トーン)を上げた。

 

[え? ですが、そちらに向かった時のシャトルはどうしたんですか?]

 

「こっちも色々あったのよ。悪いけど、あまり時間がないの」

 

 マリエッタはハッと息を呑むと、気迫のこもった声で言った。

 

[すみません! 最高速度で向かいます!!]

 

[では、後ほど……]

 

「頼むわね」

 

 回線が切れる音がして、マリアは皆を順に見据えると――少し安堵したような面持ちで、頷いた。



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final phase FD事変
75.激動


「リーダー! 強力なエネルギー反応が高速接近しています! パターン黒、エクスキューショナーです!!」

 

「なんですって!?」

 

 マリアが目を見開く。

 クォークのオペレータ、マリエッタの一言から緊張は始まった。ブリッジに集まった一同は、モニタに映された宙図を見て言葉を失う。

 クォークが所有する航宙艦、ディプロを示す黄色の(グリッド)が、赤い(グリッド)に取り囲まれている。赤い点、ざっと五十以上。

 これがエクスキューショナーの総勢である。

 

「重力ワープ展開、振り切るわよ!」

 

 マリアが鋭く指示する。だが、マリエッタは首を振って、悲痛な声を上げた。

 

「ダメです! 振り切れませんっ! エクスキューショナーと接触まであと十秒!」

 

 マリアは短く舌打った。ソフィアが不安そうに、フェイトを見る。

 

「私達がシャトルで降りた時は何もなかったのに、どうして?」

 

 惑星ストリームを徘徊するに過ぎなかったエクスキューショナー達が、牙を向く。まるで自己を持ったかのように。

 

「二十万キロメートル前方で、二体のエクスキューショナーがすでに当艦への攻撃準備を完了しています」

 

「マジかよ……」

 

 クリフは思わず渋面を作った。相手は連邦の最新鋭艦ですら敵わない強敵だ。普通に考えれば、ディプロは逃げる事も戦う事も出来ない。

 皆の脳裏に、撃墜されたアクアエリーが過ぎる。

 マリアは宙図を睨み、言った。

 

「緊急回避プログラム作動! 量子魚雷準備! フェイズキャノン発射!」

 

 ディプロデッキに緊張が走る。ミラージュがコンソールパネルを素早く叩き、状況を復唱する。

 

「了解。量子魚雷準備完了、フェイズキャノン共に発射します」

 

 エクスキューショナー――断罪者による術式が、光線となってディプロを襲う。全部で三本、自動操縦で回避行動を実践するディプロは、艦内に積まれた演算回路が、敵の攻撃より遅い時点で全て終わる。

 第一射、第二射、回避成功。ただし第三射で光線がディプロの脇を掠める。激しい揺れがディプロに走り、一同は手近な突起にしがみついた。振動で、こけそうになるソフィアの手を、フェイトが慌てて引っ掴む。

 マリエッタがモニタにかじりついたまま、声を荒げた。

 

「敵シールドに量子魚雷、フェイズキャノンとも命中! ですが、まったくダメージはありません! 全てシールドに吸収されています!」

 

 ディプロが叩きだす数値に、マリエッタは背筋が冷えるのを感じた。マリアの表情が強張る。――予想できた事だ。だが、絶望的過ぎる。

 

「さすがはエクスキューショナーですね」

 

「感心してる場合か。どうにか、重力ワープで逃げ切るぞ。敵砲撃をかわすと共に重力ワープ展開」

 

 ミラージュの軽口に突っ込みながら、クリフは厳しい視線を宙図に向ける。その時、アルフが無名(カタナ)を抜いた。

 

「お前、こんな時にんな(モン)抜いてどうする気だっ!?」

 

 殺気だったクリフに答えず、アルフは無名(カタナ)を水平にし、己の気を高める。

 剣技、活人剣。

 自らの能力を底上げする気功術は、無名の刀身を青白く輝かせ、一瞬、ディプロデッキ後方を白く染める。アルフは更に、刀身に紋章力を込めた。

 風が巻き起こる。アルフの銀髪が、ふわりと舞い上がった。

 

「宙行く幾星霜の星々よ、彼の地より来たりて驟雨となれ」

 

「敵エクスキューショナー、更に高速接近! 全方位から六射、来ますっ!!」

 

「ったく、撃ちたい放題撃ちやがって!」

 

 マリエッタの実況で我に返り、クリフは舌打つ。モニタ内のエクスキューショナーの掌に、紋章が集う。急速に、迅速に。

 

(――ッッ!)

 

 フェイトはディプロデッキ後部で身を伏せ、息を飲む。艦隊戦で――この広い宇宙で、フェイト達は戦う事が出来ない。同じようにデッキ後部の突起にしがみつくアルベルが、視線をこちらに向けた。

 

「……やべえのか?」

 

 そう、冷静に問うて来る。フェイトはおもむろに頷いた。

 

「激ヤバだよ」

 

「私達は外に出られないのかい? 肉弾戦ならどうにか――」

 

 言いかけるネルを、フェイトは押し止めた。

 

「残念だけどネルさん、宇宙に出た瞬間、僕等は氷漬けになるか、呼吸出来なくて終わっちゃうんだ」

 

「なら、打つ手無しじゃないかっ!?」

 

「――ねぇ?」

 

 ネルに頷きながら、フェイトは頬を掻く。ネルが絶句した。座席(シート)にいるマリアとクリフ、クォークメンバーも心境は同じだ。

 激しい揺れがディプロを襲う。

 フェイトは歯を食いしばり、ソフィアを抱えてうずくまる。調子に乗って気を抜くと、衝撃で突起から手を離しそうだった。

 

(腕がっ、腕が千切れるぅうううう……!!)

 

 心の中で絶叫しながらフェイトはアルフを見上げる。神々しいまでの光に包まれたアルフは、衝撃の中でも平然と立っている。それが平衡感覚のおかげか、別の要因かはフェイトには分からない。

 ただ、

 

「この紋章――!」

 

 フェイトの腕の中で小さくなっていたソフィアが、目を丸くしてつぶやいた。どうした? とフェイトが問う前に、マリエッタの声が走る。

 

「艦長! シールド効率67%に低下! あと一撃でも掠めたら、ひとたまりもありません!」

 

 マリアは眼を見開いた。

 

(――終わるの?)

 

 ふと、マリアの脳裡に、四年前の出来事が過る。銀河連邦の最新鋭艦にディプロが襲われた時の事だ。あの時も今と同じ、撃墜されるしかなかった絶望の中にあった――。

 

「……ああ……」

 

 マリアは頭を抱える。体が震えだした。両手で自分自身を抱きしめるマリアを、アルベルが眉をひそめて見据える。

 

「おい。マリアの奴、どうなってやがる?」

 

「へ?」

 

 アルベルに問われ、フェイトは顔を上げる。ディプロの座席(シート)で小さく丸まったマリア。この状況で、全てを投げ出すような人間ではないマリアが、モニタも見ずに唸っている。

 

「クリフっ! 代わりに指示を!!」

 

 フェイトは鋭く叫んだ。クリフがハッとマリアを見る。うずくまる彼女を視界の端に、クリフは鋭くミラージュを見る。

 

「ミラージュ! プログラム変更、ともかくエクスキューショナーの攻撃を避けるコース算出を優先だ! ワープは後だ、後!!」

 

「了解。――プログラム変更終了、敵砲撃の回避に全演算を集結させます」

 

 言う間も、ディプロはどうにか執行者の攻撃を四発躱している。後二発――躱し切れれば、数秒生き延びられる。

 と、

 アルフの紋章術が完成した。

 

「クリフ、宙図を寄越せっ! エクスキューショナーを全滅させる!」

 

「あんっ!? 全滅――!?」

 

 珍しく声を張り上げるアルフに、クリフは首を傾げながらも反射的に応える。アルフの目の前に宙図――ディプロを示す黄色の(グリッド)を取り囲む、五十以上の赤い(グリッド)

 その座標軸全てを頭に叩き込んだアルフは、左手を掲げた。無名が、眩い光を放つ。

 

「メテオスォーム!!」

 

(――そうか!)

 

 フェイトは手を打った。アクアエリーが撃墜される時に使ったアレンの紋章術。――旧世代の最強紋章が、幾多もの隕石を呼び、鳳凰の炎を孕んで執行者を襲う。

 エクスキューショナー全てを焼き尽くす、広範囲で。

 同時。

 

「敵砲撃、躱し切れません――っ!!」

 

 マリエッタの悲鳴が、ディプロデッキに響き渡った。

 

 死――……

 

 誰もがその言葉を確信した瞬間、マリアの額が強く輝いた。彼女の脳裏を過ぎる、母の言葉。

 

 ――決してあきらめないで、最後まで生きて! 

   あなたにはそうできる力があるのだから……。

 

 マリアはモニタの執行者を睨み据えた。

 

「ミラージュ、電磁シールド展開っ!」

 

「りょ、……了解」

 

 ミラージュはマリアの額に浮かんだ光を見るや、慌ててパネルに指を走らせた。直後、ディプロ――被弾。

 フェイトはあまりの衝撃に言葉を失う。必死に突起にしがみつくが、強烈な揺れはフェイトを玩具のように弄ぶ。脳を揺さぶられ、どこが前なのか、床なのか、それすら掴めない。

 気温が急激に上がり、まるでサウナのような熱が押し寄せた。

 

「ぐぅ……っ!」

 

 腕をもぎ取られそうになりながら、フェイトはどうにか衝撃に耐える。揺れが止み、恐る恐る目を開けると、デッキ内が真っ赤な非常灯で照らされ、暗くなっていた。

 シートで固定されたクリフ達は無事だが、ネルは今の衝撃で体を打ったのか、小さく呻いている。

 

「ネルさん!」

 

 フェイトは呼びかけた。彼も立ち上がれるほど元気では無い。平衡感覚を失った体で、床を床と認識せずにぺたぺたと這う。頭を抱えたネルは、痛たた……とつぶやきながら、手を振った。

 

「大丈夫さ。ちょっと、さっきので頭を打っただけ」

 

「フン、情けねえ」

 

 アルベルもそう言いながら、床から立ち上がろうとはしない。睨み合う両者をフェイトは溜息混じりに見て、視線をマリアに向けた。

 

「なんとか、マリアのおかげで助かったみたいだな」

 

 電磁シールドをアルティネイションによって高次元シールドに変えた――そう解釈したフェイトは、緊張の名残で心臓が鳴っているのを聞きながら、笑った。

 マリアの表情は――優れない。血の気を失った彼女に、フェイトとアルベル、ネルは顔を見合わせた。

 呆然と、マリエッタが現状を報告する。

 

「機関室被弾、ワープエンジン緊急停止(スクラム)。予備では、必要な回避行動がとれません」

 

「敵エクスキューショナー、十体撃墜」

 

「凄い……!」

 

 マリエッタが息を飲む中、アルフは眼を見開いた。無名を握りしめる。

 

「十体だと?」

 

「やっぱり彼等(アルフ)の紋章力は、エクスキューショナーの防御力を上回ってる。なのに、どうして!?」

 

 マリアはモニタを睨み据えた。炎の流星群(メテオスォーム)は確実にエクスキューショナーに直撃した筈だ。事実、五十体いる内、十体はそれで消滅している。

 なのに、何故四十体も生きている――?

 マリアの疑問に答える代り、フェイトが声を張り上げた。

 

「こらぁっ! アルフ! ちゃんと当てろ~!」

 

「失敗したってのか?」

 

 アルベルが問う。

 答えたのは、ソフィアだった。

 

「エクスキューショナーが空間を曲げて、アルフさんの紋章術を逸らしたの……」

 

「えっ!?」

 

 フェイトはソフィアを見下ろす。ソフィアは眼を見開き、ガタガタと震えていた。ソフィアの目の焦点が合っていない。この非常灯――言われてみれば、ハイダが襲撃された時と似ている。しがみつくソフィアを、フェイトは力強く抱きしめ返した。

 

「くそっ……!」

 

「回避行動すら取れなくなったとなると……、ここまでか」

 

 クリフはつぶやいて、座席(シート)に身を預けた。口惜しそうに膝掛を拳で叩き、頭を背もたれに乗せる。そんなクリフを、ミラージュが鋭く見る。

 

「諦めるんですか、クリフ?」

 

「諦めたかぁねえが、世の中にはどうにもなんねえこともある」

 

 クリフの言う通り、ミラージュも薄々分かっていた。

 マリアのアルティネイションを以てしても、今回の敵、エクスキューショナーの攻撃を止める事は出来ない。アルフが紋章術で反撃している間に、ディプロが堕ちる。

 後一発。

 それこそ直撃すれば。

 

「皆、諦めちゃダメ!」

 

 アルティネイションを顕現させたマリアが、鋭く言い放った。沈黙したクォークメンバーがマリアを見上げる。それこそ、縋るように。

 

「――行けるのか、マリア?」

 

「分からない。でも、最後まで諦めないわ!!」

 

 クリフの問いにそう答え、マリアはモニタを見据える。ミラージュが嬉しそうに頷き、マリエッタも弾かれるようにして、パネルに指を走らせる。

 マリアは言った。

 

「アルフ! もう一度、お願い!」

 

「了解。すぐ撃てる紋章術(ヤツ)で、敵エクスキューショナーを撹乱する。どれを改変(アルティネイション)するかはアンタに任せる」

 

「ええ!」

 

 マリアは短く頷き、視線をクリフ、ミラージュに向けた。

 

「二人はディプロをコース316に進めて! ストリームとディプロ、エクスキューショナーが一直線に並ぶタイミングを見計らって通常エンジンフルパワーで反転させるわ!」

 

「……その作戦」

 

 ミラージュが目を丸くする隣で、クリフがにやりと笑った。

 

「いいのか、マリア? それだと俺達もワープ先を指定出来ねぇぜ?」

 

「覚悟の上よ」

 

 笑い返すマリアに、クリフは力強く頷いた。

 

「聞いての通りだ、ミラージュ!」

 

「了解」

 

 ミラージュはディプロの航路を指定する。だが、今のディプロは緊急回避行動が出来ないただの鉄の塊だ。エクスキューショナー達の格好の的である。

 

「敵第二射を発射しました! 四発接近中です!」

 

 マリエッタの緊張した声。それを視界の端に、アルフは紋章術を乱発(・・)した。

 イラプション、エクスプロード、サンダーストーム、エナジーアロー、スターライト、ライトクロス、レイ……

 思いつく限りの紋章を構成し、放つ。宙図を睨むアルフは、狙撃手(スナイパー)の如く正確に、撹乱用と迎撃用に紋章力を分ける。エクスキューショナーを撃墜させるとなれば長い詠唱が必要だが、敵に当てるだけならば短いモノで十分だ。その紋章術を、もしもマリアがアルティネイションで強化出来るとあらば――イケる(・・・)

 フェイトは確信した。

 

「にしても――、なんて早口だ……!」

 

 弾幕のように走る紋章の嵐を見据えて、フェイトは拳を握る。ネルも頷いた。

 

「こいつは……、たまげたね」

 

 そう言いながら、ネルはアルフを見る。下位紋章術なれば、アルフは詠唱を必要としない。そして――一つの紋章を発射させる間に、別の紋章を練っている。

 まるで、弾切れの拳銃に素早くカードリッジを詰め替えるように、アルフは中級紋章術を放つと同時に次の詠唱を始めている。間髪置かず、次々と。

 が。

 

「うそ……」

 

 アルフの紋章術を更に強化させようとしたマリアは、凍りついた。正確な紋章術によるアルフの遠隔射撃(・・)――それらすべてが、エクスキューショナーの手前の空間で曲げられ、あらぬ所で爆発している。

 アルベルが目を見開いた。

 

「あれは……!」

 

「代弁者!」

 

 フェイトも天使の様な女性――代弁者の姿を見つけ、絶句した。あれ(・・)は空間に直接干渉して、間合いをゼロに短縮してくる。その技を逆に使用すれば、当然、アルフの紋章術はエクスキューショナーには当たらない。

 

「それじゃ、奴等の攻撃は――!」

 

 息を飲むネルの勘は的中し、マリエッタの声が響いた。

 

「敵エクスキューショナーの攻撃、直撃します!」

 

「おわっ――」

 

 フェイトは息を飲んで身を小さくした。モニターを見ずとも凄まじい光が、ディプロ全体を呑みこむのが分かる。

 

 ――そして、

 

 数秒後、フェイトはゆっくりと瞼を開けた。

 

「……?」

 

 予期した衝撃がやって来ない。否、クリエイション砲を上回る攻撃が直撃したとなると、痛みすら感じる前に消滅しているだろうが。

 非常灯すら消えたディプロ艦内。

 フェイトは暗がりの中、立ち上がった。

 

「……皆?」

 

 問いかけてみる。抱えたソフィアからも、返事は無い。

 フェイトは固唾を飲むと、努めて冷静に、ゆっくりと呼吸を繰り返しながら周りを見渡した。

 

 ぶつんっ、……!

 

 突如、電源コードをいきなり引き抜いたような音が鳴り、フェイトは反射的にそちらを振り返った。ついで、駆動音。二、三、白い電灯が艦内を照らし――座席でうずくまっていたクリフ達が顔を上げる。

 

「痛ぁ……っ! 一体、どうなったってんだ……!?」

 

 つぶやくクリフに、ミラージュが答えた。

 

「長距離センサーが、エクスキューショナー後方に信号を捕らえました。この信号――船のようです」

 

「艦籍は?」

 

「データ照合中。テトラジェネシス所属の戦闘艦、ソレイユ、リュナ、ルノワールの三隻を中心とした連合艦隊です」

 

「ジェネシスだと?」

 

 クリフが眉をひそめる中で、ミラージュはさらに続けた。

 

「連合艦隊のクリエイション砲により、敵エクスキューショナー、残り二十。更に通信が入っています」

 

「スクリーンへ」

 

「了解」

 

 マリアの指示に従って、ミラージュは入力する。ほどなくして、ディプロのメインスクリーンに、若い女性が映された。長い金髪が柔らかく波打った、上品な顔立ちの女性だ。彼女は黒いドレスに身を包み、ゆったりとした笑みを浮かべていた。

 

[こんにちは。初めまして、クォークの皆さん。私はジェネシス艦ソレイユ艦長、オフィーリア・ベクトラよ。会えて嬉しいわ]

 

 女性の視線を受け、マリアは眼を見開いた。一瞬呆然としたが、すぐに我に返る。

 

「私もです。テトラジェネシス宗主、ベクトラ嬢自らがご出陣なされるとは。状況はそれだけ差し迫っていると言う事ですか?」

 

[その通りよ。でも、今はそういう話は後。まずはエクスキューショナーを倒しましょう。協力して頂けるかしら?]

 

「願っても無い申し出です。しかし、当艦は回避行動もままならない状況――如何致します?」

 

 マリアの現状を聞いて、オフィーリアの美貌がわずかに歪んだ。オフィーリアは視線を落とし、指示を出す。

 

[どうやら思ったより状況は厳しいみたいね。――ヴィスコム、ルノワールでディプロの援護をお願い]

 

[了解]

 

 弾かれたように、アルフが顔を上げた。フェイト達も一瞬、オフィーリアの言葉が理解出来ない。

 

「ヴィスコムって……」

 

 息を飲むフェイト達を置いて、状況は目まぐるしく変わる。包帯で右腕を吊ったヴィスコムの副官――フラン大尉が、ディプロに向けて言った。

 

[当艦ルノワールはこれより、航路256でそちらに接近します。ディプロは座標347まで後退して下さい]

 

「了解」

 

 ミラージュが短く頷く。映し出された宙図に、ルノワールの航路が描かれる。それはエクスキューショナーの中央を割り入るようなコースだった。

 

「おいおい! いくらアクアエリークルーったって、こいつぁ無茶があんだろっ!」

 

 クリフが苦笑する中、アルフが首を横に振った。

 

「――(いや)。今度は『特務』だ」

 

「それってどういう……?」

 

 フェイトが問う前に、答えは出た。雨のように降るエクスキューショナーの攻撃の中を、ジェネシス艦ルノワールが合間を縫って進行している。反撃として放たれるクリエイション砲、フェイズキャノンまで正確無比の射撃だ。副砲でエクスキューショナーの動きを制限し、クリエイション砲で撃墜させる。最新鋭艦が最高速度で航行しながら――、である。

 

「あれだけ複雑な回避行動が取れるなんて……、さすがはジェネシスの最新鋭艦ね」

 

「オート操縦じゃねえよ。あれは全部手動だ」

 

「手動ですって!?」

 

 唸るマリアに、アルフは頷いた。

 

「おいおい、バカ言うなよっ!? 光速に地球人の反射神経で対応できるわけねぇだろうがっ!」

 

 クリフの問いに、アルフは答える。

 

「専用の観測官が数人、乗ってんだ。そいつらが空間歪曲を感知し、二人以上の操舵手が舵を切る。そして、あらゆるシミュレーションを頭に叩きこんだ砲撃手が、執行者の動きに合わせて主砲を撃つ。――連邦が、最新鋭艦を以てしても敵わない相手と戦う時の為に創られたのが『特務』だ。とは言え、連中も半分以上は勘だろうけどな」

 

「どうして分かるんだ? そんなこと」

 

 フェイトが問う。すると、アルフはわずかにこちらを振り返って微笑った。

 

「フラン大尉が特務(この)服に着替えてたろ? 恐らく、提督が銀河中から『特務』を呼び集めて来たんだ」

 

「……それで、あんな動きを」

 

 マリアが息を飲む間にも、ルノワールは着々と進軍する。針に糸を通すような、わずかな安全地帯を通って前へ、前へ――。

 だがその時、ソフィアが首を横に振った。

 

「ダメ……それ以上来ちゃ、だめぇえっ!!」

 

 モニタに向かって、ソフィアが鋭く叫ぶ。フェイトは嫌な予感を感じ、宙図を睨んだ。

 目標地点まで、残り十万キロ。

 あと少しで、エクスキューショナーの群れを通り抜ける。その、瞬間。

 

 ――グォオオオオオッッ!!――

 

 エクスキューショナーが一斉に声を張り上げた。代弁者の白い翼と、執行者の黒い翼が大きく広がる。

 宙図に――巨大な熱反応が起きた。

 

「空間歪曲……」

 

「ブラックホール!?」

 

 マリエッタとマリアが同時に言葉を失う。フェイト達に緊張が走った。アルフが素早く、紋章術を放つ。

 

「スターフレア!!」

 

 短縮詠唱で放てる、最も強力な紋章術スターフレア。星々の力を得て放つ光の紋章術が、ブラックホールに難なく飲み込まれて行く。――そして、ルノワールも。

 

「マリア!」

 

 フェイトは鋭くマリアを振り仰いだ。

 ――アルティネイションを!

 そう叫ぶ前に、マリアは額に紋章力を集中させ、能力を顕現させている。――だが、ブラックホールの質量に改変が間に合わない。

 

「くそぉおっっ!」

 

 フェイトはディプロの壁を殴りつけた。乾いた音が鳴る。――皆、息を飲む。

 その時、

 

 ソフィアの全身から、白い光が放たれた。

 

「皆を守ってっ!!」

 

 悲鳴に近いソフィアの祈り。彼女の身体が強く輝くと同時、ブラックホールの中心に白い光が生まれた。光は徐々に大きくなり――闇に呑みこまれたルノワールを包む。

 そして、

 ディプロの直前に、ルノワールを転移させた。

 

「マリアさん! アルフさんっ! 反撃を!」

 

 ブラックホールから広がった光は、エクスキューショナーのいる宙域全体を呑みこむ。ソフィアは白い光を放ちながら鋭く言うと、マリアとアルフが即座に頷いた。

 ネルが目を丸くする。

 

「エクスキューショナーの動きが、止まった?」

 

「……ぶっ殺す」

 

 アルフは嬉しそうに口許を歪め、紋章術の詠唱を完了する。紅瞳が底光り、マリアを横目見た。

 

「行くぜ」

 

「任せて。――塵になりなさいっ!」

 

 アルフが展開した紋章陣にマリアが触れる。瞬間。最強の紋章術が、凶悪に改変された。

 エクスキューショナーの宙域全体を、金色の炎を宿した巨大な隕石が降り落ちる。その数――測定不能。

 加えて、これを好機と見たルノワール始め、連合艦隊が、停止したエクスキューショナーに向けてクリエイション砲を発射した。

 エクスキューショナーに襲い掛かる小太陽の(・・・・)流星群(・・・)とクリエイション砲。

 宙域一帯は巨大なエネルギーで覆われ、測定器が通常では考えられない数値を叩きだす。

 そして――、消えた。

 赤黒い炎をまとった朱雀(・・)が宙域を駆ると同時に、全てが闇と化したのだ。

 

「……!」

 

 フェイト達は息を飲む。

 ブラックホール中心に生まれた光から、触手のような翼を広げて『彼』が現れる。身長の三倍はある巨槍を手に、断罪者を引き連れて。

 『彼』は言った。相変わらず、表情の無い顔で。

 

 

〈我は神の代行者……。世界を汚染する異物どもを、抹消する存在〉

 

 

「どうやら、本格的に人間じゃなくなったみたいだな……。アレン」

 

 アルフがつぶやく。その瞳に、一切の同情は無い。構わず詠唱に入るアルフを置いて、マリアが目を見開いた。

 

「マリエッタ! B208、拡大してっ!!」

 

「は、はいっ!」

 

 マリアが指定した宙域は、『彼』が現れた場所――エクスキューショナーに比べれば、人の大きさである『彼』のいる場所だ。背負った朱雀が巨大でなければ、誰も気付かない宇宙の塵の様な存在。

 マリアに言われ、拡大された画像は――違わず『彼』を映し出した。だが、その傍らに、一人の女性がいる。スフィア社の黒い制服を着た、銀髪をショートカットにした女性。

 色白な彼女の顔には、見覚えが合った。

 

「ブレア……さん?」

 

 フェイトがこれ以上ないほど目を見開く。クリフが忌々しげに肘掛を殴った。

 

「くそっ! やっぱ敵だったのかっ!!」

 

「そんな……そんなっ!?」

 

 ソフィアが言葉を失う。頭を抱えて座り込みそうになるソフィアを、ネルが両肩を握って支えた。

 

「しっかりしな! 私達の戦いは、まだ終わっちゃいないんだ!」

 

「そう――その通りよ、ネル。絶対……私達は諦めないっ!」

 

 マリアは拳を握り、モニタを睨み据える。アルベルが忌々しげに舌打った。

 

「チッ! 訳の分からねえ戦いで無く、ここが地上ならば早いモノを――」

 

『だから、よ』

 

 『彼』の隣に立つ女性――ブレアは、そう言って微笑んだ。通信を許した訳ではないのに、ディプロのスクリーンに一方的にブレアの顔が映し出される。マリエッタが息を飲んだ。

 ブレアは言う。

 

『このエターナルスフィア内であれば、あの方(・・・)の力が存分に発揮される……。そして、貴方達はこちら側のルールを破る事は決して出来ない。だから(・・・)、私とこの子が抹殺しに来たの。――分かりやすいでしょう?』

 

 ブレアはクスクスと笑って、『彼』の肩を叩く。マリアは唇を噛みしめた。

 

(私が能力を完全に使いこなせていれば――!)

 

 そんな考えが、マリアの脳裡を過る。

 ディプロのスクリーン端に、オフィーリアが映し出された。

 

[……これは、どういうことなの?]

 

 オフィーリアは眼を見開いて、ジッと『彼』を見据える。亡霊に会ったかのように、その表情は凍りついていた。

 ブレアは言う。

 

『この子は私と同じ存在――……まぁ、そんなことはどうでもいいわ。これから貴方達は、消えていくのだから』

 

 それが合図だったかのように、朱雀が動いた。執行者達にも劣らぬ巨大な朱雀は光速よりも速いスピードで宙を駆け、ソレイユに肉薄する。

 

「提督っ!」

 

 アルフの鋭い叱責。同時、ディプロの盾になったルノワールが、朱雀に照準を定めた。アルフは更にソフィアを振り返り、叫ぶ。

 

「エスティード! 空間を直結させてクリエイション砲を朱雀に当てろ!!」

 

「っ!」

 

 ソフィアが息を飲む。その怯んだ反応――顔色を失ったソフィアを見るなりアルフは指示を止め、詠唱途中の紋章術を朱雀に向けて放った。

 

「メテオスォーム!」

 

 最強紋章術を牽制で放つ。が、中途半端な詠唱故に威力は低い。赤黒の朱雀は槍を一閃し、並み入る隕石を斬り飛ばすと、ソレイユに向けて――野太い光線を放った。



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76.FDからの支配

「うそだ……」

 

 ナツメは額から流れる血にも構わず、ムーンベースの巨大モニタを見上げていた。彼女の手には(シャープエッジ)(シャープネス)が握られている。

 周りには執行者が三体。つい先程まで、ナツメと息も吐けぬ攻防を繰り広げていた。

 

 それなのに――

 

 映像から、目が離せない。

 

「アレン……さん?」

 

 ナツメは、顔色を失った。目の前にいる三体の執行者は腿の周りについている棘を地面に巡らせると、ガンッと鋭い音を立てて剣山のように棘を辺り一面に鋭く建てた。

 数百本の棘山が、容赦なくナツメの全身を貫く。大量の血が雨の如く飛び、カランと音を立てて、(シャープエッジ)(シャープネス)が手から滑り落ちる。

 ナツメの頬を、涙が伝う。

 目を見開いた少女は、画面を見据えたまま――動かなかった。

 

 ××××

 

 ――二時間前。

 

「ソレイユ、被弾しますっ!」

 

 マリエッタの悲痛な声に、ディプロ艦内にいる者は誰しもが息を詰めた。

 テトラジェネシス旗艦――ソレイユ。

 宗主オフィーリアの艦が墜ちれば、最早人類に明日は無い。

 

 アールディオン、バンデーン、銀河連邦……

 

 それまで人類史上最高の科学力を持つ組織が、惑星ごと消滅させられた。防衛行動をとる前に、前者二つは消し飛ばされた。

 そして今、この混乱の中にあって皆を集結させたのが、オフィーリア・ベクトラだ。

 彼女が死ねば、銀河の組織的な動きは死ぬ。

 そして人類に残されるのは、ゲリラ的な執行者との戦いだけ。

 星を消し飛ばすような化物を相手に、小さな反抗を続けるだけ――。

 

(アレン……っ!)

 

 アルフすら思わず、息を詰めた。呼んでも無駄なのは分かっている。それでも、ディプロ艦内で絶叫する皆の気持ちが――それとは少し異なるアルフの心境が、彼の頬に冷汗を浮かべさせる。

 

(お前っ、ナツメを――……!!)

 

 

 殺す気か。

 

 

 続く言葉を、アルフは思わず飲みこんだ。

 

 アルフ達が所属する銀河連邦軍、特殊任務施行部隊。

 

 これは実際の所、『地球人が銀河で最強である』という事を示す為だけに創られた。

 さまざまな惑星人が跋扈するこの宇宙時代において、地球人が宇宙に対し、ある程度の影響力を持つ為に創られたのだ。

 アレンの実家である――『ガード流』創設と理由を同じくして。

 そしてこのエリート部隊は、その存在理由の為に、宇宙で最も過酷な任務を強いられる。

 

 生存率、三割未満。

 

 そんな特殊部隊の中でナツメを泣かせない為だけに――『一人』にさせない為だけに、アレンとアルフはオフィーリアに彼女を預けた。ナツメの剣術は名目上、オフィーリアの護衛役として役立つ。

 そう、ジェネシス宗主に入れ知恵して。

 

 万が一――自分やアレンが帰らなくなったとしても、ナツメが無事なように。

 

 それを、

 それを――……

 

「……っ!」

 

 アルフは拳を握った。映像の中で、光が消える。

 この広い宇宙上で一際存在感を放つ赤黒い朱雀は、人類の希望をたった今、消した。

 一人の少女の、帰るべき居場所と共に。

 

「ソレイユ……沈黙」

 

 マリエッタの重々しい声が響く。皆、言葉を失い――項垂れた。

 だが、沈黙は次の言葉で緊張に変わる。

 

「ソレイユ、損傷率80%。第三、第四エンジンに被弾したそうです」

 

「――何?」

 

 アルフはミラージュの言葉に瞬き、マリエッタを見る。すると、マリエッタは目を皿のようにして続けた。

 

「まだ……! まだ持ちこたえてますっ!! リーダー!!」

 

 嬉しそうに振り返るマリエッタに対し、マリアの表情が険しく歪む。このディプロも酷い損傷を受けており、“動かない”というのが現状だ。

 アルフはマリエッタに駆け寄り、ルノワールに通信を繋いだ。

 

「提督っ!」

 

 鋭く呼びかける。同時に、ルノワールはクリエイション砲を朱雀に向けて放った。

 違和感に気付いたのは――一人だけ。

 

 フェイト・ラインゴッドだけだった。

 

「おい、ちょっと……待てよっ! アルフ!」

 

 フェイトが顔を真っ青にして叫ぶ。だが制止は遅く、クリエイション砲は『彼』を貫く。

 光の砲撃は『彼』を呑みこみ――そして、

 

『そんな……っ!? 馬鹿な……!』

 

 ブレアの声が通信機から聞こえてくる。

 彼女はぐっと息を飲むと、巨槍を握る青年を抱えて、クリエイション砲の光と共に姿を消した。

 同時に、周りに五萬と居た執行者や断罪者も消える。

 

 …………

 

 沈黙が降りた。

 クリフは長い息を吐くと、両腕を組んでフェイトに向き直った。

 

「とにかく、なんとかなったみたいだな……。で、どうした? 急に叫びやがって」

 

 そう問うと、フェイトは眼を見開いたまま、クリフを見上げた。

 

「――戻ってたんだよ」

 

「あ?」

 

「朱雀の色が」

 

 途端、息を詰めた。無論、この言葉を理解したのは、フェイトと共にエリクールで苦労を共にした仲間だけだ。ディプロ艦員は、首を捻って不思議そうにフェイトを見る。アルフが無表情に、問いかけた。

 

「確かか?」

 

 低い声で尋ねるアルフに、フェイトは固い面持ちで――頷いた。

 

 

 ……………………

 ………………

 

 ブレアの転移で、『彼』らは惑星ストリームに来た。

 『彼』は力なく膝を付くなり、肩で息をする。大量の血が脇腹から流れ、口からも吐き出た。

 

「……無様ね」

 

 ブレアは冷ややかに『彼』を見下し、つぶやいた。『彼』が顔を上げる。

 蒼穹のように澄んだ、意志の強い――怒りの眼差しで。

 

「覇ぁっ!!」

 

 『彼』は手にした槍を一閃すると、ブレアに向かって斬りかかった。――が。寸前で『彼』の腕から先が、すぅ、と透けて、消える。

 『彼』は――アレンは目を見開いた。

 

「!?」

 

 右腕を失った青年に歩み寄り、ブレアは冷めた声で言う。

 

「まだ分からない? あの方の望む以外の行動を取れば、自分がどうなるかと言う事が」

 

「……どういう、意味だ」

 

 アレンの瞳の殺気が深まる。ブレアは長い溜息を吐き、両手を広げた。

 

「本当に馬鹿ね、貴方。さっきの攻撃、あの方の望み通り艦隊を消し飛ばせば良かったのよ。そうすれば、そんな風に血を吐く事も、腕が消える事も無かったのに」

 

「…………これが、貴様らFD人のやり方か……」

 

 ぎり、と奥歯を噛む。ブレアは失笑した。

 

「一端に、あの方々と同じ存在になれたつもりなのかしら? データのくせに」

 

「っ!」

 

「私達は架空の存在。消えたって誰も困らない。――足掻いているのは、架空のバグだけ。考えてもみなさい? 自分の作ったシミュレーターが、自分と同じ世界に来て、その世界の方々を殺傷せしめる能力を得た。……そんな存在が、許されると思う?」

 

「だから、黙って死ねと? エクスキューショナーに怯えながら逃げ惑って、そして死ねと!?」

 

「見解の相違ね。所詮、私達の存在なんて、あの方々の娯楽に過ぎない。娯楽が娯楽と言うカテゴライズから逸脱した以上、消されるのは当然だわ」

 

 ブレアは両腕を組み、首を横に振った。どこか諦観の漂った、憂いの表情。

 アレンは眼を見開いた。

 

「――まさか、お前も……?」

 

 言葉は途中で切れた。

 呆然と目を丸くする青年を見下し、ブレアはしっとりと笑う。

 少し、邪悪に。

 

「ええ、貴方と同じ存在よ。ただ――貴方の場合は、基となるキャラクターが居て、そこから創り換えられたみたいだけれどね」

 

「創り、換える……?」

 

「そう。宇宙と言うフィールドの大きさは、貴方も知っているでしょう? その中にあって、バグとなる存在と、同じ惑星に墜落する確率はどれくらいのものかしら? 何か(・・)の力が働いたと考えた方が妥当ではなくて?」

 

 ブレアの蒼瞳が細められる。

 アレンは背が、ぞっと冷えるのを感じた。

 

(墜落――……?)

 

 バンデーンと戦い、負傷した自分が墜落した先――エリクール。

 そこで目が覚めるのと同時に、彼はフェイトと接触した。

 それが偶然などではなく、

 

「――必然、だったのか……?」

 

 血の気の引いた顔でブレアを見上げると、彼女は穏やかに微笑んだ。

 

「そう。――だって貴方は、あの方(・・・)の代行者だもの」

 

「あの、方……?」

 

「スフィア社のオーナー、ルシファー・ランドベルド様よ」

 

 アレンは息を飲む。

 

 ルシファー。

 

 口にすると、よりはっきりと、その存在を認識できるような気がした。

 と。

 荒野広がるストリームの大地で、赤茶けた地面に突き刺さった――黒鞘の剛刀が、アレンの目に入った。

 

 

 ………………

 …………

 

 

 ヴィスコムが駆る最新鋭艦ルノワールに乗り換えたフェイト達は、ロビーに首を揃えた。

 

「ともかく、私達はこれより貴方々を、そのエリクールという惑星に送るわ。――と言っても、送迎役はヴィスコム提督に任せるつもりだけれど」

 

 ジェネシス星系宗主、オフィーリアはそう言って、細い腕を組む。マリアが瞬いた。

 

「オフィーリア嬢はどうなさるおつもりです?」

 

「勿論、前線に戻るわ。ソレイユは撃墜寸前まで追い込まれたけれど、リュナはまだ無事だから」

 

「提督なしにもつんですか?」

 

 アルフの問いに、オフィーリアは眉を寄せた。

 

「特務とは言え、私達を見くびらないでもらいたいわね。確かに銀河随一と言われるアクアエリークルーに比べれば、ジェネシスの腕は未熟かも知れないけれど、それなりに戦ってみせるつもりよ。エクスキューショナー(かれら)とね」

 

 アルフは沈黙し、横目でマリアを見た。

 視線を受けたマリアが、深い溜息を吐いた後、オフィーリアに向き直る。

 

「よろしければオフィーリア嬢。私達に一隻、艦をお貸し願えませんか? エリクールに向かうのであれば、私達だけでも十分かと思われます」

 

「楽観は良くないわ。貴方達は銀河の希望、絶対に失う訳にはいかない」

 

「しかし……」

 

「大丈夫。――私を信じて」

 

 微笑むオフィーリアに、マリアは言葉を濁した。アルフを見やって、マリアは肩をすくめる。

 と、

 その反応を受けたアルフが、深い溜息を吐いた。

 マリアは視線を――ソファに座っているフェイト達にやる。

 円形ソファの背面に取り付いた大型モニタが、エクスキュショナーによる被害状況、避難先の案内などをひっきりなしに伝えていた。最初はそれを固唾を呑んで見守っていたフェイト達だが、次第に事が深刻過ぎてモニタを見る気力もなくなったらしい。

 小難しい表情で俯いたまま、誰一人喋らない。

 ただ、モニタの中で悲痛なニュースキャスターの声が響く。

 オフィーリアはそんな彼等を見、悲しげに目を細めた。

 

[緊急速報です]

 

 と。

 モニタが切り替わって、キャスターが女性から男性へと変わる。灰色がかったスーツを几帳面に着こなした壮年のキャスターは、神経質そうな目を手許の原稿からカメラに向けた。

 

[ラーク・ギュスターブ連邦議長が亡くなった現在、事実上、銀河連邦政府のトップとなったエイダ・アトロシャス星系防衛長官による声明が、先程発表されました]

 

 画面が切り替わる。

 映ったのは、巨大ドームの中。緑色の円盤状の演壇に、男が立っている。

 七十近い地球人だ。星系防衛長官、エイダ・アトロシャス。顔が四角く無骨で、黒子(ホクロ)とニキビ痕がいやに目立つ男である。肥満と言うほどでもないが、痩せ型とは言い難いエイダは、大きなハト胸を茶褐色のスーツの下にしまっている。

 映像の中のエイダは、特設会場にでも居るのか、並み入る群衆をぐるりと見渡して、大仰に言い放った。

 

[皆さんっ! この度はエクスキューショナーの猛攻を耐え凌ぐ日々に追われ、心身ともに疲れ果てておられることでしょう! ですが、私はここで、エクスキューショナーの大本を摘発することに成功した! 終わりの時は近いのですっ!! 銀河連邦はここに、S級犯罪人アレン・ガードの極刑を宣言する! 奴こそは全銀河の癌、執行者(エクスキューショナー)の支配者であると!]

 

「――何?」

 

「これは……!」

 

 息を呑むフェイトとマリアを置いて、クリフが目を瞠りながら顎に手をやった。

 

「エイダ・アトロシャス……! 地球が消滅した今、連邦は死に体かと思っていたが、そうでもなかったみてぇだな」

 

「落ち着いてる場合かよ、クリフっ!? この人――今、なんて言った!?」

 

 フェイトはソファから立ち上がるや、モニタを睨み据えた。エイダ・アトロシャスによる声明は、更に過熱さを増している。

 アレンの顔写真が映されるのも、数秒先の未来でしかなかった。

 フェイトはモニタを見据え、拳を握る。――アレンならまだ、戻るかも知れないと言うのに。

 

「完全に、あいつを見捨てるってのか……。連邦は、組織ぐるみで!?」

 

「どうして? アレンさんがおかしくなっちゃったのは、数時間前――それも変になっちゃったのを知っているのは私達だけです! それなのにどうして、この人がこんなこと――」

 

「『ガード』だからだ」

 

 ソフィアの問いを途中で制し、アルフが答えた。紅瞳が静かに冷えている。モニタ上で得意げに演説している――『義父』を見据えて。

 クリフが顎に据えた手を離した。

 

「どういうことだ?」

 

「アレンの実家、『ガード家』はここ十数年で勢力を拡大させた――叩き上げの武闘派一家でね。ガード家当主のリード・ガードを筆頭に、あそこの一門は連邦政府の脅威(テキ)となる存在を誰であろうと斬り殺す。――それを大っぴらにしない賢さもある。そんなガード家を支援してるのが、反アトロシャスのギュスターブ派。地球が消滅する瞬間まで、太陽系元首だったラーク・ギュスターブ連邦議長だ。この議長が亡くなった今、ガード家の後ろ盾は無い……。保守派最大武力と言われるガード家を潰すには、今を置いて他にないって事だろう」

 

「でもさっ!? それでなんで標的がアレンにされるんだ!? おかしいだろ!」

 

 フェイトの問いに、アルフは首を横に振った。

 

「それが、おかしくはねえのさ。ガード家で今、一番所在がはっきりしないのがアレンなんだ。バンデーンの襲撃を受けて、未開惑星に墜落したなんて誰が思う? そこのオフィーリアさんほど酔狂な人でもない限り、行方不明者の捜索なんてしねえよ。連邦はハイダ襲撃以降ずっと天手古舞いだったんだ。それに、アレンを乗せたアクアエリーは消滅。ヴィスコム提督すら連邦本部には戻ってねえ」

 

「……つまり、アレンさんがエクスキューショナーに関係があるのかどうかも分からない状況で、この人はこんなことを?」

 

 声を震わせながら、ソフィアが問う。アルフは静かに頷いた。

 

「そう言う事だ。恐らくな」

 

「こんな……皆死ぬかもしれないって状況で、権力闘争だって!? 何考えてんだよっ! このじいさんは!」

 

 フェイトは鋭い眼差しをエイダ・アトロシャスに向けた。フェイトの後ろで、両腕を組んで悠然と立っていた筈のオフィーリアにも緊張が走っている。

 エイダ・アトロシャスの後ろ――八十近い禿頭の男は、少し前のジェネシス会議に出席していた反ベクトラ派の首相。

 惑星ミトラのカナド首相だった。

 

「……どうやら、造反はアトロシャスだけではなさそうね」

 

 つぶやくオフィーリアに、アルフも頷く。クリフが頭を掻いた。

 

「ったく! 次から次へと!」

 

「落ち着いて、クリフ。現状、反銀河連邦(クォーク)に出来る事なんて大してないわ。エイダ氏の声明は残念だけど、連邦のゴタゴタに付き合っている場合じゃないと思う」

 

 マリアの冷静な意見に、クリフは瞬くと、深い溜息を吐いた。

 

「そりゃそうか」

 

 そう言って、握った拳を下ろす。

 フェイトが息を吐いた。

 

「くそっ……! これじゃ、あのバカを正気に戻しても一緒に帰れるかどうか分からないじゃないか!」

 

「だが、今そんな心配してる場合じゃねえのは確かだ。あのブレアってのが敵と分かった以上――銀河存続自体が怪しくなって来てる」

 

 つぶやくアルフに、ソフィアがびくりと肩を震わせた。

 ネルが声を潜める。

 

「その話なんだけど。アンタ達はやっぱり、あのブレアが敵だって言うのかい?」

 

「味方に見えたのか? あれが」

 

 逆にアルフが問い返すと、ネルは顎に手を据えて目を細めた。

 

「それが――どうも変な気がするんだよ……。私達があの“えふでぃー空間?”とやらで出合ったブレアと、さっきのブレア。本当に同一人物なのかい?」

 

「…………」

 

「自分の観察眼だけを頼りにしちゃダメだって、私も分かってるさ。けど、どうしても、えふでぃー空間……とやらで出合ったブレアが、悪い人間には見えなかったんだ」

 

 ネルの言葉に、アルフは溜息を吐いた。

 ブレアが敵か、味方か――。

 普通ならば敵と見る。自分達を潰す勢力と懐柔する勢力。どちらもスフィア社内に配置させておいて、実際は裏で繋がっている――などと言う事は、珍しくないからだ。

 真っ向から潰しに来る勢力――つまりFD人が、直接倒せればよし。

 倒せない場合は、懐柔した勢力が自分達をエターナルスフィアに還す。

 そうすれば、先程のブレアの言葉にも納得がいく。

 

 ――このエターナルスフィア内であれば、あの方(・・・)の力が存分に発揮される。

 

 『あの方』と言うのは、間違いなくスフィア社オーナーの事だろう。

 そして、アレンが敵に回った切っ掛けを作ったのも、ブレア達が手渡したアンインストーラーだ。

 偶然にしては、出来過ぎた一致。

 ――だが、

 ネルのように違和感を覚えている者は、他にも居た。

 

「私も……、出来ればブレアさんを信じたいです」

 

 ソフィアだ。

 彼女の感性は、限りなく一般市民に近い。人の真偽を見定められるような経験も無い。――それでも、このメンバーの中で、否、このエターナルスフィアの中で一番、FD人に近い存在であるようにアルフは考えていた。

 

(あの平和ボケした女の顔に、敵意や殺気を感じなかったのは、こいつ等の言う通り確かなコトだ。……だが、あの空間に居る奴らに、俺達の常識が果たして通じるのか? アイツ等にとって俺達は所詮、ただの“データ”だ。それを相手に、敵意や殺気――あるいはそれに類する警戒心を抱くだろうか? 争い事など、一度もした事が無いような世界の腑抜けた連中が――)

 

 ちなみにブレアが敵だった場合、銀河消滅はほぼ確定する。何故なら、FD空間にオーナーを探しに戻っても、出合える確証が無いからだ。FD空間の全体規模も分からない。そこを隈なく探して、エクスキューショナーを止めさせる。

 そんな時間が、この銀河に残っているとは考え難い――。

 それに、FD空間(むこう)のブレアは言っていた。

 

 ――セフィラを探せ、と。

 

 もしブレアの言う通り、オーナーがこの世界に特殊空間を作っていたとしたら、FD空間に戻るのは本当にただの無駄骨となる。

 そして、特殊空間に行く鍵があの『セフィラ』であることが何より気がかりであった。

 

(セフィラ――……)

 

 アルフが初めて確認した、アレンの異常。それを引き起こしたのがセフィラだ。

 

 セフィラをもう一度、調べたい気持ちはある。

 

 だが、敵の大元――オーナーの思考がまるで読めない。今までの行動は全て部下伝いで、オーナー自身は姿すら見せない。FD人がどれほどこちらに干渉しているのか、その影響はどれくらいなのかもアルフは把握していない。

 相手の真意を読み取るには、圧倒的不利な状況――。

 ブレアが善か悪か。

 これははっきり言って、この時点ではいくら考えても答えが出せない状況にあるのだ。

 

 ――すべてにおいて、時間が足りない。

 

 銀河という命が、輝いていられる時間が。

 

「ムーンベースに行こう」

 

 ふとフェイトが言った。アルフは顔を上げる。

 

「FD空間の事なら、父さんが一番知ってる筈だ。ブレアさんも完全に信用できない以上、一度父さんに相談してみるべきだと僕は思う」

 

「……そう、かもな」

 

 アルフは答えながら、これはただの時間潰しに終わる可能性を強く感じていた。根拠はない。

 ただ――そんな予感がしていた。

 フェイトはアルフの気配に気づいたのか、振り返ると――ニッと不敵に口端を歪めて見せた。

 

「アンインストーラー。ブレアさん達の装置を、父さんに見せようと思うんだ」

 

 それが現状においてフェイトが叩きだした、エクスキューショナーへの対抗策だった



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77.エクスペルの双頭竜

「ブラックセイバー!」

 

 彼女を中心として幾筋もの黒い真空刃が、地中から生える執行者の棘を弾く。ムーンベースの強化ガラス天井で串刺しになったナツメが崩れ落ち、床に転がった。まるで物のようにナツメは、受け身を取ることも、起き上がることもない。

 

「っ!」

 

 それに短く舌打った女性は、ピンと立った猫耳をひょこひょこと動かした。ナツメを守るように立ちはだかり、執行者を睨む。青みがかった翡翠の髪を肩まで伸ばした、翡翠の瞳のエクスペル人――リオナ・D・S・ゲーステだ。

 彼女は床に付きそうな長い白衣を翻し、分厚い本を片手に、顔を不機嫌に歪める。

 

「アンカース! しっかりしろっ!」

 

 鋭く呼びかけるが、返事がない。血溜まりに倒れた少女はパッと見ただけでも重傷で、リオナは頬に冷汗が伝うのを感じた。

 早く治療しなければという焦りと、居並ぶ執行者に勝てる算段がつかないことで肝が冷える。

 

「わ、私は天才だが、戦いは専門外なんだぞ……!」

 

 誰にともなく毒づいた。執行者の胸から光線が襲い掛かる。リオナは目を瞠るや慌てて盾を出現させた。

 

「プ、プロテクションッ!」

 

 短い爆発音を立てて、盾が揺れる。最初の二、三発――執行者の光線を防げた。が、リオナの後ろに回り込んだもう一体が、腿の棘を地面に埋め込む。

 瞬間。

 執行者の棘がリオナの視界を黒く染めた。塵一つないムーンベースの床。それでも、執行者の放つ霧が視界を遮り、全てを黒く染める。リオナの脳裡に串刺しになったナツメの姿が浮かんだ。思わず屈みこんで、両手で頭を押さえる。

 ペタン、と彼女の猫耳がしおれた。

 

「…………!」

 

 目をつむる。数秒。体を貫かれた自分を思い浮かべて、震えが走った。それでも覚悟した痛みはいつまでも訪れず、リオナは恐る恐る目を開けた。

 すると、

 ――霧が立ち込める闇の中に、左手の剣(シャープエッジ)を握るナツメがいた。

 リオナは目を見開く。ナツメは左手の剣(シャープエッジ)を薙ぎ、軒並み執行者の棘を両断すると、転瞬、一気に相手の懐に飛び込み、執行者の胴を切り裂いた。ムーンベースの空間に銀孤が閃く。

 瞳の深紅を撒き散らして、執行者が消えていく。それを見送ることもなく、ナツメはフンと鼻を鳴らすと、左手の剣(シャープエッジ)の刃をぺろりと舐めた。

 リオナは引きつった表情で頬を震わせる。ナツメの両肩には今、奇妙な物体がとり憑いていた。左右の肩から、細長い何かが伸びているのだ。

 

(……なんだ?)

 

 リオナは瞬いた。目を凝らす。右肩の細長い何かが――、ゆっくりとリオナを向く。

 

 竜だった。

 

 右肩に赤い竜、左肩に青い竜が、ナツメにとり憑いているのだ。リオナが息を呑む。ナツメは普段からは考えられない低い声で嗤った。

 

「ククッ……! 四百年ぶりの目覚めか……。アシュトンほどではないが、悪くない動きだ」

 

 ナツメは左手に握ったシャープエッジを一瞥し、頷く。およそ彼女らしくない、冷酷な笑みである。

 と。

 またナツメの雰囲気が一変し、今度は落ち着いた口調で言った。

 

「調子に乗るな。我らが目覚めたのは、あくまで人間を守る為だ。この娘に負担をかけるような事があってはならぬ。無闇に暴れるだけが能では、低俗な魔物どもと変わらぬぞ」

 

 途端、また雰囲気が冷酷なものに変わった。

 

「やかましい! 四百年経っても口うるさく私に説教しやがって、何様だ!? そもそも、私とて目的を忘れた訳ではない。要は倒せばいいのだろうが、倒せば!」

 

「――貴様」

 

「このような雑魚など私の敵ではない。お前は黙っていろ!」

 

 リオナは要を得ず、ぱちぱちと瞬いた。まるでナツメらしくない――気性の荒い人格と、泰然とした人格が、ナツメの身体を使って舌戦を繰り広げている。この時、ナツメの瞳が、口調が変化するに従って色を変えていた。

 

「邪魔だ、女」

 

 気性の荒い人格――青瞳の人格はリオナに冷たく言うと、生き残った二体の執行者に向かって駆る。それはまさに風の速さで、リオナが瞬きした時には、二体の執行者の胴が上下に両断されていた。

 腿の剣山で串刺しにしようとした棘もろとも、執行者は斬られ、消えて行く。

 青瞳の人格は、ククと喉を鳴らすと、新たに現れた代弁者と執行者、さらに断罪者達に向かって言った。

 

「さて、久しぶりの目覚めだ。串刺しにしてくれようか、それとも氷漬けにしてくれようか……」

 

 つぶやいた青瞳の人格は、テレポートして間合いを0にする代弁者の翼を左手の剣(シャープネス)で両断し、紋章術の詠唱をしている断罪者、胸の前に紅い光球を溜めている執行者に向けて一瞬で練り上げた氷塊を、叩きつけた。

 

「ノーザンクロス」

 

 途端、リオナは全身の毛が逆立つのを感じた。――そのぐらい強烈な、圧倒的な紋章力。

 とても人間のそれでは無い。

 

 ムーンベースの床、壁、天井が、凍る。甲高い音を立った。

 

 ナツメの左手の剣(シャープネス)から放たれた冷気は直線状にいる執行者、代弁者、断罪者を例外なく凍らせ、床から野太く生える氷の剣山がエクスキューショナーをことごとく貫く。

 そして――、彼女が左手の剣(シャープネス)を一閃すると同時に、エクスキューショナーは全身にヒビを入れて、バラバラに砕け散り、消えた。

 まるで霜が降りたように、冷え切った空気がリオナに白い息を吐かせる。

 舞い散った氷の欠片がキラキラと輝き、エクスキューショナーで埋め尽くされていたムーンベースの通路が、静寂を取り戻した。

 そこでリオナに向き直った青瞳の人格は、興味深そうに目を細めた。

 

「ほぅ……。これはまた、……ずいぶんと懐かしい顔だな」

 

「……懐かしい?」

 

 リオナは首を傾げる。だが、青瞳の人格は答えず――代わりに、赤瞳の人格がナツメの身体を借りて言った。

 

「……娘よ。今、世界は大いなる闇の只中にある。我らも四百年の眠りより覚め、力を貸そう。好きに使うがよい」

 

「四百年……だと?」

 

 リオナはつぶやきながら、自分の知識を総動員して現状を把握しようと努めていた。

 四百年間眠っていたという――赤と青の人格。そして、ナツメの肩に突如生えた、赤い竜と青い竜。

 この姿はまるで――

 

「四百年前の、十二勇者……?」

 

 その内の一人、アシュトン・アンカースによく似ていた。

 青瞳の人格がニヤリと嗤う。リオナは息を飲んだ。

 

「では、お前達はエクスペルの双頭竜……!」

 

 掠れる声でつぶやくリオナに、青瞳の人格は得意げに両腕を組む。

 赤瞳の人格は小さく苦笑した。

 

「我らも、少し見ぬ間に名を馳せたものよ」

 

 

 

「おぉ~~い! ナツメ~! それから、……あっ! リオナさんも!」

 

 リオナがハッとして後ろを振り返ると、青い髪を揺らして、青年が駆けて来るところだった。ロキシ・ラインゴッドの息子――フェイト・ラインゴッドだ。彼は明るい笑顔を浮かべて、両手を振る。

 数秒もすると、彼は目の前まで近づいて来て足を止めた。

 

「てっ、ナツメ!? お前血だらけじゃないかっ!? だ、大丈夫かぁあああっ!」

 

「……ほぇ?」

 

 ふと、間の抜けた声がナツメから発せられる。

 リオナが驚いて振り返ると、ナツメはいつの間にか、いつもの黒瞳を取り戻していた。

 

「フェイトさん……?」

 

 ぼんやりとした表情で、彼女は首を傾げる。

 と、

 フェイトは彼女の両肩についた双頭竜に驚き、声を張り上げると同時に後ろに下がった。

 

「な、なんだそれはぁあああああっっ!?」

 

「ギャフ」

 

「フギャ」

 

 ナツメの両肩についた赤い竜と青い竜が返事をするように短く鳴く。

 そのやりとりを聞いて、はた、と瞬いたナツメが、後ろを振り返った。――自分の肩から生えた、双頭竜を。

 

 数秒。

 

 ナツメはゆっくりと目を見開くと、顔をこれでもかと引きつらせて、叫んだ。

 

「肩から……肩から竜が生えてるよぉおおおおおお!」

 

 黒瞳からこれでもかと涙を振り乱して、彼女はわたわたと両手を振る。全身風穴があいていて、血まみれのハズなのに、今の彼女に暗い影はなかった。

 双頭竜が満足げに、ギャフ、フギャと鳴いているが、そんなものはナツメの知ったことではない。

 

「取って~! これ取って~! フェイトさぁああんっ!」

 

「うぉおっ!? 僕に駆け寄って来るなぁああっ! さすがにモンスターは僕の専門外だぞぉおおおっっ!?」

 

 ダダダダッと軽快なステップを踏みながら、ナツメとフェイトはムーンベースを所狭しと走り回る。

 そう言えば、彼には仲間が居たはずだが――と、リオナが首を巡らせると、ムーンベースの通路から、呆れ顔のマリアがやって来た。後ろに、他の面々もいる。

 

「……この状況で、遊んでる場合じゃないでしょう」

 

「やはり阿呆か」

 

 マリアとアルベルが心底呆れたように首を振る。

 リオナはアルフの姿を見つけるなりハッとして、言った。

 

「そ、そうだ! アンカースの傷が酷い! 治してやってくれ」

 

 リオナは回復紋章術を覚えていなかった。そのため、顔見知りにそう言ったのだが、アルフよりも先に、苦笑したネルが紋章陣を展開した。――彼女達の言葉で言うなら、施術を。

 

「ヒーリング!」

 

 青い光がナツメに宿り、彼女の全身の傷を塞いていく。体が楽になったのか、ナツメは、はた、と動きを止めると、不思議そうに自分自身を見下し――ネルを見て、ぱちぱちと瞬いた。

 

「ほぇ……」

 

 ネルが穏やかに笑う。

 

「無事で何よりだよ、ナツメ」

 

「……ネル、さん……!」

 

 ナツメは口をへの字にして、溢れる涙をこらえた。それでも堪え切れず、結局は袖で涙を拭う。

 

「ネルさぁあああんっっ!」

 

 そう言いながら駆け寄って来る少女は、肩に竜を連れている。

 途端、ネルの頬が引きつった。

 

 双頭竜は――なかなかにいかつい顔をした竜だったのだ。

 

「アルフ、任せたよ!」

 

「だが断る!」

 

 振り返って言い放つネルを、アルフは全力で跳ねのけた。その珍しいやりとりでアルフに気付いたナツメが、泣きながらターゲットをアルフに絞る。

 アルフはカッと目を見開くと、真顔でカツカツと軍靴を鳴らして――ナツメから背を向けた。

 

「うわぁああああ~~~んっ!」

 

「コッチくんな」

 

 割と本気の拒絶だった。

 距離がどんどんと縮まって来る。アルフはあくまで早足に距離を取ろうとしたが――ついに、駆ける。

 

「コッチくんなぁあ~~!」

 

「アルフさん逃げるなんて酷いですよぉおお! みんな酷いよぉお~~!」

 

「ギャフ♪」

 

「フギャ♪」

 

 双頭竜が悪ノリして更にいかめしい顔をしていることに、初対面の皆は気付かない。

 アルフと言わず、フェイトと言わず、ネルと言わず、さらにアルベルやマリアと言わずにムーンベース内を駆け回る面々を見て、ヴィスコムはやれやれと首を横に振った。

 

「今は銀河の危機なのだが……」

 

「ホント、どうしようもねえ奴らだな」

 

 巻き込まれていないクリフが、優雅に肩をすくめて見せる。だがそれも、数秒後には阿鼻叫喚の追いかけっこに放り込まれた、哀れな犠牲者の断末魔に過ぎなかった。

 

「え、えと……」

 

 ナツメとは初対面になるソフィアだけが、所在なさそうに左右をうろうろと見回している。

 

 一同が落ち着いたのは――実に、一時間近い追いかけっこをしてからのことだった。

 

 

 ………………

 …………

 

 

「ほら、ナツメ。うまい棒」

 

「わぁっ! ありがとうございます、フェイトさん!」

 

「……今時、うまい棒で喜ぶ十五歳がいてもいいのだろうか……」

 

 自分で餌付けしておきながら、フェイトはしみじみとつぶやいていた。ようやく落ち着いて話を出来る段階になり、フェイト達が首を揃えたのは――ロキシ・ラインゴッドの研究所だ。

 肩から竜を生やしたナツメを見るや、興味深々でいろいろな検査にかけようとした父を、フェイトは軽く見なかったことにしている。

 うまい棒は、ちょっとしたお詫びの印だった。

 

「で。――父さん。これがFD人の持ってたアンインストーラーって奴なんだけど、どうかな? エクスキューショナーに対抗できそう?」

 

 ロキシは浮足立った様子でアンインストーラーを受け取りながら、わざわざ渋い顔を作った後、答えた。

 

「まだ中身を見ていないため何とも言えないのだが――。数秒間だけとはいえ、全宇宙からエクスキューショナーが消え去った事実を鑑みれば、これを改良することで新たな活路を見出すことは可能性だろう」

 

(…………なんか、父さんの場合だと妙な魔改造しそうだけどな)

 

 ワクワクしている父に、フェイトは冷めた視線を送る。と、傍らでマリアが呆れたように溜息を吐いた。

 

「なんだか先が思いやられそうね……」

 

「所詮父さんだからねっ!」

 

「明るく頷いてんじゃねえよ!」

 

 クリフが突っ込まれ、フェイトは不満そうに口を引き結んだ。スフレが嬉しそうに声を弾ませる。

 

「それにしても、あのフェイトちゃんとソフィアちゃんが、こんなにスゴイ人達だったなんて……驚きだよっ!」

 

 ストリームからタイムゲートを通ってFD空間に行って来た――。

 その経緯を話す上で、執行者達をも撃破したというフェイト達の報告は、スフレからすれば信じられないものだ。

 ナツメでさえ、しばらく呆然と瞬いていた。

 

「それで、フェイトさん達はこれからどうするんですか?」

 

 気を取り直してナツメが問うと、フェイトは顎に手を据えて皆を見渡した後、アルフに視線を向けた。

 

「僕は、この後エリクールに向かおうと思ってるんだ」

 

「エリクールに、ですか?」

 

「ああ。アンインストーラーはあくまで道具だからね。僕達みたいな特殊能力がなくても発動できる代物なんだ。……つまり父さんたちさえいれば開発・運用できるわけだ。なら、あと僕等が確認しなきゃいけないのは、エリクールにあるセフィラだけだろ?」

 

「ブレアの真偽を確かめるわけね」

 

「ああ」

 

 マリアの問いに、フェイトは頷く。

 ナツメは拳を握って、フェイトに言った。

 

「あの……! 私も、エリクールに連れて行ってもらえませんか?」

 

「いいけど、――どうして?」

 

 思い詰めたような彼女に、フェイトは首を傾げる。ナツメは――アレンが敵に回ったことについて、何もフェイト達に尋ねていない。そしてフェイトも、ナツメを気遣って、アレンがエクスキューショナー側に回ったことは伏せてロキシ達に説明したのだ。タイムゲートを使ってFD世界に行ってから、ここに来るまでのことを。

 フェイトはバール山脈での一件を思い出す限り――、アレンの現状を知っているなら彼女がこんなに明るいわけがないと、考えていた。

 そして、それは半分以上正解である。

 ナツメは力強い眼差しをフェイトに向けて、答えた。

 

「私も、出来る限り皆さんの役に立ちたいんです。……オフィーリア様が言っていました。フェイトさん達は、銀河の希望だって」

 

 だから――と言葉を繋げる彼女を、アルフが制す。ナツメはアルフを振り返ると、わずかに黒瞳を揺らした。不安で。

 

「とは言え、ラインゴッド博士の護衛を、粗末にするわけにはいかねえだろ。保険をかけた上でブレアの話に乗るのはいいとして、その保険となるアンインストーラーを確実に開発出来なきゃ意味がねえ」

 

「そいつはまあ――そうだな」

 

 クリフが両腕を組んで頷いた。

 ネルもマフラーに口許を埋める。

 

「つまり、ここに居る誰かを、護衛役に置くって話かい?」

 

「そうなるな」

 

 淡白に頷くアルフに、ナツメは涙を浮かべ始めていた――。

 

 

「それならば、心配無用です。ラインゴッド博士の護衛は、私が引き受けましょう」

 

 

「ん?」

 

 耳慣れぬ声にフェイトが振り返ると――そこに、ヴィスコムの副官を務める連邦軍人がいた。

 褐色がかった金髪を左右に分けた、三十前後の軍人だ。瞳の色は青。クリフを更に優男にして、爽やかにした人物だった。その彼は今、アクアエリー艦内の個室にフェイトを案内してくれた時とは違い、連邦軍特務の証たる赤い制服(コート)を着ている。

 

「フラン大尉!?」

 

 驚くアルフを制して、銀河連邦軍人――フランはフェイトに向き直ると、アクアエリーで見せた人当たりの良い笑顔で、言った。

 

「私とて特務の端くれ。貴方々が無事戻るまで、ラインゴッド博士を守り抜いて見せましょう。そこに居るヴィスコム提督と」

 

「なにっ!?」

 

 突然話題を振られたヴィスコムが、目を丸くする。フランはヴィスコムの反応などどこ吹く風と、フェイト達に向けて飄々と言った。

 

「ベクトラ嬢より頂いたルノワール。遠慮なく使ってください」

 

「――いいの?」

 

 マリアが戸惑ったように問う。フランは短く、ええ、と頷いた。

 

「このムーンベースには、我が銀河連邦軍の艦が数隻残っています。元アクアエリークルーとしても、そちらの方が使い慣れていましてね。エクスキューショナーの数を考えると、我々特務の力はお貸しできませんが、ジェネシスの最新鋭艦であればクォークの方々がエクスキューショナーに遅れを取ることもないでしょう」

 

「……言ってくれるじゃねえか」

 

 低く笑うクリフに、フランは自信に満ちた笑みを返す。その不敵な仕草はどこか――アレンに似ていると、フェイトは思った。

 

「ちっ……」

 

 視界の端で、アルフが舌打ちする。フェイトは首を傾げた。

 

(どうした?)

 

 一応、空気を読んで小声で問いかける。すると、アルフは呆れた表情(カオ)で溜息を吐きながら、答えた。

 

(フラン大尉は、俺達の直属の上司なんだよ)

 

(直属のじょーしって?)

 

(要するに、特務隊長ってこと)

 

「この人がかっ!」

 

 フェイトは口を台形にして目を見開き、フランを振り返った。アクアエリーで会った時はそれほど凄い人物と思わなかったが、アレンやアルフを率いていると聞くと、途端に尊敬せねばならないように思えて来る。

 

「なんてったって理不尽と超マイペースのコンビを引っ張らなきゃいけないんだからな! 並大抵のリーダーシップじゃないぞ……!」

 

「……お前、そういうことはもっと小声で言えよ」

 

 静かに抗議して来るアルフは当然無視して、フェイトは自分の顎を撫でた。

 アルベルが訝しげにフランを見る。

 

「隊長ってことは、コイツがお前等の中での一番強いってのか?」

 

「――……ある意味では」

 

 遠くを見つめてつぶやくアルフに、アルベルは首を傾げた。剣術の腕前――というニュアンスでは無さそうだ。

 これにはアルフでなく、ナツメが答えた。

 

「連邦では、正式に特務同士の総当たり戦をやってませんから誰が最強かはわかりません。けれど、アレンさんとアルフさんは『連邦の双璧』と言って、特務の中でも最強の軍人なんじゃないか、って呼び声が高いんですよ」

 

「少なくとも、純粋な戦闘能力では、私はアレンやアルフほどではありません」

 

 微笑みながら言うフランに、アルベルはアルフとはまた違ったタイプの、掴みどころのない相手だと悟った。

 フランはそこで笑みを消し、アルフを見る。

 

「それで。ここは私に任せてエリクールに行って来いというメッセージなんだが――。当然、ナツメも連れて行くよな、アルフ?」

 

「……………………」

 

 ナツメが嬉しそうに顔を跳ね上げる。その傍らのアルフは無言で、これでもかと言わんばかりにフランを睨み据えていた。視線で人が殺せそう――とはよく言ったものである。だが、そんな狂人の視線を、フランは笑って受け流す。

 

「なんだ、上官の命令が聞けないのか?」

 

「必要性を感じませんね。その命令には」

 

 アルフはそう言って拳を握り――打ち出す前に、深い溜息を吐いた。

 フランは満足そうに笑う。ぽん、とアルフの肩を叩いた。

 

「連れて帰ってこい。――何があっても、だ」

 

「……善処はしますよ」

 

 含みを持たせて放たれた言葉に、アルフは低く返す。正直、――自信はない。

 フランは苦笑した。

 

「心配するな。――私も、提督とあの女の子との関係を、念入りに聞いておく」

 

 キリリと表情を引き締めて、フランは親指をグッと立て、視線でスフレを指す。するとアルフはやる気のない視線を返して――グッと親指を立てた。

 

「私語は慎むように!」

 

 ヴィスコムの鋭い声が響く。

 フランとアルフは互いを見合うと、かすかに肩を揺らして笑いを噛み殺していた。

 ――恐らく、これが普段のアクアエリーなのだろう。

 フェイトは、ほぅほぅと頷きながら、そんなアルフ達のやり取りをクリフと一緒に眺めていた。

 

 

 

 エリクール二号星へ。

 

 フェイト達が向かったのは、これから十分後のことである。



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78.ルノワール

 新鋭艦ルノワールが、エリクール二号星に航路を定めて二時間余りが過ぎた。

 ナツメは左舷下部デッキのプレイルームに入るなり、凛とした双眸を背中に向ける。彼女の後ろをついてくるのは、アーリグリフ・シーハーツ両国の畏敬を集めた『歪み』の異名を持つ軍団長である。

 無造作に伸びた黒髪の先が、褪せた金色になっているのが特徴的だ。

 アルベル・ノックスは整った白皙に浮かぶ赤い瞳をスライドして閉まるドアに向けた後、こちらに向け直した。

 

「ここでいいのか?」

 

「……はい」

 

 端的なアルベルの質問に、ナツメは神妙な面持ちで頷くと、顔をあげた。

 十六畳あまりの広い部屋。

 物は置いておらず、間接照明の心もとない光で部屋の中が照らされている。薄暗いプレイルームは正八角形をしており、分厚い鉄板のような代物が、いかにも頑強そうな壁を造っている。

 その中で、ナツメはパチンと指を鳴らした。

 天井高く造られたプレイルームは、音をよく拾って反響する。途端、間接照明が消え、代わりに光の青い線が部屋全体を縦横に走った。

 黒い闇に青い光の格子柄が浮かび上がる。まるで立体キューブを敷き詰めて完成させた部屋のようだ。

 アルベルは目を細める。青い光の格子線は、金属にあたると光を放つようで、鉄爪や刀、ナツメのジャケット金具などが、闇の中で浮かびあがり、アルベルの目に飛び込んでくる。

 不思議な世界だった。当然のことながら、アルベルはこれがどういう原理でできたものか理解できない。それに興味もないが、この場で軽快な話をする気さくさは、今のナツメにはなかった。彼女はかすかにうつむき、思い詰めたような表情で黙っている。

 アルベルも口を開かない。

 やがて、ナツメが意を決したようにぐっと拳を握りしめた。床から発せられる格子光に照らされた彼女の顔が、青白い。

 

「団長、お願いがあります」

 

「――なんだ」

 

 あらたまった彼女を見返し、アルベルは問う。

 視線の合ったナツメをみていると、破裂寸前まで膨らんだ風船のようで――手負いの獣のような儚さと危うさを感じさせた。

 アルベルは何気なく、彼女の両肩に宿った二匹の竜を見る。右肩の赤い竜、左肩の青い竜はどちらも存在感があり、凶悪な顔つきをしているのに、今は眠りについたように気配がない。呼吸すらも消す巧みさがある。

 恐らく、強い。

 根拠はないが、そう感じる。『竜』に対して特別な思い入れを抱きやすい、アーリグリフの人間として。

 アルベルは視線をナツメに戻した。彼女は肩幅に足を開き、腰を落して刀の柄に手をかける。

 

「私と、手合わせしてください」

 

 ナツメの表情が、戦士の仮面(カオ)で押し隠された。複雑な感情(イロ)は消え、真っ直ぐな彼女の黒瞳がアルベルを見据える。

 アルベルは刀を抜きながら、鋭い視線を返した。

 

「加減はせんぞ。阿呆」

 

「お願いします」

 

 瞬間。

 ピンと張り詰めた静寂を破るように、両者(ふたり)は駆けた。

 

 

 

「なにやってるんだい? アンタ」

 

 ソフィアは声をかけられて、思わず調理の手を止めた。聞いたことのある声だが、耳慣れてはいない。誰だろうと首を傾げながら振り返ると、調理室の入口に赤い髪の女性が立っていた。

 ソフィアは瞬いて、慌ててぺこりと頭を下げる。

 

「ど、どうも」

 

 しどろもどろなあいさつをしてしまったのは、その女性とあまり話したことがなかったためだ。長身の彼女は両腕を組んで、すらりとした白い脚を軽く交差させて立っている。その姿はさながら女優かモデルのように決まっていて、ソフィアは人知れず、息をのんでいた。

 足音すらもかき消して、シーハーツが誇る隠密、ネルはソフィアを見ながら微かに笑った。

 

 この少女を見ていると、ネルがいつも思い出すのは、アミーナだ。

 フェイトが見間違えてしまうのも仕方ない、とネルは思った。それほどまでに、ソフィアはアミーナと似ている。

 ソフィアは腰まで流れる栗色の髪を、今はピンク色の三角巾でまとめていた。三角巾は、ピンク地にデフォルメされたネコがプリントされたものだ。杖にぶらさげたアクセサリーといい、この少女はつくづくネコが好きだとネルは思う。

 諜報員として、人の細かな嗜好にも目をつける癖があるネルは、情報を無意識に取りこみ、分析する力を持っている。数少ないコミュニケーションの中でも、彼女はある程度ソフィアという少女を理解していた。

 ただ、この時のネルの関心事はソフィアのネコグッズではない。ネルの視線は、ソフィアの手元――ミキサーにそそがれている。シーハーツでは見ることのない、珍妙な道具だ。それでソフィアはいったい何をしようというのか。

 

「それは?」

 

 興味本位で尋ねると、ソフィアの表情が柔らかくなった。自分の得意分野に話題が移って安心したようだ。彼女は電動ミキサーを軽く指差して、言った。

 

「ミキサーです。野菜や果物を撹拌する機械なんですよ。ここの厨房、だれも使ってないみたいだし、気分転換にお菓子でも作ろうかなって思って」

 

「なるほど。――ちなみに、アンタは何を作ってるだい?」

 

「白桃のデザートスープです。レシピは知ってるんですけど、今まで一度も成功したことがなくて」

 

「デザートスープ?」

 

 耳慣れない料理名にネルは首を傾げた。

 ソフィアは、ええ、と頷いて小さな拳をぎゅっと握る。ぴん、と眉をつり上げたことからも、彼女なりに気合を入れたようだ。おっとりしたソフィアは、時折ネルの予想しない所でマスコットのように可愛らしい仕草をする。

 ここまでほんわかとした平和な空気を持つ少女は、戦乱のシーハーツでは珍しい。

 ネルは思わず笑っていた。

 ソフィアが得意げになって言う。

 

「桃を煮た後、ミキサーで撹拌して、ヨーグルトと牛乳で味を調えるんです。さっぱりしていて美味しいですよ」

 

「桃を煮る? どんな味になるのか想像がつかないね」

 

「ちょっと待ってください。もう少しで出来上がりますから」

 

 ソフィアはミキサーの電源を入れて調理を再開した。

 

 

 

「マリエッタ。周辺に何か異常はない?」

 

「はい。レーダーには反応ありません」

 

 マリアが問いかけて一秒もしない間に、マリエッタはオペレータ席から現状を報告した。艦長席に腰かけたマリアは、肘かけに腕を置いて頬杖をつく。

 先程のように、敵がいつ宇宙空間で狙って襲ってくるかも分からない。

 このルノワール一隻でエクスキューショナーの対処するのは荷が重すぎる話だが、マリアは初動から敵に先手を取られたくはなかったのだ。

 観測に回っているミラージュが、くすりと小さく笑う。

 

「エリクール到着まで、あと四時間ほどです。一度、部屋でお休みになってはいかがですか?」

 

「……」

 

 マリアは答えなかった。ただ、ミラージュと視線が合い、こちらの緊張が手に取るように読まれているように感じられる。

 マリアは出来るだけ無表情を取り繕っていたが、ミラージュの労わるような――少しからかうような眼差しが、彼女に肩肘を張らせることをやめさせてしまう。長い溜息を吐いた。

 

「そうね、そうさせてもらうわ」

 

「ええ」

 

 折れたマリアを見て、ミラージュは満足そうに微笑んだ。

 

 

 

 フェイトは額に手をやった。何をどうしてこうなったのか、彼は今でも理解できない。

 中指で眉間をとんとんと叩きながら、彼は若きクォークの一員、リーベルに言った。

 

「もう一度だけ、最初から言ってもらってもいいかな?」

 

「だから! 俺はこの艦でやらなきゃならないことがあるから、リーダーのことはアンタに任せるって言ってんだ! けど、それはあくまで、今回だけの話だからな!」

 

「あぁ~……いや。うん……。マリア……、マリアね」

 

 何度もリーベルに確認を取りながら、フェイトは困ったように頭を掻いた。

 話の内容は簡単だ。

 エクスキューショナーとの戦いにおいて、敵はどうやら高文明の代物を優先的に攻撃している。

 故に、エリクール二号星にフェイト達を送り届けた後、彼らの足となるルノワールは惑星から離れ、別の場所に退避するというのだ。エリクールに必要以上のエクスキューショナーを呼びよせないために、リーベルはエリクールには降下しない。

 オーナーが待ち構える場所に、マリアと共に行けないことを彼は心底悔いているのだ。

 

「けど――それをなんだって僕に言うのさ?」

 

 要領を得ずにフェイトが首を傾げていると、リーベルは苛立ったように地団駄を踏んだ。

 

「お前が、リーダーが悩みを打ち明けたり、心を開いたりできる相手だからだよ! リーダーは強い人だ! だから、なんでもすぐに自分の内に溜めこんじまう。そんな人が唯一、お前を頼った! ――バンデーンからお前を取り返す時だって、自分の体のことについてだって!」

 

「……確かに。マリアは僕よりずっと、遺伝子操作されたことが心の傷(トラウマ)になってるみたいなのは分かるよ。父さんとの間にも、いろいろ確執があるみたいだしね」

 

「そうだ! だから――」

 

 勢い込むリーベルを、フェイトは手の平で止めた。まあちょっと待てよ、と彼をなだめながら、両腕を組む。

 

「だから僕に心を開いてるってのは、ちょっと安直過ぎないか? 確かに僕とマリアは境遇が似てる。それで理解し合えることだってもちろんあるさ。だけど――アイツが本当に必要としてるのは、そういう共感とかじゃないだろう?」

 

 問うと、リーベルは不機嫌そうに眉間に皺を刻んだ。

 フェイトの脳裡に、マリアの横顔が浮かぶ。寂しそうで、今にも泣きそうな悲しい顔が。

 その時一度だけ、マリアの昔の頃を話してもらった。

 マリアがどのようにして能力に目覚め、クォークのリーダーとなったのか――、そういう話だ。

 それはフェイトにしてみれば『壮絶』の一言に尽きる出来事だった。

 

 今まで両親と思っていた二人とは血の繋がりがなく、自分は遺伝子操作を受けた生体兵器だった――。

 

 そんな事実をたった一人で受け止めて、自分の運命をどうにかしようと足掻いている。

 それがマリアだ。

 仲間と接する時は、いつも強気で自信に満ちた顔を前面に押しだして、決して涙を人には見せようとしない。

 その彼女が欲しているのは、恐らく、『支え』だろうとフェイトは考える。

 自分も、一番つらい時に思い浮かべたのは、いつも通りの表情で再会したいと思う少女であったから。

 

「なあ、リーベル。お前、そこまでマリアのこと想ってるならさ。もうちょっと踏み込んでやれよ。

 アイツが辛い想いを我慢するのって、負けず嫌いな性格がほとんどの要因だけど、意地張ってるだけで強いわけじゃないんだよ。

 僕とマリアは境遇が近いからさ、お前に比べれば深い話も簡単に出来るよ。でも、マリアが本当に欲しがってるのは、自分の特殊な生い立ちを理解してくれる奴なんかじゃない。アイツが傍にいて欲しいって思うのは、アイツをちょっとだけ支えてくれる――アイツが『傍で支えてもらってる』って実感できるような相手だと、僕は思う」

 

 リーベルは顔を強張らせて眼を見開いた。口が面白いくらい歪な真四角になっている。普段ならそのリーベルの表情を見て、思わず笑ってしまうフェイトだったが、リーベルの目が真剣であることに気づいて、その場は笑わずに置いた。

 リーベルが無言のまま、拳を握る。わずかに俯いた彼は、怒りの視線をフェイトに向けて来た。

 その目が言っている。

 

 『それが出来れば――』

 

 と。

 フェイトは、小さく溜息を吐いた。

 

「お前さ。マリアが傷ついた時、傍に来るなってオーラを感じて敬遠したタイプだろ?

 確かにそれも一つの優しさなんだけど、アイツはこう――天の邪鬼みたいなところがあるからさ。根もしっかりしてる分、時間をかければ一人でも乗り越えられる。それは全然悪いことじゃなくて、でも――お前が傷ついたマリアに近寄らなかったのは、アイツに嫌われたくないって想いの方が強かったから、だろ?」

 

「!」

 

 リーベルは一瞬目を見開くと、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。

 フェイトは息を吐く。恋するが故の臆病さには、フェイトにも理解できるところがある。

 だが、そのリーベルの臆病を、マリアは気づかないだろう。

 自分の辛さや弱さを抱え込むマリアは、その分、周りを見ていない。周りの人間の些細な変動を感じ取る余裕がないのだ。だから、リーベルの好意にも気づかない。

 

「まあ、そういうわけだからさ。リーベル。僕にいちゃもん付けてないで、無事に戻って来られた暁には、マリアのこと――しっかり頼んだよ?」

 

 何をどうしろ、とは言わない。

 それはリーベル自身が考えることであり、フェイトが出した結論では意味がないからだ。

 ただ、傷ついた表情のリーベルを見ていると、思う。

 

『マリアは、本当に幸せだと』

 

(クリフ、ミラージュさん、マリエッタ、それからこのリーベルとクォークの皆……。アイツが自分の幸せに気づくのは、一体いつになることやら)

 

 ずっと平穏な日常を送って来たフェイトだからこそ、わかる。

 戦乱のゲート大陸では、多くの血と、暴力と、憎悪があった。

 フェイトはまだ、何も奪われていない。家族は全員無事で、ソフィアも自分と同様に、この艦に乗っている。

 元の生活を取り戻すために、彼はまだ、人を殺めてもいない。

 ――だから、わかる。

 

「僕は、失いたくない。……失わずに済む方法を教えてくれた奴を、僕を支えてくれた奴等を、僕は絶対見失わない」

 

 それがどれだけ大切なことか。

 自分に誓うように、フェイトは口にした。

 リーベルが不思議そうな表情でこちらを見据えている。それにも構わず、フェイトは自分の拳を見つめた。

 

「だから、待ってろ」

 

 

 

 プレイルームの反対側――左舷下部には、搭乗員用の小さな酒場が設けられている。

 アルフはカウンターの一席に腰かけながら、誰もいない酒場でウイスキーを片手にしていた。普段はストレートで飲むが、今は気分を変えて氷を入れている。グラスを軽く傾けると、コロコロと氷が水面を走り、ウイスキーに少しずつ溶ける。

 アルフはそれをなんとはなしに見据えながら、溜息を吐いた。

 少しして、後ろから声がかかる。

 

「こんなところで一人酒とは、辛気くせえな」

 

 アルフはわずかに顔を上げたが、振り返らない。旧い酒場をイメージした部屋は板張りで、アルフの後ろにいる男が一歩踏み出すたびに小気味よく軋んだ。

 二メートル近い身長の男――クリフ・フィッターは断りもなくアルフの隣の席に腰を下ろすと、カウンターに立てかけた酒の中からアルフと同じウイスキーを選んだ。

 

「そう言うアンタも、一人酒を好んできた口だろ?」

 

 そうアルフが返すと、クリフは口端だけをつり上げて小さく笑った。

 

「まあな。ところでお前、何杯目だ?」

 

「三杯目。アンタが来るちょっと前だよ、俺がここに来たのは」

 

「へぇ。結構イケるみたいだな。いっちょ飲み比べでもするか?」

 

「やめとくよ。レプリケーターの作った酒じゃ、味気ねえ」

 

 素気なく言ってアルフはグラスの氷をカラリと回す。クリフはわずかに肩を揺らしながら、違いねえ、とつぶやいた。

 

「それで、どういう風の吹きまわしだ?」

 

 隣のアルフに問いかけても、彼は岩のようにじっと動かなかった。

 連邦の狂人なぞと世間で称されているが、茫洋とした紅の視線は手許のグラスで止まり、凪いだ海のように静かだ。

 とても二月ほど前、自分を殺そうとした男と思えない。

 この男の二面性が不思議だった。

 アルフの握っているグラスが、氷を躍らせてカラリと音を立てる。それをみて、彼は薄笑った。

 

「いくら飲んでも止める奴がいないんでね。いい機会だろ?」

 

「…………」

 

 なんと答えればいいのかわからなかった。

 ただ、その『止める奴』というのが、アクアエリーの軍人なのか、それともアレンなのか。

 どちらにせよ、明るい話題でない気がした。

 クリフが溜息を吐く。

 アルフの状況を考えれば仕方のないことであるが、気が滅入るのはよくない。

 そう思ったのだ。

 

「お前の上官もいってたけどよ。もうちょっと、アイツを信じてやったらどうだ?」

 

 敢えて名は言わなかった。

 アルフの視線は遠い。

 まるで、もう二度とアレンが帰って来ないかのように昔を懐かしんでいる。

 それをクリフがとがめると、アルフはわずかに視線を上げた。

 

「――どうしてくれんだ?」

 

「ん?」

 

情けを(そんなもん)かけたあと、失ったら」

 

 意外なことをいう、と思った。

 冷酷無比。

 肝のすわったアルフ・アトロシャスという人間は、己が勝利のためなら命すら問わない。そんな男だ。

 それがたったひとりの同僚――今はエクスキューショナーの一味となった男を斬るのに、心を痛めているのか。

 

(……人間らしいとこもあるじゃねえか)

 

 別段、アルフをロボットだと思ったことはないが、クリフは頬をゆるめた。

 だが。

 

「勘違いするなよ」

 

 アルフはこちらを一瞥し、嗤った。

 クリフの思考を切断するように。

 クリフは眉をひそめた。

 

「俺は別に、アレンを斬るのがいやなんじゃない」

 

「どういうことだ? そんな風に最初からアレンを殺す気で行くのもアレじゃねえか。もし戻れるのに誤って斬っちまったら、どうすんだよ?」

 

「斬るさ。正気でも」

 

 断固として、言った。

 クリフは眼を(みは)る。

 どうして――と問うまえに、アルフはグラスのウイスキーを一気に呷る。

 彼は言った。

 

「正気であっても、アイツは連邦の敵だ。立場上、そうなっちまった。だから斬るさ」

 

「お前が、そんなに使命感に燃える奴だとは思わなかったぜ……」

 

「そうしないと、最後の機会すらない」

 

「あ?」

 

「さっき。ムーンベースでフラン大尉が言ってただろ? 『何があっても連れて帰ってこい』って。あれを言葉通り実行すると、大尉が死ぬ」

 

「どういう意味だ?」

 

「簡単だ。確認の有無はともかく、現連邦の最高指導者、エイダ・アトロシャスはアレンをエクスキューショナーとみなし、S級犯罪者に指定した。

 S級犯罪指定ってのは、知ってのとおり連邦法の中でも最高に重い罪状でね。情状酌量の余地なし。死をもって罪を贖うしかないとされている、極悪非道な組織に対して付けられる称号だ。

 簡単に言えば、連邦が最優先に『殲滅』させたいと思ってる相手ってこと。

 普通は個人に付けられるものじゃなく、団体や組織、惑星勢力などに付けられる。アールディオン然り、バンデーン然り、ね。

 これを覆すのはなかなか骨の折れる仕事なんだ。しかも、それが現最高指導者の言葉となれば、たとえ狂言であれど、並大抵のことじゃ処刑を免れない」

 

「…………」

 

「そして――今回の騒動の中核人物は、FD人。俺たちじゃどうあっても全容解明するのが不可能な相手だ。

 エイダ・アトロシャスは、あれでも名のある政治家だからな。事前にラインゴッド博士の研究内容を知っていても不思議じゃない。だから、真実をうやむやにした上で、自分の地位を盤石にするため声明を出したんだろう。

 『残された人類に希望を与える』――という名目でね。

 この戦いが終わった後、大尉が生き残っていれば、あの人は恐らく軍法会議でこう言う。

『アレン・ガードに指令を出したのは自分だ。すべて自分一人で決めた。部下は命令に従っただけで、国家を転覆させようという気はまったくない。すべての原因は、私一人にある』ってね」

 

「そんな話……。お前の推察が確かなら、お前の――」

 

 義父、というのは憚られた。

 だからクリフはここで一旦口を閉ざし、言いかえる。

 

「エイダ・アトロシャスが握り潰すんじゃねえのかよ?」

 

 アルフは気にした風もなく頷いた。

 

「そうさ。でも、軍法会議をすることは決して無意味じゃない。たとえ国家権力に握りつぶされても、俺たちは特務だ。情報を公に晒し、時間を稼ぐぐらいは出来る。――やろうと思えばね。

 だから大尉は、その間に証拠を揃えてアレンを解放しろと、言ってんのさ」

 

「だから、斬るのか。正気でも」

 

 アレン・ガードが、そう言った経緯で生き残ることをよしとはしないだろう、ということはクリフにも分かった。

 その意味を込めて問うと、アルフは小さく笑って遠くを見た。

 ウイスキーを注ぎ足し、首を横に振る。

 

「いま話したのは、アレンの事情だよ。俺の場合は――ちょっと違う」

 

「違う?」

 

「俺は、どっちでもいいんだ。アレンの意地や、大尉の意思。あってもなくても、どっちでもいいと思ってる。

 あの二人がどうしても『やる』ってんなら乗ってやるのはやぶさかじゃないが。それでも『そうしなきゃならない』なんて俺は思わない。

 俺は、俺のためにしか戦わない」

 

「けど、お前さっき――」

 

 失う、と言った。

 失ったらどうしてくれるんだ、と。

 それは一体なんだったのか。クリフが問うと、アルフは静かに目を伏せて、椅子(スツール)に座り直した。カウンターに置いた腕を組む。

 

「俺が失うと思ったのは、真剣勝負の場。

 アレンほどの剣士。そうそう出合えるものじゃない。それを失ったら、勿体ないだろ?」

 

「そういう意味かよ……」

 

 呆れたようにクリフが言うと、アルフは真剣な表情で首を振った。

 

「俺にとっちゃ一番なんだ。一期一会。本当の斬り合いをやれば、必ずどちらか死ぬ。それがいい。やり直しなんかいらない。持てるすべて、至高の斬撃。必殺の剣閃。俺が見たいのはそういうもの。

 アレンと常日頃、剣を交えてそうならないのは、お互いある程度のところで抑えてるからだ。その意識が無くなったとき、俺は初めてアイツの底に触れられる」

 

 そこでアルフの瞳が、静かに底冷えた。

 

「見てみたいのさ。連邦の鬼才と言われた、奴の本当の実力を。――そして、この世界を消し飛ばそうなんていう、FD人たちの力を」

 

 ブレアはいった。

 この世界は、『パラレルワールド』だと。

 それぞれが独立したAIを持つがゆえに、もう一つ、世界ができたようになっているのだと。

 引金は、間違いなくロキシ・ラインゴッド博士の研究。

 仮想(エターナルスフィア)現実(FD空間)の距離をゼロにする、紋章遺伝学だ。

 彼らのおかげで、仮想はただの仮想でなく、現実になりうるもの――真の『パラレルワールド』の性格を得た。

 ならば、殺せる。

 FD人ですら、この手で。

 神にも等しい者との真剣勝負。逃す手はない。

 狂った紅瞳は、ただ前を向いている。

 クリフは顔を歪めた。後頭部を掻く。

 

「なら、なんでナツメを連れて来たがらなかった?」

 

 問いかけてみると、アルフは不思議そうにクリフを振り返った。

 珍しく要を得ていないようなので、クリフはもう少しだけ、質問内容を付けたしてやった。

 

「お前が言ったんだろうが。『俺はどっちでもいい』って。――なら、なんでナツメを連れて来たがらなかったんだ?」

 

「……ああ。なるほど」

 

 アルフは手もとのグラスに視線を落す。

 わずかに、グラスを握る手が震えているように見えた。

 

「アイツをあやすのは、昔から苦手なんだよ。結局、なにをどうやるのが一番かなんて、アレンみたく俺は考える気もねえんだろう。――ただ、なにをどうやってもナツメの望む結果じゃなくなることだけは、確かだ。だから、連れて来たくなかった」

 

「……お前」

 

「大尉にとっちゃ他人事だしな。俺に嘘吐いてでもナツメをなだめすかせろって言いたいんだろうけど、そんなもん願い下げだ。知ったことじゃねえ。――そんなことしたら、剣が鈍る」

 

 クリフの眉がぴくりと震えた。違和感がある。このアルフの言には、アルフの内なる声がある気がした。

 

「なにも、ナツメには言わねえのか?」

 

 問いただすように聞くと、アルフは自嘲気味に嗤った。

 頷く代わりに、沈黙を返して来る。

 クリフは目を瞠った。

 

「そうは言ってもお前」

 

 アレンを斬るつもりなら、ナツメをこのまま捨てておけまい。

 そういうと、彼は視線を下げた。

 

「悪いとは思ってるよ。――でも、アイツとの勝負だけは譲れない」

 

 彼は一瞬、紅瞳をぎらりと光らせた。

 狂人の眼。

 人斬りの血をたぎらせた男は、そこでクリフを見た。

 

「俺は普通の生き方なんか知らねえからよ。――もし。アンタが生き残ったら、ナツメを頼む」

 

 オフィーリア・ベクトラは、自ら前線に赴いた。

 それゆえ、この大戦で生き残るかはわからない。もしかすれば世界全体が消滅するかも知れない。

 それでも、生き残る可能性がある。ならばせめて、ナツメを知る者が彼女の傍にいるようにと、アルフは思ったのだ。

 自分はもう、帰る気はないから。

 だからそれきり、アルフは口を閉ざしてしまった。

 二人とも無言のまま、ただ杯を重ねる。

 と。

 

「そろそろ、お開きにした方がよろしいんじゃありませんか?」

 

 酒場に、ミラージュがやってきた。

 クリフはいろいろと頭に浮かんでは消える思考の数々を一たん停止すると、アルフをあおいだ。

 

「だとよ。どうする?」

 

「エリクールが近いのか?」

 

 アルフは鋭い視線をミラージュに向けた。

 

「ええ。あと一時間ほどで到着です」

 

 それに一つ頷くと、アルフは席を立った。

 アルフとクリフの前には、それぞれ三本の空瓶が立っている。どちらも同じスピードで飲み進めていた。

 彼は最後にクリフを振りかえると、いった。

 

「アンタとの酒、悪くなかったぜ」

 

 かつかつと軍靴を鳴らして、それきり振り返らない。

 スライドするドアが、音もなく閉まる。

 クリフは溜息を吐いた。

 

「ずっと彼と飲んでいらしたんですか?」

 

「まあな」

 

 答えると、ミラージュは意外そうに眉をあげた。

 

「苦手な相手だったのでは?」

 

「どうも、アイツも酒好きみたいでよ。一緒に飲んでみたら、結構気の良い奴だったぜ」

 

 なんとなく、アルフの決意は口にしてはいけないような気がした。

 だからクリフはこう言い、くっくと笑う素振りをみせた。

 ミラージュがカウンターに並んだ酒瓶とクリフを交互に見て、

 

「……そうですか」

 

 呆れまじりにつぶやく。

 クリフは視線を中空にやる。

 ――アイツ、一度も言わなかったが。と、クリフは思った。

 

(一度も言わなかったが、もし自分の上官とアレンが生き残れる道があったとしたら――どうするんだ?)

 

 本当に、ただ決着をつけたいだけの男が、ナツメと対面できなくなるのだろうか?

 たとえ自らの行動が引き金となって、上官かアレン、どちらか失うことになろうと、アルフ以外の誰がやってもそうなるのだ。

 その引き金を、アルフの義父(ちち)エイダ・アトロシャスが引いてしまった。

 

(だから……なのか?)

 

 アルフのあの固い決意は。

 クリフは顎に手をやると、低く唸った。

 

 アルフと、ナツメと、アレン。

 

 彼らをこのままにしておくのは、どうも主義に反する気がする。

 そう、このとき強く思ったのだった。

 

 

 

「ぐ、ぅ……!」

 

 ナツメは小さく呻き、刀を杖代わりに片膝をついた。

 

「参りました」

 

 数秒躊躇したように唇を噛んでいた彼女は、蚊が囁くように小さく言った。

 アルベルはそれを見下しながら、刀を納める。初めて会った時は、両者の実力は伯仲していたが――侯爵竜クロセルを相手に洞窟にこもり、クリムゾンヘイトを得て、フェイト達と行動を共にしたアルベルは、もはやナツメの剣術レベルを大きく上回っていた。

 数合打ちこんだが、どれも勝負にならぬ間に切り返されてしまったのだ。――ナツメの予想通りに。

 

「ぅ……っ!」

 

 食いしばった歯の根から、わずかに音が洩れる。

 ナツメの頬から涙が滑り落ちた。

 

「泣いてやがるのか?」

 

 遠慮がちにアルベルが問うと、ナツメは項垂れたまま答えた。

 

「悔しい、です……」

 

 消え入りそうな声だった。

 アルベルはわずかに目を細めて、ナツメを見据える。彼女は力尽きたようにゆっくりと、床に両膝をついた。

 

「……フェイトさんたちがFD空間の話をした時、惑星ストリームでエクスキューショナーの群れに遭ったって言ってました。けど、フェイトさんは、その話でエクスキューショナーを恐れたり、不安を感じてそうになかった……。だから、薄々気づいてはいたんです」

 

 そう言いながら、ナツメは右手で顔を覆う。

 ――開き切ってしまった、自分とフェイト達との実力差を恥じるように。

 自分の表情を悟られないように。

 ナツメは左手を握りしめた。項垂れたまま、叫ぶ。

 

「わたしは――……私は、こんな大変な時に皆さんの役に立てない! エクスキューショナーを蹴散らすような力もなくて、それでもジッとしていたくないから皆さんについて来た!

 アルフさんの荷物になるってくらい、私にだって分かります。――だけど、居ても立ってもいられなくて……こんな自分が、悔しいんです!」

 

 言う間にも、ナツメの涙は頬から顎を伝い、プレイルームの床に滴っていく。

 アルベルは黙って、ナツメの言葉を聞いた。

 

「私は、アレンさんとアルフさんに支えられて、ここまで来られたのに。

 なのに、二人に恩を返すことさえできない……。

 どうして……! ずっと、いっぱい修行して来たのに……っ! どうして私は――こんなに弱いんだろうって……!」

 

 その後は言葉にさえならず、彼女は唇を噛み締めて泣きだした。

 己の弱さを――無力を悔いて、

 それでも立ち止まることのない選択をして、

 事の重大さを、アルフ・アトロシャスの表情から読み取って。

 

 (アルフ)の懊悩を感じ取りながら、自分は荷物でしかない。

 それでも――

 

「……いや、だ……!」

 

 ナツメは言った。

 

「アレン、さんにもっ……アルフ、さんにもっ…… 死んで欲しく、ないんです……! もう誰も……いなくならないで……っ!」

 

 殺して欲しくない。 

 ――どちらにも。

 

 この想いは、願いは届かないのか。

 ナツメはアルフの背中を見て、そんなことを考えた。

 このルノワールに乗ってから、アルフとは視線が合わない。むしろ、顔を合わすことすら出来ずにいる。

 ずっと、ナツメの前では優しい兄であった彼が。

 ――優しい嘘すら、口にしない。

 今までのようには。

 

 アルベルは無言のまま、クリムゾンヘイトに手をかけた。

 フェイトやアレン、アルフと対等に渡り合うために手に入れた刀。

 持主の心が弱ければ――、力に溺れる者ならばその所有者をも殺すという曰くつきの魔剣だ。

 これを手にするとき、彼は魔剣に言った。

 

『俺は――憎む!』

 

 魔剣の問いは、彼の思い出したくない過去を無遠慮に突きつけて来た。

 アルベルが通ってきた道。

 血塗られた――自分自身をも忌まわしいと思って止まない過去(みち)を。

 

(俺は――ただ、)

 

 ただがむしゃらに力を求めた。

 それで過去の自分を塗り潰せるように、二度と過ちを犯さぬように。

 体を動かせば、剣を振り続ければ――精神(こころ)の未熟など、身体の強さが補ってくれた。反対に、身体の未熟さは、精神の未熟さにも繋がってどうしようもない。

 鍛えるのをやめれば、強さは足音を立てて崩れていくのだ。それ故に、アルベルは努力を惜しまない。必要な精神力を、彼は身につけていった。

 本来は『疾風』となるべき自分が、焔の継承に失敗して竜の怒りを買い、その代償を父に負わせてしまった。

 ――人間が、文字通り消炭になる瞬間。

 その光景を、まざまざと見せつけられたから、アルベルは病的に剣術の腕を磨いた。

 

『俺は俺自身を憎む! 戦いで不覚を取った未熟な自分を!

 他人を認めようともせぬ、身勝手な自分を!

 己より弱きものを見下そうとする、傲慢な自分を!

 王の信頼を疑う、猜疑に満ちた自分を!

 皆と協調する事の出来ぬ、反抗的な自分を!

 俺よりも優れた者を妬もうとする、嫉妬にかられた自分を!

 そして……。弱かったが故に父に命を落とさせた、力無き自分をな!』

 

 過去の鎖を断ち切るには、魔剣に答えを返すには、身を斬るような痛みが心に走った。

 本当は――気づいていたのだ。アレン・ガードに言われるまでもなく。

 

『考えるのを放棄したのは、国民だけか?』

 

 アルベルは顔を上げる。

 もしも弱さを認めることが強さだとするならば、――こうして己の無力を噛み締めて泣き崩れるナツメは、強き者に値しないのだろうか、と己に問いかけながら。

 それでも――現実は違うとアルベルは知っている。

 いくら心が強かろうと、身体的な強さでついて来られない少女の辛さを、冷酷な現実を、アルベルはその身で理解している。故に彼は、己の問いにこう答えた。

 

(こいつは凡百の兵なんかじゃねえ。だが――)

 

『貴方がクソ虫と称する奴等にも、誇りや意地がある』

 

(ああ、つまり……そういうことだ)

 

 例えエクスキューショナーを無造作に払いのける力がなくとも、

 例えアレンやアルフを引き止める力がその身になくとも、

 ナツメの願いは――まだ叶わないわけではない。

 そう、アルベルは思った。

 もう二度と、家族を失いたくないという少女の想いは、あまりに当然で――それ故に強い願いであると分かるから。

 

「おい、阿呆」

 

 呼ぶと、ナツメはごしごしと目許を右手のグローブで拭った。それでも涙は止まらず、彼女は顔を上げずに、はい、と力なく返事をする。

 ナツメは最後の気力で、泣き顔をアルベルに見せない。

 アルベルはその彼女に言った。

 

「テメエに力が足りねえなら、俺が貸してやる。――だから、決して立ち止まるんじゃねえ」

 

「!」

 

 ナツメの顔が上がる。溢れんばかりの涙を溜めた少女は、しばらく硬直していたが――、ふと、新たな涙を溢れさせた。

 

「ごめっ……、あり、が……っ! 団、長……っ! ありが、とっ……ござ、……ます……っ」

 

 言葉はやはり、涙で続かない。それでもナツメは、何度も『ありがとう』を口にした。

 そのナツメを見てアルベルは思う。

 

 ――これは昔の自分ではない。

 

 だが、

 昔の自分が感情を素直に表わせたなら――、きっと同じような表情をしていただろうと。

 

(今度は、……(あやま)たねえ)

 

 アルベルはクリムゾンヘイトを握りしめる。

 それは彼が誰にも明かさない覚悟であり、彼が誰にも明かさない――己との戦いだった。

 

 

 ◆

 

 

「ようやく、覚悟は決まったかしら?」

 

 IMITIATIVEと名乗る女は、顎に手を添えながら悪戯な笑みをアレンに向けた。

 アレンは二メートル強の剛刀、兼定を背中に負い、自分の身長の倍はありそうな巨槍を握って前を見据えている。

 彼の視線の先には、蒼く光る惑星があった。

 エリクール二号星。

 フェイト達が今、向かっている未開惑星だ。

 

「ああ」

 

 IMITIATIVEに小さく頷き返しながら、彼は歩き出す。人類ではあり得ない、宇宙空間を素面で歩く自分に怖気を感じながら。

 その彼を満足そうに見やって、IMITIATIVEは首を傾げる。

 

「それにしても、人類の文明を消滅させることが私達の目的なのよ? それなのに、どうしてあんな辺鄙な惑星(ところ)に行きたがるのかしら?」

 

「……さあな」

 

 途端、IMITIATIVEの蒼瞳が恐ろしく冷えた。アレンはそれを無表情に見返す。

 この女は恐らく、自分(アレン)が銀河の崩壊に乗り気ではないことを疑い、始末しようかどうか悩んでいる。

 だが、そんなことはアレンの知ったことではなかった。

 

「俺がエリクールに行きたい理由は、正直なところ、よく分からないんだ。けれど、……なぜかこの惑星に惹かれる」

 

 まるで、こちらに『来い』と言われているように。

 IMITIATIVEは要領を得ない表情で眉をしかめながら、肩をすくめてみせた。

 

「まあ、銀河の汚染を処理する気があるのなら構わないけれど。――それにしても、いつまでそんな役に立たない物を持っているつもりなのかしら?」

 

 そう言って彼女が視線を向けたのは、アレンが背負っている剛刀だ。

 ストリームで見つけて以来、彼はこれを肌身離さず持っている。――その鞘から、兼定(カタナ)を抜けないにもかかわらず。

 

「無論、抜けるようになるまでだ」

 

 答えながら、彼は目を細める。

 兼定を抜けない理由は――なんとなく、自分でも分かっていた。それでもその理由を克服するには、今の自分は弱過ぎる。

 アレンは薄く目を閉じた。

 エクスキューショナーは、視え(・・)過ぎる。

 

 自分を犯罪者に仕立てた政治家と――

 不祥事を功績とするために躍起になる上層部と、

 現状をなんとかしようと必死な前線と、

 

 そして――……

 

 

 この世界のどこかにいる、彼のオリジナルが――。

 

 アレンはゆっくりと目を開け、顔を上げると、IMITIATIVEに言った。

 

「行こう。エリクールへ」

 

 

 ◆

 

 

「出来たぁ!」

 

 ソフィアは嬉しさのあまり、声を弾ませた。

 白桃のデザートスープを作り始めて早数時間。

 何度か失敗を重ね、見かねたネルに手伝ってもらいながら、ようやくここまでこぎつけることが出来た。

 透明なグラスに乗った、瑞々しい白桃のデザートスープ。

 桃の甘い香りが嗅覚を刺激し、淡い色合いの白桃が、牛乳とヨーグルト、砂糖、レモンで調えたスープの中にちょこんと乗っている。

 なんとも見た目だけで食欲をそそる逸品である。

 

「今度こそ、成功みたいだね」

 

 ネルも満足したように頷いている。

 料理という共通の目的を達成した二人は、いつしか口数も増え、良好な関係を築いている。

 

「はい! ネルさん、長い間手伝ってくれてありがとうございます」

 

「いいよ。私も結構楽しんだしね」

 

「それじゃあ、出来あがったものを皆やクォークの人達にもおすそ分けしましょう」

 

「そうだね。これならきっと、皆喜ぶよ」

 

「はい!」

 

 ニコニコとデザートスープを抱えてルノワールを回るソフィアの周りには、次々に笑顔が咲いた。

 戦いとは無縁な少女は、この場に置いてもっとも力足らずな少女である。

 だがそれ故に、ささくれがちな皆の心に、ほんの少しの水を与えることも出来るのだ。

 

 

 彼女が作った――デザートスープのように。



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79.戦う道

「そこをどけ」

 

 瓦礫にまみれた聖殿カナンの最奥で、アレンは身の丈以上もある巨槍を、前方に向けた。

 埃まみれの石床に、彼女がひざまずいている。

 シーハーツ軍の最高司令官、クレア・ラーズバードが。

 彼女は右肩から流れる血を左手で握った。周りにシーハーツ兵が八人。浅く呼吸しているが、足を穿たれて動けずにいる。地面に伏し、低く呻く部下たちの声を聞きながらクレアは唇を噛み、アレンを睨み上げた。

 

「なぜ、こんなことを……!」

 

「やるべきことがあるからだ」

 

 怒りに震えるクレアに反し、アレンは淡々と言った。

 クレアが片眼を細める。痛みを堪えながら、立ち上がろうと下肢に力をこめた。

 

「セフィラは、貴方に渡さない!」

 

 毅然と言い放つ。

 

 シーハーツの施術士は、施力を視る(・・)特殊な能力を秘めている。

 ゆえに、完全なエクスキューショナーとなり果てたアレンが放つ、『卑汚の風』――とクレアたちが呼んでいるエクスキューショナーの力を、黒い施力として視ることができたのである。

 

 最初に、アレンの異変に気づいたのは、女王、ロメリアだった。

 

「――渡してもらおう」

 

 アレンは右手をかざした。腕に同心円上の紋章陣が、いくつも浮かび上がる。雷花がのたうち、紅紫色の紋章が矢となった。

 強烈な闇の力を孕んだ『紋章の矢』だ。

 轟音が立った。

 『エナジーアロー』という古代の紋章術は、フェイズガンのように強烈で光速な矢となって聖殿カナンの床をえぐり取る。

 短い悲鳴が上がった。

 クレアの体が宙を舞い、壁に背を打ちつけて停止した。

 直撃したわけでもないのに、強かに身を打ちつけ鈍い音が鳴る。クレアの頭ががくりと落ち、壁に血痕をつけながら床に転がる。

 アレンは無表情に見下し、セフィラの間に続く扉を押し開けた。

 

「……アレ、ン……さ……」

 

 クレアの呻きに、アレンの頬がぴくりと震える。

 クレアは床に転がったまま、首を横に振った。

 

「いまの、あなたが……セフィラに、ふれては……」

 

 言葉の途中で、コツンという足音がクレアを遮った。

 霞む視界の中、クレアは目を凝らしながら首を横に振る。

 

「あなたが、ふれては……!」

 

 足音が遠ざかって行く。

 クレアは顔を歪めた。

 

 

 

「見事な手並みね」

 

 アレンの背に、声がかかった。彼は振り返らずにセフィラに向かう。――見ずとも、分かるのだ。

 自分の後ろをついてくるのは、彼がよく知る仲間ではない。

 この宇宙、FD人が創り出した仮想空間『エターナルスフィア』を破壊せんとする執行者(エクスキューショナー)。自分と同じ、(まが)いモノだ。

 アレンは拳を握った。せっかく戻った右腕が、やや薄く――消えかかろうとしている。

 首を横に振った。

 余計な思考を振り払う。

 前を見た。

 

「シーハーツ軍の抵抗は予定外だったが、問題ない。俺はこうしてセフィラ――いや、『特殊ID』を手に入れた」

 

 IMITATIVEブレアの話によると、オーパーツとは、FD人たちに『特殊ID』と呼ばれ、FD人がエターナルスフィアで力を発揮するために必要なツールだという。つまり、FD人以外が触れても、なんら意味をもたない代物だ。

 セフィラがどんな働きを持つツールなのか、についてはIMITATIVEブレアも知らない。

 アレンは思った。

 

(FD人以外が触れてもなんら意味をもたないのなら、俺はどうして……)

 

 その疑問を払うために、アレンは台座に浮かぶ銀色の球体――セフィラに、触れた。

 

「っ!」

 

 鋭い痛みが、指先から脳に走る。

 思わず膝を折った。銀色の球体が白い雷を走らせ、アレンの腕を焼く。普通なら気絶する痛みだが、アレンにとっては耐えられないほどではない。

 息を呑むIMITATIVEブレアを置いて、アレンはセフィラに触れた自分の手に、紋章力を籠めた。

 

 ザ、ザザ……

 

 音が、聞こえてくる。

 電波状態の悪い受信機のような、雑音。

 鎖骨上にできた痣が、溶けた蝋を浴びせられるように引き攣った。

 アレンは目を凝らす。

 

(視えるはずだ。なにか――!)

 

 以前のように。

 祈るように念じると、銀色の球体――その奥にある宇宙に、時計のような奇妙なオブジェが、無数にうっすらと浮かびあがった。

 それが、どこかは分からない。

 ふと。

 電流を流されたように、アレンの身体が痙攣した。思うように動かなくなる。

 悲鳴さえ焼き切るような強烈な電流。

 部屋を埋め尽くす光が、セフィラから(ほとばし)り、部屋の中央から紋章が天井に向かって四散する。

 放電が、やんだ。

 

『……ぜ、……えのような者が!』

 

 肩で息を切らしながら、天井を見上げる。

 どこからともなく男の声がした。聞いたことはない。なのに、懐かしい。

 

「まさか……! この声は!?」

 

 息を呑むIMITATIVEブレアの声を背中に、アレンは目を細める。彼女の反応で、それなりに状況は把握できた。

 

「……貴方が、オーナー?」

 

 頬を伝う汗をぬぐい、慎重に問うと、『声』が明瞭になった。

 

『……そうか、貴様ら特殊IDを。まさか、この期に及んでバグフィックスプログラムまでもが自らの意思を持つようになるとは。

 だが、与えられた役割には反せまい。その上で、私とコンタクトを取ったというのかね?』

 

 アレンは人知れず拳を握っていた。

 表情には出さず、告げる。

 

「貴方と、話がしたい」

 

『話だと?』

 

 声を潜めるオーナーに、アレンはうなずいた。

 

「エンターテイメントを実現するのが貴方の仕事だと聞いている。なら、いつまでもシミュレータ内のバグを是正する映像――エクスキューショナーが猛威をふるっている場面をFD人見せているより、次の局面、流れを作った方が観客は喜ぶはずだ」

 

『……ほぅ?』

 

「つまり、もっと分かりやすい形でエターナルスフィアの命運を左右させてはいかがだろうか?」

 

『面白いことをいう』

 

 オーナーの声が、かすかに揺れた。哂っている。

 アレンは淡々と、感情を殺して続けた。

 

「このエターナルスフィアで、最大の脅威である三名――FD空間にすら乗りこんでくる能力を持った者たちと、きちんとした場で決着をつけようと思う。そうすれば、あとは執行者を始めとした奴らだけで、この銀河は消滅する」

 

『私が送り込んだバグフィックスだけでは心許ない、というのだな?』

 

「だからこそ貴方は、俺や、このブレアを作った」

 

 アレンは言って、自分の右腕を掴んだ。

 一度は消えた右腕。

 それは『自分』という存在そのものが、オーナーに握られていることを意味していた。

 オーナーも同じ考えに至って満足したのか、小さな失笑をあげた。

 

『なるほど。――だが、お前たちだけで勝算はあるのか? それこそ、銀河区画と言うフィールドそのものを消去させ、奴らに絶望を与えてやった方が、確実だろう?』

 

「だが、人は刺激を求める。特に貴方々FD人は刺激に飢えているはずだ。それもエターナルスフィア側の反発が強ければ強いほど面白おかしく感じられ、貴方々は安全な場所から戦いを見下ろせる」

 

『……ふむ』

 

 オーナーは少し、沈黙を置いた。

 アレンは、息を呑む。

 銀河消滅や、神々との戦いなどとエターナルスフィア(こちら)では囃したてられているが、実際のところ、FD人にしてみれば、これは“見世物”に過ぎない。

 どうやってバグフィックスプログラムと、ただのプログラムたちが戦うのか。

 彼らはそれを安全な所――まったく別の次元から見て笑っている。

 ある者は、関心すら抱かない。

 ある者は、フラッドのように興味本位でエターナルスフィアを応援する。

 そんなものに、自分たちは付き合わねばならないのだ。だが、考えようによっては――相手が『遊び』と認識しているのなら、その思考を逆手に取れる。今なら、まだ。

 

エターナルスフィア(おれたち)には、時間がないんだ)

 

 こうしている間にも、星々は消滅の道を辿っている。

 アレンは唇を噛んだ。心臓が脈打つ。

 オーナーがこの先、どう答えるのか。

 それで宇宙の命運が決まる。

 オーナーは、言った。

 

『――臨場感を与えるために必要な、約束された危険か。貴様の考え、悪くはない』

 

「ならば」

 

『いいだろう。貴様にもう少しだけ、私の権限(ちから)を譲ってやるとしよう』

 

 その声と同時、

 セフィラが強く輝いた。

 あまりの眩さに、思わず両手で頭をかばう。

 目を開けると、アレンは別の場所に居た。

 

 ファイアーウォール。

 

 スフィア社オーナーの、膝元である。

 

 

 ◇

 

 

「クレア! しっかりしな、クレア!」

 

「あまり動かすな。傷にひびく」

 

「でも!」

 

 ネルが青ざめた顔を振り乱す。鼻から口許へ微かな震えが走っていた。

 アルフは構わず、左手に宿した紋章力から、回復紋章術(フェアリーヒール)をクレアにかける。

 ジェネシス新鋭艦、ルノワールがエリクール二号星に到着して、二時間余が経過していた。

 シランド城にやって来たフェイトたちを待ち受けていたのは、アレン率いるエクスキューショナーの軍勢が聖殿カナンを襲撃し、セフィラを奪ったという訃報。

 

 応戦した光牙師団『光』は、クレアを始め、全員が重傷を負っていた。

 

 奇跡的に死者は出ていない。だがそれも、アルフの紋章術がなければ危ういところであった。

 足を震わせて立ち竦むナツメを置いて、アルフはシーハーツ兵の治療を一通り終えたあと、皆をふり返った。

 

「間違いない。アイツは――アレンは正気に戻ってる」

 

「ならどうして!? どうしてクレアたちを攻撃なんかするんだい!」

 

 ネルの疑問はもっともだった。

 アルフの表情は動かない。

 

「さあな。その辺の事情は俺よりも、アンタの上司の方が知ってるんじゃないか?」

 

「なにを――」

 

「下がりなさい、ネル」

 

 凛と、声が通った。

 ネルが驚いてふり返る。医務室の戸口にシーハーツ女王、ロメリア・ジン・エミュリールが立っていた。

 

「陛下……!」

 

「下がりなさいと言っているのです」

 

 ロメリアは眉を寄せ、気難しい顔をわずかに俯けた。慌てて敬礼するネルを、一瞥すらしない。

 

「アンタ、何を見た?」

 

 と、アルフが問う。

 

「卑汚の風を」

 

「ひおのかぜ?」

 

 フェイトは首を傾げた。物憂げに伏せたロメリアの視線が気にかかる。

 

「先刻、謁見の間でそなたたちに申したでしょう。――羽の生えた黒き魔物。あれは、そなたたちの世界にも現れ、猛威をふるっているのだと。それを根本から排除するために、そなたたちは今一度、この地に戻って来られた」

 

「ええ」

 

 言葉が喉でつっかえた。エリクールの人間から『黒き魔物』――エクスキューショナーにまつわる話を聞くのが、厭だった。

 唇を動かさずに喋るアレンの顔が、フェイトの脳裏を過る。

 

「『卑汚の風』とはつまり、あの黒き魔物たちが発している悪しき波動のことです。いま、シーハーツでもアーリグリフでもサンマイト共和国でも大問題になっているように、その波動には生命の肉体と魂とを繋いでいる施力を破壊する恐ろしい力があります。卑汚の風に身を侵された生物は、徐々に正気を失い、肉体を歪められ、最後には狂気に駆られた異形の存在へとなり果ててしまうです」

 

「その卑汚の風の影響がもっとも強いのが、サンマイト共和国……。先日、モーゼル砂漠で数体の合成獣(キマイラ)が目撃されたわ。……お父様の話によると、そのキマイラは、卑汚の風によって砂漠に棲む幾つかの生物が融合して出来上がった――とのことなの」

 

「クレア! ダメだよ、まだ横になっていないと」

 

「心配しないで、ネル。見た目より酷くないの」

 

「けど!」

 

 寝台から起き上がったクレアを支えながら、ネルが言い聞かせるように、クレアの両肩を握った。

 その手に、クレアの手が重なる。大丈夫とつぶやきながら微笑するクレアは、視線をフェイトへ向けた。

 疲れた顔である。さすがに気絶から醒めて間がないからか、顔色が黒く、唇が白い。それでも視線だけは別人のようにしっかりとフェイトを見据えてきた。

 

「教えてください、フェイトさん。一体貴方がたに何が――いえ、『彼』に何があったのかを」

 

 すぐには答えられなかった。

 ロメリアの視線も重なってくる。

 フェイトはクリフ、アルフ、マリアの順に視線を交わした。

 『自分の好きに話してもいいのか』と訊くと、三人の答えは、是だった。

 

「僕も、すべてわかっているわけじゃありません」

 

 そう言い置いて、これまでの経緯を話し始めた。

 省いた点と言えば、この世界が『シミュレーター』であることと、スフィア社の存在だ。

 それからアレンが銀河連邦にS級犯罪指定を受けたことも事実であったが、エリクール人には関係がない。

 なにより、フェイト自身に『犯罪指定』という言葉に対して馴染みがなかったのである。

 すべてを聞き終えたロメリアとクレアは、神妙な面持ちで沈黙した。

 

「それではやはり。アレンは『黒き魔物』と同じ存在になってしまったのですね……」

 

「けれど、そのお話を聞いて合点がいきました。そちらの(かた)が、アレンさんは正気だと言った意味」

 

 気落ちするロメリアの隣で、クレアが凛とアルフを見る。そちらの方、といって示されたアルフは、不思議そうに眉をあげた。

 シーハーツとアーリグリフの戦争に参加しなかったアルフは、クレアと初対面である。

 

「どういうことだ?」

 

「彼は――少しだけ、我々と話をしたんです。『自分に必要なのはセフィラだけだ。そこをどけ』――と。

 彼が、ただ『黒き魔物』と化してしまったのなら、そんな警告をせず、我々を排除したはず。そう出来るだけの力が、彼にはありましたから」

 

 アルフは視線を落すと、そうか、とだけつぶやいた。

 ナツメが問う。

 

「でも、それならどうして、セフィラを?」

 

「考えられるのは二通りね」

 

 マリアは腕を組み、顎に手を添えた。

 

「一つ目は、彼自身が状況を把握するためにセフィラを求めた可能性。でも、これだとクレアたちを攻撃する理由が分からない。彼は容赦ない男だけど、無差別な攻撃はしないもの。こと『訓練』以外ではね。

 二つ目は、彼が正気に戻っていても、いまだエクスキューショナーとして動いている可能性。こちらは攻撃理由もそれとなく察せられるし、オーナーを助けるためにセフィラを利用するのだと考えられなくもない」

 

 ナツメがしゅんと肩を落した。

 ソフィアが小声で遮る。

 

「マリアさん」

 

「私は可能性の話をしてるだけよ。その実、本人に会ってみなければ真相なんて分かりっこない」

 

 口ではそう言いながら、マリアは細い柳眉を気遣わしげに寄せた。ナツメを見つめる視線は弱く、当のナツメはしばらく床をジッと見つめている。

 やがて顔を上げると、ナツメは小さく頷いた。

 ――覚悟は出来ている。

 そう宣言するようにマリアを見返す黒瞳が、かすかに揺れていた。

 そのとき、

 

「ギャフ!」

 

「フギャ!」

 

 ナツメの両肩に乗った二匹の龍が彼女の頭をつついた。短い悲鳴を上げてナツメは目を丸める。

 

「ど、どうしたんですか? 二匹(ふたり)とも?」

 

「ギャフ!」

 

「フギャ!」

 

 返事でもするように、両龍が小さく啼いた。なにを伝えたいのかわからず、ナツメが唸りながら首を傾げていると、マリアが神妙な面持ちで問いかけてきた。

 

「ところで以前から聞きたかったんだけど――貴方、その肩を本当にどうしたの?」

 

「へ?」

 

 目を丸くしてマリアをふり返る。気が付くと、皆の視線がナツメに集中していた。

 クリフが腕を組みながら続く。

 

「確かにな。ムーンベースで久しぶりに会うなりそれだ。正直、俺も驚いたぜ」

 

「ええ。どう考えてもその竜――生きているようだし。どうなってるの?」

 

 ナツメは眉を引き絞り、顎に手を当てると、

 

「分かりませんっ!」

 

 胸を張って答えた。

 マリアが眉を下げる。

 

「やはり、ムーンベース以降から、竜についてはなにも分からないのね」

 

「まあ、時期が時期だからね。マリアが心配するのも分かるけど、こいつはエクスキューショナーとは関係ないんじゃないか?」

 

「フェイト……」

 

 物言いたげにマリアが声をこもらせる。最近のフェイトは妙に暢気で笑っていることが多い。それが不自然な気がして、彼女はわずかに視線を下げた。

 

「けど」

 

「どっちかって言うと、昔の英雄っぽいじゃないか。ほら、ちょうどナツメは『アンカース』だしさ」

 

「――まさか、双頭竜?」

 

 意外な言葉にマリアが目を瞠る。二匹の龍をまじまじと見ると、二匹(ふたり)は誇らしげに「ギャフ!」「フギャ!」と啼いて胸を逸らした――ように見えた。

 

「人の言葉が分かるんですかね?」

 

 ナツメが感心したように顎を撫でつける。

 フェイトが肩をすくめた。

 

「そうじゃないか? なんか見てると人間臭いところもあるしさ」

 

「そんなことより、アンタたち」

 

 ネルが半眼になる。

 

「いまは大事なことがあるはずだろ」

 

「そうだな。どの道、セフィラがアレンの手に渡った以上、ブレアとコンタクトを取れなくなった」

 

 アルフがそう言って目を細め、とんとんと指を叩く。

 アルベルが首をかしげた。

 

「なぜだ? アレンを探せばいいだけじゃねえのか?」

 

「そうは言うが、相手は宇宙空間まで生身で飛ぶんだぜ? その上、最新鋭艦のワープ速度より速い。奴は俺たちより早く聖殿(カナン)を襲撃し、セフィラを手に入れた。

 安く見てもエクスキューショナー並みの機動力か、それ以上だ。そいつを探すとなると、難しいと言わざるを得ねえな」

 

「兼定ならどうだ」

 

「ん?」

 

 アルフは顔をあげてアルベルを見る。と、固まっていたアルフの表情が、はっと崩れた。

 アルベルはその反応を見て、頷いた。

 

「アレンが正気に戻ってるなら、兼定を必要とする。なら――あのストリームとかいう場所に行きゃ、会えるんじゃねえのか?」

 

「あり得るな」

 

 フェイトが低くうなづいた。両腕をこれ見よがしに組み、芝居がかった動きで、うんうんと首を縦に振っている。

 

「アイツはあの化物刀を握ることに、決して妥協しない悪魔だ」

 

 クリフとネルが、明らかに表情を曇らせた。

 

「――それならば、望みは薄いと思います」

 

「へ?」

 

 一同のやりとりが、ぴたりと止まる。視線を寝台にやると、座り込んだクレアが頷き返してきた。

 ベッド脇のスツールに腰かけたネルが、一同を代表するように尋ねる。

 

「どうしてだい、クレア?」

 

「アレンさんは『兼定』というあの長い刀を、我々と戦ったときに背中に差していましたから」

 

 アルフが舌打った。

 

「野郎……。そう言う所まで抜け目ねえのか」

 

「つまり、僕たちはあの化物刀と、やっぱり戦わねばならない宿命にある。――そういうことだな。アルフっ!」

 

「ぞっとしねえ話だな、おい……」

 

 きりりと眉を引き締めるフェイトの隣で、クリフが肩をすくめた。額に冷汗が滲んでいて、口端をつりあげる仕草が芝居がかっている。

 そうする一方で、クリフは視界の端でアルフとナツメを見やったが、二人はやはりムーンベース以降、視線を交わそうとしなかった。――主にアルフが。

 ソフィアが髪を弄いながら尋ねた。

 

「つまり――アレンさんは私たちの知っているアレンさん、ってことでいいんですか? それなら、戦わずに済むんじゃ」

 

 嬉しそうに声を弾ませる少女を、マリアが渋い顔で制した。

 

「そうはならないかもね。言ったでしょ? 彼はセフィラを強奪したのよ、シーハーツから」

 

「その上あの刀まで持ってるとなると、アイツの強さは槍を持ってるときとは比べモンにならねえはずだ」

 

 クリフがガシガシと頭を掻きながら付け加える。

 ネルは忌々しげに目を細め、首を横に振った。

 

「まったく、次から次へと厄介な。少し前までの英雄が――最悪の敵になるなんてさ」

 

「?」

 

 溜息混じりの皆の声から、毒気が消えていた。

 ナツメが首を傾げていると、それに気づいたネルが肩をすくめて見せる。

 

「『悪魔(アレ)』の容赦のなさは、私もよく知ってるんだよ。――とは言え、きっちりこの落し前は付けさせてもらうけどね」

 

 最後の語尾が落ちた。ネルが遠くを睨んでいる。

 すると笑いがその場に伝染し、皆が肩を揺らし始めた。

 ナツメがまたたく。

 

「……皆さん……」

 

 アレンを――『アレン』として見ていることが、嬉しい。彼をエクスキューショナーとして見ていないことが。

 

(――ありがとう、皆さん……!)

 

 アルフの態度から、ナツメも万が一を考えている。それでも、信じたいのだ。

 アレンが死ぬ以外の結末を。

 こうして皆と居ると、――アレンにはまだ帰るべき場所があるようにナツメは思えた。

 フェイトがぐしゃぐしゃとナツメの頭を撫でて、言う。

 

「まあ、何にしてもさ! 僕らは悪魔(やつ)にだけは負けるわけにいかないんだ! アイツが正気に戻ってるなら、たぶん何らかのコンタクトを取って来ると思う」

 

「楽観は禁物よ、フェイト。もしかすると向うは、私たちがこうやって動きあぐねてる状況を作ることこそ、狙いなのかもしれない」

 

 そうしている間に、エクスキューショナーを使って銀河を消滅させる。

 マリアの仮定は理に適っていて、誰もが口をつぐんだ。

 アルフが、つぶやく。

 

「なら、燻り出すしかねえな。オーナーを」

 

「どうやって?」

 

 フェイトが目を丸めて尋ねる。

 血に染まったようなアルフの紅瞳が、じろりとフェイトを向いた。

 

「FD世界に行ってコンピューターウイルスを打ち込む。場所は出来るだけ中央区間に近づけた方がいい。そこに増殖性の高いものを注入し、都市機能を麻痺させてスフィア社を乗っ取る」

 

「ぶ、っそうな話だな」

 

 目を丸くして、フェイトはぱちぱちと瞬いた。

 アルフの言葉には、冗談と取るにはあまりに重い凄みがある。現在、エクスキューショナーが銀河を文字通り消し去っていく脅威に晒されているものの、こちらからやり返すような発想はフェイトにはなかった。

 マリアが深刻に眉を寄せた。

 

「プログラミング技術は向こうの方が上のはずよ。ウイルスを打ち込んでも、おそらく無効化されるんじゃ」

 

「アンタのアルティネイションでウイルスを強化し、エスティードのコネクションでFD世界のプログラム防壁を突破する。それで、スフィア社を制圧するのに十分な時間が稼げる」

 

「勝算あり、と言いたそうね?」

 

「いや、良くて五分五分だろう。アンタたちの能力より向こうの技術が上なら、封殺されて終わりだ。だが、ジェミティ市の一件を考えると――」

 

「私たちがブロックを突破して、向こうの世界をある程度抑えられる。――そういうこと」

 

 両腕を組んで、マリアが頷く。

 皆、深刻な表情だ。不安そうなナツメ、押し黙っているクリフ、状況こそ把握していないものの、空気の冷たさを感じ取って息を詰めているアルベルとネル、そして険しい表情のマリア。

 アルフが淡々と言った。

 

「ウイルスは、バンデーンがハイダを襲撃したときに使った増殖プログラムを使う。俺は六深でプロテクトにあたっていたから、サンプルを取ることに成功している。こいつは正常プログラムを文字通り貪食し、強力に成長していく癌細胞みたいなもんだ。

 理想としてはこのプログラムをスフィア社オーナーのマザーコンピューターに当てたい。FD人の口ぶりだと、あの世界はスフィア社を中心に動いてる可能性が高いからな。仮にそうでなくても、転送ルートさえ断ってしまえば、増援を遅らせられる」

 

「待てよ」

 

 フェイトは掌を見せて、声を落した。

 

「それ、ブレアさんたちに対してものすごい裏切り行為だぞ。オーナーに反対してる人だって、スフィア社の中に結構いただろ? ウイルスなんか打ち込んだら、とんでもない数の人が被害に遭う」

 

 もっともな意見だった。文明レベルが高くなるにつれ、この手のサイバー攻撃は加速度的に威力を増す。フェイトが行ったのは、FD世界のほんの一部、レコダとジェミティ市、そしてスフィア社だけだ。だが、そのいずれの都市もフェイトたちの世界と比べて、コンピューターに依存した社会だった。

 仮に、あそこのシステムをすべて停止させれば、働くことさえ知らないFD人は、すぐ路頭に迷うだろう。ジェミティ市を覆う巨大なドームが消え、空調も途絶えて気候が変化する。けれど衣類、寝具類の一切はレプリケーターをさらに進化させた機械に頼って生み出しているため、それも停止してしまえば暖を取ることさえできない。

 同じ理由で水にしろ、食料にしろ手に入らなくなる。そうなれば、最初の一週間で大量の死者を出すことすら考えられるのである。

 

だから(・・・)、やるんだ」

 

 声に力を込めて、アルフは言った。

 まるで誰もいなくなったように、沈黙が落ちた。医務室の外で、鳩が慌ただしく空に飛び立った。

 羽ばたきの音が去る。フェイトは顔をゆがめた。

 

「……お前」

 

「今の状況、お前は変だと思わないのか? フェイト」

 

 謎かけのような質問をしてくる。少なくともアレンが口にしたなら、謎かけと受け取って良い。

 だが、目の前の青年に遊び心はなく、淡々と事実確認だけが行われていく。

 フェイトが、アルフの意図を推し量っている間に、アルフは言った。

 

「エクスキューショナーはアールディオンやバンデーン、それから地球を一瞬で葬り去るレーザーを持ってる。なら、奴らはそれを乱射するだけで俺たちに勝てるはずだ。射程は向こうの方が断然上。なのに連中は、最初の宣戦布告のレーザーを撃たず、肉弾戦なら俺たちでも戦えるように小型化した。そして次は蹂躙戦かと思いきや、文明の高い星系を優先しての攻撃。地球を落してからは、明らかに侵攻速度が遅くなってる。しかも防衛線を一つ潜り抜けたムーンベースに至っては、いまのところ過度な追撃はないときた。

 アールディオンを壊滅させた連中にしちゃ、随分お粗末な攻め方じゃねえか」

 

「意味があるってことか? 侵攻を遅らせることに」

 

「連中は『待ってる』んだよ」

 

「何を?」

 

「見せ場だ。こっちはゲームの盤上、あっちは観客席。観客が湧かなきゃ、この戦いは意味がない。だから、こちらはある程度戦力を持っていられるし、反撃の機会も与えられる。『最終的にこちらが敗北する』という条件付きでね。

 だが、この状況は俺たちにとって渡りに船だ。オーナーが『ゲーム』という型にこだわってる間に、どうやってでも決着をつける。そうでなきゃ、俺たちの負けは確定する」

 

「まるで『ゲーム』ってのが建前みたいな言い方だな」

 

「そうだ。オーナーはFD人としては異質なんだよ。奴は誰よりエターナルスフィアを『等価な存在(パラレルワールド)』と考え、攻撃してる。だが、それを他のFD人たちに悟られまいと微妙な均衡を保ってもいる」

 

「どうしてそう言えるの?」

 

「奴はスフィア社でブレアを殺そうとした。ゲームの存在たる俺たちだけでなく、現実の人間であるブレアを。普通『ゲーム』相手にそこまでやるか? 現実は虚構(ゲーム)と違って取り返しがつかない。躊躇するはずだろ?」

 

「彼らが、人を殺める意味を理解していない可能性もあるわ」

 

 マリアは顎を引いて、上目遣いにアルフを見た。その探るような目つきに、アルフは首を振った。

 

「そりゃアンタの言うような理屈はないだろう。だが、殺人に対する呵責はあるはずだぜ。でなきゃ、セキュリティサービスは存在しないし、あの頑強な防護スーツや高威力の銃は生まれない。どんな世界でも、人間は犯罪を忘れないもんだ。善悪、必ず両方存在し、誰かが過って、誰かが正す。程度は違えどね」

 

「つまり、オーナーはその『過った人間』ということ?」

 

「だろうな。俺も、奴の立場なら似たようなことをした」

 

「アルフ」

 

 マリアが鋭く制した。先を遮る彼女の眼差しは、不適切なアルフの言動に対する怒りがある。

 アルフは目を細めた。

 

「アンタも、考えないのか? FD世界とエターナルスフィアを繋いだのは、ラインゴッド博士の紋章遺伝学だ。それはアンタたちの才能によるものじゃなく、人工的に植え付けられた技術の結晶。その技術がこの先数十年、数百年、外部に洩れないとどうして約束できる? ヤバい人間に万が一にも渡らないとどうして言えるんだ? ブレアの提案通り博物館で保管したって、こっちの数百年は向こうの一日だったりするんだぜ。こちらの世界の時間軸が、すべて向こうの世界と繋がってるんだからな。そんな状態で、互いに不干渉とするのが得策か? ラインゴッド博士の研究を強奪したエターナルスフィアの人間がFD人を殺傷できるようになったとき、FD世界に危害を加えない保障なんてどこにあるんだ? 俺には皆目、見当もつかないね」

 

「だからって、このまま指をくわえて黙ってやられるわけにもいかねえだろうが」

 

「当たり前だ」

 

 クリフの指摘に、アルフは頷いた。マリアは目をつむる。眉間には深いしわ。考えたくないことだった。遺伝子紋章学の話が出たとき、マリアの表情は引きつっていた。

 

「それでも、私たちだって譲れないから、戦うしかないと言うのね?」

 

「『生き残るための戦い』をやるなら、避けて通れない道だ。それをオーナーも分かってる。だから空間を繋げちまう能力が発現した途端に、奴はエクスキューショナーを送り込んできた。それも『イベント』の一つだとFD人に誤解させた上でな。

 オーナーは、FD人が『ゲーム』という認識で済むことを願ってる。その一方で、エターナルスフィアには『奇襲』を仕掛け、蹂躙して無力化させようと必死なんだ。

 だが、奴の目がFD人に向いている間は、その活動はまだ本格的じゃない。今を逃したら、俺たちは反撃する機会すら失う。奴はこっちの世界でなら、恐らく全能であるはずだ」

 

「でも、ダメだ」

 

 フェイトが言った。

 アルフの紅瞳が、フェイトを見据える。狂眼と恐れられる軍人には、見る者を委縮させる迫力がある。フェイトは、顔をゆがめて耳の後ろをかきながら、言った。

 

「僕はウイルスを打ち込む作戦には、反対だ。それがどんなに有効でも、僕はやらない」

 

「なにか、ほかに考えがあるの?」

 

 マリアの問いに、フェイトは首を振った。

 

「大層な作戦なんかない。銀河全体の命運を背負う覚悟なんか、僕にはない。――けど。なんとなく分かったんだ。FD人たちは『本気で笑ってる』って。血なまぐさいことなんかなに一つ知らずに、暢気に笑ってられる世界――それを奪われたときの怒りと、悲しみを、僕は知ってる。

 アルフの作戦を実行したら、絶対、一度きりで済まなくなるだろ。だから、僕はまだ選択しない。まずはブレアさんと話をする」

 

「ブレアを、そこまで信頼できるのか?」

 

「お前だってあのとき、ブレアさんを信用しただろ? じゃなきゃアンインストーラーを持ち帰ったりしない。相手が騙そうとしていたなら、お前やアレンが見逃すはずがない。お前は、アレンがエクスキューショナーになった時でさえブレアさんを信じてた」

 

「あれはあの女が一番状況を把握していると判断したからだ。だがオーナーと戦う上では、ブレアは無力だと思うぜ」

 

「どうして?」

 

「想定してる危険の度合が、ブレアとオーナーじゃ全然違う。ブレアが見てるのは、あくまでお前たちだ。エターナルスフィア全体じゃない」

 

「それは……そうかもしれない。でも、『どうやっても正面切ってFD世界と戦うしかない』って状況は、今じゃないはずだろ? 今はまだ、ぎりぎりどっちの世界の人間とも対話できる段階だ」

 

「なら、お前はこれからどうする気なんだ?」

 

 ――滅びの運命に、立ち向かうために。

 アルフの問いに、フェイトはニッと口端をつり上げた。

 

「簡単さ。何が何でもブレアさんに、そして僕らを創ったってオーナーに、まず話をつけるんだ。聞いてくれるまで話し続ける。無茶でもなんでも正面突破だ! ――そうでなきゃ、僕は面と向かってアイツに『お前の覚悟はそんなもんか』って高笑いしながら、文句を垂れてやれなくなる」

 

 ソフィアとナツメが、パッと表情を綻ばせた。クリフは驚いたように、両腕を組んだ態勢でフェイトを見、ぱちぱちと瞬いて固まっている。ネルも途中までは同じだったがすぐに小さく笑うと、柔らかい視線をフェイトに向けた。アルベルは皆に背を向けたまま、フンと満足そうに鼻を鳴らすだけだ。

 マリアは柄にもなく、ぽかんと口を開けていた。

 

「……そうか」

 

 アルフは一言だけ言って、それ以上、異論は唱えなかった。

 クリフがなんとも言えなさそうな表情で頭を掻く。

 

「なんつーか……。毎度のことだが作戦もくそもないな」

 

「ある意味、異星人とのファーストコンタクトだからね。我慢比べなら僕は負けないっ!」

 

 高らかに拳を握って叫ぶフェイトに、ネルが肩をすくめた。

 

「それはいいけどさ。結局、この後どうするんだい?」

 

「ん? そりゃストリームに行くんだろ? とりあえず、ブレアさんを捜しに」

 

 ぱちぱちと瞬いて答えるフェイトに、マリアが深刻な表情で顎に手を据えた。

 

「それなんだけど、現状、ムーンベースに応援を要請するしか方法はないのかしら? ストリーム周辺はエクスキューショナーが取り巻いているし、無事に着けるとも思わないわ」

 

「その点に関しちゃ、エクスキューショナーの特性を突けばどうにかなる」

 

「特性?」

 

 首をかしげるフェイトに、アルフは頷いた。

 

「つまり、俺たちはシャトルでストリームに向かう」

 

「そんな無茶な!」

 

 マリアが声を荒げた。

 フェイトがしばらく沈黙し、顎に据えた手を下ろした。

 

「そう言えば、確かに。ストリームに置いてたシャトルは、エクスキューショナーじゃなく地殻変動によって破壊されたな」

 

「ああ。むしろ、攻撃や防御に特化してる方が、奴らの前では危険と見ていい」

 

「でも、航行時間がかかりすぎるよ。父さんのアンインストーラーが完成すれば、多少ましな状況になりそうだけど、アルフの言うようにオーナーがやる気満々なら、アンインストーラーの効果は一時しのぎにしかならないだろ」

 

「シャトルにもワープ機能はある。これは憶測だが、エスティードのコネクションでシャトル座標をずらせれば、時間のいくらかは短縮できると思う」

 

「私……、ですか?」

 

 ソフィアが怯えたように肩をすくめた。

 

「それしかないか」

 

「フェイト……」

 

 つぶやくフェイトを、ソフィアが不安げに見る。フェイトは顔を上げると、ぽん、とソフィアの頭を叩いた。

 

「大丈夫。うまくいくよ。なんだかんだ言ってFD世界にも行けたじゃないか。父さんや、クライブおじさんを信じて」

 

「……うん」

 

 ソフィアは頷いて、目を伏せた。

 マリアが凛と医務室の戸を見る。

 

「となれば、急ぎましょう。いまは時間が惜しいわ」

 

「ああ、わかってる。行こう、皆! FD空間に着き次第、スフィア社に行ってブレアさんの所在を確かめる。スフィア社だけなら、僕たちの力で押さえられるはずだ。その後に、オーナーの居場所を割り出す」

 

「つまりFD世界に行ってから、ブレアを探す者とスフィア社を押さえる者の二手に分かれるってことだね?」

 

 ネルの問いに、フェイトが頷いた。

 マリアが続く。

 

「どの道、本物のブレアが仮にどこかに幽閉されていたとしても、その居所を知っているのはスフィア社員のはずよ。二手に分かれるのはいいけど、連絡は密に取り合いましょ。社を押さえる間に、適当な人間から話を聞き出すの」

 

「ああ」

 

 フェイトは頷いて、肩で風を切って戸口へと歩きだした。そのあとを、マリア、クリフと続く。

 

(また、だ……)

 

 ソフィアは彼らの背を見つめて、つぶやいた。胸の前で両手を握る。この胸のざわめきをどうすればいいのか、彼女は分からなかった。

 

(また、他人(ひと)任せにしてる)

 

 自分の能力が必要な局面であることは、話を聞いていれば大体わかる。事の深刻さも、皆の表情から推し量れる。

 それでもソフィアは、蚊帳の外だった。

 フェイトとマリア。話の渦中にある二人は皆をまとめ、皆から信頼されている。ちゃんと自分のことを知っていて、役割をこなし、適切に力を使っているのだ。

 なのにソフィアは、そうはいかない。

 『これから戦う』といくら言われても、実感が持てない。そのたびに不安が、ソフィアの胸いっぱいに膨らんでいくのである。

 

(皆、危険な目に遭ってるのに、どうして私……っ!)

 

 息を詰めた。責任感の強いソフィアは、自分を情けなく感じる。

 なぜならこんな大変な時でさえ、精悍になったフェイトの横顔を見ると、胸が小鳥のように高鳴るのだ。重大なことをすべて丸投げて、フェイトへの恋心だけを大切にしている。そんな自分勝手な状況が――なにもできない無力感が、ソフィアの中で膨らむ恋心を糾弾し、心にさらなる傷をつけていくのである。

 フェイトは長い旅の中で、見違えるほどたくましく成長したが、ソフィアは高校生のままだ。

 ありふれた子どもで、重大な決断などおいそれと下せない。判断できるほどの知識も、経験もないのだから当然である。

 そして、フェイトが護ってくれることで急速に膨れ上がる恋心は、ソフィアの気分をいくらか浮かせていた。

 それが、許せない。

 なにも対処出来ない現実と、正常に育っていく心のずれが。

 目を見開いて沈黙しているソフィアを、誰も気には留めなかった。

 そのときだ。

 皆が見知った『声』が、呼び止めたのは。

 

 ――ふたたびFD世界に干渉しようとは、ずいぶん危険な発想をしてくれるものだな。

 

 場の空気が、一気に凍った。

 互いの顔を見合わせたフェイトたちは、周囲の気配を鋭く探る。

 

「その声……アレン、か?」

 

 背中に差したヴェインスレイに手をかけながら、問う。

 すると『声』が答えた。

 

 ――ああ。

 お前たちが無駄な足掻きをしなくて済むよう、こちらから提案しておこうと思ってな。

 

「提案ですって?」

 

 マリアが声を落す。

 

 ――モーゼル古代遺跡、というのが砂漠の中にあっただろう?

 二国間和平会議を行ったあの遺跡だ。その地下に祭壇があり、セフィラを安置している。

 この意味が分かるか?

 いま、あそこには俺が立っている空間へのゲートが開かれている。

 それを通って来るといい。神の代行者として、お前たちの相手をしてやる。

 

「おいおい、随分な言い草じゃねえか。アレンよ」

 

「貴方、この戦い自体がゲームだとでも言いたいの? 偉そうに見くだしたような言い方をして!」

 

 クリフとマリアの鋭い視線が、宙空を見据える。

 アレンは小さく、嗤った。

 

 ――シミュレーターの存在だと知ってそれでもなお吼える、か。

 ちょうどいい。その方が臨場感も増す。

 壁を見ろ。

 

 途端、

 医務室の壁に四角形の巨大な紋章陣が浮かびあがり――それが、二つの映像を映し出した。

 一つはムーンベース、もう一つはパルミラ平原だ。

 

 ――分かるか?

 いまエクスキューショナーはすべて、その活動を停止している。俺の合図一つでな。

 だが、お前たちが俺との戦いを拒否した場合……

 

 アレンの声が、一オクターブ低くなった。

 

 ――消そう。

 クラス十のレーザーで、この銀河すべてを。

 

 慈悲のない声。抑揚なく、鋼鉄のように冷たい声だった。

 まるで敵を尋問にかけているときのようだ。

 フェイトは拳を握りしめ、俯きがちに口端をつり上げた。

 

「いいぜ、乗ってやるよ。その喧嘩」

 

「フェイト!?」

 

 マリアが目を丸くしてふり返る。視線を交わさず、フェイトは中空を睨んで、言った。

 

「お前のその寝惚けた横っ面、思いっきり殴り飛ばしてやるから覚悟しろ!」

 

 ――相変わらず威勢がいいな、フェイト。

 

 感情のこもらないアレンの嗤い声とともに、壁に浮かんだ紋章陣は消えた。

 ついで、部屋を覆った奇妙な重圧もなくなっていく。

 皆は互いの顔を見合わせて――、小さく、こくりと頷き合った。

 

 向かうは、モーゼル古代遺跡である。



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80.ファイアーウォール

「おぉ、フェイト兄ちゃん! そんなに慌ててどうしたんだ?」

 

 モーゼル遺跡に向かう途中に洞窟のような回廊がある。仄暗い石壁の間を駆けていると、ヘルメットを深々とかぶった見知った少年と出くわした。ロジャーである。

 

「ロジャー! お前、こんなところで何してるんだ?」

 

 ロジャーは手斧を地面に突き刺すと、ヘルメットをくいと押し上げて、得意げに胸を反らした。

 

「決まってんじゃんか! 村の護衛だよ、ご・え・い! キメラとかいう変な化物が出てから、村のみんなが不安がってるかんな! ここは、オイラの出番ってわけだよ」

 

 ヘルメットから手を離し、ロジャーは一同を見渡した。

 

「おぉ、みんなお揃いだな。こいつはいよいよ、なにかあったってことだろ?」

 

「いや、なんでもないよ。それじゃ、警備がんばって」

 

「ラストディイイイイイッチ!」

 

 フェイトがさわやかに笑いかけて、ロジャーの脇を通り過ぎようとしたとき、渾身のヘルメット付頭突きが、フェイトの腰を直撃した。

 大きく眼をみひらいて、フェイトが奇声を発しながら地面にたたき落ちる。

 軽快に着地したロジャーは、フェイトたちを睥睨しながら、両腕を組んで仁王立ちした。

 

「い、きなりなにを……!」

 

「バレバレだぜ。兄ちゃん」

 

 低く笑って、口端をつり上げるロジャー。

 クリフが頭をかいた。

 

「あのな。俺たちゃお前に構ってる暇はねえんだよ」

 

「なんだと、デカブツ! このロジャー様を甘くみるってのか!」

 

 全力で地団駄を踏むロジャーに、ネルが呆れたように首を振った。

 

「こんな展開になるだろうと思ってたよ」

 

「どうかしたの? ネル」

 

 マリアは首をかしげた。マフラーに口許をうずめたネルが、怯えているように見えたのだ。

 ネルは答えずに、目をつむっている。

 と、

 

「わぁ、すごい。尻尾が生えてる」

 

「お? ん? なんでアミーナ姉ちゃんがここに……おぁ~、なかなかオイラの撫で方が分かってるじゃんよ~……お~♪」

 

 ロジャーは気持ちよさそうに目を細め、大きな狸耳をとろんと垂らした。

 ソフィアが撫でているのは、ロジャーの丸々とした尻尾だ。手入れの行き届いた見事な毛並みをしており、ロジャーは撫でられるたびにマッサージでも受けているような脱力しきった表情になる。

 それを見たソフィアが「可愛い」と声を上げて、さらに撫で立てると、ロジャーはとろけるような笑みを落して座り込んだ。

 

「なんだろう。……なにか、面白くない」

 

 ラストディッチが突き刺さった腰を撫でながら、フェイトが真顔でぽつりとつぶやく。結構な鈍い音が回廊内に響いたのだが、フェイトは痛みを感じていないようだった。なんの前触れもなく、ひょいと立ちあがってくる。

 クリフとアルベルが、異物でも見るようにフェイトを凝視した。

 

「てめえの身体、どうなってやがんだ」

 

「相変わらず、そら恐ろしい回復力だぜ……!」

 

 涼しい顔で親指を立てるフェイトに、アルベルは舌打ちとともに背を向け、クリフはやれやれと肩をすくめる。

 と、

 ナツメが回廊の出口を指さして、問いかけた。

 

「ロジャーくん。この先の砂漠は、そんなに危険なんですか?」

 

「ふぁ~、いい気持ちじゃんよ~。ん? なんだって? ナツメねえ――ぎゃぁあああああっっ!?」

 

 ロジャーが目玉をこぼさんばかりに目を剥いてのけぞった。

 なにごとかと目を白黒させるナツメの両肩から、双頭竜が啼く。

 

「ギャフ」

 

「フギャ!」

 

「ぎゃああああっ! 姉ちゃん、後ろ! 後ろぉお!」

 

 ナツメを指さして後ずさるロジャーのあまりの驚きように、ソフィアまで目を丸くして固まっていた。

 ナツメは唇を真一文字に引き結ぶと、きりりと眉を引き絞って、誇らしげに口端をつり上げた。

 

「驚かれるのも無理はない」

 

 大仰に首を振った彼女は、ロジャーを見下ろして続けた。

 

「この私の肩にいる竜は、なにあろう、かの有名なエクスペルの双頭竜なのです!」

 

「”ぽい“ってフェイトが言っただけじゃなかったか?」

 

「クリフさんは黙って!」

 

 聞きかじりのエクスペル伝説をナツメが講釈し始めたのは、それから間もなくのことだった。

 時間節約のためにも、歩きながらのナツメの語りは砂漠を抜けて遺跡に着くまで続き、途中で出合った、キメラと戦うヴォックスや断罪者に囲まれたシェルビーにすら、脇目も振らなかった。

 ヴォックスとシェルビーは「本気なんとか!」とのたまって善戦していたが、それに興味を示すロジャーをネルが押しとめていた。

 アルベルは拳を震わせながら、義手に気功を溜め続け。

 フェイトはフェイトで、驚いて、三度ほどその二人を振り返って様子を観察していたが、マリアに急かされて遺跡へと向かった。

 無論、ロジャーはその間、サーフェリオに引き返せと何度説得されても、聞き入れることはなかったのである。

 

 

 

 

 モーゼル遺跡の地下祭壇に、アレンの言うとおりセフィラは据えてあった。

 まるでそれが本来の姿であるかのごとく、祭壇には窪みがあり、台座の上でセフィラが空中静止(ホバリング)している。白い燐光が聖珠から放たれ、フェイトたちの顔をほの白く照らしていた。

 

「ソフィア」

 

「……うん」

 

 フェイトに促され、祭壇に立ったソフィアは、固唾を飲んでから両手をセフィラへと掲げた。

 

(お願い。私たちを連れて行って。オーナーと、アレンさんのところへ!)

 

 燐光は輝きを増し、やがて垂直な光の束になって天井を突き刺すと、四方に散って目の前の、壁でしかなかった石の一面に、素早く収束していった。

 地響きが起きる。溜まった砂埃が雨のように降った。光の集まった石壁が中央で、引き裂かれるように左右に分かれると、その奥から、光の波紋が姿を覗かせた。

 

「タイム、ゲート……」

 

 波紋を見たマリアが、つぶやく。

 ――確かにそうだ、とフェイトは思った。

 異界へとつながる光の波。『扉』と化した石壁の前に立ち、フェイトは意を決する。

 

「行くぞ、みんな!」

 

 そのときだ。

 

「よく、来てくれた」

 

「え?」

 

 風が吹いたと実感した瞬間、ゲートから腕が伸びてきた。ふり返ったソフィアの肩が掴まれる。上半身。人間の身体が、光の波紋からせり出していた。

 

「!」

 

 淡い金髪と、深い蒼色の瞳。

 フェイトと目が合うと、『彼』は静かに笑った。

 引き潮のごとく素早くゲートに押し戻っていくアレン。

 同時。アルベルとアルフが空破斬を放った。が、『扉』のまえに虚しく掻き消される。

 

「ソフィアさんっ!」

 

「姉ちゃん!」

 

 ロジャーとナツメが追いすがるが、届かない。

 マリアが鋭く言った。

 

「急ぎましょう!」

 

 両腕を交差させ、いの一番にゲートに飛び込んでいくマリア。そのあとをアルフ、クリフ、ナツメ、ネル、ロジャーと続いた。

 

「なにやってやがる!」

 

 アルベルがふり返ったのは、本来、まっさきに向かうべき青年が、駆け出さず、茫然と突っ立っていたためだ。

 フェイトは目を大きく見開いて、ゲートを見つめている。アルベルが急き立ててようやく、彼はアルベルに視線を向けた。

 

「アイツ――」

 

 ぽつり、とつぶやく。動揺で碧眼が揺れていた。アルベルが眉を寄せる。

 

「手が、透けてたんだ。右の方」

 

 アルベルの表情が強張った。

 フェイトは俯くと、地面に散ったソフィアの猫ストラップを拾い上げた。オレンジがかったトラ猫のストラップ。それをしばらくじっと見つめて沈黙したあと、フェイトはアルベルとともに、ゲートを潜り抜けた。

 ――嫌な予感が、背筋を這っていた。

 

 

 ◆

 

 

 薄暗い洞窟の中。

 三十メートルほどの楕円形広場に、マリアは立っている。

 

「ここは……」

 

 ゲートを抜ける前とは景色が違う。

 

(これが、特殊空間?)

 

 マリアは首を傾げながら周りを見渡した。

 どうやら、天然洞窟を利用して造った遺跡のようだ。

 黒い岩盤がせり出した広場の中央に、四角い祭壇が据えてある。モーゼル遺跡よりも手を加えていない、自然の洞窟だ。壁の岩盤が鈍く光っていて、だだっ広い。

 唯一、完全人工物と言えるのは、広間中央の祭壇だ。白い大理石を使用しており、四角い見事な幾何学模様が、階段状になった祭壇だった。

 

「みんな、気を付けて」

 

 静まり返った洞窟内に違和感を覚え、背中に向かって注意を促したところで、マリアは感づいた。

 変わったのは景色だけではない。

 さきほどまで共にいた仲間が、全員、掻き消えている。

 

「――まさか」

 

 つぶやきながら、マリアは眼球だけ動かして、息を詰めた。

 未開惑星に来てからは珍しくなくなった、埃っぽい空気を、慎重に吸い込む。

 空気は乾燥していて、ひんやりと肌を撫でる。

 

(誘い込まれたというの?)

 

 後ろ手でホルスターに差した銃を握る。足音を立てぬよう、慎重に歩く。だが乾いた砂面が、じゃりじゃりと擦れる音を立て、目が、自然と岩陰に貼りついた。

 

「そこっ!」

 

 マリアはふり向きざまに発砲し、鋭くバックステップした。殺気。グラビティレイザーの青白い光弾が薄暗闇を裂く。

 瞬後、彼女の立っていた場所を白い衝撃波が走り抜けた。

 岩盤でマリアの放ったレーザーが跳弾し、掻き消える。

 腰まで流れる青い髪を弾ませ、マリアが着地して鋭く銃を構えると、そこに、スフィア社でマリアを導いてくれたFD人――ブレア・ランドベルトがいた。

 

「ブレア!?」

 

「ふふっ」

 

 銀色のショートヘアを耳にかけ、ブレアが蠱惑的にほほ笑む。もともと品のいい女だが、いまは品よりも艶が増しているように見える仕草だった。

 長身の彼女は両腕を組み、マリアを見下すと、

 

「ずいぶん、遅かったわね」

 

 労うわけでもなく、そう言った。

 声に滲む、他人を嘲る失笑。それは、温厚なブレアからは考えられないほど冷たく、容赦がない。

 

「貴方……」

 

 マリアは眉間にギュッと皺を寄せた。慎重にブレアとの間合いを測りながら、気づかれない程度にじりじりと横移動する。

 蠱惑的な微笑み。

 空気を通して伝わってくる違和感に、マリアの表情が険しくなる。

 

「貴方は、ブレアじゃない!」

 

 言い放つと、ブレアは、くっくと体を震わせて笑い始めた。

 

「んっふっふ……! そうよ。私はブレアであってブレアじゃない。あのお方によって生み出された、あの女の姿をしたプログラム。言わばIMITATIVE――模造(イミテイティブ)ブレアよ」

 

「悪趣味ね」

 

「なんとでもおっしゃい。忌まわしい存在なのは、貴方たちのほう。世界を汚染する貴方たちは、今すぐ消えるべきなのよ。――だから」

 

 ブレアは組んでいた腕を解いて、挑発的にマリアを指差した。

 

「黙って死んじゃいなさいよ」

 

「本物とは性格も、言葉遣いもまるで違うのね」

 

 間合い、四メートル。 

 マリアの距離だった。

 ブレアは口許に手をやった。

 

「あらあら」

 

 芝居がかった動きで、眼を丸くしたあと、ブレアは右手を掲げる。

 彼女の指先に白い光が集束する。

 

「言うことを聞けない悪い子には、お仕置きが必要ね」

 

 

 ◇

 

 

 ゲートを潜ると、巨大なトンネルの中に出た。トンネルは最新鋭機器と、巨大パネル・ディスプレイで覆われている。

 クリフたちは、スフィア社でも見た、宙に浮かぶ床板の上に立っていた。それはトンネルの下三分の一の高さで固定されていて、幅二メートルほどの長い通路になっている。

 

「おい、フェイトとマリアはどうした」

 

 皆をふり返って、クリフは声を落した。互いを見合わせた一同が、緊張ではっと口ごもる。

 ソフィアを追ってこの場所に出たものの、フェイトとマリアの姿だけが、忽然と消えていたのだ。

 

「まさか、はぐれたのかい?」

 

 周りを鋭く観察しながら、ネルが短刀に手をやって問う。

 恐らく、そうだろうとクリフは頷いた。

 

「くそがっ! なにもかも向こうの思い通りってわけか!」

 

「待て」

 

 アルフが差す視線の先――通路上の一角で、光が渦を巻いて円柱を作りはじめている。

 と、その光の中から、一人の女がせり出してき、とんと床に着地した。

 彼女はにこりと笑うと、

 

「来たわね」

 

 嬉しそうに言った。

 

「ブレア! どうしてここに」

 

 クリフが眉間に皺を寄せると、ブレアは一同を見渡し、微笑を崩した。

 

「そんなことより、フェイトたちは?」

 

「それはこっちが聞きたいところだよ。事と次第によっちゃ、アンタ――」

 

「覚悟はいいか、女」

 

 問答無用で得物に手をかける二人を、ロジャーが慌てて押し止めた。

 

「ちょ、ちょちょ……っ! 殺気立ち過ぎですよ、ネルお姉さま! アルベル兄ちゃんはいつものこととして、この姉ちゃんはいま来たトコなんでしょう? ちっとくらい話を聞いてやってもいいじゃんか」

 

 彼に続いたのは、ナツメだった。

 

「説明願えますか、ブレアさん。フェイトさんとマリアさんは、モーゼル遺跡からこちらに着いた途端に姿を消しました。ソフィアさんはその前、モーゼル遺跡のゲートをくぐる寸前で――」

 

 そこで言葉に詰まるナツメを、ブレアは神妙な面持ちで見つめ、顎に手を据えて視線を落とした。

 

「してやられたわね」

 

「どう、してやられたってんだ?」

 

「おかしいとは思ったのよ。ソフィアは、エターナルスフィアからこの特殊空間へのゲートを開いたんでしょう? そのときに、ここの座標軸が、私の端末に送信されてきたの。こちらで原因を探ってみたけど、いくらやってもわからなかったわ。

 でも、あなたたちの話から察するに」

 

「アンタも、ここに誘い込まれたってことかい? アレンに」

 

「おそらくは。本当は、実体を伴う姿で来られればよかったんだけど、さすがはオーナー専用の開発室ね。意識体だけで精いっぱいだったわ」

 

「つまり、ブレアさんの力が制限されているということですか?」

 

「ええ。ここはオーナーが作り出した特別な空間。私たち開発者と言えども、自由にできないのよ」

 

「なにもかも、厄介なんだな」

 

 クリフが言うと、ブレアは神妙に頷いた。

 アルベルがアルフを横目見る。押し黙った彼は、なにも言わない。

 ブレアが通路の奥を示して、言った。

 

「ともかく、いまは先を急ぎましょう。ここに居ても始まらないわ」

 

「アンタ、一緒に来るのかい?」

 

 ネルが意外そうに目を丸める。

 

「ええ。ここへ来る前に、この空間について調べられる限りのことを調べてきたの。ここは、オーナーのいる空間とエターナルスフィアを結ぶ通路なのよ。すべてのプログラム情報は、ここを経由してエターナルスフィアとやり取りされているの。言わば、情報転送用ケーブルね。もちろん、オーナーのいる空間への外部からの不当な侵入を防がなければいけないから、防御区画としての役割も果たしているわ。だから、この空間のことは『ファイアーウォール』と呼ばれているの」

「『ファイアーウォール』だ? そのまんまじゃねえか」

 

 クリフが肩をすくめると、ブレアは困ったように眉を下げた。

 

「ともかく、道案内をするからついてきて」

 

 ブレアの後を、用心しながら皆は続いた。



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81.分断

 ソフィアが目覚めた先は、巨大なトンネルの中だった。壁は先進的な機械類と、ディスプレイ、パネルで覆われている。ソフィアはその中に浮かぶ、薄い床板の上で眠っていたのである。

 衣擦れの音がして、左の方を見た。長身の、金髪の男が、こちらに背を向けて立っている。

 

「ここ、は?」

 

 ふらつく頭を押さえながら問いかけると、彼はふり返らず、トンネル内の広間――奥に据えられた装置を指さした。床に据え付けられた円形状の転送装置。スフィア社のエレベータに似ている。

 ソフィアは首を傾げた。

 

「あの、あれって」

 

「いずれ君が開くものだ」

 

 彼――アレンが答えた。視線が合うと、まるで別人のように見える。彼の眼はかつての輝きを失い、死んだ魚のように暗く濁っていた。着ているのものは白い法衣で、スフィア社員の服よりも連邦軍服に近い。胸部から胴回りが甲冑のようになっていて、金色の肩章から伸びる総が、刃のようだ。彼が動くと、カシャ、と甲高い音を立てた。

 ソフィアは眉を下げた。

 

「私が、開くんですか?」

 

 ――タイムゲートのように。

 ニュアンスを込めて問うと、アレンは頷いた。

 

「そうだ。君が開く。だが、その前に」

 

 彼の指先に、白い光が集約していく。

 ソフィアは目を丸めた。

 アレンの指先に集った光が、弾ける。光は水滴のように細かく散り、ソフィアの周りに八つ、浮かんだ。光が水滴から拳大まで膨み、ソフィアの周りをぐるぐると廻り始める。

 

「君には少し、眠ってもらう」

 

 子守唄のように穏やかな声が聞こえてくる。

 八つの光球が、ソフィアを包むように輝いた。甲高い、紋章術の発動音がソフィアの耳を打つ。光球が分子のように結合していき、ソフィアを捕える棒状のクリスタル結界が形作られる。

 そうして出来上がったのは、氷づけられたように結晶内に閉じ込められたソフィアだ。青透明のクリスタル越しに、怯えたソフィアの顔が映っている。

 

「さようなら。ソフィア・エスティード」

 

 アレンは告げて、踵を返した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 空気が緊張で収縮する。

 マリアは迷わず発砲した。

 乾いた音。一拍遅れて、白い風がマリアの頬をかすめる。マリアは瞬かない。吸い込まれるように模造(イミテイティブ)ブレアを見据え、

 

「!」

 

 息を呑んだ。撃ち抜いたブレアの額は無傷のまま、光弾はブレアをすり抜けあらぬ方向に跳ねていく。

 

「非力ね」

 

 鼻にかかったブレアの声、と同時、視界が激しく揺れた。首がねじ切れんばかりに頭が弾む、頬が燃えた。ついで浮遊感。マリアが息をつく。側頭部を(なぐ)られ、地面に叩きつけられたのだ。

 さらに腹に鈍痛が走った。呻く。

 マリアは首をひねってブレアの蹴りを(かわ)し、両掌を勢いよく地面に当てて、首跳ね起きで立ち上がった。

 

「ほら」

 

 黒い。

 マリアは目を疑った。ブレアの背に、巨大な触手が浮かんでいる。アレンと同じだ、禍々しい巨人の手が、両腕を交差させて防御するマリアの身体ごと薙ぎ払う。

 

「か、はッ!」

 

 岩盤に背を打ち付け、息を吐く。目の前に火花が散った。

 すさまじい威力である。歯を食いしばらねば、意識を手放すところだった。

 眼を見開いたブレアが、さらに苛烈に攻め込んでくる。触手はすでに消えていた。相手は素手だが、拳に衝撃波のようなものが宿っていて、間合いが掴めない。

 ミラージュから叩き込まれた体術で捌きはするも、接近戦では勝負にならなかった。

 

「パルスエミッション!」

 

 マリアはトリガーを絞り、物質改変能力(アルティネイション)でレーザーを五発の光弾に変えて早撃つ。連射し、ブレアとの間に弾幕を張った。咲き乱れる花火のような鮮烈な弾光が薄闇を裂く。

 まるで昼間のように明るくなった。

 十数発の蒼白い光弾が、巣を攻撃され昂奮した蜂のごとく大挙し、ブレアに襲い掛かっていく。

 さらにバックステップで距離を――有利(アドバンテージ)を取る。

 そこから、

 

追尾光線(エイミングデバイス)で眉間を狙い撃つ!)

 

 マリアは跳び退りながら、弾幕の向うにいるブレアを探る。

 

「!」

 

 そのとき、咄嗟に横っ跳びに身を伏せた。その数センチ脇を、白い疾風が鎌首をもたげて奔っていく。轟音。空気そのものが根こそぎ風に刈り取られるように、空寒い音がした。

 浅い呼吸の中、背後で、岩盤が叩き割れる。心臓が狂ったように激しく脈打った。

 驚きでマリアがふり返ると、パルスエミッションの弾幕をあっさりと叩き割ったブレアが、嫣然と微笑みながら突進してきた。

 

(そんなっ!)

 

 足止めにすらなっていない。ブレアの指先が白く光っていた。それで疾風を起こし、岩盤を叩き割ったと理解する前に、マリアは片膝立ちで鋭く構える。

 ブレアが距離を潰すまで数秒。

 両手持ちで発砲した。

 

「外さないっ!」

 

 エイミングデバイスが駆る。弾速は牽制に使ったパルスエミッションより速く、対象を確実に貫通する。

 ――当たる。

 重く、ドンッと音が弾けた。

 瞬くと、鼻先三寸手前にブレアが迫っている。

 

「無駄よ」

 

 やはり止まらない。

 激しく視界が揺れ、マリアの頬骨が悲鳴を上げた。

 

(蹴られた――!?)

 

 呼吸を奪われた。そのショックでふらついたマリアの頸に、さらに拳が落ちる。

 マリアは膝を折り、頭上で受けた。両腕をクロスさせて衝撃を受け止めるも、鉄球を落されたような痛みに首が震え、意識が離れかける。

 

(――強いっ!)

 

 確信すると、迂闊に距離を保っていられないことに気付いた。遠距離戦ができない。それでもどうにか、拳を流してバックステップする。

 ブレアから嘲笑が起きた。

 

「こんな程度が、あなたのアルティネイションなの? あの方を脅かす存在が、このものだなんて――皮肉ね」

 

 逃げるマリアを責め立てるようにブレアはなじる。

 

「好きに、言って、くれるわね」

 

 腕を振りながら、態勢を立て直す。

 ブレアは模造と言うだけあって、瞳に表情がない。他人を嘲っていても、驚いても、彼女の眼だけは決して変わらない。空虚な人形だ。

 

(負けられないわ。こんなのに)

 

 歯を食いしばる。

 自分の能力(アルティネイション)が通用しない。それはエリクール二号星でフェイトと出合ってから続いており、マリアの戦績は芳しくない。

 

(ここなら独りよ。だから、大丈夫――)

 

 そうなる理由は、分かっている。

 マリアは誰より「共鳴」を恐れていた。

 フェイト、マリア、ソフィアが集結することで発揮される紋章遺伝子の力。

 

 マリアは顕現しやすいからこそ、つねに制御と暴走を綱渡りしてきた。まだ完全な暴走は一度もない。タガをかけるくらいの理性はある。だが、力を小さく使うのではなく、このように相手を斃すためだけに、殺傷するためだけにアルティネイションを使い果たそうとすると――インビジブルを思い出す。

 圧倒的破壊の末路。

 自分が「人間ではない」ともっとも強く感じた、あの交戦経験。

 

(それでも、出来るわ。出来るはずよ。私は、恐れたりしない)

 

 額に紋章力を集約させる。エクスキューショナーを退けるために行使した力。

 「生きる」という明確な目的があれば、失敗することはない。ルノワールでは巧くいった。自分に言い聞かせ、アルティネイションを練り直す。

 いままでのように中途半端な能力の顕現でなく、戦艦すらをも破壊する力をイメージして。

 それに対する恐怖を、押し殺して。

 

「哀れなお人形さん」

 

 ブレアの放った一言が、マリアの耳にこびりついた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ブレアの先導でファイアーウォールを奥へ奥へと進んでいく。戦艦の整備工場を思わせるだだっ広い迷路は、ブレアの知識をもってしても完全解明とはいかない。

 

「また、スイッチによる切り替えが必要のようね」

 

「三つ前の部屋だな。戻るぞ」

 

「もう!」

 

 口惜しそうに、ブレアはロックされた扉を叩いた。このファイアウォールには数か所、スイッチが設置されていて、そのON、OFFにより進める方向が逆転する。進める扉は透明な水色をしているが、先に進み、戻ろうとしても、閉じた扉は青くくすんだ色に変わっていて、びくともしない。

 敵を足止めるのに効果的なトラップだった。どれだけ最短距離でファイアウォールを進もうとしても、うまくスイッチを起動させねば通路往復は免れない。

 さらに通路上にはオーナーが放った警備マシンが闊歩しており、それらを壊していくのも、なかなか骨が折れる作業なのだ。

 

「ったく、こいつら、鮫野郎と良い勝負のしつこさだな。しかも火力や装甲はこっちの世界より格段に高ぇときた」

 

「ですが、ブレアさんの先導は間違ってないはずです。警備マシンの数が、徐々に増えてますから」

 

 頭を掻くクリフにナツメが続くと、ネルが短刀をしまいながら溜息を吐いた。

 

「それは良いけど、敵が増えるのは嬉しくないね」

 

「この程度でへたれてんじゃねえよ、クソ虫が」

 

「なんだって?」

 

「フン」

 

 睨み合うアルベルとネルを、ロジャーがぴょんと跳ねて押し止めた。

 

「チョーット待ったぁー! オイラを差し置いてネルお姉さまにちょっかい出そうなんていい度胸だぜっ! このへっぽこプリン!」

 

「八つ裂きにされてぇか! クソダヌキ!」

 

「んだとぉー!」

 

「むッ!? これが世に聞く、三角関係というやつですか!」

 

 ナツメが得心したように手を打った。

 

「言ってる場合かよ……」

 

 クリフが頭を抱える。

 そのとき、

 

 斬っ!

 

 アルフが無名(カタナ)を一閃し、警備マシンを両断した。トロッコモンスターほど巨大な蜘蛛型マシン『クラブガンナー』は、口角に取り付けられたマシンガンを狂ったように天井に向けて掃射し、左右に分かれて爆散していく。

 熱風が通路に吹き荒れ、アルフの銀髪を撫でた。アルフは納刀するや、敵が居なくなったのを確信して先に進んでいく。

 他を寄せ付けない、冷徹な空気だった。アルベルたちが口を閉ざし、アルフを見る。

 しばらくの間、駆動音だけが皆の耳に木霊した。

 

「あ、あの。アルフさん。ありがとうございます」

 

 気を取り直してナツメが礼を言う。

 アルフはふり返らず、ああ、とだけ答えた。

 

「って! お前はお前で口数減り過ぎだろっ! さっきから暗いんだよっ!」

 

 クリフが声を張り上げると、アルフは足を止め、片眉を上げた。敵がいないのを察しているからか、考え込むように宙を見据えて、

 

「……がおー」

 

「突っ込みづれぇよっ!? そんなボケ、どう反応しろってんだ!」

 

「面倒くせえな」

 

 眉間に皺を刻んだアルフは、長い溜息を吐いて、あらためてふり返った。

 

「ギャグセンスねえな~。アルフ兄ちゃん」

 

 ロジャーが足元で、しみじみとつぶやく。するとアルフはびっくりしたように目を開いて、ゆっくり、どこか哀しげに亜人の少年を見下ろした。

 アルベルが鼻を鳴らす。

 

「だが、テメエの言ってることは間違っちゃいねえな、アルフ。こんな七面倒臭い場所、とっとと過ぎるに越したことはねえ」

 

「だから、そのためのスイッチ作業だろ。まったく。アンタたちは少し辛抱って言葉を覚えな」

 

「最初にへばった女がよく言う」

 

「なんだって?」

 

「だぁーっ! だから、その無限ループをやめろーっ!」

 

 クリフが声を張り上げると、アルフが首を振った。

 

「なにかしゃべれと言ったり、しゃべるなと言ったり」

 

「鬱陶しい阿呆だな」

 

 アルベルもすかさず合いの手を入れる。さらにロジャーが、ニカッ、と白い歯を見せた。

 

「いわゆる“こうけっとう”ってやつだぜ。な? デカブツ?」

 

「その喧嘩買ったぞ、チビ介!」

 

「んだぁ、デカブツーー!」

 

 

「――先が、思いやられるね」

 

 ネルが、ため息混じりにしみじみ言った隣でナツメが、首を傾げている。

 

「あの。我々ってたしか、肩に銀河の運命とか、ソフィアさんやマリアさん、フェイトさんの安否とか、いろいろかかってるはずですよね?」

 

「阿呆。この迷路のど真ん中で、運命もクソもあるか。どっちが前か、決めるのが先だ」

 

 アルベルが不遜に言い放つ。その口ぶりから、途中で道を覚えるのをあきらめたらしい。

 アルフが賛同するように頷いた。

 

「ちょうどいいや。なら、スイッチ一つずつあたっていくのも面倒だし、二手に分かれようぜ」

 

「ほぅ?」

 

 興味をそそられたようにアルベルがふり返る。

 ブレアが目を白黒させながら、慌てて押し止めた。

 

「ちょっと待って。皆がバラバラに行動するのはあまりに危険よ。ここはオーナーの開発ルームでもあるんだから」

 

「そうさ。それに、ブレアの先導なしにいまどこにいるのか、分かるってのかい? アンタたち」

 

 アルベルが「任せた」と言わんばかりにアルフを見る。

 アルフは不敵に薄笑って、

 

「勘」

 

「却下だよ! この馬鹿っ!」

 

 ネルの判断は早かった。

 アルフが不服げに眉を寄せるも、クリフがさらに追い打ちをかける。

 

「そもそも迷子になる確率百パーセントじゃねえか! あの三人に続いて、これ以上はぐれるとか洒落になんねえぞ!? こんなトコで!」

 

「困ったなぁ~」

 

「暢気に言ってる場合じゃねえぜ? ナツメ姉ちゃん」

 

「むむぅ」

 

 顎を撫でつけながらナツメが頷くのを余所に、クリフとネルが断固、アルフの意見を却下する。

 アルベルが柄に肘をやって、横柄に胸を張った。

 

「なら、この状況をさっさとどうにかしろ」

 

「だ・か・ら、慎重になんなきゃいけない時だって言ってるだろ……! アンタは少しでも私たちの話を聞いてたのかい」

 

「ったく、さっきからいい加減にしろってんだ。ぁあ?」

 

 殺気立つネルとクリフに、アルフは手のひらを見せて、言った。

 

「作戦ならあるぜ」

 

「なに?」

 

 一同が眉を上げる。

 

「少なくとも、スイッチのある部屋を覚えてる男が一人、このメンバーの中にいるだろ?」

 

「クリフさん、ですか?」

 

「そ」

 

 ナツメの問いにアルフが頷いて、クリフを見る。目を丸くするクリフから、さらにネル、アルベル、ロジャー、ナツメと視線を流して、

 

「班分けは口論が起きやすい二組を別々にし、クリフがいない方にブレアをつけ、先に進めばいい」

 

「ちょっと待ちな。たしかにそれなら進攻は早くなるよ。けど、この先ずっとスイッチの切り替え部屋が続くとは限らないんだ。仕掛け上、手数が必要になったらどうするんだい」

 

「気合」

 

「却下だよっ! だからなんで、そんな行き当たりばったりな作戦なんだいっ!」

 

 アルフは片眉を上げた。

 

「それを言ったら、オーナー説得うんぬんだって行き当たりばったりじゃねえか」

 

「次元が違うだろうが、次元が! つーか、お前も納得したんじゃねえのか? フェイトの話」

 

「したよ。だから、そのコンセプトに則ってこちらも『気合』でどうにかする作戦を――」

 

「それを作戦とは言わないんだよっ! というか、一度大雑把になったらトコトン大雑把だね!? アンタ!」

 

「一応、これにも根拠が――」

 

「うるさいよっ!」

 

 ぴしゃりと叱られ、アルフは不服そうに押し黙った。

 

「フン。ぐだぐだ面倒くせえ」

 

「今度はなんだよ?」

 

 声を張り過ぎて、疲れたクリフがアルベルをふり返る。

 

「要するに、ぶった切ればいいんだろうが。こんな扉」

 

「バール遺跡でやろうとした例のアレかい……」

 

「まあ、今の状況じゃ、一番マシな案か?」

 

「やめた方がいいぜ」

 

 アルフが、クリフたちの合意を止めた。

 

「あ? どういう意味だ?」

 

「今度はなんだい」

 

 水を差されて不服そうなクリフとネルが、ぞんざいに問う。

 アルフはファイアウォールの特殊金属の扉を一瞥し、

 

「腕がもげるほど痛い想いするだけだ」

 

「やったのかよっ!? すでに!」

 

「実はいまも痺れてたり」

 

 腕を振りながら、アルフが頷いた。確かによく見ると、指が変な形で固まっている。

 ロジャーが両腕を組んで、首を傾げた。

 

「ん? ってことはあのデッケエ物音、アルフ兄ちゃんの仕業だったのか?」

 

「ちょっと待ちな。それってここに来てすぐの話よね?」

 

「つまり、みっともなくて黙ってたのか。阿呆」

 

 アルベルにまでトドメを刺されて、アルフは目を大きく見開いて、押し黙った。

 ナツメがぱちぱちと瞬きながら、問う。

 

「ということはもしかして、さきほどまで口数が減っていたのも、その所為だったりします?」

 

「……まさかー」

 

(図星ですかーっ!?)

 

 ナツメまでむっつりと口を真一文字に結んで押し黙った。いままで視線が合わなかった理由も、こういうどうでもいい事情からだと思えてくるのが、アルフ・アトロシャスの難しい所だ。本音と冗談の境界が、いまいち掴めない。

 

「ま、冗談はこれくらいにして」

 

 アルフは声音を落し、場の空気を一新させると一同を見やった。

 

「とりあえず、二手に分かれようぜ。その方が効率がいい」

 

「だから、ここは慎重に行くべきだって言ってるだろ。そこのブレアだって」

 

「まあ、聞けよ。確かに、未開の地に戦力を分散して進むのは愚かだ。けど、俺たちが相手にしてるのはアレン・ガードだろ?」

 

「アレンさんなら、分散しても大丈夫なんですか?」

 

「というより、あいつなら仕掛けはある程度使うが、本命じゃない。必ずどこかで正面衝突を挑んでくる。――そういう性格だろ?」

 

 クリフは低く唸って両腕を組み、押し黙った。ネルもマフラーに口許をうずめて、一考する。

 一理ある話だった。

 

「オ、オイラ! 絶対なにがあっても、ネルお姉さまと一緒じゃなきゃヤだぜ!?」

 

 ロジャーが慌てて挙手する。

 『二手に分かれるなら』と、勢い込んで主張しているのだ。

 ナツメが人差し指を顎に当てて、中空を見据えた。

 

「と、いうことは。クリフさんと団長が、同じグループってことですね」

 

「マジかよ!?」

 

 口端を歪めるクリフに、アルベルが、フン、と鼻を鳴らす。

 

「なら、ナツメ。お前はアルベルたちと行け」

 

「ほぇ?」

 

「バランスいいだろ。その方が」

 

 一同を見渡して、アルフが言う。ネルが硬い表情で、手を挙げた。

 

「ちょっと」

 

「なに?」

 

「回復役が、私とアンタで被るのはどうかと思うんだけど」

 

「ネルおねぇさまぁああああっっ!」

 

 本能的に、自分をチームから外しにかかっていると察したロジャーが声を張り上げた。

 アルフは数秒、押し黙って

 

「活性剤」

 

 試験管入りの道具袋をクリフに手渡した。軍用の箱型ウェストポーチである。見た目は布製品と変わらないが、耐久力は特殊繊維で出来ているため、電磁ボム程度の衝撃なら無傷で済む。

 ネルが、なにか言いたそうに口を開閉させた。

 

「じゃ、これで話は終わりだ。行こうぜ、ブレア」

 

「ほ、本当に大丈夫なの?」

 

「多分ね」

 

 アルフはそう言って、ブレアを連れてスタスタと歩いていく。それを感激しながら追っていくロジャーと、どうにかメンバーチェンジを試みるネルが、騒がしくも隣の部屋へと移っていった。

 

 

 

「ホントに大丈夫なのか? あいつら」

 

「ネルさんは、ロジャーくんが苦手なんですか?」

 

「まあ、ちょっとだけ、な」

 

 クリフが答えると、ナツメは不思議そうに瞬いて、去って行ったネルたちを見つめた。

 

「愚図愚図してねえで、行くぞ」

 

「って、おい! どっちが前か分かんねえくせに先々行くなっつーの!」

 

「阿呆が」

 

「ぁあ? なんだと気障野郎」

 

 互いに睨み合いながら、一つ前のスイッチの部屋へと戻っていく二人。

 残されたナツメは、不思議そうに首を傾げた。

 

「あれ? 揉めない組み合わせのはずなのに、――あれ?」

 

 素朴な疑問は、しばらく晴れそうにない。



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82.――その先に

「ソフィアー、みんなぁ! どこだぁあーっ!」

 

 フェイトは一人、暗い廊下を走っていた。

 いや、これは橋なのかもしれない。

 天井は高く、薄暗い空間の中、フェイトの靴音だけが空々しく響いている。細い通路の脇には柵があり、その向こうに、両手を胸の前で重ねた聖女の像が何十体と立っていた。初めて見れば、そのあまりに精巧な造りから、巨人と見間違えたかもしれない。

 左右対称に置かれた巨大な石像は、細い通路を見下ろすように俯き、何百対も連なった像たちが、フェイトをもてなすように次々と現れる。

 いくら走っても、その光景は変わらなかった。

 

(ここって……)

 

 駆けながら、フェイトは思った。

 似ていた。シランド城の地下にある、封印洞に続く隠し通路に。

 違いは、隠し通路ならば果てに封印洞が続いているが、こちらはなにが待ちうけているのか、皆目見当がつかないところか。

 

「くっそぉー! ソフィア! みんなぁ~! アルベェ~ル!」

 

 一緒にゲートをくぐったはずのアルベルすら居なくなっていることに、フェイトは寂しさとやるせなさを感じた。

 

 

 ◆

 

 

 三秒だった。

 

「ぬ、ぬぅ……!」

 

 ナツメは低く呻き、顎先にしたたった汗を拭う。

 わずか三秒の間に、彼女はスイッチを押しに向かった、クリフとアルベルとはぐれた。

 後ろをふり返ると、二人が消えていたのだ。原因は恐らく、『扉』である。クリフがスイッチのある部屋を開け、そこをくぐった途端に、二人が消えたのだ。

 ファイアウォールに来るまえと、まったく同じ現象と考えてよさそうである。

 周りを見渡し、ナツメは息を呑んだ。――ここには、宇宙が広がっていた。

 アクアエリーからいつも見た、紺碧の空間。無数の星々がきらめきを放ち、空に浮かぶ雲のようにゆっくりと流れていく。

 ナツメはその空間の中央で、透明な薄い床の上に立っていた。

 ――現実ではない。

 直感的に思った。ムーンベースのような強化ガラスがナツメの周囲を覆っているわけではなく、ファイアウォールに似た、紋章陣のようなものが彫られた薄い床が、淡い光を放っている。

 見た目は宇宙空間だが、呼吸も難なくできた。

 さらに風がない。

 

「ん?」

 

 ナツメは眉を寄せた。得物に手をかける。

 獣の息遣いが、どこからか聞こえてきた。

 ゆっくり呼吸して、気配を殺す。

 

「ギャフ!」

 

「フギャ!」

 

 そのとき、ナツメの肩に憑いた双頭竜が、前方を指して短く啼いた。顔を上げると、そこに

 

「え……、これって」

 

 さきほどまで存在しなかった、巨大なクリスタル結晶が、ナツメの行く手を遮るように通路上に浮かんでいた。

 クリスタルの向こうに、金色の門のようなものがある。

 近寄ろうとして、すぐさま右手に打ち込んだ。硬い骨の感触。腕に伝わる震えを追って、獣の生暖かい息が、頬にかかった。

 

「ぉおっ!」

 

 本能的に腕に力を込め、剣を振り切った。獣が鋭く後ろに飛びずさる。

 ナツメもまた、バックステップで距離を取った。

 

「こいつは……!」

 

 そこで思わず息を呑んだ。

 獣が三体、ナツメと同じ床の上にいた。それぞれ、種族が異なっている。

 噛みついてきた一体は四つ足。雌ライオンのような顔と手足をしており、肌は鱗で覆われ、ブラストドラゴンのような鋭い羽、尻尾を持っている。

 『デスゲイズ』という悪魔の一種だった。

 もう一体は、サンマイト草原でも見かけるハルピュイアの上位種『キマイラホーク』。女の頭と胸、胴を持ち、四肢は鷲よりも大型の肉食鳥で構成されている飛翔族だ。

 最後は、人に似ていた。異常に発達した筋肉から太い血管が見え、鉛のように黒い肌から浮き立った血管が、ドクドクと脈打っている。丸太のように隆々とした腕は左右二本ずつ生えており、背中には蝙蝠の羽が、顔は竜に似ているが、耳の付け根から牛の角が生えており、一目で魔族だと察せられた。『ルクトギアス』という上位悪魔である。

 その三体は、まるでクリスタル結晶を護るようにナツメの前に立ちはだかっていた。

 

(――強い)

 

 対峙し、ぴりぴりと首筋を刺す殺気を受けて、ナツメは一人ごちた。

 エクスキューショナーすら満足に倒せない幼い剣士には、荷が重い相手である。

 

(ここは、どうにか逃げないと――)

 

 敵の攻撃をやり過ごし、この場を離れる決断をする。

 だが、

 

「ギャフ!」

 

「フギャギャ!」

 

 もっと上を見ろ、と催促するような双頭竜の声。それに従い、ナツメは警戒しながらも視線をクリスタル結晶に向けた。

 凍りつく。

 

「な……っ!」

 

 結晶の中に、人がいた。

 ナツメやクリフたちが捜していた人物――

 栗色の髪を腰まで伸ばした、おっとりした女の子。

 ソフィア・エスティードが。

 

「ソフィアさんっ!」

 

 彼女が、この三体の魔獣に捕らわれているのだ。――確信した瞬間、ナツメの胸の奥で、闘志が燃え滾った。

 

「押し通るっ!」

 

 ナツメの双剣が輝くと同時、散った紋章力が木の葉となって宙を舞った。

 途端、

 クリスタル結晶にもっとも近いルクトギアス――魔人の側面をナツメは薙いでいる。

 

(硬い!)

 

 まるで鉄塊だ。歯を食いしばったナツメは、抜刀を腕で止められ、後ろに飛びずさった。

 同時。

 首をひねった一寸先を、鳥人キマイラホークが起こした疾風が走って行く。真空の鎌鼬。この場に岩でもあれば、一瞬で叩き切られている。

 

 ダンッ!

 

 背後で物々しい音が立った。鋭くふり返る。ルムより巨大なデスゲイズの鋭い牙が、ナツメに襲いかかった。

 

「ちょ、ちょっ……ちょっ!」

 

 どうにか刀と剣で受け流すも、質量が違いすぎる。

 ナツメは背中から倒され、跳ね起きんとした瞬間。

 ルクトギアスの紋章術(エクスプロージョン)が、無情にも発動した。

 

(て、手数が足りない~~っ!)

