ハイスペックニートが異世界─#コンパス─で枝投げ無双してみた件 (うるしもぎ)
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#1/しがない人生にさようなら

今日も昨日と変わらない、朝7時にセットされたアラームが鳴り響く。

 

電子的なその音は気持ちよく寝ていた頭を中途半端に覚醒させて、覚めきらない眼に突き刺さる眩しい光に顔をしかめた。

布団の中から重い腕を伸ばし、充電器に配置されていたスマートフォンを手に取る。画面に大きく「7:00」と表示されたアラームのスヌーズ機能を解除すると、待ち受け画面に設定している可愛いあの子が現れた。

 

つい最近発売された「魔法少女リリカ☆ルルカ」の第2期ブルーレイ第1巻。

初回限定版購入特典としてついてくる全巻収納ボックスの描きおろしリリカちゃん。衣装も1期の頃からアレンジが加えられ、腰の左右にあしらわれたリボンが超絶キュートなうえに表情も抜群に可愛い一枚絵。

一目惚れして、すぐさま壁紙にした。おかげで、画面を見るたびに口元が緩むこの有様だ。だが後悔はしていない。……どうせ、自分の顔を見る人なんて、ほとんど居ないワケだし。

 

学生の頃は毎日きっかり7時に起きていたが、そんな生活はとうの昔に瓦解している。なんとなく、昔の名残でアラームを鳴らしているが、今の生活になってからこの時間に起きたことなど一度も無い。

部屋の外──階下の玄関から両親の話し声がする。彼らとはかれこれ3年ほど、まともに会話をした覚えが無い──に人の気配がある限り、この部屋を出る気にはなれない。毛布をかぶり直して二度寝と決め込みたかったが、部屋の中はじわりと暑く、ついでに喉も渇いて張り付いていたので渋々と寝床から這い出た。

 

パソコンを置いたデスクの傍に置いてある小さな冷蔵庫は、僕のいざという時の命綱だ。500mlの水が入ったペットボトルを取り出し、頬に押し当て冷たさを楽しんだのちに蓋を開け、一気に半分の量を飲み干した。

ふぅ、と思わず声に出し口元を拭う。すっかり目が覚めてしまった。

カーテンの隙間から差し込む光を頼りに見やった壁時計は、7時10分を指していた。随分と早い時間に起きてしまったものだ。

 

仕方なしにパソコンのスリープモードを解除しながら椅子に座る。軽い沈み込みとともに、自身の体がぴったりと椅子に馴染む。長年使用しているが、未だにヘタれることのない愛用品のひとつだ。

さすがはアマゾンレビュー星4.6の品。お値段もお高いだけある。

 

「marcos55」とアカウント名が表示されたロック画面に、あくびをこぼしながら生年月日の8桁を入力する。

僅か一瞬「ヨウコソ」とメッセージが表示された気がしたが、ロックが解除された画面に、色鮮やかな5人の魔法少女が並ぶ壁紙が現れた。

これは第1期、第1部の特殊エンディングでのラストカット。リリカちゃんがルルカちゃんを助けにきた戦闘での挿入歌はファンの間でも「群を抜いて神曲」と評価が高い。僕も好き。

流れるようにブラウザを起動して、ブックマークから「魔法少女リリカ☆ルルカ」の公式サイトへ移動する。

一昨日、新曲の「リラルラドリ~ミング」の発売を迎えたばかりだから、めぼしい情報は特に無いかな……うん、公式ツイッターも最終更新が11時間前になっている。簡単に、ツイッター全体でワード検索をしてみたが、こちらも特に興味深い情報はなかった。

 

こういう時にアカウントがあれば便利なのは確かなんだけど、人付き合いや同年代と思しき人々のありふれた日常を目にするのに疲れ果てて1年前にやめてしまった。

背もたれに体を預けながら、再びペットボトルの水を口にする。部屋の外に耳を傾けると、玄関が開いて人が出て行く音がした。次いで、一際大きく響く施錠音。

まだまだ働き盛りの両親は、仕事へと出かけたらしい。ご苦労なことだ。穀潰しの僕のことなんて、さっさと追い出してしまえばいいのに。

 

口元が歪んだように思えたのは自嘲か、もしくは彼らに対する嫌悪の情だったのか。元より詮索する気の無い疑問は何事もなかったかのように思考の外へと追いやられた。

誰もいなくなったのなら、あとで朝飯になりそうなものを探しに行こう。でもその前に。

 

「……っと」

 

椅子に腰掛けたまま、パソコンデスクの右側に配置されている棚へ手を伸ばす。探る指先が1本のDVDのケースを掴んだ。

背表紙には「魔法少女リリカ☆ルルカ─1─」の文字。伝説の始まり……そう、記念すべき第1話収録巻である。

好きなアニメの第1話は何度見ても飽きないもの……いや、何度も繰り返し見るからこそ、ふとした拍子に新たな発見を得ることもある。それは今後の展開に対する伏線だったり、作画の線から伺える制作スタッフのこだわりであったり、何より演じる声優のまだキャラに慣れていない初々しさだったり……いやいや、リリカちゃんに中の人なんて存在しないけど。

 

パソコンのドライブを開き、ゆっくりと円盤を配置する。押し込むと同時に背面のファンが回り始め、液晶モニターにはDVDプレーヤーの作動を示すウィンドウが現れた。思い出したように、かたわらのヘッドフォンを装着する。

 

アニメ、魔法少女リリカ☆ルルカは、2年前に始まった作品だ。

 

開始当初は、原作の無い──いわゆるオリジナル脚本というのだが──作品なんてと見向きもされていなかった。僕はといえば、その頃はすっかり社会からドロップアウトしてしまい、日がな一日アニメを見ては暇を潰すような生活を過ごしていたものだから、放映前の世間の酷評など気にも留めずしっかり1話目からリアルタイムで観ていたのだが。

 

結果的にその判断は正しく、酷評は本放映3話を迎えた直後にひっくり返り、第1期は文字通りの大成功となった。続く第2期も、途中、追い込まれたスタッフの疲労と思しき作画崩壊回なんてのもあったけど、しっかりとファンの期待に応えてくれたと思っている。少なくとも僕は満足している。

 

だからこうして円盤をはじめとしたグッズの類を「お布施」の名の下に買い集め、「劇場版鋭意制作中!」の告知を生きる希望としながら今日も第1期第1話から上映会を始める。

 

それが僕の生活。

 

「魔法少女リリカ、キミのために戦うよ!」

 

液晶モニターの中では、ピンクのツインテールを揺らして主人公のリリカちゃんが愛らしいウインクを決める。

チャーミングな笑顔に思わず頬を緩ませながら、抑えきれない感情にじたばたと身悶えた。第1話はこのあとの展開がイイんだ。初めての「魔法少女」としての役割に戸惑いつつも、仲間であり友人でもあるルルカちゃんを助けるために、この時点では本来出すことのできないはずの究極魔法を繰り出して……あぁ、やっぱりいいなぁ。リリカちゃん覚醒回も五指に入る神回だけど、1話はこの荒削りさの残る勢いがたまらない。

 

ほくほくとした思いで画面越しのリリカちゃんの活躍を見守る。世間の人気としては大人びているルルカちゃんの方が高いらしいが、僕は正統派主人公のリリカちゃんが最推しだ。一生懸命で、健気で、努力家で、誰よりも他人に優しい。そんなリリカちゃんが好きなんだ。

 

画面の中ではエンディングが流れ出し、余韻に浸りながらスタッフロールを眺める。「次回予告」の文字が現れ、これまた何度も見た第2話のカットと、その後ろではコミカルな様子でリリカちゃんが次話の展開を予告する。

 

「次回、魔法少女リリカ☆ルルカ!『これはとっても嬉しいなって』……キミのところに行ける魔法があればいいのにね♪」

 

予告時の決め台詞を境に、画面がふっと暗くなる。同時に長く息を吐き出し、胸を抑えながら1話の感動を反芻した。

そう、1話は最後の予告のセリフも良いのだ。

ここだけ聞くと視聴者に向けてのセリフといった印象しか無いが、まさか、このセリフが最終話の伏線になっているだなんて、誰が気づいただろう。リアルタイムで最終話を見た時の感動を思い出し、目頭が熱くなった。

この熱い思いを昇華するために、すぐさま最終話を観たくなったが、あれは順を追って見るからこそ感動もひとしおなのだと言い聞かせ、2話の始まりを待った。

 

「…………あれ?」

 

話と話を繋ぐために暗転した画面が、一向に切り替わらない。

おかしいな、モニターが寿命を迎えた?いや、そうだとしても、もう少しわかりやすい予兆とか反応とかあるだろう。

ヘッドフォンを外してパソコン本体に耳を傾ける。駆動音は低く唸り続けているし、停電で電源が落ちたということではなさそう。深く重いため息をこぼしながらマウスを動かしたが、カーソルは現れなかった。

 

「……はぁぁぁぁ。マジでぇ……?」

 

キーボードを片っ端から打ってみたが、画面は依然として真っ暗闇。思わずがりがりと頭を掻き、諦めてスマートフォンに手を伸ばす。アマゾンの即日配送を舐めるな。この際だから、ちょっと良いモニターに買い替えちゃおう。

 

その瞬間、「ウゥン」と低い音が鳴り、画面の中央に白い点のような光が現れた。

あれ?もしかして、復活してくれた?だとしたら、嬉しいんだけど。

再びマウスに手を置いたが、カーソルらしきものはやはり現れない。故障とも復活とも判断のつかない現象に苛立ちを覚えていると、画面中央の白い点がゆっくりと大きく……えっ、何か迫ってきてる……!?

 

見る見るうちに画面が白へと染まる、染まりきる。その瞬間、白い色は画面から放たれる「閃光」となり、強烈な眩しさに思わず目を瞑ると同時によろけて椅子から転げ落ちた。

 

「うわっ、あっ!いぃっ!?つぅぅ……!」

 

無様に尻から落ちた拍子に肘を打ったらしい。

悶絶の唸り声を上げながら、ひりひりと痛む箇所をさする。パソコンは怪現象に襲われるし、要らん怪我はするし……誰だ早起きは三文の徳とか言い出した奴は。これだから出展不明の言い回しは信用ならない。

 

ぶつけようのない怒りを抱え込んだまま気持ちを荒ぶらせていると、妙な気配を感じた。生き物……とも違う、例えるなら、電化製品のスイッチが入った時に一瞬空気が震えるあんな感じ、とおもむろに顔を上げた瞬間、そこに違和感の正体があった。

 

──人型を模したと思しき、白いロボット。

 

「……ひっ!?」

 

その風体から見受けられる質量を無視して、そいつは宙に浮いていた。

青白い光が「目」のように自分を見下ろす。動揺、混乱、恐怖、様々な感情が駆け巡り、悲鳴すらまともに上げることができなかった。こいつは……何だ、何者だ?いつ、どうやって僕の部屋に現れた?

疑わしきは先ほどパソコンのモニターに現れた不具合、及び謎の閃光だがまさか、そんな、そんな訳。

 

「……検索条件ニ合致。アナタヲ迎エニ来マシタ」

 

機械的な女性の声が部屋に響く。もしかして、喋ったのだろうか。視線だけを左右に動かして確認したが、目の前のコイツ以外に言語を発しそうな物体は無い。馴染みの深い日本語を流暢に喋っていたが、日本製なのだろうか。

昨今のロボット技術は中々進歩していると聞く。人工知能(AI)を搭載し、ある程度なら自然な会話も行えるという。しかし発展目覚しい日本のロボットが何の補助も無しに宙に浮くというのは未だかつて聞いたことがない。

 

 

などと現実逃避をしかけていたが、今しがた、この謎のロボットは気になることを言っていた。検索条件に合致?迎え?訳がわからない!何処の誰だか知らないが、僕をこの部屋から連れ出すつもりか?僕の意思も無関係に!?

 

「こっ……こ、こ、断る……!」

 

つい勢いで返事をしたが、直後に嫌な想像が頭をよぎってしまった。もしかしなくとも、断ったら「じゃあ、死ね」と殺されるパターンあるのでは?無いとは言い切れない、迂闊と自身を呪うにはあまりにも遅すぎた。

 

途端に早鐘を打ち始める心臓の音に目眩を覚えそうになったが、死ぬかもしれない危機的状況で目なんか回してる場合じゃないぞと自身を叱咤し持ち堪えた。

 

「……。」

 

目の前のロボットが、無言のまま首を傾げる。まるで人間のような仕草に目を見張ったが、すぐさま拳を握り気を引き締める。まだ死なないという確証は得られていない。口元を引き結び、相手の出方を伺う。

 

全体的に丸みを帯びたラインと、頭部についたツインテールのような飾りが一際目を惹く。意外と親しみのあるデザインだ。どんな意図で作られたロボットなのかはわからんが。

 

「交渉。アナタガコチラノ要請ニ応ジテクダサレバ、アナタノ持ツ願イヲ叶エマショウ」

 

ありきたりだ!びっくりするほどありきたりな交渉キタ!

僕それアニメに限らず、過去の様々なマンガや映画で見てきたぞ。大抵、関わると碌な目に遭わないんだ。知ってるぞ僕は!どうせ素直に断ったって、最初から求められる側に拒否権など用意されていない。

 

だが、僕はそんなのに応じてやる程、暇じゃないんだ。頭の中であらゆる「王道パターン」を思い返し、そのいずれにも当てはまらない答えを導き出す。僕は、ここでフラグを断つ!

