エターナルメロディ・悠久幻想曲SS集 恋と冒険と鉄骨と (kagekawa)
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青年とお姫様と月の話
青年とお姫様と月の話 序章


未帰還レミットED後のアフターストーリー


 見上げれば月。

 大きく、神秘的に輝く、美しい円が、そこにある。

 

 漆黒の空に散りばめられた星々の輝きをかき消すように淡い光を発するその姿は、それが王者たる太陽のそれを映すだけの偽りのものだとしても、やはり美しい。

 古来より、月は世界中で信仰の対象となり、不可思議の原因とされたのも、『偽りの光』という独特の神秘性を持つが故なのかもしれない。

 そんな月光の怪しい魔力にあてられたのか、今、一人の黒髪の青年が木々に囲まれた小さな丘の上で、ごろんと寝転びながら、ぼうっと空を見つめていた。

 汗ばんだ体にはちょうどいい風だ、と、誰に言うでもなく呟く青年のその顔は、お世辞にも凛々しいとは言えない、だらけきったものだった。それでも、どことなく愛嬌のある笑みに、好感を持つ人も少なくはないだろう。

 青年――と言い切るには、まだあどけなさが残る彼の頭上を、ささぁ……と草々を分けながら、風が巻いて流れていく。

 普段は生暖かく感じる風も、先ほどまでこの丘で剣を振り回し続けて火照った体には、冷たささえ覚える。

 それは過去に剣道部に打ち込んでいたときのそれと良く似てはいたが――枕代わりにしている相棒のさらなる冷たさが、それがすでに過去のものであるということを教えてくれた。竹で出来たそれとは違い、触れるだけで伝わるような重量感。特注に日本刀に近い形であつらえたそれは、明らかに生物を殺すために作られたものだ。

 それを鍛錬とはいえ手にしている事に改めて自覚する。

 自分が、異邦人であるのだと。

 たとえ異国の地に居ようとも、故郷に手紙を書いたり、電話で会話できるのなら構わない。

 いや、それすら叶わず、たとえ拘束されて動けなくとも、この同じ空の下に故郷が続いているのなら、それだけでも救いになる。

でも、ここは――。

「……笑っちゃうね、ホント」

 何の因果か青年が「こちら」にやってきて、二年になる。「帰る」為の旅に出て一年。それが失敗に終わり、かといって再挑戦する気も薄れたため、旅の最中奇妙な縁を築いた、とある少女のお世話になって、さらに一年と少し。 

 気づいたら、今ではその少女――一国の王女だという彼女の、近衛団の隊長にまでなってしまった。

 とはいえ、大きな連合に加盟し平和調停が広い範囲で行われた中の小国であり、また護衛すべき「お姫様」は、何人もいる王位継承位の中で最下位にいるため、王族の誰かに命を狙れるようなこともなく。

 結局『第三王女近衛団長』というのもの建前でしかない。なにしろ、近衛団は青年一人しか居ないのだからして。

 せいぜいが、お金持ちのお嬢様の世話係、そして申し訳程度のボディガード、といったところか。

 もっぱら、「お姫様」の我侭――とはいえ可愛いおねだり程度のそれに応えるのが、今の彼の仕事である。

 しかしそれでも、いつ、なにかがあったときの為――彼は、毎日ここでの鍛錬を日課としていた。

 鍛錬。それはこの剣と――

 「エネジー・アロー!

 

 (魔法!)

 突如聞こえてきた男の声に、青年は剣を掴みながら跳ね起きて地を蹴った。「何か」が青年を掠めるように飛来し、地面に激突する。

 ぼふん! と、大き目の花火が爆発したかのような音と共に、煙が先ほどまで青年が寝転んでいた地面の上で、燻るように充満していった。

 飛来物がやってきた方向に目を向けると、一人の大柄の男が先ほどの不意打ちを悪びれた様子もなく堂々と歩いている。

 銀の髪、明らかに尖った耳、頬に痣のように走る刺青が、彼の印象を決定付けさせる。

「ったく、いい加減不意打ちはやめろってんだ、カイル」

 毒づいた彼の言葉もどこ吹く風。カイルと呼ばれたその男は小バカするように長い耳に小指を突っ込みながら、

「ふん、寝惚けてはいないようだな」

 と、一言だけ答えた。

 カイル・イシュバーン。それが、この風変わりな美丈夫の名前である。

 故郷に戻る旅の最中、カイルもまた何かと競い合ってきた悪友だった。

「弱い貴様でも避けられるよう、手加減だけはしてやったこのカイル様をありがたく思うんだな」

「ガチバトル78戦で、40勝してるのは俺だろが。なんでそんなに自信満々なんだ、バカイル。だいたい今日は前回の負け分に、俺の魔法鍛錬に付き合ってもらうはずだ

 

 魔法。本来なら漫画やゲームなどのフィクションにしか存在しない、不可思議の現象。だがそれも「ここ」では現実だ。その魔法の力を頼りに、彼は一年もの間、旅をしたのだから。

 願いをかなえるという、暁の女神を求め、彼は故郷への帰還を、カイルは魔王の復活を目的に旅に出た。そして旅が終わった今、ライバル(カイルの一方的な片思いではある)として、こうやって何度もお互いの腕試し勝負を繰り返し――いつのまにか、敗者は勝者の鍛錬のサポートをすることが、お互いの暗黙の了解となっていた。

 二人とも自分の得手不得手を自覚し、口には出さないが相手の実力を認め合っているからこそ、このルールは賞品としての価値があった。

 素直に教えあえばいいのだろうが、それが出来ないあたりがカイルの不器用さであり、青年が彼を憎めないところであった。

 剣では青年に、魔法ではカイルに大きな分があるが、総合では互角。何度かの「ケンカ試合」を通じ、確かにこいつには負けたくねえ、という心が燃え出したあたり、認めたくはないが確かにライバルなのかもな、と青年は笑う。

「ふん、余裕の笑みか? だが、それも今のうちだけだろうよ。オレの編み出した究極魔法をマスターしたければ、地獄の特訓に耐え抜いて――」

「そういうのはいいから基本的な魔力制御法とかを頼む」

「んだとテメェ!」

 と、カイル怒鳴るが、それでも「しかたねーな」と素直に魔法指導を始めるあたりが、らしいといえばらしい。

 カイルの教えに従い、青年が己の魔力を血液の循環のように深めていくと、先ほどまで気づかなかった闇の中の動植物の息吹が感じられる。

 闇に支配されている木々の新緑は、夜の中でかろうじてその色合いがわかる程度には、空に怏々にして皇々と座する月に照らされている。

 美しいが、たぶん、どこにでもある光景だ。だが、この「どこにでもある」はずの草木ひとつにしても、もしかしたら、彼の故郷には存在しない植物なのかもしれない。

 なぜなら――。

 ここは、マリエーナ王国。それが属するのは、魔法が理を表し統べる世界。青年にとって、『異国』ではなく、『異世界』と称すべき場所である。

 

 見上げれば異界の月。

 恐怖を感じるほどに大きく、怪しい色彩で神秘的に輝く、畏怖さえ覚える美しい円が、そこにある。



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青年とお姫様と月の話 第一話

             ◇

 恋をしている、とはっきり自覚したのは、いつだろう。

 彼が欲しい、と思ったのは、アイツを邪魔するために始めた旅の途中だったことは、確かに覚えている。

「なあ、お前、笑ってると可愛いのに、どうしていつも怒って俺の邪魔をするんだ?」

 アイツに聞かれて、自分でも何でだろうと考える。適当にごまかしてしまえ、とも思ったけれど、それがアイツが「本気」でわたしに問いかけているんだと感じて――。

 ああ、そっか。わたしはずっとアイツに「本気」で相手をしてもらいたかったんだ。

 憎まれ口を叩いたり、叩かれたりは何度模した。でも、アイツはどんなにわたしを怒っても、わたしがどんなにアイツに迷惑をかけても。アイツはわたしを適当に扱うことだけは絶対になかった。

 だから、アイツの邪魔をし続けていれば、そう扱ってくれると、そう思ったんだ。つまり、それは、

「……きにしてほしい」

 わたしの答えにアイツがきょとんとした顔がおかしくて、少し笑ってしまいそうになる。でも、恥ずかしさは止まらなくて、それでもちゃんと伝えたくてもう一度言う。

「わたしを気にして、ちゃんと見て欲しいの。……アンタの邪魔をすれば、本気で怒ってくれるから」

 自分でも、子供過ぎる理由だと思う。だって結局は、構って欲しいって、そう言っているのだから。

 そして、そんな我侭でアイツが命がけでやってることを邪魔しているんだって、伝えてしまった。

 怒るだろうか。呆れられるだろうか。ぶたれるだろうか。そして……もう相手にされなくなるだろうか。

 急激な不安に、押し殺されそうになり、恐る恐る目を開けると、アイツが手を振り上げていて――

「……え?」

 ぽす、と頭に手を乗せられた。

「そっか、じゃあレミット、いつでも邪魔しに来いよ

 

 そういって、アイツはわたしの頭を撫でて微笑んでいる。滲んだ涙越しに見たアイツの笑顔が、すとんと心の奥に落ちた気がした。

 それからだ。アイツに、ずっとわたしの近くに居て欲しいって思ったのは。

 だから、今までどおり、そして今までよりも必死に、アイツを元の世界に返さないために邪魔をし続けた。

 それは、確かに恋――じゃない。

 矛盾するかもしれないけど、「対等」に居てくれる友達と、「甘えさせてくれる」大人の人が欲しかったんだ。

 

 願いをかなえるという暁の女神が現れる、空中庭園。

 そこで、わたしはアイツと会える最後の夜になるかもしれないと、決意を胸に秘めて告白をしに行って……結局させてもらえなかった。

「その先は、言わないほうがいい」

 と、アイツに言われて。二度と会えなくなるのにそれを伝えるのは、きっとわたしの重荷になるから、と。必死でそばに居てと言うわたしに、困ったような顔で諭したアイツ。今から思えば、それが恋ではなく、兄への憧れのようなものだと見抜かれていたからなのかもしれない。

 それでも、少しくらいはわたしのことを考えてくれたと思う。あの時の彼は、それが妹への情のようなものだとはいえ、わたしのことで迷っていたんだって、自惚れている。

 そして、もしまた会えたのなら、そのときは告白の続きを――。そう約束して、最後の夜を終える。

 

 翌日、暁の女神は確かに呼び出された。

 旅の間に集めた、魔宝と呼ばれる五つの秘宝。後で知ったことだけど、これらは一種の強力な魔法道具らしい。

 世界全土を魔法陣に見立てて五芒星をつくり「星」という強力な霊脈から魔力を集める。それを術者となる者が「試練」という名の魔法儀式を達成して術式が完成。呼び出された「暁の女神」という魔法生命体が、その魔力を用いて術者の心の願いを具現化する。

 願いが叶う、叶わないに限らず、魔宝は形を変えてまた世界に散らばり、また儀式の準備を開始する。

 つまり、魔宝集めの旅というのは、世界そのものを祭壇にした大きな魔法儀式なのだ。

 だから、基本的に願いを叶えようとする者、そのパーティ自らが魔宝を集めきらなければ、願いの内容によっては魔力が足りず、失敗に終わるということだ。

 でも、彼は。

わたし達やあのバカイルの邪魔も全て乗り越えて、全ての魔宝を自力で手に入れた。

 パーティの仲間達の信頼も集めて、いろいろな場所で事件やトラブルを解決して、それもまた「魔宝の儀式」の一つとなり強力な魔力がそれに宿っていた。

 だから、間違いなく彼は元の世界に帰れる……はずだった。彼が、故郷にに戻りたいと心から願いさえすれば。

 暁の女神に「本当にそれでいいのですか?」という問いかけに、アイツは一瞬だけっわたしを見て、そして確かに、「元の世界に帰る」と宣言して目を瞑った。そしてアイツの体が光に包まれて――

「……あれ? よ、よし。もう一回。……あれー?

 

 アイツは、その場所に留まったままだった。

 ダメだったみたいね、と、アイツの肩に妖精のフィリーが止まると、アイツは「そ、そんな……」と跪く。

 次々と慰めの言葉をかけていく彼のパーティたち。アイツも、すぐに気を取り直したらしく、「仕方ないか」とちょっと空元気まじりに笑ったのだった。

 また魔宝を集めますか、という皆の言葉に、アイツは何かを決意したらしく、丁重に断っていた。

 正直に言う。

 わたしは、そのときとても嬉しかった。これで、またアイツと一緒に居られると、それしか思わなかった。

 それに、願いは間違いなく叶うはずだったのだ。なので、この世界に残ったままだったのは、彼が心の底からは帰還を願わなかったからのかもしれないと、そう思ったのだ。

 わたしはアイツに飛びついて、「いくとこないんでしょ。わたしのとこに来なさいよ」と、昨日の夜の事を誤魔化す様に言って、そして、彼はそれを承諾したのだった。

 

 その日は空中庭園で、アイツ、わたし、カイルのパーティ全員でアイツの「残念会」として大騒ぎで遊んだ。

 何だかんだで、一年間同じ目的の旅をしていた人たちだったから、あっという間に打ち解けた。

 その後、皆はどうする予定なのか、とか、落ち着いたら一度わたしの王宮に集まろう、とか、そんなたわいのないことで盛り上がった。

 そして、また一日泊まって翌日解散となるのだけれど。

 夜、アイツの部屋に行こうとして廊下の角を曲がると、ちょうどアイツが奥の出口から外に出ようとしているところだった。わたしはそれにすぐ声をかけようとして、

「……レミットちゃん、ダメよ」

 カレンに呼び止められた。

「カレン……どうして?」

「今日は、そっとしておきましょう?……彼が大切なら、とくに、ね」

 意味が良くわからなかった。アイツがカレンと特別な関係……だとは思わないけれど、それでも自分よりもアイツを知っているから、というようなそぶりのカレンに、わたしは素直にその忠告を聞けなかった。

 通せんぼするかのようなカレンに、わたしは大声で文句を言おうとすると、

「仕方ないわね。大声出されて気づかれたら意味がないし。わかった。そのかわり彼に見つからないようになさい。その上で声をかけるかどうかは、レミットちゃん次第」

 嫌だ、とわたしに言わせない強い口調。

 わたしは、飲まれるように「うん」と頷いてしまった。

「ホントは、私の想像がはずれてて、レミットちゃんが声をかけられるようならいいんだけどね」

 と、不可解なことをいいながら道を譲るカレンに、わたしは首を傾げる。

 でも、言われたとおり、できるだけ音を立てないように、こっそりとアイツの後をつけていった。

 そして、わたしは、カレンの言っていた意味を痛烈に理解することになる。

 

 空中庭園の端にある、大きな林の方に、アイツはすたすたと進んでいった。いったい、何の用があるのだろうと、わたしは夜の暗がりに身を潜めながら彼を追う。

 わたし達が泊まっている庭園の居住区から、大分離れた場所で、アイツは一本の木の前に立った。わたしはそこから数メートル離れた大樹に身を隠している。すると、

「……え?」

 倒れるように、アイツが膝まづいた。そのまま蹲るように、地面に額をつける。そして、

 

「……ぁぁ…く……ぅああああああ…」

 

 苦しんでいるのだと思った。だから、慌てて自分が隠れている大樹からかけよろうとして、

「――うわぁぁあああああああああああ!!!」

 泣いて、いる。

 いつも皆に笑いかけて、どんなに大変でも皆を励まして、どんな苦難にも諦めず元気に振舞っていた、あの彼が。

「父さん!母さん……!ごめん、ごめんなさい……」

 そして、次々と彼の口が叫ぶのは、今まで聴いたことのない人の名。おそらく彼の世界の友人達なのだろう。

 ……わたしは、何を勘違いしていたのだ。

彼が笑っていられたのは、苦難に立ち向かえていたのは、全部、故郷に帰れるという希望があったからじゃないか。

 なのに、わたしは。

 これで、ずっと彼が居てくれると、無邪気に喜んで、わたしと一緒に暮らせることをきっとアイツも喜んでくれると、そう思って。

 足が、ガクガクと震える。どうしようもない涙が、溢れて止まらない。ここに居てはいけないと思うのに、足がすくんで動かない。

 どすん、と、重苦しい音が彼のほうから聞こえて、わたしは我に帰る。すると、先ほどまで膝まずいていた彼が立ち上がり、木に向かって激しく拳を突き入れている。

「くそ……!ちくしょう!

 

 泣きながら、手が傷つくのも構わず、そうやって何度も拳を叩きつけている。

 止めたいけど、止められない。きっと、わたしにそんな資格なんて、ない。

 ただ耳を塞いで、わたしはその場で力なく座り込む。

 やっとわかった。

 カレンは、このことを予想して、わたしを止めたのだ。

 わたしに苦悩させないよう案じたからじゃない。

 ただ、彼が思いっきり泣ける時間を作るために。

 だから、そこから先はカレンの予想外のことだったろう。

 わたしがショックを受けることは予想していただろうけれど、わたしがもっと大きな呪いを受けるとは、思いもしていなかったはずだ。

「なんで……俺は、あんなことで迷ったんだ……」

 涙と共に、わたしは全身の血が引いた気がした。

 彼は、その言葉を悲しみだけでなく、ある感情を交えてそれを呟いてたから。

「ちくしょう!くそ!なんでそんなくだらないことで、俺は……帰るのをためらったんだ」

 その感情は――怒り。いや、一種の憎悪に近かったかもしれない。

 ドズン、と、一際大きい音がして、彼が叩いていた木が大きく揺れる。

 木にめり込んだ拳から、闇に染まりながらも確かな赤色を灯して、一筋の液体が彼の腕を伝う。

 そして、その後悪夢となって何度も見ることになる、最後の呪詛が、彼からつむがれる。、

「くそ……本当に、頭にくる。……ふざけんな……………………レミット」

 わたしはそれを夢に見る。

 何度も、何度でも、夢に見る

 

              ◇

「何度目の、夢、かな」

 涙が頬を伝わる目覚め。もう、慣れてしまった朝だ。

 自慢の金色の髪も汗でべとついて、窓の外の軽快な鳥達の音も、ただ気だるく感じる。

 外からは、式典――といっても小さなお祭程度であるが、その準備だろう様々な音楽が聞こえてくる。

 あの冒険の旅から、一年と少しが過ぎた。

 アイツは約束通りわたしと王宮に来て、今ではボディーガードとしてアイリスと共に一番近くに居てくれる。

 アイツは今までと同じように優しかったし、実はそれが偽りで本当はわたしを憎んでる、とは絶対に思わない。

 自分が弱くなるとき、それが例え理不尽だと分かっていても、何か「あたる」相手を求めることがあると、そういうことを理解できる程度には、わたしもあの冒険の中で成長したからだ。

 わたしだって、アイツと同じくらい大事なアイリスに、「アイリスのせいだ」「アイリスがいなければいい」という言葉を、負の感情を爆発させて叫んだことがある。

 恋をしている、とはっきり自覚したのはいつからだろう。

 始めは彼に対する贖罪のつもりで、お父様に彼を優遇してもらえるように動いたり、この世界にはわたしがいる、と思ってもらいたい為に、甘え続けたりしていたけれど。

 憧れと償いと恋。その境界も今では曖昧になって、ただ自分が彼と触れあっていたいから、恋人の「真似事」が楽しいから、いつでも彼を目で追うようになっていた。

 好きなのだと、どうしようもなく好きなのだと、気づいてしまえばあっという間だ。

 抱きしめて欲しい。口付けて欲しい。全てを奪って欲しいと熱く想い、火照っていく体を抑える様に自らを擁く。

 その燻るような恋は、とても切なくて、哀しくて、苦しくて……そして、その痛さ全部が楽しかった。

 でも、それも、今日で終わりだ。

 愛しい人に傍にいて欲しいという自分の願いと、愛しい人の幸せを願うことは、天秤でつり合う。だけど、心に焼き付けられた、あのときの呪詛が、ほんの少しだけ錘を乗せて、天秤を傾かせた。

「姫様、もう、起床されていますでしょうか?」

 ドアノックと共に、アイリスの優しい声が聞こえる。

「……うん。もう、起きてるわよ。着替えお願いね」

「はい、本日は明日の式典の準備がありますので、朝食後は広間にお願いしますね」

「うん」

 明日の式典。それは、わたしの十六回目の誕生日を祝う小さな祭事。

 そして、わたしの恋が、終わりを告げる日だった。

 



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青年とお姫様と月の話 第二話

             ◇

「黄昏の魔人?」

「ええ、ご存知ないですか?」

 ぽろろん、と、王宮の応接間でリュートを鳴らしながら、その人物は頷いた。

 名を、ロクサーヌという。

 本日となるレミットの誕生日を祝うため、冒険に赴いた全員が集まることになっていた中、一番初めに現れたのが、このロクサーヌである。

 異世界――この世界に飛ばされてくる人がいると星読みの力から知り、実際にやってきた青年に魔宝の存在を教え導いた、吟遊詩人である。

 出生から能力、果ては性別まで謎だが、やたらと世界の秘密について詳しい。厳密には旅の仲間ではないが、結局最後まで魔宝探しの旅にひょっこりついてきた、神出鬼没の変人であり、青年の友人であった。

「魔人、ね。……聞いたことないんだけど、それいったいどんなもの?暁の女神様と似たようなものか?それからフィリー、そのケーキは俺のだ」

「目ざといわね……」

 

 自分のケーキを食べつくし、堂々と青年のそれに手を伸ばそうとした妖精の少女フィリーは、ちぇーと口を尖らせる。そのまま、青年の肩まで飛んで、ここは私の席よ、といわんばかりに無断で座る。

「まったく……んで、ロクサーヌ、なんなんだ、それは」

 久しく忘れていたその重さに懐かしさを覚えながら、青年は再びロクサーヌに問いかけた。

「ええ、このあたりに伝わる伝説の一つですね。基本は暁の女神と同じく、魔法生命体らしいのですが、暁の女神を呼び出す魔宝と違って使うのは一つの魔宝石だけ。呼び出した者の願いを叶えるそうです」

「なんだそれ。じゃあ、俺の旅もそれを取りに来ればよかったんじゃねーか」

 確かに、と、またポロロンとリュートをかき鳴らして笑う、ロクサーヌ。その笑顔が飲まれるほどに美しいのが、また憎たらしい。

「それにしても、『取りに来ればよかった』ですか」

「なんだよ」

「いいえ。もう、戻られるつもりはないようですね、とそう思ったのですよ」

「なんでそう思うんだ?」

「前のあんたなら、そんな情報が手に入ったら、『今から』それを手に入れる方法を聞いてたじゃない」

「『あの時そうしていればよかった』。つまり、これからどうにかしようとは、思っていない、ということですよね?」

 耳元のフィリー、目の前のロクサーヌから言われて、青年は言葉に詰まる。そして、そのまま顔を真っ赤にして無言になってしまった。

「レミットさん、ですか」

「……ロクサーヌ、俺、お前のそういうとこ割と嫌いだ」

 それは失礼、と、変わらぬ笑顔のまま、ロクサーヌ。

 先ほど青年が真っ赤になったのは、青年の感情が極端に顔に出るから、というわけではない。このロクサーヌには、嘘、沈黙、などの誤魔化しが通じず、且つ心でも読まれているかのような推測力をもつから、である。

 つまり、取り留めのない青年の言葉から、まだ一言も名が出ていなかったレミットへの心のうちを見抜かれたと、青年は気づいたからだ。

「それにしても、あんたがロリコンだったとはね、さすがのアタシも全然気づかなかったわ」

 フィリーの唐突の嘆息に、ばふう、と勢い良く紅茶を噴出す青年。

「て、てめ……俺はまだアイツになにもしてねーよ!」

「何わけのわかんないこといってんの? あのガキンチョにホイホイ命令されてお守りしてるって聞いてるわよ?」

 呆れ顔のフィリー。どうやら、別にそういう「下世話」な意味で言ったのではなかったらしく、ただ旅のあとに年の大きく離れた女の子に付いていき、今のような立場にいることを揶揄してのものだったらしい。

 人間より相当長く生きているこの妖精の少女は、寿命の長さからか精神年齢はそれほど高くはないようだ。

 安易に「そういうこと」に向いてしまった自分の思考に恥ずかしさが溢れる。

(溜まってんのかな、俺)

 秀麗な女性たちと一年もの旅をして、それなりにロマンスめいたこともあった。そして王宮ではレミットの周りはメイド達ばかりでいろいろと目の毒が多い。

(そんであれだけレミットにべたつかれればなあ)

 子供から少女、少女から女への変化は、あっという間だ、と、青年は思う。旅の途中で十四を迎え、王宮で過ごした一年と半分で、もう十六だ。まだその双丘もなだらかであるとはいえ、抱きとめたときの柔らかさ、匂いの甘さは、特殊な性癖を持っているわけではない青年にとっても、脳が焦げ付くような誘惑だった。

王様。俺はちゃんと任務を守ってます、と、言い訳のように、国王から賜った胸の近衛勲章に心の中で謝る。

「俺の事はもういいだろ。黄昏の魔人ってなんなんだよ」

「一言で言えば、暁の女神と対になる存在でしょうか。暁、すなわち明け方に願いをかなえる女神。黄昏、すなわち夕方、日の入りの瞬間にその力を現す存在です」

「ふーん。で?」

「ポロロン……そうですね、それは、暁の女神、魔宝の……失敗作だと思うのです」

 「女神」とは、今ではもう失われてしまった古の技術で作られた、一種の魔法生命体である。そして、作られたものであるなら、当然その試作や、失敗作があるのだと、ロクサーヌは言う。

「失敗作、ね。でも、魔宝石一個で済むなら、むしろこっちが成功なんじゃ……いや、違うか。『だから』なのか」

「おや、それだけでおわかりですか?」

「勝手な推測だけどな。五頭で引く馬車を、馬一頭で走らせようってのは無理ってことじゃねーの?」

「ご明察」

 同じ結果を出そうとするなら、同じだけの出力が必要となる。入力から出力への効率変換といった別のアプローチはあるだろうが、単純に考えれば、入力エネルギーが低ければどこかに負荷がかかるだけだ。

「そのため、それを使うためには様々な条件が必要だそうです。また、足りない分の魔力を保管するための生命エネルギー、肉体的苦痛、精神的苦痛などなど……」

「なのに、叶えられる願いのレベルは暁の女神様『程度』か。そりゃ、失敗作かもな」

 暁の女神は万能であり――そして全能ではない。

 願いが強大であればあるほど、魔宝に必要な魔力は大きくなる。例えば世界征服を叶えようとすれば、世界征服を実際になしえるだけの労力を用いて、初めてそれだけの魔力が集められる。

 結局のところ、「あれ」は目的を達成する手段を「魔宝集め」に変えるだけの舞台装置にすぎない。

 カイルの「魔王復活させて世界征服」という願いにしても、せいぜいできるのは「自称魔王、でも実際は大した事のない魔法生命体を復活させる」くらいのことだろう。

 そんな中途半端な存在だからこそ、この世界で「暁の女神」の噂は広まっていないし、また、その事実を知ったところで魔宝を本気で集めようとする人もほとんど居ない。

「異世界に還る」という素っ頓狂な願いを持っていたり、それを手伝おうなんていう「お人よし」でもなければ。

「で、本意はなんだ?」

「本意、とは?」

「お前がその情報を俺に伝えた理由だ、ロクサーヌ。帰還の為の情報にしては、失敗作だというのは中途半端すぎる。そもそも、俺がもう、一方通行、片道切符の帰還なんて望んではいないってことくらい、分かってるはずだ」

 ポロロン、とリュートだけ鳴らし、無言のロクサーヌ。

「ただの世間話というなら、なおさらだね。世間話にしては俺へのメッセージ性が強すぎる。俺に期待だけかけさせて内容はザル、なんてことを言うような奴とも思えない」

「……なるほど。随分と思慮深くなられましたね」

「仮にも姫の直属の護衛なんでな。表面がいくら平和でも、いろんなことに目を向けて考えるってことに、『過ぎる』ってことはないんだよ」

 なるほど、とロクサーヌは頷いて、言葉を続けた。

「まず魔人を呼ぶ魔宝石ですが、マリエーナ王国宝物庫に保管されています。もともとこの国の建国にも中途半端ながら魔人はつかわれたそうでしてね。もっとも、今ではただの昔の与太話、と、王族たちですら、まともには信じてはいないようですけれどね」

「……は?」

「そして、もう一つ。この話はもうすでに、レミットさんにはお伝えしています。半年ほど前のことです。『使い方』についても調べて欲しいといわれたので、この半年色々と手紙で情報を送っていました」

 何故、だろうか。喉がひりついて言葉が出てこない。

「何の、ために?」

「やり直すため、って言ってたわよ」

 ようやく発せられた青年の言葉に、肩から声がした。

「フィリー?」

「もう一回、アンタの願いを叶えるチャンスを手に入れたいんじゃないの? 失敗作だから無理って伝えたけど」

 ちょっとまて。なんだ、それは。

 青年が、そう問いかけようとした、そのときだった。

「た、たい……んです大変ですぅ、ご、ゴホッ……さん!