 

 組織だった三体の魔物。

 ナツメは頬を引きつらせながら、心の中で絶叫した。

 

 

 ◇

 

 

 アルベルは眉間に皺を寄せ、周囲を振り仰いだ。さきほどまで口論していたクリフも、後ろをついてきたナツメもいない。

 

「どこに行きやがった、あの阿呆ども」

 

 アルベルはスイッチのある部屋に入っただけだ。他の二人とはぐれるような構造でないことは承知しているが、フェイトという前例を見たため、二人が消えた現象を納得できないわけではなかった。

 

 ――正面衝突してくるだろ、あいつの性格なら。

 

 アルフの言葉を思い出し、アルベルは口端をつり上げた。

 場所は、ファイアウォールで間違いない。ただ、この部屋は以前通った部屋でなく、奥に大型転送装置を配した、ひらけた場所だった。

 そのときである。

 転送装置のプラットホーム上に、光が像を結び始めた。

 

「フン、予想通りってわけか!」

 

 転送されてきたのは、飛行タイプの警備マシン。これまで相手にしてきたものより、大型の筒を身体の中心に据えている。「バンデーン」という異星人に似た顔をしたマシンだった。

 筒の威力はマリアの銃、シーハーツ軍の施術兵器、艦船の主砲を通してアルベルはよく知っている。

 警備マシンの名は、『ガウ』といった。本体斜め上部、左右にローターが二枚ついていて、回転速度を物語るようにモーターが鋭く唸っている。直感から、アルベルはこのマシンが、昆虫のように俊敏な動きをすると察した。

 勝負をつけるなら、早い方がいい。あの砲身を遊ばせず、一閃、機体を叩き切るのが一番いい。

 ガウは、転送動作が終わるか終らないかのうちに重機関銃を連射した。同時、アルベルも跳躍し、切り上げる。

 ガウは想像通り太刀を躱した。自在に滑空する姿は、甲虫を思わせる。そして宙高く停まり、連射してくる。

 

「チィッ!」

 

 舌打ち、アルベルは横に転がった。左手に気を込める。

 

「魔障壁!」

 

 躱し切れないのは、バンデーンとの戦いで経験している。義手に込めた気を壁とし、それで弾丸をやり過ごした。

 さらに一閃。

 剣先から衝撃波が生まれ、ガウのローターを掠める。高度が下がった。

 

「ぉお、りゃっ!」

 

 下段から切り上げ、双破斬で叩き落す。

 分厚い鋼鉄の塊は、轟音を立てて床に激突した。斬ったアルベルの腕まで痺れる。

 装甲が硬く、クリムゾンヘイトでなければ刃毀れしている。

 さらに刃に気を込めた。

 FD製のものは刃筋を通すだけでは両断できない。

 大上段に構え、アルベルは赤黒い闘気が宿った義手で柄を握りこみ、

 

「吼竜破!」

 

 打ち込んだ。

 剣術に気功を重ね合わせて放つ、一撃必殺の龍。本来は地脈を利用し、最大で十二体の黒龍を創り出す技を、アルベルはたった一体の龍に凝縮する。

 黒龍は斬撃から放たれるや、小山のような鋼鉄の塊、ガウに容赦なく食らいついた。天井高く飛翔して派手に爆発する。

 光、熱、風。

 アルベルは顔を叩いてくるそれらを鬱陶しげに眼を細めて受け流し、頭上を仰ぐ。ガウを爆散させる際、黒龍がのたうって飛び散った気が、ファイアウォールの床や壁に小さな穴をいくつも空けた。

 

「チッ!」

 

 それを見て、忌々しげに顔をしかめた。

 ガウの破片がぱらぱらと降る。

 

(せいぜい、六匹ってとこか……)

 

 一人ごちた。

 元々彼が使う「吼竜破」は多頭龍。制御が難しく、気功術の中でも超上級者向けの高威力の技だ。だが、それにはアレンやアルフのような一撃必殺の威力はない。

 あの二人やフェイトと戦うようになって、アルベルは気をもっと圧縮し、強力に、一撃で敵を屠る技が必要だと実感し始めているのである。

 

「単純に重ね合わせるだけじゃねえってことか……」

 

 ぶつぶつとつぶやきながら、アルベルは転送装置のプラットホームに乗り込み、次の間へと進んだ。

 

 

 ◇

 

 

「ったく。どこをどうやったらはぐれんだよ。あいつら」

 

 クリフは深い溜息を吐いた。もともと、目を離すとすぐ迷子になるナツメと、集団行動が嫌いなアルベルだ。

 それなりに注意を払って進むべきだろう、と胆に銘じていたのだが、まさか部屋一つまたいだだけで二人が消えるとは、夢にも思っていなかったのである。

 

「つーか、ここはどこだ?」

 

 クリフが記憶している部屋とは違っていた。そこは天井高く、パネル、ディスプレイで覆われた機械部品の中に間違いない――つまり、ファイアウォールなのだが、例のスイッチが見当たらない。

 さらに、クリフが見てきたどの部屋よりも広く、ひらけていた。

 

 こつ、

 

 靴音が背後で聞こえ、クリフがふり返った。扉がある。少なくとも数秒前まではあった(・・・)

 クリフの目に飛び込んできたのは延々と続く巨大な螺旋階段。そこから、悠然と降りてくる人物だ。

 淡い金髪と、濃い蒼の瞳。

 なじみ深い仲間の顔。

 

「て、てめえ!」

 

「まさかお前がここに来るとはな」

 

 アレンは抑揚を感じさせない声で語った。

 対峙してみると、まるで死人のようである。あれほど輝いていた瞳は闇に包まれ、影ながら存在感のあった貫録が、冷たい気配に呑まれている。

 

「へっ。しばらく見ねえ間に、腐った魚みたいな目ぇするようになったじゃねえか。それとも、それがお前の真の姿だってのか? エクスキューショナー」

 

「なにが言いたい」

 

「この年になって別に言うようなことでもねえんだがよ。……お前、仲間殺されてブチ切れてたんじゃなかったのかよ! ヴィスコムたちはな! テメエを生かすために戦ったんだぞ! それをテメエは、その怒りはどこに行きやがった!」

 

「それも所詮はプログラムが仕込んだこと」

 

「なに?」

 

「いま、お前が感じている不快な感情も、すべては0と1の集合体によって創られているに過ぎない」

 

 クリフは息を詰めた。視線を交わしても、まるで同じ場所に居る気がしない。壊れたプレイヤーを再生して聞いているような、落ち着き払ったアレンの声。

 それは、ともすればすべて諦めた者の声にも聞こえた。

 

「だから無駄だっていいてえか! そこまで腐ってやがったのか! テメエの性根は!」

 

「顔なじみのよしみだ。すぐに楽にしてやろう」

 

 アレンは表情を微塵も動かさず、手のひらを開いた。途端、白い光が集まり、身長の倍はある巨槍が一閃、光を割って現れる。それを彼が握ると、大きな羽音を立てて、彼の背に黒い巨人の手が広がった。まるで翼のような巨大な手。

 わずかに宙に浮かび、クリフを見下ろすその冷めた眼を睨み返して、

 

「上等だ。テメエがきちっと目を覚ますまで」

 

 クリフは思い切りガントレットを打ち鳴らした。

 

「徹底的にぼこぼこにしてやらぁ! 覚悟しろ! アレン!」

 

 言葉と同時、クリフは踏み込んだ。

 

「先手必勝だ!」

 

 両腕に蓄えられたありったけの気功を、全体重を込めた遠心力で振り回す、カーレントナックル。

 空寒い風切音。

 その獰猛な拳は、たとえ執行者だろうが断罪者だろうが容赦なく薙ぎ倒す。

 だが、

 

「なにっ!?」

 

 クリフが触ったのは、影だった。

 視界の端に見えたのは、アレンの背中についたあの巨大な触手。

 彼は代弁者のように羽を広げ、それを一閃することで文字通り、クリフの背に転移したのだ。

 

「これが俺たちと、お前たちとの違いだ」

 

 アレンが手のひらを開くと、白い光が走った。

 咄嗟に息を詰めて、頭を両腕で防御する。途端、巨大な猛牛が正面から衝突してきたような衝撃が、クリフの全身をわずかに浮かせた。

 呻き、全身から煙を上げながらも、クリフは口端をつり上げる。

 

「へっ! きかねえな」

 

 きりきりと焼け付く両腕の痛みが、かつてのアルフとの戦いを思い出させた。

 クリフの胸の中を、苛立ちが駆け抜ける。

 唇を強く噛みしめたクリフは、アレンを睨みあげた。

 

「その背中の刀、振り回してる方がよっぽど強ぇぜ! アレン!」

 

 両腕を開き、全身に闘志を燃え上がらせて、突進する。自分自身を焔の塊に変え、弾丸のごとく疾駆するバーストタックル。

 アレンはそれを、槍を一閃して止めた。

 

「誇りがあったんじゃねえのか!」

 

 クリフの苛立ちが、さらに膨れ上がる。

 

「銀河連邦の軍人として、テメエは民間人を護るんじゃなかったのか!?」

 

 下肢に力を込め、アレンの槍を吹き飛ばさんと、さらに気功を集める。

 アレンの澄まし顔が気に入らなかった。

 揺るがない瞳が、死人のような顔が、クリフの苛立ちを増長させる。

 

「それが軍人じゃねえのかよ! アレン! なのになんだ! いまのテメエはっ!? 鏡で自分の姿、見てみろ! 創造主だか何だか知らねえが、そんな奴の操り人形にされて、その状態でテメエは、自分が正しいって言えるのか!? 答えろ、アレン・ガード!」

 

 途端、

 クリフの身体が浮いた(・・・)

 目を見開き、状況を把握したときには、すでに後方へ吹き飛ばされている。ファイアウォールの壁に叩きつけられたクリフは、息を吐き出し、意識を手放しかけたが、強く奥歯を噛んで立ち上がる。

 全身が、たったいまの一撃で枯れ枝が折れるような音を立て、膝がガクガクと嗤い始めた。

 クリフは腿を叩き、殺気立った目をアレンに向ける。

 悠然と見下ろすアレンが、言った。

 

「いまのエネルギー波に耐えるとは。思った以上に強くなっているようだな。だが、結果は変わらない。どうあがこうと、お前の運命は、ここで決まる」

 

「まぁだ、目が覚めねえようだな」

 

 クリフはこれ見よがしに拳を打ち鳴らし、両拳に気を高めると、

 

「行くぜ!」

 

 クラウストロが誇る、爆発的な身体能力を発散させ、駆った。

 



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83.乱数

「こっちよ」

 

 ファイアウォールをブレアの先導で突き進んでいく。

 ネルは襲いくる警備マシンを叩き切って、アルフに尋ねた。――いまのでフロアにいる敵は最後だった。

 

「アンタ、なんであんなこと口走ったんだい」

 

 刀を納めたアルフが、首を傾げながらふり返る。一行は走りながら行軍していた。時間の節約に労は惜しまない。

 

「柄じゃないと思ったんだよ。いきなり「がおー」なんてさ」

 

 肩をすくめるネルに、アルフは得心がいったように片眉を上げた。

 

「ああ、あれか。あれは昔、ナツメが使ってたあいさつなんだ」

 

「そんな小っこい頃から、ナツメ姉ちゃんの知り合いだったのか?」

 

「そんなに前じゃない。四年ほどだ。アイツ、その頃はちょっと知恵遅れなところがあってね。いまは治ってるけど、俺はずっとアイツの名前が「がおー」だと思って呼んでた」

 

「センスないのは昔からなんだね。アンタ」

 

「アンタはなかなか、切れ味のいい突っ込みをくれるよな」

 

「やりたくてやってんじゃないよっ!」

 

 ネルが声を張り上げると、アルフは「まあ、まあ」となだめてきた。

 相対した者を竦み上がらせる、紅の狂眼はなりをひそめ、まるで獅子が眠りについているように茫洋とした眼差しが、ネルたちを見ている。

 

 ――それはいつ頃からだったのか。ネルは頭の隅で思った。

 

 警備マシンと戦っているときでさえ、アルフはあの無言のプレッシャー発していない。凪いだ海のように、淡々と敵を壊していくのみだ。

 唯一、あの鬼気を彷彿とさせたのは、「オーナー」とやらの話が出たとき。

 

 諜報員として他人の特徴をとらまえる癖があるネルは、アルフの被っている「無害な仮面」がどうも引っかかった。

 

(もっとも、コイツが単に私たちを仲間と認めただけなのかもしれないけどね)

 

 話していると、そこそこ社交性のある相手だと分かる。普通の人間ならアルフの取り繕った態度を気にとめないが、諜報員のネルだからこそ、こうして話しているとアルフがもまるで抜け殻のように感じた。

 一言で言えば、掴みどころのない。しかし、それは裏で計算されているところがある。

 

「まあ。つまりその昔の記憶が、ふいに頭を過ったってわけだね」

 

 探りを感じさせずにネルが問うと、アルフは首を振った。

 

「というより、どんな深刻な場面だろうと、アレンなら必ず反応を返してくるんだよ。ああ言うとね」

 

「つまり、それってアレン兄ちゃん以外に通用しねえんじゃねえか?」

 

「一人、青髪小僧を除けばね」

 

「フェイト兄ちゃぁああんっ!?」

 

「六深でも、提督以外は首をひねるんだけどね。不思議な奴だよな、アイツ」

 

 しみじみとアルフが言う。そこには懐かしさが滲んでいた。

 アレンやナツメの話をしているときは、やはりアルフは仮面らしい仮面をかぶっていない。

 

「アンタ、そこまで思い入れがあるなら――」

 

 言いかけて、ネルはやめた。

 そう言えば、と思ったのだ。

 アルフはどちらかと言うと、ネルよりもクレアに思考が近い。本音を見えないところに押し隠し、的確な判断を――味方を犠牲にできる判断をくだせるところも、そうだ。

 それはネルにとって、焦がれるほどうらやましい覚悟である。

 

 だから以前のことを思い出す。アレンが初めてアルフと敵対したとき、ネルは二人の状況を自分とクレアに重ねた。自分ならクレアを敵軍とみなして斬ることはできないだろう、と結論していた。だがもし、クレアならば――。

 

 考えて、馬鹿らしくなった。

 判断できようとできまいと、それでなにかが軽くなるわけではない。それはきっと、正確な判断をくだせるこの男でも、そうなのだ。

 

「アンタとアンタの相棒とは、ちょっと具合が違うよ」

 

 不意に言われて、ネルが顔を上げると、アルフが肩をすくめていた。

 

「俺とアレンはね」

 

「……そんなもんかい」

 

 思考を読まれたことに驚いたが、それは脇に置いておいた。この男は恐ろしく察しがいい。だから余計には言わず、ネルは話の続きを要求した。

 アルフが頷く。

 

「アンタたちは、殺し合いを楽しむ輩じゃないから」

 

 ネルの眦がつり上った。咄嗟に浮かんだのは、アルベルだ。“歪み”として大陸に名を馳せた、漆黒団長の酷薄な笑み。

 

 命をなんとも思わない、そんな敵将の彼が、ネルは大嫌いだった。

 

 戦時のこととはいえ、いまは和平にこぎつけたとはいえ、このわだかまりが晴れることは決してないと彼女は確信する。

 実際に行動をともにし、そこまで極悪人ではないと分かっても、“歪み”の名で思い出される部下の死が、多すぎるのだ。

 普段は思考の隅に追いやれても、ふいにこうして思い出す。当時の、胸をかきむしりたくなるほどの、深い憎悪や絶望とともに。

 それは恐らく、アルベルもそうだろうとネルは思う。

 

 どれほど理解しようと、納得できない相手の性分。

 

 風雷のウォルターも、ネルの部下を何人も殺した。だが、あれはアーリグリフの中では温情のある男だ。手段を選ばないヴォックスや、相手を斬り殺すことに躊躇しないアルベルとは違う。

 

「なるほど、確かに。それなら全然、私たちとは違うね」

 

 皮肉を込めて口端をつりあげると、アルフはあっさりと頷いた。

 

「それでいい。強さには果てがない。それを知ってなお追い求めようとする奴なんざ、社会のはみ出し者だよ。町のゴロツキと紙一重だ」

 

「……アンタ。自分がそんな風に見られて、なんとも思わないのかい?」

 

 問うと、アルフは酷薄に笑んだ。

 

「世の中不思議なことにね。道を踏み外した先にも、道があるんだ」

 

 そこで、アルフは一気に刀を抜き打った。雷鳴のような抜刀。右端――通路の角から、巨大な目玉の魔獣『エルダーアイ』が飛び込んでくるところだった。

 高高度から紋章術を放つまえに空破斬で両断され、巨大な目玉から伸びた触手のような小さな目たちが、床でびちびちと跳ねる。

 だがそれも数秒で、エルダーアイはすぐに光の粒子となって霧散した。

 

「やっぱ、普通の場所とは違うってことじゃんね!」

 

 アルフとネルが難しい話をしているので入るタイミングを逃していたロジャーが、ここぞとばかりに声を張り上げた。

 

「そうだね。さっきから、斃した奴らが消えてってる」

 

 警備マシンを相手にしているときは気にならなかったが、このようにエリクールでも見られる魔物の上位種が消え去ると、この場所の異常性をいやでも理解することになる。

 ネルが思案顔で顎に拳を当てていると、ブレアが言った。

 

「恐らく、メモリに負荷をかけないための処置よ。エクスキューショナーの全体数も、その関係で管理されているようだわ」

 

「つまり、俺たちもここでやられるとヤバいってことか」

 

 面白そうに喉を鳴らすアルフに、ネルは要領を得ず、首を傾げながら曖昧に頷いた。

 

「それで。少しはリサーチできたかい? “クリムゾンブレイド”さん」

 

 肩越しにアルフが言った。しかし、興味はあまりないのか、さっさと次の部屋に入っていく。

 その背を目を丸くしながら見届けて、

 

「やっぱり、全然わかんないよ。アンタ……」

 

 ネルは溜息を吐いた。

 

 

 ………………

 …………

 

 

「いやぁ、困った困った。ずいぶん骨が折れたよ」

 

 陽気な声は、突然頭上から降ってきた。

 ネルたちは目を疑う。場の景色が一転したのだ。彼らは間違いなくファイアーウォールを駆けていたのに、いつの間にか、青空の下に出ていた。

 

 流れ込んでくる空気までもが違う。空調のきいた快適なものではなく、埃っぽく乾いた、少し肌寒い気候。

 

「ここは……!」

 

「修練場の屋上だな」

 

 息を呑むネルの隣で、アルフが視線をめぐらせてつぶやいた。

 

 だだっ広い真四角の空間。空は快晴で、石壁が四方を囲んでいる。屋上を構成する白亜の煉瓦は砂埃を被って薄茶色になっていた。

 カルサア修練場。

 その最上階にある「闘技場」である。

 

「ど、どどどどーなってんだ!? 一体!」

 

 ロジャーが驚くのも無理はない。

 アルフはどこからか聞こえてきた『声』の主を探した。

 

「ようこそ、ファイアウォールへ」

 

「ここから先は、私たちがお相手するわ」

 

 また、声が聞こえてきた。

 

(――アナウンス?)

 

 首をひねっている間に、「えっ」と息を呑むネルとロジャー。彼らが見ているのは、前方だ。

 一瞬前までアルフたち以外は誰も居なかった場所。

 その中央に、若い男女が佇んでいた。

 

 絶対に見落とすはずのない、見晴らしのいい場所に。

 

「いやぁ~、なかなか手こずらせてもらったよ。乱数調整するキャラって、本当に厄介だな。自分が望んだ通りのルートを、自動的に割り出してしまうんだから」

 

「おかげで私たちを通り抜けてルシファーくんの模造体と出逢っちゃうところだったわよね。何回フィールド修正したことか……」

 

 どちらも、二十前後の男女。

 男は青銅のオープンフェイスの甲冑姿だった。

 女は藍色のとんがり帽子に、ズロースに似た膝丈の膨らんだズボン。宙に浮かぶ、背丈と同じ長さの竹ぼうきに横乗りしている、いわゆる『魔女っ娘』だ。

 エリクールの『ラヴィッチ』に似ている。

 

「ソロン! ディルナ! あなたたちまで」

 

 後ろで、ブレアが二人に向かって叫んだ。

 甲冑の男が、二メートルはありそうな幅広の長剣を右手に、笑いかける。

 

「やあ、ブレア。君はやっぱり、まだそちら側についてるのかな?」

 

 暢気そうな男だった。彼をソロン、とブレアは呼ぶ。

 

「当然よ! 彼らはもう自らの意志を得たの。プログラム生命体としての規格を超え、私たちとなんら遜色ない存在にまでなったのよ! それを一方的に壊そうだなんて――」

 

「……聞いてないの? ブレア」

 

 ディルナと呼ばれた女が、ふいに眉をひそめた。

 

「え……っ?」

 

「保安部のアザゼルくん。また動けるようになるまで八か月かかるって」

 

「それもスフィア社直轄病院で、最高の医療を施しての話だ。全身ズタズタに切り裂かれて、あと少し治療が遅れていたら、危なかったって話。これは稀にみる凶悪事件だよ。――混乱が大きくなるから、まだ公にはしていないけどね」

 

「そうは言っても、もとの原因はオーナーが放ったプログラムよ。彼らだって、好きでやったわけではないわ!」

 

「……うぅ~ん。でもさ、創った者には創ってしまった者なりの責任があるっていうか」

 

 ソロンは困ったように、兜から伸びるT字型の鼻あてに収まった、形のいい鼻筋を掻いた。

 ディルナが肩をすくめる。

 

「少なくとも。私たちに危害を加えそうなキャラだけは確実に消さないと、他のみんなが安心してお仕事できないわけだし。だ・か・ら、話し合うのもいいけど、それは話が通じそうな相手だけ。それで十分じゃない?」

 

 にこりと笑って、ディルナは視線をアルフに貼りつけた。覇気のない、FD人特有のふやけた視線。

 

「そんなこと……!」

 

 ブレアが反論する前に、ソロンが芝居がかった動きで一礼した。

 

「初めまして? 特異体のみなさん。自分は“触れられざる薄雲の騎士”ことソロン・ソリュート」

 

 ソロンの後ろで、ふわふわ浮かぶ竹ぼうきに乗ったディルナが、朱唇を割った。幼い顔立ちとは裏腹に、涼やかな視線をこちらに向けて

 

「そして、わたくし“鏡面の焔”ことディルナ・ハミルントンのコンビで~す! こう見えて、ジェミティ市立闘技場の名誉チャンピオンなのよ。私たち」

 

 眼は笑っていないのに、能天気な高い声を発してくる。正確には、視線が弱いのだ。

 ネルが半眼になりながら、腰の短刀を引き抜いた。

 

「ふざけた奴らだね」

 

「ふざけてねぇ方が希少だろ」

 

 アルフが返すと、ソロンが腹を抱えて爽快に笑った。

 

「ハハッ! これは元気いっぱいだね。それじゃあ、まず自分から行ってみようかな?」

 

「あら。珍しくやる気ね、ソロン」

 

 顎先に人差指を置いて、ディルナが首を傾げる。ソロンは蒼焔を発する長剣を青眼に構えると、笑みを深くした。

 

「見たところ、彼は結構できそうだ。いいだろ?」

 

「ええ、もちろん。で・も、言った限りは一気に終わらせちゃってよね!」

 

「はいはい」

 

 溜息混じりに彼が頷いたとき、

 疾風を巻いた凶悪な突きが、ソロンの眉間に迫った。

 

「おっと! ――せっかちだなぁ。君は」

 

 紙一重で首を捻って躱し、ソロンは苦笑する。

 と、

 標的を定めた紅の狂眼が、ソロンを射抜いた。

 

「いつまで舐めてやがる」

 

「アハハ、強気で結構」

 

 突きから袈裟状に斬り落とすアルフ。ソロンは長剣で受け止め、弾く。

 “流す”などという技術はまったくなかった。ソロンは斬撃を受け止め、ただ押し返した(・・・・・)

 その馬鹿力に、アルフは目を瞠る。

 

(コイツ、片手で……)

 

 バックステップで距離を取ったソロンが、悠然と笑んだ。

 

「それじゃあ、改めて始めようか? アルフ・アトロシャスくん」

 

 長剣を両手で握り、胸の前で直立させるソロン。

 対し、アルフは青眼に構えた。

 間合い、三メートル。

 得物の長いソロンに利がある。

 ソロンは口端をつり上げると、膝を曲げて、踏みこんだ。

 

「ギャンブルソード!」

 

 冗談みたいな片手殴りに打ちこんでくる。大振り。

 アルフはその太刀風を顔に受けつつ、腰を沈め、

 

(!)

 

 相手の喉をはね斬る寸前で、寒気を覚えた。根拠はない。が、咄嗟に歯を噛み、受け太刀する。

 瞬後。

 ソロンの長剣が地面に触れるや、切尖から巨大な爆発が生じ、焔がまるでマグマのように湧き起こった。

 まるでエクスプロージョンだ。

 低く呻いて衝撃を極力気功で流し、アルフは一足飛びで二メートル下がる。

 腕ごと、ねじ切られたかと思うような強烈な爆発だ。びりびりと手が痺れる。

 熱風が空間を荒々しくかき乱し、乾いた砂の地面に、巨大なクレーターを作り出す。

 

「……馬鹿な……っ!」

 

「冗談じゃねえじゃんよっ!」

 

 ネルとロジャーがクレーターの深さに息を呑む。

 むっと気温が上昇した。

 

「おや。外してしまったか」

 

 ソロンはクレーターを見つめて、場違いなほど暢気につぶやいた。

 そこへ、

 『疾風突き』が、ソロンの眉間を襲う。

 ソロンは首をすくめ、空間を貫くような突風をまとった突きをやり過ごす。頭上数ミリ、太刀風が霞める。兜の頭頂部に、チッ、と丸い火の玉が咲いた。

 

 ディルナが意外そうに目を瞠る。

 

「わぁ。意外と速いのね~!」

 

 笑っていたのはそこまでで、

 

「チッ……!」

 

 ソロンの舌打ちが聞こえるのと同時、ディルナの口許からも一瞬笑みが消えた。

 

 ソロンの兜の間から一筋、血が垂れる。

 

 回避が半歩、遅れていた。――いや、疾風突きの速度が初手より上がっていたのだ。

 

「あっぶな~! この兜じゃなきゃ斬られてるところだっ!」

 

 ソロンは口をへの字に曲げながら、素早く距離を取る。

 ――取るつもりだった。

 

「え?」

 

 眼前に、アルフ。

 いつ近寄られたのか、見当がつかない。刀を下段に提げたまま、するすると自然な動きで近づいたアルフが、刀を払ってソロンを斬りたてた。

 雷光のごとき連斬。

 だが、

 眼を見開いたのは、アルフ。

 

(なに?)

 

 横薙ぎ、左袈裟、右袈裟、胴薙ぎ、切り上げ。

 完全に敵の不意を突いた五連斬『鏡面刹』のすべてを、ショルダーアーマーに跳ね返された。

 

 力任せの押し返しではなく、今度は流された(・・・・)

 

 閃光のような斬撃の渦中にあって、ソロンは剣を振らずとも傷一つ負わない。

 ソロンより先に、ソロンの鎧が敵の攻撃に反応している。

 

「ハハッ!」

 

 戸惑いから立ち直ったソロンが、長剣をはね上げた。頬に風。ミリ単位で後ろに避けたアルフが打ちこむ、

 寸前、

 

 ぞくり(・・・)……

 

 あの寒気が、背筋を走った。

 

「――ちっ!」

 

 舌打ちし、飛び下がる。

 

「ギャンブルソード!」

 

 なんの考えもなしに放たれた片手殴りの打ちこみが、地面を深く抉り、爆発とともに巨大マグマを生じさせる。

 同心円状に広がる爆風。

 熱風が、凄まじい勢いで吹き荒れる。

 

 アルフの判断が一瞬遅れれば直撃だった。その末路は、(えぐ)(ただ)れた地面が物語る。

 飛び下がったアルフが小さく舌打つ。

 回避は間にあったが、ギャンブルソードの爆風はアルフの位置にまで及び、わずかに巻きこまれた両腕が紙のように燃え上がったのだ。

 それでも彼は表情を変えない。

 

 ソロンの鎧はあらゆる攻撃を跳ね返し、ソロンの長剣はあらゆるものを粉砕していく。

 

(特務の防護服すら通すとはな)

 

 アルフは腕を払って火を消し、ひりつく腕で刀を納めた。

 動かなくなるほどの深手ではない。だが、常人なら火傷で震えるところ、彼の手許はピンと芯が通ったようにびくともしない。

 右手を垂れたまま、アルフは相手との距離を目算する。

 約四メートル。

 

(あのギャンブルソードとかいう技なら、届く)

 

 反して、アルフは相当踏みこまねば届かぬ間合いだ。

 

「アルフ!」

 

「動くな。アンタたちはそこで見てろ。俺が探る」

 

 ――相手の底を。

 言外に放つアルフに、ネルは顔をしかめた。

 この戦い方は好きではない。味方を捨て駒のようにして敵の腹を探るやり方。彼女がもっとも辟易する戦法だ。

 だが。

 

「ネルお姉さま。アイツの鎧、いや鎧だけじゃねえ。剣もだ。……なんか、なんか変じゃねえか?」

 

 冷静なロジャーの言葉に、アルフに加勢しようと短刀にかけた手を、下ろした。

 言いかけた言葉を呑みこんで、ソロンを睨む。

 

「――いや。変なのは鎧と剣だけじゃない。奴の装備そのものだよ」

 

「そうなのか?」

 

「よく見てれば分かるよ、ロジャー」

 

 そういう一方で、唇を噛む。いまの間、敵の一挙手一投足を見逃したつもりはない。

 だが、アルフが言うようにここで加勢したところでソロンを確実に倒す戦術が練れたわけではなかった。

 

(分かったのは、アイツの防御が完璧だってこと。それに向こうはあと一人、女を抱え込んでる。私たちの実力を見せない方が、戦況は優位に運べるだろう。――でも)

 

 ソロンは騎士の格好をしているが、「剣士」ではない。

 ただ純粋に高い身体能力を使って、暴力を振るうだけだ。甲冑も剣も、彼の趣味を助長するアクセサリーに過ぎない。

 

(だからこそ、凌ぎにくい相手。素人だから何をしでかしてくるのか分からない。だけどそれで――アルフの相手が務まるものかい?)

 

 答えは、否だ。

 普通の人間は、彼の壮絶な狂気にあてられて身がすくむ。どれほど恵まれた力を持っていようと、優れた剣技があろうと、心が強くなければアルフの『眼』とは対峙できない。

 

 ソロンがクスリと笑って肩をすくめた。

 

「君の剣は、なに一つ自分に通用しないよ。なかなかよく練られたプログラムだけど、その程度じゃ自分のプログラムを破ることは出来ないな」

 

 アルフが薄笑う。

 

「試すか」

 

 ソロンは両手を広げて答えた。

 

「いいよ。試してみるといい。敢えて受けてあげよう」

 

 瞬間、

 

 アルフはカッと目を見開くや雷光のごとく抜き打ち、真っ向に斬りおろした。剣尖を追う真空の気柱が幾本も立ち、ソロンを襲わんと地表を駆る。

 剣技『空破斬』。

 圧倒的な剣速で生み出される衝撃波と(はら)に溜めた気を組み合わせて成る、遠距離用の牽制剣技だ。威力は高過ぎず、低過ぎず。速球のごときスピードで直線状に走る。

 

「お、っと!」

 

 それをソロンの鎧は苦もなく受け流す。

 同時、ソロンの兜を割らんばかりに、高く飛び上がったアルフが打ちこんでいた。轟音に反し、ソロンの兜は曲湾部で刀を流す。

 ニッと笑ったソロンが長剣を払った。

 

「そらっ!」

 

 アルフは紙一重のところで見切り、太刀風がアルフの前髪をさらう。

 瞬後、

 下段から抜き放ったアルフの刀が、三層の真空波を巻き起こしてソロンを襲った。

 

 ギィンッ!

 

 刃を、真空波を、ショルダーアーマーが苦もなく流し弾く。

 ソロンが直進する。アルフの攻撃などものともしない。間合いが縮まる。

 距離二メートル。

 

「ギャンブルソード!」

 

 片手殴りに斬りつけてくる剣めがけ、アルフの狂眼が鋭く光った。腰を落し、踏み込む。

 

 ドンッ!

 

 石畳に溜まった土埃が舞いあがった。強烈な蹴りつけ。

 ネルが思わず叫んだ。

 

「馬鹿――っ!」

 

 声が裏返った。

 二度躱したのに、なぜ切り込んだ――? ネルが思考する間に、二人の剣士が交差する。

 ソロンの長剣が地面に叩き落ち、大爆発を起こした。

 アルフは、その脇。

 ソロンのがら空きになった左側面だ。

 

「あっ……!」

 

 そうか、とネルが息を呑んだ。

 

 

「ソロンの脇に潜り込んだの!? うっそぉ~!」

 

 ディルナが素っ頓狂な声をあげて、顔を手で挟む。

 

 ロジャーは知らぬ間に拳を握っていた。

 

(すげえ……!)

 

 一歩間違えれば石畳と同じ運命。それでも、アルフは迷わない。

 躊躇しない。

 

 アルフが剣を払った。剣技『衝裂破』。空破斬の派生技だ。真空の気柱がアルフを中心に孤を描き、そり立つ。

 直撃した。 

 ソロンの身体が後ろに吹き飛ぶ。

 彼はタッと軽やかに着地すると、

 

「驚いたな。攻撃は痛くないけど、吹き飛ばされるのはなかなか厄介だ」

 

 そう言ってクスクスと声を立てる。

 だがそのとき、アルフは妖艶に、邪悪に嗤っていた。

 

「装備だけが取り柄なら、ここで終わってもらう」

 

 静かに言い放ち、アルフは剣を水平に横たえる。

 剣技『活人剣』。

 身体能力を何倍にも押し上げる内気功。アルフの全身に金色の焔が吹き荒れ、彼の中から龍が眠りから覚め解きたのを喜ぶように、天空に向かって鋭く吼えた。

 

 

「なに?」

 

 ソロンが真顔でその龍――金色の龍を見据える。

 人を恐怖の底に突き落とす紅の瞳を細めて、アルフはこの上なく美しく、優しそうに微笑んだ。

 

 

「さあ、見せてもらおうか。お前の、底を」

 

 

 ◇

 

 

 そこは、ハイダが襲撃され、ようやくフェイトと再会した場所、カルサア修練場だった。

 

 石畳の闘技場は、ソフィアにとって感慨深い。バンデーンのエリミネートライフルにさらされ、ソフィアが絶望していたとき、フェイトが「必ず助ける」と約束してくれた場所だ。

 

 ここにいま、四人の黒い甲冑を着た兵士たちがいた。――アーリグリフ重騎士団『漆黒』の兵士たちである。

 

 ソフィアはぱちぱちと頬を叩く。――痛くない。まるで夢の中を漂っているような、奇妙な浮遊感がソフィアを包んでいる。

 それでも。

 

「フェイト!」

 

 彼女は目の前で漆黒に囲まれたフェイトに呼びかけた。だが、彼は見向きもしない。

 

 

「肢閃刀!」

 

「ブレードリアクター!」

 

 ネルが切り上げた二人の兵、中空に舞い上げられた彼らに向けて、フェイトが追撃に振りぬいた。青い気功を孕んだ斬撃は空に美しい弧を描き、二人の漆黒兵に肉薄する――寸前で、

 

「っ、」

 

 フェイトが、急に動きを止めた。まるで油の切れた機械のように、中途半端な姿勢で固まっている。

 

「フェイト!」

 

 ソフィアは思わず叫んだ。

 斬り損ねた漆黒兵が、ふらつきながらも立ち上がって、巨大な長剣を振りかぶった。

 フェイトはまだ、剣を見つめて止まっている。

 

(――ダメッ!)

 

 内臓が抜け落ちるような、冷たい浮遊感がソフィアを襲った。

 

「気功掌っ!」

 

「マイト・ハンマー!」

 

 フェイトの背中から、不意打ち気味にクリフとアレンの攻撃が決まって、漆黒兵が闘技場の壁に叩きつけられる。

 固まっていたフェイトが、その轟音を聞いてようやく我に返り、

 

「……心配すんな。ちゃんと、加減してるぜ」

 

「っ、っ! ……ごめん……っ」

 

 震える手をさすりながら、小さくつぶやいた。

 

 しょぼくれた、小さな背中だった。

 

 再会したときに見間違えた、あのたくましい自信に満ちた表情が、このフェイトからは見受けられない。

 

(――どうして?)

 

 かと言って、目の前のフェイトは、いつもの――ソフィアと遊んでくれる時折意地悪くも優しいフェイトとも違っていた。

 怯えているのだ。

 背中を縮めて小さくなって――戦乱の未開惑星に投げ込まれた青年は、人を殺すことを恐れ続けていた。

 

 ソフィアは心がえぐられるような痛みを感じた。

 バンデーンに捕まり、ソフィアが牢獄生活でなにもせずにいた間、フェイトはソフィアに会い、元の生活を取り戻すためだけに戦っていた。

 敵だけではなく己の心と、迫りくるあらゆる状況と。

 いつも心に、もう一度、屈託なくソフィアと会えるようにと願いながら。

 

 ――ソフィアがいま見ているのは、アレン・ガードの記憶である。そのなかのフェイト。

 

 そんな小さな事情を、ソフィアが知ることはない。だが、エリクールで固めたフェイトの決意に、覚悟をもつまでの数々の試練に、ソフィアはいつの間にか、涙していた。

 

(フェイト……。ごめん、ごめんね……、そんなこと、私、全然知らなくて……ありがとう……!)

 

 額が、ぽかぽかと温かくなってくる。

 ソフィアは胸を張った。

 

(この戦い……。負けない――負けられないっ!)

 

 初めて、この世界を壊してはならないと確信した。

 己の意志で、現実のこととして、ソフィアはコネクションを解放する。

 

「この世界は、絶対に壊させたりしない! 消えろって言われたって、はいそうですかって消えたりはしないんだから、絶対に!」

 

 絶対に、生きて帰ろうと思った。

 フェイトとまた、屈託なく過ごせるように。

 

 そのとき、

 ソフィアの右腕に宿った同心円状の紋章陣が大きく膨らみ、ソフィアはそれに、左手を添えて掲げるようにして――空へと、放った。

 

 甲高い、紋章術の発動する音が聞こえる。

 

 ソフィアは眼を見開いた。脳に――直接訴えてくる大量の古代(ルーン)文字。雪崩のような紋章知識が、真綿が水を吸収するように、ソフィアの活きた経験として変換されていく。

 

 上空。抜けるような青い空に広がっていったソフィアの紋章陣は、さらにその奥にある無限の宇宙へと、世界を繋げた。

 

「ぐ、ぁあっ!」

 

 そのときである。

 ガラスが砕けるような音が響いて、さらに轟音が、ソフィアの耳朶を打った。

 はっと目を開けると――どうやら、白昼夢を見ていたらしい――透明色の床に金で描かれた紋章陣の上、ソフィアがいま立っている場所の延長上に、血まみれのナツメが転がっていた。

 

「ナ、ナツメちゃん!」

 

 慌てて駆け寄り、助け起こすと、ナツメは左腕を抱えながら、呻くように言った。

 

「ソフィア……さん?」

 

「ひどい怪我……!」

 

「大丈夫です。肝心なところは、竜が護ってくれましたから」

 

 奥歯を噛みしめて立ち上がろうとするナツメを、ソフィアは止めた。

 前方から、獣の唸り声が聞こえてくる。

 見上げると、そこに三体の魔獣。

 

 魔獣デスゲイズと鳥人キマイラホーク、魔人ルクトギアスの三体だ。――以前なら、これほどの強敵をまえに味方からどれだけ発破をかけられようと、ソフィアは怯えて、逃げ腰になっていた。

 だが、いまは。

 

「ナツメちゃんにこんなひどいことして……、謝ったって許してあげないもんっ!」

 

 ソフィアは輝く右腕をナツメに掲げると、巨大な紋章陣を空に描いた。この時代ではアレンとアルフのみが使える古代呪紋「フェアリーヒール」。

 それをあっさりと再現してみせたソフィアは、月の杖クレッセントロッドを携えて、三体の魔獣を睨みつけた。

 嘘のように傷が癒えたナツメは、その力強い背中を狐につままれたように見つめている。

 

 

 ひどく落ち着いた気持ちが、ソフィアの胸を満たしていた。

 

(いまならよくわかる。アレンさんが教えてくれたこと、紋章術の意味っ!)

 

 デスゲイズが襲い掛かってくる。ソフィアは杖を四足の獣に向けた。同時、立体的な光の紋章陣が彼女の杖、腕、胸、頭――上半身全体に広がり、強烈に輝いた。

 

「サンダーストラックッ!」

 

 閃光のごとく走った雷の檻が、魔獣を葬り去る。

 

「なっ!?」

 

 その凶悪なまでに強大な紋章力を前に、ナツメだけでなく二体の魔獣までもが低く唸って後ずさった。

 

「絶対に、皆で帰るよ。ナツメちゃん!」

 

 力強いソフィアの声。

 凛々しい眼差し。

 ナツメはそれをぽかんと見上げて――シャープエッジとシャープネスを握り直すと、鋭く頷き返した。



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84.ソロンとディルナ

 ソフィアのコネクションが宙に広がったとき、ファイアーウォールの広間が、通路が、山岳遺跡が、闘技場が――すべての空間がまるで殻から抜け出たようにパラパラと音を立てて剥がれていった。

 

 パネル・ディスプレイに覆われたトンネルが割れてその向こうに広がる――宇宙。

 

 岩壁に閉じ込められた洞窟、黒い岩盤が細かく砕けていき、その先に見える――宇宙。

 

 修練場の上空、抜けるような青空が突如崩れ、褐色の煉瓦さえも消え果てた先に広がる――宇宙。

 

 場所は違えどすべての空間が一つに繋がり、漆黒の暗闇が全方位を包む。みなが立っているのは透明な床板の上。金色の紋章陣が床下を走り、仄明るい光を発している、不思議な空間。

 ――完全な静謐に包まれた、スフィア社オーナーが待つ最後の砦。

 

 螺旋の塔。

 

 

 ◇

 

 

 イミテイティブ・ブレアがうろたえて周りを見渡した。

 

「馬鹿なっ!? 一体どうやって、こんなことが――っ」

 

 彼女が驚いている間に、マリアは肩で息を切らしながら、呼吸を整える。負傷した右腕。左手で庇いながら宇宙を見上げた。

 なにもない、だだっ広い宇宙。

 雲のように流れていく星々を。

 

「この力は……、間違いない。ソフィア……! まさか、力を使いこなしてるの!?」

 

 

 

 延々と続くように思われた廊下をひた走るフェイトが、足を止めた。

 紺碧の空間。

 旅行するときにいつも見かけた沈黙のそら。

 薄透明色の通路は金色の門を潜るように作られており、その門を塞ぐように紫色のクリスタルが浮かんでいた。

 

「こいつは……!」

 

 額に熱を感じて手を当てた。心臓が脈打つ。淡い発光。全身から紋章力が湧き立ってくる。

 

「そうか。無事なんだな、ソフィア!」

 

 行く手を阻むクリスタル結晶を壊して、フェイトは塔の最上階を目指していく。

 

 

 

 アルベルは小さく鼻を鳴らす。

 大型転送装置が運んだ先が――この螺旋の塔だった。気が遠くなるほど広いフィールドを見渡して、

 

「相変わらず、どこが前だか分かりづれえ構造してやがる」

 

 素朴な悪態をつきながら、上の階へと進んでいく。

 

 

 

 ソロンとディルナからは、ため息が零れた。

 

「こりゃひどいバグだなぁ……」

 

「お仕事が増えちゃっただけよ? 愚痴っちゃダメダメ」

 

「はいはい」

 

 対するネルたちは目を疑った。

 無限に続く漆黒の空間。馴染みないその世界が、修練場の景色を壊した先に広がっていたのだ。

 

「これは、どういうことだい……?」

 

「よく分かんねえけど、綺麗なトコじゃんよ~……」

 

 呆気にとられる二人の会話を背にして、アルフは刀を握り直した。

 狂眼は、いかなるときも敵を見逃さない。活人剣による身体能力強化、相手の行動を完全読み切るアルフの洞察力により、戦いは優勢に傾いていた。だがディルナ・ハミルトンの参戦によりその様相は一変。

 FD人たちによる終わりなき苛烈な攻撃が始まる。

 それはまるで悪い夢のようで。

 

 ◇

 

「マッジカルスター!」

 

 少女の明るい声が弾むと、星形の光線がアルフに躍りかかった。まるでステップを踏むような円運動。見た目に反して容赦なく地面を抉り取り、黒い土煙を上げる。寸前で二、三、銀弧が閃いた。星が斬り捨てられたのだ。分割した星がそれぞれ爆破し、煙の中に沈むアルフ。ネルの眼が強張る。アルフの左手――土煙の縁で、ソロン・ソリュートが蒼焔の剣を振り上げている。間合い二メートルとない。確実に当たる。

 

「ギャンブルソードっ!」

 

 冗談みたいにいい加減な打ち込みが、四メートル四方すべてを呑みこむ大爆発を起こした。焔が突風を巻いて吹き荒れる。ネルの叫びが爆発音で掻き消され、眩い光が漆黒の空間を照らし、すぐ闇に吸い込まれていく。

 煙の中、血まみれのアルフが現れる。

 ソロンが薄く笑って斬り立てた。中空に咲くいくつもの火花。アルフの剣は衰えない。単純な斬り合いでソロンの強力な攻撃を、局所的に押し返している。だが、それもディルナ・ハミルトンの援護があれば大きく変わる。焔の獣とでも形容したくなる強烈なファイアボルト。それはソロンの死角から必ず放たれ、カウンターを取ろうとしたアルフを一撃で後ろに引きずり倒す。そこを苛烈に攻めるソロン。彼の笑顔はいよいよ嗜虐的な色を帯び始めていた。劣勢に落ちる剣士をこれでもかと攻め立て、いつ相手が音を上げるのか嬉しそうに待ち構えている。

 亀のように身を縮め、斬撃の檻に押し込まれたアルフは防戦一方だ。首、頬、肩、二の腕――かすり傷が増えていく。

 

「このままじゃやべえ……っ!」

 

 ロジャーに言われるまでもなく、ネルも承知していた。だがアルフはなにか待っている。静謐な紅瞳。一発もらえば即死という状況で、彼はまだ冷静なままだ。

 加勢すべきか、否か。

 悩む内にディルナがまたファイアボルトを詠唱し始めた。

 

(まずいっ!)

 

 背中を怖気が駆ける。

 

「ロジャー!」

 

「任せるじゃんよっ!」

 

 嬉しそうな返答を聞くまえに、ネルは背中の大刀を水平に押し投げた。黒鷹旋。疾風を巻いた大刀が手裏剣のように水平回転しながら三本のファイアボルトに当たり、軌道をわずかにずらした。ディルナの驚く顔。ネルは身を屈め、猫のように疾駆。一方でロジャーもトライファンネルを展開し、ソロンの動きを制限しつつヒートウィップで相手の剣を絡め取った。

 接近に成功したネル。調教された鷹のごとく大刀が手元に戻ってくる。それを取るや、勢いよく斬りつけた。施術防壁。刃が跳ね返され、驚きで飛びずさると同時に星形の光線がネルを襲った。小刀で咄嗟に防御。意味をなさずネルの痩身がきりもみ回転しながら後ろに吹き飛ぶ。

 一方、ロジャーも顔を歪めていた。ヒートウィップで封印したソロンの剣。だがソロンは不気味に嗤って、なんと力任せにウィップを引き返してきたのだ。凶悪に改造されたソロンの馬鹿力でロジャーの体が宙を舞う。長い悲鳴を上げていられたのもつかの間、完全に引き寄せたロジャーの腹にソロンの強烈な拳が決まった。くぐもった声、嘔吐するロジャー。鞠のように少年が薄透明の床に投げ出される。

 一対一では話にならない。

 

(馬鹿な……っ!)

 

 呻きながらも、ならば、とネルの瞳が燃え上がった。鋭い彼女の怒号とともに、ロジャーが雄叫びを上げながら立ち上がってディルナに肉薄する。攻撃対象をディルナに限定。各個撃破に躍り出たのだ。

 

「風陣!」

 

「トライファンネルっ!」

 

 息の完全にあった二人の動きに、ディルナとソロンが瞠目した。きちんと会話を交わしたわけではないのに、一糸乱れぬネルとロジャー。それはまるで集団戦闘に慣れ切っているようだ。たとえば毎日、自分より格上の人間に複数で攻めかかっていたような。

 

「ディルナっ!」

 

 嫌な予感を覚えてソロンが加勢しようと駆けだしたそのとき、蒼焔の剣がソロンよりも速く後ろから斬りかかった男に反応した。剣戟音。腕に沈みこんでくる重い斬撃を受けて、ソロンの端正な顔が歪む。頭上に血まみれのアルフ。ぎらついた紅瞳はずっと静かなままだ。ソロンは初めてあからさまに舌打ちした。

 

「まったく! しつこいなぁっ! 君も!」

 

 力を込め、攻め返すがいくら剣を操ってもアルフを退けられない。相手の腕力はこちらより遥かに弱い。彼の動きはこちらより明らかに遅い。なのに、この弱い男を相手にソロンはいつまでも手間取っている。

 

(なんだ、こいつ――っ!)

 

 殺ったと思った瞬間がいくらでもあった。そのどれもが思い違い。まるで沼だ。この男は底なしの沼。ここで斃せるはずなのに、ソロンはまだその沼の底に足をつけられないでいる。

 どれだけ速く、どれだけ強い一撃を放とうと、アルフは先に掴んだ相手の行動パターンから絶妙なタイミングで攻撃の芯を外していく。首の血管を斬られそうになった彼は即対応を修正し、頬に、肩に、腕に――徐々に致命傷から離れた部位で、相手の攻撃を受け始める。それはコンマ数ミリの緻密な作業。相手の心でも見通せなければ、判断誤って斬り殺される。ソロン・ソリュートのような、もう人の域を超えた身体能力を持つ相手には。

 

 爆発音が左手で上がり、ソロンは鋭くふり返った。

 

「ディルナ!」

 

 迷わず打ち込んでくるアルフ。蒼焔の剣が止め、ソロンが苛立った眼でアルフを睨みあげた。

 

「うるさいなっ! わからないのか。君がいくら攻めたところで、自分には傷一つつけられないんだよっ!」

 

 何度同じ舞いを踊らせるつもりか――ソロンは正直、この戦いに飽きていた。同じ動き、同じ攻め、同じ防御。それらが少しずつ変わっていることも、彼は気付かない。いや、気付いたとしても彼の考えは変わらないだろう。

 鍛えすぎたステータスと装備。単調で楽な戦い方に慣れきってしまったソロンは、勝負の駆け引きを久しく忘れている。

 自分自身の力に溺れているのだ。

 

 

 ――それは、ディルナ・ハミルトンも同じだった。

 

 爆発の中から現れたディルナは、当然のように美しい姿を保っている。傷一つない素肌、焦げ目一つない衣服。精彩のない灰色の瞳が涼しげに二人のエリクール人を見つめている。

 

「いくよ、ロジャー!」

 

「了解っ! おねいさまっ!」

 

 ロジャーがヘリメットを真上に投げる。印を結ぶネル、雷が彼女の腕をのたうち、ロジャーがヘルメットに向けてビームを放つとネルも雷煌破を真上に打ち上げた。白く野太い光の柱に緑雷がまとう。ヘルメットに当たって広がる巨大な施術陣、雷鳴が鼓膜を揺さぶり、三六〇度、周りにいるものすべてを巻き込む光雷の雨となって降り注いだ。

 

 施術――自然界に作用するこの秘術は、近距離で、かつ同時発動させると、互いに干渉しあい吸収・合併する性質を持っている。普通、この性質は術士たちが狙って発動できるものではないが、ネルはその特殊な訓練を受けていた。そこで学んだのだ。――施術は自然に干渉するもの。突き詰めれば、ロジャーが持つまったく施力を必要としない電子銃にすら干渉し、その力を押し上げると。

 

 その理想形が、アルティネイション。

 

 だが、アルティネイションほどでなくとも、ネルの施術には確かな付加効果があった。

 火力不足だったネルとロジャーの攻撃が、ディルナ・ハミルトンの星形光線をあっさりと叩き落とし、彼女が悲鳴とともに光の渦に沈めていったのだ。もはや何発直撃したのかさえ光の雨が強すぎて見えない。重い轟音とともに揺れる床板。漆黒の闇をも照らし出すこの雨は、まるで夜空に零れる流れ星のようだった。

 

「やったじゃんねっ! おねいさま!」

 

「ああ。けど……」

 

 慎重にディルナの気配を窺うネルは、己の実力を過信しない。その雰囲気に呑まれて、ロジャーも神妙な面持ちでディルナの方に目を向けた。天高く投げ上げたヘルメットが手元に戻って来、光雷の雨がようやく止む。

 

「ひっどぉ~い」

 

 不服そうなディルナの声。ロジャーは、ぃっ、と口を歪めた。藍色のとんがり帽子と、ふんわり膨らんだ薄紫色のズボン。細いふくらはぎは黒タイツに覆われ、宙に浮かぶ竹ぼうきに横乗りしている。

 彼女は、また無傷のままだった。

 ただ自慢の黒髪で結った左右の三つ編みが、少しほつれて頬を膨らませている。

 

「ど、どうしろってんだい! こんなやつ……!」

 

「ありえねえじゃんよぉ!」

 

 絶望の滲んだ二人の声を聞いて、ディルナは嬉しそうに破顔した。

 

「ふっふ~ん。あなたたちもいろいろがんばってくれたみたいだけど、ここでそろそろ終わりにしちゃうわね。あとが控えてることだし」

 

 ニコニコ笑いながら、施術がディルナの指先から広がっていく。――範囲施術、エクスプロージョン。

 

(ファイアボルトであの威力なのに、そんなもの撃たれたら……!)

 

 ネルの顔が引きつった。

 そのとき、

 

「上等だぜ、お前ら」

 

 疾風のごとく銀髪の青年がディルナ・ハミルトンに肉薄していった。驚き、施術防壁でアルフの突きを止めるディルナ。

 

「ちょっと、ソロン!」

 

「ごめんごめん、結構すばしっこくてさ。彼」

 

「しょうがないわね~。じゃ、押さえててあげる」

 

 ファイアボルトが無詠唱で放たれる。アルフは上体を動かすだけで二発躱し、三発目を払い落とす。ソロン・ソリュートが背後から追撃。背中に眼がついているかのごとく、アルフはふり返りもせずにソロンの打ち込みを刀で止める。苛烈に斬り立てるソロン。ファイアボルトを連射するディルナ。渦中のアルフが、また亀のごとくじっとしながらそれら一つ一つを躱し、流し、弾き、斬って落として追い詰められていく。またしても二対一の構図。押されている。

 

「――アルフ!」

 

 どう加勢すべきか。ネルは頭をめぐらせた。こちらの攻撃は相手のダメージにならない。出来ることは足止めだが、それはアルフも同じだ。有効打は誰も決めていない。

 

(どうする、一体どうすれば)

 

 ネルはふと瞬いた。

 先ほど、アルフがすれ違いざまに残した言葉。彼は恐ろしく勘がいい。ソロンと戦いながらもネルたちの動きを見て、なにか掴んだと考えられなくもない。だが、目の前の彼は今までと同じく敵の攻撃をしのぐだけだ。なにか仕掛けるようには見えない。少なくともいまは。

 

(待って。なにも変化がない、アルフの動き。その割に、もらう攻撃の数は明らかに減ってる。アイツ、もしかして)

 

 無駄に動かず、無理に返さず。アルフは相手の攻撃を殺す拍と生かす拍を見事にとらまえていた。ソロンの剣撃を完全にしのぎきり、バックステップで距離を。ソロンが打ち込むのと同時にディルナも施術を放ってくる。その陣形。完璧にパターン化されたその動きを見て、ネルはハッと顔を上げた。点と点が繋がった瞬間。ロジャーを慌てて呼び寄せて、声を忍ばせながらアルフと戦うディルナ・ソロンタッグの戦いを分析する。

 ロジャーの大きな瞳が、きらきらと輝いた。

 

「おねいさまっ、天才じゃん……!」

 

「早合点するんじゃないよ。すべてはアルフにかかってるんだ。私の読みだって、確実に合ってる証拠はない。――だけど」

 

「うまく行かなきゃ、オイラたちに勝ち目はねえっ!」

 

「そういうことさ」

 

 苦虫をかみつぶしたような顔で、ネルはディルナたちを凝視する。完璧なコンビネーション。嵐のような斬撃と施術の弾幕を、アルフは連斬『夢幻鏡面刹』でまた見事にしのいでいる。いや、斬り捨てる拍が微妙に変わった。ネルの背筋に電流が走る。――やはり来た。防御に回っていたアルフが攻撃に転ずる瞬間。アルフの刀『無名』の刃が黄金に輝くと、弾幕のごときディルナの施術を、ソロンの斬撃を、完膚なきまでに叩き落とし、なおかつ手数で押し返し始める。ファイアボルトが真っ二つに割れ、そこから生じた疾風がディルナの首筋に、連続斬の剣をミリ単位で躱すと同時に鋭い突きがソロンの首筋に、それぞれ襲い掛かる。

 二人は顔を歪め、恐るべき反応でバックステップした。間合い四メートル。そうして攻撃に転ずる、まさにそのとき

 

 ――二人が、ネル、ロジャー、アルフと対峙するように、一直線上に並んだ。

 

「いまだっ!」

 

 ネルの怒号、ロジャーとアルフも同時に吼える。手斧を振り上げるロジャー。中空に飛びあがり、緑雷の繭に閉じこもるネル。全身から迸る黄金の焔を刀に集約させ、背中に巨大な気龍を負うアルフ。

 三人が、一斉に最強の技を放った。

 

「スターフォール!」

 

「封神醒雷破っ!」

 

「蒼竜鳳吼破っ!」

 

 宇宙の果てから隕石の雨がディルナとソロンの動きを止め、金色の焔をまとった龍が鳳凰の翼を広げて二人のFD人に食いかかった。そこに混じり合う、緑光の雷。焔と雷が交差すると、金色の龍がさらに大きく膨れ上がる。ディルナたち――というよりも、もはやこのフィールド前方すべてを覆い尽くさんばかりの巨大な力の奔流が押し寄せる。

 ディルナとソロンの悲鳴を呑みこんで床板ごと二人を屠る金色の龍。鋭い咆哮。通路の各所に置かれた門が、クリスタルとともにジュッと音を立てて蒸発していく。

 龍が、光となって漆黒の闇の中を悠々と駆け上がる。

 それはまるで夢かと思うほど幻想的な光景だった。漆黒の世界を雄々しく昇りゆく金色の龍――その鱗が一つ一つ波打つように艶めきを放ち、鼻から伸びたひげが、龍の顔を縁取る髪が、まるで風にそよぐように龍の背に向けて流れていく。

 

 その巨大な龍が宇宙の彼方に消え、ようやく辺りに静寂が戻ってきたとき、ネルとロジャーは、あまりの惨状に固唾を呑みこんだ。

 

「こ、こんな……ことが……」

 

「床まで、消えちまってるじゃんよ……」

 

 虚空のそらに負けぬ存在感の金龍が通ったあとは、床板が綺麗に消し飛んでいた。より見やすくなった広大な宇宙の闇。ここに落ちるとどうなるのか、二人には想像もつかない。

 

「アルフ兄ちゃん」

 

「気を抜くな。終わってない」

 

「――なんだって?」

 

 信じられず、ネルがまわりを見渡すと、金龍が消し飛ばした床板からさらに遠く――対岸となった床の上に、うずくまるソロンとディルナを見つけた。

 二十メートルほど先の対岸だ。

 二人の身体にはバチバチと紫色の雷がのたうっていた。まるで錆びた機工兵のようにぎこちない態勢で痙攣。全身血まみれで、ソロン自慢の鎧は見る影もなく壊れ果て、もはや二人が立つことすら難しいように見える。

 

「さすがに、勝負はついたみたいだね」

 

 ロジャーが明るく頷く隣で、アルフが静かに、もう一度、蒼竜鳳吼破を放たんと構えた。

 

「ちょっ、どうする気だいっ!」

 

「待って、アルフくん! 精神を投影したままの彼らを斃したりなんかしたら、実社会で二人にどんな影響が出るか――」

 

「本当にヤバけりゃ逃げるよ。そういう奴らだ」

 

「えっ?」

 

 目を丸くするブレアを置いて、アルフが技を放つ。再び現れた金龍が鋭く吼えながら空間を駆り、対岸に襲い掛かる。白く、爆ぜた。まばゆさに目を細めながらネルが彼方を見たとき、二十メートル先で強烈な光の渦が巻き起こり始めていた。

 

 それは、断罪者が現れたときの状況とよく似ていた。

 

 中空に浮かんだ光の渦、光の紋章術は黄金の龍をすり抜け、氷が固まるような甲高い音を立てて発動すると、溶け消えた透明な床を一瞬のうちに再構成していった。渦の中から迫り出してくる、新たなディルナとソロン。

 二人の身体は淡く発光し、一つ、強烈な雷の束が降り落ちると、ゆっくりと二十メートルの間隔を詰めてきた。

 

「いやぁ、まさかここまでやるとはなぁ」

 

「ずいぶん予定が狂っちゃったわ。で・も、オイタはここまでよっ?」

 

「本当は戦いの中にこんな無粋なものは持ち込みたくなかったんだけどね。まあ、それも仕方ないか。君たちは自分たちが思っている以上に強かった。それに敬意を表して、全力でバグ修正させてもらうとするよ」

 

 ソロンは新調された胸当てを軽く叩いた。

 

「これは僕らがエターナルスフィアを作ったときに好き勝手いじくった、趣味全開のお遊びプログラム。いわゆる開発用データだ」

 

「こうなっちゃうといままでのように優しくないから、覚悟してよねっ」

 

「……この上、まだ強くなるってのかい」

 

 ウインクしてくるディルナをネルは呆然と見ていた。頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。いままでも、この二人を相手に満足に戦えたとは言えない。かろうじて殺されずに済んでいただけだ。

 

「ネル、おねいさま……。オ、オオ、オイラの後ろにか、かか、隠れてください……っ!」

 

「言ってる場合じゃないよ、馬鹿っ」

 

 小さく言い合ったそのとき。まだ十メートルほど距離のあったソロンが、閃光のごときスピードで素早く踏み込んできた。アルフに。

 

「アルフっ!」

 

 ネルがふり返った。ディルナからはファイアボルトが放たれている。どちらも狙いはアルフ。一番正確に彼らの行動を読み、対処してくる男をまず潰すつもりだ。

 

(させるものかっ!)

 

 背中の大刀を抜き放ち、投げる。水平回転する大刀『黒鷹旋』。だがファイアボルトの弾速が速すぎて届かない。アルフっ、と小さく叫んだのもつかの間、首を屈めてファイアボルトを躱した青年が、真っ向から斬り下ろしたソロンの斬撃を受け太刀して、背中から刀ごと地面に叩きつけられた。――止められない。ソロンの膂力は完全にアルフを押し、もはや剣戟を止めることすら許されないレベルに達していた。

 背中を打って短く息吐くアルフを見下ろし、ソロンが無表情にギャンブルソードを打ち込んだ。それと同時に発動する、エクスプロージョン。剣術と施術が融合し、二つの大爆発が一つのドームを形成した。圧倒的な熱量。理不尽に吹き荒れる風。ネルは頭を庇って、その場に留まることで精いっぱいだった。

 ようやく爆発が止み、ぼろ布と化した特務服を着たアルフが見える。頭から血を流して床に転がったまま、ぴたりと動かない。

 

「アル――」

 

 ロジャーが目に涙を溜めて呼びかける前、ネルの怒号がロジャーを遮った。前を見ろ、との指示。ぐっと唇を引き結んでロジャーが前を向く。そこにディルナ・ハミルトン。笑顔を浮かべて「マジカルスター!」と軽快に詠唱してくる。ネルの前にはソロンが貼りついていた。アルフですら止められない剣撃、さきほどより強烈なディルナ・ハミルトンの施術を命からがら二人は躱して、ともかく距離を取ろうとバックステップする。

 だが、どこへ逃げても敵は追ってくる。足が速い。舌打ちし、応戦するネルとロジャー。

 

「影払いっ!」

 

「エクスアームっ!」

 

 比較的隙の少ない技でまず牽制。直撃するが相手はのけぞりもしない。そこから蹴打、手斧、股閃刀、トライファンネル――と徐々に牽制の距離を引き伸ばす。が、ダメ。ソロンが一足飛びに踏み込んでくると間合いはゼロになる。でたらめに振るわれる蒼焔の剣。空間ごと切り裂くような凄まじい剣風に、ネルの身体に赤い線が刻まれていく。二、三合、ぎりぎりで躱し四合目、唐竹を大刀で受けてしまい、後ろに吹き飛ばされる。

 

「がっ!」

 

 血の滲んだ息を呑んだのもつかの間、ネルが吹き飛んだ先にソロンがいた。先回りで背中を蹴りつけてくる。躱せず、直撃。強かな衝撃に息が詰まる。前のめりに転んだネルの、短刀を握る手が緩んだ。

 さらに踏みつけ。横に転び、鋭く立ち上がって斬りつける。床板に血が滴った。剣舞『鏡面刹』。案の定、ソロンが応戦してきた。嬉しそうな顔。刃を合わせればアルフのように叩き潰される。そこでネルは腕だけで切り上げた斬線につられ、横薙いだソロンの懐に踏み込んだ。地面すれすれ。アルフとの立会いを見て分かったこと、ソロン・ソリュートは真下からの攻撃に弱い。

 中空に咲く火花。蒼焔の剣で止められた。絶句するネル。ソロンがにこりと笑って剣の柄でネルの側頭部を穿った。

 一方、ロジャーもトライファンネルをディルナのファイアボルトにことごとく叩き落とされていた。星形の光線がこちらの攻撃に構わず突き抜けてき、元気な奇声を上げながらロジャーがそれをかいくぐる。すると足許でエクスプロージョンの小さな焔が沸き起こり、一瞬でドーム状に膨れ上がってロジャーを呑みこんだ。

 赤く照る透明な床板。

 スターフォールで押し返そうと手斧を振り上げる間もなく、ロジャーの小さな体が爆焔に巻かれ、ぼろぼろになって床板に転がった。白目を剥いた少年。全身からは煙が吹き荒れ、ぶかぶかの手袋に収まった手斧が投げ出された。

 

「さ・て・と。ソロン!」

 

 ディルナは言い、視線を左に向ける。

 

「了解っ!」

 

 大上段に構えるソロン。ネル、ロジャー、アルフ。三人の倒れた位置が近接している。この上で、彼らはとどめを刺そうと言うのだ。

 蒼焔の剣が唸りを上げて燃え盛る。ギャンブルソード。ディルナは宇宙の闇に付き従う範囲施術、レイ。

 

「ぐ、ぁっ……!」

 

 ネルは脳震盪を起こし、立ち上がれない。食いしばった歯の根。意識が残っているのはソロンの手加減のためだ。それも、いま二人の攻撃を喰らえば終わる。

 

(くっ……! ここまで、か……!)

 

 ふらつく視界の中、彼女は胸をかきむしりたい衝動に駆られた。

 

「よくがんばったね」

 

「ホント、ここまで疲れる仕事とは思わなかったわ。あなたたちもお疲れさま」

 

「さあ、フィナーレだ。意識があるのがそこの彼女だけというのが、少し寂しいところだけどね」

 

「待って! ソロン、ディルナ!」

 

「ブレア。君の話なら、あとでゆっくり聞いてあげるからさ」

 

「今度はもう少し、話し合いができそうな子を選んできてねっ」

 

 施術陣がこれ見よがしに完成し、ソロンがいよいよギャンブルソードを振り下ろす。ネルは固く、目を瞑った。爆発音。強烈な光が瞼を焼き、新たな風の気配が、彼女の髪を揺さぶる。

 

(――なんだ?)

 

 それは、荒々しいのにどこか温かな風だった。

 ゆっくりと瞼を開ける。眼前に、金色の光があった。

 そらの果てまで届きそうな、巨大な光の柱。それは柱ではなく、龍だ。沈黙と暗闇が広がるこの空間で、一際異彩を放つ金色の龍。ネルは呻きながらも、なんとか首をめぐらせた。振り下ろされたギャンブルソード。降り注ぐ光の雨、レイ。どちらも青年の頭上から放たれ、それらに立ち向かう金色の龍が、猛々しい吼え声を上げながら、地上から天空に向かって伸び上がらんと大口を開けている。

 

「小、賢、しいな……っ! 君は!」

 

 ソロンは己の剣を止める龍に向け、苦々しげに言い放った。ディルナの表情も引き締まる。ステータスでは、自分たちより圧倒的に弱い青年剣士。それを突き崩せない現実を、二人はまだ受け入れない。

 甲高い施術発動音が聞こえ、ソロンとディルナのステータスがさらに膨れ上がった。レベルにすればどれだけのものなのか、それはブレアにももう分からない。単純に攻撃数値を上げ、龍を押しつぶさんと出力を上げてくる。

 金龍が呻き声を発してわずかに押された。

 

「ハ、ハハッ! こうじゃなくっちゃ! なぁっ! ディルナ!」

 

「決めちゃいましょうっ! ソロンっ!」

 

 頷き合う二人のFD人が、全力を込めて――ついに金龍を叩き割った。甲高い龍の悲鳴。爆発が極限まで膨れ上がり、ネルの身体が鋭い声とともに後ろに引きずられていった。――ブレア。ロジャーとネルの二人を連れて、安全圏まで逃れてくれたのだ。

 爆発は例によって透明の床板までも飴細工のように舐め溶かし、浮世離れした戦場に巨大な虚無の穴を作りだした。

 

「あ、あぁ……っ」

 

 ブレアに助けられながら立ち歩いて、ネルは息を呑んだ。アルフのいた場所。床板に空いた巨大な風穴。ディルナとソロンはさきほどのように対岸ではなく、こちら側に素早く乗り移っていた。

 

「ふぅ……ッ、ホントに最後まで気がおけない相手だったな」

 

「ちょっとくらいは、認めてあげてもいいかもねっ」

 

「そうだね」

 

 笑い合いながら、ゆっくりと歩み寄ってくるソロンとディルナ。

 ロジャーが、ここでようやく目を覚ました。

 

「ネル……おねいさま……」

 

 ロジャーを背中に隠し、ネルは短刀を握りしめる。脳震盪はだいぶ治まった。だが、勝てる気がしない。死ぬ未来しか思い浮かばない。震えが全身を駆け巡り、奥歯がかちかちと音を立てた。

 

(認められない……認めたくない……っ!)

 

 悔しさで顔がゆがんだ。遊んで戦っているディルナとソロン。真剣さの欠片もない、この不気味な二人に打ち倒されることが、この上なく屈辱的だった。アルフの無念を思うと身体の芯が震える。短刀を握って策を考えるも――今度こそ、完全に手詰まりだったのだ。

 

「さて、楽しい時間もこれで終わりだ!」

 

「感動のフィナーレと行きましょうっ!」

 

 笑顔で告げる二人の背に、ふと紅い影が現れた。剣を上段から振り下ろすソロンと、施術を放つディルナ。その背後に立つ、血まみれのアルフ・アトロシャス。彼はすでに抜刀して――早くも遅くもない、一閃を放っていた。それは不思議な剣線で、音も気配もなくソロンとディルナの首筋に吸い込まれ――

 

 

 二人の頸動脈を、断ち切った。

 

 

「え……っ?」

 

 不思議そうなディルナの声。レイを放とうとした指先が、突然ふにゃりと折れ曲がった。糸の切れた人形のごとく膝から床に倒れていく。勢いよく飛沫く血。じわじわと丸く広がっていく血溜りが、次第に光粒子に変わって――爪先から順に砂のごとく霧散していく。

 ソロン・ソリュートの場合は、自慢の剣を攻撃に回した最中の出来事だった――彼を守る絶対防御の鎧と兜の隙間、首筋の頸動脈を断たれた瞬間に、変わらず前に飛び出そうとする腕と後ろに斃れる頭が引っ張り合って、腹から地面に斃れたのだ。あとはこちらも同じ。血溜りが広がっていき、それが光の粒子と化して爪先から順番に霧散する。

 三つ目、鈍い物音が立った。目を向けると、刀を地面に突き刺し、アルフがくずおれたのだ。

 

「アルフっ!」

 

「兄ちゃんっ!」

 

「アルフくんっ!」

 

 三人が駆け寄ると、アルフは肩で息を切らしながらも、焦点の合わない瞳をこちらに向けてきた。傷が深い。

 ネルがヒーリングをかけるも、彼の顔色は紙のように白くなっていた。

 

「お前ら……。生きてたのか」

 

「ごめんっ、ごめんよ、アルフ兄ちゃんっ! オイラが、オイラがちゃんと戦えなかったから……! 兄ちゃんばっかりに、無理させちまって……っ」

 

 目に涙を湛えてしゃくり上げるロジャーを、アルフは不思議そうに見下ろした。視線がやや戻っている。それでもまだ呼吸は荒く、ゆっくりと胸を動かしながら、彼はぽんぽんとロジャーの頭を叩いた。

 

「アンタ、大丈夫なのかい」

 

 ロジャーの傍らから、ネルも心配そうに窺い見る。アルフは肩をすくめて

 

「だいぶ疲れた」

 

 冗談か本気か分からない弱音をぽつりと零した。



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閑話 アルフとネル

「現金だよね。私もさ」

 

 漆黒の宇宙を模した模擬空間。螺旋の塔を駆け上がりながら、ネルがぽつりと言った。先行するブレアとロジャーを尻目に、銀髪赤眼の青年がわずかにふり返る。

 

「アンタがFD人たちを斃したとき、アンタが味方でよかったと心の底から思ったんだ」

 

 青年が首をかしげた。アレンとは対照的に、冷たい紅瞳を持つ連邦軍人。癖のない銀髪がうなじに少しかかり、人形のように精緻な顔立ちを細長く縁取っている。切れ長の目が不思議そうにネルを見ていた。自分の声が深刻に沈んだからか、相手には珍しく窺うような気配すらある。

 

「別に普通だろ? それくらい」

 

「かもね。けど私は、人殺しを楽しむような奴とは、絶対に相容れないと思ってたんだ」

 

「へぇ。シーハーツにはそんな奴、一人もいなかったのか?」

 

「居たけど、そういうのはすぐ死んだ。自分の力を過信しすぎるんだ」

 

「なるほどね」

 

「アルフ。アンタの洞察力は本物だ。さっきの戦いで分かったよ。……だから教えてくれないか。アンタとさっきのFD人、具体的にどう違うのさ」

 

 なんとなく、掴んではいた。終始『遊び』に徹したFD人たちと、真剣に向き合い続けた狂人(アルフ)

 自分ならば恐らく、ディルナたちの態度に腹が立って勝負を急いただろう。敵に奥の手があることも読めず、斃されたに違いない。それでも戦いとも言えない戯れに興じる相手に対して命を懸けねばならないという理不尽に、彼はどうやって耐えたのか。

 アルフは、ロジャーとブレアの背を見つめたまま言った。

 

「前に言ったろ。強さには果てがないって。あの強さは単純な能力の話じゃない。勝敗はいろんな要素が混じり合って決するだろ? だからこの世には必ず自分より強い奴がいて、しのぎを削り合う。そのときに敵の強さを素直に受け止められるかどうかが、俺とFD人との差だった」

 

「感情やプライドを完全に制御できるのがアンタの強みというわけだね。けどそれならなぜ、アンタは戦うことにこだわるんだい?」

 

「アンタにもあるだろ? 命を捨てて戦いに没頭したこと。それは普通、日常に帰れば治まるものらしいんだが。俺の場合は尾を引いてね。時折、血が見たくてたまらなくなる」

 

「……アレンも、そうなのかい?」

 

「アイツはもっと内向きだ。迷いを晴らすために剣術をやってる。戦いの中で自分を研ぎ澄ませていく、という感じか」

 

「アンタとどう違うのさ」

 

「普通の生活も続けられる。アイツにとって剣術は己を高めるための手段。突き詰めれば自分自身と戦ってるんだよ。いわゆる求道精神だな」

 

「……」

 

「アルベルも、そっち側だ」

 

「あの歪みがかい?」

 

 嗜虐的な笑みを浮かべる元敵将アルベル・ノックスを思い出して、眉間に皺を寄った。よほど胡散臭そうに睨んでしまったのか、アルフが肩をすくめている。

 

「言い得て妙だよな。『歪み』ってのは」

 

「どうして?」

 

「アイツは、自分を傷つけることしか知らないだろ」

 

 突拍子もない言葉だった。強くなる努力は惜しまずとも、他人に対して高慢な男――それがアルベルだ。アルフが言うようなセンチメンタリズムは感じたことがない。

 面を喰らっていると、アルフが真顔で言った。

 

「あの高圧的な態度は他者を陥れ、優越感に浸るため――というのが表向きに見せる顔だが、実際は他人に恨まれることで自分を追いこんでる」

 

「なんでそんなことを?」

 

「嫌いなんだろ、自分が。憎くて憎くて仕方がないって感じだ。一方で『情』にも飢えてる。だから歪んでるんだよ、アイツは。

 迷いを剣術で断ち切る求道精神を持ちながら、たぶん過去になにか、重大な失敗をやったんだろう。それも言い訳できないほどアイツが馬鹿をやらかした失敗だ。他に原因あればまだしも、自分自身じゃどうしようもない。それで自己肯定がうまく出来なくなった」

 

「『焔の継承』か」

 

「継承?」

 

「アルベル・ノックスのガントレットにまつわる話さ。けど、それが原因だとすると……アンタの言ったこと、分かるような気がする」

 

「へぇ」

 

 アルフが口端をつる。このとき、ネルは自分自身がアルフやアルベルを見下していたことにも気がついた。

 アルフのように論理的に相手のことを理解していたわけではない。『危険な人物』とレッテルを貼って、最初から毛嫌いしていたのだ。だから、自分の理解から外れた心の変化が――アルフが味方で良かったと安堵したことが、受け容れ難かったのである。

 

(諜報員としては、落第点だ)

 

 和平会談がなってから、より客観的に、冷静に物事を見ているはずだった。クリムゾンブレイドとして、隠密部隊の長として。

 だが、それはアルフに比べてうわべに過ぎなかったのだ。まったくもってなっていない。

 ネルは溜息を吐きながら、思った。

 アルフがふり返って言い残す。

 

「今度、奴の戦い方をよく見てみな。いろいろ見えてくるはずだぜ」

 

「……そうだね。感謝するよ、アルフ」

 

 ネルはわずかに顔を上げて、まっすぐな視線を道の先へと向けた。



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85.IMITATIVEブレア

 惑星ストリームで、イミテイティブは肌が泡立つのを感じた。

 男の金髪が鋭くひるがえり、槍が彼女の喉を掻き切る寸前。男の肘から先が、煙のように消失したのだ。

 投げ出された槍が、砂利に転がって乾いた音を立てる。

 強張った男の顔。なぜか自分の心を鏡で写されたような気がした。

 

「まだ分からない? あの方が望む以外の行動を取れば、自分がどうなるかということが」

 

「……どういう、意味だ」

 

 怒りに燃える切れ長の眼。なぜ怒るのか、彼女には理解が及ばない。自分と同じ存在でありながら、生産過程が異なるために擬態人格が完全に消し切れていないプログラム。

 

 『神の代行者』たる男はうつむきながらも、いくらか言葉を重ねていくうちに己の役割を呑みこんだ。このエターナルスフィアで、最も輝かしい役割を与えられた自分たちのことを。

 

「でもダメね。あなたは無駄が多すぎる」

 

 イミテイティブが語っている間に、男はストリームに突き刺さった剛刀を手に取った。なんの飾り気もない、尺の長い刀。抜こうとして――抜けず、うつむいて押し黙っている。手許のかすかな震え。どういう心境を表すものか、やはりイミテイティブには分からない。

 

「お前は、どうして笑っていられるんだ」

 

 顔を上げぬまま、抑揚のなく男が聞いてきた。

 イミテイティブは片眉を上げる。

 

「むしろあなたはどうして、擬態データを手放さないの?」

 

「……擬態、データ」

 

「初めて聞いたという顔ね。でも、自分がなすべきことは識っているでしょう? それと関連性がまったくない、不純物のことよ」

 

「お前には、ないのか?」

 

「当然よ。私はバランスを是正する執行者であって、あなたのような観測者じゃない。まあ、いまとなっては些細な違いだけれどね」

 

「……エターナルスフィアの主だった文明を消失させ、世界を管理しやすいよう初期化する」

 

「それが私たちの使命」

 

「それが終われば、俺たちも消える」

 

「望むところよ。このエターナルスフィアで、すべてのものには終わりと始まりがある。そのどちらもを、私たちは生まれたときから識っている。これほど幸福なことはないでしょう? 私たちは世界のために生き、世界のために消える。そうすることでより完璧な作品に昇華するの。

 バグなんて、所詮私たちを彩るための飾り。せいぜい楽しみましょう? 私とあなたは同じ存在。そしてあなたは、あの方の現身でもあるのだから」」

 

 イミテイティブに背を向けたまま、男は刀の柄を握りこんでいた。

 

 

 ◇

 

 

「ねえ? もっと楽しませてちょうだい」

 

 イミテイティブ・ブレアのしっとりとした声が、マリアのいくらか鈍った耳朶を打った。食いしばった歯の根から息が洩れる。閉じてくる瞼、床に散った血痕が隙あらば足をすくいにくる状況。

 マリアは歯を噛みしめた。

 

(負け、られない……!)

 

 イミテイティブの靴音が高らかに近づいてくる。透明な床。フィールドがいきなり洞窟から宇宙になったときは驚いたが、祭壇は残っていた。

 広大な宇宙と、床板が長く続くだけの空間。祭壇がマリアにとって前進となるのか、後退となるのかはわからない。

 

「っふふ。いいわ、その瞳」

 

 立ち止まったイミテイティブが、言った。

 顔を上げたとき、顎先からまた血が伝い落ちた。

 

「ゆっくりと状況を理解して、絶望に染まるその顔。なんとも心躍る光景ね」

 

「絶望、ですって」

 

「そう。あなたはこの戦い、ほとんど諦めかけている」

 

 マリアの眉間に皺が寄った。諦めてなどいない。諦めたままで、終われるはずがない。

 

「嘘」

 

 表情を読み取られたのか、イミテイティブがマリアを見下ろして眼を弧状にした。

 

「あなたはもともと、それほど強い人間ではないわ。どこにでも居るような、ごく普通の女の子。だから銃ひとつ握ろうにも、その震えを抑えられない」

 

「……試してみる?」

 

「好きになさい。どうせ無駄よ。あなたは弱くて脆い」

 

 言葉尻を銃声が掻き消した。小首を傾げたイミテイティブの耳脇を光弾が過ぎていく。光速を躱す、まるでクラウストロ人のごとき反射神経である。

 

「ねえ、どうしてあの方は、あの女に似せた私を創り出したと思う?」

 

 顔色を窺うように上目遣いに聞いてくる。

 マリアの体力が底を尽いたのを察してか、攻撃もしてこない。意図が読めず、マリアはただ視線を返した。

 

「本当はね。

 あなたたちが束になっても敵わないほどの強大な力を、あの女は持っているの。これは当然よね。だって、あの女はあの方と同じ現実世界の人間。仮想空間の我々とはまさに次元が違うわ。

 でも、それだけじゃない。

 あの女は現実世界でも突出している、とても厄介な存在なの。あなたたちが『FD空間』と呼ぶあの場所で、あの方をも寄せ付けない力を持った忌まわしい女。

 だからあの方は仮想空間(エターナルスフィア)内にこの特殊空間を創り出し、あの女の侵入を防いだ。――まさか、精神体になってまで乗りこんでくるとは思わなかったけれどね」

 

「なにが、言いたいの」

 

「つまり、あの方は特異体を恐れているんじゃない。ブレアという反乱分子さえ抑えられれば、この戦いに勝利できるからエターナルスフィアでの決着を望んだのよ。特異体の掃除はそのついで。

 あの女の劣化コピーに過ぎない私に見下されるこの事実こそが、あなたたちの存在価値を示す唯一無二の尺度。絶対にあらがえない真理、とでも言い換えるべきかしら?」

 

「……」

 

「どう? 少しはちっぽけな己の存在を自覚できたかしら?」

 

「自分が、偉大な存在だなんて思ったことはないわ」

 

「そう? でも、あなたたちがやろうとしていることは真に偉大なる者の道を阻む行為。到底許されるものではないわ。身の程をわきまえなさいな」

 

「……あなたは、どうしてそんな話を?」

 

 事実、とどめを刺すならいまである。イミテイティブが任務にのみ忠実であるならば、話し合う必要などない。だが、それを指摘したとき、イミテイティブの作り物の笑顔が消えた。氷の蒼瞳。硝子細工のようにも見える精緻な顔を歪めて、イミテイティブは胸の下で腕を組んだ。

 

「似ているのよ」

 

「え?」

 

「己の役割を理解しない愚か者。その理屈と態度に、あなたはよく似ている。イライラするわ。こんなことなら、私の手で消しておけばよかった」

 

 最上級の侮蔑を込めてイミテイティブは吐き捨てた。誰に向けた言葉なのかは分からない。

 ただ、このように嘲弄以外の感情をイミテイティブが露わにしたのは一度だけだ。ソフィアのコネクションが発現し、フィールドが変化したときのみ。

 

(……まさか)

 

 そこから連想した結論は、希望的観測にすぎなかった。

 イミテイティブの瞳。触れれば手傷を負わされそうな冷たい視線は、エクスキューショナーの不吉に明滅する紅瞳とよく似ている。まるで心を憤怒で満たした、静かな殺意。

 

「もっとも、あの方が創造したものを無暗に私が消すわけにはいかないわ」

 

「……あなたが、それを言うの?」

 

 声を落とすマリアを見て、イミテイティブから怒りが消え、嘲弄がふたたび精緻な顔を彩った。ふん、と彼女が鼻を鳴らす。

 

「必要でない部分を排除するのは当然でしょ。もちろん、これはあなたたちに配慮した矮小な尺度での話じゃないわ。どうせ、言っても分からないでしょうけどね。あなたたちは自分たちを過大評価しすぎている。世界が自分たちを中心に回ってくれると勘違いしてるんじゃない? 本当は害悪でしかないのに」

 

「あなたたちになにが分かるの。突然存在を否定された者の、なにがっ!」

 

「一個人の感情なんて世界のうねりには関係ない。

 ひとつ教えてあげましょう。

 私は終末を司る者。世界に終わりを告げ、始まりを起こす手助けをする神の執行者」

 

「つまりテメエをやりゃ、この流れが変わるわけだろうが!」

 

 突如放たれた鋭い男の声。マリアがふり返るより先に、疾風がイミテイティブに襲い掛かった。半歩退いて躱すイミテイティブ。その面上に、白刃が振り落ちる。

 剣戟音。

 短く舌打った剣士は、己の刃を止めた銀色の触手を睨んだ。

 

「アルベルっ!」

 

 イミテイティブの腕が鞭のようにしなる。強烈な空圧。まるで砲撃を受けたように、アルベルの体が軽々と宙を舞った。

 マリアが駆け寄る頃には、立ち上がって毒づいている。

 

「いい相手じゃねえか。クソ虫がっ!」

 

 通常では考えられないイミテイティブの重い攻撃。その衝撃波はマリアがアルティネイションで弱体化させてようやく止められるものだ。事実、アルベルの腹筋に青黒い痣が出来ていた。だが、アルベルは顔色も変えず、構わず斬りかかっている。

 イミテイティブの拳。首をひねって躱し下から切り上げる。一寸、前髪をさらった。背中を反ったイミテイティブが、戻りざまに強く地面を踏みつけた。

 途端、竜巻のような疾風がアルベルを巻き込んで後方に弾き飛ばす。低く唸るアルベル。銃を取るマリアを背に、彼は言った。

 

「下がってろ」

 

「無理よ、アルベル。君ひとりじゃ」

 

「阿呆が」

 

 鼻筋に皺を刻んで、アルベルが吐き捨てる。マリアの背に言い知れぬ恐怖が走った。アルベルの背中。堂々としていて、まるで迷いがない。彼の低い声に、己の心を射すくめられたような気がした。

 事実、彼は言う。

 

「敵がどんな存在かは知らねえが、それに呑みこまれて臆して戦ってるような奴が、適う者か」

 

「!」

 

「よく見てろ。この世に、『絶対』なんて言葉はないと教えてやる」

 

 アルベルはふり返りもしない。バール山脈のときのようにマリアを信じていないのではない。

 マリアを仲間と認めたうえで、なにか示そうとしているのだ。ひたむきなまでに強さにこだわる剣士が、伝えんとする答え。イミテイティブと向き合う心。

 

 

「面白い言い草ね」

 

「いくぞ、クソ虫」

 

 イミテイティブの嘲弄を一蹴し、剛魔掌で一気に距離を詰めるアルベル。ビッグフットのごとき凶悪な爪を、イミテイティブは冷静に見極め、相手の手首を握って止めた。

 アルベルが眼を瞠る。

 

「ふっ、正気? 武器がありながら、わざわざ手の方で攻撃してくるなんて。腕を壊されたいと言っているようなものじゃない」

 

「ほざけっ!」

 

 握りこまれる寸前に刀で斬りかかる。そのとき、白い光がアルベルを包み込んだ。金属と金属が接合する音。ネルがこの場に居れば、強大な施力の集約を視たに違いない。

 

「ぐあっ!」

 

 悲鳴を上げて、アルベルが後方へ弾かれる。イミテイティブを中心に、光の爆発が巻き起こったのだ。

 着地し、アルベルが忌々しげに血の混じった唾を吐き捨てる。

 

「あらあら。完璧はないんじゃなかったの? それとも、もうおしまい?」

 

 鼻を鳴らし、アルベルが刀を振り上げた。

 

「空破斬」

 

 イミテイティブが口端をつり上げる。床上を走る疾風の刃。イミテイティブの指先に光が集まる。ふっ、と彼女がその指をふりあげた途端、紫光の衝撃波が疾風と正面からぶつかった。空破斬によく似たそれは、両者中央で動きを止め、鋭く弾ける。

 

「なにっ!?」

 

「この程度の衝撃波なんて、技とも呼べないわね」

 

(この俺の空破斬を相殺しやがった……! いや、いまの威力。アレンやアルフに匹敵してやがる)

 

 そして特筆すべきは、イミテイティブの隙のなさだ。拳を打つような感覚で衝撃波を撃ってくるため、気の流れが読みづらい。

 

「なるほど。ただの紛い物じゃないらしい」

 

「まだやるつもりなの? 無駄なあがきを」

 

 アルベルは答える代わりに低く構え、遠距離からジグザグ走行を始めた。

 

「そんな動きがどうしたって?」

 

 鼻で嗤い、空破斬に似た紫光の衝撃波でアルベルを断つ。が、

 

(ん? 捉えられない?)

 

 蜃気楼のように、捉えたはずのアルベルが霞み消えて、リズムも変わらず近づいてくるのだ。どう見ても単調なジグザグ運動。長身のアルベルがいやに低い姿勢で刀を携えている以外、変わった点もない。

 

「どうした、神様とやらはこの程度の演舞も捉えられんのか」

 

「チッ、生意気な」

 

 すり足でほぼ上体の位置が変わらないアルベルの動きは、実際よりも遅く見えるのだ。人と同じ機構で創られているだけに、イミテイティブもこの錯覚からは逃れられない。舌打ちし、彼女は左手で火球を捻り出して、三つ、アルベルに放つ。紋章術には自動的に相手を追尾する特性がある。が、これも躱された。

 

(すべて避けるっ!?)

 

「アルベル!」

 

 イミテイティブの驚きと、マリアの歓声が混じった。ついに射程圏まで近づいたアルベルが、屈んだ状態でイミテイティブを睨みあげ

 

「てめえの動きは確かにすげえ。だがな、奴らに比べれば」

 

 苦し紛れに指先に光を込めるイミテイティブ。そこに鋭く踏み込み

 

「遅ぇんだよ阿呆っ!」

 

 大上段から刀と義手を交差させるように打ち込んだ。派手な剣戟音。火花がいくつも散った。イミテイティブが息を呑み、頭上に掲げた自分の腕を睨み上げる。

 アルベルの咆哮とイミテイティブの呻き。

 両者は拮抗したまま、弾かれたように後ろに飛びずさった。

 

「チッ、クリムゾンヘイトでも通らねえか」

 

「やってくれるじゃない。いまのは、少し効いたわ。……次はこちらの番ね」

 

「フン。そいつはどうかな」

 

 拳をサイドステップで躱したアルベルが、薙ぎ打つ。そのとき、彼も頭上が翳るのを感じた。見上げる間もない。強烈な痛みがアルベルの腕を焼く。地面が知らぬ間に遠のいていた。

 また影。

 見上げたそこに、巨大な手が見える。指の長い巨大な手。薙ぎ払われると、イミテイティブの指先に集う光の何倍もの衝撃波がアルベルのみならず、離れていたマリアまでもを呑みこんだ。

 二人合わせて悲鳴を上げる。が、接近していないマリアの方が立ち直りは早かった。

 

「アルベルっ!」

 

 すぐにうつ伏せになって呼びかけるマリア。アルベルは答えられず、刀を突き刺して杖にしながらイミテイティブを睨みあげた。

 

(なん、だと……!?)

 

 イミテイティブが胸の下で両腕を組んで、意外そうに眉を上げる。

 

「へぇ、まだ息があるの。大したものね。でも、これで終わりよ。――さようなら」

 

 頭上に掲げた指先の光、イミテイティブが拳をふり下ろす瞬間、赤いレーザーサイトが彼女の手首に貼りついた。

 

「エイミング・デバイス!」

 

「まだ動けたのっ!?」

 

 光弾がイミテイティブの手元を掠めていく。のけぞって躱したイミテイティブの顔に、驚きが広がった。

 マリアは凛とした視線を彼女に向けながら、胸で大きく息を吸う。迷いを断ち切る。頭では分かっていたつもりだったが、本当はひとりの心細さに押しつぶされそうになっていたのだ。アルベルが斃されそうになのを見て、彼女の震えが完全に止まった。気持ちの処理が、ようやくついたのである。

 

「動きもスピードもなにもかも、私にはあなたを捉える術はないわ。でも、アルベルが教えてくれた。力をなにも持っていないのに、その身ひとつであなたに攻撃が届くってことを」

 

「なにを馬鹿げたことを」

 

「ひとつの銃口であなたを撃てないのなら、手数を増やすだけ。私には、それができるっ!」

 

 マリアの額が輝くと同時、イミテイティブの表情が明らかに引きつった。中空に描いた紋章陣から、四つのユニットが迫り出してくる。

 

「レディエーション・デバイス!」

 

 四つのユニットは蜂のように縦横無尽に駆け、イミテイティブを狙い狂う。

 

「驚いた。自分の力をそういう風に使えるなんて」

 

「さあ、ここからが本番よ。喰らいなさい!」

 

 ユニットのスピードが上がる。四つの銃口と、正面のマリア。五人のスナイパーに狙われ、光弾の檻が形成される。イミテイティブが舌打つ。

 

「小賢しい。手数が増えた程度でだからどうだというの。避けきればいいだけの話よ。それに当たっても大したことはないくせに」

 

「だったらなんで避けやがる」

 

「あなた、まだっ!」

 

「その油断が、テメエがクソ虫だって証拠だっ!」

 

 完全にユニットとマリアに気を取られていたイミテイティブは、強烈な肘打ちでタックルをしてくるアルベルに低く呻いた。彼女の防御力をもってすれば、致命傷となる一撃ではない。

 だが、

 

「いまだ!」

 

 鋭いアルベルの声に、イミテイティブが眼を見開く。彼女の前。五つの銃口を一つに集約したマリアが、額でアルティネイションの紋章陣をこれでもかと輝かせる。

 巨大な光の塊。人の上半身ほどもありそうな光の球が、マリアの銃口に集まっていた。

 

「バースト・エミッション!」

 

「ば、馬鹿なっ!」

 

 強烈な野太い光線が、イミテイティブの障壁を貫かんと押してくる。イミテイティブの顔が大きく歪んだ。両腕を前に突き出して、みしみしと音を立てる盾をさらに強化させる。

 

「く、ぁあ……このっ。こんな、ものでぇえっ!」

 

(私のすべてのアルティネイションの力を注ぎこんでも、まだ……!)

 

 マリアの顔も引きつった。だが、やれることはこれしかない。アルベルはその身をもって教えたのだ。新しいことをやることがすべてではない。己の持つすべて、全力をもって相手に叩きつける。ただそれだけが、それこそが勝負――と。額の紋章陣を、アルティネイションをさらに集約させる。バースト・エミッションで押し切れなければ、もはや打つ手がなかった。

 歯を食いしばる。祈りにも似た気持ちで銃を握っている。

 ――それなのに、動かない。

 

(そんなっ!?)

 

 唇をかみしめて、スタンスを広く、腰を据える。拮抗はいまだ破れない。焦りが恐怖となってマリアの背中を冷たく這い上がる。

 そのとき、マリアの隣に義手の赤黒い闘気を刀に宿したアルベルが、並んだ。

 

(アルベル!?)

 

「おぉおお……!」

 

 低く、アルベルが吼える。浮かび上がる深紅の龍。いつもはバラバラに襲い掛かる多頭龍が、いまはすべての首が揃うのを待っている。

 ――そして、ついに十頭の龍が一斉に啼いた。

 

「くたばれぇっ!」

 

 剣先に集っていく十頭の龍。それらは完全に重なり、巨大な焔の龍へと変化してイミテイティブに襲い掛かった。その大きさ、クロセルにすら匹敵している。

 

「な、馬鹿な……っ!」

 

 イミテイティブの引きつった声が聞こえたのはそれまでで、絹を裂くような彼女の悲鳴はアルベルの吼竜破に呑まれていった。

 龍の援護を受けたバースト・エミッションが、ついにイミテイティブの盾を突き破り、大爆発を引き起こす。フィールドがいまだ洞窟のままであれば、確実にみな蒸し焼きになったであろう、強大な焔。それは灼熱の太陽を思わせ、透明な床板を抉り取っていった。

 

「フン、ざまあみやがれ」

 

「アルベル!」

 

 片膝をついたアルベルに駆け寄る。マリアたちの前には、ぽっかりと大穴が出来ていた。あの透明な床板ごと、見事に消し去ってしまっていたのだ。その空寒い威力は、かつてのインビジブルを思い出させるのに十分な光景だった。

 

「阿呆が。まだその女は消えてねえぞ」

 

 アルベルが肩で息を切らしながら、睨んでくる。マリアは眉をひそめて大穴をふり返った。そのとき、全身から火花を散らしたイミテイティブが、ゆっくりと浮かび上がってきた。全身は黒く焼け焦げ、短く痙攣を繰り返すその姿が、廃棄寸前のロボットを思わせる。

 

「ふ、ふふっ。まさかまさか。この私がやられるなんてね。まあいいわ。せいぜい先に進みなさいな。どうせあなたたちは、終わるんだから」

 

 額から右頬にかけて、イミテイティブの頭は消失していた。異様に見開かれた冷たい視線が、マリアたちを射抜いている。何度も痙攣しながら、右腕を上げたイミテイティブの首が――次の瞬間、刎ねられた。

 音も気配もなく、そっと触れる夜気のごとく静かに、銀弧が宇宙に描かれ、それに合わせて飛んでいったのだ。イミテイティブが驚きに眼を剥き――斬られた首から下が、光の粒子となって散っていくのにも構わず、不吉な笑みを湛えた。

 

「ふ、ふふっ。楽しみにしてるわ。あなたたちが消える絶望の瞬間を。ふふっ、ふふふふっふ」

 

 空中に首を浮かべて、彼女は己が消え去るその瞬間まで狂った笑い声を上げ続けた。

 マリアは少し、オーバーな動きで肩にかかった髪を背中に払う。恐怖や不安は、他人に見せたくない。

 

「とんだホラー映画ね」

 

「なんだそりゃ?」

 

 眉をひそめて本当に不思議そうにしているアルベルの反応を見て、少し励まされた。

 マリアがフッと息を吐いて、顔を上げる。そこにはいつ現れたのか、納刀したばかりのアルフと、彼の後ろから駆けてくるネルたちが見えた。

 

「よぉ、アルベル。ずいぶん男前になってるじゃねえか」

 

「ああん?」

 

 マリアたちが消し去った床は、しばらくして自動修復した。それが分かっていたようにアルフが悠々と歩いてきて、アルベルが鼻を鳴らす。

 

「テメエほどじゃねえ」

 

 ぴくりとアルフの眉が動いた。言われてみれば、アルフの全身も傷だらけである。ヒーリングで無理矢理動かしているという感じが、ズタズタになった特務服から見て取れた。マリアが眉をひそめていると、指摘されたのが不服だったのか、アルフが声を落した。

 

「つーか、お前。クリムゾンヘイト持ってからちょっと調子に乗ってんじゃねえか?」

 

「気にするな。一人で二人もFD人を相手にしようなんて野郎よりはマシだ」

 

「……詳しいな?」

 

「刀傷だけじゃねえからな」

 

「ああ……。両方使う相手だったから」

 

「なら正面でもらうだろうが」

 

「いやいや、紋章に正面とかねえから」

 

「ほぅ。だったらテメエの真背中の傷はどういうことだ? 逃げたのか?」

 

 そこでようやく、アルフが押し黙った。

 

「……可愛くねえなあ」

 

「なにか言ったか、このガキ」

 

「大人ならもう少し包容力持てよ」

 

「ふん」

 

 互いに視線を交わさず、小さく笑う。どちらも同じ笑みだった。意思疎通がうまく出来ているのが伝わってきて、マリアは首をかしげる。思えばこの二人の雑談を見たことがなかったため、珍しく映ったのだ。

 そこに、ネルが駆けてきた。

 

「よぉ、少しは見えたか?」

 

「アルフ! アンタ、いきなり走り出して……って、なにがさ?」

 

 真顔で返されて、アルフが目を丸めた。無言のままアルベルを見やって、長い溜息を吐いている。視線を向けられたアルベルが、意味が分からずに顔をしかめた。

 そこに、さらにロジャーとブレアが到着する。

 

「アルフ兄ちゃん、足早ぇじゃんよぉー!」

 

「二人とも無事っ?」

 

「ブレア……。あなたは本物?」

 

「え?」

 

 ブレアが目を丸くして首を傾げた。予期せぬことを聞かれて驚いた、という表情。ブレアの脇から、アルフが、それで間違いない、と言い添えてくる。マリアの隣で、アルベルが刀の鍔から指を放した。覇気が消えるのを感じながらマリアも安堵の息を吐くと、ブレアが思い至ったように顎に指を添えた。

 

「……ソロンやディルナ以外にも、私を模したプログラム生命体がいたのね」

 

「ええ。幸い、私とアルベルでなんとか斃せたけれど……。ひとりじゃとても敵わないような強敵だったわ」

 

「まずいわね。この場にいない他の子たちも、もしかしたら似たような状況に追い込まれているのかもしれないわ。……先を急ぎましょう」

 

 ブレアに頷き、一行が駆けだそうとしたところで、ブレアがみなを止めた。理由を聞くと、先に進むにはこの祭壇向こうにある金色の門をくぐるのではなく、祭壇の一番上にある円状の段から、上階転送して進むのだと言う。

 

「ちょっと待って」

 

 断って、ブレアは中空にパネルのようなものを呼び出し、祭壇を起動させると――みなを上階へと導いた。



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86.敵対するアレン

「ったくよぉ! 頑固な野郎だぜ。まだお目々が覚めねえときた」

 

 クリフは震える膝に手をついて呻いた。顔面から噴き出した血が、糸を引いて床に垂れていく。

 全身は火傷と裂傷でズタズタだった。頭の重みに負けて顎が下がる。それでも、クリフの碧眼はアレンを睨みあげた。

 宇宙に鎮座する、アレン・ガードを。

 

「お前こそ、いつまで人間の俺に期待しているつもりだ? すでに人の俺は消えた。『俺』は神の代行者。なぜ、どうにもならないことを繰り返す」

 

「どうにもならない? 馬鹿か、テメエは!」

 

 カーレントナックルを振るった。剛腕が、アレンの前髪をさらう。

 腹に鈍痛。膝蹴りで、身体をくの字に折らされる。

 胃液を吐いた。

 腺が刺激され、涙もにじむがクリフは血まみれの歯を食いしばり、アッパーカットを打ち返す。

 が。

 片手。憎らしいほど力強い手に握られて止まっている。

 空間が壊れ、ファイアウォールから螺旋の塔に変化したことなど、クリフにとっては二の次だった。

 血が睫毛を越えて目に沁み込んでくる。閉じそうになる瞼を無理矢理開いて、アレンを怒鳴りつけた。

 

「それを誰が決めた! 神か? テメエらの言う創造主が決めたってのか!」

 

 答える代り、アレンが強く握りこんでくる。

 クリフの拳が悲鳴を上げていた。負けまいと、拳に気を集約させる。

 

「だがよ、俺たちには希望があるんだ。お前と同い年でなぁ、お前が鍛え上げた甘ったれだ! あのガキはよ。口には出さねえが、お前に憧れてたんだ! お前のように迷いなく、強く断言して前に進もうって姿をあいつもやりてえと思ってたのさ!」

 

 アレンの握力に負け、拳が徐々に折れ曲がっていく。

 クリフは右手首に左手を添え、さらに気を膨れ上がらせた。

 

「あいつにとってお前は目標だったんだ! その目標たるお前が、支配者だか創造主だかに操り人形にされちゃ、あいつも立つ瀬ねえだろうぜ!」

 

 途端、アレンの手のひらから光線が走った。エネミートライフルを思わせる貫通力。クリフの拳と接触し、両者が暴発、爆煙を上げる。

 

「ぐぁあっ!」

 

 突風に押され、背中から地面に叩き落された。

 もうもうと立ち込める煙。アレンは光線を放った手のひらを一瞥して、つぶやいた。

 

「ディストラクションか。なるほど。――だが、それがどうした。一人の人間が、神に歯向える力を手に入れたからと言って、世界が消滅すればどうすることも出来ない」

 

 平凡そうに見えた彼の顔立ちは、こうして視ると異様に整っていることに気付いた。それが床板が照らし出す紋章の光のせいなのか、背中の巨大な手のせいなのかは、クリフにはわからない。

 死人の顔は、いまも揺らがない。

 

「現実は、作り物のようにうまくはいかないんだ」

 

「そうやってすべてを分かったような口で、なにもかも見下してりゃ楽しいかっ!?」

 

 拳で地面を殴りつけた。歯痒さが、相手の理不尽な強さが、クリフの苛立たせる。

 

「いままで自分が護ってきたもんを、自分で踏みつぶしておもしれえかよ! 背中の刀が泣いてるぞっ、アレン!」

 

「言いたいことはそれだけか?」

 

 三本、光線が走った。クリフは倒れたまま身をひねって躱す。二発、足に当たった。

 

「つぅ!」

 

 首跳ね起きで立ち上がる。

 ――そして、

 いま自分に放てる最高の技を、拳に乗せた。

 

「マックス・エクステンション!」

 

 正拳を繰り出す、クリフの気功が前方に向かって野太い光柱となって放たれた。

 光が、宇宙を白く染める。拳が重く、押し返される。光の向こう――アレンが槍を一閃させ、光線を打ち返してきている。

 

(負け、られるかよぉおっ!)

 

 全身の血流が右手に集約していくような錯覚を覚えた。食いしばった歯の根から、獣のような雄叫びを上げる。拳が浮いた。――撃ち返せている。

 

「らぁあっ!」

 

 押し切った、と確信した瞬間に視界が左に飛んだ。――タックル。クリフが後ろに飛ばされている。さらに巨人の手――指先から、あのエネミートライフルのような小さい光線が雨のように降った。

 

「があ!」

 

 さらに槍を袈裟に落とし、地面に叩きつけられる。

 

「あきらめろ」

 

「くそ、……ったれが!」

 

 鼻先に突きつけられた矛先。それを見つめ、クリフは悔しさで、歯がゆさで口端が切れるのも構わず唇を噛んだ。

 

「く、っそ……ぉ!」

 

 力の差は、明らかだった。

 どうやっても埋まらない。クリフがいくら足掻いても、有効打をアレンに与えられない。

 

 これが創られたものと創ったものの差だとアレンは言うが、そんなことはどうでもよかった。

 ただ歯がゆい。――腹立たしい。

 アレンを止められない自分が、助けてやれない状況が、情けなくて仕方なかった。

 

「よぉ、アレンよぉ」

 

 鼻先の矛先を見つめ、クリフは抵抗諦めたように項垂れた。

 心の中で一筋落ちた涙に代わり、口端を上げて自嘲する。

 

「こんなときになって言うのもあれだけどよ……。俺も、テメエに感謝してるぜ」

 

 鏡面のように澄んだ刃だった。凶悪な威力を孕んだ神の槍。だがアレンにはやはり兼定の方が合うと、クリフは場違いなことを思う。

 刃に映りこんだアレンは、やはり人形のまま。瞳は死んでいて、表情もない。

 それでもクリフは思った。いままでの旅のことを、想いの丈をせめて言い残そうと。

 

「俺一人じゃ、あの甘ったれはきっと成長しなかった。――お前が変えたんだ。あのガキを、ネルたちを、お前は助けた。アーリグリフだってお前がいなけりゃ……。すげえ奴だと思ったよ。強さがどうとかじゃねえ。困難だと思えることを迷いなくやり切れるお前が、すげえと思った……」

 

 刃の中のクリフの瞳が、静かに揺れている。矛先。言葉の間も微動だにせず、そこに映るアレンの顔もまったく変化しない。

 クリフはそれを見て、アレンを睨みあげた。

 

「だがよ、アレン」

 

 相手に迷いはない。人形は変化しない。

 

 だが。

 ならば、こちらの口上を黙って聞いているこの意味は――?

 とどめを刺さない彼の心境は――?

 

 クリフの疑問が一縷の希望を生み、歯痒さと怒りとともに、祈りへと昇華する。

 刃を握りこんだ。

 矛先を鼻先からずらす。

 人形はまだ動かない。

 

「いまのお前はなんだっ!? 自分のやりたいこともなにひとつ言えず、満足に自分の意見すら言えないお前が、正しいわけねえだろうがっ! ――アレンよぉ! 目ぇ覚ませっ! お前が捨てられねえのは、その刀を捨てねえのは! まだ人の心を捨ててねえからだっ!」

 

 一瞬、アレンの瞳が揺らいだ――気がした。

 

「思い出せ、アレン・ガードっ! 頼む、思い出してくれ! アレン!」

 

 そのときだった。アレンの表情が歪んだ。眼が見開かれ、眉間に深いしわができる。眉がつり上がり、むき出しになった犬歯。

 表情に現れたのは、怒り。

 

「消えろ」

 

 アレンは仇でも見るような目でクリフを睨み返し、槍から離した手で光線を

 

 キィイ――

 

 撃とうとして、くずおれた。頭を抱え、呻く。

 

「つっ、また……鍔鳴りが……!」

 

 クリフは我が目を疑った。アレンの背中――斜に差した剛刀、兼定が鞘に収まった状態で、細かく震えていたのだ。一瞬ちらちらと見える鯉口から蒼白い――懐かしいアレン本来の気が零れている。

 死人の顔が怒りのほかにも、戸惑いに揺れた。

 

「なぜ、だ。『俺』は、なぜ……捨てられない……っ!」

 

「アレン!」

 

「――違うっ!」

 

 呼びかけるクリフを一蹴するように、アレンが鋭く吼えた。

 死人の眼は相変わらず光を持たない。彼は掴んだ槍を離さない。

 

「捨てるっ、俺は捨て……、『俺』はっ、俺を、捨てねば……っ!」

 

 槍を掲げ、クリフの手を振り払った彼は、なにもない空間を一閃した。遠くで、クリスタルが砕ける音が響く。

 立ち上がったアレンは、苛立たしげにクリフを睨み下ろした。

 

「なぜ、お前は……あきらめない……っ!」

 

「へっ! わりぃな。あきらめの悪さは、テメエらに教わったんだろうが」

 

 口端をつり上げて不敵に笑う――それが、クリフに残った最後の体力だった。

 

(――なぁ? フェイト)

 

 同意を求める相手はここにはいない。

 助けたかった相手は、

 

「消えろっ、クリフ・フィッター!」

 

 槍を大上段から振り下ろした。

 穂先から放たれる衝撃波。直線状に来る、まるで空破斬だ。

 それを見つめてクリフは小さく苦笑した。

 

(ふっ。最期の最後で名前呼びやがったよ。わりぃな、フェイト……)

 

「どうやら俺はここまでだ」

 

 そう、漆黒の空間につぶやいた瞬間。

 斬撃の音が響いた、

 思わず目を丸くする。クリフに向かって走る真空の衝撃波が、真っ二つに割れてあらぬ方を走っていったのだ。

 顔を上げて、息を呑んだ。心のどこかで待っていた男の背が――見えた。

 

「ふざけんなよ、お前は僕の壁だろう!」

 

 こんなときまで冗談とも本気とも取れない言葉を放つ、青髪の青年。

 ディストラクションの白い光を全身にまとった彼は、クリフと視線が合うなりニッと笑った。

 

「……フェイト!」

 

 

 ◇

 

 

 宇宙を模したかのようなオーナーの特殊空間。薄床に立つアレンは見慣れた連邦服でなく白い法衣を着ていた。代弁者たちにも共通する言い知れない不穏な空気。それを肌で感じながら、フェイトはなんでもないように気さくに声をかける。

 

「待たせたな、アレン」

 

「その様子では、コネクションが完成するまでここにたどり着けなかったようだな」

 

 アレンと目が合うと、フェイトの顔が強張った。アレンの蒼瞳。意志の光が消え、夜海のような暗闇が見返してくるのだ。

 全身ぼろぼろになるまで戦い抜いたクリフを横目に、フェイトは口端を引きつらせた。

 

「相変わらずで安心したよ。どうやらお前、ホントに正気に戻ったみたいだな」

 

 一閃。言葉をねじ伏せるかのように槍から放たれた衝撃波を、フェイトはヴェインスレイで叩き切る。剣を握る腕が震えた。――重い。兼定の空破斬というより、まるで吼竜破だ。おまけに弾速が速い。

 

「俺が何者であるかなど関係ない。『俺』はお前たちを消去する。それだけだ」

 

「……お前、クリフがここまでして伝えようとしたことを全部なかったことにするつもりか」

 

「どの道お前たちはここで消える。些末なことだ」

 

 剣戟音。アレンの眼が見開かれた。側面にテレポートしたフェイトが、剣を薙いでいる。ストレイヤーヴォイド。物理法則を書き換えて距離をゼロにする技だ。顎を刎ね切る太刀筋をアレンは槍を盾にどうにか防いだ。――殺気や剣気を込めて急所を狙った方が、彼の反応が速い。予測通りだ。だが瞳は闇に閉ざされたまま。フェイトはそれをまっすぐに睨み据えた。

 

「ホントにまだ寝ぼけてるみたいだな。なら、ちょっとだけ付き合ってやるよ」

 

 瞬間。アレンの肩がせり上がったように見えた。筋肉の躍動。鍔迫り合いの状態から、一気に押し返してきたのだ。フェイトは飛びのいて衝撃を流し、さらに打ち込んでくるアレンの懐に上体を屈めて飛び込んでいく。

 

「リフレクトストライフっ!」

 

 三角飛びから繰り出された蹴りがアレンの脇腹に直撃する――はずだった。リフレクトストライフで蹴り抜く足が、アレンの背にある触手に握られている。

 

「なにっ!?」

 

「調子に乗るな」

 

 地面に引き倒された。振り向きざまに空破斬のような一閃が放たれる。フェイトはなすすべもなく直撃。ぞりっと。腕から先が断ち切られたかのような強烈な感覚が脳に響いた。

 呻く。

 さらにエリミネートライフルのごとき光線。クリフをさんざん苦しめた光弾が無数に降ってくる。

 

「と、わぁあっ!」

 

「フェイトっ!」

 

 鋭いクリフの忠告を後ろに、フェイトはどうにか身をよじって光弾を躱した。頭上に槍。躊躇なく振り下ろしてくる。

 

「たわあっ!」

 

 横転して回避。その折、ヴェインスレイで足許を握る触手を断ち切った。本来なら鋼鉄で切れる代物ではない。だがフェイトの剣には破壊の力が宿っている。

 千切るように右の翼を斬られ、アレンがたたらを踏んだ。その間に、フェイトは猫のように身を屈め、上体を起こすや

 

「ショットガンボルト!」

 

 円弧状に炸裂弾を放った。が、駄目。もう片方の翼に防がれている。

 

(腕が四つあるみたいだな! ――こいつ!)

 

 さらにバックステップで距離を取った。

 単純な間合いで言えば、槍を持つアレンの方が遠距離では有利だ。技の面でも、フェイトにはあまり変化に富んだものはない。

 ――だが、ストレイヤーボイドという距離をゼロに詰める瞬間移動が、その不利を完全に潰す。フェイトの得手は接近戦だが、それはアレンの畑でもある。奇襲にもめったにかからない相手。それはいつもの修行で知っていた。だがいまならば――触手を断たれたときのアレンの動きを見れば、勝機はある。

 

「大人しく僕らのとこに戻ってくるならいまの内だぞ。アレン」

 

 アレンの眉がかすかに震えた。無表情だが、どこか怒っているようにも見える。背中の兼定の燐光は、まだ続いていた。

 そのせいなのか、アレンの表情には焦りのようなものも含まれていた。

 

「言ったはずだ。『俺』は、『俺』が何者であろうと――」

 

「いいや、お前は迷ってるね。たしかにいまのお前は桁違いの攻撃力と防御力を持ってる。でもな、兼定を持ったお前なら、いまの攻防でもっとえぐい必殺技を惜しげもなく使ってきたはずだ」

 

「……それが望みということか」

 

「なに?」

 

 フェイトが目を丸くして瞬くのと同時、アレンの背にある触手が上方にまとめられ、うねうねと蠢き出した。数秒、一気にまとめられていく光線の束たち。

 嫌な予感を覚えて頬をひくつかせると、光線の束が範囲紋章術『レイ』のごとく拡散し、撃ち込まれてきた。

 

「ちょっと待てぇええええ……!?」

 

 床板を抉らんばかりの容赦ない光雨である。

 背中で、クリフも引きつった悲鳴を上げている。

 

(ちぃっ!)

 

 フェイトは後方に逃れていたが、覚悟を決めて光雨に突っ込んだ。

 

「ショットガンボルト!」

 

 炸裂弾で牽制。難なく射抜かれる。

 どうしようもなかった。

 

「ぎゃぁああああ……!」

 

「馬鹿野郎ぉおおお!」

 

 フェイトとクリフの罵声と悲鳴が、螺旋の塔の一角に響き渡った。

 

 

 

 

「や、野郎……。僕を殺す気で来てやがる……!」

 

 頬を伝う冷汗を拭いながら、フェイトはシニカルに笑った。後ろには倒れたままぴくりとも動かないクリフ。もしかするといまの攻撃で何発か直撃したのかもしれない。

 だが、フェイトは気にしないことにした。Gutsがあればどうにかなる。いつもの理論だ。

 

(あれ? なんかいつもと変わらなくないか?)

 

 ふと頭の隅で思ったが、そんなことはおくびにも出さなかった。相手が正気に戻っている――あくまでその路線で行くなら、これは当然の成り行きだ。

 修行で出来る傷に比べれば、この程度の全身擦り傷など傷と言えるのかどうかすら分からない。

 

「どうした、躱すので精一杯か」

 

「そういうお前こそ、背中のそれ。そろそろ抜いたらどうだ。出し惜しみするほどレアなもんでもないだろ」

 

 アレンの殺気が膨らんだ。

 放ってくる衝撃波。フェイトはそれを紙一重に躱しながら、視線をめぐらせる。

 

(やっぱり、エクスキューショナーに固執してるからじゃない?)

 

 確かめようにも、クリフはやはりぴくりとも動かない。

 

「だぁ、もうっ! 肝心なときにNo Gutsはやめろっていつも言ってるだろぉおっ! ――まったく。まあいいか」

 

 つぶやくと同時、さらに走る光線の合間を縫って、フェイトはストレイヤー・ヴォイドで接近、背後を取った。三連が一度に放たれるブレードリアクター。ディストラクション能力を宿した刃を一気に振り上げ、振りおろし、突く。が。触手で防がれた。これを捻じ切って

 

(次で決めるっ!)

 

 刃を巻き込んでくる触手を霧散させんと破壊の力を込める、その瞬間。

 

「たわぁっ!?」

 

 殺気を感じてフェイトは首をすくめた。一寸上、アレンのソバットが空間を刈り取っていく。

 と、強烈な力に振り回されるように、フェイトの身体が宙を舞った。集中が散ったところを狙って、触手で地面に叩きつけに来たのだ。

 

(にゃろっ!)

 

 肩から打ち据えられる瞬間、受け身を取って衝撃をずらした。再び集中。触手を引き千切らんと刃を光らせる。

 が、触手の指が退く方が速い。アレンの隙に――つけ込めない。

 

「狙いすぎだ」

 

 鈍い衝撃が、フェイトの心臓を貫いた。疾風突きのような槍での一閃。咄嗟にヴェインスレイを挟みこんだものの、強烈な痛みに声にならない息を吐く。

 触手で、頬を張り倒された。

 

「ぐぁあっ!」

 

 今度は受け身も取れずに倒れ伏す。さきほど千切った右の触手は、いつの間にか完全に修復されていた。

 

「この程度で銀河の希望とは。クリフ・フィッターの意志とやらも、やはり絶対的な現実の前には夢と消えるようだな」

 

「なんだと」

 

「ひとつ教えてやる。お前の仲間――この場に居ない者たちは、みな別の場所でまだ生きている。そして我らが創造主、ルシファーの許へと足を進めていることだろう。それがなぜ出来たのか、お前に分かるか?」

 

 フェイトは眉をひそめて押し黙った。

 

「特殊紋章術。コネクションとアルティネイション。この力をそれぞれが実現させたからだ。だが、お前はその域にすら達していない。俺の許に来ることでさえ自力では果たせなかった」

 

「……それがお前が兼定を抜かない理由、か?」

 

「……」

 

「なら見せてやるよ、僕の力。ディストラクションが、本当に兼定を抜かずに破れるモノなのか――お前のその目で確かめるといい」

 

 ヴェインスレイの刃が蒼白に輝き出す。羽音を立てて、フェイトの背に純白の翼が広がった。立体的に、すり鉢状に繋がる紋章陣。

 

(たぶん、試したいんだ――)

 

 イセリアルブラスト。

 それを察するやアレンも槍を構えた。矛先に宿る紫色の光。

 

(お前が、神の手先なんかじゃないってことを!)

 

 フェイトが鋭く吼え、ヴェインスレイを上段から振り下ろす。

 

「これに耐えられるものなら――耐えてみろっ!」

 

 途端、アレンも槍を正面に穿ち放った。迸る紫電の光。それは金色の光線にまとわりつき、フェイトのイセリアルブラストと真正面から激突した。

 

「ぉ、ぉおおおおっ!」

 

 ヴェインスレイを両手で握りこむ。フェイトの背に浮かぶ、少女の姿をした破壊の女神。彼女が導く蒼白の光が、アレンの光線を消していく。

 

「っ!?」

 

 途端、アレンが眼を見開いた。槍の光線は朱雀吼竜破ほどではない。そのまま一気に、イセリアルブラストで押し切った。

 巨大な爆発が轟音を立てて沸き起こり、蒼白の光がまるで花火が散るように周囲をほんの一瞬、明るく照り返す。

 

「、っ……っ!」

 

 槍を握る、アレンが静かにたたらを踏んだ。触手で防壁を作って、貝のように閉じこもっていたのだが、いまのディストラクションで触手がぱらぱらと崩れていく。

 それはアレンが握る、巨大な槍もそうだった。

 

「さあ、これで文句はないだろ、アレン。仕切り直しだ」

 

 アレンの表情が、驚きに固まっているように見えた。彼の瞳は相変わらず闇に呑まれたままだ。だが、代わりに強烈な威圧感が迫ってくる。上段から、躊躇なく振り下ろされる――『兼定』。

 

「とぁっ!?」

 

 フェイトは左足を浮かしてどうにか躱したものの、空間を切り裂くような巨大な空破斬は、無限に続く闇を一瞬、文字通りに両断した。相変わらず空寒い切れ味。アレンを睨むやフェイトは声を張り上げる。

 

「このやろぉっ! 不意打ちとは卑怯だぞっ!?」

 

 同時。アレンが踏み込んできた。フェイトの懐――剣の間合いへ。

 

「げっ!?」

 

 神速の四連斬『夢幻』に、フェイトは目を瞠った。初撃の抜刀はフェイトの胴を断たんとする。フェイトはヴェインスレイを立てて刀を弾き、上段から来る刃を半身切って躱した。爆発が起きる。ドンッと重い踏み込み音。迫る突きをブレードリアクターの切り上げで打ち返し、上段から振り落ちる刃をリフレクトストライフで避けながらもアレンの脇目掛けて蹴りを繰り出す。が、刀を握っていないアレンの右手に、パンッと呆気なく払い落された。

 一瞬の、四合。

 両者、ザッと地面を掻いて、距離を取る。

 フェイトの練気を物語るように、蹴りを弾いたアレンの右手から、白い煙が立ち上った。

 アレンは右手を一瞥した。

 

「……どうやら、それなりに腕を上げたな。フェイト」

 

「前にも言ったろ? いつまでもお前に負けるつもりはないってさ」

 

 アレンは無表情のまま左手で握った兼定を水平に構え、右手を剣先に添えた。

 活人剣。

 あらゆる傷を治し、身体能力を底上げするアレンの気攻術。フェイトはあくまで交戦を続けるアレンに溜息を吐いた。

 

「お前、どうあっても僕と戦いたいのか?」

 

「是非もない」

 

 アレンの蒼瞳が力を帯びる。緊張の糸が張り詰めた。向けられる鮮烈な殺気。フェイトはヴェインスレイを構えながら、訝しげにアレンを見返した。

 

 宇宙を模した螺旋の塔に、風は吹かない。しんとした静寂の中に、息をも吐けぬ緊張感が張り詰める。静電気が走ったように肌が弾ける。

 

 模擬宇宙の中で、フェイトはヴェインスレイを正面に据えた。金色の丸枠をいくつも重ねて、その上に白い硬化ガラスを敷いた床。紺碧の闇の中で、エクスキューショナーの無の紋章陣が白く光っている。これが恐らく、フェイトたちの居る空間を照らす灯りになるのだ。執行者の力の源である――この紋章力の根源そのものが。

 磨き上げられた二メートル強の剛刀が、無の紋章陣を鏡のように写し込む。

 フェイトは息を吐いた。相手の目を見れば――アレンが『真剣勝負』を望んでいることくらい、察せられる。

 本当は、最初(であったとき)から。

 だが――フェイトとしては、アレンを連れ帰ることこそが第一目標だった。

 

 じり……

 

 アレンが一歩、摺足で左に寄る。フェイトは距離を目算する。

 間合いは、三メートル。

 兼定の距離だ。フェイトは舌打った。本当はこんな戦いなど放棄して、さっさとオーナーに文句の一つでも言いに行きたいところだ――頭ではそう思っているのに、口許にはなぜか笑みが浮んでいる。

 

 ぱっ、

 

 床下で踊る紋章陣が、兼定を照らした。

 瞬間。

 両者は駆けた。裂帛の気合。腹の底から吼え合う二つの声が、螺旋の塔――宇宙の闇に吸い込まれて行く。

 フェイトの全身から光が散った。ディストラクション、破壊の力だ。対するアレンは朱雀の炎。

 轟音が立つ。一つ遅れて、同心円状に二人を中心として風が起きた。

 アレンが上段から兼定を振り下ろす。地面に触れた瞬間、行き場を失くした炎が二メートル強の火柱を立て吹き荒れた。が、フェイトはそこに居ない。アレンは左を見る。フェイトは、アレンの左側面に踏み込んでいた。

 振り向きざま、アレンが兼定を薙ぐ。

 火花が散った。目のくらむような炎。

 フェイトは名剣ヴェインスレイを水平にしてアレンの剛刀を止めている。一瞬後、同時に刃を退けた両者が、剣戟をぶつけ合った。光と炎、火花が散り、視界が塞がれるが二人は構わない。伝説の鋼――瑤鋼によって作られた名刀と名剣は、互いに全力で打ち合おうとも刃毀れ一つしない。

 

 だが。

 剣術では――アレンが上。

 フェイトは徐々に速くなっていくアレンの連撃に耐え切れず、後ろに下がった。同時。

 落雷のような轟音が、螺旋の塔に響く。

 

「ち、ぃいっ!」

 

 フェイトはヴェインスレイを水平にして、アレンの振り下しを受け止めた。だが全力で振り切られた兼定の一撃は、鋼を越えてフェイトの頬を裂く。それだけに留まらず、フェイトの細身を呆気なく後ろに吹き飛ばした。右手をついて着地するフェイト。開いた両足が、衝撃を緩和し切れずに地面を三メートルほど削る。

 アレンが跳び込んでくる。

 歯を食いしばるフェイトに対し、アレンは無表情。

 

「……舐めるなっ!」

 

 フェイトはアレンが振り切る前に、刃を合わせた。完全に兼定を振り切らせてはならない。カチカチと音を鳴らしながらアレンとの鍔迫り合いに臨む。

 だが、

 腕力もアレンが上。

 フェイトの白い光(ディストラクション)が膨れ上がった。アレンとフェイトの間で交わされた刃が、アレン側に倒れる。

 

「それは……こちらの科白だっ!」

 

 鋭く吼えたアレンもまた、朱雀の炎を膨らませ、猛った。

 ディストラクションと純粋な練気。威力は――フェイトがやや上。

 アレンは舌打ちして刃を切り崩し、横薙ぎを放った。が、フェイトはバックステップで見切っている。

 

「ショットガン・ボルト!」

 

 距離が開いた途端、炸裂弾が円弧を描いた。アレンは炎の拳で叩き潰す。そのまま前進し、抜刀。フェイトは上に跳び、エリアルでアレンの頭上から剣を振り下ろす。

 

 ギィッ!

 

 柄で止めたアレンは、右手を伸ばしてフェイトの襟首を掴むなり、地面に投げつけた。勢い良く弧を描いたフェイトの身体が、叩きつけられる。更に踏み付けられそうになってフェイトは横に転んだ。ガンッと鈍い音を立てた床が、一瞬震える。

 

「……の、野郎っ!」

 

 首はね起きで跳びあがったフェイトは、剣を短く握って鋭角に突いた。アレンは左に回って(かわ)すと、兼定を振り下ろした。

 

「!」

 

 一番喰らってはならない――兼定の袈裟切りだ。

 フェイトは刃を合わせた瞬間、体を横っ跳びに(かわ)した。炎の斬撃が床に触れた瞬間、真空刃を伴って螺旋の塔の門が両断される。

 まともに受ければ――ヴェインスレイは無事でも、フェイトが両断されている。

 

「相変わらずだな、この悪魔め……!」

 

 門が崩れ、倒れる音がした。だがそんなもの聞かずともフェイトは兼定の威力を厭というほど知っている。ずいぶんと闘えるようになったものだが、兼定とアレンの容赦のなさの前には油断はならない。毒吐くフェイトに、アレンが無言のままフェイトの左脇腹から右肩を両断せんと刀を振るう。剛速。フェイトは咄嗟に右肩を前にして体当たり(チャージ)を打ち当てた。

 アレンが刀を振り上げる寸前、身体が開く。

 

「ブレードリアクター!」

 

 瞬間、フェイトは踏み込み、剣を振り上げた。白い剣閃。それがアレンの髪二、三本をさらった。

 ――当たらない。

 

「!?」

 

「甘いっ!」

 

 半身切って躱されたと悟ったとき、アレンの衝裂破がフェイトの左肩から斜め下、右脇腹を切り裂いた。

 剣線に沿って血が噴き出る。体が後ろに飛んだ。地面を掻いて、フェイトは着地する。胸に手を当て吐血した。

 

「かはっ!」

 

 同時。

 

「爆裂破!」

 

「ヴァーティカルエアレイド!」

 

 血を拭う暇なく地面から迫り出す岩槍を、フェイトは剣風と剣圧で叩き折る。

 土煙が舞う。傷を庇う暇などなく、轟音を立て崩れる岩槍に目もくれず、両者は己が力を限界まで高め合う。

 

「ぉおおおおっ!」

 

「覇ぁあああっ!」

 

 フェイトの全身を覆うディストラクションの光と、アレンの全身に宿る朱雀の炎が猛り、狂った。

 羽音が立ち、紺碧の空間に純白の翼が広がった。眼前の朱雀もまた、蒼龍と交わり黄金の龍へと化す。

 

 羽が舞う。破壊の力を持った白い羽が、ひらひらと舞い落ちて行く。

 

 フェイトの頭上には幼い女神が浮かび、その背に巨大な白い翼が生えた。瞳孔が開き、一層深くなった翡翠の瞳が、目の前の龍を見る。黄金の、龍を。

 同時。

 フェイトの喉が裂帛の気合を放った。

 振り下ろされる名剣。それを剛刀が迎え撃つ。踏み込むは同時。フェイトはそのとき、一瞬だけ正気の蒼を睨み据えた。――懐かしい、蒼瞳の輝きを。

 

「一つだけ答えろよ、……アレン」

 

「……」

 

 アレンは静かに、フェイトを見据え返す。やはり暗い目だった。

 フェイトは剣を握り込み、叫んだ。

 

「なんで……、なんでお前は敵になった!? なんでまだ敵のままだっ!? 連邦軍人の誇りはどこに行った!? 民間人を護るんじゃなかったのかよ! 答えろっ!」

 

 フェイトの全身が白く輝く。鍔迫り合いの状態から、兼定を押し返すように一歩前に出る。裂帛の気合がフェイトの喉を割り、わずかに力負けしたアレンが後ろに退けられた。

 バックステップで距離を取ったアレンが、背負った朱雀を放ちながら答える。

 金色の火花が、広間の中央で弾けた。

 フェイトがディストラクションを宿した名剣(ヴェインスレイ)で、アレンの朱雀を切り払う。

 光が弾けると同時に、アレンは上段から刀を振り下ろす。フェイトはそれを剣で受け、アレンの蒼瞳を睨み上げた。

 アレンは言う。感情を殺した瞳で。

 やはり光のない、暗い瞳で。

 

「『俺』はルシファーの代行者。『俺』の意志など関係ない。俺はもはや……エターナルスフィアの住人ですらない。このエターナルスフィアで奴に反抗する意志を見せれば、『俺』たちは自動的に消える。……俺では、奴を倒せない」

 

「消える? 代行者? なにわけわかんないこと言ってんだ、お前! 皆、必死に戦ってるんだぞ! お前の分までっ! お前と帰れるように!」

 

 ヴェインスレイが一際白い光を放つ。ディストラクションの光。鍔迫り合いの中、アレンはそれを眩しそうに見やって、気合と同時に兼定を握り込んだ。

 

「覇ぁっ!」

 

 そのとき、内包したアレンの気が散り、今度はフェイトが力負ける。ぐぅ、と唸りながらフェイトは弾かれる前に後ろに跳び、着地したところでアレンが言った。

 

「……フェイト。『俺』は所詮ルシファーのコピーだ。そんな俺すら倒せないようでは、オリジナルのルシファーを倒すことなど絶対に不可能」

 

 口端から一筋垂れた血を拭い、フェイトは血塊を吐きだした。奥歯を噛む。この分からず屋は相変わらずイラつくほどのマイペースだ。毎日の修行と同じで、まったくこちらの言い分など聞きやしない。

 

「いつぞや聞いたようなセリフだな……」

 

 初めてフェイトが意志について考え、その信念を貫こうとしたときにアレンがかけた言葉だ。

 

「けどよ、あの頃と今の僕を、同じと思ったら痛い目を見るぞ」

 

「面白い。――ならば、俺を越えて見せろ! フェイト!」

 

「だから……、何でそうなんだよっ! この馬鹿野郎っっ!」

 

 フェイトは苛立った。

 ――何故、アレンはフェイトと共に戦うという選択肢を、最初から考えないのか。

 

「お前、連邦軍人としての誇りが大事だったんじゃないのかよっ!」

 

 このとき、アレンの表情に変化はなかった。ただ一瞬だけ喉の奥でつっかえたように息を呑み、叫ぶ。

 

「……誇りは捨ててないっ! だからここに居る! だから、――お前は『俺』を越えろっ!」

 

「だから、それがワケ分かんねえっつってんだろうがぁああ!」

 

 言葉尻と同時に二人は駆け出し、またもや剣をぶつけ合っていた。相変わらずの剛刀。たった一合交わしただけで、腕が持っていかれそうになる。

 だがフェイトは奥歯を噛んで堪えぬき、アレンを睨み据えた。

 

「お前の誇りってなんだったよ!? 僕らに敵対することかっ!? ――違うだろ! あそこにいるクリフもっ、アルフもネルさんもロジャーもマリアもアルベルもソフィアも。ナツメだって、お前にただ帰ってきてほしいだけなんだっ! 皆と一緒に暮らしたいっ! ただそれだけの、いたって普通な望みなんだっ! なんでそれだけのことが、お前には分からないんだよっ!」

 

「俺には、ただこの道しかないっ! それだけだっ!」

 

 強烈な打ち込みにやはり打ち負けてしまった。地面を掻きながら後方に下がるフェイト。ヴェインスレイを握る感覚が消えるほど、手首が痺れる。

 

「こんの野郎! いつまでもいつまでも、い~つ~ま~で~もっ! そうやって自分のペースで、話が進むと思うなよぉおっ!」

 

 それでも、フェイトは自分の消えた握力をディストラクションで補い始めた。

 アレンの背に浮かぶ、黄金の朱雀。それに対抗するように、額の紋章をこれでもかと輝かせる。

 

 

「フェイトぉおお!」

 

「アレェエエエンッ!」

 

 

 女神の破壊の光と、朱雀の焔がまたしても両者の中央でぶつかった。



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87.創造主ルシファー

 天空に向かいそびえ立つ、途方もなく巨大な扉。これが世界と創造主を分かつ境界である。

 

 宇宙を思わせる、どこまでも広がる紺碧の世界。輝く星々を遠目に、マリアたちが扉を開いて入ると、パイプオルガンに似た巨大な機械が一行を出迎える。その上に、振り子時計のような楕円形のオブジェクトがいくつも浮かんでいた。

 かち、かちと規則的にそれぞれ違ったリズムで奏でる時計のようなもの。

 その細長い胴体部分には『生命の樹』が刻まれていた。旧約聖書――地球に存在する超古代文書の中の一節、創世記でエデンの園に植えられた木、命の木とされるものだ。六角形の輪郭に、それぞれの頂点から伸びる直線がいくつも交点を作っている。この直線が四つ以上重なる十の交点を『セフィラ』と呼び、セフィラは宇宙の星々を意味した。――太陽系を。

 つまり、地球文明を基準にして考えれば、時計はこれ一つで「世界」を表しているといえる。それが無数にあった。異なるリズムで時を刻み、世界が息づいていることを視覚的に訴えかけてくる。

 まさに息を呑むような光景だった。

 たとえ時計の意味が分からなくとも、恐らくマリアは、この場にこの世ならざるものを直感的に察したことだろう。人が踏み入れてはならない厳粛な空気が、この空間には流れている。

 天空に伸びたパイプオルガンのような機械、四列に並んだパネルから、男――スフィア社オーナー・ルシファーが顔を上げた。見た目はただのヒューマンだ。ふり返ると、彼の顔が露わになる。白い額にかかる濃い金髪と、深い蒼色の瞳、年齢は三十代半ばといったところか。アレンにどことなく似ていた。顔立ちだけでなく、その雰囲気までも。

 

「なにかがおかしいと思っていた……」

 

 ぽつり、とルシファーがマリアたちを見て言った。彼の視線の先にあるのは――マリアたちが今しがた入ってきた巨大な扉だ。

 一行の後ろから、ブレアが前に出て叫ぶ。

 

「兄さん、もうやめて! これで分かったでしょう。いまや彼らは我々となんら遜色のない思考を持つほどに成長しました。もう彼らは私たちの手を離れたのよ」

 

「ブレア。お前も、そこまで私に逆らうのか。妹よ」

 

「そうじゃない。話を聞いて、兄さん。彼らが私たちと同等の心を持つに至ったいま、私たちとどれほどの違いがあるというの?」

 

「馬鹿なことを! こいつらは所詮データだけの存在でしかない。エターナルスフィアという世界そのものが、完全なる虚構に過ぎないのだぞ」

 

「それだけではないはずよ。その証拠に、これまでのように私たちの世界からエターナルスフィアへの一方的な干渉を行うことは出来なくなっているじゃない。それこそが、彼らが私たちと同じような存在に成長したという証拠でしょう?」

 

 ルシファーの瞳が一瞬、凍りついた。手許を見下ろした彼が、忌々しげに歯噛みして拳を握りしめる。

 

「ならば干渉できているいまこそが、こいつらを消去するいい機会になったと言うことだ」

 

「どうして!? どうして、そうなるの。兄さんっ! 自分たちと同じ高次元の存在にまで育ったということは、私たちが同朋の命を奪うのとなんら変わりがない行為になったということなのよ!?」

 

「黙れブレア! お前はこいつらに騙されているのだ。たとえデータであれ、エターナルスフィアの存在は、この私をたばかるまでに凶悪な存在となった! この特殊空間にお前たちが踏み込んでこられたのが、なによりの証拠だ!

 ファイアーウォールからここへは、(コア)となる装置を起動させねば絶対に入ってこられないはずだった。

 それに干渉させたのが何者か分かるか。

 エターナルスフィアの擬態データから作りだした代行者だ! 奴は己の視力と引き換えに、裏でこいつらを手引きした……! 許されることではない、絶対に。このように狡猾で危険な存在を、我らが世界に踏み入れさせるわけにはいかんのだっ!」

 

「なに言ってるの! それは兄さんがエターナルスフィアを消し去ろうとしたからよっ! 彼らだって必死なのっ! 我々と同じ心を持つまでに至ったと、兄さんだってわかっているんでしょう!? もし立場が逆なら私たちだって――」

 

 ブレアの肩を、アルフが叩いた。

 マリアの表情が強張る。

 

「――アルフ。フェイトが来るまでは」

 

「待てねえよ。それに、話だけで片付くものでもない」

 

「……そうね。残念だけど」

 

 迷いをふり切るようにブレアを見る。普段のマリアなら、迷うこともない選択肢だった。ただ、ここに来る前――シランドの医務室でフェイトが言っていたのだ。FD世界と正面衝突するのはいまではない。出来る限り交渉は諦めない、と。それを受けての一瞬の躊躇だった。

 だが。

 

「待って!」

 

 止めるブレアに、首を横に振る。

 

「ごめんなさい、ブレア。私たちはあきらめるわけにはいかない。いまならまだ、あなたのお兄さんを止めさえすれば、なんとかなるかもしれない。だから、どうしても話だけで解決できないっていうなら」

 

「力づくで言うことを聞かせるしかない、だね」

 

「――フンっ」

 

「腕が鳴るじゃんよっ!」

 

「そういうことよ、行くわよ! 皆!」

 

 武器を構えるマリアたち。

 ルシファーが右手で顔を覆い、しだいに哄笑を上げ始めた。背を反り返らせた彼が左手を開くと、宙に、光の線が現れ、握ると一本の巨大な槍に具現化する。

 

「0と1との存在に過ぎない貴様らが、創造主に逆らおうなどと思い上がりも甚だしいわ!」

 

「それでも、たとえそれが真実だったとしても。これ以上、あなたの好きにはさせないっ!」

 

 戦いとは、相手のために為すものではない。我を通す――己の我儘を貫くために誰もが行うものだとアルベルは言った。だからこそ、たとえ敵が誰であろうと、剣を取った以上は怯むなと、イミテイティブ・ブレアを斃したあとからここに来るまでに語ったのだ。

 マリアの額が発光。両手で握った黒拳銃から追尾弾、エイミング・デバイスを放つ。鈍い発砲音。正面からアルフ、左からアルベルが駆け、後ろでネルが黒鷹旋による援護。一拍遅れてロジャーのスターフォールが、ルシファーに襲い掛かった。

 

「ぉをっ!」

 

 ルシファーが槍を打ち返してきた。上段から振り下ろされる斬撃。エイミングデバイスの光線が弾かれ、疾風突きと激突する。刀の剣尖にドリル状の風を巻いたアルフの突きが、完全に打ち止められていた。さらに頭上から斬りかかったアルベルの剣戟まで柄で止められる。驚く両者。暴発。行き場を失った質量エネルギーが、黒鷹旋の刃を退かせる。突風で皆が顔をしかめる中、天空から降るスターフォールが、疾風突きからルシファーをその場に縫い付けるアルフの鏡面刹の援護を受けて、ルシファーに直撃する――はずだった。

 アルフの眼が強張る。

 

(速ぇ――!)

 

 宙に描かれる無数の斬閃。銀弧は漆黒の空間を、アルフの剣撃を、降り落ちる岩石を、粉みじんに切り刻む。どれ一つ例外なく、まるで破砕機だ。見る間に、岩が空中で分割されて床に落ちていった。と同時に、アルフの全身から真っ赤な血の花が咲き乱れた。

 がくりと彼の膝が落ちる。

 アルベルの咆哮。追い打ちに槍を薙ぐルシファーの側面に、大上段で打ち込んでいく。剣戟音。火花を散らして鍔迫り合いをする両者、だが、アルベルのクリムゾンヘイトはルシファーの左手、指先に集った白い光に止められていた。

 眼を瞠るアルベル。その時、彼の細身がくの字に折れた。足刀蹴りが腹に決まって、くの字に折ったまま吹き飛ばされていく。

 

「ヒートウィップ!」

 

「黒鷹旋!」

 

 ロジャーとネルの後方援護。しかし、ルシファーの影を掴むことも出来ない。空を切る両者の武器。一方、ルシファーは、吹き飛んだアルベルに追いついていた。俊足。強烈な肘打ちが胸に決まって、床に叩きつけられるアルベル。マリアがアルティネイションで四つ、蜂のようなユニットを作りだすやルシファーを追いかけた。その攻撃に続く、血みどろのアルフ。

 再び斬り合うルシファーとアルフ。フィールドの中央で刃を交わす両者だが、マリアのユニットごと打ち負けていく。

 

「化け物めっ!」

 

 ネルが忌々しげに吐き捨てた。そのとき、中・後衛の三人に、影のように忍び寄る黒い紋章が、赤い円陣を紡ぎ始めた。

 範囲紋章術『レイ』。

 天空に輝く光に気付いて三人が顔を上げたとき、光線の雨が容赦なく降りそそいだ。

 マリアたちの悲鳴が、レイの放つ甲高い音に掻き消されていく。ムッと上昇する気温。空気が燃えるのを感じながら、マリアがどうにか頭上に両腕を掲げる。リフレクション。アルティネイションで強化させた紋章盾を展開するも、腕の骨に直接釘を打ちこまれるような痛みと振動が襲ってくる。食いしばった歯の根から、悲鳴が洩れた。額から伝い落ちる大量の冷汗。光の雨が一滴ぶつかるごとにマリアの膝は折れ、くずおれていく。

 いったい何発被弾したのかもわからない。紋章盾はガラスのように木端微塵に砕け散り、マリアはついに昏倒していた。

 アルベルとアルフの眼の色が変わる。倒れた三人、マリア、ネル、ロジャーはしばらく動けそうにない。

 それでも紋章盾によって意識だけは繋ぎとめられたマリアが、全身を走る苦痛に耐えて目を細めた。

 

(アルベル、アルフ……!)

 

 銃身を床に押し付けて立ち上がろうとするも、やはり腕に力が入らない。がくがくと震える指先を、マリアは歯痒い思いで見ていた。

 

「うぉおおおおおっ!」

 

 剣士二人の咆哮。アルフの鏡面刹を追うようにアルベルも滅多斬りで攻め立てる。重なる剣戟音。剣術の素人でも、マリアには二人の息が完全に一致しルシファーに肉薄しているのが分かった。乱れ咲く剣戟の火花。二人の達人が瞬く暇も与えず苛烈に押し込んでいく。

 

(イケるっ――!)

 

 そのとき、ルシファーが消えた、文字通りに。交差するアルフとアルベルの刀。ルシファーは後ろ、二人の背中にいつの間にか現れている。

 

「後ろっ!」

 

 叫んだとき、二人の身体が槍の一閃で巻き上げられた。紫色の強烈な光の衝撃波。前線から距離のあるマリアですら髪を叩きつけられ、片眼を閉じる。吹き荒れる突風。アルフが地面に倒れるや金色の焔を全身から迸らせた。

 活人剣だ。

 体力を全回復させ身体能力を爆発的に上げる内気功。彼の身体がツバメのごとく翻り、鋭く切りこんでいく。初撃と同じ、疾風突き。

 轟音が立った。

 時間が、まるで静止したかのようだった。

 片手に握った槍で、ルシファーが突きを止めている。アルフの頬に冷汗が伝った。口端だけつり上げて、嗤う。

 

「……まるで底が見えねえ」

 

「その程度か。貴様も」

 

 一閃。地表を走る衝撃波がアルフを呆気なく跳ね返す。二メートル後方でようやく着地したアルフの全身から、血雨が吹いた。しかし彼がまとう金色の焔が血を蒸発させ、まるで飛び散った血が幻だったようにマリアに錯覚させる。

 

「ぉをっ!」

 

 金色の焔から蒼い龍が生まれ、刀の剣線から放たれた。吼竜破。ルシファーを襲う獰猛な龍。そのとき、アルフの表情が強張った。また、ルシファーがいない。

 瞬きの間に、背後に回り込まれる。

 強力な槍の薙ぎを受けてアルフの身体が揺らいだ。受け太刀姿勢で地面を掻きながら下がるアルフ。ルシファーの前方、弧状に走る衝撃波が止むと、中空で、アルフが身体をくの字に折っていた。膝蹴りだ。紫色の衝撃波が消える前に決まっていて、アルフが血を吐く。

 

(――動きが、速すぎる……っ!)

 

 マリアは絶望に心を染められるのを感じながら、目の前の出来事を凝視していた。

 

「データはデータらしくしていろ!」

 

 ルシアーが空の右手を挙げると、金色の光球が一瞬で練り上がった。直径十メートルほど。光球を振り落とされた瞬間、目の前のフィールド、ほとんどが光の中に呑まれ、爆散した。一つ二つの爆破音ではない、連鎖反応を起こし、どんどん大きく広がっていく。

 ドーム状の光の中から、アルフが吐き出されていった。まるでキューに突かれたビリヤードボールのように猛スピードで直線状に吹き飛んでいく。

 だが、あの天まで届きそうな巨大な扉の前でアルフの龍が鋭く吼えると、身体を丸めて反転、器用に着地した。

 

「ぐっ……、ぁ!」

 

 片膝が折れ、アルフの額から血が滴った。完全に、彼の息が切れている。

 どう見ても重傷だ。

 

「ほぅ。さすがにしぶといな。貴様は代行者が収集したデータによれば、いまので完全に終わっていたはずだが」

 

「……この刀で、アイツと戦ったことはないんでね」

 

「なるほど。つまりソロンとディルナは誤差にやられたということか。だが所詮は被造物。大人しく消えるがいい!」

 

 ルシファーの突き。直接壁が襲い掛かってくるような風圧を、アルフは床すれすれに頭を屈めて躱すや突きこんだ。狙いはルシファーの心臓。だが、右の手刀で剣先を落され無効。さらに槍が薙がれた。上体逸らしで躱し、バック転で距離を取る。一寸後ろをかすめる衝撃波。一発、当たりそうな風をアルフは無名で切り捨てた。

 右。

 振り向きざまルシファーの槍を受け流す、だが流し切れない。力に押され、やはり床を掻いて後ずさる。

 アルフの口許の笑みが深くなった。

 

(……これが、創造主!)

 

 背後からルシファーの蹴り。ひねって躱し、相手の足首めがけて右肘を落す。首の横、左手で受け流したものの、相手のソバットにのまれて身体が浮いた。

 槍が落ちてくる。立て直しが恐ろしいほど速い。そのくせ隙がなく、まるでアレンの戦闘術とフェイトのディストラクションを兼ねたような男だ。バックステップで距離を、間に合わず胸板を斬られる、代わりに稼いだ一瞬で吼竜破を放つ、当たらず左遠方に移動したルシファーに嫌な予感が走った。

 光の球。あの連鎖爆発を起こす巨大な球だ。

 重い踏込音を立てて、アルフが疾風突きで飛び込んだ。金色の龍がアルフとともに駆け、啼く。

 轟音、それも連続して沸き起こった。衝突とともに斬撃の嵐が両者の間で交わされる。霧散する光の球。今度はルシファーでさえアルフを退けられない。

 連斬奥義『夢幻鏡面刹』。

 刀が神々しいまでにまばゆい光を放ち、極限まで高められた気功が――あのディルナやソロンと戦ったときよりもさらに超スピードの身のこなしをアルフに実現させている。壮絶に底光る紅の狂眼。死と隣り合わせになるほど、その集中力が研ぎ澄まされていく。

 

「いいね。想像以上にいい相手だ、アンタ。まだこんなもんじゃないんだろ? 創造主の力ってのは」

 

「ならば望みどおりに消してやろう。0と1の集合体よ」

 

「ずいぶんこだわるじゃねえか」

 

 言葉尻と同時、両者の強烈な斬撃が中央でぶつかり合った。同心円状に真空波が走る。

 マリアの隣で唸り声。――アルベルだ。ようやく気を取り戻したアルベルが、戦うルシファーとアルフを見るや顔を強張らせる。

 

「大丈夫、アルベル」

 

「……マリア、動けねえのか。なら無駄口叩いてねえで、ソフィアかクリフが来るまでじっとしていろ、阿呆」

 

 刀を杖代わりに立ち上がるアルベルを、マリアは歯痒い思いで見つめていた。だが、アルベルの視線はマリアではなく、目の前の戦闘――ルシファーとアルフに貼りついている。

 

 強烈に高められた金色の焔。その中で映える紅の狂眼は、いままで見てきたどの殺気よりも鋭く、抜身の刃を背中に押し当てられているようなうすら寒さを感じさせる。

 アルベルは息を呑んだ。

 

(この男、本当にただのFD人なのか……!? 遊び半分で勝負してたら間違いなくいまのアルフの殺気にやられるはずだ。それを真正面から睨み返してやがる……! 顔だけじゃねえ、こいつ。まさか……っ!?)

 

 ルシファーの覇気に満ちた蒼瞳。

 アルベルが思考している間に、縦横無尽に切り結ぶ両者が目まぐるしく立ち回る。轟音。幾度目かの剣戟でルシファーとアルフの刃が止まり、鍔迫り合いになった。

 ぱらぱらと火の粉が漆黒の空間を幻想的に踊って、床に落ちていく。

 

「やはり、お前は俺たちが怖いのか」

 

「普通の人間は恐れないと思うか?」

 

 両者の気がわっと膨れ、爆発するように風が吹き荒れた。素早く下がるアルフ。ルシファーは槍を薙いで衝撃波で追い立て、躱されたのを見るや目を細めた。

 両者の距離が、一旦開く。

 ルシファーの感情を押し殺した顔が、ゆっくりとブレアを見た。

 

「プログラムが同等の存在となり、我らの世界に干渉してきた……。ゲームの画面から登場キャラクターが外に出てきて、人を殺す。それがどれほど恐ろしいことか。――ブレア、お前はまだ分からないのか」

 

 言葉の端に、苛立ちのようなものがあった。

 静かに首を横に振るブレア。まっすぐにルシファーを見返して、彼女は言う。――命は、等価だと。

 ルシファーが吐き捨てるように叫んだ。

 

「なにか起こってからでは遅いのだっ!」

 

「それでも起こり得るかもしれない可能性のために彼らの世界すべてを消そうと言うの!? 兄さん!」

 

「そこの男は、すでにFD人すべてを殺すつもりだ」

 

 アルフを顎でしゃくると、ブレアの顔がわずかに歪んだ。

 

「それは……っ!」

 

「当然だ。自分たちの世界を守るために、我々の世界を攻撃しようというのは当たり前のことだ。だが、当たり前であろうがなかろうが、認められんのだ。どうしてもな……。私の手で創り出したゲームだ。すでに一人、犠牲になった」

 

「彼女は――!」

 

 ブレアを遮り、ルシファーは手許の槍から視線を上げて、アルフを睨んだ。

 

「そしてさらに、今度はこんな連中が現れる……。これ以上、エターナルスフィアを認めるわけにはいかん。エレナがああなったときに、消しておくべきだった」

 

「でも、そんなことをしたら彼女の命が!」

 

「そう。それだけが唯一の心残りだ。だが、もはや一刻の猶予もない。エターナルスフィアの人間が、こちらの人間を殺すのも時間の問題だ」

 

「そうしてしまったのは兄さんじゃないっ!」

 

「ブレア。ゲームの世界からこちらに干渉できるとはどういうことか、お前は本当に理解しているのか? こいつらの世界は我らの世界と違い、憎しみと闘争に溢れている。冷酷で残虐な犯罪者どもがはびこる世界だ。

 それと同化する術を残しておけば、こちらの住人が無事で済むものか。快楽を貪ることしか知らないのだぞ、皆はっ!」

 

 ルシファーの顔が歪んでいた。そこにはFD人に対する憎しみのようなものが籠められている。変わらぬ日常、薄れゆく人間性――その世界でただ一人、確固たる思考と感性を持ったルシファーは、孤独だった。

 

「私は皆が、現実世界に住む人々が大嫌いだ! 誰もかれもが無気力、貼りつけたような薄笑い、時間だけが浪費されていく世界……っ! エターナルスフィアを作ることで、少しでも皆の思考が、意識が、はるか古代に失われた『個性』を取り戻し、喚起されればと願っていた。だが現実はうまくいかないっ。私がどれほどあの世界を嫌おうと、私があの世界の人々を見捨てるわけにはいかんのだっ! 私の、たったひとつの些末な欲望のために!」

 

「……そんな、そんなことを言っても……兄さん……」

 

「話はそれだけだ。ブレア。お前は下がっていろ」

 

 それきりブレアを視界から外すルシファーを見、アルフが冷たく薄笑った。

 

「そうだな、ルシファー。決着をつけようぜ。互いに理解されない、愚か者同士」

 

「ではお前は、俺を理解できなかったのか。私ではなく、『俺』を。俺はある程度までは、理解したと思うがな」

 

 アルベルが思わず息を呑む。ルシファーが『俺』と称したとき、彼の口調が明らかに変わった。――聞き知った、あの青年と同じように。

 アルフは戦いのどこかでそれを感じ取っていたのか、さして驚いた様子もなく嗤っている。まるでアレンと対峙するときのように、残酷で、楽しそうに。

 

「ああ、確かに。俺は、アンタとは違う。アンタほど孤独ではないし――なにより、俺はこの戦いを望んでる」

 

「……どこまでもお前はお前だな、アルフ」

 

「アンタが求めてやまない自我ってやつだろ、これこそが。なぁ、ルシファー」

 

「そうだな。だからこそ、私の手で終わらせる。誰にも邪魔はさせん」

 

 気が張り詰めた。離れた位置に居るアルベルでさえ感じる、ぴりっと静電気が通ったような緊張感。

 手負いの身体で、単純に割りこめるような戦いではない。

 両者が、構えた。

 



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88.託した想い

「……アレン?」

 

 ルシファーの中に見え隠れする面影に、マリアがぽつりとつぶやいた。隣のアルベルも呆けた顔を振った。

 

「なんの冗談だ……」

 

 あれはただのFD人。

 これまでと同じ、ただの腑抜けた世界の住人のはずだ。

 ――それなのに、あの決意に満ちた眼光はアレンにさえまったく引けを取らない。

 アレンを通してエターナルスフィアを見てきた創造主のことを、誰も知らない。

 

 一瞬の剣戟。力負けしたアルフが弾かれるのと同時、アルフの全身に宿る金色の焔が、刀身に収束していった。

 

「蒼龍鳳吼破っ!」

 

 振り下ろす。巨大な赤い炎の鳥と、壮大な蒼龍がルシファーに向かって押し合いながら獰猛に駆けていく。吼えあう二つの神獣が、やがて一つに混じり合って、蒼焔をまとわせた勇壮な鳳凰が襲い掛かっていく。

 ルシファーも右手を掲げた。頭上に輝く、金色の光球。それを鳳凰に向かって投げると、両者が中央で激突して、アルベルたちの網膜を焼き切らんばかりの強烈な閃光を放ち合った。

 轟音と突風。

 その中で、アルフがじりじりと押されていく。攻撃力でルシファーが上。――撃ち返せない。

 

「アルフっ!」

 

 アルベルとマリアの声が重なる。

 そのときだ。

 アルフの刀が、全身に宿った金色の焔が、滾った。

 

 

「――夢幻蒼龍破」

 

 ゆるりと、鳳凰が姿を変える。周りにまとっていた蒼焔が金色に変わり、それがどんどんと大きくなって龍をかたどっていく。

 それと同時に、まるで太陽のごとく強烈に、黄金に輝くアルフの刀身、無名。

 空気が、明らかに変質した。

 

 

「なっ!?」

 

 ブレアが凍りついたような顔で息を呑む。

 マリアもまた、その壮絶な煌めきの焔を過去に――たった一度だけ目にしたことがあった。

 

「これは、エリクールでアレンが放ったのと同じ――!」

 

 クラス3.2のレーザーをクロセルの上で打ち返した、人智を超えた剣士と刀の粋を極めた、至高の一撃。

 その金龍は、かの戦闘艦ですら丸呑みできるほどの巨大さを誇って勇猛に吼え、ルシファーの光をあっさりと食い破った。

 視界が、光に埋もれて見えなくなる。マリアは両腕で頭を庇うが、もし目の前にアルベルがいてくれなければ、フィールド全体を覆うような力の奔流に身体を投げ出されていただろうと思った。

 遠くでは、ネルとロジャーを保護するブレアが――龍が晴れたあと、開発ルームのほとんどの床がごっそりと舐め溶かされているのを見て、顔色を白くさせていた。

 

「馬鹿なっ!? エターナルスフィアで、こんなことあるはずがないわっ! こんなもの――完全にシステムの規格を超えてる……っ」

 

「遺伝子操作を受けたわけでも、特殊な紋章術を使ったわけでもないのに……――アルフ、キミっ!?」

 

「天才だ……」

 

「……アルベル?」

 

 マリアが驚いた顔でふり返る。他者を貶めることしか知らなかったアルベルが、他者を褒め称えたことに違和感があるのだろう。事実、アルベル自身も普段ならばこんなことは絶対に口にしない。だが、目の前の戦いが、圧倒的不利を跳ね返さんとする銀髪の青年軍人の戦いぶりが、アルベルをして称賛せしめたのだ。

 心が奮い立ってくる。真の絶望を前に、怖れず、立ち向かう狂人の姿を見ていると。

 

「言いたかねえが、あいつは紛うことなき天才だ。剣術とかそういうんじゃねえ。勝負においての天才だ」

 

「兄さんっ!」

 

 ブレアの悲鳴のような声が響いた。凶悪な吼え声を上げて通り過ぎていった強大な金の龍。それはエターナルスフィアすべてを管理するパイプオルガンのような装置よりも壮大で、勇壮としていた。

 だが、ルシファーにはテレポートがある。代弁者たちも使えるムービングバグ。それでどうにか、アルフの神気から逃れていた。

 そして、

 

 ばさっ……!

 

 ルシファーの背から、巨大な翼が広がっていった。黒い、巨人の手のような大きな羽が、一対。羽音を立ててまるでイソギンチャクのように蠢いている。

 ルシファーが顔を上げる。意志に満ちた蒼瞳、口許は忌々しげに歪み――その頬に冷汗が浮かんでいた。

 

「いまの攻撃は、私であれど防ぐ手段がなかった……。まさか、これほどのバグが存在していたとはな」

 

 金龍の衝撃が収まったいま、絶好の機会を逃したアルフは不服そうに舌打ちしていた。

 脇構えで、ルシファーと対峙する。

 

「貴様は最優先で殺してやるぞ」

 

 ルシファーが槍の穂先を向けながら言った。

 瞬間。

 ルシファーが消える。ムービングバグ。強烈な轟音と火花が散った。マリアにはたった一つの、一瞬の剣戟にしか見えなかったが、その実両者、五撃は交わし合っている。

 飛び違う二人。

 ルシファーは無傷。対して――アルフが、眼を見開いた。

 頬に走った一筋の紅い線。槍から放たれた衝撃波につけられた傷だ。だが問題は傷の深さではない。そこがゆっくりと輝き出して、ぽろぽろと光の粒になって霧散していくのだ。

 

「……こいつは、考えてなかったな」

 

「さらばだ、アルフ。――我が片割れよ」

 

 ルシファーが背を向けたまま、つぶやいた。握る槍には、フェイトと同じような消滅の力が宿っている。金色の穂先でのたうつ、赤黒い雷が。

 

 そして――……、

 

 頬から始まったアルフの消失は、首、肩、胸とくだっていき――まるで風に流される砂のように音もなく形が崩れていく。

 

「アルフっ!?」

 

「――アルフさん!」

 

 アルベルとマリアが色めき立つのと、巨大な扉からナツメが駆け込んできたのは――同時だった。

 半分欠けた顔で、アルフが少し、残念そうに微笑った。

 

「最悪」

 

 ナツメを見ずに、彼はアルベルをふり返る。

 

「……アル……ベ……、生き……ろ……」

 

 完全に消え去る、青年の身体。

 耳をつんざくナツメの悲鳴が開発ルームに響き渡る。

 アルベルは眼を見開いて、喉から声を絞り出していた。

 

「ぁ、……ぁ……っ!」

 

 あまりにも、似ていたのだ。

 ナツメが泣き叫ぶ姿と、完全に消え去る寸前でアルフが見せた険しくも優しい表情が――飛竜の焔で消し炭にされた父と、それを前にした自分に。

 

 握りしめたクリムゾンヘイト。

 

 力なき少女に変わって、あのころの自分とは違うのだと証明するために、剣を振るうと一度は心に決めたアルベル。

 だが――。

 アルベルは唇から血が出るのも構わず、怨嗟の怒声を吐き捨てた。

 

 

「貴様だけは……、貴様だけは絶対に許さんぞ! このクソ虫がぁああっ!」

 

 クリムゾンヘイトが、駆けた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――アルフが消え去る少し前のこと。

 誰よりも真っ先に螺旋の塔に辿り着いたソフィアたちは、その足を止めていた。

 彼女たちの前には、金の門を塞ぐ紫色のクリスタルがある。そこにソフィアは右手を掲げて、コネクションの力を顕現させる。そうすると、傍にいたナツメの耳にも声が聞こえてきた。

 馴染みこそないが聞いたことのある落ち着いた声。紋章遺伝学の銀河的権威――ロキシ・ラインゴッドの声である。

 

 ――よかった。ようやく繋がったようだね。

 

「ロキシおじさん? 一体どうして……ううん、どうやって私たちに話しかけてるんですか?」

 

 ――それを話せば長くなってしまうのだが。

   私たちはいま、モーゼル古代遺跡というところにいてね。これから出来れば、ソフィアちゃんたちを追いかけられればと思っているのだ。

 

「えっ!? 危ないですよ、おじさん! こっちにはエリクールよりも凶暴な魔物がうろうろしていますし……」

 

 ――そうは言っても、フェイトに頼まれた改良型アンインストーラーがようやく完成してね。ソフィアちゃん、君の力でゲートを開いてくれないか。

 

「で、でも」

 

 戸惑ったソフィアがナツメに視線を投げてくる。ナツメもどう答えればいいのか分からず、むむむ、と唸りながら考えをめぐらせていると――、新たに女性の声がソフィアたちの会話に入り込んできた。

 

 ――ご心配には及びませんよ、ソフィアさん。微力ながら、私が博士たちの護衛を務めますから。

 

「えっと……この声はミラージュさんだっ!」

 

 ぽん、と手を打ってナツメが、困惑気味のソフィアに助言すると、通信の向こうでミラージュが、ふふ、と笑った。

 

「それでも、あの……『たち』ってどういうことなんですか?」

 

 ――それは合流したときのお楽しみです。

 

 ナツメからミラージュの実力に関するお墨付きをもらって、ソフィアは合点がいかない顔でぱちぱちと瞬きながらも、コネクションを実現させた。

 あとを追ってくる博士たちに先を急ぐことを告げて、ソフィアとナツメは螺旋の塔を上っていく。

 その先に、絶望的な戦いが待ち受けていることも知らずに。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「イセリアル・ブラスト!」

 

「朱雀吼竜破っ!」

 

 壮絶な光と音が、螺旋の塔の闇を切り裂く――。

 アルフが消失したころ、奇しくもフェイトとアレンも、己の最強の技を繰り出し合っていた。

 少し前までアレンの練気は、フェイトのディストラクションに押されていたのだが――

 

 

「その、程度かぁああっ!」

 

「ぐぁああああっ!?」

 

 

 ここ一番、互いに全力をぶつけ合うときになって、彼の練気が急激に研ぎ澄まされていく。

 

(強ぇ……!)

 

 これが、剣士。

 己の力の限界――その先に、さらなる力を蓄えた猛者たちの領域。

 

「くっそがぁあああ!」

 

 フェイトが鋭く吐き捨てながら、スタンスを広げてディストラクションを一極集中させることに心血を注ぐ。それは戦いが始まってからずっと行っていることだ。だがアレンはフェイトがどれだけディストラクションを凝縮し高めようと、さらにその上を求めてくる。

 まるで底が見えない。

 これで破れると思えば――さらなる力を己と兼定の(うち)から引き出してくる。

 底が、見えない。

 

「皆の想い、背負ってその程度とは片腹痛いっ! お前の信念など――その程度の覚悟で、ルシファーが倒せるかっ!」

 

「舐、めんなぁあああ!」

 

 遮二無二アレンに食らいついていく。いや、追いつくなどという生半可な意志ではどうにもならない。どうあっても、絶対に相手を叩き伏せるのだという確固たる信念でなければ、アレンを倒せそうにはない。

 フェイトの背についた白い翼が、また一段と大きく膨らむ。

 負けない。

 諦めない。

 ずっと――いままで何度も経験させられてきた戦いだからこそ、フェイトは正面からアレンに応えることができる。

 

「僕だって腹を決めたんだっ! ここまで言って、僕が勝たなきゃ話も出来ないってんなら、勝ってやるさっ! ――けどよ! これが終わって僕が勝ったらお前、絶対帰ってこい! この大馬鹿野郎ぉおお!」

 

「勝ってから言えっ!」

 

「ほざけぇええっ!」

 

 フェイトはヴェインスレイに己の持つ力、そのすべてを叩き込んだ。額が痛いほど熱い。手が、全身が震えている。限界だ、限界だと伝えてくる身体。それでもまだ――極限まで力を出し切る。

 アレンの龍は、それでもいささかも衰えない。

 豪快に透明な床板を掻きながら、フェイトは肚の底から唸って踏ん張った。

 

 

「お前に勝つっ! 勝ってその寝ぼけた頭、叩き起こしてやるっ! ――これが、これが僕の意地だぁああ!」

 

 

 イセリアル・ブラストがついに、アレンの金龍を消し去った。それと同時にフェイトのイセリアル・ブラストも金龍の牙に食われて消えている。

 相殺。

 強大な質量と熱を失ったフィールドが、竜巻を起こして荒れていく。

 その中、

 

「はぁあああっ!」

 

 まるで鬼神のごときアレンの一閃が襲い掛かってきた。黄金に輝く刃は、この世のすべてを例外なく断ち切る。エターナルスフィアの理の中では、その刃を止めることなど絶対に不可能。

 

「うぉおおおっ!」

 

 フェイトの額に浮かんだ破壊の紋章陣が壮絶に輝き、宇宙をも照らす巨大な光となった。

 生半可なディストラクションではその紋章ごと叩き切られる。それが兼定とアレンの斬撃だ。いままでどう足掻いても破れなかった袈裟がけ。刀と剣術の粋が組み合わさったことで起きる奇跡の一閃だ。

 それに対し、フェイトは技も策もない。ただ純粋に――己の意地を賭けてがむしゃらに剣を振ることしかフェイトの頭にはなかった。

 

「ぉおおおおおっ!」

 

 アレンの咆哮。兼定の煌めき――。

 いま、蒼白と黄金の刃が真っ向から重なり合い、すさまじい轟音が、衝撃波が同心円状に広がっていった。

 目も開けていられないような突風。

 もぎ取られそうな両腕で、さらに剣を握りこむ。

 ――そして、

 

 ついにフェイトのディストラクションが、アレンの袈裟がけを叩き割った。

 

 驚愕に眼を見開くアレン。

 さらに、

 

「ヴァーティカル・エアレイドぉおっ!」

 

 剣風と剣圧による二段剣撃が、がら空きになったアレンの胸に直撃した。息の塊を吐いて、床にバウンドするアレン。

 ヴァーティカル・エアレイドから着地したフェイトは、全身を走るあまりの激痛に膝からくずおれた。

 

「フェイトっ! ――アレン!」

 

 クリフが脇腹を抱えて、フェイトとその向こうにいる――アレンに呼びかける。

 フェイトが唸りながら、身を起こした。兼定を杖に、片膝をつくアレンが居た。

 

「見事だ、フェイト……」

 

 つぶやいて、アレンがようやく微笑んだ。

 

「言ったろ? 僕がその寝ぼけた面、叩きのめしてやるってさ」

 

 肩で息を切らしながら、フェイトもニッと笑って剣に支えられながらどうにか立ち上がった。ふらふらとした足取りで、アレンに近づいていく。

 アレンは自嘲するようにうつむいたまま、口端を広げた。

 

「そう、だったな……。本当は……お前に、お前やクリフに、こんな姿になってもまだ、一緒に帰ろうと言われて嬉しかったんだ……。ありがとう」

 

「……アレン?」

 

 なにやら不穏な気配を感じとって、フェイトは首を傾げた。クリフの表情も強張る。

 アレンの白い頬に、透明の液体が伝っている。

 

 

 彼はしばらくして、正気に戻ったあとのことを語った。

 ――自分がエクスキューショナーだと分かったときに感じた絶望を。

 やっと連邦軍人として――誇りを持って剣を振るえる人間になれたと思ったのだという。民間人のために。ヴィスコムたちと出会って、彼らに教えてもらった通り、気高く――前を向いて生きていけると。

 なのに自分は、ルシファーの手足に過ぎなかった。それがどうしても許せなくて、アレンはあのストリームで兼定を抜こうとした。

 

 だが、兼定は抜けない。

 どれほどアレンが力を求めようとも。

 

「何故だ……、兼定……! 俺は……俺はっ! 民間人を……っ、オフィーリアの艦隊を、連邦軍(みんな)を手にかけようとしたんだぞっ!? フェイトたちを、俺が……っ!」

 

 アレンはストリームの土を握りしめた。視界を滲ませる液体が、頬を滑り落ちていく。生まれてこの方、刀を握らぬ日など一日とてない。

 なにも分からぬまま、母に会うためだけに剣を振って。

 なにもつかめぬまま、ただ父に言われた通り任務を遂行して。

 

 ――そんな自分が、ようやく一人の人間として受け入れられた場所。

 アクアエリー。

 それさえも彼は――

 

「殺してくれ……。俺が、俺でいられるうちに――兼定っ!」

 

 涙混じりの嘆願は、しかし兼定に届かない。貝のように堅く閉じた剛刀は、アレンの言葉に答えなかった。

 イミテイティブ・ブレアが、不快そうに眉を寄せている。だがそれにも気づかず、アレンは顔を上げてタイムゲートに向かった。

 マリアのアルティネイションがいまも働いているのなら、自分はFD空間に行けるはずだ。いま一度。

 

 抜けないのなら――拳で良い。

 身体が自分の思い通りに動かないのなら、死んだって構わない。いまこの状況で、仲間や、守るべき者たちを傷つけるくらいなら。

 

 アレンはせめて一太刀。創造主にダメージを負わせられるのなら、と歩いた。

 だが、そうしただけで――反抗の意志を見せただけで脆くも崩れ去って行く自分の身体を、アレンは見ることしかできなかった。

 あの時、もしイミテイティブ・ブレアが止めなければ、アレンは消えていたのだ。兼定があのときすぐに抜けていれば、フェイトたちに刃を向ける決心すらつかなかったかもしれない。

 己の心の弱さに、気付くこともなしに。

 

 

 ――語り終えたアレンは、白い光に包まれていく。そして足先から徐々に、光の粒子となって消えていく。

 

「……おい、ウソだろっ!? アレンっ! ……アレンっっ!」

 

 フェイトは自分の見たものが信じられず、思わずアレンの肩を揺すった。だが、次の瞬間にはアレンの肩も砂のように消え、まるで氷が解けていくように、胸、首、頭……と次々に姿を失って行く。

 アレンはどこまでも続く、宇宙の紺碧を見つめていた。

 

「アルフにも、辛い役をやらせてしまったな……。あいつは滅多に本音を言わないが、俺の意志を一番汲んでくれる奴なんだ。――だから、俺の代わりに謝っておいてくれ」

 

 アレンはフェイトを見ると、穏やかに微笑んだ。いつも見せる微笑みだ。彼の肩が完全に消失し、ただの空洞となった。フェイトが目を見開く。

 

「……アレン……?」

 

「フェイト……、俺は勝手に消えてるんだ……。お前に斬られたからじゃない。お前の力になりたかったから――そう望んだから、消えるんだ。だから……決して、負けたわけじゃ……ない、ぞ……」

 

 最後は冗談ごとのように、クスクスと笑いながら言った。欠けた口で。

 

「フェイト……。おまえなら……みん……を、……まも……」

 

 すべてが光の粒子となって消えて行く。

 何もなくなった虚空を見つめて、フェイトは息を飲んだ。

 

「っ!?」

 

 あるのは、螺旋の塔の金色の丸枠と、白い硬化ガラスだけ。

 紺碧の――宇宙を模した星の大海だけだ。

 

「う……ぅぅ……っ!」

 

 フェイトは拳を握り込んだ。感情のままに、硬貨ガラスの床を殴る。一度だけでなく二度、三度――気が済むまで、殴り続けた。

 

 一緒に帰るハズだった。

 元の生活――いや、ハイダでバンデーンに襲われたあの頃よりも騒がしくて楽しい、日常を送るために、皆で帰るハズだった。

 なのに、

 

 

 

 助けられなかった。

 

 

 

「うぉおおおあああ……っっ!」

 

 フェイトは一際力強く床を殴り付けると、仮想空間の宇宙に向かって鋭く吼えた。

 怒りと悲しみを、闇にぶつけるように。



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89.最終決戦

「ぉをっ!」

 

 クリムゾンヘイトが描く、鋭い連斬。風を巻いて、空間ごとなぎ倒さんばかりの二閃は空を切り、ルシファーの髪を二、三本さらった。

 直後。耳元に殺気が迫り義手で受け止める。流し切れず右に引き倒された。耳元から脳を貫く衝撃波が全身を揺るがす。三、四回転がってアルベルが距離を取る。受け身も取れぬようなヘマはしないが、平衡感覚が数秒狂っていた。

 口の中に鉄の味が広がる。

 

「レプリカごときの技に敗れるお前のそれで、私が倒せると思うのか? アルベル」

 

「気安く呼ぶんじゃねえ! クソ虫が! アレンの顔で出てきたことを後悔させてやる!」

 

「フン。些末なことを」

 

 文字通り、見下してくるルシファーに向け、アルベルは強制的に頭を振って取り戻した感覚を元に、刀を握りこんだ。

 

「ほざけっ!」

 

 踏み込もうとしたそのとき、ルシファーが消えていた。羽。左右に膨らんだ羽がくちばしのごとく鋭く尖り、襲い掛かってくる。

 咄嗟の受け太刀。両腕で、流し切れない。

 アルベルが呻き、吹き飛ばされる。

 やはり敵の攻撃は避ける以外にどうしようもないのだ。

 

「アルベル!」

 

 地面を掻きながらどうにか着地する。マリアの声に、じっとしていろと心の中で舌打った。そのとき、急に頭上が明るく照らされた。紺碧の宇宙を模した開発ルームが、まるで昼を迎えたように、蒼く澄んでいったのだ。

 見上げると、癒しの女神が舞い降りていた。

 豊かな栗色の髪を波打たせた、白い肌の少女神。彼女はまるで太陽のような眩い光を放ち、傷ついて倒れた仲間たちを、雪のように白くて丸い魔力球をしんしんと降らせて、癒していく。

 

 ――上級回復呪紋、フェアリーライト。

 

 ソフィアか、と確認する間もなく、ルシファーの拳が腹に突き刺さった。驚きの間に身体がくの字に折れ、呼吸の塊を吐く。一瞬、意識が遠のいた。

 耳の奥で骨が砕ける嫌な音がした。

 

 

 

「っ。戦況は! 一体……」

 

 ここで目を覚ましたネルは、目の前でうずくまるナツメを不思議そうに見た。涙を流し、四つん這いの態勢から動く気配もないナツメ。

 その隣では壮絶な剣戟音が聞こえてくる。ネルがそちらを見やると

 

 創造主と一対一で斬り合う、アルベルが居た。

 

 獣のような吼え声をあげ、血がばら撒かれているのも構わずに、雷のようなルシファーの槍撃を受け、流し、切り返し、斬り合うアルベル。そのすぐ直前に癒えたはずの額からはまた血が流れ、浅くない傷が全身に刻まれていく。明らかに立てる傷ではないものが高速につけられていく。それでも彼は退かない。急所を避け、刃傷に眼もくれず、刀を返す。

 刀と槍の応酬。

 

 蒼い光がアルベルにも注がれた。

 

 ヒーリング。

 またもソフィアの援護だ。

 

 アルベルの吼え声が一際大きくなった。クリムゾンヘイトに溜まっていく気。

 

 そのとき、ルシファーの槍が大きく空を斬った。風切り音。紙一重で躱したアルベルが、歯を食いしばりながらクリムゾンヘイトを握り込む。

 

(あれはアルフの――っ!)

 

 見切り。

 ネルが息を呑む間に、アルベルの足許が弾けた。

 

「くたばれぇっ!」

 

 アルベルの剣尖に宿る、疾風を巻いた強烈な突き。

 だが。

 完璧なタイミングで放たれたその刀は、あっさりと身をひるがえした神の槍に止められてしまった。

 

「……ちぃッ!」

 

 カウンターを取ってなお、ルシファーには隙がない。いつの間にか自分の正面にある眼を、アルベルは睨み据える。

 

(こいつに半端な攻撃は通じねぇ。だが、俺の吼竜破じゃ隙がデカ過ぎる!)

 

 地道に斬り合うしかない。たとえ分が悪くとも、アルベルが食らいつける分野はそこにしかないのだ。そう感じ、アルベルがラッシュで攻める。

 アルベルの剣のスピード、キレはアレン、アルフにも匹敵する。惜しむらくはそこに、強力な一撃がないことだ。アレンの袈裟がけ、アルフの無音の剣のような――打てば必ず勝てる斬撃が、アルベルにはない。

 その差がじりじりとアルベルを追い詰めていく。ヒーリングの援護を受けても。

 

 剣と槍がぶつかった瞬間、ルシファーは触手でアルベルの腕をつかむと顔面に足刀蹴りを浴びせた。

 

「ゴフッ!」

 

 飛ばされながらも、左手の鉄爪に赤黒い雷を生じさせ、追撃を防ぐため気功掌を放つ。視界の端でちらちらと虫のようなものが飛び回っていた。

 マリアのレディエーション・デバイスだ。

 だがルシファーは見向きもせずにユニットから放たれる光弾を弾き返している。

 

「破ぁあ!」

 

 アルベルが、鉄爪に溜めた気弾を放った。人の上半身を軽く呑みこむ強力な気弾。

 それを右手でつかみ取り、握りつぶすルシファー。

 その様を見て、アルベルが吐き捨てた。

 

「化け物がっ!」

 

「力の差を思い知るがいい」

 

 槍を下ろしたルシファーが、羽を一閃させてレディエーション・デバイスのユニットすべてを叩き切る。そしてことさらに、靴音を響かせてアルベルの方に歩いてきた。

 

「ぁ、ぁ……。そんな……こんなの、力が違いすぎる……!」

 

「まるで私たちを寄せ付けてない……。でも」

 

 息を呑むソフィアとマリアを尻目に、ルシファーが冷ややかな視線をアルベルに下ろしてくる。アルベルは自分がいまどのような顔をしているのか分からないが、心の裡は読みやすいらしい。

 

「ようやく、お前も理解できたようだな。このままでは、どうあっても私には敵わないと」

 

「黙れっ」

 

 ルシファーの言葉を掻き消さんとアルベルが打ち込む。銃声。光弾と刀がルシファーに上体逸らし(スイング)で躱され、槍を打ち返される。さらに発砲するマリア。ぶつかる光弾とルシファーの槍。だが、びくともしない薙ぎの衝撃波で、アルベルの痩身が容赦なく吹き飛ばされた。

 轟音。

 ルシファーの左手に蒼い紋章陣が宿る。

 と。

 急速に物質が結晶化していく音を立てて、アルベルの全身が紋章のなかに閉じ込められた。螺旋の塔にも浮遊している、紫色の結晶体だ。

 

「ぐあっ!」

 

 それは、アルベルの身体を締め付け、中空に固定する。

 

「アルベルっ!」

 

「アルベルさんっ!」

 

 マリアとソフィアが鋭く叫ぶ。

 ネルとロジャーも何事か叫んでルシファーに攻撃していた。だが、振り向きもせずに羽ですべて防がれる。

 ルシファーはアルベルを見、言った。

 

「どうせなら、レプリカの技で葬ってやろう」

 

「ぐ、ぉおお……!」

 

 足掻くアルベルの前に、金色の巨大な朱雀が現れた。――まごうことなき、アレンの朱雀だ。

 

「馬鹿なっ!?」

 

 ブレアが息を呑む。

 『エターナルスフィアで、こんなことが起きるはずがない』。

 システムの規格を完全に超える究極の一撃。そんなものが、たとえ開発者のルシファーであろうと放てるはずがない。

 意図的に作ったバグとしか言いようがなかった。

 

(意図的……?)

 

 ブレアが思考している間に、ルシファーが槍を上段に構える。

 

「さらばだ、アルベル」

 

 振り下ろす槍の矛先が弧を描き、金色に輝く斬線から朱雀と龍が鋭く吼えた。

 競合し、やがてひとつの巨大な金龍と化したそれが、フィールド全体を舐め溶かすように走る。その片鱗に触れるだけで、この場にあるすべてのものが例外なく消し去られるのだ。

 

「おぉっ!」

 

 アルベルの裡にある気が、一気に爆発した。間一髪、結晶を引きちぎって、紙一重で着地。ブレアの鋭い声が響いた。

 

「踏んでっ!」

 

 足許に白い紋章陣。咄嗟にアルベルが蹴りつける。見れば、他の皆も同じように白い紋章陣を踏みつけていた。

 

 金龍が、開発ルームを呑みこんで駆けていく。

 

 中空に浮いたルシファーは、眉を顰め、消し飛んだ床がゆっくりと再生するに従って姿を現した――アルベルたちを見下ろした。

 

「……意外にしぶとい」

 

 ブレアが放った白い紋章陣はテレポート。

 代弁者たちが使うムービングバグをエターナルスフィアの紋章にあてはめ、即席で発現させたものだ。

 中空に浮かんだモニターを叩くブレアの隣には、このテレポートを成功させた最大の功労者、ソフィアが立っていた。

 だが。

 

「くっ」

 

 金龍が走る軌道上に居たアルベルは、龍が起こす衝撃波だけで全身、立っても居られないほどにぼろぼろだった。

 ソフィアが初めての紋章で疲弊し、冷や汗を拭うその傍で、ネルが引きつった表情で鋭くヒーリングをアルベルにかける。

 しかしヒーリングを受けても、アルベルの息切れだけはどうにもならなくなっていた。

 

「弱っているようだな」

 

「ちぃっ!」

 

 悠然と構えるルシファーを見失う前に、双破斬で踏み込む。サイドステップで躱され、背中に強烈な肘打ちを叩き込まれた。轟音。透明な床が音を立ててひび割れ、クレーター状に凹んだ。その下を通る黄金の紋章陣のような金属片がばらばらと砕けて散り、アルベルの身体が、まるで瓦礫に沈みこんだようになった。立ち上る土煙。

 スモーク状の白い膜が、開発ルームの一帯を薄く曇らせる。

 

 

「破ぁあっ!」

 

 

 その瓦礫に埋もれる中で、アルベルは気功掌を放った。視界が煙で悪くなっており、アルベルの位置が分かりづらいために通常より躱しづらい。

 だが、煙の中で乱反射して飛んでくる気弾を、ルシファーは槍を一閃、広大に発生させた衝撃波ではじき返す。

 いや。

 上空から見てルシファーを起点に螺旋状に走った衝撃波から、空破斬のように直線的に走る風があった。

 紫色の衝撃波。

 ルシファーは狙って放っている。

 

「!」

 

 スモークで視界が利かないのはアルベルも同じだった。だが、これほど正確に場所を割り当てられたことに驚く間に、衝撃波がアルベルの右肩から左わき腹を深々と斬り刻む。

 呻くアルベル。

 その頃に、スモークが晴れてきていた。足音もなく忍び寄ったルシファーが、胸を抑えて動かないアルベルの傍で槍を掲げて

 

「絶望に打ちひしがれるがいい」

 

 消滅の槍――赤黒い雷をまとった、あの凶悪な矛先を振り下ろした。

 

 

「させないっ!」

 

「負けないでっ!」

 

 眩い光の盾が、ルシファーの槍を押し止める。甲高い音。そして、白い光――アルティネイションとコネクションだ。

 二つの特殊紋章が紡ぎだす壮絶な輝きが重なり、アルベルに降り注いでいく。

 

「むっ!?」

 

 その途端、アルベルの黒髪が揺らめいた。全身から煙のように立ち上っていく、アルベルの気功。急激に、急速に収縮していく気の塊。

 クリムゾンヘイトの刃が金色に輝くと、アルベルはそれを水平に構えて、

 

「破ぁああっ!」

 

 体の裡に流れ込んでくる強烈な紋章力を、解き放った。

 どぅっと鈍く風が同心円状に吹き荒れる。アルベルから発せられる白い煙が、徐々に色を成していき――金色に、焔の粉になって地面に散っていく。

 アルベルを中心に竜巻が起こった。クリムゾンヘイトが壮絶に、金色に輝いている。

 活人剣。

 身体能力を爆発的に押し上げる内気功だが、これは少し――常軌を逸していた。ルシファーが思わず、息を呑む。

 

「なんだと……っ!? アルベルに龍気は扱えないはず。なのに、なぜ」

 

 エターナルスフィアを創ったルシファーだけが知る、気功と紋章力の源泉となる力――龍気。

 その金色の光が、アルベルの全身から溢れている。揺らめくアルベルの黒髪。金色の光に照らされた肌が白く輝き、長い前髪の奥で唸る赤瞳が、まっすぐにルシファーを向いている。

 ルシファーは数秒の思考のあと、マリアとソフィアを見て、つぶやいた。

 

「――なるほど。足りない部分を補うのか、貴様らの紋章が」

 

「もう二度と、二度と貴方の好きにはさせないっ! 誰も消させたりなんかしないっ!」

 

 マリアのきつい眼差しの中に、わずかな涙が散っていた。

 ソフィアも追い詰められ、引きつったような顔で大きく頷いている。

 ――先にアルフが消える姿を見て、二人の特殊紋章が感情にリンクし、跳ね上がっているのだ。

 ルシファーはアルベルに視線を戻し、言った。

 

「まあいい。所詮は一時しのぎ。多少龍気を操ったところで、わずかに苦しむ時間が延びるだけだ」

 

 ルシファーの掌から、エリミートライフルのような光線が走る。

 クリフをして手も足も出ぬままに戦闘不能にした、あの強烈なレーザー弾だ。

 眩く三つ。

 二発躱したアルベルが、三発目をまともに腹に受けて吹き飛ぶ。

 たとえ特殊紋章による強化と活人剣を使えど、龍気はルシファーも扱える代物。相手など油断しなければ、そう簡単に埋められる実力差ではない。

 

「とはいえ、貴様らの能力をそのまま置いておくわけにはいかん。先に消えてもらうぞ」

 

 赤黒い雷をまとわせた消滅の槍を、マリアとソフィアに向ける。

 腹を抱えたアルベルが、目を瞠った。

 

(しまっ――!)

 

 引きつるソフィアと銃を打ちまくるマリア

 消滅の槍が振り落ち、赤黒い雷をまとった衝撃波が駆けた。

 そのときだ。

 衝撃波と交差するように――開発ルームの入り口、巨大な扉の方から走った野太い光の光線が、ルシファーの攻撃を遮った。

 

「!」

 

 目を丸くするルシファー。

 

「これは……!」

 

「フェイト!」

 

 嬉しそうにふり返るソフィアとマリア。

 アルベルも唸りながら、身を起こした。

 天まで届きそうな分厚い扉の向こうから、煙を上げるヴェインスレイを振り下ろした態勢のフェイトと、ガントレットを弾き合わせるクリフを。

 

「どうやら、こっちもずいぶん苦戦してるみたいだな」

 

 と苦笑するようにクリフ。

 フェイトはいつになく無表情に、ルシファーに問いかけた。

 

「……アルフをどうした」

 

 低く、淡々と。

 ルシファーをまっすぐに見据えながら。

 

「意外に早い到着だな。貴様らが来る前に、こいつらを始末する予定だったが……少々見くびっていたか」

 

「アルフをどうしたって聞いてんだ」

 

 チリッと空気が焦げるような音がした。

 ルシファーが鼻を鳴らした。

 

「――分かり切ったことを。管理に不都合なデータは、すべて消去する。例外はない」

 

「お前……っ!」

 

「レプリカを倒した程度で、いい気になるな」

 

 フェイトの眼が見開かれる。左手が震えるほど、固くヴェインスレイを握りこんだフェイトは、歯を食いしばったまま――ブレアを見ずに、言った。

 

 

「……ごめん、ブレアさん」

 

「え?」

 

「約束、守れそうにない」

 

「フェイト、くん……?」

 

 不思議そうなブレアを置いて、フェイトはヴェインスレイをまっすぐに掲げると、怒りに満ちた低い声音で吼えた。

 

 

「ルシファー! 僕はお前を許さないっ! アレンだけでなくアルフまでやりやがって……!」

 

「っ!」

 

 うずくまっていたナツメが、眼を見開いた。

 他の皆の表情も、凍りつく。

 時間が止まったかのような静けさの中で、ルシファーが槍を向け返した。

 

「馬鹿なことを! 仲間の消滅を嘆く必要も、怒りに狂う意味もお前たちにはない。お前たちはここで消え去るのだ! フェイトよ!」

 

「ルシファぁああ!」

 

 

 上段に構えたフェイトが、イセリアルブラストを放つ。野太い光線。昼のように明るくなる光の中から、天使の羽根がぱらぱらと舞い散る。

 ルシファーは半身切って回避していた。まだ照射されているイセリアルブラスト。だが、フェイトはダッシュで距離を詰めている。光線を撃っているのは、いつもフェイトの頭上に現れた幼い女神。

 それに目を丸くしたルシファーの背後に、フェイトがブレードリアクターを叩き込む。直撃し、後ろに弾き飛んだルシファー。彼の着地際に突進するフェイト。距離、五メートルほど。

 ルシファーは対して効いた風もなく背中の羽を床に突き刺した。途端。突進するフェイトの顎に、床から剣山のごとく生えた羽が直撃。後ろにのけぞった。――かつて執行者が使っていた、あの棘のような技だ。

 歯を食いしばってもう一歩踏み出しかけて、フェイトは後ろに下がった。さらに床から追い立ててくるルシファーの羽。

フェイトはバック転で躱しながら、下がっていく。

 それを悠然と見据え、ルシファーは槍に気を高めた。

 

「破っ!」

 

 一閃。振りおろしとともに放たれた吼竜破が、バック転で逃れていたフェイトを直撃し、フェイトが低く呻く。

 が。

 次の瞬間にはルシファーの背後に現れていた。――ストレイヤー・ヴォイド。テレポートはルシファーだけの特権ではない。

 すかさず放たれたリフレクトストライフを脇腹に受け、ルシファーの身体が後ろに跳ねた。

 にやりと笑うフェイト。

 だが、想像以上の派手なルシファーの後退は、助走に過ぎなかった。地面を蹴るや、ツバメのごとく向きを変え猛スピードで――まだ蹴りの態勢で宙に浮いているフェイトに、鋭い肘打ちを放ってくる。胸を直撃した。

 呻くフェイト。

 さらに振りかぶられる槍を、横から割り入ってきたアルベルが止める。

 

「うぉおおおっ!」

 

 高速に剣を交わし合うルシファーとアルベル。

 金色の気が散り、若干に押し負けるものの、そこにはアルベルの、相手に食らいつく激しい気性が拮抗を作っている。

 

「弾けろっ!」

 

 さらにフェイトがショットガンボルトをアルベルの反対側から乱発した。舌打ちするルシファー。鬱陶しそうに背中の羽を広げ、上段に構えた槍とともにフェイトとアルベルをなぎ倒す。

 ――だが。

 そのとき、アルベルとフェイトの足許にはブレアの作る白い転送紋章陣があった。

 空を掻くルシファーの槍と羽。

 

「いまだぁあっ!」

 

「ぉおおおっ!」

 

 フェイトとアルベルは鋭く叫ぶと、イセリアルブラストと吼竜破を相手に向けて叩き込んだ。

 

 光、風、轟音。

 

 そして朦々たる煙が立ち込めた。

 フェイトは口端をつり上げた。確かにその目で、イセリアルブラストと吼竜破が直撃するさまを捉えたためだ。

 

「どうだ! これで少しは――」

 

 言いかけて、フェイトは息を呑んだ。

 

「無傷かよ……」

 

 アルベルの絶望的な声。

 ルシファーは槍とともに振った羽とは対になる方の羽で、イセリアルブラストと吼竜破を受け止めていたのだ。その絶対防御の固さは、かつていかなる物理攻撃をも無効化させたメタトロンという邪悪なる十賢者を思わせる。

 

 一方のフェイトとアルベルは、ルシファーとの攻防でぼろぼろだ。

 仲間から、ヒーリングやグロース、プロテクションの支援を受けるものの、そう無尽蔵に戦っていられるわけでもない。

 アルベルが、忌々しげに舌打った。

 

「化け物が。こっちは体力が減ってるってのに、向こうがああも涼しい顔をしてやがるとは……!」

 

「Gutsだ、アルベルっ! ここでへこたれてる場合じゃあないっ」

 

「阿呆がっ! 誰にモノを言ってやがる! 青髪風情が調子に乗るんじゃねえっ!」

 

「――な、んだとぅっ!?」

 

 一瞬、驚いたように目を丸くしたフェイトが、意図的に口を歪めて軽く言い放った。だが眼だけが鋭い。

 頭は平常通り働いていても、心はいつもより激しく燃えているのだ。

 

「馬鹿やってんじゃないよっ、アンタたちっ!」

 

「ったく。アイツの顔が顔だけにどうしようもねえな……この状況は」

 

「言ってる場合、クリフ? 少なくとも、ルシファーのあの消滅の力を防ぐには、私とソフィアの紋章を完成させるための時間が必要なの。稼げる?」

 

 横目に皆を見るマリアに、ロジャーが張り切ってぴょんとひとつ、飛び跳ねた。

 

「おぅ、任せとけ! マリア姉ちゃん!」

 

「アタシたちじゃ、時間稼ぎも難しいだろうけど、フェイトたちの援護くらいはやってみせるさ」

 

「お願いします。あと少し、紋章構成の最後のところを完成させれば、フェイトたちの力になれるはずですから」

 

「頼んだぜ、マリア、ソフィア」

 

 クリフの言葉に、マリアとソフィアが鋭く頷いた。

 アルベルがクリフたちに向けて言う。

 

「半端な覚悟で挑むんじゃねえぞ、阿呆ども。奴はマジで強ぇ。俺とフェイトである程度、奴の足を止めてやる」

 

「皆っ! 援護を頼む!」

 

「おうっ!」

 

 フェイトの鋭い指示に、クリフたちが勢い良く応えた。

 

 それからはナツメを除いた全員で戦った。さすがの連携、フェイトとアルベルのコンビネーションを中心にした猛攻でルシファーに一撃で倒されることはなくなったものの、一行はいまだ劣勢をはねのけられない。

 そうして、しばらく。

 ミラージュたちが、ついに到着した。

 

「お待たせしました、みなさん」

 

「大丈夫だったっ!? フェイトちゃん、ソフィアちゃん、皆っ!」

 

「おぉっ、やっとるやっとる! 久しぶりの戦場で、血がたぎるわいっ!」

 

 ミラージュの後ろでスフレがケープを弾ませ、アドレーがカランコロンと下駄を鳴り響かせながらやってくる。

 さらにそこには、ムーンベースでエクスキューショナーとアンインストーラーの解析を行っていたロキシとリオナ、エリクールで施術兵器開発部の長に就いていたエレナまでもが、一緒だった。

 

「どうやら、戦況は思わしくないようだな」

 

「ですが、一応間に合ったようです。――アンカース、お前、そんなところでなにを」

 

 言いかけたリオナは、刀を抱いてすすり泣いているナツメを見て言葉を失った。

 視線を左右に振る。

 ――ここに居るはずの連邦軍人が、どちらもいない。

 そんな嫌な予感に、表情を凍らせながら。

 

「ともかく、いまなら間に合いそうね」

 

「うむ」

 

 眼鏡を押し上げながら、ロキシがエレナの言葉にうなずいた。

 ブレアがこれ以上ないほど眼を瞠る。

 

「エレナっ!? そんな、まさかっ!」

 

「お久しぶりね、ブレア。そして――ルシファーくん」

 

 微笑み混じりに視線をランドベルド兄妹に向けると、二人は似たような表情で固まっていた。

 ルシファーがわずかに、槍を下ろす。

 

「……まさか、こんなところで会うとはな。エレナ。不幸中の幸い、と言うべきなのか」

 

「勘違いしないで。私は、FD世界に戻る気はないわ」

 

「なにを言っている。お前がいるべき現実世界は、こちら側だ」

 

「いいえ。――私にとってはエターナルスフィアこそが、私が傷ついてでも生きていくための場所、現実。だからこうして彼らとともに来た」

 

「馬鹿を言うな! お前もブレア同様、プログラムの危険性を理解していないというのか!?」

 

 鋭いルシファーの叱責に、エレナは首を横に振った。

 

「そんなことはないわ。少なくとも、エターナルスフィアのことはあなたより、もっと肌身で感じてるつもり。……それに、FD世界とこちら側が交流なんか始めたら、喰われるのは間違いなくFDだとも思ってる」

 

「ならばなぜ私と敵対する。自らが生まれた世界を、現実を、お前はその手で破壊するというのか」

 

 ルシファーの瞳に、わずかに殺気が宿る。

 相変わらず、覚悟を決めた眼。ブレアと同じ選択肢を取るならば、この手にかけることをも視野に入れた、冷徹で強固な意志の光。

 エレナはそれを正面から見返して、口許を緩めた。

 

「そうね。あなたには、壊すことしかできないかも」

 

「……なに?」

 

「私は見つけたわ。エターナルスフィアとFD、この二つの世界を両立させる術。あなたが生んだ、自我の可能性によってね」

 

 エレナはゆったりとした着物の袖から、――いまの彼女の服装には似合わない、艶やかな長方形の機械を取り出した。フォルムはごつごつとしているが、一センチ厚くらいの薄いものだ。

 それを見たかつての製作者、ブレアが目を丸くした。

 

「それは……! 私が創った、アンインストーラー!?」

 

「そう。それをこちらの都合のいいように書き換えたものよ。プログラミングなんて久しぶりのことだから、ずいぶん苦労しちゃった」

 

 エレナが気恥ずかしそうに舌を出す。

 フェイトたちも要領を得ず、成り行きを見守っていた。ロキシがあとに続く。

 

「つまり、エレナ女史とリオナくんの助力を受けて、このプログラムにお前たち、フェイト、ソフィア、そしてトレイター嬢の、三つの特殊紋章を流し込めば、FD世界とこちらを繋ぐゲートをすべて消滅させられることが発覚したのだ」

 

「そして二つの世界の繋がりを完全に断つことで、互いに干渉できない、独立した存在にさせるって寸法よ。ただしこれの起動場所はFD世界でもエターナルスフィアでもない。ルシファーくん。キミのマザーコンピュータじゃないとダメってこと」

 

 ルシファーの背にあるパイプオルガンのような機械を見上げて、エレナが言い放った。

 ソフィアたちの表情が明るくなる。

 

「それじゃあ……!」

 

「私たちの世界が、消えずに済むんですね!」

 

 息を呑むマリアと声を弾ませるソフィア。彼女たちに向けて、エレナは軽くウインクした。

 

「つまりは、そういうこと」

 

「……馬鹿を言うな。そんなこと、認められるわけがない」

 

 ルシファーがわずかに目を細めて吐き捨てる。

 

 

「なんだと?」

 

「テメエ、まだ不服でもあんのか!」

 

「わがままも大概にしろってんだ! 父ちゃんに言いつけるぞ!」

 

 アルベル、クリフ、ロジャーが己の得物を手に臨戦態勢に入る。

 それをエレナが掌で制して、なかば苦笑しながら額をぺしりと叩いた。

 

「……さすがに。そういうとこ、気付くのが早いわね……。そのまま見逃してくれれば最高だったのに」

 

「どういうことです?」

 

 フェイトの問いに、エレナは肩をすくめるだけだった。 

 

「ちょっと、ね」

 

「戯言はそこまでにしておけ、エレナ。それほど複雑なプログラム、完全に操れる者はお前しかいまい。だが今のお前がそんなことをすれば、お前は老いることも死ぬこともないままにエターナルスフィアをさまよう存在となる!」

 

「!」

 

 フェイトが眼を瞠る後ろで、ソフィアが口許に手を当てて「そんな……っ」とつぶやいた。

 一同の視線がエレナに集中する。

 エレナはしばらく俯いたあと、小さく微笑った。

 

「……ありがと、ルシファーくん。たぶんFD人でそう言ってくれるのは、キミだけよ。私を忘れないでいてくれる、唯一の元の世界の人」

 

「寝惚けたことを言っている場合か! 私はエターナルスフィアの存在のために、現実世界の人間を見殺しにするわけにはいかん!

 エレナ。これ以上、お前の話を聞くつもりなどないっ!」

 

「うん。分かってる。

 でもね。特になんの感情もない、快楽を貪るだけだった空っぽの私が、こんなにも誰かに消えてほしくないと願えたのは、執行者たちに周りをめちゃくちゃにされてあんなに悔しかったのは――彼らがいたからよ。キミが創ってくれた世界に居られたから。

 だから私は、彼らとともに行く。たとえ終わりのない、果てのない道でも」

 

「お前が視たもの、感じたものは、すべてただの虚構に過ぎぬのだ!」

 

「それでもいいの、ルシファーくん。たとえ虚構でも、私はそこでいろんなものを得た。

 だからキミが相手でも、絶対にエターナルスフィアを壊させはしない。

 私のこの怒りは、私だけのもの。そして私は、彼らとともに生きると決めた。彼らには温かい心がある。FDにはない熱い思いがあるっ! これだけは否定させない。この心だけはあの世界で得られる、私たちだけのもの」

 

 その言葉に一瞬、ルシファーの表情が激しく歪んだ。

 

「貴、様……っ!」

 

「……エレナ。本気なの」

 

「もちろんよ、ブレア。最後に、あなたたちに会えてよかった」

 

「認められるものか……! 俺は、俺はそんなつもりでエターナルスフィアを創ったのではないっ!」

 

 エレナは少し、哀しそうに微笑った。

 

「――ごめんね」

 

 FD人で唯一、自我に目覚めたエレナは、初めてルシファーの苦悩を理解した。だが、ルシファーが生んだ虚構――エターナルスフィアのために、彼と共に歩む道は選ばない。

 

 エターナルスフィアで生まれた個性のために、彼女は自ら考え、エターナルスフィア存続の礎となる決意を固めたのだ。――二つの世界の干渉を、完全に断ち切るために。

 たった一人、個性を持ったFD人は、現実世界には戻らない。

 

「聞けぬ! 聞けぬ聞けぬッ! 以前のように消息が分からないままならともかく、ここでお前を見殺しにするわけにはいかんっ! たとえお前が望まぬとも、その仮初の肉体から精神を引き抜き現実世界の肉体に還すまで、お前を捨てるわけにはいかん!