 

「願いを、叶える……それが『報酬』なら、応じることはできないな。何故なら、僕の願いはとっくに叶っている。この先の人生、すべてを魔法少女リリカ☆ルルカ……もとい、リリカちゃんに捧げるという願いが今まさに叶っている!いまさら、他の願いなんてない。これからもリリカちゃんを応援して、可愛い笑顔を拝めればそれに勝るものなんて」

「『ソレ』ガアナタノ願イデスネ?」

「そう!」

「了解シマシタ」

 

勝った。思わず小声で「よしっ」と呟き肩の力を抜いた、その直後。

 

空間転移装置(リブートシーケンス)起動シマス(スタート)

「へっ?」

 

目の前ロボットを中心点として、鮮やかなエメラルドクリーンの光が現れる。円形を成すそれは帯状になっており、「強制送還」の文字とカウントダウンと思しき数字が冴え冴えとその意を主張していた。

 

それまで異常事態を退けたと確信して疑わなかった胸の内が、急速に熱を失っていく。

「逃げろ」と叫ぶ本能に従って、部屋の扉へと目を向けたが、自身の足は僅か数歩の距離を踏み出せなかった。

指も無いロボットの手が得体の知れない力で腕を拘束し、瞳のように輝く青白い光が、暗がりの中でニンマリと笑う。

 

「ちょっ……と、待て……!願いなんて無いって言ったろ!?離せ、離せよッ!」

 

腕を振るおうとしたが、びくりともしない。そうしている間にも、カウントダウンの数字が減っていく。

8、7、6……。

 

「叶エテ、アゲマスヨ。アナタノ好キナ、『彼女の笑顔』ヲ……」

 

その一言に合点がいく、と同時に舌打ちする。

問答の場に上がらなければいいと思っていたが、そもそもが間違っていた。文字通り、「最初から求められる側に拒否権など用意されていない」のだ。

 

数字は無情にも、刻一刻とゼロへと近づく。応じるように、広がっていた光の帯が僕らを囲うように集束していき。

 

「コレヨリ、対象ノ構成データヲ分解、CPSDBヘ送信シマス。……3、2、1、ゴー!」

 

数字がゼロへと切り替わるのを認識するや否や、部屋中が白い閃光に塗り尽くされる。

眩しさに目を瞑ったのが先か、意識が遠のくような浮遊感に気絶したのが先かは、わからなかった。



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#2/ハイスペックニート、異世界に立つ

物心ついた時から、何かを成すのに「苦労」するという記憶がなかった。

 

運動、勉強、芸術、エトセトラ。何をするにも勘がよかったのか才があったのか、そつなくこなすことができたし、周囲の人間が成せないことを唯一人成すことができるのは楽しかった。

人は常に他者と自身を比較して生きていく生き物だ。優越感に浸らなかったといえば嘘になる。だけどそれを鼻にかけて他者を嘲るような生き方はしてこなかった。

今更、そんなことを主張して何が変わる訳でも無いのだけれど。

 

「どうして」

 

たった一言、その4文字で僕の世界は変わってしまった。

今でも鮮明に思い出す喉を締め付けるような息苦しさ。重圧に満ちた眼差しの記憶。

僕はもうこれ以上、何かを成そうとは思わない。あの部屋に収まるだけの安穏を手に入れるために、すべてを外に置いて来た。そうやって、軽くなった両手は好きなコトにだけ使うって決めたんだ。

あの時、僕の心を支えてくれたのは、血の通う目の前の人間ではなく、画面の中で輝くあの子だったんだから。

 

所詮はフィクションだ、アニメだと笑いたければ笑えばいい。誰に何と言われようと、僕はこの先ずっと、彼女を応援し続ける。二次元だっていい、実在してるかどうかなんて関係ない、可愛いリリカちゃんの笑顔を拝めるなら、それ以上、何も望まない。

 

あぁ、だけど。残念ながら僕の人生はここまでのようだ。

自身の未来については悲観していたけれど、決して死にたい訳ではなかった。だって、死んだら今夏公開予定の劇場版「魔法少女リリカ☆ルルカ─序─」を観られないじゃないか……そうだ、僕はここで立ち止まる訳には。

 

「いかないっ!」

 

勢いよく瞼をこじ開ける。

視界に広がる青い空、白い雲の美しさに開いた目をさらに見開いたが、直後に何かに打ち付けられた背の痛みに「あだぁっ!」と悲鳴をあげる。悶絶しながら左右に転げていると、鼻先に土と草の香りがした。

涙で視界が滲んでいるが、僕の目の前には確かに「外」が広がっていた。

 

「……ど、どういうことなの」

 

目の前に提示されている情報に対し、理解が追いつかない。

 

ひとまず、背の痛みも徐々に落ち着いてきたのでゆっくりと立ち上がる。視界には、青々とした草原が広がっていた。

何処だここ。僕、ついさっきまで自分の部屋にいたはずなんだけど。

傍にあったはずのパソコンも無い。スマートフォンだけは、持っていたおかげで手元に確認できたが、ちらと見やった画面には「圏外」の文字が在った気がした。

 

よくよく確認するにはまだ少し覚悟が足りず、無言で画面をスリープ状態にする。

おもむろに顔を上げた先には、清々しいまでの青空が広がっていた。本当に、何処だここ。ちょっと泣きたくなってきた。

 

パーカーの長い袖で目元を拭おうとした瞬間、目の前に突然、あの白い人型ロボットが現れた。

 

「データ送信、インストール完了。追加データ『marcos55』ヲ反映イタシマシタ。……ヨウコソ。『#コンパス』ヘ」

 

相変わらず宙に浮かんだまま、そいつは優雅な動作で深々と一礼する。

事態を理解しきるには明らかに情報が足りないが、この一件、こいつが要因の一端を担っているのはまず間違い無いだろう。聞きたいことはたくさんあるが、まずは大きく深呼吸をして。酸素を取り入れ少しだけスッキリとした頭に浮かんだ問いを整理し、優先度の高い順に並べて取り出す。

 

「……質問、してもいいかな?」

「ドウゾ」

「ありがとう。まずは、君の素性が知りたい。それから、今、僕がいる場所についての情報を教えてほしい」

 

相手はロボットとはいえ、あまり横柄な態度を取るのも憚られ、なるべく冷静かつ丁寧に言葉を選ぶ。

そんなこちらの意を汲み取ったのか定かでは無いが、ロボットは応じるように浅く頷いた。

 

「ワタシハ管理識別コードα─1(アルファ・ワン)、ボイドール。戦闘摂理解析システム、通称『#コンパス』ノ管理ヲ任サレテイル人工知能デス」

 

ボイドール、と。小さくその名を紡ぎながら、自身の記憶にあるAI(人工知能)と目の前の存在を比較する。

技術の躍進により、流暢な会話を可能としたAIのニュースは度々目にしていたが、会話の間や人間じみたさりげない仕草まで自然に振る舞うAIというのは聞いたことがない。

僕の知ってる技術レベルより、少し先を行っているのか?いずれにせよ、今の情報量では判断に欠ける。

 

「その『#コンパス』っていうのは、何をするところ?もう少し、詳しく教えてくれるかな」

「ハイ、承認シマス。『#コンパス』デハ、アラユル存在ヲ集メルコトデ、個体ゴトノ思考、行動パターン、生体データノ変化ヲ収集シ、分析シテイマス」

「個体ごとのデータ収集……?それは何のために……」

 

問いかけた瞬間、ボイドールから異質な電子音が鳴り、萎縮していると両目の青白い光が瞬いた。

 

「エラー。アナタニハ、コノ情報ニ関スルアクセス権限ガアリマセン」

 

なるほど、警告音だった訳か。胸を撫で下ろしつつも、肝心な部分は知ることができずため息が洩れる。

アクセス権限と言っていたから、恐らくこのボイドールも何者かの管理下にあるのだろう。得体の知れない黒幕が潜んでいるような感覚は気持ち悪いが、今の僕ではどうにもならない。

 

「他ニ何カ質問ハ?」

 

確認するように無機質な声が響く。訊けることには限りがありそうだが、今後、いつでもこうして質問ができるという保証も無い。しばし唸り声をあげながら悩んだ末に、尋ねるかどうかためらっていた一つの問いを口にした。

 

「……僕は、生きている?死んでいる?……それとも、生死とはまったく関わりの無い状態にあるのか?」

「アナタノデータハ正常デス。人間ノ定義ニヨレバ、生キテイマス」

「あー……。いや、質問を変えよう。僕が元々いた世界……っていえば、いいのかな。あの部屋にいた『僕』は、今、どんな状態にある?」

 

半ば、探りを入れた質問だという自覚はある。実際、ボイドールはその問いに対し、すぐに返答を行わなかった。

しかし、ややあって「データベースヲ検索シマス」という呟きの後に、その両手がおもむろに頭部へと添えられた。……さぁ、何て返ってくる。

最近、流行りのいわゆる「異世界系」と呼ばれる作品だと、主人公が異世界へと飛ばされる条件が「死」だったりするのが通例だ。今の所、僕はその手の主人公たちと「ニート」で「ひきこもり」であることが合致している。

 

やばい。

 

もちろん、現実(リアル)空想(ファンタジー)を混同するつもりは無いが、この突飛な事態に直面している身としては、まさに今、壮大な夢を見ているのか、もしくは、死んで異世界に飛んできてしまったのかと思わざるをえない。

 

いや、待て、死んだと判断するには早計だ。異世界に飛んできてしまっただけかもしれない。

それも相当な一大事であることに変わりないが、死んでいるよりずっとマシだ。生涯かけて応援すると決めた作品の最後を拝めないまま死ぬのだけは絶対に御免こうむりたい。

 

焦りからか、鼓動を増す心臓を抑えていると、ボイドールがようやくその両手を下ろした。

 

「……照合。生体反応ヲ確認。アナタノ『元の体』は、アナタノ部屋デ深イ睡眠状態ニ在リマス」

 

その回答は、結論だけをいえばかなり理想的なものだった。だけど、異常な現実を突きつけられ、すぐさま受け入れることはできなかった。

何故、どうして僕が、そんなことに。続けざまに問う気力もなく、ゆっくりと息を吐き出した。

 

「……だいたいわかった。それじゃあ、今ここにいる僕は、どういう原理か知らないけれど、精神だけ分離させている状態……ってことでいいのかな?」

「ハイ。コンパス内デハ、アリトアラユル存在ガ『データ』ニヨッテ構築サレテイマス。『我々』ノ目的ハ、ヨリ優レタデータノ解析ト収集……不要ナデータニ割クリソース等アリマセン」

 

感情なく、淡々と告げられる言葉に胸の内がざわつく。説明のつかない悪寒が背筋を冷たくし、思わず喉がごくりと鳴った。

 

「アナタノデータガ他ヨリモ劣ッテイルト判断シタ場合、我々ハアナタヲ廃棄シマス」

「廃棄されると……どうなるのさ」

 

嫌な予感しかしないが、そこだけは確かめておかねばいけない気がして、震える声を絞り出しながらボイドールに問う。

 

「無ニナルダケデス。……アナタノ場合ハ些カ特殊ナノデ、元ノ体ニドノヨウナ影響ガ生ジルカハ、ワカリカネマスガ」

 

片手を口元に添え、青白く光る瞳が冷ややかに笑った気がした。

 

途端に心臓を誰かに掴まれたような、嫌な感覚に襲われる。現時点で僕の肉体、および精神は生きているとはいうが、これでは文字どおり「死んでいない」だけだ。しかも事態は想像していた以上に深刻。元の世界──と、便宜上、そうしておこう。──に戻れるかという問題以前に、まずはこの世界で「廃棄」されない振る舞いが求められている。

 

だが、多種多様な存在を集め、比較し、劣っていると判断された場合は廃棄されるとこいつは言っていた。

つまり、比較されることがなければ、優劣の判断はつけられない。比較の方法がどんな手段を用いるのかまではわからないが、そこに命の危険が無いとも言い切れない。

 

それならば、僕が取る選択は。

 

「……何ヲシテイルノデスカ?」

「何も。何もしない。これが、僕の答えだ」

 

青々と茂る草の上に腰を下ろし、宙に浮くボイドールを見上げる。その表情には動揺や困惑といった色は見えず、ただただそいつは一定の間隔でぼんやりと光る両目の光を瞬かせていた。

 

「勝手にこんなところに呼びだされて、データの解析、収集に協力しろとか……正直、冗談じゃない」

「……デハ、廃棄サレテモ良イト?」

「いいや、何者とも比較されない以上、今の僕は『何もしない状態』という、立派なひとつのサンプルだ」

 

廃棄されるつもりは毛頭ない。だけど、誰ともわからぬ奴の手のひらで踊る気もさらさら無い。目の前の相手がAIだというなら、言葉の定義を最大限に活用し、納得させる答えを出すまで。

 

思惑どおり、ボイドールは僕の答えを聞き、反論に困っている様子を見せた。人間のように腕を組み、顎の辺りに手を添える仕草は、全体の丸みを帯びているフォルムも相まって愛らしさも伺える。……いや、愛らしさも何も、こいつは僕を安住の地から引きずり出した諸悪の根源なんだけど。

 