 

 飛び込んできたのは、レミット付きの侍女長である、アイリス・ミール。普段、静かな彼女が、髪を振り乱すかのような慌てぶりで部屋に入ってきた。

「どうしました、侍女長。落ち着いてください、水……はないから、この紅茶を」

 咳き込んでいたためはっきりとは聞こえなかったが、先ほどアイリスは彼のことを「さん」と名前で呼ぼうとしていたあたり、そうとう慌てていたのだろう。

 肩書きだけとはいえ、二人とも王宮では「長」の付く立場にいる。仕事中、他の人間が居る時などは、役職で呼び合うのが、罰則はないが、ルールだった。

 一人ではわりとおっちょこちょいでも、こと仕事場となるとしっかりしたアイリスがそれを忘れていたのだから、慌てぶりは相当のものである。

「す、すみません……はぁ……落ち着きましたけど落ち着いている場合じゃありません! 近衛団長様!」

「何事ですか?」

「姫様が……姫様がこの手紙を私に預けて……消えちゃいました!」

「なんだって? ……手紙?」

 手渡された手紙を、青年は広げて――

 

「あの、馬鹿」

 

 呟いた。

「……ロクサーヌ、さっき言ってた足りない魔力代わりの生命エネルギーって、具体的にはなんのことだ?」

「生命エネルギー、すなわち寿命です。それが実際、何年かはわかりません。数日なのか数年なのか数十年なのか――。きっとそれも、願いの内容次第です」

「だろうな。楊雲のときのアレみたいなもんか。呼び出すための条件ってなんだ?」

「なに、簡単なことです。願いを叶える人物の魔力が最も高まる日であること。その者が世界に生を受けた時と同じ星の配置であること。すなわち――」

 

 庭園よりいくつもの空砲が上がる。

 それは、大きくはないとはいえ、確かに城下へと伝わり、街はこの素晴らしき日を盛り上げようと沸き立った。

 マリエーナ王国第三王女、レミット・マリエーナの誕生日を祝う、人々の歓声で――。

 



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青年とお姫様と月の話 第三話

             ◇

「皆、頼みがある。どうか、力を貸して欲しい」

 レミットの誕生日を祝うために、懐かしきメンバーが集まったその部屋で――。

 幾分たくましく成長していたあの青年が、集まった一同に頭を下げた。

 詳しい説明が、できるだけ簡潔に、そして全員に伝えられると、皆がそれを快諾する。

 

 

             ◇

「カレン、リラ。祭壇の洞窟は、王族だけが入れる特殊な道以外は、住み着いたモンスターを警備代わりにしてあったり、トラップがあったりと、普通のダンジョンと変わらない。俺のサポートを頼みたい」

 

 

「おねーさんの強さ、見せたげるわ」

 

 と、おどける様にカレン・レカキス。

 いつの間にか、お姉さんぶる余裕がなくなるくらいに成長していた青年と、一人で悩みを抱えていたレミット。

 いまさら二人の保護者ぶるわけではないが、パーティを守るのは、「仲間」の役目、だ。

 冒険者は、決して仲間を裏切らない。

 

 

「よぉーし、こんな面倒ごと、とっととやっつけるわよ」

 

 と、屈伸しているのは、リラ・マイム。

 大切なものは盗むのでも奪うのでもなく、自分で探して守るもの。盗賊をやめた今だからこそ、それが分かる。

 だから、大切なものを自ら捨てようとするのは、許せない。

 

 洞窟を前にして、二人は再び「冒険者」の顔になる。

 

 

 

             ◇

「キャラット、アルザ、君達の足の速さを借りたい。一人は『祭壇の洞窟』を大きく取り囲むように円を書いてほしい。……多分いくつか森を突っ切ることになるから、動物に邪魔をされないキャラットに頼む。アルザはその円の中に五芒星を、洞窟が中心に納まるように描いてくれ。走る距離が数キロになると思うけど、頼む」

 

 

「ボクだって!」

 

 と元気良く気合を入れたのは、フォーウッドのキャラット・シールズ。

 広い世界を自分の目で見て学んだあの冒険。楽しいことも辛いことも、皆で分け合ったからこそ、価値があった。

 レミットの行為が正しいかどうかなんてわからない。それでも、彼女が辛い思いでいるのなら。勝手に、一人で悩ませてなんてあげない

 

 

「うちのスピードは伊達やないで!」

 

 と、ギューフィーのあぶり肉をかじりながら頼もしく叫ぶ、アルザ・ロウ。

 あの冒険は、楽しかった。ただ、ひたすらに面白かった。

 だから、仲間もライバルチームも全員が友達だ。

 友達は全員笑っているほうが、楽しいに決まってる。

 それが理由で、それが全て。

 

 お互い、柔軟を十分に。そして背を合わせて、軽く「ちょん」とお互いの手を触れさせて――駆け出した。

 

 

             ◇ 

「楊雲、描かれた五芒星の基点となる頂点に立ち、魔法陣を作成。内容は魔力減衰と魔力増幅の二重属性。片方は魔法結界を弱らせ、片方は対象の魔法力を支援するという、相反する内容の複雑な術式だ。できるか?」

 

 

「……いきます」

 

 と、小さく、それでも確かな自信と決意で、楊雲は術式に望む。

 影の民という自分の存在を呪ったこともある。だが、それがいったい何なんだ、と、仲間達は気にもしなかった。

 今では誇るまでにもなった力が、自分に言う。あの小さな少女は、幸せになるべきだ、と。

 さきほどアルザとキャラットが駆け出したスタート地点に立って、術式をつむぎだすと、走り去ったあの二人の足に付けられていた魔水晶の粉末が、魔法文字として地面に刻まれていった。

 

 

              ◇ 

「ティナ、ウェンディは基点から見て一番大きな三角形が描ける五芒星の頂点……基点を一としたとき、右回りに順に数えて三番目と四番目になる五芒星の頂点だ。

 楊雲一人では対処できない部分を、二人が支援して術式を完成させてくれ。術式の詳細は、楊雲に聞いてくれ」

 

 

「私の番ですね」

 

 と、ティナ・ハーヴェルは目の前に作られた五芒星の頂点に降り立った。

 ティナは、レミットと彼の『絆』を信じている。

 だから自分は、そのお手伝いをするだけ。

 冒険中、仲間たちの信頼によって己の呪われた血をもコントロールできるようになった今、『絆』という確かな自信でそれに望む。

 

 

「負けないんだから」

 

 と、ウェンディ・ミゼリアが魔法陣の術式を開始。

 運命は自分で決めるのだと気づかされた、あの冒険。だから、少女のそんな『不幸』は認めない。レミットが受け入れたって、私が認めてやらない。

もし、それでも「運命」が二人をいじめるというのなら。

 そんないじめっ子は、私がやっつけてあげる。

 

             ◇ 

「若葉、メイヤーは残りの頂点へ。魔法陣の魔力が正しく流れるように、魔力のコントロールに集中。若葉は魔法陣そのものの魔力を、メイヤーは『俺』と魔法陣を繋ぐコントロールだ。ついでに通信水晶での連絡係になってくれ」

 

 

「まいります!」

 

と、紅若葉は『気』を充填させる。

 料理はいまだうまく出来なくても、魔法の使い方なら、魔族の少女リリトとの訓練で自信がある。

 お願いされたからついていったあの冒険だけれども、それは自分の成長にも、親友との出会いにもなり、そして、自分自身が助けられた旅だった。それは、パーティの仲間だけでなく、ライバルだった人たちも、全員だ。

 だから、その恩返しを、今ここで――。

 

 

「恋は、人類の歴史なのだわ!」

 

 と、ちょっとよくわからない情熱と共に、メイヤー・ステイシア。

 遺跡大好きの変人だということは、自分でもよくわかっていた。それでも好きだからと周りを気にせず熱中していたけれど。

 あの冒険は、それを認めてくれる人がいる嬉しさを教えてくれた。認めてくれる人たちの大切さを知った。

 その人たちに、自分が集めた古代の神秘の力が必要だというなら――いくらでも、手を貸そう。

 

             ◇ 

「カイル、お前は魔法陣に魔力を思いっきり流してくれ」

 

「なんでオレが貴様の命令を――!」

 

「信頼してる。お前じゃなきゃ、無理だ」

 

「……ふん、まあこんな大規模魔法陣、オレ様くらいの魔力がないと動かないだろうな。ハーハッハッハ!」

 

 と、カイル・イシュバーンは満足げに高笑いを上げて、最後の頂点へ。

 

「……ふん、ライバルは本調子でなければ、つまらんからな」

 

 そして魔法陣に、膨大な魔力が流し込まれる。

 



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青年とお姫様と月の話 第四話

 

             ◇ 

青年は、二人の仲間と共に洞窟を駆ける。久々の実戦に奇妙な高揚感と、最深部に辿り着けない苛立ち。

 それでも、青年は、前へ前へと躊躇わずに進む。

 タイムリミット。レミットの誕生した今日のその「時間」まで――あと十分。

 

             ◇ 

「……あの、馬鹿」

 手紙を読んで、俺の第一声がそれだった。

 そこに書かれていたのは、レミットが悩んでいたという「俺へ」の贖罪。

 そして、それをやり直せるチャンスが今日であること。

 きっと止めるだろうから、書置きだけ残していくこと。

 そして最後に――俺への、想い。

 

「……ロクサーヌ、さっき言ってた足りない魔力代わりの生命エネルギーって、具体的にはなんのことだ?」

「生命エネルギー、すなわち寿命です。それが実際、何年かはわかりません。数日なのか数年なのか数十年なのか――。きっとそれも、願いの内容次第です」

「だろうな。楊雲のときのアレみたいなもんか。呼び出すための条件ってなんだ?」

「なに、簡単なことです。願いを叶える人物の魔力が最も高まる日であること。その者がこの世界に誕生した時と同じ星の配置であること。すなわち――誕生日、ですね。正確にいうなら誕生日の誕生『時間』です」

「よし、わかった。なら、まだ数時間の猶予がある。侍女ちょ……ええい、アイリスさん、今、皆がここに向かってるはずだ。付いたらすぐにここに通してくれるよう、手配してくれ。それから、王に俺が祭壇の洞窟に『洞窟側』から入る許可を取って欲しい」

「は、はい。………どうか、姫様を、お願いします」

「ああ、絶対に、おしりぺんぺんだ」

 俺の言葉に、彼女は少しだけ目を細め(これ以上ないが)、頭を下げて、自分が成すべき事の為、立ち去った。

 見届けて、ロクサーヌが俺に問いかけてくる。

「みなさん、ですか。王宮には伝えないので?」

「……正直なところ、信頼できる相手がここにはいない。王族しか通れない道を通って、レミットを説得してくれるような王族なんて、な。レミットを嫌ってるわけじゃないが、気にかけてもいないんだ、あいつ等は。王は、レミットをそれなりに愛して大切にしていても、こんな不確かな情報に、王自らが執務を中断してレミットを迎えに行く、なんてことは立場としてできないだろう。国王命令で兵を出すこともな。だから、俺、そして皆、だ」

「なるほど」

「……ロクサーヌ、一つ聞きたい」

「なんでしょう」

「お前は、こうなることを予測していたな? 裏で操ったって意味じゃねーぞ。レミットが自分の意思でお前に協力を求めた結果、こうなることは予測していたよな?」

「はい」

「何故、それを俺に教えなかった? レミットが口止めしていたにしろ、だ」

「何、簡単なことです。星が、教えてくれましたから」

「なにを?」

「そうすれば、面白いことになる、と」

 

 

             ◇ 

 幾多ものモンスターの襲撃とトラップをかいくぐり、たどり着いたのは、祭壇のある大広間。その真ん中に――

「レミット!

 

「――え?」

 他の何も見えなくなり、俺は剣を放り投げて「そこ」へと駆け出した。

 そして祭壇がある中央の魔法陣に入った瞬間――

「ぐ……ぁ!」

 

 俺は、謎の力場に吹っ飛ばされた。

 いや、謎、というのは間違いだ。コレが、儀式の際に王族達を守る、魔力場なのだから。

「な、なんできたのよ!」

「うるさい! あんな手紙残して何言ってる! 本心では止めて欲しいからあんな手紙書いたんだろうが!」

 力場に向かって拳を振り下ろすが、ただ自分の手が痛むだけだ。まるで、『あの時』の俺だ、と、唇を嚙む。。

 だが、止めるわけには行かない。

 それがただの意地になりかけているとはいえ、条件が達せられるあと一分後、レミットはその手にしている魔宝石で魔人を呼び出すだろう。

「メイヤー! まだか!」

 カレンの首にかけてある通信用水晶に向かって叫ぶ。

「もうちょっと、もうちょっとだけ、かかります!」

「頼む! ……なあ、レミット、俺は、俺たちはこんなこと、望んでいやしねえ、頼むから、やめてくれ……」

「だって……だって、アンタのあの姿、わたしは見たんだもん。なのに、わたしは、それをなかったことにしていくなんて、できないもん!」

 レミットの絶叫。

 それは、手紙にあった、「あのこと」を言ってるのだろう。

 だけどな、レミット。それは、お前の勘違いなんだ。

 俺の静止も聞かず、魔宝石で魔人を呼ぼうとするレミット。あと、数秒――!

「術式、完成しました!発動します!」

 水晶から、メイヤーの合図。

「エーテル・マキシマム!」

 打ち合わせどおり、魔法陣発動と同時に俺にかけられたカレンの魔法によって、全ての力が活性化する。さらに、魔力減衰の結界で魔力場が弱まった。

 だが、まだだ。まだ、この力場は破れない。

 あれだけの大きさの魔法円で力場を弱め、且つ、魔力を増大させた強力なエーテルマキシマムで力を得ても、まだ、足りない。

 だから、俺は最後の切り札を取り出した。理論上では可能でも、誰もやらなかった、阿呆な大博打――!

 俺が何をしようとしていたのか気づいたのか、水晶の向こうでメイヤーが俺を止めるよう、カレンとリラに叫んでいる。だが、もう遅い。

 俺は、撃鉄となる拳を振り上げ、そして、引き金を引くように力場に向かって振り下ろす。

 と、ある呪文を、唱えながら。それは――

 

 

「エーテル・マキシマム!!」

 

 

             ◇ 

 カレンとリラを促し、洞窟に入ろうとしたその時、ロクサーヌが俺を呼び止めた。

「なんだよ、用があるなら早くしてくれ」

「聞きたいことがあります。……なぜ、貴方は私に何も言わないのですか?」

「……」

「正直、殴られるくらいのことは、覚悟していたのですが」

 随分と、身をわきまえた暴君で、と、俺は苦笑した。

「ロクサーヌ、俺はお前を友人だと思っている。お前は?」

 俺の質問の意味がわからないのか、ロクサーヌは首を傾げながら

「……はい、大切な友人です。嘘ではありません」

「なら、いいよ。ここまでの『お膳立て』感謝するさ」

「……?」

 まだ、納得が出来ていないロクサーヌを見て、俺はコイツでもこんな顔をするんだな、と少し「してやったり」という気分になる。

「『おもしろいこと』になるんだろ?俺やレミットが不幸になることを、お前は『おもしろい』って思うのか?」

 ポロロン、と、いつもの笑顔でリュートを鳴らす、ロクサーヌ。相変わらず、憎たらしい、でも、憎めない笑顔だ。

 お互い、それで十分だった。

「ご武運を」

「ああ、お前の新しい歌の題材を、作ってやるよ」

 

 



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青年とお姫様と月の話 第五話

             ◇ 

 バキィィィン…と、砕けたのは魔力場だったのか、俺の拳だったのか。 とりあえず、お姫様を抱き上げるくらいには動いて欲しいものだ。

 全ての力を倍化させる、エーテル・マキシマムの二重掛け。二重掛けという無茶な魔法技術は大魔法陣により可能にしたとはいえ、基礎となる体は通常の俺のものだ。

 どこか体の器官がぶっ壊れたかもしれないし、寿命が数年縮んだかも知れないが、大した問題ではない。

「やっと――つかまえた」

「なんで……なんでよ!」

 胸の中のレミットの手から、魔宝石が力なく落ちた。

「なんでじゃねえ、この馬鹿姫!何勝手に書置き残して俺の気持ち全部無視して勝手に進めてるんだてめえ!」

「なによなによなによ! わかってるもん! アンタがどれだけ悩んでたかって、わかってるもん! だって、アンタあのとき泣いてた! 後悔してるって言ってた!」

 手紙に書いてあった、『贖罪』。

 それは、俺が、レミットのことで帰還を迷ったこと。そして、それを後悔してること。そのときだけかもしれないけど、確かにレミットに怒りをぶつけていたこと。

 だから、それをやり直すんだ――と。

「だからな、それが根本的に間違ってるって言ってんだ!」

 ようやく俺の手を振り解いたレミット。ちょっと涙目になりながら、もう一度決意を思い出したのかぶるぶると手を震わせて、

「なによ! なにが間違ってるって言うのよ! 言ってたじゃない。なんであんなことで迷ったんだって。わたしが、頭に来るって!」

「ああ! そうだよ、後悔してる。あのとき、迷ってしまった自分を今でも後悔してる! やり直したいって何度も思ったよ! でも、それはお前のせいなんかじゃねえ!」

「嘘……嘘だよ」

「嘘じゃねえ!」

「アンタは優しいから、そう言ってくれるけど……。ううん、多分、アンタのことだから今は本気でそう思ってるんだろうけど……でも、駄目なの。わたしが、あの日の夜アンタにあんなことを言わなければって、何度だって思っちゃう。そうすればアンタは今みたいに後悔する事なんかなくって、きっと、元の世界で別の綺麗な人といっしょに」

「あ――――――――――もう!」

 どすん、と、祭壇を叩く。それが、あの時木を叩いていた俺と重なったのか、レミットはびくっと震えて言葉を詰まらせた。

 でも俺は、大声を出したせいか少しだけ冷静になれた。俺は、ゆっくりレミットの頬に包み込むように触れて、

「お前のことが気になって戻れなかった。……それだったら、俺は今、後悔なんてしてないんだ。そうじゃない。そうじゃないんだよ、レミット」

 優しく、抱きしめる。今度は、どんなに暴れたって振りほどかせてなんてやらない。

 お前は、聞かなけりゃならない。なぜなら、これは俺の、「お前へ」の、「みんなへ」の贖罪なんだから。

「俺があの時迷ったのは、この世界のことじゃなかった。この世界の皆……レミット、お前のことじゃなかったんだ」

 え、と、レミットが俺の言葉に力を抜いたのがわかる。

「俺はこの世界が好きだ。名残惜しかった。俺はこの世界の皆が好きだ。皆と別れるのが寂しくて辛かった。でも、それ以上に俺は故郷に帰れるって思いが強かったんだ。正直に言う。俺があの日一番不安に思っていたのは、元の世界に帰れないかもしれないって、ただそれだけだった」

 俺の言葉は、後ろに居るカレンとリラ、それに水晶の向こうの仲間達にも聞こえているだろう。本当は、ずっと隠しておきたかった。でも、今は、言わなければならない。

「あの日の夜、お前が俺の部屋に来てくれたのは、一緒にいて欲しいって言ってくれたのは本当に嬉しかった。でも、あのときの俺には、レミットより元の世界の方が大切だったんだ」

 懺悔するように。でも、確かな言葉として、レミットに告白する。俺の罪を。

「俺は、願いを叶えるとき、強く故郷の世界のことを思ったよ。そして、そのとき、ふと思ってしまったんだ。……『帰ったら、どうなるのか?』ってな」

 言ってしまったら、もう、止まらなかった。

「こっちの世界に来て、あのときで約一年だ。俺は、元の世界で鉄骨……事故に遭う直前にこっちの世界に飛ばされた。ある意味俺は命が助かったんだ。じゃあ、向こうの世界に戻ったら、俺はどこに戻るんだ?あの時、あの瞬間に戻るのか?それは死ぬ世界に戻るって事じゃないのか? そうじゃなかったとして、一年間消息を失っていた俺は、何を失っている? 今までのことをなんて説明する? 学校は? 友達は? 家族は? ……恋人は? そもそも同じ時間が流れてる保証は何もない。俺がずっと望んでたものは、あのときのままだとは限らない」

 恋人、という俺の言葉に、レミットが一瞬震える。俺はレミットの背中をあやすように撫でる。

「冷静になって考える時間があれば、それらを全部クリアできるような形のお願いを暁の女神にしていたのかもしれない。だが、そのことを思い立ったのは、まさに願いを叶えようとした、そのときだった。だから――そう思ったら、元の世界に帰るのが怖くなった。その恐怖に耐えかねて目を開けて、世界はなにも変わっていなかった。……なんてことはない。俺が元の世界に帰れなかったのは、この世界に未練があったからでも魔宝集めに問題があったからでもない。ただ、保身のために躊躇ったからってだけなんだよ」

 この言葉を聞いて、旅の仲間達はどう思っているだろう。後ろの二人は、水晶で見ているだろう外の皆は――

「そんなことで……そんな俺のくだらない臆病さだけで、俺は一緒に苦労して旅をしてくれた、時には命だって賭けてくれた皆の思いを、あの旅を無駄にしてしまった……それが、自分が許せなかった」

「それが……アンタが言えなかった後悔、なの?」

「……ああ」

「だ、だって、あのとき『ふざけるな、レミット』って……」

「憎んだのは、愚かだと思った俺自身。自分が憎くて憎くてしかたなかった。真っ暗になった頭の中で、俺は誰よりも謝らなくちゃいけないやつが居ることに気づいた。元の世界に帰るという理由で『そいつ』の大切な思いを言わせなかったのに、その理由をあんなくだらない迷いで台無しにしたんだ。……レミット、俺はあの呟きで最後の最後でお前に謝罪して――そして、救いを求めていたんだよ」

 呆然としているレミット。そうだろな。そうだろうよ。長年のお前の苦しみが勘違いだったなんて、思いもしてなかったろうからな。それは俺のせいかもしれないけど、でも、今回の勝手な行動は許せない。

「それになあ……なんで、そんなことで俺がお前を恨むんだよ。邪魔ならいつでも邪魔しろっていったじゃねーか。くそ、言うだけ言ったら、俺、急にお前にムカついてきた」

「え?」

「だいたいだな、なんなんだよここ最近のお前は! 一人で悲劇のヒロイン気分で盛り上がって勝手に俺を避けやがって。避けてんの気づかないとでも思ってたか? 自分が辛くても俺を帰さなきゃいけない? 勝手にきめんなアホ。何自分に酔いしれてやがる。可哀想なお姫様気取りか? はっ!柄でもねーわ、似合わねぇ」

「え、え?」

「俺に聞きゃいいじゃねーか。『今』俺はどうしたいかって。そこで嘘つくほどお前のことなんか『立てて』やるつもりはねー。俺は騎士じゃなくてただのボディーガードだ。忠誠なんて誰が誓ってやるか馬鹿」

「え、え、え?」

「この我侭おてんば姫!ほーれホッペが柔らかすぎて気持ち良いじゃねーかみょーんみょーんむにゅー」

「ひょ、ひょっひょひゃにすりゅにょー!」

 むにゅん、とおもむろにレミットの頬をつまみ、左右に引っ張ってみる。

「にゃ、にゃにしゅゆのー!」

「ほーれほれ、伸びる伸びる、ほーら、面白いぞー。皆見てみろー。レミット王女の変な顔ですよー」

「やめへやめへ、ふぁれんふぉひらもとふぇふぇー!」

 呆れるようなカレンとリラだが、頬が引きつって必死に笑いをこらえているのは見逃さないぞこら。

 最後におおきく引っ張って。そして、レミットの顔を寄せて、その真正面に俺の顔を向ける。

「いいか? 俺は別にお前の為にボディーガードやってるんじゃねー。お家事情なんてしったこっちゃねー。どうでもいいんだよそんなこと。俺は今、お前の隣にいたいって、ただそう思ったから、一番近くにいられるボディーガードを喜んでやってるんだ」

「……え?」

「俺を勝手に帰そうとするな。そんなこと、たとえ暁の女神様にだってさせねえ。俺を見くびるな。俺の中で元の世界に戻ることが優先なら、俺は何度だって何百回だって、魔宝でも鉄骨でも召喚携帯でも探し出してやる。でも――」

 俺は先ほどの懺悔以上の覚悟で、次の言葉を言う。

「俺は、お前が好きだ。お前のそばにいることが最優先だ。だからその為なら俺は剣を振る。魔法を極めてやる。地位がないなら騎士団長にだってなってやる。王女のお前を手に入れるのに必要なもの、なんだって手に入れてやる」

 ええとつまりそれは、と、完全にパニックになった頭で、レミットは考えて、考えて――思考が停止したようだ。

「まだわからないのか、レミット」

 俺は懐から、この日の為に数週間前から用意していた、指輪が入った小さな箱を手渡して、告げる。

「俺は、今、お前にプロポーズしているんだ」

 そして、答えを聞かないまま、口付けた。



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青年とお姫様と月の話 終章

             ◇ 

 散々冷やかされながら、それでも祝福されながら、レミットの案内で王族専用ルートで洞窟を帰還すると、案の定、水晶を通して見ていたらしい皆が、ニヤニヤしてたり、腹減ったーといってたり、口笛を吹いてたりしていた。

 なんか、俺の贖罪とか思ってた事も、レミットと同じく「馬鹿な悩み」だったのか。……そうなんだろうなあ。

 さらにその中にアイリスを見つけて、レミットは泣きながら飛びついた。ごめんなさい、と泣きじゃくる姿は、昔と変わらない。

「おめでとうございます」

「ありがとう、ティナ。まあ、まだ俺とレミットの間での意思確認、って段階だけどな。……ところで、あれ、何?」

 見上げれば月――ではなくて、なんだあれ。

「ええと……なあ、若葉。なんで空いっぱいにカイルが高笑いしてる姿が浮かんでるんだ?」

「究極魔法、だそうです。魔王となって世界征服したさい、世界中に姿を現して宣誓するのが魔王としての王道だと、類まれなる才にて自力で編み出したとかなんとか」

「……はあ」

 ええと、意味がよくわからないが、究極らしい。

「それから、大変なことになると思うでー」

「……? なんでだ、アルザ」

「貴方のプロポーズが、あれで国中に流れたからです」

「うん、キスもいちゃいちゃも、ぜーんぶ、ね」

「…………は?ウェンディ、キャラット。それなんの冗談って……まさかまさかまさか――!