 異論など、認めてなるものかっ!」

 

「……その言葉、もっと早く欲しかったな。私はね、もう私のことなんかどうなってもいいと思えるほど、エターナルスフィアを好きになってしまったの。

 私のこの身一つで助かるのなら、安いものよ。エターナルスフィアを壊させたりなんかしない。絶対に。そのために編んだプログラム。私はこれを起動させる。私の意志で」

 

「大言をっ! だがお前の願いは成就しない。俺は、この装置をお前たちには使わせん! 虚構に囚われ、(ほだ)されるなど……っ! そんなことのために命を投げ捨てるなど、認られるものか!」

 

「力づくで来い、というわけね。――フェイトくん」

 

 エレナの言葉に、フェイトは視線だけを返した。自分たちの世界のためとはいえ、これから世界に、自らの意志で捕らわれようとしているエレナに、視線で「本当にいいのか」と尋ねたのだ。

 エレナは小さく微笑んで、力強く頷いてくる。

 ならばフェイトも頷き返し、ヴェインスレイをその手に握った。

 

「やっぱり、ここまで来ると拳でやり合うしかねえってか!」

 

「ルシファー。どうあってもその装置、使わせてもらうぞっ!」

 

「ほざけぇっ!」

 

 ルシファーの羽が大きく左右に広がる。上空に飛ぶルシファー。その全身から黄金の焔が吹き荒れ、それが――羽にも伝わって巨人の手のようだった黒い触手が、金色の焔の翼に、朱雀の羽へと変化していく。

 ルシファーは地上にいるフェイトたちを見下ろしながら、言い放った。

 

 

「我が最強のプログラム、受けるがいい!」

 

「な、なんだっ!?」

 

 クリフの息を呑む声。

 開発ルームを揺るがさんばかりの朱雀の鳴き声が轟き、ルシファーが掲げた槍の矛先と、左右の焔の翼に、朱雀吼竜破の龍気を凝縮させた光の球が浮かび上がってくる。

 

「あんなもの――撃たれたら!」

 

「きゃあぁっ!」

 

 皆の顔色が蒼くなる中、突風にソフィアが悲鳴を上げた。

 ルシファーが浮かべた三つの光球が、見る間に大きく膨らんでいく。

 静寂に満ちているはずの宇宙――特殊空間全体に、金色の雷花がのたうち始めた。

 

「聞こえるだろう? 地獄の扉が開く音が!」

 

 

「まずい! こんなのっ――!」

 

「みんな! ルシファーくんを!」

 

 ブレアとエレナの悲鳴に近い声。

 フェイトは腹の底から吼え、額に浮かぶ破壊の紋章陣を――そのすべてを、アレンを破ったあの究極のイセリアルブラストを思い浮かべながら、放つ。そして後ろで彼と同じく己に放てる、最強技を準備している皆に向けて言い放った。

 

「行くぞぉお!」

 

 九人の勇者が、それぞれ応える。

 リオナが息を呑み、ロキシが渋い顔ながらも拳を握って見つめている。

 そして上空のルシファー。強大に膨らんだ三つの朱雀吼竜破の原型――光の球が、空一面をそれぞれ覆うような巨大な龍の顔に変貌する。巨大な龍の面が三つ、のしかかってくるような圧迫感。鋭く吼え下ろしてくると、壮絶な音による頭上からの威圧にびりびりと全身がこわばり、震えた。

 そしてついに、ルシファーが頭上に掲げた槍を中心に、その三つの金龍を

 

「消えろ!」

 

 振り下ろした。

 対してフェイトたちが――十人の力を一つにして、ルシファーを真っ向から迎え撃つ。

 光が乱反射を起こし、視界全てを白く染めるように鋭く弾けた。

 遠くで落雷が起きたような、低く長い爆音が響いていく。

 息を呑むフェイトたち。

 あまりの爆風、あまりの轟音、あまりに腕にのしかかってくるルシファーの技の重さに、あちらこちらで悲鳴が沸き起こる。

 

 それでも、

 マリアは蜂のようなユニットを通常の倍――八つ呼び起こして野太い光線、バーストエミッションを銃を両手で持ってぶれることなく打ち続け、

 

 ソフィアは特殊空間の宇宙(そら)から、無数の隕石の雨をルシファー目がけて降らせ、

 

 クリフとミラージュは、いままで研鑽に研鑽を重ねた気功術の奥義――マックスエクステンションを互いに支え合うように同時に放ち、

 

 ネルは己の持てる施力のすべて、それを光線状に束ねた封神醒雷破を、アルベルは十二体の龍をついに一つに重ね合わせ、龍気を見事に使いこなした黄金の吼竜破を雄々しい叫び声とともに、ロジャーは宇宙のどこかから呼び出した謎の物体を、まるで雪崩のように降らせるスターフォールを、ルシファー目がけて全力で打ち付ける。

 

 スフレとアドレーは後方支援だ。味方の攻撃力を跳ね上げる光の舞、シャイニングダンスを踊るスフレの傍らで、アドレーがグロースを筆頭に、ルシファーや他の皆が生む激しい衝撃波の反動を補助施術で和らげ、皆をサポートしていく。

 

 そしてフェイトが、両足を広げ、イセリアルブラストを限界の限界まで高めて、放った。

 

「う、ぉおおおおお!」

 

 ――それでも、まだ。

 それでもまだ、ルシファーの三連朱雀吼竜破に押されている。

 フェイトたちの顔が歪んだ。

 そこで、リオナも微力ながら紋章術での加勢をする。エレナは攻撃呪紋を覚えていない。

 だから残るは――

 

「アンカース!」

 

 うずくまっているナツメに、リオナが鋭く声をかける。

 フェイトもまた、最前線でイセリアルブラストを放ちながら、言い放った。

 

「甘えんな! ナツメ!」

 

「っ!」

 

 ナツメの顔が、わずかに上がる。

 

「お前の兄貴たちは、死ぬその寸前まで意地を通して戦ったんだ! その意志を継がなきゃならないお前が、そんな様でどうするんだっ!」

 

「ぅ、ぅぅ……っ!」

 

「お前が抱いてるその刀は、嘆きを受け止めるためにあるものじゃないっ! いつだって自分の力を信じて、自分が望んだ明日を迎えるために戦ってきた、強い奴らの魂を継いだ剣だ!」

 

 ――ナツメよ。

 ――ナツメ。

 

 フェイトに続いて、ナツメの左右の肩に宿った双頭竜が、声をかけてくる。

 ナツメの涙は止まらない。震える身体は、絶望から一歩も立ち直ってはいない。

 それでも――

 

 

「戦え! ナツメ!」

 

 

 フェイトの言葉に、ナツメの瞳に意志の光が宿った。

 

「ぅ、ぅう、うぁああああああ……!」

 

 ――行くぞ、ウルルン。

 ――誰に向かって言ってやがる!

 

 ナツメに合わせ、双頭竜が雄々しく啼く。

 フェイトたち全員の技がすべて凝縮されたその光の矢の中に、幼い紋章剣士の奥義も加わった。

 伝説の双頭竜――ギョロとウルルンの援護を受けてついに、ルシファーの三連朱雀と拮抗し始める。

 

「……」

 

 そのときだった。

 ルシファーの力が、不意に弱まったのだ。

 

「いまだぁっ!」

 

 フェイトが眼を見開くと同時、皆の心が一つになって――ついに、創造主ルシファーの技を、金色の三つの朱雀吼竜破を、彼の仮初の肉体を、光の彼方へと押しやっていった。

 

 

「ぐ、ぉおおああっ! 何かが、決定的に間違っている……っ、データなんだ……。相手はただの……! ぐぉおおおお……っ!」

 

 

 開発ルームの広大な空間に、ルシファーの悲鳴が響き渡った。



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90.エピローグ

 フェイトたちが改良型アンインストーラーを起動させると、宙に浮かんでいるはずの螺旋の塔が、地震を起こしたように揺れ始めた。

 

「これは……!?」

 

「次元震よ。エターナルスフィアすべての領域に干渉してるから、この特殊空間も揺れているの」

 

 エレナの言葉に、フェイトは頷いた。

 そして、エレナがブレアに向き直る。

 

「ここでお別れね、ブレア」

 

「ええ。……エレナ、貴方は本当に後悔しないのね?」

 

「ええ、もちろん」

 

 にべもなくエレナが頷くと、ブレアはそれ以上何も言わず、フェイトたちを振り仰いで、微笑んだ。

 

「必ず、世界を独立させてみせて」

 

「はい。いままで、ありがとうございました。ブレアさん」

 

 フェイトの言葉に、ブレアは首を横に振る。

 ルシファーがシステムに負荷をかけてまで使った三連朱雀吼竜破の影響で――この螺旋の塔が、いま崩れ去ろうとしている。

 ブレアは雷花がのたうつ紺碧の空を見上げて、残された時間が残り少ないのを悟るや、最後の言葉をかけた。

 

「皆。――がんばって」

 

 フェイトたちが一様に頷く。

 それから、ロキシ、リオナ、そしてエレナが開発ルームの中央にそびえるパイプオルガンに似た機械の前に立ち、それぞれが高速でパネルを叩き始めた。複雑にくるくるとモニターが現れては消え、FD文字が乱れ飛んだあとで――ついに、プログラムのスタンバイを完了する。

 

「三人とも。ここに特殊紋章を頼む」

 

 三人の技術者は互いに顔を見合わせ、確認を終えると、ロキシが代表してフェイトたちをふり返った。

 ロキシの眼の下には、くっきりと真っ黒な隈が出来ていた。アンインストーラーをムーンベースに持ち帰ってから、一睡もしていないようだ。頬は痩せこけ、顔色も悪い。

 それでも晴れ晴れとしたロキシの顔を見て、マリアは数秒、押し黙った。

 その間にフェイトとソフィアが、パイプオルガンの前に立つ。

 遅れたマリアを、じっとロキシが見返してきた。

 

「どうか私を信じてくれ。トレイター嬢」

 

 ロキシは決して、マリアをファーストネームでは呼ばなかった。

 ――それでも。

 彼の青黒い顔が、マリアたちが戦っている間、彼自身も一度も逃げなかったことを証明している。

 

 最後まで、諦めないと。

 

 その願いの連鎖によって渡された奇跡のバトンの前に、マリアもいま、立った。

 

「それじゃあ、私に合わせて」

 

 メインコンソールに立ったエレナが声をかける。

 

「行くぞ、二人とも!」

 

「うん!」

 

「ええ!」

 

 ディストラクション、アルティネイション、コネクション――。

 三人の額が白く輝き、三つの紋章陣が一つに重なる。

 すると雷が走るような、バリバリッという甲高い音が立った。巨大端末の手前の空間に、扉のような楕円形の光が浮かび上がる。

 そこに、次々と開発ルームの周囲で浮かんでいた時計のようなモノたちが吸い込まれていく。

 ――FD世界とエターナルスフィアが、分断され始めているのだ。

 

「こいつぁ、すげえ……」

 

「フン」

 

 模擬宇宙の星々をどんどんと呑みこんでいく巨大な光の渦。

 対して、螺旋の塔を構成するあの透明な床がバリバリと音を立てて崩れ落ちていく。

 下の階層はもうほとんど崩れ去ったと言っても過言ではなかった。

 

「ぃいっ!? オ、オイラたちも早く脱出しようぜ!」

 

 それを見て怯えたロジャーが拳を振り上げると、ソフィアが小さく頷いて、杖を掲げた。

 

「開け! 聖域を覆う鷹揚なる手。光に繋がる道となれ!」

 

 巨大端末(パイプオルガン)の手前――フェイトたちが立っている場所の傍に、ソフィアが新しい光の扉を繋げた。

 それはタイムゲートやモーゼル古代遺跡で見た、不思議な波紋を描く光の扉に似ており、ここを通れば、フェイトたちは元の世界に戻れる。

 皆、顔を見合わせてそちらに向かっていく。その中で、ナツメだけはいつまで経っても、歩き出そうとはしなかった。

 

「おい、どういうつもりだ! 阿呆!」

 

 いつも通り、最後尾を行こうとしていたアルベルが、光の扉の前で足を止める。

 

「ん?」

 

 フェイトも訝しげにふり返ると、ナツメがうつむいたまま、開発ルームで立ち竦んでいるのが見えた。

 

 その手に、アルフが消えたときに残った『無名』と、かつてアレンからもらったという『シャープネス』を抱えている。

 

「……わ、私、は……私はもうっ、いいんです……。だ、だからっ、みなさんは先に――」

 

「馬鹿野郎っ!」

 

 フェイトは反射的に身を乗り出した。すでに螺旋の塔の崩壊は始まり、このフロアにまで侵食し始めて要る。見る間にフェイトやアルベルのいる場所とナツメの間には五メートルほどの溝が出来上がっていった。

 

(くそ! ――ストレイヤー・ヴォイドならっ!)

 

 思うが、いまは世界を切り離す作業に全能力を使っているため、届かない。それでもナツメのリーフスラッシュなら、届く距離だ。

 問答無用で引き寄せられない歯がゆさを噛みしめながら、フェイトは声を張った。――説得すれば、まだ助けられる。ともに帰れる。いまなら。

 

「お前っ! アレンやアルフがなんのために戦ったか、知ってるだろうっ!? ここでお前が死んで、一体なにになるってんだよっ!

 僕たちは生きるためにここに来て、生き残るために戦ったんだろう! その覚悟を投げ捨てるのか!? アレンやアルフの想いを、お前が不意にしてどうするんだよ!」

 

「そんなのっ!」

 

 ナツメが甲高く叫んだ。

 

「そんなの、いらないっ! いらないんですっ! だって、だってもう……世界は救われたから、これから救われるんだから! だから私は――」

 

「阿呆! くだらねえことぐだぐだ言ってねえで、さっさと来やがれ!」

 

「ナツメ、話ならあとでいくらでも聞いてあげるわ! だからいまはとにかく、跳びなさいっ!」

 

「急いで、ナツメちゃん!」

 

「跳んじまえっ! ナツメ!」

 

「悩んでる場合じゃないよ!」

 

「ナツメ姉ちゃん! 急げって!」

 

 皆の言葉に、ナツメはただ首を横に振るだけだった。

 

「ギョロ! ウルルン!」

 

 フェイトが鋭く、ナツメの肩に宿る竜に叫ぶ。だが、双頭竜はナツメに寄り添ったまま、動かない。

 フェイトたちの絶叫も、次元のひずみの音にまぎれていく。

 

 

 ――ナツメよ。

 ――ホントに後悔しねえのか、こんな結末で。

 

 二匹(ふたり)の竜に、ナツメは無言で頷いた。火が爆ぜるような音を立てて、特殊空間の宇宙が、黒々とした紺碧の闇が砕け、割れ、裂けていく。

 炎の赤龍ギョロは、その壊れいく世界を見上げて言った。

 

 ――確かに奴ら二人の性格ならば、始めからFD世界との戦いに決着さえつけられれば、のちのことなど考えていなかったやも知れぬ。

 だが、お前に未来を生きてもらいたいという願いは、確かにそこにあったのだぞ。

 

 ――お前を待ってくれる奴らだって、あんなにいる。それでもお前は死を選ぶのか、ナツメ。

 

 氷の青龍ウルルンは、光の扉の前に立ち、こちらに向かって叫び続けるフェイトたちを見つめていた。

 次元のひずみは着実に開いていく。ナツメのいる足場がどんどん沈み、七メートル、八メートル、十メートル――……ついに、リーフスラッシュでも届かぬほどの厳然たる距離が、フェイトたちとの間に出来ていった。

 ナツメは右手で二振りの刀を抱えて、空いた左手で目許を拭うと、微笑った。

 

二匹(おふたり)には、感謝しています。本当に、感謝しきれないくらい、感謝しています……ギョロさん、ウルルンさん。私は二匹(おふたり)の力がいなければアレンさんとアルフさん、FD世界との戦いに参画することもできなかった。皆の足を引っ張るだけでした」

 

 そのあとに続く言葉を、ナツメは呑みこんだ。頭上、フェイトたちがいる光の扉を見上げながら、目を細めて

 

「――でもいまなら、オフィーリアさまも納得してくださいます。FD世界と戦って、私は死んだんだって。いまなら、オフィーリアさまを悲しませずに、二人と一緒に逝けるんです」

 

「ギャフ……」

 

「帰ったら、アレンさんの悪口とアルフさんを絶賛する声、たくさん聞かなきゃいけないから。事実とは違うもの、きっと受け入れなきゃならなくなるから」

 

「……フギャ」

 

 双頭竜が悲しそうに小さく啼いた。

 背中で、何者かが動いた。双頭竜が鋭く振り返る。――ルシファーだ。全身から漏電する姿に構うこともなく、近づいてくる。

 

「っ!」

 

 ――この期に及んで、皆の邪魔はさせねえっ!

 

 身を固くするナツメと、鋭く構える氷の青竜ウルルン。だがその片割れを、炎の赤竜ギョロが押しとめた。

 

 ――いや、待て。

 

 ギョロの言葉が終わるまえに、ルシファーが背中の黒い触手を広げる。

 ギョロを待たず、ナツメと氷の青竜ウルルンが打ち込んだ。ナツメがルシファーに勝つ算段などない。先手を打たねば、返せるものがなにもないだけだ。

 だが、アレンをも上回る体術の持ち主たるルシファーは、がくがくと全身を震わせながらもナツメの剣を容易く止めた。交差させた二振りの刀で、相手を十字に割くクロスラッシュ。

 それを見つめて、ルシファーが目を細める。

 

「…………」

 

「え?」

 

 壊れいく世界の中。騒音に紛れてかすかに動いたルシファーの言葉は、ナツメの耳には届かなかった。

 ただ、彼女が見知った表情を相手(ルシファー)に見つけて――驚いている間に、黒い触手がナツメを縛り上げた。

 強烈な紋章陣。

 

(これは――テレポート?)

 

 目を丸めている間に、ルシファーの足許が、その床が崩れ去った。ほどけていく触手。ナツメの視力を奪う、白い紋章陣の光。

 彼女は両手で顔を庇いながら、その隙間から、闇に落ちていくルシファーを確かに見た。

 

「――っ!」

 

 その彼に向かって叫ぶ。

 紋章陣が広がり、いよいよ視界が真っ白に染まった。砕け、割れて、崩れ落ちてくる宇宙をその目に見ることもなく、ナツメが紋章に呑まれていく――。

 

 

 

 

 

 

 フェイトが目を覚ました先は、抜けるような青空の下だった。背中をちくちくと何かに刺されている。――仰向けに倒れていた事に気が付いて身を起こすと、若草が青々と遠くの山間にまで生い茂り、その中央を、茶色い地道が左右に分けるように長く、伸びているのが見えた。ちょうど馬車二台分の道幅である。その路傍には三十センチ大の岩や、桜色の花をつける低木が生えており――ここが、かつてよく往路した、パルミラ平原であることに気がついた。

 

「フェイト!」

 

 頭上から聞こえた声に、顔を上げる。降り注ぐ太陽の下、聞き知った少女の声が、嬉しそうに弾んだ。ふり向くと、栗色の長い髪が風に揺れ、小さな顔に収まった大きな青い瞳が、フェイトを見て嬉しそうに細まるのが見えた。

 

「ソフィア!」

 

 眼が合うと、ソフィアが嬉しそうに頷く。

 

「それに――」

 

 彼女の後ろに、特殊空間で共に戦った仲間たちが立っていた。フェイトに背を向けているものの、皆、顔だけはこちらに向けて、嬉しそうに笑むや、それぞれ頷いてくる。創造主との激闘を物語るように、誰もが体中は傷だらけであったが、どこか晴れ晴れとしていた。

 

「よかった。成功――したんだな」

 

「うんっ!」

 

 安堵の息を吐く一方で、フェイトはこちらに戻ってくるとき――最後まで螺旋の塔に残った紋章剣士のことを思い出して、表情を曇らせた。

 

「それで、……ナツメは」

 

「ここに居る」

 

「――え?」

 

 聞けるはずのない声を聞いて、フェイトはこれ以上ないほど、目を見開いた。

 一瞬、鼻から唇にかけて震えが走る。

 ぶるりと身震いをしたあと、声の主を――仲間たちの後ろの方から聞こえてきたその人物を一目見んと首をめぐらせると――あの、紅い連邦軍服が二つ、皆の合間から覗き見えた。片手間にナツメをあやし、こちらをふり返っている。

 

「アレン! アルフ!?」

 

 それ以上は言葉にならない。道理で皆が自分に背を向けていたはずだった。理解するよりも先に、フェイトが身を起して駆け寄っていく。

 

「ふ、ぅ。ぇええっ! 置いてっちゃ、置いてっちゃダメだって、言ったのに、言ったのに……! どっちも嘘つきさんですぅぅ……!」

 

「んなこと言われても、こっちの都合でどうにかなる相手じゃなかったし。なぁ?」

 

「お前なんかまだいい方だ、アルフ。ルシファーを一発、殴れたんだろう」

 

「……あー。それが、ねぇ」

 

「なに?」

 

「いや、なんでもない」

 

 声を落とし、拳を握るアレンに、アルフが適当に手を振って話題を打ち消した。

 

「お帰りなさい、みなさん」

 

 そのときである。

 パルミラ平原の北東――ペターニから、クレア率いるシーハーツの面々が現れた。

 その中に、よくよく見れば、アクアエリー・クルーが混じっている。フラン大尉とヴィスコム提督。ロキシたち、ムーンベースから特殊空間にやって来たメンバーを、エリクールまで送り届けた連邦軍人たちだ。

 

「どうやら、無事に終わったようだな」

 

 ヴィスコムの、切れ長の目が一同を見て細まった。凛々しく彫の深い顔立ちに、穏やかなものが混じる。

 アレンが、罰が悪そうに顔をそむけた。その隣で、アルフが敬礼を返す。

 クレアが言った。

 

「あなたがたの事情は、ここにいる方たちからお聞きしました。――しばらくはシーハーツで、匿ってほしいとの旨を」

 

「っ!」

 

 アレンが眼を見開いてヴィスコムを見る。

 ヴィスコムはなにも言わず、ただ頷いた。アレンが拳を握って、一瞬、なにか言いたそうに唇を歪めた。だが言葉にはならず、その間に、副官のフランが短い金褐色の髪を掻いて言った。

 

「その代り、連邦(ウチ)に帰れるアルフ。お前には、これまで以上に、馬車馬のごとく働いてもらうぞ」

 

「……まじ?」

 

「大マジ。見ろ。俺の、この可哀想なほどにくっきりと出来た見事な隈を」

 

「えぇー……」

 

 地獄の底から捻り出したような低い声で、アルフが抗議していたが、フランは生欠伸をかみ殺すだけで、最後の最後まで部下の話を聞くそぶりを見せなかった。

 アレンの肩を、ぽん、と叩いて、フランが言う。

 

「ま、そう心配するな。アレン。お前の方もなかなか溜まってるそうだぞ。ね、ラーズバードさん?」

 

「ええ。シーハーツは戦争を終結したばかりで、いまだ国内は安定していません。クリムゾンセイバーとして、アレンさんたちが戻ってきてくださるのは、とてもありがたいことです」

 

「アレンさん“たち”……?」

 

 アレンとフェイトの声が重なった。

 後ろから、ロキシが言ってくる。

 

「フェイト。お前も、すぐには銀河に戻るべきではないだろう。状況が落ち着くまでは、こちらで面倒を見てもらった方がいい。そう思って、こちらのラーズバード女史に許可してもらったのだ」

 

「なん、だと……っ!?」

 

「それじゃあ、私も?」

 

「そういうことになる」

 

 人差し指で自分を指さして、首を傾げるソフィアに、ロキシは頷いた。

 続けて、ヴィスコムが言う。

 

「ロキシ博士にはこの後、研究内容についての事情聴取や、タイムゲートでの調査結果を再度報告してもらうなど、いろいろとやっていただかなければならないことが残っているんだ。――だが」

 

 そこでヴィスコムは、ロキシとともに特殊空間までやって来た、若き科学者、リオナを一瞥した。

 

「お前たちとの連絡係に、リオナ博士がこのエリクールに滞在することとなる。しばらくはそこの、エレナ女史の助手としてな。彼女たちのエクスキューショナー調査がうまく行けば、アレン。お前の現場復帰の可能性も、出てくるとのことだ」

 

「……!」

 

「とはいえ、問題は山積みよ? アレンくん」

 

 エレナをふり返りながら、アレンはやや、合点の行かない表情で、頷いた。戸惑ったような彼の反応に、エレナは微笑むだけで答えない。――この後、アレンがようやく、エレナがFD人であったことを知るわけであるが、そのときの驚きぶりは、ここでは割愛する。

 

 フェルプールの先祖返りたるリオナが、無表情ながらも猫耳をぱたぱたと震わせて、胸を叩いた。

 

「最善を尽くす。約束する、ガード」

 

「博士……。ありがとう、ございますっ」

 

 深々と頭を下げるアレンに、リオナはさらに猫耳をぴこぴこと震わせながらも無表情に頷いた。

 

 

 

 その後、クリフ、ミラージュ、スフレ、アルフ、ナツメは連邦艦経由でそれぞれの元居た世界に帰っていき、フェイトたち残りのメンバーはアルベルとロジャーを除いて、シーハーツに身を寄せることとなった。

 

 

 

 聖王国シーハーツが誇る、クリムゾンセイバー。

 世界を救った青い髪の英雄と、世界の敵に殉じようとした金髪の青年は、奇跡を起こしてアーリグリフの食糧難と、シーハーツの内紛を見事に治めた。

 そして幾月かの時を経たころ――彼らは、アーリグリフの国宝、クリムゾンヘイトを操る漆黒団長とともに、突然と姿を消したという。

 

 そのときの様子をアペリスの聖女、シーハート二十七世の双剣、クリムゾンブレイドたちはこう評した。

 

 

 

「あ・い・つ・ら……! また適当なところで仕事から逃げる気かいっ!?」

 

「今度は歪みのアルベルまで一緒だそうね? まあ、でもネル。とにかく落ち着いて……。どうせそのうち帰ってくるんだし、大目に見てあげれば」

 

「甘いよ、クレア! そうやって奴らを甘やかした結果が、いまなんじゃないかっ……!」

 

「……うーん」

 

 近頃、グリーテンの動きが活発になってきたという黒い情勢の中で――大陸の英傑と称される三人は、まるで周りの思惑などどこ吹く風と、気ままに旅に出てしまった。

 ネルは拳を震わせながら、きりりと窓を睨み据えた。

 

「仕方がない。こうなったら、奴らの首根っこ引っ掴んででも連れ戻るしかないね。行くよ、クレア!」

 

「あら、それならまず旅支度をしなくちゃ。――フェイトさんを追うのなら、ソフィアさんにも声をかけておかないと。あ、それにアルベル・ノックスと言えば、研究室のマリアさんにも話を通しておくべきよね? 久しぶりに、水入らずな旅ができそうね。ネル」

 

「……私たちは、遊びに行くんじゃないんだよ、クレア……」

 

 クレアが優雅に微笑んでいられたのはここまでで、件のパーティーに出会ったら実父のアドレーや、メノディクス族のロジャーまで同行していて、てんやわんやの大騒ぎとなっていった。

 

 平和な世の裏で、ネル・ゼルファーの苦悩が続いていった。



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おまけ オリジナルキャラ紹介

キャラクターファイル1.アレン・ガード

 

 所属;銀河連邦軍 特殊任務施行部隊 第一小隊

 階級;少尉

 年齢;十九歳

 身長;182cm

 人種;地球人(純血ではない)

 武器;剛刀「兼定」

 

 SO2主人公・クロード&レナの子孫。ゆえに、剣術・体術・紋章術において、並外れた才能を持つ(ちなみにケニー家は別に居り、アレンは直系血族には当たらない)。

 

 彼が用いる剣術は、銀河連邦軍で最も流布している“ガード流”。

 これは四百年前の十二人の英雄(つまりクロード達)が用いていた剣術・体術・気功術および紋章術を体系化し、実戦において地球人が、自分たちより優れた他惑星人と交戦する為に考案・開発された戦闘術。

 特に、内気功“活人剣”は、体内の気の通りを良くすることで術者の身体能力を高め、それまで自分が負っていたあらゆる傷を治すという、他惑星人と戦う上では欠かせないスキルである。

 

 アレンが使う「朱雀吼竜破」=「朱雀衝撃波」+「吼竜破」や「爆裂空破斬」=「爆裂破」+「空破斬」などは、彼自身が勝手に作った合成技で、ガード流ではない(一般の連邦軍人には知れ渡っていない)。

 

 ちなみに「三連疾風突き」=三発同時疾風突きは、アルフが開発。後にアレンがアルフとの戦いの中で覚えた。逆も然りである。

 

 あと、どう考えてもSO2技ではないカウンター技「砕牙」は、Chaos Legionというゲームに出てくる(アロガンス)の“アヴェンジャー”を流用している。

 <理由;カッコよかったから! 一目惚れしたから!>

 これは、敵の攻撃を受けた時にタイミング良く□ボタンを押すと、敵をすり抜けてカウンター出来る強力技。刃に吹き飛ばし効果、雷にダウン効果がある素敵仕様(威力は、こちらが受けたダメージの半分)。

 

 父親は銀河連邦軍大将、リード・ガード。

 アレンの父は、マリアが育ての両親を亡くした例の事件、アールディオン帝国によって第17宇宙基地が破壊された時に、同時攻撃を受け大打撃を被った第18宇宙基地をアールディオン帝国から取り返した銀河連邦軍の名将。彼はガード流現総帥でもあり、昔ながらの軍人で、アレンに家名を継がせるべく、幼い頃からガード流を徹底して叩きこんだ。座右の銘は『人を斬るために情けを捨てよ』。

 この父が当小説に出てくるのかどうかは、まったくの不明。↓出てきませんでした。

 

 几帳面な性格と、長年の軍での寮生活が幸いしたのか、家事全般は一通りこなせる。

 そんな彼をSO3のクリエイター能力で表すと、

 

 アレン・ガード(cost-5%、time-10%)

 料理:60、錬金:23、細工:2、調合:37、鍛冶:35、執筆:5、機械:32

 

 こんな感じ。

 元々のアレンはマリアたちと同じレプリケーター民だったが、ナツメ(衰弱期)を励ますためだけに料理を覚えた。結果、一般シェフクラスにまで成長したが、飾りつけのセンスはない。

 戦闘スタイルは、どんな敵とでもバランス良く戦える万能タイプ。正攻法が好み。

 

 剛刀・兼定を手に入れてからは特に、自分と刀の限界を知るために日々邁進している。

 スイッチが入ると鬼教官、もしくは戦闘狂になる。

 

 

 

 

キャラクターファイル2.ナツメ・D・アンカース

 

 所属;テトラジェネシス第一衛星ル・ソレイユ

 年齢;十五歳

 身長;150cm

 人種;エクスペル人

 武器;刀(シャープネス)、剣(シャープエッジ)

 

 惑星エクスペルにあるアーリア村出身。

 元は実祖父から二刀流剣術を学んでいた。

 しかし、彼女が7歳の時にいろいろあり、銀河連邦軍に保護され、アレンから剣術を習う事になる。

 彼の伝手で、テトラジェネシス宗主、オフィーリア・ベクトラと出会い、彼女に気に入られて側近となった。本人は“側近”と言う使命感に燃えているが、周りからはマスコット扱いされ、あまり戦力としては期待されていない。

 11歳から14歳までの四年間は銀河連邦軍 戦闘艦アクアエリーに世話になっており、アレン・アルフと共同生活を送っていた。

 彼女のクリエイター能力は、

 

 ナツメ・D・アンカース(cost+30%、time 0%)

 料理:33、錬金:15、細工:16、調合:2、鍛冶:24、執筆:5、機械:44

 

 こんな感じ。

 実はアシュトン&プリシスの子孫。ゆえに機械系に強いが、誰も知らない長所な為に生かし切れていない(フェイト君がその内才能を見出すハズ)。

 また、極度の方向音痴で、暗闇が苦手。

 攻撃力・防御力とも連邦軍人二人に比べて劣るが、俊足を持っているために、戦闘スタイルは相手を撹乱しながら戦うスピードタイプである。

 

 

 

 

キャラクターファイル3.アルフ・アトロシャス

 

 所属;銀河連邦軍 特殊任務施行部隊 第一小隊

 階級;少尉

 年齢;十九歳

 身長;180cm

 人種;地球人(純血ではない)

 武器;レーザーウェポン

 

 アレン同様、本人も周りも知らない――と言うか、彼自身は出自不明であるため知る由も無いが、SO2主人公・クロード&レナの子孫。アルフも直系血族ではない。

 アールディオンとの衝突が絶えない惑星にいたため、物心ついたころには身寄りがなかった。推定12歳時、銀河連邦政府高官、エイダ・アトロシャス氏によって『保護』という名目で引き取られ、特殊任務施行部隊に入るべく英才教育を施された(アルフの義父は政治家)。

 アレン同様多方面で優れた才能を持ち、『天性の勘』は他に並ぶ者がいないほど鋭い。

 世間的には、名門アトロシャス家の三男坊。ゆえに『坊っちゃん』として育った彼は、アレンとの寮生活で一切の家事をしない(面倒くさがりとも言う)。

 兄二人と姉が一人おり、アルフ以外は三人ともエイダの実子である。姉は愛人との間に生まれた庶子。

 

 容姿・才能に恵まれたアルフは、義父に気に入られ、義兄二人に疎んじられているものの、己の出自やアトロシャス家のいざござには興味がない。戦場での「死闘」を何よりの喜びとするリスクジャンキーは、周囲の思惑とは異なるベクトルをひた走っていく。

 ちなみに「死闘」にこだわるアルフは、いくら敵が強くても自分を殺す気が無ければ興味を示さない。故にアレンを『俺以上の戦闘狂』と称す(アレンは相手が強ければ何でもOK)。

 彼のクリエイター能力は、

 

 アルフ・アトロシャス(cost+20%、time-40%)

 料理:3、錬金:13、細工:45、調合:2、鍛冶:58、執筆:5、機械:42

 

 こんな感じ。

 好きなものは好き。興味が湧かないものは、てんでダメ。

 cost+20%、time-40%からも読み取れるように、時間効率を何よりも優先する。

 得意な戦闘スタイルは、攻撃重視。戦いにおいて「受け太刀(防御)」を一切せず、相手の攻撃を紙一重で見切るカウンタータイプ。紋章力に優れているものの、詠唱が面倒なので、使うことはほぼ無い。

 アルベルが見た目に反して、普通に格好よくて優しい兄ちゃんだったので、ならば見た目通り、思考がブッ飛んでて危ない兄ちゃんを書こうと思い、こんな感じになりました。

 コイツの人を舐めくさった態度に、イラッとした方も多いはず。 

 

 

 

キャラクターファイル4.オフィーリア・ベクトラ

 

 所属;テトラジェネシス第一衛星ル・ソレイユ

 年齢;二十五歳(※クリフEDは一年後設定です)

 身長;160cm

 人種;テトラジェネシス人

 武器;……武器? 何ソレおいしいの?

 

 テトラジェネシスは厳格な身分制度を有した種族で、ジェネシス4号星を周回する四つの衛星は、それぞれ一家ずつ存在する貴族達によって統治されており、種族全体としての判断は全てその四つの公家の合議によって決定される事になっている。

 ベクトラ家もその貴族の一つで、彼女は第一衛星ル・ソレイユの代表であり、四貴族の合意を得て星系宗主となった。

 額に第3の目があり、三つの目でモノを見る為に、他種族よりも空間認識能力に長けている。そんなジェネシス人の恩恵もあり、彼女は抜群の射撃力を誇るスナイパーでもある。

 ただし、この時使う銃はマリアのような短銃ではなく、バンデーン兵が持っていたエリミネートライフルよりも更に大きい――『ランチャー』である。

 最近は乗馬も始めたらしく、鞭の扱いも覚えたとのこと(乗馬用鞭と『あの鞭』は形状が違うなんて細かいことは気にしてはいけない。ジェネシスの様式美である)。

 

 『星系宗主オフィーリア』の顔になると、凛とした妖艶な女性であるが、普段は気さくでユーモアがある。実は連邦軍人二人に、かなりぞんざいな扱いを受けていると言う裏設定があっても、気にしてはいけない。フリーダムとフリーダムがぶつかり合った結果、そうなっただけに過ぎないのである。

 

 ちなみにアレンとは、ベクトラ家当主になる前に地球を訪れた際、連邦側の護衛役として知り合った。その伝手でナツメ、アルフとも知り合っている。

 当時のナツメは口数が少なく極度の人見知りで不眠症だった。それ故、アレン、アルフ共に手を焼いていたのだが、オフィーリアがナツメに添い寝して寝かしつけてやると、ナツメはぐずる事もなく穏やかに眠って行ったという。

 これ以降、アレンとアルフはオフィーリアに信頼を寄せている。十六歳前後の少年では、母性が足りなかったということか――?

 

 また、オフィーリアにはソフィアと同年齢の妹がおり、その妹がアルフにご執心との噂を耳にしても、華麗にスルーしている。これは別に、妹を恐れての事では無い。

 

 恐れての事では無い(大切な事なので二度記述しました)。

 

 アルフもこの妹をスルーしたいようだが、たまにアクアエリー艦内にある自室に潜り込まれているとのこと。その際、同室のアレンが、オフィーリアの妹を普通に部屋に通した揚句、お茶を出していた――と言うエピソードは、アルフ史上三番目に衝撃的な出来事だったらしい。

 妹を溺愛するオフィーリアは、このようにベクトラ家の預かり知らぬ所で妹が連邦軍の戦闘艦に乗り込んでいても、華麗にスルーする。ベクトラ家の管理体制はどうなっているんだと苦情が寄せらても右から左に聞き流し、むしろ何故私も呼ばなかったんだと愚痴る始末。

 アルフに粛清される日も、近いのかも知れない。

 そんな彼女のクリエイター能力は、

 

 オフィーリア・ベクトラ(cost+30%、time-20%)

 料理:5、錬金:15、細工:23、調合:12、鍛冶:4、執筆:55、機械:24

 

 こんな感じ。

 基本的に手先が器用。料理は今まで一度もやった事が無い為、何をすればいいのか分からないご様子。

 

 名前通り、オペラの子孫。きっとエルネストが旦那だったと信じたい。

 好きな香水は、アフロディーテ。

 正規シナリオ通りに進んでいれば、ムーンベース到着と共にアレンと再会する予定だったのに、いろいろシナリオが変わって行ったのは、今となっては懐かしい想い出である。

 

 

 

キャラクターファイル5.リオナ・D・S・ゲーステ

 

 所属;銀河連邦軍 第五宇宙基地(ムーンベース)

 階級;少佐

 年齢;二十二歳

 身長;158cm

 人種;エクスペル人(純血ではない)

 武器;分厚い本

 

 四百年前、特殊遺伝学の権威として君臨した学者――レオン・D・S・ゲーステの子孫。

 学者の名家に生まれたリオナは、ゲーステ家の中でも学術に特化した人物である。

 非常にプライドが高い女性で、そのツンケンした態度から彼女に反発する者も多い。

 しかし、猛者揃いのアクアエリーでは『猫耳萌え隊』なる集団がいる――との噂が連邦内で飛び交っている。これは、アレン、ヴィスコムによる連邦の名誉を賭けた戦いの末、『噂』程度に治められたアクアエリーの極秘事項である。

 

 また、アレンに想いを寄せる物好きな女性であるが、その切っ掛けは大したものでなく、連邦軍内の昇任試験(少佐になる為の試験)で、フェイズガンをうまく扱えなかった所を、アレンに助けられたからであった(ちなみに、二十二歳で「少佐」という階級に違和感を覚えられると思うが、これはあくまで研究員の給料に関係してのことであり、リオナは兵士でもなんでもない)。

 

 民間のロキシとは違い、連邦軍専属の研究員であるリオナは、連邦軍の新たなる携帯装備品として『レーザーウェポン』を開発している。

 『38.vsアルフ』でクリフを始め、アレン達が驚いているのは、開発されたばかりのレーザーウェポンをアルフが試験的にリオナから借り受けた為である。

 リオナは生粋の学者肌で、二週間ほど研究室に一人でこもらせると、某試練の遺跡に出現するパ●ィ嬢のように生き倒れ状態で発見される。

 これは彼女が食事、睡眠よりも研究を重んじるため。

 

 また、アクアエリー右舷通路の無敵シールドを無表情で通過した伝説を持っており、その鉄面皮は基本的に動かない(※但し猫耳が彼女の感情を雄弁に語っている)。

 

 これはアクアエリー期待の星、アルフ・アトロシャスが無敵シールドの脇をすり抜けようとし、――その直前で踵を返して左舷通路から艦長室に向かった、という事件と比較しても驚きの結果である、とアクアエリーでは高く評価されている。

 そんな彼女のクリエイター能力は、

 

 リオナ・D・S・ゲーステ(cost-20%、time+40%)

 料理:3、錬金:33、細工:5、調合:4、鍛冶:2、執筆:25、機械:62

 

 こんな感じ。

 興味があるか否かでバランスが大きく変わる。

 時間はかかるが良質な物を作る――職人気質な一面も併せ持つ人物なのである。



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なのはStrikerSにフェイトとアルフが迷い込んじゃった編
1.どうしてこうなった?


「やっぱり間違いねえ! 指輪が光ってるじゃんよアレン兄ちゃん!」

 薄暗く狭い遺跡の祭壇の間で、黒髪の少年・ロジャーが高らかに叫んだ。今年で十四歳になる彼の背丈は昔と変わらず、ヒューマンの腰の高さもない。メノディクス族というタヌキを祖にもつ亜人の少年は、あどけない丸顔を好奇の色で輝かせて、ぴょんぴょんと跳ね回りながらアレンを見上げてきた。
 唸るように低く息を吐くアレンもまた、金髪の奥にある切れ長の目を細めて、自分の右人差し指にはめた指輪を見ている。

「エレナ女史からいただいたこの『星界の指輪』、FD世界のエネルギーに反応するとは聞いているがまさかまた(・・)光るとはな」

 消滅したはずの自分がこうして生きていることを含めて、いまの世界には不可思議なことが起きている。
 アレンの瞳と同じ色の蒼い宝石は、元創造主(F)側の世(D)界の住人()のエレナから贈られたものだ。解析不能のオーパーツをアレンたちが持っているスキャナーより高い次元で見抜く力がある。詳しい使い方はアレンもまだ測りあぐねているが、これまで創造主たちと戦ったあとの一年間だけ、この宝石は明滅を繰り返してきた。
 指輪の製作者、エレナは語る。『この世界は創造主の手を離れ、新たな理を得たわ。だからいま、その反動で世界は元の状態に戻ろうとする力が働いている。次元は乱れやすく、本来ならば有り得ない現象が起きてくるはずよ、世界が新しい状態に慣れるまでね』
 彼女の説明を裏付けるようにFD事変後の最初の一年は目まぐるしい事件にいくつも見舞われた。だが最近は静かなものだったのだ。
 アレンが奇妙な夢を見てこのモーゼル古代遺跡を訪れるまでの、いままでは。

「まずいぞアレン兄ちゃん! こんなことがフェイト兄ちゃんに知れたら『まだそんな指輪持ってたのか!? 絶対いわくつきだから早く捨てろってあんなに言ったろ!』ってどやすに決まってんだ! さすがのオイラもあのマシンガントークにはついてけねえぞ?」

 アレンがかすかに肩を揺らして笑う。視線をロジャーから祭壇奥の壁に移すと、その表情に覇気が宿った。本来は煉瓦造りの古めかしい石壁が、いまは水面を張ったように波打ち、光る渦へと変わっているのだ。

「懐かしいな……。モーゼル古代遺跡から創造主(ルシファー)のいる隔離空間に向かう次元の扉。これを俺が、まさか『ひと』としてくぐれる時がくるとは」

「ちょっ!? ちょ、ちょちょちょ! 待てよアレン兄ちゃん! こいつぁみんなに言うべきじゃんよっ? また変な空間(とこ)に連れてかれてモンスターばっかのダンジョンとか化け物サンタが出てくる洞窟とか女の子が世界をぶっ壊しにくる悪夢が起きるかもしんねえぜ!」

「その小さい女の子が世界を破壊する悪夢については、みながいたところでノックス団長が一緒に戦ってくれるくらいだろう。ほかはひとを盾に、我先に逃げんとする輩だからな……。特にフェイト、やつは許さん」

「………………。うふっ♪」

 急に黙り込んだロジャーが、頬に手をそえて、くねくねと体を揺らしている。
 アレンが話の終わりを察してロジャーをふり返った。

「心配ない。加勢が必要なら戻ってくる。どのみち偵察は必要だ」

「アレン兄ちゃん……」

「確証はないが、この扉の向こう側から『助けて』と声が聞こえるんだ。いまにも消えそうな、小さな声でな。俺はもう連邦軍人じゃないが、だれかが困っているなら助けたい。――もし、二日経っても戻らなければみんなにも伝えてくれ。頼む、ロジャー」

 アレンが言い終えるなり軍靴を鳴らして光の壁のなかへと消えていく。ロジャーは見送ったあとで、あわわわわわ、と叫びながら両手をふりまわし一路、故郷サーフェリオへと駆けていった。

【神に挑む者 第一話より抜粋】


「おい、どうしてこうなった……?」

 

 フェイト・ラインゴッドは不思議そうに首を傾げた。クセのない青髪がさらりとこぼれる。秀麗な顔立ちはもう二十一歳を迎えたのにあどけなく、華奢な見ために巨漢も驚く膂力を持つ彼は、翡翠の瞳を見開いて、隣の青年を見やった。

 

「……ここは……」

 

 フェイトの隣にいる青年――アルフ・アトロシャスは銀髪にわずかに隠れる紅瞳を見開き、驚きと疑問が入り混じった顔だった。彼の反応を受け、フェイトがカッと目を見開く。

 

「知っているのか!? アルフ!」

 

「……まあな」

 

 アルフが盛大な溜息を吐いた。二人の前に広がっている森。その先に近未来的な都市がある。――彼等にとっては古典的と称するのが相応しい、幾何学的な都市。

 

「……ああ、関わりたくねえ……」

 

 遠く空を見上げるアルフを置いて、フェイトが首をひねりながら歩き出した。

 

「どうした? やってないでさっさと行くぞ、アルフ」

 

 森道を踏みしめると、フェイトの脚をすっぽりと覆う金属靴(グリーブ)が、カシャカシャと音を立てる。

 その彼の肩を掴んで、アルフが首を横に振った。

 

「べつの街、探そうぜ。……あそこはどうも性に合わん」

 

「却下だ! 僕は男二人で野宿する気はこれっぽっちもないからな! と言うか、僕は此処(ココ)がどこなのかすら分かってないんだぞ? 説明するならちゃんとしろよ、お前」

 

「…………仕方ない。かくなる上は」

 

「って、なんでそこで急に刀抜いちゃうかなコイツはっ! だから連邦軍人は嫌いなんだよっ!」

 

 言いながら、フェイトが腰の剣を引き抜いた。――いや、剣に見えたそれは、ただの鉄パイプ。陽光を浴びてキランッと光るそれを、フェイトが大真面目に正面に据えている。

 

「…………」

 

 アルフが鉄パイプを見つめた。

 ――なにも、この棒っ切れの実力を知らない訳ではない――。

 だが、

 なんか違うな……とつぶやくなり、刀を納めてしまう。普通の刀より鍔を小さく作ったアルフの刀は、銀河連邦軍の赤い制服――丈の長い上着(コート)にすっぽりと隠れた。

 フェイトは相手が得物を納めたのを見て、ふふん、と鼻を鳴らした。

 

「で。僕等の身に、なにが起こったんだ? アルフ」

 

 首を捻ると、アルフがうなずき――青空に浮かぶ白雲を見ながら答えた。わずかに目を細め、どこか悟ったような表情で。

 

「『クリフに頼まれて行方不明になったアレン捜査のためにタイムゲートを調査してたら、いつの間にか惑星ミッドチルダに来てました。』」

 

「リフレクトストライフっ!」

 

 気功で強化させたフェイトの蹴りを、アルフは軽くはたき落とす。次の瞬間には、コート下にひそんでいた刃をフェイトの首筋に突き付けていた。

 

「なんの真似だ?」

 

 殊更(ことさら)に鍔鳴り音を響かせ、アルフが茫洋とした紅瞳で、フェイトを見据える。

 フェイトが笑う。さわやかに。

 

「……惑星ミッドチルダってどこだよっ!?」

 

 否、爽やかだったのは一瞬だ。中指を立ててフェイトが怒鳴り返すと、アルフはフェイトの胸倉を離し、刀を納めた。

 

「銀河連邦に属する監視惑星。――つまり、この惑星を統括する上層部(おえらいさん)以外は、連邦のことを知らない星ってことだ」

 

「つまり、お前は帰る方法を知っていると?」

 

「お前が気合いでコネクションを再現すれば、俺はアクアエリーに帰れる」

 

「……こんの、役立たずっっ!」

 

 出来もしない無理難題を振られ、フェイトが思わず毒づいた。

 アルフがおもむろに溜息を吐いた。

 

「凡庸性低いな、お前……」

 

「お前もだろうがっ! 大体、お前さっき他の街を『探す』って言わなかったか? んなことやってる暇があるなら、さっさと帰る方法を探すぞ! 知った土地ならなおさら、やりやすいじゃないか」

 

「性に合わねえって言わなかった?」

 

「お前の意見は聞いてないっ!」

 

 無拍子で放たれたアルフの右ストレートを、フェイトはバックステップで回避していた。鼻で笑う。

 

「お前、僕がいつまでもやられてばかりだと思ったのか?」

 

「…………お前、得な奴だな」

 

 アルフがあきれたようにうなだれた。少しも緊張感を見せないフェイトは、アルフの闘争心をまったく駆り立てない。生死に関わるギリギリの勝負にしか興味を示さない狂人は、普段の生活では無気力なことが多かった。このフェイト・ラインゴッドという青年は、アルフの無気力な性格を全力に押し出す――死闘や緊張感とは縁遠い男だ。

 

「ハハッ! そりゃ僕は究極の愛の戦士だからね! No Fun,No SO!!」

 

「……まあ、いいか。お前を前面に出せば、俺の被害も減りそうだし」

 

「なんか言ったか、お前?」

 

「いいや。なにも」

 

 アルフが歩きながら、軍服のポケットから通信器を取り出した。

 

「それでコンピュータ。この惑星の暦で、いまは何年何月だ?」

 

〈――新歴七五年、四月です〉

 

「なら、ギリギリセーフだな」

 

「なにがセーフなんだ?」

 

 フェイトが首をひねる。ふり返ったアルフが、わずかばかり口端を上げて言った。

 

「『俺』がいるのかどうかってこと」

 

 行き先は、森の先にある市街地。

 紋章術とは似て非なる『魔法』の都――ミッドチルダである。

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

「監視惑星って、こんな感じなのか……」

 

 フェイトは空を見上げた。晴れ渡った青空に、恒星が十数個浮かんでいる。月よりも見た目が大きく、距離の近い惑星が多いようだ。

 視線を下ろすと目の前に広がっているのが、アルフの言う『時空管理局』だ。

 広大な平野にコンクリートビルが並んでおり、圧迫感を与えないように末広がりになっている。施設内の建物間を繋ぐアスファルト道路は真新しく、いくつもの交差点を作りながら続いており、その脇には豊かな芝生や人口樹が生い茂っていた。簡単に言えば、小さな街のようだ。

 アルフがふり返らず言う。

 

「お前も知ってのとおり、一口に監視惑星と言っても、文明はその星によって様々だ。俺達には関係ないが、フェイズガンやエリミネートライフル等の銃火器は『質量兵器』と呼ばれ、この惑星じゃご法度になってる。使うなら、気功術か紋章術。出身を訊かれたら、『地球』と答えろ。俺達の知ってる地球とはまた別の惑星が、この惑星(ミッドチルダ)では『地球』と呼ばれているからな」

 

「特務の任務で知ったのか?」

 

「そんなとこ」

 

 実際は若干違うが、アルフは訂正しなかった。時空管理局の正面玄関――自動ドアをくぐる。

 ちょうど女性が駆けてきていた。オレンジ色の髪をサイドテールにした女性の髪が、駆けるたびに弾む。白を基調にした出動服は皺一つなく、青いタイトスカートから見事な脚線美が覗いている。

 年齢はフェイトたちと同じくらいの、二十前後。

 アルフがその女性に向けて、無愛想に頭を下げた。

 

「どうも」

 

「――……え? えっ!? シャ……シャスっ!?」

 

 呼び止められた女性は、一瞬なにがあったのか分からず押し黙ったあと、素っ頓狂な声を上げた。何度も上から下までアルフを観察する。落ち着いた雰囲気だが、あどけなさの残る顔だ。

 彼女――高町なのはは、円らな青紫の瞳を見開いた。

 かつての教官――アルフが十二歳時に、戦闘技術を教え導いた女性は、彼の記憶のままの姿だった。穏やかで優しい彼女は、アルフが心から苦手とした人物でもある。

 

「こ、これは……! 一体どういうことなの……?」

 

 なのはがオロオロと視線をさまよわせた。アルフからすれば、昔は頭上にあった視線。それがいまでは小柄に感じる。アルフは驚いている彼女を見下ろし、溜息を吐いた。

 無理もない。

 彼女から戦い方を教わったのは、この惑星の暦で新歴七五年二月。

 

 今から(・・・)二か月前の(・・・・・)こと(・・)なの(・・)だから(・・・)

 

「えぇ~っと。なあ、アルフ。この女性(ヒト)は?」

 

 そういう事情を一切知らないフェイトは、なぜ目の前の女性が驚いているのか、見当もつかなかった。貝のように大人しくなった男を、半眼で見やる。

 

「って言うか、お前の知り合いならちゃんと紹介しろよ」

 

「まあ、待てよ。まずは教官の疑問を解いてからだ」

 

 アルフがなのはを顎でしゃくって言う。フェイトがとりあえず頷いた。

 

「どうも、高町教官。二月(ふたつき)ぶりですね」

 

「……う、うん……」

 

 なのはの表情が改まる。凛とした面差しの彼女は、若輩ながらもキャリアウーマンのオーラを持っている。だがその声はあどけなく、似合いの高音が朱唇から零れる。

 

「それで、……なにがあったの?」

 

「次元漂流ですよ。俺は貴方が知っている『俺』から、ちょうど九年後になります」

 

「次元漂流? シャスが?」

 

 アルフが一瞬、眉を動かした。それ以上の反応は見せず、左手でフェイトを示す。

 

「おかげさまで自分も軍人になりまして。こちらはフェイト・ラインゴッド。共に次元探査をしていた民間協力者です」

 

 急に話題を振られ、勝手な奴だな、とフェイトが眉を寄せながらも、なのはに会釈した。

 

「どうも、フェイト・ラインゴッドといいます」

 

 人当たりのいいフェイトは、万人に好かれる爽やかな笑顔を自重しない。整った容姿から零れる異性の笑顔に、なのはが困ったように笑いながら、楚々と一礼した。

 

「始めまして。高町なのはです。……そっか。調査中に巻き込まれちゃったんだね」

 

「ええ」

 

 心配そうに眉をひそめる彼女に、アルフが淡泊に頷く。

 十二歳のころ、特務となるため非合法でこの惑星の世話になったアルフは、惑星ミッドチルダ(こちら)では、『時空管理局』の辺境次元担当員として活躍していることになっている。

 そして、『質量兵器』――魔力を必要としない(だれでも扱える)物理兵器――を禁じるこの場所は、『監視惑星』に分類するには、あまりに高度な技術を有した惑星だった。

 

 例えば、『時空管理局』は宇宙航行する戦闘艦を持っているし、通信・映像技術は連邦軍をも瞠目させるものがある。だが、それらは一切、連邦には流れていない情報だ。クリエイション砲やフェイズガン、この惑星で『質量兵器』に分類される物の多くが、銀河連邦に存在するためである。

 

 とはいえ、相手の持つ高度な技術は、連邦も管理局も互いに興味のある代物。その為の『監視惑星』という隠れ蓑が働いた。彼の父――エイダ・アトロシャス(クラス)の大物政治家でなければ、連邦でもこの事実を知る者はいない。その逆も然りだ。時空管理局でも上層部しか知らない情報故に、なのはは『銀河連邦』の存在自体を知らなかった。

 

(言葉さえ気をつけりゃ、早々バレることはねえ。ただし、文明の利器は使うなよ)

 

 アルフがそうフェイトに耳打ちした。役割としては、時空管理局も銀河連邦と変わらない。軍、警察、裁判所と言った世の秩序に関わるすべてを担う機関だ。違いと言えば、世界の捉え方が『惑星』ではなく『次元』であることくらいだ。

 フェイトがサッと髪をかきあげた。

 

「任せろ。僕ぁ未開惑星にいたんだよ? これくらいの環境変化、余裕余裕♪」

 

「黙れこの馬鹿」

 

 アルフの鉄拳が唸った。

 

「とぁっ!? この野郎! なにしやがる!」

 

 サイドステップですかさず(かわ)し、フェイトが抗議の声を上げた。が。すぐに視界が黒く染まる。アルフの顔面鷲掴み(アイアンクロー)が決まっていた。骨の軋む音を盛大に立てて、フェイトが片手で持ち上げられた。こめかみを潰さんばかりのアルフの指を、全力で殴りつける。

 

「この野郎っっ! 僕のプリティフェイスを潰す気かっ! 調子こいてんじゃねえぞ! この凡人がぁあっ!」

 

「言葉に気をつけろって言ったよな? ……フェイト」

 

「痛でででででっ! 離せっ! 離せぇええええっっ!」

 

 ガンガンッと手首を殴るフェイトを見下ろし、アルフはパッと手を開いて解放した。着地すらままならず、尻もちをついたフェイトが、顔をさすりながら睨んでくる。

 

「ったく! いきなりなんなんだよっ!」

 

(×未開惑星。――OK?)

 

 視線で誤りを指摘すると、フェイトがハッと目をみはった。

 大声で笑う。

 

「それで、なのはさんっ! 僕ら、元の世界に戻るにはどうしたらいいんです?」

 

 突然話題を振られ、なのはがきょとんとしながらも微笑んだ。

 

「じゃ、じゃあ……次元漂流しちゃったときの状況、詳しく教えてもらえるかな?」

 

「はいはい。あれはストリームで――」

 

 アルフの平手が、フェイトの脳天に決まった。

 

「っ()! なにすんだ、お前っ!」

 

 後頭部を押さえながら、フェイトが睨み上げる。アルフは無表情に首を振った。

 

(×ストリーム。――OK?)

 

 FD事変は、『現在』より九年後に起きる事件である。特にストリームやタイムゲートと言った、直接FD世界に関わる情報は、フェイトたちの世界でも極秘中の極秘事項だ。タイムゲートを知らないこの土地で、ストリームの話は出来ない。

 『時空管理局』と『銀河連邦』の上層部が繋がっているなら、尚のことである。

 

「あー」

 

 ポンッと手を叩くフェイトに、アルフの眉間に、早くもしわが寄った。

 

「お前、わざとじゃねえだろうな?」

 

「いや、エリクールに長くいるとどうもその辺の感覚鈍っちゃってさ。詳しく言わなきゃ大丈夫だろ? 連邦軍人(アレン)だってあんまり気にしてなかったぞ」

 

アレン(あほ)を見習うんじゃねえ」

 

 紅瞳に光が宿る。常人ならばその眼を向けられただけで(すく)み上がる、猛烈な殺気。

 だがフェイトは高笑っていた。

 

「OK、OK。わかったよ、シャス(・・・)!」

 

 鈍い打撃音。

 

「痛ぇっ!?」

 

 営業スマイルを向ける暇すら与えられず、フェイトは左頬を殴られた。あまりのアルフの本気ぶりに、フェイトがパチパチと瞬く。

 無表情な彼は、ん? と小首を傾げながら、フェイトを見据えていた。

 

「つーかお前、……なんでシャスって呼ばれてんのよ?」

 

 めげずに問うてみる。アルフは不快そうに眉間にしわを寄せて、答えなかった。

 

「あ、あの……」

 

 取り込み中の二人に、なのはが恐る恐る割り入った。

 

「シャス……、ちゃんと友達出来たんだ」

 

「……まあ」

 

 実際友達などという認識はなかったが、アルフが適当に頷く。

 なのはが安堵したように笑った。

 

「フェイト君……だよね? こんな所で話し込むのもなんだから、場所、変えよっか?」

 

「よろしいんですか、高町教官。出動予定だったのでは?」

 

 出会いがしら、なのはが血相を変えて駆けてきたので、アルフはこう訊ねた。

 なのはが微笑む。

 

「うん。強いリンカーコアの波動が感じられたから、調査してきてって頼まれたんだけど……その波動の正体、君達二人みたいなの」

 

「りんかーこあ?」

 

 首を傾げるフェイトを肘鉄で黙らせ、アルフは、そうですか、と頷いた。

 

(んだよっ! 初めて聞いたんだからしょうがないだろっ!)

 

(後で聞けよ、お前)

 

(忘れたらどうするっ!)

 

(流せば?)

 

 原始的に(ささや)き合う二人に、なのはが苦笑した。

 

「フェイト君は……ううん、フェイト君も地球出身の人?」

 

「え? あ……はい!」

 

「なら、知らないのも無理はないかな。リンカーコアって言うのはね、私達魔導師の魔力の源。大気中の魔力を体内に取り込んで蓄積したり、体内の魔力を外部に放出するのに必要な機関のことだよ」

 

「そうなんですか……!」

 

 顎に手をやりながら頷くフェイト。

 

「って、普通に訊けるじゃないか! この野郎っ!」

 

 鉄パイプがヒュンッと空を切る。神速に近い振り下ろしを白羽どったアルフが、

 

 ――お前は一つ油断すると、三つも四つも五つもボロが出るだろうが。

 

 視線で苦言を呈するが、フェイトには通じなかった。哀しい言葉の壁である。

 アルフが溜息を吐く。もういいや、と口の中でつぶやいた。

 

「とりあえず、八神隊長の所に行こっか?」

 

「そうですね」

 

 なのはに頷いて、アルフがスタスタと管理局の奥へと向かう。フェイトが、あ、待てよ! と声を上げながら追ってきた。

 

 

 

 

 時空管理局――フェイトたちの世界で言うところの銀河連邦軍――には、機動六課という部隊がある。

 物理兵器のすべてを禁じられた惑星ミッドチルダにおいて、犯罪の抑止力として使われるのは『魔法』である。時空管理局が生み出した魔法主義は徹底的で、物理兵器の使用は全面的に禁じられ、各個人が有する魔力に応じて魔導師ランクが設定されている。

 

 なかでも、フェイトたちが向かった時空管理局機動六課はエース・オブ・エースと呼ばれる最強魔導師、高町なのはを始めに、最上級(オーバーS)ランクの魔導師達が首を揃える強豪部隊だ。

 任務内容はオーパーツ(ロストロギア)の捜査と管理。

 自分達の技術をもってしても解明できない古代遺産が、心なき人間や周辺地域に影響を及ぼす前に回収するのが、主な仕事である。

 

 八神はやてという機動六課課長――自分と同い年くらいの女性にそう説明され、フェイトは、はぁ、と曖昧にうなずいた。

 部隊長オフィスは、広くも狭くもない、五人対峙してちょうどいい大きさの部屋だ。部屋の奥にはやて用の執務机と、誰が使うのか分からないミニチュア執務机が並べて置かれており、背面に大きな窓がある。フェイトは毛並みのいい絨毯を踏みながら、老人のように目を細め、うんうんと頷いた。

 

(ちょっとソフィアに感じが似てるからかな? 可愛い人だな~。はやてさん)

 

 肩にかかりそうな栗色の髪を飾っているのか、左のこめかみあたりで赤いヘアピンをバッテンにして留め、更に黄色のヘアピンを二本、平行に差している。なのはよりもあどけなさを残した彼女は、大きな青色の瞳をこちらに向けて、おっとりと笑った。

 

「それにしても、たった二か月で成人したシャスに会うなんて。さすがの私も驚いたわ」

 

 視線を向けられたアルフが、若干嫌そうに目を細めた。フェイトが腕を組んで問いかける。

 

「あの……つまり、はやてさんの言うことを要約すると、ですよ? 僕とアルフは『次元探査』中に事故に遭い、時間と場所を漂流してしまった……ってことでいいんですよね?」

 

「うん。それで間違いないと思うよ。私らが、シャスと別れたんは二か月前のことやし。その時の彼は、まだ十二歳やったもんな」

 

「背もこのくらいで、可愛かったんだよ」

 

 はやての後を継いだのは、金髪を太腿まで伸ばした、しとやかな女性だ。こちらもなのはやはやてと同じ年嵩で、凛とした静かな印象を受ける。なのは達よりも肌が白く、目鼻立ちがくっきりしていて、瞳は赤い。黒の軍服を着ており、タイトスカートから伸びる脚線美が、黒タイツで固められている。

 身長はなのはよりも頭半分ほど高く――一七七センチのフェイトにしてみれば、似た背格好の二人だった。ぴっちりと軍服の前を閉じているが、胸の豊満さは隠し切れていない。

 名前は、フェイト・(テスタロッサ)・ハラオウン。

 難しいセカンドネーム以降を聞き流したが、自分と同じファーストネームだけはばっちり覚えた。

 

「そうなんですか……」

 

 アルフの小さい頃に興味はないが、青年(フェイト)は愛想良く相槌を打った。

 なのはが微笑する。

 

「それと、さっきフェイト君が訊いてた『シャス』って呼び名の由来は、フェイト隊長の使い魔と同じ名前だったからなんだよ?」

 

「そう。――だからすごい偶然だ。シャスに続いて私と同じ、フェイトって名前の人に出会えるなんて」

 

「僕も、貴方のような綺麗な方と同じ名前で光栄です!」

 

 キランッと擬音が聞こえそうな笑みを浮かべて、青年(フェイト)がすかさず、令嬢(フェイト)の手を取った。線の細い彼だが、ハラオウン嬢はそれ以上に華奢だ。

 

「あ、うん……」

 

 突然の青年(フェイト)の行動に驚いて、彼女が目を丸くしながらうなずく。

 はやてが笑った。

 

「それじゃあ次元漂流者の方のシャスが、この時代の自分と出会わん為にも、しばらくは機動六課(ウチ)で面倒見よか!」

 

「八神隊長。俺は――」

 

「分かってるよ。アトロシャス家は遠方の大財閥やからな。ここにいるシャスのことは、私らだけの秘密や」

 

「助かります」

 

 無愛想に礼を言うアルフに、はやてが人懐こい笑みを浮かべて頷いた。視線を、青年(フェイト)に向ける。

 

「そういうわけで、よろしくな。フェイト君」

 

「はいっ! はやてさん」

 

 青年(フェイト)が間髪置かず頷いた。

 アルフが眉を寄せる。

 

「それで八神隊長。こいつは改名しなくていいんですか?」

 

「え?」

 

 問われ、はやてがアルフと青年(フェイト)を見比べた。ああ、と破顔した彼女が得心して頷く。

 

「そう言えば、フェイトちゃんが混乱せんように『シャス』って呼び名付けたんやったな……」

 

「じゃあ、フェイト君の呼び名も考えます?」

 

 なのはに問われ、はやては、う~ん、と唸りながら腕を組んだ。

 令嬢(フェイト)も顎に手をやって、中空を見据える。

 

「ラインゴッドだから……、呼ぶなら……ライ……かな?」

 

「『ライ』……なんか、新しい響きですね」

 

 令嬢(フェイト)が付けた呼び名に、青年(フェイト)が嬉しそうに胸に手を当てる。はやてが人差指を額にやって、ん~、と更に唸った。

 

「でも。やっぱりフェイト君は『フェイト君』の方がしっくりくる気がするな。民間協力者やし、無理に考えん方がええかも」

 

「それもそうだね」

 

 はやての言葉に、令嬢(フェイト)があっさりと頷く。なのはが苦笑しながら、二人に言った。

 

「それじゃ、そういうことで。これからよろしくね。フェイト君。シャス」

 

「こちらこそ、よろしくおねがいします。なのはさん、フェイトさん、はやてさん!」

 

(…………納得いかねえ)

 

 爽やかな笑みを浮かべる青年(フェイト)の隣で、アルフが首を傾げたが、彼の主張は誰に聞き止められることなく散っていった。

 

 

 

 ビーッビーッビーッビーッ!

 

 けたたましいサイレンが鳴り響き、青年(フェイト)が宛がわれたベッドから跳ね起きた。

 

「なんだなんだなんだぁっ!?」

 

 二人一部屋の部隊宿舎には、俗に連邦の狂人と恐れられている同居人が居る。

 

「……緊急警報だな。教官達の出動要請だろ、多分」

 

 眠そうな声で答えたアルフは恐れられる要素を微塵も感じさせず、もう一度目を閉じようとしている。青年(フェイト)が笑った。さわやかに。

 そしてアルフを、布団ごと蹴り飛ばしてやった。

 

「リフレクトストライフ!」

 

 直撃を食らったアルフが、布団の中で絶句する。

 

「いきなり何の真似だ?」

 

 布団から跳ね起きた彼は、青年(フェイト)の顔をガッと掴むなり、紅瞳を細めた。痛ででっ、と叫びながら青年(フェイト)が首を振る。

 

「なに言ってんだよ! 皆の一大事なんだろ!? それこそ僕らの出番じゃないかっっ!」

 

「なら一人で行ってこいよ。六課の場所は聞いたろ?」

 

「ここって、広いんだよねっ!」

 

 パチンと愛らしくウインクしながら、来いよっ! と爽やかに手招きする青年(フェイト)

 要するに、地形を覚えていないのだ。彼は。

 アルフが溜息を吐いて、パッと青年(フェイト)を解放した。

 

「つくづく面倒臭いな、お前」

 

「だって! なのはさん達の役に立つ時だろっ! がんばったら誉めてもらえるチャンスだろ! な! な!」

 

 まるで子犬のように目を輝かせる青年(フェイト)

 アルフが左手で顔を覆った。溜息を吐く。

 

「……こいつよ」

 

 のろのろと動くアルフを引っ張って、青年(フェイト)達が機動第六課の集結するヘリポートに向かったのは、それから間もなくのことだった。

 

 

 

 

 軍用ヘリのプロペラが、騒音を立てる。

 

「なのはさぁ~~んっ!」

 

 ヘリ搭乗口に集結した六課メンバーを見つけるや、青年(フェイト)は大手を振って声を張り上げた。

 

「フェイト君っ!?」

 

 なのはがふり返る。

 彼女――高町なのはは、前線部隊のエース・オブ・エースにして戦技教官だ。前線部隊の分隊長としての顔と教官としての顔を持つ。いまは自分の教え子たる四人の新人魔導師を率いていた。

 アルフは管理局式の敬礼を取り、騒音に負けない程度の声量で言った。

 

「高町教官。居候の身として、及ばずながら協力しますよ」

 

 その申し出に、なのははキョトンと瞬いたが、すぐに表情を改めると、こくりとうなずいて青年(フェイト)達をヘリに誘導した。

 

「――それで。シャスは、魔法使えるようになったの?」

 

「それなりには」

 

 機内にて。

 『管理局メンバー』として扱われているアルフは、なのはの問いにあっさりとうなずいた。正確には『魔法』ではなく『紋章術』だが、問題はない。アルフも青年(フェイト)も、紋章術ではなく、剣術で戦うのだから。

 青年(フェイト)は対峙するように座った、四人の新人魔導師達に笑いかけた。

 

「えっと。急な時に出くわしちゃったけど、僕はフェイト・ラインゴッド。よろしくね、みんな」

 

「それより。出動内容について説明お願いします、教官」

 

 機内は半ば戦場だ。挨拶を交わそうとする青年(フェイト)を押し止めて、アルフが真剣な眼差しをなのはに向けた。

 

「うん。実は、レリックらしきロストロギアが見つかってね。場所はエイリム山岳丘陵地区。対象は山岳リニアレールで移動中」

 

(レリックって何だよ?)

 

(オーパーツの一種)

 

(エイリ……なんとかって?)

 

(山)

 

(ハハッ! なるほど。分かんないや)

 

 青年(フェイト)が密かに額を叩き、笑った。

 アルフが気にせず問う。

 

「移動中ってことは、密輸ですか?」

 

「多分ね。でも、山岳リニアレールは今、内部に侵入した『ガジェット』の所為で、車輌の制御を奪われてるの。リニアレール車内のガジェットは、最低でも三十体。大型や飛行型、未確認タイプも出てるかも知れない」

 

(ここでガジェットって何? って聞いちゃダメなんだろうね……)

 

 青年(フェイト)の耳打ちに、アルフが肩をすくめた。

 

(どうせ行けばわかるだろ)

 

(ごもっとも)

 

 

「新デバイスでぶっつけ本番になっちゃったけど、練習通りで大丈夫だからね?」

 

 なのはは優しく新人隊員に話しかけた。青年(フェイト)の真向かいに座っている四人が、こくりと頷く。

 

「はい!」

 

「がんばります!」

 

 緊張した面持ちで答えたのは、十五歳くらいの二人の少女だった。

 

(こんな歳でもう働くのか?)

 

 そう思って青年(フェイト)が注目したのは、十五歳くらいの少女二人――ではなく、それよりもさらに年下の、十歳くらいの少年と少女だった。FD事変さえなければ、まだ学生身分の青年(フェイト)にとっては、カルチャーショックと言ってもいい。特に十歳くらいの――ピンク髪の大人しそうな女の子が、緊張で強張っているのが、空気を通して伝わってくる。

 初陣故の緊張――とは少し違うようだった。

 

「エリオ、キャロ! それにフリードも、しっかりですよ!」

 

 その少年と少女に、そして少女の隣に座っていたチビ竜に向かって、三十センチくらいの妖精が発破をかける。妖精の背中には羽は生えていない。

 

「はい!」

 

「はい!」

 

「クゥ~」

 

 声をかけられた二人と一匹が返事する。

 青年(フェイト)は妖精を見て、思わず目を瞠った。

 

「なぬっ!?」

 

 まじまじと妖精――銀色の長い髪の少女、リィンフォース(ツヴァイ)を見つめる。

 中空をすいすいと飛び回るリィンフォースⅡは、青年(フェイト)を見て、にこりと笑った。ティンカーベルよろしく、可愛らしい笑顔だ。彼女はこのヘリに搭乗しているメンバー達と同じ、機動六課の軍服を着ている。

 本当は『妖精』ではないのだが、青年(フェイト)の中ではこの瞬間から、リィンフォースⅡは『妖精』という認識で決定された。

 

「どうも、こんにちはっ。私はリィンフォースⅡ空曹長です。よろしくお願いしますね! フェイトさん」

 

「あ、ああ! こちらこそ!」

 

 驚きはしたものの、目の保養になるなぁ、と満足げに頷き、青年(フェイト)は視線をなのはに戻す。

 なのはは居並ぶ新人達を見つめて、力強く言った。

 

「危ない時は、私やフェイト隊長、リィンがフォローするから。おっかなびっくりじゃなくて、思いっきりやってみよ?」

 

「はいっ!」

 

 新人隊員達は、覇気のある声で答えた。リィンと言うのは、リィンフォース(ツヴァイ)の愛称だ。

 緊張した面持ちの新人の中でもやはり、ピンク髪の少女の顔色が冴えない。隣に座っていた赤い髪の少年が、心配そうに声をかけた。

 

「……キャロ、大丈夫?」

 

 びく、と少女――キャロの身体が震える。白い肌と青紫色の瞳、ピンク色の髪の可憐な雰囲気を持つ少女は、緊張の面持ちで微笑した――つもりでいた。気弱に垂れた眉が、少女の儚さを助長させる。

 

「ご、ごめんなさい……大丈夫」

 

 彼女は小さく答えた。しかしまた俯いてしまう。

 と。

 ぬっ、と。青髪の青年がキャロの前に現れた。

 

「キャッ!?」

 

 青年(フェイト)である。

 突然の出現に驚き、キャロが目を丸める。十歳の少女らしい、あどけない表情だった。

 青年(フェイト)は、ふ、と穏やかに笑んだ。先ほどまでの軽いノリではなく、相手を労わるように、穏やかに。

 

「キャロ……って言うんだね。大丈夫。うまく出来るよ」

 

 青年(フェイト)はそう言って、少女が膝の上で堅く握っている拳を、ぽん、と叩く。

 キャロがきょとんと瞬いた。

 

「あ、あの……」

 

「なんとなくだけど……。君は、自分自身に(・・・・・)怯えてるように見えたから、さ。でも、……心配しないで。たとえどんな事があったって、僕が守ってやるから。――安心して」

 

「!」

 

 キャロの円らな瞳が、大きく見開かれる。青紫色の瞳が揺れ、彼女は膝に置いた拳を、ぎゅっと握り締めた。

 何気ない、キャロ以外の人間にとっては珍しくもない励ましの言葉だ。だが青年の言葉は彼女の心を見透かすように、深い部分に染み込んで来る。

 キャロが返事も出来ずに息を飲んでいると、フェイトは優しく笑って言った。

 

「ね?」

 

 かつて大切な人(ソフィア)に元気づけられた時のように。

 キャロの危険を承知でいながら、“頼って来い”と言うように。

 

「……ぅ……!」

 

 キャロの目に、自然と涙が溢れる。それをキャロが堪えていると、青年(フェイト)は、くしゃ、と彼女の髪を撫でた。セミロングの彼女の髪が、それに合わせて小さく揺れる。

 

「キャロ。難しい事は置いとけばいい。今、君に大切なのは自分を信じること。自分を好きになるってのは、時に何よりも強いんだから」

 

 ニッと微笑った青年(フェイト)は、降下ポイントでヘリのハッチが開かれるのと同時に、立ち上がった。

 キャロ以外の新人隊員達が、不思議そうに青年(フェイト)とキャロを見る。

 そんな視線に気付かず、青年(フェイト)が腰から取り出すのは――青年(フェイト)愛用、鉄パイプ。

 

 シャキーンッ!

 

 美しい光沢を放つ鉄パイプに、こくりと頷いて、青年(フェイト)はなのはを振り仰いだ。

 

「それで、僕らどうやってリニアレールに行くんです?」

 

「フェイト君って、空戦魔導師なの?」

 

「へ?」

 

 首を傾げる青年(フェイト)に、なのはが苦笑すると、優しく微笑んだ。

 

「じゃ、リィンが合図するまでもう少し待ってて。私は今から出てくるけど、皆もがんばって、ズバッとやっつけちゃおう!」

 

 最後は新人隊員に向けての言葉だった。

 不安げに並んだ四人が、緊張の面持ちで小さく頷く。

 

「はい!」

 

「それじゃ、行ってくるね!」

 

 なのはが隊員達に頷き返すと、いとも簡単に――ヘリから飛び降りた。

 

「なっっっ、にっっ!?」

 

 青年(フェイト)が目を瞠る。

 落下する彼女を見つめ、青年(フェイト)はしかし――、周りの誰も驚いていない事に気付いた。

 

(あ、なるほど! つまりこの地帯は、重力場が働いてるのか)

 

 一人、ポンと手を打つ。彼がアルフを一瞥して、グッと親指を突き立てた。

 

「それじゃ、二番フェイト・ラインゴッド! 行ってきます!」

 

 パチンとウインクする青年(フェイト)。人の話を微妙に聞いていないのが、フェイト・ラインゴッドである。

 リィンフォースⅡが目を丸めた。

 

「あの、降下ポイントはまだ――」

 

 説明しようとする空曹長を制して、アルフは長い指を口許に当てながら、頷いた。

 

「行って来い」

 

「おうっ!」

 

 青年(フェイト)が力強く頷くと、後は振り返らずになのはと同じく空中へダイブした。

 次の瞬間。

 

「レイジングハート、セェットアーップ!」 

 

 中空でなのはが、首から提げているペンダントに向かって叫んだ。ペンダントの赤い宝石が、強く輝く。

 

 カァアアアッ!

 

 赤い宝石――『レイジングハート』が、激しく輝き、光でなのはを包む。

 そして――、光が晴れた時には、なのはは茶色の機動第六課の制服では無く、魔導師の戦闘服――飛行可能なバリアジャケットと呼ばれる白い服装に変わっていた。ペンダントだった宝石は三センチ大から十センチ大まで巨大化し、一本の白杖へと姿を変えている。

 なのはの両靴には白い光の羽根が宿り、彼女が赤い光を発しながら中空を滑空した。

 

「スターズ(ワン)、高町なのは。行きますっ!」

 

「え?」

 

 青年(フェイト)は思わず、大空の中で瞬いた。

 

「重力制御じゃない……だとぉおおおおおおっっ!?」

 

 見る間に、なのはが空中型ガジェット隊――飛行型敵機に突っ込んでいく。

 青年(フェイト)の顔色が、一瞬で蒼く変わった。

 ヘリに残ったアルフが、くく、と喉を鳴らす。

 

「期待裏切らねえな。あいつは」

 

「落ち着いてる場合じゃありませんっっ! 助けないとっ!」

 

 銀髪の妖精――リィンフォースⅡが目を白黒させて魔法陣を展開する。アルフがそれを制し、顎で青年(フェイト)をしゃくった。

 

「心配ねえって。――ほら」

 

「ソフィアぁああああああ! 僕に力をぉおおおおお!」

 

 中空で叫ぶ青年(フェイト)の身体が、白く輝き始める。

 瞬間。

 

 ばさっ!

 

 白い翼が、青年(フェイト)の背に浮かび上がった。額に輝く紋章陣が、彼の背に女神を呼び寄せる。

 

「なっ!?」

 

 リィンフォースⅡが目を瞠った。

 

 強力な魔力――それも桁違い(・・・)だ。

 

 落下する青年(フェイト)の身体が、重力に逆らって降下速度を緩める。

 そこで――、

 スッと顔をあげた青年が、山肌の線路を走るリニアレールを見据えた。

 

(あれが、なんとかってやつを積んでるリニアレールか……)

 

 と、

 彼はふと瞬いた。

 この背中の翼は、残念ながら空を飛ぶものではない。

 

(……お、おいっ! 僕はイセリアル・ブラストを、一体どこに向かって放てばいいんだっ!?)

 

 鉄パイプに溜まった紋章力。それは、バンデーン艦を消滅させる一歩手前くらいにまで膨れ上がっている。

 青年(フェイト)は大量の冷汗を感じながら、視線をさまよわせた。

 

(い、いかんっ! このままでは僕が、リニアレールを消し飛ばしてしまうっ!)

 

 

「リィンフォース曹長。敵の現在地は?」

 

「北西七〇八ですけど……どうする気ですか?」

 

 リィンの質問には答えず、アルフが中空のモニターに視線を走らせた。エイリム山岳丘陵地区全域の三次元地図。飛行型ガジェットの分布。様々な情報が、アルフの目に飛び込んでくる。

 

「この辺りに、味方はいます?」

 

 モニターを指して問うと、リィンが首を振った。

 

「いえ。まだなのはさんもフェイトさんも、このポイントには着いていません」

 

「了解」

 

 アルフが一つ頷くと、中空で巨大な力を溜めている青年(フェイト)に向かって叫んだ。風精(シルフ)で拡声して。

 

「フェイト! 右に三十度、上に五度切れっ!」

 

 

 カッと青年(フェイト)の目が見開かれる。

 瞬間。

 白く輝く青年は、右に三十度、上に五度――身を切るつもりで態勢を整えた。

 

「ぅぉおおもかじっ、いっっっぱぁあああいっっっ!」

 

 叫ぶと同時、白い翼を背負った青年(フェイト)が、飛行型ガジェット――がいるとは知らない方角を見据えて、鉄パイプに宿った紋章力を一閃した。

 額の紋章が、強く輝く。

 

「イセリアル……ブラストォオッ!」 

 

 ――……コォオッ!

 

「うぉわっ!」

 

 軍用ヘリの舵を握るパイロットでも、思わず目をつむった。それほど強烈な光が、辺り一面を白く染める。

 飛行型ガジェットが居るのは、三千メートル先の上空。

 突如現れた白い光の矢は、ガジェットが存在したと思われる空域で、わずかばかりに赤い爆発を(まと)いながら、青空を突き抜けた。

 

 

「と、ととととっ!」

 

 青年(フェイト)が叫びながら、リニアレールに無事着地する。

 

「フッ、さすがシャス! 僕の落下ポイントまでキッチリ計算したねっ!」

 

 上空に向かってグッと親指を突き立てたが、米粒ほどにしか見えないヘリ機内の相棒からはなんの反応も返ってこなかった。

 

 

 ざわっ!

 

 前線状況を見ていた機動六課司令部に緊張が走った。

 デバイス――いわゆる、『魔法の杖』の役目を果たす道具もなく放たれた、白い光の矢。

 それが、時空管理局がこれまで計測してきたエネルギーを遙かに超えているのだ。

 

「な、……何(モン)なんや……!? フェイト君……っ!」

 

 北西を哨戒していた飛行型ガジェットは全滅。

 観測官が持ってきた資料には、青年(フェイト)が放った光線は〈測定不能〉の文字が躍っていた。

 

 

 

「では。改めて任務内容を」

 

 アルフがヘリの中でリィンフォースⅡに問いかけた。

 リィンは茫然と、消滅(・・)した北西ガジェット隊を見つめている。

 

「曹長」

 

 もう一度アルフが尋ねると、リィンフォースⅡがハッと顔をあげた。

 

「は、はいですっ! 我々の任務は、二つです。ガジェットを逃走させずに全機破壊すること。そして“レリック”を安全に確保すること。ですから、スターズ分隊とライトニング分隊、二人ずつのコンビでガジェットを破壊しながら、車輌前後から中央に向かうです。レリックは此処(ここ)。七両目の重量貨物室」

 

「なら、俺はその七両目に行く。分隊(アンタら)は前後から」

 

「はいっ!」

 

 新人隊員達の返事を聞いて、アルフが颯爽と刀を手に、全開のハッチへと歩いて行った。

 

「さて、それじゃ始めようか」

 

 不吉な紅瞳を、光らせて――。



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2.破壊神☆レナスちゃんっ!!!!??

「念話?」

 

 リニアレール車内を駆けながら、青年(フェイト)は頭の中に響く『声』に向かって問い返した。

 声の主――リィンフォース(ツヴァイ)が、はいっ! と元気よく答えてくる。

 

 ――魔導師同士が互いの魔力を通じて、離れた相手に言葉を伝える魔法です。

    私はこの魔法を使って、フェイトさんに今、話しかけているんですよ!

 

「通信器なしにっ!?」

 

 レーザーを撃ってくる楕円球型機械兵――ガジェットを鉄パイプで叩き潰しながら、青年(フェイト)が目を見開いた。

 

(これで監視惑星だって!? 声紋認証も無しに手をかざすだけで空中に画像(モニター)が表れる技術なんか、FD人と変わんないんだぞ? もしかしてFD空間なんじゃないのか、ここっ! なのはさんはなのはさんで、いきなり空飛んじゃうし……! この惑星って、一体なんなのさっっ!)

 

 オロオロしながらも、敵だけはきっちり潰していく。貨物列車に溢れている機械兵――なのは達が『ガジェット』と称する連中は、装甲は堅いが戦闘力は大したことがない。監視カメラのようにのっぺりとした光沢のある楕円球状の機械兵で、カメラレンズに似た窪みからレーザーを撃ってくる。行動は単調だ。灰色のボディの脇から赤いコードがうねうねと伸び、先端の金属プラグを列車の床や壁に差しこむことで、列車の制御系機器に影響を与えている。

 なのは達の話によると、これが三十体いるとのこと。

 

「ま! いくら堅い装甲だろうが、僕の鉄パイプからは逃げられんっ!」

 

 神速の振り下ろしで、ガジェットが粉々に砕け散る。新人達には厄介なガジェットのスピードも、場数を踏んでいる青年(フェイト)の敵ではなかった。念話で話しかけてきたリィンが、息を呑むのが聞こえる。

 

 ――AMFをモノともしないなんて……っ! 凄いです! フェイトさん!

 

「AMF……? 明るく()真面目な()フェイト君()?」

 

[そりゃない]

 

「うぉっ!?」

 

 通信機からアルフの肉声が聞こえ、青年(フェイト)が驚いてビクリと身を縮めた。

 リィンが説明する。

 

 ――AMFとは、アンチ・マギリング・フィールドのことです!

    効果範囲内の魔力結合を解いて魔法を無効化する高位防御魔法で、

    このAMFが働いている所では、魔法が満足に使えなくなってしまうんです!

 

「……なるほど、魔法を阻害する魔法かぁ~。こっちもいろいろと大変なんだね」

 

[曹長。新人はモニター出来てるのか?]

 

 アルフの語調が低くなる。リィンの解答は速かった。

 

 ――はい! スターズF四両目で合流、ライトニングF十両目で交戦中です!

 ――スターズ(ワン)、ライトニング(ワン)、制空権獲得!

    ガジェット二型(フライング)、散開開始! 追撃サポートに入りますっ!

 

 リィンとの念話中に、新たな声が割り入って来た。機動六課前線部隊を後方援護する、八神はやて率いる司令部のオペーレータだ。

 青年(フェイト)が首を(ひね)った。

 

「あの、スターズとかライトニングって言われても、全然ピンとこないんですけど……」

 

[……こいつは、面白い状況だな]

 

 くく、と喉を鳴らすアルフの声。青年(フェイト)が更に首を捻った。

 

「おい、一人楽しんでないで説明しろよ!」

 

 その時だった。司令部のオペレータが、緊張した声で『念話』してくる。

 

 ――ライトニングF、八両目突入! ……エンカウント! 新型です!!

 

「だからライトニングって誰なのさっ!?」

 

[チビ二人か、ガキ二人のどっちか]

 

「分かりやすいなぁっ! もうっ!」

 

 青年(フェイト)が車内に居るガジェットをとりあえず全機破壊した後、進行方向と、逆方向側、対面する二つのドアを見比べた。

 

「で? 僕はどっちに行けばいい?」

 

 さっぱり分からないアルフの説明を流し、青年(フェイト)はともかく救援に向かう事にした。八両目――そこに敵がいる事だけは分かる。

 リィンが答えた。

 

 ――フェイトさんは今、六両目にいます! だからそのままシャスさんと合流して――

 

[アトロシャスで結構、曹長]

 

「はいはい、ツンデレ乙!」

 

 そう言って、アルフを黙らせようとした時だった。青年(フェイト)の目が見開かれたのは。

 

「……っ、っっ!」

 

 間違える筈もない、銀色の髪を、肩から太腿にかけて柔らかい三つ編みにして。

 『幼女』と言う点では、妖精のリィンフォースと同じだが、彼女とは比べ物にならないほど圧迫感(プレッシャー)を与えて来る蒼穹の甲冑と、身長の倍ほどもある巨大な槍。

 こちらを見つめる青の瞳は不機嫌そうで、可憐な幼女の眉間には、深い皺が刻まれていた。

 その、銀髪の幼女の名は――

 

「破壊神☆レナスちゃんっ!!!!??」

 

 叫ぶと同時、通信を寄越していたアルフが音信不通になった。「あっ! こらテメっ!」と叫んでコールし返したが、最早アルフには繋がらない。

 青年(フェイト)の背に、冷や汗が伝った。

 

「な、なななななな……っ! 何故に……君が、こちらにっっ!?」

 

 ガタタタタタッと震え始める身体をなだめながら、青年(フェイト)は努めて優しい声で――相手の機嫌を損ねないよう問いかける。

 銀猫の耳を持つ幼女――レナス? は、青年(フェイト)を睨んで朱唇を割った。

 

「ルシオいない。……お前、隠した」

 

「いやっ! いやいやいやいやっ! そりゃ確かに! 確かにデスヨっ!? 僕は、世界を壊さないならって約束で、ネコ少年を君に差し上げたけどもっ! あいつはロジャーの担当でっ、僕が所在をつかんでるわけじゃ……!」

 

「隠した」

 

 レナス? はそう言って、巨槍を持ち上げる。青年(フェイト)が潔く鉄パイプを構えた。

 

「くっそぉおおおおお! どうしてこうなるんだぁああああっっ!」

 

 彼の断末魔は、幼女による「その身にきざめっ! しんぎ・にーべるんヴぁれすてぃっ!」の一言で途絶えたという――。

 

 

 

「さらば、フェイト」

 

 つぶやきながら、七両目に居るアルフは、リィンからの連絡を受けて進行方向とは逆の――リニアレール八両目に進んだ。左手には、衝撃防護ケースに入った古代遺失物(オーパーツ)『レリック』が握られている。

 スーツケースの形状から、レリックが三十センチ大の物体である事は窺えた。

 軍靴を響かせて、アルフは口端を緩める。八両目の空間をほとんど埋める巨大な機械兵――『新型』とオペレータが称したガジェットがいた。アルフが破壊してきた小型と同じで、赤いケーブルが触手のようにうねりながら、列車の床や壁を這っている。

 『レリック』の入ったケースを持ってみて気付いたことが、この『ガジェット』とやらは、オーバーテクノロジーの凝集体を狙って動いているようだ。

 

(つまり、列車制御を奪ったのはこいつ等の手段の一つ。管理局員の注意を列車に分散させるためだ。この赤いコードは、本来オーパーツたる『レリック』を回収する為にあるわけか……)

 

「エリオ君っ!」

 

 少女の悲痛な声がした。アルフが視線を上げる。列車天井に、大穴が出来ていた。

 そこに、少年が一人敵機に捕まっていた。(うなじ)にかかる赤い髪はすぐ目につくような明るい赤でなく、深みのある紅に近い赤だ。直毛だが剛毛であるため、規則性の無いボサボサの髪型で、幼い故に中性的な顔立ちの彼は、眉が細く、大きな青瞳に、小振りな鼻と唇を持っている。

 大型ガジェットは、赤いケーブルを生やしただけではない。ベルトコンベアを思わせる厚手の金属片を腕のように振り回し、少年を列車の壁に叩きつける。

 

「ガッ!」

 

 叫びながら少年は、ガジェットの金属腕から逃げると、天井から列車外へと飛び出した。

 リニアレール天井――車体上に、召喚師の少女、キャロ・ル・ルシエがしがみついている。彼女がガジェットの分厚い腕を睨んで、自身が呼び出した白銀の子竜フリードリヒに命じた。

 

「フリード! ブラストフレア!」

 

「きゅ~っ!」

 

 赤い目を持つ白銀のチビ竜は愛らしく鳴くと、サイのような角の生えた口先に、5センチ程の火球を生じさせた。バサバサと懸命に翼をはためかせ、フリードリヒが火力を上げる。

 

「ぐぅ~!」

 

「ファイア!」

 

 キャロの合図と同時、フリードリヒが火球を放った。だがガジェットの野太い金属腕が、あっさりと跳ね返してくる。火球は鋭い勢いで山岳斜面の岩肌にぶつかり、派手な爆発を起こして散った。風がキャロの髪を叩きつける。その間に、キャロと同い年の赤髪の少年が、槍を手に駆けた。車外から車内へ。重力を利用して、鎮座する巨大ガジェットに槍を振り下ろす。

 

「うぉりゃぁあああああ……!」

 

 上段から振り下ろした穂先に、蒼雷が走った。斬撃の威力を増大させる――少年の魔法だ。

 が。

 

 ギィンッ!

 

「硬いっ!?」

 

 柄の長い『剣』としても使える少年の槍は、ガジェットを貫けなかった。

 斬撃を受けたガジェットはビクともせず、少年を完全に受け止める。少年――エリオ・モンディアルの青瞳が見開かれた。彼の赤髪が、緊張を表すように、ざわっ、と毛羽立つ。その間に、大型ガジェットの『目』となる黄色い三つのレンズから、白い光が放たれた。

 

 ぎゅぃぎゅぃぎゅぃ……!

 

 奇妙な音を発する光だ。

 AMF(アンチ・マギリング・フィールド)

 リィンフォースⅡが言った通り、魔力結合を解く作用のある妨害電波は、少年(エリオ)の握る槍の穂先から、雷を消した。しかもそれは、ガジェットと近接戦闘している彼の槍だけではなく、列車の車体上――ガジェットと距離を取っているキャロの魔法陣まで打ち消す。

 

「AMF!?」

 

「こんな遠くまで……!」

 

 金属腕が、エリオに向かって振り下ろされる。エリオは咄嗟に槍の柄で止め、器用に着地するや、踏ん張る。金属腕が押し込むように、重みを増した。エリオは歯を食いしばり、重みに耐える。

 ガジェットとの純粋な力比べ。

 

「く、ぅ、ぅう……っ!」

 

 少年の頬に脂汗が伝う。かちかちと槍の柄が震えた。

 アルフはそれを、しばらく観察して――。

 

「助けないのか?」

 

 天井からエリオを見下ろす少女(キャロ)に問いかけた。

 

「……!」

 

 びくりと少女が目を見開く。ガジェットの金属腕を止めながら、エリオが言った。

 

「だ、大丈夫っ! ……心配、しないで!」

 

 少年は目の前のガジェットの『目』――レーザー射出口が輝くのを認めた。瞬間。槍を大きく払って、上空に跳ねる。

 

 パシュインッ!

 

 水色のレーザーが少年の後を追うように、列車の壁と天井を穿つ。着地したエリオは、しかし三発同時に放たれるレーザーを(かわ)し切れずに、床に転がった。

 

「ぐぁっ!」

 

 それでも戦う態勢だけは崩さない。彼は肘から掌へ衝撃を移し受け身を取ると、槍を手に敢然と立ちあがった。彼の羽織る白いコートが、バサリとなびく。

 エリオは魔力強化が出来ないこの状況でも、勝負を捨てない。

 自分が(・・・)勝つために動いている。

 

「…………」

 

 アルフは不意に、フッと口端を緩めた。

 

 ビュォッ!

 

 迫るガジェットの金属腕を前に、少年が冷や汗をかきながら槍を構える。瞬間。『狂人』と呼ばれる男は、刀を一閃した。

 

 ――ィンッッ!

 

 神速で走る刃は芸術。振り抜く動作すら目に映らぬ姿は圧巻。

 剣先から生じる三日月状の衝撃波【弧月閃】は高さ三メートルにも達し、いともあっさりとガジェットの金属腕を――その先のガジェット本体(・・)までもを切り裂いた。文字通り、真っ二つに。

 だが。

 

〈ピピ、ピッ!〉

 

 ガジェットの『目』が明滅する。(タコ)のようにしなる金属腕は既に制御を失ったが、でたらめに走った腕が、少年――エリオ・モンディアルに直撃し、彼を列車外へと放り出した。

 

「エリオ君っ!?」

 

 キャロが悲鳴を上げる。

 アルフは左手に紋章陣を浮かべ――

 

「…………」

 

 列車外で座り込んでいる少女――キャロ・ル・ルシエを一瞥して、その手を下ろした。浮かんだ紋章陣が消え、車内に暗闇が戻る。

 キャロの瞳に、力が籠った。

 

「エリオくぅううううんっっ!」

 

 涙混じりに叫んだ少女は、落下する少年を追って、列車から飛び降りた。

 

 

 

「ら、ライトニング(フォー)! 飛び降り!? あの二人! あんな高々度でのリカバリーなんて……!」

 

 モニタリングしていた機動六課の司令部に緊張が走る。

 

「いや、あれでええ」

 

 その皆の緊張を解いたのが、機動六課課長、八神はやてだった。落ち着いた彼女の声に、オペレータが思わず振り返る。

 

「え……? ……あっ、そうかっ!」

 

「そう。発生源から離れれば、AMFも弱くなる! 使えるよ、フルパフォーマンスの魔法が!」

 

 モニターに向かって身を乗り出すはやてに、オペレータは頷いた。

 

 

 

(……護りたい……! 優しい人を……!)

 

 リニアレールは崖沿いを走っている。キャロの目の前で、エリオが谷底に向かって落ちていく。新人部隊揃いのデザインの、白いコートをなびかせて。

 

(私に笑いかけてくれる人達を……! 自分の力で、)

 

 キャロが唇を噛みしめた。懸命に手を伸ばす。少年――エリオに向かって。

 

「護りたいっ!」

 

 言い放った少女が、ついにエリオの手を取った。

 

〈Drive Ignition!〉

 

 キャロのグローブに嵌ったピンク色の宝玉が、輝く。光は球体となって広がると、エリオとキャロを包んで重力から二人を解放した。落下速度が緩まる。心配そうに、主の下に飛んできたチビ竜を一瞥して、キャロは微笑んだ。

 

「フリード……不自由な想いさせててゴメン。私、ちゃんと制御するから。……だから、行くよっ!」

 

 キッと前を見据えた少女は、濃紺のグローブに嵌った宝玉をピンク色に輝かせ、両手を交差させて印を作る。『魔力場』でしかなかった光球の中に、キャロの足を中心に魔法陣が描かれた。魔法陣は円を描き、その中で正方形の陣がくるくると回転する。

 

「蒼穹を走る白き閃光! 我が翼と成り、天を駆けよ! 来よ、我が竜フリードリヒ! 竜魂召喚っ!」

 

 足下の魔法陣に向かって、キャロがグローブを当てる。瞬間。手の平サイズのチビ竜が、体長十メートルを超える成竜へと変化した。

 

 ばさっ!

 

 雄大に広げられた翼が、幼い少年と少女を乗せて雄々しく羽ばたく。

 成竜の口には(くつわ)がはめられ、キャロが手綱を引けるように、赤い紐が少女の手元に伸びた。

 

 

「召喚成功! フリードの意識レベル、ブルー! 完全制御状態です!!」

 

 後方支援を担当する、はやて率いる司令部に歓声が上がった。興奮気味のオペレータに頷いて、はやての副官を務める青年、グリフィス・ロウランは感嘆の息を零す。戦闘には従軍していない彼でも、この竜の力強さ、雄々しさは視覚を通じて伝わってくる。

 

「これが……」

 

 華奢な白皙に浮かんだ眼鏡をかけ直すと、はやてが満足そうに頷いた。

 

「そう。キャロの竜召喚。その力の一端や」

 

「あれが……、チビ竜の本当の姿……!」

 

 オペレータ達の声に喜びが混じる。モニターに浮かぶ竜は、危なげなく空を飛び、完全にキャロの思いのまま翼をはためかせた。

 

 

「……なるほど。あれが、あの娘の召喚術(ちから)か……」

 

 成竜となった白銀の竜(フリードリヒ)と、術師キャロを見やりながら、アルフが頷いた。

 リィンフォース(ツヴァイ)の声が脳裡に響く。

 

 ――車両内、および上空のガジェット反応、全て消滅。

    車両のコントロールも、取り戻したですよ! 今止めま~すっ!

 

 言っている間に、リニアレールが止まった。

 アルフはそこで溜息を吐くと、フェイトがいる六両目へと向かった。

 

 

 

 壮絶、とはこの時の為にあるのだと思われる。

 

「ほげふぅうっっ!!!!?」

 

 もう何度目になるかも分からない、瀕死からの復活。

 青年(フェイト)は失血でぼんやりする頭を振りながら、苦笑混じりに幼い破壊神を睨み上げた。

 

「だ・か・ら……知らねえっつってんだろうがぁああああ! レナスちゃんっ! いや、ホントにっ!」

 

「嘘。この間、私をだました」

 

「い、いやっあれはっ! あれはですねねっ、言葉のあやってやつでしてねっ!? 僕ぁホントにアホネコがいないと思っただけなんですよっ!?」

 

「だました」

 

 レナス? はつぶやくと、巨槍を構える。青年(フェイト)は身構えると同時、歯を食いしばった。

 

「っしゃ、来いやぁああああ!」

 

「フェイトさんっ!」

 

「――ん?」

 

 その時だ。

 前両車輌への扉が開き、リニアレールの一両目から後方車両に向かって進軍していたスターズ分隊――新人の少女二人が現れたのは。

 彼女達は青年(フェイト)の傷に見るなり目を瞠った。年齢は十五歳と十六歳。片方はナックル主体の近接戦闘を得意とする格闘少女、もう片方は遠距離射撃を得意とする二丁拳銃の少女だ。

 青年(フェイト)は肩越しに二人を見やると、小さく舌打ちした。ここでレナス? にニーベルン・ヴァレスティを繰り出されるのはまずい。非常にまずい。

 

「ほら! レナスちゃんっ! 他の人も来たからこの辺で――」

 

「ルシオ出せ。――にーべるん・ヴぁれすてぃ!」

 

 無垢なまでにあっさりと、亜人の幼女は巨槍を振り下ろす。その威力はたった一撃で、青年(フェイト)とかつての仲間達を例外なく全滅させたほどだ。攻撃範囲も広大。こんなリニアレールなど、余裕ですっぽりと覆える。

 

「洒落になってねぇええええええっっ!」

 

 青年(フェイト)は鋭くスターズ分隊の少女達を見やると、紋章力を高めた。瞳孔が収縮する。鉄パイプが鮮やかに輝いた。

 

 ぱぁああああ……っ!

 

 発せられる壮絶な破壊(ディストラクション)の光。

 瞬間。

 

「イセリアル・ブラストっ!」

 

 無拍子で、彼は紋章術を放った。北西を哨戒していた飛行型ガジェットを消滅させた、超火力の光線技である。それが光の槍となった巨槍とぶつかり合う。

 正面から、真っ向で。

 

 ――ァアア……ッッ!

 

 空間が悲鳴を上げるように風を巻く。第六両に駆け込んできた少女達は、あまりの熱と気と突風に頭を庇った。思わず息を呑む。

 と。

 

「ふ、ぎ、ぎぎぎ、ぎ……っ! つぇぃやぁああああ……!」

 

 光の中で、フェイトの悲鳴。

 ニーベルン・ヴァレスティの光の方が、わずかにイセリアル・ブラストを上回っている。

 

「シャァアアアアスッ! どこ行った! アトロシャァアアアアスッ!!!?」

 

 叫びながら、紋章力を更に高めていく。限界の――限界まで。

 ちなみに苦し紛れに求めた救援は、一向に来る気配を見せなかった。

 

「……生意気」

 

 つい、とレナスが気を高める。

 瞬間。

 

 ドォッ!

 

 ニーベルン・ヴァレスティの光が三倍に膨れ上がった。

 

「破壊神めぇええええ……!」

 

 叫びながら、青年(フェイト)は己の内にある破壊の力(ディストラクション)を全開放する。

 

 ばさっ!

 

 彼の背に光の翼が広がり、額に浮かんだ丸い紋章陣が白く輝き始めた。

 青年(フェイト)の全身が輝く。その燐光は確かな力の塊と成り、女神を象る。

 と。

 青年(フェイト)の背に浮かんだ女神は、すぅ、と両手を構えるなり、たわめた掌から白い紋章陣を浮かべた。

 瞳孔が完全に収縮した青年(フェイト)が、カッと目を見開く。

 

「これに耐えられるなら、耐えてみろっっ!」

 

 背に浮かんだ女神の紋章陣と青年(フェイト)の額の紋章陣が重なった瞬間。

 イセリアル・ブラストの光が増幅した。

 

 ォオ……!

 

 すべての視界が、白く染まる。

 青年(フェイト)破壊の力(ディストラクション)が、レナス? のニーベルン・ヴァレスティを完全に相殺した瞬間だ。

 

「ぃょっしゃぁああ……っっ!」

 

 全生命力を鉄パイプに奪われたような心境で、青年(フェイト)はどさりと倒れる。一方のレナス? は、不服そうに眉間にしわを寄せた。

 

「にーべるん……」

 

「イケませぇえええんっっ! メッ!」

 

 もう一発ニーベルン・ヴァレスティを放とうとする破壊神を、青年(フェイト)は全身全霊で止めた。腰に手を据えるなり、半ば睨むようにレナス? に、迫る。

 

「めっ……?」

 

 レナス? が不思議そうに首を傾げた。青年(フェイト)はにべもなく頷く。力強くうんうんと二回。この際、身体の悲鳴は無視である。

 レナス? が不服そうに唇を尖らせたが――、思い直したのか、小さく頷いた。

 

「なら、次会う時までにルシオ見つけて。でないと、お前消す」

 

「け、けけけ、消すっ!? ……こ、コココココッ、この子ッ、僕を殺す気ですよっ!!!? アホネコーっ! どこ行きやがった! アホネコォオオオ! つぅかシャスっ! 援護はどぉしたぁあああ!」

 

 片手をメガホン状にして、興奮した鶏のように吠えながら、青年(フェイト)が手足をばたつかせる。その間にレナス? は満足そうに頷いて、巨槍を手にいずこかへと消えていった。

 

「えっと……」

 

 スターズ分隊の少女が、要を得ずに首を傾げる。深い藍色の髪をショートカットにした、近接戦闘用のグローブをはめた少女である。素早い身のこなしを得意とする彼女は、気を引き締めるように、太腿まで流れる白いはちまきを後頭部でリボン結びにしていた。瞳の色は、フェイトと同じ翡翠色。

 スバルと言う名の少女は、青年(フェイト)に駆け寄るなり声をかけた。

 

「フェイトさん……! しっかりして下さいっ! フェイトさんってば……!」

 

 外見を裏切らない、はつらつとした声だ。

 しかし錯乱した青年(フェイト)は、現場にアルフが到着するまで落ち着く事はなかったと言う――。

 

「アホネコォオオオっ! 帰ってこぉおおおいっっ! アホネコォオオッッ! 人類の為にィイイいいいいっっ!!!!」



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3.水面下での混乱。

「ジェイル・スカリエッティ……広域次元犯罪者、ね」

 

 アルフは端末から顔を上げ、紅瞳をわずかに細めた。

 

 ジェイル・スカリエッティ。

 

 先日、山岳リニアレールで『レリック』なるオーパーツを回収したとき交戦した機械兵を、分解して出てきたネームプレートだ。銘があった場所は機械兵の中枢回路近く。解体した人間が真っ先にチェックする所だった。

 

(挑発か。このスカリエッティとやら、嗜好はともかく相当な技術者だ)

 

 あの時、AMF(アンチ・マギリング・フィールド)が働いているあの場所で、何故新人隊員や自分達と、ヘリの中にいるリィンフォースⅡ、果ては司令部にいるはやて達が連絡を取れたのか。

 ずっとその疑問を解く為に、アルフは情報を解析していたのだが――。

 

「なるほど、いいね。いい(ツラ)構えだ」

 

 つぶやいて、彼は端末の画面に映した広域次元犯罪者――ジェイル・スカリエッティを見つめた。年齢は二十代後半から三十代前半。肩まである紫色の髪を、軽くウェーブで流した男だ。瞳は琥珀色で、見る者によっては『金色』と称すかも知れない。理知的で整った顔立ちだが、口元と目を見ればすぐに分かった。

 これ(・・)は欲望に忠実で、己の目的の為には手段を選ばない男。

 それ故に行動は常に慎重で、相手に尻尾を見せない。自己防衛本能に長けている。

 多くの重犯罪者を相手にしてきたアルフにとっては、胸が高鳴る展開だった。彼が手にしている端末は、見た目は旧いが、銀河連邦最新艦に搭載されているマイクロコンピュータと同程度のもの。そこに小型解析機(クォッドスキャナー)を連結させて、先日の山岳リニアレールで得た情報を分析しているのである。

 小型解析機(スキャナー)は、あらゆるタイプの調査活動を可能にする万能携帯分析機だ。これが感知した様々な情報を基に小型端末で解析し、資料として保存する。連邦軍の『特務』として単独任務の多いアルフだからこそ、常に携帯している捜査セットである。

 ジェイル・スカリエッティの情報は、たった今、管理局のデータバンクにアクセスして得た。

 

「――薄情者」

 

 ぼそりと隣から低い声が聞こえ、アルフがモニターから顔を上げた。端末と小型解析器(スキャナー)をしまいながら、視線を左に向ける。

 

「ん? 急にどうした? フェイト」

 

 問うと、隣で機嫌よく新人達の模擬戦を見ていたフェイトが、ふるふると首を振った。先ほどから無視し続けていたからか。どこか反応をもらって満足そうな表情(カオ)だ。青年(フェイト)(おもむろ)にアルフを振り返ると、朱唇を割った。

 

「僕ぁね、アルフ。仲間内で『見捨てる』って行為だけはやっちゃいけないと思うんだ。人としてさ。だって破壊神☆レナスちゃんだよ? あの全てを一瞬で葬り去る破壊神☆レナスちゃんなんだよっ!? 僕ぁ、よくあの場で生き残れたと今でも思ってる……。そんな相手だったんですよっ!?」

 

「……そのことか。確かに、あれは破壊神と関わりたく無かったってのもあるが……」

 

「『あるが』なんだよっ!? 僕が納得できる理由だったら述べてみろっ! ズバっと審議しよう!」

 

 キリッと眉を引き締めて、青年(フェイト)が立ち上がった。アルフは茫洋とした眼差しをなのは達のいる訓練場に向ける。海の上に浮かぶ人工島だ。

 

「気付かないのか? AMF(アンチ・マギリング・フィールド)。リィンフォースⅡ曹長の話じゃ、あれは魔力結合を解く力だろ?」

 

「おぅよっ! 僕にはサッパリだったけどねっ!」

 

「お前には物理法則を崩壊させる力、『ディストラクション』があるからな。AMF自体が消滅したんだろう。普通の紋章術を使ってたら新人達(アイツら)みたく、妨害されたはずだぜ。現に、弧月閃の気の通りは悪かった」

 

「試したのか?」

 

「論より証拠だからな。――で。AMFが働いてるなら、あの場でこんな風にモニター出来たのはおかしいだろ?」

 

「なんで?」

 

 訓練場を映し出す中空モニターを顎でしゃくるアルフに、青年(フェイト)が首を傾げた。

 アルフが溜息を吐く。

 

「ここの技術は基本的に『魔法』で、モニター技術も魔法科学の応用だ。なのに、魔力結合を阻害するAMF内で、新人達を曹長はモニタリング出来たってことはつまり、映像妨害を奴等(ガジェット)はやらなかったんだ」

 

「元々そんな機能が無かった、とかじゃないのか?」

 

「違う。映像系魔法と攻撃系魔法は確かに、小型解析器(スキャナー)によれば若干違う波長を持つ魔力系統だ。だが『特定の波長のみ』を認可するってのは、全波長を遮断するより技術的に難しい」

 

「そうなのか~」

 

 へぇ、とつぶやきながら、(うなづ)青年(フェイト)を見て、アルフは理論立てて説明するのを止めた。

 

「要するに、アレ(ガジェット)を放った奴の狙いはこっちのデータ収集ってこと。敵もリニアレールで起きたことを全てモニターしていた。空中ガジェットと戦り合った高町教官達は元より、新人やお前の戦闘データについてもな。あの機械兵――ガジェットが大した戦闘力を持ってないくせに、選択波長遮断なんて洒落た技術を組み込まれていたのはその所為だ」

 

「なぬっ!?」

 

「で。俺まであの時、幼女破壊神と戦ったらそれこそ余計な情報を敵に与えるだろ? 加減なんぞして破壊神と殺り合った日には命がねぇしな。だから、お前を見捨てることにした」

 

「…………若干言い訳に聞こえなくもないが、なるほど」

 

 青年(フェイト)が両腕を組んで頷いた。そしてアルフの端末を見やり、首を傾げる。

 

「なら、お前がさっきから端末で調べてたのは――」

 

「ガジェットを放った奴の情報収集と解析、それからレリックについてだな」

 

「……まさか、出来る子だったのか……! シャス!」

 

 パチパチと瞬いて、青年(フェイト)が意外そうにアルフを見る。

 アルフは突っ込むのをやめ、肩をすくめた。

 

「長居する気はねえって言ったろ? それに、六課が扱ってんのがオーパーツだってんなら」

 

「僕等が帰るきっかけになるかも知れない、だな?」

 

「そういうこと」

 

 アルフがようやく笑んだ。口端をつり上げるだけの薄笑い。

 わざわざ――口に出しては言わないが、ガジェットを通してデータ収集した人物をアルフは警戒せねばならない立場にある。それこそ、管理局より神経質に。

 何故なら、収集されたデータの中には青年(フェイト)破壊の力(ディストラクション)が含まれている。敵が単純に興味を惹かれただけなら問題ないが、ここはアルフ達にとって九年前の世界。

 青年(フェイト)以外の人間に破壊の力(ディストラクション)が植えつけられる事だけは避けねばならない。

 

(特に、この惑星(ミッドチルダ)連邦(アトロシャス)と繋がりがある。ラインゴッド博士の研究がどの程度連邦上層部に拡がってたのかは、俺にも分からねえからな。慎重になり過ぎるってことは無い)

 

 アルフは端末を軍服のポケットにしまうと、颯爽と立ちあがった。青年(フェイト)が不思議そうに見上げて来る。

 

「ところで――文明の利器使ってるけど大丈夫なのか?」

 

 先日のリニアレールと言えば、リィンフォースⅡやはやて達の目もあったはずだ。その中でガジェットの分解やら小型解析器(クォッドスキャナー)による調査をすれば、出自を問われかねない。

 そう問う青年(フェイト)に、アルフが、に、と嗤った。

 

「お前は知らねえだろうが、この小型解析器(クォッドスキャナー)は結構万能でな。AMFの感知さえ出来れば、スキャナー自身から任意の波長を出すことも可能なんだ。――だから」

 

「はやてさん達によるモニターを阻止した、ってことか」

 

「そ。それにあの時、司令部は召喚師の新人(チビ)が気になって、俺どころじゃなかったろうしな」

 

 くく、と喉を鳴らすと、アルフは青年(フェイト)から踵を返した。

 

「じゃ。俺は適当に街に出てくる」

 

「へ?」

 

「後は頼んだぜ」

 

 ひらひらと手を振って、あとは振り返りもしない。いつものマイペースぶりに、青年(フェイト)は数秒、訓練場とアルフを交互に見やった。それから、行ってらっしゃ~い、とアルフに手を振り返す。こちら(フェイト)はなのは達の許可が無ければ動かない。律儀な性格である。

 アルフは気ままに機動六課の隊舎に向かう。

 目的地は、時空管理局地上本部。このミッドチルダで、首都に指定されている『クラナガン』という土地にある施設だ。機動六課から離れた位置にあるので、車がいる。六課課長のはやてに相談するつもりだった。

 課長室の扉をノックすると、「は~い」とはやての声が聞こえてきた。

 

「アルフ・アトロシャスです。よろしいですか?」

 

 扉越しに問うと、ごそごそという物音の後に、どうぞ、と返って来た。課長室に入ると、相変わらず狭くも広くも無い部屋の執務机に、部屋主のはやてが座っている。栗色の髪はセミショートで、左の横髪を赤いヘアピンでバッテンにして留め、更に黄色のヘアピンを二本、平行に差している。なのはよりもあどけなさを残した彼女は、大きな青色の瞳をこちらに向けて、おっとりと笑った。

 隣にあるミニチュアの執務机は空だ。リィンフォースⅡは不在のようである。

 アルフは堅くはないが、失礼にならない程度のキレのある敬礼をした。

 

「お忙しいところ失礼します。八神隊長」

 

「いらっしゃい。……どうかした?」

 

 微笑みながら問うはやての前には、先日のリニアレールの捜査資料が広がっている。まとまった報告書はまだ上がっていないはずだが、はやてが独自に調査解析をしている可能性はあった。その性格的に。

 アルフの視線に気付いたはやてが、小さく苦笑する。

 

「どうも、この件は私も思う所があってな」

 

 あははは~、と下手な作り笑いをしながら、はやてはがさがさと資料を片づける。寝不足のようだがアルフは言及する事も無く、自らの要件を述べた。

 

「八神隊長。街に出たいのですが、許可をいただけますか?」

 

「それはええけど、何か用事でも?」

 

 大きな目を不思議そうに瞬くはやてに、アルフが肩をすくめた。

 

連邦(この)服は目立ちます。辺境次元に合わせただけあってこちらで世話になるには、いささか違和感があるでしょう」

 

 無論、街に行きたい理由は別にある。だが、連邦服を脱ぎたいのは本当だ。特にアルフは、連邦でも二百名のみの特務(エリート)服を着ている。見る者が見れば、余計な警戒を招くものだ。

 はやては、なるほど、と頷いた。

 

「そしたら、私と一緒に行こか。ちょうど私も、ナカジマ三佐に用事があったんよ」

 

「ナカジマ三佐?」

 

 首を傾げながら、アルフは課長室を出て、地下駐車場に向かうはやてに続く。頭四つ分下にある小柄なはやては、ああ、と手を打ちながら、見上げて来た。

 

「そう言えばシャスは面識無いんやったな。――ほら、なのはちゃんが教えてる新人の中に、スバル・ナカジマって女の子がおるやろ? ショートカットで頭に白いはちまき巻いた――その子のお父さんなんよ」

 

 はやてが実際に自分の額にはちまきを巻くような動作をしながら、楽しそうに話す。アルフは頷いた。

 

「昨日のリニアレールがらみですか」

 

「うん。あれは密輸の可能性が高いから、レリックが流れて来たルートを割り出す為に手伝ってもらおう思てな。ナカジマ三佐は私の研修時代の恩師でもあるし、信頼出来る。捜査がうまく行ったら、その分フェイトちゃんの負担も減るやろ」

 

 へへ、と人懐こい笑みを浮かべる彼女は、相変わらず他人(ヒト)を思いやることに余念のない人物だ。これがはやてだけでなく、執務官のフェイトやなのはもそうだと言うのだから、面倒臭い。

 

「…………」

 

 アルフは溜息を吐いた。自分と親しい方のフェイトくらいの薄情さが、彼には丁度良い。肩をすくめるアルフを見て、はやてが、ふふ、と笑った。

 

「どうしました?」

 

 問うと、はやてが駐車場へと続くエレベータに乗りながら答えた。

 

「だって。ほんま変わってないなと思て。シャスはほんま体がおっきくなっただけや」

 

 クスクスと声を立てる。白い指を口許に当てて、嬉しそうに。

 アルフは長い息を吐くと、はやての頬に、す、と手を当てた。癖の無い彼女の栗毛が、さらりと零れる。触れてみるとより一層、彼女の顔が小さいことに気付いた。

 

「え……?」

 

 アルフの手を見やって、はやてが不思議そうに見上げて来る。その無垢な眼差しは、恐れや警戒を微塵も抱いていない。エレベータという密室空間で、アルフは、つ、と細く長い指ではやての頬を伝い、唇に触れた。

 

「……!」

 

 はやてがようやくビクリと体を震わせる。緊張した面持ちの彼女に、アルフは嫣然と微笑んだ。

 

「多少、女の扱いは慣れましたよ」

 

 静かにつぶやく。茫洋とした紅瞳に狂気は無い。が、悪人らしくにやりと嗤う彼の顔は作り物のように綺麗で、整った朱唇に妙な色気があった。

 

「あ、あの……っ! あの……っ!」

 

 はわわっと言葉にならない声を立てて、はやては唇を震わせる。見る間に頬が赤く染まった。ふるふると小動物のように震えながら、彼女は胸元にやった手を握り締める。

 その様を、三秒くらい見やって。

 アルフはスッと手を下ろした。何事も無かったかのように涼しげに。

 

「あ、……れ……?」

 

 胸元で堅く手を握っていたはやてが、茫然とアルフを見る。彼女の表情(カオ)は緊張したままだ。アルフはエレベータが開くのを悠々と待ちながら、脈絡も無く彼女の頭を、ぽんぽんと叩いた。

 

「!」

 

 驚いて、はやては瞬きながらアルフを見上げる。彼はエレベータの扉を見据えたまま、言った。

 

「隊長。これから色んな人間に会うんですから、今のくらい笑って(かわ)してください」

 

 そう言い残して、地下駐車場に歩いて行く。

 その背を、はやては茫然と見送って――

 

「わ、悪い子や……。シャスが悪い子になってるぅっ……!」

 

 顔を真っ赤にしながら、はやてが涙目に言った。心臓が忙しく動いて、鼓動が耳を打つ。顔が熱い。安心したような、少し寂しいような変な気分だ。ふわふわして落ち着かない。

 はやては今まで、可憐な外見に反して異性への免疫が極端に無かった。緊張したまま、エレベータから動けなくなった彼女を振り返って、アルフは長々と溜息を吐く。

 

「今の、もし俺が刺客で刃物を持っていたら、隊長の首から上は飛んでますよ。周りに味方(ヒト)がいない時くらいは、せめて警戒を」

 

 言いながらエレベータに戻って、はやての手を引く。途中、扉が閉まりそうになり、空いた手で止めた。

 

「ぅぅ……、」

 

 はやてが俯いたまま答えない。耳まで真っ赤にした彼女は、ぐるぐると目を回していた。アルフが離れる。ゆでだこ状態のはやてを見下ろし、頭を掻いた。

 

(……大丈夫か、これ?)

 

 世の中、他人の感情を利用する者は五萬といる。異性関係は特に狙われやすい。はやてのように若くして『課長』などの高役職に就いている者は尚更だ。中には昔馴染みを利用して騙す事もあると言うのに――。

 

(やめた)

 

 アルフはそこで思考を打ち切った。面倒になったからだ。それに、はやてならその内覚えるだろうと思った。彼女は無条件に人を受け入れる無謀な人間だが、馬鹿では無い。一度くらいその純粋さで痛い目を見るかも知れないが、そこから学習するだろう。

 それが、アルフから見た八神はやての印象だ。

 ちなみに――なのはのように人を疑う事自体知らない人間については、最早考えない事にしている。

 

「はやてちゃ~~んっ!」

 

 と。

 明るい声を上げて、リィンフォースⅡが文字通り飛んで来た。はやては、はぅ、とつぶやきながら両手で頬を叩くと、にっこりと――少し無理して笑った。

 

「リ、リィン……! 待っててくれたんか~」

 

「?」

 

 嬉しそうに飛んできたリィンフォースⅡが、はやての作り笑いに首を傾げる。ついと高度を上げた彼女ははやての肩に留まると、何かあったのか問いかけようして、アルフに遮られた。彼は駐車場を見やってリィンフォースⅡに問う。

 

「曹長。車はどれです?」

 

「こっちですよ。もしかして、今日はシャスさんも一緒に行くんですか?」

 

「一応ね」

 

 言いながらアルフは、はやてから車の(キー)を借りるなり、リィンフォースⅡと共にジープに似た無骨な軍用車に乗り込んでいく。その背をいくらか冷めた頭で見やって、はやてが溜息を吐きながらつぶやいた。

 

「つ、次は負けへんもんっ……!」

 

 ギュっと拳を握って、はやてがこくりと力強く(うなづ)いた。

 

 

 

 

 首都、クラナガン。

 魔法文明が栄えるミッドチルダは、映像・通信技術面で銀河連邦をはるかに上回っている。だが都市部の建造物や交通手段は地球二十一世紀前半の文明レベルだった。

 即ち、転送装置(トランスポート)が存在しない。

 軍用車を転がして三十分ほど。機動六課からクラナガンまでの道程は、往復で一時間かかった。

 オープンカーの軍用車はフロントガラスで風の直撃を防ぐものの、ドアサイドから風が吹き込んでくる。はやては髪が飛ばないよう左手で留めながら、ちらりとアルフを横目見た。

 

 ――次は負けへんもんっ!

 

 個人的に凛々しく言い放ったセリフだ。

 

「…………」

 

 車内は静かなモノだ。音楽プレイヤーはあるが再生しておらず、エンジンとタイヤ、風の音ばかりが場を満たしている。はやては膝の上に置いた拳を見下ろす。なんとなく、そわそわした。こう言う時、何を話せれば良いのか分からない。

 

 ――多少、女の扱いには慣れましたよ。

 

「はうっ!?」

 

 咄嗟に顔を上げた。ぼんやりしていると脳裡に浮かんでくる、間近に迫ったアルフの唇と、嫣然と微笑う彼の顔。

 はやては両手で顔を覆った。頬が熱い。

 

(あ、あかんよ私! 今度はシャスから、私が一本取らなあかんねもん!)

 

 首を横に振る。相手はあくまで、刺客(スパイ)に狙われた時の対処法を伝授したのだ。キャリア組として心構えは教科書で習ったが、彼女には実践出来るほどの交戦経験は無い。つまり、これは貴重な体験だ。

 

(そう! これはあくまで、私が管理局の一員として成長する為の試練や! シャスみたいにちょちょいと軽く流さんと!)

 

 はやてが意を固めて拳を握った。

 

「着きましたよ」

 

 ふとアルフが車を止めた。目的地に着いたのだ。顔を上げたはやてが、ああ、と思い出したように頷く。

 一方のアルフは見えないように安堵の息を吐いていた。正直、骨董物の旧型車など運転した事がない。幸いだったのは、特殊車両に比べれば操作が簡単だったこと。「(ドライブ)」にギアを入れれば車が勝手に進む親切設計。

 

(詰まらねえ所で、バレるわけにもいかねぇしな……)

 

 アルフは胸中でつぶやいて、視線を上げる。はやての目的地――陸士108部隊隊舎は、学校か一昔前の市役所のような建物だった。ベージュ色のコンクリートで、四角く横長い。玄関は建物中央、そこから左右等間隔に、縦長の窓が三列に並んでいる。三階建のようだ。

 はやてが、肩に留ったリィンフォースⅡと共に助手席から降りると、パンパンっと両手で頬を叩いて、人懐こい笑みを浮かべた。

 

「ありがとう。シャスも陸士部隊に挨拶してく?」

 

「いえ。先に服を調達して来ますよ。――それじゃ」

 

「うん」

 

 はやてが頷いてから、アルフはアクセルを踏んだ。ジープ似のこの車には、きちんとナビゲーションがついており、同行者がいなくとも目的地に着ける。問題は、ミッドチルダで使用する通貨を持っていない事だが、表向き時空管理局に所属しているアルフは、日常生活(ここ)で感じる不自由の一切を、他人に見せない。

 彼ははやてにすら、事情の一切を話さなかった。代わりに、まったく嘘がつけないフェイトへの対策として、青年(フェイト)が辺境次元の人間であり、こちらの知識を有していない事を伝えていた。

 ――その言い訳が、どこまで保つのか知らないが。

 

フェイト(あいつ)の服も揃えた方がいいか)

 

 予想の斜め上を行く青年を思い浮かべて、溜息を吐く。同時に、資金繰りの算段を付ける。

 取り出したのは、緊急時でも凡庸性に優れる貴金属――ダイヤモンド。

 以前、工房(ファクトリー)で生成した錬金物だ。それを手に、彼はグラナガンの街並みに消えて行った。

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 連邦軍の上下服を早々に脱ぎ捨て、何の飾り気もない黒い高級スーツに着替えたアルフは、時空管理局地上本部ロビーに来ていた。光沢のある緑の床が三十畳近く広がり、三階まで吹き抜けになった高い天井から、白いシャンデリアを吊るしている。右手には見栄えのいいL字型の大きな階段。左手には外から昇降が見えるガラス張りのエレベータが三台。首を上に巡らせると、深緑の手すりと小まめな清掃によって透明に保たれた二階、三階の転落防止柵が、ぐるりとロビーを囲っていた。

 受付嬢を務める黒いロングヘアの女性に歩み寄ると、彼女は丁寧なお辞儀の後、微笑んだ。

 

「ようこそ、時空管理局地上本部へ。この度はどのようなご用件ですか?」

 

 鈴の鳴るような声だった。アルフは内ポケットからIDカードを取りだすと、女性に向けてかざした。

 

「こちら――時空管理局の責任者レジアス・ゲイズ中将と、本日1710に面会予定のアルフ・アトロシャスです。夜の面会までに、一度施設内を見学したいのですが、許可証を頂けますか?」

 

 茫洋とした瞳で、アルフが無表情に告げる。受付嬢は少々お待ち下さい、とアルフに一声かけてから、手際よくパソコンのキーボードに指を走らせた。

 パソコンモニタにスケジュールが映し出される。

 管理局地上本部、最高責任者レジアス・ゲイズ中将。

 今日の日程は、新型兵器開発の条約締結に向けて、ミッドチルダ西部のお歴々と会談だ。それが終わるのが1630。その後に、外部の人間との面会予定が――、一件該当した。

 

(1730から本部会議なのに?)

 

 ゲイズ中将のスケジュールを彼女は不思議に思いながらクリックすると、面会者欄に『アルフ・アトロシャス』とあった。青年が言った通り、1710の日程予定で。

 受付嬢は引き出しから紙を取りだすと、必要事項を書き込んでアルフを見上げた。

 

「アトロシャス様、こちらにサインを。……許可証です。出来るだけ見える位置に付けるよう、お願いします」

 

「どうも。ああ、それと。一応ゲイズ中将にご一報下さい。待っている、と」

 

「畏まりました」

 

 笑顔の彼女に頷いて、アルフはプラスチックカードケースに入った許可証を受け取った。背面――プラスチックケース上部にクリップが付いている。それを胸ポケットに差すと、彼はロビーの中でも目を惹く、ガラス張りのエレベータに向かった。

 

 

 ××××

 

 

 陸士108部隊隊舎の隊長室に通されたはやては、108部隊を取り仕切るゲンヤ・ナカジマ三佐と向き合うように、赤いソファに腰かけた。

 はやては育ちの良さを感じさせる上品な所作で足を揃え、膝の上に白い手を重ねる。そんな彼女とは対称的に、スバルの実父であるゲンヤは自然体だ。長身で恰幅のある彼は、どっしりとソファに腰を沈めて足を広げ、両肘を腿に乗せた。

 

「新部隊、なかなか調子良いみたいじゃねえか」

 

 五十過ぎのベテラン軍人は、にやりと笑って言った。灰色の髪を短く刈った、温和そうな男だ。顔には豊齢線が刻まれており、声の渋みと口調が相なって、人付き合いの良い近所のおじさん、と言うのが妙にしっくり来る人物である。眉は太く、目は小さめだが円らで、瞳の色は黒。

 彼は地上部隊の茶と焦茶色の制服(ジャケット)の下に、浅黄色のネクタイを締めている。制服(ジャケット)に付けた階級章は、もちろん三佐を示す星一つだ。

 

「そうですねぇ。今のところは」

 

 人懐こい笑みを浮かべるはやてに、ゲンヤはまるで娘でも見るように穏やかに笑って、肩をすくめた。

 

「しかし、今日はどうした? 古巣の様子を見にわざわざ来るほど、暇な身でもねえだろうに」

 

「愛弟子から師匠への、ちょっとしたお願いです」

 

 お願い? とゲンヤが眉をつり上げると、テーブルに置かれた湯飲みに口をつける。

 はやてが深刻な顔になって頷いた。

 

「お願いしたいんは、密輸物のルート捜査なんです」

 

 はやては空中にモニタを展開する。モニタに映し出したのは、今、機動六課が総出で捜索しているロストロギア、レリック。

 機動六課は、先日のリニアレールで初めて現物回収に成功した。今はメカニックデザイナーと、単独捜査権を持つ執務官(フェイト)を基軸に解析を始めている。

 ほこほこと湯気を立てる湯呑みを片手に、ゲンヤは右手に浮かんだモニタを見据えて、目を細めた。

 

「お前んトコで扱ってる、オーパーツ(ロストロギア)か」

 

「それが通る可能性のあるルートが、いくつかあるんです。詳しくはリィンがデータを持って来てますので、後でお渡ししますが」

 

 表情を窺ってくるはやては、事件に駆ける想いからか、モニタの傍らに突っ立って説明する。

 ゲンヤが、くい、と自分が持つには小さめの湯呑みを仰いだ。

 

「まあ、陸士108部隊(ウチ)の捜査部を使ってもらうのは構わねえし、密輸捜査はウチの本業っちゃ本業だ。頼まれねえことはねえんだが……」

 

 そこで言葉を切り、ゲンヤは微妙な面持ちではやてを見返す。

 

「お願いします」

 

「……八神よ。他の機動部隊や本局捜査部じゃなくて、わざわざウチに来るのは、何か理由があるのか?」

 

 はやては即答しなかった。ただ、表情を改めて答える。

 

「密輸ルートの捜査自体は彼らにも依頼しているんですが、地上のことは、やっぱり地上が一番よく知ってますから」

 

 はやてがにこりと笑うのを、ゲンヤは無表情に見つめている。何かを隠しているようにも、何も隠していないようにも取れる表情の変化――いや、表情ともつかない微妙な雰囲気の境界に、ゲンヤが鼻を鳴らして、溜息を吐いた。

 

「……ま、筋は通ってるな」

 

 それ以上は深く関わらない。分からないからだ。彼は湯呑みに口を付けた。茶を一口すすり、湯呑みを置いて足を組む。

 

「いいだろう。引き受けた」

 

「ありがとうございます!」

 

「捜査主任はカルタスで、ギンガはその副官だ。知った顔だし、ギンガならお前も使いやすいだろう」

 

「はい」

 

 はやてが満面に笑みを浮かべ、ゲンヤの向かいのソファに腰掛ける。

 

「ところで八神、お前に見てもらいてえ映像が有る」

 

「何ですか?」

 

 ゲンヤの語気が落ちたのを感じながら、はやては慎重に問いかけた。ゲンヤは明言する代わりに、右手方向にモニタを出現させる。晴れた青空の下、クリーム色の四角い建物――陸士108部隊隊舎に良く似た軍事施設が映し出されていた。

 はやてはキョトンと瞬いて、首を傾げる。

 

「これはお隣の、陸士107部隊隊舎ですよね?」

 

「そうだ。ここから始まる」

 

「一体……何が?」

 

 ゲンヤの重苦しい語調から、はやての表情も曇る。映し出されたモニタの中の基地。それが突如、紅い光に包まれ、呑みこまれて行った。音声を切っている為、はやての耳に直接爆音が届く事は無いが、巨大な質量が暴発した様子は、107部隊隊舎をまるで破裂させたようにも見えた。

 

「爆発!?」

 

 はやては目を瞠る。107部隊の隊舎中枢を担う中央区画が、文字通り吹っ飛んだのだ。身を乗り出すはやてを見て、ゲンヤは深刻面持ちで顎に手をやった。

 

「107部隊は、数日前までロストロギアを管理していた場所でな……。映像は監視カメラのビデオモニターだ」

 

「ロストロギア!? ――暴走したんですか?」

 

 ゲンヤを振り返って問うはやてに、ベテラン軍人は頭を振った。

 

「それなら、まだ良かったんだがな……」

 

 ゲンヤは顎でモニタをしゃくった。爆発で黒煙と共に生じた紅い炎に向けて、デバイスを構え、魔法を掃射する管理局の陸戦魔導師達。ここに至ってはやてはようやく、炎の中に人影があることに気付いた。

 

「――まさか!?」

 

 驚きのあまり、言葉はそこで途切れた。

 次々と放たれる魔法。幾筋もの線を描く光の矢を、人影は嘲うかのように躱し、107部隊員を片っ端から返り討ちにしていく。炎の中に引き込まれ、絶叫を上げながら朽ちて行く隊員の断末魔を見ながら、はやては拳を握りしめた。

 次の瞬間、カメラはジャミングを受けたように不鮮明になっていき砂嵐の画面になる。

 

(映像まで――!?)

 

 

 冷たいモノが背中を這うような『嫌な予感』を覚えながら、はやては目を凝らした。

 映像が切れる一瞬前、黒髪の――絶世の美青年が、炎を受けて怪しく煌めく不揃いな金と銀の瞳をこちらに向けて、――笑ったように見えた。

 

「……今のは……!」

 

 顔を上げるはやてに、ゲンヤは重苦しい表情のまま頷いた。

 

「107部隊は、この時をもって壊滅状態だ。管理局始まって以来の大惨事。部隊本部を強襲され、反撃に出た隊員達のほとんどを殺され、挙句の果てにオーパーツ(ロストロギア)まで奪われた。――ソレも、たった一人の相手に」

 

「確か――107部隊で管理してたオーパーツ(ロストロギア)は、ジュエルシード……!」

 

 息を呑むはやてを見据えて、ゲンヤが長い溜息を吐いた。

 

「やはり、まだお前の耳には届いていなかったか」

 

「どういうことですか? ――まさか、中将が」

 

 情報規制を?

 と視線で問うはやてに、ゲンヤは肩をすくめるだけで答えない。

 

「さあな。……だが、管理局始まって以来の大惨事であることは間違いない。上はコレをもみ消すつもりなんだろう」

 

「せやけど、相手を捕まえなかったら……!」

 

 拳を握りしめ、言い放つはやてに、ゲンヤは困ったように笑って、頭を掻いた。

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 時空管理局、地上本部1712。

 赤い夕暮れが、一面ガラス張りになった執務室に差し込む。首都クラナガンで最も高層なビルである管理局の、最上階から三つ下の階に居を構えている男。

 レジアス・ゲイズ。

 事実上、管理局地上本部の頂点(トップ)に立つ防衛長官だ。

 平均体重の倍近くある彼は、一見すると肥えた男である。しかし、自分にも他人にも厳しい性格故か、体の半分は筋肉だった。藍の将校服の下に軍人らしい巨大な胸板を形成している。

 レジアスは四角い顔の男だった。武骨な白い顔に浮かぶ鼻や口は大きめだが、目だけが小さく、切れ長というより吊っている。六十近いゲンヤとそう変わらない年齢だが、白髪一本無い彼は、豊かな茶褐色の髪を短く刈っている。モミアゲから繋がる豊かな髭も頭髪と同じで、まるで剪定された生垣の如く直線的に、レジアスの頭を形成していた。

 今年で五十四歳になるレジアスは今、身に覚えの無いスケジュールに震えていた。四十年間軍人をして来たが、こんな事態は初めてだ。今日は新型兵器開発の条約締結に向けて、ミッドチルダ西部での会談を終え、それから本部会議をすれば終日だったのである。

 なのに――。

 

「1710に……確かに、アトロシャスの名義で面会が入っています……!」

 

 顔色を失っているのは、秘書官であるオーリスも同じだった。いつもは怜悧で迫力のある美人秘書官(オーリス)も、この時ばかりは切れ長の双眸を動揺で揺らしていた。

 大仰な両開きの木製の扉を開けて、入って来たのは銀髪の青年だ。夕日が映り込むとますます暗く見える、黒のスーツを着た来訪者。

 その顔に、レジアスは見覚えがあった。

 

「どうも。初め(・・)まして(・・・)、ゲイズ中将」

 

 彼が良く通る低い声で言う。二か月前、レジアスを始めとした管理局の上層部でしか知らない、青年の顔。

 アルフ・アトロシャス。

 レジアスが目を見開いた。

 

「これは一体……! アトロシャス家のご子息は、まだ十二歳だったはずでは……!」

 

「驚かれるのも無理はありません。私は――貴方が知っているアルフ・アトロシャスから、ちょうど九年後の人間になります」

 

「九年……後……、ですと?」

 

 合点がいかず瞬くレジアスに、アルフは自分が時空漂流をしたこと、今は機動六課に世話になっている経緯を簡潔に話した。

 もちろん、フェイトのことは『民間協力者』とだけ告げて。

 レジアスが困惑しながらも頷くと、白いスラックスを穿()いた太ももに拳を置いた。

 

「では。しばらくの間、このミッドチルダに留まられるのですな?」

 

「ええ。――その上で、中将にお願いあるんです」

 

「なんでしょう?」

 

 表情を緊張させるレジアスを、アルフが無言で見やって――口端をつり上げた。

 

「簡単なことです。私と民間協力者、フェイト・ラインゴッドに関する報告すべてを、これから破棄させて戴く。それを黙認して頂きたいんですよ」

 

「!」

 

「無論。こちらがヘマをするようなら、切ってくれて構いません。所詮私は九年後の存在。この時代の人間でない以上、どこにも存在し得ませんから」

 

 アルフの言葉を聞いて、レジアスは顎に手をやった。小さくつった黒い目を、アルフに向ける。

 

「……ならば何故、書類の破棄を?」

 

 慎重に問うと、アルフは、レジアスの対面にあるソファで高々と足を組み、答えた。

 

「簡単な話ですよ。連邦も、管理局と同じで一枚岩と言うわけではない。今回、私が次元漂流したことは、完全に連邦では想定外の事故でしてね。この惑星ミッドチルダの監査役――エイダ・アトロシャスの力を弱める原因ともなりかねない。

 そうすれば管理局を始め、惑星ミッドチルダの住人はエイダ・アトロシャス以外の連邦勢力に目を付けられることになります。私としても、そのような事態は避けたい。

 そのために私たちがこの世界に来た――という痕跡を残しておきたくはないのですよ」

 

「……なるほど」

 

 要するに、義父の保身のためだ。

 それでも銀河連邦内部に大々的な配置換えが、起こらないに越したことはない。この惑星ミッドチルダは、銀河連邦にとってみれば『監視惑星』。

 質量兵器を持たないミッドチルダが、まともに戦って勝てるような相手ではないのだ。

 ――せめて、決戦兵器(アインへリアル)が完成するまでは。

 レジアスは机に視線を落とした。

 アルフの提案は、事態をややこしくしないためにも必要なことのように思われた。さらに、うまくすればアルフに力添えしたことを、彼は養父(ちち)に報告するかもしれない。

 そうすれば書類一つ黙認するだけで、アトロシャス家との関係を強化できる。――そしてアルフが言うように、もしこの書類破棄が発覚しても相手は管理局員では無いのだ。対応はいくらでも出来る。

 

「…………」

 

 レジアスはしばらくの沈黙の後、顔を上げた。アルフの要求自体は難しくない。ただ、捜査書類の破棄を『肯定する』など、口が裂けても言えない立場の彼は、黙ってアルフに手を差し伸べた。

 白手袋に嵌まったレジアスの右手を握り返し、アルフが言った。

 

「感謝します、中将」

 

 アルフの要件は本当にそれだけだったようで、中将との握手を終えると、あっさりと執務室から出て行った。

 レジアスは深い溜息と共に椅子に腰かける。アトロシャス――引いては、銀河連邦という組織の巨大さを知っているだけに、妙な緊張感だった。

 と。

 天井まで届く巨大な書棚の影から、一人の男が現れた。

 

「……くく、流石に対応が早ぇじゃねえか。アルフ」

 

 閉じた扉を見やりながら、男は口端をつり上げる。三十半ばの精悍な男だった。レジアスは忍び笑う男を一瞥し、あからさまに眉間にしわを寄せる。

 

「貴様。アトロシャスが来ることを知っていたのか! ラグナ!」

 

 荒々しく執務机を叩く。常人なら竦み上がる恫喝だが、ラグナと呼ばれた男は柳のように流した。臙脂の髪が規則性なくウェーブを描き、長めに垂れた前髪と相なって、レジアスとは対称的に野暮ったい印象を受ける男だ。ただし、男の目は切れ長で鋭く、暗い蒼瞳には、常人に無い凄みがある。

 顔立ちは凛々しく整っているのに無頓着だからか、男の顎には無精髭が散っており、黒いスーツに黒いシャツ、白ネクタイと言う、極道か何かと間違えそうな服装をしていた。

 男は口端をつり上げる。優しさなど微塵もない、冷たい笑みだ。

 

「まさか。『問わねば答えぬアルスィ・オーブ』。説明は以前した筈ですよ、中将?」

 

 くく、と喉を鳴らして、男――ラグナ・ハートレットは右手の人差指にはめた指輪を掲げた。指輪にはサファイヤよりも深い蒼の宝石が付いており、彼の言葉に反応するようにわずかに明滅する。

 神秘の精霊石、アルスィ・オーブ。

 とある未開惑星『グローランド』で伝説とまで言われる鍛冶師が作り上げた最高傑作の魔術具で、この石があれば無限の魔力と知識が与えられると言われている。

 ただし、このラグナが持っている精霊石は、アルスィ・オーブの模造品だ。持ち手が直接、石に質問を投げかけなければ何も答えない――本物の知識量だけを再現した紛い物。それでも、問えばどんな内容でも答える知識の宝珠は、求める者が後を絶たない貴重品である。

 そんな希少価値の高い精霊石(アイテム)の話を聞いても、科学と自分の中にある常識以外を信じる気の無いレジアスは、鼻を鳴らすだけだった。

 

「――それで。陸士107部隊を強襲した男のことは分かっているのか?」

 

 虚言を許さないレジアスの視線を受けて、ラグナは困ったように、大袈裟に肩をすくめた。

 

「やれやれ。こちらのことは信用されていないようなのに、ずいぶんとこちらの情報は(・・・)信頼して下さっているんですね」

 

 レジアスの眉が、ぴくりと震える。ラグナが大仰にため息を吐き、声の調子(トーン)を上げた。

 

「まあ、貸しを作っておくのも悪くないでしょう。あの男は――そうですねぇ……。数ある世界の中から現れた、もう一つの存在。俺達とはまた別の世界からやって来た存在だ。人となんら変わらない姿をしているが、人では到底ありえない存在」

 

 レジアスは要を得ず、眉間のしわを深くする。ラグナは気にせず、まるで演者のように大仰に、謡った。

 

「かの者の名は、ゲヴェル。ある目的の為に作られた生命体です」

 

「ある『目的』だと?」

 

「ええ。その目的とは――、貴方々が創ったあの男(・・・)と同じですよ。ただ戦う為だけに生み出され、ただ殺戮する為だけに生き、ただ屍を増やす為だけに進化していく殺人人形。強さの程は……107部隊を見れば、ある程度察し頂けるのでは?」

 

 皮肉な笑みを浮かべるラグナに、レジアスは露骨な不快感を顔に乗せた。この男(ラグナ)の情報の正確性については、レジアスも認めていたからだ。フン、と鼻を鳴らしてレジアスは執務机に肘をつく。その中将に、ラグナはもう一つ、警告した。

 

「それと。頭の痛いことばかりで考えたくないのは分かりますが、アルフ・アトロシャスを軽視するのは辞めておいた方がよろしいですよ。中将」

 

 ラグナがそう言って、アルフが去った扉を一瞥する。

 レジアスの眉間のしわが、露骨に深くなった。

 

「アトロシャス家の数合わせを、これ以上どう尊重しろと? 奴の要求は呑んだ。他に注意を払うことなど無い」

 

 ラグナは失笑する。視線を左に流すと、秘書官のオーリスが緊張した面持ちでラグナを見据えていた。三十前後の秘書官は、切れ長で琥珀色の双眸をした知的な女性だ。ライトブラウンの美しい髪をショートにして、理知的な鋭い顔立ちに相応しい、横長の縁なし眼鏡をかけている。父、レジアス・ゲイズとはまったく似ても似つかない繊細な美貌の持ち主で、彼女は気の強い性格を誇張するように、目立つ赤の口紅(ルージュ)を引いていた。

 階級は三佐。現場部隊とは一線を画す彼女は、父親と同じ青の制服を着用している。

 ラグナは年近い彼女に愛想笑いを振ると、ミッドチルダの技術たる声紋認証無しのモニタと操作パネルを展開した。

 

「中将。先程、ご自分に覚えのないスケジュールを見て、戸惑われたのでは?」

 

 レジアスの表情に警戒で曇る。だが、ミッドチルダ(ここ)はレジアスの畑だ。連邦が真っ向から事を構えて来たのならともかく、管理局の防備システムにレジアスは絶対の自信がある。

 

「だから、なんだと言うのだ?」

 

 問うと、ラグナはにこりと笑って、発生させた操作パネルを素早く叩いた。二秒きっかり。それで入力を終え、彼はモニタにレジアスのスケジュールを映し出す。

 

「なっ!?」

 

 レジアスとオーリスは目を瞠った。この後控えている本部会議のスケジュールが、公式予定から消えていたのだ。

 

「そんな、馬鹿な……!」

 

 呟きながら、オーリスはパネルを発現させて、システムチェックに入る。コンピュータのデータベースに特別な異常は検知されない。それなのに、レジアスのスケジュールが書き換えられている。

 ラグナはオーリスが検閲しているその前で、もう一度、アルフが(・・・・)やって(・・・)みせた(・・・)データ改ざんを行った。問えば(・・・)誰が何をやったのかさえ完全再現する宝珠――アルスィ・オーブの能力(ちから)で。

 消えた筈の本部会議スケジュールが、再び公式予定に書き込まれる。オーリスがいくら綿密に調べても、データベースにはやはり介入の痕跡はなかった。ラグナは言葉通り、自由にレジアスのスケジュールを『編集』している。

 

「……!」

 

 息を呑むゲイズ親子を見やって、ラグナ・ハートネットは口端をつり上げた。空中に浮かべたモニタを掻き消し、ポケットに手を突っ込む。

 

「お分かり頂けましたか? 銀河連邦軍なんて表向き綺麗な組織を語っちゃいますが――その実、最上級のハッカーなんですよ。特務(スペシャル)ってのは!」

 

 にやりと嗤うこの男は、銀河連邦政府からA級犯罪人として指名手配されているテロリスト。

 連邦軍の特殊隊員を、何人も殺害して来た――連邦史上最悪の(・・・)犯罪者だった。



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4.『鉄パイプの騎士、フェイト・ラインゴッド』が相手になろう!

 機動六課の訓練場は、主に二つのエリアに分かれている。

 一つは市街地戦闘を想定した廃棄都市での演習。もう一つは、魔導師の基礎戦闘術を高めるための森での特訓だ。

 

 アルフが首都(クラナガン)にいる間、フェイトは新人四人の個別訓練の様子をモニター越しに眺めていた。四人はポジションごとに内容が異なり、接近戦・撹乱戦・中距離指揮・遠距離後方支援と得意とする魔法杖(デバイス)の戦闘特性を重視している。

 特に近接戦闘に特化した拳型の魔法杖(デバイス)を持つ新人、スバル・ナカジマの訓練内容はフェイトの興味をひいていた。

 

「オラッ! 行っくぞぉおおお!」

 

 どう見ても小学生くらいにしか見えない女の子が、見た目を裏切るぞんざいな言葉遣いで叫んだ。手にしているのは細長い(ハンマー)だ。柄が長く、ハンマー部が小さいためほとんど鉄杖に見える。

 

「マッハキャリバー!」

〈Protection〉

 

 スバルの()に緊張が走った。拳だけでなく、彼女の魔法杖(デバイス)は両足にもある。ローラーブレード型のAI搭載型魔法杖(デバイス)、マッハキャリバーがスバルの意思に合わせて足の甲にある空色の宝石を明滅させ、機械音声で答えた。

 スバルの拳に空色のバリアが展開する。

 

 ギィイイ……ン、、っっ!

 

 女の子(ヴィータ)のハンマーを止めたのは一瞬。地面を掻いてスバルが顔を歪めながら踏ん張る。彼女の額にしめたはちまきが衝撃の強さを物語るようにたなびく。だが五秒と経たぬ間に後方へ弾き飛ばされていた。小さなハンマーの威力は凄まじく、スバルの痩身が容易に宙を舞う。ドッと鈍い音を立てて背中から木に激突し、スバルは涙目になってヴィータを見上げた。

 

「いったたぁ~」

 

 言いながら、拳の先――デバイスのマッハキャリバーと一緒に作った魔法壁(バリア)を見る。

 スバルの拳先から盾状に広がった空色の魔法壁は、蓮の花に似た陣を描く。この円陣の密度によって魔法壁(バリア)の硬度が変わるのだ。惑星ミッドチルダの魔術体系の一つで、『ベルカ式』と呼ばれる近接戦闘に特化した防御魔法である。

 ヴィータは自分の攻撃を受け切ったスバルを満足そうに見やり、ハンマーの柄で肩を叩いた。

 

「なるほど。やっぱバリアーの強度自体はそんなに悪くねえな」

 

「ア、ハハ。ありがとうございます」

 

 頭を掻きながら、スバルが乾いた笑みを浮かべた。強かに背を打ちつけたが、大した怪我は無い。体捌きもある程度心得ているようだ。

 ヴィータは小学生にしか見えない女の子であるが、これでも高町なのは率いるスターズ分隊の副隊長を務める猛者である。彼女が腕を組んだ。

 

「私やお前のポジション。フロントアタッカーはな。敵陣に単身で斬り込んだり、最前線で防衛ラインを守ったりが主な仕事なんだ。防御スキルと生存能力が高いほど、攻撃時間を長く取れるし、後方支援(サポート)陣にも頼らねえで済む――って、これはなのはに教わったな?」

 

「はいっ! ヴィータ副隊長」

 

 スバルの素直な返事を受けてヴィータは満足げにうなずいた。右手に赤い魔法壁(バリア)を張る。スバルとは色違いの、蓮の花が掌大になった魔法壁(バリア)だ。

 

「受け止めるバリア系」

 

 魔法壁はは球状に広げる事も可能な広域防御魔法で、スバルの魔法壁(バリア)よりヴィータの魔法壁は更にギザギザの密度が高い円形魔法陣になっていた。スバルがごくりと固唾を呑む。何気なく張った魔法壁(バリア)ひとつ取っても、副隊長の実力はスバルを遙かに上回るのだ。

 ヴィータは左手を掲げると、次に円形魔法陣の中に三角の魔法陣がクルクルと回るベルカ式防御魔法――魔法盾(シールド)を発生させた。

 

「弾いて()らすシールド系」

 

 これは魔法壁(バリア)系魔法に比べれば、広域防御はできない魔法であるものの、硬度が魔法壁(バリア)よりも数段高い。一点集中型の『盾』の防御魔法だ。

 スバルが小さくうなずくのを待って、ヴィータは両手に浮かべた異なる魔法陣をそれぞれ打ち消した。そして全身に巡らせた魔力を、均等に発散させる。すると陽炎のようにヴィータの全身から、赤い煙のような魔力が湧き上がった。

 

「身に纏って自分を守るフィールド系」

 

 フィールド系魔法は常時魔導師が纏っている、言わば『耐久力』に由来する魔法だ。実戦時に必ず纏う魔導師の戦闘服(バリアジャケット)の強度が、この魔法で決まる。

 ヴィータは目を伏せてフィールド系魔法を解くと、全身から湧き上がる煙に似た魔力光が消えた。

 

「この三種を使いこなしつつ、ぽんぽんフッ飛ばされねえように下半身の踏ん張りとマッハキャリバーの使いこなしを身につけろ」

 

「がんばりますっ!」

〈I learn.〉

 

 スバルとスバルの魔法の杖(デバイス)・マッハキャリバーが返事する。ヴィータはにやりと底意地の悪い笑みを浮かべたあと、握り締めた鈍色のハンマー――デバイスのグラーフアイゼンをくるりと回して柄頭を正面に構えた。

 

「防御ごと潰す打撃は私の専門分野だからな。グラーフアイゼンにぶっ叩かれたく無かったら、しっかり守れよ」

 

「はいっ!」

 

 スバルは拳を握り、左手に嵌めた籠手に右手を添えた。

 訓練を始めて数刻が過ぎたころ。汗みどろになってヴィータの攻撃をひたすら受け続けるスバルは全身泥だらけだった。また弾き飛ばされ、地面にはいつくばったが肩で息をしながら立ち上がり、左の黒籠手(マッハキャリバー)をかまえる。

 スバルの青いショートヘアから、汗がしたたるほどの練習量だった。

 ヴィータがにやりと笑って、グラーフアイゼンをふりかぶる。

 ――そのとき。

 

「ちょっと待て、スバル」

 

「へ?」

 

 不意に後ろから声をかけられ、スバルが翡翠の瞳を丸めながら振り返った。癖の無い青髪の青年。彼は薄い胸をたたいてずずいと前に出てきた。

 

「――フェイトさん?」

 

 彼の趣旨が読めず、首を傾げるスバルを除けて、青年(フェイト)がずずいとヴィータのまえで止まる。ヴィータが目を細めた。眉間に寄ったしわを隠そうともせず、尋ねてくる。

 

「あ? なんのつもりだ、テメエ」

 

 ヴィータが鉄槌(グラーフアイゼン)の柄で、肩を叩く。小柄な副隊長の前で、青年(フェイト)は気さくに頭を掻いた。

 

「いやあ。僕もちょっと身体を動かそうかな、って思ってさ」

 

 言いながらウキウキと両腕を振り回す彼に、ヴィータは押し黙った。深刻に顔を歪める。

 彼女の脳裏を過ったのは、昨夜のはやての一言だった。

 

 

 ――どうも、Sランク以上みたいなんよ。

 

 先日のリニアレールで〈測定不能〉なエネルギーを放出した青年(フェイト)は、現在、機動六課で物議を醸している。

 管理局地上本部に登録されている魔導師は、全員Sランク未満だ。

 これはミッドチルダで活動するにあたって一部隊における魔導師ランクの総計規模が規制されており、この規定をクリアする為になのはやヴィータと言ったSランク以上の実力者が、魔力を封印している為である。

 その封印が解けるのは、管理局でも直属の上司たるはやてだけ。本来ならば機動六課最高のSSランク魔導師であるはやても、規定に従って4ランクダウンのAランクにまで力を制限している。彼女の封印が解けるのは「本局」と呼ばれる次元航行部隊――要は宇宙艦隊の提督二名と、この惑星ミッドチルダで絶大な権力をもつ『聖協会』の長を加えた三名である。彼等は機動六課の後見人でもあり、はやて達が活動する惑星内部隊――通称『地上本部』――の上層部と、意見が対立する立場にあった。

 故に、はやては思い悩む。

 

機動六課(ウチ)は後見人からして地上本部に嫌われる部隊や。本局(うみ)地上本部(りく)の溝になるような事は極力避けたい所やけど……」

 

「でも。測定不能な魔力なんて今まで計測された事がありませんから、出来れば上に報告すべきですよね。やっぱり……」

 

 メカニック兼オペレータのシャリオが、深刻な面持ちで皆を窺っていた。なのは達も押し黙る。

 一同の沈黙を受けたはやては、一つ頷いた。

 

「とりあえず。フェイト君についてちょっとシャスに相談してみるわ。報告の件は私に任せて」

 

「八神隊長……」

 

 なのはが心配そうな眼差しを向ける。が。はやては笑顔で答えると、部隊長と後方部隊(ロングアーチ)による臨時会議を解散した。

 

 

「ほぉ。身体を動かす、なぁ……」

 

 昨日の会議を思い出しながら、ヴィータは相棒の鉄槌を肩に担ぎ、口元に笑みを浮かべる。半眼でジロリと、下から順に青年(フェイト)を観察するように見ると、青年(フェイト)がなにを勘違いしたのか、「フフン」と鼻で笑って、大仰に薄い胸を叩いた。

 

「なに。君の武器が、僕のハートに火を付けたんだよ。同じ打撃系武器として、『鉄パイプの騎士、フェイト・ラインゴッド』が相手になろう!」

 

 張り切って言い放つや、青年(フェイト)が自慢の鉄パイプを掲げる。陽光を浴びて、鉄パイプはキラリと輝いた。興奮しきった青年(フェイト)の様子に何となく気後れしながら、スバルは思わず右手を伸ばしていた。

 

「あの……やめておいた方がいいですよ、フェイトさん。民間人のスポーツ感覚で行くと、やられちゃい――」

 

「ほぉ~? スバルのやられっぷりを見て喧嘩を売って来るってことは、相当腕に自信があるようだな」

 

 スバルの忠告を途中で遮り、ヴィータがにやりと笑う。目だけは笑っていない、冷静な眼差しで。

 

「おまけにリニアレールの一件もある。私も、お前の実力を把握しておくにはちょうどいいかもしれねえな。ま、なのははお前を『民間人だ』ってことで扱うみたいだが」

 

 長年の相棒(ハンマー型デバイス)――アイゼンを静かに構えた。

 

「何であれ、一緒に戦う仲間の実力を測っておく事は悪い事じゃあねぇ」

 

 真剣味を増して言うヴィータに、スバルが思わずゴクリと唾を飲みこんだ。しかし、その視線を向けられている当の青年(フェイト)は――

 

「ヴィータちゃん! そんなチビっこいのに、僕の知ってるどのチビッ子よりも聡明だ! まさか、十九歳(ソフィア)以上!? いや、もしや三十八(クリフ)――ぬぁああああ!!!?」

 

 気にする点が人と違う青年(フェイト)は、頭を抱えて動揺していた。一方、『チビッ子』と思いもかけぬ言葉をもらったヴィータの頬が、ぴくりと震える。

 スバルはそっと一歩、後ずさったが、『鉄槌の騎士』として知られる副隊長の冷たい怒気は、空気を通してピリピリと伝わってきた。

 両腕を組んだ青年(フェイト)が、首を傾げてぶつぶつと言う。

 

「いや、でも確実にクリフは超えてるな。しょうがないか。あいつはロジャーと同レベルだからな」

 

 怒気を向けられている張本人であるというのに、青年(フェイト)はこの調子だ。顎に手をやって眉根を寄せている呑気な青年に、スバルは肝が冷える想いで頭を抱える。

 ピシッ、と空気が張り詰める音がした。

 

「アタシを子供扱いしてると、どういう目に遭うか……教えてやろうか?」

 

 最終通告と言わんばかりのヴィータの低い声。これに対し、青年(フェイト)は居住まいを正して、年下の小さな女の子にきちんと一礼した。

 

「これは失礼しました。ヴィータちゃんは今時の女の子なんだな。つまり、背伸びをしたいお年頃なんだろ?」

 

 この青年は空気と言うモノを読むのが苦手なのだ。何故か? この青年にとって、空気は読むモンじゃない、吸うモノだからだ。

 青年(フェイト)の言葉を聞いて、ヴィータが押さえていた怒りが膨れ上がった。

 

「面白ぇ。本気でぶっ殺してやろうぜ、アイゼン」

 

 口元に笑みすら浮かべるヴィータにアイゼンが輝いて応える。相棒もやる気満々である。

 

「すっごい()る気な顔してる!? フェイトさん、謝ったほうが……」

 

 スバルが額に手を当てながら、怯えつつも青年(フェイト)に早く――早く謝れと必死に訴えかける。

 しかし。青年(フェイト)は空気どころか、この時のスバルの表情すら読めなかった。

 

「謝る? 何故に?」

 

 キョトンと無邪気に首を傾げてこちらを見る青年(フェイト)。後ろでヴィータが吼えた。

 

「おら、構えろ! いくぜぇええええ!」

 

 ヴィータが告げながら、青年(フェイト)がこっちを向いた瞬間にハンマーを思い切り振りかぶる。

 

「よっしゃぁああ、来いやぁあああああ!」

 

 青年(フェイト)もスイッチが入ったのか、鉄パイプを振りかぶった。互いの武器が激突する。

 

 ズドォッ!

 

 中央で凄まじい炸裂音が響く。鉄槌と鉄パイプの間に火花が散った。

 

「ほぅ? あたしのアイゼンを止めるとは、口だけの野郎じゃねえようだな」

 

 ヴィータが少し怒りの晴れた表情で、青年(フェイト)を見やる。当の青年(フェイト)は大きく目を見開き、鉄パイプを握る両手を見据えていた。

 

(手がしびれた……!? この僕の手が……、悪魔の化物刀をも止めるマイ・ハンズが!?)

 

「凄い、フェイトさん!」

 

 青年(フェイト)の動揺には気付かず、傍らのスバルは素直に賛辞の声を上げた。彼女の同様に、ヴィータもニヤリと不敵に笑う。

 

「だがよぉ~!」

 

 握りしめるアイゼンに力を込め、ヴィータは鍔迫り合いをしている青年(フェイト)に告げる。

 

「力なら、こっちの方が上だぜ!」

 

 思いきり、ヴィータは横薙ぎで後方へ吹き飛ばした。先ほどスバルに放った一撃と同じ、ヴィータの得意技だ。

 

「ぐふぉぁあああ!!?」

 

 天高く後方へ吹き上げられながら、青年(フェイト)は奇声を発し、珍妙な姿勢で地面に腰から叩きつけられた。

 

 ドベシャッ……、

 

 激しく打ち付けた腰を手で撫でながら、青年(フェイト)は立ち上がる。表情は――軽く、暗い。

 

「なんて、パワーだ……。そして今の衝撃……間違いない。悪魔(アレン)――いや、兼定を持つ悪魔(アレン)をわずかに上回っている。つまり、破壊神☆レナスちゃんレベ――……!!?」

 

 いかにも重大な事に気付いたとばかりに、青年(フェイト)が裏声を上げて目を見開くや、スバルを振り返って笑った。爽やかに。

 

「ハハッ! スバル凄いな! こんな攻撃を、まともに喰らってるなんて」

 

 ソレは心からの称賛だった。掛け値なしの本気の称賛だった。

 何故なら青年(フェイト)も、この手の理不尽を絵に描いたような一撃をくらった事があるからだ。『訓練』と称して毎日続いた『地獄』の日々が――。

 

「何してるんですか!? フェイトさん! バリア系とかシールド系も使わずに、副隊長の攻撃を止めるなんて無理ですよ!」

 

「ばりあ系? しーるど系?? 何だか良く分からないが。そんな便利アイテムがあるなら僕にプリーズ!」

 

 スバルの助言を全く理解していない彼は、ひょいひょいと左手を振った。この反応はひょっとして――とスバルが息を呑んだのも束の間、ハッと目を見開いた。

 

「そ、そう言えばフェイトさんて……鉄パイプでガジェット殴り倒してるトコしか見た事無いぞ……!?」

 

 言う間に、スバルの顔色が青ざめて行く。そんな彼女の表情の変化に、青年(フェイト)もようやく首を傾げ始めた。

 

(……もしや……アイテムじゃない、だと……!?)

 

 最後は確信めいたモノを得て、青年(フェイト)が濃い顔を作りながら目を瞠る。眼前にいるヴィータから、威勢のいい声がかけられた。

 

「おい、どうした? まさかもう怖気づいたのか? はやてが深刻な顔で言うからどんな野郎かと思ったが……」

 

 期待はずれと言わんばかりの、ヴィータの失笑。その態度と『期待外れ』という言葉に、青年(フェイト)の瞳が燃え上がった。

 

「フ……ッ! このフェイト・ラインゴッドにそんな小細工はいらん!」

 

 きりりと表情を引き締めて鉄パイプを構える青年に、ヴィータが嘲りの表情で問う。

 

「面白ぇこと言うじゃねえか! そんな棒っ切れで。このアイゼンを止められるってのか?」

 

 カッ!

 

 青年(フェイト)の全身に衝撃が走った。目玉が零れんばかりに目を見開くと、ゆっくりとした動きで首を巡らせ、ヴィータを見る。――そして、全身から闘気を漲らせた。

 正に――覚醒、である。

 スバルが驚愕の表情で「やる気に満ち溢れたフェイト」を見る。

 

「フェ、フェイト……さん?」

 

「フッ……!」

 

 「やる気に満ち溢れたフェイト」は静かに鼻で笑うと、こちらを訝しげに見やるヴィータに笑いかけた。

 

「……ヴィータちゃん、謝るなら今のうちだよ?」

 

 その言葉に、ヴィータが緊張感を増した表情で問い返す。

 

「どういう意味だ?」

 

 今までと同じ軽い口調で言いながらも、ヴィータが目線だけを動かして青年(フェイト)を隅々まで観察していく。

 

(雰囲気が変わりやがった)

 

 ソレが素直な感想だ。

 ――つまり、

 

「そっちが本性か」

 

 ようやく本気になった。

 そう判断したヴィータが更に追い打ちをかける。但し、今度は冷静に瞳を輝かせて。

 

「その棒っ切れを『棒っ切れ』って言って、何が悪いってんだよ?」

 

 青年(フェイト)の表情が静かに――明らかに怒りへと変化した。

 

「いいだろうヴィータちゃんっ! 正真正銘の僕の真の実力をお見せしよう!」

 

「面白ぇ! デカイ口叩いたんだから、それなりのモンをアタシに見せてみろぉお!」

 

 互いに熱い思いをぶつけあいながら、ソレゾレの得物を正眼に構える。

 

 

「なのはさん?」

 

 スバルの相棒であり新人最年長の十六歳の少女ティアナが、中遠距離戦の司令塔として指南してくれているなのはを仰ぐ。なのはも気付き、首をスバル達に向けながら頷いている。

 

「あれはフェイト君だね。――ヴィータちゃん、どうして?」

 

 副隊長のヴィータが、民間人の青年(フェイト)を訓練している。その光景に、その場にいた全員が小首を傾げていた。

 

「なんでも、フェイトさんが戦いたいって言ってるんですけど」

 

 答えたのはスバルだ。急にフェイトが訓練に割り込んできたかと思えば、ヴィータの相手をすると豪語したのである。

 

「でも、さすがに無理じゃないかな? ヴィータは副隊長だし」

 

 見事な金髪を靡かせ、心配そうにフェイト・テスタロッサは自身と同じ名の青年を見る。その表情を見たかどうかは分からないが、赤髪の少年――エリオが、青髪の青年を助けんと駆け出した。

 

「ぼ、僕……フェイトさんを止めに行ってきます!」

 

 エリオを静かに制し、なのはが静かに青髪の青年を見て言う。

 

「ちょっと待って。フェイト君、ヴィータちゃんの攻撃を真っ向から受け止めてる」

 

 凄まじい轟音と共に、鉄槌と鉄パイプが激しくぶつかり合う。何度も何度も衝突する両者の打撃力は互角だった。

 

「うそっ!?」

 

 目を丸め、スバルが思わず言ってしまう。

 

(バリア系でもシールド系でもないのに、ヴィータ副隊長の攻撃を完全相殺するなんて――!)

 

 ティアナも目を丸くして、スターズの副隊長と真っ向から渡り合う青年を見ていた。

 

 

「へっ! デカイ口を叩くだけのことはあるようじゃねえか!」

 

 アイゼンを打ちつけながら、挑戦的に言うヴィータ。

 返す青年(フェイト)の言葉はそっけなく、大人げなく、ニヒルだった。

 

「謝るなら今の内だと言ったよ? ちびっ子」

 

「てんめぇええ!」

 

 顔を真っ赤にして怒るヴィータに青年(フェイト)も怒気を露にする。

 

「僕も思いっきり頭に来たんだよ、僕の相棒――鉄パイプを『棒っ切れ』呼ばわりされたことがね! お兄さん、時にそういうトコ厳しいよ!」

 

 宣言しながら、幾度目になるか分からない打ち合いを続ける。

 

「面白ぇ! この期に及んで、アタシをちびっ子呼ばわりするとはいい度胸じゃねえか!」

 

「たとえお子様でも容赦はしないよ」

 

 互いに述べ合い、間髪いれずに共に「カッ!」と目を見開いて、己の意地を宿した武器をぶつけあう。

 

「てんめぇ、このアタシを子ども扱いすんなって聞こえなかったのかよ?」

 

 鍔迫り合い――力比べをしながら言ってくる少女に、青年(フェイト)もこめかみに青筋を立てて唇を尖らせる。

 

「子どもに子どもと言って何が悪いんだよ?」

 

 ヴィータはフッと鼻を鳴らして、自分も思っていた事を言ってやった。

 

「棒っ切れを棒っ切れって言って、何が悪いってんだよ?」

 

 最早言葉は不要――。

 そんな空気が森の中を支配した。

 

「……いいだろう。僕等は語り合わねばならないようだね。互いの(エモノ)で!」

 

「上等だ! その話し合い、乗ってやらぁ!」

 

 青年(フェイト)の言葉に、呼応しついにヴィータが本来の姿へと変わる。

 

「――アイゼン、セットアップ!」

 

 紅い帽子と同色のゴシックドレス――はやてに創られた魔法闘衣〈騎士甲冑〉である。

 

 

 

「ヴィータ、完全に本気だよ? なのは」

 

 フェイト・テスタロッサが横目になのはを見やりながら、そろそろ止めようと言外に告げるのだが――

 

「もう、フェイト君ったらヴィータちゃんが一番気にしてる事言うんだから。そう言うトコ良くないって、後で言っておかないと!」

 

 なのはは全く聞かず、青髪の青年の言動の方を気にしていた。眉をつり上げ、怒ってみせる。

 

「いや! なのはさん、落ち着いてる場合じゃないんじゃあ……」

 

 エリオが、本気のヴィータと、なのはを見比べながら慌てて言う。エリオの服の裾をキャロがギュッとつかんだ。

 傍らからティアナが顔を引きつらせて言う。

 

「副隊長が民間人相手に本気になるなんて、コレは流石にちょっと……」

 

「フェイトさん、殺されちゃうんじゃあ……」

 

 スバルが言っている間に不安と恐怖で顔を蒼くする。その不吉な予感は周りにも伝染し、涙目になる。スバルや他の者達を冷静に見、なのはが力強く微笑って見せた。

 

「フェイト君なら大丈夫だよ。エリオとスバルは良く見ておいた方がいいと思う。フェイト君の戦い方はきっと参考になると思うから」

 

 やけに自信ありげに放たれた言葉に、スバル達はキョトンとしてしまった。

 

 

 凄まじい爆音をたてながら、二つの鋼鉄武器がぶつかり合う。

 

「ぬどりゃぁあああああ!」

 

 完全に相殺した一撃に口の端をつりあげるヴィータ。

 

「ほぉ~? 第一段階のアイゼンを止めたか。じゃ、第二段階だ!」

 

 ハンマー部と柄の間が伸縮し、柄の中からカートリッジが吐き出されてくると、ヴィータがアイゼンを軽く振って第二フォルムへと変化させる。威力が増したことを告げるようにハンマー部が一段階巨大化していた。

 

「おらおら、ゆっくりパワーを上げてやっからよぉ~、今の内に謝ったら許してやんねぇこともねぇぞ?」

 

 目が完全にいじめっ子と化しているヴィータに、フェイト・ラインゴットが力強く言い放った。

 

「舐めんな、ちびっ子。何が鉄槌の騎士だ。『騎士』なんて所詮――、人間じゃないか!」

 

「あぁ?」

 

 またしても意味不明な言葉を発し始める青年(フェイト)に、訝しげにアイゼンを構えるヴィータ。そんなヴィータにはお構いなく、青年(フェイト)は言葉を紡ぎ始める。何故か哀愁を漂わせて。

 

「丘をぶった斬るような化物刀を相手にした事が有るかい? 村一つ消し飛ばすような槍と、戦った事はあるかい? それらを軽々と振り回す悪魔や破壊神と戦ったことは――君には無いだろう」

 

 青年(フェイト)の言葉は荒唐無稽――大げさの類だった。しかし――何故だろう、それを笑い飛ばすには彼が余りにも悲痛な表情を浮かべている。

 ヴィータには伝わらなかったが、それ以外の者には何故か、彼のとてつもない経験が、素直に伝わったようだった。

 

「自分の力が何一つ及ばないと知りながら、それでも戦わねばならないという絶望を、君は味わった事があるか? その恐怖に比べれば、君などまだまだヒヨっ子だ! ヴィータちゃん!」

 

 力強く言い切る青年(フェイト)に、ヴィータがニヤリと返す。

 

「ヴォルケンリッターたるこの私にそこまで啖呵切れるやつがまだ残ってやがるとはな。面白ぇ、上等だ……! アイゼン、ここまで舐められて黙ってるなんてことはねえよな?」

 

〈Jawohl!!〉

 

 ヴィータの言葉に相棒(ハンマー)がノリノリで答える。

 

「その意気だ」

 

 ヴィータがいよいよ覚悟を決めた。

 とりあえず、この舐め腐った野郎だきゃあ――ブッ潰す! と。

 

 

 それらを少し離れた所で見守る、スターズとライトニング分隊。

 

「なのは。そろそろ止めないと、ヴィータ本気で怒ってるよ!?」

 

 令嬢(フェイト)がいよいよ、あの闘いを止める時が来たと言う。

 

「だから子供扱いしちゃだめだって言ってるのにな、フェイト君。もう……後でちゃんとお話しなきゃ」

 

 水を向けられたなのはは青髪の青年のヒヨッ子発言に眉根を寄せている。

 

「なのは! 今止めないと、『後で』が無くなっちゃうよ!」

 

 余りにも悠長ななのはに、令嬢(フェイト)が慌てて進言した。

 

「普段おちゃらけてるけど、本気になったら多分、凄いと思うんだ。フェイト君」

 

「『多分』ってなんですか……!」

 

「ま、いいから見てよっか」

 

 蒼い顔で抗議してくるエリオになのはがニッコリ笑って答え、ヴィータ達を見やる。

 

 ガォオオンッ!

 

 落雷が降ったかのような音と共に、皆がそちらを向くと巨大な土煙が立ちあがっていた。煙が晴れた時、鉄槌と鉄パイプは鍔迫り合いの姿勢であった。

 

「第二段階のグラーフアイゼンを……!?」

 

 エリオの裾をつかみながら、キャロが驚きの声を上げる。

 

 

(こいつ……っ!)

 

 ヴィータが舌打ちと共に鉄パイプを持つ青年を睨みつける。

 

「僕ぁね……、僕ぁやるよ……!」

 

 鉄パイプを握りしめて、青年(フェイト)が高らかに叫ぶ。

 

「僕の鉄パイプは……僕の鉄パイプ(たましい)は、絶対に折れはしないんだぁああああ!」

 

「面白ぇ……! 口先だけじゃねえようだな。だが! どこまでもつ!」

 

 青年(フェイト)の気迫を受け、ヴィータが一旦、パイプを横に弾いて、後方へ下がる。そして更にアイゼンを構えた。カートリッジが更に一つ外される。

 グラーフアイゼンの〈第三フォルム〉。より巨大化するハンマーに青年(フェイト)がニヤリと笑い、駆け出していく。巨大な鉄の悪魔に、己の勇気の化身パイプを叩きつけるのだ。

 

 

 第三フォルムになっても、打ち合いは全くの互角。変化がないように見える。しかし、なのはが、録画再生のようなこの光景に首を横に振って見せた。

 

「まともに付き合い過ぎだね。フェイト君。あれじゃあ、ヴィータちゃんとグラーフアイゼンのコンビネーションには敵わないよ。」

 

 その言葉に同じ名を持つ令嬢(フェイト)が目を丸くした。

 

「なっ!? ヴィータの攻撃を真っ向から打ち返してる辺りで凄いと思うんだけど……」

 

「でも、攻撃が正直過ぎるんだよ。あれじゃあフェイト君の体の方が、先に限界にきちゃう。――ほら」

 

 指差した先に居る青年(フェイト)に、変化が起こった。

 

 

「ぐぉおおおおおお!!?」

 

 ヴィータの一撃に後方へ体勢を仰け反らされ始めている。徐々に押され始めて来た。

 

「フェイトさぁあああん!」

 

 スバル、エリオ、キャロの三名が悲痛な声をあげている。

 

(ぬぅうくっ! 腕がしびれてきやがったぁあ!)

 

 痺れる腕をプラプラと一度振りまくってやりたいが、攻撃が休まないのでソレもままならない。

 

「へっ! 私のグラーフアイゼンとここまで打ち合うとは、大したもんだ」

 

 ヴィータは己の勝利を確信したか笑みを浮かべながら言い放つ。――そして

 

「だが、これで終わりだぁあああ!」

 

 鍔迫り合いの状態から、アイゼンでパイプを横に流し切り、横からの殴打を放つ。

 

「フェイトさぁああん!」

 

 機動六課の新人達が彼の名を叫ぶ。その彼の左の頬に吸い込まれるように、アイゼンが打ち込まれて行った。そのまま上方向へ振り抜くヴィータ。

 

「ぬぐぁあああああ!!?」

 

 エビ反りに体をのけぞらせながら天高く舞い上がる青年(フェイト)

 

「まともに入った!?」

 

 ティアナが驚愕の表情で叫ぶ横でスバルが頬を押さえている。

 

「へっ、他愛もねえ」

 

 ヴィータは勝ち誇ってアイゼンを一薙ぎし、前を見る。そこへ、青年(フェイト)が珍妙な姿勢で堕ちて来た。――頭から。

 

 ドシャっ……

 

 スバルの顔が引きつった。

 

「顔面から地面に激突したよ、今……」

 

「だ、大丈夫かな……フェイトさん」

 

 エリオとキャロが手を取り合いながら震えている。その肩を抱いていた令嬢(フェイト)は立ちあがり、青年(フェイト)の方へと向かおうとしたのだが――。

 

 ガバッ!

 

「まだじゃぁああああ!」

 

 地面に落ちてからたったの3秒で、青年(フェイト)か上体を起こして、うつぶせの状態から立ちあがってきた。

 

 ――なっ!?

 

 ヴィータを含めた全員が、その姿に唖然とする。――否、語弊があった。ただ一人の女性は、むしろ青年(フェイト)の行動を予測していたのだ。

 

「――そう、あの根性!」

 

「――え?」

 

 一同が振り返った時、拳を握りしめ、瞳をキラキラさせながら熱く語る高町なのは教導官の姿が有った。周りの空気も何のその、教官は更に続ける。

 

「どんなに打ちのめされても、決して退がりはしない! 耐え忍ぶ根性! 力の差を見せつけられても、最善の策を尽くす。前に出る勇気! これこそが――これこそが、私達機動六課が示す理念だよ! フェイト君にこれだけの信念があるなんて……!」

 

 もはや、誰もが二の句を告げられない状況の中、青年(フェイト)は叫ぶ。――高らかに、己の信念と存在と、そして――魂の合言葉を!

 

「まだじゃあああああああああ! No FAN,No SO!」

 

 カァアンッ☆

 

 ラウンド2のコングが、全員の頭の中で聞こえた。

 立ちあがった青年(フェイト)を見て、ついにヴィータも魂の咆哮を発した。

 

「しつけぇんだよ、テメェエエエ!」

 

 この場にいた、誰もが思うその一言を、ヴィータが心の底から叫んでいたのだ――。

 

 

 ――夕方。

 

 コマ送りのように同じ事――ハンマーとパイプのぶつけあい――を繰り返しながら、当の2人は未だに可笑しなテンションを続けていた。

 

「まだだぁあああ!」

 

「やんのか、テメエぇえええ!!!?」

 

 後に、新人達は語ったと言う。

 

 フェイトさん曰く、コレがナチュラル・ハイってヤツさ! ――と。

 

「NO FAN!」

 

「NO SO!!」

 

 魂の合言葉は、何故かヴィータにも伝わっていた。青年(フェイト)とヴィータ。二人の間になにか――暑苦しく、どうしようもないものが育まれた瞬間である。

 その様をなのはは満足げに見やって頷いた。

 

「うん。ヴィータちゃんとあそこまで打ち合えるなんて、フェイト君の根性は、凄い……!」

 

 見習わなければと言わんばかりのなのはの言葉に、スバルは笑うしかなかった。

 

「いや、もう凄いなんてレベルじゃあ……!」

 

 二の句が告げないスバルの後を継いで、ティアナが息を呑んでいた。

 

「人間なんですか? あの人……!?」

 

 

 

 

 『フェイト・ラインゴッド』。

 アルフが隠密行動する為には、確実に何とかしなければならない人物である。

 

 いくらディストラクション抜きとはいえ、機動六課を騒然とさせた一連の騒動は、連邦の狂人をして帰って来た瞬間にそう思わせた。

 

「殺意が芽生えました」

 

 自重を知らない相棒に向けて、のちに狂人は相棒の顔面をつかみながら語ったという。



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5.そう遠くない未来において、僕の主人公としての地位を脅かす存在になる!

「はぁ~い! それじゃ、夜の訓練おしま~い!」

 

「ありがとうございましたぁ!」

 

 なのはがこぼれんばかりの笑顔で告げると、新人四人は体中を煤だらけにして力ない笑みを返した。体力的に劣る遠距離主体の二人(ティアナとキャロ)は地べたに座り込んだまま、立ち上がる気力さえ湧いてこない様子だ。

 それは鉄パイプを握る青年(フェイト)も同じで、心行くまでグラーフアイゼンと語り合った結果、握力を失ってしまい「うぉおおおお! 腕がプルプルするよぉおお!」と叫びながら、楽しそうに地面をゴロゴロと転がっている。

 ――しばらくの休憩を挟んで、ようやくティアナ達に立ちあがる気力が湧いた所で、スバル達はなのはとヴィータに一礼した。

 

「お疲れ様でした~」

 

「ちゃんと寝ろよ!」

 

 へとへとになりながらも、はい、と返事をして去っていく新人達を尻目に、ヴィータが溜息を吐いた。ぐったりとした新人達とは対称的に、青年(フェイト)は鉄パイプが最も輝ける位置に掲げると、キラリと瞳を輝かせて言い放つ。

 

「良かろう! 決着はまた明日だ! ヴィータちゃん!」

 

「上等だ!」

 

 拳を握って、ヴィータも即座に言い返した。走り去っていく青年(フェイト)の背を、やれやれと見送って、ヴィータは視線を、訓練場システムのチェックに余念のないなのはに向けた。

 

「しかし……お前、ホントに朝から晩までずっと連中に付きっきりだよなぁ……。疲れるだろ?」

 

 今日初めて前線メンバーの新人教育に参加したヴィータは、両手を腰に据えながら、問いかけた。なのはは慣れた手つきで、今日の訓練成果を入念に打ち込んでいる。

 

「私は機動六課の戦技教官だもん。当然だよ」

 

 『当然』と豪語するだけあって、なのはの声には余裕すら感じさせる覇気があった。ヴィータは眉間にしわを寄せる。疲れた時に『疲れた』と言わないのが、高町なのはだ。その性格を知っているからこそ、ヴィータは困ったように頬を掻いた。

 

「まあ、何にしても大変だよな。『教官』ってのも」

 

「ヴィータちゃんもちゃんと出来てるよ」

 

 穏やかに微笑んだなのはがヴィータに向き直るや、彼女の小さな頭を優しく撫でた。

 

「立派立派」

 

「撫でるなぁ~!」

 

「アハハッ」

 

「なんだよぉ~!」

 

 唇を尖らせるヴィータに、なのはがクスクスと声を立てる。青年(フェイト)に子供扱いされた時よりもずっとヴィータの反抗は小さかった。

 二人は訓練場の片付けを終えるや、連れだって帰路に着く。

 

「今日の戦闘データ、また分類して、データルームに送っといてくれるかな?」

〈All right.〉

 

 ペンダント状になったなのはのデバイス――レイジングハートが音声で答え、明滅する。なのはは嬉しそうに微笑った。

 

「ありがとね、レイジングハート」

 

 自分よりも二歩ほど先を行くなのはの背を見つめて、ヴィータは神妙な面持ちだった。

 

新人(れんちゅう)は自分達がどんだけ幸せか、気付くまで結構時間がかかるだろうな……。自分勝手に戦ってる時も、いつだってなのはに守られてる幸せに)

 

 なのは自身は、自分のしている事を苦労とも思っていないだろう。保護する事が当然で、感謝される事など端から期待してはいない。

 だから――。

 

(私はスターズの副隊長だからな。お前の事は、私が守ってやる……!)

 

 ヴィータが拳を握りしめるのと、なのはがこちらを振り返るのは同時だった。

 

「おぉい! 誰か~! 手を貸してくれませんかぁ!?」

 

 聞き慣れた声に二人は顔を見合わせた。

 

「いまの、フェイト君の声……?」

 

「アイツ、アレだけ痛めつけられて、まだあんな声出せる元気が残ってるのか……。もっとしごいてやりゃよかったかな」

 

 呆れ混じりのヴィータのつぶやきで、なのはは青年(フェイト)少女(ヴィータ)の激闘を思い出した。青年(フェイト)の体力も尋常ではないが、昼夜一貫してグラーフアイゼンを振り回すヴィータの体力もすさまじい。

 なのはが乾いた笑みを浮かべると、ヴィータに言った。

 

「とにかく、行ってみよう!」

 

 青年(フェイト)の声がする方へ走る。件の青年、フェイト・ラインゴッドは、宿舎につながる道――少し先の車道――のど真ん中に立っていた。

 

「あ! なのはさん、ヴィータちゃん!」

 

 弱り切った表情で、青年(フェイト)がこちらを振り返ってきた。彼の足許には、黒髪の青年が横たわっている。

 

「人が倒れてるの!?」

 

 現状を理解し、なのはが急いで青年(フェイト)に駆け寄った。

 と、

 

「よかったぁ! 援軍が来てくれたよ!」

 

 その時、なのはでもヴィータでもない、見知らぬ女性の声が聞こえた。

 

「何?」

 

 ヴィータが周りを見回し、なのはが不意に気付く。声がする方――青年(フェイト)の肩の辺りに、身長三十センチほどの妖精が飛んでいた。ピンク色のボーイッシュな短髪に、黒の半袖シャツと白い短パン姿の少女。

 

「リィンと同じ……、ユニゾン式?」

 

 ヴィータがつぶやくのも無理はなかった。かつてリニアレールで密輸されたオーパーツ(ロストロギア)を取り返す作戦で、妖精サイズのリィンフォース(ツヴァイ)曹長が現場指揮を取っていたが、リィンは本来、魔導師と融合し双方の魔力を底上げする魔導生命体だ。

 ヴィータたちがあつかう魔術系統と目の前にいるピンク髪の妖精は似ているようで、どうも自分達の知る術式とは根本的に違っている。

 首を傾げるヴィータ達を置いて、青年(フェイト)がやれやれと首を回しながら、澄まして言った。

 

「歩いてたら、いきなり目の前に光が現れて、中から人が出て来たんだけどそのまま倒れちゃってね。どうしようもなかったとこなんだよ」

 

 青年(フェイト)が肩をすくめる。とても先ほどまで鶏か何かのようにコケーッ! と叫んで取り乱していた人物とは思えない澄まし顔だ。

 何か言いたそうなヴィータには取り合わず、なのはが真剣な面持ちで二人に言った。

 

「とりあえず、局内の医療施設に向かおう。軍医(シャマル)さんに診てもらわないと。フェイト君、頼める?」

 

「助かったよ。僕、そこ知らないんだよね!」

 

 キランと歯が光らせて青年(フェイト)が底抜けに明るい笑顔で、倒れている黒髪の青年を背中に担いだ。ヴィータが何か言いたそうに、冷たい眼で見ているが、勿論青年(フェイト)は気にしない。

 

「ありがとう、助けてくれて」

 

 なのはやヴィータ、青年(フェイト)が良く見える位置にまで飛んだ妖精は、ぺこりと頭を下げた。暗がりで気付かなかったが、彼女の背中にはリィンフォースと違って正真正銘の『羽』が生えている。トンボのように細長いながらも、蝶と同じく二対四枚で構成された羽。それは透明な薄オレンジ色で出来ており、妖精が羽ばたく度に、青い光の粉が羽から零れる。

 妖精が腰に手を据えて、言った。

 

「アタシ、ティピ。こことは違う世界で生み出された魔導生命体――ホムンクルスなの」

 

 小さな妖精を模した少女は、言葉尻とともにしゅんと小さくなっていった。自己紹介としてはナンセンスな、『異世界からきた魔導生命体』。

 なのはとヴィータが数秒、ティピをジッと見やった後に互いの顔を見合わせ、こくりと頷いた。事情はまだ把握できないところが多いが、何らかの事件事故に関わる事案と判断したのだ。先程まで見せていた親しみやすい穏やかさは鳴りを潜め、二人はスターズ分隊の隊長と副隊長を務める管理局員の顔になった。

 

「――時空管理局の高町なのはです。よろしくね、ティピちゃん」

 

「アタシはヴィータ。次元漂流者みてえだな。安心しろ、きちんと保護してやるぜ」

 

 ティピに応えるように、なのはとヴィータが返す。

 

「ちなみに僕は、」

 

「フェイト・ラインゴットでしょ? さっき聞いたわよ」

 

「……」

 

 名乗ろうとした所を冷たく流されてしまって、青年(フェイト)は静かに、そして(おもむろ)に、背中に担いだ青年を見やった。

 

「で。この人は?」

 

 クスンと鼻を鳴らしながら尋ねる。ティピが心配そうに黒髪の青年を見やり、答えた。

 

「コイツは、カーマインだよ」

 

「――タダモノじゃなさそうだ」

 

「えっ!?」

 

 思わぬ青年(フェイト)の発言に、ティピが目を丸めた。す、と静かに細められた翡翠の瞳が、青年(フェイト)本来が持っている凛々しさと理知的な顔立ちを思い出させる。そのあまりに真剣な彼の表情に、同行していたなのはとヴィータにも、真剣味が伝染した。二人とも、ごくりと息を呑んで、青年(フェイト)が背負った黒髪の青年――カーマインを見やる。

 青年(フェイト)は二人の反応にこくりと頷き、キリッと眉を引き締めた。

 

「恐ろしい事だが。そう遠くない未来において、僕の――主人公としての地位を脅かす存在になる! 間違いなく確実に! なんだかめちゃくちゃ美形だし!」

 

「マジな顔して下らねえコト言ってんじゃねぇええええっ!」

 

 力強く宣言した青年(フェイト)の脛を、ヴィータが思い切り蹴飛ばして黙らせた。ぴょんぴょんと左足を抱えて青年(フェイト)が飛び回る。気絶している人間を支える腕が片手になっても、カーマインがずれ落ちる気配は一向に無い。

 その隠れた青年(フェイト)の怪力に、安堵と苦笑をしながら、なのはが息を吐いた。

 そんな三人のやりとりを見ていて、三十センチ大の魔導生命体(ホムンクルス)――ティピは、乾いた笑みを浮かべながら思った。

 

(悪い人じゃなさそうなんだけど、果てしなくバカね……。我ながら、助けてくれた恩人にこんなこと思うのはどうかと思うんだけど……!)

 

 こうして、青年達は出会った。

 元の世界で、それぞれ英雄とされる二人の青年が――。

 

 

 

 機動六課課長、八神はやてを始めとして、なのはと令嬢(フェイト)、ヴィータが首を揃えたのは、フェイトが黒髪の青年を拾ってからちょうど一時間後だった。

 なのはとヴィータの案内で医務室に青年を運んだ青年(フェイト)は、そこで顔を揃えた一同を振り返る。はやてと一緒に首都(クラナガン)に出かけていたアルフも、この時ばかりは集まっていた。青年(フェイト)が身振り手振りで、黒髪の青年を拾った経緯を説明する。

 

「だからさ、いきなり目の前に現れたんだよ! 光と共にさ! ――こう、ハッ! ん? え……っ!? 見たいな感じでさ!」

 

「要領を得ねえ説明だな、おい」

 

 熱を込めて言う青年(フェイト)に反して、ヴィータは頬を引きつらせただけだった。その反応に青年(フェイト)が眉をつり上げてさらに熱弁をふるう。

 

「そんなこと言っても見た通りなんだからしょうがないだろ! ヴィータちゃん! だから、こう――ハッ!? ん? ……えっ!? な状況だったんだよ!」

 

「まあまあフェイト君。ともかく落ち着いて」

 

 なのはが愛想笑いを浮かべながら、青年(フェイト)をあやす。そして、白い目で青年(フェイト)を見ているヴィータに、説得を試みた。

 

「でも、ここまで真剣に言うなら本当かもしれないよ? ね、フェイト君?」

 

「そう! そうなんですよ! なのはさん! 分かってくれますっ!?」

 

「う、うん……!」

 

 青年(フェイト)が感動に涙しそうになりながら、頭をぶんぶんと振ってなのはの手を取った。――僕んトコの仲間は、ソフィア以外誰も僕の話なんか聞きゃしない――などと独り言を始める彼を置いて、皆の視線が妖精の姿をした少女に向けられる。

 妖精の姿を模した少女は、小さな手を腹の前で重ねて居心地悪そうに笑った。

 

「え~と、説明はした方がいいよね? アタシ、ティピ。こことは違う世界――その中にあるローランディアって国の出身なんだけど……、分かんないよね……」

 

 自己紹介をするや否や、ティピは諦めたように溜息を吐いた。相手の反応を想像できるぐらいには、ティピも自分の自己紹介が突飛であると知っていたのだ。だが彼女の予想に反して、向けられたのははやての穏やかな笑みだった。はやては妖精の傍らに歩み寄り、屈んだ。はやての栗色のセミショートが揺れる。はやては、大きな青色の瞳をティピに向けて、おっとりと笑った。

 

「つまり、ティピちゃんは別の世界から来たんやね?」

 

「信じてくれるの!?」

 

 まず疑われると思っていたので、ティピが目を丸めた。うん、と頷くはやてをまじまじと見る。『異世界』というのは、場所によっては言葉自体が存在しない。それを、ここにいる人達はあっさりと認識し、ティピの話を信じてくれた。思いがけぬ受け入れ態勢にティピが瞬いていると、金色の長い髪を持つ執務官フェイト・テスタロッサが、はやての傍らに立って説明した。

 

「この世界では、稀にある現象だからね。――つまり君達は次元漂流者か」

 

「私達は、ティピちゃんのような人達を保護したりするために居るんだよ」

 

 なのはも令嬢(フェイト)の隣に来て、微笑む。

 

「次元漂流者、ねえ……」

 

 その光景を、アルフが静かに見据えていた。茫洋とした紅瞳はそのままに、うっすらと目だけ細める。取り立てて怪しい所ばかりの闖入者のようだが、青年(フェイト)どころか、六課の隊長陣も相変わらず気にしていないようだ。

 

「つまり、僕らと一緒ってコトか」

 

 したり顔で頷く青年(フェイト)に、アルフが肩をすくめる。タイムゲートを介さず、別世界からの訪問があるとは――さすがはかつて重力ワープが開発された宙域である。

 アルフは、この世界についての認識を改める。

 ティピは緊張が解けたのか、表情を明るくしてこれまでの不安や苦労を吐露し始めた。それに相槌を打つなのはや令嬢(フェイト)を尻目に、はやてはベッドに寝かされている凄艶な美を持つ青年を見据えていた。

 

(せやけど、この顔……間違いない。陸士107部隊を壊滅に追い込んだ犯人と同じ顔……! 普通やったらここで報告するんやけど……、ティピちゃんの話によると、この子らが来たんはつい先刻(さっき)ってことや。この子が嘘を吐いてるようには見えんし……!)