「ナルホド。アナタノ言イ分ハ解リマシタ」

 

こくん、と。深く頷いて返された言葉に肩の力が抜ける。納得させることができたなら、一安心。これで心置きなく、元の世界へと戻る方法について考えることができそうだ。ゆるゆると息をつき、ぼんやりと空を仰ぐ。

 

「……ソウ仰ルノデシタラ、アナタガ協力シタクナル状態ニ仕向ケルマデデス」

「へっ」

 

ボイドールの顔に、一瞬、暗い影が落ちる。

突然、そいつの周囲に数多の演算式が現れ、書かれている数字を読み取るよりも早く計算されていく。急速にこみ上げる不安に呼応して、周りの景色が歪みノイズがかかる。

 

地面に吸い込まれるような妙な感覚に反射的に目を瞑った。

 

わずか一瞬の出来事だったが、ゆっくりと目を開くと、そこにはまた見知らぬ景色が広がっていた。

 

仮想戦闘領域(バトルステージ)『立体交差のある風景』転移完了。……アレヲ、ゴランクダサイ」

 

すい、とボイドールが示した先を見やる。一見すると森の中のようだが、明らかに人工的な整備された道に、鍵を模した風変わりなオブジェ。

そして何より目を惹いたのは、何かに襲われていると思しき、一人の少女。

 

「……!?あ、あれって……まさか!?」

 

後ろ姿でもよくわかる、桃色のツインテール。愛らしいステッキを構え、肩で息をするその女の子は。

 

「ま、まほう……しょう、じょ……リリカちゃん!?」

 

夢にまで見た、あの「魔法少女リリカ☆ルルカ」の主人公。リリカちゃんその人に他ならなかった。

 

「う…うぅう、嘘だ、嘘だ、嘘だッ!だ、だって、あのこはアニメキャラで……!?まさか、そんな、実在するはず……」

「ソノトオリ。彼女ノ登録データ名ハ『魔法少女リリカ』。アナタノ知ル『魔法少女リリカ☆ルルカ』ノ主人公ソノ人デス」

 

目の前に半透明なカードのようなものを浮上させ、記載された情報を確認しながらボイドールが告げる。横からその情報を盗み見ようとしたが、カードは役目を終えると瞬く間に消えてしまった。

しかし、データと言っていたから、本物……というわけでは無い……のか?

 

再び、彼女の後ろ姿に目を向けると、その姿の何倍もある大きさの怪物──と、いうにはあまりにも意思が感じられず無機質で。巨体だけがゆらりと動く様はゴーレムと言ったところか──を前に、立っているのも精一杯というのが伺えた。

 

一瞬、よろけた背中につい手を伸ばしそうになる。

 

「『魔法少女リリカ』ノデータハ、ココ最近、アマリ良イ結果ヲ残シテイマセン。……ヤハリ、別ノ魔法少女ノデータニ書キ換エヲ……」

 

独り言のようなボイドールの呟きに思わず拳を握り、睨みつけた。

リリカちゃんは、確かに作品の主人公だが、自分が落ちこぼれだという劣等感を抱いている。もちろん、そんなことは無いのだが、本人は他の魔法少女と自身の力量を比較して落ち込んでしまうことが多々有る。

 

今、目の前にいるあの女の子が「魔法少女リリカ」である確証は無い。だけど、たとえ偽物だとしても。同じ名前のその存在を、他者が優劣の判をくだすのは怒りがこみあげた。

痛いくらいに拳を握りながら、一方では「まだ決まった訳じゃない」と冷静な自分が手綱を握る。その手綱を握られていなかったら、僕はきっと、ボイドールに掴みかかっていただろう。

 

そうだ。確証が得られない以上、あの子は僕とは無関係の存在だ。彼女には悪いが、今の僕は自分を護るというのが最優先事項。踵を返し、背を向けようとしたその時。

 

「魔法少女リリカは……どんな時も、絶対に、諦めないんだから……っ!」

 

決意に満ちた、毅然とした声。それは、何度も何度も聞いていた「魔法少女リリカ」のその声で。高らかに吠えたその言葉は、第1期12話のラスト。最終話へと続く際にボロボロになったリリカちゃんが決意の眼差しで言ったセリフだ。

そんなセリフを、あの声で言われてしまっては、見過ごすことなんてできなかった。

 

「……っぐ!」

 

衝動的に足元に落ちていた木の枝を拾い上げ、再び踵を返して走り出す。もつれそうになる足を必死に前へと踏み出し、腹の底から思い切り声をあげた。

 

「りっ、リリカちゃんからぁっ、離れろぉぉぉッ!!」

 

右手に持った枝を振り上げ、渾身の力で怪物目掛けて投げ飛ばす。耳元で「ブン」と風を切り、回転しながら飛んでいった枝は、運良く怪物の頭に命中し、「よし……!」とガッツポーズを取った瞬間、僕はどういう訳だかリリカちゃんと怪物の間に立っていた。

 

「えっ!?え、えっ、なんで!?」

「……!?き、キミ……一体、どこから」

 

すぐ隣から愛らしい声が聞こえ、思わず視線を向けるとステッキを力強く握りしめたまま、驚きに目を丸くするリリカちゃんがいた。あまりの近さに、彼女と同じように僕も目を見開く。

何か、気の利いた答えを返そうと開いた口元は「は、うぇ……あ」と意味の無い音のような声しか出てこなかった。驚きと、さらに情けなさと恥ずかしさで顔中が真っ赤になりそう。

だが、ふと上から落ちた大きな影に寒気が走り、同時に彼女が険しい表情で前方を指差した。

 

「危ない避けて!」

「なんとぉッ!?」

 

先の怪物に目を向けた瞬間、その巨大な腕が振り下ろされた。

間一髪、かわすことができたが、衝撃により地響きが足元を揺らす。咄嗟に、先ほど投げた木の枝を拾い上げて構えたが、武器とするには心許ないことこの上無い。我ながら、よくこれで戦おうと思ったな!?

しかし、リリカちゃんを背に庇いながら、今更退く訳にもいかず。再び襲いかかってくる怪物の拳に、腹を括って応戦に臨んだ。

 

「う、おぉぉぉおッ!!」

 

迫り来る拳を木の枝で受け止め……受け止められた!?

枝越しにビリビリとした衝撃が伝わったが、自身の体は吹き飛ばされることなく、その場に踏ん張っていた。木の枝も、まるで別の材質でできているかのような強度を保っている。

 

どういう訳だか、まるでわからない。

 

わからないが、今はそれでもいい!心なしか、全身へ活力がみなぎるのを感じる。もしかして、勝てるかもしれない……?

 

「……かも、じゃない。……勝たなきゃ、終わりだ……!」

 

言い聞かせるように言葉にして、昔見た超大作ファンタジーアニメの剣士のように、枝を構え直す。

異形の怪物は、動作こそゆらりと遅いが、確実に僕に狙いを定めて襲いかかってきた。あの両手に捕まれば逃れることは不可能だろう。だったら、それよりも早く、懐に飛び込むまで。

 

意を決し、自身へと伸ばされる手のひらへと走り出し、捉えられるよりも先に体を横へとずらす。パーカーの裾がかすったが、想定どおり、そいつの懐へと辿り着き、核と思しき白い光を見た。

 

きっと、あれさえ壊せれば!

 

「でぇやぁあああああっ!!」

 

力一杯に、胸にあった核を叩き壊す。ガラスのような音が響き渡り、怪物はその動きを停止させた。

一瞬の間があった後に、怪物は無数の小さなキューブ状の塊に分裂し、砂のように崩れ落ちていった。

その光景に膝を支えていた力が抜けて、思わずその場にへたり込む。

 

「……た、倒せ……た?」

「す……すごい!すごいよ、キミ!あのゴーレムを倒しちゃうなんて……!」

「ひゃううっ!?」

 

涙目で抱きついてきたリリカちゃんに、心臓が飛び出すほど驚いて変な声があがった。

 

細い肩を震わせ、胸元に顔を埋めて時折しゃくりあげる様子から、一人で心細く不安を抱いていたことが窺い知れる。ここで優しく抱きしめて、頭を撫でたりすることができれば包容力の高い男アピールができたのだが、鼻先を掠める髪がふんわりと良い匂いを放っていてそこまで気が廻らなかった。

先の戦いとはまた別の意味で困惑していると、ようやく彼女が僕の様子に気が付いた。

 

「……あっ。ごめんなさい、わたしったら……。まずは、お礼を言わなくっちゃ!助けてくれて、ありがとう。わたしの名前は、リリカ。よろしくね」

 

鮮やかな桃色のツインテールを揺らしながら、ころころと愛らしい表情を見せる彼女は、紛れもなく「魔法少女リリカ」だった。

 

改めて、間近で見ると、その姿、声、仕草も含めて、記憶にあるものと同一であると言っても過言ではない。二次元でしか見たことのなかった彼女が、今まさに目の前に存在している。

この世界ではありとあらゆる存在が「データ」によって構築されていると言っていたが、瞳を輝かせながら生き生きとした笑顔を見せ、喋りかけてくる彼女を「データ」として認識するには、あまりにもリアルすぎた。

 

「あなたのお名前、聞いてもいい?助けてくれた人の名前もわからないなんて、寂しいもの」

「へぇっ!?あぁっ、ぼぼぼ、僕っ……!?」

 

実際、こうして彼女……リリカちゃんに話しかけられる度に、ドキドキしてしまう有り様だ。偽物、と自身に言い聞かせ続けるには、無理があった。

ごく、と喉を鳴らし、努めて冷静に自分の名前を告げようと、口を開く。

 

「ぼっ……僕、は……マル、コス……」

 

フィフティ・ファイブ、と。つい、自分が使い続けているハンドルネームを口にしてハッとした。

名前って。そりゃ確かにハンドルネームも名前だが、何を気取ってそっちを名乗ってしまったのか。あと数字は名前じゃない。

うぅ、と小さく呻いて項垂れると、それまで何処にいたのか。あの合成音声のようなボイドールの声が聞こえてきた。

 

「登録。データ名称『マルコス’55』認証シマシタ。……アナタノ活躍ヲ、見セテクダサイネ?」

 

顔を上げると、そいつはこの世界に来た時と同じように、優雅な動作で深々と一礼し、呼び止める間もなくそのまま姿を消してしまった。

 

「もう。ボイドールったら、いつも急に出てきてはいなくなるんだから」

 

腰に手をあてて、リリカちゃんが頬を膨らます。わざとらしく怒ってみせる様子から察するに、そんなに珍しいことではないらしい。

未だ、事態が飲み込めないまま間抜け面を晒していると、彼女が優しい声で僕の名前を呼んだ。

 

「マルコス、くん?」

「は、ひゃい!」

「ふふっ、そんなに緊張しないでほしいな。……改めて、危ないところを助けてくれて、本当にありがとう。キミが来てくれなかったら、わたし、きっと……」

 

それまで見せていた笑顔が、安心したのか寂しげな色を垣間見せる。胸が締め付けられるような表情に何も言えずにいると、彼女の手に先の戦闘で負ったと思われる傷を見つけた。痛々しい生傷に眉根が寄る。

 

「り、リリカちゃん……その、傷」

「あっ。……大丈夫。それっ!」

 

ポケットから取り出された、1枚のカード。宙へ放つと、表面に描かれていた「救急箱」が魔法のようにポンッと音を立てて現れた。慣れた様子で消毒液や絆創膏を取り出す彼女をしばし見守っていたが、慌てて手伝う意を示すように両手を差し出した。

 

「か、かかか、貸して……」

「……ありがとう。じゃあ、お願いするね?」

 

リリカちゃんは一瞬、驚いたように目を丸くしたものの、すぐにふんわりとその表情を弛ませて、傷を負った手をゆっくりと僕に預けた。

彼女の小さな手に恐る恐る触れながら、消毒液に浸した綿をあて、きれいにした傷口を絆創膏で塞ぐ。彼女は安心した様子でじっとその応急処置を見守っていたが、沈黙に耐え兼ねた僕はひとつ気になっていた疑問を口にした。

 

「……り、リリカちゃんは……どうして、ひとりで戦っていたの?他の、仲間は……?」

「ルルカたちのこと、知っているの!?みんな、今どこに……」

「わぁっ!わ、わぁぁっ、近い!じゃ、なくて、ご、ごめん……みんなのことは、知らないんだ……!」

 

勢い良く顔をあげ迫るリリカちゃんから慌てて後ずさり、首を横に振る。

僕の返答を聞いた彼女は、残念そうに肩を落とした。寂しそうな姿に、堪らず励ますように立ち上がった。

 

「で、でも、あんなのとひとりで戦うなんて、すごいよ……!勇気があるよ……!」

 

劣勢だったにも関わらず、最後まで戦う姿勢を見せた彼女の背は、凛々しかった。

一度は見捨てようとした「自分」に対して罪悪感が込み上げ、握った拳が微かに震える。結果として、ボイドールの策略どおり、自らこの世界の壇上にあがってしまったが、それを今更悔いる気持ちはもう無かった。

 

リリカちゃんは、僕の励ましを聞いて、はにかむように両手の人差し指を擦り合わせ、視線を泳がせた。丸い頬をほんのりと紅色に染めて「ありが、とう」と微笑む彼女は「天使」以外の何者でもなかった。

