黄金長方形を夢見て(改) (パッパパスタ)
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原作開始前
プロローグ



 
 
 
 
 


 

 

 

 

 自分が西暦何年生まれであるとか、いつ生まれたのかなんて正確には知らない。

 

 生まれは都会から程遠い、山に囲まれた辺境にある田舎村だった。そこは道という道もなく繁華街と呼ばれるモノすらない、他の場所へ行こうと山を下るだけで一日はかかるほどまさにドがつくほどの辺境地で。

 だから生活は決して充分なものではなかったが、今思えばああいった日々が走馬灯で流れるような幸せな時間だったのかもしれない。

 

 そこで生活したのはおよそ数年、だがそこに血の繋がった家族は一人もいなかった。その時は何も考えていなかったが、あれが天涯孤独とかいうなんだろうか。

 だが、正確に言えば初めからそうでは無かった様で自分が物心つく前に両親を含めて家族は皆死んでしまったらしい。又聞きではあるが病気だの事故だの、いくつか理由を聞いた覚えはあるものの今考えると山などに捨てられていたなどの事実を知られまいと適当な言い訳をされていたのかもしれない。ーーーいや、流石にそれは少し悲観的すぎたかもしれないが、正直それがたとえ事実だったとしても今となってはどうでもいいと考えてしまう。

 

 他人からするとどこか冷徹のように感じられるかもしれないが何もそうマイナスな事じゃあなく、どちらかといえばイイ方向。

 何故かといえば、村で生活してから一度も寂しさなんて感じた事が無かったからだ。

 それはなにも強がりなんかじゃあない。

 それこそ、住民同士の結束が堅く相互扶助の精神が根付いている田舎村であったからか。おそらく都会で生まれていたとしたら、どこぞのゴミを漁りながら盗みを繰り返し、仲間はできていただろうがいつの間にか野垂れ死んでいただろう。

 血の繋がりさえないそんな自分に対して、村の皆はいつも優しかった。

 だからこそ、そんな彼らこそが家族と呼べる存在だと認識するのは当たり前だった。 

 加えて、実際に寂しさを感じさせなかったのは同世代の人間がいた事が大きく影響していたのかもしれない。

 村には若い世代と呼べる人間が両手で数えるほどしかいなかった。とりわけ子供と呼べるような年代となると自分を除くと二人だけ。 

 だからだろう、必然と歳の近い存在である二人とはすぐに仲良くなった。

 自分と同年齢ほどの姉と、その姉の三つほど下の年齢である弟の2人だった。

 とりわけ姉の方は、彼女たちの両親が頻繁に都会の方へ出稼ぎに行くことに加え、身近な歳上が周りにいなかったことから、特に自分に懐いていたーーーような気がする。結局のところは本人達に直接聞く機会なんて無かったから、実際どうだったのかまでは分からない。 

 だが、その二人と頻繁に遊んでいた記憶があるのは事実だ。

 まぁ、遊ぶとは言っても所詮は田舎村であり、その環境下で子供たちがすることといえばもっぱら家畜の世話が中心ではあったが、あの頃は目に付くもの全てが目新しく感じていた。

 そういった同年代以外、家畜しか遊び相手がいなかった環境は嫌だったわけでもなく、村が都市に挟まれた山上に位置していたことが起因して、牛や行商のための馬が多く飼われていたために必然的に動物と関わる機会も多く、俺達にはそれが当たり前となっていた。

 

 だからか、昔から動物は好きだった。ただ飼うだけでなく、毛繕いをしてやったり、一緒に野山を駆け回ったりーーーー娯楽がそれぐらいしか無かったからかもしれないが、ウサギにネズミにリス、クマとかは最悪だがとにかく、動物とは多く触れ合っていた。

 けれど、自分が好きだからといってその好意を動物が100%返してくれるなんて事はない訳で、故にそんな自分と対照的だった姉の事は今でもよく覚えている。

 ーーー他者に無条件に愛情を与えてもらうのはどんなに幸福なことか。幼いながらに、その才能に対して不平等さを感じていた。

 

 彼女は確か、厩舎にいる馬の扱いが非常に上手かった。

 中でも最も印象的だったのは彼女が一度厩舎に入ればそこの馬たちが一斉に頭を出し、彼女に撫でてもらおうと見やりにくる。餌を持った俺には振り向かないのに、彼女が何か彼らに特別な見返りを与えている訳ではないというのにだ。それこそ、天性の才能だった。

 加えて、馬に乗ることなんて何のその、厩舎持ちの親父さんには男なら世界一のジョッキーになっていただろうと言わしめるほどだ。

 あいにく、自分は馬に乗る才能もなかったために少し恨めしく思った記憶がある。

 

 そんな彼女を、いつも羨ましく思っていた。何に対してかーーーと言われると難しいが、やはりその根本にあるのはおそらく彼女が享受している愛情に対して。家族がいる彼女と、かたや天涯孤独の自分。動物に愛されている彼女と、愛されていない自分。寂しさなんて感じた事はないと初めに自分で言った事と矛盾しているのは分かってはいるが、やはり心の内では真の家族というものを欲していたのだろう。たかがその程度でと言われても仕方ないが、その事実は今も色濃く記憶に焼き付いている。

 

 初めの頃は確かに自分が与えた愛の量だけ、相手から愛が返ってくるのだと自分は信じていた。だからこそ、その渇きともいえる感情を癒すには、まだ自分の愛が足りないのだと思っていた。故に、血の繋がりのない家族同然とも呼べる村の住人達から愛を感じなかったのは自分の愛情が足りていないのだ、そういう事だと感じていた。自分がもっと愛していけば、真の愛情を感じ取れる。だからこそ、自分がこの世で愛情を感じられるだろう唯一の手がかりである村の現状を見て、こう考えた。

  

 ーーー村を存続させなければ。

 

 村には全くといっていいほど次の世代の若者がいなかった。

 それはもちろん、元々都市と比べると人口がそこまで多くないこともあるが、1番の原因は若い世代がすぐにこの村から出ていってしまうことだった。

 今も変わらず、当時の都会の発展は著しい。また聞きした話ではあるが、最近では鉄の塊が地を走るようになるだとかそんな情報が飛んでくるのだから、新しいもの好きの若者などはすぐに飛びついて出ていってしまう。また、出稼ぎという程で村を出ていった若者たちも現地で相手をこさえてそこに永住してしまうことも多い。

 

 時間の問題だと村の誰かがそう言った。

 

 建前では、村の皆は若者は外へ出ていくべきだとよく言う。それは子供達に今から重荷を背負わせたくないという気持ちがあるのだろうが、自分は違う。血の繋がりがない自分など、今まで村の皆が居なければ1日たりとも生き延びる事はできなかった。

 自分の全てをかけてでも恩を返す。それが自分の()()であり、宿命であるーーーエゴを隠して、そう自分に理由づけた。

 なにより、そんな重い責任を彼女や彼女の弟に委ねるのは忍びない。

 存続を一番として考えていたはずではあったが、知らぬ間に情を元に自分だけでどうにかできないかと考えてしまっていたのは、自分でも気付かない内に彼等からの愛を感じていたからか。

 

 上の世代の村の皆もおそらく、同じような気持ちだったのだろう。

 いわば、先に生まれた者の意地であるかもしれないが、そこまで悪い気もしなかった。

 

 ーーーだが、現実はそうはならなかった。

 

 

 

 その日は、とても暑い日だった。

 

 いつも厩舎で馬の世話をしている彼女が珍しく、用事があると俺を山の方へと引っ張り出した。

 

 「なぁーーー、こんな暑い日にさ、なにもいかなくていいんじゃあないか?」

 

 額から頬を伝い、顎元まで流れ落ちた汗が地面へと吸い込まれていく。そんな光景を何度も繰り返し、ついに耐えきれなくなって口からふと愚痴がこぼれた。

 持参した帽子でなんとか暑さは凌げてはいるが、地面から湧き上がってくる熱気がまるで身体を蒸し焼きにしているようだった。

 すると、そんな自分を可哀想に思ったのか後方からふんわりと一筋風がつきぬけていく。

 だが、それでも暑さに大きな変化はない。

 

 根をあげかけた自分に妙な恥ずかしさを覚え、残り2口ほどの量しか残っていない水筒に無理やり意識を向けた。

 そして何も無かったかのように隣で歩く少女に目線をやると、目が合う。

 

 「あんたーーーさっきからそれしか言ってないじゃない」

 

 ジト目と共に、真横にいる少女から投げやりな言葉が返ってくる。

 一緒感じたらドキっとした気持ちはどこへやら、そんな何回も言ったっけかーーーそう思ってしまうほどに最近では珍しいと感じる暑さに気が滅入っていた。

 

 「いつもと同じ気温だったら外に出るのは賛成だった。だけどよりによってこんな暑い日にーーー今日じゃあなくて良くないか?」

 「それ、6()()()よ」

 「……いやぁ、もう疲れてさぁ」

 

 ちなみに、その彼女の指摘も6回目である。

 だがそのような指摘をしたところで言い返しが100倍になるだけなのは分かっているので、口は硬く紡いだままだ。

 しかし、彼女の口撃は自分が喋る喋らないに影響される事はない。

 

 「なによも〜だらしないわね、何でいっつも働いてるあんたが私より早く疲れるのよ…」

 

 呆れ顔の彼女は『ちょっとしか』と言っているが、それはあくまで育ち盛りの少女の視点からであって、もう既に目的地に向けて歩き始めて2時間弱。

 育ち盛りは俺も同じ事であるだろうがーーー同じように毎日野山を駆け巡っているというのに、一体どこで差がついたのか。まさかここでもスペックの違いを感じるとは思っていなかったが、彼女はどうやら暑さにもめっぽう強いようで、道中のこの暑さにも全く疲れている素振りを見せびらかすかのように眩しい笑顔を振りまいている。

 「あー‥‥、暑い、な」

 「黙って歩く!ジジ臭い事言わない!」

 壊れた蛇口の様に飛び出た愚痴は間髪入れずに叩き落とされる。 

 なんで俺がこんなことを.....。本当なら今頃作業も終わって水浴びをしているはずなのに何故こんな目に会わなければならないのか。 

 頭を抱えながら、再び1歩2歩と前に進み始めると太陽光を受けて少し、熱くなっている水筒。その中に多めに入れたはずの水はしかし、すでに水の重みを少ししか感じ取ることができなくなっていた。

 

 「あッ」

 

 突然、彼女が一際大きな声を出す。

 彼女が指さした俺の水筒からは、僅かばかりに残っていた水が全て漏れ出ていた。隙間一つない、都会の高級品でもないために、劣化で脆くなり割れたところが水の出入り口になっていたようだ。

 漏れた分の水を見ると残念なことにどうやら帰りの分はないようで、水が滴り落ちるのと同時に自らのやる気も水のように次第に失われていく。

 最早止める事のできない水の放出を手で塞ぐことをあきらめ、喉の乾きを紛らわすように隣にいる彼女に話しかけた。

 

 「ーーーなんでまた俺なんだ、 あいつでも連れてけばいいじゃあないか」

 

 口に出たのは村の中でも自分達以外、数少ない若い世代にあたる彼女の弟。

 噂で聞いた話だが、前に村にやって来たオオカミにも怯えずに姉を守ろうとしたらしい。へっぴり腰な上泣きっ面であり結局は直接退治した大人達に散々叱られていたそうだが、並大抵の勇気では出来ないことだと感心したことを覚えている。

 だが、幼いこの少女は納得がいかないらしい。

 

 「ダメよ。あの子、チビだからもし虫取り網でも届かない高いところにいたらどうするのよ。私がおんぶでもしなきゃ取れないじゃない」

 「じゃあ、お前に目当ての虫を教えてくれたじいさんにでも頼めばよかったじゃないか」

 「あんたも知ってるでしょ。おじいちゃんは朝は畑仕事で忙しいの」

 「あー、それならほら。右隣ん家の、八百屋のおばさんとかに頼めばーーー」

 「あの人の1番嫌いなものは野菜についてる〈虫〉よ」

 「ーーーそうだっけ……」

 

 なるほど、消去法ね……と彼女のその言葉に少しショックを受ける。

 だが、正直なところ自分もそんな虫は好きじゃあない。見る分はいいが触るのは少し·····というよりは大分。特にこう、なにか、ひっくり返したときの手足のうじゃうじゃ感。想像するだけで首筋の皮が裏返るような、それでいて何を考えてるかわからないあの目、想像しただけで嫌な気持ちになってくる。

 すると気付かぬ内にそれが表情にでていたようで、彼女からまたジト目を喰らった。

 

 「何よ、その反応。自分から聞いてきたくせに」

 「いや正直なところだよ、別に1人でもいけただろ…?」

 「1人はーーーーい      や     よ !!!」

 

 突然の耳をつんざくような女の子特有の悲鳴に片耳を瞬時に塞ぐ。

 幼い頃から、と言っても今も十分幼いが、彼女は何かしらあればすぐさま自分を呼ぶ。そのことが嬉しくて、初めの頃は頼りにされていると感じて軽く引き受けていた。しかし次第に棚の上の瓶が取れないというようなしょうもないことで呼ばれ、今ではパシリと変わらない。

 人に頼られるということ自体は嫌なことじゃあないが、なにも自分は聖人君子ではないし、さすがに限度というものがある。

 だが、そう思いつつも妹のように感じている彼女に構い倒してしまうのは自らの弱い所か。

 

 そう言い聞かせながら彼女の悲鳴、もとい叫びに適当に応対しながら額の汗を拭いて歩くこと数十分。すると突然彼女が大声を出して足を止めた。

 「あーーーッッ!!あれよあれ!あの虫!!」

 

 彼女の指さした方向の木に止まっているのは辺りの木陰と対照に一際輝きを放つ虹色のカブトムシ的な何か。そう、カブトムシ的な『なにか』である。

 多分、フォルム的にもムシとかそういうものじゃあない事だけはすぐに分かった。

 

 「やぁっとみつけたわぁ〜、この黄金のフォルムッ4本の角の角度も完璧よーーーッ!!」

 「カブトムシーーーカブトムシ、ね」

 

 まるで愛しい我が子を愛でるかのように角の先から裏側の腹まで手が汚れることなぞ二の次に撫で回している。その様子は愛情を通り越して最早狂気を感じる程で、思わず後ろに下がる。

 

 「うぉーーー。それホントにここら辺の生き物か? こう、なんていうか同じ生き物とは見えないーーー地球‘’外‘’感?」

 「ーーーべつに、理解されなくったっていいわよ。この複雑な作りの体、そしてこの曲線の『美』は高尚な人にしか分からないのよ」

 「『美』ねぇ..」

 

 こう言う気持ちはなんて言えばいいのだろうか。特に理由はないだろうが何故か地上の虫系統に対する嫌悪感というか。エビやカニなどは平気なのだから陸上生物か海洋生物かの違いなのだろうが、じゃあもしエビが陸上生活をしていてセミが海中で生活していたらいけるのかというと……いや、元のセミを知っている時点で比較にならないかーーー。

 

 「あッ」

 「なに逃してんだ!」

 

 

▫️▪️▫️▪️▫️▪️

 

 

 そうして彼女のために森を駆け回ることまたもや数十分。

 疲労した俺の事は全く気にもせずにカブトムシを取ってもらった彼女は、それを手に持ちながらご機嫌に俺の隣を歩いている。

 

 「ーーーよくもまぁ、そんな元気でいられるな」

 「何よ、また村のじいさんと同じ事言っちゃって。私と歳ほとんど変わらないじゃない」

 「たかが2歳、されど2歳だ。そこには大きな違いがあってだなーーー」

 「あーそう、永遠に言ってなさい」

 

 ああいえばこういう、なまじ頭の回転が早いから口喧嘩にも滅多に勝った記憶がない。 

 やはり、こういう時に言い返せない自分も自分で問題があるのだろう。

 そうしてつぐんだ口をまた開く。

 

 頭の片隅にずっと埋まっていた彼女に聞きたかった事、賢い彼女が幾ら私用があったとはいえ、何もなくてここまで自分を連れ出す事は無いだろう。 

 

 「ーーーでも、なんでまたこんなことを?」

 「こんなことって?」

 「今日のことだよ。ほとんど村から出ないだろ、いつも」

 

 俺達の村では毎日子供が任される農作業を終えてしまえば、後は遊びまくるだけ。それはもっぱら野山を駆け回るばかりだとは前に行った通りだが、それも放牧地として家畜が歩き回っている敷地のみである。こんな田舎村でなんだと言われるかもしれないが彼女はこれでも箱入り娘であり、自分が誘っても親の言いつけ通りそこから外へは一歩も出た事はなかった。

 故に、彼女からそれを破る提案をするとは意外だった。

 

 「ーーーこれでもね、一応心配してたのよ」 

 

 呟くように言った彼女は少し前に進むと、地面に転がる石ころを蹴飛ばした。 

 

 「誰を」

 「あんたに決まってるじゃない」

 

 自分をーーーー?

 何か心配させることがあったかと、あれやこれや暑さで少しぼんやりする頭で考えるも脳内で引っかかったものはーーー”彼女に言える事”は何も無い。

 悪気もなしに心の中で作った壁に対して、彼女は躊躇う事なく近づいてきた。

 

 「ほら、なんか気負ってるでしょ。最近」

 「ーーーいや、」

 「村のこと」

 

 思わず、足が止まった。

 

 「図星ね」

 

 出来ている様で多分出来ていないウインクを見せる彼女にバレてるとは1ミリも想像もしていなかった。まさかとは思ったものの、よくよく考えて見れば彼女は聡明な人間だ。言わずもがな、村の状況や、周りの人々の話を聞いて推測したのだろう。それとも、顔に出ていたのかもしれない。

 必ず近くに誰かしらがいる村では俺も話しにくいと思ったからここまで連れてきてくれたのか、どちらにせよ彼女に迷惑をかけたことには違いない。

 彼女はヤマが当たったと言わんばかりに、どこか嬉し気な表情をしていた。

 

 「なんか、ごめん。気を遣わせてたみたいだな」

 「そうじゃなくてーーー、なんでも一人で背負うなって言ってるの」

 「ーーーああ」

 「なんか釈然としないわね…、つまり、周りの人に頼れってことよ」

 

 その言葉と同時に、小さな拳で軽く胸を突かれた。

 人に頼るーーーか、確かに何でもかんでも自分一人で抱え込んでいたのかもしれない。事実、今まで誰にも村の将来のことについて話をしたことはなかった。

 だがそれでも、可愛い自分の可愛い妹分の手を煩わせる訳にはいかない。

 

 「まぁ、大丈夫だ。村のことは俺が何とかする。お前が気にすることはない」

 「全然わかってないじゃない!」

 「分かってる、分かってるさ。だだ、うちの村には若い世代はほぼいない。お前だっていつかこの村を離れるかもしれない。だろう?」

 「ーーーそれにしてもよ、そんな先の事なんてまだ考えなくても…」

 「なんにしてもだ。いずれは誰かが残らなきゃいけないことに変わりはない」

 

 時間的猶予はまだまだある。が、いずれは直面しなければならない問題だ。それこそ、村は既に親世代に代替わりして何年も経っている。

 しかし、彼女の指摘通りであるのは確かだ。自分一人がどう足掻こうが、村というのは一人では存続しない。それに、自分達の次の世代も育てていかなければそれ以降村が続くことはない。田舎村で結婚が早いと言われるのはそれが原因でもある。

 ただ、そういう意味ではアテがないこともない。先日村のばあさんから、別の村からの縁談があるだとか、そう言った話を聞いた。ただ、それだけではおそらく村を繁栄させていくことは難しいだろう。けれど、彼女たちが出ていくまではある程度のことはできる。

 ただ、手伝うとは言ってもこの自分を含めても若い世代はたかが知れている。一体誰に手伝って貰えばいいのか、山を降りて、何かしら声をかけてみるしかないが、わざわざ山に上ろうと思う奴なんて十人いるかどうか。当てなんぞどこにもない。

 だけどそれ以上に、一つ上の世代と同じくいずれここを出ていくだろう彼女に重荷を背負わせたくはない。

 

 「そ、そこはほら。まぁ?色々と? つまりは、近くの人とかに頼れってことよ! 」

 「そうか」

 「特に!同世代がいいと思うわ!ーーーわたしも手伝うし…」

 

 おそらく、彼女なりに励まそうとしてくれているのだろう。

 彼女の薄紫の髪が風で靡き、視界に入った。

 都会の方でも見かけない珍しい髪色でーーーそんなことを思いながら、無意識で彼女に視線を送っていることがある。だから、気づかれないようにそっと目線をそらす。

 だが今回は気づいたのか、彼女はこちらに振り向いた。

 

 「ーーーどうしたの?」

 「いや、なにも」

 「いや、絶対になにかあるでしょ」

 「ないったらない」

 「言いなさいよ、気になるじゃない」

 「なにもないです」

 「いや絶対になにかーーー」

 いつものように、言葉の掛け合いは良く親世代にからかわれるほど頻繁に起こる。

 そのうちの大半は彼女の非なんだろうが、結局のところなんだかんだと許してしまう。そして最終的に俺がすべてを飲み込んで謝るという流れだ。

 だからこそ彼女をどうなだめればいいか、次に彼女が何を言うかも分かる。

 

 

 しかし、この時ばかりは自分の予想が外れた。

 彼女は何故か、そこで言葉を止める。

 

 「………?」

 

 不思議に思い彼女の顔を見ると、彼女はこちらの方をじっと見つめている。

 

 「なんだよ、俺の顔になんかついてんのか?」

 

 オウム返し、が彼女は何も言わない。

 

 「ーーー」

 「なんだよ」

 「ーーー、ぁ」

 「はっきり言えって」

 

 まるで、石像にでもなったかのようだった。

 今思えば彼女の目線は自分というよりは自分の後ろの方へ向いていた気がした。

 しかし彼女の体はもちろん石像ではなく、きちんと命の灯火がある一つの生命である。

 彼女の顔を覗き込むと瞳はかすかに揺れており、額からは汗が一筋流れ落ちた。

 

 そして彼女の喉がゴクリ、と鳴った。

 

 それと同時に、パキパキーーーと。枝か何かを踏むような音があたりから聞こえる。

 

 しかしそこに何も驚く必要はない。ここらの森は有数の鹿の生息地であり、猟師達が3ヶ月に一回狩りに来るほどここら一帯では鹿と言えば名が上がるこの森。それにイノシシなど人に危害を加える動物は繁殖期でもない限りこんな村の近くまで降りてくることはまずない。しかし、その音は時間が経つにつれ近くで聞こえだす。

 

 「ーーーなんだこの匂い」

 

 むわっとした、雨の日に感じる湿気と同等のむらっけを感じた。

 

 「う、しーーー」

 「牛? 牛なら村にーーー」

 

 この時点で走り去るべきだったのだろう。この辺りには害獣はいないから大丈夫、草食動物は人を怖がり近寄ってはこない。そんな考えは捨てるべきだったのだ。

 

 少し肌寒いこの季節。人が普段立ち入らない森の奥から、冬眠するために動物達が食料を探しにくることなんて、少し考えたら分かっていたはずなんだ。

 

 ーーーいるはずないだろ

 

 牛や鹿であったならばどんなに良かったことか。

 そう言うつもりだった言葉は口から出ることはなく、その瞬間すぐ未来(さき)の自分の姿が脳裏に浮かんだ。

 

 低く恐ろしく、家畜の犬などとは少しも似ていない。それと同時に生暖かい風が背中に当たり、濃密な獣の臭いが辺りに漂った。

 

 そして、低い唸り声。

 

 

 『グゥゥ』

 「後ろーーーッ」

 

 火事場の馬鹿力というやつか。声と同時に、自分でも気付かぬうちに咄嗟に彼女を抱え雑木林の方へ飛び出していた。受け身もとらず、まさに首の皮一枚といったほどにぎりぎりだった。

 

 「うぉあーーーッ」

 

 突っ込んだ衝撃で枝が腕に食い込み切り傷を作っているのが分かるが、そんなことを気にしている余裕はない。

 彼女を抱えながらひたすら坂を転がり落ちて行った。

 

 「ぐっーーー」「キャーーーっ」

 

 幸いな事に丈夫な大木がクッションになってくれたおかげで、身体も少し軋む音がするが動くことに支障はない。人の体っていうのは意外と頑丈にできてるらしい。

 

 自分が転がり落ちてきた坂の上をみると丸太のような腕が降ろされていた。木の葉の影に隠れていたそれは、徐々に体が太陽に照らされ姿を現してゆく。

 大きく突き出た鼻に、丸太のような手足、鋭くとがった爪。大きく見開かれた目と、ここからでも鼻につくような異臭を放つよだれ。

 

 その獣のあまりの大きさに脳が認識することを拒んだのか、それを理解することが遅れた。

 

 ヤツが、『(グリズリー)』が坂の下のこちらへと飛んだ。そう、文字通りこちらへと『飛んだ』のである。着地の反動で地面が少し揺れたがヤツはそれをものともせずに、その目はいまだ空腹を訴えている。

 「ひーーー」

 

 あまりの恐怖に悲鳴を出しそうになる彼女の口を抑え、熊を刺激しないような声量で彼女に話しかける。

 正直この大きさの、しかも捕食する気マンマンのやつに通じるかは分からない。前に村に来た猟師が言っていたであろう対処法ではあるが、やらずに無駄死にするよりはマシである。

 

 声を出すなと、彼女の手を握り耳元でささめく。

 震えながらコクコクと首を振る彼女から手を離し、リュックや虫かごをゆっくりと地面に置き、熊を見つめながらゆっくりと、ゆっくりと後ずさりをする。ここで重要なのは、熊から目を離さないということである。この行動が確かな対処法であれば、の話だが。

 そして手持ちの携帯食料を入れたカバンを開けて自分達とは逆方向へと投げる。

 

頼む、荷物の方へいってくれ……!!

 

 藁にもすがる思いで手放した荷物。しかしその思いは無残に熊の気を逸らすどころかそちらへは一度も目も離してくれない。

 

 死にたくないーーー自らの後ろでそう呟いた彼女の言葉にようやくリアルな死の実感が湧く。その言葉はおそらく自発的に、というよりは自然と彼女の奥底から出た願いに近い言葉だろう。

 

 そりゃあそうだ。自殺志願者でもなければ誰だって死にたいなんて思わないだろう。

 それは『他人を身代わりにしてまで』という意味も含めて、だ。

 

 その時の自分は気づいていなかったが、右手で俺の裾を不安そうに掴む彼女と、左手で俺の体を押している彼女が何よりの証拠だった。

 自己犠牲の精神がどうたらと言われるかもしれないが、誰もがそのような輝く精神はもっていない。もしも常習的にそれが出来る人がいるのであればその人は『聖人』と言ってもいいだろう。

 

  ーーーーーー俺が。

 

 そう呟いた時に彼女の身体がビクッと動いた。

 

 いつものように言い返さないのを見るに、彼女もやはり生き残りたいのだろう。震えが伝わり、自分にも恐怖がウイルスのように伝染していく。

 膝が震える。しかしここで彼女のことを守れるのは自分しかいないのだ。自分は歳上だ…..。村のことは誰かに任せることになってしまう。だが、村の皆に貰った命をここで使わないで───一体いつ使うというのだろうか。

 

 「お願い…ぃ、いかなーーー」

 「大丈夫ーーー大丈夫だ、」

 

 そう自分にも言い聞かせながら無理やり自分の震える手足を奮い立たす。

 

 たかが一歳、されど一歳。自分は彼女のーーー身代わりとして。

 いなくなるとしたら、身寄りのない自分が最適な事はわかっていた。

 

 「歳上の言うことは聞いとけーーーな?」

 

 カッコつけて、自分は大丈夫だと何度も彼女に言い聞かせ背中を押した。

 

 ゆっくりと後ずさりをしながら動き出し、そのあと脇目も振らずに走り出す彼女。その後ろ姿に思わず追おうとする熊の目の前に立って、自分に気をそらさせる。

 

 

 ポツポツと雨の音が周囲を包み出す。

 

 三文芝居のようなタイミングで降り出してきた雨が目に入り込み、熊を一瞬見失いそうになる、が、熊もどうやらまだ動いていない。

 人間というのは本来自分の種族とは別の動物の言葉というのを理解出来ないが、今は何故か分かるような気がする。

 

 『逃げたところで無駄だ、お前を喰った後にあの女も喰らってやろう』

 

 正直生き残れる気はしない。熊に正面向かって立ち向かって時間を稼いで逃げ延びるなんて事は五分五分どころか8対2にすらならない。

 

 再び、熊の金棒のような右腕が振り下ろされる。降りしきる雨でぬかるんだ地面により足を滑らせてしまい、熊の右腕が自分へと迫る。もう駄目かと思ったが、身を仰け反らせることで間一髪、木のあいだに潜り込むことが出来た。

 周囲を見渡す限りあと木の残りは3本。木を身代わりにすればあと3回ぐらいは躱すことができるだろうか。

 

 じゃあ4回目は?5回目はーーー

 

 その時初めて、自分の感情に気づくことができた。あんなに彼女にカッコつけたのに、自分も死にたくないのか。

 

 その瞬間、まるで背中に冷水を浴びせられたようだった。

 

 ーーーくない。

 

 ーーーーたくない。

 

 

 

 『死にたく·····ないーーー』

 

 

 

 その瞬間、視界が黒に染まった。

 

 なにも比喩じゃあない。手で捕まえられた虫の視点のように急に何も見えなくなったのだ。

 

 「ーーー?」

 

 その瞬間、頭の中から何かが消えた。フッっとまるで朝目が覚めた時のような感覚が頭をよぎる。

 

 目がやられたのか、そう不安に駆られ目を擦ると次第にその黒が縮んでゆき、ある一定の大きさになるとその縮小は止まった。

 その漆黒ーーー()()は光を反射していないよう奥行が感じられない。絵本から飛びててきたかのような印象で、妖精のように自分の周囲を飛び回っている。

 

 すると突然その黒は、先程の穏やかな印象とは真逆のまるで獲物を見つけた捕食者のように熊の足元へと一直線に飛びかかった。黒点が狙いをつけた熊の右足にまとわりついている。

 

 数秒、熊は唸り痛みに震えているかのように見えたがそれ以上に血に飢えているのだろう。相も変わらず熊はなりふり構わず身代わりの2本目の木へ突っ込んでくる。

 

 「グルルルぅゥ‥‥」

 

 そして2本目の木が折られ、また10数秒。もう一度熊の足に目線を送り目を凝らすが、先程の黒点のようなものは跡形もなく消え去っていた。

 

 (何が、どうなった。何かが頭から()()()感覚がある。だが、それだけだ。死の間際の幻覚つったってーーーなんなんだ…いや、それよりも)

 

 目をやると、今もなお熊の目はまっすぐとこちらを見据えている。

  

 『ちょこまかと逃げやがって、だが次こそは必ず息の根を止めてやる』

 喋る筈がない生き物の意図を肌で感じ取る。

 首から噛みつかれるのだろうか、それとも腕?足からか?考えてもキリがない。

 なるべくーーー出来れば頭からパクッと一瞬で。できれば痛みの伴わずに死んでいけたらと思うが、野生動物に狩人のような高等テクニックは頼めないだろう。

 

 その願いが恐怖の感情と混ざり合い心の大半を蝕んだとき、女性の、どこかで聞いた声が響いた。

 

 『お願いーー死なないで……』

 

 それは誰の声だったのか、ただの自分の幻聴か。

 だが自分を勇気づけてくれた事に違いはない。何故だか分からないが、生気が失われつつあった自分の目にも少しだけ活力が戻った。

 

 ーーーあと少しだけ、足掻いてみるか。

 

 

 

 それから、一体どれほど経ったのだろうか。

 

 泥まみれになりながら、そこらじゅうを駆け巡り、何とか未だ命を繋げていた。だが、熊は絶えず唾液を垂らし続け、今にも襲いかかってこようとしている。あと何時間生きれるだろうか。いや何十分、何秒だけだろうか。

 自分の両腕が食いちぎられたら足で熊に纏わりついて引き止める。両足をへし折られようが身を呈して熊の動きを止める。たとえ死体になって魂だけになったとしても引き止めなきゃいけない。

 

 周囲を見渡せば、これまでの熊の攻撃で倒れたのであろう大木が辺り一面を囲んでいた。推測するに、熊の隙をついて通り抜けるのは困難だろう。退路を絶たれたという絶望的な状況だが、あの木が邪魔なのは熊も同じことだ。

 

()()()()()()()()()()()が、こいつをここから逃すわけにはいかない。例え腕がもがれようが足がなくなろうが、ここから離れるわけにはいかない。

 だから自分はここに残っている。

 

 体に張り付いた服はペタペタと嫌な感触を生み出していた。気持ち悪いと感じさせるのは、降り続いている雨なのか、傷口から流れ出てきた血液のせいか。

 

 今の俺の傷だらけの姿を見たらきっと、彼女は罪悪感で押しつぶされてしまうだろう。

 彼女ーーーー? いや、誰だったか。駄目だ、思考がうまく定まらない。雨のせいなのだろうか、既に視界もぼやけている。

 

 以前に猟師から聞いた事柄が頭を過ぎる。確か、人の肉の味を覚えた獣はそれ以降人間だけを好んで食べるようになるらしい。

 

 それに、死ぬ時はーーーなるべく人から見つかりにくい場所で死にたい。

 

 

 今も振り続けている雨と、自らの汗が混じった水分を右腕で拭おうとするも、しかし何故か自分の腕の重さを感じ取る事はできない。

 痛みも最早、感じられない。

 

 

 

 降りしきる雨にうたれた体は冷たく、次第に近づいてくる眠気と共に瞼が落ちた。

 

 

 

 

 

 





 

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拾い子

 

 

 

  その日、運命と出会った。

 

 「先生、もうでてっちゃうの〜?」

 「こら、わがまま言わないの! お医者様はね、と〜っても忙しいんだから」

 「フフ、縁があればまた会えるさ。そろそろ時間だーーーそれではな」

 「本当にありがとうございました……!!」

 

 後ろを向かずにひらひらと手を振りながら、親子の声から遠ざかってゆく。

 名前を覚えられない様に寂れた田舎町を転々と生活する。

 揉め事を起こさぬ様ひっそりと暮らしながら、ある程度時が経てば村を離れてまた新たな村へと渡り歩く。ある程度の身分を持ち合わせている者がある程度の技術を持っていれば、それを疑う者なんぞそういない。

 そんな中で医者というのは存外自分に向いていたらしくーーー中でも生まれ故郷で身につけた“技術”は大きく貢献する事となった。

 そこで栄える鉄球の技術、一見すれば球体を回し続けるだけの一辺倒であるものの、その活用先は医療から捕縛、殺人までと何でもござれ。

 だが、医者の真似事をしながら()()に見つからないようたかが寂れた田舎町を転々と生活するのには限界があった。 

 自分がするのはあくまでも自然治癒の促進であり、完璧な医療技術に特化した技術を持ち合わせていない状況では金をせびるなどできるはずもなかった。

 しかしながらいくら金が無かろうとも、人は喰っていかなければ死んでしまう。健康には人一倍気をつけるべきである医者が飢餓で倒れるなど皮肉にすらならない。そんなわけでその日もいつもと同じように野山の動物を狩ろうと思っていた矢先、ひとりの子供を見つけた。

 

 ぬかるんだ坂道を登り切れば、山から流れる川の下流が流木に堰き止められ、溜池になっている場所。おそらく前日に降り注いでいた大雨の影響だろう。ここから都市へ繋ぐ橋も流れ落ちてきた土石流によって一つ崩壊していた。

 そして、そこには土色に濁った水とともに、水が赤色に広がっている部分があった。

 

 その子供は、大木に引っかかる形でそこに流れ着いていた。

 

 唇は土色に変色していた。一目見るだけで分かる。

 既に、手遅れだった。身体中ズタボロで片方の腕が抉れるようにして欠損している。

 

 「これはーー」

 

 思わず、顔が歪んだ。

 余りの惨さに、喉の奥から言葉が出なかった。大方、先日の大雨で流された子供の死体を動物が食い荒らしたといったところか。

 この世界に平和や平等などといったものは存在しない。誰しも、必ず老衰で死ぬまで健康に生きれるとは限らない。

 

 「チッーーー」

 

 逸らした視界の隅に、小さな体が映っていた。

 こんな生まれて数年しか経っていないような子供にさえ、世界は等しく牙を剥く。

 

 せめて、弔いだけはしてやろう。

 

 何故そう思ったのか、同情か、感傷に浸りたかっただけなのか、分からない。自分とはまったく無関係の子供だったものだ。

 ただ、自然と体が動いていた。

 

 「何やってんだ俺は……」

 

 体に子供の血がつくことも躊躇わず、その体を川から引き上げた。

 肌に感じるのは冷たさだけだった。子供の体は冷えきっていた。 

 

 「クソッ、嫌なもん見ちまったーーー」

 

 一体、どれほど水に浸かっていたのだろうか。

 子供を背中で担ぎ、ひとまず川から這い出る。そうして彼の腹を支えながら持ち上げた瞬間ーーー

 

 「ーーーゲボッ、グッ、ぇーー」

 

 子供が口から水を吐いた。そして、続け様にえずく。

 

 ーーーーー生きてるのか、この状態で?

 

 急いで彼の体を返し、胸元へ耳を押し付ける。

 すると、非常に小さな音ではあるが微かに鼓動が聞こえる。

 

 「ーーーーウソだろ、ウソだろおいおいオイ……」

 

 目元を開けば、まだ瞳孔は開いていなかった。

 だが、体は欠損している。最初に見つけた状態から考えても、彼の体から血液は大量に流れ出てしまっているだろう。加えて体が冷え切っていたことからも、長時間水に浸かっていたことが推測できる。

 人間ならば確実に死んでいる。それも、こんな小さな子供ならなおさら。

 

 ならばなぜーーー。

 単純な生への執着か、愛する者への想いか、やり遂げねばならなかったことへの執念なのか。

 どちらにせよ、天が彼を生かしたことに変わりはない。

 であるならば、拾い上げねばならん。

 

 急ぎ、怪我が怪我ということもあり気休めでしかないが手持ちにある布切れで傷口を圧迫し、出血を止める。

 痛むのか、締め上げた時に彼の口からうめき声が聞こえたが、気にしている場合ではない。

 そして持ってきていた替えの衣服を着させ、体温を確保する。

 

 幸いなことに、医薬品の蓄えなら心当たりがあった。ひとまず、家ならば手当ができる。

 

 連れてきていた馬車に戻り毛布を敷き、その上に乗せる。

 ぐるぐる巻きにした彼に目をやると、未だ意識を失っていた。

 全身は泥だらけで、よく見ないと顔の判別もつかない。もはや捨てるしかないほどに汚れたタオルで顔についた泥を拭き取ってやると、ようやく少年の顔を見ることができた。

 

 そしてーーー言葉を失った。

 

 似ていたのだ。

 記憶の奥底にしまっていた、二度と思い出さないように隠していた記憶の中のーーーーー。

 

 彼も生きていれば、この少年と同じほどの年齢だっただろう。

 彼女も、彼の成長を目に涙を浮かべながら喜んでいただろう。

 

 だが、そのどちらももう叶わぬことだ。

 

 『流れに逆らうんじゃあない。任せるべきだったのだ。運命という大きな海流に身を任せるべきだったのだーーー』

 

 あの激しい雨の中、失われていく手の中の温度に嘆く自分に言い放った“あの男”の言葉が反芻する。

 

 ーーーー頭が痛む。

 

 ……グレゴリオ・ツェペリめ、遠い記憶を引っ張り出しやがって。

 

 

 「ーーーーー」

 

 

 黙って彼の顔から目を逸らし、背中に手を回しながら持ち上げる。

 

 

 そうして、彼を家へと連れ帰った。

 次はーー必ず守る。

 

 そう、心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 「起きろ」

 

 

 顔に冷たい水の感触を感じたと同時に、今自分が揺れる馬車の中にいるということに気がついた。

 

 「─────」

 

 ほぼ無意識のまま顔についた水滴を拭うことなく、未だ夢と現実の区別がついておらず重くなっている瞼を開く。

 

 視界一面にはところどころボロボロになっている小さな屋根が広がっていて、そこには辺りを飛び交うコバエが数匹飛び交っていた。

 そして、そのまま視界の外へ飛び出すコバエを目で追いかけると、その先にはなにやら茶色の、強烈な臭いを放っているなにかが無造作に転がっていた。

 

 「目ェ覚めたみたいだな。ほらよ」

 

 奥にいる御者の男性は手綱を握り直し、こちらへ濡れた布を投げた。

 先程の刺激臭のするなにかの隣に落ちた布を拾おうとすると、その瞬間、体中に痛みが走り、床に倒れ込んだ。

 

 「まだ痛むかーー、そりゃそうだろうな」 

 

 男の声が耳から入るが、自分に何が起こったのか分からず事態を把握できていない。

 とりあえずその場から立ち上がろうとすると、先程の異臭を放つ“なにか”が視界に入った。

 それと同時に刺激臭のするなにかと、自分を殺そうとしていた『熊』の後ろ姿がフラッシュバックする。 

 人のそれより数倍大きい口から垂れる唾液に、そこから漂う猛烈な獣の匂い、そしてはりさかれんとばかりに開かれた大きな目。まるで数秒前起きた事かと思うほどに体に染み付いたその体験は、今もなお体を震え上がらせる。

 

 頭を振って、その恐ろしさを紛らわすように投げ出された布を拾おうと“肩”を伸ばすと、『先』がなかった。

 急いで傷だらけの自らの身体へ目をやる。腰や右足と左太腿辺り、肩や頭にも包帯の代わりと思わしき少し古汚い布が巻かれてあったが、包帯の上からでは大惨事といえるほどの大傷のようには見えなかった。がしかし、

 

 「は────」

 

 ()()()()()、というわけではなかった。

 命はある。声も出る。だが、多くの人間が通常何かをつかむときに動かす部位の『右腕』は、肘のあたりから元からそこには何もなかったかのように消失していた。

 “それ”が元あった場所には幾重にも包帯が巻かれていて、いつもの何となく握るという簡単な行為の感触でさえ掴めなくなってしまっていた。

 そして、一見無事に見えた足も、肌に触る感触が分かるほどだけで、ぴくりとも動かなくなってしまっていた。

 

 「右腕はどうしようもなかった。一応血は止めておいたが、『コレ』がなけりゃあ逃げ延びることが出来たとしてもそこらで野垂れ死んでたぜ、お前」

 

 “コレ”と呼ばれた彼がさす手の上の物体は、なにか特殊な器具なのだろうか。

 視線の先の物体は、とても綺麗な球の形をしていた。それも、生まれてこの方、これほどまでのきれいな球体は月や太陽といったもの以外で初めて見たといってもいい。

 それは、少し黒っぽい色をしていて、幾何学模様のような今まで見たことのない模様が刻まれていた。

 

 思わず見惚れてしまうほどの造形のそれから目線を外し、ゆっくりと左腕で布を拾い顔を拭きながら再び右腕があった場所へ視線を向けるも、それがなくなったという事実が変わることはなかった。しかし、意外なことに自らの肉体の一部がなくなった『喪失感』というよりも『早く左腕に慣れなければ』という危機感のほうを強く感じる。

 やはり、一度死にかけたから自らの生命が危機感を鈍らせているのだろうか。以前ならば軽く泣き叫ぶ自信すらある。

 

 すると、馭者台に乗っている彼はそんな自分の様子を見て、何やら子供が面白いおもちゃを見つけたように笑っていた。

 

 「ほぉ、お前ぐらいのなら泣き喚くかと思って耳栓の準備してたんだがなぁ」

 

 はぁ、と一言返事をして目覚めたてのあやふやな意識で彼を見やる。と、彼の特異な格好が目に入った。腰に小さいナイフ、そして丸みを帯びた『ナニカ』が入ったバックルが腰からぶら下げられている。

 

 おそらく先程の話から推測するに自分を助けてくれたのは彼。そして死にかけていた自分をここまで運び、最早モノとなってしまった熊を運んだのも彼のようだが、いかんせんあの大きさの生き物を仕留めるには彼は軽装備すぎる。

 見たところ彼が身に着けているものであの熊を仕留めれるものは銃しかないだろうが、彼の腰についたその銃はいくら銃といっても子供用のレプリカほどの大きさしかない。

 

 「いやなぁ、最初は銃で眉間を撃ち抜いてやろうと思ったんだが俺を見かけた途端、気絶したお前に目も向けずにこちらに突っ込んで来やがったからよ。コレ”で熊の野郎の顎ねらってパーンッってよォ」

 

 やってやったんだぜ、彼は再び握った鉄球を見せびらかした。熊を殺したモノで人を治療ができるなど、村で伝わるお伽噺ですら聞いた事がない。ひとまず感謝の言葉を言い、自分はどうなっていたんだと詳細を訊ねた。

 

 「流れ着いてたよ、溜池になってた下流でな。全身血と泥まみれで、死んでると思ってたぜ」

 

 ほぼゾンビだゾンビ、分かるか? と少し小馬鹿にしたように彼は言った。

 それに対して少し思うことがないわけではないが、腐っても自分の命を救ってくれた恩人だ。そう思う事で困惑しかけた自分の気持ちに無理矢理踏ん切りをつけた。

 

 「それでも数日間お前は眠ってたがな。よく生きてたよ、そんなちっこい体でよ」

 

 笑う彼を尻目に、思わず、はぁとため息が口から漏れる。

 

 最後の瞬間、ほんの少しではあるが多少の意識は残っていた。自分はもうここで終わりだと、このまま熊の腹に収まって消化されるのだと、そう思っていた。だからこそ、命があったことに安堵はするものの、この身動きの取れない体では死人とほぼ変わりはない。

 

 だが、このまま意気消沈していても、せっかく命を繋いでくれた彼に対して申し訳ない。

 

 ひとまず気を晴らそうと身を起こして馬車の窓を覗くと、あたりには見た事のないような草原が一面に広がっていた。

 

 ゆっくりと移り変わっていく景色を横目に、ふと頭に名も知らぬ少女の顔がよぎった。

 今にも泣きそうになっているーー、薄紫の髪をした少女。

 何かーーー大事なことを忘れている気がする。

 決して忘れてはいけない、守らなければならない何か。それが今、頭をよぎった少女が関係しているのかーーー?

