学園の人気者のあいつは幼馴染で……元カノ (ナックルボーラー)
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プロローグ

 優雅に彩る桃色の世界が舞い落ち、旅立つ若人の背中を押す春の季節。

 

 散った花が枯れ、枯れた花が次の実の成すための養分になる様に、喜ばしい出会いの前に、悲しき別れがある。

 

 そんな春の情景を楽しめる今日(こんにち)

 2週間後に近くの進学校へと入学が決まっている一人の学生、古坂太陽(こさか たいよう)の、長い様で短かった、3年間の中学生生活も今日で終止符が打たれる。

 平日は殆ど毎日通った年期の入った学び舎とも今日でお別れ。

 今まで気にした事がなかったが、最後となると思うと感涙しかけ、太陽は強く目下を擦る。

 

 各々が中学で一緒に時を過ごした仲間達との談話をしている中を、太陽は卒業証書が入った筒を片手に、学び舎に背を向けて歩き出すと、太陽へと近づく足音に気づく。

 

「おっす、太陽。今日でお前との中学生活が終わると思うと悲しいぜ、俺は」

 

 太陽の首に腕を回して陽気に笑う学ラン服の男子学生、新田信也(あらた しんや)

 太陽と同様に、胸に花の胸章を付けていることから、この者も卒業生である。

 いきなり後ろから抱き付かれ、思わず前のめりに倒れかけた太陽だが、特に怒る素振りを見せず、うんうんと肯定して。

 

「そうだなそうだな。だが、信也。最後に、高校に入ってもよろしくな、を付け忘れてるぞ?」

 

 太陽と信也は進学先の高校が一緒だからか、正直、悲しいとは思ってはいない。

 そもそもな話、太陽が住む街は言葉を悪くすれば田舎で、都会みたいに進学先の高校を幾つも選べられる程多くない。

 2週間後に太陽が通う高校は進学校だが、他の公立の学校では農業高校と工業高校しかないからの消去法で選んだ高校だ。

 私立の学校もあるが、学費がかかるってことで断念している。

 

「まあ、そうなんだけどさ~。やっぱり思う所もあるよな。高校生といえばもう大人みたいなものだし。高校に入ったらやっぱり合コンとかするんじゃねえか!?」

 

「……お前、高校を大学と勘違いしてねえか? ん、まぁ……もし合コンがあっても俺は行かねえけどな」

 

「ん~つれないなー。そこは親友としてお前も同行してくれた方が、俺的には気が楽なんだがな?」

 

「……親友なら、彼女持ちの俺を合コンに誘うなよ……。合コンに行けば必然的に浮気になるんだからな?」

 

 太陽には恋人がいる。

 幼稚園から一緒で10年以上も長い付き合いをしていた幼馴染兼恋人の女性が。

 ついでに言えば、太陽はその恋人から今呼び出したをくらっていた。

 用事は分からないが、必ず来てほしいとのことらしい。

 

「あぁー! こんな所にいたよ! おーい、太陽君に信也君! おーい!」

 

 太陽に彼女との約束があるのを知るわけもなく、天真爛漫な笑顔で手を振りながら走って来る小柄な女性、高見沢千絵。

 

「いつっ、え? なんで叩かれたの俺」

 

 千絵は近づくや否や、手持ちの軽い筒でポンと軽く叩き。

 突拍子もなく叩かれた事に太陽は困惑の表情を浮かべる。

 

「えへへへへ。ついさっきぶりだね、二人とも」

 

 太陽の疑問をスルーして笑顔を振る舞う千絵。

 無視された事に不服そうな表情の太陽を他所に信也が千絵に質問する。

 

「なんか上機嫌だな高見沢。なんか良いことでもあったのか?」

 

 信也が上機嫌に独楽の様にクルクル回る千絵に尋ねると、彼女はバッと手を広げ。

 

「それはそうだよ! なんてったって今日は新しい世界への旅たちの日だもん! 可愛い後輩との別れ、お世話になった恩師との別れ、私達を育んでくれた学び舎との別れ、そして、切磋琢磨して一緒に成長した友達との別れ。その別れの悲しみを胸に私達は、新たな世界へと飛び立つのだから!」

 

 漫画であれば拝啓にドドん!と効果音が付け足される様な壮大な素振りを見せる千絵に、太陽は苦笑いで。

 

「……他のは兎も角、最後のは殆どの奴らとは高校が一緒だよな? それに、高校だってここから徒歩10分圏内だし、別に会いたいと思えば直ぐに行けるじゃねえか」

 

「むぅー! 太陽君は冷めてるなーッ! そういうことじゃないよ! 私達は殻を破ってまた一段と大きく成長するってことだよ!? 一回り大きくなった私達は、大人の階段を昇っていくんだから!」

 

 分かりづらい言い回しであるが、千絵の言いたい事を簡単にすると、中学生から高校生になるってことらしい。

 

「……中学の最初から身長が全然伸びてない奴が、1回りも成長したのかね?」

 

「なんか言った?」

 

「いえ、何も言ってません」

 

 千絵の笑顔の威圧に、太陽は思わず頭を垂れる。

 

 千絵との会話が一旦途絶え、時間を気にしだしそわそわする太陽の態度に信也が気づき。

 

「なんだ、太陽。時間が気になってるようだが。誰かと待ち合わせでもしてるのか?」

 

「あ、あぁ……。光の奴から、なんか二人キリで話したいってメールで来てさ。もしかしたら、もう待ってるんじゃないかって思ってな」

 

「あぁー。そう言えば友達との中に光ちゃんの姿がなかったね。皆探してたけど、それが原因かも――――」

 

 ここで千絵はピタッと言葉を止めすると、次にクワッと気迫の表情で太陽に詰め寄り。

 

「それなら太陽君はさっさと待ち合わせの場所に行かなきゃ! 光ちゃんは太陽の大切な彼女なんだから、彼女を待たせるなんて言語道断だよ!?」

 

「お前達が俺を足止めしてたんだろうが……。うん、まぁ、いいや。じゃあ、俺はそっちに向かうから。直ぐに戻るとして、何か連絡事項があったら後で教えてくれ」

 

 りょーかい!、と返事を貰い太陽は待ち合わせの場所へと小走りで向かう。

 

 太陽が呼び出された場所は体育館裏。

 ここは太陽にとっては思い出深く、この場で太陽は幼馴染である彼女に告白をした、大切な場所。

 

 急いで太陽が体育館裏へと向かうと、先客がいた。

 その人物は、太陽を呼び出した張本人である―――――

 

「どうしたんだ、光。こんな所に呼び出して?」

 

 体育館裏に着いた太陽が開口一番に尋ねると、先客の女性はビクリと小さく跳ねて振り返る。

 女性の名は、渡口光。

 肩に掛かる亜麻色の髪に、ボーイッシュな雰囲気を漂わす女性。

 しかし、その顔立ちが端麗で、男子だけでなく女子からも人気な、太陽の自慢の彼女。

 

 同じ街で生まれ、家が隣同士で、更に父親同士が旧友の仲がである為、兄妹の様に一緒に育った幼馴染。

 

 光が太陽の方へと振り返ると、その潤んだ瞳が太陽の胸を刺す。

 それは可愛いとかではなく、何か嫌な予感がしての胸騒ぎに近かった。

 

「……ごめんね、太陽。卒業式が終わって、直ぐに呼び出して……」

 

 光の顔を見て太陽は違和感しか感じなかった。

 

 光は言葉を悪くすれば楽観的だが、良く言えば、いつも周りを笑顔にする表情豊かな女性でもある。

 自身の名前であるが、彼女こそが他人の心を照らす太陽みたいな存在。

 だが……今は違った。

 悲哀に満ちた瞳、怯えた様な表情、躊躇いを見せる唇。

 なにかしらの大きな覚悟を決心したはいいが、どうしても言い出せないようなもどかしさも感じる。

 少し口をぐもぐもさせて、目を伏せる彼女に太陽は少し焦りか早口で言う。

 

「ど、どうしたんだよ、光。そんな顔を強張らせてよ? 何か用事がないんだったら後にしようぜ? 今日は皆で中学卒業の祝いを開くらしいから、早く皆の所に戻ろ―――――」

 

「待って、太陽!」

 

 不思議と恐怖を感じてか、逃げる様に踵を返した太陽の袖を、光は咄嗟に近づき力強く掴む。

 引っ張られて太陽は体勢を崩すが、足を踏ん張り留まる。

 

 怖い怖い怖い……。

 

 太陽の心は不安と恐怖で埋まっていた。

 最悪の未来を想像しての無意識な反応。

 過呼吸寸前の心臓の鼓動は早鐘を打つ様に早くなるのを感じる。

 

 太陽だけでなく、太陽の袖を掴む光の指も微かに震えていた。

 

 それが物語るように、太陽にはこの先の最悪な運命を裏付けた。

 

 光が袖から手を放し、太陽は反応的に振り向くと、彼女は又しても俯いていた。

 俯き、口を黙らせる光を待つこと数秒、彼女は意を決した瞳の中に微かに浮かぶ涙を見せ、太陽に言い放った。

 その言葉が、二人の運命の歯車を乱すことを、太陽が直感して――――

 

 

 

 

「……太陽、別れよ。……私達」

 

 



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あの日の陽炎

 夕焼けを背景に公園の地に映るは二つの幼い男女の影。

 

 公園の中央に設置された砂場で、各々が砂の城を立てようと砂を自分の許へと掻き集める。

 元々、少年の方は、公園のベンチで今日発売された漫画を、家に持ち帰るまで我慢出来ないと読んでいたのだが、そこに訪れた知り合いの女子に無理やりと遊びに付き合わされたのが始まり。

 

 少年も最初は渋々と城作りをしていのだが、思い通りにならない砂の城の建設にムキになってのめり込み。 

 そんな少年を他所に、先に砂の城を完成させ、自分で始めたのにも関わらず少し飽きたのか、手に付いた砂を叩いて払い少女は眉間に皺を寄せて城を作る少年に話しかける。

 

「ねえねえ、○○(少年の名)。○○は××(少女の名)の将来の夢、聞きたい?」

 

「いや、別に」

 

「ねえねえ、○○。○○は××の将来の夢、聞きたい?」

 

「俺ちゃんと返事したよな? 別に聞き間違いとかでの返答とかじゃないからな!? しっかり聞き取れた上での返事だからな!」

 

 少年が素っ気ない返事を返したのには二つ理由がある。

 

 一つは現在砂の城作りに集中している為にあまり集中が散漫するからだ。

 もう一つは次の少女の質問で返答する事になる。

 

「むぅー。ならなんで聞きたくないとか言うの?」

 

「特に興味ないから」

 

 これが一番に理由である。

 少年が少女の将来の夢を聞いた所で少年は相槌を打つ事しか出来ないだろう。

 少年は大人なのか、人の夢に対しての相槌は相手が不快になると直感し、なら素直に興味ないというのに、相手にとっても、心の底から興味がないって事が本音の自分にとってもいいことだろう。

 なのに――――

 

「ねえねえ、○○。○○は××の将来の夢聞きたい?」

 

「無限ループすな! 分かったよ! 聞いてやるよ!」

 

 少年の気遣いに気づかぬ少女の根気は強く、お手上げの少年は意気消失と聞く事になる。

 

 少女は少年が聞いてくれる事に満悦して、くるりと体を一回転した後、コホン、と一回咳払いをして口を開く。

 

「ならしかと耳をかっぽじって聞いてね? 私の将来の夢は―――――お嫁さんだよ!」

 

 高らかに言い放つ少女の言葉は夕焼けの公園に響き、そして閑散する公園は静寂の時が流れ、

 

「………………………………………………」

 

「なんで××の話を無視してせっせと砂を集めているのかな!? 聞いてた? 聞いてたよね!?」

 

「あー、はいはい聞いてた聞いてた。なんだっけ? お花屋さんになりたいんだろ。頑張れよー」

 

「全然違うし! どんな聞き間違いをしたら、最初のおと最後のさん以外を間違えるのかな!? 完全に私の話に興味ないですかそうですか!」

 

 鼻を鳴らして、頬を膨らまし拗ねる少女に呆れ顔の少年は手を止め言う。

 

「だってよ……。将来の夢がお嫁さんって、そんな夢もない事を平然と言われればそうなるだろ? それに、そんな事を堂々と言う奴がいるか、普通……」

 

「いるよここに! 子供なんだからどんな夢を語ってもいいじゃん! アイアムチルドレンだよ! てか、去年の将来の夢の作文で『僕の夢は大魔王』って言った人に、人の夢を馬鹿にする権利はあるのかな!?」

 

 ぐふぅ!、鳩尾にボディーブローを食らったかの様に蹲り、黒歴史を掘り起こされた事で少年の顔は羞恥で紅潮させる。

 勿論、あの時の作文は若気の至りってのか、その後の教室全体の爆笑の波で現実を思い知らされていた。

 真っ赤に染める顔を激しく振り、若干涙目で少女に言う。

 

「お、俺の事はどうでもいいだろうが! お前のその、お嫁さんって、具体的にどんなお嫁さんになりたいんだよ!?」

 

「うわっ、逃げた」

 

 顔を逸らして、こちらに目を向けない少年に少し納得のいかない少女は頬を掻き、少年の質問に答える。

 

「うーん。そうだね……。あまり高望みはしないけど、やっぱり私の事をずっと好きでいてくれる人がいいな。……あっ、けど、年収は500万ぐらいは欲しいかも。後、子育てと家事にも積極的で、休日には買い物や家族サービス、それに、しっかりと奥さんを労ってくれるのもいいなー。子供ともしっかりとコミュニケーションを取って、しっかりと育ててほしい」

 

「なんでだろう……。その旦那さんが苦労する将来が微かに見える。つか、あまり高望みはしないんじゃなかったのか?」

 

 最初の言葉を忘れたかの様な理想の相手の人物像をあげる少女に嘆息の息を零す少年。

 少年は、前に見たテレビの内容を思い出す。

 近年の日本の夫婦関係で、旦那の事をこき使う妻が増えており、そんな旦那の事を俗にATMと呼ばれるらしい。

 そして、そのテレビを見ていた少年の父の哀愁漂う横顔を少年は脳裏に染みついて忘れられない。

 

「まぁ、お前のその高望みはいいとして。やっぱりお互いがお互いを好きでいてくれるって事が一番大事なんだろうな」

 

 高望みの後、少女は自身を好きでいてくれる人がいいと言った。

 少年はまだ子供で、恋愛経験を皆無に近い状態であるが。

 お互いが心通わし、その者と一生添い遂げたいという気持ちが大事なのではと、子供ながらに察した。

 

 そんな少年の言葉にその場で一回転する少女は一点の曇りのない笑顔を浮かばし。

 

「そうだよね! やっぱりお互いが好きでいられる。それが一番大事な事で、笑顔が絶えない家庭が、一番の幸せだよね!」

 

 少女はそう言いながら少年の方へと歩み寄り、自身の手で砂の付いた少年の手を包む様に両手で握ると、喜色の表情を浮かばし微笑み。

 

 

「そんな家庭を、私は――――――――○○と一緒に作りたい!」

 

 

「――――――――――――は?」

 

 少年の思考が一瞬停止した。

 頭の中が真っ白になる経験を、まさか、小学生の頃にするとは思わなかった。

 

 口を小さく開き、目を点にして、唖然とする少年の顔は徐々に赤みを差し始め、最後には頭上に隕石が降って来たかの様な驚愕の表情へと変わり。

 

「え、ええ、ええええ!? いやいやいやいや! な、なんでそうなるんだよ!? え、ええ? お前が先刻から言っていた旦那さんの像って、俺!?」

 

「うん。そうだよ」

 

「そうだよって――――そうだよじゃねえだろ! なんで、いきなり俺がお前の旦那になる事になってるんだよ!?」

 

 真顔のまま平然と言ってのける少女に、少年の思考が追い付かないでいる。必死に脳を回転させ、今の状況を整理する少年に少女は追い打ちをかける様に、キョトンとした表情で首を傾げ。

 

「だって私、○○の事が大好きだもん。それだけじゃあ、駄目?」

 

「駄目って言うか、おい。つーことは、先刻言っていた理想の旦那の図を、俺にさせるつもりだったのかよ……」

 

 先程に少女が掲げた理想の旦那像を思い返し、背筋がぞっと震える。

 そんな少年の将来を不安がある態度に少女は頬を膨らまし。

 

「むぅー。先刻のは3割は冗談だから安心してよ」

 

「3割? ん? それって確か、この前の算数で少し教えてもらった――――――って、殆どが本気じゃねえか!?」

 

 少年は騙されなかった。

 前の算数の授業で、まだ範囲ではないのだが、教師が雑談程度に教えてもらった事を頭の隅に残してたのが功をなし。殆どが冗談ではないって事に気づいた。

 

「えー。じゃあ聞くけど。○○は××の事が嫌いなの? ××と絶対に結婚したくないって思う程、××の事嫌い?」

 

 冗談気のない真摯な瞳が少年を貫き口を詰まらす。

 ここで拒絶や嫌いなどの言葉を口にすれば、永遠に友達としての関係も崩れ落ちる。

 だが、逆に応諾すれば、後々が面倒になる事を、歳若い少年が悟る。

 例えるなら、前門の虎、後門の狼な感じかもしれない。

 

 だからなのか、少年は答えが出せない。

 

「結婚とか今言われてもよく分からねぇよ。もっと色々と経験して、俺とお前が大人にならなきゃ、しっかりとした答える事は出ない」

 

 少年はまだ小学校に入ってまだ二年しか時が経ってない。

 そんな将来の事を決定付ける大事な事を、人生経験の浅い今の段階で答えを出すのは賢明ではない。

 だから少年が今この言葉こそが最善の選択だと自負する。

 

 言われた直後は納得のいかない少女であったが、一考した上でもう一度考えなおし、不服そうであるが、嘆息気味に息を吐き。

 

「まぁ、確かに、子供の今早まっても、仕方ないよね」

 

 少女は少し焦り過ぎていたと少年の小さく謝り、少年は小さく頭を下げる少女の頭を、砂の払った手で撫で。

 

「そうだぜ。今好きだって言ってもそれは勘違いだったりして、成長すればそれがただの友達に向けて好きだったって事もあるらしいからな」

 

「……さっきからなーんか、実体験みたいに言うけどさ。○○のそれは誰から聞いた話なの?」

 

 胡乱な目な少女に、少年は顔を逸らして頬を指で掻く。

 

「ま、まぁな。これはお父さんの体験談でな。お父さんにも小さい頃には幼馴染の女の子がいたんだけど、その子と将来結婚しようって約束をしてたらしいんだ。けど、お父さんは信じてたんだけど、女の子の方が成長して『ごめん。小さい頃は好きだったと思ってたんだけど、それは友達としての好きだったみたい。男としてはあまり好きじゃなかったから、あの約束は破棄してね』って言われて振られてらしいんだ」

 

「やめてッ! もう○○のお父さんに笑顔を向けられる自信がなくなるから!」

 

「ついでにもう一つ付け足すと、お父さんの失恋回数は49回らしい」

 

「だからやめてって! もう不吉な数字が並んで怖いよ! ○○のお父さん末永くお幸せに!」

 

 ペースを掌握した事に満足気な少年だが、脱線した話を修正して気を取り直す。

 

「だからよ、××。今急いで答えを出しても、好きって気持ちはいつ変わるかも分からない。俺もまだガキで、恋愛だってあまり分からないけど、これからも沢山経験して、本当に好きになった相手にその言葉を言ってくれ」

 

「けど……××はどんなに時間が経っても、○○の事だ大好きだよ! 絶対に、絶対にぃ! けど、○○がそう言うなら一旦諦めるよ……。けど、もし××達がもう少し大人になって、××が○○の事が好きだったら、もう一度……告白していいよね?」

 

 涙ぐむ目での懇願に不意に穿たれる少年の心。

 ここまで好意を向けてくれる経験なんて、短い少年の人生で今の段階では一度もなかった。

 

「ああ。俺達が大きくなって、まだ××が俺のことを好きで、俺がフリーだったら、その時はお前と一緒にいてやるよ」

 

「……なんか、ものすっごく○○の都合な感じだけど、××はずっと○○のことを好きでいる自信はあるよ。だから、約束だよ」

 

 少女は告げて小指を立てた手を少年へと突き出す。

 少女の行動の意図を察した少年も、少女の小指に自身の小指を絡めて頷き。

 

「ああ、約束だ」

 

 夕焼けが背景の公園に、幼い男女の指切りげんまんが響く。



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目覚め

 prrrrrrrrr!

 

 夢を見ていた。

 なんの夢を見ていたのかは覚えてないが、太陽は少し懐かしい幻を見ていたと思う。

 

 携帯から発する電子音が取り留めもなく鳴り続け、机にうつ伏せの太陽は顔を上げずに手探りで携帯へと手を伸ばす。

 何度か空振った後に携帯を手にした太陽は、ピッと毎日7時設定しているアラームを切ると二度寝に入る。

 

 prrrrrrrr!

 

 だが、遮光性カーテンの隙間から漏れる光源で薄暗い部屋に、二度目のアラームが再び響く。

 どうやら太陽は寝惚けてか、アラームオフのボタンではなくスヌーズボタンの方を押していたらしい。

 しかも、押して数秒経つと鳴る設定にしていたらしく、太陽は自分に怒りを覚える。

 

 もういっそのこと無視してやろうかと考える太陽は、寝惚けた瞼を再び閉じ夢の世界に―――――

 

 prrrrrrrrrrr!

 

「……………………」

 

 prrrrrrrrrrr!

 

「―――――――うッがぁあああああ! うるせぇええええ!」

 

 近所迷惑極まりない声量をあげる太陽。

 お前が一番うるさいんだよ、とツッコミを貰いそうな程の怒声を響かす太陽は携帯を取り、次はしっかりとアラームをオフにする。

 関係ないが、太陽はうるさいと眠れない派で、今回の件で完全に覚醒したようだ。

 

 首をパキパキ鳴らして悪い体勢で凝った身体を解し。

 

「最悪の目覚めだぜ、まったくぅ……。んで。俺、なにしてたんだ?」

 

 寝ていたという回答は野暮で違う。

 太陽が言いたいのは、自分はいつの間に寝ていたのかだ。

 太陽は夢の世界に赴く前の記憶が曖昧でおぼろげだった。

 一つ一つ思い出そうとする。

 

「俺はたしか、昨日学校で信也に動画サイトのURLを教えられて……」

 

 口に出して想起、確認、そして結論

 

「そうだそうだ。なんか最近、うちの学校に軽音部が設立されて、そこのバンドがネットに動画をアップして少し話題になってるとかで、お前も一度見ろって勧められたんだった。んで、見てみたら――――」

 

 太陽はテーブルの上に置かれる開かれたノートパソコンに目をやる。

 パソコンは長時間放置で強制スリープモードになっているから画面は暗いが、太陽が適当なボタンを押す事で再起動、パスワード『taiyou0517』と打ち込む。前は自分の名前を後ろの数字が自身の誕生日だ。

 スリープモードからの再開は直前の画面が残っており、太陽が開くとそのまま太陽が寝落ちする前に見ていたと思われる動画サイトが映し出された。

 

「……まさか、あいつらがこんな事をしていたとはな……」

 

 最後まで動画を観終えた事で次のオススメ動画はこちらといらない画面が出ているも、それをスルーして太陽は画面真ん中の丸いアイコンをクリックして、同じ動画を再生する。

 

 太陽が選んだことで動画は最初から再生される。

 動画内に出て来たのは5人の女子生徒。

 女子生徒が通う学校の制服なのか、亜麻色のブレザーに城のシャツ、そして灰色のスカート。

 太陽はこの制服に見覚えがあった。

 というよりも、この動画に出て来る五人の内の二人の女子生徒と太陽は顔見知りだった。

 他の3人は太陽とは面識がない。

 だが、太陽の学校はスカーフの色で学年が判別できるから、残りの2人は太陽の一つ上の学年で、もう一人は太陽と同じ学年の人だと分かった。

 

 この動画の女子生徒は太陽が通う高校の生徒。

 そして彼女達は最近、太陽の学校で発足された軽音部のバンド、名は『victoria』。

 名前の由来は、なんでも世界初、世界一周を成し遂げたかの有名はフェルディナンド・マゼランの船の一つらしい。

 

「……って、たしか結束してまだ一ヵ月ぐらいって言ってたけど、この程度でよく動画を出そうと思ったよな? 千絵の奴ならともかく、あいつは反対しそうだけどな」

 

 動画が再生され、ドラム担当の上級生が『ワン・ツー・スリー!』とカウントを取ると演奏は開始される。

 だが、キーボード担当の太陽とは面識がないが同学年の女子生徒と、ドラム、ベースの上級生は兎も角、恐らく初心者であろう太陽と顔馴染みの女子生徒が担当するギターはお世辞にも上手ではなかった。

 いや、辛口で言うのであれば下手であった。

 音楽に精通していない太陽も眉根を寄せたくなるように、失敗だらけでテンポもずれずれだ。

 聴いてるこっちが頭を抱えそうにもなる。

 

「ほんと、もう少し上達してから動画をあげられば良かったのによ。まぁ、千絵は飽き性だし、こんな酷評を貰えば辞めるかもな」

 

 ケラケラと笑う太陽だが、笑うと虚しくてすぐに止む。

 ふぅ……と一息吐くと、太陽はパソコンの電源をシャットダウンする。

 

 そして背中のベットに勢いよく凭れると天井を仰ぐ。

 

「まぁ、今更あいつらのことなんでどうでもいいが、俺……どんな夢を見ていたんだ?」

 

 今学校である意味話題のバンドから興味が削がれ、太陽が零したのは起きる寸前まで見ていたはずの夢の内容だった。

 突然の覚醒で太陽は自分がどんな夢を見ていたのか覚えていない。

 誰しも経験があると思うが、楽しい夢も、悲しい夢も、起きてしまえば忘れてしまう事もある。

 だから太陽は、自分がどんな夢を見ていたのか覚えてはいない。

 だが、胸のあたりがポカポカするような、少なくとも悪い夢ではないことは確かだった。

 

「思い出せねえものを無理に思い出すこともねえし、思い出せねえのならそれだけの夢だったのだろうな。腹が減ったし、さっさと飯でも食べるか」

 

 うーん、と背筋を伸ばして太陽は部屋を出る。

 

 太陽が住まう家は二階建ての一軒家。外見がごく一般的な平凡な佇まいだ。

 欠伸をしながら階段を降り、リビングに足を運ぶ太陽を出迎えたのは、朝食の香ばしい匂いだった。

 

「あっ、太陽、起きたのね、おはよう。貴方の朝食今作ってるから、椅子に座って待ってなさい」

 

 キッチンに立つ母におはようと気だるげな返事をして、太陽は椅子に座る。

 そして、対面する新聞の一面……否、父親が新聞紙を折り畳み太陽と顔を合わせる。

 

「おはよう、太陽」

 

「おはようさん」

 

 と、父に適当に挨拶をしてテーブルに肩ひじを付いて、朝のニュースが流れるテレビに意識を向ける。

 だが、父はコホンと咳払いを入れ、出社前で、朝食を食べ終えた父が太陽に話しかける。

 

「なあ、太陽。ちょっといいか?」

 

「ん。なに? 今朝の占いしてるから手短に頼むよ」

 

「お前……父に対してその態度はどうかと思うぞ……?」

 

 テレビに顔を向けたまま返答をすると、父は少し真剣な要件を言う。

 

「今日さ……。お父さんとお母さんな、隣の家の人と食事をすることにしたんだ。で、お前も一緒にどうかと思ってるんだが……お前も来るか?」

 

「断る」

 

 即答!? と息子に即答拒否され涙目で父の威厳が感じられない表情となっていた。

 

 太陽は横目でそれを確認すると、溜息を吐き、再びテレビに視線を戻す。

 別に太陽は父が嫌いだからとはではないのはあらかじめに説明しておく。

 ただ、太陽はこう言った回りくどい誘いに対してうんざりしていた。

 この様な食事だったり、買い物だったり、旅行だったりと、一年以上前から時折誘われるようになっていた。

 太陽が傷つかないようにする為か、敢えて苗字も名前も把握している相手の事を『隣の家の人』と濁している部分もうんざりする点の一つだったりする。

 

 太陽は顔を父に向けずに言う。

 

「父さんさ。そう言った気遣いが、却って息子との距離を引き離す事になるから、あまりしない方がいいよ。と、息子の俺からのアドバイスね」

 

 太陽がそんな事を口にしている間に、母が完成させた朝食を太陽の前に並べられ、太陽は手を合わせると朝食を口にし始める。

 

 父は苦笑を浮かばせ。

 

「はははっ……。息子に息子の扱い方をアドバイスされる親って……。分かった、ごめんな。お前に変な気を使わせて」

 

「別にいいよ。母さんと楽しんで来てくれ」

 

 慣れと言えばいいのか特に気にする素振りを見せず、太陽は一日のエネルギーの源の朝食を平らげる。

 

「ごちそうさま。んじゃあ、俺はもう登校するから」

 

「え? まだ登校には早い時間じゃないかしら?」

 

 母が疑問を口にすると、太陽がそれに答える。

 

「今日は日直なんだよ」

 

 と端的に答えて太陽はリビングを後にする。

 学校の準備が終わってないので、一旦自分の部屋に戻ろうと階段に足を踏み込んだ時、父と母の話声が聞こえる。

 

「やっぱり、あの子達の仲は直らないようね……」

 

「仕方ないよ、母さん。男女の恋愛ってのはそういうものだ。振られた相手であれば、今後普通に接していくのだって精神的にキツイからね。しかも相手が幼馴染とくれば尚更だよ」

 

「あら? その言い草は体験談から来た根拠かしら?」

 

「……そうだよ。この失恋回数49回の大ベテランの俺が言うんだから、間違いない!」

 

「いや。それを堂々と言われると、素直に貴方を感服するわ。ほんと、こんな人に惚れて結婚した私は負け組ね」

 

「ひどくない、それ!? …………てか、話を戻すけど。あの子達の関係に親である私達が関わるのはやっぱり無粋だよね。無理やり引き合わせても、息子たちの開いた溝は埋まる事はないよ」

 

「そうね……」

 

「だから、やっぱりあの子達の関係は、あの子達自身が解決しないといけないと俺は思うよ。母さんもそう思うだろ?」

 

「……そうよね。けど、貴方はいいの? だってお隣の渡口さん所の旦那さんは、貴方とは学生の頃から親友なんでしょ? このままだとその人とも関係が悪化するわよ?」

 

「いいんだよ。確かに、あいつとは学生の頃からの腐れ縁だが。最低かもしれないけど、俺は子供達の関係の結果であいつとの仲が悪くなっても後悔はしないよ。自分の保身の為に、息子に辛い思いをさせたくないから」

 

「優しいのね……。分かったわ。貴方がそういうなら、私もあの子の行く末を見守るだけよ。せめて、昔の様に笑顔で一緒にいられる間柄に戻ってくれるといいわね……」

 

 そんな両親の会話を階段の隠れた太陽が盗み聞ぎをしていた。

 

「……たくよぉ……。せめて俺が登校した後にしてほしいぜ、全く……。ごめんな、父さん……」

 

 自分とは別に、両親にも迷惑をかけてると薄々感じていた。

 しかし、今更時間を戻せるはずもなく、太陽はただ謝るだけだった。

 

 肩の荷が重くなった足取りで、いつもより長く感じる家の階段を昇るのだった。

 



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心に残る傷

 今日使用する教科書と筆記用具を鞄に入れ、支度を終えた太陽は、行って来ます、と言い、リビングから父と母からの、行ってらっしゃい、と返事を貰って言えを出る。

 

 まだ本格的に夏が到来してないからか、朝は少し肌寒い。

 だが、昼頃になればこの寒気が嘘だと思わせる様に暑くなるから、タオルを鞄に入れたか再確認する。

 

 鞄を漁りながら家の敷地を出た太陽だが、塀の門を出た辺りで、バッタリと人に当たりそうになる。

 

「あっ、すみま…………ちっ」

 

 前歩不注意で人と衝突しそうになったが、ギリギリの所で止まって事なきを得た。

 だが、その当たりそうになった人物と目を合わせた事で、脊髄反射で口にしかけた謝罪を飲み込み、小さく舌打ちをしてしまう太陽。

 

「……なんだ、お前か……」

 

 太陽は悪態付く様に目を細めて相手を睨む。

 

 肩に掛かる毛先が癖毛となっている亜麻色の髪、身長は女子高生の平均程度、スタイルは出てる所は出て、引っ込んでる所は引っ込んでるが、ボーイッシュな雰囲気を漂わす女性。

 名は渡口光。

 同じ土地で生まれ、家が隣同士って事と、父親同士が親友ってことで、小さい頃から兄妹の様に一緒に育って来た幼馴染で―――――太陽が最も嫌う人物だ。

 

 多分、光は太陽の事を待っていたとかではないないのだろう。

 太陽が出た時間と同じに光も家を出たのだろう。

 太陽の顔を見て気まずそうに顔を逸らしてせわしなく肩を揺らすのが証拠である。

 そもそも、光が太陽を待つ理由が、今では思いつかないでいる。

 

 そんな太陽とバッタリ遭遇して固まる光の横を太陽は無言で素通りする。

 

「ま―――――待ってよ太陽!」

 

 太陽が通り過ぎた事で我に返ったのか、朝の空気を通る少し声を張り上るが、太陽はピクリとも反応せずに歩みを止めない。

 光もそれが分かっていたのか、呼び止めと同時に急ぎ足で太陽の後を追いかけた。

 そして、太陽の横を並行して歩き出すと、ぎこちない笑顔を向け。

 

「た、太陽……えっと……おはよう」

 

「…………はよ」

 

 太陽自身は適当に返したはずなのだが、何故か光は嬉しそうにはにかんだ。

 最近では、そもそも外や学校で会っても無視したりしてたから、返事を貰えた事も久しかったのだろう。

 だが、太陽は嬉しそうにする光の表情を見て内心イラついていた。

 

「(なんでテメェがそんな反応するんだよ! 俺がこうなったのは、テメェが原因だってのによ!)」

 

 必死に表面で平静を保っているが、内面ではぐつぐつと怒りがマグマの様に煮えたぎっていた。

 

「そうだ、太陽! 昨日ね、面白い事があったんだよ!」

 

 太陽から返事を貰えた事で気分を良くしたのか、光が昨日の出来事を話す。

 千絵と、最近仲良くなった咲良という女子とのやり取りらしいが、口頭だけでは面白さが伝わらず、太陽は鉄仮面の様にピクリとも表情筋を変えない。

 そもそも、太陽は光といて笑えれるような心の状態は持っていない。

 

「それでね。その後千絵ちゃんが――――――」

 

「……なあ、光」

 

 ん、なに? と太陽が足を止めてから三歩歩いた地点で歩みを止める光は後方の太陽へと踵を返す。

 人の気も知らない光の態度に、太陽は押し寄せる怒りを抑えて口を開く。

 

「お前、先刻(さっき)から何平然と話しかけてるんだ? お前と俺が、今どんな関係なのか知っているよな?」

 

 穏やかな態度で接しようと試みるも、やはり過去の出来事を尾を引いて、無意識に上擦った声になっていた。

 だが、一度口を開けば、まるでダムが決壊して水が漏れる様に、今までため込んでいた感情を吐き出す。

 

「お前さ。自分から振った相手によ、何事もなかった様に話しかけるとか、何考えてるんだ? なんだ。俺に対しての僅かな罪悪感からか? それとも同情か? それとももう昔の事は関係ないと俺を馬鹿にしているのか?」

 

「い、いや……。私はそんなつもりじゃぁ……」

 

「そんなつもりでもそうでなくても、そう感じるんだよ! 少しは人の気持ちを考えろや馬鹿がッ!」

 

 朝の住宅街に轟く怒号。

 太陽も自分がここまでの怒声を張り上げた事に内心驚く。

 だが、この今太陽を支配する黒い感情こそが、今目の前の嫌いな人物に向ける本音だと気づく。

 

 普通に話しかけるつもりだった気持ちは太陽から消え去り。

 いつもより低い声の太陽に光はビクリと怯えた様に身体を震わせた。

 そして太陽は熱が入った様に、一気に捲し立てるかの如く叫んだ。

 

「テメェは俺を振る時に自分が言った言葉を覚えているよな!? 振られる理由の中で、あれがどれだけ相手を傷つけるのか分かっているのか!? なのに、お前はそれを俺に対して平然と言ってのけたんだぞ? テメェがどれだけ俺を傷つけたのか、分かっているのか、おい!」

 

 感情を塞き止めるダムが決壊して、奔流する感情の赴くままにヒートアップした太陽は、言い終わるや否や息を乱していた。

 本音と感情を露わにして叫びたてた顔に熱が籠る太陽とは別に。

 太陽の怒声と蔑みに、光は太陽の顔を見ずに俯き、その目元には涙が見える。

 

 太陽が住宅街の真ん中で考えもなしに叫んだことで、住人や登下校、通勤途中の者達が『痴話喧嘩か?』と野次馬を作り出す。

 徐々に増える人集りに、太陽は我に返り、少しの間太陽と光の間に沈黙の空気が流れる。

 太陽は野次馬たちからの視線が集まり、居た堪れなくなると、吐き捨てる様に喉を鳴らして光の横を通り過ぎる。

 

 その際、太陽の脳裏に封じ込めていたあの光景(・ ・ ・ ・)が蘇る。

 太陽は永劫に思い出したくないとさえ思える。だが、忘れ難い苦い思い出、太陽の心に一生消えないであろう傷の原因の出来事。

 

 太陽と光が中学を卒業する、中学生の制服を着る最後の日。

 満開の桜と在校生達、世話になった恩師たちに見送られる晴天の青空の日。

 光の呼び出しで二人キリとなった体育館裏での一連の会話。

 

『……太陽、別れよ。……私達』

 

『どうしてか、聞いて……いいよな?』

 

『……他に好きな人ができたんだ。私はその人に振り向いてほしい。だから、ごめんだけど、別れて』

 

 思い出しただけで胸が苦しくなる。

 フラッシュバックと呼ぶべきか、一瞬立ち眩みを起こすも、必死に踏ん張り感情を殺す様に落ち着かせる。

 一方的に別れを切り出された太陽は、あの時は現実から逃げる様に走り去ったが、その後に光の気持ちを汲んで別れる事に同意をした。

 その時も淡々と光から『ありがとう。太陽もこんな(女性)じゃなくて、他の人と幸せになってね』と言われ、二人の関係は呆気なく終わりを告げた。

 

 その後の太陽は大変だった。

 暫くの間失恋のショックで部屋に塞ぎ込み、食事を摂る事も拒絶して痩せはじめ、そもそも生きる気力さえも失う程に太陽は落ち込んだ。

 それもそうだ。

 相手は小さい頃から好きだった幼馴染で、同じ時を刻んだ最愛の彼女だったのだから。

 何度も死のうと自殺を試みた。だが、やはり小心者で臆病の太陽は死ぬのが怖くて今も生きている。

 

 そして、卒業式を終えてから二週間が過ぎ、高校の入学式が差し迫った頃。

 太陽はこのままでは駄目だと、このままでは両親や友達に迷惑がかかると思い、部屋を出た。

 

 だが、他に好きな人が出来たと告げられ受けた心の傷が癒えるはずもなく、太陽を大きく変える起因になったのに違いない。

 

 太陽はうじうじしていた昔の自分を思い出し、恥ずかしさと怒りで自身の金髪の髪を掻き乱す。

 

 現在の太陽は金髪に耳にピアスと、普通の高校生からすると客観的に不良と思える外見をしている。

 だが、中学までの太陽はお世辞にも普通の冴えない黒髪の真面目な生徒だった。

 

 だが、光に振られ、失恋にケジメと一区切り付けようと、今も光に捨てないでくれと縋る自分を捨てようと、高校を入学を期に大幅なイメチェンを施したのだ。

 

 それもこれも。

 全てのあの卒業式から大きく歯車を歪ませたから。

 そして、その時太陽は否応なしでも気づかされたのだ。

 

――――永遠に続く愛なんて、どこにもないのだ、と……。

 

「そう言えば、お前。最近バンドを始めたんだってな? 動画見たぞ」

 

「……そうなんだ。けど、ヒドイよね。私達の演奏……。見てくれてありがとう」

 

 互いに顔を合わせずに会話をして、太陽は鼻を鳴らす。

 

「お前と千絵は下手だが、他の奴らは上手えよ。なんで元陸上のお前がバンドを始めたのかは知らないが。まあ、精々頑張って好きな人に振り向いてもらえるように頑張るんだな」

 

 皮肉に嘲笑をして、太陽は光に背を向けながら歩き出す。

 

「(完全に終わったな……)」

 

 太陽は元々人に悪口を言える程に心が強い方ではない。

 相手が一番の嫌いな相手だからと言って、言い過ぎたのではと心臓を締め付ける。

 しかし、留まることはないと決心したから、太陽は最後の手向けとばかりに言い放つ。

 

「だからもう元カレの俺に話しかけるんじゃねえぞ。じゃあ、渡口さん(・ ・ ・ ・)

 

 これが二人の運命だったのだと、太陽は自分に言い聞かせた。

 



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傷を隠す道化師

 太陽の住む地域は田舎で高校数は少ない。

 太陽の家から、太陽の通う高校まではバス通学を行う程の距離がある。

 それが理由で現在、太陽は学校に向かうバスに乗車していた。

 

「(うん……まぁ、同じ学校なんだから当たり前か)」

 

 バスの窓に薄ら反射する自分の顔……ではなく、太陽の斜め後方に座る光の姿が確認出来た。。

 太陽と光は同じ高校に通っており、同じ地域に住んでいるのだから、時間さえ合えば同じバス乗るのも必然である。

 昔はバスに乗る際は隣で一緒に座ってたりもするが、今では離れた席に座っている。

 

「(まぁ、今更どうでもいいがな)」

 

 そこそこ早い時刻だが、部活の朝練や自習でかバスに乗る生徒の数は多い。

 そして、その中には先程の(一方的)な言い争いを目撃した生徒がいたのか、こちらを見てヒソヒソと小話をしている。が、太陽は我関せずとばかりに特に気にはしない。

 

「ねむっ……」

 

 心地よくバスに揺られて睡魔に襲われる太陽は首で船を漕ぐ。

 数分だけ意識を朦朧とさせてると、バスが停車したのに気づく。

 どうやら目的地に着いたらしい。

 

『えー。鹿原(かばら)。鹿原高校前にご到着しましたー。荷物の忘れ物が無い様にお降りください』

 

 仮眠程度に寝ていた太陽は車内放送で目を開き、周りを見渡す。

 目的地の学校前に着いており、太陽が寝ている間に他の停留所からバスに乗って増えていた生徒達がぞろぞろとバスを降りようとしていた。

 その流れに乗って太陽も席を立ち、ICカードをスキャンしてバスを降りた。

 バスは高校の直ぐ手前で停車してから、そのまま直進して学校の門を通る。

 

 体は真っ直ぐにして横目で後方を見ると、光も降車していた。

 これも同じ高校に通っているのだから当たり前か……と、学校では基本顔を合わせたくない相手と同じ学校などだと再確認して嘆息してしまう。

 

 太陽が通う高校は住む地元では進学校で、そこそこの偏差値を誇る。

 太陽が住む地元には学校があまり無く、公立の学校は太陽の通う学校を含めて3校で、他は農業高校、工業高校がある。

 この二つは主に卒業後は就職が多いから、大学に進学したいと考えている太陽はこの学校に通うしかなかった。

 

 しかし、お世辞にも太陽は学力が良いってわけではない。

 中学の成績は中の下ほどで、友達との遊びで時間を費やしたツケが中3の頃に襲い掛かった。

 偏差値も届いておらず、受かるかどうかの瀬戸際な状態だったのだが、必死に猛勉強して、なんとか進学校に入学は出来たとだが……その勉強を教えてくれたのが、他でもない……元カノ()だったりする。

 

「(……けど、あの時俺は、あいつと同じ学校に行きたいからって頑張ったのにな……まさか、こんな形で後悔するとは思わな―――――って、俺は何を考えてるんだ? 少し気を抜くと無意識にあいつのことを考えてしまう……。俺はあいつの事を必死に忘れようとしてるのに)」

 

 今まで、極力同じ学校でも顔を合わせず、会話の一つもなかったのだが。

 今朝偶然に遭遇して、流れで少しの間一緒に歩いて会話をしたのが原因か、少し未練がましくなったと太陽は沈んだ気持ちを振り払う。

 

「よう、太陽! 元気してるか!」

 

 突然とバンと豪快な音を鳴らしたと同時に背中に衝撃が奔る。

 うぐっ、と前のめりに体勢を崩す太陽は、その原因の男を睨む。

 

「痛ぇな、信也……。いきなり人の背中を叩くんじゃねえよ」

 

 太陽の背中を叩いた男の名は新田信也。

 中学の頃に知り合い、それから4年間の付き合いのある親友で、現在も太陽と同じ学校に通っている。

 不意打ちと人に危害を加えることを諫める太陽だが、反省の色を見せない信也はヘラヘラと笑い。

 

「いいじゃねえかよ? 俺とお前の仲だろうが。んで、どうだった?」

 

 暖簾に腕押しなのか、何を言っても聞かなそうなのは太陽は中学の頃で把握している。

 だから諦めて信也の質問に答える。

 

「どうだったってのは、動画のことか?」

 

 太陽が聞き返すと信也は正解と頷く。

 太陽は小さく息を吐き。

 

「どうしたもこうしたも、お粗末な演奏だったよ。初心者なら、もう少し上達してからアップした方がいいんじゃねえか?」

 

「……いや、面白かった、つまらなかったならいざ知らず、動画のUp云々に関して俺に言われても知らないけどさ……。言うなら、後ろのご本人に言った方がいいんじゃねえか?」

 

 クイと信也が顎で指す。

 後ろには太陽が辛辣な評価をする動画に登場する一人、光がこちらを見ていた。

 だが、太陽が目を向けると、直ぐに顔を逸らす。

 太陽は露骨に嫌な表情を浮かばせ小さく舌打ちをする。

 

「なんで俺があいつに言わねえといけねえんだよ。渡口(・ ・)にはお前から言ってやれ」

 

 太陽が言うと信也は渋面となる。

 信也が反応したのは、前までは『光』と呼んでいたのが、いつの間にか『渡口』に変わっていたのだ。

 

「お前……まだ渡口と仲違いをしているのか……。もう1年以上経つんだしさ、そろそろ仲直りした方がいいんじゃねえか? このままだと完全に疎遠になるぞ」

 

 信也はお節介で昔の2人に戻って欲しいという心遣いなのだろうが、その何気ない言葉が太陽の神経に触れ。

 

「……年数なんて関係ねえよ。俺と(あいつ)はもう取返しのない所まで来ているんだ。このまま疎遠になったところで知ったことかよ。それに、信也。お前のそのお節介は嫌いじゃないし、友達として嬉しいよ。だがな、恋愛でのお節介はただ相手をイラつかせるだけだから、あまり関与しない方がいいぞ?」

 

「あ、あぁ……悪かった、ごめん」

 

 別に信也が謝る事ではないことは太陽は分かっている。

 信也も光のことを中学から知っている。

 太陽と光が幼馴染でどんな仲だったのか近くで見て来たからこそ、今の二人の関係に対して見て見ぬフリが出来ないのだ。

 その事に関しては太陽も感謝している。

 だが、気休めなお節介は更に相手を傷つけるだけだからと、太陽からしてあまりその事には触れないでくれという気持ちの方が大きかった。

 

 空気が重くなり沈黙した状態で男二人並んで校舎に続く道を歩いていると、横から慌ただしい足音が近づく。

 

「おーい! 太陽っち、おはよう! この前のカラオケ楽しかったね! また一緒に行こう!」

 

 元気な声で近づくのは半袖半ズボンの陸上着姿の茶髪で短髪の女性。

 太陽のクラスメイトで陸上部に所属をしている池田優菜(いけだ ゆうな)だった。

 朝に響く大声に、太陽は一瞬、ぎょっと驚くも、コホンと咳を入れて――――いつもの(・ ・ ・ ・)の態度にチェンジする。

 

「おっす、ゆーちゃん、おはようさん! もちろんいいぜ! この前のゆーちゃんの歌、凄く上手かったしさ、惚れ惚れしたぜ。また聞きたいし、部活の休みの日にまた皆でカラオケに行こうぜ」

 

「本当に!? 太陽っちに言われると照れますな~。けど、ウチとしては太陽っちと二人キリで行きたいな~」

 

「その誘いは嬉しいけど。ゆーちゃんみたいな可愛い子を独占すると、沢山の男子から恨まれるから遠慮するよ。何人か誘って、カラオケ&プチ合コンするのも楽しそうでいいと思うぜ?」

 

「うーん。たしかに一理あるね。けど、ウチ的には二人キリで行きたかったけど残念だな~。それに、可愛いとかダンナは女子を煽てるのがうまいこと」

 

 グリグリと太陽の腹に肘を突く優菜。

 二人のやり取りをただ傍観していた信也は引き気味に唖然としており、それに優菜が気づき。

 

「どうしたのかな、新田君。もしかして新田君もカラオケに行きたかったりするかな? なら遠慮せずに来てもいいよ。新田君カッコいいし、私の友達は来てくれたら喜ぶから」

 

「い、いや……俺は別にいいよ……」

 

 遠慮とかではなく、本気で誘いを断る信也に、太陽は信也の肩に腕を回し。

 

「おいおい信也よ。女子からの誘いを断るなんて野暮なことはしちゃいけねえぜ? 大丈夫だよ、ゆーちゃん。こいつは是が非でも来させるから。今度部活休みがあったら連絡ちょうだい」

 

「OK! 飛び切り可愛い女の子たちを用意するから、その時は太陽君っちも男友達に声をかけてよ。あっ、太陽っちはウチが予約ね」

 

「お客様。俺は予約不可の当日早い者勝ちですのであしからず。まぁ、俺の場合はいつも売れ残ったりするけどな!」

 

 自虐を入れて笑いを取る太陽に優菜は否定する。

 

「えぇー。太陽っちいつも人気じゃないか! 中学の頃はそうでもなかったって聞くのが嘘だーって思うぐらいにさ。まぁ、ウチはそういったことは気にしないから、当日は直ぐに太陽っちを捕まえてやるんだから」

 

 狙い撃ちと表現したいのか、手を銃の形にしてバキュンと撃つ。

 しかし、言葉の弾丸が痛い所を撃ち抜かれて言葉を詰まらす太陽。

 優菜の発言通りに中学の太陽はこんな風に陽気に女子と話せるような性格ではなかった。

 だが失恋での経験から、昔の陰キャラだった自分を変えたくて、高校の頃からこんな性格をしているのだ。

 

 そして太陽が言葉を詰まらしていると、幸運なのか不運なのか、優菜は別の対象に目が向く。

 

「おっ、光さん! おはよう!」

 

「え、あっ、おはよう」

 

 立ち止まった太陽たちの横を通り過ぎようとした光を優菜が見つけ大声で声をかける。

 思いもよらぬ挨拶だったのか、光は少し戸惑うも笑顔で挨拶を返す。

 

「ねぇねぇ、今ね、もし今度ウチの部活が休みがあったら、この太陽っちを含めて何人かでカラオケに行こうと思ってるんだけど、光さんも行かない?」

 

 その無邪気な誘いに優菜を除く全員の空気が固まる。

 優菜は高校から太陽たちと知り合ってるから、高校入学前の事は知らないのだ。

 表情が険悪になる太陽、ハラハラと冷や汗を流す信也、たじたじとなって目を逸らす光。

 チラッと光は太陽に目を向けるが、太陽は嫌な表情を浮かばしているのを確認すると、必死に悲しみの感情を押し殺した様な無理した笑顔を浮かばせ。

 

「ごめん。私、今の部活が忙しいから、多分休みが被らないと思うんだ。だから、皆で楽しんで来て」

 

「えぇー。光さん可愛いし、人気者だから、来てくれれば皆のテンションぎゅんぎゅん上昇するとおもったんだけどなー。まぁ、部活なら仕方ないよね」

 

 歯を見せ笑う優菜。

 勿論、優菜は一切馬鹿にはしていない。

 

「それじゃあ、私は日直だから。もう行くね。誘ってくれてありがとう」

 

 笑顔で手を振って去っていく光を優菜はじゃーねーと手を振る。

 

 校舎の中に消えていく光を見送った3人。

 そして優菜は小さく溜息を吐き。

 

「それにしても、今思っても本当に残念だな……。光さん、陸上の才能があったのに、まさか怪我をするなんて……」

 

 現在の光は軽音部に所属をしているが、去年までは陸上部に所属をしていた。

 光は長距離走の選手で、その実力は全国レベル。

 中学の頃に高校からの特待生や推薦が沢山来る程の選手だったのだが、去年の夏の大会前に選手生命が断たれる大怪我を負ってしまった。

 何者かに憑りつかれたかのようなオーバーワークをして彼女の体がもたなかったのだ。

 今では日常生活に支障はなく、軽め程度なら走れるように回復はしたが、陸上選手としての復帰は見込めず、光に期待していた者全員が落胆をした。

 

 一時期落ち込んでいた時期もあったのを去年同じクラスであり元部活仲間の優菜は知っている。

 だから、今打ち込める物を見つけてくれたのを、友達として嬉しくも思っている。

 

「光さんの分までウチが頑張らないとね。それじゃあ、ウチはこれから朝練に行くから、今度の休みは連絡するから待っててね」

 

 光の分も頑張ると意気込み、部活に精を出す熱血部活生。

 優菜は短距離の選手だが、同じ陸上なのでいいのだろう。

 颯爽と走り去る優菜を見送った太陽と信也。

 

 そんな嵐のような5分も満たない時間に信也は苦笑いを浮かばせポツリと零す。

 

「……今度、胃薬でも買おっかな……」

 



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先の後悔よりも過去の後悔

「それにしても、お前のキャラ、正直キモイな」

 

「キモ……って、お前ひどいな。俺達って親友だよな? よく正直に言えたものだよ」

 

 陸上部に所属をして、大会で入賞を目指して朝練に向った優菜と別れた太陽と信也は、校舎に入り自分達のクラスに向かう最中、唐突に信也が太陽を中傷する。

 

「だってよ。中学のお前は、人見知りっていうか、あまり人前でペラペラ喋るタイプじゃなかっただろ? なのに、中学の卒業してから、引き籠って、その後出て来たかと思えば、いきなりチャラくなってよ」

 

「お前……。人の傷を更に抉りやがって……。なんだ? さっき俺が、お前の意志を無視して合コンのメンバーに組み入れたのを根に持っているのか?」

  

 数分前の優菜との会話で、優菜の部活の休みの日に知り合いの何人かでカラオケに行こうと事前に約束をしたのだ。所謂合コンである。

 女友達は優菜が、男友達は太陽が担当するのだが。

 優菜がそこに居た信也を誘い、最初は信也は断ったのだが、太陽が強引に行かせると約束してしまったのだ。

 

「あれは、お前が俺の事情に深入りしたのが悪いんだろうが。あれは俺からの少なからずの報復だ」

 

「だからって行きたくもねえ場所に行かせることはねえだろうが。あぁ言ってしまうと、行かねえといけなくなるしな……。俺、音痴だからカラオケとか嫌なんだよな……。絶対笑われるぞ」

 

「まぁ、なんとかなるだろ」

 

 ケラケラと他人事のように笑う太陽を信也は肩を落としながら半眼で睨む。

 ついでに太陽は下手ではないがそれと云って上手いってわけでもない、普通レベルだ。

 

「ほんと、余裕そうにしやがって……。んで。お前、あの口ぶりだとよく合コンに行っているみたいだが。行ってるのか?」

 

 前から太陽が自分との付き合いが悪くなり別のグループの人と遊びに行っているとは耳にしたが。

 優菜と太陽の会話から、太陽は仲の良い男女で合コンしているのではと感じた。

 

 太陽は笑うのを止めて、信也の質問に頷き。

 

「まぁな。最近だとやたら誘われて、週1程度で行ってるかな?」

 

「しゅ……いち……。そうか。それは、盛んでなによりだな……」

 

 絶句&引き気味の信也だが、彼は中学の卒業式に高校生活を夢を募らせ、年齢=彼女いない歴の信也は合コンで彼女を作ろうと思ってたが、入学直後に現実を知って断念している。

 別に自分が誘われないからとか、本当は先刻の誘いは嬉しかったとか、今はどうでもいいとして、信也は太陽に質問する。

 

「それぐらい合コンに行くんだったら、さぞ、何人かの女性とやったんだろな?」

 

「ぶふぅうう!」

 

 信也の思いもよらない下ネタ質問に、太陽はギャクコメディーの一コマの様に盛大に吹き出す。

 そして、顔を真っ赤にして狼狽しながら返す。

 

「な、なに言ってやがるんだ、お前!? なんでそんな風になるんだよ!?」

 

「だってよ。週1で合コンするぐらいのチャラ男さんのお前なら、誰か女性を連れ帰ってパコパコしてるんじゃねえのか?」

 

 信也は太陽をおちょくる様に右手の親指と人差し指で輪っかを作り、左手の人差し指で輪っかを突く。

 

「その擬音に対して言いたいが一つ……してねえから、そんな事!」

 

 声を荒げる太陽とは対照的に怪訝そうに首を傾げる信也。

 

「なんでだ? 高校入学と同時のデビューを切っ掛けにチャラ男になったんだから、てっきりヤ○チンにでもなったんだと思ってたぜ」

 

「お前のそのチャラ男に対しての偏見をどうにかしろ! 俺はまだ、誰とも性行為をしていない、新品同然の童貞だ!」

 

 自身で言ってて虚しくなるが、確かに太陽は合コンで女性と良い雰囲気になる事はあるが、その際に結局尻込みしてしまい、破局することが多いのだ。

 

「ほほう? つまり、太陽君(・ ・ ・)は女性と交流しても、そんな雰囲気になってしまうと尻込みして、手が出せなくなるヘタレだということだね? 太陽君って存外臆病だから、事の際はなんか勃たなそうだもんね~」

 

「そうだよ! 悪いか!?」

 

 ………………………。

 

「「んん?」」

 

 第三者の声に太陽と信也は顔を見合わせる。

 

 太陽を馬鹿にした発言。

 その声の主に二人は聞き覚えがあった。

 

 太陽と信也の二人は後ろを振り向くと、そこには、名探偵が推理するかの様な顎に手を当てた女子生徒、明るい髪色と小柄の割にはそこそこ膨らむ胸が特徴で、人懐っこい笑顔をする、高見沢千絵が居た。

 

「千絵か、おはようさん」

 

「おはよう、高見沢」

 

「おはよう、太陽君に信也君。今日も千絵は元気であります!」

 

 片目を瞑って敬礼する千絵。

 千絵は太陽とは小学生の頃から、信也とは中学生の頃からの顔馴染みであり。

 太陽からすれば、光と同じく幼馴染に分類される程に交友する仲でもある。

 

 そんな千絵は太陽の方へとトタトタと小走りで近づき―――――

 

「ちぇすとぉおおお!」

 

「なぜにッ!?」

 

 突拍子もなく、太陽の腹部に膝蹴りをめり込ます。

 いきなりの事でガードが遅れた太陽は膝を付き、顔の高さが千絵以下となった時、千絵は花が咲いたような満面の笑みを浮かばせ。

 

「ふはぁ~。やっぱり太陽君を殴ると、勉強のストレスから解放されるよ~。太陽君ありがと。千絵のストレス解放道具になってくれて」

 

「誰も承諾をしてねえよ! 俺はお前のサンドバックかなにかか!?]

 

 千絵の発言に噛み付く太陽。

 だが、当の本人は全く意に介さないご様子で。

 

「えぇ~。太陽君って千絵専用のサンドバックじゃなかったっけ? 高校に入っていきなり金髪にして手あたり次第に女子を口説いているキザ男はサンドバックがお似合いだよね? てか、なって」

 

「最後の部分はもう疑問形じゃなくて確定になってるんだが……」

 

 蹴られてジンジンする痛みが治まり、太陽は立ち上がる。

 先程まで下に向けていた千絵の視線を上にあがり、嘆息の息を吐く。

 

「随分前から私言ってるんだけど、太陽君、その金髪をどうにかした方がいいよ? この学校で金髪は太陽君一人だけだし、変に目立っちゃうから」

 

「まぁ、俺達の学校は赤点さえ取らなければ、基本的に服装や髪色とかで注意することはないからな。まぁ、だからと云って、太陽の金髪は少し奇抜過ぎるが」

 

「お前ら……遠回しに似合ってないとでも言いたのか?」

 

「うん」(千絵)

 

「あぁ」(信也)

 

 二人の即答にガクシと太陽は肩を落とす。

 

「確かによ……自分で似合ってないのは自覚はあるが、ハッキリそこまで言わなくてもいいだろうが……」

 

 自身の金髪の前髪を弄りながら悲痛に零す太陽。

 

「似合ってないって自覚があるんだったら、なんで太陽君はその恰好を継続しているの? 正直、千絵は前の太陽君の方が良かったよ?」

 

 中学の頃の太陽は現在の金髪、耳にピアスと不良の様な恰好ではなく、黒髪で短髪と、良い意味で真面目、悪い意味で素朴で平凡な容姿であった。

 人は過去の方のインパクトや印象が良いと現在の物を批判する傾向がある。

 千絵もそうなのか、黒髪の頃の太陽の方が好意的だったらしく、戻ってほしいと遠回しに示唆している。

 だが、太陽は暗く陰た表情で首を横に振り。

 

「そのお褒めの言葉は素直に受け取っておく。けど、いいんだ。俺は、このままで……」

 

 太陽の目に映るのは目の前の千絵ではなかった。

 太陽の目に映るのは、過去、秋に入り肌寒くなりつつあった季節、ある人物と街を歩いていた際のゲームセンター前に座る不良達の光景。

 そしてその光景を目の当たりにして、太陽と共に歩いていた人物が太陽に言った言葉。

 

『私……ああ言った恰好の人苦手だな……。太陽はあんな風にはならないでよ? なったら、私、嫌だな……』

 

 その時の太陽「勿論、俺はあんな風にはならないぜ」、と返答をした。

 だが、その言葉を交わした半年後には、その者が嫌う恰好になっているとは、運命は可笑しな物だな、と太陽は鼻で笑う。

 一人過去に耽る太陽を見て、千絵は唇を結い、そして開く。

 

「それって、さ……。もしかして、光ちゃんの事となにか関係があったりするの……?」

 

 千絵の口から出た人物の名に、太陽の眉は顰める。

 太陽は表情に出易いのか、太陽の変化に長年の付き合いである千絵も直ぐに感づいた。

 それでも尚、千絵は捲くし立てる。

 

「千絵は、さ……。なんで二人が別れたのか、抽象的でしか知らないよ。けどさ。私達は幼馴染で、小さい頃からの付き合いじゃん。信也君とは中学からでも、私達は掛け替えのない友達だよ。だからさ……。確かに光ちゃんが悪いのは分かる。けど、それでも私は……皆仲良しの方が……いいな」

 

 千絵は太陽と光が別れた理由を知っている。

 光が太陽にどんな言葉を言って別れたのか……。

 勿論、それを光本人から告げられた千絵は彼女を叱咤した。

 だが、千絵にとって光は掛け替えのない親友である。そして、太陽も……。

 

 千絵にとって何より恐ろしいのは、小さい頃から築いた、絆の完全な崩壊。

 

 千絵は最低な事をした光から離れず、今でも親友を続けている。

 だからこそ、現在も同じバンドを結成して、練習に励んでいる。

 

 もしかしたら、千絵の存在が無ければ、太陽と光の関係は本当に瓦解してたかもしれない。

 いや、もう手遅れかもしれないが、千絵はいつか二人の関係が修復してくれると信じている。

 

「このままだと太陽君と光ちゃんは離れ離れになるよ……? そうなったら太陽君、絶対に後悔するよ。復縁とは言わない。男女の恋愛がどれだけ複雑で難しいのか、今まで彼氏が出来た事がない千絵にだって予想出来るから……。けど、せめて! 昔みたいに皆で他愛もない会話が出来る程度には、仲直りしてほしいって」

 

「止めろ高見沢。俺も人の事言えないが、お前のそれは、相手の気持ちを汲み取れないただのありがた迷惑極まりない発言だぞ」

 

 今の千絵がどんな感情を抱いているのか定かではないが、千絵自身も無意識の内に感情を高ぶらせて早口で捲し立てるように太陽を説得する所を、少し前に千絵と同じ発言をした信也によって制止される。

 

 千絵も信也に止められて冷静になったのか、「ごめん……」と消え入りそうに呟き顔を伏せる。

 

 三人の間に沈黙の時が流れ、千絵の言葉をただ黙って聞いていた太陽が沈黙を破る。

 

「ほんと……俺の周りには人の過去の傷を抉るお節介野郎が多いことだな。んで? 千絵。まずお前に一つ聞きたいが、お前のそれは、あいつ(・ ・ ・)から頼まれてのことか?」

 

 あいつ、それは、現在の太陽が忌み嫌う元カノである渡口光を指す。

 千絵と光は大の仲良しで現在も同じ部活での関わりを持つ、この中で最も光とのラインを持つ。

 会話もするだろう、悩みの相談もしあうだろう。

 なら、先刻の説得は光からの差し金ではと、太陽は千絵を疑ってしまう。

 その為か、内から憤懣が頭に昇るのを我慢する様に、静かに憤る声音で千絵に問いていた。

 が、千絵は首を横に振り。

 

「ううん。違うよ……。私のは、ただのお節介なだけ……いや、昔の様に皆で仲良くしたいっていう、私のワガママかな……」

 

 太陽を傷つけたのではと自己嫌悪でか、いつも元気がある千絵の言葉に力がなかった。

 太陽もそれに引きずられてか、「……そうか」と千絵から目線を外す。

 再び流れる沈黙。

 だが、それは数秒も経たない内に太陽が言葉を発する。

 

「もし……あいつから俺との仲を取り持ってくれって頼まれてたのなら、俺はお前とも絶交覚悟で攻め立てただろう……。だが、幼馴染の俺はお前の性格を良く知っているんだから。先刻の発言はお前の意志なんだって分からないとな……」

 

 昔から、太陽と光はよく喧嘩をしていた。

 ちょっとした口論だが、二人は意地を張って仲直りをしようとしないことも多々あった。 

 だが、その時にはいつも、千絵が二人の仲を取り持って仲直りをさせていた。

 その事を思い出した太陽は、千絵を心の中で感謝をしながら、それでいて、千絵の優しさに胸を締め付けられながら心中を吐露する。

 

「昔の様な、小さな小競り合いならいざ知らず、お前も言った通り、男女間の恋愛は複雑で、一度拗れたら修復は困難なんだ。昔は仲良かったあいつだけど、今は……あいつの顔を見るだけでも辛いんだよ」

 

 太陽は当時の事を思い出して辛そうな表情を浮かばせる。

 相手の心が読めるわけではないが、どれだけ太陽の心に深い傷を負い、今でも太陽がその傷に苛まれているのか、信也と千絵は想像が出来ないでいる。

 目を強く瞑った太陽は目尻に涙が出そうになるのを必死に堪えて言葉を続けた。

 

「それによ。千絵は言ったな。このままだと後悔するって? 先の後悔は知らないが、少なくとも……俺はもう、昔の後悔で胸一杯だよ」

 

 え……と零して少し戸惑いを見せる千絵だが、その意味を聞く程の勇気が無く静聴する。

 

「昔の俺は、部活でも大会で輝いて、成績も良くて、剰え顔も良いあいつに劣等感を抱いていた。それは、昔にお前らにも何度か話したな?」

 

 信也と千絵は頷く。

 それは、中学の頃、太陽と光がまだ恋人の関係ではなく、友達以上で恋人未満なもどかしい関係の最中で、太陽は二人によく零していたことだった。

 

「正直、あの時の俺は、平凡で地味だった俺と幼馴染って間柄、あいつからすれ汚点ではないかと思っていた。学校の人気者のあいつと、教室の隅で仲の良い奴としか話さなかった生徒A程度の俺とでは、不釣り合い過ぎるからな……」

 

 中学の頃から人気者だが、光はよく太陽たちと行動を共にしていた。

 太陽、信也、千絵は光と比べるとスクールカーストで下とは言わないが中間あたりのモブでしかない。

 だからか、この三人と行動を一緒にする光に怪訝する者も多くいた。

 

「俺はあいつの事が好きだったよ。だが、あいつの人気を落としたくないからと告白に踏み込めなかった俺を、お前達が背中を押してくれて、晴れてあいつと俺は恋人になれた……。あの時程嬉しかった日はないよ。そして……最後の時程泣いた日は無かったよ……」

 

 太陽が何を言いたのか、千絵と信也は少しだけ分かった。

 太陽が後悔していること……それは、己の努力の足りなさが原因だと……。

 

「やっぱり、俺とあいつとでは釣り合わなかっただけなんだな……。あいつに振られたのは、あいつの心を引き留められなかった俺の不甲斐なさが起こしたこと……。勿論、全部が全部俺が不甲斐ないからってわけではないぜ。あいつは人としてやってはいけないことをしたんだ。生涯、俺はあいつのことを許せることはないだろうな……」

 

 昔の自分はもうどこにもいない。

 あの時、卒業式の日に光に振られた日から、中学までの古坂太陽という男性は死んだ。

 昔の自分を忘却の彼方に捨てたいが為に、光が嫌っていたチャラチャラした男性の容姿に変え、性格も家で悶えてしまう程に無理なキャラ作りをしてしまう。

 

 太陽は好き好んでこんな風になったのではない。

 太陽は守っているのだ。自分の心を。

 

 薄々自分が不甲斐無いから光の心が自分から離れていったのだと思い自分を責めていた。

 だが、そう考えるとあまりにも辛く、胸に穴が空いた様な虚脱感に見舞われ、生きる気力も失いかけた。

 いつも隣に居てくれて、登校の時にはおはようを、家に帰る際はまたねを言い合える幼馴染が、もう別の人に心が向かっているのだと思うと、太陽が形容しがたい苦しみが迫る。

 

 だからこそ、自分の心を守る為に太陽は光が悪いのだと自分に暗示をかけ、前に進もうと決心をした。

 今の太陽の姿、性格がそれを表している。

 

 どんなに周りから笑われたって、周りからどれだけ批判されたって、前に進めるのなら太陽は喜んでピエロを演じるつもりでいる。

 

「千絵、いや、信也も……。お前達の気遣いは嬉しいが。それ以上にお前達の優しさが俺を惨めにさせる。だからさ……あまり昔の事を掘り返さないでくれ。俺を……お前達さえも嫌いにさせないでくれ。あいつとの関係は終わったが、だからといってお前達との関係も終わらせるつもりはねえからよ」

 

 そう言って太陽は二人に背を向けて歩き出す。

 

 太陽の背中が遠のくのを、息をするのさえも忘れてしまう程に茫然としていた二人。

 鉛の様に重く、沈痛した空気で、二人は互いの顔を見合わせる。

 そして思う所があったのだろうか、信也が千絵に話しを切り出す。

 

「……なあ、高見沢……。中学の俺達は、傍から見れば両想いだと分かる二人のキューピットになるために、あいつらの後押しをしたが……こんな結果になるってことは、あの時の俺達の行動って正解だったんかな……」

 

 傍からと言っても、小学生の頃からの千絵と中学の頃からの親友である信也限定であるが。

 幼馴染でおしどり夫婦みたいだが、一向に一歩踏み出さなかった二人を後押しして恋人の関係を築かせたのは他でもない信也と千絵だった。

 

 あの時の二人は差し出がましくも、二人の幸せの為に奮闘したのだが、この様な結末になってしまったのは自分達ではないのかと自責の念に駆られる。

 

 信也の言葉に、千絵は肩に下げる鞄の紐を握りしめ、悲しみ混じる目をした乾いた笑みを浮かばせ。

 

「そんなの……分かるわけがないよ。光ちゃんが選んだ結果で、太陽君が大きく変わった。時間は戻らないし、変えられない……。けど、いつ終わるんだろうね……私の初恋(・ ・ ・ ・)は……」

 

 最後の部分は千絵自身は無意識に小さく零しのだろうが、信也の耳にハッキリ届いた。

 だが、信也は唇を噛み、千絵の放った一言を聞かなかったフリをする。

 



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同じ中学故に

 特に面白い珍事が起こる事がなく、平凡でつまらない学校を終えた太陽は、クラスメイトの適当なメンバーを集めてファミレスで談話しないかと誘われ、ファミレスに訪れていた。

 太陽を含む男子生徒3人で並んで座り、向かい合って女性生徒が2人座っている。

 

 特にこれといって中身のある内容ではなく、適当に世間で気になった事とかを話すみたいなものだが、2人の女子生徒の内の1人、藤堂茜がジュースが入ってるグラスを手に顎をテーブルに伏せ。

 

「はぁ~。ほんと、まじで嫌になっちゃうよ。学校が近いってだけで進学校に通うんじゃなかった……。今度中間のテストが悪かったら黒髪に染めろって担任から通告されるしさ……」

 