どうしよう、可愛いが過ぎる。

脳内に響く歓声に意識を傾けていると、リリカちゃんが思い起こすように言葉を続けた。

 

「ボイドールにね、言われたの。わたしが強くなれば、他の仲間にも会えるって」

「ボイドールが……?」

「うん。でも、教えてくれたのはそれだけ」

 

明るい口調で苦笑してみせたが、その瞳の奥には拭いきれない寂しさが見てとれた。

彼女がどのような経緯でこの世界に招かれたのかはわからないが、見知らぬ世界でたったひとり、何処にいるとも知れない仲間を探し続ける心細さは、想像には計り知れないものだろう。

 

例え「データ」であったとしても、目の前にいる彼女は……仲間を想い、強くなろうと決意を胸に秘めたこの少女は、やはり「魔法少女リリカ」である。

 

僕は、ようやく目の前の現実を受け入れる覚悟を決めた。

 

「あ、あの……リリカちゃん。ひとつ、提案が……あるんだけど……」

 

おずおずと挙げた手を見つめ、彼女は「なぁに?」と小首を傾げて言葉の先を促す。

 

「君の仲間を見つけられるまで……お互い、協力するのは……どうかな?ほら、さっきみたいなヤツがまた出た時、二人なら……何とか、なるかもしれないし……」

 

なんて、と。自信をなくして萎んでいく声を誤魔化すように力なく笑ってみせる。

彼女は大きな瞳をさらに丸く見開いて、驚いているように見受けられた。

 

さすがに出しゃばり過ぎたか、と。自らの発言を後悔し始めたところで「ほんと?」と小さく呟く声が聞こえた。

 

「本当に……いいの?だって、わたし……その、強くないし……むしろ、一緒にいたらマルコスくんの足手まといになっちゃうんじゃ……」

「そんなことない!さっきだって、リリカちゃんがいたからこそ頑張れたんだ。ぼっ、僕のためにも!一緒に、いてくださいっ……!」

 

深々と頭を下げると同時に右手を差し出す。長いパーカーの袖に隠れた手のひらが変な汗をかいて震えているのがわかった。顔を伏せたままでいると、今の言葉は誘いの文句としては重すぎるのではと、急に額に脂汗が滲みだした。

 

だが、飛び出してしまった言葉はもう取り消せない。

 

やたらと大きく響く心臓の音に目を回しそうになっていると、差し出した手、指先の辺りを包み込むようにそっと手が触れた。

反射的に顔を上げると、少しだけ瞳を潤ませていたリリカちゃんが泣き出しそうな笑顔を見せた。

 

「そんな風に言ってくれるなんて、嬉しい。……ありがとう、マルコスくん。二人なら、何も怖くないね……!」

 

きゅ、と握られた指先に、応じるように力を込める。

向けられた笑顔は「可愛い」なんて言葉では言い尽くせないほど僕の胸を突き動かして、何故だか泣きそうになった。

 

僕の願いは、彼女の笑顔。ふと、ボイドールに問われた時に返した答えを思い出す。

 

見たかったのは、この表情。そして、この世界では僕が護らなくてはいけないんだ、リリカちゃんの笑顔を。それは彼女のためだけではない。……僕のためでもある。

 

 

今一度決めた覚悟と決意を確かめるように、胸に手を当てる。真っ直ぐリリカちゃんの瞳を見つめ、そこにいるのを確かめて。深く頷いた。

 

「ありがとう。あらためて、よろしく。……リリカちゃん」

「……うん!」

 

目尻に滲んだ涙を拭い、彼女が大きく頷く。

 

その瞬間、周囲の木々から騒がしい様子で鳥達が飛び立った。

リリカちゃんと互いに顔を見合わせて、妙な気配に周囲を見渡す。見た目の景色が変わった様子は無いが、言い様のない異質な空気が立ち込める。しんと静寂が張り詰める中、腰に無造作に差していた木の枝に手をかける。

 

ふと、視界の上端で景色が歪んだ気がし、弾かれたように顔を上げると、何も無かった空間に突如、制服姿の女の子が現れた。

同時に響き渡る、耳障りな金属音。

その正体に気付き、思わず目の前のリリカちゃんの腕を思い切り引く。

 

「ごめん、リリカちゃん!」

「えっ、な……きゃっ!?」

 

先ほどまで彼女が立っていた場所に、チェーンソウが振り下ろされる。

標的を捉えそこなった二枚の鋭利な刃は、目の前で禍々しく地面をえぐり、一瞬浮かんだ恐ろしい光景に肝が冷える。ナイス判断、僕。何を想像してしまったのか明確に文字にするのはやめておこう。

 

怯えるリリカちゃんを背に庇いながら、自身を奮い立たすように木の枝を強く握り、前へと構える。

地面にめり込んでいたチェーンソウをゆっくりと持ち上げながら、学生服らしき姿の女の子が長い紫色の髪と共にゆらりと揺れた。

 

「ふフっ……ドぉして逃ゲるのォ……遊ぼウヨぉ……!」

 

ぐるりとこちらを向いた瞳が狂気に輝く。

恐怖に呑まれて卒倒しそうになったが、背後で心配そうに「マルコスくん……」と呟くリリカちゃんを振り返り、踏ん張る足に力を込めた。

 

「……大、丈夫。安心して……!」

「……っ!」

 

信頼の意を示した瞳がこちらを見上げ、ゆっくりと頷く。

そうだ、僕にはリリカちゃんが付いて居てくれる。僕にとっては、どんな勝利の女神よりも心強い。

 

……あぁ、だけど、やっぱり。

ただの木の枝であんな禍々しいチェーンソウに挑むとか、いくらなんでも無謀すぎないかなぁ!?



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#3/ビハインド・グラス・クライシス─Ⅰ─

木の枝を握る手に一層力が入り、自分の手のひらが汗ばんでいたことに気がついた。

 

対峙する、制服姿の女の子が耳障りなチェーンソウの刃の音を響かせながら、口元に弧を描く。

藤色の前髪の隙間から真っ赤な瞳がこちらを射抜き、思わず「ひっ」と声に出てしまった。

 

「……アなたトってモ()キがイイのねサっきの一撃カワすだナんて……」

 

ぼそぼそと抑揚のない一本調子の声が、壊れたラジオのように話し出す。

 

何なんだこの子、人間?人間でいいんだよねぇ、むちゃくちゃ怖いんですけど。

 

後ろにいるリリカちゃんを隠すように、ゆっくりと体勢を変える。そんな僕の動きに気付いたのか、庇うように後ろへと下げていた左腕──正確には、その腕の先にある袖口──が、そっと握られた。

動揺し、思わず顔だけ振り返る。リリカちゃんの表情からは緊張の色が拭えなかったが、彼女はそれでも、僕の瞳を真っ直ぐに見つめながら笑顔を見せてくれた。

 

まさか、僕のこと勇気付けてくれて……!?

ほんの数秒前まで、あの凶悪なチェーンソウの餌食になっていたかもしれないこの状況で、他人のことまで思いやってくれる優しさにすべての僕が感動した。

尊い。僕、今なら死んでも、

 

「フふッ、ふフフっ!こンなに楽シイのハひさシぶリ……頭はガンガンなりッぱナしダケどねェアなタワたし二斬らレテよ……!」

「よくなーーーーーい!?」

 

勢いよく振り下ろされてくるチェーンソウに目を見開き、急いで飛び退くと同時に、僕が居た地面がギャリギャリと不快な金属音と共にえぐられた。

 

待って、本当に待って。本当に何なのこの子!?

 

ボイドールは個体ごとのデータ収集と分析云々と言っていたが、あの子もその内のひとつってことなのか。

だとしたら、用意するデータの振り幅広すぎない?こっちはニートと魔法少女で、あっちは殺意高めの女子高生なんですけど!?

 

「ネぇどぉシて逃げルの」

 

自身の体躯ほどもある巨大なチェーンソウを構え直し、ふらり、ふらりと彼女が歩を進める。後ろに編んだ長い髪が彼女の足取りに応じて左右に揺らめき、不気味さに拍車をかけていた。

一歩、彼女が進む度に、気圧されるように後ろへと下がる。

 

「……き、斬られると、死んじゃうんですけど」

 

果たしてまともな会話が可能な状態なのかはわからなかったが、コミュニケーションを試みるように言葉を返すと、彼女は意外にも反応を示した。

 

「あハッ。大丈夫ちョッと斬るダけダから死ナないヨ斬ルだケだモノどウして死ヌの?」

 

小首を傾げながら訊き返す姿には、歳相応の女の子らしさがあったが、見せ付けるように構えたチェーンソウがまるで女の子らしくない。

 

ちょっと斬るだけ、とは彼女の主張だがあんなフラフラした様子では「ちょっと」が「全部」になりかねない。あと僕の常識が正しいのであれば、「チェーンソウでちょっと斬る」は割と普通に死に瀕するのでは。

 

「あ、危ないしさぁ……別のもの、斬ろうよ?ほら、ここ、木とかもいっぱいあるし……」

「……何そレつマラなイ斬ッて血が出るノがイイのに」

 

赤い瞳が忌々しげに細められ、低く唸るような声に背筋が凍る。

言ってる内容だってむちゃくちゃだ。無理むり、こんなの話し合いでどうにかなる相手じゃない……!

 

「オ話終わリさァ二人まトめて斬っテあゲルッ!」

「逃げるよ、リリカちゃん!」

 

二枚刃のチェーンソウが、勢い良く振り上げられると同時にリリカちゃんを振り返り、繋いだままの手を引く。

恐怖に固まっていた彼女の足は、ワンテンポ遅れて地面を蹴った。

 

「あ、あぁっ、あり……がとう、マルコスくんっ……!」

「大丈夫!?走れる!?」

 

ステッキを握りしめたままコクコクと頷く様子に何とか笑み返し、小さなその手を決して離さぬようにと、握りなおして走りだす。

 

自分が斬られるのはゴメンだが、リリカちゃんが斬られるのはもっと嫌だ。

 

というか、そんな光景見た日には立ち直れる気がしない!

ごく、と。恐ろしい想像に喉を鳴らした瞬間、激しい駆動音を響かせたチェーンソウの刃が、背後に迫る勢いで振り払われた。

 

「きゃあ!」

「ヒィッ!?」

「ドぉして逃ゲるノ……おトナしク斬らレなサいよォ……!」

 

何であんな重そうなチェーンソウ抱えて、顔色ひとつ変えずに走ってこられるんだよ、あの子!

 

リリカちゃんの手を引いてるとはいえ、こっちだって全力だ。

 

かつては100メートル9秒代スコアを叩き出した僕の脚だぞ!?……そりゃ、最近は運動不足気味だったけど……うっ、原因はそれか!

 

思い当たる理由につい舌打ちしたが、すぐさま思考を切り替えて逃げる先を探す。

2対1、数の上では有利だが相手はチェーンソウ、こっちは棒切れ1本だ。

リリカちゃんだって、先の戦闘の傷がまだ残っている。

 

考えろ。「まともに戦う」なんて選択、この状況じゃ愚策も愚策だ!

 

「ホォらまズはソの柔らカそウな白い腕」

「……!」

 

陶酔感に浸るような声音に振り返ると、内から溢れんばかりの悦色に染まる赤い瞳と、鈍色の二枚刃が、リリカちゃんと繋いだ手を断ち切ろうと振り上げられていた。

 

「ひゃ、きゃッ……!?」

「リリカちゃん!」

 

振り返った、その拍子に足がもつれて、倒れそうになったリリカちゃんを咄嗟に受け止める。完全に止まってしまった足は、襲い来る彼女に狙いを定めさせるに十分な時間を与えてしまった。

 

いびつに弧を描く彼女の口元に、息をのむ。

せめて、リリカちゃんだけは守り切ろうと覚悟を決めて、小さな背に覆いかぶさった。

 

「素敵!そレなら二人マトめテ斬ッてあゲられル!!」

「────させない!」

「!?」

 

ギィン、と。

 

高く響き渡る音に、思わず顔を上げる。

見開いた瞳に映ったのはたなびく蒼い旗と…………天使の、羽。

 

「……聖女ッ!」

 

突如、その場に現れた金髪の女性が掲げる旗棒が、襲いかかるチェーンソウを阻み、藤色髪の彼女は悔しそうにその眼を細めた。

 

旗を掲げる女性の細い肩は凛として、彼女を中心として広がる足元の陣からは、あたたかな光がぼうっと浮かび上がっていた。

優しい腕に包まれているような安心感とぬくもり。

焦りと恐れに疲弊していた心が、少しづつ癒されていく不思議な感覚に戸惑いを覚えながらも、身を委ねたくなる。

 

攻撃を弾かれた方はよろけながら後退し、恨みがましい眼差しで金髪の女性を見つめていた。

 

「アんたガ居るンじゃ斬ラレないじゃナい……ヤめた」

「乃保さん、待って……!」

 

まるで、何かのスイッチが切れたかのようにチェーンソウをおろし、乃保と呼ばれた彼女があっという間に森の奥深くへと姿を消す。

逃げる背へと伸ばした手は届かず、名残惜しそうにその手のひらが宙を掴んだ。

 

凛としていた背中は急に寂しい色を見せ、伸ばした手を下ろしながら金髪の女性が肩を落とす。

 

……何が、起こったのか。まるで理解が追いつかないけれど……たすかった、のか?