 

 

 ちなみに、である。

 レミット確保の情報にて、各人が予め用意していたワープ魔法で通信係のメイヤーの所へと集まっていると、俺がむにょーんとかむにゅーとかしているのを水晶球でみんなが見ることに。

「いちゃついてますね」

 メイヤーの賛同に、周りの連中も、こくん、と頷く。

 すると、カイルが水晶をメイヤーから受け取って、

「カイルさん?どうするんです?

「せっかくこんな大きな魔法陣が残ってるんだ。オレ様の究極魔法の実験と、迷惑かけたあいつ等への嫌がらせだ」

 

 

 

「と、いうようなやり取りがありまして。水晶に映ったお二人の映像、会話が、はっきりくっきり全て流れました」

 楊雲……彼女が言うってことは、マジなんだろうな。

「つきましては、国王よりお呼び出しがかかっています」

 そして、アイリスさんが、俺に止めを刺した。

 呆然としている俺に、レミットが近づいてくる。

 もはや、助けはお前しか居ないと、俺はレミットを抱きとめると――

「うちの法律では、婚約者でもない人間の王女への口付けは鞭打ちだったと思う。……ちゃんと責任とって、ね?」

 ……覚悟を、決めないといけないらしい。

 「ご両親への挨拶、考えなきゃな」と、現実逃避気味に笑って――俺はレミットを両手で抱き上げたのだった。

 

 

 

             ◇ 

 恋をしていると自覚したのはいつのことだろう。

 その存在に救われていると気づいたのは、旅を始めて割と早い時だったと思う、と、青年は過去を振り返った。

 そして今、青年の愛しい少女は、彼の隣で安らいでいる。

 軽くその美しい金の髪に接吻けて、青年は少女の肩に手を回した。今では、こういう行為も自然とできる。

「……黄昏の魔人、か。なあ、封印しちゃって良かったのか?あの魔宝石」

「もう、いらないわ。だって、わたしが願うことは、アンタじゃなきゃ叶えられないんだから」

「……ОK、お姫様。貴方のボディーガードが、なんなりとお望みを叶えましょう。――出来る範囲で」

 青年の道化に何か不満があったらしく、少女は青年の顔を自分のほうに向かせて、こう言った。

「あのね……二人きりのときは、『レミット』って呼んでよ」

 もたれるように青年の肩に頭を乗せ、赤子がむずがるように甘えて、少女は囁いた。

 青年は、くっく、と軽く笑って、おそらくは生涯『仕える』ことになるだろう、主君たる姫の名を呼ぶ。

 そして、忠誠ではなく愛の証にと、姫君の手のひらに軽く口をあわせ――そのまま、今度は唇に深く接吻けた。

 

 二人、寄り添って夜風を楽しむ庭園にて。

 

 見上げれば月。

 全てを見守るように大きく、恋する者達を導くように神秘的に輝く、二人を祝福する美しい円が、そこにある。




次回策は「時をかけるレミット」
多分来週投下


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エンフィールド・ラプソティ
エンフィールド・ラプソティ


読みたいといわれた気がしたので


「王子!!」

 

 酒とスパイスの香りと笑い声が充満する昼下がりのさくら亭にて。

 

 そんなとっぴょうしもない一人の老人の発したその言葉が、店内の空気をざわめきへと換えた。

 老人のしょぼしょぼとした小さな目が向いた先には、一人の少年――いや、青年か。

 きょとん、と目を瞬かせているその姿は、まだあどけなさを感じさせる。

 彼は、何か喋ろうとしたが、驚きが勝ったらしく口をぱくぱくさせていると、老人はそのおぼつかない足からは信じられないような俊敏さで、彼に近づいて抱きついた。

「王子…こんなところにいらっしゃったのですか…うう、じいは、じいは……」

「ちょ、ちょっとまっ…」

 何事なのかとうろたえ、助けを求めようとあたりを回す青年――トシアキ。

 だが、王子、というとんでもない呼称に目を丸くしている面々しか視界にはいなかった。どうも、助けは期待できそうにない。

 どうしたものか、と彼がため息を付いた瞬間だった。

「あああ、すいません。うちのおじいちゃんがご迷惑をおかけして…」

「あー、アンタは…そう、女王様でしたな?」

「はいはい、おじいちゃん、王様がまってますからねー。王子様はいま王様の命令でお忙しいみたいですよー」

「お、おお。そうかそうか…」

 飛び込んできた恰幅のいい女性が、頭を下げながらその老人を連れて行った。

 

「…なんだったんだあれは」

 皿洗いの手を止めていたリサがそう呟くと、あ、と何かを思い出したらしくパティが

「あー、そういえば夜鳴鳥雑貨店の裏のおじいちゃんが、最近ボケちゃったって聞いてたけど」

 と言うと、一同は納得したようで、失笑と共にそれぞれの話題に戻っていった。

 トシアキがため息――今度は安堵のものらしい――をついた。

「人騒がせな爺さんだ」

 パティがうなずく。

「まったくよ。…よりにもよってアンタが王子だなんて。そんな国があったら国民の人たちが可哀想だわ」

「なんだとおおお!!」

 割と見慣れたいつもの光景。もはや名物と言えなくもない。

 リサも半ば呆れながらも、苦笑いで見守る。

 あれで、昔から二人の仲は悪いは悪かったのだが、お互い疎遠になろうとはしないのだから面白い。

 もっとも、最近は昔の頃のとげとげしさがお互いなくなっているともリサは感じている。

 ちょっと前まで、彼が定住しているジョートショップという店の手伝いをしていたパティにも、何か心境の変化があったのだろうか。

 見れば、すでに口論はやめて、パティが何事もなかったように厨房の置くから包みを持って差し出している。

「あんた、このあと仕事なんでしょ。はい、注文の弁当。用が済んだらさっさといってよね」

「へーへー。わかったよ」

 悪態をつきながら、笑顔でそういう彼がほほえましかった。

 トシアキが出て行くと、パティが皿洗いを手伝うからとリサの隣に来て、ぶつぶつといいながら洗剤代わりの灰を手に取った。

「まったく、忙しいのにつまんないトラブル持ち込むんだから…」

「ボウヤのせいじゃないだろうに」

 いーや、あいつのせい、とパティは洗う皿に力を込めながら答える。

 まあ、パティがそうだっていうならいいさ、とリサはそれ以上は追求はしなかったが、彼女はふと手を止めて呟いた。

「…ま、考えてみたら…ボウヤの過去って、確かに誰も知らないんだよね」

「ま、どうせろくでもないことしてたんでしょ」

「……本気でそう思ってるかい?」

「な、なによ。……まあ、そんな度胸なんてあるわけないでしょうし、きっとどこかの街でもバカやってたんでしょ」

 何かを見透かされるとでも思ったか、パティはリサの視線から顔を背け――

 バタン!

「!?」

 突然弾くようにさくら亭のドアが開いた。鈴の音の麗しい音もその衝撃に追いやられ、ギャリン、と不快な金属音を鳴らす。

「なあ、こっちにアイツ来てなかったか?」

 現れたのは、この街、エンフィールドで自警団の部隊長を務める美丈夫、アルベルトだった。

 彼が「アイツ」というのは、大抵の場合、トシアキのことである。彼もまた、パティとともにトシアキと馬の合わない一人だった。

 とはいえ、どちらかというと子供の喧嘩に近いものなので、決してお互いが憎いわけではなく、良くも悪くもライバルなのだろう。本人達は決してそれを認めないだろうが。

 とりあえず、知人であったことに安心して、パティはその質問に答える。

「トシアキ?来てたけど、これから雷鳴山に行くって」

「雷鳴山だな!わかった」

「ちょっと、アイツになにか用なの?」

「ちょっとな…詳しくは言えん」

 飛び出していくアルベルト。

「もう…なんなのよ今日は」

 苛立たしげに地団太を踏みながら、パティはえいや、とまた皿に力を込めた。

 

 

 また乱暴に扉を開け放つ厄介者が現れたのは、もう日が赤くなるころのことだ。

「大ニュース大ニュース!」

「どうしたの、マリア」

 この街屈指の権力を持つ、ショート家のお嬢様、マリアだ。お嬢様とは名ばかりのこの騒乱誘発剤のことだ。誰も、それが大ニュースだとは思わない。

「ふん、どうせまた下らないことだろ」

「ぶー。そんなことないもん、これを見てよ」

 リサの言葉に、膨れながらとある書類らしきものを机に置く。

 すると、その場に居た友人達もザワザワと集まってくる。

 パティが近づいてみると、

「なにこれ?……手配書?汚い印刷ねえ」

「うん。二年前、連邦国の港のほうにあるシープクレストってところで、連続殺人事件があったらしいんだけど、それの犯人の似顔絵なんだって」

 どうだ、とばかりに胸を張るマリア。

 張ったところでふくらみは微々たる物であるが。

「どうしてマリアがそんなの持ってるのさ」

「んとね、リサ。さっき公安局のパメラが家に来て、お父様とそんな話をしてたみたいなんだけど…そのとき、この書類を落としていったの。」

「公安が?なんでまたそんな遠くの町の事件を?」

「なんでも、近くの町でその犯人らしき人物が目撃されたってうわさがあったの。それで、急遽手配がされたんだって」

 その話の帰りに、庭でパメラは持っていた書類を落としてばら撒いてしまったそうだ。慌てて拾ったのだが、先ほどメイドが掃除していたら、草の中に隠れていたこの一枚を見つけたらしい。

「……ちょっとまて。この絵…」

 じっと見ていたリサが、あることに気づいた。同時に、その場で集まっていた全員が、あ、と間抜けな声を上げた。

 

『トシアキ!?』

 

「ね、びっくりでしょ」

「似てる…なんてもんじゃないよね。あきらかに、トシアキ『の』似顔絵だ」

「ふみぃ、トシアキちゃんによく似てるの~」

「私、トシアキさんがそんなことするなんて信じられないんだけど…」

「そりゃ、私もそう思うけどさ」

 全員(一名は事態が飲み込めず、この絵、欲しいの~と喜んでいたが)、何かの間違いではないかと言い合う。

 『でも』と。

 「でも、もしかしたら」――そう、誰かが続けようとして、そして口を閉ざす。

 そうだ。信頼はしている。友情もある。しかし、どんなに、そうではないと信じようとしても。

 今ここに手配書があり、また、彼がどこで何をしていたのかは、誰も知らない。

 その事実だけは、変えられない。

 そして、その事実を踏まえてなお、それを否定するだけの形ある根拠は、どこにもない。

「そ、そういえば、アルベルトさんがトシアキさんを慌てて探してたのって――」

 シェリルが、昼間の出来事を思い出してそう言った。そのときその場にいた全員が、ああ!と声をあげ、その場に居なかった面々は、どういうことかを聞く。

 一瞬の騒動のあと、再び沈黙が訪れた。

 また一つ、『天秤』に秤が載せられた。

 沈黙は重くのしかかる。

 彼が、どうでもいい人間であるなら、いくらでも不謹慎で、低俗で、無責任な噂話で盛り上がっている。

 だが、彼がどれだけ物事に一生懸命に、正しくあろうとしているかを、皆知っている。

 以前、彼にかけられた、美術品盗難の容疑。

 その疑いがかかったとき、彼が一番心配したのは、自分ではなく、その保釈金を払ったジョートショップ主人のアリサのことであり、また、どれだけ周りから噂をされようと、堂々と、真正面から受け止めて、無実を訴え、信頼を取り戻していったのは、ほかならぬ彼自身だ。

 それを、時に手伝い、時に応援し、近くで見守ってきた。

 目の前にある手配書と、彼への信頼は、皆の心の中の天秤では、確かに彼の方が思い。

 だが、それを断言できるかどうか、という錘が追加されたとき、秤はつりあってしまうのだ。

 何も言い出せない。

 この場の天秤がどちらに傾くのかがわからない。

 それがたとえ、彼を支持する意見だろうと、振れたあと指し示すのは、手配書のほうかもしれないのだ。

 たった一言でそれが決定されてしまう重圧に耐えられるほど、彼を擁護できるのか、と、全員が自問をしていた。

 

「あのバカが、そんな大それたことできるわけないじゃない」

 

 あっさりと。その沈黙を破った少女がいた。

 パティ・ソール。いつも美味しい料理と笑顔を人々に届ける、この看板娘。

 凛とした瞳で、全員に届くように言葉を続ける。

「アイツは、馬鹿でドジでどうしようもないくらいアホだけど、同じくらい、どうしようもないくらいお人よしで、バカがつくくらい人の幸せが好きで、みんなが喜んでくれるならって自分が苦しんでもかまわないっていうアホなのよ。だから、そんなことは絶対にしていない」

 絶対に。そう、もう一度繰り返す。

 わずかに、その手が震えている。

 当たり前だ。どんなに言葉にしたって、100%の信頼などどこにもありはしない。そんなものがあれば、それはもう、信頼ではなく妄信だ。

 パティは思う。

 今の自分の言葉には、確かに不安がある。「もし」はどこにだってある。彼がこの街に流れ着くのに、どんな事情があったか自分はしらないのだから。

 でも、その冷たい不安以上に、あのサーカスの事件の時に、彼が抱きしめてくれたあの暖かさが、そんなことはありえないと囁いていた。

「あたしは、そう信じてる」

 それは、自分に勇気を与えるための呪文であるかのように。

 パティは、そう呟いた。

 

 

 

「うへー、腹減ったー。パティ、なんか食わしてくれー」

 そんな能天気な声とともに、店内の空気をぶち壊しながらドアを開けたのは、サーカスの団員ピエロの少年、ピートだった。

 本日三回目となる乱暴な扱いに、カウベルもやる気なさそうにギリン、と鈍い音を立てる。

 彼は、いつもと違う雰囲気の店内に気付くこともなく、づかづかとお気に入りのカウンターにやってきた。

 空気が読めない子である。

 そして、ふと皆が集まっているテーブルに視線を向けて、空気が読めない子は

 

「あれ?なんで俺達がつくった手配書がここにあんの?」

 

 そんな、ぶっ飛んだ台詞を言った。

 

「……つくった!?」

 そう叫んだのは、誰であったのかもはやわからなかったが、ピートはそんな喧騒をよそに、

「おう。うちのサーカスのサービスで似顔絵描きやってるだろ?前に、うちの団員が練習するのに、トシアキにモデルを依頼したんだ」

「ちょ、おい待てピート」

「なんだよアレフ」

「似顔絵はわかった。わかりたくないけど、わかった。じゃあ、なんでこれはこんな手配書にかかれてるんだ?」

「あーこれ?夜鳴鳥百貨店で売ってる玩具のお絵かきセットだぞ。それに描いた奴に額に肉や髭描いたりして遊ぶんだよ。みんなで大爆笑だったぞ。あんまり出来がいいから、昼間パメラのおばさんに見せてからかったんだ。でもすぐにばれた。思いっきり怒られて取り上げられたけどなー」

 よく見るとだ。ドロの汚れで気づきづらいが、これで貴方も気分は指名手配!とかそんなキャッチコピーが走り書きのように紙の裏に書いてある。

 

『……』

 

 つまり、だ。

 悪戯手配書をパメラに見せてからかう→パメラ、それを持ったままマリア宅へ。→殺人犯の手配書と、玩具の手配書が紛れた書類が散乱。玩具の手配書の回収を忘れる→マリア、それを見て大騒ぎ。

 

「……マリア?」

 

「え-と…あれ?…じゃ、じゃあさっきはなんでアルベルトが…」

 そう、マリアが罰の悪そうな顔をしながら、首をかしげたときだった。

 ドアの外から、言い合わそう男二人の声が聞こえてくる。

「……だから、アリサさんの好きな花くらい知ってるだろ!それを教えろって言ってるんだ!」

「やかましい!わざわざそんなことを聞きに雷鳴山まで追ってくるな!」

「仕方ないだろうが!今日じゃないと花屋のセールが終わっちまうんだよ!」

「知ったことか!!」

 ドアがばん!と乱暴に開き(本日四回目)、トシアキとアルベルトが、掴み合いをするように顔を見合わせながら入ってくる。

 そして、何故か全員が一つのテーブルに集まって、さらに二人を怒りの表情で見つめているという、かつてない店内の様子に、はて、とお互い顔を見合わせて、ハモった。

 

 『どしたの?』

 

 『……アルベルト!!』

 

 全員での、総ツッコミ。

 大声はさくら亭を震わすかのように響き、壁を伝わり、ドアに伝わる。ざまあみろ、というかのように、カウベルがカラカラと鳴った。

 

 

 

 

 夜のさくら亭。

 あの後仕事がまだあるからと、アルベルトを縛り上げてトシアキはさくら亭を離れ、帰ってきたらパティの愚痴が始まった。

 リサはそんな二人に興味なさげに、片付けをしている。

「ああ、もう!アンタのことで振り回されたなんて、ほんと、腹立つわ!」

「んなこといわれてもな」

 どうしろというのだ、というように、青年はぽりぽりと頬をかく。

 さすがにこれでトシアキを攻めるのは筋違いであると理解しているのか、どっと疲れた様子でパティは階段へと向かう。

「……もう寝るから。リサ、残りお願いね。……あんたも明日仕事あるんでしょ。とっとと帰りなさいよ」

「わーてる。このいっぱい飲んだら帰るよ」

「まったく……」

 はあ、と大きくため息をつくパティ。そんな彼女の背中に、トシアキは声をかける。

「あー、パティ」

「なによ」

「…サンキュな」

「なにが?」

 訝しげなパティに、トシアキが笑って言う。

「……それでも、聞かないだろ?俺の過去」

 パティが肩をすくめて、笑う。アンタが話したくなったら聞くわ、とそんな風に。

「興味がないだけよ」

「それは、俺の過去に?それとも、俺に?」

「自意識過剰よ。バカ」

 べーと、舌を出して、楽しそうなパティの笑顔。

 ああ、こいつ綺麗だな、と、トシアキはなんとなく思ってしまう。

 そして、手にしたグラスを口に近づけると――

「あー、一つだけ、トシアキについて確認したいことがあったわ」

「なんだ?気分がいいから、大抵のことなら答えるぞ」

「あんた、ウチで当たり前のように注文してるから気にしてなかったけど――そもそも、お酒飲める年なの?」

「……まあ、気にするな」

 からん、とコップの中の氷が笑ったような気がした。

 

 

 夜の談笑を終えて――一人カウンターでグラスを干しているトシアキに、リサが近づく。

 店側のカウンターにすわり、トシアキと相対すると、これは私のおごり、と、グラスに琥珀色の液体を注いだ。

「お、サンキュ」

「礼はいいさ。そんなことよりボウヤ。あの子に、あんまり心配かけるんじゃないよ?」

「……ええ、わかってます」

 リサの明らかに含みのある言い方に、トシアキはその「含み」に対しても肯定の返事をする。

 アリサ以外で見抜かれたのは初めてだったが、まあ、彼女ならばれてもおかしくないか、と。

 その返事に満足したのか、リサが自分の分のグラスを用意しながら、こういった。

「んで、実際のところ、ボウヤは昔はなにやってたんだい?やっぱり王子様?」

「んー。しがない一般人です。まあ、もうちょっとだけ、そのことは待っててください。ここに流れ着くまでのことについては、みんなにはちゃんと言いますから」

「それを最初に話す相手は、もう決まってるから、かい?」

「ま、そういうことです」

 二人して笑う。こういう優しい人達が集うこの街が、トシアキは好きだった。

 

 

 二人がもう一杯ずつグラスを空けたあと、トシアキは席を立った。まだ飲むつもりらしいリサに手を振って、優しくドアを開ける。

 急激に吹き込んだ夜の冷たさで、酔いが一気に覚めた。火照った体を覚ますのにはちょうどよさそうだと思いながら、外に出る。

 ドアを閉じながら、今日の騒動を思い返して、ボソリと独りごちる。

 

 

「俺の、過去か。…………まさか、また鉄骨が落ちてくるなんてなあ…」

 

 

 青年の呟きは、カラン、というカウベルの心地いい音色によって、誰にも届くことはなかった。

 

 




主人公の「トシアキ」の名前のルーツは「ふたばちゃんねる」での「名無し」時の定形の名前です。


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時をかける王女
序章 『求めるものは』


ワイ、ループ物すこすこサムライ


        ◇

 ――それでは、貴方の願いを――

 

 イルム・ザーン・大庭園

 

 そこに、今、ひとつの奇跡がある。

 どんな願いでも叶える、「暁の女神」という奇跡が。

 それを求め、この瞬間のため、彼ら、彼女らは旅を続けてきた。

 

 

 ――魔宝を集めし者よ。願いを求める権利を手に入れた者よ。その魔法陣に立ちなさい。

 

 

 ごくり、と誰かが唾を飲み込む音がする。

 その人物は、思いつめた表情のまま、一度後ろを振り返る。

 そこには、長い間旅を共にしてきた、仲間といえる人たちがいた。

 変わらぬ笑顔に憂いを持つ吟遊詩人。

 その肩に止まる、いつになく真剣な顔の小妖精。

 自分を支えてくれた人たち。

 ライバルとして争い、そして手を貸した者達。

 その誰しもが、「さあ」と先を促している。

 

 願いの権利を手に入れたその人物は、一度だけ「こくり」と頷き、もう揺らぎはしないと、その一歩を踏み出した。

 そうだ、誰にもこの権利を渡すわけにはいかない。自分が、自分こそが、やるべきだ、と、迷わず進む。

 

 魔法陣は、生暖かな空気で己を包み込む。だが、それでも不快はなく、誰かの体内に居るような、そんな感覚。

 

 

 ――さあ、願いは決まりましたか?