 藤堂は明るめの茶髪で乱れた制服の着こなしをしており、一見してギャルの様な容姿をしている。

 

 太陽の通う学校は進学校であるが、赤点を取らずに成績が良い者に対しては校則は緩く、特に髪色、恰好で咎められることはない。

 太陽も金髪とピアスと不真面目な恰好をしているが、太陽はテストで赤点を一回も取らずの成績は良好な為に、教師達からの注意はされない。

 流石に入学式当日の日は、何人かの教師から。どうしたんだ? とは注意はされたが、その直後のテストで赤点も取らなかったかからそれ以降はなくなっている。

 

 太陽の通う鹿原高校は進学校で、赤点基準はクラスの平均点から20点引いた点数。

 もり仮に平均点が70点だとすれば、50点以下が赤点って事になる。

 

 藤堂は前のテストで赤点を取った為に、連続で赤点を取るのであれば、茶髪の髪を黒色に染めろと言われ、危機感を抱いていた。

 

 次のテストに自信が無さそうな藤堂に、太陽の左隣に座る桜井和人が全員用で注文した特盛フライドポテトを一つまみ口に運んだ後、異議を申し立てる。

 

「いやいや。家が近いからって理由で進学校に進学するか、普通に考えて? 入学すれば勉強をしないといけなくなるって分かるだろ」

 

 ぐぅの音も出ない正論だが、藤堂はヘラヘラ笑い。

 

「いや~。家が近いってのもあるんだけどさ、実際は私達の学校の校則が緩いってのが一番の理由かな。ほらさ。こんな格好、他の公立高校なら絶対駄目じゃん?」

 

 藤堂は自身の恰好が学生として不適切だという自覚はある様子。

 しかし、年頃で少し着飾りたい女子高生の藤堂は自身の恰好は気に入っていた。

 だからか、赤点って理由で茶髪を黒色に戻したくないのだ。

 

 太陽たちが通う進学校とは別に公立高校はあるが、少なくとも茶髪、金髪は基本的に駄目(地毛ならOK)な為に、藤堂と同じ理由で進学校を志願する者は少なくない。

 

 呆れる桜井自身も少し黒に茶色が混ざってはいるが、これは地毛であり、「それなら」と桜井は藤堂に返す。

 

「色を染められたくないのなら勉強すればいいんじゃねえの? 今度のテスト簡単じゃねえかよ。これから頑張れば十分点数が取れるぞ」

 

「うわっ、出たよ、天才の余裕ってやつ。桜井は頭が良いからいいけどさ。私達みたいな馬鹿は苦労するんだよ。ねえ、美智留ちゃん」

 

「いや。勝手に私を、貴方と同列にしないでくれるかしら? 少なくとも、次のテストは赤点を軽く超える自信はあるわよ」

 

 藤堂の隣に座るもう1人の女子生徒、鷹の様に目つきが鋭い黒髪ボブカットの佐々木美智留が、遠回しに自分を馬鹿仲間にしようとする藤堂に冷徹に返す。

 佐々木に冷たくあしらわれた藤堂はぐぬっと表情を苦ますと、救い船を求めて彼女の右斜めに座る太陽、桜井とは別の男子生徒へとテーブルに身を乗り出し。

 

「中原は私の味方だよね!? 中原も前に、最近学校の授業が追い付かないって言ってたよね!?」

 

 余程仲間が欲しいのか縋る勢いで中原と呼ばれる太陽とは違う意味で、太陽の場合はチャラ男みたいに着飾っているが、中原達彦も金髪とチャラ男の様な風貌だが、中身も――――

 

「いやぁー。最近までそうだったんだけどさ。俺っち、家の近くの塾に通いだして成績がぐんぐんとうなぎ昇りなわけで。ごめんだけど、俺っちもあかちんとは仲間になれましぇーん」

 

「はぁー!? あんたが塾ぅ!? 『俺ッチのトレンディーは才女みたいな女の子だから』ってふざけた理由で鹿原に入学したあんたが、なに真面目に勉強してるのよ!」

 

「いや、お前の理由も大概だからな? てか、お前達はもっと真面目とした進学理由はないのか……」

 

 開いた口が塞がらないとばかりにやれやれと首を振る桜井に、最もだと同意する太陽と佐々木。

 

 中原は外見もチャラ男だが、中身も軽い男だった。

 何故彼がお世辞にもレベルが高いってわけではないが、一応は進学校の鹿原高校に進学したのか、そもそもなぜ受かったのか、恐らく同学年で彼を知っている者は疑念しただろう。

 

 そして、桜井の言葉をスルーした藤堂は中原に指を差し。

 

「どーせ、あんたの事だから、塾の女性と仲良くなりたいとかそんな理由でしょ?」

 

「ちっちっち、違うんだなー、あかちん。俺ッチの狙う相手は――――――塾の若い女講師だったりねー!」

 

「殆ど一緒じゃない、このヤリチン最低屑男! あんたなんて、馬に轢かれて、人に踏まれて、土に埋められて死ねばいいのよ!」

 

「うわぉ! 俺ッチの死に方波乱万丈!」

 

 熱を込めて激昂立てる藤堂と、ケラケラと軽薄そうに高笑いする中原。

 ファミレス内はそこそこ喧噪が広がっているが、太陽たちの席はこの者らのおかげで異彩を放って一際目立させる。

 こいつらと同類扱いされたくないと、同じ席にいる時点で手遅れなような気がするが、他人のフリをしようと顔を逸らす太陽を含めた3人。

 だが、最も仲間に近かった中原の思いがけない裏切りにあった藤堂が太陽へと向き直り。

 

「こうなれば致し方ない。古坂は私の仲間だよね、ね!?」

 

 鬼気迫る勢いで顔を太陽へと近づける藤堂に太陽は頬を引き攣らして。

 

「……いや、そんな顔を近づけられても……。スマンが、俺も少なくとも赤点は取らないぞ? 成績だってこのお中では桜井よりからは下だが、そこそこ良いぞ?」

 

 最後の望みの太陽の付き落とす一言で藤堂は限界を喫し、テーブルにうつ伏し、わぁーわぁーと泣き始める。

 

「ちくしょー! 美智留ちゃんや桜井なら兎も角、こんなヤリチン二人に裏切られるなんてぇー!」

 

「ちょっと待て、藤堂! 中原は兎も角、なんで俺もヤリチン認定されてるんだ! 俺が、いつ、そんな不名誉極まりない汚名を貰ったんだ!」

 

「うわぁーん! だって、古坂は私や他の女子が開く合コンとかによく出てるじゃん! これがどう自分がヤリチンじゃないって言えるの!?」

 

「確かに合コンはよく出てるが、だからってなんでヤリチンなんだよ! せめてもうちょっと……チャラ男程度にすませて―――――」

 

「ふぉー、たいちん! もし可愛い女子のアドレスがあったら教えてくれよ!」

 

「黙れ正真正銘のヤリチン男が! 誰がお前なんかに教えるか! お前にアドレスを知られた女子が可哀想だわ! てかたいちんは止めろ! あだ名として気に入らない!」

 

「流れに乗って私も、さっきからスルーしてたけどあかちんってなに!? なんか薬みたいだからやめてくんない!」

 

「……あの、お客様。店内ではもう少しお静かにお願いいたします」

 

「「「「「すみません」」」」」」

 

 店員に注意され、元凶である太陽たち3人だけでなく、流れで蚊帳の外にいた桜井、佐々木も謝罪する。

 にこやかな笑顔だったが、額の青筋が立っていたから相当迷惑だったようだ。

 

 店員が離れていくのを確認した藤堂は、気を取り直してとコホンと一呼吸入れ。

 

「そういえば、昨晩に私、健ひろで渡口さんを見かけたんだけど」

 

「おい。お前の成績の話はどうなったんだ?」

 

 女子高生特有の急な話題転換を指摘する桜井だが、藤堂は手首を振り。

 

「そんなの今考えても埒があかないし、なんとかなるでしょ」

 

「へえー? なら、直前になって私に泣きつかないのね。なら安心したわ。いつもテスト前に勉強教えてって泣き付いてくるからほとほと嫌気が指してたもの」

 

「ごめんなさい。言葉の綾と言うか、現実逃避と言うか。謝りますので今後とも私をお助けください」

 

 佐々木と藤堂は同じ中学出身で付き合いが長いらしい。

 佐々木の嫌そうな反応から、佐々木は藤堂関係で相当苦労させられているらしい。

 が、今はそんな仲が良いのか悪いのか分からない二人はさて置き。

 

「ねえ、あかちん。話を戻すけど、ひかりんがどうしたんよ? 健ひろにいたってのは、なにかあったの?」

 

 健ひろとは、県民健康広場健康促進センターの略称で健康的な体作りが目的で、施設内には屋内プールやジムを完備して、屋外にも様々な遊具や運動場が設置される共用施設のことである。

 

「うーん……。遠目で相手が渡口さんってのは分かったんだけど、なにをしているのかさっぱりで」

 

 そして渡口とは、太陽の幼馴染にして元カノである渡口光を指す。

 同学年で渡口という苗字は光しかおらず、こうやって他人の話の話題に持ち上げられる程の有名どころも光しかいない。

 

「ふーん。なにしてたんだろね。昨晩ってことは夜ってことだろ? てことは……もしかして彼氏と夜のデート……って、どうしたんたいちん? なんか怖い顔しちゃってるけど……」

 

「………なにが?」

 

「なにがって……。なんか、ごめん」

 

 素の口調で謝る中原に太陽は一旦顔を逸らす。

 

 中原の面白半分での彼氏という単語に険しい顔で反応してたようだ。

 太陽と光は現在は赤の他人に近い間柄なのだから、気にしなくてもいいのだろうが。

 今日やたらと光の話題が出てきて嫌気が差し始めていた。

 

 ここにいる太陽を除く四人は、太陽とは中学が別で、高校に入ってから知り合った者しかいない。

 元々中学の頃も、太陽と光が付き合ってた事自体周知には隠してた事もあり、太陽たちも周りに公言せずにいたために太陽と光の間柄を知る者は少ない。

 

 内心苛立つ太陽を他所に、桜井は学校鞄からノートと教科書、筆記用具を取り出してテーブルに並べ始める。

 

「おっ? どうしたんよ、かずちん。勉強でもするのか?」

 

「あぁ。今日の授業の復習をしようと思ってな。安心しろ。話は聞くし、答えてやる。だが正直、俺もあまり勉学に関して余裕がないからな、片手間で会話をするが勘弁してくれ」

 

 そう言いながら手に持ったペンで今日の授業の復習を開始する桜井。

 そんな桜井に藤堂が訝し気に首を傾げ。

 

「え? 余裕がないって、桜井は学年でも上位じゃん。私とは違って、成績で危うい所なんてないでしょ?」

 

 藤堂の疑問に一切目線を向けずに桜井は答える。

 

「そういう訳じゃねえよ。中間、期末と、点数の総合得点での順位が掲示板に張り出されるだろ? それってつまりは、点数での競争があるってわけだ。分かるだろ?」

 

「つまり、桜井は点数を沢山獲って、良い順位になりたいとか。又は、誰か負けたくない相手がいる、ってことかな?」

 

「正解だ。頭の悪い藤堂にしてはいい推察だ」

 

「一言余計だよ!」

 

 怒る藤堂を無視して、ペンを走らせていた桜井の手は止まり、そして次第にふるふると震えだす。

 

「そうだ……俺は、あいつに勝ちたい。無邪気に笑って、子供っぽい言動で、頭があまり良くないと思えば、まさかまさかの俺より順位が高い―――――高見沢に次こそは勝ってやるんだよ!」

 

 ドンとテーブルのグラスが倒れかける程に強い振動を加えて意気込む桜井。

 

 桜井の発言で、「え? なに言ってるの、こいつ?」と思った人もいるだろう。

 だが、彼は一切ふざけておらず、真剣そのものだった。

 

 高見沢とは、光とは別に、小学生の頃から太陽と親交がある幼馴染の高見沢千絵のことである。

 見た目が女子高生の平均身長を下回る程の小柄と、言動も子供っぽいで、アホの子認定する者も少なからずいるが、千絵はそんな第一印象を覆す、学年では毎回上位に居座る成績優秀者だったりする。

 

 千絵が小学生の頃から変わらずに抱いた夢が、医者で。

 なにがどういう経緯でか太陽は知らないが、小学生の頃突拍子もなく、千絵は太陽に『千絵は将来、なんでも治すお医者さんになる!』と宣言をして、今でもその夢を叶える為に勉強をしている。

 現時点で太陽が知る中で、千絵の高校後の進学先は医大だと聞いている。

 

 太陽は中学の頃から千絵の成績は知っているから驚かないが、高校から千絵の成績を知った他の者達は見た目とは裏腹の頭の良さに思いもよらなかったのかもしれない。

 

「まぁね。あの子、あんな見た目だけど頭いいよねー。けど、前の合同体育で更衣室が一緒だったんだけどさ、あの子の下着、高校生にもなってまだ動物の絵がプリントされたパンツ履いてたんだよ!?」

 

「そうだったわね。まさか、高校生にもなってまだ動物のパンツを履くなんて思わなかったわ。茜でさえ、中学でやっと卒業したとういのにね」

 

「ねえ、美智留ちゃん。さり気なく私の赤裸々な過去を暴露しないでくれるかな!?」

 

 この際藤堂が中学まで子供のパンツを履いていたのはスルーをする太陽だが。

 何が悲しくて幼馴染が現在も子供のパンツを履いているのを聞かされなければいけないのか頭を抱える。

 千絵の身長は中学2年からストップしていると本人談だが、まさか下着センスは小学生からストップしているのでは……。

 

「それにしても、高校生にもなってまだ動物の下着なんて、おかしいよね、古坂?」

 

「そ、そうだな……」

 

 ハハッと乾いた笑みで返す太陽。

 ここでおかしいと断言して笑ってしまえば、何処からかのパイプで千絵の耳に入ってしまうのではと。千絵からの制裁が怖く、言葉を濁してしまう。

  

 藤堂達が太陽と光が幼馴染だという事を知らないと同じく、太陽と千絵が幼馴染だという事実も知らない。

 

 そして、ノートを見下ろし、千絵への話題変更をした桜井が再び軌道修正するのか顔をあげ。

 

「スマン。俺の所為で話題が脱線したな。話を戻してくれ」

 

 これ以上千絵の話題はご勘弁とナイス話題変更と内心で親指を立てそうになった太陽であるが、思い返せば話題変更をしようとも太陽にとっては先は地獄であった。

 

「そう? なら。渡口さんの話に戻すけど。渡口さん……健ひろでなにしてたんだろ? あそこって運動を目的の施設だけど、確か渡口さんって去年足を怪我してなかったっけ?」

 

「そうね。それで陸上を辞めたって聞くわ。けど、本当に残念よね。彼女、陸上では全国レベルだって聞いてたもの」

 

「だったね~。ひかりん。俺っちの学校(鹿原東中)にもめっちゃ可愛い陸上女子が鹿原中にいるって噂届いてたし。そう言えば、たいちんってひかりんと同中じゃなかったっけ?」

 

 中原の発言に全員の視線が太陽に集まる。

 高校で知り合う者に対しては大抵中学を教えるが、中原は太陽の出身中学を覚えていたようだ。

 

「同じ中学出身なら、ひかりんが中学の頃はどうだったのか知ってるよな。なあ、ひかりんって中学の頃どんなんだったんだ? 彼氏とかいたのか?」

 

 勿論、中原は悪気があっての質問ではないのは分かってる。

 だが、無知故の好奇心が太陽の心を刺す。

 彼氏は居た、というよりも、自分がそうだった……。

 だが、太陽がそう答えられるはずもなく。

 

「……さあな」

 

「マジか~。ひかりんって高校でもかなり人気だから、中学でもさぞ有名だっただろうな。もし彼氏がいれば噂にならないわけがないよな」

 

 楽しそうに笑う中原の予想だが、元カレであるが太陽と光は互いが付き合っていた事実を隠しながら交際をしてきた。それが良いのか悪いのかは分からないが、周囲では知られなかったのが事実である。

 

 きゅっきゅっ、と太陽の胸が締め付けられる中、太陽がある事実を口にする。

 

「今現在彼氏いるかは知らねえが、あいつ……好きな人がいるらしいぜ?」

 

 詰まった物を無理やり喉を通して口から吐き出したかの様に息苦しく発した事だが、葛藤して吐き出した太陽を露知らずに「マジで!?」と中原が驚愕して。

 

「え、ええ!? ひかりんが好きな奴ってどんな奴!? イケメン!? 天才!? 金持ち!?」

 

 グイグイ桜井を挟んで迫る中原が口にしたスペックは光が昔に付き合っていた自分とかけ離れていた。

 やはり、容姿が良くて、頭も良くて、怪我をしたとは言え運動神経が良かった光に釣り合うのはそれなのだろう。

 少なくとも、周りからすれば光と付き合うのならそれぐらいのハイスペックじゃなきゃ、と無意識に思っているのだろう。

 

 分かっていたとはいえ、改めて突きつけられると太陽は自身が恥ずかしくなり、そして辛くなり表情が険しくなる。

 

 だが、自分で蒔いた種なのだから、せめて返答せねばと太陽は上辺は落ち着かせた表情で向き直り。

 

「……そんなの、俺が知るわけがねえだろ」

 

―――――そんなの、俺の方が知りたいぜ。

 

せめて、自分が振られる切っ掛けとなった、光の意中の相手を知りたい思い、本当はこちらの言葉が出て来そうな所を飲み込み、別の言葉で返答をした。

 



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心に残る小さな未練

 クラスメイトとの雑談を終えた太陽は、ファミレスを出た後は寄り道をせずに真っ直ぐに帰路につき、家に辿り着いた太陽は自室のベットに仰向けで寝っ転がり、天井を見上げる。

 

 天井のライトと真っ白な天井をボーっと眺めながら、太陽は今日を振り返る。

 

「(それにしても……今日は厄災日だな……。今朝あいつと会ったばかりか、信也といい、千絵といい、剰えはクラスメイトの奴らもあいつの話題を出しやがる……。まぁ、あいつは学校ではかなり認知されてるから、話題が出てもおかしくねえのかもな)」

 

 その事を考えながら横返り、そのままの勢いでベットから起き上がる。

 数分寝っ転がってみたものの気分が晴れる事はなく、カーテンで閉じ切ったベランダへと目を向ける。

 

「……まだ、あいつは帰って来てねえのか……」

 

 完全遮光性でないカーテンの奥の為、外の光、少なくとも向かいの部屋の光は確認出来るのだが、それで向かいの部屋が点いてない事が分かる。

 部屋が点かないからと言ってその部屋の主が帰宅してないって考えるのは早合点であるが、ただ単純に家にはいるのだが部屋にはいないだけか、まだ時間的に早いがもう就寝したのか、それとも太陽の言葉通りにまだ帰宅しないのかは分からない。

 

 太陽は少し重たい歩みでベランダのカーテンを少し開け、窓を開放。

 気分を変えたくての換気で、窓を開くと夏に入る前の季節の冷たい夜風が太陽の頬を燻る。

 そして、吹く夜風が少ししか開かなかったカーテンが躍り出す。

 浮き上がるカーテンを超え、太陽は素足のままにベランダに出て、ベランダの柵に背中から体重を預ける。

 冷たい風が心地よい宵の口だが、残念な事に丁度巨大な雲が頭上を通過して星空は拝めなかった。

 

 敢えて背中を柵に乗せて向かいを視界に入れようとしなかった太陽だが、後目で向かいの部屋を見る。

 向かいの部屋にもベランダがあり、太陽の部屋のベランダとの距離は1メートル弱。

 柵からジャンプをすれば届く距離で、昔、向いの住人が頻繁にこのベランダ越しに太陽の部屋に訪問していたのを太陽は思い出す。

 

『ねえ太陽! ワン○ース最新刊買ったんでしょ? 読ませてよ!』

 

『だぁあ! だからいつも言ってるだろ! ベランダから入らずに玄関から来いって! 万が一に落ちたらどうするんだよ!』

 

『へえ? 私の心配をするんだ。太陽って優しいね。でも大丈夫! 私の運動神経を舐めないでよ。絶対に落ちないから』

 

 幻影の様に太陽の眼前に過去の光景が流れる。

 昔は今の様な時々すれ違う程度ではなく、四六時中暇があれば互いの部屋を行き来していた。

 友達以上で恋人未満。家が隣同士で、最も信頼できる親友で、恋人……だった。

 

 二人の部屋のベランダは高校生になった太陽なら簡単に飛び移れる程の距離だが、その住人である二人の距離はこの距離以上に開き、縮まることはない。

 

「……今日は、なんだか一段と冷えるな……」

 

 思いに耽ていると夜風が一段と寒くなるのを肌で感じて、太陽は部屋へと戻る。

 ベランダの窓を閉め、カーテンも再び閉め切った太陽は、窓に背を付けて、滑るように床に座り込む。

 

「……なんか……。今日の俺、凄く女々しいな……。元カノと遭遇して、元カノの話題を出されて苛立って……。もうちょっと男らしい度量を持った方がいいのかな……」

 

 体育座りをして膝に顔を埋めて太陽は自嘲する。

 そんな太陽の脳裏には今朝の千絵の言葉が反復して流れる。

 

『このままだと太陽君と光ちゃんは離れ離れになるよ……? そうなったら太陽君、絶対に後悔するよ』

 

『昔みたいに皆で他愛もない会話が出来る程度には、仲直りしてほしいって』

 

『昔の様に皆で仲良くしたいっていう、私のワガママかな……』

 

 中学までの様な、太陽、光、千絵、信也の四人でふざけ合ったり、笑い合ったりと仲の良かったのが、まるで数十年も昔かの様に遠い日とさえ感じる。

 

 太陽が光との仲が崩壊した後でも千絵は変わらずに接してくれる。

 今日の様な人の傷に塩を練り込む、本人からすれば優しさなのだが、太陽からするとお節介の何ものでもない。

 

 太陽がこんな事を思うのは毎日ではない。

 今日はたまたま過去のトラウマが蘇る出来事が重なり、傷が開いたからに過ぎない。

 しかし、開いた傷から漏れる記憶が太陽を更に胸を締め付ける

 

 太陽は千絵との会話の中で、自分が光に振られたのは自分の不甲斐なさだと語っていた。

 だから、全部が全部光を責める事は出来ない。だが、自分を保つために光を憎しみの対象にしているのだと。

 

 太陽も分かっている。

 自分から心の離れた状態で情けで付き合いを続けられるぐらいなら、真正面に告げられた方がいいと。

 キープされて裏で二股や浮気されるよりかはその方がいい。

 その点に関しては、光は誠実なのだろう。

 

 だが……太陽が光を忌み嫌うのは、それだけではなかったのだ。

 

 

 

 それは、太陽が光に振られた三日過ぎた頃だ。

 やはり、相手に好きな人がいるからという理由で振られるのは、10年以上の付き合いが弊害して、完全に納得できなかった太陽は、本当は一度、光に復縁を求めようとした時があった。

 

 携帯とかの相手の顔が見えない物ではなく、対面してもう一度自分の方に心を引き込もうと、太陽は光と会おうとした。

 だが、家に行っても誰もおらず、光を探して太陽は街に出たのだが、そこで太陽が観た物は、太陽の心を壊すのに十分過ぎるものだった。

 

 楽しそうに一緒に歩いている男女。

 男はモデルの様な長身で顔も抜群のイケメン男子で。

 女の方は……太陽の元カノである光だった。

 

 二人仲よく歩く光景を目の当たりにした時、太陽の心臓の鼓動が早鐘を打つ様に早くなり、過呼吸を起こしかけた。

 

 太陽は光と歩いている男を知っている。

 その者は太陽と光の1個上の先輩で、光と同じ陸上部に所属をしていた男だ。

 陸上選手としての成績も良く、勉学にも優れ、性格が良く、外見も良いからと、裏ではちょっとしたファンクラブまで存在したハイスペックな男性だ。

 噂では、陸上の特待生で県外の高校に進学したと聞いていたが、今は春休みだから帰省しているのか。

 

 何故、男が光と一緒にいるのか、太陽が知る由もない。

 二人は何かしらの買い物をしているようだったが、これ以上二人を見る事が出来なかった太陽は、逃げる様にその場から走り去り、涙で濡らした顔のまま自宅へと帰った。

 

 自室に引き籠った太陽は、現在の太陽同様の壁に背中を付けての体育座りをしながら、笑いと涙が同時に出る。

 

「は、ははっ……勝てるわけがねえ……。何が、もう一度光の心を引き寄せるだ……。相手は、あのカッコいい先輩だぞ……俺みたいな地味男が勝てるわけがねえよ……」

 

 二人が歩いているからと言って既に恋人関係なのかは定かではない。

 付き合っているのか、それとも光の一方的な片思いかは分からない。

 どちらか知らないが、光が男に向けていた笑顔は本物だった。

 あの者が、光が言った好きな人なのか……。

 

 三日という浅い日で太陽は光に振られたという現実を直視できないでいた。

 だが、二人の楽しく買い物をする光景を目の当たりにして太陽は初めて実感する。

 大切な恋人を失う喪失感。

 それが自分では到底敵わない相手だという敗北感。

 

 嗚咽が込み上げるも声を殺す様に泣いていると、暫くして外は日が沈み、向いの部屋である光の部屋の電光が太陽の部屋へと届く。

 太陽の部屋は昼から今まで電気を点けずにいて、その光の部屋から漏れる蛍光が光が家にいることを示す。

 

 泣き疲れ、真っ赤にする目下と虚ろな目で太陽は向かいを見ると微笑して。

 

「……先輩との買い物……楽しかったんかな……」

 

 部屋に引き籠り、その後の行動を知らない太陽だが、泣いて発散したからか自分でも怖いぐらいに冷静だった。

 

 人の心は、好きの反対は嫌いと言われるが、実際は違うらしい。

 人の好きの反対は無関心と聞く。

 

 しかし、太陽は今の自分の気も知らないで楽しく買い物をしていた光に対して、とてつもないどす黒い感情が芽生え始めていた。

 これは、少なからず、太陽は光に対して未練がある証拠となる。

 自分がこんなに苦しんでいるのに、まるで自分を忘れたかの様に楽しい時間を過ごす想い人を、太陽は憎むことしかできなかった。

 だが、このまま相手の心に自分がいないのにも関わらずに縋りつくのは惨めだと思い。

 なら、せめて過去に後ろ髪を引っ張られようと、無理でも前に進もうと太陽は決心をして、携帯を取り出し、太陽は最後に光の携帯に連絡を入れる。

 

 光はワンコールで出た。

 光が「もしもし……」と少し緊張したかの様な声音を発すると、間髪入れずに太陽は要件を言う。

 

「……光……お前の希望通り……別れるか、俺達……」

 

 せめて……互いが幸せになる道がある事を祈って……。

 

 

 過去を思い出し、太陽の胸がはち切れんばかりに苦しくなる。

 

「……千絵。お前は昔の様に仲直りしてほしいって望んでるが……。正直、出来ることなら、俺もせめて友達のような関係に戻りたいって心の隅では思ってるさ……。だけどな」

 

 小さい頃に好きになり、紆余曲折して恋人になって、そして振られ。

 前に進もうと思って沢山の女性と関わろうとしても、最後には過去のトラウマでの女性不信で一歩踏み出せなくなって。

 光と別れた後、誰とも付き合えないでいる。

 勿論、このままでは駄目だと必死に前に進もうと踠くも結果は伴わない。

 ……そう。

 太陽は自分は前に進んでいると思っているが、自身も薄々気づいている。

 

 太陽は光と別れた後、実質前に進めてない。

 太陽の時間はあの卒業式の日から止まっていた。

 もしかしたら……太陽は今でも光のことが……。

 太陽自身はそれを否定する。

 しかし、もしそうだったとすれば、尚更太陽は光との関係を切りたいと思っている。

 

「ごめんな、千絵……。お前の望む仲直りは、多分、一生来ないと思う……。だって俺は―――――自分がまだ光の事を好きなのではと、認めたくねえからよ……」

 

 十年以上も好きな相手をただ一つの出来事で心底嫌いになれるはずもない。

 しかし、それを認めてしまえば、太陽は自分の事を好きでもない相手に未練を持つ惨めな男だと認めてしまうことになる。

 だからこそ、太陽は光を忌み嫌い、関係の断絶を求めている。

 そうしなければ、太陽はこの先一生、元カノへの想いで前に進めないからだ。



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最後の繋がり

 太陽が自宅に帰宅した頃と同時刻。

 

―――――県民健康広場健康促進センターの運動場にて。

 

「はぁ……はぁ……ぶはっ……はぁ……」

 

 外灯の光源に虫が集る下で、大量の汗で顔と身を濡らす渡口光が膝に手を付けて肩で息をしていた。

 疲労で嘔吐く光は自嘲を浮かばせ。

 

「ほんと……情けないね。3カ月以上リハビリしているのに、10キロもいかないで体力が限界だ……」

 

 震える太ももを軽く摩りながら、近くの芝生に腰かけ、光は体力の回復を試みる。

 楽な体勢と足を伸ばし、両手を芝生に付け、雲が月に掛かる空を仰ぎ。

 

「私、情けないな……。周りからの言葉に耳を傾けないで、何も考えたくないからって、自分に鞭打って、その結果がこの様じゃ……もう笑うしかないよ……。正しく自業自得……いや、因果応報の方がいいかな……。だって、私は幼馴染を、傷つけたんだから……」

 

 ズキッと膝と太ももに奔る痛みが光の表情を強張らす。

 そしてこの痛みが、紅葉が咲く秋前の、光が医者に言われた言葉を思い出していた。

 

『……君の活躍は同じ街に住んでいるから知っているが……。残念だが、君の高校での陸上は、諦めた方がいい』

 

 それは光にとって余命宣告された程に衝撃的で受け入れがたかった。

 だから光は医者に言った。

 

『お願いです! どんな苦しい治療にも耐えます、お金もどんなに高くても将来私が必ず返します! だから、私の足を治してください!』

 

 光は医者に詰め寄り懇願するも、医者は首を縦に振らなかった。

 

『君の怪我の度合いからして、高校ではゆっくりとリハビリに努めて、足の治療に専念した方が良い。もし仮に無理して治療を行えば、君は一生立てない体になってしまう。だから……高校での陸上は諦めたまえ』

 

 沈痛に宣告する医者。

 光自身も自らの体だから一番知っている。

 怪我を負い、手術を行い、成功してから光はリハビリを行って来た。

 まだその成果が出ていないからか、歩行も少しままならないが、一歩一歩完治に近づている。

 だが、怪我が治り、足を酷使する陸上を再開するのには、2年という時間は少なかった。

 光も薄々感じていた。だが、だからと云って納得できるはずもなく。

 

『お願いします、先生! 高校でないといけないんです! 高校で陸上が出来ないと……意味ないんです……。だから……お願いします。将来の事はどうでもいい。せめて、高校で陸上が出来るぐらいに足を治してください……。陸上は私にとっての……』

 

 消え入りそうな声で必死に想いで頼み込む光だが、返って来たのは溜息だった。

 

『私も出来ることなら君の希望通りに治してやりたい。だが、医者は万能ではない。君は将来どうなってもいいと言っているが、それは君の我儘だ。周りは誰もそれを望んでいない。それに、かなり厳しい事を言うが、これは君が自分の体の管理が出来なくて起こった事だという自覚はあるのか?』

 

 現実を受け入れない光に対しての苛立ちか医者の口調が少し荒立つ。

 だが、医者は光の為に言っている。それは光も分かっていた。

 

『君が何を思って陸上に取り組んでいるのか、どんな事情を抱えて走っているのか、私にはわからない。だが、自分の体の管理も出来ず、酷使して壊した体だ。私達医者は壊れた体を患者の意志に則り治す義務がある。そして、その壊す経緯に対して患者に注意する義務もある。だからハッキリ言おう。君の怪我はただの自業自得だ。だから、高校での陸上は諦めた方が良い。これは医者からの忠告だ』

 

 重く、鋭く、冷たく言い放たれた医者の言葉は一切休まず、他の者からの制止を振り払い、陸上で好成績を取る事に執着していた光の自尊心を打ち砕くのには十分だった。

 光はその時初めて現実を受け入れ、治療に専念するほかなかった。

 半年間は光は医者に言われたリハビリメニューをこなして治療を行って来た。 

 

 光の怪我は膝から太ももへの靭帯損傷。

 自分の限界を超えて走って来た光は練習中に激しい痛みを伴い病院に運ばれた。

 高校での選手としての復帰は難しいが、高校は治療に専念して大学や社会人に望みをかければ、光は陸上選手として再び返り咲く事が出来る……それが、医者の見解だった。

 

 やはり……光はこれを良しとは思わなかった。

 

「十分休んだし……。そろそろ練習を再開しようかな」

 

 5分程度空を見上げて耽ていた光は腰を上げて立ち上がろうとする。

 だが、体は回復していないのか、震えた足が凍えた様に動かない。

 光は歯を噛み。

 

「……ほんと、世の中って上手くいかないね。こんなんだと、自分が選んだ道が、本当に正しかったのか、分からなくなるよ……」

 

 体育座りで蹲り、自分の膝に顔を埋める光の頬を流れる雫。

 これが汗なのか、それとも光の涙なのか、それは分からなかった。

 そんな光の下に芝生を歩いて近づく足音が……光はそっと顔を上げて視線を横に向ける。

 光の下に近づいて来た人物は、手にレジ袋を携えた光の親友である高見沢千絵だった。

 

「千絵ちゃんか……。どうしたの、こんな夜遅くに……。買い物かなにか?」

 

 光は特に千絵の来訪に驚く素振りは見せずに飄々とした態度で、千絵の手に持つレジ袋から推測を述べるが。

 

「白々しいよ、光ちゃん。どーせ光ちゃんのことだから。また無理して走ってるんじゃないかって思ってね。はい、これ。スポーツドリンクとタオルね」

 

 座り込む光を見下ろせる程まで近づいた千絵は、中身の入ったレジ袋を光に押し付ける。

 光はそれを受け取ると、袋を開いて中身を確認。

 袋の中には500mlのペットボトルと白地のタオルが入っていた。

 

 別に光は千絵にこれらを持って来るようにお願いしている訳ではない。

 千絵が光の体を気遣い、時折差し入れをしに来るのだ。

 光にとってありがたいと思う反面、申し訳ないと思い微笑を浮かべ。

 

「……ほんと、千絵ちゃんには敵わないな……。私の行動を見透かされているようだよ。今度、飲み物代は渡すね。タオルは洗って……って、このタオル新品だ。もしかしてこのタオルも買ったの?」

 

 スポーツドリンクと一緒に入っていたタオルは店で売られている様に薄いビニール袋に封入されていた。

 光の質問に千絵は頷き。

 

「そうだよ。そこのコンビニで一緒にね」

 

 そうなんだ……と半笑いの光。

 まさか差し入れで新品のタオルを渡されるとは思ってなかった様子。

 

「な、なら、その分も今度一緒に渡すよ。今、財布は更衣室のロッカーに入れっぱなしだから」

 

 現在の光の手持ちは腕に巻いた腕時計とロッカーの鍵のみ。

 携帯、財布などの貴重品は館内の更衣室に仕舞ってある。

 だが、千絵は別にお金はいらないとばかりに首を横に振り。

 

「別にいいよ、それは。それよりも、汗かいたまま(そのまま)だと風邪を惹くから。タオルでしっかり拭く。あと、水分補給もしっかりね」

 

「……なんだか千絵ちゃん、マネージャーみたいだね?」

 

 千絵に促され、袋からタオルを取り出した光は強めに汗を拭う。

 そしてその間に千絵はふふんと誇った顔を浮かばせ。

 

「これでも一応は医者志望だからね。他人の体調悪化の抑制をするのも今後の至宝になるし、そもそも目の前で体調を崩す恐れのある人を放っておけるわけがないよ。それが親友なら猶更、ね」

 

 優しさなのか、医者を目指す自分に課した責務なのかは分からないが、親友という言葉を重みに感じながら、光はペットボトルの蓋を開け、中身の薄透明のスポーツドリンクを仰ぎ飲み込む。

 

 相当喉が渇いていたのか、ごくごくと強く喉を鳴らして潤す光。

 そんな光を保護者の様な暖かい眼差しを向けていた千絵だが、少し真剣な面持ちに変え。

 

「……ねえ、光ちゃん。確かに光ちゃんは陸上の才能があって、中学の頃は大会で優勝の経験だってある……。千絵は、光ちゃんがどれだけ陸上を頑張って来たか知ってるよ」

 

 唐突になんの話をしているのだろうと光は怪訝しくするが、千絵の瞳に儚げな影が差し。

 

「前に光ちゃんに訊いたよね。なんで無理をしてまで陸上に執着するのか。その時光ちゃんはこう言ったよね『折角才能を持って生まれたんだから、その才能を遺憾なく使いたい。だから陸上を諦めたくないんだ』って……」

 

 そう言えば言った、光はうんと頷く。

 

「最初は才能がある人の高慢ちきかと思ったけど……本当に光ちゃんが陸上に拘る理由って、それ?」

 

「……なにが言いたいの、千絵ちゃん?」

 

 高慢と言われた事よりも、千絵が自分に何が言いたいのかと眉を顰める光。

 

「怪我したとは云え、私には陸上の才能があった。だから、怪我を早く治して、高校で陸上をしたい。それに嘘偽りはないよ」

 

「分かってる。光ちゃんが嘘を言ってない事は。……けど、少し思うの。本当にそれだけが理由なのかって。そう言えば、光ちゃんが陸上を始めた理由って―――――」

 

「それ以上言わないで! それ以上言うと、千絵ちゃんでも怒るよ!?」

 

 千絵の一言多い発言に光は怒りを露わにする。

 千絵の言おうとした言葉が、最も光が言われたくない言葉だと分かったからだ。

 

 光の怒声に遮られ硬直する千絵は、ハッと我に返り頭を下げ。

 

「ご、ごめん……口が過ぎたよね……」

 

 光がこうやって感情を荒立てることは珍しい。

 千絵は直ぐに謝ると、光もハッと目を見開き。

 

「こ、こっちこそごめん……。いきなり叫んで……」

 

 互いに謝罪をして、気まずくなる空気になる事数秒。

 千絵は重たい口を開き。

 

「確かに今のは私のお節介が過ぎたよ。今日、ある人にも言われたのに懲りないな……私って。けどね、光ちゃん。これだけは言わせてほしい」

 

 千絵は言いながら光の真正面に移動をして、屈んで光と目線の高さを合わせ、言葉を続けた。

 

「光ちゃんが、良い成績を残したくて頑張るのであれば、私や周りは光ちゃんを応援する。けど、怪我を早く克服したいが為に無理をして辛そうにする光ちゃんを、少なくとも私は応援出来ないよ。光ちゃんが陸上をしてようとしてないと、私は光ちゃんの親友だから」

 

 柔らかく、そして光を本当に思っての千絵の言葉に光は思わず涙ぐみそうになる。

 

 千絵は昔から光の事を親友として思ってくれていた。

 

 親友は最大の宝と言うが、光にとって千絵という存在は最高の宝だと思う。

 だからこそ、光は悔恨の情に苛まれる。

 自分はこんな良き親友の気持ちを踏みにじったのだから……。

 いや、こんな良き親友だからこそ、知らなかったからとは言え、光は自分が許せなかったのだ。

 

 千絵は言いたい事を言い終わると、立ち上がり。

 

「それじゃあ、私は帰るね。忘れてないとは思うけど、明日の放課後は軽音部のリハがあるから、陸上もいいけど、そっちもしっかり練習しといてね?」

 

「分かってるよ。折角千絵ちゃんが誘ってくれたんだし、バンド(そっち)の方も絶対に手抜きはしないから安心して。コード移動とカッティングはしっかり練習してるから」

 

 光は怪我をした後、陸上が出来なく落ち込んでる所を千絵に誘われ軽音部に入部した。

 陸上を辞め、持て余した時間を新しい事に挑戦するために光は入部をしたのだが、光は陸上に未練があり、裏では陸上の方にも取り組んでいる。

 だが、だからと云ってバンドの練習を怠る性分ではない光は、帰ったら家族や近所に迷惑が掛からない様にひっそりとギターの練習をしており、同時期にギターを始めた千絵よりも上達している。

 元々天才肌の光の事だから、心配ないだろうと高を括る千絵は踵を返してその場を去る。

 

 バイバイと千絵の背中に手を振る光は、千絵の姿が見えなくなると、回復した足で立ち上がり。

 

「……もう5キロぐらい走ったら、帰るかな……」

 

 再びアスファルトの道を走り出す。

 

 はっ、はっ、と等間隔の息のリズムを取りながら真夜中の運動場を駆ける光。

 その最中、光は考え事をしながら足を踏み出していた。

 

「(……私が陸上を始めた切っ掛け……か……)」

 

 自分で遮り千絵に最後まで言わせなかったあの言葉。

 光は小学5年の、自分が陸上を始める前の事を思い出していた。

 光が陸上を始めた切っ掛けとなった、ある男の子との会話を。

 

 それは夕暮れの公園での追いかけっこ。

 どれだけ経っても光に追いつけなく、体力の限界が訪れた男の子が地面にへたり込み。

 

『ぶはぁ~! やっぱりヒカリは速いな!? 全然追いつける気がしねぇ……』

 

『へへん! それはタイヨウが遅いからじゃないの? 私はまだ、全然本気を出してないもんね』

 

『うわっ、うぜぇええ! ……けど、やっぱりヒカリは速ぇよ、俺もそこそこ速いはずなんだけどな……。なあ、ヒカリ。お前、マラソン選手とかにならねえの?』

 

『マラソン選手? マラソン選手って、あの走って競う人達のこと? 無理無理。私にあれは無理だよ。勝てっこない』

 

『いやいや。ヒカリは才能があるから絶対に良い線行くって。俺が保証するし、絶対に応援するからよ。やってみろって』

 

『……本当に、タイヨウは私を応援してくれるの?』

 

『あぁ! 絶対に応援する! 他の奴らが馬鹿にしようと、俺はお前を応援するぜ!』

 

 男の子……否、光にとって千絵と同じぐらい大切な親友であり幼馴染でもある、そして……元カレである古坂太陽の後押しで光は陸上を始めた。

 

「(分かってる……。今の太陽からして私は眼中にないことを……。あの日以来、1度大会があったけど、太陽は応援に来てはくれなかった……いや、来てくれるはずがない。なんてったって、私は太陽に取返しのつかないことをしてしまったのだから……)」

 

 小学5年生の頃、光は太陽の後押しで地元のクラブで陸上を始めた。

 太陽の言う通りに光に陸上の才能があったようだ。

 その為か、実力をぐんぐん伸ばした光は始めて半月も経たずにレギュラーを獲得して、大会に出場を果たす。

 そして、太陽も言葉通りに陸上の大会がある日は一度も欠かさずに応援しに来ていた。

 

 しかし、中学の卒業式の日に、光は自ら彼との絆を壊す言葉をいってしまった。

 

『……太陽、別れよ。……私達』

 

『……他に好きな人ができたんだ。その人に振り向いてほしい。だから、ごめんだけど、別れて』

 

 自分が言ったはずなのに、それを思い出すと虫唾が奔る。

 何度思い返しても光は過去の自分を殴りたい衝動に駆られる。

 だが、過去の自分に怒りを感じても虚しくなるだけで、時間を元には戻れない。

 割れた皿がどんなに頑張っても元に戻らない様に、壊れた関係は修復できない。

 

 そしてその後の出来事も湧き水の様に蘇る。

 

 太陽に自ら別れを告げた数分後、一向に戻って来ない二人を心配して体育館裏へとやって来た千絵が光を見つけ。

 

『どうしたの光ちゃん!? な、なんか太陽君が全速力で走って行ったけど!?』

 

『……太陽に別れを言ったの。私に好きな人が出来たからって……』

 

『好きな人……!? って嘘!? 光ちゃんは太陽君の事が大好きだったじゃん! なんでそんなことを!』

 

『いや~。よくよく思えば、私の太陽を好きってのは、家族としてって言うか、ほら、太陽とは小さい頃から一緒だったから安心する仲と言うか、それを男性として好きだって勘違いしてたらしい。だから、他の人が良いなって思ってね』

 

『嘘……嘘だよ! 光ちゃんは一人の男性として太陽君の事が好きで……。誰!? その光ちゃんの好きな人ってのは!』

 

『言わないよ。言えるわけがないよ。もし言えば、千絵ちゃんはその人に文句を言いに行く。その人には迷惑かけたくないから……』

 

『どうして……なんで……』

 

 光の言葉が信じられない千絵は苦悶の表情を浮かべるが、そんな千絵の肩に光は手を置き。

 

『……だから千絵ちゃん。私に構わず、自分の気持ちに正直になって……。こんな最低な女は、太陽には相応しくないから……』

 

 光は知っている。千絵の気持ちを。千絵がどんな気持ちで自分を後押ししてくれたのかを……。

 

「(それにしても、千絵ちゃんって凄いな……。こんな最低な女と今でも親友って言ってくれるんだから……。だから、そんな親友が悲しんでいるのに、自分だけ幸せになんて、なれないよ……。それに―――――)」

 

 あの日、彼女の部屋で偶然見てしまった千絵の心情をつづった一冊の本。

 それを見た日から、光は自身が最低な女だと思わざる得なかった。

 その苦悶の末、光は太陽に別れを告げることにした。

 

「他に好きな人が出来た?……なに言ってるのかな、馬鹿かな私は……。好きな人なんて、今も昔も……同じ人だって言うのにな……」

 

 渇いた笑いで自嘲する。

 

 光は自覚しており、否応にも分かってる。

 もう自分が彼の前に現れない方が良いということを……自分が現れる事で彼にどれだけ深い傷を負わせてしまうのかを……今朝の出来事の様に……。

 

「(だけど、ごめん太陽……。これは私のワガママで、最低女や屑女って罵ってくれてもいい……。高校……せめて高校まで、嫌いな相手としてでもいいから、私を見ていてほしい。高校を卒業したら、もう、太陽の前に現れないから……)」

 

 光が陸上に拘る理由は、否、正直陸上じゃなくても良い。

 光の学校では、大会となると陸上部とは関係のない生徒達も応援に来なければいけない。

 小さな地元の大会程度なら参加義務はないのだが、全国大会となると全生徒での応援もあり得る。

 そうなれば、彼も否応でも応援に来てくれるはず……だから光は全国を目指して自分に鞭を打っている。

 しかし、それなら陸上じゃなくてもいいのだが、光にとって他ではなく、陸上じゃないといけないのだ。

 

「(太陽のおかげで私は陸上と出会えた、太陽が私に陸上を勧めてくれたおかげで、私は数々の栄冠を手に入れる事が出来た……。私にとって陸上は……太陽との最後の繋がりなんだから)」

 



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出会いの兆候は突然に

 陸地同士を架ける橋の高欄に肘を付き、太陽は先日の雨で増水した川の流れをボーっと眺めて、はぁ……溜息を吐く。

 

「マジで今日の合コンは散々だったな……。まさかあんな言われようをされるとは……」

 

 水面に雑に映る自身の自嘲する笑みを見るや更に笑いが込み上げる。

 本日は土曜の休校日。

 特に予定のなかった太陽は自宅で暇を持て余していたのだが、急遽知り合いから合コンの誘いを受ける。

 合コンは男女5人形式で、なんでも元々参加予定の者が来れなくなったからと太陽に白羽の矢が立ち、特に用事もなかった太陽は言われたカラオケ店に向ったのだが、行ったことを太陽は後悔した。

 

 正確に語るなら、太陽は騙されたからとかではない。

 あいつが来るか来ないかの賭けの対象にされたりとか、来た事で盛大に笑われたりとか、人の精神を削ぐ様な事はされず。

 男性を含めて参加していた他校の女子生徒達から太陽の来訪を歓迎してくれた。

 なら、何故太陽は合コンに参加に後悔したのか、それは、合コンに参加していた女子に言われた一言が太陽の胸を深く貫いたからだ。

 

『古坂君ってさ……。本当に私達を見ているの? なんか心ここにあらずと言うか、必死というか……。いや、恋人を作るのに躍起になるのは分かるよ。私達もそうだし。けど……なんか、古坂君の場合は違うと言うか、なにかを忘れたかそうに見えるんだ。正直……少なくとも私はそんな人とは付き合いたくないかな……』

 

 参加していた女子が代表とばかりに太陽にそう告げ、太陽が他の者たちに視線を向けると皆太陽から顔をそらす。

 全員が同じことを感じていたのかもしれない。

 

「……もしかして、今まで俺が誰とも付き合えなかったのは、皆俺から同じことを感じてノーサンキューだったからなのか……。やっぱり、未練がましい男は嫌なんだろうな……」

 

 心の隅に元カノの影がある。

 もちろん、相手がそんな事実を知るわけがない。

 

 だが、太陽は態度に出易いというか、女性は敏感だ。

 太陽が自分をどう見ているのか、分かるのかもしれない。

 

「もういっそ、インチキ催眠術師にも縋りたい気分だぜ。このいつでも心を燻る想いも記憶も根こそぎ忘れさせてくれないかな……」

 

 太陽は、ずっと同じ時を刻んで育ってきた幼馴染兼彼女であった渡口光に振られ心に大きな傷を負った。

 そしてその傷が太陽の精神を蝕み、太陽は無意識に他の女性と光を見比べてしまう。

 

『あいつとこいつとではどう違うのだろうか……』

 

『あいつはこうしたが、こいつはどうするのか……』

 

『こいつはあいつみたいに、俺を裏切らないよな……』

 

 女性不信。

 その言葉だけでまとめるのは簡単だが、太陽は再び女性に好意を持てたとしても、いつか裏切られるのではと恐怖を感じていた。

 もしかしたら、太陽が無意識に相手に不快感を持たせていたのは、太陽自身恋人をいらないとしてではないのだろうか。

 傷を癒すために新しい出会いを求めていた太陽からすれば、もしそうであれば本末転倒である。

 自分自身も何がしたいのか意味不明となり、この1年間の自分の行いはなんだったのか……。

 

 ただ、太陽は中学までの自分とは違う自分を演じる時は楽だった。

 もちろん気恥ずかしさや周りからの冷たい笑いは辛かった。

 だが、チャラけてる自分を演じていた時は幾分マシで過去を忘れられた。

 

 どちらがいいかなんて自分では分からないが、元カノに対しての未練がましい自分にほとほと嫌気がさしていた。

 

「……まさか、俺がここまで未練がましいヘタレ野郎だったなんて、思いも……いや、中学の頃からその片鱗はあったか……」

 

 中学の頃の太陽は、教室の隅で特定の仲の良い相手とだけ話す地味な自分と、いつもクラスの中心で皆を引っ張る人気者であった幼馴染で元カノの光との劣等感から、小さい頃から好きだった気持ちを押し殺して過ごしてきた。

 自分が無理に告白をしても関係が崩れるだけで光からすれば迷惑極まりない行為だと勝手に思い、何度か親友である千絵、信也から告白しないのかと言われた時は首を縦に振らなかった。

 友達以上ではあるが、恋人のような男女の仲ではない関係に少しばかりは居心地は良くて、関係が崩れるくらいならこのままの関係で良いと太陽は親友に話していた。

 だが、あの光景を目の当たりにした太陽は、遅かれ早かれ関係が変わることを直感して、告白しないで壊れた後悔よりも前に足を踏み出しての後悔がしたいと決心をした。

 その結果が現状なのだが、過去の太陽は今の状況を危惧して告白を躊躇っていたはずなのにと、一周して失笑してしまう。

 

「それにしても、俺は千絵や信也に散々迷惑をかけてきたんだから、せめてあいつらに何か礼をしないといけねえな。俺の恋愛に協力してくれたんだし、今度は俺があいつらの恋愛の後押しをしてやらないとな」

 

 今がどうであれ、あの二人がいなければ光とは一度も関係が進められずに自然消滅したであろう。

 だから、せめてもの礼に今度は太陽が二人の恋のサポートをしようと考える。

 

「てか、そもそもあいつらに好きな相手がいるのか? よくよく考えれば、自分のことで手一杯であいつらの恋愛事情に見向きもしなかったな。今度殴られるのを覚悟に聞いてみるかな」

 

 合コンでの抉る言葉が逆に太陽を吹っ切れさせたのか、清々しく太陽は背筋と腕を伸ばす。

 

 空元気と馬鹿にしてくれていい。

 

 光に振られ、過去の情けない自分を忘れようと上辺だけ外見と性格を変えてから一年間過ごしてきた。

 その間に太陽は新しい出会いを求めて合コンに参加をしてきたが、仲良くなった女性は何人かはいたが、あくまで友達止まり、恋人まで進展していない。

 ギリギリのところまで進展はしたが、最終的に太陽が尻込みしてしまい、結局は振られ、太陽は苦汁をなめた。

 だが、思いの外傷つきはしなかった。

 それだけあまり相手に入り込み過ぎてないからだと言えば、太陽の本気が伺えるが。

 それでも、擦り傷も幾度も重なれば深傷となる。

 

 どんなに見た目と性格を塗り替えても中身までは変わらず、これが太陽の恋愛に対しての実力なのだ。

 

「まあ、それでも、恋愛だけが人生じゃないし。何か、俺でものめり込める物を見つけないとな」

 

 小学生から現在まで帰宅部の太陽は部活経験もなければこれといった趣味もない。

 漫画やゲームはするが、それを趣味だと語るにしては物寂しい。

 何か太陽が夢中になれる物を見つけようと太陽は無理やりと吹っ切らそうとする中。

 

〜〜〜♪

 

 太陽のズボンのポケットから初期設定された着メロが振動とともに奏でる。

 着メロパターンから携帯に届いたのは電話である。

 

「ん? 誰からだ?」

 

 太陽はポケットに手を入れ携帯を取り出す――――

 

「……ヤベッ!?」

 

 橋の高欄に肘だけでなく手を付いていた太陽。

 先日雨で高欄には水滴が現在も残っていた。

 水滴が太陽の手に付着して滑りやすくなっており、特に滑り止めが施されていない携帯は太陽の手からこぼれ落ちる。

 そして、その落下予測場所は最悪なことに太陽の前方、つまり、川の上空。

 

「おりゃあ!」

 

 携帯の消失は高校生にとって致命的。

 脊髄反射でか、太陽は咄嗟に高欄に身を乗り出し宙の携帯をキャッチしようとする。

 瞬き程度の瞬間だったからか、手を伸ばすと奇跡的に太陽は携帯を捕ることに成功する―――――が。

 

「――――――は?」

 

 高欄は太陽の腰程度の高さ。

 身を乗り出せば腹で体の重心を支えていた。

 しかし、その腹さえも支える二本の足がズルッと滑り、ぐんぐんと太陽の視界は空から川へと見下ろす。

 太陽は直感した。

 このままでは川に着水すると。

 

 昨晩の雨で川は増水はしているが、元々この川は水深は高くない。子供でも足がつくぐらに浅い。

 このまま落下すれば着水の勢いで体や頭を川の底に衝突してしまう。

 体なら助かる、だが、頭なら下手をすれば死ぬ恐れもある。

 ヤバい、太陽は一心不乱にジタバタと抵抗するが遂に足が天を指そうとした、その矢先。

 

 

「自殺はダメェエええええ!」

 

 

 は? と太陽は目を点にする。

 危機的状況で尚、何者かのその言葉に呆気を取られた瞬間、太陽に衝撃が奔る。

 

「ぐ―――――へぇ……!?」

 

 何者かに体当たりをされたのか、腹に腕を回され、横腹に硬い感触が迸り、そのままの勢いで太陽はうめき声を漏らしてアスファルトの歩道に倒れる。

 

「な、なにを考えてるんですか! 見た感じ私とあまり歳が変わらないのに自殺をしようとするなんて! 親御さんが悲しみますよ!? どんな形であれば子供には生きてほしいと思ってます。悩みがあるなら私が聞きます。ですので、自殺は思いとどまってください!」

 

 興奮気味な声音で捲し立てる女性の声。

 女性は太陽の腹部に顔を埋めて話しているからか擽ったい。

 

「てかどんな厄日ですか! 今日引っ越してきたばかりで、街探索を兼ねてジョギングをしていただけなのに、自殺志願者と鉢合わせするとか! 私、この街でやっていけるか引っ越し前日はワクワクだったけど不安になりました!」

 

 更に太陽の腹部に顔を埋めながら言葉を続ける女性。

 女性の発言からこの者は今日この街に来たばかりの者らしい。

 

 田舎にようこそ、と歓迎の言葉を言わねばいけないのか。

 

 だが、女性に押し倒され頭を打ったからか、クラクラする意識の最中で言い放つ。

 

「……俺……別に自殺志願者じゃ……ねえんだけど?」

 

「え?」

 

 女性は太陽の言葉に腹部から顔を上げて太陽の顔を直視する。

 朦朧とする意識の中、途切れる直前に見た女性の顔は――――ポニーテールを風になびかす美少女だった。

 

 



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他人だから話せること

「うわぁああ! ほんと! 本当にごめんなさい! 私、昔から早とちり過ぎるとか親に言われてるのに! せめて頭の擦り傷を治療しますので!」

 

「うん、分かった。だから後ろでぎゃーぎゃー騒がないでくれ。耳に響くから」

 

 すみませーん! 涙声で女性は手慣れた所作で太陽の後頭部のアスファルトで切った切傷に染みる消毒液を塗り、髪を少し分けて絆創膏を貼る。

 絆創膏を剥がす時は怖いが、シャワーで濡らせば剥がれるだろうと、太陽は傷の部分を摩り息を零す。

 

「なんか慣れた感じだし、そもそもなんで治療用のポーチを所持していたんだ?」

 

 相手が歳が近い事や先程の事が尾を引いてタメ口の太陽は女性が持つポーチに目を向ける。

 

 消毒液も、それを塗る際に使用されたガーゼも、絆創膏も謎の女性の所有物。

 それら全ては女性の物と思われるピンクのポーチから取り出された物だ。

 

 強烈な殺人タックルを横っ腹に受け、頭を打った太陽はその原因たる女性の手によって運ばれ、近くの影がある土手で治療を施されていた。

 だが、近くに病院も無く、周囲の民家から借りて来たと言うには使い慣れていた。

 その疑問に女性は苦笑いで頬を掻き。

 

「私って……早とちりもですけど、そこそこドジで……今はそこまでないんですけど、昔は外に出れば怪我をする程だった為に母親が外出の際は絆創膏を持たせてまして……それが段々グレートアップして消毒液がガーゼ、包帯も追加され……。その習慣が今も抜けずに、携帯救急箱を常備しているのです」

 

 恥ずかしいドジっ子属性の暴露に女性はポーチで顔を隠す。

 だが、顔は隠せても耳までは隠せず、耳は真っ赤に沸騰していた。

 

「まあ、別に恥ずかしがることでもないと思うけどな。俺の知り合いに、元気が取柄で小さい頃は公園を走り回って転んだりして怪我が絶えない奴もいたし、それがあれば便利だったかもな」

 

 ケラケラを笑う太陽。

 それを指す人物は、某元陸上少女と某チビッ子秀才娘である。

 彼女達も男の太陽に負けずのやんちゃぶりで、転んで怪我をしては親御さんに怒られたのは良い思い出だ。

 

「……うん、まあ、そうなんですが……。自分が沢山怪我するおかげで人の治療も滞りなく出来る様になりましたから、無駄ではなかったのでしょうが……それでもやっぱり恥ずかしいですよ」

 

 太陽はフォローをしたつもりが頬を膨らまして女性は何故か拗ねる。

 どうやらこの女性はフォローされるのを不服に思っているらしい。

 

 女性はポケットサイズの救急ポーチを懐に仕舞うと、後ろで束ねていたヘアゴムを外し髪を下ろす。

 

「どうして髪を解くんだ?」

 

 太陽は女性に疑問を投げる。

 女性は無意識か流れか、あぁと握るヘアゴムを見て。

 

「元々髪を束ねているのは走る際に邪魔にならない様にする為で。今日はなんだか走る気分じゃなくなりましたから」

 

 背中まで伸びた黒髪を払い女性は説明をする。

 んじゃあと太陽はもう一つ質問する。

 

「髪が邪魔になるんだったら切ればいいんじゃないか? それなら一々髪を束ねなくてもいいし」

 

「女性の髪は命の次に大事な物です。そう易々と切れる代物ではありません。……って、そう思う女性は多分あまり多くないと思いますが。正直な話、私の場合は願掛けみたいなものですが」

 

 願掛け? と太陽は首を傾げる。

 何かのまじないを自身の長い髪に込めているのか、無粋であるが、少し興味が出た太陽が聞く。

 

「願掛けって、何か成し遂げたい事でも――――――」

 

 ここで太陽は出会って初めて女性の顔を確認した。

 女性は長い髪がちらつくいたのか、ふわっと髪を耳にかけて太陽から女性の横顔が観れた。

 整った顔立ち、程よく焦げた肌、透き通る様な瞳に汗で濡れた綺麗な黒髪。

 一見して美少女だという事は分かっていたが、改めて見ると太陽はこの女性の顔に見覚えがあった。

 

「ん? どうしたんですか? ……私の顔に何か付いてましたか?」

 

 急に口を閉じた太陽に疑問を投げる女性の声に、女性を凝視していた太陽は我に返る。

 

「い、いや……。ちょっとな……」

 

 気のせいだよな……と顔をそらす太陽は、こちらを首を傾げて見つめる女性をチラ見した後、ゴクリを喉を鳴らし。

 

「な、なあ。あんた、俺と前に一度、何処かで会った事がないか?」

 

 太陽の藪から棒に尋ねる問いに女性は、は?と目を瞬きさせる。

 

「う、うーんっと……。私はここに来るのは初めてですし、スミマセンが、私は貴方の顔に覚えはありませんね」

 

 聞かれたはずの女性が申し訳なさそうに頭を下げるのに対して、太陽はいや……と後髪を掻き。

 

「こっちこそすまん……。変なことを聞いたな。忘れてくれ……」

 

 互いに頭を下げる絵面になったところで、女性の方が頭をあげて再び怪訝しく首を傾け。

 

「そういえば、あなたはあそこで何をしていたのですか?」

 

「何をしていったって、なにが?」

 

 今度は太陽が女性に聞き返す。

 太陽が橋から飛び降り自殺をしていたと勘違いしていた女性が何故そんな質問をするのか。

 女性は自身の顎に手を当て推理し始める。

 

「私の早とちりであなたが自殺をしていると勘違いしてしまいましたが、それが違うなら、なんであなたがそこにいたのか……。私がが予想するからに、あなたは何か嫌なことがあって、あそこにいたんじゃないですか?」

 

「どういう考え方をすれば、その結果にたどり着くのか不思議だが、別に大したことじゃねえよ」

 

 鼻で息を吐き膝で頬杖を突く太陽だが、内心図星を突かれて冷や汗を流していた。

 相手は会って数分程度の相手だが、この女性は中々勘が良いようだ。

 少しばかり天然が入って早とちりが過ぎるが、洞察力は高いのか……。

 

 少し癪な太陽は苦虫をか噛み潰したような苦々しい形相を浮かべるが、誤魔化すように失笑して。

 

「本当に大したことでもなないんだけどな。それに、もし仮に悩みがあったとしても、今先刻会ったばかりの|お前〈相手〉に話せるわけないだろ」

 

「そうですかね。会って数分程度だから話せることもあると思いますよ? 相談窓口とかは他人だからこそ気兼ねなく相談ができたりするじゃないですか。ここで会ったも何かの縁ですし。もし何か悩み事があれば、私に言ってください。話せば少しは楽になると思いますから」

 

 女性は食い下がらず、彼女の一理ある言葉に太陽はたじろぐ。

 このような丁寧な口調とは裏腹のぐいぐいと来る感じに、太陽は千絵と親近感を覚える。

 

 相手は今日ここに引っ越してばかりだと口にしていた。

 顔を見るからに中高生のどちらかだろう。

 少なくとも大学生、社会人ではない面持ち。

 

 彼女の言う通りに他人だからこそ話せる部分もあるが、引っ越して来た相手、もしかしたら何処かの学校に転校してくる可能性が大きい相手に悩みを吐露していいのだろうか。

 太陽の住む街は別段に狭くはないが、歩いていれば偶然に出会うことも大きいだろう。

 その際にこの悩み相談が尾を引いて気まずくなったらと思うと二の足を踏んでしまうが。

 

 喉につっかえ、重い息を吐きだし身を軽くする様に太陽は、今胸に抱える想いを吐き捨てる。

 

「んじゃあ。会って間もない相手だが、せっかくだから相談を聞いてもらおうかな」

 

 女性は分かりました、と笑顔で頷くと、太陽はそのそっと口を開いた。

 

 

——―――――10分後―――――――

 

 人の悩みを聞いて少しでもその人のためになるのではと思い、太陽の悩みを聞いたはずの女性だったが、会話の初めまではうんうんと相手に不快を与えない程度の相槌を打っていたが、話が進むにつれてその表情が曇りだし、終わった時には悩みを吐露した太陽ではなく、彼女の方が顔を伏せていた。

 

「えっと……ですね。まさかここまで本格的な悩みだったとは……。もうちょっとフランクな悩みと思ってましたが、私、恋愛とかあまり分からないんですが……」

 

「なんだなんだ? 人に悩みをぶちまけなさい的なことを言った癖に、いざ相談されれば出来ませんとか言わないよな?」

 

 意地悪な笑みの太陽に女性はムッとカチンときた様子で。

 

「そんな事は言いません。確かに私は生まれてこの方恋愛はしたことがありません……が! 一度受けた悩み相談に対して逃げるつもりはございません!」

 

 確かにとは、この者が一度も自身が恋愛経験がないと口にはしてないはずだが。

 少し空回った様に威勢だが、別にふざけているわけでもなく、態度は至って真剣なものだった。

 

「えっと……一度整理いたしますと。貴方は大好きだった彼女さんに振られた。そして、その彼女さんを忘れる為に貴方は見た目を大きく変えたものの、やはり忘れられずに多数の女性に惨敗している……ってことでいいですか?」

 

「……うん、まぁ、ね……。合ってはいるんだが、もう少し俺に気遣いと言うか……。改めて再確認されたけど、案外傷つくぞ……」

 

「あ、ごめんなさい!」

 

 強く頭を下げる女性に太陽は頬を掻いて苦笑いを浮かばし、ある点に気づく。

 

「そう言えば俺たち互いに自己紹介がまだだったな。先刻から貴方呼ばわりされるのもなんだ嫌だし。俺の

名は古坂太陽。んで? あんたの名前は?」

 

「そう言えばそうでしたね。古坂さんですか……。覚えました。私の名前は晴峰御影です。前の学校の人からはみーちゃんだったり、ミカと呼ばれてましたので、お好きにお呼びください」

 

「本人からお好きに呼んでいい許可を貰ったのはいいが、俺たちは初対面だし、普通に晴峰と呼ばせてもらうよ。同じ土地に住む同士、よろしくな、はるみ……」

 

 ね、と彼女の苗字を口にする寸前に太陽は自身の口に手を当てて考え込む。

 

「(晴峰御影……やっぱりだ。この名前、どこかで聞き覚えがある……。どこだ……。どこで俺は、この名を聞いたんだ……!?)」

 

 先ほどは御影と名乗る女性の顔に見覚えを感じた太陽だったが、相手からは自分とは初対面だと言われ、他人の空似だと勘違いをしたが。

 太陽はこの女性の名にも聞き覚えがあった。

 しかし、何処でその名を聞いたのかまでは思い出せないでいた。

 

「あの……古坂さん? どうしたんですか、そんな考える人の様な何かを捻りだしそうな眉を寄せた形相をして?」

 

 それはトイレの大に大しての暗喩なのかはこの際無視をするにしても。

 必死にこの者の名と繋がる何かを探ってる内に怖い形相になっていたようだ。

 太陽は額に流れる汗で指でなぞり、誤魔化す様な作り笑いで。

 

「すまん。悩み相談を受けているのに違うことを考えてた……。話を進めてくれ」

 

 太陽が言うと御影は怪訝しく首を傾げて、中断していた話を再開させる。

 

「お互いの名前も知ったところで。古坂さんの悩みですと……。現在の古坂さんは過去に振られた傷を癒すために、その元カノさんを忘れにて前に進むために頑張っているのは分かりました」

 

 彼女は目を伏せると、その瞳に少しの憂いを交えながらそっと口を開く。

 

「……ですが、全てを忘れたとして、それは……本当に前に進んでいると言えるのでしょうか?」

 

「……どういう意味だ?」

 

 自身の道を否定する言葉に太陽は低い声で返す。

 

「スミマセン。恋愛経験もなく、あなたの事情を知らない私が言えば何も知らない分際でと思うとかもですが、敢えて言わせてもらいますと……。正直、古坂さんのやられていることは前に進むではないと思います」

 

 少し緊張した様な口調で御影が言う。

 太陽は無言で目を細めて彼女に続きを促す。

 太陽の意図を察した御影は、そっと土手から腰を上げて立ち上がり。

 

「何度も言いますが、私は生まれてこの方殿方とお付き合いしたことがありません。今まで部活の方に打ち込んできてその暇がなかったのが原因ですが。だからか、正直私は失恋の苦しみを知らないからこんなことが言えるのでしょう……。しかし、古坂さんの失恋と、私がこれまで経験した挫折が一緒であれば、古坂さんのしていることを否定できます」

 

「お前の……挫折?」

 

 はい、と御影が返すと、彼女は雲が自由に漂う空を仰ぎ語る。

 

「まずこれは私の身の上話になりますが。私の母親は昔、陸上の長距離選手で世界大会に出場するほどの実力者でした。……桜ノ宮凛と言う名前に聞き覚えはないでしょうか?」

 

「桜ノ宮凛……って、何度かテレビで聞いたことがあるな……。俺が生まれるよりも前に何度も世界大会に出た陸上選手だっけか?」

 

「そうです。……そして、その桜ノ宮凛こそが、私の母親です」

 

 マジで!? と引退して尚、様々な陸上選手の育成などの特集を組まれる、陸上業界ではカリスマな女性の娘が目の前にいることに驚きが隠せない太陽。

 その反応を見慣れているのか、特に引かない御影はクスクスと笑い。

 

「母は陸上に関しては厳しかったです。そのおかげで、娘である私は物心付いた頃から沢山の英才教育を受けて来ました。文字通り、雨の日も、風の日も、雪の日も、母は一切手を抜かずに私を鍛えてくれました」

 

「……辛くなかったのかよ……」

 

 天候が荒れる日での特訓に対して、太陽の率直な感想に御影は微笑して。

 

「それは勿論、辛かったですよ。足の裏の豆を何度潰したことか。足の裏から血が流れて歩くのもしんどかったこともありますよ。……ですが。逃げ出そうとは思いませんでした」

 

 御影は思い出に耽る優し気な笑顔で髪を上げる。

 

「母の念願であるメダル獲得……なんて大層なことを思っているわけではありません。確かに母が陸上選手だから、私も陸上を始めましたが、やっていく内に私も走るのが好きになって、いつか、偉大な母を超える……それが私の目標でした」

 

 でした、その過去形が引っ掛かった太陽は首を傾げる。

 

「でしたってことは、今は違うのか?」

 

「そういう訳で言ったわけではありませんが。それよりも先に果たさなければいけないことができただけです」

 

 そう言って彼女は自身の背中まで伸びて煩わしいと言った髪を一撫でする。

 

「昔の私は正直天狗になっていました。母より引き継いだ才能、恵まれた環境、優秀なコーチ。そして、誰にも負けない努力がそれを裏付け、私は一度も陸上で負けたことがありませんでした……あの時までは」

 

 あの時……とその言葉を聞いた時、太陽は心臓がドクンと鼓動する。

 そして過去の映像が瞳に移るフラッシュバックが起き、思わず目を手で覆う。

 

 一瞬映った景色は、泣きじゃくってこちらに叫ぶ女性の姿。

 その姿は誰かに似ていた。

 

「(……そうか。そうだったのか……。やはり……俺は一度、こいつに会ったことがある……。だが、こいつ自身はそれを覚えてはいない。いや……覚えられるほどの精神状態じゃなかったのかもしれない)」

 

「ここには父の都合で引っ越すことになったのですが、私は前の所で一人暮らしをしないかと両親に勧められました……。しかしここに、あの約束を交わした相手がいると知って、私は転校を決意したのです」

 

「(知っている……。お前が約束を交わした相手を)」

 

「全国大会に出場してもその人に会える保障はない。なら、近くに行って、少しでも再戦ができる可能性を増やしたい。私の夢である母を超えるのは、その人に勝ってから始まるのです。……そう、私が勝ちたい相手は……」

 

「(その再戦を望む相手……)」

 

――――――渡口光 (さん)



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中3の夏

―――――それは、2年近く遡る。

 

 太陽及び、光、千絵などの同級生たちが中3の頃の夏。

 

 天気は快晴、照り付ける日差しの下で、熱中症の注意勧告のアナウンスが流れる陸上競技場のトラックで数人の全国まで勝ち進んだ女性の陸上選手たちが自身の学校の誇りを背負うユニフォームを身に纏って速さを競っていた。