 

 神妙な面持ちで、はやてが視線を青年からティピに移す。陸士107部隊を壊滅させた男の情報は、あのカメラ映像だけだと聞いている。ただでさえ、機動六課にはその手の情報が封鎖されている状況だ。今後の対応をどうすべきか、はやては考え込まざるを得なかった。

 そのとき。

 不意にアルフが口を開いた。人差し指で、いきなりフェイト・ラインゴットの傍らを指す。

 

「なあ、フェイト。お前が見たのって、こういう光?」

 

「へ?」

 

 その場にいる皆が首を傾げながら視線をやると、アルフの指差す空間に、圧倒的な白い光球が現れていた。

 

「な―――っ!?」

 

 全員が驚愕に目を瞠る中、横に現れた光から距離も取らずに、青年(フェイト)がウンウンとしたり顔で頷き返す。

 

「ああ、そうそう。こんな感じ……って!?」

 

 て!?、で事態を把握したのか、青年(フェイト)も三拍ほど遅れて光球から距離を取った。光球は次第に大きくなり、人一人を包み込める程の大きさになる。その光の向こうから――人影が現れた。それをジッと見つめて、青年(フェイト)が息を呑む。

 

「な……ん、だと……!?」

 

 思わずつぶやく。

 光の中から、青年はコツコツと靴を鳴らして現れた。黒髪に金と銀の瞳を持つ青年は、白いコートを羽織り、濃紺色のマフラーを首に巻いている。現れた光が完全に霧散すると、青年が不機嫌そうに周りを見回した。

 

「同じ、顔……!」

 

 はやてが思わず息を呑む。光の中から現れた青年は、ベッドで眠っている青年とまったく同じ顔をしていた。顔立ちは勿論、髪の長さや形まで完全一致。振り返った妖精の少女、ティピが驚きと共に名を呼んだ。

 

「アステア!?」

 

「……フン。ゲヴェルの波動が最も強い並列世界を探していたが……ビンゴか。流石はアルスィ・オーブ。剣術だけが取り柄の右腕とは訳が違う……!」

 

 アステアと呼ばれた青年は、ベッドに寝かされている青年――カーマインを見据えると、くく、と口端を歪ませて拳を握りしめた。

 

「アンタ、どうして……!」

 

 アステアは静かにティピに向き直ると、不機嫌そうな表情(カオ)に明らかな怒気を乗せて言い放った。

 

「どうして、だと? いきなり目の前から消えた主を見つける為に決まっているだろうが! 今まで何をしていた!? 貴様ら!」

 

「お、怒んないでよ……! パワーストーンの反動なんだから仕方ないじゃない……!」

 

 怒鳴るアステアに、ティピは不満そうに返す。パワーストーンとは、ティピとカーマインが異世界を渡る原因となった石だ。しかし、この時のティピの反応は、アステアを納得させるには至らない。彼は更に強い口調で詰問した。

 

「時空干渉能力はどうした!? そいつの因子なら世界を渡って戻るくらいできるだろうが!」

 

「体を創り変えたばかりだから、そう上手くコントロールできないのよ!」

 

 一方的にまくし立ててくるアステアに、ティピも怒鳴り返した。そこでようやく、アステアの勢いが治まる。

 

「……何だと?」

 

 アステアはティピの答えに訝しげに眉を寄せながら、眠っている青年を見やる。

 

「大方、別の世界を渡りながら人助けでもしていたかと思ったが……。そんな事情か……」

 

 ふむ、と頷くアステアに、ティピが気を取り直して、申し訳なさそうに言った。

 

「ごめん……。皆、心配してるよね」

 

「ああ。俺が駆り出される位にはな……!」

 

 忌々しげに舌打つアステアに、せっかく殊勝になっていたティピの眉がつり上がった。

 

「あのね……! 人が頭下げて謝ってるって言うのにアンタ…!」

 

「頭くらい下げろ! 貴様らの所為で俺がどんな苦労をしたか……!」

 

 パンパンッと、ここで手を打ち鳴らす音に、ティピとアステアが言い合いを止められた。視線を左に振ると、はやてがいる。彼女が満面の笑みで二人に告げた。

 

「ちょっと、静かにしよか? 寝てる人も()るし」

 

 アステアとティピの二人は、とりあえず押し黙った。

 

 

 …………

 

 

「つまり、アステア君は自分の主であるカーマイン君を追いかけて、異世界に来たっていうわけか」

 

「……ああ」

 

 そっけなく返し、こちらに視線すら寄越さないアステアに、はやてが苦笑する。

 アステアはティピと睨み合いを続行していた。とりあえず、問えば彼から返事がもらえる。そんな状況だ。六課(こちら)の話を聞くつもりは一応あるらしい。

 はやてが気を取り直して話を続けた。――聞きたかった話の核心を

 

「そやったら、この世界に来たんは今が初めてってことやな?」

 

「……ああ」

 

 微かに片眉を上げ、アステアが怪訝そうな顔をする。ようやく視線を寄越して来た彼に、はやてがホッと胸を撫で下ろした。彼の言葉を鵜呑みにするわけではないが、スバルの父――陸士108部隊隊長、ゲンヤ・ナカジマ三佐の話によれば、107部隊が襲われたのは今から一週間ほど前だ。ティピやアステアの反応があまりに淡白な事からも、部隊隊舎を強襲した人物とは異なる可能性がある。

 その意味で安堵したはやての様を見て、アステアという青年が、納得したような顔になった。

 

「ほぅ。俺達と同じ顔の奴が、この世界に来ているのか」

 

「!」

 

 はやてが目を瞠る。安堵したのは一瞬だけ。事の経緯を知らないなのは達は、不思議そうに首を傾げるばかりだ。

 アステアの察しのよさにうすら寒いものを感じながら、はやては続けた。

 

「……その話は、後で詳しくするから。とりあえずアステア君とティピちゃんには、協力してほしい事があるんよ」

 

「協力だと?」

 

 あからさまに顔を歪めるアステアを、ティピの説得で連れ出してもらって、一行は会議室に向かった。

 陸士107部隊の壊滅――それを起こした張本人が映った映像を見る為に。

 

 

 会議室に着いたはやては、ここにきて迷っていた。映像を見せる事で犯人の手掛かりは掴めるかも知れないが、下手をすればこのアステアという青年が敵に回るかも知れない。

 

「……どうしたもんかな?」

 

 思わず零れたひとり言を、隣にいたなのはとヴィータが、首を傾げて視線で訊いて来た。はやては、なんでもないんよ、と笑顔で手を振りながら、内心ではどう判断したものか頭を悩ませる。

 そんなはやてに、声をかける者がいた。

 

「八神隊長、例の映像を」

 

「!?」

 

 はやてが顔を上げる。アルフだった。

 

「せやけどシャス……」

 

 どう誤魔化したものか考えるはやてを置いて、アルフがいつものように冷静に、底の知れない紅瞳をアステアとティピに向けた。

 

「それで、コイツ等の反応を見れば大体分かる」

 

(――え?)

 

 はやては思わず瞬いた。アルフとは首都(クラナガン)に一緒に行きはしたが、108部隊のゲンヤ三佐に「そばでも食べないか」と言われて夕食を共にした時、彼は現れなかった。

 情報封鎖されている107部隊の壊滅映像を、アルフが知っているとは言い難い。とすればアルフは、はやての表情の変化を読んで、『何かある』と結論付けたのだ。

 逡巡しながら眉を寄せているはやてを置いて、アステアがアルフの紅瞳を見返しながら口を開いた。

 

「――フン、見なくても大方の予想は付く。どうせ、俺やカーマインと同じ顔の者が、貴様らの組織に攻撃を仕掛けたとか、そういう話だろ?」

 

「!?」

 

 アステアの発言に、はやてとアルフを除いた全員が、驚愕に表情(カオ)を強張らせた。ティピが思わずアステアを見上げる。

 

「一体誰が、そんな事……!」

 

「それをわざわざ見せてもらうんだろ? 今から」

 

 肩に座るティピに答えながら、アステアは冷たく嘲るような表情でアルフを見据える。対するアルフも、口端をつり上げただけで否定はしなかった。静かに見合う二人。お互いに先ほどから、その瞳を逸らさない。

 

「隊長――」

 

「う、うん……!」

 

 アルフとアステアの間に流れる冷たい空気を感じながら、はやては小さく頷いた。

 

 ――映像は、時間にすれば十分にも満たない短いものだった。黒マントに黒ずくめの男が陸士107部隊隊舎を壊滅に追いやり、宝石型のオーパーツを奪う。炎の中から照らされた男の顔は、黒髪に金と銀の瞳を持つ青年。

 アステアやカーマインと同じ顔をした、不気味な男だった。

 

「――ウソ。ゲヴェル……っ!」

 

 ティピは映像を見ながら、唇まで真っ青になるほど驚愕していた。対するアステアは全く表情を変えずに、悠々と両腕を組んでいる。

 

「成程。……アウグか」

 

 つぶやいた彼は、静かに目を細めた。アステアにとってかつて戦った敵の名だ。動揺で顔が白くなっているティピと、全く表情を変えないアステアに目をやること無く、青年(フェイト)が映像を食い入るように見ながら、感想を述べた。

 

「アステアが来なかったら絶対、(カーマイン)が犯人だと思ったよね……! こんな特徴的な目立つ顔が、いくつもあるなんて普通思わないよ」

 

 彼の言う通り、アステアやカーマイン、そして映像の中にある『アウグ』という青年は、人間の規格から一線を画すほどの、『超』が付くほどの美人だった。すべて計算して作られた精緻な彫刻をも上回る完全な美。それ故に無表情に黙っていると、造り物のような印象を受ける。

 特に、この映像の中で不気味に笑う青年は――。

 

「何なんだ、コイツ……! 確かに顔は、アステアやカーマインって奴と同じだが」

 

「うん。まるで意志の無い人形のような眼をしてる」

 

 ヴィータの言葉になのはが頷く。令嬢(フェイト)が表情を険しくしながら、炎の中に蹂躙されて行く衛士達を見ていた。

 

「……!」

 

 静かに拳を握る。もう一週間も前の映像であるが、どうにも出来ない悔しさがこみ上げてくる。令嬢(フェイト)がアステアに問いかけた。

 

「この人物は、何者かに操られているの?」

 

 アステアが小馬鹿にしたように片眉を上げて見せた。こちらを軽視していることを態度で表しているのだ。

 

「中々の洞察力だな。確かにコイツに自我は無い。そのようにして生み出された――ただ闘う為だけに生かされた殺戮兵器だ」

 

 アステアは顎で映像の青年『アウグ』を示す。嘲笑を浮かべている彼だが、その実、瞳は少しも笑っていない。こちらがどのように動くか? どう答えるか――相手に不快感を与える事で、その反応をジッと観察している。

 

(――油断ならない)

 

 令嬢(フェイト)の瞳に警戒の色が宿った。ひょうひょうとしてつかめない相手。令嬢(フェイト)の背中に冷や汗が伝う。

 

「……へえ。そりゃ面白い。その殺戮兵器ってのは、そこのチビが言ってたゲヴェルってのと関係するのか?」

 

 アルフが質問を投げかけた。アステアは冷めた視線を静かに令嬢(フェイト)から外す。

 

「……」

 

 アステアが改めてアルフの双眸に視線を戻した。相変わらず、両者とも一ミリも瞳が揺れない。アステアの表情に浮かんだのは、嘲り。

 

「面倒事に関わるつもりは無い。貴様らの知りたい情報なら教えてやるが、それ以上の事は期待するな。生憎、知らぬ世界の人間達を助けてやる義理は無いんでな」

 

 冷笑と言っていいレベルの侮蔑を含んだ笑みと、関わる気など毛頭ないと言わんばかりの言い草。――助ける道理はない、彼は言葉だけでなく態度でも示すように美貌を歪める。冷たい笑み――だが、その瞳は決して笑わない。はやてはそんな彼に寒気を覚えた。一体何者だろう――と思ってしまう。その笑みに暖かさは無く、その感情は読み取れず、ただ冷酷だ。人として考えられる、悪の全てを閉じ込めたかのような、深く暗く無関心な、笑み。

 

「アステア!」

 

 ティピがはやて達の表情を見て、アステアが今どんな顔をしているか気づき、叱責する。が、アステアは笑みを消さなかった。

 

「人間嫌いの俺にしては随分な譲歩だろ? カーマインを助けてもらった礼に知りたい情報はやると言うのだから。本来は答える義理が無い話だからな」

 

 あまりにもぞんざいな言い草に、間髪入れずに応えたのは、狂気を瞳に浮かべた青年――アルフだった。茫洋とした仮面を脱ぎ捨て、抜き身の刃のような眼光をアステアに向けて、朱唇を割る。

 

「それでいい。こっちも下手に関わられちゃ面倒だ」

 

「話が早くて助かる。――何を聞きたい」

 

 アルフの答えに満足気に頷き、アステアがアルフに問いかけた。アルフも周りに目をくれず、アステアだけを見て問いかける。

 

「まず、ゲヴェルについてだ」

 

「ゲヴェルとは、闘うためだけに生み出された生体兵器。人間と変わらぬ姿をしているが、その実は人間を遥かに凌駕する身体能力がある。具体的には――人間では考えられぬ反応速度、瞬発力、持久力、筋力――そして、再生能力だ」

 

 軽くざわめく会議室の空気を無視して、アルフが問いを続ける。

 

「ゲヴェルってのは全員お前のような顔をしているのか?」

 

「ほとんどが俺達と同じ顔をしている。元々は異形の化け物だったが、いまや人間タイプの方が主流でね」

 

 肩をすくめながらアステアが返す。彼らは世間話でもしているように軽く流して行く。その言葉の裏に、一体どれほどの意味を隠しているのか。はやては頭の痛くなる思いで二人の会話を聞いていた。

 

「お前と同じ顔をした奴は、全部で何人居るんだ?」

 

 核心と呼べるその問いにアステアは至極アッサリと答えた。

 

「約百人」

 

「――!? その全員が、お前のように次元を渡れるのか?」

 

 さしものアルフも一瞬、表情が固まった。だがそれだけだ。アステアの瞳に嘘が無いと感じたのか、それとも他に興味があるのか、アルフは素知らぬ顔で話を続ける。次元を渡れるのか、と。

 

「時空干渉能力に関しては、大小がある。そうだな……。大体、渡れるやつは十人にも満たん。また渡れる奴らの中でも、絶対に異世界には行かん者も居る。立場上な」

 

 淡々と返しながら、アステアはこの質問に先ほどまでより慎重に応えている自分に気付いた。つまり、この質問こそが、この男の本命であると指に嵌めた石――世界の真理を見通す精霊石(アルスィ・オーブ)が教えてくれたのだ。彼が嵌めている銀の指輪もまた、問わねば答えぬ模造品だった。

 そんな諸事情を知らないアルフは、表情を変えないまま問う。

 

「その能力は行き先を指定できるのか? つまり、施設を襲った奴は自分の意志でこの世界に現れ、管理局のオーパーツ(ロストロギア)を奪った」

 

「まあな。奴は傀儡だから、厳密に言えば意志などないんだが……」

 

 素知らぬ顔で訊いてくるアルフを見据えながら、アステアは鼻を鳴らした。この男(アルフ)にとって、ゲヴェルの事は『ついで』だ。本命は時空の壁を超える能力(コネクション)。アステアは集中する。アルフが何故それを求めるのかを石に問い、自分でも予測を立てながら――

 

「……なるほど。最後の質問だ、この世界に最も大きなゲヴェルの波動を感じたって言ったな? お前らの他に後何人――いや、何体来てる?」

 

「――そうだな。俺やカーマインを抜いて確実に居ると言えるのは、2体」

 

 アルフの問いに答えながら、アステアは三つの作業を同時に行った。一つアルフの思考の先読み、一つ石を使わなかった場合の自分の素直な回答、そして最後に――この男の本質を探る。

 

「じゃあ、管理局を襲った犯人の他に――もう一人!?」

 

 なのはが、アステアの答えに声を荒げた。

 

「――なるほどね」

 

 アルフは素直に、アステアの言葉を受け取ったように見えた。

 

「話は終わりだ。では、俺はそろそろ医務室へ行かせてもらう。監視対象が一つにまとまっているほうが、貴様らとしても都合がよかろう? 敵かも知れない奴の話を、鵜呑みにはできんだろうからな」

 

 アステアも静かに、殊勝な態度でこの場における最も効率の良い選択を口にする。さも自分は『協力してやっている』と言わんばかりの態度で。

 アルフが口端をつり上げた。

 

「――話が早くて助かるぜ」

 

 この場にいる中で、はやてだけが二人の会話の真実に気づいていた。

 

(一見、協力してるように見えるけど――アステア君は、この場を一刻も早く去りたいだけ。その為に、必要な回答を選んでるに過ぎへん。それをシャスは知ってて、警戒されてるんを分かった上で訊いたんや。自分の推理に必要な糸口となる『情報』を)

 

 余計な情報を流したがらないアステアと、少ない言葉でより多くの実を取る質問を仕掛けるアルフ。

 この二人の間に流れる微妙な緊張感に、はやては胸元で拳を握った。だが、このはやての考察すらも――この二人にとっては演技である可能性が高い。

 

(一体……どんな頭してるんや、二人とも……)

 

 はやては、ぅぅ、と呻きながら、こっそりと溜め息を吐いていた。




ティピ
「ティピと」

フェイト
「フェイトが――」


ティピ&フェイト
「「行く!」」


ティピ
「というわけで、今回から始まりました。あとがき専用コーナー、皆のアイドル、ティピと」

フェイト
「皆の主人公、フェイトが」

ティピ&フェイト
「「オラクル空間にて各話の解説を(おこな)っていきたいと思います!」」


 どんどんどんどん、ぱふぱふ~っ!


ティピ
「いや、楽器がないからってなんで口で言わなきゃならないのかしらね……」

フェイト
「このスタジオ、しょべえ……!」

ティピ
「スタジオってなによ、スタジオって? ――まあ、座談会なんだから似たようなものだけどね」

フェイト
「とにかく話を始めよう。今回、第五話! ……区切りがいいよね、五話」

ティピ
「話の内容じゃないのかよ!?」

フェイト
「いや、五ってさ……おさまりがいいと思わないかい?」

ティピ
「なにかないのかよ!? 話で!!?」

フェイト
「いやだってさ、内容とか迂闊に話しちゃうとネタばれとかしちゃうじゃん? それは僕としては避けたい所?」

ティピ
「じゃなに話すのよ、ここで?」

フェイト
「まあ感想かな」

ティピ
「感想……?」

フェイト
「僕ってやっぱこうさ、機動六課の皆と打ち解けてるじゃない?
 それに比べ、アルフはどうなってんだよ。あいつさ、主人公やる気あんのかね?」

ティピ
「『主人公』って言うよりも、悪役って感じのセリフが多いわよね。基本的に」

フェイト
「まあ、それよりどす黒かったラグナさんのおかげで消えちゃったわけだけどさ。
 でもさ。皆、忘れちゃいけない。アルフ(こいつ)が大悪党であることを。
 ――だってそうだろ!? お前、はやてさんに何やってんだぁあああああ!! 許さんっ! 許されんっ! そう思ったのは、僕だけじゃ無い筈だっ!!」

 フェイトは拳を震わせた。

フェイト
「だから僕は断言しましょう! アルフに近寄っちゃいけません! 女性限定で!!」

ティピ
「まあ、でも――それもさ。訓練だって言ってるじゃん?」

フェイト
「訓練だからってね。女性の心をもてあそんじゃいけないんですよ。いくらなんでもあれはいかんだろ。あれ舐めてるよ、女心を。アイツ絶対後ろから刺されるよ」

ティピ
「刺されそうにないけどね~」

フェイト
「下手な殺気だと喜ぶ変態だからな、あいつ」

ティピ
「それにしても、結構いかつい男性キャラ増えたよね」

フェイト
「レジアス中将とラグナだけじゃないか!? いかつかったの!!
 まあスバルの父(ゲンヤ)さんはいぶし銀だけどさ」

ティピ
「いやいや、おっさん率上がってるわよ」

フェイト
「僕はそんなことよりさ、ティピちゃんの身長がでっかくなってることにびっくりなんだけどね」

ティピ
「これはね、リィンに合わせたのよ」

フェイト
「合わせたってサイズを?」

ティピ
「そうそう。パッと見、『融合(ユニゾン)(タイプ)』って言うのに見せたかったのよ。
 で、こっちの世界に来たときに気付いたんだけど、あたしのサイズとリィンたちのサイズは倍近く違うの。それで急遽、体を大きくしたんだ。
 本編で言及されると思うけど、大本の理由はそれなんだよね」

フェイト
「――軽くネタバレしてない?」

ティピ
「大丈夫! 今のは本編には関係ない話だもん!」

フェイト
「な、なるほど?」

ティピ
「とまあこんな感じで、話に関する『裏話』なんかを、このあとがきで明かしていきたいと思いま~す!」

フェイト
「ちなみに、リィンの身長は三十センチ、ティピちゃんの元世界での身長は、十六.四センチだよ!
 え~、次回はリリカルなのは主人公、エース・オブ・エースの高町なのはさんをゲストに迎えたいと思いま~す」

ティピ
「うわぁ! 豪華だね~!」

フェイト
「……うん、なんとなく……
 なんとなくそんなノリだったよね……。これラジオパーソナリティー(ゼノス役)大変だな……」

ティピ
「では今回はこれまで! 以上、ティピと!」

フェイト
「フェイトでした」


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back phase 幼きアレンとカーマインの出会い

 銀河の三分の一を掌握する一大勢力――『銀河連邦』。

 

 比類なき科学と資金を用いて、巨大勢力へとのし上がったこの組織は、銀河連邦軍と言う、絶大な武力を持っている。

 宇宙空間を航行する戦闘艦技術は向上に向上を重ね、もはや戦争と言えば、惑星を消滅させるエネルギーを有する『クリエイション砲』を積んだ艦隊同士の争いを指すまでになった。

 

 とはいえ、たとえ戦う場所が宇宙に移ろうと、争いを起こすのはやはり人類である。

 スパイ活動は高度な電子化によって過熱を極め、数百億もの星々が一つの組織として成り立つ銀河連邦では、様々な人種による犯罪やテロ工作が後を絶たない。

 地球人を始めとした人間(ヒューマン)(タイプ)を遥かに超越する存在が、宇宙には跋扈している。

 

 そんな時代にあっても、『地球人』の地位は銀河連邦内で盤石だった。

 理由は、一つ。

 

 地球人のみで結成した銀河連邦軍最強の部隊――特殊任務施行部隊。

 通称、『特務』と呼ばれる者たちが、常に地球人の強さを他の人種に証明してきたためだ。

 

 彼らは四百億人以上いる同胞の中から、二百人だけを抽出して結成した最強の特殊部隊。戦闘、諜報、後方支援――あらゆる面において、彼らは優れた技能を持つ。

 特務は第一小隊から第四小隊まで成り、数字が若いほど、より優秀で制圧力の高い部隊として認知されていた。

 

 

 幼いアレンが目指すのは、そんな気も遠くなるような倍率の一人。

 八億分の一。

 

 特殊任務施行部隊の、第一小隊に所属することだ。

 

 それが、父との約束である。

 

 

 ◇

 

 

 今時珍しい板間が、二十畳ほどある。

 有体に言えば道場だ。

 アレンが一日の大半を過ごす場所だった。

 

 宇宙暦七五二年。

 アレン・ガード、十一歳。

 

 百四十センチほどの身長の彼は、真剣を握りしめていた。

 凛とした蒼瞳は鋭く前を睨み、光る。

 

 じり……、

 

 アレンは刀を下段に構えたまま、左に一歩、摺足で動いた。

 

 ……じり、

 

 父も半歩、動く。

 互いに真剣を持って、二人は間合いを――飛び込むタイミングを、気配を読み合う。

 

 じり、じり……

 

 円弧を描いて移動したアレンは、刀を下段から正眼に構える。父は下段のまま、微動だにしない。

 道場に射し込む光は少なく、早朝の爽やかな風が、二人の素足を撫でる。冬に差しかかろうとしているこの時期の風は、――冷たい。

 

 父は泰然と立っている。

 アレンと同じ――濃い蒼の瞳だ。男らしく引き締まった顔立ちで、母親似のアレンとは少し、毛色の違う顔。

 だが、

 この父――リード・ガードとアレンは、目がよく似ていた。

 色白だったリードの肌は、紫外線の影響で黒ずんでいる。年齢は三十三歳。いかにも軍人らしい厳格な男で、長身で筋肉質な体を黒ずくめのトレーニングウェアで覆っている。

 

 父から発せられる鋭い気迫を、アレンも気迫で押し返しながら止まる。

 ぴたりと、間合い二メートル。

 瞬間。

 父が駆った。

 

 ドンッ(・・・)

 

 活人剣で強化された身体能力で――父は、重い踏み込み音を立てる。

 アレンはカッと目を見開き、刀をふり上げた。父の初動は――

 

(疾風突き!)

 

 アレンの予測通り、父の真剣がアレンの顔、真横を過ぎる。風を巻いた鋭い突き。アレンは軽く首を傾げて躱しながら、父の首目掛けて刀をふり下ろす。

 

 父は素早く反転し、アレンの切っ先に己が真剣を叩きつけた。下段からのふり上げ。両者、剣戟音を立てて正面からぶつかり合う。

 鍔迫り合い。

 力は――父が上。

 

「ぉおっ!!」

 

 鋭く吼えたアレンは、刃の向きを変え、半ば体当たりするようにして、鍔迫り合いを解く。

 瞬間。

 両者の刀に、蒼白の気が宿った。

 

「吼竜破!」

 

 同時、親子は刀をふり下ろす。

 薄暗い道場が光に包まれ、アレンと父の気龍が中央でぶつかり合った。

 風が巻き起こる。

 二メートル近い龍の顔は鋭く牙を剥き、互いに吼え合いながら激突する。

 

 練気は――五分。

 それを確認する前に、親子は同時に駆けていた。気龍が散り、光が晴れると共に互いの剣を薙ぐ。

 ――剣舞『鏡面刹』。

 横薙ぎから始まる五連斬を、両者、真っ向から打ち合う。――剣速も、五分。

 

「っ!」

 

 腕力に劣るアレンが、後ろに退けられる。

 同時。 

 踏み込んでくる父に向け、アレンは抜刀術で応えた。

 父は上段からのふり下ろし。アレンは抜刀術。

 

 ……ィンッ!

 

 緊張が場を満たし、剣戟の音が止む。静寂は痛いほどピリピリと肌に突き刺さり、両者、相手の首許に刀の切っ先を突きつけていた。

 

「………………」

 

 どちらも互いを睨み、怯まない。

 そして――

 ゆっくりと刃を退けた二人は、刀を納める。眼光は立ち合いが終わったと言うのにまだ鋭く、敵の動向を探っている。

 

 

 そんな息子を見据え、リードは満足げに鼻を鳴らした。

 稽古後、アレンが几帳面に一礼をして、踵を返す。リードは若輩ながらも銀河連邦の一翼を担う軍人だ。ガード家はまだ小さな家系に過ぎないが、リードは頭の切れる男として政治家からの覚えがいい。それゆえ、父がガード本家にいる時間は少なく、アレンもそのことを承知している。

 リードはふと、道場を去ろうとする我が子を呼び止めた。

 

「アレンよ、お前に話がある」

 

 そう言うと、アレンは足を止め、ふり返った。

 妻によく似た顔の息子は、その蒼瞳だけが生意気にこちらを見据えている。この反骨心の強さが、息子の才能をのし上げる一番の理由だった。

 アレンには五歳のときから、成人用の真剣を持って戦うよう――徹底して教育している。

 

 銀河連邦最強は、『地球人』でなければならない。

 

 そのために結成された特殊部隊に、いつか“ガード流”を使わせる。

 それが、リードの最終的な野望だった。ガード流は、地球人の身体機能を極限まで高め、相手を確実に殺傷せしめる武術だ。

 

 だが、まだ家が小さいために連邦軍の正式な格闘術には認定されていない。

 軍人の地位を押し上げるためにも、リード率いるガード流は、銀河最強でなければならない。それを証明するために、彼は息子に、ありとあらゆる努力をさせているのだ。

 

 アレンが初めて真剣を握ったとき、母と離別させたのもその一環。

 

 強い眼差しを向けてくる息子に、リードは口端をつり上げて、言った。

 

「――ついて参れ」

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 惑星ストリーム。

 朝の稽古を終えて、初めて父に与えられた任務は、謎多き無人惑星――その調査団の護衛だった。

 アレンの他に、銀河連邦軍人――見た所、一般士官のようだ――が二人、派遣されている。どちらも人の良さそうな青年だった。

 調査団のリーダーは、ロキシ・ラインゴッド。

 

 まだ三十前後の若い学者だが、将来必ず紋章遺伝学の権威になると言われており、彼の出す論文は、その時々において、衆目を集める発見や、画期的な発明ばかりだ。

 しかし、ロキシは、同じ筋の権威学者にも毅然とした態度を貫くことから、古い学者たちには忌み嫌われている。その勢力の嫌がらせとして、“変人”の名を欲しいままにしているが、本人は気にしていないようだった。

 

 衆目を集める論文を書くゆえ、彼はテレビに出る機会も多く、端正な顔立ちと独特の言い回しが受けて、一般人からは歓迎されている。

 ロキシの妻、リョウコ・ラインゴッドも優秀な学者だ。

 

 この調査団の副リーダーに当たるリョウコは、ロキシとは違い、周りと調和して、うまく溶け込めるタイプの女性である。才色兼備と名高い彼女は、結婚を機に公の場を退いた。

 今は完全に夫をサポートする存在だ。

 

 アレンの父、リード・ガードは人を褒めることを知らない男であったが、このラインゴッド夫妻については、“連邦になくてはならない存在”として、アレンになにがあっても二人を守るよう言いつけた。

 アレンは父に与えられた無銘の刀を手に、砂塵多きこの無人惑星――ストリームに降り立つ。

 

「話には聞いていたが、本当にまだ幼いものだね」

 

 調査団リーダー、ロキシ・ラインゴッドに声をかけられ、アレンは几帳面に一礼した。

 

「この度はよろしくお願い致します、ロキシ・ラインゴッド博士」

 

 丁寧に答えると、ロキシは目を丸めて、穏やかに笑った。

 いつも通り、アレンの周りは大人ばかりだ。浮いているとまでは行かずとも、十人ばかりの調査団に混じる彼を、ロキシなりに気遣ってくれたようだ。その気配りに感謝しながら、アレンは調査団の後に続く。

 

 荒野ばかりが広がるこの惑星は、それでも大気組成が地球と同じで、ガスマスクなどの特殊装備を要しない。

 ただ、風が強い。

 赤茶色の砂塵が舞い、二メートル先も見渡せないほどだ。

 アレンは調査団が持ってきたテントと研究機材の塊を背負い、黙々と歩く。

 

 時間にして、小一時間ほど。

 

 この惑星内で一番の調査対象たる『タイムゲート』が、目にとまった。

 

 タイムゲートは十五メートルほどの、白い石の様なもので出来た、縦長い長方形の門だ。

 門――と言うより、鏡枠のようにシンプルで不思議な造形物。

 それにアレンたちが近づくと、不意に地響きが起きた。

 

 ゴゴゴゴゴ……!!

 

「な、なんだっ!?」

 

 アレンは刀に手をかけ、構える。調査団の最前線に位置した彼を止め、ロキシがにやりと口端を緩めた。

 

「心配することはない。これは通常動作だよ」

 

「通常動作……?」

 

 首を傾げながら、アレンはタイムゲートを見る。ただの鏡枠に過ぎなかったタイムゲートの石が、動いた。二重枠になっていた門が回り、上辺の石を中心に交差する。

 上空から見ると、『一』だったタイムゲートが、『X』状に開いた形だ。

 交差した石が、蒼い透明なスクリーンとなって像を映し出す。細かな字が流れ、いくつもの小さな映像が、早送りするようにくるくると変わっていく。

 

「???」

 

 アレンはタイムゲートを見上げて、ぉぉ、と声を上げた。

 

 ――良く分からないが、凄い。

 

 それが素直な感想だ。

 タイムゲートの調査は三カ月を予定しており、一同はタイムゲートの作動を確認するや、先に寝床の確保――テントを張る作業に取り掛かった。

 テントを張り終わったあとは、博士たちの調査を遠目から見守るばかりの作業が続いた。

 

 

 

 十日間。

 特に目立った発見もなく、淡々と時間だけが過ぎて行く。それでもロキシたちにしてみれば、未知との対面は心躍るものがあるらしい。

 

「ごめんなさい。ちょっとこの機材、持っててもらえるかしら?」

 

 体が鈍らないように、アレンがトレーニングをしていると、リョウコに呼び止められた。

 アレンはテキパキと動き、彼女に言われた通り、機材を持って立ち止る。アレン以外の護衛役――連邦軍人も、別の場所で同じように機材持ちとして使われているようだ。

 

 護衛任務と言う大層な名目を付けられたが、その実、雑用がメインだった。

 アレンは小さく息を吐く。

 緊張が、徐々に解れた。

 

「……?」

 

 と。

 そこで彼は、タイムゲートの巨大スクリーンが明滅しているのを見た。いつもなんの変化もなく――蒼い透明なスクリーンを映し出すに過ぎなかった額縁が。

 

「リョウコ博士、あれは――」

 

 なんの変化ですか?

 と、アレンが問おうとしたそのとき。

 

 タイムゲートは眩い光を放ち、

 そして――

 

 ………………

 …………

 

 最初に飛び込んできたのは、パシャンッという水音と、青空に浮かぶ太陽。そして自分の服と手を濡らす――流水の感触だ。

 

「っ!」

 

 頭に降りかかる水飛沫を、アレンは頭をふって払い落す。

 

 と。

 目の前に少年がいた。右目が金、左目が蒼銀の不揃いな瞳を持つ少年。彼の艶やかな黒髪は陽光を浴びて美しく輝き、蒼銀の瞳を隠すように、長い前髪が左にかかっている。

 彼は、“人”と称するにはあまりに美しく――精緻な彫刻のように無表情な少年だった。

 年齢は自分と同じ、十一歳くらい。

 

 彼の後ろに、彼と同じ顔の少女が立っていた。

 ――双子だ。

 少女の方は、肩にかかる黒髪の長さだった。

 

「あ、あの……!」

 

 アレンが口を開くと、少女は後ろをふり仰いだ。

 

「人が落ちてきたぞー!!」

 

「え……?」

 

 建物に向かって、大声で叫ぶ少女。

 ものの数秒で、わらわらと同世代の少年が現れた。どうやら“かくれんぼ”の最中だったようだ。

 

「え?」

 

「なになに?」

 

「どーした? シーティアちゃん」

 

 好奇に目を丸めながら少年たちが寄ってくる。アレンが視線を横にふると、自分が噴水に座り込んでいるのだと分かった。

 

(ああ、それで――)

 

 ずぶ濡れになった自分自身を見下ろして、アレンは納得する。 

 視線を――双子に向けた。

 

「あの、ここは……――」

 

「ここはローランディア王都、ローザリア。広場の噴水だ。……それで、アンタはどこから落ちてきた?」

 

「……ロー、ザリア……?」

 

 要領を得ず、瞬く。

 ここが町であることは、景色を見ればわかる。だが、聞いたことのない町の名前に、アレンは戸惑った。

 美貌の少年は相変わらずの無表情で、淡々と続ける。

 

「三国大陸の北西に位置する国だ。名前くらい、聞いたことあるだろ?」

 

 少年の口ぶりから、この“ローランディア”という国はそれなりに知名度の高い場所なのだろう。アレンは首を傾げながらも噴水の縁に手をかけ、水場から外に出た。

 

「ぁ……、」

 

 その際、少年が手を差し伸べていたことに気付く。行き違いになった行為と厚意に、アレンは思わず固まった。

 

「気にするな」

 

 少年はアレンの機微を感じ取ったのか、手を引っ込めてそう言った。アレンは頭を下げる。

 

「すまない」

 

「なぜ謝る? ……変わってるな、アンタ」

 

 自分と同じ年嵩の少年に言われ、アレンはそうなのか? と首を傾げた。

 

「おい! そこのお前。いつまで私の弟と話しているつもりだ。弟から離れろ。それは私の所有物だ」

 

 服の水気を切っていると、双子の少女に怒られた。

 途端。

 表情を見せなかった少年が、ムッと明らかに不機嫌になる。少年は姉を睨んだ。

 

「いつ、俺がお前の持ち物になった?」

 

 アレンに話しかけるときとは違う。低い声だ。

 少女はふふん、と鼻を鳴らして腕を組んだ。

 双子が睨み合う。

 アレンはその間に、町を観察した。

 

 町は白い石畳を敷いており、木や石を使った家屋がほとんどだった。町の雰囲気はおっとりとしていて、家々の色調には繊細な美しさがある。一番彼が不思議に思ったのは、地面から浮かぶようにして――まるでシャボン玉が空に吸い込まれて行くように飛んで行く、光の塊だ。ちょうど人の拳一つ分の大きさ。

 

 光の球に触れてみると、“紋章力”を感じた。まだどの属性にもなっていない、紋章力の原石――とでも言うべきなのか。

 ともかく見知らぬ場所であることに変わりない。アレンはそう結論付けて、踵を返した。

 長居無用だ。

 

「すまない。俺はこの辺で失礼する」

 

 言うと、じろりと少女が腕を組んだまま、アレンを睨んできた。

 

「怪しい奴だな。この辺の服も着ていないし」

 

「ということは、アンタはこの国の外からやってきた旅人か? その年で? 家族はどうしてるんだ?」

 

 美貌の少年は、わずかに目を丸めて尋ねてくる。表情はないが、心配しているようだ。彼の問いは的確で、アレンの事情を要点で捉えようとしているのが窺えた。

 

「……すまない。突然のことで、俺もよくわからないんだ……」

 

「家族とはぐれたのか?」

 

「かも知れない」

 

「特徴は? ローザリア王都内なら、数刻もあればアンタみたいな服装の奴を見つけられるが」

 

 問う少年に、アレンは首を横にふった。

 出来るだけ、町の住人と関わらない。この信条は、彼が銀河連邦軍に属する人間であったからだ。

 

 未開惑星保護条約――一定の文明水準(レベル)に達していない惑星住人と接触するのは、銀河連邦法で堅く禁止されている。この条約を破れば、たとえどんな身分の者でも罰せられることになっている。

 

 つまり、罰せられれば、『一人前の軍人――特務第一小隊の隊員になる』という父との約束が遠退くのだ。

 母に会うためにも、アレンは妙な所でつまずくわけにいかない。

 

「ありがとう。――しかし、自分で探すから心配いらない」

 

 少年の親切に感謝して一礼すると、反対側から少女が、ふん、と鼻を鳴らした。

 

「ほぅ? お前、本当に家族とはぐれたのか? 怪しい奴だ……、お前ら! とっちめてやれ!!」

 

「「「うぃ~!!」」」

 

 少女を取り巻く少年たちが、嬉しそうに声を揃えた。

 美貌の少年が、あからさまに眉間にしわを寄せる。

 

「いくらなんでも一人相手に数人がかりってのは、卑怯だろ」

 

「うるせぇ! シーティアちゃんに逆らうなっ!!」

 

 取り巻きの一人が美貌の少年に殴りかかる。

 少女は目を丸くした。

 

「コラッ! 私が殴れと言ったのは、そいつじゃない!!」

 

 叫ぶ。が、彼女が心配するまでもなく、美貌の少年はあっさりと取り巻き少年の拳を止めていた。拳をふるった少年を見つめ、彼は声を落とす。

 

「人に向かってあっさりと拳をふり回す奴は、感心しないぞ」

 

 彼はそう言って、取り巻き少年の手を離すと、アレンに向き直った。

 

「行こう。アンタの人探し、付き合うぜ。――シーティアの子分といるよりマシだ」

 

 噴水広場には多くの子供がいたが、彼とウマの合う者はいないらしい。

 一片の未練も感じさせずに言う少年に、アレンはふるふると首を横にふった。彼の事情は分かったが、アレンとて引き下がるわけにはいかない。

 

「君の親切はありがたいが、しばらく一人で探してみるよ」

 

「生憎だがこの街は入り組んでいて、初めての人間ではすぐに迷ってしまう。――と言うか、アンタ本当に家族とはぐれたのか? そこまで(かたく)なに拒絶するとは」

 

 わずかに目を細めて、様子を窺ってくる彼に、アレンは思わず苦笑した。

 双子の姉――シーティアも、疑わしげにアレンを見る。

 

「本当に怪しい奴だな。剣を持っていることだし」

 

 言われて、アレンはハッと腰に差している刀に触れた。――確かに。町中で、子供が持つものではない。

 アレンほどの、特殊な家の事情でもない限り。

 表情を凍らせたアレンの反応を見て気を良くしたシーティアは、整った朱唇をニッとつり上げた。

 

「……面白い」

 

「今度はなにを考えた?」

 

 姉を睨んで、少年――カーマイン・フォルスマイヤーは眉をひそめる。

 シーティアはにんまりと笑った。

 

「おい、そこの怪しい奴」

 

「……随分な言い草だな」

 

 キョトンとするアレンに代わり、カーマインが横から言う。

 

「気にしないでくれ。口と性格が悪いんだ」

 

「……」

 

 姉をそう断言するカーマインを、アレンは首を傾げながら見て、瞬いた。そんな二人の様子が仲良さそうに見えて、シーティアの眦がつりあがる。

 

「そいつは、私のだ。勝手に近づくなと言ったぞ」

 

「だから、いつ、俺がアンタのモノになった?」

 

 一つ一つ、区切って聞くカーマインだが、シーティアは聞いていない。静かに、自分の右手に嵌められた黄金の指輪を握りしめる。

 黄金の粒子となり、シーティアの指輪は一振りの刀へと変化した。

 

「……!!」

 

 アレンの表情に緊張が走る。

 

(物質変化だと?)

 

 子どもが持つにしては、高価そうな金色の指輪。それが光と成って刀に変化した。普通の刀よりも柄が長いそれを、シーティアは慣れた動きで腰の剣帯に通す。

 と、

 刃を鞘から抜き放った。

 

「どういうつもりだ?」

 

 刀の切っ先を見据えながら、アレンは冷静に問う。

 シーティアの動きに無駄はない。

 

(――どこかで、訓練を受けている)

 

 警戒の色が、アレンの瞳に宿った。

 シーティアはニヤリと強気に笑う。顎でアレンが腰に差した刀――業物でもなんでもない無銘の刀を示す。

 

「そんなおかしな作りの刀を持っているんだ。結構やれるんだろう?」

 

「悪いが、俺の剣は見世物じゃない」

 

「聞こえないな。構えろ」

 

 強引なシーティアに、アレンはわずかに目を細めた。風の流れ、気の流れが、彼女の臨戦態勢を物語っている。

 白昼の街中で、剣を抜いてはならない。

 

 そう厳しく教えられているアレンだが、この洗練された動きをする少女を相手に、果たして素手で生き残れるかと問われれば、答えられない。

 アレンはまだ、シーティアの実力の底を計れずにいる

 アレンはゆっくりと息を吐き、刀を構えた。

 

(……少なくとも、ガード流は秘密にしておいた方がいいな。未開惑星のようだし。彼女の気が済むようにしよう)

 

 剣を抜けば、アレンもそれなりに腕に自信がある。それゆえ、そんなことを考えていたアレンにシーティアが、肉食獣のような目で言い放った。

 

「加減は――しない! いくぞ!!」

 

「!!」

 

 アレンの瞳に映ったのは、とんでもない斬戟の網だった。

 

(結構、速い……っ!)

 

 息を飲みながら、アレンは刀をふるう。鋭い斬戟音に散る火花。

 

(――なに!? 今のを防いだ!?)

 

 シーティアも瞳を見開いて驚愕した。城の正規兵とてシーティアの剣を止められる者はいない。それをアレンは止める。一撃でなく連撃。合間にカウンターのような斬撃まで挟んでくる。

 この事実に、シーティアを初め、取り巻きの少年たちが歓声を上げた。

 

「すげぇ……!」

 

「シーティアちゃんの剣を……!!」

 

 だがそんな遠巻きの声など、アレンの耳には入らない。静かに、彼は意識を集中する。

 シーティアがにやりと笑った。

 

「――面白い。父様以外に、私の剣を防げる奴がいるとはな」

 

「少しは、本気を出さないとダメってことか……!」

 

 互いに相手を認め合い、刀を正面に据える。両者、同時に駆ける。中央で激突。互いの攻撃を紙一重のところで捌き、見切りながら一撃を繰り出し合う。

 一際甲高い金属音が成り、広場の中央で二人の動きが止まった。

 鍔迫り合い。

 腕力で、男のアレンが押し勝てない。

 

 はらり……、

 

 シーティアの肩まで流れる美しい髪が、二、三、散った。

 シーティアが朱唇を割る。

 

「――やるじゃないか、お前」

 

「君も、な」

 

「だが、次で決める!!」

 

 シーティアは刀を寝かせ、下段に構える。対するアレンは刀を正面に据えたままだ。

 次の瞬間、

 刀を繰り出そうとするシーティアに――

 

「いい加減にしなさい! シーティア!!」

 

「――ゲッ」

 

 鋭い女性の声が広間に響き渡った。びくりと肩を震わせたシーティアが、罰が悪そうに顔を歪めて、ゆっくりと後ろをふり返る。

 

 アレンも刀の構えを解かぬままに声主を見ると、藍色の髪をポニーテールにした、三十前後の落ち着いた女性が立っていた。女性は、まだ八歳くらいの小さな女の子の手を握っている。

 

「……母さん」

 

 シーティアは、ぐぅ、と唸りながら女性をそう呼んだ。

 

「まったく。街中で、堂々と大立ち周りをするなんて! それも真剣で!!」

 

「あ、あの――これは……」

 

 なんとか言い訳を試みるシーティアだが、彼女の取り巻きの少年たちは

 

「それじゃ! さよなら、シーティアちゃん!!」

 

「またね~!!」

 

 さっさとその場から居なくなってしまった。

 

「お、おい……! ちょっと」

 

「――自業自得だな」

 

 寂しそうな姉に、冷静な弟の言葉が突き刺さった。

 くっそ~と唸りながらしょぼくれるシーティアを、彼女の母――サンドラは一喝し、それからアレンをふり返る。切れ長のサンドラの目は温かみがあり、アレンが見慣れている父の蒼とは、まったく雰囲気が違っていた。

 

「ごめんなさいね。お詫びと言ってはなんだけれど、服を直させてちょうだい」

 

「…………」

 

「大丈夫? もしかして、怪我でも?」

 

 心配そうに覗きこんでくるサンドラと目が合い、アレンはハッと我に返った。なんでもない、と首をふる一方で、自分の袖を見る。

 

(気付かなかった……)

 

 一センチほどの切れ口を握りながら、アレンはうすら寒いものを覚える。サンドラを見上げた。

 

「お気持ちはありがたいのですが――」

 

「子どもが遠慮することはありません。――さあ」

 

「――え? あの、……!」

 

 笑顔のサンドラに手を引かれながら、アレンは戸惑いながらも王都ローランディアの広間から去っていく。

 それを尻目に、シーティアは自分一人だけ怒られたことに頬を膨らませながら、刀を指輪に戻す。

 と。

 

「あいつ……」

 

「ん? どうした、カーマイン」

 

 普段はあまり口を開かない弟が、珍しく力のこもった声でつぶやいた。

 

「あいつ、凄いな……!」

 

「んなっ!?」

 

 そう言ってカーマインは柄にもなく拳を握る。

 瞳をキラキラと輝かせている弟に、シーティアはこれ以上ないほど目を見開き、口を台形に歪めた。

 

 

 ………………

 …………

 

 広場から、アレンはサンドラに連れられて大きなお屋敷に入った。

 洋館とは少し違う、楕円をいくつも重ねたような独特の造形をした屋敷だ。のっぺりとした薄桜色の壁に、鋭角の黄色みの強い赤褐色の屋根。

 壁と屋根の色は、街全体で統一しているのか、どの家も同じである。

 

 ただ、アレンが連れてこられた屋敷――フォルスマイヤー邸は、他の家々よりも一回り大きかった。

 

 王城のすぐ目の前、という立地も印象的だ。

 

「君の家は、貴族かなにかなのか……?」

 

 リビングに通され、シーティアに袖口を切られた上着をサンドラに預けたあと、アレンは思わずカーマインに問いかけた。

 カーマインはアレンをふり返り、答える。

 

「違う。母さんが宮廷魔術師をやってるだけだ」

 

「宮廷魔術師……!」

 

 アレンは上着を持って部屋に引っ込んで行ったサンドラの方を見据え、思わず息を飲んだ。

 

 

 夕食。

 いつもはレプリケーターで簡素な食事を摂っている。だが、このときばかりは違った。

 この場所には、レプリケーターもなにもない。

 袖口を修繕してくれたサンドラに礼を言ったあと、アレンは彼女の計らいで食事を一緒に摂ることとなった。

 

 パンと具だくさんシチュー、それとローストビーフに似た大ぶりの肉料理、色彩豊かなサラダ……。

 食卓に所狭しと並んだ料理を見て驚いているのはアレンだけだ。カーマインとシーティアはこれが普通とばかりに慣れた様子で、小皿にローストビーフやらサラダを取り分けている。

 

 ――といっても、シーティアが8割、カーマインが2割といったところか。

 大喰らいのシーティアに比べ、カーマインの食は普通だった。

 アレンは自分の前に置かれたシチューに目を落とし、それを一つ掬って、口に運ぶ。

 じわりと、体の奥に温もりが沈み込む様な感覚がした。

 

「…………」

 

 アレンは思わず口端を緩める。少しだけ、寂しそうに。

 

「――とても、温かい。懐かしい味がします。シチューが懐かしいというわけではないのですが」

 

「お前の家は、どれだけ貧乏なんだ?」

 

 料理の感想を言うと、シーティアに呆れたように返され、アレンは思わず苦笑した。

 

「そういう意味で言ったんじゃねぇと思うけどな」

 

 カーマインは澄まし顔でシチューを口に運びながらぽつりと言う。シーティアは首を傾げ、眉をひそめた。

 

「ん? どういう意味だ?」

 

 大きな瞳を瞬く少女に、アレンは首を横にふる。

 

「大したことじゃない。気にしないでくれ」

 

「…………そうだな。人の秘密を詮索するほど、下衆な趣味はない」

 

 カーマインは一瞬だけシチューを飲む手を止め、そう言ってまた、スプーンに口を付ける。

 その達観したようなカーマインの所作に、アレンは思わず苦笑した。

 

(ずいぶん、難しい言葉を使う子だな)

 

 “詮索”や“下衆”など、アレンにはまだ耳慣れていない言葉だ。

 カーマインを見てアレンが瞬いていると、スプーンを置いたシーティアが、ふん、とあからさまに鼻を鳴らした。

 彼女は不機嫌な顔でカーマインを見据え、半眼になって言う。

 

「そんなんだから、お前は友達が居ないんだ」

 

「…………」

 

 どうやらカーマインが難しい言葉を使うのは、一度や二度ではないらしい。

 双子のやり取りを見ながら、アレンは心の中で頷いた。

 

「それぐらいにしておきなさい」

 

 サンドラの声がぴしゃりと響き、カーマインとシーティアの動きが止まる。――しかし、ふん、と同時にそっぽを向いた双子は、鬱憤を晴らすように食事を再開し始めた。

 宮廷魔術師の子どもにしては、ずいぶん伸び伸びとした双子である。二人は作法を気にせず、自分が食べたいように夕食を食べている。

 

 それは座る姿勢からスプーンの角度まで、念入りに教育されているアレンからすれば、少し珍しい光景だ。

 

「――アレン君、だったわね。ちゃんと帰る宛はあるの?」

 

 サンドラに問われ、アレンは顔を上げる。少しだけ、視線を下げた。

 

「今はまだ……。しかし、必ず探し出します。お気遣いありがとうございます」

 

 カーマインたちからどれくらい事情を聞いたのか知らないが、アレンに言えることは、この街の中には、父や調査団の学者たちがいないだろうことだった。

 もしかしたら、ロキシたちならば居るかもしれないが。

 

(……だが、ここは俺だけの被害じゃないとガード家に響く……)

 

 アレンはスプーンを握る手に力を込めた。

 失敗は、目標を着実に遠ざけてしまうだけだ。それが――一番怖い。

 考え込んでいると、カーマインが言った。

 

「母さん、こいつが帰る手段を見つけるまで、俺の部屋に泊めてはいけないか?」

 

「……え?」

 

 アレンは瞬く。夕飯を呼ばれたのはサンドラに強く勧められたからだ。

 伝手のないアレンは思わずその言葉に甘えてしまったが、これ以上の負担は出来ればかけたくない。

 そう思ってサンドラを見ると、サンドラは穏やかな笑みを浮かべて、アレンを見つめ返した。

 

「いいでしょう」

 

「ぁの……」

 

 アレンはおろおろと視線を揺らす。なにをどう言えばいいのか分からない。

 帰る方法が分からないのも不安だが、それ以上に未開惑星保護条約が怖くて、街に居たくない。

 けれど――

 

 このシチューが温かいのも、アレンにとっては事実だった。

 

「…………」

 

 俯いて、拳を握る。

 アレンの沈黙を肯定と取ったのだろう。

 サンドラは穏やかに笑って、頷いた。

 

「アレン君、よければカーマインに外の世界のことを教えてくれないかしら? ワケあって、シーティアとカーマインはこの王都から出られないの」

 

「……王都から?」

 

 葛藤を一度脇に置いて、アレンは顔を上げる。

 シーティアがもぐもぐとパンを咀嚼しながら答えた。

 

「ま、事情があってな。お前の事情を聞かない代わりに、こっちも事情を説明してやる義理はないな」

 

「別に大したことじゃないけどな」

 

 カーマインが肩をすくめて続ける。その双子を見てサンドラが苦笑したのと、サンドラの隣に座っている八歳くらいの女の子――カーマインたちの妹が、不安そうに母の袖を引っ張ったのを見て、アレンは視線を下げた。

 

「……そうか。すまない」

 

「なぜ謝る? むしろ、無礼な言い方をしたのはこっちだぞ?」

 

 カーマインは不思議そうに首を傾げた。

 アレンは答えない。

 

「…………」

 

 沈黙していると、カーマインの隣にいるシーティアが、半眼で弟を睨んだ。

 

「なんだか知らんが、ずいぶんと気に入ったようだな?」

 

「ああ」

 

 カーマインはアレンを見て頷き、ふと瞳をキラキラと輝かせた。

 

「カッコ良かったからな!」

 

「!」

 

 アレンは思わず瞬いた。そんな風に自分の剣術を褒められたことは一度もない。どう反応すればいいのか分からず、言葉を探していると、カーマインは更に嬉しそうに言った。

 

「シーティア相手に勝つなんて!!」

 

 無表情だったカーマインの顔が、嬉しそうに輝いている。大きな瞳を瞬く彼に、アレンは苦笑しながら首を横にふった。

 

「いや、あの勝負は引き分けだった」

 

 鍔迫り合いの段階で、シーティアの髪を二、三本さらったのはアレンだ。

 だがシーティアは、いつの間にかアレンの袖口を切っていた。一センチほど。

 シーティアが胸を張る。

 

「違うな。私が勝ったんだ!」

 

「おい、ちょっと待て。それは言い過ぎじゃないか?」

 

 いくら袖口を切られたとはいえ、一応こちらは髪を切っている――というよりは、有効打をどちらも決められていないのだ。

 アレンは眉を寄せた。シーティアが首をふり、言う。

 

「なにを言う! 私が勝ったんだ!」

 

「違う、引き分けだ」

 

「違う、アレンの勝ちだ」

 

 向かいに座るカーマインとシーティアの妹が、きょとんと瞬いている。末の妹はサンドラを見上げる。すると、いつもは穏やかな笑みを浮かべている母も、このときばかりは困った顔をしていた。

 三人の年相応な主張合戦は、これより数刻、続くことになる――……。

 

 

 結局、カーマインの部屋に泊めてもらったアレンは、帰る方法を探すにもなにをすべきか考えあぐねていた。

 自分が最初にいた、噴水広場に行ってみる。

 規則的に揺れる水面を、じっと覗いた。

 当然のことながら、変化はない。

 

「なぁ、アレン」

 

「ん?」

 

 背中から声をかけられ、アレンがふり返ると、そこにカーマインが居た。この国では木刀の代わりに青銅で出来た剣が練習用として使われている。カーマインはそれを、左手に握っていた。

 

「俺も、剣ならちょっとだけ使えるんだ。ちょっと見てくれ」

 

 そう言われて、アレンはこの場で腕前を見せてもらうのかと思いきや、カーマインに連れられて別の場所に移動した。

 母の言いつけをきちんと守っているらしく、カーマインは街の外には出ない。

 

 代わりに、街の南西にある巨大なマンホールに彼は潜り込むと、そこから下水道を通って、しばらく歩いたあとに地上に出た。

 

「どうしてこんな所、通ろうと思ったんだ」

 

 苦笑するアレンをそのままに、カーマインが地上に出るためのマンホールを開けると、太陽の光が目蓋を焼いた。

 アレンは数秒目を細めて、改めて周りを見る。

 

 空き地が広がっていた。

 

 フェンスで柵をした、小さな空き地だ。この下水道を通って、マンホールから出てこない限り、絶対に子どもは近づけない、そんな隠れた小さな場所。

 カーマインはアレンをふり返り、微笑った。

 

「俺の秘密の場所なんだ」

 

 誇らしげに言う彼に、アレンも思わず笑った。大人びた静かな子だと思っていたが、こういう行動的な面もあるらしい。

 カーマインは改めて青銅剣を握ると、言った。

 

「それじゃあ、ちょっと見てくれ」

 

「ああ」

 

 アレンはクスクスと湧き出る笑いを抑えると、一つ頷いて、空き地を囲むフェンスの傍に腰かけた。

 カーマインは青銅剣を正面に据え、静かに一閃。途端、アレンの瞳が見開かれる。

 

「……っ!」

 

 空間が、ハッキリと斬られたと分かるほどの斬戟。しっかりと体重移動した一閃。

 カーマインはそのまま、剣を二閃、三閃し、高速で移動。高く跳躍し、剣をふり下ろし――岩の眼前で寸止める。

 見事の一言である。

 息を飲むアレンを置いて、カーマインは剣を納める。

 

「どういう風にすればいいと思う? これじゃ、シーティアに勝てないんだ」

 

「……誰から教わったんだ?」

 

 アレンは驚きをともかく脇に置いて、尋ねた。

 カーマインが不思議そうに首を捻る。

 

「見様見真似なんだ」

 

「…………我流、……だと?」

 

 ずん、と沈み込む様な痛みが、アレンの胸にのしかかった。聞いてはならないことを聞いてしまった――そんな感覚に、アレンは自分の手が震え始めるのを自覚する。

 カーマインの見事な剣捌きは、すべて彼の才能。

 それはアレンにしてみれば、まったく考えられないことだった。

 

 

「あいつ、私が剣術を教えてやると言うのに、全く聞かず! そんな奴から学ぼうと言うのか!!」

 

 シーティアはフェンス内にある空き地の木の上から、カーマインとアレンのやり取りを見下ろしていた。

 弟は唯一人、自分だけが知っている秘密の場所だと思い込んでいるようだが、シーティアの溺愛ぶりからすれば、こんな秘密の場所を特定するなど容易いのである。

 

 いつもここでのんびりしている弟を見る度、一体いつになったら自分を呼ぶのかとイライラしていた。

 

(それをまさか、あんな奴に先を越されるなんて――!)

 

 シーティアは片手でクッキーをぼりぼりと頬張りながら、不機嫌に頬を膨らませた。

 

 

 アレンがカーマインに教えたのは、ガード流ではなく、基本的な体捌きだった。ガードの動きは特殊過ぎて、見る者が見ればすぐに分かる代物だ。

 ゆえに、“自分が未開惑星に居た”という痕跡を残さないためにも、アレンはカーマインの自由な剣を極力生かせるよう体術を教えたのである。

 ――次々と。

 

 カーマインは一度言うだけでアレンの教えを吸収し、更に自分が動きやすいようにアレンジしてみせる。真新しいスポンジのような吸収力――というのが謙遜に聞こえるほど驚くべき早さだ。

 まだ教えて半日も経たないのに、カーマインはアレンが使う体術の基礎を全て習得しつつある。

 

 まさに剣を握るために生まれたような少年だった。恐らく、自分が六年かけて覚えたガード流を、真剣に教えたなら、カーマインは三日ほどで全て習得し切るだろう。

 そう確信させるほどに、カーマインは優れた才能に満ち溢れていた。

 アレンには、眩し過ぎるほどに。

 

「なぁ、アレン。アレンは、なんのために強くなるんだ? そんなに強いのに、まだ強くなろうとするなんてなんでだ?」

 

 一日稽古してフォルスマイヤー邸に帰る道すがら、カーマインはふと、そんなことを尋ねてきた。

 アレンは首を傾げる。カーマインの意図が読めなかったことと、自力でここまで強くなれた少年が、なにを思うのか、アレンには分からなかったからだ。

 

 なぜ、強くなるのか。

 

 改めて自分に問いかけてみて、アレンは視線を下げる。腰に差した刀が、ずしりと重みを主張した。

 

「……父に認めてもらうためだ。そうしないと、母に会えない」

 

 慎重に言葉を選びながらつぶやくと、今の状況が、鋭利な刃物のようにアレンの心を抉った。一日でも早く、母に会う。

 それが、剣を取る道を選んだときに、母とかわした約束だ。

 その約束を果たす自信が、この訳のわからない場所にきて大きく揺らいでいた。

 カーマインはそんなアレンの背を見つめ、感心したように頷いた。

 

「母さんに会うためか……。なるほど。なんでアレンがそんなに強いのか――分かった気がするよ」

 

「…………」

 

 アレンはカーマインをふり返らない。拳を固く握ったまま、沈黙するだけだ。

 カーマインは一つ頷く。

 

(きっと、切実な目標があるからアレンは強いんだな)

 

 彼はそう理解する。大の大人が束になっても、シーティアには敵わない。年端もいかない少女だが、シーティアの強さは異常だった。カーマインがどれだけ真剣に姉に刃向かっても、最後の最後で必ず競り負けてしまう。

 

 そんな、カーマインにとっては“化物”のような姉を相手に、アレンは互角どころかシーティアの身体の一部――と、カーマインはシーティアの髪の二、三本のことをそう思っている――を切り裂いた。

 

 それも大人ではなく、自分と歳の違わない少年が、そこまで剣術を極めている。

 カーマインにとってそのことは、なにを差し置いても尊敬すべき対象だった。

 

(俺にもそういう――ちゃんとした理由が出来るかな……。どんなに小さいことでもいいから、それでも譲れないってことを、俺は見つけたいな)

 

 アレンの背を見据えて、カーマインは思う。顔を上げたアレンは、複雑な表情でこちらをふり返っていた。

 

「俺からすれば、見様見真似でそれだけ強くなれるお前の方が凄いよ」

 

 そんなことをアレンに言われ、カーマインは首を横にふる。

 

「でもダメなんだ。まだ一回も、アイツに勝てない」

 

「……」

 

 アレンは少しだけ蒼の瞳を細めて――微笑った。

 カーマインには気付かれないように、少しだけ苦しそうに、辛そうに。

 

 地球人は最強でなければならない。

 そのためのガード流だ。

 

 そう教え込まれた剣術は、この双子の前には一介の凡庸な剣に過ぎない、のかも知れない。

 この眩いほどの、才能の前には。

 アレンはサンドラに修繕してもらった袖口を掴み、思考に歯止めをかけた。

 カーマインは言った。

 

「俺は、さ。強くなって、自分の大切な人を守りたい。――でもシーティアに負けるようじゃ、まだまだだな」

 

 カーマインの中にある想いは、まだぼんやりとしたものだ。だがそれでも、アレンに出合って目標のようなものは見えたような気がしていた。

 アレンが――つぶやく。

 

「…………世界は、遠いな」

 

 空は、どこまでも高く澄んでいて、東側が黄昏に染まりつつあった。

 

(俺は……本当に、特務になれるんだろうか……)

 

 倍率は、八億分の一。

 この場で出会った双子が、自分の目標の高さを教えてくれる。

 

 宇宙は、広いのだ。

 

 きっとカーマインのような才能を持つ者は、一人や二人ではない。

 そんな彼らを相手に、アレンはどこまで行けるのか。

 

(俺は、母さんを――)

 

 本当に迎えに行けるのか。

 

 途方もない不安と焦りに、アレンは拳を握りしめた。いくら心配した所で、自分の腕を上げる以外に道はないのだと知っている。

 それでもただ、がむしゃらに前を見て進むには――アレンは、色々なものを抱え込み過ぎていた。

 

 銀河最強であるという証を、必ずガードの家名に据えねばらならない。

 門下二十万人の上に立つことを、アレンは生まれたときから決められている。

 いまはまだ小さな家。それが、どこよりも強力な軍人の家系に成長するようにと――。

 

「そうだなぁ……」

 

 カーマインがしみじみと頷いた。

 カーマインにとっては、シーティアと互角に戦えたアレンはスーパーマンのようなものだ。だが、そのスーパーマンはシーティアのように偉ぶることも、力をひけらかすこともなく、じっとなにかに耐えるように剣を握っている。

 

 その姿はまさにカーマインの中の、理想の剣士だった。

 謙虚さと向上心を兼ね備えた、強い剣士。

 

 だが、そんなアレンでも“世界は遠い”と思うほど、世界は遠いんだなとカーマインは思う。

 王都から一歩も出たことのないカーマインにとっては、“世界”とは、本の中の言葉でしかない。

 

(だからいつかは、アレンのように――)

 

 カーマインはアレンがそうしているように、空を見上げる。

 澄んだ空は黄昏が東から南にまで迫っていて、もうすぐ一日の終わりを告げようとしていた。

 

 

 フォルスマイヤー邸に戻る前、アレンはもう一度、噴水広場に近づいて行く。

 規則的に流れる水の中に、昇ったばかりの月が浮かんでいた。その月が、沈みつつある太陽の光を浴びて赤く染まる。

 と、

 

「っ……!」

 

 目が眩むような強い光を受けて、アレンは咄嗟に両手で目を庇った。

 光が晴れる前――、カーマインがなにか言っていた気がしたが、アレンの耳には届かなかった。

 

 

 

「ここ、は……」

 

 ようやく光が止んだのを確認して、アレンは手を下ろす。と、風に巻き上げられた砂埃が顔に迫り、思わず目を瞑った。

 今度はゆっくりと、周りを見渡す。

 

 無人惑星、ストリーム。

 

 荒野ばかりが広がるその場所は、白い巨大な造形物――タイムゲートのある惑星だ。

 アレンは背中をふり返って、タイムゲートを確認する。

 

「帰って、こられたのか……?」

 

 首を傾げた理由は、「X」状に開いていたハズのタイムゲートが、いつの間にか「一」に戻っていたためだ。

 アレンが近づいても、ゲートは反応しない。

 

「一体どういう……」

 

 要を得ずに立ち竦んだ。数日前にはあった、研究員用のテントも見当たらない。

 ともかく少し歩き回らねば、状況を掴めそうにもなかった。

 

(まさか博士たちも、俺と同じようにタイムゲートで別の場所へ?)

 

 冷汗が浮かぶのを感じながら、アレンはざくざくとストリームの土を踏む。

 と、

 しばらくして銀河連邦軍の科学探査艦が目に入った。

 

「おぉ~い!」

 

 反射的に諸手をふって、科学探査艦に駆けて行く。だがその途中で、アレンはふと、首を傾げた。

 

(乗ってきた艦と違う……?)

 

 そのことに違和感を覚えながらも、探査艦の傍まで行くと、連邦軍服を着た軍人が、アレンを見るなり目を丸くした。

 

「こ、これは……! アレン様っ!?」

 

 連邦軍人はアレンを見るなり、几帳面に一礼する。アレンには馴染みのない顔だったが、軍人の男は、腰に刀を差していた。

 科学万能の世界で、こんな旧時代の武器を持つのは、“ガード流”を使う者だけだ。

 アレンは連邦軍人を見上げ、問いかけた。

 

「父からの迎えですか?」

 

「ハッ。貴方様のお帰りを、誰よりも深くお待ちしております」

 

「……」

 

 アレンはわずかに視線を下げ、頷いた。軍人の背を追って、探査艦に乗る。

 

「あの、博士たちは無事ですか?」

 

 促された座席(シート)のベルトをするなり、アレンは尋ねた。四十がらみの連邦軍人はアレンをふり返り、少し複雑そうな表情を浮かべて頷く。

 

「ええ。問題ありませんでしたよ」

 

「あれから、どれくらい経ちました?」

 

 アレンは次にこう問いかけた。

 カーマインたちの居た場所に、彼は二日滞在したのだ。

 ならば今は――

 

 操縦席に座った連邦軍人は、アレンをふり返って、言った。

 

「今は宇宙暦七六四年。あれから、十二年近く経ちました――」

 

「……え?」

 

 瞬いたアレンは、頭の中が白くなるのを感じた。

 

 ……………………

 ………………

 

 惑星ストリームにあった科学探査艦は、どうやらアレンを迎えるためだけに置かれたものだったらしい。四十絡みの連邦軍人はそうアレンに説明し、すぐに家に帰してくれた。

 

 一週間ぶりに会った父は、驚くほど老けていて、アレンは思わず尻ごんだ。父は相変わらず、表立ってなにも言わないものの、それでも遠巻きにアレンの無事を歓待した。

 

 いつもは質素な夕食が、ちょっとした立食パーティになるほどには。

 

 それでもそれが、連邦政府を握る政治家との交渉の場となっては、有難みも半減である。アレンは密談を交わす大人たちを尻目に、深い溜息を吐く。

 テーブルに並んだ食事は豪華だったが、少しも――温かみを感じなかった。

 

 

 十四歳になったアレンはある日、父の執務室に通された。道場と同じく板張りの部屋は、この時代にあって酷く珍しいものである。

 父、リード・ガードはアレンをふり返ると、重厚な執務机から腰を上げて、言った。

 

「お前に、今日から母をくれてやる」

 

 思いがけない言葉に、アレンは呼吸も出来ないほどに息が詰まった。

 心臓が鳴る。

 ドクドクと、これ以上ないほどに。

 アレンは母のために剣の腕を磨き、母に会うために日々を懸命に生きてきた。

 だから――。

 

「母に、会えるのですか!?」

 

 その言葉は、何物にも代え難い褒美だ。

 アレンは胸に熱いモノが込み上げてくるのを感じながら、父を見据えた。

 ――が。

 

「これがお前の新たな母、シャンディアと、弟のセイルだ」

 

「――え?」

 

 父に促されて、部屋に入ってきたのは、会いたかった母ではなく、母に良く似た面影の――見慣れない女性と、自分よりも年下の少年だった。

 共にブラウンの髪が美しい、上品な物腰の二人。

 

 シャンディアと紹介された女性は、アレンの母と同じシルバーグレイの瞳をしていた。髪型まで母に似ていて、アレンはごろりと固唾を飲む。

 女性の傍に付き添う少年は、大人しそうな子どもだ。シルバーグレイに、父のアイスブルーが少しかかった灰色の瞳。

 

 父と――シャンディアという女性の面影が半分ずつ見られる、十歳前後の少年。

 “新たな弟”。

 アレンは言葉を失った。

 

「新しい……って……」

 

 狼狽するアレンに、優しい笑みをかけたのはシャンディアだ。

 

「貴方の母、エレナのことは聞いています。貴方の気持を思えば、こんな形で貴方と会うことになったのは非常に残念ですが、気をしっかりとお持ちなさい」

 

 なにを思って、シャンディアが残念と言ったのか。アレンはこのとき分らなかった。

 まさか母が、死の病に侵されていたなどと。

 剣術に明け暮れるアレンは、知らない。

 

「……母を、どうされたのですか」

 

 拳が震えるのを感じながら、アレンは父に問いかけた。

 氷のように冷徹な、父のアイスブルーの瞳。アレンにとって父は恐怖の対象だが、それと同時に、立ち向かっていくべき壁であり、目標だった。

 

 母に会うために、父を超える。

 声を落とし、怒りに震える息子に、父が返した答えは、至ってシンプルだった。

 

「今の貴様に、問う資格はない」

 

「……っ!」

 

 アレンは唇を噛んだ。自分が今、どういう心理状態なのか、詳しくは分からない。

 ただ――、

 父の返答が、悔しい。

 

 彼に認められるほどの軍人でなければ、父はまともに、アレンと話もしない。だからアレンは、父に言い渡される任務を忠実にこなしてきた。――ずっと、一人で。

 ガード家の跡取りとして彼を補助してくれる者はいても、作戦実行を手伝う者は、一人もいない。

 ――人を、斬ることさえも。

 

「……、っ……!」

 

 アレンは拳を握りしめ、自室に戻った。

 見上げた天井が、ただ白い。

 

 かならずや、むかえにいきます。

 

 そうアレンが告げたときの、母の笑顔が脳裡を過る。視界が滲んだ。

 十二年――。

 アレンが失ったときの流れは、母を遠い場所にやるには、十分過ぎた。

 陽の落ちた、暗い部屋の中で――アレンは一人、声を殺して泣いた。

 

 倍率は、八億分の一。

 特務候補生の通知がアレンの下に届いたのは、これより数時間後のことであった。




 のちのアレン氏、軍属を離れた途端好き放題する。




ティピ
「第二回!」

フェイト
「あ、ホントに始まりました」

ティピ
「ティピと――」

フェイト
「フェイトが」


ティピ&フェイト「「行く!」」


ティピ
「え~っと。今回はゲストを迎えております! 前回、ラストで言った通りね!」

フェイト
「時空管理局の白い悪魔ことエース・オブ・エース、高町なのはさんです。ハハンッ!
 ――って、『言え』って書いてんだもん!」

 フェイトは『台本』と書かれた冊子を地面に投げ捨てた。

ティピ
「誰も聞いてないわよ?」

フェイト
「……いや、なんか……非難とかありそうじゃん?」

ティピ
「じゃ、言わなきゃいいじゃん」

なのは
「紹介に預かりました。高町なのはです」

ティピ
「こんにちは~! なのはさん! 今日はよろしくね!」

なのは
「こんにちは。こちらこそよろしくね、ティピちゃん。フェイト君」

フェイト
「ハハハッ! なのはさんは大人だなぁ!」

 フェイトは感心したように両腕を組んだ。なのはがきょとんとした表情でティピに問う。

なのは
「それで、今回なんだけど。どういう話をするの? ティピちゃん」

ティピ
「それじゃあ最初に聞くことはやっぱり――なのはさんて、1期の相棒(ユーノ)さんの事どう思ってるの?」

フェイト
「よねぇ!? やっぱりそこよね!!!? 突っ込むべきなの!!!!」

なのは
「あ、あれ? 感想……じゃないの?」

フェイト
「いやいやいや! 感想って言うか、なんていうか……そんなもん後回しにして、絶対最初に訊かなきゃゃいけないことってありますよね? ティピさん」

ティピ
「アンタにしては良いこと言ったわ。フェイト。
 ――ってわけで、どうなの? なのはさん」

なのは
「えっと……ユーノ君とは友達だけど……」

フェイト
「な、んだ……とっっ!!!?」

 フェイトはカカッと目を見開いた。二、三歩、なのはから後ずさる。

フェイト
「そんな馬鹿なっ!?
 ユーノ君と言えば1期(無印)から2期(A’s)までなのはさんの相棒だった人じゃないか!? なんで3期(StrikerS)で消えてるんだ!? って、思った人いるだろ絶対!! 
 その上、その彼をただのお友達扱いとは……これは、キツイ(・・・)
 主人公取っちゃった僕が言うのもなんだけど、キツイ……!」

ティピ
「なんだかユーノさんって、報われないね……」

フェイト
「もうちょっと報われてもいいんじゃいかな……?」
 
なのは
「えっと。それじゃ今回の解説だね」

フェイト
「っ! 軽く流されたよ……!」

ティピ
「この分じゃ、フェイト・テスタロッサ嬢の義兄(クロノ)さんなんて……。しょっぱい世の中ねぇ……」

 ティピとフェイトは感慨深げに空を見上げた。

フェイト
「僕はしょっぱい通り越して、世知辛かったよ」

ティピ
「とまあ、暗い気分はこのくらいにして! 今回のあとがきね!
 ――って、言ってもね……。なんか話題出すような話ある? ここ」

フェイト
「そうだなぁ……。特に、ないかなっ!」

なのは
「いや! なにかあるから! フェイト君!」

フェイト
「あれ? なにかありましたっけ? なのはさん」

なのは
「例えば――そうだな。
 えっと、シャスはどこであのアウグの事を知ったのかな、とか。
 そう言う所って結構、皆知らないと思うんだけど……。どうかな?」

フェイト
「まあ、シャスだからね」

ティピ
「早っ!? 話題切るの、早っ!!!?」

フェイト
「え? これ以上解説必要? そんなことよりさ――」

ティピ
「来たわよ、第一回に続いて『そんなことよりさ』。なによ?」

フェイト
「ゲンヤさんそば食ってたけど、あのそばって手打ちなのかな……」

なのは
「え!? そこ!!? そばなの!? フェイト君!!」

フェイト
「いや。
 描写されていなかったからこそ、伝えたいものがあるんですよ。なのはさん」

ティピ
「きっと手打ちよぉ! だって、管理局のお偉いさんが行くようなトコだもん!
 二佐って言ったら、かなり偉いんでしょ? きっと普通の庶民が汗水垂らして食べるような『かけそば』とは、レベルが違うのよ!」

フェイト
「あんな庶民的な外観でか!? あの店、結構庶民的だったよな!!?
 許せねえ……! なんて嫌味な奴ら何だ……!!!!」

ティピ
「それが金持ちの道楽ってやつよ……」

フェイト
「許すまじ! 金持ち!!」

なのは
「あの……はやてちゃん達、そんな凄いトコ行ってないと思うよ?」

ティピ
「庶民の『かけそば』よりは、絶対高級亭よ!!」

フェイト
「うん。確かに、かけそばよりは高そうだ。でもかけそば食べる人って、お金が無い人と時間が無い人、二通りいるよね」

ティピ
「要するに時間とお金、両方あるのよ。むかつかない?」

なのは
「そういう穿った考えは、良くないと思うけどな。フェイト君、ティピちゃん」

フェイト
「管理局って儲かるんですね……」

ティピ
「ねぇ~! この場にアルフが居たら、きっと『月給いくらですか?』って聞いてそうだよね」

フェイト
「まあ、確実『特務』よりはハードじゃなさそうだよね……」

ティピ
「管理局の方が労働条件良さそうよね。給料下がるかもしんないけど」

フェイト
「ああ、あいつ鞍替えしそうだなぁ!」

なのは
「ふふ、シャスが中央(こっち)に来るんだったら、私達はいつでも歓迎する用意があるよ?」

フェイト
「たぶん無理だな……」

 フェイトはニヒルな笑いを浮かべた。ティピも遠くを見つめて言う。

ティピ
「もしそうなったとしたら、アルフ辞表出すんじゃないかしらね……」


ティピ
「以上! 今回のティピと」

フェイト
「フェイトが行く! でした!!」


なのは
「あの……、私が来る意味あったのかな……?」

フェイト
「なんて言うか、訊きたい事を教えてくれなかったんです」

ティピ
「じゃ、もっかい訊く? ユーノさんとどうなのか?」

なのは
「ティピちゃん達が何を訊きたいのか分からないなぁ……」

 なのはは不思議そうに首を傾げていた。


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6.空気を読む? なぜ空気が読めるんだい?

NO FAN,NO SO=叫ぶとguts発動率100%、体力全回復する魔法の言葉(ただしフェイトのみが使用可能。シンプルに【気合】とも言う)


 ミッドチルダ首都南東地区を、一台の軍用ヘリが飛んでいる。上空七百メートル。見晴らしの良い空の天気は快晴、風向き北北西、微風――。

 ヘリパイロットを務める機動六課後方支援部隊(ロングアーチ)陸曹、ヴァイス・グランセニックは相棒(デバイス)のストームレイダーが観測する計器類に目を通し、悠々と操縦桿を握っていた。今日は天候が穏やかな事もあり、ヘリを飛ばすには絶好の機会だ。とは言え、見た目上穏やかでも空の天気は移ろい易く、リスクは常に潜んでいる。それを承知で悠然としていられるほどヴァイスはヘリ操縦に長けた人物だった。

 機動六課に導入された最新型輸送ヘリJF704式の調子は上々。

 彼は降り注ぐ陽の光や南東地区の街並みを堪能して、口許を緩めた。

 

「ほんなら改めて、ここまでの流れと今日の任務のおさらいや」

 

 ヴァイスが座る操縦席の後部――人命救助にも対応する広めのボックスシートから、声が上がった。

 機動六課課長、矢神はやてだ。彼女は安定感のある機内で、急旋回に備えて右手で天井を押さえ、後ろを振り返った。ヘリ頭部から見て、右側の席に軍医のシャマルとフェイト・ラインゴッド、左側の席に新人前線メンバー4人とアルフが向かい合って座っている。はやてとなのは、令嬢(フェイト)は、そんな彼らから九十度離れた――操縦席の後ろに張り付くようにして三人、並んで立っていた。彼女達の脇には五十センチ大の中型モニタがあり、それを皆で見ているのだ。モニタには、これまでに令嬢(フェイト)がまとめた捜査関係データが映し出されていた。

 はやては、改まった表情の前線新人部隊(フォワード)陣を見た後、一つ頷き、空中モニタに視線を向けた。

 

「これまで謎やったガジェットドローンの製作者およびレリックの蒐集者は、現状ではこの男――違法研究で広域指名手配されてる次元犯罪者。ジェイル・スカリエッティの線を中心に捜査を進める」

 

「ん?」

 

 青年(フェイト)は首を傾げた。モニタに映る『ジェイル・スカリエッティ』――どこかで見た顔だ。しかし思い出せない。

 おかしいなぁ、とぼやく青年(フェイト)の前で、新人達が更に表情を硬くする。彼等にとっては、これが初の顔見せだ。個別訓練前にアルフが出したデータのことなど、フェイトは綺麗に忘れていた。『ドクター』の異名を持つ広域次元(ビッグネームの)犯罪者。機内に緊張が増していく。

 はやての隣にいる令嬢(フェイト)が、場を和らげるように小さく微笑った。

 

「こっちの捜査は、主に私が進めるんだけど、皆も一応覚えておいてね」

 

「はい!」

 

 令嬢(フェイト)の気遣いも虚しく、新人達はいつもより張りのある返事をした。彼らの視線より高い位置に浮かんでいるリィンフォースⅡが、モニタに次の映像を映す。

 都市部から少し離れた森の中に、美術館か巨大公民館を思わせるホテルがあった。

 リィンフォースⅡは人差指で、モニタを指した。

 

「今日これから向かう先はここ、ホテル・アグスタ! 今日のお仕事は、骨董美術オークションの会場警備と人員警護です。取引許可の出ているロストロギアがいくつも出品されるので、その反応をレリックと誤認したガジェットが出て来ちゃう可能性が高い! ――との事で、私達が警備に呼ばれたです」

 

「この手の大型オークションだと密輸取引の隠れ蓑になったりもするし、色々――油断は禁物だよ」

 

 リィンフォースⅡと令嬢(フェイト)の説明を聞きながら、青年(フェイト)はふむふむと頷いた。ロストロギアをオーパーツとして教え込まれている身として、公的機関以外の人間が参加できるオークションというのはいささか違和感がある。両腕を組んで唇を引き結び、真剣な面持ちになりながらも、やはり微妙に話を聞いていないのがフェイト・ラインゴッドであった。

 

(オークションかぁ……)

 

 彼は物思いにふけっていた。

 天井を見やる。

 

(そう言えば九年前って――宇宙暦六九五年か……。六九五年と言えば、僕が買い損なったファイトシミュレータβ版の発売年なんだよね。あの時は最後の一本を取り逃して悔しい思いしたよなぁ~……――って、んん!? もしかして、買えるのかっっ!? 頑張ったら定価な上に新品でっ!!?)

 

 カッと目を見開くなり、フェイトは膝を叩いた。ファイトシミュレータβ版とは、今や伝説とまで言われる限定二百本の超人気ゲームソフトの試供品である。開発者がギミックにこだわり過ぎた余りロード時間が長く、フリーズやバグの多い代物だが、市場に流れた通常版に比べてシミュレーションステージの出来が良い。発売から九年経とうと色褪せぬ名作は、フェイトがいくら中古オークションを巡っても取引すらされていない逸品だ。

 

(もしかして僕は、今、父さんと連絡を取れたら――開発会社から直接β版貰えるんじゃ……!!)

 

 ダンッ、と拳を握りしめて青年(フェイト)が膝を叩いた。銀河連邦で『遺伝子紋章学』の権威である父は、銀河のさまざまな方面に太いパイプを持っている。青年(フェイト)はぷるぷると震える手で通信機(コミュニケータ)に手を伸ばした。思いつくと、一分一秒が惜しい。なのは達の前で、文明の利器を使ってはならない。だがしかし、しかし――……!

 

「ぬぅううううう……!」

 

 全力で唸る。興奮で一人テンションがおかしいが、対面するアルフ以外は誰も気付いていなかった。

 葛藤したのも数秒、青年(フェイト)はついに「ぬぁああああ!? 父さぁあああんっっ!!!」と叫びながら胸ポケットの通信機(コミュニケータ)を取り出す――寸前、鋭い衝撃が脳天に落ち、青年(フェイト)は自分の体が膝から落ちていくのを感じた。

 

「――()ってぇえええええっっ!!?」

 

 胸にやった手を頭に当て、青年(フェイト)が叫びながらゴロゴロと機内を転げまわった。彼の頭上には、今しがた踵落としを決めたアルフがいる。まるでゴミでも見るような冷めた眼。それで青年(フェイト)を見下ろし、アルフが静かな失笑の後、腰に差した刀の鍔に指をかけた。

 

「コラ、二人とも!」

 

 なのはが腰に左手を据え、右人差指を立てて、メッと叱責する。

 

「今、大事な話をしてるんだから、遊んでちゃダメだよ!」

 

「………………」

 

 アルフが一瞬、鬱陶しげになのはを見据えたが、何も言わずに溜息を吐いて鍔から指を離した。転がる青年(フェイト)をぞんざいに蹴る。

 

「だとよ。さっさと起きろ」

 

「っ痛! て、おまっ……! よくもこんなむごいことを……っ!」

 

 悪代官の断末魔のような声を発しながら青年(フェイト)が起き上がった。アイコンタクトでアルフに「今、通信機(コミュニケータ)使おうとしただろ?」と指摘され、ぐうの音も出なかったことは内緒だ。HAHAHA! と高らかな声で笑って青年(フェイト)が額を叩くと、無言のアルフを余所に、なのはに向き直った。社交的で清潔感のある笑みを浮かべる。

 なのはは二人のやり取りに長い溜息を吐いた。視線を、改めてモニタ画面に移す。

 

「現場には昨夜からヴィータ副隊長他、数名の隊員が張ってくれているから、前線は副隊長の指示に従ってね。私達は建物の中の警備に回るから」

 

「はい!」

 

 青年(フェイト)とアルフを見て忍び笑っていた前線新人部隊(フォワード)が、一転して表情を引き締める。なのはは苦笑混じりに頷き返した。仕方が無いな、と口の中でつぶやいたが、青年(フェイト)もアルフも、言って直るような人物ではないのが厄介である。両腕を組むなのはに、左側からキャロが、おずおずと手を上げた。

 

「あの――シャマル先生。さっきから気になってたんですけど、その箱って……?」

 

 キャロはそう言って、愛らしく小首を傾げた。桃のように落ち着いたピンク色の髪が肩に零れ、地上部隊の制服に広がる。

 質問を受けた軍医のシャマルは、にっこりと微笑んだ。

 

「ああ、これ? 隊長達のお仕事着♪」

 

 鼻歌でも歌いそうな柔らかい口調で、シャマルは顔の前で両手を合わせた。彼女は色素の薄い女性だ。淡い金髪を肩にかからない長さに揃え、外に流している。年齢は二十代中盤。象牙色のきめ細かい肌に、落ち着いた臙脂色の大ぶりな瞳、おっとりした口調と垂れ目気味の顔立ちから、女性の愛らしさと淑やかさが現れている。

 白衣が無ければ保母でもしていそうな彼女に、キャロは、はぁ、と頷き返して、軍医シャマルの足許にある三つの重なったスーツケースを見下ろした。

 スーツケースの中身は、それぞれ色の異なるパーティドレスだった。

 

 

 ……………………

 

 

 南東地区で有名なホテル・アグスタは、上流階級のセカンドハウスとして利用される高級宿である。

 幅広い玄関(エントランス)を抜けると、開放的なロビーに紅の毛の深い絨毯が敷いてある。玄関(エントランス)から見て左側の部屋が、オークション会場だ。いつもは固く閉ざされた両開きの扉が、今は客を歓迎するように開け放たれている。入ってすぐに受付があり、暗すぎないスーツを着た男性が三人、並んでいた。

 

「いらっしゃいませ、ようこそ」

 

 彼等は客に丁寧なお辞儀をし、提出された招待状と身分証明を確認してリストに印を付ける。ここを通る者は皆、紳士淑女ばかりだ。高級なジュエリーやバッグを身に付け、上質なドレスに袖を通して髪型をきっちりと決めている。そんな女性を、これまた高級そうなスーツの男性がエスコートしながら会場に入って行く。

 

「はぁ~……!」

 

 家は裕福だが社交界など参加したことのないフェイト・ラインゴッドは、アグスタに集結した客層に、ぽかんと口を開けた。

 

「フェイト君。前空いてるよ」

 

「あ、はいはい」

 

 左からなのはに言われ、青年(フェイト)は我に返った。受付まで後五メートルほど、フェイト達は列為す客の一人なのだ。ぼうっとしている間に、前の客との間隔が二メートルほど空いてしまった。そそくさと距離を詰めて、フェイトはごくりと唾を呑む。今、彼の左にはピンク色のドレスをまとったなのはがいる。いつものサイドテールを下ろし、オレンジ色の髪を背中に流す様はどことなく色っぽく、控え目なメイクでも彼女の美しさが際立っている。むき出しの肩――特に首から鎖骨にかけてのラインが艶やかで、首許を彩る小振りな真珠(ネックレス)がよく似合った。

 と。

 心臓が脈打ったのを耳にして、青年(フェイト)はカッと目を見開いた。ブンブンと頭を横に振る。

 

(僕はソフィア命、ソフィア命……っ!)

 

 心の中で念じながら、早まりかけた心臓を落ち着かせる。今度は右側から、令嬢(フェイト)が不思議そうに首を傾げた。

 

「具合悪いの、フェイト? もしそうなら、受付が終わった後、休んだ方がいいよ」

 

 周りの迷惑にならないよう、令嬢(フェイト)は声を潜めていた。顔が近い。彼女は青年(フェイト)の顔色を窺うために上目使いだ。こちらは深い紫色のドレス姿。はやてやなのはよりも胸元を強調したデザインで、深い谷間が眩しいほどくっきりと目に入る。薄手のショールを巻いているが、胸元の存在感の前にはまるで役に立たない。彼女の金髪と白い肌は、ドレスの紫によく馴染み、まるで紺碧の空に輝く月のようだ。

 青年(フェイト)はパンッと右手で額を叩くや、悟り切った表情で天を仰いだ。

 

「男って奴ぁよ……」

 

 両手に花である。青年(フェイト)はへの字に唇を引き結ぼうとするもどうにもゆるむ。先程から、男性客の視線が痛い。女性を連れている男性客ですら、美女二人を連れるフェイトを恨めしそうに見ている。

 学生時代から女生徒からもてはやされる機会の多かったフェイトだが、未開惑星で妙な事件に巻き込まれてから六か月。その間にできた『仲間』と言える女性陣からは、ソフィアを除いて、馬鹿だの役立たずだの使えないだのと思いつく限りの罵詈暴言をぶつけられていた。それが今、誰もが羨む女性を二人も連れて、どちらも青年(フェイト)を気にかけ、世話を焼いている。

 有り得ないシチュエーションだ。

 

(断言しても良い……! 僕ぁ今、最っっ高に輝いてるよっ!!)

 

 ただ残念なことに一つ。濃紺のスーツの背中には、鉄パイプが差せなかった。僕のパイプは質量兵器じゃありませんっ! と主張したが携帯を認められなかったためだ。相棒の重みが無いことに寂寥感さえ覚えながら、青年(フェイト)は首を振る。これでもし鉄パイプ持込可の会場だったら、青年(フェイト)は有頂天にこの一日を終えられだろう。

 

(惜しい……! 惜しいよ、アグスタ! 何故……何故、鉄パイプ装備を認めなかったんだ!!!!)

 

 拳を握りしめながら、青年(フェイト)がブンブンと首を横に振る。

 フェイト達より三組ほど前を行くはやてとアルフが、受付員に身分証を提示していた。

 

「こんにちは、機動六課です」

 

 穏やかに微笑うはやては、白いドレスを着ている。薄手のショールを藍バラのコサージュでまとめ、首に革紐のチョーカー。小柄な彼女は栗色のセミショートの髪をアップにすると(うなじ)から背中にかけての線が映え、アルフの隣に立つと華奢な容姿が際立った。

 

「これは……!」

 

 身分証を受けた受付員が、ご苦労様です、と言って頭を下げる。はやては微笑み返して身分証をバッグに戻した。

 おずおずと、アルフを見上げる。

 

「それにしても。シャスはいつの間に、フェイト君と自分のスーツ用意したん?」

 

「クラナガンに行った時に、一通りそろえたんです」

 

「古くからの知り合いがおった……とか?」

 

「――まあ、そんなとこ」

 

 微妙に論点をぼかすアルフに、はやては唇を尖らせた。観たところ、アルフやフェイトが着ているスーツは、高級ホテルに入場してもまったく違和感がないほど上等だ。頼んですぐ手に入るものとは思えない。あの日、はやてがナカジマ三佐達と会食した時のことは、彼は何をやっていたのか一言も話さなかった。

 

「秘密主義やなぁ、シャスは」

 

「そりゃどうも」

 

「んん!? 今のは褒めてへんよぉ~!」

 

 したり顔で頷くアルフに、はやてが頬を膨らませた。アルフが肩をすくめる。

 

「そう言えば、六課隊舎の首尾はどうなんです?」

 

 はやてのはしゃいだ顔が、ぴたりと止まる。深刻に前を見つめると、はやては声を落とした。

 

「一応、シグナムとザフィーラに警戒するよう言ってあるよ。ティピちゃん達はともかく、アウグ言う人物が、部隊隊舎一つを壊滅させたのは事実やから」

 

「――妥当ですね。あのアウグとやらが、フェイトが拾った連中とどうつながってるのかはっきりしない以上、六課を空けるわけにはいかない。それに、アウグの出没先は、ロストロギア関連の施設だけではなさそうですから」

 

「調べたん?」

 

 ぱちぱちと大きな瞳を瞬くはやてに、アルフは頷いた。

 

「と言っても、耳にしたのは噂程度ですよ。それからフェイト……ラインゴッドについては、ありのまま報告して下さい。先日、レジアス中将に話を通しておきましたから」

 

「シャスが?」

 

「ええ。大事(おおごと)にしない為にも、必要でしょう?」

 

「……ありがとうな、シャス」

 

「どういたしまして」

 

 はやてがほわんと頬をゆるめる。

 機動六課は微妙な立場の部隊だ。所属は地上本部(りく)だが、直属の上司――後見人は航空部隊(うみ)が担っている。

 指令系統の異なる二つの組織の板ばさみ状態になった部隊を取り仕切るはやては、小さな問題でも地上本部(りく)航空部隊(うみ)に溝を作りかねない。その危険を、常に負っているのだ。

 アルフは頭三つ分下にある彼女を見下ろすと、形式的に組んでいたはやての腕を解いた。

 

「?」

 

 はやてが不思議そうに見上げてくる。アルフは右手をひらひらと振りながら、踵を返した。

 

「『一般入場』は終わったんで、外を見て来ます」

 

 ちょうど、なのはとフェイトが受付を終えた頃だ。なのは達とすれ違う直前、アルフが会釈してホテルを出て行った。青年(フェイト)が「付き合おう!」とハイテンションに言いながら()いて行ったのを、なのはと令嬢(フェイト)が苦笑混じりに見送っていた。

 

 

 ………………

 

 

「会場内の警備は流石に厳重、っと」

 

 二階の観客席から身を乗り出して、はやては会場全体をぐるりと見回した。彼女とは反対側から会場を回ったなのはが、小さく頷く。

 

「一般的なトラブルには、十分対処出来るだろうね」

 

「外は六課の子達が固めてるし、入口には防災用の非常シャッターもある。ガジェットがここまで入って来る言うんは、無さそうやしな」

 

 昨日の打ち合わせで作った防衛ラインを脳内に描きながら、はやては顎に手をやった。セーフティは四重。シャマル・ヴィータを始めとする哨戒部隊、前線新人部隊(フォワード)による防衛部隊、魔力を持たない一般局員による警備隊、ホテルの防犯システムである。

 配備状況にはムラが無く、警備の模範と言える状態だった。

 

「うん。油断は出来ないけど、少し安心」

 

「ま、どっちにしても私達の出番は、ホンマの非常事態だけや」

 

 はやての言葉に、なのはは力強く頷いた。

 

「オークション開始まで、あと三時間二七分か……」

 

「うん」

 

 

 

 ――そう言えば、アンタは結構詳しかったわよね? 八神部隊長とか、副隊長達のこと。

 

 アグスタ周辺の警備に回っている前線部隊(フォワード)は、玄関(エントランス)付近にスバル、ホテル背面にティアナ、エリオとキャロが地下駐車場に配されている。今の所、異常は無い。ティアナはオレンジ色のツインテールを揺らしながら、目の前に広がる森をジッと見据える。その合間に、スバルに向けて念話した。

 

 ――うん。父さんやギン姉から聞いた事くらいだけど、急にどうしたの?

 ――ちょっと興味があって。知ってる範囲で良いから、聞かせてくれない?

 ――いいよ。八神隊長の使ってるデバイスが魔道書型で、それの名前が『夜天の書』っていうこと。副隊長達とシャマル先生、ザフィーラは、八神隊長個人が保有している固有戦力だってこと。で、それにリィン曹長を合わせて六人揃えば、『無敵の戦力』ってこと。まあ、八神隊長の詳しい出自とか、能力の詳細は特秘事項だから、知ってる事と言えばそれくらいかな。

 ――レアスキル持ちの人は皆そうよね……。

 

 能力詳細は特秘事項。レアスキルと呼ばれる希少魔法を使う人間は、何を使うのかが相手に知られていないからこそ一番の強みを発揮できるのだ。

 

 ――ティア、何か気になるの?

 ――別に。

 ――そう。……じゃあ、また後でね

 ――うん。

 

 顎に手を添えて考え込んでいたのを、恐らくスバルは見抜いたのだろう。回線が切れるような分かりやすいモノでは無いが、魔力結合が解ける――スバルが遠のく感覚がして、ティアナはゆっくりと顔を上げた。

 目の前に広がる森。木々が生い茂るこの場は見通しが悪く、景観は良いがどこかに誰かが潜伏していても気付きづらい。

 ティアナは見落としの無いよう木々の合間を入念にチェックしながら、一人ごちた。

 

(六課の戦力は、無敵を通り越して明らかに異常だ……。八神隊長がどんな裏技を使ったのかは知らないけれど、隊長格全員がオーバーS、副隊長でもニアーSランク。他の隊員達だって、前線から管制官まで未来のエリート達ばっかり)

 

 溜息が洩れる。

 

(あの年でもうBランクを取ってるエリオと、レアで竜召喚師のキャロは、二人ともフェイトさんの秘蔵っ子。危なっかしくはあっても潜在能力と可能性の塊で、優しい家族のバックアップもあるスバル。……やっぱり、ウチの部隊で凡人は私だけか……)

 

 視線が落ちる。ティアナは唇を引き結んで、顔を上げた。

 

(だけど、そんなの関係無い。私は立ち止るわけにはいかないんだ!)

 

「くぉおおおのっ!! 凡人がぁああああああっっ!!!!」

 

「え?」

 

 ティアナの持ち場のすぐ近くで、フェイト・ラインゴッドの絶叫が響いた。ティアナは目を丸める。一瞬びくりと体が震えたが、青年(フェイト)の主張は彼女に向けられたものではなかった。

 

「えっと……、フェイトさん?」

 

 執務官のフェイト・テスタロッサ・ハラオウンとは違い、まったく落ち着きの無い青年を探す。と、建物の角を曲がった所に、青年(フェイト)とアルフが居た。

 青年(フェイト)が叫ぶ。

 

「何故だっ!? 何故分からぬッ!!? ほんの一分一秒――ちょっとの間で良いから、父さんと連絡を付けねばと焦る僕の気持ちが、何故お前には分からないんだぁああああっっ!!!!?」

 

「……お前よ。それがゲーム買うためのセリフと知って、誰が納得すんだ?」

 

「僕の、僕のこれからの数十時間がバラ色の人生(みらい)に変わるんだぞっ!!? それを奪う権利なんか、この世のどこにも無――」

 

 言いかけた青年(フェイト)の頭が、ハンドボールの様に跳ねた。アルフの鉄拳が青年(フェイト)の顔にめり込んだのだ。堅く握った(アルフ)の拳には、青年(フェイト)の上半身を覆うほどの炎が宿っていた。

 

「!」

 

 ティアナが思わず口に手を添える。

 二、三メートル近く、青年(フェイト)の体が直線的に跳んだ。まるでロケットランチャーのように勢い良く、森の木に当たって停止する青年(フェイト)。彼は、ぼて、と白目を剥いて地面に倒れた。しゅうしゅうと青年(フェイト)の体から白い煙が立ちこめる。良い感じ(ミディアム)に彼の肌は焼けていた。

 アルフはそれを見下ろし、ハッと目を見開いた。――それも数秒で、彼はいつもの茫洋とした紅瞳に戻ると、煙を上げる拳を見下し、首を横に振った。

 

「……つい本気で()っちまったか。こうも簡単にキレるとは、俺もアイツみたいになって来たのかもな」

 

 ふぅ、と溜息を吐く。アルフがこちらに気付いて顔を上げた。視線が合う。

 

「よぉ。見廻りかい?」

 

「は、はい!」

 

 ティアナは歯切れ良く頷いた。青年(フェイト)とは模擬戦で一緒になるため話す機会が多いが、アルフとはまだ、それほど喋った事が無い。どことなく近寄りがたい雰囲気を持っている彼に緊張していると、アルフは、ご苦労さん、とだけ言って踵を返した。

 

「NO FAN,NO SO!!」

 

 その時だった。煙を上げて倒れていたフェイトが、叫びながら起き上る。白目を剥いてから(テン)(カウント)以内の早業だった。

 

「ちっとは空気読めよ、お前」

 

 アルフがあからさまに眉をしかめる。

 

「空気を読む? 何故空気が読めるんだい? 君、空気が見えるのかい? 見えないだろ? 読むってのはね、見えなきゃ読めないんだよ!! 不可能だろ? 空気に何が書いているのか分かるのかい? 分かるわきゃない! だって書いてないんだから!! だから、敢えて力強く言おう。空気は吸って吐くものだと!!」

 

 青年(フェイト)は熱弁をふるった。それは何故か? 欲しいモノを得る為に、彼は手段を選ばないからである。

 アルフが右手で顔を覆い、深く溜息を吐く。そして空を見上げた後――

 

「やっぱそろそろ始末するか」

 

 まるで夕飯の買い出しにでも行くノリで、彼はヘリに預けていた刀を手に取った。青年(フェイト)が鉄パイプを構える。

 

「フッ……やはり僕等は、分かりあえない存在の様だな。アルフ!」

 

「前言撤回なら、まだ受け付けてやるぜ? フェイト」

 

 目だけは笑わない微笑を浮かべるアルフ。青年(フェイト)はカッと目を見開いた。

 

「良かろう! ならば、どっちが『アルフェイト』のリーダーか、勝負だ!!」

 

「――ん?」

 

 突然耳慣れぬ言葉を聞いて、アルフが首を傾げた。その瞬間、青年(フェイト)は踏み込む。

 

「もらったぁああああっ!!」

 

 上段からパイプを振り下ろす。アルフはサイドステップで躱し、容赦なく刀を薙いだ。

 

「とぉっ!?」

 

 ギィインンッ!

 

 鋭く鳴る音。刀とパイプが擦れ合う。

 青年(フェイト)はぱちぱちと瞬いて、問いかけた。

 

「何故そこまで本気?」

 

「諦めたか? お前」

 

 視線で通信機(コミュニケータ)を示され、青年(フェイト)の瞳に再び炎が湧きあがった。

 

「させはせぬっ! させぬぞぉおお!! アトロシャァアアアス!!!!」

 

「い、いい加減にしてくださいっ!」

 

 ティアナは勇気を出して、声の限り叫んだ。鍔迫り合いをする青年(フェイト)とアルフが、キョトンと瞬いてティアナを見る。

 

「え、っと……」

 

「……」

 

 つぶやく青年(フェイト)とアルフが互いの顔を見合わせる。二人は同時に頷き、刀と鉄パイプをそれぞれの定位置に戻した。直後に起きたのは、プロレスだ。

 

「とうっ!」

 

 間合いを測って青年(フェイト)がアルフの襟首を掴む。と、アルフはにやりと嗤って青年(フェイト)の襟を掴み返した。左手で青年(フェイト)のスーツの右肘を握る。と、彼は右膝を青年(フェイト)の脇腹に入れるように跳びつき、左脚の遠心力を利用して青年(フェイト)を引き倒した。アルフの襟首を掴んでいた青年(フェイト)の右腕は、左手に掴まれて外せない。

 

(げ――!)

 

 青年(フェイト)が嫌な予感を覚えたのも束の間、彼は右腕を引っ張られるようにして右にごろんと転がった。直後、視界にアルフの脚が入る。

 

「ふ、ぎぎぎぎぎぎ……!」

 

 気付いた時には、仰向けに倒され、青年(フェイト)は右腕の関節を逆方向に捩じ上げられていた。

 

「軍人相手に関節技とは、無謀だねぇ」

 

 みしみしと音を立てる青年(フェイト)の右腕を握りながら、アルフは脚方向にある青年(フェイト)の顔を窺った。腕十字を決められ足掻く青年(フェイト)は、ぎゃぁあああ、と叫ぶばかりで外し方すら知らない。笑いと涙が混じった青年(フェイト)と目が合って、ティアナはハッと我に返った。

 

「だ、だから! 暴れないで下さいよ!!」

 

 一度話を聞いてもらえたので、ティアナはめげずに注意してみた。二人とも、地面(した)が土など気にしない。一着○十万のスーツと言う話だが、ティアナには冗談としか思えなかった。

 

「……これもダメか」

 

 ぽつりと言ったアルフが渋々と青年(フェイト)を解放する。青年(フェイト)はぐったり地面に張りついていたが、一秒後に復活した。

 

「NO FAN,NO SO!! ッしゃ、来いやぁあああ! シャァアアス!!」

 

 叫ぶと同時に、青年(フェイト)はスーツの袖を捲る。提示して来たのは、腕相撲だ。土など気にせず腹這になっている青年(フェイト)に、アルフも嗤って腕を差し出す。

 

「右は休めた方がいいんじゃねぇの?」

 

「ちぃいいっとも効いてませんなぁ!!」

 

 青年(フェイト)は涙声で答えた。この二人、恐ろしいまでに警備する気が無い。

 

「……もう!」

 

 ティアナは額を叩いた。

 

 

 

「!」

 

 ホテル屋上――と言っても、玄関(エントランス)ホールのある低い屋根の屋上から森を見渡していたシャマルは、ハッと臙脂色の瞳を見開いた。視線の先は、自らの繊手。右の人差指に嵌めた指輪が、キラリと光ったのだ。

 軍医シャマルのデバイスは武器としての能力は低い。しかし、治療や通信、更に転送等の支援用途にて本領を発揮する後方支援型デバイスである。――名は、クラールヴィント。人差指に嵌めた緑の宝石が、一定範囲の魔力を感知し、薬指に嵌めた蒼の宝石が、そのデータを他デバイスに送信する。

 

「クラールヴィントのセンサーに反応。シャーリー!」

 

 ××××

 

「はい! ――来た来た! 来ましたよ!!」

 

 六課の司令室に待機している通信主任シャリオ・フィニーノは、キーボードに指を走らせる。

 

「ガジェットドローン陸戦Ⅰ型! 機影三十、三十五……! 陸戦Ⅲ型、二、三、四!」

 

 ××××

 

 シャリオの報告を受けて、シャマルは一つ頷いた。アグスタに待機する機動六課に向けて、念話する。

 

 ――前線各員へ。状況は広域防御線です。後方支援部隊(ロングアーチ・)通信主任(ワン)の総合回線と合わせて、私、シャマルが現場指揮を行います!

 

 ――スターズ(スリー)、了解!

 ――ライトニングF、了解!

 ――スターズ(フォー)、了解!

 

 ティアナはポケットに入れていたカード状の魔法杖(デバイス)、クロスミラージュを取り出すと、一丁の白い銃に変化させた。駆け出す。

 

「フェイトさん! アルフさん! 先に失礼します!」

 

「んぁ?」

 

 青年(フェイト)が何事かと首を傾げた。アルフはティアナの背を見送りながら、ごそごそと懐からクォッドスキャナーを取り出す。電源を入れて広範囲に索敵すると、ガジェット反応が――多数。

 

「仕掛けて来たか」

 

 呑気に言いながら、服についた土埃を払う。横からアルフの解析機(スキャナー)青年(フェイト)が覗き、カッと目を見開いた。

 

「完全包囲されてるじゃないかっ!」

 

「まだ包囲段階じゃねえよ。数はそれなりに揃えてるみたいだがな」

 

 紅瞳は全く動揺しない。相変わらず白い貌のアルフを尻目に、青年(フェイト)はスキャナーが映し出すガジェットの分布図を見ながら訊ねた。

 

「どうする?」

 

「無駄に走り回んのもアレだ。とりあえず、軍医の(シャマル)先生んトコ行こうぜ。あそこが指揮系統だ」

 

 ポケットに解析機(スキャナー)を戻しながら、アルフが歩き出す。青年(フェイト)は眉を寄せた。

 

「おいおい。指示待ちって事は、僕の華麗なる活躍が半減しちゃうんじゃないか?」

 

機動六課(むこう)も俺達に構ってるほど、暇じゃねえだろ?」

 

「――と、言いつつ取りだしたその通信機はなんだよ?」

 

「いちいち最初から現状聞くの面倒臭ぇじゃん」

 

 青年(フェイト)は口を菱形にして押し黙った。通信機から聞こえてくるのは――ティアナの声だ。

 

[シャマル先生、私も状況を見たいんです! 前線のモニター、貰えませんか!?]

 

[了解。クロスミラージュに直結するわ]

 

 念話で喋る魔導師達の声が聞こえる。青年(フェイト)はそれに驚きながら、アルフを見た。アルフは無表情に通信機を見据えるだけ。念話の波長パターンを解析(クォッドスキャン)すれば、通信機で盗聴するのは難しくない。それだけの技術が、アルフにはあった。

 

[クラールヴィント、お願いね]

 

〈ja.〉

 

[ヴィータちゃん!]

 

[うん。スターズ2《ツー》、出るぞ!]

 

「何だとっ!? ヴィータちゃん!!!?」

 

 アルフと一緒に機動六課の念話を聞いていた青年(フェイト)はカッと目を見開いた。ヴィータとは『魂の会話』をした仲だ。捨て置くわけにはいかない。

 

「と言う訳でシャス! 僕はこれから、ヴィータちゃんの援護に行って来るよ!!」

 

「了解。なら俺は、ティアナかシャマル先生に前線の映像でも見せてもらおう」

 

「指示は任せたぞっ!」

 

「指示通り動けよ?」

 

 パチンっと爽やかにウインクして、青年(フェイト)は懐から、一足のシューズを取り出した。

 白いモコモコの――どう見ても普通の人間が履くとは思えない、肉球のついたシューズだ。

 青年(フェイト)は鉄パイプを片手に、そのシューズを掲げ言い放った。

 

「偉大なるバニ神よ、僕に力を!」

 

 陽光を浴びて、デフォルトしたウサギ足の(シューズ)は、キラン☆と輝いた。艶やかな白い毛並みだ。青年(フェイト)はペタンと地面に座り込み、『バニ神の加護を得しシューズ』――通称、バーニィシューズを、ダイバーがフィンを履く要領で、装着した。

 

「じゃ! 行って来るよ!」

 

 人差指と中指を揃え立てて、青年(フェイト)は爽やかに笑うと、ドキューンッと加速音を立てて、森の彼方に走って行った。

 

「………………」

 

 アルフは右手で顔を覆う。「バニ神の加護を得しフェイト」は、時速二百キロで走行可能な、まさに暴走凶悪生物なのである――……。




ティピ
「第三回! ティピと」

フェイト
「フェイトが」

ティピ&フェイト
「「行く!!」」


ティピ
「と言う訳で~、今回も始まりました。皆のアイドル、ティピと」

フェイト
「皆の主人公、フェイトです」

はやて
「今回は機動六課の隊長、八神はやてがゲストで参加します」

 はやてはそう言って、楚々と一礼した。

フェイト
「あれ? 前回僕ら、そんなこと言ったっけ?」

はやて
「なんか面白そうやから、こっち来てん♪」

ティピ
「さっすがぁ! そのイントネーションだとノリが違うわね!」

はやて
「面白ければすべて良しや~!」

フェイト
「すいませんでしたぁあああああああっっ!!!!」

はやて
「わわっ! どないしたん? フェイト君」

ティピ
「アンタ……前回のこと、結構気にしてて――」

フェイト
「あのバカがやった貴方への無礼の数々! いやぁあ! すみませんでしたぁああああ!!!! もう弁解しようもございませんっっ!!!」

ティピ
「そっちかよ!! 前回のかけそばの話で謝ったんじゃないのかよっ!」

フェイト
「いや。かけそばの話はいいんだよ、事実だから。
 でもホント、今度会ったら足腰立たないくらいボコボコにしときますんで、任しといてください」

はやて
「んん? あれなら私、新必殺技考えたんやけどなぁ~」

ティピ
「え? どんなの? フェイトにやってみて~!」

フェイト
「え!? 僕かよ!!?」

ティピ
「私にやってもしょうがないじゃん」

フェイト
「……まあ、サイズ的にね」

はやて
「ほんなら行くよぉ~! とやぁ~っ!」

 はやてはキリッと表情を引き締めるや、ウルトラマンのファイティングポーズを取った。

フェイト
「物凄くへっぴり腰ですね!?」

はやて
「とやぁ~っ!」

ティピ
「…………。まあ、これならある意味、萌死にする人いるんじゃない?」

フェイト
「あ! そっちなら確かに! これでやられる人いますよね」

はやて
「あ……あれ……? あんまり怖ない?」

ティピ&フェイト
「「全然」」

はやて
「せっかく考えたのに……」

ティピ
「なんとなく――はやてさんってそう言うの、向いてないよね」

フェイト
「癒し系だからね! そんなことよりはやてさん!」

ティピ
「ハイ、第三回目来たわよ。『そんなことより』」

フェイト
「実際問題、あのそばっていくらするんです?」

ティピ
「って、結局そばかよ! そば引っ張るなぁ……!
 せっかくホテル・アグスタなんだからあのドレスいくら? とか、借りものなの? とか、その辺じゃないの?」

フェイト
「いや! そば!! そばは譲れんよ!!」

はやて
「言うほど高くないよ? 一枚千円くらいやし」

フェイト
「千円は十分高ぇえええ!!」

 フェイトは目を見開いた。力説する。

フェイト
「だって千円だよ!? ごはんもお味噌汁もついてないんだよ!?
 関西人なら分かるでしょ!? そばだよ! そばだけで千円なんだよ!?」

はやて
「まあ、なんだかんだ言うて私、東京で暮らした期間長いしなぁ」

フェイト
「ぐぅ……! なんてことだ! はやてさんが『なんちゃって関西人』だったとは……!!」

はやて
「『なんちゃって』ちゃうもん!!」

ティピ
「あ、そろそろ時間無くなって来たよ? フェイト」

フェイト
「あ、やべ!」

はやて
「――もう!!」

ティピ
「と言うわけで次回は、」

フェイト
「まあやっぱり――フェイトさん、でしょうね?」

はやて
「なんなん!?
 私の時は紹介してくれんかったのに、フェイトちゃんの時は紹介するん!!?」

ティピ
「いや、こう言う風に無理矢理入って来られないようにね?」

はやて
「ええもん、ええもん! そう言うんやったら、無理矢理入ってくるも~ん!」

フェイト
「ちょっと待って下さいよ! このスタジオ、三人掛けなんですよ!?」

はやて
「スタジオって何や~! とやぁ~!!」

 はやては、またしてもウルトラマンのファイティングポーズを取った。
 ティピが強引に話に割り入り、愛想笑う。

ティピ
「と、言う訳で! 今回のティピとフェイトが行く!! ここまで~!
 無理矢理切っちゃえ! 無理矢理切っちゃえ~!」


はやて
「何や~! 私はまだ話したりへんで~!」

フェイト
「たぁすけてぇえええっ!!」

 フェイトの叫び声が、スタジオ(笑)に響き渡った。


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7.魂の会話を交わした君の戦場。僕も共に行かせてもらうよ!

 上空百メートル。森を一望できる高さまで飛翔したヴィータは、シャマルが観測したガジェット出現位置目掛けて先を急いでいた。赤いおさげを揺らすヴィータの服装は既に管理局の制服ではなく、古式魔法(ベルカ)の騎士甲冑である。

 『騎士甲冑』とはそのままの意味では無く、ミッドチルダの魔導師が着る戦闘服――バリアジャケットと同じ意味だ。ヴィータの場合は、赤いゴシックドレスが騎士甲冑にあたる。惑星ミッドチルダを二分する近代的で遠近ともバランスのいいミッド式に比べ、古来より近接戦・個人戦に特化したベルカ式魔法使いは、一般的に魔導師ではなく『騎士』と呼ばれていた。

 赤いゴシックドレス――騎士甲冑をまとったヴィータは、右手にグラーフアイゼンを握りしめる。

 

(新人共の防衛ラインまでは、一機たりとも通さねえ! ソッコーでぶっ潰す!)

 

 眼下にガジェットの機影が見えた。ちらちらと六機。まだ全体が視認できる距離では無い。ヴィータはさらに接近する。

 その時、

 

「ヴィータちゃああああん!!」

 

「!?」

 

 真下から声がして、ヴィータは背後を振り返った。ドドドドドッと物々しい土煙を上げて、『何か』が爆走してくる。その『何か』が何であるか考えるまでもなく、ヴィータは確信していた。それほどまでに、ヴィータは『彼』の事をこの前の一件で理解したのだ。

 

(おい、ちょっと待て。アタシの飛行魔法に軽々と追いついてくるってのか?)

 

 ぴくりと頬を震わせる。見た目通り、下は森で、どれほどの俊足を持っていようと木々が障害物として立ちはだかる。

 

「――本当にナニモンだよ、アイツ」

 

 ヴィータはつぶやいた。必死の形相でこちらに駆けてくる青髪の青年をあきれ顔で見やる。青年(フェイト)はヴィータに追いつくと、並走して話しかけて来た。

 

「魂の会話を交わした君の戦場。僕も共に行かせてもらうよ!」

 

 グッと親指を突き立てて、良い顔でそう言う。

 

「バカ野郎! アタシは大丈夫だ、それより新人達のバックアップを!」

 

「それは、シャスがやる! ……多分」

 

 力強く言い切るも最後は首を捻って青年(フェイト)は付け足した。ヴィータは溜息を吐く。

 

「相変わらず、聞く耳持たねえ野郎だな」

 

 脱力したが、ヴィータの口許に浮かんだのは何故か笑みだった。過度の緊張などしていないが、青年(フェイト)と共にいると妙な力が抜ける――リラックス出来るのだ。

「まあ、いい。それなら一機たりとも、新人達の所へ行かすんじゃねえぞ!!」

 

「任せろ!」

 

 鉄パイプを構える青年(フェイト)を見下し、ヴィータは頷いた。上空で止まり、ベルカ式魔法陣――三角形の陣がくるくると回る赤い魔法陣を足許に浮かべる。

 

「――それじゃあ、行こうか!」

 

「おう!」

 

 青年(フェイト)の言葉に頷きながら、ヴィータは左手を横に薙いだ。ヴィータの指先から三センチ大の鉄球が等間隔に並ぶ。それは四つ、空中に浮かぶと、もう一度ヴィータが左手を薙ぐ事で、八つに増えた。

 

「まとめて……」

 

 ヴィータはハンマー型デバイス、グラーフアイゼンを振り被る。

 

「ぶちぬけぇええええっ!」

 

 アイゼンのハンマーヘッドが赤く光った。――振りぬく。

 と、

 

 ズドドドドォンッ!

 

 大口径の銃を発砲したような音を立てて、グラーフアイゼンは鉄球四つを打ち抜いた。右上から左下に向かって振りぬかれたハンマー。それが、次の拍子で来た道を戻るように振り上げられる。残った四つの鉄球も轟音を立てて地表に居るガジェットに走った。それらは発砲された弾丸の如く速く、鋭く、深くガジェットを抉ると、ガジェットは全身から火花を散らして爆発した。

 その合間を、青年(フェイト)が駆ける。地上に居たガジェットは十二機。ヴィータが上空から八機落とすと、青年(フェイト)は残る四機を鉄球の合間をくぐって鉄パイプを振るう事で粉砕した。

 上空から狙い撃つヴィータとは違い、青年(フェイト)はガジェット一機一機に駆けより、接近戦に持ちこんで四機撃墜したのである。たった数秒の間に。

 

「へっ、なかなかやるじゃねえか!」

 

「――フ、お兄さんを舐めないことだよ!」

 

 その偉業を誇らしげに主張する青年(フェイト)は、実際に凄いのだが、何故か素直に賞賛できない。

 髪を掻き上げる青年(フェイト)に対し、ヴィータはにやりと笑って言い放った。

 

「上等だ。遅れんじゃねえぞ、ラインゴッド!」

 

「任せろ!」

 

 

「へえ、ヴィータちゃんとフェイト君。いいコンビね」

 

 玄関(エントランス)ホール屋上。地上戦をモニタするシャマルが、感心して笑みを浮かべながら言った。ここに今、六課の新人メンバーが集結している。ヴィータが第一防衛線とすれば、彼等は第二防衛線だからだ。

 

「副隊長についていけるなんて、フェイトさんすごぉ~い!」

 

 スバルは映像を見ながら瞳を輝かせ、両手を握った。ティアナの表情が曇る。

 

「――やっぱり、フェイトさんの実力って……」

 

 つぶやいた言葉の先は彼女自身が飲み込んだ。誰にも知られぬ位置で拳を握る。青年(フェイト)がSランク以上の魔導師かも知れないという情報は、新人達には知らされていない情報だ。――彼はあくまで『民間人』。そう決定付けた六課の方針に反し、模擬戦を共にしているティアナ達は、誰に説明を受けずとも、彼が只者では無いことを理解していた。

 特にティアナは、胸が締め付けられるほどに――。

 

「どうしたの? キャロ」

 

 不意にエリオがキャロに問いかけ、ティアナは顔を上げた。キャロを見る。まだ十歳の小さな少女はハッと目を見開いて、緊張した面持ちだった。

 

「近くで、誰かが召喚を使ってる……!」

 

「クラールヴィントのセンサーにも反応。ヴィータちゃん、フェイト君! 気をつけて!」

 

 キャロの魔力察知と、シャマルの通信は、ほぼ同時だった。

 

 

 

「――我は、乞う」

 

 アグスタから二十キロほど離れた森で、少女はつぶやいた。足許に四角い魔法陣が浮かび上がる。魔力光は、紫。

 彼女は身長百三十センチほどの小柄な少女だった。薄紫色のストレートな髪を太腿まで伸ばし、滑らかな白い肌をしている。精巧な人形のように整った顔立ちと、桜色の唇。瞳の色は赤。基はぱっちりとした大きな目だが伏せ目がちで、紫色の魔力光によって妖しく光る。

 

「小さき者、羽ばたく者。言の葉に答え、我が命を果たせ。召喚――インジェクト・ツーク」

 

 彼女はそっと両腕を広げた。紫色の四角い魔法陣から生える半透明の触手が三本。それは少女の身長よりも長く、中に紫色の小さな虫を飼っていた。

 少女の黒いワンピースドレスが魔力風に煽られてなびく。スカート丈は短く、白い太腿が見えた。傘状に広がったドレススカートを彩るピンク色のフリルは二本、平らな胸元を飾るのは、フリルと同じピンクの大きなリボンだ。細く伸びる足は白いタイツで固め、靴の色は黒。手足以外は黒で固めた少女は、幼いながらも妙な色気が有った。

 少女は両腕を前に突き出す。

 

「ミッション、物質(オブジェクト)操作(コントロール)

 

 半透明の触手がパァンッと音を立てて割れ、中で蠢いていた羽虫が解放された。少女の足許に浮かんだ魔法陣が消える。彼女は右手を差し出すと、自らが召喚した羽虫に向かって言った。

 

「行ってらっしゃい。気をつけてね」

 

 虫は少女と同じ紫色の魔力光を放つと、ガジェットに向かって飛んで行った。進攻中のガジェットよりも足が速い。彼等はガジェットに追いつくと、躊躇なくガジェットに飛び込み、溶け込むように融合した。

 ガジェット機体が、紫色の魔力光を発する。

 

 

 

「増援部隊の登場、か……! 面倒くさいな」

 

 新たに現れたガジェットを見据え、青年(フェイト)はやれやれと肩をすくめた。

 

「コイツは召喚術!? ヤベエぞ、フェイト!」

 

「ん? 大丈夫だよ、ヴィータちゃん。数がいくら増えても僕達に敵う訳ないじゃないか」

 

「この、大馬鹿野郎!! 召喚術ってのは、遠く離れた位置から対象を空間移動させる離れ業だ。つまり、いきなり防衛網を突っ切って敵を召喚される可能性がある!!」

 

「――AMFは?」

 

 青年(フェイト)に問われ、ヴィータは一瞬戸惑った。AMFはあくまでガジェットに搭載された機能だ。管理局は使わない。何故ならガジェットは『質量兵器』だからだ。AMFで止まる代物では無い。加えて、敵が召喚術を使って来るなど、今回が初めてのケースだった。

 

「確かに召喚術を防ぐにはAMFが有効だろうが……どうする気だよ?」

 

「――だとさ、頼んだよ。アルフ」

 

「何だと!?」

 

 ヴィータが驚いて後ろを振り返ると、蒼白の魔力光がホテル・アグスタを中心に半径十キロの範囲でバリアを展開した。半円球状の魔力壁がすっぽりとアグスタを覆う。

 

(この感じ、間違いねえ……!)

 

 (アンチ・)(マギリング・)(フィールド)

 

(たったアレだけの会話で、用意したってのか!?)

 

 範囲は広いが、感じる魔力自体は大したことが無い。ヴィータが驚いているのは、AMFを人間が(・・・)再現した点だ。

 

「――ホント、用意いいよなぁ。アイツ」

 

 隣で青年(フェイト)も感心したように頷いた。

 

「打ち合わせしてたんじゃなかったのかよ!?」

 

「いや? 全然! ただ、アイツなら何かするかなぁって」

 

「……関心したアタシが馬鹿だったか」

 

「気をしっかり持て! 僕らの敵は目の前だよ!!」

 

「――ったく分かってらぁ!!」

 

 ヴィータはグラーフアイゼンを振る。ガジェットを穿つ鉄球が、しかし、寸での所で躱された。

 

(何っ!? ――コイツ等……まるで有人操作に切り替わったみてえな動きしてやがる……!!)

 

 チッと舌打つと、ヴィータはグラーフアイゼンを握りしめ、近接戦闘に切り換えた。上空から狙い撃つには命中精度が必要だ。ガジェットを追尾(ホーミング)して撃墜させる事は可能だが、それでは数が(さば)けない。

 

「一筋縄じゃいきそうにねえ……!!」

 

 ヴィータはガジェットを睨み据え、一人ごちた。

 

 

「AMF!? 咄嗟に良くできるわね、シャス君」

 

 シャマルはホテル・アグスタを覆う半円球状のバリアを見上げてつぶやいた。当のアルフはまだここに来ていない。シャマルがアルフの仕業だと分かったのは、先程のヴィータと青年(フェイト)の会話を聞いていたからだった。

 スバルが首を傾げる。

 

「でも、これ……。私達のデバイスが影響を受けてませんよ?」

 

 マッハキャリバーは正常に作動している。左手の籠手を回しながらつぶやくスバルに、ティアナは息を呑んだ。

 

「まさか、私達の魔力パターンを咄嗟に入力して作り上げた!?」

 

 

 

 ホテル・アグスタから二十キロ先の森で、少女もまた目を見開いた。

 

「AMF……! しかも広範囲バリアも兼ねてる……。でも、何か違う。魔法形式を似せているけど……これは、ミッドでもベルカでもない」

 

「どうした? ルールー」

 

 ルールーと呼ばれた少女は、自分の肩に留まった小さな妖精に視線を向けた。赤い髪をした蝙蝠の羽根を持つ妖精だ。「ゼスト」が言うには古代ベルカの正統な融合騎――烈火の剣精、アギト。

 赤い髪を左右二つに結った妖精は、ルールー――ルーテシア・アルビーノと言う名の少女を見上げ、首を傾げた。

 

「ドクターが言ってた異端者。これが……?」

 

 一方の少女は、アギトの頭を指先で撫でながら、ホテル・アグスタを見やる。ホテルを覆う半球状のバリアは固く、AMFを含む魔法の前では、彼女――ルーテシア・アルビーノの召喚術は発動できない。召喚する為の魔力の結合が、片端から解かれて行くのだ。

 

「ガリュー」

 

 ルーテシアは唇を引き結ぶと、左手を掲げた。グローブ型のデバイス『アスクレピオス』。手の甲にすっぽりと嵌まった紫色の宝石がキラリと光る。

 ルーテシアは宝石に語りかけるように言った。

 

「ドクターが欲しがるモノを取ってきて。邪魔な子はインジェクト達が惹きつけてくれてるから。――うん。気を付けて行ってらっしゃい」

 

 宝石が再びキラリと光り、その中から黒い影の様なモノが現れた。黒い影は、ルーテシアに一礼するように虚空で数秒止まると、滑空してホテルへと駆けて行く。AMFのフィールドが張られているホテル内へ、一直線に走る。

 

 

 

「……ま、こんなモンだろ。見様見真似じゃここらが関の山だ」

 

 アルフは自分が張ったバリアを見上げながら、つぶやいた。九年前、確かにミッドチルダで訓練を受けた彼だが、魔法の類は一切習得出来なかった。才能が無かったのではなく、超がつくほどド素人だった彼がデバイスすら持っていない状態で、機動六課の新人教育にひと月放り込まれたところで魔法を覚えられなかったためである。故に彼は、自分の世界にある紋章術を応用して、さもミッドチルダの魔法に見えるよう似せて(・・・)バリアを張った。

 アルフは辺りを見回し、一つ頷く。

 

「さて、出所を探すか」

 

 まるで森に散歩でもしに行くかのように、暢気につぶやく。前線映像をシャマルに見せてもらうつもりだったが、やめた。このバリア魔法を使えばある程度(・・・・)の事が分かるからだ。

 例えば――アルフは空を見上げ、口端をつり上げた。

 ホテル・アグスタ地下駐車場。そこにルーテシアが召喚した獣『ガリュー』が結界を突き破って、今し方侵入した。

 

「なるほど、そこか」

 

 アルフは森の彼方に視線を向けた。侵入されたアグスタ駐車場に興味は無く、ガリューが侵入したコースの射軸上――召喚師がいる方角に当たりを付ける。

 結界を破らせるために張ったのだ。アルフは淡々と歩き始めていた。

 




ティピ
「第四回! ティピとフェイトが行く~!! って、あれ?
 なんで私がフェイトの名乗りまで言わなきゃいけないのよ? ちょっと、どうしたのよ! フェイト~!」

フェイト
「何故だ……! 何故、分からないんだ……!
 父さんと連絡を付けねばならぬと焦る僕の気持が何故、あいつには分からなかったんだぁああああああああ!!!!」

ティピ「本編で言ってた通りだと思うよ」

フェイト
「冷たッ!? その軽蔑の眼差しを止めろぉっ!!
 僕のこれから数十時間の人生(みらい)がバラ色に変わるんだぞっ!!!!」

ティピ
「いやだからさ。本編を読みなさいよ、本編を。座談会で言うセリフじゃないわよ、それ」

フェイト
「……本気で、落ち込んでるんです……」

ティピ
「ハ~イ! こんな奴はほっといて! 今回のゲストを紹介しま~す! フェイト・テスタロッサ・ハラオウンさんで~す!!」

フェイト
「管理局の黒い天使って呼ばれてます。ってまた、台本かよぉ!!!!」

 青年(フェイト)は『台本(笑)』を投げ捨てた。

フェイト(テ)
「よろしくね、二人とも」

ティピ
「いやぁ、なんて言うか……。フェイトさんってフェイトと違って、こう……落ち着くよね」

フェイト(ラ)
「ティピちゃん。その――僕は落ち着きが無いって言い方、やめてほしいんだけど」

ティピ
「ごめん。アンタに『落ち着き』って言葉が分かると思わなかったの」

フェイト(ラ)
「それ、普通に差別用語だよね!!? それ普通にいじめだよね!!?」

ティピ
「事実じゃん」

フェイト(ラ)
「なんだと……!!?」

ティピ
「というわけで、フェイトさんと話を進めようと思うんだけど、何か気になるトコあった?」

フェイト(テ)
「そうだね。じゃあ、最初に訊きたいことが一つあるんだけど……、プロレス技をかけたとき、軍人相手に関節技は無謀だってセリフあるじゃない? シャス、どこか軍に所属してるの?」

ティピ
「はぁい! そういう真面目な質問、NG!!」

 ティピはばっさりと切り捨てた。
 隣の青年(フェイト)は、ぴし、と固まったきり動かない。

ティピ
「他に何かある?」

フェイト(テ)
「え、え~っと……えっと、それじゃあ。クォッドスキャナーって何かな?」

ティピ
「はいNG! もう、フェイトさ~ん! 話進める気ある?
 多分、リリなのしか知らない人、分からないんじゃないかな。その話。
 ここはそういう真面目な解説する場所じゃないもん。本編中のくだらない言語を、いかにくだらなく、グタグタとくだを巻くかが、この場所の正しい在り方なんだもん!」

フェイト(ラ)
「そういう事なんですよ! フェイトさん!!」

ティピ
「あ、戻って来た。珍しく空気読んだね」

フェイト(ラ)
「空気を読む? いや、本編でも言ったけどさ。
 空気って読めないだろ!? 何も書いてないんだからさ! 読める訳ないだろ!! 日本語間違ってんだよ、その日本語がさ。空気なんて読めないって言ってんだろ」

ティピ
「でも気配を読むって言葉、あるよね?」

フェイト(ラ)
「………………ティピちゃん、僕のコト嫌い?」

ティピ
「ううん。どんな反応返すかなぁ~? って思って」

フェイト(ラ)
「キ・チ・ク! さらっとしれっと鬼畜なことを仰る!!?」

フェイト(テ)
「それじゃあ、アルフェイトのリーダーって結局どっちになったの?」

 令嬢(フェイト)が改めて問いかけた。

ティピ&フェイト(ラ)
「「グッジョブ! それ!!」」

 ティピと青年(フェイト)が、ビシリと令嬢(フェイト)を指差して頷く。

フェイト(ラ)
「まあ、当然僕だろ」

ティピ
「なんで?」

フェイト(ラ)
「いや、なんでって……僕しかないだろ? 最初から僕以外選択肢無いだろ? 選択肢」

ティピ
「あれ? ……あれ?
 でもさ、指示は任せたぞ、って――指示を出すのがリーダーじゃないの?」

フェイト(ラ)
「前線で戦うのがリーダーだよ」

ティピ
「いや、それって鉄砲玉……」

フェイト(ラ)
「リーダーだよ!
 偉大なるバニ神の加護を得た僕こそがリーダーであると、ここに断言しよう!!」

フェイト(テ)
「ティピ……ここは認めないと、ずっと話が続くと思うよ?」

ティピ
「認めるしかないわね」

フェイト(ラ)
「ま、そういうことだね! そんなことより僕、訊きたいことがあるんだけどさ」

ティピ
「お約束の『そんなことより』何よ?」

フェイト(ラ)
「アグスタって、ユーノさん……出るよな?」

ティピ
「まった来週~!! 次回も見てね!」

フェイト(ラ)
「ちょっと!? 出るのっ!? 出るよね!!?」

ティピ
「次回は新人部隊(フォワード)の子達、連れて来るね~!」


フェイト(ラ)
「ユーノ君出るの!? 出るよねぇえええええ……!!!!」

 青年の主張は、どこまでも響いたと言う。


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8.フェイト・六分身!

「へっ、結構頑張るじゃねえか。見直したぜ、フェイト!!」

 

 ガジェットをグラーフアイゼンで払いながら、ヴィータは口端をつり上げた。既に三十八機撃墜に成功している。後は数えていない。

 

「当然! 少し動きが良くなったからって、こんな量産機に主人公たる僕が負けるわけにはいかないからね!!」

 

「相変わらず、言ってる事は意味不明だが――」

 

 ヴィータは左下から右上に向けてグラーフアイゼンを一閃する。不意を突いて来ようとしたガジェットを粉砕し、その奥にいる大型ガジェットに向けて叫声を発しながら一足で近づき、アイゼンを振り下ろす。

 

 ドゴォォッ、、!

 

 鉄と魔力の衝撃で、大型ガジェットが真っ二つに割れる。ヴィータが飛びのくと、大型ガジェットは派手に爆発して砕け散った。

 その大型ガジェットの後ろから、またしても小型ガジェットがわらわらと現れて来る。ヴィータはグラーフアイゼンを構えながら舌打った。

 

「クソッ。ここは良いが新入り達が気になる」

 

「数も増えてきてるし、一か所からじゃないみたいだからね、この増援。ならば――」

 

「ん? てめえ、なにするつもり……――!?」

 

 ヴィータは思わず息を呑んだ。はっきり言って、ちょっと彼女が目を離した隙に何が起こったのか分からなかった。

 冷静に振り返る。

 すると、

 驚くべき事に青年(フェイト)が、

 

 六人に(・・・)増えて(・・・)いた(・・)

 

「な、っ……、っ、っっ!!?」

 

 絶句するヴィータを置いて、「六人のフェイト達」はヴィータに向けてポーズを決めながら名乗った。

 

「明るく爽やかな皆の主人公(ヒーロー)、1P!」

 

「クールでニヒルな二枚目役者、2P!」

 

「輝く知的な光の勇者、3P!」

 

「学園の風紀は……僕が守る! 4P!」

 

「ビーチで逆ナン、ヒャッハー! 浜辺のカリスマ、5P!」

 

「そして! 防御に懸けてはナンバーワン! 甲冑の貴公子、6P!」

 

「六人合わせて……」

 

 

「「「「「「フェイト・六分身!」」」」」」

 

 戦隊ヒーローショーよろしく六人の息は見事なまでにぴったりと一致していた。ヴィータはぽかんと口を開けている。正直、何が起きているのか分からない。

 

「……、………………」

 

 どうにか理解しようとするが、頭が空転する。常識じゃない。――否、この男。理屈じゃない。

 

[六人に増えたなら、フェイト。そこに固まってねえで、俺の指示に従って六課のフォワードの所へ行け]

 

 不意にアルフから通信が入り、六人に分身した青年(フェイト)はそれぞれがこくりと頷いた。

 

「分かった。1P、ヴィータちゃんを任せたぞ!」

 

 何故か茶髪になった「2Pフェイト」は、「1Pフェイト」に向けてそう言った。2Pフェイトは目も黒い。顔立ちはフェイトそのままで、黒い長袖を着ており、膝上まである茶の金属靴(グリーブ)を履いている。手にはゴツゴツした赤い装飾のある剣。銘を「魔剣レヴァンテイン」と言う。

 その隣で、先程「4P」と名乗ったフェイトが、バーニィシューズを掲げていた。こちらは高校生の制服姿で、白のブレザーにチェック柄のスラックス。髪も目も、1Pフェイトと同じ色である。服装以外、何も変わり無い。

 

「偉大なるバニ神よ、その加護を我らに与えたまえ!」

 

 そう言いながら、「4Pフェイト」はペタンと地面に腰を落ち着けて、バーニィシューズをダイバーのフィンよろしく装着する。もこもこの白いシューズに制服姿、奇妙な格好だ。ヴィータは何の冗談だと思った。

 

「さあ、光の勇者に続けぇ!」

 

「いいや、浜辺のカリスマさ!」

 

 何故か金髪の「3Pフェイト」と、本当にビーチで見かけそうなノースリーブシャツにオレンジの短パン、ビーチサンダル姿の「5Pフェイト」が自己主張を繰り出し合った。

 彼等は制服姿の4Pフェイトにならってバーニィシューズを装着すると、時速二〇〇キロで爆走して去って行った。土煙とドキュゥンッと言う音を上げながら、彼等の笑い声が森の彼方に吸い込まれて行く。

 

「――あいつ等、楽しそうだな」

 

 先程まで濃紺のスーツ姿だったフェイト――1Pフェイトはやれやれと首を横に振った。初めて機動六課に来た時と同じ、彼は白のノースリーブに膝上まである青の金属靴(グリーブ)を装着している。手には鉄パイプだ。

 

「もう――どうツッコんだらいいのか、分かんねえ……!」

 

 ヴィータは激しく脱力し、地面に伏せる寸前だった。1Pフェイトが言う。

 

「何て言ってる場合じゃないよ、ヴィータちゃん!」

 

 意外にも正論である。彼の言う通り、ガジェットが目の前に迫っている。ヴィータはハッと我に返るとグラーフアイゼンを構えた。

 

「お、おう!」

 

 俄然動きの良くなったガジェット達を1Pフェイトとヴィータはコンビネーションで次々と潰していく。さすがに『魂の会話を繰り広げた仲』と豪語するだけあって、青年(フェイト)のアシスタントは心強いものがあった。

 ――素直に認めたくはないのだが。

 

「!?」

 

 そのとき、青年(フェイト)の表情に緊張が走った。

 

「ヴィータちゃん。また別口みたいだ」

 

「何!?」

 

 あきらかに青年(フェイト)の声が落ち着いたのをみて、ヴィータの表情も鋭くなる。青年(フェイト)の視線の先は、ガジェットではない。新手だ。

 

「……チッ、次から次へと! これじゃ、キリがねえ!」

 

 ヴィータの前方――十メートルほど先に金色の魔法陣が浮かんでいる。だが陣の紋様が妙だった。

 

(何だ、ミッド式でもベルカ式でもない。コレは……!)

 

 魔法陣から黄金の光球が三つ現れてくる。最初はバスケットボール大だった光の球がどんどん膨らみ、一メートル近くなっていった。その光から、黒い甲冑を着た騎士が三人、ゆっくりと歩いてくる。身長が高く、肩幅も広い。フルフェイスの兜を被った黒づくめの騎士だ。

 

「これって……!」

 

 青年(フェイト)は息を呑んだ。騎士を見て驚いたのではない。騎士の後ろにある黄金の光球を見て、彼は驚いた。

 

「似てるな。アステアが現れた時の光に!」

 

「――てことは、コイツ等」

 

 ヴィータの同意を得られ、青年(フェイト)は声の調子(トーン)を落とした。ヴィータは体を屈めてグラーフアイゼンを後ろに退けながら、問う。

 

「分からねえが、可能性の一つとしては考えられそうだな。――陸士107部隊を襲ったのはテメエ等か!?」

 

 ヴィータの恫喝に、黒騎士は答えなかった。騎士が握っているのは、幅広の長剣(トゥ・ハンド・ソード)。黒騎士の身長ほどある大剣を、彼等は胸の前で握り、天に向けて直立させている。中世の騎士が待機する時に見られる、背筋の通った姿勢だ。

 

「――」

 

 黒騎士は、誰一人として言葉を発さない。

 ヴィータは鼻の頭に皺を刻んだ。

 

「チッ、だんまりかよ!」

 

「ていうか、コイツ等中身は空っぽいよね? 生ける鎧かな?」

 

 青年(フェイト)に言われ、ヴィータは、はた、と瞬きを落とした。

 

「リビング・アーマーだと?」

 

 息を呑む。その魔物の存在を、ヴィータも聞いた事はある。とは言っても、現実に報告があるわけではなく、御伽話としてだ。黒騎士を改めて見ると、青年(フェイト)の言う通り、フルフェイスの兜の奥――そこにある筈の目が、空洞になっていた。ぞくりと背に悪寒が這う。相手が『生きていない』と気付いた瞬間、体が生理的に、目の前の死を拒絶した。

 

「……!」

 

 ヴィータは己を奮い立たせる。小さな光を放つ虫が、三体の騎士に取り込まれて行った。ガジェットに溶け込んだ時と同様、騎士の兜の奥――目のある部分から紫色の光が生じる。

 と、騎士の全身から紅い光が放たれた。

 

「なにィ!? 量産型のくせに、パワーアップだと!?」

 

「――来るぞ!」

 

 ヴィータの合図を皮切りに、二人はそれぞれの得物を構えた。

 

 

 

「……え、っと」

 

 シャマルは垂れ目がちな瞳をぱちぱちと瞬かせる。口許に手をやり、彼女は何度も「6Pフェイト」を見た。青髪、翡翠の瞳――ここまでは「1Pフェイト」となんら変わり無い。ただ「甲冑の貴公子」と豪語するだけあり、彼は青い胸当てを、白のノースリーブシャツの上に装着している。ただ、『甲冑』と称せる部分はその胸当てだけだ。

 

「シャマル先生は僕が守る!」

 

 誰が問いかけた訳でもないのに、6Pフェイトはそう言って蒼い装飾の付いた聖剣、ファーエルを構える。ちなみに、ホテル・アグスタの玄関口前に陣取っているシャマルの所には、まだガジェットは侵入していなかった。

 

「あ、ありがとうフェイト君……」

 

 それでも「やる気に満ち溢れた6Pフェイト」を見て、シャマルは乾いた笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

「えっと、幻覚じゃないんですよね?」

 

 キャロは大きな青紫色の瞳を瞬かせた。肩までかかるピンク色の髪が、彼女の首を傾げる動作に合わせて魔導師の戦闘服(バリア・ジャケット)に広がる。彼女の視線の先には、「輝く知的な光の勇者、3P!」と、「学園の風紀は……僕が守る!」と豪語する4Pがいる。

 「3Pフェイト」はフェイトの髪を金色にして、薄い黄緑色のノースリーブシャツに、黒のインナーとズボン、それに灰色の金属靴(グリーブ)を履いた青年だった。腰に差しているのはある惑星で「名剣」の名を欲しいままにしたヴェインスレイと言う剣だ。活人の剣とも言われるこの剣は、人の負の感情を斬る事も可能な由緒正しい剣なのである。

 

「いい質問だね、キャロ!」

 

 3Pフェイトはキャロに向かって、パチンと爽やかにウインクした。傍らの4P――こちらはフェイトがただ高校生の制服を着ただけの姿――が、グッと親指を突き立てる。

 

「エリオ達を守りたいという一心で僕は分身を手に入れたのさ!」

 

「ほ、本当にそうなんですか?」

 

 赤髪の少年エリオは、4Pフェイトの言葉に目を丸くした。新人唯一の男の子である彼も、まだ十歳だ。素直に話を聞き入る少年と、不思議そうに瞬いている無垢な少女を見やって、4Pフェイトは悟りきったような顔で、優しく彼等の頭を撫でた。

 4Pフェイトが手にしているのは柄が翼のように広がったインフェリアソードだ。元々は切れ味の無い、頑丈なだけの剣だったが、後にフェイトが職人を伴って鍛冶場で鍛えた業物である。

 

「エリオとキャロは本当に良い子だな」

 

 自らを『光の勇者』と豪語する3Pフェイトは、どこまでも穏やかな眼差しでエリオとキャロを見ていた。

 

 

 

「――だったらいいね」

 

「って、どういう意味ですか!」

 

 エリオとキャロの会話の後、だったらいいね、を付けたしたのは「5Pフェイト」だった。これからビーチにでも出かけそうな彼は、白のノースリーブシャツにオレンジ色のハーフパンツ。履物はビーチサンダルと言う随分薄着な人物である。

 スバルの突っ込みもなんのその、彼は無駄に爽やかに笑うと、手にしたロングソードを掲げて見せた。こちらも基は大した剣では無い。ただ「六分身」を実現させる為に用意されたフェイトの意地と執念の産物である。

 

「フェイトさん、本当に人間なんですか?」

 

 ティアナが瞬きながら、「5Pフェイト」に問いかけた。彼女はただ唖然としていて、まだ事態を把握出来ていない。5Pフェイトはサッと青い髪を掻き上げ、キランと白い歯を見せて言った。

 

「主人公たる者、分身くらい出来るもんさ!」

 

「…………はぁ……」

 

 もはや言葉もない二人に、5Pフェイトの高らかな笑い声がかけられた。

 

 

 

 バーニィシューズに魔剣レヴァンテイン、黒の長袖シャツと膝上まである茶の金属靴(グリーブ)に身を固めた「2Pフェイト」は、アルフを見るなり満面の笑みで諸手を振った。

 

「――おお、見つけたよ! シャアアス!」

 

「……フェイト、歯あ食い縛れ」

 

 アルフはぐっと拳を握りしめるや、問答無用で時速二百キロで駆け寄って来るフェイトにラリアットを炸裂させた。

 

「ぐぇっ!?」

 

 わざわざ喉仏を狙った一撃に、2Pフェイトは目を見開く。蛙が引き潰されたような声を上げて、ドタンと背中から地面に倒れた2Pフェイトは、体を丸めて喉を抱えた。

 無言でのたうつ2Pフェイトを見下し、アルフは眉間にしわを寄せる。

 

「今、俺は敵の召喚師の所へ向かってる。そんなバニ神の加護を得たシューズで爆走してきたらバレるでしょ」

 

 アルフはそう言って、2Pフェイトが爆走して来た森を見据えた。時速二百キロで爆音と共に走って来るだけあり、彼の通った後には焼けたタイヤ痕ならぬ、バニ神の加護を得しシューズの痕が出来ている。――言うなれば、肉球の足跡が。

 

「……なるほど、わるいね!」

 

 悪びれず、2Pフェイトは爽やかに言って立ち上がった。この男の「わるいね」ほど軽い言葉は無い。一向に空気を読む気の無い2Pフェイトをぎろりと睨んで、アルフは何度目になるか分からない言葉を告げた。

 

「殺意が芽生えました」

 

「ちょ――おま、アイアンクローはよせええええ!」

 

 2Pフェイトの絶叫が、どこまでも森に響いたと言う――。

 

 

 

 

 ホテル・アグスタより北に二十キロメートル。

 その地点で交戦しているのは、「1Pフェイト」とヴィータだ。彼等の前には今、三体の黒騎士が立ちはだかっている。青年(フェイト)は鉄パイプを握りしめ、体当たりをしてくる一体目に、気で特化させた体当たり(チャージ)で応戦した。片や二メートル強の大柄な黒騎士、片や一八〇センチ近い身長はあるものの、華奢な青年(フェイト)

 ぶつかれば、黒騎士が圧倒的有利だった。――見た目上は。

 

「なめるな!」

 

 ドォッと鈍い音を立てて後ろに弾き返されたのは、大柄な黒騎士だ。二体目の騎士が、体当たり(チャージ)後、踏ん張りの利かない青年(フェイト)に向けて上段から剣を振り下ろす。こちらの隙を突いた、見事な波状攻撃。

 

「やらすかよ!」

 

 ヴィータはグラーフアイゼンを横に薙ぎ、青年(フェイト)に追い打ちをかけるその振り下ろしを弾いた。見た目通りの重い斬撃だ。ヴィータが小さく舌打つのと同時、青年(フェイト)によって後方に弾き返された一体目の黒騎士が、左に跳んだ。その後方から、三体目の黒騎士がすれ違いざまの胴薙ぎを放つ。

 

「――ヤベッ!」

 

 ほんの一拍子。まるで打ち合わせたかのように二体で終わると思われた波状攻撃は、三体目で集結した。青年(フェイト)は咄嗟に鉄パイプを両手で構え、受ける。ぐ、と青年(フェイト)の体が沈みこむ。三体の騎士は、攻撃を(かわ)されたと見るやフェイトとヴィータを取り囲むよう三方向に立ち、更にその後方にガジェットを布陣した。

 

「――コイツ等!」

 

「上等じゃないか!」

 

 互いの背を庇い合うようにヴィータと青年(フェイト)は背中合わせにそれぞれの武器を構え、吼える。

 

「――来やがれ!」




ティピ
「第五回! ティピと」

フェイト
「フェイトが」

ティピ&フェイト
「行く!!」


ティピ
「と言うわけで今回もがんばって行きましょう!」

フェイト
「例え閑古鳥が鳴いても、僕たちはNo FAN,No SO!!」

ティピ
「――とまあ、そんなわけでゲストを紹介したいと思います!」

フェイト
「可能性の塊、真の格闘家――通り名は多々あれど、僕の名付けた二つ名はたった一つ! 四次元胃袋少女! それが君だぁあああああ! スバァアアアルッ!!」

スバル
「そんなテンションでいきなり呼ばれても何だかな、って感じなんですけど……よろしくお願いします」

 スバルはぺこりと頭を下げた。

ティピ
「よろしくねー。なんだかコイツ、妙にテンション高いのよ」

フェイト
「バカ野郎っ! 燃えなくてどうする!? このクソ寒いアクセス件数、もはや寒いを通り越してヌルイ!! こんな時こそ、No FAN,No SOォオオオオ!!!!」

スバル
「な……なんだかシリーズを通して、凄いメタな発言してませんか?」

ティピ
「妙~に他の所であった『あとがき』が気に入ったみたいね。影響受けやすいからさ。アイツ。さて、今回で第八話。ここまで来ると結構進んで来たけど、どう? スバル。なんか聞きたいことある?」

スバル
「前回のフェイトさんの答えで大体分かってるんですけど……本当に聞きたい事は教えてくれないんですよね」

ティピ
「聞いてみなきゃ分かんないわよ!」

スバル
「じゃあズバッと直球で訊いていいですか?」

ティピ&フェイト
「「ふんふん」」

スバル
「フェイトさんが履いてた――あのモコモコって一体なんなんですか!!!?」

ティピ
「…………どうする? フェイト?」

フェイト
「いいだろう! お教えしよう! スバル!! 良い所に目を付けたね!! あれこそ偉大なるバニ神の加護を得しシューズ! 通称、バーニィシューズさ☆」

スバル
「えっと……履くと、どういう効果があるんですか?」

フェイト
「僕たちの世界には、バーニィと言うとんでもなく足の速い動物が居てね。そいつのスピードやジャンプ力をものの見事に普通の人間でも再現出来る素敵シューズなんだ。――ただし、障害物の多い所では注意が必要だけどね☆」

ティピ
「森林の中で時速二百キロで突っ走れるのは、やっぱりフェイトだからってことだよね」

フェイト
「ちなみに僕は、その筋では名ブリーダーと言われていました。 バーニィは育ててバーニィレースという競馬みたいなお祭りに参加させることも可能なのさっ!」

スバル
「へぇ……! ちなみにそのバーニィって言うのは、今後出て来たりするんですか? 見たいな、バーニィ」

フェイト
「ふっふっふっふっふ。まあ、機会があればね」

 フェイトは逆三角形の角が鋭いサングラスを取り出し、目許にかけた。

ティピ
「悪バーニィかよ! 傍迷惑だから止めなさいよね。そういうの」

スバル
「え……? バーニィって怖いんですか?」

フェイト
「これ以上ないほどに愛らしい生物だ! ただしデカイ!(※ジェミティ産)」

ティピ
「五メートル越えてるのを『愛らしい』と言えるのはアンタくらいよ」

フェイト
「なんだよ! マスコットキャラが大きいなんて言うのは、よくある話だろ!? カビゴンに比べれば小っちゃいや!!」

ティピ
「違う話を出すな!! ……って、あれ?
 今回は『そんなことより』しないの?」

フェイト
「バカ野郎! バーニィの愛らしさを伝える以外に、主人公として僕が一体何をやるっていうんだ!?」

 フェイトのテンションは急激に上がり、それと共にくどくどとバーニィを愛でる話題を展開した。ティピ達がげんなりとした顔をしても、彼は止めない。止まらない。
 ティピはぐったりと溜息を吐いた。スバルに向き直る。

ティピ
「なんか変なスイッチ押しちゃったみたいね……」

スバル
「……えっと、どうします? コーナー」

ティピ
「うん。じゃあ、アタシから質問していい? マッハキャリバーって時速何キロまで出るの?」

 マッハキャリバーとはスバルの持つ魔導師の杖(デバイス)で、籠手とローラーブレードという両手足を強化する肉弾戦特化型だ。スバルの魔法【ウイングロード】を使えば空に道を作ることもでき、魔法道をローラーブレードで滑走するスバルは新人のなかでも特に高い機動力を有している。

スバル
「そりゃあ――………………」

ティピ
「それともう一個。それって免許いるんじゃないの? スバル確か十五――」

スバル
「あ、その点は大丈夫です。デバイス持つ為には魔導師認定試験受けないといけませんから。マッハキャリバーを使うに当たっての資格は『魔導師である』と言う事になってます」

ティピ
「へぇ。ちなみにマッハキャリバーって言ってるけど、マッハで出るの?」

スバル
「瞬発力を上げるソニックムーブみたいな魔法を使ったら、出ると思いますよ」

ティピ
「ふぅ~ん。便利よね~魔法って」

スバル
「だからこそ、習得するまでが大変なんですけどね」

ティピ
「なるほどぉ~! 初めてちゃんとしたコーナーになったわね」

スバル
「初めて……ですか」

ティピ
「さて! 次はティアナを招いて、ティピとフェイトが行く!! をやりたいと思います!」

スバル
「えと……ご清聴ありがとうございました。これからも機動六課をよろしくお願いします!」



フェイト
「待て! まだ! まだバーニィの愛らしさを語りつくしていなぁあああああいっっっ!!」

 青年の叫びは、今日も響いたと言う。


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9.僕のレヴァンティン(※未改造)の錆にしてやる!

「――へぇ、敵も対応早いね」

 

 アルフは静かに口端をつり上げた。彼と「2Pフェイト」を囲むように、周りにはガジェットと召喚獣がいる。『召喚獣』と分類されているものの、それは虫だった。甲虫類の中でもテントウムシに似ている。羽は赤と黒の水玉模様では無く、くすんだ黒。触角は金色で、全長五メートルを超えている。召喚師、ルーテシア・アルビーノによって『地雷王』と名付けられた大型の召喚獣だ。

 2Pフェイトは大仰に両手を広げ、肩をすくめた。

 

「お前が遊んでたからじゃないのか?」

 

「お前のせいでしょ」

 

「あんな顔面鷲掴み(アイアン)されたら、誰だって叫ぶはぁああ!!」

 

 力の限り叫ぶ2Pフェイトを置いて、アルフは静かに刀の鍔に指をかける。2Pフェイトは反応を返してくれない相棒にチェッとつぶやくと、首を巡らせて召喚獣とガジェットの位置を確認した。

 召喚獣――地雷王は、全部で二体。ガジェットの数は、数えるだけで億劫だ。

 2Pフェイトは地雷王を見上げ、首を捻る。

 

「――なあ、アルフ。コイツ等って昆虫評論家に見せたら、いくらなんだろうね? 言うじゃないか、黒いダイヤとか」

 

「召喚獣がいつまでもおとなしく実在してりゃいいけどな」

 

「それもそうか。まあ、とにかく――始めようか。僕のレヴァンティンの錆にしてやる!」

 

 言って、2Pフェイトは赤い装飾の付いた魔剣、レヴァンテインを構えた。

 ぞくりとアルフの背に悪寒が走る。

 

「何か……、嫌な予感……?」

 

 アルフは首を捻る。――そう、嫌な予感がする。2Pフェイトの握る魔剣レヴァンテインを見た時から。

 ここでアルフは両腕を組み、うんうんと唸りながら考えを巡らせた。魔剣レヴァンティン。名前だけでも嫌な記憶だ。昔の同僚は魔剣の事を、『ど根性バーニィ』よりも酷い代物――と話していた記憶がある。

 

「あ……」

 

 ぽん、と手を叩いたアルフは、いくらかすっきりした顔で「2Pフェイト」を見た。

 魔剣レヴァンテインの効果。

 それは――、

 

 敵の防御力を5倍に強化し、

 敵の攻撃力を1.3倍に増加させ、

 戦闘で得られる経験のほとんどを記憶から消し飛ばし、

 味方全員の移動速度を30パーセントほど低下させ、

 必殺技(バトルスキル)を繰り出した術者の負担を、1.5倍に増加させ、

 こちらの戦闘意欲を秒単位で遺憾なく削り取ってくれる――

 

 『最凶の呪われし魔剣』だった。

 

「!」

 

 カッと目を見開く。思い返した時には手遅れだった。2Pフェイトは魔剣を抜き放ち、その魔剣から、禍々しい瘴気(オーラ)を発している。

 

「……やっちゃった」

 

「いくぞぉおおおおお!!」

 

 やる気に満ちた2Pフェイトの活躍もあって、ここに、生死を分けるバトルが開幕した。

 

 

 

 

「奥義! ブレードリアクター!」

 

 同じ青年(フェイト)なだけあって、3Pと4Pの息はぴったりだった。振り上げ、振り下ろし、突きの三連撃が前後から一息で放たれ、ガジェットが派手な爆音を立てて砕け散っていく。

 

「凄い、フェイトさん!」

 

「……うん!」

 

 満面の笑顔の少年(エリオ)少女(キャロ)を振り返り、いよいよ2人のフェイトは「やる気に満ち溢れたフェイト」へとその格を上げるのだった。

 曰く、――褒められると伸びるタイプなんだよね、僕! とのことである。

 

「後はお兄さんに任せろ!」

 

「ガラクタ共、この子達には指一本触れさせないぞ!」

 

 ビシリとガジェットを指差しながら、自称光の勇者たる3Pフェイトと、自称風紀委員(平)の4Pフェイトが、互いの得物が最も輝く位置に剣を掲げながら、ポージングを取る。六分身をした彼等は、手数こそ増えるものの一挙動毎に、二人以上の青年(フェイト)が一々ポージングを取る習性がある。それが昔の仲間達をイラつかせ、信用を落として行った原因の一端なのだが、彼等は気付いていない。――もっとも、このポージング習性も、「2Pフェイト」の魔剣レヴァンテインに比べれば可愛らしいものであるが。

 と。

 エリオとキャロを守るように布陣した3Pフェイトと4Pフェイトの合間から、エリオが(ストラーダ)を片手に前に出た。

 

「待って下さい、フェイトさん」

 

「エリオ!?」

 

 驚いた表情で振り返る彼等(3Pと4P)に、エリオは力強く笑って見せた。

 

「僕も頑張ります! お二人にだけ戦わせるわけには、行きません! だって――僕達は仲間なんですから!」

 

「一緒に戦います! フェイトさん!」

 

 そのエリオに続いて、キャロもグローブ型デバイス、ケリュケイオンを掲げる。二人に共通しているのは、純粋で真っ直ぐな眼差しだ。

 

「キャロ……。君達」

 

 じぃ~んと体の奥で心が震えるのを感じながら、「3Pフェイト」は目頭を揉んだ。その「3Pフェイト」の肩を優しく叩き、「4Pフェイト」は言う。

 

「……この世界に来て、僕らは初めて学んだね」

 

「ああ、『仲間』って共に闘うモノなんだって、ね」

 

 どこか悲哀を込めて、二人の「やる気と感動に満ち溢れたフェイト」は迫り来るガジェットを見据えた。

 

 

 

 

「ティア、後ろの茂みだ!」

 

「――はい!」

〈Variable Barret.〉

 

「シュート!」

 

 5Pフェイトの鋭い合図とともに、ティアナは後ろ二メートル先の影に向かってクロスミラージュを発砲した。

 レーザーを放つ寸前のガジェットが、発射口を穿たれて爆発する。ティアナは周囲に神経を張り巡らせながら、前線のスバルと5Pフェイトを横目見た。

 

(――やっぱり、副隊長と互角に前線で打ち合えるフロントアタッカーとしてだけじゃない。フェイトさんは、司令塔(センターガード)としての資質も兼ね備えてる――)

 

 青年(フェイト)は最前線で戦っていながら、敵の位置を完全に掌握している。その自分との才能の違いに――有り余る青年(フェイト)の才能に、ティアナは複雑に顔を歪めた。胸の奥が鈍く痛む。頭を振って雑念を払った。

 

「マッハキャリバー!」

 

 スバルの掛け声と同時、彼女の右腕に嵌まった籠手――マッハキャリバーの二本の分厚いローラーが回転し始めた。5Pフェイトが油断なくロングソードを構えながら、問う。

 

「僕のカリスマについてこれるかい!? スバル!」

 

「行きますよ! ウイングロード!」

 

「よし、上等!」

 

 スバルが地面に拳を打ちつけると、空色の魔法陣が地面に描かれ、彼女の魔力によって『道』が生成された。この『道』はスバルの意志一つでどこまでも長く、高度を気にせず伸び、空中戦が出来ない陸戦魔導師の貴重な足場として重宝される。

 「バニ神の加護を得たシューズ」を履いた5Pフェイトは、このスバルの創りだした『ウイングロード』と地面をスバルと共にとことんまで駆けずり回り、戦場を撹乱して、敵に狙いを定めさせず、立ち往生しているガジェットをティアナに撃ち落とさせたり、スバルや自分の攻撃で粉砕していく。

 

「数が多いからって、こっちには有り余る才能がある! 怯む事は無いさ!」

 

「はい!」

 

 スバルは頼りがいのある増援(5Pフェイト)に向けて、破顔した。

 

 

 

 

「フェイト君!」

 

 シャマルの指輪型デバイス、クラールヴィントが敵接近を告げる。蒼い甲冑に身を包んだ6Pフェイトは口許を緩めた。

 

「――ふふ、他の僕と違って、召喚獣メインの部隊が来るとはな」

 

 6Pフェイトが持つ聖剣ファーウェル。これは全てのフェイトが持つ剣の中では最強クラスの剣だ。切れ味だけなら2Pフェイトの「魔剣レヴァンテイン」の方が上であるが、あれはマイナスの要素が強過ぎて使い物にならない。

 それに、この6Pフェイトは、六人の中で最も防御力の高い鎧ヴァルキリーガーブを装着している。つまり、六人の中で「最も安定感のあるフェイト」である。

 

「分かってるじゃないか」

 

 つぶやく彼の前には、テントウムシに似た甲虫の召喚獣『地雷王』が三体。正面と右斜め前、左斜め前に布陣している。五メートルを超える巨大な昆虫を前に、青年(フェイト)はシャマルを庇うように立つと、聖剣ファーウェルに力を込めた。地雷王の黄金の触角には、バリバリと雷が帯電している。

 青年(フェイト)は聖剣を掲げた。

 

「我が手にあるは天帝の剣戟……裁きをもたらす神器なり! ――ディバイン・ウェポン!」

 

 聖剣の刃が白い光に包まれる。突如、空から白い光の羽根が、雪のように舞い落ち、聖剣の刃に吸い込まれて行く。キュィイイイイ、と不思議な甲高い音を立てて、光が光と重なって、更に強い光を発していく。

 地雷王の黄金の触角に溜まった雷が、青年(フェイト)目掛けて放たれる。落雷のような轟音にシャマルが思わず目をつむると、青年(フェイト)は聖剣を一閃した。三体の地雷王が放つ雷束に向けて、一閃。

 ただそれだけで、雷は跡形も無く消し(・・)飛ば(・・)された(・・・)

 白い光を放つ聖剣ファーウェルを構えながら、青年(フェイト)が振り返る。

 

「ついてなかったね。僕の力は君達の装甲をモノともしない。破壊の力が司ってるのさ」

 

 口の端を僅かに歪め、青年(フェイト)は不敵に笑う。バーニィシューズを履いた彼は時速二百キロで間合いを詰め、斬、と召喚獣を縦に切り裂き、その断面図から、白い光を発して端から順に消して(・・・)いく(・・)

 文字通りの『消滅』である。

 シャマルは目を見開いた。

 

「この力……! これが、はやてちゃんが言っていた――」

 

 彼女の言葉の途中で、次々と増援が現れた。6Pフェイトをこの先に行かせないように、大型ガジェットのⅢ型が十機以上。残る二体の地雷王を含め、視界を覆うように現れた敵を見据え、6Pフェイトは口端をつり上げた。

 

「一気に決めさせてもらうよ」

 

 言うと、彼はいきなり地面にうずくまり、左手を地につける。目の前には五メートル強の昆虫型召喚獣、地雷王と二メートル大の大型ガジェット――ガジェットⅢ型。

 

「フェイト君!」

 

 シャマルは息を呑んだ。

 

(何、この魔力……!? フェイト君の影を中心に闇が広がって……!)

 

 6Pフェイトの陰から生じた赤黒い闇の渦は、全ての召喚獣の足元に到達した。そろそろと、足音も立てず静かに。

 そして、

 

「無影一閃」

 

 青年(フェイト)はカッと目を見開き、高速移動からの横薙ぎを放つ。

 

「ストレイヤーヴォイド!」

 

 闇の中を、白い光を放つ聖剣の斬撃が一つ、走った。

 瞬間。

 闇の渦が青年(フェイト)の後を追うように、渦の中にいる全ての召喚獣と大型ガジェットを切り裂いた。青年(フェイト)の光の斬線と全く同じ軌跡を描いて、大型の巨召喚獣とガジェットの体に横一線、闇の斬閃が刻まれる。

 キン、と小さな鍔鳴り音を立てて青年(フェイト)が剣を鞘に納めると同時、斬閃を描かれた召喚獣達が例外なく、体が斜めにズレて行き、その断面図から光が生じ、消えて行った。

 

「凄い――」

 

 シャマルは口許に両手を添えて、息を呑む。6Pフェイトは彼女を振り返ると、ふふんと得意げに背中を逸らした。

 

「少しは僕の実力、見直しました? シャマル先生」

 

「うん……うん! 今のセリフと言い、敵の倒し方と言い、シグナムそっくりだったわ!」

 

「な、ぬ……?」

 

 満面の笑みで放たれたシャマルの言葉に、6Pフェイトが目を見開く。目玉が零れんばかりに、大きく。

 シャマルは彼の動揺に気付かず、手を叩いて絶賛していた。

 

「あのね、シグナムのデバイスもレヴァンティンって言って、そのシュラーケンフォルムに紫電一閃っていうのがあるの! さっきのフェイト君、それに似ていて、とても格好よかったわ」

 

 6Pフェイトはカッと限界の限界まで目を見開くと、顔を濃くして頬を伝う冷汗を右手で拭った。

 

「シグナムさん。まさか僕と被るとは……! ヴィータちゃんに引き続き、僕は――貴女に挑まねばならないようだね!」

 

 6Pフェイトはここには居ないベルカ騎士の女性を思い出し、静かな闘争心を燃やすのだった。

 

 

 

 

「どのお前だか知らないが。今、思い切りディストラクション使っただろ?」

 

 アルフ・アトロシャスの目許が、急に暗くなっていた。場の空気が冷える。ぴしぴしと、周りの木々が緊張に呼応して短い悲鳴を上げた。

 しかしそんなプレッシャーも、この2Pフェイトにはまったくの無意味である。

 

「うん、6Pだねっ!」

 

 2Pフェイトは全身の裂傷を気にした様子も無く、さっと髪を掻き上げる。何もボロボロなのは、この2Pフェイトだけでは無い。移動速度を三〇パーセントほど削り取られたアルフも、全身くまなく傷を負っていた。

 アルフ・アトロシャスは目許を伏せたまま、そっと問いかける。努めて、平静に。

 

「秘匿にしなければいけない力だって、説明しましたよね? フェイトさん」

 

「HAHAHA、そんな話だったね!」

 

「…………」

 

 カッとアルフの目が見開かれた。片手で2Pフェイトの顔面を握る。

 

「いででっ! だからアイアンやってる場合じゃないって何で分かんないかな、このバカ! もう――どうしようもねえな、このバカ!」

 

「……誰の所為だと?」

 

「いでででででええええ!」

 

 この顔、本気で握り潰してやろうかとアルフは思った。相変わらず、前線モニタが可能と言う事は、敵もこちらを観察しているのだ。AMFの効果範囲を広げる事は可能だが、あまりに広域な結界を張ると、アルフにまで余計な目が向けられてしまう。

 それは避けねばならない。そういう駆け引きの上での行動だと言うのに――

 

「って、一から十まで説明したのにお前……!」

 

「ぎゃぁああああ!」

 

 みしみしと悲鳴を上げる顔面を握りしめて、2Pフェイトの悲鳴が森にこだまする。二人がジャレ合っている間にガジェットから容赦の無い光線(レーザー)が四方八方から放たれたのは、言うまでも無い。

 

 ズドオォッ――!

 

 攻撃力が1.3倍に引き上がったガジェットの光線は『鬼畜』と呼べる程に強力で――フェイト・テスタロッサ部隊(ライトニング分隊)なのは部隊(スターズ分隊)に対抗して作った部隊名『アルフェイト』は、こうして無駄な傷を増やしていくのであった……。




ティピ&フェイト
「「第六回、ティピとフェイトが行く!!」」


ティピ
「と言う訳で、折り返し地点が終了しました!」

フェイト
「この調子で第十回まで突っ走って行こうか!!」

ティピ
「今回のゲストはスバルの相棒、苦労性だとかスバルの嫁さんだとか、色々言われてるよね。機動六課で一番常識のある人だと私は思います。ティアナ・ランスターで~す!」

ティアナ
「えっと……ティアナです。よろしく」

フェイト
「なぁ~んだよ! ティアナ!! もっと派手に行こうぜ!! スバルなんてもっと燃えてたぞ!!」

ティアナ
「いや、フェイトさんとはあんまり絡んで無かったように見えたんですけど……」

フェイト
「ごほんっ! ま、それはそれとして。
 どうだい? ティアナ? 本日で第十三話目だけど何か話しとくことあるかい?」

ティアナ
「そうですね……フェイトさん。人間なんですか?」

フェイト
「何、その質問!? 何でそんな心の底から疑問形で見てんの!? 僕のこと!!」

ティピ
「あぁ~……まあ、仕方ないんじゃない?」

フェイト
「ティピちゃんまで、なんで!?」

ティアナ
「では、一つずつ論理的に説明していきたいと思います。
 まず第四話目! ヴィータ副隊長とまったく互角に戦いを繰り広げたフェイトさん。ヴィータ副隊長は魔力を使ってとことんまで応じていました。それを真正面から棒っ切れ一つで戦って来たフェイトさんを、私は到底人間には思えませんでした!」

フェイト
「ぼ、ぼぼ……棒っ、棒切っっ!? ティア! それは言っちゃいけな――」

ティアナ
「そして第七話目! 空を飛ぶヴィータ副隊長に、陸戦で追いつけるフェイトさんの足!
 バニ神の加護なんていう得体の知れないものを味方にしてるフェイトさん! とても普通の人間とは思えない!」

フェイト
「ちょ、ちょっ!? ちょっ……! バニ神を、バニ神を馬鹿にするなよ!!!?」

ティアナ
「そして最後! 普通の人間は、分身なんかしませんっ!!」

フェイト
「いや! 主人公だからって言ってるじゃないかぁ!!」

ティアナ
「どこの主人公が分身なんてするんですか! 脈絡も無く!!」

フェイト
「なっ……ん、だと……!?」

ティアナ
「以上を踏まえて、私が納得できるように説明して下さい。フェイトさん」

フェイト
「よかろう! では、まずバーニィの愛らしさについて、ティアナに僕の全てを伝授しよう!!」

ティピ
「微妙に論点ずれたわよ!!」

フェイト
「外野の声など聞こえん!!」

ティピ
「ま、いいけどね。――で、他に聞きたい事ある? ティアナ。あの後フェイトに、何か話聞こうとしても無駄だよ」

 熱い演説を始めたフェイトを脇に、ティピとティアナはコーナーを続けることにした。

ティアナ
「そうですね。それじゃあ……なんで『ゲヴェル』って呼ばれる人は、皆同じ顔をしてるんですか? 髪型まで丸きり一緒なんて……。正直、それが百人もいるとなると不気味になると思うんですけど」

ティピ
「まあね! とりあえず、普段の連中は仮面と言うかアイマスクみたいなものを付けてもらってんのよ。それでもまあ……全員揃うと、異様な光景ではあるよね。で。質問その二なんだけど、なんでゲヴェルが同じ顔をしてるのかって言うと、全員同じ細胞から生まれてるからなのよ。所謂クローンみたいなものね」

ティアナ
「じゃあ、アステアさんやカーマインさんって……」

ティピ
「『ゲヴェル』って言う化物から生み出されたクローンってことになるわね。本人達は全然気にして無いけど。……まあ、百人も居たら、本人達が特別性を感じないのは仕方ないとは思うけどね」

ティアナ
「な、なんだか……デリケートな話題をサラッと流されたような気がする……!」

ティピ
「まあ、どうしてもその話を知りたいって言うなら、本編であるかもよ?」

ティアナ
「なるほど……。でも、本当に異世界にはいろんな人達がいるんですね」

ティピ
「あったり前じゃない! アンタ達の世界にだって、いろんな人がいるでしょ?」

ティアナ
「そうですね」

ティピ
「早く一人前になって、皆を守って行けるようになってよね。ティアナ! 応援してるから!」

ティアナ
「はいっ!」

ティピ
「以上! 今回のティピとフェイトが行く!! でした~!」



フェイト
「最近僕、仲間外れ多くねぇええええええ!?」

 青年の叫びは、涙と共に散って行った。


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10.僕とお前らとの格の違いを教えてやるよ

 ――フェイト君達のおかげで、こちらは大丈夫よ! ヴィータちゃん!!

 

 シャマルから通信をもらうや否や、ヴィータは小さく頷いた。グラーフアイゼンを薙ぎ、小型のⅠ型ガジェットを粉砕する。有人操作に切り替わったようなガジェットの動きは鋭く、手こずりはしたものの、一機ずつ集中すれば、ヴィータの敵ではない。

 ――少なくとも、ガジェットの方()

 

「ヘッ、やるじゃねえか! つう事は、後はアタシ達とアトロシャスの所だけだな!!」

 

 ティアナとスバル、エリオとキャロの所も、今し方ガジェットと召喚獣の殲滅に成功したとの通信があった。横目に青年(フェイト)を見ると、彼は鉄パイプを片手に黒騎士を見据えている。いつになく、真剣な面持ちだ。

 

「さっさと、片づけてやる……と言いたいところだが、手ごわいんだよね。この甲冑」

 

 誇張でも何でもなく、黒騎士は強敵だった。一体の実力は、青年(フェイト)達が少し本気を出せば撃退できるレベルだ。しかし、これが三体集まった時に生まれるコンビネーションが、それぞれの黒騎士のレベルを格段に底上げしている。

 コンビネーションに、隙が無い。

 ヴィータは口端をつり上げた。

 

「こんな時こそ、アタシに見せた意地の張り時だろうが!」

 

「――いいだろう、NO FAN,NO SO!!」

 

「その意気だ!!」

 

 黒騎士が周囲からフェイトとヴィータに襲いかかってきた。ヴィータとフェイトは同時に上に跳躍し、騎士達の一撃をやり過ごした後、頭上から鉄パイプとハンマーを振り下ろす。

 

 ギィンッ!

 

 紙一重の所で剣にて捌かれる。青年(フェイト)は目を瞠った。

 

「ぬな!? 僕のエリアルが!?」

 

「コイツ等!!」

 

 二人は同時に着地する。敵は徐々に、こちらの動きを覚え始めていた。まるで百戦を生き延びた猛者の如く、見る間に動きが洗練されて行く。黒騎士の一体はヴィータのハンマーを受け止めると、別の一体が上段から剣を振り下ろしてきた。

 

「クッ!!」

 

 ヴィータは咄嗟にアイゼンの柄を頭上に構え、止める。

 が。 

 

(――な……!?)

 

 ヴィータは目を見開いた。完全に受け止めた黒騎士の剣。なのに、黒騎士はヴィータの胴を薙いで(・・・)いる。騎士の一撃は、唐竹(ふりおろし)と横薙ぎをほぼ同時に放つ、神速の十字斬だった。

 

 斬っ!

 

 

「、くそっ!」

 

 腹から流れる血を握りしめて、ヴィータが毒づく。

 

「――!?」

 

 青年(フェイト)が目を見開いた。彼の目の前で、ヴィータが膝を付く。腹から流れる血は、赤いゴシックドレスに黒い染みを作った。

 

「チ、アタシとした事が……!」

 

 ヴィータは止血不能と見るや、流れる血をそのままに騎士の追撃を迎え撃とうとグラーフアイゼンを握りしめる。だが、騎士の一撃が放たれるより先に、凄まじい体当たり(チャージ)が黒騎士の巨体を吹き飛ばした。

 

 ドゴォ――ッ!

 

 轟音を立てて、黒騎士が地面に転がる。

 

「……フェイト!」

 

 ヴィータはぽかんと目を丸めた。吹き飛ばされた黒騎士は、あまりの衝撃にしばらくの間、動けない。

 目許に影を落とした青年(フェイト)は、そっとヴィータに右手をかざす。

 

「ヒーリング!」

 

 蒼白の光が青年(フェイト)の指先から放たれ、ヴィータの腹に刻まれた血の一線が消え失せた。ヴィータは更に驚きながら、青年(フェイト)を見る。

 

「コレは……癒しの魔法……! フェイト、お前」

 

「――ヴィータちゃん、少し退がっていてくれるかい」

 

 ミッド式でもベルカ式でも無い回復魔法にヴィータが驚いていると、青年(フェイト)は静かに彼女を制してそう言った。彼の翡翠の瞳と目が合う。表情からして、いつもの青年(フェイト)とは違う(・・)

 

(何だ、コイツ……!? 本当に、フェイトなのか……!?)

 

 ヴィータは息を呑む。青年の全身から放たれる威圧感は、ヴィータをして警戒するほど強烈なものだった。静かに立ち尽くしているだけなのに、青年(フェイト)の全身から、白い光が迸る。それは影のように、煙のようにゆらゆらと揺れ、青年は静かに、黒の騎士達を鋭く光る翡翠の瞳で睨み据えた。

 声の調子(トーン)が、落ちる。

 

「可愛い女の子に対して、全く無慈悲な一撃だな。久し振りに、本気で怒ったぞ」

 

 言い放つフェイトの声は、低いが穏やかなものだった。しかしヴィータの掌には、いつの間にか冷汗が滲んでいる。静かだが、感じる――青年の強烈な圧迫感(プレッシャー)。黒の騎士達が静かに剣を正眼に構える。

 

「かかって来い――。僕とお前らとの格の違いを教えてやるよ」

 

 青年(フェイト)は鉄パイプを構え、言い捨てた。瞬間、三体の騎士がいきなりコンビネーションを繰り出して来る。

 

 一体目が体当たり。二体目が一体目の肩を踏み台にしての跳躍からの振り下ろし。三体目が一体目の影に隠れてのすれ違いざまの胴薙ぎを一閃。

 

 後ろにヴィータが居るフェイトは、まず一体目の肩を飛び越えた2体目の一撃をあっさりと鉄パイプで横に流す。フェイトの側面に着地した2体目を庇うような一体目の体当たりが迫る。

 鋭く風を切る一体目の体当たりをフェイトはサイドステップで軽く避け、その前に飛んできた横薙ぎを着地と同時に鉄パイプを下から振り上げて、剣を撥ね上げた。間髪入れずに放ったフェイトの右蹴りが、ドゴォッと轟音を立てて黒騎士の顔面に入り、3体目が後方へ弾き飛ぶ。一体目は体当たりの勢いのまま後方に抜けたため、フェイトとの距離は必然的に空いた。

 横に剣撃を流された2体目が、斬りかかってきた。右袈裟がけを左に避け、フェイトはそのままの勢いで、鉄パイプを横に薙ぎ、兜の横面にぶち当て、3体目が吹き飛んだ所へ、弾き飛ばす。

 横薙ぎを払った姿勢のフェイトの後ろから、1体目が剣を腰の位置に構え、体当たり気味に突きを繰り出してきた。

 

「フェイト!」

 

 援護しようとするヴィータよりも早く、フェイトは既に剣の間合いからサイドステップで避けている。

 

「リフレクトストライフ!」

 

「……な!?」

 

 黄金の気を孕んだ蹴りが数か所、甲冑に当たり、後方へ弾け飛ぶ。轟音を立てて地面に叩きつけられた場所は、他の騎士達と縦に一直線に並んだ場所。

 騎士達は同時に剣を正面に構え、突き出す。その切っ先に魔力が集中して行き、やがてソレは雷を放つ球へと変化した。と同時、周りに浮遊していたガジェットもいつの間にか騎士達の後方に回り、光線を放つ準備をしている。

 

「……」

 

 フェイトは静かに鉄パイプを正眼に構え、瞳を閉じる。両手の甲と額に白い光が紋章を描き、フェイトの背には蒼い髪の翼を生やした少女が現れる。

 

「な、何だ……!? こりゃ……!」

 

 少女神とフェイトの瞳が見開かれるのは、――同時。

 

「――コレに耐えられるものなら、耐えてみろ!」

 

 

 ばさっ、……!

 

 蒼く光る翼がフェイトの背に生じ、彼は宙に羽ばたくと、全ての力が凝縮された鉄の棒――今や、青く輝く光と化している棒――を振り下ろした。

 同時、騎士達からも雷が、ガジェットからは光が放たれる。

 

「イセリアルブラスト!」

 

 フェイトと騎士達の中央で、両者の光がぶつかり合う。力の押し合いは一瞬でカタが付く。一気にフェイトの光が騎士やガジェットを飲み込み、辺り一面を包み込んでいった。

 

「この魔力――まさか!」

 

 ヴィータは背中がぞくりと震えるのを感じながら、息を呑んだ。

 

 ――どうも、Sランク以上みたいなんよ。

 

 はやての言葉が脳裏によみがえる。

 

「これが――フェイトの本当の力……!」

 

 譫言(うわごと)のようにヴィータがつぶやくと、青年(フェイト)がこちらを振り返って、ビシリと親指を立てた。

 

「これぞ真・フェイト!」

 

 そう言いきって、パチリとウインクする。先程のカリスマ、圧迫感(プレッシャー)は見事に消し飛び、最早別人――「残念なフェイト」である。

 ヴィータは思いがけず、肩透かしを喰らった。

 

 ××××

 

「素晴らしい……! コレが、万物を破壊し尽くす『力』!」

 

 『ドクター』の異名を持つ広域次元犯罪者、ジェイル・スカリエッティはモニターを見据えて興奮に胸を高鳴らせていた。

 二度目のイセリアル・ブラスト。

 先日の計測機よりも更に大型のものを以てしてもドクターの秘書官(サイボーグ)はこう言うのだ。

 

 ――測定不能、と。

 

[ドクター……。いくらなんでも、これは――]

 

 通信越しに、秘書官(サイボーグ)1番(ウーノ)の声は震えていた。

 ドクター、ジェイル・スカリエッティの脳裏には、ある男の研究が浮かんでいる。広域次元犯罪者として、幾多の世界を飛び回った彼は、聞いた事があるのだ。

 このミッドチルダ――『時空管理局』と交流がある事を、決して知られてはならない強大な組織。

 『銀河連邦』。

 そこで銀河的権威として崇められている、一人の男の研究を。

 

「破壊の力、ディストラクション。……まさかこれほどの完成度とはね」

 

 初めて青年(フェイト)を見た時は、それがただの偶然だと思った。しかし、二度目の目撃で疑念は『確信』に変わる。くく、と喉を鳴らしたスカリエッティは、モニタに映る青髪の青年を見据えて、高らかな哄笑を上げた。

 

「ふふっ……、まさかまさか!」

 

 ドクター・スカリエッティの専門分野は、生命操作と生体改造だ。

 そして、フェイトの父――ロキシ・ラインゴッドは、銀河系の1/3を掌握する一大勢力、銀河連邦において、紋章遺伝学(・・・)の最高峰に昇りつめた男。彼は、我が子に遺伝子操作を施して、息子を生物兵器に仕立て上げた――稀代の天才科学者である。

 その研究成果は、今見た通り。

 

「楽しみだよ……、ラインゴッド博士!」

 

 スカリエッティはモニタに張りつき、狂った哄笑を上げ続けた。

 ロキシの傑作と己の傑作。

 どちらがより優れたものなのか――。

 めぐり合う筈のなかった両者の逢瀬に、スカリエッティの心は躍っていた。

 

 

 ××××

 

 

 青年(フェイト)は静かに『力』を納めて地面に降り立ち、こちらを呆然と見るヴィータに向き直る。背中に浮かんだ翼は、消えていた。

 青年(フェイト)の力――ディストラクションの消滅の光は、文字通り黒騎士とガジェットを一体残らずこの世から消し飛ばす。

 

「……あ」

 

 ヴィータは、その威力に息を呑んだ。ディストラクションは、ミッド式魔法やベルカ式魔法のように、消滅させる対象を選ばない。彼の後ろにあるのは、だだっ広い空間だけだ。抉れた大地と、薙ぎ払われた木々。それらはイセリアル・ブラストの名残を分かりやすく示すように、ぽっかりと巨大な穴を開けている。

 青年(フェイト)は振り返るなり、「いつもの青年(フェイト)」に戻っていたが、質量兵器を超える――あまりに無慈悲な威力に、彼女は尻込んでいた。

 

「ヴィータちゃあああああん!」

 

「へ?」

 

 青年(フェイト)は全力で――泣きべそを掻きながら、ヴィータに走り寄って来た。

 

「な、何だよ!?」

 

「ごめんよ! ごめんよぉおお!! 僕が油断したから、怪我させちゃって! 痛かったろう!? さあ、シャマル先生に診せに行こう!」

 

 有無を言わさずヴィータを抱え上げる青年(フェイト)に、ヴィータは目を白黒させながら反論した。

 

「だ、大丈夫だよ! お前がさっき治してくれたじゃねえか!」

 

「馬鹿あ! 何か黴菌(バイキン)が入ってるかも知れないだろう!? 毒とか……! ああ、こうしちゃいられない! ――さあ、ヴィータちゃん!」

 

「大丈夫だって言ってんだろうが!」

 

 ヴィータの主張など何のその、「バニ神の加護を得しフェイト」はヴィータを抱いて、ドキューンッと轟音を立てながらシャマルの下へと駆けて行くのであった。




フェイト
「第七回!」

ティピ
「ティピとぉ~」

フェイト
「フェイトがぁ~」


ティピ&フェイト
「行く~!!」


ティピ
「なんだかんだ言って、第十話まで来たね。フェイト」

フェイト
「今回は、僕の本気を見せつけた回だったよね」

ティピ
「よっ! やっと主人公!」

フェイト
「まあね☆ ――ってちょっと! 『やっと』って余計なんだけど!」

ティピ
「でも、ま。アンタががんばった分、2Pのアンタが足を引っ張りまくってるんだけどね」

フェイト
「しょうがないじゃないか。2Pのレヴァンテインは狂気の沙汰だって言ってるだろ」

ティピ
「それでも2Pフェイトが、真・フェイトになると一番強かったりするのよね?」

フェイト
「滅多になんないけどね☆」

ティピ
「と、まあグダグダな話はこれくらいにして! 今回のゲストを紹介したいと思いま~す!」

フェイト
「機動六課期待のホープ! 背はちっちゃいけど僕の知ってるどのチビッ子よりも純真で頼りがいのある少年! ぶっちゃけ主人公じゃね!? エリオ・モンディアルぅうううう~~!」

ティピ
「わぁ~! すごい独断と偏見の塊の紹介だよねぇ~! なのはさんやフェイトさんの時とは大違いだぁ~!」

フェイト
「ありゃ、あん時だけ『台本』あったんだよ!!」

エリオ
「えっと……よろしくお願いします。フェイトさん、ティピさん」

フェイト
「よく来たな! エリオ! いやいや畏まるコトはないよ。まま、座って座って」

ティピ
「なんて言うかさ。エリオって私達の仲間にいるエリオットと同じで、子供っぽくないわよね~。あんまり」

エリオ
「そ、そうですか……?」

ティピ
「なんて言うか~……。お行儀が良過ぎるのよねエリオットのはさ、お父さんとお母さんの教育の賜物って感じがしたけど、アンタは何て言うか、自分で言葉を選んで喋ってるって感じよね」

エリオ
「そ、そうなんですか?」

ティピ
「子どもなんだからさ、もっとくだけた喋り方しなさいよぉ! エリオットなんかよりずっと小っちゃいんだから、アンタ」

フェイト
「ティピちゃん。エリオを君の所の『腹黒』と一緒にしないでもらえるかい。あんなね、脱獄王なんかね、正直足許にも及ばないぐらいエリオは良い子なんだよ!」

ティピ
「コイツ、珍しく人に褒められてるから、調子乗っちゃってるよ」

フェイト
「なんだよ!? エリオが良い子であることに、変わりはないだろ!?」

ティピ
「だから子供っぽくないって言ってんのよ!」

フェイト
「いいじゃないか! 別に! しっかりした子なんだよ! 大体、キャロと喋る時は普通だろ!?」

ティピ
「だから、その喋り方を私達にもしろって言ってんのよ!」

フェイト
「目上の人への敬意でしょうが!? 何の問題があるんですか!!?」

ティピ
「だ~か~らぁ~!」

エリオ
「……ごめんなさい。僕の所為で、お二人がケンカしちゃうなんて……」

 エリオは顔を俯けて、しくしくと泣き始めた。

フェイト
「…………ティピちゃん」

ティピ
「ごめん、エリオ……。アタシが悪かったわ」

フェイト
「しっかり見えてたって、エリオだって子どもなんだから。気にするようなこと言っちゃダメだ!」

ティピ
「珍しく正論を言われた……」

フェイト
「と、言う訳で! 今回は、エリオに僕から質問していいかな?」

エリオ
「はい! 答えられる事だったら、どんな事だって答えます!」

フェイト
「ありがとう。それじゃ、聞くんだけど――エリオって空戦? それとも陸戦?」

エリオ
「陸戦です。僕は飛行魔法、使えませんから」

フェイト
「そうなんだよね。でもさ、ストラーダっていう槍のデバイス?  あれ使ったら、空飛べるでしょ? エリオ。まあ、そんなこと言ったらスバルだって――ねぇ? って感じだけど」

ティピ
「ぶっちゃけさ。陸戦と空戦の違いってなんなの?」

エリオ
「空戦魔導師の方々は、デバイスの力を借りなくとも空を自由に飛ぶ事が出来ます。それに比べ、僕やスバルさんは、デバイスの特性をよく理解して、ちゃんと制御した形でなければ、空での身動きが取れません。特に僕は、ストラーダの進行方向を急に変えることは出来ませんから、空戦魔導師のフェイトさん達に比べれば、空での行動に制限があるんです」

フェイト
「空が飛べるから空戦魔導師ってわけじゃないんだね」

エリオ
「はい。空戦魔導師の方は、空を自由に飛べるだけではなく、更に加速魔法を使って、瞬発力を生かした攻撃行動も可能ですから」

フェイト
「なるほどぉ~。いやぁ、こっちに来ていろいろと勉強させられてるよな。僕達」

ティピ
「人が空を飛ぶなんて、正直有り得ない話だもんね」

フェイト
「無重力でもないのにね~! ……惜しい! 僕が家から重力制御装置を持って来れたら、エリオ達にも僕の華麗なる空戦を見せてあげられたの――」

ティピ
「ティピちゃ~んっ! キィック!!」


 ドゴォッ!!


フェイト
「座談会初っ!?」

 フェイトはエリオを見据えたまま、ロケットランチャーのように水平に壁に向かって飛んで行った。


ティピ
「正確には、この作品初のティピちゃんキックです」

エリオ
「だ、大丈夫ですか!? フェイトさん!! 顔が思い切りねじれてましたよ!!?」

フェイト
「No FAN,No SO! の精神なら大丈夫!! ――と言いたいところだが、足に来た!! ……た、立てねぇ……!!」

ティピ
「ん? アンタ、何言おうとしてんのよ? 面倒くさくなるから、そういう連邦の発言はやめなさいよ」

フェイト
「オラクル空間は何でもありじゃないのかよ!?」

ティピ
「な~んで私が、フェイトさんやなのはさんの話を途中で切ったと思ってんのよ! この場にアルフが居たら、アイアンクローだからね!」

フェイト
「やぁ~やぁ~?(あれ? でもそれ言ったら、『連邦』ってモロ言っちゃダメなんじゃ)」

ティピ
「突っ込まれなきゃ大丈夫よ」

フェイト
「心を読むだと!?」

エリオ
「お二人は本当に仲が良いんですね」

ティピ
「エリオ。もうちょっと人生経験豊富にした方がいいんじゃない?」

フェイト
「何を言う。ある意味、僕とティピちゃんはバッチリの相性だろう!」

ティピ
「と、まあこんな感じでコーナーも慣れて来たコトだしぃ~! 次は……キャロを呼んでみま~す!」

フェイト
「そう言えばさ、エリオ。キャロちゃんとは仲良くやってるかい?」

エリオ
「はい! 仲良いですよ!」

 エリオは屈託の無い笑顔だった。これ以上ないほど。

フェイト
「……………………(゜д゜)」

ティピ
「……ねぇ、なんでこうリリカルなのはの登場人物って……こうなのかしら」

フェイト
「泣くもんか! だって男の子だから!!」

ティピ
「第七回! ティピとぉ~!」

フェイト
「フェイトが」

ティピ&フェイト&エリオ
「行く!!」

エリオ
「でした!」



フェイト
「息ぴったりだったね! エリオ!!」

エリオ
「登場キャラクターの中で、初めてタイトルコール読ませて頂きましたね」

ティピ
「ホンット! フェイトはエリオに甘いわねぇ~」

フェイト
「フェイトはどっちも甘いんだよ」


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11.狂人。

「――言い訳を聞こうか?」

 

「1P! ナイス!」

 

 アルフの拳は震えていた。いつも通りの無表情だが、紅瞳は本音を語っている。鋭い刃の様な殺気が2Pフェイトの背中に向けられているが、2Pフェイトはやはり気にしなかった。彼は1Pフェイトに向けて、グッと親指を突き立てる。

 アルフは深い溜息を吐き、首を横に振った。

 

(最早会話すら不可能だったとは――)

 

 半分察しがついていたが、残念でならない。

 

「さて、どうするか」

 

 つぶやくものの、やる事自体は決まっていた。何故ならアルフの前には騒ぎを起こした張本人――召喚師ルーテシア・アルピーノが居たからだ。

 

「貴方達が、ドクターの言ってた異端者?」

 

 ルーテシアは薄紫色の髪をなびかせて、小首を傾げる。年齢は十歳前後。小柄な彼女を目に留めた瞬間、アルフと2Pフェイトの表情が凍りつく。

 

また(・・)幼女か……!」

 

 二人はウンザリとした表情(カオ)で、額に手を添え首を横に振る。見事なまでに息が揃った。ルーテシアの周りには、ガジェットが十数体。肩に、烈火の剣精と呼ばれる融合騎――体長三十センチの蝙蝠の羽を持つ赤髪の少女、アギト。傍らには、四十絡みの巨躯の男がいる。

 

「……へぇ」

 

 アルフは口端をつり上げ、男を見据えた。静かな男だ。野暮ったい印象を受ける焦茶色の髪はぼさぼさで、精悍な顔に浮かぶ唇を真一文字に引き結んでいる。瞳の色は青。切れ長で、男らしい太い眉をしている。肩幅の広い彼は黒と茶色の飾り気の無い服の上に、焦げ茶色のコートを着ていた。裾は擦り切れてボロボロだが、左手に嵌めた鉄の籠手と、両足の金属靴(グリーブ)にはきちんと手入れが施されている。

 

「ルーテシア、下がっていろ」

 

 男はルーテシアに言うと、槍を構えた。エリオが持っているデバイス、ストラーダとは違い、穂先が刃になった薙刀に近い槍だ。

 槍斧、ハルバード。

 それを手に男はアルフと相対する。両者の間合いは、三メートル。距離的に、男に利がある。アルフは刀の鍔に手をかけた。

 

「旦那、私も手伝うよ!」

 

 蝙蝠の羽を背中に生やした三十センチの剣精、アギトが赤い髪を揺らしながら主張した。男は視線すらアギトとルーテシアに向けない。

 それは、アルフも同じだった。

 空気が張り詰める。

 

「フェイト、雑魚は任せた」

 

 互いに間合いを、踏み込むタイミングを測りながら、じり、じりと摺足で睨み合う。男は無表情。アルフは微笑。

 両者に共通するのは――壮絶に研ぎ澄ませた、青瞳と紅瞳の輝き。

 

「ええ!? 僕も、あのいぶし銀なオッサンと戦いたいぞ! こう、ボスって感じじゃないか」

 

「だから――俺が、やる」

 

 2Pフェイトの主張を軽くあしらって、アルフは一層笑みを深くする。妖艶な色香が漂い、それを見咎めた青年(フェイト)は口を台形にして、押し黙った。

 

「旦那……!」

 

 アギトは息を呑んだ。喉が急速に渇く。空気が肌に突き刺さり、背中がぞくぞくと震えた。体の芯から凍えるような強烈な悪寒。ルーテシアもまた、固まっている自分に気付いた。

 

(……なに?)

 

 震える手を見下ろす。

 銀髪の青年から放たれる、強烈な圧迫感(プレッシャー)に、彼女は恐怖している。茫洋とした仮面を脱ぎ捨てた彼は、まるで抜き身の刃だ。

 

「さあ、始めようぜ」

 

「――押し通る」

 

 巨躯の男、ゼストは動じない。動じている場合ではない、と言った方が正しかった。対峙する二人の男を見据え、剣精アギトは意を決してゼストに飛び込んだ。

 

(旦那は、やらせねぇ……!)

 

 、、、カッ!!