 

 

 暁の女神が、優雅に微笑んだまま、そう語りかけた。

 頷く。

 当たり前だ。願いは、はじめから決まっている。

 それ以外の願いに、なんの価値もないのだから。

 

 

 ――知っているかもしれませんが、願いは叶うとは限りません。これまでの貴方の行い。そして、願いの大きさによって、左右します。

 

 

 知っている。

 今から叶えようとする願いは、とても大きな願い。

 きっと、世界中で同じようなことが願われて、求められ、そして叶えられなかった願い。

 それを、今から願うのだ。だからこそ、願いは吟味した。

 皆と相談して、調べ、何度も何度も考えた。

 「もっとも叶う可能性が高くなる願い」を。

 

 

 ――目を瞑りなさい。そして、祈るのです。

 

 

 言われたとおり、目を瞑り、さらに手を組む。その女神に、そしてありとあらゆる神に、祈りを捧げるために。

 そして、口を開く。

 心の中でだけでは足りないから。

 例え自分の全てが生贄となっても、この想いは止まらないから。

 

 だから自分は、その願いを、確かな想いと共に、口に出す。

 優しい宝物となったあの日と、後悔すべきあの時を思い返しながら――。

 

 

         ◇

 

「なんで、そうなるのよ」

「……え? 何が?」

「だって、いつでも邪魔しにこい、なんて、変じゃない」

 少女の言葉に、その青年は、「うーん」と首をかしげながら

「あー、まあ、楽しいから、かな」

 と、愉快そうに言った。

「ま、邪魔されるのは大変だけど……ここまでこれたのは、お前と、あのバカのおかげでもあると思うんだ」

 もちろん、俺の仲間達もね、と、空を見上げるように続ける。

「競い合うやつらが居るから、俺たちも強く、たくましくなろうって訓練もしたし……。故郷を思って寂しがる暇もなかったしな。なんだかんだで、お前らのおかげで俺は救われてるんだよ。レミット」

 そして青年は、レミット、と呼びかけた愛らしい少女に、大切な家族にそうするように、彼女の宝石のような髪をくしゃりと撫でた。

 レミットは、とろん、と呆けるようにその手の感触にまどろんだが、それも一瞬。

「な、なによ! またこんなふうに子ども扱いして! どうせ私の邪魔なんてたいしたことないってバカにしてるんでしょ!」

 かっと熱くなる顔が、胸の動機のせいだと悟られないように、怒りでごまかす。

 ごまかしたのは、彼に悟られないためなのか、自分が彼への思いに気づかないふりをするためなのかは、少女にもわからない。

 しかし……

「……ふん、だ」

 仲間達のところに戻る彼の後姿を見ながら、そう悪態ついたのは――きっとそれが少女にとって、大切な思い出であったからに違いない。

 

 

 

 ――場面は変わる。

 

 

 最後の魔宝、と、いつものように乗り込んだ、鬼面の相が禍々しき、とある火山の洞窟にて――

 レミットは、その現実が受け入れられなかった。

 

 襲い掛かるものは何もない。危険など、すでに過ぎ去っているのは確かである。

 敵であったものは、最後の悪意を振りまいたと同時に、その命の灯火を消したのだから。

 

 『危険』は、もうどこにもない。

 

 なのに、目の前には『恐怖』がある。

 

 その恐怖は、ただただ、機械的だった。

 畏怖もなく、自らの痛みもなく、吐き気を催すような視界的嫌悪もなく。

 

 ただ、大切な人が失われていくという、『事実』のみがそこにある。

 

 

 

 いつもどおりのはずだった。

 

 青年達のパーティが、このダンジュンを制覇しかけたそのとき、少女はいつもどおり魔宝の横取りをしようと駆け出した。

 それは、半分は本気で、半分は冗談のいつものことで――完全に本気で奪おうとしている魔族の青年へのけん制の意味もあったかもしれない。

 ともあれ、そんなレミットの行為に慌てた黒髪の青年が追いかけ、捕まえ、「横取りするなー!」と軽く小言をする。

 そんな、いつものことのはずだった。

 

 だけれども、このときの一度だけは、レミットが本気で魔宝を奪い取ろうとしたことが、全てを狂わせた。

 ……青年が、元の世界に帰ることを「意地悪」ではなく「本気」で止めたかったから。

 

 だから、少女は、それを見逃したのだ。

 青年の前で倒れる、破壊を司る火の守護精霊、イフリート。

 その目の怒りの炎が、まだ消えていなかったことを。

 

 青年達の横を、自分の仲間達の静止すら聞かず、すり抜けるように走りだしたレミット。

 それに驚いて振り向く青年。

 宝を奪おうとする不届きなる人間に罰を与えんと、最後の力を以って燃えさかる槍を掲げる魔人。

 その矛先は、煌くような黄金の髪をなびかせる、青年にとって大切な少女に向かっていて――

 

「え?」

 

 びしゃ、と、レミットの体になにかが降りかかり、足を止める

 振り返るとそこに、苦悶に顔をゆがめている、青年の姿があった。

 何が起きたのだ、と、頭が理解する前に、彼の体がぐらりと揺れる。

 そして――

 

「きゃああああ!」

 

 誰かが、悲鳴を上げた。

 それが誰のものだったのか、レミットはその後知ることもなかったが、彼の仲間の誰かではあったのだろう。

 次々に駆け寄ってくる、少女たち。必死に呼びかけ、そして治癒魔法をかけ続ける。

 それに続き、自分の仲間や侍女のアイリスも、腰を抜かして座り込んだレミットにその安否を聞いてくるが、それに何も答えられず、ただただ目の前の光景から視点を動かせないでいた。

 震えだす体。音にならない言葉。揺れる視界。

 全てが非現実であるようなその感覚の中、

「レ、レミット……」

 少女を現実へと引き戻す、彼の声。たどたどしく震えながら、少女へと伸ばされた、彼の手。

 レミットは、ふらふらと、幽鬼に誘われるように声の主へと近づき、その手をつかむ。

「レミット……無事、か?」

 こくこくと、ただ何度も頷く。

 目から、熱い何かが流れていく気がするが、何も考えられない。

 ぽたり、と彼の顔に落ちたその液体は、彼から流れる「それ」へと混ざった。

 

 ――なぜ、その液体は赤いのだろう。

 私の目から流れたもののはずなのに。

 

 疑問に答えるものは居ない。ただ、荒い呼吸の彼が、目の前に居る。

「そう、か……よかった……」

「な、なんで」

「どう……した、よ……いつもどおり、怒ってるほうが……お前らし……」

 げふっ、と、青年の口から、血漿が舞った。

 それと同時に、急激に彼の手から、温かみが消えていく気がした。

「やだ……そんなの……やだぁ……」

 彼の手を両手で強く包み込むように握り締める、レミット。

 彼は、そんなレミットをただ優しく見つめながら、もう片方の手を少女の頬に添えて撫でる。

「なんだよ……意地悪だな、レミット。………最後くらい……笑ってく…ても、い…じゃ…いか」

 

 

 大きな悲鳴を上げるなど、王族として、はしたない。

 部屋に飛び込んできた虫に驚いて、きゃあ、と声を上げたとき、レミットは教育係にそんな風に怒られたことがあった。

 そのときは、そういうものかと素直に謝った。

 だけれども。

 それはただただ、幸せなことだろう。

 その教育係も、それに納得したそのときの私も。

 

 なぜなら、それは、「知らなかったから」のだから。

 知っていたのならきっと、悲鳴をはしたないなどというその教育係を、さらに「はしたない」と言われながらも、私は大笑いをしていただろう。

 

 

 彼の、手が力なく落ちて――

 

「――――――っ!」

 

 ああ、本当の絶望から生み出だされた悲鳴は、声など出ないのだということを、その小さな王女は知ったのだった。

 

 

         ◇

 

 

 ――さあ、願いを。

 

 

 レミットは、祈る。己の全てをささげる覚悟で。

 そして、声を上げる。

 

「私の大切な、彼を――私が今持ちえる、そして、これから為しえて手に入れるあらゆるものを代価に、彼を救って」

 

 失われた命は、帰らない。

 生き返った命は、同じ命とはならない。

 

 「どんな願いでも叶える暁の女神」

 しかし、願いがかなうかどうかは、「願いを叶えるまでの行動」が問われる。

 なら、「命を蘇らす」という願いに必要なのは、いったいどれだけのことが求められるのだろうか。

 

 だから、あえて願いを曖昧に、そして、「代価」を捧げた。

 たとえ、今、代価が足りないのなら、これからそれを手に入れてやればいい。

 魔力が必要なら、その魔力を手に入れてやろう。

 知恵が必要だというなら、全ての智謀を我が力としよう。

 痛みが必要なら痛みを、私の命が必要というならそれすらも――!

 

 欲しいのは希望。

 彼を取り戻せるという、ただ一つの可能性。

 

 そのためにレミットは、このイルム・ザーンまでの冒険を続けてきた。

 

「お願いします。どうか、私に、その希望をください――!」

 

 そして――音がなくなる。

 

 

 

 目を開けるのが、怖かった。

 願いに、あらゆるものを捧げてさえ、無理があるのはわかっていた。

 だけれども、それでもかすかな希望で、願いを叫んだ。

 それでも、何が変わったようには思えない。

 

 レミットは、開いたと同時にやってくる絶望への恐怖に震えながら、ゆっくりとその目を開いて、

 

「……え?」

 

 そこは、大庭園ではなく、街の中だった。

 どこかで、いつかに、見たはずの街。

 自分がいきなり別の場所にいることへの不安よりも、ある感情が強く湧き上がる。

 ああ、そうだ、この街は――

 

 ――ドンッ

 

「いっ……た?」

 

 そう、こんな風に、あいつらとぶつかって――

 

「お、おわっと! 大丈夫――って、うわ! ごめん! そんな泣くほど痛かったの?」

 

 それは、始まりの街、パーリア。

 彼と出あった、最初の地で――。

 

 

 ここから始まるのは、もう一度繰り返されるメロディ。

 

 しかし、決して、ただのダ・カーポにはさせない。

 

「痛かった……貴方に会えない毎日が、すごく、痛かったの」

 

 

 きっと、このメロディを、悲壮曲から歓喜の歌にするために――

 

 

 青年と少女の、新しい旅が始まった。

 

 

 



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第一話 『君が為』

        ◇

        

 ソーブルの湖。

 

 豊かな水源により、神秘と実益を讃えるその場所は、世界に散らばる魔宝が納めらるるにふさわしい美しさを携えていた。

 その湖畔の美しさに見惚れているのは、黄金の髪を艶やかに、甘露のごとく滑らかな肌を持つ、一人の少女――レミット。

 そのイメージは、宝石。

 まだ未成熟な肢体でありながら、確かな気品、そして強い決意を持つ瞳は、見るものに等しく美しいという感情を与え、そして触れることを躊躇わせる。

 

 そんな「宝石」に手を触れられるのは、金銭的な価値しか見出せない下衆か、その美しさ、高貴さを目にしてなお共にあらんとする、前へ進む意思を持つ者だけ。

 

「よう、レミットもここにいたのか」

「あ……」

 そして、少女に今声をかけたのは、「湖畔に見惚れる少女」に見惚れ、そして彼女の隣へ立たんと歩んだ、一人の青年。

「どうしたの? 何か用?」

「いや、明日ダンジョンに入ったら、勝負になっちゃうからな。その前くらい、一緒に湖でも見ようかと思って」

 

 ソーブル湖ダンジョン。

 そこには、魔宝と呼ばれる奇跡の欠片が眠っている。

 青年と少女、そしてもう一人、この場には居ない魔族の青年の三人は、魔宝を探して求め合う、『冒険者』として対立関係にある。

 ただし、対立とはいえ、そこには一種の協定めいたものがあった。

 

 ダンジョンや自然の迷路など、なんらかの目的で競い合う以外、たとえば街から街への移動や街中で、戦闘を行ってはならない。

 重大な生命の危機や、取り返しのつかないことにつながる危険行為はしない。且つ、そのような自体が発生した場合は敵味方関係なく支援、協力する。

 一度手に入れた魔宝は、あとから奪ったり破棄することを禁止する。

 

 などである。

 これは、別にお互いが相談して決め合ったわけでなく、いつの間にかそういう暗黙の了解が出来上がっていたのだ。

 もっとも、街中での嫌がらせのような邪魔は、『今回』していないことは大きな違いではあるが。

 そうなるように率先して動いたのは、『前』の記憶があるレミットであるが、これは『前』においてもある程度はそうなっていたため、その『暗黙の了解』がシステムとして出来上がる時期が早まっただけではある。

 ただ、前回より早い時期に不文律ができたせいか、野営などではこうしてお互いのパーティがコミュニケーションをとることが、よく見られている。

 とはいえ、競争相手には違いなく、やはり積極的に会話やミューティングをするのは、それぞれ自分達のパーティ仲間だった。

 旅を共にすれば、どうしても衝突は増える。単純な回数で言えば、ライバルよりも仲間同士の諍いの方が多いのは、必然のことだ。

 だから、今、青年がレミットと話そうと思ったのは、今回はチーム内部のトラブルを抱えておらず、且つ一人で湖畔を見ようとしたところでたまたまレミットを見つけたからに過ぎない。

 話そうと探していたのではなく、見かけて「せっかくだから」と、彼は話しかけたのだ。

 もっともそれは、その前にレミットの美しさに心を奪われかけていた、ということを否定する為の、取ってつけた理由ではあるが。

 だから、特にこだわるでもなく、青年はこう続ける。

「邪魔だったら、戻るけどさ」

「そんなことない!」

 あまりのレミットのリアクションの強さに、驚いたのは青年だ。

「えと、うん」

 と少し萎縮しながら頷き、レミットの横に並ぶ。

 もともと話すことがあったわけでもなく、ただ、二人で湖畔を見ていると、

「……ごめんね」

 と、レミットがポツリとつぶやく。

「へ?何がだ、レミット?」

「……アンタの邪魔、してること」

「……なーにいってんだ、今更」

 くしゃり、とレミットの髪を撫でながら、青年は笑いかける。

「ま、確かに、仲間になってくれたら、それはそれで楽しかっただろうけどな」

 青年の、苦笑するようなその声に、レミットは思い返すのは、『戻ってきたあの日』のことだ。

 

 

        ◇

 

 レミットが青年の胸に飛びつき、涙をこらえながら嗚咽していると、彼から戸惑いの声が聞こえてくる。

「ええと、その……あれ? 俺、君と会ったことあったっけ?……って俺ここ……というかこの世界か。来たばっかりで知り合いなんてほとんどいないはずだよな……」

「ご、ごめんなさい。ちょっと、動転してただけ」

 覚えていない、というより、まだ経験していないのだから当たり前なのだが、彼が自分との共通の思い出を持っていないというその事実に、レミットは急激に悲しみがわいてくる。

 だが、彼が今目の前で困ったように慌てている。たったそれだけのことの嬉しさが、その悲しみを大きく上回った。

 それに、おそらくは無意識なのだろう。泣き顔のレミットをあやすようにその髪を撫でる彼の手に、全ての負の感情が溶けていった。

 彼の胸と、その手から、レミットは名残惜しそうにゆっくりと体を離す。

 そうだ、まだ、終わりじゃない、と、強く自分に言い聞かせながら。

「私は、レミット。レミット・マリエーナ。……マリエーナ王国の、王女よ」

「えー!ウソ言うんじゃないわよ。こんなちっこいのが、王女なわけないでしょ」

「なによ!アンタのほうがよっぽどちっちゃいじゃないの!」

 青年の肩に乗っていた、小さな妖精フィリーのそんな「ちっこい」発言に、思わずレミットは『前』と同じように言い返す。

 それでも、『前』からのフィリーとの付き合いで、その口の悪さに対して慣れていたからか、やり返した言葉と口調に、それほど棘のようなものは無く。

「く、くくくっ!」

 だからこそ、なのだろう。レミットとフィリーのやり取りが、ピリピリするような緊張感、一触即発の喧嘩に発展するようなものではなく、滑稽な喜劇のような雰囲気になっていたのは。

 それを見ていた青年が、そんな二人にこらえきれずに噴出していた。

「ア、アンタも笑わないでよ!」

「ご、ごめん、でも……あっははは!」

 レミットに叱責されても、青年の笑いは止まらない。彼にしてみれば、それは『異世界』に迷い込んだ不安を忘れて、初めて本気で笑えた瞬間だった。

 もともと楽天家ではあったが、それにしても、何故こんなにもこの少女に気を許してしまっているのか、青年自身も不思議に思う。

 だが、今はこの幸福感すらある笑いに身を任せていたい、そんな風にも思った。

「も、もう、笑いすぎ! いい加減にしなさいよ!」

 顔を赤らめて――それは、怒りではなく恥ずかしさからであることは、彼女の表情から容易にわかる。

「あ、ああ、ごめんよ。とりあえず、名前を教えてもらったんだから、俺も返さないと失礼だよね」

 知っている。名前どころか、今貴方が何を話そうとしているかも。と、レミットは言いたかった。だが、そんな余計な事をして彼に不審を抱かせるわけにも行かない。

 彼女は、できるかぎり感情を抑えながら、彼の話を聞く。

「と、言うわけで、俺と一緒に旅をしてくれる仲間を探してるんだ。……よければ、パーティに入ってくれないかな?」

「えー、こんなのと一緒に行くの?」

「お・ま・え・は! 余計なことをいうな!」

 もちろん、と言いかけたレミットの口を閉ざしたのは、フィリーの悪態があったせいではない。

 彼の『前』の言葉を思い返したからだ。

 

        

「ま、邪魔されてるのは大変だけど……ここまでこれたのは、お前と、あのバカのおかげでもあると思うんだ」

「競い合うやつらが居るから、俺たちも強く、たくましくなろうって訓練もしたし……。故郷を思って寂しがる暇もなかったしな。なんだかんだで、お前らのおかげで救われてるんだよ。レミット」

 

 ああ、あの時も、さっきみたいに頭を撫でられながら言われたっけ、とレミットは目を瞑ってその場面を何度もまぶたに映し返す。

 その言葉は、ただレミットを気遣った、世辞のようなものなのかもしれない。

 だけれど――とレミットは唇をかんで、

 

 

「ごめんなさい、私は、貴方とは行けない」

「え?あ、そ、そうか……」

 本当に残念そうに、むしろ悲しそうに見えてしまう青年の表情に、レミットは心の奥に針を埋め込まれたような痛みを感じながら、

「私も、魔宝のことを知っていて、探してるの。私の、本当に叶えたい願いのために」

 

 貴方と行きたい。

 今度は怒った顔ではなく笑顔で、邪魔をするのではなく応援をする立場で冒険がしたい。

 

「貴方が必死なのは、さっきの話でわかったわ。でも、私だって、譲りたくないの」

 

 でも、『前』の冒険を、無意味だとも思わない。

 悲しい結末ではあったが、全てを否定したくは無い。

 

 だから―ー

 

「だから……私は、今からアンタのライバルよ。私は、絶対にアンタなんかに負けないんだから!」

 

 わがまま、いじっぱり、甘えん坊。

 そんな表情を、めいっぱいこめた笑顔で、あの時と同じ関係を作り上げる。

 

 レミットは、青年を見据え、そして胸に手を当てて、思う。

 さあ、私も仲間を集めよう。

 私にとって信頼できる仲間達は、アイツの仲間と同じように、今この街にいるはずだ。

 前回と同じ頼み方を――なんてことは、思わない。

 だって彼女達は、正面から向き合い、偽りない心を晒した私を信頼して仲間になってくれたのだから。

 だから、今回だって同じだ。

 私らしくしていれば、きっと、また仲間になってくれるはずだ。

 

「そっか、わかった」

 レミットの表情から何を読み取ったのか、それはわからない。

 だが、青年は真顔で頷き、そして肩の妖精に「行こう」と促して、歩き出す。

「もう、あんたが魔宝の話なんてするから!」

「し、しかたねーだろ! ……それに、ライバルだけど敵ってわけじゃないし」

 そんな言い争いをしながら、レミットから去っていく青年と妖精。

 それは、少女が『前』に見た光景と同じものだ。

 ただ、違うのは――

 

「じゃあ、レミット――またな!」

 

 振り返って、笑顔でそんなことをいう、彼の姿。

 

 

        ◇

        

 そして、青年は、ライバルとして少女の隣に居る。

 

「お前は、さ。……なんというか、不思議なやつだよな」

「不思議?」

「ああ、出会ったときもだけど。……こうやって競い合ってる、いってみりゃ俺の邪魔をされてるはずなのに、全然怒りもいらいらも無いんだ。……魔宝奪われて、悔しくは在るけどな。でも、お前も一生懸命だし、普段はこうやって仲良くしてるし」

 青年は、ははっ、と苦笑しながら、それでも優しくレミットの髪を梳くように撫でる。

 その心地よさに、レミットは『前』のことを思い返しながら、微笑を浮かべた。

 ああ、こうして撫でられるのは『今』は何度目なのだろうか。

 その暖かな青年の体温を感じながら、そして、思う。

 

 それは、『今の私』が原因じゃない。

 貴方は私が子供の我がままでどんなに迷惑をかけても、貴方と仲良くしようとしていなくても、『あの日』に、『今』と同じように私の頭を撫でてくれたのだから、と。

 

「……それ、だよ」

 優しい声に、ほんの少しの怪訝が混ざって。

「え?」

「お前さ、撫でられるの、好きだよな」

「え、あ、その………うん」

 撫でられるの、というか、貴方に撫でられるのが、なのだけれど。

 そんなことを声には出せないまま、レミットは頷いた。

「それで、今みたいに撫でると、嬉しそうな顔をする。そしてそれは決して偽りじゃないって、根拠も無くそう信じれる」

「うん。……本当に、嬉しいわよ?」

「なのに、さ」

「?」

「なんでだろうな。お前を見ると、その顔がすごく泣きそうになってるように思えて、仕方ないんだ」

 びくり、と一瞬だけ、レミットの体が揺れた。

 それに、青年は気づいただろうか。

 だが、レミットを撫でるその手に、変わりは無く。

 青年の顔を見れないまま、レミットは答える。

「気のせい、よ」

「……そっか」

 

 それは、翌日には競い合い、そして戦い会う関係とは思えない、二人の距離。

 手を伸ばせば、確かに相手が居て、少し力を込めれば、あっという間に重なり合う。

 

 それをお互いわかっていて――どこか、遠い。

 



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第二話 『道化師たちの集い』

 

        ◇

        

 それは、奇妙な関係だった、と青年は思う。

 

 カイル・イシュバーンという青年は、バカだがどこか憎めず、友情に近いものすら感じることもある。だがそれでも確かな「敵」でもあった。

 とはいえ、それは求めるものが同じだからこその、立場的なものに過ぎない。

 たとえば、まったく別の目的にカイルが挑もうとしているのであれば、彼を応援し、支援することに躊躇いは無いだろう。

 

 そしてもう一人。

 王女レミット・マリエーナ。

 正直、未だに王女という意識はもてない、どちらかというと妹のような、そして喧嘩を繰り返す異性の幼馴染のような、そんな少女。

 彼女も、カイルと同じく「敵」「ライバル」という間柄であるはずなのだが――

 

「そんな相手に、感謝のプレゼントを買っている俺。………なにがしたいんだろ」

 手に持っているのは、水晶でできた、小さなネックレスである。

 

 最後の魔宝のあるという双面山。

 そこに向かう途中のジュピュターという街の露店でふと見つけたのが、今は小奇麗なアクセサリー箱に納められているこのネックレスだった。

 魔宝を集めきっても、まだ暁の女神を召喚する為、イルム・ザーンという場所に向かうことは知っている。

 だから、まだ冒険は続くのではあるが、「貴方の大切な人に感謝の贈り物を!」という看板に、なんとなく皆にプレゼントをしよう、という気分になったのだ。

 そして、全員のプレゼントを買ったあと、青年は見つけてしまった。

 そのネックレスは、決して高価なものではなく、特に変わったデザインでもなかった。

 だが、見た瞬間、あの湖畔で見惚れたレミットの姿が思い浮かんだのだ。

 宝石に例えるようなレミットに、高いだけの貴金属はまったく似合わない。

 だが、不思議とこの水晶は、彼女の美しさを損なわず、ただ優しく彼女を守ってくれそうな、そんな感覚。

 あとは、もう止まらなかった。

 いや、本当は「ライバルに贈り物って何なんだよ!」といろいろ悩んだのであるが、悩みながらも自分の体と口はまったく戸惑うことなく、そのネックレスを購入していた。

 

「まあ、買ってしまった以上、しかたないよね。うん、仕方ない」

 とかなんとか自分の中でいろいろ理由をつけ、パーティの皆にプレゼントを渡した後、こうしてレミットの元へと足を進めている。

 すでに暗闇が支配する夜ではあったが、まだそう遅い時間というわけではない。

 道中に出会えるとは限らないし、次の街で渡そうにも日中はどうせ二人っきりにはなりずらい。

 結局、ここでも先の町でも夜に会うことは決まっているようなものだからと、青年はレミット達の宿へと向かう。

 本当に感謝の気持ちでしかないのなら、別に二人きりになる必要などないということは、頭には無かった。、

 そして、明らかに自分達の泊まっているところとはランクの違うその宿――の人気の無い裏道で、

 青年は目的の人物のレミットを見つけた。

 「何でこんな場所に?」と思いながら声をかけようとして――

 

「姫様……何故、そんなに辛そうな顔で、この旅を続けていらっしゃるのですか?」

 

 レミットの侍女、アイリスの存在と声に、体が止まった。

 そのまま、隠れるように壁に体を押し当てたのは、自分でも理由が良くわからなかった。

 

「姫様には願いがある、と聞いています。……でも、本当にそんな願いなど、あるのですか?」

「……」

「姫様が、何か目的をもってあの方と同じ魔宝を求めているのはわかります。……でも、それならば、なぜ魔宝を手に入れたとき……そう、そうです。『魔宝を手に入れることができたとき』にこそ、そんな辛そうにしているのでしょうか?」

 それは、すぐ傍にいた、そして長年一緒にいたアイリスだからこそ、気づけたことだった。

 魔宝を手に入れたとき、レミットは「やーい!」と青年をからかいながら笑っていた。

 それは、いかにも彼女らしい仕草であり、青年も彼女の仲間達も、疑問に思っていなかっただろう。

 だが、それでも、アイリスはそこに違和感を感じ、そして旅が進むごとにそれが強くなっていったことで、ついに主たるレミットに、疑問をぶつけたのだ。

 多分、レミットが「なんでもない!」「うるさい!」と言い切ってしまえば、アイリスは納得はできなくても従うしか道は無い。

 レミットも、それはわかっていたが――冒険を繰り返し、精神的な成長をしているレミットには、それは「してはならないことだ」と気づいている。

 信頼する、大切なアイリスが、無礼と承知の上で自分を問い詰めるように聞いてきたのは、そこに確かな心配と愛情があるのだから。

 だから、言えることだけを、正直に愛すべき侍女に伝える。

 

「大切な……ね?」

「はい?」

「大切な人がいるの。……その人を、どうしても諦めたくないの」

「……その、大切な人、というのは?」

「……」

「では、その人は、姫様にとってどのような人なのでしょうか?」

「……わからない。好きなのは間違いなけれど――異性としてなのか、人としてなのか、自分でもわからないの。でも……」

「でも?」

「私は、その人を失いたくない。離れたくない。それだけは、きっと、変わらない」

 

 

 ぐわん

 

 ――と、まるでゴーレムに殴られたような衝撃が、青年の脳に響いた。

 は、はは、と、声にならない笑いが、自分の口から漏れるのがわかる。

 二人の会話はまだ続いているが、衝撃で周囲の世界から切り離されている青年に、その声は届かない。

 そしてそのまま、ふらふらとする足取りのまま、なぜか手のひらだけは強く握り締められ、ネックレスが納められた小箱が肉に食い込む。

 それでも、「痛み」という外からの感覚は、青年に届かない。

 なぜか、自分に背中を向けているアイリスが、ちらり、と自分を見たような気がしたが、もはやどうでもいいことだった。

 どれほど歩いたのかわからないまま、暗闇の町を歩く。

 (……なんだ、俺。何で、俺はショックを受けているんだか、わけわかんねえ)

 涙が出るわけでもなく、ただ、なぜか全身が苦しい。

 レミットの言った、その人、というのが、自分ということはありえない。

 彼女は、自分と会う前から魔宝を探そうとしていたのだから。

 だから、「その人」は自分ではない誰か、に違いない。

 

 

 (なに考えてるんだ、俺。そんなことは……別にこの頭痛とレミットは関係ないじゃないか。それに、レミットが俺以外の男を好きだから、なんだというんだ?)