 手がかりはその記憶しか持ち得ていなかった。

 どうするーー、そう考えるよりも先に言葉が出ていた。

 

 「誰かーー俺以外に誰かいなかったか?」

 「ーーーいや、見てないな。お前を見つけた時、他にはだれもいなかったぞ」

 その言葉を聞いた瞬間何故か、まるで心臓にかけられていた重荷が解放されたようにホッとした。

 何に対してホッとしたのかは自分では分からないがーーー。

 

 一旦落ち着くと、次は疑問が湧いて出た。 

 それは目が覚めた時から気になっていること、この馬車は一体どこに向かってるのかというものだ。

 さきほど見えた景色から考えると、これほど平原が広がっていて何もない土地は見かけたことがない。まぁ、どちらにせよ見覚えのある場所などないに等しいが。

 

 「そうだなァ、お前を乗せて走りだしてから10日ぐらい経ってるからな。今いるとこは 、だいたい……ここらへんだと思うぞ」

 

 ぼんやり外を見つめていた俺を見兼ねたのから、彼は白い紙に地図のようなものが書かれたモノをこちらへ投げた。

 

 が、しかしそれはお世辞にも分かりやすいと言えるものではなく、あまりにも大雑把だった。それに加えて、正直を丸つけてもらった手前申し訳ないが、現在地すら分からない。

 そうして手をこまねいていると、彼が話しかけてきた。

 

 「なぁ、それでお前は一体どこで何してたやつなんだ」

 「俺はーーー」

 

 彼の問いかけに答えるために続きを口にしようとしたが、何も出なかった。というよりも、何も思い浮かばなかった。

 どこで生まれて、どんな生活をし、どんな環境にいたのかーー、思い出そうとしてもなぜか思考がまとまらない。

 

 かろうじて思い出すことができるのは、先の熊に蹂躙されたものや、見知らぬ少女の断片的な記憶、そして帰らなければならない場所の事だけ。

 

 「記憶喪失、っていったところか? その怪我だ、無理もない。一時的なものか、それともーー分からんな」

 

 彼は御者台からこちらに身を乗り出し、先ほど手放した地図へ何かを書き入れ出した。 

 

 「今いる場所がここでーーーお前を拾ったのが大体ここら辺のはずだ」

 

 しかし生まれてこの方、ど田舎に生まれ大した教養もなくこういった地形を描いたものは見たことがなかったので、正確な見方はわからない。だが、描かれたその二つの距離は遠く離れていた。

 

 「まぁ、どちらにせよそこには戻ることは出来ねぇ。居座ろうとしてた場所も、既に見つかっちまったからなーー」

 

 なにやら訳ありのようだが、未だぼんやりとしている頭では深く知ろうとも思えなかった。

 

 体を見たところ、男性の乱雑そうに見える口調とは裏腹に丁寧に包帯が巻かれていた。

 

 ここまで運んできてくれたのは彼なのだろう。現状を省みても世話になったことはわかる。だから、恩返しがしたいと申し出た。

 

 「身動き取れねえガキが一体何の役に立つってんだ。ーーーいいから今は世話されとけ、後のことは後で考えりゃあいい」

 

 そう言われると、返す言葉は何も思いつかなかった。

 何とかして人から受けた恩は返さなければならない。だが、彼が言うように満足に体を動かせない自分では足手まといにしかならないだろう。

 

 「お前の命は俺が救ったんだ。だから、俺の言うことは黙って聞かなきゃならねえ」

 

 その後、数分の沈黙がつづき、その後にやっと理解することが出来た。それは、彼の仕事はもしかすると“人身売買の役人”かもしれない、という事だ。確かに自分は彼に拾われていなければ熊から助かったとしても、結局はそのまま野垂れ死んでいただろう。だが、それとこれとは話が異なる。

 自分はこんな所で何も成さずにあの村から離れるわけにはいかない。

 そして、最悪の事態を想定しながら瞬時にここから逃げる術を頭で考える。

 

 その1,布を使って馭者台に乗って背中を見せている隙をついて首を絞める。

 その2, 一気に窓の外から飛び出して草むらに隠れながら逃げ延びる

 その3, 熊の毛皮を盾にここから飛び出す

 

 考えることのできるすべての対処法を考えたものの、いずれの策も最終的に熊を楽々と倒すだろう化け物が目の前に立ちはだかる時点で詰んでいる。それに、まずまず身動きを取ることができない時点で、何をされても自分に抵抗することはできない。

 この時点で逃げる事ができないのは確実だ。ここはもう諦めるしかーーーーー

 

 「待て待て、落ち着けよ。別に取って食おうだなんて考えちゃいねェよ」

 

 興奮状態にある自分に、落ち着かせるように前に出される男の大きな手。遠くから見るだけでも、彼の積んだ経験の数が見えるほどその皮は厚く、大きく見えた。そして、彼は自分を落ち着かせるように不思議なことを言い出した。

 

 「お前、俺を手伝え」

 それは、どういう言葉の意味だろうか。どちらにせよ、いい方向の言葉には思えない。  

 しかも、動くことのできない自分にできることなど高が知れている。自分はそう考える程まで疑心の気持ちが強くなっていた。

 

 「俺はある理由で追われてる。話せば長くなるがーーそうだな、まず昔話でもしてやろう」

 

 会話が一方通行気味なのが若干気になるが、相手は命を救ってくれた恩人だ。そこは我慢しよう。

 

 彼はおもぬろに胸ポケットに指を突っ込むと、そこから先程の“鉄球”を取り出し人差し指と中指の間に挟んだ。

 

 「この鉄球はな、まァいわゆる見ての通りのただの鉄球だ。だが、俺の家系の技術をもって投げればただの鉄球じゃなくなる。なにも特殊能力じゃない、練習すれば誰でもできる“技術”だ」

 

 すると彼は両手で鉄球を包みこんだ。そして、しばらくすると彼は手のひらを開け、中身をこちらに見せてきた。開かれた手の中には鉄球がグルグルとまわり続けていた。

 

 「坊主、ちょっとさわってみろ」

 

 おそるおそる残ってる方の腕の人差し指で鉄球の上部分を撫でるとーーー指が飲み込まれた。

 何を言っているか分からないと思うが、もう一度言おう。「指」が飲み込まれたんだ。

 鉄球に巻き付くように指が飲み込まれ、次第に手全体が、腕までも巻き込まれそうになっていく。

 それはさながら、アリ地獄にアリが引きずりこまれるかの如く。

 

 「ちょ、まっ」

 「慌てるな慌てるな、ほれ」

 

 すると、先ほどまで全く動く気配のなかった足がーーー動いた。

 

 思わず言葉を失う。

 

 彼が再び鉄球を撫でると、引き込まれた腕と手が突き飛ばされるように元の位置へもどっていく。彼が言うには鉄球に逆の回転をかけたそうだ。

 

 「とある王国の、捕縛官が使ってた技術だ。逃げ出したヤツを鉄球の中に犯罪者ごと包み込んで捕まえてた」

 

 まぁ、ほんとかどうかは分からんがなと、彼は手で鉄球を弄びながら御者の席へと戻っていった。

 

 「詳しくは言えないがーー、お前には俺の後を継いでもらう。そうすりゃあ足も動くようになって、俺も安心でーーーwinwinだろ?」

 

 いきなりの情報量で頭がパンクしかけている。彼の言葉は、まるで宣教師の言葉のように右耳から左耳へと通り抜けていったかのように感じた。

 

 「死に体で悪いがなーーーもう修行ははじまってるぞ」

 「うぉッ!」

 

 いつまでも呆けている自分を見兼ねたのか、先程の鉄球とは別の回転している球をこちらへ投げ込んできた。

 先程起こったことを思い出し、身体がビクッとしたが今回は吸い込まれることは無かった。

 

 しかしながらこの鉄球、眺めれば眺めるほど不思議に思う。乗せた左の手のひらの上で回転しているのにも関わらず、球がまわっているという感触を感じられないのだ。人差し指でつついてみるも先程とは違い弾かれてしまう。

 

 「ちなみにそれ、次の街につくまでに止めとけよ。できなかったら飯抜きな」

 「……死に体ってさっき言ってたろ」

 「その程度じゃ死なねぇよ。あと、『先生』には敬語だろうよ」

 「ーーーー分かった」

 「分かりました、だ。ーーーせいぜい死なない程度にコキ使ってやるよ。ま、たしかに傷を癒すのが先だがな」

 

 こんなズタボロで、死に体と表現された自分にすら容赦がない。

 

 だが、どちらにせよこれまでの記憶が混濁している自分には頼るアテもない。安心と、同時に不安が心に浮かんだ。

 それは、こんな技術を身につけることが自分に果たしてできるのだろうかという未知の力への不安。

 そして、いつか帰ることを夢見る場所への想い。

 

 そうして幾つかの疑問を持ちながらも、こうして自分は彼について行くこととなった。

 

 

 ーーー不思議な球と、それから長い付き合いになるとは知らずに。

 

 

 

 

 




 
 
 
 


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20th century boy

 
 
 


 

 

 

 

 視界一面に広がる暗闇。

 

 その暗闇は夜よりも暗く、絵の具の色よりも黒く、星空のような暖かみもない。

 そして辺りに広がる暗闇は徐々に私の体に近づき、私を染めてゆく。

 

 まただと思いながら、自分以外誰も居なくなった教会の中で両手を組む。本当はその暗闇の先には何もいないことなんて、とうの昔に分かっているのにーーーだが、今の私にできるのはこれしかない。

 すると、もう二度と聞こえるはずのない彼の声が耳に響いてくる。

 

 

 ーーーーなぜ、なぜ俺を置いていったんだ

 

 

 ごめんなさい。あなたを見捨てた私を、どうかーーーー

 

 

 ーーーーお前のせいで

 

 

 ただ、元気になって欲しかった。いつものように、私を笑顔で見守ってくれるあなたが幸せでいられるように。

 

 わたしがあなたを連れていったから。

 どうか、どうかこのようなことで許されるとは思っていないが、そう考えながら私は自らの体を痛めつける。私が、私を痛めつけることによって、少しでもあなたの苦しみが和らいでくれたら、ただそれだけを願って。

 

 

 あの日、あの時ーーー私は、逃げることしかできなかったーーーッ!

 

 組んだ手には爪が食い込み、破れた皮膚からは腕から血液が流れ出す。

 あの時の、今もーーー私はいつも自分の身のことしか考えることのできないクズだ。

 未だに脳裏に浮かぶあの瞬間。あそこで彼が私を庇って逃げさせた瞬間、何故か彼のあの言葉に『ホッと』したのだ。あの大きな熊から逃げれると思ったから?

  分からない。

 自分の命が助かると思ったから?

 

 分からないーーーッ!

 どこにでもある村の、どこにでもいる少女でしかなかった私は、あの時彼に言われるがままに逃げるしかなかった。

 走って、走って、走って、走って、走る。

 後ろからは熊のおどろおどろしい鳴き声が聞こえてきて、その度に私を震え上がらせる。しかし私は止まらない、いや止まれなかった。

 たとえ木の根に引っかかり転けようが、転けた拍子に顔に泥がかかろうが、片っぽの靴が脱げようが彼に言われた通りに村へ向かってひた走る。降り始めた雨によってぬかるんだ地面にもう片足のくつがはまっても靴を脱ぎ捨て走り続けた。

 

 1分、1秒でも早く村の大人を呼んで彼を助けに行くために。

 やっとの思いで村につき、大人達をかき集めて彼の元へ行こうとした私を止めたのは、森に詳しい猟師の大人だった。

 彼が言うには今も尚振り続けている強い雨の影響によって、今行けば土砂崩れや川の氾濫で自分達も危ないということだった。

 しびれを切らした私は、止めようとする大人達を振り切り、壁に立てかけてあった猟銃を手に取り走り出した。しかしまたもや彼の元へ向かった私を邪魔したのは土砂崩れによって倒れた何本もの大木。

 がむしゃらに猟銃で打ってもビクリとも動かないその大木と反比例するかのように、私の心はポッキリとへし折られた。

 

 雨がやみ、数日後猟師達に加え村の大人たち総出で例の大木を退けたものの、見つかったものは泥にまみれでところどころに彼のものだと思われる血がついている衣服だけ。でもその少ない品はここでなにがあったのかを物語っていた。

 木には熊がいた証拠となる爪痕や、根元から折られた木が数本あった。

 

 引き続き彼の捜索が行なわれたがしかし、大人達の懸命な捜索も虚しく彼の服以外のものは森の中からは何も見つからなかった。

 

 そう、私と彼を襲ったあの大きい熊でさえも、全て。

 

 全てが雨に流されたかのように、大木に残された爪痕と服以外は綺麗さっぱり見つからなかった。

 そして捜索が始まってしばらくたった時、川の下流で彼の物と思わしき『右腕』が見つかったという声が挙がった。その後しばらくして、彼の捜索は彼が川に落ちて流されたという事で打ち切られた。

 

 それはまだ彼の死を認めたくなかった私に、ナイフで体を刺すかのような衝撃を与え、そうしてやっと自分の犯した罪に気づいた。

 

 

 そうだ 私が、私が彼をーーー私は彼を殺してしまったのだ。

 

 

 そこから、どう家に帰ったのかは覚えていない。気がついたら、彼の服の切れ端を握りしめながら家にたどり着いていた。

 家に入ると、家族から何やら声をかけられていた気がするが、もはや私の耳には何も入ってはこなかった。

 

 私の責任だーーー。私が、殺した。

 

 その日から、私の贖罪の人生が始まった。 

 朝、昼、晩と、暇さえあれば教会へ行き、手を合わせ祈る。こんなことになるまでは一度も行こうとすら思えなかった教会へ、私は行くようになった。

 これはただの私のエゴだ。

 こうすれば彼の苦しさが和らぐかもしれない。こうすれば彼が少しでも私を許してくれるかもしれない。こうすればーーー私の罪が軽くなるかもしれない。

 

 こうなってしまったのに、未だに自分の事しか考えていない自分に吐き気がした。

 

 私の献身を見て、神父から都会の方にある大教会に行く事を勧められた。あなたならば、そこにいけば更なる献身ができるだろうと。そう言われた時、彼に言われた言葉が頭をよぎった。

 彼にははっきりとは言わなかったが、今までなら都会に行くつもりなんて、微塵たりとも思い浮かばなかった。

 私も、彼と一緒に村を支えていきたかった。今までと同じように、なんて事のない平和な日々を。家畜の世話をしながら、その日の作業を終わらせて、そのままーーー。 

 

 だが、今の私はそんな未来を想像することすら許されないだろう。

 

 その後、結局神父の言う通りにカトリックの洗礼を受けた。そして数年後、なけなしの持参金携えながら、都会にある大教会に向かった私は、そのままそこでシスターとなった。

 

 だが、その罪は今も尚私から離れる事はない。この穢れしてしまった私の体。穢してしまった私の手は、何度聖水で洗い流しても消えることはない。きっと、この罪は一生消えることはなく、私が死ぬまで、私が死んだとしても消えることはないのだろう。

 

 懺悔しても許される事はないのだろうが、どうか、どうかこの祈りが彼にどどきますようーーーーー。

 

 

 

-----

 

 熊にボロボロにされ、死に体の状態で彼にーーー“先生”とやらに拾われてから数年、彼は休む事なく自分に“勉強”をさせた。

 といっても、文字通りの本を使うようなものではなく、まさしく肉体言語と言われるものである。

 

 はじめは体力作りからだった。てっきりハナからあの“鉄球”とやらを教えてくれるのだとワクワクしていた自分は落胆したものの、しかしその体力づくり生半可なものではなく、そのようなことを考える暇をもない程に過酷なものだった。

 

 急に原っぱに投げ出されたかと思うと、そのまま身動きがうまく取れない状態で這いずりながら家に帰らされたりなど。

 

 だが、初日からおよそ半年までは、それでもまだ易しい方だったのだろう。実際に、それ以外では半年までは足が動けるようになるために、鉄球の回転を体に馴染めるといったような感覚的なものばかりであった。だが、体が次第に言う事を聞くようになってからというもの、急激にその過酷度が上がっていった。

 

 その一日のメニューがこれだ。

 

* 腕立て伏せ 疲れるまで

* 上体起こし 疲れるまで

* スクワット 疲れるまで

* ランニング 疲れるまで

 

 おそらく、どこかの国の兵士も流石にここまではしていないだろうドン引きするほどの練習量の多さに一体何度逃げ出したくなっただろう、そして更に驚くなかれ。コレを『片腕』の状態で俺にやらせるのだ。

 正直最後の方まで行くと朝始めたのにもかかわらず少し空が赤くなり始めるほどまでに時間は経過しているが、気絶することも許されてはいない。

 一度途中で大事な大事な片腕の筋肉から変な音が聞こえ始め、少し休憩を取りたいのですがと言ってみるもそれは即座に断られ、実際に気絶するとその都度先生のオカルト鉄球の効力で治される。

 

 しかし、慣れというのは恐ろしいもので、正直以前までなら道半ばで諦めていただろうが、ものの数カ月続けているとそれもあまり苦しさを感じなくなる。

 

 そして、修行の中で息を一度も荒らげることがなくなったその日の夜に、先生からあることが追加された。

 

 教えられた場所にある掘っ立て小屋の扉を開けると、そこには月明かり日照らされ、渦をまく漆黒の鉄球が一つ。

 

 「これがお前の鉄球になる。触れ、一生モンだぞ?」

 

 先生がそのとき一体俺に何を言いたいのかは分からないが、どうせ聞いたって何も教えてはくれないだろうと半ば諦めその鉄の球に触れた。

 

 感想ーーー丸い、渦がある、冷たい。

 

 正直拍子抜けの感じがするが、これもきっと意味があるのだろうと絶えず鉄球を右腕で撫で回していると、先生が一言。

 

 「慣れろ。そして、その鉄球が自分の体の一部だと、自分の血肉なんだと、そう認識できるまでは手放すな」

 

 そしてその日から、鉄球と向き合う日々が始まった。

 

 

 朝五時、目を開ける。なにやら手に違和感するのを感じると、そこには縄で手と結ばれた鉄球が一つ。

 

 腕立て伏せ。左手で丸い部分を掴みながら、そのバランスの悪いまま地面に垂直になり腕を地面へと降ろす。

 

 上体起こし時、スクワット時、ランニング時ーーー。そのすべてを鉄球と共に過ごした。

 

 最初はその球自体の重さを感じた。バランス、走りその全てに違和感を感じていた。少し経つと慣れてきて、腕を上げ下げする時にしか気づかないほどには慣れてきていた。もう少し経つと、鉄球は鉄ではなくゴムほどの重さで、手のひらから取ると逆に違和感を覚えるほどにまで吸着していた。

 しばらくするとーーー鉄球は長年連れ添ったペットのように、手のひらからこぼれさせても、その裏をつたって俺の体にクルクルとまた登ってくるようになった。

 

 試しに目の前の草原の隅に隠れているうさぎ目掛けて鉄球を投げた。元々のこの時代で生まれた自分のスペックというのもあるのだろう、寸分違わず脳天へ直撃しウサギは昏倒した。

 そして、鉄球は()()()()()()()()()()()きた。

 

 そして、ようやく先生の言っていた事がかけらだけではあるが理解できた。

 感じたのは何も“全て”ではない。見えたのは“全て”に至る道ではあったが、感じたのは“途方もない全てがあるという感覚”だけであった。

 すぐに伝えに行こうと、修行を一時中断して先生の掘っ立て小屋に急ぐと、そこは最早もぬけの殻だった。

 

 彼がよく足をかけていた場所、ひび割れた机には『長方形の石』のようなものが一つ。そして、メモ?かはたまた手紙のつもりなのか。ひび割れた机に刻まれた文字。

 『北に50キロ 2番通りの裏手』

 何も言わぬ先生に従う義理は、正直ないと言えばなかったのだが彼の言うこと全てに着いていくこと数年。それだけで自分が何をすればいいのかは“感じていた”。

 

 

 

 それから更に数年後。

 

 「ああーーー痛い、痛いけど……まぁ無いよりはマシだな」

 

 義手をつけることにおいての多大な課題の一つである『幻肢痛』ーーー元々ない部位がまるであるかのように痛みを感じるという現象を抑えるように、幻の部位を撫でる。

 

 視界の隅には薄汚れた写真が一つ。

 昨日の晩に手に入れたものではあるが、これを期に、自分はただの人間に戻る。

 

 要するに、コレを最期に俺はこの薄汚れた夜の世界ーーー人を殺す事で生計を立てるような環境からおさらばするということだ。

 

 先生の元から離れてーーーというより先生が俺から離れてからというもの、おとなしく俺は北へちょうど50キロ進んで大国アメリカの御座所である大都会へ足を踏み入れた。

 

 そして、刻まれた文字通りに名前のついていない店の裏手に入ると、そこにはサングラスをかけたいかにも上流階級ですといった毛皮のコートを着た女が一人。

 みすぼらしく、浮浪児のような俺を彼女が視界に入れると、こちらへ近づいて一言。

 

『ーーーおかえり、あなたが“次”なのね』

 

 彼女に言われるがまま裏路地を出て、明かりがきらびやかに光る表口から入ると、目の前には俺のために用意してあったかのようなスーツが一式。

 加えてーーー『右腕の形をした器具』が高そうな机に置かれていた。

 思わず呆けた顔で見上げていると、再び彼女が口を開き、ピンぼけした写真を一枚胸ポケへ押し付けてきた。

 

 そこには、サングラスをかけた裕福そうな男が1人写っていた。

 

 『目には目を、歯に歯をーーーだから。じゃ、後はよろしくね』

 

 

 直接的な言葉はなかった。

 けれども、その数時間後ーーー初めて自分の意思で人を殺した。

 

 

 

-----

 

 目を刺すような光を放つ、乱立されたネオンサインに嫌気が差していたあの頃の自分とは違う。

 

 なんとなく、今日は空がきれいだなと見上げると、宙に浮かぶ星がかわりに辺りを輝き照らしている。

 しかしそんな幻想的な雰囲気はすべて、濃厚なアルコールのにおいでぶち壊されていた。それも芳醇なぶどうの、西洋酒のにおいではない。例えるならそう、医務室の消毒液のようなきつく、お世辞にも上品とは言えない。匂いではなくもはや臭いである。

 そんな通りの煌びやかな繁華街の裏に隠されたように存在するある酒場の一室。

 

 その部屋はのんだくれの集まる部屋である一方、世間で言う裏稼業を依頼するために利用される部屋である。

 依頼人達は国の最大勢力である麻薬カルテルの元締め、蒸気機関車の部品の製造で大成功を収めた企業の社長や政府の要人の依頼からだたの一般人まで。復讐や殺し、他企業への妨害工作までなんでもござれ。

 基本的に、依頼といえども先に言った通り依頼内容は多種多様に広がっていることもあり、内容によってはとてつもない額の金が動くこともある。

 そのような仕事に置いてミスる、失敗するという事は軽い口調で『サーセン、失敗しちゃいました』などでは許されるはずもない。 

 失敗なんてものをすることがあれば、そこでオワリだ。

 それ故に、依頼を引き受ける側もそれ相応の技術を持った人間を選ばなければならない。

 相応の技術を持った人間、それはひとえに“どれだけ証拠を残さずに、なおかつ完璧に依頼を完遂できるか”だ。いくら腕っ節が強かろうが誰がやったかすぐ分かるような証拠を残す仕事人に一体誰が依頼をしたいと思うだろうか。

 

 だからこそ報酬金額が他のものと比べ物にならない仕事を任されるということは、言い換えるならばその界隈で一際信頼されている人物だと言っても良い。

 

 そこでは、少しほど前から、ある噂が一人歩きしていた。

 

 曰く、奴は依頼された仕事はどんな内容であっても必ず完遂する。

 曰く、目撃者は全員皆殺しにするので誰もその人物の顔を見たことがない。

 ーーーそして、その男に殺された人間は指一本すら残らないという。

 

 

 

 「で、だ。こんな恥ずかしい噂を流して、お前は一体全体何がしたい。ーーーお陰で大通りすら歩けねぇ」

 

 真剣な顔をして問い詰める。が、ふわぁっと撒き散らされた煙に思わずむせてしまう。 

 そんな俺の反応を見ながら楽しんでいるように、目の前の女は口元に笑みを浮かべている。

 

 「ーーーあらぁ、別に嘘は言ってないじゃない」

 

 まったく悪びれる素振りも見せず、ロクに換気もせずに部屋の中でタバコを吸い続ける目の前の女。赤を基調としたドレスを身に纏い、大きく開かれた胸元から見える彼女の婀娜さの前では貴族の男達でさえも誘惑に負けてしまうだろう。ただし、誘惑に負けて手を出してしまえば最後、翌日の太陽を拝むことはできることはできないと思うが。

 サングラスをかけた容姿端麗の女。

 彼女がいつ生まれ、どこの出身でいつ名が知られるようになったのかは知るものは誰もいない。世間からすれば謎という言葉は彼女にあるためのものと言っていいだろう。年齢自体彼女本人は20代と公言している(正直絶対にそれはあり得ない)が、その体はどう見ても20代とは思えない艶めかさを放つ。

 

 「懐かしいわねぇ、あなたがここに来てもう何年が経つかしら....」

 

 こちらの問いかけには耳も貸さずにうんうんと深く頷く彼女の態度には最早脱帽物だが、生憎今日は遊びに来たわけでもない。

  

 1人になってからの、跡を継ぐ、いわゆる後継者としての修行の日々。

 今まで教えられてきた多くの技術を自分なりに改良しながらここの仕事を繰り返すという地獄のループ。

 この女と先生は一体どこで出会ったのだろうか。話を聞く限りではただの昔馴染みなのだろうが、先生は何も答えてくれなかった。ーーー別に、深く知りたいわけでもなかったが、先生が去った今、もうどうでもいい。それに、彼女は仕事をこなす度に遊べる程度の金を与えてくれるので生活には困ってはいなかった。が、もちろん逃げ出せるほどの多くの金はもらえない。

 

 しかし、そんな日々を過ごすこと早10年程、数々の仕事をこなしコツコツと金を貯めていた自分は遂に、その地獄の日々を今日で終わりを迎えることに成功した。

 

 「それで、今日は何の用?お薬、武器?それとも、あ、た、しーーーーって冗談よ冗談。………そんな恐い顔しないでってば」

 

 どうやら笑えない冗談を言うこの女に向けた殺意が顔に出ていたようだ。

 が、この女が一体どんなに腐ってもあまりあるほど借りがある。

 というよりは正直いうと彼女がいなければ俺は今まで生きていけなかったといっても過言ではない。実際のところ、ここにきて間もない頃は彼女と一緒に生活をしていた。頼まれたからだのなんだのと、有無を言わさず連れて行かれた自分だったが、どちらかといえば世話をしたのは自分の方だった。

 服は脱ぎ散らかし、食器も洗わない。そして夜は決まってベロベロになって帰り、そのままのテンションで絡んでくる。

 

 思い返せばため息がでるあの時から数年、俺はだいぶ学んだはず、この女に流されれば本末転倒だということは既に何回も何回も......。今日ここに来た目的を忘れてはいけない。

 

 「まったく……ここまで大人にしてあげたのも私だっていうのにーーーほら。あなたの最後の依頼よ」

 

 サッと彼女がアンティーク調の机の引き出しから取り出した顔写真付き紙の束。どれもその一つ一つに細かなメモや、付箋に似た紙切れが貼り付けられている。

 彼女はその紙の束をパラパラとめくり、その内の1つを俺に見せた。

 

 「この男には国家転覆の疑いがあるわ、分かるとは思うけど、依頼人が誰か聞きたい?」

 「聞いたって言わないだろ。 もう分かってるよ」

 「せいか〜い」

 

 依頼っていうよりは命令って言った方が正しいかしら、甲高い声でそう言いながら置かれたターゲットの写真には男が写っていた。人相からして20代後半から30代前半ほど。ターゲットは1人なのだろうか、国家や大富豪、貴族相手ではない事から()()の仕事にしては拍子抜けのような気がしないでもないが。

 

 「彼自身を殺すのは簡単ね、おそらく貴方じゃなくてもいい。ただし、問題はーーーーー」

 「用心棒ーーーーーだろ?」

 「ええ、本業はそっちじゃないみたいだけどね」

 

 ターゲットの上に重ねるようにして置かれたもうひとつの写真。

 先程のターゲットの写真とは違い前からではなく後頭部を取られた男の写真。普通ならばこれだけで用心棒の特定などは難しいだろう。

 しかしこのターゲットは“そこ”が違っていた。最早ターゲットが視界の片隅に入るだけで認識することができると言ってもいいほどに分かりやすいのだ。

 

 綺麗な剃られた頭には新聞紙に書かれてある文字の羅列と、うなじの少し上の辺りには顔のような刺青が入ってある。思わず笑ってしまうほどの個性の強さだが、正直ここまでいくともう暗殺系統の隠密も糞もないような気もする。

 だがやはりこの目立つ格好、バレたところでなにも支障はないという自信の現れだろうか。

 

 

 「気をつけなさいよ、なんでもこの用心棒ーーー『複数』いるらしいの。なんでも撃っても撃っても数が減らない、挙句の果てにはなんとーーー死体からまたもう1人がでてくるのよ──ッ!」

 

 

 死体からまたもう1人の人間が出てくる……ねぇ。

 ここだけ聞くと何かのマジックショーのように思えるが、ここまでいくと魂とかそういうオカルト系なんじゃあないかと思ってしまう。いくら鉄球の技術があるといえども鉄の球ごときじゃ成仏は少しーーーいや、ないと断定するのは良くないか。

 それに、鉄球というものもオカルトのようなものだしな。

 

 すると彼女は自分を驚かせたかったのだろうか、そんな自分の反応を見て彼女は大袈裟な素振りをしている。

 

 「怖いでしょ〜? でも安心しなさい、そんなこともあろうかと〜ーーーー助っ人を呼んでおいたわ!」

 「ーーー珍しいな」

 

 助っ人という、この仕事を始めて母今まで聞いたことのなかった単語を前にして、思考がそのまま口に出た。

 この系列の仕事は基本的に初めから2人組(ツーマンセル)でもないかぎりコンビを組むこと自体そうそうない。初対面の相手となんぞコンビネーションもクソもないからという事もあるが、それにこんな世界では、裏切なんて数えきれないほどある。

 しかも自分からあんな噂を流しておいて最後の最後に顔バレをさせて、なおかつ俺の引退した後の生活でさえ脅かそうとするなんてことはおそらく誰にもマネはできないだろう。さすがだと、思わず拍手してしまいそうになる。

 拍手と同時に拳も出してしまう気持ちになるのは否めないが。

 

 「ハッハッハ!褒めても何も出ないわよ〜。それにそんな心配しなくて大丈夫よ。自分の身は自分で守れる人だと思うし、まぁでも助っ人といっても文字通りあなたを“守る“ぐらいしか出来ないと思うけど....」

 

 それは肉壁という意味か、相棒として背中を守ってくれるという意味なのだろうか。人権もあるような体裁を保ちながら実質は毛一本分すら存在しないこの世界ではまるで虫のように簡単に命が散っていく。やり直しは効かない。そんな中で肝心の助っ人が役立たずでただの足でまといなんてものはもう、自チームは負けたも同然だろう

 

 すると何を考えたのか、彼女は唐突に備え付きのダーツの束から1本を手に取った。

 残念ながら、ダーツでは彼女に勝った経験がない自分には真似できないが、壁に向かって投げられたそれは寸分の狂いもなく的の中心へと吸い込まれていった。

 

 「ーーー今のは誰でもできる事、いえ、ちょっと言葉を間違えたわね。“今のは練習をすれば“誰でも出来るようになる物、簡単に言えばあなたの鉄球を操るのと同じような【技術】によるものよ」

 

 そんなことを言いながら彼女は2つ目のダーツを俺に握らせ、どこから出したか分からない水が入れてあるコップを目の前に置いた。

 

 「じゃあ次、あなたに渡したそのダーツでこの水の温度を上げてみなさい」

 一瞬、何を言っているのか分からずに体の動きが止まってしまった。

 それはダーツでやる意味があるのだろうか、というよりダーツではそのような芸当は不可能だ。

 鉄球で限界まで振動させたダーツを使えば可能性はゼロではないが、その前にダーツが耐えきれずに壊れてしまう可能性が高い。コップやダーツ自体を振動させたり色々と試行錯誤をしてみたが、ダーツに直接火を付けようとした所でダーツを取り上げられてしまった。

 

 「それは『反則』よ。まぁ、彼もあなたからすればその『反則』に近いのだけれど。ダーツで的の中心に当てるまでは【技術】。水を沸騰させるなんて本来の用途と掛け離れた芸当、技術じゃどうにもならない」

 

 ーーーそれこそ、超能力みたいなものじゃあないとね。

 

 

 

 

 

 「あんたがーーーゴホッーーあの?」

 

 

 指定された店の扉を開けるやいなや、入口の影から銃口を向けられるという熱烈な歓迎を受ける。咳混じりのその平常な声とは裏腹に警戒心が高いと思える。その声と、店の奥にある鏡に反射した姿から銃口を向けた人物が男だと推測ができた。

 

 だが自分も何年もこの世界に身体を置いていた身である。このような事態にはもう慣れたと言ってもいいだろう。左手で銃先を逸らし右手で腕を掴みそのまま背負い投げをする。すると大抵のヤツは背中に受ける衝撃で思わず銃を手放してしまう。

 

 「甘いな」

 

 が、どうやらこの男は‘’半端‘’ではなかったようだ。

 投げられた力を利用し、そのまま距離をはかられてしまう。離れたと同時に鉄球を投げ込むも、何故か男は避けることをしない。それどころかまるで逆の、下向きに投げられた鉄球の弾道上に入った。

 

 降参するかのように屈んだその男は両手を地面へ着けると、何かを呟いた。

 

 「20th century boyーーー」

 

 その言葉と同時に、男の体をなにやらバッタのような飾りが頭についたスーツのようなものが覆う。

 

 (ーーーなんだありゃ)

 

 その疑問とは裏腹に、俺が投げた鉄球は真っ直ぐに男の顔面へと直撃したと言っていいだろう。だが何故か男は痛みに声をあげることも無い。それ以前に、ぴくりとも動かない。2発目の鉄球を投げるもダメージが入る以前に、エネルギーそのものが男の腕を通して床へと逃げていっているように見える。

 

 「あんた、なんで俺の攻撃が効いてないんだって顔してるぜ…」

 

 地面から手を離した男は再びこちらへ銃口を向け、勝ち誇った笑みを浮かべている。

 

 「冥土の土産に教えてやるよ。この‘’防御体勢‘’をとっている時の俺はなーーー」

 

 俺の方へと向けられたはずの銃口はしかし、瞬間男の腕へと衝撃が走ったと同時に何故か()()()へではない、銃口を向けた()()()へと向いた。

 

 

 「『無敵』なんだぜッーーーって……あら?」

 

 

 ────ドンッ!

 

 

 くたびれた小さい部屋に、乾いた音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 






 本体:マジェント•マジェント
 能力名: 20thセンチュリーボーイ
 能力説明:マジェントが体に身に纏う形で発現する、防御タイプのスタンド能力。身に纏っている間は如何なる攻撃も周囲に拡散され、本体がダメージを受ける事はない。
 なお、スタンド展開中には身動きを取る事はできない。

 【破壊力:なし / スピード:C / 射程距離:なし / 持続力:A / 精密動作性:D / 成長性:C】

 


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TATTOO YOU!











 

  

 ひぃひぃと、血反吐を吐きながらもなんとか修行を続けた数年後が今の自分である。 

 思い返せば、ああもうそんなに経ったのかと物悲しくなっている自分がいて、それと同時にまだそれだけしか経っていないのかと落胆する自分もいる。

 日が沈むまで終わることのなかった先生からのしごきの時は、太陽が憎たらしく見えたほどだった。

 だが、それも最早目を瞑ってもおぼろげであるほど過去の事。訓練が実際にどれだけしんどかったのか、それもあやふやである。

 

 しかしそれほど経ったとしても、いまだに初めて人を殺めた時の事は瞼に浮かぶように覚えている。 

 いかに相手を苦しめることのなく、最初の投球で身動きを止め対象を殺すことができるか。

 その時には既に、自らの鉄球を操る技術自体は完成形と言うまでには程遠いものの、人一人苦しめずに殺すことができる程度には仕上がっていた。

 

 しかし、そこで自らの障害となったのが扱い慣れていない『義手』による弊害。

 それまで鉄球操作に全力を注いで修行を続けてきたが、それはあくまで片手ーーー右手の“重量”を無視した動きであって、『健常者』を想定した動きではなかった。

 

 例えば、手が増えれば鉄球を振りかぶる時。後ろ足にかかった全体重の『力』を前方へと運び出す瞬間、本来であれば正常に伝達されるそれは増えた方の肩が邪魔をするせいでうまく運べなくなる。

 この情報が正確かどうかは分からないものの、片腕一本は体重のおよそ6%ほどであるというのをどこかで聞いた覚えがある。

 

 たかが6%、されど6%。

 操縦者の緻密な力の運びを感じ取り、風をその身に纏いながら眼前の空を切っていく鉄球は、受ける力と入れられる方向が少しでもズレるとまったく予想がつかなくなってしまう。

 

そして、初めて人の命を奪うその一旦を担ぐという意味を知ったその日。

 前足を力強く踏み出して、何十回と積み重ね繰り返された行為により、一気に鉄球を持つ先の手は最高時速にまで達した瞬間。義手の重さによる微細な体重の変化によって、鉄球の表面に掘られた模様から()()()()()()

 

 しかし、あの女が見計らってくれたのか、はたまたただの偶然か。 

 運悪く初陣から大きい仕事というわけではなかったために手痛い反撃を喰らうことはなかったが、その影響でなるべく苦しめることなく殺すと決めていたのに、無駄に焦って一撃で致命傷を負わすことができなかった。

 

 月明かりすら照らさない暗がりの中で、鉄球は目標へとまっすぐ突き進みながら相手の肩甲骨と肩甲骨の間に当たる。そして、暗闇に響く豚が叫んだような醜い声。

 

 瞬間、ハズしたーーーと頭がその言葉で埋め尽くされた。

 

  理由は一つではなく、他にも目標が金持ちのせいなのか脂肪がやけに厚かったということもあったのだが、咄嗟に懐から取り出した護身用の拳銃を震える手で構えて、今度は外さないようにとギリギリまで近づくと、暗闇の中へ闇雲に乱れ撃つ。

 パン、パン、パン。

 当然近くでそんなものを撃ったことで、軽い音とともに顔には男の血と脂肪やら何やらが混ざった不純物がかかった。  

 濃厚な、ウサギやらトナカイやらの臭いとは違う、どうとも言い表せない匂い。その中に鉄の匂いが混合されて鼻腔をなぐる。

 

 既に殺人という行為自体には吹っ切れていた部分もあったが、さすがにその日は用意されていた自宅に帰るやいなや一晩中ベッドでうずくまるほどには気が滅入ってしまった。

 情は捨てていた、といえば嘘になる。

 闇雲に撃った一発目。二発目に撃ったあと。一瞬ではあったが、その度に聞こえたうめき声が次第に弱まっていく、そのことが自分の心を確かに苦しめていた。

 その日は女も、珍しく何も言わずの抱きしめてくれたのを覚えている。

 

 しかし、それから数年経って。そうやって心を動かしていたのはいつまでだったかと物思いに耽る事すら無くなった。

 たった一人を殺すだけ。ただそれだけで心を痛めていた自分が片手で始末をつけれるようになった。今ではたとえ子供が命乞いしたとしてもその声は耳にすら入ってこないというのに、悲しいというか嬉しいというのか。

 心臓が、まるで頑丈な箱に包まれた気分だった。

 

 

 だが、そんな生活もあと少しでおさらばだ。

 もっと早くに、血生臭い仕事など辞めて元の自分に戻るべきだったのだ。

 

 これでようやくあそこに戻る事ができるとーーーその時まではそう思っていた。

 

 

 

 

 「ーーーしっかしたまげたぜ。ここらで活動しているあんたが‘’スタンド‘’の存在を知らないなんてなァ〜」

 

 初めて人を殺した時のように、薄暗い路地の端でそんな、感傷にひたって良い気分だった俺をバカにするかのような言動でぶち壊した張本人。

 まぁ、大方偽名だろうが、この男の名はーーー『マジェント』というらしい。

 前に会うやいなや銃口を向けてきた血気盛んな男とは思えないほどに、引退するはずの俺に対して金魚の糞のように四六時中馴れ馴れしく話しかけてくる。

 だが、生憎自分は友達ごっこがしたい訳わけでもない。

 

 「んだよ冷てェなァ……。あんときはただの“お遊び”。その証拠に銃だって空砲だったじゃあねえかよぉ〜」

 

 相変わらず眠そうな目でこちらを見てくるが、実際に彼のその言葉に嘘はない。

 あの時、エネルギーを地面に受け流されつつ完全にエネルギーを吸い取られる一歩手前で回り続けていた鉄球は俺に対して銃口を向けようとしたマジェントの筋肉の動きに反応して、マジェントが向けた銃口をやつ自身に向けさせた。

 

 そしてドンッという抜けたような空気を振動させる音が鳴り響いた後。

 音はたしかに鳴り響きはしたが、銃身から放たれるはずの銃弾はマジェントの体を貫かず、俺達二人の鼓膜をわずかに震えさせただけだった。

 

 その出来事と併せると確かに、こうして殺しかけた男を目の前にして軽口を叩くぐらいなのだから本当にマジェントに殺し合う気はないのかもしれない。

 正直なところ、個人的には死んでも死ななくてもどっちでもよかったのだが、残念ながら今はそんな些細なことを気にしている暇はない。

 

 今はなによりも先にこの男、マジェントに問い詰めなければならない事がある。

 

 それは先の戦いでマジェントが『スタンド』と呼んでいたもの。

 確か、一度先生が何処かで言っていたような記憶がある。

 

 それは人が潜在的に持つ能力で、第六感とも呼べる代物。そして、それらを視認するには自分も同じ特殊能力を持っていなければならないと。

 

 それが、『スタンド』

 

 それは、生命エネルギーが作り出すパワーある像───とかだったか ?

 詳しくいえば、生まれつきそのスタンドを扱える人物に、後天的にスタンドが発現したものと2種類いると、先生は言っていた。分かりやすく簡単にいえば『スタンド』とは世間一般でいう『超能力』と呼ばれるものに値する。

 

 その『スタンド』は鉄球はもちろん、蒸気機関車などと比べるのもおこがましいほどの魔法と呼ばれるものに等しい力を持っている。

 何もない所から水を発生させたり、誰にも気付かれずに物を動かしたりと人によって能力はまちまちだがその身に余る力を宿しているという事に違いはなく、人を殺すことも片手間でできる『スタンド』もあると、マジェントは言う。

 

しかし、いくらなんでも超能力というのはさすがに荒唐無稽過ぎるのではないのかという気がしないでもない。

 

 しかも本当にスタンドがこの世界に存在するのなら疑問が一つ浮かぶ。先生が言っていた『スタンドを視認するには同じように特殊能力を持っていなければならない』という点だ。あいにく、自分にはそのような特殊能力に見覚えはない。

 確か、何か例外があると先生が言っていたような気がするが、それも最早確かめようのない事だ。

 

 だとしても、知っていて損はない。餅は餅屋とも呼ぶし、少し気に食わないがこいつに聞いてみるのもいいかもしれない。

 

 「そのスタンドとかいうーーー」

 「ーーーおい、いたぞ。今酒場から出たヤツだ」

 

 スタンドについて聞こうとすると、急に何かを見つけたように言葉を発したマジェント。

 目標に勘づかれないよう、こっそりと彼が指差す方には革のコートを着た男が1人。

 

 色々寄り道をしたせいで忘れかけていたが、本来はマジェントと協力してターゲットを暗殺するという仕事だったはずだ。どうやらあの男がターゲットの男らしい。

 

 実際に見るまで完全に信じていたわけではなかったが、胸ポケから写真をおもむろに取り出して見るに、確かにあの写真に写っていた男そっくりの後ろ姿をしている。見る限りどうやら本当に頭の後ろにもう一つの顔のようなものがあるようだ。

 どこか、彫るのに失敗したヤツと同じ匂いがするがそれには触れないでおこう。

 歩き方や一人でいる所を見る限り、そんなに気をつけなきゃいけないような敵じゃなさそうにも見える。

 まぁ、問題はーーー

 

 「前に言った通り、俺の能力は無敵だ。あんたの鉄球と組めば最強、俺たちの向かうところ敵無しだぜッ!」

 

 ーーーこの男、マジェントだ。

 

 根は悪いやつじゃあないと思う。こっち側の人間の割には日常会話もできるし、冗談も言えるメンタル性もあると思う。だがいかんせん少し上から目線ではあるがーーーこの男の調子に乗りやすい性格が少し、いや大分もったいない。

 出会って数日しか経ってないがこいつの性格はだいたい把握できた。総合的な評価としてはマジェント自身の無敵の能力としては逆の、良くも悪くも『下っ端のクズ』のようなもの。

 軽々しい口調とともに人をすぐ信用するという点は、おそらく自分でも最強とも思えるような能力からの自信から来ているのだろうが、まさしくその評価を身体で表しているだろう。

 

 しかし、実際に目で見て実感するまで、『スタンド』というものが存在するとは全く思っていなかったが、マジェントと出会ってからその考えは変わった。こいつの体格、どんな衝撃を受け流すことができる割には“貧弱”すぎると言っていいだろう。それこそ、能力のおかげなのだろうが、正直いって現実味はあまりない。

 しかしながら、これまでこの世界で修行してきたことを踏まえれば分かることではあるが、頬をつねれば痛いし、寝て起きても夢から覚めることはない。まぎれもなく、これは『現実』だ。 

 

 それに何度も言うがこの仕事は自分にとって最後の仕事となる。だからこそ考え事をしている間に死ぬなんて締まらないこと、もってのほかだ。

 

 ああは言ったものの、マジェントがいるからそんな心配は一欠片もしなくても良いといってもいい。

 正直なところ、素直に彼の能力は最強と認めるしかないだろう。

 スタンドを被っている時はどんな能力でもマジェント自身を傷つけることが出来ない彼の能力は、張り合う矛のない最強の盾だろう。

 聞けば、どうやら防御中は動けないというデメリットはあるそうだが、基本的にスタンドを脱がなければダメージが入ることは無いそうだ。前のように調子に乗って不用意に脱ぐことがなければ、まず負けることはないだろう。

 

 「ーーーじゃあ、手筈通り殿は任せたぜ」

 マジェントの3、2、1という指合図とともに、いつも使っているの鉄球とは“逆側”にある鉄球をターゲットの方へと放り投げる。 

 

 狙いはターゲットの胸あたり。

 

 腕、肩、背中、腰、太腿、足と力を込めていくイメージをする。

 

 “先生”の言葉が頭に浮かぶ。力を入れるとは硬くなることじゃあなく、流すことにあると。

 

 足で踏ん張り太腿をなるべく伸ばし、腰を入れる。下半身の力を伝達させやすくするように背中を丸め、腕からエネルギーを放り投げる。

 

 決して力任せに振うわけではない。

 あくまで鉄球は道具ではなく、自分の手足と同じく、慈しみ大切に扱う。

 『鉄球』に礼儀をーーー鉄球の“一族”に対して礼儀を払うーーー。

 

 修行をする中で何度も先生に口を酸っぱくして言われ続けていた事だ。

  

 体全体のエネルギーを込めたその鉄球は寸分違わずターゲットへと吸い込まれていく。

 

 「ッッ!!」

 

 回転によって生まれる風の音に気づいたターゲットは、咄嗟に隠れようと酒場の裏路地へと潜り込もうとする。

 

 ーーーだがもう遅い。

 

 以前までの鉄球の技術では難なく逃げられていただろうと、かすりもしなかっただろうと簡単に推測できる。

 そう“以前の”鉄球であれば。

 

 ターゲットへ吸い込まれていく鉄球は、何故かターゲットへ届く前に途中で弾け飛んでしまう。

 

 そして、弾け飛ぶ鉄球からランダムに飛び出していく14の『衛星』

 

 師匠のあの掘っ立て小屋に隠されるように置いてあった2つ目の鉄球。

 ご丁寧に残してあった厚めの本に詳細が書かれていた、彼の一族のとはまた違う家系から盗まれた鉄球の技術。

 古来からネオポリス王国ーーー師匠の一族の生まれ故郷では、罪人の処刑を担当するツェペリ一族と、指名手配犯や逃げた罪人を捕縛する事を目的とした師匠の一族が存在していたそうだ。

 そして加えてもうひとつ、王族を護衛するというただ一つを目的とした一族の技術。

 

 その名も『壊れゆく鉄球(レッキングボール)』 

 

 この鉄球によって巻き起こるのはーーー左半身失調。

 

 何も左半身失調のような、という比喩ではない。あまりに強い衛星の衝撃波により一時的にかすっただけでさえ左半身失調になってしまう。 王を襲った輩を1歩も逃がすまいとする先人達の意志が宿ったかのように、ターゲットの逃亡を許さない。

 

 「がッ!」 

 

 左の視界が見えなくなった影響か、ターゲットは壁にぶつかり道の真ん中へと出てきてしまい、衛星とは別に飛んだ鉄球に巻き込まれてダウン。

  

 「拍子抜けだな」

 

 そう言いながら、生死確認のためターゲットへ近づく。

 死体の頭を見るとリアルに顔の刺青が入っている。仮面っぽくも見えたが、ガチの刺青。この頭の文字の刺青もすごいなぁ。入れるのに数日かかってそうだ。それに痛みも───。

 そんなことを思いながら首の脈を確認しようとしゃがんだ。

 

 

 刹那、意識外から襲い来る無数の銃音。

 

 

 「ーーーーなんてな」

 

 不測の事態、特に命をかけるような仕事。それに最後の最後に死ぬなんてことは、言うのは二回目だがーーーそんなことにはなりたくない。

 それに、何も今回の依頼の時だけじゃない。毎回騙し討ちには十分気をつけているし、師匠にも、何故かあのサングラスの女にも何回も言われた事で頭にこびりついている。どうやら、思ったより今回のターゲットは拍子抜けだったようだ。

 

 「マジェントーーーッ」

 「おうよッ!」

 

 

 そして突然隣の建物の2階から俺と発射された銃弾の間に割って入り込むマジェント。

 

 無敵の、気をつければ負傷することのない彼だからこそできる戦法。

 手を地面に貼り付けスタンドを被り、2階から落ちる衝撃とともに無数の銃弾の衝撃ごと地面へと受け流す。

 

 

 「ーーー20th century boy」

 「良いタイミングだーーー」

 

 なにもマジェントの能力は自分を守ると言うだけではない。真価を発揮させるためにはそうーーー彼を『盾』にする。

 カウンターによって投げられた鉄球は、敵の1人の腕に当たり筋肉反射を受けて、残りの数人を始末し最後は自分自身に銃口を向ける。

 

 「なんだてめえらあーーーッ」 

 

 それが彼らの遺言。最後の力を振り絞り銃口を俺に向けようとするが、悲しいかな。引き金をひいて発射された弾は、銃口の向きを変えることが出来ず引き金をひいた彼自身が撃ち抜かれた。

 

 「まっ、当然の結果だぜ」

 

 防御形態を解き、コートについた汚れを払い落とすマジェントがあたかも自分が手を下したように言っているが、まぁいい。

 確かに今回はマジェントがいなかったら人数的にキツかったと思うし、一応感謝の気持ちを述べておくべきだろう。

 

 「ーーーッ、おうよ!