 

 万を超える観衆で覆いつくされた会場。

 全方向から飛び交う歓声で会場が揺らぐ。

 

 その会場の中心で勝ち進んで来た少女たちが全国1位を狙って一心不乱に足を踏み出していた。

 

 競技は女子1500m。

 試合経過は、残り100mの佳境。

 

 スタートの時点では出場選手10人が並んで競っていたが、終盤では先頭2人のデットヒートを繰り広げていた。

 

 先頭を走る一人は今大会が全国大会初出場のダークホース、鹿児島代表の渡口光。

 もう一人は全国大会常連選手、過去全国中学陸上1500mの二連続優勝を果たした強選手東京都代表の晴峰御影。

 

 100mを切った時点では僅差で晴峰が少しリード。

 残り少ない場面でのリードは短くても致命的。

 中学最後の大会であり、これまで培った力の集大成として、光は最後まで諦めずに歯を食いしばる。

 

「行ッけえぇええええ! ひかりぃいいいい!」

 

 大観衆の陸上競技場でもその一人の声援は光の耳に届く。

 その声援後、自分の力の限界を超える様に光のスピードが上がり、徐々に差が縮まり、二人の足がほぼ同時にゴールラインを超えた。

 

 目測では同着に見えるゴール。

 判定が厳しいということで審判たちがビデオ判定を行う。

 

 二人がゴールを終えた数秒後に他の選手たちもゴールをするが、優勝が決まってない今、判定のアナウンスを待つ会場は静かに固唾を飲み。

 ビデオ判定を終えた審判の一人がマイクを取り、唾を飲みこむ音をマイクが拾い、会場に響いた後、緊張した声音で審判の口が開き―――――。

 

『優勝は―――――――4分9秒86……渡口光さんです!』

 

 その発表に会場が地震が起きたように沸き立つ。

 

 有頂天に飛び跳ね喜びを噛み締める者。

 落胆の声を漏らして悔しがる者。

 全選手の奮闘を讃えた拍手が響き、女子1500mの競技は幕を閉じた。

 

――――――――そして。

 

 選手の控室がある通路で光は先ほどまで全力で走って疲れた足にも関わらず、速足で一人の学校制服の男性に飛びつく。

 

「ヤッタよ、太陽! 私、優勝したよ!」

 

「ああ、見てたぜって、おまっ! 汗びっしょりで抱き着くな! 濡れるわ!」

 

 光が飛びついた人物の名は古坂太陽。

 光の幼馴染にして彼氏にあたる者だ。

 

 太陽は全国大会に出場した光の応援へと県を超えてこの場所に赴いていた。

 

 太陽の学校は初のスポーツでの全国大会出場を果たした光の応援へと、全校生徒で応援に来ており。

 交通費は地域や市の援助を得ている。

 

 全校応援という名目はあるが、もしそれが無くても太陽は光の応援に来ていただろう。

 何故なら、太陽が最も彼女が努力をしていたことを知っているのだから。

 

 そして、念願の全国大会優勝を果たした光は喜びのあまりに汗だくのまま太陽に抱き着き。

 汗まみれのまま抱き着く彼女は太陽は叱る……が、元々太陽も応援の最中に高気温で漏らした汗で制服は湿っているので今更である。

 

 太陽はぎゅっと強く抱きしめる彼女を押して引き離し、持ってきていたタオルで光の汗で濡れる髪をごしごしと乱暴に拭き始める。

 

「たくよ……。そんな汗まみれのままでウロウロする前に着替えろよな。そのままだと折角優勝したのに風邪を惹いちまうだろ?」

 

「そんなこと言って~。若い女子に抱き着かれて嬉しい癖に~。ほらほら♪ 若い女の汗だぞ♪」

 

 太陽の反応は照れ隠しだと誤解しているのか、ニマニマと自身の汗を飛ばして揶揄する光。

 

「俺にそんな特殊性癖はねえ」

 

 太陽は眉を惹くつかせると、彼女の髪を拭く手を止めて、そこそこ強めに光の脳天にチョップをいれる。

 

先刻(さっき)まではあんなに勇ましい姿を披露していたのに、終わってみれば子供じみた嫌がらせをしやがって。折角の感動が台無しだぜ」

 

 実際は汗臭いはずなのに、光の汗は少し良い匂いがしたということは内緒である。

 

「それにしても、今は太陽だけ? 千絵ちゃんや信也君は?」

 

 キョロキョロと光は周りを見渡す。

 更衣室に通ずる不思議と太陽と光しかおらず、怪訝しく光は太陽に問う。

 

「あぁ、なんか千絵がな。「彼氏なんだから真っ先に優勝を褒めに行く! 千絵達が何とか時間を稼ぐから」って言ってな。俺だけ先にお前の所に行かされたんだ」

 

 親友である高見沢千絵、新田信也も二人と同中である為全校応援でこの会場にいる。

 二人は学校創立初めての全国大会優勝選手の輩出に興奮覚めていないだろう。

 恐らく、真っ先に我が我がと光の優勝を讃えにこの場に向かおうとしていた所を、親友である千絵の気遣いで千絵と信也が皆を足止め。

 終わって直ぐに光の許に記者たちが集まって来たが、光が「疲れているので後にしてください」と一蹴して、他の競技が始まるとその者らも再び会場に向かい、いない。

 

 偶然や親友らの助力で二人きりの空間。

 しかし、光は不満げに嘆息を零し。

 

「それにしてもさ……。ねえ、太陽。そろそろ公言しようよ、私たちは付き合ってるって。そうすれば、こんなまどろっこしいやり方で隠れて祝福することはないんだからさ」

 

「断る」

 

「―――――なんでそんな意固地なの!? 別にいいじゃん! 私と太陽が付き合ってるって周りに知られても!」

 

 太陽と光が付き合っていることは学校で二人が信頼できる人物のごく一部しか知らない。

 何故二人が付き合っていることは周りにひた隠しにしているのか、彼女である光は別に周りに言ってもいいと考えているが、彼氏の太陽が難色を示し。

 

「駄目だ駄目だ。絶対に周りには言わねえ」

 

「なんで!? もう私たち付き合って3か月になるじゃん! 太陽も知っていると思うけど。私、彼氏がいないと思われてあれから何度も告白されてるんだからね!」

 

 光の訴えに太陽はグッと言葉を詰まらす。

 

 二人が付き合っているということを提案したのは太陽からである。

 そして、それが原因で二人が交際して尚、光がフリーだと思われ告白されているのは、彼女からの報告で知っている。

 

「そ―――――それでも駄目だ! 考えてみろよ。お前は俺と付き合う前から周りから人気なのに、今回の大会優勝が拍車をかけて更に膨張するだろう。そんな中、俺とお前が付き合っているって知られてみろ……。俺が周りから消し炭にされるわ!」

 

「結局は太陽の保身じゃん! 私は、いつまでもこそこそするんじゃなくて皆の前で堂々とイチャイチャしたいよ! 年頃の女の子の気持ちを少しは考えろ、このヘタレ太陽!」

 

「んだとゴラッ! お前は彼氏のグロ注意の変死体をご希望か! せめて……そう! 周りからお前への熱が下がった頃合い、高校に入ったら公言するからよ、それまで待てっろ!」

 

 光が一度不機嫌になれば機嫌を治すのに一苦労するのは彼氏兼長年の付き合いの幼馴染だから熟知している。

 むぅーとふくれっ面をする光は強情に訴えるも、彼女も長年の付き合いだからか太陽の強情さも知っている。

 

 先に折れたのは光だった。

 光は少し上目遣いの様に下から太陽の顔を覗き込み、半眼で彼を睨み。

 

「その発言覚えていてよね。高校。高校になったら毎日学校でもイチャイチャしてやるんだから」

 

「うっ…………善処致します……」

 

 肩を落とす太陽を見て光は不服そうに首を振ると、その後はクスリと笑い。

 

「よし。言質は取ったからね。……それじゃあ、これ以上皆を待たせるのも忍びないし、そろそろ私は行くね」

 

 そう言いながら光は太陽の横を通る。

 そのタイミングで太陽の懐の携帯からメールのバイブ音が鳴る。

 メールを開き内容を確認すると、どうやら千絵からのメールだった。

 

『ごめん! そろそろ無理!』

 

 簡潔に綴られたメールだが大体察する。

 何とか皆を足止めしていたがそろそろ皆のフラストレーションの限界らしい。

 太陽はふぅーと少し長めに息を吐き携帯をタップして。

 

『そうか。サンキューな』

 

 と、こちらも時間をくれた親友に対して簡単に礼を送ると携帯を懐にしまう。

 そして、少し遅めのペースで歩く光の方へと振り返った太陽は、真夏の日差しで濡れた後ろ髪を掻き。

 

「えっと……光、ちょっといいか?」

 

「ん? どうしたの、太陽」

 

 足を止め、光は踵を返して太陽を見る。

 

 当たり前だが呼び止めた太陽は光と目があい、怪訝そうにこちらを見る彼女に少し照れながらも必死に言葉を捻りだし。

 

「うん……まあ、なんだ……。優勝おめでとな。今度、改めて祝おうぜ。お前の大好きな菓子を奢ってやるよ」

 

 まだ言ってなかった優勝を褒め、照れてか赤面する太陽。

 少し唖然と口を小さく開いたままの光だったが、口端を上げ。

 

「うん。ありがとう。……けどね、太陽。今回の優勝は私だけの力じゃない。部活の皆や、コーチや、千絵ちゃんや、信也君……そして、何より太陽が居たから私はここまで来れたんだから!」

 

 ニシッと歯を見せ全力の笑みを浮かばす光に太陽は少し肩を竦め。

 

「俺は何もしてねえよ。全てお前の頑張りの結果だ」

 

 嬉しさ半分照れさ半分でそう返す太陽だが、光は首を横に振り。

 

「ううん。違う。やっぱり太陽が居たから私は頑張れた、太陽が私に道を教えてくれたから陸上を始められた。……さっきのラストスパートの時だって、もう駄目だと思った、けど……聞こえた。大勢の人の中でもハッキリ、太陽の声援が……。だから私は頑張れた。大好きな人からの声援は何物にも考え難い薬なんだから」

 

 ここで光は一端太陽から顔を逸らす。

 なんでだろう? と太陽は思ったが、内心の片隅では良かったと思う。

 彼女からの歯に衣着せぬ言葉に正直目を合わすのは辛かったからだ。

 

 そしてここであることに気づく。

 顔を逸らした光の横髪から除く耳は紅葉色に変色していた。

 どうやら光自身も自分の発言が恥ずかしくなったようだ……。

 

 気まずい空気が流れること1分。

 

 助け舟とばかりに鳴るバイブ音。

 心臓が跳ね上がる様にビクッと反応する二人。

 太陽は慌てた手つきで携帯を取り出しメールを開く。

 どうやら先ほどの太陽からのメールでの千絵からの返信。

 

『それはどうもー。お礼はコンビニの限定スイートポテトでよろしく』

 

 調子の良い奴だな、と苦笑しながら太陽は『了解』と返事する。

 

「そ、それじゃあ、私は行くね! こ、今度改めてお祝いよろしく!」

 

 と着信音で沈黙が切れた事で、光は赤面した顔で慌てて颯爽と去って行く。

 

 去って行く光の背中を見送りながら、やれやれと肩を振り太陽も歩き出そうとした時。

 

「あの、すみません。その制服は鹿原中学の人ですよね? 少しよろしいですか」




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忘れることが

「あの、すみません。その制服は鹿原中学の人ですよね? 少しよろしいですか」

 

 先に行く光の後を追うように歩き出そうとした太陽は、突然の女性の呼び止めに足を止める。

 

「ん? はい。そうですが……」

 

 太陽は振り返ると、少し驚く。

 

 太陽を呼び止めた女性。

 汗で艶がある黒髪のショートヘアーに、晴天の青空での努力の結晶の如くに程よく焦げた肌の美少女だが。

 その者は目を真っ赤に腫らし、丁寧な口調とは裏腹にキッと鋭い目つきで太陽を睨んでいた。

 

 太陽自身睨まれる恨みは持ってないはずだが、この女性に太陽は見覚えがあった。

 

「えっと、確か貴方は……。東京代表の晴峰さん……だったっけ?」

 

 目元に涙を浮かばす女性。

 そう。この者は遂数分前に全国陸上長距離1500m走で僅差で光に敗北した選手。

 事前の選手紹介で全国大会の常連で、今大会の優勝最有力選手と言わしめた天才、晴峰御影。

 

 決勝で幼馴染兼彼女である光と戦う最も警戒すべき人物として太陽の脳内に保管されていたのだが。

 だからと言って、太陽はなぜ初対面で話した覚えのないこの者に呼び止められたのか分からない。

 

「晴峰さんが、俺に何の御用ですか?」

 

 太陽と同じ中学3年の同い年だが、初対面の上に強者の貫禄と呼べる雰囲気に圧倒され敬語で尋ねる。

 

 晴峰と呼ばれる女性は、太陽の質問を聞くや、すぅーはぁーと2、3度息を整え。

 

「単刀直入に聞きます。あなたは、渡口光さんの彼氏さんですか?」

 

「…………!?」

 

 思いがけない言葉に、自身の質問をスルーされる以上の衝撃が太陽を襲う。

 どうやら、先ほどの光とのやり取りを覗かれていたらしい。

 

「………見てたんですか?」

 

「申し訳ございません。別にワザと覗いていたわけではありませんが、途中から。逢引きをするのでしたら、もう少し一目に付かない場所が良いと思いますよ? ここでは人が通りますから」

 

 晴峰の最もな返しに太陽は苦笑いしか出ない。

 現在いる場所は競技場内でも人の行き来が少ない通路で、残りの競技が始まり観客の者たちがそちらに夢中になっているとはいえ、ここは公共の場だ。

 逆に、この者だけに見られなかったこと事態が奇跡だったのかもしれない。

 

「それで? 私の質問に答えてもらってもよろしいですか? もう一度聞きます。貴方は渡口光さんの彼氏さんでしょうか? それでなくとも、なにかしら特別な間柄とかですか?」

 

 捲し立てるような質問に太陽は口を紡ぐ。

 何故初対面の相手がここまで先の勝負で戦った選手の恋愛事情を貪るのか。

 

 しかも丁寧でゆったりとした言い方の中で怒気な影も感じる。

 

 この者の漂わす気配から適当な嘘は直ぐに看破され、怒りを買ってしまうかもしれない。

 

 太陽は、光との恋人関係を学校の者たちには隠してはいるが、相手は他校で遠い県の人物だ。

 見た感じに口も堅そうに見えるから他言の心配は薄いとだろうと何故かそう感じ取り。

 太陽は意を決したように唾を飲みこみ。

 

「……そうだ。俺と渡口光は……恋人だ。あと、それと付け足す様に言うと幼馴染でもある。……どうだ? これで満足か?」

 

 太陽が答えると彼女は「……そうですか」と小さく呟く。

 すると、晴峰は右手で自身の左腕を握りつぶすほどに強く掴み。

 

「……私が陸上に時間を費やしている中、あの人は男性に現を抜かしていたと言うのですか……」

 

 唇を噛み締め、怨恨が籠る小さな声で囁く。

 それが太陽の耳にも届き、不服そうに太陽は眉を寄せ。

 

「おい。その言い方だと、光《あいつ》が全く努力をしていないみたいに聞こえるが。あいつだって血の滲む努力をして―――――」

 

「そんなの、私だってしてきましたよ!」

 

 光に対しての言われない言葉に対しての太陽の擁護を遮り、晴峰は憤懣の如くな叫びが通路を反響して轟く。

 

 そして、晴峰は一度開いた叫びが感情の壁を瓦解させたのか、その後は捲くし立てるように続けた。

 

「血の滲むような努力? そんなの私だって文字通りしてきましたよ! 疲れて転んで何度も膝を擦りむきました、足の裏の豆を何度も潰しました。雨の日も、風の日も、雪の日でさえ、私は努力を怠ったことがありません! 私は青春の全てを陸上に捧げてきたのですから!」

 

「だ、だからって他人の努力を蔑むような発言をしていいって言うのかよ!?」

 

「分かってますよ! 私が言っているのは負け犬の遠吠えで、ただの八つ当たりだって!……ですが、悔しいんです……。ただ周りに失望されたくなくて、両親の期待に応えたくて頑張って来た私が……。部活や恋愛で青春を謳歌している人に負けた事が悔しいんです!」

 

 ポタポタと彼女の頬を伝わる涙が床で弾け、晴峰は肩を震わしていた。

 彼女自身自覚している。

 自分が言っていることは八つ当たりでただの負け惜しみだと……。

 

 しかし彼女は許せなかったようだ。

 

 この晴峰は一見からして美少女だ。

 普通に過ごせば告白だってされよう、恋人だって作るのも他愛ないのかもしれない。

 だが、彼女の言い分だとそれらをせずに、自分の青春の時間を陸上に費やしたにも関わらず。

 そんな自分よりも陸上だけでなく恋をも充実した、所謂リア充の相手に自身が負けたのだと、頭ではわかっているのだろうがそれを受け入れたくないのだろう。

 

「……あんな……。あんたがどれだけ頑張ったかは知らないが、まだあんたは中学だろ? 青春だってまだまだだし、高校になったら部活と兼用で恋にも全力を注げばいいんじゃねえか?」

 

 彼女の言い分を聞いて太陽は少し呆れたのか敬語を崩してそう指摘する。

 

「……そうですね。確かに、私はまだ中学3年です。これからの学園生活を楽しむ方が得策かもしれませんね……。ですから、私の陸上は今日で最後です」

 

「おい。それってどういう意味だ? お前の陸上が今日が最後ってのは……」

 

 普通であれば太陽の言葉に賛同するなら「でしたら高校では陸上と同じでそちらも頑張ります」的なことを言うかと思えば、まるでこの大会が終われば陸上を辞めると取れる発言。

 太陽が聞き返すと、晴峰はクスリとした少し暗い笑顔を浮かばし。

 

「そのままの意味です。私は中学で陸上を辞めます」

 

 その宣言に太陽は少し彼女に近づき。

 

「どうしてだよ!? あんた、あれだけの凄い実力があるのに、なんで今日で辞めるって言うんだよ!? ……まさか、怪我か!?」

 

 試合の最中に肉離れでも起こしたのか、だがその素振りも包帯などの怪我の部分が見受けられない。

 彼女の引退宣言に驚愕する太陽に晴峰は首を横に振り。

 

「いいえ。怪我をしたわけではありません。……ですが、まあ、怪我に関しては当たらずとも遠からずですかね」

 

「……言っている意味が分からねえんだが……。怪我が当たらずとも遠からずって……」

 

 太陽が困惑する中、晴峰は自分の汗が染み込んだユニフォームの胸倉付近を握り。

 

「私の怪我は心です。今日の敗北で私は、陸上に対しての熱意が失われたのかもしれません。いつも試合が終わった後も帰って練習をしていましたが、今日はそのやる気も起きませんから……」

 

「それって、ただ単に今日が中学最後の大会だったからじゃねえのか? だから全て燃え尽きて、所謂燃え尽き症候群的な?」

 

「高校も陸上をやる人に中学最後だからと言って陸上を辞めませんよ」

 

 確かにそうだ。

 高校も同じ部活動をすると決めた者なら中学の部活が終わろうとも努力を怠らないだろう。

 しかも、彼女レベルの実力者なら陸上の強豪校からのスカウトから引く手あまたかもしれない。

 

「私、正直に話しますと、陸上を始めて一度も負けた事がありませんでした」

 

 ……それは自慢か? と太陽は言いたかったがグッと飲み込む。

 

「私には生まれ持って才能があって、それに加えて小さい頃、本当に物心が付いた頃には私は地面蹴って走っていました」

 

 物心が付いた頃、つまりは3歳児付近から、彼女は陸上を始めていたということになる。

 

「幼い頃から辛い練習をしてきた私には、同年代の人と比べると頭2つ、3つ分飛びぬけて相手にもなりませんでした。私は周りとは違う特別な人間なんだって、誰も私には敵わないんだって思ってました……先ほど、あの1500mのピストルが鳴る直前までは」

 

 先ほどの走りを見ればその自信は大げさでもなく本心なのだろう。

 彼女は2位で終わったが、後続の選手たちとは大分距離を空けている。

 それだけの実力もあれば、自ずとその自信も現れるだろう。

 

「つまり、お前は光に負けてその自信を打ち砕かれて自暴自棄になっているってことか?」

 

「……そうですね。陸上を始めて初めて負けた私は、自暴自棄になってしまっているのかもしれません。……ですから、先ほど控室で、シューズを捨ててしまいました」

 

 陸上選手だけでなく、スポーツ選手にとって道具は自分の体と同等に大切な物。

 それを捨てたということは、一度の敗北で本当に陸上を辞めるつもりでいる。

 

「別に俺とお前は今さっき会ったばかりの他人だから、お前を止める義理はないが、お前自身はそれでいいのか? 才能云々よりも、お前自身は陸上が好きなんじゃないのか? 好きじゃなきゃ、あの走りはできないだろ」

 

「勿論。私にとって陸上は人生と語っても過言ではないぐらい好きな物でした。……ですが、だからこそ私は、その積み上げ好きだった陸上で負けた私は、これからどうすればいいのか分からなくなってしまっているんです」

 

 彼女は生まれ持っての天才で一度も負けた事がないというほどの恵まれた成績を持つ選手。

 だからこそ、一度の敗北(躓き)で起き上がる術を知らないのかもしれない。

 

「負けたって言うんだったら、これからも頑張って特訓して、高校になってあいつにリベンジでもすればいいだろうが?」

 

 それでも光が勝つけどな、と心の中で幼馴染が勝つと思っての裏を隠した言葉に晴峰は首を横に振り。

 

「確かにそれが定石でしょうが。私は……自分に失望しているんです。だから、陸上をしている限りそれを思い出して、私は楽しめないでしょう。だから、私は一刻も早く陸上を忘れて、新しい道を進みたいんです。次は、恋愛にでも挑戦してみます」

 

 負けた悔しさを吹っ切らす様な笑顔に太陽は無言となる。

 太陽も言ったが、二人は今回初めて出会って間もない間柄。

 そんな相手が陸上を辞めると言っても一向に構わない。

 それどころか、恋人である光の最大なライバルが消える為こちらとしては願ったりかなったりでもある。

 ……だが。

 

「だっせえな」

 

 その太陽が小さく零した言葉に晴峰は眉を反応させ。

 

「ださいとはどういう意味ですか……?」

 

 太陽の真意を確かめる言葉に我慢された怒りが混じっていた。

 誰でも相手に「ださい」と言われれば怒るだろう。

 だが、怒る相手に太陽は嘲笑を浮かべ。

 

「文字通りださいって言ってるんだよ。一度負けたぐらいでウジウジと言いやがってよ」

 

「私はウジウジ言っていません! 私はただ、自分が情けなくて、そんな自分を消し去りたくて――――」

 

「それがウジウジ言ってるってんだよ。お前、光が陸上を始めて最初の大会で何位だったかわかるか?」

 

「…………1位ですか?」

 

 藪から棒に聞いてくる太陽に晴峰が予想して答えると、太陽は失笑をして。

 

「違ぇよ。……最下位だ」

 

 思わぬ答えだったのか、自分を負かした相手の初デビューがビリだったことに晴峰は驚きが隠せない様子。

 

「それって本当ですか……。先ほどの走りを見て、そう思えませんが……」

 

「嘘をいう訳がないだろ。あいつが陸上を始めたのは小4の頃。あいつもお前と同じ様に才能に恵まれてた。周りの男子も敵わないぐらいに速くて、俺はいつもあいつの背中ばかりを追いかけていた」

 

 太陽と光は小さい頃から近くの公園で追いかけっこをしていた。

 だが、太陽が光に勝ったことは乏しく、負けた成績の方が圧倒的に多かった。

 

「あいつが陸上を始めてから2か月ぐらいで大会に出た。だが、周りの奴らは光よりも速くて、あいつはどんどん差を広げられて一番最後にゴールラインにたどり着いた」

 

「それはただ単純に彼女の実力不足ですよね? 陸上を始めて2か月ならそうなってもおかしくありませんね」

 

「そうだな。けど、あいつは大会が終わった後、一人泣いてたよ。あいつは気丈で人の前で泣く奴じゃないから、一人隠れてわんわん泣いちまったんだな」

 

「ですが。貴方の言い方だとその現場を貴方は見ていたってことですよね? 励まさなかったんですか?」

 

 晴峰の指摘にははっと太陽は苦笑する。

 

「勿論。元々俺は励ますつもりであいつを追いかけたんだからな。……けど、行ったからと言って俺はあいつに何も言ってやれなかった。情けない話、俺は泣いている奴を励ますのは上手くないからな」

 

 笑って誤魔化す太陽だが、あの時の悔しさを思い出して密かに拳を握る。

 

「……それで? その話を聞いて私にどんな利益になるんですか?」

 

「別に利益なんかねえよ。ただ、あいつはお前と違って負けた、何度も負けた、そして……何度も苦汁を舐めてきた」

 

 光が大会で目まぐるしい成績を上げるのは文字通り険しかった。

 才能があるからと言って勝てる直ぐに結果が出るほどスポーツの世界は甘くはない。

 持前の才能と他の者に負けないぐらいの努力をした者こそ勝利という名の栄冠をつかみ取る事ができる。

 幼少の頃から辛い特訓をしてきたと自負する晴峰がそうだ。

 

「だけどあいつは投げ出さなかった。何度負けても立ち上がって練習を続けた。お前に負けないぐらいあいつが頑張って来たって、俺が胸を張っていえるぐらいによ」

 

「そういえば幼馴染って言ってましたっけ……。彼女のこと、ずっと見てきたんですね」

 

「あぁ。だって、俺は……あいつのことがずっと好きだったからな」

 

 ニシッと歯を見せ笑うまさしく太陽の様な笑顔に晴峰は少し頬を赤くしていた。

 そして彼女は顔を伏せると何かしらボソッと呟く。

 

「…………羨ましいな」

 

「ん? なんか言ったか?」

 

 無意識に声を漏らしたのか、晴峰はハッと顔を上げぶんぶん顔を振り。

 

「な、なにも言ってません! べ、別に自分のことを見てくれる殿方が居て羨ましいなって思ったわけではありませんから!」

 

 は? と訳が分からず目を点にする太陽。

 晴峰は先ほどまでとは違く、顔を真っ赤に染めながら、コホンと仕切り直し。

 

「確かに渡口光さんが私に負けないぐらいの努力をしたのは分かりました。ですが。それと私が陸上を辞める、どう結び付けるのですか?」

 

 確かに光の苦労話を聞かされただけで本題の答えを言ってはいない。

 

「あいつは何度も負けたけど、その度に立ち上がった。俺はスポーツもやってないから分からないが、負けることは本当に辛くて投げ出したくなるかもしれない。正直、お前の言う通りに本当に嫌なら忘れた方がマシなのかもしれない。……けどな。それは本当に前に進むってことなのかな?」

 

「それってどういう意味ですか?」

 

「確かに忘れた方が楽な時もある。辛い記憶なんて覚えてて特しないからな。だがな、そうすれば、今まで辛い道のりを進んで来た自分を否定するってことにならないか?」

 

 人は必ず人生という道を歩く。

 重要な選択を迫られた時は分かれ道が。

 苦難が迫って来た時は立ちはだかる巨大な壁。

 そして、自分の行く先が分からなくなれば停滞する。

 

 恐らく、晴峰の現状は最後の停滞であろう。

 

「忘れることは新しい道を作るんじゃなくて、もしかしたら1からやり直すってことになるんじゃねえのかな。別に悪いことじゃないと思うが、後に後悔すると思うなら、足掻いて頑張った方がスッキリするぜ」

 

 少し前の自分は幼馴染の関係を壊したくなく、告白する勇気が無くそのぬるま湯な関係を保持してきた。

 だが、いつかこの関係もなくなり、別な男性と付き合い、告白しなかった自分に後悔するぐらいならと。

 周りの後押しもあって幼馴染である光に告白して、そして付き合い始めることができた。

 

 陸上と恋愛での価値観は分からないが。

 後々にしなかった後悔は同じだと、太陽は思う。

 

 太陽が持論を言い終えると、返って来たのはまさかの深いため息だった。

 

「え、なんでため息……?」

 

「だって、そうですよ。正直、あなたが何が言いたいのかさっぱりです。多分、折角頑張ってきたのに途中で辞めると後で後悔する的なことが言いたかったのでしょうが。かなり回りくどいと言うか、なんですか、忘れることは新しい道を作るんじゃないって?」

 

 うぐっ……と改めて復唱されると自分の発言に羞恥で顔を紅潮させる太陽。

 若気の至りの少し厨二臭い痛い発言が思春期の太陽の心を抉る。

 

 だが、半眼で太陽を痛い人扱いの目で見ていた晴峰だが、ぷっと拭きだし。

 

「けど、ありがとうございます。少し、いえ、かなり励まされました」

 

 自分の発言を思い返して心の中で悶絶する太陽だったが、晴峰のその言葉にえ?と目を瞬きさせる。

 

「あなたは本当に優しい人なんですね。こんな初対面の私に対して、必死に言葉を選んで励ましてくれるなんて、そんな居ませんよ。少なくとも、今まで私が出会った誰よりも、あなたは優しいです」

 

 叱責から急に褒め始める彼女の態度の変わり様に困惑を抜け出せない太陽。

 そして晴峰は踵を返して太陽に背中を見せ。

 

「確かにこのままで終わるのはなんか嫌ですね。負けっぱなしで終わるのは癪ですし、それに……やっぱり私、陸上が好きみたいですから。頑張って、前に進んでみます。勿論、これからも陸上を続けて、いつか光さんにリベンジします!」

 

 先ほどまでの仮面の様な作った笑顔ではない、本当の笑顔を咲かす彼女に、思わず太陽はドキッと胸を打つ。

 

「(――――って、なに一瞬ときめいているんだ俺は!? 俺には最愛の光がいるのに! 女の子の本気の笑顔って、別に好きでもなくてもこんなに可愛く見える物なのか!?)」

 

 彼女ではない別の女性に少しでも揺らいだ罪悪感に蝕れる太陽。

 そんな時、会場側から盛大な歓声が聞こえる。

 どうやら太陽たちが話している間に次ぎの競技が始まり、そして終わっていたようだ。

 

「もうじきここにも人が来ますよね……。では、少し名残惜しいですが、私はそろそろ行きます」

 

 競技が終わればこの人の通りが薄い通路にもいずれは人が来る、そうすればこの場面を見られると危惧した晴峰は自分たちの仲間の許に戻ろうとする。

 だが、行こうとしようとすると、ぴたっと足を止め。

 

「本当に、私は渡口光さんが羨ましいです。人の悩みを、まるで自分のことの様に言ってくれる人が彼氏なんて」

 

 そ、そうか……? と褒められて悪い気はしない太陽は指で頬を掻くと、晴峰は大きく手を振り。

 

「私も、できればあなたみたいな人を彼氏にしたいです! もし、彼女さんに振られたら私の許に来てくださいね!」

 

「不吉なことを言うんじゃねえよ! 誰が行くか! てか振られるか!?」

 

 今度は違う意味で顔を真っ赤にして叫ぶ太陽に、笑顔を取り戻した晴峰は笑いながら走りだす、が。

 

「あぁ。もう一つ言いたいことがあるんでした」

 

 まだあるのかよ、と肩を竦める太陽に、晴峰はグッと拳を突き出し。

 

「これはあなたにではありません。渡口光さんに伝言をお願いします」

 

 晴峰は突き出す拳で自分の胸を叩き。

 

「高校。高校でもう一度戦いましょう。次は絶対に私が勝ちますので!」

 

 高校に入って、次の大会での再戦と、次は絶対に勝つと大胆不敵な挑戦。

 先ほどまで沈んでいた目ではなく、真っすぐな彼女の目に太陽は今度は受け取り。

 

「あぁ。絶対に伝える」

 

 恋人の最大のライバルになりえる敵の言葉を受け取り、そして全てを言い終えた彼女は今度こそこの場を離れる。

 その離れてゆく背中を、太陽は見えなくなるまで見送った。

 

 

* * *

 

 晴峰を見送った太陽は自分の学校の人たちがいる場所に向かおうと曲がり角に差し掛かろうとした時。

 

「…………聞いてたのかよ」

 

「………………うん」

 

 曲がり角の影にまさかの光が居た。

 恐らく、先ほどまでの会話を盗み聞きをしてようだ。

 

 光といい、晴峰といい、人の会話を盗み聞きする風習でもあるのかと、太陽は顔を横に振る。

 

「どこから聞いてたんだ?」

 

「皆の所に戻ろうとした時、なんか後ろから怒声が聞こえて、なにかあったのかなって戻って来たんだ……。

確か太陽が、陸上を辞めるって言った晴峰さんを止める時、から」

 

 そこそこ中盤当たりから光はこの角で身を潜めて聞いていたらしい。

 

「……別に浮気とかじゃないからな?」

 

「そんなの分かってるよ。太陽みたいな変わり者を好きになる人なんて私以外にいないからね」

 

「それ、遠回しに自分も変わり者って言っているみたいだぞ?」

 

「そう? なら、変わり者同士お似合いってことじゃん」

 

 太陽の横腹を肘で小突く光に、太陽は少し真剣な表情を向け。

 

「俺たちの会話を聞いてたってことは、あいつの伝言、届いてたんだよな?」

 

 光が聞いてなくとも太陽は彼女の言葉を光に伝えるつもりだった。

 だが、間接的ではなく、直接光の所に届いたのか尋ねると、光もスポーツ選手の顔つきで頷き。

 

「勿論。けど、私も簡単に負けるつもりは、ないけどね」

 

 闘志を燃やす光の瞳から、光はこれからも鍛錬を怠らない気持ちが伝わった。

 



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彼女が辿り着いた答え

――――時が戻り現在――――

 

 現在高校2年生の古坂太陽と晴峰御影は土手に腰を下ろしながら、御影は自身の体験談である過去話を太陽に話し終える。

 

「これが私がある人に言われた言葉です……って、すみません。別にこれは、私の持論とかではなく、他の人からの受け売りですね」

 

「そう…………だな」

 

 はにかむ御影に太陽は反応に困りながら頷く。

 何故なら、その話に出てきた人物が、御影の横に座る太陽本人なのだから。

 

「あの時はその人に言われた時、本当に痛い事言うな的なことを思いましたが。後々考えて見て、確かに忘れるんじゃなくて、その苦しみを持ちながら前に足を踏み出すことが、本当に成長するんだって。あの人のおかげで気づかされたんです。本当に、あの人には感謝ですね」

 

 多分だが、御影の言う『あの人』が、太陽だとは気づいていない。

 それだけのインパクトを与えた人物の顔や特徴は少なからず記憶するはずだが、現在の一見してチャラそうな金髪太陽の容姿と、地味でどこにでもいる普通の真面目学生の時だった時の容姿がかけ離れているのが要因かもしれない。

 

 彼女が過去の太陽のことを『あの人』と呼ぶのは、その時太陽は彼女に自分の名前を言っていなかったからだ。

 

「……それで、それを俺に言って、俺をどう説得したいんだ?」

 

 彼女が2年前に出会った事がある晴峰御影だと分かったとしても、だからと言って、知らないとはいえ過去の太陽が言った言葉を現在の太陽に言うのかは分からない。

 

「私の場合の挫折は、今まで負けた事がない陸上で初めて負けてからのモチベーションの問題で、あなたの悩みは恋愛、それも失恋です。全然違う様に思えますが、私はそうは思えません」

 

「…………なんでだ?」

 

「そもそも挫折ってのは人それぞれですが、苦しみ事態は皆一緒です。あの時あぁすればよかった、もっとこうしとけば良かった、もっと早く気づいておけばよかったみたいな感じの、後悔から来るものですから」

 

 それを聞いて太陽は顔を顰める。

 太陽も光に振られた時、もう少し自分に魅力があれば振られずに済んだのではと唇を噛み千切らんばかりに後悔をした。

 だからこそ、その苦しみから逃れる為に、過去の自分を消去しまいと昔の自分の形を捨てた。

 黒かった髪を金に染め、昔は怖くて無理と怖気づいていたピアスも耳に空け、性格も陽気なピエロを演じている。

 

「確かに大好きだった相手に振られたのは辛いでしょう。心にできた傷は計り知れないものかもしれません。ですが、古坂さんは過去の失恋で現在の容姿に変えたと言ってましたが。それは、過去の自分を忘れたくてですよね?」

 

「……まぁ、な」

 

 御影の真っすぐな針の様な問いに、太陽は歯切れ悪く返答する。

 

「あの人は言いました。忘れる事は新しい道に進むんじゃなくて、最初に戻ると同じ道理なんじゃないか、って」

 

 御影はスポーツウェアの胸をぎゅうと握りしめ。

 

「私はあの人の言葉に救われました。自分の実力に過信をしながら敗北して、自暴自棄になっていた私に、あの人は立ち上がる言葉をくれました。だから私は、今でも陸上を辞めず、昔の敗北を思い出しては自分を奮闘させて、これまで精進してこれました……。全て、私が初めて思った強敵者である、渡口光さんとの再戦の為に」

 

 ここで太陽は熱意の瞳をする御影に言いたい事が2つある。

 1つは、その自分を励ました人物こそが太陽なのだと、彼女自身の心の中でどんな修正が入っているかは分からないが、太陽はそんな称賛される様な事を言った自覚はない。

 2つ目は、その自分が最も戦いたいと羨望する光は現在、過酷な練習の末に足を怪我をして陸上を引退しているという事実。

 

 1つのは兎も角、2つ目のは教えといた方がいいのではと思うが、彼女の熱心な面持ちに言葉を飲み込んでしまう。

 御影は光との再戦を願っているのに、その事実を押し付けるのは、再び彼女の陸上への熱意を消す事になるのではと不安になってしまったからだ。

 

「……言えるわけねえよな」

 

 ボソッと零して太陽はその事実を自分の口から言えず逃げる事にした。

 

「(そもそも、もう俺と(あいつ)はもう終わってるし。俺が原因とは言え、こいつらの陸上での因縁には元々無関係だからな)」

 

 無責任と思いながらもモヤモヤとした感情にさらされる太陽だが。

 

「古坂さん、古坂さん!」

 

 御影に呼ばれ、ハッと沈んでいた顔をあげる太陽は、いつの間にか座る自分の前に前のめりで顔を覗く御影が怪訝そうに首を傾け。

 

「大丈夫ですか? なんか変に額に皺が寄ってますが、他にも何か悩みが?……もしかして私が癇に障る事言ってましたか!?」

 

「言ってない言ってない! お前の言葉凄く助かるから、そんな悲観的になるなよ!」

 

 太陽を傷つける事を言ったのではと狼狽える御影にフォローを入れる太陽。

 自分の前でオロオロとする御影を見て、最初に出会った時の様なトゲトゲしさは無くなり、あの日から彼女が楽しく過ごしてきたのだと見てわかる。

 

「お前は、本当に凄いな……」

 

「へ? 私は全然凄くないですよ。今でもあの負けた悔しさで枕を濡らす時があるぐらいですから……。けど」

 

 けど? と太陽が聞き返すと、御影はあの頃と同じ様に拳を太陽に突き出し。

 

「そう感じる度に思うんです。私、陸上を続けて良かった、って。忘れるってことは諦めること、捨てるってことは何も持ってない自分に戻ること……。そうなれば、これまでの自分を否定するって事です」

 

「これまでの自分を否定する……」

 

 そうです、と御影は力強く頷き、続きの言葉を言う。

 

「今、どんな辛い思いをしてたとしても、過去の好きだって気持ちは嘘ではありません。私が大会に負けて陸上を辞めようとした時、正直嫌いになりかけた事もありますが、少なからず、陸上に取り組んでいた時の私は、陸上が大好きでした。古坂さんもそうですよね?」

 

「お、俺は……」

 

 急な言葉の投球に言葉を詰まらす太陽だが、過去の日々を思い返す。

 

「(確かに俺は、今でこそ(あいつ)の事が嫌いだが……。あの、卒業式の日までは俺は、あいつの事が大好きだった……)」

 

 幼い頃から同じ時を兄妹の様に過ごしてきた太陽。

 中学の頃に太陽が光に告白をして、友達以上恋人未満の曖昧な関係から一歩踏み出し二人は付き合いだした。

 そして、そのまま高校、大学をずっと付き合い続け、就職をした後に結婚をして。

 生活に不自由なく、質素でも平凡でも、妻になった彼女と助け合いながら愛を育み。

 子供が生まれ、子供の成長を二人で見守り、子供が大人になって、そして結婚をして、孫ができて。

 年老い、おじいちゃんおばあちゃんになっても、ずっと一緒に居たかった。

 

 気持ちが悪いと揶揄されるかもしれないが、将来の幸せなビジョンを脳で描くほどに、太陽は光の事が好きだった。

 

 だが、その描いた妄想は現実にならず、全ての歯車を狂わした卒業式での出来事で瓦解することなる。

 

「今がどうであれ、過去の事実は消せない……。俺は……昔の俺は、あいつの事が好きだった」

 

 それは偽りのない想い。

 その想いの告白に御影はどこか安心した様に頷き、

 

「ですよね。相手の事が好きでもないのに付き合うなんてありえません。そんな事をする人は最低な人間で、人の気持ちを利用する詐欺師ぐらいです。古坂さんはそんな風に見えませんから」

 

「……どうしてそんな事が言えるんだ? 自分で言っててなんだが、俺の恰好、胡散臭いチャラ男だと思うんだが……?」

 

 漫画の世界の様な奇抜な髪色が存在しないこの世界で、校則が緩いとは言え純日本人の男性が金髪にしていれば普通であれば敬遠するだろう。

 だが、自分もよく分からないとばかりに御影は眉を寄せて顎を指で叩き。

 

「私は別に外見で人を判断はしないのですが、なんででしょう? 古坂さんと初めて出会った時も、正直怖いとは全く思いませんでしたし、あぁーこの人無理に着繕っているのかなって。高校デビュー的な、そんな少し痛い感じに見えましたから」

 

 悪気がないのだろうが、的を射抜く御影の観察眼に太陽は頭を抱えて蹲る。

 太陽は相手を威嚇するや怖がらせるために現在の恰好にしている訳ではなく、ただ単に過去の自分を消し去りたく、まず見た目からと大幅なイメージチェンジを施したに過ぎないのだが。

 

 『高校デビュー』や『痛い感じ』と他人から言われて嬉しいなんて感情は生まれない。

 

「……どうせ俺は痛い中途半端に悪ぶって、色んな女性にアプローチする屑野郎だよ……。ははっ、入学当初は高校デビュー野郎って笑われてたな~」

 

 御影の矢が太陽の違うトラウマのスイッチを刺した様で、太陽の目から色を失う。

 高校に進学して1年以上経ち、周りは太陽の様変わりに慣れ普通に接する様にはなったが。

 入学当初は、中学の太陽を知っている者たちからはやし立てられた辛い記憶が蘇り、光に振られた傷心ほどではなかったが、そこそこ傷ついてはいた。

 

「あぁー! ほんと、また良かれと思って言った言葉で傷付けてしまいました! 私、別にそういう意味で言ったわけじゃあ――――!?」

 

 自分の無意識な言葉の矢で傷つけてしまったと気づいた御影は、ワタワタと手を躍らせながら何とか慰めようと試みる。

 

「ほ、ほら! 私が言いたいのはですね…………………なんでですかね?」

 

「知らねえよ!? なんで傷ついている本人に尋ねるんだよ!」

 

 行き当たりばったりでの発言に対して太陽は鋭いツッコみを入れると、シュンとなる御影はハッと何かを思いついた様に、人差し指を立て。

 

「そうです! 私が言いたいのは、古坂さんは見た目通りではなくて、凄く話しやすいと言いますか、私はこう見えても人を見る目は良い方なんです! ですから、古坂さんが見た目通りの女性を騙して泣かす様な屑野郎には見えませんでした、うん!」

 

 本当かよ……と細めた疑心の目を御影に向ける太陽。

 うんうんと一人良い言い訳ができたとばかりに頷く御影だが、

 

「……けど、本当に最初古坂さんを見た時、凄く話しやすかったのは本当です。先ほど、私は古坂さんと初めて会ったって言ったのに、正直、どこかで会った事があるんじゃないかって、思ってしまうほどに」

 

 前半は兎も角、後半は正解である。

 太陽と御影は中学3年の頃に一度だけ対面した事があるが、太陽の外見の変化に気づいてない。

 少しは面影があるかもしれないが、何故数分程度の一度だけの出会いであるからか、記憶の中の太陽の顔は薄くボンヤリしているのだろう。

  

 太陽はその事実は告げない。

 彼女の中でどれだけあの頃の太陽を美化しているのかは定かではないが、過去の自分を救ってくれた者が、今では彼女に振られた捻くれた男になってしまったと知ったら失望するかもしれない。

 

「……お前は、昔に会った、お前を励ましてくれた奴に、再会したいと思ってるのか?」

 

 グッと唾を飲みこみ太陽は尋ねる。

 御影は最初は質問の意味が分からなかったが、理解した様に「そうですね……」と前づけをして話し出す。

 

「正直に言えば会いたいと思ってます。この街に渡口光さんがいるのでしたら、彼もこの街にいる可能性は大きいです。……ですが、正直会うのは怖いですね」

 

「どうしてだ?」

 

 ある意味恩人でもある者に何故怖がる必要があるのか、太陽は御影に聞き返すと、御影は悲哀が混じる瞳を揺らしながらその瞼を閉じ、自嘲気味に笑い出し、

 

「私は最低な女かもしれません。相手には最愛の恋人にいるにも関わらず、私は彼女持ちの人を好きになってしまったかもしれないですから」

 

 彼女の告白に太陽は心臓を掴まれた様にドキッとした。

 が、これは恋とか照れとかではなく、なんでそう思ったのかの驚きに近かった。

 

「好きになったって、お前はそいつとは一度キリしか会った事がないんだろ? 一目惚れとかか?」

 

「そうではないと思います。初めて彼と会った時はどうとも思いませんでした。ですが、彼と話すにつれて、彼は他人の事をまるで自分の事の様に思える優しさを持つ人だと分かり。私は、彼の彼女である渡口光さんが羨ましいとさえ、思ってしまいました。だから、今でも彼女と仲良くしている彼を見ると、少し辛いと思ってしまうんです」

 

 太陽も昔を振り返ると、御影が去り際に光に対して羨ましいと言っていた。

 そして、好きだからこそ、他の女性と仲良くする姿を見たくない嫉妬心での嫌悪感に駆られているのか。

 そう言わんばかりに、御影は偽りの笑顔を浮かばせていた。

 

「お前は、その優しいから彼が好きになったってことか?」

 

「そう……なるんですかね? 女性は時として弱っている時に優しくしてくれた男性に靡くとも聞きますし、私も例に漏れずにそれで彼に惹かれたのかもしれませんね」

 

「そんな単調な……」

 

 太陽は呆れるも、過去の自分を勘違いかどうかは分からずとも好いてくれる事に少なからずのこそばゆい思いを感じながらも、一つ、御影に質問する。

 

「もし仮にだが……。お前がその彼女持ちの気になってる男が、彼女に振られてフリーだった、お前はどうするんだ?」

 

「どうするって言われましても……。そんなの考えた事がないですから……。あんな優しい彼が、彼女さんに振られるってことはあるんですかね?」

 

「……知らねえよ」

 

 今の知らねえよは、そいつの事を知らない自分は何も言えないと意味での返しである。

 心の内では「その彼(俺)は彼女(光)に振られてるんだよ」と呟いてたいた。

 

 そんな太陽の心情を知る由もない御影は太陽の質問に答えるべく頭を捻り。

 

「もし彼が今はフリーだったら……。やっぱり分かりませんが、できれば、仲良くはなりたいなって思います」

 

「仲良くって、アタックとかしないのか?」

 

 自分自身の事に対してか、少し気恥ずかしながら太陽は御影に尋ねると、彼女は微笑して、

 

「相手も私も互いにあまり知らないのにアタックはできませんよ。せめて、互いを知ってからです」

 

「……案外奥手なんだな?」

 

「そういう訳でもないですよ? ……まあ、恋愛経験皆無に近いからってのもありますが。……恋のピストルがなったら、私は全力で走ってみませす。全力疾走は私の得意分野ですから」

 

 痛い台詞を言いながらも、太陽はその言葉よりも、御影が浮かべる衒いのない笑顔に、過去の御影が浮かべていた笑顔を照らし合わせ。

 

「(こいつは、あの悔しさを乗り越えれたんだな……。その切っ掛けを作ったのが俺だっていうんだから、人生、本当に何が起こるか分からねえものだ)」

 

 だが……と太陽は今の自分を見つめなおし。

 

「(なのに、その言った本人の俺はまだ立ち直れてない。あんな偉そうな事言った癖に、俺は……あの失恋を乗り越えられないでいる……ちっ)」

 

「だっせぇな……俺」

 

 無意識に呟いてしまった太陽はハッと横を見ると、御影が自分を怪訝な表情で見ていた事に気づく。

 

「……なんだよ?」

 

「い……いえ。なんか、少しデジャヴったと言いますか……。なんか古坂君が、彼に少し似ていたと言いますか……」

 

 別に隠しているわけでもなく、いつか彼の正体が自分だとバレると分かっているとはいえ、正体を看破される前にと太陽は慌てて立ち上がり。

 

「そ、そういえば今日これから用事があるんだった! すまねえな。つまらない相談事をしちまって。今度どこかで会ったら何かお礼するわ」

 

 じゃあ! と逃げるように太陽は土手の坂を上ろうとすると、「待ってください!」と後ろから呼び止められる。

 

「(もしかして……バレたか……!?)」

 

 冷や汗を流しながら振り返ると、彼女が自分に向けていたのは疑心の目ではなく、笑顔だった。

 

「正直私は、初めて来る土地故に心配でした。土地に馴染めるのか、友達はできるのか、ありふれた悩みですが、今日、古坂さんと出会えて、その悩みを払拭されました。ありがとうございます……そして、これからも友達としてよろしくお願いいたします」

 

 友達の定理はあやふやで、誰が線引きするわけでもなく、いつの間にかなっているもの。

 形式上、初対面の二人だが、今日、この土手での出来事で二人は友達になれたのかもしれない。

 

 笑顔には笑顔でと、太陽も歯を見せ。

 

「あぁ、これからよろしくな! お前がどの学校に転校したのかは知らねえが、同じ学校ならいいな!」

 

「あっ、でしたら私が転校する学校は―――――」

 

 御影が自らの転校する学校を告げようとするが、太陽は指を振って制止する。

 

「それは、休み明けのお楽しみってことで。川辺で出会った人が偶然同じ学校に転校してくるって、なんかフィクション漫画みたいで面白くねえか?」

 

 決まり顔をする太陽をキョトンとした顔で見上げていた御影は失笑して。

 

「たしかに……。なんかそれ、面白いですね。分かりました。古坂さんと同じ学校かどうか、休み明けが楽しみです。もし一緒の学校でしたら、学校案内よろしくお願いします」

 

 もちろん! と強く返した太陽は今度こそその場を立ち去ろうとするが。

 

「待ってください!」

 

 中で「前もこんなんじゃなかったか?」と叫ぶ太陽は再三振り返り。

 

「……どうしたよ」

 

「いえ。そういえば、先ほどの転結を言い忘れてましたので、言います」

 

 もうどれが先ほどの言葉なのか覚えてない太陽だが、御影は二、三度深呼吸を入れて真っすぐな瞳で太陽を見上げ。

 

「どんな辛い想いをしようと、過去は変えれませんし、時間は戻りません。それを強く思っていた事実も嘘はないです。そして、それらがあってこその今があるんです。ですから……忘れるなんて勿体ないと思います。なら、その辛さ以上に楽しい思い出を作りましょう。その為ならどんな努力をも惜しまない。……それが、私が辿り着いた答えです!」




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太るぞ?

 川辺の土手で御影と別れた太陽は、一人家に続く帰路を歩いていた。

 帰るすがら、太陽は考え事で顔を険しくしており、内容は、先ほどの御影との会話のこと。

 

『どんな辛い思いをしようと、過去は変えられませんし、時間は戻せません。それを強く想っていた事実は嘘ではないです。そして、それらがあってこその今の自分があります』

 

「……昔の出来事が今の自分、か……」

 

 独りごちり、歩道を歩いていると通りかかった服屋のショーウィンド前に足を止める。

 ショーウィンドに反射して、鏡の様に太陽の姿が投影され、その姿と過去の自分の姿を照らし合わせる。

 

 中学の頃の太陽は、黒髪と派手目な衣装を着ない地味な男子。

 現在の太陽は、金髪に耳にピアスと、流行に乗った服を着るチャラ男な風貌。

 

 こんな自分に変える切っ掛けとなったのは、過去の失恋。

 

 相思相愛だと思っていた相手に振られ、情けない自分の姿を捨て去り、心機一転としてイメチェンを施し、性格も無理にオープンをして積極的にコミュニティーを増やして来た。

 金髪にしたのは、昔、デートの最中に元カノが一番嫌いな恰好が『チャラチャラした男』と言っていたから。

 なら、一層相手の嫌いな恰好になって、とことん嫌われた方が楽だと、太陽は現在の恰好になった。

 

 しかし、これは前進でもなく、成長でもない。

 

 逃げているのだ。

 過去の失恋から、目を背けるように。

 

「人に散々偉そうな事を言った癖に、いざ自分の身に不幸が起きれば立ち直れない、って……。とんだ笑い者だよ」

 

 自嘲しながら空元気の笑いをするも虚しいだけで直ぐに止める。

 店内からショーウィンド越しにこちらを奇妙な表情で見ていた従業員を見て、太陽は恥ずかしながら歩みを再開する。

 

「それにしても、晴峰(あいつ)……本当に凄いな。陸上を辞める寸前に追い込んだ相手にリベンジする為に、知り合い全てを置いてきて、こっちに引っ越してくるなんてよ。まあ、親の転勤らしいが……」

 

 御影の母親は昔天才陸上選手として取り上げられ、幾度と世界大会に出場を経験した人物。

 引退した現在でもコーチを続け、沢山の有名選手を輩出した名コーチ。

 コーチの関係上、転勤はほぼないに等しいから、多分、転勤命令を出されたのは父親であろう。

 

 だが、御影は高校生、残ろうと思えば一人暮らしで地元に残れたかもしれない。

 父親の職業は分からないが、母親がテレビにも出演する有名人であるなら、一般よりも裕福だと思われる。

 経済面でも、もしかしたら御影は前の学校に残れたのだろうが、御影は引っ越しを選んだ。

 地元には多かれ少なかれ友達がいたのかもしれない。

 言葉が悪いが、それらを捨ててまでこちらに引っ越して来たのは、それだけ自らがライバルと呼ぶ光との再戦を大願しているからかと思う……。

 

「そうなると……増々言えねえよな……。お前がライバルと思っていた相手が、オーバーワークで足を怪我して陸上を休止していますって……」

 

 意気込んでいる御影の姿を思い出して憂鬱にため息を吐き、太陽は目つきを鋭くさせ。

 

「無関係になったのに、なんで俺が”あいつ”の所為で憂鬱にならねえといけねえんだよ」

 

 イラつきながら太陽は吐き捨てる。

 あいつ、それは元カノであり、御影がライバルだと思っている渡口光のことである。

 

 光は高校1年の夏に行われる大会前の練習中。

 大会に熱意を燃やしていたのかは分からないが、自分を追い込む過剰練習(オーバーワーク)によって足をの靭帯を怪我してしまい、今は陸上部を辞めている。

 先ほど太陽が光のことで『陸上を休止』と言っていたが、普通であれば『陸上を辞めた』的な事を言うはずだ。太陽の言葉からすれば、今は休んでいていつか活動を再開する意味合いになる。

 

 それは正解で、光は陸上を完全に辞めたわけでもなく、怪我が完治すれば陸上を続けると、母親経由で太陽はその事を聞いていた。

 しかし、高校の間ではほぼ復帰は絶望的だとも聞いている。

 

 そのことを御影に言わなければいけないことなのだが、如何せん、太陽は言えなかった。

 この土地に住んでいればいつかは気付かれるのだが、相手がわざわざライバルを追って引っ越して来たという事情を知ってしまった太陽は、言えるわけもなかった。

 

 なぜ、今更になって元カノの事で悩まされないといけないのか、太陽は荒々しく自らの髪を強く掻く。

 そして最後に舌打ちをした後に、ディスカウントストアが目に入り太陽はその道に方向転換する。

 

「なーんか、菓子でも買って行くか」

 

 最近購入した漫画のお供として菓子や飲料を買う為に太陽は店内に入る。

 夏本番に控えたジリジリとした外気と、電気代及び環境全く考慮してないクーラーの利いた店内の気温の差に「寒っ!」と身震いしながら、太陽は菓子コーナーに向かう。

 

 この店は物が安いということで太陽はよく来ており、目的の場所まで迷いのない足で進み、棚に並べられた多種なスナック菓子を見比べる。

 

「今日の気分で、九州しょうゆでいいか」

 

 特にこだわりを持たず、気分で味を決定する太陽は他にいくつかのスナック菓子を籠に放り入れた。

 寝っ転がりながら、漫画を見て、菓子を頬張るのは至福の時。

 その時間を長く感じたく、太陽はいつもよりも少し多めに籠に菓子を入れる。

 

 菓子には飲み物だよな、と太陽は次は飲料コーナーに向かおうとした時、ある人物の姿が目に入る。

 

「うーん、あと少し……あと少しで届くのに、ふ、にゅーん!」

 

 つま先をこれでもかと伸ばして背伸びをし、棚の一番に置かれたチョコ菓子に手を伸ばす小柄な女性。

 太陽は見なかった事にしようと、親切心ゼロで去ろうとするが、後でバレたら怖いと、その見知った女性に近づく。

 

「(……てか、近くに台座があるんだから、それ使えよな……)」

 

 視界の片隅にポツンと置かれた、届かない人用に置かれた台座に見て嘆息しながら、太陽はその女性に声をかける。

 

「なにしてるんだよ……千絵」

 

「あっ、太陽君。どうしたの、こんな所で?」

 

 小柄な女性、太陽の幼馴染である高見沢千絵は一旦背伸びを止めて、太陽と向き合う。

 

「どうしたの、じゃねえよ。お前、近くに台があるんだからそれ使えよな。気づかなかったのか?」

 

 太陽は床に置かれた台を指さし教える。

 

「え? あるのは知ってたよ。ただ使わなかっただけ」

 

「なんでだよ!? 届かないんだったら普通使うだろ!」

 

「太陽君、あのね。これだけは言わせてほしいんだ。……これを使うとね、なんだか負けた気になるんだよ……」

 

 知らねえよ! と太陽は叫びたくなるもグッと飲み込む。

 哀愁漂わし悲しみにくれる目で半笑いを浮かばす千絵の表情から恐怖さえ感じる。

 

 千絵の身長は中学1年から止まっていると本人が愚痴ってたのを思い出す。

 千絵は女子の平均身長を下回り、恐らくだが、150cmにも届いてないだろう。

 

「ってもな……。あんまり意地っ張りになるんじゃなくて、台があるなら使えよな? 多分、今後お世話になるかもしれないんだからよ」

 

「それってこのまま千絵がチビって言いたいの!?」

 

 そうだと言いたげに苦笑しながら、太陽は先ほど千絵が届かなかったチョコ菓子を取り、千絵に渡す。

 千絵もありがと、と礼を言いながら受け取りカゴに入れる。

 

「太陽君はいいよね。男なんがら背が高くて……。チビの気持ちは分からないんだよ」

 

「男にだって小さい奴はいるぞ。まぁ、今はチビの気持ちはあまり分からねえけどな」

 

 太陽の身長は男子高生の平均身長。

 皆子供の頃は小さいのだが、今の身長になってからは特に気にした事がない太陽。

 

「けど、まだ私は諦めてないよ。私の成長はこれからだ!」

 

「なに、打ち切り漫画のテンプレートみたいなことを言ってるんだよ。成長ったって、もう望みは薄いだろ」

 

「まだいける、諦めてないよ、成長期!」

 

「なんで俳句口調?」

 

 自分の成長にまだ望みを持っている千絵。

 人間の基本的な成長期終了は17~18(個人差あり)と聞くから、ある意味千絵はまだ諦める年齢ではない。

 だが、太陽はある千絵のある一点を見て、

 

「……まあ、お前の場合はそこは周りから羨ましがられるかもな」

 

 ボソッと呟く。

 千絵のある一点とは、それは、服の上からでも膨らんだ胸。

 小柄な身長と半比例して膨らむそれは、多分だが、女性の平均値を超えてるかもしれない。

 

「なにか言ったかな、太陽君?」

 

 もしかしたら小さく言ったつもりの太陽の囁きは千絵に届いていたのかもしれない。

 いつでも殴りますよ?と言わんばかりに露骨にグーパーを繰り返していた。

 

 自らのセクハラ発言を思い返す太陽は首を横に振りながら、話題を変える事を試みる。

 

「そ、そういえば、お前もこの店に来たって買い物に来たってことだよな?」

 

「なに今更なこと言ってるの? 当たり前だよ。私も暇じゃないし、冷やかしには来ないよ。今日の夜食を買いに来たんだよ」

 

 ほら、と太陽に千絵は購入予定の物が入ったカゴを見せる。

 あまり相手が買う物に興味はないのだが、千絵のカゴに入った物たちを見て太陽は頬を引き攣らす。

 

「……お前、どんだけ買うんだよ……」

 

 太陽のいつもより少し贅沢と多めに入れた数を遥かに超える、カゴから溢れんばかりに詰められていた。

 スナック菓子、チョコ菓子、インスタントラーメンと本当に夜食として買っているのかと疑問視する。

 

「あぁ、親や兄妹の分もだよな、それ。流石にそれだけ自分用に買うのは―――――」

 

「ううん。これ、全部自分用だよ?」

 

 太陽の答えを千絵は一蹴する。

 

 千絵は両親と兄妹3人家族。

 兄が二人で千絵は長女であるが末っ子。

 この量なら、両親が兄の分もと言っても不思議ではない。

 だが、あろうことか、千絵はこの大量の食品や菓子は全て自分用だと言っている。

 

「あぁ、何日か分ってことだよな。確かに、何度も買いに行くのって面倒だもんな」

 

「ううん。これ、今日の分だよ?」

 

「うん、スマン、それは流石に流せねえや。ありえねえだろ!? これが一日分って!」

 

 ビシッと太陽は千絵の零れ落ちそうなぐらいに積まれたカゴを指さし否定する。

 普通であれば一般的、少なくとも太陽からすれば一週間は持つ量に対して、千絵は一日分だと言い切った。

 

 至極全うな意見のはずだが、なぜか千絵はフッと太陽を鼻で笑い。

 

「甘いね太陽君。この最近千絵のお気に入りのデラックスチョコクッキーよりも甘いよ!」

 

 「いい、太陽君」 と前付をして千絵は話を続ける。

 

「勉強即ち、頭を使うには糖分が必要なのは世の常識。医大を目指す私は毎日勉強に励んでいるから、これだけのお菓子は必要なんだよ!」

 

「そ、そうか……」

 

 千絵の熱弁に気圧され太陽は相槌を打つ。

 

 千絵の言い分は分かるし、間違ってはないのだろう。

 だが、それはあくまで適切な量に対してだ。

 過剰に摂取すれば、眠気や、最悪の場合将来糖尿病になるんじゃないのかと心配になる。

 

「(たまに、俺はこいつが本当に頭良いのかって疑いたくなるぜ……)」

 

 これでも太陽の通う進学校で一年の頃から上位をキープしている秀才。

 昔からこの方法で勉強をしているのなら、その結果が出ているのかもしれない。

 だが、勉強云々よりも、太陽はある事を呟く。

 

「―――――太るぞ?」

 

 今度は見逃してもらえず、太陽の腹部に強烈な拳が入ることとなる。



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夕暮れの公園

「本当に太陽君ってデリカシーがないよね!? 女性に対して太るぞってありえないから!? 昔からそうだよ! 太陽君は女性の気持ちを弁えずに――――――」

 

 ガミガミ、と太陽の不適切な発言に憤る千絵の説教を聞きながら、彼女に殴られ今もヒリヒリ痛む腹部を摩りながら、太陽は「すまん……」と小さく頭を垂れる。

 

 ディスカウントストアで目的の物を互いに購入し終えた後に、各々が買った品が入ったビニール袋を手に、店を出た二人だが、歩き始めて5分は経過しているが、千絵の怒りは治まらない。

 

「(……確かに女性に対して太るぞは禁句だから、責められて言い返せねえが……。ほんと、いつぐらいから、千絵はこんな暴力的になったんだ? 小学の中間辺りまでは人を殴るってことはなかったのによ。……てか、俺だけなんだが)」

 

 昔は大人しかった千絵がいつの間にか自分にだけ暴力を振るう野蛮な性格になっていた事に、時間の流れを悲しみながら「聞いてるの太陽君!」と千絵に叱咤され、「聞いてるよ!」と慌てて返していた。

 

 そして、それから1、2分ほど、千絵の乱射の説教が過ぎ去ると、千絵は嘆息の息を零し。

 

「……うん、まあ。太陽君がデリカシーがないのは今に始まった事じゃないから諦めるとして……。私だからこの程度で済むけど、他の女性にあの失言をすればタダじゃすまないからね?」

 

 呆れ顔で肩を竦める千絵を太陽は細い目で見て。

 

「(確かに怒るだろうが、瞬間的に暴力を振るうのはお前ぐらいじゃないか?)」

 

 と考えるも、流石の太陽もこれは火に油を注ぐだけだとグッと飲み込む。

 

 それから少しの間、車道を走る車の音だけが響く静寂な時間が流れると、太陽は千絵の手の方へと目線を向け、ん、と千絵に手を差し出す。

 

「なに、その手?」

 

 千絵は太陽の行動が分からず尋ねる。

 

「持ってやるよ。色々買いこんでいたし、重いだろ?」

 

「もしかして、それはご機嫌取りで言ってるの? なら、別にいいよ。そういうのは求めてないし」

 

 不機嫌そうに鼻を鳴らしてそっぽ向く千絵に太陽は口元を引くつかせ、

 

「別にそういうってわけじゃねえよ。もう日も暮れかかってるし、女一人で帰らすのもあれだし、送ってやるよ。そんでついでに、お前の荷物も持ってやるってことだ。俺はお前ほどに買ってないし、男の方が軽いってのもなんだか嫌だしな」

 

 太陽は千絵の言うようなご機嫌取りで言っているわけでもなく善意である。

 決してその様な事は無いとは断言できないが、太陽の言葉通りの意味だ。

 

 時間は夕暮れに差し掛かり、朱色の太陽が地平線に沈みかかり、もう少しすれば夜空が街を覆う。

 

 しかし、太陽の善意とは裏腹に、ご機嫌取りと勘繰る千絵に太陽は面倒くさげな表情だが、その手を引っ込めなかった。

 

 千絵はパチパチと幾度か瞬きをした後、再び太陽に顔が見えないように別方角に顔を向け。

 

「……そういう気遣いはできるんだね……ばか」

 

 千絵が何やらモゴモゴと口を動かしているのに気付いた太陽は、疑心な目を彼女に指し。

 

「なにかまーた、俺の悪口でも言っているのか?」

 

 と太陽が言うと、千絵は頬を真っ赤に染めた表情で太陽を睨み。

 

「なにも言ってないよ! ん! なら、その善意に甘えてお願い! 正直買い過ぎて重いと思ってたから! あと、確かに太陽君の悪口は言ったよ、バーカ!」

 

「なんでそこまで怒ってるんだよ!?」

 

 太陽の手をすり抜け、なぜか太陽の胸に買い物袋を押し付ける千絵。

 これは千絵がこちらを向いてなく、ただ腕を太陽に伸ばしたからだ。

 

 釈然としない太陽は、一歩横に距離を空けて千絵から袋を受け取る。

 太陽の持つ買い物袋は中ぐらいの袋にまだ余裕がある程度の量。

 だが、千絵が渡す袋は大にも関わらずにパンパンである。

 中身はペンやシャー芯などの文具が少々と、残りは千絵が夜食と宣う菓子や飲み物類だ。

 

 同じ運動をあまりしない同士であるが、男女の力の差から、これは千絵には少し重いかもしれない。

 太陽は自分で購入した袋を左手に持ち替え、千絵から渡された二つの袋を右手で持つ。

 

「それじゃあ、行くか」

 

 太陽が言うと、千絵も少し力弱くうんと頷き、太陽の後を追いかける。

 

 その後は適当な談話をしながら太陽と千絵は帰路を歩き、まだ日があるがせっかちなのか、街頭がちらほらと付き始めた頃、千絵がある場所の前に立ち止まり、太陽の袖を引く。

 

「ねえ、太陽君。懐かしいね、この公園」

 

 千絵に袖を引かれて止められた太陽は、千絵が指さす小さな、住宅街にポツリとある公園に目を向ける。

 

「だな。同じ街にあるっていうのに、意識しないと、久しぶりに見たって感じになるのは不思議だ」

 

 滑り台にブランコ、砂場とベンチ。

 最低限の遊具しか揃ってない、本当に小さな公園。

 

 小さく少し殺風景な公園であるが、子供が安全に遊べる場所として、夕暮れ時だが、まだ子供たちがワイワイと追いかけっこをして、その傍らに保護者達が井戸端会議をしている。

 

「本当に懐かしいね。昔、私や太陽君、光ちゃんの3人で、よく遊んだね」

 

「……あぁ、そうだな」

 

 思い出に耽る千絵の会話にある人物の名が出てきて、太陽は小さく相槌を打つと、

 

「あっ、ごめん……。また少し無神経だったね……。太陽君の前で、光ちゃんの名前は……」

 

 先ほどまで思い出話に咲きかけた笑顔が閉じ、落ち込んだ表情になる千絵。

 太陽の前で光の名は禁句。

 二人の事情を知っている千絵はそう決めていたらしい。

 

「バーカ。確かに俺とあいつがこじれた関係になったからって、お前の思い出にまで文句を付ける権利は俺にねえよ。あいつとの仲を取り持とうとかお節介じゃない限り、俺は口出しはしねえ。思う存分、思い出話に花を咲かせろ」

 

「……うん、わかった。ありがと、太陽君。ごめんね、気を使わせて」

 

「だから、なんでお前が謝るんだよ。元はと言えば――――」

 

 このままでは千絵が謝り、太陽がフォローする押し問答の様なやり取りになると危惧した太陽。

 複雑な表情で袋を持ちながら右手で自分の後ろ髪を掻くと、その手で公園の無人のブランコに指をさし。

 

「まっ、折角だし、たまには二人で思い出話でも語り合おうか。運良く、今はブランコは使われてないみたいだしな」

 

 ベンチは子供の保護者が使っている為、子供たちがボール遊びや追いかけっこに夢中で使われてないブランコに足を運ぼうとする太陽だが、

 

「ちょ、ちょっと待って! いいの? 太陽君。 私は別にいいけど、思い出話をしちゃうと、太陽君は嫌な事まで思い出すんじゃ……」

 

 二人の思い出の登場人物にはあの者は欠かせない。

 なら、必然的に登場するその者で太陽は不快な思いをするのではと心配する千絵に、太陽は呆れ顔で。

 

「だからよ。お前の思い出を口にさせない権利は俺にはねえし。俺が許可してるんだから、お前は何も心疚しい気持ちにならなくてもいいんだって。はぁ……お前も大概、面倒くさい性格しているよな?」

 

 やれやれと嘆息する太陽に千絵はカチンときたのか眉根を寄せて大声を張り上げる。

 

「誰の所為でこんな気持ちになっているって思いているのかな!? 殴るよ!? 私のこの、日々の勉強による腕の酷使で鍛え上げた左手で、また殴るよ!?」

 

「分かった! 謝る! 謝るから、大声を出すな! 周りの視線が痛い! てか、勉強で鍛えた腕って言われても聞いた感じだと迫力がないけどな!?」

 

 夕暮れの時間に人の声が響く。千絵の怒声も例外ではない。

 公園前に立つ太陽と千絵の方に、公園内の子供と保護者の視線が向けられていた。

 だが、子供は特に興味がないのか、直ぐに遊びを再開にして、保護者達は、

 

「痴話喧嘩かしら?」

 

「カップルですかね?」

 

「見た感じだと学生よね、いいな~青春だな~。私ももう少し青春を謳歌すればよかった……」

 

「ふふっ。私の若い頃なんてね―――――」

 

 と、保護者達は話のネタを貰ったと再び談話を盛り上がらせる。

 

 結局の所、誰も太陽たちに意識を向ける者はいなくなったのだが。

 千絵は公衆の前で大声を出した事を反省してか、少し頬を赤くしてコホンと一つ咳払いを入れ。

 

「まっ、別に太陽君がいいって言うんだったらいいんだけどさ。後から気分を悪くしたとか言われても責任取らないしフォローしないから?」

 

「別にいいよ。お前だって、昔の恥ずかしい思い出を話されても殴るなよ?」

 

「………その時の気分次第かな?」

 