 そのはずだ。プレゼントだって、ただなんとなくであって、特に理由は無い。

 そう何度も結論付けて、自分はレミットに会いにきたのだから。

 

 そして、青年は、ただ事実だけを確認するように、口に出す。

 

「好きなやつ……いたのか。………そっかぁ」

 

 

        ◇

 

 最後に――レミットは、アイリスに告げる。

 

 二人の会話を、青年は最後まで聞いてはいなかったが、おそらくは、聞いたところで理解できなかっただろう。

 だが、もしかしたら、「何か」は変わっていたかもしれない。

 そして――そんな彼がすぐそばにいて、二人の話を聞いていたことをアイリスがレミットに話していれば、あるいは。

 でも、それはもう「かもしれない」の話でしかない。

 

 青年が居たこと、そして離れたことを気づかないまま、レミットは言葉を紡いだ。

 

「なのに――その望みは、その人の希望を奪うことになる。……だから、私は私自身を許せない」

 

 

 ああ、この物語は、私の望んだとおり、悲劇ではなくなるだろう。

 そして、観客達の笑顔で満ちるだろう。

 だって、これは喜劇。

 愚かな道化は、指を指されて笑われるのだから。

 そんな舞台の主役に、私はきっとふさわしい。

 

 

 ――喜劇に踊る道化は、いつだってその頬に涙を讃えている。

 

 

 

 



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第三話 『悪夢、再び』

        ◇

        

 青年にとってレミットのイメージは、最初は「変」な子だった。

 

 話しながらすぐに「良い」子だなと思い、最初の魔宝をあっさり取られてからは邪魔な「嫌」な子にった。

 だが、負けるものかと鍛錬をしながら旅を続け、だんだんこの世界になれて余裕が生まれると、ダンジョン以外ではちょっとしたレミットの振る舞いに、優しさや気遣いがあることに気づく。

 そして、一度彼女の美しさに気づいてしまえば――例えば、あの麗しき湖で、湖畔よりも、それを見つめる黄金の髪の少女に見惚れたときから――きっと、彼は手遅れだったのかもしれない。

 「可愛い」「綺麗」を通り越して、「愛しい」と思ってしまった。

 それは妹のような、友達として、と、いくつも理由をつけてきた。

 そもそも年が離れすぎていてそんな関係はありえない、と、言い訳のように自分に言い聞かせてもいた。

 

「大切な人がいるの」

「私は、その人を失いたくない」

 

 その言葉を聴いたときの自分がどんな状態であったのか、青年は覚えていない。

 宿に戻り、仲間達や、置いていかれたことに不満を爆発させていた小妖精が何かを言っていたとは思うが、自分の部屋で倒れるように意識を手放してしまった。

 目が覚めて、プレゼントの箱を握り締めていたらしい、手のひらの痣を見て、ようやく青年は現実を見る。

 何故、あのとき自分はショックを受けたのか。

 そして今もなお、何故こんなにも胸が苦しいのか。

 疑問に答えるものは居ない。

 だが、この感覚を、青年は知っている。

 まだ幼き頃、憧れていた「お姉ちゃん」が結婚することを聞いたとき。

 青臭い未熟な中学生だった頃、好きだと告げた先輩に振られたとき。

 逆に、高校時代に自分に告白してきた女の子に与えたこともあるだろう、その感覚――失恋の痛み。

 そこには、常に自分か相手に、一つの共通した思いがあった。

 魅力的な少女達と旅をしても、けっして彼女達には抱かなかったその思い。

 

「俺……レミットが、好き、だったんだな」

 

 

 そう呟いたあのときの自分の声が、未だに、脳から離れな――

「危ない!」

 という誰かの声に、はっ、と青年が顔を上げたとき、迫ってくるのは強大な炎の塊だった。

「でえええええええっ!」

 恥も外聞も忘れ、彼は追い立てられた蛙のように横に飛んだ。

 ごうっ、と彼の足を掠めるように飛んでいく、火炎弾。

 ひやりとしたのは決して冷や汗だけのせいではないだろう。

 しかし、その流れ出ていった水分も、周囲の熱気があっという間に乾かし、そしてまたその熱で汗が浮かんでくる。

 青年がなんとか体勢を立て直したとき、炎の魔物はすでに彼の仲間達によって討たれた後であった。

 

 彼が安堵のため息を漏らすと、仲間達は心配そうに、そして痛烈に彼を叱咤する。

 ごめん、と青年はすぐに謝罪するも、その言葉は重々しい。

 そのはずだ。なにせ、同じようなことがすでに三度目なのだから。

  彼の挙動に精細が欠かれ、いつもどこかを見るような、ここで居るのではないような雰囲気をさせているのは、ここ数週間のことだった。

 

 強者達を迎えるマグマたちは、そんな彼らの様子にも変わることなく、ぐつぐつと歓迎の宴へと興じている。

 無機質なその音は、彼の無様さをあざ笑うかのように。

 

 ダンジョンは、まだ更なる奥へと続いている――。

 

 

        ◇

 レミットには、最近感じていることがあった。

 「避けられている」

 仲間達に――では無い。

 その関係は、『前回』以上に良いといっていい。

 それは、レミットにとってはすでに長い付き合いでもあり、彼女達の様々な傷や重しを理解している、ということもあるにはあるが、なによりも人間としての成長が成したものであろう。

 そして彼女は幼いながら、確かにそれは王族としての才であった。

 本当に大事な者との信頼関係は、己が信を預けない限り生まれない。単純にして唯一の真理を、彼女は知識としてではなく本質として感じ取っていた。

 だから、今回の冒険も、前回と同じくただただ真摯に彼女達とぶつかり、そして結びついた絆であった。

「ねえ、アイリス――私、なにかしちゃったかな」

 だが、やはり彼女は、その体通りの未成熟な少女であり、ただ一人との関係に心を揺らすのは、当然のことであった。

 不安に駆られ、問いかけるのは、王佐の才すらあるはずの、レミットがもっとも信頼する侍女アイリス。

 普段、おろおろとしているアイリスであるが、そんな消え入りそうな主の様子に、今は何があっても支えなくてはと、気丈に振舞う。

「いいえ、姫様。……私が気づく範囲では、何もなかったと思います」

 いつに無くはっきりと、そして力を込めて、そう告げる。

 それが事実であると、主が納得できるようにと。

 

 レミットは、アイリスに語りかけたとき、「誰に」ついてのことなのか、一言も言ってはいない。

 だが、その人物が「誰」であるのかは、長年共にいたアイリスでなくとも、たとえばパーティの仲間達であっても、簡単に理解できたことだろう。

 レミットの視線の先に、彼が居る。

 たとえその場に居なくても、彼女の歩む先に彼が居る。

 それは、パーティの皆にとって、すでに当然の事実として認識されているのだから。

 自分達の様々な心の束縛を断ち切り、信頼にたるリーダーは、自分達よりはるかに子供であるはずの我侭な王女様。

 この小さなリーダーが持つ静かな決意と青年への熱い想いを。

 それぞれがレミットに心の枷をはずされ、こだわる物がなくなり、ようやく前を向くことができたからこそ気づけたことかもしれない。だから、彼女の仲間達は、決して口には出さないまま、レミットを応援しているのだから。

「そっか……そうよねぇ」

 ほう、と、レミットが小さなため息を一つ。だが、この意思強き少女は、すぐに顔を真剣なものに変えて、己を鼓舞するように言う。

「でも、そうね。今は……この双面山のダンジョンに、意識を向けましょう」

「はい、姫様」

 答えながら――アイリスは悩む。彼女にはわからない。

 いったい、何故こんなにもレミットが彼を気にするのかを。

 はじめは、いつもの我侭からの家出じみた旅行だったはずだ。

 しかし、冒険者達にとって「始まりの町」と呼ばれるパーリアで一度見失ったときを境に、彼女は「彼女らしさ」を失わないまま、確かに何かが変わっていた。

 それも、おそらくは良いほうに。

 本来、それは喜ぶべきことなのだろう。

 落ち着きが生まれ、思慮深くなり、慈愛を持ち、他人を思いやり、そして導き、決意を湛え、前へと進む意思がある。

 今ならば、けっして他の王位継承者たちに負けないだけの王才である。権力争いに巻き込まれる可能性が増える、という心配はあるが、少女の成長そのものは、侍女たるアイリスにとっても、喜ばしいことであるはずだった。

 けれど――と、アイリスは思う。

 恐れ多いとはわかりながら、なおレミットを大切な家族だと思う、彼女だからこそ、強く思う。

 それでも、レミットは、こんな風に悲しく笑うことは無かったと。

 そして、その原因が「彼」にあることがわかるから、彼が憎々しい。

 だって――自分の手を離れていくかのような成長をさせたのも、きっと「彼」だろうから。

 

 八つ当たりだとはわかっていた。

 それが、主であるレミットを欺くことになるとも思っていた。

 だけれど――。

 

 ぎり、と、アイリスは唇を噛む。

 

 あの夜、レミットがうつむきながら泣く様に言葉を溢した時、「彼」が音もなく立ち去っていったことに気づきながら、それを主に語ることはなく。

 

 

 この「裏切り」と言ってしまうには悲しすぎる小さな、本当に小さすぎる嫉妬が、もう一度大きな悲劇を生んでしまうことを、今は誰も気づけない。

 

 

        ◇

 

 その決戦は、旅の中でも一、二を争う熾烈なものとなった。

 

 回って囲んで!

 補助魔法をこっちに!

 いっけー!

 

 幾重にも重なる冒険者達の必死の叫びが、敵の強大さを証明している。

「くっそ……さすがに最後の魔宝の守護者だな……でも、勝てない相手じゃない。皆、がんばってくれ!」

 青年の声に、「はい!」と力強く答える仲間達。

 彼の言葉は、決して仲間の覇気を高めるためだけの、虚勢ではない。

 すでに数ヶ月にわたった冒険は、彼と、彼女達の技巧、魔力を、一流というに限りなく近いものにたどり着かせつつあった。

 それには、魔宝の影響が強く存在している。

 魔宝が持つ膨大な魔力の加護か、彼らが行う鍛錬や経験は、恐ろしい勢いで血と肉、そして力となる。

 特にダンジョンでは同時に潜っている他パーティの魔宝とも影響しあうようで、青年、レミット、カイルの全てのパーティがその力を如何なく発揮している。

 実際、青年の故郷においては悪鬼、魔人とされる炎の精霊、イフリートを相手に、確かに青年のパーティが押しているのだ。

 それでも、決して油断はできない相手で――

 

「ウォーター・レストレイション!」

 

 ちりちりと青年の肌が焼かれ、痛みにバランスを崩しそうになったとき、不意の「水」の補助呪文が青年を包む。

「レ、レミット?」

 呪文の声は、青年が決して間違うことの無い、金髪の少女のもので、彼は戸惑いながらも体勢を立て直す。

 安全と思われる距離をイフリートからとり、そちらに目を向ければ、案の定レミットが息を切らせながら走りよっていた。

「よかった……ほんとによかった……無事だった」

 ダンジョンで、他パーティを支援すること、されることは、初めてではない。

 それでもお互い競い会う同士ではあって、こんな心からのレミットの安堵は、青年にとっては驚愕に値するものだった。

 なぜなら、彼女は明らかに「魔宝」のことではなく、「青年」の無事を求めて急いできたとしか思えなかったのだから。

 

 「前」のことを秘密にしているレミットにしてみれば、それはらしからぬ失敗だっただろう。

 しかし、彼女にとって、ここは全ての因縁の地である。

 平常心でいろ、というのが無理なのかもしれない。

 本当は、経験済みのダンジョンの知識をもって、先に守護者を倒してしまおうと思っていたのだ。最悪、無条件で共闘をするつもりだった。

 実際、ここまでのダンジョンで、彼女はそうやって有利に攻略を進め、いくつかにおいて成功をしていたのだから。

 だが、初期の低級ダンジョンでこそ大きなアドバンテージを誇っていたが、後半になるにつれ、そう簡単な話ではないということにレミットは気づく

 記憶も細部まで完璧ではないし、分かれ道で「こちらにはモンスターがいる」とその道を避けても、もう一つの道にはより凶悪なモンスターが居たこともある。「前」にはかからなかったトラップに今回はかかってしまう、ということも少なくない。

 知識があることで生まれる「不自由な選択」は時に足を引っ張っていた。

 このダンジョンでも、先回りをしようとしてトラップを踏み、さらにモンスターとの連戦が発生したため、青年達に大きく遅れを取ってしまったのだ。

 

「手助けするわ! 魔宝は譲るから、お願い!」

「あ、ああ!」

 青年にとっては、願ったり叶ったりな「お願い」だったが、レミットにはなにもメリットがないはずだ。

 だが、今それを考える余裕は無い。

「ライトニング・ジャベリン!」

 レミットが放った雷の槍が、イフリートの胸元を貫くと、魔人の体が震え、大きく前のめりに崩れる。

 絶好の好機、と、青年は手に馴染んだ剣を高々と振り上げ、

「りゃあああああああ!」

 魔人を切り裂いた。

 

 

        ◇

        

 それは――青年にとって安堵した瞬間だった。

 そして、いつもどおりのはずだった。

 

 最後の敵が完全に倒れたことを確認し、魔宝を手に勝どきを上げ、先を越すことができた青年は、後から来たレミットに「へへーん」と笑いかけるのだ。

 それは、半分は本気で、半分は冗談のいつものことで――そしてなにより、少女への照れ隠しの意味もあったかもしれない。

 ともあれ、そんな青年の行為に怒ったレミットが彼を追いかけ、捕まって、「バカにするんじゃないわよ!」と笑いながらも軽く悪態をつく。

 

 そんな、いつものことのはずだった。

 だけれども、このときの一度だけは、レミットのあの夜の言葉が、全てを狂わせた。

 

「私は、その人を失いたくない。離れたくない。それだけは、きっと、変わらない」

 

 レミットは、そう言った。確かな、強い決意で。……だから、思ってしまった。

 「帰る」為の冒険を仲間としながら、この世界の住人である「レミット」を恋しく求めてる――そんな中途半端な思いの自分より、真なる願いを持つ愛しい少女に、この魔宝は譲るべきではないか、と。

 

 だから、青年は、それを見逃したのだ。

 青年の前で倒れる、破壊を司る火の守護精霊、イフリート。

 その目の怒りの炎が、まだ消えていなかったことを。

 

 自分でもどんな顔をしたら良いかわからないまま、後方で支援していたレミットに振り向こうとする青年。

 「前回」の轍を踏むまじ、と、イフリートから警戒の視線をはずさなかった少女。

 宝を奪おうとする不届きなる人間に罰を与えんと、最後の力を以って燃えさかる槍を掲げる魔人。

 その矛先は、泣き出しそうな顔を見せまいと唇を噛む、少女にとって大切な青年に向かっていて――

 

「え?」

 

 びしゃ、と、青年の体になにかが降りかかり、彼はうめくように声を漏らす。

 気づけばそこには自分を押し倒し、苦悶に顔をゆがめながら、それでも微笑んでいる、少女の姿があった。

 何が起きたのだ、と、頭が理解する前に、少女が舞うような血漿を口から吐いて――

 

「……レ……レミット……?」

 

 ……もし、あのときアイリスが、走りさっていく青年のことをレミットに告げていたのなら、また別の結果があったのかもしれない。

 だが、このときすでに全ての因果を基に譜面は出来上がっていて――そしてメロディは、その譜面どおりに奏でられる。

 

「……あ……うぁ……うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 青年の絶叫を、その嘆きの歌のヴォーカルへと変えて。

 




明日また投下


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第四話 『咎人の慟哭』

        ◇

        

 あか。

 アカ。

 赤。

 

 愛しい青年に少女が初めて抱きしめられたのは、美しい湖畔の木陰でも、優しく照明が影を映しだすベッドの上でもなく、地獄のようなマグマが踊るダンジョンの中。

 

 夕焼けの色。

 情熱の色。

 血の色。

 

 青年が愛しい少女を初めて抱きしめた感覚は、小さな双丘の柔らかさでも、甘く艶やかな吐息でもなく、流れ出ていく液体に徐々に強張り震え始めた硬い全身。

 

「……レ……レミット……?」

 

 何が起きたかわからないまま、彼女の背中に手を回して、その手がぬるりと『肌』の上をすべる。

 その背中は、服が焼け焦げ素肌が晒され、灼熱に犯されていた。

 

「だい……じょうぶ?」

 

 レミットが、笑顔で問いかけたが、青年はまだ現状を理解できない。

 だって――それは、青年が少女に言うべきことだからだ。

 あってはならないことだからだ。

 あるはずがないことだから――

 

 けふっと、少女の口から赤い液体が舞う。

 幻想的で美しくすらあるその光景が、現実のものだとようやく理解し始めて、

 

「……あ……うぁ……うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 青年は、吼えた。

 

 

        ◇

        

 誰も何も言葉を発しない。

 聞こえてくるのは、静かな空間に、小さな啜り泣き、誰かが落ち着き泣く歩き回る靴音、耐え切れなくなったように壁をドンと叩く音。魔族の青年の、いらだったような舌打ち。

 そこにあるのは、温かみの無い無機質な音だけ。

 全てのパーティのメンバーが、宿屋の待合室で、一人の少女の無事だけを祈っている。

 

 もう、何時間が過ぎただろうか。

 レミットがその生命の淵で戦っているだろうその部屋の中では、回復魔法に長けた者や、医術の知識のあるものが、己の持ちえる全ての技術をもって少女の命を支えているはずだ。

 

 がちゃり、と不意にノブが回る音が響き、全員が一斉にそちらに顔を向ける。

 中から、暗くはあるが、だが確かに安堵が見て取れる顔で、治療メンバーと侍女長アイリスが姿を現した。

 聡く冷静だった者は、その時点で同じように安堵の吐息を漏らした。

 もしも、あの小さな王女が、その胸の鼓動を止めたのであれば、治療メンバーはもっと辛い顔をしているだろうし、なにより主従を越えた愛敬を持っているアイリスが、取り乱さないはずが無いからだ。

 ただ、疲労だけとも思えない、その顔の暗さに、何があったのかと不安に胸がざわめいていた。

 

「レミット…レミットはどうなった?」

 

 それまでうつむいたまままったく動かなかった青年が、時を止めたままの皆を代表するように、問いかける。

 それを、やはり医療メンバーの代表をするように答えたのは、アイリスだった。

 一度、自分を落ち着かせるためか、胸に手を当てて大きく息を吸い、

「……一命は、取り留めました。私と楊雲さんの魔力が尽きてしまったので今日はここまでですが、明日、明後日と今日と同じように回復魔法をかければ、おそらく傷は完全に塞がる筈です」

 先ほどとは違い、今度は全員が安堵に緊張を解く。

「よかった……ほんとうに……」

 本当に、全身の力が抜けたのだろう。青年は膝から崩れ落ちるように床に手を着き、言葉を繰り返す。

 だが、非常な言葉が、すぐにアイリスから発せられる。

「まだ、安心されるのは早いです」

「えっ……」

 声を詰まらせながら青年が顔を上げると、沈痛な思いで顔をゆがめている、侍女の姿。

「えと……火傷の痕が…消えない、とか?」

「いえ、魔法の炎だったので、イフリートが消滅すると同時にそれも消え、火傷は表面上だけで済みました。こちらは、魔法で消せると思います。……ただ、重要な臓器を傷つけなかったのは奇跡だったでしょうが、炎の槍は背中からかなり深く突き刺さってしまったので、そちらの傷痕は……一生消えることはないと思います」

「そう、か……」

 確かに、背中とはいえそれは女性にとって非常にショックなことかもしれない。

 だが、アイリスの表情が、苦しむべきはそのことではない、と伝えている。

「ですが、問題は、そのことではありません」

「……」

 予想していたことだが、それだけであって欲しいとかすかに希望も持っていた。しかし、現実はやはり冷たい事実を突きつけてくる。

「姫様は……熱に侵されました」

「熱に……侵された?」

 言葉の意味がわからず、オウム返す青年。そんな彼に、どう説明したものか、とアイリスが言いよどんでいると、

「そこからは……私が説明します」

「楊雲?」

 長い黒髪を携えて、ゆっくりと青年に近づく少女、楊雲。

 世間では不幸を運ぶと噂され、無理解から忌み嫌われるという、影の民。

 だが、皆は知っている。

 彼女が、誰よりも優しいその心を痛めながら、人から誤解を受けながらも、人を救おうとその力を振るう覚悟を持ったことを。

 そして、その知恵と能力の、大いなる力を。

「レミットさんの傷の治療は、無事に終わりました。しかし、その体に、イフリートの魔力が入ってしまったのです」

「それは……どういう問題があるんだ?」

「魔力の炎は、その言葉どおり魔力によって燃えています。ランタンの油が切れれば火は消えるように、魔力が途切れれば消えるのです。そのおかげでレミットさんの肌を焼いていた炎はすぐに消え、火傷は軽症ですみました。ですが……」

 一瞬止まる、楊雲の言葉に、疲労を隠さないままの学者人、メイヤーが言葉を続ける。

「炎の槍がレミットさんに刺さり、その瞬間に魔力が途切れたことで、魔力の炎はすぐ傍にあった別の魔力を糧にしたのです」

 それは、レミットの体内、血液によって巡る、彼女自身の魔力。

 楊雲が、首を振って口を開いた。

「本当は……こんなことは、まず起こらないんです。人の魔法も確かに魔力を伴いますが、その主体は『すでに発生した』炎、氷そのものであって、魔力は補助に過ぎません。しかし、イフリートは存在自体が魔力そのものであり……なによりレミットさんの魔力が人の身においては桁外れに大きかった」

 仮にも、王家の血を引くレミットである。まだ使いこなすことができていないだけで、潜在的な魔力は、一般人のそれをはるかに超えるとは、アイリスの言だった。

「それでも……そういう『可能性』の要素はいくら大きくても……レミットさんの魔力が侵されたのは、本当に小さすぎる偶然で起きた、不幸でした」

 目を伏せる、楊雲。

 いつになく饒舌に、それだけ必死だということだろうが言葉を連ねた少女。

 だが、説明は終わりではない。肝心のことは、まだ何も楊雲は言っていない。

「説明は、もういい。何故そうなったのかは、どうだっていい。……それで、レミットはどうなる」

 だから、青年はその先をなかなか口に出さない、影の民の少女に、八つ当たりとわかってはいたが苛立たしげに問い詰めた。

 んっ、と、少女は一瞬息を詰まらせ、

「熱の原因は、体全身で起きる微細な魔力の燃焼。そして、燃焼によって燃やすのは、魔力と……そして生命力。人の身であれば、1ヶ月もちません」

 

 

        ◇

        

「んっ……」

 寒い。

 それが、レミットが目を覚ましたときの最初の思いだった。

 額に、何か冷たいものが乗っている。

 どうやら氷水で濡らしたハンカチらしい。

 だが、不思議とその場所のほうが暖かく感じてしまうのは、どういうことだろう。

 そんな疑問を持ったまま、気配を感じて目を動かすと

「レミット……よかった、気がついたか」

「え……ええ?」

 視界に飛び込んできたのは、少女が恋焦がれる、青年の顔。

 いつものように、顔が急激に熱くなって――熱い。

 全身が、熱い。

 少女は、いつにない体の火照りが、決してあの胸が切なくなる大切な感覚とは別のものだと、瞬時に理解した。

 これは――何かがおかしい。

 熱いのに、寒い。

 額は、冷たいのに、暖かい。

「あ、あれ?私、どうして……ってアンタ、大丈夫だった?」

 それは、こっちの台詞なんだが、と、青年は苦笑しながら、「お前のおかげで無事だ」と告げる。

 そんな青年の様子に心底安心したように、少女に美しい笑顔が生まれた。

 いつもなら、青年にとって見惚れてしまうものだろうが、今は、そんな気分にはなれず、作り笑いに似た顔でレミットを見守っていた。

「ね……それで、ここはどこ? それに、私はどうなったの?」

 少女の問いかけは、当然のことだろう。だが、青年はそれに対して、非情な現状を伝えなくてはならない。

「なあ、レミット……落ち着いて、俺の話を聞いてくれ」

「……?」

 

 そして、青年は、ゆっくりと語る。

 あのとき、何が起こったのか。そして、少女の身に何が起きたのか。……そして、このままだとどうなってしまうのか。

 ひととおりのことを話しながら、青年はレミットの顔を見れなくなっていった。

 自分を助けたせいで、命が尽きようとしているという事実。

 事実を告げるたびに、自分の心が切り刻まれるような痛みを感じたが、それから逃げるわけにはいかないと、時折唇をかみながら青年は続けた。

 それが、まるで自分に与えられた罰であると、思いたいがために。

 

「そう……そうなんだ」

 レミットに罵られることを覚悟して、ようやく青年は顔を上げると、

「……え?」

 信じられないほど穏やかで、そして何かを達成したかのような心のそこからすっきりとしたような、そんな顔で笑っている、レミットの姿。

「アンタは、無事、なのよね?」

「ああ、さっき言ったとおりだ」

「うん、よかった。本当に」

 それで、全ては解決したと言うように、レミットは頷く。

「な……んで」

「え?」

「なんで、責めないんだよ!」

 青年は、罰を受けたかった。だから、心の痛みを罰だと思いたかったのだ。

 誰も、青年を責めなかったから。

 彼女のパーティも、アイリスですらも、何一つ青年を責めなかったから。

 感情を抜きにそれを判断するなら、責任はレミットにある。

 たとえ、それが誰かを助けるためであっても、自身の行動の結果を背負えるのは、自分だけなのだから。

 それが、冒険者のルール。どれだけ幼子であろうと、自らを危「険」を「冒す」者と名乗る以上、絶対の契約だ。

 それを、どれだけ諭されても、どれだけ、慰められても。

 青年の心は見えない牙で突き立てられていく。

「責めればいいじゃないか!罵ればいいじゃないか!……俺のせいだって! ずっと気が抜けていた俺が悪いって!」

 自分が救われたいがために、罰を求める。それが、どれだけ浅ましいことか自分でも自覚していたが、青年はそうするしか思いつかなかったのだ。

「なんで……なんで、俺をかばったんだ。お前には、俺なんかより大切な願うべきことがあるはずじゃないか……」

 一瞬だけ、レミットがびくりと体を震わす。

 だが、レミットは、自分以上に震えて、声を詰まらせる青年を見つめる。

 そして――

「そっか……自分が、許せなかったんだね。……大丈夫、貴方の罪は、私が全部背おって、許すから」

 レミットは、ベッドに体を横たえたまま起こした上半身から手を伸ばし、青年の頭を胸に抱く。

 始めは優しく。そして、徐々にこめる力に確かな想いを込める。

 レミットには、青年の気持ちが、完全に理解できる。

 なぜなら、今の青年は、『前』の自分そのものなのだから。

 違うのは、あの時は、青年の姿がもう無かったということだけ。

 だから、わかる。

 何が悔しくて、何が許せなくて、何を求めているのか。

 そして、だからこそ、言って欲しくない言葉がある。

「お願い。二度と『助けなければよかった』なんて言わないで。それだけは、絶対に許さない」

 だって、それは――私を助けた、貴方をも冒涜することになるから。

「……ぁ…うあぁぁ……」

 優しく、青年の髪を梳くように撫でるレミット。そうするたびに、少女の小さい胸の中から聞こえる青年の嗚咽が、大きくなっていく。

「ごめんね……つらかったよね」

 