 

 次の瞬間。

 光が閃光弾のように広がり、ゼストの全身から、赤い煙が揺らめいた。焦茶色の髪は金色と化し、静かな青瞳は赤瞳へと色を変える。

 アルフはそれをジッと見据え、薄笑った。ゼストの内にある魔力量が、爆発的に跳ね上がる。全身から湧き出る煙のような炎は、古代ベルカの融合騎――アギトの炎だ。剣精と(うた)われるアギトは、魔法使いと融合(ユニゾン)する事で、融合した相手の身体能力と魔力を底上げする。

 

 ――すまん、アギト。

 

 念話で、ゼストは剣精に礼を言った。短く、無愛想な礼だ。だが、その言葉に偽りはない。ルーテシアとアギトに視線を向けなかったのは、気を抜けば斬られる(・・・・)からだ。その上、ゼストは大きなハンデを抱えている。

 

 身体が一定時間以上動かないと言う、この上ないハンデを。

 

 ゼストの体調で、この男(アルフ)を仕留めるのは極めて難しい。融合して初めて、アギトにもゼストが感じている恐怖が伝わって来た。目の前の殺気は、尋常ではない。ゼストは背中に感じる悪寒を、胆力で抑えつけている。

 

〈な、なんのなんの……! 旦那は私が守るんだ!〉

 

 アギトは声が震えるのを感じながら、虚勢を張った。

 と。

 無造作にアルフは無名(カタナ)を抜き放ち、ゼストに駆けだす。

 体にぴったりと腕を付けた突き――疾風突き。風を巻き、強烈な気を纏って走る突きを、ゼストは長柄で横に流し、捌いた。ゼストの槍にアギトの炎が宿り、間髪入れず、アルフの足許を払うように穂先を薙ぐ。

 アルフが飛びあがると同時、兜割と呼ばれる上段からの一撃を見舞う。黄金の刃は青空で煌き、ゼストは、ぐ、と息を呑んで、バックステップした。金の斬閃が眼前を通り過ぎるのを静かに見る。

 アルフの着地際を狙って、ゼストはすかさず突きを放つ。アルフが脇に避けると、ゼストの槍の穂先が、無数に分身して見える程の速さで放たれた。アルフは突きの弾幕を前に、にやりと嗤う。

 飛び込んだ。

 まるで針に糸を通すように、槍を逃れるわずかな安全地帯を見つけ、彼はゼストに急接近する。

 

〈旦那! コイツ!〉

 

(ああ、普通の神経じゃないな――)

 

 槍の穂先がかすり、炎で服は燃えているのに、アルフはまるで気にしない。

 躊躇が、無い。

 その戦い方は、自らの破滅を望むようで――

 

〈だ、旦那!!〉

 

「――この男」

 

 アルフは刀の届く間合いに入ると、無名(カタナ)を両手で握る。紅瞳が狂気で光る。

 

「夢幻」

 

 神速の四連斬。ゼストはその全ての斬戟を、槍の柄の部分で捌き切った。横薙ぎを槍の穂先を下段から引き上げて弾き、2撃目の上段からの振り下ろしは、柄先で刀の腹を払って、自身の体の脇の空間にズラす。水月を狙った3撃目の突きは槍を横に寝かせ、柄の中央でしっかりと止める。同時、アルフの4撃目、両手での右袈裟がけが放たれる。

 対して、ゼストは槍の穂先を横に薙ぎながらの突進。両者交差後方気味にすれ違う。

 

「……ゼスト……!」

 

 ルーテシアは息を呑んだ。近接戦闘は素人である彼女は、彼等の動きのほとんどが見えていない。敵に背を向けて立っているゼストの肩から、血が流れた。見ればその全身に、先ほどの攻防による傷跡が無数にある。ゼストは静かに向き直る。アルフもまた、肩から血を流して笑っていた。

 

「――いいね、アンタ」

 

 容赦ない斬撃、躊躇ない前進。この二つを実行する彼に、多くの者が敵対し、独特の緊張に身をすくませて死んでいった。アルフは傷を気にしない。怯まない。それ故、相手に一撃必殺を常に強いる。コンマ数秒気を抜けば、人生が終わる。様子見の中に、必殺一撃が隠れている。そんな恐怖を――ゼストは、まさに精神力だけで耐える。戦いの中で破滅を望む、狂人と戦う恐怖を。

 アルフは流血すればするほど、紅瞳の凄みを増した。ゼストの頬に、冷や汗が伝う。驚くべき事にこの男は、生死の懸かった緊張を楽しん(・・・)()いる。

 並の神経では無い。

 

「お前を倒すには、出し惜しみをしている場合ではないようだな」

 

「そう言う事だ。そろそろ、他の奴らもこっちに近づいてくるだろうしな」

 

 ホテル・アグスタに待機している機動六課を指し、アルフは警告するような口ぶりで言った。この男は、あくまで『勝負』を望んでいる。鮮烈で、際どい勝負を。

 ゼストは槍を構え直した。

 

「アギト、融合を解除しろ。俺がフルドライブで、一撃で落とす」

 

 これ以上の緊張は、融合しているアギトの精神力に関わって来る。ゼストはゆっくりと肩幅に足を開き、狂人を見据える。己の内で、剣精アギトが声を張り上げた。

 

〈冗談!? フルドライブなんか使ったら、旦那の身体は――!〉

 

「終わらんさ」

 

 アギトを制して、ゼストは言う。

 前進する為に、命を張るのだと。

 

「為すべき事を終えるまではな!」

 

 神経を最大限に尖らせ、ゼストは突きの構えを取った。アルフもまた、構える。

 間合い、二メートル弱。

 

〈ふっざけんなぁ! 旦那の事は、私が守るって言ったろ!?〉

 

 アギトは力の限り吠えると、己の魔力を限界まで高めた。アギトと融合した状態で、ゼストが全力を出せない理由は、二人の相性があまり良くない所為だ。攻撃のタイミングがわずかにズレる(・・・)。肝心の衝撃(インパクト)が分散しては、満足な一撃とは言えない。例え身体能力は強化されたとしても、だ。

 アギトは首を振ると、両手を広げた。

 

〈旦那の命は削らせねえ! アタシが必ず、その分を補って見せる!〉

 

 彼女の掌に炎が宿る。それは彼女自身よりも大きい炎で、パンッと手を叩き合わせると同時に、さらに膨れ上がった。

 

〈猛れ炎熱! 烈火刃!〉

 

 ゴゥッと音を立てて、灼熱の炎がゼストの穂先に宿る。それをジッと見据えて、アルフは言った。

 

「どちらでもいい。殺ろうぜ……、真剣勝負を」

 

 彼は楽しそうに言う。紅瞳が妖しく揺らめき、匂い立つような色香が漂う。ゼストは目を細めた。

 

「お前も、他者には理解できぬ渇きを持つ者か」

 

「世間で言えば、はみ出し者」

 

「正しく――異端者」

 

 チャキ、と金属音を立てて、両者得物を構え、視線をそらさない。

 

(全力で行く)

 

 アギトには悪いが、ゼストにはこの男に勝つ方法はそれしかない、と確信していた。

 だから、

 

「――すまんな、アギト」

 

〈旦那!?〉

 

 アギトが驚いている間に、融合(ユニゾン)が解ける。野外に放り出されたアギトは、覚悟を決めた騎士、ゼストに向けて手を伸べた。

 

「旦那……――!」

 

 悲鳴に近い叫び声。

 アルフは静かに刀を正眼から、地面に寝かせるように構える。互いに踏み込み、一閃。

 

「なっ……!? 剣速が上がった!?」

 

 2Pフェイトはゼストの動きに目を見開いた。見た目上、ゼストは通常時となんら変わらない。焦茶色の髪、青い瞳だ。アギトとの融合(ユニゾン)が解けた事で、全身を覆っていた炎も無い。

 なのに、

 

(――威力も段違い? これが、奴のデバイス――)

 

 同じタイミングで振り切られた槍の、その重み(・・)が変わっていた。

 刃を交えたアルフが目を見開く。彼の胸が、袈裟がけに斬り捨てられていた。黒いスーツに、赤黒い血の線が滲む。水音を立てて、血が地面に零れ落ちた。

 アルフはにやりと嗤った。

 

「急所をあのタイミングで外すとは、な」

 

 背中で、ゼストが息を呑みながら言う。すぐさまアギトが飛びついた。

 

「旦那……!」

 

 彼女を脇にやって、ゼストはゆっくりとアルフを振り返った。胸を深く斬られたのに、この男は傷を庇いもしない。

 

「――いや、ソレだけではない、な」

 

 ゼストは自分自身を見下した。足許に、血溜まりが出来ている。胸を斬られたのは、ゼストも同じだ。彼の胴には一線、刀傷が刻まれていた。

 アルフは嗤う。美しいが、狂った笑みだった。

 

「やるじゃん、殺ったと思ったんだが」

 

「紙一重、か。際どい勝負だったな」

 

「?」

 

 ゼストの静かな言葉に、アルフは心底不思議そうに首を傾げて――ふ、と鼻を鳴らした。

 

「何言ってやがる」

 

 アルフは静かに、血が噴き出る胸を隠そうともせず、刀を構える。紅瞳の狂気は、死に近づけば近づくほど鋭く光る。

 

「貴様……!」

 

 ゼストは息を呑んだ。どちらも致命傷。ここで両者退けば助かる可能性があるが、退かねば両者とも、確実に死ぬ。

 だと言うのに、

 

「ここからだろ? ――ここからが、『勝負』だろ?」

 

 彼は楽しそうに嗤っている。死ぬ(・・)と言う状況を楽しんでいる。

 アギトの顔から血の気が失せた。

 

「な、何言い出すんだよっ! てめえのその傷だって、ほっといたら致命傷じゃねえか!!」

 

「だから、出来るんじゃねえか」

 

 彼はそう言い、ゼストに槍を構えろと言う。命を惜しいとも思わない、殺人鬼の瞳で。

 

「本当の、勝負ってやつが」

 

「!?」

 

 低く落ちたアルフの声に、アギトとルーテシアは戦慄し、言葉を失った。カタカタと耳の奥で音が聞こえた。それが歯の根が擦れ合う音だと二人が理解するには、眼の前にある恐怖は強烈過ぎた。

 真っ青な顔で、それでもどうにかゼストを庇おうとするアギトを制して、ゼストは槍を構える。

 

「……アギト、退がっていろ」

 

「だ、旦那……!」

 

「お前まで付き合う事は無い」

 

「――駄目だ、旦那だって……!」

 

 アギトの瞳には涙が浮かんでいた。彼女の言う通り、全力で魔力を使った反動で、ゼストの身体はもはやガタが来ている。槍を持つのがやっとの状態――それでも、ゼストはアルフに応える。

 血を吐く寸前の、自分の身体に鞭打って。

 

「アルフ・アトロシャス」

 

「――ゼスト」

 

 互いに、名乗る。次の瞬間、アルフとゼストの前に人影が現れ、右拳をアルフに放つ者が居た。その威力と速度はアルフをして後方へ退がらざるを得ない一撃。

 

 ゴッ――……!

 

 鈍い音を立てて、アルフの身体が後ろに退がった。ずざざ、と着地とともに彼は地面を掻く。

 

「ガリュー!」

 

 アギトの表情が明るくなる。全身黒ずくめの人型の召喚獣は、小さな目が四つある赤いマフラーを巻いた猛者だ。主に近接戦闘を得意とし、体の一部を変化させる事でいかな武器をも作り出す――ルーテシアが最も信頼する召喚獣。

 ルーテシアはガリューを一瞥すると、ゼストの裾を引いた。

 

「……ゼスト、ここまで」

 

「この男が、ここで俺達を見逃せばの話だな」

 

 ゼストは警戒を緩めない。そしてそれは、加勢に来た人型召喚獣――ガリューもそうだった。

 強制的に後方へ退がらされた狂人は、喉を鳴らして紅瞳を上げる。

 

「良い所で邪魔しやがって……。まあいい。二人まとめて――潰す」

 

 刀を構え直すアルフの耳に、叫び声が届いた。

 

「シャアアアアアス!! 1Pが、1Pがああああああ!!」

 

 この場の緊張感を一瞬でぶち壊す、2Pフェイトの叫び声だった。鬱陶しげに眉間にしわを刻み、アルフは不機嫌そうに2Pフェイトを振り返る。

 

「あ? お前の本体がどうしたって?」

 

 そのとき、ゼストの足許に紫色の魔法陣が広がり、目を離した一瞬の隙に、ルーテシアの転移魔法が発動した。

 

「あ……!」

 

 消えて行くルーテシア達に向け、アルフがきょとんと瞬いた時には全てが遅い。完全に取り逃がしていた。

 

「………………」

 

 アルフはがっくりと肩を落とした。

 右手で顔を覆うと、深い溜息を吐く。改めて、2Pフェイトに向き直った。

 

「何のつもりだよ、フェイト」

 

 言いながら、紅瞳を茫洋としたものに変える。

 ふと(アルフ)は目を見開いた。驚くべき事に、2Pフェイトの身体が半透明になり、消えて行こうとしている。

 

「は?」

 

 アルフは自分の目をこすった。もう一度2Pフェイトを見る。胸の辺りまで透けている2Pフェイトは、やれやれと頭を振りながら答えた。

 

「どうやら、1Pの奴、敵に捕まったみたいなんだよね」

 

「――さらわれた、と?」

 

 問うと、2Pフェイトは、ご名答! と叫んで右手を掲げた。その手に、バーニィシューズが握られている。

 

「とりあえず、バニ神の加護を得たシューズはお前に渡しておく。――後は頼んだよ! シャス!! 必ず助けに来いよ!!」

 

 パチパチッと高速ウインクを連続で行って、アイコンタクトを強要する2Pは、バーニィシューズをアルフに押し付けると、完全に姿を消した。

 嵐の後の静けさ、とでも言うべきなのか。静けさを取り戻した森の中に、置き去りにされたアルフは、ぼんやりと“バニ神の加護を得たシューズ”を見下ろした。

 

「――いや、どうしろと?」

 

 そうぽつりとつぶやいた。一体フェイトの身に何が起きたのか、彼はそれさえ把握していないというのに――。

 

 ××××

 

 2Pフェイトが姿を消す数分前。

 青年(フェイト)――1Pたる本体のフェイトは、森を歩いていた。何故歩いているのか? それは負傷したヴィータをシャマルに預け、ヴィータにバーニィシューズを進呈したためだ。赤いゴシックドレスを纏う『鉄槌の騎士』は、膨らんだメロンパンの様な帽子の左右に、白いウサギのアクセサリーを付けている。青年(フェイト)はそれを見てヴィータが『ウサギ好き』と勝手に結論付け、怪我をさせてしまったお詫びの印にバーニィシューズを彼女にあげた。

 

「ともかく、だ。早く僕が駆けつけてやらないと2Pのレヴァンテインはマジ鬼畜だからな。二人ともやられてないといいけど」

 

 ガジェットはともかく、あの黒騎士を相手にレヴァンテインのマイナス効果は絶大な枷だ。青年(フェイト)はやれやれと首を横に振った。

 

「ホント、世話が焼けるなぁ。あの二人、はっ!?」

 

 突如、後頭部に鈍痛が走った。青年(フェイト)は目を見開く。一体何が起きたのか分からない。ただ彼は目を見開いて――スローモーションに顔から地面に激突した。

 

「ふげっ!?」

 

 珍妙な奇声を上げて、くずおれる。体を動かそうとするも、何故か手足がビリビリと痺れて動かない。

 

(い、一体僕の身に何が――!?)

 

 周囲に目を向けたかったが、首もやはり動かない。オロオロとどうしよう、どうしようと早口につぶやく。

 茂みの中から、一人の少女が現れた。栗色の髪を膝まで伸ばした十代後半の少女だ。(うなじ)で髪を一つにまとめ、彼女は手に身長と同じ高さの銃を握っている。――狙撃用のライフルだ。多分、あれで撃たれたのだろう。少女は青いライダースーツを着ており、バランスの良い肢体がスーツ越しに映えた。

 ナンバーⅩ、ディエチ。

 そう名付けられた少女は、青年(フェイト)の許に来て膝を屈めると、麻痺して体が動かない彼にこう言った。

 

「……本当に、四番(クワットロ)の言った通りだ」

 

(なぬ?)

 

 青年(フェイト)は首を捻る。聞いた事も、多分会った事も無い人物の名前だ。

 

「クワットロって? それに君は一体……?」

 

 問うと、ディエチは驚いたように目を丸くした。

 

「麻酔弾を喰らったのに喋れるの?」

 

「僕だからね!!」

 

 キランと目を輝かせて答える。ディエチはジッと青年(フェイト)を見つめて――一つ、頷いた。

 

「でも、体は動かないみたいだ」

 

 確かめるように、彼女はライフルの銃底で、つんつんと青年(フェイト)をつつく。あ、コラ! やめろ! と騒ぐ青年(フェイト)はディエチが言った通り、四肢の自由が効いていないようだった。

 

「あの黒騎士を相手に凄い動きだったから、本当は当たるかどうか心配だったんだけど……。クワットロの言った通り、戦ってない時は完全に油断してるんだね」

 

「僕はON/OFFを切り換えられる人間だからねっ! 真・フェイトになるのは、そう簡単なことじゃないのさっ!」

 

 十番(ディエチ)は頷き、巨大な黒いトランクケースを取り出した。

 

「そっか。じゃあ悪いけど、私と一緒に来てもらうよ」

 

「へ?」

 

 青年(フェイト)がパチパチと翡翠の瞳を瞬かせる。彼女が持っているのは、八角形のトランクケース。まさかとは思うが、この中に収容しようと言うのか?

 青年(フェイト)はカッと目を見開いた。

 

「ぬぁああああ!? やめろ! ショッカー!! こんな狭い箱に――まさか僕を、箱詰めにするっていうのか!? やめろっ!! ぬぁああああ……!!」

 

 抗議した通り、ディエチは青年(フェイト)の身体をすんなりと抱え上げると、トランクに詰め込んだ。小さく体育座りをして、やっと青年(フェイト)が納まる大きさだ。

 彼はカッと目を見開いた。

 

「鉄パイプ! せめて鉄パイプ! 鉄パイプだけは僕と共に連れてってくれぇえええ!!」

 

 無慈悲にも背中から引き抜かれた鉄パイプを見据えて、青年(フェイト)は心の底から懇願した。箱詰めを終えた少女が、トランクケースを閉める寸前で問いかける。

 

「大事な物なの?」

 

「僕の魂です!!」

 

 即答する青年(フェイト)にディエチは一つ頷くと、分かった、とだけ告げた。

 箱詰めにされた青年(フェイト)はトランクの中で、暗いよぉおおお、と騒いでいる。それをどこ吹く風と無視して、ディエチはⅡ型ガジェット――飛行タイプのガジェットにトランクを乗せると、通信を入れた。

 

「無事、確保出来たよ」

 

 やや間が合って、モニタ画面が中空に現れた。

 

[確認したわ。三番(トーレ)の方もタイプゼロの捕獲に成功したようなの。空で合流して]

 

「了解。一番(ウーノ)姉」

 

 モニタに映る長い紫色の髪の女性、(ウーノ)に頷くと、ディエチはそこで通信を切った。

 ふと彼女は思い出したようにパチリと瞬いて、青年(フェイト)が主張していた鉄パイプをⅡ型ガジェットに乗せる。

 

「それじゃ、トーレ姉の所までお願い」

 

 そうⅡ型ガジェットに話し掛けながら、ディエチもⅡ型ガジェットに搭乗した。ガジェットは言語を理解したように高度を上げ、ホテル・アグスタから遠退いて行く。

 

 

 アグスタから四〇キロ離れた海上。

 

 

 そこで空を走る女性(トーレ)と、ディエチは合流した。

 (トーレ)は、ウーノと同じ色の紫の髪を、短く切った凛々しい女性だ。飛行技を習得しており、ディエチのように飛行(Ⅱ型)ガジェットを利用せずとも、空を自由に飛べる。トーレもまた、ディエチと同じ青いライダースーツに全身を固め、左手に黒いトランクを握っていた。

 

「お疲れ様」

 

 ディエチが声をかけると、先を行っていたトーレが、こちらを振り返って無表情に言った。

 

「ディエチか。……ドクターの所まで戻るぞ」

 

「うん」

 

 厳しい性格の(トーレ)は、愛想と言うものを知らない。

 足許がふわふわするよぉおおお、と叫ぶ青年(フェイト)と違って、トーレの持つ黒いトランクは無音だった。

 

 ……………………

 ………………




ティピ
「第八回! ティピと!」

フェイト
「フェイトがぁ!」


キャロ
「行きます!!」


フェイト
「がぁ~ん……!」



キャロ
「えと……タイトルコールって緊張しますね……」

フェイト
「何言ってるんだい! バッチリだったよ!」

ティピ
「ちょっとトチってくれると思ったのよね?」

フェイト
「まあ……ちゃんと言えたキャロはキャロで嬉しそうだし、かわいいから――いっか!」

ティピ
「しかしま~、フェイトぉ……。今回の本編、ちょっとばっかし不甲斐なさ過ぎじゃない?」

フェイト
「言ってるじゃないか! ON/OFFを使い分けるのは難しいんだよ」

ティピ
「まあ、いいけどさ」

キャロ
「そう言えば、この時フェイトさん。さらわれたんですよね。ごめんなさい……私達がもっとしっかりしてたら」

フェイト
「君が気にする事はない! キャロっ!! あんな森の中で、長距離砲ぶっぱして来るなんて誰が思うんだい!?」

ティピ
「箱に詰められたしね」

フェイト
「暗かったんだよ……。フワフワするんだよ……! グスッ」

キャロ
「フェイトさん、元気出してください」

フェイト
「ありがとう……! キャロ!! 本当にありがとう……!! エリオとキャロは、僕の癒しだ~!!」

ティピ
「さて。グダグダはこれくらいにして、何か話しなさいよ」

フェイト
「それじゃあ、訊いてみようかな。 
 召喚術って言うけど、召喚できる種類って術者によって決まってるのかい? 例えば今回、敵で出て来たルーテシアとか、系統が昆虫だろ?」

キャロ
「はい。生まれ育った環境や、血筋で召喚できる系統は決まるみたいです。
 でも、どのクラスの召喚獣を呼び出せるかは、召喚師の素質に加え、召喚対象の獣とどれだけ心を通わせられるかが、術として成功するかどうかの重要な決め手となります」

フェイト
「でも君とフリードは仲良しなのに、初回の頃はうまく召喚出来てなかったよね?」

キャロ
「あれは……召喚が出来なかったのではなく、フリードの力を私が解放せず、封印したままにしていたんです。召喚獣の能力制御は、召喚師の方で行うものですから」

ティピ
「つまり仲良しでも、その召喚獣の全力を出せるかどうかは、召喚師の腕にかかってくるってこと?」

キャロ
「そうですね。でも、信頼関係が強ければ、多少魔力が足りなくとも、召喚獣自らが協力してくれて、補う事が出来たりします」

フェイト
「なぁ~るほどねぇ~!
 そう言えば、僕等の世界にも召喚獣ってあったよね!」

ティピ
「いたっけ?」

フェイト
「いるよ。イフリートとか、水の精霊とか、悪魔とか……。あと、敵なんかはよく召喚してくるじゃないか。仲間を」

ティピ
「そう言う系統なら、私の所にもあったわね」

フェイト
「ズルイよね! あいつ等!!」

ティピ
「そうそう! こっちは精々、一体か二体しか出せないのにさぁ~! 敵、どんどん出してくるんだもんね~! ……まあ、私の所の召喚獣っていうのは、その辺で動き回ってるモンスターを召喚して来るだけなんだけどね」

キャロ
「フェイトさんやティピさんの所にも、いろいろあるんですね」

ティピ
「私の所では、召喚術使えるのは敵だけなんだけどね。
 と、言う訳で! 今回のティピとフェイトが行く! ここまでにしたいと思います!」

フェイト
「あれ? なんか今回、少なくない?」

ティピ
「他に話す話題あった?」

フェイト
「バーニィって、召喚獣だと思うんだよね。僕っ!!」

ティピ
「以上! ティピとフェイトが行く!! でしたぁああああ!!」

キャロ
「次回もよろしくお願いします!」

フリード
「きゅくるぅ~♪」


フェイト
「待てよ! バーニィの話をさせろよぉおおおおお!!!!」







???
「バーニィの話よりまず先に、お前のレヴァンテインで一番被害を受けた俺に対する謝罪は?」


フェイト
「ま、まさか!? お前は――!!?」

???
「こんな所で、なに遊んでんだ? お前は」

フェイト
「アイアンクローはよせぇえええええ!!!!」


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12.転機。

「首尾はどうだ? 四番(クワットロ)

 

 三番(トーレ)は鋭い眼差しで傍らに座る女性――丸眼鏡をかけたセミロングの女性を見下ろした。癖のある巻き毛を外側にハネさせた彼女は、眼鏡奥の円らな瞳を楽しそうに細める。栗色の視線の先は、宙空に浮かんだモニタだ。それらは各地の機動六課の動きを綿密に捕捉し、ガジェットの展開状況を正確に追っている。

 

「ふふ」

 

 見通しの悪い森の中。

 切り株の一つに腰かけ、四番(クワットロ)は、丸眼鏡を押し上げながら顔を上げた。

 

「ガジェットの動きは概ねドクターの予測通りですわ、トーレ姉様♪ それと十番(ディエチ)ちゃんには、管理局に探知されないよう“実弾”の麻酔銃を渡しておきましたの。目標(ターゲット)はたった今、一人で森に向かったようですから、巧く行けば簡っ単に捕獲できちゃいま~す♪」

 

「そうか」

 

 トーレは一つ頷いて、両腕を組んだまま視線を彼方にやる。――強力な気と魔力がぶつかり合う、アルフとゼストが刃を交える戦場へ。

 対してクワットロは入念にモニタに目を通す。今回の捕獲目標は、フェイト・ラインゴッドだ。ドクター・スカリエッティによれば、この青年がいるだけで計画を二月ほど早められると言う。

 故に、

 クワットロは笑顔に反して冷めた瞳を細め、モニタを凝視する。フェイト・ラインゴッドを捕獲するのに必要なタイミングを、状況を――創り出す為に。

 

 

 

 

「とりあえず、敵は全部片付けたみたいだし。僕等は2Pの所に行って来るよ」

 

 3~6Pのフェイトはそれぞれ持ち場の仲間にそう言うなり、バーニィシューズを履いて2Pの元へ急行した。魔剣レヴァンテインの恐怖は、同じフェイトたる彼等が誰よりも知っていたからだ。魔剣(アレ)は、ただ素振りをするだけでも持ち手の体力と精神力を凄まじいほどにゴリゴリと削る。2Pが『真・フェイト』にでもなれば、負のファクターが全て帳消し(ディストラクション)され、強力な剣となるのだが、2Pは1Pフェイトをも超える暢気な人格なのだ。

 アルフの集中力が切れれば、恐らくそこで試合終了する。

 全フェイトはその事を危惧しながら、彼等の元に向かっていた。

 

「やられてないといいけどね、あいつら」

 

 バーニィシューズで森を駆け抜けながら、制服姿の4Pフェイトが世間話のような調子でそう言った。自称光の勇者3Pフェイトが両手を広げて肩をすくめる。

 

「どうせなら、2Pがさっさとやられてくれた方が助かるんだけどね。僕等としては」

 

「魔剣レヴァンテインのファクターはマジで鬼畜だからね」

 

「と言うか、2対1の方が不利って……ホントどうにかならないのか? アイツ」

 

 6人中最高の安定感を持つ甲冑の5Pフェイトと、ビーチサンダルの上にバーニィシューズを履く猛者、6Pフェイトがケタケタと笑いながら言い合う。

 

「だって2Pだよ? 6分身(ぼくら)の中で、一番緊張感の無い奴じゃないか」

 

「いつまでも観光気分の6P(おまえ)に言われるんだから、2P(アイツ)も相当だよな……」

 

「んだとぉっ!! 4P(おまえ)こそ、なんで二十歳超えてもまだ学生服着てんだよっ!! コスプレか!?」

 

「いいだろ! 別に!! ソフィアと六分身した時、お揃いが良かったんだぃっ!!」

 

「……そう言えばさ。ソフィアのひ弱な鉄パイプ、いつになったら僕等のパイプくらい強くなるのかな……」

 

「悲観するな、5Pィイイイイイイ!!!!」

 

 バーニィシューズを履いた彼等の足が、次第に会話メインなり失速して行ったのは――言うまでもない。

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

「っ! まだ敵が残ってたんだ!」

 

 スバルは拳を握り、腰を落とした態勢で周囲を見渡した。紫色の魔力光を放つ四角い魔法陣――それが三つ地面に現れ、小型ガジェットが十体、大型ガジェットが一体、魔法陣の中からのっそりと顔を出す。

 

(フェイトさんが居ない今の状態じゃ、撃墜は難しいかも……!)

 

 スバルは先程までの戦闘を思い出し、不安に唇を噛んだ。だが、自分達がやられるとまでは思わない。出来るだけ敵を攪乱して時間を稼ぎ、狙えるようなら撃墜する。

 結論付けた彼女に同調するように、ティアナがクロスミラージュのシリンダーに弾を詰めながら、言った。

 

「なんでもいいわ。迎撃、行くわよ!」

 

 敵機との目算距離、十二メートル。

 

「おう!」

 

 スバルは拳を握りこんだ。黒籠手の手首部分についたローラー二本が、フルスロットルで回転する。スバルの魔力光――空色の魔法陣が足許に現れ、白いはちまきが風に吹かれて、後ろに流れた。

 

「マッハキャリバー!」

〈Wing road.〉

 

 スバルの両足を包むローラーブーツに嵌まった宝石が、音声を発して明滅する。足許の魔法陣が一層の煌きを放ち、魔法陣から空色の光が、まるで絨毯のように伸びて『道』を作った。本来は存在しない、空中を自在に駆ける為の魔法陣で作った『道』だ。

 スバルはマッハキャリバーと共に、自分が作った『道』を走る。現れた敵機は、Ⅰ型とⅢ型。いずれも陸戦型だ。スバルの動きを追って、ガジェットはレーザー光の照準を忙しなく動かす。

 ティアナは一つ頷き、両手に握ったクロスミラージュ二丁に魔力を込めた。

 

(今までと同じだ。証明すればいい……。自分の能力と勇気を証明して、私はそれで――いつだってやって来た!)

 

 足許にオレンジ色の魔法陣が出来上がる。精神統一を終えた事を告げるように、彼女は決意に満ちた眼差しを敵に向けた。

 クロスミラージュが、主人の思いに応えるように弾丸を選択する。

 

〈Vallet F.〉

 

「ティアさん!?」

 

 キャロが、戦おうとする意志を露にしたティアナに目を丸くし、心配げに声をかける。――しかし、今のティアナにその声は届かない。

 

 

[防衛ライン、もう少し持ちこたえててね! ヴィータ副隊長がすぐに戻って来るから]

 

 シャマルの言葉は、新人達に心からの安堵をもたらした。ガジェットの動きは素早く、こちらから奇襲をかけてもあっさりとかわされてしまう。

 撃墜が難しい。

 

「はい!」

 

 スバルは力強く頷いた。時間稼ぎなら、十一体相手でもどうにかなる。皆、そう確信していたからだ。

 ――しかし、一人だけ。ティアナだけは違った。

 

「守ってばっかじゃ行き詰まります! ちゃんと全機落とします!」

 

[ティアナ、大丈夫? 無茶しないで!]

 

 思わず、モニタリングしていた後方支援部隊(ロングアーチ)通信主任のシャリオが心配げに声をかける。

 ティアナはクロスミラージュを鋭く構え、言い切った。

 

「大丈夫です! 毎日朝晩、練習して来てんですから」

 

 そう――彼女は力を示す。

 自身の生き方が正しいと、周りに認めさせるために。

 

「エリオ。センターに下がって!」

 

 守られてばかりでは居られない。ガジェットドローンのAMFは強力だが、フェイトと一緒に戦った先の闘いで、タイミングを合わせれば落とせることが分かっていた。ならば、なんとかなる。

 敵は、攻撃と防御を同時に果たせないのだから。

 

「私とスバルのツートップで行く!」

 

「は、はい!」

 

 一番タイミングが掴みやすいスバルとのコンビネーションを選択したティアナは、スバルによって撹乱されたガジェットが、甘い狙いを定めたその一瞬に、クロスミラージュの弾丸を放り込む作戦に出た。恐らく、それで落とせる。

 

「スバル! クロスシフトA! 行くわよ!」

 

 ティアナの言葉に、スバルは力強く頷いた。強くなりたいと願うのは、彼女も同じだ。

 

「おう!」

 

 ――だから。

 ティアナは瞳を閉じ、祈るようにクロスミラージュを構える。

 

 証明するんだ。

 特別な才能や、凄い魔力がなくたって――

 一流の隊長達の部隊でだって、

 どんな危険な戦いだって……

 

「私は……ランスターの弾丸は、ちゃんと敵を撃ち抜けるんだって」

 

 瞳を開けたその時には、銃口の狙いがしっかりと定まっている。ティアナは自分自身の限界に挑戦するかのように二回連続で両手指にかけたトリガーを引く。クロスミラージュに装填された魔力弾は、全部で四発。これは実弾と違い、四発撃てば弾切れではなく、弾に四発分の『魔力』が込められているのだ。

 すなわち、ティアナは四段階まで自分の魔力を一切使わず、クロスミラージュの魔力弾だけで魔法を放つ事が出来る。その四発分の魔力全てを、自分の魔力に上乗せし放つことも可能だ。

 ただし、自分の魔力を上回る力を振るうとなれば、それ相応の負荷がかかる。術者が未熟であれば、魔力制御が落ちるのだ。

 ティアナの決意に気付いたシャリオが、慌てて止めに入った。

 

[ティアナ! 四発ロードなんて無茶だよ! それじゃティアナもクロスミラージュも!]

 

 ティアナは内心で、シャリオの言葉を肯定した。練習でも確実にできるとは限らない、四発ロード。無茶は自分で分かっている。しかし――

 

「撃てます!」

〈Yes.〉

 

 彼女とそのデバイスは断言した。――やって見せる、と。

 

「クロスファイヤぁああ……!」

 

 一気に狙うガジェットは八体。中空に浮かんだオレンジ色の魔力光が、高密度の魔力球となって集約されていく。ティアナの周りに浮かんだ魔法弾は、全部で八つ。

 

「シュート!」

 

 彼女は限界まで魔法弾の威力を高めると、右手を鋭く横に振った。同時。光の弾丸と化した魔法弾が八発同時に放たれる。ガジェット達は攻撃モーションに移っていた為、為す術もなく砕け散って行った。

 

(――いける!)

 

 ティアナの口許に笑みが浮かぶ。

 だが、一発だけ。最後に放たれた弾丸だけは、一体のガジェットの脇を通り過ぎるその弾は、おとり役でガジェットの間をすり抜けていたスバルの背に、向かっていた。

 ティアナが目を見張り、スバルが振り向いた驚愕した瞬間。一つの影がスバルと弾丸の間に割り込んだ。スバルが目を見張る。

 

「ヴィータ副隊長!?」

 

 ヴィータはグラーフアイゼンで、弾丸を弾き飛ばす。その弾丸は寸分違わずガジェットに直撃した。

 

「ティアナ! この馬鹿!」

 

 呆然とするスバル達の中、ティアナを見下ろして怒鳴りつける。その目は今までのヴィータと違い鬼気迫るモノだった。

 

「無茶やった上に、味方を撃ってどうすんだ!?」

 

 余りの迫力と、自身のやった行動に何も言い返せず顔を蒼くするティアナ。そんな彼女を庇おうとスバルが口を挟む。

 

「あの、ヴィータ副隊長……! 今のも、そのっ、コンビネーションの内で――」

 

「ふざけろ、タコ!! 直撃コースだよ、今のは!」

 

 しかし、最後まで言う事は出来ず、ヴィータの怒りをまともに受けただけだった。

 

「違うんです! 今のは私がいけないんです!」

 

 凄まじい怒気にスバルも一瞬怯むが、何とか言い返す。それは更にヴィータを怒らせることになった。

 

「うるせぇ! バカ共!! もういい……あとは私がやる!!」

 

 相棒のグラーフアイゼンを握りしめ――

 

「二人まとめて、すっ込んでろ!!」

 

 鋭く言い放つと同時、ガジェットの部隊に飛び込んで行った。

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

「ティア。向こう、終わったみたいだよ」

 

 少し前まで聞こえていた戦闘の音が、嘘のように静まり返った。スバルは人より優れた聴覚でそれを認識し、気遣わしげな視線をティアナに向ける。ホテル・アグスタの裏口にあたるこの場所は、昼間なのに陽射しが無く、陰鬱な暗闇の溜り場のようだとスバルは思った。

 

「私はここを警備してる。アンタはあっちに行きなさいよ」

 

 ティアナの声に、覇気は無い。裏口のコンクリートと対峙するように立った彼女は、先程からスバルに背を向けたまま、微動だにしなかった。明るいオレンジ色のツインテールは重力に従って垂れていて、暗がりの中にティアナの白い(うなじ)がうっすらと浮かんでいる。

 ティアナはクロスミラージュを離さなかったが、握っているのではなく指に引っ掛けている――とでも言った方が適切な、投げやりな背中を晒していた。

 

「あのね、ティア……」

 

 スバルは頭の中でいろいろな言葉を思い浮かべる。どう言えば、彼女はこちらを振り返ってくれるのか。それを一心に探しまわる。

 

 ティアは凄い。ホントにすっごく、すっっごく! 凄いんだよ!!

 でも責任感が強過ぎて、自分が凄いってコト、多分見えてないんだ……

 だから、――だから早く、元気づけなきゃ。

 

 スバルは拳を握る。難しいことは、いつもティアナに任せて来た。だから、その代わり――自分はいつも通り、どんな事があってもティアナが自信を持てるよう、元気づけなくてはならない。

 前向きになったティアナは――ひたむきにがんばるティアナは、いつも正しく、カッコ良いのだから。

 

「いいから行って」

 

 投げやりに返されたティアナの言葉を、スバルは聞き流した。ここでちゃんとティアナに言っておかなければ、彼女(ティアナ)は自責で押し潰されてしまう。スバルはそう思い、口許に笑みを浮かべた。両手をひらひらと振りながら、明るい声で元気づける。

 いつもの彼女に戻れるように。

 

「ティア、全然悪くないよ。私がもっとちゃんと――」

 

「行けっつってんでしょ!」

 

 だがスバルの期待はばっさりと切り捨てられ、スバルは思わず、ぐっと息を呑んだ。握った拳に一瞬だけ力が入り、それをゆっくりと(ほど)くように開く。目に見えて肩を落としたスバルは、ティアナの背をじっと見据えて、寂しげに微笑った。藍色の柳眉が、垂れさがる。

 今はまだ、声をかける時ではなかったようだ。

 スバルは心中で反省する。ティアナは、強い一面も持った少女なのだ。この強い面に無理に割り入ると、彼女の心に別の妙な傷を付けてしまう。――まさかそんなことにも気付かなかったのか、とスバルは小さく、自嘲気味に肩を揺らした。

 自分を責めるように唇を噛み、ティアナの背を見る。少しだけ、視界が滲んだ。

 

「ごめんね……。また、……あとでね。ティア」

 

 スバルは無言で頭を下げた。深く踏み込まれるのを、ティアナはいつも嫌がっていたからだ。顔を上げてティアナの小さな背を見据え、合流する時にはまたいつもの、彼女の強い眼差しが返って来るのを信じて、スバルは踵を返す。

 ローラーが地面を滑る音が響き、やがて遠退いた。

 ティアナはようやく、喉に溜まった熱を吐きだす。ひくひくと痙攣する喉、掠れる声、熱い目頭をそのままに、彼女は眼の前のコンクリート壁にもたれかかった。

 

「私……、わたし……っ!」

 

 脳裡を過るヴィータの怒った声と、弾丸がスバルに迫った時の肝の冷え。背筋は血の気が引いているのに、顔だけは涙で熱かった。両腕で自分の身体を抱きしめて、ティアナはなるべく声を殺す。震える自分が、どうにも情けない。どうして後一発――最後の最後で失敗してしまったのだろう。

 自分は、ランスターの弾丸を証明せねばならないのに。

 悔しさで唇を噛んだ。すんすんと息を吸う。嗚咽でなかなか息が吐けない。思い通りにならない自分の歯痒さが、不甲斐なさが、頭に重石を押し付けるようにずっしりとのしかかってくる。指に引っ掛けたクロスミラージュを、今は見るのが辛かった。それでも、この『道』を行くと決めた彼女は、デバイスを待機状態に戻したりはしない。

 彼女は静かな暗がりで、一人(うずくま)って咽び泣いた。

 

 

 

「うふふ~! いいところ、みぃ~つけた♪」

 

 クワットロは口端を緩めると、モニタから顔を上げた。宙空に浮かんだ二つの画面には、ディエチが狙撃に成功したシーンが映っている。それを満足そうに見据え、彼女は肩に伸びる外巻きの髪をピンと指先で払った。丸眼鏡を押し上げ、自らが『姉』と呼ぶ姉妹機を見上げる。

 

「それじゃトーレ姉様♪ いい機会ですから、この際タイプ・ゼロの捕獲もお願いします♪」

 

「あの少女か……。造作もない」

 

 切れ長の瞳でモニタを見据える姉――トーレは一つ頷いた。映っているのは、藍色の髪の少女。同時、トーレの両手首と両足首にトンボの翅の様な紫色のエネルギー物質が宿る。それはユリの花弁のように細長く、鋭い光を放った。

 インパルスブレード。

 そう名付けられたトーレの両手足にあるブレードは、空を自由に、高速に駆け、敵を切り裂く能力を持っている。

 そして、何よりの特徴は――魔力で(・・・)出来た(・・・)ブレード(・・・・)ではない(・・・・)ことだ。

 クワットロは口端をつり上げて、空に飛び立つトーレを見送る。右手をひらひらと振っていると、トーレは見る間に森の彼方に吸い込まれて行った。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 アルフ・アトロシャスがアグスタに戻って来ると、現場は騒然としていた。聞けばフェイト・ラインゴッドだけでなく、管理局の二等陸士、スバル・ナカジマまでもが行方不明なのだと言う。

 

[現在、後方支援部隊(ロングアーチ)で必死に捜索してるんですけど――やっぱり、通信にもまったく出ないんです]

 

 機動六課で通信主任を務めるシャリオ・フィニーノは、上ずった声でアルフに説明した。腰まで流れる彼女の髪が、肩から胸に向かって滑り落ちる。

 アルフは顎に手を据えると、頷いた。

 

「連絡が途絶えたのが、今から二十分ほど前なんだな?」

 

[はい]

 

 シャリオは間髪置かずに頷く。今、空戦魔導師のなのはとフェイト、そしてヴィータとシャマルが、周辺地域を洗っているが、敵影を発見したとの報告はない。

 恐らく、手遅れだろう。

 

「その上、広域サーチにも目立った反応無しとなると――……なるほどね」

 

 顎に据えた手を下ろす。

 機動六課にいる通信兵はシャリオを含めて三人。いずれも若いが、才能と技術を持った将来のエリートだ。その彼女達が見落としたのであれば、向こうが一枚上手だったと言う他ない。そして恐らく並の欺き方では無いだろう。

 何故なら、敵が召喚魔法を使って逃げただけなら、魔力反応で分かる。アルフが取り逃がしたルーテシアの魔法探知をロングアーチはきちんと観測し、更にその後の追尾まで別動部隊に委託している。

 だが、青年(フェイト)とスバルが攫われた際には、彼女達は何も(・・)気付か(・・・)なかった(・・・・)

 つまり、ロングアーチはスバルが居ないという報告を受けねば、その事実すら掴めなかったのだ。機動六課の計器類が、一切感知しなかったと言うのである。

 

(ここで考えられる可能性は、二つ。一つは、質量兵器を使って来るスカリエッティ側は、管理局では見抜けないステルス機能を搭載した『何か』を投入してフェイトとナカジマを攫った。二つ目は、ロングアーチのコンピュータに奴等が直接侵入し、計器類自体に反応させ(・・・・)なかった(・・・・)ってところか。――まあ、この辺は調べりゃ分かることだ。当面の問題は……)

 

 アルフは視線を左に流した。明るいオレンジ色のツインテールが、しょんぼりと項垂れている。数分前まで誰よりも血相を変えて、スバルの安否を確かめていたのに、望み薄の報告を聞いてからは、打って変って、静まり返ってしまった少女。

 ティアナの左右には、エリオとキャロがいた。

 

「――以上で、報告洩れは無いな?」

 

「はい!」

 

 歯切れよく、返事するエリオとキャロに頷き、アルフは胸中で溜息を吐いた。今、彼はなのは達に変わって新人メンバーの引率を任されている。エリオとキャロの報告によれば、ガジェットと『黒騎士』とやらが現れ青年(フェイト)と協力して倒した後、アルフを援護しに行った彼が行方不明となったらしい。

 そして攫われた時を同じくして、新たなガジェット隊がエリオ達の前に現れた。スバルが攫われたのは、さらにそのガジェット達を始末した後だ。

 アルフは時系列を追った説明を感心しながら聞き、視線を――破損したガジェットの鑑識を行っている管理局支部の調査隊に向ける。

 

「それじゃ。隊長陣が戻って来るまで、当面俺達のやる事は現場検証の手伝いだ。隊長陣が戻ってきたら引き上げ。了解?」

 

「分かりました」

 

「はい!」

 

 素直に頷くエリオとキャロに頷き返し、アルフはようやく視線をティアナに向けた。

 この中で最もスバルに関する情報を持っている人物で、攫われる直前まで一緒にいたのがティアナだ。彼女の話によると裏口で別れた直後に、スバルが何者かに攫われたのだと言う。

 

(この落ち込みようからすると、今は何を聞いても右から左だな)

 

 アルフは見切りを付けながら、ティアナに言った。

 

「ちょいと、話でもしようか」

 

 ティアナが少しだけ顔を上げる。前髪に隠れた青瞳に力は無く、いつもの気の強そうな視線は返ってこなかった。彼女はすぐにまた俯く。

 アルフは気にせず、ティアナ達が居たと言う、裏手口に向かって歩き出した。のろのろとティアナが後に続く。エリオとキャロが猫背気味になったティアナを心配そうに見ていたので、アルフは視線だけを彼等にやり、調査班を手伝うよう促した。キャロは心配そうに口許に手を添えたまま、動かない。何か言いたそうに青紫色の円らな瞳を揺らしている。

 アルフの催促に毅然と頷いたのは、エリオだ。彼はきゅっと口許を引き締めるとアルフを見返し、小さく頷いてキャロの手を取って裏口とは反対方向――ヴィータ達が主戦場にしていた森に向かって歩き出した。その背を見送り、アルフは小さく笑むと、横目にティアナを窺った。俯いた少女は、貝のように口を閉じたまま一言も発さない。

 そして、

 太陽から疎外されたような陰鬱とした暗闇にやって来ると、彼女は凍ったように身を固くした。

 

「ここが、お前が最後にナカジマを見た場所か……」

 

 アルフはぼんやりとつぶやいた。闇は音を拾って反響する。彼は一つ頷き、わざと靴音を響かせながら、裏口周辺をうろうろと歩いた。反響は建物に近づけば近づくほど大きくなり、森に行けば行くほど小さくなった。つまり、スバルが攫われたのは音が響かない森だ。

 足を止めると、静寂が帳のように滑りこんで来る。

 アルフは足許を中心に視線を配りながら森に向かい、スバルの穿いていたローラーブーツの跡を探してみるが、乾いた地面では視認できなかった。

 

(もっとも、空飛ばれたり、転移魔法を使われたんなら、どこで攫われようが追跡するのは難しいけどな)

 

 地中――と言うのもあるかもしれないと思い、ティアナには見えぬよう小型解析機(クォッドスキャナー)で地下を探ってみたが、やはり反応は無かった。もっとも、一度でも土を掘っていれば、見ただけで分かるのだが。

 アルフは一つ頷いた。歩いてみると、表からこの裏口まで、歩いて5分とかからない。スバルはこの道中で、何者かに攫われた。それにヴィータも、エリオも、キャロも、気付かなかったと言う。

 アルフは感心して口端をつり上げた。要するに、相手は一撃で(・・・)スバルを気絶させたのだ。恐らく不意打ち気味に、気絶させると同時にスバルを運んだ。でなければ、後方支援部隊(ロングアーチ)は少なくとも、スバルの魔力反応を感知しただろう。デバイスの起動や駆動状態は、常に司令部でチェックされているのだから。

 

(ただ一つ分からねえのは、どうやってナカジマのデバイス反応を無効化させた? AMFは考えづらい。管理局は模擬戦でガジェットの再現をするまでには解析を終えてやがる。…………観測機が、少しも触れない(・・・・)……。やっぱり、あやしいのはその辺か)

 

 青年(フェイト)を攫ったと言う事は、それなりに連邦との繋がりも勘案せねばならない。――本当に、事を面倒臭い方に転がすのが天才的な奴だと、アルフはある意味で感心していた。

 背中の気配は動かない。ただ時折、しゃくり上げるような息遣いがしていたが、アルフは振り返らず、森の地面を見下していた。

 調査隊がこの場所を調べに来るまで、後十分少々。

 アルフは正面玄関とは反対側の――ガジェットが出現した場所とは全く無関係の森に向かって歩き出した。背中の気配がこちらの動きに気付いて、やや小走りに追って来る。

 十分ほど。

 まだ踏み荒らされていない森道で、アルフは立ち止った。びくりとティアナが肩を震わせて、アルフを見上げる。アルフは相変わらず、茫洋とした眼差しだった。

 

「……そういうことか」

 

 ようやくティアナと目が合って、アルフは言った。涙の熱がこもった彼女の皮膚は、赤く腫れて、本来は澄んだ青の瞳が迷い猫のように揺れている。

 

「ぁ、……の……」

 

 アルフの無表情が、何か話せ、と言っているように見えて、ティアナは必死に、喉の奥から言葉を絞り出した。だが熱が喉を締め付け、込み上げるしゃっくりが彼女から言葉を奪う。

 アルフはティアナから視線をそらすと、ぽん、と彼女の頭を叩いた。

 

「説教は教官の仕事。それと顔上げて戻って来る気があるなら、それなりに覚悟しとけ。相手はまだ死んじゃいねぇんだ」

 

 それだけ言って、来た道を戻る。ティアナに追って来いとは言わず、彼は来た時よりも遥かに速い――自分の歩幅で帰って行く。

 ティアナはその後を追おうとして、諦めた。見る間にアルフが遠ざかって行ったからだ。

 視界が滲む。彼女は喉を鳴らしながら座り込むと、弱い自分を追い払うように頭を振った。

 

「……ごめんっ……、ごめんねっ……スバル……っ!」

 

 少しでも気を抜くと、涙が止めどなく溢れ、零れた。

 ティアナはガタガタと震える自分を抱きしめる。裏口で一人泣いた時など及びもしない絶望が――胸の奥がすこんと抜けたような虚脱感が、体を襲う。

 

 ――行けっつってんでしょ!

 

 八つ当たりしたのは、自分。

 ティアナは唇から洩れる嗚咽を隠すように、両手で耳を押さえる。

 

 ――ごめんね……。また、……あとでね。ティア。

 

 スバルの声が――元気の無い彼女の言葉が、振り返らずともどんな表情でそう言ったのかをティアナに教えて来る。ティアナは両肘を地面に付き、地面に屈みこむように丸まって、涙を流した。

 

「ふ、ぁ……ぁ……っ!」

 

 後悔の念だけが押し寄せて来る。自分が不甲斐なさ過ぎて――情けなくて、どうしようもなく許せなくて――涙をいくら流しても頭は晴れそうになかった。地面を掻く。がりがりと。冷たい土が爪の間に入って来たが、ティアナは構わなかった。

 

「……スバル……スバルっ……っ!」

 

 悲鳴に近い彼女の嗚咽と謝罪は、なのは達が広域捜索を終えて帰って来るまで――続いた。




フェイト(テ)
「フェイトと」

アルフ(魔)
「アルフが」


フェイト(テ)&アルフ(魔)
「行く!!」


ユーノ
「ただしリリカルで」



フェイト(テ)
「って、感じでどうかな? ティピ」


ティピ
「さっすが、主人と使い魔! 息ぴったりね! この調子だと、今後私たち楽できそうだよね♪」

フェイト(ラ)
「やらせはせん! やらせはせんぞぉおおっ!!
 例え視聴者の皆が、『こっちのフェイトとアルフの方がいい』なんて言っても僕は絶対、主人公を降りたりしないっ!!」

アルフ(魔)
「フェイト、なんなんだ? こいつ」

ユーノ
「ハハッ、なんだか随分個性的な子だね。フェイト」

 青年(フェイト)の主張に目を丸めているのが、赤髪を腰まで伸ばした妙齢の女性姿の使い魔、アルフ。微笑んでいるのが一見女性と見まがうほど線の細い図書館司書、ユーノである。ユーノは二十前後の青年で金色の長い髪をうなじで一房にまとめ、緑色のスーツ姿に眼鏡をかけている。

フェイト(テ)
「ああ、二人に紹介するね。彼はフェイト・ラインゴッド。シャスの友達だよ。アルフには、以前話したでしょ?」

アルフ(魔)
「へ~え。じゃ、アンタが噂の、アタシとフェイトと名前が同じ奴か」

ティピ
「タイトルコールで、それ既に言ってるからね。
 ――と言う訳で! 第九回、ティピと」

フェイト(ラ)
「フェイトが!」

一同
「「「「「行く!!」」」」」



ティピ
「久々のタイトルコール~! 息ぴったりだったわね!」

フェイト(ラ)
「いやぁ~、でも僕、会えて嬉しいよ。ユーノさん、アルフさん!」

ユーノ
「こちらこそよろしくね。フェイト君」

アルフ(魔)
「よろしくな! ……
 ――って、ややこしいな。フェイトと同じ名前なんだろ? お前」

フェイト(ラ)
「僕の事は『フェイト主人公!』と呼んでくれて構わない」

アルフ(魔)
「よし。青髪だ」

フェイト(ラ)
「It's a simple!?」

フェイト(テ)
「アルフ! フェイトをいじめちゃダメだよ!」

アルフ(魔)
「だって呼びづらいじゃん。アタシにとって、フェイトはフェイトだけだしな」

フェイト(テ)
「――もう」

フェイト(ラ)
「と。話が丸く収まったところで、ユーノさん。
 僕は貴方に、聞きたいことがある!」

ユーノ
「改まってどうしたんだい?」

フェイト(ラ)
「ぶっちゃけ、――なのはさんのことどう思ってるんです?」

ユーノ
「えぇっ!? え、っと……!」

フェイト(ラ)
「いいんですか、ユーノさん!? このままで!!!? ――いや、良いわけが無いっ!!」

アルフ(魔)
「おいフェイト。どうしたんだ? アイツ」

フェイト(テ)
「えっと……。ユーノに対して、何か思い入れがあるみたいなんだ」

ティピ
「ぶっちゃけたところ。同類相哀れむみたいなトコロよねぇ……」

フェイト(テ)
「それって?」

ティピ
「あいつもさ。結構スルーされること多いのよ」



フェイト(ラ)
「ユーノさん! 君は――貴方は違うだろ!? 貴方はなのはさんと同じ屋根の下で暮らしていたじゃないか!! 無印(アニメ一期)、A’s(二期)と!! 貴方の活躍がなければ、今のなのはさんは無かった!! 心身ともに彼女を支えたのは、貴方じゃないのか!? ユーノさん!! そんな貴方が、なんで無限図書なんて言う訳の分かんない所で引きこもってんだよぉおおおぉぉおおおおおおおお!!!!」

ユーノ「ちょ、ちょっと待っ!? 待ってよ、フェイト君!?」

フェイト(ラ)
「ちょっとくらいね! ときめくとか恋愛事があってもいいじゃないですか!? なんなんですか、ここは!?
 キャロやエリオの教育にも良くないっ!!
 ちゃんとね! 年長者が、恋愛とは何たるかを見せるべきじゃないですか!?
 何やってんスか、クロノさん!? 見ました!? クロノさんなんか結婚してるんですよ、結婚!! そんな脈絡なんか全然なかったじゃないか!! 唐突過ぎて、こっちがついていけねぇんだよこの野郎!!」

ユーノ
「ちょっと待ってくれ!! どうしてそんなに詳しく僕等のことを知ってるんだ!? て言うか、無印とかA’sとか……一体なんの話だよ!?」

フェイト(ラ)
「オラクルだからね☆」

アルフ(魔)
「確かに、その青髪の言ってる事は一理あるな。お前がはっきりしないのが悪いんだぞ。ユーノ」

ユーノ
「いやっ!? え? えぇ!? 何、この展開!? なんで僕が責められてるんだ!?」

フェイト(ラ)
「言ってやって下さいよ! なのはさんに好きだって貴方の口から!!」

フェイト(テ)
「なのははユーノのこと好きだって、言ってたよ?」

フェイト(ラ)
「外野は黙って! 友人関係が前提なんてね! 僕ぁ認めないよっ!!
 ユーノさん! 貴方だっていつまでもそれじゃあ、いけないっ!!」

ティピ
「そう言うアンタはどうなのよ?」

フェイト(ラ)
「………………言ってるじゃないか! 僕はソフィア命だって!!」

ティピ
「ギャグとしか取られて無い所が、痛いわよね」

フェイト(ラ)
「僕はこんなに真剣なのに、どうして分かってくれないんだ! ソフィアぁああああああ!!!!
 ――だから!
 だからこそ貴方の気持ちが分かるんですよ! ユーノさん!!」

ユーノ
「ぼ、僕となのはは別にそういう関係じゃ……!」

フェイト(ラ)
「ならこの頬染めはなんだぁああああ!!(アニメ8話参照!)
 なんでなのはさん、ただの友達ってノリなんだよぉおお!! 8話(アレ)でこの反応だったら、照れてくれてもいいじゃないかよぉおお!!」

ユーノ
「そ、そんなこと僕に言われても……」



ティピ
「さて。それじゃ、今回はフェイトさんに質問しようと思いま~す!」

アルフ(魔)
「いいのかよ?」

ティピ
「何? じゃあ、アンタ。あそこに入って来る? 進展なさそうだけど」

アルフ(魔)
「…………やめとくよ」

フェイト(テ)
「それで、質問ってなにかな? ティピ」

ティピ
「う~~ん、フェイトさんにはいろいろ訊きたいんだけど……。今、この場で訊くコトは一つ! ――初恋はいつですか?」

フェイト(テ)
「え? 初恋って?」

ティピ
「正直……フェイトさん。男の子に興味持ったこと、あります?」

アルフ(魔)
「無いね。そもそも、フェイトの周りには、なのはとかはやてとか、女の子しかいなかったしな。男と言えば、ユーノとかクロノとか――ザフィーラくらいだし、後はフェイトが保護してる子どもだけど、どいつも両手で数えられる年齢の奴だよ」

ティピ
「ねぇ、フェイトさん……。寂しくない?」

フェイト(ラ)
「そんなこと言ったら、はやてさんも大概だけどね。て言うかさ、機動六課の皆って恋愛感情あるの? ね、あるの!?」

ティピ
「なんでこんなこと聞くのかって言うとね。私の周りの女の子が全員、色ボケだったのよ。全員よ? 全員。いないでしょ、全員とか」

フェイト(ラ)
「ハーレム……でしたね……。あそこは(遠い目)」

ティピ
「ね? あんな子どもっぽいルイセちゃんでも、恋とかしてるのにさ。こんな落ち着いてて、綺麗な美人のフェイトさんが、相手もいないなんてどういうことよっ!? 何考えてるのホント!? あぶれさしときゃいいってもんじゃ、無いでしょうが!」

フェイト(テ)
「ティピ……。それは誰に対して、文句を言ってるの?」

アルフ(魔)
「少なくともフェイトに対してじゃあなさそうだな。これは。でも、分からなくもないね。なんたって、フェイトはどこに出しても恥ずかしくない器量良しだ! アタシもいつか、フェイトが花嫁衣装を着るの、楽しみにしてるよ」

フェイト(テ)
「ア、アルフ……!」

フェイト(ラ)
「まあ、僕等んトコのアルフはスルーして下さい。アイツ、身内情報によるとろくな女性関係築いてませんから。どうせなら、僕とかユーノさんみたいな、誠実な感じの人を見つけて下さいね」

ティピ
「なのはさんのお兄さんなんか、良い感じだと思うんだけど。ああいう人って結構いないんだよね~」

フェイト(ラ)
「フリーでね。
 ともかく今回の座談会で、リリカルなのはの女性陣に恋愛感情を芽生えさせるのは、非常に難しいことが分かりました。
 …………ユーノさん、がんばってんじゃん……。……一番……。
 ごめん! ユーノさん!! スルーとか言ってごめん!!」

ユーノ
「だ、だから何故僕達の事にそんなに詳しいんだ!? フェイト君!! ティピちゃんも!!」

フェイト(テ)
「恋愛か……。まだそんな風に、考えたコトないな……」

アルフ(魔)
「アンタを支えてくれる、良い男が現れる事を期待してるよ」

フェイト(テ)
「ありがとう」


ティピ
「以上! 第九回! ティピと」

フェイト(ラ)
「フェイトが」


一同
「「「「「行く!!」」」」」


フェイト(ラ)
「でした!」



フェイト(ラ)
「――で。ユーノさん。何をぶつぶつ言ってるんです?」

ユーノ
「(ぶつぶつぶつ)……ってことは、あのこともあのこともあのことも、知られてるってことなのか……。どうして!? そんなどうして……っ!?」

ティピ
「そっとしといてあげましょうね」

フェイト(ラ)
「今日はやけに優しいね。ティピちゃん」


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13.渦巻く悪意。

 森の中にある湖のほとり、そこにある岩にアタシ達は背を持たれ掛けさせていた。

 間一髪のルールーのテレポートで、あの狂気そのものを宿した銀髪の男から――アタシ達は逃げ切れた。でも……

 

「ゴホッゴホッ」

 

 ゼストの旦那はフルドライヴの反動とアイツから受けた胸の傷で、血を吐き、命を削っていた。

 

「旦那、しっかりしてくれよ~!」

 

 アタシの所為だ。アタシがもっとしっかり旦那をサポートできれば――こんな事にはならなかった。それにしても――あのアルフって男。傷だけなら、旦那より明らかに重傷だった。後数分もすれば、失血死するくらいに――。

 なのに、

 アタシは、あの時のアイツの表情に再び体が震えはじめていた。

 

 もし――旦那が、アイツと再び戦うことになったら――

 

「……ゼスト」

 

 そんなアタシを現実に戻らせたのは、ルール―の旦那を気遣う声が耳に届いたからだ。その小さな手は、旦那のゴツイ手を握っている。旦那は血を吐いて咳く発作が治まり、岩にもたれかかった。

 

「安心しろ、私はまだ死なん。為すべき事を果たすまでは」

 

 いつもどおりのセリフ。でも、このままじゃ旦那は――!! アタシもルール―も、同じ思いだった。旦那を死なせたくねえ……!! 

 その時だった。

 旦那の足元にあった影が、動いたんだ。

 

「――!?」

 

「――魔法の気配はしない。なに――?」

 

 アタシとルールーが警戒した時、そこに男が立っていた。黒い髪、白い肌、この世のモノとは思えないほど――美しく、艶めかしい顔の男。細身の体には、黒一色のシャツとズボンの上にマントを羽織り、ただ無表情に、こちらを見ている。ガラス玉の様な金と銀の瞳で。

 ソイツは何も言わず、ただ、そこに立ってこちらを見ていた。いや――アタシの感覚では、顔を向けているだけ。コイツはこの世界のモノを何一つ、見ていない。そんな気がする。

 まるで人形や死人みたいだ――!!

 

「……死神か?」

 

 旦那の言葉は、正に――だった。その言葉で、アタシもルール―も我に返り、男に構える。ルール―はガリューを召喚する用意。アタシも、咄嗟に魔力を練る。

 

「旦那は、やらせねぇ!!」

 

「……!!」

 

 アタシとルール―は動けない旦那の前に立って、構える。コイツ――明らかに、時空管理局の連中じゃねえ! いや、人ですらない……!!

 その時、声がアタシ達に届く。

 

――そのままでは、長くはあるまい。どうだ? 目的を為すための力、欲しくはないか?――

 

 それは、アタシの耳に声が聞こえたのではない。感覚としては、直接頭に響いたという感じだ。その声は静かだった。

 でも、ひどく威圧感があって――およそ、生物が発する声とは違う。

 

「……念話じゃ、ない……!」

 

 ルールーは顔色を真っ白にして、歯の根がカチカチと音を鳴らしていた。アタシも同じだろう。この声は――生物を恐怖や絶望に叩きつける。聞こえただけで、震えあがってしまう。

 だけど、旦那はアタシ達と同じように冷や汗を掻いているのに――それでも

 

「断る」

 

 ハッキリと拒絶した。その悪魔のような、死神の様な男の声を前に、拒絶したんだ。誰よりも自分が死に近いのに、それでも――旦那は……!!

 

「俺は俺の力でかつての友のもとへ……たど、り……ついて―――!」

 

  だけど、旦那の体はもう限界で――。旦那が最後のセリフを言い終わる前に、旦那は意識を手放した。

 

「旦那!!」

 

「ゼスト……!!」

 

 急いで旦那の下に駆け寄る。脈を測ると、ひどく弱く――呼吸も弱々しい。

 これじゃいつ、止まっても――!

 

――……フン、ならば用はない――

 

 声が、そう告げると同時に男が踵を返す。その男の背に――ルールーが立ち上がり声をかけた。

 

「待って――」

 

 男は、足を止める。アタシはぎょっとしてルールーの傍らに飛んで行った。

 

「ルールー!! アイツは、駄目だ!! 分かるだろ!?」

 

 アタシは必死の思いでルールーを止めようとする。だけど――

 

「アギトはいいの? このままじゃ――ゼストは、死ぬ」

 

「でも。……だけど!!」

 

 言葉が続かない。例え、この悪魔の様な男の言葉を聞いてはいけないって分かっていても、アタシは――旦那に……!!

 

「……力を貸して。ゼストを――助けて!!」

 

 言葉に詰まったアタシの横でルールーが、絶叫する。その悲痛な叫び声を聞いて――。男は静かに振り返った。

 

――よかろう……! 我が波動を与えることで、其奴の体、作り替えてやろう…!! 人を遥かに凌駕する種族――。「ゲヴェル」へと!!――

 

 男の掌から蒼い光が生まれ、その光の球が、旦那の胸に吸い込まれていった。

 旦那は、大きく目を見開いた。

 その顔色が一気に良くなり、呼吸も心拍音も正常になる。以前との違いは、その瞳の色が黄金に変わってしまった事くらいだ。

 旦那は見開いた目を静かに閉じると、そのまま眠りに落ちた。

 

「――旦那……!!」

 

 嬉しさのあまり、アタシは涙を流した。旦那は、生きている。それが――その想いが、アタシに涙を流させる。

 

「……ありがとう」

 

 ルールーが男に言うと、男は静かに口の端を歪ませて嗤った。全てを喰らおうとする魔物のように獰猛で邪悪な笑みで。

 

――……気にするな。私も、この世界の事を知らなければならんのでね……――

 

 それだけを告げ、男は静かにアタシ達の目の前から消えた。

 

「……何なんだ、あの化け物……!!」

 

 ◇◆◇◆

 

「ドクター、ルーテシアお嬢様と騎士ゼストが、”彼”と接触したようです」

 

 ナンバー1ウーノは冷静に、モニターに映った情報を主、スカリエッティに告げる。

 

「――フフ、レリックでも騎士ゼストの命は短命でしかなかった……! 彼等ゲヴェルの波動は、ロストロギアをも上回る、ということか……!! フフフッハハハハッハハッハハァ!!」

 

 スカリエッティは笑いながらも思い返す。あの異形の男との出会いを。

 

 ◇◆◇◆

 

 私の研究所に突然落雷が降ると同時に黒装束に黒のマントを着けた青年が現れた。雷の騒ぎを聞いて、ウーノ達三人と走り着けた。

 次の子達が眠るカプセルが並べられた部屋に。考えられるだろうか? 何の魔力もなく、空間の歪みすらなく、ただ影が現れるように彼は私達の前に現れたのだまるで、神か悪魔のように。

 

「素晴らしい」

 

 現れた青年の美しさ、逞しさを含め、その正体不明の力を称賛し喜びにうち震えた。どのようにして現れたのか、この私にすら理解できない技術。この世界のものではない。いきなり敵の中枢にアッサリと入り込んでくる等反則かつ、論外だ。だから、こちらに向き直った青年に私は問いかけた

 

「君は何者かね?」

 

 私の問いに彼は何の感情も表さない金と銀の瞳を静かにこちらに向けてきた。

 

――人に名を尋ねるならば、自身から名乗るべきだな――

 

 声が天から降ってきた。現れた青年は口すら動かさずしかし、声は確かに我々の耳に届いた。

 

「失礼。ここは我が家でね。できるならば先に名乗って欲しかったのだが」

 

 内心の動揺を悟られないために口の端をつり上げながら先に名乗った。

 

「私の名はジェイル・スカリエッティ。この世界では広域犯罪者として認知されている」

 

 この名乗りにも、青年は全く表情を変えない。しかし、天から降る声が私に興味を示した。

 

――ほぅ? 犯罪者、か。私の目にはキサマが犯罪者(ニンゲン)には見えないのだがな。ソレで?――

 

 声の主の問いかけに、私は本当に笑った。

 

――突如自分の庭に現れた不審者を捕らえようともしないのは何故だ?――

 

「君が何を望むかにもよるが、私達は協力しあえると思うよ?」

 

――……面白い。我が名はヴェンツェル。望みは全ての支配。スカリエッティよ、キサマは私に世界を差し出すというのか?――

 

「世界征服か? 興味もない。ただ、この世界に復讐をしたいのだよ」

 

 私の眼に浮かんだ狂気と怒りを、青年はやはり冷めた眼で見てくる。

 

――面白い。自身の存在価値を賭けて世界に挑むか。よかろう――

 

 声は静かに言ってきた。

 

――コレの名はアウグ。私の意思を反映する端末だ。コレをキサマに貸してやる。好きに使うがいい――

 

 と同時に青年は口を開いた。

 

「アウグ・ストライフ」

 

 そう名乗ると彼は口を三日月の形にして笑った。

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

「本当に――本当に、次元世界というのは素晴らしい!! ラインゴット博士の研究、そして時空を操る異形……!! 興味は尽きないよ、ウーノ!!」

 

「――全ては、ドクターの想いのままに」

 

 心の底から狂笑するジェイル・スカリエッティに、ウーノは静かに穏やかに微笑みかけた。これから妹が連れて来る青い髪の青年が、自分達の望みを――計画を早めることを期待して。

 

 

 ………………

 …………

 

 

 機動六課に帰還したアルフ・アトロシャスは情報収集に明け暮れていた。これまでもフェイト・ラインゴッドに関するデータの破棄、囮情報を使っての敵の解析を進めていたが、フェイトがさらわれてからこちら、向こうの動きもかなり慎重になっている。

 

(さっさと機動六課(ここ)を抜けて六深の連中(ヴィスコム提督)に会わねえとな)

 

 現在アルフが侵入しているのは街の監視カメラの映像だ。惑星ミッドチルダ中のカメラにアクセスし、オートスキャンで青年(フェイト)やスバルを割り出そうとしている。だが結果は該当なし。フェイトたちは生身で運ばれたわけではないようである。

 

通信機(コミュニケーター)にもいまのところ反応なし。フェイトの意識が戻ってねえか、通信機を奪われたか、もしくは忘れてるか、だな)

 

 最後の選択肢は考えたくはなかったが、フェイト・ラインゴッドの呑気さならばありえなくはない。ふと、アルフ・アトロシャスは紅瞳を見開いた。オートスキャンにフェイトやスバルはかからない――が、見知った男の顔が映し出されてきたのである。

 首都クラナガン。裏路地にさしかかる暗がりの細道を、赤い髪を無造作にはねさせた三十がらみの男が歩いていた。

 

「…………ラグナ……!」

 

 映像を拡大する。粗悪な解像度だが間違いなかった。アルフの口端がつりあがっていく。旧連邦軍では『特務殺しの悪魔』と恐れられた男が、アルフの見知った九年後の世界の顔で映っていたのだ。

 

「こいつも次元漂流してやがったのか」

 

 だがどうやって漂流したのかがわからない。FD事変で宙図が大幅に変化したとはいえ、ラグナはタイムゲートに近づける身分の人間ではない。ましてアレンのようにモーゼル古代遺跡という線もないだろう。

 

(俺たちがこの惑星に流れついてきた原因と関係があるのか)

 

 アステアと名乗る異形の生命体は、『ゲヴェル』という種族なら次元を超える能力があると説明していた。次元を渡ったゲヴェルは、アステアや医務室で眠るカーマインを除いて二体。

 その二体がアルフ(正確にはフェイト・ラインゴッドだろう)や、このラグナ・ハートレットまでもをこの場所に引き寄せてしまったのか――?

 仮説を立てるには、まったく資料が足りない。時刻は深夜にさしかかろうとしていた。隊舎から訓練場の間にあるこの森はまだ騒がしい。騒音の主は、まさかこの森にこもってデータ解析を行っている人間がいるとはつゆほど思わないようだ。

 アルフはため息を吐くと端末をたたんで隊舎に向かって歩き始めた。

 

 

 

 機動六課に帰還してからのティアナは、まるで憑かれたように訓練に明け暮れていた。朝四時から精密射撃、なのはの教導を夜までこなして――そこから更に深夜の早撃ち練習を始める。

 この一週間で彼女が摂った睡眠時間は、実質、両手で数えられるほどだ。

 

「はっ……はっ……!」

 

 険しく引きつった表情をそのままに、ティアナは一心にクロスミラージュを振る。途中、ヘリの整備をしていたヴァイス陸曹に声をかけられたが、ティアナは右から左と聞き流した。

 曰く、

 精密射撃は過度な詰め込みで巧くなるものでもない。体を壊して、変な癖を付ける事もある為、ほどほどが一番である――と、なのはが(・・・・)昔、ヴァイスに忠告したのだと言う。

 ティアナはその言葉を拒んだ。

 理由は二つ。

 一つは、なのはの教導で、ティアナの腕が上がっていると言う実感が持てずにいる為。

 もう一つは、アグスタでの失態だ。

 あの時、無茶でもクロスミラージュを四発ロードしなければ、ティアナはガジェットを一人で落とす事すらできなかった。――毎日朝から晩まで、練習して来たにも関わらず。

 

(なのはさんの持論だけじゃダメなんだ。私はなのはさんが思ってるより――ずっと、凡人だから。無茶でもなんでもやって、実績を上げなきゃ……! この間の時みたいに、魔法弾が貫通しない時に備えて、色んな戦略が組めるよう――戦いのバリエーションを増やすのよ!)

 

 スバルを掠めそうになったあのミスショットについて、ティアナはなのはに怒られなかった。

 ただ――周りに仲間がいる。失敗の原因を良く考えて、改善しろとアドバイスを貰った。

 まだ、見離されていない。

 それがティアナにとって重要な事だ。

 

(かじ)りつかなきゃ……! スバルの分まで、私が……!)

 

 ティアナは唇を噛み、クロスミラージュを振る。自分の周りに白い光球――魔法で作った射的を二十個ほど浮かべ、ランダムに動かしてクロスミラージュで撃ち取る。一発も外さない事が目標だ。その練習を黙々と、一心不乱に続ける。

 腕が重い。

 眠気で視界が霞んだが――ティアナは気力で自分の弱さを振り払う。頭の中は、ただ真っ白に。身体に動きを馴染ませる事だけを目的に、練習を続ける。

 今まで通り、寡黙に、延々と。

 一時間、二時間、三時間、四時間……。

 夜が深まるに従い、周囲の音がゆっくりと消えていく。

 ティアナの息を切る音だけが、辺りに響き始めた。

 

「っ、!」

 

 ランダムショットの一区切り――百発目を命中させようとして、ティアナの腕がガクンと落ちた。体力の限界――集中力の切れ目だ。ティアナは倒れるように上半身を落とすと、膝に手を付いて呼吸を整える。

 十秒ほど休憩して、彼女はまたクロスミラージュを持ち上げようとした。

 

「――それ、後どれくらい続くんだ?」

 

「!」

 

 ただの暗闇に過ぎなかった森から声がして、ティアナは息を飲んだ。緩慢に視線を声の方に向ける。銀髪の青年がいた。彼は足音も、気配すら感じさせずにこちらに歩み寄る。

 

「どうしてここが……」

 

 ティアナは小さく呻いた。この一週間、誰の目にも付かないよう、機動六課近くの森で練習していたのだ。ヴァイスはヘリの整備中にティアナに気付いたと言っていたが、他の六課メンバーには誰一人として、秘密特訓の事はバレていなかった。

 スバルがさらわれた事もあり、精神的に疲れているのだろうと、皆、遠巻きにティアナを見守っている為だ。

 ティアナのすぐ傍で足を止めたアルフは、彼女の手を取り、ポン、と重い何かを彼女に掴ませた。

 

「え?」

 

 目を丸めて見下す。――缶ジュースだった。オーソドックスに、スポーツドリンク。

 アルフはティアナが受け取ったのを見ると、ポケットに手を突っ込んで自分用の缶を取り出す。そして、(おもむろ)に開けた。こちらは梅酒だ。それをあおり――一息吐く。

 

「甘っ!?」

 

 アルフは予想外の甘さに、缶を遠のけて口を歪める。彼は訝しげに梅酒缶を見るとがっくりと肩を落とす。自販機に唯一置いてあった酒が、これだったのだ。

 アルフは哀しげに、首を横に振った。

 

「あ、あの――」

 

「差し入れ」

 

 彼女の問いに、アルフは素気なく答える。

 

「あ、酒の方が良かった? ――甘いけど」

 

 アルフは思い出したようにつぶやき、梅酒を掲げる。ティアナは首を横に振った。貰った缶ジュースを両手で包んで、それに視線を落とす。

 

「ありがとう……ございます」

 

「どうも。――って言っても、そいつは自販機で当たった奴だけどな」

 

「えっ? もしかして、食堂前の?」

 

 機動六課に置いてある唯一の酒――梅酒を販売しているのは、あそこだけだ。

 ティアナが問うと、アルフは頷いた。

 

「あの自販機、当たるんですか!?」

 

 思わず声を荒げる。ティアナは眼を丸くした。スバルが毎日、今日こそ当てると意気込んでいた、食堂前の自販機。シャリオや機動六課職員の噂によると、あそこで当たった者は誰一人いないと言う。

 アルフが肩をすくめる。

 

「くじ運はいいんでね、昔から。そう言えばアンタ、食堂の人と仲良かったっけ?」

 

「いえ、仲が良いと言うわけでは……。スバルが大喰らいですから、セットで顔を覚えられちゃっただけです」

 

 ティアナは照れて笑った。一週間ぶりに口にしたスバルの名前。

 アグスタから帰って来て――初めて哀しさではなく、微笑みが零れた。ティアナは不思議に思いながら瞬きを落とす。

 アルフは適当な切株に腰かけると、言った。

 

「じゃ、今度会った時、食堂の誰かに言っといてくれ。この梅酒は――無い」

 

「私がですか?」

 

 困惑気味に眉を下げるティアナに、アルフは真剣な面持ちで頷いた。

 

「甘過ぎ。飲めねえ」

 

 両手で丁寧に梅酒を脇に置き、アルフはゆっくりと首を横に振る。第一印象が怖かっただけに、そのアルフの所作はティアナの笑いを誘った。

 アルフは首を傾げる。

 

「飲まねえの?」

 

 スポーツドリンクを視線で示され、ティアナは、ぁ、とつぶやいた。クロスミラージュをホルスターに入れる。

 

「いただきます」

 

 そう断って、缶を開けた。アルフがわずかに立ち上がって、切株のスペースを空ける。あからさまに一人分。座れ、と言われるより、座るだろ、と無言で促される方が、ティアナを観念させた。アルフがここを去るなり、すぐ練習を再開しようと思ったが、諦めて全身から力を抜き、失礼します、と断ってから隣に座る。

 アルフは気の無い返事をした。

 ティアナは貰ったスポーツドリンクを一口含む。――生き返るような心地がした。

 

「ぷは……!」

 

 思わず、盛大な溜息が出る。慌ててティアナは口をつぐむと、もう一度、ゆっくりとスポーツドリンクに口を付けた。程良い甘さが口の中で広がり、飲むのを止められない。

 自分が思っている以上に、喉が渇いていたようだ。

 ティアナは数分で一本飲み干すと、息を吐いた。

 

「御馳走様でした」

 

「どうも」

 

 立ち上がるティアナを尻目に、アルフが問う。

 

「また練習かい?」

 

「はい。私みたいな凡人は、たくさん練習しないと皆について行けませんから」

 

 ティアナは、立ち去って、とアルフに言う代わりに魔法射的を宙に浮かべて、練習に戻る。再びランダムショット――。百発連続的中するまで、集中する。

 アルフは頬杖を付きながら言った。

 

「なあ、アンタ」

 

「何ですか!」

 

 魔法射的にクロスミラージュを撃ちながら、ティアナが答える。アルフは瞳を揺らさず、問いかけた。

 

「――それ、何の目的で練習してんだ?」

 

 一瞬、ぐっとティアナは息を飲んだ。それでも構わず練習を続け、彼女は言う。

 

「精密射撃です。どんな態勢でも、確実に目標(まと)に当てられるように」

 

「けど、また朝から教導あるんだろ?」

 

「適当な所で切り上げます」

 

「ふぅ~ん……。もう次の教導まで五時間も無いぜ?」

 

「私は丈夫ですから、大丈夫です!」

 

 アルフは薄笑うと、切株から立ち上がった。のそりと緩慢に歩く。訓練中のティアナに向かって。

 魔法射的の間合いに入った瞬間、彼は腕を蛇のようにしならせ、クロスミラージュを鷲掴んだ。ちょうどクロスミラージュがアルフの真横にある射的を狙った瞬間。魔法弾がアルフの髪を攫い、あらぬ方向に飛んで行く。

 

「!」

 

 ティアナは眼を見開いた。

 

「敵の気配も読めないで、的に当たれば満足かい?」

 

「っ、っっ!! それは突然、貴方が邪魔して来たから――!」

 

 ティアナは一瞬怯んだが、すぐに勝気な顔になるとアルフを睨み上げた。アルフは小さく笑い、ティアナの足を払う。ティアナが息を飲んだのも束の間、ドッと鈍い音を立てて背中から地面に打ちつけ、アルフがのしかかってきた。クロスミラージュを握る両手は、アルフの右手に抑えられ、彼の左手はティアナの細い喉に触れていた。

 

 ……ぞくり、

 

 紅瞳と目が合った瞬間、ティアナは息を飲む。喉元に触れた手先が、冷たい。マウントポジションにあるアルフは、無表情だった。

 

「人を殺すのに、大層な魔法はいらねえ。このまま三分間、喉を圧迫し続ければアンタは死ぬ。魔導師(アンタら)は、ランクが高ければ高いほど優秀と捉えがちだが、魔法が強いから有能な兵士じゃねえ。どんな戦場だろうが生き残る力があるから、有能な兵士なんだ」

 

「……!」

 

 ティアナはしばらく呆然としていたが――、アルフの言葉を理解するや全身をばたつかせた。この固めから脱出しなければ、負けだ。このままでは一方的に敗北する。それは悔しい――こんな不意打ちで、こんな事を言われるなんて――ティアナは必死に両手足に力を込める。だが、アルフの前ではびくともせず、悔しさで涙が滲んだが彼女は諦めなかった。

 数分も経つと暴れ疲れて、ティアナは大人しくなった。彼女は涙が頬を伝うのを感じながら、自棄になってつぶやく。

 

「でも……どんな戦場でも、力のある魔導師の方が、生き残る可能性は高いじゃないですか……」

 

「そいつは違うな」

 

 アルフはそう言って、拘束を解いた。

 ――瞬間、ティアナはクロスミラージュを構え、銃口をアルフに向ける――筈だった。

 

「っ!?」

 

 隊舎の方を向いているにも関わらず、アルフはクロスミラージュの砲身を片手で握っていた。もう片方の手はスーツのポケットに突っこんでいる。ティアナが一丁で(・・・)狙いを付けると分かっていたように。

 

(馬鹿にして――!)

 

 ティアナは握られたクロスミラージュを素早く手放すと、バックステップと共に、もう一方のクロスミラージュをアルフに向ける。今度は捕まらないよう、距離を取った。

 二発、非殺傷弾を撃つ。が、銃口も見ずにアルフにのけぞって躱され、ティアナは眼を見開いた。

 

「くっ!」

 

 更に三発。確実に当たる危険な射撃を、アルフは完全に――避けない(・・・・)。二発頬を掠め、白い肌に線を刻む。代わりに間合いを詰めた彼は、ティアナの顎先に拳を寸止めていた。

 

「……っ、…………参り、ました……」

 

 唇を噛みながら、ティアナがつぶやく。アルフは拳を下ろすと、ティアナの目を見据えた。ティアナはそっぽを向く。ここは素直に、謝っておいた。

 

「すみませんでした。生意気に、反抗して……」

 

「さっきの動き、どう思う?」

 

「…………お見事でした。全部、躱されるなんて思わなかったから。やっぱり……私なんて、まだまだダメですね……」

 

 言っている間に、ティアナの目から涙が零れた。みっともない、と自分を罵るが、涙が溢れて止まらない。喉が熱い。――悔しかった。魔法も使わず制圧されたのが、悔しくて堪らない。

 なのは達が一目置くほどの青年だ。きっと自分よりも強力な魔法を使えるだろうに、それすら使わずにティアナを制圧した。

 それに比べ、自分はなんと小さな人間だろう――とティアナは自己嫌悪に陥る。

 もう消えたい。

 ティアナは思った。

 アルフは無表情のまま、そんなティアナを見据え――踵を返す。切株に置いた梅酒とスポーツドリンクの缶を握り、去って行く。まるで愛想を尽かしたように。

 ティアナは呼び止めたかったが、それ以上にアルフが怖くて声をかけられなかった。愛想を尽かされて当然――そう考えて、落ち込む。

 五メートルほどティアナと距離を開けて、アルフは立ち止り、素気なく言った。

 

「今日の教導は休みだ。そう教官に、俺から言っとく」

 

「っ!」

 

 ティアナは弾かれたように顔を上げ、言葉を失った。失態した――と気付く。

 アルフはティアナを試していたのだ。この二度目の失敗は、なのは達に許されるかどうか分からない。ティアナの背に冷汗が流れる。

 

 ――これは、戦力外通知の前触れ。

 

 ティアナは、すぐにその考えに行きついた。

 

「あ、あの……っ!」

 

 ティアナが弁解する前に、アルフはこちらを振り返り、言った。

 

「明後日までに体調を万全にしておけ。近々やる予定だった教官との模擬戦、俺が代わる」

 

「どうして……っ」

 

「アンタには、絶対的に(・・・・)足りないものがある。それを今日、明日かけてよく考えるんだな。まだこの場所に、立っていたいなら」

 

 アルフは言い終えると、六課隊舎に戻って行った。

 ティアナは脱力して――座り込む。絶望が押し寄せた。

 

「足りないもの……?」

 

 才能、魔力、射撃力、戦いのバリエーション……。

 取り留めの無い思考が一気に溢れだし、頭が混乱する。考えてみろ、と言った時のアルフの瞳は、茫洋としたものではなかった。

 彼が望む答えを出せなければ、六課をクビになる事もあるかも知れない。

 彼は隊長陣と顔見知りなのだから――。

 

「ぁ、ぁぁ……!」

 

 ティアナはツインテールを引っ掴み、どうしよう、どうしようと早口につぶやいた。考え始めると欠点だらけの自分に吐き気がする。混乱し始めた状態でそれ以上訓練する事も出来ず――、ティアナはその日、呆然と部屋に帰った。




ティピ
「第十回! ティピと」

フェイト
「フェイトが」


ティピ&フェイト
「「行く!!」」


ティピ
「と、言う訳で。ついに十回の大台に乗ったわね! ――長かったような、短かったような」

フェイト
「ティピちゃん。感傷に浸るのは後だ。それより、ゲストを紹介しようよ」

ティピ
「そうだね~。それじゃあゲスト、どうぞ~!」

???
「ルシオ出せ」

フェイト
「どぉぉおおおおおおおいうことだぁあああああああああああっっ!!!!?」

ティピ
「第十回目のゲストは、破壊神☆レナスちゃんです! SO3の裏ボスとして有名だよね。
 って、フェイト! どこまで隠れてんのよ~! こんな狭いスタジオで隠れるトコなんてそんな無いんだから、さっさと戻ってきなさいよ~」

フェイト
「無理っ!! いや、無理だって!! 何言ってんだよ!?
 本編でも言ったけどさ、そこにいるのは破壊神☆レナスちゃんなんだよ!? 命なんか惜しくないって言ってるアルフでさえ、問答無用で戦闘を避ける――そんな幼女なんだぞ!?
 もうダメだ……、おしまいだぁ……! ……殺される、みんな殺される……!!」

ティピ
「ねえ、フェイト。燃え上ってるトコ悪いんだけどさ。この子、アイスクリーム食べてて大人しいよ?」

フェイト
「E☆DSU☆KE!!? ティピちゃんったら、餌付けしちゃってる!!?」

ティピ
「まあ、いざとなったら私がティピちゃんキックで黙らせてあげるから、任しておきなさいな」

フェイト
「さすがティピちゃん。頼りになるね。
 が。
 体が恐怖を覚えてて――正直、そっちに行けません」

ティピ
「しょうがないな~」

レナス?
「お前……ルシオ出せ」

フェイト
「本編でも言ったけどさ、レナスちゃん。あれはアレンの管轄なんだ。僕じゃない。だから、猫少年に会いたいならタヌキを探さないと話にならないんだよ」

 ジャキッ!

フェイト
「ぬぁああああっ!? 槍を振り回すのはやめろぉおおお!!!!」

レナス?
「ルシオ出せ」

フェイト
「話聞けやぁあああああ!? ここには居ないって、何回言えば分かるんだよ君はぁああ!!」

レナス?
「ニーベルン……」

フェイト
「ティピちゃぁあああああああああん!!!!」

ティピ
「キィーーック!!」

 ドゴォッ!!

レナス?
「……痛い」

ティピ
「ったく、いい加減にしなさいよ。アンタ。暴れたって出てこないもんは出てこないんだからね。
 それにさ、こんな小っちゃいスタジオでそんな大技、ぶっぱしていいと思ってんの? フェイトはともかく、私を巻き込もうなんて許さないからね」

フェイト
「レナスちゃんを止めた……! 破壊神☆レナスちゃんを!?」

レナス?
「……ルシオ……」

 レナス? は俯き、目に涙を溜めてつぶやいた。

フェイト
「参ったなー……。こんな風に素直な反応返されると、リアクションに困るな」

 そう言いながら、フェイトはレナス? の頭を、よしよしと言って撫でた。

ティピ
「まあルシオなら、こっちのシリーズにはいないわよ」

フェイト
「KI・CHI・KU!!」

ティピ
「フェイトも言ってたけど、アレンの管轄なんだよね。ホント」

レナス?
「……じゃあ、どこにいるの?」

フェイト
「えっと……レナスちゃん。レナスちゃんは多分、そっちの世界には行けないんじゃないかな?
 ほら。あっちってシリアス補正(規制)マジでかかってるからさ。もしレナスちゃんが向こうの世界に行っちゃうと、いろいろと混乱が――ねぇ?」

ティピ
「まあ“規制”って言っても、ぶち破れそうっちゃぶち破れそうだけどね」

フェイト
「でもさ。創造神と破壊神が出会っちゃったら、大変だろ? いろいろと。特に向こうの戦乙女さんにすっごい迷惑かかりそうじゃないか。
 僕としては、それは避けたいんだよ。今後とも、付き合いがある人だからね。主にクリフが」

ティピ
「ふ~ん? ってことは、やっぱりアンタが面倒見なきゃいけないんじゃない? この子」

フェイト
「……なんだと? ――何だとっ!!?」

ティピ
「だって。アンタが規制かかってるから行っちゃダメだって事はさ。この子の面倒、アンタ以外に誰が見んのよ?」

フェイト
「よし分かったレナスちゃん。行ってやれ。僕は止めないよ! なぁ~に、アレンがきっとなんとかしてくれるさ☆ きっと! ――ってわけでよろしく、ナツメ」

 フェイトの前には、緑色の肌をしたずんぐりむっくりの一角獣――惑星グローランドに生息する風の精霊シルム――の着ぐるみを被った人物が居た。
 彼女は甲高くキュピ☆と鳴いてレナスを背負うや、スタジオを後にする。

ティピ
「なんか、初めてゲストがログアウトしたわね」

フェイト
「生きてて良かった……!!
 こんな記念すべき回で、死んで終わりなんてそんなバッドエンド認めてたまるかぁああああああああ!!」

ティピ
「ま。最後くらいはハッピーエンドにしたいわよね」

フェイト
「あ、あれ? 最後って……ティピちゃん? もしかして――」

ティピ
「今回で、ティピとフェイトが行くは終了しま~す! 皆さん今まで付き合ってくれて、ありがと!」

フェイト
「ちょ、ちょちょちょっ……ちょっと待てよ! なんだいそれ!? 僕、何も聞いてないぞ!?」

ティピ
「元々十回の予定だったのよ。第六回で折り返し地点に来たって言ったでしょ? だから、十回目で終わりってこと」

フェイト
「なんだよ、それ……僕は全然何も聞いてないじゃないか! 僕とティピちゃんなら、百回だって出来るじゃないかっ!!」

ティピ
「それ無理」

フェイト
「なんで!?」

ティピ
「飽きるから」

フェイト
「さらっとしれっと言うんだもんなぁ~……!!」

 フェイトは、よよよと涙した。

ティピ
「と言う訳で、今回でティピとフェイトが行くは終了です。 あれ? さっきも言ったわね? ――ま、いっか」

フェイト
「はぁ……本当に終わっちゃうのか。でも、話はまだまだ続くから、皆。見てよね~!」

ティピ
「以上! ティピと」

フェイト
「フェイトが」

ティピ&フェイト
「行く!! ありがとうございました~!」





???
「次回からは、私らの出番やで♪」

???
「はいっ! がんばります♪」


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14.模擬戦。

「シャスが模擬戦を?」

 

 なのははアルフによる突然の申し出に、目を丸くした。データルームで今日分の教導成果を整理していた時の事だ。今日はティアナが体調不良で、欠席した。

 モニタから顔を上げたなのはの脇で、アルフが静かに頷く。

 

「どうも一つ、気になる事がありましてね。ノリでつい言っちまったもんで」

 

 整然と並ぶコンピュータの仕切りにもたれながら、彼は言った。なのははそれまで浮かべていた微笑をわずかに暗くして、視線を落とす。手許にあるホットコーヒーが白い湯気を立てていた。アルフからの差し入れだ。なのはは猫舌なため、少し冷ましてから飲むことにしている。

 なのはの傍らに座るヴィータが、ホットレモンを飲む手を止めて、神妙な面持ちで頷いた。

 

「それなら、アタシもちょっと気になってたんだよ」

 

「ティアナのこと?」

 

 なのはが問うと、ヴィータは小さく頷いた。

 

「“強くなりたい”なんてのは若い魔導師なら皆そうだし、無茶も多少はするもんだけど……ティアナの場合、時々ちょっと度を超えてる。アイツ、ここに来る前――なんかあったのか?」

 

 ヴィータの問いに、なのははすぐには答えなかった。沈黙がしばらく続く。

 アルフは悠然と、無糖コーヒーを呷った。なのはが顔を俯けながら、答える。

 

「ティアナのお兄さんがね……。執務官志望の魔導師だったんだけど、ご両親を事故で亡くされて――そのお兄さんも任務中に」

 

「亡くなったのか」

 

「ティアナがまだ十歳の時にね」

 

 なのはは神妙に頷いた。視線を、コンピュータの端末画面にやる。パネルを操作すると、空中に一人の青年が浮かび上がった。ティアナと同じ、明るいオレンジ色の髪をした、清潔感溢れる青年だ。澄んだ青瞳をしており、喋らずとも人柄の良さが現れている。

 なのははモニタに映った青年を見据えて、言った。

 

「ティアナのお兄さん――ティーダ・ランスター。当時の階級は一等空尉。所属は首都航空隊。享年二十一歳」

 

「結構なエリートだな」

 

 ヴィータはホットレモンを机に置くや、眉を寄せた。両腕を組む。目の前に居るなのはの顔が、哀しげに沈んだ。なのはは少し、間を置いて、言った。

 

「そう、エリートだったから――。ティーダ一等空尉が亡くなった時の任務――逃走中の違法魔導師に手傷は負わせたんだけど、取り逃がしちゃって……。地上の陸士部隊に協力を仰いだおかげで、犯人はその日の内に取り押さえられたそうなんだけど――その件についてね。心無い上司が酷いコメントをして、一時期問題になったの」

 

 ヴィータは首を傾げた。

 

「コメントって……、なんて?」

 

「犯人を追いつめながらも取り逃がすなんて、首都航空隊の魔導師としてあるまじき失態で、例え死んでも取り押さえるべきだった――とか、もっと直球に、任務を失敗するような役立たずは……とか。ティアナはその時、まだ十歳。たった一人の肉親を亡くして、しかもその最後の仕事が、無意味で役に立たなかった、って言われて――きっと物凄く傷ついて、哀しんで……」

 

 膝の上に乗せた紙コップをなのはは弱く握る。コーヒーの水面が揺れ、映ったなのはの顔も小さく歪んだ。

 

「多分、ティアナがあんなに一生懸命なのは、お兄さんの為だと思うの。お兄さんが教えてくれた魔法は役立たずじゃない、どんな場所でもどんな任務でもこなせるって。それを証明する為に、ティアナは必死なんだよ。きっと」

 

「アイツが執務官になりたいってのも、もしかしたら兄貴の夢を代わりに叶える為――かもな」

 

 なのはにつられて、ヴィータも視線を落として黙る。アルフは空になった紙コップを握りつぶすと、踵を返した。

 

「シャス?」

 

 その背を、なのはが呼び止める。アルフは近場のゴミ箱に紙コップを投げ入れると、ポケットに手を突っ込んで、わずかばかり、なのはを振り返った。

 

「有難うございます、教官。その話のおかげで遠慮なく (・・・・)、明日の模擬戦、やれそうですよ」

 

 小さく薄笑う彼は、それきり振り返らずに部屋を出て行った。

 

 

 ……………………

 …………

 

 

 約束した模擬戦の日に、アルフは初めて機動六課の訓練場に来た。

 ホテル・アグスタ以来、彼は黒いスーツを愛用している。一着目はゼストとの戦いで使い物にならなくなって捨てた。が、その事実を知る者はヘリパイロットのヴァイス以外、いない。

 ティアナはこの日を迎えるまで、生きた心地がしなかった。ここで、アルフに認められなければ機動六課に去る事になるかも知れない。思考が負の方面に走りだすと、彼女の不安はもう止まらなくなっていた。

 二日。

 アルフに言われてからこちら、自分の欠点を徹底的に考え抜いた。食事に手が付かず、練習にも雑念が入って満足とは言えない。

 それでも――負けられない。

 意気込むティアナに対し、アルフは――予想もしない事を言った。

 

「どういうことですか、アルフさん!」

 

「だから、俺の武器はこれだって」

 

 そう言って、彼が取り出したのは、一振りのアーミィナイフだ。ティアナは息を飲む。

 

「なっ!?」

 

「やるまえに言っとくぜ。俺はこの模擬戦で、魔法をまったく使わない。強化も使わない。好きなように攻めて来い。――ただし、隙を見せたら」

 

 アルフは嫣然と笑い、一瞬だけ、紅瞳を底光らせた。  

 

「お前は終わると思えよ」

 

 低く放たれた言葉に、カッとティアナの表情が歪む。やはり一進一退がかかったこの勝負――それを、デバイスも用意せず、魔法すら使わないと宣言されるとは思わなかった。

 ティアナは唇を噛み、アルフを睨む。

 

(馬鹿にして――!)

 

「じゃ、始めようか」

 

 アルフは悠然と、訓練場に配置された廃棄都市の――車道中央に立った。

 

 

 

「アルフの奴、刀を使わねえのか」

 

 上空のモニタを見上げながら、ヴィータは意外そうにつぶやいた。ここには、スターズ・ライトニング両分隊の隊長と副隊長、そしてエリオとキャロがいる。ティアナ達がいる位置から数百メートル離れたビルの屋上、そこになのは達は陣取っているのだ。

 なのはは、ナイフを握るアルフを見、口端を緩めた。

 

「思い出すね。シャスが機動六課に来たあの時を」

 

 キャロが首を傾げる。

 

「え? アルフさんって昔、機動六課にいたんですか? でも、六課は最近新設された部隊のハズじゃ……」

 

 彼女の言う通り、機動六課が『部隊』として実働し始めたのは、新暦七五年、四月に入ってからだ。アルフが居た時期は、ただの仮部隊に過ぎなかった。

 エリオが弾かれたように顔を上げ、令嬢(フェイト)を見る。

 

「フェイトさん、もしかしてあの人――!」

 

「説明は後でするから、エリオ。とりあえず今は、ティアナ達を見てよっか」

 

 声を上ずらせるエリオに、令嬢(フェイト)は優しく微笑んだ。エリオは出鼻を挫かれ、ぅ、と息を飲むと、上空のモニタを一瞥して、頷いた。

 

「……分かりました」

 

 ライトニング分隊、副隊長のシグナムが両腕を組み、訝しげに首を捻る。

 

「だが、いくらアトロシャスが戦い慣れしているとは言え、ランスターは射撃の天才だ。それを相手にあの軽武装、かつ、魔法を使わないと言い出すとは。それで勝てると言うのか? ――無謀だな」

 

 シグナムは眉間にしわを寄せる。桜色の髪をポニーテールにした女騎士は正々堂々、真っ向勝負が信条だ。シグナムにしてみれば、アルフの出した条件はあまり気持ちの良いものではない。その指摘に、ヴィータも頷く。

 

「確かに無謀っちゃ無謀だ。要するに、魔導師相手に普通の人間がケンカを売るようなもんだからな。――けど、あいつが六課に配属された時の映像を見る限りじゃ」

 

「確かに出来ない事ではないだろう。あの記録が確かならば、な。だが、わざわざ危険を冒してまで、何故こんなことをする?」

 

 首を傾げるシグナムに答えたのは、なのはだった。

 

「何か考えがあってのことだと思います。シャスは……無意味な事はしませんから」

 

「!」

 

 エリオはグッと息を飲む。彼の脳裏に、銀髪紅瞳の少年の顔が過ぎる。

 

(もしかして――僕の知ってる、シャス……?)

 

 言葉を交わしたのは一度きりだ。それでもエリオにとっては印象的な出合いだった。歳の近い少年と会うのも珍しければ、あれほど印象深い人間と会ったのも初めてだった。――“彼”はエリオには無い、不思議な魅力を持っている気がした。

 

「エリオ君? どうしたの?」

 

 キャロが問いかけて来るが、エリオは動かなかった。脳裡を過った少年を思い出し、エリオは顔を強張らせる。

 

(もしそうなら……ティアさん!!)

 

 あの少年は印象的だった。姿形だけでなく――その、行動理念においても。

 エリオは鋭く息を飲むと、令嬢(フェイト)を振り仰いだ。

 

「フェイトさん! ティアさんが危ないっ!!」

 

「エリオ、どうしたの?」

 

 振り返った令嬢(フェイト)が、要を得ず首を傾げる。エリオは両手を広げて説明した。

 

「もし――もし僕の考えてる事が当たってたとしたら、シャスは――“アルフさん”は、ティアさんを完膚なきまでに倒すつもりなんです!」

 

「何故そうなる? むしろアトロシャスは、刀も、魔法すら使わずにランスターを倒すと言ったのだぞ? つまり、手を抜くと言っているのだ」

 

 片眉をつり上げるシグナムに対して、エリオは首を大きく横に振った。

 

「違うっ! あれは……、ハンデ(それ)をわざわざ宣言するってことは“だから本気を出すぞ”って意味なんですっ! “だから、遠慮なく撃ってこい”ってことなんです、あれは!! それをもし、ティアさんが勘違いしたら――! シャスは躊躇なく」

 

 そこで言葉を切ったエリオは、顔色を失った。令嬢(フェイト)が鋭く、なのはを振り仰ぐ。

 

「なのは!?」

 

 視線の先にいるなのはは、硬い表情をしていた。

 

「……信じてみる。シャスを。……徹底的に……叩きのめされた方が、学ぶ事も多い……、筈だから」

 

 言いながら、なのはもある種の危険を感じているのか、拳を握る。エリオは首を横に振った。

 

「でも!」

 

「大丈夫。いざとなったら、私が止めるから」

 

 なのはは首にぶら下げたレイジングハートを握りしめて、ぎこちなく微笑った。

 

 

 

 模擬戦『開始』の合図は、空砲のパンッと言う乾いた音だった。

 ティアナは鋭くクロスミラージュを構える。照準は、ナイフを握る青年の眉間。

 ――が。

 

「!?」

 

 銃身を上げた時には、アルフが眼の前に居た。ティアナは息を飲む。直後、ぐるんっと視界が回り、足を地面に打ち付ける。投げ飛ばされたと気付いたティアナは起き上がる寸前、――首筋に、ナイフが添えられているのを感じて、動きを止めた。

 

「……ぁ!」

 

 ティアナは眼を見開く。

 ――その時になって初めて、全てが見えたのだ。

 

 模擬戦を始める前。

 始め、と言った時点で、アルフはティアナの懐に踏み込める位置に居た。

 

(嵌められた……っ!)

 

 ティアナはナイフを持っているだけの相手に、下がりもせず、そのまま銃を向けようとした。立ったままのアルフに照準を合わせた。――距離を取れば必勝だったこの戦いで。それもその筈で、彼は敢えてティアナの頭に血を昇らせるような発言をし、その立ち位置に気付かせないようにしたのだ。そして武器はナイフしか使わないと言って、ティアナを油断させていた。

 最初から作られたシナリオ。わずか数秒――その間に、ティアナが踊らされたのである。

 

「……っ」

 

 ティアナは唇を噛む。

 アルフはゆっくりと拘束を解くと、ナイフを納めた。

 

「今日の模擬戦は終わり。もう帰っていいぜ」

 

 素気なく言った彼は、踵を返した。ティアナはその背に、鋭く声をかける。

 

「納得できませんっ! こんなこと!! もう一度お願いします!!」

 

「もう一度?」

 

 アルフは立ち止まると、不思議そうに首を傾げた。ゆっくりとティアナを振り返る。呆れた顔だ。

 

「何言ってやがる。真剣勝負に『もう一度』なんて言葉、あると思うか? その心構えが、既に間違ってんだよ。今ので大体分かるかと思ったが、どうやら当てが外れたみたいだな」

 

 深々とした溜息。ティアナは顔を歪め、怯まずアルフを睨んだ。アルフが、ふ、と鼻を鳴らし、酷薄な笑みを浮かべる。

 

「――なら、しょうがねえ」

 

 低く、暗い声だった。途端に、彼を取り巻く空気が一変する。ティアナは銃を握りしめる。アルフの迫力に――気圧されたくなかった。

 アルフが薄笑う。紅瞳が、静かに揺れた。

 

「いいぜ。受けてやるよ、その『もう一度』。ただし今度は――、お前の腕を賭けてもらう。あまりに無残な戦いをするようなら、その引き金、二度と引けなくしてやるよ」

 

「!」

 

 ティアナは眼を見開くと同時、バックステップで距離を取った。

 

(魔法を使わないって言うなら、二度とこの人の間合いには入らない――!)

 

〈Variable Barret.〉

(直線的な射撃は多分見切られる)

 

 そう思いながらも、ティアナは牽制弾を撃つ。直線的に走る三発の魔力弾、それが寸分違わず、アルフの眉間に走る。が、アルフは悠然と歩く。ティアナは眼を見開き、更に魔力弾を発砲した。

 また躱される――。

 見れば、アルフはティアナが引き金を引くその瞬間に、首を捻っている。

 

「そんなっ!?」

 

「分かんねえか? ――正直過ぎるんだよ」

 

 ティアナは息を飲み、バックステップする。距離を取り、クロスミラージュの銃口に魔力を集めた。

 

(避けられる! なら、追尾弾で!)

〈Barret-F.〉

 

 クロスミラージュがティアナの要望に答え、魔力弾を生む。オレンジ色の光球となった魔力弾は、尾を引いて走った。ティアナはその追尾弾を隠す為に、通常の直線型魔力弾を三発放つ。

 先程と同じく、直線に走る弾丸はいとも容易く躱され、――その裏で、円を描いてアルフの後頭部を狙った誘導弾は、振り返りもせずにアルフにナイフで叩き落とされた。

 

「なっ!?」

 

 ティアナは眼を瞠る。立ち止った瞬間に、靴音を鳴らして近づいてくるアルフ。彼女は舌打ち、バックステップで距離を取った。

 

(この人……! 魔力弾を、いくら非殺傷弾とは言え魔力弾を、何の躊躇も無く切り捨てるなんて……!)

 

 ナイフで切った反動で、アルフの周りに爆発が起きる。煙が上がる。だが、アルフは怯まず、悠然とティアナに向かって歩いて来る。まるでそう動くよう命じられた、ロボットのように。

 ティアナは背中が凍るのを感じながら、クロスミラージュの引き金を引いた。

 アルフは言う。ティアナの弾丸を躱しながら。

 

「お前の弾丸は安い。だから一撃必殺を目指すなら、急所を狙うしかない。正面からの攻撃が効かないなら、円を描いての後ろからの攻撃――単調なもんだ。そんな生真面目な弾丸じゃ、猫の子一匹捕まえられやしねえよ」

 

「っ!」

 

 何発撃っても、アルフには当たらない。彼はティアナが足を止めて射撃する間に近づいてくる。一歩ずつ、ゆっくり近づいている筈なのに、――怖い。

 ティアナはたまらず、銃の構えを解いて、更にバックステップで距離を取った。発砲する。アルフは止まらない――止められない。

 ティアナは顔が引きつるのを感じながら、それでも憑かれたように銃を乱射した。

 

 

 

「何をやっているんだ? アトロシャスは。一歩ずつ歩いているが、あれではいつまで経っても、距離を詰める事は出来ない」

 

 シグナムは一向に縮まらない距離に、首を傾げた。アルフは敵の不意を突くでもなく、ただ単調に、正面から一歩ずつ歩くだけである。

 ヴィータが両腕を組んで、呻いた。

 

「確かにな。一足飛びで斬りかかるなんてのは、最初にやっちまってるから、アルフが何をやろうとしているのか、ティアナには丸わかりだ。あのままティアナが撃ち続ければ、ティアナの勝ちだぜ。アルフの奴が使ってるのは、そこらで売ってるただのナイフ。管理局のデバイス――それも魔力弾を喰らって、あんな安物がそうそう保つはずがねえ。せいぜい後二発、受けりゃ終わりだ。――冷静になれよ、ティアナ!」

 

 ヴィータの指摘通り、誘導弾一発を弾いただけで、アルフのナイフは刃毀れしていた。

 令嬢(フェイト)がモニタを見据え、つぶやく。

 

「なのは。シャスは一体、何を狙ってるんだろう?」

 

「分からない……。でも」

 

 言い淀んだなのはは、たった一度だけ――一瞬だけ見せた、アルフの殺気を思い出していた。

 死をいとわない狂気――それは、対峙する者にとって、この上ない恐怖を与える。

 

(その恐怖を前に、どれだけ自分の力を発揮できるかが勝負の分かれ目だよ、ティアナ!)

 

 なのははモニタを見上げて、ぎゅっと拳を握りしめた。

 

「エリオ君」

 

 物思いに沈んでいる少年を見据えて、キャロは心配そうに声をかける。モニタに(かじ)りついているエリオは、真剣な面持ちで、先程から一ミリも瞳を動かさない。エリオは言った。

 

「狂気とか、恐怖とか……そう言うのもあるかもしれません。でも――、シャスはそれだけじゃない。あの行動は全て計算ずくなんです。きっと、ティアさんがあんな風に逃げるのも、あんな風に避けるのも、シャスは既に予測してるんです、全部……!」

 

 エリオは拳を握りしめ、徐々に恐怖で歪んで行くティアナの顔を見据えた。

 シグナムがせせら笑う。

 

「何を馬鹿な事を。そんな事が出来るわけが無い」

 

 それは(もっと)もな意見だった。エリオは頷きたいのをこらえて、顔を歪める。その後を継いだのは、なのはだ。エリオの言を受けたなのはは、更に表情を硬くする。

 モニタを見据えて、なのはは言った。

 

「そんな事が出来たから、シャスは機動六課に入れたんです。何の魔力も無い――魔導師としての知識も、技術も無い少年がここに居たのは、ガジェットの行動を予測出来たから」

 

「でもよ! ガジェットは単純行動しかしねえ。予測なんて出来るじゃねえか! それに比べて、人間の行動を読むなんてこと、出来るわけねえだろ」

 

 合点の行かないヴィータに、エリオが首を横に振った。恐怖にひきつるティアナと対称的に――恐ろしく無表情な、アルフの顔。

 

「むしろシャスは、相手が人間だった時の方が予測して動いてるんです。シャスの狙いは、多分――」

 

「皆! あれを!」

 

 令嬢(フェイト)がモニタを指差すのと同時に、皆の表情が凍りついた。

 

 

 

 ……どさっ、

 

「え?」

 

 ティアナは小さくつぶやく。一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 堅いコンクリートの感触が、肩に押し付けられる。サイドステップしようとした先は――ビルの壁。

 

「?!」

 

 息を飲んだティアナは、鋭く反対側に視線を向けた。三方――全て壁。

 袋小路だ。

 

「!」

 

 悪寒が背筋だけに留まらず、全身を駆け巡った。カチカチと鳴る歯の音が、ティアナの耳を打つ。

 

 

 

「こ、ここまで計算ずくだってのかよ!?」

 

「馬鹿げている! こんなことが――!?」

 

 ヴィータとシグナムは同時に眼を見開いた。ジリジリと、ティアナは自ら(・・)袋小路に向けて移動していた。

 まるで、鳥かごに誘い込まれるように。

 

 

 

「いよいよ、お前の腕を貰う時が来たみたいだな」

 

 アルフは静かに告げ、足を止めた。白い顔に浮かぶ、紅の瞳。彼はどこまでも無表情だった。

 

「っ、っっ……!」

 

 ティアナは息を吸って、銃を連射する。息を吐き出せなくなっていた。

 寄るな、寄るな寄るな――!

 そう、願いにも似た叫びを上げて、ティアナはクロスミラージュを撃ちまくる。

 瞬間。

 アルフは駆った(・・・)

 並み入る弾丸を、アルフは網の目を縫うように躱す。クロスミラージュの弾幕を全て見切り――弾が止んだ所でまた、動きを止める。

 そしてまた一歩ずつ、歩き始めた。

 ティアナに向かって、ゆっくりと。

 

「ぅ……」

 

 ティアナは呻き、クロスミラージュを構える。震えは両腕にまで走り、銃口はもはや定まらなかった。

 紅瞳が、近づいてくる。

 

 ――腕を、もらう。

 

 そう歌うように、ゆっくりと靴音が近づく。

 こつこつと。

 少しずつ、少しずつ音を大きくして。

 

「ぅぅ……!」

 

 ティアナは眼を見開き、涙が零れるのも気付かず銃を乱射した。

 ――怖い、どうしようもなく怖い。

 どれだけ銃弾を撃っても、すべて無意味。アルフは止まらない。止められない。――死神が、来る。腕を奪いに、来る。

 ティアナはガタガタと震えながら、魔法弾を撃ちまくる。

 狙いなど――無い。

 

「うわぁああああ!!」

 

 絶叫。混乱。

 涙するティアナの青瞳は、焦点すら定まっていなかった。

 

 

 

「おい! もうやめろ! やめさせろ!!」

 

 ヴィータはモニタに向かって叫んだ。シグナムも鋭く叫ぶ。

 

「勝負はついた!!」

 

「聞こえてんだろ、アルフ!!」



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15.交わらない心。

[おい、もうやめろ! やめさせろ!!]

[勝負はついた!!]

[聞こえてんだろ、アルフ!!]

 

 通信越しにシグナムとヴィータの声が響く。

 アルフは心から失笑していた。

 

「……どいつもこいつも」

 

 笑わせる――

 その言葉を呑みこんで、アルフはティアナを見る。あれほど正確だった射撃は見る影もなく、絶叫ばかり上げて撃ちまくるのみだ。――まるで壊れた人形のように。

 アルフが静かに微笑(わら)った。

 

 

 キャロは顔色を失った。ティアナが感じている恐怖――その断片を感じ取ったわけではない。

 ただ、モニタ越しでも異常ななにか(・・・)が伝わってくる。

 背筋を這うような――嫌な予感が。

 

「ティアさんが……、あのティアさんが、こんなデタラメな射撃をするなんて……!」

 

 意外だった。

 このモニタの中に、いつものティアナはいない。毅然と新人(メンバー)を引っ張る――頼りがいのあるお姉さんは、どこにもない。

 恐怖に身を引きつらせ、泣き叫ぶティアナ。

 キャロは胸がしめつけられたような痛みを覚えて、顔をしかめた。

 令嬢(フェイト)が睨む。

 

「どうして――、どうしてここまで!?」

 

「レイジングハート」

〈Alright, Barrier Jacket standing up.〉

 

 なのはに答え、レイジングハートが明滅する。六課の制服から、魔導師の戦闘服(バリアジャケット)へと姿を変えたなのはは、白杖を握りしめ、神妙な面持ちでモニタを見据えた。

 ――アルフ・アトロシャス。

 なのははすぐには飛び立たず、彼の真意を探るように、眉間にしわを寄せて目を凝らした。

 

 

 

「うわぁああああ!」

 

 ティアナの絶叫が響く。

 乱射される銃。矢継ぎ早に放たれる弾丸。それらはすべて空を切り、廃棄都市のコンクリートを撃ち抜く。

 あれほどあった間合いが、ゼロになる。

 ティアナは首を、ナイフの柄で殴りつけられた。地面に頭からぶつかる。その衝撃で、視界に火花が散った。

 ティアナはまたたく。強張った目は涙を流していたが、実際になにが起こったのか、彼女自身は把握していない。

 怯えきった少女を見下ろし、アルフは尋ねた。

 

「どうした? ランスターの弾丸は、こんなに安っぽいのか?」

 

 彼は首を傾げる。綺麗な笑顔だった――狂おしいほど、美しい笑顔。

 ティアナは顔を上げ、地面に這いつくばりながら、震える。

 

「ぁ、……ぁぁ……っ!」

 

 アルフは静かに歩み寄り、言った。

 

「約束だな。腕を貰おうか」

 

「ぁぁっ!!」

 

 紳士的な声だった。

 ティアナは恥も外聞もなく、両手をついて立ち上がろうとした。敵に背を向け、逃げる――逃げなければ――殺されるっ! 必死になって全身に力を込める。だが、起き上がる寸前、強かに背を踏み付けられた。

 

「ぁっ!」

 

 ティアナは短く息を吐き、ばたばたと暴れる。――暴れた、つもりだった。

 実際は恐怖で身が凍り、手足が思うように動かない。背中にのしかかられる。ゆっくり、ティアナの右手が持ち上げられた。

 ティアナの視界の端で、ナイフが鈍く光る。

 

「ぁぁ……!」

 

 ぴた、と冷たい刃が腕に触れた。

 

「――分かったか? これが勝負ってんだ」

 

 アルフの声が、そっと耳にかかった。

 冷たい声。情けも容赦も、抑揚も――ない。

 

 殺されるっ!

 

 ティアナは確信した瞬間、呼吸を忘れた。

 悲鳴が出ない。

 アルフのナイフが、突き立てられる――

 

「ディバィイイン・バスタァアア!!」

 

 轟音を立てて、辺り一面が光に包まれる。

 光の正体は、なのはの『砲撃』。桜色の魔力光を放つ――野太い光線だ。

 アルフは逃れるように一歩退くと、なのはがティアナの前に割り入るように、空から降り立った。

 

「シャス!」

 

 なのははレイジングハートを強く握りしめ、油断なくアルフを睨む。

 アルフは悠然と、彼女を見返して肩をすくめた。

 

「やれやれ。もうちょっとで勝負の厳しさってのを、そこの甘ちゃんに教えてやれたんですけどね。これじゃ台なしだ」

 

「そんなこと、訓練でする必要はないよ、シャス。――これは殺し合いじゃないんだから。なのにどうして、……そんな無茶するの?」

 

 アルフは笑い、答える代りにナイフを捨てて、腰に差した刀――『無名』を抜いた。それを青眼に構える。

 なのはは固唾を飲み、左手で庇ったティアナを振り返らずに言った。

 

「ティアナ、下がってて!」

 

「な、なのはさん……!」

 

 (すが)るようなティアナの眼差しに、なのはは穏やかに微笑む。――もう大丈夫。視線だけで言い、彼女はゆっくりと――アルフに向き直る。

 

「シャス……!」

 

 睨む彼女の青瞳に光はなく、今は暗澹たる――容赦を捨てた戦士の顔をしていた。

 アルフは無表情ななのはを見、嬉しそうに嗤った。

 

「悪くない瞳ですよ、教官。少なくとも、俺の教導をやっていた時よりずっと上等だ」

 

 そう言って、小さく肩を揺らす。

 高町なのはは元々、心優しい性格だ。その彼女が“徹底的に教え子を打ちのめす”と決めたのだから、そこに私情はない。彼女は己を押し殺して唇を引き結び、アルフを見ている。

 なのはは淡々と問いかけた。

 

「…………シャスは……、……シャスも……あの頃から何も変わってないの?」

 

 感情を押し殺し淡々と、なのはは無表情で首を傾げる。だが彼女の悲哀は、瞳の奥にある感情は――表情に反して、深い。

 それを理解している青年は答える代り、紅瞳に狂気を走らせた。

 

 ぴしぃ……っ!!

 

 空気が張り詰める。濃密で危険なアルフの“死”の色香。

 

「俺は歪んだ人間でね。アンタは、あの時も(ヌル)かった。俺の本質に気付いていながら、気付かないふりをする。――まあ。そんなこと、今はどうでもいい」

 

 アルフはそこで言葉を切ると、腰を抜かしたティアナを一瞥した。“狂人”と恐れられる瞳で。

 

「そこの女に足りないのは、戦いへの恐怖。死と向き合う覚悟。殺さなければ殺されると言う“危機感”――つまり、全部だ」

 

「っ、!」

 

 ティアナは目を瞠る。相手の心臓を鷲掴みするような、紅の狂眼。全身を針で通されたようにティアナの身は震え、息も吐けずに、過呼吸を繰り返した。

 

「ぁ、ぁ……!」

 

「アンタは全部欠けてる。腕前がどうとか言う前に、戦場に出る資格すらない」

 

 男の底冷えする紅瞳は、なのはとは比べ物にならないほど不吉な、壮絶な光を持っている。戦いの中で磨き上げた――命が懸った局面でのみ輝きを放つ狂気。

 それをティアナに向け、アルフは言った。

 

「ティアナ。戦いってのは、命のやりとりだ。()るか()られるか。そこに善も悪もねぇ。――なぁ、教官? “勝つ”ってのはせめて、今のアンタのように自分を殺してでも敵を叩き潰す。敵の欠点を逸早(いちはや)く見つけ、そこを徹底的に攻撃する――理不尽で無慈悲なものだ。……そうだろ?」

 

 アルフは笑んだ。雪のように白い美貌が、淡く輝いたようにも見える微笑。

 なのはは、固唾を飲んだ。彼の狂気に当てられているのは、なのはも同じだ。全身を縛る恐怖を、彼女は胆力で抑え込む。

 

「どうして……、シャスは昔から……そんな風に自分と――他人(ヒト)の命を軽く見るの? “殺す”なんて、簡単に言っていい言葉じゃない」

 

 アルフは鼻で嗤った。

 

だから(・・・)温いんですよ、アンタ()は。魔法なんて言うまやかしの所為で、まるで本質が見えちゃいない。……ま、それは後でいい。始めようぜ、教官」

 

「…………」

 

 アルフは壮絶な狂気を発す瞳を見開き、なのはの懐に突っ込んだ。

 袈裟がけに走る刀を、なのははレイジングハートで受け止める。

 

 ギィン、、ッ!!

 

「っ!!」

 

「俺に接近戦を挑むのは自殺行為ですよ」

 

 途端、アルフの連続斬が放たれた。剣舞『夢幻』。抜刀術から始まる神速の四連斬を、なのはは咄嗟にシールド魔法を展開して、防ぐ。

 が。

 最初の抜刀を防いだ瞬間、なのはのシールドが、真っ二つに切り裂かれた。

 

「っ!?」

 

 なのはは息を呑む。このシールドを、今まで破られたことはない。

 更に迫る白刃を、なのははレイジングハートで受け止める。だが、矢継ぎ早に振る連撃に耐えられず、彼女は咄嗟に、空に飛んだ。

 

「くっ!」

 

 距離を。

 そう念頭に置き――同時に、反撃をシミュレーションする。

 ――そのとき、

 

 頭上から、声が降った。

 

「そう。アンタが俺から逃げる術は一つ。――空だ」

 

「!?」

 

 なのはは顔を上げる。アルフがいた。――兜割と呼ばれる、黄金の気を宿した上段からの振り下ろしを、彼は迷わず振り切る。

 レイジングハートがなのはよりも早く、反応した。

 

〈Flash Move.〉

 

 なのはの靴に桜色の羽が宿り、高速移動で後ろに避ける。過ぎる斬閃。なのはが息を吐こうとした瞬間に――紅い鳳凰が、大口を開けて迫ってきた。

 

「っ!?」

 

 まるでなのはが、そう(・・)避けると(・・・・)知って(・・・)いた(・・)ようだ(・・・)

 高速移動した先にアルフの鳳凰が駆ってくる。

 

 ――グォオオオオオッッ!!――

 

 低く唸る紅い気の塊に向けて、なのはは杖から槍に変化したレイジングハートを構え、集束魔法を放った。

 

「ディバイン・バスター!!」

 

 レイジングハートの矛先についた射出口から、二発のカードリッジが煙と共に飛びだす。(レイジングハート)の切っ先に魔力球が宿り、それが――野太い光線となって正面から鳳凰とぶち当たる。

 

 コォ――……ッ、ッッ!!

 

 派手な爆発を起こして、両者は相殺された。 

 なのはは目を細め、煙の向こうに居る相手を見る――アルフを。

 

「シャスは!?」

 

 だが、相殺で生まれた煙の中に、アルフはいない。晴れた視界にあるのは、ただの空だ。

 なのはは鋭く下を見る。地上にも居ない。

 左右に視線を振った。左手の――ビルの看板に、アルフが飛び乗り、斬りかかってくる。

 

 ギィィンッ!

 

 鈍い剣戟音。鍔迫り合いの状態で、なのはは鋭く叱責した。

 

「こんな無茶な戦い方をするなんて!」

 

「空は飛べないもので」

 

 平然と答えたアルフは、剣を払うと同時に、更に上へと(・・・)飛び上がる。

 なのはの頭上から、刀を振り下ろしてきた。刀身に黄金の気を宿した斬撃『兜割』を、なのははレイジングハートで受け止める。カチカチと音が鳴り、歯を食いしばる彼女を、その顔を――アルフは鋭く蹴り飛ばす。

 

 ドォッ!!

 

 鋭い衝撃。なのはの視界に火花が散った。蹴られたボールのようになのはの体が直線状に走り、ビルの窓を突き破って中に転がりこむ。ガラスの破片が散らばった。派手な破砕音が鳴る。

 なのはは小さく呻くと、呼吸を整えようと息を吐いた。

 瞬間。

 ――コォオッ!!――

 なのはの目の前に、朱雀が現れた。紅い朱雀を纏った、アルフの突き。

 なのはは反射的にレイジングハートを横たえた。

 

(息を吐く暇すらないなんて――――!)

 

 言う間に、朱雀がビルの床、壁、天井を食い破りながら、襲い掛かってくる。槍状のレイジングハートが強く輝き、なのはは自分の前に、シールドを展開した。

 

〈Round Shield.〉

 

 朱雀を正面から受け止めた、なのはが呻く。

 烈風が吹き荒んだ。衝撃で、髪が後ろに撫でつけられる。舞い上がった塵が荒れ狂う。彼女は眼を細めた。

 きりきりと、なのはの創った盾にヒビが入る。なのははその場に留まることが出来ず、両足で床を掻いて後退した。

 

「――!!」

 

 眼を見開く。息を飲んだ。

 朱雀を背負ったアルフの態勢が――突き(・・)から(・・)上段に(・・・)変わっている。

 

「!?」

 

 アルフは紅瞳を底光らせ、無拍子で刀を振り下ろした。斬撃『ケイオスソード』。シールドを透けて(・・・)来る(・・)刃に、なのははレイジングハートを強く握りしめた。

 

〈Flash Move.〉

 

 靴に光翼を生じさせ、高速移動でケイオスソードの太刀から逃れる。

 瞬間。

 彼女の足許に、桜色の魔法陣が広がった。

 

〈Axel Shooter.〉

 

 なのはは鋭い眼差しをアルフに向け、十一発の誘導魔力弾を一挙に放つ。

 

 ズドドドォ――ッ!!

 

 鋭く走る魔力弾を、アルフは四連斬――剣舞『夢幻』で切り捨てる。一振りで落とすは魔力弾三発。

 同時、彼は刃を寝かせ、駆けた。

 

 ドンッ!

 

 踏み込み音すら、重い(・・)

 疾風を巻いた突きが、迫る。なのはは高速移動で撹乱しながら受け流す。

 追うアルフ、逃げるなのは。

 両者――ともに自分が有利な距離に、立てない。

 

 

 

「アトロシャスの奴、ここまで実力を隠してやがるのか!?」

 

 ヴィータは思いもよらないアルフの戦いに、息を飲んだ。

 彼は『魔法』を使わず、気功で特化させた身体機能で刀を振るう剣士だ。

 シグナムがモニタを睨みながら、呻いた。

 

「接近戦では、私より上かも知れん……!」

 

 それが過大評価であることを祈りながら、首を横に振る。

 令嬢(フェイト)が目を見開いて、叫んだ。

 

「なのはを押してる……!? なのは!!」

 

 

 

 令嬢(フェイト)の悲鳴に呼応するように、なのはは拍子を変えた斬撃に体勢を崩され、吹き飛ばされた。アルフがビル屋上に着地する。

 なのはは空中で反転すると、桜色の魔法陣を足許に展開した。

 集束魔法――エクセリオンバスター、準備完了。

 槍状に変形したレイジングハートを構えるなのはに対し、アルフの背に、紅い炎をまとった蒼い龍が浮かび上がらせる。

 

 ――グォオオオッッ!!――

 

 両者、互いに放つ。己の最高の技を。

 強烈な気と魔力がぶつかり、爆発した。

 

 

 

 余りの眩さに、皆が目を庇う。

 ヴィータは手庇の間からモニタを見据え、唸った。画面を見ずとも――彼女は魔力のやり取りで現状を把握している。

 そのためにヴィータは顔を歪めた。

 

「マジかよ!? エクセリオンモードのバスターと互角だと!?」

 

 信じられない。

 なのはの集束魔法は、魔導師の中でも頭一つ飛び抜けた“超”破壊力だ。

 もしシールド魔法でなのはのエクセリオンバスターを止めろと言われれば、ヴィータたちと言えど、無理だ、と即答する威力。

 それを――

 シグナムは眼を見開いたまま、うわごとのようにつぶやいた。

 

「アルフ・アトロシャス! どこまで……実力を隠している!?」

 

 

 

「はぁ……! はぁ……!」

 

 なのはは肩で息を切らす。魔法連射は苦ではない。だが、この戦いのように呼吸する暇すらないと言うのは――彼女が経験してきた戦いとは、また違う緊張を孕んでいた。

 一瞬気を抜けば、殺される。

 なのはが瞬くと同時、爆発の中からアルフが突進してきた。なのはの顔が歪む。

 

(私のバスターを、目晦ましにした!?)

 

 アルフの振り下ろしを、レイジングハートで受け止める。咄嗟の防御。だが、体勢が崩れている。槍ごとなのはを斬り伏せるような、鋭い衝撃を受け切れず――彼女の体が、後方に飛んだ。

 

「ぁぁっ!」

 

 廃ビルの影に背中を打ちつけ、なのはは空気(いき)の塊を吐いた。同時。迫る狂人の突き。

 なのはは(シールド)を展開した――

 

「グラーフアイゼンっ!!」

 

 ギィ……ンッ!!

 

 甲高い音が鳴る。

 なのはは酸欠でぼんやりした頭を上げ――目を、見開いた。

 

「ヴィータちゃん!?」

 

「ぐ、ぅっ……!!」

 

 なのはの前に居たのは、赤いゴシックドレスを身にまとった『鉄槌の騎士』ヴィータだ。

 彼女は愛用のハンマーでアルフの刀を受け止めながら、言った。

 

「なのははやらせねえ……っ! コイツは、私が守るんだぁああっ!!」

 

 ヴィータは相棒のハンマー――グラーフアイゼンにありったけの魔力を込め、一閃する。アルフの身体が後ろに吹き飛んだ。

 ――否、自ら跳んだ(・・・)

 

「なら、死ぬ気で来な」

 

 アルフは低くつぶやくと、後ろに飛んだ倍の(・・)スピードで突きを放つ。

 

 ドォッ!!

 

「カッ!!」

 

 避けることも敵わず、ヴィータはグラーフアイゼンの柄で受け止めた。その瞬間、突きが三本に(・・・)増えた。

 ――『三連疾風突き』。

 三発同時の気と風を巻いた凶悪な突きに、グラーフアイゼンのヘッドが砕け散る。

 

「アイゼン!?」

 

 ここで、ハンマーに視線を向けたのが間違いだった。

 気功で特化されたアルフの体当たり(チャージ)を、ヴィータはまともに受け、宙を飛んだ。直線状に走るヴィータの小さな体が、ビルの壁に激突しようとした――瞬間、

 

「ヴィータちゃん!」

 

 なのはがヴィータを受け止めた。ヴィータの肩をしっかと抱き、彼女は自分がクッションになって廃ビルの壁に背中を打ちつける。

 

「っ!」

 

 と、

 動きを止めた二人を襲う――紅い鳳凰。

 

「二人まとめてくらいな」

 

 アルフは刀身に気を纏わせ、放つ。紅い闘気は巨大な鳳凰と成り――なのはたちを難なく呑みこんだ。

 

「がぁっ!!」

 

「きゃあっ!!」

 

 なのはとヴィータは回避行動すら取れず、てひどく地面に投げ出された。

 

 

「なのは! ヴィータ!!」

 

 モニタを見据える令嬢(フェイト)が、悲痛な声を上げた。

 

 

 アルフは刀を一閃する。

 なのはたちは焼け焦げたビルの瓦礫に突っこんだまま、起き上がって来ない。

 

「ティアナ・ランスター」

 

「……っ!!」

 

 ティアナは恐怖に強張った目を、アルフに向ける。

 

「よく見とけ。お前の馬鹿さ加減。隊長陣(アイツら)の覚悟。そして――戦いの理不尽(ホンシツ)ってやつを」

 

 つぶやいた狂人の瞳は、人間の温かみなど一切存在しなかった。

 

 

 倒れたなのはたちの許へ、アルフは悠然と歩み寄る。

 二人が気絶していたのは数秒で、なのはとヴィータは、すぐに全身に力を込めた。

 かつ、とアルフは殊更に靴音を響かせ、彼女たちの前で立ち止まる。彼は二人を見下ろし、言った。

 

「相手を護りたい。思想としては立派だ。――だが、戦術としてはお粗末なもんだぜ。その思考、至極(・・)読みやすい(・・・・・)

 

 そして刀を――袈裟状に斬り下ろす。

 

「なのはぁあああっっ!!」

 

 令嬢(フェイト)が喉を割る。

 モニタに映るなのはとヴィータが、ドッと鈍い音を立てて、前のめりに倒れた。

 

(やっぱり制限(リミット)付の状態じゃ、この程度か)

 

 なのはとヴィータを見下ろし、アルフはそんなことを考えていた。とはいえ、彼女達の覚悟は見立てどおり悪くない。

 “自分が殺される”と言う点については、なのはもヴィータも相応のものを持っている。

 問題は、何をしてでも勝つと言う執念だが――。

 

「なのはさんっ!! ヴィータ副隊長っ!!」

 

 ティアナが悲壮な声を上げて、駆け寄る。

 アルフは言った。

 

「分かるか? これが戦場における理不尽。どれだけ強い絆で味方と結ばれていようが、固い意志を持ってようが。人間、急所を突かれたら脆いもんだ。どんな(・・・)人間(・・)だろうとな」

 

「っ!」

 

 アルフと視線が合って、ティアナは思わず身構えた。

 ――だが、

 そのときにひとつ、変化があった。

 

「……?」

 

 ティアナは首を傾げる。

 壮絶なプレッシャーを感じない。身体が恐怖しないのだ。

 不思議だった。

 彼は茫洋とした瞳ではなく、さりとて狂気を前面に押し出した――殺人鬼の瞳でもない。

 

「…………」

 

 ティアナは自然と、表情を改めた。凛とした、いつもの顔。

 対峙したアルフの紅瞳が、驚くほど澄んでいて――自然とそうせねばならない気になったのだ。

 アルフは小さく頷いた。

 

「お前らは魔法ダメージと言う人を殺さない術を用いる。だから、敵はいつもお前らに恐怖を抱かない。殺されないんだからな。……だが、“死への恐怖”ってのは一番、人の心を縛りつけるもんだ。相手の精神をコントロールし、制圧するのに最も役立つ。“覚悟”ってのは、それを打破するのに必要な“勇気”のこと。決して、お前がやったような破れかぶれじゃねえ」

 

「っ、……でも……!」

 

 ティアナは拳を握って首を振った。

 凡人は、天才の何倍も努力せねばならないのだ。

 がむしゃらに頑張らなければ、周囲の期待以上の活躍を見せなければ、自分は――(ティーダ)の弾丸を証明できない。

 容疑者を“殺す”前提で戦うなど、管理局員のやることではない。

 項垂れるティアナの頭を、アルフは、ぽん、と叩いた。彼女は顔を上げる。

 

「いいか、ティアナ。お前が本当に、スバルがさらわれたことを悔やんでるなら、死ぬその瞬間まで正気で(・・・)死ね。玉砕覚悟なんてのは、死ぬ以外選択肢のない状況、最後の最後だけだ。大した役にも立たねえ。さっきやった戦術が、お前の最善策ならお粗末もいいとこ。敵の思考、習性をまるで理解しちゃいない」

 

「!」

 

 ティアナは目を瞠った。

 アグスタから帰って一週間。

 模擬戦でなのはから一本を取るために、ティアナはずっと『なのはをどうやって攪乱するか』考えていた。深夜まで射撃練習して、作戦に耐えられる身体を作った。

 それでも、

 彼女は“なのはの研究”――引いては、今日戦う予定だった“アルフの戦い方”について、なにも勉強していない。

 自分の腕を上げ、不意を突くことばかり考えていた。それが所詮、“自分が想像する”なのはやアルフが相手だったことに、彼女は気付いていなかったのだ。

 同じ戦術家としてアルフが気にしたのは、その点。いろはの順番がまるで違う。

 

「戦いってのは自分が勝つことじゃねえ。敵を“負かす”ことだ。敵を戦う姿勢からいかに降ろすか。向こうが格上なら尚のこと、万全な状態では戦わせない。そのための策を練る。その時に何が必要か考え、実行するだけの力を蓄える。頭は常に冷静で、相手の挙動を見逃さない。自分の観察眼を最期まで信じ切る。そう出来た奴が初めて、生き残る」

 

 ヴィータが戦いを止めに来た時、アルフは即座に戦略を変更した。すなわち、なのはとヴィータにコンビネーションをさせないこと。これを最重要課題に持ってきたのだ。

 そして、どちらか一方――今回の場合はヴィータを集中的に攻撃し、なのはがヴィータを庇う瞬間、二人動きが同時に止まる刹那を狙って、必殺の一撃を叩き込んだ。

 これはなのはたちが仲間を思うあまり、勝利よりも先に味方の安全を確保する習性をついた戦術だ。だから、彼は言ったのである。

 

 ――その思考、至極読みやすい。

 

 と。

 アルフは、基本的な戦略面ではティアナを評価していた。今さら教える気も、その必要もない。

 彼女に足りないのは、胆力だ。

 “新米兵ゆえ当たり前”と言えばそれまでだが、戦場で機を読めない者は致命的なミスを侵してしまう。今回のティアナのように。

 ――そして、

 分かりやすいほど血腥い戦場、と言うわけでもない機動六課では尚のこと、人間の危機感は鈍くなる。

 隊長陣に守られた、あの温い実戦では。

 それが、狂人の(・・・)見解だ。

 アルフは最後にこう付け足した。

 

「勇気と無謀、履き違えるなよ。そいつは生と死ぐらいの差がある。――表裏一体だ」

 

 ぎゅっと胸の前で拳を握る少女を見据え、彼は喉を鳴らすと踵を返した。

 恐らく、この少女がアルフと同じ言葉の解釈に辿り着くことはないだろうと、心のどこかで理解しながら。

 正確には、その解釈を理解しても実行できないだろうと分かっていながら。

 ――彼はふと、顔を上げた。

 

「――まだ、終わってないよ。シャス」

 

「へえ」

 

 彼が振り返ったとき、なのはが立ちあがっていた。レイジングハートを構え、真っ直ぐな瞳がこちらに向けている。思わずティアナは叫んだ。

 

「なのはさん!!」

 

 その傷じゃ無理です、と言おうとして――なのはに微笑で止められた。彼女は額から流れる血もそのままに、アルフを見据える。

 

「……ごめんね、ティアナ。私、不器用だから……うまく言葉で伝えられない。でも、私の覚悟なら、見せられるよ!!」

 

 涙目でこちらを見るティアナに、なのははそれだけ言って、瞳の光を強くする。

 今度は感情を押し殺した表情ではない――必死に、相手に訴えかける、涙混じりのなのはの表情。

 

「さっき言ってた生きることと死ぬこと……。でも、シャスはそこに差はないって考えてるよね」

 

「――だとしたら?」

 

 アルフはなのはの顔を見て、薄笑う。死を厭わない紅の瞳を見返し、なのはは強く言い放つ。

 

「今度は、ちゃんと向きあうよ。そして――シャスの間違いを、正してみせる!!」

 

 アルフは静かに溜息を吐いていた。底光りのする瞳で、――立っているのがやっとの状態のなのはを見据える。

 倒れたまま、ヴィータが叫んだ。

 

「駄目だ、なのは!! 無理すんな!!」

 

 狂人の攻撃は、ヴィータでも立ち上がれないほど強烈だ。

 

(野郎。これだけの力を――隠してやがった……!)

 

 ヴィータは悔しさで唇を噛む。

 ヴォルケンリッターの自分や、管理局でもトップクラスのなのはを相手に、――いくらリミッターをかけられているとはいえ、アルフは一方的に打ち勝ったのだ。

 その事実に、言いしれぬ不安がヴィータの胸を押し潰す。

 その不安の名は――“恐怖”。

 

(――何だ? 震えてるって言うのか……!? アタシが――鉄槌の騎士が……!!)

 

 否定するが、やはり震えは現実のモノ。

 それも、

 

「――ちくしょう、これじゃあ……! あの時と一緒じゃねえか!!」

 

 彼女の脳裏に浮かぶのは八年前のあの事件。

 なのはが一度空から落ちた――あのとき。

 それを意識した時、ヴィータの瞳に涙が浮かんだ。

 

「動け……! 動けよ、体……!! このままじゃ、このままじゃ……なのはが!!」

 

 必死に立ち上がろうとするが、体が動かない。まるで自分自身をあざ笑うかのようだ。

 

 

 ビル屋上にいる令嬢(フェイト)も息を詰めていた。

 

「なのは……!」

 

 傷を負いながらも、なのはは立ち上がる。その姿に、令嬢(フェイト)の顔が歪む。

 

「フェイトさん……!」

 

 一緒に見ていたエリオとキャロが、不安げな眼差しを向けて来る。

 令嬢(フェイト)は二人を見下し、ポンと二人の頭を撫でて、立ちあがった。

 

「うん、これ以上は……!」

 

 涙を浮かべる二人に答えて、令嬢(フェイト)が止めに入るよりも早く、事態は動いた。

 

 

 狂人が、白刃を振り上げたのだ。

 

「よく見ておけ……。どれだけ正しくても、どれだけ意志が強くても、どれだけ力が有ったとしても、叩き潰されることがある。それが、勝負の世界。理不尽――そのものだ」

 

 ティアナの震えがまた始まる。今度は瞬きすらできない――余りの恐怖、余りの理不尽、それらがもたらす結果。その恐怖を――彼女はこの時、理解した。

 

(理解した時には、手遅れ……? そんな……!!)

 

 それが、勝負の世界。

 命のやり取り。

 ――アルフが、生きる場所。

 

「――それでも諦めない……! 諦めたら、そこでお終いだから!!」

 

 狂人の刃を見据え、その瞳を見開いて、高町なのはは言い切る。

 譲れない――

 

「私達は、人の命を預かってる……! そんな私達が諦めたら――助けを求める人達はどうするの!? 死の恐怖を――勝負の理不尽を、知ったとしても……! それでも……!」

 

 気を抜けば意識を手放しそうになる。それでもなのはは、アルフに言い切る。

 

「それでも私達は――曲げないっ! 魔法ダメージの在り方を、魔導師達のあるべき姿を、諦めちゃいけない!」

 

「――なのはさん……!」

 

 ティアナは自分の頬から涙が流れているのにも気付かずに、なのはを見ていた。恐怖から来る涙ではない。それはティアナが誰よりも理解していた。

 高町なのはの覚悟を――たった今、理解した証の涙。

 

「だからシャスのこと、私は絶対あきらめない!」

 

「……何とも的の外れた――アンタらしい意見だ」

 

 アルフはそれだけを告げると、無慈悲に刀を振り下ろした。

 

 

 

「なのはぁあああああ!!」

 

 令嬢(フェイト)が絶叫する。それほどまでに無慈悲な一閃。

 “模擬戦”だと微塵も感じさせない――死ぬかもしれない一閃。

 

「やめろおぉおおおお!!」

 

 ヴィータが涙を、額から血を流しながら慟哭する。

 変わらない結末を確信して。

 避けられない結末に絶望して――

 

 

「なのはさぁあああん!!」

 

 ティアナがついに、アルフに対して銃口を構える。だが、アルフは呟くように言った。

 

「死への恐怖は覚悟で乗り切る。それでいい――が、理解するのが少し遅かったな」

 

 振り下ろされる刃。

 絶望に変わる表情――。

 そう――それが、敗北の味。

 アルフは刀を振り下ろしながら、ティアナの表情の変化を観察した後、なのはを見つめた。

 彼女の眼は未だ輝きを失わず、アルフの狂眼を見つめ返してくる。迫りくる白刃に、眼をそむけることなく――。

 その光景は、まるでコマ送りのようにスローモーションで、質の悪い夢のよに感じられた。

 

 なのはは眼を逸らすことも、瞑ることもせず、ただ見開いてその結果を見つめる。

 避けることも、受けることも出来ない彼女に放たれた、白刃がもたらす結末を――。

 その時、なのはの眼に光が映った。圧倒的に輝きながらも暖かい光。

 死への恐怖の中でも輝き続ける命のきらめきが――。

 

「!」

 

 なのはの眼に紅い光が映るのと、振り下ろされた刃が宙で止められるのは、同時。

 鈍い金属音が、火花とともに散る。

 

「――それくらいにしておけ」

 

 冷めた口調で放たれた声は、透き通る男性のモノだった。

 なのはがゆっくりと声主を仰ぐ。

 紅いジャケットを羽織った黒髪の青年が、アルフの刃を自身の刀で受け止めていた。



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16.救世の騎士(グローランサー)

 ――数刻前の医務室。

 

 そこに黒髪の青年――カーマイン・フォルスマイヤーは寝かされている筈だった。

 つい先日まで機動六課で張り切っていた青年(フェイト)が連れて来た、青年だ。

 

 この青年は人間にあるまじき美貌を持ち、管理局――陸士107部隊を一人で壊滅に追いやった犯人と“同じ顔”をしている。

 

 白衣を着た女性――シャマルは、いつものように定期健診を行おうと部屋に足を踏み入れた。

 

「おはよう、ティピちゃん。アステア君。――彼の具合はどうかしら?」

 

 そう言いながら部屋に入った時、中央のベッドで寝かされている筈の患者が、消えていた。

 ずっと患者(カーマイン)に付き添っていた妖精(ティピ)も、カーマインと同じ顔をしたアステアという青年も――いない。

 シャマルは目を見開いた。

 

「――大変っ! はやてちゃん!!」

 

 急いで、シャマルははやて達――機動六課の司令部に通信を入れた。

 

[――え? カーマイン君達が居なくなった?]

 

「ごめんなさい、はやてちゃん。油断はしていないつもりだったんだけれど」

 

 申し訳なさそうな顔で頭を下げるシャマルに、はやては微苦笑を浮かばせた。

 

[多分、アステア君が犯人やろな。とりあえず、まだ基地内に居てると思うから、私の方でも探してみるわ]

 

「私も探すわ。急に動いたら体にどんな悪影響があるのか、分からないもの」

 

 逃げ出した患者の身を案じるシャマルに、はやては嬉しそうに笑った。

 

 

「駄目だよう! 勝手に抜け出しちゃぁ! シャマルさんや、はやてさん達に迷惑かけちゃうじゃない!!」

 

 眼を覚ましてから、一つ所に落ち着かず勝手に歩き回る相棒(カーマイン)に、ティピは苦言を呈した。

 

「――フン、その割には見た事の無い施設が気になるというソイツの後を率先して付いていなかったか?」

 

 いつものように常に誰かを馬鹿にしたような冷笑を口に浮かべて、アステアはティピに言う。いつもの白いコートを羽織り、首に巻いた濃紺色のマフラーに口を埋めるようにして、様子を覗き見て来る。

 

「そりゃ、興味というか好奇心には勝てないわよ! でも――流石にそろそろ検診の時間だし、シャマルさん慌ててると思うんだ……。助けてもらったのに、そんなの悪いよ」

 

「――だとよ。どうするんだ、カーマイン?」

 

 先を歩く自分と同じ顔をした青年――カーマインに問いかける。久し振りに会ったアステアの主は、相変わらず冷めた瞳で周りを念入りに見回しながら、歩いていた。黒のノースリーブシャツに同じ色の革ズボン、革靴に――紅いジャケットを袖に通すだけで、半脱ぎの状態を維持した服装。

 毎度のことで慣れたが、袖を通すなら着ろよと何度突っ込んだ事か――。

 その度に、ポリシーだの拘り等とヌカして来ては、一向に直す気が無い。よって説得を諦めた事をアステアは思い出した。

 

(相変わらず、自分が決めた事は絶対に誰の言う事も聞かない奴だ……)

 

 呆れ顔のアステアの前で、ようやくカーマインがティピに対し口を開いた。

 

「――強大な力を感じた」

 

「え?」

 

 カーマインは真っ直ぐ前を向きながら初めて通る道を何の迷いもなく歩いていく。まるで行き先が分かっているかのように。

 

「邪悪な気ではないが――」

 

 強大な力というのは総じて危険なモノである事が多い。確かめることは必要不可欠だと考えての行動だと、付き合いの長いティピには分かった。

 

「――しょうがないわね。シャマルさんやハヤテさん達に迷惑がかからない程度にするわよ!」

 

「ああ。分かってる」

 

 そんな二人のやりとりを見て、アステアは肩をすくめるのだった。

 3人がしばらく歩いていると、機動六課の隊舎近くの湾岸で、長い階段がある場所に出た。

 

 目の前には大海原。

 

 海上からわずかに浮かぶようにして、訓練場らしきビル群が広がっている。

 

「海の上に何か建物が浮かんでる? フェザーランドみたいなものかな?」

 

 ティピが眼の前の光景にポカンとするのも束の間、今度は眼を皿のように見開いて文字通り仰天していた。

 機動六課の者には見慣れた―、初めて見たティピには衝撃の光景。エースオブエース高町なのはが――人間が、有翼人(フェザリアン)でもないのに、空を飛んでいる。

 

「――な、何よこれ!?」

 

「興味深いな。コレが異世界の魔法か」

 

 動揺するティピに対し、カーマインは純粋に関心してその光景を見ている。そんな二人の後ろで、アステアの黄金の指輪に付けられた蒼い宝石(アルスィ・オーブ)が輝き始めた。

 

「?」

 

 カーマインが気配に気づき、振り返ると、アステアが口を開く。

 

「一見、島のように見えるこの訓練場は、力場を広範囲に発生させ、そこに物質が“在る”ように見せている幻影だ」

 

「アレが幻!? ウソでしょう!?」

 

「しかし――装置によって質量を与えられ、触る事や踏む事も可能な代物のようだな」

 

 アステアの説明に、ティピが開いた口が塞がらないと言った表情で、なのは達のいるフィールドを見る。

 

「――貴様が感じたのは、アレか?」

 

「ああ」

 

 アステアの言葉に頷きながら、カーマインは訓練をしている彼女達を静かに見つめた。

 

 

「……君は……!!」

 

 驚いて息を呑むなのはを見もせず、青年――カーマイン・フォルスマイヤーはアルフを見据える。その冷たく冴えわたる金と銀の瞳は壮麗で、見るもの全てを惹き付ける魅力があった。

 アルフは無表情のまま不揃いな瞳(オッドアイ)を見つめ返し、告げた。

 

「へぇ……。ようやくお目覚めかい?」

 

 青年(フェイト)が拾って来た、陸士107部隊を壊滅させた人物と“同じ顔”の青年。

 アルフは小首を傾げて皮肉気に嗤う。互いに刃を重ね合わせたまま、カーマインも、口許を不敵に歪めた。

 

「――御蔭さまでな」

 

 刀を弾き、アルフを後方へ下がらせるとカーマインは静かに言い放つ。

 

「アステア、二人を」

 

 それだけを告げると、カーマインは、なのはとヴィータの二人から距離を置くように移動し、アルフを正面から見据える。アルフもティアナやなのはのことなどもはや眼中になく、いきなり現れた青年を興味深そうに見やっていた。

 

「彼は――!」

 

 なのはが呆然としていると、隣に不機嫌そうな顔をした青年とこちらを気遣う妖精が現れた。

 

「大丈夫!? なのはさん!!」

 

「――フン」

 

「ティピちゃん? アステア君?」

 

 白いコートを着た青年は息を漏らすと同時、右手をなのはとヴィータに向ける。

 

「――ヒーリング!!」

 

「!!」

 

 奇麗な青い光がなのはとヴィータを包み込み、傷を癒した。

 瞬間、ふっと息を吐いたヴィータが、瞼を閉じて気を失う。

 なのはがそれを支えようとしたとき――

 

「なのは!!」

 

 令嬢(フェイト)が駆けて来た。後ろにティアナ、エリオ、キャロ、シグナムもいる。

 

「傷は治したが、体力までは戻らん。さっさと医務室に連れて行ってやるんだな」

 

 アステアは傷を治すや否やカーマインの方を見る。なのはたちのことは既に眼中にない。

 

 カーマインは静かに愛刀、レギンレイヴを左手に持ち、腰を落として斜に構えた。右肩を前に突きだした変則的な――幅広い動きに対応する構えだ。

 対するアルフは青眼。自らが鍛えた刀、“無名”を正面に据える。

 

「一つ聞いておく。アンタはアレンの知り合いか?」

 

 カーマインがふと尋ねた。黄金と蒼銀の瞳が真っ直ぐに向いている。アルフは一瞬、眉を上げた。

 ――アレン。

 数年前までアルフと同じ、銀河連邦の特務軍人だった青年の名だ。

 

「……なるほど。お前が、アイツがやたらと褒めてた“カーマイン”か……。こいつは面白い」

 

 アルフが新制連邦軍にいる間、アレンがエリクールで昔馴染みに会ったと通信をよこしてきたことがある。連邦軍最高峰にまで上り詰めた男が瞳を輝かせて戦いを語る様はひどく珍しいものだ。

 狂人は静かに喉を鳴らす。口許は笑みを刻んでいるが、紅瞳は一ミリも動かない。

 カーマインは不敵に笑った。

 

「アレンの同僚ってことは、加減はいらないよな?」

 

「好きに攻めて来な。管理局の支部を潰せるくらい強いんだろ? ゲヴェルってのは」

 

 睨みあうこと、数秒。

 瞬いた一瞬に、カーマインはアルフの前に現れた。

 

(速ぇっ……!!)

 

 上段から降る斬撃。その剣圧に、アルフは青眼に構えた刀を横たえる。鈍い金属音と火花が散り、カーマインの唐竹が止まった。振り下ろされる斬戟は鋭く、空間そのものを切り裂くような凄味と威力があった。

 間違いなく、――絶刀の域。

 “無名”でなければ、止めた瞬間に刀ごと斬られている。それほどの斬撃だ。刀も然ることながら、使い手も超一流。

 

(アレン……。いや、この自由な感じはフェイトに近いな)

 

 アルフは口端をつり上げた。

 カーマインは唐竹を止められるや、続けざまに袈裟がけ、逆袈裟、胴薙ぎを一息で放った。アルフは袈裟がけを刀で受け、逆袈裟を反身逸らして(かわ)すと無名を振り下ろした。同時。身を翻して放たれたカーマインの胴薙ぎとぶつかった。

 火花が散る。甲高い音と残光を残し、両者(ふたり)は距離を取った。

 アルフは目を細める。

 完全に背を向け、遅れて斬りつけて来たはずの胴薙ぎが、それより先に放たれたアルフの唐竹を相殺したのだ。

 

 ――見た所、剣速は互角。

 

 だが――

 

(人間よりも身体能力に優れているってのは、本当らしいな。身のこなしと、反応速度……この二つが常軌を逸してやがる)

 

 カーマインは攻撃の切り替えに、コンマ数秒を要しない。

 アルフは相手を観察するようにカーマインを見据えた。カーマインもまた、紅瞳を冷静に見返してくる。先ほどまで浮かべていた笑みは両者とも、ない。

 無表情に、感情を混ぜることなく放たれる両者の斬戟。

 それは、しんとしていて――まるで舞っているようだった。

 

 

 

「初見でカーマインの縮地法に反応し、あの斬戟についてくるとは。――成程、流石はアレン・ガードの同僚だ」

 

 アステアは両者の動きを見ながら嘲笑する。

 唐竹から始まった四合。

 たったこれだけの切り結びで、両者の実力を大体把握したためだ。

 剣速、技巧……アルフは決して質の悪い剣士ではない。

 だが、それだけだ。

 カーマインの相手をするには、いささか力不足な男だった。何故なら、ゲヴェルと言う種族は攻撃を視認出来れば、タイムラグなしに身体が動く。コンマ数秒の神経伝達を必要としないため、人間と戦えば必ず反応速度で競り勝てる。

 剣術が拮抗するなら尚のこと、アルフは一歩どころか、二歩も三歩も後れを取っている。

 その上、救世の光と呼ばれた男(カーマイン)は、ゲヴェル云々を差し引いても、今より遙か高みに真の実力があるのだから。

 アステアは悠然と腕を組んだ。先を見るまでもなく、結果が分かる。数メートル先で刃を交える両者が、地面に円弧を描きながら互いを睨み合う。

 アステアは鼻を鳴らした。

 

「その程度の動きでは、カーマインには勝てん」

 

「――違う」

 

 ティピはアステアを一瞥し、カーマインたちを見た。眉間にしわを刻みながら、どこか不安そうに。

 

「何?」

 

 アステアは眉を上げた。自分の肩に留まった妖精を怪訝そうに見やる。

 ティピは神妙な面持ちのまま、ぐっと手を握り締めた。良く分からないが、胸騒ぎがする。素人目には、同じ作業が続いているだけのようだ。

 アルフとの剣戟。刃を重ねるカーマインの表情はいつも通り冷静で、隙など一切ない。

 

(……そう、いつもは自由に戦ってるのに、なんだか今は……)

 

 堅実なカーマインの体裁きは、ティピにすれば稀有なものだった。

 

「カーマインは多分……、いま凄く慎重に戦ってる。まるで――シュワルゼやデュランと立ち合う時みたいに。……だから、あのアルフって人……!」

 

「……貴様の買いかぶりではないか? 確かに奴の剣は並ではない、が……あんな凌ぐだけの剣など、カーマインがその気になれば……」

 

 失笑したアステアは、嘲りの視線をアルフに向ける。ただし、笑っているのは口許だけで、彼の蒼銀と黄金の瞳は、冬の湖面のように鋭く冷えていた。

 

 

 

「……シャス……、どうして?」

 

 令嬢(フェイト)とティアナに支えられながら、なのはは眉根を寄せた。胸許に置いた手を握りしめる。

 哀しげに目を細めた彼女は、泣きそうな表情をしていた。目の前で、苛烈な剣の火花が散る。

 平時と同じ、今のアルフに存在感はない。まるで廃人のように朧気で、虚ろな表情だ。紅瞳は静、なのはやヴィータと戦った時に見せた、狂気の色はまだない。

 その事実が――何となく予感として、なのはを落ち着かせない。谷底の見えないつり橋を渡る時のような、一歩足を踏み外せばアルフを失いそうな不安が、せり上がってくる。

 心を締め付け、凍らせる怖さ。

 “危機感”が。

 

「なのは、今は医務室に……!」

 

「なのはさん!!」

 

 令嬢(フェイト)とティアナに言われても、なのははその場を動かなかった。

 

「ごめん、フェイトちゃん、ティアナ。どうしても見なくちゃいけないの……。シャスが、何を見ているのかを……!」

 

 頑なななのはに、フェイトは困ったように眉を曲げる。その隣ではシグナムがヴィータを抱き上げたまま、二人の剣士の戦いを見据えていた。

 

 

「…………」

 

 カーマインは静かに剣を一閃し、アルフとの間合いを一旦離した。

 アルフもカーマインと同じように刀を構え、見据えてくる。

 

「――やめだ」

 

 ふと、カーマインは言った。

 アルフが構えを崩さぬまま、問う。

 

「何だ、勝負を途中で投げるつもりか?」

 

「ああ」

 

 カーマインは頷いて、不敵な笑みを刻んだ。

 

「様子見は、これくらいでいいだろう?」

 

 カーマインの全身から白い煙が立ち込める。アルフは静かに、瞳を細めた。

 

「一気に決めさせてもらうぞ!!」

 

 途端、カーマインの気の質が変わった(・・・・)

 

 静かに、それでいて鋭く厳格な宣言の後、カーマインの瞳から光が消え、暗い闇に染め上げられる。圧倒的な鬼気を放つ蒼銀と黄金の瞳。食いしばった犬歯は鋭く、牙を思わせる程に伸び、彼の全身から立ち上る煙が――螺旋を描いて、天を衝き白銀の光を放つ炎へと変わった。

 

 ――ウオオオオオオオオオッ!!!!――

 

 カーマインの背に一瞬現れる、白銀の異形――ゲヴェル。全長五メートルはある巨大な化物は、白銀の炎と変わってカーマインの身に宿る。

 瞬間。

 

 ――ぉぉ……ッ、、!!

 

 空気が震えた。

 

「へぇ……ここまでとは。大したモンだ」

 

 言い知れぬ鬼気が、アルフの肌をぴりぴりと刺す。言いしれぬ緊張感。普通の神経の持ち主ならば、鬼の力を宿したカーマインと目が合っただけで戦意喪失している。

 

 ――圧倒的で、壮絶な鬼気。

 

 それが、人の姿を模した美しい“異形”の本性。

 他者を絶望に叩き落とす深淵の闇が、カーマインの金と銀の瞳(オッドアイ)を覆う。

 アルフは平然とした表情だ。むしろ――その圧倒的な鬼気を前に、紅瞳がゆらりと揺れる。口許には静かな、喜びの微笑みが浮かんでいた。

 

「――さあ、終わりにしようぜ。遊びはよ」

 

「なに言ってやがる。これからだろ? 楽しみは」

 

 低く恐ろしい声で放たれるカーマインの言葉に、アルフはそう返した。互いに口の端を吊りあがらせ、――笑う。

 空気が、場を支配する緊張が、息を詰める程に昂って行く。

 

「これが――107部隊を壊滅させた力……!!」

 

 フェイトは体が震えるのを感じた。なのはを抱き寄せる。

 カーマインから放たれる、余りの殺気。

 眼を合わせただけで殺されそうな程の圧倒的な鬼気――。

 

「――シャス……!」

 

 アルフが嬉しそうに笑んでいる。九年前、なんの魔法も持たず試験を受けた時と同じ――狂気にその瞳を染め上げて――

 

「こんな、これほどとは……!! 何と言うバケモノだ!!」

 

 シグナムが、思わず吐き捨てる程の力だ。人の身で敵うような相手ではない――。

 他者に恐怖や絶望を与えるには十分過ぎる――力。

 それが五メートル以上ある白銀の異形――『ゲヴェル』の力を宿したカーマインの力だった。

 

「……そうかな?」

 

「なのは?」

 

 震えるフェイトの手を握って、なのはは異形の青年(カーマイン)を見る。

 

「彼の身に纏っている光は、どんな絶望も、闇も、明るく照らし出せるように――私には見えるよ……!」

 

 なのはの言葉に、ティピが感動して彼女を振り向いた。

 

「……なのはさん……!!」

 

「……」

 

 アステアは静かになのはを観察する。

 

(――この女。ゲヴェルの気に惑わされず、見たと言うのか……? カーマインの本質を)

 

 彼はカーマインに視線を戻し、目を丸くした。

 

「フルパワーだと? 何を考えている、アイツは……!!」

 

 

 カーマインが全身に溢れさせる力を滾らせて、大地を蹴る。――縮地法と呼ばれる俊足術。眼前にいきなり現れ斬りつけて来るその斬戟も動きも、先程より洗練されており――正に野性と天性の融合と言える腕前だった。

 

(成程、初めて会った。コレが……天才ってヤツか)

 

 アルフも常人からみれば、優れた才気の持ち主――天才である。だからこそ、並大抵の才能で驚きはしない――。そんな彼をして、この異形の青年は言わしめる――“天才”だと。

 縮地法から放たれる斬戟。

 稲妻のように奔り、煌めく青い斬閃は、空間を網の目のように切り裂ていく。

 圧倒的な手数、アルフは受け切れないと悟った。

 だから――、

 彼は迷うことなく、前に出た。触れれば一瞬で膾斬りにされる斬戟の檻。そこに向かって、アルフは一歩前に進む。

 およそ常人には理解不能な――命知らずの行動。

 常軌を逸す判断――。

 

 

「ふん、諦めて楽に成りに来たか。――ま、人間にしては良くやった方だが」

 

 アステアの嘲笑に、ティピが首を横に振る。

 

「何かあるよ……。あの人……!」

 

「何だと?」

 

 ティアナたちが眼をそむける中、なのはだけは決して眼を逸らさない。アルフの見ているモノを見つけようと眼を見開く。

 

 

「確かに凄まじい斬戟と気、移動速度だが――」

 

 アルフは剣閃の一つに『朧』と呼ばれる抜刀術を放つ。放たれた斬戟はあっさりと剣閃に弾き返される。

 だが、

 その剣閃は僅かに横に逸れた。そこに入り込み、アルフは拳を握る。右腕に炎が宿った。

 

「――正直すぎるぜ、その斬戟」

 

 ゼロ距離でのバーストナックル。カーマインの剣の檻が、ついに消えた。

 しかし、

 カーマインの右手がしっかりとアルフの拳を掴み取っている。

 静かにアルフの眼を見て、カーマインは低く言った。

 

「こだわりなんだ。真向勝負は……!」

 

 掴まれた拳を引っ張られ、体勢を崩したアルフに放たれる左からの側頭蹴り。咄嗟に無名(カタナ)の柄で止めるも、衝撃を緩和し切れず後ろに吹き飛んだ。

 地面が近づいた所で、軽業師のように着地し、アルフが体勢を立て直そうとしたところでまたも、カーマインの斬戟が飛んでくる。

 

(アレンが認めるわけだ)

 

 明らかに危機的状況でありながら、アルフの瞳は揺るがない。

 先ほどのバーストナックルは、アルフをしても防がれると思わなかった。

 鋭い斬戟に加え、あんな半端な体勢から放った蹴りで、特務(スペシャル)の自分を吹き飛ばし、更に自分が体勢を立て直すより速く斬り込んで来るとは。

 油断などまるでしていない。カーマインには心に隙が無かった。加えて、天性の動きと野性の勘を備え、格闘センスと剣術は連邦軍の精鋭部隊、特務(スペシャル)の域――。

 正に奇跡としか言いようがない、理想的な剣士だ。

 

(試すつもりだったが、見てみたくなったよ)

 

「――お前の、底を」

 

 次の瞬間、真っ向からアルフはカーマインの剣を止めた。雷が落ちたような轟音がフィールドを走る。

 カーマインの瞳に、黄金の鳳凰が一瞬現れた。

 

 

「何だと、カーマインの一撃を止めた!?」

 

「それだけじゃないよ、アステア! あの人の全身から、黄金の炎が――」

 

 ティピの言葉にアステアは眼を見開いた。

 

「まさか――活人剣だと!?」

 

 元銀河連邦軍人――アレン・ガードの得意技。FD事変を乗り切ったアルフの同僚は、軍人を辞めてエリクールにいたころ、アステアたちの同胞――キールという男の誘いを受け、惑星グローランドでゲヴェル騎士団(グレナディーア)に“ガード流”と呼ばれるアルフも使う剣術を教えた。

 活人剣は、ゲヴェル騎士団(グレナディーア)が受け継いだ究極の活性術だ。

 己の身体能力と気を爆発的に上げ、傷すらも瞬時に治す技。

 カーマインがアルフを“アレンの同僚”と判断したのも、グレナディーアが教わった剣術と、アルフが使う剣術が同じだからであった。

 故に、

 

「だが――、奴はいつ活人剣を使った!?」

 

 同じくガード流活人剣を知るアステアの疑問は(もっと)もである。

 アレンやグレナディーアが活人剣を使うとき、彼らは必ず型を取る。左手で柄を握り、刀身を寝かせ、右手で剣先に触れる、それが正式な型だ。しかし、アルフにそんな型を取る暇は無く、また取った痕跡はない――。

 アルフは型を取らずとも活人剣が使える、非常に稀有な人物なのである。

 

 

「見せてもらうよ。お前の底を――」

 

 アルフの言葉に、カーマインはニヤリと笑った。

 

「よかろう!!」

 

 激しくぶつかり合う斬戟。アルフが選ぶのは【夢幻鏡面刹】。そしてカーマインが刀の鯉口を切る。

 

「――一気に行くぞ」

 

 口調は静かだが、圧倒的な青い斬戟が両者から同時に放たれ、宙に無数の火花を散らしながら、辺りの景色をズタズタに切り裂いていく。

 だが、打ち合いに徐々に差が出る。

 

 

「剣速は互角、技の性能、腕力、剣術レベルも全てが高次元でかみ合っている。――だが!!」

 

 アステアが、両者の立ちあいに吼える。

 

「ゲヴェルの反応速度は、人間を遥かに凌駕する!! この勝負、もらった!!」

 

 

 アステアの言う通り、カーマインの剣撃が徐々にアルフを押していく。とてつもない斬戟、徐々に力負けし、反応速度の差が明暗を分かつ。

 腕力が互角でも、衝撃(インパクト)瞬間(タイミング)を合わせられない剣は、半ば威力が死んでいる。

 アルフの攻撃を見ると同時に、カーマインは避けることが出来る。

 

 ズガアッ!!

 

 足を引きずりながら後方へ退がるアルフ。

 

「――シャス!!」

 

 機動六課の誰かが自分の名を呼んでいるが見向きもしない。否、聞こえていなかった。

 彼はにやりと笑い、言い捨てる。口許ににじむ血を指先でぬぐいながら。

 

「この強さ――。予想以上だ」

 

「……ソイツはどうも」

 

 低い声で返し、カーマインが静かに構え直そうとした時、その首筋の左側に紅い線が奔っていた。つ、と血が首筋を伝って流れ出る。

 

「…………」

 

 カーマインは首を伝う血の方を眼で見やると、アルフを見つめ直した。アルフは静かに微笑っている。口の端を歪めて、その瞳に狂気を浮かべて。

 

「やってくれたな……!!」

 

 その笑みを受け、異形の笑みを浮かべるカーマイン。

 

「強くないと、潰しがいもないんでね……」

 

 瞳に鬼気を、狂気を――両者、口許に笑みを浮かべて、向かい合う。と同時、カーマインが斬りかかった。足を止めて中央でぶつかり合う両者の凄まじい連撃。

 

 

「駄目だよ! 読まれてる!!」

 

 ティピが悲鳴を上げる。カーマインの首筋から血が流れて行く。手数では、カーマインが圧倒的に押している。その凄まじい連撃はアルフをしても打ち勝つことは不可能だ。だが、アルフの狙いは、打ち合いの中でのカウンター。

 

「カーマインの凄まじい連撃の内の一つを選んで、カウンターで首筋の頸動脈を狙って切り返している、だと……!?」

 

 全ての(ポテンシャル)において、アルフはカーマインと互角ないしは下だ。

 まともに斬り合えば確実に殺される。

 故に彼は、無駄に動かない。

 獲物を待つ獣の如く、狙うは――ただ一撃。

 

 アステアはここに至ってようやく、カーマインが慎重になっていた理由に思い当たった。

 

「まさか……、あのアルフと言う男……! カーマインを殺すためだけに、敢えて全力のカーマインの連撃を受けたのか!? カーマインの反応速度、剣速を体で覚えるためだけに……!!」

 

 そして、同時に気付く。カーマインの行動のおかしさに。

 

「何故――? 読まれると分かっていて――何故敢えて打った、全力の攻撃を!!」

 

 カーマインの行動に怒りを覚えながら、アルフの剣に憤りを感じながら、アステアは二人の闘いを見据える。

 

 

 アルフは静かに笑う。ゲヴェルの反応速度は異常だ。攻撃を確実に動脈に届かせている筈なのに、紙一重の所で反応される。

 この斬戟で急所を狙う一撃を放つのは、まさに二メートル先から針に糸を通すかのような緻密な作業――。

 

 連撃における手数では、まず勝ち目がない。

 

 だから防ぎながらのカウンターを、連撃を返しながら拍を変化させ、入れる。この神業を前に恐怖を覚え、殺された者は一桁や二桁では無い。手元が狂い、一気に巻き返される人間をアルフは何度も見てきた。敵が強ければ強いほど、高次元の斬戟に身をさらしながら確実に急所を狙う、この――狂人に。

 だが――カーマインもまた、笑みを浮かべている。

 とても純粋に――楽しそうに、アルフの放つ鮮明な死の香りを楽しんでいる。否、純粋にアルフとの――“勝負”を。

 死から逃げず、死から眼をそむけず、生きることを決して諦めない。その純粋な生命力の強さに、そんな男に――アルフ・アトロシャスは初めて会った。この男は自分の狂気にさらされながらも、決して逃げず、駆け引きに真っ向から挑んでくる。

 

(……ああ)

 

 初めてだった。

 狂人は嗤う。ようやく自分と同じ、狂った男に出合った。死と抱き合いながら冷静に剣を振れる――そんな男に。

 

 両者とも、死を恐れない。

 

 勇気と無謀。生と死は表裏一体。相反する存在でありながら、根本は同じ物。

 その勇気と無謀を決定的に隔てる――“覚悟”を、アルフは先天的に持っている。だから必要以上に生に縋らず、死を拒まない。

 狂気に見える行動は、すべて正気。精密で狡猾な計算の下、相手を陥れるための結果に過ぎない。

 アルフは選ぶ。無為の生より鮮烈な死を、鮮烈な生のためには無為の死を。自分の才能と気運を試すように、死闘の“鮮やかさ”だけを彼は求め続ける。

 そんな戦いに、アルフの求める“鮮やかな”死闘に、真っ向から答えてくれる――この男は理想だった。

 だが、

 すべてのものには終わりがある。

 完全に同等(・・)など、この世に存在しない。アルフは知っていた。どちらかが必ず――どこかで逃げる。死と向き合う恐怖から、奈落の闇から抜けだそうと意識を手放す。もう楽になろうと。

 

(それは俺か、お前か――)

 

 狂人は嗤う。異形と彼は互いを認め合い、剣を交えながら――互いの剣の底を見ようと純粋に――笑みを浮かべて戦い続ける。

 誰もその場を動けない。命を危険に晒しながら、尚笑う二人の世界は壮絶で醜く、自己満足に満ちていて――圧倒的だった。

 

 

「これが――“勝負”……?」

 

 ティアナが二人の闘いを見ながら、先にアルフが言っていた言葉を思い出す。

 

「どうして――どうして、ここまで……!!」

 

 令嬢(フェイト)が二人を止めようと――駆け寄ろうとするのを、なのはが止めた。

 

「なのは? どうして!?」

 

 なのはは強い瞳で、アルフとカーマインを見据える。

 

「多分――これがシャスが私たちに見せたかったモノだから。だから……、見届ける」

 

「しかし、このままでは――二人とも!!」

 

 シグナムが眉間にしわを寄せて、二人の闘いを見ている。

 誰が、どう見ても殺し合っているようにしか見えない――二人を。

 

「フン、貴様ら如きに止められるモノか。リミットを外せばともかく、今の貴様らではな」

 

 アステアがそんな機動六課の3人を嘲るように――視線はカーマインたちに固定したまま、言い放つ。

 

「……アステア?」

 

 シグナムは訝しげにアステアを見た。それくらい、苛立った声だったのだ。

 彼の瞳は、シグナムが予想していたよりも遥かに凄まじい、殺気と怒気に彩られていた。

 

「――あのクソガキ……! いい度胸だ……!!」

 

 その殺気が向けられる先は――カーマインに殺意の兇刃を振るい続ける、アルフ・アトロシャス。

 

「カーマインが、本気だ! あのカーマインが、シュワルゼとデュランにしか本気の訓練をしないアイツが――。人を助ける為にしか本気で剣を振るわないアイツが、あんなに楽しそうに剣を振るうなんて」

 

 ティピが素直に――驚きの表情でカーマインを、そして彼を本気にさせたアルフと言う青年を見据える。

 

 

「――いいね。……カーマイン・フォルスマイヤー!!」

 

「アルフ・アトロシャス……! 貴様もな!!」

 

 互いにそんな言葉を告げた後、吼えあう。

 

「――破ああああ!!」

 

「ウオオオオオオ!!」

 

 本能のままに――剣を交え合う。

 

(――この野郎、剣速が上がってやがる……!)

 

 戦いの中で、アルフの予測を上回ろうとするかの如く、カーマインの動きが速く、鋭く、剣速が上がって行く。カウンターに剣撃が重くなっていく。

 

 熱く燃えたぎる勝負の熱――その中で、ついに――終わりの瞬間が来た。連撃の最中、熱く燃えるようなアルフの咆哮。

 

 しかし、それは罠。

 真っ向勝負に乗ったように見せかけた、冷静な罠。静かにアルフの無名(カタナ)は一撃必殺の体勢に――抜刀術の構えに入っていた。

 カーマインはそれに気付かず、前に出る。その時、既に彼の命運は尽きていた。狙うは――左の首筋。

 ――アルフの一撃にして必殺の奥義。速くもなく、遅くもないただの斬戟。されど、その剣に気付く者は無く、気付かれぬが故に受けられることも無い。

 

 その剣の名は――“無音の剣”。

 

 刃がカーマインの首筋に触れる。そのまま振り切られようとしている。振り切られれば――例え異形の力を放つカーマインといえど、即死。

 首筋に刀が触れた感触が柄を通してアルフに伝わる――。

 

(――何だ?)

 

 その時、アルフの瞳に映ったモノは――白銀の化物だった。それを見ると同時――アルフは左の脇腹に凄まじい衝撃を感じ、次の瞬間には天高く舞い上がっていた。

 

「――ガハァッ!」

 

 天頂で血の混じった息を吐きながら、今一度カーマインを見る。そこには、異形の気を全身に漲らせ、瞳から鬼気を溢れさせる人の形をした“異形”が立っていた。

 ――それを確認した後、アルフは地面に激突した。

 

 アルフの無音の剣を破ったのは――カーマインの強打撃――必殺の“左切り上げ”だった。

 両手持ちの姿勢から斜め左上へ斬り上げ、左手一本に変えて振り切る。剣速、威力、――その全てがカーマインのもつ剣技の中で最強の一撃。

 

 カーマインの意志と力を受け、レギンレイヴが黄金の刃と化し、アルフに炸裂していた。

 

 

 

「へぇ……。これが“不殺の斬戟”か」

 

 指一本動かせない状態で仰向けに倒れたアルフは、ぽつりと呟いた。

 

「妙な気分だな。体が思い通りに動かないってのは……。けど、頭だけはスッキリしてやがる」

 

 アルフが持つ“無名”のような普通の刀であれば、先の一撃でアルフの身体は左脇腹から右肩を境に両断されていた。

 だが、実際は胸に刀傷すらなく、痛みの代わりに強烈な脱力感がアルフの自由を奪っている。

 アルフは視線を足元にやった。そこに、四つん這いになって肩で息をしているカーマインが居る。異形の気は既に、消えていた。

 

「何だ、お前……。せっかく俺に勝っといてその様は無いだろ?」

 

「はあ、はあ、……いや」

 

 カーマインは全身に掻いた冷汗を見ると、言った。

 

「今のは――偶然だ。体が勝手に反応しただけだ。ヤバイと感じた時には、もう遅かった……!!」

 

 珍しく動揺した彼は、ゆっくりと呼吸を整えた。

 アルフは空を見上げる。高く澄んだ――青空だった。

 

「……ま、久し振りにスッキリしたよ。(もっと)も、お前とは二度とやらないがな。自分の命が危険じゃねえと分かっちまったら、面白味がなくなった」

 

 カーマインはスッと立ち上がり、アルフに手をかざした。

 

「――ヒーリング!!」

 

 青光がアルフの全身を包む。それが消えると同時に、むくりとアルフが起き上がった。

 

「結構楽しかったぜ。カーマイン」

 

「――それは何より」

 

 カーマインは苦笑気味に返した。

 

 

 

「シャス……。よかった」

 

 なのははソレだけ言うと、いきなりフェイトとティアナの腕の中で気絶した。

 

「なのはさん!!」

 

「なのは、しっかり!!」

 

 隣では緊張が解けたのか、シグナムが、気を失ったヴィータを抱いて膝をついた姿勢のまま、息を吐いていた。

 

 

 

 アルフはそんな機動六課の面々をあきれ顔で見やると、カーマインが道を開けた。アルフは溜息混じりになのはの許に歩み寄った。

 令嬢(フェイト)がなのはを抱きながら、アルフを睨み上げる。

 

「……シャス……!」

 

 アルフは構わず、なのはとヴィータに視線を向けた。茫洋とした紅い瞳。倒れ伏したなのはとシグナムに抱えられたヴィータは、それでも互いが離れないよう、いつの間にかしっかりと手を重ね合っている。

 

(やれやれ)

 

 思わず、つぶやきそうになった。

 この友情こそが、“いざ”と言う時の判断を鈍らせる――もっとも危険な雑念(・・)だと言うのに。

 

 ――どうして、分かってくれないの?

 

 戦う前に言ったなのはを思い出して、アルフは頭を掻いた。

 

「どっちが分かってないんだか……」

 

 アルフにとって戦いは孤独だ。戦場は他者との食い合いであり、そこに情など無い。

 だから彼は、半ば呆れながら肩をすくめた。

 

「少しは見えました? 戦いの本質ってやつが」

 

 気を取り直して、令嬢(フェイト)に訊いてみる。

 彼にとって守る、守らないは、全て結果だ。生と死の奪い合いの果てある、結末に過ぎない。

 だから、なのはたちの持つ“護りたい”という意志をある程度は評価しても、護ることだけを戦いの拠所にした考え方には賛同しかねるのである。

 それでは、“死”と言う圧倒的理不尽からは逃れられない。

 民間人だけでなく、仲間をも守りたいと強く願うなのは達は、アルフに言わせれば、互いの実力をまったく信じていない。信用しているが、信頼していないのである。

 だから、咄嗟に仲間を捨てられない。仲間の精神力、生命力に賭けられない。戦いにおいて、勝利よりも先に味方を援護する。その行動理念により失われる好機は、決して少なくないだろう。と、アルフは考える。

 だから――、

 機動六課の中で、少しは見込みのありそうな女性――フェイト・T・ハラオウンに向けて、彼はこの質問を投げかけた。

 この戦いの中で、彼女達が何を見出したのかを。

 

 

 令嬢(フェイト)は、ギュっとなのはを抱きしめて、アルフを睨んだ。

 だがフェイトが何か言う前に、エリオが駆け寄ってきた。

 

「アルフさん。どうして、わざわざあんな事を?」

 

「あ?」

 

 思いもよらない人物に声をかけられ、アルフは首を傾げた。腰の辺りにいる、エリオの顔を見下す。

 無垢な少年は、真剣な眼差しをアルフに向けて、再び尋ねた。

 

「どうして――自分を悪役にしてまで、なのはさんを叩きのめしたんですか? なのはさんのことを何とも思っていないんなら、そんなことしないでしょ。貴方は(・・・)

 

 アルフはきょとんと瞬く。

 そして――、

 苦笑した彼は、肩をすくめた。

 

「さぁ? お前の思い違いだろ」

 

 そう言って、アルフは踵を返す。

 

「エリオ……!」

 

 令嬢(フェイト)は弾かれたように顔を上げ、エリオとアルフを見比べた。

 エリオは嬉しそうにクスクスと笑っている。彼は声を弾ませて、背の高くなった“少年”を見上げた。

 ――雪降る季節に出合った、銀髪紅瞳の“少年”を。

 

「そう言うトコ、変わってないんだね……シャス。さっきの、自分にとって大切な人だから――死んでほしくないから、ああいうことしたんでしょ? だって、どうでもいいって思ってるんだったら、シャスは模擬戦なんかやらないから。今までみたいに」

 

 アルフは困ったように眉をひそめると、無造作に頭を掻いて――ぽん、とエリオの頭を叩いた。

 背を向けた彼は、ふり返らない。

 その背を見て、エリオはまた笑った。

 

「都合が悪くなると、すぐこれだ。でも――やっぱりシャスなんだ」

 

 確信したエリオのつぶやきに、令嬢(フェイト)は怒りの冷めた――いつもの穏やかな視線をアルフに向けた。

 

「そう、だったんだ……。実戦で死んでほしくないから、だからシャスは――」

 

 そこで言葉を切ったフェイトは、穏やかに微笑んだ。

 

「全部、演技だったんだね」

 

 彼女の声まで和らぐ。

 アルフは顔を歪め、額を叩いた。

 

(ダメだ。……全滅かよ)

 

 まるで水と油だ。

 だが、予想していてだけに驚かなかった。それに分かってもらえないのは、いつも(・・・)のことだ。幾度か死闘を交えた同僚でさえ、アルフのことはある程度しか理解していない。

 さらわれた青年(フェイト)に至っては、全然だった。

 アルフは内心で諸手(もろて)を挙げると、その場にしゃがみこんだ。

 

「それじゃ運びますんで」

 

「じゃあ、私も付いて行くね」

 

 断らせないよう、フェイトは颯爽とアルフの隣に立つ。アルフは溜息を返して、なのはを横抱きにした。

 傷を癒したとはいえ徹底的に痛めつけたので、彼女やヴィータが目を覚ますのは、もうしばらく先だ。

 なのはは十九歳の少女に相応しく、あどけない寝顔だった。落ち着いた雰囲気が消えたこともあり、すやすやと立てる寝息まで幼く感じる。彼女は片手で抱えられるほど軽い。無論、これはアルフ・アトロシャス基準の腕力であるが。

 

(……なんだかね……)

 

 胸中で(つぶや)きながら、アルフはなのはを連れて、医務室へと向かった。

 その背を、静かにアステアが睨み据えているとも知らずに。



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おまけ グローランサーキャラ紹介

カーマイン・フォルスマイヤー

 

 所属;ローランディア

 階級;民間人(騎士の位を返上)

 年齢;十八歳

 身長;172cm

 人種;ゲヴェル

 武器;刀〈レギンレイヴ〉

 

 ローランディア宮廷魔術師サンドラの息子。母との血のつながりは無いが、フォルスマイヤー家の姉妹とともに実子同然に育った。姉もカーマイン同様、サンドラの実子では無い。

 救世の騎士とも呼ばれ、時の支配者ヴェンツェルを倒した青年である。その実力は剣術、体術、魔法に至るまで並ぶもの無し、と賞される。

 実は人間ではなく、『ゲヴェル』という白銀の異形に作り出された魔導生命体。

 公平に物事を見ようとする目と、理不尽な行いを決して許さない心を持ち合わせる。一見、無口で無愛想だが、打ち解けた仲間の為にはどんな苦労も惜しまない。その為、仲間からは全幅の信頼を寄せられている。

 

 基本的には、幼少期に教わった格闘術と剣術を独自に併せたスタイルによる近接戦闘が得意。

 魔法に在っては、魔力が高く、術者として戦う事も十分可能だが、本人は魔法を覚えるのが苦手。その為、剣術と魔力に秀でた自身の才能を活かす『魔法剣』を得意とする。

 この『魔法剣』とは、剣線に魔法を付加させて威力を倍加させ、直線状にいる敵に向けて放つ魔力砲のような技である。主にカーマインの遠距離戦技として重宝されている。

 

 また、自身の体内にあるゲヴェル因子を活性化させることで真の力を使えるようになる。ただし、この『因子解放』を行うと異形としての本性が現れるため、口調が悪く、性格も普段より凶暴になってしまう。

 

 ちなみにカーマインの意志を反映する刃――レギンレイヴは、カーマインが切ろうと思ったモノだけを斬る。その為、『奇跡の刃』、『不殺の斬戟』とよばれる一閃を放つ事が可能である。

 真っ向勝負を信条としている。

 

〈経歴〉

 赤ん坊の頃、ローランディア宮廷魔術師長によって、相反する二つの予言を受けた。

 その予言の内容は、「将来、この赤ん坊は『世を救う光』、『世を滅ぼす闇』になる」と言う、なんとも世界の命運を左右するような内容であった。これらの結果は日によって変わり、当時の宮廷魔導師達は混乱した。

 そこでカーマインの義母たるサンドラが、赤ん坊であったカーマインを引き取り、『世を救う光』となるために、彼を育てる事を決意する。

 サンドラによって十七歳まで王都から出されず育てられたカーマインは、あらためて旅に出て多くの人と出会い、人間的にも成長した。旅の途中で勃発した戦争の中で、青年は思う。理不尽だと。

 いきなり、家族や恋人を奪われる事で嘆く人々。いきり立つ兵士の声。その怒りと悲しみの矛先を知り、彼は自分の中での戦争という理不尽を見出す。

 だから、彼は救世の騎士と呼ばれる今日も旅を続ける。自分の中のルールを貫くために。 

 

 

 

アステア・クロスロード

 

 所属;ローランディア

 階級;ローランディア王国近衛騎士団〈グレナディーア〉の団長

 年齢;不詳(見た目は一七から二十歳)

 身長;172cm

 人種;ゲヴェル

 武器;魔方剣オートクレール、アルスィオーブ

 

 ローランディアと言う国の近衛騎士団団長を務める騎士。その顔は、救世の騎士と同じであり――髪の長さや色、瞳の色まで同じ。

 周囲からの評価は『とっつきにくく、口を開けば嘲笑と共に毒舌を吐いてくる』とされている。

 極度の人間不信であり、悪意を初対面の相手に必ず向ける。これで、相手がどのように応じるかで、その後の対応を考えて行く少々捻くれた青年である。

 

 実際は、他者の隠し事をズバリと見抜く洞察力を持ち、いかな状況に身を置かれても私情をはさまない怜悧冷徹な思考が出来る人物である。

 例えば自分やその近しい者の命が危機に陥ったとしても、彼は冷めた視点から状況を把握し、決して妥協せずに最善策をアルスィオーブでたたき出し、窮地を脱す。

 その狡猾さを悟らせない為に、周囲を油断させたり、不必要な人間との接触を避けるために敢えて憎まれ口や思慮の浅いようなセリフを吐いて見せ、短気や神経質であるように振舞っている。

 彼の振る舞いの成果もあってか、周囲は、救世の騎士やその右腕の苛烈な剣の強さに目を奪われがちだが、彼の指揮能力や剣術も決して侮れず、特にその魔力は先天性魔力持ち(グローシアン)の力と相まって、強力無比とされる。

 ただし、デュアルソウルストライクと言う最強の魔法剣だけは打てない為、一撃の破壊力で言えば先の二人には劣る、ともされている。  

 

 戦い方は三通りあり、全て刀を使用する。

 まず、ドッペルゲンガーと呼ばれる相手の技を真似、鏡に写したように同じ動きをする技術。これは知識の石――アルスィオーブにて、相手の剣術を模倣して放っている。一刀流であることが前提であり、相手の下手な剣術の癖を自分につけない為、その場しか使わないという限定技。

 

 二つ目が、魔方剣と呼ばれる魔力から作り出された刀を使う戦闘術。これはアステア自身が持つ刀、オートクレールをアルスィオーブで完璧に模倣、魔力により復元して無数に生み出し、相手に向けて放ち爆発させたり、自分で握って戦ったりする――。この際、使われる技術は二刀流の為――アステア自身の戦い方となる(ティアナのクロスミラージュのように『いくつも作れる刀』と考えると分かりやすい。また、作った刀に爆発などのエフェクトを加える事も可能である)。

 

 最後が、オリジナルのオートクレールの柄頭に、魔法剣の刃を備え付ける――いわゆる『双身刀』を使っての戦い方。アステアは基本的にドッペルゲンガーを使う為、一刀流での剣術は学ばないのだが――かつて、カーマインとその姉によって救われた敵国側の偽王より、この特殊両手剣での剣術を教わり完璧にマスターしている。 

 

〈経歴〉

 グローシアン狩りという事件を率先して行い、指揮していた過去を持ち、一国のグローシアンという人種を皆殺しにした。

(このグローシアンとは、「日食や月食の日に生まれた子供」のことを指す。グローランサーの世界では、日食や月食の日に生まれた子どもは、魔力が高いと言う法則があり、ゲヴェルとは対極的な人種と位置付けられている)

 

 かつて人間を抹殺するために白銀の異形ゲヴェルより作り出された仮面の兵士。人間の姿を模しているが、体の組織の80パーセント以上がゲヴェルの細胞で作られている。

 人間の情報をゲヴェルが得るためにローランディアの貴族の家に送られたのだが、物心つくと同時、家が盗賊に襲撃され、以降は自分の養い親を殺した盗賊と行動を共にして食いつないできた。

 しかし、その盗賊達が一人の傭兵に皆殺しにされた時、傭兵に生きることを教えられ、人の本質が悪であることを教授される。

 

 自分の利益のために平気で他人を利用する『人間の欲』に嫌気がさし、人間を抹殺させんとするゲヴェルの精神感応を喜んで享受した。

 自ら人間と関わり、人間として生きたが故に人間を殺すことを選んだ仮面騎士である。

 そんな折に、カーマインと出合い、更に神に仕えることで他者を信じる神官達と知り合い、人間を見直すようになる。

 そんなアステアの姿はいつしか、人々に『救世の左腕』と呼ばれるようになっていった。

 

 

 

ティピ

 

 所属;ローランディア

 年齢;半年くらい

 身長;16.4センチ(グローランド時)、33センチ(ミッドチルダ時)

 人種;妖精型ホムンクルス

 特技;ティピちゃんキック(クロス、トリプル、乱舞等)

 

 カーマインが外の世界へと旅立つ際にお目付役として、カーマインの義母サンドラが作り出した魔導生命体。

 見た目に反して鋭い突っ込みと毒舌を披露する明朗快活な少女。

 必殺『ティピちゃんキック』は、相手が誰だろうが問答無用で昏倒させる威力を持ち、絶世の美貌を持つ事で有名なゲヴェルの顔面を崩壊させるほどである(原作;グローランサー準拠)。  

 

 本当は思いやりがあり、優しい性格の持ち主なのだが――素直になれず、短気でワガママという表面が強調されがち。

 救世の騎士と呼ばれるカーマインと常に行動を共にしており、唯一彼が自分の苦しみや悲しみ、悩み等を直接打ち明けられる相手でもある。カーマインの感じる戦争の理不尽や命の大切さを感じ、共に闘いぬく事を誓っている。

 好きな事は食べること、カーマインのスカした顔を蹴ること

 嫌いな事は暇な事、である。

 

〈経歴〉

 救世の騎士と呼ばれる青年が、そこに至るまで、彼を心身共に支えてきた存在。人々の為に剣をふるい続けた彼が、守ってきた人々に傷つけられた時、彼女は自分の意志ではなく、カーマインの想いを優先し、彼が全力で最後の戦いに臨めるよう、心の迷いを取り払うように献身的に尽くした。

 現在は、一命を取り留めたカーマインと共に、元の世界に帰る方法を模索中である。




リィン
「リィンと」

はやて
「はやてが」

リィン&はやて
「「行く♪」」



はやて
「と言う訳で、今回から始まりました。司会は私、八神はやてと」

リィン
「リィンフォースⅡですぅ♪」

はやて
「ようやく……ようやく私らの出番が来たな、リィン!」

リィン
「はやてちゃん、その前にまず、皆さんにご挨拶とお詫びをしないと……」

はやて
「ん? 何で?」

リィン
「まず挨拶から。これからどうぞ、よろしくお願いしますっ♪ お詫びの方は――ごめんなさい。話の更新じゃなくて、キャラ紹介なんです」

はやて
「――まあ、長い目で見たって欲しい……かな? それにしても、これではっきり分かるね」

リィン
「何がですか?」

はやて
「決まってるやんかぁ~! SO3とGL、どっちの人気が上かの勝負やなぁ~♪ フェイト君のはっちゃけぶりか、カーマイン君の二枚目ぶりか……! 手に汗握る勝負や!!」


フェイト
「どうも、はっちゃけぶりと二枚目ぶりを発揮するフェイト・ラインゴッドです」

カーマイン
「え、っと……ここ、どこだ??」


リィン
「は、はやてちゃん! ゲストが来てますよ!?」

はやて
「流石やな! 呼ぶ前から現れるなんて――むむっ!!」


フェイト
「呼ばれて出て来てじゃじゃじゃじゃーん♪ って、おいおい! 僕の出番はところであるのかよ、本編? 冗談じゃないぞこのやろ! このシリーズのタイトルは何なんだよっ!? 僕もスバルも、黒い狭い箱の中に詰められたんだぞぉおおおお!!!!」

はやて
「黒い狭い箱の中で、助けを呼ぶっ! やな!」

フェイト
「ちょ、ちょ……ちょっと待てよ!? その『世界の中心で愛を叫ぶ』をうまくパロったようなドヤ顔やめろぉっ! 大して巧くないからねっ!?」

リィン
「と言う訳で! 第一回目のゲスト!
 SO3主人公、フェイト・ラインゴッドさんと、GL主人公、カーマイン・フォルスマイヤーさんです♪」


フェイト
「どうも。皆の主人公、フェイトです」

カーマイン
「え? ……俺もしゃべるのか? えと、――カーマインだ」

はやて
「あかんっ! あかんでぇ~! カーマイン君、もっと自分を主張せな! “じゃくにくきょうしょく”の座談会では生き残れへんでぇ~!」

フェイト
「セリフしかないからね☆」

カーマイン
「って言われても……、自分から話すのは苦手なんだ……」

フェイト
「!? お、お前……! 仮にもRPGの主人公だろう!? 自分から行動起こさずに主人公名乗れるのかよっ!!?」

カーマイン
「まあ……ぶっちゃけ、重要な選択肢以外は、喋らないからな」

フェイト
「甘いっ! 街の道行く人を呼びとめるのは、間違いなく君の役目の筈だーーー!!」

カーマイン
「隊列変換すりゃそんな事もない」

フェイト
「……え!?」

カーマイン
「そう言えば、SOシリーズはそんなの無いな」

フェイト
「パーティの行動は、すべて僕が決めるからねっ☆ ――だがな、カーマイン。侮っちゃいけない……。我らがトライヤ神は、主人公をまったく育てなくても物語が進むように、悪魔の……悪魔の罠を仕掛けているんだぁああああーーー!!」

はやて
「要するに、フェイト君要らん子扱いされてんの?」

フェイト
「Noooooooo!!!!」

リィン
「はやてちゃん。思ってても口にしちゃいけないこと、ありますよ?」

フェイト
「え!? 何その、リィンちゃんも“思った”みたいな発言っ!!?」

はやて
「ごめん、フェイト君。そんな真剣に受け止めるとは思わんかったん。もっとこう余裕のある返答を期待しててんけどなぁ……」

フェイト
「だからトライヤ神を舐めちゃだめってばぁあああ!? 奴等は、奴等は僕を育てないシナリオを作る為に、『ルシファー(ラスボス)Lv1撃破』とか言う訳のわからんバトルコレクションを収集させようとする、そんな輩なんだぞぉぉおおおあああああ!!!!」

リィン
「だから『主人公は僕だー』って主張してるんですか?」

フェイト
「いや! 主人公は僕だからさ☆ 事実を述べてるだけだよ、事実を」

カーマイン
「リィン、はやてさん。このジュース貰っても?」

はやて
「まったく喋ってないのに喉渇くん?」

カーマイン
「渇いたんだ。はい、フェイト」

フェイト
「オーソドックスにオレンジジュースか……。よかろう!!」

リィン
「どちらかと言うと、フェイトさんが叫び過ぎて喉が渇いたと思ったので、ジュースを貰った――と言う事でしょうか?」

はやて
「わからん……。カーマイン君、まったく表情変わらんからなぁ……」

 カーマインはやおらオレンジジュースを飲み始めた。
 
はやて
「って、普通に飲んでるー!? 気配り出来る子と思わせといて、実はただの天然さんと言う二段構えーー!!!?」

カーマイン
「喉渇いたって言ったろ?」

フェイト
「くっ……! な、なんだと……!? たった、たったこんなオレンジジュースちょっと飲んだだけで、僕の入り込めるスペースが無いほどに、座談会の主導権を握るだと……っ!? こ、これが――これがグローランサーの力なのか……!!」

カーマイン
「いや、セリフだけだから。フェイトの方が取ってるって、主導権」

 カーマインはオレンジジュースを飲みながら言った。
 フェイトは頬に伝う汗をぬぐう。

フェイト
「な、なんなんだ……! この言い知れない威圧感は……!? や、やめろ……! 主人公は僕だ!! 僕なんだぞ!!? やめろ、ショッカー!!!!」

はやて
「そ、そろそろフェイト君が暴走し始めたんで、この辺で打ち切りたいと思いますっ!」

リィン
「フェイトさん、落ち着いてくださーい!」


カーマイン
「て言うか、特に質問も何もなく終わったな」

フェイト
「あ、じゃあ質問コーナー行きます?(素)」

はやて
「あ、あれ!?」

リィン
「え、えっと……フェイトさん?」

フェイト
「それじゃ、僕からズバッと質問しようじゃないか」

 フェイトはリィンとはやてには構わず、居住まいを正した。

フェイト
「――カーマイン。僕から質問してもいいかな?」

カーマイン
「答えられる範囲なら」

フェイト
「It's a simple!! ズバリ聞こう!! …………どうしたら、どうしたらそんなにモテるんですかっ!? 僕はラスボス倒して、ソフィアに告白したってまったく相手にされないのに、仲間達から誰一人として僕を慕うような声は無いのにっ、何故……何故君はそんなにもっ! 信頼されちゃったり、好かれちゃったり、愛されちゃったりしてるんだぁあああああああああ!!」

カーマイン
「さあ? って言うか、それ。ただの偏見じゃないか? 別に普通だぞ、俺」

フェイト
「殴りてぇ……! その小奇麗な面、思いっきり殴りてぇ……!!」

カーマイン
「じゃあ、こんなところでいいか?」

フェイト
「ワンモアだ……」

カーマイン
「何だよ?」

フェイト
「結局、誰が本命なんだい? 選り取り見取りじゃないか。自分を慕ってくれてる可愛らしい妹(義理)や、明るく親しげに喋ってくれるおさげのメガネっ娘。年上の優しさと清楚さ、可憐さ、そして情熱を兼ね備えた女性、……そして、女性でありながら圧倒的な強さを誇る、けれど君の前だけでは可愛らしい女性を演じようとする凛々しい女騎士。――さあ! どれが本命なんだっ! 僕の前でゲロってみろっ!!」

カーマイン
「なんでアイツ等が出て来るのか知らないが……、本命? 聞きたいのか?」

フェイト
「ズバッと言ってくれ!」

カーマイン
「口が悪くてやかましい――ちょっと蹴りの強い妖精だ」

フェイト
「敢えてそこっっっっ!?」

カーマイン
「なんてな」

フェイト
「おい、ちょっと待てよ。いいじゃないか、教えろよっ!!」

カーマイン
「じゃあ、はやてさん。リィン。俺は先に帰るよ」

フェイト
「あ! 待てよぉぉおおお!!」

 去って行くカーマインを、フェイトが追って行った。

はやて
「フェードアウトしてったなぁ……」

リィン
「て言うか、はやてちゃん。『リィンとはやてが行く』なのに、フェイトさんに質問コーナー取られちゃいました……」

はやて
「次こそ……次こそ、リィンとはやてが行くを完成させてみせるんや……!!」

リィン
「はい! はやてちゃんっ!!」

はやて
「と言う訳で、今回は不本意ながらこれでおしまいや。また今度、見てな♪」

リィン
「以上! リィンと」

はやて
「はやてが」

リィン&はやて
「「行く♪ でしたぁ~」」






フェイト
「おい、カーマイン! 今の話ホントなのかよっ!? おいっ!?」

カーマイン
「さあな」



はやて
「リィンとはやてが行くやもんっ!!」


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17.騎士の正体

 医務室に向かう途中、アルフの後ろをティアナと令嬢(フェイト)――それから何故か、エリオとキャロが続いていた。アルフはなのはを横抱きにし、令嬢(フェイト)がヴィータを抱いて黙々と歩いている。

 医務室の前まで来た。

 足を止めると丁度、シャマルが、訓練場とは逆の方角から駆けて来る所だった。

 息を切らす和やかな女性に、アルフは几帳面に一礼する。

 

「どうも。……お久しぶりです、シャマル先生」

 

「シャス君!?」

 

 シャマルは大ぶりな臙脂色の瞳を丸くして、口許を手で覆った。

 令嬢(フェイト)が首を傾げる。

 

「そんなに慌ててどうしたの? シャマル」

 

「え、ええ……! 実は、少し前まで眠っていたカーマイン君がどこかに消えちゃって、はやてちゃんと一緒に探していたところなの。――けど、さっきはやてちゃんから連絡があってね。カーマイン君が見つかったって言うから、ともかく医務室に戻って来たんだけど……」

 

 言葉を切ったシャマルは、アルフと令嬢(フェイト)の腕の中にいる、なのはとヴィータに視線を落とした。

 

「どうしたの!? 二人とも!」

 

「その話は後で。――ベッドお借りできますか?」

 

「う、うん! こっちに運んで」

 

 シャマルに誘導されながら、アルフ達は医務室に入る。広めに創られた医務室は、部屋の東側に大きな窓を配しており、そこから機動六課近くの湾岸――その先に広がる海原を、一望できる。

 令嬢(フェイト)はヴィータをベッドに寝かせると、言った。

 

「シャス。二人が起きるまで、後を頼んでもいいかな?」

 

「……ええ。多分、カーマインって奴等から詳しい事情説明があると思いますし。適当に聞いてきてください」

 

「うん」

 

 令嬢(フェイト)は穏やかに微笑して、医務室を去る。

 その背を見送って、シャマルは首を傾げた。

 

「カーマイン君、何かあったの?」

 

 事情を呑みこめていないシャマルに、アルフと――そして、スバルの欠けた新人部隊(フォワード)の三人が、簡単に模擬戦での様子を説明した。

 

 なのはとヴィータが傷を負った経緯。

 カーマインが現れて、アルフと戦った経緯。

 

 シャマルは全てを聞き終えるや、細い眉をきゅっと引き締めた。

 

「また無茶したわね、シャス君!」

 

「無茶なら、あのカーマインっての方が無茶でしょう。なにせ、相手は寝起きですよ」

 

 アルフは平然と肩をすくめた。シャマルは左手を腰に据えて、メッと右の人差指をアルフに向ける。

 

「なのはちゃんにも無理させないでって、前に話したでしょ? 昔の事で忘れちゃった?」

 

「覚えてますよ、ちゃんと」

 

 苦笑するアルフに、シャマルは両腕を組んで、どうかなぁ~? と可愛らしく睨んでくる。

 

「?」

 

 その微妙なニュアンスを含んだ二人の会話に、ティアナ達は首を傾げた。

 アルフはなのはを寝かせたベッド脇の椅子(スツール)に腰掛け、言う。

 

「アンタ等、俺の事はどこまで聞いてる?」

 

 突拍子もない事を聞いて来るアルフに、ティアナは首を傾げながらも答えた。

 

「管理局の管理世界――その中の、辺境次元担当員の方だと……。今回、六課に協力して下さる事になったのは、地上本部から特殊任務を受けたからだって聞きました」

 

 その答えを聞いて、アルフは口端を緩め、そうかい、とつぶやいた。

 エリオが問う。

 

「でも、シャスは――、僕の知ってるシャスなんでしょ?」

 

「ああ。そこに居る二人にも分かりやすく説明すると、俺は九年後の世界から時空漂流して来た、いわゆる“未来人”だ。エリオと俺が知り合ったのは、九年前。――俺が十二歳の時に、六課で世話になったから。こっちの時の流れで言うと、ちょうど今から二カ月前にね」

 

「私達が入隊した時期と、入れ違いだったってことですか?」

 

「そ。俺は六課の戦力として期待されたわけじゃなく、高町教導官の戦技教導を受ける為だけに、ここに居たんだ。――滞在したのは、ちょうど一カ月」

 

「僕は本局コロニーからフェイトさんに会いに来ていて、その時にシャスと知り合ったんです」

 

「知り合うってほどでもないけどな」

 

 苦笑するアルフに、エリオは、む、と唇を引き結んだ。

 ティアナが問う。

 

「そう言えば、エリオもキャロも、後見人はフェイトさんだったわね?」

 

「はい。僕はキャロと違って他の次元世界で育ったわけじゃなく、本局(うみ)育ちですから」

 

 ティアナの表情が、ハッと歪んだ。

 後見人――通常は、親の名が入る所を、エリオもキャロも、フェイト・テスタロッサに代行してもらっている。そして時空管理局本局では――“特別保護施設”と呼ばれる場所に、身寄りのない孤児を預ける事が少なくなかった。

 特に、エリオのように『魔導師』となりそうな子どもは。

 

「ご、ごめん! 今のは忘れて!」

 

 空気が微妙になる前にティアナは、首を振って愛想笑った。

 エリオも遠慮がちに笑い返す。

 

「いえ……気にしないでください。優しくしてもらってましたし、全然普通に、幸せに暮らしてましたから」

 

「そう言えば、本局に預けられた頃から、フェイトちゃんがエリオ君の保護責任者だものね」

 

「はい! 物心ついた頃からいろいろ良くしてもらって。――魔法も、僕が勉強を始めてからは時々教えてもらってて、……本当に、いつも優しくしてくれて。僕は今も、フェイトさんに育ててもらってるって思ってます」

 

 穏やかに笑うシャマルに、エリオは得意げに、嬉しそうに頷いた。思い出を掘り起こすように、エリオは遠い目をする。柔らかな表情だった。

 

「フェイトさん、昔――子どもの時に、家庭の事でちょっとだけ寂しい想いをした事があるって。だから寂しい子どもや、悲しい子どもの事はほっとけないんだそうです。自分も優しくしてくれる――あったかい手に救ってもらったから、って」

 

「いい話だね」

 

「もう! 茶化すのやめてよ、シャス!」

 

 うんうんと頷くアルフに、エリオは苦笑しながら抗議した。

 アルフは肩をすくめて、首を傾げる。

 

「で。――何の話だっけ?」

 

「だから、なのはちゃんに無理させないでって話でしょ? シャス君」

 

 逆サイドからシャマルにも怒られて、アルフは手を叩くと――押し黙った。

 視線をなのはに向ける。すやすやと眠る彼女は――その隣に眠るヴィータもそうだが、穏やかなものだ。

 アルフは眠るなのはの額にかかった髪を払い落すと、エリオ達に尋ねた。

 

「――なぁ、アンタ等。高町教官の指導を受けて、変だと思ったこと、ないか?」

 

「変……ですか?」

 

 首を傾げるキャロに、アルフは静かに頷く。視線で――アルフは未だ座らないフォワード陣に、椅子(スツール)を持ってくるよう促した。

 慌てて皆、スツールを片手に輪を作り、座る。

 アルフはなのはに背を向け、輪に向かって言った。

 

「仕事熱心と言えばそれまでだ。――けど、教官の場合は熱の入れ具合がちょっとおかしい。今日は誰がどんな動きをして、昨日、一昨日に比べて、どの点が良くなって、どの点が未熟なのか、それを朝から晩まで事細かにチェックしてる。……一挙手一投足、全部だ」

 

「そう――なんですか?」

 

 目を丸くして瞬くティアナに、アルフは頷いた。

 シャマルが両腕を組んで、苦笑する。

 

「ティアナが気付かないのも無理ないわ。――だって、なのはちゃんの教え子でそんなこと言って来たの。シャス君だけだもの」

 

 慈しむような視線をシャマルに向けられて、アルフは一瞬だけ頬を震わせた。そして視線を、フォワードの三人に戻す。

 

「前線で教え子に死んで欲しくないってのは勿論、教官にあると思う。けど“死んでほしくない”ってだけなら、さっき俺がやったみたいに恐怖心を植え付けりゃ、教えられる側もそれなりに考えて行動するようになるもんだ。――なのに、教官はそれをやらない。教え子を徹底的に叩きのめす覚悟があるなら、難しくねぇ筈だろ?」

 

 アルフは悠然と足を組みかえた。キャロとティアナが戸惑ったように顔を見合わせる。

 エリオが問う。

 

「それは――シャスと違って、なのはさんが優しいからじゃないの?」

 

「違うね。教導なんて大層な言葉を使っちゃいるが、要は戦闘で死ぬか生きるかだ。実戦での戦闘術は、センスの問題。ある程度基礎を叩きこまれれば、後はそれぞれが勝手に腕を磨いて育ってく。教え子の一挙手一投足まで見る必要なんざねえんだよ、本来はな」

 

「それじゃあ、……どうしてなんですか?」

 

 キャロが首を傾げた。

 アルフは視線をキャロに向ける。

 

「簡単な事だ。教官は優秀な管理局員を育てるだけじゃなく、いかに最短距離(・・・・)()、教え子のレベル上げしてやれるか考えてるんだ。教え子が負うべき苦労の分まで自分が背負ってね。――そこがどうも怪しい。そう言うのって、本当に優しさだけから来るものか?」

 

「シャスは、違うと思ってるんだよね……?」

 

「ああ。優しいだけなら、教え子に無理をさせたくないだけなら――、教導をゆっくりやりゃいいんだ。適度なペースでやっていけば、一日根詰める必要なんてない。まして今年の新人は、全員悪くない才能(モン)を持ってんだから」

 

 それがティアナにも向けられた言葉であると気付いて、彼女は思わず眼を丸くした。視線の合った紅瞳が、ゆっくりとティアナから一同に移る。

 

「なのに、この人は急いでる。――まるで、自分には“時間が無い”って言うみたいに」

 

「それって……」

 

「ああ」

 

 ティアナの言葉に頷き、アルフは肩越しになのはを振り返って、一瞬だけ――ほんの少しだけ、悲哀の色を紅に乗せた。

 

「生き急いでんだ。この人は」

 

「っ!」

 

 ぽつりとつぶやかれたアルフの言葉に、シャマルがびくりと顔を跳ね上がらせた。エリオ達が神妙な面持ちで顔を見合わせる。

 しん、と静まった医務室の中で、エリオ達の視線が、自然となのはを向いた。

 すやすやと寝息を立てる彼女は、まだ目覚める気配がない。

 アルフは驚いているシャマルを見据え、問いかけた。

 九年ぶりに、――もう一度。

 

「なぁ、シャマル先生。教官の身体……ホントにどこも(・・・)異常は(・・・)無い(・・)のかい?」

 

 シャマルは大ぶりな臙脂色の瞳を見開いて、息を詰めている。

 ――なのはに無茶をさせてはならない。

 それは彼女が、なんでも背負ってしまう性格だから。

 優しすぎるから。

 そう二か月前の――十二歳のアルフに説明した。彼はその時、納得したように頷き、医務室を後にしたのだ。

 だから――、もう終わった話だと思っていた。

 なのに、シャマルを見据える紅瞳は、十二歳の頃には無い凄みが混じっている。

 研ぎ澄まされた刃、とでも言うべきか――。

 茫洋とした仮面を脱いだ狂人は、更に瞳の光を増している。

 言い知れぬ緊張感。

 まるで黙っている事が“悪”のような、刑事ドラマのラストで崖淵に立たされた犯人のような気持ちで、シャマルは唇が震えるのを感じた。

 言ってしまいたい。

 言って、楽に――……

 

(ダメよ……。私が、勝手になのはちゃんのことを話すわけになんか、いかないっ!)