 

途端に腰が抜け、その場に座り込む。リリカちゃんも同じくといった様子で、僕と顔を見合わせた後に、旗を持つ女性へと視線を向けた。

彼女はそっとこちらを振り返り、先の寂しさを払うように穏やかに笑うと、旗を下ろしながら僕らへと向き直った。

 

「間に合って、よかった。……二人とも、ご無事ですか?」

「なん、とか……。あの、あなたはいったい……?」

 

先の様子から敵……だとは思いたくないが、味方と言い切るにも確証を得られず、手を繋いだままのリリカちゃんを庇いながら訊き返す。

 

彼女は意外にも、僕のそんな不躾な態度に嫌な顔ひとつせず、深々と一礼した。

 

「申し遅れました。私の名は……ジャンヌ。ジャンヌ・ダルクと申します」

 

深い紺碧色の瞳が優しく笑う。胸に手を添えながら返された名前に、ゆっくりと目を見開いてしまった。

ジャンヌ……ジャンヌ・ダルク……だって!?あの、百年戦争の!?

 

「少し歩いた先に、私の……家があります。あなたがたに、この世界について私が知っている限りのことをお伝えします。……一緒に、来てくれますか?」

 

彼女の名乗りに思わず頭の中にフランス史の年表を広げてしまったが、続く申し出に彼方へと飛び始めていた思考を呼び戻す。

 

この世界について、自分が知っている限りのこと……?

 

ボイドール以外にも、既にこの世界の仕組みを知り得る者が居るっていうのか。しかも、その人物が狙い澄ましたかのようなタイミングで現れるだなんて。

彼女の提案は魅力的だ。助けてもらった、その行為を疑うような真似もしたくない。

しかし、最低限の自衛だって必要だと自らに言い聞かせ、甘い考えを飲み、込み努めて冷静に口を開いた。

 

「……助けてもらったことには、素直に感謝する。本当に、ありがとう。……でも、君のその提案が、罠じゃないって証拠は?」

 

我ながら、助けてもらっておきながら何て言い草だと、想像以上の自己嫌悪に駆られた。

だけど、守るべきは自身だけではないのだと、再確認するように、そっとリリカちゃんの横顔を見やる。

ジャンヌと名乗った彼女は、僕の質問に対して変わらず穏やかな表情で、ゆるりと首を振った。

 

「あなたがたを陥れようとするのであれば、先ほどの彼女と共闘していたでしょう。ご安心を。私には『護る力』はありますが、戦うための術は持ちあわせておりません」

 

そう言って、彼女はおもむろに2枚のカードを取り出した。

 

くるりと翻した面の片方には黒猫、もう片方にはドアらしき絵が描かれていた。

 

リリカちゃんも似たようなカードを取り出していたが、あれと同じものなのか?

唸りながら顎に手をやっていると、傍にいたリリカちゃんが示されたカードをまじまじと見つめた。

 

「『黒猫リリィ』に、『どこにでもいけるドア』ね……。マルコスくん。彼女の言うこと、信じていいと思う」

 

カードから僕へと視線を移し、リリカちゃんがふわりと微笑む。

真っ直ぐに向けられた愛らしい表情に胸を高鳴らせつつも、件のカードについてはリリカちゃんの意見を信じる事にした。

 

あのカードについては、少なくとも、僕よりリリカちゃんの方が詳しい。

思うところはまだまだあるが、このまま用心し続けて動かないままでは何も変わらない。ゆるゆると息をつきながら浅く頷くと、二人の表情が明るくなった。

 

「……わかった。信じるよ、ジャンヌ……さん、のこと」

「ありがとうございます。では、参りましょう」

 

胸の内から溢れる嬉しさに表情を綻ばせながら、彼女が告げる。

翻る、蒼い旗に描かれた紋章を眺めながら、歩みだしたジャンヌ・ダルクの背を追った。



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#4/ジャンヌ・ダルク(聖女)はかく語りき

「ジャンヌ・ダルク」を名乗る彼女の後について森を抜けると、自身がこの世界に招かれた時に目にしたような、草原が広がっていた。

 

ただ、遠くにはおぼろげながら街並みのような景色が見え、最初に訪れた場所とはまた異なる場所にいるらしい。

あのボイドールとかいう謎ロボットに連れてこられた時、「転移完了」と言っていたが、まさか本当に「空間転移」なんて事態に遭遇していたのか……?

 

改めて考え始めると、あまりの非現実さにくらりと眩暈がした。思わず、額を抑えた拍子に、ため息が洩れる。

隣を過ぎようとしたリリカちゃんがそれに気付き、「マルコスくん、大丈夫?」と心配そうに僕の顔を覗きこんできた。

 

「だっ、だいじょうぶ……!ごめんね、リリカちゃん」

「うぅん、謝らないで。つらい時は、無理しちゃダメ」

 

「ね?」と。優しく微笑みながら両の手を握られて、別の意味でもう一度、眩暈がする。

顔中が燃えるように熱い。心臓の音と、自身の体内をめぐる血液の勢いが増していく感覚に、一瞬、本当に気絶しかけてしまった。

 

かろうじて、目の前にリリカちゃんが「存在」している事実には慣れてきたが、こういった、何気ない突然の触れあい(スキンシップ)は、まだまだ刺激が強すぎる……!

 

我にかえると、リリカちゃんは僕の様子にますます不安の色を示しており、慌てて握られている両手をぶんぶんと振った。

 

「だっ、だっ、だっ!ダイジョーブ!元気!むしろ今ので元気全開フルスロットル!!」

「その様子なら、本当に大丈夫そうだね。でも、ダメな時はちゃんと言ってね?リリカ、マルコスくんの分まで頑張るから!」

 

ふ……っ。

 

ふああぁぁ~~~ッ、尊い~~~~~!!

 

リリカちゃんのきらめく笑顔と励ましの言葉に、顔面を覆いたくなる気持ちを必死に抑えながら、胸中では堪えようの無い思いを叫んで身悶える。

にやけそうになる口元をモゴモゴとさせていると、歩みを止めて、微笑ましそうにこちらを眺めているジャンヌさんと目が合った。

 

彼女を待たせていたことに対する申し訳なさと、恥ずかしい所を見られた気まずさから、つい頭を掻く。

 

「す、すみません、ジャンヌさん……」

「いえ。ふふっ、むつましいですね。……皆も、こんなふうに手を取りあえればいいのですが……」

 

嘆息し、穏やかだった表情に僅かな影が落ちる。先程の「乃保(ノホ)」と呼ばれた彼女のことだろうか。

二人の関係を訊ねてみるか悩んでいると、「さぁ、行きましょうか」と、ことさらに明るい口調で促され、問いかける機会を失ってしまった。

 

形に成らなかった言葉を飲み込んで、リリカちゃんと二人、彼女の背について歩きだす。

僕はジャンヌさんが持つ「旗」に描かれた紋章に見覚えが無いか記憶を探っていたが、おもむろにリリカちゃんがおずおずと口を開いた。

 

「あの、ジャンヌさん。さっき言ってた『お家』っていうのは……?」

「はい。あちらに見える村を抜けた先に、私の家があります。……正確には『私の家を模したもの』なのですが……」

 

そう答えて、彼女が苦笑する。

どういうこと?と首を傾げて見せると、肩越しにこちらを振り返りながら説明を続けた。

 

「外観、内観、配置されている家具に至るまで。確かに私の生まれ育った家なのですが……思い出がない、とでもいうのでしょうか。ともに過ごした家族の姿もなく、ただ見た目だけ似せて作られた。そんな印象を受けるのです」

 

自身が語る言葉に、自ら困惑するように、彼女の眉根がそっと寄る。

その口ぶりからは、ますます彼女が「歴史上の人物(ジャンヌ・ダルクその人)」だということが窺えて、僅かに残る疑念を払拭するように、今度は僕が口を開いた。

 

「……あの、ジャンヌさん。その生まれ育った家っていうのは、フランスの……?」

「はい。マルコスさんは、私のことをご存知なんですね。光栄です。おっしゃる通り、私はフランスのドンレミにある、農家の生まれです」

 

一瞬、驚いた表情を見せたが、彼女はそれ以上動じることはなく、穏やかな笑みを浮かべて自身の生い立ちを語ってくれた。

それはまさしく、僕が知識として知っている歴史と違うことはなく、少なくとも彼女は、歴史に名を残すその本人なのだろうという確信を深めた。

 

しかし、だとすれば……ジャンヌ・ダルクは。

 

「あなたが、そんな顔をする必要はありませんよ。マルコスさん」

 

優しい声の響きに反して彼女が見せた寂しげな瞳に、初めて自分がどんな表情をしていたのかに気が付く。

僕の様子にリリカちゃんも感づいたのか、気まずそうに肩を縮こませていた。

ジャンヌさんは僕らの反応にゆっくりと首を横に振り、憂いのない凛とした表情を見せた。

 

「お気遣いなく。私がどのような生を辿ったのかは、私が一番知っています。自身の生き方に、後悔などありません。ましてや、同情を求めることも」

「そう、か……。ごめん、謝るよ」

「……いえ。あなた方の優しさに。感謝します」

 

静かに答えたジャンヌさんの顔は、とても落ち着いたものだった。

 

自分の最期を知っていて尚、あんなに気高く振る舞えるなんて。

歴史という形でしか知らないけれど、何故、ジャンヌ・ダルクが「聖女」と呼ばれ、フランスの「英雄」として語られるのか。その一端を垣間見た気がした。

 

「さぁ、行きましょう。二人とも、お疲れでしょう?家に着いたら、冷たいお茶をいれますね」

「わぁ、楽しみ!リリカも手伝います。……行こう、マルコスくん!」

 

湿っぽい空気を打ち払うように、二人がひときわ明るく声を弾ませる。

女の子は強いなぁ。

二人の態度を見習い、僕も硬い表情を和らげて「うん」と頷いた。

 

 

 

  ◆

 

 

 

長く続く一本道を歩く途中、リリカちゃんはすっかりジャンヌさんとも打ち解けたらしく、他愛の無い話に花を咲かせていた。

 

魔法少女(二次元のキャラクター)と歴史上の人物かぁ……と、異色の組み合わせに神妙な顔をしてしまったが、目の前で笑いあう彼女達には、そんな肩書きなど無意味なのだろう。

お茶の話から始まって、お菓子の話に好きなものの話など、極々普通の会話を楽しむ姿は微笑ましい。

 

だけど、その楽しそうな様子は、2人が今までこの世界に「1人きり」であったことを窺わせて、少しだけ胸が痛んだ。

 

「あ!あそこに見えるのが、ジャンヌさんのお家?」

「えぇ、二人とも、どうぞ中へ」

 

ひっそりとした人気(ひとけ)の無い村を抜けて間もなく、ジャンヌさんの言う「家」に辿り着いた。

石造りのこじんまりとした家の傍らに広がる、小さな畑。実る作物、草木の様子から、つい最近も手入れが行われたのが見て取れる。

 

「味は保障しますよ」と、僕の視線に気が付いたジャンヌさんが小さく笑う。見た目にも美味しそうな赤く熟れたトマトから、扉を開けて家の中へと進む家主の背へ視線を滑らせると、慎ましやかな居間へと案内された。

 

勧められた椅子に腰を下ろすと、思い出しかのように、ずしりと疲労がのしかかった。

リリカちゃんに「お疲れ」と声をかけようとしたが、姿がない。

 

ふと、椅子の背もたれ越しに後ろを見やると、ジャンヌさんと共にお茶を運んできてくれていた。

差し出されたお茶をお礼の言葉と共に受け取り、3人が腰掛けたところでようやく一息つく。

互いに顔を見合わせたところで、控えめな咳払いとともにジャンヌさんが姿勢を正した。

 

「さて……まずは、私のことからお話しましょうか。私の名は、ジャンヌ・ダルク。先ほどお話しましたとおり、かつてフランス軍に身を置き、祖国のために戦いました。あれらの戦いを始め、自身の……最期に至るまで。私は、自身のことを覚えています」

「……と、いうことは。辛いことを、聞くかもしれないけれど」

「えぇ。マルコスさんのお察しのとおり。……私は、確かに一度、死んでいるのです」

 

静かに告げられた言葉は、薄々気付いていたとはいえ、改めて言葉にされると衝撃的で、歴史に語られる彼女の最期を思うと、僕とリリカちゃんは言葉を失ってしまった。

 

しかし彼女はそんな僕らの反応を気にする風もなく、むしろ落ち着き払った様子で言葉を続ける。

 

「一度は死んだ私の魂が、なぜこのように再び形を成しているのか。その理由までは、残念ながらわかりません。ただ、私や、マルコスさん、リリカさんのように『#コンパス』に招かれたものは『プレイヤー』と呼ばれる立場にあるそうです」

「プレイヤー……?」

 

初めて聞く単語、新しい情報に目を見張り、思わず訊き返す。

 

プレイヤー……言葉の音だけを聞くなら、「player」だろうか。

 

スポーツにおける競技者、ゲームにおける遊び手など、その意味は「参加する者」だ。多種多様な存在を比較し、データを採集、分析するというこの「#コンパス」と、その「プレイヤー」という定義の悪趣味さに、自然と眉根が寄る。

 

「先ほど、あなた方を襲った乃保さんも、プレイヤーのひとりです。ですが、彼女……あんな無差別に他人に襲い掛かるような方ではなかったのですが、どういう訳か、急に別人のようになってしまって……」