 異世界に飛ばされた理不尽への不安、冒険の中の痛みや苦しみ、レミットへ想いを告げられない切なさ。そして、呪っていた自分の愚かさ。

 全てが、この愛しい少女に溶かされて――

 

「――うぁぁぁぁ!」

 

 青年は、この異界の地で、初めて、大声で、泣いた。

 

 



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第五話 『願いは叶う』

        ◇

        

 ――それでは、貴方の願いを――

 

 少女にとっては懐かしく、他の者にはついに到達した、終わりの地。

 イルム・ザーン・大庭園

 

 そこに、今、ひとつの奇跡がある。

 どんな願いでもかなえる、「暁の女神」という奇跡が。

 それを求め、この瞬間のため、彼ら、彼女らは旅を続けてきた。

 

 

 ――魔宝を集めし者よ。願いを求める権利を手に入れた者よ。その魔法陣に立ちなさい。

 

 

 ごくり、と誰かが唾を飲み込む音がする。

 その人物は、思いつめた表情のまま、一度後ろを振り返る。

 そこには、長い間旅を共にしてきた、仲間といえる人たちがいた。

 いつになく真剣な顔で、吟遊詩人の肩に止まっている妖精。

 始めはライバルとして争い、そして手を貸した者達。

 その全てが、自分達を支えてくれた人たち。

 

 その誰しもが、「さあ」と先を促している。

 

 青年は、一度だけ「こくり」と頷き、背負った少女が目を覚まさないように、ゆっくりとその一歩を踏み出した。

 全ては、このときのために、それはある。

 

「暁の女神に願い、レミットを救う」

 

 それが、夜通しレミットを看病した青年が、翌日に皆に言い放った、最初の言葉だった。

 誰も、それに異を唱えない。

 それは、青年が言うまでもなく、全員の意思だった。

 魔族の青年が、「ふん。次にオレ様が願いを叶えたとき、悔しがるやつが減るとつまらんからな」と言っていたのが、彼らしい。

 そこからは、あっという間のことである。

 確かに、大庭園までのダンジョン、モンスターとも、かつて無い凶悪なものだった。

 だが、それまでは3つに別れて競い合った3パーティが、「一つのパーティ」となって一致団結したのだ。

 熱にうなされ、徐々に体力の落ちていくレミットをかばいながらの進行であったが、錬度もスピードも士気も、かつて無いほどの勢いであり、最後のガーディアンなど少しかわいそうなくらいに圧倒的火力で破壊されたのである。

 本来なら少しでも体力を温存するために寝かせておくべきレミットを、あえて生命力を減らすリスクを覚悟をして背負いながら来たのには、訳がある。

 ロクサーヌの弁では、基本的に願いはパーティの代表者が行うべきであることと、魔宝を今まで集めてきたのが実質上「3チーム」であることである。

 もし、レミットがその場に居ないため、暁の女神を呼び出せない、願いが叶えられないという事態になることを、恐れたのだ。

 熱に浮かされるレミットを過酷な旅とダンジョンに連れて行くのは忍びなかったが、レミット自身が

「絶対に私を連れて行って」

 と言ったこともあり、こうして大庭園の地には、魔宝を求めた全ての者が集ったのであった。

 各町に着くたびに、青年はレミットの看病を申し出て、時には夜通し傍にいようとしたのをアイリスに止められたのには、全員苦笑するしかないだろう。

 とはいえ、アイリスにしても青年とレミットの同衾を心配したわけではない。

 むしろ、今では大切な主である少女を任せるなら、この青年しかいない、とまで思っている。だが、だからこそ、だ。

「貴方まで倒れたら、誰が姫様を支えるんですか!」

 と、彼女らしからぬ大声で怒鳴ったことは、他の少女達にとっても同じ思いであった。

 

 そして、今、こうして辿り着いた、願いの地。

 青年は呼び出された暁の女神に促され、足を進める。

 魔法陣は、『あの時』と同じように、生暖かな空気で青年と少女を包む。

 

 

 ――――さあ、願いは決まりましたか?

 

 

 暁の女神が、優雅に微笑んだまま、そう語りかける。

 青年は頷く。

 当たり前だ。願いは、はじめから決まっている。それ以外の願いに、なんの価値もないのだから。

  

  

 ――――知っているかもしれませんが、願いはかなうとは限りません。これまでの貴方の行い。そして、願いの大きさによって、左右します。

 

 

「ああ、だが、これしかない。俺の願いは、今背負ってる少女――レミットが侵しているイフリートの熱を、取り除くことだ」

 青年は、搾り出すように、その願いを告げる。

 そうだ。メイヤーに、楊雲に、様々な文献や秘術に頼っても、魔人の魔力に侵された人間を救う術が見つからなかった。だから、彼らにはこれ以外に手段が無い。

 人には無理であるのなら、『貴方』に賭けるしかな――

 

 

 ――――願いはわかりました。そして、断言しましょう。貴方は、その願いを叶えることはできません

 

 

「えっ?」

 青年だけでなく、全ての者から、戸惑いの声が上がる。

 

 

 ――――これは、本来ならば伝えることではありませんが、貴方の想いの強さ、それがわかるからこそ、特例で告げます。

 

 

 暁の女神は、閉じたままの目でありながら舐めるように全員を見回して、

 

 

 ――――願いは、魔宝を集めるまでの貴方達の行い、そしてなにより、どれだけ魔宝を手に入れたか。つまり、魔宝を所有する権利分だけ叶う可能性が高まるのです。

 

 

「あっ……ああっ!!」

 魔宝を手に入れた数。それは、レミットが3、カイルが0、青年が……2。

 

 ――貴方が手に入れたのは、二つ。しかも、そのうち一つは貴方が背負っている少女の命をかけた献身により手に入れたものです。故に、本当に僅かですが魔宝1つ分を満たしません。これで叶えられるのは、人の力でもどうにか叶えられるものまでです。僅かとはいえ人より強大な魔人の魔力のくすぶりを完全に消すことはできません。……その願いは、叶わないのです。

 

 ロクサーヌが言っていた。

 暁の女神は、ただの願いの受付係であると。

 魔宝という膨大な魔力と、願う者の想いを用いて、願いを現実化する為の媒体に過ぎない。

 そしてそれが可能かどうかは、女神の自身の意思とは関係がない。

 そんな彼女が、こうして受付以外の情報を与えてくれるのは、本当に例外中の例外であり、「彼女の意思」なのだろう。

 だからこそ――その言葉は確かであり、残酷だった。

 

 青年は、呼吸ができなくなったような錯覚の中、思考を走らせる。

 あきらめる? そんなバカな! もう、時間が無い。レミットの体力は、すでに限界に近いのだ。

 だが、でも、魔宝が足りないのは事実で……いやまて!

「そうだ!」

 閃く。それは、考えてみれば、簡単なことだった。

「願いをかなえるのが、魔宝を2つだけの俺ではなくて――」

「私が……望みを、願えば……いいのね?」

 息を絶え絶えにしながら、背中のレミットが青年の言葉を続けた。

 

 

 ――――はい。それでも、叶うと断言はできません。ですが、可能性は十分にあります。貴方がその望みを迷い泣く、心から願うならばきっと叶うでしょう。

 

 

 女神は、言葉と共に頷いた。

 

「レ、レミット? お前、起きたのか?」

「ちょっと……前から、ね」

 苦しみの中青年に笑顔を向ける、そんな少女が痛々しい。

 彼女は、ゆっくりと青年の背から降り、多少ふらつきながらもしっかりと大地に立つ。

「暁の女神様……私が、先に願いを求めます。かまいませんね」

 神々しさを放つ女神を前に、堂々と真正面から立つ少女は、ああ、確かに彼女は王の血を持っているのだと、後ろで見守るパーティの皆が思う。

 青年も、そんな彼女に、口を出せず、ただ見守る。

 

 だが、そこには確かな安堵がある。

 女神は、言ったのだ。

 「心から願えば、助けられる」と。

 だから、皆は皆は力が抜けたようになりながらも、レミットが願いを口にするのを待って――

 

「暁の女神様。……私の、願いは――」

 

 そして、誰しもが耳を疑った。

 

 

 ――――本当に、それで、いいのですね?

 

 

 女神の問いかけ。レミットは、迷うことなく、はい、と答える。

 

「彼を、元の世界に戻してあげてください。そして、できれば、私のことを忘れさせてあげて。それが、私の、心からの願いです」

 

 命が尽きかけている少女の、力強いその言葉は、誰もが、信じられないものであり、当然のように青年がレミットに駆け寄って問いかける。

「な、なんでだ。……なんでだレミット!?」

「ごめんね? でも……これしか、選択肢がないんだ」

 ペロ、と、いつものいたずらが成功したときの、舌を出した微笑み。

「ふざけんな! 俺は、お前を犠牲にして戻るなんてできるわけないだろ!」

「……ううん、違うの。本当に、選択肢がこれしかないの。……ね、暁の女神様。…もし、願いを叶えるのに魔宝の数がギリギリで…そして、その上で願いに迷いがあったら……その願いは叶う? つまり、私に迷いがあったら、イフリートの魔力の除去は、可能なのかな」

 

 

 ――――いいえ。

 

 

 はっきりと。簡潔に。

 

「……っ」

 驚愕の声を上げる青年。

 だが、レミットにとって、それはすでに知っていた知識である。

 『前』のとき、決して願いを失敗をしないために、仲間達総出で王家の文献まであさって、魔宝と暁の女神について、調べたのだから。

 人智を超える願いの為に必要な魔宝は、最低でも3つという、その事実を。

 レミットは少しだけ彼との距離を詰めて

「あのね……私は、ずっと考えてた。私は、アンタを、元の世界に帰してあげなくちゃって……その手伝いがしたいって……」

 何故、という青年の思いは、言葉にはならない。今、彼女の言葉を聞くべきだと思考の外から理解している。

「でも、悩んでた。それで、アンタと別れるのが、辛かったから……そのためにアンタが魔宝を手に入れるのを邪魔しながら、ずっと、悩んでた」

 

 ――私は、その人を失いたくない。離れたくない。それだけは、きっと、変わらない。

 

 あの夜、そう呟いたレミット。

 それは、自分のことではなかったはずだと、青年は思っていたのに――

「でも、でもね? 私は、アンタにもう、この世界のことで苦しんで欲しくない。傷つくところは見たくない。あの夜、アンタが私の胸で泣いてくれたとき、私はなによりもそう思ったの」

 それは、もう、仕方ない。

 そう、思ってしまったのだから、どうしようもない。

「それでも、アンタといる時間がもっとあれば、私にもっと時間があったら、それは変わったのかもしれない。間違っている願いだって、わかってる。でも今の私は、自分の命よりも、それを願っている。だから――たとえ今、助かりたいって願っても……それは、絶対に叶わない」

 単純な話である。

 ただの、詰みだ。

 青年、カイルでは、レミットを助けるような願いは叶えられない。レミットには、青年の帰還以外に叶えられる願いが存在していない。

 だから、これしか、選択肢がない。

 ふざけるな、と、青年が叫ぼうとしたときだった。その姿が揺らいだのは。

 誰かが青年の名前を呼ぼうとして、息を飲んだことで、青年も自分が光に包まれていくことに気づく。

 

「お………おい? うそだろ?」

「あ……よかった……私の願い、叶うみたい」

「やめろ!暁の女神!…………! 俺の願いだ!この願いをキャンセルしてくれ!」

 

 

 ――――無理です。他者が願いを打ち消すには、最低でもその願いを願ったものと同じだけの魔宝が必要です。

 

 

 冷徹な、しかし確かな答え。

「やめて……くれ……こんなの……ないだろ?お前を残して……お前を助けられなくて、向こうにいけるわけ無いだろ?」

「……大丈夫。私のことも、忘れると思う、から」

 

 レミットは、笑顔でいる。

 どんなに体が辛くても、どんなに心が苦しくても。

 彼の、『前』の言葉を、覚えているから。

 

 最後は、絶対に、笑顔でいる。

 

「……っん」

「んぅ…」

 

 薄れ行く青年に、接吻け。

 たとえ覚えていなくても、これくらい、残してもいいだろう。

 僅かな一瞬に、人生全ての想いを込める。

 唇と共に、一歩、彼から下がって――

 

「うん……やっと、わかった。私は、アンタが、大好き」

 

 最高の笑顔を、彼に向けた。

 

 

 

 消えていく青年。ようやく故郷に戻れる青年。

 だが、その顔は、悲しみと絶叫で染まる。

「うぁ……うわああああ! くそ! 絶対に、絶対に忘れねぇぞ! この世界を忘れない! 俺は、絶対に、お前を忘れない!……それが、俺の願いだ暁の女神!」

 悲鳴のような、その声は、発しているはずなのに、どこにも響かない。まるで、消えていく体と同じく、ここには最初からいなかったのだというように――

「……絶対に、忘れねぇ! だって、俺は、お前を――」

 

 

 

        ◇

        

 

        ◇

        

「――え?」

 

 

 起き上がると同時に、激しい痛みが、最初に青年を襲った。

 痛みに悲鳴を上げそうになるが、今の彼にとってはそんな暇はない。

 一瞬の意識の暗転があったが、そんなに時間はたってないような気がする。

 レミットは?ここは?と見回すと――

 

「おまえ……あぁ…よかった……」

「あ……目を……目……覚ました……うわぁぁぁぁん!」

 呆然とした表情から、安堵のため息をついた悪友と、感極まって泣き出した、幼馴染の少女。その横には、ナース姿の……実際に看護婦なのだろう、年の若い女性がいる。

 自分につながれた点滴の管、明々と照らされる蛍光灯の光。消毒液と包帯の匂い。

 だとすれば、ここは、病院の一室に間違いは無い。

 それも、あの魔法治療のある異世界のそれではなく、科学によって成り立っている、それは。

 人も、空気も懐かしい。

 だが、その感情は、青年になんの感動も与えない。

 

 だって――

 

「か、看護婦さん、呆けてないで先生呼んできてください!」

「あ、す、すいません! 先生!患者さんの意識が戻り――」

 

「……けるな」

「え?」

 

 静かなはずの、青年の呟きは、

 

「ふざけるな!」

 

 なぜか、病室に強く響く。

 

 

 

 

 

「俺を戻せ! 俺はまだ戻ってくるべきじゃねぇんだよ!」

 

 包帯でがんじがらめになっているそれを、振りほどくように立ち上がり、体についているチューブを無理やり引きちぎろうとする青年に、

「お、おい! どうしたんだ! 戻せって……お前はちゃんと意識が戻ったんだよ!」

 悪友の青年は、戸惑いながらもそれを必死に止めようとする。

 え、え、と、幼馴染の少女が呆けたように立ち尽くしている。

 

 だが、それがなんだというのだ。

 

 だって―

 

「放せ!早く、早く戻らないといけないんだ!!」

「落ち着け!おい、ほんとうにどうした?まだ混乱してるのか?」

「先生、早く、早くこっちに!」

 

 ここには――

 

「嫌だ! こんなのは嫌だ! 俺を返して…あっちに、『帰して』くれぇぇぇ!」

 

 

 

 

 

 

 レミットが、いない。

 




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第六話 『友として』

         ◇

         

 夢を見ている。

 それは、向こうの世界にいたときの記憶。

 

 レミットに事実を打ち明け、少女の前で声を上げて泣き、照れくさそうにしながら部屋を出ようとして、

「ああ、忘れていた、レミット」

 ずっと渡そうとして、渡せなかったそれを、青年はようやく彼女の前に差し出す。

「……? なに、これ?」

「見舞いの品」

「私が目が覚めるまで、アンタはずっとこの部屋にいたんでしょう?いつ買う暇があったの? ……正直に言わないと悲鳴を上げて『襲われた!』って皆に言うわよ?」

「……ゴメンナサイ、嘘つきました。いつも俺たちのパーティを助けてくれるお礼に買っておいたけど、今まで照れくさくて渡せてませんでした!」

 流れるような美しい土下座で額を床に押し当てる青年に、ちょっとだけドン引きしながらも、レミットはその小箱を受け取った。

「そっか……じゃ、じゃあ、プレゼント、ってことでいいのかな?」

「おうっ!……だけど、ついで、だからな? 俺のパーティの皆にも感謝のつもりでプレゼントはあげたから、そのついでだ」

 ありがとう、とレミットは一言嬉しそうに呟いて、箱を開ける。

 出てきたのは、水晶のネックレス。決して高価ではないだろうが、シンプルなつくりの割には細部の見えないところに細かい装飾が作りこまれている。

 王女であるレミットは、もっと高価で豪華、質のいい宝石のアクセサリーをいくつも持っていたし、実際につけてもいた。

 だが、この水晶を見たとき、なぜかソーブルの湖での、青年との思い出が脳裏によぎり、心に暖かいものが流れ込んでくるようで、少女にとってこの水晶のネックレスは最高の宝物となった。

「うれしい……本当に、嬉しい」

 泣きそうなまでに微笑んでいるレミットに、青年はどぎまぎしながら照れている。

「じゃあ、私も、『ついで』に、いつも助けてくれるお礼させてくれる?」

 レミットのそんな返答に、青年は「え」と戸惑いながら頷くと、少女は、着ているドレスの胸元をはだけさせて――

「ちょ、ちょっとレミット!? な、何のつもっぶっ?」

「顔赤らめてるんじゃないの!バカ!」

 青年の勘違いに気づき、顔を真っ赤にして枕を投げつけてその先を言わせないレミット。

「もう……ほら、手を出して?」

 枕をぶつけられた顔をさすりながら、青年が手のひらを出すと、そこに小さなブローチが置かれた。

「え? これ……」

「私が、子供の頃からずっとつけてた、アミュレット。……私が持っている物の中で一番大切……だったもの。王家の刻印入りなんだから、大事にしてよね」

「え、それって……すごいもの、なんじゃないの?」

「宝石だけならたいしたことないわよ? でも王家の刻印が入ってるから、王国内ならいくつかの施設の無条件利用と、属国で場所によっては国賓扱いされたり、いろいろ特権も使えちゃうと思う」

「お、おい、そんな大切なもの受け取れ……」

「受け取って」

 有無を言わさぬ、強い言葉。

「受け取って、欲しいの」

「でも、一番大切な物、なんだろ?」

「だった、よ」

 えへへ、と、自慢するように、青年が渡したネックレスを首につけながら、

「だって、ついさっき、一番大切な物はコレになったんだもの」

 そう、笑った。

 

         ◇

         

 これは、夢。

 向こうの世界での、青年にとって最後の優しい思い出。

 

 目が覚めたとき、青年は泣くだろう。

 なぜ、今のが夢であったのかと。なぜ、今俺は彼女の傍にいないのだ、と。

 ならせめて、夢の続きを見させてくれ、と。

 

 だが、その夢の続きが悪夢であることを、青年は知っている。

 大切な少女が失われる、悪夢だということを。

 

 それでも、どんな悪夢も覚めてしまえばそれまでだ。

夢だったとわかれば絶望は終わる。

 だが、悪夢から覚めてもそれが「夢だったと気付くこと」そのものがさらなる絶望であるなら――もう、青年に救いはない。

 

 

        ◇

        

 あの事故から三日目のことである。ノックもなしにその病室に入り込んできたのは、病室の主の友人であった。

「よう、元気か?」

「……ああ。見てのとおり、怪我だらけだけどな」

「違いない」

 青年の冗談に、彼は苦笑する。

 もっとも、冗談を言った青年のほうがまったく笑っていないことに対する、諦めにも似た笑いでは在った。

 怪我だらけ、とはいうものの、実際のところは大怪我、と言うことのほどではない。

 いくつか骨にひびが入っていることと、数箇所の打撲以外、大事に関わることはないらしい。もっとも、脳に大きな影響がないか、精密検査は後日行うそうである。

 ただ、面会謝絶ということもなく、こうして通常の面会ができることは、幸いなことだった。

「アイツは?」

「さっきまで見舞いに来てたよ。今日は平日なんだからちゃんと学校に行け、って言ったら、しぶしぶ行った」

「……今日くらいは多めに見とけよ」

「わかってる……けどさ、ボロ、出しそうなんだよ。俺が」

 何の、とは聞かない。聞くまでもない。

 それについては、昨日散々話したのだから。

「まあ、アイツにそんな話したら、二重の意味でぶっ倒れそうだからな。あの話を言うのは俺だけにしとけ」

「わかってる。……ところで、なんで二重? 異世界云々は、俺の頭を心配するだろうけど、もう一つは?」

「教えてやらねえ」

 異世界、という突拍子のない青年の言葉に、彼はもう驚くでもなく、いつものように軽口を返す。

 俺も、だいぶ頭がやられてきたのかな、とあの日の青年とのやり取りを思い返しながら、彼は皮肉げに唇を曲げて笑った。 

 

 

        ◇

        

 彼の元に、悪友である青年の事故の情報が届いたのは、講義をサボり漫画喫茶で昼寝をしていた金曜の午後のことだった。

 厚めの単行本を重ねた枕に頬をよせ、追試を受ける悪夢にうなされていた彼を救った、携帯の着信音

 自分と年下の悪友との共通の幼馴染である、彼女からの着信に、まどろみのまま出てみれば、聞こえてきたのは絶叫のような泣き声。

 一瞬で脳が活性化して、「どうした」と低い声で問いかける。

 文章どころか呂律すら回らないほど狼狽した彼女に、彼は落ち着かせる意味もあって、努めてゆっくりと、声を低くして声をかけ続ける。

 何かあったことは、それも極めて悪いことが起きたのは間違いない。

 でなければ、普段は少々ヒステリックながらも芯の通った彼女が、ここまで取り乱すはずがないからだ。

 それに――

「アイツに、何かあったのか?」

 泣き声が悲鳴から嗚咽に変わったのを確認し、彼は悪友である『青年』について問うた。

 何一つ情報が得られないこの状況で、彼は『青年』に何かがあったことを、ほぼ確信していた。

 彼女がここまで取り乱すような状況は限られている。

 だが、もし彼女自身、または彼女の家族や友人に何かあったのなら、物理的に不可能でもない限り、彼女は間違いなく一番に『青年』に連絡を取り、相談するからだ。これは推測ではない。確定されたことだ。

 さらに少女から『青年』に連絡が行ったのなら、取り乱したままの彼女ではなく、『青年』から自分へ連絡が来なければおかしい。こちらは推測だが。

 なのに、悪友の『青年』ではなく少女から自分に連絡してきたということは、『青年』に何かあった以外に考えられない。

「っえ……えぐっ」

 嗚咽は変わらないが、妙な振動音が一緒に聞こえた。おそらく、受話器を持ったまま頷いたのだろう。

「俺が質問する。それにだけ答えてくれ」

 変わらぬ嗚咽を、肯定だと認識する。

「お前は、無事なんだな? 安全な場所にいるか?」

 うん、とだけの返答

「お前は、今どこにいる?」

「ひくっ……雲野総合病院……」

 病院――ということは、病気……いや、事故か。少なくとも無事、ということはないのだろう。

 状況をきっちり理解したからこそ、彼女は精神的パニックに陥っているのだから。

 病院まで、近いというほどではないが、乗ってきたバイクを飛ばせば20分とかからない。

 ならば、彼女を落ち着かせて電話で事情を聞いていくより、実際に会い、現地で情報を得たほうがいい。そう判断して、彼はマナー違反だとわかりつつも、持ち出したコミックを机にそのままにしたまま会計を済ませて、駐車場のバイクへと向かう。

 バイクの前で、ぎりぎりまで情報を得ようと今までつないでいた電話を切る前に、一番肝心なことを、彼女に聞く。

 現地に着けばすぐにわかることだろうが、それでも、これだけは確認しないと、彼自身も平静ではいられないと思ったから。

「アイツは、生きてるんだな?」

 答えは嗚咽で聞き取れないが、頷いているような気配が伝わってきて、彼はひとまずの安堵の息と共に、バイクのエンジンに火を点した。

  

        ◇

        

 病院で、彼女からではなく――結局、取り乱して話が聞き取れなかった――医師から直接話を聞いた結果、青年は近所の工事現場で発生した建築機材の落下事故に巻き込まれたらしい、とのことだった。

 奇跡的にも大きな怪我はなく、いくつかの骨折と打撲と裂傷だけで、直接的には命に別状はないらしい。

 ただ、痛みのショックで気絶したまま意識が戻っておらず、頭を打った可能性だけが心配される、ということだった。

 青年には身寄りが無く、遠縁の親族もすぐにはこれないだろうということで、家族同然である二人は特別に泊り込みの付き添いが認められ、二人で見守っていたのだが。

 一時は意識不明だった青年は、翌日には一度意識を取り戻し――そして、直後に混乱からか暴れたことによる激痛で、再び意識を失った。

 そのさらに翌日に目を覚ましたとき、青年は再び暴れだしたのだが、ちょうど交代で見舞っていた彼が、『彼女』に電話でしていたように低い声で問いかけ続け落ち着かせると、どうにか話をすることができた。

 

 が――正直、彼には青年がおかしくなったとしか、思えなかった。

 

 

 異世界に行った。

 仲間となった少女たちと魔宝と呼ばれる秘法を集める冒険の旅に出た。

 そしてついには暁の女神の力で元の世界に戻って『きてしまった』。

 だが、大切な少女の命を救えないままでいる。

 

「だから、俺は早く向こうに戻りたい。……もう一度、あの工事現場に行く」

 冗談ではないのだと、長い付き合いの彼は理解する。

 だが、それはあくまで青年がそう思い込んでいるからであり、その話が真実だと思うからではない。

 それは夢だと、彼は青年に何度も言った。

 事故からまだ数日しかたっていないこと。

 事故直後に運ばれてからずっと眠っていたこと。

 そして、本当に、本当に自分もあの子もお前を心配していて、安静にしていて欲しいこと。

 

 その言葉に、青年は徐々に落ち着いていった。

 はじめは、青年が混乱から覚めたと、彼は安堵していたのだが、

 

「わかった。……誰も、信じてはくれないということが」

 

 と、そう言った青年の言葉に、彼は自分の心が折れる音が聞こえた気がした。

 愕然とする彼に気づいたのか、青年はそのまま言葉を続ける。

「……すまん。お前は正しいよ。俺とお前が逆の立場なら俺もきっと信じないだろう。そしてお前が信じていないのは『俺の話』であって、『俺』を信じていないわけじゃないってことも、わかってる」

 精神と言うのは、肉体と同じように当たり前に病むものだ。

 病んでいるのなら、それはまともには機能できない。

 自分の精神、思考が異常であることに、自分自身では気づけない。

 その判断は第三者がするしかないということは、青年は昔から理解していることだ。

 だから、親友の行動は正しい。そこで無根拠のままの話を信じるのは、信頼でも絆でもない。ただの阿呆だ。

「理屈ではさ、そうなんだろう。俺の話は、俺でもおかしいと思う。数日しか経ってないのに一年旅していたなんて、矛盾していることも理解してる。だから、きっと、ここでは俺は異常で、狂ってるんだろう。でもさ……俺にとって、それは現実だったんだよ。もし、あの世界のことを、あの冒険のことを、『アイツ』のことを現実じゃないと認めちまったら――俺は、狂う」

 詰んでるんだよ、と、青年は泣いた。

 その姿を見て、悪友で、そして何より親友である彼は、理解してしまった。

 青年の、話が、青年にとってどうしようもなく真実なのだと。

 青年は、自己が語る話について、何がおかしく、何が矛盾し、それがどれほど「非現実的」なのかを、ちゃんとわかっている。

 そしてその上で、それが現実と認識している、と語っているのだ。

 

 ある日突然、世界が変わったようなものだ。

 朝起きたら、自分の名前が変わっていたら、どうだろうか。

 ずっと山田として生きてきたはずなのに、ある日目が覚めたら、鈴木になっていたら。

 家族に聞いても、友人に聞いても戸籍を調べても、テストで自分が書いた名前を見ても、出てくるのは自分が「鈴木」であるという証拠だけ。

 自分の持っている思い出と家族や友人の持つ思い出は一致している。「苗字が違う」こと以外、なんら変わりはない。

 常識的に、すなわち世界の持つ現実に順じて考えるのなら、自分がおかしくなった、「山田」だと思っていたのは妄想だった、ということだろう。

 だが、自分の持つ現実に順ずるなら、「世界」が変わったのだ。

 その「世界が変わった」という結論が、どれだけ異常だとわかってはいても。

 

 それで、何が不幸になる、というわけではない。

 山田であることが妄想だったのだとしても、山田である世界が鈴木である世界に変わったのだとしても、慣れてしまえばいいだけだ。

 妄想であったと結論付ければ、その世界で生きていける。

 真実であっても、じゃあ鈴木でいいかと受け入れてしまえばそれだけだ。

 

 でも、それが決して変わってはいけないものだったら?