 

 シャマルは首を横に振る。

 雑念を振り捨てたつもり――だった。無言の圧力が、シャマルに向けられる。

 

(い、いかないもんっ!)

 

 シャマルはキッと眉を引き締め、拳を握りしめる。アルフはそれを、無表情に見据えている。

 数秒の、睨み合い。

 ――その後で、

 根負けしたシャマルが、声を張り上げた。

 

「ふぇえ~~ん! シャマル先生、悪くないも~~ん!!」

 

 シャマルはそう言って、流れる涙を両手ですくう。おいおいと泣きだした彼女は、その場に座り込んだ。

 

「へ?」

 

 それを見下し、ぽかんとしたのは――アルフだ。柄にもなくきょとんとした表情で、彼はシャマルを見下ろしている。呆然とする狂人を、シャマルはポカポカと叩いた。

 

「シャス君のばかぁ~~! 説明なら昔した通りだも~~ん!」

 

「え……、ぁ……、えと……」

 

 アルフは二、三、後ずさった。それでもシャマルの射程圏からは逃れられず、ぽかぽかと脛を叩かれている。固まった彼は、ぱちぱちと瞬いた。

 

「なのはちゃんはがんばり屋さんなのぉ~~っ! だから、無理させちゃダメなのぉ~~!!」

 

「シャ、シャマル先生……! 落ち着いて」

 

 ティアナが控え目に、ぽかぽかとアルフを叩くシャマルを止める。それでどうにか顔を上げたシャマルは、ぐすっ、と鼻を鳴らしながらアルフを見上げた。

 大ぶりな臙脂色の瞳が、涙でゆらゆらと揺れる。

 

「………………」

 

(ほら、シャス! 早くシャマル先生に謝って)

 

 固まったまま動かないアルフを、エリオが肘で突いた。ハッと瞬いたアルフは、エリオに助けを求めるように視線を右に向けて――

 何故か、力強い眼差しを向けて来るキャロと目が合った。

 

「……」

 

 キャロはまるで、がんばれ、とでも言うように両手を握って、アルフを見上げている。彼女はアルフと目が合った途端、力強く、こくりと一つ頷いた。

 

「???」

 

 アルフは要を得ず、視線をシャマルに戻す。――相変わらず、潤んだ瞳。必死なシャマルの表情を、アルフは後ずさりながら見据えて、頷いた。

 

「………………はい……」

 

 いつも通りの無表情だが、心なしか怯えているようにも見える動きだった。頬には冷汗が一筋。そのあまりのうろたえぶりに、ティアナが思わず声を殺して笑うと、隣でエリオもクスクスと肩を揺らしていた。

 キャロが安心したように、ふんわりと笑う。

 

「うん! うん!! 分かってくれてありがと、シャス君!」

 

 涙を指先で拭って、シャマルも嬉しそうに笑った。アルフはさらに一歩、シャマルから退き、硬い表情のままこくりと頷いた。

 とりあえず、なのはの件については、これでお開きだ。

 

 アルフ・アトロシャスが苦手な人物、パート2誕生の瞬間である。

 

 

 

 ………………

 …………

 

 

 カーマインは、アルフとの闘いを終えた後、シグナムの案内ではやての隊長室に呼ばれた。彼の肩にはティピ、隣にはアステアが立っている。

 

「……貴女達が、俺を?」

 

「君を見つけて私達の所へ運んだんは、フェイト君って言う青い髪の青年や。その君を面倒見たんは私らやけどな」

 

 カーマインの質問に六課を代表して、はやてが応える。

 

「なるほど。しかし貴女方が、俺の命の恩人である事に変わりは無いようだな。――有難う、助かりました」

 

 ペコリと丁寧に一礼するカーマイン。その光景に一同、唖然とした表情をした。ソレを怪訝そうに見、カーマインはアステアを示す。

 

「? 何か? もしかして、アステアが何か失礼な事でも?」

 

「――フン」

 

 自分の顔と同じ青年な為、性格まで似ていると思われているのかと聞いてみる。それに答えたのは、カーマインの肩に座るティピだった。

 

「――ああ、アンタ警戒されてんのよ」

 

「何?」

 

 更に首をかしげるカーマインにはやてが助け舟を出そうと口を開いた。

 

「実はな――」

 

 しかし、はやてが説明しようとしたところを遮り、アステアがカーマインの前に出る。

 

「俺の記憶を送ってやる」

 

 にべもなく宣言するアステアに、カーマインもコクリとうなずいた。

 

「――ああ、頼む」

 

 アステアは青い宝石の指輪を嵌めた右手をカーマインにかざす。蒼い宝石――アルスィオーブが輝き、カーマインの脳裏に、アステアが見た映像と記憶を送り込まれた。

 

「――なるほど。アウグ、か」

 

 瞳を開け、カーマインが一つうなずく。それにはやてが驚愕した。

 

「――!? そんなコトできるん!?」

 

「魔法が、貴様らだけの専売特許だと思ったか?」

 

 アステアはどこか勝ち誇ったかのように口の端を吊り上げる。

 

「異世界の魔法――か。便利なモノだな」

 

「カーマイン、なのはを助けてくれて有難う。――でも、そろそろ聞かせて。君達は、一体どうしてミッドチルダに来たの?」

 

 シグナムが関心したように頷く横で、深刻そうな顔をしたフェイトが、カーマインに問いかけて来た。カーマインは真剣な声で返す。

 

「すまないが――それより、先に気になる事がある」

 

 どこか深刻そうな表情で、カーマインは肩に座るティピを見た。

 

「何よ、アタシの方を見て! あ、惚れ直した?」

 

「違う。――何故、体が大きくなっている?」

 

 にんまりと問いかけるティピに首を横に振り、カーマインは気になっていた事を問いかけた。彼女の身長が倍近く大きくなっている――。

 

「ああ、アタシも良く分かんないんだけど、このミッドチルダはアタシ達の世界よりマナが大きいらしいのよ。ソレで、体も大きくなったんだって! シャーリーが教えてくれたよ!」

 

 あっけらかんと説明するティピに反し、カーマインは影の濃くなった表情でつぶやいた。

 

「――大きくなったと言う事は……!」

 

「フフン、ティピちゃんキックの威力も段違い――かもね! 試してみる?」

 

 にんまりと笑うティピ。

 アステアがこころなしか、蒼くなった顔でつぶやく。

 

「――ゾッとするな」

 

「あまり刺激するなよ」

 

 そこにカーマインが小さい声で加わり、コソコソと相談している。ティピはにんまり顔の額に四角い血管を浮き上がらせた。

 

「――アンタ達、いい度胸じゃない……! そんなことより、はやてさん達の話を聞きなさいよ!」

 

「ああ――」

 

 いそいそとはやて達に向き直るカーマインとアステア。一方のはやて達もポカンとしてカーマイン達の対応を見ていた。

 

「シグナム、本当にあのシャスさんを正面から破ったんですか? こんな穏やかそうな人が」

 

「――ああ。どうやら、私の心配は無用なモノかも知れないな。彼は、あの強大な力を完全に使いこなしている」

 

 リィンフォース(ツヴァイ)が、烈火の騎士シグナムに問いかけると、彼女も幾分か緊張を和らげた表情で述べる。

 だが、同じく傍でカーマインの姿を見たフェイトにはすぐに安心できるようなモノではないと表情を深刻にしている。

 

「でも、彼が管理局の107部隊を襲った犯人と同じ顔をしているのは事実だし、力を解放した時のあの姿は――!!」

 

「……ふむ、フェイトちゃんがそこまで言うってことは、相当に危険と感じたんやね?」

 

 はやてがそんなフェイトの反応に、一つ頷き、問いかける。

 

「うん」

 

「――話を続けても?」

 

 フェイトが頷いた時、カーマインが口を開いた。慌てて、はやてが対応する。

 

「ああ、ごめんごめん」

 

「相談をするのはそちらの勝手だが、せめて俺達が居ない時にそういう話をしてくれないか? 俺も対応に困る」

 

 苦笑というよりは、困ったような表情でカーマインは告げる。その反応にフェイトが身を乗り出した。

 

「なら、教えてくれるんだね? どうして、それだけの力を持っているのか」

 

「――つまらない話だけどね」

 

 肩をすくめて、淡々と答えるカーマインに、早速はやてから質問があった。

 

「ほならまず、どうしてこの世界に来たんかっちゅう所からやな。アステア君が時空干渉能力がどうとか、ティピちゃんが体を作り替えたとか言うてたけど……!」

 

 その言葉に――白けた目でカーマインは、アステアとティピを見る。ティピはいつの間にか、アステアの肩に座っていた。

 

「――お前らな。そこまで話したんなら、説明しとけよ」

 

 そう言われても二人とも、目を合わせず、考え込むように言った。――さも、深刻そうな表情で。

 

「えっと――そうそう! アンタが倒れたからパニックで……!!」

 

「……まさか、アウグが現れていたとはな……!!」

 

 そんなティピとアステアの言葉に、カーマインは冷めた口調で確信した。

 

「……説明が、面倒だったな」

 

「いいから! さっさと説明してあげなさいよ!! 大体、かなりアンタの事を話さなきゃいけないんだから、アタシ達が勝手に説明できないじゃない!!」

 

 突如、ティピが声を張り上げ、カーマインにはやて達に説明するよう促す。カーマインは先の言葉に首をかしげ、言った。

 

「俺は気にしないが」

 

「だから、アタシが気に――!!」

 

 ティピの口をアステアが押さえ、カーマインに告げる。

 

「いいから、さっさと説明しろ」

 

「……自分から話すのは苦手なんだが、仕方ないか」

 

 部屋に集まった全ての人間の視線がカーマインに集まる。本人は少し話しづらそうにしていたが、特段気にする様子もなく、淡々と説明を始めた。

 

「――まずは、俺の居た世界について話そう。俺達の居る世界は、遥か昔に、二つの並列世界を重ね合わせて出来ている。俺達の御先祖様は、元々違う世界に住んでいたんだが、そこで太陽の異常気象があってね。このままでは、生きてはいけない事を悟った人々は共に暮らしていたフェザリアンと言う翼の有る美しい人種の科学力を使って協力し、新たな世界へ移住した。コレを、俺達の世界では時空融合計画と言うんだ」

 

「時空融合――。それは、どんな概念なん?」

 

 はやてが気になる単語を拾い、問いかける。

 

「簡単に言えば、異なる二つの世界をまず、時空的に融合させ、次に物理的な存在を新たな世界に送り込む」

 

 カーマインの説明に、フェイトとシグナムが首をかしげた。

 

「……?」

 

「――何だか、難しい話だな」

 

 アステアがそんな二人に、呆れて肩を上げて見せた。

 

「貴様等、時空を管理する局員が今の説明で理解できなくてどうする」

 

「えっと、ゴメン。アタシも良く分かんない」

 

 しかし、同じ世界の住人であるティピまで分からないと言うのに、アステアは呆れ果て溜息をつく。カーマインは淡々と解説を始めた。

 

「例えば、2つのリンゴがあるとする。コイツを同一時間上の空間に置く事は出来ない。物質は通り過ぎたりしないからな。つまり、同じ机の上の中心にリンゴを置くとしても、二つは置けない。リンゴAの上にもう一つのリンゴBを重ねて置く事は出来るが、全く同じ場所に二つのリンゴを置く事は物理的にムリだ」

 

 このカーマインの説明にアステアが付け足す。

 

「だが――昨日、リンゴAを置いてあった場所にリンゴBを置く事ならできる。そう考えて、世界を置き換え、物質の俺達を新世界に運んだんだ。だから、完全な異世界への移住というわけじゃない」

 

「せやったら、元の世界と新しい世界の時空の揺れが起こって、結局元の世界に戻ってしまうなあ。どないしてるん?」

 

 はやてが世界の話についてきたのか、質問する。それにアステアが応えた。

 

「時空制御塔というのがあってな。その塔が二つの世界の時間のゆがみを解消している」

 

 そう告げた後、アステアはカーマインを指差し言い放つ。

 

「――さて、貴様等は我が主の事を知りたいと言った。だが、一々言葉で説明するのも面倒だ。この俺が、貴様等にコイツの記憶を見せてやろう。言葉などより、よほど体感できるものだ。記憶ってのはな――」

 

「ヤレヤレ……!」

 

 説明する気になっていたカーマインはその言葉に、軽く苦笑した。驚きの表情で質問したのはリィンフォースだ。

 

「そんな事ができるんですか? 記憶の共有なんて、何か魔力の共有がなければ――!!」

 

「その指輪が、その出鱈目な事を可能にするって事やね?」

 

 リィンを遮り、はやてが問いかけると、アステアは満足そうに応えた。

 

「そう言う事だ。コイツは自分に何があったかなどちゃんと説明せんだろうし、貴様等もその目で見た方が早かろう。その上で決めるがいい、俺達が信用できるか、否か」

 

 簡単かつ、効率の良い選択として、アステアが提案した事。だが、人の記憶を覗くことに、フェイトはためらいを覚えた。

 

「――でも!」

 

「代わりに、貴様等の記憶も見せてもらう。コイツの記憶を見ている奴らの記憶を、な。ソレでも――見るか?」

 

 そんな彼女に対して、アステアが告げたのは、お前達の記憶も見せろと言う交換条件だった。

 

「私に、隠すべきモノ等ない」

 

「私もや、カーマイン君の記憶に見合うモノがソレ何やったら、遠慮なくみせるわ。ソレが、お互いの信頼関係を結べるんやったらな!」

 

 躊躇なく、シグナム、はやてが応え、リィンが力強くうなずく。

 

「――フン。ならば、見たい奴は俺の前に立て」

 

「……」

 

 他のメンバーと違い、思いつめた表情で並ぶフェイトに、カーマインが声をかけた。

 

「何となくだが、貴女は――止めた方がいいんじゃないか?」

 

「――!? 何故、そんな事を……!!」

 

 淡々とした質問と、全てを見透かされそうな瞳に、狼狽するフェイト。カーマインは静かに理由を述べた――。

 

「……貴女は、他の人と違って迷っている風に見えた」

 

 深刻な表情で押し黙るフェイトに、カーマインが頷く。

 

「気にするな。自分の過去を見せたくないっていうのは、普通の感情だ」

 

「こっちが説明するのが面倒なだけだからな。拒否すれば構わんさ」

 

 アステアも特に気にした様子はない。そんな二人の心遣いに、はやては有り難く思いつつ、フェイトに進言した。

 

「フェイトちゃん、こう言うてくれてるし。ここは、私達だけで……!」

 

 しかし、フェイトはカーマインをじっと真っ直ぐに見つめる。

 

「一つだけ、聞きたいの。カーマイン、アステア。君達は――誰かから創り出された存在だって言っていたよね。――自分の過去を見せる事に、抵抗は無いの?」

 

 揺れる瞳に、アステアはそっけなく答えた。

 

「――別に、俺の過去を見せるわけではないし、な」

 

 カーマインも淡々と告げる。

 

「はやてさんが言ってたように、俺も隠すような過去はないよ。誇るべき過去が無い事も認めるけどな」

 

 作られたものの過去――。それを知ることは、恐らく普通の人間よりも、知られたくない事があるだろうに、カーマインは簡単に答えた。

 

「……分かった。見せて欲しい、君の過去」

 

 そんな彼の瞳に、フェイトは何かを決意し、頷く。

 

「――では、目を閉じろ。まず貴様等に、俺達の世界と常識を叩き込む」

 

 アステアの掌が蒼く煌めき、はやて達が目をつむる。光の中に――彼女達の意識は飲み込まれていった。



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①シュワルゼ -フェイト・テスタロッサ視点-

 ソイツは、俺が初めて出会った同族で――俺がもっとも嫌う力を肯定する男だった――。
 悪意は無く――善意もなく、ただ――純粋に強さを追い求める異形――その姿は俺に、”勝負”の本質や理不尽という言葉を、俺の心に突き付けた――。
 懸命に抗う者を嘲笑うかのような――圧倒的な”力”で、俺に強さとは何かを問いかけて来た相手。
 その男の名は――シュワルゼ・ロード。


 私達が、アステアの記憶共有で知ったのは――カーマインの同胞。

 

 六人の『ゲヴェル』についてだった。

 

 

 ………………

 …………

 

 

「ティピちゃ~ん、キィーーック!!」

 

 い、今のって……ティピの声、だよね?

 ――ここは?

 私は瞬いて、左右を見渡した。真っ暗な空間が次第に晴れて行き、視界に景色が映り込んで来る。

 

 ――そこは、男の子の部屋だった。

 

 反射的に思ったのは、カーテンの色が青だったから。

 でも、冷静になって周りを見てみると、その部屋は性別を特定できるほど、特徴的な家具は一切置いてなかった。

 フローリングの床の上に、家具と呼べるのはベッドと大ぶりなテーブルだけ。

 他には、何にもない。

 殺風景な部屋だ。

 味わい深いコルク材のようなベッドで、カーマインは眠っていた。――けど、それをティピが蹴って、起こしちゃったみたい。

 ティピの傍らには、十四、五歳の女の子が立っていた。女の子はピンク色の長い髪を左右でお団子にして、そのお団子から更に髪を流してる。

 お団子付きツインテールって言えば、いいのかな?

 女の子は微笑みながら、カーマインに早く起きるように言った。

 

 ――お兄ちゃん、お母さんが下で待ってるよ、と。

 

 カーマインは寝ぼけ眼だったけど、ピンク髪の女の子――カーマインの妹さんに頷くと、ベッドから起き上がって、一階に向かって行った。

 

 

「起きて来ましたね」

 

 カーマインが向かった先は、一階のリビングだった。一般的なお家より、ずっと広いリビング。

 もしかして、三十畳ぐらいあるのかな? 

 落ち着いた臙脂色の絨毯は花柄みたいなタペストリがついていて、フローリングの床を彩ってる。

 その上に悠然と佇むのは、落ち着いていて、とても優しそうな――綺麗な女の人だった。

 もしかして、この人が――

 

「母さん」

 

 カーマインが女の人に向けて、そう言った。

 ――やっぱりお母さんなんだ。

 私は納得して頷く。カーマインのお母さんは、見た目だと二十代にも、三十代にも見えちゃう――ちょっと年齢不詳な感じの、神秘的な女性だった。

 藍に近い紫色の長い髪をポニーテールにしてて、カーマインよりもずっと、私達の世界からかけ離れた服装をしてる。

 どこが違ってるのかって言うと、カーマインのお母さんは、黄金の大きな髪飾りをしていて、同じ色の肩当てをしてるんだ。その金色の肩当てから白いマントが伸びてて、“異世界”の服装って、本当にいろいろあるんだな、って改めて思った。

 

「朝っぱらから起きて来てなんだけど、何? 母さん」

 

「シーティア」

 

 ?

 背中から声がして、私が振り返ると――カ、カーマインそっくりな女の人……!

 私がびっくりしている間に、“シーティア”って呼ばれたカーマインにそっくりな女の人は、生欠伸を噛み殺した。

 

 カーマインって、双子だったんだ。

 

 ふとそう思って、私は瞬いた。

 カーマイン達の話によると、“シーティア”って人がお姉さんで、カーマインが弟。

 さっきのピンクの髪の女の子が“ルイセ”って言って、二人の義妹になるんだって。

 

 カーマインのお義母(かあ)さん、サンドラさんが言った。

 

「私は貴方達が世を滅ぼす元凶となるか、世界を救う光となるか、という予言を宮廷魔術師長から受けました。そして今日まで私は、貴方達が自力で自分達の運命を切り開いていけるように――正しいことを判断できるように育ててきたつもりです。そこで、貴方達に旅をするよう進言します。このお金で身なりを整え、様々な人達と出会いなさい。そして、ティピは私が創ったホムンクルス。貴方達が間違った事をしないようにするお目付け役です。胆に銘じておきなさい」

 

「ティピだよ、よろしく~! シーティアと……アンタ、名前は?」

 

 静かに告げるサンドラさんとは対照的に、ティピは明るく言った。私の知ってる通りのティピだ。周りの景色は全然私の知らないものなのに、ティピだけが変わらない。私は彼女を見て、自然と頬がほころんだ。そのティピが、怪訝そうにカーマインを見る。カーマインは思い出したように告げた。

 

「カーマインだ」

 

 ぶっきらぼうな挨拶だと思った。

 

 

 

(な、何っ!? 急に周りが暗くなった……!)

 

 私が驚いて周りを見渡していると――空が見えた。

 真っ黒いけど、星々が輝く夜空だ。

 私は大理石の上に立っていた。――屋上、みたいだ。

 

 前には――

 

 空を飛ぶ、数々のモンスター。

 ガーゴイル……!

 すぐに頭の中に情報が流れて来る。

 

 ここは――カーマインのお母さん。サンドラさんが使う研究塔なんだ――。

 

 その屋上で、『仮面の騎士』と彼等が操るモンスターにサンドラさんは襲われていて、間一髪の所でカーマイン達が助けに来た――。

 カーマインはサンドラさんを庇うように立ってて、その二人の前に、カーマインと同じ顔をした男がいる。

 

 『ゲヴェル』。

 

 アステアはそう言ってた。

 この『ゲヴェル』は、全員で百人いるんだって。

 カーマインやアステアと同じ顔の人が、百人……。

 カーマインの前に立つ、カーマインと同じ顔の男は、黒い服とズボンの上に、赤いコートを羽織っていた。

 彼も多分――カーマインと同じ、『ゲヴェル』なんだ……。

 私がその赤いコートの男を見ていると、彼はカーマインとは対称的な――過激で、挑戦的な笑みを口許に浮かべた。

 

「どうした? 俺の顔がそんなに珍しいか? 毎日鏡で合っているだろう? ――気になるか、この俺が。そして、お前のことが!」

 

「関係ない。貴様等はサンドラの命を狙った……! 貴様が何者だろうと、俺は……許さないっ!!」

 

 男の言葉をカーマインは歯牙にもかけず、斬りかかる。二人は互いに剣を繰り出し合い、交差し合う。――しばらくしてカーマインの右肩から血が噴き出る。

 

「フフッ、簡単には殺さんぞ」

 

「のぼせあがるのも、いい加減にしろ」

 

 壮絶な戦い。

 どちらも、無茶苦茶なスピードで地面を壁を駆けて、相手に斬りつけて行く。どれだけ、自分達が血まみれになっているのか、確認もせずに――。

 

「くたばれ! カーマイン!!」

 

「シュワルゼェエエエ!!」

 

 ――!! 二人とも、死んじゃうよっ!!

 この場に居たら、間違いなく私は止めたと思う。それほど、彼らの傷は深かった……。でも、二人とも、まるで気にもしないで刀を振りかぶって――。

 二人の間にマジックアローが叩きこまれた。

 顔を向けるとカーマインのお姉さん、シーティアがこちらに向かって手をかざしていた。

 

「まだだ! この俺をもっと楽しませろ、カーマイン! 次に合う時まで、さらに腕を磨いておけ!!」

 

 シーティアのおかげで、闘いの決着はなんとか着かずに終わったけど……。私は心の底から、溜息を吐いた。

 シャスとの闘いを嫌でも思い起こしてしまう――。

 この時から、無茶してるんだ……!

 

 

 

「母さんが毒にっ!?」

 

 カーマイン達の家。その一階のサンドラさんの寝室で、普段冷静なカーマインが声を荒げた。

 さっきの屋上の戦いで、サンドラさんは怪我をしたらしい。しかも、カーマインと同じ顔の――『仮面の騎士』達の剣には毒が塗られてあり、その毒は、人間の世界に出回っている薬では、到底治せない代物だった――。

 

「治せるものがいるとすれば――」

 

「フェザリアン」

 

 ルイセの言葉にシーティアが続く。伝承通りなら、人を遥かに凌駕する知識と文化を持つと言うもう一つの人類。

 フェザリアン。

 それは天使のような翼が背に生えていて、人よりずっと優れた科学力を用いて造った――人工浮遊島(フェザーランド)に住む人達のことなんだって。

 

「フェザーランドに行く方法なら、魔法学院のアリオストさんに会ってみよ!」

 

「決まりだな、行こう!」

 

 自分のお母さんが……、毒に……。

 

 

 

 私が物思いに沈んでいる間も、めまぐるしく景色が変わっていく。今、私の目の前には水色の髪を腰まで伸ばした、眼鏡の青年がいる――。

 

(この人が――アリオスト?)

 

「僕は……母さんに会う為だけに、この研究を続けて来た……。けど、それが間違いだったなんて」

 

 彼は、苦悩に満ちた表情でその場に立っていた。周りを見回すと、羽の生えた美しい人達――フェザリアンが、カーマイン達を取り囲むようにして立っている。

 これがフェザリアン……。

 皆奇麗な顔をしてるけど――どこか冷たい、無表情な人達だった。

 その人達を前にしたルイセ達の表情が、今にも泣きだしそう……!?

 え?

 どうしたの……?

 もしかして、薬を貰えなかったの!? 

 

 

 どうして……?

 

 

 

「単刀直入に言う。貴方達の持つ、解毒薬をもらいたい。母を救う為に」

 

 カーマインは、これまで通り冷静に用件を端的に告げた。

 だけど……

 

「その毒……何故に負うた? 私達の住まうフェザーランドにまで来たと言うことは、普通の毒物ではあるまい。人間は利己的で、常に自分の事しか考えない。故に、そうやって同族同士で殺し合う」

 

 フェザリアンの女王は、冷淡に彼をあしらった。

 

「何が言いたい」

 

「簡単な事だ、愚かな人間よ。我々がそなたらに何かをしてやる義理は無い。即刻、立ち去るがよい」

 

 カーマインの肩から、ティピが必死に訴えかける。

 

「でも! 毒消しなんて一回使っちゃえば終わりじゃないっ!! アタシ達は、マスターを助けたいだけなんだよ!?」

 

「ならば、人間が我等フェザリアンより優れている点を証明せよ。さすれば、その薬。そなたらにやらぬでもない」

 

 女王の言葉に、シーティアが淡々と応える。ただし、その瞳に強い意志の光を灯して。

 

「あっそ。じゃ、そうさせてもらうわ。何が何でも認めさせてあげる」

 

 

「僕は……母さんに会いたい一心で装置を作って来た……! それが間違いなんて……!!」

 

 アリオストは、人間の父親と、フェザリアンの母親を持つハーフなんだって情報が流れて来た。

 彼はお父さんを幼い頃に亡くして、お母さんが空に浮かんだ人工浮遊島(フェザーランド)にいる事を大人になってから知った。

 それで彼は、お母さんに会う為に飛行装置を作ったんだって――。

 自分の背中には無い翼の代わりに、空を飛んでフェザーランドに行けるように。

 けど、その飛行装置を目にしたフェザリアンに、その装置を作った事は『間違い』だと指摘されてしまったの。

 

 人間はすぐに、便利なものを戦いの道具にしてしまう。

 

 ――だから、愚かな開発だって。

 お母さんと同じ種族の人達に非難されて、アリオストが苦しんでる……。そんな彼の肩を、カーマインは静かに叩いた。

 

「気にするな。科学者とは、少なからずそう言うものだ」

 

「そう言うもの?」

 

「――そう。どんな科学者だって、他人には出来なかった事を証明したい。また、証明できたことを自慢したいという気持ちがある筈だ。どんな奴にだってな」

 

「そう言って頂けると、助かるよ」

 

 苦笑するアリオストに、しかしカーマインは力強く頷いた――。

 

 

 

 カーマイン達が、フェザリアンに認めてもらう為に情報を集めていると、アリオストが遠い昔に聞いた、子守唄が聞こえて来たんだ。

 それはフェザリアンのお母さんが歌っていた歌で、アリオストはすぐに、それを口ずさんでいた吟遊詩人を見つけて問いかけた。

 

 ――その歌をどこで教わったんですか、って。

 

 吟遊詩人は、アリオストの形相にびっくりしながらも『ラシェル』という保養地で聞いたんだって教えてくれた。

 カーマイン達は、その言葉を頼りにラシェルに向かった。

 するとそこに、カーマインが以前、暴漢に襲われている所を助けた――“カレン”って言う名前の女性が居たんだ。

 カレンはカーマインより少し年上で、大体、私と同い年くらいかな?

 淡い金髪を頭頂部に近い左右で輪っかにして、メイドさんとナースさんを足したようなエプロンドレスを着てる。

 カレンはこの保養地ラシェルで、看護師さんをしてるんだって。

 

「確か、ローザリアで私を助けてくれた――」

 

「カーマインだ。貴方に聞きたい事がある。この保養地に、歌声が聞こえると聞いたんだが、その歌声はどこから聞こえているんだ?」

 

「それなら、もう少しでその歌を歌っていた人が来ます。シュワルゼさんが、その人を連れて来てくれるって言っていましたから」

 

「――アイツが?」

 

 怪訝そうなカーマインの背後から、声が聞こえた。全員が振り返る中、カーマインだけが振り返らずに応える。

 

「ほぅ、奇遇だな」

 

「ああ」

 

 シュワルゼの後ろには、背中に翼のある美しい女性がいた。

 ――この人、フェザリアンの……!

 

「で。やはり、こいつらと俺を間違えたのか?」

 

「そうじゃ。お主ら、妾を殺しに参ったのかえ?」

 

 シュワルゼの問いに答えながら、フェザリアンの女王はカーマイン達に問いを返す。そんな彼女の前に一歩前に出たのは、アリオストだった。

 

「僕の母は、フェザリアンです」

 

「お主……そうか、ジーナの子か」

 

 頷く女王に、カーマインのお姉さん――シーティアが問いかけた。

 

「貴方はあの遺跡に七日間も囚われていたわけ?」

 

「そんな時間があるなら、どうして他のフェザリアン達は助けに来ないのよっ!」

 

 その問いの後を継いで、ティピが憤怒する。

 ティピ達のそんな行動に小首を傾げ、心底不思議そうな顔をする女王。

 

「確かに女王が不在ならば不便ではあるが、代わりの者を選べば事は足りる」

 

 不便って……!?

 

 目を白黒させる私に、情報が流れて来た。

 『フェザリアン』は、個人よりも集団――種族全体の事を考えて行動する人達――。

 全てにおいて合理的で、でもそれ故に、時に仲間を見捨てる判断も平気でする。

 今回、女王が連れさらわれた事件を受けて、フェザリアン達は驚きはしたものの、女王を取り返しに地上に降りようとはしなかったんだって。

 そしてその判断を、女王も淡々と受け止めてる。

 氷の無表情で述べる女王に、シーティアの眉がぴくりと動いた。

 

「命の重みを本当に理解していない者が言う台詞だな……。命を本当に大切にしているのなら、“代わり”なんて言葉は絶対に言えない。生きたいと望んだからこそ、お前はシュワルゼの傍を離れられずにいる」

 

 シーティアの言葉に、ウォレスが頷き

 

「自分で変えようとしないのは、弱い生き方だな」

 

 ウォレスは、二十年以上も放浪の剣士として世界を渡り歩いている男の人だ。

 盲目で、隻腕。

 そんな姿になっても、自分が幼い頃――自分を育ててくれた傭兵団の団長の行方を捜す旅を、ずっと続けているんだって。

 

 もう二度と開かれる事はない瞼の裏の瞳を、それでも私は見たような気がした。

 ウォレスの言葉は、――多分、私が思っているよりずっと重い。

 

「歩き出す前から諦める事は、愚か者のする言葉だ。――父の言葉です」

 

 アリオストが付け加えた。

 彼等の言葉に、女王は静かに、首を縦に振ったのだった。

 

 

 

「この女が欲しければ、この俺を倒してみろっ!」

 

 再び、カーマインとシュワルゼが剣を交える。カーマインはさっき見た時より、相当腕を上げていた。

 なのに――

 

「ぐはっ!」

 

 このシュワルゼと言う人には、まるで歯が立たなかった……。

 

「くぅ……っ!!」

 

「お兄ちゃんっ!!」

 

 呻きながらも身を起こし、シュワルゼを睨み上げる。その瞳は覇気に満ちていて、今にも飛びかかりそうなほど――。でも、妹のルイセに抱きかかえられているから、動けないみたい。

 

「なかなかの攻撃だが、手打ちだな。それじゃあ俺には勝てん。――強くなれ、この俺を倒せるほどに。俺はその強さをさらに一歩、超えて見せる」

 

「上等だ」

 

 

 邪悪に笑ってくるシュワルゼに、カーマインは不敵に笑い返した。シュワルゼとの約束で、女王はカーマイン達に、サンドラさんの解毒薬を渡してくれた――。

 こうして――サンドラさんは、助かった。でも、この記憶――。場面転換が多すぎる。恐らく、カーマインが最も印象に残っている部分を見せてくれているんだろう。

 

 

 カーマインは強大な敵や力に遭った時、必ずシュワルゼの下で戦いを学んでいった。真綿に水を染みらせるように――その力を吸収していく。

 やがて――シュワルゼはカーマインに言い放った。

 

「この俺を越えるというならば――世界を守って見せろ。あの魔術師から。奴を倒せたならば――その時は、ケリをつけようぜ」

 

「ああ――。お前は、俺が――倒す」

 

 互いに、そう宣言し合う――。




 ただ純粋に、『強さ』を求める最強のゲヴェル――シュワルゼ。

 カーマインが最初に出合った同胞であり、カーマインが初めて心の底から「負けたくない」と思った相手である。

 理不尽(チカラ)とは何か――。

 カーマインに突き付ける相手でもある。


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②ラルフ -フェイト・テスタロッサ視点-

 俺の前に現れた二人目の異形は――俺には、計り知れないほどの絶望を胸に抱き――、異形の力を放ちながらも、人としての心を捨てられない――そんな人間だった――。
 奴と俺は――良く似ていた。
 だからこそ、俺は――アイツのズレを許せなかった――。
 人としての心を捨てようとする、アイツを――。

 その男の名は――ラルフ・ハウエル。


 実は、カーマインのお母さんを助けるには、凄く長い道のりがあったんだ。

 

 まず、空に浮かんでる人工島――フェザーランドに行く為に、カーマイン達は飛行装置を開発してるアリオストに会わなくちゃいけない。

 次に、彼と一緒に飛行装置でフェザーランドに行きはしたけど、フェザリアンの女王に「人間がフェザリアンより優れた点を証明しろ」って言われて、フェザリアンについて調べる事にした。

 それで、

 その時にフェザリアンについて書かれた本を見つけたカーマイン達は、その本の著者――ダニー・グレイズって言う学者に会いに行く事を決めたんだ。

 

 だけど……

 

 その学者さんは隣の国の、コムスプリングスという観光地に居る。

 通行証を持ってないカーマイン達は観光地に行く為に、闘技大会にシーティアと参加した。その優勝賞品が、コムスプリングスの旅行券だったんだから――。 

 

 闘技大会での決勝の相手は、またもカーマインと同じ顔の青年で、名前をラルフと名乗ってた。凄まじい闘いの後、土煙の向こうにラルフが立ってる。

 

「えぇ!? アイツ、アンタ達と同じ顔?」

 

「どうなってんのよ、まったく……!」

 

 ティピが驚愕の表情で、シーティアがウンザリとして述べる。私も――もし、自分と同じ顔の別の人に、こうも立て続けにあったらと思うと……!

 そんな私の考えを余所に、ラルフはカーマインに穏やかに笑って言った。

 

「私とお前が戦う意味は、お前が決めろ。お前が何者なのか理解した上で、な」

 

「何を……言っている!?」

 

 意味深なラルフの言葉に、カーマインは戸惑ったように問い返す。でも――明確な答えを、彼はくれなかった――。

 シュワルゼと違って、穏やかそうな青年だ。

 

 ラルフ……。

 

 優しく笑ってたけど、どこか悲しそうな顔をする人だなって思ったんだ……。 

 

 

 

 そして、再びラルフと出合ったのは、ゲヴェルの肉の城だった。

 

 そこは――カーマイン達を生みだした創造主『ゲヴェル』――“白銀の鬼”が創り出した悪趣味な城。

 

 まるで人の体内を城に閉じ込められたようなその場所は、壁一面が真っ赤で、通路以外全部、何の肉か分からない妙な“モノ”で覆われてた。

 もしかしたら――これは、この城は“白銀の鬼(ゲヴェル)”の体内で出来ているのかも知れない。

 そう思わせる程に不気味で、壁には奇妙な、牙が鋭く生えそろった異形の口が、並んでて、それらは不気味にカチカチと音を鳴らしながら、カーマイン達を威嚇するように話しかける。

 

 鍵、鍵、鍵……足りない……。

 部屋、部屋、部屋……多い。

 鍵、鍵、鍵……開かない。

 

 壁に生えた異形の口は、謎かけのような言葉を紡いだ。それは肉の城を進む上で、必要となる情報の欠片だったんだ。

 カーマイン達は迷路のような城の中を進んで行く。

 この道を突き進めば、自分の創造主である白銀の鬼(ゲヴェル)と出会う。それを知っているからこそ、カーマインはこの道を選んだ。

 

 そして思った通り、開けた肉の部屋には、自分と同じ顔の男が待っていた――。

 

「お前を止めに来たぞ、ラルフ」

 

「私に追いつくとはな……」

 

 互いに見合う二人。ラルフが静かに口を開いた。

 

「お前に私は止められない。お前の言葉は軽い。正しいか、間違っているかは人の主観によって――立場によって、変わる」

 

「……」

 

 対するカーマインもまた、静かに見返す。ただ静かに、瞳に炎を燃やしながら――。

 

「奪われたことのない者が語る綺麗事に、私は止められない」

 

 その瞳を真っ向から見据え、ラルフは宣言する。

 私は何か――嫌な予感がした。

 

 奪われた……?

 ――何を?

 

 鋭く引きつったラルフの顔を見つめながら、私は手を握った。

 

「言いたい事はそれだけか?」

 

 カーマインが静かに、聞き返す。

 

「……何?」

 

 ラルフは不快気に、訝しげに眉をしかめる。カーマインは淡々と続けた。

 

「奪われた者が、奪っていいという道理にはならん」

 

「正論だな。だが、それだけだ。操られたことで、私は自分の手で、自分を育ててくれた両親を殺した。殺させたのはゲヴェル。私を生み出したバケモノだ」

 

 私は息を飲んだ。

 ――操られた?

 首を傾げると同時に、解答となる情報が流れて来る。

 

 カーマイン達――俗にこの世界で『仮面の騎士』と呼ばれてる、カーマインと同じ顔の人達は、白銀の鬼によって創り出された存在。

 そして、『仮面騎士』と『白銀の鬼』は強く結び付いていて、白銀の鬼の命令を、仮面の騎士達は絶対に逆らう事が出来ない。

 それは――多分、一緒にしちゃいけないんだろうけど、使い魔と魔導師の関係に似ていた。

 ――ううん、違う……。

 多分……闇の書と守護騎士システムの方が近いんだ。守護騎士(シグナムやヴィータ)の生命力となる魔力は全部、はやてに依存してる――。

 それと同じで、カーマイン達の命は、この白銀の鬼が握ってるんだ。

 と言っても、影響力はずっと、白銀の鬼の方がはやてより上のようだった――……。

 

 ラルフは、ゲヴェルに命じられ――あらがえない殺戮衝動に狂わされて、両親を殺してしまった……。

 誰よりも尊敬していて、誰よりも好きだった――自分の両親を。

 

 私の脳裏に、プレシア母さんが浮かんだ。

 私を生みだした――プレシア母さん。もし私がなのはと出会ってなくて、プレシア母さんにリンディ母さんを殺せと命じられたら――?

 ううん、違う。

 ラルフは物心つく前から、リンディ母さんのような人に育てられたんだ。

 それを――殺させられた……。

 自分の意志に、関係なく――。

 

 ラルフの視界が、黒い闇に塗り潰されて行く感覚に――私は思わず、口許を手で覆った。

 

 ……酷い……。

 

 せっかく、……せっかくの温かい居場所だったのに、

 ラルフの家だったのに、

 こんなの――。

 

 ラルフは静かに頷き、言葉を告げて行く。カーマインも静かに聞いている。お互いに決して揺らがない信念を瞳に宿し、見合う。

 

「その時の絶望は、お前には分からない」

 

「……ああ」

 

 絞り出すようなラルフの声に対して、カーマインは揺るがず、静かに相槌を返した。そんなカーマインにラルフは、ついに自分の中に溜まっているどす黒い感情の炎を吐きだした。

 

「あまつさえ私は自分こそが両親をその手にかけたという記憶を忘れ、殺した罪を他者に擦り付けた。これだけの罪深きバケモノ、生かしておくことは出来ぬ!! ゲヴェルに関わった事で、これ以上、優しい人々が犠牲になるなど、私には許せぬ!!」

 

 !!

 私は息を飲んだ。

 だって――こんなにも、胸が苦しい……。

 ラルフはこんなにも、悲しい目に遭ってるのに――それでもまだ、人の為に剣を振るおうとしているから。

 

 私には、出来なかった……。

 ――私は、ずっとプレシア母さんに振り向いてもらう為に、母さんに笑ってもらう為だけに、人を――なのは達を、傷付けて来たから。

 間違ってると思っても、笑って欲しいと思う感情を私は止められなかった。

 だから――

 

 私にとって、ラルフのその顔は、その瞳は――とても強くて、哀しくて――尊く、儚い。

 

 

 白銀の炎を身に纏い、右手に灼炎を吹きあがらせる妖刀を握って、異形の影を背負う自分と同じ顔の青年に、カーマインは静かに言った。

 

「成る程な。……結局、お前が一番許せないのはお前自身ってワケか」

 

「……」

 

 ラルフはそれに相槌を打つこと無く、異形の瞳で睨み返す。カーマインは気にすることなく、続けた。

 

「お前は、ゲヴェルが許せないんじゃない。罪を犯しながらソレから逃げた自分を、お前は許せないんだ」

 

「ソレで? だからどうした」

 

 ラルフは、冷淡とも言える声音と瞳で返す。異形の――闇を顕現するかのような低く、暗い声で。

 カーマインは静かに腰の絶刀レギンレイヴを抜き放ちながら、言う。

 

「お前が戦う理由……。確かに、ゲヴェルの犠牲者を減らそうという考えは、理解できる。自分や犠牲になった両親と同じ存在を増やさないという考えは、一見まともだ」

 

「――なら、何故止める。貴様も私の考えを――」

 

 ――理解できるはず。そう続けようとしたラルフの言葉は、カーマインの強い口調で止められた。

 

「――だが!」

 

 カーマインは、静かに言葉を続ける。

 

「本当に、それだけか? ラルフ」

 

「どういう事だ?」

 

「自覚していないのか?」

 

 静かに問い返してきたカーマインの次の言葉は、ラルフの心をえぐるように鋭かった。

 

「お前は、自分が両親を手にかけた罪から逃げた事が許せないだけだ。尤もらしい理由で、周りや自分を納得させているに過ぎない。貴様がやろうとしている事は、ゲヴェルを殺すことで、自分の罪(責任)の全てを誰か(ゲヴェル)に押しつけようとしているだけだ!!」

 

「――!!」

 

 瞳を見開き、その鬼眼を容赦なくカーマインに叩きつけるラルフ。カーマインはソレを静かに見据え、更に続けた。

 

「ソレは、先に貴様が語った罪から逃げることとどこが違う? 自分が不幸だからという言葉を逃げ口上にして、責任逃れのために他者の命を奪うこと。俺には、そっちの方が罪深いように思うぜ」

 

 責任――逃れ……?

 ラルフのこの選択も、間違いなの?

 

 カーマイン……、

 ゲヴェルの殺戮衝動から解き放たれる為に――他の騎士達が、自分と同じ存在にならない為に、こんな状態でも前を向いてるラルフでも、間違いなの?

 

 

 なら、

 『正解』って、何?

 答えって――?

 

 お願い、教えて……!

 でないと、私――……何も、変わってない事になるよっ!!

 

 思わず頭を抱えて、私はその場にうずくまった。

 

 容赦と躊躇の無い、袈裟がけ。それをカーマインは動ずる事もなく、自身の刀で止める。赤い炎を纏う刀を持つ――自分と同じ顔の異形を見据えて。

 

「……貴様に、何がわかる!?」

 

 余りの怒りに、ラルフはそれだけしか言葉を成さなかった。怒りに震えるラルフを静かに見据え、カーマインは容赦なく言葉を続ける。

 

「自分の弱さを否定する為に、誰かに責任をなすりつけている。俺にはそう見える」

 

「……黙れ!!」

 

 凄まじいラルフの攻めは、苛烈で――瞬く間にカーマインはその身を炎と刃に蝕まれていく――。全ての斬戟を返して尚、ラルフの炎と斬戟はカーマインの全身を切り刻み、焼いていた。ラルフは、全力でカーマインを殺そうとしている。カーマインは静かに自分の体の状態を見下ろして、確認すると表情を変えること無く、ラルフを見据える。

 そんな彼に、ラルフは刀を静かに下ろし、告げる。

 

「――命が惜しければ、ここで去れ。そうすれば、顔見知りのよしみだ。逃がしてやろう」

 

 それが、最後の忠告だった。これ以上邪魔をするなら、殺すという通告。――だが

 

「貴様に、人を見る目は無いな。そんな事を言われて、俺が立ち去ると思うのか?」

 

 カーマインは静かに刀を左手に持ち、腰を落とす。退く気等、毛頭ない――。それを態度と言葉で示していた。

 

「――ならば、死ね!!」

 

 更に力を高め、己の力を全開にするラルフ。――これまで以上の圧倒的な殺意が、純粋な憎悪が、カーマインに叩きつけられる。

 

「できるものなら、やってみろ!!」

 

 そんなラルフの姿を見て、ついにカーマインも自分の異形を開放した。その全身に白銀の炎を纏い、金と銀の瞳は闇に彩られ、圧倒的な鬼気を放っている。

 

 闘技大会の時とは、明らかに違う状況。

 

 あのときは、片方が相手に合わせ、片方が未熟だった――。けど、今は違う。二人の青年は己の剣に信念を込めて、この先に居る自身の創造主に会う為に――勝つ(斃す)ために――刃を交える。

 気の遠くなるほど、実に長く苛烈で、激しい剣の応酬。両者ともに――まるで退く事をしない、完全な潰し合い――。

 

 ガオオオォンッ!!

 

 これまでで一番強烈な一撃、袈裟がけが互いにぶつかり合った。両者の力は――互角。そのまま、鍔迫り合いの姿勢になる。

 

「――何故、貴様にこれだけの力が……!!」

 

 自分と全く互角に斬り結ぶカーマインに、ラルフは驚愕の表情で告げた。

 才能だけで、自分とここまで向き合えるはずがない。今の自分の姿は、その全身から溢れる殺気は――同族にすら恐れられる。

 なのに――なぜ、この青年は、自分に怯えず、向かってくる?

 

(何故、詭弁しか言わない男に、この私が止められる……!!)

 

 そんな想いを込めた問いに、カーマインは心のままに吼え返す。

 

「自分の弱さと向き合えない奴に、そんな情けない奴に、俺は負けない!!」

 

 ギィンッ!

 

 刀を弾き、一閃。ラルフはソレを真っ向から切り返し、またしても斬戟が中央で激突する。

 

「この私が、弱いだと!? ふざけるな!! 私は強くなった……!! 二度と大切な人を奪われないために。誰かから、奪わない為に……!! 私は何もかも捨てて強くなったんだ!!」

 

 血を吐くように言いながら、更に斬戟を放つラルフ。切り返すカーマイン。

 

「いい加減にしろ、ラルフ!! 何故弱さを否定する!? 貴様は、罪から逃げようとすることは罪深いと言ったな!? ならば、自分の罪(弱さ)に正面から向き合って見せろ!! ゲヴェルの所為にするのではなく、自分自身を乗り越える為に!! そして止まった時を動かす為に!!」

 

 カーマインの怒りは、ラルフに対する弱さ。罪を認めながら、その重さに耐えきれず、逃げようとするラルフへの――苛立ち。

 

「ソレは、詭弁だ!! 奪われたものが奪ったものを憎むのは当然だろう!? 何故、ソレが間違いなんだ!! ならば、貴様は奪われることになった原因に責任はないとほざくのか!?」

 

 ラルフの怒りは、ゲヴェルへの憎しみ。人々から躊躇なく命を奪う全ての、自分を含むゲヴェルへの――怨念。

 

「その責任の取り方が、相手の命を奪って自分も死ぬことだって言うのか? どの面下げて、ほざきやがる!?」

 

「何ぃ!?」

 

 更に――更に激しさを増していく剣と剣。

 

「ラルフ、貴様は被害者だ。貴様の境遇なら、間違いなく俺もゲヴェルに殺意を抱くだろう。だがな! だからって――特別じゃないんだよ!! 誰かの命を奪う事が正しい(当たり前な)わけないだろうが!! いい加減に目を覚ませ!!」

 

「ならば、そこまで特別な心を持って許す事が正しいというのか!? ソレで、奪われた者が納得すると、本気で思っているのか!? ふざけるな!!」

 

 激昂し、斬りかかるラルフの唐竹を見事に紙一重で躱し

 

「――どんなにやるせなくても、どれだけ憎んでいても、許さなければまた新たな憎しみを呼ぶ。どちらかが相手を許さない限り、永遠に殺し合うことになる」

 

 カーマインは静かにラルフに告げる。だが、ラルフはソレに納得などしない。いや、出来ない。

 

「相手を完全に滅ぼせば、そんな事は起きない!!」

 

「いい加減にしろって言ってんだろうが!! そのやり方――、貴様の忌み嫌うゲヴェルそのモノじゃねえか!! 結局、貴様のやろうとしている事は――両親の仇打ちなんかじゃない……!! ただ浅ましいだけの自己満足なんだよ!! ソレで、誰が救われる!?」

 

「浅ましい、だと……!! 自分の守りたい物を――他人に操られ、自分の手で奪ったんだぞ!! ソレを許せないことの、何が浅ましい!! その原因となった存在を憎む事の――何が、自己満足なんだ!!?」

 

 ギィンッ!

 

 刀を弾き、ラルフを後方へ下がらせ、カーマインは静かに問いかける。

 

「――ソレで、何が変わる?」

 

「何――?」

 

「ソレで、貴様の大切なモノは帰ってくるのか? 来ない事は、貴様自身がミーシャに話していたな? 貴様がゲヴェルを殺し、ゲヴェルを慕う同族が貴様を殺し、その同族をジキル達が殺す――。永遠に続く泥沼の殺し合い。ソレが、貴様のやろうとしている事の結末だ。ソレでは、自分自身すら救えない。貴様にとって大切な人達を傷つけていくだけだ……」

 

 今、ラルフの目の前にいるわずかな幸せさえ。

 対峙するカーマインは厳しい戦士の顔で続ける。

 

「ラルフ・ハウエル――貴様の怒りは正しい。だが、どれだけその想いが正しくても、憎しみに取り込まれた者に先は無い。復讐を遂げた時、貴様は唯一自分に残った命すら手放す。そんな無意味な事を――俺は認めない。貴様を想う人々の心を、情けを見ようともしない貴様を、俺は許さない」

 

「……」

 

 先ほどまでの憎悪の表情はやがて、苦悩のソレへと変化している。そんなラルフにカーマインは更に告げる。

 

「貴様には友が居る。貴様を待つ人々が居る。その人達を置いて、死に逃げるなんて――俺が、許さない!!」

 

 力強く、腹の底から響く声に静かに瞑目し、強い意志を瞳に宿して瞳を開け、ラルフもまた、強く言い返す。

 

「例え、貴様が言う事が正しくても! 正しいか間違っているかでは割り切れないこともある!! それが、“人の心”だ!!」

 

 レヴァンテインを構え、その瞳に信念と意志を込めて――ラルフは告げる。

 

「どんなにやるせなくても――どれだけ憎んでいても、心の持ち方で許すことができる!! ソレが――“人の情け”だ!!」

 

 レギンレイヴを構え、その瞳に勇気と覚悟を決めて――カーマインは宣言する。

 

「なら、貴様の情けとやらで、私を止めてみろ!! 我が炎の刃が貴様の甘い戯言を、焼き尽くして見せよう!!」

 

「上等!! 自分の弱さを認められない臆病者の炎で、俺が焼けるか――試してみろ!!」

 

 最早、言葉は不要――。最後の一撃を決める為、両者は静かに剣を構える。

 救世の光と伝説の炎は、ついに――どちらが上か、雌雄を決しようとしていた。

 

 

 ……そう、か……。

 私は地面に手をついたまま、不意に理解した。

 なのはは――なのはだから、分かったんだ……。

 あの模擬戦の時、皆が皆、カーマインの力に怯えてた。――そんな中で、なのはだけが言っていた。

 

 ――彼の身に纏っている光は、どんな絶望も――闇も――明るく照らし出せるように――私には見えるよ……!

 

 って。

 なのはだけが、あの時、カーマインの行動の意味を本当に理解してた。あの身も凍るような――ゲヴェルの強大な力を前にして。

 力に惑わされずに、カーマインの意図を読んだんだ。

 カーマインは、どこかとなくなのはに似てるから……。

 

 ラルフに“死んでほしくない”って。

 

 ホントは、それだけの為に必死だったのかもしれない。

 ラルフや、ラルフを囲う人達の幸せのために――その為に、カーマインは傷だらけになっても、省みずに戦うんだ……!

 

 

 視界が暗転する。

 次のゲヴェルへと移る時が近いのだと、感覚が私に教えてくれる。

 けど――、

 

 お願い。

 もう少しだけ、見させて。

 

 ラルフが――彼が、どんな結末を迎えたのかだけ……

 

 

 私が胸元で手を重ね合わせると、再び視界が晴れて行く。

 場所は――変わらずゲヴェルの肉の城。

 その広間の中央で、ラルフは一人の女性に(いだ)かれていた。

 

「私と――生きて、ラルフ」

 

 女性は穏やかな声でそう言った。抱きしめられているラルフは深く俯いて、人としてむせび泣いてる。ソレを見下して、カーマインはどこか勝ち誇ったかのように笑う。

 

「人間は――温かいだろう? ラルフ」

 

「――お前は、イヤな奴だな」

 

 嫌そうなラルフの言葉に――カーマインは心の底から優しく笑って見せた。




 刺客として人の世に送り込まれた仮面騎士(ゲヴェル)――ラルフ。

 異形としての記憶を持たぬ仮面騎士(ゲヴェル)は、豪商の子として育てられ、慕っていた両親をその手にかけた。
 絶望に塗り固められたラルフは、復讐という大義を抱いて、剣を取る。
 黒き炎を燃やす彼の闇を晴らしたのは――彼に恋慕していた一人の女性。
 彼女の告白により、復讐鬼から人へと還ったラルフは、力なく膝をついて涙した。

 人の情は、何よりも強い――。
 そして、人は一人では生きていけない。
 ――ラルフほどの力を持っていたとしても。

 それをカーマインに確信させた相手である。


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③デュラン -シグナム視点-

 俺の前に初めて現れた――仮面騎士として生きながらも、自分の生き方に疑問を抱いた兄弟。
 その刃は余りにも殺意に彩られていて――だからこそ、俺はいつも――お前から教わるんだ。
 ――命の重みを。
 その男は――俺の右腕で、俺が唯一この背中を預ける相手――デュラン。



 私が次に見たのは、一人の仮面騎士についてだった。

 名を――デュラン。

 

 白銀の異形を象った鎧を纏う男は、ある街道でカーマインを呼び止めた。

 

 

「何故、一人になった?」

 

「その方がいいだろ? ――お互いに」

 

 問いかける仮面騎士(デュラン)に対し、カーマインが平然と答える。

 自分と同じ声、黒髪、体格――。彼等が何者なのか、カーマインは全く分かっていないらしい。それでもまるで――カーマインは、迷わなかった。自分の行動にまるで、淀みがない――。

 

「フン、なかなかの相手のようだな」

 

 気がつけば、カーマインと仮面騎士――デュランと――の一騎打ちを、同族から「最強(ロード)」の称号で呼ばれる――異形の男シュワルゼと、看護師のカレン、ティピが見ている。

 正確には、仲間に被害が出ないようカーマインが一人になった後で、シュワルゼが――ティピとカレンを連れて来た――と言ったところか。

 最強と謳われる異形は、どこか物見遊山気分でカーマインとデュランを見ている。

 

 ――強い。

 

 私は今更ながらに――思った。

 ただ悠然と立っているだけだが、このシュワルゼと言う男――最強と言うだけあって強さに厚みを感じる。

 隙が無いわけではない。いや、むしろ隙だらけだ。

 だがその黄金と蒼銀の瞳が言葉以上に物語る。――触れねば斬られん、と。

 カーマインが、いくら腕を上げてもこの男にはまるで――通じなかったことを――私は改めて思い起こしていた――。

 そんな男の前で、二人の異形――カーマインとデュランは剣を交えた。

 

「行くぞっ!」

 

「本気になったとて……お前に勝ち目はない」

 

 カーマインの凄まじい攻撃。デュランは静かにそれらを(さば)いて行く。だが、返しの一閃をデュランが放った時、彼の背後に超スピードで回り込んだ。――見事。交わされる剣戟は、たった数合でしかなかったが、両者の腕が分かる。

 アトロシャスと戦った時に比べれば――いや、ラルフと二度目に戦った時に比べれば、洗練さが無い。

 この時のカーマインは、これほどまでに勘に頼った野性的な戦い方をしていたのか――。同時に――時系列的に見せてくれているわけではない事も、確信した。

 それにしても――眩いほどの才能を感じさせるカーマインに私は、同じ剣士として息を飲み、今、敵として剣を交えている仮面の男――デュランに視線を移した。

 デュランの剣は才能に恵まれた剣とはまた違っていた――。確実に相手の息の根を止める為に――洗練され、研鑽された修練の剣――。才気あふれ、己の思うがままに剣を振るうカーマインのモノとは対極に位置する剣だと、私は――この剣士を見た――。

 デュランは静かに振り返ると、攻撃を仕掛けてこないカーマインを睨み据えて質問した。

 

「何故だ……? 先程もだ。背後を取っておきながら――お前は、何故急所を狙ってこない!?」

 

「不殺の信念を貫いているんでな」

 

 それに対するカーマインの言葉は、聞いているこちらが驚くほど端的だった。

 

「命のやり取りをしているのに、不殺だと? その信念の為に自分が死んでは意味が無い。生き残る為に殺す。勝つ為に殺す。食う為に殺す――それが、この世界の真理だ」

 

「お前の物差しで世界を測るな。殺す事が、勝つ事じゃない」

 

 ……まるで、逆だと思った。

 アトロシャスがティアナに模擬戦をした時と、逆の状況。

 ――模擬戦の中で、充実した生の為、鮮烈な死闘を演じようとするアトロシャス。

 ――殺し合いの中で、守るべき命の為、不殺の信念を貫かんとするカーマイン。

 

 ……妙だ。

 私はあの模擬戦とも呼べないアトロシャスとカーマインの戦いを見て、両者が似ていると感じた。だが、殺傷にこだわるアトロシャスに反して、カーマインは不殺の信念を掲げている。

 あれほど純粋な殺気と――凄まじいばかりの純粋な――圧倒的な死闘を繰り広げたと言うのに、カーマインの掲げる信念は――不殺。

 

 ――なるほど。これが“不殺の斬撃”か……。

 

 ふとアトロシャスが言っていた言葉を思い出して、私は瞬いた。――なるほど。カーマインの不殺の斬撃とは、私達の魔法ダメージ――つまりは非殺傷系攻撃に似ているのだ。術者がどれだけ本気になっても、相手を殺す心配はない、非殺傷設定。

 それを操る者だからこそ、純粋に死闘を楽しみながら“不殺”を貫けるのだと知った。

 

 ……つまりは、そういうことか。

 

 私は思わずつぶやいた。つまりは、高町の想いを通す為には、カーマインほどの力を持ってしなければあのアトロシャスを止められん、そう言うことか――と。

 

 

 

 自分の気持ちを相手に伝え――。考えていることを振るう刀に込めて――彼等は、剣を振るっていた。剣をぶつけ合いながら、お互いの“生き方”を語り合う為に――。

 コレが、ゲヴェル……。身体能力や反応速度もだが――、彼らは純粋に生きているように、私には見えた。

「昨日よりは今日、今日よりは明日……といった強さ……だな」

 シュワルゼが邪悪に口を歪めながら、二人の剣撃を見ている。その言葉に、彼の肩に座るティピが首を傾げた。

 

「どういう意味なの?」

 

「奴は俺と同等の力に目覚め、それを使いこなす為にここに来た。――だが、奴と俺では決定的な違いがある。人間の情、強さ……それが、あれの力の源か」

 

 シュワルゼの言葉に私も耳を傾ける。

 やはり――と私は、我が意を得たりとばかりに頷いた。――やはり、高町と似ている――、人の情を誰よりも大切にする姿は――主はやてや、高町の様な人間を私に思い起こさせる――。

 

 ズバァッ 互いの刀がなぎ払われ――決着が着いた。アレほど苦戦していたのに、正面から、カーマインはデュランに打ち勝って見せた。

 アトロシャスとの死闘でも――カーマインは最後の方で剣速が上がっていた――。アレは――私の見間違いではなかったのだ。彼は――戦いの中で、急激に成長していく――。まるで――真綿に水をしみこませるように

 

 カーマインは膝を付いたデュランを静かに、その金と銀の瞳で見下ろした。

 

「お前はここ一番――とどめを刺すとき、必ず両手で振り下ろす唐竹を使ってくる。だが、必殺の一撃はそう何度も見せるモノではない。何故、同じ手を何度も見せた?」

 

 その言葉に、デュランは――淡々と、しかし――どこか、聞いているこちらが悲しくなるような声で言う。

 

「……生きるのに、飽いたからだ。俺達は創造主であるゲヴェル様の為に闘い、そして死ぬ。その事に、俺は今まで何の疑問も抱かなかった。だが――そんな俺達の中に自我を持ち、ゲヴェル様に逆らう者が現れた。――それからだ、俺達の様な消去者(イレイザー)が生まれたのは。ほんの少しでも、裏切る素養のある者は殺せ、と。そして――俺は兄弟を殺めて来た。自分の分身である存在さえ殺め、お互いを信じる事さえ出来ぬ仲間……それに何の意味がある? だから――俺は、自我を持ったアンタが羨ましかった」

  

 その言葉に――私は、思わず自分の胸を抑えた――。

 彼は――なんと言った? ゲヴェルに苦しまされていたのは、カーマインやラルフ達だけでは無い――のか?

 私の頭に記憶が流れ込んでくる――。

 人間の社会に送り込まれ、人として生きるカーマイン達は赤子の状態で生み出される。彼らは、人として育ったが故に、人としての自我が強くあった――。その為、イレギュラーと呼ばれる存在として創造主(ゲヴェル)に忌み嫌われ、ソレを抹殺する掃除屋として、カーマイン達と同じ――創造主(ゲヴェル)の手足となる為に――初めから成人した体格で作られた仮面騎士達に白羽の矢が立ったのだ――。

 自分と同じくして、同じ細胞から――同じ目的で作り出された兄弟――。彼ら――仮面騎士にとっては血を分けた兄弟よりも深い――いわば、もう一人の自分――。ソレを、殺していく行為に、デュランは疑問を感じ――自我が芽生えたという。

 

 意識を二人に戻した時――デュランは、仮面の奥から澄んだ瞳でカーマインを見ていた。

 

「今度は、俺からの質問だ。何故、アンタは俺を殺さなかった? あと一歩踏み込めば、俺を殺せたものを」

 

 その問いに、やはり揺るがぬ瞳で――カーマインは静かに返した。

 

「あと一歩踏み込んでいたら、俺は負けていたさ」

 

「俺の負け……いや、アンタの勝ちだ」

 

 そんなカーマインの答えに――諦めたような、疲れきったようなデュランの声。カーマインは静かに語りかけた。

 

「生きている理由――生きる意志、生きる意味は、これからお前自身の目で世界を見、答えを出せ」

 

「ならば、アンタの剣に俺はなろう。その答えとやらを見出すまで」

 

 その言葉に――王に忠誠を誓う騎士のように片膝を付く一礼をして、デュランは述べた。

 

―― なるほど、デュランは――こうして出会ったのか。自分の真の主に ――

 

 ソレは―― 決して一時的な思い付きの行為ではない筈だ。デュランほどの剣士ならば――カーマインに何かを見たのだろう――。私が、主はやてを思い起こしたモノを。

 

 

 場面が変わり――迷いの森と呼ばれる深い樹海の街道でカーマイン達は歩いていた。デュランは、自分達の先頭を歩くカーマインの背中に問いかけた。

 

「何故だ? 何故あんたは迷うことなく仮面騎士と同じ奴らを助けた?」

 

 私の記憶に――この森にある遺跡の情報が流れてくる。

 遺跡の入り口にて、強力な魔力保持者グローシアンの王族とゲヴェルの融合体――と名乗る青年との戦闘。

 その際に――そこに、三人の青年が居た。カーマインと同じ顔の青年達が。

 彼らを、カーマインは迷うことなく助けたのだ……。人に害をなすかもしれない相手〈仮面騎士〉だというのに……。

 それが、この時のデュランには――理解できなかったのだろう。

 

「そんな事、決まってんじゃない! あの人達と仮面騎士達って全然違うわよ! アタシ、一目で分かっちゃった!!」

 

 その疑問に応えたのは、カーマインではなく彼の肩に座る妖精――ティピだった。

 

「……何?」

 

 首を傾げるデュランに、カーマインは静かに話し始めた。私も思わず注目してしまう――。

 ゲヴェルの手先である筈の、異形の青年達が――カーマイン達のように人としての自我を持っている者達であると見抜いた理由とは?

 

「俺の知る仮面達とあいつ等が違う理由、か? 簡単だ。彼らの瞳に宿る強い意志。共に闘う仲間達を想い、自分も強くあろうとする絆。俺はこれまでの旅で幾度となくあの眼をした者達に合ってきた」

 

 やけに自信ありげなそのセリフに、デュランは力が抜けた。

 私は――不思議な気分だった――。どんな理路整然とした答えかと期待していたから、デュランが拍子抜けした気持ちは分かる――。

 しかし、カーマインから出た言葉は、不思議と説得力があるような気が――私には感じたのだ。

 

「……それだけ? たったそれだけの理由で、助けたと言うのか?」

 

 困惑した様子で疑問を口にするデュラン。

 

「彼等が悪党ではないと言い切れる理由など、それで十分だ」

 

 そんな彼に――カーマインは、足を止めて静かに向き直った。強い輝きを灯した金と銀の瞳で。

 

「いくら姿が同じでも、いくら剣の腕がすごくても、所詮仮面騎士は傀儡にすぎない。人として成し遂げなければならない目的、その為に戦う覚悟は、半端な意思じゃ乗り越えられやしない。あの瞳の輝きを……」

 

「……アンタは」

 

 カーマインの言葉は淡々としていた。だが、その奥にある熱いモノはデュランの心を震わせる。

 私の口元には――知らぬ内に笑みが浮かんでいた――。

 ああ――、そうだデュラン。人の心を持つ事――、人の情けや温かさを知ることは――自分自身に、心を与えてくれる。誰かを信じる強き、輝きを――

 

「俺は、あの輝きを持つ人の為に闘いたい。力は無くとも今を懸命に生き、平和に生きている人々の為に。そして力を持って己の利益の為だけに、それらを壊す者から――彼等を守る為に、俺は剣を振るう。ソレが俺の意志。俺が剣を振るう理由だ」

 

 カーマインの真っ直ぐな瞳を、デュランは眩しげに見ていた。

 よくわかる――。私も――与えられた輝きだから。命の輝きを――我が主から。

 

「お前なら――必ず見つけられる。剣を振るう意味を…!」

 

「……剣を振るう理由」

 

 チラリとデュランはカーマインの指輪を――レギンレイヴを見やる。その指輪に込められた覚悟を見る。ソレに、カーマインは力強くうなずいた。

 

「俺は――お前を信じている」

 

 その言葉に、デュランは静かに自分が握った拳を見る。

 貴方が握りしめるモノ――ソレは、何か。似たような立場にある剣士として――見せてもらうぞデュラン。

 

 

 

 保養地ラシェル。

 再びの場面転換――。そこは緑に覆われた静かな保養地――。そこにある大きな病院の入り口の前にある広間で、デュランは静かに――カーマインを待っていた。

 その瞳に――何かを決意したような――強い輝きを宿して。

 

「……俺は今一度、アンタと剣を交えたい。“自分自身”を見つける為に…!」

 

 カーマインは静かに、いつもの強い意志を宿した瞳で――デュランの双眸を見据える。

 

「――それでお前の迷いは晴れるのか?」

 

「分からん。だが――その前にどうしても、アンタに聞きたい。何故アンタは、人を殺し抜いた俺達を――ゲヴェルを――許せる?」

 

 真摯な光を瞳にたたえて――問いかけるデュラン。

 

 デュランの疑問は尤もだ。人の命を大切に思っているカーマインが、何故――人々を殺してきたデュランを信じ――許すのだろう? 自分が最も忌み嫌う――必殺の刃を振るう――剣士を。

 何と応えるのか――、私は知らぬうちに――カーマインの答えを楽しみにしている感覚に気付いた。

 カーマインはその瞳をしっかりと見据え、言う。

 

「俺は――人間だ。だが、自分がゲヴェルでもあることを否定はしない。そう言う事だ」

 

 まただ――。また、こちらの想像の上を行く――。その言葉は、しかし――主はやてならば言うかもしれない。そんな不思議な――楽しみ。

 

「……何?」

 

 こちらの思惑等、分からず――怪訝そうな顔をするデュランの瞳を真っ直ぐに見据え、カーマインは続ける。

 

「人間を尊重し、ゲヴェルを否定する気はない。――どちらも等しく、命なのだから」

 

「……どちらも等しき命」

 

 カーマインは静かに自分の覚悟を投影する刀を――レギンレイヴを具現化。左手に一本で持ち、腰を落として斜に構える。その構えに隙は無く――、私が見たアトロシャスとの戦いでのカーマインのイメージと合致した。

 どうやら、ここらである程度の剣術を完成させているようだ――。

 

「ここから先は、言葉で交わすもんじゃない。…そうだろ?」

 

 言葉を受け、デュランも静かに自分の背中の腰部分に――水平に差した黒柄の長刀――リーヴェイグを抜き放つ。

 以前は持っていなかった――カーマインの絶刀によく似た白と黒の二振りの長刀。デュランはその内の黒い柄の刀を選んだ。

 カーマインが不敵に笑い――どこか、気軽に話しかける。その表情は――アトロシャスとの戦いで見せた時と同じ表情だった――。

 

「今度は、お互い全く同じ条件でやれるな」

 

「ああ。だからこそ――アンタに真剣勝負、申し込む!!」

 

 デュランの全身を白銀の炎が覆う。宣言の後に――カーマインにも匹敵する圧倒的な鬼気がデュランから放たれる。

 

「――上等!!」

 

 カーマインも不敵に笑って、全身に白銀の炎を纏う。互いの背に一瞬現れた異形の影が――睨みあう。

 ―――抜き身の刃。私が受けた今のデュランの印象は、正しくソレだった。

 相手を殺す――その事だけを優先し、研鑽を重ねて洗練され、完成された殺人剣。

 

「――これが、俺の真の刃。テメエに破れるか!? カーマイン!!」

 

「貴様らしくないな。御託も遠慮もいらん……。本気で()くぞ!!」

 

 互いに咆哮し、剣を交え会う光の異形、二匹。

 その斬激は――空間をスパッと切り裂く――。その脚力は、土を掘り起こし――舞いあげる。そのスピードは――木々を揺らし――そのパワーは大地を起こす。

 伝説の――異形、ゲヴェル同士の真剣勝負――。ラルフとの戦いで分かってはいたが――改めてみても凄まじいモノだ――。

 もし、オーバーSの魔導師が、全力でぶつかり合えば――こんな光景が見られるのだろうか――?

 どれくらいの時が経ったのだろう。青い空は今、夕焼けに紅く染まっている。それなのに、まるで二匹の異形は疲れを知らず、いや最初に剣を交えた時より更に力が、剣術が、スピードが上がっている。

 瞳に鬼気を、口元に笑みを浮かべて、二匹の異形は実に楽しそうに激しい剣をぶつけあう。一つでも喰らえば致命傷確実の一閃が目の前で交差し、眼前を通り過ぎていると言うのに、カーマインもデュランも笑っていた。

 

「――楽しそうだな、デュラン」

 

「アンタの剣は、俺にいつも新しい事を教えてくれる……! 死を眼前に見ながら笑みすら浮かべ、迷うことなく斬りつける意志。そして、異形の波動に影響されながらも決して揺るがぬ不殺の信念……。初めて会った時から分かっちゃいたが……大した野郎だ、アンタ」

 

 剣を繰り出しながらのカーマインの呼びかけに、デュランは剣を返しながら自分の感情を素直に返した。その言葉に、カーマインもまた、自分が感じる命の煌めきを――称賛する。

 

「貴様こそ、相手を殺す為に己の命すら捨て、死地へと踏み込むその一歩。振り切られる迷いなき斬閃。そして何より――向かい合うだけでビリビリ来るこの気迫……見事としか言いようがない……!! 常に死を感じながら、生きて来たその剣は、俺に命の大切さを教えてくれる。――だから、俺は貴様に勝つ!!」

 

 ギィンッ 刀と刀が弾きあう。互いに後方へバックステップし構え会う。

 

「――なら、そろそろ決めようぜ!!」

 

 互いに同時に踏み込み、剣を振りかぶる。カーマインは両手持ちの唐竹割り。デュランは右袈裟がけ。共に自分の全てを込めた強打撃。放たれた斬戟は――。

 カーマインの刀はデュランの頭頂部に――。

 デュランの刀は、カーマインの首の付け根に――。

 それぞれ、触れる寸前で止まっていた――。互いに見合い、どちらからともなく刃をゆっくりと退いて向かい合う――。

 

 余りにも――鮮やかな一閃だった――。両者の斬激は――余りにも美しい一撃だった。互いの万感の想いを――不殺の覚悟と必殺の信念を――ぶつけ合った斬戟だった――。

 これぞ、正しく――真剣勝負。

 

 互いに剣を構え合いながら制止して――しばらく、デュランが静かに刀を納めた。

 

「流石は――我が主、カーマイン・フォルスマイヤー様。参りました」

 

 静かに頭を下げるデュランを、カーマインはキョトンと見た後、呆れたと言う溜息を付いて――

 

「全く――敵わないな。お前には」

 

 苦笑と共に返しながら、自分の刀を納める。この時、デュランはカーマインを正式に主と認め、カーマインはデュランが自分に仕える事を承諾したのだった。

 

「俺は剣士。骨の髄まで、剣士である俺には、刃を振るう以外に出来る事は無い。ならばこそ我が刃――カーマイン様の為だけに振るいましょうぞ」

 

「……俺の為ではなく、助けを求める命の為に剣を振ってほしいが、ソレは無理か?」

 

 カーマインの言葉に静かに叩頭するにとどめるデュラン。やれやれとカーマインは溜息を吐いて、しかし穏やかに微笑して見せた。

 

 

 なるほど、ここでようやくデュランは――カーマインに仕える事を決めたのか。己自身の気持ちに整理を付ける為に――全力で、挑んだ――。

 その気持ち――同じ剣士として、羨ましくあるぞ――。

 

 

 次の場面転換は――、余りにも唐突だった――。王都ローザリア東側の街道で――カーマインが何者かと口論している――。彼の顔色は真っ青で――今にも倒れ込みそうだというのに――。

 私の頭に――情報が流れてくる。

 カーマインは命を削り、不殺の斬戟を駆使して戦ってきた――そのツケが、彼自身の生命力だった――。もはや、彼の体は――いつ崩壊してもおかしくは無い――。絶対に安静にしなければならない状態だと分かった。――なのに。

 

 保養地ラシェルで――自分達の基となった人物が療養していた。世界を支配しようとする男――ヴェンツェルは、ラシェルに現れ、その人物を捕えようとしていた。

 その動きを察したカーマインは、消耗しきった命と体を持って、ヴェンツェルとの戦いに臨もうと仲間の制止を振り切り、王都ローザリアから駆けだしていたのだ――。

 

 だが、そんな彼の前に立ちはだかったのは――デュランだった。

 カーマインは蒼ざめた顔であるにも関わらず――凄まじい気迫で言い放つ。

 

「そこを――どけ、デュラン!!」

 

「今は耐えるときです。あなたの命を――散らすわけにはいかねえ」

 

 カーマインの恫喝にも冷静に淡々と答えるデュラン。静かに白い柄の長刀を抜き放つ。

 

「剣を交えてでも、お止めさせていただく。あなたは――まだ、死ぬべき時ではない」

 

 カーマインも静かに刀を抜き放つ。

 

 片方は仲間の危機を救うため――、片方は主の身を守るため――、互いに刀を構え合う――。カーマインは死にかけているというのが信じられないほど――圧倒的な身体能力でデュランと切り結ぶ。

 

 お互いに剣をぶつけ合い、互いの影を追うように所せましと駆けまわる。ソレほどのスピードで、斬戟の中で、二人は語り合う。

 

「貴方が守りたい仲間の為にも――、ここは耐えるべき時です」

 

「――今、俺の大切な仲間が――危機に陥っている。俺が命を賭ける理由は――それで十分だ!!」

 

 猛るカーマインに、デュランも睨みを利かせる。

 

「まだ、分からねえのか!? アンタが死んだら、誰がヴェンツェルを倒す!! アンタしかいねえんだぞ、人間の為に命を張ろうってゲヴェルは!!」

 

「……!!」

 

「まさか、俺が――アンタの意志を継ぐなんて思っちゃいねえだろうな? 言っとくが、カーマイン。俺はアンタに忠誠を誓ったが、だからって人間の為に――アンタの仲間の為に戦おうなんて気は、コレぽっちもないんだぜ」

 

 カーマインは目を見開いている。デュランの瞳は――本気だ。本気で――カーマインの仲間の為には戦わないと――言っている。命よりも仲間が大切だと言い切る――主の前で――。

 

「アンタが死ねば、俺は人間もゲヴェルも関係なく、ヴェンツェルに与するものを皆殺しにしてやる」

 

「――デュラン」

 

「甘ったれんな。アンタは仲間を助けるんだろう? なら――最後まで守りぬけよ、ヴェンツェルを倒すまで!!」

 

 デュランの一喝は鋭く、力強い――。カーマインの甘えを断ち切るかのように。

 対するカーマインは―― 静かに見開いた瞳を閉じ――再び開く。開かれた瞳はいつも通り揺れることなく、レギンレイヴを相手に左手一本で突き出して、強く宣言する。

 

「その為に――目の前の仲間を諦めろって? ふざけんなよ……!! ヴェンツェルとの勝負などラシェルで終わらせてやる」

 

 デュランもまた、強く返す。その瞳に――カーマインに優るとも劣らない光を宿して――。

 

「ソレが――不可能であることは、アンタが一番分かってるだろうが」

 

 激しい剣の応酬。因子抜きでも――彼らの剣の腕は、常軌を逸している。交差後方に斬り合う両者。

 ズバァッ 一閃が、カーマインの体を袈裟がけに切り捨てた。ガクゥッ 片膝をつき見上げるカーマイン、仁王立ちで見下ろすデュラン。

 ――初めて会った時と――まったく逆の状況だった。

 

「皮、一枚だ。安静にしてもらう」

 

「舐めるな。この程度で――俺が、倒せると思ったか?」

 

 カーマインはついに白銀の炎を身にまとい、因子を解放した。異形の影を背にして――無理やり傷口を塞ぎ、刀を構えなおす。そのカーマインの姿に、デュランは目を見開いた。

 

「――アンタ、その体で――因子を使えば!!」

 

 ――残り少ない命を削る事になる――。カーマイン、お前と言う男は!!

 

「俺にとって、仲間は――命より大切なんだよ!! 一人でも見捨ててたまるか!! 絶対に守って見せる!! どけ、デュラン!!」

 

「――この、分からず屋が!!」

 

 吠え返すデュランもまた――白銀の炎と異形の影を顕現させ、切り返していく――。

 凄まじいばかりの戦い――。だが、長く続いたこの勝負も――終わりの時がきた――。

 黄金に輝く刀が一閃。斬られたのは――カーマイン。しかし、その体に傷は無く、解放された力だけが切り捨てられていた。パワーストーン、人の強き意志を反映する奇跡の石は――デュランの振るう“極殺の刃”に、“不殺の斬戟”を顕現させて見せたのだ――。

 力を切り捨てられても、カーマインは刀を構えようとする。しかし――

 

「お、れは――ま、け、ねえ……」

 

「――カーマイン様!!」

 

 体中の力が抜け――倒れ伏す寸前で、抱きとめ、デュランは――主カーマインの顔をのぞき見る。

 

「このデュラン――。必ずや、あなたの大切な仲間を守りぬき――あの外道を斬って見せましょうぞ。だから――それまで、どうか――お休みください」

 

 蒼ざめた主の顔にそう告げ、デュランは静かに――拳を強く握り締める――。

 

 これほどまでの忠誠心だったとは――。今回のデュランの判断は、私に考えさせられるモノだった――。しかし――このヴェンツェルと言うのは――何者なのだろう?




 極殺の刃――同族を殺め続けたデュランが周りから呼ばれた二つ名である。
 しかし――彼は、自分の在り方に、疑問を持ち苦しみながら剣を振るい続けていた――。
 そんな彼を救ったカーマインに、彼は忠誠を誓い、時にカーマインの背を守るためだけに刃を振るい、時にカーマインが誤った判断をすればその身を呈して止める剣士となった。
 その彼の姿は――後に人々にこう称されるようになる。
 ――“救世の右腕”と。


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④アステア -リィンフォースⅡ視点-

 人を嘲笑しながら――、己の力に慢心しているような表情で。だが、決してその瞳は揺るがない――。氷のように冷たい殺意。
 感情の全てを排し、敵をせん滅する事を優先させるお前の在り方――。ソレはいつも、俺自身に戒めを与える。
 本当に、俺は人を――“心”を救えているのか、と――。
 俺の左腕を名乗る奴の名は――アステア・クロスロード。


 ――グローシアン失踪事件、と言うのが起きました。

 日食や月食の日に生まれた魔力の強い人達が、何者かによって襲われ、殺害されたという事件が、カーマインさん達の隣国で起きたんです。

 

 そんな時期に、カーマインさん達はゲヴェルについて知る為に、クレイン村、と言う所を訪れました。

 

 隣国の北東部にある、クレイン村。

 

 ここはかつて、十数年も傭兵団の団長さんを探し続けている放浪の剣士、ウォレスさんが両目と右腕を失った場所でありました。

 カーマインさんは村の傍にある滝壺の場所を、言い当てます。

 ウォレスさんがまさに、両目と右腕を失った場所を。

 これは、カーマインさんが『夢を通して他の仮面騎士達の行動を見ている』――という精神感応が働いたから、分かった事なんです。

 

 ――そして、このクレイン村は――隣国で起きているグローシアン失踪事件の被害者が、出た場所でもあったんです。

 

 村長さんに許可をもらい、行方不明者が出るという滝壺の裏にカーマインさん達は向かいました。

 そして、カーマインさんは自分と同じ顔をした男の人――アステア・クロスロードさんと出会ったのです――。

 

「――何故だ」

 

「……」

 

 氷のような無感情な問いかけ。

 ピクリと鬼気を放つ瞳を訝しげに開くカーマインさんに、アステアさんは全く表情を――感情を乗せずに聞きました。余りにも冷淡で冷酷で――冷え切ったその瞳で。

 

「貴様は――これほどの力が有りながら、何故人間達の為に戦う? あんな薄汚い奴等を。口では愛を語りながら――私利私欲のために、仲間を殺し、時には家族をも殺し、自分の為だけに生きる愚かな――救いようのないバカどもを?」

 

 この時――私の頭に今まで通り、記憶が流れてきました。

 ゲヴェルによってバーンシュタイン貴族の家に送り込まれたアステアさんは、物心ついた頃に――その稀有な美貌を見初められて、送りこまれた先の貴族に権力者へと売り払われたのです。

 揺れる馬車の中――お金で売られたアステアさん。彼は――まったくの無表情でした。感情など無いのかと言うほどに冷たい――無表情。

 見ているこちらが苦しくなるほどに――。

 そんな彼の乗る馬車を――盗賊が襲いました――。盗賊達は、貴族の馬車に乗る者たちから――アステアさんの育ての両親から――次々と金品を巻き上げ、殺していきます。

 赤い血が飛び交う光景を――しかし、彼は――無表情に見つめるだけでした。盗賊達は、アステアさんにまで刃を向けます――。

 しかし、彼は無表情に右の手を相手に向けて突き出すと魔力を――炎を練って放ったんです。アステアさんの力に恐れを成しながらも、その力をどうにかして利用できないかと考えた盗賊のお頭さんは、アステアさんを一緒に連れていく事にしました。

 その旅先で――様々な人々が襲われ、殺されていくのを――アステアさんは見ていたのです――。ただ無感情に――、子供を売る親、婚約者を売る恋人、次々と命乞いをしながら死んでいく人々――。

 余りに凄惨な光景――。このままずっと続いて行くのかと思っていた矢先――、盗賊団は一人の男を襲い――返り討ちにあったんです。

 臙脂の髪。軽くウェーブした髪が無造作に伸びていて、まだお若いのに野暮ったい感じの男の人でした。目は切れ長で、暗い蒼瞳には、常人にない凄みがあります。男の人の顎には無精ひげが散っていて、黒いスーツに黒いシャツ、白のネクタイ――という、いかにも悪そうな風体の人です。

 男の人は冷酷な瞳をアステアさんに向けて、笑いかけます。

 

「――ほう? 大したガキだ。これだけの血を見て、泣き叫びもせずに――ジッとしてやがるとはな」

 

「……別に、何て事もない。死ぬことも――生きることも、どうでもいい」

 

 !

 アステアさん、そんな――!

 無表情につぶやくアステアさんの姿に、私が衝撃を受けても――アステアさんは変わりません。あの時――、シャスさんと対峙した時に見せた――冷たい金と銀の双眸で――この危険な男の人を見ています。

 

「良い目だ――! 気に入ったぜ――。オメエ、俺と一緒に来い――」

 

「――何?」

 

 アステアさんは冷たい声音で問い返します。ソレに――男性は答えました。

 

「――どうせなら、一流の殺し屋になってみねえか? オメエにはそうなる素質がある。この俺が教えてやるよ――、人間ってのがどれだけ薄汚くて、命を奪うって事が――どれだけ甘美なモノか」

 

 ダメです! 付いて行ってはダメです!! アステアさん!!

 私の叫びが届く事は無く――アステアさんは、この危険な男の人の許で、学んでいくんです。人とは――どれほど殺しやすいか、壊れやすいか。

 狂気そのモノ――。男と過ごしたのは、僅か半年だと言うのに――アステアさんは以降、人間を騙し、殺していく道を選んでいました――。人を信じることが出来ず、生きる目的すら持てず――ただ、存在する。

 人形のような、彼は――ゲヴェルの精神支配を受け、仮面騎士として――イレイザーとして、生きて行きます――。人間を――殺していく。

 余りにも――その光景は、冷酷で――残酷で――、酷いモノでした――。

 

 記憶の中のカーマインさんもまた、過去のアステアさんによってアステアさんの過去を見ていたようです。

 故に、私と同じモノを見たカーマインさんは、こう言いました。

 

「アステア、貴様の周りに居た奴等がクズと呼べる存在だったのは――否定せん。だが、全ての人間を貴様の物差しで測るな。自分の主観だけで世界を図る行為は――愚かだ。まして――自分の状況を変えようともせず、ただ生きていた貴様に――人を語る資格は無い」

 

 カーマインさんは静かに、揺るがぬ瞳を持って告げたんです。

 

 そうです――。アステアさん、貴方は――ただ、見ているしかしていません。自分で行動を起こしてすらいないんです――。それじゃあ……、誰も信じられなくて当然です。

 奪われ嘆く人たちの悲しみを――貴方は理解しようとせず、ただ傍観していた――貴方には!

 

「――人間の為に、剣を振るう? 人を守る剣等、所詮は絵空事。望めば、ゲヴェルとして、シュワルゼにさえ届く器が有りながら――人間等の為に、ソレだけの力を捨てる気か?」

 

「俺は生涯、人の心を捨てぬ。俺は――人と共に生きる事を選んだゲヴェル、カーマインだ!!」

 

 強く宣言するカーマインさん、アステアさんは静かに――けれど、その氷の瞳に激情の炎を宿し始めていました。

 

「……ほざけ」

 

「アステアよ、貴様も本当は信じているんだろう? 人の情を」

 

 思いがけないカーマインさんの言葉に、一瞬アステアさんの表情が歪みました。

 

 どういう事なんでしょう? 人を信じる気持があれば、アステアさんは――あんな風に人を見捨てたりできないのでは――?

 

 そんな、私の疑問にカーマインさんは答えてくれました。

 

「貴様は、人が醜いと言ったな? だが、ソレは人の矛盾を許せない貴様自身の人への想いではないのか? 片方では愛をときながら、もう片方で平然と裏切る――人間の矛盾。貴様は――ソレが許せないのだ」

 

 自分を愛してくれる――育ててくれる筈の両親が、自分を売って、その状況を救ったのが非情な山賊で――、その山賊達が襲った者達は――自分の家族の命を盾に――逃げようとしていた。

 最後に――アステアさんの前に現れた名も無き男は――その圧倒的な残酷性で、今を生きる術をアステアさんに教えて――、その通りにアステアさんは、生きていくことが出来た――。

 

「だからこそ、貴様は――自分の生き方を認められず、だからこそ――貴様は人を信じられない」

 

「デュランと同じように――俺を丸めこもうと言うのか?」

 

 カーマインさんの言葉に、アステアさんは氷の刃を想わせるほど冷たい声音で聞いてきます。けれど、カーマインさんは必死で訴えかけたんです。この(ヒト)の苦しみや悲しみ、ソレは恐らく――自分が味わうかも知れなかったモノ――。

 カーマインさん、貴方は――。

 

「人間を、もう一度信じてくれ……!! 人の情ってヤツを!!」

 

 だから――カーマインさん、貴方は、どうしても斬れないんですね。彼等は――自分だから。

 カーマインさんの想いを受け、アステアさんは静かに口を開きます。

 

「――貴様が、俺の過ちを証明できるのならば。貴様と共に行ってやろう」

 

「証明――?」

 

 次の瞬間、アステアさんは今一度――、闘いの中で最大の一撃を、魔力を己の刀に流し込みます。フルパワーです。

 白銀の炎を身に纏い、黄金の翼を背に生じさせて――、その金と銀の闇に彩られた視線をカーマインさんに向けます。

 

「ゲヴェル同士で決めるんだ――。“力”以外に無いだろう!!」

 

「――いいだろう。受けて立つ!!」

 

 最後の一撃。ズバァッ カーマインさんの一閃が、アステアさんの強力な魔力砲を打ち破り、彼の胸をその不殺の斬戟で――切り裂きました。静かに刀を払い、カーマインさんは、片膝を付いたアステアさんを見下ろします。

 

「ソレだけの力が有るのなら――俺を殺せたハズだ。何故――?」

 

 アステアさんは肩で息をしながら、問いかけます。対するカーマインさんは静かに――アステアさんを見ていました。

 

「――アステアよ、貴様一人の主観で動いた所で、世界は変わらん。十人の人が、一歩踏み出して初めて、世界は変わるんだ」

 

 アステアさんは、静かに自分と同じ顔をした男を見上げています。

 

「決めるなよ――」

 

「――何?」

 

 唐突に放たれたカーマインさんの言葉に、アステアさんは訝しげに問い返しました。すると、力強い鬼眼がアステアさんの瞳を見返していたんです。

 

「――人の在り方、生き方を、貴様一人の考えで決めるな」

 

 アステアさんは、静かに顔を俯け、その言葉を噛み締めるように数秒黙ります。しかし、直ぐに冷たい瞳に、口元に嘲笑を張り付けて、言いました。

 

「考え直した所で、また同じ結論かも知れんぞ?」

 

 そう告げた時、カーマインさんはこれ以上ないくらいに不敵に笑っていたんです。まるで――アステアさんがそう告げるのが分かっていたかのように――。

 

「――その時は、何度でも貴様の間違いを正してやる」

 

 ソレが、その笑みが――最後のアステアさんの防波堤を崩しました。その体から拒絶の空気が消え、カーマインさんを心から、認めたんです――。

 

 アレから――様々な出来事が起こり、カーマインさん達はついに――自分達の創造主であるゲヴェルの根城を発見しました。攻め入るのは――明日。隣国の城のテラスで月を眺めるカーマインさんに、アステアさんは声をかけます。

 

「貴様は――何故、そこまでして戦う」

 

「どういう意味だ?」

 

 淡々とした返答に、アステアさんは眉根を寄せ、問いかけました。

 

「貴様の命は――もう長くあるまい。ゲヴェルを殺せば、一気に――」

 

「――フン、知ってたのか」

 

 

 ――え? カーマインさんの命が長くない――? ソレは、どういう事なんですか?

 

 対峙するカーマインさんはいつも通りの口調で、冷静に応えていました。アステアさんも簡潔な回答に思わず目を丸くしています。

 

「不殺の斬戟を使えば死ぬと分かっていて――使うのか? 何の為に?」

 

 私の頭の中に――新しい情報が流れてきました――。

 カーマインさんの使う“不殺の斬戟”。

 非殺傷設定というモノがないこの世界で――出来るソレは――実は、人々の願いを現実のものとして具現化させる奇跡の石――パワーストーンによって出来ていたのです。

 しかし――このパワーストーンは、ただ願いを叶えてお終いの便利な石ではありません。願いを叶えた分――その願いに応じた天変地異が、世界で起こり、起こした奇跡を帳消しにする――コレを、因果律と呼んでいます。

 今回、カーマインさんが使っている不殺の斬戟は相手の命を奪わずに勝つ。

 必要以上に傷つけずに勝つモノ。

 そんな奇跡の刃の代償は――世界の天変地異ではなく、使い手の生命力だったんです。

 

 だから――アステアさんは問いかけます。それこそが、アステアさんがカーマインさんに訊きたかったことだったんです。だから――カーマインさんも真摯な瞳で応えてくれました。

 

「自分にとって大切な――仲間の為に。そして――自分自身のために」

 

「ソレが――心と言うヤツか? 命よりも大事か?」

 

 アステアさんの問いに――無表情で冷めた口調のアステアさんに、カーマインさんは正面から迷い無き言葉を放ちました。

 

「ああ――。俺にとっては、自分らしく在る事が――生きるってことだからな」

 

「――フン。なら、勝手にしろ」

 

 踵を返したアステアさんに、カーマインさんは声をかけました。

 

「悪い、皆には話さないでくれ」

 

 その言葉に、一瞬立ち止まるけれど――結局何も言わず、アステアさんは去っていってしまいました。

 

 どうして――、止めないんですか? アステアさん。

 このままじゃ――カーマインさんは。

 ソレに――貴方は――あの時と、何も変わらないつもりなんですか?

 カーマインさんに出会う前と――何も変わらず、ただ――傍観していくつもりなんですか、応えてください!

 

 保養地ラシェルを襲うヴェンツェルに対し、命を削りながらも戦いを挑もうとするカーマインさん。仲間の制止も振り切り、ローザリアを飛び出ようとするのを、デュランさんが止め――二人は刃を交えました。この映像は――デュランさんとの記憶で見ましたね。

 どうやら、カーマインさんが気を失った直後の出来事のようです。

 

 この時、カーマインさんは仲間の為に。デュランさんはカーマインさん自身のために――剣を交えました。アステアさんは二人の戦いに立ち会い、結界を張って誰も手出しできないようにしてたんです。

 

「……」

 

 長く凄まじい激闘の果てに、カーマインさんは意識を失いました。デュランさんが体を静かに抱きとめ、アステアさんに手渡します。

 

「――何故、戦った? 貴様にとって、カーマインは主なのだろう?」

 

 カーマインさんを受け取りながら、アステアさんは問いかけました。

 

「だから、だ。主であり、誰よりも守らなければいけない存在だからこそ、主の間違いを正さなければならねえ。ソレが――俺の役目だ」

 

「……一つ、教えてくれ。貴様は――仮面騎士として、生きて来た筈だ。ならば――人間の汚さを知っているんだろう?」

 

 アステアさんはいつも通りの口調なのに――その言葉に、デュランさんは彼の瞳を見つめて真摯にうなずきました。どことなく、切羽詰まったものを――私も感じます

 

「――ああ」

 

「なのに、そんな奴らのために――貴様は、自分の大事な主を斬ったのか? 自分の身を斬る事よりも、貴様にとって辛い事だろう?」

 

 その言葉に――しかし、デュランさんは首を横に振りました。

 

「確かに――カーマイン様に刃を向けた事は、俺にとっちゃ自分の命を失う事よりも、辛い。人間の為に、そんなこと、出来やしねえ」

 

「――主の願いである、人間を守ろうとしたのでは、ないと?」

 

 アステアさんの問いにコクリと頷き、デュランさんは――アステアさんの腕の中に居るカーマインさんの顔を見つめました。

 

「このまま、ヴェンツェルと戦えば、間違いなくこの方は死ぬ。ソレも躊躇なく、な。だが――それでヴェンツェルを逃がさず倒せるとは限らねえ。いや、命の無駄遣いになる可能性が高い」

 

 

 デュランさんは、カーマインさんをただ死なせたくないから止めたのでは――ない、って。目的を果たせずに死なせたくないから――止めたんだって、語ってくれました。

 

「……」

 

「ならば――この俺が、その代わりをする。刃を振るう事に関しちゃ、俺もそれなりの自負があるんでな。それが――この方から教わった情に対する、俺の返事だ」

 

 デュランさんは静かに――アステアさんに背を向け、歩いて行きます。ヴェンツェルという男と戦う為に。カーマインさんに自分の生き方を貫いてもらう為に――。

 

「――どうすれば、俺は――貴様らのように、なれる?」

 

「……」

 

 か細い声――。

 聞いているこちらが、思わず涙してしまいそうな辛い声――。その声はとても小さいモノでしたが、デュランさんは足を止め、アステアさんに向き直ったんです。

 

「今、お前が感じている胸のわだかまりこそ――ソレこそが、人の情だ。そいつを理解できたのなら、テメエは、なれるさ」

 

 真っ直ぐに――カーマインさんを思わせるほどに、強い瞳で、デュランさんは、アステアさんに告げます。

 

「――心の、赴くまま、か。いいだろう右腕、貴様は精々――カーマインの背中を守りぬけ。俺は――貴様らに振りかかる火の粉を払ってくれよう――。貴様らが前だけを見て――駆け抜けられるように、な」

 

 そのアステアさんの言葉に、デュランさんは瞳を閉じると――優しげに笑ったんです。

 

「――心得た」

 

 アステアさん――。

 貴方は、カーマインさんを助けたかった――。だけど、どうすればいいのか分からなかった――。どうすれば、助けられるのかを――貴方は知らなかった。

 けれど――。

 だから、貴方は――デュランさんに尋ねたんですね――。自分に心があるのか、と――。

 大丈夫です――!

 はやてちゃんのおかげで私達、“夜天の書”が救われたように――貴方には、こんなにも素敵な仲間がいるじゃないですか――!

 

「――うるさいチビだ。恥ずかしげもなく――」

 

 !?

 今の声――。

 私は――心の底から、笑ってしまいました――。

 

 アステアさん、貴方って――とっても恥ずかしがり屋なんですね!

 

「――だから、うるさいと言ってる。さっさと次を見ろ」

 

 そんな、アステアさんと私はしばらく会話していました――。エヘヘ。




 氷の殺意――。アステアは、自身の感情の全てを押し殺して生きていた。弱みを見せれば――即、食い殺される世界で。
 残忍で冷酷な男の手ほどきで――、彼は悪魔じみた洞察力と計算を手に入れ――勝利の為には、己の感情さえも消してしまう殺戮機械になってしまう。
 そんな彼が出会ったのは――人の情を信じるが故に、不殺の剣を振るう騎士。その騎士の為に極殺の刃を振るう剣士。――自分の同族である二人組の在り方に――アステアは感化され、彼は――ようやく、自分の心を取り戻す。
 そんな彼の姿は――やがて“救世の左腕”と称されるようになるのであった。


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⑤ゲヴェル -リィンフォースⅡ視点-

 伝説の異形と恐れられ、人々を恐怖に陥れた存在で、俺を――俺達を生み出したヤツ。
 人間を皆殺しにする事でしか、自身の存在を維持できない親を――俺は、許せなかった――。
 だから――、俺は奴に刻んだんだ。
 ――人の、情を。
 その異形の名は――ゲヴェル。


 ゲヴェルの肉の城。

 

 気味の悪い肉の城をずっと進んで行くと――カーマインさん達はやっと、創造主ゲヴェル――白銀の鬼の下に辿り着きました。

 

「――ゲヴェル、自分の子供に越えられる覚悟はいいか?」

 

「創造主に歯向かう出来そこないどもが……!!」

 

 白銀の異形。

 それはカーマインさんが力を全開した時に現れる鬼そのもので、人をはるか高みから見下しています。私の身体が小さいのもあるだろうけど、その巨体。軽く五メートルはあると思います。

 正しく――伝説の異形。

 思わず息を飲む私に反して、当事者のカーマインさんはいつも通り、不敵に笑っていました。

 

「俺が――出来そこない? 違うな」

 

「――何?」

 

 カーマインさんは自分の中に眠る力――『ゲヴェル因子』を解き放ちました。

 アステアさんの言葉を借りるなら、フルパワーです!

 金と銀の瞳が深く暗い闇に彩られて、全身を眩いばかりの白銀の炎が包み込んでいきます。

 

「貴様の頭が固いだけだ。――この、頑固親父が!!」

 

 ――ウオオオオオ!!――

 

 自身の影を背負う子を、ゲヴェルは――、一笑に伏しただけでした。

 ゲヴェルの目の前には――カーマインのお姉さん、シーティアさんや、妹のルイセさん達が、無限に現れるユング――『白銀の鬼の子』と戦っています。

 ユングは、ゲヴェルをそのまま小型化したような化物でした。その爪を一振りするだけで熊をも殺す威力を持っているそうなんです……!

 

「デュラン、アステア! ルイセ達を頼んだぞ!!」

 

 カーマインさんが叫ぶと同時に、カーマインさん側についた二人の異形の騎士が、シーティアさん達の方へ駆けて行きました。

 ゲヴェルが声高に言い放ちました。

 

「出来そこないのイレギュラーが!! 我、自らの手で叩きつぶしてくれる!!」

 

 こちらに向かってくるゲヴェルの巨体に、カーマインさんも縮地法で駆け、迎え撃ちます。

 

「――よかろう!! 貴様の実力を見せてもらう、我が親よ!!」

 

 カーマインさんのレギンレイヴが、ゲヴェルの鉄拳が中央で激突。その威力は完全に相殺しました。

 ゲヴェルが驚きに目を見開きます。

 彼の脳裏をかすめたのは――『仮面の騎士』を創る上で素体とした、一人の傭兵。

 

 放浪の剣士、ウォレスさんが二十年以上かけて探し回っている、傭兵団の団長のことでした。

 

 ゲヴェルは、かつて自分と対等に戦った傭兵を思い起こしながら、不快気に吐き捨てます。

 

「――これだけの力が有りながら……!! 我に歯向かう愚か者め!!」

 

「当たり前だ。貴様に歯向かわなくてどうする? グローシアンの言いなりの貴様に!!」

 

「――何だと!?」

 

 カーマインさんの言葉に、ゲヴェルはこれ以上ないほど不愉快だと言わんばかりの咆哮を、そして拳を繰り出します。

 ユングより遥かに巨大な、ゲヴェルの拳。

 それがいかほどの威力を持つのか――私には想像する事も出来ません。

 それでもカーマインさんは自分の刀(レギンレイヴ)を縦に構えて、正面から受け止めています!

 

 そんな非現実的な(ありえない)カーマインさんとゲヴェルの身体能力の高さに目を瞠りながら、闘いは続いて行きます――。

 

 ゲヴェルが問いました。

「――貴様。我が、グローシアンの道具とほざいたか!?」

 

「違うのか? 未だにグローシアンの支配に怯える臆病者が!!」

 

 拳を弾き飛ばし、カーマインさんが縮地法で一気に懐に飛び込み斬りつけます。でも、ゲヴェルは咄嗟に自身の外郭の硬度を高め、刃を通さない。

 

 私は首を傾げました。

 

 グローシアンの支配……?

 

 初めて聞く言葉です。

 情報が、流れて来ました。

 

 約一千年前。

 太陽の異常により、死の大地となってしまったカーマインさん達の元の世界は、別の次元に元の世界ごと移り住む事で、生き延びようとしたんだそうです。

 

 それが――時空融合計画。

 

 これは、人とフェザリアンの協力により行われました。

 二つの次元を重ね合わせて、それが乖離しないように制御しながら、二つの種族は移り込んだ新世界の開拓を始めます。

 

 フェザリアンって言うのは、人の背に鳥の翼が生えた――天使のような外観を持つ人類のこと。

 

 カーマインのお母さん――サンドラさんの毒消しの薬を持っていた人達です。

 彼等は、協調性を重んじて、個人行動は一切取りません。それ故に、皆、彫刻のように美しい顔をしているけれど――個性を欠いた――どこか冷たい印象を受ける人種でした。

 フェザリアンは人より優れた科学力を持ち、新世界の開拓に尽力してくれました。

 

 また、人間は、以前の世界では普通に使えていた『魔法』が使えなくなってしまっていました。人々は魔法を使うのに必要な魔力の源を、仮に『グローシュ』と名付けて研究に取り掛かったそうです。

 新世界には、原住生物『ゲーヴ』と呼ばれる異形が闊歩しています。

 

 白い肌に、角のような鋭い棘を体中に生やした二足歩行の異形――『ゲーヴ』。

 

 魔力の源(グローシュ)が無い異世界で、魔法が使えなくなった人達は、フェザリアンに守られ、ゲーヴと戦いました。でも、その協力体制が崩れたのは、先住民ゲーヴの王を封じたことに起因します。

 人々の間にグローシュが無くても、以前の世界と同じように、強力な魔法が使える特殊な人間――グローシアンが生まれたのでした。

 

 それが――魔法を使える人――グローシアン。

 私達で言う所の、『魔導師』にあたる存在……。

 

 グローシアンは、日食や月食時など、元の世界の影響が大きくなる時期に生まれた人のコトだそうです。

 この人達は、本能的に元の世界からグローシュを持ち出して強力な魔法を使う事が出来る特殊な人達。

 最も強いグローシアンは、皆既日食の日に生まれた者。

 

 私達の世界では、『魔導師』は遺伝的なものか、突然変異みたいなモンですから――こういう日食や月食が関係して、魔導師になれるか否かが決まるって言うのは、真新しいことですよね……。

 

 グローシアンの王は全ての世界を支配しようと、普通の人間達を奴隷扱いし始めました。そして、グローシアンとして生まれた者達は、王の言葉に感銘を受け、選民思想が高まっていきます……!

 

 せ、選民思想……!?

 なんだか……物騒な予感です……。

 それに、奴隷って……

 

 世界はグローシアンが牛耳ったも同じでした。

 だけど――普通の人達の中からグローシアンに刃向かう者が現れます。この人とグローシアンが争う姿に嫌悪したフェザリアンは、人間社会から姿を消しますが、その科学技術を狙うグローシアンは、彼等を追撃し、フェザリアンはグローシアンに対抗する為、異形『ゲヴェル』を造り上げました。

 しかし、ゲヴェルはグローシアンによって捕獲され、グローシアンにとって都合のよい兵器へと改良されてしまいます……。

 

 フェザリアンの女王さんは、これを言っていたんですね……!

 

 人間は、争いばかりをするって。

 私は両手を抱いて、気を奮い立たせました。

 

 そしてついに、フェザリアンの居城――時空制御塔までも、グローシアンは奪ってしまいました。

 フェザリアンは争いを嫌い、地上から姿を消して、自分達の科学技術を結集させて造った空中庭園『フェザーランド』に移住したんだそうです――。

 

 う、うぅ……っ。

 思ったよりも酷かったです……。

 

 泣きそうになっている私を置いて、ゲヴェルはカーマインさんに向かって吼え返しました。

 

「――我が、臆病者だと!? フン、ソレは我がグローシアン狩りを起こした張本人と知っての事か? 邪魔なグローシアンを全て抹殺しようとした我に対する? だとすれば、滑稽だな!! 既に我は、グローシアンを滅ぼす存在となったのだ!!」

 

「――ああ、一般人みたいなグローシアン限定でな」

 

 カーマインさんが浮かべた笑みは、アステアさんに匹敵するほどの嘲笑でした。ゲヴェルの目つきが鋭く細まります。ですが、対峙するカーマインさんの瞳も、明らかに怒気を含んでいました。余りに怒りの度合いが強すぎて、逆に冷たくなったと言うべきなんでしょうか――。

 

「何の力もない、ただグローシアンだってだけで。ソレだけで殺したな……!! 貴様の下らん憂さ晴らしの為に!!」

 

 情報が流れて来ます。

 カーマインさん達が生きる――一千年後の世界。

 そこは、人もグローシアンも分け隔てなく暮らす、平和な世界でした。

 だって、その証拠に――カーマインさんの妹さんが、そのグローシアンですから……!

 

 一千年前の争いで、世界を牛耳ろうとしたグローシアンの王を始めとする者達は、滅んでしまったのです……。

 そして――人を殺す為だけに創られた殺戮兵器『ゲヴェル』は――魔水晶の中に封印されてしまいました。

 役目を終えた道具に、もう用は無いから……。

 

 私は、頬に涙が伝っている事に気付きませんでした。

 

 ゲヴェルの気持ちが、――知ってはいけない筈の憎しみの感情が、染み渡るようで。

 私は自分の胸倉を掴んで首を振りました。

 

 もう、やめてくださいっ!

 

 そう叫びたかった。

 だって――ゲヴェルの気持ちは、私にも――少しだけ分かるから。

 私は、はやてちゃんのデバイス――『蒼天の書』の管制システム……。

 だけど、蒼天の書がただのデバイスに戻るまでに、いろいろな事件がありました。

 

 闇の書事件。

 

 それははやてちゃんのデバイス――あの当時は『闇の書』と呼ばれていた『蒼天の書』の力が、暴走した為に起きた事件。

 

 闇の書は本来、主と共に旅をして、各地の偉大な魔導師の技術を収集し、研究するために作られた収集蓄積型の巨大デバイスでした。

 いわゆる――各魔法の『辞書』となるデバイス。

 だけど、

 歴代の持ち主の何人かが、プログラムを改変したために破壊の力を使う『闇の書』へと変化してしまった――。

 そして、自律思考を持たない防御プログラムの破損により、所有者の認証が正常になされず、幾度も暴走を引き起こしたんです。

 

 はやてちゃんが泣きながら、やめてって言ってるのに、私は――(アイン)は、防御システムの暴走を止められず、なのはさん達を敵に回してしまいました。

 

 あの時、

 もし主がはやてちゃんでなかったなら――

 

 私を闇の書にした、あの人達(・・・・)が主だったら――

 

 私もきっと、ゲヴェルと同じように……

 

 

「憂さ晴らしだと!? コレは我を苦しめたグローシアンに対する復讐だ!! あの魔水晶の中での苦しみ、忘れるモノか!!」

 

 ゲヴェルが巨大な拳を放ちます。しかし、その拳は凄まじい轟音と共にカーマインさんの刀に止められていました。静かに――カーマインさんが声を発します。

 

「――復讐、だと?」

 

 怒り狂うゲヴェルの咆哮。しかし、それさえも上回る怒気が、ゲヴェルの目の前で爆発しました。カーマインさんの――怒気が。

 

「――貴様が殺めたグローシアン達は、貴様を創り出したのか!? 一度でも、貴様に何かを命じたか!? 今を平和に生きて――子を成し、普通の人間として暮らしては、居なかったというか!!?」

 

 ソレは、広大なゲヴェルの間の大気そのモノを振るわせるほどに強大な怒気でした――。仲間はおろか、ユング達まで畏怖の視線を、カーマインさんに集めています。

 

「我を作り出したはグローシアン。されど、我を滅ぼしたのもグローシアンよ! 我が奴等を許せるわけが無かろう! 戦争の道具として我を創り出しておきながら、勝手に滅び――必要が無いからと言って我を封じた奴等を!! そして――グローシアンを生み出した人間をな! 故に我は、我の意思で人間を抹殺する。グローシアン狩りはその為の布石よ! グローシアンの――人間の、言いなりだった我はない!」

 

 刀から拳を退き、更に逆の手拳で追撃。カーマインさんはソレを跳躍して飛び越し、ゲヴェルの顔面に向けて片手の剣を上から縦に、振り下ろします。

 

「そうかな? 貴様を作り出したグローシアンは支配階級だ。奴等は勝手に自滅したぞ? 貴様が目覚めた時には、な。つまり、貴様は支配階級に逆らったグローシアンの末裔を殺した」

 

 ガギィッ!!

 

 またしてもゲヴェルは自身の体を硬質化させ、刃は通りません。

 

「……!」

 

 ゲヴェルの4対の――黄金と灼銀の瞳が細められます。

 

「ソレはつまり、『人を滅ぼすという』貴様を作った奴の目的通りに行動しているとは言えぬか、ゲヴェルよ?」

 

 カーマインさんの言葉に、私は静かに目を見開きました。

 それって……!

 

 グローシアンから奴隷扱いされていた人々が、グローシアンへの反乱戦争を開始して、間もなく。

 少ないながらも人間の民に味方するグローシアンが現れ、彼等は後に光の救世主――“グローランサー”と呼ばれ始めようになりました。

 

 これが、カーマインさん達の世界でお伽噺になっている『グローランサー』……。

 ティピちゃんが、カーマインさんを呼んでいた言葉……!

 

 静かにゲヴェルの眼前に立ち、問いかけるカーマインさん。その身に、親にも匹敵する異形の気を――白銀の炎を身に纏って。

 その背に、ゲヴェル自身の影を背負って――。

 

「……貴様、何が言いたい?」

 

 ゲヴェルは――自分と同じ目線にある己と同じ姿をした幻影に――問いかけました。青年自身の異形『ゲヴェル因子』に――。

 

(人の立場にあって、我を滅ぼそうと言うのならば――何故? そのようなことを言う?)

 

 ゲヴェルの疑問に、静かにカーマインさんは、闇に彩られた黄金と蒼銀の鬼眼を向け、言い放ちます。

 

「親がバカだからって――子供まで、バカになる事はないだろう?」

 

 訝しげに、ゲヴェルは瞳を更に細めました。

 

「我を――グローシアンの道具と侮るか? 我を、愚かと憐れむか? 随分と――偉くなったものだな。自我を持つことで傀儡では無くなったと――言いたいか?」

 

 カーマインさんの瞳は少しも揺らぎません。先ほどまで有った不敵な笑みも、嘲笑もありませんでした。

 あるのは、ただ――真摯な表情。

 

「貴様は――自我を持って、人を殺すと言ったな?」

 

「――いかにも。我を道具として創り出した人間という存在。その全てを滅ぼす!!」

 

 猛るゲヴェル。その全身にカーマインさんと同じ白銀の炎を纏って――。

 でも、次にカーマインさんが発した言葉は、ゲヴェルをして――衝撃でした。

 

「自我を持って、貴様の創り出したグローシアンの理念の通りに動くと言うのか?」

 

「――何?」

 

 ゲヴェルは静かに瞳を見開きます。

 

「考えてみろ。貴様は――確かに、この大陸にある全てを掌握していた。人間どころか、グローシアンの動向さえも、だ」

 

「……」

 

 カーマインさんは淡々と感情を表に出さず、告げて行くだけです。

 

「俺達のように人型のゲヴェルを創り出し、各国の要人に送り込んで、国そのモノの根幹すら、貴様は掌握していた」

 

「……」

 

「望めば、貴様は世界すらも人間の手から取り返す事が出来た――。そして、自由そのモノを得ることも」

 

 カーマインさんの言葉を――この場に居る全てのモノが聞いてます。人間もグローシアンも、――そして、異形も。

 

「だが、これだけの大事を起こしておきながら、貴様のやった事はただの虐殺。自我を得て、人の生活や情報を得て――ソレで起こしたのが、かつて滅びた支配階級のグローシアンが、貴様を生み出した時にプログラムした――人類の虐殺そのモノ」

 

「……!」

 

 ゲヴェルは――何も言わずただ見つめ続けています。自身の生み出した――異形の青年を――。自身の幻影を――黄金と蒼銀の瞳を持つゲヴェルの影を――背負った青年を。

 私だってそうでした。

 

「ソレで――貴様は、満足か?」

 

 カーマインさんは静かに、自分の親に問いかけました。ゲヴェルもまた静かに口を開きます。

 

「――ならば、どうしろと言う?」

 

 その言葉に、放浪の剣士ウォレスさんが――妹のルイセさんが、驚愕の表情をしました。ゲヴェルの口から――理性じみた言葉が出ると、この場に居る誰も思わなかったからです。かの異形に有ったのは――人間に対する憎悪と怒り、そして――殺意だけだった。――なのに、今――ゲヴェルは疑問を口にした――。

 

 彼等が驚く顔を見て、私は改めて思いました。

 ああ……

 

 多分、カーマインさんははやてちゃんに似ているんだって。

 

 だって、ずっと長い間転生を繰り返して――はやてちゃんのような主を持てたのは、本当に初めての事だったから。

 ゲヴェルの孤独や苛立ちが、私にも少しは分かるから。

 人には理解されない――かつて人に必要とされて生み出された、道具の気持ちが。

 

「――我を生み出したグローシアンは、自分達に歯向かう人間やグローランサーを殺す為に戦争の道具として、殺意と憎悪しか持たぬ我を創り出した。彼奴等は、自分達の欲望をを追及する為、我の細胞を人間に移植する研究を始めた。そして――滅びた。その結果、世界に我等だけが残されたのだ」

 

 今度は、カーマインさんが静かに、ゲヴェルの瞳を見据え、黙って聞いていました。

 

「我等は――プログラム通りに暴れた。人間を――滅ぼす為に。だが、そんな我を封じたのが、グローランサーと呼ばれる人間に味方したグローシアンだ。――永遠とも思える魔水晶の中で、我はこの体を常にグローシュの波動によって蝕まれていた。欲深き人間どもが鉱山を掘り起こし、やっとの思いで外に出た時には――既に、我の知る世界は無い」

 

 異形の声は、これまでの様な居丈高なモノでも、増長した口調でもありません。

 ただ――静かに、自分の声を発していた。

 聞いているルイセさん達が、思わず涙してしまう程に――。姉のシーティアさんが、静かに刀を鞘に納めてくれます。ソレを見た仲間達は全員、己の武器を納め始めました。

 ゲヴェルの子――小型の異形ユングもまた、爪を下げています。そして――自分の親と、人の姿をした兄弟の会話をジッと聞いていました。

 

「我を創り出したグローシアンも、我を封じたグローシアンも。我を知る――全ての人間も、今は無い!! 我を生み出しておきながら、我の苦しみも知らず!! 平穏に生きる人間ども!! 欲によって我を生み出し、その欲によって滅びながら――。人間は時が変わった今も尚、欲によって我を目覚めさせた……!!」

 

 ゲヴェルを封印した水晶の塊は、強大な魔力を持っていました。

 長い長い年月を経て、人々からグローシアン支配時代の記憶が失われた頃。

 人々はこれを“水晶鉱山”と思いこみ、水晶の発掘を続けた事から、封印が弱まり、ゲヴェルが復活してしまったんです。

 そしてゲヴェルは、当時最強の軍事国家であったバーンシュタイン王国――その宮廷魔導師であったヴェンツェルを服従させ、その地位を利用し、自分が生んだクローンを王子とすり替えました。

 また、復活した自分と互角に戦った剣士――ウォレスさんがいた傭兵団の団長の細胞から、クローンを量産し、各国の要人の下へスパイとして送り込みました。と同時に、人目に付く異形の自分に変わり、人間社会を行く手足として、百体を超える剣士のクローン体を作りだしました――。

 

 この百体を超える剣士のクローン体が、カーマインさん達を。

 

 こうして、ゲヴェルが人間社会を支配する地盤固めは、着々と進んで行ったんです――……。

 

 

「ああ――。本当に、浅はかな存在だ。だから――貴様は、人を滅ぼすのだな? これ以上、自分勝手な人間の欲に振り回されない為に」

 

 ゲヴェルの声に、カーマインさんも静かに同意し、確認します。

 

「――その通りだ!! 我の考えを理解したようだな」

 

「ああ」

 

 カーマインさんの返事にゲヴェルは満足そうに頷きます。でも――この人が、もしはやてちゃんと同じなら……!

 私はゲヴェルを見て、首を横に振りました。

 

 貴方の望みは、滅びに向かってはいけない……!

 

 カーマインさんは私に呼応するように、静かに刀をゲヴェルに向けました。途端、ゲヴェルの瞳に殺意が――憎悪が充満します。

 

「やはり、人間として我を滅ぼすか――! 我の考えをそこまで理解しながら、最後まで我を――ゲヴェルを否定するか!!」

 

「――いいや、貴様の怒りは正しい」

 

 激昂するゲヴェルに対し、カーマインさんは静かに返します。だけど、確かに自分に向けられるその刃に、ゲヴェルは不快気に怒鳴ります。

 

「ならば、何故――我に剣を向ける!?」

 

 問われたカーマインさんは静かに、応えました。

 

「――ゲヴェル、俺は――今まで人として生きて来た。そして分かった事が有る。人間は確かにどうしようもないほどに浅はかで、愚かで、欲深い。時として、自分の家族さえも裏切る。だが――人間は、互いに信じあうことも出来る。ゲヴェルである俺を信じ、血のつながりが無くても、絆という繋がりが出来る」

 

「信じる――だと? 絆だと?」

 

 疑問を口にするゲヴェルに、カーマインさんは頷き続けます。

 

「人間は、貴様の言うように薄汚い。だが――、純粋で美しいモノでもある。貴様は、憎しみだけで生きていた。だから、人の薄汚いところしか見えなかっただろう。互いを想い合い、支え合う情を――貴様は、見逃している」

 

 カーマインさんは静かに刀を左手に持ち、斜に構えて右肩を前に出し、腰を落としました。私ははやてちゃんとモニタ越しでしか見ていないけど――シャスさんと闘った時にも見せた、カーマインさんの戦闘スタイル。

 

「――何故、イレギュラーが生まれたか? 貴様は、その原因に目を向けず、話を聞こうともしなかった。イレイザーを創り出して、自分の兄弟を殺させて行った。ソコに――絆があるか?」

 

「我と同等の力を持ちながら――何と脆弱なことを!!」

 

 嘲り、嗤うゲヴェルに対しカーマインさんは静かに告げます。ゲヴェルの瞳の奥をのぞき見るかのようなその鬼眼で――。

 

「力だけで――自分の思い通りにはならない。ソコに情が無ければ、人に限らず生物は一人では生きてはいけない。貴様は――そんな簡単な事も忘れて自分の憎しみに囚われていた――。そして、未だにグローシアンの呪縛から、抜け出せないでいる」

 

 カーマインは厳しい戦士の顔になって告げました。

 

「俺の親なら――少しは抵抗して見せろ!! グローシアンの言いなりだった自分とは違うと言うのなら、自分自身の存在意義を超えて見せろよ!! そして断ち切れ、自分を縛る憎悪の連鎖を!!」

 

「――下らぬ、戯言を!! もう貴様の遊びに付きあう気は無いわ!!」

 

 ゲヴェルが鬼気を纏い告げます。瞬間、カーマインも自身の刀を向けました。

 

「そうか、ならば――その鎖、俺が斬る!!」

 

 

 闘いは、苛烈を極めていました。

 カーマインさんがはやてちゃんに似てるって言ったのは、ちょっと違ったかも……です。

 

 だって……、カーマインさんの闘いっぷりは、それだけ雄々しいものがあったから。

 

 カーマインさんの言葉は、ゲヴェルの心を深く突き刺す程に、抉るように――悲しいくらい、事実を突いていたから。

 

 私だって、はやてちゃんの力を借りて転生するまでに、多くのモノを傷付けた……。

 人だけじゃなく、動物だって、自然だって……。

 闇の書のページを埋める為に、たくさんの命を犠牲にして来た。

 はやてちゃんの前では、それをちゃんと言い出せないくらいに――。

 

 カーマインさんは、その罪深い行為とちゃんと向き合えって言ってる……。

 

 思い出すだけで涙が出そうになるけど、それとちゃんと向き合わなくちゃダメだって。

 そうでないと、このゲヴェルのように――さっきのラルフさんのように――憎しみにとらわれて、破滅の道を歩むことになるんだって。

 

 ………………。

 私は、

 

 私は――!!

 

 

 白銀の巨体が横に倒れ、ソレをカーマインさんが見下ろしています。

 

「妙にスッキリとした気分だ。生まれ出でてこれより、このような感情を味わう事になろうとは、な。――しかし」

 

 ゲヴェルは、静かに己の状態を確認し、感想を述べると、足元に有るカーマインさんを見やりました――。

 

「――何故、止めを刺さぬ。我を斃しに来たのではないのか?」

 

 その瞳の色を――灼銀から蒼銀へと変えて、ゲヴェルは問います。澄んだカーマインさんと同じ瞳で――。

 

「俺は、人として生きるとお前に告げに来ただけだ。――自分にとって大切な人達を守る為に」

 

 カーマインさんもまた、静かにゲヴェルの瞳を見やっていました。

 

「――お前が、俺の大切な人達を傷つけるのなら、何度でも戦うだけだ」

 

「我を殺せば、そのような手間が省けると言うのに――何故?」

 

 カーマインさんはその言葉に、不敵に笑って見せました。

 

「言わなかったか? 俺は――人として生きることを選んだ、ゲヴェルだと」

 

「――ゲヴェルとしての己を、捨てぬと言うのか? 人を滅ぼそうとした――ゲヴェルを!? 何故だ!?」

 

 ゲヴェルの狼狽した声にも、カーマインさんは不敵な面構えを変えないまま、言い放ちました。

 

「俺が――そう選んだからだ」

 

「――!?」

 

「ゲヴェル――。憎しみの感情なんて、誰でも持っているモノだ。自分の醜い心を見ないで、蓋をして――逃げるだけじゃ変わらない。強くなれない。俺は――強くなりたい。自分にとって大切な人達を守り抜くために――。だから、自分(ゲヴェル)からは逃げない!!」

 

 強く言い切る彼の表情は、実にすがすがしく――ゲヴェルは瞳を静かに閉じました。

 

「――我が子よ、見事」

 

「別に――普通だ。見事なんかじゃないさ」

 

 そっけなく、カーマインは返しました。

 

 私はそんなカーマインさんを見て――彼の表情を見て、ようやく、目許の涙を拭いました。

 彼の不敵な顔は、とても人を慰めるようなものじゃない。

 だけど、

 その蒼銀と黄金の瞳はどこまでも優しくて――、

 

 私は胸の前で両手を交わして、つぶやきました。

 

 ――“ありがとう”って。

 

 カーマインさんは、私の罪をも許してくれそうな――罪と向き合うだけの時間を、くれた人だから。




 白銀の異形ゲヴェル。グローシアン支配時代に作り出されたその異形は、人間の欲によって生み出された生物兵器だった――。
 憎しみの感情と殺戮の欲求しか持たされず、ただ――人間を殺していく事を強要された彼は、不必要となり――作り出したモノによって封じられる。
 そんな彼を蘇らせたのは――人の欲望だった――。
 しかし、彼は――自分の子供によって諭されたのだ――人の情と――命の絆を。


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⑥ルーチェ -シグナム視点-

 義母サンドラをその毒で追い詰めた異形――。人をゴミのようにしか扱わない奴は――創造主ゲヴェルを盲信していた。
 残酷で凶暴で――冷酷な男だったが、それでも――奴の親への愛情だけは、誰に責められる事無き、想いだと――俺は思う。
 最もゲヴェルを敬愛した男――ルーチェ。


 黒装束のフードを被った男が、腰に刀を差して立っている。

 ラージン砦という場所から東にあり、その南には深い樹海が広がる迷いの森。そこにある開けた平野で彼は――カーマイン達とまったく同じ顔をした青年は現れた。

 ス……ッ とフードを外し――邪悪に妖艶に笑う――。

 

 正直、気味の悪い男だった――。

 陸士107部隊を襲った男――奴に一番近い――。そんな印象がある――。――コイツが、アウグ?

 しかし、私の疑問は男の次の言葉で否定されてしまった――。

 

「俺の名は、ルーチェ。あの方に逆らう欠陥品には――消えてもらうよ」

 

 ガキィッ 男――ルーチェの鋭い斬戟にカーマインも腰の刀を抜き、切り返す。鍔迫り合いの姿勢になった時、自身の刃が腐食し始めている事に、カーマインは気付いた。

 

「毒……。お前が母さんを斬った奴か!!」

 

 カーマインが目つきを鋭くし、つばぜり合いの状態から一閃――。ルーチェを後方へ弾き飛ばす。と、ルーチェは自分の持つ刀を怪しい紫の煙と共に消してしまい――、同時にその指先に無数のナイフをはさむ。

 

 ――何? 奴は――武器を精製するのか?

 

 ガキィッ カーマインも目の前に迫るナイフをレギンレイヴを具現させ一閃。粉々に砕いた瞬間、爆発が起こり――後方に縮地法で避けたカーマインの体を痺れさせた。

 

「……チッ!」

 

 ガクゥッ 地面に片膝を付き、険しい表情でルーチェを見上げる。

 

「ふふふふっ、最高だよ。カーマイン。君は俺の想像をはるかに上回っていた。因子の力なしにここまでやるとは。――だが、これで終わりだ」

 

 カーマインの前に来た男は静かに、刀をカーマインの頭上に構える。

 

「させるか! ティピちゃ~ん、キィーック!!」

 

 ティピがキックを放つが、無情にもアッサリと弾き落とされてしまった。

 

「邪魔だよ。そこで見てなよ。君の仲間だと思っていた化物の最期を」

 

 悠然と笑むルーチェ。地面に叩きつけられたティピを見るカーマインがその瞳を闇に彩らせ、全身を白銀の炎が纏う。

 

「やったな……!」

 

 低く言い放たれた言葉と共に、背に現れし、異形の影。青年の口からは、およそ人とは思えない声が発せられた。

 

――ウォオオオオオオ!!――

 

 その圧倒的な力は、記憶だというのに、まるで私を食い殺そうとしているかのように凶悪だった。――だが、正気に戻った彼は

 

「俺は、……殺しを、殺戮を……望んだ……?」

 

 表情は、冷静で――無表情だと言うのに、今にも泣き出しそうな気がした――

 

「教えてくれ、ティピ……。お前の目から見て、俺は人間か……? それとも――」

 

「アンタはアンタだよ!!」

 

 ティピの力強い声が、彼を元の冷静なカーマインに戻した。

 

 この時に――カーマインはゲヴェルの真の力に目覚めたのだと、私は知った――。この後、彼は自身が目覚めた力を使いこなすために、保養地ラシェルにいるシュワルゼを訪ね――修行し、デュランに出会うのだ。

 

 場面が変わり――ゲヴェルとの戦いを明日に控え、隣国の城でカーマイン達は宴を行っていた。

 この宴は、ゲヴェルの野望を食い止めた祝いと、新しく王となったカーマインの仲間の少年を祝っての宴――。そして――、騎士として生きる為に性別を偽っていた女性が、皆の前で正体を明かし、新王の歓待を受けて、初の女騎士が誕生した祝いの席だ。

 カーマインは月夜の下――先に述べた銀髪の女性騎士に誘われて城のテラスにいた。月明かりに照らされ、一種幻想的な雰囲気の中で言葉を交わす二人――。

 そんな二人の元へ――黒装束の男――ルーチェが現れた。

 

「カーマイン。今日こそ、お前を――殺す!!」

 

 ルーチェは初めて出会った時とは比べ物にならないほどの憎悪をカーマインに向け、その体術も剣術も、より一層磨きあげられているのが分かった――。

 人の剣ではなく――異形の剣。自身の才能と、切り捨てた命の積み重ねによって作り上げた――歪んだ才能の剣――。生まれながらにして――人を殺す術を知る殺人剣を――更に、彼は進化させている――。

 

「貴様、こんな時を狙ってくるとは……!」

 

 銀髪のドレス姿の女騎士が鋭く睨みつける。対照的に、静かに――カーマインは腰の刀を抜いた。

 

「折角のドレスだ、下がっていろ。ティピ、彼女を」

 

「ぃよっし!」

 

 冷静に告げるカーマインに、ティピはいつも通りの活気のある返事を返す。

 

 ルーチェは、カーマインと同じ――レギンレイヴと呼ばれる武器を手に入れていた――。黒い手袋をした十本の指にソレゾレ指の太さ程度の長い刀が現れる――。――ソレは、刀と言うよりは――爪だった。

 互いに刃を交え、凄まじいスピードで狭いテラスを駆けまわる。

 

 ギィンッ 後方に退いたのは、片手を抑えたルーチェだった――。

 

「指一本で――俺の剣を止められると思ったのか? 安易だぞ、ルーチェ」

 

「――フン、さすがにやるね。だが――こういうのは、どうだ?」

 

 ルーチェの指先の刃に――紫の煙が纏わり、黄金の光と共に姿を変える――。一振りの刀へと。

 

「妖刀クロムレア――。ガリアンクロウの本来の姿、俺の魔方剣で再現出来るんだよ。そして――」

 

 走るルーチェ。手にした刀は、レギンレイヴに匹敵する切れ味と頑丈さを併せ持つ。だが、ルーチェの剣はそれだけではない――。

 

「魔方剣とレギンレイヴ、この二つを合わせると――こんな事が出来る!!」

 

 槍、ナイフ、弓、刀、爪――その全ての武器の切れ味が、カーマインの刀に匹敵している――。おまけに状況に合わせて、それらの武器が巧みに使い分けられ、毒が刃に仕込まれていない分、体術や剣術が磨きあげられている――。

  

 凄まじい剣と剣のぶつかり合いは――長い打ち合いの後、カーマインが打ち勝った。

 

「――おのれ……!!」

 

 袈裟がけに切り捨てられたルーチェは、片膝を付いた姿勢でカーマインを見上げる。カーマインは因子を使うことなく、己の剣術だけで――腕を格段に上げたルーチェに打ち勝った。

 

「帰って、親父に伝えろ。――すぐに行くってな」

 

 冷めた口調で――カーマインは告げる。その言葉に睨みあげながら――ルーチェは憎悪の瞳でカーマインを見据える。

 

「何故、勝てない……!! 人間等と共に生きるお前なんかに……、ゲヴェルとして生きる俺が――何故!?」

 

 ルーチェの叫びが満月の夜の下、響き渡る。

 ――この男の憎悪は深い。だが、人を傷つけるだけの異形に――何故、カーマインはとどめを刺さないんだ? 命は平等だと言っても――この男、野放しにするには、あまりに危険だ。

 

 

 私がそんな疑問を抱いていると――場面が変わった。

 そこは――薄気味の悪い――生物の内臓を思わせる大きな部屋だった――。コレは――ゲヴェルと戦った時の――まさに、カーマインがゲヴェルを打ち負かした直後の場面――。

 私がそう理解した時、強力な魔力弾が――戦いの終わったゲヴェルの間で放たれ、ゲヴェルの頑強な巨体を貫いた。

 

「グハァッ」

 

「!? ゲヴェル様!!」

 

 シーティア達に重傷を負わされながらも、ゲヴェルに助太刀に現れたルーチェ。しかし、彼が見た時には――ゲヴェルは、魔力の光に心臓を貫かれていた――。

 

「――フフフ、実に、下らない存在となったモノよな――ゲヴェル!!」

 

「――貴様、ヴェンツェル……!! 何故、貴様にグローシアンの力が……!!」

 

 血を吐きながら、ゲヴェルは突如部屋に現れた老人を睨みつける。

 

 コレが――この老人が、ヴェンツェル……!!

 人々の――平和を揺るがし、カーマイン達を苦しめる張本人――。なんと言う――邪悪な目をした男だ。

 

「――何て事を!! せっかく、憎しみの感情以外に目覚めたのに……!!」

 

「どうして、こんな事が平然と出来るのよ!? アンタ達は!!」

 

 ティピが――そして、ティピの妹である灰色の髪をした妖精が――同時に叫ぶ。シーティアが静かに剣を構えた。

 

「――ヴェンツェル。貴様――よくも私の前に姿を見せられたな?」

 

「フン……。まだ、本当の記憶が戻らぬか、シーティアよ!」

 

 その場にいた小型のゲヴェル――ユング達が一斉に、ヴェンツェルへ攻撃を仕掛ける。だが――あっさりとその魔力の光の前に飲み込まれ、消えてしまった。

 

「バカな……! ユング達を、こうもアッサリと……!!」

 

 盲目の剣士ウォレスが、その事実に驚愕する。

 

「アレだけの大魔法を――、一瞬で練られるなんて……!!」

 

 同じグローシアンであるルイセには、ソレがどれだけ恐ろしい事であるか、理解できた。ソレはつまり――一瞬でこの場に居る全員を消し済みに出来ると言う事だ。

 

 信じられないほどの強大な魔力――。間違いなく――オーバーSクラスの魔導師だ。しかも、一瞬でアレだけの魔力を放出し、対象を消し飛ばす――。

 ――まるで、悪魔だ。 

 

「しっかりしろ、ゲヴェル!!」

 

 茫然と立ち尽くす、私を正気に戻したのは――カーマインの悲痛な叫びだった。

 

「――フン、なるほど。コレが……絆、か。最後に良いモノを拝めたものだ」

 

「寝言を言うな!! アンタは……この程度でくたばるようなヤワな奴じゃないだろう!!」

 

 カーマインは必死でゲヴェルに波動を送ろうと意識を集中し、手をかざす。ソレを――ドグゥ 鋭い衝撃が邪魔した。手刀がカーマインの首筋に入り、意識がもうろうとする中――振り返る。

 

「アステア……、何を……!?」

 

 ドサァッ 前のめりに倒れるカーマイン。ソレを冷徹に見下ろし、アステアはゲヴェルを見る。

 

「コイツの命はもう少ない……。悪いが、これ以上――削らせるわけにはいかん」

 

 非情とも言えるアステアの言葉。その表情は――冷徹だった――。

 

「――フン、安心しろ。我が――奴を食い止めてやる」

 

 ゲヴェルは鼻で笑うと静かに身を起こし、ヴェンツェルを睨みつける。

 

「貴様のテレポートで、コヤツ等を助けられるな?」

 

「造作もない。――さらばだ、我が親よ」

 

 アステアは、怜悧冷徹に告げると静かに魔方陣を描き始める。

 

「!? アステア――貴様、グローシアンの王であり、貴様の創造主である私に歯向かうか!!」

 

「ジジィ――俺は、俺だ。貴様の道具になる気は毛頭ない」

 

 顔を醜悪な悪鬼のように歪めるヴェンツェルに――アステアは冷淡な光を称える金と銀の瞳で――淡々と応える。

 

 アステアの創造主? アステア達を作り出したのは――ゲヴェルの筈ではないのか?

 そんな私の疑問に――情報が送られてくる。かつて、ヴェンツェルはゲヴェルの手先であり――その私兵を作る際に――尽力したこと。

 そこで作られた仮面騎士の中に――自分の息の根が掛った騎士を何名か作っていたのだ――。つまり、自分の手足となる兵士を創り出していた。アステアは、その一人だった――。

 そして、普通の仮面騎士やカーマインにはないグローシアンの力を、アステアを始めとしたヴェンツェル個人の私兵達に与えた――。

 それが、同じ仮面騎士の顔でありながら、グローシアンの力をも使う融合体。

 “光の翼”は――グローシアンの王族の証なのだという。

 

 

 氷のような無表情のアステアに、ヴェンツェルは不快気に吐き捨てた。

 

「フン――逃がすか!!」

 

 アステアの魔方陣を妨害しようと己の持つ杖に魔力を練るヴェンツェル。しかし、ソレを横から食い止めるモノがいた――満身創痍の青年、ルーチェだ。

 強烈な体当たり気味の袈裟がけ――。ガキィツ ヴェンツェルは咄嗟に魔力の杖で受け止める。

 

「!? キサマ……!!」

 

「ゲヴェル様を、俺の目の前で……!! よくも!!」

 

――ウオオオオオオッ!!――

 

 この時、ルーチェはカーマイン達と同等の力に目覚めた。白銀の炎を纏い、自身の敬愛する異形の影を背負う。その圧倒的な力は――カーマイン達に優るとも劣らない。

 

「――親を傷つけられた事により、目覚めるか……!!」

 

「感傷に浸っている場合か。いくぞ」

 

 力を全開にするルーチェを感慨深げにデュランは見据え、アステアはテレポートを展開した。この場に居た人間が――ヴェンツェルを残して、消えた。

 

「おのれ……!!」

 

 忌々しげにうめくヴェンツェルの前に、ゲヴェルが立ちはだかる。その主の姿に――ルーチェは魔方剣と自身のレギンレイヴを素材にして作り上げた妖刀――クロムレアを握りしめる。

 

「ゲヴェル様……!!」

 

「貴様も行け……! 我が子よ、我の限りを越え――強く在れ!!」

 

 ゲヴェルの言葉は温かく――子を思う愛情に包まれていた。しかし――ルーチェは首を横に振る。

 

「俺の意志は――貴方と共に……!! ゲヴェル様!!」

 

 ただ――殺戮を望むだけの男だと思っていた。冷酷に――人の命を奪う、殺人鬼だと――。だが、それらはすべて――自分の主に認めてもらう為だったのだ――。

 この男と――かつての私達――、どう違うのだろう?

 

 そんな異形の親子を、ヴェンツェルは不快気に睨みつけ吐き捨てる。

 

「死に損ないどもが!!」

 

 その全身に――これ以上ないほどの圧倒的な魔力と波動を漲らせて――。

 

 

 

 場面がまた変わる。

 ヴェンツェルがカーマイン達の隣国に攻めて来たのだ。石畳の段々重ねで作られた街を魔物の集団が跋扈し、ルーチェがその尖兵として現れた。

 

「どういう事よ!? ゲヴェルを殺されたのに、どうして……!!」

 

「簡単な事よ。いきり立って私に歯向かってきたのでな、波動で洗脳したのだ。おかげで、今はおとなしいものだろう?」

 

 ティピの言葉に、ヴェンツェルがにやりと笑う。ゲヴェルが――殺された? その挙句に――ルーチェを洗脳し、自身の手駒としたというのか――。

 およそ、人の心では考えられん行為だ――。この男――、許せん。

 

「――フン、単独で攻めてやられてりゃ世話ねえな」

 

「……! 気持ちは分かるぜ、ルーチェよ」

 

 アステアが冷淡に嘲笑し、デュランが重くその言葉を口にする。そんな二人を左右にやり、カーマインはルーチェを睨み据える。

 

 人々を平然と殺して回った異形の男――、だが――ルーチェ……! そして、カーマイン!!

 

 私は――祈りにも似た想いでカーマインを見た。

 対するカーマインは、いつも通りの、揺らがない瞳でルーチェを見る。

 

「よかろう、ルーチェ。貴様の怒りと悲しみを、全て俺にぶつけてこい! 俺は――この刀でこたえるだけだ……!!」

 

「グオオオオオ!!」

 

 ズバァッ 交差後方気味に斬り合い、倒れ伏すルーチェ。彼をゆっくりと地面に寝かせ――カーマインは怒りの表情で、ヴェンツェルを睨みつける。

 対するヴェンツェルは冷酷にして――酷薄な笑みを浮かべる。

 

「――さすがは、ゲヴェルを倒した兵士だな。素晴らしい腕だ」

 

「貴様は――許さねえ……!!」

 

 カーマインの瞳に怒りが生じ――白銀の炎をその身に纏う。――同時に異形の影が一瞬背に現れた。

 

「ほう? 自分の命を狙うモノにまで、同情とは恐れ入る」

 

 ヴェンツェルは鬼気を纏うカーマインに嘲笑を返す。 

 

 そのもの言いに――私は目の前が白くなるほどの怒りを覚えた――。この男には、分からない――。大切な者を奪われる事――傷つけられたものの――痛みが。

 

 嘲り笑うヴェンツェルに対し――凄まじい怒気を身にまとうカーマイン。

 

「――ふざけるな。コイツのゲヴェルへの想いを踏みにじりやがって……! 構えろ、叩き潰してやる!!」

 

 デュラン、アステアの手を借りて、間一髪のところまで追い詰めるも、またしてもヴェンツェルに逃げられてしまう。

 

 ギリィ…… カーマインの歯痒さがよく分かる――。あんな男に、目の前で大切なモノを奪われていくなんて――耐えられない。

 

「――何故、俺を助けた?」

 

 気を取り戻したルーチェは、カーマインを見据えると静かに問いかけた。

 

「言ったはずだ。俺は――自分がゲヴェルである事を否定しない」

 

 対峙するカーマインははっきりとルーチェの目を見て言う。揺るがない意志を称えた瞳で――。

 

「否定するだけが――全てではない。貴様の怒りは――正しいさ」

 

「自分の罪は理解しているようだね? なら――構えろ、殺してやる!!」

 

 妖刀――クロムレアを構えるルーチェに、すばやくデュランとアステアが構える。――だが、ルーチェは刀を下げ、言い放った。

 

「――だが、ソレは――ヴェンツェルを殺してからだ。あのグローシアンだけは、必ず俺が殺す。お前は――その次だ」

 

「おいおい、また洗脳されるんじゃあるまいな?」

 

 アステアが嘲りの表情で――その冷めた金と銀の瞳を向けて――問いかける。

 

「――ほざけ。俺は、あの方の意志を継ぐ、ゲヴェルだ。二度と同じ轍は、踏まん」

 

 ルーチェはそれだけを告げ、去って行った。去り際に一言添えて

 

「せいぜい首を洗って待っていろ――カーマイン」

 

「よかろう。いつでも受けて立ってやる――ルーチェ」

 

 カーマインもソレに真剣な表情で返した。

 

 ヴェンツェルが消滅したのを確認したルーチェは、カーマインを憎悪の瞳で睨み据える。

 

「ゲヴェル様を殺したグローシアンは消えた。次はあの方を裏切り、信念を崩させたカーマイン。お前の番だ」

 

「相変わらずだな。貴様は一生自分の中の理想をゲヴェルに重ね、現実を見ないつもりか?」

 

 白銀の炎をまとい、同じ顔の両者は睨みあう。赤と黒の衣服を身に纏った青年が互いに自身の信念をぶつけ合う――。

 

「ふざけろよ、憎しみと殺戮の感情こそ、ゲヴェル様の真実。お前ごとき紛い物の言葉に、我が主が屈するワケがない! お前さえいなければ、世界はゲヴェル様が支配し、ヴェンツェルごとき死にぞこないに斃されるはずがなかったのだ! 全ては貴様の裏切りが原因なんだよ!」

 

 ソレは――違う。ルーチェよ、心があったからこそ、ゲヴェルは救われたのだ。戦い続けることしか存在理由が無い等と言うのは――、余りにも、余りにも――救われぬ。

 カーマインは――ゲヴェルの心を救った――。なのに、お前は――。

 

 憎悪をまともにぶつけてくるルーチェに、カーマインも瞳をそらさない。

 

「そう思いたければ、そうしろよ。――だがな、思いやりや優しさと言った情を認めた、アイツの姿が間違いだというのなら。お門違いもいい加減にしとけ」

 

「何――?」

 

「貴様の言うゲヴェルとは、所詮貴様の中の理想が作り出したモノだ。だが、当然この世に生きるすべての命には自分の意志が在る。生き方がある。貴様の思い通りになる命など無い。自分の願望を、ゲヴェルに押しつけるのは、いい加減にやめろ!!」

 

 厳しい戦士の瞳、声。――ルーチェが尊敬するゲヴェルは、ルーチェの想像が生み出した完璧像。だが、完璧な者など、この世にはない、とカーマインは言い捨てる。

 

「いい加減、親の傘の下に引きこもってないで、自分の力を示したらどうだ? いい年こいて、みっともない事この上ないぜ、ルーチェ」

 

 そんな挑発とも言える言葉に――ルーチェの目つきが変わった。白銀の炎と異形の影を背負い、金と銀の闇に彩られた瞳で――カーマインを睨み据える。

 

「――カーマイン……!! 殺す!!」

 

 対するカーマインも最後の気力を振り絞って――その身に白銀の炎――ゲヴェル因子を解放する。

 

「よかろう――。終わりにしてやる!!」

 

 互いに――駆け、刀を両手で持って一閃。

 ズバァッ 交差する二人の影――。やがて――ルーチェが前のめりに倒れた。

 

「カー、ま、いん……!!」

 

「……終わりだ」

 

 刀を払い、気絶したルーチェを静かに見据え、カーマインは宣言した。

 

 ルーチェ……。この男も、私達――“夜天の書”が歩むもう一つの未来だったのかもしれない――。確かにこの男は危険な男だが――、それでも、主に対する忠誠だけは、本物だった――。

 カーマインは、今もルーチェに憎まれて――そして、剣を交えているのだろう――。いつか、ルーチェが憎しみから解き放たれることを信じて――。

 そう思うと――私の胸を――何かが締めつけた――。




 狂気の牙と呼ばれる男――ルーチェ。
 人間もグローシアンも、時には兄弟ですら嬉々としてその手にかけて来た彼は――ただ、ゲヴェルに認めてもらいたかっただけであった――。
 その親が――情に目覚め――それ故に斃された事は――ルーチェにとって情を否定する理由となり、憎む対象となった。
 カーマインのレギンレイヴでも――未だ切れぬ怨嗟の鎖――ソレが、ルーチェだった――。


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⑦カーマイン -はやて視点-

 皆が俺を心配してくれているのは、知っているさ。俺自身に寄せられている想いなのだから――。
 でも、だからといって――俺は自分の生き方を変えることはできない。
 たとえ――世の人々に蔑まれても、たとえ――この命を使いきったとしても、俺は自分を貫き通す――。
 ソレが――“俺”の生き方だから。


 ここまで見て――カーマイン君の性格が大体分かってきた。

 

 彼は、理不尽な事が許せない。

 どんな理由があっても、決してその行為を認めたりしない。

 だから――彼は強いんやろう。

 

 自分の信念――不殺。

 その覚悟を貫いた生き方は――迷いが無く強い。だけど、ソレは――一歩間違えたら、破滅に向かう歩き方でもある。

 普通の人では決して歩めない人生――。

 ソレは、それだけで凄いと周りから絶賛されるやろうな。でも裏を返せば、ソレは――普通の人生を歩めへんだけと違うやろうか――?

 

 

 そんな思慮に陥っていると、目の前の風景がまた変わった。

 ここは――カーマイン君の国。

 カーマイン君達は久しぶりに自分の家がある町に帰って来た。自宅の隣には王国の城門があって、白い石畳に、薄桜色の家、屋根は鋭角で黄色みの強い赤褐色。

 この色調は町全体で統一されているみたいで、カーマイン君達がどこを歩いても、同じような家が見受けられた。

 カーマイン君の家の隣は、なんと王城や。

 その城門の前で、何か――番兵さんと民間の女の人が騒いでるみたいや。

 

「息子を返しておくれよ!! この城の――英雄気取りのバカな騎士が、ヴェンツェルに歯向かわなければ、家の息子が死ぬ事は無かったんだよ!!」

 

 民間の女の人――中年の女性の慟哭が、ローザリア城門前に響き渡った。

 ――ヴェンツェルに歯向かう英雄気取りのバカな騎士?

 ソレって――。

 私が考えている内にも、事態はどんどん先に進んでいく。

 

 

 ――カーマイン君が倒れたのは、そのすぐ後。

 ローランディア国王に謁見し、支配者ヴェンツェルの行動について説明していた時だった。

 

 

 倒れたカーマイン君は、自宅の二階にある自室で休められた。

 そこに集まったのは、カーマイン君の仲間の人達や。皆口を噤んで、深刻な影を落としてる――。

 

「残念ですが――方法はありません」

 

 義母のサンドラさんが、開口一番に事実を告げた。その言葉に、一同が絶句する。

 

「そんなのヤダよ!! ――お母さん! 凄い魔法使いなんでしょう!? 何とかしてよ!!」

 

「――実際、どうにかならんのですか?」

 

 義妹のルイセちゃんがうろたえながらも必死に、――盲目のウォレスさんが出来る限り自分の感情を落ちつけて、訴える。

 顔面蒼白と成ってベッドに横たわっているカーマイン君。

 その顔をサンドラさんは静かに覗き見て、言った。

 

「この子を作ったゲヴェルが死に――命の供給を断たれたのです。ここまで持った事が奇跡なのです」

 

 今にも、声が震えだしそうな――けれど、ソレを理性によって懸命に押さえている。

 

「――それじゃ、どうしてアステアやデュラン。他の人達は平気なの!?」

 

 いつも明るいティピちゃんが、必死になってカーマイン君と同じ存在であるアステア君やデュラン君を見る。

 その通りや、サンドラさんの言葉が正しいなら――ゲヴェルである彼等も、弱っているはずなのに。

 私の疑問は――当人のデュラン君にも分からず、困惑しているようだった。

 ソレに答えたのは――やはりアステア君だった。

 

「簡単だ。俺達は確かに――作り親のゲヴェルから命の波動を受けていた。だが、因子を百パーセント使いこなすことで、波動を自分で生み出す事が出来る。――要するに、フルパワーを使いこなす事が出来れば、命の供給などいらん」

 

 まるで他人事のように冷たい言葉を発するアステア君。彼はいつも通り、淡々と事実を語っている。デュラン君が――いつも寡黙な彼が、アステア君に必死に――詰め寄る。

 

「――ならば、何故……!! 波動の供給が問題じゃねえなら、一体……!」

 

「ソイツ自身の生命力が、既に空なんだよ」

 

 アステア君の言葉に、シーティアさんが眉根を寄せ、口を開いた。

 

「どういう意味だ……?」

 

「ソイツの使う不殺の斬戟が、全ての原因なんだ。そもそも、『自分が斬ろうと思ったモノだけを斬る』なんて、胡散臭い事この上ない」

 

「――だが!」

 

 鋭く制したシーティアさんの心の声が、私に響いて来た。

 

 ――確かに、弟の刃は、ソレが出来ていた。戦争の真っただ中で、不殺の斬戟を繰り出し、敵も味方も――大勢の者が彼に、救われていた。ここに居る者も、敵国の友達も――。

 彼が居たから、死なずに済んだ。彼が居たから――笑顔がある。

 

 シーティアさんの考えていることが不思議と手に取るように分かった――。でも――私は、理由を知ってる。

 前のアステア君との記憶で――カーマイン君の命を削る原因を――。

 皆を救った奇跡の斬戟を――しかし、アステア君は胡散臭いと切り捨てた。彼は、シーティアさんの言葉を続ける。衝撃の真実を――

 

「出来ていた。そんな胡散臭い事が(まか)り通っていた。ソレは――祈りを可能にする石がカーマインのレギンレイヴに力を貸したからだ」

 

「「「「「――!!」」」」

 

 全員がその言葉に、絶句した。

 今、皆はこう思っている――確かに――あの石なら、不可能を可能に出来るだろう――だが、あの石の力を使うと――反動が起こるはずだ……。

 そんな皆の想いを、デュラン君が静かに代弁した。

 

「想いの力を使って出来た奇跡の石――パワーストーン。カーマイン様の不殺の信念が、パワーストーンを作用させるほどに強かったと言う事か」

 

 デュラン君の言葉にアステア君は頷き、続ける。

 

「だが――奇跡の――願いをかなえる石は因果律で、その願いに見合った自然災害を起こす。相手の命を奪わずに勝つ。必要以上に傷つけずに勝つ。その奇跡の刃の代償が――使い手の生命力だ」

 

 その言葉に、皆はカーマイン君を見る。躊躇なく戦場で不殺の斬戟を繰り出していた、彼を――。

 アステア君は皆の気持ち等、無視し――そのまま淡々と事実を告げて行く――。

 

「これまでは――親のゲヴェルの波動が微力ながらも送り込まれていたから保った。しかし、考えてみろ。カーマインがゲヴェルを倒す僅かな間に、コイツは何と戦った? 例えば――エリオットの王位奪還の為に、ゲヴェルによって替え玉として据えられていた隣国の王リシャールの兵士を、何千人斬った? 生命力の強いゲヴェルである偽王(リシャール)自身を斬り、同じくゲヴェルであり、フルパワーを使いこなすラルフ達を斬った。そして――ゲヴェル自身を」

 

 アステア君の言葉は冷徹で、感情等全く込められていない。いつもの彼なら、皮肉気な笑みを浮かべるなり、嘲笑するなりしていただろうに。

 今の彼は、まるで氷のように冷たい無表情だった――。

 その表情が、真実であることを――この場に居る誰もが感じた。奇跡の刃だとか、救世の光だとか、囃し立てていたその一閃の――本当の重みを、彼等はこの時、初めて理解した――。

 

 命の、重みを――。

 

「「「「――!!」」」」

 

「いかにシュワルゼと同等の力があったとて、保つ訳がないだろう? 数多くの人間の命、同族の命を分け隔てなく、考えなしに救い続けた――その結果が、この様だ」

 

 アステア君は更に事実を――結末を告げ、カーマイン君の顔を氷の視線で見下ろす。しばらく――誰もが、言葉を発せられない。

 最初に口を開いたのは、呆然とした表情で涙を流していたルイセちゃんだった。いつもの朗らかな表情等、今の彼女には微塵もない。

 

「私達を助ける為に――お兄ちゃんは……!! お兄ちゃんの体は……!!」

 

「――何だよ、ソレ……!! 何で、コイツがそんな目に遭うんだよ!!」

 

 彼女の言葉の後に――かつて、カーマイン君を憎んでいたゼノスって大柄の剣士が口を開いた。

 誰よりも命を想い、人の情けを愛した青年を――自分は疑ったと自責の念に駆られている。

 

 若くして剣術の才能に恵まれたゼノスさんは、両親を早くに亡くして、妹と二人暮らし。

 この妹さんって言うのは、いつぞやラシェルって言う保養地で看護婦見習いをやってたええオッパ――……いや、なんでもあらへんで?

 ……こほんこほん。 

 まあ、なかなかスタイルの良い清楚な“カレン”さんって女の人のことや。

 このカレンさんとの暮らしの中で、ゼノスさんは一つ、お金の面で苦労したんや。

 

 妹さんが何者かに襲われて、手術を受けなあかんほどの怪我を負ってしまった。

 

 だからその手術代の為に傭兵でもあったゼノスさんは、街の闘技大会に参加して優勝賞金を得ようとした。

 ――でも。

 その闘技大会で、ゼノスさんは何者かに毒を盛られ、そして決勝で――カーマイン君達に、彼は負けた。

 毒を盛った相手は――カーマイン君達が、ゼノスさんに毒を盛ったと嘘を吐き、騙して――妹さんの手術代を出す代わりに――ゼノスさんを暗殺者への道に引きずりこんだんや。

 以降、ゼノスさんはずっと――カーマイン君を憎み続けて――、罪のない人々をその手にかけて行った。

 そんな彼を救ったのは――他でもない、カーマイン君だった。

 

『……カーマイン、俺は……!!』

 

 ゼノスさんの瞳を正面から見据えて――カーマイン君は口を開く。

 

『ゼノス。確かにお前は、取り返しのつかない間違いを犯した。だが――それならば、決してその罪からは逃げるな。最後まで――罪を抱えて、償って行け――。カレンさんを幸せにするために』

 

『……すまねえ……! すまねえ、カーマイン!! 俺は……!!』

 

『俺に詫びる暇があったら、カレンさんに顔を見せてやるんだな』

 

 そっけなく言い捨て――、その場を去って行ってしまうカーマイン君。

 彼は、ゼノスさんが騙されている事を見抜き――真相を伝えて――見事に、ゼノスさんを暗殺者家業から救い出したんや。

 

「何で、俺は――コイツを、こんな奴を、疑っちまったんだよ!!」

 

 ゼノスさんの身の斬るような叫びが響き渡る。

 そして聞こえて来たのは、――かつて彼がカーマイン君に吐いてしまった暴言。

 何も知らずにカーマイン君を恨んだ時の、言葉。

 

『あの闘技大会の決勝で、お前は俺に毒を盛った。ラルフが解毒してくれたが、毒によって失った分の体力が戻らなかった。だから、俺は負け、こんな仕事をしている。だが、勝ったお前は、今やこの国の英雄だ!! そんな卑怯者を許せるわけねえ!!』

 

 その行為に――懺悔するように。

 ゼノスさんは悔し涙をその瞳に浮かべる。一度でも、彼から責められれば、自分は――どれほど楽だろう? 彼を誤解し、刃を向けた。その“不殺の斬戟”を浴びたのは――“不殺の斬戟”に救われたのは、他ならぬ自分やってたった今、気付いてしまった―。

 おまけに――騙されていた自分を正道へと戻し、妹のカレンさんまで彼は救ってくれた――。

 拳から、唇の端から紅い血が流れても、ゼノスさんは力を緩める事が出来んかった。

 

「お兄様……!! お兄様が死んじゃ、ダメだよ……!! ラルフさんを――ゲヴェルさんを助けようとしたお兄様が……!!」

 

 赤い髪を長い三つ編みにしたした女の子が必死に訴えかけてる。

 彼女はルイセちゃんの友達で――ミーシャって子や。

 普段は明るくて、こっちに元気を分けてくれる女の子やけど、彼女も眼鏡の奥の瞳から涙を流している。必死に人の命を救おうとしたカーマイン君を見つめて。

 憎しみに囚われたラルフ君を、人に作られた悲しい異形を諭した彼を――。

 

「私なんかの為に必死になって命の大切さを教えてくれたお兄様が……、死ぬなんて!!」

 

 また、私の頭に記憶が流れてくる――。

 ルイセちゃんは、大陸の中央にある魔法学院に通ってる学生さんや。

 その学院で友達になったのが、同級生のミーシャちゃん。彼女は明るく気さくで、どこにでもいるちょっとドジな女の子。

 彼女の身元引受人は、魔法学院の学院長。

 でも――この子は実は、ルイセちゃんを研究する我欲の為に他者を実験体にする、魔法学院の学院長によって作り出された魔導生命体だった――。

 人間として偽物の記憶を埋め込まれ――、ルイセちゃんの監視役だった真実を学院長から聞かされた時――彼女は、世界にある全てのモノを信じることが出来なくなってしまった――。

 そんな彼女にカーマイン君は言い切った。

 

『俺達との思い出は――本物だ!! ミーシャ、お前は人間だ!!』

 

『そうだよ、ミーシャ!! 私達、親友だよ!!』

 

 カーマイン君とルイセちゃんの言葉が――絶望の淵にいたミーシャちゃんを立ち直らせたんや。

 

 自分の命を――出来そこないの自分を救ってくれた、強くて――優しい青年。命の本当の意味を知る、彼に――必死に訴えかける。

 

「――何か、何か治療方法は無いんですか!?」

 

 彼女の名は――カレン。ゼノスさんの義理の妹で、カーマイン君達と共に旅をして来た看護師見習いの女性――。

 カレンさんもまた、ゼノスさんの暗殺家業の枷として、ゼノスさんを騙した相手に囚われの身となっていた――。ゼノスさんが、カーマイン君に真実を告げられて尚、暗殺者から抜けられないように――カレンさんは人質になっていた――。

 そんな彼女を助けたのは――やっぱり、カーマイン君だった――。

 彼は少ない手掛かりで、彼女が囚われている場所を探し出し、彼女にかけられた呪いを解いて見事に救い出した――。

 

 清楚で大人しいカレンさんが、必死にアステア君に詰め寄る。

 

 兄が騙され、暗殺者になった時、自分は兄の人質として囚われていた――。ソレを救ってくれたのは、他でもない、カーマインだ。兄と自分を救ってくれた、自分に異性を愛する勇気をくれた彼の為なら――。

 

 そう訴えるカレンさんに、アステア君は淡々と首を振った。

 

「サンドラの言う通り、治す方法は――無い。既にコイツの命は、ゲヴェル因子でも回復できない程まで――使いきっている」

 

「何故――!? 何故止めなかった!! いや、何故私達に言わない!!」

 

 その言葉に、シーティアさんがアステア君の襟首をつかみ上げ、怒鳴りつける。知っていたら、止められただろう、この状況を――。だが、アステア君は淡々と言う。

 

「コイツが望んだからだ。誰にも言うな、とな」

 

「……っ!!」

 

 ――誰にも言うな。ソレは、間違いなく――この弟ならば言うであろう。たとえ、どんな事でも、自分の決めた事は、最後まで貫く――そんな弟だから。

 

 シーティアさんの葛藤が手に取るように分かる。そうや、カーマイン君はそういう子や。

 改めて――私は、カーマイン君という青年を見つめなおした。

 

「ゲヴェルが生きていれば、奴の生命波動の供給と、コイツ自身の因子で回復できたろうが――、ゲヴェルはもういない」

 

 アステア君の言葉に、ルイセちゃんが絶望的な表情でつぶやく。

 

「ゲヴェルが死んだから――。だから、お兄ちゃんは……!!」

 

「――何か、手はねえのか!? コイツを死なせない手は!?」

 

 ゼノスさんの言葉に、アステア君は氷の瞳を向け、淡々と述べる。

 

「死なせない手か? 二つある。一つは俺達の親の同族――水晶鉱山に封印されたゲヴェルを復活させ、殺してその生命波動を受け取る」

 

 アステア君の説明にカレンさんが瞳に強い意志を宿して確認する。

 

「この世界にあるゲヴェルを探し出す、と言う事ですね」

 

 アリオストさんが現在の戦力を分析して述べる。

 

「だが――世界は、今ヴェンツェルの脅威にさらされている。ゲヴェルを探し出す暇が無いし、復活させても、今の僕達で倒せるのか?」

 

 生命力が無いカーマイン君の体を維持させるためにも、ゲヴェルの波動を使えるデュラン君達を使う訳にはいかない。自分達――人間だけで、あの力を倒せるか。それ以前に、どこに居るかも分からないゲヴェルを探し出す時間が、自分達にあるのか? と。

 

「それ以前の問題だ――。コイツは、人とゲヴェルの命を同等と言った。そんな奴が、自分の命惜しさに他者の命を奪うことを喜ぶはずがねえ……!!」

 

 その思考を、ウォレスさんが打ち切った。人間を滅ぼそうとまでした異形を、最後まで救おうとした――カーマイン君の姿を、思い起こしながら。

 ミーシャちゃんがコクリと頷き、アステア君に問いかける。

 

「――二つ目は?」

 

「ヴェンツェルの支配に屈するコトだ。奴の生命供給を受ければ、問題無く生きる事が出来る。俺としては一番現実的な意見だ」

 

 その言葉に、互いに顔を合わせる。カーマイン君を救うために――世界をヴェンツェルに支配される――。そんな選択肢。重い静寂が空間を支配する。

 

「……その方法しか、無いのかな」

 

 ルイセちゃんがポツリと呟いた。

 

「何言ってるのよ!? コイツが、そんなコト望むわけないじゃない!! コイツは――命の為に、闘って来たんだ。なのに――命をもてあそぶヴェンツェルの手先になるなんて――望むわけない!!」

 

 ティピちゃんが必死になって訴えかける。――何故なら、ヴェンツェルに命乞いをするのなら、カーマイン君は最初から、ゲヴェルと争う必要がないからだ――。ゲヴェルが生きて人間を支配していれば、カーマイン君は――こんな姿にならなかった……。

 だから――

 

「でも――、このままじゃ、お兄ちゃんが死んじゃう!! ティピはソレでいいの!? 私は――イヤ……!! 絶対にイヤ!!」

 

 カーマイン君が望まない事はルイセちゃんだって、分かっている。

 だって――彼は、ルイセちゃんのお兄さんなんだから――。グローシアンの苛められっ子だった義妹を身を呈して守ってくれた――、誰よりも大切な男性だから――。

 

「アタシだって――!! アタシもイヤ、だよ。マスターに生み出された理由が、コイツの監視だって聞かされた時は、正直面倒くさかった。ケド……、一緒に行動してるうちに。コイツが、必死になって誰かを助けてる姿が――とても気に入ってた。それなのに……!!」

 

 ルイセちゃんの言葉に、ティピちゃんもついにその瞳から――涙を流して言った。

 

「……ルイセちゃん。ティピちゃん」

 

 大泣きするルイセちゃんを、そっと抱き寄せるカレンさん。彼女の瞳にも涙が浮かんでいた。ティピちゃんも――ホムンクルスの妹ピティちゃんの胸の中で泣いている。

 

「アステア、私の力で――ゲヴェルの細胞を増やせるのだろう?」

 

 シーティアさんが、思いつめたように必死な形相で、アステア君に問いかける。皆の想いがアステア君に集中する。しかし、そんな懇願じみた視線を受けても、アステア君は淡々と事実を告げた――。

 

「リシャールにやった因子の活性か。だが――リシャールは元々、ゲヴェル因子が俺達に比べて少ない。だから――寿命を全うするだけの波動が自分で生み出せなかった。ソレを改善させたにすぎない」

 

 自分達は、元々ベルガーという、人とゲヴェルとの融合体から。その細胞から創り出された。更に――ゲヴェル細胞を埋め込まれて――。つまり、ゲヴェル細胞自体が多い。

 だが、リシャールは――元々、普通の人間であるエリオットの細胞から創り出された。必然的に、自分達とは細胞の総量が少なくなってしまう。

 その説明に首を傾げ、泣いているティピちゃんを抱いたまま姿勢でピティちゃんが問いかけた。

 

「どう違うんですか?」

 

「リシャールは、自分で生きて行くだけの波動が足りていなかった。機械に例えれば、動く燃料が足りなかっただけで、原動力そのものは問題無い。だがカーマインの場合は、燃料があっても原動力そのモノが限界なんだ。機械ならば、ソレを新しいモノに交換できるだろうが、命ってのはそうはいかん」

 

 命の交換。そんな事出来るわけない。手段として可能でも――ソレが許されるわけない――。誰よりも、命の為に戦ったこの青年に――、そんなことが。

 

 カーマイン君、君は……命をどう思ってるの? 他人の命を大切にしてるのは分かった……、でも自分の命のことを――――君は、どう思ってる?

 

「打つ手、なしか……。クソったれ!!」

 

 自分達の無力感を噛み締め、ウォレスさんが吐き捨てた。

 

「結局、この子の未来とは何だったのでしょう? 世界を救う光となるか、この世を滅ぼす闇となるか、占いではそう出ていました。だから――私は、この子がこのまま終わらないと信じます」

 

 サンドラさんは静かにカーマイン君の顔を見て、祈るように告げる。その言葉に――

 

「――そうだよ! コイツは、いつだって不可能を可能にしてきたんだから!! 今回だって――!!」

 

「――ああ、その通りだ」

 

 ピティちゃんから身を離したティピちゃんが力強く、カーマイン君のベットの傍らに立つデュラン君が静かに重々しく頷く。

 その隣から、ウォレスさんがカーマイン君の顔を見る。世界を背負うには ――余りに華奢な17歳の―― 子供を。

 

「世界を滅ぼす闇、か。俺達がしてきたことは―― 一体、何だったんだろうな。皆を助けようと必死になって戦って、やっとヴェンツェルに勝てそうだって所まで来たのに、余計な事をしたって言われて――」

 

 全員がウォレスさんを見る。ウォレスさん自身、自分の感情を押さえられない。余りに――余りにも理不尽だ。

 

「コレじゃ――命をすり減らして、頑張ってきたコイツが、救われねえよ!!」

 

 ウォレスさんの言葉に――全員が、肩を震わせ、嗚咽をかみ殺す。――静寂が満ちた室内にいつもの冷めた口調が響いた。

 

「――ソイツは違う。俺は誰かに救われたいと思って、戦ったわけじゃない」

 

 全員がベッドの上のカーマイン君を見つめた。既に身をその場に起こしていた。ルイセちゃんがサンドラさんの傍らからベッドに駆け寄る。

 

「――お兄ちゃん。大丈夫? 顔色が、悪いよ」

 

「――光の当たり方の所為だ」

 

 出来る限り、落ち着いて問いかけたルイセちゃんに、カーマイン君はいつも通りの表情で――声音で告げる。余りにも、いつも通りな――全く弱音を吐かない彼に――、ルイセちゃんは眦をつり上げ、涙をこぼし、訴えかける。

 

「私達にウソは言わないで!! お兄ちゃんの顔色が悪いのは、レギンレイヴの所為なんでしょう!?」

 

「――悪い、ルイセ」

 

 心配をかけさせまいとしたが、逆効果だったことに頭を掻きながら、胸に飛びついて来たルイセちゃんの頭をカーマイン君が撫でていると、ベットにアステア君が近寄ってきた。

 

「――今更、言い逃れも出来ないからな。説明しておいた」

 

 歩み寄ってきたアステア君の言葉にカーマイン君は苦笑を洩らした。

 

「我ながら情けねえな。せめてヴェンツェルを止めるまで、保ってもらいたかったが」

 

 自嘲するカーマイン君にウォレスさんの眉間が深まり、問い詰めて来た。

 

「何故――、俺達に言わなかった。俺達は、そんなに信じられねえか? こんなになるまで命をすり減らして――。そこまでしなきゃならねえほど、俺達は――弱いか!!」

 

 許せなかった。戦場を共にしてきた自分達――仲間を、コイツは信頼していない。この剣にかけて、コイツの信念を見極めようとした――。その様が、こんな結末など――。

 分かっている。コイツは――自分の中のルールを貫き通す。だが――ソレを、決して人に押し付けない。戦場という場所で、不殺の信念を貫くカーマイン君は一度足りとて、自分達に人を殺すな、とは言わなかった。

 戦場は人を殺すのが当たり前。個人の意志を踏みにじって国家の意志が反映され、その為に多くの兵士や人の命が奪われていく。殺られる前に殺るのが――戦場のルール。そんな場所で、敵の命を救う等、出来るわけがない。

 余計な考えは即、死に繋がる。だからこそ――。俺達を死なせない為に、コイツは言わないんだ。

けどよ!! だけど、分かっていても――それでも、納得できねえ……!!

 

「――ウォレスさん」

 

 ピティちゃんが感情を露にするウォレスさんに、顔を向ける。そして――いつも通りのカーマイン君にも……。

 

「……別に信頼していなかったわけじゃない。だが――ソレを言えば、お前達は俺を止めるだろう?」

 

「当たり前だよ!! お兄ちゃんが死ぬなんて…!!」

 

「だから、言わなかった」

 

「――どういう事よ!?」

 

 ルイセちゃんの言葉に――ティピちゃんの疑問に、カーマイン君は静かに応える。

 

「――皆、俺をどう見ているか知らないが。俺は――皆が思うような聖人君子じゃない。ただ、ワガママなだけだ」

 

 カーマイン君はゆっくりと静かに首を動かし、自分を見据える大切な――優しい仲間達を見据える。

 

「俺は――自分にとって大切な人達を守りたかった。世界の全てを守りたいわけじゃない。ただ――その人達が、笑顔で暮らせるよう、必死だっただけだ。全ての人間の為に、なんて俺は戦わない」

 

 全ての人の為に戦わない。ウォレスさんは、自分の想像通りの答えに、思わずうめく。出来る限り――戦場で人を殺さない為に――自分が一番前に立つカーマイン君の姿を。ウォレスさん達が切り捨てた兵士達を見て――何も言わなかったカーマイン君の姿を。

 

「だからって、仲間の為に――その為に、お前が死んだら、意味ねえだろう!!」

 

 ゼノスさんが耐えきれないように、カーマイン君に叫ぶ。しかし――カーマイン君は静かに、穏やかに応えた。穏やかで、優しい笑顔で。

 

「――意味ならあるさ。ここに居る皆が、生きていてくれれば俺が生きた証になる」

 

「――どうして、貴方は自分をその中に入れようとしないんですか? 貴方が死ぬ事で、ここに居る人達が笑顔に――幸せになるなんて、本気で――本気で思ってるの!?」

 

 カレンさんが即座に詰め寄ってきた。強い口調で問いかける彼女に、カーマイン君はやはり真剣な表情を向ける。決して揺らがない意志を瞳に宿して――。

 

「今すぐには無理かもしれない。だが――生きてさえいれば、いずれ幸せが来る。必ず笑顔になれる日が来る。だから――人は生きていける。そうだろう、母さん」

 

 かつて――大切な人を戦争で失った母。その苦しみと悲しみは――時が癒してくれた。新しい子供という、新しい幸せが――。

 

「――カーマイン。ソレは――」

 

 サンドラさんの言葉を遮り、カーマイン君は言う。

 

「間違っているし、矛盾してるよ。――生きてさえいればいいなら、俺も違う生き方を選べばいいだけの話だ。けど、俺は――嫌なんだ。自分で決めた事を撤回して、生き延びるなんて、俺にはできない。一度しかない人生だ。なら――俺は、自分を裏切って死にたくない。自分で決めた事をやり遂げて、死にたい」

 

 カーマイン君は嗤う。自分自身を――。人を救い、仲間を大切に思っても、自分だけはどうにもできない。この生き方を――変える事がどうしても、できない。変えるくらいなら――自分は死を選ぶ。

 

「――カーマイン」

 

 ティピちゃんが、そんなカーマイン君の想いを察し、彼の肩に止まる。カーマイン君は静かにティピちゃんを肩にやり、続ける。

 

「俺のやっている事は、特別か? 死の際に居て助けを求める人を目の前にして、手を差し伸べることは当たり前じゃないのか?」

 

「――ふざけるな!!」

 

 それまで黙っていたシーティアさんがついに爆発したように怒鳴りつける。カーマイン君の顔を上から覗き込み、続ける。まるで猫科の捕食獣が獲物を捕らえるかのように。

 

「ソレで、誰が納得する!? お前は、いつも――人の気持ちを考えない!! 自分がどうしたいかで決める!! その行動の結果、お前に――どれだけの人が想いを寄せているか、分からないの!? 今のお前は、お前一人だけの命じゃ無いことも――分からないのか!?」

 

「――知ってるよ。生きている者は、独りじゃ生きられない。俺がラルフやゲヴェルに言ったことだからな。だがそれでも、命ある者はいつか死ぬ。ソレが遅いか、早いかの差だろう? ならば、自分が死んだとき、何を残せるかが重要じゃないのか? その為に、今を必死で生きるんじゃないのか? 全ての――命ある者は」

 

 ソレでも、彼は揺るがない。強い意志をその瞳に宿して、静かに応える。仲間の想い等、彼は気付いている――。ソレでも、彼は――自分自身を曲げられない。ハッキリとそう言い切った。

 その言葉に――誰も、カーマイン君に何も言えなくなってしまった。その中で、カーマイン君の為に刃を振るうと決めたデュラン君が、いつものように単刀直入に問いかける。

 

「――貴方は、いつ気付いたのですか? その刃の正体に」

 

 デュラン君に対し、カーマイン君はどこか気さくな笑みを浮かべて言った。

 

「何となく、ゲヴェルの作った兄弟達と戦い出したあたりかな。俺も最初は、便利な刀としか思ってなかったしな」

 

「気付いた時、何故その刃を捨てなかったのですか?」

 

 デュラン君はアステア君と同じように淡々と静かに問いかける。だが、不思議と彼の言葉は、温かだった。アステア君の様な冷たさを聞く者に想わせず、カーマイン君の事を心から想う温かさに満ちている。

 ソレを知っているからか、カーマイン君はニッと不敵――というよりは、ワンパク坊主の様な笑顔を一瞬だけ作ると、表情を真面目なモノに改め、真剣な口調で答える。

 

「この刀が――俺に理想を貫かせてくれたからだ。戦争は理不尽だろう? 人を殺す事が当たり前で、敵国は悪い奴。奪われる前に奪うのが当たり前。そんな現実という理不尽を変えてくれたのが、コイツだ。俺の甘い戯言を――この刀は体現してくれた。コイツじゃ無ければ、俺は――自分自身を貫けなかった。俺に、レギンレイヴは――捨てられない」

 

「「「「……っ!」」」」

 

 誰もが、カーマイン君に言葉を懸けられない。目を向けられない。顔を見れば――恐らく、泣いてしまうだろうから。誰もが――涙をこらえているのだから。

 しかし――デュラン君は違った。正面からカーマイン君の瞳を見ている。だからなのか、カーマイン君は問いかけた。

 

「俺の言ってる事は、そんなにおかしいか?」

 

 カーマイン君はデュラン君を誰よりも信頼している。ソレがよくわかる。何故なら――デュラン君は、決して自分自身を見失わず、カーマイン君を静かに覗き見てくれるからだ。

 彼がいるから――カーマイン君は自分を見失わない。自分の中に少しでも迷いがあれば、誤りがあれば――いつだって、デュラン君は正してくれるから。

 

 ものすごい、信頼関係や――。でも――少しだけ、分かった気がする。デュラン君が、カーマイン君の為に剣を振るう理由。ソレは――カーマイン君が余りにも、危ういからなんだ。

 少しでも踏み外せば――一気に奈落に落ちる道――ソレを、カーマイン君は全力で駆けて行ってる。いつか、なのはちゃんがシャスに言ってた言葉――、私はソレを――カーマイン君に感じた。

 

「……」

 

 カーマイン君から全幅の信頼を受けるデュラン君は静かに瞳を閉じる。

 主の闘い方を――。凄まじい殺人剣の使い手でありながら、誰よりも命を奪う事を嫌う青年の、今日までの在り方を。心の中で反芻させていた。

 殺意の塊であった――抜き身の刃そのモノであった自分を――彼は真っ向から止めた。その強さに――憧れ、その輝きに見とれた。彼の戯言を――ソレを貫く姿を――誰よりも傍で見続けようと思った。

 

「――カーマイン様」

 

 ソレだけを言うと、デュラン君は片膝を床に付いた。左手は拳を握り、同じく地面に付ける。右手は折り曲げた足の膝の上に置き、頭を深々と下げてから、カーマイン君の瞳を覗きこむ。

 

「何が正しいのか、ソレは見るべきモノによって変わります。命を大切に想いながら、ソレでも――自分の命を大切に思えず。情を大切に思いながら、貴方は自分に寄せられる情を無下にする」

 

「ああ――その通りだ。ソレが――俺だ」

 

 デュラン君の言葉に、カーマイン君はむしろ力強く頷く。自分自身を今一度確認する為に―。

 

「己自身の信念を貫き通すことは、恐らく他者の想いを踏みにじることになるでしょう」

 

「――ああ、だからこそ。俺は――ワガママなんだ」

 

 自嘲するカーマイン君。いつも通り、自分の心を鏡のように教えてくれるデュラン君に、カーマイン君は先ほど浮かべたモノと違う表情で――、己が本心を語るように力強くなった。

 自分のやる事は、“わがままである”と。

 デュラン君の表情は動かない。彼はただ、核心だけをカーマイン君に尋ねる。

 

「貴方を想う多くの優しき人々――その想いを無下にし、貴方は振るうのですね? その刀を――。ソレが、おかしくないと――本当にお思いですか?」

 

 言葉は静かだった。だが――だからこそ、この場にいる全ての人に――その心に響き渡る。カーマイン君自身の間違いを――矛盾を、カーマイン君がどのように答えるのか、固唾を飲んで見守っている。

 

「ソレでも――。この人達を、俺は守りたい。誰かに任せたくない……! 自分は見ているだけなんて、俺はしたくない。俺は――この人達を、俺の手で――守りたい」

 

 同じ顔をした異形の青年は互いに――鏡の様な相手の瞳を覗き見る。静かな瞳に炎の様な感情を宿す――お互いの瞳を。

 誰もが――カーマイン君の家族である、シーティアさんやサンドラさん、ルイセちゃんでさえも――この二人の間に入れない。否、入らない。

 何故ならデュラン君の言葉が、彼女達の想いを正確に代弁しているからだ。

 そしてその上で、――自分達を守ろうとするカーマイン君。ソレを静かに窺うデュラン君。

 

「――ならば、このデュランもまた、我が命たるこの刃を捧げましょう。貴方が目的を成す為に――前だけを見られるよう……貴方の背中を守り抜いて見せましょうぞ。我が主――カーマイン・フォルスマイヤー様」

 

 デュラン君は――心静かに、そう告げた。カーマイン君もまた――静かに告げる。

 

「ああ――頼りにしてる。デュラン」

 

 皆が部屋を退室する中、アステア君は眠るカーマイン君の横に立つデュラン君を見た。

 

「――何故、止めなかった? 貴様は止めると思っていた」

 

 デュラン君は静かにカーマイン君からアステア君に視線を移す。アステア君の有り様はいつもの嘲りも、不機嫌もない――。ただ、氷の様な無表情。

 

 アステアは――自分でも何故、こんな質問をしているのか分からなかった。自分では、カーマインを止められないのは分かっている。止めるつもりもない。アステアの周りは死で満ちていた。だから――今更、誰が死のうと興味も無い。

 たとえ自分の兄弟と言えど、イレイザーとして殺してきた。その事に何の感情も抱かなかった―。そんな自分が――何故、今更こんな事を言う?

 そして、いつもは俺の顔など見もしない癖に、こんな時だけ何故貴様は――俺の目を見て来る。

 

 アステア君の気持ちが――私の中に響いてくる。

 

「止めれば――確かに、この方は死なねえ。だが――この方の心が、死んじまう」

 

「心――だと?」

 

 アステア君は疑問を口にしながら、しかし――自分の変化を感じ取る。声が振るわないように必死で話す。ソレを――恐らく、気付いていながらデュラン君は頷く。

 

「しかし、先の話ならば――生きてさえいれば、別の幸せがあるのではないのか?」

 

「その通りだ」

 

「――なのに、死を選ぶのか? 何故?」

 

 理解できない。生きることに執着がある訳じゃない。ただ――死ぬことにも意義を見いだせなかった。命ってのが何なのか――俺は、まだ分からない。

 

「そうできないからだ」

 

「――何?」

 

 アステア君は眉根を寄せて問う。デュラン君は静かに――そんなアステア君の瞳を見る。

 

「確かに――生きていれば、幸せが必ずある。苦しみも、悲しみも……。そうやって人は過去を薄れさせていける。失敗も――成功も。だが、この方は恐らく――そうできない。一度でも自分の信念を曲げれば、この方は生涯、自分自身を許せねえ」

 

「――」

 

「皮肉な話だが――この方は決して心が広いわけじゃねえ。ただ――そういう風にしか生きられねえだけだ。誰もが、手を抜く事を覚えて――生きて行く。苦しい事にも、悲しいことも、理不尽なことも――仕方が無いと、納得して。妥協して――」

 

 この男が――そんなことを言うのかと、アステアは目を丸くする。誰よりも妥協を許さないデュランが――何故、そんなことを言うのか、と。

 

「妥協することが、正しいと言うのか?」

 

「当たり前だ。自分の思い通りに行かねえ。世の中ってのは――ソレが当たり前なんだ。自分の思う通りに生きられる――そんな奴は、何処にも居ねえ……。皆、どこかで苦虫をかみ殺し、我慢して――それでも、生きている。――ソレが、生きるってことだ」

 

「苦しみを――噛み締める? そんなことが出来るのか?」

 

 アステアは静かに自分でも口にしてみる。苦しみは分かる。自分を生かした盗賊や、ソレを皆殺しにした殺人鬼。ソレ等が与えたモノ――。ソレを乗り越える? 普通の人間にそんなことが出来るのか?