 この理不尽さ、本当に千絵が暴力女になった事を悲嘆する太陽。

 しかも笑顔で言うのだから猶更質が悪い。

 

 太陽はバツの悪い苦い表情だが、千絵に聞こえない程度にボソリと呟く。

 

「……まぁ、俺も、早く区切りを付けたいし、折角の機会だから、その一歩を踏み出そうかな」

 

 今日出会った晴峰御影との出会いで、太陽は自分がどうするべきなのか、この機会で少しでも区切りを付けたいと思っていた。

 

「太陽君。何かあったの?」

 

「どうした、藪から棒に? 俺の顔から何か読み取れたのか?」

 

 千絵は読心術を持っている訳ではないが、長い付き合いからか太陽の考えを看破する節がある。

 ただの偶然であろうが、太陽からすれば少しドキッと心臓を跳ねた。

 

「別にそういう訳じゃないんだけどさ。いつもの太陽君なら、こう……、光ちゃんの話題とかになると、おじいちゃんみたいに眉を皺寄せたり、頑固おやじみたいな怖い表情になったり、それが更に似合ってない金髪と相まって、相当気持ち悪い感じになってたんだよね」

 

「……お前、俺に喧嘩でも売っているのか?」

 

「うん、まあ、少し」

 

 太陽は堪えた。

 相手は女性。

 もし千絵が同性なら殴っていた。学校の親友の信也であれば迷わず殴っていただろう。

 

 千絵が自分に対して躊躇いもなく殴るとはいえ、男性が女性を殴るのは不平等だが論理に反する。

 自分の我慢強さに自画自賛とばかりに頷く太陽を他所に、先を進みブランコへと向かう千絵は、クルリと振り返り。

 

「それじゃあ太陽君。久々に思い出話しようか!」

 

 茜色の日差しが逆光となり、千絵の衒いのない満面な笑顔が冴えるのだった。

 



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朧気な約束

「うわぁあ! 久しぶりにブランコ乗るけど、こんなに小さかったんだね! 昔はもっと大きかったはずだけど!」

 

「それだけ俺たちが大きくなったって事だろ。なんせ、ここで遊んでいたのは、あの子供たちと同じぐらいだったんだからよ」

 

 ブランコに腰かけながら足を泳がす千絵に言いながら、太陽は元気よく駆ける子供たちを眺める。

 小学生の低学年ぐらいと見える子供たち、太陽たちがこの公園で遊んでいた時もこの子たちぐらいだと記憶している。

 

 住宅街から少し離れた場所にポツリとある公園。

 最低限の遊具しかないとはいえ、子供たちや住人達からすれば憩いの場である。

 昼であればご年配の散歩の休憩所として寄られ、夏休みとなればラジオ体操の場としても使われる。

 

「まあ、俺たちはここだけじゃなくて、近くの森や川でも遊んでたりしてたから、別段、ここでめちゃくちゃ遊んでいたって訳じゃないけどな」

 

 口角を浮かばせ微笑する太陽。

 しかし、遊んだ回数が少ないとはいえ、太陽にはこの公園に沢山の思い出を作らせて貰った大切な場所であることに違いない。

 千絵は太陽の言葉からそれを読み取れたのか、クスクスと笑い。

 

「そうだったね。森や川でも遊んで、泥だらけになって、よくお母さんに怒られてたっけ。まあ、ここでも泥まみれになったりはしたけど」

 

「だな。俺の所も、なんでこうなるまで遊んだんだ! って、母さんにゲンコツされたこともあったか。あれはマジで痛かったわ」

 

 ブランコに揺られながら笑い合う二人。

 最近互いに忙しくて学校以外ではあまり合わなくなった二人だが、根本的な仲は昔と変わらない。

 小さい頃からずっと遊んで来た友だからこそ共有できる思い出。

 それが何より大切だと、笑いながら太陽は実感する。

 

「……けどさ。こうやって改めて思うと、時間の流れを感じるよ……。私たち、本当に成長しているんだね」

 

 笑うのを止め、何やら含んだ言い方をする千絵に釣られ、太陽も口を閉じる。

 

―――――成長している。

 

 それは人間にとって喜ばしい現象で、生きている事を実感すること。

 

 だが、このまま大人になるのはどこか寂しい……千絵の言葉からそう感じられた。

 

 小さい頃は広く感じた公園。

 高校になって改めて来ると、そこまで大きく感じる事はなかった。

 初めて訪れた頃は、公園の端から端まで全力で走って30秒以上はかかったが、今ではその半分の時間で済むほどに狭く感じる。

 

 時間の流れは残酷だとはよく言ったものだ、呆れ笑いをしながら吐き捨てる太陽。

 

「本当にこの公園には沢山の思い出があるよね。私、太陽君、そして光ちゃん。3人で色々な遊びをした。追いかけっこやかくれんぼ、ボール遊びにヒーローごっこ。本当にあの頃は楽しかったね。もう帰ってこない時間だったけど」

 

「……なんだか青春を謳歌できなかった爺さんみたいな風に言うけどな。確かにあの頃は楽しかったが、青春真っただ中の俺たち(学生)が言う事じゃねえだろ、それ?」

 

「確かにそうだね」

 

 ハハッとおどけて笑う千絵。

 

「けど、さ。太陽君もこの公園には大切な思い出があるんじゃないの? 昔、聞かせてくれた、あの約束|・ ・》」

 

 千絵の言葉を聞き、太陽は心臓を握りつぶされそうなほどの動悸が襲う。

 不思議と呼吸のペースも上がり、息が苦しくなる。

 脂汗が額に浮かび、瞳孔が開く。

 

―――――なんで、こんなに苦しんだ。

 

 その言葉が太陽の脳裏を埋め尽くす。

 

―――――そうか、そうだった。色々あってすっかり忘れてたけど、したな……約束を、もう叶える事の出来ない、あの約束を……。

 

 ぶはっと少しの間呼吸を忘れていたのか、太陽は吸い込む空気が新鮮で上手く感じていた。

 

「大丈夫、太陽君!」

 

 咳き込む太陽の背中を摩る千絵。

 やはり医者を目指していただけあって、その行動は素早かった。

 

「あ、あぁ……大丈夫だ。スマン、心配かけた。正直、俺があまり思い出したくない物だったから、少し拒絶反応が起きたみたいだ」

 

 乾いた笑みを浮かばす太陽に、太陽の背中を摩る千絵の手は止まった。

 どうしたんだ? と太陽は千絵の顔を伺うと、言葉を失った。

 俯く千絵の表情、今にも泣きだすのを堪えた険しい表情に、唇を強く噛んでいた。

 

 何故千絵がそんな表情になるのか見当がつかなかった

 なぜなら、

 

「どうしたんだ千絵! なんで、俺と(あいつ)との約束でお前が悲しい表情になるんだよ!?」

 

 太陽と千絵が口にした”約束”とは。

 それは、小さい頃、この公園で太陽と光が交わした思い出。

 

 太陽に肩を揺らされ我に返った千絵はゴシゴシと強く自身の目を擦り。

 

「べ、別に私がどうとかで悲しい表情をしてたんじゃなくて、小さい頃の約束って大切な物で、それを軽々しく思い出したくない物とかいう太陽君に呆れてただけだよ!」

 

 剣幕を鋭くして千絵が吼える。

 それに太陽はブランコに座りながら若干引き、千絵は尚も野生の動物の様に太陽を睨んでいた。

 申し訳なく太陽は千絵から顔を逸らしていると、隣から嘆息の音が聞こえ。

 

「本当に……昔太陽君が私に光ちゃんの事で相談事をされた時に、一緒にデリカシーを教えてあげた方がよかったんじゃないかって後悔だと、全く……」

 

「…………面目ない」

 

 太陽の内心では「え? これってデリカシーの問題なのか?」という疑問が浮かぶがそれを飲み込む。

 

「それで? 思い出しくなかったそれを思い出したって言うけど、その約束がなんだったのか分かっているの?」

 

 千絵の尋ねに太陽は険しく眉を顰めて頷き。

 

「……まぁな。正直、今では叶う事のない思い出ではあるけどな」

 

 そういって太陽は一呼吸入れて言葉を続けた。

 

「どんなに時間が経っても、太陽の事大好きだよ。絶対に。けど、太陽が言うなら一旦諦める」

 

 淡々とした感情が籠ってない声音で太陽は言う。

 それは幼い頃の記憶から浮かぶ彼女の言葉。

 

「けど、もし私たちがもう少し大人になって、私が太陽の事好きだったら、もう一度……告白していいよね」

 

 彼女が言った言葉を最後まで言い終えた太陽に続いて、次は千絵が口を開く。

 

「それに太陽君は確か、俺たちが大きくなって、まだ光ちゃんが太陽君の事を好きで、太陽君に恋人がいなかったら、その時はお前と一緒に居てやる、って答えたんだよね?」

 

 千絵が聞き返すと太陽は小さく首肯する。

 それを確認すると、千絵は一段と深いため息を吐き。

 

「正直これって、太陽君最低な事言ってるよね? 大きくなって、光ちゃんが太陽君の事が好き続けて、太陽君に恋人がいなかったら付き合うって……完全にキープ扱いする屑野郎ですね、おめでとうございます」

 

 千絵の批評に「ちょ、まっ!」と太陽は弁明を口にする。

 

「仕方ねえだろ! あの時は子供で、突然だったんだからよ! つか、もうどうでもいいだろうが、俺とあいつは終わった関係だし、一応は約束を果たしたもんだしな!」

 

 逃げる様に太陽は語る。

 

 太陽と光が別れたのは今更な話だが、小さい頃の約束はあくまで『付き合う』であり『結婚』ではない。

 なら、一度付き合った太陽と光は”一応”であるが約束は完遂されたといえる。

 

「そうだとしてもね……」

 

 と納得のいかない千絵。

 気まずくなり二人の間に静かな時間が流れるのを他所に、公園で遊んでいた子供たちは保護者達に連れ帰られるのを眺めた後、決心したかの様に千絵はゆっくりと唇を動かす。

 

「ね、ねぇ……太陽君。こんな質問はおかしいし、意味の分からない事だと承知の上でするけど、いいかな?」

 

「ん? する前にその意味が分からないが、別にいいけど」

 

 太陽が了承すると、千絵は一拍置いた後に唾を飲みこみ、

 

「その約束をした人って―――――――本当に光ちゃんだったのかな?」

 

「…………………は?」

 

 千絵が事前に申してた様に、その質問の意味は分からなかった。

 

「…………その質問の意図を聞いてもいいか?」

 

「意図も何も、言葉の意味だよ。たしかその約束をした時は私たちがまだ低学年の頃。もしかしたら、太陽君の勘違いってのはないのかなって。それで? どうなの」

 

 幼い頃の記憶は曖昧で、時が進むごとに記憶が混乱して勘違いを産む。

 千絵はそう言いたいのだろうが、千絵の真剣な表情から千絵は意味なくしている様には思えなかった。

 

「勘違いってお前な……そんなこと――――――」

 

 苦笑しながら改めて太陽は思い返す、あの日の光景を、あの日の会話を、あの日の彼女の顔を。

 

 しかし、思い返そうとした太陽の脳裏にある不可解な現象が起きていた。

 

「(……あれ? 確か、あの約束をしたのは光のはずだ……。なのに、なんであいつの顔だけぼやけてるんだ?」

 

 千絵の言葉が発端で封じ込めていた記憶が蘇ったとは言え、思い出してあの夕焼けの公園の情景は鮮明に思い出せた、そしてどんな会話をしていたのかもうろ覚えであるが分かっている。

 だが、腑に落ちないのは、その時会話していた少女の顔がハッキリ映らない事だ。

 

 正確に言えば、その者が誰なのか分かる。

 例えるなら、ネタバレ防止で掛けたモザイクだが、分かる人には分かるみたいな感じだ。

 その者が太陽の元カノである渡口光だと言う事は分かるが、なぜこんな朧気に彼女の顔が映るのか不可解だった。

 

 必死に思い出そうとする度にジンジンと太陽の頭を締め付け、脂汗が額に浮かぶ。

 

 そこで太陽は思い出そうとするのは一旦止め、ふぅと息を吐き、現状分かる範囲で答えた。

 

「……あぁ。俺にとっては最悪な事に、その約束をした相手は(あいつ)だ。ぶっちゃけ、あの時したのが結婚じゃなくて正解だったぜ。こんな結末になったんだからよ」

 

 軽薄に笑う太陽に、千絵は横目で冷徹であるがその瞳に悲し気な感情を籠る目を送りすぅと立ち上がる。

 どうしたんだ? と怪訝に首を傾げる太陽だが、背中を見せていた千絵はクルリと振り返る。

 その表情は先ほどまでの悲嘆な表情ではなく、笑顔だった。

 

「そうだよね。ごめんね。変な質問して。うんうん。子供の頃の約束って特別だからね。ほら、漫画とかで鉄板じゃん。だから、少しばかり嫉妬してたのかもしれないね。そんなロマンチックな約束があって」

 

 結局二人がどうなったとかではなく、少女心を燻ぶる約束を羨む発言。

 

 笑顔で語る千絵だが、直ぐに太陽は分かった。

 

―――――千絵は作り笑いをしている。

 

 千絵は喜怒哀楽の内喜び、怒り、楽しいを直ぐに表す感情豊かであるが、唯一哀だけはひた隠しにするきらいがある。

 

 昔、一人クラスの輪に馴染めず、寂しげに教室の隅で本を読んでいた千絵の姿を思い出して、太陽はブランコの椅子から立ち上がり、

 

「お、おい、千絵―――――!」

 

「大丈夫だよ」

 

 声を張り上げようとする太陽を遮り、千絵は続ける。

 

「大丈夫だよ、太陽君。太陽君がどんなであっても、私は太陽君の味方だから」

 

 今度は紛れもない笑顔を浮かばし、千絵は太陽にゆったりとした足取りで歩み寄り、足りない身長を背伸びで補い、太陽の顔に近づくと、そぉっと自身の指を太陽の唇に軽く当て。

 

「けど……もし私の我儘が叶うなら――――――ううん。やっぱりこれ以上は言えないや」

 

 最後まで言わなかった所で、太陽の唇から指を離し、踵を地面に付けてから踵を返す。

 

「それじゃあ、もう遅いから私は帰るね。短かったけど話せて楽しかったよ。また学校でね、太陽君」

 

 千絵はそれ以上何も言わず無言のまま、自らの買い物袋を拾い公園を後にする。

 

 その姿を太陽は、彼女の姿が見えなくなるまで、茫然と眺めるだけだった。



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千絵の心情

 太陽と別れ、結局家までの帰路を一人で着いた千絵は、自室に籠り勉強をしていた。

 

 千絵の目標は医大に進み、最終的には医者になること。

 その為には学年上位の学力であろうと慢心せず、日々の勉強を怠らない。

 元々勉強の才がある訳でもない千絵にできる事は、それだけだ。

 

 だが、今日の千絵はいつも以上に目の前の参考書やノートの内容に集中できないでいた。

 原因は分かる。それは、1時間前の彼との会話。

 偶然店で出会い、なし崩しに公園で二人キリで思い出話をする事になったのだが……。

 

 千絵は動かすペンを一旦止め、コロコロとノートで転がすと、椅子の背凭れに深く擦り天井を仰ぐ。

 

「……思い出したくない物……か」

 

 シーリングライトの光が眩しく、腕で自身の目を覆うとボソッと呟く。

 

 彼が言った言葉。

 彼からすれば何気ない悪気のない一言だろうが、千絵の言葉にそれが深く突き刺さる。

 

「太陽君からすれば、光ちゃんだからこそあの約束は大切で、光ちゃんだからこそ忘れたい物……。結局の所、いつも太陽君の心には光ちゃんがいる……。私の入る隙間なんて、どこにもないんだ」

 

 そう悲嘆に考えると、目尻が痛くなり、そこから涙が零れる。

 

 彼……幼馴染にして、親友で、大好きな相手の、古坂太陽。

 

 千絵は今でこそ明るく、協調性があって、太陽以外にも同級生などから相談事をされる頼られる人物であるが、最初からこうではなかった。

 

 小学生に入りたての頃は口下手で人付き合いも苦手で、一人教室の隅で黙々と読書をする大人しい人物だったが、そんな閉ざした殻に籠る千絵をそこから出してくれたのが、他でもない、太陽だった。

 

 太陽が千絵を遊びに誘い、そのおかげで千絵は大切な親友を得られ、性格も次第に明るくなり、友達も増え、学校生活が楽しくなった。

 

 そんな切っ掛けをくれた太陽には大きな恩があり、太陽が困った時は絶対に手助けすると誓うと共に、親友以上の想いも募らせていた。

 それは一人の友達としてではなく、一人の男性として、千絵は太陽の事が……。

 

「分かってる……分かってるよ……。私には太陽君を好きになる資格はない……。太陽君にあんなひどい事をした私が、太陽君を好きでいて言い訳がない……」

 

 グッと溢れそうになる涙を押さえ、震えた唇で自責の念に駆られた言葉を呟く。

 千絵の脳裏に浮かんだ光景……それは、思い出したくない記憶であるが、決して忘れてはいけない記憶という矛盾の自身への贖罪の記憶。

 誰も知らない。彼すらも覚えてない、千絵だけが知る事実……。

 

『おい! 子供が倒れてるぞ! 救急車を呼べ!』

 

『どうしたんだ!? 事故か!?』

 

『子供が車に轢かれたらしい! 頭から血も出ている! このままだと命が危ねえぞ!?』

 

 血を出し倒れる少年に大人たちが集まり、慌てふためきながら救急隊が来るまでの応急処置をしていた。

 そんな喧噪な光景を少女は焦点のあってない、現実を直視できない今にも半狂乱に陥りだが、目の前の惨劇から目を離せなかった。

 

『違うの……違うの……。ごめんなさい、ごめんなさい……私は―――――—!』

 

 過去の記憶を鮮明に思い出した千絵は、胃から嘔吐物が逆流を始め、慌ただしい足音を鳴らしてトイレにこもる。

 「うぇっ、うぇっ!」と嗚咽を漏らして、口を通り千絵は嘔吐物をトイレに吐き出す。

 

 晩御飯はまだで、胃の中にはそれまでの繋ぎとして食していた菓子類だけだったが、予想以上に大量に吐き出された。

 酸っぱい味が口の中に広がり、鼻を尖らす異臭を嗅いで再び嗚咽を吐く。

 

 思い出したくない記憶、トラウマと呼ぶべきか。

 千絵はあの光景を思い出すと、今の様に吐き気を催してしまう。

 胃の物を吐き出し、腹の部分は軽くなろうと、罪悪感は軽くはならない。

 

 引き裂かれそうになるほどの胸の痛み、引きちぎらんばかりにシャツに爪を立てて握りしめ、千絵は冷淡な笑みを浮かばせながら暗鬱に呟く。

 

「これは私への罰なんだ……。友達を裏切って、出し抜こうとした悪女の私への、罰なんだ……。だから私は、太陽君と光ちゃんが幸せになってほしいと願ってる……けど、人生って解ければ済む問題と違って、上手くいかない物だね……」

 

 

 



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昨日ぶりの再会

 庭に植えてある朝露が垂れ落ち、まだ周囲の空気が薄白の霧がかかる早朝。

 今日は平日の月曜日。

 社会人、学生問わず憂鬱になる始まりの曜日。

 

 いつもの太陽なら、月曜日は特に朝に弱いのだが、何故か今日は早くに目を覚ましていた。

 しかも寝付けなくて起床したのではなくて、目覚めも良く眼が冴えている。

 

 昨日に色々と心のモヤモヤを吐き出したからかは分からないが、珍しく早起きした太陽は、自室の鏡で自分と睨めっこをしていた。

 

 睨めっこは比喩であり、正確に言うのであれば、自らの容姿、主に髪型を弄っていた。

 

 勘違いから来る事故とは言え、太陽にとって思いがけない相手と再会した。

 太陽もそれまで忘れていて、相手も太陽の容姿の変化から気づいてないが、太陽と彼女、晴峰御影は出会った。

 

 そして、彼女と話している内に、太陽は今まで自分が歩んだ物は正しかったのか内心問答をした。

 

 今まで陸上で負けた事がなかった御影だが、中学最後の大会で光に僅差で敗退した御影。

 幼少の頃から好きだった幼馴染であり、最愛の彼女だった光に最悪の裏切りをされた太陽。

 

 全然違う事ではあるが、二人は深い傷を負った。

 

 御影は小さい頃から頑張って来た陸上を辞める寸前までいき、太陽も一時期部屋に引きこもるまでになった。

 

 だが、二人の相違する点を挙げるのであれば、御影はその辛さを乗り越えて新しい一歩を踏み出しただ。

 

 最初は偉大な陸上選手の母親に強要されたとはいえ、長い年月から心に芽生えた陸上を好きだという気持ち。

 だから、大好きな陸上で負けっぱなしは嫌だと、いつか自分に泥を塗った相手にリベンジをするのだと誓い、日本の都市の東京から、ライバルの近くに居たいという理由でこんな田舎まで引っ越して来たと言うのだから、彼女は本当に前進していると言えるだろう。

 

 その一方で、太陽は本当に前に進めているのだろうか?

 

 振られたショックで部屋に引きこもり、傷心を紛らわす為に、過去の自分を忘れ去りたいという気持ちから黒髪を金髪に染め、憧れはあっても怖くて出来なかったピアスまでも入れた。

 

 客観的に太陽は良くも悪くも前に進んでいるのだろうと感じる。

 

 だが、これは本当は前に進んでいるのではなくて、ただ逃げているのでは? と太陽は御影との会話でその疑問に直面した。

 

 振られたのであれば、相手が嫌いだった恰好になってとことん嫌われた方が楽だと思った。

 早く新しい出会いを求めて、無理やりと慣れない陽気な性格を演じて好かれようと努力をした。

 だが、それらをした所で太陽の心は晴れる事はなく、逆に次第に曇が掛かり、結果は振るわなかった。

 

 目の前の未来を見て、自分がやるべきことを確立している御影と。

 未だに失恋に髪を引かれ、自分がするべき事から逃げてる太陽。

 

 近い苦しみを味わっても、人間一人一人考え方が違うように、歩むスピードも違う。

 

 太陽は眩しく光る御影を見て、自分は全く成長していないと突き付けられた様に、鏡に映る似合ってないと自覚する自らの姿を見て自嘲する。

 

「ほんと……俺ってダサいな」

 

* * *

 

 いつもより早めに登校と家を出た太陽。

 今日は渡口光(隣の住人)に遭遇することはなく、一人で学校に登校。

 その最中、太陽はふと考える。

 

「(そういえば、自分で言ったとはいえ、やっぱりどの学校に転校して来るのか聞いとけばよかったな。あいつ、何処に転校して来るんだろう?)」

 

 あいつ、それは、先日川辺で出会った女性、晴峰御影を指す。

 

 彼女との別れ際に、御影が自分が転校する学校を言おうとしたのだが、太陽は恰好付けて、それは今後のお楽しみってことでと聞かず仕舞いに終わらせてしまった。

 あの時は太陽はノリでああ言ったが、振り返り若干後悔する。

 

 太陽の住まう地域には公立高校が3つと私立が1つ。

 太陽自身、転校の経験も無く、特に気にした事がない所為で転校のシステムがイマイチ把握してないが、御影が転校する可能性があるとすればこの4つの学校のどれかである。

 

 太陽が通う進学校の他の学校は、工業高校で女子生徒が少ない殆ど男子校と呼んでも過言ではない。

 伝統的に歴史もあり、男子生徒と女子生徒の比率も釣り合っている農業高校。

 他県から様々な有力選手を取り入れたスポーツ科もある私立の高校。

 

 太陽の学校も彼女が所属する予定であろう陸上部はそこそこ強いが、スポーツに力を入れている私立と比べると魅力は薄いだろう。

 

 全国大会優勝経験を保有する光も、何度かここへの進学を打診されたが、千絵や他の友達が行くという理由で断り、進学校の方へと受験した。

 

「(あいつは後の世界大会に出場する有力候補の選手だしな。どこの学校も喉から手が出るほどに欲しい人材だろうから、多分、私立の学校に行くか)」

 

 御影の高校での1年間の功績を知らない太陽だが、全国トップレベルの選手であれば、設備も揃っているであろう高校に通うメリットは高い。

 

「(まっ、ここは狭いし、街歩いてればまた出会うだろうな。その時は、残念だったなって笑えばいいか)」

 

 そう考えてる内に太陽は学校に到着していた。

 

 先月まで満開に咲いていた桜も完全に散り終え、枝のみが残る侘しい正門。

 ここを潜れば再び無意味に過ごす1週間が始まってしまう。

 

 太陽は別に良い大学に進学とかは考えていない。

 太陽は普通に勉強をして、適当な大学に入って、卒業して、適当な企業に就職をする。

 千絵の様に医者を目指すとかの夢は無く、そもそもこの学校を受験したのも、元カノや親友たちが受験すると言い、置いて行かれたくなくて必死に勉強したに過ぎない。

 受かった後、現在は特にやる気を見いだせる物は無く、故に、太陽は学校を楽しい場所だとあまり認識していない。

 無意味に過ごすほど、虚しい事はない。

 

 そうネガティブに考えるほど太陽に踏み出そうとする足は重く感じ、目の前まで来て学校に行くことが嫌になってしまう。

 

「(今日は学校サボっちまうか……)」

 

 進学校での一日の遅れは大きな差を広げるが、モチベーションを見いだせない太陽にとって、それはどうでもいいことだった。

 

 太陽が踵を返して、学校から遠ざかろうとすると—————思いがけない声が彼を呼び止めた。

 

「あれ? その見覚えのある後ろ姿は、古坂さん! 古坂さんですよね!? 古坂さんもこの学校だったんですか!」

 

 自身の名を三度呼ばれた太陽は、身を跳ねた後に振り返る。

 太陽の後方からこちらに手を振りながら、先日のスポーツウェアとは違う、制服に黒のブレザーにチェック柄のスカートを身に纏って走って来る—————晴峰御影がそこにいた。

 

 学校指定の鞄とは別にスポーツ道具が入っているのかスポーツバックを肩に掛けており。

 彼女は太陽の姿が見えると全力で近づいて来るも、流石スポーツ選手か短いとは言え、全力疾走をしても尚、息一つ切らしていなかった。

 

 そして彼女が太陽の眼前まで近づくと、朝一の笑顔を向け。

 

「良かった。古坂さんはこの学校に通ってたんですね! 私も今日からここに通うんです。これから同級生として宜しくお願いします、古坂さん!」

 

 笑顔で言葉を発する御影に対し、太陽は目を瞬かせるだけで口を閉ざしていた。

 

「どうしましたか、古坂さん? もしかして、古坂さんはこの鹿原高校じゃなかった……って、事はないですよね? 貰った資料に載っていた男子生徒の制服を着てますし……」

 

 奇跡の再会……かは定かではないが、思いがけないであろう再会に太陽の思考は停止しているだけ。

 そんな事を知るはずもない御影は再会の笑顔から怪訝な表情へと変えて小首を傾げていた。

 

 そして時が少し経ち、太陽はそっと口を開いた。

 

「……高校間違ってないか?」

 

「――――――ええ?」

 

 何故彼女がこの学校にしたのか、当たり前だが、太陽は知らない。



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期待の転校生

 全国レベルの最有力の陸上選手が転校して来たと言う話題の炎は、火事の如くの勢いで広がり、瞬く間に学校中でその話が持ち切りである。

 

 正門で太陽からすれば思いがけない再会。

 理由は、太陽はスポーツ科のある私立の高校に通うと勝手に思い込んでいたから。

 

 だが、彼女はこの学校に転校して来た。

 クラスは違ったが、晴峰御影の転校初日の放課後、多数の生徒たちが陸上部の練習場に押し寄せていた。

 

 生徒たちの目的は勿論、今日転校して来た転校生。

 

 御影が転校して来てから太陽は知ったが。

 彼女は去年の内に天才陸上選手として、世界陸上に選抜された元陸上選手の2世としても大きく注目され、テレビにも幾度か出演したらしく。

 太陽は一昨年に陸上大会で会っていたから知っていたが、生徒の多くが彼女の事を認知していた事に少なからず御影に尊敬の念が生まれる。

 

 さながらスーパースターが来たかの様な大騒ぎ、実際は今年はわが校の陸上部が全国大会に出場できるのではという大きな期待を持たれているのは確かであろう。

 

 そして今は部活開始時刻。

 いつもは居ないのだが、初日と言うことで多数の生徒たちが部活棟一階の陸上部の前に集まっていた。

 太陽もその一人だが、転校生を一目って言うよりも、他の人たちが集まっているっていう野次馬精神に近い。

 

 陸上部の部室の扉は開かれ、練習開始と陸上部員たちが続々と部室から出てくる。

 この学校の陸上部も県でそこそこの成績を残す面々が集うが、皆の目的の人物は最後尾にて姿を見せた。

 

 晴峰御影。

 

 太陽の調べでは、彼女は去年の全国大会でも好成績を残してたと聞く。

 

 実力は有力者とし申し分ない上に、顔立ちも良く、スタイルもスラっとしたモデル体型。

 無駄な筋肉、脂肪が切り落とらされたかの様な引き締まった筋肉。

 その肉体から彼女がどれだけの練習を重ねてきたのかヒシヒシと伝わる。

 

 御影が部室から出るとおぉーと周りの生徒たちから小さな歓声が漏れる。

 背中まで伸びた黒髪を風で靡かせながら、その手には後に結うのかヘアゴムが握られており。

 

 御影は、ん?と道の様に連なる生徒たちの自分に集まる視線に気づくと、目を瞬かせた後、小さく一礼して。

 

「え、えっと……は、初めまして、晴峰御影です。皆さん、宜しくお願いします」

 

 多数の生徒に驚きながらもはにかんだ表情で手を振る御影。

 その可愛らしい仕草から生徒、主に男子から黄色い歓声が飛ばされる。

 

 テレビや全国大会に出るからと言って、彼女は芸能人ではない。

 だからか、自分目的の生徒たちにどんな反応をすればいいのか戸惑いを見せる。

 だが、その態度と可愛い顔で男子生徒の心は鷲掴みされたかもしれない。

 

 そして先頭を歩いていた、多分陸上部の主将らしき女性が振り返り。

 

「よし! 折角ここに見物人が沢山いるから、晴峰! ここでいっちょ部活初日の意気込みを言え!」

 

「ええ!? 主将、何言ってるんですか!? さっき部室で自己紹介の時言ったじゃないですか!?」

 

 唐突な主将からの無茶ぶりに速足で主将に詰め寄る御影。

 だが、御影の発言は暖簾に腕押しなのか、女主将はケラケラと軽薄そうに笑い。

 

「いいじゃないか! ここにいる奴らは折角お前目的で来てくれたんだからさ。期待の新人から意思表明がないままじゃガッカリするだろ」

 

 主将は御影の背中をバチンと響きの良い音を叩いて鳴らし、殆ど強要に近い感じで促す。

 当の御影は「うぅ……パワハラだ……」とシクシクと嘆いていた。

 

 そんなやり取りに生徒たちはドッと笑いを起こし、そんな中ある生徒が笑いながら口にする。

 

「出たよ。主将の無茶ぶり。あぁやって部員を困らせるよな」

 

「だな。だけど主将があぁ言うのって、大体そいつに期待しているっていう現れらしいけどな」

 

「確か前は……渡口だったか? 皆の前で抱負を言わされたのって?」

 

 その人物の名が聞こえた時、太陽は眉を顰める。

 

 あの時もだ。

 去年、この陸上部には期待の新星が入部した。

 今みたいに期待の新入部員として多数の生徒たちがある人物を目的に集まっていた。

 中学全国大会で優勝経験を持つ鹿原中学出身、渡口光。

 推薦でもなく、特待でもない。

 本人自らの意向で一般入試で入学して来てくれた事は、この学校にとっては喜ばしい事だっただろう。

 

 —―――――だが彼女は、多くの期待を向けられたにも関わらずに、半年も持たずに部を去って行った。

 

「けど確か、あいつは辞めたんだよな? 去年の夏に」

 

「あぁ。確か怪我だってな」

 

「怪我かぁ……。周りは期待していたんだけどな……怪我なら仕方ねぇか」

 

「そうだな」

 

 と今更特に興味ないと言わんばかりの口ぶりの生徒たちはここで一旦口を閉じた。

 太陽が光の話題を口にする生徒たちに傾聴している間に、台詞が纏まったのか、御影はグッと胸の前で拳を作り。

 

「先ほども言いましたが改めて。今日からこの学校に転校しました、晴峰御影です。ご存知の通り、陸上部に入部します。皆さんの態度から、恐らく、少なからず私の事を知っていると思います————が、一つだけ言っておきます」

 

 御影の鋭い瞳から放たれる眼光に生徒たちは息を呑むように押し黙る。

 そして御影は宣誓する。

 

「私がこれまでどうだったのか、ここでは関係ありません。私は過去の栄華に縋る気も、振りかざすつもりもありません。ですから皆さんには、今までの私ではなくて、これからの私を評価してほしいです。そして必ず、この学校を全国大会に連れて—————」

 

「はーい。練習開始するぞー」

 

「「「「「「「「おぉおおー」」」」」」」」」

 

「―――――――えぇ!? 皆さん!? 私、今凄く恰好付けた事言ってる最中なんですが!」

 

 主将の抜けた声に遮られ御影の宣誓は中断。

 御影を置いて練習場に向かおうとする部員たちに、涙目で御影が手を伸ばすと部員たちは振り返り。

 

「冗談冗談。いやー。予想以上の白熱した演説するもんだから、さ」

 

「凄く出鼻を挫かれた気分! もう少しで泣いて拗ねるところでした!」

 

 憤慨する御影に女主将は流す様な笑いで彼女の肩を叩き。

 

「怒るな怒るな。それじゃあ練習始めようか」

 

 寸劇とも思えるやり取り終え、遂に陸上部の練習が始まろうとした。

 「まったく……」と御影はため息を零しながら歩きだそうとすると—————

 

「うわっ!」

 

 突然と目線が下に下がり、顔と地面の距離が一気に縮まり、顔面を地面へと直撃する。

 そう、つまりは転んだのだ。

 

「……大丈夫か?」

 

 いきなり転んだ御影に安否の声をかける女主将に、御影は砂の付いた顔を上げ。

 

「はい……大丈夫です」

 

 答えながら御影は立ち上がり、パンパンと顔と練習着に付いた砂を払い。

 

「驚きました。何かにつまずいたんですかね?」

 

 御影が自分が転んだ事を推測するが、女主将は苦い顔を浮かばせ。

 

「私から見て、地面に石や凸凹がないが……。お前、何もない所で転んだんじゃないか?」

 

 へ? と御影は自分が転んだ地面に視線を落とす。

 他の者もそちらに視線を向けるが。女主将の供述通り、確かに地面に転ばす様な障害物も、盛り上がったり盛り下がったりとした凸凹は見受けられなかった。

 

 御影はその事を飲み込むと喉から顔のてっぺんまで紅葉の様に真っ赤に染め。

 

「は、ははははっ。わ、私またやったみたいです。そ、それじゃあ私新入りですから、練習器具とか準備して来まーす!」

 

「お、おい。準備は下級生が—————」

 

 女主将の制止を聞かず、とてつもない速度でその場を離れる御影。

 

 太陽は先日の御影の発言を思い出す。

 

『私って……早とちりもですけど、そこそこドジで……今はそこまでないですが、昔は外に出れば怪我をする程だったから、母親が外出の際は絆創膏を持たせてくれて……』

 

 御影は自分でドジだと自覚をしていた。

 自分のドジっぷりで怪我をしていたと。

 恐らく、今のは御影の言うドジなのだろうが、まさか何もない所で転ぶという、漫画で良くあるドジ属性を生で見れるとは思わなかった。

 しかも—————

 

晴峰(あいつ)、倉庫がどこにあるのか知っているのか?」

 

 女主将がそんな心配要素も口にしていた。

 そして案の定、1分後には再び顔を真っ赤にした御影が全速力で帰って来るのだった。

 



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全国レベルの実力

「よーし。ウォーミングアップ終了。次は各種目事に分かれて練習再開だ。再開は5分後。それまでに水分補給をしておけ」

 

 

「「「「「「「「はい」」」」」」」」

 

 女主将の指示に部員全員が響く声で返事する

 本練習の前のウォーミングアップまでは部員全員で行い、後は種目事に分かれて練習をするらしい。

 陸上にも様々な種目があり、短距離や長距離などの走りの種目。

 やり投げや円盤投げの様な投げる種目。

 走り高跳びや棒高跳びの様な跳ぶ種目など。

 

 種目事に体作りが違い、その為種目事に分かれなければいけない。

 

 鹿原高校の陸上部員は約40人。

 前述通り、その全員が同じ種目ではなく、それぞれの種目事の練習場所へと移動する。

 本日目玉の晴峰御影が練習する種目は長距離走。

 

 長距離走選手は6人。

 練習場所はトラックのある校庭。

 長距離選手は各々開始前にストレッチで体をほぐしていた。

  

 校庭端に野次馬として募る生徒たちは胸を躍らして練習が始まるのを待っていた。

 

 自分たちの学校に有名選手が来たのだから、せめて練習初日はその選手の実力を目の当たりにしたいという好奇心だろう。

 太陽は中学時代に一度彼女の走りを遠目であるが見ている。

 しかし、流石に2年近く昔の事で殆ど覚えてなく、テレビに出ていた事も人伝手で知るまで分からなかったのだから、殆ど太陽は所見に近い先入観だった。

 

 そろそろ練習が始まるという直前に、太陽の前に腰を下ろして見ていた生徒がこんな会話をしていた。

 

「それにしてもよ。あいつって本当にテレビに出てた晴峰って奴なのか?」

 

「あぁ。本人も名乗ってたし間違いねえだろ。俺、テレビで見た事あるから顔覚えてたしよ」

 

「けど、あいつって全国でもトップレベルの選手なんだろ? なんだかなー。さっきのやり取りや何もない所で転んだりするドンくさい場面を見ると、疑っちまうぜ。本当に期待の新人なのか?」

 

「知らねえよ。確かに転んだところを見ると不安だが、それを確認する為に俺たちは見に来たんだろ?」

 

「違いねえな」

 

 太陽はこの者たちの会話に同調する様に頷く。

 

 不名誉であるが、そう言われても現時点では反論が出来ない。

 御影は陸上選手としての実力は世間に知れ渡るほどに大きいだろう。

 だが、部室から出ての数分の間にそれは疑心に変るのも無理はない。

 

 彼女からは所謂覇気が感じられない。

 スポーツ選手、しかも実力が高い選手であれば、ユニフォームに着替えると素人でも少しは相手の実力の空気を感じられる。が、

 

 照れながらの愛嬌。

 ハラハラさせる程のドジ属性。

 いじられキャラ……。

 

 内心太陽は、彼女はスポーツ選手よりもアイドルなのでは?と錯覚してしまう。

 

「そろそろ始まるぞ」

 

 生徒の一人の全体への報告に生徒たちの視線は今始まろうとしている長距離選手の練習へと行く。

 

「よし。晴峰。お前から行け、桜木、お前もだ」

 

「はい」

 

 長距離選手内の上級生の男性が御影と桜木と呼ばれる男性の選手に指示すると、御影と桜木はスタートラインに立つ。

 桜木が指を白線に置いてスタート態勢を取る中、御影はポケットにしまっていたヘアゴムを取り出す。

 ウォーミングアップの時にはしていなかったが、本番の全力の時には長い髪を結うようだ。

 髪を後ろで結い、ポニーテールを作ると、前にかかっていた髪から御影の素顔がハッキリ分かる。

 そしてこの時——————御影の雰囲気が変わった。

 

「――――――怖っ」

 

 太陽は思わず御影から放たれる異常な雰囲気に圧倒され思わず零す。

 先ほどまでの愛嬌のあるパチリと開かれた目は細くて鋭くなり。

 口は糸で縫ったかの様に噛み締める様に閉ざされ、表情は目の前しか見てないと言わんばかりの真剣そのもの。

 

「(おいおい。人ってここまで雰囲気を変えられるものなのか? 完全に別人だろ)」

 

 中学3年に行われた全国大会では、会場の遠い観客席からだったが、彼女の走る時の表情が分かる距離で確認するのは初。

 あの時からなのか、その後からなのかは知らないが。

 陸上を走る時の御影の表情は、走る前とは全然違った。

 走る前の時がアイドルであるのなら、走る時の彼女は鬼だ。

 

 それを太陽だけではなく、周りも感じ取ったのかいつの間にか会話が無くなっていて、聞こえるのは唾を飲みこむ音だけ。それだけ静かって事だ。

 

 邪魔な髪を結い、準備を整えた御影も続いてクラウチングスタートの態勢を取り構える。

 合図係のマネージャーが横に立つとすぅと手を上げ。

 

「よーい、スタート」

 

 手を下げてスタート。

 御影と桜木は同時に前に出た—————が、横並びで同時だったのはここまでだった。

 スタートして直ぐに御影はトップスピードに到達したのか、徐々に桜木から距離を離す。

 

 走る距離は1500メートル。

 トラック1周が300メートル。

 つまりは5周して完走となるのだが、最初から全力と思しき御影の体力は保つのか? と危惧する太陽だったが、それは杞憂に過ぎず。

 ペース配分をしっかりしての速度だったのか、少しのブレはあったものの、彼女は速度を保ったままゴール。

 桜木とは10秒以上の差をつけてのゴール。

 

 聞けば、桜木と呼ばれる選手も県ではそこそこの成績を残す実力者らしいが。

 県でそこそこと全国でトップレベルの選手ではここまで差があるのか。

 しかも女性を貶す訳ではないが、桜木は男だ。

 男性と女性の運動能力を比べると男性の方が有利なはず。

 だが、そのハンデをものともしない圧倒的な実力の差を見せつけられ、傍観していた太陽は開いた口が塞がらないぐらいに驚きが隠せない。 

 

「よし。次の組、準備しろ」

 

 一つの組が終わると次の組が走るという仕組みな様で、御影、桜木が走り終えると、準備していた次の組がスタートラインに立つ。

 しかし、そこへ御影が待ったをかけた。

 

「すみません、畑さん。次も私に走らせてくれないでしょうか?」

 

「晴峰。お前、今走っただろ? 少し休んでから走れば」

 

「今ので疲れる程体力は少なくありません。逆に全然足りませんし、それに——————この部の人が私とどれだけの差があるのか知りたいですから、今日は2人1組ではもう片方は全て私が走るので、お願いします」

 

 つまり御影が言いたいのは、今の1500メートルでは疲れると思われるのは不快だ。

 そして自分と張り合える人がこの部にいるのか把握したい、という事なのか……。

 

 その会話をギリギリ聞こえた太陽は、

 

「(おいおい。本当にあいつ、晴峰かよ……。マジで人ってここまで物事が関わると性格が変わる物なのかよ……?)」

 

 いつも外では大人しい人が車に乗ると性格が豹変するという話は良く聞く。

 だが、平常は天然が入って人から茶かされる御影だが、自分の領域(テリトリー)に入ると傲慢になってしまう……そのギャップの差に太陽は困惑する。

 

「(これが……自分の天才と呼ばれる事からの自信なのか……それともあれがあいつの素なのか……)」

 

 太陽は御影と言う女性を全く知らない。

 知っているのは陸上に負けて泣いている姿と、この街に来てからの笑顔。

 

「前に一度陸上を辞めようとしたってのが嘘な表情だな、まったく……」

 

 その後、御影からの提案に上級生としての威厳からの反論は一切せず、彼女から来る威光にたじろぎながら上級生は了承。

 そして御影は予告通りにそれ以降の組は彼女が入る形で走り、そして全て御影が圧勝。

 

 御影が息を切らして疲れを見せたのは、10回目以降の走行の時だった。

 

 



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思い願った再会

 練習は一旦区切りをつける為に20分の休憩を挟み、御影は一人グラウンドの隅の水飲み場で水分補給をしていた。

 蛇口を上方向に捻り、ハンドルを回して水を出し、少し勢いが強かったのか放出された水は口ではなく目に当たり、

 

「………………」

 

 そんな御影(彼女)は、水が目に入り、染みた目をバツの悪い表情でタオルで拭う。

 

 今の御影から先ほどまでの畏怖を感じさせるオーラは無く、いつも通りの彼女に戻っていた。

 だが、まるで獲物を狩る狩人の様な眼光を放つ彼女の走りを見て、御影の元に歩み寄る者はいなかった。

 

—―――――一人を除いて、

 

「よう。凄い走りだったな、晴峰」

 

 古坂太陽。

 彼は他の者とは少しばかり彼女と関わりが深いからか、少し臆病風に吹かれながらも彼女に声をかけた。

 タオルで汗と水道水を拭っていた御影はタオルを退かすと、その表情は—————優し気な微笑みだった。

 

「あっ、古坂さん! 部室の前でいるのは知ってましたが、私の練習も見ていてくれたんですか。嬉しいです!」

 

 ニシッと歯を見せ笑う御影と、練習の最中の修羅の様な形相の御影。

 これほどに御影はオンオフが出来るのかと、恐怖を通り越して感心の念を抱いてしまう。

 

「凄いな、練習の時のお前。あそこまで人は変われるんだなって、驚いたぜ」

 

「あーっ、それはお恥ずかしいですね。私、昔から陸上になると性格が変わるって言われてて、何故か陸上をしている時は気持ちが大きくなってしまって……。後で畑さんや他の人に謝らないといけません! 私、凄く無礼な事を言ってしまいましたし!」

 

「(本当にこいつ、さっきの鬼の様な形相で練習していた奴と同一人物なのか……? 顔がそっくりの双子の姉妹で入れ替わっているって言われても俺信じるぞ?)」

 

 自分の性格のコントロールが出来ず、失礼な発言をしてしまったと後悔をして、しどろもどろする御影からやはり先ほどまでの怖いまでの覇気は感じられない。

 

「このままだとマズイです……。先輩や皆さんに失礼極まりない事を言って、周りは私を生意気な奴だと思い、いつしか私は部で孤立をして、居た堪れなくなった私は部を去らないといけなくなって、部活を辞めた後でも学校でボッチな学校生活を送り、それが私に対しての虐めに発展して、学校まで辞める羽目になり、高校を中退した私はそのまま転落人生を——————」

 

「待て待て待てぇッ! どんだけネガティブなんだよ! お前、天然、ドジっ子、天才、そんでネガティブって、どれだけ属性加えるんだ! 悪いと思うんだったら謝ればいいだろ! 先輩たちもそこまで気にしてないと思うしな!」

 

 彼女と話していると本当に先ほどまでとのギャップの差に頭が痛くなる。

 

 それもそうですね、とうんうん頷き気を取り戻す御影に太陽は当初から気になる質問を言う。

 

「てか、お前。なんでこの学校に転校して来たんだ?」

 

「ん? なんですか藪から棒に? 私が古坂さんと同じ学校だったって事が不満だったんですか? あれだけ一緒の学校だったらいいなって言ってたのに」

 

 ジト目で睨む御影に太陽は否定として手を横に振り。

 

「そういう訳で言っているんじゃねえよ。ここも一応は県で見れば強豪校だ。だけど、この街には私立でスポーツ科もある高校がある。そこの方が練習の環境や施設が整っているはずだが。なんでそっちに行かなかったんだ?」

 

 この街には都市と比べて高校数は少ないが、幾つか学校はある。

 太陽が口にする学校とは、推薦、特待でのみ入学出来るスポーツ科がある私立。

 鹿原高校よりも全ての部活に対して良い成績を残す有名な学校。

 

 テレビでも取り上げられるほどの実力を持つ御影に学校から声が掛からない訳がないと、太陽は疑問を投げる。

 

「私も最初はそこの学校に行くつもりでした。私が父の転勤に付いてこの街に来るって情報が流れたのか、その学校の関係者から是非我が校に来てくれって電話を何本も貰いましたしね。というよりも、私自身は陸上さえ出来ればどの学校でも良かったのですが、私がこの学校に来たのは二つの理由です」

 

 二つの理由? と首を傾げる太陽。

 御影は、はいと肯首するとその理由を告げた。

 

「一つは母の意向です。母は陸上一辺倒では駄目だという考えで。調べるとその私立の学校は確かに部活の成績は栄えある物で素晴らしいのですが、学業の方は乏しいみたいで。母は私に文武両道でいてほしいみたいで、出来れば進学校の方に行ってほしいと言ってました」

 

「……だからこの街で唯一の進学校のこの学校に来たのか……。母さんの事、尊敬してるんだな」

 

「それは勿論です。母は私にとって目標ですから」

 

 頬を指で撫でながら照れ臭そうにはにかむ御影。

 会った事はないが、娘にこんなに慕われるとは相当偉大な人なのだろうとしみじみ思う。

 

「……まぁ、そうは言いましたが。実際の話では、私がここに来ようと思ったのは二つ目の理由が切っ掛けだったんですが」

 

「そういえばそうだったな。その二つ目の理由ってのはなんなんだ?」

 

「二つ目の理由……それは、古坂さんにも話しましたよね? 一人暮らしが出来るにも関わらず、私が転校を決意したある人物のこと」

 

「………………」

 

 勿論覚えてる。

 だが、太陽はその名を口にはしなかった。

 

「渡口光さん。中学の時に私が初めて負けた相手。あの時の屈辱と悔しさは今でも忘れません」

 

「つまりお前が言いたいのは、そいつがこの学校にいるからこの学校を選んだってことか?」

 

 御影ははいと即答で認める。

 

「良くそのお前が倒したい相手がこの学校にいるって分かったな? 住んでる場所は学校名で大体分かっても、進学した学校なんて分かるものなのか?」

 

「スポーツ誌の人と関わりを持てば全国の有力選手の進学先なんて嫌でも耳にしますから。と言っても、知ったのはここ最近で、転校をすると決めた時に初めて知りました。その時です。私が渡口さんと同じ学校に行きたいって思ったのは」

 

「どうしてだ?」

 

「言いましたよね。ライバルが近くに居た方が成長できるって。同じ地区に住んでても一緒に走れるのは試合や合同練習の時ぐらいですが。同じ学校なら練習の時に競い合いながら走れる……そう思ってました」

 

 御影は一旦言葉を切って自身の後方に居る、他の部員たちへと振り返る。

 太陽も釣られてそちらの方に視線を持って行くが、御影は数秒周りを見渡した後、再び太陽の方へと向き直り。

 

「古坂さん。今日、渡口さんは学校をお休みだったんでしょうか? 部室で一切顔を合わしてませんが……」

 

 心配そうな表情で尋ねる御影。

 太陽はその質問から予測を立てる。

 

 御影と太陽、そして光は同級生。

 自分の転校理由である人物の登校は今朝の段階で把握できるだろう。

 だが、彼女は転校生な上にスポーツ選手として有名選手でもある。

 

 実際、御影が転校して来た日はちょっとした騒動で、彼女の在籍する教室に学校中の生徒たちが集い、多くの質問責めにあっていた。

 恐らく、それが原因で目的の人物を探す時間が取れなかったのかもしれない。

 

 それに、彼女の口ぶりから、無理して休み時間に探すよりも、結局は陸上部の部室で出会うからと高を括っていたのだろうが、その目論見は外れたらしい。

 

「折角渡口さんとまた走れると思ったのに、今日はお休みだったなら残念です……。ですが、少しおかしいんですよね?」

 

「……おかしいって、なにが?」

 

 しょぼんと肩を落す御影の疑念に、太陽はワンテンポ遅れて聞き返す。

 そして御影は人差し指で自分の頬を突く仕草をしながら少し前の出来事を話す。

 

「部活が始まる直前に、私は部員の方に「今日は渡口さんはお休みですか?」って聞いたんですが、何故かその人は困り顔で苦笑いだったんですよね……?」

 

「……一つ聞くが、お前。自分がこの学校、この土地に転校して来た理由を他の奴に言ったのか?」

 

「はい。自己紹介の時に。私の目標は渡口光さんと切磋琢磨して誰よりも彼女に勝ちたい、と。それがどうかしましたか?」

 

「………………」

 

 太陽は御影に光の休みを尋ねられた者の心情を察する。

 ここまで強い意気込みをした相手に、その好敵手は怪我が原因で一年前に辞めてますなんて言えるはずがない。

 曖昧なはぐらかした所為で御影に疑念を抱かせているが、多分太陽も同じ立場なら同じ反応をするだろう。

 

 ……だが、このまま事実をひた隠しに出来るとは到底思えない。

 今日が駄目なら明日、明日が駄目なら明後日、と、彼女は諦めないだろうから、いつかバレる。

 

 土手で彼女と再会した時、彼女からこの街に来た理由を聞いた時から、太陽は覚悟はしていた。

 太陽は一回深く息を吸い込み、そして気持ちを整えるべく軽く息を吐き、

 

「なぁ、晴峰、実は——————」

 

「あれ? 太陽君。こんな所でなにしてるの?」

 

 太陽の決しの台詞を述べようとした所、聞き覚えのある声に遮られた。

 声が聞こえた方角は前方、御影からすると後方。

 そこにはこれから部活なのか、それとも終わったのか知らないが、ギターケースを背中に背負い、肩に学生鞄をかけている高見沢千絵がいた。

 

「ち、千絵……」

 

 太陽は御影に言うはずだった真実の言葉を飲み込み、千絵の方から視線が動かない。

 

「(最悪のタイミングだ……なんでこんな時に!)」

 

 太陽は内心に千絵に空気を読めと悪態を付く。

 別に誰かに言葉を遮られた事に付いてではなく、ここで現れたのが千絵だから太陽は滅入っているのだ。

 先日での千絵との会話。

 千絵に強引に会話を切られて不完全燃焼となり、今でも心にモヤモヤが残っている太陽。

 改めて後日にその話を掘り返すのも嫌でうやむやにして忘れようとしたが、今日はなるべく千絵との接触を避けたが、今日の最後の最後で千絵に遭遇するのは太陽からすれば最悪だった。

 

「ち、千絵……な、なんだ? ギターケースとか背負って、これから部活か?」

 

「うん、そうだよ。今日は学校近くの練習スタジオが借りれるらしくて、これから部員皆でそこに向かうんだ」

 

「へ、へえー? そうなんだな」

 

 気まずくなって口を閉じてしまえば心を読み取られると思い言葉を選んでの会話。

 太陽がちぐはぐとした口調の割に、元凶の千絵はいつも通りだった。

 千絵は昨日の事はあまり気にしてないのか、と太陽は疑問に思う。

 

「古坂さんの知り合いですか?」

 

 太陽と千絵が話している傍ら、一時的に蚊帳の外に追い出されていた御影が太陽に問う。

 

「あ、あぁ。小、中からの同級生だ。高見沢千絵っていうんだ」

 

「どうもー! 2年A組、高見沢千絵です! 確か、今日転校して来た晴峰御影さんだよね!? 私、中学の頃に陸上の全国大会であなたの事知ってるんだ。凄くカッコよかった!」

 

 興奮気味の千絵。

 相手は一応若き天才選手として有名だから仕方がないだろう。

 だが、言葉のチョイスを誤ったかもしれない。

 

 千絵の言っていることは傍から見れば賛辞で可笑しい部分はないだろう。

 だが、御影の事情を知っている太陽からすれば、それは最悪の貶しに近い。

 

 千絵の言う全国大会とは―――――御影が初めて敗北に喫して、悔しさやトラウマを植え付けた忌まわしき試合なのだから……。

 

 千絵が土足で地雷を踏んでしまったのではとハラハラな太陽を他所に、御影は、

 

「ありがとう、高見沢さん。あの大会は負けてしまったけど、観客だった貴方にそう思えられて嬉しいな。これからは同じ学び舎に通う同級生だから、宜しくね」

 

 事情を知らない千絵に怒れないのかは定かではないが、太陽の心痛は杞憂に終わった。

 御影は優し気な笑顔を表し、友の契りを交わすかの様に手を差し出す。

 千絵も直ぐに片手を差し出した御影に対して、ガッチリ両手で包み込むように握り。

 

「うん! よろしくね、御影さん!」

 

 まさかの会って数分、数口交わした相手を名前呼びとは。

 小学生の頃の引っ込み思案だった千絵の成長を感慨深く太陽が思った頃だった。

 

「あれ? 千絵ちゃん先に行ったのかな? ゆっくり行ってるからって言ってたけど、何処にもいないんだけど?」

 

 その会話に旋風を巻き起こすかの様に発せられた第四者の声。

 忘れたくても忘れられない覚えきった声。

 太陽は瞼と眉が引っ掴んばかりに大きくを見開いた。

 

 太陽がバッとその声が聞こえた方へと視線を向けると、その者の姿が視界に入った。

 

「あっ、千絵ちゃんいたっ! ……たい……よう」

 

 目的人を発見して笑顔を浮かばしたその者は、その横に立つ太陽の姿を捉えて表情を曇らす。

 二人は目が合った、学校では出来る限りの接触を避けて来た二人だが、偶然にも無視出来ないぐらいに互いの存在を認識した。

 そう――――――その者は、古坂太陽の幼馴染であり、元カノの、渡口光。

 そして、

 

「見つけましたよ! 渡口光さんっ!」

 

 今日この時、嵐が来ると、太陽はそう予見せざる得なかった。

 

 



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好敵手の失墜

「見つけました、渡口光さんっ!」

 

 太陽、千絵を押し退け前に出る御影。

 校舎の影から姿を現した想い願った好敵手との再会に目を闘志で燃やしていた。

 一寸のブレのない指さしで御影は光をロックオン。

 

「えっと、漫画とかでこういう場合は、ここで会ったが百年目!……って言うんですっけ? 久しぶりですね、渡口光さん! 尋常に勝負に私と勝負しましょう! 中学での雪辱をいざ、晴らして頂きます!」

 

 一人やる気に燃える御影だが、周りの者たちとの温度の差が激しく閑散とした空気になる。

 

 唐突に勝負を挑まれた光だったが、彼女は困り顔で首を傾げ。

 

「えっと……確か貴方は、晴峰御影さんだったよね。久しぶり、元気してましたか?」

 

「はい。おかげ様で、心は一時期ズタボロにされましたが、今はこの通り元気で――――――じゃなくてですね! 何私の宣戦布告を無視(スルー)してるんですか!」

 

 自虐を入れながらのノリツッコみを入れる御影。

 そして彼女は、そのリアクションが恥ずかしかったのか頬を赤めらしてコホンと咳払いを入れる。

 薄々気づいていたが、御影は後で自らの発言を後悔するタイプらしい。

 

「もう一度言います。渡口さん! 中学の頃は惜敗してしまいましたが、あの後私は己の過信を捨てて一から鍛え、渡口さんにリベンジする為に頑張って来ました! 勿論これが本番だとは言いません。ですが、今の互いの実力の差の把握はこれからの精進にも繋がると思いますので、ここで一度勝負を―――――」

 

「ごめん、無理なんだ」

 

「そうです、そうです、ここで勝負は無理…………は?」

 

 御影からすれば光からの予想外の返答に目を点にする。

 

「え、えっと……渡口さん? 今、なんて言いましたか? 聞き間違いか、無理と聞こえましたが……」

 

「聞き間違いじゃないよ。無理って言ったんだ。その挑戦、ごめんだけど無理なの」

 

「……理由を聞いてもいいでしょうか……?」

 

「理由は単純だよ。私……陸上を辞めてるから」

 

 光からの言い渡された現状に御影は言葉を失った。

 その言葉を頭の中で理解するまで御影は数秒掛かり、

 

「ちょ―――――ちょっと待ってください! 辞めた? 陸上を!? 何故ですか!? あなたにはどれだけの才能が……。そう言えば、今気づきましたが、その背負っているギターケースは……?」

 

 気持ちを荒ぶらせて目に映っていなかったが、ここで御影は初めて光が背負っているギターケースを目視する。

 光はその問いに答えるべく、背負っているギターケースを腕で抱え込み。

 

「私、今陸上を辞めて軽音部に所属しているんだ。ついでにリードギター」

 

「リードギターとか、軽音部とかどうでもいいです……。なんで陸上を辞めたのですか! 渡口さんは全国大会にも出場できるほどの実力で、様々なスポーツメディアの方からも注目される選手じゃないですか! 自分で言うのもなんですが、私にも勝ったあなたが、なんで陸上を―――――」

 

 御影が言い終わる前に、光は自身の学校指定の黒のソックスを下ろし、その下の物を見せる。

 そのソックスの下は足の軽減を減らす為に巻いているのか、テーピングが巻かれていた。

 ファッションではないのは確かで、その状態を見てスポーツ選手の御影は直ぐに察した。

 

「……怪我、ですか?」

 

 光は無言で頷く。

 更に御影は質問する。

 

「どれくらい前に」

 

「去年の夏に」

 

「完治は……」

 

「現状で日常生活には支障はないけど、高校は諦めろって医者に言われちゃった」

 

「じゃ、じゃあ……あの約束は……」

 

 まだ現実を直視してないかの様な失意の瞳。

 彼女が落胆するのも無理はない。

 御影がこの土地に転校する事を決意したのは、彼女がライバルとして意識していた光がいるからで、御影にとって光は目標であって、いつかリベンジを果たすべき相手。

 だが、そんな御影に光は追い打ちと口を開く。

 

「約束って……なんだっけ?」

 

 その有り得ない一言に御影だけでなく、横で静聴していた太陽さえ驚愕に息を呑んだ。

 数秒静寂な空気が流れると、ハハッ……と力の籠ってない笑いを零した御影が光に尋ねる。

 

「じょ、冗談ですよ、ね? もしかして、聞いてないんですか、彼氏さんから……? 高校に上がったら、私があなたにもう一度勝負しましょうって……?」

 

 彼氏さん? と御影の言葉の中の単語に千絵が反応して、千絵は太陽に視線をやる。

 だが太陽は千絵からの突き刺さる視線が居た堪れずに顔を伏せるだけだが、御影の言う『彼氏さん』つまりは現在は元カレだが、これは太陽を指す。

 

 御影は中学の頃からガラリと容姿を変貌させた太陽に気づいてない所為でこの場でその事が言える。

 そして、太陽の名誉の為に言うのであれば、太陽はしっかりと御影の気持ちを光に伝えている。

 正確に言えば、御影が盛大に光への再戦を表明した現場を光自身が盗み聞きをしてたから、光は知っているはず。

 

 流石の太陽も、自分が伝えてないならいざ知らず、覚えてないに関してはどうしようもなかった。

 

 しかし、光はポンと手槌を打つと思い出しかの様に、

 

「そう言えば、そんな事”彼氏”から聞いたね。あの後色々あってすっかり忘れてたよ、ごめんね」

 

 あっけらかんと笑いながら形だけの謝罪をする光。

 だが一瞬、光が『彼氏』と口にした瞬間の眼は鋭く、太陽の方に向けられていた。

 太陽はそれに違和感を感じた。まるで、太陽は口出しするなと言わんばかりの……。

 

 「覚えててくれたなら、少し安心しました……。ですが、そうですか……。怪我なら仕方ないですね……。理由は分かりませんが、少し……いえ、かなり残念ですが。辛いのは私よりも、陸上が出来ない渡口さんですものね」

 

「うん。本当にごめんね、晴峰さん。だから、こんな馬鹿な私なんか忘れて、陸上部を優勝に導いてほしいな。晴峰さんなら、絶対に出来るって思ってるから」

 

 太陽はこの二人の会話を聞いて、あの時の光景が蘇る。

 中学の卒業式の日の、太陽が光に振られた、悲しい記憶を。

 

 思い出した太陽は怒り、悲しみの入り混じった感情が胸を締め付け、強く歯を噛む。

 だが、会話に割って入ろうといきり立とうとするも、言葉が出なかった。

 

 そして太陽を他所に、陸上部の悲願である全国大会優勝を託された御影は、そっと目を閉じ、そして自分の左手で右腕を強く握りしめ。

 

「……分かりました。もし、怪我さえなければ目指していたその目標、私が叶えてみせます。……それに、約束と言っても、あれは私が一方的に言った物で渡口さんは気にしないでください。……ですが、一つだけ言わせて貰いますと―――――――かなり、がっかりしました」

 

 御影は言い終わると浅く一礼して踵を返してその場を去る。

 そろそろ練習が再開するから、部員の所に戻らなくてはいけないのだろう。

 

 太陽は去って行く御影になんて声をかければいいのか分からず、その背が遠ざかるのを茫然と眺める事しか出来なかった。

 そして太陽の声が届かないほどに御影との距離が遠くなると、光は苦笑を零し。

 

「そう思われても仕方ないか。だって――――――自分が一番そう思ってるからね」

 



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光の真意

 光の声に茫然としていた太陽は我に返り、光もその場を去ろうとする瞬間、太陽は閉ざしていた口を開き。

 

「てめぇ、光ィ! あの言い方はなんなんだよ!」

 

 太陽の怒声が響き、周りの帰宅途中と思しき生徒たちが太陽たちの方へと視線を集める。

 太陽に呼び止められた光は再び太陽の方へと体を振り返らせ。

 

「あれ? 私の事は苗字で呼ぶんじゃなかったの? 古坂君」

 

 感情を読み取れない冷徹な目をする光に、太陽はたじろぐも、太陽は腕を横に薙ぎ。

 

「うるせぇよ! そんな事はどうでもいいだろうが! お前、なんだよマジであの態度はよ! 知っているのか! あいつが、晴峰がどんな思いでこの街に来たのか!」

 

 激高する太陽に対して、感心を示さない冷えた態度の光はふーんと前付を付け。

 

「知るわけないじゃん。私、晴峰さんとまともに話したの今回が初めてだよ? なのに、初会話の彼女の心情が分かるって、私はエスパーかなにかかな?」

 

 当たり前だが、普通の人間は人の心を読み取れない。

 長い付き合いがあるのであれば、読み取れなくとも察する事は可能だが、光と御影の関係は浅い。

 中学の頃に一度だけ競技場で相見えただけで、光は彼女の心なんて察する事は出来ない。

 

 太陽も分かってる。そんなことは。

 だが、太陽は光の人の心を引き裂くような身勝手な発言に怒り心頭だった。

 

「あいつはな! お前との再戦が自分を奮い立たせる活力だったんだよ! 天才のあいつが、お前に勝ちたいって、今度はお前に負けないって、あの日から今日まで頑張って来たんだと思うぜ! お前言っただろあの時、『私も負けるつもりはない』って!?」

 

 光は直接に言い渡された訳ではないが、盗み聞きな形で聞いていた。

 その時の光の眼は、今の御影同様のライバルに闘志を燃やす滾った目をしていた。

 恐らく、あの時のあの表情、あの言葉に嘘偽りはないのだろうが、想いは年月を重ねるごとに薄れて行く。

 

 御影が今でも胸に掲げていた再戦。

 だが、当の本人は言われるまですっかり忘れていたかの様な失礼な態度。

 しかもそれを躊躇いもなく隠すつもりもなく言ってのける光の態度に、太陽は震えた拳を力一杯握りしめ。

 

「お前の怪我にとやかく言うつもりはねえ。オーバーワークだろうがなんだろうが、晴峰(あいつ)の言う通り、一番辛いのはお前なんだからよ……」

 

 太陽は振り返ろうとした時の御影の一瞬の表情が見えた。

 毅然とした表情を貫き通そうとした御影だろうが、ほんの一瞬だけ気が緩んだのか、悲しそな表情をしていた。

 太陽はあの表情に見覚えがあった。

 

「……だがよ! お前にとって約束ってはどうでもいいものなのかよ! そんな簡単に反故出来るものなのかよ! 御影との約束といい―――――あの公園での約束といい! お前にとって、約束って大した物じゃないって切り捨てられるものなのかよ! その約束を大切にしている相手に対して、どうも思わねえのか!?」

 

 喉が擦り切れんばかりの怒声を張り上げ、太陽は息を切らして肩で呼吸をする。

 怒声がグラウンドの空気を払いのけ、遠くから聞こえる部活生の練習の声以外聞こえない閑散とする場。

 そんな状況で一番最初に動いたのが、予想外にも千絵だった。

 

 千絵はギュッと太陽の制服の袖を指で掴み、俯いたままに囁く。

 

「……ごめんね、太陽君……」

 

「……どうしてお前が謝るん―――――」

 

 怯えたかの様な小刻みに震える千絵の指。

 俯いて千絵の顔は見えないが、声音から千絵の悲嘆の感情が伝わる。

 

 太陽が千絵に最後まで言葉を言い切ろうとするが、千絵の行動がピストル合図だったかの様に、光が口を開いた。

 

「…………よかったの……」

 

 ん? と消え入りそうな程に小さく発せられた光の言葉に太陽が反応すると、千絵同様に顔を俯かしていた光が顔を上げる―――――その目に涙を蓄えながら。

 

「じゃあなんて言えばよかったの! あの時、晴峰さんから再戦を申し込まれた時、私はなんて言えばよかったの!」

 

「お、お前……」

 

 久々に見る光の荒ぶった表情。

 太陽は光と疎遠になっていたというのもあるが、光は滅多な事で声を荒げる事はない。

 光がこんな風に感情を爆発させたのを見るのは、中学2年の頃が最後だ。

 

 光の態度の一片に固まる太陽へと光は近づき、鋭い目が太陽を捉えて離さなかった。

 

「晴峰さんとの約束をどうでもいいなんて……忘れた事なんて一度もないよ!」

 

 光の、その御影との会話や先ほどまでの自分との会話の発言を覆す一言に太陽は驚く。

 光は確かに言った。

 

―――――御影との約束は忘れていた、と。

 

 だが、目尻に涙が溜まっているものの、太陽を突き刺す睨みつける様な眼をする光から嘘は見受けられなかった。

 

 そして、太陽が何かを言おうと口にするよりも先に光は捲し立てる様に言葉を放つ。

 

「私たち同い年で陸上を携わる者からすれば、晴峰さんは天上の人で、憧れで、目標でもあるんだ人! 私も、陸上をしていた頃は、こんな凄い選手と一度でいいから一緒に走りたい。出来る事ならこの人を超えたい。そう思って練習をしてた!」

 

 知っている。

 光が陸上を始めてから二人の恋が別れるまで、最も彼女を近くで見守って来たのが他でもない太陽だ。

 光が御影を目標に頑張って来た事は知らなかったが、彼女の練習で流した汗、辛くも己に鞭打ち取り組んだ姿を太陽は知っている。

 

「そんな人にだよ……。私は中学の頃に、全国大会って言う大舞台で、初めて戦って、初めて勝った! 嬉しかった! あの時の興奮を昨日の様に覚えてるよ!」

 

 それはスポーツを取り組む者が誰もが欲し、そして夢叶えられずに儚く消えてゆく。

 勝負には勝者と敗者がいて、喜ぶ勝者の他に苦汁を舐める敗者もいる。

 勝者の喜びを得られる者は一握りで、殆ど者が敗者だが、光は努力の甲斐あって、勝利の喜びを感じる事が出来た。

 だが先にも言ったが、勝利を喜ぶ勝者()とは別に、敗北を得た敗者(御影)もいる。

 

「あの時本当に陸上をしていて良かったって思った。努力が実を結んで、頑張ってきて本当に良かったって思った。そして、それ以上に――――――晴峰さんにもう一度勝負したいって思われた事が本当に嬉しかった!」

 

 直接言われた訳ではない。

 だが、間接的とは言え、光は自分が憧れ目標にしている人物から再戦したいと言われた事が嬉しかったようだ。

 アマチュアの選手なら一度でもプロと一緒に競えられる事は最上の喜びかもしれない。

 光はそれと同じ感情を御影に向けて抱いていたのだろう。

 

「……太陽に言われなくても、晴峰さんがどうしてこの学校に転校して来たのか、大体の理由は予想出来るよ。……どうして……。どうしてここに転校(きた)のかな……。晴峰さんには悪いと思ってたけど、約束……あのままウヤムヤになってくれたらよかったのに……」

 

 ここまでで太陽は光に対して一言も口を出す事が出来なかった。

 昔からそうだ。

 こうやって叫びたてる光には、太陽はいつも黙って聞いている事しか出来なかった。

 それが、彼女に怨情を抱いていようとも……。

 

「本当に馬鹿だよ……私は」

 

 顔を俯かして涙の雫を落す光はゆっくりと顔を上げた。

 そして頑丈に塗り固められた壁画の様な作られた笑顔を浮かばし。

 

「こんな事になるんだったら、求めなければ良かった……。もう手に入らない、いや……私が得る資格がない物を求めて、無茶した結果、更に嫌われる相手を作ったんだから……」

 

「……お前。何が言いたいんだ……?」

 

 太陽はやっと言葉を口に出来た。

 だが、絞り出して吐き出した声量は弱かった。

 

 太陽の問に光は一拍の間を空けて答えた。

 否、それは答えたと言うべき言葉かは分からない。

 何故なら――――――

 

「……太陽には、関係ないよ」

 

 その言葉を最後に会話を切り、光は踵を返して歩き出す。

 だが、数歩歩いた所で光は立ち止まり、太陽の顔を見ずに話しだす。

 

「ほんと私って、約束に振り回される人生なんだね……」

 

 意味深に口にした光の言葉。

 その言葉の意味を問いただす前に光は颯爽と再び歩き出す。

 数秒思考を止めて茫然と立つ太陽だが、そんな太陽の背中をポンと叩く感触。

 それは太陽と光の会話を横で無言で見守り聞いていた、もう一人の幼馴染の千絵の手だった。

 

「……ごめんね、太陽君。けど、光ちゃんを責めないであげて。光ちゃん。いつも笑顔で気丈に周りに振る舞うけど、本当は凄く傷つきやすい、弱い子だから……」

 

 光の一方的な激昂への擁護を口にする千絵。

 千絵の焦る態度が見え、恐らくこれ以上二人の溝を広める訳にはいかないへのお節介かもしれない。

 だが、そんな千絵の心遣いを遮る様に、太陽は一人遠のく光の背中を指で差し。

 

「……いいのか? あいつ、もう先に行ってるぞ。部活の練習なんだろ? 先輩待たせるといけないから、さっさと追いかけてやれ」

 

 太陽が言うと、千絵は本来の目的を思い出したかの様なハッと表情に出す。

 だが、このまま行っていいのか、それとも光の擁護を続行すればいいのか視線を光と太陽を行ったり来たりさせてると。

 

「大丈夫だ。分かってる。お前の言いたい事は。だから、さっさと行ってやれ」

 

 しどろもどろする千絵を落ち着かせようと、力強く彼女の髪をワシャワシャと掻く太陽。

 千絵は乱れた自身の髪を軽く撫でると、

 

「……分かった。その言葉信じるよ。じゃあ、また明日ね、太陽君」

 

 千絵は太陽の大丈夫という言葉を信じ、即興で作った笑顔で太陽に手を振る。

 太陽が手を振り返すと、千絵は急いで光を追いかけた。

 

 先日の近所であった太陽と光の修羅場とは違う、二人の喧嘩とも取れるやり取り。

 それを不思議とどこか、太陽は懐かしく思えた。

 

 太陽と光は昔から口の言い合い、最悪の場合は男女であろうと殴り合いの喧嘩もした事がある。

 それをいつも止めてくれたのが、涙目の千絵で、二人の仲が裂けないように互いの擁護をしていた。

 子供であろうと高校生であろうと、二人の間にはいつも千絵がいた。

 

 しかし、そんな千絵の口にした言葉が、太陽の胸にしこりを作っていた。

 

『光ちゃん。いつも笑顔で気丈に周りに振る舞うけど、本当は凄く傷つきやすい、弱い子だから……』

 

「……知ってるよ」

 

 千絵が口にして、彼女がいなくなってからの時間差を持って、太陽は誰も聞いてない虚空を見上げて答えた。

 

 そう。太陽は知っている。

 幼馴染だから、ずっと一緒にいたから知っている。

 だが、それを一蹴するかの様に失笑を零し、

 

「だがよ。そんな傷つきやすい弱い奴が……あんな風に人を振る訳ねえだろうが、馬鹿」

 

 

 



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陸上と軽音の間で

 太陽と別れて、先に先輩が到着しているスタジオに向かった光と千絵。

 

 二人が所属する部は軽音部。

 部員は3年生が2人で、2年生が3人、1年生は0人の計5人。

 一応正式な部であるが、軽音部に部室は用意されておらず、基本的には自主練が主。

 だが、時折音楽は合わせないと完成出来ないから、予約制のスタジオを借りてここで練習をする。

 

 練習を開始して30分。

 練習の成果を試す為に、一通り演奏する。

 曲は2曲。1曲目がカバーソングで、2曲目はオリジナルソング。

 オリジナルソングは作曲知識のない光、千絵では無理で、作曲は二人の同学年であるキーボード担当の朝木美緒。作詞は3年生のベース担当の原田麻衣。

 もう一人の3年でドラム担当越智瀬奈は部長と言う肩書の練習場などを確保する雑用係。ギター担当の光と千絵も越智の手伝いに当たる。

 

 鹿原高校軽音部『victoria』が結成されて2か月。その練習の成果は、

 

「…………渡口。何かあったの?」

 

「どうしてですか?」

 

 自分たちの持ち曲を演奏し終えた矢先に、部長の越智が光に苦い顔で尋ねてくる。

 光は怪訝そうに聞き返すと、越智はドラムスティックを光に指し。

 

「なんていうか、感情が籠ってないと言うか、上の空でギターを弾いていると言うか。前は弾けてた個所を何回もミスしているし。今日何かあったのかなーって思ってさ」

 

 光に指していたスティックで自分の肩を叩く越智が光の演奏を指摘する。

 指摘された光は眉を一瞬引くつかせると、浅く頭を下げて。

 

「すみません。別にそういう訳じゃないんですが。ミスは単なる練習不足なだけで、今度の練習には覚えて来ます」

 

「いやいや。別に渡口を責めてる訳じゃないよ? 高2で始めた初心者の割には上達速いし。どちらかと言うと単純なミスが多いのは、高見沢の方だけどな」

 

 越智の視線が我関せずの千絵の方に向けられると、千絵は睨みつけられたカエルの様に少し飛び跳ねる。

 が、特にそれを言及はせずに越智の目線は再び光に戻り。

 

「まあ、大体の理由は分かるんだけどさ」

 

 越智の言葉に光と千絵は表情を強張らす。

 もしかしてあの場面を見られた?と頭によぎる。

 だが、グラウンドの隅とは言え校門を通る道に近い場所。周りにちらほらと生徒たちが居たから、見られていても不思議ではないが、知人にあの場面を見られるのは色々と面倒だった。

 

「……見てたんですか?」

 

 光が弱そうな声音で越智に尋ねるが、越智は小首を傾げ。

 

「見たってなにが?」

 

 彼女は知っていて聞き返しているのか、光は更に言葉を進める。

 

「グランドでの、私たちのやり取りをです……」

 

 再び光が越智に聞くと、越智は首を横に振り。

 

「何を言っているのか分からないけど。私は学校が終わったら直ぐにここに来たからな。何かあったのか?」

 

 どうやらこの人は本当に知らないようだ。

 別に聞かれた、見られたからと言ってマズイって訳ではないが、何となく安堵の息を零す光は顔を横に振り。

 

「別になんでもありません。気にしないでください」

 

 ふーん?と少し納得がいかない越智だが、これ以上の追及はせまいと話題を戻す。

 

「まあ、お前が気にしている事ってのは大体分かるよ。はるみね……だったか? 今日うちに転校して来た天才陸上選手。それがお前の後ろ髪を引いてるんだろ?」

 

 革新を突く鋭い推測。

 殆ど正解だ。

 現在の光のモチベーションは限りなく低い。その原因の一つが越智の言う晴峰の件だった。

 

「……どうしてそう思うんですか?」

 

「いや、だってな。お前も入学当初は期待を寄せられてた陸上選手だっただろ? 怪我して引退したとはいえ、陸上に対して未練がない訳がない。怪我さえなければ、こんな廃部寸前だった軽音部に入る訳がないからな」

 

 そんなわけない、光は即座に否定しようとしたが、実際怪我さえなければこの部に入っていなかったというのは事実故に言葉が出せなかった。

 

 越智が言いたい事はこうだった。

 光は元とは言え陸上部の期待の星で、全国大会にも出場が出来るかもしれない程の有力選手。

 だが、1年前に怪我をして泣く泣く陸上部を引退。

 その後に偶然とはいえ、後釜で光と同等の実力を持つ御影が入部した事で何か思うところがあるんじゃないか?