 それを否定することが、決して許されないものだったら?

 

 青年は、「詰んでるんだ」と言った。

 

 もし、経験したことが現実だとするなら、「この世界」の道理で矛盾する以上、それを認めるのは狂人でしかない。

 もし、夢や妄想だとするなら、それを受け入れた時点で「少女」を現実の存在として愛する今の精神は、崩壊する。

 

 本当の意味で狂っていたのなら、きっと青年は楽だったのだろう。

 理屈を無視し、異なる意見は耳にせず、自分だけの世界を見ていればいい。

 止めるものを愚か者と哂って敵視すればいい。

 ただ少女に会えないこの世界を呪っていればよかった。

 

 なのに、そうはならなかった。

 

 自分が「狂人」になる以外に選択肢がないなど、狂人でない思考を持つものには絶望でしかない。

 だから、彼は泣いたのだ。

 

 親友として、青年にかけるべき言葉が見つからない。

 当然だ。どれだけ青年にとっての真実だと理解しても、「自分」にとっては違うのだから。

 同情で話を合わせることは、青年を狂人として扱うことに他ならない。

 だが、青年の話を否定するのは、青年自身がその論理矛盾を理解している以上、傷口に刃をつきたてるのと変わらない。

 

 彼は悩む。

 自分は、いったいどうすればいいのか、と。

 

 親友なら、すべきことは決まっている。とにかく彼が元に戻るまで、必死に支えてやればいい。

 いつか妄想が消えると信じて。

 でも、それでは、駄目だ。

 きっと青年には、「妄想がなくなること」ですら、壊れる要因になる。

 その「妄想」は、どれだけ青年を傷つけようと、無くなってはいけないものなのだ。

 だが、だからといってその妄想をもたせ続ける支援など、親友がすべきことではない。

 

 そう――「親友」ではだめなのだ。

 

 ならば、どうするべきか。

 「親友」として接することが無理ならば――決まっている。

 

 

「そりゃあ……やっかいな女に惚れたもんだな」

 

 だから、彼は「悪友」として、にやりと笑った。

 

 

 なんていうことはない。これは、馬鹿な男の話なのだ。

 『世界』や『常識』なんてどうでもよく、『女』のためにどうするかという、男の愚かさそのままの、馬鹿な話。

 惚れた女が幼馴染だろうが、同級生だろうが、アイドルだろうが、外国のお嬢様だろうが、異世界のお姫様だろうが、たいしたことではない。

 どんなふざけた話だろうと、道化だからこそ応援できるし、そしてからかえる。

 「親友」なら止めるだろう与太話に基づいた恋愛も、「悪友」なら面白がって尻を叩けばいい。

 同情なんか、これっぽっちもしてやらない。

 ただ楽しいからという理由で煽りたて、嘘や妄想だと判明したらふざけんなと怒って殴り、まさかまさかで本当の話で恋がうまくいったら冷やかして、友達として好きだけど恋人はちょっと、とお決まり文句で振られたのなら指差して笑って慰めてやる。

 

 それだけのことではないか。

 自棄酒でも自棄喧嘩でも、祝宴でも慰め会の乱痴気騒ぎでも、いくらでも付き合ってやるさ、と。

 

 そんな風に笑い飛ばす彼を、青年は少し呆然と見た後――

「……お前――……ああ、うん。そうだよ。本当に、我ながらとんでもない子に惚れちまったよなぁ」

 そういって、泣きながら、笑った。

 

 自嘲気味に。

 それでも、確かな笑顔で。

 

 

 彼は、あの魔族の美丈夫のように――どこまでも悪友だった。

 かけがいのない、大切な、大切な悪友だったのだ。

 

 




次話は多分明後日投下


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第七話 『愛しき少女』

        ◇

        

 それは、新緑を携え、青々しい匂いのする、新しい季節。

 速やかに広がった空もまた青く、この世界の優しさを確かに伝えている。

「退院、おめでとうございます」

「ええ、ありがとうございます。」

 どこか子供っぽく、落ち着きのないナースの、それでも確かな祝福の声に、青年は顔をほころばせて答えた。

 見送りの儀としては質素なものだが、1ヶ月程度の入院ならそんなものだろう。

 手を振るナースに最後に会釈をして、振り返る。

 

 そこには、幼馴染の少女が少し不機嫌そうに、もう一人の幼馴染の男がニヤニヤとあごをなでながら、待っている。

 

 

        ◇

        

「ただいま……か」

 誰も居ない部屋に、青年の声だけがあった。

 長年暮らした安アパートだが、それでも彼の確かな「家」だ。

 そして、そこに戻りたくて仕方なかったはずなのに、何故こんなにもむなしいのだろう。

 

 そういえば、すぐそばに誰も居ない夜を過ごすなんて、久々なんだな、と、割とどうでもいいことを考えて嘆息する。

 向こうの世界では、一年間ずっと同じ宿、そして同じ空の下で、仲間達と過ごしてきたのだ。

 病院にしても、二人が泊まりこんで看病をしていた最初の数日を除けばすぐに大部屋に移り、誰かが常に居た。

 

 なんとなく、一人は上に、一人は下にと歳の離れた幼馴染との、今日の別れのときを思い出す。

 

  

「それじゃ、私はもう行くけれど……ちゃんと夜になったらゴハンつくりに来るから、無茶したら駄目よ!」

「本当は退院祝いの酒盛りと行きたいんだけどな。……あー、わぁってるって。邪魔しねーよ。二人きりになりたいからってそんな睨むんじゃイテェ!」

 

 少女に盛大に足を踏まれ、道端でごろごろと転がる友人を見ながら、青年は苦笑せずにいられない。

 入院する前には、いつも見ていた光景だ。

 つい一ヶ月前のことなのに、妙に懐かしい――。

 当たり前だ。

 自分にとっては一年以上も前のことなのだから。

 しかし、その証明をすることは、なにもできない。

 冒険の旅で鍛えていたはずの体は、魔法は言わずもがな、筋肉もあの世界に渡る前のジムで運動をしていた程度の一般人のそれそのままであり、さらに言えば体についたはずの傷もなくなっていた。

 脳内の神経はどうかまではわからないが、少なくとも肉体的には異世界になど行っていない事になる。

 さらにそんな肉体に引きずられていくのか、どんどんあの世界での記憶が、夢を見ていたことのように思えてきている。

 

 一ヶ月という時間は残酷でしかなかった。

 

 病院の生活で、肉体は癒え、精神も薬で『強制的に』落ち着いていったことで、青年は自分には『毒』が回っていることを、明確に理解した。

 どんなに意思を強めようと、世界が、体が、そして心が、それを「ただの夢だ」と語りかけてくる。

 そしてそのたびに、確かだったはずの思い出が、記憶から記録へと書き換わるように、現実感がなくなっていく。

 そんな毒だ。

 

 恐怖だった。

 

 なにより、そのことを恐怖に感じなくなっていることが、当たり前に受け止めていることが、なによりの恐怖だった。

 精神的に落ち着くことが、精神に負担をかけているなど、誰が青年の心情を理解できようか。

 青年はあの時、女神に向かって「決して忘れない」と願った。

 それは、確かに叶った。

 レミットの「忘れさせて」という願いに対抗しての願いだったが、集めた魔宝の数で言えば願いの力では太刀打ちできないはずだ。それでも忘れてないのは、レミットの願いは「できるなら」というおまけのようなものだったことに対して、自分の願いはそれ一点にかけたからなのか。

 理屈はともあれ、なんとか「忘れる」ことは避けられた。

 だが、忘れないまま、蝕まれていく。

 

 だから、毒だ。

 

 自分が書き換えられていくような絶望に、この一ヶ月の間で死を考えたことだって数え切れない。

 

 それでも、彼が前を向けているのは、幼馴染二人のおかげだろう。

 

「その女を落とすのをあきらめてねーんだろ。だったら、どれだけ時間がかかっても異世界にいく方法をさがしゃいいさ。一度行けたんだ。なら、方法は絶対にあるんだろうさ」

 だからって、何の当てもなく鉄骨にぶつかりにいくのは勘弁な、と悪友は笑った。

 

「アンタはいつも能天気にしてぼうっとしてるから工事の事故なんかに巻き込まれるのよ!いつも私を子ども扱いするくせにそうやって心配かけさせてほんとにほんとにほんとにアンタは……!」

 と、少女は泣きながら頬を抓って、それでも毎日学校帰りに顔を見せにきてくれた。

 

 もし、あの冒険で何事もなく暁の女神を呼ぶまでに至り願いを叶える権利を得ていたのなら、青年は迷いながら、それでもこの世界に帰ることを選んでいただろう。

 レミットに恋していると自覚して、それでもなお、こちらの世界に戻ることを選んだはずだ。

 そのほとんどの理由が、あの二人にあるといっていい。

 二人に事情を話し別れを告げ、その上で最終的にレミットを選ぶ、ということならばありえただろう。

 だが、何も話さないまま二人と別れる選択だけは、きっとなかったのだ。

 

 そして――

 

 「レミットのくれたアミュレット……これが、俺の支えだった」

 

 呟く。自分に言い聞かせるかのように。

 

 入院中、事故のときに持っていた荷物だと渡されて、ショルダーバックの中身を受け取ったとき、妙に硬いものがあると中を確認してみれば、それが出てきた。

 見つけたとき、はらはらと涙を流す青年に、周囲は事故のことがトラウマになっているのかと慌て始めたのには、いまさらではあるが少し申し訳なく感じる。

 だが、そこにあったのは、青年にとっては唯一残されていた、確かにそこに実在する物としての絆だったのだ。

 しかしそれも、いつかどこかで買っていたものといわれてしまえばそれまでだ。

 貴金属ということで「不自然」ではあるが、「不思議」ではないのだから。

 そして、今、いろいろ変わったもの。

 

 「好き……。異性として、好きです」

 

 少女から、退院の前日に、はっきりとそう言われた。

 多分、ずっと前から思っていて、今回の事故でタガが外れたのかもしれない。

 

 そして、今日、晩御飯を作りに来るという彼女に、食事の後、答えを言うことになっている。

 

 

 少女が、自分に好意を持っていることは、知っていた。

 はっきりと口にされたことはなかったしうぬぼれているわけでもないが――わかっていた。

 あの事故が起こる前までは、多分、何もなければ、いつかそうなるかもしれないし、そうなってもいい、と漠然と思ってすらいたのだ。

 自分はあの子を愛している。

 それだけは、間違いなくて、ただ、恋をするには少しだけ今までが近すぎた。

 愛しいし可愛いしそばにいて欲しい相手でも、執着し、獣欲をぶつけ、独占したい相手ではない。

 そういう、距離感。

 だから、自分から動こうとはしていなくて、でも、彼女から求められたのなら、きっと拒まなかった。

 ただ、それを受け入れるのは彼女に恋をしているからではなく、それで喜ぶ少女が愛しく、見たいからだ。

 それでも、恋人として過ごしていけば、きっと関係は変わり、愛に恋が加わることだろう。

 

 そんな風に思っていた少女だったが、異世界に行き1年以上離れていたことで分かった少女の大切さ。

 そして、一ヶ月の入院生活の間に必死で青年の心を癒そうと寄り添ってくれたことで、愛しいだけだった想いに、この子を離したくない、という確かな想いは生まれてもいる。

 

 それは、もしかしたら、少女に対して初めて覚えた確かな恋心の欠片だったのかもしれない。

 

 

 でも。

 

 たとえ、そうであっても。

 

 

「でも――もう、惚れちまったんだよなあ」

 

 おそらく、二度と会うことはできないだろう少女、レミット。

 幼馴染の少女とどこか似た雰囲気を持つ、おてんばなお姫様。

 

 自分の異世界での出来事については、まだ少女に語っていないし、これから語るつもりもない。

 

 だが、自分に好きな人ができて、もう会えないかもしれないけれど、今はその人のことしか考えられないことをは、伝えなければならない。

 

 それが、自分にとって大切な少女であるならばこそ。

 

 

 

        ◇ 

        

「……もう一度、言って」

 

 青年の答えに、少女はうつむいてそう聞いた。

 青年は、改めて、その答えを告げる。

 

「俺は、もう惚れたやつが居る。そいつとは会えないけれど、でも今はそいつのことしか考えられないんだ」

 

 一度告げたことを、もう一度。

 拒絶の言葉にまさか振られるとは思っていなかったのか、少女は顔を伏せ、そしてふるふると体を震わせる。

 

「ちがう……聞きたいのは、それじゃない」

「……ごめん、でも、それが答えなんだ。俺は、お前を受け入れることは――」

「だから、そうじゃないの。その、好きな人の……名前を、聞かせて」

「あ? ああ……レミット。レミット・マリエーナ。名前の通り外人だけど――俺が本気で好きになった、女の子だ」

 

 異世界人だから外人でも嘘じゃないよな、と間抜けなことを考えつつ、愛しいお姫様の名前を言う。

 それは、少女には聞いたことも無い名前だろう。

 どこで知り合ったのか、いつからなのか、当然の疑問をぶつけられるかもしれない。

 さて、どう説明したらいいかと考えていると――

 

 

「――!」

 

 

 抱きつかれた。

 ぎゅう、と小さな腕を精一杯開いて青年を抱きしめる。

 そして、胸元で嗚咽をあげる少女。

 

 振ってしまった。

 少女を傷つけた。

 

 そんな罪悪感を感じながら、青年は今更だと思いながらも、彼女の髪をなでる。

 

「ごめん、本当に、お前の気持ちは嬉しい。幸せな気分になった。……でも、それでも俺は――」

 

「――ってた……」

「アイツを忘れられな……え?」

 

 胸にすがり付いていた少女が、青年の顔を下から見上げて、何かをつぶやく。

 だが、その表情に、青年は驚きと共に声を失ってしまった。

 なぜなら、確かに少女は泣いているのだが――その顔は、何故か喜びで染まっている。

 

「ずっと、まってた――。好きって言って、くれるのを」

「え?いや、俺はお前じゃなくて、レミットを――」

「……馬鹿」

 どん、と。

 胸を強く叩かれる。

「バカ! バカ! バカ! いつまで気付かないのよ!」

 そして、彼女のその怒りの混じった『笑顔』を見た瞬間――

 

 バシュ、と。

 

 確かな音が聞こえた気がした。

 頭の中で閃光がはじけたように白く視界を染め上げ、そして、思い出されるのは。

 

 レミット。

 自分が恋した、年の離れた金髪の少女。

 それに、いつも自分の邪魔をしてきた少女。

 自分の知っているあのお転婆ながらも大人びたレミットとは別の、もう一人の――「前」のレミット

 そのときの彼女はまだまだ本当にお子様で、いじっぱりで、それでも寂しがり矢の一面に、確かに惹かれていた自分が居て。

 

 そして、火山のダンジョンで、『自分』は彼女をかばって死ん――

 

 

「っ!?」

 

 我に返り、改めて胸元の少女を見て。

 

 

 想い人の少女が、

 

      目の前の少女と、

 

          完全に重なる。

 

 

 

「レミッ……ト?」

「そうよバカ! ほんとにバカなんだから! 私はレミット。マリエーナ王国王女、レミット・マリエーナ! アンタのライバルで、アンタに会いたくて追いかけてきた……馬鹿女よ」

「――っ!」

 声に、ならない。

 何故、どうして、そんな疑問などどうでもいい。

 だって――目の前に、レミットがいる。

 

「レミット……レミット!」

「ちょっと、嬉しいのはわかって、その、私もうれしいけど、ちょ、苦し……」

「レミットだ! レミットがいる!」

「そ、そうよ。だからちょっと離し……」

「レミット、レミット!俺、お前に言えなくて、でも、ああっ、レミット――!」

「いいから落ち着けこのバカ―!」

「ぶべっ!」

 

 どごん、と。

 

 その小さな体にどこに隠れていたのか。

 まるで、「向こう」のダンジョンの中のパーティ同士の戦いのときにくらっていたような強烈なボディブローを受け、意識が綺麗に飛ぶ青年であった。

 

「あっ、ごめんなさい!……おかしいわね、エーテルマキシマムって、こっちでは使えないはず……よ、ねえ?」

 

 そんな、お姫様の呟きを聞きながら。

 




ワイ氏、ハッピーエンド至上主義


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第八話 『最後の願い』

        ◇

        

 イルム・ザーン・大庭園。

 全ての願いを叶える、希望の遺跡。

 なのに、今そこにあるのは、慟哭と悲鳴だけ。

        

「レミット!」

「姫様!」

「レミットさん!」

        

 レミットに必死に声をかける、少女、女性達。

 しかし、その声にももはや何かにすがり付くかのような、絶望を含んだそれであり、幾人かの嗚咽は徐々にこの場に広がりつつあった。

 だが、どうしようもない。

 どう考えたって、手段がない。時間がない。

 

 せめて、一年の時間があれば、再び魔宝を集め、その願いで救うことができたかもしれないのに。

 そして、何より、「彼」はもういない。

 最後の時を、少女が恋焦がれたあの青年と過ごさせてやることすら、もうできない。

 誰もが少女の不遇さと自分の無力さに、涙を流していたとき――

 

「……さて、暁の女神。では、今度はオレ様の願いを叶えてもらおう」

 

 魔族の男が、レミットを囲む少女達を一瞥しつつ、そう声を上げた。

 

 カイル!?

 カイルさん?

 と、少女たちが口々にその名を呼ぶ中、男は気にした様子もなく祭壇へと近づく。

「カイル! 今どんな状況だかわかってんの? だいたいあんた、魔宝を一つも手に入れてないじゃない」

「うるさいぞ羽虫妖精。暁の女神はまだそこにいる。そこのクソガキも、元の世界とやらに帰ったあいつも、自分の願いを詰まらん形で叶えた。……なら、オレ様も駄目もとで自分の願いを言うだけだ」

「なっ……!」

 怒りに声を詰まらせるフィリー。その顔は憎憎しげにカイルを見ている。

 また、声は出していないが青年、レミットのそれぞれのパーティの面々だけでなく、カイルの仲間達すら、信じられない、とばかりに軽蔑した目で彼を睨んでいた。

 たしかに、この魔族の男は独善的で、傲慢なところがあった。

 だが、それでも、信じられる者だったのだ。自分達の抱えていたコンプレックスや心の呪縛、様々な問題について悪態をつきながらも手を貸し、助け、ここまで頼り、頼られてきた、誇るべきパーティのリーダーだったのだ。

 だから、裏切られた気がしたのだ。

 なせ、どうして、と矢継ぎ早に問い詰める彼のパーティメンバーを尻目に、カイルは堪えたようすもなく、

 

「なんとでもいうがいい。……さて、暁の女神。オレ様の願いだ」

 

 いつものように、ふてぶてしく、腕を組んでそういった。

 そんな、彼の願いは――

 

「……オレの魔宝の権利分の力を、全部そのクソガキにくれてやる。だから――とっととそいつの『最初の願い』を叶えちまえ」

 

 え、と。

 周囲の面々は、この男が何を言ってるか、まったくわからなかった。

 願いの内容が、どうやらレミットへの支援らしいことにも驚いたが、意味がわからない。

 なぜなら、「レミットの願い」はもう叶えられているのだ。だから、青年はここにはいないのだ。

 いまさら何を、と。

 そもそも、カイルは魔宝を手に入れていない。なのにその権利分とはどういうことか。

 そんな疑問を彼にぶつける前に、暁の女神がカイルの願いに反応する。

 

 ――魔宝の権利の譲渡はできません。それが可能ならば、最初からその少女にあの青年の魔宝の権利を譲渡をするだけでよかったはずです。そうすれば願いで呪いを解くことができました。それをしようとしなかったのは、魔宝の権利が譲渡できないことをご存知だったからでは?

 

 

「そうだ、お前はただの『受付係』だからな。魔宝はマナスポットから魔力をくみ上げて固めて形を作ったもので言わば魔力の塊だ。それが具現化されてから最初に手にした者のマナと融合し、お前に向かって願った人間のイメージに従い再びマナエネルギーとして変換される。そして、願いが叶う叶わないに限らず、願う、という契約が実行された時点で霧散する。暁の女神、お前はそれをたんたんと受理し、施行するだけの存在だ」

 

 

 ――その通りです。ですから、権利の譲渡はできません。そして、複数の人間が同じ願いをしても、魔法の権利が足されることにはなりません。

  

「そうだな。なぜなら、魔宝の力を願いの形にするにはイメージが必要だからだ。たとえ、願うものが同じだとしても、違う人間ならばそのイメージの形もどうしても異なるからだ。たとえ、双子であってもな」

 

 ――はい。ですから、どのような形であれ魔宝の譲渡は不可能です。

 

「ああ、そうだ。だからこそこの願いだ。『権利』の譲渡ではなく、『力』の譲渡なのだからな」

 

 ――魔宝の力の譲渡をしたところで、それは譲渡された者の願いとは結びつきません。所有者で無い以上、その力がその者の願いのイメージに変換されないからです。

 

「いいや、それも問題ないはず……だ。普通なら無理であっても、『今回』ならば。『あの願い』があったからこそ、それが通じる唯一の手段となるはずだ。」

 

 

 目の前で行われていく謎かけのような会話に、周囲の者はみな黙り続けている。

 カイルの発言はどれもよく分からないものであるが、なぜか、暁の女神はそれを真として答えを返している。

 つまり、わけは分からないが、正しいのだ、カイルが言っていることは。

 

 何を言っているのか。

 なぜそんなことを知っているのか。

 何をどうするというのか。

 そしてなにより――どうすればレミットが助かるというのか。

 

 それを問いかけたい。

 だけど、カイルの不遜な口調でありながら、女神に向かって小さな糸をたどろうとしているような必死の表情に、それを戸惑ってしまう――が、

 

「ちょ、ちょっとバカイル、アンタ何を言ってるのよ? というかなんでそんなこと知ってるのよ」

 一人の妖精だけは空気があまり読めてなかった。

 

「フィリー、今は彼の話を聴きましょう」

「でも……意味がわからなすぎるわよ」

 まあまあ、と妖精を宥めているいつもの表情の吟遊詩人に、ち、と軽い舌打ちをして、カイルは言葉を続ける。

「わかりやすくいってやろう。オレ様の願いは、このガキをアイツのところに行かせることだ」

 再び、意図のわからない回答に、「え」と声が上がる。

 しかも、願いの「魔宝の力の譲渡」とやらの関連性がわからない。

 そもそも、レミットをあの青年の下に行かせることができたとしてなんだというのか。

「簡単なことだ。聞いていないか? あいつの世界には、魔法なんてない。あいつが魔法を使っていたのは、この世界に来てから、だ」

 その言葉の意味に、あ、と最初に気付いたのは、メイヤーだった。

 続いて、楊雲が何かに思い当たったのか、深く頷いて言葉をつむぐ。

「なるほど。つまり――イフリートの熱の根幹をたってしまう、ということですね?」

「ああ、向こうの世界には魔力がない。精霊がいない。呪いもない。さて――そんな世界で、こちらの魔力が維持されると思うか?」

 問題はイフリートの魔力そのものではなく、それがレミットの魔力と結びついて燃え上がっていること。そして燃料となっているレミットの魔力の大きさである。ならば、ガソリンについた火を消すのではなく、ガソリンそのものをなくせばいい。

 さらにいえば、精霊などいない世界で、精霊の「要素」でしかない魔力など、維持できるわけがない。

「で、でも、そもそもアンタにそんな願い叶えられるの? カイルが手に入れた魔宝、一つもないじゃない」

 リラが問いただす。

 もちろんリラも、レミットに助かって欲しいのだが、あまりにも突拍子のないことに信用できないでいた。

「そうです、ゼロでもいいなら、あの人は自分の魔宝二個分の願いで帰れたことになります。そのあとレミットさんが自分で助かるように願えばよかったのでは」

 ティナも、同じような気持ちで、疑問をぶつけた。

「いいや、オレ様の魔宝は1個分だ。もっとも、1個で叶えられるかは半ば賭けではあるがな。……オレ様も、さっきなんとなく思いついたばかりで、うまく説明し切れんのだが」