 

「――直ぐには、無理かもしれねえ。だが――生きるってことは、そんな事を言ってられる場合じゃねえ。やるせなくても、苦しくても――乗り越えなきゃ、生きていけねえ。誰も――助けちゃくれねえ」

 

 デュランの言葉は――重い。そしてアステアは想う。自分は今まで苦しみに向かったか? 散々、無残に死んでいった命を見て来たが――、自分は苦しみを味わったか? 悲しみを――味わっただろうか? 

 初めて――自分の感情を――憎しみを、むき出しにさせたのは――ラルフ・ハウエルだった。そして――その感情を更に昂らせたのが、カーマインだ。あの時、自分は――初めて感情と言うモノがある事を感じた。

 

「そうやって――人は成長していく。苦しみや悲しみを乗り越えて――。ソレこそが、俺が知った人の強さ、美しさだ」

 

 デュラン君の言葉は、人間を称賛していた。裏切るだけではない――その本質を。カーマイン君があの時、言っていた――人間の強さを、デュラン君は知っている。

 

 そんなアステア君に私は思う、多分君も――もう知ってると思うよ、と。

 

「だが、カーマイン様はそうできねえ。どうすればいいのか、分かっている癖に――この方は、ソレができねえ……。拘っちまう、人の命に――。自分の生き方に」

 

 だから――カーマインがソレを実行できないことに、驚いた。普通の人間が出来る事を、コイツはできないのだという。ラルフやゲヴェルをも制した、この男が。

 

「ならば――何故、コイツは……。人間に拘るんだ? 自分の命を懸けてまで。出来ないのだろう? 普通の人間として生きることが? なのに――何故」

 

 理解できない。人間の世界に生きていけないゲヴェルが、何故――そうまで人間の為に剣を振るう?

 

「言ったろう? この方は――人が好きなんだよ。どうしようもなく、人間を愛してるんだ」

 

 自分の命を削ってでも――。デュランは静かに、カーマインの顔を見据え、心の中でつぶやいた。そんな二人の兄弟に――アステアは声をかける事が出来なかった。

 

 不器用で、優しくて、純粋で――。どうして、彼らはこんな風にしか生きられないんだろう? 誰よりも――互いの事を思いながら、けれど――ままならない。

 そっくりや。カーマイン君も、デュラン君も、そしてアステア君、君もや――。

 先に謝ろう――、一度でも彼を陸士107部隊を襲った犯人ではないかと、疑った事を――。

 次の場面に飛ぶ前に――私は、そう決めた。




 カーマイン・フォルスマイヤー。
 人々に救世の騎士と呼ばれる彼は――、決して度量が大きかったのではない。ただ――そういう風にしか生きられなかっただけだ。
 純粋に――最後まで命を愛し、他人を思う優しさと、ソレを貫く覚悟に裏打ちされた強さは――、やがて世界の人々に認められる。
 光の救世主――グローランサーと。


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⑧シーティア -はやて視点-

 幼いころから――アンタは俺にとって越えたい相手だった。今の今になっても――ソレは変わらない。
 だからこそ、俺をただ“生かすため”だけに、世界を敵に回したアンタを――俺は、許せない。
 姉さん――、俺は俺の道を行く――。


「根性無し、お前は――私が守ってやるぞ!」

 

 夕焼け空の下――幼き頃の約束は――今も、その女の子の胸の中で生きている。

 冷静な弟君と、そんな彼が小憎らしくて――かわいらしくて仕方が無いお姉ちゃん。お姉ちゃんは弟君の首っ玉に抱きつき、弟君は嫌がりながら――家に帰っている。

 コレは――幼いころの、シーティアさんとカーマイン君の記憶、や。

 

 場面が変わった――。

 デュラン君とアステア君の二人を残し、カーマイン君の部屋を出たウォレスさん達は、一階の応接室で今後の動きを話し合っていた。

 

「申し上げます! ヴェンツェルが攻めて来ました!!」

 

 その時、甲冑を着たこの国の兵士が一人、玄関から駆け込んできた。

 

「ヴェンツェルめ、このタイミングで……!!」

 

 歴戦の傭兵ウォレスさんが、長い金髪を揺らして駆けだす。その大きな背中を、ゼノスさんが呼びとめた。

 

「待てよ! オッサン、俺も行くぜ!!」

 

「闇雲に動くのは危険だ。僕もサポートさせてもらう!!」

 

 ゼノスさんの後に、アリオストさんも続く。けど、それよりも――誰よりも早く、紅いジャケットを着た黒い長髪の――色っぽい女性が玄関から飛び出て行った。

 

「シーティアさん!?」

 

「お姉さま!!」

 

 カレンさん、ミーシャちゃんが目を丸くして、後を追いかける。ルイセちゃんがその隣から駆けて来た。――不安そうな顔、ソレは――カーマイン君の事だけやない、シーティアさんに向けての心配。

 

「お姉ちゃん――」

 

「ルイセちゃん、どうしたの? 顔色が悪いわよ!?」

 

 ルイセちゃんの肩に止まるティピちゃんが怪訝そうな声を上げる。ルイセちゃんは眉根を寄せて、応えた。

 

「何か――嫌な予感がするの。お姉ちゃんが、どこかに行っちゃう、そんな予感が……!!」

 

 ルイセちゃん達が外に出ると、魔物の軍勢がこちらを取り囲んでいた。

 城の門の前で、ローランディアの民間人を固め、彼等を守るように、兵士たちが隊列を組んでいる。

 その最前線に、シーティアさんが立っていた。ソレにウォレスさん達三人も続く。南側の階段下の広場に黒いローブを着た老人が立っている。――ヴェンツェルや。

 

「フフ……現れたな、シーティア。迎えに来たぞ」

 

「いつまで、寝言を言っているのかしら? ――ルイセに貴方がした事、人々を苦しめている事――私が許すと? ――何より」

 

 瞳を閉じ――思い浮かべるのは……ただ一人、昏睡した弟の寝顔。

 グンニグルを具現させ、一閃。ピティがシーティアの長い髪を紅い紐でポニーテールに結わえる。

 覚悟を決めた――シーティアさんの顔は美しく、恐ろしく――冷たかった。なのに――どうして、こんなにも艶っぽいんやろ。

 

「――貴様は、私が――殺す!!」

 

 魔物の群れを駆け抜け、ヴェンツェルに斬りかかるシーティアさんに、強烈な魔力弾が放たれる。ズドォッ

 

「――!?」

 

「父上に歯向かうのは――、それくらいにしておけ、異母妹(シーティア)よ」

 

 見上げる視線の先――家の屋根の上にいたのは、腰まであるシャギーの入った蒼い髪。ソレは、光の反射具合で紫に輝き、その瞳は黄金と翡翠に彩られている。その周りには彼女を守ろうと三人の騎士が控えていた。

 

「父上の御前だ。――控えぬか」

 

「……どいつもこいつも。――フザけるなぁ!!」

 

 シーティアさんの槍が一閃され、紅い炎の竜巻が放たれた。ソレは――姉と名乗る長身の蒼髪の女性に届く前に、三騎士の内の一人――栗色の髪の女性騎士が薙刀で切り捨てた。

 

「――オイタが過ぎましてよ? シーティア様」

 

「フフ、姫様――。貴方がこちらに来ないのでしたら、仕方ありません。このクズの国を滅ぼしてしまっても構いませんね?」

 

 銀髪の長い髪を一纏めで括った青年の騎士が槍を構える。隣に居る緑の髪の男の騎士も静かに――刃渡り2メートルの長刀を抜刀術に構えた。

 見ただけで――分かる。ただもんやない――って。

 

「――シーティアよ、いい加減に目覚めるが良い」

 

 蒼髪の女性が静かに言葉を発し、同時に女性を含めた4人の騎士が白銀の炎と黄金の翼を発生させる。――ドクンッ

 

「――グゥ……?」

 

「シーティア様!?」「お姉ちゃん!?」

 

 シーティアさんは、その豊かで柔らかそうな胸を押さえ、蹲る。

 

「――ほう、やっと目覚めるか。世話の焼ける妹よ」

 

 蒼髪の女性は、シーティアさんから感じる波動にコクリと満足げに頷いた。――覚醒したシーティアさんは、蒼髪の女性達と同じく――黄金の翼を背に生やし、白銀の光を全身から溢れさせていた。

 

「――」

 

 シーティアさんは刃の如く底光る瞳をヴェンツェル騎士団に向ける。ヴェンツェルが邪悪にほくそ笑む。

 

「フフ――、よくぞ目覚めた。シーティアよ、これより人間どもを支配する。付いてくるがいい」

 

「――!? お姉ちゃん!!」

 

 ルイセちゃんが焦った表情でシーティアさんに叫ぶ。ウォレスさんも眉間にしわを寄せて問うた。

 

「どういう事だ? シーティアは――貴様の娘だと?」

 

「そうだ。かつてグローシアン支配時代に有った我が騎士団の一人にして、我が娘――シーティア・ファフニール・ヴェンツェルよ!!」

 

 ウォレスさん達がその驚愕の真実に目を見開く。蒼髪の女性と栗色の髪の女騎士が――その後を告げる。

 

「だが――シーティアは我々の計画を邪魔し、ゲヴェルを封印して死んだ」

 

「そこで、ヴェンツェル様は、シーティア様の細胞をお持ちになっておられたのですわ」

 

 ヴェンツェルは、彼女達の言葉を受け――嗤う。

 

「私が目覚めた時、既にグローシアン支配時代は終わっていた。故に――私は新たな力を手に入れる必要があったのだ。アルスィオーブに問うた私はゲヴェルと接触し、奴(ゲヴェル)の望む兵士を奴の体から作り上げた。その際の基となった細胞はベルガーだ。だが、私はここで一つ細工した。仮面騎士の中に、シーティアのクローンを作り、それを洗脳して操ろうとな。娘の力は我が子の中でも最上級だった。奴が反逆さえしなければ、私の計画が潰れる事も無かったほどに」

 

 ヴェンツェルはそこで憂えるように目を細めた。手をシーティアさんに差し伸べる。

 彼女の瞳に意志の光はない――。ただ、全てを破滅に追いやろうとする――機械的な光――ソレが、放たれている。

 

「だから私は手駒となるシーティアのクローンをゲヴェルにバレぬよう作らせた。仮面騎士達をシーティアの顔に似せることで、奴に悟られることなく――シーティアを作り出すことができたのだ!!」

 

 今の話――本当だとしたら、許せへん……!! ヴェンツェル、貴方は――自分の娘の命さえ――、道具にしようと言うんか……!!

 私が怒りに震えていると、ミーシャちゃんが驚愕の表情でシーティアさんを振り返る。

 

「――それじゃ、本当にお姉さまは!!」

 

「さあ。シーティアよ、全てを滅ぼすがいい!!」

 

 ヴェンツェルがほくそ笑んだその時、魔力弾がヴェンツェルを襲った。放ったのは、シーティアさんや。

 

「どういうつもりだ、シーティア。この期に及んで、まだ自我があるというのか」

 

 その言葉に、私は首を振る。だって――今の彼女に、意志の光は――見えへんから。私の思考を代弁するように――シーティアさんが口を開いた。

 

「――私は、全てを滅ぼす者。貴様が何者だろうと、私の目覚めは滅びを意味する」

 

「!? 洗脳プログラムがバグを起こしたと言うのか!?」

 

「――死ね」

 

 ヴェンツェルに放たれた強力な魔法。テレポートで逃げる4人の騎士とヴェンツェル。

 

「お姉ちゃん!!」

 

 ルイセちゃんの叫び声にも反応せず、シーティアさんも彼等を追ってその場を去った。

 ――意志を失って尚、ルイセちゃん達を守ろうとしたのか。それとも、自分の脅威となるヴェンツェル達を滅ぼそうと言うのか、ソレは――分からへんけど。

 

 場面はまた変わる。

 この場面は、カーマイン君達が大きな街に立ちよった時のこと。カーマイン君一人が闘技場に呼び出され、人々より罵声を浴びせられていた。

 その内容は――

 

『アンタ達が、余計な事をしなければ、ヴェンツェルは俺達に攻撃してこなかったんだ!』

 

『私達は――ただ、平和に生きたいだけなのよ!!』

 

『全て――全て、アンタ達の所為だ!!』

 

 聞いているこっちが身を斬られるように鋭く、容赦が無い――。恐怖から逃げようと――、責任を誰かに押し付けようと――誰かを責めて、自分は楽になろうと――皆が――熱気に包まれている。

 

「――確かに、俺が歯向かったから――その矛先が貴方達に向いたという面はある。ソレは――否定しない」

 

「でも、ヴェンツェルを倒さなきゃ、世界はアイツに支配されるんだよ!?」

 

 カーマイン君は、こんな時でも――いつも通り揺らがない。罵声を浴びせられようとも冷静に――話し始める。その横で、ティピちゃんが必死に皆に訴えかける。

 

「統治者が変わるだけだ!!」

 

 誰かのその言葉に――私は、怒りより――悲しみを覚えた。統治者が変わるだけ? 支配されることを――強制されて、自分の意志を投げて――そして、道具の様に扱われる――、その苦しみの本質を――この人達は、分かってない――。

 何も――知らないんや。ヴェンツェルが与える苦しみを――。ヴェンツェルが奪った大切なモノを――。

 

「今までのように、自由な生活があるなんて、本気で思ってんの!!」

 

 ティピちゃんが、怒気を露にして――必死に皆を説得しようとした時、彼らの周りを小型の異形ユングが取り囲んだ。

 !? ゲヴェルとは――違う。ならコレを――生み出したのは。

 

「!? ユング、これって――ヴェンツェル!?」

 

 ティピちゃんが周囲を確認すると――ユングは、ゲヴェルの間で見た時に匹敵するほどの数を揃えて――人々を喰らおうとしていた。

 

「た、助けてくれ!!」「死にたくない!!」

 

 阿鼻叫喚。助けを求めて――逃げ惑う人々。あかん、落ち着かなかったら、助けられる者も助けられへん!!

 

「――どうするの、カーマイン!!」

 

 ティピちゃんがカーマイン君に指示を仰ぐ。カーマイン君は闘技場の常連参加者達に吼えた。

 

「闘える者は武器を取れ!! 一般人達は闘技場の中へ逃げ込め!! 指揮は俺が取る!!」

 

 カーマイン君の厳しくも的確な指示により、何とか場を切り抜けていくグランシルの人達、そこにルイセちゃん達が援軍で現れ、一気に闘いが終わる。けど――そんなカーマイン君達の前に、一人の女性が現れた。

 

「――お前は、いつまでこんな奴等に付き合うつもりだ?」

 

「お姉ちゃん!?」

 

 ユングを召喚していた魔法使いは、シーティアさんやった。彼女はポニーテールに髪を結わえ、静かに黄金の翼と白銀の光を放っている。

 その瞳――意志のある輝きをしている。つまり――操られてへんてコト――。でも、なら――何で!?

 

「記憶はあるようだな? シーティア」

 

 カーマイン君は揺らがない瞳で――冷静にシーティアさんに問いかける。彼女は――冷たい瞳で――カーマイン君を見返した。

 何人の人を殺せば――こんな眼ができるんやろうと思わせる程に――冷酷な、けれど否応なく人を引き付ける瞳。恐怖と――美しさを兼ね備えた、意志。

 カーマイン君とは正反対の瞳。

 シーティアさんはその透き通る美声でカーマイン君に応える。

 

「ああ――。その上で、お前に問う。お前を助けられる者は――ヴェンツェルしかいない。そして、この世界を救う力を持つのも、奴だ」

 

 ? どういう事やろ……。

 首を傾げる私にいつもどおり、情報が流れて来る――。この世界の在り方は、カーマイン君に説明されたから分かってる。

 二つの世界を重ねて出来た今の世界。コレは時空的に安定してない。常に世界は時空の歪みに晒されていて――ソレを安定させるために――時空制御塔がある。

 でも――、今この世界はゲヴェルの時空に干渉する力やヴェンツェルの時空を操る力によって――歪みが急速に増えている。

 このままやったら――世界は――、元の滅んだ世界に戻ってしまう――!!

 ソレを防げるのは――強大な生命力で時空を操作できるゲヴェルとヴェンツェル。でも――ゲヴェルはヴェンツェルに殺された――。つまり、世界を救えるのは――!!

 

 カーマイン君はジッと自分を見据えるシーティアさんに応える。

 

「……パワーストーンがあれば、世界はアイツに支配されずにすむ。元々、この世界を安定させていたのは時空制御塔。そこにある制御装置にパワーストーンを納めれば、世界の崩壊を食い止められる」

 

 確かに――! 元々、この世界を制御してあったのは時空制御塔や!! その機能を使えば、世界は安定した状態で治まる。

 今はヴェンツェルやゲヴェルが起こした時空の歪みの方が、制御装置を上回ってる。でも――パワーストーンの力なら、その歪みを元に戻せるんや!!

 でも――シーティアさんは冷たく、言い捨てた。

 

「――ほう? どうやって作るのだ? パワーストーンを作るのは多くの人々の意志。ただの人ではない――。先天性魔力保持者――すなわちグローシアン。一国の民にも匹敵する――ソレだけの数のグローシアンが、この世界に今――居ると思うのか?」

 

「俺の時空干渉能力なら、ただの人をグローシアンにできる。――元の世界との繋がりを持てば可能だ」

 

 グローシュは元の世界から零れ出た魔力の塊。――つまり、元の世界との繋がりを増やすことで――魔力の塊であるグローシュを取り出し、人々の体に宿す事が出来る。

 そう強く言い切るカーマイン君に――シーティアさんが鼻で笑う。

 

「笑わせるな。お前達ゲヴェルが何人集まろうと、精々――1人につき1人のグローシアンしか生まれない。百人のグローシアンが生まれた所で一国には程遠い」

 

  淡々と告げるシーティアさんの言葉に私も驚く。ゲヴェル1人に対して、1人のグローシアンしか生まれへん。それじゃあ――足りない。数が――圧倒的に。

 

「そんなペースで――この世界にグローシアンが満ちると思っているのか? しかも、その力を使えば――お前達(ゲヴェル)の生命力を大幅に削られる。そう簡単に仕えるモノではあるまい。いい加減、夢物語はやめろ」

 

 厳しく言い切るシーティアさんに、カーマイン君はいつも通りの揺れない瞳で強く――静かに言い返す。

 

「夢物語だと? 可能性があるのに、何もしない奴に言われたくないな」

 

 シーティアさんは、皮肉気に口を引きつらせた。

 

「ああ、ヴェンツェルが世界を滅ぼす可能性があるな」

 

「……」

 

 カーマイン君は――表情を変えること無く、見つめ返す。

 世界を――滅ぼす? ソレは――。

 

「奴は、この不安定な世界を安定させる時空操作能力がある。ソイツを使えば、不安定な足場など、木端微塵だろうよ」

 

 世界を安定させる力――。しかし、その力は、使い方を変えれば、世界を滅ぼすことが出来る――。歪みを安定させるのではなく――歪みを加速させれば――。

 カーマイン君は静かに、シーティアさんを見据える。

 

「どうだ? コレでも、逆らうのか? 己の命を賭して――人間に石をぶつけられて尚、お前は前に進むのか?」

 

 カーマイン君は――いつも通りに応える。強い意志を瞳に宿して――。

 

「――ソレが、俺の生き方だ。誰にも、俺は止められない」

 

「――バカな奴だ。なら、精々生きあがけ。私は勝つ方に着かせてもらう」

 

 シーティアさんはそう言って背を向ける。ルイセちゃんが思わず目を丸くした

 

「お姉ちゃん、ヴェンツェルに着くの!? どうして!!」

 

「――世界を滅ぼされる訳にはいかないのでな。お前達も意地を張らず、ソコのバカから離れる事をお勧めするよ。これ以上、人間に敵視されたくないならな」

 

 シーティアさんが、黄金の光を生じさせ――その光に飲み込まれて消える。

 この力――この魔法――、ヴィータの記録映像で見た――黒い甲冑の騎士が現れた時と――同じや!!

 やっぱり、あの黒騎士達は――カーマイン君の世界の――存在なんか!?

 グランシルの人々とカーマイン君達の間に、深刻な沈黙が生まれる――。

 

 シーティアさん、貴方は――カーマイン君を想うから、こんな事をしてしもたんか?

 

 場面が――また変わる。

 ここは機械仕掛けの壁と、コンクリートの様な材質の壁で出来てる。ここが――世界の歪みを管理する――時空制御塔、か。

 その上の階層で――カーマイン君は、シーティアさんと対峙していた。

 

「世界を救い、自分の命を投げ出す、か。美しい話だな。ソレが――おとぎ話なら」

 

「何が言いたい」

 

 双子は同じ顔で向き合う。同じ造りの刀を構え合う。同じ服を着て、白銀の光を纏って――。背に異形の影を――黄金の翼を背負って。

 

「現実なら、滑稽以外の何者でもない。お前の命を削って出来る事など、一時の平和に過ぎない。お前は――そんなつまらないモノの為に命を差し出すのか? 犬死すると分かっていて」

 

「やってみなけりゃ分からんさ。ソレに――俺は世界に興味はない」

 

 アッサリといつも通りに言うカーマイン君にシーティアさんは瞳を細めて問いかけた。

 

「なら――何故?」

 

「自分にとって、大切な人達を――守りたいだけだ。お前がやろうとする事は、その人達の平和な生活を奪う。だから――止めさせる」

 

 静かに――強く言い放つ、カーマイン君。その言葉を聞いて――シーティアさんの氷の仮面が解け、激情を解き放った。

 

「その為に――自分が死ぬのは仕方ないとでも言うつもりか!? ふざけるな!!」

 

「――ふざけてなどいない!! だから命を懸けるんだ!!」

 

 シーティアさんの言葉に、カーマイン君が吼え返し、刀がぶつかり合う。どれだけの時間剣を交えただろう? 広範囲を一気に消し飛ばす大魔法ではシーティアさん、一直線に全てを吹き飛ばす魔法剣ではカーマイン君が上回っていた。

 激しい剣と魔法の応酬。ソレに――シーティアさんが声を荒げる。

 

「人間は、お前を見捨てた! 戦争の責任を、支配の全てを――お前に向けたんだ!! 人間の為に、誰よりも命を削ったお前に、だ!! 何故――ソレでも戦う!? もういいだろう!? お前は――もう、充分だ」

 

「……」

 

 シーティアさんの声は震えてた。止められないカーマイン君の心に。誰よりも誠実に、真摯に命に向かい合った自分の弟が、人殺し呼ばわりされ――戦争の責任の全てを押し付けられてしまったこと。

 シーティアさんの気持ちが――私の中に入ってくる――。

 許せない、その誤りだけは――許せない。

 何故――私ではない? 人を冷厳と殺したのは私なのに――冷酷な私はファフニールという英雄で、弟は――ソレを気取るバカな騎士。

 

「お前が――いつ、英雄を気取った? お前がいつ、戦争に勝って喜んだ? お前が――いつ人を殺した? 何故――お前が責められる!!!?」

 

 シーティアさんの頬に伝う一筋の涙。私の――胸を大きく抉られるような痛み。綺麗やけど――余りにも、悲しい――同じ女性として、この涙は――悲しすぎる。

 

「お前は、自分の命を削って人を守ったのに――。戦場で多くの味方や敵の兵士を救ったのに――。それなのに――!!」

 

 粗ぶる感情をそのままに吐き捨てるシーティアさん。でも――

 

「都合のいい時に祭り上げるだけ、上げておいて、いざ自分達が少し辛くなれば、アッサリと掌を翻す。そんな――そんな無責任な奴等を、私は許せん!! 世界中が今や、お前達の敵なんだ!! ソレを――!!」

 

「――言いたい事は、ソレだけか?」

 

 カーマイン君は静かに、だが――ハッキリと切り捨てた。シーティアさんの瞳が悲しげに見開かれる。

 私の印象通り――カーマイン君、君は――曲げへんのやな。絶対に――理不尽を許さへんのや。

 

「……カーマイン」

 

「寝ぼけるな、俺の望みは先に言った」

 

 刀を構え直すカーマイン君は、更に続ける。いつも通りの声音で――。揺れること無き瞳で――。

 

「赤の他人が俺をどう見ようが、俺の知った事か。俺は――俺の大切な人を守りたいんだ。人任せになんかできない――。自分の大切なモノだから!!」

 

「――この、分からず屋が!!」

 

 剣を交える両者。更に激しく移動し、斬り結び合い、叫び合う。圧倒的な――力と力のぶつかり合い――。でも――コレは、悲しすぎる――。この戦いは、ラルフ君の時と同じくらい――悲しい、闘い――。

 

「シーティア、貴様の物差しで俺を図るな」

 

 こんな悲しい闘いの中でも、カーマイン君は――変わらない。その言葉に――シーティアさんが表情を歪めて――問い返した。今にも――泣きそうな顔で。

 

「――ならば、どうしろと言う!? ルイセも――ウォレスも、誰一人――お前の死なんて結末を望んでないんだぞ!? 放っておいたら、真っ先に死ぬつもりだろうが!!」

 

「――死が、そんなに悪いか?」

 

 カーマイン君の瞳は揺るがない。決して――

 

「生きることが、そんなに素晴らしいのか? 何の目的もなく、ただ家畜同然に生きる事が――正しいのか? そんな人生はいらん!!」

 

「――だから、今を耐え忍べと言っている!! そうすれば」

 

 カーマイン君の言葉に、シーティアさんは必死になって言葉を放つ。何とかして――弟を踏みとどまらせようと――。

 死ぬ覚悟を決めて――死に向かおうとする弟を――、止めようと。

 

「阿呆。今を逃して――いつ来るか分からんチャンスに縋る方がよほど、リスクが高い。貴様だって分かっているはずだろう? この瞬間が、最も成功の可能性が高いことを」

 

 ソレでも――カーマイン君は、止まらない。デュラン君の言ってた通り――、自分に向けられる情――彼は、それさえも無下にして、守るつもりや――。

 自分の大切な――人達を――。

 

「――私は、お前に死んでほしくない!! お前は――私の」

 

「だが――」

 

 ソレでも、何かを諦めないシーティアさんの言葉を遮り、カーマイン君はハッキリと言い捨てた。

 

「そんな生き方、俺が――嫌だ」

 

 その言葉に――、シーティアさんは静かに俯く。

 けれど――、カーマイン君。君は――、シーティアさんを大切に思ってるんやろ? なのに――どうして、ここまで傷つけるの?

 

「――」

 

「構えろ、そろそろケリを付けようぜ。シーティア!!」

 

 いつも通り、例え――命がかかろうと、世界がかかっていようと、関係ない。コイツは――いつも通りだった。

 シーティアさんの気持ちが伝わってくる。世界がかかろうが――関係ない。自分の死が近づこうが――自分の意志を貫きとおす。ソレが――カーマイン君だと。

 

「――良いだろう、勝負だ」

 

 シーティアさんは、不敵に笑ってカーマイン君に右手の刀の切っ先を向け、宣言する。

 

「根性無しの弟が、主君である姉に逆らうことが無謀であると――今一度、教えてやる」

 

「――フン、終わりにしてやろう」

 

 対するカーマイン君も、不敵に笑って答えた。

 互いに駆け合い、最後の一閃。シーティアさんの唐竹は空を斬り、カーマイン君の不殺の斬戟がシーティアさんの胴にきまった。

 

「俺の、勝ちだ」

 

「――ああ、私の負けだ」

 

 互いに告げ合い、刀を退くと同時、シーティアさんが地面に膝を付いた。カーマインくんは静かにソレを見下ろす――。

 手を――差し伸べようとはしない、カーマイン君。手を――借りようとはしない、シーティアさん。

 

「強くなったわね。敵わないよ、今のお前には」

 

 代わりに美しい笑みを浮かべるシーティアさんに、カーマイン君は不敵に笑った。

 

「――ああ。ようやく、アンタを越えられたよ」

 

 その笑みは――とても穏やかで、優しくて――相手を思いやると同時に――シーティアさんに詫びているように、泣いているように――私には見えたんや――。




 殲滅の紅――ファフニール。
 かつてのローランディア王国の近衛騎士団の称号は、一人の傾国の美女に送られた――。戦場で敵を屠る彼女の姿は冷酷で――およそ、人の心を持たない龍のようであった。
 だが――彼女の中にあった過去の記憶が呼び起こされたとしても、彼女の想いは決して揺らがなかった。
 弟への――愛情だけは。
 しかし、世界を敵に回した彼女を止めたのは――弟自身。彼女は――ようやくそこで悟るのだ――。
 弟の本当の望みと彼の真の強さを――。


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オラクル空間★湯けむり事情 in海鳴市(前編)

フェ「どうも、皆の主人公。フェイトです!」
ア「アルフです」
フェ「今回アレだよ! 肩の力を抜いて、リラックスして見てください!」
ア「あと時系列とかも気にしないでください。思いつきなんで」
フェ「思い付きとか言うなYO! ネタばれすんなYO!! ――ってわけで、温泉編! スタートぉお!!」
ア「……テンション高いね、お前」


フェ「べ、別に皆に忘れられると思って焦ったわけじゃないんだからねっ!!」



 第97管理外世界。

 俗に“地球”と呼ばれるその世界は――なのはとはやての生まれ故郷だった。

 

 これは、その地球にある『海鳴市』という町で起きた小さなお話。

 山頂にある温泉旅館で、青年(フェイト)を始めとした機動六課の面々が、羽を休めた時の話である――……。

 

 

「ふぅ~ん、ここが地球かぁ……!」

 

 青年(フェイト)は山の中腹まで届けてくれたバスを見送るなり、大きく伸びをした。

 山の空気がおいしい。

 空気が冷たく澄んでいて、青年(フェイト)達の故郷には無い、爽やかな風を運んで来る。

 青年(フェイト)はどこか、悟りきったような表情で山の中腹から町並みを見下した。目を細め、一つ頷く。と。サッとアルフに歩み寄り、声を落とした。

 

(なぁ、アルフ。これ――歴史の教科書とかで見た事あるんだけど……。こんな町並みの世界……確か二十世紀前後の地球じゃなかったか? これ……)

 

(正解)

 

 アルフは左手に握ったクォッドスキャナーを弄りながら答えた。

 

「えぇえええええええっっ!!?」

 

「どないしたん? フェイト君?」

 

「なんでもありません。久しぶりの地球で感動したみたいで」

 

 はやての疑問に、アルフが答えた。その後ろで、青年(フェイト)が顔を掴まれ、アルフの右腕一本で吊るし上げられている。アルフは相変わらずの無表情。彼が何を考えているのかは分からない。

 はやてが要を得ず首を傾げていると、隣を歩く令嬢(フェイト)が、得心が言ったように、ぽん、と手を叩いた。

 

「そっか。フェイトとシャスは地球出身だもんね」

 

 いい感じに勘違いをした令嬢(フェイト)に、アルフは曖昧に頷く。するとなのはが人差指を顎先に添えて、不思議そうに周りを見渡した。

 なのはにとっては馴染み深い――自分が生まれ育った故郷、海鳴市を見渡して。

 

「それじゃあ、フェイト君達はここに自分の家があるのかな?」

 

「いやぁ~~~~~~~、そうですねぇ~~~~~~~!! だいぶ……、遠いかなぁ~~!!」

 

 青年(フェイト)は喉を割らんばかりの大声で、爽やかに笑った。HAHAHAHAHA!! といつもより多めに笑っている。どう見ても良識ある人間からすれば怪しい青年(フェイト)の挙動だが、機動六課の面々は『青年(フェイト)はそういうもの』として受け止めており、気にする者は居ない。

 日頃の行い、とはよく言ったものである。

 青年(フェイト)は額をアルフの額にぶつけて、これでもかと言わんばかりに顔を強張らせた。

 

(どどど、どぉ~~~~~すんだよ、アルフっ!? まさかホントに地球来ると思わなかったよ!! おまけに何年前の地球だよっ!?)

 

(だから、言っただろ? 俺達の知ってる地球とは違うって)

 

 青年(フェイト)の動揺に対し、アルフは溜息混じりに悠然と返す。どこから調達したのか知らないが――管理局でも、この地球でも使われている、“携帯電話”とやらにスキャナーの機能を移設させて、それを先程から弄っているのだ。

 青年(フェイト)は目を見開いた。

 

 カッ!

 

(……忘れてましたね?)

 

 アルフは横目に青年(フェイト)を見る。――冷めた目だ。もはや自分が説明した事など、青年(フェイト)が忘れていて当然、と言わんばかりの冷めた目である。

 青年(フェイト)は背中に汗が流れるのを感じながら、ぷるぷると首を横に振った。

 

(か、過去だなんて言ってないじゃないかぁあああああああ! ッて言うか、ミッドチルダ時系列どうなってんだよぉお!!)

 

(だから、惑星自体が違うの。俺達の地球とは)

 

 アルフはそう言って、携帯の液晶画面を青年(フェイト)に見せる。――何となく、テレグラフみたいだな……と青年(フェイト)は思った。

 そして携帯電話の画面を穴があくほどチェックしながら――そこに羅列するセクターηの文字に、首を傾げる。セクターηとはテトラジェネシスや第三、第四宇宙基地が存在する区画だ。親連邦惑星が多く、かと言ってジェネシスを始めとした銀河でも強力な発言権を持っている惑星が多いために、各惑星の独自性が強い区画だ。

 ちなみに、青年(フェイト)達が住んでいた地球は、セクターΘに存在する惑星である。となると、確かにスキャナーの言う通りであれば、青年(フェイト)達が住む地球と、なのは達の故郷――第97管理外世界、“地球”はまったく別の惑星――と言うことになる。

 青年(フェイト)は顎に手をやり、状況を整理した。

 

(ってことは、だ。ここは、僕らの二十世紀の地球文明に近い地球って惑星ってことなのかい? んなアホな)

 

(いや。それで合ってますよ)

 

「うっそだぁあああああ!!」

 

「いやいや。ホント」

 

 あくまで説明を信じない青年(フェイト)に、アルフは心外そうに眉をひそめた。青年(フェイト)から携帯を取り上げて、肩をすくめる。

 ヴィータがそんな二人を尻目に、心底呆れたようにつぶやいた。

 

「ったく! 海鳴市に来てまで騒がしい奴らだな!」

 

「久しぶりの地球で、アイツ等も羽を伸ばしたいのだろう」

 

「でも、フェイト君はいっつも羽を伸ばしてそうだけどね♪」

 

 桜色の髪をポニーテールにした凛々しい女性騎士のシグナムと、肩まで流れる淡い金髪を軽く外にハネさせたおっとりした女医のシャマルが、穏やかに微笑む。

 

「みんなぁ~~!! そろそろ温泉に着くよぉ~!」

 

 生まれ育った故郷ということもあって、最も土地勘の良いなのはが、山頂にある旅館を指して言った。

 

 皆の表情に笑顔が満ちる。

 スバルはニコニコと表情を輝かせて、相棒のティアナを見た。

 

「ティア! 背中流しっこしようね!」

 

「いくつよ、アンタ……」

 

 ティアナはいつも通りクールな表情で、オレンジ色のツインテールをしょぼくれさせて歩いた。実はバスで山の中腹まで送ってもらったのはいいが、そこからかれこれ三十分ほど、彼女達はハイキングしているのだ。

 訓練に比べれば楽な運動とは言え、温泉一つに、三十分の徒歩――それもまだ目的の旅館が小さく見えただけだ。

 木製の味わい深い旅館で、どっしりと構えた立派な正面玄関を、柔らかな間接照明が彩っている。二階建ての旅館だ。立地条件は決して良くないが、ここの温泉は美肌効果やアトピーなどの皮膚病にもよく効くと評判である。清潔感と、風情のある旅館の雰囲気に相なって、ティアナは思わず、わぁ、と歓声を上げた。

 

 

「エリオ君はどうするの?」

 

 キャロは十歳の少女に相応しいあどけない瞳をエリオに向けて、ぱちぱちと瞬いた。砂漠がキャロの故郷だが、彼女の肌は白く、青紫色の大きな瞳をしている。同い年の少年(エリオ)と並ぶと、兄妹のようにも見え、どこか小動物的な可愛らしさのある少女だ。髪の色はシグナムより淡いピンク色で、長さがセミショート、癖はほとんどない。しかし頭の上にピンと一筋立った髪の毛が、彼女が少し動くたびに愛想よく揺れた。

 エリオは自分の赤い髪を掻いて、笑う。

 

「え? ああ。僕はフェイトさん達と一緒に入るよ」

 

「それじゃ一緒に入れるね!」

 

 キャロは嬉しそうに笑って、白い両手をギュッと握る。エリオは、うん、と話の流れ上頷きかけて――キャロの言葉にはた、と瞬くと、表情を少しだけ固くして彼女を制した。

 

「……キャロ、何か勘違いしてない? 僕はフェイトさんやシャスと入るって言ってるんだよ」

 

「一緒に入らないの?」

 

 不思議そうにキャロが首を傾げる。

 エリオはわたわたと手を振り、前を歩くスバルやティアナ達を指した。

 

「うん。ほら、ティアさん達も気にすると思うし」

 

「ティアさん達、気にしないって言ってたよ?」

 

「えっと……! あ! シャス! フェイトさん!! 温泉入りましょう! 早く!!」

 

 なのはと令嬢(フェイト)の真後ろに続く青年(フェイト)とアルフを追って、エリオは駆けだした。

 その背を、キャロは不思議そうに見る。変なエリオ君、というつぶやきは、エリオの耳には届かなかった。

 駆け寄ってきたエリオを振り返り、青年(フェイト)が嬉しそうにニッと笑う。

 

「おいおいどうしたんだよ、エリオ! はしゃいじゃって! ハハンッ♪」

 

「……敢えて何も聞かないでやれよ、フェイト。――エリオ。貸し一ね」

 

「コーヒー牛乳だね?」

 

 エリオの表情から事態を察したアルフが、『貸し一』宣言する。それをサッと返したエリオに、アルフは顎に手を据えて――

 

「日本酒、……ないの?」

 

 かつーん……!

 

 さんざん先程まで適当にめくっていた『海鳴市旅行ガイドブック』を取り落とした。

 

「無いと思う」

 

 青年(フェイト)がにべもなく首を振る。アルフは心なしか目を見開いた。――ショックを受けているようにも見えるのは、エリオの気のせいなのだろうか――。

 

「もう! 温泉宿の自動販売機だから、無いと思うよシャス」

 

 なのはが眉間にしわを寄せて、アルフを振り返る。

 アルフは長い溜息を吐きながら首をゆっくりと横に振ると、落としたガイドブックを拾い上げて、

 

(麓まで行けってことか)

 

 一つ、頷いた。

 青年(フェイト)がふふん♪ と鼻を鳴らす。

 

「風呂上がりのコーヒー牛乳のうまさを知らないとは、まだまだお子ちゃまだなっ! アルフ!!」

 

「お酒の味が分からないお子ちゃまは黙ってな」

 

 同時。

 無言で繰り出された両者の右ストレートが、交差するようにして両者の頬に決まっていた。

 

「もう! 喧嘩しないで下さいよ!! ほら、行きますよ!!」

 

「「は~い」」

 

 エリオに促されながら、青年(フェイト)とアルフは互いの手を下ろしてエリオの後を追う。それでも地味な睨み合いだけはやめず、無言でガンを飛ばし合う二人を、エリオは溜息混じりに振り返った。

 

「しょうがないんだから、もう!」

 

 それを皮切りに、アルフが肩をすくめて睨み合いを止める。青年(フェイト)が感心したように――達観した老人のように目を細めて、顎を右手ですりすりと撫でた。

 

「エリオはしっかりしてるなぁ~!」

 

「温泉卵、あるかな?」

 

 せめてそれくらいはと願いをかけるアルフに、青年(フェイト)はビシリと親指を突き立てた。

 

「入ればわかるさっ!」

 

「一回やってみたかったんだけどな。温泉で月見酒」

 

 アルフはどこか切なげに遠くを見やった。今日は旅館に宿泊ということもあり、彼なりに楽しむつもりだったようだ。

 テンションは低いが、ポイントは外さない――と言うのがアルフのポリシーなのかもしれない。

 

 

「二人とも~! いつまでやってるの~!」

 

「先に温泉入っちゃうよ」

 

「ああ! 今、行きます!」

 

 先頭を行くなのはと令嬢(フェイト)に声をかけられ、青年(フェイト)は愛想笑いと共に答えた。

 

 

 ××××

 

 

 ――問題は、さ。

 温泉に入る事なんかじゃなかったんだよ。

 僕はこの時初めて、自分の目を疑ったんだ……。

 

 え?

 何があったかって?

 

 キャロが、キャロが男湯に入ってきたんです!

 その顛末を、今から話しますっ!!

 

 

 ××××

 

 

「ふぅ……!」

 

「お? なんだ、エリオ。キャロ達と女湯じゃなかったのか?」

 

「やめてくださいよ、ヴァイスさん! 気にしてるんですから」

 

 脱衣場に荷物を置くなり、エリオが思わず溜息を吐くと、タオルを肩にひっかけた機動六課のヘリパイロット――ヴァイス・グランセニックが、気さくに声をかけて来た。ヴァイスは二十前後の青年で、階級は陸曹。焦茶色の髪をショートにして、長めの前髪を右に流している。瞳の色は青。

 どこにでも居そうな気さくなお兄さん、というのが第一印象だが、割に顔は整っており、機動六課の見えぬ所で女性局員達の人気を集めていた。

 ヴァイスはからからと景気良く笑いながら、エリオの赤い髪をくしゃくしゃと撫でる。

 

「今のうちに入っとくもんだと思うけどねぇ~。でっかくなったら入れねえぜ、あんなトコ」

 

「そ……そんな……」

 

 エリオはどう答えていいか分からず、脱衣場の籠に視線を落とした。

 咳払いが聞こえる。

 ヴァイスが顔を上げると、脱衣所の棚に荷物を置いた機動六課の部隊長補佐――はやての副官であるグリフィス・ローランが眼鏡を押し上げていた。色素の薄い紫色の髪と、細面。第一印象が“優男”で始まるグリフィスが、じろりとヴァイスに苦言を呈す。

 

「ヴァイス陸曹。エリオを虐めるのはどうかと思いますが」

 

「おっと、これはグリフィスさん! ほんのジョークっすよ!」

 

 ヴァイスは明るい笑い声を上げながら、後頭部を無造作に掻いた。

 

 

 そんな機動六課男性陣の後ろで――青年(フェイト)は憐れみの視線を、アルフに向ける。

 

「アルフ。そんな真剣な目で自販機睨んでも、更衣室の自販機に日本酒は無いぞ」

 

「……今、ドライにしようか、札幌にしようか悩んでるトコ。何が違うんだ? これ」

 

 初めて見る缶ビールを前に、アルフは真剣な面持ちで目を細めていた。彼は直感型の天才だ。――恐らく集中すれば、味で失敗すること無い――と自分を信じて、どちらの缶ビールを選ぶべきか悩んでいる。

 青年(フェイト)もアルフの隣から自販機を見上げて、嬉しそうに声を弾ませた。

 

「メーカーが違うんじゃない? 二十世紀の地球のお酒か~! 僕も飲んだことないなぁ、そう言えば。 よし! 一本買おうぜ!」

 

「つまり両方飲めるわけだな」

 

「だね! ところでこの世界の硬貨、持ってる?」

 

「このアルフ・アトロシャスにぬかりはない」

 

「さっすがぁ~! で。どんな硬貨なんだ?」

 

 ウキウキとアルフが取り出した財布――見るからに安物では無い――を見下して、青年(フェイト)は口端を緩めた。

 アルフの長い指が財布を開ける。

 出て来たのは――青年(フェイト)が歴史の授業で学んだ、教科書に載っている資料そのものの硬貨だ。

 正確に言うと、五百円玉が二枚、百円玉が八枚、十円玉が二枚。

 それを見下ろして、青年(フェイト)は固まった表情で首を傾げた。

 

「……あ、あれ? これ、二十世紀の日本って国にあった硬貨にそっくりだぞ? そう言えば、日本製のゲームはよかったよなぁ。僕らの世界には何故無いんだ、秋葉原」

 

 一しきり顎に手をやってうんちくを述べた後、青年(フェイト)はアルフの手許に視線を落とす。

 

「ていうか、シャス。これ、重要歴史文化財じゃないか?」

 

 チャリン

 

「ぁああああ!!?」

 

 青年(フェイト)の悲鳴もどこ吹く風と、アルフは何の未練もなく、五百円硬貨を自動販売機に投入していた。

 

 ぽち、

 ガシャーン

 

 けたたましい音を立てて、缶ビールが自動販売機の受け皿に落ちる。

 

「よいしょ」

 

 プラスチックの蓋をよけて缶ビールを取り出したアルフは、慣れた手つきで、カシュッとプルトップを引き起こした。

 

「ちょ、ちょちょ……っ!!?」

 

 目を白黒させる青年(フェイト)を置いて、アルフはぐびぐびと勢い良くビールを呷る。最後の一滴を飲み干すまで、一気に。

 缶を傾けても中身がこぼれないところまで飲みほした彼は、親指の腹で唇を拭って一つ、満足げに頷いた。

 

「ぷはー。……うん、悪くない」

 

「一気に飲み干しやがった……!」

 

 脱力する青年(フェイト)を見て、アルフがハッと顔を上げる。

 

「あ。つい」

 

「お前何してんだよぉーー!!」

 

「泡残ってる、泡」

 

「いるかぁあああ!!」

 

「じゃ、もう一本やるよ」

 

「ちょっと待てよ! 重要文化財の硬貨を――あぁっ!?」

 

 ちゃりんちゃりーん。

 

 青年(フェイト)の主張は最後まで続かず、重要文化財と思われる硬貨が、無情にも自販機のコイン投入口に飲みこまれて行く――。

 

「さっきドライだったから次、札幌ね」

 

「まだまだッスね! 二人とも!!」

 

 断るアルフの背から、ヴァイスが両腕を組んで声をかけて来た。青年(フェイト)が振り返る。自信に満ちたヴァイスの青い瞳と目が合った。

 

「なんだよ、ヴァイスさん? なんか用かい?」

 

 問うと、ヴァイスはニッと笑って人差指を立てた。

 

「ビールならラガーっしょ! ここは譲れないっ!! 酒好きの人には是非お勧めだね!」

 

「いや、プレミアムモルツかな?」

 

 その隣でグリフィスが小首を傾げている。機動六課男性陣の視線の先は――アルフ達がいる自販機よりも少し離れた、黒い自販機だ。

 そこに記載されている缶ビールの値段を見て、青年(フェイト)は目を丸くした。

 

「た、高ぇーーー!! こっちの自販機かぁあ!!」

 

「へえ、うまいんだ」

 

 対するアルフも興味を引かれてか、いそいそと黒い自販機へと向かう。

  

 ちゃりんちゃりーーん

 

「待てぇええええぃっ!!」

 

「どれどれ」

 

 青年(フェイト)の主張は、やはりここでも無視された。

 ぐびぐびと良い音を立てて、アルフが缶ビール〈ラガー〉を飲み干して行く――。

 そして、一言。

 

「ああ……」

 

 アルフはつぶやいて、一つ頷き、カシュッと再びプルトップを開けて、缶ビール〈プレミアムモルツ〉を一気に仰いだ。

 

「いけるいける」

 

 満足げに頷くアルフ。

 青年(フェイト)は声を限りに叫んだ。

 

「だから、何全部飲んでんだよぉおおーーー!!」

 

「稼げばいいんだろ? 後で」

 

 こともなげに言うアルフに、青年(フェイト)は思わず言い淀んだ。

 

「ちょ、おまっ! それどんだけの価値があると思ってんだよ!! 僕らの世界に持って帰れば、凄い価値になるんだぞ!!」

 

「ああ、無理だから。それ」

 

「何故に?」

 

 青年(フェイト)がぱちぱちと瞬く。――密かに、絶対硬貨マニアに売ってやろうと画策していた。

 アルフがいそいそと新たな缶ビールを手に取りながら、青年(フェイト)に言う。

 

「発行年っていうのが、モノの希少価値を決めるんです」

 

「……二十世紀の硬貨だぞ? 発行年もくそもあると思うか? いや、あるかも知れないけど」

 

「残念ながら、あるね。ああいうモンを集める奴等は、“数百年前”のものだから価値を見出すんであって、同じ形をした新しい物品なんかに興味はねえよ。――大体、発行年まで気にしなくていいなら、レプリケーターで簡単に作れるだろ?」

 

 ヴァイス達が風呂に向かったのを見て、レプリケーターと口にするアルフに、青年(フェイト)は物惜しげにむむ、と唸っていた。

 

「シャスー! フェイトさーん!! みなさーん! 早く入りましょう!!」

 

「分かったよエリオ!」

 

「はいはい」

 

 答えながら、アルフは自販機に五百円硬貨を投入する。

 

 ちゃりーん

 

「ぬなぁっ!?」

 

 渋い顔で振り返る青年(フェイト)もなんのその。彼はいそいそと自販機のボタンを押していた。

 ヴァイスが呆れたように肩をすくめる。

 

「にしても、アルフの旦那。酒強ぇな……」

 

「おまけに酒好きなんですね」

 

 グリフィスも同じく呆れ顔だ。

 そんな二人を余所に、アルフはいそいそとラガーと書かれたビールを浴槽に持っていった。六課の副官でもあるグリフィスが目を丸める。

 

「なっ!? アトロシャスさん! 缶ビールを持って行っちゃいけません!」

 

「旦那ー、温泉に持ってくのはおちょこだぜ? もしくはコップに入れるなりなんなり……」

 

 言いかけたヴァイスを、アルフが真剣な眼差しで見据えた。

 

「え? 日本酒あるんですか?」

 

「受付に言えばあると思うぜ」

 

「じゃ」

 

 ヴァイスの回答を聞くなり、アルフはそう言ってフェイト達に背を向ける。その白い肩を、青年(フェイト)はむんずと鷲掴んだ。

 

「まあまあ、もう入れよ! タオル一丁なんだからさ」

 

「大丈夫。一瞬で終わる」

 

 何故かしたり顔で言うアルフ。

 青年(フェイト)はエリオを顎で指しながら言った。

 

「いいから来いよ!」

 

「シャス! 背中流そ!」

 

「ほら、エリオも言ってるし」

 

「…………」

 

 アルフは長い溜息を吐くと、諦めてラガーと共に浴槽へと向かう。その背を、グリフィスが引きつった顔で見据えていた。

 

「いえ、ですから缶ビールを中に持って行ってはいけない……」

 

「ハハッ! 面白ぇ旦那達だ! なんつーか、豪快だよな!」

 

「頭が痛くなってきましたよ……」

 

 からからと特に気にした風もなく笑うヴァイスに、グリフィスは細い指先を額に添えて、ゆっくりと首を横に振っていた――。

 

 

 

「あぁ~~~! 温泉はいいねぇ~~! たまらんねぇ~~!!」

 

 湯船に浸かるなり、青年(フェイト)は何かから解放されたように高い声を上げた。その隣でヴァイスもまた、あぁ~、と声を上げながら風呂に腰を沈めていく。

 

「ホント、仕事のキツイのを忘れられるよなぁ~」

 

「ただでさえ六課は忙しいですからね」

 

 これにはグリフィスも同感だった。男達で輪になりながら、些細な事を言って笑い合う。

 と。

 

 カシュッ

 

 一際甲高い音が鳴って、青年(フェイト)は左手を振り返った。

 

「ちょっ!?」

 

「うまいよ、これ」

 

 言われる前に言う――とでも言わんばかりに、缶ビールを飲み干すアルフ。隣にいるエリオが、眉尻を下げた。

 

「もう! お酒ばっかり飲んでないで、体洗おうよ~!」

 

「エリオも飲む?」

 

 アルフがビールを掲げた瞬間、

 

「リフレクトストライフ!!」

 

 タオル一丁の青年(フェイト)の蹴りが、大浴場のお湯をかっさらってアルフに降りかかった。

 

「「ぅわっぷ!!」」

 

 傍にいたグリフィスとヴァイスも思わず飛沫に目を細める。大量のお湯が吐き出されて、リフレクトストライフの直撃を喰らったアルフは、缶を握りしめたまま、押し黙っていた。

 

 ぽたぽた……

 

 静寂を取り戻した湯船の中で、アルフの銀髪から湯が滴り落ちる。わずかにうつむいたアルフは、目許が見えなかった。

 彼はソッと、缶ビールを脇に置いた。

 

「ビール台無しじゃん……。お前、何してくれてんの?」

 

「ビールを勧めんなよ! ていうか、僕に勧めろよ! 先に!!」

 

 密かに飲んでみたかったらしく、全力で胸を叩く青年(フェイト)を見上げて、アルフは濡れた銀髪を掻き上げながら目を丸めた。

 

「え? でもエリオはもう十歳だろ?」

 

「……シャス、お前……法を順守すべき軍人だよな?」

 

 青年(フェイト)は笑う。爽やかに。

 そこでふと、――自分の中にある“常識”と法律の齟齬に気付いたアルフは、あぁ~、と間延びした声を上げた後、そっぽを向いた。

 

「…………土星育ちなんで」

 

「ハハハッ! 旦那達はなかなか、冗談も面白ぇや!」

 

「冗談……なのでしょうか?」

 

 豪快に笑うヴァイスの隣で、グリフィスが不安そうに表情を暗くしている。

 そんな彼を脇に置いて、青年(フェイト)は意気揚々と湯船から上がった。

 

「よし! エリオ!! 僕が背中を流してあげるよ!!」

 

「じゃあ、僕はシャスの背中を」

 

 手桶の中に入れたスポンジを取り出して、エリオが言う。アルフは一つ頷き、自分も湯船から上がりながらヴァイスを横目見た。

 

「じゃ、俺はヴァイス陸曹の背中を」

 

「じゃ、俺はグリフィス准陸尉の背中を」

 

「これは……どういう趣旨なんだい?」

 

 背中の流し合いっこになった面々を見渡して、グリフィスが小さく首を傾げる。ヴァイスが石鹸を泡立てながら言った。

 

「准陸尉! 無礼講ッスよ!!」

 

「やれやれ」

 

 苦笑しながら、グリフィスも手桶の中に眼鏡を入れて、濡れないよう棚の上に置くと、青年(フェイト)に向き直った。

 

「それじゃあ、僕はフェイトさんの背中を」

 

「おし! いっちょやってみようか!」

 

 青年(フェイト)が勢い良く頷くと、男五人――仲良く輪になって、背中を流し始めた。

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

「はぁ~。良いお湯だなぁ~!」

 

 ヴィータは湯船に浸かるなり、嬉しそうな声を上げた。見た目は小さな女の子だが、六課の激務はその見た目からは想像も出来ないほどに過酷なものである。

 羽を伸ばすヴィータの隣で、長い足を湯船に浸けたシグナムが、静かに目を閉じて満足げに微笑んだ。

 

「うむ。心が洗われるようだ」

 

「はやてちゃん。入らないですか?」

 

 空を飛ぶ妖精に良く似た姿のリィンフォースⅡが、主を呼ぶ。はやては、爪先をちょんちょんと水面につけるだけで、なかなか深く湯船に入ろうとしないのだ。

 彼女は困ったように眉根を寄せて、リィンフォースⅡを仰ぎ見た。

 

「ちょっと熱いん苦手やぁ……。だから、温度に慣れるまでゆっくり浸かろう思て」

 

 はやてを迎え入れるように先に入ったヴィータが、肩まで湯に浸かりながらニコリと笑う。見た目に相応しい――少女らしい可憐な笑顔で。

 

「やっぱり大きい風呂はいいな! 皆で入れる!」

 

 珍しく声を弾ませるヴィータに、はやても、ふふ、と笑った。

 

「うん。これやったら、ザフィーラも連れてきたら良かったかな?」

 

「ザフィーラは嫌がると思います。主はやて」

 

「変な所でカタブツだからな~」

 

 肩をすくめるシグナムとヴィータの言葉に、はやては苦笑しながら、せやなぁ、と頷いた。

 

 

「久しぶりだね、なのは。海鳴市の温泉に入るのも」

 

 令嬢(フェイト)は白い体をお湯に沈めながら、小さく微笑んだ。こうして、何の気兼ねもなく皆で羽を伸ばせるのは珍しい事だ。

 それも気を休める場所が――かつてなのはと出合った、この『海鳴市』だと言うのだから、令嬢(フェイト)の感慨も深い。

 嬉しそうに目を細める令嬢(フェイト)の隣で、なのははスレンダーな裸体を湯に浸けながら、頷いた。

 

「うん! この所、事件ばかりだったからね」

 

「なのは。無理してない?」

 

 令嬢(フェイト)の眉が心配そうにひそめられる。その言葉の裏に隠された事実を笑い飛ばすようになのはは声を大きくして、力強く自分の細い二の腕を、ぺん、と叩いた。

 

「大丈夫。まだまだだよ!」

 

 きゅっと眉をしかめてみせるなのはに、令嬢(フェイト)は思わず笑ってしまう。

 どれだけ凛々しい表情をしていようと――どこか愛らしさが残る、それが――令嬢(フェイト)から見たなのはの印象なのだ。

 

 

「ここが海鳴市の温泉か~! なのはさんが言うだけあって、凄いな~!」

 

 スバルは額に親指を当てながら、掌を広げて周りを見渡した。機動六課にあるのは、基本的にシャワー室なので、このような大浴場はスバルにはあまり馴染みがない。

 それは、ツインテールを解いたティアナにも言える事だった。

 

「ホント、こんなにおっきい温泉ってミッドチルダには無いわね」

 

 いつもは好奇心旺盛なスバルの挙動をたしなめるティアナだが、彼女もスバルと同じくして浴場を興味深そうに眺めている。

 その横顔をスバルは振り返り――不意に、にやりと口端をつり上げた。

 

「ねえ、ティア? ちょっと、肉付きが良くなったんじゃない?」

 

「って! 何よ、その手!!」

 

「確かめてみよっかなぁ~? って♪」

 

 言いながら、スバルは満面の笑みで、開いた十本の指をわさわさと蠢かせる。視線はティアナの白い膨らみ――乳房だ。

 カッと目を見開いたティアナは、左手で胸を押さえながら湯船の中を走った。

 

「来るなぁっ!!」

 

 

 

「そっかぁ~。グリフィスくんと」

 

 バシャバシャと飛沫を上げて遊んでいるティアナとスバルを尻目に、シャマルは風呂縁にある石に身を預けて、機動六課の女性局員の話を聞いていた。

 通信主任のシャリオの部下に当たる存在――通信士のルキノの話を。

 

「え、えと……まだそういう仲じゃ」

 

 ルキノは色彩の薄い少女で、白い指先を先程からつんつんとつつき合わせている。淡い紫色の髪をショートカットにした、平均よりも身長の高い少女だ。年齢は十八~二十といったところか。白い肌が照れて上気しているため、ほんのりと朱に染まっている。

 なのは達が出撃していない時は、主に機動六課の経理事務を担当している少女で、数字に強いからか性格も几帳面でしっかりとしていた。細身の彼女の隣で、友人のアルトという同世代の少女も聞き耳を立てている。

 アルトはルキノよりも背は低いがボーイッシュな少女で、黄色がかった茶髪をショートカットにし、緑のヘアピンで留めている。見た目ではアルトの方が大人しそうだが、実際は、アルトの方がルキノよりもさばさばとした性格をしていた。

 少年っぽさを残したアルトが、普段はなかなか聞く事の出来ない友人の恋話に瞳をキラキラと輝かせている。

 そんなルキノの相談相手になっているのが――機動六課の軍医、シャマルだ。豊満な肉体を石の上に投げ出して、シャマルは大ぶりな臙脂色の瞳をルキノから通信主任のシャリオへと向ける。

 

「それなら、シャーリーにいろいろ聞いたらどうかな? シャーリー、グリフィスくんと幼馴染だし」

 

「グリフィス君の好みかぁ~」

 

 風呂場の為、眼鏡を取ったシャリオは、腰まで流れる茶色の髪をタオルで掻き上げて、口元に人差指を添えた。機動六課部隊長補佐のグリフィスとは長い付き合いだが、そう言えば昔から浮いた話を聞いた事がない。

 そんな事を頭の隅で思い起こしながら――それでも、彼の好きそうな相手に心当たりはあった筈だとシャリオは努めて記憶を掘り返す。

 うんうんと唸るシャリオを尻目に、シャマルは石に身を預けたまま、つぶやいた。

 

「いいなぁ……。そんな恋話があって」

 

「え!? シャマル先生、ありそうですよ!?」

 

 目を丸くして、ボーイッシュな少女のアルトが素っ頓狂な声を上げる。すると即座に、背の高いルキノも首を縦に振った。

 

「ねえ!? 男が絶対、ほっとかないでしょ!」

 

「だって美人だし優しいし、包容力ありそうだし。体だって……」

 

 そこまで言いかけて――アルトは思わず口をつぐんだ。視線を、自分の身体に落とす。

 主に、女性の象徴とも言える膨らみへ。

 

 思わず、深い溜息が洩れた。

 

 それもアルトだけでなく、グリフィスに想いを寄せるルキノと、通信主任のシャリオまで。

 落ち込む三人を尻目に、シャマルは不服そうに眉を寄せた。

 

「でもそういう話、無いんだよね~……」

 

「男って、意外と見る目ないのかな?」

 

 アルトが心底不思議そうに首を傾げる。ルキノも同じように首を傾げた。

 

「それともシャマル先生に何か問題があるとか?」

 

「分かった! 告白されても気付かないとか!」

 

「シャマル先生、悪くないもんっ!」

 

 シャリオの指摘を全力で否定したシャマルは、豊満な胸を揺らして、ぶんぶんと首を横に振った。

 

 

「みんな楽しそうだね」

 

「うん」

 

 遠巻きに、シャマル達の恋話の様子や、スバルとティアナの騒ぎ、そしてはやて、シグナム、ヴィータによる談笑の様を見ながら、令嬢(フェイト)となのはは目を細めた。

 この二人は静かに、先程からお湯を楽しんでいるのだ。この海鳴市で送った学生生活を、二人で振り返ったり、管理局での話に花を咲かせながら。

 ――だが。

 その談笑は、令嬢(フェイト)がある少女を目に止めた事から終わった。

 

「……あれ? キャロ、どうしたの?」

 

 温泉の隅で小さくなっているキャロに、令嬢(フェイト)が声をかける。なのはも不思議そうに首を傾げていると、寂しげに俯いたキャロが、ぽつりと言った。

 

「エリオ君と、一緒に入りたかったんです……」

 

「そっか……」

 

 令嬢(フェイト)の表情もキャロと同じように寂しげに変わる。

 キャロは視線を上げて、きゅっと両手を握った。

 

「私、エリオ君呼んできます!」

 

「うん。行っておいで」

 

「気ぃ付けて行くんやで~」

 

「転ばないようにね」

 

 声をかけてくる令嬢(フェイト)、はやて、なのはに向けて、キャロは明るく――はいっ、と頷き、男湯へと向かって行った。



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オラクル空間★湯けむり事情 in海鳴市(後編)

「フェイトです!」
「アルフです」
「皆! 聞いてくれ!! ありのまま、起こった事を説明するよ!?」
「エリオがさらわれました。女湯に」
「僕達は立ちあがる――。かけがえのない、エリオと言う少年を救い出すために!!」

「……え?」



「皆、用意はいいかぁ~~!?」

 

「サー! イエッサー!!」

 

 青年(フェイト)の呼びかけに、一番気の良いヴァイスが二つ返事で答えた。

 青年(フェイト)は満足げにコクリと頷き、横に並んだ二人の青年を見渡す。先程まで――和気あいあいと皆で湯を楽しんでいたのだ。青年(フェイト)は左手を腰に添えて、びしりと後ろを振り返ると、右手の人差指でヴァイスを指した。

 

「まずは状況を簡単に確認する! ヴァイス陸曹!」

 

「了解! 今より五分ほど前に、キャロ・ル・ルシエ三等陸士が男湯に現れ『エリオ君、一緒にお風呂入ろ♪』と申し立て、エリオ・モンディアル三等陸士の右腕を両腕で把持し目的の女風呂の方へ連れ去って行ったのでありますっ!」

 

「わずか三分ほどの出来事でした」

 

 グリフィスは几帳面な性格に相応しく、もっともな経過時間を述べる。

 青年(フェイト)はまたしても、満足そうに頷いた。拳を握り、じろりと女湯の垣根を睨む。

 

「その通りだ。そして、恐ろしい事にキャロは、エリオが断ろうとすると、自分も男風呂に入りたいと言い出した! これによりエリオは、否が応にも女風呂に行かざるを得なくなってしまったのだっ!!」

 

 ――注意書きには、十一歳以下の児童に限り、男女どちらの風呂にも行き来できるよう書かれていた。

 

「恐ろしい……! なんという恐ろしい子だったんだ……! キャロ・ル・ルシエ!!」

 

「と、言うか……。あんな純真な笑顔で一緒に入りたいと言われたら、断れませんよね」

 

 あくまで青年(フェイト)のノリについて行くヴァイスに反し、グリフィスは冷静だ。そして皆と同じく和気あいあいとしていたはずのアルフは――整列させられた二人には構わず、早々に湯船に浸かって缶ビールを傾けていた。

 

「入れてやればよかったのに」

 

 軽く言うアルフは、ラガーの空き缶三つ目を並べた。

 青年(フェイト)は拳を握り、ぷるぷると首を横に振る。

 

「それがね~! エリオの気持ちを考えると、ね……!」

 

 まだ羞恥心が育まれていないキャロを守る意味で、女湯に向かったエリオの背を思い出し、青年(フェイト)はやるせなさに歯噛みした。

 

「――と言うわけで! 我々はこれより、エリオ救出作戦を開始するっ!!」

 

「大変だね」

 

 アルフは一つ頷いて、四つ目の缶を開けた。グリフィスがその様子に呆れながら、青年(フェイト)に視線を向ける。

 

「ぇっと……それでフェイトさん。具体的には何をするんですか?」

 

 グリフィスが問う。と、青年(フェイト)の目が、カッと見開かれた。

 

「馬鹿ものぉっ!! 隊長と呼ばんかっ!!」

 

「えぇっと……」

 

「了解しましたっ、フェイト隊長!」

 

「ヴァイスさん……?」

 

 隣で敬礼するヴァイスを、何か言いたげに見るグリフィス。ヴァイスはニッと笑って答えた。

 

「ここはノっとかないと、面白そうじゃないですか」

 

「いや。……でも何か、嫌な予感が……」

 

 そう言いながら眼鏡をかけ直すグリフィスの弱い主張など、青年(フェイト)の耳には届かないのである――。

 

「では簡単に作戦を説明するっ! 部隊名はアルフェイトだ! 作戦名は『プロジェクトE! エリオ君を助け隊』で行くっ!!」

 

「アルフェイト……?」

 

 アルフはどこかで聞いた名だと首をかしげながら、ぐびりとビールを傾けた。

 

「それで、内容はどんな作戦なんですか?」

 

「まず、エリオがどの位置にいるかを確認する。ヴァイス陸曹!」

 

「はっ!」

 

「君はかつて、狙撃手として名を馳せていたそうだね? その目なら大丈夫だ! エリオがどの位置にいるか、確認してくれたまえっ! かつ! 救出ルートの算出を!」

 

「え? 肉眼……で?」

 

 アルフの疑問をよそに、フェイトの作戦は続く。

 

「そして僕とアルフが救出ポイントに飛び込むっ! エリオを見事に救い出すっ!! ――地獄までの片道切符は、僕らの命で払う事にしよう!」

 

「え? ……俺?」

 

 青年(フェイト)は左手を握りしめ、はるか彼方(かなた)を見据えている。もちろん、アルフの疑問に答える気は無い。

 

「オス! 了解でありますっ! フェイト隊長!!」

 

「頼んだよ、ヴァイス陸曹!!」

 

「だから肉眼……」

 

「それ以前に、犯罪じゃないでしょうか?」

 

 アルフの主張に、グリフィスが正論をかぶせてみる。が。やはり話を微妙に聞かないのが――フェイト・ラインゴッドなのである。

 彼は固く拳を握り、大きく首を横に振った。

 

「これは緊急事態だ!! 一刻も早く助け出さなければ、エリオが茹であがってしまうっ!! 干からびたエリオが見たいかぁあああ!? 僕は可哀想で見てられないっ!!」

 

 それが、部隊名アルフェイトが結成された唯一無二の理由であった。

 

 

 

「どうしたの? エリオ君」

 

 女湯でキャロは、不思議そうに首を傾げた。キャロの申し出を断るに断り切れなかったエリオは、他の誰の身体も見ずに済むよう、風呂場の端で小さく体育座りして俯いている。耳まで真っ赤にした少年の背に、令嬢(フェイト)も気遣わしげに声をかけた。

 

「エリオ、そんなとこにうずくまってないで、体洗お?」

 

「もぉ向こうで洗いました! 洗いましたよっ!! 大丈夫ですっ! 放っておいてくださいっ!!」

 

「エリオ?」

 

 悲鳴に近い声で叫ぶエリオを心配して、令嬢(フェイト)が顔色を窺って来る。

 途端、

 

「うわぁっ! 近づかないでフェイトさぁあんっっ!!」

 

「どうしたの? エリオ」

 

「大丈夫? エリオ君」

 

 右から令嬢(フェイト)、左からキャロが迫って来る。

 エリオは声を限りに、男湯に向かって叫んだ。

 

「フェイトさぁああああんっっ!! シャスぅうううう!!!! 皆ぁあああ~~~!!」

 

 

 

 

「げ、あいつ俺まで呼んでやがる……」

 

 風情ある垣根の向こうから、エリオの声が響いて来る。思わず眉をひそめるアルフに、部隊長フェイトはきっぱりと言った。

 

「兄貴分なんだからしょうがないだろ。――って!? やはり恐れていたことがっ!!? しかもキャロだけじゃなく、フェイトさんまで!!?」

 

「まあ、その辺の思考回路、死滅してそうだからね。あっちは」

 

 目を白黒させる青年(フェイト)に、アルフは言った。世間話でもするように。

 

「なんて羨ましいんだ……! テスタロッサさんの、テスタロッサさんのお背中流しだと……!?」

 

「陸曹っ!! やや脱線しているぞっ!!」

 

「はっ! すみません、フェイト隊長っっ!!」

 

「いや、いいんだ。今回の任務は誘惑が多すぎる。だが、だがそれ故に僕たちは――! 僕たちは成し遂げなければならないっ!! エリオを救うと言うこの作戦をっ!!」

 

「サー、イエッサー!!」

 

「ヴァイス陸曹……、そのノリについて行くんですか……」

 

 疲れたような声を上げるグリフィスの肩を、アルフは、ぽん、と叩いた。振り返るグリフィスに何も言わず、ただゆっくりと首を横に振る。

 ――もう、手遅れだと。

 

「ではまず! 偵察から始めるぞっ!! 僕に続け!!」

 

 こうして青年(フェイト)達はタオル一枚で風呂場を出て行った。

 

 

 

「ヴァイス陸曹! この位置からならばどうだっ!?」

 

「あぁ~……。普通に柵があって見えませんね……。つぅか、寒っ!!」

 

 青年(フェイト)達は風呂場を出た後、脱衣場へは向かわず、直接山の中を踏み分けていた。――目指すは女風呂。

 まずは遠目から彼女達の現在地を把握する為に、雑草生い茂る山道を突き進んでいるのだ。

 ――そう、タオル一枚で。

 

「な、何故満天の星空の下をタオル一枚で、それも山の中をランニングしなきゃならないんですかっ!!」

 

「馬鹿野郎っ!!」

 

 不満の声を上げたグリフィスの頬を、青年(フェイト)は全力で殴り倒した。

 ヴァイスが目を瞠る。グリフィスを助け起こしてやりながら、彼は青年(フェイト)を仰ぎ見た。

 

「グリフィスさんっ!? フェイト隊長!! 何をっ!?」

 

「僕達はこれから、かけがえのない仲間を助けようと言うんだ。それなのに、そんな腑抜けたことを言っていられると思うのかっ!? こうしている間にも、エリオの、エリオのライフポイントはゼロを目指してまっしぐらだ!! 僕らがやらなきゃどうするんだ!?」

 

「フェイトさん……!!」

 

「いや、だからどうして裸足でタオル一丁なんですかって、話なんですけど……」

 

 感動して拳を握るヴァイスの隣で、ずれた眼鏡をかけ直すグリフィスが首を傾げる。

 だが、そんな常識は青年(フェイト)の耳には届かなかった。

 

「Gutsだ!! そんなものはGutsで補えっ!!」

 

「えぇっと、それで――……この柵、どうするんです?」

 

 女風呂の覗き対策として、竹の柵が青年(フェイト)達の前に伸びている。露天風呂を囲う柵はずっと左右に広がっており、高さも五メートルほどあって肩車をしても中の様子は覗けない。

 青年(フェイト)はグリフィスの問いに両腕を組んで、こくりと頷いた。

 

「うん。簡単だ。僕の特殊能力で、この指先一本分だけの穴をあける。そこから君が覗くんだ! ヴァイス陸曹!!」

 

「覗いて……いいんですか?」

 

 ヴァイスがごくりと喉を鳴らす。真剣な彼の顔――これで“覗き”という前提条件さえなければ、六課の女性局員達が黄色い声を上げそうなくらいに精悍な顔だ。

 青年《フェイト》は拳を握り、深く頷いた。

 

「君にしかできないんだ! 頼んだぞ、エリオを……!」

 

 ヴァイスは黙って敬礼する。

 

(シグナム姐さん……!)

 

 心の中でつぶやいた彼の声を、青年(フェイト)は何となく――空気で感じ取った。

 不思議そうに首を傾げる。

 

「いま不穏当な発言が聞こえた気がしたが、気のせいか? シャス?」

 

「問題ありません。隊長」

 

「そうか」

 

 にべもなく頷くアルフに、フェイトはそう言うと、人差し指を柵に向かって立てた。

 

「ぬぉおおおお……、行くぞ、ディストラク――」

 

 カチン、カチンカチン……

 

「ん? なんだ、このカチンカチンって?」

 

 軽快な駆動音と共に、ただの竹柵だと思われていたそれが、節目で分かれ――、その奥から黒い砲身が覗いた。

 

「――フェ、フェイトさん!!」

 

「何っ!?」

 

 グリフィスの制止も間に合わず。

 正体不明の爆発が、青年(フェイト)をジュッと焦がしていた――。

 

「レーザー、……でしたね」

 

 アルフ・アトロシャスは後に、起きた事件をそう解釈したという。

 竹柵から何故か砲身が現れて、レーザーを発射した。

 ――そんな奇妙なことも起きたのである、と。

 

 

 

「ん? なんだ、今の音?」

 

「どうやら大っきいネズミが現れたみたいやね」

 

「ネズミだぁ?」

 

 不思議そうなヴィータを置いて、はやては物音がした柵の向こうに視線をやった。実はこの旅館は、はやてやなのは、令嬢(フェイト)の友人であるアリサ・バニングスという少女の両親が、全面的に出資している旅館なのだ。

 アリサは海鳴市でも有名な実業家の両親を持っており、はやて達が管理外世界への任務に向かう際には、アリサから別荘を間借りして、機動六課の特別本部として使うこともあった。

 はやてはようやく湯に慣れて、肩まで浸かりながら、ふぅ、と小さく溜息を吐く。

 

(アリサちゃんが作ってくれた防衛システムが働いたみたいやな……。犯人は、)

 

「テメエか! フェイト!!」

 

 レーザーにやられた時の声を聞いて、ヴィータが激しい剣幕で柵に向かって吼えた。

 

 

 柵越しに、フェイトは人差し指を立てたまま固まっている。ちなみに、まだ穴はあけていない。

 Guts100%を習得した青年(フェイト)の前では、レーザー一発などものの数にも入らないのである。

 ただ――

 

「って、バレてるよ!? フェイトさんっ! バレてますよっ!?」

 

「だからあれほどやめておけって言ったのに……!」

 

 慌てるヴァイスと、呆れ気味なグリフィス。

 

 そのとき、柵の向こうから少女達の声が聞こえた。

 

「今の声ってヴァイス先輩……?」

 

 ボーイッシュな通信士の少女、アルトがつぶやく。機動六課の平時では機器整備員として活躍している彼女は、ヘリの整備先輩でもあるヴァイスの声を聞いて、息を飲んでいた。

 シグナムが低く、唸る。

 

「……アイツめ、どういうつもりだ?」

 

「グリフィス君……」

 

「ぇと……あの……」

 

 シャリオの落胆の声、そしてルキノの緊張した声まで柵越しに伝わってくる。

 

 グリフィスは慌てて首を横に振った。

 

「ち、違っ!!」

 

「バレちゃぁしょうがねえ! さすがだな、ヴィータちゃん!! よくぞ見抜いたっ!!」

 

 それに反し、青年(フェイト)の潔さは見事なものだった。

 

「テメエ! 何居直ってやがる!! この覗き野郎が!!」

 

 柵越しに浴びせられる罵声に、青年(フェイト)はカッと目を見開いた。

 

「覗きだと? 僕らは覗き隊なんかじゃないっ!! 崇高なる同志を救うために立ち上がった『救い隊!!』 部隊名、アルフェイトだ!!」

 

 拳を握って、真剣に叫ぶ。

 すると、柵の向こうから、スバルの暢気な声が聞こえて来た。

 

「フェイトさん。相変わらず、わけのわからないこと言うなぁ~」

 

「て言うか……、覗こうとしてたんですね」

 

 スバルとは対称的に、ティアナの声は低い。

 

 怒気を孕んだティアナと――他、柵越しにも伝わってくる女性陣の殺気に、青年(フェイト)は拳を握りしめて力強く主張した。

 

「だから違うって!! 似てるけど違うってそこ!! ――僕は、正々堂々交渉に応じたいと思う! 直ちにエリオを解放しろ! 僕達の要求は、エリオ・モンディアルの受け渡しだ!! これ以上、エリオを虐めるのはやめろっ!! その子は僕の癒しなんだぞ!!」

 

「ほろり」

 

 両手を背中で組んで声を張り上げる青年(フェイト)の隣で、アルフはわざとらしく目元に手をやって、涙をぬぐうような動作をした。

 

 

 

「なぁに、訳のわかんねえことを言ってやがんだ。あいつは」

 

 要を得ないヴィータは、心底首を捻っていた。

 はやてがちらり令嬢(フェイト)とキャロに囲まれたエリオを見る。

 

「まあ……エリオもお年頃っちゅうことやな」

 

「?」

 

 ヴィータにはやはり、はやての言っている意味が分からなかった。

 はやてはにんまりと悪戯に笑って、柵の向こうに声をかける。

 

「でも、フェイトく~ん! フェイト君に、こっちに入ってくる度胸あんのかな~? 私、フェイト君にそんな度胸があるとは到底思えへんけど♪」

 

 

「な、……舐めるなよ! はやてさんっ!! エリオのためなら、たとえ火の中女風呂の中っ!! いいかエリオ!! そのまま良く聞け!! 僕達が突破口を切り開くっ!! その間に君は早く、女風呂から脱出するんだっっ!!」

 

 

「フェ、フェイト……さん……」

 

 エリオの掠れるような声が響いた。

 

「くっそぉおおお!! すでにのぼせあがってるぅ~~!!?? このままじゃ猶予が無いっ!!? ――くっ!! こうなったら一気に突っ走るしかないっ! 行くぞ! アルフぅっ!!」

 

「――え?」

 

 急に白羽の矢を立てられて、アルフは心底意外そうに目を丸くした。

 青年(フェイト)がぱちりとウインクする。

 

「僕とお前が組んで、不可能は無いっ! ――偉大なるバニ神よっ! 我にその加護を!!」

 

 そう言って、青年(フェイト)がどこからともなく取り出したのは、一足分のバーニィシューズだ。それをどうするのか、とアルフが首を傾げていると、青年(フェイト)は手早く座り込んで、左足用のバーニィシューズを手に取った。

 

「僕が左足を履く! シャス、お前は右足だ!」

 

「ふぇ、フェイトさん……! 本当に行かれるんですか?」

 

 目を丸くするグリフィスに、青年(フェイト)は小さく頷いた。

 

「たとえその先が地獄だと分かっていても……、助けを求めてるんだ。行かないわけにはいかないじゃないか……!」

 

「フェイトの旦那……!」

 

 フェイトは悟った表情で笑った。

 

「後は頼んだよ。ヴァイス陸曹、グリフィス准陸尉。――行くぞ、シャスぅううう!!」

 

「見送り役……とか」

 

 この期に及んで抵抗を試みてみるアルフの足をがっしりと掴み、右足用のシューズを履かせた青年(フェイト)は、固くアルフと肩を組んで、二人三脚用の紐で自分の右足とアルフの左足を縛った。

 

「……ですよねー」

 

 その一連の流れるような素早さを見守って、アルフは諦めたようにつぶやく。

 と。

 青年(フェイト)はカッと目を見開いて、思い切り地面を蹴った。

 

「クリフっ! 技借りるぜっ!! ――エリアルレイド!!」

 

「※頭上注意」

 

 直後、満月を背に、タオル一丁の男が二人、跳び上がった。

 

「そこかエリオぉおおおお!!!!」

 

 上空二十メートル。

 破壊の力(ディストラクション)で物理法則を消滅させた青年(フェイト)は、バーニィシューズの効果もあっていつもよりも高く跳んでいた。――眼下に、キャロがエリオの背に語りかけているのが見える。

 そこに向けて急降下するフェイト・ラインゴッド。そしてそれに引っ張られるアルフ・アトロシャス。

 抵抗は――

 

「――いや、無理。だって、クラウストロ人の技ですよ?」

 

 誰に語りかけているのか分からない独り言を、アルフはつぶいた。

 

「キャロ、離れて離れて~~! 危ないぞぉおお!! 言っとくけど僕、空中浮遊とか出来ないからなあああ!!」

 

 地面が近づいてくるや青年(フェイト)は大声で叫んだ。

 

 

「アイゼン、セットアップ」

 

 低くつぶやいたヴィータが、紅い光を放ってゴシックドレス――魔術師の戦闘服(バリア・ジャケット)姿へと変身する。

 と。

 彼女は手の平サイズの鉄球を空間に四つ、出現させると相棒のハンマーを思い切り振り被った。

 

「まとめて、ぶちぬけぇええ!!」

 

 グラーフアイゼンによって剛速で走る鉄球。 

 (アンチ・)(マギリング・)(フィールド)を張ったガジェットすら一撃粉砕する凶悪な弾丸が、青年(フェイト)とアルフに向けて突っ切って来る。

 

「何っ!?」

 

 青年(フェイト)は目を見開いた。

 上空に跳んだ青年(フェイト)達に回避は、――不能。

 カカッと口を台形に開ける青年(フェイト)の隣で、刀も無いのに抜刀術の態勢を取ったアルフが、次の瞬間。

 手刀を放った。

 

「弧月閃!!」

 

 紺碧の闇に青白の孤が走る。気功で硬質化された手刀が、ヴィータの鉄球を切り裂き、青年(フェイト)は思わず半身切って、グッと親指を立てた。

 

「ナイス! カバー!!」

 

 

「レヴァンティン!!」

 

 

「何っ!? レヴァンティンっ!!? それが、噂の――」

 

 シグナムの声まで聞こえて青年(フェイト)が振り返った時――。

 白い騎士甲冑に身を包んだシグナムが、炎の剣を上段から振り下ろした。

 

「紫電一閃!!」

 

「偉大なるバニ神よぉおおおお!! ――マジ加護」

 

「無策かよ!」

 

 アルフは思わず目を見開いた。

 

 

 剣――だと思われたシグナムの“レヴァンティン”が鞭のようにしなる。――その上を、青年(フェイト)とアルフが同時にバーニィシューズで着地した。シグナムが目を瞠る中、二人はぴったりと息を揃えてそのままバーニィシューズで二人三脚しながらレヴァンティンの鞭の上を駆ける。

 蛇腹のように伸びた、レヴァンティンの刃の上を。

 スバルがぽかんと口を開けてつぶやいた。

 

「……凄い……!」

 

「凄いん、ですけど……ね」

 

 ティアナはなんと言えばいいのか、わからなかった。

 

 ドポーンッ!!

 

 直後。

 鞭状のレヴァンティンの端まで駆け切った二人は、バランスを取ることもなく女風呂の湯船に落ちて行った。

 ざばぁああっと湯を掻きわけて、青年(フェイト)が真剣な面持ちで立ち上がる。

 

「大丈夫か、エリオ!? うぉおおおおっっ!? 肌が熱ぃいいっっ!?」

 

「マジ?」

 

 二人は当初の予定通り、エリオの傍に着地していたのだ。――最後の方は、残念なほどに不格好な着地であったものの。

 エリオの赤くなった額に触れた青年(フェイト)が、ぴっぴと手首を振る。アルフは真剣な表情でエリオに近づくと、額、首、脇に順に触れてエリオを小脇に抱えた。

 青年(フェイト)が拳を握る。

 

「くそぉおっ! やっぱりのぼせあがってやがるぅうう!! くそぉおっ! この女ども、よくもぉおお!! 久々に本気で怒ったぞ……、僕は怒ったぞぉおお!!」

 

 青年(フェイト)はディストラクションの白い光を全身にまとった。

 

「わ、わわっ! ほんまに降りて来た……! フェイト君にそんな意地あったんやな……っていうか、ほんまに入ってくると思わんかった……。フェイト君、前隠して、前……」

 

「ん? あ、これは失礼!」

 

 目を背けるはやてに対して、フェイトは素早くタオルを巻き直した。

 アルフはエリオを抱えて水風呂に向かう。熱くなった体を冷やすと、少しだけエリオにも余裕が出て来たのか――、薄く瞼を開けた。

 

「シャ、シャス……、フェイトさん……?」

 

「大丈夫かエリオ!? 僕達が来たからには、もう大丈夫だ!!」

 

 エリオの声を聞くなり、青年(フェイト)は鋭く振り返ってこくりと頷く。

 と。

 すっかりいつもの見慣れたゴシックドレスをまとったヴィータが、背に陽炎を負いながら言った。

 

「おい、なのは! 何やってんだ! さっさとこいつら、ぼこるぞ!!」

 

「いや……。フェイト君にも事情があるみたいだし……。ね? ヴィータちゃん」

 

「きゃぁああああっっ!! フェイト君のばかぁあああっっ!!」

 

 どこか冷静――と言うよりはのんびりとしたなのはと、タオルで前を隠したシャマルの絶叫が女湯に響き渡る。

 青年(フェイト)は忌々しげに頭を振った。

 

「ええい、たとえ馬鹿と言われようとなんと言われようと! エリオを助けなきゃいけないんだよっ!! 男にはっ!! シャス、エリオはどうだ!?」

 

「のぼせただけだ。じっとしてりゃ治るよ」

 

「そうか、ならば――ヴァイスさん! グリフィスさんっ! 男湯に戻ってるかい!?」

 

「は~い!」

 

 柵の向こうから、ヴァイスとグリフィスが返事をする。

 青年(フェイト)は一つ頷くと、エリオを抱えて――投げた。

 

「今渡すぞぉ~~! 受け取れぇええ!!」

 

 少しは白さを取り戻したエリオの身体が、五メートルほどの柵を越えて男湯へと向かう。子どもとは言え、三十五キロある子どもを投擲する青年(フェイト)の腕力は、誰も注目していないが賞賛に値するものであった。

 

 少しして、ヴァイスが声を上げる。

 

「エリオは大丈夫です! こっちで無事に受け取りました! フェイトの旦那! アルフの旦那! 急いでこっちへ!!」

 

「ありがとう、ヴァイスさん。だが……僕らはどうやら、ここまでのようだ」

 

「旦那ぁあああああ!!!」

 

「フェイトさんっ! アルフさんっ!!」

 

 何故か悲痛な声が、男風呂から聞こえて来る。

 バーニィシューズで跳べばいい。

 跳んで男湯に帰れば、きっと無事に居られるさ。

 ――そう思っていた時期が、青年(フェイト)にもあった。

 だが。

 自慢のシューズは、すでに温泉に浸かってビショビショに濡れている。そして何より――彼等の前には、陽炎を負うヴィータとシグナムが立ち塞がっているのだ。

 

「何、カッコつけて言ってんだ、てめえらぁああ!!」

 

「覗きの罪は、それなりに償ってもらおうか! ラインゴッド! アトロシャス!!」

 

 鋭く言い放つ二人を筆頭とした女性陣を前に、青年(フェイト)は悟った表情で、空を見上げた。

 

 

「浮世の月、かかる雲なし、あわれかな」

 

 

「――辞世の句。って、どうでもいいけど騒ぐと見えますよ」

 

 アルフの緊張感の無い声を遮るように、女湯はおびただしい轟音に包まれて行った……。

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

「今回フェイト君達、そんなに悪くなかったと思うんだけど……」

 

「エリオの事を思ってやったみたいだし……、それぐらいで許してあげたら」

 

 なのはと令嬢(フェイト)の主張など何のその、不機嫌に両腕を組んだシグナムは、鋭い視線を青年(フェイト)とアルフに向けて言った。

 

「何を言っている! 婦女子の風呂の中に勝手に入ってくるなど、男の風上にもおけん奴らだ! 聞いているか! お前達!!」

 

「おいこら! タオル一丁で正座させてやってるだけありがたく思えよ!!」

 

「ずみばぜんでじだ……」

 

 旅館の廊下に二人並んで正座させられている青年(フェイト)とアルフは、共に石のように固まっていた。

 かれこれ、三時間ほど。

 激昂するヴィータ達をどうにかなだめながら、浴衣に着替えたはやてが、二人に言った。

 

「とにかくやな、旅館の晩御飯も出来てるみたいやし……。そろそろ着替えよか、フェイト君達」

 

 

 

「フェイトちゃん。次からは、エリオを呼ぶ時はちょっと考えないとダメだよ」

 

「ごめん、なのは。あとでフェイトとシャスにも謝っておくね。……エリオ、気にしてたんだ」

 

 申し訳なさそうに眉を下げる令嬢(フェイト)の視線が、三時間の正座で動けなくなった二人に向けられた。

 ――正確には、その二人に駆け寄っているエリオに。

 

「本当に、本当にごめんなさいっ! シャス! フェイトさぁんっ!!」

 

「いいんだよ……、君が無事なら、それでいいんだ」

 

「フェイトさん……っ!」

 

 アルフは泣きつくエリオの頭をぽんぽんと叩いている。青年(フェイト)はただ優しく笑って、うんうんと満足げに頷いていた。

 

 そんな彼等の様子を、ヴァイスとグリフィスが見つめている。

 

「マジで旦那達、エリオ助ける為だけに行ったんだ……」

 

「ある意味凄いな……。その勇気に、敬意を表すよ」

 

 これは機動六課男性職員にとって――ある種、革命的な出来事であった……。




ティピ「ティピと――!」
カーマイン「……か、カーマインの……」
ティピ&カーマイン「みにみにグローランサー!」

ティピ「――はい、と言うわけで始まりました。ミニコーナー、司会のティピです!」
カーマイン「カーマインだ……。ってティピ」
ティピ「? なによ?」
カーマイン「何故、急にミニコーナー?」

ティピ「決まってるじゃない! はやてさん達がアンタの記憶を覗いてる間の時間潰しよ!! アタシが暇だから!!」
カーマイン「――だからって、俺を巻き込まなくても……!」
ティピ「うるさいわね。イジりがいのあるアステアは、シリアスパートに行ってるから無理なのよ! 観念しなさい」
カーマイン「……だから、そのテンションに付いてくのしんどいって」
ティピ「――うっさい! アタシがルールだ!!」
カーマイン「――――ッ!!」
カーマイン(なんで、俺の周りの女はシーティアと言い、ピティと言い、こんなに傍若無人なんだ……!?)

ティピ「GLがシリアス街道まっしぐら何て、そんな退屈――アタシが許さない!! と言うわけで、SOに対抗して行くわよ!!」
カーマイン「だからって何も、無理にコーナーやらなくても――」

ティピ「――では、コーナーに移りたいと思います!」
カーマイン「どうあってもやる気か……!」
ティピ「えと、最初はキャラ名をもじっての『ダジャレでランサー』のコーナーです!」
カーマイン「また勝手なコーナーを……!」

ティピ「と言うわけで、始めは“カーマイン”でお願いします!」
カーマイン「――は?」

ティピ「は? じゃないわよ! 早くやんなさいよ! グズグズしない!!」
カーマイン「――お前、いきなり台本無しでダジャレ――しかも“カーマイン”でか!? 無茶ブリが過ぎやしないか、おい……!!」
ティピ「早くぅ!!」

カーマイン「……!(しばし、思考中)」

カーマイン「――お客さん、お客さん。小銭が足りてないよ!」
ティピ「ああ、ゴメンなさい! 一円玉が足りないよ~!」
カーマイン「性が無い、消費税の分は――“カーマイン”よ」

ティピ「―――わぁ、“カーマイン”……!」
カーマイン「“カーマイン”と“構わん”をかけて見たんだ……」

ティピ「……はい、というわけで」
カーマイン「――ツツッツ!! だから、嫌だったんだ!! こんな寒い空気になるんだって!! だから、台本なしは無理だって――!! いきなりカーマインでダジャレとか、思いつくわけ無いだろう!!」
ティピ「――はい、次は――ティピで、お願いします!!」
カーマイン「――ちょ……、もうマジで勘弁してくれ!!」

ティピ「ティピちゃ~んキィーック!!」
 ドゴォッ
カーマイン「ガハァっ!!」

ティピ「うっさい、早く! ティピお願いします!!」
カーマイン「――ティピって……!」

カーマイン「は~い、みんなみんな、集まって――“ティピ~”!!」
ティピ「――笛の音とかけたのね。――って、アタシのネタじゃない!!」
カーマイン「――だから、いきなりは無理だって!!」
ティピ「フェイト(笑)なら、これくらい軽いわよ!!」
カーマイン「人には、得手不得手ってのがあるんだよ!」
ティピ「――使えないわね、GLの主人公のくせに――!!」

カーマイン「……そもそも、“みにみにグローランサー”は確か、相手役ゼノスだろうが」
ティピ「スタジオにお返しします!! と言うわけで――今回の“みにみにグローランサー”はここまで!」
カーマイン「……よかった、ともかくコーナーが終わるなら――何よりだ」
ティピ「カーマインの寒いダジャレに付き合ってくれて――皆さん、ありがとうございました!!」

カーマイン「お前がやらせたんだろうが!!」
ティピ「――首を長くしてアンタが崩れるのを見たい人の為に、アタシが一肌脱いでやったのよ!!」

カーマイン「開口一番、暇つぶしって言わなかったか?」

ティピ「この番組は――ア~トラ~ス神の提供でお送りしました!!」
カーマイン「次回もよろしく――って! 俺は二度と出ないからな!!」


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back phase アレンとアルベル in ティピちゃん王国-ゲヴェル騎士団修行編

ティピちゃん王国:カーマインがローランディア騎士としての活躍を認められ、国王より与えられた土地の名称。原作では劇場や美術館、ボート乗り場などのレジャー施設をつくって休暇時に楽しむことができる街。ローザリア王都近郊にある。

当話は、フェイトたちが惑星ミッドチルダに漂流する一年前のことである。


「闘技大会?」

 

 アルベル・ノックスは眉をひそめて、ひょんなことを言い出したシーハーツからきた男、アレンを見た。近々、シーハーツ・アーリグリフ両国による親善試合が催される予定だ。おそらくその代表選手となるべき男が、修練場のアルベルを訪ねること自体は珍しくない。

 

「ええ。現状、アーリグリフもシーハーツも情勢が落ち着いています。せっかく磨いた兵士たちの腕、温めておくだけではもったいない。特に鍛冶師たちの腕を錆びつかせてしまっては甚大な損失になりかねませんからね」

 

修練場(ここ)を一般開放でもする気か?」

 

 ありえない質問をしてみると、アレンが当然のように否定した。

 

「一般開放用の闘場をつくってはどうかと考えています。世界中の腕自慢が集うような」

 

「…………」

 

 あらたまって持ってこられた話の真意がどこにあるのか、アルベルは考える。視線で話の続きをうながすと、アレンが小さくうなずいた。

 

「幼いころ、俺が伝え聞いたエクスペルという星の伝説では、ラクール武具大会という大陸中の強者が集うイベントがあったんだそうです。ラクール国は刀匠ひしめき合う武具の街で、ちょうどカルサアに似ています。大会参加者は街の武具店と契約し、店の武具を使って大会に参加する。優勝すればその強者と店、どちらもが国から栄誉を授かり繫栄できる。フェイトが育てたペターニ・ギルドの広報力を使えば、相当大掛かりなものができあがるかと」

 

「いまさら俺やお前のような者が名も知れず埋もれてるとは到底思えねえが」

 

 言いつつも、アルベルの口端はつりあがっていた。

 

「退屈しのぎにはなりそうだな」

 

 アレンがニッと笑ってうなずいてくる。相変わらずひとを乗せるのがうまい男である。

 行商人惨太の伝手で知り合った『ハウエル商会』の執事、キールという男が参考となる闘技場に案内してくれるとの話だった。

 修練場を連れだって出ていき、グラナ丘陵につくと(くだん)の執事服を着た男が不思議な生き物を三体連れて待っていた。

 

「お待ちしておりました、アレンさま」

 

「こちらこそ、よろしく頼みます」

 

「はい。もちろん」

 

 キールという執事が形のいい唇を広げて笑う。奇妙ないでたちだ、とアルベルは思った。キールは黒い燕尾服に白手袋、仮装会でもないのに目許を隠すドミノマスクをつけている。髪は艶やかな濡烏(ぬれがらす)色で、肌の透明感、声などから二十そこそこの男に思える。

 だが所作や口調が妙に落ち着いている。老齢さがにじみ出て見える奇妙さがあった。

 

「そちらのお連れ様が、アレンさまのおっしゃっていた?」

 

「ええ、アルベル・ノックス団長です。ノックス団長、こちらがハウエル商会という名門商家で執事をされているキール・ヴェンツェルさんです」

 

「このキール、初にお目にかかり恐悦至極にございます。アルベルさま。私のことは気軽にキールとお呼びくださいませ」

 

 キールがうやうやしく胸に手を当て、頭を下げてくる。アルベルがフンと鼻を鳴らした。

 

「アルベル・ノックスだ。キールとやら、この俺に見せたい闘場というのはそれなりのものなんだろうな?」

 

「ええ。もちろんでございます。これの名はシルム。我がハウエル商会が誇る輸送用の精霊です」

 

 背中に鞍をつけられたずんぐりむっくりの緑肌の一角獣は、キールに撫でられて「きゅぴぃーっ」と甲高い声で鳴いた。体型はマーチラビットとアヒルを足して二で割ったようだが肌はつるりとしていて水生生物を思わせる。つぶらな瞳がアルベルを見つめてぱちぱちとまたたく。体長は三メートルほどか。手足は短く、観たところ、山羊馬(ルム)より速そうには見えなかった。

 

「では、まいりましょう」

 

 三体のシルム鞍にそれぞれまたがった瞬間だった。景色が直線的に流れ、二度ほどまたたいたあとには見知らぬ石畳の街に巨大なコロシアムが目のまえいっぱいに広がっている。

 

「こちらがローランディア王国の誇る一大闘技場グランシルと双璧をなす、ティピちゃん王国の闘技場でございます」

 

「な、に……っ!?」

 

 言葉を失うアルベルの隣で、アレンが懐かしそうにうなずいていた。

 

「俺もはじめてシルムに乗せられたときは同じことを言いました。こちらの国では、シルムは風の精霊なのだそうです」

 

 まさか大陸どころか、星間移動までしているとはアレンですらつゆほども気づいていない。

 キールは意味深に微笑むだけだ。

 

「ではアレンさま、アルベルさま。中へどうぞ」

 

 巨大な円形闘技場のなかにキールを先頭に案内され、その壮麗な石造りにアルベルは柄にもなく、ほぅ、とため息を吐いていた。幾重にもアーチを描く幾何学模様のコロシアムは三階建てになっており、中央の闘技場を囲う観覧席から見下ろせるようになっている。

 客席の数も尋常ではなく、いまは開催時期を外しているため閑散としているが手入れの行き届いた施設の内装が街の活気を象徴しているように見えた。

 ふと、アレンが闘技場に立っている五人の男を目に留めて首をかしげる。

 

「キールさん、あちらの方々は?」

 

「実はアレンさまにお頼みしたいことがございまして」

 

「頼みたいこと?」

 

「アレンさま。あなたとその背中の刀、存分に振るうに足る相手をあなた自身の手で鍛えてはみませんか?」

 

「なんだと」

 

 アルベルが鋭くふり返るのと、アレンが目を見開くのは同時だった。

 ごくりと固唾を呑んだアレンが、声音を落としてキールを見る。

 

「というと? どういった相手ですか」

 

 二人の興味が眼下の五人に向けられているのを察したキールが、微笑む。

 

「かの者は人であって人でなし。人に非ざる異形から創られし、最強なる存在。けれど彼らには自我がない。ですが自我を持った同族と彼らが出会ったとき。彼らもまた、わずかな自我に芽生えた。その自我の芽をあなたに育ててほしいのです。幼きころ、あなたが出会った少年のように」

 

 詩を奏でるようなキールの言葉に、アルベルは合点がいかずに首を傾げた。隣のアレンの表情が凍り付いている。

 

「……キールさん、あなたはまさか」

 

「これからあなたが出会う者たちは、あなたがよく知る少年と同じですから。と、言っておきましょう。さあ、始めましょう。ここ、ローランディアで。あなたが出会いし幼き双子と、始まりの地にて」

 

 キールが優雅にきびすを返し、こつこつと靴音を響かせて闘技場へと降りていく。アレンもアルベルもあとに続いた。

 闘技場につくと、カルサア修練場の闘場かそれ以上の広大さがこの円形広場にはあった。目立たぬように魔法石が隅に置かれており、魔法やその他の影響が観客席にまで及ばないよう配慮されている。

 闘技場で待っていた五人の男は、全員が同じ背丈、同じ髪型、同じ服装――そしてキールと同じく目許を隠すドミノマスクをつけていた。

 キールが五人のうち、真ん中の男を指して声をかけてくる。

 

「この中で自我が芽生えつつある者、『アルフェイル』と申します。アルフェイル。紹介を」

 

「アルフェイルと申します。あなたが我が主、カーマインさまの恩人とは」

 

 赤い騎士服を着た男は、そう言ってドミノマスクを外した。金と蒼銀の不揃いの瞳(オッドアイ)。完璧に整った美貌。輝くような白い肌。アルベルでさえ息を呑むほどの、異様な美を持つ外見の男だった。

 

「……カーマイン!?」

 

 アレンが目を白黒させている。

 

「知り合いか、アレン?」

 

 アルベルが言葉を失っているアレンに問いかけてみるも、アレンは首を弱々しく横にふっている。事態がうまく呑み込めていないようだ。

 キールがささやいた。

 

「ほかの者も仮面を外してはいかがですか」

 

 言われた通りに、残る四人がドミノマスクをまったく同じタイミングで外していく。全員が『アルフェイル』と紹介された男と同じ顔、同じ髪型、同じ背丈だった。

 

「なっ!?」

 

 アルベルも息を呑む。アレンが驚いている理由がようやくわかった。だが一番気がかりなのは、この男たちとまったく変わらぬ背丈、髪型をしているキールという男だ。

 

(まさかこいつも――?)

 

 目が合ったキールは微笑むだけで、仮面を外そうとしない。ただ「その通りだ」と言うように小さく顎を引いてきた。

 

「彼らとカーマインとの関係はこれで分かりましたか? アレンさま。あの顔がなによりの証拠」

 

「では、人に非ざる者とは」

 

「いかにも。ですが、彼は人として生きることを選んだようです」

 

 異形から生まれたというクローン戦士たちを見て、アレンが数秒押し黙ったあと、小さく微笑(わら)った。

 

「……そうか。そうだろうな」

 

 アレンの脳裡をよぎるのは「いつか大切なひとを護りたい」と語っていた幼い少年の顔だ。あのときの澄んだ瞳の輝きをアレンはまだ覚えている。

 

「だからこそ彼は、すべての命を救ってみせる。とも言っていました。人も異形も、命の重さに変わりはないと。あなたが彼をそこまでにし、強烈に憧れを抱かせた。だからこそいまの彼は、その答えに至れたのだと思いますよ。アレンさま」

 

 アレンは思いもよらないことを言われたようで、目を丸くして、しばらくきょとんとまたたいていた。ようやく破顔したときには、顔のまえでひらひらと手を振っている。

 

「そんなはずはない。カーマインがなにかを決意し、実行してみせたのだとしたら、それはまぎれもなくカーマイン自身の強さだ」

 

「ご謙遜を」

 

「想いを押し通すことは、簡単じゃない」

 

 アレンがはっきりと言う。

 キールはそれ以上の進言せず微笑むと、ゆっくりとうなずいた。

 

「なるほど。言い得て妙ですね。では始めましょうか」

 

 キールがアルベルをふり返り、客席での観覧をすすめてくる。アルベルは迷いなく断ったが、アレンが代わりに言ってきた。

 

「ノックス団長、これも闘技場視察の一環です。客席(うえ)からの様子、ご覧になってください」

 

「フン」

 

 仕方なく、キールに続いて二階のVIP席からの観覧となる。なるほど、客席は高くつくってあるだけあって、闘場全体をよく見通せる。距離感もちょうどよく、アルベルの位置からアレンや五人のクローン騎士の顔がよく見えた。

 闘技場のど真ん中に立つ男、アルフェイルが言った。

 

「我らゲヴェルは親である異形から波動を受けることによってこの身体を維持することが出来ます。ですが、我ら自身の中にあるエネルギーを使えば、親の波動を受けずとも自力で独立した存在になることができるようです。カーマインや救世の右腕(デュラン)たちはそのようにして精神支配を退けたと聞きます。あなたに鍛えて欲しいのは、我らの力を底上げするということです」

 

「あなたの使うガード流なる剣術ならば、異形の使徒ではなく救世の剣へと変えることができるでしょう。彼らをよろしくお願いいたします。鉄の軍人よ」

 

 アルフェイルの後を継いで、キールがアルベルの隣で悠然と語る。

 アレンは思わず沈黙していた。『鉄の軍人』とは、アレンが特務軍人時代に言われていた通称だ。未開惑星人のはずの男が、知っているはずのない通り名だった。

 

「私に知らぬことはありません。たとえそれが銀河連邦であろうとも、あなた方の創造主、FD世界のことであろうともです」

 

「てめえ!」

 

 アルベルが一息に刀を抜き打つ。隣の席に座っていたはずのキールは消え、アルベルの背後に立っていた。まるで幽霊だ。魔族たちが使う瞬間転移を思わせた。

 

「ご心配には及びません、アルベルさま。私はハウエル商会にお仕えするしがない執事。それ以上でも、それ以下でもございませんゆえ」

 

「それを信用しろってのか、阿呆」

 

「信じていただく以外、私にはなす術がございません。それより、いまは。――アレンさま、まずは一人一人の剣術の腕を見ていただきましょうか」

 

「その必要はない」

 

 眼下のアレンははっきりと言い放つと、背に担いだ剛刀を一息に抜きはらった。

 

「まとめてかかってこい」

 

「かしこまりました」

 

 キールがつぶやくのと同時に五人の騎士が一斉に剣を抜き放つ。キールが何者か考える一方で、少なくともアルベルたちに対し邪気や敵意がないことはわかった。

 アルベルは不服気に鼻を鳴らすと、両腕を組んで横柄に客席に座り込む。

 

「寛大なご処置ありがとうございます、アルベルさま」

 

「てめえが惨太の知人なら、聞くだけ無駄だと判断したまでだ。阿呆」

 

 単純に、眼下の戦いも気になる。

 アルベルが視線を落としたとき、騎士二人が同時に斬りかかっていた。甲高い剣戟音とともに鍔迫り合いが起きるのも一瞬で、あっさりと片方の剣がへし折れていった。

 

「なにっ!」

 

 クローン騎士たちが色めき立つ。

 

「相手の武器がどれほどの切れ味かもわからないままに攻撃を仕掛けてくることは愚かだ」

 

 アレンが淡々と言い放つや拳に巨大な炎が宿り、鍔迫り合っていたもうひとりの騎士を殴り飛ばした。轟音が立った。騎士は受け身もままならず闘技場の壁に激突し、だらりと両腕を地面に垂らして気絶している。

 アレンの真後ろから白刃が飛び込んでくる。剛刀が小枝でも振るように簡単に払われる。瞬間、地面を走る疾風『衝烈破』がアレンの全周囲を囲い、勢いよく打ち込んだクローン騎士が悲鳴をあげて弾き飛ばされていった。

 飛ばされた騎士の影から突きこんできた四人目の騎士の手首が、一歩退(しさ)ったアレンに握りしめられた。

 

「どうした、カーマイン(あいつ)と同じ存在だというなら意地を見せてみろ」

 

 四人目の騎士の顔面に肘うちが決まり、とどめのバーストナックルが容赦なく騎士を闘技場の壁に貼り付ける。ひとが簡単に吹っ飛ぶさまをアレンは相変わらず簡単に成し遂げてしまう。

 アルベルは最後に残ったアルフェイルという男を見て、ほぅ、と眉をあげた。

 アレンもまたアルフェイルを見て、目を細める。

 

「迂闊に攻めかかってくることはしないか。自我があるというだけあって、判断能力は大したものだな」

 

「実力だけならばあなたは『名付(なつき)』と呼ばれるゲヴェルたちにも匹敵する。この大陸で最強とされるインペリアルナイトでさえ、あなたに勝てるか否か」

 

 アレンにとってアルフェイルの言葉は至極当然のことだった。自分が特務軍人であるという自覚(プライド)を持たぬ特務(スペシャル)などいない。

 アルフェイルは緊張しているのか、小さく息を吐いて言った。

 

「参ります」

 

 瞬間、アルフェイルの姿が消えた。縮地法。ゲヴェルたちが使う光速の運足術である。剣戟音が響き、また鍔迫り合いになる。だが、一人目の騎士と違い、アルフェイルは兼定を見事に止めていた。

 アレンが口端をつり上げる。

 

「咄嗟に刃の角度を変え、直接刃を合わせることを避けたか。いい判断だ。だがこの兼定に、そんな小細工は通用しない」

 

 アレンの言葉通り、徐々にアルフェイルの剣に兼定の刃が食い込んでいく。このまま鍔迫り合いを続ければ、アルフェイルの剣が折れる。

 

「フン、相変わらず厄介な刀だ」

 

「さすがはアレンさま。縮地法の動きにあっさりと対処できる。その腕前、まぎれもなく本物。一流の剣士に一流の武器が備わっている」

 

 上機嫌なキールの言葉に、アルベルは首を横にふった。

 

「あのアルフェイルとかいう男、まだ本気じゃねえ」

 

 アルベルの言葉に呼応するように、甲高い金属音とともに鍔迫り合いが解かれるやアルフェイルの手許がパッと光った。空間に刻まれる幾筋もの銀色の弧。アルフェイルの見事な連続斬がアレンの動きを止めんと高速に切り立てられる。

 

「鍔迫り合いは不利と見て手数で押し込もうと考えましたか」

 

 キールのつぶやきをかき消すように、アルフェイルの叫びが闘技場に走った。

 

「あなたにその刃、振らせるわけにはいかんっ!」

 

「悪くねえ判断だ。だが」

 

 アルベルが目を細める。観る間に刃を重ねるアルフェイルの刃がチーズではつられたようにボロボロにくだけていく。

 アレンが言った。

 

「超重量武器に手数で押し込む。判断は悪くない。だが、相手が悪かったな」

 

 アルフェイルが息を呑んだそのとき

 

「連続攻撃とはこうするんだ」

 

 アレンの手許がきらめくや光がアルフェイルの目の前にパッと散った。剣舞『鏡面刹』。襲いくる光の斬線があとから放たれたにもかかわらずアルフェイルの剣をすべて撃ち落としていく。

 

(馬鹿なっ!? お、俺の連続攻撃に、すべて撃ち返してきた!?)

 

 やがてアルフェイルの剣が粉みじんとなって宙に散っていった。

 

「なっ!?」

 

「恥じることはない。敗北は糧としろ」

 

 剣尖がなくなった我が剣をアルフェイルが信じられない思いで見つめたとき、アレンが上段から兼定をふり抜く。神速の斬線を追って走った疾風の刃がアルフェイルの全身を呑み込んだ。

 

「ぐぁあああっ!」

 

 五人目のゲヴェル騎士が闘技場の壁に貼り付けられる。

 それを視界の端に、アレンが静かに笑った。

 

「悪くないな、キール」

 

「さすがに寄せ付けねえか、アレン」

 

「ゲヴェル五体を相手に、一分かからずに倒すとは。ふっふっふっふっふ、やはり彼ならば」

 

 キールがこらえてもこらえても染み出てくる笑いをこらえながら、口許を手で隠す。

 

(素晴らしいくじ運ですねえ。いい人材を引き当てましたよ、私も。惨太さまには感謝しなければ)

 

 そのとき、アレンがふと四方に散らしたゲヴェル騎士たちに視線をやった。見れば五人とも、腕を震わせながらもゆっくりと立ち上がってくる。

 

「お見事です、アレンさま。だがまだ、我らの心は折れていません」

 

 そう言って五人が剣を構える。ゲヴェル騎士たちの剣は脆い分、キールが替えの剣を闘技場の隅に放っていたのだ。

 

「その意気や、よし!」

 

「アレンさま、第一ラウンドはそんなものでよろしいでしょう。時間はたっぷりとあります」

 

「いいや、キール。鉄は熱いうちに打てという。剣を持て、お前たち」

 

 アレンの言葉に、五人のゲヴェル騎士たちが一斉にうなずく。

 

「おや?」

 

 キールが意表を突かれたように首を傾げた。

 

「アレンに『休憩』なんて文字はねえ。いつものことだ」

 

 徹底的に自分を苛め抜いた極限状態で、最良の選択肢が取れるよう戦術思考を脳に焼き付けさせる。アレン・ガードの地獄の本質は、そこにある。

 

「感謝いたします、アレン・ガードさま」

 

クリフたち(くそ虫ども)より、鍛えがいがありそうだな。アレン」

 

 アルベルが口端をつり上げるのと、アレンが好戦的な瞳で彼らを見据え、手を招くのは同時だった。

 

「来い」

 

 五人の騎士たちが地を蹴る。さきほどと同じく一人が切りこんできた。鍔迫りあい、今度は兼定の剣の腹に向かって打ち込みを仕掛けている。

 アレンがニッと笑った。

 

「やはりお前たちはカーマインと同類か」

 

「野郎……!」

 

 尋常でない学習能力である。アルベルが驚いている間に、三方向から騎士たちが斬りかかる。

 

「だが、刃を避けたからと言って兼定を止められるとは思うなっ!」

 

 アレンの全周囲に疾風が走る。剣技『衝烈破』。

 

「ぐわっ!」

「なにっ!?」

「チッ」

 

 悪魔的に突如起きる疾風にゲヴェル騎士たちが悲鳴をあげながらもどうにか避ける。そのときだった。

 

「いい判断だ。ついでだ、これも覚えておけ」

 

 「サザンクロス」という短い詠唱とともに空が陰った。天頂で五つの光が十字を描くように生まれるやそれぞれが巨大な光の星となって大気と摩擦を起こしながらも闘技場全体に落ちてくる。

 

「大魔法!?」

「グローシアンかっ!」

 

 色めき立つゲヴェル騎士たちのなかでアルフェイルが静かに剣を握り、さきほどのアレンとまったく(・・・・)同じ(・・)動き(・・)で上段から神速で剣を打ちこんだ。空間に銀色の斬線が走る。その斬線のあとを追う巨大な疾風の刃。

 アルベルが思わず客席から立ち上がった。

 

「空破斬だと!?」

 

「なにっ!?」

 

 アレンもまた驚き、目を見開く。たった一目でアレンの空破斬を習得したアルフェイルが、空破斬を打ったと同時に縮地法で踏み込んでくる。

 

「でたらめな動きだな」

 

 アレンがこぼすのも無理はない。ゲヴェル騎士たちには慣性の法則が働かない。どれだけ強力な技を打とうと、大ぶりに動こうとも、それに伴う反動が彼らにはまったくかからないのだ。

 さらに目もいい。すでに兼定の刃を見切り、アルフェイルは刃を合わせようとしない。アルフェイルの瞳が光った。わずかに視えた、アレンの隙。脇腹に向かって抜き打つ。

 

「くっ!」

 

 だが、止められている。まともに受け太刀されてはアルフェイルに勝ち目がない。

 

「この兼定と刃を合わせずに済まそうなど、夢のまた夢の話だ」

 

 アレンの静かな言葉とともに、アルフェイルの剣がばらばらに砕けていく。アルフェイルが柄だけ残った剣をあっさりと手放し、拳を握った。その右腕に焔が宿る。

 

「すげえ、あれも真似やがるか!」

 

 アレンも同時にバーストナックルを構え、吼えあい、激突する。

 闘技場中央で焔が爆ぜた。

 

「ぐぁあああああっ!」

 

 練気で追い付いていないアルフェイルが悲鳴をあげて吹き飛ばされる。だが、今度は壁に打ち付け倒れることはなかった。くるんと(からだ)をひるがえすと受け身を取って立ち上がり、拳を構える。

 

「まだまだだ」

 

「…………とんでもねえ。こいつがゲヴェルってやつか。倒れて立ち上がってくるたびに、アルフェイルたちの力が爆発的に上がってやがる。加えて、一度見た技を完璧に再現するセンス。人間離れした身体能力。このままいけば、とんでもないことになるぞアレン」

 

 アルベルの頬を冷や汗が伝う。まったく考えられない次元の生き物、ゲヴェル。その急速な成長を目の当たりにしているはずの男が、興奮に目を見開いている。

 アルベルの口許にもまた笑みが浮かんでいた。

 

(やるじゃねえか、アレン……! ほんとにこんなところに眠ってやがるとはな!)

 

 まだ見ぬ強敵が。まだ目覚めたての、これから強敵となりうる者たちが。

 アレンと五人のゲヴェル騎士たちの修行は夕暮れまで続いた。アルフェイルたちが完全に倒れ伏したとき、アレンもまた肩で息をしている。

 仲間内からは『悪魔』と称される鉄の軍人が、ついに体力の限界にまで追い詰められているのである。

 アレンが頬に垂れた汗をぬぐい取ると、キールに言った。

 

「武器がいちいち壊れるのが気に入らないな。これではとことん鍛え上げられん。キールさんっ!」

 

(あのアレンが体力の限界まで追い詰められるとは、たった一日にしてこれほどの成長ぶりか……!)

 

 アルベルが驚いているのを余所に、アレンは五人のゲヴェル騎士たちに向けて人差し指を向けていた。

 

「一日だ。今夜一晩待てば、お前たちに相応しい武器をキールさんが作ってくれる! 大陸での武器は彼が扱っているとのことだからな!」

 

「五振りですか。たった一晩でそれほどの刀に見合う武器を、五振り」

 

「五振りだ」

 

「おい」

 

 アルベルの口許が引きつった。この無茶ぶり、この男も星の船からやってきただけのことはあった。アルフと要求の仕方が同じである。

 

(だがアレンの気持ちもわからなくはねえ。こいつら、それほどにすげえ)

 

 兼定の相手が務まる刀などそうそうないことをアルベルも骨身に染みてわかっている。だがゲヴェル騎士たちの成長速度が時間の感覚を忘れさせる。人間が長い年月をかけて(からだ)や脳に叩き込む技術を、彼らはたった数時間で吸収していく。

 無茶ぶりされたキールがうんうん唸りながら闘技場を去っていったころ、アレンは兼定を丁重に闘技場の隅に置くと手のひらに拳を打ちつけた。

 

「どうするつもりだ、アレン?」

 

「相応の刀がくるまで、体術を叩き込んでやる」

 

「ほぅ……!」

 

 アルベルがにやりと笑う。

 アレンが拳を構えた。

 

「来い! お前たちの拳を見せてみろ」

 

(確かに、やつらの動きはすげえが練気はまだ慣れてねえ。そこを強化するつもりか)

 

 剣を捨てた者たちの殴り合いが始まる。バーストナックルはもちろん、アレンが一度見せた紋章術『サザンクロス』までもをゲヴェル騎士たちは織り込んでアレンに挑んでいく。

 

「施力も並じゃねえ!」

 

「だがまだだ。紋章の構成が甘い!」

 

 星の爆発を殴り落としていくアレンに向かって、ゲヴェル騎士たちが惑星グローランドの魔法『マジックアロー』を叩き込む。

 紋章術より狙いが安定している。初期魔法というのもあるが構成を理解しているのが大きかった。

 アレンが笑う。

 

「そうだ。体術だけに頼らず魔法にも頼れ!」

 

 アレンが手本を見せるように魔法の矢すべてを魔術障壁(リフレクション)ではじき返す。ついでアレンが繰り出すのはフェイトの十八番『ライトニング・ブラスト』。

 体術に組み込みやすい初級から中級を織り交ぜて戦うアレンに対し、食い下がっていくゲヴェル騎士たち。

 アルベルは低くうなった。

 

(アレンがわざわざ施術を使って戦うのも珍しいが……確かにこいつら、フェイトやナツメのような戦いが似合いやがる)

 

 すなわち紋章剣である。アレンは剣が届くまえに魔力と気を融合させる術を教えんとしているのだ。だが馬鹿高い魔力に反して、ゲヴェル騎士たちの構成と魔力要素がかみ合っていない。

 アルベルにも参考になるアレンの教導だった。

 

「お前たちは強大な魔力を持っている。ただ、それだけでは、ただ力を放つだけの魔法では、破れて当たり前だ。気を、魔力を、もっと練ってみせろぉおおっ!」

 

 それから半日が経過し、深夜になれど彼らの修行は続いた。

 

「どうした、それで精一杯かっ!? お前たちの桜花連撃はその程度かっ!?」

 

「まだだ!」

「まだまだぁっ!」

 

「その意気やよしっ! 来い!」

 

 ついに夜が明けた。

 ゲヴェル騎士たちのうち四人はすでに戦闘不能である。残っているのは、名付(なつき)のアルフェイルのみ。

 

「バーストナックル!」

 

 アレンとアルフェイルが同時に踏み込み、中央で激突する。相殺。完全にアレンの焔とアルフェイルの焔が消え去っている。

 

「止めましたよ、アレンさま」

 

 アルフェイルが勝ち誇ったようににやりと笑った。

 

「詰めが甘い」

 

 アルフェイルがまたたいたとき、左のバーストナックルがアルフェイルの腹に決まっていた。悲鳴をあげたアルフェイルが後ろに吹っ飛び、今度は受け身すら取れずに倒れる。

 

「…………なんてやつらだ……」

 

 ここまで戦い抜いてなお、ゲヴェル騎士たちはだれひとり意識を失っていない。

 

「大丈夫かアルフェイル」

「ああ、なんとかな。しかし……さすがだ」

「ああ」

「妙な気分だ。頭にかかっていた靄が、どんどん晴れていくような」

 

 まだ自我が芽生えていないはずのゲヴェル騎士たちのつぶやきに、アルフェイルが驚いたように目を見開いた。

 

「お前たち……!?」

 

 白銀の異形、ゲヴェルの精神支配をふり払うのは、並大抵のことではない。いま名付(なつき)とされる親の支配を逃れ自立した者たちはみな自らの強大な力によって支配を断ち切ったにすぎない。カーマイン以外にゲヴェル騎士たちに自我を目覚めさせる者など、これまでひとりも存在しなかった。

 

(まさか、アレンさま……!)

 

 アルフェイルがすがるような思いでアレンを見上げると、アレンはアレンでマイペースに闘技場の客席を見上げていた。

 

「そろそろだな……。キール、刀はまだかっ! そろそろ兼定を振らせろっ!」

 

 アルベルも思わず首をめぐらせる。ふと隣に現れた執事は、肩でふうふうと息を切らせながら大きな包みを持っていた。

 

「持ってまいりましたとも。受け取れ、お前たち。デザインのそれはカーマインさまのものと同じだ」

 

「あの兼定ほどの刀があっただと!?」

 

 アルベルが驚いて問うと、キールが額の汗をぬぐいながら言った。

 

「全ハウエル商店を回りました。おっとこれは失礼」

 

 惨太がよく持っている大きな白い布袋から、明らかにドラゴンの爪と思われるものが覗いたが、キールはそれをぽいと後ろに投げ捨てた。

 そしてアルベルを見、いつもの丁重な笑みを浮かべる。

 

「ハウエル家の全大陸の武器庫を探せばこれくらいは」

 

「いまの竜の腕はなんだ?」

 

「なに。少々、洞窟の奥の方……いえ、ハウエル家の宝物庫の奥の方をですね」

 

「なんにせよ、この短期間にあの兼定(カタナ)とやり合う剣を五振りとは。やべえな」

 

「このキール。これほどまでにしんどい思いをしたのは久方ぶりです」

 

 椅子の上でちょこんと正座するキールは、そう言って深いため息を吐いていた。

 

 

「これを覚えろ、お前たち! これぞ活人剣だ!」

 

 闘技場ではアレンが元気に黄金の朱雀を呼び出し、猛々しく吼えている。

 五人のゲヴェル騎士たちが思わずたじろいだ。

 

「なっ、なにっ!?」

「なんという気の高まりだ!」

「向かい合うだけで、これほどとは……!」

 

「これが俺の全力だ。さあ、続きを始めよう」

 

 集中力が並でないのはアレンも同じだ。丸一日戦っているのに、闘技場にいる者はだれひとり動きが衰えていない。クリフたちではまずあり得ない。

 

「野郎……、とことんまで楽しむつもりか……!」

 

 アレンの地獄の特訓に唯一ついていくアルベルですら、いま、アレンがおのれの全力を賭してすべて叩き込まんとしている騎士たちを相手取ることを楽しんでいるのがわかった。

 ゲヴェル騎士というのは、体力も人間離れしている。

 

「破ぁっ!」

 

 アルフェイルが鋭く打ち込むも止められる。両者刃毀れせず鍔迫り合い。アレンが嬉しそうに言った。

 

「これでようやく俺から振れるな」

 

「なにっ!?」

 

「これが全力の、夢幻鏡面刹だ!」

 

 アレンの手許がパッと光ったかに見えるや、空間に網の目のように走る斬線。アルフェイルは目がいい。「くぁっ!」と悲鳴をあげつつも、全弾食らうも急所はなんとか外している。とどめに迫りくるふり下ろしを、ゲヴェル騎士二人が割り込んで刀を交差させて防いだ。

 

「ぐっ、なんという重い一撃だ!」

「二人で分散させてこの威力かっ!」

 

「その程度で兼定の斬撃は止められんっ!」

 

 アレンがふり抜くや二人のゲヴェル騎士たちがなす術なく吹き飛ばされる。アルフェイルの目の色が変わった。

 

「くっ! お前たち! おのれぇえっ!」

 

「その意気だ、来いっ!」

 

 アルベルは斬り合うアレンとアルフェイルを上から見下ろして、ぽつりとつぶやいた。

 

「ありえねえことだが、活人剣使ってるアレンの斬撃を止められるほどに練気が高まってやがる……!」

 

 たった一晩である。たった一晩で、ゲヴェル騎士たちが別の剣士に成ろうとしている。

 だが、アレンの極限に高まった練気を相手にするには、まだゲヴェル騎士たちの実戦経験がさすがに若すぎた。次第に打ち負け、弾き飛ばされ、肩で息を切らすアルフェイルとゲヴェル騎士たち。

 アルフェイルは剣を地面に突き刺し、杖代わりにしながら悔し気に言った。

 

「どうやら、我らの体力もこれまでか」

 

 これに答えたのはほかの自我を持たぬはずのゲヴェル騎士たちである。

 

「ならばアルフェイル」

「我らの因子を使え!」

「そしてアレン様の顔色を変えてみせろ!」

 

 彼らはアルフェイルと目が合うと、全員口をそろえてはっきりとこう言い放った。

 

「カーマインさまの刃となるためにっ!」

 

 アルフェイルの視界がわずかににじむ。異形の親の精神支配をふり切れなければ、肉体が溶けいくしかない儚い命たちが、いま自我を持とうとしているのだ。

 鼻から唇に走る震えをどうにか押さえ、アルフェイルは四人のゲヴェル騎士たちを見、力強くうなずいた。

 

「……心得た」

 

 ゲヴェル騎士たちの手のひらが光り、ヒーリングに似た光がアルフェイルに降りそそぐ。ゲヴェル騎士たちが次々と倒れ伏していった。

 代わりに、アルフェイルの鬼気が急速に膨れ上がる。

 

「なに?」

 

 アレンが目を丸める。アルベルもまた、いま起きた事象を呑み込まんと目を凝らしていた。

 

「完全に、体力が治りやがった……!? いや、それだけじゃねえ。ただのヒーリングじゃない! いまのは!」

 

 アルフェイルは静かに刀を青眼から刃を寝かせ、右手を剣尖に添える。アレンが教えた『活人剣』の構えである。

 

「友が、仲間が、兄弟が、私に道を開いてくれた。ならば私は彼らに答えるまでだ」

 

「活人剣か……。だがそれはほかの気功術よりはるかに難しい技だ。達人クラスの練気術がなけりゃただの回復に終わる」

 

 それに挑もうというのだ、あのアルフェイルという騎士は。

 

「参ります、アレン・ガード殿! はぁあああ……!」

 

 覚えたばかりの練気がアルフェイルの全身にいきわたり、気がやがて蒼銀の焔、それが白銀へと色を変えて燃えあがっていく。アルフェイルの瞳の色が闇に染まり、犬歯が伸び、異形ゲヴェルの影が白銀の焔によってアルフェイルの背に現れた。

 

「うぁあああ――ぅぉおおおおおっ!」

 

 次第にアルフェイルの声が異形の声に変わっていく。

 闘技場の上空に現れた巨大な白銀の鬼は、アレンの背にある黄金の朱雀と張り合うように吼え声をあげ、朱雀を睨んだ。

 

「こいつが……異形ゲヴェル」

 

 アルベルは息を呑む。練気が、アレンに負けていない。

 アレンが静かに笑った。

 

「それがお前の全力か。アルフェイル」

 

「参ります、わが師よ」

 

「こい」

 

 両者、同時に踏み込む。縮地法を使うアルフェイルの姿は一瞬で掻き消えた。闘技場中央で刀と刀がぶつかり合う。白銀と黄金の焔が同時に爆発し、あまりの威力に闘技場の床が容赦なくえぐれ、四方においてある防護の縁石ががくがくと震えた。

 まったく五分の鍔迫り合いである。

 

「よくぞこの域に辿り着いた! アルフェイル!」

 

「まだこれからだっ!」

 

 吼え返したアルフェイルが超高速でぶつかっていく。連続斬『夢幻』をアルフェイルは完全に模倣し、アレンと互角に撃ち合い、さらに鏡面刹までこれでもかと切り合う。。

 最後の切り上げを放ちあったとき、撃ち終えたアレンがわずかに地面を掻いた。

 

「アレンが押されたってのか!?」

 

「インパクトの瞬間を外されたか」

 

「見ると同時に反応できるゲヴェルだからこそ、身体能力が互角であればアレンさまはやはり不利になるか」

 

 キールが難しい顔でつぶやく。アルベルがフンと鼻を鳴らした。

 

「阿呆」

 

「ん?」

 

「これまでアレンはアルフェイルたちのちぐはぐな戦い方に合わせていただけだ。同じレベルに達したなら、アレンも合わせてくる。それぐらいは出来る男だ」

 

 雷鳴に似た斬撃が何度も何度もぶつかり合い、やがて衝撃の大きさに堪えきれず空間が爆発を起こす。派手な練気のぶつかり合いにアルベルはわずかに舌打ちした。

 キールが感心して息を吐きながら言った。

 

「まさかわずか二日にして、ここまで鍛え上げられるとは。すばらしい」

 

「あのゲヴェルとかいう騎士たちも大概異常だ。あそこまで一部洗練された動きでありながら、まるで繋がりのない戦い方をしやがる。あんなもん、これまで見たことがねえ」

 

「ふふっ。それはまた追々、説明いたしましょう」

 

 キールは笑って、闘技場に視線を落とす。

 また追い詰められ始めたアルフェイルが、顔を歪めながら言った。

 

「なんという、強さだ……! 同じ戦いがやっとできるようになったと思えば、これほどとは!」

 

「どうした、お前の打ち込みはそんなものかっ! 仲間から受け取った力とはその程度かっ! 立て、アルフェイル!」

 

「うぉおおおおっ!」

 

「よしっ! これが、俺の最強の一撃だ!」

 

「おい、アレン!」

 

 アルベルが思わず立ち上がった。すべてを打ち抜くアレン最強技、それはこんな場所で、おいそれと放たれていい代物ではない。

 だがアレンの瞳は完全に本気だった。アレンの全身が黄金色の焔で輝く。朱雀が猛々しく吼え、兼定の刀身とアレンの蒼瞳が燦然と輝き始めた。

 

「いくぞ、朱雀吼竜破ぁあああっ!」

 

 巨大な金の龍が闘技場を舐め溶かさんとアレンの剣尖から放たれる。

 

「これは、デュアル・ソウルストライク……! ただの人間がこれほどの。シュワルゼにも匹敵する一撃を放てるというのか! これが特務……!」

 

 キールが目を見開き、うわごとのようにつぶやく。

 アルベルもまた、大きく目を見開いていた。

 

「野郎!? 正面から受ける気かっ!?」

 

 とっさに観覧席の柵につかみより、乗り出すようにしてアルフェイルを見下ろす。

 アルフェイルの全身もまた輝き始めていた。アルフェイルの剣尖に宿った蒼竜が吼える。それが白銀の鬼(ゲヴェルへ)と変化し、

 

「ドラゴ・ソウル、ストライク……っ!」

 

 黄金の龍と蒼白い光線がぶつかり合う。

 

「うぉおおおおお! をぉおおおおおっ! アレン・ガァアアアドっ!」

 

 相殺。

 すると同時に、両者動く。

 

「勝負!」

 

 二人、叫びあうや手許の刀を抜き打ち、飛びちがった。

 

「アルフェイル、見事だ」

 

 アレンがつぶやき、後ろをふり返る。その頬に一線、血が垂れ落ちていた。

 一方のアルフェイルは胸をざっくりと斬られ、低い呻きとともに倒れていく。

 アルベルは首を横にふりながら、つぶやいた。

 

「まったく信じられねえ……! たかが二日足らずでもう練気をマスターしやがるとは……!」

 

「とんだ掘り出し物だな、ノックス団長」

 

 アレンの言葉に、アルベルも邪悪に笑む。

 その後、アレンとアルベルがティピちゃん王国闘技場に足繫く通うようになり、途中、アレンの様子を見にきたナツメがシルムの可愛さに惚れ込んで『私は、シルムさんになる!』などと口走り着ぐるみで行動し始めたことを――フェイトたちはまだ知らない。

 

 のちにナツメを迎えにきたオフィーリアは首をかしげながらこう語ったという。

 

「ナツメちゃん……。どうもアレンのところに行くと奇行が目立っちゃうのよね。このまえ肩に竜のアクセサリーつけてきたかと思えば今度は着ぐるみでしょう? あの子(アレン)ったらどういう教育方針なのかしら? 今度ちゃんと話し合わないと」

 

 ゲヴェル騎士団たちにアレンやアルベルが全力で武術を叩き込んだ結果――銀河連邦最強のガード流を未開惑星の騎士たち救世の百振りの刀(グレナディーア)が完全習得したことをアルフが知るのは、もう少し先である。



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18.闇の支配者(ヴェンツェル)

 多くの人々が、お前の勝手な願望で人生を狂わされていった――。そして――今もなお、お前の手で俺の大切な人たちの人生が狂わされていく。
 俺は――だからこそ、貴様を倒す。残り少ない命だと言うのなら――その命を使い切ってでも、必ず――お前を、倒して見せる。
 お前に弄ばれた、俺の大切な人達の為に――。そして、俺の親であるゲヴェルや――兄弟達の為に。


 ヴェンツェル――かつて、バーンシュタイン城に居た宮廷魔術師にして、サンドラの師であった過去を持つ彼は――、ゲヴェルの支配を逃れるため――王子エリオットを自身の信頼できる夫婦に預け、ゲヴェルに作り出された偽物の王子とすり替えた後、ランザックに身を隠していた。

 サンドラの息子であるカーマイン達が、ゲヴェルの真相に気付き、近づいてきた時――エリオットの王位奪還のために協力を自ら名乗り出る――。

 しかし、彼は――カーマインの義妹・ルイセのグローシュを奪うと、何処かへと立ち去ってしまった。

 彼の正体は――グローシアン支配時代の王――ロード・ギーヴル・ヴェンツェルであり、ゲヴェルとグローシアンとの融合体であることが判明する。

 カーマインとゲヴェルとの熾烈な一騎打ちの隙をつき、まんまとゲヴェルを殺したヴェンツェルは、人間の支配を敢行するため、三国の軍事力を徹底的に叩き潰すことにした。

 彼は――自らが使う時空操作能力で、異世界から魔物を召喚し、兵士を皆殺しにして行ったのだ――。

 自分が強力な存在となるために、ゲヴェルを作り出し、更にゲヴェルとの融合を果たすために、多くの人間を犠牲にしたヴェンツェル。彼の支配する世界、ソレは――絶望しか無いモノだった。

 しかし、人々は――ヴェンツェルに殺されるくらいなら支配に屈した方が楽だと、言い出す。世界に住む人々が――ヴェンツェルと戦うカーマイン達に恨み言を言い出すように成っていった。

 

 王子エリオットを育てた義理の両親は、ヴェンツェルのかつての部下。ヴェンツェルに歯向かえば、呪いで死ぬように体を作りかえられていた――。

 ゼノスの実父にしてカレンの義父、ベルガー。彼は奴隷――物として扱われる人間達の為に、レジスタンスを結成するも、グローシアンに捕えられ、実験体としてゲヴェルと融合させられた。実験が済み用なしとなった彼は、処分される前に違う時代に逃げのびる事で、一命を取り留めたが、既に――彼を知る人物は、この世のどこにもいなかった。

 人間を抹殺するために作られたゲヴェルは、グローシアンの言いなりになるよう洗脳され、グローシアンの体の強化のために、人間と融合させられたり、戦いに駆り出されていった――。やっと自我を持った彼は――魔水晶の中で永遠とも言える苦しみを味わった――。

 

 二度と――彼らのような人を作り出さないため、このような理不尽を許せない為に――。そして、こんな理不尽に自分のかけがえのない仲間を遭わせないために――カーマインは残り少ない命を削り、ヴェンツェルと対峙するのだった――。

 

 時の支配者ヴェンツェルとの最終決戦は――かつて、フェザリアンと人間が共に世界を渡った時空制御塔だった。

 カーマイン達が内部に入り込むと、彼らを出迎えたのは――カーマイン達と同じ顔をした、黒いマントを羽織ったゲヴェルだった。

 

「……こいつら」

 

 カーマインは訝しげに、眉をひそめる。ティピがキョトンとしていた。

 

「ねえ、今までのゲヴェル達と――何か違うよね」

 

 その疑問に答えたのは――ヴェンツェルの声だった。

 

「ソヤツは――以前洗脳したルーチェの細胞から作りだした私専用の操り人形。名をアウグ・ストライフと名付けた――。徳と味わうがいい――グローシアンであり、ゲヴェルでもある私の力を!!」

 

 影から十人のアウグと名乗ったゲヴェルが起き上った。彼らに表情は無く、痛みも、恐怖もない――。切り捨てれば――闇へと変化し、消えていくだけだ――。

 

「つくづく、勘に触るヤツだ…!!」

 

「全く…! ぶった斬ってやらぁ!!」

 

 カーマインとデュランが猛り、室内を無数の斬戟が――斬線が奔る。

 

 時空制御塔最上階――。石畳の作りの部屋で――パワーストーン精製装置がヴェンツェルの後ろに立っている――。

 その部屋に――カーマイン達は静かに足を踏み入れた。

 

「コレで終わりだ、ヴェンツェル」

 

「終わりだと? 終わるのは貴様等の方だ!!」

 

 カーマインが静かに、ヴェンツェルが不遜に――言い、睨みあう。互いの瞳に揺るがぬ意志を宿して。

 

「世界は――アンタの好きにはさせない!!」

 

「この世界に生きる人達の平和――私達が守ってみせる!!」

 

 ティピとルイセの言葉にヴェンツェルは、静かに彼女達に顔を向けた。

 

「笑わせる。人間はもろい存在だ。アッサリと他者に責任をなすりつけ、管理されなければ――自分達で滅びに向かう存在。永遠に滅ぶ事の無い王は――理想ではないかね?」

 

 嘲笑うヴェンツェルの言葉に――カーマインも強い意志を瞳に宿し、言い返す。

 

「――人が弱い事は認める。良い指導者がいなければ、滅びる事も。――だが、ソレは貴様ではない。人の情を知らず、ただ管理するだけの国は、生きる意味が無い」

 

 不快気に吐き捨て、ヴェンツェルはカーマインに杖を構える。対するカーマインもレギンレイヴを抜いている――。

 

「何処まで行っても平行線の様だな、ならば――」

 

「いくぞ!!」

 

 同時に駆け、斬りかかる――。魔法が――斬戟が――、奔る。カーマインは、ヴェンツェルの注意の全てを引き受け――その間に、リシャールとゼノスが精製装置で、パワーストーンを作り出した――。

 全てのゲヴェルから、力を授かって――。

 

「――おのれぃ!!」

 

 パワーストーンを作られた事に激昂し、精製装置ごと叩き潰そうとするヴェンツェル。

 

「やらせるかよ!!」

 

 ズバァッ それを間一髪、ゼノスの一撃がヴェンツェルの胸を裂いた――。

 

「バカな……。だが、この世界は――!!」

 

 ヴェンツェルは、血を噴き出しながら――奈落の底へ落ちて行くのだった――。

 

 時空干渉装置に向けて走る一行の前に、ガーディアン達が無数に現れる。

 

「カーマイン、デュラン達と一緒に、一気に駆け抜けろ!!」

 

「ここは、私達が引き受ける!!」

 

 ウォレスとリシャールの言葉に、頷き一気に駆け抜けるカーマイン。

 こうして、カーマインは仲間達と別れ、アステアとデュランの二人と制御室へ走る。ソコで三人が見たのは、白銀の髪をした青年の後ろ姿だった。

 

「! 何モンだ、テメエ」

 

「邪魔な奴め……!」

 

 デュラン、アステアが自身の剣を構えて問いかける。対して――カーマインは静かに青年を見据える。

 

「この気――ヴェンツェルか?」

 

「いかにも――どうかね、諸君? 素晴らしいだろう。今この瞬間より、過去も未来も現れるはずの無い最強の存在の誕生だ」

 

 青年、ヴェンツェルは刃渡り二メートルの剛刀を抜いた。

 

「君達がオリジナルのボディを倒してくれたおかげで、晴れてこの体に乗り移れた――。有難う。さあ、この世界が滅びるまでの僅かな時間だが――遊んでやろうではないか。ククク……ははっはっははあは!!」

 

 カーマイン達三人の攻撃を喰らっても、瞬時に全開する回復力。シーティアをも上回る大魔法を連発。刀はシュワルゼとラルフの刀の利点をそのまま取り込んだモノで、剣術はカーマイン達の動きを覚え、どんどん洗練されていく。

 

「――ヴェンツェル、お前は――殺すぞ!!」

 

「ほう? まだ生き残っているか。大したものだ」

 

 ルーチェが意識を取り戻し、勝負を挑む。--しかし、状況は変わらない。

 あっと言う間に、ボロボロにされる四人のゲヴェル。――だが、ルーチェの強打撃、アステアのアルスィオーブ、デュランの極殺の斬戟、そして――カーマインの一閃が奇跡を起こす。

 

「――何? 人間どもの想いが――一つに!?」

 

「終わりにしようぜ、ファイナル・ソウル・ストライク!!」

 

 カーマインの身を覆う炎の色が黄金の光と化し、刀は蒼銀の輝きを放つ。放たれた魔法剣は――黄金のソウルストライク。ソレは――闇の支配者、ヴェンツェルを完膚なきまでにこの世界から――消し飛ばしたのだ。

 こうして――救世の光の伝説が幕を下ろす。

 

 ローランディア城にて、カーマインはヴェンツェルの報告を終えると、パワーストーンにて体を作り替え、新しい寿命を手に入れた。

 しかし――その反動で、彼は――別の世界に旅立ってしまった。コレが――救世の光の旅路の始まりである。

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 時空の闇を操る魔導師――ヴェンツェル。

 グローシアンの王にして支配者。破滅の闇と呼ばれた男は、己の願望の為だけに、多くの罪なき人を傷つけ。数多の悲しき生体兵器を作り出していった――。

 光の救世主――カーマイン・フォルスマイヤーが、その存在意義をかけて挑む相手――ソレが、闇の支配者――ロード・ギーヴル・ヴェンツェルである。

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 彼女達が意識を取り戻した時、そこは記憶を見る以前と変わらない、はやての課長室があった。

 

「あ! 眼が覚めたみたいね!!」

 

 ティピが明るい笑顔で皆を見渡した。隣には、カーマインが静かにこちらを見ている。その金と銀の瞳で。

 

「――どうやら、全員意識を取り戻したようだな」

 

 冷静に言ってくるカーマインに、皆が互いの顔を見合わせた。どうやら、今まで立ったまま先の景色を見ていたようだ。

 

「フン、誰がナビゲートしたと思っている」

 

「悪い、別にお前の力を信じてなかったわけじゃないって」

 

 不機嫌そうに眉を寄せるアステアに、カーマインは苦笑気味に返した。そんな二人に、八神はやてが静かに近寄る。

 

「カーマイン君、アステア君。疑ったりして、ゴメ――!」

 

 頭を下げようとするはやての額をペシッと掌で止めたのは、アステアだ。

 

「……アステア君?」

 

「フン」

 

 首を傾げるはやてをそのままに、アステアは手を離してそっぽを向く。隣でカーマインが苦笑しながら口を開いた。

 

「敵かも知れない相手を疑うことは、悪い事じゃないさ。謝らないでくれよ」

 

「カーマイン君……」

 

 カーマインは真摯な表情ではやてを見る。金と銀の揺らがない瞳で――。

 

「俺の方こそ、礼を言わせてほしい。貴方達は、俺を――アウグと同じ存在かもしれない俺達を、助けてくれた。その礼、決して疎かにはしない」

 

「ま、記憶を見たんなら――コイツが、ソコソコ強いってのが分かってもらえたと思うし、皆のお手伝いくらいなら出来るからさ!!」

 

 ティピが明るく笑って言った。

 はやては胸の前で組んだ指を下ろして、小さく、うん、と頷く。本当は頭を下げて謝っておきたかったが、先ほどのアステアの制止と、カーマインの表情、ティピの言い分から口に出すのは止めた。

 

「そしたら、話の本題に入るで?」

 

「本題?」

 

 ティピが首を傾げる。はやては瞳に力を宿して頷き、神妙な面持ちを作った。

 

「カーマイン君らの回想が――そのままこのミッドチルダにも関係するとしたら、あのアウグって言うのをこの次元世界に放ったのは、ヴェンツェルってことやな?」

 

「ああ」

 

「そして――カーマイン君達が使ってるテレポートって魔法が、ヴィータ達が戦った黒騎士出現の光とよぅ似てた。彼等も、カーマイン君達の世界からやって来た者達っていう認識で合うてるかな?」

 

「それは違う」

 

「ヴェンツェルは関係ないってこと?」

 

「関係はある。あの鎧は俺達の世界にも存在しない魔物……。時空の狭間、そこにある闇の世界から呼び出された者達だ」

 

 カーマインの言葉に首をかしげながらフェイトが問いかける。

 

「つまり、時空干渉能力によって召喚した魔物ってこと?」

 

「ああ。ヴェンツェルにしか召喚できない魔物さ」

 

 今度は、はやてからの質問だ。

 

「どうして? 干渉能力があれば、召喚できるんやないの?」

 

「特定の闇の世界から、奴は何体でもあの魔物を召喚する事が出来る」

 

 カーマインの説明に、はやては眉をひそめた。

 特定の闇の世界――。

 つまり、カーマイン達が使う時空干渉能力は、“どの次元”であろうと干渉できるわけではない、ということか――。

 

「闇の世界と言うのは、何なんですか?」

 

 リィンフォースⅡの質問に、答えたのはアステアだ。

 

「貴様等も見たのではないのか? 鎧の中身は空だったのだろう? あれには、生体エネルギーが一切ない。ただ邪悪な、意志の塊だ」

 

「邪悪な意志……」

 

 顎に手を据えるはやては、更に思案顔を浮かべた。抽象的な概念として彼等の言う事は理解できる気もする。だが、まったくもってその原理――彼等の言葉の確証となっている大元の流れが分からない。

 彼等が言う“闇の世界”――。

 それは“邪悪な意志の塊”ということらしいのだが。

 

「邪悪な意志……か。それは、何を基準として邪悪としてるんやろう?」

 

 はやてはつぶやきながら、アステアとカーマインを交互に見た。カーマインが答える。

 

「人の命――いや、生きている全ての者の命を、喰らおうとする存在。奴らは、全ての生きとし生ける者を憎み続ける。そして――世界の全てを喰らおうとする。自分達の望む世界――闇にする為にね」

 

「ブラックホール……みたいなもんかな?」

 

「ブラック……? なんだ、それ?」

 

 “憎しみ”と言う感情は関係ないモノの、はやてはそう尋ねてみた。要を得ないカーマインの隣から、アステアが答える。

 

「そいつは宇宙空間に有る、まあ――暗闇の世界ってやつだろ?」

 

「うん……」

 

「そこに意志や知識のある存在がいるかどうかは分かってない筈だが。貴様等の経験でいえば、“闇の書”の防衛システム――あれが一番近い」

 

「……!」

 

 はやては息を呑んだ。はやて達がカーマインの記憶を読んだように、カーマイン達もはやてを始めとした四人の記憶を読んでいる。

 はやてが持っていたデバイス“闇の書”。それは魔法の辞書となるべく作られた集積蓄積型デバイスシステムに、改変を加えて破壊の力を持ったデバイスの名だ。途中の無理な改変で、デバイスは主の認証を正常に行えず、力を集積しては暴走するだけの日々を繰り返していた。

 

「待てよ、アステア。闇の書は、力の“暴走”だろ? 俺達の知ってる闇とは違う」

 

「結果的には同じだ。力の暴走ではないにせよ、全てを無きものにしようとするところは、どの闇も変わらんさ。全ての生命を無へと変える存在は、等しく“闇”と呼ばれる」

 

 アステアはそこまで言い、はやてを見た。

 

「――違うか?」

 

「そう……かも知れへんな」

 

 はやては胸元に手を置き、ぎゅっと拳を握った。視線が下がる。

 そう言おうとした彼女をカーマインが遮った。

 

「それは――違うだろ? 例え暴走を引き起こしたとしても、貴方を想い――貴方の為に戦った彼女(アイン)や――ここに居るリィン、シグナムさん達」

 

 カーマインは穏やかに笑って――はやてと、こちらを見るリィンとシグナムの二人を見る。

 

「彼女達と貴女の絆は――。そこに交わされた情は、決して――闇なんかじゃない。たとえ――力の暴走を引き起こしたとしても。ソレを上回った貴方達の絆は――決して、闇とは違う……!」

 

 力強い光を瞳に込めて、カーマインははやてに言い切った。

 

「……カーマイン君」

 

 俯きかけたはやてが視線を上に上げる――。リィンも、シグナムもカーマインと言う青年を静かに見返した。

 

「――口が過ぎた様だ。悪かった」

 

 カーマインの隣で――アステアも静かに頭を下げる――。彼にしては、珍しく殊勝な態度にキョトンとしてしまうシグナムとはやて、フェイト。

 そんな中――リィンだけは「エヘヘ」と笑って見せる。それに――ティピもニヤリと笑ってアステアを見ていた。

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 同時刻、東部海上。

 機動六課発足にあたり配備された輸送用ヘリJF704式。二年前から採用され始めた最新鋭機を駆るヴァイスは、口端をつり上げながら、後ろを振り仰いだ。

 

「本当に、俺達だけでいいんですか? アルフの旦那」

 

「ええ。八神隊長から、隊長室に詰めてる間のことは任されていますので」

 

 喉を鳴らしたアルフは、運転席の背もたれに肘をかけて片眉をつり上げる。紅の視線は、ヴァイスの相棒、ストームレイダーを積んだ計器類に向けられていた。ストームレイダーは元々、狙撃ライフルに搭載されたAIデバイスとして使われ、現在はヘリの管制システムとしてヴァイスをサポートしている。

 このストームレイダーの観測値によると、ヘリの高度は上空八百メートル。風向きは南西、黒い海面の様子からも窺えるように、至軽風――うろこのようなさざ波が立つそよ風だ。

 アルフはストームレイダーにクォッドスキャナーを連結させると、ヴァイスに言った。

 

「陸曹。ガジェット反応がある場所のモニタリングお願いします。ここから一気に、狙撃で撃ち落とす」

 

「~♪ そいつぁ熱い展開じゃないッスか! ――って言っても旦那、デバイスはどうするんです?」

 

 問うヴァイスに答えず、アルフは口端だけを緩めた。通信機越しに、現在機動六課の司令部を取り仕切っているグリフィスが報告して来る。

 

[アルフさん。ガジェットドローンⅡ型、現在捕捉しているのは十二機です。東部海上をそれぞれ旋回飛行中]

 

「了解。索敵続行願います」

 

[了解]

 

 通信が切れた。ヴァイスは計器類に指を走らせ、アルフが言った通りにガジェットⅡ型を狙撃する為の照準映像を次々と生じさせていく。

 完璧なホバリングだ。

 ガジェットとの距離は――変わらず2キロ。

 クォッドスキャナーが、ガジェット達が有する特殊な信号――そして、AMFの波長パターンを探知する。

 ヴァイスはアルフの『目』となる照準モニタを展開させながら溜め息を吐いた。

 

「うへぇ~! これ、絶対十二機じゃすみませんよ、旦那っ!」

 

 元狙撃手としての勘が、ガジェットⅡ型の機影を見てそうつぶやかせた。アルフは小さく頷きながら、左手を微かに開く。

 

「――まあ、派手なほうがいいですよ。宣戦布告(・・・・)はね」

 

 喉を鳴らした彼の掌に、白い紋章陣が浮かんでいた――。

 

 

 

「ガジェットドローンⅡ型、十二機」

 

 機動六課のオペレータを務める薄紫色の髪の少女ルキノは、青色の瞳を走らせながら言った。背の高い彼女は通信士のシートに体を折りたたんでかじりついている。

 そのルキノの背に、臨時指揮官として座するグリフィスは尋ねた。

 

「レリックの反応は?」

 

「現状では、付近に反応はありません。ただ……これ、機体速度が今までよりも大分――いえ、かなり速くなってます!」

 

 ルキノの緊張した声――。傍らで、もう一人の通信士、ボーイッシュな栗毛の少女アルトが言った。

 

「航空Ⅱ型、四機編隊が三隊、十二機編隊が一隊、発見時から変わらず――それぞれ別の低円軌道で旋回飛行中です」

 

 グリフィスは顎に手を添える。

 

「場所は何もない海上……。レリックの反応も無ければ、付近には海上施設も船もない。まるで、撃ち落としに来いと誘っているような――」

 

 つぶやいた彼は、次の瞬間息を呑んだ。

 東部海上に向かったヴァイス達のヘリ――その真上の、紺碧の空に浮かぶ星々が激しく輝いたのだ。

 

 

「スターライト」

 

 アルフの、短い詠唱と共に。

 

 

 野太い光矢が夜闇を裂いて駆る。

 黒い海上を旋回するガジェットⅡ型の機影は、空から降る光矢――“砲撃”によって余すことなく撃ち落とされた。

 光線は轟音を立て、二等辺三角形のガジェットⅡ型を蒸発させる。紋章が放たれる寸前――空で瞬いた星の光が、数十本の砲撃となってガジェット達を撃ち堕としたのだ。

 海上を旋回していたⅡ型ガジェット――全二十四機。消滅。

 一瞬の出来事である。

 

 

「……っ……!」

 

 ヴァイスは自分の目の前で起きた事が数秒理解できず、何度も目を瞬かせた。ストームレイダーに手早く指示を出して、敵残機を確認する。

 だが、反応なし。

 全滅だ。

 

 

 ××××

 

 

 その様をモニタ越しに見ていたスカリエッティもまた、目を見開いていた。

 今夜は改良したガジェットⅡ型のテスト飛行。機動六課の面々を前に、どこまで迅速かつ規律だった行動が取れるのか、データ収集することが主な目的だった。

 相手にガジェットが落とされるコトは承知の上。

 だが、この一瞬の出来事は――あまりにも、

 

 あまりにも衝撃的だった。

 

 スカリエッティの身が震える。ぐっと拳を握った彼は、モニタに齧りつくように顔を近づけて、つぶやいた。

 

「まさか……これは、ミッドでもベルカでもない――この魔法……紋章術、なのか……? まさか本当に、連邦が……!?」

 

 息をのむ。大がかりな紋章術。AMFを積んだⅡ型ガジェットをモノともしないその威力。

 分類するなら収束魔法とされるその紋章術は、こちらの威力に換算してAランクだ。

 並の魔導師が、数秒で捻りだせるような魔力ではない。

 

「これがルーテシアの言っていた、もう一人の異端者?」

 

 スカリエッティの乾いた声が、研究所に響いた。彼は額に手を付き、声を上げる。先日、(トーレ)達が捕獲してきた、フェイト・ラインゴッド達の居る部屋の扉を振り向きながら。

 

 

 ××××

 

 

 機動六課施設の屋外――ヘリポートにて。

 医務室で意識を取り戻した高町なのはは、隣で寝かされているヴィータ、ティアナを見るのもそこそこに、アルフと戦った青年の姿を探した。

 施設内を探していると、ヘリポートに人影を発見した。なのははこちらに背を向けた青年に近寄った。

 空は満点の星空で、いつの間にか、日が沈んでしまっていたようだ。

 

「……俺に何か?」

 

 なのはが声をかける前に、青年――カーマインが話しかけて来た。

 

「一つ、君にどうしても聞きたい事が有ったの」

 

 なのはは、静かにこちらに振り返ったカーマインの瞳を覗きこむ。

 

「君は、どうしてシャスを見て笑ったの? シャスの剣が怖くなかったの?」

 

 なのははカーマインにどうしても聞きたかった。自分がアルフと対峙した時感じた恐怖、アルフの狂気に触れながら、この青年は笑っていた。なのはが気付かないアルフの一面に、彼は気付いたと言うのだろうか――。それはともすれば彼が、アルフという青年を自分よりも理解したという意味になのはには思えた。

 

「……」

 

 カーマインは、なのはの瞳を見つめ返す。その静かな瞳、背を向けたままで気配を感じ取る所――、なのはは、その仕草の一つ一つに自身の優しい兄を思い浮かべた。

 

「――楽しかったからな。命のやり取りをしているのに、ソレを感じる暇が無いほど、彼は強かった。だから――素直な気持ちで勝負が出来た。俺にしては、珍しく」

 

 先の闘いを振り返ってか、カーマインは不敵に笑って言った。

 

「シャスは――、死んでも勝とうとしていた。君を確実に殺そうとしていた――。ソレを感じたのに? 怖くなかったの? どうして?」

 

 なのはは、不安げにカーマインを上目づかいに見つめる。この青年が、何を感じ取ったのか、ソレを見出そうと――。

 

「君は――シャスの剣に、何を見たの?」

 

「命の煌めきを」

 

 カーマインは、間髪置かずに即答した。なのはは、すぐさまの返答に驚き、そして混乱した。

 

「――彼は、一見命を無為に投げ捨てているように見えるが、実のところは違う。彼は、自分の判断を信じてその選択を実行しているにすぎない。彼の中にあるルールに従って」

 

 なのはは、内心の動揺を抑えながらジッとカーマインを見る。

 

「命は、二の次。それよりも、自分らしくある事を。自分が選んだ選択こそが正しいと言う事を、自分が決めたルールに従って突き進んでいる。誰よりも真摯に」

 

 アルフのあり方を称賛するかのような口振りに、なのはは眦をつり上げ、強い口調で反論した。

 

「――でも、それじゃあ、駄目なの!! 人の命を救う機動六課の局員なら、命を粗末にしちゃいけない!! 命を助ける為に、どんな恐怖にも打ち勝つ理性で、冷静に判断して、救助に全力を尽くさなきゃ――!!」

 

「――それでも、死ぬ時は死ぬ」

 

 そこまで冷静に、自分の内にある恐怖を理性で押し殺したとしても、必ずしも人命が救えるわけではない。

 カーマインはそう断言する。

 

「だから――!!」

 

 だからこそ、命は尊ばねばならない。より確実に救えるよう――慎重に慎重を重ね、失敗する事に怯えながらも冷静に判断せねばならない。

 命を、捨てる覚悟ではならない。

 なのに――、 

 カーマインは、静かに言葉を続けた。

 

「どんな恐怖にも打ち勝つ理性――。彼は既に手に入れているはずだが?」

 

「アレは、死に臨んでるだけだよ……。それが、シャスのルールに従っての事だとしても、アレじゃあ人の命は救えない」

 

 カーマインの言葉に、首を横に振るなのは。

 

「彼は――管理局員じゃないだろう。それなのに管理局の理念を押しつけるのか?」

 

「管理局員だよ! シャスは――私の教え子だから! だから、命の大切さを知ってほしいの!! もっと自分を大事にしてほしい!!」

 

 強く思う。昔から――あの子は変わっていない。本当は――誰よりも優しい子なのに。どうして、ああも命を投げ捨てようとするのか――。

 

「彼は――アルフは、自分の意に従って生きている。そんな彼の思いを覆すと言うのか? 確かに、貴方の言葉は、正しい。ほとんど多くの人が、命を大切にするべきだと言うだろう」

 

 カーマインは、静かに言葉を切り話を続ける。なのはの瞳を正面から見据えて。

 

「だが、ソレが貴方の物差しである事を忘れるな。自分の物差しを相手に押しつける事は“強制”であり“わがまま”である事を」

 

 その言葉に、なのはは一瞬俯いた。しかし、震える手を握りしめ問い返す。

 

「……そう、かも知れないね。でも……管理局員(わたしたち)がそれじゃあ、皆は一体誰を信じられるの?」

 

 己の為だけに力を振るう。

 それは――管理局員がもっともしてはならないことだ。なぜならば、魔導師は“力”の象徴。

 力を振るう者が暴走しない為には、鉄の理性が必要となる。それを求めるなのはの想いが“わがまま”だとするならば――己の為だけに力を振るわれた結果を、民衆はどのように受け止めねばならないと言うのか。

 魔導師は、限りなく理想に近い存在でなければならないのだ。

 核兵器によって世界が死にかけた――それ故に質量兵器を根絶させた、この世界では。

 

「俺が言ってるのは、誰かを疑えってことじゃない。自分の考えが正しいと思うからと言って、ソレを相手に押しつけるな。相手にだって考えること、生き方がある。ソレを理解せずに自分が正しいと思うな」

 

 カーマインの瞳は揺るがない。その静かな光を宿した眼に、なのはは語りかける。

 

「……仲間の信頼を得られない局員が、無事に救助任務を果たせる事は……無いよ。一人だけの力じゃダメなの。皆で力を合わせなきゃ……――これは、私の押し付けなの?」

 

 なのはは苦しそうにカーマインを見上げた。

 

「仲間なら、相手の意志を理解することも必要だろ? 少なくとも、あなた達と彼は、違うと思うよ。彼は、管理局としては戦わない」

 

「……管理局じゃ、ない……?」

 

 カーマインのその言葉は、鋭利なナイフのようになのはの胸に突き刺さる。しかし、カーマインは話を続けた。

 

「彼は、あくまで自分が大事。自分の生き方を成し遂げる為にそこに在り、成し遂げる場が勝負の世界。自分自身を満たすためだけに、彼は戦い続けるだろう……。これからも」

 

 カーマインは静かに、打ちひしがれた表情のなのはを見据える。

 

「――彼を仲間だと思うなら、彼を信頼するのなら、彼を理解することだ。彼の本質から目を背けることなく、ね」

 

「……」

 

 俯くなのはに、優しく微笑みかけるカーマイン。

 

「諦められないなら、ぶつかり合えばいい。思いをぶつけて、相手からの思いを受け止めて、少しずつ――互いに歩み寄ればいい」

 

「……でも、ソレはワガママなんでしょう?」

 

「ワガママさ。でも、ワガママでも何でも自分が正しいと思って、決して退けないのなら、思いの丈を相手にぶつけるしかない。――俺は、そう信じてやって来た。いつか――互いに歩み寄れる、分かり合えると信じて――」

 

「――カーマイン君のワガママって?」

 

「ガキみたいな理由さ」

 

 一つ笑って、カーマインは続けた。

 

「――敵に全ての責任を押し付けようって考え方が俺は嫌いだった。自分が生きる為には、相手を滅ぼすしかない」

 

 先住民ゲーヴと人間との戦い。グローシアンの侵略戦争の話。

 

「そんな考え方が、俺は納得できなかった。自分は正しくて、相手が間違っているから――相手を滅ぼすって考え方」

 

 ローランディア、ランザック、バーンシュタイン 三国の戦争の話。そのどれもが、敵に戦争の責任を全て押し付けていた。

 

「……」

 

「周りの大人はいつも言っていた。敵国の兵士を倒せば、平和になるって。人々は言っていた。生き残る為には、敵を滅ぼすしかない。全て、敵が悪いのだからと。――だが、ソレは間違いだ」

 

 ゲヴェルにだって想いがある。

 敵国の人間にだって思う事はある。剣に迷っていた銀髪の美青年。砂の国に生きる黒ひげの将軍。戦争で無ければ、剣を交える必要などない人々――。

 

「敵にだって戦う理由がある。守りたい家族や誇り、命がある。だから――例えガキだと言われても構わない。俺は――そんな自分勝手な論理を振りかざす奴が気に入らないから、剣を振るった」

 

 なのはは静かにカーマインの言葉を聞いていた。その話に、飲み込まれるように――。

 

「結果として、ソレが世界を救い、人々の命を救っただけで、俺はただ聞きたくなかったんだ。自分にとって大切な人達が、そんな無責任な事を言うのを」

 

 ――英雄気取りの馬鹿な騎士が、ヴェンツェルに逆らった所為で! アタシの息子が死んだんだよぉ!!

 ――アンタ達の所為で、戦争が終わらない! 私達は、平和に生きたいだけなのよ!!

 

 思い返すは、多くの批難の声。戦争で傷つくのを恐れ、かといって、支配者に逆らう事すらせず、責任を他者に押し付けようとする人々の怨嗟。

 

「そんな自分勝手な事を彼等が他の人達から言われるのを、俺は見たくなかった。ただ――それだけ」

 

 カーマインは静かになのはを見据えた。透明な――澄んだ光を放つ金と銀の瞳で。

 

「ワガママだろ?」

 

 不敵に笑った。――だが、カーマインのその笑みはどこか――なのはには泣いているように見えた。

 

 なのはは――首を横に振った

 

「ううん、凄いね。――君は」

 

「別に凄くなんか無い。貴方達のように、見ず知らずの人の命を第一で動いてる訳でも、思いやりを持って接しようとしてる訳でも無い」

 

 しれっと言うカーマインに、なのはは、くすりと笑った。満月の優しい光が、彼女達を優しく照らしていた。




リィン&はやて
「「リィンとはやてが行く♪」」

リィン
「第二回、ゲストは――主人公の皆さんです♪」

フェイト(笑)
「なんだい? その大味な紹介……」

カーマイン
「またここか……。どうでもいいけど、本編で俺達出合ってないんだけど、まだ」

なのは
「オラクルだから何でもありになるんだよね? はやてちゃん?」

はやて
「そういうことや!」

アルフ
「……俺、主人公でしたっけ?」

フェイト(笑)
「いやいやいやいやいやいやっ!!」

カーマイン
「“オリ主”って書いてるだろ?」

なのは
「もう、シャスったら主人公ちゃんとやらないとダメだよ? ――まあ、そういう私も、StrikerSでは主役って言うより、ティアナやスバルの方が主人公って感じがするかな」

アルフ
「“魔法少女育てます”がキーワードですからね」

フェイト(笑)
「まあ、“リリカルなのは”だからいいんじゃない? なのはさんで」

カーマイン
「実際、新人部隊(フォワード)全員呼ばないといけないしな。そうなると」

はやて
「確実に入りきらんなぁ……!」

リィン
「ということになりますね!」

フェイト(笑)
「それで。リィンちゃん、はやてさん。僕達を呼んだってことは、何か話があるのかい?」

はやて
「とりあえず出してみてんっ!!」

アルフ
「すごく自信たっぷりに言い放ってますよ、この部隊長殿」

カーマイン
「台本……は?」

リィン
「ダメダメです! カーマインさん! それじゃ、ダメダメです!!」

カーマイン
「だ、ダメダメ……?」

はやて
「その通りや! 台本に任せて、流れを固めて行ってしまう――そんなんでは、オラクルである必要なんかないっ!!」

カーマイン
「いや、……えっと……?」

アルフ
「だからまとまりないんですよ、察してやってください。カーマインさん」

フェイト(笑)
「いくらオラクルでも、ぶっちゃけ何も考えて無いのはどうかと思うんだけどね、僕……。せめて企画くらい出そうよ?」

リィン
「でもこの空間は、いかにくだらないことをグダグダとくだを巻くかが本来の目的なんでしょう? フェイトさん」

フェイト(笑)
「いや、ですから――……」

アルフ
「じゃ、なんかお題出しな。フェイト」

フェイト(笑)
「え!? 何か違くね!? ゲストがお題出すとか……いや、前回やったけども!」

カーマイン
「司会者の意味ねえだろ? それ」

アルフ
「なら解散?」

はやて
「あかぁ~~んっっ!!」

アルフ
「……びっくりした。なんですか? 隊長」

はやて
「この八神はやての目が黒い内はそうはいかんで、シャス! ……ん? そういえば、シャス。何気にオラクル空間来るの初めてやな?」

アルフ
「いや、二回目ですよ」

カーマイン
「前回は“???”だったな」

フェイト(笑)
「おいおいおいおい! ティピとフェイトが行くじゃ出てこなかったくせに、なんだよっ! はやてさんの時は出て来やがって!!」

アルフ
「……お前。第十回目に誰が出て来たのか、知ってて言ってんのか?」

フェイト(笑)
「僕の記憶からは飛んだな☆ ……ああ、あまりのガクブルに飛んでしまったんだよ、記憶が」

アルフ
「そうですね。さらっと水に流しましょう、ここは平和的に」

なのは
「えぇっと……、それでコーナーはどうするの?」

はやて
「それがぶっちゃけ……主人公四人集める以外、考えてなかったんや。どうしよう……」

なのは
「はやてちゃん……」

リィン
「それでは! リィンがコーナーをやりたいと思いますっ!」

はやて
「おぉ、リィンっ! あるんか!?」

リィン
「任せてください! コーナーは『教えて、アトロシャス先生!』です!」

フェイト(笑)
「教えて」

カーマイン
「アトロシャス」

なのは
「先生?」

 三人は同じタイミングでアルフを見た。

アルフ
「はい、無茶ぶりきましたー」

フェイト(笑)
「あ、台本無いんだ……!」

カーマイン
「これは……っ! 打ち合わせなしでそんな流れ!?」

はやて
「なるほど、そうか! 話が分からんのやったら、話を振ったらええんやな!? リィン!!」

リィン
「これがティピちゃん流のやり方ですっ!」

はやて
「リィンがおっきく見えて来た……! はわわ」

なのは
「はやてちゃん。それはどうかと……」

カーマイン
「て言うか! なんて奴から教わってるんだ、リィンっ!」

フェイト(笑)
「ティピちゃん無茶ぶり多いからねー」

アルフ
「じゃ、コーナー始めましょうか」

 アルフは、さっそうと白衣をまとった。

カーマイン
「やんのっ!?」

フェイト(笑)
「相変わらず用意いいなー。その白衣」

なのは
「ホントに打ち合わせしてないの!?」

アルフ
「いや、そこのハンガーに掛ってたんですよ。白衣」

主人公s
「「「えぇぇええっ!!?」」」

はやて
「やるな! そこに気付くとは、さすがシャスや!」

リィン
「満を持しての登場、見事です!」

アルフ
「……なんか、前から出たがってたみたいな扱い、やめてもらえます?」

カーマイン
「微妙にキャラ壊れてないか? あの二人」

フェイト(笑)
「It's a オラクルマジック!! これがオラクルの力さ☆」

なのは
「ドラマCDだと、はやてちゃん達はこんな感じだよ」

カーマイン
「……ドラマCDか……!」

 カーマインは固く拳を握りしめ、ぷるぷると震えていた。

フェイト(笑)
「あ~……確かに。カーマインはきつかったよねぇ……ドラマCD……。ていうか、グローランサーは大丈夫なのか? あれ」

アルフ
「ごっついオッサンが、アンタのお母さんですからね」

カーマイン
「ちょ、まっ……マジで勘弁! ていうか、グローランサー知らない人分からないだろ、そこ……」

はやて
「心温まるメロドラマやったと思うけどなー」

カーマイン
「そんなことより『教えてアトロシャス先生』だろ!? コーナー行こうよ、コーナー!」

はやて
「本編でも見られんほどに動揺しとるな、カーマイン君……!」

アルフ
「いや、蹴りの強い妖精さんが近くに居たら、ちょくちょく見られると思いますよ。この光景」

フェイト(笑)
「ティピちゃんキック、ガチで痛いからね。だってレナスちゃん止めるんだよ? もう無理じゃん? いや、ムリだろっ!? 僕は尊敬するよ、あんな蹴り、いつもまともに喰らってるなんて……!」←シリーズ最初に洗礼を受けた人。

カーマイン
「フェイト……! 前から分かってたけど、お前本当にいい奴だな……!」

フェイト(笑)
「よせよ、カーマイン。同じRPGの主人公じゃないかっ!」

アルフ
「じゃ、そろそろコーナーに移りたいと思います。ここでまず、皆さんに一言」

 アルフはそう言って、居並ぶ主人公三人組を見た。三人は何故か正座している。

アルフ
「アンケート結果に“恋愛要素”について三票も来ていますが、どういうことですか。皆さん?」

------
《(たぶん)2010年ごろ実施されたアンケート結果》
興味のあるキャラの組み合わせ
・フェイト(笑)とスバル 2票
・フェイト(笑)とカーマイン
・フェイト(笑)vsカーマイン
・フェイト(笑)とスカリエッティ 2票
・フェイト(笑)とゲヴェル
・フェイト(笑)とティピ
・フェイト(笑)とアルフ
・カーマインとティピ
・カーマイン×なのは 2票
・カーマイン×シグナム
・シグナム×デュラン
・管理局と連邦

恋愛カップリング
・フェイト(笑)×スバル 2票
・フェイト(笑)×ウーノ
・カーマイン×シグナム 2票
・カーマイン×フェイト(テ) 2票
・カーマイン×なのは
・なのは×カーマイン×フェイト(テ)
・フェイト(笑)とカーマインを取り巻く恋愛模様
・シグナム×アステア 2票
・シグナム×デュラン 2票
・アルフ×ティアナ
------

はやて
「ついに……ついにミニコーナーで取り上げるんやな! アンケート結果を!! うんうん、恋愛要素! 私も気になるなぁ~♪」

 主人公三人組は要を得ない表情で互いを見合わせた。

カーマイン
「と、言われても目覚めて間もないし……」

なのは
「とりあえず、JS事件を解決するまではなんとも」

フェイト(笑)
「僕なんて……僕なんて出番がないじゃないかっ! 黒くて狭い箱の中に閉じ込められただけだろっ!? そんな状況で、何と恋愛しろってんだぁああああ!」

アルフ
「君たちの状況はどうでもいいんです」

フェイト(笑)
「さくっと蹴散らしたよ、コイツ!?」

カーマイン
「自分も主人公ってこと忘れてないか? アイツ」

はやて
「なに? え、なんでこんなに皆、恋愛要素についてやる気ないん?」

アルフ
「まず市場調査によると、各々既に相手役はいますね?」

フェイト(笑)
「フッ! まあね☆」

カーマイン
「な、なにを根拠に……!」

なのは
「相手役……?」

アルフ
「はい。これが各々の自覚症状の差です」

フェイト(笑)&カーマイン
「「なのはさん……、ちょっ……!」」

なのは
「ん? どうしたの、フェイト君。カーマイン君」

フェイト(笑)
「いや、そんな素で聞かれると……」

カーマイン
「き、聞けない……っ! ユーノさんは、って聞けない……!!」

 二人はガタガタと震えながら固まった。
 アルフがどこからか取り出した教鞭をぺんぺんと叩く。

アルフ
「まあ、教官の場合は自覚症状が薄いだけですから。言うほど問題ありません」

カーマイン
「ほ、ホントに……!?」

アルフ
「ホントに」

フェイト(笑)
「よしっ! その言葉、信じよう! 信じないと寒過ぎるっ!!」

カーマイン
「これは……!!」

アルフ
「と言う訳で、特別にユーノ・スクライアさんをゲストにお招きしました」

フェイト(笑)&カーマイン
「「ちょっ、待っ……!!?」」

アルフ
「なーんちゃって」

カーマイン
「コイツ……!!」

フェイト(笑)
「マジで焦ったよ!! この空気でユーノさん呼ぶのはマジやばいって!!」

はやて
「なんか……微妙に私達の影、薄なってへん? リィン」

リィン
「と言うかはやてちゃん……」

はやて
「ん?」

リィン
「単純に、シャスさんがあの二人をからかって遊んでいるだけに見えるのは、私だけでしょうか?」

はやて
「カーマイン君もフェイト君も真面目やからな……!」

カーマイン
「真面目と言うかなんというか……!」

フェイト(笑)
「いや、洒落になることとならないことってありますよね!?」

なのは
「どうしてユーノ君を呼ぶとシャレにならないことになるの? 二人とも」

フェイト(笑)
「アトロシャス先生、教えて下さいっ!」

カーマイン
「コーナー! コーナー行こうよ、先生っ!!」

アルフ
「それでは、コーナー。アトロシャス先生の『気になる異性をゲッチュー』です」

カーマイン
「ネーミングセンス微妙だな……」

フェイト(笑)
「絶対いま適当に考えた奴だよな……」

なのは
「気になる異性をげっちゅー……? つまり?」

アルフ
「恋愛中学生の主人公陣に、あまりにも酷い君たちに、私がそれなりに指南を致しましょうというコーナーです」

フェイト(笑)
「なんだよ、その言い草! 酷いぞー!!」

なのは
「私、普通だと思うけどな……」

アルフ
「どの口がほざいてんですか、どの口が」

カーマイン
「……………………」

アルフ
「まず、自覚のある野郎どもから。――一人は積極性が哀しい方向に向いていますね。まずはこれを修正すべき」

フェイト(笑)
「一体誰の事なんだ……!?」

アルフ
「テメーだよ」

フェイト(笑)
「な、なにぃいいいいっっ!?」

アルフ
「資料によりますと、主にソフィアさんにフラレた要因は、大ぶりな演技。でか過ぎるリアクション。シリアスが三秒以上続かない。以上三点ですね?」

フェイト(笑)
「バカなっ!? そうだったのか……!! だが、そんなこと言われたら僕は……! 僕はもう何もできねぇ……!! 僕からギャグを取り上げたら、何ができるって言うんだっ!?」

カーマイン
「おいおい、それはいくらなんでも自分を卑下し過ぎだろ」

アルフ
「そう。フェイトさんからギャグを取ったら、後はスッカスカです」

カーマイン
「おい!? お前、容赦なくないか!!?」

アルフ
「故に、フェイトさん本人の幸せはともかくとして、このままで居てもらいましょう」

フェイト(笑)
「シャァアアアアアスッッ!!」

カーマイン
「それ、暴露するだけしといて何もしないってどういうことだよっ!!?」

アルフ
「はい、次。カーマインさん」

カーマイン
「げっ!?」

フェイト(笑)
「ちょっ、おまっ!? ホントに僕のターン終わりかよっ!!? 言うだけ言っといてマジかよっ!!?」

アルフ
「マジなお前に魅力はありません」

フェイト
「僕の“真・フェイト”にそんな魅力がないだと……!?」

なのは
「シャス!」

アルフ
「まあ、冗談はともかくとして」

フェイト(笑)
「あ、冗談なんだ……」

アルフ
「…………これね。カーマインの場合は……まあ、俺の専門外ってことで」

カーマイン
「どういう意味だ、コラっ!!」

アルフ
「身長百四十センチ以上を所望します。旦那」

カーマイン
「その言い方だと、俺がロリコンのように聞こえるからよせ……!!」

フェイト(笑)
「それに該当するヒロインって……ハッ!? え!? じゃあ、何っ? あの答えって実は……!!」

アルフ
「まあ、男女の機微。この先どうなるかは分かりませんが」

カーマイン
「……アルフ。それ以上は喋るな」

アルフ
「じゃ、次。教官」

なのは
「ん? うん! 私の番だね!」

アルフ
「……今度、先方に仕込んどくんで」

なのは
「あれ? なんだか私の場合、すごくあっさりしてない?」

アルフ
「…………」

フェイト(笑)
「公式でクロノさんとフェイトさんの(兄妹)関係と同じだって言っちゃってるんだよね……。あれ、何で言っちゃったんだろうね? な、シャス」

アルフ
「百合展開希望の人の為です」

カーマイン
「また敵を作りそうなことを……!」

はやて
「そしたら。実際にアンケート取ったカップリングで、どんな風にしたら二人はくっつくと思う、シャス? 二人ともヴォルケンリッター(ヴィータとシグナム)が入ってるから興味深々なんよ♪」

アルフ
「……副隊長と、ですか」

リィン
「ついに恋しちゃうんですか! ドキドキですっ!」

アルフ
「とりあえず、友達になってもらわないとどうにも」

フェイト(笑)
「僕とヴィータちゃんは魂の会話を交わしているっ! いわゆるソウルメイトだ! だろ? シャス」

アルフ
「まあな。面倒見のいいひとだと思うよ、ほんと。外見(なり)はガキだけど」

はやて
「だから、ヴィータを子ども扱いしたらあか~~~んっ!」

アルフ
「――で、シグナム副隊長とカーマインですが」

カーマイン
「……友達になろうにも、真っ先に真剣勝負を挑まれそうなんだが」

アルフ
「間違いありませんね。そして」

はやて
「剣を交え会い、互いの実力を認め合って――やがて二人は恋人に……!」

リィン
「おお……! 感動的なお話です!」

カーマイン
「お約束って感じがするが。っていうか、絶対血まみれの試合になるよな……」

なのは
「模擬戦でも、真剣勝負で挑んでくるからね……。シグナムさん」

フェイト
「……僕、ヴィータちゃんで良かった……!」

カーマイン
「……友達って、そんなに血まみれにならなきゃならないものか?」

アルフ
「騎士同士のコミュニケーションには必要なんです。――たぶん」

カーマイン
「たぶんって何だよ、ソレ!」

アルフ
「まあ、こんなところかな。今回のアトロシャス先生のコーナー」

はやて
「なかなか興味深い結果やな。それにしても、コンビにヴィータとシグナムが選ばれてたんは、私としても鼻が高いな♪」

リィン
「はいッ! 私にも一票入れてくれた方もいるみたいですし、感謝感激です!!」

なのは
「まとまりが無いように見えて、きちんとまとまる――それが私たちの持ち味だよね?」

フェイト
「まあね!」

アルフ
「……そうだっけ?」

カーマイン
「――とにかく、次回はきちんとしたコーナーにすることを主張する。後、俺はロリコンじゃないからな!」

はやて
「というわけで――、今回のリィンとはやてが行く♪ はお終い!」

リィン
「次回もよろしくですぅ♪」

フェイト
「次回の本編は――僕が、主人公だぁああああ!」

カーマイン
「俺は、ロリコンじゃなぁあああああい!」

アルフ
「それじゃ」

なのは
「……まとまり、あるよね? 私たち……」


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19.僕はつい今っ、管理局襲った奴を見たぞぉおおお!

 目を覚ますとスバルは、寝台に括りつけられていた。

 藍色のショートカットは固いベッドの上で広がり、細い手足が光のベルトできっちりと固定され、大の字で寝かされている。首を巡らせ翡翠色の瞳を動かすと、彼女は白い検査着を着ていた。

 彼女の白い足先に、男が近づいて来る。紫色の髪を腰まで伸ばした、琥珀色の目の若い男。

 

 ジェイル・スカリエッティ。

 

 緩く波打つ長髪が、一歩進むごとに揺れた。彼は白い手袋をはめており、その手中に、紅く細長い八角形の結晶体が握られていた。

 スバル達がさんざん回収に尽力していたロストロギア――謎の結晶体レリックである。

 

「!」

 

 スバルが身を起こそうと力を込めると、ぎしっと光のベルトが彼女を制した。拘束魔法『バインド』。スバルが考えを巡らせるのと同時に、光のベルトがスバルの手首をきつく掴んで離さない。

 スカリエッティは整った唇を三日月状に歪めると、言った。

 

「案ずることはないよ。君は今より、もっと優れた素体になるのだから。――タイプゼロ」

 

「!」

 

 スバルの翡翠色の瞳が大きく見開かれる。驚きと、恐怖。

 スカリエッティは左目を細め、右目をこれでもかと見開いた。低く喉を鳴らしながら、紅い結晶体レリックをスバルに近づけて行く。

 嫌な、予感がした――。

 レリックが放つ違和感、スカリエッティ自身の愉悦に震える声音。

 スバルはぐっと息を飲み、紅い結晶体レリックを睨んだ。

 

「や、やめ――っ!」

 

「エリアルレイドッ!!」

 

 スバルが声を引き絞るのと同時に、金色の光がスバルの視界を覆った。それは轟音を伴って、研究所の床を深くえぐる。眩さにスバルはパチパチと瞬いた。何が起こったのか分からない。

 目を細めて前を凝視していると、黒い影が見えて来る。細長い影――人だ。もうもうと立ちこめる煙の中で、ビシッと親指を立てて振り返った青年は――相変わらず、現状をまったく説明せずにこう言った。

 

「大丈夫かスバルっ!? 僕が来たからにはもう安全だっ!!」

 

「ふぇ、フェイトさんっ!?」

 

 爽やかな笑顔と共に、フェイトがこくりと頷く。

 と。

 後ろから接近して来た巨大球体ガジェット――Ⅲ型がベルトコンベアのような腕で、フェイトの背中を無造作に叩いた。

 

 べしっ!

 

「痛ぇっ!?」

 

 受け身も取らずに前のめりに倒れたフェイトは、抗議の眼差しをⅢ型――巨大ガジェットに送る。が、意志のないガジェットは当然のことながら返事をせず、ベルトコンベアのような腕をくるくると回すだけだ。

 

「くっそぉ~! こいつめぇ!」

 

 フェイトは唸りながらファイティングポーズを取る。ガジェットは体の正面に付いた金色のレンズをキラリと光らせた。

 睨み合い――なのか。

 フェイトとガジェットのやりとりを見ていると、何故か微笑ましく思えて来るのは、きっとスバルの気のせいである。

 

「……相変わらず、頑丈だね」

 

「僕だからねっ☆」

 

 見知らぬ声を聞いて、スバルは身を起こした。光のベルトは先程のエリアルレイドで見事に断ち切られており、スバルは胸中で「いつの間に……」とつぶやく。

 だがフェイトに視線をやっても彼はこちらを見ておらず、新たに部屋に入って来た少女を振り返って、ビシリと親指を立てていた。

 

 ナンバーⅩ、ディエチ。

 

 腰まで流れる栗色の髪を肩の辺りで一つにまとめた少女は、感情の起伏を感じさせない栗色の瞳をフェイトに向けている。年齢はスバルと同じ十五、六といったところか。しなやかな肢体が丸わかりな青いライダースーツを着ており、着馴れているからか、ディエチが恥じ入る様子もない。

 スバルはハッとしてレリックを握ってベッド脇まで迫っていたスカリエッティを振り返った。

 先程の上空から降るフェイトの蹴り――エリアルレイドが直撃したからか、頭を押さえて首を振っている。

 スバルはさっそうとベッドから降り、フェイトの元に駆け寄った。「ん?」と首を傾げて振り返ったフェイトが、そっとスバルを後ろに下がらせる。そして彼は、ゆっくりと立ちあがったジェイル・スカリエッティに向けて、高らかに声を張り上げた。

 

「そして、お前が黒幕かぁっ!」

 

 と。

 スカリエッティは自身の長い髪を背中に払って、口端をつり上げた。

 

「これはこれは。ディエチに言って、せっかく君用の特殊合金を張り巡らせた部屋にお連れしたというのに、もう脱出して来たのかい?」

 

「僕だからねっ☆」

 

 爽やかな笑顔でそう返し、フェイトは人差指を立てて額にそえる。その隣に居るディエチが、ぺこりと頭を下げた。

 

「すみません、ドクター」

 

「……これで三十八回目の脱走か。流石と言うべきか。奔放なところも大概にしてもらいたいものだね」

 

「はい」

 

 言い合う二人などなんのその。フェイトはいきなりうんうん唸りだした。

 

「確か……ジェイ……ジェィ…………ともかくドクターな人っ!!」

 

「ジェイル・スカリエッティと言うよ、フェイト・ラインゴッド君。以後お見知り置きを」

 

「わかった、ジェイだなっ! 任せろっ!」

 

「それ、名前聞く前と変わってないじゃないですかっ!!」

 

 思わずスバルが突っ込むと、フェイトは「あ、そっか」とつぶやいて手を叩いた。だが呼び名を訂正するつもりはないらしく、彼はキリリと顔を引き締めると、

 

 ぐきゅる~っ

 

 目覚めたばかりで空腹を主張する自分の腹をさすって、言い放った。

 

「とりあえずお腹が空いたから、ご飯を要求するよ! ジェイ!! なっ、スバル?」

 

「いや! いくらなんでも、自由過ぎですよフェイトさんっ!!」

 

 爽やかに笑うフェイトに、スバルはわたわたと両手を振る。どう考えても普通では無い。スバルは白い検査着に着替えさせられているし、何だか妙に頭が重い。体がギスギスして、本調子ではないようだ。

 彼女は背の高いフェイトの肩を掴むと、右手をメガホン状にして耳打ちした。

 

(そ、それにフェイトさんっ! ここってもしかしなくともスカリエッティのアジトですよねっ!? そんな簡単に相手を信用しちゃっていいんですかっ!?)

 

(いや、でもさ? スバルもお腹、減ったろ?)

 

(それは……)

 

 ぐきゅる~っ

 

 スバルよりも先に、スバルのお腹が返事をする。彼女は頬が熱くなるのを感じて俯いた。

 

「……はい」

 

「と言うわけで、二人前よろしくっ!」

 

 フェイトは爽やかに笑い、スカリエッティに向けて親指を立てた。

 

「ふむ……。それでは仕方がない。ここは一旦レリックを諦めるとしよう。――ディエチ。セインに言って何か食べさせてやりなさい」

 

「了解、ドクター」

 

 意外とすんなり通ったフェイトの要望に、スバルはパチパチと瞬く。先程、レリックを自分に押し込めようとした時のスカリエッティは、まさしく“マッドサイエンティスト”の名に相応しい危ない表情をしていたが、フェイトが来てからは心なしか、険が抜けているようにも感じられた。

 

(でも……、これは多分、気のせい……だよね?)

 

 ここには居ない相方のティアナ・ランスターを思い出しながら、スバルは首を傾げる。

 と、フェイトがビシリと親指を立てて言った。

 

「僕ぁスバルより早く目覚めたんだよっ! ――遅いぞ、スバル」

 

 最後は誰かの声真似のような口調で言うフェイトに、スバルは二、三瞬いて――俯いた。

 

「……すみません。こんな場所で気を失うなんて私……」

 

「って突っ込めよ、そこはぁああっ!! 僕はいつでも待ってるんだぞぉおっ!!」

 

 ぷんぷんと湯気を立てて怒るフェイトは、何故かスバルの気にしている方向とはまったく違う方を向いているようだった。

 思わず乾いた笑みを返し、スバルは自分自身を見下す。そう言えば、いつもしめている白いはちまきと、相棒のマッハキャリバーも、スバルは身につけていなかった。

 

 

 

 ………………

 

 

 

 奇妙な場所だった。

 最初は黄金石が建物を造っていると思ったが、スカリエッティの研究所はすべて――一般的な白亜で出来ていた。そこは欧州の美術館や図書館を思わせる豪奢な建物で、アーチ状の通路、窓、入口が無駄に多く配置されている。床は一面ガラス張りで、それを壁や天井と同じ材質の白亜石が、植物の蔓のように伸びて支えている。ガラス下の地面は見えず、底を見ようとすると下から部屋を照らしだすような、不思議な光がスバルの視界を遮断した。

 この光が石に反射して、部屋全体が黄金に見えたのだ。ガラス張りの床は、まだ下にも階層があるように思わせたが、詳しい事は分からない。

 ともかく二階以上の建物の床を透明なガラスにして、下階から屋根裏までが見渡せるような構造だった。

 暗がりが多く、複雑な構造をしているスカリエッティの研究所は、ナンバーⅩディエチの案内がなければ、絶対に迷ってしまうだろう。

 栗色の長い髪を揺らしながらディエチは悠々と前を歩く。長身の少女は、食堂に辿りつくと、フェイト達を振り返った。

 

「ここでちょっと待ってて」

 

 部屋の中を指して、ディエチは言う。

 スバルとフェイトは、中を覗いてみた。白い壁と天井が広がる――開放的な食堂だ。入口から遠い位置になるが、大きな窓を部屋一面に配してあり、そこから陽が射して、青々とした森が見渡せる。

 ただ――当然のことながら目印になりそうな建物や建造物は見当たらず、スバルはここから脱出しようにも見通しが立ちづらい状況なのだと理解した。

 

「よし、スバルっ! 席に座ろうぜ!」

 

 が。

 スバルの懊悩をまったく察せず、フェイトがまるで学生気分でそう言って、部屋の中に入って行く。ずいずい歩くフェイトをスバルは止めようかと悩んだが、結局後を追った。

 ダークブラウンの細長いテーブルだ。対面四人掛けのものが四つ並んでおり、それが奥の厨房に一番近い席となっている。

 座席は他にも、陽の射す窓際に十六席、壁沿いにカウンター席が二十席、観葉植物で仕切った個室スペースが二十席ある。それらは隅々まで掃除が行き届いていて、違法研究員の巣窟にもかかわらず、洒落たレストランのように清潔感があってくつろげた。

 フェイトは厨房近いダークブラウンのテーブル席に決めたようだ。スバルも後を追ってフェイトと対面で座る。

 時間にして、十分程度経っただろうか。

 部屋の奥から――つまり厨房から、栗色の髪を肩でしばった少女ディエチが顔を出し、フェイト達の前に料理を次々と運んできた。

 

「お待たせ」

 

「おぉっ! ありがとう!」

 

 ディエチに礼を言うのもそこそこに、フェイトはさっそく料理に手を付ける。テーブルに所狭しと並べられた食事の量は、とても二人前ではなく二十人前のように思えたが、スバルの基準で言えば“ちょうどいい”飯の量だ。

 ――ただし、これがスカリエッティの研究所で出されたものでなければ。

 

(一体……、この中に何が入ってるんだろう……?)

 

 目覚めて早々、レリックを手にしていたスカリエッティを思い出し、スバルは身震いした。しかし、腹が減っているのも事実らしく、香りのいいパスタやチキン、チャーハン、サラダ、スープを目にすると否が応にも唾が口の中を満たす。

 それをごくりと嚥下して、スバルは首を横に振った。

 

(ダメダメっ! 何が入ってるか、分からないぞ! スバルっ!!)

 

 自分自身をそう諌め、じっと物欲しげに食事を見下す。

 と。

 隣のフェイトがまったく警戒した素振りも見せずにチキンにかぶりついた。

 

「――んまいっ!」

 

 幸せそうにそう言いながら、次々と食事に手を付けて行く。スバルは目を見開いた。

 

「ふぇ、フェイトさん!?」

 

「大丈夫だってスバル~♪」

 

 鼻歌混じりに答えるフェイトに、スバルはおろおろと視線をさ迷わせながらも、本当かな? と首を傾げて、手前に置かれているチャーハンにスプーンを指した。ほこほこと湯気を立てるチャーハンは、ちゃんと卵が米粒一粒一粒に絡んでいて黄金色になっている。なかなかの腕前だ。

 

(ちょ、ちょっとくらいなら……)

 

 スバルはつぶやいて、ごくりと唾を飲み込んだ後、恐る恐る――チャーハンに口を付けた。

 

「……美味しい!」

 

 それからは、スバルの本能に任せた行動になっていた。

 フェイトが満腹になってもスバルが軽々とテーブルにならんだ料理を食して行く。そこでカカッと目を見開いたフェイトは、フードファイターにでもなったような気分で、対抗心を燃やして最後までスバルに付き合った。

 丸々と膨らんだように思える自分の腹をポンと叩いて、フェイトは空になった皿をテーブルに置き、笑みを浮かべた。

 

「結構いい奴だな、ジェイ」

 

「いや、さすがにそれはないと思いますよ、フェイトさん……。そりゃまあ、出してくれた料理は美味しかったですけど……」

 

 スバルの方は、食事して少し顔色が良くなったようだ。それに、うんうんとフェイトは人知れず頷く。

 だが、不安だけは拭いきれず、スバルは見知らぬ場所に連れ込まれて、緊張しているのもあった。

 フェイトはいつも通り笑って、スバルの前に山と積まれた空皿を見やった。

 

「それにしてもスバル、……本当によく食べるよなぁ……!」

 

 そう言われるとスバルは、わずかに頬を染めて後頭部をぽりぽりと掻いた。

 

「えへへっ! なんだかお腹が空いちゃって」

 

 それは事実だ。頭の重みや、体のだるさなど、すべては体を動かすのに必要なエネルギー源が足りなかったためだと理解する。

 と。

 黙々と皿を下げるディエチと入れ替わりになるように、水色の髪を肩まで伸ばした少女が現れた。

 

「そこまでの食べっぷりだと、作った方も気持ちが良いもんだよ」

 

 少女はニッと口端をつり上げて笑う。人好きのする、親しみやすい表情だ。

 フェイトは眉を引き締めて、首を傾げた。

 

「むむっ!? 君は?」

 

「私はナンバー6のセイン。二人とも食事が済んだなら、トレーニングルームに顔を出してもらうよ」

 

 言い終えるなり、セインと名乗った少女は水色の髪を翻す。ディエチと同じくボディラインがはっきりと出る青いライダースーツだ。ディエチよりも華奢な体格で、凹凸が少ない。主に胸の部分が。

 フェイトはそんなセインの背に、呼びかけた。

 

「何かあるのかい?」

 

「ヴェンツェル様が、アンタ達がどれだけ強いのか、試したいんだってさ。それにドクターも、“らいんごっど博士?”とか言う人の研究成果を見たいって言ってるんだよ」

 

 振り返ったセインが、腰に手を当てながら答える。フェイトの隣で、スバルが首を傾げた。

 

「ヴぇんつぇる?」

 

 聞き慣れない名だ。そんな彼女の疑問を余所に、フェイトは爽やかな笑みをセインに返した。

 

「つまり、この僕の活躍が見たいってことだねっ☆」

 

「まあ、平たく言えばそんな感じかな?」

 

 完全にこちらに向き直って、セインは小首を傾げながら、人差指を顎にそえる。そんなセインとフェイトを交互に見比べ、スバルは慌ててフェイトの袖を引いた。

 

(ん? どうした、スバル?)

 

 首を傾げるフェイトに顔を寄せさせて、スバルは耳打ちする。

 

(フェ、フェイトさんっ! これってもしかして、結構まずい状況なんじゃ……!)

 

(案ずるなっ! ぼくにはこの鉄パイプが……って、あれ?」

 

 フェイトは腰回りをぺんぺんと叩き、ようやく異常に気付いた。――自分が、丸腰だったということに。

 

「僕の鉄パイプぅうううううう!!!???」

 

「鉄パイプ?」

 

 セインが心底不思議そうに首を傾げる。フェイトは首が千切れんばかりにアクロバティックに頷き、セインに駆け寄った。その両肩を鷲掴む。

 

「僕の魂なんだよっ! 鉄パイプどこっ!? 鉄パイプはどこっ!? 鉄パイプはどこだぁああああっっ!!?」

 

「わ、わわ……! な、なんだか知らないけど。とりあえずディエチに聞いてみなよ。アンタの面倒は、ずっとディエチが見てたから……」

 

「ディエチって誰ーー!?」

 

 声を限りに叫ぶフェイトに、空皿を片づけていたディエチが、スッと顔を上げた。

 

「私だよ」

 

「君かっ!?」

 

 カカッと目を見開いてディエチを振り返るフェイト。その必死な形相に、ディエチは少し気圧されて、パチパチと瞬いた。

 

「で。鉄パイプはっ!?」

 

「ちょっと待ってて」

 

 そう言って、最後の皿を下げ終えたディエチは、食堂を後にする。五分ほどして、戻ってきた彼女は、見慣れたフェイトの鉄パイプを手にしていた。

 

「はい」

 

「うぉおおおおっっ!!!? これぞ我が相棒っ!! よくぞ無事でっ!! ありがとうディエチちゃんっ! ここまで連れて来てくれて本当にありがとうっ!!」

 

 嬉しそうに鉄パイプを握りしめ、一しきり喜びの舞を披露した後、フェイトはディエチに走り寄って、その手をぎゅっと握る。するとディエチは目を丸めて、

 

「……うん」

 

 と小さく頷いた。照れているのか、ディエチは視線をずらす。だが、そんな少女の機微を微塵も感じ取れないフェイトは、ヒャッハー! と大声を上げて鉄パイプを振り回していた。

 

「それと、これも」

 

「え?」

 

 ディエチが手渡して来たのは、スバルの許を離れていた相棒――デバイスのマッハキャリバーだった。驚きながらも、自身の相棒を受け取っているスバルを置いて、水色の髪を肩まで伸ばした少女、セインが呆れ顔で言う。

 

「それじゃ、フェイト。ドクターも呼んでることだし、トレーニングルームに向かうよ」

 

「おうっ! ――行くぞ! スバルっ!!」

 

「い、いいのかなぁ……? こんな簡単で」

 

 乾いた笑みを洩らしながらも、スバルはフェイトについて行った。

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 セインに案内されたその場所は、世界遺産にも指定されている闘技場(コロシアム)のようだった。

 褐色の土が延々と広がり、客席はないもののドーム状になった天井が空に繋がっている。完全な円形になったその広場の中央には、漆黒の上下服に黒のマントを羽織った、金と銀の瞳(オッドアイ)を持つ青年が立っていた。

 アステアの説明で言えば――その青年の名は、アウグ。

 陸士107部隊を壊滅させた張本人であった。

 

「フェイトさん、これ絶対まずいですよっ!? なんだか、すごく強そうな相手じゃないですかっ!?」

 

 陸士107部隊が壊滅させられた映像を見ていないスバルは、それでもアウグが潜在的に持っている不気味さを感じ取って眉間にしわを寄せた。フェイトの袖を引き、忠告して見る。

 すると、フェイトはスバルを振り返らずに答えた。

 

「大丈夫だ、安心しろスバル」

 

「え……?」

 

「人生、なるようになるっ!!」

 

「うそだぁ~~!」

 

 スバルの制止もなんのその、フェイトは腰から鉄パイプを抜き放った。

 

 シャキーンッ!