 と言う事だった。

 

 その気持ちが演奏に響いて単純なミスを連発させている。

 音楽は演奏者の気持ち次第で音色が変る繊細な美術。

 そして部長だからか部員をしっかり見ている様子で、光の変化に気づいていた。

 

「それで? 私の推測は違ったかな?」

 

「(概ね)合っています。……すみません」

 

「いやいやだから。別に私は渡口を責めている訳じゃないって。逆に気にするなって言う方が酷だろ? スポーツ選手なら、そんな凄い選手と競いたいって思うだろうからさ。いやー熱いよね、ライバル達と切磋琢磨に競い合って己を高めていくあの気持ちって」

 

 当たり前だが、越智は光と御影の過去を知らない。

 一度中学で競った事があるが、それを知らない越智は二人は面識がないと思っている。

 別にそこを指摘するつもりはない光は、少し路線を変更させようと、

 

「越智さんって何かスポーツやってたんですか?」

 

 どうやら越智はスポーツ選手が持つ闘争心を理解しており、だから越智も何かしらのスポーツ経験があるのではと尋ねるが、彼女はキョトンとした表情で。

 

「え? 別にないけど?」

 

 ないんかい! と光は強くツッコもうとしたがグッと堪える。

 

「まあ、なんだ。正直言って、気にするなとは言わないけど。陸上《あっち》は陸上《あっち》、音楽《こっち》は音楽《こっち》で気持ちを切り替えて欲しいってのはあるかな」

 

 再び光が逸らそうとした話題を戻され、光は越智からの苦言に憮然な表情で頭を下げ。

 

「……すみません」

 

 責めている訳ではないが、再三謝罪する光に越智は同じ事は言わなかった。

 越智は椅子から立ち上がると、光の方へと歩み寄り。

 

「正直、私や原田は、お前が入って来て感謝しているんだぞ? 勿論、高見沢と朝木もな。お前たちが入って来なかったら、春の間にこの部は廃部だったんだから」

 

 鹿原高校で正式に部として認定される部員数は5名以上。

 4名以下なら同好会だが、同好会の期限は2年間。それまでに部員を5名以上にしなければ廃部となる。

 越智と原田は高1の春に軽音同好会を作ったが、中々部員集めに悪戦苦闘をして集めきれず。

 今年の春に廃部を覚悟して終わりの時を待っていた時、最初は朝木が入部をして、続くように千絵と光が入部をして、この部は存続出来る事になった。

 

「ライブ、つまりは文化祭だけど、正式な部じゃないと演奏が出来ないってふざけた規則があって、私たちは2年間演奏が出来なかった。だけど、ようやく高校最後の年に演奏が出来るんだ。本当に嬉しかったんだぜ」

 

 5人になって初めて出られるライブ。

 3年の越智、原田にとっては最初で最後のライブ。

 2人にとって精一杯の思い出を作りたいと思っているはず、だが。

 

「けど、私は別に無理強いはしないし、したくない相手と演奏もしたくない。お前がまだ陸上に未練があるんだったら、それが晴れるまで無理に何かに縋る必要はないぞ」

 

 越智はポンと光の肩を叩き、

 

「まあ、せめて幽霊部員として名前だけは部に在籍してほしいが。なーに気にするな。私も越智も、今年まで何もしてこなかった訳じゃないし、最悪、二人でライブを完遂させてやるよ」

 

 部長として先輩として、光の肩の荷を下ろす為の言葉。

 その心遣いに光は涙を流しかけるが、それと同時に罪悪感で胸が痛い。

 

―――――こんな良い先輩がいるのに、陸上復帰をしていいのだろうか……。



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多数の誤解

 時刻は夕暮れを過ぎ、日が沈み、月が上りかけた頃。

 太陽は一人、校門の壁に凭れて誰かを待っていた。

 その太陽の待ち人の人物は、

 

「あれ? 古坂さん。どうしてまだここにいるんですか?」

 

 陸上部の練習を終え帰宅するであろう晴峰御影。

 彼女と一緒に下校をしようと付いていたのか、他の陸上部員もいた。

 太陽は背中を壁から離し、御影に向き直ると端的に目的を言う。

 

「お前を待ってたんだよ、晴峰。お前に言いたい事があって」

 

「…………はい?」

 

 太陽は無意識に口にした所為で分からなかったが、何故か御影は頬を紅潮させており、彼女と下校を共にしようとしていた陸上部員も近所迷惑にならない程度の声量で黄色い歓声を上げていた。

 太陽が彼女たちの反応に訝し気にしていると、部員の一人が、

 

「ではでは。ここからは若い者たち同士で、ごゆっくり、晴峰さん!」

 

「なんですかその親指、あっ、皆さんも!? って、練習後で疲れたーって言ってませんでしたっけ!? 元気に走り出して、ちょっと待って!」

 

 部員たちは全員親指を立てご武運をと言わんばかりのエールを送ると、練習後で疲労いていたはずの部員たちは颯爽とその場を離れて行った。

 嵐の様に去って行く部員たちをポカーンと眺めていた御影。

 良く分からないと太陽は後ろ髪を掻くが、彼女たちが居なくなってある意味丁度良いと御影へと向き直り。

 

「なあ、晴峰」

 

「ちょーっと待ってください!」

 

 太陽の声に我に返った御影は手を激しく振り太陽の口を止める。

 今に破裂しそうな程に顔を真っ赤に染める御影は、あたふたとしながら。

 

「ま、待ってください、古坂さん! 少し早すぎませんか!? 私たち、まだ会って2日目ですし、まだ互いの事を知らないと言いますか!? いや、別に古坂さんが嫌だって言う訳じゃなくて、ありかなしかと言われればありと言いたいですが、少し心の準備が出来てませんし、もう少し順序を踏まえて、互いの事を知ってからもう一度―――――」

 

「…………何言ってるんだ?」

 

 顔を紅葉の様に真っ赤に染めながら狼狽していた御影は、冷静な太陽の問にへ?とまぬけな声を漏らす。

 そして――――――――

 

「んで? お前は何と勘違いしてたんだ?」

 

「…………聞かないでください聞かないでください聞かないでください」

 

 壊れたCDプレイヤーみたいに同じ言葉を連ねて発しながら、今度は違う意味で顔を真っ赤にして、そんな顔を手で覆いながらしゃがんで俯いていた。

 どうやら御影は何かと誤解していた様で、太陽の用事を聞くと誤解が解け、羞恥で立っていられない様子。

 

「……それでですが。なんですか私への用事って……。私、練習後で疲れてるんですが?」

 

 自分の事はこれ以上追及するなと言わんばかりの悪態づく口ぶりで唇を尖らす御影。

 太陽も御影が何を勘違いしていたのか問いただしたい所だったが、彼女の言う通りに御影は陸上の練習後で疲労してるだろうし、時間もそこそこ遅い。

 自分も早く帰りたいことと、彼女をあまり呼び止める事も出来ないので話を進める。

 

「……なんだ、あの、その……ごめんな」

 

「ん? なにを謝ってるんですか古坂さん? 私、古坂さんに謝らせる様な事されましたっけ?」

 

 太陽の謝罪に訝し気に首を捻る御影。

 太陽は自らの謝罪の意味を言う。

 

「ほら、渡口の事だ。黙っててスマン……」

 

 太陽が謝罪の理由を言うと、御影は納得とあぁーと零し。

 

「別に古坂さんが悪い事はないです。あの後部員の方にも聞いたら、渡口さん(本人)と同じ事を言われました。そして「黙っててごめんなさい!」って謝れもしました。今の古坂さんみたいに」

 

 へへ、と頬を掻きながら半笑いの御影は、そっと沈んだ瞳を下げ。

 

「私の方こそすみませんでした。知らなかったとは言え、私は嬉々として渡口さんとの再戦を言ってましたから、真実を言おうとも言えなかったのですよね? ……もし、私も逆の立場なら同じ様な事をしていたと思います。ですので、本当に気にしないでください」

 

 御影の笑顔に悲嘆の色が混ざるが、太陽に向けての怒りは見受けられなかった。

 逆に相手に心苦しい想いと気遣いをさせてしまった事への罪悪感を感じられる。

 

 本当に彼女は気にしてないのだろうが、太陽にはもう一つ謝るべき事があった。

 

「後、渡口の態度、それも謝っとく」

 

「さっきのもですが、それこそなんで古坂さんが謝るんですか? キツイ言葉ですが、古坂さんには関係なくないですか?」

 

 最もな疑問だ。太陽はその返答への返しも考えていた。

 

「あいつとは腐れ縁でな。あいつの態度でお前の気分を害したんじゃないのかって思ってよ」

 

「そうだったんですか……そう言えば、何となく二人は知り合いって雰囲気でしたものね。ここは小、中の学校数が少ないですから、不思議ではないですね」

 

 勿論だが、日本の都市である東京生まれの御影は田舎を皮肉で言っている訳ではない。

 そして太陽も、諸々の理由がある故に知人と名乗ったが、元恋人という関係は伏せていた。

 

「だから、よ。あいつの怪我は仕方ない事だから気を落さないでくれ。折角転校して来たんだからさ、気分を害したままで過ごすのも勿体ないし、ここは田舎だけど、山に囲まれて自然が一杯で―――――」

 

 狼狽気味にあわわと御影に取り繕いの言葉を投げるが、これは決して光の為ではない事を理解してほしい。

 太陽はあくまで御影を励ます為に夕日が沈む時刻まで彼女を待っていたのだ。

 

 御影は東京に残れる環境があるにも関わらず、車が無いと不便な田舎に引っ越して来た理由は散々語られた。

 中学に天才と謳われ同級で無敗だった自分を打ち負かした(好敵手)との再戦。

 しかし、その夢はその者の怪我と言う形で気泡に終わった。

 御影のモチベーションは光との再戦。

 だが、それが叶わなくなってしまった今、それを燃料にして頑張って来た御影の熱意が損なわれるのではと危惧をして、太陽は少しでも持ち直させようと躍起になっているのだが、

 

「もう、そんな心配しなくても大丈夫ですよ。私、気にしてませんから」

 

 クスクス笑う御影の言葉に太陽は目を点にして、

 

「そ、それはないだろ……? お前、めちゃくちゃあいつとの再戦楽しみにしてたんじゃねえか。あんな目をキラキラ、闘志をギラギラしてたお前が気にしてない訳がないだろ」

 

 太陽の反論に御影は苦笑して、

 

「ハハッ……バレちゃいましたか。まあ、正解なんですが。気にしてない……と言われたら嘘になりますが、やっぱり精神的には来てますね。あの後も少し調子を崩してばてちゃいましたから」

 

 お恥ずかしいと手を後頭部に当てながら空元気に笑う御影。

 太陽、そして自らを誤魔化す様な笑いをする彼女だが、徐々に途切れ途切れになって最後は口を閉じ。

 

「……私にとっては渡口さんは超えるべき存在で、初めてもう一度戦いたいと思った相手です。ですが、やっぱりしょうがありませんよ。怪我をした渡口さんが一番辛いんですから」

 

「お前、あいつの時も同じ事を言ったが、渡口はお前との約束を忘れてたんだぜ? そんな相手に気遣いの言葉を言う必要はあるのか?」

 

 太陽は光の心情を知っている。

 だが、敢えてそれを言う必要はないと言い、光の心情を聞かずに離れたままの御影に合わせる様に会話を続ける。

 

「こんな事言うのはどうかと思うが、怪我をして辛いのは兎も角でも、自分の身体の管理が出来なかったあいつの自業自得だろ? だから、晴峰は怒る権利はあれど、斟酌する義理はないだろうに」

 

「……そういう事、あまり言わないでほしいですね」

 

 御影の反応に太陽はそっと彼女の方に目線を向ける。

 

「確かに古坂さんのおっしゃる通り、スポーツ選手は不意でも故意でも怪我をしてしまえば自業自得です。ですが、それでもこれまでの努力が水泡に戻る辛さは想像を超えます。それに、私の気のせいかもしれませんが、渡口さん、私との約束を忘れていないと思います」

 

 ピクリと太陽の眉が反応する。

 太陽は直接本人から言われたから知っているが、あの事は御影は知らないはずだ。

 

「……なぜ、そんな事が言えるんだ?」

 

 純粋な疑問に御影は自らも分からないとばかりの顎に手を当て。

 

「自分でもよくは分かりません。ですが、筋肉の動き……でしょうか? 渡口さん。あの時体全体に力を入れていると言いますか、凄く狼狽えている感じでした」

 

 太陽は彼女が何を言っているのか全然理解出来なかった。

 筋肉の動きと言うが、学校の制服は下はスカートで上は半袖だから確かに肌は見える。

 だが、筋肉の動きは客観的に捉えられるのかと甚だ信じられない事項だ。

 

「(……だけど、変な所で鋭いなこいつ。殆ど正解じゃねえかよ)」

 

 スポーツ選手としての勘なのか、それとも単なる当てずっぽうなのかは定かではないが、一応正解している事に内心感嘆の声を漏らす。

 

「それが当たってたら、お前はどうするんだ?」

 

「うーん、とですね。正直分かりません。あれが嘘だったとしても、何故嘘を吐くのかと疑問に思いますし、許せる事ではありません。こればかりは渡口さん(本人)に聞くしかありませんから」

 

 確かにそうだと太陽は苦笑して返す。

 そして、御影はそっと少しだけ目を閉じると、揚りかかってる丸い月を仰ぎ。

 

「それに……これでも分かりませんが。渡口さん……本当にこのままで終わるんですかね?」

 

 地味に御影の勘は当たる。

 これは太陽がその事実を知っているから検証できる事であって、今口にした言葉に良い返しが出来ず。

 

「……さあな」

 

 とだけ返す。

 それに御影も、

 

「そうですよね」

 

 と笑って返す。

 ハハハッと笑い合う二人。

 傍から見れば二人は何に見えるだろうか。

 

 暫く笑い合った二人だが、そうでしたと御影が笑いを切り。

 

「そう言えば私、古坂さんに頼みたい事があったんでした」

 

「俺にか?」

 

 太陽は自分に指を差し聞き返すと、はいと御影は頷き。

 

「正確に言えば誰でもいいのですが。丁度タイミングが良いですので、この際古坂さんに頼みましょう」

 

「……お前、俺に喧嘩でも売ってるのか?」

 

 この際と言われてカチンと来ない人間はいるのだろうか?

 失言と可愛らしく舌を出す御影に、太陽はバツの悪い顔で髪を掻き。

 

「……んで? 俺に頼みってなに?」

 

「えっとですね、それは――――――」

 



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練習場所探索

 鹿原高校2年、古坂太陽はまだ日が昇って間もない霧のかかった早朝で、一人川辺の草部に座っていた。

 

「……たくよぉ……。あいつから頼んだ癖に遅刻って、あいつ”も”案外時間にルーズなのか?」

 

 太陽は手に握る携帯で時間を確認して不満を垂らす。

 時刻は午前5時30分で、彼女が指定した時刻は5時。

 30分の遅刻になる。

 なのに彼女の姿が見えない。

 

 彼女、晴峰御影なのだが、昨日の下校時に彼女が太陽にお願い事をしてきた。

 それは、この街で自主練に最適な場所はないのか、あるなら案内をしてほしいという頼みだ。

 御影は陸上のスポーツ選手。学校や部活が休みでも研鑽を怠らせたくないと練習に最適な場所を探していたようだ。

 偶然にも太陽はその場所に心当たりがあり、その頼みを請け負ったのだが。

 

「……もう帰ろうかな……眠ぃ……」

 

 ふわぁ……と大きな欠伸をして気だるそうに零す太陽。

 元々太陽は朝が強い訳ではないが、頼み事をされればやぶさかではなく、眠気が残る体に鞭打って来たのだが、肝心の御影はいなかった。

 もしかして騙されたか?と思ったが、御影の性格からしてないだろうと除外され、残るは、

 

「寝坊か……。てか、なんでこんな朝なんだ? 別に夕方でも休みの日でもいいのによ……」

 

 そもそもな疑問を言っても遅い。

 太陽は来ない相手を待ってても時間の無駄だと腰を浮かせた時だった。

 

「すみません古坂さん! お待たせしました!」

 

 中腰の態勢でピタリと止まった太陽は声の聞こえた方へと顔を向ける。

 その目線の先には走ってこちらに向かっている御影の姿があった。

 

「遅いぞ晴峰! お前、30分の遅刻だぞ、まったくよ! お前が頼んだ癖に!」

 

「ご、ごめんなさい……。少し迷ってしまって」

 

「迷ったって……。ここに来る道をか?」

 

 太陽は呆れて首を傾ける。

 二人が今いる場所は二人が初めて?出会った川辺だ。

 ここなら二人も分かると言い出したのは彼女の方だ。

 だが、彼女はあっけらかんとした表情で、

 

「いえ、行くか行かないかで迷ってふがっ!」

 

「なに、ピクニックで持っていくパンの名前をしたコンビのネタみたいなボケしてるんだゴラッ」

 

 とんでもない御影の一言に太陽は口よりも早くにチョップが彼女の頭を打った。

 ヒリヒリするのか御影は叩かれた部分を摩りながら言い訳を述べる。

 

「だってですよ。練習で疲れ切った体に染み渡るお風呂。空腹の虫が鳴るお腹を満たすご飯。そして、私を優しく包み込み夢の世界に連れて行ってくれるお布団――――――こんな至福の三重を味わった私は、朝早くになんて起きれませんよ! 正直、後1分遅かったら私はここに来ずに3度寝してました!」

 

「うん、OK。お前もう喋るな。俺の中でのお前のイメージが全速力で瓦解してるから」

 

 話せば話すほどに太陽は御影の残念さを思い知らされる。

 しかも、それなら先ほど太陽が言った様に、夕方が休日にすればいいのにと理解不能である。

 太陽は陰鬱にため息を吐くと、自分たちが行く方角を指さし。

 

「もう茶番はいいからさっさと行くぞ。学校に遅れちまうからよ」

 

「そうですね」

 

 登校までにはまだ時間に余裕があるのだが、無駄に時間を費やす訳にも行かず、太陽はさっさと頼み事を済ませたかった。

 太陽が先導をして、その後を御影が追いかける。

 

 二人が歩き出して15分ぐらいの所。

 表通りではなく、裏道を通り、少し複雑な道を進んだ道で太陽は足を止め。

 

「えっと、お前の要望だと、足腰が鍛えられる様な坂や階段がある場所はないのかだったよな?」

 

「はい。スポーツ選手は足腰が大事ですから、出来れば負担の掛かる様な長くて急な坂か階段がいいですね」

 

 太陽は事前に御影の要望を聞いており、太陽は自分が知りえる中でその要望に沿った場所をピックアップして、ここを選んだ。

 

「ならここはいいんじゃないか? 小さい頃は良く上り下りしてたが、めちゃくちゃきつかったぞ」

 

 太陽が指さしたのは石で整備された階段と坂があり。

 長く続く階段、S字が続きながら登れるようになっている坂。

 幼少の頃の太陽は良くこの道を使ったが、当時は全力が最後まで続かない程に辛かった。

 

「そうですね。確かにここなら良い鍛え場所になるかもしれません。……が、一つだけ不満があるとすれば」

 

 先ほどまで視界に入れたくないと見ぬフリをしていたが、御影はチラと横目を向ける。

 

「どうしたんだ? 何が不満なんだ?」

 

「いや、えっと……坂や階段に関しての不満はないんですが……」

 

 御影はちょんちょんと横を指さす。

 太陽も御影の指の動きに誘導されて彼女の指の先を見る。

 

「なんだ、墓地があるだけじゃねえか」

 

「そうです墓地です! 大事な祖先の方々が眠る墓地があります! それで何かないのでしょうか!?」

 

「ん? 墓地は墓地だろ?」

 

 何故御影が必死に大声を出すのか分からない太陽に御影はわなわなと体を震わせ。

 

「私! 早朝や練習後の夕暮れ、休日とかにもここを走ろうと思ってました! ですが、早朝や休日は兎も角、夕暮れとか怖すぎますよ!」

 

「なんだ。お前、お化けとか嫌いなのか?」

 

「嫌いとかではなく……不気味じゃないですか、墓地の近くを走るのとか……。他にはないんですか?」

 

「他と言ってもな……。ここは確かに田舎で坂は多いが、階段がある場所は―――――」

 

 あぁ、と太陽は思い出したと手槌を打ち。

 

「そうそう。長い階段がある場所がもう一つ心当たりがある」

 

「どこですか?」

 

 そこはな、と太陽は少し間を溜めて。

 

「俺たちが墓地坂って呼んでる場所でな」

 

「古坂さんの墓標をそこに立ててあげましょうか?」

 

「……お前、それ殺すというよりも怖いんだが……」

 

 勿論冗談なのだが、真顔の御影に恐怖しか感じられない。

 しかし、太陽の知る中で近場で長い階段は他にはなかった。

 

「スマンがここぐらいしか心当たりはねえわ。あっても遠いし、ここで我慢してくれ」

 

「むぅ……まあ、墓地以外を除けば最適な場所かもしれませんので、我慢します。最悪の場合は夜に走る時は古坂さんを連れてこればいいだけですしね」

 

「……お前、俺の扱い雑じゃねえか? 俺とお前ってそんな深い仲だったか?」

 

 太陽は眉を轢くつかせながら恐る恐る聞くと、彼女は黒い笑顔で、

 

「いやだな、古坂さん。私と古坂さんの関係は主と下僕(友達)じゃないですか」

 

「お前絶対に友達だって思ってねえよな!? なんか友達って言葉から凄い不安を感じられるんだが!?」

 

「冗談です冗談。先ほどの意趣返しって事で勘弁してください」

 

「……俺の場合は待たされたやつの意趣返しだったんだが……。まあ、いいや。次行くぞ」

 

「分かりました」

 

 そして太陽と御影は次の場所に移動を開始する。

 

「と言っても、この階段を昇った先なんだがな」

 

「そうなんですか? それじゃあ良い機会ですし、どちらが先に登れるか競争です! よーいスタート!」

 

「は? あっ、ズルッ!? てか速ッ!? 待てよおい!」

 

 先に急な階段を全力で駆け上がる御影の背を追いかけようと太陽も走り出した時、御影の姿があの頃の彼女の姿が重なった。

 

『ほら、太陽も早く早く! どっちが先に昇れるか競争ね! 負けた方は勝者にジュース奢り!』

 

『お前! 先に走り出してズルいぞ! 光ィ!』

 

 過去の記憶が横切り、階段を数段昇った所で足が止まる。

 太陽は階段の頂上を見上げ、自分から遠のく御影の背中を見つめながら呟く。

 

「……場所、変えて貰おうかな……」

 

 太陽は思いだした。逆になんで忘れていたのか不思議だった。

 この階段は太陽にとっても思い出が深く、そして彼女との思い出も沢山ある階段。

 

「……そうだ。ここ、あいつが良く筋トレで使ってた場所だったな……。足腰を鍛えるのに丁度良いって……」

 

 太陽は強くぶんぶんと首を横に振り。

 

「あいつが使ってただろうが今更どうでもいいだろうが、俺。あいつは怪我をして練習してねえし。つか、ここは別にあいつの所有場所じゃねえんだから気負いする必要もねえしな!」

 

 空元気に叫ぶ太陽は周りを一瞥すると、ふとある物を発見した。

 それは階段下付近にある石のベンチ。

 御影や他に目が行っていたから気づかなかったが、ベンチの上に小さな青色のポーチが置かれていた。

 

「……あれ、何処かで見覚えが……」

 

 記憶の隅でベンチに置かれたポーチが引っ掛かる。

 太陽はそれを間近で見ようと階段を降りようとするが、

 

「古坂さーん! どうしたんですかー! 私、もう昇り切ったんですが、ギブアップですか? 私がおぶって昇ってあげましょうかー?」

 

「高校男児舐めるな! これぐらいの坂登り切れるわ!」

 

 御影の呼びかけに大声で返した太陽の頭からポーチは抜け落ち、興味を失せた太陽はそのまま速足で階段を昇って行く。

 あのポーチが誰のだったのだろうか、太陽はこの後も思い出す事はなかった。

 



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スポーツタオル

「驚きました。階段の上に運動場とかもあるなんて。しかも近くには市民プールも」

 

「そんな驚く事でもないだろ? 後、体育館に武道館、テニスコートもあるが、お前が使うのは運動場の方だな」

 

 長い石階段を昇り終えた太陽と御影、は暫し歩いて広々としたグラウンドに出る。

 野球で使用されるフェンスや点数盤はあるが、別に野球場ではなく、誰もが自由に使える運動場。

 

「ここを使う場合って許可が必要なんですか?」

 

「ここをイベントとかの大勢で使うなら必要だと思うが、個人の自主練程度なら許可はいらないだろ。まあ、夜とかで照明を使うんだったら必要かもな」

 

 なるほど、と頷く御影は周りを見渡す。

 

「うん。確かにここなら練習に最適かもしれませんね」

 

 御影はそう言うと着てきた上着を脱ぎ棄て、下に来ていたスポーツウェアに衣替え。

 

「お前、今から走るのか?」

 

「勿論です。折角来たのですし、少しは汗を掻きたいですから。古坂さんも一緒に走りますか?」

 

「全国大会に出場する奴とずぶの素人が一緒に走れるかよ。俺は適当に見学させてもらうぜ」

 

 分かりましたと答えて御影は入念にストレッチをすると、自分の合図で走り出す。

 一人残された太陽は近くのベンチに寝転がり、懐から携帯を取り出し電源を入れる。

 時刻は6時を超えた頃。もう少ししたら学校の支度をする為に帰宅しないといけない。

 

 だが、彼女一人を置いて帰る事も出来ず、太陽は体を傾けベンチに横たわる。

 

「……流石に朝早く起きたから眠いな……」

 

 昨日の睡眠で、睡魔が完全に抜け切れてない太陽に気怠い衝動が襲う。

 うつらうつらと瞼が閉じたり開いたりして、そして瞼は閉じきる。

 

 視覚を閉じ、聴覚、触覚、嗅覚の情報が敏感に脳に届く。

 

 木々の枝を靡かせるさ爽やかな風の音。

 早朝で気温が昇りきらない肌を冷やす涼しさ。

 草木と土の匂い。

 

 そして、太陽を優しく包み込む柔らかい触感と、懐かしい匂い。

 

 太陽はそっと目を開く。

 自分がどれくらい瞼を閉じていたのか体感時間は分からない。

 浅い睡眠で短時間だというのは分かるが、数秒なのか、数分なのか、意識が朦朧としてハッキリわからなかった。

 

「……ん? なんだ、これ……」

 

 起き上がろうとした太陽は自分に何かが乗っている違和感を感じた。

 太陽はそれを手に取る。

 

「……タオル?」

 

 それは所謂スポーツタオルと呼ばれる細長いタオルだった。

 太陽が意識を途切らす直前に感じた柔らかな触感は、これが原因のようだ。

 それは分かった。だが、何故?と言う疑問は消えない。

 

「誰がこれを俺に……」

 

 太陽はタオルを片手に立ち上がり周りを見渡す。

 だが、運動場を走る御影以外の姿は何処にもなかった。

 なら、これを太陽に掛けた人物は明白だった。

 

 丁度御影も練習に区切りを付けたのか、太陽の許に戻ろうとしていた。

 

「ふぅ……。やっぱりいいですね、朝早くからの運動って。心が研ぎ澄まされると言いますか、こう、あっ私頑張っているなって気持ちになりますよ」

 

 ウェアの短い袖で汗を拭う御影。

 太陽は御影に握るタオルを見せ。

 

「あっ、晴峰。ありがとな、このタオル」

 

「え? なに言ってるんですか、古坂さん? タオル?」

 

 訝し気な御影の反応に目を点にする太陽。

 

「いやいや。これ、お前のタオルじゃねえのか? 俺がここで寝てて、体を冷やさない為にお前がかけたんじゃ……」

 

「え? 古坂さん寝てたんですか? すみません、全然気づきませんでした。……ですが、それをかけたのは私じゃないですよ?」

 

 気恥ずかしさで嘘を吐いている可能性もある。

 だが、御影の表情は真面目で嘘を言っている様には見れなかった。

 

 太陽にタオルをかけたのは御影ではない……じゃあ、誰がこれを。

 再び太陽はタオルに視線を戻す。

 

 生地の絵柄は青色にスポーツメーカーのロゴがプリントされたシンプルなタオル。

 つまり特徴が全くないタオルの為に、これが誰のなのか分からない。

 何処かに名前が書いてないのかと隅々まで調べるが名無しの権兵衛だった。

 

「な、なぁ……晴峰? お前、走ってたんだよな? ここに誰か来た所を見たとかは……」

 

「ごめんなさい。私、練習をする時は周りが見えないと言いますか。あまり周りを気にしないので、誰かが来たのかは見ていません……」

 

 持参のタオルで汗を拭き取り、ジャージを羽織りながら御影は答える。

 御影が陸上となれば周りが見えなくなるのは一度目の当たりにしている為に信憑性は高い。

 だが、誰か違う者が来れば少しは気にするはずだが、御影の集中力は高いという事だ。

 

「(これが、晴峰(こいつ)のじゃないければ誰のなんだ……。寝てたから気づかなかったし、晴峰も誰も見てないとなれば……)」

 

「……もしかして、幽霊?」

 

 ボソッと太陽が呟く。

 だが、その一言が御影の顔色を青ざめるのには十分だった様子。

 

「やっぱり墓地の近くで運動して憑りつかれたんじゃないですか!? もしかして、私の後ろにも!?」

 

 恐慌を来しながら背後霊的な物が憑いてないか振り返る御影。

 元凶の太陽はいやいやと手を強く振り。

 

「そんな訳ねえだろうが、冗談に決まってるだろ! 幽霊に憑りつかれるとか、そんな非科学的なことが!」

 

 宥める太陽に気が転倒している御影。

 二人の絶叫が早朝独特の静けさを払い飛ばし、周りに響き渡らす。

 

「(……幽霊なんているわけねえが……。なら、これは誰の……)」

 

 スンと太陽は一回鼻を鳴らす。

 懐かしき匂いが鼻を通り、ズキッと太陽の脳裏を過った一人の人物の後ろ姿。

 その姿は、これまでに太陽が嫌って程に見てきた人物。

 

「(……そんなわけ、ない……よな……)」

 

 タオルからの懐かしい匂いに一人の人物を上げる太陽だが、それはないと否定する。

 ポーチの件といい、タオルの件といい。

 今日は色々あるなと、太陽はタオルを握りしめて、未だに未確定な幽霊に怯える御影を宥めるのだった。

 



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影から

 女性にとって、週に4度の早朝トレーニング。

 1年前の怪我をする前はほぼ毎日の様にこの階段を昇り降りしていたが、完治していない脚では週に4度と短時間が限界である。

 なら、完治するまで安静するのが賢明なのだが、女性……否、渡口光は安静に時間を過ごせる程に心の余裕はなかった。

 

 思いがけない好敵手との再会。

 その者は自分と遠い地で研鑽しているのだと思ったが、まさか田舎の地に引っ越して来るとは予想外過ぎる。

 

 彼女、晴峰御影と直接的ではないにしろ、交わした約束。

 高校になってもう一度戦う約束。

 

 中学の頃はそれが嬉しく、中学の部活を終えても光の練習は止まらなかった。

 逆に、次も自分が勝てるなんて傲りを捨て去り、より一層の練習に励んだのだが。

 

 いつぐらいからだろう……約束(それよりも)光が別の物を優先しようとしたのは。

 忘れたわけではない、ただ、光にとってそれよりも果たしたい物が生まれてしまったのだ。

 

「……たくぅ……最悪だよ。これじゃあ、また千絵ちゃんに怒られるな、私……」

 

 いつもなら10往復程度で切り上げる所だが、今日の光はその倍以上、この階段を往復している。

 

 最近では、治りかかっているのか、それとも逆に痛みに慣れたのか足の痛みは少ない。

 だが、時折鉛を付けたかの様な重い違和感を感じるが、光にとってどうでもよかった。

 

「……もう少ししたら、帰ろうかな……」

 

 光は昨晩の睡眠であまり寝付けなく、練習の疲れとは別の怠さが残る。

 

 寝付けなかった原因は分かっている。

 息をするのを忘れるぐらいの衝撃的な再会に、胸が引裂かれそうになった。

 思い返す度に胃の中の物が逆流しかけ何度も嗚咽した。

  

 何故、彼女がここに引っ越して来たのか……。

 

「考えててもしょうがないよね……。今できることを考えよう」

 

 光は陸上を諦めてない。

 医者から今後の為に高校では安静にしとくように忠告されたが、これは、光がもしかしたら世界大会の有力候補に選ばれる可能性があるとしての示唆だろうが、光は世界とかは眼中になかった。

 最悪の場合、光は陸上を高校で辞めるつもりでいる。

 だから、光は高校でもう一度トラックに立つんだと、石段の一段目に足をかけた時だった。

 

「なんか複雑な道を通りますね。この先に練習できる場所があるんですか?」

 

「まぁな。お前が気にいるかどうかは知らんが、一応な」

 

 何故か早朝は人の声が通りやすい。

 少し遠目の位置なのに、誰かの会話が光にも届いた。

 その二つの声に光は聞き覚えがあり、バッと振り返る。

 

 光の目線の先には、自分の元カレでもある幼馴染の古坂太陽と、自分を追いかけて転校して来た陸上の好敵手であり憧れの選手晴峰御影が並んでこちらに歩いていた。

 

「ど、どうして二人が!?」

 

 驚愕して狼狽する光は、自分でも分からぬままに脊髄反射的に近くの茂みに隠れてしまう。

 息を殺し、音を消した光は、声を発さない為に手で口を覆い、身を縮める。

 

 どうやら二人は光の存在に気づいてないらしい。

 

「(ど、どうして二人がここに……? そう言えば、昨日、太陽と晴峰さんってなんか知り合いみたいな感じだったし、こんな朝早くになんで……)」

 

 茂みに姿を隠しながら、光は二人の会話を盗み聞きする。

 会話を聞き、どうやら太陽はまだ土地感を得ていない御影に、自主練に最適な場所を教えているらしい。

 何故、こんな朝に? と疑問に思うが、光は二人の前に姿を出さない。

 

 御影が太陽に近隣の墓地に対して不平不満を漏らすも、仲良く話す二人を見て、光は胸が痛かった。

 

「(……もし、私があんな事しなければ、まだ、あの隣にいられたのかな……)」

 

 泣きそうになる目をグッと堪え。

 

「(違う。私が選んだ道だから、後悔しちゃいけない。……あれは――――――太陽の為なんだから……)」

 

 中学の頃に光が太陽との関係を切った。

 だから、自分で選んだのに後悔はしない。

 そう思えば思う程に、今の現実が辛かった。

 

「それじゃあ良い機会ですし、どちらが先に登れるか競争です! よーいスタート!」

 

 御影のハツラツな掛け声に光はバッと顔を上げた。

 

「は? あっ、ズルッ!? てか速ッ!? 待てよおい!」

 

 途中から会話を聞いておらず、突然の事だったが、どうやら太陽も呆気に取られてスタートを出遅れたらしい。

 

「(競争って……太陽が晴峰さんに勝てるわけがないよ。彼女、全国レベルに速いんだから)」

 

 勝負の結果は明白。

 光は太陽が彼女に勝てる可能性は皆無と苦笑する。

 そもそも、足音からして太陽は全然昇ってない。

 どうしたんだろ? と茂みから顔を覗かせようとすると、

 

「……あれ、どこかで見覚えが……」

 

 再び光は身を縮まらせる。

 危なかった。太陽がこっちに視線を向けている事にもう少し遅れれば完全に顔を上げていた。

 間一髪で太陽には気づかれないようだが、太陽が今言った言葉を思い返すと。

 

「(――――――――あっ!? 忘れてた! ポーチ、置きっぱなしだった!?)」

 

 光は自分の失態に気づく。

 自主練に来ていた光は勿論手ぶら来るはずもなく、タオルなどを収めたポーチをベンチに置きっぱなしにしていた。

 太陽はそれに気づき、ポーチの許に向かおうとしていた。

 

「(ヤバい! あれを見られたら私がここにいるってバレたんじゃ!?)」

 

 別に光がここにいる事をバレてもいいのだが、光自身は何故か最後まで隠し通したい。

 しかし、持参した青いポーチを彼に見られれば自分がここにいるのを気づかれるかもしれない。

 何故なら、あの青いポーチは―――――

 

「古坂さーん! どうしたんですかー! 私、もう登り切ったんですが! ギブアップですか? 私がおぶって昇ってあげましょうかー?」

 

「高校男児舐めるな! これぐらいの階段、登り切れるわ!」

 

 先に登り切っていた御影の煽りに近い呼びかけに太陽の意識はそっちに向けられる。

 そして太陽も全力で階段を登って行き、足音は徐々に遠くなる。

 

「……危なかった……。気づかれなかったみたいだよ……」

 

 へなへなと力が抜けて尻が地面を滑り落ちる。

 太陽に気づかれなかった事に安堵する光だが、心の隅で少し寂しげだった。

 

「……太陽。これ見ても気づかなかったな……」

 

 太陽と御影の姿が見えなくなり、茂みから出た光は置き忘れたポーチを手に取り悲しげな表情となる。

 

「……うん、まぁ……覚えてなくても仕方ないのかな……。だって、これをプレゼントしてくれたのが、小学生の頃だったんだから」

 

 この今ではボロボロのポーチ。

 所々が裂け、それを修繕した糸の跡。

 これを贈ったのは親ではなく、太陽だった。

 

 陸上を始めてから、初めて光の誕生日を迎えた日に、太陽がプレゼントとして贈った物。

 後から太陽の母親から聞けば、これを贈る為に太陽は家事の手伝いをしてお小遣いを貰い、それをコツコツ貯めて安物だが、初めて太陽が自分で買って、初めて光に送ったプレゼント。

 

 光はこれを永遠の宝物にしようと、高校になった今でも使い続けてる。

 

「……私ってほんと、未練がましい女なんだな……」

 

 ギュっと胸に抱き、自嘲する光だったが、

 

「―――――ほんと、私って未練がましいというか、これじゃあ――――――」

 

 その先の単語は言わなかった。

 言えば、色々とアウトな気がして。

 

 光がいる場所は、運動場の隅にある倉庫の物陰。

 そこから運動場に移動した太陽と御影を観察していた。

 

「これじゃあ私……元カレと仲良くする女性が気になるストーカーじゃん……。いや、未練はあるけどさ……」

 

 最後には言わないようにした単語を口にしながら肩を落す光。

 物陰から太陽と御影を観察する光だが、何故、自分があのまま帰らず、二人を眺めているのか分からない。

 

 仲睦まじく、まるで、昔の自分たちを見ているかの様な談話する二人。

 御影はこれから自主練するのか、着ていたジャージを脱いでスポーツウェアに着替え、太陽を置いて走り出す。

 

「(……もし、怪我がさえなければ、晴峰さんと一緒に練習できたのかな……)」

 

 御影は光にとって憧れの選手。

 陸上の記事でいつも取りあげられ、幾つもの記録を持つ彼女を目標にする選手は少なくない。

 同い年で凄いと羨望していた相手だが、中学時代に一度、光は彼女に勝っている。

 

 今でも彼女に勝てた事が信じられない自分だが、今はそれ以上に御影と一緒に走れない事を悔やむ。

 だが、もしもの現実を思っても後の祭りに過ぎなかった。

 

「(なら大学で……いや、私は陸上は高校までって決めてるんだ。高校で、私の走る意味は無くなるんだから……)」

 

 穴が空いたかの様に失意を感じる光を他所に、ベンチに腰掛けたとはずの太陽が横に倒れる。

 ベンチの隙間から太陽の身体が見え、彼の身体が上下にゆすられていた。

 

「(寝てる……のかな? いま)」

 

 太陽が眠いのは仕方ないのかもしれない。

 元々太陽は朝に弱い。昔は自分が迎えに行って起こしていたぐらいに彼は寝坊癖がある。

 高校に入ってからは解消されたようだが、こんな朝早くから起きてればまだ眠気も取れてないはず。

 

「(……このままじゃ、風邪、惹くよね……)」

 

 光はポーチからタオルを取り出す。

 スポーツタオルでバスタオルよりかは小さいが、少しは寒気を防げるかもしれない。

 光は練習している御影に気づかれない様に速足で、尚且つ太陽を起こさない様に足音を消す。

 

 ギリギリまで太陽に近づいた光は、タオルを太陽に羽織らす。

 タオルの長さは男子高生の体躯に届かないが、それでも無いよりかはマシかもしれない。

 太陽の眠りは深い様で、タオルをかけても起きない。

 光は直ぐに逃げる様に去ろうとしたが、彼に背を向けた時、小声で囁く。

 

「……ねえ、太陽。私は別に、太陽が誰と仲良くして、今更とやかく言える立場じゃないけど。……せめて思い出してあげて。そうじゃないと、彼女が可哀そうだからさ」

 

 この言葉が太陽に届くはずがない。

 知っている。太陽も気づいていないのだから。

 あの日の3人の運命を狂わした事件を、太陽だけが、知らないのだから。



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GW開始!

 御影が転校して来て早1週間が経過していた。

 始業式でも無く、始業式を終えての暫く立った月の中旬という変な期間に転校してか来た彼女だが、持ち前のコミュ力でかクラスに随分馴染んでいた。

 陸上の有名選手という周りからの特別な視線を送られるが、彼女は特に気にせず、一人の女子生徒として学校生活を謳歌していた。

 

 光との一件から、光と御影の間にギスギスな雰囲気で周りの空気を悪くするのではと懸念していたが、学校で二人がすれ違った際に普通に挨拶を交わしていたから杞憂だったのだろう。

 

 そんなこんなで色々とあった4月も終わりに差し掛かった頃。

 

「…………………」

 

「…………………」

 

 日本最大の大型連休であるGW二日目。

 世間では旅行だ、部活だ、講習だと賑わう中だが、高校2年である古坂太陽の今年のGWの過ごし方は、

 

 何故か現在、元カノである渡口光と通路を挟んでの隣同士で座席に座り、バスに揺られて移動していた。

 

「…………なんでお前がここにいるんだよ」

 

「古坂君こそ。なんで無関係の君が、陸上部の合宿に同行してるのかな?」

 

 太陽の質問に冷徹に返す光。

 そして二人はそのまま無言となり気まずい空気が流れる。

 

 光が口にした様に、このバスは鹿原高校陸上部が貸し切るバス。

 太陽以外にも総勢30人近い部員及び、教師とコーチが二人、そして、太陽と光に同伴した千絵と信也がいるそれぞれの同性の隣に座っている。

 

 どうしてこうなったのか、それは、GW初日へと遡る。

 

* * *

 

「……暇だなぁ……」

 

「そうだな~。宿題始めて30分でそれを聞けるとは思わなかったけど」

 

 世間一般では日本最大の大型連休であるGW初日。

 

 部屋主の古坂太陽を含め、太陽の中学からの親友である新田信也と二人。

 若干室温が高い部屋でテーブルに向かいながら座っていた。

 互いの前には学校から出されたそこそこ量の多い宿題が並べられ、その量に嫌気を指した太陽が机にうつ伏せながら不満を流していた。

 

「てかよ……。なにが悲しくて男二人が二人キリで宿題しているんだよ、俺たちは……。普通GWって旅行とかでワイワイ盛り上がるイベントじゃねえのか……」

 

「知らねえよ。金がねえ学生がおいそれと旅行に行けるか。てか。宿題を言い出したのはお前だろうが。GW初日に全部宿題を終わらせれば、後は楽にエンジョイできるからってよ。言い出しっぺが開始30分でぶーたらこくなよ」

 

 太陽の不満に律儀に返しながら信也は己の宿題のペンを進める。

 

「そもそも、太陽。お前は俺と違って色々な女に声をかけたり仲良くしてるじゃねえか。そん中で一人ぐらいいないのかよ。遊べる女友達とか」

 

 太陽は友達に誘われ合コンなどに参加をするプレイボーイ。

 連絡先の交換をしているだろうと疑問に思い、信也は太陽に質問するが。

 

「あぁ。残念な事に良さそうな奴を6人ピックアップしてメールしたら。6人中5人が無視で、残り1人は『GWは彼氏とデートだから無理。彼氏に誤解されるといけないからもうメールしてこないで』って返信が来たよ」

 

「……それはなんだか……ドンマイ……」

 

 信也の言葉の思いつかない慰めが更に太陽に追い打ちに掛けたのか、太陽から負のオーラがあふれ。

 

「マジでよ……。イチャイチャイチャイチャ! マジ、リア充死ね!」

 

 太陽の憤怨の籠った叫びに苦虫を噛み潰した様な表情。

 彼の表情から察するにこう思っているのだろう。

 

『お前も少し前まではそのリア充だっただろうが、ゴラッ』と。

 

 過去は過去、今は今と現在の寂しい太陽だが、ここで太陽の携帯がバイブ音を鳴らして電子音を奏でる。

 

「おい太陽。携帯鳴ってるぞ?」

 

「んだよ。母さんからか? そう言えば、父さんと一緒に行った泊りがけの同窓会から帰る時に連絡するって言ってたな……」

 

「親父さんと一緒って。親父さんとお袋さんは同じ学校出身なのか?」

 

「大学はな。なんでも二人は大学の時に知り合ってから付き合って結婚したらしい。んで。サークルの仲間で久々に集まろうって話になって、昨日からいねえんだ」

 

 別に両親の馴れ初め話に興味がないと吐き捨てる太陽だが、そうこうしている間も途切れずに携帯の電子音が流れる。

 どうやら太陽は電話の相手が母親だと決めつけてる様子。

 

「……出ないのか?」

 

「そうだな~。まあ、適当にお土産でも買って来てもらうか」

 

 無視する理由も無く、太陽は携帯を取り、画面の発信者を見ずに通話ボタンを押し、携帯を耳に当て、

 

「もしもし、太陽だけど、なに?」

 

『あっ、古坂さん! 私です、はるみ――――』

 

 ぶちっ、と太陽は通話終了ボタンを反射的に押してしまった。

 

「……誰からだったんだ?」

 

 出て2秒も経たずに終了ボタンを押した太陽に苦笑しながら信也が尋ねると、

 

「あぁー、あれだ。間違い電話」

 

 思わず終了ボタンを押してしまったが、声の主は確実にあの人物だった。

 

「(……ん? 待てよ。俺、あいつに)」

 

 何故あの人が自分に電話出来たのかとそもそもな疑問を思い浮かんでいると、再び携帯の電子音が部屋に響く。

 今度は太陽は事前に発信者画面で誰からの電話なのかを確認する。

 が、今電話かけている者の番号は登録していない為に見慣れない番号だけが映し出されている。

 太陽は恐る恐ると通話ボタンを押し、携帯を耳に当て、

 

「もしもし、古坂ですが」

 

 相手とは初対面の体で電話に出る。

 すると、通話主はすぅーと息を吸い込む音が聞こえ。

 

『―――――知ってますよッ! なんで電話切ったんですか! いきなり切るとか非常(ひど)すぎますよ!』

 

 鼓膜に響き、相手の金切り声が太陽の耳にダメージを与える。

 この聞き覚えのある声、それは、ここ最近交友関係を築けた転校生、晴峰御影の声だった。

 

 太陽はキーンと違和感がある耳の穴を少し撫でて、再び携帯を耳に当て。

 

「んだよ。そんな大声出さなくてもいいだろうが、晴峰。てか、なんでお前、俺の電話番号知ってるんだ? 俺、お前に番号教えたっけ?」

 

 太陽の携帯に登録外からの通話を意味する番号のみの時点で御察しだろうが、太陽は御影に自分の連絡先を教えていなかった。

 

『そうなんですよ。不思議ですね。学校でそこそこ会ってるのに、連絡先交換してないなんて、完全に忘れてました』

 

 御影の言う通りに太陽自身も御影との連絡先の交換を忘れていた。

 別に彼女と連絡する理由もそこまで無いのだが、知っとくだけで便利なはず。

 だが、教えてもいないのに、何故彼女から太陽の携帯に連絡出来たのか、それだけが疑問だった。

 が、大方の予想で誰からか聞いたのだろう。

 陸上部には同じクラスの者や、そこそこ仲の良い池田優菜もいる。

 

「んで? 俺にわざわざ電話してきて、なんか用か?」

 

『そうですそうです。私、古坂さんにかなり重要な用があって電話したんです。古坂さんは明日からのGW中ってお暇ですか?』

 

「なんでそんな事聞くんだ?」

 

 暇かと聞かれれば暇なんだが、突然に聞かれると勘繰りしてしまい聞き返す。

 

『いえ、用事があるんでしたら断わってもいいのですが、用事があるかないかだけ教えてください』

 

 要件をハッキリと言わず食い下がらない御影に、太陽は観念して、

 

「暇だけど?」

 

 太陽はここで考える。

 普通なら相手から暇だと言う事実を確認してくるってことは、相手は何かしらの誘いをする事が多い。

 それに沿って考えるなら、御影がしつこくGW中に太陽は暇かと尋ねてくるってことは、御影は太陽を何かに誘いたいってことになる。

 しかもGW中ってことは長期間。これは旅行フラグ。

 

 太陽は別に御影の事を女性として嫌なわけではなく、ハッキリ言えばありである。

 なら、御影から遊びの誘いがあるのであれば、快く受けようとうんうんと考える太陽だったが、

 

『そうですか! なら良かったです。でしたら――――――陸上部の合宿に行きましょう!』

 

「………………は?」

 



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合宿編1

「いやー。本当に良かったですよ。折角のGW期間での合宿だって言うのに、陸上部のマネージャーが全員風邪を惹くなんて……こんな偶然普通ありえますか? 何かしらの陰謀を感じますね……」

 

 馬鹿な事を言いながら、太陽の後ろの座席からひょっこりと顔を出す御影。

 太陽はイライラで指でひじ掛けを突きながら、顔だけ御影の方に振り返らせ。

 

「つか。マネージャー全員が風邪ってのは分かったが、なんで部外者の俺たちがマネージャーの代わりなんだ? 普通、こういう場合ってのは低学年の奴らにさせるもんじゃねえのかよ」

 

 今更ついて来ての質問。

 昨日の昼に突然の御影からの頼みで、一度暇と言った手前に引き受けた太陽だが、納得している訳ではなかった。

 

「普通はそうなんですが。今年は1年も、2年も関係なく、全員一丸で優勝を目指すって話らしくて。全学年のスキルアップを目的にした合宿でもありますから、なるべく雑用とかで時間を使わせたくないらしいです」

 

 なるほどね、とひじ掛けで頬杖を突く太陽。

 だが、そんな大事な合宿前にマネージャー全員が風邪を惹くとは、マネージャーたちの健康管理はどうなってるんだと呆れ返る。

 

「大体理由は分かった。てか、代行で来たのって俺たちだけなのか?」

 

 マネージャー全滅で代わりに来れたのが、確認出来るだけで、太陽、信也、光、千絵の4人。

 光と千絵は分からないが、太陽は御影に誘われ、信也は太陽の道連れに近い形で同行。

 だが、自分たちの助っ人の者たちは他には見受けられない。

 太陽の質問に御影は頷き。

 

「そうですね。今回来て下さったのは古坂さんたちだけです。私みたいに他の人たちも沢山の人に声をかけたらしいですが、3年生の受験勉強の講習で無理らしく、1、2年生は……うん、まあ、気持ちは分かりますが、大型連休を優先したみたいです」

 

 それもそうだと太陽は首肯する。

 学校の部活の手伝いは基本的にはボランティア。アルバイトみたいに給料が出る訳ではい。

 なのに、折角の大型連休を慈善活動で費やしたくないという気持ちは十分に分かる。

 

 ここで静聴していた光が割って入り。

 

「私は元々は陸上部だったから、困っているなら手を貸すって事で来たんだけど。ごめんね、千絵ちゃん。千絵ちゃんは講習とか勉強をしたかったんじゃないかとは思ったんだけど……」

 

「そう言えばそうだ。高見沢って勉強勉強で、こういったイベント事に参加しないと思ってたけど、まさか来るとはな?」

 

 光が陸上部に手を貸す理由は大体察していた。

 が、光なら兎も角、連休であろうと勉強に熱心に取り組むであろう千絵がこの合宿に参加した事は内心太陽も驚いていた。その太陽の気持ちを代弁する様に信也が千絵に尋ねると、千絵は半眼で全員を睨み。

 

「なーんか。私を勉強に憑りつかれた勉強馬鹿って思ってない? 私だって困っている人がいるなら手を貸すぐらいの慈善な心はあるよ。それに、勉強なら何処でも出来るから。ちゃーんと、勉強道具も持ってきたしね」

 

 ほら、と千絵は持参した大き目な鞄を開いて、大量に入った参考書や勉強道具を見せる。

 この時太陽は見逃さなかった。

 パンパンに膨れた千絵の鞄の中、勉強道具を見せた時に、それ以上の大量の菓子類が見えた事を。

 

 一々追及する意味もないから流すが、太陽は千絵の健康管理はしっかりしているのか気になる。

 菓子の大量摂取に勉強での睡眠不足。医者を目指す者ならしっかりしてほしいと呆れるだけだった。

 

「私と光ちゃんはこんな理由だけど、それよりも私は太陽君と新田君の方が合宿に参加する方が驚いたよ。2人って、陸上部になんか関係あったっけ?」

 

 光と千絵が合宿に参加した経緯は分かり、今度は太陽、信也のターンに回る。

 信也は座席に深く凭れ掛かり、呆れた顔で太陽を見て。

 

「俺の場合は太陽(こいつ)に道連れにされたんだがな。まあ、どうせGW期間は用事が無くて暇だったし、旅行感覚で参加させて貰ったよ」

 

 それでも半ば強制的に太陽に参加させられた事を恨めしく思うような目で太陽を睨む信也。

 信也の参加理由を聞いた所で、各々が次は太陽の方へと視線を向けられる。

 

「太陽君は?」

 

 先導して千絵が尋ねる。

 バツの悪そうな表情で後ろ髪を掻く太陽は答える。

 

「俺の場合は晴峰に誘われたからだよ。昨日突然に、陸上部の合宿に参加しませんか?ってな」

 

「晴峰さんが?」

 

 訝し気な顔で千絵が晴峰の方に目線を向け、晴峰も頷き。

 

「私はこっちに引っ越して来て知人とかあまり知らないですから。古坂さんには知らない土地で初めて親切にしてくれた方ですし、古坂さんなら困り事に手を貸してくれるかと思いまして。そして、私の予想通りに、古坂さんは嫌な顔せず(携帯越しだから知りませんが(小声))承諾してくれました」

 

「何それっぽく嘘吐いてるんだおい! お前がしつこく、

 

『暇なんですよね? 先ほど暇だって言いましたよね? でしたら、断る理由はないですよね? 大丈夫です! 絶対に楽しいですから! 先輩方達も助っ人を雑に扱わないと言ってますし、一度しかない今年のGW、楽しい思い出を作りましょう!』

 

 って言って食い下がらねえから、仕方なく折れたんだろうが!」

 

「それに嫌な顔って、俺その現場にいたが、太陽、物凄く嫌な顔してたな……」

 

 合宿に誘われた際の御影の強引さに、もし彼女がセールスマンになったら顧客はうんざりするだろうなと思わざる得なかった。

 

「まあ、それでも参加してくれて感謝感謝です♪ 古坂さんだけでなく、高見沢さんに渡口さん……えっと」

 

「そう言えば名前言ってなかったな。俺は新田信也。あぁ、あんたの紹介はしなくていいぜ、学校でお前の名前を知らない奴なんていないから、宜しく晴峰」

 

「宜しくです新田さん。そして皆さん、本当にありがとうございます。陸上部を代表して感謝の意を込めます」

 

「……転校して来て数日の奴が代表って……流石期待の転校生ってことか」

 

 小声で呆れる太陽だが、まだ腑に落ちない様子で御影に尋ねる。

 

「つかよ晴峰。お前、先刻(さっき)俺以外の知人は少ないって言ってたけど、お前、学校だと案外有名人だし、他の奴にも連絡出来る相手はいるだろ?」

 

「はい。先ほど嘘を吐きましたが、古坂さん以外にも何人かの陸上部外の方の連絡先は持っています。ですが、私が白羽の矢を立てたのは、古坂さんだけです」

 

「俺だけ? なんで?」

 

 聞き返す太陽に御影は頬を赤めらして。

 

「……それは言いたくありません」

 

 何とも恥ずかし気な初々しい返答に太陽はドキッとする。

 

「い、いや、何しおらしくなってるんだよ、お、俺は別に気にしないから言ってくれ」

 

 心臓の鼓動が早くなるのを感じながらしつこく迫る太陽。

 隣に元カノや親友が居ようと再来する予感のある春を見逃すつもりはない。

 

「それでも恥ずかしいです……それに、他の方にも聞かれるのは……」

 

「いや、別に大丈夫だって。なんかここで聞かないと不完全燃焼って言うか、モヤモヤとして気持ちが残るからさ」

 

 食い下がらない太陽に観念したのか、御影は息を吐き。

 

「分かりました。私が古坂さんを誘った本当の理由、教えます」

 

 息を吸っては吐きを繰り返し、気持ちを整えた御影は真剣な表情で太陽の顔を見据え―――――たかと思えば、茶目っ気に舌を出し、コツンと自分の頭を叩き。

 

「他の方は迷惑かと思いまして。どうせ古坂さんなら無謀にも女性のお尻を追って時間を無駄にするかと思ったので、それなら青春を謳歌させようかと思いました」

 

「スミマセン! ここで下車したいんで停まってくれませんか!」

 



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合宿編2

「よーし着いた着いた。1年はバスから荷物降ろせー。降ろし終えたら練習道具は玄関付近に、着替えとかの荷物は部屋に運ぶぞ。部屋割りは荷物降ろし終えた後に発表な」

 

 陸上部の女主将の指示に部員たちが返事をする中、その傍らで。

 

「ぷぷっ……。やばっ、マジでツボったわ……。これ、俺の人生で上位に入るぐらいの笑いだ」

 

「ほんとだよ……。腹が捻じれて痛いなんてよく聞くけど、こんなに苦しんだね……」

 

 信也、千絵は移動中での御影の発言に自分の笑いの琴線に触れたのか、必死に哄笑を押さえていた。

 

「お前ら……今すぐに笑うのを止めねえと、キツイのをお見舞いするぞ? あっ、これは信也限定な。千絵にはくすぐり耐久10分だ」

 

 顔を真っ赤に染めて苦い顔の太陽が笑いを堪える2人に忠告するが、2人は聞かずに失笑する。

 太陽は2人に目線が行ってて気づいてないが、3人と同じく参加した光も、気づかれない様に口を押えていた。

 

 当たり前だが、途中下車が認められなかった太陽一行はそのまま合宿場に到着。

 最低限の荷物降ろし等の雑用は下級生が行うらしく、現在の4人は手持無沙汰だった。

 そんな4人の許に元凶の御影が戻って来る。

 

「だから言ったじゃないですか、他の方に訊かれるとマズイって。なのにしつこく聞いてきた古坂さんが悪いんですからね」

 

 悪びれない御影に太陽は眉を轢くつかせ。

 

「お前、分かってあんな態度取ってただろ!? 人の純情を弄びやがって! この見た目清純系小悪魔が!」

 

「なんのことですかねー? 私、よく分かりませーん」

 

 いきり立つ太陽だが、暖簾に腕押しな感じに気にも留めない御影。

 それどころ楽しそうな笑顔を浮かばせ。

 

「それにしても古坂さんを弄るのって楽しいですよね。なんか、こう、しっかりと反応(リアクション)してくれますから、弄るこちらは気持ちを燻ぶられます」

 

「それ分かるよ晴峰さん。昔から太陽君って、凄く弄り甲斐があるんだよね。だから、晴峰さんの気持ち凄く分かるよ。昔、私が仕掛けた悪戯にまんまと引っ掛かった太陽君の驚き様なんて、さっきの晴峰さん程じゃないけど、私の人生面白場面ランキングにノミネートされる程に傑作だったな」

 

「おぉ。高見沢さんも同じ気持ちを持ってましたか。私、これまでに男性とあまり関わった事がなかったですが、古坂さんは今まで出会った人の中で最上位に面白い人なんですよね。ですから、今後どうやっておちょくろ……関わって行こうか気分が弾みます」

 

 御影に同意する千絵。その表情は笑顔だが、太陽から見れば悪魔にしか見えない。

 気が合う様に太陽を他所に太陽弄り談義を弾ませる千絵と御影。

 ここで太陽の観点で2人の違うを述べるなら、御影の場合は精神的で、千絵の場合は身体的である。

 どちらがマシで、どちらが嫌だと言う事はなく、違いなく太陽からすれば迷惑極まりない。

 

 玩具を見るかの様な被虐性が感じられる視線を送られ、胃を痛くする太陽。

 ここで太陽に若干の同情を持ちつつあった信也が気づく。

 

「ん? どうしたんだ渡口? なんかそわそわしてるが?」

 

 和気藹々とする千絵と御影を物惜しそうに見つめる光に気づき信也が尋ねる。

 光は慌てた様に手をぶんぶん振り。

 

「ど、どうもしてないよ! べ、別に私もその会話に参加したいなんて思ってないから!?