「え、0個でしょ。ボクだって数くらいちゃんと覚えてるよ」

「魔宝ゲットの祝勝会、一回もやってへんしな」

 キャラットとアルザの獣人コンビも、あきれた声で告げる。

「カイルさん……誰かにいじめられて記憶が混乱しているんですか?」

「ご乱心なら、お覚悟ください!」

 普段おとなしいウェンディと若葉も容赦がないあたり、全員余裕がないのかもしれない。

「ええい、1個だといってるだろう! ……まあ、貴様達は覚えてないだろうがな」

 わけのわからない台詞に、本格的におかしくなったのではと皆が思い始めたとき、意外なところからカイルへの救いの手が差し伸べられる。

 

――1個、ですね。間違いありません

 

 

『えええええええっ!?』

 

 暁の女神のお墨付き。

 どうして、何故という彼女達の疑問に、カイルはこう言葉を継げる。

 

「二回目、だからな」

 

 はい? と頭の上に疑問符を上げる3パーティの面々。

 そんな中、あの吟遊詩人だけが、ぽろろん、と、小さく、本当に小さく楽しげにリュートをかき鳴らした。

 

 

        ◇

        

「二回目……そういうことだったのね」

 カイルの説明を受け、フィリーたちも頷いた。

 なにより、暁の女神と、息を荒げながらもしっかりと同意したレミットがいたからこそではあるが。

 確かに、言われてみるといろいろと自分達にもデジャブや夢のようなあやふやさではあるが、いくつか思い当たる記憶があるのだ。そして、一度気づいてしまえば、『前』の記憶が夢のような形で蘇り、全員納得に至る。

「どうりで、レミットがすいすいとダンジョンを攻略していくわけだわ。一度攻略してたからだったのね。アイツ、いっつも『またレミットがショートカットに成功してるぅぅぅ!?』って頭抱えてたのに」

「えへへ……ごめんね。でも、前回も……ちゃんと3個はとったんだよ?」

「というか、カイルさんは二回目なのに今回は0個だったんですか?」

「うるさいわ!オレ様だって記憶が戻ったのはここで女神が現れてからなのだから仕方あるまい!」

 

 ウェンディの言葉に、やや不機嫌気味にカイルが言う。

 

 ちなみに、カイル前の記憶をこの場で思い出せたのは、1個とはいえ魔宝の権利者だからだという。

 

「フン。さて、どうする。これが正真正銘、最後のチャンスだ。オレ様は貴様がどう選ぼうと知ったことではないがな。選ぶのならとっととしろ」

 そして、アイリスがレミットに改めて意思を確認する。

「確かにそれしかないのかもしれませんが……よろしいのですか姫様。話が本当なら、魔法のない世界で、今の姫様の持つ財産も地位も失って一生を過ごすことになるのですよ。そこまでして、あの方に会いたいのですか?」

 もちろん、レミットが助かる選択肢がそれしかないのであれば、アイリスも迷わない。

 だから、これはあくまで確認だ。そして、それに答えるレミットの言葉も決まっていて、

「会いたい……会いたい。魔力なんて要らない。王女なんて立場も要らない。この世界に未練はあるけど、アイリスや皆にあえなくなるのは辛いけど―ーでも、それよりも何よりも、アイツに会いたいの」

「向こうに行っても、彼が受け入れてくれるか、わからないんですよ」

「それでも、会いたい。ここでこのまま僅かな時を生きて死ぬくらいなら―ー例え向こうで一生を一人ですごすことになっても、笑ってるアイツを一度見れれば、私はそれを糧に生きていける」

 

 ――もう、何も言うことはないだろう。

 アイリスは、ただ一度だけ嘆息し、そしてまた一度だけ、レミットを抱擁した。それが、今生での最後となることを理解しながら。

「……でも、1つあるのはわかったけど、1個分の権利で本当にレミットを向こうに送れるの?」

 カレンの呟きに、カイルは相変わらずの不機嫌顔のまま、

「それは知らん。そこまでは保障できん。だから、あえてあんなふうに願いを……まあいい。1個で叶うならそれにこしたことはない。それでどうなんだ、暁の女神。オレ様の魔宝の権利で、『レミットを向こうに送る』ことはできるのか」

 

 

――足りません

 

 ひっ、と。

 誰かの悲鳴が聞こえた気がする。

 

「だろうな……ちなみに、いくつ必要だ」

 

――その願いをかなえるには三個。魔宝を集めている必要があります

 

 システムでしかない女神が、口惜しそうにそう表情を歪める様に、それがどうにもならない事実だということを知らしめている。

 『前』の調べでも、もうわかっていたことだ

 、これでついに、すべての望みが絶たれたのか、と少女たちが思い始めたそのとき、

 

 ぽろろーん、と。

 

 どこか能天気な音が流れた。

 全員が振り返ると、そこにはあの謎の吟遊詩人がいる。

「おっと失礼」

 ひょうひょうとつかみどころのない男か女かすら不詳の吟遊詩人、ロクサーヌ。

 今までただじっと成り行きを見守っていたその人が、いつもと同じ笑顔のまま、つかつかと女神に歩み寄っていく。

 考えてみれば、始まりはこの吟遊詩人の戯言からだった。

 話が本当なら誰もが求めるはずの、なのに誰も知らないという魔宝という存在を知っていて、星から占ったといってはそのありかを示す。

 三パーティには不干渉で、さらにどう考えても胡散臭いのに、何故だか気を許してしまうこの者の動きを、誰もがごくりと見守っている。

 あの能天気妖精のフィリーですら、そんな様子に戸惑っていた。

 そして吟遊詩人は、魔族の美丈夫の横に並び立つと、軽く一瞬だけ女神のほうを見た後、すぐに視線をはずして男に言う。

「だめですよ、カイルさん、その願い方では。それがわかっていたから、あのような願いを口にされたのでしょう?貴方が、最初自分でしようとしていた願い方で正しいんです」

「フン、わかっている。たださっきも言ったが、思いついたのはここに来てからなのだ。どうしても、言葉にするのがうまくまとまらなくてな。『最初の願い』が叶うのなら、それはこのガキがアイツのところに行くしかない、ということまでは思いついたのだが」

「まあ急に、ですし仕方ないですけどね。でも、あなたの望みとして叶えたいイメージが決まらないと、願いが無駄になりかねませんよ?」

「そうなのか?」

「そうです。……本当は、正しい解答になるまで待っていたいのですが、もう、『暁』の時間が終わりそうです。……だから、特別ですよ?」

「貴様……もしや……いや、まさか」

「ないしょです♪」

 

 『何か』に気づいたのか眉を潜めた魔族に、やはりいつものようにひょうひょうとリュートの弦を鳴らす吟遊詩人。

 

 そして、吟遊詩人は楽しそうに女神に問いかけた。

 

「……さて、暁の女神様、度重なる質問で申し訳ありませんが ――――― ということならどうですか?」

 

 それは、その場に居た誰もが驚くような提案だった。

 

 カイルだけが、フンっとそっぽを向き、そして女神は、今度こそにっこりと微笑んだのだった。

 




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第九話 『GLOW OF LOVE』

「詳しい説明はちょっとはぶくけど、まあそんな感じでカイルの魔宝の権利があったおかげで私はこっちの世界にきたの。……来た、っていうか、こっちの世界にはじめからいたって感じだけど」

「そうか……カイルに感謝だな。あ、あれ? でもちょっとまって。じゃ、じゃあ俺のこっちの世界でのお前との記憶は? 幼馴染は実はレミットで……あれ? 子供のころから一緒だったよな」

 混乱しながらも、実のところ彼も「何故」ということの答えに気付き始めていた。

 頭で理解したのではなく、それはもう感覚的なものである。

 目の前のレミットは、幼馴染の少女と入れ替わったわけでも憑依されたのでもなく、記憶を改ざんされたのでもなく――「両方」が本物である、と。

 ふいに、レミットが軽く胸のボタンをはずし始めたのを見て、ドギマギしていると、「毎回勘違いすんなバカ」と顔を赤らめた少女から、何かを差し出される。

「これは……」

 それは、あのときに贈ったネックレスだった。

「うん、アンタが向こうでくれたネックレス。……そして、小さい頃、アンタがお祭りのときに買ってくれたものよ」

「……あ、確かにそんな記憶もあるけど……え?」

「そして、私からはアンタに王家のアミュレットをお返しに渡したけど――そのお祭りのネックレスのお礼に、私からも手作りのビーズのお守りをあげたの、覚えてない?」

 言われて思い出すのは、いつのまにか鞄に入っていたレミットからもらったあのアミュレットだ。その後、肌身離さず着けていたそれを胸ポケットからとりだす。

宝石に見えていたそれは、ビーズで縁取られた硝子玉で、そして――彼女からの思い出の品。

「ある……そうか、これ、俺はずっと前から持っていたんだな」

「ね? だから、どっちも本当の思い出なのよ。向こうでのことを思い出したのだって、こっちの世界に来たという記憶とそれまでのこっちでの私の記憶が混ざっちゃった感じだったし。……告白だって、レミット・マリエーナとしての記憶も想い出せたことがきっかけで決心したんだから」

 だんだんと、理解が追いついていく。

 つまり、レミットはこっちの世界ではじめからいて、もう一人の自分である「向こう」の記憶を思い出したようなものなのだ。

 どちらもが確かな自分だと、彼女ははっきりと自覚している。

 ただ、魔法の力が体にないせいなのか、すこしづつではあるが、「向こうの世界」の自分の感覚がどこか遠く感じることもある。

「……ね、こっちの世界に戻ってから、向こうの思い出が夢みたいに思えてたりしない? そして、向こうにいたときはその逆で、帰るべきこの世界がどこか儚く思えてなかった?」

「あ、ああ」

 そう、そうだ。

 最初は唐突な異世界に驚愕したが、慣れたと思ったときには魔法というファンタジーなものを自分で使うまでになっていた。そして、魔力を自覚してからは自分が魔法を使えるのが当然だとすら感じていた。

 そうなったとき、こんどは「魔法が使えない故郷の世界」が、まるで夢の世界のように現実感がなかったことを覚えている。

 大事そうに、ぎゅ、とネックレスを握り締めながら、レミットは青年の胸にその体を預けてよりかかる。

 ふわっと、少女の甘い匂いが青年の鼻腔をくすぐった。

「実際に夢を見るときもそうだけど、夢の中ではそれが現実であると疑わない。そして夢から覚めて、初めてそれが夢だと思える。多分だけど――あっちの世界は、こっちの世界の夢みたいなものだと思うの。そして――その逆でもあって」

 そこで一度言葉を切って。

 彼女は、言ってることがちゃんと伝わってるか確かめるように青年を見上げる。

「うん……なんとなくわかる。続けて。それにどうしてそう思った?」

「だって夢の中では、なんでも願いが叶うじゃない。だから、ね。きっと向こうでの願いはこっちで、こっちの願いは向こうで叶うんじゃないかなって」

「うん……」

「今は、私たちはこの世界にいるからこれが現実と認識してるけど、向こうからしたらこっちが夢。向こうにいるときは、その逆。多分、そういう関係なんだと思うの」

 言われてみると、自分の感覚にストン、と何かがはまる気がして、青年は無言で頷いた。

 だけれど。

 もしそうだとしたら、「どっち」が現実で、「どっち」が夢なのだろう。

 なんで、そんな世界が生まれ、関係しあったのだろう。

 それよりも、だとすれば、これは「誰」の夢なのだろうか。

 そんな風に考えた青年の思考になんとなく気づいたのか、レミットは言葉を続ける。

「そして、これは推測だけど、私かアンタは一度この世界でお互いのどちらかを失ったのよ。多分、私がアンタを。この工事現場の事故で」

「……え?」

 今、自分は確かに生きているが――あの鉄骨事故で、本当は死んでいた?

「私は、きっとそれで、『夢』を見た。アンタとまたバカやって暮らせる世界を。そんな世界があってほしいと願った」

 きゅう、と、青年の胸に自分を強く押し当てる。

 もう二度と、離さないと誓うように。

 

「その世界は、モンスターが居て、魔法があって、御伽噺のような世界。私はわがままな姫として生きていて、アンタは異世界から来たという、うさんくさい旅人で、わくわくどきどきの冒険に出るの。それはとても楽しい日々で――なのに、私は向こうでもアンタを失った。だから私は再びアンタと暮らせることを夢見て――」

 

 どっちが先かなんてわからない。

 どっちが本当の世界、なんていうことも意味がない。

 だから、どっちもが本当。どちらの世界も現実で、どちらの世界もその夢。

 そんな風にいうレミットの言葉の意味が、理屈ではなく感覚でしみこんでいく。

 そして、それが真実だということも。

 

 

「だから、私は向こうの世界から『また』やってきて」

 

 レミットが、胸元から顔を上げて、そっと手を青年の頬に沿わす。

 

「だから、オレはこの世界で、ずっとお前を探していて」

 

 青年がそれに応えて、同じように少女の頬に手を当てる。

 

「本当は、最初からずっと貴方が私のそばにいて」

 

 ゆっくりと、顔を青年に近づける。

 

「本当は、最初からずっと、おまえは俺のそばに居て」

 

 青年もそれにならい、二人のおでこがこつんとぶつかった。

 

 

『ただ、二人で幸せになりたいと望んで――』

 

 

 全てを代償にしてでも、青年に会いたいと願った少女。

 全てを失ったとしても、少女と共に居たいと望んだ青年。

 

 二人が共にいること。

 それが『二人』の見ている、優しい夢――

 

 引き寄せたのは、どちらからか。

 

 

 はじまりは、小さな接吻け。

 それは、二人が『こちら』でする始めての、微かな、触れ合うだけのもの。

 なんどもついばみ、確かめるように唇を這わせ、その柔らかさを感じ合う。

 徐々に熱が混じり、それだけでは足りなくなったのか奪い合うように二人は舌を絡めていく。

 優しく頬を撫であっていた互いの手が、いつしか強く結び合い、そして互いのぬくもりを求めて衣服の下の素肌へと伸ばされる。

 

 時折漏れる少女の吐息に、青年は愛おしさと同時に熱い猛りを感じながら、またその口を自分のそれで塞いだ。

 

 止まれなかった。

 

 今までの十数年間と、あの冒険での最初の一年と、もう一度くりかえした一年。

 すでに溢れそうになっていた、思慕。

 

 そして互いの想いを確認しあった今、止まれる理由などどこにもない。

 

 全てがこの時の為にあったような気がして――。

 

 

 きっと、向こうの世界での記憶は、こちらに居る限り時が経つにつれて曖昧になるかもしれない。

 それが夢のものだと思ってしまうかもしれない。

 

 でも、絶対に忘れない。

 自分が忘れそうになったらレミットが。

 レミットが忘れそうになったら、自分が。

 

 その世界のことを信じて語り合える大切な人が、隣に居る。

 

 

 それで、いい。

 

 

 そのことを、言葉には出さない。

 だけど、今、レミットもそう思ってくれていると、痛みすら嬉しさとして求めてくる彼女を見て、なんとなく思った。

 

 

 睦みあい、果て、そしてまた睦みあう。

 

 

 世界と時を越えて、初めて愛し合う二人を祝福するように――

 

 少女の胸元の宝石が、カーテンの隙間から差し込んでいた月の光を受けて、優しく輝いていた。

 




次でラスト。多分コミケ明けかな
なおタイトルはPS版OPより


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終章 『夢見る力』

        ◇

 翌日の、いつもの三人の待ち合わせ場所にて。

 

「昨晩はお楽しみでしたね」

 悪友がいきなりそんな事を言い出した。

「え」

「とりあえずおめでとうと言っといてやろう。感謝しろ」

「おま、ちょ、なにをいってるんだ。何のことだよ!」

 す、と。悪友がいきなり指を差した先には、昨日、想いを伝えあった、少女の姿。

 ときおり、にへらと虚ろに笑い、さらには「にゅふふふふ」と悶える様な艶声をあげ、ついでになぜか妙な歩調というか何か股に挟まったような足向きで歩いている。

「アレ見て何があったかわからんほうがおかしいわ」

「…………」

 原因が完璧にわかるので何もいえない。どこか胡乱な表情になりながらも、いやまだだ、まだ証拠があるわけじゃない、と青年は空とぼけるために無言を続ける。

「ついでに、お前もたまにあんな感じのテンションになってるから」

「マジでっ!?」

「嘘。引っかかったな。通報はしないで置いてやるぞ犯罪者」

 悪友の言葉に、ついに心が、そして膝も折れて地面に突っ伏す。

 そしてそのまま悪友へとやるせない感情をぶつけた。

「ちくしょう! てかわかってても黙ってるのが友人だろうが!このバ『カイル』!」

「フン! 元気になったと思ったらまたオレをそう呼ぶのか貴様は! まあ、今日はまだ病み上がりだし許してやるが、来週からはバンドの練習再開だからな。しっかりと来いよ」

「わーったよ。しかしいい加減、名前とキャッチフレーズ変えない?……いい声と音を出すくせに、なんで曲名とかそういうところのセンスは壊滅的なんだよ……」、

「やなこった。それにどこに不満がある。いいか……」

 彼らが前から組んでいる、ロック系バンド。

 その名は――

「バンド名『魔族』! そしてオレの目標は『音楽で世界征服』! かっこいいではないか!」

 わーはっはっは、と空に向かって高笑いをする悪友に、はあ、と力抜ける青年。そして、

「どこがよ。だから『バカイル』って呼ばれるのよカイにぃ」

 弟分どころかいつのまにか正気に返っていた妹分にまでつっこまれ、カイにぃと呼ばれた男はへこむ。

 カイル――本名をもじった彼の幼少のころからの渾名であり、バンド内でのアーティストネーム。

 そして、本人以外の誰もが認める「バカ」っぷりから付けられた煽られ方も昔からである。

 そんなバカを尻目に、少女は青年の隣へと並んだ。

「さて、バカはほっといて――あ、そうだ。アイリス――百合姉さんは後から来るって」

 少女の家に昔から家族同然に雇われている家政婦の一家の娘さんも、今日の「パーティ」には着てくれるらしい。

 どこかぽわわんとした女性だがしっかりもので、少女にとっては姉のような存在で、親友でもある人だ。

 青年も、恋心とまではいかずとも親しみを持って接している。

 ただ、同時に両親が多忙であまり家にいない少女にとっては、保護者役でもあるので、『二人の関係』についてはちゃんと話さなくてはならないことを考えると、少しだけ緊張をする青年である。

 とはいえ、昔から二人をくっつけようとしていたそぶりもある彼女であるから、きっと、すぐに祝福をしてくれるのは間違いないだろう。

「……そか。じゃあレミッ……と、レミ、俺達は買出しに行くか」

「うん!」

 

 今日は青年の正式な退院を祝うパーティの日である。

 招待されているのは、病院で世話になった看護婦さんや、大学の考古学科のへんな先輩、少女とよく行くペットショップの定員さん。

 他にも主婦真っ青の倹約家ですごくパワフルな保母さん、商店街の大食い系の店を制覇したという女子高生、地元で有名な占い師の女性。

 貧血症でトマトジュース好きの女性、動物好きでいつも楽しそうにしているレミットの学校の友達に、いきつけのパン屋の看板娘の少女等、なぜか女性ばかりだが、幅広い。

 本当に、本当に色々なところからの奇妙な縁で知り合った人たちだが、嬉しいことに全員来てくれるそうだ。

 これはレミットも料理を張り切るしかない。

 

「さあ――楽しいパーティにしましょう?」

 

 

 

 

         ◇

「らーらーら」

「相変わらず下手ですね、フィリー」

「うっさいわよ!いいでしょ暇なんだし」

 大庭園にて、その吟遊詩人と妖精は、いつもどおりのすごし方をしていた。

 すでに、あの面白い大勢の人たちは、それぞれの生活へと戻り、今この庭園に居るのはこの二人だけである。

「あーあ、平和なのも考えものねー。冒険してたころが懐かしいわよ。……元気にしてるかなあ、あいつら」

「大丈夫でしょう。つい先日、魔宝の竪琴が消えましたから」

「なにそれ?」

 唐突に出てきた魔宝の話に、訝しげに妖精が吟遊詩人に問いかげる。吟遊詩人は、ぽろろん、といつものようにリュートをかき鳴らして、

「魔宝は、願いが叶えられたか叶わないかが決定することで消滅し、そして新しい形の魔宝になると、言いましたよね」

「あー、旅の最初に聞いた気がするわ」

「カイルさんの話では、魔宝は『前回も今回と同じ』で、組み立てると竪琴になるパーツだったそうです」

「ふーん、そうなの? で、それがどうしたのよ」

「これは仮定なのですが、もしかしたら魔宝にとって『前回と今回』は『一つのまとまり』としてカウントされているではないかと。カイルさんが『前』の分の魔宝分の権利を持っていたのが根拠の一つですね」

「……うん、それで?」

『さて、ここで問題です。『前回のレミットさんの願い』はなんでしたか?」

 今回の願いは「アイツ」を元の世界に帰すことだった。そんなレミットが前回願ったのは、確か――

「えっと……あいつを救う、ってことよね。レミットとかバカイルの話だと。」

「はい、『魔宝がたりなければ自分が持つあらゆるものを代価にしても彼を救う』、ですね。それがヒントです」

「えー? うー?」

 頭を抱え始めた彼女に、吟遊詩人はではもう少しだけ、と言葉を続ける。

「では次に、カイルさんが願ったのは、どんな願いでしたか?」

「それなら私もいたから覚えてるわよ。『自分の魔宝の権利分を魔力に換えてレミットに与えること』でしょ」

 結局アレがどんな意味を持っていたのかはよくわからない。

 「魔宝の権利」は譲渡できないから「魔宝の魔力」を渡したところでどんな意味があったのか。

 ただ、そのおかげでレミットは「向こう」に行けたようであるし、仲間の女性達も理解できた者と理解できなかった者がいたので、難しいことを考えるのが苦手なこの妖精はそこで思考を放棄したのだが。

「向こうの世界に行くには最低でも魔宝3つ分が必要。レミットさんの魔法力を燃料にして燃え続けるイフリートの熱を消し去るのに魔宝の数が2つではわずかに足りなかった。そして、カイルさんの魔宝の権利が1つ。単純な足し算ですよ」

「ううううう?えええええ?」

 百面相をしながら唸る小妖精に、おやおやと微笑みながら、吟遊詩人は再び異世界の友人と、そんな彼を純粋に求めた少女のことをう。

 

 自分が今持ちうる、そして『今後手に入れるあらゆるもの全て』をささげても、あの人を救いたい。

 そんな単純な少女の願いと、愛しい青年への想い。

 そしてその願いをかなえるために命を共として支えた仲間たち。

 

 本当なら仲間たちですら騙しあい、奪い合って、自分の欲望を叶えようとするものたちに求められ続けていた魔宝。

 なのに、あのものたちは、『誰か』のためだけにそれを使おうとし、そしてそのパーティの仲間も、誰も見返りを求めずそれを支援し続けた。

 

 そんな彼女たちだから、この吟遊詩人は傍観者は主義を曲げてちょっとだけ手伝いたくなったのだ。

 だから、あのとき「正解」への道を示したのだから。

 

「あの人にとって、レミットさんが居ない世界が絶望なら――彼は『救われて』ませんから、ね」

 

 つまり、そういうことだ。

 

 彼が救われるためにはレミットが必要で。

 ならば、レミットがした最初の願いを叶えるためにはレミットは「あちら」に行くことも必要なことになる。。

 そしてレミットの前回の願いの条件にあるように――『その願いのためならば彼女の全てを代価にできる』。

 例えば――『魔宝二つ分に匹敵するレミットの内なる魔力』と、『カイルの譲渡した魔宝一つ分の魔力』とか。

 

 だから単純な足し算なんですよ、と。吟遊詩人は嘯いた。

 

 だがそれは、少女が最初に自らの全てを差し出す覚悟で願いをして、二度目に自分を犠牲に彼の帰還を願い、さらにそれを見届けた魔族の青年が自分の権利を少女のために使おうとしたからこそできた、裏技だ。

 

 そして、そんな大勢の想いが込められた願いを受けた魔宝の竪琴が、今度こそ役目を終えて消えたというのなら。

 きっと、二人は――

 

 

「うぬぬぬぬ? うぐぐぐぐぐ……」

「……フィリーには、ちょっと難しすぎましたかねぇ」

「うがー! 何よ!教えなさいよ!」

 はいはい、と軽く答えながら、その吟遊詩人は楽しそうにリュートを掻き鳴らす。

 

 大庭園に響くそのメロディーは、恋歌を思わせる優しい音色で――

 

「夢見る力を、皆持っているってことですよ。……そうですよね、暁の女神様(ワタシ)?」

 

 

 

 

         ◇

         

            ―-ぽろろん♪

  

         

         

「あれ?」

 

 パーティも終わり、夜の散歩もいいものだと、夜空を見上げて手をつないで歩く、とある恋人達。

 だが、ふと少女が立ち止まり、きょろきょろとあたりを見回した。

 どうした、と想い人の青年が声をかけると、少女は少しだけ涙ぐみながら、それでも嬉しそうに笑う。

 

「なんでもないわ。ちょっと、懐かしい音が聞こえた気がしただけ」

「……ああ、俺も聞こえた気がしたよ。……元気にしてるみたいだな」

 

 その音は、どこまでも幻想的で、二人だけにしか聞こえない――ただの気のせいに違いない。

 二人とも、それは分かっている。

 だが、同時に確信もしているのだ。

 でも、きっと、あの瞬間に、その音は向こうで奏でられたのだ、と。

 

 ここではない、誰も信じないだろうその世界で過ごした日々。

 徐々に記憶は薄らぎ、それでも決して忘れない、あの美しい世界。

 

 それは、例えるならメロディだ。

 形ある証拠も今はなく、自分達ですらその旋律を忘れていってしまっても。

 その旋律を聴いて感動したことは、忘れない。

 ずっと、ずっと二人は覚えている。

  

「……さ、いきましょうか。ちゃんと家までエスコートしなさいよね」

「わかっているよ、俺のお姫様」

  

 星達がフェアリーテールのように煌き、星座の踊る夜空の下で。

 輝く明日が来ることを待ち望むように、恋人達はお互いの心に、小さな愛のともし火を携えて、歩く。

 

 きっと、今日も二人は――あの世界での優しい人たちの夢を見ることだろう。

 

     ~終~




これにて閉幕。

最終章は本で出したときには時間が足りないせいで満足してなかったので、今回大幅に書き直しをするつもりだったので投下が遅れてました。

ご拝読していただき感謝です。

今回のタイトルはエンディングの曲名からです。


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