 やっぱり俺たちは無敵のコンビだぜ!これからもよろしく頼むぜーーーー()()

 

 まさに物語の登場人物のように頭の中に疑問詞が浮かぶ。

 ・・・・・・一体こいつは何を言っているのだろうか。自分はもうこんな裏稼業からは足を洗うつもりで、あまつさえこいつ自身にも何回も伝えた覚えもある。しかも旦那なんて言われる筋合いはまったくないし、鼻の頭をかきながら若干照れてる感じを出してるのがヒジョーに気色悪い。

 咄嗟に頭をフル回転させて考えること数秒。よくごまかしで言う、もしまた道で会ったら酒を一緒に飲もうみたいな約束だと強引に頭に言い聞かせながら、散らばった衛星を集めながらそそくさと帰る準備をし始める。

 

 確かにこの『衛星鉄球』も強くていいんだが、手元に帰ってくることはないし付属の衛星が小さすぎるのもあって拾うのもとても手間がかかる。回転の技術で石ころを削ってもできるっちゃできるんだが、やはり強度の面で少し心許ないという問題がある。

 

 失くしたらやはり列車のレールとかの鉄を削って地道に作らなきゃ行けないのかと思うと、少し使う気が失せるというものだ。

 わざわざなにもない暗闇の中をマッチで照らしながらこんなちっちゃいのを探してるなんて、傍から見たら頭のおかしい奴にしか見えないだろう。

 

 目を凝らしながら、マッチを路端で左右に振ると光に反射してひときわ闇の中で輝いている玉が1つ。

 

 「ぐァッーーーち.........ちくしょおぉッ!痛てぇッ!このクソ野郎!!」

 

 続いてさらに残りを黙々と探していると、裏路地からマジェントの悲鳴のようなものと、軽い音が聞こえた。

 

 耳をうつそれが銃音に酷く似ていたこともあって、気になって頭を出して見てみると肩から血を流しているマジェントとともに、最初に殺したターゲットの死体“から”飛び出しているもう1人の死体。どうやらマジェントが手に持っているダブルバレルショットガンで殺したようだが、これはどういう状況なのだろうか。 

 

 「肩の肉が撃ち抜かれたッ!何だよーーーッ

  こいつ 急に体からもう1人出てきやがったチクショオォッ!」 

 

 初めに受けたマジェントの浮ついた印象に確かにどこか危ないと予感が告げてはいたが、こうも的中すると流石にマジェント本人の人格を疑うしかない。

 

 「なるほどーーーそういう能力だったか」

 「は...はやくっ はやく“回転”で腕の血を止めてくれよォーーー ! 」

 

 叫ぶマジェントの声で震える鼓膜を義手で守りながら、言う通りに回転で止血をしてやりオマケに骨で止まっている弾を取り出す。

 そして、視界の隅にはマジェントが殺したと思わしき死体が2つ。

 確かにしゃがみながら死体を覗き調べてみると、頭の刺青からまるで断面がくっついている飛び出している。なんか、こうトカゲが伸びたかのようにダラーンと。

 試しに足の角でつついてみるが、元から命がなかったように死体は何も動く事はなかった。

 立ち上がり死体を数える。ひーふーみー……同じような格好の男が『10』人。

 

 流石に、これで例の『体から別の人物が何人も飛び出してくる男』とやらは裏の歴史から名が消えるだろうし、これだけ死んだらさすがに体の『ストック』ももう出てこないだろう。拾い終わった鉄球を布で磨き、腰のホルダーに入れてボタンを閉じる。

 

 すると再び視界に入る、だらんと折り重なったターゲットの死体達。……何か少し気持ち悪いからやはりマッチで死体燃やしておいたほうがいいだろうか。

 しかしやはりさすがに最後までかっこよくいくはずもなく、うまい事マッチに火がつかない。

 何してんだ、とマジェントが片腕を抑えながら話す声が聞こえると、火がつかない恥ずかしさを消すように足で死体を蹴り裏路地へと入れた。後の掃除は、サングラスの女がするだろう。

 

 それにしてもーーー良かった。思わずといったふうな感じで心の中に安堵が浮かぶ。

 

 汚れ仕事を行う人間の結末は良くも悪くも決まって最後は虚しいもので、生きて引退することさえ珍しいと言われている。それこそ、それまで人の命を幾つも奪ってきたのだから当然の報いといえばそうなのだが、少し悲しい気もする。だから、生きたまま終えることができただけ、まだ幸せな方なのかもしれない。といっても、俺も腕一本ないことに変わりはないが。

 

 

 だが、ようやく、これでようやく『しがらみ』から解放されて、“あの場所”へ帰ることができる。

 それが、俺がこの仕事を辞めたいと考えていた理由。その根幹を改めて認識する事ができた。

 

 誰との繋がりがなかった俺を生かしてくれたあそこが、俺が愛情を唯一感じ取れるかもしれないあの場所へ。そこが、自分が生きていかなければならない、俺の帰る場所だ。

 

 「ちょッ、まってくれよ!旦那ァッ!!」

 

 背後でなにやらマジェントが叫んでるが、最早いちいち反応するのも面倒くさい。

 片腕を抑えながらこちらに歩いてくるマジェントに、扱い慣れた義手のほうで軽く手を振って、足早に振り切る。 

 

 「旦那ッ!待ってくれッ!!待ってくれよォォオーーー」

  

 多分、というか確定だがこれで彼と会うことは“一生”ないだろう。

 そう思いながら月を見上げ、これから村に帰ったあとの事で胸が一杯になっていた。

 

 だからこそ、その数日後に会う事になるとはーーーその時の自分には想像もつかなかった。

 

 






 本体:刺青の入った“11人”の男達
 能力名: TATOO YOU!
 能力説明:体表に描かれた刺青の部分に自由に移動する事ができる。刺青に飛び移った状態では攻撃を喰らう事はなく、代わりに飛び移った先の人間がダメージを受ける。

 【破壊力 - なし / スピード - E / 射程距離 - C / 持続力 - B / 精密動作性 - E / 成長性 - E】

 
 
 


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虫喰い

 

 

 

 無職宣言をしてから数週間後、酒場にて。

 

 昼間の酒場というのは中々居心地がいい。というのも、一番良いのは人の少なさだ。夜になんて来てしまえば、そこは酒場の最高潮の時間帯で、一時の安らぎを得たいバカ共でごった返しているし、それを予想して朝に来てみると昨晩の飲んだくれ共が床に寝そべっており、足の踏み場が無くなっている。その点、昼間には酒飲み共は全員酒場から放り出されているし、店内も元に戻っている事が多く、かつ人も少ない。

 

 ーーーーだから昼間の酒場が好きだったというのに。

 

 その気分を全てぶち壊す男が目の前に1人。

 

 「ヨォヨォ旦那ぁ、そんなしけたツラしてどうした?」

 「ーーーーお前のせいだよ」

 「んだよ、今日は旦那のツキの日かァ?」

 「そうよぉ? カワイイ顔が台無しよ」

 「訂正する、“お前ら”のせいだ」

 

 最早、素手より威力が出るだろう義手側で殴る気力も湧かない。そしてタイミングよくチャチャを入れるサングラスの女で相乗効果。

 今日、初めてウザいやつが2人いたら足し算じゃなくて掛け算になることを知った。

 

 そして何故俺がここにいるのかというと、話は2日前に遡る。

 

 それは、久しぶりに酒に潰れて、気分良く新しくなった家に帰ろうとしていた夜のことだった。

 

 『君がそうかーーー』

 

 誰かに呼ばれた気がして、辺りを一通り見渡してみたが周りには誰もいない。

 だが、気配は感じる。

 

 既に一般人へと華麗に転職したとはいえ、まだ足を洗ってからそんなに日は経っていない。

 それに、身についた感覚というものは年月が経てど早々忘れる事はない。それを感じるのは、路地の壁側。月明かりの影響もあって、ちょうどこちらからは見えなくなっていた。

 

 夜ではあるがいつもなら普通に人気のある道とはいえ、慣れたヒットマンなら場所は選ばない事はこれまでの経験で分かっている。

 無意識のうちに、左の腰元にかけてある鉄球に手が伸びていた。

 

 仕留める前に声をかけてくるやつなんぞ間抜けの3文字でしかないが、自分を誇示したい奴で稀にそういうのがいる。一分もかからずに終わるだろう、そう頭で考えたが、壁の先からは思ってもみなかった答えが帰ってきた。

 

 『君に、依頼をしたい』

 

 依頼ーーーといえば、酒場で良く頼まれていたーー人を殺すだとか、邪魔者を排除するだとかの依頼の事を指すのだろう。だが、自分は既に足を洗った身であり、その事も、多くの伝手を使って情報を通達させている。だからこそ、その申し出には違和感を覚えた。

 

 『ああ、ただの害獣駆除だ。ただ、諸事情によりこちらの身分は明かせない』

 

 害獣駆除だーー? ハクビシンか、イタチか、どちらにせよ自分に頼むようなものでもない。イノシシならまだしも、そういうものは専門の業者に頼むべきだろう。ただの噂を聞きつけただけの冷やかしだ。

 そう結論づけて踵を返そうとしたが、何も話の全容を聞く前に断るのは相手方に失礼に当たると思い、詳しく話を聞いてみることにしたーーーが、それが相手に隙を生んでしまった。

 

 『報酬は好きなだけーーー、と言っても限度はあるがな。相場の数倍ーーー普段君がもらう以上の金額を渡そう』

 『ーーー。』

 

 たかが害獣駆除ごときで、か。

 何かがきな臭い。極東の諺ではあるが、触らぬ神には祟りなしともいう。計画のない勝つ見込みが薄い作戦には乗らないのと同様に触れたところで無駄なヤケドを負うだけ。何より、自分は既に足を洗った身でもある。あいにくだが断らせてもらう、そう伝えようと口を動かし始めた途端男は捲し立てるように詳細を告げる

 

 『場所はここから東に三つ目のブロック。a地区の四つめの道路の真ん中あたりの家だ。緑の屋根でわかりやすい。パートナーも用意させてもらった』

 『まて、俺はもう仕事はーー』

 『2日後の朝、またここで』

 

 そう告げると男の気配が消える。声を掛けようとするも、声の発生源であったであろう位置には既に誰もいなかった。

 

 

 

 

  「ーーー合ってるよな?」

 

 助っ人に待ち合わせ場所として指定された場所、10番通りのBARの右にある薄暗い路地の3つ目の曲がり角を左に曲がった先。その先の緑の屋根の方に彼はいるらしい。

 近くの住人に道を尋ねようとノックしてみたものの応答がない所か、家の中から人の動いている気配はしない。ホームレスに話を聞いてみるものの皆『緑の屋根』という単語を聞くと怯えて話をしてくれなくなってしまう。

 

 それらしい情報も得ることが出来ず途方にくれた所、家には絶対入らないという条件付きで道案内をしてやるというホームレスが現れた。

 そのホームレスも当然『緑の屋根』に恐怖を抱いてはいたが、他に比べればマシのようにも見える。

 

 「あれだ」

 

 数分歩いた後、彼が指さす方には確かに名前にふさわしい緑色の屋根を持つ家があった。しかしどこを見てみても彼らホームレスが恐怖をする理由が見当たらない。窓から見える蜘蛛の巣から、長い間放置されていることが分かるが、特にこれと言って特別な所は無いだろう。割れた窓の様子からは人影の気配はしない。

 

 「奴らは素早い。尚且つ人の気配に敏感で姿を見つけることは難しい、まぁ1番はあの家には近づかないことなんだがよ..」

 

 そう言い残し去っていった彼の額には冷や汗が浮かんでいた。

 『奴ら』から考察するにホームレス達の恐怖の対象は少なくとも2人もしくは2匹以上、そして人の気配に敏感ということときた。人間ではなく害獣の類の可能性が高い。

 何が出るかーーーー化け物か、人か。

 

 玄関のドアに手をかけると、カチャリと音が響いた。

 鍵はかかっていないようだ。恐る恐る玄関を開けてみると、案の定長い間誰も住んでいないようで廊下の先は真っ暗で明かりという明かりは存在していなかった。

 

 手持ちのオイルランプにマッチで火をつけ廊下を照らすと、所々穴が空いた床には小さな黒いものが点々と落ちているのが目に入る。手袋を付けてその黒い物体を拾い上げるも、オイルランプの光だけでは判別することは難しく、触った感触はなにやら柔らかいような硬いような柔らかい粘土のようなもの。

 

 ひとまず観察することを諦め先に進むと、奥の部屋から湿気とともにある匂いが鼻についた。

 刺激臭のようなツンとした臭い。その中に果物を腐らせたような甘い匂いが混じり、先に進むにつれワンワンと虫がたかる音が聞こえだす。

 その時点で自分の職業柄というのもあり、部屋の奥にあるかはおおよそ想像がついた。

 腰のバックルに手をかけながら、その異臭の発生源へと足を進める。本来であるならば自分も動揺することは無かっただろう。

 

 数歩先の闇に存在していたのは自分の予想通りのもの。『死体』から発せられたものであった。

 

 しかし、その死体の姿というものが異様であったのだ。

 

 ブジュル、ブジューーー・・・・・・

 

 四角いゼリー状のような、比べるのは大変失礼だが、例えるならお高い料理店などで見る肉の煮こごり。

 

 通常の死体というのは時期にもよるが夏場では1週間辺り、冬場では1ヶ月ほど経ったら白骨化してしまう。

 加えて、玄関で覗いたポストボックスに積み重なっていた新聞から予想するに、おおよそ一、二ヶ月ほど前からこの家の家主は何らかの理由で回収しなくなったのだろう。そこから考えるとこの家の住人がなんらかに巻き込まれたのはその辺りのはずだ。

 

 「なんだありゃーーー」

 

 そして、「それ」が目に入る時、自分の肌が栗立つとともに激しい嘔吐感を覚えた。確かにそれは煮こごりのように四角いゼリー状だった。が、しかし前世でのそれとは大きな違いがある。

 

 その「肉」は「人の死体」からできており、出汁は「肉から滲み出る肉汁」は「人の肉から溢れ出る膿み、腐った体液」という事だ。

 

 「ーーけて、助けーーー」

 

 しかし、このような状態になって溶かされているのにも関わらず、煮凝りとなった人物はまだ意識があるようだ。

 そしてこのように溶かした目的も人間が使う冷蔵システムのように肉を『保存』し少しずつ、少しずつ食べていくためなのだろうか。 

 しかしそんな事は二の次で、吐き気を催すのと同時に、どこかそれに既視感があったのだ。

 

 ーーーーそれこそ、超能力じゃあないとね。

 

 その既視感が記憶と結びつく。

 

 これが奴の言っていた新手のスタンド使いってやつかーーーッ!

 今ほどあの女の相変わらずな遠回りの言い方を恨めしく思ったことは無い。 

 よく考えればヒントはいくらでもあった。ただの家に隠れ潜む害獣の駆除を、大金を払ってまで俺に依頼した事。

 それに、ホームレスたちのあの恐れ様、サバンナの草食動物が天敵の肉食動物を恐れるような、人間の普通の獣に対する恐れ方じゃなかった。

 

 そして、その煮凝りの足元には、薄汚れた黒色の小さな獣がそれに齧り付いていた。

 

 

 「ーーチュウ」

 

 

 絶世の料理に辿り着けたかの如く、こちらに脇目をふることもなく夢中で煮凝りにしゃぶりついている。

 野生動物にしてはまったく警戒心のないその姿とは裏腹に、額からは汗が伝う。

 

 こいつがコレを生み出したとは到底思えない。人間ですらここまで残虐なーーーー、いや人間ほど知能がないからこそなのか。だが、自分の本能がこいつが根源だと直感させている。

 

 こいつはここで仕留めなければならないーーー!

 実際に、先ほどの溶けた煮凝りを見れば誰もが同じことを思うだろう。

 加えて、動物駆除をする際に何より気をつけなければならない点が一つ。 

 野生動物に逃げられた場合、仕留めることは『不可能』に近いという事。

 

 こうした小さな獣は用心深い性格をしていることがほとんどだ。氷河時代から生き抜いてきた生物だからこそなのか、体に生存本能が染み付いている。だからこそ、最初の対面で自らが優位に立っているこの瞬間こそが、唯一こいつを仕留めることができるタイミングだ。逆にいえば、ここを逃せば、こいつは二度と俺の前に姿は現さない。

 

 結局依頼主が言っていたパートナーとやらはくることはなかったが、先の惨状をみる限り、おそらく一発でもくらったら即終了でお陀仏だ。

 

 ここで作戦その1、まだ見ぬ害獣を一撃で仕留める。

 

 なにもスタンド使いーー確定ではないがーーといえどもサイズもそうだし肉体的な優位性はこちらにある。おそらく鉄球なら一発でも当たれば一撃で倒すことが出来るだろう。

 

 しかしその作戦は、以前にマジェントが言っていたある大きな前提条件にぶつかる。

 

 『スタンドはスタンド使いにしか見ることはできず、スタンドはスタンドでしか傷を与えられない』

 

 

 チーーーー

 

 遠距離で戦うのならば、とにかくなにか毒針を遮ることができる遮蔽物に隠れながら、尚且つ一撃で本体を倒さなければ勝機はないと言っても良いだろう。作戦としてはどうにかして近づいて、ゼロ距離で鉄球を叩きつける。または射程が長い武器で決定的な一打で仕留める。

 

 チ、チ、チーーーー

 

 そしてさらにもうひとつ。辺りを見渡しながら気づいたことがある。それは、煮凝りについていた噛み口が二つあったことだった。

 

 一つは左から、もう一つは右からチーズを食べるように綺麗に食べていた。そして、床に回転した鉄球を押しつけることである程度の周囲の反応を探ることが出来る。反応からは、目の前の大きな反応ひとつと、それより少し離れた位置に中ぐらいの反応ひとつ。

 

 スタンドを使うのは一体どちらなのか…、だが前に戦った体に潜む用心棒を見るに、どちらも同じスタンド使いの可能性がある。それが一番最悪の可能性。

 

 だから、どちらもスタンド使いだった場合は先手を打って、どちらか片方を始末しなければこちらに勝ち目はないだろう。

 

 ネズミなどの野生動物は言葉を交わすことは無くとも巧みなコンビネーションを見せることがあるという。スタンドを持つやつらなら言わずもがな、だ。

 ーーーーチチチチチチチッ

 

 

 回転した鉄球は接している地面から目標の動きで起こる振動を感知することができる。 

 反応は目の前の一匹とーーー机の足元か! 

 

 咄嗟に鉄球を床にめり込ませ、床板をまとめて回転の力で目の前に巻き上げると同時に木片を前方へ弾き飛ばしながら、跳弾で至近距離のネズミを仕留める。

 「ギィッ!」

 

 おそらくコンマ1秒でも遅れていたら自分も先程の煮こごりのようなものになっていただろう。

 甲高い声を発しながら、至近距離にいた一匹の胴体が弾け飛んだ。

 

 そして、もう一匹から発射されたであろう弾は先程巻き上げた床板を難なく突き刺さっていた。その部分はドロドロに溶け、もはや盾としての意味をなくしていた。

 

 「弾ーーーというより針か」

 「ギィィ・・・」

 

 もう一匹の奴が逃げた先の天井には、暗闇で姿ははっきりとは見えないが、やはり想像していた通りのもう一対が存在している事が見なくともわかる

 何か上擦った人間ではない鳴き声とともに『単眼を備えた小型ロボットが緑のオーラを纏い暗闇の中で一際輝いていた』

 

 ーーーーやはりスタンドは視認できるか…

 

 頭に湧いた考えを振り払うかのように、次第に動き出し反転し出したその機体はロングバレルの砲身をこちらに向けその瞬間次々とその砲身から毒針が発射された。 

 

 一見どこを狙っているのかと言いたくなるほど見当違いの方向へ飛んでいくその毒針はしかし、油断してはならない。高速で飛ぶ軌道を見るに、跳弾を利用しているように感じる。

 

 まさかとは思うがーーー、先ほどの俺の鉄球から学習したのか….?

 

 想像していた以上の知能の高さだ。いや、知能というよりも、生存本能とでも呼ぶべきか。どうすればスタンドを有効に扱えるのか、自らに流れる古代から脈々と受け継がれてきた本能が、ネズミにスタンドの使い方を理解させている。

 一発でも食らえば退場は間違いなし、だがしかし焦る必要は1つもない。

 もしここにいるのが自分ではなく、先生ならこの状況をどう思うのか。

 

 『鉄球に敬意を払え』

 初めはワケも分からなかった言葉を心に留めながら、慌てることも騒ぐことも無くただの一投で全てのネズミを仕留める。自分は鉄球の動きに従うだけ。心は平常に、波打ち際の静けさのように穏やかでなくてはならない。

 ーーー次の1投で仕留める。

 

 通常のネズミよりも数倍賢いだろうこいつは絶対に人前に出るようなことはしない。彼らは人間達は自分たちのような精密な遠距離攻撃ができないと確信しているからだ。だからこそ障害物に隠れ自分達は安全圏からターゲットを狙う。だからこそ、だからこそこのネズミ達は生き残ってきたし、近隣の人々も恐れているのだろう。

 

 しかし相手が悪かった。俺は所謂『スナイパー側の人間』だったようだ。

 

 ーーーそう、この瞬間俺は自分の勝利を確信していた。

 

 「ギィー!!」

 

 『2匹』だと思っていたネズミはもう一匹。俺がこの家に入ってきた事に気づいていてどこかに身を潜めていたのだろう。反応では2匹だった奴らは『3匹』いたのだった。

 

 その3匹目から発射された毒針が飛んできたのは足元。おそらくこいつらの常套手段としては、まず獲物の足を再起不能にさせてから、体をどんどんと溶かしてゆき先の煮凝りにするのだろう。正確無比に飛ばされる毒針を護身用ナイフではじき返すものの、その毒針は視界を照らしていたランプに当たり、辺りを暗闇に包んだ。

 

 そしてその瞬間ーー、砲台から毒針が射出された音が聞こえた。

 

 「痛いが、やるしかないか・・・」

 

 仕留めるために投げる体勢で手に持っていた鉄球を、あえて体の上で回転させる。

 

 回転は何も、攻撃するだけが能力じゃない。これこそが、()()()()の真髄の一つ。

 回転は皮膚から水分を吸い取り、なおも回転を続ける。肌の色も彩度を失っていき、黒ずんでいくがその変わり、()()を得る。

 そして、肌全体が岩石の様な硬さを得たのと同時に、体に毒針が着弾した衝撃が走る。

 

 だが、皮膚一枚で針の侵食が止まろうが、毒の侵食は止まらない。

 

 ウジュウジュと、皮膚が焼け爛れていく音が暗闇の中で聞こえる。

 

 「ギギギぃーーッ!!」

 

 トドメをささんばかりに、砲台をこちらへ向け、雄叫びを放つ最後の一匹。

 

 諦めたくはないが、万事休すーーーか。

 

  

 諦めかけた静寂の中で、聞き覚えのある声が聞こえた。

 聞きたい声ではなかったが、今この瞬間だけは勝利の女神がいることを感じた。

 

 「ーーヨォヨォ旦那、なんか死にそうになってんなァ?」

 「来るのが遅いーーーが、」

 

 とてつもない速度で発射されたドブネズミの毒針はしかし、俺とネズミとの間に割り込んだマジェントに直撃ーーーしなかった。

 

 「20th century boy——-」

 

 マジェントの言葉と共に現れたコスプレをしたような服を纏った背後霊が、マジェントの体を包む。この状態の彼は無敵だ。列車にぶつかられようと、チェンソーの回転ノコが体に突き立てられようとも、その体はあらゆる衝撃を弾く。

 

 「ギギギーーーッ!!!」

 「流石に、今回は助かったーーーッ」

 

 狙いは外さない。必ず仕留めてやる。

 小型のターゲットにもあたるように、小さめの衛星が備え付けられた鉄球が寸分の狂いもなくネズミへと直撃した。

 

 「ーーーぎ、ぎ」 

 

 最後の一匹が断末魔を上げたのを聞いた後に、鉄球で再度あたりの気配を確認する。

 

 感じる気配はーーー、マジェントのみ。

 

 

 「ふぅ、終わった、かーーーー」

 「お、おい旦那ァッーー!」

 

 

 そこからどうやって帰ったのか、記憶はない。

 

 

------

 

 

 

 

 

 

 

 辞めたからといって、重荷から完全に解放された、という訳では無い。これからは今度は自分が先生の代わりにこの技術をさらなる後継者へと受け継いでいくという自覚を持っていかなければならない。

 自分は果たして後継者となるような人間を見つけることが出来るのだろうか。ていうかその前に人を殺したことのある自分に結婚できるのか。付き合って結婚して子供が産まれてその子供が育ってゆく。できれば自分の息子的な存在に後継者になってもらいたいという気持ちもゼロではないが、それ以前の問題になりそうだ。まぁ、今こんな事を考えた所で何にもならないがな。

 

 とりあえず今の自分には休むことが重要だ。

 ひとまず先生から自分へと引き継ぐ事はできたんだ。自分で言うのもなんだが、運がいい事にまだ俺は若い。これからの旅の中でしっかり探していけばいい。

 

 そんな考えの元、つかの間の休日の中で自分はあることにハマった。

 それは始発の蒸気機関車の汽笛の音で目を覚まし、行きつけの店でコーヒーを楽しみ夜早くに眠る。修行の時では考えることもできなかった前世でも味わったことのないような健康的な1日の過ごし方。

 特に人気の少ない朝の酒場でひっそりとコーヒーの旨みを体全体で受け止める事。ーーーなんて美味さ、いや幸せなんだ。

 

 その生活はとても穏やかで、大きな驚きや出来事もなくこれまでの人生で荒れた心を癒してくれる、最高のものだった。

 

 

 

 

 もの『だった』

 

 

 

 「ぺーッ!あんたブラックなんて飲んでのか──ッ」 

 

 辺りに響くしゃがれた男の声が俺を現実に戻す。目の前の男は室内だというのに相も変わらずシルクハットと厚手のコートを脱ごうとしない。 

 

 「苦いのが舌についちまったぜ、チクショォ.....」

 

  うわッ汚ぇ。こいつ店内に唾吐きやがった。

 あまりの汚さに見ていられず新聞紙でマジェントを隠してしまう。

 

 「どうした?」 

 

 なにがどうしただコノヤロー。俺が世界で嫌いな事のナンバー2を平然とやってのけた奴に非常に腹が立った。ちなみにナンバー1は食べてる時にくちゃくちゃ音を立てるヤツだ。

 そして何を隠そう、この俺の平穏をぶち壊したこの男は、先のネズミを倒した後でさえ、何故かずっと俺の後を着いてくる。なんでも俺とのコンビはどうたら赤い糸がどうたらこうたら俺にはもうわけわかめ。

 男色家なのかとも思ったが、酒場の女をたまに目で追うところからも、そっちも普通に“ある”らしいが、正直どうでもいい。

 

 「でも、良かったわねぇ私がいて」

 

 今も俺の左腕を持ちながら、ネズミの毒針に射抜かれた部分を治しているサングラスの女。

 こいつもまた、もう二度と会うことはないのだろうと思っていたのにも関わらず、なぜかまた目の前に現れていた。

 

 「お前にもまた会うことになるとはな」

 「なーによお前なんてカッコつけちゃってさぁ〜、私がいなけりゃこっちの腕も無くなっちゃってたのよ?」

 

 そういう彼女の横には、少し透けている、青い体をした女性体のスタンドが立っていた。

 

 「あんたもーー持ってたのか」

 「そうよ、私にかかればどんな傷だって治せる。数日体は動かしにくくなっちゃうけどね」

 「一度も聞いたことがなかった」

 「あら、だって聞かれないから言わなかっただけよ」

 

 別に何を気にするわけでもなくそう言い切る彼女には何もかける言葉はなかった。というより言う気を無くした。

 

 「ま、時間が経っちゃったケガとかは無理なんだけどね」

 

 黙って緑の光に包まれる左腕から目を離し、先ほどから黙っているマジェントへ目を向けると、何やら小さな布切れに苦戦していた。

 

 「ギャアッ! 痛ェ、こいつ!!」

 

 たかが布切れ一枚に何をはしゃぐ事があるのかと呆れながら見つめた先には、白い布切れに包まれたネズミが一匹。

 先のネズミの家に遺されていた彼らの形見。マジェントが言うには、最後の一匹の死体の下にうずくまる形で倒れていたらしい。 

 

 マジェントに触られ、険しい顔をしていたネズミの顔に手を伸ばすと、ぺろぺろと親指を舐めてきた。

 

 「おいッ! なんで旦那には噛み付かねぇんだよこいつ!」

 「そりゃあ私に似て優しい目をしてるからよねーーーって痛い! こんのォーッ、ドブネズミが!」

 

 ギャアギャアと騒ぎながら今にも小ネズミの息の根を止めようとする2人から咄嗟に布切れごと回収する。

 すると小ネズミは小さく鳴き声を上げながら、親指へと頬擦りをしてきた。

 

 初めは、禍根を残すことになると思い始末しようと思ったものの、これを見るとそんな身も失せてしまった。

 それに、彼らは彼らなりに生きていくための方法として人を襲っていたのだ。それを悪だと認識するのは人間側からの一面的な判断にすぎないのだろう。

 

 だからこそ、小ネズミの責任は俺にあるーーーのかもしれない。 

 

 「まぁ、飼ってもいいかもーー」

 「ぁあっとーー、思い出した!」

 

 すると何を思い立ったか、マジェントは話を唐突に遮った。

 なんだこいつ、と冷ややかな目線を送るも全く気にすることなく、彼は紙切れで口を綺麗に拭いてから、ある事を言い出した。 

 

 「なぁ、スティール・ボール・ランって聞いたことあるか?」

 

 スティール・ボール・ラン?

 聞いたことあるようなないような。どっかで見た気がしないでもないんだが。

 

 「なぁんかどっかで聞いたことあるわね〜」

 「ほら、旦那が持ってるその新聞の裏だよ」 

 

 言われた通りに新聞を裏返す。

 するとデカデカと特設ページと書かれた枠があり、その中央には大きな文字でこう書かれてあった。

 

 ────『スティール・ボール・ラン・レース』

    優勝賞金5000万ドル!!!!!───

  

 「おー」

 「反応薄いなァ〜、5000万ドルだぜ5000万ドルッ!

  まぁ、そういう俺は馬に乗ったことないから迷ってるんだけどよォ〜」 

 

 5000万ドルかーー。俺からしたら想像もつかないような大金だが、正直もうある程度自由にできるほどには稼いでることもあって、金には大して興味が湧かない。足りなくなったらまた稼げばいいだけだしな。ーー裏で稼ぐ気はもうないが。

 

 「そんなこんだで俺は参加出来るか分かんねえが、肝心なのはそこじゃあねぇ。あんま詳しくは言えねェーがこのレースにはなんと───国が関わっているそうだ」 

 

 意気揚々と当たり前の事を言い出すマジェント。

 確かに5000万ドルなんて大金、いくら民間企業が集まったところで簡単に揃えることの出来る代物じゃないだろう。普通に考えれば誰もが思いつく話だ、そこまで意気揚々と自信げに話す事だろうか。まぁ、各国から参加するとも新聞には書いてあるし、政治パフォーマンスの一環になるだろうことは予想がつく。

 

 「で、だ。俺はそーいう関係の仕事を今回引き受けたんだが、あんた俺と一緒に組まないか?俺とあんたじゃ負けるこたぁねえぜ!」

 

 マジェントと一緒に、か。悪くはない。だが───

 

 「今回はパスだ」

 「なんでだよォ?」

 

 だってこいつすぐ調子乗るし。別に嫌いじゃないけど油断した隙にスパッっていかれそうだ。ネズミの時は感謝しているが、前後ろどっちにも顔がある男の時は運がよかっただけだ。あれであと3人ぐらい出てきたら負けは確定だった。

 

 「───どうしても無理か?流石に5000万ドルよりは少ないが、成功すりゃあ2位とどっこいどっこいぐらいは貰えるぜ」 

 

 何回言った所で気持ちを変えるつもりは毛頭ない。しかも正直あの国はそんな信用できない。任務が成功したところで結局国から裏切られてボコボコにされるのがオチだ。全身鉄砲の穴だらけになって死ぬなんてお断りだからな。

 

 「それに、悪いが俺は()退()した身だ。何度も言ってるだろ」 

 「エェ〜」

 

 丁寧に断りを入れ、新聞に目を通すとスティール・ボール・ランの特設ページが再び視界に入る。

 

 ーーー5000万ドルか。

 

 さっきまではいらないと思ってたが若干気が変わったかもしれない。5000万もありゃあネアポリスの方までいっても帰りの分のお釣りが来る。運が良ければあの村にも帰ることができるかもしれない。できるのなら、村の活性化だって夢じゃあーーー

 

 『人類史上初の乗馬による北米大陸横断レース、総距離約6,000km!!プロモーターMr.スティーブン・スティールを中心とした

今大会は全米中からーーーー』

 

 興味がない、と言えば嘘になる。

 マジェントの誘いには相変わらず気持ちが揺るがないが、スティール・ボール・ランに出場するとなるとここである一つの問題が発生する。別に馬に乗れないという問題では無い。修行の時に何故か乗馬の訓練させられたので乗ること自体は苦労はしないと思う。あるひとつの問題。

 

 

 それはーーー『馬をどこから調達するか』という点だ。

 

 

 あいにく愛馬は持っていないことに加え、そんな強い馬ならもう買い占められているだろう。仮に買えたとしても普段の移動はもっぱら徒歩ばっかだからあまり気が乗らない。

 マジェントに頼るのも癪だ、前の仕事関係の人にあたって見るしかないーーか。

 

 

  

 

 「馬ァ?悪いがウチのとこももうあんまいい馬はいねえぞ。今度あるレースで使えるような馬はもう売っぱらっちまったからなぁ」

 

 はい次。 

 

 

 「悪いわねぇ、私んとこも老馬か子供の馬しかいないわぁ」

 

 ............次。

 

 

 

 「レースで活躍できるような馬なんていねぇし、お前にやるつもりなんてねぇよ!」

 

 ────。

 

 

 

 

 なんだ、揃いも揃ってこいつら。なんで聞くヤツ聞くヤツ全員馬貸してくれねえんだ。

 別にいいだろ、とって殺すなんて言ってないし。3番目の奴なんてちゃんと世話もするし大事に扱うって何回も説明しても無理の一点張りだし。段々レースに参加する気なくなってきたーーーおっと、少し口が滑った。

 もう宛らしい宛なんてどこにもない。でもなぁ、マジェントと一緒に仕事するのも嫌だ。本当にどうするか迷うが、全く当てが思いつかない。

 他に馬売ってる奴なんて他にいたっけ、

 馬、金持ち、牧場主、農家ーーー......。

 

 

 

 ーーーあぁ。1人、いたな。

  

 

 

 「お前はなにやってるんだ?」

 

 

 老けた男が声をかけた方には、穏やかな太陽の日差しに体を預け、新聞を頭の下に敷いて畑仕事の最中に寝ている男がいた。

 

 「だから何をやってるんだと聞いているんだ、ポコロコよ」

 「何やってるって、数えてんだよ。雲の数をよォ........」

 

 しかし、その彼の返事が気に食わなかったのか。老けた男は怪訝な顔をしている。

 

 「儂が聞きたいのは、なんで働きもしねえで一日中ゴロゴロしててんのかってことだ!」  

 

 しかし彼はそんな男の言葉にも耳を傾けようとはしなかった。

 

 「“天中殺”って知ってるか・・・じじい」

 「...............」

 「長い人生で最もドン底の時期を天中殺って言うらしい。だが、聞けよ。オレぁその逆!『最悪の逆』!!来月から2ヶ月人生最高の至福の時期がやってくるんだと!街でジプシーの女に占ってもらったんだ、ウキキ…」

 呆れた男は彼の言葉に呆れ、声もでない。

 

 「じゃあさっそくラッキーな事を紹介してやろう。と言ってお前に畑仕事を押し付けようと思ってたんだが、本当にラッキーな事があるぞ」

 「おいおい、まじかよォ!さっそく使っちまったぜ!!」

 「ほら、覚えてるか?前にここら近辺の獣退治をやってもらった事があるだろう」

 「んーーーー?」

 つい先月ほど前。この畑周辺に熊やイノシシなどが森の伐採などにより出没している事件があった。耕作作業がやむを得ず中止になり、困っているポコロコらは街の万事屋のような男に頼んだことがあったのを彼は思い出した。

 

 

 「あー、いたなぁ。そいつが一体どうしたんだっていうんだよ」

 「馬が欲しいそうだ」

 「馬ァ?」

 

 ポコロコはこの時はまだ馬をやるつもりは毛頭なかった。まだ何頭か馬はこの牧場にはいるが、元気な馬、なおかつ売れるような馬は自分の愛馬、ヘイ!ヤア!しかおらず大事にしてきた愛馬を売れる気はしなかった。しかし彼の意思は次の言葉で変わった。

 

 

 「きいて驚け、なんと1頭につき最高

 

             ーーー100000ドルも払うそうだ!」

 「ーーーー。」

 

 

 

 しばらく空を見上げ何かを考えていた彼は突然寝転んでいた体勢を崩し、広げていた新聞を放り出し、振り返った。

 

 

 

 「じじい・・・・・、馬の買取価格。いまいくらって言った?」

 

 

 

 

 

 




 
 
 本体:ネズミ
 能力名:ラット
 能力説明:毒針を発射する砲台型のスタンド能力。毒は薄い金属であれば容易く溶解させる程である。経緯は不明であるが能力を得た事で精神性を獲得し、知性が向上している。

 【破壊力:B/スピード:C/射程距離:D持続力:B/精密動作性:E/成長性:C】

 本体:サングラスの女
 能力名:Tako Tsubo
 能力説明:触れた物体の傷を治す。治った傷は()()()として治癒された者の体に数日間残る。怪我の度合いによって筋肉痛の度合いは異なる。また、ケガを移動させる事も可能である。

 【破壊力:A/スピード:E/射程距離:E/持続力:C/精密動作性:B/成長性:E】

 
 

 


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1stSTAGE
1890年9月25日




 
 
 
 


 

 

 レース開催数日前。

 いつもの閑静としたビーチの雰囲気はどこへ行ったのか、レースが始まるのはまだ数日後だと言うのにも関わらず、軽く3000はいるだろうと思えるほどの人だかりがビーチにできていた。

 

 今ビーチに来ている人達の目的は言うまでもなくスティール・ボール・ラン・レースへ参加するためか、レースを見に来た観客である。

 『スティール・ボール・ラン・レース』ーーー通称SBRは当初予定されていた参加者500人を優に超え、レースのスタートのために用意されていたビーチには参加者の数によりそのスタート自体が潰れかねないほど溢れかえっていた。

 

 レース参加者の多くはプロやアマチュアのジョッキー。中には遊牧民やカウボーイなどもおり、優勝候補と呼ばれる者達は皆、そのような肩書きをもっていた。

 

 第1候補は毎年3000頭の牛を連れて長い牧草地を旅するワイオミングのカウボーイ『マウンテン・ティム』

 

 第2候補、サハラ砂漠を年に3回の横断をこなし今大会ではラクダでの参加となる『ウルムド・アブドゥル』

 

 第3候補、東洋からやって来たモンゴルの遊牧民でチンギス・ハンの子孫であり馬術の名人『ドット・ハーン』

 

 そして第4候補。イギリスの下層階級の出ではあったが、イギリス競馬界で才能を認められ力を伸ばしていった短距離トラックの天才ジョッキー『ディエゴ・ブランドー』通称ディオ。

 

 そのような名前が列挙する前代未聞の総距離約6000kmのレースは、歴史上初の試みとなったことから当然の如くプロモーター「スティーブン・スティール」には多くの新聞社の記者が詰め寄った。まさに、このレースの駆け出しを決める大事な場面。

 彼が『このレースには失敗なぞ存在しない、存在するのは冒険者だけだ』と語ると記者の多くは賛辞の声と拍手をあげた。

 

 そうして幕が上がったレースに世界各国からの強豪達がこぞって参加者表明をし集まってくる中、素人に近い乗馬技術で当たり前のようにこの過酷なレースの優勝を目論む男がいた。

 

 馬術経験なし、レース出場記録なし。

 その男は今、2日後のレーススタートに備え受付の係員と思われる小柄な男に参加料を払っていた。

 

 「参加者料ひとり1200ドルは一度払ったら個人的理由による返金は一切できません、悪天候や災害に関係なく開催されます。承諾されるならここにサインしてください」

 

 小柄な係員が少し背伸びをしながら渡してきた書類をまじまじと見る。

 

 これってーーいわゆるあれか、誓約書、とかいうやつ。あなたがもし死んだとしてもこちらは責任取れませんとか書くーー確か以前にも何度も書かされた覚えがある。それこそ、一人で働くようになってからだ。 

 今考えれば確実にサインしていいものではなかったのだろうが、結局のところは死んでないし、今となっては笑い話だ。それに、あの時はそれ以外にどうしようもなかった。

 

 それにしてもーーー久しぶりに名前を書く。これまではマイクやらマイケルやら、何処にでもいるような偽名を使い回していたばかりであったから、正真正銘の自分の名前を書くのは何年ぶりだろう。

 思わずペンを握る手に力が篭るも、スラスラと続きを描いていく。

 

 「ーーーはい、受け取りました。これが選手証とゼッケンB-635です!スタート当日に出場する馬の鼻紋を採取するので、忘れないでくださいね」

 

 これ一体何人出場するんだろうなと、自分のゼッケン635と、後ろに広がる人の行列を見渡す、がもはや数える気力すら出てこないほどだった。

 そんな事を考えながらゼッケンをバッグに入れようとするが、ゼッケンについてきたレース出場記念メダルとバッヂが引っかかる。 

 正直捨ててしまってもいいのだが、多分100年後とかにはこれ一個で数十万になる事を考えれば手が止まる。仕事を辞めてから金銭に困ったという事態には陥っていないが、いつそうなるかは分からない。

 

 「おいーーーはやくどいてくれ」

 

 すると、自分でも気づかぬ内に考え込んでしまっていたのか、受付の前を陣取ってしまっていた自分の後ろに並んでいた男に注意をされた。

 

 「ニョホ、ホ、ホ」

 

 縦筋の穴が空いた変な帽子に気の抜ける笑い方。ニョホと笑いながら開く口から見える歯には『GO!GO!ZEPPELI』となんとも自己主張が激しい文字が光り輝いていた。

 

 腰あたりには自分と似たようなバックルが下げられていた。

 ツェペリ、どこかで聞き覚えがあると思ったがーーー確か“外のヤツら”か。バックルで太陽光を反射している緑色の鉄球を見れば分かるように、例の鉄球を用いるツェペリ一族ーーー先生からは今もなお王が治める国の処刑を担う一族と聞いているが、遠く離れた勢力がどうしてこんな所に。国家技術に塊を持つ彼らが国外へ出る事自体、殆どないだろうに。

 ーーーなるほど、どうして中々複雑そうなレースになりそうだ。

 それに、マジェントの言う某国が絡んでいる可能性もある。もしくは王国が狙う何かがこのレースにあるのか。流石に賞金欲しさに刺客を送りこむなんて馬鹿なことはしないだろう。なにか裏の理由があるはずだが、皆目見当がつかない。

 

 ひとまず、すまないと一言告げその場から立ち去る。人混みを掻き分けながら自分の馬を置いてきた場所に戻ろうとするが無理やり人混みに入ったせいか、人にぶつかりバックルの鉄球を落としてしまった。

 拾いあげようとするも周りの人だかりが邪魔をし手を伸ばすことが出来ない。転がっていく鉄球を見失うよりはマシか、と考えながらもう片方の鉄球に手をかけようとすると、先程ぶつかった人が親切にも拾い上げてくれた。

 

 「ああ、すまん」

 「いや、先にぶつかったのは私だ。これは君にーーー」

 

 手に渡してくれると思って伸ばした手はしかし、鉄球をにぎりしめたままその人はじっと自分の顔を見つめている。

 その親切な人の自分を見つめる目は驚いたように感じたが、次に自分を見つめた時はどこか優しい目をしていた気がした。

 

 「いや、すまない。君に似た顔の知り合いがいてね。この鉄球は君に返そう」

 

 そう言い綺麗な『赤紫色』の髪をした彼、いや中性的な顔をしているから彼女かもしれないが、彼は鉄球を俺の手に渡した。

 

 「いるはずがないんだーーーー」 

 

 そう呟き、布のような何かを大事そうに抱え人混みの中へと消えていった。

 その横顔が、何故か少し泣いている様にも見えて。

 思わず追いかけようとするも、その動作は途中で遮られる。

 

 後方から、先程聞いた男の声が自分を引き止めた。

 

 「おい、待て。さっきのゼッケン635」

 

 声の方に振り向くと、そこにいたのは俺の後ろに並んでいたツェペリ一族の男。

 彼は先程の力が抜けるようなおちゃらけた態度ではなく、その顔は真剣そのもの、バックルにかけられている手を見れば分かる。

 

 「その腰のバックル。あっちからの()()か? 国じゃあ見たこともねえツラだが一体なにもんだてめぇは」

 

 ちょっと何言ってるか分からない。

 思わず思考が一時停止するも、見当違いも甚だしい。まず第一に、こいつに因縁をふっかけられるほど関係がない。確かに怪しい風貌をしてると言えばそうなんだろうが。何かこいつ自身もワケアリのようだが、ツェペリ一族ってのはみんなこんなもんなのか?