 

「何故にツンデレ口調?」

 

 大体の様子は信也は察する。

 光は太陽の元カノだが、その別れは最悪そのもの。

 そんな彼女が元カレ(太陽)を弄る楽しさの談話に参加が出来るはずもなく、もどかしい想いをしてるのだろう。

 

「おーい晴峰に助っ人の皆、そんな所で無駄話してないでさっさと中に入れー」

 

 女主将に呼ばれて5人はハッと他の者たちが施設に入って行ってのに気づく。

 太陽たちも急いで各々の荷物を抱えて後を追う。

 

 

 

 施設に入ると御影が施設内を見渡し。

 

「うわぁー。広々として良い場所ですね。外は森に囲まれてますし、空気も綺麗。合宿するには最適な場所です」

 

 初めて訪れた場所の感想を口にする御影に光が話しかける。

 

「ここは国立の施設で、森だけじゃなくて、近くには海の施設もあるんだ。まあ、ここだけの施設でも十分に楽しめるぐらい充実してるけど。キャンプファイヤーやクライミングウォールだったり」

 

「それは凄いですね。渡口さんはここの施設を利用した事があるんですか?」

 

「と言うよりも、ここの地域の小、中学校での宿泊学習はここに泊まるのがお決まりでな。多分、俺たちだけじゃなくて、先輩たちや後輩たちの殆どがこの施設は経験済みだと思うぜ」

 

 割って入り補足する太陽だが、特に気にしない御影は感嘆して。

 

「こんな森や海があって、自然に囲まれた場所での皆で御泊り学習ですか。それは羨ましいですね。私、これまでにこんな自然が溢れた場所に泊まった事がないので」

 

「そうなのか? 修学旅行とかはどこに行ったんだ?」

 

 今度は信也が御影に聞く。

 

「はい。小学校の修学旅行は大阪でしたが。中学の修学旅行はシンガポールでした」

 

「「「「海外《シンガポール》!?」」」」

 

 まさかの国外に驚きを隠せない4人。

 

「……おい太陽。俺たちの中学の修学旅行先ってどこだったっけ……?」

 

「……福岡、長崎(同じ九州)だ」

 

「いやいやいやいや。海外だからって良いって事でもないと思うけどな。私は福岡とか長崎楽しかったよ。特に福岡の遊園地で太陽君が水のアトラクションに乗って、思った以上に濡れた所為で園内をノーパンで過ごしたのとか」

 

「あぁーあれね。係員の人曰く、これ程に濡れた人を初めて見たって言われる程だったらしいけど。遊園地でパンツ買うの恥ずかしいって意地になるし、なら乾燥場と言えば行列が出来てて待つのが勿体ないって言うし……ほんと、あの時一緒に居て恥ずかしかったよ」

 

「うるさい! マジで忘れろ! あの時は1分1秒でも時間を無駄にしたくなかったんだよ! 今すぐにその辺の記憶は抹消しろ! マジでお願いしますんで!」

 

 千絵と光によって赤裸々な黒歴史を掘り起こされて顔を熱くする太陽。

 

「……皆さん。余所者の私をのけ者にするなんてヒドイです……。海外の修学旅行は楽しかったですが。それよりも今でも和気藹々と思い出を共有出来る方が、私からすれば羨ましいのですが……」

 

 5人の中で1人一緒に修学旅行に行けてない御影がシクシクと悲し気に口にする。

 

「いや別にお前を除け者にしてたつもりは……。それに、思い出を共有出来るってのが良い事だけでもないんだぜ? なんせ人が覚えててほしくない部分も相手が覚えてたりするんだからな……」

 

 太陽からすれば忘れたい記憶だが、他の者が忘れてくれる訳でもなく。

 

「そはれ強情って物ですよ古坂さん。思い出って言うのはどんな時でも色褪せずない物。変えられない記憶です。それが良い記憶でも悪い記憶でも、覚えててくれる人がいるってのは本当は感謝しなければいけない事なんですよ」

 

 騙されてるような気がするが、ほぼほぼ正論な気がして反論できない太陽。

 そして御影は真剣な瞳を千絵と光の方に向け。

 

「それとこれとは話は別で、高見沢さんに渡口さん。先ほどの古坂さんの話を後で詳しく。今後の(いじ)りざいり……ゴホンゴホン、話題作りの為に」

 

「おい絶対に言うんじゃねえぞ? 今後の俺の為に!」

 

「おいそこの晴峰+助っ人! 長々と玄関で雑談してないでさっさと荷物を指定の部屋に持って行け!」

 

「「「「「は、はい!」」」」」

 

 女主将からの叱咤が飛び太陽たちは慌てて荷物を部屋に運ぶ……が、部屋割りを聞いておらず、その事で更に怒られるのであった。



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合宿編3

「はぁ……ほんと、あいつらと関わるとロクなことはねえよ……。まだ始まってもねえのにドッと疲れた……」

 

 指定された部屋に自分の荷物を運びこんだ太陽は、ドサッと無造作に鞄を床に投げて愚痴を零す。

 それを隣で聞いていた同じ部屋の信也は、ハハッと苦笑して。

 

「そういうなって、見てて俺は楽しかったけどな。それにしても太陽。お前、あいつと平然に話してたけど平気なのか?」

 

「は? なにが?」

 

 本当に分かってない様子で聞き返す太陽に「気づいてないのか……」と太陽に聞こえない程度に信也は呟く。

 

「まっ、そんな事はどうでもいいや。俺たちの仕事は雑用だ。早くジャージに着替えて玄関に行かねえとな」

 

 太陽がそう言うと2人は着て来た制服を脱ぎ出し、学校指定のジャージに着替え始めようとする。

 だが、シャツに手を付けた時に2人に声を掛けてくる人物が現れる。

 

「よっ。今回の合宿の助っ人サンキューな。確かA組の古坂とC組の新田だよな。俺は2年の小鷹隼人だクラスはD組、宜しく」

 

「「あぁ、宜しく」」

 

 初対面の相手でも物怖じしせずに接する小鷹隼人と名乗る部員に挨拶を返す太陽と信也。

 太陽と信也が泊まる部屋は6人部屋になっていて、2人の他に4人、陸上部員が宿泊する。

 その内の1人は目の前の小鷹で、他3人は1年が2人で2年が1人の構成になっている。

 

「一応他の奴も紹介しておくぜ。えっと、坊主眼鏡の奴が1年の永浜。この中で一番背が高い(185センチ)の奴が1年の長野。んで最後にワックスでガチガチにオールバックかましてる阿保な奴が2年の倉松だ。まっ、適当に覚えていてくれ」

 

「「「宜しく(です)」」」

 

「「よろしく」」

 

 合宿期間のルームメンバーの自己紹介が終わった所で小鷹が太陽に尋ねる。

 

「そう言えばお前たちって、渡口や晴峰となんか仲良さげだったけど、お前たちって2人とはどういう関係なんだ?」

 

 千絵が外されているが敢えて追及せずに太陽は答える。

 どうやら他の部員もその質問に興味津々に聞き耳を立てていた。

 

「別にお前たちが思っている様な関係じゃねえよ。渡口の場合は小、中が同じだけの腐れ縁。晴峰に関しては単なる清純系ドS女ってだけだ」

 

「渡口のは良く分かったが、晴峰のはなんなんだよ……。その、胸をドキドキさせる素晴らしい返答は」

 

 さらっと自分の性癖を暴露する小鷹だが、太陽はスルーする。

 あの2人の性格を知っている太陽だが、一応、あの2人は学校でも有名人。

仲良くしている異性がいれば気になるのも当然だ。

 

「別に2人とは恋人、とかじゃないんだよな?」

 

「だから、あいつらとはそんな関係じゃないって言ってるだろ」

 

 苛立ち気に答える太陽だが、その隣の信也がボソッと呟く。

 

「少し前までは渡口とはそういうかんけぐっ」

 

 が、最後まで言わせず遮る様に信也の脇腹を肘で突く太陽。

 肘が肋骨の隙間にヒットしたのか呻き声を漏らしながら蹲る信也を部員たちは心配気な視線を向け。

 

「お、おい大丈夫かよ……。てか、今新田は何を言いかけてたんだ?」

 

「あぁー大丈夫だ。こいつは虚言癖があってな。所謂狼少年って奴だ、気にするな気にするな」

 

「おいコラ太陽! 何、人の嘘な風評被害を広めてるんだ! お前の方がよっぽど狼少年だろうが!」

 

 事実を無かった事にしようとする太陽にいきり立つ信也だが、太陽は特に気にも留めず。

 

「まあいいだろうがそんなこと。それよりも早く行かねえとまた鬼主将からどやされるぞ。俺たちは2回怒られてリーチだし、さっさと準備して行かねえとな」

 

「……この件、今日の消灯時間で決着付けるぞ」

 

「おっ、それなら恋バナしようぜ恋バナ! 皆で好きな()の暴露大会だ!」

 

「「「「「却下!」」」」」

 

 太陽、信也のみならず他の部員までの一瞬に肩を落す小鷹を放っておいて、指定の時間に差し掛かりそうになり、太陽たちは急いで着替えて部屋を後にする。

 

 

 

 どうやら太陽たちが最後の班だったらしく、他の班は全員整列していた。

 一応はギリギリだが時間通りで怒られはしなかったが、最後に来た時の気まずさで悪い事してないのに申し訳ないと思ってしまうのが不思議だと太陽は思わざるをえない。

 小鷹達陸上部員は部員の許に、太陽と信也は助っ人組の列に並び始まるのを待つ。

 

 縦に並べられた列の前に女主将が2枚の紙を携えて立つ。

 

「ええー。顧問の代わりに私が今日のスケジュールを説明するぞ。午前中は基本的な基礎体力の強化。十分にアップを済ませた後に種目毎に分かれて各々の鍛えるべき部分を徹底的に鍛える。午後のメニューはその都度伝える」

 

 時刻は9時を過ぎた頃で午前はまだ3時間残ってる。

 その時間は基礎メニューで体力を鍛え、午後は技術面の向上を図るのだろう。

 部員には練習に集中して貰う。それが太陽たちが助っ人として参加した名義である。

 だが、そんな太陽たちはどんな事をさせらるのかまだ知らされてない。

 

「部員の奴らのメニューは以上だが、助っ人の人たちにはこの紙に書かれた事を実行してほしい。渡口取りに来てくれ」

 

 はいと返事をして光は主将の許に太陽たちにやってほしい項目が記された紙を受け取る。

 光が一枚の紙を受け取ると女主将は口角を上げて。

 

「楽しみにしてるぞ♪」

 

 何を楽しみにされてるのだろう?と光は訝し気に首を傾げながら列に戻る。

 

「今のってどういう意味なんだ?」

 

「さあ?」

 

 信也の疑問に光も答えられずに更にはてなを浮かばす。

 そして助っ人である太陽、信也、光、千絵の4人は渡された紙に目を通し――――――ピシャと固まる。

 

「…………おいおいおいおーい! これ何の冗談!? こんなの聞いてねえぞ!? てか、マジでこれをするのか!? ドッキリでしたってオチだよな、そうだろ!?」

 

「太陽君一旦落ち着こう。気持ちは分かる。けど、現実逃避しても現実は変わらないから」

 

「雑に扱わないって言ってたけど、これ詐欺だろ……」

 

「……そうだね、これはヒドイ……」

 

 4人が各々の反応を示させた項目の内容が、

 

「なんでだよ! 俺の想定していた雑用って、スポーツドリンクを作ったり、タオルを用意したり、グラウンド整備をしたりとかだぞ。これ、完全に使用人のする事じゃねえか! なんで俺たちが|()()()()()()()()()()()()()()よ!」

 

「それだけじゃねえぞ太陽。風呂掃除も書いてある。確かここの風呂って大浴場でめちゃくちゃ広かったんじゃねえか……?」

 

「お風呂掃除は何とかなる……けど料理は、陸上部員の参加人数は40人、コーチや顧問、私たちの分も入れると相当な量になるよね……。ねえ、これって本当に私たち(素人)がしていい事なのかな!?」

 

「もしかしてマネージャーって事前にこの内容を伝えられていて、無理だって判断したから仮病した……ってことはないよね……?」

 

 光の疑問に反論出来なく3人は口を閉ざす。

 

「……うん、まあ……ここでウジウジ言ってても仕方ないし、出来る限りの事はしないとね……」

 

 予想していた以上の過酷な労働に現実を直視しない様にしていたが、千絵の言葉に他の者たちは力なく頷くのだった。

 



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合宿編4

 午前の涼しい段階では汗もあまり掻かないからと言って、タオルや水分補給のドリンクは不必要らしく、太陽たちが最初に取り組んだのは最大の鬼門である料理だった。

 施設内の厨房に集まった4人。

 大量に用意された食材を背に千絵が立ち、その前に光、信也、太陽の順で横並び並んでいた。

 これから調理に取り組むのだが、太陽が質問と挙手する。

 

「つかよ。本当に俺たちが料理するのか? 確かここって食堂とかあるし、前に来た時は栄養士の人とかいたよな? なんで今日はいないんだ?」

 

 太陽は広々とした厨房を見渡すが、人口密度が圧倒的に広く、ガランガランと4人以外誰もいなかった。

 その質問に先ほど事情を聴きに行った千絵が答える。

 

「元々GW期間中はこの施設は閉館する予定だったんだけど、ここの責任者の人と陸上部の先生が知り合いらしくて、GWに使用出来ないかって取り合ったらしいんだ。けど、もうGW期間は閉館するのが決まっていて、従業員の人たちも予定とか入れて手遅れだったらしくてね。なら、自炊や掃除は全部こちらでするからって条件で頼み込んだらしいんだ」

 

 そこは素直に諦めろよと内心ツッコむ太陽。

 納得はしていないが、事情は分かったので太陽は下がる。

 次に光が挙手する。

 

「どうしたの光ちゃん?」

 

「この近くにコンビニ在ったよね? ……インスタントの購入費用ってどれくらい掛かるかな?」

 

「諦めるの早くない!? まだ始まってもないのに! 頑張ろうよそこは! 一応は食べされる相手はスポーツ選手なんだからジャンクな物を食べさせるわけにはいかないよ!」

 

「普段ジャンクフードをバリバリ食べてる奴がどの口で言うんだよ……」

 

 冷や水を浴びせる太陽にぷいと千絵はそっぽ向き。

 

「私は良いの! スポーツ選手じゃないし、ジャンクフードは夜食とかには最適なの!」

 

「……夜に物を食べると太りやすいのに……千絵ちゃんの腰って細いよね……羨ましい」

 

 何やら女性特有の羨望を千絵に向ける光は無視して次は信也が挙手する。

 

「……今度はなに?」

 

「いや、ここで無駄話してるよりも、さっさと作業に取り組んだ方がいいんじゃねえかと思ってよ。話は下ごしらえしながらでも出来るし」

 

「うん。そうだね。ごめん、なんだかツッコみ態勢を取っていた私が恥ずかしいよ。新田君の言う通りだね。皆、グチグチ文句言ってても始まらないし、一度引き受けた事だし乗りかかった船だよ、頑張ろ」

 

 天真爛漫な笑顔に見えるが何処か空元気にも感じ取れる千絵の表情。

 千絵自身が一番現実逃避をしているのではと思う3人だったが、それを口にせずに飲み込む。

 

「それじゃあ、まず軽く質問するけど。皆はどれくらいの料理スキルがあるのかな? 順番に聞いて行くよ。まず新田君」

 

「俺か? 俺は案外出来る方だぞ。両親共働きだし、中学に入った頃からは自炊とかで節約してたし」

 

「それは心強いよ。太陽君」

 

「俺は出来るなんて大見得張れる程はねえな。基本的な事ぐらいだ」

 

「それでも十分。光ちゃん」

 

「…………殆ど出来ない」

 

「…………うん、分かった」

 

 一通り、自己申告で料理スキルを確認し終えて、真打登場とばかりに千絵は自分の胸を叩き。

 

「私はお母さんの料理の手伝いとかでそこそこ鍛えたから味付けとかには自信があるよ。じゃあ、今のを踏まえて役割分担するね」

 

 役割を分ける事で作業効率を良くする戦略らしい。

 千絵は全員を一回ずつ見渡すと、うんと頷き。

 

「最初はある程度の下拵えは皆で。そこからそこそこ進んだ所で、私と新田君が調理を開始。主に焼くなり、煮るなりの味付けを。太陽君と光ちゃんは残りの下拵えを進める。そしてそれを私たちに繋げる。これで行こう」

 

「うげっ……マジで?」

 

「なんかな太陽君? 私の作戦に不服でも?」

 

「いや、なんでもないです……」

 

 有無を言わせない千絵の気迫に怖気づいて閉口する太陽。

 太陽が苦言を漏らしそうになった原因はペアに対してで、まさかの(元カノ)とのペアだ。

 これは千絵は狙ったのか、それとも仕方なくなのかの真意は聞けずに調理はスタートされ、信也は千絵に作るメニューを尋ねる。

 

「高見沢。メニューはどうするんだ?」

 

「うーん……。作る量もあるのに対して、時間もあまり掛けられないから、生姜焼きとかで行こう、ご飯に味噌汁。惣菜にほうれん草のお浸しに、キャベツの千切りにジャガイモとニンジンを蒸かした物を添えよう」

 

「了解だ。なら俺は白飯の用意をするか」

 

「お願い。あっ、言っておくけど、厨房(ここ)はあくまで相手さんのご厚意で借りられた場所なんだから、無暗に汚したり、道具を壊したりしないようにね」

 

 千絵の忠告に各々が頷き、今度こそ調理開始。

 宣告通りに一番食されるであろう白飯の用意する為に準備に取り掛かる信也を除き、千絵は残りの太陽と光に向き直り。

 

「それじゃあ、私たちはまずメインの生姜焼きを作ろうか。と言っても、手の凝った物は時間がかかるから、シンプルにはするけどね」

 

 千絵は言いながら使用される生姜を手に取り、包丁で切っていく。

 

「光ちゃんと太陽君は、添え物のジャガイモとニンジンの皮むきをお願い。一応言っておくけど、仲良くね?」

 

 修羅場突入の予感に釘を刺す千絵。

 これから大忙しになるのだから一時的でも昔の遺恨を掘り起こすなってことだろう。

 善処すると、太陽は手を振って返す。

 が、元々太陽は出来る限りに光と関わるつもりはない。

 

「まずはニンジンの皮むきをするか」

 

 千絵の指示通りに作業に取り掛かる太陽はニンジンを片手にピーラーを構えて皮むきを始める。

 

「なら、私はジャガイモを剥くかな」

 

 光も続き作業に取り掛かり、ジャガイモを片手に包丁(・ ・)を構えて皮むきを始めようとする。

 

「…………は?」

 

 光が包丁を手にした事に太陽は目を点にする。

 包丁での皮むきは別段難しいって訳ではないが、先ほど光は自分は料理を殆ど出来ないと言っていた。

 出来ない物が皮むき道具のピーラーを使用せずの皮むきは苦難である。

 

 予想通りに緊張でか、ぷるぷると覚束ない手つきで皮むきを始める光。

 ちょび、ちょび、と少し刃が入ると反って皮を取る。その速さは牛歩の速さと言っても過言ではない。

 確実に効率が悪い。が、遅れて怒られるのは光自身だから、特に言うつもりはないと自分の作業に集中しようとする太陽だが、

 

「……………………」

 

 そろーり、そろーりと包丁でジャガイモの皮を剥いていく光。

 太陽は自分の作業に集中しようとするが、横目で光の様子を観察していた。

 

「…………………………」

 

 太陽がニンジンを1本剥き終えたが、光はまだ一つ目の半分に達していなかった。

 太陽は次の1本に取り掛かる。

 

「………………………」

 

 恐る恐る刃を進める光だったが、ツルっとジャガイモは手の中で滑り、手から離れ自分の額に直撃する。

 

「痛っ」

 

 うぅ……と額を押さえながら床に転がる半剥きのジャガイモを拾う。

 その間、その光景を横目で目の当たりにしていた太陽は、手を止めてぷるぷると震えていた。

 これはまるでギャグかの様な一部始終に対してでなく、呆れの感情が大きかった。

 

「――――――どうしてそうなるんだよ!?」

 

 そして遂に限界に達して口を開いた。

 光は突然の太陽の大声にビクッと身体を跳ね。

 

「え……なにが?」

 

 闊歩しながら近づく太陽に困惑の光。

 そして太陽は光に指摘する。

 

「なんで包丁で皮剥いてるんだよ! ピーラー仕えよピーラー! 断然こっちの方が楽で効率がいいからよ!」

 

「え? だって、ジャガイモって包丁で皮を剥くもんじゃないの? だってお母さんはいつもジャガイモを包丁で剥いてたし」

 

「お前の母さんは主婦で料理が上手だからだよ! 料理をあまりした事がない奴は、先人が発明してくれた物を使えよ!」

 

 太陽はここであることを思い出して、苦い表情となる。

 

「……そう言えば、お前って本当に料理下手だよな。昔、俺に弁当を作って来てくれた時のあれ微妙だったし」

 

 昔の事を思い出した太陽の一言に光はショックを受け。

 

「え……あの時は美味しいって……?」

 

「お世辞って言葉知ってるか? あの時はお前を傷つけない為に言ったが、お前とはどうでもいい関係になった今、この際言ってやるよ。お前の料理はハッキリ言って美味しくない!」

 

 太陽の大砲並の言葉の暴力に光は涙目でプルプルと震え始めた。

 

「(……ヤバッ。流石に言い過ぎたか……)」

 

 相手が憎むべき元カノとはいえ、流石に言い過ぎたと反省する太陽。

 謝ろうとすべく口を開こうとするが、それよりも光が先に口を開き。

 

「なにさなにさ! あの時太陽が「彼女の手作り弁当って男のロマンだよな」って言ったから、作った事がないのに頑張って作ったんじゃん! なに? 元カレ元カノになったからって、人の料理下手ってのを掘り起こさなくてもいいじゃん! 太陽だって昔ホットケーキ作ってくれた時に焦げ焦げの炭だった癖に!」

 

 売り言葉に買い言葉で返され、謝るはずだった感情は引っ込み、カチンと青筋を立て。

 

「いつの話をしてるんだ、それ小学生の頃だろうが! 少なくとも今は完璧に作れるわ! それに馬鹿にされたくなかったら、せめて皮むきぐらい朝飯前に出来る様になれよ! 好きな人に振り向いてほしいんだったら、料理は必須条件だぞ!」

 

「うるさいうるさい! 今はそれ関係ないじゃん! それに、今は昼飯前だよ! 朝飯はとっくに過ぎてるよ!」

 

「そういう朝飯前って意味じゃねえよ馬鹿!」

 

「太陽の方が馬鹿だよ!」

 

「お前の方が馬鹿だろ!」

 

 論点から外れていがみ合う二人。

 二人の作業は完全に止まり、迷惑関係なく大声を上げる太陽と光だが、ドタバタと忙しない足音が近づき。

 

「喧嘩してる暇があるなら、作業ラインを進めろ!」

 

 足音の主は千絵。

 千絵の振り上げられた拳は太陽の後頭部にヒットする。

 

「なんで俺だけ!?」

 

 理不尽にも自分だけ殴られた事に抗議するが、千絵は聞かず。

 

「そんなことどうでもいいから! 1分1秒も時間を無駄に出来ないんだから、早く作業に戻る! 光ちゃんも、太陽君の言う通りに扱い慣れてないなら包丁じゃなくてピーラーを使った方がいいよ。指も切る恐れもあるしね」

 

「うん、分かった。ごめんね、千絵ちゃん」

 

「……なんだか納得がいかねぇ……」

 

 不服を漏らすも千絵の睨みに押し黙り、千絵は自分の作業に戻り、太陽と光も再び皮むきを再開する。

 光も包丁は置き、アドバイス通りにピーラーを使い皮を剥き始める。

 確実に効率がアップしたらしく、次々に光はジャガイモの皮を剥き続け、太陽も負けじとニンジンの皮を剥く。

 

 だが、太陽は手を動かしてはいるが、心は違う事を考えていた。

 

「(……さっきのあれ……。俺と(あいつ)って、元カレ元カノなんだよな……。なのに、あの言い合い、なんだか昔みたいだ……)」

 

 今までは一方的の糾弾だったが、先ほどのは確実に口喧嘩だった。

 まだ太陽と光が破局(こうなる前)までは日常茶飯事だった光景。

 

「(……別に別れたからと言って、その後ずっと仲が悪くなるってセオリーはない。中には別れた後も友達関係を築いていける奴らもいる……。けど、俺たちが別れた原因は、原因として最悪な部類に入るやつだから、俺はこいつの事を嫌悪する)」

 

『……他に好きな人ができたんだ。私はその人に振り向いてほしい。だから、ごめんだけど、別れて』

 

 今思い出しても吐き出したそうになる衝動があり、胸を引締められる程のトラウマ。

 あの時の太陽は永遠に続く愛なんて存在しないって思い知らされた。

 

 ……だが、相手にここまでに憎しみを持っているってことは、裏を返せば、まだ光の事が、

 

「(……俺、まだこいつの事――――――諦めきれてねえのかな……)」

 

 女々しい自分に嫌気が差しながらも太陽は手を進める。



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合宿編5

「ふぅ……なんとか昼は乗り切れたね……。けど、流石はアスリート。食べる量は異常だよ」

 

「そうだな。白飯沢山炊きすぎたなって思ってたが、逆に足りないって言われるとは思わなかったぞ……。業務用の炊飯器を2つ丸ごと使ったのにな……」

 

 激闘の昼食を終えて部員たちが食べ終えた食器を洗う助っ人4人。

 千絵と光は食器を洗い、太陽と信也はお盆を担当していた。

 

「これを毎日毎食やらないといけないと考えると憂鬱だな……。まあ、殆どが信也と千絵が味付けをしてくれたが、それでも嫌気が差すぜ」

 

「俺はあくまで自己満足の味付けしか出来ないから、殆ど高見沢がしてくれたからな。先輩や部員の人たちも言っていたが、高見沢が味付けした生姜焼き本当に美味しかったぞ」

 

「へへへへ。ありがと新田君。そう言われると頑張った甲斐があったよ」

 

 満更でもなく恥ずかし気ながら頬を掻く千絵に光は拭き終わった皿を置いて言う。

 

「私は料理下手だから本当に千絵ちゃんが言って助かったよ。私の場合は殆ど戦力になれなかったし……」

 

「いやいや。光ちゃんも最終的には慣れてきて上達してたと思うよ。もしなんだったら、合宿の間に料理教えてあげるよ」

 

「本当に? ありがと千絵ちゃん」

 

 友情全開に微笑ましく話す光と千絵。

 自分の分のお盆を半分拭き終えた太陽が今後の事を話す。

 

「午後からのスケジュールってどうなってるんだ?」

 

「昼食後は陸上部の人たちは1時間の休憩後に練習再開。俺たちは食器洗い(これ)を終えた後に少し休憩して、部員の人たちにスポーツドリンクとタオルの用意だ」

 

「うげぇ……殆ど休みなしって事かよ……。めちゃくちゃこき使われるじゃねえか、マジで詐欺レベルだぞ」

 

「それ、今更うだうだ言ってもしょうがないよ。滅多に体験できない事ってポジティブに考えよう。……私はそう考えてるから……」

 

 恐らく一番に体力を消耗したであろう千絵が生気の宿ってない笑いを零す。

 料理ではあまり役に立たなかった上に、男子で体力も千絵よりかはある太陽が先に愚痴を零すのは申し訳ないとさえ思う。

 

「それは兎も角。私の方は終了だね。光ちゃん、後の皿はお願いできるかな?」

 

「ん? 別にこの分は私の担当だからいいけど、どうして?」

 

「掃除。食堂も使ったし、軽くモップ掛けやテーブルを拭かないといけないから」

 

 なるほどと納得して頷く光。

 ここで信也が挙手する。

 

「それなら俺もそっちに回るよ。高見沢1人で広い食堂全てするのは無理だと思うし」

 

「そうだね。なら新田君、お願い」

 

 信也は千絵の手伝いと持ち場を離れようとした時に太陽が呼び止める。

 

「おい信也! お前、自分の分が終わってないのに俺に投げるなよ!?」

 

 信也の担当するお盆拭きは半分しか終わっておらず、信也が持ち場を離れるということは、残りのお盆は太陽が拭かないといけなくなるってことになる。

 太陽はその事で信也に糾弾するが、

 

「頼むぜ太陽」

 

 端的に捨て台詞を残して、清掃道具を取りに一旦食堂を出て行く信也と千絵。

 2人切りになった元カレ(太陽)元カノ()

 気まずい空気が流れて、その後に2人が帰って来るまでの間、閑散な空気が食堂を包みこんだ。

 

 

 

 場所が変り千絵と信也は清掃道具が収納されている倉庫へと来ていた。

 倉庫の鍵は千絵が担当して預かっており、無くさない為に千絵は首に紐で掛け、掛けた状態で倉庫の鍵を開く。

 

「えっと、掃除道具掃除道具、と」

 

 倉庫内を見渡して掃除道具を探す千絵。

 その後ろで信也が千絵に声を掛ける。

 

「なあ高見沢。食堂(あそこ)で掃除をするって言いだした時、俺の方に視線を向けていたが、あれでよかったのか?」

 

 唐突に信也は何を言っているのだろうかと思うが、信也は気付いていた。

 千絵が自らが掃除をすると言い出した時、信也の方に何かを呼びかける様な視線を送っていたのを。

 信也をそれを察して残りのお盆拭きを太陽に任せて千絵に付いて来たのだが。

 

「……うん。あれで良かったんだ。太陽君と光ちゃんが二人キリになれば、少し距離が元通りになると思って。さっきの二人の言い争いを見て思った。太陽君って、心底光ちゃんを嫌ってないんだって」

 

「……それ、かなり差し出がましくないか? 前に太陽(あいつ)は言ってただろ。俺に無用な親切はしないでくれって」

 

 太陽は光に振られた後に、千絵は何とか2人の距離を縮めようと模索した事があり、太陽にそれを止めてくれと言われた事もある。

 

「そもそもな話だが。お前、この合宿に俺たちが来るってのを予想してたのか? それで自分が参加してあいつらの仲を取り持つって」

 

「そこまで私は預言者じゃないよ。今回のは本当に偶然。太陽君や新田君が参加したのは、本当に驚いてたんだから。けど、丁度良い機会だと思ってはいたけど。この合宿で良くも悪くも進展してくれるんじゃないかってね」

 

 千絵の真意を聞いた所で少し間を空けて信也は千絵に問う。

 

「……なあ、高見沢。前から思ってたが、お前は何がしたいんだ?」

 

「何がしたいって、どういうこと?」

 

 信也の質問に訝し気にする千絵。

 信也は眉間に皺を寄せて、千絵の心に訴える眼光を向け。

 

「お前…………太陽(あいつ)の事が好きなんだろ?」

 

 信也の一言でこの場が凍り付いたかの様な感覚が迫る。

 千絵は一瞬驚いた表情を見せたが、直ぐに冷静となるも半笑いをして。

 

「…………バレてたか」

 

「当たり前だ。お前を見ててお前の好意に気づいてないのは、あの太陽(鈍感野郎)だけだ」

 

 千絵は眼を泳がし視線を逸らすも、信也の真っすぐな瞳を騙す事は出来ず、失笑して。

 

「私って案外分かり易いんだね。…………うん、私は、太陽君の事が好きだよ。昔から、今も」

 

 信也を前に千絵は隠すことなく素直に告白する。

 自らの恋心を、今も昔も太陽が好きだってことを。

 

 信也はそれを聞き、強く歯噛みをした後、千絵に問いただす。

 

「ならよ。なんでお前は自分の首を絞める事ばっかしてるんだよ。太陽(あいつ)は今はフリーなんだぞ? なら、告白する絶好のチャンスだろ。あいつは失恋で出来た穴を埋めるようとしている。なら、その機会を使えば、お前にだってチャンスが―――――」

 

「無理だよ」

 

 信也の言葉を遮り千絵は一蹴する。

 そして千絵は悲しみの混じった眼で無理に笑顔を作り。

 

「無理なんだ、私には、少なくとも、今の太陽君に私は告白することは出来ない……」

 

「どういう意味だよ、今の太陽に告白できないって……。まさか、振られたショックで金髪に染めてチャラ男を装う事に対してなのか?」

 

「違うよ。外見とかじゃなくて、心に対して言ってるの。あっ、別に振られて未だにウジウジしている女々しい部分って訳じゃないよ。今の太陽君は……そう、壊れた機械みたいな物だから」

 

「全然言っている意味が分からねえんだが……」

 

 千絵が何が言いたいのか、そもそも千絵自身は分かって貰いたいなんて端から思っていないのか、これ以上の補足は無く、

 

「確かに今の太陽君は心に深い傷を負っている。……それもそうだよ。太陽君は小さい頃から光ちゃんの事が好きだったんだから。これは、新田君も知ってるよね?」

 

「……まぁな。中学の頃に嫌って程聞かされたし、だが……お前、後悔しないのか?」

 

 千絵は暗い影を一瞬浮かばせ、口を閉じるが、直ぐに開口する。

 

「後悔……するかもね。これからずっと。知り合いから一番後悔する恋の終わらせ方は身を引く事だって教わったけど。その教えを台無しにしようとしてるかもね」

 

 千絵の一言一句が重たく信也に迫る。だが、信也はそれを黙って聞くことしか出来なかった。

 

「私は太陽君が好き。太陽君は、彼の名前の通り、私にとっては太陽そのものだよ。人付き合いが苦手で暗く閉ざしていた私を照らしてくれたんだからね。恩……って言っていいのか分からないけど、私の目的は、恩人(太陽君)が幸せになってくれるだから」

 

 その笑顔に嘘は見受けられない。だが、全てが真実だとは信也は思えなかった。

 

「……それでお前の幸せが消えても、お前はいいのか……」

 

 つまり太陽が千絵を選ばない。その未来を示唆して千絵は困り顔で、

 

「……それは私だって、好きな人(太陽君)に好きになって貰えるなら幸せだけど……太陽君に私の気持ちは伝わらない。信也君もさっき言ったよね。太陽君は人の好意に対して鈍感だから。私から告白しない限り、多分……私をただの友達としか見てくれないよ。多分気づいて貰う時には、私はおばあちゃんになってるかもね」

 

 幼馴染故の曖昧な距離感。近すぎて異性として見てくれない危険性がある。

 幼馴染は最も同じ時間を過ごして、互いを知っているという意味で大きなアドバンテージを作るが、それ以上に関係の崩壊を生じる大きな壁でもある。

 

「……だが、お前は太陽に告白する気がないんだろ……?」

 

 千絵は少し間を空けて頷き。

 

「……うん。少なくとも、太陽君があの事を思い出すまで、私の罪が許されるまで、私は、自分の恋心を封印するつもり」

 

「太陽の思い出だとか、お前の罪だとかは追及する気がねえ。……けど、俺に何か手伝える事はないのか……?」

 

 何かを許しを請う千絵の姿を見て居た堪れずに信也が協力を買って出るが、千絵は首を横に振り。

 

「ありがたいけど、新田君にしてもらうことは、何もないよ。人の恋路に首を突っ込むお節介な性悪女な私だけど、私は自分の恋を誰かに助力を求めるつもりもないし、誰かに加担されたくない。私の恋は、私自身で決着を付けたいから」

 

 感謝を込めながらも、申し訳なさそうに千絵はハッキリ言う。

 そう……か、と信也は眼を伏せる。

 そんな信也の額を千絵は指で突き。

 

「……ありがとね、新田君。正直新田君には感謝してるんだよ? こうやって私の悩みを聞いてくれる人がいるから、私は気を軽くすることが出来る。だから私は、自分の好きな人たちの為に、頑張れるんだから」

 

 ニシッといつもの屈託のない笑顔で感謝の意を込める千絵。

 信也は千絵に突かれた額を摩りながら、ニヤケそうなのを必死に堪えた微笑を浮かばせ。

 

「どういたしましてだ、高見沢」

 

 相手が笑顔なら笑顔で返す。これが信也が千絵から教わった事。

 

 よーし!と千絵は気分を整えられたのか、腕を精一杯に上に伸ばしてストレッチをして、

 

「そろそろ戻らないと太陽君たちの雷が落ちるね」

 

 倉庫に来た目的を思い出して掃除道具を探し出す千絵だが、信也に背中を向けながら尋ねる。

 

「そう言えば、私の恋の話はしたけど、新田君には好きな人がいないの?」

 

 彼女に顔を見られず幸いで、信也は凍り付いた様に苦笑する。

 少し躊躇いもしたが、ふぅ……と息を吐き信也は口を開く。

 

「……いるぜ、好きな人」

 

 その回答に千絵の手は止まり、そして振り返り、興味津々とした輝く眼で信也に向き合い。

 

「なになになに! 誰だれだれ!? 新田君の好きな人って!? 凄く気になるんだけど!? あっ、名前は聞くのは流石に失礼だからヒント頂戴! 同じ学校の人? 他校の人? 先輩? 同級生? 後輩? それとも社会人!?」

 

 失礼と言いながらもマシンガンの様に質問を撃ち散らかす千絵だが、信也ははぐらかす様に笑い。

 

「ノーコメントだ」

 

「えええ! ぶーぶーだよ! 折角、私が応援してあげようと思ったのにな」

 

「それはさせねえよ。お前も先刻(さっき)言っただろ? 自分の恋は自分で決着を付けたいって。俺もそうだ。誰かに水を差されたくないからな。特にお前には」

 

 自分の発言を掘り起こされ苦い表情になる千絵。

 

「……それを言われると何も言い返せないけど……分かった。けど大丈夫だよ。新田君は良い人だもん。その人がとんでもなく鈍感な人じゃない限り、新田君の気持ち絶対に伝わるから! 私が保証するから、お互い恋を頑張ろ! って、私の恋は殆ど負け戦だった……」

 

 最後に自虐を混ぜながら楽しみが増えたとばかりに浮足立った足取りで掃除道具を握って倉庫を出ようとする。

 が、ドアノブに手を掛ける寸前に千絵は信也に釘を刺す。

 

「あっ、ここで話したことは他言無用だよ? もし私の恋慕を誰かに話したら、私は新田君を嫌いになる+その好きな人を必死で見つけ出して新田君は意地悪だって言うからね!?」

 

 言い終わると千絵は勢いよく扉を開き、1人颯爽と出て行く。

 1人残され茫然と立ち尽くしていた信也だが、笑いが込み上げて腹を抱えて少し声量を押さえて哄笑すする。

 

「はははははっ! 高見沢の恋心を言いふらせば高見沢が俺を嫌いになるか。そうなれば、高見沢、わざわざお前は俺の好きな奴を探す手間が無くなるな」

 

 堪え切れずに笑うも虚しさだけが残り、信也は笑うのを止める。

 そして誰も聞かれる事がないと、信也は独り言を呟く。

 

「……お前は太陽の事を鈍感鈍感って言うが、お前も大概だぜ、高見沢……。俺の好きな奴は……うん、俺も言わないぜ。お前がお前の恋に決着を付けるまで、俺も、この想いを隠し続けてやるからよ」

 

 

 



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合宿編6

「おい千絵に信也! お前ら、掃除道具取って来るのにどんだけ時間掛かってるんだよ!? 洗い物(こっち)はとっくに終わってるんだぞ!」

 

 予想以上に時間が掛かった千絵と信也に詰め寄りがなる太陽。

 だが、太陽の表情からは怒り半分と、元カノとの気まずい空気からの解放の安堵が入り混じっていた。

 

「ごめんね太陽君。掃除道具は何処にあるのか迷っちゃって。ちゃんと持って来たから、はい」

 

 そう言って千絵は倉庫から運んだモップを太陽に手渡す。

 それに対して太陽は苦笑いをして、

 

「…………ちゃっかり残った組(俺たち)の分も持って来てる辺り、良い性格しているな、お前」

 

「へへへへ。それはどうもだよ太陽君」

 

「皮肉で言ってるんだよ!?」

 

 皮肉が通じず嘆息する太陽は文句を言いつつも千絵からのモップを受け取る。

 続いて光も千絵からテーブル拭きを受け取ると、2人がいない間の事を話す。

 

「そう言えば千絵ちゃん、後新田君も。先刻(さっき)コーチの人が来て、今日の午後から気温が上がって来るかもしれないから、スポーツドリンクは多めに作って、なるべく早く準備してくれらしいんだ。掃除に4人でするのもなんだし、私はそっちに行っていい?」

 

「そうなの? ならお願い。けど、1人で大丈夫? キーパーとか重たいし、光ちゃん1人は大変だよね」

 

 そう言って千絵は助け舟を出そうかと太陽の方に目を向ける。

 だが、当の太陽は聞こえないふりをしているのか、視線を千絵達の方に向けず、せっせと真面目に床掃除をしている形を作っていた。

 

 千絵と光は数秒太陽の方に視線を向けた後に顔を見合わせ。

 

「大丈夫だよ千絵ちゃん。作るのは1人でなんとかなるよ。勿論満タンのキーパーは重いから運ぶのを手伝って貰うと思うけど、小分けのボトルは1人で運べるし、そっちが終わってから手伝いに来てくれてもいいから」

 

「うん、分かった。けど、大変だったら声をかけてね?」

 

 分かった、と返して光はスポーツドリンク作りの為に食堂を出る。

 ドリンクの粉やキーパー、ボトルなどは入り口付近に置かれた練習道具に交じっており。

 外にある水飲み場でも作れる為に厨房で作らなくともよく、光は1人でそっちに向かう。

 

 今度は光が抜けて3人残った食堂。

 何かに没頭をして我関せずの構えをする太陽を他所に、各々掃除道具を片手にする千絵と信也が小言で話す。

 

「おい高見沢。お前の目論見外れてねえか? 俺たちが出て行く事で何かしらの進展を図ったって言ったよね?」

 

「……別に私の考えが全て思い通りに行くなんて慢心してないから……。まっ、そんな簡単に行くわけないんだけど……」

 

 沈んだ様な眼の千絵、その眼を見て信也は何を察したようで、

 

「……お前、もしかして悩んでいるのか?」

 

「悩んでるって、それはさっき倉庫で―――――」

 

 違う、と信也は一蹴する。

 

「お前が悩んでいるのは、自分の行動に対してだ。お前は言ったよな? 自分はお節介だって、それは、望んでないのに勝手に横槍を入れる自分に対して自己嫌悪しているんじゃないかって」

 

 信也の指摘が間を射抜いたのか、千絵は呆れた様に肩を竦める。

 

「信也君って人の心にズガズガと入り込むよね……。もしかして私も、太陽君や光ちゃんからそう思われてるのかな……。これって同族嫌悪って言うのか分からないけど、なんだか嫌だね……」

 

「類は友を呼ぶっていうやつだろ。俺も一応はあいつらの友達だからな、仲直りしてほしいって気持ちに偽りはないが、本当にそれが正しいのかってのは自信がないな」

 

 親しき中にも礼儀あり、幼馴染とは言え血の繋がりのない他人に違いはない。

 そんな相手に口を挟まれれば嫌な気持ちになる。

 千絵もそれが分かっているのか、少し苦悩する様に眉根を寄せ。

 

「アドバイスありがと、新田君。けど、これだけは言っておくよ。……私にもそれは分からない。決意した様に口で言っているけど、心の底では私は何がしたいのか、自分にも正直良く分かってないんだ」

 

 自分の事は自分が一番している。だが、時と場合では自分自身も自分が分からなくなる。

 

「太陽君と光ちゃんが仲直りして欲しいのは本当だけど。その先は自分が何をしたいのか。太陽君に自分の想いを伝えるのか、それともまた二人が恋人になる様に助力するのか。それとも、それらをせずに今度は最後まで”ただの”友達として一緒に過ごすのか……。私って何がしたいんだろうね」

 

 知らねえよ、内心で信也がそう呟いていた。

 

「おいお前ら。何話しているのか知らねえが、無駄口叩いてないで掃除しろよな」

 

 太陽に諫められ、太陽に背中を見せていた千絵は振り返り。

 

「ごめんね太陽君、直ぐにやるから。よーし! 使用する前よりも綺麗にしよう!」

 

 おぉー! と腕を上げる千絵に、太陽も「お、おー?」と困惑気味に釣られて腕をあげる。

 先ほどまでの自分に嫌悪して暗い表情だったのに一転して笑顔になる千絵。

 千絵の切り替えの早さは異常で、影が潜み明るくなる。

 

 それは好きな人(太陽)の前だから笑顔なのか、それとも自分の心を見透かされない様にする為に偽りの仮面なのか、見て分からない。

 

 だが、その千絵の姿を見て、信也は少しイラついた。。

 その怒りの矛先が自分を偽る千絵に対してなのか、千絵の好意に気づかない太陽に対してなのか、それとも……何も出来ない無力な自分に対してなのか、信也も自分で自分の心が分からないでいた。

 

* * *

 

「おも……重たいなこれ……。満タンのキーパーってこんなに重いのかよ……。しかも×2って」

 

「男の子なんだからぶつくさ言わない。部員全員に行き渡る様にだから、多くて損はないからね」

 

 あの後、食堂の掃除を終えた3人はスポーツドリンク作りをしていた光に合流。

 部活で幾度か作った経験のあった光はてんてこ舞いする事は無く、全て作り終えており。

 完成した中身の入ったキーパーとボトルを持って練習場に持っていくのだが、

 

 満タンに入って1つ20キロ程度のキーパーを2つ。計40キロ。

 それを片手ずつに持って運ぶ帰宅部の太陽は限界に近かった。

 しかも練習場まではそこそこ距離もある為に腕だけでなく足腰にも負担がかかっているのも要因の1つ。

 ついでに千絵と光の女性陣はボトルとタオルの為に太陽よりかは軽い。

 

 太陽同様にキーパーを2つ持つ信也も苦行の表情である事を思い出す。

 

「そう言えば、さっき倉庫で掃除道具を探してた時に台車があったよな? あれ使った方が楽なんじゃないか?」

 

「おい! なんでそれを先に言わねえんだよ! もう半分以上来てるし、戻るのも面倒な距離だぞ!?」

 

「え? 倉庫に台車なんかあったっけ?」

 

 遅い思い出しにがなる太陽だが流され、千絵に信也は答える。

 

「あっただろ、覚えてないのか? お前思いっきり触ってたじゃねえか。そんで邪魔、って言ってコロコロ転がして退かしてただろ」

 

「…………………」

 

 思い出したのか冷や汗を流す千絵。

 確かに倉庫に2つ台車があり、それを使えばここまで苦労せずに練習場に水分を届けられたかもしれない。

 千絵の見落としに太陽は諫める様な視線を送り。

 

「……千絵?」

 

 名前を呼ぶも千絵は謝る素振りは見せず、逆に開き直った表情で、

 

「――――――うん! 日頃勉強と遊びで鈍った体にはこれぐらいの疲れは丁度良いよね! よーし! 後少しだよ! 皆頑張ろう!」

 

「なに開き直ってるんだよ! お前、俺のここまでの苦労を返しやがれ!」

 

「苦労は返せないよーだ! それに、忘れてた物は仕方ないじゃん! そもそも、私だけじゃなくて信也君も忘れれたんだから同罪じゃん! 私だけが悪い訳じゃないよ! 信也君も、言わなければその事黙っていれば隠し通せたのに!」

 

「俺が悪い……よな。忘れてたんだし」

 

 怒って無駄に体力を消耗した事で遂に腕に限界が訪れた0太陽は、キーパーをアスファルトの道に降ろす。

 

「マジ……辛いんだけど……。こんな事なら日頃からしっかり鍛えとけばよかったぜ……。なんか、凄く惨めって感じだし……」

 

 練習場では自分以上に過酷に体を酷使している人たちもいるのに。

 たかが2百メートル程度の道を40キロの荷物を運ぶだけで根をあげる脆弱ぶり。

 日頃の体力作りなのだろうが、自分が情けない様子。

 

「……まあ、俺も案外キツイし。なんだったら俺が倉庫まで台車を取りに行くか」

 

「そうだね。効率的に考えても、帰りの方も考えると、あった方が便利だし、信也君お願い」

 

 OKと信也が施設の方に踵を返そうとした時だった。

 

「なら私がキーパー(こっち)を持つから、太陽はタオルとボトル(これ)をお願い」

 

 信也が台車を取りに行くことで少し休憩をしようと腰を下ろそうとする太陽に、光が提案する。

 光が持っていたのは比較的軽量のタオルとボトル数本。

 太陽が持っていたのは荷物の中で一番比重の高い満タンに入ったキーパー。

 

 男性が重いのを持って、女性が軽いのを持つ。

 一見して男女差別とも思えるが、肉体的にはそれが正しい部分もある。

 

 なのに、女性の方が重いのを持って、軽いのを男性に持たせるのは、男性からすれば癪に障る。 

 特に太陽の様な負けず嫌いのきらいがある男性は効果的かもしれない。

 

「あ? お前に代わって貰う程落ちぶれちゃいねえよ! これぐらい、余裕でこなしてやるから見てやがれ!」

 

 先ほどまで根を上げていた太陽だが気分を浮上させたかの様に降ろしていたキーパーを持ち上げ颯爽と歩き出す。

 ズガズガと無駄に闊歩しながら1人先に行く太陽を唖然と見送る千絵と光。

 

「……光ちゃん。今のワザとでしょ?」

 

 千絵が含み笑いで光に尋ねる。

 

「え? なにを言ってのか分からないなー」

 

 光の態度は完全に確信犯そのものだった。

 光は熟知している。太陽の性格を、太陽がああ言われればムキになって頑張ることを。

 

 そして1人行く太陽の背中を眺めていた2人は互いに顔を見合わせ、面白そうに楽しく笑い合った。

 



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合宿編7

「つ、疲れた…………」

 

 練習場に辿り着いた太陽の一声はそれだった。

 

「お疲れ様。キーパーはそこのベンチに置いておいてね」

 

 横の千絵が練習場の端にあるベンチを指さし指示する。

 結局最後まで台車も使わず、誰の力も借りずにここまで運んだ太陽だが納得のいかない表情。

 

 女性陣は比較的軽い物のおかげで歩みのペースは速く、重たいキーパーを運ぶ太陽の歩みの方は遅い。

 例えるなら兎と亀。そして最終的に強者()の方が勝つという悲しさ。

 そして誰も褒めてくれない。と言うよりも褒める事でもないという事は太陽も自覚はしているが。

 ついでに同じキーパーを運んでいた信也は、帰りの為に一度台車を取りに施設に戻っていた。

 

 千絵の指示通りにキーパーをベンチに置いた所で、顧問、コーチからの指示を受け、全体の指揮を執り行う女主将の声が響く。

 

「よし! 助っ人の人たちがスポドリを持って来てくれたぞ! 今から5分休憩だ。水分補給とトイレを済ませておけよ!」

 

 はい!と芯のあるハーモニーが帰って来て、部員は各々が水分補給に入る。

 太陽もその手伝いでキーパーからコップに注ぎ配っていく。

 ありがとと受け取って行く部員たち。そして何人目かに配った所で御影がやって来る。

 

「古坂さん。私にもドリンク下さい」

 

「おっ、晴峰か。分かった分かった。直ぐに用意するから」

 

 返答して太陽は注文通りにキーパーからコップにスポーツドリンクを注いで、それを、ほらよと御影に渡す。

 ありがとうございます、と御影は受け取り、一気にコップの中身を全て飲み干す。

 

「なんだ? 随分喉が渇いていたんだな?」

 

 喉を鳴らしてまで潤いを求める御影に太陽が尋ねる。

 もう一杯お願いします、と御影はコップを太陽に渡してから答える。

 

「長距離組の方は少し過酷でして。見てのご覧の通りで……。私以外の方々はゾンビ手前になってます」

 

 御影が振り返り、太陽も同じ方を見ると、呻き声をあげて何人かの部員が倒れていた。

 

「おいおい、大丈夫なのか、あれ!?」

 

「……多分大丈夫だと思います」

 

 自信無く答える御影に背筋を凍らす太陽。

 

「つか、まだ午後の練習が始まって1時間しか経ってないよな? なにがあってあんな疲弊してるんだよ!?」

 

 倒れている部員たちも一応は部活で体力をある程度の体力は付けているはずだ。

 そんな人たちがたった一時間程度の練習で息切れ処から、疲れて寝っ転がる程に体力を消耗するのか、太陽は想像できなかった。

 

 それに対して御影は申し訳ないとばかりの表情で、

 

「いえ。練習前に皆さんが『晴峰さんがプロのお母さんに習っていた時の練習メニューを体験したい』って言うものですから、覚えている限りで再現したのですが……」

 

「お前、どんなスパルタな特訓を味わって来たんだよ!?」

 

 彼女が天才と呼ばれるのは才能ではなく、この特訓の賜物なのではと思わずにはいられない。

 そもそも御影達がどんな特訓をしていたのか見ていなかったが、想像もしたくなかった。

 

 太陽は人数分のドリンクを用意して、倒れる部員に配る。

 その後はある程度回復した彼らは、立ち上がり練習を再開する。

 

 だが、上級生らしき人物が御影に手を合わせ。

 

「ごめんなさい晴峰さん! あなたがしてきた練習をすれば上達するって思ってたけど、やっぱり無理! ごめんだけど、普通の練習をしましょう! ね!?」

 

 鬼気迫る表情で御影に懇願する上級生。

 歳は上だが、実力は確実に御影の方が高いと判断して、練習の主導権を渡している様子。

 確かに全国レベルの人と同じ練習をすれば上達するかもしれないが、練習は付いていかなければ意味が無い様子。

 

「? 分かりました。確かに先ほど行った練習は当時の私でもかなりキツイ物でしたから。最初は軽めの練習をすれば良かったですね。では、次は軽めに坂道ダッシュ50往復行きましょう。近くに大体100メートル程度の坂がありましたので、そこで」

 

「「「「「「は…………はい」」」」」

 

 死を覚悟したかの様な沈痛の返事、長距離組はこの後地獄を見る事になる。

 天才と凡人の壁を目の当たりにする太陽。

 内心長距離組に合掌する太陽は自分の仕事に戻る。

 

 そんな過酷な長距離組とは別の種目の人たちも練習を再開される。

 

 これから暫くの間、太陽たちの仕事は殆どない。

 何をするのはかは太陽たちの自由なのだが、太陽たち助っ人組は陸上部の練習を見ていた。

 

「それにしても流石は一応県内で強豪の1つに数えられるだけあるな。帰宅部()なら直ぐに根をあげそうだ」

 

「ここにキーパーを持って来るだけでぶうたれていた太陽君なら、確かにそうだね」

 

 自虐をしたのは自分だが、人に言われるとそれはそれで癪に障る太陽。

 

千絵(お前)だって大体同じだろうが。いつも勉強勉強で部屋に籠ってるお前も、少し走ればバテるだろぐらい脆弱だろ」

 

「へーんだ。私は肉体派じゃなくて頭脳派だからね。運動が出来なくてもそれに勝る物があれば誇れるんだよーだ。どっちも特出してない負け犬の太陽君は千絵様に平伏せなさい」

 

「うわっ、うぜー」

 

 練習場の済みで談話する太陽と千絵。

 その間に信也も施設から台車を運んで来て合流。

 そして光は――――――

 

「…………………」

 

 少しそわそわした態度で練習を一点に眺めていた。

 そして限界が来たのか、スタスタと短距離組の方へと向かう。

 短距離組の女子部員の1年の1人に声を掛け、

 

「ねえ君。今のフォームだとタイムは縮まないよ?」

 

「……え?」

 

 突然と外野である光からの苦言に困惑する女子部員。

 固まる1年の脚を光が摩り、

 

「短距離は瞬発力が命。1歩1歩を全力で踏み出さないといけないんだけど、君のフォームは力を逃がして、余分な体力を使ってしまってるんだ。肩の力は抜いてから、その場で脚をもう少し大きく上げてみて?」

 

「は、はい」

 

 光が元陸上部員だという事はこの女子部員は知っている様だ。

 普通であれば素人の助言は流しがちになる。

 もし太陽や千絵などが同じ助言をされても反抗されるだけで、元全国レベル選手()からの助言だから女子部員は素直に言われた通りに脚を大きく上げる。

 

「そう。そこまで上げて。後は風の抵抗を少なくする為に、脇を少し引締めて、態勢を少し低く、頭のてっぺんと足先が一直線になるように……。うん、このフォームで1回やってみて。イメージとしては、脚は大きく上げてる為に強く地面を蹴って、下げる時は磁石に惹かれ合う様に素早く足を地面に降ろす……って、これは当たり前か」

 

 例えが下手な自分に苦笑いをする光だが、女子部員はぶんぶんと強く首を横に振り。

 

「い、いえ! 全然ありがたいアドバイスです! まさか渡口先輩からアドバイスを貰えるなんて嬉しいです!」

 

「そ、そう? それなら良かった。けど、最終的には自分に合ったフォームを見つける事だから、これがその道しるべになってくれたら嬉しいな」

 

 優し気な笑顔の光に女子部員は感謝を最大限に表すような深く頭を下げる。

 そしてその女子部員の番に回って来て、女子部員はスタート位置に付き、ドンと疾走する。

 彼女は光から与えられた助言を身に沁みさせて走っていた。

 

 そして同じ組の人よりも早くにゴールした女子部員は光に向けて大きく手を振り。

 

「やりました渡口先輩! 少しですがタイムが縮みました! 渡口先輩のおかげです、ありがとうございますっ!」

 

「それは良かったよ。けど、それで慢心はしない様にね? さっきも言ったけど、最終的には自分のフォームを見つける事。私が教えたのは基本的なフォームで、そこから自分に合ったフォームを見つけてみて」

 

「はい! 分かりました!」

 

「うん。元気があって宜しい」

 

 優しい先輩の様に激励で親指を立てる光。

 女子生徒はもう一度深々と礼をして、研鑽の為に自分のフォームを確かめながら次の番を待つ。

 用を終えて再び練習場の端に戻ろうとした光だったが、ここで視線を感じる。

 

「「「「「「……………………」」」」」」

 

 キラキラとした尊敬と期待の入り混じった眼差しで光を見る後輩たち。

 その眼が物語る意味を光は察する。

 

――――――私たちにもアドバイスをください!

 

 出しゃばったとはいえ、後輩の中で最もフォームがブレブレだった先ほどの部員のみで済ませようとしたのだが、そうはいかないらしい。

 それを察した光は仕方ないかと苦笑いをしながら息を吐き。

 

「よーし! 順番で見て行こうか。けど、あくまで私は助言を与えるだけであまり期待はしない様にね。最終的には自分の力で成長のが一番だから、その為のアドバイスはあげるから」

 

「「「「「「はいッ!」」」」」」

 

 一年(後輩)だけでなく、さりげなく同級生や先輩も混じっていて苦笑する光。

 その後、人気者の光は年齢関係無く、自分の持つ技術を託す様に指南する事に決めた。

 だがその前に、光はコーチに許可を得ようと会釈する。

 

「盛岡コーチ。スミマセン。元部員の私ですが、みんなの力になりたいので助言などをしていいもでしょうか?」

 

「あぁ。悪いな渡口。俺も他の種目の奴らを見ないといけないから正直助かる。勿論下手なアドバイスをするなら断っているが、さっきのを見れば任せられるかもしれない。短距離組の方は任せていいか?」

 

 はい!、と元体育会系の張りのある返事をすると、コーチは「じゃあ頼むな」と他の種目の組に向かう。

 任された光は気合を入れるためにバチン!と自分の頬を叩き。

 

「よし! やろうか!」

 

 彼女の名前通りの、全員を照らす様な屈託のない光の様な笑顔で指南を開始する。

 

 その光景を遠くで見ていた太陽たち3人。

 突然の光の行動に驚きもしたが、あの人気者っぷりには覚えがある。

 

「そう言えば渡口って凄く人気者だよな。中学の頃も男子の人気はさることながら、女子人気も」

 

「同級生は勿論、先輩からは頼れる後輩として。後輩からは尊敬できる先輩として。見た目も良くて、なんでもそつなくこなせるから、嫉妬を通り越して尊敬もしちゃうくらい、光ちゃんって八方美人だから。コーチの人も光ちゃんを信頼して任せるぐらいだから。光ちゃんって本当に凄いよね」

 

 光は男子にも人気だが、同性からの人気も凄い。

 現に今光から助言を貰っているのは女子が大半だ。

 男子部員も助言を貰いたい様子だったが、女子部員に圧倒されて聞けずにいる。

 だが、光はそんな人たちも放っておくことはせず、異性であろうとビシバシ悪い所は指摘して、良い所は褒めている。

 

「それにしても渡口って短距離も出来たのか? 俺には、殆ど長距離の方をしているイメージしかないんだが」

 

「光ちゃんも最初から長距離選手じゃなかったからね。始めた頃は色々な事に挑戦するチャレンジ精神で殆どの種目をしていたし、確か短距離でも県ではそこそこの成績を残してたんじゃなかったけ?」

 

 千絵は太陽に求めるが太陽は「知らん」と言わんばかりにそっぽ向く。

 バツの悪そうに眉根を寄せる千絵だが、言葉を続ける。

 

「そんで確か、中学の中盤ぐらいで多数の種目を熟すことは困難になったからって、長距離に絞ったはず。だから光ちゃんは長距離だけじゃなくて、短距離の方も人に教えられるぐらいのアドバイスは出来たはずだよ」

 

「マジか……。改めて思うと、渡口って有能なんだな」

 

「……うん。光ちゃんって本当に凄いんだよ。なんでも出来て、なんでも持ってる……。私の欲しい物、全部を……」

 

 羨望の眼で光を眺める千絵。

 勉強も運動も出来て、誰にでも臆せず話せ、皆から慕われる人気者。

 誰もがそんな人物になりたいと思える、正しく光そのもの。

 

「…………………」

 

 2人の会話を傾聴していた太陽だが、ここで太陽はキーパーとコップを持って何処かに行こうとする。

 

「あれ? どこに行くの?」

 

 千絵が呼び止め、太陽は振り返らずに答える。

 

「長距離組の練習場所。晴峰の奴鬼の様な練習メニューをしているだろうし、介抱しにいかねえとな」

 

 あぁ……と先ほどの死屍累々な部員たちを思い出して苦笑いで納得する千絵。

 先ほどの休憩で持って来るよりも軽量になったキーパーを片手に太陽は長距離組の練習場に向かう。

 



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合宿編8

 千絵と信也と別れて、1人他の組とは離れて練習している長距離組に合流した太陽。

 その練習光景は、1人の女性によって白熱していた。

 

「はい! もう1セット行きます! 力を抜いては意味がありません! 最後まで全力で行きましょう!」

 

「「「「「「「ひゃ……ひゃい」」」」」」」」

 

 全国大会常連選手、晴峰御影を筆頭に練習に励む長距離組。

 流石の御影も己で課した練習メニューをこなし、一切の緩みも見せずに練習に取り掛かるも。

 他の部員は付いて行くのが精一杯で、汗は勿論、鼻水、涎も垂らして阿鼻叫喚だった。

 

 練習メニューは坂道ダッシュで、御影は誰よりも先行して入り、彼女のペースに追いつける者はいない。

 これが天才と凡人の差なのか。

 彼女が将来世界大会出場を期待されてる有力選手だと言うのを改めて思い知らされる。

 

 御影よりも遅かったが、何とか走り終えた後続の部員。

 ゴールして弛緩したのか、地面にへたり込みその場を一歩も動けずにいた。

 先ほど水分補給の休憩を入れたはずなのに、この練習がどれだけハードだったのか帰宅部の太陽は想像もしたくない。

 

 1人毅然としてタオルで汗で濡れた髪を拭う御影がここで太陽の存在に気づく。

 

「あっ古坂さん。それって、飲み物(・ ・ ・)を持って来てくれたんですね、ありがとうございます」

 

 御影の『飲み物』という単語で死屍累々だった部員たちは眼を輝かせて復活する。

 

「す、すまねぇ助っ人……。お、俺に水を恵んでくれ……」

 

「私にも……」

 

 まるで砂漠に迷い込んだ放浪者の如く水を嘆願する部員たち。

 様々な水分を撥水して脱水症状寸前にまでなっているのか。

 スポーツドリンクで色々な栄養素は補充できるが、塩分は大丈夫なのだろうかと心配になる。

 

「おい晴峰。もう少し手を抜いてもいいんじゃないのか? 厳しい練習が成長を促すと言っても、それで壊れたりすれば元も子もないぜ?」

 

 練習メニューを決める御影に忠言する太陽だが、御影の真剣な眼差しがそれを拒む。

 

「なにを言うんですか古坂さん。全国大会優勝、なんて言葉で言うのは簡単ですが、実現はそんな安易な事ではありません。同じ夢を志すライバルは全国に何千人いると思うんですか? それが皆、優勝を目標に頑張っているのに、練習がキツイから手を抜くなんて愚行です」

 

 御影の真正面の正論に太陽は口を詰まらす。

 

「私も小さい頃から幾度も全国で優勝をした経験あります。それで私は周囲から天才天才と讃えられますが、正直その天才っていう一言だけで済まされたくないです。私だって人一倍練習を頑張ってます。汗を流し、豆も潰し、それでも踏ん張って踏ん張って、優勝という栄光を勝ち取って来ました」

 

 優勝出来る猛者たちを周りから天才と称される。

 才能があるから優勝できる。才能がある奴に負けても仕方ない。

 その様な僻みを持つ者は、その天才と呼ばれる者の影を見ていないと御影は言いたいのか。

 

「1度敗北を経験した私は、もう負けるのが怖くて怖くて仕方ないんですよ。私はもう、負けるつもりは毛頭ないです。だから、私は練習に手を抜くつもりはありません。それで、周りの人から批判され様と、私は一切に気にしませんので」

 

 御影の言葉を太陽だけでなく部員たちも俯き聞いていた。

 太陽だけでなく、他の者たちも同じ考えをしていたのだろう。

 御影は才能があって天才だから、全国優勝を成し得たのだと。

 そして部員たちの表情から、御影の練習に付いていけないのは才能の差だと決めつけていたかのような。

 彼女がどれだけの鍛錬を熟してここまで来たのか、一切想像もしていなかった。

 

「……そろそろ練習再開ですが。この状態だと練習もままならないですね。私だけ練習を続けますので、皆さんはもう少し休憩を――――――」

 

 御影が言い終える前に、部員たちは沈んでいた腰を上げた。

 その事に御影は少しばかり驚いた様子。

 そして長距離組のリーダーである3年生の畑が御影に言う。

 

「いや……正直俺たちだとお前に追いつける気がしねえ。お前と同じ練習をこなしたところで、お前はどんどん先に行くからな。けどな―――――こっちだって選手としての意地があるんだよ! お前が頑張るんだ、こっちだって意地でも付いていってやるよ!」

 

 畑は部員の方に振り返り、部員たちに発破をかける。

 

「おいお前ら! この天才さんに負けてる訳にはいかねえぞ! この合宿で練習をこなして、天才さんの度肝を抜かせてやろうぜ!」

 

「「「「「「おぉおおお!」」」」」」

 

 先ほどまでの辛い表情から一転して気合に満ちた表情となっていた。

 普通なら、御影にああまで言われれば自信喪失を起こすだろう。

 だが、それは部員たちのやる気と陸上に対する真摯な気持ちからなんだろうが、これも御影の一種のカリスマなのだろうか……それともただの偶然の天然なのか。

 

 御影自身も負けるつもりは毛頭ないとやる気を見せる姿を見て、太陽は御影と彼女が重なった。

 

「(……そうか、こいつ似てるんだ、あいつに……)」

 

 短距離組に様々なアドバイスを与え、周りから信頼される光と。

 偶然の賜物であるが、全員にやる気を与えて先導して練習に取り組む御影が似ていると気づく。

 もし相違する点を挙げるのであれば、光の場合は横に並んで皆と共に歩くタイプで。

 御影の場合は先に歩いて皆を先導するタイプ。

 だが……結果として皆から慕われる。

 

「(だから俺はこいつの事が気になるのか……あいつに似ているから? それは分からない)」

 

 ただ、太陽は薄々芽生え始めていた。

 御影に対する自分の気持ちが……それが何なのかは分からないまま。

 だが、この気持ちがもし仮に恋だとすれば、その原因はなんなのだろうか?