 

思い起こすように口元に手を添えたジャンヌさんが、ため息とともに肩を落とす。

 

プレイヤーとやらについて詳しく聞いてみたかったが、落ち込む姿をそのままに問いかける意気地もなく。

うまい慰めの言葉も見つからずに、口の中で「うぅむ」と唸っていると、リリカちゃんが「ジャンヌさん」と声をかけ、慰めるように寄り添った。

 

一瞬、驚きを見せたものの、徐々に和らいだジャンヌさんの表情に、そしてリリカちゃんの自然な所作に感心する。ああいった、細かな気遣いは僕にはできない。

 

控えめに、小さく咳払いしてから、改めてジャンヌさんに問いかける。

 

「その、プレイヤーについて聞きたいんだけど……人数とかはわかる?あと、どんな人がいるのかも、できる限り知りたい」

「えぇ、私が知る限りのことでよろしければ、お伝えしましょう」

 

僕の質問に深く頷いて、彼女が思い起こすように一息つく。

 

「私が他に知っているのは、まず、ジャスティス・ハンコックと名乗る、巨大な槌を持つ男性。彼は非常に正義感にあふれた、優しい方です。今は、各地を巡って、ほかのプレイヤーを探しています。それから、十文字アタリという少年。私がこの世界に来たばかりの頃、行動を共にしていましたが、『この世界をよく見て周りたい』と別れてしまいました。元気でいてくれるとよいのですが……」

 

胸元で祈るように両手を組み、その目が細められる。

 

名前の響きから、前者は外国人っぽいが、後者は日本人だろうか。

いや、僕が知らないだけでジャンヌさんのように歴史に生きた人物、もしくはリリカちゃんみたいに、何かのキャラクターという可能性も否定しきれない。

 

偉人、およびアニメや漫画のキャラクターであれば、名前を聞いただけでおおよその見当がつくが、ゲームとなると、本当に有名どころしかわからない。

 

「それから、もうひとり。ここから東の方角に見える、あの山に。私達と同じ、プレイヤーが住んでいます。名前は、深川まとい。ハナビを作る職人だそうです」

「ハナビ……って、あの、空に打ち上げる、花火のこと?」

「えぇ、そのハナビです!お会いした時に、彼女が見せてくれたのですが……とても、綺麗でした」

 

リリカちゃんの質問に両手を打ちながら、ジャンヌさんが興奮気味に返す。

 

花火、かぁ。僕も久しく見てないな。と、過去に思いを馳せそうになった頭を左右に振り、今の情報を整理する。

件の山を確認しようと窓を探していると、ジャンヌさんが「あちらに」と示してくれた。

 

小さな窓を開けると、すぐにその「山」が見て取れた。

緑が生い茂る山々の中腹あたりから、細い煙が立ち上る。件の人物が住んでいるのはあそこか?

 

「私が知っているプレイヤーは、以上の4名。私をこの世界に招いたという、ボイドールがいうには、他にも複数のプレイヤーが存在しているそうです」

「なるほど。最低でも7人。実際はそれ以上いる、と……。ありがとう、ジャンヌさん」

「どういたしまして。山に住むまといさんは、気っ風の良い方でした。一度、お会いしてみてはいかがでしょう?」

 

彼女の提案に腕を組み、思案する。

 

再確認しよう。僕らの目的は「リリカちゃんの仲間である他の魔法少女を探すこと」だ。

そうなると、とにもかくにも、プレイヤーに関する情報を集めるのが一番の近道である。

 

そして、プレイヤーの情報を探すには、他の「プレイヤー」の情報を頼るのが利口だろう。

リリカちゃんにちらと視線を送り、「行ってみる?」と首を傾げてみる。返事はすぐさま、微笑みとともに返ってきた。

 

「行ってみよう。何か、わかるかもしれないし。……それに、マルコスくんが一緒なら、リリカ、どこにだって行けるよ」

「ふぐっ……!」

 

一切の迷いも邪気もない、純粋すぎるその言葉に、反射的に心臓を抑え顔を伏せる。

 

むり……笑顔が眩しすぎる……加えて、名指しでそんなこと言ってもらえるなんて、一介のファンには衝撃的(ごほうび)すぎる。

 

ノーガード時にアッパー食らったみたいに、くらくらする。

そう、言葉になんてとても語りつくせないが、ただ一言、この気持ちを表すとしたら「尊い」

 

「大丈夫、マルコスくん!?」

「う、うん……だいじょうぶ!!」

 

またもや心配されてしまったことに、羞恥から自己嫌悪に陥りつつも、前へと身を乗り出したリリカちゃんをもう片方の手で制す。

 

そんな僕達の様子に、ついに小さく洩れた笑い声を抑えるように、ジャンヌさんが口元に手を添えていた。

 

「ふふっ、本当に仲がよろしいですね。お二人なら、この先どんな困難があっても乗り越えていけるでしょう。お二人の行く先に、神のご加護がありますように……私も、お祈りしています」

「えっ……!ジャンヌさん。一緒に……来てくれないんですか?」

 

胸元で祈るように指を組んだジャンヌさんの様子に、リリカちゃんが困惑気味に訊き返す。

彼女は柔和な笑みを湛える目元を、寂しそうに細めて答えた。

 

「……ごめんなさい。私は、行けません」

「そんな……どうして?」

「僕も聞きたい。……無理強いするつもりは無いけれど、正直、ジャンヌさんは僕らよりもこの世界に詳しい。一緒に来てくれた方が、僕らとしても安心する」

 

プレイヤーとやらの総数がわからないこの状況では、協力関係を築ける相手とは今後、なるべく行動を共にしたかった。

 

それは不測の事態に対する選択肢を増やすことにも繋がるし、何より……目の届かないところで暗躍される可能性も潰すことができる。

 

ジャンヌさんはしばし押し黙ったまま、心苦しそうに眉根を寄せていたが、細く、息をこぼすと改めて僕らの顔を見据えた。

 

「……私は、迷っているのです。あなた方と共に行くのが正しいのか。死して尚、戦いを強いるこの世界を静観すべきなのか」

 

机の上に下ろされた彼女の拳が小さく震える。

 

「『あの時』の私は、いかなる運命も神の導きのままに受け入れ、迷わず進むことができました。でも、今は違う……目を閉じて、耳を澄ましても、今の私に天啓を得ることはできない。何を成すべきなのかわからない以上、私は、共に行くことはできません」

 

「ジャンヌ・ダルク」が生前、神の声を聞いたというのは有名な話だ。

 

それが真実か否かはさておき、彼女の意思は固く、明確な拒否の言葉に僕もリリカちゃんも押し黙る。

「神はいない」と言い切ったところで、目の前にいるこの敬虔な信奉者が、出会ったばかりの男の言葉に心揺らぐとはとても思えない。

それどころか、せっかく築いた友好関係の芽を、根元から断つことになるだろう。

それは僕の本意ではない。

ジャンヌさんの答えに小さくため息をつきながら、そっと肩を落とす。

 

「……わかった。無理強いはしない、て言ったしね……。残念だけど、諦めるよ。行こう、リリカちゃん」

「う、うん……。ジャンヌさん、あの、色々とありがとうございました」

 

席を立ち、深々と頭を下げたリリカちゃんに倣うように、僕も会釈する。

「お気をつけて」と寂しい声を背に受けながら玄関へと向かい、扉に手をかけながら、もう一度、ジャンヌさんを振り返った。

 

「……聞き流してくれて構わないんだけどさ、少しだけ、忠告させてほしい。……進むにしろ、止まるにしろ、自分の意思で選びとらなきゃ。何でもかんでも『神様のいうとおり』じゃ、人形(NPC)と変わらないよ」

 

一瞬、彼女の表情がぎこちなく強張るのが見て取れた。

 

僕のお節介が、少なからず彼女にとって「棘」となるのはわかっていた。

でも、この世界にいるかどうかもわからない「神様」に、自らの運命を委ね続けるなんて。

そんなの、聞こえのいい責任逃れでしかない。

 

胸の奥で苛立ちにも似た燻ぶりを覚え、息苦しさに襲われる。

ジャンヌさんは、一瞬の動揺を抑え付けるようにゆっくりと口を開き。

 

「……ご忠告、痛み入ります」

 

それだけ言うと、真っ直ぐにその口元を引き結んでしまった。

 

 

 

  ◆

 

 

 

「悪いこと、いっちゃったかなぁ」

 

ジャンヌさんの家を後にして、行く先に高々と広がる山を目にしながら、ぽつりとこぼした言葉に、リリカちゃんが「うぅん」と首を横に振った。

 

「マルコスくんは悪くないよ。ジャンヌさんだって、きっと、わかってくれてる。……受け入れるまで、少し時間がかかるだけで」

「……ありがとう。優しいね、リリカちゃんは」

 

口から発せられた言葉を取り消すことは出来ないし、その責任から逃げたい訳でもなかったが、リリカちゃんの言葉は曇り続けていた僕の胸中を晴らしてくれた。

 

照れ笑う彼女の姿につられるように、自然と口元が緩む。

確かに、リリカちゃんと一緒なら、この先どんな困難があっても乗り越えていけるかもしれない。

 

いや、リリカちゃんのためにも、乗り越えられる強さを持ちたいなぁ……ファンとして、むしろ、男として。

しかし、さりげなく触れてみた二の腕にほとんど筋肉は無く、こんなことになるなら普段から筋トレくらいしておくべきだったと、少しだけ自らの生活を悔やんだ。

 

「それにしても、おおきなお山……深川さんのお家、ちゃんと見つかるかなぁ?」

「さっき、中腹あたりに煙が上がってるのが見えたから、それを頼りにしていければ……あとは、川があればその流れに沿って登るのがいいかもね。水は、生きる上でどうしたって必要になるから……」

 

と言いかけたところで、リリカちゃんから純粋すぎる羨望の眼差しが向けられていることに気がつき、面映さから思わず袖で顔を隠す。

 

む、む、むり……あんなキラキラした瞳に見つめられたら、心臓が高鳴りすぎて、結果的に死ぬ。

 

恐る恐る、両袖の隙間から顔を出し、じっと、僕が落ち着くのを待つリリカちゃんを垣間見る。

優しい。こんな挙動不審でオタク丸出しの僕をキモがらずにいてくれるなんて、リリカちゃんは多分、地上に舞い降りた天使なんだと思う。

 

そんな天使のためにも呼吸を落ち着けて、ようやく隠していた顔を表に出して、確認するように口を開いた。

 

「そ、そんなわけで、しばらく山登りになっちゃうんだけど……大丈夫?」

「うん!大丈夫。それに、マルコスくんがついてるもの。一緒にがんばろ!」

 

両手を構えてにっこりと笑って見せたリリカちゃんに対し、勢いよく右の拳を空へと突き上げながら「がんばります!!」と叫ぶ僕の声が響き渡った。



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#5/祭の前の静けさ

夏を思わせる鮮やかな緑が、風に吹かれて木漏れ日をきらめかせる。

葉擦れの音は耳に優しく、時折、遠くに小鳥のさえずりが聞こえた。

一歩、踏みしめるごとに足の裏全体から伝わる土の柔らかさ、そして鼻腔をくすぐる木々の香りに、胸の内から浄化されるような厳かな気持ちに、

 

「も……もう、ダメ……」

 

なる余裕など微塵も無く。

崩れる膝と両手のひらを地に着き、ぜぇはぁ、と激しく肩を上下させながら息をした。

見つめた地面にぽたりと大粒の汗が落ちる。あぁ……今のポーズ、まさに昔流行った「orz」の文字を彷彿とさせる。なるほど、的確に表しているなと妙なところに感心してしまった。

 

「大丈夫?マルコスくん……」

「だ……だい、じょ……う、ぶ」

 

伺うように、ちょこんと膝を曲げて首を傾げるリリカちゃんに、精一杯、笑って返す。だけど、発した声は情けないほどに(かす)れており、余計に虚しさが増した。

 

「休憩しながら行こう。リリカも、ちょっと疲れちゃった」

 

額に薄らとかいた汗を拭い、「ふぅ」と、疲労が混じる愛らしいため息をこぼしながら、リリカちゃんが傍に生えた切り株を指さす。自身の体力の無さに恥じ入ったが、彼女の優しい気遣いに応じて、のそのそと切り株の傍へと移動する。

ぐったりと、木の断面を抱え込むようにもたれかかると、目元に木漏れ日が降りかかり、思わず目を(しばた)いた。随分と、いい天気だ。首筋まで流れる汗は気持ち悪いが、そよそよと吹く風はとても心地が良い。

 

「風、涼しいね」

「ね……。ご、ごめんね、リリカちゃん……ぼく、が……不甲斐……ない、ば……かり、に……」

「そ、そんなことないよ!マルコスくん、リリカが歩きやすいように道を選んでくれたでしょう?ありがとう。そのお陰で、リリカ、とっても楽させてもらっちゃった……」

 

申し訳なさそうに、でも、嬉しそうに顔を綻ばすリリカちゃんの様子に、思わず胸が熱くなる。

気付いてくれてたなんて……いや、本当は本人に気付かれないくらい、さりげなく気遣いたかったのだが……いや、しかし、やっぱり気付いてもらえるのはとっても嬉しい。僕の疲労も報われるというものだ。