 

 「とぼけても無駄だ。俺が知る限り国外へと追放されたウェカピポは例外だが国内にいる鉄球使いの顔は大体把握している」

 

 ウェカピポーーーという人物は誰だかよく知らないが、鉄球使いの顔を把握しているという所からどうやらこのツェペリ一族の男は相当高い役職か何かそれに通じるものに就いていたことに違いない。そして、そういうやつは鉄球の知識にも精通しているだろう。

 「あいにく俺はーーーあの結果には納得してねェし、このレースを諦めるつもりもない」

 

 ジャイロがホルダーのボタンを外す。

 

 「祖国に帰って“上”にしっかりとそう言っとくんだな」

 

 捨て台詞とともにこちらへと投げつけられた鉄球。その鉄球は吸い込まれるように、無抵抗の俺の肩に直撃するーーかと思いきや、その寸前で鉄球の軌道が逸れる。

 

 「チュウ」

 「んなーーーっ!?」

 「パーシー、そこにいたのか」

 

 よく見ないと分からないほどに、少しだけ膨れていた右ポケットから“ネズミ”が一匹顔を出した。

 

 その正体は、前にネズミ屋敷で拾ってから名前をつけるまで大事に育てていた彼らの遺した子供である。そして、気付いた時は驚いたが、測らずとも彼らと同じ様にこいつもスタンド能力を生まれつき持ち合わせていた。

 その能力も彼らと全く同じの、砲台を持つロボットの様な姿で、砲身から高速で毒針を放つ。

 スタンド能力が遺伝するーーー後日サングラスの女に話を聞いたが、人間においてもレアケースらしく、磨き上げられた“技術”からの発展でもない限りは起こらないそうだ。

 

 それに、未だに何故かは分からないがこのネズミは不思議と自分の側を離れようとしない。きっかけは何なのか知らないが、今だって、自分が良しというまでポケットに入れっぱなしにしていたから、思わず忘れてしまうところだった。

 だから、いつのまにか名前をつけてしまっていた。ちなみに由来は素早く走るから、“パーシー”。

 そして、そのパーシーは今ツェペリの攻撃を気配で探知し、自らに矛先が向けられていると勘違いしたのか、瞬時にポケットの中からスタンドを発動させるとその毒針をやつの鉄球へと直撃させた。

 その証拠にポケットには小さな穴が開き、地面へと落下しているやつの鉄球はドロドロに溶けていた。

 

 「オレの鉄球がぁーーー」 

 

 先の一触即発ムードは欠片もなくなり、項垂れる彼を必死にフォローする。余りの使っていない鉄球を渡し、パーシーにも謝らせようとするが、彼は全くと言っていいほどポケットから出たがろうとしなかった。

 ある程度落ち着いてから必死に事情を話した所、少しだけ納得してくれたようだ。

 それが分かるように今彼は手に掛けていたもう一つの鉄球から手を放している。

 冷静なようにも見えたが、意外と見た目通りのお調子者なのかこいつーーー。

 

 「あー、そういやウチの親父が国外に逃げた一族がどうたらこうたらって言ってたような気がするぜ」

 

 帽子を被り直しながら砂埃を落とす彼に、鉄球を投げた事を悪びれる素振りはひとつも見えない。あまり言いたくはないが、どう見ても彼は先生が言っていたような尊敬に値する由緒正しい“鉄球の”一族には見えなかった。

 

 「聞いた感じ、俺とあんたはどうやら関係が無いようだな。だがあんたはレース参加者でもある」

 

 拾い上げた鉄球をバックルへ仕舞い、再度帽子を深くかぶり直した。

 

 「同じ鉄球使いとしておたくには興味が湧いた。だが1位は俺のもんだぜ?」

 

 そして再び気の抜けるような笑い方をしながら彼は馬に跨ったまま去っていった。

 

 

 

 そしてレースが始まる三時間前。

 

 馬の鼻紋の件で再度レース運営の方に向かっていた道中、厩舎の柵にもたれかかっている2人組の会話が耳に入った。

 「おい、見ろよあいつだ……。車椅子を捨てて昨日から夜中ずっとか?」

 「あの体でレースに出るつもりらしいな」

 

 彼らの視線の向こう。

 そこには老馬に引きずられ、蹴り倒されている男がいた。

 

 傍らに捨てられた車椅子から分かるようにその男は足が不自由なのだろう、馬に乗ろうとするも下半身に力が入らず立つことができずに馬に乗ることができていない。

 何故諦めることができないのだろうか、何が彼をそこまで動かしているのか。何度も乗ろうとして馬に引きずられた事で体からは血を流し、壊れた柵の木の破片が彼の右足を貫いていた。

 

 「誰かやめさせろよォ~~~!見てて痛々しいぜ!!」

 「無駄だ。馬に乗るのを止めさせようとすると自殺すると叫んでいやがる。キレちゃってるのさ」

 

 野次馬が騒いでいるのには目もくれず、なおも乗ることを諦めようとしない彼に対して老馬はうっとおしくなったのか足で彼をふみつける。足が動かず逃げることもままならない彼は蹴られ続けるしかない。

 

 するとやはり踏み殺されると思ったのか、痺れを切らした野次馬の片方が俺に止めさせた方がいいと思うよなと同意を求めてきた。

 

 確かにあのままなら決して馬を乗ることはできないだろうし、踏み殺されるのも時間の問題だろう。しかも馬の方は肌や髪質を見るからに明らかに年を重ねた馬だ。スタミナがどれほどあるかは分からないが、優勝候補の血統種の馬には勝つことはできないだろう。

 

 「ーーーあの馬の選択は間違っちゃいないさ」

 

 声の方向に振り向けば、そこには例のツェペリ一族のジャイロがいた。深く被った帽子の奥から、まっすぐに血だらけになっている男を見つめていた。

 

 「スタミナだけが取り柄の若い馬よりも、このようなレースの場合には経験がある老いた馬のほうが良い……」

 

 だが、傷だらけの男を見つめるジャイロの目は、もう諦めろという悲観な目をした野次馬とは異なり、何かに賭けている目をしていた。

 そのジャイロの真意は分からないがーーーなるほど、こういう奴は嫌いになれないタイプの男というわけか。

 

 「確かにあんたの言う通り、ヤツには決して乗れない......あれじゃあ乗れないね。だが言わしてもらおう。逆に言うなら────」

 

 

 

  

  ────あれに乗れたら人間を超えれるね。

 

 

 

 

-----

 

 

 時は変わって数十日前のどこかの浜辺

 

 夕日が沈みかけ、人気が少ない砂浜にーーーー『それ』はいた。

 

 何かが()()から落ちてきたのだろうか、そこの砂浜は黒ずんでおり、圧倒的な熱量を持つモノがそこにいたことを表していた。

 

 そして、そこには見物客が一組。

 

「隕石ーーーか? 初めて見たよ」

「だよねーーー、なんかちょっと人の顔に見えるよこの部分」

 

 ただの岩石、そう、この星に落ちてくるまでは、確かに成分上もただの岩石だった。しかし、この地球上の落ち、その地に触れた瞬間、生物へと昇華した。

 

 そして、瞬時に環境に適応し、体を再構築するために最初に確認したのはーーー生物学上の名前がホモ・サピエンス・サピエンスである、観光客の女だった。

 

 体は瞬時に星を理解する。

 この星はどこだーーーこの星に住む生き物は何かーーこの星で頂点に君臨するものは何かーーー。

 

 そして、観光客の女が岩石に手を触れたその瞬間、女の生命反応は消えた。

 

 「ぎゃばッ」

 「なあーーーッ!?」

 

 常人には何が起こったのか理解できない。

 相方の、おそらく恋人関係であったのだろう彼氏は、驚きの声をあげるも、その続きを発することは出来なかった。

 

 辺り一面には血が広がっていく。

 

 まるで打ち水をした様に彼氏の足元へと広がっていくと、男の脚は震え出した。

 

 「あ、あ、あ、」

 

 人というのは、真に恐怖を感じた時は何も行動ができなくなる。声をあげるだの、逃げ出すなど、何かしらのアクションを起こそうとしたとしても、脳がそれを阻害する。

 脳はそれを良しとしないのだ。

 

 だからこそ、彼も何も発することはなく、()()()()()()岩石にそのまま捕食された。

 

 そして、体は最適化され、感覚も、バランスも、まるで先ほど立ち上がることができる様になったとは思えないほどに。

 

 その立ち姿はミケランジェロのダヴィデ像のように黄金比率が保たれていた。

 

 体はただ細いだけでなく、そこに筋肉が詰まっていることが分かるほど健康体で、ヒップとバストは雄を誘惑するには申し分ない。 

 髪はツヤがあり、顔もどのモデル事務所に出しても即トップに躍り出るほどの美貌を兼ね備えていた。

 儚く、強く、優しく、美しく、どの要素をも有したそのフォルムは、まさしくこの地球上に存在するヒトにおける雌として、頂点に立っていた。

 

 そうして、岩石は完全に生物へと変貌した。

 

 

 「お、あ、たし、われ、わーーた、しはーー」

 

 

 透き通る声ではあったがしかし、脳はイキモノとして完璧ではなかった。

 脳は100%稼働しておらず、十分なパフォーマンスを発揮できていない。脳内のデータ上にある、いくつもの生物情報をロードすることができなくなっていた。

 

 体、動かない。エネルギー、足りないーーー足りな、いーーー。

 

 

 

 そうして、岩石は再び歩き出し、エネルギーを求め彷徨い出した。

 

 

 

 

 

 






 


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begining of the end

 

 

 

 

 ビーチ沿いに軒を連ねる、スタートを今か今かと待ちわびている総勢3000を超える参加者達。

 

 その様はまさにヤクサルテス川の戦いのマケドニア軍騎馬隊のように、大地の彼方へとゆかんとする彼らのその誰もが自分が優勝するだろうという揺るぎない自信を持っていることだろう。

 ふと横を見れば、当然隣には自分のゼッケンの番号『B-635』の1つ違い、『B-636』らしき人物ーーーおそらくジャイロ•ツェペリ。

 縦筋の穴が空いた特徴的な帽子を被っているその人物は、馬の首元を優しく撫でている落ち着いた様子とは流石に緊張しているのか、帽子を深く被っていたためその顔を拝むことはできなかった。

 

 そして自分の隣の隣。正しくは彼の右隣と言った方が正確なのだが、そこにいたのは先の老馬にまたがろうと幾度も試みていた男。身体中が血だらけになりながらも馬に引きずられる形でスターティンググリッド内に入り込んでいた。頭、肩、足からも大量の血液を流した後がある様子から、自分が見物をやめた後も何度も馬に乗ろうと試みたのだろう。だが彼が足に突き刺さっている木の破片を躊躇わずに抜いた様子からするに、もはや痛みを感じていないようだ。

 

 だが、先生が言っていたーーーネアポリスという国でも名を馳せていた由緒正しいツェペリ一族の1人が気にかけていた男だ。もしも、彼が鉄球使いだったのならばだ。回転の技術の存在を知るものであれば、ああいった彼のような“下半身麻痺”であったとしても馬に乗る事は不可能ではない。馬へ乗る術を教えれば、彼は直ぐにでも乗馬し、スタートラインに馬とともに並ぶことだろう。

 しかし、それだけでは()()だ。ただ、馬に『乗る』というシンプルな事だけであったとしても、回転はただ、ジュニアスクールのように1から10まで先生に教えて貰うものじゃあない。自分に与えられた試練を自らの意思で考え、しっかりと(かんが)えること、それが鉄球の『ルール』である。

 

 血だらけの彼から目を視線を外し、自らもスターティングへ並び馬へ乗る。時計を見ると、スタート時刻までは少し針が遠い。

 しかしながら、スタート間近ということもあって静寂に包まれているレースのこの瞬間は、数秒であっても長く感じられる。

 

 緊張を紛らわそうと薄目で顔見知りを探そうとすると、しばらく東の方に、受付の際に鉄球を拾ってくれた人がいた。帽子を深く被りながら、何やら深呼吸をしている様に見える。名前だけでも聞いておくべきだったかーーー俺の柄じゃないが、今更ながらに後悔とも呼べるものが頭をよぎった。

 

 そんなくだらない事を考えながら、ぼーっとしながらスタートを待っていると、唐突に後ろから声をかけられる。

 

 「あ、あのーーー」

 「ーーー?」

 

 振り返った先には、どこかで見覚えのある女性が1人。

 片側だけ顎元までかかるほどの長さを持つ、ここでは珍しい黒髪のショートカットが風に揺れている。

 

 確か、どこかで見た覚えの風貌をしている。

 

 「わ、私、前に助けてもらったーーネズミの屋敷で助けてもらった者です……」

 

 その一言で、漸く思い出した。あのネズミ屋敷での被害者、煮凝りになりながらも意識を保たされ続けるという生き地獄から生還した人物だ。

 だが、何故彼女がここにいるのか。

 確か、元の体に戻ることは絶望的だと思われたものの、サングラスの女が体を元通りにした後は、そのままーーいや、その後は聞いてなかったな。

 それにしても、だ。ただの一般人だったであろう彼女がどうしてここにいるのか全く見当もつかない。

 

 「何故君はここにいるんだ」

 「それは…そのぉーーー」

 「ーーーー??」

 「あのーーーえと、」

 

 しかし、なにやらモゴモゴと彼女は口籠るばかりで、続きを言おうとはしない。顔もどこか赤く見えるし、何か人には言えない事情の様なものがあるのだろう。これ以上言及するのはやめておいた方がいいか。

 

 「わ、わたしーーーみ、耳が」

 

 意を結したのか、彼女が続きを告げようとしたタイミングで、同時に時計塔の針が10時を示した。鐘がなると前を向き、襷を握ると瞬間、空へと打ち上げられた3つの花火。

 

 バン、バン、バンーーーーと3回響く音。

 

 

 

 『花火が上がりましたッ!ーーー合図ですっっーーー

 

 

 

 ーーースティール・ボール・ラン・レースがついに動き出しましたッ!!』

 

 

 司会の男のその声とともに一斉に走り出すその大軍は、後ろに見える太平洋の波がはい上がってくるようにゆっくりと、ゴールへと一直線に迫っていく。

 しかし、これが参加者全員の最高スピードではない。

 全9つのステージに別けられたこのスティール・ボール・ラン・レース。現在行われている第1ステージとなるスタートのビーチから、15000m先のカトリック教会がゴールとなる短距離スプリントレース。

 

 それはいくら乗馬のレースに慣れている馬といえども、15000mもあるレースで前半を飛ばしすぎてしまうと、後半参加者達の『足』となる馬達は確実にバテる。加えて、明日もなお続くこのレースをこの段階で飛ばす事は正気の沙汰ではない。

 そう、今言った通り正気の沙汰ではないのだ。

 

 しかし、まずまずのスティール・ボール・ラン・レース自体が前代未聞であり正気の沙汰ではなく、それが前提の時点である以上、このレースで『ありえないこと』は存在しないのだ。

 そして正気の沙汰ではないそのレースの、各ステージ優勝者には1万ドルとタイムボーナス1時間が与えられる。

 

 そして、そのような()()()()()()()()その『1位』という座を見逃すほど、その男は抜けてはいなかった。

 

 均等にゴールへと押し寄せる太平洋の波から飛び出る一匹狼。

 先程から辺りを見渡しても見当たらないと思ってはいたが、なるほど確かに、抜け目のないーーーー

 

 『おっとーーーーッ!3600もの馬の群れから飛び出しているものがいるぞッ!ゼッケンは、636!636!ーーーZEPPELI……ジャイロ・ツェペリと記録されております!』

 1人加速を続けるジャイロツェペリと呼ばれた彼に反応できたものは、プロのジョッキーや優勝候補者の中でさえいなかった。

 彼らの多くは後半まで足を温存しておくという考えを持ちながらスタートを切ったので、まさかここでスピードを出すとは誰も思っていなかったのだろう。

 

 それにここで深追いすることはすなわち、それはレースの脱落を意味する。無理にプライドを傷つけられたと、顔に泥を塗られたとスピードを出し、彼に追いつこうとするものはその瞬間、誰一人としていなかった。

 

 

 そう、()()の中には。

 

 

 『おぉっとォーーー!ここでジャイロに追随している者がいるッ!ゼッケン番号635!635!ジャイロと同じくプロのジョッキーなどではない無名の選手です!速いッ!ものすごい速度で走らせているッ!信じられないスピードだッ!』

 

 どういう考えなのかは分からないが、おそらくジャイロは是が非でも区間賞1位の座を取るつもりなのだろう。だが、彼にだけいい思いをさせるつもりは毛頭ない。

 勝者は賞金5千万ドルに加え、区間賞も制覇をすればその差は他のもの達が最終的に勝ち取った金額と、さらに差を広げることとなるだろう。

 

 それに俺にも、“叶えたい夢”がある。

 

 「んん───?()()()かと思ったが、どうやら違ったみたいだな」

 振り向きざまに何かを呟いたジャイロツェペリに追い付き、追い越そうとするもすぐさま自分の加速に呼応するかのように彼は馬のスピードを上げ、他の追随を許そうとしない。

 まだ本気ではないつもりなのか、はたまた腹を決めたのか。彼は前傾姿勢になると片方の手を手綱から放し、自らのマントで隠れたポケット辺りに手を入れほどの余裕を見せた。

 

 そんな彼に対して、出場期限間際にとある“伝手”で手に入れた馬『へイ!ヤア!』も1位を譲る気はまったくないらしい。互いの体をぶつけ合いながらジャイロと俺の馬はどんどん加速していく。そして、2人の速度が最高潮へと達しようとする時、ジャイロは再びこちらを向いた。

 

 「あんた、どうやら『引く気』はないようだな」

 

 その、何やら自分自身に言い聞かせる決心にも似た彼の言葉に一瞬思考を停止させられる。そして、その止まった思考へと聴覚から不可解な、このレースで自分以外に聞くことがないと思っていた音の情報が流れ込んでくる。

 

 シュル、シュル、シュル、シルシルシルシルーーーー

 

 先程彼が手綱から放した右手だ。ただ単に、自分は片手を放したとしてもお前に勝つことが出来るといった意思表示の現れだと勘違いしていたが、それは大きな思い違いだった。

 

 その手に握られている、丸く手に収まりそうなゴルフボールほどの大きさの()()は、自分の首元に冷たい汗を流した。

 

 「あんたに対してこれっぽっちもすまないという気持ちは湧いてこないが、悪いな。恨むんならーーー、そうだな。俺じゃなくて運命を司る神様にでも苦情を言っておけ」

 

 すると、ジャイロは先程まで上げ続けていた加速を急に緩め、『鉄球』を前方へ投げる素振りを見せた。

 そして突如真向かいの、ジャイロの方ではなく自分の前方で『砂嵐』が巻き起こる。その『砂嵐』は不自然なほど、いや元々彼が投げる素振りをした瞬間に『砂嵐』が巻き起こる時点で不自然なのだが、なおもその砂嵐の中心で()()を続ける『鉄球』

 

 『鉄球』は砂を巻き上げ小さな石すらもこちらへ飛ばし、そして回転を続けるその砂嵐の先には、乾燥地帯原産の多肉植物で多数の針をもつ『サボテン』、そしてその砂嵐は『サボテン』を爆発させるかのように破裂を巻き起こした。

 「喰らってイナカに帰りなァーーー」

 

 こちらへとショットガンのように迫り来る小石と針の弾丸。その弾丸の群れと彼が握っていた『鉄球』を見た時、一瞬だけ、ほんの少しだけだが、この10数年鉄球操作に明け暮れ、手足のように扱ってきたと言ってもいいこの自分が、()()()

 

 まさか、そんな事が起こる可能性自体はゼロではないとは思っていたが、レースが始まってまだ1時間も経っていない時点で、しかも『鉄球』に焦らされる事があるとは。

 

 ーーーだが、こんな時の為にと胸元のポケットにアレを『バラ』しておいてよかった。

 

 おもむろに探る胸ポケットの中には、小さな石ころのような玉が1つ。

 

 レッキングボールがその身に纏う14の衛星の『1つ』。そう、たった『1つ』だけだ。強すぎる衝撃波で巻き起こるレッキングボールの左半身失調も、衛星をひとつのみに限定されれば威力も半分以下、発する症状も軽い立ちくらみ程度となってしまう。

 一見、命を取る取られるの戦いでは役に立つことがなさそうなもの、だがこのレースのこの瞬間ではその立ちくらみの一瞬が大きな隙になり、順位を変更する大きな一打と成り得る。

 

 「ぬぉおっ!?」

 「ブバァアアアーーー!」

 

 まぁ狙いのターゲットに当たれば、なんだが。

 

 『どうしたウルムド・アブドゥルーーッ!

 優勝候補と思われていたウムルド・アブドゥルのラクダが急に姿勢を崩し転倒したぁーーー!落馬、ウルムド・アブドゥル落馬ですッ!!』

 狙いのツェペリとは大きく逸れた衛星は、ツェペリへは当たらずジャイロすら気付かぬ間に後ろに迫っていた、優勝候補のエジプト遊牧民ウルムド・アブドゥルのラクダへと効果を発揮し、力が一瞬抜け、大きくバランスを崩したラクダは足から崩れ落ち、乗り手ごと転倒した。

 一瞬目に入るラクダの下敷きになった彼の顔に、何か既視感のようなものを感じるも、すぐさまツェペリの叫び声がその考えをかき消す。

 

 「ーーーってめぇ、今なにをしたッ!ビー玉みてぇな、いやまさかーーーッ!!?まさかあの反動はッ!『衛星』じゃあねェーだろうなッ!あぁッくそ、馬に当たったらどうしてくれんだッ!」

 

 馬の走る音で遮られて、ツェペリの叫ぶ声は途切れ途切れに耳へと入るが、深い内容までは理解することができない。まぁ、なにかの挑発の類なのだろうが、ああいった相手の心へ揺さぶりをかけるものに対しては『無視』というのが1番有効だ。

 

 今度は外すまいと、自分の心へ言い聞かせ再度残り13個目の衛星の内の1つを投げようと指の間に挟みこむ。しかし、それもまたもやツェペリとの間に割り込んできた人物によって再び狙いが狂い、あられも無い方向へ着弾する。

 

 『んーー!?ここで2人に並んでいるッ並んでいるぞォォーーーッ!いつの間にか2人の加速に追いついている者がいる!』

  

 絵に書いたような端正な顔立ちに、アルファベットで「DIO」と大きいバッヂのようなものが付いている帽子から垣間見えるブロンドの髪。その時点で彼が優勝候補の1人か、最低でも驕り高ぶり調子にのっただけのゴミではないという事が感じ取れた。

 

 『追いついたのはーーーディエゴ・ブランドーだァーーーッ!』  

 

 (邪魔が入ったかーーしかし小さくて的を絞りづらい、もう少し練習しておくべきだったか)

 

 平然と、まるで今までの自らとツェペリの争いが無かったかのようにトップ争いに参戦し、辺りの雰囲気を落ち着いたものへと変える彼の悠然とした口調は、ただ一直線、ただゴールのみを見据え口を開く、

 

 「··········それがなんであろうと、必ず『クセ』というものがある。それは機械であろうと生き物であろうと個性というものがある。ーーー生き物なら尚更だ」

 

 ーーー5、6、7ーーー8呼吸目。

 

 「左にぶれる」

 

 ディエゴがそう呟いた瞬間、確かにジャイロの馬は8呼吸目丁度に微かに左によれ、一回目、2回目とその度にディエゴとの差が縮まって行く。 

 

 『ジャイロついに抜かれたァーーーッ!ディエゴ・ブランドー頭ひとつ抜けたァーーーーッ』

 

 流石優勝候補と言うべきか、どうやらこの短時間でツェペリの馬のクセを見つけ、攻略法を見つけ出した。さすが腐っても彼は優勝候補、自分やツェペリのように物理的な行動によってではなく、「馬としての」技術を持ってしての『技』だ。ジャイロもどうかはしらないが、馬に乗る経験がほぼないに等しい自分とは違い、相手はプロのジョッキーである。ツェペリと俺との差は目に見えるようにみるみる広がっていく。

 

 「635番、あんたの馬も8呼吸目に体を沈めるクセがあるようだぞーーー」

 

 追い抜かれぬよう、グッと手綱を握る手に力を込めた自分の横を、1stステージの距離表示の看板が過ぎてゆく。

 

 『ここで12000の表示ィィィッ!枯れた川です!どんどん後続の2人を突き放してゆくッ!ディオことディエゴ・ブランドーが最初に橋を渡りますッ!』

 

 ーーー6呼吸、7呼吸目、8呼吸目。

 ディエゴが呟く度に、さらに差が広がる。ディエゴが言っていることは確かに乗っている側からすれば気づきにくい。気づきにくいがしかし、よく注意深くなればやつの言っていることは間違っていないようだ。

 

 すでに彼が指摘してから4周期目ほど。自らとツェペリとの差は変わっていないにも関わらず、ディエゴとの差は馬が呼吸をすればするほどに広がっていく。

 

 そして、何処から見ているのかわからない司会の煽りが、さらにそこまで離れていないディエゴとの距離を絶望的な距離へと思わせる。

 

 『追いつけないッ!追いつけないッ!もう誰もディオに追いつくことができないーーーーッ!!!』

 

 絶望感はなおも自らを押し潰そうと、もう、本当にこのまま自分はディエゴに追いつく事は出来ないのだろうかという疑問を提示してくる。

 

 しかし、ーーーここで諦めたら何も得ることはできない

 

 ここでもう、追いつくことができないなんて事はないはずだ。もしここで、こんな所で諦めてしまったら、それこそもう先生に、顔を見せることはできないーーー。ここで終わるわけには、いかない。

 俺の夢を、あそこへ戻ってあの場所こそが自分の居場所なのだと思いたい。あの頃の俺とはもう違う。責任を果たす事が出来る年齢になって、力も身につけた。そしてこのレースで優勝し、金を手に入れて村を再興させる。

 

 これからする事はツェペリもおそらく、同じ考えだろう。

 

  「「()()()()()()()()()()()()」」

 

 ジャイロツェペリと台詞が重なる。

 馬に悟られないないギリギリまで、肉体にまで行ってはいけない。馬の皮膚を支配するように、鉄球を馬の太腿辺りに乗せ回転させる。

 そう、皮膚まで、回転は皮膚までなら筋肉に悟られることはなく、馬が暴れることもない。

 

 鉄球の回転により限界まで馬のクセを、沈む時の反動が増幅され馬が橋の上で前方に進むという行為をするだけで、どんどんと板が崩れ落ち、クセを増幅させた自分とツェペリの後ろへディエゴを橋の先へ進むことができないよう追いやる。

 

 『どうしたんだあーーーッ橋板が砕けて落ちていっているぅぅ!後続の2人はそこを無理やり突っ込んでいっているがしかしーーーッ!!ディオ 一旦橋を降りて渡りなおすしかないーーーーッ!ディオ遅れた!大きく遅れました!』

 

 「ーーーぐッ·····あ、あいつら.......!」

 

 「あんたーーーまぁまぁ、やるじゃねえか」

 

 実質ジャイロと自分の一騎打ちというレースにはなったが、結局はただ先程と同じふりだしに戻っただけだ。先生以外、初めて会った鉄球使いーーー、争うのに申し分ない。

 それに、おかげでアドレナリンでイカれた頭を冷やす事ができた。

 

 

  『────やはり依然トップは変わらず、この2人がトップ争いを繰り広げています────ッ!』

 

 

 第1レース終了まで────残り2500m

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 


 
 
 
 誰がどう動くかーーー、これから少しづつ原作と剥離していきます。
 
 
 
 

 
 
 


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第23代大統領

 

 

 

 「あんたもっ、いい加減諦めたらどうだーーーー!」

 

 おそらく、レース開始以来初めて出した自分でも驚くような大声。そして、そのような声を出させた元凶、ゼッケン『B−636』のジャイロ・ツェペリにそう呼びかける。

 

 しかし、なおもジャイロの妨害の手は緩む気配は無い。

 

 現在、1.stレースも残り3分の1ほど、最後の直線へ向け自らをより有利にするためには、他の参加者とさらなる距離を離すことが重要となる。

 

 そして、このスティール・ボール・ランには大まかなルートは決められてはいるものの、1レースごとに細かに指定されたルートというものは存在しない。

 

 要するに『ショートカット』は反則ではないということである。

 

 その1000mほどの距離を浮かせる事となるショートカット、『林越え』をするという選択。同じ鉄球使いという点においてなにか通じる所があるのだろうか、この林の中に躊躇なく入った時点でツェペリと自分はどうやら同じ思惑だったようだ。

 

 だがその選択肢はリターンが大きい分、リスクも孕んでいる。

 このレースにおいて命の次に大切となる馬。

 鋭い棘を生やした林に突っ込むということは、自らの『足』に傷を負わせる危険性があるということだ。

 そうした中で臆する事無く、我先にと突入した林越えの中で、なおも続く鉄の球同士の鍔競り合い。

 それは雑木林で監視員から姿が隠れた事で、より一層激しさを増すものとなった。

 

 ジャイロが回転をかけた鉄球を投げると、その鉄球の着弾点とその周りの雑木林は形を変え襲いかかってくる。

 それに対抗するために衛星を親指で打ち出し、進路を妨害する木の根本を撃ち落とすという応酬が続く。

 

 「ジョッキーに対する攻撃はーー、禁止されてるはずだろうよーーッ!」

 「 ーーーおたくが黙ァ〜って1位の座を明け渡すっつぅーんなら、俺はやめたってかまわないぜ」

 

 まるで、先程の問いかけに返事をするかのように投げられたツェペリの鉄球を顔面衝突する寸前で避け、『回転』で向きを変えられた雑木林を乗り越え難無く回避する。

 

 「ぐえッーー」

 「おっと、怒るなら俺の球を避けたやつに言ってくれよなァーー」

 

 背後でカエルが潰れたような断末魔が聞こえた。おそらく、2馬身ほどの僅かな距離まで詰めてきていた別の参加者が巻き込まれたのだろう。

 枝に直撃して馬の背の上から騎手が消えたことで、パニックに陥り暴走した馬だけが後方から抜け出て横に逸れていった。

 

 当たってたら一発アウトだったなーーー

 

 舌打ちするのと同時に、即座に残り2つとなった衛星を手綱を握っているのとは逆の手で構え、発射する。

 狙いはツェペリの回転で生まれた木々はもちろんのこと、ツェペリが近道をするために一時的に開けていた雑木林の抜け道を再度固定し、尚且つその軌道を変えてただの雑木林の『通り道』ではない、馬が加速する『キッカケ』へと形を変える。

  

 陸上世界では「スターティングブロック」というものが存在している。

 

 それは主に競技の中で人間が使うものではあるのだが、100mリレーやハードル走のスタート時に用いられ「加速度0」の状態の選手を、スタートと同時に即座にその選手自身の最高到達スピードへと押し上げることができるという優れものであった。

 

 じゃあもしも。もしも、だ。

 

 偶然にその段差に気づくことになってしまうと転けてしまうかもしれないが、もしも走っている最中に意図的に「スターティングブロックに匹敵するなにか」を作ることができて、それを利用できるとしたら。

 

 もしも使用者が最高時速17kmのマラソン選手ではなく、最高時速72kmの馬だとするならば。

 この行動が“正しい行動”であるならば、おそらく5馬身ほどの先にいるツェペリを追い越すことなど容易だろう。

 

 

 

 ーーーまぁそれも、「自分」が利用できればの話である。

 

 

 「悪いがーーー私にも()()がある」

 

 まるでこうなることがわかっていたかのように飛び込み、俺の「キッカケ」を利用しツェペリへに迫っていったのは、まさに流星が如く。

 ()()の髪を揺らしながら、1ミリも悪いと思っていないように手綱を振り回したその女は、レースの受付でぶつかった名も知らぬジョッキーだった。

 

 「賞金も私が頂く」

 

  こいつ、こんなに早かったのかーーーというより今どこから出てきた、そんな思いが一瞬湧いたもののその考えは即座に頭の片隅に追いやられた。

 視界の隅に、ひときわ輝きながら摩擦音をたてる“モノ”

 それはーーー木漏れ日に当たって輝きを放つツェペリの鉄球だった。

 ギロリ、とツェペリへと恨みの目線を向けるも、帰ってきたのは彼の金色に光る歯がちらつく微笑みだった。

 そして、背後から抜け出してきた女がこちらへ振り向く。

 

 「お前の背はいい傘になったーー」

 「ーーーああ、そういうことか」

 「仲良くお喋りすんならよぉ〜、馬から降りてバーにでも洒落込んどいた方がいいんじゃあないかーー?」

 

 赤紫の髪の女が争いに参入してもなおやめない彼の闘争心は、最早ゼッケン番号「635」と「636」の1位争いどころではなく、もはや『鉄球使い』としてのツェペリと自らの意地の張り合いだ。

 

 そしてツェペリは、どうしても負けるわけにはいかないとまたも鉄球で枝を操作し、次は先にリードをしようとしたホットパンツへ狙いを定めた。

 

 回転がぶつかり、鋭い枝を携えた木はまるでゴムで出来たようにその体をしならせる。ある一定まで枝先を捻ると、逆側から手で弾かれたようにその身を凶器へと変えた。

 

 「はい、1人脱落ゥ〜」

 「ーーー舐めるな」

 

 だが、彼女は手綱を振り直し馬をいきり立たせると、その勢いに身を任せなんなく枝をすり抜ける。

 ーーーが、ツェペリはニヒルな笑みを浮かべたままだ。 

 

 「おっとォーー、ある程度はやるみたいだが、回転は持続するし、()()()()()()()()()()()()んだぜ」

 「ーーーー!?」

 

 彼女がすり抜けた道の先には、体を捻らせた木の群れが大口を開けて待ち構えていた。

 その大群は、彼女が突っ切ろうとするやいなや、とてつもない勢いでその道を閉ざし始める。

 

 彼女が枝にぶつかるコンマ数秒、加速しながら彼女に近づき、咄嗟に胸元に隠し持っていた予備の鉄球を右前方に投げ込む。

 少し右の軌道からそれたそれは、空中でその身からまた新たな小型の鉄球を打ち出すと、それぞれが襲いかかる木の根元から植物全体を元の形に戻していく。

 

 「あんだよ知り合いかーー?」

 「ーーーなんのマネだ」

 「拾ってくれた借りだ」

 

 自分でも助けようとはまったく思っていなかった。だが気づけば体勝手に鉄球を投げていた。普通に考えればライバルが一人減るのにも関わらず、だ。

 

 「だがーーー」

 「おいおいおい、前を見ろーーッ!」

 

 続け様に何かを言おうとする彼女の3馬身先には、先ほどの枝の背後に隠れていた大木が倒れていた。明らかに気づいていない様子の彼女に声を掛けながら再度鉄球を投げようとするが、この距離では間に合うわけもない。何とかして彼女を動かさなければ衝突すること間違いなしだ。しかしーー

 

 「私をただの女だと見くびると痛い目を見るぞ」

 

 次の瞬間には衝突すると思われた木を前にして、彼女は避ける予備動作すら見せない。その顔に、動揺の色は見えなかった。

 

 「少し、肉を動かす」

 

 そして、冷静に胸元から”何か”を取り出すと、普通の人間ではありえない方向に肉体が動き、衝突を免れた。

 

 「気持ちわりぃーーなんだその動き……」

 「後ろを見るとはーーずいぶん余裕があるようだな、ジャイロ・ツェペリ」

 「チィーーッ!」

 

 彼女はそのまま加速度を上げていくと、自分とツェペリの間まで馬体を差し込む。

 だが、ここで引き下がっているようじゃあこのレースで一位を取るなんぞ夢のまた夢だ。最初は全くやる気を持っていなかったとはいえ、どうせ出るなら一位を掴む。それに、ここまでちょっかい出されてツェペリに負けるのは癪だ。 

 そうして、そのまま三匹の馬がもつれ合いながら我先にと林の中を突き進んでいく。

 

 そんな中でもツェペリは鉄球を投げ続けるのを止めない。それに負けじと自分も鉄球を投げ返す、そうした応酬が幾度も続いた後、突如前方の暗闇の先から一筋の明かりが差した。

 

 視界一面を覆う光ともに、同時に再び耳に入ってくるスタート開始時に聞いた覚えのある拡声器からの声。

 

 『───1頭だけ!見えたッ見えて来ましたッ!!

 林越えを1位で抜け出てきたのはーーーー!!』

 

 

 

 

 

 『──────ジャイロ・ツェペリだ───ッ!!』

 

 

 

 

 

 

 「元気ないねェ〜」

 「うるさい」

 「ッかぁ〜! 相変わらず冷たいねぇあんたはよォ、まだなんもいってねえじゃねえかあ」

 

 各ステージごとにおかれてある選手のための休憩所、もとい記者から詰め寄られる会見場である食事用のテラスでゆっくりと体を休めていたのにもかかわらず、その世界各地のワインや名産品が集まっている休憩所、すなわち自らの聖域は見覚えのある季節外れの格好をした男に汚されてしまった。

 

 「いや〜、あれはしょうがねェよ。誰も()()()()()()()()なんてことは思いつかないぜ。だがあれってアリなのか?」

 

 最後の───残り数十mといったあたりだったはずだ。

 メンバーは赤紫の彼女に、いつの間にか後方から追いついていたディエゴ、半身不随のジョニィにあの憎きツェペリ、それに加えて何故か大陸横断レースというのにもかかわらず一人だけ自分の身一つで参加しているというイカれ野郎。のちに聞いた話ではインディアンであるそうだが、それにしてもあの身体能力はおかしいだろう。

 

 そこまでほぼ全員がゴールから同じ距離で並んでいたが、最後の数m。そこで初めに動いたのはスタート目前で既に満身創痍となっていたジョニィ・ジョースターだった。

 あんまり『奇跡』や『運命』だとかいう陳腐な言葉は好きじゃないんだが、あれはまさにそれに該当するものといってもいいほどだった。

 いくら彼にやる気があるとはいえ、偶然ゴール手前に埋もれていた木をバネのようにしてトップに躍り出すなどわざと起こすことができるだろうか。

 

 だが、それよりも驚いたのはあのジャイロ・ツェペリだ。

 序盤にスピードを上げすぎたことが影響したのか、林越えを一位で通過した後は前に乗り出すこともなく他の参加者と同じペースで横並びになっていたのにも関わらず、ゴール手前でぐんぐんとトップに躍り出していった。どうやらある程度まで馬の脚が回復するのを待っていたようだが、それにしても序盤に走り抜けた馬が出せるスピードではなかった。だが、現実は確かにツェペリがリードし、ライバルたちと距離をうんと放していく。

 まるで風が彼だけを援護しているように見えたが、そのトリックは彼が羽織っていたマントと、そこで回転し続ける鉄球にあった。

 そのままでは風に吹かれてたなびくだけのマントは、鉄球の回転によって先が固定され、マントがヨットの帆の形になり風をその身に受けていく。そうしてその風は彼の体を押し、船である馬の速度をさらに上へと押し上げていく。

 

 全くもって認めたくはないものの、あれは戦略として彼のほうが優れていたと認めざるを得ない。

 だからこそ、負けた自分が悔しく、久しぶりに機嫌があまり良くなかった。

 

 だのに、目で彼を、目の前にいるマジェントを睨みつけながら早く帰ってくれというオーラを全力で出しているのに、そんなもの彼は1ミリたりとも気にしていなかった。

 よく見ると先程まで手元に置いていた自分のワインが消え失せ、変わりに彼の手元に、自分用に入れていた海外製高級ワインが残り一口となって存在していた。

 

 「おいおいおいおい───、そんなに怒るなってよぉ。また後で新しいの入れてきてやるって、な?」

 

 そういう問題ではない、と言いたいが疲れが溜まっていたこともあり言葉が口から出なかった。気分転換にワインを飲んで忘れようとしていたのに、これじゃあ気分転換の気の字すらできていない。

 だが、ここでイライラしていても何にも繋がらないことは確かだ。ここはマジェントと会話するのも悪いことではないのかもしれないと思い、何故ここにいるのかと尋ねた。

 

 「ーーーあんたに会わせたい奴がいるんだ」

 

 すると突然、神妙な面持ちでそう言い出した彼に、いつもと違う雰囲気を感じた。

 が、こちらも疲れている。今は誰とも会いたくないと拒否したものの、それをマジェントが更に拒む。そこまで会ってほしいのなら譲歩してやろうと、少し休んで夜はダメなのかと聞いてみたが、彼が今すぐにと急かしてきた。珍しく、何やら重要な話らしい。

 

 「というよりも、会ってもらわなきゃ困る。命令されてるしな」

 「誰なんだーー相手は」 

 「それは会ってからのお楽しみだな」

 

 鬼が出るか蛇がでるかーーー、マジェントから誘ってくるというのはどちらにせよ碌なことではないだろう。しかし、マジェントに借りがあるのも確かだ。ここは大人しく従っておこう。

 

 「これで借しはチャラだぞ」

 「さぁーーーどうだか」

 

ーーー

 

 

 休憩所から抜け出し、車に揺られながら場所を何度か変えられること数分。生では一度もみたことのなかった、見るだけで分かる豪華な場所へ連れてこられた。

 

 辺りには何十人もの警備兵がそこを囲っている。

 

 国の中心人物───いわゆる首相や総統など国によって呼び方が変わるが、ここ“アメリカ”のと言えば、それは大統領である。

 そしてそのアメリカでは大統領と呼ばれる立ち位置のものだけが居住を許される『ホワイトハウス』というものがある。

 白を基調とした美しい建物で、およそ一世紀も存在しているのにもかかわらず近年の鉄道やら蒸気やらのどちらの影響も受けていない、真っ白な壁を携え、それはそこに存在していた。

 

 警備兵に連れられ、その中の一際重要な、というよりはプライベートとなる部分───大統領本人だけでなく大統領の家族も住んでいるのだから当たり前なのだが───レジデンスの名がついた、まさしく大統領一家が居住する区域の一室。

 アンティークやらピアノがひしめく中で、一際存在感を出している男が奥で待っていた。

 見事にカールした艶のある美しい髪を携え、高級なソファに一人の男が腰掛けていた。

 

 「君がーーそうか…」

 

 彼とは初対面ではあるが、自分は彼を一方的に知っていた。

 

「私の名はファニー・ヴァレンタイン。 ーーー第23代アメリカ大統領と言った方がわかりやすいかね?」

 

 そりゃあ自分の住んでいる国の最高権力者なんて誰だって知っていると答えるだろう。

 だが、記憶にある姿とは全く異なっていた。髪型は、イギリス貴族のような巻いた髪をそのまま伸ばしたような、高貴なものであることは変わりない。けれど顔つきが、というのはもちろん、そもそも骨格からして全てが過去に州の党大会で見かけた際の記憶と似ても似つかない。

 

 確かに、あの頃も見かけよりはだいぶ軽快に歩き、その重さを感じさせないようなオーラを身に纏ってはいたが、ここまで痩せてはいなかった。

 何より、彼の肉体から感じるオーラが違った。服の上からも分かるほどに生命力に溢れ、気品を感じさせながらも、どこか野生味の危うさを醸し出していた。

 骨格はがっしりとし、背丈は有に180は越えているだろう。彼とは少し離れているとは言え、同じ部屋にいるだけで圧迫感を感じるほどだった。

 

 彼が片手を上げ、そばに立っていたお付きの大男二人を外へ出すと、手に持ったティーカップを目の前へだした。

 

 「ほら、わざわざ先遣隊まで送って採らせた───そんじょそこらのバリスタじゃあ味わえない代物だ、うまいぞ? 」

 「───」

 「まぁ、そう身構えるな」

 

  確かに、道中が思ったよりも時間がかかったせいで口は水分を欲しているが、飲んでいる場合ではない。

 毒か、何かーーーだが彼が私を毒殺して一つもメリットはないということはわかっている。しかし、彼が本来持っているのだろう威圧感がその動作を受け付けさせない。

 

 「──────」

 「………」

 

 飲むべきか、飲まざるべきか。

 いつ使うかすら分からなかったが、かつて読んだマナー本ではこういう時に出されたモノは飲まない方が良いとあったはずだが──────しかし、彼のじっとした視線に勝てるはずもなく、出された飲み物を音を立てないように慎重に飲む。

 

 「どうだ ? 」

 「とても───」

 「そうだろう、そうだろう……。“ここ”ではあまり感じられない味だからな。いわゆる高級、というやつだ」

 

 彼が私を呼んだ理由がわからない。それこそ、マジェントがここに連れてきた意味も含めだ。何故マジェントは大統領と繋がりがある。何故大統領は俺をここに呼び出した、一体何の目的なのかーー考えれば考えるほど疑問は尽きない。

 

 すると彼は手に持っていたティーカップを更にゆっくりと乗せると、大統領のみが腰掛けることを許された椅子に腰をかけた。

 

 「君も驚いているだろう。たかが、一介のヒットマンに過ぎないマジェントと、私が繋がっていること、そして“引退した”らしい君が呼ばれた意味に」

 

 窓の外を眺めながら、午後のティータイムであるかのように悠々自適と話し始めた大統領。すぐ横に突っ立っているマジェントを横目に入れると、彼は未だに手に持ったコーヒーをゆっくりと飲んでいた。そういえばこいつ猫舌だったなーーー。

 

 「ーー勘違いして欲しくないのだが、何も私はマジェントとだけ繋がりがあるわけではない。その他にも、私の協力者は多くいる。だが、その中で君とコンタクトが取れる者はマジェントだった、ただそれだけだ」

 

 そう断りを入れながら、彼は目の前にある椅子を指差し、そこに座るように前へ差し出してきた。

 

「先に言っておくが、この話を聞いた瞬間に、否応なく君は私の協力者となる」

「ーーーどちらにせよ、断ることは出来ないんでしょう」

「それは君の態度次第だ」

 

 これは最早我が国だけの問題ではないのだから、そう言いながら、彼はことの発端を話し始めた。

 

 まず初めに、彼自身が大統領であることの目的からだった。始まりは彼が大統領になる前に、ある遺体を手に入れたことから全てが始まったと言う。

 

 それは『聖なる遺体』と呼ばれる遺物だそうで、持つものに幸福を得るための権利を与えてくれるのだと、そう彼は語った。

 話を聞いたときは、遺体と言うには何かの隠語なのだろうと推測していたが、それは実際に”人の”という意味での遺体なのだそうで、文字通りかつての聖人が死んだ後にバラバラとなった死体であることが告げられた。

 

 聖人といえどただの遺体だろうと思いながらも、彼が途中で話を止める気もない様子であったのを見て、その場はそういうものがあるのだと流す。

 

 続けて彼は言う。それを全て集めた時、この国は誰に負けることもない、史上最強の国へと成長するのだと。

 

 ただのお伽話に聞こえたものの、おそらく彼は本気で語っているのだろう。途中から白熱し、口からは唾が飛び散りながらも、その金色の髪を揺らしながら熱弁していた。

 

 「もしかして君は今ーーー私がそれを悪用しないかどうか考えたか?」

 「いやーーー、そういう扱いもできるとは考えましたが・・・」

 「ああーーいや、敬語はなしでいい。正直者は好きだ。だが、実際それは可能だといっておこう」

 

 ツカツカと、モデルの様に目の前を歩き始めると、壁に掲げてあった地図を指し示した。

 

 「だから、それが起きる前にこのアメリカ各地に散らばるその遺体を私が集めねばならない。私こそが有効活用できるからだ」

 「有効活用ーーーか」

 「そして、その遺体集めを実行するためにふさわしいのが、このSBRであり、協力者を集めているのだ」

 「だから()()()()()()()()()()というわけか?」

 「その通り。だが、それは始まりにすぎないーー」

 

 どんな作戦にも準備をすることに越したことはない、それは俺も同じ考えで、実際に大統領もどこかで話を聞きつけた他国のスパイや、私利私欲のためだけに遺体を奪おうとする輩が出ることは予想しており、それに対する対策も全て抜かりはなかったそうだ。

 だが、レースが始まる数日前にそれは起こったという。

 

 「先じてルート確保のために遺体を取りに行かせた隊が、丸ごと消えたのだ。50人のうち、1人を残して”49人”全てが、だ」

 

 そして、徐に彼が机の上に紙束を並べ始める。

 

 「これがそれをまとめた資料だ。これから共有する事柄は他言無用だぞ」

 

 目線をやると、その資料とやらは日付が黒塗りで、正確にいつの出来事なのかは隠されていた。

 そこからして、明らかにやばい代物だということが分かり読む気がまったく湧かない。

 けれどこちらを見つめる大統領の様子からして、読まない訳にはいかないだろう。

 意を決して数十ページにも及ぶ調査記録に目を通し始めた。

 

 

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 『×年×月×日ーー調査記録』

 

 その日はとても天気の良い、山登りの訓練をするのには絶好の日だった。

 二、三時間かけて山を登り、頂上を経由してから麓まで戻るというなんでもない年に数度ある恒例のイベントだった。

 

 皆で協力しあいながら山を登り、野営地を立て、少し時間が経ち、皆がようやく一息をついた頃にーーーーソレは現れた。

 

 皆が着込むほど高地だというのにもかかわらず、服一枚すら着ていない女が、気がつくと野営地のど真ん中に立っていた。

 

 その女は誰しもが一度は夢見るほど美しく、可憐で、儚く、気品すら纏っていた。

 一見すると相反する特徴を持っていたのかも知れないが、それは実際に目で見たらわかる。そうではない、そうではなかったのだ。

 

 確かに、彼女は全てを兼ね備えていた。顔も、スタイルも、髪も、古代ギリシアの作品群から飛び出したと言われても信じれるほどだった。

 そして同時に、明らかに普通の人間ではなかった。服一枚すら着ていないのだから当たり前であるが、そいつが持つ独特の雰囲気、それがその女の正体を表していた。

 

 そこから少しして、そこから女が動こうとしないことが分かったことで隊の男が一人、その女に近づいた。

 そいつは確か、女好きだったか、とにかくだらしないやつと隊でも有名だったが、おそらく体を触ろうとしたのだろう。

 

 すると、バランスを崩したのかその男は女の胸元に飛び込んだ。数秒体に埋まり、モゴモゴとしたと思ったら、だらんと体を垂らした。 

 そうすると野次馬がわらわらと集まりだし、盛るなだの、俺も混ぜろだの、場が盛り上がり出した。

 だがその男は女の胸元に顔をうずめるばかりで、そこから一ミリも動こうとしなかった。

 何してんだーーー日記を書きながら横目でそれを見つめていたが、女が一歩動き出したことで、ようやくその女の狂気が見えた。

 

 ーーー男の顔の半分が削り取られていたのだ。

 巨人がスプーンで綺麗にすくい取ったかのごとく、女のボディラインに沿って、ちょうど顔がえぐられていた。体の支えがなくなったからか、男が地面に横たわると同時に、脳みそが床にぶちまけられた。

 

 皆、とっさに銃を構えた。軍の中でも持つものは少ないだろう、最新鋭の銃を構え、威嚇射撃もなく、居合わせた数十人が一斉に。

 

 そうして銃の雨が数秒続いた後。

 銃声がやみ、硝煙が晴れてあたりが見えるようになった頃にはーーー”隊”の半分以上が死んでいた。死体は穴だらけになっており、まるで自分たちが打った銃が全て跳ね返されたようだった。

 

 煙が晴れると、女は倒れることもなく、銃の雨に打たれる前と同じ位置から一歩も動いていなかった。

 