 昔好きだった(元カノ)に似ているからなのか。

 もしそうなれば、太陽はこの恋を芽生えさせるつもりはない。自分の気持ちを押し殺すように拳を握りしめる。

 心に渦巻く感情で吐き気がする。頭が痛くなる。胸が締め付けられる。

 

 結局の所、太陽はまだ1歩目が進めないでいた。

 その歩み方を太陽は未だに模索しているから。

 

「まっ、ぶっちゃけ焦る必要はねえか。人生はまだまだ長いし、これから頑張って―――――」

 

 自問自答を零す太陽だが、ここで懐の連絡用で持っていた携帯が鳴る。

 画面を見ると、発信者は千絵だった。

 

「もしもし、千絵か。どうした?」

 

『あぁ、ごめん太陽君。今大丈夫かな?」

 

 大丈夫だが、と太陽は頷く。

 

『よくよく考えたら私たちね、そんな悠長にしている暇がなかったことに気づいたの。夕食の下拵えだったり、大浴場の清掃だったりね。光ちゃんはコーチ代理として手が離せないから、ごめんだけど施設の方に戻って来て貰えるかな?』

 

「…………了解」

 

 答える太陽だがその言葉に覇気はなかった。

 ピッと通話を終了させた太陽は、恨めし気な眼で練習に取り掛かる御影へと振り返り。

 

「(どこが雑に扱わないだゴラッ! 休む暇もないじゃねえか! ……あとで千絵に頼もう。晴峰(あいつ)の嫌いな食べ物を聞いておいてくれって! どれかの飯でそれをオンパレードしてやるからな!)」

 

 不本意な合宿に巻き込んだ張本人に心で怨言を零しながら、太陽は施設の方へと戻った。

 



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合宿編9

 全国優勝を掲げ、己を研鑽をして、部活なる青春を謳歌をする合宿1日目の練習が終了する。

 夕食の下拵えや調理、大浴場の清掃は太陽、信也、千絵の3人で完遂した。

 

 助っ人組のもう1人である光だが、彼女は殆ど短距離組の指導で時間を費やし、練習が終了するまで3人に合流することが出来なかった。

 

 過酷な練習で空いたお腹を満たす為の、怒涛の夕飯時間も終えて、入浴タイム。

 1日の疲れを癒す、至福の一時。

 入浴には時間割り振られており、男女共に、まずは3年生、次に2年生、最後に1年の学年順で入浴の時間が決まっている。

 

 3年の入浴時間は過ぎ、遂に待ちに待ったと2年生が入浴する。

 舞台は女湯。そこには若い肉体をした瑞々しい乙女達が一日の疲れを取っていた。

 

「ふわぁ~疲れた体に染み渡る~」

 

 2年生の短距離組、池田優菜が肩までお湯に浸からせ極楽と表情を歪ませる。

 後続で湯舟に浸かる光が苦笑をして。

 

「優菜ちゃん、なんかおじさんみたい」

 

「なんだとー! ウチのどこがおじさんだ! てか光さん。湯舟にタオルを付けるのはマナー違反だよ! 即刻タオルの退去を言い渡す!」

 

「ちょ! 分かった取るから! お願いだから強引に取ろうとしないでよ!」

 

 浴室の片隅で攻防を繰り広げるのを他所に、身体を洗う千絵が2人を諫める。

 

「もう池田さんに光ちゃん。お風呂場だと声が響くからもう少し静かに。他の人の迷惑になるから」

 

「「はーい」」

 

 もう、とため息を吐いて、千絵は再び身体洗いに戻る。

 その隣で同じ様に身体を洗っていた御影が微笑して。

 

「なんだか高見沢さんってお母さんみたいだね。手のかかるお子さんがいて大変だね」

 

「誰がお母さんだ。まあ、子供を持つとこんな感じなのかな……。けど、流石に高校生になっても、風呂場ではしゃぐ子には育ってほしくないかも……」

 

 半眼で2人を睨む千絵に光が手を挙げて反論する。

 

「ちょっと千絵ちゃん。確かに大声を出したのは認めるけど、私被害者だよ!?」

 

「光ちゃんの場合は、池田さんの言う通り、タオルを湯舟に付けるのは駄目だと思うよ?」

 

 光の反論も千絵に一瞬されて口を詰まらす。

 そして頬を赤くして言い訳を述べる。

 

「……だって、人に裸を見られるのって恥ずかしいじゃん……」

 

 正当な言い訳を言う光だが、身体を洗い終えて湯舟に入る御影が光の身体を凝視して。

 

「日本には裸の付き合いってのがあるんですし、そんなの気にしないでいいと思いますよ。それに、渡口さんってスタイルいいから、別に恥ずかしがる事でもないと思いますが?」

 

「確かに! 渡口さんってスタイルいいよね! 引き締まった所は引き締まって、出ているところはちゃんと出てるし! ナイススタイルって言葉が良く似合う体格だと思うよね!」

 

 光のスタイルは平均な女子高生よりも発育が良い部類だろう。

 身長は平均だが、ヒップは引き締まって小振りだが、ウエストもキュッと引き締まり、バストは83とそれなりに大きい。

 スタイルを褒められ照れ隠しなのか謙虚に首を振り。

 

「私なんて全然だよ。優菜ちゃんと晴峰さんの方が全然スタイル良いじゃん!」

 

「なにをー光さん。それはウチに対しての嫌味か! 憎たらしいBカップの胸を見て、そんな事言えるというのか!?」

 

 優菜は相変わらずのおちゃらけた口調だが、その表情は血の涙を流さんばかりに憎悪に満ちていた。

 しかし、それよりも二人の前で湯舟に浸かる御影は哀愁漂う空気で半笑いをして。

 

「いいじゃないですかBカップもあって……私なんて、Aですよ、……A。ハハッ、笑ってください」

 

 ……笑えない。光と優菜の心が揃う。

 優菜は申し訳なさそうな表情で頭を下げ。

 

「なんか……ごめんなさい」

 

「大丈夫です……気にしてませんので……」

 

 陸上の世界大会有力選手だからと言って、御影も年頃の女の子。

 スポーツ選手以前に女性としての自分の身体にコンプレックスを抱いている様子。

 何とも重苦しい空気となったが、3人が視線はある人物に集中される。

 

「ん? どうしたの皆? 私の方をじっと見て?」

 

 あせも防止で胸を持ち上げ胸下を入念に洗う千絵は怪訝そうに首を傾げる。

 千絵はこの中で最も身長が低く小柄だが、その体躯に見合わない程の豊満な胸が付いている。

 胸は女性として最優の武器と言っても過言ではない。つまり千絵の胸は同性からすれば嫉妬の対象。

 羨望と嫉妬の眼差しを向けられ千絵は表情を引き攣らす。

 

「ね、ねえ……なにか言って! なんか怖い、怖いんだけど!?」

 

「「「このおっぱいお化け!」」」

 

「なんで一言一句同じなの!?」

 

 そんなやり取りをした後に千絵も身体を洗い終えて湯舟に浸かる。

 

「別に胸が大きいからって良い事でもないよ? 肩は凝るし、可愛いブラはないし。値段は高いし」

 

「あーあっ、胸が大きい人のテンプレートな愚痴ありがとうございます。そうですね。Aカップの私には可愛いブラは沢山ありますよ……胸もブラも可愛いですね私って」

 

「どんだけ卑屈になってるの晴峰さん!? ホント、太陽君の言う通り凄く属性豊富だね!? 仕方ない。ここはイジラレ役として太陽君(生贄)を捧げるか……いや、ここは女湯だから太陽君犯罪者になるよね。別にいいか、あの朴念仁は」

 

「それ以前の問題なんだけど……てか、さり気なく千絵ちゃんヒドイよね」

 

 これ以上胸の話は沼に嵌ると話題は強引に切り捨てる。

 そして仕切り直して、湯舟に凭れる優菜は背筋を伸ばし。

 

「それにしても今日の練習疲れた~。これだと明日筋肉痛確定だよ……」

 

「そうならない様にお風呂に入った後のストレッチは大事ですね。同じ部屋ですし、ストレッチ一緒にしましょう」

 

「そうだね。ありがと晴峰さん!」

 

 後出しだが、この4人の宿泊する部屋は同室で、その為現在の様に和気藹々と話せてる。

 部員同士で会話する一方、助っ人組の光は千絵に申し訳なさそうに謝る。

 

「それにしてもごめんね千絵ちゃん。夕食や清掃を殆ど任せちゃって……」

 

「気にしなくていいよ。この合宿は部員全員のスキルアップの為のモノ。光ちゃんの指導がその役に立つならそっちをするべきだよ。それに、皿洗いとか食堂の清掃とかは1年生がしてくれてるし、今はゆっくりと湯舟に浸かってリラックスだよ」

 

 朝食、昼食は練習や準備で忙しいが、夕食後の自由な時間が多い時ぐらいは助っ人組を休ませる為に、夕食後の雑用は1年生がする事になっており。

 今日使用した練習着は学年関係なく各々が洗濯する様にはなっている。

 その為、光と千絵も2年生の時間にこうやって入浴出来ているのだが。

 

「この後殆ど就寝まで自由時間だけ、皆はなにする?」

 

 千絵達も今日の臨時マネージャーの仕事の殆どを終えて手持無沙汰になり、就寝までの残り3時間は特に予定はない。

 それに御影ははいはいと手を挙げ。

 

「でしたらトランプとかをしましょう! 大富豪やババ抜きとか」

 

「なんだか修学旅行みたいだね。あっ、負けた人は秘密を暴露とかの罰ゲームがあった方が燃えるよね」

 

 御影の提案は兎も角、優菜の嫌な予感に光と千絵は苦笑い。

 

「修学旅行と言えば、中学の頃の時って夜何してましたか?」

 

 晴峰の唐突な質問に千絵は首を傾け。

 

「夜なにしてたとは?」

 

「ほら、あれです。漫画とかでよくある定番の、男子の部屋に行ったとかです。私の中学の頃の学校は校則が厳しかったので実行は出来ませんでしたが(別に行きたいと思える男子もいませんでしたが)。この中でそれを実行した人はいますか?」

 

 ウキウキと目を輝かせる御影。

 御影は真面目なのだが、何処か抜けた部分もあり、変な部分に憧れを持つきらいがありそうだ。

 

「ウチはあるよ。ウチが泊まった所がホテルだったんだけど。ホテルって部屋にシャワーとか付いてるよね? んで、おい男子来てやったぜ!とか言って思いっきりドアを開けたら、3人部屋だったんだけど、男子の1人がシャワーあがりの全裸でさ。いやーあの時は焦ったよ」

 

「なんと。池田さん。貴方はモブみたいなのに何とも面白いエピソードがあったんですね!?」

 

「……あれ? ウチ、なんかとてつもなく馬鹿にされた気が……」

 

 さらっと毒を吐く御影は続いて光の方に顔を向け。

 

「渡口さんとかはあるんですか?」

 

 やっぱり来るかと露骨に嫌な表情の光は、助け舟が欲しいと千絵に目を向ける。

 しかし千絵は眼で「諦めたら?」と拒否する。

 光も諦めた様に嘆息して、

 

「……一応はあるけど」

 

「本当ですか!? え、お相手はどんな人!?」

 

 御影の叫びは浴場に木霊する。

 その声で大浴場にいる他の部員たちも光たちの方に視線が集まる。

 居たたまれなくなる光は、口まで湯舟を浸からせぶくぶく泡を吐き。

 

「別に……言う必要は……」

 

 言いたくなく目を逸らす光だが、御影は思い出したかの様に手槌を打ち。

 

「あぁ、分かりました。彼氏さんの所ですね。だって、渡口さんって彼氏いましたし」

 

 さらっと、とんでもおない爆弾発言に大浴場にいる皆が一斉に固まる。

 盗み聞きしていた部員たちも光の彼氏の存在に驚いている様子。

 そして優菜はお湯を割って光に詰め寄り。

 

「え、ええ光さんって彼氏居たの!? いや、光さん可愛いから別にいても可笑しくはないんだけど。全然そんな浮いた話聞いた事がないし! え、もしかして晴峰さんって光さんの彼氏を知っているの?」

 

「はい。中学の全国大会で一度見た事があります。陰から少し見てましたが、かなりラブラブな感じでしたよ」

 

 ひぃひゃああああ! と奇妙な黄色い声をあげる優菜。

 更に居た堪れなくなる光は顔を紅葉の様に染め上げ、頭の先までお湯に浸からし隠れていた。

 しかし、恋盛りの女子高生。熱の上がった恋バナは止められない。

 

「え、どんな人!? どんな感じだったのその彼氏って。顔とか!?」

 

「顔は、正直ハッキリとは覚えていませんが、特別にカッコイイ訳でもなく、カッコ悪いって感じではなかったはずです。ですが、かなりお優しい方でしたよ。落ち込む私を、精一杯に励ましてくれましたし」

 

「……なんか、それはそれで少し心配だね。もしかして、その人って女たらし?」

 

「そうだねー。その人多分、物凄ッい女たらしだよ、天然の」

 

 割って入り不機嫌そうに中傷する千絵に優菜は頬を引き攣らせ。

 

「高見沢さんの言葉がなんか刺々しいね……。もしかして高見沢さんもその光さんの彼氏を知っているの?」

 

 さーねー。とはぐらかす千絵。

 ここで優菜は困ったな……と表情を歪ます。

 

「光さんに彼氏……。これは秘密裏にしておかないと。この事が『渡口光ファンクラブ』に知られれば」

 

「ねえ、なんか私の知らない所で非公式のファンクラブの存在が聞こえたんだけど!?」

 

 初知りの事実に湯舟から顔をあげる光。

 大声を張り上げる光に、キョトンとした顔で優菜は言う。

 

「え、知らない? 陰から光さんを応援するファンクラブ。60人も入会してるんだよ」

 

「知らない知らない! なにそれ、怖いんだけど!?」

 

 光たちの高校の生徒数は男子約400人、女子約330人である。

 

「ついでに最近勢力を伸ばし始めてるファンクラブが存在するの、それは『晴峰御影ファンクラブ』!」

 

「私のもあるんですか!? 私、まだ転校して来てまだあまりないんですが!?」

 

「だって晴峰さん可愛いじゃん。モデルみたいでスラっとしているしさー」

 

 嫉妬を混ぜた口ぶりで唇を尖らす優菜。

 

「ついでに晴峰さんの方も大体60人程入会してるんだけど。本当に凄いんだよ。互いの偶像の為、裏切り、乱闘、取引で相手を蹴落としたりと」

 

「「なんで私たち(当人)の知らない所で殺伐しているの(んですか)!?」」

 

「まあ、嘘なんだけどいだだだだっ! ごめ、ごめん! ちょっとからかっただけッ! だから二人で頬を引っ張らないでぇえええ!」

 

 優菜の絶叫が大浴場に木霊した所でジリリリリリ!と更衣室からベルの音が鳴る。

 これは2年の入浴時間終了5分前を知らせるベルだ。

 優菜の頬を解放した光と御影は湯舟から上がり、

 

「もう、本当に驚いたんだからね。流石に漫画みたいな学生でのファンクラブとかある訳ないか」

 

「そうですよね。そんな漫画みたいな」

 

「……2人のファンクラブがある事自体は本当なんだけど」

 

「「なにか言った(いました?)」」

 

「なんでもないよー」

 

 優菜も湯舟から上がり、光の方に目を向ける。

 

「それはそうと。光さんの彼氏さんの話、部屋でじっくり聞くとしますか。夜は長いよ。就寝時間まで寝れると思わない事だね!」

 

「なッ…………!」

 

 最後っ屁みたいに言い残して優菜は大浴場を出て行く。

 覚えてたか……と固まる光は、目尻に涙を溜めて千絵に再度の助け舟を要請する。

 

「ち、千絵ちゃん……?」

 

 親友に助けを求めれるが、千絵はニッコリと笑顔で。

 

「諦めろ♪」

 

 千絵の笑顔が鬼の様に見える光だった。



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合宿編10

 和気藹々と談笑する女湯とは別に、一方の男湯は。

 男湯の方も現在は2年生の入浴時間。

 故に助っ人組の太陽、信也もこの時間に入浴することとなっている。

 

 壁側に設置されている洗い場で並んでバスチェアに腰掛ける太陽と信也。

 信也は今日の汗と、活火山より噴出した火山灰の掛かった髪をシャンプーで洗いながら、隣の太陽に口開く。

 

「マジで今日はキツかったな。普段あまり使わない部分使ったみたいでヘトヘトだぜ……。これを残り5日もしないといけないとか本格的に憂鬱になって来たぞ……。旅行感覚とか言ったけど、マネージャー業恐るべし」

 

「それに関しては同意見だが。ヘトヘトって……後ろの奴らを見て同じ事言えるのか?」

 

 同じくシャンプーで髪の汚れを洗い落としていた太陽は、顎で後方を指す。

 信也は太陽に言われて後方を振り向くと、苦虫を噛み潰したかの様な居た堪れない表情に変貌。

 

「……確かにこれは酷いな……。マネージャー業で疲れたとはいえ、あれを前にその言葉は呑み込んでしまうな……」

 

 太陽たちの後方。つまりは浴槽なのだが。

 肩まで浸かる平均的な水準まで溜めた浴槽に浸かる疲弊しきった陸上部員。

 一人は浴槽の壁に凭れ天井を仰ぎ動かぬ者。

 一人は浴槽に死体の様に俯せで倒れる者。

 一人は漂流者の様にぷかぷかと仰向けで漂う者など。

 

 先の過酷な練習で疲労困憊の部員たちを見て案じる太陽たち。

 上記の者たちの殆どは長距離組で見た顔ぶれで、この惨状で御影が出した練習メニューの過酷さを物語る。

 

「マジでキツそうだったもんな長距離の方はよ。良かったぜ、俺は短距離組でよ」

 

「おっ、小鷹か。お前も今からか?」

 

 おう、と返答するのは太陽たちと同室で同学年の小鷹隼人だった。

 彼は「隣いいか?」と言って、太陽の返答を待たずに隣の洗い場のバスチェアに腰かける。

 

 流石部活で鍛えていて、余分な脂肪と筋肉を削ぎ落したかの様な細々としながらも絞られた筋肉。

 生まれつき体躯が良い信也と違い、帰宅部で運動も体育の時間程度しかしない自らの体を見て、太陽は無性な劣等感と羞恥が生まれる。

 

 小鷹は備え付けられたボディーソープをタオルに数滴かけて、己の体に付着する垢と汚れを掻き洗う。

 

「お前らもマジでサンキューな。昼飯も夕飯も、思ったよりか旨かったぜ。これなら後の飯も期待が持てそうだ」

 

 まるで最初は期待していなかったと言わんばかりの言葉だが、最終的には誉め言葉として受け取り。

 

「それはどうも。まあ、殆ど千絵が味付けしたから、それを千絵に言ってやってくれ。あいつ喜ぶからよ」

 

「千絵って……確か高見沢の事だよな? お前ってあいつの事呼び捨てなんだな。彼女なのか?」

 

 小鷹の短絡的な一言に太陽は吹き出す。

 

「べ、別に俺とあいつはそんな関係じゃねえ! ただの小学からの腐れ縁だ。所謂、幼馴染ってやつ!」

 

「男女間の幼馴染か……。マジで実在するんだなそれ。つまり、これはいつか恋人になるフラグだなそれ」

 

 キメ顔で発言する小鷹に太陽は呆れて言葉を失う。

 

「だから、俺とあいつは本当にただの幼馴染。いっちゃ悪いが、俺はあいつの事女だと熱ッ! なんで熱湯を俺に掛けるんだよ信也!? 滅茶苦茶熱いぞそれ!?」

 

 隣に座る信也はシャワーの水温調整のハンドルをレッドゾーンを超えて回し切り。

 最大限に熱くなった熱湯を、更に最大水力で太陽に浴びせた。

 更に隣に座る小鷹にも飛び水したが、信也は無表情で。

 

「いや、スマン、方向間違えた」

 

「方向間違えたって……。お前、その熱いお湯を自分に掛けるのか? マジで熱いぞそれ。お前ってMか何かか?」

 

「黙れ屑野郎」

 

「何故に辛辣!?」

 

 理由不明の不機嫌な信也に困惑する太陽。

 本当に信也は熱さをどうと思ってないのか、太陽に掛けた熱さのお湯を自らの体に浴びせていた。

 引いている太陽を他所に、小鷹は次は髪を洗うために手にシャンプーの泡を注ぐ。

 だが、手元が狂いシャンプーの容器を倒してしまい、床を滑る様に太陽の足元に転がる。

 

「すまん古坂。それ取ってくれ」

 

「ん? あ、分かった」

 

 太陽は足を引き、眼下に転がる容器を拾おうとする。

 そして太陽が足を引いた際に、小鷹の視界にある物が入る。

 

「おい古坂。お前のその足の傷ってなんだ?」

 

 太陽の足に大きく縦に裂いた様な1本の傷跡を眼に付いた小鷹が尋ねる。

 太陽は、これか?、と自らの足に刻まれた傷跡を見下ろす。

 

「これは小学生の頃に交通事故で負った名残りだ。足だけじゃなくて頭にも少し傷があるぞ」

 

 ほれ、と太陽は自分の髪を掻き揚げて肌を露出させる。

 他の髪で隠れていて分からなかったが、後頭部付近に確かに1本線の手術の痕が生々しく残されていた。

 

「交通事故? お前事故に遭ったって、大丈夫だったのか!?」

 

 驚愕する小鷹に太陽はため息を吐き。

 

「大丈夫じゃなかったらここにいる俺はなんなんだよ。幽霊かなにかか?」

 

 交通事故で無事ではければ今生きていないと語る太陽。

 確かになと納得する小鷹に、太陽は陰鬱な表情で言葉を続けた。

 

「まあ、確かに後遺症がないといえば嘘になるが……。実際走るのは少しキツくなったし。もしこの怪我が無ければ、俺も今頃陸上続けられたのかな……」

 

「はあ? 太陽って陸上やってたのか? 俺、それ初耳だぞ」

 

 傍聴していた信也がシャワーを一旦止めて太陽に物申す。

 太陽はキョトンとした顔で、「あれ、そうだっけ?」と首を傾げる。

 

「やってたって言っても実際、怪我の影響で直ぐに辞めちまったけどな。事故をしたのが小3で、陸上を始めたのが小4だったから。あまりスパンの空いてないままにやったからな」

 

「ふはぁ……。もしその事故さえ無ければ、もしかしたら今頃俺たちは一緒に部活やってたかもしれないって事か……。なんで事故に遭ったのか覚えているのか?」

 

「さぁな。事故の影響でか前後の記憶は曖昧なんだ。俺自身も、なんで事故したのか覚えてねえ。それに、俺には陸上の才能がどうせなかっただろうから、遅かれ早かれ辞めてたかもな。少なくとも、強豪のウチで続けられる程の才能はなかっただろう」

 

 太陽からすればもう諦めた身。

 自虐気味にそう語るが、その眼には若干の悲しみが垣間見えた。

 

「太陽、お前は才能がないないと言って、それでも一度は陸上を始めたのって……」

 

 何かを思ったのか信也が太陽に聞く。

 

「どっかの誰かさんに陸上をするべきと言ったんだ。俺が何もしないのは筋違いかと思ってよ。だけど、才能の差を見せつけられて劣等感を抱いちまったが。まあ、そんな事はどうでもいいだろう」

 

 終わった話はここで終了と太陽は話題を切る。

 信也、小鷹も太陽の過去を掘り返すのは失礼だと思ったのか、それ以上の追及はなかった。

 

 沈黙の空気が流れたが、その空気を払拭するかの様な、太陽たちの壁先から微かに声が聞こえる。

 

「この声って……高見沢の声か? 渡口や晴峰の声も聞こえるな、あいつらこの反対側にいるのか?」

 

「「「「「「なにぃ!?」」」」」」

 

 信也の微かに聞こえた声の主の解析に、太陽を除く男湯にいた部員一同が目を輝かせた。

 先程まで浴槽を漂っていた死体も復活をして、全員が太陽たちがいる壁側まで押し寄せる。

 

 太陽たちの壁の反対側。それは乙女の花園である女湯。

 しかも、学園の人気者たる光、御影がいる事に男たちは興奮気味に聞き耳を立てる。

 

「おいおい渡口とか晴峰とか、あいつらどんな会話しているんだ?」

 

「お風呂での女子トークって言えば恋愛! 渡口と晴峰の恋愛事情が聴けるチャンスじゃねえか!」

 

 男子生徒の憧れの的の2人の恋愛話。

 何故そんな根拠が生まれるのか俄かに信じ難いが、男たちの意識は壁側の方に向けられていた。

 部員10名が一斉に壁に耳を当てる光景は何とも地獄絵図。太陽と信也はこの部の将来を心配するも、我関せずと浴槽に浸かる。

 

「おいおい古坂に新田。お前らは聞かねえのか?」

 

「興味ねえからな」

 

「右に同じく」

 

 本心で興味ないと言うのだが、小鷹は信じられないと言う表情で。

 

「おいおいマジかよ。あの渡口光と晴峰御影だぜ!? あいつらに興味ないとか……お前らってもしかしてホモなのか? もしかしてお前ら出来てたり!?」

 

「「断じて違うわッ!」」

 

 学校のトップクラスの美少女2人の赤裸々な恋愛事情が聴ける好機にも関わらずに心動かされない太陽と信也のホモ疑惑を2人が強く否定した所で、再び微かに女湯から声が漏れる。

 

『修学旅行と言えば、中学の時に夜何してましたか?』

 

「「「「「修学旅行?」」」」」

 

 今の女湯から聞こえた声は御影の声だった。

 会話の断片しか聞き取れず、何故その会話に至ったのか分からない男子部員たち。

 女湯からの声は聞こえないが、男子部員たちの言葉で大体の話題を察した信也が、懐かしむ様に太陽と思い出に耽る。

 

「修学旅行と言えば太陽。あの時は大変だったな。高見沢達が俺たちの部屋に来て、就寝時間ギリギリまで遊んだりしてよ」

 

「そうだな。あの後先生が見回りに来て、急いで皆で布団に隠れてよ。んで……何故か俺と一緒の布団に隠れた千絵の、俺に対する暴力で結局見つかって、小一時間廊下で説教されたな」

 

 今も色褪せる事のない思い出。

 辛い時もあれば楽しい時もあった思い出だが、思い出す度に、あの時には戻れないと痛感させられる。

 

「……なあ太陽。俺たちの学校は2年の時に修学旅行だが……中学の時みたいに、あいつらとワイワイ楽しめるかな……」

 

 仮に千絵に絞って誘っても、恐らく付属品として彼女も来る。

 

「……さあな。まあ、少なくとも高校で友達の少ねえお前を憐れんで、俺だけはお前と一緒に回ってやるがな。クラスは違うけど」

 

 哄笑をあげる太陽だが、その声に力はなかった。

 

 その後は気まずくなって沈黙するが、2人を他所に男子部員たちの熱さは燃え上がる。

 

『渡口さんとかはあるんですか?』

 

 御影の光に対する質問に、男たちは聞き耳を更にめり込む勢いで壁に当てる。

 話題は女子たちが中学の時の修学旅行で男子の部屋に行ったかであり。

 御影、優菜に続いて今度は光の番らしい。

 

 光は慌てた素振りの声が聞こえたが、諦めたのか張りが無い弱弱しい声で言う。

 

『……一応あるけど』

 

 男たちから落胆の声があがる。

 

「マジかよ!」

 

「畜生! 誰だよそんな渡口が部屋に来てくれるっていう羨ましい体験した奴! その男マジ死ね!」

 

 会話の流れからして大体察する太陽と信也。

 その男たちの憎悪に籠った羨望の言葉に2人は顔を逸らす。

 何故なら、その光及び千絵が来訪した男子部屋が自分たちの所なのだから。

 

 負のオーラを放つ男たちを尻目に、退散しようと太陽は浴槽から上がろうとすると。

 憎悪に燃える火に更に油となる言葉が聞こえた。

 

『あぁ、分かりました。彼氏さんの所ですね。だって、()()()()()()()()()()()()()()?』

 

 男たちの体に雷が奔らんばかりの事実に口をあんぐりさせた。

 

「おいおい……今晴峰はなんて言ったんだ……。渡口に彼氏が……」

 

「あの純真潔白で俺たちのアイドルの渡口に……彼氏がいるだと!?」

 

 崖から転げ落ちたかの様な落胆する男たち。

 男たちから生気が感じられなくなり、トボトボと男たちは壁側から退散する。

 

「はぁ……マジかよ。俺、割と本気で渡口の事狙っていたのに、彼氏持ちか……」

 

「うん、まあ、渡口可愛いからな。彼氏ぐらいいるよな……。その彼氏マジで羨ましい! 誰だそいつ! 見つけたらリア充撲滅鉄拳をお見舞いするぞ!」

 

 学園の人気者の片方に彼氏がいる事実に男子部員たちは嘆く。

 だが、渡口の容姿と性格を知っている者たちにはある意味納得出来て諦めムード。

 

 男たちの会話を聞き、思い当たる信也は逃げ出そうとして止まっている太陽に目を向ける。

 

「話題は修学旅行で、渡口の彼氏って……」

 

 もしやその彼氏とはと疑問を投げる信也だが。

 

「……そうか。あいつに彼氏か……。まあ、いつか出来るだろうなとは思っていたが」

 

 太陽が零す言葉に信也は眼を点にする。

 何を言ってるんだと胡乱な眼を向ける信也だが、太陽は自身の金髪を掻き。

 

「まあ所詮、俺はあいつの元カレだ。元カノに彼氏が出来て嫉妬とかダサすぎて吐き気がするぜ」

 

 普通であれば彼氏がいると言われれば光は即答で否定するだろう。

 今の太陽と光は元カレ元カノの間柄。2人の関係は昔に破綻しているのだから。

 

 つまり、それがないという事は現状の光に彼氏がいると太陽は誤解したのか。

 信也は嫌な冷や汗を流し、太陽に声を掛けようとするが。

 

「これで俺も心おきなく前に進めるな。俺は先に上がるが、時間はまだあるし信也はゆっくり浸かっていいからな」

 

 ひらひら手を振る太陽の背中を見送り、声を掛けずじまいの信也。

 信也はこれまでにないぐらいの心の揺らぎを感じながら、苦虫を噛み潰したかの様な表情で、女湯にいるであろう千絵を見て。

 

「……おいおい高見沢。これって、滅茶苦茶悪い方向に転がってねえか?」

 

 これからの先に一抹の不安を残しながら、これ以上入る気になれず、信也も続いて浴槽から出る。



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合宿編11

 入浴時間を終えて、各々が今日使用した練習着を選択し終えて干した後は、就寝時間までは完全な自由時間となる。

 

 部屋でゆっくりする者。

 施設のロビーで男女問わずに集まり談話する者。

 レクリエーション室で卓球などのテーブルボールをする者など。

 各自で自由な一時を過ごしている中、光含む2年女子一同は。

 

「それでそれで! 先刻(さっき)の続きなんだけどさ。光さんの彼氏ってどんな人なの!?」

 

「だから、その話はしたくないって言ったじゃん!」

 

 宿泊する部屋で恋バナに花を咲かせていた。

 だが満開とまではいかず、光が渋って答えようとせずに話が進まない状態だった。

 

「晴峰さんもその、光さんの彼氏を見たんだよね? 本当に顔を思い出せないの?」

 

「そう言われましても。私が会ったのは一回の、しかもかなりの短時間です。顔の印象も薄かったのであまり覚えてないといいますか……」

 

「なら他に特徴になるもの。喋り方とか」

 

 光が口を閉じてしまったからには、優菜は細い紐を辿る様に御影の記憶を頼りにするのだが、御影自身も本当に覚えてないのか腕を組んで唸り。

 

「そう言われましても……。私からすれば、その人同様に皆さんの喋り方も中々独特と言いますか。案外皆さんって言葉が訛ってるんですね?」

 

「いや、確かに他県の人からすれば訛っているかもだけど……。東京出身の御影さんの喋りは所謂標準語なんだけど。ウチたちからすれば、そっちの方が可笑しいんだから」

 

 外国人からすれば自分も外国人と同じ理論で返す優菜に、そうですか? と御影は首を傾げる。

 そしてポンと手槌を打つ御影はある事を皆に質問する。

 

「よくドラマなどで薩摩や鹿児島の登場人物で、「おいどん」とか「ごわす」とかを言ったりしますが。本当に言っているのですか?」

 

「「「言ってるわけない!」」」

 

 生まれも育ちも鹿児島の3人はユニゾンして否定する。

 だが、優菜は少し苦笑いの表情で日頃感じた事を話す。

 

「まあ、年寄の人で極稀に方言の人がいるけど、同じ県出身のウチたちからすれば、あれは一種の外国語だよね。何言ってるか分からない」

 

 優菜の方言に対する意見に光が同調して。

 

「それ分かるよ。私の近所に生粋の鹿児島弁のおばあちゃんが住んでいるんだけど。昔「おまはビンタがわりかね!」って私に怒った事があるんだよね、初めて聞いた時、え、ビンタ、えっ……私ビンタしてないよ?ってハテナしたな……」

 

 あるあるの事に1人付いていけてない御影は隣に座る千絵に意味を尋ねる。

 

「どういう意味なんですか?」

 

「ビンタってのは頭ってこと。つまり光ちゃんが怒られた言葉を翻訳するなら「お前は頭が悪い」ってことになるね(ボリボリ)」

 

 なるほど……と未知の言葉に感心を持つ御影。

 胡坐をかいた膝に手を乗せ、前のめりに優菜は御影に詰め寄り。

 

「てかさてかさ。前にテレビの特集で見たんだけど。私たちが普通に使っている言葉で、御影さん標準語の人に通じない言葉があるんだって。今後御影さんの為にそれを教えといた方がいいかもね」

 

 得意げに胸を張る優菜に釣られて何故か拍手する御影。

 確かに良い案と思ったのか、千絵は顎を指でトントン叩いて言葉をピックアップする。

 

「そうだね。そう言えば一番上のお兄ちゃんが仕事の用事で東京に行った時、「はわいてくれ」って言ったら疑問な顔されたって言ってたっけ」

 

「「はわく」……ですか? 言葉のニュアンス的には「掃く」つまり掃除してくれって意味ですか?」

 

 そう、と頷く千絵。

 

「別に標準語を馬鹿にしているつもりはないけど。いつも「掃わく」って言っているから、私からすれば「掃く」って言葉の方が少し違和感が……同じ読みで「吐く」ってのがあるし……(ボリボリ)」

 

「他にも「なおす」って言葉もあるよね」

 

「「なおす」ですか……? 何か物が壊れた時に使う言葉とか?」

 

 違う違うと光は手を振り。

 

「「なおす」ってのは所謂片付けろってこと。多分部活とかで一番使われる言葉だと思うから覚えといた方がいいよ」

 

「あぁー。確かに何度か耳にした事がありますね。その時に何か機材が壊れたりしたのですかね?と疑問に思ってましたが、これで合点いきました。はぁ、同じ国だと言うのにここまで違うモノなんですね……」

 

 様々な言葉の違いにカルチャーショックを受ける御影に千絵が、

 

「まあ、大体若い人たちはあまり鹿児島弁を使う事はないし。言葉に困った時は気軽に聞いてくれればいいから(ボリボリ)」

 

「ありがとうございます高見沢さん……ですがその前に、先程から何を食しているのですか?」

 

「え、ポ〇チだよ? 因みに味は九州しょうゆ味」

 

 千絵が見せるのはパーティーサイズ用の大きめな袋のジャンクフード。

 自宅から持参した菓子を1人ボリボリと頬張る千絵に対して、御影達3人は顔を青ざめた。

 

「い、いえ……別に味の方はいいのですが……。もう少しで就寝時間ですよ? なのに、そんなバリバリとお菓子を食べてたら……」

 

 この先の言葉は言いたくないとばかりに言い淀む御影。

 代表して優菜が口にする。

 

「いえ、ね……高見沢さん。こんな夜遅くにお菓子なんか食べると……太るよ?」

 

 年頃の、否、女子の一生の悩みたるそれを口にした優菜に対して、千絵はキョトンとした顔で。

 

「え? 別にこれぐらいの時間帯に食べるのは普通だよ? よく自習している傍らでお菓子とか摘まんでるし。それに私は幾ら食べても太らない体質だからセーフセーフ♪」

 

 尚も手を止めずにボリボリ菓子を口に運ぶ千絵に、3人は恐怖と羨望で戦慄させた。

 

「……高見沢さん、少しお腹を触ってもいいでしょうか……」

 

 ゆらりと近づく御影は千絵の有無を聞かずに千絵の腹を摘まむ。

 ぷにぷにとした弾力。だが、これは決して肥えているのではない。

 最低限の脂肪は削ぎ落されたかの様な、女性特有の柔らかさ。

 少々の贅肉はあるのかもしれないが、夜遅くに菓子を食べて尚のこの体型は嫉妬を通り越して尊敬してしまう……が、御影にとってはやはり嫉妬なのか、千絵の後ろに回り込み。

 

「お腹に行く栄養が全て(こっち)に行っているってことですか!? 羨ましい! 誠に羨ましいですよ高見沢さん!」

 

「いや、ちょ……やめっ。あっ……。そんな強く揉まないでッ!」

 

 握りつぶさんばかりに後ろから千絵の豊満な胸を揉みしだく御影。

 彼女がどれだけ優秀なスポーツ選手だとしても肉体の差は否めない。

 

「ウチも揉みたい。晴峰さん、片方私にも揉ませて」

 

「いいですよ! 一緒にこの女の敵を陥落させましょう!」

 

「なに人の胸を勝手に! しかも2人共地味にテクニシャン!?」

 

 女性にとって禁句のワードを口にした罰を実行する御影と優菜。

 女性でなければ事案の光景を目の前に、光は小さくガッツポーズ。

 

「……よしっ。これであの話が流れてくれれば―――――」

 

「高見沢さんの胸の秘密と光さんの彼氏の件はこの後じっくり語り合おうか! 今夜は寝かせないよ!」

 

「うん、やっぱり覚えてたか――――ッ!」

 

 どん底に落された光の叫びを無視して、御影は優菜に対して手を挙げる。

 

「いえ池田さん。確かにお2人のお話は興味はありますが、まず先にやらないといけない事があると思います」

 

「と、言うと?」

 

 と聞き返す優菜に御影は拳を握りしめ。

 

「それは勿論――――――男子部屋に突入です!」

 

 突拍子もない事だと思われるが、何故か3人は驚かなかった。

 というよりも、もしかしたら……と3人は薄々予想していたのかもしれない。

 御影は入浴時間に旅行など、男性の部屋に行くのに多少の憧れの姿勢を見せていた。

 だが、これとそれとでは話が別として。

 

「いや、なんか予想はしてたんだけど。晴峰さん。それは駄目だよ? 合宿の規則として、原則どちらかの部屋に行くのは禁止されてるから。会うんだったら、ロビーとかで待ち合わせるをするしか」

 

 現実的に語る光に御影は指を振り。

 

「何を言いますか渡口さん! 修学旅行でも規則として同様の禁足事項でそれはあります。ですが、それを掻い潜って向かうのが青春って物だと私は思います!」

 

 正論であって正論ではない珍妙な言葉だが、光は食い下がらず。

 

「け、けど見つかるリスクも多少あるからさ。今日はこのまま寝よ? 会いたいんだったら明日ゆっくりと話せば―――――」

 

「それじゃあ行きますよ渡口さん! 事前に目的の部屋は聞いておりますので、案内は私がしますので!」

 

「ねえ千絵ちゃん助けて! この人、人の話を全く聞こうとしない!?」

 

 何故か御影に手を引かれて連れ出されそうになる光は千絵にSOSを出す。

 だが、千絵が返すのは冷ややかな視線だった。

 

「(私の記憶だと。中学の修学旅行の時に、今の光ちゃんと同じことを私が言って、今の御影さんの様な返しを光ちゃんがしたはずだけど? 人の振り見て我が振り直せって事だね。因果応報ともいう)」

 

 今回の御影同様に、中学時代の修学旅行で止める千絵を引っ張り強行に走った経験がある光。

 今回は光が被害者なのだが、まるで2人の姿はあの時の自分たちを彷彿さえた。

 

 そしてこの時、千絵は夕食の準備の際に太陽が言って来た言葉を思い出す。

 

『……なあ千絵。俺の勘違いかもしれねえが。渡口と晴峰ってさ、何処か似てたりしねえかな……』

 

『似てるって、具体的にどこら辺が?』

 

『俺にもよくは分からねえんだが。その人の有り方って言うか……。無意識に人を引き寄せるっていうか……。何となくだが、俺はあいつらは似てるって思うんだ』

 

 ふーん? とその時は生返事に返した千絵だが、よくよく観察すれば確かにそうかもしれない。

 天真爛漫で、良くも悪くも猪突猛進のきらいがあって、方向性が違うが人を引き寄せるカリスマ性を有する。

 顔も体格も違う2人だが、魂か性格が何となく似ているようにも思えた。

 

「(似ている部分と言えば……もう1つあるか)」

 

 千絵は交互に光と御影を見比べる。

 

「(……恐らく光ちゃんは多かれ少なかれ、太陽君に対して未練というか恋心がある。そして晴峰さんも……本人は自覚してないのかもしれないけど、そうなる危険性を持つ……。確かに2人は似ているね)」

 

 まるで姉妹かの様に、と失笑する千絵。

 だが、千絵は心から笑えずに眼を沈める。

 

「(……ホント、女たらしというかハーレム系主人公というか……。近い未来、太陽君は決めないといけないのかもね。破滅か再生か……そして新たな恋か……けど、出来れば――――――)」

 

 ううん、と千絵はそれ以上の気持ちを押し殺した。

 自分で決めた事。それが最終的にどんな結末になろうと、千絵はそれを受け入れるつもりだ。

 

 もし、今の様に笑い合える関係が崩壊したとしても、それが人生だと諦める、と心に決め。

 

 千絵がそんな事を考えていると露知らずに、行くか行かないかの攻防を繰り広げていた光と御影だが、光の方が白旗を立て。

 

「分かった分かった! はい、私の根負けです! 今回は晴峰さんに付いて行ってスリリングな体験をしてあげるよ!」

 

「良かったです! これで道づ―――――仲間が出来ました!」

 

「ねえごめん。今不吉な事言わなかった? 道連れって言いかけてなかった!?」

 

 物問う光を流して御影は千絵の方に向き直り。

 

「高見沢さんも一緒に行きませんか? 絶対に退屈しないと保証致しますが?」

 

 光に続いて千絵も誘わるが、少し考えたフリを見せた千絵は首を横に振り。

 

「ごめん。私は少し勉強しないといけないから行けないや。他の人たちで楽しんで来て」

 

 断った千絵に寂しげな表情を見せる御影だが。

 

「分かりました。勉強をする人を無理に誘う訳にはいきませんので。では、行きましょうか、渡口さんに池田さん」

 

「はいはーい」

 

「あっ、私は付いていく前提だったんだ……」

 

 御影の憧れである男部屋突入の為に部屋を後にする3人を手を振って見送る千絵。

 

 3人が出て行き1人キリになった狭い部屋から覗ける月を見上げ。

 

「……やっぱり少し散歩しようかな」

 

 勉強よりも先に気分転換と少し時間が経った後に千絵も部屋を後にする。

 



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合宿編12

「よっしゃあ! 大革命ッ! これでカードの強さは反転だ! だははははっ! ざまぁ見ろ圧制者が!」

 

「こんちくしょう! ふざけた事しやがって小鷹! 最後に強いカードで上がるっていう俺の野望が潰えたじゃねえか!」

 

 入浴、洗濯を終えて自由時間を過ごす太陽たちは部屋で大富豪をしていた。

 そして戦局は嘆く太陽が圧倒的フリとなり、カードの強さを反転させる革命をされた事で、手札が絵札以上しかない幸運ともいえる手札が最弱と化す。

 他のプレイヤーたちはある程度の弱いカードも手札に残していたのか、ドンドンカードを落していき、太陽がドベとなった。

 

 悔しさでカードが残る手を震えさせる太陽を煽る様に小鷹が笑い。

 

「はい、太陽の負けな! 事前に決めてた通り、ジュース宜しく! 俺スコールな」

 

「俺、コーラ」

 

「俺も同じく」

 

「僕は水をお願いします」

 

「自分は何かしらのスポーツドリンクで」

 

 大富豪でビリになった者が皆のジュースを買いに行く罰ゲームを決めていた。

 この罰ゲームを取り決めたのが太陽自身であり、まさか自分で自分の首を絞めるとは夢にも思ってなかった様子。

 下級生にもパシリ扱いされた事にこめかみを引くつかせる太陽だが、自分で決めたルールを反故出来る訳も無く、幸いにもお金は各々が払う事になっている為に、全員からお金を徴収する。

 

「はいはい。んじゃあ。買って来てやるから少し待ってろ」

 

 よろしくー! と見送られながら太陽は部屋を後にする。

 ロビーに通ずる廊下を歩き、角を曲がった後、部屋の方から忙しい声が聞こえたが、

 

「どうせあいつらで盛り上がってるんだろ」

 

 と、気にせずに自動販売機があるロビーへと向かう。

 

 就寝時間間近だからか、部員は各々の部屋に戻っている様子で、ロビーまでの廊下で人と鉢合わせることはなかった。

 ロビーに付いた太陽だが、ロビーには誰もおらず、その所為かロビーの電気は消されていた。

 

 非常灯の薄緑の光と、外の星と月の光、そして自動販売機の電源の光のみを頼りに太陽はロビーを歩く。

 自動販売機前に辿り着いた太陽は、頼まれたジュースを買おうと小銭を投入口に入れようとした時――――

 

「……ギターの音?」

 

 微かに聞こえるギターの音色に眼を聞こえた方へと向ける。

 自動販売機は左端の隅に設置されているが、ギターが聞こえた方角は逆方向の右側の端にあるソファがある談話スペース。

 こんな時間にギターの音と不可解に感じた太陽は聞こえた方へと近寄る。

 

 1歩1歩近づく事でギターの音が鮮明に聞こえ。

 そして背凭れが無駄に高いソファで姿が隠れていたその人物を発見する。

 

「……千絵か?」

 

「ん? あっ、太陽君。どうしたのここで?」

 

 ギターの音の正体は千絵で。

 千絵はソファに座りながらアコギを構えて演奏をしていたようだ。

 

「どうしたのってはこっちのセリフだ。お前こそなんでこんな所に……。てか、そのギターどうしたんだよ? お前そんな物持ってたのか?」

 

 この合宿所に来る際に千絵がギターを携えていた記憶がなかった。

 だが、千絵が持つのはそこそこ痛んでいるが紛れもないアコースティックギターだった。

 

「あーこれね。これは今日この施設の倉庫で見つけた物なんだ。多分レクリエーションとかで使用する為に置かれていたんだと思うけど。指の練習の為に少し使わせてもらっているんだ」

 

 千絵は2年から軽音部に所属をしている。担当はギター。

 だが、前に拝見した時はエレキギターだったが、指の練習と言っているから、あくまで指の練習でこのギターを使っているのだろうか。

 

「てか、練習は兎も角なんでこんな時間にしてるんだ?」

 

「本当は勉強前の気分転換で散歩してたんだけど、GW後の皆で合わせるんだけど、私は皆よりも下手だからね。歩いててそれを思い出して、先生に許可を貰って練習させてもらっているんだ」

 

 千絵は真面目故に過剰に物事を意識することがある。

 他の人の足を引っ張りたくない。他の人の迷惑になりたくない。

 

 前に動画サイトにアップされた千絵達軽音部の演奏を拝見した事がある太陽からすれば、確かに千絵の演奏はお粗末な物で、他の人たちよりも1歩も2歩も遅れていた。

 

「それで。どんな曲を演奏するんだ?」

 

「持ち曲は2曲なんだけど。1曲はカバーソング。もう1曲はオリジナル曲。オリジナルの方は同じ部の人が作曲してくれて、その楽譜を私たちに配ってくれているんだ」

 

「楽譜ったって。今のお前、それ持ってないよな?」

 

 見渡す限りに楽譜らしき紙類はない。

 千絵は答える様に己の指で頭を小突き。

 

「楽譜の内容の殆どは頭に入っているから見なくても分かるよ。けど、それに見合うだけの技術力がないから指が動かなくて上手く演奏は出来ないんだけど……」

 

 半笑いで自嘲する千絵だが、太陽からすればそれでも十分に凄い事だ。

 プロとかなれば平然とこなせられることかもしれないが、千絵はまだ始めて半年も経ってない素人同然である。

 技術は千絵の今後の努力次第になるが、改めて千絵の凄さを実感する太陽。

 

「なあ千絵。その曲のどっちかを、聞かせてくれないか?」

 

「え、別にいいけど。私は下手だから、笑ったら非情(ひど)いよ……」

 

「笑わねえよ。俺は絶対にな」

 

 ニシっと笑う太陽の笑顔に頬を赤くする千絵は口を尖らし。

 

「……分かった。太陽君のご期待に応えて、不肖高見沢千絵が、1曲演奏するよ。曲は……偶然にもこの光景に見合う曲だね」

 

 千絵が天井を仰ぎ、太陽も釣られて上を見る。

 ガラス張りの天蓋から降り注ぐ星空の輝き。

 今日は珍しく星が空を覆い、星の絨毯と見れる輝かしい空の許で、千絵は演奏する。

 

 本来千絵が使用する楽器はエレキギターでアコギと感触が異なるのだが、順応して千絵は優しい動作でギターの弦をピックで奏でる。

 千絵が演奏するのはカバーソング。

 太陽もこの曲を知っていて、確かにこの星空に似合う曲であった。

 

 所々覚束なく、時には失敗した部分もあるが、千絵は中断せず、最後まで完奏する。

 練習して尚、正直3流レベルの演奏だったが、太陽は千絵の演奏を称賛して小さな拍手を送る。

 

「十分凄かったぞ、千絵」

 

「お世辞をありがと太陽君。女性を褒めるってことを覚えたんだね」

 

 素直に受け取らない生意気な千絵の頭を、太陽はゴシゴシ掻き乱し。

 

「そうだな。どっかの誰かさんにデリカシーが無いって昔から怒られたりしたからな」

 

 どっかの誰かさんとは言わずもがな千絵である。

 千絵の教えって訳でもなく、太陽の称賛は心からなのだが。

 千絵は謙虚なのか、それとも他からの劣等感から表情を暗くして。

 

「私は他の人よりも下手だけど、それに比べて本当に光ちゃんは凄いよ。私と同時期に始めたのに、グングンと上達してさ……。もう、羨ましいを通り越して尊敬しちゃうよ。本当に光ちゃんは、私の憧れだな……」

 

 悲観的に語る千絵を励ますことは出来ない。

 生半可な励ましは相手を惨めにさせるだけ、だが、太陽は当初から気になった疑問を投げる。

 

「なあ千絵。前から気になったんだが、なんでお前はあいつを誘って軽音部に入ったんだ? 医学部を目指すお前が部活をするって。中学ではあまり部活に興味なかったのに、しかも2年から始めてよ」

 

 2年という中途半端な所から入部することに不思議な事ではない。

 だが、今まで部活にさして興味を示さなかった千絵が、いきなり部活に入った事に太陽は多少なりとも驚いていた。

 

「……もしかして、怪我をして消沈していたあいつを励ます為に……お前は」

 

 太陽が千絵に問う。

 千絵は一瞬目を逸らした後にクスッと笑い。

 

「そんなんじゃないよ。知ってる太陽君? 大学に進学する時は内申書ってのがあって、内申書は部活に所属と未所属でかなり待遇が変ったりする場合があるんだ。だから何かしらの部活をしたいなんて思ってたりはしたんだけど二の足を踏んじゃってね。運動系は鈍くさい私には不向きだし、なら文科系って言っても人見知りの私は入りづらいから。光ちゃんを誘ったのは近くに心許せる人が欲しかったからなんだ」

 

 楽観的に答える千絵だが、太陽は真剣な眼で彼女の心を見通した。

 

「……嘘だな」

 

 太陽のその一言に千絵は固まる。

 

「……なんでそう思ったの?」

 

 千絵の疑問に太陽は千絵の額を指で小突き。

 

「お前は気付いていないと思うが、お前は嘘を吐く時は必ず最初に目を逸らす癖があるんだよ。まあ、言っていることの殆どが嘘だってのはないと思うが。お前がそんな、人を巻き込んで自分の利益を得る様な事はしないってのは、昔からお前を知ってる俺が十分に理解しているからな?」

 

 太陽に小突かれた額を押さえる千絵は固まった顔で眼を見開いていた。

 そして徐々にその眼が下がり、ハハッ……軽く笑った千絵は降参とばかりに口端を上げ。

 

「やっぱり、幼馴染ってのは嫌だね。嘘も簡単に見破られるなんて……。うん、まあ、内申書の件は嘘じゃないけど。理由は先刻(さっき)太陽君が言った通り、私が軽音部に入ったのは、光ちゃんに何かしら熱中できる物を見つけて欲しいっていう、お節介からなんだ」

 

 千絵は抱えるギターをソファに置き、ソファの上で体育座りをする。

 

「小さい頃から陸上を頑張って来た光ちゃんは、足を壊してそれは本当に落ち込んでいた。怪我した後、表では笑顔を振る舞う光ちゃんだったけど、裏では泣いていた」

 

 太陽は光に振られてから極力彼女の情報を得ない様にしていた。

 だが、ずっと関係を続けて来た千絵は、太陽の知らない光を知っている。

 

「だから私は何かしら次の目標を見つけて貰おうって、先輩が優しそうで、部員数もあまり多くない軽音部に決めて、光ちゃんだけを入れる訳にはいかないから、私も入って一緒に見つけようと思った。友達として、光ちゃんを放っておくことは出来なかったから……」

 

 聞けば友情の美談に聞こえるが、千絵の声音がそれを否定しているかの様に感じた。

 眼を潤し、目尻に涙を溜める千絵が己の行動に疑問を持つ様に額に手を当てる。

 

「……けど、それは本当に良かったのか分からない。結局、光ちゃんに新しい目標を見つけられなくて、ただ他の人に迷惑を掛けない為に練習をこなしている。それどころか光ちゃんは……また自分を追い込もうとしている……」

 

 昔からの友達として何かを成そうとする心遣いを見せる千絵だが、彼女は自分の事を自嘲する。

 

「やっぱり、私の優しさはただのお節介で、ありがた迷惑なんだよね……。多分、光ちゃんは優しいから口に出さないだけで、私の事迷惑がっているかもしれない……」

 

 千絵は自身の不安を吐露する。

 千絵が恐れているのは友人からの拒絶。だが、友人がそれを隠して自分に接してくれているかもと思うと更に胸が痛い。

 太陽は何も言えずに口を閉じていると、千絵が太陽にその黒い潤んだ瞳で問う。

 

「ねえ太陽君……。嘘を吐かずに答えてね。中学の頃、私が太陽君にした助力は……お節介、だったかな……」

 

 震えた声で千絵が太陽に尋ねる。

 太陽は口を開けず思わず視線を逸らす。

 太陽はその問いにどう答えればいいのか悩んだ。

 多分、適当な嘘を言っても看過される。そうなれば千絵の心は深く傷つく。

 

 悩んだ。だが、それは少しの間だけ。太陽は何を口にすればいいのか直ぐに辿り着く。

 

「―――――あぁ、ぶっちゃけ言えば、迷惑だったな」

 

 太陽の返答に千絵は「そう……か」と分かっていたとばかりの辛さを押し殺した笑顔を見せ。

 

「ごめんね太陽君。今まで迷惑かけて……だから、もう私は―――――」

 

「だがな。だからどうした? それがお前だろ、千絵」

 

 千絵の言葉を遮り、彼女との顔の距離を縮める太陽は言葉を続けた。

 

「確かにお前の人の好さは時々うざく感じる。最初は俺は今の関係で良いとさえ思ってたのに、お前は俺とあいつが両想いだって分かり切って。お前は恋のキューピット役をしてくれた」

 

 中学の頃、学園のヒエラルキーの上に立つ光と、教室の陰で見知った者としか話さない太陽との間に見えない壁が存在した。

 太陽は人気者の光が自分と幼馴染だってのが光からすれば迷惑なのかもと思い、彼女との関係を断絶しようとしたこともある。

 だが、それを良しとせず、太陽の背中を押してくれたのが他でもない、親友の千絵だった。

 

「最終的には俺からお前に頼み込んだだろうが。俺の気持ちをあいつに伝えたいから、俺に力を貸してくれって。それにお前は頷いてくれた。正直、滅茶苦茶助かったんだぜ、あの頃は」

 

 今がどうであれ、太陽からすれば千絵無くして初恋が成就することはなかった。

 千絵は母親の様にお節介で色々と口出しするが、最後には良い事になる。太陽はそれを知っている。

 

「お前が自分の人の好さにどれだけお節介だと煩っていようが、お前はお前で良いと思うぜ。結局、長所も短所も紙一重。お前のお人よしが、良かったこともあれば、悪かった所もある。少なくとも俺は、お前のその優しさに救われた事もあるんだからよ。俺、お前のそのお人よしな所、結構好きだぜ」

 

 衒いのない純粋な太陽の笑顔に千絵は喜びで頬を緩まし、今度は嬉し涙で瞳を潤ます。

 そんな彼女の頭を太陽は優しく撫で。

 

「それに、あいつもお前の事を本当の親友だって思っている。あいつは少しでも嫌いな相手に良い顔はしねえからな。だから信じろ。あいつはお前の事を嫌っちゃいない。元カレだが、俺が保証してやるよ」

 

 自虐を交えて千絵を励ます。

 千絵の瞳からポタポタと膝に涙が落ち、1粒1粒が千絵の不安を落しているかの様に、次第に千絵の顔が明るくなり。

 

「ありがとう太陽君……本当に、ありがとう」

 

 そして千絵はいつもの笑顔を太陽に向けた。

 

 

 

 その後、涙が止まった千絵を見届けた後、太陽は本来の目的であるジュースを購入して部屋に戻る。

 1人残った千絵はソファに深く凭れ、ガラス張りの天蓋を仰ぎ、

 

「……ホント、太陽君って女たらしだよね。あれが素で出せるとか…………」

 

 千絵は先程の太陽の言葉を思い返して、くすっと笑う。

 

「やっぱり太陽君はカッコいいな……。昔から太陽君は私の文字通り、太陽そのもの」

 

 今は沈み、相反する月が天上に浮かぶ空に手を伸ばすが、届くはずもない。

 恐らく、この距離が自分と彼の距離なのではと思ってしまう程に。

 

「ねえどうして太陽君……。なんで太陽君は私に優しくするの……? 友達だから? 幼馴染だから? 私ね。太陽君の事が昔から好きなんだよ。なのに、あんなことされれば―――――諦めたくても諦められないじゃん……」

 

 大好きな人に励まされ、嬉しい反面、それに比例する様に胸を締め付けられる。

 

「太陽君が今でも光ちゃんの事が好きだって分かっている……。昔も今もずっと……。だから私は何度も太陽君を諦めようとした。なのに、諦めきれなかった……。だから、私は2人をくっつけて、太陽君の恋を成就させて、私自身で自分の恋に終止符を打とうとしたのに……」

 

 再びポタポタ落ちる千絵の涙。

 夜月の光に照らされる1人の少女の恋は未だに果てず続いていた。

 それはまるで呪いかの様に、千絵の心を蝕み、好きだからこそ友達でも一緒に居られて嬉しいとは逆に、好きなのに自らの恋が成就しない事が辛かった。

 

「ねえお願い太陽君……。私の気持ちに気づいて……。人に偉そうに言った割に、臆病な私のこの気持ちを……」

 

 声を押し殺して泣く千絵を慰める様に、夜の月は淡い光で彼女を包む。

 



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合宿編13

 最悪の目覚め、それが太陽の感想だった。

 

 外はまだ夜の帳が完全に消えない曙。

 時間からして5時過ぎぐらいだろう。

 

 部員の起床は6時30分だが、太陽が起きた時刻はそれよりも早かった。

 原因は同じ部屋に泊まった者たちの寝相によるもの。

 布団の並びは横一列の雑魚寝であったが、現在は惨状と化していた。

 

 太陽の右側に寝る信也は体を倒した態勢とは逆になって、脚が太陽の腹部に乗せられ。

 その逆に寝る小鷹は体の向きは正常だが、大の字で開いて寝ており、伸ばされた手が太陽の首に置かれていた。

 そして他の部員たちも寝相は普通であろうが、歯ぎしりや鼾が騒音で、寝言のコーラスを奏でていた。

 

 就寝直前に自己申告で寝相が悪い、寝言を言うなどは事前に聞かされていたが、ここまで酷いとは想像もしていなかった。

 何故こんな騒音の中で太陽以外の者たちはぐっすりと寝られているのか、1人起きる太陽ははこめかみを引くつかせながらに疑問に思う。

 

 その原因は薄々分かっている。

 太陽を除く同部屋の者たちの就寝は他の部屋の者たちよりも遅かった

 その理由はトランプなどの遊戯による熱中ではなく、否、ある意味それも理由なのだが。

 一番の理由は太陽が大富豪での罰ゲームで部屋を抜けていた頃だった。

 

 太陽がロビーで千絵と話をしている間に、光、御影、優菜の女子3人が転がり込んで来たらしい。

 優菜は兎も角、光と御影の学園の2大有名人たる女子の来訪に男たちは歓喜をして、太陽の不在に御影は文句を言っていたらしいが、太陽が帰って来るまでの時間つぶしでトランプに興じたらしく。

 よほどに騒がしかったのか、見回りで来た女主将に見つかり規則違反で全員説教を受ける羽目に。

 思いの他に千絵との会話で時間を費やした太陽が戻って来た時には、同部屋の者たちは部屋の前で正座で説教を受けており、女子たちは先に部屋に帰らされたのかいなかった。

 

 連帯責任でなかったことが幸いで、太陽1人は難を逃れて説教を受けずに済んだが。

 深夜を過ぎる時刻まで正座をさせられた者たちは疲労で熟睡しているのだろう。

 

 こんな所で寝る事の出来ない太陽は、2度寝する事はせずに目覚ましで部屋を出る事にした。

 廊下の明かりは消されているが、薄白い日の出の光が窓から差し込まれて十分目視できるレベル。

 眠たい目頭を擦り、大きく欠伸した太陽は、気分転換で風に当たりたいとロビーを通って外に出た。

 

 まだ4月末の為か早朝はまだ寒い。

 あまり厚着をしてこなかった太陽は寒っと身震いしたが、歩いていれば少しは慣れて温まるだろうと思い散歩がてら整備された道を歩く。

 

「当たり前だが誰もいねえな。練習疲れでギリギリまで寝たいだろうし、合宿でこんな早朝から朝練する奴はいないだろ」

 

 白い霧が掛かり視界が悪いが、見渡せる限りで人の影を見つけられない。

 はぁ、はぁ、と白い息を吐きながら朝の森の新鮮な空気で呼吸しながら歩いていると。

 

「ん? ……これって……」

 

 昨日に御影が指導する長距離組が練習で使用した坂道の下に設置されてあるベンチにある物を発見。

 半開きでタオルが顔を覗かせる青いポーチ。このポーチに太陽は見覚えがあった。

 

「これって、前に晴峰と行った坂の所にも同様の物があったよな。もしかして、あれと同じ物……」

 

 こんな偶然はあるだろうか。

 自分の行く所に同じ色と形をしたポーチがあることを。

 誰かの忘れ物なのだろうか、落とし物として拾うべきか悩んでいると、坂道にかかる白い霧に黒い人影が浮かび、太陽は目線を上げる。

 

 白い霧から現れたのは

 

「…………光」

 

 驚愕して思わず彼女の名を零す。

 上下学校指定のジャージを着て、肩の息と連動して吐かれる白い息、何をしていたのか物語る汗の量。

 渡口光が袖で額に流れる汗を拭い、太陽の存在に気づき。

 

「太陽……どうしてここに」

 

 ハッと光の視線は太陽からポーチの方に向けれて、その視線に気づいた太陽は光の方に目を向け。

 

「このポーチ……お前のなのか?」

 

 太陽の問いに光は頷く。

 この青いポーチは光の所有物。なら、あの時の物は……。

 太陽は牽制の意味で光に問う。

 

「お前……大体今から大体1週間前の朝……俺と晴峰が一緒に居たのを見たことあるか?」

 

 御影が自主練に最適な場所で抜擢した際に訪れた坂。

 あの場所でも同じ青いポーチを発見していて、もしかしたらあの現場に光が居たのかもしれないと不審に思い太陽が尋ねるも、光は表情を1つ変えず。

 

「なに言ってるの? 見てるわけないじゃん」

 

 憎たらしい程の言葉遣いだが、太陽は内心ホッとした自分がいるのに気づく。

 何故、光に御影と一緒にいる場面を見られずに済んだのか安堵したのか分からない。

 その気持ちから逃げる様に、太陽は更に光に質問を投げつけた。

 

「ていうか、なんでお前がこんな朝っぱらからにいるんだよ? なんか走ってたみたい――――お前まさか!?」

 

 自身の言葉でもしかしてと太陽は一瞬彼女の脚に視線を移し。

 

「お前……もしかして走ってた、なんて言わないよな!?」

 

 光は去年の夏ごろに過剰な練習量(オーバーワーク)で靭帯を損傷したはず。

 選手生命は取り留めたモノの、高校での陸上は諦めざる得ないと母経由で耳に入っていた。

 なのに、そんな彼女が何故早朝で坂道を走っていたのか……。

 

「お前、まだ怪我は完治してねえんじゃねえのかよ。お前の母さんから聞いてるぞ、医者から高校での陸上は諦めろって。無理すれば一生の傷を負う危険性もあるから、安静にする必要がある。お前、自分の身体なのに何してるんだよ!?」

 

「なに太陽、心配してくれてるの?」

 

 早朝の寒い気候にも負けない冷めた言葉に太陽は口を詰まらし。

 

「誰がお前なんかを心配するかよ! お前は大嫌いだが、お前の母さんには昔色々世話になったから、あの人を心配させることを看過できないだけだ!」

 

 光と話す度に一言一言言葉を発する度に、太陽の心臓の鼓動は波打つように強くなる。

 

「大嫌い……か。まあ、そうだよね。私が太陽にした事を思えば当たり前か」

 

 一瞬であるが、光の表情に陰りが差した。

 だが、直ぐに無感情の顔に戻り。

 

「別にどうでもいいよ、それは。昔から付き合いがある太陽は私の性格知っているよね? 私は私のしたい事をする。それに、別にお母さんに黙ってしている訳じゃない。一応だけど、お母さんにも許可を貰っているから。……まあ、良い顔はしてくれなかったけど」

 

 光の母親は娘の意思を尊重するタイプ。

 それが今後の娘である光の身に何が起ころうと、今を全力でする娘を応援する。

 良くも悪くもそんな親だから、自分の身体を酷使する光を渋々ながらに容認したのかもしれない。

 

「だがな……お前」

 

 太陽は拳を強く握りしめ、光を睨む。

 太陽の眼に映るのは光ではなく、昨晩の千絵の姿だった。

 

「お前が陸上を諦めてないってのは分かった。だけど、それならバンドの方はどうするんだよ!? 千絵がお前に新しい何を発見してほしいって、お前を誘ったあいつの気持ちを踏み躙るのか!」

 

 自分ではなく千絵の事で糾弾する。

 光は一呼吸入れて、千絵に対して愁う様な瞳をして。

 

「千絵ちゃんに関しては私もかなり感謝しているよ。だって、千絵ちゃんは私を思って誘ってくれたから。私にとって千絵ちゃんは掛け替えのない親友、一番に幸せになって欲しい人でもある」

 

 光と千絵は同性であるなら一番の親友であろう。

 

「だけど、それとこれとは話が別だよ。先刻も言った。私は私のしたい事をする。勿論、折角千絵ちゃんが誘ってくれたバンドの方を手を抜く事は絶対にしない。だけど、私にとって陸上は諦めきれない物でもあるから」

 

 昔から何度も見て来た光の真っすぐな瞳。

 何度も挫けそうになっても諦めなかった忍耐力。

 それが太陽にとって眩しくて、憧れで……文字通り、太陽からすれば彼女は光そのもの。

 

 太陽は吐き捨てる様に喉を鳴らし。

 

「別に俺もお前がどうなろうが構わねえが。千絵や他の奴を悲しませてみろ。俺は、お前を絶対に許さねえから」

 

 他に好きな人がいると振られ、最も最愛だった人物が今では最も嫌悪する人物に成り下がってた彼女に太陽は気魄の眼で見る。

 千絵や光の母親、太陽が世話になった者たちを悲しませることをすれば、自分は許さないと釘を刺した所で、太陽は踵を返し、施設へと戻って行く。

 

「体を壊すも練習も勝手だが、マネージャー代理としての役目を忘れるなよ? 後1時間で朝食の準備だからよ」

 

 それだけ残して太陽は光と別れた。



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合宿編14

 光と別れた太陽は散歩を終え宿舎に帰り、一旦部屋に戻る。 

 そして未だに爆睡する信也を暫く経ってから叩き起こして、2人で朝食の準備で厨房に向かう。

 信也はまだ寝足りない様子で文句を言っていたが、同室の者たちの所為で更に眠れなかった太陽が意趣返しで横腹を殴った所で厨房に辿り付く。

 

「もう! 古坂さん! なんで昨日の夜部屋にいなかったのですか! 肩透かしでつまらなかったのですが!?」

 

 厨房に入って開口一番の言葉が叱責だとは思わなかった。

 ぷんぷんと表現が似合う可愛らしく憤慨する声の主は、何故か晴峰御影のモノだった。

 

「朝から耳に響く声を出すなよ……。てか、なんでお前がここにいるんだよ。後ゆー……優菜も」

 

 この時間帯に厨房に来る予定なのは助っ人組の、太陽、信也、光に千絵の4人。

 光と千絵はいるのだが、部外者の御影と優菜がいるのは不思議だった。

 ついでに太陽は優菜の事をあだ名で『ゆーちゃん』と呼ぶのだが、今回は自重することにした。

 

 昨晩ロビーで会った千絵は、嘆息の零し。

 

「昨日。男子部屋に行ったことが主将さんに見つかったらしくてね。それの罰として、朝の雑用は2人も手伝うって事になったらしいんだ」

 

 太陽は昨晩の事を思い返す。

 太陽が罰ゲームで部屋を出て、ロビーで千絵と話をしている間に太陽の部屋に御影達が来たらしく、太陽の不在に文句を垂れていたらしいが、帰って来るまでババ抜きを興じたらしいが、運悪く見回りに来た女主将に見つかり、敢え無く御用になったとか。

 

 それが原因で太陽を除く同室の者たちは0時まで正座をさせられたらしい。

 危うく太陽も説教を喰らいかけたが、自らが設けた罰ゲームに窮地を逃れたのだが。

 

 男子部屋に来た光、御影、優菜の戦犯の3人はこうやって雑用をする羽目になったらしい。

 元々光はマネージャーの代行で来ているから実質何もないに近いのだが。

 

「それにしても渡口さんは何処に行ってたのですか? 起きた時には姿が見えませんでしたが?」

 

 太陽と外で会った後、光も宿舎に戻っていたのか厨房に光の姿が。

 だが、同室の御影達の起床の際に光が居なかったことに疑問を投げる。

 

「うーん。ちょっと目覚ましで朝の散歩を。本当に自然の中のハイキングって空気が美味しくて良いね。バッチリ目覚めたよ」

 

 光が居なかった真相を知っている太陽からして光の演技は名女優並だと呆れる。

 実際は散歩ではなく隠れての自主練。

 だが、光は今の所は怪我人扱いである為に話せないのが現状。

 もし光の練習の件を自称好敵手を名乗る御影に聞かれれば何を言われることか。

 だから太陽は何も言わずに我関せずの姿勢だが、

 

 優菜が光の方に近寄り、スンスンと鼻を何度か鳴らし。

 

「それにしても光さんお風呂入ったの? シャンプーの匂いするし、乾ききってないのか髪も若干濡れてるよ?」

 

「うん。散歩で少し汗掻いたから、調理する前に清潔にね。まあ、少し急いでたからドライヤーが間に合わなかったけど、私は髪はあまり長くないから直ぐに乾くと思うよ」

 

 実際に光が髪を撫でると殆ど乾き切り始めているためにドライヤーは必要はないだろう。

 だが、千絵がその事を気に掛け。

 

「それでも光ちゃん。今はまだ朝は寒いから半乾きだと風邪惹くかもしれないから気を付けてね?」

 

「はーい。未来のお医者さんの千絵先生。今度から気を付けます」

 

 微笑ましい会話を終えて時間に余裕がないために調理に入る事となる。

 千絵は御影と優菜の方に体を向けて2人に尋ねる。

 

「それじゃあそろそろ準備に取り掛かろうか。けどまず先に、晴峰さんと池田さんはどれぐらいの料理スキルがあるのかな?」

 

 太陽たちの時と同様に事前に2人の料理の腕前を尋ねる千絵。

 最初に優菜が答える。

 

「ウチはまあまあ。出来ないとまではいかないけど。そこまで得意って訳じゃない」

 

 次に御影が答える。

 

「私は自慢じゃありませんが、料理の方は得意ですよ。私の家は両親共々忙しい身でしたので」

 

 信也と同じ理由で御影も料理の腕に自信がある様子。

 

「だったら役割分担を発表するね。私と晴峰さんは調理器具の準備。新田君はお米を炊いて。太陽君、光ちゃん、池田さんの3人は食材の下拵えを宜しく。それじゃあ、お願いね」

 

 千絵の指揮によって5人は動く。

 

 千絵の指示通りに使用する食材の下拵えを行う下拵えチームだが、

 添え物の御浸しに使うほうれん草のぶつ切りをする優菜が話題を出す。

 

「ねえ、そう言えば聞いてる? 今日の夜のレクリエーションのこと」

 

 レクリエーション? と分からず首を傾げる太陽。

 分からぬ太陽とは別に光が答える。

 

「それって外で行う肝試しのこと? なんか合宿のしおりでそんな事書いてたけど。その為に今日の練習は早くに終わるんだよね?」

 

 そう、と頷く優菜に太陽は呆れた顔をして。

 

「肝試しって……。おいおい、一応は強化合宿なのに、練習時間を削って遊んでてもいいのか?」

 

「一応今はGWだからね。やっぱり息抜きも必要なんでしょ」

 

 ここで優菜は眼を輝かして語る。

 

「それでそれでさ! 気づいているかは分からないけど。ウチらの陸上部って男女数が全く同じなんだよね。偶数になってるしさ。だから、肝試しの時は、はぶかれることなく、しっかりと男女で回るらしいよ」

 

 男女で肝試しとは、何とも心躍る行事なのだろうかと太陽は期待を膨らませる。

 

「って言ってもどうやってペアを決めるんだ? 事前に誰かとペアを組むとかだと、最後には余り同士っていう過酷な事があるから、くじ引きとか?」

 

「多分そうだと思うんだけどねー。ウチ的には太陽っちと組んでもいいんだけどさ」

 

優菜と太陽は良く一緒の合コンに参加することが多く。

 互いに気を知る中でもある為にフランクな関係を築いている。

 

「ふっ。俺の場合は沢山の女子から組んでくれって頼みが殺到するから、優菜の頼みであれどおいそれと組むことは―――――」

 

「いや、それはないでしょ太陽っち」

 

 即答で半笑いで返す優菜。

 

「それはないよ……」

 

 呆れて呟く光。

 

「ハハハッ。古坂さんナルシストだね~」

 

 陽気に笑いながら貶す御影。

 

「太陽君、素直にキモイよ?」

 

 氷の様に無表情の千絵。

 

「うるせぇえ! 冗談に決まってるだろ! 皆で一声に否定するんじゃねえ! 終いには泣くぞ!? てか泣いてるわもう!」

 

 思春期の男子故にモテ期を期待するらしいが、現実はこうである。

 女子全員に否定され涙目の太陽は逃げ出したくもなったが、この後の作業は滞りなく進み。

 

 

 

 朝食、午前の練習、昼食、午後の練習、夕食、入浴を済ませた後、湯で火照った体で部員+助っ人組の面々は肝試し会場に集合していた。

 

 現在いる場所は開けた広場で。

 先には深く茂る森への入り口があり、多分この入り口の先が肝試しのルートだと思われる。

 

 女主将が取り仕切るのか、全員の前に立ち。

 

「よーし。これから合宿のスケジュールの1つのオリエンテーションの肝試しを執り行う。喜べ恋に恋い焦がれる若人よ。今日の肝試しは完全な男女ペアだ!」

 

 おぉおお!と女子とペアを組める喜びの男子の雄叫び夜の森に響く。

 男子だけの異様な盛り上がりに女子たちは若干引き気味だが進める。

 

「ペアはくじ引きで決めさせてもらう。その方が公平でいいからな。この箱に紙が入っていて数字が書いてあるから。同じ数字がペアな。後、紙に数字じゃなくて『お』と書かれたのは脅かし役で除外だからな」

 

 用意されたのは赤い箱と青い箱。

 赤い箱には白い文字で『女』。青い箱には白い文字で『男』と書かれていた。

 それぞれの性別の箱を引き、その箱に入ってある紙の数字がペアになるようだ。

 そして『お』と書かれた紙は、肝試しの臨場感を上げる為の脅かし役の役者をする事になるらしい。

 

 余り物には福来るという諺を全否定するかの様な我先にとくじを引きに行く部員たち。主に男子。

 部員たちの盛り上がりに圧倒された太陽たちは後続でくじを引くらしく、後ろで待機する。

 

 待ち時間が暇だったのか、太陽たちと一緒に待つことにした御影が肝試しにまつわる話題を切り出す。

 

「肝試しといえば、漫画とかではかなりの確率で主人公とヒロインの人がペアを組んで、ドキドキと関係を深めていくまさにターニングポイントのイベントですが。私もこの肝試しでドキドキな体験できますかね?」

 

 それにどう答えろと? と対応に困る太陽だが。

 

「前から気になっていたが、晴峰はよく漫画を引き合いに出したりすけど、お前って漫画とか読んだりするのか?」

 

「はい読んでますが、おかしいですか?」

 

 聞き返す御影に太陽は首を振り。

 

「いや、別におかしくはないんだが。お前って陸上一辺倒に頑張って来たってイメージだから、あまり漫画とかの娯楽とかに興味がないと思っていたからさ、意外と思って」

 

「私だって別にこれまでの人生陸上だけに意識を向いていた訳ではございません。まあ、読み始めた切っ掛けは周りに話を合わせる為の物だったってのは否めませんが。それでも毎月漫画の最新刊を何冊も購入するぐらい漫画好きですよ」

 

 意外だなと内心に思う太陽。

 御影は三度の飯よりも陸上かと思っていたが、一般的な趣味を持っているらしい。

 

「晴峰さんが読む本のジャンルってなに?」

 

 千絵が御影に本のジャンルを尋ねると、そうですね……と御影は顎に手を当て。

 

「様々なジャンルを読みますが、お気に入りのジャンルは純愛物。少女漫画とかは思春期ながらもトキメキますね」

 

 御影の答えに千絵の眼が輝く。

 

「少女漫画読むの!? 奇遇だね、私も読むんだ少女漫画! やっぱりあれはいいよね~。乙女心を擽ると言うか、読んでて楽しいし。ヒロインを自分に置き換えて感情移入して、実際に男性(ヒーロー)にされたみたいで胸がドキドキするよね!」

 

「そうなんですよね! 私は初恋もまだですから、漫画を読んでいる内になんだかした感じになってしまうぐらいにのめり込むと言いますか、私もこんな恋したい、って気になります!」

 

 同じ趣味同士の熱の籠った会話に圧倒された太陽は若干引きながら。

 

「前から思ってたが、千絵と晴峰って趣味嗜好が似通っているよな? 少女漫画を読むとか」

 

「何を言いますか古坂さん。年頃の女性の恋の参考書は少女漫画なんですよ。同じ趣味が居ても不思議ではありません」

 

「恋の参考書、ね……」

 

 苦笑しながら太陽は千絵の方に目線を向ける。

 その言葉は御影のみならず、昔に千絵にも言われた事を思い出す。

 

『少女漫画はね。誰にとっても参考書に成り得る物なの! だから太陽君はまず、この本を読破して女心を学んだ方が良いよ!』

 

 千絵に恋愛相談を持ち込んだ後に、千絵が大量の少女漫画を太陽に貸した事があり、上記の理由で貸し与えたのだが、実際の所は何も得られなかったのだが。

 光は漫画は好きだが、恋愛ジャンルは少し牽制気味だった所為か、同じジャンルの本を読む同士を見つけて心底嬉しそうな千絵に思わず微笑む太陽。

 

 そして趣味を語らう千絵と御影は同時に頷き合い。

 

「やっぱり漫画で一番に印象に残る場面ってあれだよね!」

 

「もし私と高見沢さんと同じ意見であるのなら、もしかしてあれですね!」

 

 千絵と御影は一斉に太陽の方に顔を向け、得意げに口にする。

 

「「太陽君(古坂さん)、髪に芋けんぴ付いてますよ!」」

 

「そんな少女漫画あって堪るか!?」

 

 太陽のツッコみが夜の森に響かせた後、

 

「おーい古坂。お前まだくじ引いてないだろ? さっさと引けよ」

 

 小鷹の呼びに太陽は分かったと返して、

 

「それじゃあ俺はそろそろ行くな」

 

 千絵と御影の手振りに見送られながら太陽もくじ箱の許に向かった。

 

 

 

 

 女子は男子程に乗り気ではないのか引くペースはゆっくりで、千絵と御影の番は回って来ていない。

 光の方は陸上時代に仲の良かった者たちに手を引かれて大分先にひき終わっていた。

 

「私が引いた数字は……8番か……。まあ、脅かし役じゃなくて良かったな。聞けば暗い所でペアが来るまで放置らしいし。私のペアは誰かな」

 

 参加人数は男女共に同じ数故、異性と必ず組む法則になっている。

 光は脅かし役を回避した為に誰かとペアを組んで夜の森の道を歩く事になる。

 

「なるべく見知った人がいいんだけど……よくよく思い返せば、私、男子で話せる相手っていなかったような……」

 

 そもそも陸上部に所属した期間も短かった為に気兼ねなく話せる異性はいなかった。

 今回参加した男子で見知った相手は新田信也と……元カレの古坂太陽のみ。

 

「(……当たり前だけど、太陽は私とペアなんて組みたくないだろうな……。当たり前だよね。私、太陽にヒドイ事したんだから……。そもそも、男子は沢山いるんだし、太陽とペアを組める可能性も殆どないよね)」

 

 くしゃ、と指で紙に皺を作る光にくじを引き終えた男子部員が歩み寄り。

 

「あ、あの……渡口さんは何番のくじを引いたんですか?」

 

 聞いてきた男子を筆頭に他の男子部員も光の答えを固唾を呑んで待つ。

 誰かとペアを組まないといけない肝試しに引いたくじを開示しないでは意味が無い。

 

「私が引いた数字は――――――」

 

 光が己が引いたくじを開いて見せようとした時、ある声が光の耳に入る。

 

「おい古坂は何番だったんだ?」

 

 古坂……つまりは太陽の数字を誰かが聞いている声。

 それに太陽は自分のくじを見て、

 

「俺が引いた数字は……8番(・ ・)、だな」

 

 その声に光はくじを開く手を止めた。



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合宿編15

「あぁー早く順番回って来ませんかね~」

 

「てか、なんで晴峰さんが最後に引くわけ? 晴峰さんだったら最初に引けそうな気がするけど」

 

 最後尾で律儀に順番を待つ御影に千絵が疑問を投げる。

 御影なら光同様に先にくじを引かせて、男子に早めに天国と地獄を味あわせそうな気がするが。

 

「確かに開始した時に最初らへんにくじを引いていいよ、って言われましたが。あれです。残り物には福来るって言いますし。もしかしてら最後に引いた時に古坂さんのペアを組む可能性がありますから」

 

 諺を引用して最後に引こうとする御影に千絵は少し目を沈ませて。

 

「晴峰さんってさ……太陽君の事、好きなの?」

 

「へ? 好きですが」

 

 まさかの即答に千絵は言葉を失うも、千絵の反応に御影は手を横に振り補足する。

 

「あっ、別に恋愛感情とかではないですよ、私の場合はただからかい甲斐があって楽しいってだけですから、多分。……多分」

 

 何故二度言ったのか分からないが、千絵は御影の心情を読み。

 

「(晴峰さんは恐らく、まだ自分の恋愛感情に気づいてないんだと思う……。こういう相手が一番、好きって感情に気づいた後が厄介なんだよね……)」

 

 初恋を知らないからこそ御影は自分の気持ちに気づいてないんだと予想する。

 もしくは、本当に太陽を恋愛目線ではなく、ただの弄り対象なら杞憂に終わるのだが。

 

「じゃあもし、太陽君から告白されたら、晴峰さんはどう答える?」

 

「古坂さんに告白されたら……ですか。確かに男友達もあまりいない私からすれば、唯一の付き合ってもいいと思える男性ですが……けど、もしされたら嬉しいかもしれませんね。楽しそうですから」

 

 やはり、御影は太陽の事を友達ではなく、希薄であるが1人の異性として見ている節がある。

 現に答えた際の御影の表情は少し……惚けた様に頬を掻いていた。

 

 御影は男性からすれば放っておけないぐらいに可愛い。

 しかも天然で男心を燻ぶり、陸上で輝ける程のポテンシャルを持つ、神が与えたと言わんばかりに恵まれた物を持つ女性だ。

 こんな女性から、もし、万が一にも迫られたら陥落されない男はいない。

 もしいたとなれば、その者は特殊性癖の持ち主か、そもそもに恋愛に興味が無い者だろう。

 

「(…………負けたくないな)」

 

 千絵は自分が平凡だと自覚している。

 人望が厚く、人気がある光や御影と比べると雲泥の差であろうと。

 2人に勝てる要素は殆どない。

 あるとすれば、2人が羨ましがったこの胸のみ……だが、それでどうこう出来る程恋愛は単調ではない。

 

 千絵が太陽に対する想いの大きさであるなら、2人にも負けてないと自負出来る。

 だが、恋は一方通行では成就しない。

 互いの想いが向き合い、近づく事で本当の恋人の関係が生まれる。

 

 だから、現状の太陽の千絵に対する想いから、千絵は自分の恋が成就することはないだろう。

 それは、昔から分かり切っていたこと。

 

 だから、一度千絵は初恋を諦め、親友である光の気持ちを尊重して、そして太陽の気持ちの思い、2人の仲を取り持ち、自らの初恋を捨て去った。

 だが、その取り持った関係が破綻して、又しても振り出しに戻った事で、千絵は未だに初恋を捨てきれないでいる。

 

 無謀な闘いで諦めたいと思う反面、彼と幸せな関係を築きたいが為に諦めたくないと言う矛盾の感情が交錯をして頭が痛くなる。

 だが、今の最も気の許せる友達としての立ち位置の居心地さから、この関係が崩壊するのを恐れ、踏み出せないでいる……まるで、昔の太陽の様に。

 

「高見沢さん。そろそろ順番が回って来そうだけど……って、高見沢さん?」

 

 他の者たちがくじを引き、自分たちの番が回って来そうになったことを御影が伝えるが、胸元を握り俯く千絵を不思議そうに首を傾げる。

 

「どうしたんですか高見沢さん? もしかして気分が優れないとか……」

 

「…………え、あっ、ごめん。少しぼーっとしていたみたい……で、なんだっけ?」

 

 御影の声に我に返った千絵が聞き返すと、御影は怪訝そうに答える。

 

「えっと、私たちの番が回って来そうだからって教えただけで……。大丈夫ですか? 気分が優れないのでしたら先生に言ってきますが?」

 

「ううん。大丈夫だよ。ただ考え事をしていただけで。そう言えば晴峰さんは最後に引くんだったよね? なら、私が先に引いてもいいかな?」

 

 辛そうに下を俯いていた表情から一転してあっけらかんとした表情に御影は戸惑いながらも頷き。

 

「はい、私は最後に引きますのでどうぞ」

 

 と言って千絵を送り出す。

 

 御影に送られた千絵は気分を整える為に両頬を叩き。

 

「よし。気持ちを入れ替えないとね」

 

 千絵はくじ箱の許へと歩み、2人並ぶくじの列の最後尾に並ぶ。

 千絵と御影は最後の方に引くと決めていて、思いのほか話し込んだ所為で本当に最後部分になった。

 多分、千絵の前の2人がくじを引くと、残りのくじの枚数は2枚だろう。

 

「(出来ることなら思い出として太陽君と組みたいな……。けど、男子の数も沢山だし、太陽君と組める可能性は薄い。それに、必ずしも太陽君がペアを組む数字を引いている保証もないから、多分、太陽君とは組めないだろうな……)」

 

 このレクリエーションの肝試しは必ず男女のペアで組まれる様になっており。

 又は脅かし役として男女の方から数名くじで選出される。

 太陽が脅かし役のくじを引かず、尚且つ太陽と同じ数字のくじを引くのはほぼ絶望的である。

 もしかしたら、もう太陽のペアが組まれている事もあるから、千絵に希望はない。

 

 だが、千絵は心の中で手を合わせて祈る。

 あまり神頼みはしない千絵だが、今回ばかりは熱心に祈る。

 少しでも、細やかなであろうと、太陽との思い出を作りたいが為に。

 

 前の者たちがくじを引き、千絵の番に回る。

 千絵はゴクリと喉を鳴らし、ドキドキと波打つ痛いぐらいの心臓を左手で押さえ、ゆっくりと右手をくじ箱の穴に入れる。

 ガサゴソする感触は無く、予想通りに殆どの者たちが引き終えた事で、残りの紙の枚数は2枚。

 千絵が引いたやつ以外が、必然的に御影のくじとなる。

 

 千絵は2分の1の枚数で、右端にある紙を摘まみ、取り出す。

 取り出された紙は4つ折りになっていて中身は確認出来なかった。

 

 千絵は直ぐにくじを開封することはせず、深く深呼吸を入れて数歩下がり、番を御影に渡す。

 

「よーし! 次は私の番ですね。って、まあ、残り1枚ですから直ぐですが」

 

 千絵程に時間が掛からない御影は箱から機敏に取り出したくじを開く。

 御影は気付いてないだろうが、御影の後方に目をギラギラさせている坊主頭の男子部員が……。

 

「えっと私は……11番ですね!」

 

「よっしゃああああああ!」

 

 坊主頭の男子部員の歓喜の雄叫びに御影は驚愕して飛び跳ねる。

 そんな若干引き気味の御影に坊主頭の男子部員が近づき。

 

「お、俺2年の近藤! 11番! よろしくな!」

 

 憧れの御影とペアを組めて興奮気味の坊主頭の男子部員改め近藤。

 御影は必死に隠しているのだろうが、何とも言えないぐらいの落胆ぶりが見て取れる。

 頬が痙攣した様に引き攣り、目が笑えてない。

 

 千絵は内心『ドンマイ、晴峰さん』と合掌をして、次は自身が引いたくじを開こうとした時―――――

 

「ちょちょ! ど、退いてぇええ!」

 

 へ? と間抜けな声を千絵が漏らすと同時に背中に衝撃が奔り転倒する。

 地面と顔の距離が一気に縮まり、倒れ込み、更に追い打ちをかける様に背中から重みが加わる。

 

「むぎゅ……お、重い……。な、なんなの?」

 

 予想外の出来事に困惑気味の千絵に慌てた口ぶりの女性が。

 

「ご、ごめん千絵ちゃん!? 虫が集って来て驚いちゃって! 怪我無い!?」

 

 一緒に転んだ拍子に千絵の背中に乗る人物は、千絵よりもだいぶ先にくじを引きに行った光だった。

 

「いや……別に怪我は無いと思うんだけど……ごめん、そろそろ退いてくれないかな? 流石に重いと言うか……」

 

 千絵の指摘に光も気づき、直ぐに千絵の上から退く。

 地面に倒れた事で付いた土を払う千絵を他所に、光は屈み。

 

「これ千絵ちゃんのくじだよね? もう中は確認したの?」

 

「ん? いや、まだだけど」

 

 ぶつかった衝撃で落してしまっていたのか、落ちていたくじを拾い上げた光が、その様な質問をするのか疑問に思うも、

 

「そうか。それは良かったよ」

 

 更にその意味不明な回答に首を傾ける。

 何故まだ確認していない事が良かったのだろうか。

 

 光は千絵に土の付いたくじを差し出すと笑みを見せ。

 

「それじゃあ千絵ちゃん。肝試し、楽しもうね」

 

 言葉自体に違和感はないのだが、少し光の態度が変にも感じた。

 必死に何かを隠しているかの様な……。

 

 千絵が光が差し出すくじを受け取り、どうしたのかを聞こうとするも。

 

「光さーん! ちょっといいかな!」

 

「うん、分かった直ぐに行く!」

 

 女子部員に呼ばれて光は元気に返事をして去って行った。

 呼び止める隙も無く、走って行く彼女の背中を茫然と眺める事しか出来なかった。

 

「なんだのかな……?」

 

 そもそも先ほど光は虫に集られたと言っていたが、光は虫が苦手だっただろうか?