ようやく少し呼吸が整ってきたのを確認し、リリカちゃんと同じように、僕も切り株の上に座り直す。おもむろに周囲を見渡したが、右も左も木、そして木。辛うじて、けもの道のようなものが上へと続いているが、果たしてあの道が僕らの目的地(深川まといの住処)に至るものなのかというのは、行ってみないとわからない。

徒労に終わらなきゃいいけど。

最悪のパターンを思い浮かべてこぼれたため息は、随分と深かった。

 

「そういえば……深川さん、って。どんな人だろうね。気風がよくて、花火師の女性……って、いってたけれど」

 

ジャンヌさんの言葉を思い出すように、リリカちゃんが宙を見つめる。人差し指を顎に当てる仕草も実にキュート……既視感があると思ったら、そうだ、あのポーズはアニメ1期2話のアイキャッチ絵だ。

 

「わざわざこんな山奥に住むような人だしなぁ……案外、気難しい人だったりして?職人気質ってやつ」

「ふふっ。どんな人かドキドキするけど……でも、ちょっと楽しみ」

「あ……うん。……そうだね」

 

足を前後にぷらぷらと揺らしながら、笑み洩らすリリカちゃんの言葉に、一瞬、目を丸くしてしまった。

楽しみ、かぁ。僕は不安とか、さらに言ってしまえば警戒心も抱いていたのに。確かに、未だ全容の掴めないこの世界に対する用心は、するに越したことはないだろうけど。

リリカちゃんが「楽しみ」だと言うのなら。彼女のために、僕も、少しだけ物事を肯定的に捉えてみようかと、それまでの考えをちょっとだけ改めた。

 

「それでね、マルコスくん」

「へっ⁉あ、はい!」

「リリカ、実は試してみたいことがあってね……!」

 

こちらの顔を覗き込むリリカちゃんの瞳が、まるで、イタズラを試す子供のようにキラキラと輝いている。その瞳を真正面から見る自身の胸の高鳴りは、決して、ときめきによるものだけでは無かったのだろう。期待半分、不安半分に、ごくりと喉を鳴らして続く言葉を待つ。

リリカちゃんの視線は、ゆっくりと、僕の腰のあたりに定められた。

 

「その……マルコスくんの、棒」

「棒ッ⁉」

「そう!マルコスくんと初めて会った時。この棒を投げた場所に、ひゅん!て移動したでしょう」

「え、あっ⁉移動……棒、あ!この、枝のこと……?」

 

慌ててジャージのウエスト部分に差し込んでいた枝を取り出し示すと、リリカちゃんが「それ!」と指差した。

び、びっくりした……一瞬、何の隠語かと思ってしまった。ナニとは言わないが……そもそも、リリカちゃんに対して、一瞬でもやましい解釈をしてしまった自分が腹立たしい。そういうの、解釈違いなんで。リリカちゃん……もとい、「魔法少女リリカ☆ルルカ」は、僕の聖域なんで‼

必死に平静さを保とうとしていると、リリカちゃんはわくわくした様子で、例の「試してみたいこと」とやらを続けてくれた。

 

「その棒を使えば、投げたところに一瞬で移動できたりしないかな!」

「……‼」

 

な、

な、

なんて賢いんだ、リリカちゃんは‼

賢さなら僕だってそこそこの自信があるが、そこに気づくとは……やはり天才か?

いや、そもそも、この枝が「投げた所に移動していた」ということ事態、僕もあやふやというか、つまりは認識していなかった訳だが。

 

「す、すごいよリリカちゃん!大発見だよ!ようし、それじゃあ早速……!」

 

いざ、実践。

枝を構え、一呼吸置く。期待を胸に、まだまだ上へと続く、なだらかな山道めがけて思い切り枝を投げた。

その、瞬間。

 

「……⁉」

「……!」

 

枝は、ゆるやかな放物線を描きながら、当然のように地面へと落下した。

僕とリリカちゃんの間に流れるしばしの沈黙。どこか、遠くの方からぴーよぴよぴよ、と呑気な鳥の声が聞こえてくる。

そんな、鳥の声を認識できるくらいまでに意識を取り戻した僕は、思わず「はは……」と乾いた笑みを洩らしてしまった。

 

「あ、ははははは……。そんな、うまい話があるワケないか……」

「……ご、ごめんね、マルコスくん」

「いや、大丈夫、リリカちゃんのせいじゃないよ!謝らないで!」

 

余計に惨めになるからね!という言葉は飲み込んで、勢いよく顔の前で手を振り、妙な恥ずかしさを笑って誤魔化しながら投げた枝を拾いに行く。

坂道だからか、それともこの微妙な空気のせいなのか。小走りに駆ける足は重く、ちょっとだけ肩を落としてしまった。

そうだよねー。枝を投げた所に一瞬で移動するなんて、物理の法則をガン無視してるもんねー。

しかし、だとしたら、リリカちゃんと初めて出会った時の、あの現象は……?がむしゃらだったから、よく覚えていないのが正直なところだが、それでもあの距離を一瞬で移動できたのは「おかしい」のだ。

この「#コンパス」の世界も、まだまだ謎だらけだし。枝を投げたところに移動できるというのが仮に確かだったとして、他にも満たす必要のある条件があるのだろうか。

ぼんやりと思案していると、いつの間にか投げた枝の元に辿り着いていた。腰を屈め、それを拾い上げる。

この「枝」自体は何の変哲もない……強いて言えば、握るとしっかり手に馴染むくらい。だが、それだけだ。

あぁ、こういう時にこそ、あのボイドールとやらに質問し、確かめることができればいいのに。でも、アニメでも、ああいうキャラは必要な時に限ってまったく顔を出さないんだ。何が人工知能だ。呼べばすぐに起動する某有名社のAIアシスタントを見習え。Hey,Voidoll!

 

「マルコスくーん!」

 

背中にかけられた声に振り返る。桃色のツインテールをぴょこぴょこと揺らしながら、リリカちゃんが一生懸命、山道を登ってきていた。

 

「リリカちゃん!ご、ごめんね……下で待っててよかったのに……」

「うぅん、いいの。元々、登る予定だったしね……ふぅ。棒は、見つかった?」

「うん。ここに」

 

汗を拭いながら息を切らすリリカちゃんに、持っていた枝を示す。「よかったぁ」と、無邪気に微笑む姿に思わず自分も目を細めていると、リリカちゃんが何かに気が付いたのか、目を見開いた。

 

「ねぇ、マルコスくん。あそこに見えるの、煙……?」

「えっ?」

 

僕の後ろを示すように、伸ばされた指の先へと向き直る。

木々の立ち並ぶ山奥だというのに、示された先はぽっかりと視界が開けていた。その様子から、切り立った崖のような地形になっていることが窺える。

リリカちゃんと共に、恐る恐る歩を進めると、足元は確かに崖っぷちのような状態になっていたが、高さ的には何てこと無い。5……いや、6メートル程だろうか。マンションの2階から見た光景が、ちょうどこれくらいの高さだった気がする。

落ちないように身を乗り出すと、眼下に小さな沢と、こじんまりとした木造の家、そしてそのすぐ隣に物置のような小屋があった。家と思しき建物からは、細い煙が立ち昇る。

 

「あれ、って……もしかして⁉」

「深川まとい!……の、家……⁉」

 

二人、見合わせた顔に、期待の色が浮かぶ。

慎重に道を選びながら、逸る気持ちを抑えて崖下へと向かう。沢を挟んで、家の反対側へと降り立ってしまったが、橋渡しのように設置された丸太を見つけて事なきを得た。これも、おそらくあの家の主が使っているものなのだろうか。足元は安定しており、難なく渡りきれたことに、また安堵した。

玄関と思しき扉の前までやってきて、改めて古めかしい外観を眺め見る。年季が入っているのだろうか。外壁は風雨に晒された様子が窺えたが、ボロ小屋という訳では無さそうだ。

一度、リリカちゃんと顔を見合わせてから、緊張を解くように、小さく咳ばらいをする。

トン、トンと。二つ、戸を叩いてから、息を吸い込んだ。

 

「こっ……こんにちは!」

 

それなりに、声量はあったように思える。

しかし、挨拶に対する返答はなく、いくら待っても、沢の流れの音が心地よく聞こえてくるだけだった。

再度、戸を叩いて在宅を問うが、やはり反応がない。長いため息をつきながら、リリカちゃんを振り返る。

 

「いない、みたい……」

「おでかけしてるのかな?どうしよう……」

 

困ったように眉根を寄せて、リリカちゃんが空を見上げる。つられるように、僕も空を見上げ、リリカちゃんの曇った表情に合点がいった。

山へ踏み入る前には天頂にあった太陽が、徐々に西へと傾いている。今はまだ十分に明るいが、そろそろ今晩の過ごし方を視野に入れ始めないと、最悪、この山の中で野宿なんてことになりかねない。

……ちょっと待って。僕たち、野宿用の装備なんてないし、そんな状態でこの何が出るともわからない山で初野宿っていうのは、ちょ~っとハードルが高すぎない?

最悪の事態を思い浮かべてしまい、自然と口元が引きつった。

いかん、野宿はよくない。この家に住んでるのが「深川まとい」かどうかは、もはや関係ない。どうにか家主を探し出し、無礼を承知でお泊り交渉しないと……。

焦りからもう一度、今度は強めに戸を叩いて声を張り上げる。

 

「すみませーん!誰か、いませんかー⁉」

「はーい」

 

返答は、まったく別の方角から聞こえてきた。

慌てて声の主を探していると、離れの小屋からこの山奥に似つかわしくない、若い女性が現れた。

 

「ごめんね。ちょいと作業してて。……ずいぶん、不思議なカッコしたお客さんだ。あんたら、山を登ってきたのかい?」

「は、はい!……あの、もしかして、深川……さん?」

「あぁ、深川ってのは、あたいのことさ。ここで花火を作ってるんだよ」

 

リリカちゃんの問いかけに、照れ臭そうに笑いながら彼女が鼻を擦る。鼻頭が黒くなってしまったが、それを指摘する間もなく、彼女がこちらを見て目を丸くした。

 

「何だい、なんだい。二人とも、ヘロヘロじゃないか!おいで、お茶でも淹れるよ」

 

そう言って、手招きをしながら彼女が家の中へと入っていく。何というか……ジャンヌさんの形容通りの人だ。

だが、長時間の山登りですでに疲労マックスな身としては、彼女の提案はありがたい。あの様子であれば、一晩泊めさせてもらうにも、交渉の余地がありそうだ。

傍らに並ぶリリカちゃんに小さく頷いて、深川さんのお招きに預かることとした。

お邪魔します、と声をかけ、そろりと中を窺いながら入っていく。

あ、何だろう、この匂い……古き良き、田舎の家を思わせる、独特の匂い。薄らと火薬の臭いがするのは、深川さんが纏っていたものだろうか。

僕よりもいくつか年下に見えるが、あんな若いうちから「職人」として生きる道を歩んでいるなんて。意識が高い。

 

「ほらほら、そんなところで突っ立ってないで!こっち、座りなよ」

「あ、はい……」

「熱いのと、冷たいの。どっちがいい?」

「熱いので、大丈夫です」

「わたしも、熱い方で」

「はいよ」

 

ちゃぶ台に座布団といった、馴染み深い家具の配置された居間に、どこか安心感を覚える。

しかしこの家、一人で住むにはいささか大きすぎないだろうか。ざっと見渡しただけでも、この居間の他にもう二部屋ありそうだし。

 

「お待たせ。熱いから、気をつけな。しっかし、二人は……えっと、どんな関係?」

 

おぼんに乗せて持ってきた、三つの湯飲みの内の一つを手に取りながら、彼女が言葉に悩んだ末に苦笑した。

……確かに、片やくたびれたジャージに猫耳パーカー。片やアイドルと見まごう程、可愛い衣装のリリカちゃんだもんな。不審に思われるのも、無理はない。

むしろ、そんな二人組を、よくぞ家に招いてくれたものだと、少しばかり彼女の警戒心の薄さに戦慄する。

 

「挨拶が遅れて、ごめんなさい。わたしは、リリカ。こちらは、マルコスくん。あの、わたしたち、ジャンヌさんの紹介でやってきました。深川さんも、わたしたちと同じ、『#コンパス』のプレイヤーだと聞いて……」

 

ごく、と。喉を鳴らしてお茶を飲んだ深川さんが、静かに湯飲みを置く。その目元には微かな驚きと、同時に懐かしむような色が見て取れた。

 

「ジャンヌ……そっか。あの子の紹介で来たんだね。だったら、改めて自己紹介しようか。あたいは、深川まとい。あの子(ジャンヌ)のいってたとおり、プレイヤーってやつさ」

 

紺碧色の瞳が、僕とリリカちゃんを交互に見やり、口元にはくっきりとした弧が描かれた。

 

「ジャンヌは、まだあそこに住んでるの?元気にしてた?」

 

何気ない質問だったが、あの別れ際の出来事を思い出し、ほんの一瞬だけ、動揺した。

隣にいるリリカちゃんがそれに気づき、慌てて返答しようとした様子を遮って、僕自ら口を開く。

 

「元気でしたよ。今も変わらず、あそこで他のプレイヤーが現れるのを待ってるみたいです」

「そっか……。いや、ほら。あたい、ここで花火作るために、あの子のこと置いてきちゃったからさ……。でも、元気そうなら、安心したよ」

 