 ーーー化け物

 

 誰かがそう言った。その瞬間、女がまた別の隊員に近づいた。皆、動揺して体が動かなかった。

 

 そして、女が腕を振るった。

 血が空に舞い、顔をもぎ取られたその隊員は膝から崩れ落ちた。

 

 皆、再び銃を構える。またも銃弾の雨が女に降り注いだ。

 だが、私はその手助けすらせず一目散に逃げ出した。だって、そうだろう。全員とは言わずとも、半数以上が銃で一斉に撃ったのにもかかわらず傷一つつかない女にどうやって勝つというのだ。

 走り、走ってーー、背後からは銃声と共に、誰かの叫び声がずっと聞こえていた。

 

 しばらくして、麓にあった第一拠点に戻った。そして、応援を呼ぼうとした。だが、そこで気づいた。呼んでどうするーー、どうせ誰も勝てるわけがないのだ。私は受話器を投げ捨てると、急いで扉から飛び出そうとした。

 

 すると、何やら大型の鳥の羽音があたりに響いていた。トンビか鷹かーーーそれと同時に誰かの声がまたも耳に飛び込んだ。だが、その声は一度で響き終わることなく、少しずつこちらに近づいて来ているようだった。窓を覗くと、自分と同じように麓からおりて来ていたのか、隊員がこちらをのぞいていた。

 よく見るとその顔には見覚えがあり、隊の中で特に自分と仲が良い一人だった。少し汗をかいているように見えたが、特段いつもと変わらないように見えた。

 

 だが、窓越しにそいつに話しかけても、そいつは『よう』というばかりで、こちらの言葉には全く返答しようとしなかった。

 さすがに様子がおかしいと思い彼の肩に手をかけて体を揺さぶると、いとも簡単に落ちた。彼の、頭が。

 

 声が出なかった。体も、金縛りにあったように動かなくなり、ただ彼の首から少し突き出た脊髄で何かが蠢いていた。

 

 それが何か、確認しようとする気も起きず、震えた体を叩き起こしながら逃げ出そうとすると、屋根上から彼の声が聞こえた。

 

 あの、女がいた。

 

 一糸纏わぬ姿で、あれほど人を殺したのにもかかわらず体に血は一滴も付いていない。そして、その腕は巨大な鷹の羽のように変形していた。

 

 それが、彼の声で喋っていた。

 声も出なかった。友の死体すら気にする暇もなく、脇目も振らずに飛び出した。

 

 そこからは覚えていない。

 

ーーーーー

 

 「ーーーそのような奴をこの国に野放しにしておく訳にはいかない。彼がいうには、そいつは遺体と思わしき物を右手で持っていたらしい」

 「それでーーーそいつを始末しろと、そういうことか?」

 「そうだ、だがこれには人が必要だ。常人ではなく、卓越した戦力である人間何人もいる。だから、裏で名のある君に依頼したというわけだ」

 「ーーーーー。」

 「で、どうだね。ここまでの話を聞いて、君はどう思った」

 

 そう言いながら俺の感想を聞いてくる大統領に対して、外していた目線を合わせた。初めにここにマジェントと共に呼んだ時点で、もともと協力を拒否させる気はないだろう。 

 それに、SPを部屋から出し、2対1の状況ですら彼は動揺することなく、むしろ自分から積極的にその環境を作り上げた。

 ーーー明らかに舐められている。だが、これこそが彼の自信のあわられだろうことは肌で感じていた。それこそ、彼の持つ得体の知れないナニカも。故に、彼に与することで自分に何の利益があるかを聞いた。

 

 「ああーー何を成し遂げても、それに値する報酬はあるべきだ。それが資本主義の基本であり、守られるべき社会だ。それに関しては君が望む最上級をひとつ、用意しよう」

 「ーーーーなんだ、それは』

 「そうーーーー例えば、君の記憶の話ーーとかどうだい?」

 「ーーーーーッ」

 

 誰にも話した覚えはない。それこそ、先生にすら詳しく言った記憶はない。そして、その動揺は大統領にはいともたやすく見破られていた。

 

 

 「ーーーこれからよろしく頼むよ」

 

 

 

 

 

 そのまま、気づいたらレース参加者上位に各々支給されるコテージへと戻っていた。

 

 自分が完全に大統領のペースに飲まれていたことに嫌気がさす。

 

 ああいった、自分が思うように手の上で全てを動かし傍観するタイプは一番嫌いなんだ。何もかも見透かしているようなあの目、だが、実際に大統領は自分にしか知り得ない自らの記憶について知っていた。

 誰にも、一度も詳しく話した覚えはない。

 

 そうなれば、最早記憶を()()()()可能性を考えるしかないだろう。

 彼自身がスタンド能力者でーーー、記憶を覗くことのできる力を持っている、もしくは、彼の配下がそのような能力を持ち、それを又聞きして揺さぶってきたのか。だが、どちらにしてもこちらのことは筒抜けであると考えた方がいい。

 

 気がかりなのは、何故俺だったのかだ。多くのヒットマンを雇っているとは聞いたが、ーーーいや考えても無駄か、

 

 2ndレースは明日の10時からだ。

 

 彼の探している遺体とやらも、それを集めることが自分に正しいことなのか、悪であるのかは分からない。けれど、彼が国を語るときの熱意は、とてもじゃないが嘘とは思えなかった。

 

 存外、自分も甘い人間なのかもしれない。

 

 寝るにはまだ早いが、今日は疲れた。明日の朝に始まることも考えれば、早めに寝ておくべきなのだろう。

 

 「チュウ‥‥」

 

 枕元の隅に置いてある、小さなバスケットの中にネズミのパーシーを胸元のポケットから手を伝わせ渡らせた。

 

 「ツェペリの時は、助かった。ありがとな」

 

 そう彼に言いかけると、パーシーは満足そうに伸ばした親指へと頬擦りをした。

 そのまま、親指と人差し指で豆のような顔をワシワシすると、キュウと一鳴きした。

 

 伝わってるのか、伝わってないのか、こいつが言葉を喋ってみてくれないと実際のところはわからない。だが、それでいいのかもしれない。

 

 記憶も、未だ完全に思い出したわけじゃない。ただ、自分があの村に生まれ、育ち、そこに記憶の少女が共にいたような、その程度の薄い記憶だ。彼女は、賢い人間だったーーような気がする。今頃村では彼女はどこかの誰かと結婚し、子を成して、立て直しているのだろう。

 ーーこれじゃあただ責任を押し付けただけか。

 昔の自分がここにいれば、即自分をはっ倒していただろう。

 

 記憶も、もう思い出さなくともいいのかもしれない。 

 

 

 

 そうして、部屋に灯る蝋燭に蓋をかぶせた。

 

 

 

 

 

 

「ーーふふ」

 

 

 




 
 
 本体:ホットパンツ
 能力名:クリーム•スターター
 能力説明:スプレーを操作する事によって肉を自在に動かす事ができる。操作対象は自分だけでなく、他者にも可能。

 【破壊力 - D / スピード - C / 射程距離 - C / 持続力 - A / 精密動作性 - E / 成長性 - B】


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急襲、そして





いつも誤字報告、感想などありがとうございます。









 

 

 

 

 物音で目が覚める。

 

 

 草木が夜風に吹かれ、それぞれがカサカサと心地よい音を奏でる夜。

 

 ビーチとは離れているものの、比較的海に近いこのコテージでは微かだが風に潮の香りが混じっている。

 

 だが、今感じるのはその匂いだけではない。

 あまり、他人に自慢できるものではないかもしれないが、ある程度の周囲の匂いを嗅ぐことによって状況を掴むことができる。それも死ぬ一歩寸前まで追い込まれた嫌な”思い出”によるものだがーー呑気に話をしている時間は今はない。

 

 特に、寝起きの際にはその能力が過敏になっており、一際周囲の臭いを過敏に感じ取る。それこそ、日の当たらない場所にいた時は重宝したのを覚えている。

 それこそ、今のような状況に陥った時には非常に役に立つ。

 砂糖などの甘味料の持つ味覚的な甘さの匂いではなく、人を惹きつける、どちらかと言えばフェロモンのような、人が何かに興奮した時に醸し出す独自の匂い。

 

 だが、そこには人殺しのような殺伐とした雰囲気は感じられず、同時に物を荒らすことで生計を得ている貧民街の人間の匂いともまた異なる。

 

 何より、少し前に嗅いだ覚えがある。

 

 どちらにせよ、敵対している雰囲気は特に感じられない。だからこそ、おそらく近場にまで潜り込まれていることを把握しながらも、ここまで落ち着いて状況判断ができていると言える。

 

 おそらく、レーススタート直前に会ったあの子だろうがーーーそういえば名前を聞き忘れたことを思い出した。

 

 それにしても、何か話したいことでもあったのだろうか、そう考えながら若干の眠気も感じながらも、どちらかといえば陽気な気分で瞼を開く。すると、視界いっぱいに女の顔が映っていた。

 

 

 「ーーおはようございます」

 

 

 そこにいたのは、やはり件のネズミ屋敷で助けた女。

 大人になってからというもの、叫び声など滅多に上げないようになったのにも関わらず、その瞬間は久しぶりに喉は枯れるほど叫びそうになった。

 

 しかし俺は悪くない、と思う。

 

 目が覚めて最初に見る光景が天井ではなく、そこまで見知った訳でもない女の顔が至近距離にあるのだから、気絶しなかっただけマシだろう。

 

 そして、当然ではあるが深夜だというのにこんなことをしている彼女に対して疑問を持つ。何故ここにいるのかーー、疑問はその一点にある。

 

 「一目惚れなんですーー、私、初めて感じました。ーーー多分、こういうのを運命って呼ぶんだなぁって」

 

 だが、彼女の口から出るのは的を得ない発言であり、酩酊状態にも見えるほど、どこか恍惚とした顔で体をくねらせるばかり。

 

 月明かりに照らされてる彼女を見るに、服がレーススタートの時に見たものとは変わっていた。確か、朝にあった時はどちらかといえばあまり派手な服を着ている印象は見受けられなかったが、今はそれとは真逆で、暗がりの中でも分かるほど、真っ赤な薄いショーツを身に纏っていた。それも胸元が大胆に開かれた状態の、まさに男を落とし込む、自分の魅力を最大限に表現するための衣服、ほぼ生地だと思える薄さでーーーーまさか下着だけか?

 

 開かれた胸元には、女の魅力を引き立たせる小さなほくろが目立っていた。

 

 「だって今日は勝負の日ですものーー、庶民といえどもドレスコードぐらいわきまえてます」

 

 目が完全にアッチに行ってしまっている彼女に、顔が引き攣っているのを実感する。

 ムシとかにも言える話だが、目を見ても目的も何も分からない相手ほど怖いモノはない。人間は古来から何かを予測して繁栄してきた生き物であるが故に、そうした相手には恐怖を覚える。何故ならば、相手が次に何をする予測ができないから、身の防ぎようがないからだ。

 

 「影踏み鬼ってーー昔みんなやったことありますよね」

 

 が、どうやら俺に話す隙はないらしい。

 やはりその目には、俺が映っているようで映っていなかった。

 

 「自分の影を踏まれないように鬼から逃げるーーー子供の頃によくやる、誰でもできる原始的なゲーム、私得意なんです」

 

 そう自信満々に言い切る彼女に、とてつもなく嫌な予感が走る。

 すぐさま逃げの姿勢に入ろうと、こちらへ覆いかぶさっている体をどかそうとするも、体に力が入らない。

 だが、いくら彼女が重かろうが、男と女だ。背丈の差もある分、起きあがらせれないような関係とは思えない。

 しかし、力を入れようにも、彼女はびくとも動く事はない。というよりもーーー俺が動いていないだけなのかーーー?

 感覚としては夢の中で体を動かそうとした時のような、水中でもがいているような脱力感。

 

 もがき、なんとか逃れようとする自分に、女は淡々と話し続ける。

 

 「仕組みは簡単ですーーただ影を踏めば踏まれた人間は動けなくなる。そうなればもう、こっちのものです。でも、シンプルだからこそ、私の能力は強く相手にのしかかるーーーどうです、全く動けないですよね」

 

 そう言いながら気色の悪い舌舐めずりをする彼女に、思わず鳥肌が立つ。

 しかし、彼女のいう通り確かに体が動く気配がない。

 唯一動かせるのは瞼だけであり、唇などは力を入れてもプルプルと震えるばかりで、思うように動かすことができない。

 

 「ふふーー」

 

 彼女は笑うばかりで、一体何が目的なのかがさっぱり分からない。だが、確実に暇つぶしにこのような行動をとる人間ではないーーーーと思いたい。

 

 「ナナって呼んでくださいーー、あなたには私の名前を知っててもらいたいんです」

 

 ようやく自分の事を話し出した彼女を尻目に、ゆっくりと、かろうじて動かせる目線を動かして今自分が置かれている状況を把握する。

 

 仰向けで寝たまま動けなくなっている自分に、彼女は俺の背中に腕を潜り込ませるようにして、覆いかぶさったまま依然としてこちらを見つめたままだ。

 

 そして、彼女の背後にはうっすらと、赤みがかったオーラが揺れて見えた。

 ゆっくりとしか動かない瞼を数回動かし、それが見間違えでないことを確認した。

 

 そうして、ようやく理解が及ぶ。人智を超えた超常現象、科学では証明できない謎の力を操る者はーーーほぼ確実にスタンド使いだろう。

 

 「ーーー気づいたのは、以前体を再生してもらってすぐの事でした。あなたを追い、近づき、”あなた”をこの手で手に入れるーーーそのために神様がくれたんだって、思ってます」

 

 彼女は赤子に聞かせるように耳元で喋ると、俺の背中を弄るように左手を動かした。

 

 と、同時に今まで感じたことのない痛みを背中で感じる。

 その痛みは、体が衝撃で震えてしまうほどだった。

 

 「あっーーごめんなさい。()()のにまだあまり慣れてなくて…。でも、すぐ終わります」

 

 彼女がさらにこちらへともたれかかる。俺の体に彼女がその肉体を押し付けると、彼女の胸が一際強く主張される。そして同時に体の強張りがさらに強くなった。

 

 「ーーーこれでもっと動けなくなりましたよね」

 

 そう告げると、彼女は徐にポケットから小型ナイフを取り出した。

 

 「私ーーー特技があるんです。」

 

 彼女はナイフの切っ先を服の上から体に当て、腹の部分から胸元、そして首へとなぞっていく。

 妙に冷たい感触が体を伝い、くすぐったさに体をよじろうとしても、体は動かせない。

 

 やめろと目で訴えるが、やはり彼女はこちらの返答を待っているようには思えない。目があったとしても、軽く微笑むだけだ。

 

 「人の耳を見れば、だいたいその人がどれくらいの大きさなのか分かるんです」

 

 そして、ナイフを持ちながら、耳たぶをサワサワと撫でてきた。

 

「どこがって思ってるでしょうーー、ふふ。今すぐに切り取って見せてあげますからね」

 

 再度、耳たぶから首元を伝って胸元まで降りてきた指は、そこからさらに下腹部へと伸びていく。

 

 

 「自分のって、じっくりと見た事がないでしょう? ーー365度じっくり見せてあげます」

 

 

 明らかに目がキマっている状況に、先ほどからやばいと体から全直感が警戒をしている。冷や汗が止まらない。

 だが、どうやったとしてもこの場から逃げ出すビジョンが思い浮かばない。というよりも、上手く思考が脳内でまとまらないと言ったほうが正しいのか。目の前にある障害を考えれば考えるほど、その思考は次々に霧散していく。脳の思考にもある程度枷をかけられているのかーーー?

 

 そうした状況下で自分で動くことができない分、ここは誰かに助けてもらう他ないだろう。現状、考えられる中で唯一の助けであるパーシーを目で探すものの、隅に置いてある寝床はもぬけの殻になっていた。

 

 「大丈夫です、心配しなくとも誰も来ませんよ〜」

 

 寝込みを襲われることに対しては敏感であると自負していたが、どうやら撤回した方がいいのかもしれない。

 

 他の案を単純な思考で考えると、自らの武力を持って相手を制することしか浮かばない。どうにか、片手だけでも自由になればこの女をぶっ飛ばせるーーーだが現状どうしようもない。

 

 しかし機会を伺いながらだとかーーそんな悠長なことを言ってる場合ではない。目線をあちこちにやりながら何かないか必死に探るが普段から肌身離さない鉄球が見当たらない。いつもつけてる位置に目線をやるも、装着具ごと取り外されており、おそらく何処かに隠してあるのだろう事が容易に浮かんだ。

 

 「もう、どうしようもありません。既に()()()()()()()()んですから」

 

 改めて、スタンド能力の恐ろしさが身に染みる。

 

 影踏み鬼ーーー影を踏まれたものは次に鬼になる、今回においては鬼が変わらず、彼女に“踏まれた”ものは問答無用で身動き一つ取れなくなるというものなんだろう。

 彼女のいうように能力は至って簡単だが、シンプル故に一度型に嵌ってしまえば、力関係は覆ることがない。

 今考えると、彼女がレースに参加していたことさえおかしいことだった。以前ジョッキーだったり、そうした背景があれば参加するだろうが、スタートの際に出会ったときからも、馬に乗せられているような印象を感じた事からも、彼女がそこまで乗馬という行為自体に慣れていない事は分かっていた。

 あの時はただの記念で参加しているのだろうと楽観的に考えていたが、甘かった。

 

 ーーー敵はいつも、予想もしない場所から現れる。

 

 そして、ナイフを慣れた手つきでズボンへ突き立てると、ごそごそと俺の下腹部を弄り出した。

 

 「ごめんなさい、怖いですよね。でも、一瞬で終わります」

 

 一際、彼女の赤黒い影が風船のごとく膨れ上がる。

 

 「大丈夫ですーー気持ちよく切り取りますからーーーッ!!」

 「おいーーー」

 

 ナイフで一気に服をかき切ろうと、切っ先をこちらへ向けたその瞬間ーーー第三者が現れる。

 

 「どけーーー」

 「ーーーちゅべッ」

 

 至近距離顔がどんどんと足に埋まり込む瞬間は、ショッキングとしかいいようがない。

 そのままネズミがトラップに引っかかった時のような声を上げ、宿舎の壁に突っ込んでいく。

 ガラガラと、彼女は頭から壁にめり込んでいた。

 

 すると、自分を覆っていた体の強張りが次第の溶けていく感覚が広がっていく。

 

 仰向けの状態から自分を救った救世主を見上げた。

 

 ベッドの横に立ち、そこで足を振り上げていたのは1stレースに第3位でゴールを果たしたあの赤紫の女だった。

 と、同時に完全に体の重さが消えた。 

 

 「お邪魔だったかーー?」

 「いーや、助かった」

 

 そして、頭にかかっていたモヤのような気持ち悪さも薄れていく。やはりこれも彼女の能力の影響だったのだろう。

 

 スッキリとした頭でベッドから立ち上がると、いつのまにか肌着一枚にされていた事に気づいた。義手の鉄の部分が月明かりを照らされ、光を反射していた。

 

 「ーーーお前、義手だったのか」

 

 彼女の視線の先ーーー月明かりを反射している俺の右腕がそこにあった。別に見られて気分が悪くなることは無い。これはこういうものであると体が慣れているから、街並みで人の視線を受けようが腕を見られた時と感じるものは変わらない。ただ、こういうものはあまり言いふらすものでもないから、普段はどちらかと言えば隠している。言って誰かに同情されたい訳でも、現実を悲観してる訳でもないからだ。

 

 「ありがとうーーあー……」

 「ホットパンツでいい」

 

 動いた事で形が崩れた襟を整えながら、彼女はそう言った。明らかに作られた名前だと感じるがーーーしかしそこに突っ込むほどの仲ではない。別に、親友でもなんでもない相手だしなと思いながら、彼女がここにいる意味を尋ねる。しかし、それは当の本人に遮られてしまった。

 

 「ホットパンツーー」

 「話は後だ。ーーー結構力を入れて蹴ったつもりだが、意外と打たれ強いな」

 

 話を切り上げた彼女の視線の先の、蹴り飛ばした先を見ると、奥で幽鬼のようにナナが立ち上がっていた。

 

 「ーーー殺すゥ…」

 「なんだ、随分と好かれてるじゃないか」

 「逆だろこりゃーー」

 

 ゆらりと立ち上がる彼女の背後には、やはり赤い何かがまとわりついていた。窓から刺す月明かりに照らされ、伸びる彼女の影は次第に膨らんでいく。床に伸びるそれらは自然ではありえない動きをしながらその体を拡大していく。

 

 人間の体の大きさを超える程のスタンド能力。大きさで個々の力が異なるものでもないのだろうが、迫力は女性のそれではない。

 

 それを横目に、ホットパンツはこちらへ行方知れずだった鉄球を投げ渡してきた。

 

 「これ、お前のだろう」

 「一体どこでーーー」

 「外に落ちていた、大方この女の仕業だろう。それに、こいつもだ」

 「チュウ」

 

 放り出すように手渡された鉄球に、へばり付くようにしてパーシーが纏わりついていた。

 

 「よかった‥‥」

 「お前のペットか? 随分と心配していたぞ」

 「助かったーーーありがとう」

 「‥‥()()()()()()()()

 「なんだ、思い入れでもあるのか?」

 「うるさいーーー敵に集中しろ」

 

 視線の先にいるナナとやらは依然として、こちらへ殺意を向けたままだ。それに、ホットパンツが現れてからというもの、一層とその狂気さが増したようにも見える。暗闇の中で微かに見えるその顔からは、血が滴っているが、その顔は明らかに怒りで歪んでいた。

 

 「ここは、私がやる」

 「いや、二人でやった方がーー」

 「借りは返すーー、そのままは気分が悪い」

 「女ァ……邪魔ァッするなッーー!」

 

 ナナは鬼気迫る表情でホットパンツにその身を翻すと、その勢いのまま腕を伸ばす。

 

 「がぁーーーッッ!!!」

 「ふむ、見たところ影を操るスタンド使い、か」

 

 オオカミのような雄叫びと共に、彼女の足元から、ホットパンツ目掛けて真っ黒い影が針のように幾つも伸びていく。

 

 「バカが、直線すぎる。スタンド能力者であるがーーー素人か?」

 

 ホットパンツの軽やかなステップでそれらを一つずつ躱していく姿は、まるで踊っているようにも見えた。

 

 「お前だけでもッ、殺すゥぅうーー! ポッと出の癖に馴れ馴れしく邪魔しに来やがってェ、テメェみてぇなビッチは犬とでも盛っとけェッ!!」

 「なんなんだこいつはーーー」

 

 最早なりふり構わない状態でありながらも、彼女が手を振るうたびに影が伸びるが、尚も変わらずその一つ一つにホットパンツは冷静に対処していく。

 

 しかし、未だ一つもの影がホットパンツに当たっていないとは言え、影の本数が増えていくにつれ、次第に避けるスペースが狭くなっていることは確かだ。

 

 影はまだ彼女には接触してはいないものの、次第に端へ端へと追いやられていく。そして、ついにホットパンツの背中に壁が当たった。

 

 「終わりだバカがぁ゛あァーーーッ!」

 「お前がな」

 

 攻め時だとナナが突っ込んだと同時にホットパンツが壁際のカーテンに手をかけると、部屋に差し込んでいたたくさんの月明かりが一斉に消え、部屋が一気に暗闇へと移り変わった。

 

 そして同時に、ホットパンツへと伸びていた幾つも影は跡形もなく部屋の暗闇へと掻き消えた。

 

 「今までのお前の行動見ていれば分かる。私が棚の影や、玄関の方へ逃げ込もうとすればそれを封じるように影を伸ばすーーーお前の能力は相手が影の中に逃げ込んで仕舞えば、その影響は及ばないんだろう。単純な能力故に、単純な弱点だったな」

 「っーーーうるせえッ、こんな距離近づいちまえば終いだろうがぁよォーーー!!」

 「フッーーー」

 

 そう言いながら脇目も振らずに、猪の様に突っ込んでいったナナ。それに対して、ホットパンツは特段動揺するまでもなく、平静を保ちながら、手で構えを取る。

 そして、少しだけ膝を上げた。

  

 「ーーー私が肉弾戦を苦手とする脆弱な女だとでも思ったか?」

 

 暗闇の中でかろうじて見える、脇目も振らずに、ナイフを逆手に持ち獣のように突っ込むナナの脛を蹴り飛ばすと、その弾みで前のめりになった状態の体の腹に膝蹴りを繰り出す。そして、蹴りの度にエゲツない音が辺りに響く。

 そのあまりにも手早い動きからも、ホットパンツの動きが明らかに素人ではないのが分かる。

 

 そしてその蹴りの威力や否や、そしてそのあまりの速さ、なにが起こったのか理解できず、蹴りを喰らい鯖折りになった本人はただ倒れ、うずくまるばかり。

 

 視界の隅で蹲った彼女の口から苦悶の声が聞こえる。どうやら、あまりの痛みで声を上げることすらままならない様だ。

 

 「これで終わりだ」

 

 そうして、明かりをつけるとそのままホットパンツは一度、彼女に触れ、ポケットからライターのようなものを取り出すとその先っぽを彼女に向けた。すると肌色の肉体を持った煙のようなものが先っぽから飛び出した。

 

 それはさながら蛇の如く尚も蹲る彼女に巻き付くと、その体を堅く縛り上げた。

 

 「胸についていた肉の分、まぁまぁのキツさになったな」

 「‥‥お前も、スタンド使いっていうワケか」

 「なんだ、あまり深くは知らないのか? そうだ、人智を超えた超常現象を操る力、呪いとも言われているがな」

 

 蹴りをしたことで舞い上がったであろう埃を振り払う。

 どうやら、自分が思っている以上にスタンド使いはいると見た方が良いのだろう。最初に教えてくれたマジェントには感謝しておくべきなのかも知れない。 

 

 ホットパンツはナナの体に巻きついているスタンドを引っ張ると、少しだけ呻き声が聞こえた。

 

 「ーーーそいつはどうする」

 「なんだ、情が移ったか。しばらく情婦にでもする気か?」

 「いや、特にする気はない。ホットパンツ、あんたに助かったのも事実だ。だが、何故ここにいる」

 

  正直言って、どうしてホットパンツは俺を助けに来れたのかが分からない。あの状況にあのタイミング、ナナと同じく、彼女もまた俺を見張っておかなければ間に合うはずもない。

 

 すると、言い終わるよりも先に彼女が一歩前に出て、一言。

 

 「このレースが終わるまでの間、お前を守ることになった。お前は命を狙われているーーー今からレース終了までの間、お前は教会の護衛対象となった」

 

 

 予想もしていない言葉を彼女は言い放った。

 

 

ーーー

 

 

 そうしてナナが襲撃をしかけた朝に始まった2ndレース。

 

 これまで馬に乗って一人と一匹で走っていたのにも関わらず、ホットパンツがそう告げたその日から状況は一変した。

 

 「なぁ、まだ着いてくるのかーー?」

 「当たり前だ、レースが終了するまでだと言っただろう。護衛を何だと思ってる」

 

 馬の土を踏み締める蹄鉄の音は増え、こちらに追従する形ですぐそばに少しだけ軽めの、土を踏み締める音が鳴り響いている。

 

 声の先、真後ろに目をやると、赤みがかった髪を揺らしながら、一定の間隔でこちらを追いかける彼女の姿が視界に入った。

 

 あれからというもの、彼女は所構わず同行するのをやめようとしない。

 

 どこまでかといえば、風呂の時や、トイレに行く時でさえ、辺りに気配を感じる。

 

 どこまで着いてきてるんだ、気が散るからやめろと直接伝えたとしても、護衛とはこういうものだと一点張りで言うことを聞こうともしない。

 しかも、なにやらメモ帳には俺のトイレに入って出てくるまでの時間が何分やら、風呂が何分やら、明らかに関係なさそうな情報まで時計で測っていたが、どう使うかは不明だ。

 

 ーーーお前は教会の護衛対象となった。

 

 再び、前の、ホットパンツの言葉が頭を過ぎる。

 ーー教会。その言葉が何を意味するのか、俺には見当もつかない。

 教会といえども、自らの上をそう呼ぶ宗教は多々ある。加えて、このレースは世界中から参加者が集まっている。彼女がたとえ一番勢力のある宗教だろうと、それがカトリックかプロテスタントか分かったところで自分にはどうしようもない。

 

 が、どちらにせよ彼女がそうした派閥の人間であることは分かったのは収穫だ。

 

 だが、1番の問題は俺自身が護衛対象となった事だ。生憎だが、自分は生まれてこの方宗教に頼ったことはない。流石に食い殺されそうになった時は神頼みをしたような気もするが、結局のところ死にそうになろうがどうなろうが、神はどうもしてくれなかったからな。

 所詮生きる道は自分で切り開いていくしかない。

 

 ただ、教会ーーー。妙に引っかかるところがある。前に大統領が話していた聖なる遺体とやらと、関係がありそうだ。というよりも、十中八九そうだろうことは推測ができる。だが、何故その中で俺を選んだーー?

 

 ついてくるなと言っても護衛だからの一点張りで同行するホットパンツに再度目線を向ける。

 

 ‥‥ー番女に弱そうに見えたからだとか、そういった理由なんだったらかなりショックではあるがーーー。

 

 しかし、引っかかるところはまだある。

 

 聖なる遺体とやらが、このレースの道中にあるのならば、レースが始まるよりも前に人員を送り込み、全て奪取してしまえばいい。だが、それを実行しないということは、何か()()でもあるのだろうか。

 

 いや、流石にそんな旬の野菜みたいな事は無いだろうがーーーー今考えたところでどうにもならん、か。

 

 このレース、予想以上に勢力が混在しているのかもしれないーーー。

 

 

 「おい」

 「‥‥‥なんだ」

 

 頭を抱えている俺に、ホットパンツは親指で後方を指す。

 

 「アレ、結局どうするんだ」

 「ーーー言わないでくれ」

 

 ホットパンツの視線の先には、夜中のうちにケリをつけたはずのナナがいた。夜のことは何とやら、全く何もなかったかのようにしてホットパンツと同じように着いてきているのが目に入る。

 

 顔が引き攣っているのが自分でも分かる。

 

 「お前がケリをつけないからだ」

 「一般人を殺すわけにはいかないだろ……」

 

 どう考えてもおかしい、確かに縄で縛ったまま放置した記憶がある。外した覚えもない。それにナイフも取り上げ、固結びしたから簡単に抜け出せるようにも見えなかったがーーー。

 

 

 「ふ、ふふふーーー愛に不可能はありません、まだ終わりじゃないです。ーーだって運命ってそういうものですよね?」

 

 

 そうして、ーーー同行者は一匹と二人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 
 
 本体:ナナ•スポック
 能力名:フォロー•ユー
 能力説明:影を自在に操作する事ができる。また、相手の影を固定する事で対象の身動きを停止させる事も可能である。

 【破壊力:D/スピード:C/射程距離:B/持続力:C/精密動作性:A/成長性:A】
 
 
 

 
 
 


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2ndSTAGE
2ndSTAGE 開始直前


 
 
 お久しぶりです。
 
 どうにか、7部のアニメが始まって小説がすっごい盛り上がってほしい今日この頃です。
 
 
 
 



 

 

 

 

 

 ーーーー2ndレース開始直前。

 レースの舞台は1stStageより少し進んでアリゾナ砂漠。

 走行距離はなんと1200kmであり、ゴールまでの推定日数はおよそ12〜18日ほどとかかるとされており、ようやく文字通りの前人未踏であるスティールボールランレースの本領が発揮される場面になるだろう。

 

 周りを見渡せば、既に多くの参加者が馬に乗った状態でスタート地点に並び始めている。

 自分も同じように並びながら、愛馬の“ヘイ・ヤァ”がスタートラインの白線部分を脚でなぞっているのをぼんやりと見ていると、馬の嗎がすぐそばから聞こえてくる。

 横を見れば、昨夜見たぶりのホットパンツと既に準備満タンだと鼻を鳴らす彼女の愛馬“ゲッツ•アップ”がそこにいた。

 

 「あいつはーーー?」

 「縄でぐるぐるにして部屋に置いてきた」

 

 2ndレースのスタートは1stレースの時のゼッケン順ではなく、総合ランキング順に横並びで並んでいく形になる。

 

 故に、馬に乗り上がってライン上に並ぶ自分に声をかけてきたのは、自分より一つ上の順位であるホットパンツだった。

 思い返すのは優勝候補が横並びになった最終直線時。

 一足先にゴールしたジャイロツェペリを除けば、その他全員が全く同じ位置に横並びしており、誰が勝つかなんてのはほぼ運だと思っていたが、やはり抜け目なかった。

 

 ゴールの真横で競っていたからこそ分かったが、彼女が最後に取り出していたのはーーーースプレー缶。

 監視員にバレないように全員が一直線に並んだ瞬間にそこから噴き出していた“肉”は、彼女の馬の鼻先に張り付くと、そのまま元から鼻がその長さであったように同化をした。それによって、他馬よりも僅かにゴールラインに近づく事が出来たのだろう。

 ジャイロの妨害がバレていたように、彼女もまた降格を喰らうかと考えていたが、他参加者を妨害したわけでもなく、監視員にも見つかっていなかったのかランクはそのままだった。

 まぁ、仮に気づいていたとしても、噴出されたスプレーが肉となって馬の鼻先に同化したという奇妙な現象なのだから一般人が証明出来るはずもない。

 だがどちらにせよ、彼女がそういったモノを使えるのだという事は理解した。

 

 「ああいう女はケリをつけない限りいつまでもついてくるぞ」

 「ケリっつったってーーーんなこといっても相手は一般人だぞ」

 

 ホットパンツが開口一番に物騒な事を言い出す真意は昨日の出来事にある。

 白昼堂々の真逆、真夜中に誰にも気づかれないように行われた見知らぬ女による凶行。

 

 実際のところは見知らぬ女では無かったが、それでもほぼ面識がない状態には変わりない。ホットパンツの助けもあって退ける事ができた、が動揺したのは事実だ。本当なら警備員や何やらに突き出すべきなんだろうが、少しだけであったとしても事情聴取やなんやらで時間を取られるのは確実。故に縄でぐるぐる巻にして部屋に放りこんだ、というオチである。

 だがそれを彼女はお気に召さなかったようだ。

 

 「ああいう輩はいずれ障害になる」

 「ああいう輩ってーーースタンド使いだからか?」

 「そういう事じゃあなく……チッーーーめんどくさい奴だな」

 「なんじゃそりゃーーー」

 

 それにしても昨夜の夜這い女ーーーフルネームはナナ•スボックというそうだが、気色の悪い性癖持ちだった事にはとても驚いたし、それ以上にスタンド使いだとは砂粒一つ分すら想像していなかった。

 

 影遊びだのなんだのと言っていたーーーーー“影”が基本である能力者である彼女だったが、確かに簡単な能力であるからこそ強かった。人が生きている上で必ず付き纏う影を操り、彼女の影と接着してしまえばその途端四肢の自由を失い、支配下に陥る。おそらくホットパンツの助けがなければ切り抜けられなかったと言っていいだろう。

 

 そして、何よりそんな身近にスタンド使いが居た自体信じられない事である。“あいつ”といいマジェントといい、おそらくこのホットパンツもだろうが、それに気づかない自分の鈍感さに呆れてくる。もしかすると今まで関わった人で、不思議さを感じた相手は大概そうだったのかもしれない。

 

 「お前も含めて、スタンド使いは結構多いのか?」

 「さぁな。他の参加者に聞いてみるか? 仮にそうであったとしても、自分から手の内を見せる奴は居ないだろうがーーー」

 「そりゃあそうだろうな。だが、あれが実際どういうものなのかは知りたい」

 「なんだ知らなかったのかーーー? 意外だな。 呪われた力とも言われるが、発現原因は様々だ。生まれながら持つ者もいれば、後天的に発現した者もいる。それにーーこれから行く砂漠も“関わり”がある」  

 「砂漠がーーーか?」

 「行けば分かる。まぁ、奴の事は邪魔になれば排除する。それだけ言っておく」

 「ーーーん」

 

 スタンドってのは思ったより外的要因によって生み出されるのかーー? 体に別の人間を閉まったり、絶対防御や人をも溶かす毒針、明らかに一生物が扱っていいものじゃあない。それが砂漠?によって生み出されるなど、使いようによればとんでもない軍事力になる事も想像に易い。だが、いま考えたとしても疑問は尽きない。

 懐中時計に目をやると、時刻はスタート時刻の数分ほど前。いくらかの緊張感が体を包み始めるが、横のホットパンツは全くそれを感じさせない。

 自分もあまり緊張するタイプではないと思っていたが、今回ばかりは優勝したい気持ちが強い。優勝してーーー賞金を手に入れなければならない理由があるからだ。

 そのためにはーーー。

 

 すると、ちんまりした背丈の男が急に視界に入り思考が止まる。男はこちらをじっと見つめてくると、何回か手元の資料とこちらを見比べている。

 

 どこか見覚えのある、スタートの受付を担当していた係員がいた。同じ人物ーーーーかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。胸元の名札に書いてる名前が異なる。いくらなんでも似過ぎだが、双子だとか、そういう縛りでもあるのか?

 

 「着順でーーーホットパンツさんと、ガソリンさんですね! 同じで大丈夫ですので、どちらかのサインをお願いします!」

 「ああ」

 「片方だけーーーー?」

 

 馬から降りたホットパンツが係員にペンを借りると、そのままスラスラとサインを書き始める。

 

 「まとめて書いておいたーー」

 「いや待てーーーおいおい、ようやく冷静になった。何でお前が書く、まず許されるワケが」

 「ゼッケン番号、鼻紋も一致という事で、はい、ありがとうございました! ホットパンツさん、“ガソリン”さん、引き続き頑張って下さい!」

 「おい、ちょっと待てーーッ!」

 

 出場時は本人のみのサインだった筈だった点も含めて、自分が関わる事なくサッサと終わった目の前の出来事に頭が追いつかず、声を無視して先へ行く係員の背中を目で追う事しかできない。

 俺の名がーーーーガソリン? なんで名前が変わってるッ!? 出場登録時には確かに本当の名前を書いたハズだし、第一書き換えられたとして何でそんな手間暇を俺なんかに……。

 しかし、その疑問を解消する間を空けてくれるワケもなく、目の前のホットパンツは淡々としていた。

 

 「何を呆けている。お前の名前だろう」

 「そんな名前じゃあないぞーーー」

 「そりゃあそうだろう。変えたからな」

 

 それがさも当然かのように言い退けているが、順番がおかしい。完全事後報告かつ名前を変更したワケが分からないーーー、というかできるものなのか? 何度考えても、確かに、元の名前でエントリーして既にレースはスタートしていたはずだ。

 

 「経緯はともかく、理由を教えろッ」

 「それが上の“決定”だからだ。私がそれに対してどう思おうが、覆る事はないし、否定もしない」

 「上ーーー? なんだそりゃ」

 「私の上ーー、欧州に拠点を置く一つの組織だが、それだ」

 「それがなんで俺にーーー、しかもガソリンなんてヘンテコなモンにしやがって」

 「さぁ、実際に変更したのは私じゃあない。だからお前の元の名も知らんがーーー前よりも良くなったんじゃないか?」

 

 あまり深く話そうとしない事からも、何やら話しづらい事柄があるのが感じ取れる。が、護衛するも何も、その対象に対しても詳しく説明してもらわない事にはこちらも両手を上げて守ってもらおうとも思えない。

 ーーーもしかして、自分は既にとてつもなく大きなモノに巻き込まれてしまってるんじゃあないのか

 

 「それに、変える必要が分からない。まず、お前が俺を護衛するっていうワケもまだ納得してるワケじゃあないからなーーー」

 「それについては納得しなくてもいい、こっちの都合だからな。お前が嫌がっても、私は護るだけだ」

 

 あくまで決定事項だと言わんばかりにそう告げるホットパンツ。その目は、確かに嘘を言っている人間には見えない。昨夜の出来事でも、あれほど騒がしくしていただろうに助けてくれたのは彼女だけだった。謎は多いが、だからこそ、そんな自分を護ると誠心誠意言っている人間に対してこちらも邪険に扱う理由はないのかもしれない、だがーーーー

 

 「悪いがーー自分の身は自分で守る。そりゃあ昨日の夜の事は感謝してるが、もう優秀な護衛が俺にはついてる」

 「誰だ、それはーーー」

 「ーーーな、パーシー」

 「チュウ」

 

 もぞもぞと、胸ポケットで遊んでいるパーシーに声をかける。

 子供の頃は自分がそこまで動物を好きだという自覚はなかったが、こうして共に過ごしてみると、やっぱり好きだった事を実感した。それはもう、こいつがいるなら例えレースが一人旅だったとしても寂しさを感じることはないだろうと思うほどに。まぁーーー元々そのつもりではあったが。

 指で頬を撫でてやると、くすぐったそうに体をよじる様がどうしてかこう、愛らしさを誘って、すぐに構ってやりたくなる。

 案外自分は絆されやすいタイプなのかもしれないと思った程だ。

 

 「動物がーー好きなんだな」

 「それもあるし、拾った俺にはこいつを育てる責任がある」

 「ーーーーそうか」

 「意外かーー?」

 

 自分がどう見えてるかなんて思考した事すら無かったが、ホットパンツの返事から見てもよくよく考えれば動物好きーーーには見えないのだろう。村でも、あまり動物に懐かれた記憶もないし、きても素通りして動物に好かれていた奴の所に行っていたしな。あれは確かーーーいや、誰だったか名前を思い出せない。今思えば十数年単位の前の話で、忘れているのも当然と言われれば当然、か。

 だが、目の前のホットパンツも、最早性別も分からなくなったその子と同じく動物に好かれやすいタチなのだろう。

 

 「ーーーいや、そうでも、ないのかもしれない」

 「なんだそりゃ」

 

 加えて想定していた返答とは違っていたために思わず面食らう。てっきり興味がないのかと思っていたが、思った通りどうやらそういうわけではなかったらしい。その証拠にホットパンツはこちらを向いて、パーシーの方に目線を送っている。

 

 「お前はーーー立派なやつだな」

 「ーーー?」

 

 彼女の問いに思わず首を傾げるが、彼女はすぐに何でもないと言い放つ。が、視線は未だパーシーを捉えたままだ。もしかして触ってみたいのかもしれない。

 

 「お前も動物が好きなのか?」

 「好きーーーかは忘れた。もう当分、この馬以外は触れていない」

 「じゃあ、触ってみるか?」

 

 先程からもぞもぞと、早く解放しろと言いたげだったパーシーを手から出すと、そのままホットパンツに跳びついた。

 

 「キャッーー」

 

 誰が発したか一瞬わからない甲高い声が聞こえた後、ぐらっと馬上のホットパンツが驚いた事で揺らぐーーーが、意識の外から茶色のロープが伸びる。

  

 「おっと“ご婦人”ーーー」

 「ーーーッ婦人じゃあない」

 「なんだ、“名前表”見た感じてっきり夫婦かと。じゃあパートナーか、そりゃ悪い事をしたな」

  

 そこに現れたのはマウンテン・ティム。

 インタビューでも語られていたように、その卓越したロープ捌きは事実だったようで、今も崩れ落ちそうになったホットパンツの体を馬上から伸ばしたロープで引っ掛ける形で支えていた。

 

 「気安く触るな」

 「何やら訳アリと見たがーーー見かけよりウブだな。ーーー悪かった、大人しくスタート位置に戻るよ」

 

 キッと、自らに向けられた眼光に手をあげると、ロープを手繰り寄せたマウンテン・ティムはそのまま去っていく。

 

 「ーーーーお前あんな声出せるのか」

 「ーーーー黙れ」

 

 無口であまり喋りたがらないタイプだと思っていたが、案外面白いやつなのかもしれない。

 

 

 side ジョニィ•ジョースター

 

 「おいおいーーレースに集中しろよなァ‥‥、イチャイチャしやがってよぉ〜」

 

 参加者のうちジャイロを除いて唯一の鉄球使い、名前はーー確かランキング表に乗っていた。ガソリンーーに女の方はホットパンツ、だったか。

 どう考えてもどちらも偽名だろう。結局あそこは関係があったのか。知り合ったばかりのようにも見えたがーーー、ランキング表に載ってた二人の姓からして、兄妹、いや夫婦か?