 

 陽光を浴びて、鉄パイプが輝く。

 

「僕はね、スバル。あの顔に、あの超美形顔にだけは負けるわけにはいかない……っ! 主人公として!!」

 

「あれ……あれ?」

 

 拳を握りしめて熱く語るフェイトに、何やら違和感を覚えてスバルは首を捻る。

 が。

 彼女の違和感が晴れる前に、フェイトは鉄パイプを、黒ずくめの青年アウグに向けていた。

 

「というわけで、お前っ! 主人公を賭けて、僕と勝負だぁああっ!! お前の美形顔か、僕の鉄パイプか、勝負だぁああああ!!」

 

「趣旨変わってますよぉおーー!!」

 

 スバルの声は、やはり聞き届けられない。

 

 

 

「どういう意味かね? ヴェンツェル」

 

 スカリエッティは静かに、自分の目の前に居る金と銀の瞳(オッドアイ)の青年を見据えた。スカリエッティはいつもの、ガジェットと人造生命体を創り出す作業室に控えている。

 ここはモニター機能も完備されていて、フェイト達がいる闘技場の様子も隅々まで把握できる場所だ。

 三階まで吹き抜けになった作業室は広く、二階部分の壁際に並んだアーチ状の凹みには、生体ポッドが規則正しく並んでいる。ここも白亜を素材として造った部屋で、ガラス張りの床から差し込む光が、全体を黄金色に照らし出していた。

 スカリエッティは、空中に浮かんだ四角い幾何学的な紋様の上に映る青年――アウグを見る。

 

 ――そのまま、言葉の通りだよ。奴の力、私も興味があるのだ――

 

 アウグはいつも通り表情も、唇すらも動かさず、言葉を発した。その声に、スカリエッティは興味を示す。

 アウグはまるで『生物』という概念をかけ離れた、『物体』に過ぎない。だが、この声を発する人物は酷く歪んでいて、心地よい悪意に満ち溢れていた。

 スカリエッティは、このアウグと言う青年と、空から降る声についてこう理解している。

 

 人形の名は、アウグ。

 人形遣いの名は、ヴェンツェル。

 

 スカリエッティが分かっているのは、これだけだ。それでも、相手が高い戦闘力を有した存在であることに変わりはない。

 

(いつもは、こちらから頼まなければ動かないアウグ――。彼が自分から動くのは、騎士ゼスト以来のことだ)

 

 だからこそ――興味深い。この青年の正体は、今も尚――スカリエッティは知らない。その正体不明の――圧倒的なまでの力。

 

(ラインゴット博士の研究――ディストラクション。その力の全貌を図ると同時に、彼等――時空をゆがませるゲヴェルについても分かる)

 

 この千載一遇のチャンスを、スカリエッティはどうしても逃す気はなかった。

 

「よろしいのですか、ドクター」

 

 顔を向けると、ウーノが心配そうな瞳で自分を覗きこんで来る。

 

「――何がだい? ウーノ」

 

 問い返すと、彼女はその冷たい美貌を曇らせて口を開いた。

 

「魔導師ヴェンツェルのことです。正直、あの方をあまり信用されるのは――」

 

「分かっているよ、ウーノ。――だが、それ故に見ておく必要があると言うものだ。我々の計画実行の為にもね」

 

 喉を鳴らしたスカリエッティは、愉悦に顔を歪めた。

 もちろん、ウーノの心配ごとは分かっている。ヴェンツェルの危険性も。

 だが、その上で知りたい。自分の理解を越えた力と力のぶつかり合いを――!

 己が計画を推し進めるために。

 

 そんなスカリエッティの歪んだ笑みを見ると、ウーノは静かに口の端を歪め、告げた。

 

「――全ては、ドクターの御心のままに」

 

 丁寧にそう告げ、一礼するウーノに笑いかけると、スカリエッティは件の二人。青い髪の青年と、金と銀の瞳(オッドアイ)の異形が居る闘技場を――モニター越しに見据えた。

 

 

 ――フン、自分の置かれている状況をお前は理解していないのか?――

 

 主人公は僕だ! そう公言して憚らないフェイトに、無表情の青年から声が聞こえた。それは青年の唇が動き、直接発せられたものではなく、空から降って来る――直接スバルの脳内に語りかけて来るような声。

 スバルは目を瞠る。

 

「今のって……」

 

「慌てるな、スバル!! ちょっと腹話術が得意なだけだ!!」

 

「――ぜっっっったいに、違いますよ!」

 

 フェイトの自信満々の答えに――とりあえず思い切り突っ込んでみる。するとフェイトは「……え?」と物凄い意外そうな顔で振り返って来た。

 スバルは頭が痛くなる思いで、額に手を添えながら首を横に振る。

 

「……むしろ、どうして自信満々で答えられるのか不思議ですよ。フェイトさぁん」

 

 頼れるのか頼れないのか、今一分からない青年――それがフェイト・ラインゴッドなのである。

 情けない声を上げるスバルに、フェイトは瞳をカカッと見開いた。

 

「じゃあ、何だよ! 今の声――。口も全く動かさずにどうやってしゃべってんだよ!!」

 

「それが分かれば、混乱しませんよ!! でも、今のは――念話じゃない!!」

 

「……フム」

 

 取りみだしたスバルの言葉に――フェイトは一瞬、思案気な顔で異形の青年を見据えた。

 

(この声。FD人が使った代弁者に――感じが似てる、かな)

 

 同時に思い起こす。彼と同じ顔をしたアステアという人物が話していた言葉――。この青年が陸士107部隊を壊滅に追いやった張本人ならば。

 

「……傀儡、か」

 

「……え?」

 

 呟くように言ったフェイトの言葉に、スバルは瞳を丸くして彼を見返す。フェイトの表情を確認する前に、声がまたしても発言した。

 

 ――ほう? 知っていたのか。それが勘によるものなのか。誰かからの入れ知恵なのかが、気になる所だな――

 

 アウグは全く表情を仮面の様に変えない。だが、声はフェイトの言葉に感心するかのように語った。

 

 ――コレの名は“アウグ”。我が端末にして、傀儡――

 

 その時になって初めて、アウグは口の端を三日月の様につり上げた。生物を想わせない笑みに、スバルの顔が冷たいモノで引きつる。

 そんな彼女を庇うようにフェイトは異形の正面に立ち、淡々と問いかけた。

 

「――それで、そのアウグさんが僕に何の用かな? 単刀直入で教えて欲しいんだけど」

 

 フェイトの言葉に、口の端を歪めていたアウグは元の無表情に戻った。

 

 ――なに、簡単な事よ――

 

 その右手に、銀色の輝きを放つ腕から肘くらいまでの刃渡りの、鍔の無い小刀を具現させる。

 

(――デバイス? いや、違う……! 魔力で構成されてるけど、根本的に――何かが違う!!)

 

 思い浮かんだ考えをスバルは思い切り否定した。この――アウグという青年。

 余りにも、不気味すぎる。

 創り物めいた表情もさることながら――何より、意志のない目が。

 

 次の瞬間、アウグが静かに風を纏ってフェイトに斬りかかった。

 

「――フェイトさん!」

 

 火花が散る音。それは斬戟が防がれた証。

 見れば、フェイトは決して甘くないアウグの初撃を光り輝く“鉄パイプ”を片手に持って受け止めている。

 スバルはその反応速度に思わず目を見開いた。

 

「いやぁ……どこぞの軍人以外にも、いきなり斬りかかる奴っているんだな」

 

 フェイトはどこか感心したかのように、対面するアウグに話しかける。その余りにのんびりした口調に、スバルがずっこけた。

 

「――フェイトさぁん」

 

 見直すとこれである。

 半泣き状態のスバルに首を傾げながら振り返るフェイト。その時、アウグが動いた。

 

 ――いつまで女と遊んでいるつもりかね? 余裕も過ぎれば、油断となるものだよ――

 

 声の響きと同時、アウグは両足を思い切り曲げて屈みこみ、地面を這うかのような姿勢から、フェイトの両足を払う水面蹴りを放ってきた。

 

「――とぉっ!?」

 

 そのスピードの速さに目を丸くしながら、バックステップして後方に避ける。アウグはソレを確認すると片足一本がまだ地面に戻らない内からフェイトに向けてダッシュしてきた。

 

(ウソ!? あんな不安定な体勢で、初速からあのスピードで踏み込めるなんて!?)

 

 しかも、魔力を全く感じなかった。それは、つまり体術だけで――己の身体能力だけでやり遂げたと言うのだ。今の――ダッシュを。

 

「げぇ!?」

 

 フェイトも口を台形にして、吐き捨てる。一足飛びで後方に飛んだ自分の懐に入ってくる、常識外れにも程がある動き。不安定な体勢から繰り出される小刀の一閃は、手打ちの筈なのに鋭く、重い。

 

「――やっぱり、強い……!」

 

 その余りにも非人間的な動きに、スバルが確信を持った。――このままでは、フェイトが殺されてしまう。

 スッと無造作に繰り出される突きは、フェイトの心臓を容赦なく狙う。しかも、ダッシュの突進力も加わり、確実に致命傷を負うであろう一撃。

 

「ちょ――!?」

 

 咄嗟にサイドステップで小刀を脇に見切る。空を突いた小刀に気を取られていると、小刀を持っていない方の手が、サイドに避けたフェイトの顔面に向けて突きだされる。鉄パイプを右手一本で持ち、左手でアウグの掌を掴んで止める。

 

「お前……、ちょっとは遠慮とか手加減とか、しろよ!!」

 

 片手一本でフェイトはアウグを後方へ投げ飛ばした。豪快な風切り音が立つ。――が、アウグは宙で軽業師の如く体勢を整え、着地。

 

 ばさっ!

 

 黒いマントをなびかせ、アウグが一気に駆けて来る。

 

「――少しは、喋れよ! 僕は、無口な奴は嫌いだぁあ!! ――寂しいから」

 

 鉄パイプを両手で持ち、思い切り振りかぶりながらフェイトはジッと観察する。正直、遊んでいるようにしか見えないが、かなりヤバい。さっきの立ちあいで、コイツの動きが読みづらいことが良く分かった。

 

(マスターデーモン系に、動きが似てる。慣性の法則とか、初速から全速力とか、軽く薙いだだけなのに超強力な一閃とか――!!)

 

「――反則じゃないかぁあああああ!!!?」

 

 スカリエッティの研究所に、フェイトの叫びが響き渡った。

 

 

 かなりの時間、フェイトはアウグからの攻撃を凌いでみせている。スバルが手を出そうにも、未熟な彼女の腕では、恐らく割り込むこともできない。

 両者、ソレほどの――達人クラスの動きで、互いの攻撃を捌き合っているのだ。片方は才能と実践で磨き上げられた動き。もう片方は、現実味のない人の身では考えられない動き。

 自分なんかが、立ち入り出来る次元の闘いじゃない。だが――このままでは

 

「マッハキャリバー……!」

〈Yes, My Muster.〉

 

 右手の籠手は、自分の相棒。決して、自分の信念を裏切らない――最高のデバイス。

 

(機動六課の理念。それは、目の前で助けを求める人を――確実に、安全に助けて見せること!)

 

 拳を握りしめる。

 バリアジャケット姿になるスバル。真っ直ぐな瞳は、フェイトを襲う、アウグに向けて。

 

「――そうですよね、なのはさん!!」

 

 スバルは、戦場に向かって駆けて行った――。

 

 

 

 ギキィイ……ッ!

 

 鉄パイプと小刀がまたしても火花を散らす。

 

「――クソっ。まるで疲れを知らないって感じか……! 嫌な奴だな~」

 

 フェイトのその言葉に――声が降ってくる。

 

 ――いつまで、遊んでいるつもりかね? そろそろ、私も飽きて来たのだが?――

 

 その存外な言葉に、フェイトの瞳が大きく見開かれた。

 

「遊びだと!? 僕は真剣だぁっっっっ!!!!」

 

 だが、その力強い宣言にも、この異形は全く表情を変えない。特に何の反応も無くこちらを見ている。

 

「――またか!? クソォウッ!! アルフがいたら、ツッコみくれるんだぞ!! ボーっと見てるだけが相方の仕事じゃないんだ!!」

 

 意味の分からない事をフェイトがわめきたてるが、やはりアウグの顔は変わらない。代わりに――声が降ってくる。

 

 ――フム、どうやら自分の危機では力を発揮できないタイプの様だな。クク……ならば、君の仲間の小娘に危機が迫れば、どうなる?――

 

「……!?」

 

 声の後。フェイトの脇をすり抜けて、管理局のバリアジャケットを着たスバルがアウグに殴りかかった。

 

「フェイトさん、加勢します!」

 

 スバルの声がフェイトに届いた時、彼は――いつになく真剣な表情で叫ぶ。

 

「よせ!!」

 

 その声が闘技場に響き渡った時――アウグの口が三日月形に、ゆっくりと嗤う。

 

 ――遅いな。フェイト・ラインゴッド――

 

 スバルの拳は、目の前の異形の左手に掴み取られていた。

 

「―――え!?」

 

 アッサリと――至極、簡単に掴み取られた。ビクともしない、まるで壁の様な存在。そしてその邪悪な気は、スバルを心の底から震えさせるのに十分だった。

 

(――フェイトさん、こんな人と戦って――!?)

 

 正面に対峙した異形は、余りにも――余りにも理不尽で、恐ろしくて、冷たくて、邪悪。歯の根が合わない。ガチガチとなるその耳障りな音は、自分が震える証。

 虫けらを踏みつぶすように、小刀がスバルの胸に突きだされる。それが肉に刺されば、確実に背骨まで到達する。

 そこまで分かっていても――恐慌状態に陥った体は、動いてくれなかった。

 

 ドゴォッ!

 

 だが次の瞬間、後方に弾き飛んだのはアウグだった。いつの間にか、スバルは自分の両肩を温かい大きな掌に支えられている事に気付いた。

 

(――なのは、さん?)

 

 思い返したのは、あの火事現場に居た時に助けてくれた――憧れの人。その人と同じ強い瞳の輝きで、真っ直ぐに――前を見据えるのは。

 

「――スバル、大丈夫かい?」

 

「?」

 

 スバルはボーっと自分と同じ蒼い髪の青年――フェイトを見ていた。

 

(――あれ? この人、誰?)

 

 涼しげな瞳は、翡翠に輝き――その凛々しい表情は、知性を溢れさせている。フェイトは静かに、スバルの両肩から手を離し、ゆっくりとアウグを蹴り飛ばした右足を地面に下ろす。

 

「スバル」

 

「は、――はい、大丈夫です!?」

 

 頬を真っ赤に染めて、スバルは問い返した。ソレをフェイトは静かに見据え、優しく笑ってポンッと頭を撫でる。

 

「――ありがとな、助けようとしてくれて」

 

「フェ……フェイト、さんですよね?」

 

「当たり前だろ?」

 

 キョトンと言うフェイトに、スバルは思わず思う。

 

(……べ、別人みたい……!!)

 

 フェイトは静かに――スバルから、アウグに視線を向ける。頑強な闘技場のフェンスを粉々にして埋まっている、アウグは陽炎の様にゆらりと立ちあがる。

 その彼に向けて、フェイトは笑った。不敵に。

 

「スバル、悪いけど――下がってるんだ」

 

「でも、フェイトさん!!」

 

 反論しようとすると――深い優しさと知性を称えた瞳で止められる。穏やかなのに力強い、不思議な瞳だ。

 

「アイツは、僕の力が見たいようだから」

 

 紅くなった頬をそのままに、スバルはフェイトを見る。不敵なその横顔を――。

 

 ――ほう? ようやく、その気になったか――

 

 声に興味深そうな色が混じる。それにフェイトは、力強い瞳で述べた。

 

「僕の力が見たいんだろ? 来いよ」

 

 静かに鉄パイプを正眼に構える。

 

「お前と僕の格の違いを、教えてやる」

 

 その気迫は、歴戦の兵士のようだった。

 

 

 ガタッ!

 

 その場から身を乗り出し、スカリエッティはモニターに釘づけになる。

 

「――ついに、見られる……! フェイト君、君の力を!!」

 

 スバルが目覚めるまで、実は三日あまりかかった。

 その間に交わされたフェイトとの不毛なやりとりを思い出し、スカリエッティは狂笑を口元に張り付け、目の前の状況を見ていた。

 

 

 斬りかかるアウグの一閃を、軽く鼻先で躱して見せるフェイト。唐竹、横薙ぎ、足払い、胸への突き。

 繰り出された攻撃に、フェイトは上半身を反らして、鼻先を霞めるように唐竹を躱し、続いて繰り出された横薙ぎを、鉄パイプを縦に構えて受け、足を払う水面蹴りにはサイドステップからのリフレクトストライフで返す。

 黄金の気を纏った無数の蹴りを、アウグは超人的な動きで高く後方に跳躍してかわし、それに倍するスピートで突きを放ってくる。しかし、フェイトはソレを無造作に紙一重で懐にかいぐぐり、鉄パイプを持ったままの右拳で横顔を殴り倒した。

 

 ゴッ!

 

 軽々と地面に叩きつけられ、倒れ伏すアウグ。それを静かにフェイトは見据える。

 

「……フェイトさんって。……フェイトさんって、強いんだ」

 

 スバルはポカンとうわごとのように呟いた。凄いのは、知っていた。ガジェットとの闘い、ヴィータとの模擬戦。だけど――

 

(こんなに――圧倒的な、強さだったなんて――!)

 

 徐々に実感を帯びて来る。

 スバルは知らないが、陸士107部隊を壊滅に追いやったと言う化け物が、手も足も出ない。

 化物が弱いのではない、とスバルは身に染みて実感していた。それに動きも尋常ではない。なのに――。

 

 ムクリと上体を起こしてアウグはフェイトを見上げた。

 

「どうした? 立てよ」

 

 そんな人形に、フェイトは静かに告げる。

 

「僕の力、見たいんだろ? ――この程度でお終いかい?」

 

 それとも、と続けて、フェイトは不敵に笑った。

 

「それとも人形じゃなく、お前が僕の相手をしてくれるのか?」

 

 ――ククク……! ハハッハハハハハハハッ!! 笑わせる、実に愉快だ!! グローランサーと呼ばれる小僧以外に!! ここまで、ここまで私を虚仮にする愚か者がいようとはな……!!――

 

 狂ったように嗤う声。それは目に見えるものではない。だが、確かに――人形遣い『ヴェンツェル』に向けて放たれた言葉に、空から降る声は狂笑を上げ続けた。悪意、邪悪、闇、そんな言葉では表し切れない――。圧倒的なまでの狂気。スバルが思わず耳をふさぐ。それでも聞こえる。頭の中を、恐怖が支配して行く。

 その狂気の笑い声を正面から受けて、フェイトは嗤った。

 

「――だから、笑ってないでさっさと構えろよ。僕の力が見たいんだろ?」

 

 その言葉に――声が、止まる。アウグと言う青年は静かに立ち上がる。

 

 ――アウグ。もう良い……! 始末しろ――

 

 声が告げた。無感情に冷酷に、フェイトを殺せ、と。

 

「そう……! 僕を本気にさせるなら、それくらいはしてもらわなきゃね。さあ――最終ラウンドだ!」

 

 鉄パイプを正眼に構えて言うフェイトに、アウグは三日月型に口を歪めて笑った。途端、彼の右手に持っている小刀が、変わる。闇の霧がまとわりつき、黄金の鍔を持つ西洋剣の作りをした刀――。それに変化した。

 

(……!? 雰囲気が変わった?)

 

 武器が変わっただけではない。足を肩幅に広げ、斜に構えて右肩を前に出して腰を落とし、刀を左手一本で持つ。――その構えに、隙が無い。

 フェイトは静かに翡翠の瞳を細めた。

 

「――そう、そうこなくちゃな……! 主人公の相手をするのなら……!!」

 

 ――楽しみだ。“救世の騎士”を相手にどのような闘いを繰り広げるのか、な――

 

「救世の騎士……? 一体、何のこと……!」

 

 声の単語に、スバルが首を傾げる。この邪悪な男にはどうしても似合わない単語だと思った。同時に、不安げにフェイトを見据える。

 

 フェイトは、ジリ…ッと慎重に間合いを詰める。

 距離は――互いに5メートル。

 フェイトが後一歩、摺り足で近づく――と同時。

 眼前の異形アウグが姿を消した。フェイトは咄嗟に鉄パイプを顔の前に構える。火花が散った。目の前に、アウグが刀を振り下ろして現れたのだ。

 

(――さっきまでと動きが違う。アルフ達より、迅いぞ――! コイツ!!)

 

 頭の中に警鐘が鳴る。さっきまでの動きと違って洗練された体術。ハッキリと空間を切り裂く斬戟。基本をしっかりと積みながらも――、才能あふれる剣。

 

(まるで、別人だ……! どういうことだ?)

 

 鉄パイプで斬戟を打ち返しながら、思う。まるで――隙が無い。唐竹を打ち合うと同時、巻き技でパイプを巻き上げられ、胴薙ぎ。

 

「――くっ!?」

 

 バックステップでフェイトが避けると同時に、アウグは踏み込んでの斬戟。避けると同時に、否――こちらが何かのアクションを起こすと同時に、対処されている。

 懐に入り込まれての柄頭での腹部への一撃。着地後即座の後方にバックステップは満足にできない。ならば――

 

「リフレクトストライフ!!」

 

 間一髪、サイドステップからの連続蹴り。しかし、聞こえたのは防がれた音だ。西洋剣に似せた刀で、すべて払い落されている。

 

(まさか、今のタイミングで!? 攻撃を繰り出すと同時に回避したって言うのか!?)

 

 静かに、刀を縦にして受け止めたアウグは、フェイトの蹴りの一つを脇に流すと同時、踏み込んでのソバット。鋭い蹴りは、後方に上半身を反ったフェイトの鼻先を掠める。

 舌打ちして体勢を立て直すフェイトに、アウグは三日月型に口を歪めた。

 

 ――どうした? いくら世を救った騎士とは言え、所詮紛い物相手にてこずるというのか? 私の期待を裏切ってもらいたくないモノだな――

 

 声はまるで落胆したかのように告げて来る。

 

「……なるほど、ね。紛い物だか何だか知らないけど、とんでもない奴がいるんだな」

 

 フェイトは静かに鉄パイプを正眼に構え直す。その瞳に知恵の光をたたえて。

 

(接近戦で息を突く間も無いほどの、斬戟と蹴打。僕の戦闘スタイルに似てるけど、あっちは本格的な訓練を積んだ動きだ。接近戦じゃ勝ち目が無い、となると――)

 

 バッとフェイトは右手を大きく振りかぶり、オーバースロー気味に相手に向け放つ。

 

「ショットガンボルド!!」

 

 無数の火球が生じ、一直線にアウグに放たれた。だが――アウグは横一文字に刀を一閃し、火球を切り捨てると、その場から消えたようなスピードでこちらに駆けて来る。

 

 闘いを傍で見ているスバルの瞳が、見開かれた。

 

(魔力の発動は無いのに――、これじゃソニックムーブと変わらない!!)

 

「――距離を一瞬でゼロにする、かよ……!?」

 

(僕の――ストレイヤーヴォイドと同等の瞬発力ってことか? 紋章術も無しに。でも――)

 

 隙のない戦闘スタイルは、アルフ達連邦軍人のような訓練を積み、才能溢れる動きはどんな状況にも臨機応変に対応できる。こんな闘い方を生み出した男――そいつは、本物の天才だ。尊敬に値する。

 

「だが――、お前はやっぱり紛い物だよ」

 

 フェイトはそう言って、アウグを見据えた。

 

 ――ほう? ならば……紛い物たる所以、教示願おうか――

 

 宣言の後、一気にこちらに来る異形の青年にフェイトは冷静に告げた。

 

「その闘い方――。臨機応変な発想と、死闘の経験を積んだ者にしか出来やしないんだ」

 

 真正面から放たれる斬戟。フェイトはソレを刀の腹に鉄パイプの打撃を思い切りぶち込み、ずらしてしまう――。ずれた斬戟の空間に踏み込み、見事に懐に入る。

 アウグは咄嗟にバックステップしようとするが――

 

「――遅い!!」

 

 蒼い気が鉄パイプに奔り、フェイトはソレを上段に抜刀して見せた。

 

「ブレードリアクター!!」

 

 ガキィッ!

 

 同時、アウグの唐竹がフェイトの切り上げを相殺。発動はフェイトの方が早かったと言うのに、それでも相殺した。

 アウグの剣はそこで終わらない。同時の横薙ぎが放たれる――。ヴィータの腹部を切った、神速の十字斬。黒騎士は両手でそれを放ったが、アウグは左手一本で十字斬戟を放って見せた。

 唐竹と同時に放たれる横薙ぎ。だが、フェイトの剣も終わっていない。斬り上げた鉄パイプを再び片手一本で唐竹に下ろし、アウグの横薙ぎを地面に叩きつける。

 

「――ッ!!」

 

 初めて――金と銀の瞳を大きく見開くアウグ。その腹に――フェイト渾身の右片手一本突きが決まった。

 

 ドゴォウッ!!

 

 後方にロケット弾の様に弾き飛ばされるアウグ。

 頑強なフェンスに再びぶつかり瓦礫の山に埋もれてしまう。

 

 それをみていたスバルがガッツポーズを取りながらフェイトにはやし立てた。

 

「やった! やりましたね、スゴい!! フェイトさん!!」

 

 だが――フェイトはスバルを見ること無く静かに瓦礫の山を見据えて言った。

 

「いや――まだだ」

 

 フェイトが呟くと同時――瓦礫が動き、アウグが姿を見せる。無傷ではない。体中に深い傷を負っている。なのに、アウグは表情を変えること無く、フェイトを見据える。先の攻防で、剣を半ばからへし折られながら。

 

 ――コレは、愉快だ。しかし……、なぜ勝てたのかね? お前は本来の力を使わずに、闘い勝った。アウグの方がスピードもパワーも凌駕していたと言うのに――

 

 声に、フェイトは返した。

 

「――簡単だ。ソイツの闘い方だよ。確かに、ソイツが模倣した奴は強いと思う。だが――所詮は紛い物だ」

 

 フェイトは静かに――アウグを見据える。

 

「そして、その闘い方は最も人を殺す事に向いてない」

 

 ――何……?――

 

 声が怪訝そうに言う。それにフェイトは頷いた。

 

「確かに、鋭い斬戟や隙のない動きは相手を殺すのに有効だ。でも――正直すぎるんだよ、その斬戟。まるで――必要以上に相手を傷つけないように、踏み込みをギリギリのラインで浅くしたり、何とか致命傷にならないよう動いてる」

 

 その言葉に、スバルは目を丸くしてしまう。

 

(どう見たって――フェイトさんを殺そうとしていたのに。一番危なかったのはフェイトさんなのに、私――気付かなかった。全部――さっきの闘い方に死角からの一撃が無かった事に)

 

 真っ向勝負。正々堂々、それで相手の命を奪うには相当に実力差が無ければ難しい。

 駆け引き無しの、真っ向からの叩きあい。

 だからこそ、フェイトは見抜いた。

 

「その剣の使い手は、人を傷つけることを嫌う奴だ――。そんな守る剣を、奪う為に使っても怖くとも何ともない。まして、ただ真似ているだけじゃその真意すら分からない」

 

 ――なるほど、だから紛い物……か――

 

 フェイトは静かにアウグを見据える。

 

「――続けるかい?」

 

 ――いや、今日はこのくらいでよい。実に、興味深い闘いであった――

 

 声が遠のくと同時、アウグの影が薄くなっていき、やがて――消えた。

 

「……さて、どうしたものかな?」

 

 ふうと一息溜め息をつき、浮かない顔をするフェイトに、スバルは静かに近寄った。

 と、

 フェイトはカッと目を見開き、懐から通信機(コミュニケーター)を取り出した。

 

「シャァアアアアスッ!! 僕、僕はつい今っ、管理局襲った奴を見たぞぉおおお!!!!」

 

 いきなり興奮したニワトリのように叫ぶフェイトを見て、スバルが思わずずっこけたのは――言うまでもない。




【今話のナンバーズ】
・ナンバーⅩディエチ
 フェイトを捕獲した無表情な女の子。どこか天然っぽい。
 余談だが、ガジェットⅠ型をマル、Ⅱ型をカク。Ⅲ型を球キューと呼ぶ。
(Ⅰ型ガジェット=楕円型、Ⅱ型ガジェット=二等辺三角形、Ⅲ型ガジェット=巨大な球体、に由来する)

・ナンバーⅥセイン
 フェイト達に手料理をふるまった気さくな女の子。
 料理が出来る設定は、当作オリジナル。


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20.いっちょ逃亡するか! スバル!

[シャァアアアアスッ!! 僕、僕はつい今っ、管理局襲った奴を見たぞぉおおお!!!!]

 

 

 突然のフェイトからの報告に、アルフは目を見開いた。ちょうど六課隊舎の自室で荷造りする傍ら、ゲヴェルについて解析していたところだ。

 コンピュータが出した結論によれば、ゲヴェル因子とやらを全開にしたカーマインのエネルギーが、クラス4にも達するらしく「目の錯覚か……」とつぶやいて最近の心労を労りつつ目頭を揉んでいたのだ。

 だが。 

 信じられないことというのは重なるものである。

 

「フェイト、お前――」

 

 アルフは意外そうに目を丸め、通信機の存在を忘れていなかったフェイトを見た。彼の傍らには、驚いているスバルもいる。

 どちらも元気そうだった。

 アルフがわずかに口許を緩め、言葉を発しようとした時――

 

 扉がスライドし、部屋になのはがやって来た。 

 

「シャス、この間の海上に現れたガジェットの話なんだけど――」

 

 とっさに跳び上がった。机とセットになった椅子からベッドへと滑り込むように豪快にダイヴする。

 なのはが驚いて目を丸めているのにも構わない。布団の下に通信機を隠し、彼はキリリと表情を引き締め言い放った。

 

「後から伺います」

 

 いつも通りの平坦な声。ただし、今の紅瞳には鬼気迫るモノがある。

 なのはが要を得ない表情で首を傾げながら、部屋に入って来た。

 

「ダメだよ、シャス。この間の一件は、六課を勝手に動かしたものだったんだから! はやてちゃんの許可もなくヘリで出撃するなんて、命令違反どころじゃないんだよ――」

 

 アルフの頬に、冷汗が伝う。

 そう言えば――と彼は心の中でつぶやいた。

 あの騒がしいフェイトが、この間に一言も次の言葉を発していないのが気になる。

 

(……まさか、アイツ)

 

 嫌な予感を覚えて閉口したアルフは、なのはがなにごとか言って部屋から出ていくのを尻目に通信機を改めた。

 通信はやはり――切れている。

 

 

 

 

「オイタはそこまでよ♪」

 

「??っ!?」

 

 ナンバー4クワットロ。

 電子を自在に操る術を持つ彼女は、大きな丸眼鏡を押し上げてニコリと微笑んだ。甘ったるい特徴的な喋り方が印象的だ。

 4番目に生み出された彼女は、電子を操作する特殊能力を持っている。

 スバルやフェイトをホテル・アグスタからさらう上で、機動六課側に何も探知させなかったのは、彼女の特殊能力〈シルバーカーテン〉にて偽情報を管理局側に流していたためであった。

 彼女の幻影は管理局のレーダーだけでなく、ティアナの使う幻術のように人間の視覚すらも狂わせる。

 また、その細い体に引っ掛けたケープは、白銀の外套(シルバーケープ)と呼ばれ、フェイトとアウグの戦いを近くで見ていたにもかかわらず、その両者が、クワットロに気付かない要因を作っていた。

 すなわちシルバーケープは、完全にクワットロの姿を透明化させるのだ。

 クワットロは少女のように蠱惑的な笑みを浮かべ、フェイトの通信を断ち切って、上空からふわりと降りてくる。戦闘力こそ他の姉妹より劣るものの、知略に富んだ彼女は、戦場を一瞬で見渡せるようモニター系魔法と飛行魔法、その両方を習得している。

 肩まで流れたセミロングの髪を、彼女は左右で雀のシッポのように短く結ぶ。髪の色はディエチと同じ栗色で、瞳の色はディエチよりも薄い山吹色だ。顔の半分を覆ってしまう大きな丸眼鏡をかけていて、体はとても少女のそれとは言えない妖艶な肉付きをしているのに、彼女の雰囲気を幼く見せている。

 クワットロの視界の端で、ウーノが声を張り上げた。

 

[ディエチ!]

 

「はい」

 

 通信越しに、ウーノがディエチを呼ぶ。ディエチは監視役として、フェイト達を追って来たのか、この闘技場に優雅に歩いて現れ、目の前に現れた四角い魔法モニタを見て首を傾げていた。

 画面に映ったウーノがピクリと頬を震わせる。

 

[はい、ではないわ! まだタイプ・ゼロにレリックを入れられていないのに、何故デバイスを返しているの! それに、フェイト・ラインゴッドの武器まで!]

 

「あれ? ――まだ済んでなかったの、ドクター?」

 

 ディエチが問うと、左手側にスカリエッティを映した四角いモニタが現れた。その中で、スカリエッティは困ったような表情を浮かべ、口端をつり上げる。

 

[済まないね、ディエチ。私としても、急ぎたかったのだが――]

 

「そっか。フェイトが邪魔しちゃったんだね」

 

[……うむ]

 

[それにしても、ディエチ。作業が完了したら私から連絡すると告げたでしょう! 何故、独断で――しかも相手に力を与えるようなデバイスを簡単に――]

 

「まあまあ、ウーノ姉」

 

 新たな声が聞こえ、ディエチが顔を上げて振り返ると、闘技場に続く通路を歩くセインがいた。彼女は水色の後頭部で両手を組んで、ウーノの言葉を制す。

 

「ディエチもさ、二人が心配そうだったから可哀想と思ってやったことだし、それくらいで許してあげたら?」

 

[何を言っているの! セイン!]

 

「――あ」

 

 しまった、という風に表情を凍らせたセインは、ウーノの怒りの矛先が自分に向いて、思わず、あちゃ~と言って額を叩いた。

 それでも話題をディエチに戻すことはせずに、視線でフェイト達の所へ避難しろと言ってくれる。

 そんな姉の気遣いに、ありがとう、と小さくつぶやいたディエチは、栗色の尻まで伸びる長い髪を翻して、闘技場のど真ん中に立っているフェイト、スバル、クワットロに向き直った。

 

 そこで、状況が理解出来ずにパチパチと瞬く。

 

 驚いているのは、ディエチだけではなく――藍色の髪をショートカットにして白いはちまきをしめたスバルもそうであるし、栗色の髪を左右でしばったクワットロもそうである。

 そして何より――誰よりも、この場で騒がしい青年が、地団太を踏んで叫んでいる。それも、よく分からない単語だった。

 

「?? ??? ???? ???? ??? ???? ?? ??? ?? ??????……!?」

 

 ディエチは首を傾げる。

 クワットロはサッと顔色を失って、フェイトが握っている通信機を奪い取った。

 

「そんな……、まさかっ!?」

 

 そう言いながら、手早くフェイトの通信機を操作する。彼女にとっては異文明の利器だが、今はそんなことを言っている時ではない。

 そして――クワットロの不安は、嫌な方向に的中した。

 

「……え?」

 

 フェイトの持っていた通信機――これは、翻訳機能も内蔵された代物だったのだ。

 

「そ、そんな……!?」

 

「どうしたの、クワットロ?」

 

 首を傾げるディエチの言葉など、クワットロには聞こえていない。

 ただ――

 

[……クワットロ]

 

 セインを叱り飛ばしていたはずのウーノのモニタが、クワットロの目の前に貼り付いた。

 クワットロはヒッとつぶやき、青い顔で、開いた掌を左右に勢い良く振る。

 

「お、お待ちくださいウーノ姉様っ! このクワットロ、責任を持って直しますから!」

 

 そう言うとウーノは静かに琥珀の瞳を細め――、肩にかかった淡紫色の髪を背中に払った。額の蒼筋は、見ないことにする。

 

[ぜひそうしてちょうだい……。この三日間、私達の苦労は知っているでしょう?]

 

「は、はいっ!」

 

 二つ返事で頷いたクワットロは、フェイトの通信機を握って上空に飛び立った。

 それを見送るフェイトが、やはり意味の分からない単語で叫ぶが――それは誰の耳にも残らなかった。

 

 

 …………

 

 

「まったく、一体どうしたって言うんだ!? いきなり皆と話が出来なくなっちゃったじゃないか!? しかも、通信は僕が電源切ってないのにいきなり切れるし! ――どうなってんだよ!」

 

 ぷんぷんと頭から湯気を出さんばかりの勢いで一通り怒って、フェイトはふむ、と顎に手を添えた。

 そんなことをやっている間に、クワットロに通信機を奪われ、あまつさえ大空の彼方に逃げられてしまったのだが――。

 

「あぁあああ――っ!!?」

 

 それを見送ってフェイトは大声で叫んだものの、クワットロは一度もこちらを振り返ろうとはしない。

 フェイトはますます思案顔を浮かべた。

 

「あれか? もしかして――ここの磁力場だか電力場だかが働いて、僕の通信機を壊しちゃった感じかな?」

 

 いつもの調子で隣に居るスバルに話しかけるものの、スバルは目を白黒させているだけだ。

 

「Herra orlog, og hvernig i oskopunum get eg tvadur~!」

 

「ハハッ! なんだか、この言葉が通じない感じ――久しぶりだな☆」

 

 スバルに向かってフェイトは爽やかに笑い、彼女が何を言われているのか分からないが、とりあえずグッと親指を突き立てる。

 

「よし! 話が通じなくて暇だし――いっちょ逃亡するか! スバル!」

 

 フェイトはそう言って、スバルの手を握り、出口を目指して猛ダッシュする。

 と、

 周りの空気が一変し、一気に緊張を孕んだ。

 モニター越しにウーノが何か鋭く叫んでいる。

 

「なんだなんだ?」

 

 出口に向かって猛ダッシュしながら後ろを振り返ると、ディエチがあの――自分の身長以上に大きな砲筒を担いで、銃口をこちらに向けていた。

 

「また狙撃かぁああっ!!?」

 

 言う間に、カノン砲が発射される。青いレーザーが、轟音を立ててフェイトの鼻先をかすめた。

 

「どわぁっ!?」

 

 咄嗟に首を引っ込まなければ、後頭部に直撃コースである。

 フェイトはディエチに向かって叫んだ。

 

「危ないじゃないかっ! 僕は抗議するぞー!」

 

「Ertu i lagi……!」

 

「分かっている、スバル! ――僕は『逃走ミッションT ~終わりなき旅路』を開始するっ!」

 

 親指を立てノリだけで言い放ちはしたものの、相手の言葉が分からないため、今一突っ込んでもらっているのかどうかも掴めない。

 ディエチは闘技場の床に片膝をついて、スナイパーとしてフェイトを狙い、轟音を立ててカノン砲レーザーを放つ。フェイトの左右で、爆発が起きた。

 

「って、――うぉっ!?」

 

 フェイトは脇腹すれすれの射撃をどうにか回避すると、自分の右手方向――スバルと手を繋いでいるのとは逆方向に、黒い影が迫るのを見た。ハッとして鉄パイプを構えた彼は、

 

 ガキィッ!!

 

 ナンバー3、トーレのインパルスブレードを止める。

 トーレはナンバーズ中でも実戦最強の女性だ。ウーノよりも濃い紫色の髪をショートにした、凛々しい顔つきをしている。切れ長の目は、鋭くフェイトを見、トーレは両手首と両足首にピンク色のエネルギー翼を宿す。

 このエネルギー翼が〈インパルスブレード〉と言う名のトーレ特殊装備であり、高速移動と接近戦での刃物の役割を兼用する彼女の相棒だ。

 

「なんのなんのぉっ!」

 

 トーレの左手首に、トンファーのように伸びたエネルギー翼を弾きながら、フェイトは鉄パイプを振り下ろす。と、右のエネルギー翼で防がれ、フェイトはわずかに目を丸くした。

 

(――このお姉さん、強い!!)

 

 右手一本の鉄パイプでの右袈裟がけ、並走しながら放たれた一撃は軽く身をかがめただけで、(かわ)される。返しの一撃は右拳を握りしめた巻き込むような右フック。咄嗟に鉄パイプの柄で右手首の刃を止める。甲高い音と共に、互いに繰り出し合う攻撃を互いに(さば)きあう。

 交差後方ですれ違う両者。――と、何の因果かトーレのライダースーツの胸元がフェイトの一閃で切り裂かれ――白い肌がその隙間から覗いた。

 たわわに実った乳房が、衆目にさらされる。

 間。

 目を点にした両者は、しばしの間――鉄パイプが切り裂いた女性の象徴を見据えていた――、と、ボンッと火の出る勢いでトーレとフェイトの顔が赤面する。同時、

 

「す、すいませんでしたぁあああああっっっ!!」

 

 フェイトは思わず濃い顔で謝るも、トーレの頭には、完全に血が上っていた――。

 

 

 

 

「こ、殺してやるっ!!」

 

 クールな外見に似合わず、トーレは珍しく取り乱し、インパルスブレードの出力を最大にしてフェイトに向かって斬り付ける。

 その直前、

 

 ヒュンッ!

 

 ブレードがフェイトの左耳から右耳を両断する寸前で、トーレの鼻先をナイフがかすめていった。

 後一歩、トーレが気付かず踏み込んでいれば直撃――そんな危険な投擲だ。トーレに当たらず、ナイフは虚しく空を掻いたが、研究所の壁に当たると派手に爆発して火花と石片、煙をばらまく。

 トーレは忌々しげに舌打ちしながら、ナイフが向かって来た方角を睨み据えた。

 

「何の真似だ、チンク!」

 

 彼女が振り返った先には、トーレの腰ほどまでしか身長がない小さな女の子がいる。彼女はちょうど洗浄ポッドにでも入って来たのか、生渇きの銀髪を背中に払って、溜息を吐いていた。昔の戦闘で右目を失った女の子は、そこに黒い眼帯をしている。見た目だけで言うなら、十歳前後だ。

 女の子の名は、ナンバー5チンク。

 トーレの妹分に当たる少女だった。

 

「……少し落ち着くといい、トーレ姉さん。殺してしまっては意味がない」

 

 落ち着いた口調で言った女の子、チンクは、一定時間手で触れた金属にエネルギーを付与し、爆発物に変化させる特殊能力を持つ。先程、トーレに投げつけたナイフが、壁に当たるなり爆発したのも、チンクが能力をナイフに与えたためだった。

 チンクは幼い顔に呆れた表情を乗せて、左手に三本残したナイフをカチャカチャと鳴らす。

 それにムッとして、トーレが抗議しようとした所で――まだ無事に残っている妹の左目が、静かにトーレの胸元を見た。青いライダースーツを見事に両断されたトーレは、自分の白い素肌が――女性の膨らみが露わになっているのに気付いて、慌てて両腕で覆う。顔が火を噴いた。――チンクが初めて見る姉の表情だ。

 それにチンクは静かに笑い、視線をフェイトに向ける。スカリエッティがどうしても手に入れようとした――自分たちとは違う過程で生まれた“生体兵器”。

 こうして面と向かって会うのは、初めてだった。

 

「青年。大人しく部屋に戻ってもらいたいものだな」

 

 ディエチ――と言うよりもウーノの苦労話を聞いていたチンクは、フェイトに向けてこう言った。

 が。

 やはり言葉の分からないフェイトは、キリッと表情を引き締めるや、ワケの分からないことを言って、踵を返す。スチャ、と人差指と中指を綺麗に揃え立て、彼は額に据えた。

 そして――、

 

 ドォッ!!

 

 どう見ても今、逃げ出そうとした青年に、チンクは無表情に爆発するナイフを送りつける。フェイトは悲鳴を上げ、左脚を浮かした態勢で、パチパチと瞬きながらチンクを見た。

 ――そう。

 チンクはナンバーズ中、もっとも容赦のない少女なのである。

 

「大人しくする気にはなったかな?」

 

 チンクが問う一方で、フェイトの前にスバルが立ちはだかった。

 

「ここは任せてください! フェイトさん!」

 

 ん? と首を傾げたチンクは、スバルを見るなり目を瞠る。

 

「君は――!」

 

 だが、チンクの驚きは最後まで言葉にならなかった。フェイトに手を引かれるだけだったスバルは、地面に拳を置くと、空色の魔法陣を描き出す。

 

「ウイングロード!」

 

「――チッ!」

 

 スバルの魔法――空色の道が空中に絨毯を敷いたように広がって行く。チンクは舌打ちし、黒いコートの下に何本も差したナイフを握るや投擲した。それはスバルがマッハキャリバーで駆けるより速く、鋭く走ったが――直前で、鉄パイプに阻まれ、さらにスバルの創った道を行くフェイトの脚力に引き離された。

 チンクは続けて、ナイフを放つ。

 ――が、どうやらフェイトの身体能力は本物だ。

 一向に、止められない。

 

「やれやれ……。困ったな」

 

 姉妹(ナンバーズ)の間でも、“薄気味悪くて強い奴”という認定を受けているアウグ。その彼と互角以上に渡り合った青年だ。

 それを思い出して溜息を吐いたチンクは、カノン砲を抱きしめながら悠然と歩いて来るディエチの顔を見るなり、互いに――頷き合った。

 

 

 

 クワットロは、形の良い頭に出来たたんこぶをさすりながら、憮然とモニタを睨み据えた。栗色の髪を左右で短く括ったメガネっ子は、どうにか壊れた通信機を直そうと奮闘したものの――結局、どこをどう弄ってもさっぱり回路が分からずに、ウーノにこっぴどく怒られたのだ。

 

「……まったく、この私がウーノ姉様に、ここまで怒られたのは久しぶりだわ……。――このお礼、たっぷりとさせてもらわなくちゃ」

 

 クワットロはぽつりとつぶやくと、空中に生じさせたキーボードを操作する。それはパイプオルガンやエレクトーンのように何本も並んだ操作キーで、彼女の思う通りに研究所内全ての様子がモニターに映し出される。

 ものの数秒で、チンクとディエチ――それから新しいスーツに着替えたトーレに追われるフェイトが捕捉出来た。

 クワットロは更にキーボードを叩いて、スカリエッティの作業室にあるガジェット四十機を起動させる。

 途端、にやりと――必要以上に幼く見せた外見に、妖艶な笑みを浮かべる。

 

「さぁて、パーティの始まりですわよ♪」

 

 それはクワットロの、完全な逆恨みが発動した瞬間であった。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 

 

 この不毛な戦いは――闘技場から見える空が、黄昏色に染まるまで続いた。

 

「ぬぁああああっ!? 何故こんなに皆、本気なんだぁああああ!!」

 

 フェイトは叫びながら、トーレ、チンク、ディエチ――更にはクワットロの放ったガジェットを相手取る。スバルには危ないから後ろに下がっているよう、言っておいた。――言葉が通じないのは分かっていたが。

 

 と、その時。

 

「クッキー焼けたよ~!」

 

 スカリエッティの作業所にまで来て暴れ回っているフェイト達に、セインが声をかけて来た。水色の髪を肩まで伸ばした少女は、相変わらず人懐っこい笑みを浮かべている。

 

「なに、クッキーが?」

 

 チンクがナイフを投げる手を止めた。

 ディエチもカノン砲を降ろす。

 

「冷めない内に食べなくちゃ」

 

「って、おい!? 私はこの程度で済ます気は――!」

 

「トーレ姉さん、落ち着いて。まずはお茶が先だ」

 

 いきり立つトーレを、チンクがなだめる。

 フェイトはパチパチと瞬いた。――先程まで、これっぽっちも理解出来なかったナンバーズ達の言葉が、すんなりと耳に入ってくる。

 

「ど、どうなってるんだ……これ?」

 

「あ! フェイトさんっ! ――良かったぁ~!」

 

 隣のスバルも、ようやくフェイトの言葉が分かるようになって安心したようだ。ほころんだ笑顔を見せて、胸に手を当てている。

 

「これは……一体?」

 

 クワットロは訝しげに、フェイトを見据えた。と。首を傾げる一同の前に、クッキーが出来たと報告を入れに来たセインの後ろから――ドクター・スカリエッティが現れる。

 白衣のポケットに両手を突っ込んだ彼は、ウェーブがかった紫色の髪を揺らして、言った。

 

「以前頂いたものがこんなところで役に立つとはね」

 

「以前」

「頂いた」

「もの」

「ですって?」

 

 セインを除いたナンバーズ四人組が、それぞれ首を傾げる。と、スカリエッティは軽く肩をすくめて、白衣のポケットから、フェイトが持っていたモノと同型の――連邦製の通信機を取り出して見せた。

 

「これでようやく、不自由の心配が減りますね」

 

 満足そうに微笑んで、スカリエッティやセインの後に続いて部屋に入って来たのは、ウーノだ。なぁンだ、と言って安堵して笑い合った一同は、セインの主導で食堂へと向かう。

 のんびりとしたティータイムを過ごす為に。

 だが――

 ガジェットまで投入して復讐を遂げようとしたクワットロの額には、青筋が浮かんでいた。

 

「つまり、……ドクターは元から持っていたってことかしらん?」

 

 いつもの甘ったるい口調を、更に甘ったるくして――クワットロは訊いてみる。白衣を翻し、振り返ったスカリエッティは、ああ、と至極あっさりとうなづいた。

 

「贈り物は、なんでも貰っておくものだね。惑星間通信など、我々には不要と思っていたが」

 

 そう言って、肩をすくめるスカリエッティに、クワットロは極上の笑みを浮かべる。

 

 

 その後、フェイトやスバルまでもを含んだナンバーズ達によるティータイムで、スカリエッティは思わず紅茶を吹き出したという。

 後にセイン達が味見した所、スカリエッティの紅茶にだけ大量の唐辛子が混入していたのだそうだ。

 

 

 クワットロの逆襲は、こうして幕を閉じたのである――。




【今話のナンバーズ】
・ナンバー1ウーノ
 スカリエッティの秘書。
 戦闘力は皆無だが恐らくスカリエッティ一味で一番の権力を握っている。

・ナンバー3トーレ
 ナンバーズの実働部隊隊長。稼働歴が長いため、実戦経験が豊富。
 両手足首についたエネルギー翼で切りつけたり、高速移動したりする。
 厳しい性格で妹にも辛く当たるが、素肌をさらけだすと照れる。

・ナンバー4クワットロ
 ナンバーズの頭脳担当。電子を操る能力を持っており、ぶりっ子+腹黒い。
 スカリエッティの険が抜けた所為で、ちょっとキャラが崩れ気味だが、その内戻るハズ。

・ナンバーズ5チンク
 ナンバーズのロリっ子。金属に爆発機能を付けることが出来る能力を持つ。
 ナンバーズ中一番落ち着いた性格で、仁徳者なのだとか。しかし、一番容赦ない人物でもある。

・ナンバー6セイン
 スカリエッティ一味の料理担当。
 明るく気さくな女の子。ディープダイバーという物質のなかに潜り込める(たとえば建築物の床や壁などを通り抜けられる)特殊能力をもつ。

・ナンバー10ディエチ
 スカリエッティの研究所で、フェイトの監視要員に抜擢された女の子。
 無表情でどこか天然っぽい。カノン砲を用いるスナイパー。


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21.なに、それまじめな話?

 ナンバーズとのティータイムを終え、スバルには自由が与えられた。

 想像もつかなかったスカリエッティ側の待遇に、スバルは戸惑う。フェイトは、これが普通と受け取っているが、スバルにとってはカルチャーショック以外のなにものでもなかった。

 先程のナンバーズに追われている間にしても、切羽詰まった空気こそあったものの、彼女たちがフェイトに向けて――真剣な殺意や敵意を向けていたとは思わない。

 スカリエッティにしても。

 目が覚めた時――スバルにレリックを埋め込もうとした科学者は、確かに犯罪者の顔であったものの、皆でクッキーを食べて、紅茶を咳き込みながらも流し込もうとしている彼の姿は――何故か広域次元犯罪者の名が、相応しくないようにスバルには思えた。

 

(……そんなはず、ないのに)

 

 スバルはギュッと拳を握る。

 フェイトがどこかに行ってしまったので、ディエチに案内された室内にはスバルしかいない。部屋は一般的なアパートのモノと遜色なく、窓から見える森は、この場所がどこにあるのかスバルに教えてくれなかった。

 フェイトに宛がわれた部屋は、ちょうどスバルの隣室になるらしい。

 一部屋は八畳ほどの広さで机とベッド、それから書棚だけという無味乾燥なものだ。――それでも、閉鎖的では無い。

 スバルは、部屋の現在地とトイレ、風呂場、食堂の位置を記した地図を見つめて――部屋を出た。

 

 

 

 スカリエッティの研究所は、やはり広大な敷地で出来ているらしい。

 アーチ状の窓やら通路を適当に行くと――スバルが道に迷うのに、そう時間はかからない。最初はどうにかして研究所内の構造を頭に入れようと躍起になっていたが――最早、ここがどこなのかすら見当がつかなくなった。

 このミッドチルダにはない筈の――連邦で流通している転送装置(トランスポート)が要所に置かれている所為で、彼女が歩きその目で見た施設の位置関係が、正確ではなくなってしまったためだ。

 

「ど、どうしよう……。……ここはどこ……?」

 

 オロオロと視線をさ迷わせながら、スバルは当てもなく研究所の通路を歩く。

 すると、中庭らしき場所にスカリエッティの姿があった。

 

「!」

 

 スバルは思わず身を固くして、身構える。スカリエッティは中庭に植えた野菜から、ふと視線を上げると、スバルに気付いて振り返った。

 

「――おや、こんなところにどうしたのかな?」

 

 そう言って彼は口端をつり上げる。とても善人とは言えない表情だが、最初に見せたマッドサイエンティストの表情でもない。

 スバルは眉間にしわを寄せて――唇を引き結んだ。

 スカリエッティは小さく笑って、腰を上げる。中庭からスバルのいる通路にやって来ると、彼は白衣のポケットに両手を突っ込んだ。

 

「そう言えば、君は――ゲンヤ・ナカジマという人物の下で育ったそうだね?」

 

「……どうして、父さんのことを!?」

 

 思わず目を瞠って問うと、スカリエッティは満足そうに口端をつり上げる。そこでスバルは、こちらが反応を返すのをスカリエッティが待っていたことに気付いて、口を噤んだ。

 スカリエッティは悠然と琥珀の瞳を細めて、――つぶやく。

 

「戦闘機人」

 

「!」

 

「私が、君を捕獲するようウーノ達に命じたのは――君がウーノ達と同じ、戦闘機人だからだよ」

 

「…………」

 

 スバルは身構えた態勢で、スカリエッティを睨む。ナンバーズ達が戦闘機人であることは薄々――、スバル自身も気付いていた。

 人間の身体に機械部品を埋め込んで、爆発的な身体能力を可能にする生体兵器――戦闘機人。

 彼等は魔法とは異なる、戦闘機人故に(・・)発現する特殊能力――インヒューレントスキルを持つ。それは個体毎にさまざまな種類があり、発生機構が魔法と根本的に異なるために、ガジェットのAMFの影響を全く受けずに能力を発揮できるのだ。

 スバルは閉口し、ただスカリエッティの動向を睨む。自分がそんな戦闘機人呼ばわりされたことを肯定することも、否定することもなく、相手の言葉を待つ。

 スカリエッティが大仰に肩をすくめると、言った。

 

「君は、私が思った以上に普通の感性を持っているようだね」

 

「……どういう意味?」

 

「君は――ナカジマ三佐の下で平和に、ただの女の子として育った。それは彼が人物だったからだ。何故君たちのような存在が、造り出されたと思うかね? 理由は、決して子どものいない夫婦のためではない。そんな穏やかな理由なら、戦闘機人の存在自体が“禁忌”とされることもないからね」

 

「…………」

 

 スバルは四歳の時に、姉のギンガと共にナカジマ家に引き取られた子どもだ。

 ナカジマ家――ゲンヤとその妻クイントの間には元々子どもがおらず、管理局員だったクイントが、とある事件を追う中でスバルとギンガを発見し、被害児童たる二人の保護を兼ねて、スバルとギンガを養子にした。

 母クイントとスバルが過ごした時間は、そう長くはない。

 クイントはスバルが七歳になる頃に殉職したのだ――。

 スバルが使う格闘術シューティングアーツは、クイントが使っていた技で、姉のギンガが母から直接学び、スバルが管理局に入局を決めた時に、ギンガがスバルに教えてくれた技である。まだ完全習得とはいかず、スバルの格闘戦は姉の域には達していない。機動六課で――憧れのなのはの下で訓練を積んでいたものの、ここに攫われてはシューティングアーツの完全習得にまだ時間がかかるだろう。

 それでも――

 とスバルは思う。

 それでも、何か得るモノがある。知りたい情報が――恐らく目の前にある。

 スバルは拳を握って、スカリエッティを見据えた。

 

「……何か理由があるんですか?」

 

「ん?」

 

「貴方が、テロリストとして働いている理由……」

 

 スバルが問うと、スカリエッティは呆れたような表情をして首を振った。彼は軽い溜息を吐いて、言う。

 

「タイプ・ゼロ。……君は、恵まれていただけなんだよ。だからと言って、君の生き方が間違っているとは、私は言わないがね。――ただ、ほとんどの戦闘機人は、君のように恵まれてはいない。勝手な都合で生みだされ、必要ないからと言って捨てられる。だが――創られたモノとて心はあるのだ」

 

「何か、訴えたいことがあるのなら――それなら管理局に言うべきです! テロリストの行為なんてしなくても、訴えかければ――それを皆に公言出来る場所を与えられるハズです! そのために私達は――!」

 

 そこで、スバルはハッと息を飲んだ。

 スカリエッティの表情が、変わっていたのだ。先程までの、貼り付けたような笑みではなく、どこまでも寂しげな、儚い笑顔を、彼は浮かべている。

 そして言った。

 

「君は――本当に優しい世界に生まれたようだね」

 

 低く、静かに放たれた言葉は、何故か――スバルの心を抉った。

 

(……何故?)

 

 ずんと胸に沈みこむ様なショックを受けて、スバルは首を傾げる。スカリエッティの笑顔の意味は、スバルには分からない。

 ただ、踵を返したスカリエッティが、いつも通りの口調で言った。

 

「もしよければだが――私の娘達に、外の世界のことを教えてやってはもらえないだろうか?」

 

「どうして……ですか?」

 

 その背に向かってスバルが問いかけると、スカリエッティがわずかばかりこちらを振り返って、小さく笑った。

 少し前に見せた――フェイトを前にした時の、困ったような――少し気さくな表情で。

 

「私は外の世界を……知らないんでね」

 

 彼は指をパチンと鳴らしてⅠ型ガジェットを呼び寄せる。

 

「さて、話は終わりだ。それでは私は研究に戻るとするよ」

 

「待って下さい!」

 

 コツコツと靴音を鳴らして去って行くスカリエッティを、スバルは止めた。

 このスカリエッティは――違う(・・)

 つい数時間前まで、数十分前までスバルが抱いていたスカリエッティのイメージとは、違う(・・)

 ゆえにスバルは眉間にしわを刻んで、尋ねた。

 

「貴方は――どうしてそこまで、管理局を……!?」

 

「どの組織も一枚岩ではない。そんなことは、君だって聞いたことはあるだろう?」

 

 振り返ったスカリエッティは、そこで――琥珀の瞳をわずかに細めた。

 低く、暗い声が彼の唇から洩れる。

 

「――だがね。そんなことで済まされることと、済まないことがあるんだよ。……ならばその間違いは誰が正すのかね? 私がそれを正せるほど、特別な存在とは言わない。だが少なくとも――奴等が正しいとは私は思わない。それだけだ」

 

 スカリエッティは語り終えると、Ⅰ型ガジェットの後に続いて、部屋に戻るようスバルに言った。

 去って行くスカリエッティの背中を見据えながら、スバルは目を見開く。

 

 ――そんなこと(・・・・・)で済まされることと、済まないことがあるんだよ。

 

 そう言った時のスカリエッティは、腹の底から――心からの怨嗟をつぶやいたように見えた。

 

(……どうして?)

 

 彼はスバルをスバルと呼ばない。

 創られた存在、戦闘機人――タイプ・ゼロとしてでしか、彼女を認識していない。

 それでも――。

 スバルはこの時初めて、“広域次元犯罪者”としか見ていなかったスカリエッティが、そこまで常識とかけ離れた感性の持主ではないことに気付いた。

 

(どうしてあの人は、管理局をそこまで憎んでいるんだろう?)

 

 脳裡を過ぎる、ディエチやセイン達と接する彼の表情。

 管理局を敵視する――憎悪に満ちた彼の表情。

 それは狂って(・・・)いる(・・)と一言で済ませるには、あまりにも人間的な感情で――スバルはこの時、フェイトが言っていたことを思い出した。

 

『結構いい奴だな、ジェイ』

 

 

「それじゃあ……」

 

 スバルは、胸元に置いた手を握る。

 管理局は正義の力。

 昔、空港火災に巻き込まれた経験のあるスバルは、その時何もできず、ただ泣いて周りに助けを求めるだけだった。

 そんな中で――管理局の、魔導師の正しい力で助けてくれたのが、高町なのはだ。

 力強く自分を抱きしめて、災害の不安から救ってくれた女性。

 あの日から、スバルが目指すと決めた女性を思い浮かべて、――スバルは自分の中にある“管理局”のイメージが揺れ動いているのを感じていた。

 広域次元犯罪者、ジェイル・スカリエッティ。

 時空管理局に最上級の指名手配を受けているこの男は、生死を問わずに逮捕する対象として知られている。

 その性格は、残虐で、非道――。

 だが、実際に会って話してみたスバルの印象は――

 

「一体、誰が正しいの……!? ……なのはさん!」

 

 なのはのように、目の前で助けを求める人を確実に、安全に助けて見せると、スバルは心に誓った。

 そのために立派な管理局員になろうと、スバルはがむしゃらに走っていた。だが――その道の先は、果たして本当に、“正しい”場所と言えるのか――。

 スバルが今まで信じていた管理局そのものに、疑問を持った瞬間だった。

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 ウーノは深く溜息を吐いて、妹達の戦闘データを打ち込み終える。

 計画は今のところ、順調に進んでいる。研究所に帰ってきていない妹達についても、どうやら無事にやっているようだ。

 長時間のデスクワークは、相変わらず肩が凝るものである。ウーノは作業室の椅子に背をもたれかけ、目頭を揉んだ。そして目を開けると――

 

「や!」

 

 フェイトが目の前にいた。彼は良い笑顔で、右掌をひらひらと降っている。

 ウーノは溜息を吐いた。

 

「またですか……。ディエチに監視を命じているのに、これではまったく意味がない……」

 

「僕だからねっ☆」

 

 これでかれこれ、通算40回目の脱走となる。

 フェイトはよくこうして、自分にあてがわれた部屋を離れては、神出鬼没に姉妹達の前に姿を現すのだ。

 厳重な警戒態勢を敷いて、フェイトを逃がさないよう躍起になっている自分達が、馬鹿らしく思えて来るほど簡単に、である。

 

「……まったく、貴方は」

 

 つぶやきながらも、ウーノは自分の口許に笑みが浮かんでいることに気付いていた。

 彼がここに来てから、二週間近く。

 時々――ウーノはこうして、自分でも分からないタイミングで笑っていることがある。恐らくは、いつも能天気に笑う青年が声をかけてくるからだろう。

 肩肘を張っている自分が、馬鹿馬鹿しくなってくるのだ。

 ウーノは溜息混じりに苦笑しながら、問いかけてみた。

 

「貴方はどうして、そんな風に笑っていられるのですか?」

 

「ん? どういう意味だい? お姉さん」

 

 フェイトにまだ名乗っていないウーノは、ずっと彼に“お姉さん”と呼ばれている。それは他の姉妹にも言えることで――面識はあっても、フェイトがまだ名前を知らない者は多い。

 とは言え、

 名を名乗ったからとて、彼が覚えるかどうかは別問題である。

 ウーノは何気なく問いかけた質問に、フェイトが意外にも真摯な眼差しを返して来たのを受けて、居住まいを正した。

 

「貴方のことはドクターから聞いています、フェイト・ラインゴッド。貴方は――、実の父親に自分の身体を創り換えられてしまった。父親は、貴方自身の気持ちなど考えもせずに。結果、貴方は、紋章遺伝子の生体兵器として連邦から目を付けられる存在となった。そんな父親を持ちながら、どうして貴方は――そうも、まっすぐに育ったのですか?」

 

「何? それ、真面目な話?」

 

「……別に、答えたくなければ答えなくて結構です」

 

「答えるも何も……。僕も、つい最近までは、自分がそんな存在なんて知らなかったしなぁ」

 

 そう言って顎をすりすりと撫でるフェイトに、ウーノは首を傾げた。

 

「知った時、貴方は恨まなかったのですか? 自分をそんな風に創り換えた――実の父親を」

 

「ショックだったよ。相当ね。――でも、言ってもしょうがないじゃないか」

 

「しょうが……ない?」

 

「ああ。しょうがないね。だって、もう創り換えられちゃってるし、今更言ってもねぇ。……それに、父さんも父さんで、そうしなきゃいけない事情ってのがあったみたいだし」

 

 フェイトは両腕を組んで、うんうんと頷いている。ウーノは目を瞠った。

 

「そんな……自分の身体を創り換えられたんですよっ!? しょうがないって……そんな簡単に、認められるものなのですか!?」

 

「僕さ。そういうの、あんまり深く考えないタイプなんだよね」

 

 フェイトは言って、中空に視線を向ける。その表情はどこまでも気負いや焦燥、孤独を感じさせず、ウーノは溜息を吐いて、肩を落とした。

 

「貴方のことが、ますます分からなくなりました……」

 

 元々良く分からない、と言うのがフェイト・ラインゴッドの印象であったが。

 ウーノは胸中でつぶやいて、フェイトと同じように視線を中空にやる。このスカリエッティの作業室には、生体ポッドが五十個以上並んでいる。そこには空きのものもあれば、別次元から姉妹が確保して来た、スカリエッティ以外の製作者による戦闘機人も存在したりする。

 そんな人工生命体のほとんどが――不遇な生を強いられ、苦しんでいることをウーノは知っていた。

 中には今一度目を覚ますかどうかも分からない素体までいる。

 

「なんというか……」

 

 ウーノは、つぶやく。

 自分の悩みなどどうでもよくなって来るほどに、フェイトのノリは軽い。いつも笑っていて、こちらの意表をついてくる行動ばかり取る。

 ――自分達と同じ、生体兵器であるはずなのに。

 ウーノはフェイトに向き直ると、肩の力を抜いて、言った。

 

「理屈としては貴方の考え、分からなくもないのです。体を創り換えられてしまった以上、今更、その原因を憎んでも仕方がない。ですが――そんな風に割り切れるものですか? まして貴方は、普通の人間として育って来たのでしょう? なのにどうして……」

 

「普通の人間として、育ったからさ」

 

「え?」

 

「普通の大学生として学校に通って、女の子からはそれなりにモテて」

 

「だから――だからこそ、憎んだのでは……」

 

 外の人間は、ウーノ達に優しくない。

 彼女達は広域次元犯罪者、ジェイル・スカリエッティに与する者として扱われているし、誰も使用済みで捨てられた戦闘機人のことなど見向きもしない。

 それをウーノ達が保護しても、賞賛されることもない。

 ウーノ達にとって、“外”は悪意に満ちた世界なのだ。

 そんな彼女の認識を知る筈もないフェイトは――、中空に視線をやって、懐かしむように目を細めた。

 

「でもさ。事実が分かるその瞬間まで、僕の父さんは、普通の父さんだったんだよ。ま、愛想はなかったけどね。昔から」

 

「ならば、余計に裏切られたという気持ちにならなかったのですか?」

 

「だから――ショックだった、ってば」

 

「ショックって……」

 

 その割にフェイトは明るい。底抜けに。

 ナンバーズにも明るい性格の少女――セインがいるが、彼女はまだ稼働して、それほど日が経っていないのだ。“外”のことも、自分が置かれた環境に絶望することも、まだ先の話である。

 だから――だからこそ、外で育ったフェイトのことが、ウーノには分からなかった。

 フェイトは言う。少しだけ、いつもより真面目な口調で。伏せ目がちな翡翠の瞳を静かに和らげて。

 

「でもさ。僕と同い年の奴が、僕の前に現れた時――そいつは僕に言ったんだよ。“自分で決めたことを突き進むだけの覚悟があるのか?”って。最初は、そいつが言ったことがどういうことなのか、全然分からなかった。――当然だよな。だって、僕はそれまでそいつみたいに覚悟なんて決めたこと無かったんだから。ただの大学生として生きて来た僕は、わけのわからないことに巻き込まれて、気が付いたら戦場に立ってた」

 

「…………」

 

 やはり、とウーノは思う。フェイトも他の戦闘機人達と同じように、人の欲の中に投げ込まれたのだ。“外”に安穏など存在しない。普通の人間ならばともかく、兵器として生み出された自分達には。

 この認識は誤りでないと、彼女は確認する。

 だが、フェイトは穏やかな表情のまま、言った。

 

「そいつにもいろいろと言いたいことはあるんだけど――。一つだけ感謝してることは、甘ったれた僕を叩き直してくれたことかな。正直、あいつの理不尽な訓練のおかげで、他の理不尽には、それなりに耐性がついたと思うし」

 

 フェイトはそこで視線をウーノに向けた。

 ウーノは目を見開く。彼が言っている“そいつ”が外の存在――普通の人間であろう事は予測がついた。連邦は、ミッドチルダほど、生体兵器を大っぴらに作れる環境では無いと聞いている。

 いくら“外”で育ったからとはいえ、“外”の人間の話を素直に聞いて、その者の下で訓練を受け――決めた道を突き進んだ結果が、今のフェイトなのだという。

 生体兵器でありながら、外の人間に支配されず、自由に振舞う――そんなことが彼の意志によって実現されたのだという。

 彼の言葉に、ウーノは胸が熱くなるのを感じた。

 

「それにさ、父さんも避けられなかったみたいなんだよ……。父さんは父さんなりに、悩んでて。それを今更、僕が責められるわけないじゃないか。だって、どんな父親だって僕にとっては父さんなんだから。――こんなんで答えになるかい?」

 

 フェイトはそこで、ぽりぽりと頬を掻きながら、窺うようにウーノを見た。翡翠の瞳を、二、三、不安そうに瞬かせる。

 彼は首を傾げて――言った。

 

「あれ? 僕、そんなにトンチンカンなこと言った?」

 

「い、いえ……」

 

 ウーノは首を振って、フェイトから視線をそらす。頬に手をやると、はっきりと分かるくらいに顔が熱を持っていた。

 

(外の世界との、共存……)

 

 一度はスカリエッティが模索した――過去の夢。

 ウーノの中で“何を考えているのか、よく分からない青年”が、実は尊敬すべき存在だったと知って、彼女の頬が不覚にも緩んでしまったらしい。

 いつも通り、ウーノは神妙な顔を作ろうと頬を引き締めるが――、熱くなった頬は、なかなか冷えなかった。

 フェイトが穏やかに笑う。ウーノは心臓が跳ねるのを感じながら、遠慮がちにフェイトを見返した。

 そんな――他に第三者がいれば、“良い雰囲気”と定義づけられそうな空気の中で。

 

「ふごぉっ!?」

 

 フェイトが突如、奇声を上げた。不覚にも前につんのめり、直後、喉元をパンパンと二度叩く。

 絞まる首、狭まる視界。彼が後ろを振り返ると――巨大な球体機械兵、ガジェットⅢ型の、ベルトコンベアのような腕が、フェイトの首根っこを無造作に掴んでいた。――正確には、巻き付いていた、と言うべきか。

 

「見つけた」

 

 Ⅲ型の隣にいる栗色の長い髪を、肩で一つにまとめた少女――ディエチは、捕獲されたフェイトを見るなり、こくりと頷いた。

 

 ぱんぱんっ! ぱんぱんっ!

 

「あ、ディエチちゃん!? ちょっ! 首はまずいかな、首は……!」

 

 そう訴えながら、フェイトはⅢ型ガジェットの腕を叩いてみる。――だが、相変わらず無視された。

 踵を返すディエチの背中を追って、Ⅲ型もぐるりと方向を変える。

 と、

 

「フェイトさん」

 

 思わぬ人物から声をかけられて、フェイトは首を巡らせた。Ⅲ型がこの上なく邪魔だが――、フェイトを呼び止めた声の主、ウーノがそこに佇んでいるのが見える。

 

「ほぇ?」

 

 フェイトは首を傾げた。実務的なこと以外は興味を示さないのが、ウーノだ。その彼女が淡く微笑んで、琥珀の瞳を穏やかに細めている。

 

「……ありがとう」

 

 そうつぶやいたウーノの優しい表情に、ディエチはきょとんと瞬いた。思わず足を止めたが、ディエチが何か言う前に、ウーノはさっさとモニターを片づけて、作業室の椅子から立つや別の部屋に引っ込んで行く。

 ディエチはその背を見送って――、Ⅲ型に捕らわれているフェイトを見下した。

 

「ドクター以外で、ウーノ姉があんな顔をしたのは初めて見た。――フェイト、何をしたの?」

 

「さあ?」

 

 フェイトも不思議そうに首を傾げている。が、カッと目を見開いた彼は、パンパンとⅢ型の腕を叩いた。

 

「っていうか、早く離して欲しいな! ディエチちゃん!」

 

「うん。キュー」

 

 ディエチがⅢ型ガジェットに向かって言うと、Ⅲ型ガジェット――ディエチにはキューと呼ばれているそれは返事をするようにレーザー口にもなっている、金色のレンズをチカチカと明滅させた。

 だが、腕は一向に弱まらない。

 フェイトは、カカッと目を見開いた。

 

「ていうか、早く離せよ! コイツ!! 離せよ!!」

 

 彼の主張は――残念ながら、部屋に着くまで通らなかったという。

 

 

 ………………

 …………

 

 

 作業室を出て、ウーノが廊下を歩いていると、壁に背をもたれさせたトーレが、腕を組んで待っていた。ウーノよりも深い紫色の髪をショートカットにした凛々しい女性は、ナンバーズの実働部隊長でもある。

 

「話を聞いていたようね」

 

 ウーノが視線を上げて問うと、トーレは切れ長の目を細めて、静かに頷いた。そして、口を開く。

 

「正直、驚いたよ。ただの子どもだと思っていたのだが」

 

 トーレが言葉を切り、琥珀の瞳を作業室に向けた。先程までウーノがフェイトと話していた――その部屋を示すように。

 トーレは神妙な面持ちで視線をウーノに戻すと、言った。

 

「子どもだったからこそ――受け入れられたのかもしれない。そう甘く見ていた。だが――……ウーノ、お前はどう見る?」

 

「彼ならば――彼ならば、私達の想いを分かってくれる……。そう、確信したわ」

 

「……そうか。私とはまったく逆の意見だな」

 

「トーレ?」

 

「私は、彼がドクターの障害となると――、私達の前にいずれ立ちはだかるだろうと思う。そう遠くない未来で」

 

 トーレが壁から背を離すと、寂しそうに笑った。

 ウーノもそれに、寂しげな笑みを返す。助けた戦闘機人と敵対するのは――何も一度や二度ではない。

 

「貴方の予測通りの未来が来ないことを――今は祈るだけね」

 

「私だって、妹達に気に入られている彼と、剣を交えたくはない」

 

「……そうね」

 

 ウーノは頷いて、視線を遠い彼方へとやった。

 

 

 

 その日の夕食。

 フェイトはナイフとフォークを握りながら、不思議そうに首を傾げた。

 

「どうした、スバル。今日は食べないな?」

 

 そう話しかけてみるものの、スバルはスプーンを握りしめたまま、ぼんやりとコーンスープを見下すだけだ。

 フェイトがパチパチと瞬いて、つぶやいた。

 

「……あれ? せっかくフードファイター・フェイト! にモデルチェンジしたのに、コイツ喰わないぞ?」

 

 少し煽ってみたが、やはりスバルはぼんやりとしたまま、スープに口を付けるだけである。いつもはまっさきに齧りつく肉類を素通りし、あまつさえ米にも手を付けない。

 

「?」

 

 夕食を用意したセインも、肩まで流れる水色の髪を揺らして、首を傾げた。

 フェイトとセインは互いに似たような表情で、互いを見合うと、何故だか元気のないスバルを、不思議そうに見やった――。

 

 

 

 そんなスバルが、自分の悩みを吐露して来たのは、食事と風呂が済んだ――夜のことだった。

 宛がわれた個室の窓を開け、ベランダに続くサッシの上で三角座りをした彼女は、視線を自分の両ひざに落としながら、つぶやいた。

 

「……フェイトさん。ちょっと聞いてもらってもいいですか?」

 

「よし! ズバッと言ってみろ!」

 

 フェイトはフェイトで、隣にある自分の部屋のベランダの手すりにもたれながら、スバルを振り返る。

 スバルはそれを視界の端に納めて、小さく――力なく笑った。

 

「ありがとうございます」

 

「スルー? 華麗にスルーだと!? “ズバッとってなんだよ!”とか言ってみろよ!」

 

「実は……」

 

「ここもスルーか!」

 

 カカッと目を見開くフェイトには構わず、スバルは中庭で会ったスカリエッティの話をしてみる。

 

 テロリストとして指名手配されているスカリエッティだが、管理局に牙を剥くのは、何やら理由がありそうなこと。

 そして、正しくなければならない管理局側に、何らかの落ち度があるということ。

 真っ当なやり方では、スカリエッティの言葉は聞き入れられない――ということ。

 

 スカリエッティと会話した事を話すと、フェイトは両腕を組んで感心したように頷いた。

 

「ふぅ~ん。なんだ、ジェイとそこまで会話したのか。僕はまだなんだけど」

 

「分からなくなったんです……。ジェイル・スカリエッティは広域次元犯罪者。人々の平和を乱す、犯罪者のハズなんです。私にレリックを入れようとした彼は、間違いなく犯罪者でした……。でも、今日話した彼は――。それに、ナンバーズって呼ばれてるあの子達だって……何も変わらないっ! 私達とどこが違うって言うんですか!? 血も涙もないハズの、広域次元犯罪者のハズなのに、どうして――!」

 

「そんなの当たり前じゃないか、スバル」

 

「え?」

 

 スバルは膝から視線を上げた。フェイトを見る。

 多くの恒星が近いこのミッドチルダでは、夜になると月のように大きな星が、いくつも浮かび上がる。それでも明るさは月に比べれば弱く、それらは淡い青色を地面に落とすだけだった。

 星々の輝きを受けたフェイトの稜線が、白く浮かび上がる。

 彼は、言った。

 

「世の中ってさ。こいつは善で、こいつは悪。って割り切れるもんじゃないだろ? まだまだ人生経験が甘いな、スバル☆」

 

「割り切れる……もんじゃない?」

 

「そ。正しいか間違ってるか、なんてのはさ。十人十色って言うだろ? 人それぞれなんだよ、考え方なんて。見る方向が違ったら、見え方も変わって来るってことさ」

 

「でも……でも! 管理局は正しいハズで――」

 

 正しくなければならないハズで――

 その言葉を、スバルは咄嗟に飲み込んだ。フェイトがわずかに視線を下げる。スバルの気持ちを汲んだように、彼は少しだけ――落ち着いた口調(トーン)で答えた。

 

「……うん、そうだね。正しくなくちゃいけないんだよね……、管理局は。――でもさ。この世に絶対的に正しいものなんて、ないんだよ」

 

「な……! フェイト……さん?」

 

 スバルの中の胸のざわめきが大きくなる。

 ならば自分はどうすれば――その想いを押しこんで、スバルはフェイトの言葉を待つ。

 フェイトは静かに、夜空から視線をスバルに向けて、言った。

 

「どんな奴にだって、持論はあるんだ。正論ってのは色んな人の分だけ、生きている人の分だけある。――そんでもってさ。組織って一枚岩じゃないだろ?」

 

「スカリエッティも言っていました。組織は一枚岩じゃない……。でも、それで済まされることと、済まないことがあるんだって。あの口ぶりだと……あの口ぶりだとまるで、管理局は……!」

 

「スバル、覚えとくといい。絶対的な正義がないのに、人々に押し付けようとすることがどういうことなのか……。正しい人間なんて到底いないんだ」

 

「でも、それじゃあ……! 私達を何を目指せばいいんですか!? 私達は魔導師なのに……! 管理局員が管理局を信じられなかったら、私は……――何を!? なのはさん達を、疑えってことなんですか!?」

 

「誰も疑えなんて言ってないだろ。……それにさ。皆が一つの方向を向かなきゃ、大きい力が出ないのは本当だしね」

 

「……」

 

 スバルはうつむく。

 管理局が――正しい組織とは限らない。

 フェイトはそう言う。それを分かった上で、いつも自分達に普通に――気さくに接していた。

 本当は――広域次元犯罪者と変わらないのかもしれないのに。

 

「フェイトさんは……、強いですね」

 

「何言ってんだよ、スバル! 僕がお前ぐらいの年だったら、今頃能天気にバスケやってるだけだよ?」

 

 ぽつりとつぶやいたスバルの言葉に、フェイトはカラカラと笑って返してきた。スバルは顔を上げる。

 

「え?」

 

「ポイントガード・フェイト! それが、僕の二つ名だった……。左手はそえるだけ!」

 

「……ホントなんですか?」

 

「うむ! 僕ぐらいの身長でも、ゴール下は任せられなかったんだよ。クッ! リバウンドが出来ねえ! あの時――あの時、バニ神の加護を得しシューズさえあれば……!!」

 

 そう言って、ぐぬぬ、と唸りながら拳を握るフェイトは、どこまでもいつも通りのフェイトで――

 自分が悩んでいるのが馬鹿らしく思えて来るほどに、軽くて、軽い。

 スバルは思わず、笑いだした。

 

「でも、ホントにフェイトさんが……?」

 

 そう問うと、フェイトは拳を握るのを止めて、小さく苦笑した。決まりが悪そうに青い髪を掻いている。

 

「正直言えばさ。二年くらい前の僕だったら、スバルには手も足も出ないよ。――そもそも、人間的にダメだしね、あの頃は。だってさ? 自分の親があまりにも凄過ぎるって言って自暴自棄なんだよ? 世話焼きの幼馴染が呆れるくらい、毎日ゲームばっかりやってね」

 

 フェイトは肩を揺らすと、再び視線を空に向ける。

 懐かしむように――宇宙を見上げるように。

 

「いきなり戦いの中に放り込まれた時は、右も左も分からなくて、怯えて、震えて、逃げ惑って――助けられてたくせにさ。それに気付くことも出来なくて、ただ喚き散らしてるだけだった……。その時の僕に比べたら、スバル。――君は凄いよ」

 

「…………」

 

 フェイトにそう言われて、スバルは思わず顔を俯けた。

 そんな事を言われても、実感が伴わない。胸のざわめきは少しも晴れはしない。

 憂鬱な彼女の表情を見てとったのか、フェイトは穏やかに笑って言った。

 

「自信持てよ」

 

「でも、信じられません……。フェイトさんがそんなだった……なんて言われても」

 

「スバル。最初からカッコいい奴なんていないんだよ。色んな目に遭ってさ、打ちのめされたり、ボコボコにされたり――。そうやって、自分は無力なんだって思い知らされて。それでも、前を向いてた奴だけが、強くなったりカッコ良くなったりするんだ」

 

「フェイト……さん?」

 

 スバルは顔を上げる。翡翠の瞳はいつものようにおどけた調子では無い。

 アウグと言う人形からスバルを助けてくれた時のように――知性に満ちた、凛とした眼差しだった。

 スバルは自分の胸の鼓動が、跳ねるのを感じる。顔が赤くなる前に、フェイトから視線をそらした。フェイトはベランダの手すりに手をついて、言う。

 

「僕は、自分がカッコいいだなんて言わないよ。僕だって、相当思ったからね。皆に守られてさ、ガキみたいに喚くだけで――。分からなくて、悔しくて、わけわかんなくて――。それでも周りは待っちゃくれないんだ。戦いに慣れろって、人を殺せって。――そんな時だ。僕の前に、アイツが現れた」

 

「アイツ……?」

 

 問うと、フェイトは深い溜息の後、どこか嬉しそうに笑った。

 

「悪魔みたいな奴でさ。丘を斬るような化物刀を振り回しては、僕をとことんまで鍛え上げるとか言って、――加減抜きだぜ? 最強の精鋭部隊とか言うのに入ってる軍人のくせにさ、僕を殺す気満々なんだよ。そいつのシゴキに比べたら、なのはさんの教導が生ぬるく見えるくらいなんだ」

 

「そんなに?」

 

「ああ。素人の僕をとことんまで追い込んで、気絶する寸前で回復魔法をかけてくるから、オチオチ倒れてもいられない。体力より先に心が折れるっつーの」

 

「そんな……そんな滅茶苦茶な訓練に、どうしてついて行けたんですか?」

 

 スバルが目を丸めて問うと、フェイトは頬を掻いて、笑った。

 

「そいつは僕に言ったんだ。“幼馴染に会いたいのなら、人を殺すな”って。綺麗なままで居ろ。その為に強くあれってね。誰かを殺さなくても生き残れるくらい強くなって――、その信念を貫き通せるだけの強さを持てってアイツは言った」

 

 フェイトは手摺を握りしめる。

 もうここには居ない誰かを――思っているようにも見える所作だった。

 

「僕が貫こうとする信念は、アイツと剣を交える事より遥かに難しい――ってね。……そうだよ、スバル。信念を貫くって、難しいんだ。でもだからって、そこで逃げちゃいけないんだ。何もかも、難しいことを他人に任せて、自分はただ批判するなんてそんな無責任なこと――例え目の前で誰かがやったとしても、僕はやらなかった。そのために僕は強くなりたかった。父さんや――ソフィアを迎えに行くために」

 

「フェイト、さん……」

 

 スバルは拳を握りしめて、ゆっくりと立ち上がる。するとフェイトの長い腕が伸びてきて、ポン、とスバルの頭を撫でた。

 

「焦るなよ、スバル。――悩めばいいさ。ただ答えを見出した後は――、誰よりも駆け抜けろよ。お前には、それが出来る最高の相棒がいるじゃないか」

 

「……はいっ!」

 

「うん。良い返事だ」

 

 そう言って、フェイトはにんまりと笑う。

 スバルの胸のざわめきも、少しだけ落ち着いたような気がした。

 

 ぐきゅる~っ

 

「ん?」

 

 突然聞こえて来た緊張感のない音に、フェイトは首を傾げる。するとスバルは顔を真っ赤にして、自分の白いお腹に触れた。

 

「な、なんだか……急にお腹が……」

 

「ハハッ! いいだろう! “フードファイター・フェイト!”が相手になろう!」

 

「なっ……!?」

 

「セインちゃ~ん! セインちゃ~ん!? もう一回、ご飯作ってくれるかなぁ~!!?」

 

 そう言いながら、フェイトは早速部屋に引っ込んで行って、大声で叫ぶ。相変わらず、数秒もするといつも通りのフェイトだ。

 底抜けに明るくて、心地よいくらいに軽い。

 スバルはフェイトの部屋の見つめて、頬を赤くしながら

 

「……ありがとう、フェイトさん」

 

 小さくつぶやいた。

 紺碧の空に散った星々が、明るくスバルを照らしていた――……。



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休暇イベント1 他人事だと言いきれないのはなぜだ?

 なのはもそうなんだけど、自分が怒られるとすぐに逃げちゃうのは、ダメだと思うんだ。皆、君の事を心配して言ってるんだし……。
 ――って、やっぱりお説教かな? By フェイト・テスタロッサ


 初めての、機動六課の――フォワード達の休日。

 新人達皆が楽しく出かけて行った時、シャスは何かを決意してなのはの前から、機動六課から居なくなってしまった。

 どうして、と今考えてみても答えは出ない。

 シャスは私やなのは達に何かを伝えようとしていたみたいだったケド――。

 

 そんな事を考えながら、私――フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは一人の青年を探していた。黒髪に金と銀の瞳の――ゲヴェルという種族のカーマイン・フォルスマイヤーという青年を。

 カーマインは――なのはに、シャスの何かを伝えたみたい。その時のお礼として、なのははカーマインに空戦魔法を教える約束をしたんだ。シャスと別れた後、二人で手分けして探していると――。

 

 六課隊舎の敷地内にある沿岸に座って、黙々と誰かが刃物を手入れしている。抜いた刀を右手で持ち、拭い紙で、棟方(刃がついてない方)から、古い油を丁寧に拭きとっている。元々、彼の武器――レギンレイヴは、手入れを必要としない道具だけど、カーマインは貴重品に触れるように、あくまでも念入りに取り扱っているみたい。

 魔導師が多いミッドチルダでは珍しい光景だ。

 でも――私は、その光景を懐かしく思った。私の記憶の人物と違うのは、髪の色。想い出の人物は銀髪で、彼は黒髪。やっと――見つけた、カーマインだ。

 かつてシャスがナイフを研いでいた場所で、同じ姿勢でカーマインは自分の――西洋剣の様な造りの刀を丹念に手入れしている。

 一心不乱――今のカーマインは、外の世界の事に一切関心を持たず、一心不乱に刀の刃を拭き、打粉で刀身を軽くポンポンを打って、先の拭い紙とは別の拭い紙でその白い粉を拭っている。この操作を二、三回繰り返して油のくもりを完全に取り去ると、カーマインは銀色に光る刃を観照した――。

 その光景は、刀をまるで道具ではなく魔導師のデバイスの様に扱っているように見えた――。私にも、バルディッシュがいるから分かる。何より、彼の記憶を見た私には納得してしまった。

 

(この刀は――俺に理想を貫かせてくれた。俺にレギンレイヴは捨てられない)

 

 自分の命を削ってまで、不殺を貫くカーマインの姿は、ずっと私の中のなのはのイメージに重なっていた。

 なのはも決して口には出さないものの、何らかの無茶を抱えている気がする。

 それは、シャスが別れ際になのはへ言った

 

(アンタは自分を省みない)

 

 という言葉からも、密かに読みとれたような気がした。

 ――シャスも、多分なのはについて何か思うところがある。

 

 そう言えば、なのはが「カーマインはシャスのことを誰よりも理解していた」って話をしてた。もしかしたら――カーマインは、なのはについても何か思った事があるかも――。

 私は、思い切ってカーマインに訊いてみることにした。

 

「ここに居たんだ」

 

「俺に何か?」

 

 声をかけるとカーマインはその金と銀の瞳をこちらに向けて来る。なのはに似た強い意志を宿した瞳を――。

 

「邪魔してごめんね。ちょっとカーマインに聞きたい事があって……」

 

 私がそう告げるとカーマインは微かに苦笑して頷いた。私はカーマインの隣に腰を下ろす――。ソコから見える景色は見慣れたはずのものなのに、懐かしい気がした。

 

「懐かしいな、シャスもね――ここでナイフを研いだりしてたんだよ」

 

「アルフが? なるほど、な」

 

 私の言葉にカーマインは納得したように一つ笑った。小首を傾げる私に、カーマインは応えてくれた。

 

「この場所は、とても静かだ。自分自身を問いかけるには丁度いい」

 

「自分自身を――問いかける?」

 

 カーマインは一つ笑って返してきた。

 

「あくまで俺の考え方だ」

 

 そう一言ことわってから――話してくれた。

 

「――俺は、自分自身に問いかけるようにしている。この刀を振るうと決めた時から、自分自身を振り返る。自分は――不殺の斬戟を使うに値するか? 相手の信念に対し、闘うにふさわしい自分であるか、と」

 

 刀を研ぐ彼の瞳は真剣そのもの。その瞳の奥にあるのは苦悩、だと思う。彼は――常に自分の在り方に疑問を感じているんだ――。情を重んじながら、情を無下にしてしまう自分自身に――。

 悩んでも、考えても――変えられないと知りながら。それでも――。

 

「――シャスも、そんな事を考えてたのかな?」

 

 あの時、シャスも何かに悩んで――ソレを自問自答しながら研いでいたのかな。私が何となく呟くと――

 

「俺は、彼じゃないから分からない。あくまで今のは俺の感想だよ」

 

 笑いながらカーマインは応えてくれた。そして、研ぎ終わった――自分の左手に持つ刀を、その刃を見る。

 そんな悩みを持つカーマインだからこそ、私は聞いてみた。シャスを六課に居る誰よりも理解し、私になのはに似ていると思わせた彼だから――。

 

「そう言えば――なのはのこと、どう思う?」

 

「藪から棒だな」

 

 冷静に淡々と刀を鞘に戻しながら話すカーマインに私は、更に続ける。

 

「うん。でも君の持ってる、なのはの印象を知りたくて。――なのはのこと、どう思う?」

 

 その言葉に、カーマインはその冷たい美貌を少し歪ませて――真剣に考え込み、なのはの印象を応えてくれた。表情の変化はほとんど無いが、真剣な口調で。

 

「一言で言えば、頑固者、かな?」

 

「……それは、そうだね」

 

 宙を見ながら口を開くカーマインに、私も静かに頷く。彼は更に続けた。

 

「周りの心配を省みず、自分の決めたことを貫き通す。人のことをとやかく言う前に、少しは自分のこと見ろよ、とか」

 

「そうだよね!」

 

 私は思わず両手を握って、強く頷いてしまう。そんな私を見て、カーマインは若干後方に身を退きながら、顔を僅かに歪めた。小首を傾げる私に、言いづらそうにカーマインは言った。

 

「――耳が痛くなるから、あんまり言いたくないんだが」

 

 そこで、私もどうしてカーマインがそんな態度なのか見当がついた。

 

「……あ。カーマインも、そう言えばそういう気質だったね」

 

「分かってて言ったんじゃないのか? どんなイジメだよ、と思ったよ」

 

「自覚があるなら、治すべきだよ」

 

 ため息混じりで返すカーマインに、思わず苦言してしまう。だって――自分の行動で周りの人がどれだけ心配するか、考えるべきなんだ。カーマインも、なのはも。

 

「それで治せりゃ苦労はないんだけどなぁ」

 

「真剣味が感じられません」

 

 弱ったように宙を見据え――私から目を反らして、ぼやくカーマインに、私は腰に手をやり胸を張って告げた。

 

「――なのはさんの話だったよな?」

 

 カーマインは、急に話をなのはに戻す。分かりやす過ぎる反応だけど、私もなのはについて聞きたい事があるから、笑みを堪えて、聞いてみた。

 

「ん? うん。――私ね、なのはが何か隠してるように思うの。なのははちょっと目を離すとすぐに無茶するから……。でも、なのはが何を隠してるのかは分からなくて――」

 

「それを俺に訊いてどうする?」

 

「カーマインなら分かるかな? って」

 

 シャスの気持ちとか――想いとかも、分かったみたいだし――。と期待に瞳を輝かせて見つめてみると、彼は――これ以上ないほどに呆れて顔を歪めていた。

 

「俺はエスパーか……!」

 

 言われてみると、御尤もなんだけど。――でも。

 

「……だって、“カーマインはシャスに近い”ってなのはが言ってたんだもの」

 

 シャスも、なのはがムリしている事を見抜いていたようだった。だったら、シャスと同じ慧眼を持つカーマインなら――。

 そんな私の様子に、カーマインは何かを感じ取ったのか。瞳を閉じ――瞑目してから、ゆっくりと形の良い唇を開いた。

 

「あくまで俺の――憶測だし、なのはさんとはそんなに喋ったわけでもないし。……ねぇ」

 

 これまでの様に歯切れの良い話し方じゃ、無い。何か、話づらそうな様子に、思わず私は眉根を寄せてしまう。――もしかして。

 

「ただ、隠しごとがあるっていうのは、誰にでも大なり小なりあるんじゃないのか?」

 

 カーマインは無表情に問いかけて来る、その額に冷や汗をかきながら。そんな彼に、私は思っていた事を告げてみた。

 

「でもね。なのはは隠しちゃいけないことまで隠すと思うの」

 

「耳が痛い……!」

 

 途端、顔を歪めて耳を押さえ蹲るカーマイン。その時、私の頭の中に、彼がしてきた無茶な行動が浮かんできた。

 

「そうだよ、カーマイン! あの時、アステアやシーティア、ルイセ達がどれだけ悩んだと思ったか……!」

 

 思わず詰る私に、カーマインは慌てた様子で話してきた。こちらに向けた両の手はパーで、降参と言っているようにも感じる。

 

「待て待て! なのはさん、なのはさんの話だよな!? ――そうだよな! なのはさん、無茶してるよな!!」

 

 途中から真面目な表情――というか、必死に話題を背けようとしている姿を見て、私は――そう言えば、なのはも私が無茶しないでって言うとごまかしてたのを思い出した。

 

「…………やっぱり真剣味がない」

 

 その時のなのはと、今のカーマインが重なり、思わず胸が寂しくなってしまう。どうして、この人達は私達の想いを分かってくれないんだろう――って。

 

「いや、あるある! 真剣だって今!」

 

 そんな私の表情を見て、カーマインは焦った様子で告げて来た。その彼の表情も、なのはと重なってしまう。私は――カーマインの向こうに見えるなのはに、聞いてみる事にした。

 

「言いだしにくいものなのかなぁ……」

 

 私の言葉に――カーマインは意外と真剣に応えてくれた。

 

「と、言うよりは、それで自分がやることを止められるのが嫌なんだよ。言い出したら止められるって、分かってるしな。それに自分を想ってくれる皆に心配をかけたくないってのもあるな。――自分で言ってて、耳が痛いや……」

 

 最後に顔を歪めるカーマインに、聞いてみる。コレが―― 一番聞きたい事。

 

「……どうしたら、少しは楽になれるかなぁ?」

 

 私を助けてくれたなのは。彼女の為なら――私は何だってできる。だから――。そんな私にカーマインは首を傾げた。

 

「楽になるってのが、どういう意味だかよく分からないんだが……?」

 

「カーマインの言ってた事って、全部自分で大事なことは抱え込んじゃうってことでしょ? 悩みとか、苦しさとか。それをどうやったら、少しは和らげてあげられるのかなって」

 

 一人で抱え込まず、私も一緒に苦しんで生きたい。なのはが苦しい時、悲しい時――私は、何が出来るの?

 

「傍に居てあげればいい」

 

「それだけ?」

 

 あまりにアッサリな一言に、私は思わずカーマインを見つめた。彼は――その強い眼差しを私に向けて、優しく笑った。

 

「ああ。――それで十分だ」

 

「他にやることは?」

 

 傍に居て――他に、出来る事があるの? 思わず意気込んで、身を乗り出す私に。カーマインは首を横に振る。

 

「誰かが傍に居てくれるだけで、自分は一人じゃないって、思えるもんなんだよ」

 

「…………」

 

 何かできると思ったのに。落ち込む私を諭すように、カーマインは静かに――力強い言葉を口にした。

 

「そうやって誰かが傍に居るだけで、見守っていてくれるだけで――。ただそれだけで見守られている人は力をもらえる」

 

「それじゃ割に合わないよ」

 

 その答えに不満な私は思わず眉根を寄せて抗議する。すると、カーマインは困ったような表情を浮かべた。

 

「しょうがないだろ? なのはさん――あの人、俺によく似てるし。あんまり言うと自分の首をしめるんだ……」

 

 やっぱり、言い訳……。自分のことにもつながるから言いたくないなんて……。不満げな私の表情を察して、カーマインは続ける。

 

「フェイトさんだって、記憶に有るだろ? 辛い時――悲しい時、ただ傍に居てくれるだけで、一緒に泣いてくれるだけで、救われた事」

 

「……傍にいる、か……」

 

 カーマインの言葉に、私は使い魔のアルフを思い出した。辛い時、悲しい時――いつだって、アルフは傍に居てくれた。

 

 確かに……。私は、アルフに救われていた。その事を――今更ながらに思い知る。そんな私を見て、カーマインは苦笑気味に言ってきた。

 

「でもさ、フェイトさん。なのはさんも大概だけど、アンタも大概だと思うよ?」

 

「私が?」

 

「――頑固者、ってところはね」

 

 首を傾げた私に、間髪いれずに応えるカーマイン。

 

「カーマイン達ほどじゃありません」

 

 私は、はっきりと応えてあげる。周囲に心配ばかりかけさせるこの人達に――。

 

「何故、俺が怒られてるんだ……!」

 

 愕然とした表情で蹲るカーマイン。ソレを横目に見ながら、ほんの少しだけ、一瞬だけ口元に笑みを浮かべて――。

 

「……。(なんだろう……俺、この人苦手だ……!)」

 

 弱り切った表情で、何かを目で伝えて来るカーマインに、再び私は表情を引き締めた。

 

「だって自覚してるのに、治さないんでしょ?」

 

「うん。まあ……俺のは、頑固じゃなくてわがままだけどな」

 

 わがままな人って、頑固って意味じゃないかな? と思いながら――私は胸を大きく張り澄まして応える。

 

「それならなおさら、叱られて当然です」

 

「別に……、褒めてくれって言ってねえだろ」

 

 ――何となく、弱り切ったその表情が、なのはに似ていて。ますます笑ってしまう。

 

「だって、なんで怒られるんだって言うから」

 

「だからって、今、俺がやったわけじゃないだろ!」

 

 私の言葉に冷静に見えた表情は、しどろもどろになりながらも必死に訴えかけてきた。でも――

 

「でも、前科はあるよ?」

 

「過去は過去、今は今だ」

 

「でも、治してないんでしょ?」

 

 何とか言い返そうとしてくるカーマインに、私は事実を告げてみる。――すると、彼は明後日の方向を向いて呟いた。

 

「――――なのはさんには困ったもんだなぁ……!」

 

「そうやって話題を逸らすし」

 

 ちょっと流石にそれでごまかせると思ってるのかな、と聞いてみると、カーマインは必死な表情で、告げて来た。

 

「フェイトさん、他に何か話題はないのか!?」

 

「……うーん。一番聞きたかったことが、それなんだよねぇ」

 

 本当に余裕がないみたい。とりあえず、他の話題を考えてみるけど……。なのは以外のことは特に無いなぁ……。

 

「あ、そう……。ホントなのはさん、困った人ですねぇ」

 

「今、その言葉を聞くと、全部なのはがカーマインに聞こえるよ?」

 

 小首を傾げながら問いかけるとカーマインは冷静に取りつくろった表情に滝の様な汗をかき始めた。その表情を見ながら、思う。

 

「だからきっと、ティピも蹴っちゃうんだろうなぁ」

 

 これだけ周りの人が――心配してるのに、誤魔化して、無茶して、傷ついて――。

 

「なんでいつの間にか説教になってるんだ……!」

 

「あれ? 説教になってた?」

 

「……(……自覚なしか! まあ、とにかく終わって何よりだ)」

 

 何となく、抗議めいた視線を送ってくるカーマイン。ソレに意味が分からず小首を傾げてみると、彼は私から目を反らした。

 

「傍に居る、か……」

 

 カーマインの言った言葉を反響し、空を見上げる私。すると、私の横でカーマインが咳払いをして言った。

 

「真面目な話だが――。俺だったら、自分の大切な人の為に戦うことは苦でも何でもない。ただその人達の傍に居られれば。その人達が笑っていてくれれば、俺はそれでいい」

 

「でもさ。それって――肝心のカーマインが入ってないんだよね」

 

「大切な人達の笑顔が、傍で見ていられる――俺はそれで十分だ」

 

 言い切るカーマインに、思わず問い返した。

 

「…………ねえ、もしも逆だったらどうする?」

 

「逆?」

 

「うん。あの時――もし、不殺の剣を使ってるのがカーマインじゃなくて、君のお姉さんのシーティアだったら。それで、シーティアがそのままほっといたら死んじゃうって分かったら、カーマインはどうする?」

 

 不安げな私の視線を受け、カーマインはハッキリと応えた。

 

「ひっぱたいてでも止めるだろうな」

 

「そうなの!?」

 

 思わず両拳を握って前のめりになってしまう。だって――意外だったから。自分の意志を相手に押し付けるのは、わがままで――正しくてもやるべきじゃないってカーマイン自身が言った事なのに。

 

「――あの時、もしもシーティアだったら俺が止めてる。そして――シーティアに変わって俺がヴェンツェルを倒す。アイツが残りの命を他の人達と一緒に暮らせるように、な」

 

 笑っているカーマインの姿は、恐らく本気。そこには――彼女への想いが溢れていた。

 

「――そ、それじゃあそれからは?」

 

「そう言っても聞かねえんなら、羽交い締めにして、スマキにして地下室に放り込む――。とりあえず、シーティアが動けないようにするな」

 

 淡々と恐ろしいコトを平然と口にする。目が完全に、本気だった――。私は、思わず顔を蒼褪めてしまう。

 

「……そ、そこまで!?」

 

「て言うか、そこまでしないと止まんねえし」

 

 シレっと言い捨てるカーマイン。ソレに私は――感心していた。と同時に、落ち込む。

 

「……そっか。そこまでやっちゃわないといけないんだね……!」

 

「でも、なのはさんにそれを当てはめるのはどうかと思うぞ」

 

 そんな私にカーマインは何かを口にしていたが、それよりもハッキリと分かった。例え力づくになったとしても――止めなくちゃいけない時があるんだって。

 

「ありがとう、カーマイン! 参考になったよ!」

 

「待て待て、ちょっと待て! 今のを参考にす・る・な!」

 

 決意を新たにした私に、何故かカーマインは必死になって止めて来る。アドバイスだと思ったのに――。私は、ちょっと寂しそうにカーマインを見て抗議した。

 

「……真面目に答えてくれたんじゃないの?」

 

「真面目には答えたが、今のはシーティアを限定にして言ったんだ。大体、フェイトさんになのはさんをボコボコに出来るとは思わないぞ。――違うか?」

 

 私はその言葉に、鈍器で頭を殴られたような衝撃を受け、カッと目を見開いてしまった。

 

「――そっか。つまり私は、そういう所でもシャスに先を越されてたんだね……。むむむ……!」

 

「……ある意味そうなんだけど。勘違いが的を射ている分、余計にタチが悪いな。おい」

 

 カーマインがぶつぶつと何かを言っているが、その間に――私は思考を巡らせる。

 

「う~ん。なのはをジッとさせる方法か~」

 

 私は顎に手をやり、考え込む。思いつく限りの方法で言えば――。

 

「やっぱり紅茶に唐辛子からかな? ……うぅ、でも辛いからお砂糖? でも取り過ぎると体に悪いよね……う~~ん」

 

 真剣に考え込む私に、カーマインは抗議めいた視線を送って来た。

 

「俺の一番最初の、傍にいて欲しいって奴は無視か、おい。あれが本命なんだけどな」

 

「傍にいるだけじゃ物足りないよ」

 

「だったら――その想いを思いっきりなのはさんにぶつけてみたらどうだよ? なのはさんなら、真剣に話したら、それなりに向き合ってくれるだろ? 俺と違って」

 

「カーマインはなのはの頑固さを知らないから言えるんだよ!」

 

 困って眉根を寄せる私に、カーマインは冷静な表情で告げて来た。

 

「……うん。それで言い負かされてるようじゃ、まだまだだな」

 

「なのはを言い負かせるようになったら、勝てる?」

 

「て言うか、なのはさんって……打たれ弱そうだけどな」

 

「……でもね、カーマインみたいに違う話を持ってくるの」

 

「俺の時くらい押しが強かったら大丈夫」

 

「でもね! そういう時に限って、お仕事入っちゃうの!」

 

 タイミングって言うのかな……。どうしても、大切な話をしようとすると――。と、カーマインが嘆息混じりに言ってくる。

 

「いや、俺正直……あの押しでどうして辞める気にならなかったのか、分からない。あれか? なのはさんが好き過ぎて、あんまり強く押せないとか――そういうオチか?」

 

「そんなこと…………、ないと思うけど」

 

「自覚なしかよ……」

 

 眉根を寄せて考え、応える私にカーマインはがっくりと項垂れた顔を右手で覆った。

 

「うぅ~~ん。ともかく、訓練場に行こうか。カーマイン」

 

「ん? 訓練場? 何故、この話の流れで訓練場?」

 

 キョトンとして問い返すカーマインに私も小首を傾げて問い返した。

 

「だって、なのはに飛行魔法教わるんでしょう?」

 

「え? もしかして、それで俺を探してたのか?」

 

「うん。ごめんね、長話しちゃって」

 

 ちょっと話すだけのつもりが、大分長話になっちゃったことに詫びると――カーマインは力なく項垂れて言った。

 

「……前置き長ぇ! しかも、すげえ抉られるような前置きだった」

 

「私にとっては前置きじゃないもん!」

 

 ムッとなって言い返してみる、が私の心配ごとを聞き流していたかのようなセリフに思わず、しょんぼりしてしまう。

 

「やっぱり真剣じゃない……」

 

 そんな私に、カーマインは取り合わずさっさと立ち上がって言った。

 

「……もう好きにしてくれよ。訓練場、訓練場……」

 

「ウン……。案内するね」

 

 笑顔で答えて前を歩く私は、ふと思い返したようにカーマインを振り返った。

 

「聞いてくれて、有難う。カーマイン」

 

「……。どういたしまして」

 

 まだ表情の硬い彼にクスクス笑ってしまう。そんな私の背を見ながら、彼は何か別の事を考えているようだった。

 

「……(実際、アルフはそう言う意図があって戦ったみたいだしなぁ……。まあ、言ったら本人、すごく怒るだろうから言わないけど)」

 

 こうして海岸が見える階段を後にする二人だった。




 人の振り見て、我が振り直せという名言があるが……。自分に当てはまると物凄く抵抗を感じる言葉なんだと今日、気付きました。何故だろう……? つうか、完全に説教だよなコレ……。
     By カーマイン


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休暇イベント2 複数対一ってのは騎士というか人としてないだろう?

フェ「久しぶりに思い切り頑張ろう? バルディッシュ」
シグ「フフ……。レヴァンティンよ、いくぞ!」
ヴィ「……おい、なのは。あの二人、ちょっと張りきり過ぎじゃねえか?」
なの「えっと……! ぜ、全力全開!!」


 機動六課の訓練場。今回は森林のステージを選択されているフィールドに、フェイトに案内されてカーマインが来ると、その場には高町なのは以外にも、人がいた。

 スターズ副隊長ヴィータとライトニングの副隊長シグナムの二人。更にアステアとティピも居た。

 

「これは一体、どういうことだ?」

 

 集まった面子はどう考えても、空戦魔法を教えてくれるだけにしては――仰々し過ぎる、とカーマインはなのはに視線を向けた。

 

「空を飛ぶ魔法を教えてくれるんじゃなかったのか?」

 

 カーマインの瞳を彼女は真っ直ぐに見返してきた、その身に纏っているのは、魔導師のバリアジャケット。他の副隊長二人も騎士甲冑に身を包んでいる。

 

「その通りだよ、でも……どうしてもカーマイン。君とは戦ってみたいの」

 

「な、なんでそんな急に?」

 

 言い放たれた言葉に、カーマインはキョトンとした表情で問い返す。――と、なのはの隣で静かに佇んでいたシグナムが声をかけてきた。

 

「急にでは無い、カーマイン殿。私は――貴方の記憶を見た。ここにいるテスタロッサもだ。だからこそ貴方の強さを、直接知りたいと思った」

 

 バルディッシュを掲げ、フェイト・テスタロッサもバリアジャケットに身を包む。そして――その深紅の瞳でカーマインを見据えて来た。

 

「カーマイン。君の、その強さは本物。だから――今の私が、君相手にどれだけ戦えるのか、知りたい……!」

 

 紅いゴシックドレスに身を包み、グラーフアイゼンを握りしめるヴィータ。

 

「ここにいる皆で話し合ったんだ……! 私となのはは、アルフにこっぴどくやられた。あの時、なのはを助けることばかり考えて、敵の動きを見ちゃいなかったのはアルフの言う通りだ――。だけど、私達はもっと強くならなくちゃいけないんだ! 仲間を守る事が枷だなんて認めるわけには、行かねえ……!」

 

 白いバリアジャケットに身を包み、レイジングハートを構えるなのは。

 

「そしてあの時、シャスを止めるのに何が足りなかったのか知る為に。――カーマイン君、勝負!」

 

 彼女達の尋常ならない気合いを感じて取り、カーマインはこめかみに冷や汗を一筋かく。

 

「な、なんでそんな流れなんだ……! 何か勘違いしていないか? 俺は別に、そんな強いわけじゃ……」

 

「君は強いよ。たぶん――私達が知る、どんな人よりも」

 

「そ、それは買いかぶりじゃあ……!」

 

 なのはの言葉に、カーマインは弱々しいながらも割と本気の拒絶をしてみる。しかし

 

「どんな人よりも、かどうかは知らないが、それを知る為にも剣を交えてもらおう」

 

 シグナムが静かに己のデバイス・レヴァンティンを抜き放つ。ソレゾレ武器を構える隊長副隊長陣に対し、アステアがあきれ顔で告げた。

 

「ただ戦いたいだけじゃないのか? 貴様ら」

 

「そもそも四対一って……。ちょっとキツくないか!?」

 

 その言葉にカーマインが割と必死の様子で続ける。

 

「何言ってんのよ、アンタ達! なのはさん達は能力制御されてるんでしょ? だったら、それくらいのハンデあげなさいよ!」

 

 ソレをにべも無くあしらったのは、カーマイン達と付き合いの長い妖精――ティピだった。アステアが驚愕の表情で問い返す。

 

「ハ、ハンデだと……? そもそも、“アンタ達”って……まさか俺もか!?」

 

 その言葉にヴィータが声を上げる。

 

「当たり前じゃねえか! 陸士107部隊を襲ったゲヴェルって奴の実力を私達も肌で感じなきゃいけねえ」

 

 隣に立つフェイトがバルディッシュのザンバ-フォームを正眼に構える。

 

「どんな理不尽にも立ち向かう為にも」

 

 シグナムが、レヴァンティンの刀身に炎を宿す。

 

「私達の信念、貫き通す為に」

 

 そして――なのはが、レイジングハート・エクセリオンを両手で持ち、カーマイン達に向ける。

 

「全力全開で――行くよ!」

 

 

 余りにもやる気満々な隊長陣に、カーマインは最後の抵抗を試みた。

 

「きょ、拒否権とか……ないのか?」

 

「いつまでゴチャゴチャと言ってんのよ! なのはさん達がここまで言ってんだから、男のアンタ達が覚悟決めなくてどうすんの!」

 

「し、しかし……」

 

 ティピの言葉にも、何とか返そうとするカーマイン。その横でアステアが嘲笑し、なのは達を見据えた。

 

「フッ! そもそもだ。なんで俺達がこんな座興をせにゃならんのだ。模擬戦なら、自分達だけでやればいいだろうが」

 

 その言葉に、ティピの額に四つ角の血管が浮き出た。

 

「ティーピーちゃぁあ~~ん!」

 

 ソレをカーマインとアステアは同時に気付く。しかし、時は既に遅かった。

 

「しまっ!」

 

「よせ――」

 

 抗議、というより懇願と言った感じの二人の言葉が発せられるよりも早く、小さな影が二人の顔面に急降下した。

 

「キィイーーーーック・クロォーースッ!!」

 

 ドゴォウッ バキィッ 思い切り仰け反る二人の美貌の青年。

 

「ぐはっ!」

 

「がはぁっ!」

 

 そんな二人をにんまりと眺めてティピは両拳を腰に当て、問いかける。

 

「やる気になった?」

 

 愛らしいしぐさとは裏腹の強烈な蹴りに、涙目になりながら、カーマインは頷いてなのは達に向き直った。

 

「……っ、っっ……! やればいいんだろ! やれば!」

 

「お~のれぇえっ!」

 

 隣で蹲るアステアも見栄を張って立ち上がり、なのは達を睨みつける。やる気になった二人を見て、なのははティピにニコッと微笑みかけた。

 

「ありがとう、ティピちゃん」

 

「えへへ☆ なのはさん達にはお世話になったんだもん。これくらい朝飯前よ!!」

 

 ティピも元気よく、なのはに笑顔で返す。

 

 ヴィータは静かに、カーマインとアステアを見比べながら、告げた。棒っきれ一本で勝負を挑んできた蒼い髪の青年を思い返しながら。

 

「にしてもフェイトと違って、こいつら……強いくせにえらい腰抜けだな」

 

「腰抜け、だと?」

 

 その言葉に、アステアがピクリと片眉を上げて不快気に睨みつける。隣のカーマインが思わず首を傾げる程に大人げない、反応だった。

 

「お、おい……アステア?」

 

  アステアは自分を止めようとするカーマインを無視して、ヴィータの前に歩み寄ると、彼女を帽子の上から見下ろし、吐き捨てる。

 

「チビが! いい気になるな」

 

「テッ、テメエ! 誰がチビだ!」

 

 アステアの大人げない言葉に、愛らしい眉毛をつり上げ、ヴィータもムキになって反論する。その反応にアステアは冷笑を口元に浮かべた。

 

「チビじゃなきゃガキだな」

 

「私を子供扱いしようってのか? 上等じゃねえか!」

 

「―――そうやって、いちいちムキになるところがガキだってんだよ」

 

「上等だ! ぶっ飛ばしてやらぁっ! 行くぞ、アイゼンっ!」

 

 グラーフアイゼンを握りしめるヴィータに、アステアも静かに己の右手に刀を生み出す。蒼い魔力の光を集めて生み出した――魔法の方術で生み出された刀。魔方剣を。

 

「フン、アホが。中途半端に力を持った奴は早死にするってことを教えてやる。この俺の、ドッペルゲンガーでな!」

 

 吐き捨てて、アステアも正眼に己の刀を構える。

 

 

 マシンガンのように繰り出された二人の会話を見て、カーマインが静かに首を横に振った。

 

「モノの見事に挑発に乗ってじゃねえか、お前も」

 

「しょうがないわね、所詮アステアだもん」

 

 ティピがその傍らで、肩をすくめてみせる。

 

 

「よし、ならばヴォルケンリッターとして、久しぶりに本気で相手をさせてもらおう! 救世の左腕」

 

 シグナムの言葉に、アステアがヴィータとの睨みあいを一時中断し、顔を向ける。その時の彼の表情は本気で、キョトンとしているようだった。

 

「な、なに……!? ……本当に二対一なのか? 騎士としてどうなんだ、おい?」

 

「遠慮なく、全力でいかせてもらうぞ」

 

「ちょ……!」

 

 聞く耳を持たないシグナムに思わず止めようとするアステア。だが――その耳に、ヴィータの声が届いた。

 

「へっへ~ん、覚悟しろよ。ウチのシグナム(リーダー)は手加減ってのを知らねえからよぉ!」

 

「……上等だ。いい気になるなよ、チビが!」

 

 アステアの態度が一変、一気に不遜なモノへと変化した。

 

 

「……意外に気が合ってるのかもな」

 

「アハハハ~☆ 面白くなってきたわね!」

 

 カーマイン、ティピともにアステアとヴォルケンリッター達の会話をのんびりと見ている。と、そんな二人にモニター室から声が届いた。

 

『それでは、始めてください! 審判はこのリィンが務めさせていただきます』

 

『モニターはこっちで監修してるから、思いっきりやってくれてかまへんで♪』

 

 真剣な表情で告げて来るリィンフォースとどこか楽しんでいるはやて部隊長の顔を見比べ、カーマインは絶句した。

 

「お、思い切りって……」

 

 そんなカーマインになのはが声をかけて来た。

 

「全力全開ってことだよ、カーマイン君」

 

「だ、だから二対一ってのが、そもそも、おかしくないかっ!?」

 

 この期に及んでも、まだ抗議する気があるらしいカーマインをティピがバッサリと切り捨てた。

 

「“救世の騎士は二人分の働きをする“くらいのことは言ってみなさいよ、アンタも!」

 

「……っ! 他人事だと思いやがって。――分かったよ。その代わり、やるからには本気でいかせてもらうぜ」

 

 カーマインが覚悟を決め、左手の拳を掲げる。その中指に嵌まった黄金の指輪が光の粒子と成り、一振りの鞘に入った刀へと変化した。西洋剣風の黄金の鍔を持ち、東洋の刀独特の反りのある片刃の剣――レギンレイヴ。ソレを腰の剣帯に吊り下げる。

 

「うん。そうじゃないと意味がないから」

 

「カーマイン、君の剣。見せてもらうよ」

 

 なのはが力強く頷き、フェイトがその瞳に闘志を宿して宣言する。

 

「……ったく」

 

 カーマインは何度目になるか分からない溜め息を吐くと、左手で鞘を持ち、右手で剣の柄を触るようにして腰だめに構える。

 

(やっぱり――恭也お兄ちゃんに似てる)

 

 なのははその構えが居合抜きであることに気付いた。同時に――カーマインに改めて、自身の兄を思い浮かべ重ねてしまう。強くて――優しくて、だからこそ誰よりも自分に厳しい兄を。

 

 

『始めっ!』

 

 森のステージにロングアーチからのリィンの声がスピーカー越しに鳴り響いた。

 こうして――、カーマイン対なのは、フェイト。アステア対シグナム、ヴィータの構図が出来上がったのだった。

 

 

―カーマインvsなのは、フェイトSIDE―

 なのはは静かに意識を集中させ、カーマインを見据える。フェイトとは長い年月ともに闘った相棒。彼女と組んで負ける事など、そうそうはない。

 

(だけど――。目の前に居るのは、あのシャスを正面から打ち負かした剣士。気を引き締めないと、駄目だよね……!)

 

 フェイトを見ると彼女もこちらを肩越しに見返し、頷いてきた。仕掛けるのは――フェイト。ソニックムーブやブリッツアクションと言った高速移動で距離を一気に詰め――切りかかる。

 対峙するカーマインも、同時――縮地法と共に交差法での神速抜刀。ギィンッ 黄金の刃と銀色の刀身が激しくぶつかり合う。そのまま、両者音速を越えるスピードで移動しながらの斬戟を繰り出し合う。

 

(――ソニックムーブに平然と付いてくる……! ソレだけじゃない、フェイトちゃんの高速斬戟を見ると同時に反応してる)

 

 凄まじいスピードと剣の応酬はやがて――ガィンッ フェイトが後方に下げられる形で、治まる。右手の刀を無造作に脇に持ち、腰を落として斜に構えるカーマイン。

 

「――強いね、カーマイン。流石、救世主」

 

「……フェイトさん、アンタもしかして戦闘好きか?」

 

 口元を緩ませ、楽しそうなフェイトに、カーマインは無表情ながらもやや呆れた様な視線を送る。ソレにフェイトはニコッとだけ笑うと、同時に両手で持つ大剣を大きく振りかぶって一足跳びで距離を詰めて来る。

 対するカーマインは静かに右手一本で刀を頭上に掲げ、唐竹の一閃。ギィンッ 壮絶な火花が散り、空間がハッキリと斬られたのが分かる一閃。ギィンッ 鍔迫り合いになるとフェイトの方がパワーが上なのか、押し返されるカーマイン。

 

「右手一本じゃ、私の剣を止められないよ――カーマイン!」

 

 ギィンッ 後方へ弾かれる前に、自らバックステップして躱すカーマイン。その着地点に、なのはの12発の魔力弾が放たれた。ズドドドォンッ 続けざまに炸裂する光の球。ソレ等を網の目を縫うように一気に駆け抜けて来る――。

 

(シャスと同じ――! 安全地帯を見つけて一気に駆け抜けて来る!! 違いは――シャスはある程度相手の動きを見て、予測して動いてるけど、カーマイン君のは勘だ……!!)

 

 見ると同時に反応する身体能力もあるが、カーマインの恐ろしさは危険と安全の線引きを嗅覚で嗅ぎ分けるところだ。野性的な勘。天性の動き。そして――自分の行動を信じる覚悟。

 なのはに斬りつける前にフェイトが間に割って入り、剣を止める。ギィンッと同時――カーマインの左手が魔力の光を放っていた。

 

「――魔法!?」

 

「俺の世界の、な」

 

 なのはが杖を構えるのと、カーマインが魔法の矢弾を放つのは同時。咄嗟に魔力の盾を創り出し、矢弾を弾くなのは。フェイトはなのはに攻撃を絞らせないようにカーマインに斬りかかる。

 フェイトの中距離からの高速移動からの斬戟。中・遠距離からのなのはの魔力砲。どちらも申し分のない攻撃力と緻密性だ。ギィンッ 高速移動と共にヒットアンドアウェイの戦法を取るフェイト。その間隙を縫ってのなのはの正確無比な魔力砲。

 そのコンビネーションは、確実にカーマインを追いこんでいた。

 

「――チィ!!」

 

 カーマインは舌打ちと共に、右手の刀を横に一閃。炎を纏った魔法剣が、切りつけながらも距離を取るフェイトに一直線に放たれる。

 

「……!!」

 

 ズドォウッ 大剣を咄嗟に顔面の前に構えて受け、横に流す。バシィッ その眼前にカーマインが縮地法で迫る。ガキィッ 大剣で受けて立つフェイト。足を止めての高速斬戟の打ち合い。細腕で自分の胴体よりも太い光の大剣を軽々と振り回すフェイトに対し、カーマインも右手一本での斬戟を返していく。

 両者、高次元で剣術がかみ合っている。そのカーマインの後方へ、フラッシュムーブで高速移動したなのは。

 

「――!!」

 

 カーマインが気配に後方を気にした瞬間、フェイトの一閃が放たれた。ガィィインッ 咄嗟に刀で受けながら、距離を取るカーマインに、なのは、フェイトの同時魔法攻撃が放たれた。

 

「エクセリオン――バスタァアー!!」

 

「トライデント……スマッシャァー!!」

 

 桃色と黄金の魔力砲が放たれる。

 

(――ヤバい!!)

 

 カーマインが咄嗟に思った瞬間、二つの魔力砲がぶつかり、大爆発を起こした。

 

「――へえ……! 凄いわね、カーマインの奴何も出来ずに、やられちゃった……!!」

 

 ティピがキョトンとしながら、なのはとフェイトの二人を見る。

 

 土煙を上げる着弾点に、なのはは静かに左手のレイジングハートを構えた。隣のフェイトも大剣を正眼に構え直す。なのはが土煙に現れた人影に叫んだ。

 

「――まだ!」

 

 土煙の中から、カーマインが静かに歩いて現れた。

 

「今のは、ヤバかった……! 咄嗟にレギンレイヴを利き腕に持ち替えてなかったら、直撃してた」

 

 二つの魔力砲がぶつかり合う瞬間、カーマインも左手に刀を持ち換えて神速の十字斬の唐竹で前に迫るなのはの魔力砲を、横薙ぎでフェイトの魔力砲を切って捨てたのだ。

 

「――ようやく、本気ってコト? カーマイン君」

 

「左利き、か……。本当によく似てるね、なのはに」

 

 自分達の同時アタックを完全に防がれたと言うのに、なのはもフェイトもまだまだ余裕そうだ。というより、カーマインなら防いで当たり前だと思われていたと言う事か。

 

「……なるほど。加減はいらないみたいだな」

 

 左手に刀を持ち斜に構え、カーマインは今一度、気合いを入れ直した。その口元にアルフとの戦いを彷彿とさせる不敵な笑みを湛えて。

 

 

―アステア対シグナム、ヴィータSIDE―

 アステアは刀を正眼に構える。

 対峙するヴィータが強大なハンマーを振り回しながら振り下ろしてきた。同時――アステアの刀が強大な魔力に包まれ青白い棍棒のような光の大剣に変化した。ソレはヴィータのアイゼンとまったく同じ軌道で振り下ろされる。炸裂する魔力はグラーフアイゼンの鉄の質量と同等。

 

(――何!?)

 

 ガキィインッ 全く互角の威力。振り下ろしのスピードも姿勢も、鏡に映ったかのように同じだった。

 

(――私の一撃を、正面から防いだってのか? 全く同じ唐竹で?)

 

 ショック状態に一瞬陥ったヴィータを、アステアがそのまま力任せに横薙ぎで後方へ弾き飛ばした。まるで――ヴィータがアイゼンを振り回すときの様に――。

 

「うわああ!!」

 

 後方へ弾き飛ばされたヴィータを脇にやり、シグナムが斬りかかってくる。アステアは氷の様な金と銀の瞳をシグナムに向けた。

 高速斬戟を放つシグナム。唐竹、横薙ぎ、袈裟がけの三連斬戟は、しかし――アステアの刀に全て相殺された。威力も――スピードも、剣を放つタイミングまで、全く同じ。

 

「――コレは……!?」

 

 明らかに、先ほどのヴィータの様な力任せの斬戟ではなく、まるで――自分自身を相手にしているかのような剣。癖もスピードも、パワーも全く同じ。驚きながらも、シグナムは剣を弾いて後方へ下がる。と、アステアも全く同じ動きで、シグナムの剣を弾いて後方へ下がった。

 

(――いや。ヴィータに放った先の一撃も、ヴィータがよく使う攻撃方法だった。唐竹を振り下ろし、ソレを止められた場合――即座に横薙ぎへと移行する)

 

「――どうした、ドッペルゲンガーを見た事が無いのか? ヴォルケンズ」

 

 アステアは氷の様に冷たい金と銀の瞳を向けて笑う。冷笑はまるで――氷を背中に押し付けられているかのようだった。

 

「自分とそっくりな姿をした――見た者は死ぬという、死神の名だな」

 

 シグナムの言葉に、アステアは冷ややかな笑いを強くして見せた。ヴィータがその横で頭を振りながら起き上がって来た。

 

「なるほど……。アタシも油断してたって訳か……! 完全に舐めてたぜ」

 

 ――アルフの時と言い、コイツ等は自分の力を弱くみせているんだ。油断させるように、こっちが慢心した隙を突いて一気に攻めて来る。

 自分を戦闘不能に追いやった狂人を思い起こし、その男とは違った寒気を与える金と銀の瞳の氷の様な青年を見据える。

 

「シグナム、同時攻撃なら――」

 

 そう。二人同時なら、どちらの攻撃を真似たとしても防がれることはない。そう言おうとして、ヴィータは眉をしかめた。

 

「フ……フフ」

 

 シグナムが――とてつもなく上機嫌で笑っていたのだ。

 

「……おいチビ。ソイツ、どうした?」

 

 アステアが若干引き気味に聞いてきた。ヴィータも眉根を寄せて告げる。

 

「てめえ……火を付けやがったな」

 

「……何?」

 

 シグナムは正眼に構えて剣に炎を宿す。そして――不敵に言い放った。

 

「――コレは、素晴らしい。自分自身と戦えるとは、な」

 

「……貴様」

 

 アステアが目を見開く。達人であればある程、自分の動きを真似されれば焦り、リズムを狂わせ、やがて倒されるモノだ。このドッペルゲンガーにはそうするに十分過ぎる効力がある。しかし――例外が存在する。

 

「バトルマニアだぜ、ウチのリーダーは」

 

「……そう言う事か。右腕に似ていると思ったが、性格だけではない。……感性も似ているようだ。ドッペルゲンガーを恐れない奴だと気付くべきだった」

 

 アステアは一人ポツリと呟くと、静かにシグナムを見据える。隣のヴィータは、あきれ顔で彼女を見据えていた。

 

「――行くぞ、アステア。どこまで、私の剣を真似られる!?」

 

「……よかろう。貴様の闘志を根こそぎ断ち切ってやる」

 

 燃えたぎるシグナムに対し、アステアは氷のような表情で答える。両者、同時に己の刀を大きく振りかぶった。アステアの刀の刃に炎が宿る。同時の袈裟がけは、炎も入れての相殺。

 

「何……!? シグナムの炎も真似られるのか!?」

 

 ヴィータが驚きの表情で声を上げるが、アステアは淡々と告げるだけだ。

 

「我が名はアステア。俺の前に立つ者は――“死”あるのみだ」

 

 ヴィータも静かにグラーフアイゼンを構え直した。

 

 

 

 ロングアーチのモニター室で、はやてとリィン他事務員達が見据えていた。

 

「コレが――ゲヴェル、か。本当になのはちゃん達と互角に戦えるみたいや」

 

「カーマインさんの強さはモニターや記憶で見せて貰っていましたが。改めてみても、凄い戦闘センスです」

 

 リィンの言葉にシャーリー達がポカンとした表情で見ている。

 

「ウソ……! ホントになのはさんやフェイトさん達を相手に、闘えてる」

 

 グリフィスが頭を掻きながら、呟いた。

 

「フェイト・ラインゴットさんやアルフ・アトロシャスさん以外に、こんな人達が居るなんて――。コレが異世界、か」

 

 改めて、時空管理局の使命というのが困難である事を自覚する。なのはやフェイト達は管理局内でもトップクラスの実力者だ。ソレを――制御されているとは言え、複数同時に相手取れる。そんな存在が、異世界には居る。

 

「……グリフィスさん?」

 

 ルキアがキョトンとした表情で彼を見る。ソレを首を横に振って苦笑と共に返すグリフィス。

 

(グリフィス君がそう思うんも無理ない……。コレが――ゲヴェル)

 

 圧倒的な身体能力とソコから放たれる多彩な動き。シグナム達で無ければ、あっという間に倒されていただろう……。

 

「凄いです、アステアさん!! シグナムを相手に、全くの互角なんて……!!」

 

 どうもアステアに対して思い入れがあるらしいリィンに小首を傾げながら、改めてモニターに集中しようとするはやて。

 眉根を寄せてモニターを見つめる彼女の下に、しばらくして休暇を過ごしている筈のエリオから通信が入った。




カー「……本気で容赦無しかよ」
アス「鬼か、あいつ等」
ティピ「あ~。面白かった!!」
カー&アス「ふざけんなぁあああ!!!!」


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23.起点。

「首都公園の時計台ですか?」

 ティアナはクロスミラージュを磨く手を止めて、ヴァイスを振り仰いだ。

 ヴァイスは管理局の先輩だ。二十前後の青年で、焦茶色の前髪を右に寄せ、すらりとした長身にカーキ色の作業服をスマートに着こなす。派手な人物ではないが、身なりには清潔感とさりげないこだわりを感じられ、多くの人間は第一印象で彼に好感を抱く。

 ヴァイスはティアナの質問に小さく頷くと、黒いジャケットに通した両腕を組んで、人差指を立てた。

「そ。さっき、アルフの旦那からそこに来るよう伝言を預かったんだよ。お前、前にツーリングやるって言ってただろ? 俺のでよけりゃ貸してやるからさ、部屋でだらだらしてないで行ってこいよ」

「だらだらって」

 久しぶりの休日。空いた時間を利用して、ティアナはメカニックデザイナーのシャリオにデバイスをメンテナンスしてもらおうと思ったのだ。メカニックはいつでもデバイスを診る時にその直前の状態を診ると言う。持主がデバイスを大切に扱っているかどうかを判断するためだ。ゆえにティアナも、ティアナなりにクロスミラージュを大切にしている所を精一杯見せようと、久方ぶりにクロスミラージュを磨いていたところだった。

 それが年頃の少女が休暇を過ごすにはあまりに殺風景な、データルームの片隅だったとはいえ、彼女は先輩局員の物言いにムッと唇を引き結んだ。

「休日をどう使おうと、私の自由じゃないですか」

 クリーニング用の布を机の上に置き、その上にクロスミラージュを横たえながら、ティアナはヴァイスを振り返る。

 ヴァイスは、とんと壁から背中を離すと肩をすくめた。

「そういう文句は、旦那に直接言いな。俺は伝言を預かっただけだぜ?」

 ティアナは要を得ない表情で眉間にしわを刻んだ。

 ちなみに、どうでもいい情報として教えてもらったことだが、

 

 ヴァイスとアルフは、メル友関係であるらしい。

 

 

 ◆

 

 

 管理局地上本部。

 首都クラナガンの象徴として聳え立つ高層ビルには、誰も近寄らない最上階がある。

 陽を遮るものは、もはや雲以外存在しないその場所は、しかし、最も空に近い場所にありながらも薄暗闇に覆われていた。

 蒼い間接照明が巨大なパイプを通した最上階を、浮かび上がらせる。

 そこは天井が高く、重力制御装置によっていくつかの床が、まるで空飛ぶ孤島のように部屋の中で浮遊している。

 薄暗闇の静寂の中、こぽ、と水泡が立つ音が響いた。

 浮遊する床のうち、三つは、天井に繋がる柱である。それは、柱に見せかけた培養カプセルだった。

 巨大カプセルにおさまった人間の脳みそが、まるで呼吸するかのように、こぽこぽと黄色い液の中で泡をつくっている。

 細長いケーブルに繋がれた脳は、部屋の中央と左右、三か所の柱の中に、それぞれ一つずつ入っている。

 

 これが、管理局のすべてを統括する『最高評議会』であった。

 

 旧暦の時代にバラバラだった世界を平定し、管理局を生み出した人物達の成れの果て。

 彼らは肉体を失った今でも妄執のように権力の座にしがみつき、脳だけとなってこの管理局の最上階に鎮座している。

 この場所は、本来なら管理局地上本部の最高権力者、レジアス・ゲイズをもってしても踏み入れることの出来ない絶対領域だった。

 最高評議会からしてみれば、レジアスなどミッドチルダを平定するための道具にしか過ぎない。同じ場所で対面するなどおこがましいのである。

 だというのに――

 三つの脳は、薄暗いこの部屋を訪れた不心得者を視る(・・)や、こぽこぽと水泡を作った。

 不心得者は言う。ウェーブがかった長い前髪に隠れる朱唇を、わずかに歪ませて。

「――ほう、これはこれは。コレが管理局の評議会の方々とは、驚きだ」

 低く渋い声だった。

 男は、三つの脳――否、最高評議会のメンバーを前に、乾いた笑い声を洩らした。

 すると黄色い培養液の中から、右の脳――最高評議会議員が念話で語りかける。

「貴様……。管理局員ではないな」

「どこから入ったのだ!?」

 詰問したのは左の脳だった。左は、評議会で書記を務めていた男の脳だ。

 中央の脳が、左右の脳に向けて念話で押し止めた。

「――待て。どうやら彼は、私が招いた客人のようだ」

 中央の脳――最高評議会議長が、培養液を淡く明滅させる。

 脳だけのおぞましい姿となっても、彼はいまだ魔力を擁しているようで、培養液の明滅と同時に薄い魔力の壁が、中央の脳が入っている柱に宿った。

 男――ラグナ・ハートネットはそれを見ながら酷く満足そうに笑う。

 恭しく頭を下げた。

「ご明察痛み入ります。私の名はラグナ・ハートレット。我が主より、評議会の皆さまのお力となるよう申しつけられ、馳せ参じました。ご無礼のほど、平にご容赦ください」

 ラグナは流暢にそう言って顔を上げる。年齢は三十代半ば。引き締まった体躯と長身をしており、年齢よりもハリのある肌をしている。

 彼は黒いスーツに黒のシャツ、赤のネクタイを締めた出で立ちで、緩いウェーブを描く髪を赤い紐で縛っている。

 だが、どことなく野暮ったい。

 顔立ちはそれなりに整っているが、身なりを気にしない男である。スーツは一分の隙もなくきちんと着こなしているが、彼の顎にはぶつぶつと無精髭が散っていた。

 長い前髪も、爽やかさよりもラグナの持つ妖しさを演出するのに一役買ってしまっている。

 だが、そんな外見は、この評議会の前では意味をなさなかった。

 中央の脳――評議会議長は、ラグナが口にした『主』という言葉に満足すると、水泡を散らして一拍置いてから、念話を再開した。

「では、具体的な話をしようか。ラグナ君」

「建設的なご意見をお伺いしたいものです」

「――まったくだ」

 脳だけになった評議会議長に、表情は無い。

 それでも、ぶくぶくと湧き上がる水泡は、まるで彼が含み笑ったかのような印象を、ラグナに与えた。

 

 

 ◇

 

 

 やはりおかしい。

 ティアナは首都公園の時計台の下で、一人ごちた。

 結局、あれから呼び出された真意をアルフに聞こうと思ったのだが、ティアナは連絡先を知らず、向こうも知らなかったことを思いだして仕方なく時計台までやってきた。

 ヴァイスに借りたバイクは、近くの駐車場に停めている。

 ティアナは久しぶりの休暇で、仮にも街に出るとあって、赤いミニスカートに、裾が長い白の長袖シャツを、スカートと同色の赤い革ベルトで引き締めた。

 いつもスバルと街に出る時にティアナが選ぶ、お気に入りの私服だ。

 ティアナは時計台の傍にあるベンチに腰掛けて、道行く人を見ながらつぶやいた。

(まあ、確かに。今日は絶好のツーリング日和で、久しぶりにバイクを走らせるのは楽しかったけど)

 ここに来る途中にある、湾岸沿いの街を見下ろせる峠は、雑誌にも掲載されるほどの人気スポットである。

 ティアナは美しい景色を思いだして、自然と微笑んだ。

 今日はとかく天気がいい。

 だから、だろう。

 ティアナは目を丸くして、顔を上げた。だらしなく曲げていた背筋も、いつの間にかピンと伸ばしている。

 明るい陽射しが街の白い壁や道、人を照らす中で、銀色の髪の青年が、誰よりも異彩を放っているように見えた。

 まるで、晴れた日に降る雪のようだ、とティアナは思った。光沢のある銀髪に、陶器のように滑らかな白い肌、切れ長の目におさまった紅い瞳が、ティアナを見つけるや、やや鋭さを消す。

 彼はいつも通りの黒のスーツではなく、白シャツに藍のジーンズ、黒のジャケットと言う、街の若者がよく着る服装をしていた。

 ただし、

 着ている服は平凡なのに、背が高く、手足の長い彼には、まるで一流デザイナーにコーディネートされたかのような決まりの良さがある。

「ぁ……」

 ティアナは思わず声を洩らしていた。

 通行人も、思わず視線をアルフに送っている。

 街中にある彼はそんな他人の視線など歯牙にもかけず、ぽかんと口を開けているティアナを見て、言った。

「悪い。待たせたな」

「……」

 存外、普通の科白だ。

 ただしこの時ティアナは、映画のワンシーンが画面(スクリーン)から飛び出したらこんな感じだろうな、と暢気に考えていた。

 平たく言えば、自分に話しかけられたと一瞬気づかなかったのだ。

 ティアナはハッとしてベンチから立ち上がる。

「あ、いえっ! それで、私にどんな御用が――?」

「仕事じゃない」

「……え?」

 反射的に敬礼を取ったティアナは、不思議そうに瞬いた。

 アルフが隣に立ち、市街を指差す。

「実はまだ、クラナガンには知らない場所が多くてね。アンタが詳しいって聞いたから、案内してもらおうかと思って。――休暇、潰して悪いな」

「い、いえ、大丈夫です」

 答えながら、ティアナはそれで私服で来いと言ったのかと納得していた。

「でも、案内と言っても……」

 眉を下げるティアナの頭を、アルフが、ぽん、と叩く。

「だから、仕事じゃねえって。この辺の娯楽施設やら、食物やら教わろうと思ってね」

「はぁ……」

 ティアナは曖昧に頷きながら、アルフに背中を押され歩き始めた。

 

 

 ぎこちない空気だったのは、最初だけだ。

「ここ! ここのアイス、おいしいんですよ!」

 ティアナは満面の笑みでアルフを振り返る。彼女の明るいオレンジ色のツインテールが弾んだ。

 始めは二人並ぶとティアナが子どもに見えて、暗澹たる気持ちだったのだが、アルフは案内しろと言った割に、自分で目的地を決めて店に入ったり、怪しげな露店で謎のアイテムを購入してティアナを笑わせたりと、意外にも気さくな一面を見せてくれた。

(剣を持ってない時は、接しやすいんだ)

 そうティアナが落ち着いて思った時には、いつしかティアナの方が自然な笑みを浮かべて、アルフの手を引くようになっていた。

 アルフは清潔感溢れる店内に引っ張り込まれると、ガラスケース越しに種々あるアイスを見下した。

 色とりどりだ。

 整然と並んだ丸バケツの傍に、それぞれのアイスの商品名が置いてあるが、何が何やらアルフにはさっぱりわからない。

 彼は眉を寄せた。

「いらっしゃいませ! ご注文は何になさいますか?」

 ガラスケースの向こう側に立った店員が、愛想よく問う。恐らくバイトだろう。十六、七の店員は、若いが手慣れた様子で佇んでいた。

 ティアナはガラスケースを見下して、唸りながら人差指を顎に当てた。

「ヘーゼルナッツチョコレートとバニラ、お願いします」

「かしこまりました」

 流れるような一礼をして、店員がさっそくアイスクリームディッシャーを片手に、アイスの入った丸バケツに向かって行く。

 アルフはこう言う時、決まって使う一番無難な手段に出た。

「――それを二つ」

 店員が笑顔のまま了承して、コーンにアイスをのせている。

 ティアナは不思議そうにアルフを見た。

「あれ? クインティプルにしないんですか?」

「なにそれ?」

「このお店でしかやっていない、特別サービスです。スバルがそれをもう、すごく気に入っちゃってて。アイスがお好きなら、きっと喜ばれると思いますよ」

「へえ」

 旨いのか、と頷きながら、その『クインティプル』とやらを頼んでみることにした。

 が。

 

「……謀ったな、お前……」

 

 アルフはわずかに(うつむ)くや、五つアイス玉がのった代物を見据えて低くつぶやいた。

 ティアナが慌てて言う。

「す、すみませんっ! 甘いものが苦手だと気づかなくてっ」

「……まあ、俺も言ってなかったから」

 そう返しながら、彼は額の辺りをトントンと叩く。

 

 まさかこれほど冷たくて、甘いものが『アイス』なるものであったとは。

 

 初めて食べた感想を胸の裡にしまいこんで、アルフは五つのったアイスを見おろした。

「これ、アルベル向けじゃね?」

「え?」

「いや、なんでもない」

 思わず昔の知り合いの名前を口走ってしまったアルフは、口許に手を当てて首を左右に振った。

 なかなかの『凶敵』であるが、このアイスとやら――食すことにする。

 が、甘い。

 圧倒的に甘い。

 中にはペパーミント系の爽やかな味のものもあったが、食べている間に味覚がなくなったのか、よく分からなかった。

 小さい頃から彼の身近にあるものはアイスなど菓子類ではなく、酒とたばこと麻薬だったのだ。

 アトロシャス家の養子になってからは、人並、もしくはそれ以上の生活を手に入れたものの、彼は嗜好品に興味を示さなかった。

 一口に言ってしまえば、菓子などの甘さは『慣れない味』なのだ。彼にとって。

 その後、アイスをもさもさと食べるアルフを見て、ティアナが楽しそうに笑っていたので、すべて食べ終えた後、彼はティアナの頬を思いきり捻ってやった。

 その折、

 

「ご、ごめんなふぁぃ~~!」

 

 言いながら、涙目に謝ってくるティアナの表情(カオ)が、アルフの妹のような少女と似ていて親近感がわいた、などと彼は間違っても口にしない。

 

 

 ◇

 

 

「これは……! アトロシャス殿!」

 アイスクリームを食べた後、二人は管理局地上本部近くにある都市公園で足を止めた。

 都市公園はクラナガンに摩天楼を築く前から存在する森を保護する目的で造られたもので、周辺ビルで働き暮らす人々のオアシスとなっており、映画やテレビの舞台としても有名である。

 森に向かう小径(こみち)の入口に大理石をあしらった噴水があり、それより右手側の広間に地上本部のシルエットを背にした石碑が置いてある。

 石碑はそれほど大きいものではないが、殉職した管理局員のための慰霊碑だ。この周りには年中、色とりどりの花々を飾っている。

 アルフが声をかけられたのは、その石碑の前に立つ男に向かって挨拶代りの一礼を施したからであった。

 ティアナが目を剥いている。

 それに気づかずアルフに声をかけた、よく肥えた壮年の男――レジアス・ゲイズは硬い口調で言った。

「このクラナガンに来ておいででしたか……」

「ええ。ですが――少々、無粋なところでしたね」

 アルフは言って、石碑に視線を向ける。

 途端、レジアスは表情を和らげた。

「そちらは、デートですかな?」

「そんなところです」

 こともなく頷かれて、ティアナは顔が火を噴くほど赤くなるのを感じた。

 レジアスが笑う。

「ハハッ、若々しくてよろしい限りです。――しかし、火遊びはほどほどに願いますよ」

「ええ、もちろん。それで、レジアスさんの方は……」

 ティアナのいる手前、『中将』というのは遠慮した。その意を汲みとったレジアスが、こぶりな目を和らげながら答える。

「恥ずかしながら、私は一人者です。そちらのお嬢さんにも紹介させていただきますと、これでも管理局員をやっておりましてね」

 気さくにこちらを振り返って言うレジアスに、ティアナは内心で大きく頷いていた。

 当然だ。

 相手は、管理局地上部隊のトップ、レジアス・ゲイズその人なのだから。

 それでも場の雰囲気が、ティアナが管理局員であることを語らせないものであったために、彼女は居心地悪く口を閉ざして、相槌を打つしかなかった。

 レジアスは言う。石碑を見上げ、両手を背中で繋いで。

 

「私はずっと、ミッドチルダ地上の平和を守るために、今日まで生きてきました。そのおかげで護れた者も、護れなかった者もいる……。平和のために、泥をかぶってしまった者も。

 ミッドチルダでは管理局は絶大な力の象徴です。それ故に、やっかみも多い。それで不遇の最期を遂げさせてしまった局員もいる。

 それでも、私は地上のトップです。

 ですが、この石碑の前では、どのような立場であろうと一管理局に過ぎない。

 この慰霊碑には、私の最期を看取ってもらいたいと、そう思っているのです……」

 

 彼は言ったきり、神妙に押し黙って目を閉じた。

 黙祷している、とティアナが気づいたのは、きっかり十秒後だった。

 そのとき、

「中将! 大変です! 陸士107部隊が……!」

 ライトブラウンの髪をショートにした妙齢の女性が、レジアスに駆け寄ってきた。

 彼女は一度、切れ長の目をこちらに向けたが構わずレジアスに現状報告をする。耳打ちされたレジアスは、心底驚いたように目を瞠った。

「何!? ――早まった真似を!」

 舌打ちと同時にレジアスも女性の後を追って駆けだす。その直前、こちらに一礼してきたが、彼の表情に余裕はなかった。

 

「どうしたんでしょう、アルフさん?」

「さあね」

 

 アルフはそう言いながらも、茫洋とした紅い瞳にわずかな狂気を滲ませて、地上本部に駆けていったレジアスを見送っていた。

 首都クラナガン、この地の休日の一般市民の行動範囲は今日で把握できた。

 

(犯罪率の高い星だと聞いていたが、軍と民間の区画は完全別れてるらしい。いざってとき邪魔がないのはいいことだ)

 

 

 

 ◆

 

 

「すぐに回線をまわせ! 止めるんだ!」

 レジアスは通信機に向かって叫んだ。

 こつこつと靴音が後ろから近づいてくる。レジアスが振り返ると、そこには赤い髪を無造作に一つに縛ったスーツ姿の男が立っていた。

「どちらへ行かれるのですか? 中将」

 レジアスは舌打った。

「決まっている、107部隊を呼び戻すのだ! 今の彼等に、そのような力はない!」

「彼等は汚名返上に行くのです」

「汚名返上だと?」

 レジアスの言葉を遮るように、男は無精髭の散った口許を歪める。

 男の名は、――ラグナ・ハートレットといった。三十半ばの客人は、相変わらずのダークスーツに身を包んで両手をポケットに入れている。

 レジアスは失笑した。

「馬鹿な! 陸士107部隊を一人で潰すような相手だぞ!? 今の彼等に敵うような相手では無い!」

「確かにその通りです。ですが、他の地上部隊もそれは同じではありませんか? 敵うとすれば機動六課ですが、いかが致しましょう?」

「馬鹿な!」

 機動六課は本局(うみ)の息がかかった部隊。

 このミッドチルダにおいて最強の実働部隊ではあるが、地上本部(りく)の総司令としては使いたくはない。

 レジアスが吐き捨てるように言うと、ラグナは満足そうに頷いた。

「そうでしょう? 中将は、傲慢な本局(うみ)の連中に貸しを作るわけにはいかない。ならば――」

「彼等を見殺しにするのか!?」

 ぎょっと目を見開くと、対峙するラグナは意外そうに肩をすくめた。

「見殺し? これはこれは。中将からそのようなお言葉が聞かれるとは思いませんでした」

「何!?」

「戦闘機人の事件をお忘れですか? 中将」

「……貴様」

 レジアスが息を呑む。

 管理局の事情にここまで詳しい外部の人間――というのは、一種不気味なものである。

 彼がどこから情報を得ているのか、それを裏で洗わせているものの、今だ明確な伝手ははっきりしていない。

 ラグナ・ハートレットはレジアスの陰の努力を嘲笑うかのように鼻を鳴らした。

「確か、あの事件に関わったのは、中将のご親友でしたね。彼等の不幸事は実に心が痛みます。その当時、陸士108部隊のゲンヤ・ナカジマ三佐も、さぞ辛い想いをなさったことでしょう」

「き、さ……ま!」

「中将。彼等は必死に戦おうとしているのですよ。自分たちに付けられた汚名を返上しようと」

 ラグナはスーツのポケットから手を出して、大仰に広げてみせた。長い足を前に出す。こつ、と鉄骨入りの革靴が音を立てた。

「たとえ叶わぬと分かっていても、後ろに続く管理局員達が、必ずやあの異形を討ちとってくれると信じて。そして私は彼らの決意を知ったのです。ならば彼らに、その死に場所を提供してやることこそが、我々にできる唯一の敬意の表しようではありませんか? 陸士107部隊の映像はほとんどが破壊され、私のアルスィ・オーブでも完全なる再現はできませんでした。

 ――しかし、今度は違う」

 ラグナはもったいぶるように間を置いた後、声音を落とし、言った。

 

「今度は完全なる異形の力を、彼らは我々に記録させてくれることでしょう。

 その彼らの覚悟、貴方におわかりか?

 その彼らの覚悟を貴方は無下にするのですか?

 管理局、管理局員のために命をかけようとする彼らを?」

 

 レジアスは床を見下して唸った。

 即答出来ない。

 ただ――ラグナの言わんとすることは分かる。

「…………それで、その異形は倒せるというのか? ラグナ……」

「確実に斃してみせましょう」

 ラグナは力強い声で答え、頷いた。

 レジアスはその回答に満足したのか、無言のまま踵を返す。傍に控えていた秘書官のオーリスが、慌てて声を荒げた。

「中将!」

 呼ぶが、レジアスは既に執務室に向けて歩き出している。その後を追おうとオーリスが足を速めると、ラグナ・ハートレットが悠然と彼女の前に立ちはだかった。

「!」

 オーリスの目に警戒が宿る。

 このラグナと言う男は、表情こそ笑っていても瞳だけは決して笑わない、凍てついた空気の持主だった。

 ラグナはしばらくの間、オーリスをジッと見下して、小さく笑うと道を開ける。

 オーリスは横目でラグナを警戒しながらも、レジアスの後を追った。

「よろしいのですか?」

 オーリスはレジアスの隣に立つと、問いかけた。いろいろな意味を言葉の中に込めたが、レジアスはこちらに視線すら寄越さず、前だけを見て、ああ、とうなずいた。

 

 

 ――レジアスが一瞬躊躇し、決断するまでの間を、ラグナ・ハートレットは誰にも邪魔させない。

 彼が行ったのは、ほんの数秒の足止めだ。

 だが。

 その間に、レジアスの意志決定はラグナの思い通りに差し向けられていた。

 



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24.陸士107部隊

 目が覚めたとき、私は白い天井を見つめていた。

 救護施設のベッドの上で私達――陸士107部隊の隊員達は意識を取り戻したのだ。

 けれど、命からがら生き延びた我々に対する本部の評価は冷たいものだった。

 

 私達は部隊施設を襲撃され、ロストロギアを奪われ、壊滅させられた。

 ソレもたった一人の侵入者に。

 これが世に広まれば、間違いなく管理局始まって以来の汚点となると言われ、(なじ)られたのだ。

 

 一体、誰が敵うというのか、あんなバケモノに。

 それでも、私達は戦った。

 命を懸けて仲間を、部隊を守るために勝てないと分かっていても挑んだ。

 その結果、こうして生き残った者がいる。死んだ者がいる。

 上層部に報告しても誰も信じやしない。あのバケモノの力を。

 ――だから、陸士107部隊はその程度だった。役立たずだったといわれなき批判を受け続けた。

 自分が何と言われても構わない。

 だが、命を懸けて、私達を守ってくれた仲間の死を、役立たずと言われて我慢などできない。自分達を育ててくれた教官や共に戦った上司・同僚達を、バカにされたまま終われない。

 そういう思いが、生き残った私達の共通の思いだった。

 ――そんな時だった。

 奴が、

 あの悪魔のような男が、この病室に現れたのは。

 

 

 その男は、一言でいえば野暮ったい男だった。

 鬱陶しく伸びた赤い髪を紐で一つに縛っており、長い前髪がだらしなく顔に垂れている。顎にも無精髭が散っていて、顔が整っていなければ浮浪者と見なす者がいたかもしれない。

 それでも、その男は均整のとれた引き締まった体躯をダークスーツで固め、浮浪者とは一線を画す鋭い切れ長の目をこちらに向けて、薄気味悪く口端をつり上げる。

 男は言った。

「コレが陸士107部隊の生き残り、か。シケたツラじゃねぇか、ああ?」

 男は――私達の姿を見るなり失笑した。その言葉に、私はまたか、と溜息を吐いた。

「また、私達を(なじ)りに来たのか? 他に用がなければ帰っていただきたいのだがな」

 これ以上、亡くなった人々を悪く言われるのは許せないと、ハッキリと拒絶の意を表した。ソレは――ここに居る者全てが、同じ思いだったのだ。

「くく、随分ヒデェ目に遭わされたんだな。あのバケモノに」

 だが、酷薄な笑みと共に放たれたその言葉に、私は息が詰まった。

 今、この男は何と言った?

 あのバケモノ?

 つまり――コイツは映像を見たと言うのか!?

「「「「!?」」」」

 この場に居る全ての者が目を丸くして、男に向き直る。男はソレを満足げに見やった後、告げた。冷酷な光を瞳にたたえて――。

「報告は受けたよ。だが、上層部は動かねえことに決まった」

「何故だ!?」

 声を荒げる私に、男は失笑し肩をすくめた。

「当たり前じゃねぇか。仮にも地上の治安を任された管理局地上部隊。

 その中の陸士107部隊がたった一人の侵入者にやられた。そんな情報を外部に漏らせるかよ。民間より事情を知っているはずの管理局でさえ、お前らを(なじ)るんだぞ? 当然、事情を知らない民間は恐怖に混沌し、監理局そのものを(なじ)る。それこそ、お前らを(なじ)るのと比べものにならないほどに。

 まあ、そうなる前に次元航行部隊(うみ)が動き出すだろうが、ソレも地上部隊(りく)には避けたい状況だ。分かるな?」

 その言葉に、私は唸るしかなかった。

 男の言う事は一々(もっと)もだったし、地上部隊の最高責任者レジアス・ゲイズ中将は、本局である『海』とは険悪な関係だ。

「レジアス中将のお考え、か」

 私の言葉に男は満足そうな笑みを浮かべた。そして、こちらにとって予測の出来ない言葉を告げる。

「だが、奴をこのままにしておくのは論外だ。だから、テメェらにチャンスをやるよ。今から俺が教える場所に、テメェらを襲ったバケモノが現れる」

「なっ……!? 何故、中将に知らせない!」 

 ――私だけではない、この場にいた皆が声を荒げた。

 だが、男はにべもない。

「知らせて何かできるのか? テメェらを壊滅させたバケモノだぞ? 返り討ちがオチだ」

 無駄に犠牲者を増やすだけだ、と言いたげだった。

 そして――この男はやはり、悪魔の使いだった。

 次に続く言葉が、ソレを私に確信させた。

「だが、捨て駒として、使える奴らがいる。しかもバケモノと交戦経験がある」

 つまり。

 事実上、死んだ陸士107部隊の残存部隊、その後始末に来たのだ。管理局員として信頼を損なわせた自分達に――死に場所をやる、と。

「言ってくれるな。要するにデータ収集のための実験体ってコトか」

 皮肉気に笑う私に、男は満足そうに言った。

「お前らの傷は、俺の持つマジックアイテムで治してやる。どうする?」

 私は直ぐには応えず、隊員達を見た。彼等はやはり私と同じ表情で頷いてきた。――その瞳に、私の気持ちも決まった。

「ただでやられはしない。意地を見せてやる!」

 私の言葉に、答えに――男はニヤリと酷薄な笑みを深める。

「いい答えだ、決まりだな。――俺の名は、ラグナ。ラグナ・ハートレットだ。よろしくな、陸士107部隊の勇者達よ」

 芝居がかった台詞を、男は言った。

 

 

 ◆

 

 

「――何だ、ここは? 奴の波動を追ってきてみれば」

 

 うらびれた廃棄都市には、誰も住んでいない。

 立ち入ることすら一部の局員を除いて禁止されているこの区域に、青年は現れた。

 濡羽色の髪に、金と銀の色違いの瞳を持ち、人とも思えないような美貌をたたえた青年――いや、人の形をした『何か』だ。

 私達は、あの悪魔の使いの情報通りに現れた、その青年を取り囲んでいた。

 顔、形、そしてこの威圧感。

 間違いない。

 こいつは、あの時のバケモノだ。

 バケモノは言った。

 

「何だか、不味(まず)そうな奴だけが集まったって感じだな」

 

 不快気に眉間にしわを寄せるバケモノ。

 そいつは私達を襲った時とは違い、よく喋った。顔色が死人のように青ざめていて、唇に黒いルージュを引いている。妙に艶のある動きは、平時ならば見惚れたかもしれない。

 ただ、この時の私には恐ろしいだけだった。

 私は精一杯の虚勢を張って恫喝した。

 

「我が部隊を潰したことを後悔してもらうぞ。バケモノ!」

 

 全員、返り討ちに遭うのは分かっている。

 ――だが、それでも後の管理局員達がこのバケモノに勝利する為に、我々は喜んで礎となろう。

 バケモノの戦闘データを得るために――。

 

「――やめとけよ、どうせ敵いっこないんだ。隅でうずくまっていた方が利口だよ。俺、雑魚に興味無いからさ」

 

 だが、バケモノはまるで私達など眼中に無いかのように振る舞う。

 おのれ、ここまで。

 ここまで、我々を侮るのか。

「――言わせておけば!」

 各々、デバイスを構えて決死の覚悟を決める。

 そんな私達を前にして、バケモノは鬱陶しげに肩をすくめてみせるだけ――、いや表情に変化があった。

「悪いんだけど俺の興味はアンタらの弱さじゃなくて――」

 その瞳に狂気とも呼べる何かを宿してバケモノは眼を見開く。

「いるんだろ、俺と同じ顔をした奴が! 何処にいる? いや、何処にいた?」

 訳のわからないことを言い、最後まで我々を侮るバケモノに、言いしれぬ怒りを私は覚えた。

 

「キサマ……!」

 

 勝てる相手ではないことは、誰よりも我々が知っている。

 だが、終われるものか。

 このまま、侮られてなるモノか。

 足掻いて見せる、最後の最後まで。

 

 我等は、勇敢なる陸士107部隊なのだから――。

 

 バケモノは、こちらをゆっくりと舐め上げるかのように見据えてくる。

「……最初の勢いはどうしたんだい、人間?」

 挑発だと分かっていたが、動かなければ事態は進展しないのも事実。

 予め立てておいた作戦を、我らは決行した。

 奴が現れるポイントに網を張り、いつでも仕掛けられるように囲んである。

 

「ならば、いくぞ! ミッド地上部隊魔導師の力を思い知れ!」

 

 私の言葉を合図に、全員が構えていたデバイスの矛先をバケモノに向け、放つ。

 

 

 

 男達の反応に、異形の青年は美貌を微かに歪め、小首を傾げた。

(この反応。カーマインじゃない、アイツが相手なら俺の狂気を見てもっと恐怖したはず……。俺と同等の狂気を纏った同族。居たか?)

 彼は油断なく相手を観察しながら、更に思考を巡らせる。

(デュランがこいつら程度に本気に成るとは考えづらい。アステアは無差別攻撃などという意味の無い行動はしない。となると)

 

 思い至った相手は、一人。

 人形使いに操られる、姿形だけ自分達に似せた人形のコトだ。

 

「あのゲスが造り出した“(まが)い物”か」

 不快感に顔をしかめながら、青年は自分と“誰か”を重ねる目の前の人間の兵士達に――歪んだ――残虐で、冷酷な笑みを浮かべ、言う。

「やっとカーマインを殺せるときが来たと思いきや、あの紛い物か。しかもあんな人形と俺を間違えるとは、ねぇ?」

 静かに虚空に右手をかざすとその掌に青い光の珠が生じ、一振りの刀を具現化させた。隊員達が口をそろえて驚きの声を上げる。

「「「デバイス!?」」」

「よりにもよって、アレと俺を間違えるとは……。――ツイてないね、アンタら。悪いが今日は厄日みたいだ」

 異形の青年は、驚く管理局員を無視して、告げた。

 

「――俺の魔方剣は可能性。どれだけ遊べるか、確かめてみるといい」

 

 妖艶に笑い、静かに現れた刀を構える。陸士107部隊の隊員が決死の覚悟で突撃を仕掛ける姿勢を取る。その様は正に玉砕覚悟の特攻を仕掛けようとしているようだった。

 彼らの覚悟を見た異形は――ただ嗜虐の愉悦に浸り、笑みを浮かべるだけだった。

 

 …………

 ……

 

「ククッ、威勢よくつっかかってきたわりには怖気づくのが早いんじゃないか?」

 バケモノは、構えたまま動きを見せない私達に、挑発のような言葉を投げかけて来た。

「そこまで私達を甘くみるか。いいだろう! ミッド地上部隊、陸士107の誇り。貴様に焼き付けてやろう!」

 私はバケモノに言い返しながら、自分の部隊に素早く目を配る。彼らは各々所定の位置に付いていた。その様を満足げに見やり頷く。私は号令を投げかけた。

「総員、構え!」

「砲撃手、撃て!」

 間髪入れず砲撃部隊の分隊長が合図を送る。

 

 砲撃準備をしていた魔導師が一斉に放つ。

 殺到する光の弾丸。

 しかし、バケモノは予想通り、それを無造作にすり抜け、体を翻しながらこちらに向かって矢のように突進してくる。

 無造作に振り下ろされる右手の刀による斬撃。

 狙われた一人の元に、二人の魔導師が咄嗟にデバイスを横から入れ、刃を三本のデバイスを重ねて三人がかりで止める。

 この時、ようやくバケモノの表情から笑みが消えた。

 

「何? 俺の攻撃を止めただって?」

 

「お前の戦い方は、こちらで研究している!」

 同時に部隊員の一人が声を張り上げた。

「圧倒的な身体能力と反応速度、その場から振り下ろすだけの斬撃はしかし凄まじい威力と鋭さを誇り、一人では到底受けきれん。

 だが、

 お前が攻撃を仕掛けてくるであろう一人に脇の二人が援護することで受け止めることができる!」

 攻撃を受け止めた隊員が叫びながら剣を弾き、バケモノを後方に退がらせる。その場所はすでに我々によって囲まれており、バケモノに周囲から魔力砲が撃たれる。

 

 次々と殺到する全方位の魔力に対し、バケモノは人間離れした動きで、次々と魔力弾を無造作に切ったり、首をひねるだけでよけていく。

 

(やはり、身体能力に優れているというのはあのラグナとか言う男の言うとおりだ。

 攻撃を紙一重のところでかわし、急所に当たりそうなきわどい弾はその刀で切り捨てている。

 驚くべきはあの不安定な態勢から、手打ちのような姿勢で、鋭い斬撃が飛んでくることだ。

 ――だが、相手は一人。圧倒的な力を持っていたとしても、攻撃の手を増やし、周囲を囲み、一気に押しつぶせば我らに勝ち目はある!)

 

 そんな私の思考を呼んでいたかのように、バケモノはその整った口許を歪ませた。

「フッ、なるほど。人間と言うのはつくづく、自分の常識で物事を考えようとするなぁ……」

 バケモノは刀を両手で持っていた。これ以上何かをされる前に、撃つ。

 同時に部隊員のデバイスに魔力が殺到していた。

「全方位からの魔力砲撃だ! これを避けられるものなら、避けて見ろ!」

 今度の全方位魔法攻撃は、針の穴ほどの隙間もないほどに、次々と放たれた。

 弾の数が違う。

 全てを同時に切り払うなど――物理的に不可能だ!

 

 しかし、バケモノはまたしても私の想像を凌駕していた。

 

「この程度の砲撃、切り刻んでやるさ!」

 

 バケモノは両手持ちの刀を横薙ぎに一閃した。と同時蒼い光の斬線がバケモノの全周囲を描き、青白い炎と化した。バチィッ 炎はまるでバケモノを守るように、全方位からの魔力弾を防いだ。

「下がれ!」

 嫌な予感が生まれ、即座に部下に指令を飛ばす。その前に、青白い炎は爆発し、宙に無数の斬戟となってバケモノの全周囲に飛び散った。ズババババァッ バケモノの周囲の全ての景色が切り刻まれていく。人も物も何一つとて例外は無い。

 何名かの部下が巻き込まれ、全身を切り刻まれながら前のめりに倒れて行く。

 とんでもない斬撃の結界を張ったバケモノは平然と、無残に切り裂かれた景色の中央に立って言い放った。

「数で圧倒的に有利だからって、周囲を囲めばどうとでもなると思ったか?」

 しかし、こちらはそれどころじゃない。

「ど、どういうことだ……!?」

「あんな技、なかったぞ!」

 部隊の何名かが言う言葉に私も頷いた。――そう、あの時のバケモノはこれほどの大技を使わなかったのだ。

 こんな――圧倒的かつ理不尽な一閃を。

「フッ、今程度の魔力砲撃が、お前達の切り札だというのか? なら、はっきり言ってやるよ。お前達じゃ俺は倒せない。お前達がどんな目的で仕掛けてきているのか知らないけど、正直鬱陶しいんだ。とっとと消えてくれないか」

「……っ!」

 しれっと言い放つ言葉はこのバケモノの力がこの程度では無いということを証明しているように聞こえる。

 ハッタリ――

 そう言いたい所だが。

「隊長、もう一度!」

「わかっている。ここでっ、退けるものかぁ!」

 同志達の言葉に、私は今一度デバイスを構えなおす。

 デバイスの先端にある矛先に魔力の刃を作り、槍となったデバイスを、ヤツに向けて構える。

 バケモノは、肩をすくめて呆れたように鼻を鳴らした。

「フン、相変わらず人間ってのは面倒臭い生き物だな。勝てないとわかっていながら、どうして挑んでくる? 力の差は、もうわかったろ?」

 一旦、言葉を切り――その瞳に、表情に溢れんばかりの殺意を漲らせて告げて来た。

「それとも、何人か死なないとわかんないのかい?」

 その圧倒的な重圧に、思わず呻きそうになるが――、隊員達は負けずと言い返した。私のように手を振るわせながらも凛とした口調で。

「たとえ……たとえ負けたとしても、俺達の意志は!」

「私達の意志は、」

「仲間によって受け継がれる。そして、ミッドの平和を揺るがすお前達を、必ず倒す!」

 そうだ――。

 これこそが、私達の求める管理局員だ。

 私達は、ミッドの平和を守るんだ!

 震えていた手は、いつのまにか治まっていた。

 

「フ、フフフフフ……フフフフフ。弱い犬ほどよく吠える。いいだろう、やってみろよ。あいつの居場所が判明するまでは、こっちも退屈なんね。遊んでやるよ」

 

 おかしくて、おかして仕方がない。そういう笑い方をするバケモノを私は睨みつける。

「部隊長!」

「わかっている。コンビネーションで決めるぞ!」

「はっ!」

 部下達の言葉に、私は最後の作戦を決行する言葉を――合図を送るのだった。

 

「……ん?」

 高速移動でバケモノの周りを取り囲み、その周囲を時計回りに移動する陸戦魔導師(わたし)達。ソレに彼は、呆れたような表情で告げた。

「また一斉攻撃か。何度やっても無駄なんだけど、ね」

 しかし、我々は今度は足を止めずに高速移動しながら、バケモノの周りを旋回、奴を中心に円を描く。次の瞬間、バケモノの正面、左右の三方向から同時に魔導師達が高速移動しながら一直線にバケモノに斬りかかって行く。

 これほどまでに鋭く迅い斬撃に対処できるわけがない、しかしバケモノはその不可能を可能にして見せた。咄嗟に左手の甲で正面からきた魔導師の刃を手の甲で弾く、右サイドから首を狙ってくる相手には右手の刀を振って後方へ弾き飛ばした。

「もらったぁ」

 そのとき、ちょうどバケモノの背後から切りかかる部隊員。しかし、彼が叫んだ時にはバケモノはすでに向き直っていた。

「なっ!? 体勢の立て直しが速いっ! くっ!」

 咄嗟に突きの姿勢から受ける体勢に変える隊士。同時、刀を袈裟がけに振り切るバケモノ。デバイスで受けるも、隊員は矢のように後方へ弾き飛ばされ、地面に背中から叩きつけられる。ドゴォッ 悲鳴を上げる間もなく、彼はそのまま気を失った。

「どうした、それで終わりか?」

 笑いかけるバケモノに対し、次々に攻撃を仕掛ける隊士達。しかし、奴は切りかかる者達を刃を合わせて後方へ弾き飛ばしたり、交差後方気味に切り捨てていく。

「……一斉攻撃の次は波状攻撃、芸のない戦法だ」

 失笑気味なバケモノに対し、私は全力で斬りかかった。キィンッ 刀と魔力の刃がぶつかり火花を散らす。

「これ以上は、やらせん!」

「へえ……?」

 余裕の笑みを浮かべるバケモノに対し、私は全力で刃を交える。私の槍(さば)きでも、奴は鼻歌交じりに(さば)いて行く。更にスピードを上げて槍の斬撃を放つ。もはや、ガードを考えている場合ではない。

「隊長!」

 弾き飛ばされた何名かの者が私の身を案じ、叫んでくれる。同時――バケモノが刀の柄を両手持ちに変えた。

 ギィンッ 地上スレスレの位置から足を払うように刃を横に薙ぐ。その一撃は刀を下段に構えて、あっさりと止められてしまった。同時、踏み込んでの唐竹で切りかかってくるバケモノに対し、咄嗟にサイドステップで距離を開けて避ける。

 私の動きに、バケモノはかすかに瞳を細め、笑った。

「なるほど。他の奴らとは少し違うようだな」

 刀を両手で持って切っ先を私の右の肺辺りに狙いを付け、刀身を水平に寝かせて腰のあたりに握りを置く。初めて、バケモノがまともに構えた瞬間だった。

「だが――俺の前では変わらない。」

 ドォンッ 素早い踏み込みからの斬撃。咄嗟に右からの薙ぎを柄で受け、返す刃は逆袈裟に切り上げる。捕えたと思ったが、奴は超人的な身のこなしと反応速度で、脇に翻って避け、同時に斬りかかってきた。ギィンギィンッ 四、五回ほど刃を交えた後、ドゴォウッ ズザァッ バケモノの強烈な両手持ちでの右袈裟がけを、私は受けきれず態勢を崩してしまった。

「もう終わりか?」

 そう告げながら更に斬りかかろうとするバケモノ。しかし、私は嗤っていた。計画通りだ――!

「終わるのは――貴様だ! 今だぁ!」

 予め、奴が現れる前に高台の方に移動し、待機させていた狙撃部隊。私の合図に、彼らは限界まで溜めた魔力を放つ。四方八方からの正確な砲撃魔力がバケモノを襲う。

 ズドドドォウ 強烈な爆発音と煙を上げて、魔力砲は直撃した。

 

「やった!」

「やりましたよ、隊長!」

 隊員達が私に労いの言葉をかけてくれた。私はソレに微笑みを浮かべながら――煙の向こうに居るバケモノに告げてやる。

「ああ! お前がさっきまで喰らっていた砲撃手は、あくまで陸戦魔導師の砲撃だ。砲撃型魔導師の砲撃は、さらにそれを上回る」

 皆が歓声を上げた。当然だ、これで――ようやく、汚名を返上できるのだから……!!

 ここまでやれば、これまでの誹謗も中傷も、消えることだろう。ホッとしながら、先輩達の仇を取れたことに安堵しながら、私ははしゃぎ立てる同僚や部下達を見ていた。コツコツ 靴音が辺りに響き渡るまでは――。

 間違いなく、煙の向こうから音はする。更に――人影が煙の向こうからゆっくりと現れた。黒い髪に金と銀の瞳の――異形の青年が。

「な、なんだと!? バカな……!」

 余りの絶望に、私はそんな言葉しか出なかった。バケモノは首をひねりながら、告げてくる。その口元に嗜虐的な笑みを浮かべて――。

「なるほど……。この俺に一撃入れるとは大したものだ。だが、痛くもかゆくもない」

「ば、バカな! いくら非殺傷設定とは言え、砲撃型魔導師の砲撃を受けて、無傷だと!?」

 部下の言葉に、奴は首をかしげて見せた。

「非殺傷設定? とどのつまり、格下の人間風情が、この俺に手を抜いたというのか」

 その言葉に、私は思わず告げた。

「われわれ管理局の目的は、相手を殺すことではない!」

 そう――。力のある魔導師は、人を殺してはならない。

 そんなことをすれば、社会の秩序が崩壊してしまう。

 感情に身を任せ、殺してしまえば、それはもはや管理局の魔導師では無い。ただの殺人者だ。そう、信念を持って告げてやる。

 ――しかし。

「わからないな。お前は一度、殺されるような目にあったんだろ? その時の恐怖を。屈辱を、憎しみを、何故お前は否定する?」

 首をかしげるバケモノは、悪鬼のようにその美貌を歪めた。

「殺しに来るなら、殺せばいい! それが闘いと言うものだろう!」

 その余りの迫力に、我々は何も言えない。そうしていると、バケモノは静かに、不快気に告げた。

「お前達はアイツと同じことを言う」

 

 その言葉に、恐慌状態に陥っていた者達が、我を取り戻し力強い言葉を放つ。

「たとえ何を言われようと、俺達は最後の最後まで、」

「陸士107部隊として闘うだけだ」

 まるで――自分自身を奮い立たせるかのように。バケモノは、彼らの言葉に静かに嘲りの笑みを口許に浮かべて、炎のような怒気を瞳に漲らせて告げた。

「そうか……。お前らのママゴトに、これ以上俺を付き合わせるな! 一瞬で終わらせてやる!」

 奴の体に纏わるように白銀の炎のようなモノが現れ、その背後に――見た事もない巨大な角を持つ白銀のバケモノの影が、一瞬私達の目に映った。ソレが消えると同時、圧倒的なまでの力がバケモノから放たれていた。

 隊舎を襲った時の得体の知れない力じゃない……。

 圧倒的な殺意と――憎悪と、狂気。

「な、なんだ!? この力は!」

 そんな反則じみた力の顕現に、思わず私は声を荒げた。次の瞬間、私の意識は闇に囚われていた。

 



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24.共食い。

 アルフとティアナが、レジアスと別れた数分後に、ロングアーチから緊急通信が入った。

 

[本局より緊急通信です。一四〇八に廃棄都市にて、『アウグ』と思しき人物を発見。現在、陸士107部隊の残存勢力と交戦しているとのことです]

 

 廃棄都市は、アルフ達がいるクラナガンより北に三十キロ――ミッドチルダ北方区画にある。

 二人は慌てて現場に向かった。

 バイクの後部座席に乗ったティアナが、クロスミラージュで通信するも、107残存勢力から返事がこない。

 二人が辿りついた時には、瓦礫の街に一つだけ、細長い人影が立っているだけだった。

「お前が107部隊を……」

 人影に向けて言いかけ、アルフは噤んだ。

 人影がこちらを振り返る。――カーマイン達と同じ顔の男。笑っている。比較的、無表情な性格の者が多い『ゲヴェル』では珍しい、妖艶な笑みだ。

 なんの前情報もなければ、アルフはこの男こそが陸士107部隊を襲撃した相手だと確信しただろう。

 だが、対する男の金と銀の瞳(オッドアイ)には、毒を思わせる色気があった。白皙に浮かぶ唇は小振りで、黒の口紅(ルージュ)をすっと引いている。

 男の握る刀は、人間の返り血で濡れていた。

 

「お前も俺を、あの人形と同じだと言いたいのかい?」

 

 カーマインよりも高い声だった。

 男――否、異形はアルフに視線を向けると、「ほうっ」と感心したかのような声を上げる。

「へぇ……。少しはうまそうな奴がいるじゃないか」

 嬉しそうに目を細め、異形は血みどろの刀身を舐めとった。

 よく見れば肌の色もカーマインより青白く、病的だ。

 異形は言う。恍惚とした表情で、艶めかしいしな(・・)を作りながら、蛇のように油断ない視線を向けて。

「質より量かと思ってたけど、意外に質のある奴もいるんだねぇ」

「……なるほど、外れか」

 アルフはぽつりと零した。

「外れ?」

 異形が首を傾げる。その仕草すら優雅だ。

 アルフはさりげなくティアナを後ろに下げた。

「お前みたいなんじゃ、すぐ足がついちまうんだよ」

 言いながら、彼は一つ、確信を得た。

 この異形は、血を好む。

 残虐で冷酷な金と銀の瞳(オッドアイ)。この異形であれば、もっと多くの部隊を襲っていたはずだ。

 刀に返り血などついてなくとも、異形の表情が、仕草がすべて物語る。だが今日まで、陸士107部隊以外の管理局隊舎が襲われたという話は聞いていない。

 この異形が、今日まで血を見ず我慢できるわけがない。

 アルフは一連の調査から、陸士107部隊を襲撃した異形『アウグ』は、なんらかの作戦に則って行動していると見抜いていた。

「だが、お前もゲヴェルには違いないらしい」

 言いながら、アルフは切れ長の目を鋭く細めた。腰の刀――“無名”を抜き、音も無く構える。

 途端、

 彼の(うち)に納まっていた殺気が疾った。

「……お前なら、俺を満足させてくれそうだ」

 淡々とアルフが言う。

 異形の青年は愉快そうに笑った。

「いいね。アンタとの殺し合いはこの胸をときめかせてくれそうだよ!」

 禍々しい狂気を浮かべ――血を見ることを望む異形。

 凛とした狂気を発し――命を懸けることを厭わぬ人。

 

 似て非なる両者の邂逅は、血を見ずに収まることなど不可能と暗示していた。

 

 

 

 アルフは無名を青眼に構える。

 対する異形は、ほぼ素立ちで猫背気味にアルフを窺っている。

 両者とも、数刻、動かない。

 ティアナは胸のざわめきを抑えるように、拳を握った。

(ものすごい緊張感……! どっちが先に動くの?)

 いつもの彼女なら、クロスミラージュを抜いて加勢する。

 だが、この狂人と異形が放つ空気は、管理局員のそれとは本質的に違う。

 有体に言うならば、呼吸するのも憚られる状況。

 両雄の殺気が、ティアナの肌を突き刺すように触れる。

 息を詰める彼女には、分かっていた。

 今、音を立てれば、両者の睨み合いは終わり、必殺の斬撃が飛ぶ。

 そして――ティアナの右手側にいる青年、アルフ・アトロシャスは、初めは凡人のように振舞う男だ。己の狂気を決して相手に悟らせず、自分の意図を読ませない。

 その彼から仕掛けることは、恐らくほとんどないだろう。

 ならば――、ティアナは唇を引き結んだ。視線を左に向ける。

 管理局員を襲ったというこの異常なまでの美貌の持ち主が仕掛ける時こそ、すなわち勝負が動く時。

 両者はそのまま、じっと睨みあう。獣が岩陰に身を伏せ、獲物を狩る機会を窺うように。

(こんな緊張感、耐えられない……。私だったら、もう動いてしまってる……!)

 握った拳が震えた。

 一瞬の隙が、死を呼びこむ。

 これぞ――、真剣勝負。

 異形が言った。

「どうした? 誘っておいて仕掛けて来ないのか? それとも、このまま日が暮れるまで睨み合ってるかい?」

 アルフは答えず、わずかばかり口端をつりあげた。

 

 ドンっ!

 

 鋭い踏み込みと同時、アルフの痩身が空を切る。“無名”を脇に引き付けての突き――『疾風突き』。

 その暴力的な突進力に、風が悲鳴を上げるように鋭く鳴き、大気が白い煙を吐き出した。

(そんなっ!? 自分から動いた!)

「アルフさん!」

 予想を裏切るアルフの行動にティアナは違和感を覚え、叫んだ。

 同時、異形も動いている。

 交差した。両者が。

 白いきらめきがティアナの目をくらませ、瞼を開けた時には、背を向け合う二人があった。ともに、己の武器を振り抜いている。

 異形はいつの間にか、一振りの刀を握っていた。それを横薙ぎに振り切っている。

「……なるほど、予想よりずっといい。アンタとの殺し合いは、俺の胸をときめかせてくれそうだ」

 そう言う異形の袖口には、二、三センチの切れ目が入っていた。対するアルフは肩口。こちらも、異形と同じく薄い刃の跡が残っている。

 異形は体で刀を隠すように斜めに構えた。アルフは青眼。

「串刺しにする気だったが――、さすがは“ゲヴェル”ということか」

「へえ、さっきの奴らよりは事情も詳しいようだ。楽しみが増えたよ」

 誘うような異形に対し、アルフは口端をつり上げるだけだ。戦う場面で、彼はあまり物を言わない。

 それは、アルフ・アトロシャスが普段被っている仮面ではなく、彼の本性を表しているようでもあった。

 刀の間合い、一歩外。

 互いに踏み込みづらい空間をはさんだ時、異形がその場を動かず、右手一本で突きを繰り出した。

 アルフは咄嗟に左に避ける。

 

 ビュンッ!

 

 異形の切っ先がアルフの襟首をさらう。

「どうして!? 刀の間合いじゃ、届かない筈なのに……!」

「ゾクゾクするよ……、今の一撃をかわすなんて!」

 見れば異形は、その右手に槍を持っていた。

「武器が変わった!?」

 にやりと笑いながら、異形はその槍を次々と振るう。右手一本の突き、連打。

 その場からただ突きだされるだけの突きだが、ゲヴェルのしなやかな筋肉は、人間の常識をはるかに超える。

 穂先が無数に増え始める。

 アルフをして防戦一方。

 だが異形は、己の突きを(さば)き切る男を見て瞠目した。

(たかが人間が、俺の攻撃をこうも(さば)く!? なんて……、なんて楽しいんだ……! アンタ!)

 槍を片手で旋回させ、横薙ぐ。遠心力をたっぷりのせた。

 アルフは両手持ちでしっかり受けるも、体勢が崩れた。

「フ、フフフフ……! すごいね、アンタ」

 無造作に左手を突き出す異形。その掌から放たれるのは光の矢弾。人の頭ほどの青白い光の弾丸だ。

 アルフはまだ、体勢を崩したまま。

 ――避けられない。

「アルフさんっ!」

 強張ったティアナの双眸が、ミリ単位で光弾をすり抜けるアルフを映した。

 アルフは流れるように身の翻し、剣技『衝裂破』を放つ。狂人と呼ばれる男の横薙ぎ。その軌跡を追うように地面から気柱が何本も立ち並ぶ。

「すごい! あれなら――当たるっ!」

 ようやく呼吸できる段階で、ティアナは興奮のあまり叫んでいた。

 だが異形に焦りはない。

(――本命は)

 気柱の向こうから刀の切尖(きっさき)が伸びてくる。いわゆる突き。

 異形は槍の長柄で突きを止めた。人間ならば、反応出来ない。だが彼は視ると同時に攻撃に反応する“ゲヴェル”なのだ。

 途端。

 アルフの突きが分散したように、息も吐かせぬ連続斬が網の目のように走った。

 異形も同じように斬撃を繰り出し返す。

 手数は、五分。

 ティアナは目を(みは)った。

(相殺した? と、言うか――斬撃って……!)

 響き渡る音で、ティアナは現状を認識する。正直、彼女の目では、その斬戟の全てを見ることはできない。だが――斬戟を異形が放ったという事実を認識し、改めて異形の持っている武器が何かとみると、予想通り刀に戻っていた。

(やっぱり、武器が変わってる!)

 ティアナが確信と共に、険しい表情で戦いを見据える。

 異形は、実に楽しそうに、アルフに笑いかけた。

「俺の魔方剣を見て、眉ひとつ変えないとはねぇ……。こういう武器、知ってるのかい?」

「その程度のネタで、ビビるような神経は持ってねえな」

「フ、ハハッ! ――いいね、アンタ。ますます俺好みだ」

 そう言うと異形は、アルフに見せつけるかのようにゆっくりと刀を両手で持ち、上段に構えた。艶と笑う。

 アルフは青眼の構えから切尖を寝かせ、手元に刀を引き寄せる。

「シャァッ!」

 異形が啼く。

 左足を大きく踏み込んでの上段からの振り下ろし。

 対するアルフは、手元に引き付けた刀を体当たりするかのように前に出して受ける。

 激突した刹那、

 巻技で相手の刀を撥ね上げようとするアルフ。

 それに対し、異形は撥ね上げられる寸前で横薙ぎを放ち、絡みついてくるアルフの刀を斬り払った。

 斬り払われたとみるや、アルフは横薙ぎ、唐竹、突き、右袈裟がけ、の四連斬撃『夢幻』を放つ。

 異形は刀を下段に寝かせ、半身を後方へ反らすことで胴薙ぎを見切り、唐竹に対して下段の構えから切り上げて相殺、間髪いれずに放たれる次の突きに対して咄嗟に刀の柄を盾に突きを受ける、が、衝撃は抑えきれず、地面を掻いて下がった所にアルフの右袈裟がけが待っていた。

 それが当たる直前、異形は猫のようなしなやかさで上半身を後方へ仰け反らし、縮地法で距離を取る。

 まるでその場から消えたかのような異形の右手には、ボーガンが握られていた。

 無造作に放つ。

 放たれた矢は一本。

 アルフはそれを空中で体を横に旋回させながら避ける。

 瞬間、続けて放たれる二の矢、三の矢。

 空中で体を寝かせたアルフは、二の矢、三の矢を呼んでいたかの如く鋭く横に回転することで対空時間を長く維持、彼の足元を物凄いスピードで矢が穿ち過ぎる。

 一瞬後、アルフは右手をついて着地した。

 空を射抜いたボーガンの矢が、廃棄都市のコンクリートの壁を軽々と射抜いて行く。厚さ三十センチ以上あるビルの壁は、ぽっかりと穴が開き、それだけに飽き足らず、後ろに控えている建物までも穿っていた。

 着地したアルフが、一瞬の間も置かずに空破斬を放つ。

 真空の衝撃波は異形が続けざまに放った矢を弾き落とし、一直線に異形に向かった。

 異形は妖艶に笑むと、ボーガンを刀に変化させ、両手で持って袈裟がけに振り落とす。空破斬とぶつかった刀は、凄まじい爆音を上げて空破斬をかき消した。

 途端、

 空破斬が狂ったように降った。それは異形のボーガンへの返礼と言わんばかりに容赦なく、無数に走る。

 『無限空破斬』と、称す者も居た。

「器用なまねを、してくれるじゃないか!」

 異形はそれを刀で片っ端から切り落とす。切り落としながら、異形はジッとアルフを見据えている。この技は時間稼ぎだ。自分をこの場に留めておく為の――ならば、本命は?

「さあ! 次は何が来る?」

 瞬間、

 アルフの雰囲気が変わった(・・・・)

 背に龍を、蒼い殺気を全身に纏う。

 

 ――『蒼龍鳳吼破』。

 

 アルフはカッと目を見開くと、上段に構えた刀を振り下ろした。

 途端、

 刀身がアルフの瞳と同じ、紅く凄絶に輝く。

 切っ先から迸る闘気は紅。それは鳳凰の形となって敵を喰らう。

 ――グォオオオオオッッ!!――

 約、三十メートル。

 それが鳳凰の頭の大きさ(・・・・・)だった。

 どす黒く、練気の密度を物語るように気温が上昇する。

 背の蒼竜と紅い鳳凰が、折り重なるように吼え合いながら、異形に向かって走る。その二匹は、すさまじい赤と蒼のコントラストをつけながら、猛速度(スピード)で空を駆り――、やがて、蒼い渦を巻いた赤い鳳凰へと姿を変えた。

 

「あれは……! なのはさんのエクセリオンバスターを相殺した!」

 

 まともに喰らえば、異形の者でも一撃で戦闘不能になるだろう。しかし異形は、逃げようとも、防ごうともしない。

 静かに――腰を落とし、両の拳を腰のあたりに置くと、その瞳をアルフに見据える。

 

 ドクンッ

 

 ティアナの耳にも聞こえる圧倒的な心拍音。その一瞬後、異形の口から人ではありえない咆哮が放たれた。

 ――ウォオオオオオオ!!

 次の瞬間、異形は白銀の炎をその身に纏い、巨大な“白銀の鬼”の影を背にする。青白かった肌の色は、カーマイン達と同程度に赤みが差し、呪われた黒い唇に血が通う。

 ゲヴェル因子、解放。

 同時に、異形はグローランドの最強魔法『ソウルフォース』に斬撃を放つ。

 異形の中でも最高の威力を持つ斬撃、『強打撃』を。

 その二つが相成り初めて出来上がる技――魔法剣『ソウルストライク』。

 青白い光線となって奔る砲撃は、軽く山をも消し飛ばす。

 

 激突。

 

 二人を中心に、同心円上に風が奔った。

「……!」

 わずかにアルフの龍の気が押し返され、刀を持つ手元が震えた。

 ティアナは両手で顔をかばって身を伏せる。

 気を抜けば、吹き飛ばされてしまいそうだ。

 そして――

 衝突が止み、対峙する両者を見つめた時には、アルフが慌てた風もなく、息を零した。

「……へぇ」

 対する異形は白銀の炎を猛らせながら、笑いかける。

「フ、フフフ……。やるじゃないか、本当に。人間のくせに、一対一で俺にゲヴェル因子を使わせる奴がいるなんて。名前くらい聞いておこうか?」

 異形は値踏みするかのようにアルフを見据えた。

「人にモノを尋ねる時は、まず自分から名乗るべきだな」

「そうか。墓に名ぐらい刻んでやろうかと思ったが、野晒しの骸が好みか……! 冥途の土産だ。我が名はルーチェ。偉大なるゲヴェルの後継者」

「――後継者? ……ん? お前もゲヴェルなんだろ?」

 異形・ルーチェの背に在る“白銀の鬼”こそが、『ゲヴェル』という名のバケモノであり、異形(ルーチェ)はその鬼から創りだされた魔導生命体であるなどアルフは知らない。

 故に、

 異形の名乗りを聞いても、さっぱり要を掴めなかった。

 『ゲヴェル』というものは種族である、と勝手に解釈しているアルフは一瞬、狂気さえも失せて、ぱちぱちと瞬き、それって受け継ぐものなの? とでも言いたげに、不思議そうに首を傾げた。

「アルフさん……」

 その様を見て、ティアナは額を打った。

 ――あまりにも、緊張感がない。

(この人だけは、余裕があるのかないのか分からない……)

 こういうところがフェイト・ラインゴッドに似ていると思ったが、口に出すと怒られそうなので、ティアナは黙っておいた。

 

「さあ、続きを始めようか」

 今度の異形(ルーチェ)の縮地法は、今までとはケタ違いのスピードだった。身体能力、反応速度、全てにおいて――それまでの動きとは一線を画す。

 ルーチェが消えた――と、ティアナが認識した時には、アルフは脇に避けている。彼の後ろの瓦礫が、割れた。

「――え?」

 ティアナが瞬いて、切られた瓦礫を見た瞬間に、ギィンッ 別の方から金属の音。見れば、ルーチェが放った槍を、刀で止めるアルフの姿があった。

 しかしその時には、無数の槍の突きがアルフを襲っている。

「アルフさんっ!」

 悲鳴を上げている間に、アルフは上体を後ろに崩されそうになっている。あまりに鋭く、速く、強いルーチェの攻撃。しかし、アルフは驚異的なく身体能力で地面を蹴り、バックステップで槍の間合いから逃れてみせた。

 その瞬間、ルーチェは縮地法であっさりとアルフの後ろに回り込む。

 アルフはすぐさまに体の脇に刀を持ってくると、ルーチェの両手持ちの右袈裟がけが決まった。

 

 ギィイイッ!

 

 後方へ弾き飛ばされるアルフ。咄嗟に地面に手と足を付き、地面を掻いて失速させる。と、自分の背後に気配を感じたのか、振り返りざまに刀を一閃した。

 そこにアルフの予測通りルーチェの刀が迫っていた。

 ぶつかり合う、刀と刀。

 鍔競り合いの状態で睨みあう異形と狂人。

(馬鹿げてる……! カーマインさんの時と、同じだ……! これが、ゲヴェルっていう種族なの!?)

 ほんの十秒にも満たない間にここまで斬り合う。両者の動きにティアナはぞっとしていた。アルフも凄いが、ルーチェの動きは最早(もはや)人間離れしている。

「どうした? この体勢じゃ、もう決まっちゃったな。力を解放した俺に、お前は抗うことすら出来ずに死んでいく。さあ、真っ二つになるがいい」

 ルーチェはニヤリと笑い、一気に刀をアルフへ押し付ける。

「どうした? 泣いて命乞いをしてみろよ。怖いだろ? 死ぬのは!」

 刃先がアルフの首に触れようとしていた。途端、アルフが嗤う。

 その笑みを受けたルーチェは、何かを悟ったかのように――

「チッ」

 ――舌打ちして、剣をはじく。

 同時に、自ら退る。あと少し反応が遅ければ、ルーチェの首にアルフの刀の切っ先が触れるところだった。

 鍔迫り合いで一気に押し切ろうとしたルーチェのタイミングに合わせ、アルフは手首を返して刀を下から滑り込ませ、相手の喉元を自分が首を斬り裂かれるより先に穿ち突こうとした――。

 暗殺剣の中で、常套とされる手段だ。

「?」

 その意味を理解できないティアナは、首を傾げるばかりだった。対するアルフは嘆息して、立ち上がる。

「やれやれ……。あのまま刀を振り切ってくれれば、すぐに終わったんだがな。さすがゲヴェル。その勘は大したもんだ」

 次の瞬間、黄金の鳳凰がアルフの背に現れ、一つ啼くと、アルフの全身に同じ色の炎が宿った。対するルーチェは目をこれ以上ないほど見開き、笑みを浮かべる。

「このルーチェを相手に手抜きだと? ……面白いことしてくれるじゃないか。お前!」

 この鳳凰を呼びだした姿こそ、全力。

 見抜いたルーチェに、アルフは薄笑った。

「真っ向勝負しか知らねえお前らとは、違うんだよ」

「フッ、小細工の好きな人間らしいセリフだ」

「よく言う」

 アルフは視線でルーチェの刀を指す。それで察したのか、ルーチェも自分の刀を見つめ、笑った。

 変幻自在のルーチェの武器。

 これは、特殊武器(リングウェポン)と魔法を重ね合わせることで実現する『魔方剣』と呼ばれる技だ。

「ああ、確かに。お互い様か。フフッ」

 共に尋常ではない殺気を撒き散らしながら、笑う。一秒後には相手の首を掻っ切る。

 二人の目が言っている。

 まともな人間なら発狂する、強烈な緊迫感。二人とも、奇跡的に傷こそないものの、どう考えても尋常な勝負が先に待ってはいない。

 ティアナは全身の毛が泡立つのを感じた。

(アルフさんのあの気を受けて……、どうして笑っていられるの!?)

 

 ――勇気と無謀、履き違えるなよ。

 

 かつて、アルフは言った。

 死地たる戦場に赴くとき、最期の最後まで正気(・・)を保って戦えと彼は言った。

 だが。

(本当に、境界があるの?)

 ティアナは二人の一挙手一投足を逃さんと目を開く。

 勝負の理不尽、勇気と無謀。恐怖と覚悟――。

 自分なりに、あの模擬戦から考えたつもりでいた。だが、とてもこの二人の戦いが、そんな言葉の先に有るモノとは思えない。

(分からない……。どうしてこの人たちは、自分の命を危機にさらしながら笑えるんだろう)

 自分は戦っていない。それなのに、二人の戦いを見て、恐怖で震える。自己防衛本能が“逃げろ”とティアナの胸を激しく叩いてくる。

 それでも、ティアナは動けなかった。

 白銀の炎をまとった異形は、自分の魔力とリングウェポンを基に創った刀を上段に構え、蠱惑的な唇を割った。

「殺してやるよ、人間!」

 苛烈な殺気。

 対し、黄金の炎を噴き上げる狂人は、自らが鍛え上げた刀を青眼に構え、静かに哂った。

「殺してみろよ、異形(バケモノ)

 



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