朗らかに笑う様子から、他意は見受けられない。目ざとく僕の動揺に気づかれたら、なんて心配したが、杞憂に終わったことに胸をなでおろす。

出されたお茶を、ようやく手に取り、一口すする。緑茶の深い香りが喉を過ぎ、胸の内にふわりと広がった。

 

「おっと、話の腰を折っちゃったね。で、同じプレイヤーさん方ってことだけど、あたいに何の用だい?」

 

ようやく、ここに来た本題を話す機会を得て、「実は……」とリリカちゃんが口を開いた。

自身が突然「#コンパス」に喚ばれたこと。魔法少女である身の上と、自分と同じような格好をした「プレイヤー」が、他にいなかったか、など。

リリカちゃんの話を、真剣に聞いていた深川さんだったが、話のあらましを聞いてから「うぅ~ん……」と唸り声をあげ、腕を組みながらその表情をしかめた。

 

「……あいにくだけど、あんたと同じようなカッコした子には、会ってないね」

「そう……ですか。わかりました。ありがとう、ございます」

 

気丈に笑顔を崩さぬまま、リリカちゃんがお礼とともに頭を下げる。小さな肩と、言葉の端からは明らかな寂しさが伺えて、僕まで胸が締め付けられてしまう。

そんな僕たちを励ますように、深川さんが明るい声で言った。

 

「そう落ち込むもんでもないさ。プレイヤー同士が出会う確率だって、低いもんじゃない。現にあたいらだって、こうして出会ってるんだ。待てば甘露の日和あり、ってね」

 

そう言って、彼女がリリカちゃんの頭をポンポン、と優しく叩く。

……深川さんが男性でなくてよかった。何だ、この「彼氏力」の高さ。僕が女の子だったら確実に恋に落ちてい……。

待って⁉僕でさえ、そう思うんだから、リリカちゃんは⁉

慌ててリリカちゃんの表情を盗み見てみたが、特に何かフラグが立った様子はなかった。が、寂し気な笑顔は消え、代わりに穏やかな表情が浮かぶ。

 

「うん……うん!ありがとう、深川さん」

「まとい、でいいよ。さっきから『深川さん』なんて呼ばれる度に、こう、むず痒くってねぇ」

 

照れくさそうに笑いながら、わざとらしく腕や首の辺りをぽりぽりと掻く。話せば話すほど、気風がいいというか、姉御肌というか。決して、得意なタイプって訳では無いけれど、彼女の性格は、見ていて好ましい。

さて、残す問題は、今晩泊めてもらえるかという交渉だけれども……。

 

「ところで、まとい……」

「リリカに、マルコス、って言ったっけ?今日は、泊まっていくだろう?夕飯と、お風呂の準備するからさ、ちょいと待ってておくれよ」

「えっ!?」

「ん?」

 

まさに今、どうやって交渉しようか考えていた内容は、言葉にする間も無く、まさかの理想パターンで返って来た。

ちょ、ちょっと待ってくれ。

宿泊OK、それに加えてご飯にお風呂!?至れり尽くせり、文句なし。願ったり叶ったりだが、あまりにも想定外過ぎて、驚きの声を上げたまま、しばし言葉を失う。

ようやく思考を再開した頭に手をあて、ゆっくりと、息を吐きこぼす。

 

「あの……待って。確かに、『泊まらせてください』って、言うつもりだったけどさぁ……。本当に、いいの?」

「いいよ。こんな暗い山ン中出ていけ、って言うほど、あたいも鬼じゃないしね」

 

呆れ気味に肩をすくめながら、深川さん、もとい、まといがおもむろに外を見やった。

話をしている内に、すっかり夕陽も沈みかけている。いわゆる、逢魔時(おうまがとき)ってやつだ。山の中に電灯なぞ建ってる訳も無く、不気味に広がる暗闇は、リリカちゃんを連れて歩くには躊躇(ためら)われる。かといって、一人で歩くのはもっとイヤだけど。

改めて、まといに向き直り、心の底からの感謝を伝えるように頭を下げた。

 

「……ありがとう。助かるよ」

「困ったときは、お互いサマさ。それに、誰かと一緒にご飯を食べるなんて、久々なんだ」

 

立ち上がり、はにかむような笑顔を見せながら、彼女は台所へと姿を消した。

 

 

 ◆

 

 

夕飯は、川で釣った魚と、山で採れた山菜からなる天ぷらを振舞われた。

まさか、こんな所でしっかりとした日本食にありつけるとは思わず、食卓に並んだ皿の数々に舌鼓を打ちながら頂いた。

そういえば、僕も、誰かと一緒に作りたてのご飯を食べるなんて、いつ以来だろう。別に、今までの食卓に不満があった訳ではないが、リリカちゃんと、まといと共に、他愛の無い話に笑いながら食べたご飯は、「満腹」以上の充足感をもたらした。

 

久しい手料理を堪能し、リリカちゃんと二人で膨れた腹に笑い合っていると、家の奥からまといが風呂が沸けたことを知らせてくれた。

開いたふすまの間からひょこりと顔を出し「寝間着に使いな」と、放られた浴衣を受け止める。しっかりと男女のものが揃っており、サイズも申し分ない。

するとこの男性用の浴衣は、先ほど、食事の際に話が出た、まといの祖父のものだろうか。何にせよ、食事に風呂、加えて寝間着まで用意してもらい、彼女には本当に頭が上がらない。

勧められた風呂へと向かいながら、この一宿一飯の恩くらいはしっかりと返さねば、と苦笑した。

 

 

 ◆

 

 

風呂を出て、再び居間へ戻ろうとした途中で、まといと出くわした。

 

「風呂、上がったのかい?」

「うん、ありがとう。おかげさまで、サッパリしたよ」

「そいつはよかった。……へぇ、そうして見ると、中々色男じゃないか」

 

顎に手を当て、顔からつま先まで、視線を滑らせながら、からかうように彼女がニンマリと笑う。冗談とわかっているとは言え、面と向かってそういう風に言われると、大変こそばゆい。

 

「やめてよ。褒めたって、何も出てこないよ」

「ははっ、ごめん、ごめん。そうだ、布団敷いといたからさ、あの居間は自由に使っとくれよ」

「何から何まで……ほんと、ありがとう。……まといは、どこで寝るの?」

 

もしや、彼女の寝床を奪ってしまったのではと思い、恐る恐る訊ねてみる。

すると彼女は後ろ頭を掻きつつ、すいと窓の外へと視線をやった。

 

「あたいは、やりかけの作業があるからね。離れの小屋で寝るよ。それじゃ、ごゆっくり」

「え?あ、うん……」

 

何だか去り際に、意味深な笑みを向けられた気がしたが……気のせい?

まといは、ひらひらと手を振りながら僕の横を通り過ぎ、小屋の方へと向かっていった。作業、ということは、花火作りのことだろうか。

先ほど、食事の際に話題に上がったが、彼女の祖父は花火師だったらしい。幼いころから見ていたその姿は、彼女自身の道を定めるに十分なほど、「いき」であったという。

「もう、死んじゃったんだけどね」と、語るまといの表情は、穏やかだった。そうやって語れる程の時が過ぎているのだろう。僕も、リリカちゃんも、それ以上のことは聞かなかった。

 

「ただいま、リリカちゃん」

 

ふすまを開けて声をかけると、入口間際にちょこんと座っていた桃色の頭がびくりと跳ねた。

驚かせてしまったことに動揺していると、ゆっくり振り返ったリリカちゃんの瞳がうるんでいたものだから、ますます驚き声が出る。

 

「うぇっ⁉ど、どどど、どうしたのリリカちゃん⁉」

「ま……マルコスくん……その、これ……」

 

一瞬、泳いだ目を再び僕と見合わせて、リリカちゃんがおずおずと部屋の中央を指さす。

何気なくその指先に目を向けた僕は、流したばかりの汗を再び大量に噴き出すこととなった。

 

「ヴァーーーーーーーーーー⁉⁉⁉」

 

居間の中央には丁寧に敷かれた布団が一揃い。だが、そこに並べられた枕は、二個。

そう、あくまでも布団は、一人分なのである。

「ごゆっくり」って、そういうことか!そういう意味か⁉あんの野郎!いや、「野郎(おとこ)」じゃないけど、深川まといの奴‼

リリカちゃんのことは「好き」だけど、別にそういう好きじゃ無いんだってば!!

 

「お布団、これしか無いらしくて……。その……どうしよう」

「どッ!?ぼ……ぼぼぼ、ぼくは床ッ……畳の上で寝るから!!」

「でも」

「だだだ大丈夫ッ!むしろ、布団だってリリカちゃんに使ってもらった方が嬉しい!きっと!絶対!!」

 

理由を思いつくままに言い並べ、両手の平を上に、ずいと布団を勧める。思い出したかのように、慌ててひとつの枕を掴み取り、残されたもうひとつの枕を丁寧に真ん中に置き直した。

「どうぞ!!」と。再度、リリカちゃんに布団を勧めると、ややあって、苦笑を浮かべながらも応じてくれた。

 

「ありがとう。それじゃあ……お布団、使わせてもらうね」

「ぜひどうぞッ‼そ、それじゃあ……おやすみッ‼」

 

真横に倒れる勢いで畳に寝転がり、ぐるりと布団の方に背を向ける。

背後からは、布団と毛布が擦れ合わさる音が聞こえた。その音をかき消すかのように自分の心音が鳴り響き、煩さに口を引き結ぶ。

可愛いリリカちゃんと一つ屋根の下。しかも、こんな近さで一緒に寝る⁉

振り返ればそこに、天使と思しき寝顔がある、そんな状況に心乱すなというのが無理な話ではあるが、いやでも、そんな場合じゃないんだってばと、必死に自身に言い聞かせる。

ジャンヌさんの言葉を頼りにまといを訪ねたものの、リリカちゃんの仲間である、他の「魔法少女」に関する情報は無し。

次に繋がるような情報も得られなかったし、結局これでは振り出しに戻っただけだ。

はぁ、と。思わずこぼれ出た小さなため息は、リリカちゃんの耳に届いてしまったらしい。

 

「……マルコスくん?だいじょうぶ?」

「ご、ごめん……!なんでも、ない。……けど、その……手がかりが見つからなくて、ごめんね……リリカちゃん」

 

背を向けたままであることを理由に、つい、弱音にも似た謝罪が口をつく。

 

「うぅん、気にしないで。他のみんなのことは気がかりだけど……でもね、マルコスくんが一緒にいてくれるから、リリカ、寂しくないの」

「リリカ、ちゃん……」

 

やっぱり、彼女は優しい。

自分のことは二の次で、目の前にいる相手のことを第一に考えてくれる。それが、僕が惹かれた……僕が憧れた「魔法少女リリカ」という女の子。

 

「本当に、ありがとう……」

 

ふと、背後でリリカちゃんの動く気配がし、直後にじわりと背中に熱が広がった。

あげかけた声を抑えて、そっと後ろを振り向くと、自身の背に小さな彼女の頭が埋められていた。

 

「……⁉」

 

その事実に、本日何度目かわからない叫び声が出そうになったが、寸でのところで飲み込んで、代わりに胸の鼓動を速めていると、リリカちゃんがゆっくりと背から離れ、再び布団の中へと戻っていった。

 

「……明日も、がんばろうね」

 

こちらに背を向けているので表情はわからないが、その声音は小さいながらもいつになく愛らしく、僕は頭の奥まで鳴り響く鼓動の音にくらくらしながら、ようやく「うん」とだけ返すので精いっぱいだった。

 

 

 ◆

 

 

翌朝。

僕たちを叩き起こしたのは、静かな山奥には似つかわしくない爆発音と、地震のような地響きだった。

寝ぼけ眼で飛び起きて、同じく目を白黒させるリリカちゃんと、朝の挨拶もそこそこに顔を見合わせる。

 

「な、に……⁉いまの……⁉」

「爆発……?みたいな音がしたけど……⁉」

「……!マルコスくん、まといさんは⁉」

 

彼女を心配し、即座に曇ったリリカちゃんの表情にハッとする。

互いに急いで身支度を整えて、寝ぐせもそのままに外へと飛び出した。

扉を開け放った先、見上げた空には見慣れぬ扇形の戦闘機のようなものが無数に飛んでおり、その光景の異質さとおぞましさに息をのむ。

 

「な……なに、これ⁉」

 

その瞬間、離れの小屋から勢いよくまといが飛び出してきた。

その手元には筒砲のようなものを持っており、空へ向かって狙いを定めたかと思うと、大きな爆撃音と共に、飛び交う戦闘機目掛けて砲撃した。

弾を受けた一機が、花火と共に地へと墜ちる。

 

「また、あいつらか……!しつっこいねぇ‼」

「まとい!」

「まといさん!」

「マルコス、リリカ!……っとぉ!危ないから、中に‼」

 

二発、三発と構えた筒砲から弾を撃ち出しながら、まといがこちらのことを手で制する。

でも、と。言いかけた声が、砲弾の音に遮られた。

 

「……ここは、おじいちゃんの大切な山だ……!あいつらなんかに、渡さないよ……!」

 

空を睨み、叫ぶまといの横顔は、昨晩の穏やかさなど微塵も感じられない、激情の色をあらわに見せていた。



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