 

 帽子の位置を悩みながらどこかを見つめるジャイロの視線の先には、1stステージ上位に差し込んでいたその二人がいた。

 

 その視界の隅には先からボソボソ喋っているジャイロがいるが、危うく失格になりかけた時ほど苛立ちは見えなくなったが、陽気に振る舞っているように見えるーーーけどこれが彼の素のような気もするな。

 

 彼が一体何を考えているのか。彼が日常生活で行う動作一つ一つにも回転の秘密が隠されているかもしれない。

 いや、今は彼から回転の技術を盗むことに専念するべきなんだろうが、夕べ見たものがちらついてしょうがない。

 

 夕べの出来事ーーーそれは全くの偶然だった。

 2ndレース開始前夜のコテージで、喉が渇いただとか、外の景色を見たいだとかの理由でなく、ただ単に眠気がこなかったので、ひとしきり外を歩こうと自分の部屋からモゾモゾと抜け出た。

 

 “ジョニィ・ジョースター様”と書かれた扉を閉めて、横を振り向くと隣の扉が開いている事に気づいた。左の部屋はーーー“ジャイロ・ツェペリ”の表示、こんな時間に一体どこに。

 もしかして、それがジャイロの回転の秘密に繋がるのかもしれない。

 

 そう考えると、もう既に体はジャイロを探しに動き出していた。目を凝らしながら外を歩き回ること数分、しばらくすると一人コテージから抜け出て誰かと話し込むジャイロを見つけた。

 聞き耳を立てるのは良くないのだろう、だが人の好奇心に戸を立てることは出来ない(と、著名な誰かも言っていた気がする)

 

 こっそりと近づき、内容を聞く。

 小声で話していたこともあって深くは聞き取れなかったが、何やらジャイロは怒っているようだった。そして聞こえたのはーーー誰かの始末ーーーつまり殺害だった。名前の部分、その肝心なところだけが聞き取れなかったのがアレだが。

 だが、ある程度推測はできた。なぜかというと、わずかに聞こえた同じ鉄球使いという部分。そして、ジャイロと競り合っていたと話相手の誰かが言っていたし、十中八九林越えでジャイロと競っていた彼の事だろう。

 

 まとめるとつまり、ジャイロに殺しの依頼がなされたってことーーーいや、どちらかといえば命令されていたようにも聞こえたが、その瞬間にジャイロは何か反論していたように見えた。

 だが、何か交換条件を出されたのであろう、風の音が邪魔して聞き取れなかったが、その後はジャイロも反論することなく、黙り込み、相手の男は闇の中へ消えていった。

 

 ジャイロは何か、賞金以外の目的でレースに参加しているのだろうか。

 おそらく普通の奴ではないとは思っていたが、やはりジャイロはアッチの人間だったのか。

 それに、あいつーーージャイロと同じように鉄球を使うガソリンも、ジャイロの反応を見るに、普通の奴ではないと見て間違い無いだろう。

 

 もし本当にジャイロが奴を殺すというのなら、僕はどうするだろう。奴がとんでもなく悪い人間なのだとしたら、別にそのまま殺されてもなんとも思わない。たがそうでないというのならーーーいや、正義や悪だとかそんなものを考えるのは無駄か。

 

 ただ、あの謎の鉄球の技術を知っているのはジャイロと奴の二人だけだ。

 そしてそれを教えてくれるのは現状、ジャイロ1人だけ。僕が再び歩けるようになるには、大人しくジャイロに従っておく他にない。奴を殺す事で僕が再び歩けるようになるのなら、僕はなんだってする。

 

 人殺しでもなんでも、やってやろうじゃあないか。

 

 

ーーー

 

 

 暗がりの中で、小太りの男が一枚の写真を片手に持ちながらプルプルと震えている。

 

 その身に秘める怒り、憎しみ、後悔が男の体を蝕む。

 

 

 「殺したッーーー! 確かに始末したはずだァーーーッ!!」

 

 

 思わず、溢れる怒りを抑えきれずに写真ごと紙束を地面に叩きつけた。

 大きな音に驚いたのか、片側で寝転んでいた猫が跳ね上がり、急いで部屋から抜け出していく。

 それと同時に、男の側使いである召使いも男の機嫌の悪さを感じ取り、どこかビクビクとしている。

 

 

 「処刑担当はーーグレゴリオツェペリ、奴をここに呼べェーーーッ!」

 

 

 側使い達は男の命令を受け、急いで部屋から退室していく。

 男の怒りは尚も収まらず、その身を震わすばかり。

 

 自らがカケラも残さないと因縁を排除してきたが、その時初めて残してしまったものを認識し、それが怒りとなって男の感情に表出してきたのだ。

 

 男の名はステルス。

 役職はーーー高位の聖職者である。欧州にあるネアポリスという大きな国の、その中でも上位に位置する存在であり、男の一族も代々高名な者を輩出してきた過去のある由緒正しいものだ。だからこそ、男は自らの名に泥を塗るような輩は排除し、因縁も取り除いてきた。

 

 男は自負があった。自分の人生は勝利が約束されたものであり、物語であるのならば自分が主人公であると。

 

 男にはポリシーが1つあった。何かを取り除く時には、それを一欠片でも残してはいけないというもの。

 

 それこそ、今までに行ってきた異端者の断罪の時でさえ、異端者が一人見つかれば、その一人の一族郎党まとめて始末をする。異端ではない証明をすればいいだとか、そういった余地は一切与えない。

 それは髪の毛一本分すら許さぬものである。

 もし慈悲の心を見せて、一人でも見逃すことになればどうなる? その時は何ともなかったとしても、いずれそれが自分に牙を剥く可能性がある。時間が過ぎてしまえばそれが誰の手によるものか判断もつかなくなり、完全な復讐を遂げられるかもしれない。

 彼はそれが怖かったのだ。自らに跳ね返ってくるであろうモノに対して、非常に恐怖を覚えていた。

 

 だからこそ、これまで一欠片ですら見逃さず、自らの障壁となる者を取り除いてきた。

 

 あの時も、そのハズだった。 

 

 それは、ネアポリスにおける最重要犯罪者を国を挙げて捜索していた時。

 

 犯罪者は男であり、王国で起こる犯罪に対処する捕縛官の役目を請け負っていた兵士だった。

 兵士はかつて、王の血縁者ーーーといっても妾の子ではあったーーと恋をした。人が人に恋をする、例えそれが身分違いであろうとも、それ自体が悪い事ではない。

 

ただ、相手が悪かった。

 

 その妾の子、彼女自身は宮廷で慎ましく暮らしていたが、その身分、つまりその身に受け継がれる由緒正しい赤き血をステルスもまた、狙っていたのだ。男は根回しに根回しを重ね、二人が別れるように仕向けた。だが、二人はステルスが思う以上に固く結びつき、もはや時間の猶予は残されていなかった。だから、その時すでに家督を譲り受け、高位の聖職者となっていたステルスは自らの身分と一族の力を存分に使った。

 

 結果だけ言えば、二人は別れることとなった。兵士は正当な血統を邪念を持って無理やり奪い取ろうとした行為、または数々の婦女に対する暴行の目撃情報が上がったことがそこに加わり国家に対する逆賊として、女は最終的に家系図から名前すら抹消されることとなり、兵士と共に国外へ追放される事となった。

 

 なぜ女まで追放したのかーーー、疑問に思うかもしれないが、理由は単純だった。既に子が女の腹の中にはいたからだった。ステルスはそれを認識しており、そうなってしまえば聖職者といえども、表立って手出しが出来なくなる。だからこそ、絶対にバレない事がわかった上で王の名を謀って処刑人を操り、わざわざ追放した後で彼らを始末させた。

 

 彼らの処遇を含めた情報は、すぐに口外禁止令が敷かれた。故に、この事を知っている者は少数であり、今となっては覚えているものも少ない。

 

 話はそれで終わり、処刑する事を決めた時点で、兵士の残された一族郎党はまとめて処刑される事となった。

 その兵士の一族は少し特殊な家系であり、王国特有の技術である“鉄球”を代々受け継ぎながら捕縛官の任に就くことが定められていた。

 故に、報復を恐れたステルスは彼らの持つ鉄球を含めた技術をまとめて王国から取り除いた。

 そこに一つの慈悲も許してはいけない。将来まで燻るであろう火の種をむやみに残す必要はなかった。

 

 そうして全てが終わり、記憶の彼方に葬りされる、そのはずだった。

 

 だが、残滓は未だにこの世に残っていたのだ。

 

 

 「ジュニア、なのかーーー?」

 

 

 先程地面に叩きつけた写真に映る一人の男。何より、その手元で光る特徴的な鉄球。その仕事を代々受け継ぐ、”タン・テ・タン”と呼ばれる一族のみが所持を許され、奴等の一族の死とともに技術ごと廃棄された。はずだった。

 だが、この写真に映る男が持っているものはなんだというのだ。似て非なるものだといってのけるのは簡単だが、その特徴的な模様と、黒の配色がそれを否定する。

 ステルスは焦っていた。

 

 “恐怖というものは、まさしく過去からやって来る”

 

 前述したが、その情報すら抹消され、今では鉄球について知るものですら詳細を知る者は殆どいない。

 

 だが、彼には分かった。実際にそれを見たわけでも、触ったことがあるわけでもないが、それが同一のものであるということが。

 

 憎きあの男ーーー、女を含め、腹の子供ともども始末されたはずだが。いや、今まで隠し通していたのかーーー、どちらにせよ、()()()がとる手段は変わらない。

 やつの技術をもう一度、どうにか内部に入れようと画策しているやつもいるようだが、そのような事は私がさせない。

 

 髪の毛一本のかけらを見落とすからこそ、憎しみが生まれるのだ。そこに慈悲はいらない。抹殺、鏖殺ーーーいたという情報すら残さずに消さなければならん。

 

 そう決断する男の司祭服は静かに揺れていた。

 

 

 

 

 

 

 




 
 
 
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ホワイト・アルバム&ザ・グレイトフル・デッド ①

 

 

 

 

 アメリカを真っ二つにするように走る陸の海ーーーアリゾナ砂漠が灼熱を齎す太陽によって黄金に輝いている。

 

 小さな砂粒一つ一つが煌めいている黄金の大海を切り開いていく、人の手がどこにも感じられないその自然の中で、一際目立っているモノが一つ。

 都心部を除けばこの時代では見かける事の少ないないだろうそれは、金色の砂飛沫を辺り一面に撒き散らしながら勢いを止めることなく前へ進んでいく。

 何よりも早く、それ以前に地球上に存在していた何よりもという精神から生まれた人類の叡智の結晶である動く鉄の塊ーーー列車がそこにあった。

 

 その中で、二人の男が向かい合わせに座っていた。

 

 一人は水色の髪に赤縁のメガネをかけた男で、もう一人は特徴的なスーツを着こなす金髪の男。

 その男達は何故列車が砂漠を横断しているのか、そもそもこんなモノは元々存在しないはずであるという事を知っている。それが技術によるモノではなく、数十年経とうと常人では実現し得ることができないことも。

 

 「しっかしよォ〜、うわさには聞いていたがとんでもねえな。“汽車含めた空間丸ごと”っつうんだから、質感とかもマジもんだなこりゃあーーー」

 

 水色髪の男が、ペタペタと車内を触りながら感心した様子で辺りを見渡している。

 片手で一本の髭すら生えていない顎を少し撫でながら、もう片手では欠片のホコリもついていない車体を撫でている。高級感溢れる色調の壁から、豪華な飾りで彩られた額縁、窓へと移りーーーーしかし、その手は途中で動きが止まった。

 

 「悪くねぇ、目で見た質感も、肌で触った感触もーーー。だが、()()()()()()のが一個ありやがる」

 

 その一言と同時に、その男は座席に無造作に足をかけた。

 そして、そのまま上げた足を後ろに下げるとーーー男は突如として赤子の起こす癇癪の様に勢いよく座席シートを蹴り始めた。

 

 「この配色だけは気にくわねぇなぁ〜ッ。国色の一つすら入っちゃいねぇーーー! ()()()は俺達を舐めてんのかァーーー!?」

 

 1、2、3、4、5と蹴られるたびその羽毛を散らしていく座席シートの形が変わっても治る事のない癇癪は、なおもエスカレートしていくように見えた。が、

 

 「ーーー落ち着け、ギアッチョ」

 

 金髪の、薄いチェックの模様が描かれたワンセットのスーツを着込む男が手慣れた様子で、突如激昂した水色髪の“ギアッチョ”を嗜めた。

 男達はこれから自分達が何を行うのか、それを認識しているにも関わらずいつもと変わらない様子で座席に腰をかけている。

 

 「半径50m圏内のすべてを自分がイメージした世界に閉じ込めるーーー強ェのは確かだが、使用中は本人は攻撃できないおろか身動きすら取れねぇっつうのは確かにネックだ」

 「ーーーー俺達ぁこれから、一人じゃ何も出来ねぇ奴の尻拭いをさせられるんだぜ、プロシュート」

 

 右手に持った白い布で拳銃のホコリを拭き取る金髪の男ーーープロシュートに対して少し苛立った口調で、水色の髪の男がぼやいた。

 すると、プロシュートの拳銃を拭く手が突然に止まった。そして、唐突に立ち上がる。慣れた手つきでそこに球を一つ込めると歩き出し、ギアッチョの前で立ち止まった。

 

 そして徐に、銃口を向けた。

 

 「ギアッチョーーーー銃ってのは、一体何のために6発も球を込める事ができるか知ってるか?」

 

 座席を蹴り込んでいた足を止めたギアッチョの指がピクと動く。

 

「何のマネだーーー」

「いいから答えろ」

 

 あくまで、冷静な口調のまま問いかけるプロシュートとは対照的に、銃口を向けられているギアッチョの眉間にはシワが寄った。

 

 「物知り博士のつもりかーー? お前は昔からよォ・・・。大方、より多人数を殺せる様にだろうがよ」

 「違ぇ。ーーー()()()()()()()()()()()()()()()からだ」

 「ーーーーつまり何が言いテェーんだ。てめえは」

 

 今にも血管が浮き出る手前のギアッチョに対し、プロシュートは少しも臆する事なく近づく。 

 

 「いいか、ギアッチョ。お前のホワイトアルバムは強い。それこそ一人で対抗組織をぶちのめしちまうぐらいにな」

 「あぁーー?」

 「だが、俺達は兄弟であり、“チーム”だ。一人一人が強ェに越したことはないが、完璧な人間なんてこの世に誰一人としていねぇ。拳銃が一発じゃよく狙わねぇと人一人すら殺せないように、足りねぇ部分はもう一発が補う。二発じゃ足りなきゃ三発目だ」

 「ーーーーあぁ」

 「つまりは冷静さだ。それさえ分かってりゃあ、お前は成長できる。そうじゃなきゃあーーー“あいつ”を取り戻すことすらできねえ」

 

 それだけ言い終わると、プロシュートは静かに向けた銃口を降ろし、懐へ拳銃を仕舞い込んだ。

 

 「だから俺達がいるーーー。それが確実だと見込まれた上で、俺達がここにいるんだ。やり方はーーー分かってるよな?」

 「チーーーッ、当たり前だ。にしても、わざわざこんな片田舎まで飛ばされるなんてよォ〜、俺たちゃ相当ツイてないぜ」

 「急を要するーーー標的が鉄球使いだからだろうな」

 

 プロシュートは手元にあるターゲットの写真をじっくりと見入る。どこかの瞬間で写真に収めたのだろう、男の腰元に写っている鉄球が目立つように光に照らされていた。

 

 ーーー黒い鉄球。

 それについては()()()()()()()()()()()()祖国では見る機会はなかった。ネアポリスにおいては武器として、護衛官や処刑人は鉄球を所持している。使い方は様々で、攻撃、捕縛、治療など用途は多岐に渡るがーーーそれでもそういった鉄球使いの色は黒ではなく、緑やオレンジをしている。故に、黒色の鉄球は異質さを放つ。

 

 「ーーーー上は、そんなご執心なのか?」

 「俺たちが知る意味は無い。が、そうだろう」

 「ーーー黒い鉄球、だったか?”あの街”ですら見たことねぇな」

 「ああ」

 「一度頭のイカれちまったジジイから聞いた覚えがある。緘口令が敷かれてるらしいっつぅのに、ベラベラとよぉーーー」

 「ーーーーーおい、合図だ」 

 

 と、ギアッチョが続きを発しようとしたそのタイミングで、列車の最前列の方から間の抜けた様な鈍い汽笛の音が鳴り響いた。

 

 「始めるぞ」

 

 プロシュートが座席から腰を上げ、前へ一歩進む。と、その輪郭がうっすらと“ぼやけた”。 

 

 「ーーーーーグレイトフル・デッド」

 

 プロシュートがその名を呟くと、ぼやけた輪郭から抜け出るように、白い体をしたエイリアンがその姿を現した。

 数個の脚の様なものを操りながら、頭の辺りに位置する幾つもの目玉はギョロギョロと蠢めいている。

 

 「ホワイトアルバムーーー」

 

 ギアッチョもまた、同じように呟くと、その体にまとわりつく形でピッタリとした白いスーツが体から浮き出した。

 

 「俺の老化は熱で左右される。最も安全に最大効率で列車全体を満たすために、空調室から俺は動くわけにはいかない。そして、この中で動く事ができるのはーーーー」

 「冷気を纏った俺のホワイトアルバムだけーーーだろ? 安心しろ、いつも通り五分でケリをつける」

 「慢心はするな。”聖教会の護衛”の情報もある」

 「ーーー相手が誰だろうが関係ねぇ」

 

 プロシュートはギアッチョが別の車両へ移っていくのを確認した後、人一人が十分に腰をかける事の出来る空調室のドアを開け、“予め具現化されていた”全室に繋がる換気口を全開にした。

 そして、そのハッチを開く。

 

 

 俺達“兄弟”の障害は全て取り除く。鉄球使いは総じて呪われた一族だ、必ず国に持ち帰る。ーーーーそして、ヤツから“弟”を必ず取り戻してやる。

 

 

 

------

 

 

 

記憶の奥。目を閉じなければ思い出せないような過去。

 

 風に乗った草木の香りが漂う緑の世界で、幸福な事柄事以外は何も知らない私がそこにいた。

 

 『どうしてあの子には家族がいないの?』

 『それはねーーーー、うーん、なんといったらいいかねぇ』

 

 幼い頃の自分は、弟を除けば一人しかいなかった年の近い住人に興味を持っていた。彼がそこまで年が離れていないというのに、少し大人びて見えていたからだろうか。

全てが新鮮に見える子供の時分からすれば、そこまでとはいっても、自分より少し体格のでかい事は大きかった。

 また、彼は村の中で唯一彼用に充てがわれた家にたった一人で住んでいた。

 それもあって、そんな少年に何故か目を引かれた私は、たまに村へと帰ってくる両親にふいにそんなことを聞いた。

 

 単純な結末を言えば家族に先に立たれていた訳ではあったのだが、死などを明確に理解していない子供に対して答えにくいことであったのだろう。困った顔をして返答を詰まらせていた母を覚えている。

 

 彼はいつも、屋根に上って高い位置から村を見渡しながら、ここいらでは珍しい黒髪をたなびかせていた。

 

 そして、そこで何をするわけでもなくただため息をつく。

 

 ついたかと思えば気合を入れるように自らの頬を叩くと、屋根から降り、身の丈に合わない藁に悪戦苦闘しながら農作業を手伝いにいく。

 

 その時は変わってるヤツとしか思えなかったが、彼は不思議と村の人々に好かれていた。

 それには彼自身の働き者の性格もあってだろう。

 なのに、彼が帰るのは彼だけが住む小さな小屋。そこに彼の家族といえるような人はひとりとして見えなかった。 

 

 だから、遠目からだったとしてもそれが酷く寂しそうに見えて。

 いくつかの出来事を経て仲良くなった後に何回も家へ誘った。

 

 けれど、いつまで経っても彼から寂しさが消える事はなかった。

 今考えれば、私はそんな彼に同情していたのかもしれない。

 

 

 ーーーーもしあんな出来事が起きていなければ、彼と今も一緒に生きていたとしたら、その寂しさを私は消せていただろうか。

 

 

------

---

--

 

 

 次第に聞こえてくる、体に伝わるガタガタとした柔らかな振動が大きくなっていき、唐突に瞼の裏に明るさを感じた。

 

 

 「ーーーー?」

 

 

 目を開けると、嫌な奴が視界に入った。

 こちらに背を向け、日差し避けのために走行中に被っていたマントをブランケットのように体にかけ、背中を向けて眠る男。

 

 “彼”とあのまま過ごせていたら、もし私が彼を見捨てていなかったら見れていたかもしれない光景。

 

 彼があのまま成長していたら。

 そんな事を考えさせる目の前の男ーーー今はガソリンだったか、私が知る前に名を変えられてしまったが故に、本来の名を知る事はついぞ無かったが。

 嫌な記憶をフラッシュバックさせる、先日自らの護衛するべき相手となった男の一部が目覚めの瞬間に映ったことで変に目覚めの悪さを感じた。そして、その理由を思考する自分に対しても。

 

 

 本当に、ーーー嫌になる

 

 

 もう何も考えたくない。

 

 

 そう考えながら、瞼の重みをゆっくりと感じる。

 再び体に押し寄せる、気味の悪い眠気に身を任せ、目を閉じる。

 

 ガタンゴトンという音ともに、体を一定の間隔で揺らす振動がゆりかごのようで心地が良い。

 

 

 音が耳に入ってくるたび、次第に聞こえてくる音が小さくなっていく。

 まぶたの裏が、明るかった世界が暗闇を帯びてくる。

 その暗闇の中に、落ちる。見えない底までどんどん落ちてーーーー

 

 

 ーーーーーーーいや、待て。

 

 

横たわる身体を反射で起こし、勢いで自分の頬を思い切り平手で打つ。

 寝惚け頭で思わず自分の本能に流される所を寸前で抑えた。

 

 鋭い痛みが右頬全体にじんわりと広がっていく。

 ーーーーとても痛いが、おかげで目が覚めた。

 

 

 明るさを取り戻していく視界の中で、急ぎ辺りの状況を確認する。

 場所ーーーー気品あふれる茶色を基調とした、豪華に彩られた明らかに一般人用に作られた様には見えない部屋。

 

 窓は一つ二つ、と思ったがどうやら壁に沿って一定の間隔で両側に備え付けられているようだ。外からはまぶしいほどの日光が差し込んでいる。

 

 それにガタガタと体に伝わるこの振動に、走るだけでは体感できない窓に映る景色の移り変わる速度から今私がいるのはーーーー列車だ。

 

 何故、私はこんなところにいる。

 

 

 「起きろ、おいーーーーガソリン」

 

 

 ひとまず、護衛対象の安否確認が最優先とみて、寝起きから嫌気がさした男を揺さぶりながら声をかけるも、返事すらしない。

 それに見かけでは分からなかったが、こいつ意外と体重があったのか。寝起きだからというのもあるだろうが、揺さぶる際に何か“重い”印象を感じた。

 

 というよりもどこかーーー。

 

 

 「ーーーー?」

 

 

 ガソリンの体を揺さぶることで目が覚め、視界が広がったからか気づいたが、よく見ると辺りには少なくない量の茶色い粉のようなものが散らばっている。

 

 

 ーーー列車に何かぶつかったのか?

 

 

 おそらく木片、それも列車内部のどこか。見渡すと側の座席の大部分が丸々削られている。だが、その削られている部分の綺麗さからして、誰かが人工的に削っただろう事が分かる。

 粉の散らばりようからして、常に揺れている車内にしてはそこまで時間が立っているようにも思えない。

 だが、こんな場所でそれをする事に一体何の意味がある。

 

 いつの間にか自分たちがこの列車の中にいることと関係があるかもしれないがーーーその可能性は低いと見ていいだろう。私が目を覚ました所には見受けられなかった事に加え、これが外部からの攻撃だったとしても、あまりにもまわりくどすぎる。敵が誤認させるために行ったにしては脈絡が無い。

 

 冷静に考えなければ、それを念頭に置きながら、ガソリンを揺さぶり起こす力を強める。

 

 

 「ッーーーー」

 

 

 しかし先から体が異様に重く感じていたこともあり、一度ガソリンを揺さぶる手を止めてしまった。

 

 何かーーーー、とてつもなく何かイヤな予感がする。

 生物としての本能か、はたまた第六感というべきナニカか。

 

 身体に力がはいりにくいーーー体がまだ寝ているのか?

 

 それか、これまで痛いほどの日光が降り注ぐ砂漠を横断してきたのもあって知らず知らずの内に疲れが溜まっていたのだろうか。

 

 思っていたより体が鈍ってきているのかもしれんな。

 

 それにガソリンの後ろからちょこちょこついてきていたストーカー野郎にも気を配らなきゃいけなかったのもそれに拍車をかけていた。アイツ、確か50m以上離れてるなら追いかけてもいいとガソリンに言われてから喜んで大人しくしていたが、まさかな。

 

 

 ひとまず、どうにかガソリンを起こしつつ、今の状況を把握しなければーーー。

 

 

 目を閉じてすぐに思い出した記憶は2ndレースが始まったところ。

 すぐに我先にと、1stステージと同じように、ジャイロツェペリがスタートダッシュを決めた後ろ姿を見て参加者の多くがやはり狂っていると認識していたようだったが、外の反応は思ったより好印象だったようだ。

 それもそのはず、サンドマンへの妨害行為で最終的には順位が降格されてしまったが、元の結果だけ見れば1stステージでは一位の座を勝ち取っている。もしかしたら2ndステージでもミラクルを、もしかしたら彼には何か秘策が、少なくない観客がそう思っている。

 そしてそれが表出した結果、水場の保証のない馬鹿なショートカットを目論むジャイロの後ろに幾人かの参加者がついていった。

 

 かくいう私達もそのショートカット方面へ足を進めたわけだが、私は考えなしの根無しどもとは違う。組織が手配した水場がショートカットの先にいくつか点在している事を考慮しているし、それが他の参加者に渡らない形で隠されている事も把握していた。

 その道なら、護衛対象も守りやすくなるからだ。

 

 故に、ジャイロを含めた先頭集団にそれが見つからないよう、なるべく内側を走っていた訳だが、先頭集団より内側に入って数時間は何もなかったはずだ。

 事前に持ってきた砂漠越えのための水分を含め、そういった面でも危機感はなかったから焦る事もなく、適度に休憩を挟んでいたのも覚えている。

 

 そして、そのまま馬の調子を気にしながら進んでいき、夜の帳が世界を覆い始めたほどでーーー急に霧が濃くなりだした。

 それは辺り1m先も見渡せないほどで、気がつけば全く周りが見えなくなっていた。

 一応は振り返ってみたものの遠くの方に見えていたストーカーもその姿は見えなかった。無論、ストーカー如き野垂れ死のうがどうでもいいーーーー、がガソリンは守らなくてはならない。

 ガソリンがある程度戦えるという事はある程度1stステージの時に認識していたが、急な護衛という事もあり、情報収集が出来ていなく、不安点も多い。鉄球使いがまさか国外にいるとは思っていなかったのもそうだ。

 先の見えない中で、離れないようにガソリンのと馬体を寄せ合いながら、辺りの地形を確認し進んでいく事少しの間、その時だ。

 そこから気づいたらーーー()()()()()()()()()のだ。

 

 霧に包まれた瞬間からなのか、それともそれより前からずっとなのか。

 全容は理解できないものの、流れは理解した。だからこそ、分かった事は一つある。常人の想像しうる範囲外の出来事、理解ができなかったり、技術では再現不可能なこの状況は、敵の攻撃()()()()によるものだ。

 

 そうと分かれば次の行動を決めるのは容易い。蹴ってでも引き摺ってでもガソリンを叩き起こし、身の隠す事ができる場所へ移動させる。未だ体に上手く力が入りにくい状態だが、ひきずれば人一人運ぶくらいなんとかなるだろう。

 そして、その後に申し訳ないが無理矢理にでもこの列車を止める。一体どこに連れて行かれているのか、現在地の確認とその他諸々。

 コース上から外れているのは当然と見て、時間はあまりない。

 

 急がなければと、意を決してガソリンを動かそうと掴んでいる腕に力をこめるが、やはり違和感を覚える。

 

 やはり、おかしい。体がどうにもーーー、寝ぼけてふやけてしまったのか。

 動作の全てに、気持ちの悪い違和感を感じる。まるで未だに、夢のなかにいるかのような気分でーーーー

 

 

 「ーーーーーなァんでお前は起きてやがる」

 

 

 おぼつかない体に喝を入れ、懐から取り出したモノで声の先へ鉛玉を放つ。

 

 辺りを包む乾いた音が3回鳴ると、それは真っ直ぐに声の方へと着弾した。

 

 

 「ーーーーーオイ、話ぶった切りやがってテメェ、聖教徒だろ。俺の嫌いなァよお〜ーーーー」

 「ーーーーー。」

 「奴らは決まって救いがなんだとか言いながらーーー肝心の俺達は視界にすらいれなかったからな・・・」

 

 ブツブツと何かを言っている男へ視線を向ける。 

 何故まだ喋ることが出来ているーーー銃弾が命中したのにも関わらず、だ。

 

ーーー間違い無いか。

 

 身に覚えのない現象、どう考えても辻褄の合わない気味の悪い事象に陥った時は総じてスタンドによるもの。 

 

 既に、敵の手の中だったかーーー。ここまで近寄らせたのは不覚だったが、躊躇はしない。例えそれが自分の勘違いだったとしても、それはその時に考えればいい。

 

 疑わしきものは罰する。聖人でも何でもない私には、それが人を護衛するものとしての“責任”だと考えている。

 

 故に、手遅れになる前に拳銃を放ったと言う訳だった、が。

 

 

 「”俺達”のターゲットが見当たらねえなあ」

 

 

 そしてそれは寸分狂わずやつに着弾した。視線を向ければわかる、が。見た通り、奴には一つも効いた様子は見えない。

 

 だが、衝撃を受けたのは事実らしい。私の視線の先には、幾らか体をのけぞらせた“全身を覆うスーツ”を身に纏った男が、マスクの中からこちらを覗いている。

 

 白のスーツ、というよりは防護服のようにも見えるがーーーそれが能力なのか?

 

 だが、気になる一番の点は肩についている赤の輪郭をした十字架のマーク、聖十字架の紋章。ネアポリス王国で数ある兵士の中でも数十人しかなることの出来ない聖騎士の証ーーー私でもそれが誰だか一眼見れば分かる程だがしかし、記憶にある軍の一覧にいる顔とは一致しない。

 

 

 「思いの外早いお出ましだな、たかが一人の人間に聖騎士が出張るとはーーー訳を聞こう。まぁ、話せたらだがーーー」

 「“おハジキ”が効くわけねぇだろーーー?」

 「ーーーああ、今理解したよ」

 

 

 キンキンキンと、金属が何かで堰き止められたような、甲高い反響音が耳を伝っている。それはスーツの男間近で鳴り響いていたが、次第に音は小さくなり、完全に途絶えた。

 

 

 「超低温は”静止の世界”だーーーー。お前が眠たさに目を擦らせよォとしてる所で打った弾なんて、俺の氷のスーツ上の表皮1ミリすら削れねぇ。“ここ”で完全に静止した」

 

 

 ほらな、と男がマスクの上をなぞると潰れた銃弾がカランコロンと床に転がった。

 

 恨みがましく見つめる私と対照的に、マスク越しの奴の顔には笑みが浮かんでいる。

 

 

 「強がらなくてもいい、いくら防具をつけようが、銃弾が直撃したんだ。肋の一本でも折れて呼吸すら辛いだろう」

 「バカがーーー、俺の話聞いてたか? 低温世界で動ける物質は何もネェって、言っただろうがァよおーーーッ!!」

 

 

 撃たれて数秒後とは思えないスピードで奴が地面に右腕を叩きつけると、それを中心に地面に白く、透き通った氷が驚くスピードで広がっていく。

 

 

 「ッーーーーー!」

 「これが俺の”ホワイトアルバム”ーーー、顎外してやるよ神の奴隷がァッ!」

 

 

 こちらの足目掛け伸びてくる氷をジャンプすることでかわし、座席側へと飛びうつることで氷を回避する。

 

 氷と銃弾すら受け付けることの無い白のスーツ。それにさっきの“俺達の”というセリフーーーある程度だが分かった。

 

 

 「何が目的ーーーいや、言わなくても分かるがな」

 「ーーッ、いちいちイラつかせやがって。好き好んで奴隷になるような奴は昔からそうだァーー。分かってるなら鉄球の男ォだせッ!」

 「お前もその奴隷以下のヤツに従ってる癖にくだらん。それに、護衛の言葉の意味を知らないのかーーー?」

 「ーーーーーーーッ避けるな、うざっテェーーッ!!」

 

 

 右、後ろ、左とステップを踏みながら氷の手をすり抜け、そこから一歩後ろに下がる。

 ーーーーやはり少し、時間が欲しいな。

 

 

 「全身を覆うスーツ、それに瞬間凍結をさせる異能。確かーーーネイプルズの三兄弟。全員豚バコに入れられ処刑されたと聞いていたが、それが最初の追っ手とは随分豪華だな」

 「ネアポリスだ!他所の言葉で呼ぶんじゃあねェ、癪に触るなァ!!」

 

 

 ーー当たりか。

 ネアポリスで一時期名を上げていた殺し屋三兄弟。三兄弟の卓越したコンビネーションで息もつかぬ間にターゲットの命を刈り取る様はまさに死神と言われ、噂では呪術を使い超常現象を味方につけていたとされるが、それはおそらくスタンド能力であっただろうことは想像に難くない。

 中でも、真ん中の弟の側ではつむった目が開かなくなるほど周囲の気温が低下していたらしい。

 王の血筋を狙った事で始末された事からよく記憶していたが、飛んだ嘘っぱちだったな。

 一番上の兄の名はプロシュート、一番下はペッシ、そして真ん中は確かーーー

 

 

 「ギアッチョーーーだったか」

 「てめぇらーーーやっぱり調べはついてやがったか」

 「なに、その能力に、お前自身が話した“俺達”という存在のヒント。実際はほぼ勘だったがーーー図星だな」

 「チッーーーそれなら話が早ェ。ならヨォーーー早めに今世に諦めがついて良かったなぁーーッ!」

 

 

 スーツの男、もといギアッチョが前へ一歩踏み出すのと同時に冷気がこちらへ流れ込んでくる。

 噂通りの冷気、触れた部分を基点として凍結させる能力ーーー距離が必要だ。

 

 体が痛むから使いたくはなかったがーーしょうがないか。

 

 懐から蛇腹になった金属を取り出し、それらを一つ一つ繋げていく。慣れた手つきで一つ、また一つと組み立てられたモノはこの地では西部開拓者が主に使うーーーー面に対して非常に大きな破壊力をもたらす最新兵器。

 

 

 「ショットガンだ」

 

 

 ドンッという鼓膜を破りそうな音と共に、体があまりの衝撃で後ろへとのけぞる。

 その衝撃は痺れとなって腕から全体へと広がっていく。

 煙と共に冷気の霧が晴れていく。

 ーーーが。

 

 

 「ーーーー三度目の正直ってか? 二度あることは三度あるとも言うだろうがッ! どっちかにしろどっちかにィーーーッ!!」

 

 

 数発の銃弾は先程と同じように擦り切れる音と共にギアッチョにスーツへめり込んだまま、そのまま動きを止めた。

 

 

 「学ばねェバカがーーーーッ」

 「ーーーーー!」

 

 

 そして、ひるむことすらなくそのまま男はこちらへ無我夢中で距離を詰めてくる。勢いは全く落ちることのないまま、与えられたダメージというものはスーツ頭部に薄く見えるヒビのみ。

 

 

 「バカな、この頑丈さーーーーこいつ、無敵かッ」

「前後左右、死角は1ミリもねぇぞーーッ!」

 

 

 凍りついた床をペンギンが滑るように、男が隙に乗じてさらに距離を詰める。

 

 

 「なら、これはもういらないな」

 「あぁーーーー?」

 

 

 今ここにあるもので一番殺傷能力を持っているであろう“武器”をあえて相手の眼前に放り投げる。その行為に、奴の体には否応なく一瞬の硬直が生まれる。

 その隙に自由になった右手で空を掴むと、次の瞬間にはそこに見慣れたスプレー缶が生じていた。そして、迷いなくスプレーを投げ、咄嗟に口で咥える。

 一気に止め口が解除されたスプレーからはとめどなく肉が放出されていき、迷いなく自らの背中に向かっていくと、そこには新しい“腕”が生成される。

 その”腕”は生成されたと同時に頭上にあったつり革をつかむと、私の体を浮遊させる。

 

 すると当然、私を包みこもうとした氷はその凍らせる対象を失いそのまま後ろへと広がっていく。

 

 

 「曲芸師かァーー? だが空中じゃあお前は無防備だろーーーッ」

 「ああ、”仕込みナイフ”だ」

 

 

 つり革の揺らぎが自らに伝わる勢いそのまま、右足を男の顔面に蹴りを放つ。

 足には衝撃を受けて突き出たナイフが光る。

 目的はーーーーー僅かに入った頭部のヒビ。

 

 

 「ぶぎゃ―ーーーっ」

 「女だからとあまり舐めない方がいいーーーそういう奴らは今まで大抵数十秒でブチ殺してきた。自分の防御力に過信しすぎだ」

 

 

 図体に対して思ったよりも呆気なかったな。

 

 そして、突き刺さったその勢いのまま、男の体を地面に叩きつけ着地する。

 

 その衝撃で足元にいるギアッチョの体はもがき、ジタバタと体を動かすものの数秒してその動きを止めた。

 

 

 (終わったかーーーー)

 

 

 ふぅと一息つきながら、突き刺した足をぬるっと元に戻す。

 

 

 「ーーーーーフゥ、フゥ……」

 

 

 やはりバカにはしたが腐っても相手はスタンド使い、想定よりも体力の消耗が激しい。それに、倒したとは言ったが謎が解けたわけではない。聖騎士達の狙いはーーーおそらく“遺体”、つまりは黒色鉄球な事は分かっている。だが、何故処刑されたはずのコイツがこの紋章を背負っているんだ…..最早形振り構っている場合では無いというワケか。

 

 となればやはり、ガソリンを引き摺ってでもこの列車から連れ出す事が最優先事項。

 必ず、聖騎士の奴らは集団で任務に取り掛かる。

 “十数年前の国外逃亡者”に対しては聖騎士以外も含めて最大50人体制だったと聞く。

 

 だからこそ、早く、早くこの場からーーーー

 

 

 「ーーーッグゥ…….ハァーーーッ!ハァーーーッ!」

 

 

 思わず、膝から崩れ落ちる。

 ダメ、かーーーーー。疲れで思考が定まらない。それに、息切れが、治らない。

 

 明らかにおかしいーーーー激しいとは言えいつもは数回深呼吸をすれば治るほどの動きだ。

 

 思わず瞼が下がりそうになるが、根気で意識を取り戻す。

 

 貧血ーーーのわけがない。傷は擦り傷すら負わなかったはずだ。

 

 

 「ーーーおいおい、派手な動きしてくれたじゃあねえか。

 そんなに動いたらよぉーーーいくら女でも()が切れちまうんじゃあねえかあ?」

 「ーーーーなッ」

 

 

 声は先程トドメを刺したはずの男の死体から。

 貫いたはずのマスク越しから、男の余裕そうな声が漏れ聞こえる。まるで、そんな攻撃意に返していなかったとでも言う様に。

 自らの生存本能が警告を出し、瞬時に男の射程範囲から離れようとするも、力が入らず一歩も動けない。

 

 

 「ーーー、ふぅ。はぁーーーー、はぁーーーー」  

 

 

 仕留めきれなかったかーーーー。

 首を切り落とさなかった自分の詰めの甘さに反吐が出る。そして、男の言った息切れの事も、妙に頭に引っかかった。

 先程から妙に息が切れる事に関して、加えて、先程まではあまり感じていなかった身体の疲れ。だがそれは、視界に入った自分の両手を見る事ですぐに明らかになる。

 

 

 「なんだーーーー? これは」

 

 

 手の甲に広がるシワの一つ一つが、水に浸かりすぎてふやけてしまった時のように鮮明に浮かび上がっている。そのシワは手の甲の全体を覆い尽くしたかと思えば、手首から腕全体へとゆっくりと刻まれていく。

 

 同時に、全身が圧迫感に満たされる。体が自然と前傾姿勢になり、地面へと手がつく。

 体に力がーーー、意識すればするほど抜けていく。

 これは、毒ガスかーーー? だが、周囲にはそんな匂いなどカケラもーーーー

 

 

 「おいおいどうしたーーー、おばあちゃんヨォ」

 「ーーーーー!?」

 

 

 手で顔に触れれば皺が一つ、また一つと刻み込まれていくのを感じる。それは深く、広く広がっていくのと共に思考もまた、水底に沈んでいくような重さを感じさせる。今まで感じたことの無いーーー腕の重み、足の重み、筋肉の重みーーー、重力が敵になったかのような。

 油断、したーーーー。

 

 

 「兄弟のーーーー兄は“老化”か」

 「ケッーーー、そこまで分かるとはストーカーか? てめぇ、いや体感したからこそーーか」

 

 

 ネアポリスの三兄弟、その一番上の兄まで生存してここに来ていたとはーーー次男であるギアッチョでさえ“こう”であったのだから、普通に考えれば兄だって同じなのは自然であるが、なるほど。“四肢の自由を奪う”という噂は違いないーーーー息切れ、それにシワーーー老化を急速に促進させる呪いか。

 なら、兄弟は他にもこの車両にいると見て間違いない。

 

 

 「手間かけさせやがって、これだから聖職者はよぉ〜……」

 

 

 次第に失われていく手足の感覚が、嫌に寂しく感じていく。

 

 瞼が落ちていく。

 

 

 せめて、ガソリンだけでも“肉”で覆い隠さなければ全てが終わってしまう。

 最後の抵抗とばかりにスプレーの取手に手をかけるも、ボタンを押す手は男が視認しただけで氷漬けになり、ぴたりとも動かなくなった。

 

 

 「女は落とした、あとはターゲットのみーーーだ」

 

 

 

 耳鳴りとともに、敵の声が遠くなっていく。

 

 

 そして、瞼が落ちるのとともに世界が暗闇に包まれた。

 

 

 

  

 

 






 本体:ギアッチョ
 能力名:ホワイト•アルバム
 能力説明:自らの周囲にあるもの全てを凍らせる事ができる能力。汎用性とステータスに優れており、能力で作り上げられた氷のスーツは弾丸すらも通さない。

 【破壊力:A / スピード:C / 持続力:A / 射程:C / 精密動作性:E / 成長性:E】

 本体:プロシュート
 能力名:ザ・グレイトフル・デッド
 能力説明:生物を老化させるガスを放出する。老化させられた者は体力だけでなく知性、判断力も衰える事となる。

 【破壊力: B / スピード: E / 射程距離: B / 持続力: A / 精密動作性: E / 成長性: C 】


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ホワイト・アルバム&ザ・グレイトフル・デッド ②

 

 

 能力発動後僅か数十分、座席や手すり、戦闘で舞い上がったほこりも含めて、車内の全てが透明な薄氷に包まれた。

 

 極地ですら見ることのできないだろう、生命が限りなく死へと近づく“奇妙”な光景の中、立っていたのはイタリアからの刺客ーーーギアッチョただ1人。

 

 彼は自らの足元で凍ったまま動かなくなった女、ホットパンツへ目を向けると、氷の奥の肩部分に入った刺繍に目を止める。

 

 (ーーーやはり聖十字の紋章。コイツらまで出張るとは、かったるいな…)

 

 ネアポリス王国ーーーここから遠く離れた祖国に存在する、遺体を信奉する集団がこぞって衣服の何処かに刻む十字架の形をした紋章。

 ギアッチョ自身ほとんどの仕事を同国でこなしている事もあって、当団体とは幾度も関わった経験がある。しかしながらそのどれもが一癖も二癖もある人間であったために、初回以降関わらなくて良い道があるのならば必ずそちらを選んでいたほどであった。

 それはただその組織が面倒くさい奴らの集まりだからと言う理由もあるが、その根本には、ギアッチョに“最後に頼れるのは自分しかいない”という持論があるためであり、その信条は当人を含めて、彼ら“三兄弟”を強く結びつける根底ともなっている。

 

 注射器と、薄汚れた子供で溢れ返っていた故郷で彼らに手を差し伸べてくれた人種は誰1人としていなかった。

 

 いつだって、最後に助けてくれるのは自分の能力だった。

 

 ーーーホワイトアルバム、自分の意のままに空気も、生命も全てを凍結させる呪い。

 常人が手足を扱うように彼は全てを停止させる事ができ、やろうと思えば大地を走るこの列車すらも止められるという自負があった。

 

 そしてその力で氷を纏ってしまえば生半可な攻撃すら通さぬ鉄壁となる、攻守どちらも兼ね備えた最強の能力。

 

 だが、一体どんな人間であろうとも弱点は存在する。

 そしてギアッチョの弱点は逆上しやすく、過信をしやすいという性格にある。

 しかしながら、その二つともがギアッチョが生まれつき圧倒的な力をその身に宿していた事が影響している事はいうまでもない。

 逆上しやすいのは彼のその絶対に負けないというプライドから、過信は一度も負けた事がないという経験から。

 

 しかし、彼は変わった。それは三兄弟の一番下の弟、つまりギアッチョの唯一無二の存在である弟が捕らわれるという有事が発生したためである。その出来事は、それまで自分の強さを疑いもしなかったギアッチョの価値観を変えるほどに、それほどまでに彼の内に影響を与えた。

 三兄弟の中でギアッチョは真ん中に位置しており、唯一兄と弟の双方の気持ちを理解できる立場にいた。

 兄は先陣を切って、弟のために歩く道を作っていく。そうして弟は兄の道を見て、正しい道を選ぶ事が出来る。

 

 ギアッチョの脳内は今、自分が守らねばならない弟が捕まり、何もできなかった自分に対する無力さで埋め尽くされている。

 

 自分達が助けなければ、自分達しか弟を助ける事はできない。今度こそーーー弟の信頼を裏切るようなマネをするわけにはいかないのだ。

 だから、これまでのような自分の能力に対する慢心はしない。過信もしない。

 自分の目でしっかりと息の根を止めるところまで見届けてやると心に決めていた。

 

 その心情に従い、ギアッチョは自身が既に生殺与奪の権利を握っている事を確認すると、凍ったまま動かないホットパンツをようやく視界から外した。

 

 (こいつから先にトドメを刺してやってもいいが〜、目当てはこいつじゃねぇ。先の闘いを思い出しても、この女はオレをいなしながら明らかに何かを庇っている様子だった。おそらくはーーーー)

 

 突然、ギアッチョが右手で何もない空間を掴み取る。

 すると空気が圧縮されていく音ともに、瞬く間に右手へ氷のハンマーが携わった。そして、一席、二席と振り上げた勢いそのまま辺りの座席を蹴散らすーーーと、そこにうつ伏せのまま氷漬けになっている人間が1人。

 その腰元には、鈍色に輝く黒い鉄球が巻きつけられていた。

 

 (ーーービンゴだッ!)

 

 ギアッチョは懐から写真を取り出すとターゲットと見比べる。

 ーーープロシュートからはあのレースでの出場名簿に改ざんの痕跡があった事を聞いている。

 明らかにこちらに気付いた上での、素人ではないその行動の数々。鉄球保持者という面から見ても一般人ではない事は確かで、護衛も含めて協力者の存在も幾つか見受けられた。謎なのはターゲットのバックに聖教会がついている事で、何故遠く離れた地のこいつなのかはーーーまぁいい、これ以上時間をかけて聖教会の増援が来ても厄介だ。

 

 ーーーまずは仕事にカタをつける。

 

 「ブチ・・割れな・・・・」

 

 うつ伏せのままの男の背に足を置き、そのまま力をこめていけば、パキャッと枯葉を踏み締めるような音が車内に響いた。

 

 そうしてギアッチョと戦闘が始まるまでもなく、ターゲットはあっけなくその人生に終わりを迎えた。

 

 こうして出来上がった死体は急速冷凍によって表面から各種内臓、血液中の赤血球すらもその動きを止めており、中を砕いてしまっても血液が吹きこぼれてくる事はない。

 こうなってしまえば、人間と無機物の区別もなくなり、そこに転がるただのモノとなる。 

 飛び散ったターゲットの身体の一部であっただろうカケラが踏み潰され砂埃のように空気中に舞い上がり、ギアッチョの視界を覆った。

 

 「いつもよりひでぇな、出力を上げすぎたかーーーうざってェ……」

 

 ギアッチョはどちらかと言えば感情が表に出やすいタイプである。相手が自分の境界線に触れ、ムカッ腹がたてばたとえその相手が警官だったとしても容赦なく罵倒し、張り倒す。故に、こうして他人によって自分が行動させられた事に対して苛立ちを覚えるのは良くある。けれども、此度のように人を殺した事に関してはギアッチョの心は1ミリたりとも揺れ動く事はない。

 それはその日命を繋げる事が出来るのかどうかも定かではなかった場所で生き抜いてきた彼らにとって、ターゲットに対する情というものは不必要なものでしかなかったからで、いわば生存上の取捨選択の結果であった。

 しかし、それこそがギアッチョの強みである躊躇いの無さを形作ったとも言える。

 

 目当ての仕事にはカタをつけた。あとは蘇る恐れのある護衛の女を始末すれば、全てが終わる。

 

 (これでーーー弟も解放される。

 オレ達の唯一の弟。気が弱くて酒が飲めねぇから酒場で牛乳を頼むような情けねぇ弟。だが、それでもだ。ーーーそれでも、他の何にも変える事のできない弟が、これで解放される。

 3人揃えばよォ〜、“アイツら”だって目じゃねえ! 必ず、この落とし前はつけさせてやるーーッ! 弟が捕らわれた時、プロシュートと共に誓った事は忘れねェーーッ!)

 

 通路を塞ぐターゲットだったモノを蹴飛ばし、最後にカタをつけようとホットパンツの元へ歩みを進めるーーーが、これまで幾多の死線を乗り越えた事で身につけた生物の第六感ともいえる直感がギアッチョの足を寸前で止めた。

 

 (気持ち悪ぃ……)

 

 まるで、上演し尽くされた名作劇の内容がいつも同じ結末を迎えるように、自分の行動全てがレールに敷かれている感覚。

 

 ーーー小賢しい聖教会の女は止めた。プロシュートの老化も刻まれ、その上にホワイトアルバムの凍結。もう動く事はできねぇだろう。

 ターゲットの動きも止めた。

 男は女より老化の効きが早ェ事はもう何度も見てきた、だからこそ十数分間も老化ガスを浴びりゃあ身動きすら取れなくなって、ああなるのは当然だ。

 

 完璧だ。なにもない、慢心も、過信も、何一つないハズだってのに。

 ターゲットは始末したーーッ! 邪魔な奴も消したッ、ーーーなのに、なんなんだーーーーこの違和感はッ!!?

 

 あまりにあっけなさすぎる手応え、上手くいきすぎた事への嫌悪感ともいうべき感情、ギアッチョの疑問は明確な音となって現実世界に表出する。

 

 車内に響くキリキリと金属同士が擦り合う音。

 

 (ーーーなんでターゲットの皮膚に老化の跡がねェッ!?)

 

 てっきり“冷やされたから”だと思っていた。だが、あの様子からしてオレがこの車両へ乗り込むよりも先に、既に老化で行き絶えていたハズだ。そうなりゃその後から幾ら氷で冷やされようが、生体反応のない死体に刻まれたシワは回復することはないーーー

 

 つまりシワの全くない死体、ーーーあれは“作られた死体”だったからかッーーー!!!

 

 刹那、風を切る音がギアッチョの意識に飛び込む。

 瞬時に音の方向へと振り向けば、意識がソレを認識するよりも早く、日本の銀色に光る棒状のものが目と鼻の先まで迫っていた。

 

 それを寸前で避ける、ことはしない。

 

 「これしきぃーーーッ、止められねえわけッ、ねえだろうが!」

 

 これまでホワイトアルバムがギアッチョの自尊心を作り上げたのは何も、氷のスーツが頑強だけである事が所以ではない。

 その真骨頂は、空気中の水分を固定する事によって相手の攻撃を受け止める、まさしく空気の壁を生成できる事にある。

 

 (抗争相手のガトリングガンすら全弾止めたんだ!勢いを殺しさえすりゃあこんな鉄棒わけねェーーーッ!!!)

 

 ギアッチョが能力を発動したと同時に、飛翔する鉄棒は接近と同時に減速していき、空中で止まったーーーーかのように見えた。

 

 けれども鉄棒はゴボゴボと水が沸騰した音を立てながら、その勢いを加速させる。

 ギアッチョの意識が回避に向いた時には既に手遅れだった。

 

 (バカな、先が赤いーーーーいや、熱ッ……!?)