 逆に昔から蛾でもなんでも虫取りをする様な活発なイメージだったはず。

 色々と腑に落ちなく考えこもうとするが、

 

「うぅ……私の肝試しは終了しました。この先に夢も希望もありません……」

 

 この世の終わりかの様な悲壮感を漂わせながらに戻って来る御影に意識が映り、この事は一旦忘れようと決め。

 

「災難だったね。けど、これで恋愛に発展する可能性も無きにしも非ずかもしれないから。そんなに嫌な顔しないであげて。相手さんが可哀そうだから……」

 

「別に組んだ人が嫌だったって訳ではないのですが……出来ることなら古坂さんと組めたらな~って一縷の望みを持っていたと言いますか……結局諺は言葉ですね。最後に福なんてありませんでした」

 

 陰鬱そうにため息を漏らす御影を、苦笑しながら見ていた千絵に対して、御影は横目で見て。

 

「それで? 高見沢さんが引いたくじには何が書かれてたんだですか? 周りを見た感じ余ってる人はいない様な……もしかして、脅かし役だったりして」

 

「まだ開いてないのに不吉な事言わないでよ。私、暗い所で1人って怖いから嫌なんだけどな……」

 

 御影に不安を煽られ、恐る恐ると四つ折りとくじを開いた千絵の眼に入った文字は、

 

「…………8番?」

 

 御影の言葉で半ば脅かし役なのではと諦めていた千絵の予想を覆して、まさかの数字。

 そして、千絵がくじの番号を口にしたと同時に、

 

「うげっ。お前が8番だったのかよ……」

 

 その聞き覚えのある声に千絵は振り返ると、そこには8番のくじを開いて見せる太陽が居た。

 

 千絵は太陽の握る、8番のくじから目が離せずに硬直して。

 

「えっと……もしかして太陽君も8番!?」

 

 驚きの声を上げる千絵とは対照的に露骨にため息を吐き。

 

「もしかしたらこれで新しい出会いがあるかもな~って期待はしてたんだが、まさか千絵とかよ」

 

 その一言に千絵はカチンと来て。

 

「……へえ~。私とペアで不服なんだね? 太陽君……歯を食いしばって」

 

「ごめんごめんごめん! 今のは流石に駄目だったわ! 謝る! 謝るからマジで骨を鳴らして威嚇しないでくれ!」

 

 太陽の必死の謝罪で千絵は治まり殴らずに済む。

 千絵を宥める事に成功をして安堵の息を零す太陽だが、今度は別の問題が。

 

「うがぁああ! 羨ましいですよ高見沢さん!?」

 

 耳に響く御影の叫びにギョッとする太陽と千絵。

 だが、御影の叫びは口を衝いて吐き出される。

 

「高見沢さんが引いたって事は2分の1だったって事ですよね!? つまり貴方がそのくじを引かずにこっちのくじを引いていれば……もう! これだと悔やんでも悔やみきれません! お願いです高見沢さん! このくじとそのくじ交換してください!」

 

 話した事のない相手よりも交流の深い者とペアを組みたいだろう。

 だから、恋愛感情の有無ではなく、ただ太陽の方が幾分マシだと思う御影は交換の交渉を持ち出す。

 

「もし交換してくれるのでしたら。私の秘蔵の少女漫画を献上します。東京の秋葉原で集めた貴重な本です。言っては悪いがですが、田舎であるここでお目にかかれるかどうかの代物ですから、それを付けて、このくじと交換しましょう!」

 

 何とも千絵の心を燻ぶる交換材料を持ちかけた事か。

 一瞬揺らぎそうになった千絵だが、考える素振りを見せるも、元より回答は決まっていた。

 

「イヤだ」

 

 千絵のシンプルな答えに御影の悔しさの叫びが轟く。

 

 

 

 その一方で、千絵から離れた光は、千絵がいる方角へと振り返り。

 

「千絵ちゃん、頑張ってね」

 

 当初光が引いたくじの番号は8番。

 だが、千絵が引いたくじの番号も8番であるが、これはミスで重複しているのではない。

 光が握るくじの紙、これこそが千絵が引いたくじなのだ。

 

 先ほど千絵と衝突した出来事、あれは虫を避けた場所に偶然千絵が居たのではなく、あれは虫関係なく、意図的に千絵に光からぶつかりに行ったのだ。

 少々賭けであったが、千絵の手からくじを離す為には死角からそこそこの強みで衝突しなければいけなく。

 彼女の怪我を負わせてしまうのではと思っていたが、何とか怪我をさせずにくじを入れ替える事に成功した。

 

「(太陽とのペアは私じゃなくて、千絵ちゃんの方が相応しいからね)」

 

 親友の恋を応援する気持ちとは裏腹に、何故か指で紙に皺と作っていた。

 惜しい気持ちもあるが、自分とペアでは太陽が楽しめないと光は自覚している。

 だから、彼に恋心を抱いている千絵にその権利を渡したのだ。

 

「ねえねえ光さん。光さんは何番のくじを引いたの?」

 

「そうですよ。なんか全然教えてくれませんが。教えても損はないと思うんだけど」

 

 同級生で陸上部時代から交流のあった女子部員に促され、光の意識はくじの方に向けられる。

 そう言えばまだ中身を確認していなかった、と光はくじに手を掛ける。

 

 まだ自分のペアを発見出来ていない若干名の男子生徒の期待の眼差しを受けながら、千絵のだったくじを開いた光の眼から光りが消える。

 

 紙の中心に大きく書かれた『お』の文字。

 『お』。つまりは脅かし役で、この暗い森の中を脅かし役として待機しなければいけない。

 最悪だ……と光は手で顔を押さえて天を仰ぐ。

 

  



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合宿編16

 全員がペア及び脅かし役が決まり肝試しは開催される。

 書かれたくじの数字が出発順らしく、太陽、千絵ペアは8番目に暗闇の森へと入る事となる。

 

 前のペアが入って5分後に次のペアが出発の為、それまで暇な者たちは会話なりで時間を潰していた。

 太陽も男友達と会話するよりも、後々の探す面倒を考えて千絵と他の男子とペアを組んだ御影と共に順番を待つ。

 

「それにしても、渡口さんは災難でしたね。まさかの脅かし役のくじを引いてしまうなんて」

 

「そうだね。所々の場所で待機らしいから、1人暗闇で待つなんて私は無理だな……」

 

 最も優良株で憧れの対象の光が脅かし役になった事で多数の男子からは落胆の声が。

 そして、もう1人の優良株の御影と幸運にもペアを組むことが出来た近藤という男子部員は、他の男子部員から嫉妬で怪我無い程度に暴行されている。

 

「それにしても肝試しか。よくよく考えたら、俺は遊園地のアトラクションでもなんでも、こういったホラー系は初めてだな」

 

「そうなんですか? ここは小学生の頃から使用していると言ってましたが、ないのですか?」

 

「小学生とかでこういったイベントはないからな。あったのはキャンプファイアーぐらいだ。まあ、それも俺たちの代はしなかったが」

 

 何故ですか?と聞いて来る御影に千絵が答える。

 

「私たちの代は何故かキャンプファイアーをする日に限って雨でね。小学、中学で二度開かれたけど、どっちとも雨で中止だったんだ。だから、夜の行事自体が私も初体験かも」

 

 流石に雨の日に強引に行事をすれば批判が殺到するだろう。

 不運に見舞われたが、2人にすれば夜の外での行事は初めてなのである。

 

「だけど……肝試しってか、お化け屋敷とかも俺入った事ないんだよな……。前から興味はあったんだが」

 

「それって無意識に怖がって入りたがらなかっただけでは?」

 

「いや、確か中学の修学旅行で遊園地に行った時、俺がお化け屋敷に入ろうって提案したら……そう言えば、あの時一番に批判したのって、千絵だったか?」

 

 太陽が思い出して本人に尋ねると、千絵はギクッと跳ねて顔を逸らす。

 下手で吹けてない口笛をする千絵を胡乱な眼で見る太陽と御影。

 

「……そう言えば、夜中に口笛を吹けば幽霊が来るっていいますよね?」

 

 御影が迷信を口にするとひゅーひゅーと吹いていた千絵がピタリと止む。

 これは確信だろうが、千絵の名誉の為に2人はそれ以上何も言わなかった。

 

「それじゃあ、次は8番のペア。そろそろスタート位置に来てくれ」

 

 こんなやり取りをしている間に太陽と千絵のペアの番が回って来て係が手を振り呼ぶ。

 

「よし。それじゃあ行くか千絵」

 

「う、うん!」

 

 遂にこの時が来たと言わんばかりに青ざめる千絵を連れて行こうとする太陽だが。

 微かに震える千絵の耳元で御影が囁く。

 

「恐いんでしたら交代してあげましょうか? その後に辞退すれば恐い思いはせずに済みますよ?」

 

「絶対にイヤ!」

 

 チッ、と舌打ちをする御影を尻目に太陽と千絵は肝試しのスタート位置に付き。

 

「それじゃあ時間だ。足元を気を付けて行けよ」

 

 はい、と2人が返答をして、手渡された懐中電灯の明りを頼りに暗闇の森の中に脚を踏み出す。

 

 リンリンリン、とまだ夏は到来していないにも関わらずあわてんぼうの夏の風物詩を彷彿させる虫の音が響く森の中。

 甘美な音色が奏でられているが、逆にこの音が恐怖を駆り立てられないか心配になる。

 

「脅かし役は8人らしいから、少なくとも8か所のポイントで仕掛けて来るって訳か……。なんか先生やコーチが気合を入れて道具の精度は高いらしいから、気をしっかり持って進まねえとな」

 

「…………………そうだね」

 

 かなりの間が空いての千絵の返しに眉根を寄せる太陽。……何故なら。

 

「なあ千絵……スタートしてまだ1分ぐらいでまだ脅かしのポイントも通過してねえのに、近くねえか?」

 

 如何にも腕に抱き着かんばかりの至近距離まで太陽の横をピッタリと並走する千絵。

 

「なあ千絵。お前ってさ、幽霊が怖いのか?」

 

 核心を突く太陽の一言で千絵はビクッと図星の様に身体を震わせる。

 だが、千絵は冷や汗を流しがらも、気丈を振る舞う様にぶんぶん首を強く振り。

 

「ぜーんぜん! 幽霊とかお化けとか、そんな非科学的な物を怖がるなんて。そんな子供じみた――――」

 

 千絵が最後まで言い終わる前に太陽は千絵から1歩横に離れる。

 すると千絵も付いて来る様に太陽に1歩距離を縮める。

 

「……………」

 

 今度は太陽はわざと速度を緩めて千絵との距離を測る。

 だが、千絵も同じく速度を緩めて太陽と並走する。

 

 次は逆に速度を速めて走りだすと、それに付いて来る様に千絵も速度を上げて走り出す。

 夜の森の中の追いかけっこ、まるで引っ付き虫の様に後を追う千絵に少しばかりの恐怖を覚えながらも、多分、脅かしポイントを幾つか過ぎ去った場所で2人は肩で息をするぐらいの疲れを見せる。

 最終的に千絵は体裁とかどうでも良いとばかりに、太陽の袖を強く掴んでいた。

 

 そしてプルプル震える千絵はギッと太陽を睨み。

 

「そうだよそうだよ! 私はお化けとか幽霊とか怖いよ、悪い!? 高校生にもなってホラーモノを見ると夜も眠れなくなるぐらいの臆病で子供じみてますけどなにか!?」

 

 開き直ってぎゃあぎゃあ叫ぶ千絵。

 

「いや、別に悪いとか言ってるんじゃなくて。素直に言えばこんな意地悪な事はしなかったってだけだ。人それぞれ怖い物があっていいじゃねえか」

 

 怒りと恐怖で興奮気味の千絵を宥める太陽だが、千絵は唇を尖らし。

 

「だって太陽君に弱みを見せると後々で弄られるかと思ってさ……」

 

「お前は俺をなんだと思ってるんだよ……。流石に人の弱みを見て揶揄う程性根は腐ってねえよ。お前らみたいにな」

 

 若干の皮肉を込めて返すと、小さくため息を吐き。

 

「そもそもこのイベントは強制じゃないんだし。恐かったら辞退すればよかったじゃねえか」

 

「駄目だよ。1人でも抜ければもう人数が合わなくなるから、怖いからって迷惑を掛けたくないし……」

 

 変な所で真面目な部分を見せる千絵に太陽は嘆息する。

 自分の所為で周りを迷惑を掛けたくない。昔から千絵は自分を犠牲して他を優先する部分があるが、怖い物を我慢してまで気丈に振る舞う理由が分からない。

 

 太陽はやれやれと肩を竦めていると、ガサガサと道の脇の茂みが音を鳴らして揺れ、

 

「ぎゃああ! なに!? なにぃ!?」

 

 ガバッと太陽を体当たりの様な勢いで千絵が抱擁する。

 

「お、おい千絵、なに抱き着いて来てるんだ、離れろ!?」

 

 抱き着く千絵を太陽は引き離そうとするが、腰まで手を回して力強く抱き着く為に困難だった。

 風呂から上がってあまり経ってないからか、シャンプーと女性としての甘い匂いが鼻を燻ぶり、これはある意味まずいと千絵を引き離そうとするが、コアラの様に千絵は離れない。

 

「ジェイソン!? チャッキー!? ペニーワイズ!? ゴーストフェイス!?」

 

「おい! 恐いのは分かるが言っている事が支離滅裂になってるぞ!? てか、お前って本当はホラー映画好きだろ!?」

 

 恐怖のあまりに思考回路が壊れたのかジタバタと脚を鳴らして暴れる千絵を押さえる太陽。

 そして揺れる茂みから小さな影が飛び出る。

 

「…………たぬき?」

 

 一瞬犬かと思えた動物だったが、暗くてよくは確認出来ないが、多分タヌキだと思われる。

 田舎の森、タヌキなどの野生の動物が出没する為に別段人前に現れることは珍しくない。

 

 タヌキは太陽たちは一瞥した後、颯爽と再び暗闇の森の中へと溶け込んで行く。

 

「お、おい千絵……。恐いのは去ったぞ。そろそろ違う意味で疲れて来たから、さっさと森の中を抜けて――――って、どうしたんだ千絵?」

 

 勘違いで抱き着いた千絵だが、太陽にしがみつきながらピクリとも動かない。

 千絵はゆっくりと顔を上げ、にらへと不気味に笑い。

 

「……腰、抜かしちゃったみたい……」

 

 まだ半分の地点にも到達していない肝試し。

 先が思いやられると太陽は深いため息を漏らす。



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合宿編17

 夜の森の中で開催される肝試しの醍醐味である恐怖を体験した事で、腰を抜かして地面にへたり込む千絵。

 

「よし。俺は先に行くからお前は回復してから後から来い。健闘を祈るぞ千絵」

 

「なに戦場に赴く人みたいな台詞を言っているのかな!? お荷物だから置いて行くつもりでしょ! そんな意地悪しないで一人にしようとしないで!」

 

 足腰が立てないながらも先行しようとする太陽にしがみ付く千絵。

 半ば冗談で言ったつもりだが、鬼気迫る顔で飛び付かれるとは太陽は思っておらず。

 

「分かった分かった! 1人にしないから抱き着くな! てか掴んでる所がズボンだからズリ、コラ、マジで離せ脱げる!?」

 

 執念のしがみ付きで脱げそうになったズボンを死守した後、何とか千絵を宥め。

 

「まあ、そんな事よりもマジでどうしたことか……。歩けないんじゃ、この後は進めないし」

 

 恐怖で腰を抜かして回復するまでのどれくらいの時間が掛かるのか、個人差があるとはいえ知らない太陽は悩んでいると、千絵は両手を差し出す。

 

「……なんだよそのポーズ……って、お前まさか?」

 

 尻餅を付きながらに無言で両手を伸ばす千絵の意図に気づいた太陽は苦笑いをして、千絵は軽く頷き。

 

「……おんぶ……してほしいかな」

 

 やはりか、と太陽の予感は的中する。

 まるで寝ぼけた子供が布団まで連れてってと親に強請る様な恰好。

 高校生にもなってと、千絵も恥ずかしいのか頬を紅潮させて太陽から目を逸らしていた。

 

「おいおい……まささゴールまで俺がお前をおぶらないといけないって事か? 流石にそれは距離的にキツイと言うか……」

 

「回復したら降りるから、いいから早くおぶってよ! 後続の人が来るし、私だって恥ずかしいんだから!」

 

 食い下がらずに何故かキレ気味に頼む千絵に太陽はこめかみを反応させた後、嘆息して。

 

「仕方ねえな……。分かったよお嬢様。ほら、さっさと乗れ」

 

 

 千絵に背中を見せて屈み彼女に乗る様に促す。

 ありがと、と千絵が軽くお礼を言うと、千絵は太陽の背中に自分を預ける。

 

 ズシリと来ると思ったがそんな事は無く意外にも軽かった。

 夜の食事やお菓子などを食している割に全然重たさを感じない事に不思議を覚えながら、太陽は足を力ませ立ち上がる。

 千絵は落されない様に太陽の前方に手を回してしがみ付く。

 

「……………………」

 

 太陽は気まずい顔を露わにしない様に必死に我慢する。

 千絵が落ちない様に背中に密着する際に感じる柔らかな感触。

 彼女自身は無意識なのか背中越しの吐息が太陽の首を燻ぶり、更には千絵の身体を支える為に当てた手から伝わる太ももの感触。

 

 この3点苦を感じて太陽はも気まずいのか頬を赤くする。

 

「(……こいつもなんだかんだ言って……女の子、なんだな……)」

 

 長い年月を過ごして来た幼馴染故に、太陽は千絵のことを気に許せる友達という線引きをして、あまり女性扱いをしてこなかった。

 子供の頃に疲れたと、幾度かおんぶを強要された事があってした事はあるが、勿論、中学、高校と大人になっていくことしなくなった。

 だが、何年ぶりかの千絵との密着から、子供の頃よりも千絵は女性として成長しているのだと身を持って味わう。

 

「(おいおい……相手はあの千絵だぞ? 我儘言ったり、人を殴ったり、気丈ぶったりする、背も小さくて……だけど、胸は大きくて……。後、人の悩みにも真剣に考えてくれて、いつも俺の傍にいてくれた……)」

 

 気分を逸らそうと最初の部分は千絵を貶す思考だったが、次第に千絵の長所が脳裏を過った。

 

「(よくよく思えば……こいつは俺がどんなになろうといつも気に掛けてくれたな……。(あいつ)に振られて落ち込んだ時も信也と一緒に俺を励ましてくれた。貶しても俺の恰好の変化も受け入れて離れなかった。今も、俺の傍にいてくれる……最も信頼できる、友人)」

 

 太陽は横目で背中に乗る千絵を見る。

 千絵は眼を横に向けて、耳を太陽の背中に当てる態勢で乗っているが、寝てはいないと思う。

 

 そんな千絵に太陽はゴクリと唾を呑みこみ声を掛ける。

 

「なあ、千絵……」

 

「……なに?」

 

 前に思い、いつかは聞こうかと思っていた言葉だが、勇気を振り絞り言うのに少しの間を開けてしまう。

 

「……お前ってさ、好きな人とか、いるのか?」

 

 太陽は今まで自分の恋愛の事だけに手一杯で他の人の恋慕に目を向ける余裕はなかった。

 だが、今は一旦恋愛に関して急ぐことではないと思った事で余裕が出来たのか、今度は今までに助けてもらった千絵の恋の応援をしたいと思った。

 

「……なんでその事を聞くのかな?」

 

 藪から棒な質問に対して最もな回答を貰い。

 

「別に他意はない。ただよ。そう言った話とかあまり聞かないし、お前には色々助けられたからな。もしいるんだったら、お前の力になりたいと思っただけだ」

 

 気のせいか、自分に固定する為に前まで回していた千絵の腕の力が強くなっていた。

 もしかして、マズイ事を聞いたのではと太陽は冷や汗を流す。

 そもそも、人の、特に女性の好きな人を失礼だったのではと今更ながらに後悔する。

 

「わ、悪い千絵。別に言いたくないんだったら言わなくて結構だ。そもそも、俺が手伝えることなんてたかが知れているからお前にとっては無用のお節介だったな、謝る」

 

 この話はここで切ろうと誤魔化す笑いをするが、千絵は頬を膨らまし。

 

「そうだよそうだよ。女心も分かってない太陽君が出来ることなんて、人をイライラさせることぐらいだから結構です。この鈍感野郎!」

 

「ぐえっ!」

 

 背中に乗られながらにチョークスリーパーは決める千絵。 

 鶏が首を絞められたかの様な声を漏らし悶える太陽。

 千絵がガッチリ決めているためか、左右に揺らしても離されなかった。

 そして限界が来て、ギブの意思を示す様に千絵の手を叩くと、千絵は解放する様に力を緩める。

 

 ゴホッゴホッ、と咳き込み、新鮮な空気を体に取り入れる太陽は目尻に涙を溜め。

 

「お、おま……今のは流石にヤバいと言うか……お前って昔から本当に野蛮と言うか暴力的というか……」

 

「太陽君がいつまでもデリカシーの無い鈍感野郎だからだよ!」

 

 べぇー! と子供じみた様に舌を出す千絵。

 

 再び気まずくなり、沈黙の空気が流れる。

 あまり歩いてない所為か脅かしポイントにも通達してないから、肝試しの醍醐味である人為的な脅かしは一度もない。

 このままでは後続の人に追いつかれるし、時間が無駄に費やしてしまう。

 太陽はバツの悪い表情で足を踏み出した時―――――木々が風で一斉に靡く。

 

 

 

「私の好きな人は君だよ、太陽君。昔から、ずっと」

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――――なにか言ったか?」

 

 

 木々の葉、生い茂る草の揺らぎの合唱をして森の中に響き、それが原因でか千絵が何かを言っていたようだが、元々千絵が小さく言っていたのも遠因もあるのだが、太陽の耳にハッキリ聞こえなかった。

 

 一世一代の告白を交わされた様に、口をパクパクと金魚の様に開閉して、顔を真っ赤にする千絵は拳を振り上げ。

 

「太陽君の――――バカぁぁあああ!」

 

「痛ッ! おい、背中に乗っているんだから殴るな、てか何で怒ってるんだよ!?」

 

 太陽の言葉の制止を聞かずにポカポカと殴る千絵。

 一応手加減しているのか擬音は正しい。

 だが、首元や後頭部など、軽めでも殴られれば痛い部分を執拗に殴る為に辛い。

 

 その後に戯れる様に防ぐ術のない一方的な攻撃を受けていると、遠くの空からゴロロン!と雷鳴が聞こえた。

 そして間も無く、ピチャン、と一滴の雫が千絵の背筋に入り。

 

「ヒヤァん!」

 

 可愛らしい悲鳴を上げた事で千絵の手は止まる。

 そして今の雫を皮切りに、ポタポタと無数の雫が飛雨する。

 

「これって……マズイ、雨だ! しかも勢いが強い。千絵、しっかり捕まってろよ! 急いで宿舎に戻るぞ!」

 

「う、うん! 足元は私が懐中電灯で照らすから、足元には気を付けてね!」

 

 分かってる! と語気強めに返して太陽は豪雨を掻い潜る様に来た道を逆走する。



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合宿編18

 突然の豪雨に肝試しは中断。

 強風が木の葉を薙ぎ、横薙ぎの飛雨が窓を打つ。

 嵐を彷彿させる天候を横目に、濡れた身体をタオルで拭く太陽が言葉を零す。

 

「おいおい、めちゃくちゃ雨降ってるじゃねえかよ。こんな天気になるかもしれないってのに、なんで肝試しを決行しようと思ったんだ?」

 

「又聞きで聞いた話ですけど。先生が天気予報を確認した時の降水確率は50%だったみたいです。流石にここまで酷い雨が降るというのは予想外だったみたいですが……」

 

 太陽と同様に濡れた髪をタオルで拭く御影が太陽に説明する。

 予報で語られるのはあくまで確率だ。量は推測で外れる場合が多々ある。

 しかも確率が低いからと言って絶対に降らないという保証はなく、今日の場合は半分の確率で降る事となる。

 降ったとしても小降り程度を予想してたみたいだが、外れてここまでの豪雨とは思ってなかったらしい。

 

「しかも夕立とか通り雨とかじゃなくて、この雨は長く続くみたいだ。先程先生が確認したら予報が変っていて、少なくとも朝まで続くとか。もしかしたら、洪水警報や土砂災害も発令されるかもしれないな」

 

 信也が窓を揺らす豪雨を見て予測する。

 太陽たちの地元は山や森が多く。坂道も多い。

 強い雨風があれば、土崩れも珍しくない。幸いにも洪水に見舞われたことは少ないが。

 

「まあ、このまま外に出なければ安全だろうし。この後は自由時間で時間を潰して寝れば雨も過ぎ去るだろうから気にしなくていいか」

 

 雨風を凌げる室内にいて楽観的になる太陽を他所に、避難したロビーに集まる部員たちの前に講師陣が立ち。

 

「折角の肝試しだったが、この雨では続行は不可能だと判断して中止にする。濡れた身体をそのままにすると風邪を惹く恐れがあるから、学年ごとに速やかに風呂に入れ、待つ者は応急処置で濡れた身体をタオルで拭いておくように。その後は就寝時間まで自由時間にする。勿論、外には出るなよ」

 

 最もな講師陣の判断に、落胆する溜息が入り混じる中には、安堵を零す(御影)もいた。 

 やはりこの豪雨の中で肝試しを続行は不可能として、残りは自由となった。

 ここで講師陣はある事を思い出して部員たちに言う。

 

「そうだった。一応全員揃っているか点呼を取るから、部屋ごとに集まってくれ」

 

 急いで避難して各々の濡れた身体を拭くのに精一杯でまだ点呼を取っていなかったことに気づいたらしい。

 殆どの部員たちはスタート地点の広場にいて、太陽と千絵を含む道の途中にいた組が4組の8名、ゴールの場所にいた組が6組の12名、そして脅かし役として隠れてたいたのが8名。

 太陽は自分の部屋の者たちがいる場所に集まる。

 そして太陽が1人1人数えていき、太陽を含めてしっかりと6人おり。

 

「おし。俺たちの班はちゃんと全員みたいだな。報告は俺が行って来てやるから。お前らは待ってろ」

 

「おう、頼むな太陽」

 

 信也の言葉に押されて太陽は報告を待つ先生の許へと向かう。

 

「D班6名全員異常なしです」

 

「そうか。なら残りは自由時間だ。体調を崩さない様に気を付けろ」

 

 分かりました、と太陽が返事をして振り返り班の許に向かおうとすると。

 

「ん? どうしたんだ千絵? キョロキョロして? 誰か探しているのか?」

 

 目に入ったのは誰かを探してい辺りを見渡している千絵の姿。

 太陽は思わず彼女に尋ねると、千絵は心配そうな目で太陽に尋ねる。

 

「ねえ太陽君……光ちゃんを見なかった?」

 

 千絵の尋ねが光の事で一瞬眉根が反応したが、小さく息を吐き。

 

「あいつを? いーや、俺は見てないぜ」

 

「……そうか。ロビー(ここ辺り)を一旦見て行ったんだけど何処にもいなくて……。どこに行ったのかな?」

 

「腹でも下してトイレに引き篭もってるとかじゃねえのか?」

 

「太陽君……それ女性の事で言うとか最低だよ? ……まあ、そのことはどうでもいいか。けど、それならいいんだけど……」

 

 千絵の視線に釣られて太陽もロビー一帯を見渡す。

 班ごとの点呼を済ませて入浴の為に着替えを取りに行ったのか、先程よりも人の数は減っている。

 残っているのは、講師からの指示を伝えていなくて待機する太陽の班、光の不在でまだ報告出来てない千絵の班、そして講師陣と女主将、肝試しで使用した道具を片付ける係員数名のみ。

 だが、光の姿が何処にもいなかった。

 

 千絵と太陽の許に御影が小走りで近づく。

 

「高見沢さん。一応部屋の方に行って見て来ましたが、やはり渡口さんはいませんでした」

 

 疑うべき点を無くすために確認の為に御影は一度部屋に戻ってたみたいだ。

 だが、やはりと言うか光は部屋にはいなかった様子。

 

 そして今度は優菜がやって来る……が、その表情は険しくて慌てていた。

 

「ちょちょちょ! 今確認で光さんの靴を見て来ましたが、なかったです!」

 

「「嘘!?」」

 

 驚愕の声を上げる千絵と御影。

 優菜は全員の靴が入っている靴箱を確認して、靴の並びは部屋順になって決まっている。

 だが、全員が覚えている光が入れていた靴箱に光の靴は無かった。

 

 その事に女子全員の表情が真っ青になり、未だに強さが衰えない豪雨の外の眺め。

 

「えっとつまりは……まだ渡口さんは外にいるかもしれないってこと!?」

 

 驚嘆の絶叫に流石の講師陣も口を出す。

 

「おい、今の話は本当か!? 渡口がまだ外にいるってのは!」

 

「あくまで憶測ですが、十中八九……」

 

 千絵の悲痛などよめきが波紋を鳴らして全員に届く。

 道具を片付けていた部員たちも作業を止めて集まって来る。

 

「なんで渡口さんが!? ペアを組んでいた人はなにしてたの!」

 

「確かに渡口は脅かし役だったはず。脅かし役は森の中で1人待機してたんじゃ……」

 

「そうです、私も脅かし役でしたので覚えています。脅かしの人たちの間隔は離れていて、光さんが待機していた場所は一番最後でした」

 

 同じ脅かし役だったという女子の言葉に先生が顎に手を当て。

 

「肝試しで使用したルートは1本道だが、蛇の様にうねった道。その道を使わずとも、スタート地点とゴール地点は迂回路で繋がっている。だが、臨場感をより味あわせる為にその道をチョイスしたが……」

 

「しかも、幾つかの隠れられる場所は足場が悪い場所もありまして。その中でも最も足場の悪い場所に光さんが率先して隠れました。光さんが『ここで転んで部員の皆が怪我でもしたら危ないから、私が隠れるね』って言って……」

 

 千絵が思い出す限りには確かに道は補装されてない獣道の様だった。

 しかも道は森の中で、迂回路がある方と逆の方は完全に木しかない。

 最悪の状況を想定するなら、光が迂回路がある方ではない方の茂みに隠れ、しかも雨で視界不良になって、足場の悪いという隠れた場所から森の中に行けば……迷う危険性は大だ。

 

「け、けど、脅かし役の人には懐中電灯とコンパスを渡しています。それを頼りにすれば戻って来られるはずです」

 

 視界が悪い森の中で迷えば方角も狂い脱出口を見失う。

 携帯などの貴重品はロッカーに預けている為、コンパスが現状で一番頼れる道具かもしれない。

 だが、その希望を打ち砕く様に、道具を片付けていた長身の男子が口にする。

 

「え? だが、確か借りた懐中電灯は15本で、コンパスも15個だったよな?」

 

「うん。確かそうだったはずだよ」

 

 肝試しで使用する道具を倉庫から出した際に個数を確認していたと思われるボブ髪の女性が頷く。

 男は倉庫の方に目をやり。

 

「だけどよ。さっき個数を確認したら、ちゃんと全部返って来てたぞ? 懐中電灯15本とコンパス15個全部」

 

 沈黙の空気が流れる。

 前方視界不良の暗い森を照らしてくれる懐中電灯。

 狂った方角を指示してくれるコンパス。

 現代機械がない状況で迷った時の道具としての必需品の道具全ては返却済みだという。

 

 長身の男子はボブ髪の女子に胡乱な眼を向け。

 

「確か脅かし役の人に道具を渡すのはお前の仕事だったよな?」

 

 全員の視線がボブ髪の女性に集まり、ボブ髪の女性は思い出したかの様にワナワナと震え。

 

「そう言えば……渡口さんに懐中電灯とコンパス……渡し忘れてた、かも」

 

「「「「「「「馬鹿がぁあああああ!」」」」」」」」

 

 全員からの怒声にボブ髪の女性はビクッと震えて涙目で言い訳する。

 

「だってだって! 渡そうかと思ったけど、なんか渡口さんは思い悩んだ様に悲しい顔してて話しかけずらかったらし、一人で森の中に向かったしで渡しそびれただけで!」

 

「確かに、渡口さんはなんかいつもと様子が違ったような……。何かを払拭する為に空元気と言いますか、だから脅かし役だった私たちよりも先に、森の中に行っていた」

 

 だから私は悪くない、とばかりに光と同じ脅かし役だった女子の言葉に同調するボブ髪の女性。

 光の方にも非がある事が分かり、一長一短にボブ髪の女性を責めれないとして、女主将が険しい顔で。

 

「ここで言い争ってても埒が明かない! 早く渡口の奴を探さねえと!」

 

 主将としての責任感かただの正義感かは分からないが、森の中で遭難したと思われる光捜索をしようと女主将は豪雨鳴りやまない外に飛び出そうとするが、

 

「待て! 今外に出ることは私が許さない!」

 

 先生に呼び止められ、女主将は厳然たる表情で振り返り。

 

「なんでですか! 生徒1人がこんな雨の中にしかも森の中にいるんですよ!? 早く探さないと手遅れに―――――!」

 

「少しは頭を冷やせ! お前が行って何が出来る! 二次被害になって被害者が増えるだけだ!」

 

「じゃあどうしろというんですか! ならレスキュー隊を呼ぶとかしないと! このままではウチの学校から死亡者が出ますよ!?」

 

 生徒の危機に叫びたつ女主将だが、先生は歯噛みをして顔を沈ませ、

 

「それも……出来ん」

 

「何故ですか!?」

 

 この期に及んで捜索はおろかレスキュー隊も呼ぶことをしない先生に詰め寄る女主将。

 

「出来ない理由はいくつかある……。1つはまだあまり時間が経過していないからだ。もしかしたら捜索願いを出した直後に帰って来る可能性もある……。だが、それ以上に出せない理由はこれだ。もしこの件が大事になれば大会の出場も危うくなるかもしれない。そうなれば、お前ら3年の努力が水の泡になってしまう……」

 

 大会出場が危うくなる、その言葉に女主将は言葉を詰まらす。

 レスキュー隊に捜索を依頼すれば、多かれ少なかれ世間に知られることになる。

 最悪の場合にメディアが取り上げて県から全国に波紋を広げるかもしれない。

 そうなれば監督不行届として講師陣に責任が負い、更に部も何かしらの処置が取られる恐れもある。

 最低の場合に大会出場の辞退。そうなれば、これまで積み上げて来たモノが瓦解してしまう。

 

「だけど、もしこれで渡口さんが亡くなったらそれこそ責任が大きくなって本末転倒な気がしますが……」

 

 部員の1人がそう言うと、分かっている、と先生は頷き。

 

「私の責任へのどうでも良い。だが、お前らが努力したのを叶えさせられないのは忍びない……。だから、雨が止むまでは待て。止んだら全員が捜索だ。それで1時間も経って見つけられないのなら、捜索依頼を―――――」

 

「河合先生!」

 

 コーチの1人が血相を変えて走って来る。

 どうしたのか?と尋ねる先生にコーチは慌ただしく口にする。

 

「今予報を再確認していたら、土砂崩れの警報が発令して、山近くの住人は注意しろという勧告がありました!」

 

 その悲報に全員が唖然となる。

 ただの雨程度なら光が下手な行動をしてない限りは大丈夫だろうと踏んでいたが、土砂崩れとなるとどうなるかは分からない。

 今までの大雨で土砂崩れの被害が遭った事がない訳でもなく、その危険性もある。

 

 只ならない状況に必死に感情を押し殺して冷静を保つ信也が千絵に言う。

 

「どうするんだ高見沢……。このままだと」

 

「分かってるよ。だけど、私たちでどうにか出来る事じゃない。今は信じる事しか……って、そう言えば、先刻(さっき)から太陽君の姿がないけど、何処に行ったの?」

 

 思い返せば太陽の声が一切聞こえない事に不思議に思った千絵が見渡すが、ロビーに太陽の姿は無かった。

 

「あの野郎! まさか嫌いな元カノだからってどうでもいいやとかで部屋に戻もごもごもごっ!」

 

「はいはいちょっと落ち着こうね新田君。……流石の太陽君もそこまで薄情じゃ……」

 

 太陽の不在にいきり立つ信也の口を手で押さえて宥める千絵。

 つま先を立てて、何とか信也の口を塞げてるという何とも不格好な状況の2人に優菜が話しかける。

 

「今2人は太陽っちの話をしていた? なんか太陽って単語が聞こえたけど?」

 

 うんうん、と数度頷く2人に優菜は言葉を続ける。

 

「もしどこに行ったかって話だったら、さっき太陽っちは倉庫の方に向かってたよ? そんで慌ただしく倉庫を出た後に、あっちの方に走って」

 

 優菜が指さしたのは食堂に通じる廊下。

 何故太陽が一度倉庫に行って、その方角に向かったのか、千絵はその通路にある”ある物”を思い出して青ざめ、信也の口から手を離す。

 

「ね、ねえ……新田君……。あっちの方ってさ、確か非常口がなかったっけ?」

 

「あぁ……確か非常の際の外に通じる扉が……って、まさか!?」

 

 顔を見合わせる千絵と信也。二人の考えは合致したらしい。

 だが、その事を口にすれば更に状況が悪くなると2人は何とも言えない感情を押し殺す事しか出来なかった。

 

 その一方で、千絵と信也の会話を偶然近くで耳にしていた御影がある点が引っ掛かっていた。

 

「……古坂さんの……嫌いな元カノ? えっと、それってつまりは―――――」

 

 



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合宿編19

 不運だ……と光は何とか雨は浴びるが、何とか風が凌げる岩の影に身を縮こまらせていた。

 

「ハハッ……もう笑う事しか出来ないよ。雨が降って来たから戻ろうとした矢先に、ぬかるんだ土に脚を取られるなんて……」

 

 光が現在いる場所は肝試しの際に自分が隠れていた場所ではない。 

 恐らく、その地点から100メートルは離れた森の中。

 整備もされてなく道しるべも無い。

 宿舎の明りも見えない障害物になる、方角も狂いそうになるほどに似通った木が並び。

 雨と夜の暗闇で視界が悪く、自分がどっちの道を歩いているのか分からない程だ。

 

 最初の頃は自力で森を抜けようと思ったが、雨で土がぬかるんで滑りやすくなり、歩くことは厳しい。

 無理に歩いて転び、怪我を悪化させれば本当に間に合わなくなる。

 光は何とか近くにあった岩で風を凌ぎ、雨は近くに生えていた落葉樹で頭の部分だけは凌げている。

 

「なんだかとなりのト〇ロの気分だよ……。雨も一向に止む気配もないし、このままどうなるんだろうね。てか、私の置かれている状況って遭難だよね?……そうなんです。ハハハッ!」

 

 現実逃避で空元気を試みるも、自分を無償に殺したくなる感情が生まれて笑いを止める。

 長嘆息を吐く光は雷雲が覆う天を仰ぎ。

 

「雨……どんどん強くなるな……」

 

 止む気配が無く、それどころか更に強くなっている錯覚する雨。

 視界が悪くて進めば更に迷うのではと恐れて岩陰に座っている光は何をやることなく、ただ考える事しか出来なかった。

 

「(多分ないとは思うけど、これで遭難したままで私が死んだらどうなるのかな……千絵ちゃんは悲しむかな……太陽……ないか。もしかしたら、太陽は私が死んで清々するかもしれないね……)」

 

 雨とは違う雫が頬を撫でる。

 自分で思ってだが、そう考えると辛かった。

 光にとって太陽は昔も今も自分の心に棲む想い人。

 だが、決して彼の気持ちが自分に向けられることはないと自覚している。

 

「あーあっ、私、なんであんなことしたんだろうな……。太陽の事が好きなのに、別の人を好きになった訳じゃないのに……ホント、自分で言った癖に自分が一番分かってないって滑稽過ぎるよ」

 

 軽薄に笑う声は雨音に掻き消される。

 

 光は黒い暗雲を眺めて、あの日を思い出す。

 

「そう言えば……昔にもこういった事があったな……」

 

 今から大体8年前。

 まだ小学生の低学年だった頃。

 

 光は夏休みの自由研究として虫の標本を作った経験がある。

 家の中でゲームや漫画よりも、外でボール遊びや虫取りなどをする活発な少女だった光は、虫取り網と虫かごを持って近くの山に入り、山の中の豊富な虫を採取をするのだが。

 奥に行けば行くほどの大量の虫の存在に釣られ、光は山奥に足を踏み入れ。

 深い森に入った事で迷い、帰り道を見失った森を彷徨ってしまった。

 

 日が次第に暮れ始め光源が失い、先も見えぬ暗闇が森を包み、光は路頭に迷い。

 幼い故に一人で心細く、迷子という現実が光を苦しめ、光は森の中で泣いた。

 

『ママ! パパ! ―――――タイヨウゥ!』

 

 自分が信頼する人物の名を一心不乱に泣き叫びながら木に凭れて座り込む光。

 誰も助けに来ない。そもそも、自分が居なくなったことに気づいているのかも分からない。 

 もしかしたら、まだ外で遊んでいるだけと思い、捜索も行われてないのかもしれない。

 

 ワンワン! 森に泣き叫びを響かせるも、その声に反応する声は無い。

 虫の音、野生動物の遠吠え。

 光は全てに怯えながらに、動物に気づかれない様にむせび泣くだけだった。

 

『ヒカリ……このまま死んじゃうのかな……』

 

 右も左も方角が分からない森の中。

 光の行方不明に気づいて捜索が開始されても、発見まで自分は生きていられるのか不安が込みあがる。

 

『嫌だよ……。ヒカリ、まだ伝えてないのに……タイヨウのこと、好きだって……』

 

 父と母よりも光の心に思い浮かぶ意中の相手。

 もしここで死んだとなれば、光は未練を残すだろう。

 好きな相手に、自分の想いを伝えてない、と。

 

『タイヨウ……タイヨウぅ……』

 

 大好きな幼馴染の名前を呟きながら、光は願う。

 女性であれば誰もが一度は憧れる存在。

 自分の危機に颯爽と現れ、助けてくれる王子様(ヒーロー)を。

 

『――――――――ッ!』

 

 遠くから聞こえるその声に、光は沈んだ顔を上げる。

 小さく一直線だが、それでも希望の一筋な、その明りの許に彼が助けに来てくれた。

 

 そうだ。

 彼はいつも助けてくれた。

 泣いている時も、落ち込んでいる時も、彼はいつも傍に居てくれた。

 昔迷子になった時、彼が誰よりも見つけてくれた。

 誰よりも先に手を伸ばしてくれた。

 そんな彼を……私は―――――

 

「たくよ……今朝言ったばかりだろうが。俺の知り合いを悲しませると許さねえってよ」

 

 木々を揺らす突風と、薙ぎの飛雨が荒らす森の中。

 幼少の頃同様に、光源は小さいながらも、まるで手を差し伸べる様に真っすぐで、道を照らす一筋の希望。

 彼は昔と変わらず、泣いて不安でいる自分の許に来てくれる王子様(ヒーロー)

 

「たい……よう」

 

 体中がずぶ濡れになりながらも、片手に懐中電灯を持つ、古坂太陽が光の前に現れた。

 

「テメェがこのまま死ぬのは勝手だが。そうなれば俺は隣同士って事で葬式に出ねえといけないだろうが。死ぬなら、俺の知らない場所で死にやがれクソ女」

 

 悪態を付けながらも、彼は手を差し伸べる。

 光は太陽の手に自らの手を伸ばし掴もうとするが、躊躇ってしまう。

 自分に彼の手を握る資格はあるのか……。

 

 だが、光の躊躇を知らんと言わんばかりに、一向に握らない光に業を煮やした太陽から光の手を掴み引き上げる。

 

「さっさと帰るぞ。お前が森の中で迷子って事で皆がパニックになってるからよ」

 

 強引に光の手を引き、歩き出す太陽。

 多分太陽が光の手を握るのは、離れて歩いて、はぐれたりすれば徒労に終わるからだろう。

 恐らく、太陽からして光の手を握るのは嫌なのかもしれない。

 しかし、太陽は正義感溢れる男だ。どんなに毛嫌いしている相手でも、死ぬ可能性があるのであれ突っぱねることはしない。

 

 光は繋がる自分と太陽の手を見て。

 

「(暖かいな……昔と変わらず)」

 

 雨で濡れて自分だけでなく太陽も体温が下がっているはずだが、昔と変わらず暖かい彼の体温。

 

「(それに、いつぶりかな、手を握るのなんて……。まだあまり経ってないはずなのに、もう随分昔の様に思うよ)」

 

 昔は確かに繋がっていたはず。

 手も心も……。

 大会前の不安と周りからのプレッシャーで押しつぶされそうになった時も、彼の手を握る事で緊張を和らがせたこともある。

 光にとって、太陽は他に代えがたい程に大きな存在。

 

 豪雨を掻い潜り、こちらを一切振り返らず前だけを見て歩く太陽の背中。

 いつもピンチになれば彼は来てくれた。

 不安な時はいつも傍に居てくれた。

 彼が居たから、今の自分がいる。

 

 封印していた気持ち。

 捨て去ろうとしてたい気持ち。

 だけど、それでも捨てきれなかった気持ち。

 

「(……やっぱり私……太陽の事―――――)」

 

 その先の言葉を心の中であろうと吐露しなかった。

 自分にその先を言う権利はないのだと分かっているから。

 

 光は許せないでいたのだ、自分自身を。

 

 太陽に次ぐ大切な親友の気持ちを知らないとはいえ踏み躙った自分が。

 

 そして何よりも許せなかったのが――――

 

『光、好きだぜ』

 

 彼のその言葉を信用出来なくなった自分が、光は許せなかった。

 



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合宿編

 太陽が倉庫から持ち出したコンパスを頼りに視界の悪い雨と夜の森の中を歩き、宿舎に辿り着く。

 

 太陽が光を救出に、宿所内で歓喜の声が上がる。

 光の帰還に安堵する者。

 光の濡れた身体をタオルで拭いてあげる者など。

 

 彼女が行方不明と分かってから約1時間の出来事。

 外は未だに衰えず篠突く様な豪雨は見舞われているが、それを掻き消す様に光の無事を喜ぶ一同。

 その立役者である太陽だが、者どもは称賛の声を浴びせる一方で、監督役である先生が一喝する。

 

「古坂お前! 自分がどれだけ危険な事をしたのか理解しているのか!? 運良くて渡口を助けられることが出来たが、最悪お前も遭難していたかもしれないのだぞ!」

 

 先生は生徒の安全を最も考えなければいけない存在。

 故に光捜索に乗りだそうとする者たちを制止して雨が止むまで待機させていた。

 それは生徒の身の安全を確保する為の判断だが、それを無視して1人で助けに行った太陽を立場上叱らなければいけないのは胸糞悪いかもしれない。

 

 教師としての責務故の説教だと重々理解している太陽も素直に頭を垂れて謝るだけだった。

 一通り説教を施した先生であるが、最後にはふぅーと微笑して。

 

「まあ、教師としてお前の行動は看過できないが。1人の男としては、お前の行動は称賛する。だが、決して自分の行動は正しかったとは思うなよ? 言った通り、下手をすればお前も命を落しかねなかったのだから」

 

 ポンと太陽の肩を叩く先生。

 

「風邪惹かない様に風呂に入って体を温めろ」

 

「…………はい」

 

 先生は太陽の横を通りお祭り騒ぎのロビーを後にする。

 

 太陽は先生に言われた通り、濡れた身体を温めるのと湿った服を着替える為に一度部屋に戻ろうとするが、集団に囲まれる光が掻い潜って出て、太陽に声を掛ける。

 

「たい……古坂君」

 

 光に呼び止められた太陽は振り返る。

 光は太陽を前に感謝の気持ちを素直に表したいが、それを全て表面に出すのを躊躇う様に一瞬俯かせると、光は小さく笑い。

 

「ありがと。古坂君のおかげで助かった」

 

 端的な言葉である光の気持ちを表した言葉。

 太陽はそれに返答はせずに無言で再び振り返り部屋に戻る。

 その瞬間、空耳だったか光の声が小さく届いた。

 

「本当にありがとう、私のヒーロー」

 

 思わず太陽は振り返る。

 だが、太陽の目に入ったのは再び部員たちに囲まれる光の姿。

 気のせいか……と太陽は後ろ髪を掻いて去ろうとすると。

 

「おい古坂! お前、マジで冷や冷やしたぞ、いきなりこんな雨ん中出て行くんだからよ!」

 

 ガバッと後ろから首に腕を回され太陽は身を竦ます。

 声を掛けて来たのは同室の小鷹だった。そして、小鷹に続いて同室の他の部員と信也が集まる。

 

「おい俺今濡れてるからあまりくっ付かない方がいいぞ? 服とか濡れるから」

 

「別に気にしないぜそんな事。それよりも、お前本当に勇気あるよな。こんな雨の中をよ。コーチたちの話だと洪水警報とか土砂災害の警報も出ていたみたいだしよ」

 

 太陽は横目で外が確認できるガラス張りの壁を見る。

 確かに窓を叩く雨の音や風の音でその言葉は本当としか言えず、太陽自身も何故こんな雨の中命を危険に晒してまで外に出たのか理解が出来なかった。

 

「お前まさか……お前も渡口を狙ってたりするのか? 窮地を救った事で好感度爆上げだろうし。くぅー! 直接礼を言われたりとかされたし、これだと皆のアイドル的存在の渡口も夏休み前に彼氏持ちとか……」

 

 自分で言ってて何故か落ち込む小鷹に太陽は呆れた様子に答える。

 

「誰があんな女を狙うかよ。安心しろ。俺はあいつに興味は無え」

 

「おいおい嘘だろ。あの渡口だぜ。顔が可愛くてスタイルも良くて、おまけに優しく、誰にでも笑顔を振る舞う滅茶苦茶良い女だろ。俺、あんな女子と付き合えたら、もう、死ぬ気で部活頑張って全国に連れてってやるのによ」

 

 不純な動機であるが、好きな子に良い恰好を見せたいのは男の性だろう。

 

「あーはいはい。ならいっそ告白してみれば? 『お前を全国の舞台に連れてってやる』ってよ。どこのスポ根漫画だって言いたくなるが、ほら、よく言うだろ? 当たって砕けろって」

 

「それって確実に失恋フラグだよな? ……まあ、別にいいけどさ。つか、渡口に興味が無いんだったらなんで助けに行ったんだ? 普通別にどうでもいい相手の為に命を顧みずに行けるか?」

 

 痛い所を突っ込まれ目を逸らす太陽。

 確かに正義感があろうともどうでもいい相手、ましてや太陽からすれば光は嫌いな人物の部類に入るのに、常人であれば二次遭難の恐れがあるのに助けに行くかは疑問である。

 

「別に。あんなどうでもいい奴でも死んだら胸糞悪いからな」

 

 答えになってないが太陽はその後は何も答えずに小鷹の腕から離れて歩き出す。

 

―――――んなの、俺にも分からねえよ。なんであいつを助けに行ったのかなんて。

 

 光に対しての未練が無いのかと言われれば素直に頷ける自信は無い。

 だが、だからと言って光と復縁出来る可能性があるとも思ってない。

 太陽からすれば光は昔の女で、幼馴染と語るのも嫌悪を少し覚える程だ。

 

 だけど、昔から太陽は頭よりも先に体は動くきらいがある。

 あの時、光が遭難をして、大雨による土砂災害の危険を示唆された時居ても経っても居られない不安な気持ちに駆られたのは事実だ。

 だから、太陽は自分の光に対する気持ちよりも、死なせたくないという気持ちが先走り、気づいた時には外に出ていた。

 

 豪雨と強風の中を掻い潜り、明かりの無い森の中を懐中電灯で進むのは恐怖でしかなかった。

 だが、太陽は進む足を止めることは無かった。

 木の枝先などで太陽は頬を切ったりしても、必死に光を探した。

 そして岩の影に蹲る光を発見した時、どれだけ胸を撫でおろしたか、どれだけ安堵したか。

 

 昔、光が森の中を迷子になった時、光の親、太陽の親で少ない情報で光を探して発見した時も同じ気持ちを感じたのを覚えている。

 

 独り森の中は不安でしょうがないだろう。

 だからか、先の雨の中で取り残された光を見つけた際、彼女の嬉しそうな顔は昔の、まだ関係の壊れてない時の光の笑顔と重なる。

 

 その笑顔を思い出すとポカポカと胸を暖める様な燻ぶる気持ちが高まる。

 だが、それと同じくして、あの笑顔はもう自分の物ではないのだという黒い気持ちも生まれる。

 

「あぁー! マジで俺は何がしたいんだ! 前に進だったり、あいつのことは綺麗サッパリ忘れるって言ったりしているのに、全然吹っ切れてねえ! 自分のことながらイライラするぜ!」

 

 誰もいない薄暗い廊下の壁を思いっきり殴る太陽。

 ヒリヒリと拳から伝わる熱い痛み。

 しかし、その痛みは未だに元カノへの未練を捨てきれない自分への怒りで掻き消される。

 

 だが……あのまま光を見捨てることが出来ないジレンマで沈痛の想いを抱きながらに治まる。

 

「ホント……どこで間違えたんだろうな、俺たちは……」

 

 過去の自分に髪を引かれた様に重い足取りで太陽は歩く。

 その間、廊下に響く大きなクシャミを漏らしながら。

 

 

 予報を外す大雨は一晩で過ぎ去り。

 昨晩の雨で葉に付着した雫が朝露となって落ちている頃。

 マネージャー代行で合宿に参加している太陽たちは朝食を作らないといけない時間だが、

 

「ぶえっくしょん!」

 

 太陽と信也が寝泊まりする部屋に大きなクシャミが響く。

 発信源は太陽。その傍らに座る信也は施設に常備されていた体温計を眺め。

 

「……完全に風邪だな。原因は大体察するが……」

 

 体温計で鼻を啜る太陽の体温を測定済み。

 頬を赤くして鼻水を垂らし、熱で辛いのか胡乱な眼をする太陽。

 

「ぐぁああ……キツイ……」

 

 症状は風邪に酷似されている為に恐らく風邪だろう。

 原因は昨晩の雨の中を走り回った事で、身体を濡らして体温を下げたからだと思われる。

 一応体を暖める為に風呂には入ったが意味を成さなかった様子。

 

「これは早退だな……」

 

 ポリポリと髪を掻く信也は報告の為に部屋を出ていく。

 

 他の者たちは相変わらずに寝言の雑音を鳴らす部員たちが爆睡する部屋に取り残された太陽は、窓から見える薄暗い外の景色を眺め。

 

「マジで災難だぜ、踏んだり蹴ったりだな……」

 

 太陽とは別に一方。

 太陽と信也と同様に代行で参加した光と千絵だが。

 

「……風邪だね」

 

「うぅ……ごめんね千絵ちゃん。忙しいのに体調崩したりして……」

 

 同じく寝床に伏せる光もどうやら風邪のご様子。

 原因は太陽と同じく雨に晒され体温を下げたこと。

 

「まっ、昨日は災難だったからね。安静の為に光ちゃんは早退した方がいいから、私が先生に報告して来るから。光ちゃんは荷物を纏めていて。無理そうなら私が戻って来た時にしてあげるから」

 

「うん、ありがとう千絵ちゃん。荷物を纏めるぐらいは自分で出来るから、平気だよ……」

 

「平気ってのは風邪を惹いてない人が言う言葉だよ。無理はしないでね」

 

 そう言い残して千絵は先生に報告の為に部屋を後にする。

 

 男子部屋と対照的に静寂な部屋に残された光は、窓から差し込む朝日を眩しく思いながら、それでも目線を外さず外の景色を眺めた後、未だに感触が残っていると錯覚する自分の手を見つめ。

 

「災難だったな……本当に。けど、それ以上に良い事があったな……」

 

 もう握れないと思った彼の手の暖かさを思い出しながら、頭痛が軋みながら、他の者たちを起こさぬように荷物の纏めに入る。

 

 

 まだ合宿が始まって3日目。

 残り4日残されているが、3日目を持って太陽及び光は早退することとなった。



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波乱の幕開け

 大型連休であるGWも終わり久しぶりの登校日。

 

 折角の連休も部活動の助っ人で参加した太陽だったが、途中で風邪を惹いて早退。

 風邪自体は2日安静に過ごした事で治ったが、残りの休暇は特にやる事もなく無駄に過ごし、合宿以外で思い出に残る事がない日常で終えたGW。

 太陽は連休特有の気怠さを背負いながら学校に登校。

 

 GW期間中に信也と千絵から連絡があった。

 太陽だけでなく光も熱を出して早退した所為で、2人が抜けた穴が大きく大変だったと。

 残った信也と千絵は太陽たちが早退後の2日間は頑張ったらしく、勿論下級生も手伝った事。

 残りの合宿は夏風邪から復活した本来の陸上部マネージャーたちが途中参加をしてバトンタッチして帰宅したらしく。

 

 その後は連絡は無かったが、各々が残りの連休を過ごしたであろう。

 そんなGWを経て学校付近に辿り着いた太陽だったが大きな欠伸をしながら校門を通ろうとした時、

 

「おはようございます古坂さん」

 

 背後から声を掛けて来たのは、陸上部期待の転校生晴峰御影。

 

「おう、おはようさん晴峰。悪かったな。合宿途中で早退して。折角、彼女が居なくて寂しく過ごすであろう俺を青春の思い出を作る為に誘ってくれたのによ」

 

 皮肉を込めながら肩を竦める太陽に御影は微笑して。

 

「別に構いませんよ。元々私が無理強いして誘ったんですから。風邪を惹いてしまえば仕方ありません。身体の方はもう大丈夫なんですか?」

 

「まあな。元々大した風邪でもなかったし、二晩ぐらい安静にしてたら直ぐに完治したよ」

 

 それは良かったです。と胸を撫でおろす御影。

 彼女も太陽を合宿に助っ人として誘った手前、それが原因で身体を壊して負い目を感じてた様子。

 そもそも太陽が風邪を惹いたのは自業自得な部分が多数な為に、御影が負い目を感じる必要はないのだが。

 

「それにしても、今あまり早い時間じゃないが、朝練とかなかったのか?」

 

「部活の方ではGW明けの初日は朝練含めてお休みなんです。私は古坂さんが教えてくれた運動場で朝練はしてきましたが」

 

 確かに匂いを嗅げば御影からシャンプーの芳醇な香りが鼻をくすぐる。

 朝練後にお風呂に入ったのか、年頃の娘故に体臭は特に人一倍気にするのか。

 

「役に立ってるなら教えた甲斐があったぜ。なんせお前は我が校の期待の星なんだからな。お前が鍛えられるなら出来る範囲で協力させてもらうよ」

 

 任せろと胸を叩く太陽を見て御影はクスリと面白げに微笑み。

 

「優しいのですね古坂さんは―――――昔と変わらず」

 

 ピクリと太陽の眉が動く。

 今、御影が何を言ったのか理解が追い付かずに硬直する。

 そんな固まる太陽を他所に御影は横を通り過ぎ。

 

「そう言えば、私高見沢とメールアドレスを交換してたんですよ。合宿で仲良くなりましたから。それで彼女に訊きましたが、渡口さんも風邪が治ったみたいです。良かったですね、彼女(・ ・)さんが重い病気にかからなくて」

 

「待て! あいつは俺の彼女じゃなくて元カノ―――――ッ!?」

 

 動揺してか何も考えずに勢いで答えてしまった口を手で塞ぐも遅かった。

 太陽は震えた目そそっと御影へと向けると、彼女は笑顔を浮かばせていた……が、目だけは笑っていなかった。

 

「正直、こんな簡単に口を滑らすなんて思いませんでしたが。不本意ながらに聞いてしまったんですよ。古坂さんと渡口さんが昔恋人であったってことを」

 

 鋭い目つきで太陽を捉える御影からいつもの天然な雰囲気は無かった。

 御影のみならず、太陽は意図して昔に光と恋人だったことを隠していた。

 その事実を知っているのは極少数で千絵と信也ぐらいしかいない。

 

 疑心だったのが確信に変わったのか、狼狽する太陽に御影は畳みかける。

 

「その反応からして、図星なんですね。どういう経緯で別れたのはかは知りませんが、渡口さんとは昔、恋人だったんですね……」

 

 御影は太陽が光と元とは言え恋人関係を結んでいた事は知らない。

 だが、太陽が大好きだった彼女に振られたという事実は知っている。

 あの河川敷で初めて2人が出会った時に色々と語り合ったから。

 

「渡口さんのこれまでの男性歴は知りませんが。あの人の性格からしてそんな尻軽には思えません……。そもそもよーく思い出してみれば―――――」

 

 御影は太陽の顔をじっと観察する。

 彼女の瞳に映るのは目の前の現在の太陽、そして、過去出会い自分を励ましてくれた名前も知らなき光の彼氏……つまり中学時代の太陽。

 2人の太陽の像を照らし合わせた時、御影はハッキリと思い出す。

 

「やっぱり……あの時の男性は、貴方、だったんですね……古坂さん」

 

 御影の真っすぐな瞳に思わず顔を逸らしてしまった太陽だが愚行だった。

 その反応がその事実を決定づけるモノだったから。

 

「合宿でその事を聞いた後から、私は気が気ではありませんでした……。練習の最中は忘れる事が出来ましたが、それ以外の時はずっと頭にへばりついて離れてくれず、私は今日まで苦悩し続けました」

 

 御影は速足で太陽との間合いを詰める。

 その距離は少し手を伸ばせば腹部に一撃を与えられる程。

 恐慌で唾を呑みこむ太陽は次の彼女の一行を待つ。

 

 隠して、ある意味騙していたのだから鉄拳制裁されても仕方のない事だと覚悟を決めて目を瞑る。

 ……だが、待てど暮らせど殴られる気配は無く、恐る恐ると目を開くと―――――涙目で口を噤む御影の顔が目に入る。

 

 は? と思いがけぬ顔変化に目を点にする太陽に御影は胸元を掴んで揺する。

 

「わ、私! 知らなかったとはいえ昔の古坂さんに対して色々と恥ずかしい事暴露してましたよね!? もしかして分かった上で黙ってたんですか!?」

 

「ちょ、ちょっと落ち着け! 酔う! 口を割る前に酔って違うのを吐いちまう!」

 

 ぐわんぐわんと揺らされ、三半規管を刺激して船酔い状態の太陽はストップをかけるが御影の耳に入らず。

 

「その事に関して言及を求めます――――――渡口さんのも・と・カ・レ・さん!」

 

 取り付く島も無い御影に今でも納得してもらうのは太陽は弱く頷き。

 

「はい……分かりました」

 

 何故だか分からないが。

 今後波乱が巻き起こるのではと不安を感じて仕方なかった。



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