 

 再び本能が、ギアッチョにそれを認識させ体を逸らせる。が、それよりも”早く鉄球との摩擦”により赤熱化した鉄棒がギアッチョの右肩と腹部を貫いた。

 

 「ぎーーッ…..」

 (たかが鉄の棒が何でオレの氷の装甲を貫けるッ!? いやそれよりもだッ! なんでまだーーー生きてやがるッ!)

 

 しかしながら、その2つの疑問は脳内で湧いたと同じくして、肩から突き刺さった鉄棒を抜こうとした事で解消される。

 

 ギアッチョが肩に突き刺さった鉄棒に触れようとした途端、触れた左手の部分が僅かに弾かれる。その鉄棒にかけられたのは、総数六個にも及ぶ極小鉄球による“回転”

 

 「摩擦ーーーつまりそういうことかよーーーーッチィ!!!」

 

 常人であれば紛うことなき致命傷ーーーだがギアッチョはあくまで冷静に状況を俯瞰すると、躊躇う事なく右肩に刺さった鉄棒を引き抜き投げ捨てる。すると、転がっていく鉄棒からいくつもの小さな球体が、床の木材を削っていきながら拡散していった。

 

 (腹に刺さった方は深すぎて抜けねぇ、ッーーー焼け爛れた傷口に、絶えず”回転”し続ける鉄棒。そうかい、だてに鉄球使いってか。タネは分かった。だが、それだけじゃあーーー)

 「ーーー俺の命には1mmだって届かねえ」

 

 ギアッチョが肩に手を置くと、そこには薄い氷の膜が生まれ、ぽっかりとその後ろの光景すらも覗けた大穴は跡形もなく消失した。

 

 そして、ギアッチョの視界の隅の車窓が破られる。

 凍ったガラスは一面に飛び散り、そこからは、先に自らの足で粉微塵にしたはずのターゲットが侵入してきた。

 

 身につけている衣服は写真に映るものとは異なる、おそらく上着はダミーに被せていたのだろう。手に持っている鉄球も黒ではない、それもダミーに付けてあるからか。

 

 ガソリンは服にまとわりついたガラス片を冷静に払いながら、ギアッチョの様子を見て落胆する。

 

 「ーーーおいおい、もう治ってんのかよ」

 「ーーー騙し討ちのチャンスはさっきので終わりだ。真正面じゃ勝てねぇって悟っちまったんだろ? 」

 「話聞けよ。勝てると思ったから出てきてんだろうが、脳みそお花畑か?」

 「ーーーー威勢だけのヤツはいくらでも見てきた、それだけじゃあ氷は溶けねぇぞぉ」

 

 ギアッチョは目を凝らし、ガソリンの身体中を覆うシワを確認する。

 ーーーなるほど、さっきの死体は座席か何かで作った即席のダミー人形ってワケか。どおりで他の車両より広さを感じたわけだ、座席かなんかをチョコチョコ削って作りやがったんだろう。つくづく鉄球使いっつぅ〜のは姑息な真似をしやがる。

 

 そう考えながら、ものの数秒でギアッチョはガソリンの持つ情報を冷静に推測していく。

 

 シワは老化が効いている証拠、しかし、窓ガラスを蹴破るほどの体力を残している点から見ても、自らのターゲットがその対処法に気づいているだろう事までも。

 

 

 「「ーーーー」」

 

 

 空気が張り詰める。

 どこかの水滴が一滴でも落ちれば開戦の狼煙になるだろう、緊迫の瞬間。

 

 ガソリンは1人、急速な老化によって集中力すら掻き乱される中で辺りの状況を冷静に確認していた。

 

 (凍結の能力ーーー理屈は簡単だが、スタンド能力だとはいえ自然そのもの、人が気軽に扱っていいもんじゃあねえだろッ!!)

 

 ーーーだが、おかげで道は見えた。

 

 車内で目が覚めて以降、休む間もなく状況を把握し続けていた事によってガソリンは既に老化の対処法が“温度”である事を看破していた。

 

 目が覚めると突然の列車にいるという状況。拉致ーーーにしては護衛のホットパンツも含めて、という部分に引っかかりながら、その拉致した方法は最初に思考から外していた。

 最後に頭の中にある記憶を辿りながら、物理的な方法では不可能であると断定、そして

おそらくはスタンド能力によるものだと仮定し、優先順位を周囲の状況観察に変えた。

 敵の存在を鉄球での探知で試みるが列車の振動によって上手くいかない。だから、そこからのガソリンの行動は全て、憶測に基づくものだった。殺さずに生かしたまま列車へ拉致した事、殺害が目的ではないのか、つまりは“何かを手に入れようとしている”ーーーーだが、目的を探ろうにもいかんせん、時間が足りなかった。

 

 密室というのはそれがどんな目的にしろ、その有利さは部屋が閉じられている事にある。大抵の場合、捕らわれた人間は辺りの状況を確認しようとするのと恐怖心の余り、外に出る選択肢を掴み取るのに時間をかけがちになる。

 そうした中では最も敵が思いもしない行動にでるのが得策、つまりーーーガソリンは窓を伝って車外へと飛び出した。

 

 騙すなら味方からーーー師から受け継いだその信条を元に、薄情ではあるがガソリンはあえてホットパンツを車内に放置していた。 

 その思惑には勿論、自分と共に大人しく拉致されているという認識をいるだろう敵に認識させるため。

 

 ホットパンツを殺させない為にも、ガソリンは衝撃だけを伝える鉄球で目覚めを催促しーーーおかげで攻略の糸口を掴んだ。

 

 既にガソリンも車外へ出た時の倦怠感で違和感を覚えていたが、それはおそらく目の前の敵とは異なるスタンドによるものーーー密室であるから毒ガスとも推測したが、車外へ出た自分からそうではないと断定した。

 

 ホットパンツが攻撃をしかけ、息を切らすほどにその身に刻まれていく老化。対して、同じくらいの動きにも関わらず、息を切らさず老化すらしない相手。加えて、その中でホットパンツの動きのキレは氷を操る敵に近づくほど元に戻っており、逆に距離を取れば取るほどに、膝をつくような倦怠感に襲われている。

 もしかして、そうして仮説通りに窓の外に漏れる氷を触れると、指に走っていたシワが一時的に和らいだ。

 

 圧倒的な力を持つ相手には、相手の決定的なスキをつかなければならない。

 ガソリンはひたすらその時を待った。相手が決定的な“思い違い”をしている事を確信しながらーーー

 

 

 数秒か数分か、張り詰めた空気が時間感覚を喪失させる中で、ギアッチョの左手が微かに動くーーーが、それよりも先にガソリンがホルスターから鉄球を取り出した。

 

 その一歩出遅れた状態、それは一瞬が決着をつける世界では覆せないアドバンテージであり、その焦りはより2人の差を広げるものである。しかしながらギアッチョは、その状況下に直面したのにも関わらずニヤリと笑みを浮かべた。

 

 それはギアッチョのこれまでの戦いの経験が教えてくれた事であり、彼の自尊心を鍛え上げてきたーーー敵の弱点を即座に掴むという戦闘センスによってである。

 鉄球使いを問わず、何か強力な遠距離武器を持つ者というのは総じて直線的な攻撃方法になる。鉄砲であったり、ボウガンであったり、それこそ彼にとって未知である黒色の鉄球でもない限り、ギアッチョにとっては全てが脅威にならない。

 

 そして、狭い車内というコースが定められるこの環境。もしそれを避けて斜面にどう鉄球を転がそうとしても、壁を覆うホワイトアルバムの氷がそれを拒む。

 

 (つまり、どう足掻こうがここでは鉄球の強みはーーー死ぬ!)

 

 風切り音と共にギアッチョの予測通りのコースへ吸い込まれた鉄球は、瞬時に生成された氷の壁に阻まれる。

 それは鉄球を取り込んだかと思えばそのまま大きな氷塊を作り上げる。

 

 “三兄弟”の中でもギアッチョは特に秀でた戦闘センスを持つ。故に、彼はターゲットが自分の肩を貫いた方法を即座に見抜いた。

 

 (あれはーーー摩擦だった。 ホワイトアルバムの表皮は銃弾すら通さないが、それはあくまで弾が絶えず熱を発していないからだ。だからこその摩擦、それ自体が熱を発しているから装甲を貫いたんだろう)

 

 であるならばッーーーー圧縮し続けて回転を殺し、熱をも殺す!!!

 

 ホワイトアルバムの出力が更に上がると、鉄球を包む氷塊からは湯気が立ちのぼりだす。

 意味するのは、回転の停止。

 

 しかしーーーそれは確かに、ギアッチョのその行動は鉄球の動きを止めた。

 かつ相手の武器を奪う事にも繋がる、彼が取れる選択肢の中では最善のものだった。

 

 だが、ギアッチョのした氷壁を生み出すその選択が、ガソリンを視界から消したその行動が彼の運命を分けることとなる。

 

 武器の奪取。勝ったという確信がギアッチョの内心に広がる。

 ーーー攻めるなら今だ。

 氷塊を盾にして距離を詰めた彼の目の前に現れたのは、衛星ではない極小の鉄球。

 

 それが1つ、2つ。

 

 (いくら摩擦で熱があろうとこの程度の大きさで俺如きがーーーーッ!!!?)

 

 

 それは3つであり、それは4つでありーーー5つ。6、10、30、50、150ーーーその数総勢、数百はくだらない。ギアッチョの身体を埋め尽くす数のそれは一つ一つが回転をしており、そのすべてが津波に如く氷塊の裏から一斉に殺到した。

 

 黒色の極小鉄球。

 それがいくら高温であろうとも、一つだけではホワイトアルバムの装甲を貫通する事ができない。

 

 ーーーしかしガソリンは知っていた。彼の師が指し示した、鉄球使いは自然からその技を生み出してきた事。自然という、元来世界が備えている美というべき力ーーー“熱殺蜂球”

 ミツバチが自分の数倍の大きさを誇るスズメバチを、高熱の体をもって囲み命を奪う弱者の術。

 ガソリンは数百にも及ぶ極小の鉄球でそれを再現した。

 

 (熱と、物量をもっての圧殺がねらいかッ! クッ、装甲を破ると見せかけてのーーーだがこの勝負、乗ってやる)

 「甘いって言ってんだろうがあよォーーーッ!!!」

 

 距離から氷壁を作る事は間に合わないと判断、ギアッチョは即座に自分ごと着弾した鉄球を氷塊で包む。

 

 氷の表層が一枚、また一枚と増えていくたびにあたりには水蒸気が立ち上ってゆく。

 それが意味するのは、鉄球の回転で生まれた摩擦熱の消滅。

 

 (まずいーーー想像よりも敵スタンドの出力が高いッ!)

 

 一撃目の投擲は、奴の凍結速度を確かめるためだったーーーだったのに、目の前の敵は先より、明らかに凍結速度が上昇している!

 追い込まれる事での、土壇場の能力覚醒。本体の精神力に大きく影響されるスタンド能力者だからこその利点。

 ーーーガソリンに緊張が走る。 

 すぐさま脳内に浮かぶ、次にすべき幾つもの行動のシミュレーション。

 

 

 瞬間、車内中に光が瞬いた。

 

 

 それは、全くの偶然だった。

 ガソリンが鉄球を車両部分から削り出した事、そしてそれに“磁鉄”が含まれていた事が功を奏したものであり、“この時代”では知るはずも無い現象。

 

 ーーー感電反応。

 

 本来、氷は絶縁体とも呼ばれるほど電気抵抗率が高い。要するにちょっとやそっとの電流は通さないわけではあるが、ギアッチョの体には今、鉄棒が突き刺さっていた。

 

 鉄棒は放電を受け流す体表の避雷針となり、内部に電流を溜め込む。

 

 幾つもの偶然が重なった事で起こった現象。

 

 それはホワイトアルバムが鉄球の動きを止めるよりも早く、ギアッチョの意識を刈り取った。

 

 

 そしてしばらくーーー氷塊が崩壊する。

 

 

 中からはメガネをかけた男が1人、外見からもスタンドらしきスーツは既に解除されていた。

 

 それを横目に、ガソリンは片膝をついた。

 

 「ぐーーーッ」

 

 どれほどの時間能力を受けているのかは分からない。だが、まだ肉体を本格的に動かし出して数分、それでも能力の影響は最早隠しきれない状態にあった。 

 足を引き摺りながら、床に散らばった鉄球を回収する。

 

 (とにかく、成功して良かった。()()()()()()()()が、短時間でこの疲労感ーーー時間をかけてはいられないな。最低でも敵は後2人いる、とにかく態勢を整えてーーーー)

 

 能力発動者が倒れた後も、未だ氷に包まれたままであるホットパンツもまだ完全に安全になったとは言い切れず、解放しても逆に危険になるかも知れない。

 幾つもの考えが生まれては消えを繰り返す中、ふと隣の車両に続く扉の奥にーーー人影が映る。

 

 危機本能が警告を発するよりも前に、三発の銃声が鳴り響いた。

 

 瞬間、ガソリンの体を激痛が走る。

 

 「がぁぁあああーーーッ!!!」

 

 痛みで思考がままならず、ガソリンは飛び散ったガラスの上に倒れ込んだ。

 両足首、左胸の計3箇所、逃走と生命を司る、その全てがヒトにとって重要機関である。

 

 しかし、撃たれた3箇所の何処からも血液は一滴たり漏れ出てはいなかった。

 

 「ほぉ〜、体を“硬質化”させる事で老化を無理やり止めてるのかーーーだから銃弾も貫通しない。ーーー手間ァかけさせやがって」

 

 ガラスの割れた扉を蹴破り、奥から拳銃を握りしめた男が1人侵入してくる。

 ガソリンは床に散らばったガラスの反射で男の顔を盗み見た。

 

 (シワがないーーー冷気を纏った様子もない、おそらくこいつが老化のスタンド使い….! だが今は何もーーー)

 

 ガソリンは口内を噛み切る事で痛みを誤魔化し、無理やり頭を切り替える。

 自分と相手の位置関係、右手に握りしめたままの鉄球と相手の所持している武器、そして反撃の手段。

 やるしかないーーーしかし、ガソリンのその思考は腹部に受けた鈍痛で吹き飛んだ。

 

 「ぐふッーー」

 「弟の分だーーー、まだ小指の先ほども返しちゃねえがな」

 

 通路の奥で転がる自らの弟を見つめる。

 カタキは俺が取ってやるーーー“出されていた指示”に従うという判断を自分が選んだ事で弟を失う結果に繋がった。本来ならば弟よりも兄である俺が先でなければならないのにと、プロシュートは内心で自分を責める。  

 ーーーだが、それは今ではない。

 悔やむべきは目の前の仇を始末した後で、全てに片を付けてからである。

 

 彼自身が過去より持つ、「ぶっ殺すと心の中で思ったのなら、その時スデに行動は終わっている」という信条が、自責の念に揺さぶられる迷いをかき消す。 

 

 プロシュートは発砲してからまもなく、熱が冷めきっていない銃口をガソリンの傷口へ押し当てる。

 

 「お前ーーー名前は」

 

 先程かき消した痛みの上からまた新たな痛みがガソリンの体を覆う。

 

 「ッーーーさぁ、なんだったかな。ガソリンとかいう名前ではない、とだけ言っておこう」

 

 嘘じゃないからな、とガソリンは心の内でひとりごつ。

 時間を稼ぐ、その一点を目的に相手が求める答えを濁す。体の痛みは誤魔化せる程度ではない。各種鉄球も、射程距離の関係から相手の行動を止める手段にはなり得ない。だがそれでもと、死に追い込まれた生物が足掻くように本能がガソリンの体を動かす。

 

 皮膚の上から走らせている鉄球を体をしならせる事で回収しようとするも、プロシュートの体から浮き出た“エイリアンのようなスタンド”がガソリンの四肢を固定した。

 

 「ーーーそうか、恨めそうなヤツで良かったよ」

 

 

 カチャ、と薬莢が回る音が耳を打った。

 

 (ピクりとも動かない!!! こんな、こんな所で負けるわけにはーーーッ!)

 

 瞬間、覆せる未来が見えないという圧倒的な死の予感がガソリンを襲う。

 

 恐怖、肉体と精神の疲労、そして、そこに残る僅かな反逆心ーーーーーー彼の“精神の顕現”に必要なピースが揃う。

 

 

 ガソリンの影が、揺らぎ始める。

 

 

 (こいつッ! まさかーーーッ!??)

 

 同時に、プロシュートの引き金を引く力が一層強まった。

 

 

 銃声が告げる戦いの終わり。

 

 しかしーーーー突如として世界に“亀裂”が走る。

 

 

 「「ーーーッ!??」」

 

 車窓から見える空、地面の全てが蜘蛛の巣上にひび割れ始める。

 それは世界全体が始めからガラスでできていたかのように、大地、空を含めてとてつもない速度で広がっていく。

 

 「これは一体ーーー」

 「クソッーーーしくじりやがったかーーッ!!」

 

 ガラスが割れ、地面が割れ、車内が、割れたガラスの奥に映る世界すらも歪んでいく。

 その衝撃は凄まじく、先ほどまで臨戦体勢であった2人の動きを完全に停止させた。

 現実世界ではあり得ない出来事の中で生まれた動揺ーーー先に動いたのは事態を把握していたプロシュートであった。

 

 天変地異の如く崩れゆく地面に対して、複数の脚を持つスタンドで離れゆく足場を固定する事でバランスを保っている。

 

 そして、“崩壊”によって外れた照準を合わせるためかーーー最早身動きの取れない相手に死刑宣告を告げるかの如く、その腕がゆっくりと動き出した。

 

 それに対処するべくガソリンも何とか鉄球を取り出そうとするも、崩れゆく足場を固定できない中では迎撃しようもなく、コンマ数秒が生死を分ける世界で生まれた隙を埋める事は出来なかった。

 

 刹那、ガソリンの脳内には圧倒的な死のイメージが走る。

 だがーーーいくら待っても終わりが訪れる事はなく。

 

 「チッーーーやめだ」

 「ーーーーーあ?」

 

 銃口を此方へ向けようとしていたはずのプロシュートは、何故か目の前で両腕を挙げていた。

 

 「ーーー意味がねぇって言ってんだ。()()()()()()()()()()()、この世界を形作った能力者が」

 「ーーーつまり、助かったという事でいいか?」

 「運の良いやつめーーー、だがそれも今だけだ」

 

 頭を掻きながら冷静に拳銃を懐を仕舞うプロシュートからは、向けられていた敵意が感じ取れなくなっていた。そして同時に、体にかかっていた老化の“重さ”が無くなっていた事に気がつく。

 

 (ブラフかとも思ったが、あの有利な状況をわざわざ手放したんだ。能力も解除されたという事は真意だと見ていい。ーーーだが、意味が無くなったというのは、この現象が関係していると見ていいのか……)

 

 身体が動き易くなった事に加え、命が狙われるという極度の緊張状態が続いていた中で生まれた束の間の休戦状態に、ガソリンの気が緩む。

 未だに片腕はホルダーにかけたままではあるが、不利な状況から抜け出した事は事実であると判断し、ガソリンもまた戦闘態勢を解いた。

 そして、相手の敵意の喪失と先程からの世界の崩壊の速度が緩やかになった事を認識すると、ガソリンは半ば苛立ちを含めてプロシュートへ問いかけた。

 

 「ーーーそれにしても、良くあそこまで狙ってくれたじゃねぇーか。お陰様で体が傷だらけだ、レースに支障が出たら一生恨むからな」

 「ふん、じゃあ尚更良かったじゃねぇーか。この崩壊で全てはリセットされるーーーここで負った傷は無くなり、記憶以外の全てが夢に入る前の状態に戻るっつぅー事だ」

 「ほぉ〜、ご丁寧に答えてくれるんだな。意外と親切なこった」

 「ーーーこれが起きるのは“奴”が再起不能になったという事、タネがバレた所で“次”に影響はない」

 

 ヤツの言葉に嘘がなければだがなと一言加えられる。

 しかし、“世界の構築”ときたかーーー思わず頭痛がするほどの大きな壁を脳内で感じる。

 毒、絶対防御、肉スプレーに影、今回で加わった氷と老化。そこまでは生き物や環境に影響を与えるものであって、ヒトの範疇は超えているものの、頭の何処かでまだ納得できている部分があった。しかしながら、自分のいる“世界そのもの”がダミーであって、それが能力によるモノだとは常識が追いつかないし、言われたからといって容易に信じる事はできない。

 だが、世界が割れたこの現象に、相手が戦いを諦めた事実、それに第一、レースに参加していた筈の自分達が気付かぬ間に列車にいた事実がそれを物語っていた。

 

 「ーーー何故俺を狙う」

 「お前じゃあないーーー、正しく言えば鉄球を。ただ、それだけだ」

 「ーーー鉄球を? お前らが何処の誰かだかは知らんが、これは唯のーーーー」

 「その鉄球はーーーとあるヒトの“遺髪”から作り出されたそれは、存在する限り際限なく災禍を呼び寄せる」

 

 プロシュートの目線は、先にホルダーにしまった黒色の鉄球に向かっていた。

  

 「これがーーー」

 「俺達だけじゃあねえ、それを狙ってる奴らは大勢存在している。気になるなら、護衛の女にでも聞いてみたらどうだーーー?」

 

 問い詰めるため距離を詰めようとした足は、崩壊した地面と動揺によって止められた。

 これまで自分の命を救ってきた、片腕である武器によって今や逆に命を狙われる羽目になっている状況にガソリンは思わず溜息を吐く。

 遺髪ーーー誰のだ。災禍を呼ぶーーー先生からは一言も説明された事はない、というより聞くよりも前に姿を消していたか。

 受け継いだ鉄球は何も黒色の鉄球だけではない、衛星鉄球に通常の鉄球ーーー用途も色もそれぞれが異なるが、黒色だけが狙われるのは、それが原因だという。

 先生はそれを知っていて俺にーーー、ダメだ。推測するには情報が全く足りない。

 

 「ようやくお目覚めの時間かーーー」

 

 プロシュートの呟きで、意識が思考の海から飛び出す。

 見上げた先の”固形化した空”は既に殆どが崩壊しており、いつの間にか停滞していた偽物の世界の崩壊は再開していた。

 

 プロシュートは背中を向けると、暗闇が広がる崩れた世界の中でその輪郭が薄れてゆく。

 

 「次は必ず弟の仕返しをさせてもらうーーーそれまで、せいぜい気楽に生きているんだな」

 「おい待てーーッ! まだ続きをッ」

 

 

 ガソリンが次の言葉を発するよりも先に、足元の地面が割れていく。

 

 クソッ、聞きたい事がまだ山ほどーーー

 

 

 

 次第に、世界の輪郭が滲んでゆく。

 

 

 そうして、ガソリンは意識と共に、崩壊した大地の隙間に巻き込まれていった。

 

 

 

 



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悪魔の手のひら

 

 

「奴らはギアッチョにプロシュート、ーーーどちらもネアポリス出身のヒットマンだ」

 

 聞き覚えのない名を唐突に呼ぶと、ホットパンツは厚めの手帳を掲げ該当ページを指す。

 

 夢か現実か定かではにないぶっ飛んだ夢から意識を取り戻してすぐ。気づくと倒れ込んでいたーー2ndステージが始まって以来の最後の記憶では辿り着いていなかった筈の、“隠れた水飲み場”とやらで彼女が語ったのは、未だ記憶に新しい襲撃者についてだった。 

 あの時襲ってきた者の正体、それはいずれまた襲撃してくる事を考えれば知っておかなければならない。

 彼女の言葉を信じるならば、炎すら瞬時に凍結させるメガネーーーがギアッチョで、もう片方はいずれ知能すらも奪うだろう老化の力を持つプロシュート。もしも奴らが様子見を兼ねて1人ずつの戦闘になっていなかったら、ここに立っていたのは俺じゃあ無い事は確かだ。

 それは今、目の前にいる“護衛”がいなかった場合も同じ結果に繋がっていただろう事は想像に易く。

 だから、感謝はしている。目の前のこいつがいなければ、それより早く死んでしまっていただろう事も分かっているつもりだ。

 

 だがーーー助けてもらった事と“隠していた事”は別である。

   

 「名前なんてどうでもいいーーー問題はお前はそれを“予期”していたのかという事だ」

 

 仕事を辞めてからというもの、妙に起こる事柄全てにスタンド使いが影響している自覚はあった。

 

 第一、あの金髪の男が言っていた“リセット”とやらがなければというか、確実にあの時自分は負けていた。

 

 無敵のマジェントや体に入り込むイレズミの男達、毒針ネズミにーーーあのストーカーはまた別口だろうが、これまでに出会った能力者達は俺に対して明確な目的はなかった。

 

 だが、奴らは違う。

 俺達を始末するという明確な“意思”と、鉄球を奪うという明確な“目的”を持っていた。

 ーーーとある遺体が材料にされている。

 老化のスタンドを携えていた金髪の男はそう言っていた。

 

 遺体、つまりは聖なる遺体ーーーそれが指すのは大統領が語っていたものと同一なのだろう。だが、その口振は大統領は幸福を、かたや老化のスタンド使いは災禍とで大きく異なる。

 そして、ホットパンツが護衛を申し出た時期を考えれば彼女が何かを知っていることは間違いない。

 

 確実にいつ来るとまでは断言できなかったと前置きしながら、ホットパンツは徐々に話出した。

 

 「それは簒奪の上に元の姿すらなくしてしまった鉄球の、遺体の元へ帰ろうとする意思があるーーー狙われているのはその機能故に、だろう」

 

 遺体の元へ帰る、それはまさしく怒りという意思を持っているかの如くと彼女は語る。

 

 だが、初めて鉄球を持ちだしてから思い当たる全ての出来事を探してみるも引っ掛かりの一つも思い出せない。もしそういった機能があるとするならば、所持し始めた当初に何かしら起こってもいいハズだ。

 その不可解さに、無意識のまま自分の言葉に熱がこもり始める。

 

 「この鉄球は何も今に持ち始めたんじゃあない。俺が“こうなって”から十数年、だが、今までの間そんな事は一度もなかったーーーッ!」

 「何か、そうなるキッカケがあったんだろう。遺体が使われているモノとはいえ遺髪で、微弱な力だ。それが目覚めるキッカケがあったと考えるのが自然だーーーそう、例えば合衆国大統領に会った時なんてな」

 

 何でそれを、そう言うよりも早く差し出された水筒代わりの皮袋には“小さな耳”がついていた。

 

 「お前ーーー」

 

 今度こそ喉の奥から声が出た。

 覚えもなく、こんなモノいつ仕掛けたのか。

 その言葉が湧くのと同時にレース開始直後、ホットパンツとぶつかった記憶が頭を過ぎった。

 

 「あの時か……」

 「ああ、“あの時から”だ」

 

 申し訳ないという気持ちの一つも感じ取れない表情に、先ほどまで心の内にあった毒気がフッと抜ける。

 

 今に自分の間抜けさと来たら、仕事をしていた頃のあの恥ずかしい異名のような物とは程遠い。あれは今考えても、“サングラスの女”の暴走でしか無かったし、周囲に目を付けられたキッカケになったのは間違いない。

 

 「そうか? あれはあれでカッコいいと思うがーーー」

 「それはどうかと思うぞ」

 「フン……」

 そう言い切ると、ホットパンツは急に機嫌が悪くなった様に背中を向けた。

 

 俺が皮袋を受け取らなかった事への当てつけのように水を貯めるその後ろ姿が、不意に誰かに重なる。

 

 こちらが何かを言えば反発し、かたや何もしないとなるとまたそれでも感情的になる。

 ーーーこれじゃあまるでこっちが機嫌取りの護衛みたいだなとそう言いかけた寸前で口をつぐんだ。

 それにもどこか懐かしさを感じて、思わず笑みが溢れた。

 

 たんたんと水を汲む彼女の横に腰掛けると、自分用に持っていた皮袋に彼女と同じ様に水を入れる。

 一瞬、彼女の視線を感じるも見返した時には既にそっぽを向かれていた。

 

 「ふッ」

 「ーーー何がおかしい」

 

 吹き出した自分にぎろりとした彼女の目線が刺さる。

 

 「いーや。お前護衛ってナリじゃあ無いだろうなってさ。ただそう思っただけだ」

 

 これ以上はいけない、そう思って咄嗟に考え出した言い訳が口から飛び出した。

 

 「ーーー私の本職はシスターだ」

 「アマさんなのかよ!」

 

 想像の2倍は越した彼女の正体に意図せず喉から声が出た。

 シスター、それは神に祈り自分の全てを捧げる敬虔な人間。知り合ったばかりだが武闘派である事を彼女からは感じていたから余計に衝撃を受けた。

 だが、それも嘘なのかもしれないという余地は未だ存在しているが、ここで突っ込んだところで解答はしてくれないだろう。

 それに、聞きたい事はまだある。

 

 「道理でーーーとは思わないが、それが何で護衛なんぞするハメになったんだ」

  

 口から出たのは次いで彼女に聞きたかった目的と経緯。

 ホットパンツは膨らんだ皮袋を懐に仕舞い、ふてくされながら呟き出す。

 

 「悪かったな。だがそれを語るにはネアポリス聖教会の内情から説明せねばならん。大きく分けて遺体の使われた鉄球の使い手を含む保護を掲げる穏健派と、それ以外の処分を掲げる派閥の存在。話せば長くなるがーー」

 「ーーーああ、もう分かった」

 

 頭痛が発生するだろう事を予期して、やんわりと手で制止する。

 自分で聞いた手前の申し訳なさと彼女のにわかに不満げな表情が指の隙間から見えたが、見なかった事にした。

 

 「ひとまずだーーー襲ってきた奴はぶっ飛ばす。そんで、レースに勝つ、それでいいんだろう?」

 「チッ。だからそういう簡単な話では無いとーークソッ、もう、そう言う事でいい…」

 

 ホットパンツは項垂れながら愛馬の元へ戻っていく。

 少し、やり過ぎたかーーー感じた若干の罪悪感はしかし、護衛するなどと言っておいて詳しい説明を後回しにしていた事へのあてつけとして飲み込んだ。

 

 皮袋をポケットに仕舞い、身支度をする振りをしながら彼女の様子を遠目で伺う。

 誤魔化しているつもりはないのだろうが、ホットパンツの本当の目的はおそらく、俺の護衛以外にもある事は薄々ではあるが感じ取れた。

 それこそこのレースに優勝する事さえも射程の上で、だ。

 もしかしたら勝てるのならば勝ってやるという考えからなのかもしれないが、1stステージの様子から見ても、どこか執念を感じさせられた。

 それすらもブラフというのならば敵う気がしない。だが、ストーカーや列車の時も自分を守ってくれたのは確かだ。

 情報源は分からない。彼女の話した派閥の味方側なのかもしれないし、それ以外なのかもしれない。ただ最初に敵の名前をすぐ言い当てられたのも、大体の敵勢力を把握しているからこそ出来た芸当である。しかし、誰がいつ襲ってくるかまでは分からないといったところか。

 

 ーーーひとまずは、大筋の把握はこれくらいでいいだろう。

 そう判断して胸ポケットから懐中時計を取り出すと、ラットのパーシーがへばりついて共に出てきた。肩に置いてやりながら時計の針を確認すると、針は列車に誘われる前に記憶していた時と大差ない。

 

 「時間経過もなしときた、完全犯罪だなこりゃ」

 「敵が分散されていなければ私達は負けていただろう。だがそれもーーーこの調子では再び立ち塞がってくる事はないな」

 

 馬上からホットパンツが見下ろす先、その泉の辺りには男が1人紐で雁字搦めにされた状態で伸びていた。

 仕舞っていただろうビンゴブックを再び取り出すと、ペラペラと捲り途中で止めた。

 

 「こいつは確か…ジョージとかいう、過去に集団催眠を起こし捕まったと書いてあるがーーーその後脱走。まさかヤツらの小間使いになっていたとはな」

 「ヤツらってのは、」

 「おそらく、鉄球を狙う派閥だ」

 「ーーーまさか、こいつが俺達をあの列車へ誘った奴なのか?」

 「だろうな。お前の話を聞く限りでは、途中で誰かしらにでも襲撃されたんだろうよ」

 

 ビンゴブックを閉じたホットパンツが親指で指す方を見れば、目視で見えるギリギリの後方にこちらへ手を振るあのストーカー女が見えた。

 一見すると和やかに見えるかもしれないが、あの夜に襲われた記憶が相まって恐怖映像にしか見えない。

 

 「ーーーな、言っただろ。生かしてた方が良かったって」

 「……声が震えてるぞ」

 

 なわけあるか。

 そう否定したかった気持ちを肯定するためにわざと大振りで荷物を背負い込む。 

 

 地図を広げて確認すると目的地は此処からさらに上の方。順位的にも区間のランキングポイントは1ポイントも逃せない。

 

 俺たち以外の参加者は近くにいるのか、それとも距離を離されてしまっているのか。

 もう一度後方へ視線を向けると、今度はジャイロツェペリ&ジョニィジョースターらしき二人組が見えた。

 

 「一体どう言う原理かは分からんが、どうやら私達の方が優勢のようだな」

 「だな。このまま夜間も走って距離を広げて、一気に1位と2位をかっさらっちまうかーーーッと」

 

 その時、腰当たりーーーちょうど鉄球をかけているバックル付近で何かを感じた。

 砂漠に住む虫でも入り込んだか。そう思いながら弄るも、伸ばした手に当たるものは鉄球以外に何も無い。

 

 「ーーーー?」

 

 熱いような冷たいような、感じたことの無い奇妙な感覚。だがそこを見ても特に何らおかしい所はない。

 

 「ーーーどうした」

 「いや、何も無いーーーみたいだな。行くか」

 

 身体中に傷を負って、腕も失った。自分の唯一の居場所にも戻れなくなった。おそらく大怪我を負った事で損傷した当時の記憶は完全には取り戻せていないのだろう、未だ思い出そうとすれば頭が痛む。

 

 全てを失い、絶望の淵にいた自分とここまで共にやってきたというのに、今まで鉄球に意志があるなんて事は考えた事すら無かった。

 先生は何故、何も語らずに自分に鉄球を託し姿を消したのか。

 聖なる遺体に準ずる遺髪が元であるとして、鉄球は一体何を考えている。

 遺体の元へ戻りたいのか、それとも自分を蔑ろにした人間に対しての復讐なんて事を考えていたりするのだろうか。

 

 誰かに利用されるのはうんざりだと、鉄球自身が意思を持ち、もし前者を望むのならば俺はどうするべきなのか。

 そうなれば、方法によっては大統領を筆頭とした組織と対立する羽目になる可能性もいつかはでてくるのだろう。

 

 お前は何を感じて、何を考えているーーー?

 

 その問いかけに対し、鉄球は夕日を反射し、一際明るく輝く。

 

 物言わぬ鉄球をしばらく見つめるも、そこからはもう何も感じ取れなくなっていた。

 

 

 「ーーーいや、やっぱりこのまま此処で少し休んでから行こう」

 

 鉄球を握りしめた俺を横目に、先ほどまで出発の体勢でいたホットパンツが唐突に馬上から降りた。

 

 もしかして夜道を歩くのが怖くなったのか?

 そんな失礼な事を一瞬考えてしまったがそれはすぐさま一蹴される。

 

 「砂漠の夜は一気に冷え込む。私達が大丈夫でも、“足”がダメになってしまえばレース脱落だ。ジャイロ達もおそらくここいらで休憩するだろうーーーそれに何より、鉄球がナニカを感じとったのかもしれない」

 「勘違いじゃあなかったかーーーちょっとだけ鉄球が動いた気がしたんだ」

 「ああ、僅かにだがな。バックルが揺れ動いていた」

 

 そう言うとホットパンツが馬上の俺に手を差し出す。

 またさっきみたいにビビらせるつもりか、そう邪な考えが過ぎるも今度は素直に手を取る。

 すると、引っ張られ地面へと降ろされた。

 

 馬上での無理な行動は馬を怒らせる。そう認識していたからこそ、一瞬馬の暴走に身構えたが、想像とは反対に馬は何一つ暴れる事なくホットパンツの行動の手助けをした。

 

 「何回か見ていて思ったが、ガソリン。お前下馬の仕方が下手だな」

 

 薄々自分でも考えていた事を指摘されるのは中々に響くものがある。

 

 「……仕方ないだろプロのジョッキーでもあるまいし」

 「馬はな、此処を軽く撫でてやると自然に足を下げるし、乗り降りをさせてくれる。お前の馬のように調教されたものなら尚更だ」

 「ーーーじゃあもっと早く教えてくれ」

 

 フッと口を隠しながら彼女は笑った。

 

 羞恥心を隠すように口から自然と出た愚痴からはどこか、遠い記憶の中に埋まってしまった故郷の匂いを感じた。

 

 

 

 

 先の水飲み場が“隠された”と前置きがされていたのは、ホットパンツの組織が予め用意していたもので、本来は地図に乗っていない場所だそうだ。他の参加者にバレて足がつく前に少しだけ位置を変えようと申し出たホットパンツに従い、暫くの休憩の後に夜道を駆け上がっていく。

 ただし、馬が暗闇の中で障害物に当たらない速度でという事は言うまでも無い。

 

 初めはちらほら会話を交わしていたものの、今やホットパンツの愛馬である“ゲッツ・アップ”と、かつての仕事で関わった牧場主から譲ってもらった自身の“ヘイ!ヤア!”の足音だけが耳に届く。

 都会と比べて辺りの光源が殆どないことから多少は夜道を歩きやすいといっても限度はある。だが、道を照らす光源は手元の方位磁針を目に見えやすくする程度に抑える。

 何故かといえば、暗闇の世界ではターゲットというものは格好の獲物であり、最も狙いやすいタイミングであるからだ。

 辺りが見えないからといって、無闇矢鱈に明かりをつけて歩きまくっているとそれこそ死を早めるだけである。

 

 脅威となるのは何もホットパンツが語る鉄球を狙う派閥だけではない。

 大統領が遺体収集を目論み企てたこのスティールボールランレースが仕組まれたものなのは間違いない。そうした中で遺体を狙う各勢力は勿論のこと、賞金が桁違いなだけあって、他の参加者の脱落を目的としての略奪や襲撃等も横行している。

 遺体の話を聞いていた間の出来事だったので自分には知る由も無かったが、ホットパンツが言うには1stステージ一位を飾ったあのジャイロ・ツェペリもサンドマンーーー直接話した覚えはないが馬無しでレースに挑む化け物に鉄球を投擲した事で降格処分にされたそうだ。

 

 見えないようにやりゃあいいものをーーー手が早くて若いな、ジャイロツェペリは。

 隠居ぐらしのジジイのように心の中で悪態をつく。

 寒い暗いしかない夜の砂漠で喋らないでいたら、頭の中は誰かに対する悪口の悪循環しかない。

 

 そんな氷点下を下回る極寒の砂漠の中で最初に静寂を破ったのはホットパンツだった。

 

 「おい」

 「ああ、分かってる。後ろだろ」

 

 彼女がチラチラと暗がりの中で脇見をする先ーーーさっきから一定の距離で俺達を2人をつけまわしている奴ら。

 

 レースなんだから先頭について行くのは当たり前だと言われればそこまでだが、砂を踏み締める音からしておそらく二人組。

 可能性としてはジャイロと下半身麻痺の妙にジャイロが入れ知恵しているーーージョニィ・ジョースターだと思われるが、先ほどから妙に距離が縮まっている気がする。

 

 レースの中継地点はまだ先で、ここで争ったところで無駄な体力を消費するだけ。いくら向こう見ずなジャイロだとはいえ、そんな意味もないマネをするだろうとは思えない。それに、ツーマンセルと言うことからも、知恵がないわけじゃないその2人が団結して俺達に襲撃を仕掛けるとは到底思えない。

 

 ホットパンツに手で合図をし、相手の声が自分達の足音で掻き消されないよう速度を緩める。

 

 「お……リンに…な…ぞーー!」

 「……ッ、んなーーーきかッ!!」

 

 距離と奴らの足音で上手く聞き取れないが、声の大きさからしてどこか焦っている気配は感じ取れる。

 砂漠で陥る危険要素など、レース参加者を除けば砂丘に空いた空洞か生き物の限られる。もしやサソリにでも噛まれたのかとも考えたが、それにしてはどちらも止まる気配がない。

 声を聞いて追って来ているのがジャイロとジョニィなのは確信できた。だが、それにしては声をかけるまでもなく距離を詰めてくる狙いが分からない。

 ジョニィはないにしろ、ジャイロの方は喋った事が無いわけではない。此処はいっそこちらから声をかけてみるべきか。

 

 しかし、そう判断を下すよりも早く並走していたホットパンツは握っているたずなを急に引っ張った。同時に、後方への圧力を感じた“ゲッツアップ”のいななきが響き渡り、加速が始まる。

 

 「待てホットパンツ! 後ろのはジャイロ・ツェペリとジョニィ・ジョースターだーーー何かあったのかもしれない!」

 「甘いな、奴等も追手かもしれないんだぞ。今は私以外不用意に近づくべきじゃあない」

 「ーーー少なくとも! 1stステージでみたジョニィ=ジョースターはただの人間のはずだ!」

 「さぁ、どうだかな。ただの人間じゃあないかもしれんぞ? ーーーなんせここは厄介な場所だからな」

 

 なんなんだその意味深な言葉は。

 また何か妙な隠し事をしやがってと文句を言いたくなるが、後方の2人を見捨てて加速を続ける今の彼女に言ってる暇はない。

 

 「よく分からんがッ、後ろで野垂れ死なれるのも後味悪いだろ!」

 「どうしてそこまで善人ぶるーーーそれでも殺し屋か」

 

 1stステージさながら後ろからどんどんと距離を詰めてくる2人。

 暗闇の中でも目立つ特徴的な形をした帽子のジャイロに、それに追随する相方であるジョニィ=ジョースター。一体何故俺たちを追いかける。助けを求めているのか、()()()()()()()()()()()()()()焦る事態に追い込まれているのかだがーーー、生憎構ってやれるほどの余裕は確かに今の俺達にない。

 もし奴らが敵だったとして後方を取られているこの体制で、障害物も何もない砂漠で鉄球使いに狙われるとなると勝機は薄い。

 助けてやりたい気持ちもない事はないが、ジョニィはただの一般人だろうがジャイロは違う。何しろ、先生が過去に語っていた“最強の回転”を司るあの“ツェペリ”一族。それをジャイロが使えるのかどうかは知らないが、鉄球使いである以上自分で道を切り開ける人種であるのは間違いない筈だ。

 

 「ーーーもう足洗ってんだよクソッ!どうなっても知らんからなッ!」

 

 ホットパンツ同様、手綱を強く引っ張ると“ヘイ!ヤア!”のいななきが響き渡り、即座にホットパンツの横へと並んだ。そして前方に現れる砂丘で作り上げられた上り坂で、先程まで狭まっていたジャイロとジョニィとの差を広げていく。

 

 そして、このまま引き離すーーーその確信が心の内へ広がった瞬間、背後から銃声が響き渡った。

 加えて、服に何かが付着した感触。おそらく銃弾が掠りでもしたのだろう。

 

 「ーーやはり私の言う通り実力行使に出て来たようだな、ガソリン」

 

 敵ではないだろうと言った自分に対して、よほど予測が当たった事が嬉しいのか、並走するホットパンツからニヤリとした笑みが向けられる。

 ーーーシスターっていうのは存外性格が悪い奴もいるみたいだな。

 

  「ハイハイ俺が悪うございましたとーー」

 

 胸ポケットを軽く叩くと、ラットの“パーシー”が顔をのぞかせた。そしてポケットから肩に飛び移り視線を後ろに向けると、その小さな体から次第に緑色をした“幻影”が滲み出る。

 

 先に距離を詰めたのは向こうの2人であり、加えて坂道という事もあってスタミナ切れから先に失速するだろう事は目に見えていた。

 数少ない同じ鉄球使いというよしみもあり、理由も聞かずにパーシーの一撃で仕留めるというのもどこか物悲しさを感じる。

 声が届くかは分からんが、一度理由を聞いてやるべきか。

 

 パーシーへの合図を下すよりも先に、意を決して後ろへ振り向く。再度の発砲、もしくは投擲というのならば、そのまま毒で溶かし切る。

 

 だがその時初めて気がつく、自分達とジャイロ達との距離に対する違和感。

 加速は数分前から始まっている。走り出してからのスタミナ、そして足を取られやすい砂場に加えての急勾配な坂道。それも中腹まで来たのにーーーー()()()()()()()()()()()()()()

 

 「ッーーーホットパンツ、何かがおかしい!!」

 「ハーーーッ、どうした。ネズミを向けただけで奴ら落馬でもしたか?」

 「違う!!奴ら、さっきより“近く”にいやがるッ!」

 「バカなーーー坂道だぞッ、ありえないはずだ!!」

 

 ホットパンツは背後に目を一瞬向けると、再び手綱を力強く引き寄せた。

 

 「もっと走れ!!! 奴ら追い上げて来てるぞ!!」

 「馬に薬でも決めやがったのかあの野郎ーーーッ」

 

 馬体で隠しながら、ジャイロにバレないように伸ばしていた手で回転させた鉄球を馬の後脚部分へ接触させる。起こすのは1stステージでスプリントの貴公子であるディエゴに見せた、回転促される脚力のリミッター解除。

 ホットパンツの後方に躍り出てながら、もう一球で“ゲッツアップ”の瞬時の加速を促すーーーだが、それでもジャイロ達とは距離は近づくばかり。

 

 その時、握りしめた手綱をさらに振り絞り“ヘイ!ヤア!”が加速を再開すると体に“重み”が生じた。

 

 それも、ただ体重が増えたようなものではない。まるで、誰かから後方に引っ張られるような“引力”だ。

 気を抜けば即座に馬上から引き摺り下ろされるのは間違いないーーーと、同時に一歩先で走るホットパンツからナニカが投擲される。

 距離はおよそ1メートル弱、その距離では圧倒的な反射神経を持っていようと敵と認識していなかった相手からの行動は避けられるはずもなくナイフはそのまま“右腕”に突き刺さった。

 

 「どこにナイフ投げてーー、義手じゃなかったら大惨事だぞッ!!」

 「私が投げたんじゃあない、ナイフが“引っ張られたんだ”!」

 「何…..、ッ!!!?」

 

まさかという想定もしていなかった言葉が脳内を埋め尽くす中で、再び右腕に、“義手”をはじめとした方がグイッと後ろへ引っ張られた。

 

 「ーーーおいバカ夫婦共ッ、俺達に近づくんじゃあない!死にてェーーのか!!!」」

 

 幾つかの襲撃を乗り越え、幾ばくかのブランクで鈍った直感が次第に戻って来ている。  

 加えて、違和感により冷静になった頭。

 

 そうして耳に届いた、ジャイロ達の声が疑惑を確信へと導き出す。

 

 「磁力だ! 僕達が近づけば、敵の親子が持つ“チカラ”でバリバリに引き裂かれてしまうんだーーーッ!! 後方にいるマウンテン・ティムもかかってる! 敵が他にいるんだッ!!」

 「ジョニィ・ジョースター….! なるほど、つまりこれがーーー」

 

 ーーー“スタンド攻撃”

 

 馬によって得意な地形があったとしても、山道で全力同士、前方の相手に追いつく事など早々できない。つまり、ジョニィがいう“親子”によってもたらされた磁力によるものと考えると辻褄が合う。 

 

 ただし、一つ問題なのはこいつらは別としてホットパンツと俺がどのタイミングで攻撃を受け始めたという点だがーーー何かキッカケがあるはずだ。それを見破らなければ俺達に勝機はない。

 

 ホットパンツと目を合わせ、彼女はスプレーへ、自身は黒色鉄球へと手を伸ばす。

 

 その間、わずか2秒。

 

 「ーーージョニィ!もうこれしか手がねぇ、あのカウボーイ野郎もスカした鉄球野郎も全員痛い目見るが我慢しろォーーーッ!!」

 「だ…だめだジャイロッ!既に強すぎる磁力で落馬させても空中を引きずられてくるぞーーーッ!!」

 

 俺達が走る側面の崖上へ何やら鉄球を投げこんでいる奴もいるが、そんなこと知ったこっちゃあない。

 

 具体的な仕組みはわからんが要するに俺達がくっついてしまえばナイフが突き刺さったように、俺達の中身ごと瞬時に潰される。

ならば各々で離れればいい。それさえ分かれば、後は行動に移すだけ。

 

 「ーーー左」

 「じゃあ俺は右だ」

 

 ホットパンツが肉スプレーによって“伸ばした体”で前半の岩場に巻き付くのを横目に、ガソリンが手に持った鉄球にかけるのは左回転。すると鉄球を中心に周囲の風景が歪み、身体がヒモ状にのびたかと思えばホットパンツの向かいにある岩場に辿り着く。

 これでひとまずは乗り切れたはず、そう認識し未だ見えない敵の姿を探せば、何やら見覚えのあるキザなカウボーイが一匹そこにいた。今の今までジャイロ達で見えていなかったマウンテンティムがより後方で“体をロープにすること”で岩場へ固定し、磁力を回避していた。

 

 「こいつらは一体、万国びっくり人間ショーじゃあないんだぞーーッ!」

 「一体何なんだお前らは!? 俺達を狙ったブンブーン一家もだが……1stステージもだが、人間なのかよ!?」

 

 それを皮切りに起こるジョニィ、そしてジャイロと続け様のスタンド能力による現象に対して初めて見たようなリアクション。

 そうかーーーこいつらは知らないのか。

 

 「なんだお前ら、これは鉄球の“技術”とは異なったスタンドって言ってだなーーー」

 「ーーーお前も最近知った口だろうが」

 

 横からの鋭い言葉で思わず口が止まる。

 こいつーーー最近扱いが雑になってきてないか?

 ジト目を向けてやろうと技術によるヒモ状を解除すると、ある程度の距離を取ったからか先まで体全体に行き渡っていた重力が弱まっている事を感じた。

 

 すると、ロープと一体化したマウンテンティムが口を開く。

 

 「砂漠に突如出現する、インディアンすら恐れる区域。通称“悪魔の手のひら”によって引き出された人間の未知のチカラーーー立ち向かうもの(スタンド)と、俺は呼んでいる」

 

 幾つかに分かれた彼の体がロープによって伸縮し、次第に元の形へと戻っていった。

 人間技では出来ない行為、明らかなスタンド能力保持者ーーー最早何人目かは数えていないが。

 

 「軍にいた頃、そこへ遭難した俺が得ていたのはロープと一体化するこの力。この磁力もブンブーン一家が“悪魔の手のひら”に踏み入ったからに違いないッ!」

 

 マウンテンティムはそう言い残し再びロープを手繰り寄せ距離を取っていく。その様子から見ても、確かに俺達を捉えていた磁力が確実に弱まっている事が分かった。

 だが、相手は磁力を自在に操る。列車で戦った老化と氷結の2人とは比べ物にならないほど鉄球が役に立つか分からない相手だ。

 

 「磁力となりゃあ相性最悪だな」

 「そのために護衛がいる。だがここを抜け出さん事には生き残る事はできん、まずはここを離脱した後にーーー」

 「ーーー行かせるわけェ、ガボッ。やっぱ俺もう死ぬのかなァ〜?」

 

 するとホットパンツの目の前に、物陰からヌッと血塗れの男が腹を抑えた様子で現れる。

 特徴的な顔立ちであったから、レース表の十位近くにいた彼の名前は記憶にあった。

 確か、アンドレ=ブンブーンといったか。その前後には同姓の参加者が並んでいた覚えがあるが、それはジョニィが敵の親子と言っていた事と紐付く。

 

 すると、自分でも気付ぬ間に目の前に立ち塞がる血塗れの男を前にして、黒色の鉄球へと手が伸びていた。

 

 磁力を操る、その点から見てもこいつらは俺にとっても天敵中の天敵。様々な勢力が蠢くSBRにおいては逃げずに立ち向かわなければならない壁の一つとして見るべきで。

 そしてそのプライドよりも大きな“好奇心”がガソリンの手を動かしたーーーが。

 

 刹那、再び砂漠の世界に空気を引き裂く銃声が響き渡る。

 

 「何で、今ッ確実に止めたはずーーーー」

 「球はな。だがそれに付随した肉までは止められない、呆気なかったな」

 

 その一言と共に倒れ伏すアンドレ・ブンブーン。すぐさま隣を見れば、ホットパンツが握る拳銃からは硝煙が立ち上っていた。

 

 「・・・容赦ねぇーな」

 「当たり前だ。それよりも、甘い考えをお持ちの殺し屋が心配すべきなのはあっちなんじゃあないか」

 

 冷静に拳銃を仕舞う様子には、こんなにも生死に無頓着なシスターもいるもんなんだなと最早感心するほどである。

 

 さて、ジャイロ達はどうなっているのかと登り坂を見下ろせば、ジャイロ達の目の前にも俺達と同じ様にブンブーン一家と思わしきゼッケンをつけた参加者が2人。

 

 その内の1人である厚手のゴーグルをかけた、未だ歳若く見える方はこちらを見て大声を上げた。

 

 「よよよよくも兄さんをををををーーーッ!!」

 

 男が涙を流しながら両手を上げると、アリクイの様に長細い口から舌を出した人型のスタンドが体から浮き出た。

 と、その瞬間に地響き音が鳴り響いたかと思えば、周囲の砂が巻き上げられる。

 

 「砂鉄かーーーッ!?」

 「おいこれ明らかにやばくねぇかッ!!」

 

 各々の生命危機が直感を伝え、距離を離そうと鉄球やスタンドを発現させる事で砂鉄の魔の手から逃れようとする。しかし兄の死を目の当たりにした事で精神力が揺らぎ、出力が向上したL.A.ブンブーンによる“トゥーム・オブ・ザ・ブーム”の手を防ぐ事はできずに1人、また1人と空中へ持ち上げられると砂地獄のように一点へと吸い込まれていく。

 

 「スタンド能力の優劣は持ち主の精神状態によって大きく変わる、兄の死によって暴走に近い力になっているのかーーーッ!」

 

 お得意だろう解説をしながら砂鉄の手に足を掴まれたマウンテンティムがロープを岩場に固定する事で対抗するが、その甲斐虚しくものの数秒で岩場を破壊される。

 対してジャイロもジャイロで鉄球で岩を反射させる事で防御不可の攻撃を仕掛けようとするも、顎に鉄のプレートを備えたもう1人のブンブーン一家の男に封されてしまった。

 プレートの男がニタニタとその光景を笑うと、ジャイロは苦虫を噛み潰した顔をしながら口を開ける。

 

 「ーーーじゃあつまりよぉ、急にぶっ殺したホットパンツのせいじゃねェーか! おいガソリン、お前が責任とって全員助けんだろうなァ!!」

 「何で俺が責任なんぞーーー」

 「婦人に対してなんて物言いッ、それでも紳士か!」

 「言ってる場合かーーー!! このままだと引き摺り込まれて全員お陀仏だぞ!」

 

 ホットパンツの声で全員に緊張が走る。だが磁力によって全員に吸い付いている砂鉄の手に掴まれた時点で四肢の動きは全て封じられてしまっている。

 鉄球は磁力によって投擲する事さえ不可能になっており、マウンテンティムやホットパンツのスタンド攻撃に至っては体の一部や物を伝っての発現になるため、距離を取るブンブーン一家の2人には届かない。

 

 ーーー人数有利が逆に仇となったか。

 ガソリンは四肢を封じられた状態で最善手を探しながら内心でぼやく。

 

 磁力を操る。おそらくスタンド本体がそれらを統括して操るのだろうが、ナニカをきっかけとする事でそれを他者に付与でき、更に操作する。磁力と磁力同士が引き寄せ合う力によって、付与された他者は最終的にミンチのようになる事は想像に容易い。

 

 その証拠に、砂鉄の手によって団子状に集められた俺達は接触してなお引力が増していき、今や皮膚から血が漏れ出てしまっている。

 試しに胸ポケットを軽く叩いてみるも、パーシーからの反応は何もない。人より体格のない小動物などは、総血液量などの関係から一度血を失えは貧血や失血死に陥る可能性が高い。

 

 まさに、万事休止。

 

 ガソリンの思考が相手が求める物を差し出す方向へシフトチェンジをする形へ一本化されていく中、ジャイロが何の力も持っていないはずのジョニィへ語りかけるのが耳に入った。

 

 「お前しかねぇッ、前にもコルクを回したって言ってたろ!! お前がそれを“回転”させるんだーーーーッ!!!」

 「あのコルクはッ…たっ、たまたまだ!」

 「やるしかねェジョニィ!!“Lesson3”だッ、飛ばせ!!!」

 

 ジャイロがジョニィジョースターへ差し向けているのは口振からして回転の技術。この土壇場でーーーだからこそなのか。

 レース開始前から妙にジョニィの奴に肩入れをしている印象があったが、いや、最初の様子から見ればジョニィ側から接触し出したと思われる。おそらくは回転の力による下半身不髄からの復活。

 

 結論から言ってしまえばそれは可能であり、その経験が一瞬でもあったからこそジョニィは回転に縋っているのだろう。

 

 鉄球には無限の可能性がある。だが、その力を扱う事が出来るのは真に鉄球を信じる者だけ。加えて、一日やそこらでマスターできる“技術”ではない。

 

 第一、封じられたジャイロの鉄球を含め今現在回転を用いて攻撃移せる鉄球などーーーとガソリンが自由の効く範囲で黒色鉄球へ視線を移すが、そこには“何も”なく。

 

 「遺体の意思ってやつかーーー?」

 

 たまたまか、それとも運命か、光を反射し黒く輝く鉄球は人知れずジョニィ・ジョースターの手元へ転がっていた。

 

 そして、ジョニィが言われるまま“自ら”彼の元へやってきた黒色鉄球に回転をかけ出した瞬間、

 

 「おっと、L.A。相手から最後まで目を離すんじゃあねぇ〜、俺みてぇに顎を飛ばされる羽目にあうぜ?」

 

 当然プレートの男がジョニィの腕を踏みつける事で鉄球の回転を止める。

 だが、その行動ーーーベンジャミン・ブンブーンの取った選択は既に何もかもが手遅れであり、結果的に彼ら親子の命運を分かつ事となった。

 

 突如彼が踏みつけた、ジョニィの手が接触している地面に大きな波紋が広がる。

 

 「父さんッ、何かおかしいーーーそこから早く離れて!!!」

 「はーーーーがッ」

 

 しかし、息子の注意も虚しく、ベンジャミン・ブンブーンが回避を脳内に思い浮かべ実践した時には既に“衝撃波”が彼を真っ二つにしていた。

 

 明らかな鉄球の技術の範囲外の現象ーーー俺の知らない新たな回転の可能性もあるが、見た感じそれとは毛色が全く異なる。

 

 「おそらく、悪魔の手のひらの影響だ。その“気配”はしていたがーーーまさか今影響される者が現れるとはな」 

 「ーーー彼女の言うとおりだ。知らぬ間に迷い込んでいた俺達は、過去の俺のように影響を受けたんだろう。だが、仮にもしそうなら早いとこ馬に乗らなければ。悪魔の手のひらは砂漠上を漂っている、今に地形が動いて出られなくなるぞッ!」

 「ーーーー誰1人、逃すわけねぇだろうが!!」

 

 マウンテンティムの言葉を遮るように再び奇声を発したL.Aと呼ばれたブンブーン一家の男は唯一攻撃手段のあるジョニィへ襲いかかる。

 が、しかし彼はその攻撃を不自由な足で飛び跳ねることで避けた。

 

 不髄にも関わらず、回転の力を制御できているとは言えないのに、だ。

 

 と同時に起こる二回目の衝撃波。

 

 それに巻き込まれたブンブーン一家の男の足は最も簡単にスパゲッティの如く細切れになった。

 

 そして再び反響するL.A.ブンブーンの奇声。

 彼が痛みで倒れ伏すと、途端に先程まで全員を縛り上げていた砂鉄の手が緩んだ。

 

 「あれもーーー回転の力か?」

 

 隣のホットパンツが訝しむように問いかけてくる。

 

 「いや、今分かった。あれはジョニィ・ジョースターのスタンド能力ーーー鉄球の回転の力だけじゃあ爪なんて回転しないさ」

 

 そう言いながら見つめた視線の先にいるジョニィは計らずとも動いた自らの足と、手の爪だけだが回転しながら浮かぶ異常現象に動揺している。

 それを見るまでは回転の新たな力かとも考えたが、もしそうだったとしたら自分の爪など既にどっかに飛んでしまっているだろう。

 

 回転する爪が起点となって衝撃を伝える。爪を致命傷を与える弾として相手を貫くというのが彼の能力の正体。

 

 気がつけば、無意識のうちに手が震えていた。

 リアルタイムでのスタンドの発現を目撃するのは初めてであり、正直言うと自らの興奮を抑えきれていない。

 

 新たな“技術”を超えた“能力”の覚醒。

 自分の知的好奇心が刺激される音を脳内で感じる。

 

 すると、水を差すように真横にいるホットパンツから突然腹の辺りを小突かれる。

 

 「ガソリン、手が緩んだ今がチャンスだ。マウンテンティムが話した通り、悪魔の手のひらでは断続的に地殻変動が起こっている。ここはもう片付いたーーー早くしないと抜け出せなくなるぞ」

 「だが、まだ鉄球をーーー」

 

 そう言いかけたタイミングで彼女の能力によって伸びた腕が、そのままこちらに戻ってくる。

 手の中にはジョニィの元へ転がっていった黒色鉄球があった。

 

 「いいから行くぞーーーそれに、“見つけた”んだ」

 「ーーーー?」

  

 勿体ぶるような言い方に、ブンブーン一家の磁力によって喰らった傷が影響して早く言えと催促しそうになるのをグッと抑える。

 

 「おそらく、遺体を見つけた」

 「マジかーーー?」

 「大マジだ」

 

 悩みのタネが考えているよりも早く登場した事で立ち上がろうとしていた足が止まった。

 なら、回収するべきか。その判断が一時頭を過ぎるが、それはすぐに取りやめる事となった。

 遺体がどこにあるかによるが、何しろジャイロ達に遺体の存在を勘づかれてしまう可能性が高い。もしかしたら既に遺体について何か知ってしまっているのかもしれないが、それよりも第一に遺体がどんな形をしているのかは俺も知らない。

 自分の判断で動くよりは知識がある彼女に従うのが得策だろうと判断して大人しくその場から立ち去っていく。

 

 後方から届くジョニィ達の声は聞こえないふりをして先へ進んでいく。

 

 誰しもが動けない状態において、鉄球の使い手であるジャイロと俺が回転を使えない状態において黒色鉄球は迷わずジョニィ・ジョースターを選んだ。

 

 あの時、確かに鉄球は自らの意思で彼を選んだのだ。

 取捨選択ができるほどの知能が鉄球にあるのならば、自分にとって最善の方向を選ぶためにその場で唯一動けたジョニィを選んだのかもしれないが、自分にはそうは思えなかった。

 

 「ーーージョニィ・ジョースターだ」

 

 すると、急に飛び込んだホットパンツの言葉が内心で考えていたことと重なり思考が止まる。

 

 「奴が、遺体を持っていた。というよりはあの瞬間で宿ったと言ったほうが正しいのかも知れん」

 「そうかーーー」

 「ああ、そうだ。ひとまずは奴に全てを集めさせる。遺体は遺体同士を呼び寄せ合うらしいからな。その後どうするかはーーーお前が決めろ」

 

 いつもなら驚いていただろう彼女から伝えられた事実に、思った以上に喉の奥から言葉が出てこなかった。

 遺体はあたかも御伽話の妖精のようにヒトに宿るものなのか、そして遺体は黒色鉄球がそうであるように他の遺体を探すダウジングになり得るとかーーー正直な話、何も耳に入ってこなかった。

 

 先生から自分が鉄球を預かったのは、ただ先生に拾われたからだ。

 先生が鉄球の技術を自分に教えたのは、ただそこにいたからだ。

 

 何もかも、ただの偶然であり、その場にいたのが俺じゃあなかったら、黒色鉄球や技術でさえもその俺以外の誰かが先生から継承していたのだろう。

 

 先生は俺に技術や鉄球を渡してくれたが、経緯は教えてくれなかった。俺には不必要であると判断したからか、または教えられるほどの技量やセンスが無かったからか。

 

 それともーーー、“ジョニィ”のように選ばれるナニカを持っていなかったからなのか。

 

 俺は一体、どうすればいい。

 

 

 確実に鉄球には意思と言うものが存在していた。先生から託されたその鉄球の意思ーー鉄球を遺体の元へ戻し平穏に戻すという道へ沿うべきなのか。

 だが、“あの日”失くなってしまったであろう自身の記憶を取り戻すには大統領に協力するしか術はない。

 その記憶は何故か、覚えていないのにも関わらず重要な気がしてならない。おそらくはそれ無しで故郷へ戻ったとしても決定的な差が生まれると確信できるほどに。

 

 ホットパンツの言葉からも、遺体は各パーツに分裂し、一つではない事は分かっている。

 

 今回のでまずは一つ目。

 だがそれはこのSBRで潜む全ての勢力が本格的に動き出す事を指す。

 遺体収集を目的とする大統領に加え、それを一つ所持しているとされるバケモノ。

 そして、黒色鉄球を狙う奴らにさっき砂漠で襲いかかってきたような目的が分からない奴ら。

 誰がどの勢力に属して、いつ動いているのかなんて考えたらキリがない。

 だが、自分から動こうとしない限り、このレースで優勝する事なんざ夢のまた夢。

 

 とにかく自分がしなければならない事は、このレースに勝ち、得た賞金でどこにあるかも分からない故郷へ戻って俺の手で再興させる。それが自分を拾ってくれたあそこの人々にできる唯一の恩返しになる。

 

 

 ーーー例えば、君の記憶の話ーーとかどうだい? 

 

 頭の中で、大統領の記憶がフラッシュバックする。 

 

 「くそーーーッ」

 

 

 嫌な記憶を振り払うように黒色鉄球を強く握りしめるとバックルへと仕舞い、目を閉じる。

 

 瞼の裏には、ジョニィの元に黒色鉄球が転がっていった光景がやけにこびりついていた。

 

 

 

 





 本体:ジョージ
 能力名:ケアレス・ウィスパー
 能力説明:ある範囲を設定し、そこにいる任意の生き物を目的が達成されるまで異空間へ閉じ込める。デザインは自分で設定できるが、入れた人間に自ら手を下す事はできないし、自身が侵入する事はできない。能力発動中は無防備になり、中途で本体が意識を失えば“リセット”され、中に居たものの記憶以外全てが無かったことになる。

 【破壊力:ー/ スピード:ー / 持続力:A / 射程:A / 精密動作性:B/ 成長性:E】

 本体:ベンジャミン、アンドレ、L.A=ブンブーン
 能力名:トゥーム・オブ・ザ・ブーム ワン、ツー、スリー
 能力説明:鉄を操る能力。触れた相手に磁力付与し、方法としては物理的接触だけでなく、“血液”が付着した相手にも可能。3人で囲む事で最大効能を発揮する事ができ、最悪の場合囲まれた者は互いに引き合いミンチになってしまう。

 【破壊力:D/ スピード:C / 持続力:B / 射程:C/ 精密動作性:C/ 成長性:C】



 


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Nowhere to run

 

 ブンブーン一家を倒し、再びジャイロ達一行との距離を広げながらそのまま道なりに突き進む事数刻。

 

 足場の悪い砂丘を越え、山道を越えた先。登り切った坂道の頂上付近にはそこにあるはずもない“街”が存在していた。

 

 横に建てられた看板には「2ndSTAGE中継所」の文字。

 馬から降りると、ホットパンツに教わった通りに体から白い湯気を立てる馬の首元を優しく撫でてやる。すると、街の奥から背の小さな男が1人こちらへ向かってきているのが目に入った。

 

 「どうやら、私達が一着のようだな」

 「……よく分からん記念品もあるみたいだぞ」

 

 奥からやってくる背の小さな男、じっくり見ればレース受付を担当していた男に非常によく似ている。その係員は何やら背丈より大きな物を引き摺りながらこちらへ向かっているようだった。

 

 ありゃむしろレース妨害だろう・・・

 そうしたレース開催委員への不平が口に溢れると、隠し事でも話すようにホットパンツがこちらへ距離を詰めてきた。

 

 「いいかーーこの先何があっても動揺するな。まるで生まれた時からそうでしたと言わんばかりのフリをしろ」

 「なんだそりゃ」

 「ーーーいいからッ、協力するつもりがあるなら従え。失格処分になるよりマシだろう」

 

 急に語気を強めるせいで、反射的に頷いてしまう。

 

 すると、詳細を聞くよりも早くこちらへ辿り着いた背の小さな係員は何やらペチャクチャと話し出した。

 男が謎に興奮して早口になっているせいで内容が絶妙に聞き取りづらいのは、この係員のご愛嬌なのかもしれない。

 

 「ーーーはい!ですからッーーー“ご夫婦”同時に中継地点といえど1着2着掻っ攫うのは本当にスゴいんです!お2人が協力していなければ成し得なかった事ですから…その、あの〜、あわよくばサインなんか頂けたりしないですか?」

 「ええ、よろこんで。あなたもいいでしょうーーー?」

 「はーーーーーゴベッ」

 

 途端に喰らう容赦のない肘打ち。

 鯖折りになった様子は承諾と見られ、係員は満面の笑みになった。

 

 そして何事も無かったように振る舞うホットパンツは1着の記念品を係員から受け取ると、心配そうな顔をして腹部を抱える俺を覗き込んでくる。

 

 「あら。ごめんなさい、どうやら夫の体調が悪いみたいでーーサインは後でよろしいかしら?」

 「ええッ、それは大変です!! お部屋は2着の方までは特大サイズになってます。幸い、別ルートのサンドマンやDioの集団にも一日以上差をつけているとの情報ですのでーーー中でゆっくりお休み下さい。」

 「ありがとう」

 

 礼を言うと、ホットパンツは馬を係員に任せ休憩所に向けて肩を貸すふりをしながら俺を引きずっていく。

 協力っていうより連行じゃねーか。

 図らずもこぼれたその一言はうめき声となって砂埃と共に消えていった。

 

 「……お前んとこの教えはどうなってんだ、教えはーーッ」

 「ああでもしないとボロ出してたろ!」

 「ぐーーーッ、だが、さっきのには答えてもらうぞ……。“あれ”はどういうつもりだ」

 「ーーーーッ」

 

 急に言葉を詰まらせた彼女に対して、余計疑心さが生まれる。

 あれというのはもちろん、先ほどの係員が言って退けた“夫婦”とやら。

 生憎自分は結婚もしてなければ、誰かと付き合った経験すらない。ーーー大体何が悲しくてこんな事考えなけりゃあならないんだと悲しみさえ覚えるが、逆にそれが無ければさっきみたいな無様は晒さなくて済んだのだ。

 

 「あれはッーーー、その方が効果的だからだ!」

 「ーーー何がだよ」

 

 少しぶっきらぼうに返事をしてしまった気がするが、勝手に婚約されていた側であり、かつ名前を変えられた側からすればごく自然な質問である。

 そして、主語のない言葉。言葉尻を捉えるじゃないが、そうした言葉を話す相手は大概の場合感情的になっているケースがほとんどだ。

 

 「ーーーただレースの順位が近いというだけの相手が共に行動しているとなれば、好奇心を持って何かを勘繰られるのが当たり前だ。そしてお前の出場記録は偽造されたものと入れ替えられている。そうした他所からの厄介も含めて、元からそういう関係だとすれば一気に跳ね除けられる。夫婦ともなれば隣に居るのは当たり前だからな」

 「……ほお〜」

 「……なんだ」

 「何も。なんか言い訳みたいだなとーー」

 「ーーーそれ以上言うと、これで縛り上げるぞ」

 

 使い込まれた跡のあるロープをぎらりと見せつけられると、もうそれ以上話す気は無くなった。

 

 お手上げだと、貸された肩に掴まった方でない逆の腕を上に上げると、係員から逃げ帰るようにしてそのままホットパンツに休憩所へ連れて行かれる。

 

 そこまでの短い道のりを歩く間ではあったが、途中では観光客向けのログハウスだけでなく、酒場や屋台など多くの臨時施設が目に入る。

 事前の地図には確か、この辺りには街なんてなかったはずだ。おそらくはこのレースのためだけに急遽建てられた簡易的な街なのだろうが、それにしても資金の使い方がまさにアメリカンである。それはつまり多くのスポンサーがついている事を証明しているのだが、レース自体に世界の期待がどれほどかかっているのかと想像すると寒気すら感じるほどだ。

 

 そんなこんなでしばらく歩いて辿り着いたのは、“レース参加者特別休憩所”と銘打たれた木造の建物。

 入り口に立てかけられた館内の簡易マップに従い、長い廊下を渡り奥にある一位二位専用の特大個室へと進んでいくと、窓からちょうどゴールしたばかりのジャイロ達三人が見えた。

 遠目からでも何やら騒いでいる様子が見て取れる。

 

 「着いたばっかりで降りもせず、よくあんなに騒いでいられるな」

 「自分こそが1着だと考えていたのにも関わらず、襲撃のターゲットになった事に加え必死こいて撃退したら私達に先を越されたーーー気持ちは分からんでもない」

 「なんだーーーやはり奴等の目的は俺達じゃあなく、ジャイロ達だったのか」

 

 その言葉が指すのは、自分達が成り行きで巻き込まれることとなった明朝のブンブーン一家との戦闘。

 そいつらに襲われた順番はジャイロ達が先であり、自分達が射程範囲に入ったのは後での事。あくまで俺達が狙いなのを隠していたのかもしれないが、それにしては鉄球を警戒する素振りはあれど“黒色鉄球”に関心を示していなかった事が印象にある。

 戦闘が終わって以降、考え事をしながらここまで来る中でもその一点は引っ掛かっていた。

 唯の偶然紛れ込んだスタンド使いの参加者落としが目的の家族にしては明らかな殺意と執念だった。

 

 「幸い先の戦闘でジャイロ達には“耳”を付けれたからな。 ブンブーン一家の狙いは私達じゃあない。ジャイロ•ツェペリ“法務官”だ」

 「法務官ーーー? 奴が由緒正しい鉄球使いの一族出身って事は知ってたが」

 

 過去に、ある程度の鉄球技術の歴史として先生から教わった事はあるがその時にはとある国で鉄球技術を最大限に扱える由緒正しい一族である等としか伝えられていなかった。

 それにしても、1stSTAGE開催当初から鉄球を投げつけてくるような奴が処刑を担当するなんてのは自分だったらご遠慮願いたい。

 鉄球使いが法務官なんてのは向こうではそれが当たり前なのかと疑問を抱くも、それはすぐに訂正される。

 

 「まず、鉄球技術を編み出したのがツェペリ一族だ。ーーーどうやら奴はとある判決を覆すための恩赦を得るために参加しているみたいだが、ブンブーン一家はそれを良く思わない派閥の犬、つまり雇われ軍隊だったようだな」

 「それで俺達が巻き込まれたワケ、と。マウンテンティムしかり運が悪いな。これじゃあおちおち休む暇すらねぇぞ」

 「マウンテンティムの方は元々参加者狩りをしていたブンブーン一家を追っていたようだから巻き込まれたの当然と言える。ーーーツイてないのは私達の方だけだ」

 

 ストーカー野郎も含めて、SBRが始まってまだ数日だというのにも関わらず既に襲撃されたのは三回目だ。

 そして襲ってくる奴等はもれなくスタンド使いという点。ここまで来ると何らかの運命の渦に巻き込まれてしまっているのではないかとまで考えてしまうほどだが、スタンド使いを引き寄せるフェロモンのようなモノが自分から出ているのだろうか。

 

 大人しくジャイロを視線から外して自分の匂いを嗅いでみるも、特に変わった匂いはしない。ーーーいや、自分では気づけないだけでしてるのでは。

 

 すんすんと廊下を歩きながらそんなふざけた事をしていると、急に貸してもらっていた肩がなくなった。

 

 「ここまで来れば後はお前1人で歩けるだろう」

 

 ホットパンツはそう言うと背を向け逆方向へ歩き出していく。

 行き先を聞けば「伝令を受け取りに行ってくる」とだけ言い残し、入ってきた扉へ向かっていった。

 

 「護衛ってのも忙しいもんだな……」

 

 離れていくホットパンツの背中を見送りながら扉の前に立ち尽くしていると、胸ポケットが何やらモゾモゾと動き出す。見れば、ネズミのパーシーが餌を求めて顔を出していた。

   

 部屋に着いたらなと頭を人差し指で撫でてやると、パーシーはその小さな目を細めながら体を捩らせる。

 こいつの世話にも慣れてきたとポケットから出してやり肩に乗せて部屋で休もうとするも、パーシーはドアノブに手をかけたタイミングで逃げ帰るようにポケットへと戻っていってしまった。

 

 ーーー前言撤回。

 ドアノブに手をかけたならば後は最後まで回し切り、後は扉を押すだけ。

 

 しかし、その瞬間何処かで嗅いだことのあるニオイが妙に鼻についた。

 

 鼻の奥がツーンとして、眠気が来るように思わず目を閉じてしまうーーー“火薬”の香り。

 

 それを理解するよりも先に、扉を押す腕の力が徐々に増していくがそこでも感じる異様な扉の重さ。

 

 

 扉が開き始めるその瞬間、まずいーーーと脳が全身へと危機信号を発信して体が強張る。

 

 

 目の前で、とてつもない光が瞬いた。

 

 

ーーーー

 

side ジャイロ•ツェペリ

 

 

 休憩所の水飲み場にて、ジャイロ•ツェペリは思案する。

 

 ゼッケン番号B-636を背負い、大陸横断という前人未踏のレース参加者の1人にしてーーー欧州ネアポリス王国における処刑を代々受け継いできた鉄球の一族の末裔。

 

 彼はツェペリ家の長男としていっぱしの男になった歳に、父から『苦痛を限りなくゼロにした上での処刑技術』をすべて受け継いだ。それは罪人とはいえ、人としての尊厳を与えた上で苦痛を取り除いてやらねばならないといった考えの元、肉体を平静の状態にあるように生み出された鉄球の技術。

 

 だが、彼は自分の最初の仕事ととなる処刑に対して“納得”ができなかった。

 

 ある時、国王の暗殺を企てたとして数人がネアポリス王国の牢屋にぶち込まれたのだ。

 国王の暗殺は国家への反逆。即刻処刑であるのは誰もが疑うことのない事実だった。

 

 だが、その国王暗殺を企てたとして捕えられた内の1人を見てジャイロ•ツェペリはレースへと参加することとなる。

 

 国王暗殺を企てたとして逮捕されたのは数人。それは美容室での出来事であり、“聞き耳”を立てていたのにも関わらず、それを誰に密告するわけでもなく口を閉ざしていた少年、マルコもそのうちの1人であった。

 

 彼はただ、聞き耳を立てていただけだった。暗殺を企てた訳でもなく、集会に参加していた訳でもなく、ただそばで靴を磨いていただけだった。

 

 処刑を自らに託した父に対して、ジャイロは問い詰めた。

 何故、あの少年を殺さねばならない。ただ偶然あの場にいただけの罪のない少年を、死後も尊厳が認められなくなる処刑という方法によって何故殺さなければならないのだと。

 

 ジャイロ•ツェペリの父、グレゴリオ•ツェペリーーー寡黙かつ、家族に対して感傷という気持ちの一欠片も持ち合わせない冷徹な男は、その時だけ、本当に深い失望と怒りの表情をジャイロに見せてこう言った。

 

 『処刑は納得などという個人の感情を越えている、もはやそういう次元ではないのだ』

 

 だが、ジャイロ•ツェペリは、父のその言葉には決して“納得”しなかった。

 

 彼はただ自分自身が納得できる理由を求めていた。

 

 納得という気持ち、それは人が踏ん切りをつける時に用いるキッカケであり、どんな人間においても尊重されるべきである“誇り”である。

 

 彼は父から引き継いだ仕事に誇りを持っていた。勿論、王国で代々ツェペリ一族が引き継ぐべき宿命であると認識していたし、今も昔も処刑というモノの必要性は把握していた。だが、だからこそジャイロ•ツェペリは自分の“納得”を優先した。

 

 国から引き継いだ、父から引き継いだ仕事を誇りとしたい。少年マルコが有罪か無罪かーーー“納得”は必要である、“納得”は誇りであると。

 

 その“納得”を一点とし少年マルコを救う方法を模索する中で、彼は唯一の道筋を見出した。

 

 SBRーーースティール•ボール•ラン•レース。

 

 全世界が注目するアメリカ大陸での、戦争に匹敵するほどの世界的出来事。

 そこで優勝すれば、国民誰もが認める祝い事として国王は“恩赦”を出さなければならない。

 恩赦とは、罪人の刑を軽くする特例。

 

 自らの持つ鉄球の技術があれば、もし世界の国々が国家の威信の勝利に匹敵するとして注目するそのレースに優勝する事だけが少年を救う唯一の手段と信じ、ジャイロは今ここにいる。

 

 だが、先まで彼は気づいていなかった。

 ジャイロ•ツェペリがレースで先に進めば進むほど、国家の勝利をよく思わない「叛逆者」達が彼の邪魔をするという事を。

 

 明朝に起きたブンブーン一家による襲撃。ガソリン、ホットパンツが離脱した後、ただ1人生き残ったブンブーン一家の1人、L.Aは自分を殺せば20万ドルと言われたから狙ったのだと今際の際で叫んでいた。

 

 (めんどくさい事になったなーーー)

 

 ジャイロは内心で呟きながら、爪を噛む。

 

 予想はしていた事だ。世界中が注目しているこのレースには様々な勢力が渦巻いている。ミセス•ロビンソンに襲われた時点である程度の推測はしていたが、周りの参加者なんぞ気にする事なくただ目的を果たすためだけに襲いかかってくるとまでは考えていなかった。

 

 マウンテンティムに、ガソリン達、そして何よりジョニィがいなければ確実に殺されていた。

 

 スタンド能力ーーーマウンテンティムは技術と異なる人の未知の領域部分と言っていた。

 又聞きではあるがガソリンと婚姻関係にあるらしいホットパンツの体の肉を操る力に、マウンテンティムはロープを意のままに動かすなど、明らかに人間の範疇から飛び出た力だった。

 

 だが、それよりも気がかりだったのはガソリンの“黒色の鉄球”だ。

 

 ガソリンが岩場へ投擲すると、それは奴の身体を飲み込みながら伸縮させ、かつ身体機能には何も影響は及ぼしていなかった。

 ツェペリ家の“騎馬”から考案された回転と、強すぎる衝撃で左半身失調を巻き起こす王族特務護衛隊の持つ護衛鉄球とも異なる技術。

 あれはもはや技術じゃあない、あの黒い鉄球の持つ“能力”だ。

 

 過去に父から一度だけ聞いた覚えがある。鉄球技術が生み出されてすぐの頃に特殊な素材を用いて作られたいわくつきの鉄球であり、数十年前国庫に収められていたのが盗まれた品であると言っていたはず。詳しくは語ってはくれなかったが、外国人の鉄球使いなど、国外追放になったケースを除けば聞いた事も見た事もなかった。

 

 ガソリンは外見年齢から見てもおそらく誰かから鉄球技術を継承したのだろう。投球フォームや護衛鉄球を操る技術から考えても、ネアポリス王国から追放された者から引き継いだのは間違いない。

 

 奴が敵なのか味方なのかーーー2ndSTAGE開始前に国王の使者と名乗る者から持ちかけられた“黒色鉄球保持者の抹殺と処分”。その対価はオレが求めた少年マルコの無罪処分だった。

 レースで関わった中で言えば十中八九あのガソリンの事だろうが、正直なところ全くの悪党とは思えなかった。勿論護衛鉄球を投げてきた恨みはあるが、それじゃあ“納得”できない。

 ブンブーン一家の時はただ利害が一致しただけなのかもしれないが、こちらを襲う様なそぶりは見せてこなかった。

 

 それはある種、貸されたのにも等しく。

 つまり、黒色鉄球保持者の抹殺と処分はオレの信念に反する。納得は信念であり、誇りであるからだ。

 

 “納得は全てに優先する”

 

 だからこそ、提案を申し出た使者とやらには面と向かって断ってやった。ツバを吐きかけるのを忘れずにな。

 オレは、オレの納得するやり方で道を通し、マルコを救う。

 

 それこそがオレがやるべき事であると、ジャイロ•ツェペリは認識した。 

 

 その後、係員から中継地点だから着順でポイントはないと説明を受け大人しく休憩所には向かったジョニィの後を追いかけていると、視界の隅に郵便受取所にある手紙に近づく男が1人。

 

 顔を格子状の幕のような者で覆い、体に時計の墨が入った奇抜な姿で。

 

 男が手に取ろうとする手紙の封にはロウ出来た赤い判がついている。それが示すのはーーー国王の使いから伝言。

 

 「お前はーーー!」

 「久しぶりだなーーージャイロ…ツェペリ……」

  

 男の名はオエコモバ。

 真っ青な薄気味悪い顔でニタリと微笑むその姿を見て、記憶の中にある脱獄したまま行方知れずとなったテロリストとすぐに結びついた。

 

 二年前、国王の馬車を爆破しようとし、子供2人を含む5人を殺した最悪のテロリスト。王は死ぬ事はなかったが、捕まった後即処刑を喰らう予定だった。だが、牢に持ち込んでいた僅かな火薬を使って脱獄したという話だった筈。

 

 「一体何してやがるーーーー人のモノを勝手に見てもいいって生まれた時に乳の飲み方と一緒に教えられたのか?」

 「お前のオヤジさんは元気か? まぁ、俺の脱獄の責任を取って処刑人の任務を辞めてなければだがよォ……」

 

 白く不健康なオエコモバの手が動きだすのと同時に、バックルから鉄球を取り出す。

 

 「アリゾナ砂漠の通過は神の御業だったッ、お陰で俺の爆弾の特技は能力として身についた。神から与えられた使命と受け取ったぜ!」

 

 その口振から予測する、オエコモバがブンブーン一家のような特殊能力を開花した事実。

 

 (スタンド能力といったかーーーくそ、超能力者はサーカスにでも出とけってんだ……)

 

 まずはオエコモバの出方を見る。視線を合わせながら奴の動きに注意して背後に逃げるスペースを作っていると、先程まで物陰で見えなかった場所が視界に映り、そこでは人間がバラバラになりながらもぴくぴくと動いていた。

 

 「ーーーージャ…イロ、ぐっーー逃げろッ!絶対に触られるんじゃあない!!!」

 「まだ生きてたのかーーー、一体どういう体の作りしてんだか」

 

 バラバラになっていたのは“ロープで繋がれた体を分散させる”事で衝撃を散らばせていたマウンテン•ティムであった。

 各部位からは溢れるように血が漏れており、ロープを引き寄せる事で再び体の結合をしようとするも吹き飛んでしまった部分のせいで上手くいっていない。

 痛みで震える体を抑えながらこちらへ近づこうとしていたが、無情にもオエコモバに蹴飛ばされてしまった。

 

 「マウンテン•ティムーーーッ、 何があった!!」

 「ーーーッ奴が触ったものには、絶対に触れるな!! ピンがついた箇所を落とすと物がなんであれ爆発する、それが奴の能力だーーーッ!」

 「なんだよ、教えてんのかよ……まあだからって対処できるもんでもないがな」

 

 同時にオエコモバの白い手が手に持っていた手紙をこちらへ投げ捨てる。それは極東で見られる紙を折ることで作られる玩具の様な形でこちらへ飛んでくる。

 

 「読みたいなら読ませてやる、それッーー紙ヒコーキだ」

 「ジャイロッ、避けろ!!近づくんじゃあない、触れれば俺の時みたいに爆発するぞーー!!」

 

 スッという風切り音と共にこちらへ迫るヒコーキ。経緯は不明だが先に襲われたのだろうマウンテン•ティムの言う通りならば、おそらくコレは爆発物ーーー鉄球をぶつけて冷静に対処すりゃあ怖いもんじゃあねえが、あの手紙は国王からの伝言だ。良い知らせか与太話か、どちらにせよ“知らせ”は読んでおいて損はない。

 

 力を込め過ぎず、あくまで体の回転の力だけが鉄球に伝わる様に体を、腕をしならせるように投擲する。

 そうして投げられた鉄球は楕円状の形にカーブし、左前方に位置する屋台のネットをひっかける。すると“何かの部品”がついた紙ヒコーキは封が切れ、中から手紙が一枚飛び出した。

 

 (ーーーゾンビ馬を手に入れろ、だと?)

 

 刹那、視界一面に眩い光と爆音が広がる。

 

 「ーーーッ」

 

 向かいの屋台にある客席に吹き飛ばされた衝撃で口から酸素が漏れる。

 

 だが、見境なく中継地点で爆発を起こすあのテロリストがこのぐらいで手を止めるわけがない。

 その思考の元、急いで起き上がり、肩をグルグルと回す。

 

 (よし、腕はいってねェーな。ーーーしかし相手はスタンド使いだ、大人しくジョニィを呼ぶべきか?)

 

 辺りを見渡しながら星の柄が散りばめられている特徴的なバンダナを探すも、爆煙が辺りを包んでいるせいで数メートル先さえ見渡せない。

 

 オエコモバは、奴は次に何をする。

 

 感情を動かさず、いつだって冷静に行動する。それがツェペリ家の鉄球使いとしての心得であるとあの冷徹な父はいつも言っていた。いつだって相手の思考の先を読むべきと。だが、俺にはそんなまどろっこしいやり方は向いてないね。

 

 手元に返ってきた鉄球を迷いなく地面へ叩き込むと、周囲の空気を含めて回転が煙を晴らしていく。

 

 敵は何処だ、次第に見通しが良くなる周囲へセンサーを働かせながら気配に意識を向けると奥から小さな何かが猛スピードでこちらに来ているのが見えた。

 

 「ネズミから離れるんだジャイロッーーー、爆弾になっているぞ!!!」

 

 マウンテン•ティムの声が耳に届いた時には既に、煙の中から“部品”のついた数匹のネズミが足元まで来ていた。

 

 そして目の前で再び瞬く閃光。

 

 「ぐ、おおおーーーッ」

 

 ネズミの肉片と辺りの木片が爆発でジャイロの体に飛び掛かる。

 咄嗟に目を瞑りながら手で防ごうとするが、強すぎる爆発に抵抗出来るわけもなく破片と共に奥にあるログハウスまで吹き飛ばされた。

 

 あまりの衝撃で揺れる意識の中、ジャイロは敢えて頭を叩く事で意識を平常に戻す。

 

 (くそ……どうにかして奴を倒さねえと、だがゾンビ馬は“疲れ”と“キズ”を癒してくれる。てことはだーーーある程度の怪我は無視していいってことだ、ジャイロ•ツェペリ!)

 

 ネアポリスから遥か遠いアメリカ大陸までわざわざ来たんだ、今更引き返すわけには行かないと無理やり体を起こし気を引き締め直す。

 

 自分が吹き飛ばされた地点に目を向けると、大男数人が5分掘っても出来ないだろうクレーターと粉々になった屋台の骨組みが顕になっていた。 

 まともに食らったら腕だけでは済まない。そう認識すると鉄球に余計な力が籠る。

 

 吹き飛ばされたオレを品定めする様に、オエコモバは段々とこちらへ近づいて来ている。

 

 マウンテン•ティムはもう動ける体ではないし、どこへ行ったかわからないジョニィは未だ姿を現す気配がない。助力は期待できないと言う事ーーーつまりは1人で倒すしかない。

 

 再度鉄球を強く握りしめ、敵の戦力を瞬時に奪う選択肢を脳内で幾つもシミュレーションしーーー実行する。

 

 立ち上がりと共に鉄球を屋根に伝わらせる事で射程範囲外のオエコモバに当てるーーーそう決心した途端、急に真横にあるログハウスの壁が吹き飛んだ。

 

 パラパラと崩れた壁から飛び出してきたのは、ピンク色をした毛布のようなものに包まれたナニカと女。

 赤色の液体に塗れたブニブニとした毛布が弱々しく蠢き出すと、中から1人の男が出てくる。

 

 そしてそいつらが飛んできた先の崩れた壁の奥からも、拳銃を構えた真っ黒なスーツに包まれた長髪の、頬まで髭を生やした男が1人。

 

 ーーーいけすかない野郎だが、決して話が伝わらない相手じゃあねぇ。

 

 迷わず蠢くピンクのモノから出てきた方の男に声をかける。

 

 「おいガソリンーーー手を貸せ」 

 

 

ーーーー

 

 

 急に視界が黒く染まったかと思えば、それが晴れると屋内に居たはずがいつの間にか外に出ていた。

 

 先までポケットに収まっていたパーシーは自分から遠く離れた場所に転がっており、巻き込まれた衝撃の強さを物語っている。

 

 「うぅ…ぐーーー」

 

 背後から聞こえるうめき声の方へ振り向けば、そこには半身を血で赤黒く染めたホットパンツが倒れ込んでいた。

 

 俺の全身を覆っていたモノが突然波打つように動き出すと、体から離れ次第にホットパンツの肉体へと吸収されていく。

 

 「私の事は放っておけ…! それよりも、目の前の敵に対処しろーーーッ 」

 

 その声で前を向き直せば、おそらく爆発で俺と共に吹き飛んだであろうログハウスに空いた大きな風穴、そして煙を払おうともせずにこちらへ進んでくる男の姿。

 首元まである長髪を真ん中に分け、頬まで蓄えた髭。そして、トレードマークとも呼べる全身を包んだ真っ黒なスーツーーー冗談じゃねぇ。

 

 「火薬の匂いには気を付けろと昔言っただろうーーー辞めてから随分と鈍ったんじゃないか?」

 「仕事は大分前に辞めたんだーーー手加減してくれてもいいだろ」

 「それはできない。すまないが、仕事なんだ」

 

 肩についた瓦礫を払いながら徐に銃を取り出すその姿に、冷たい汗が首筋を伝う感触を覚える。

 側にあったデッサン用の鉛筆だけで敵を殺しただの、銃火器相手に素手で相手しただの与太話のような伝説が語られる事もあるが、関わった奴らは誰も彼も口を揃えて事実だという、サングラスの女が流した嘘の異名で塗りたくられた自分とは異なる本当の伝説。

 畏怖と共に、男の名はスラヴ民話に伝わる魔女の名でも呼ばれる。

 

 「俺と一緒であんたも随分前に辞めた筈だろうーーーブランクの後の復帰は大概続かねえぞ」

 「お前以外にもそう言われたーーー今の今まで上手く答えられなかったが、そうだな。今、俺は元の自分に戻る」

 

 ビシビシと肌に突き刺さってくる、今までの人生で感じた事のない威圧感に思わず後ずさる。

 すると、背中に誰かの感触が当たる。

 

 「ーーーガソリン、ここは共闘といくしかねえ」

 

 聞いた覚えのある男の声に振り向けば、そこには明朝にあったばかりの、自分以外に初めて遭遇した鉄球使いであるジャイロ•ツェペリがいた。

 

 「それは助かるがジャイローーーそんな余裕本当にあるのか?」

 

 余裕そうな口振とは裏腹に体に幾つも木片が刺さっているジャイロの前方にも、奇抜な格好をした男が迫ってきていた。

 

 男の歩いてくる道の脇の店は爆発したようにクレーターができており、側には血溜まりの上で横たわるマウンテン•ティムの姿があった。

 

 「お生憎様、俺はスタンド使いとの戦いは前のが初めてでね。あのチカラを保持する妻を持つお前が適任と見たーーー銃を持ったあの長髪野郎は俺が相手してやるよ」

 

 その一言でジャイロのスイッチするためこちらへ振り向こうとする体を左手で押さえる。

 

 「おいーーー何でだよ!!」

 「それは駄目だジャイロ。確かに奴はスタンド等の不思議な力は持ち合わせていない筈だが、“ただ”の鉄球使いのお前じゃあ到底勝てない」

 「ああーーーッ!?」

 

 血を拭いながら声を荒げるジャイロを無理矢理前に向かせ、再び“魔女”と相対する。

 

 魔女ーーー男なんだがな。髭的にサンタとかの方が似合いそうだ、とかくだらない事を言っている場合じゃあないか。

 

 頬をかきながらこちらの会話が終わるのをまっている伝説の殺し屋の方へ向き直すと、男は銃のマガジンを入れ直していた。

 

 「もういいかーーー?」

 「いや、後ちょっとだけ」

 「早くしろ」

 

 ご丁寧にこちらの戦闘準備を待ってくれる殺し屋を見据えながら、背後のジャイロへ声をかける。

 

 「いいかーーー1、2の3だぞ」

 「いや、それだとリズム的にオレが乗れない。1、2、3、せーのでいこう」

 「ああもうそれでいいーー行くぞ!」

 

 足に力を入れ、自分の最高速度を出す準備を整える。

 

 「「1、2、3ーーーー

 

  せーのッッ!!!」

 

 

 掛け声と同時に前へ駆け出す。

 

 と、傾けた体が先程まであった場所へ数発の銃弾が通っていく。

 

 通常であれば背中合わせのタイミングで避けると背後の味方が凶弾で倒れる事となる禁じ手ではあるが、今回は事前にジャイロと打ち合わせをしていた。なので背後でもジャイロが同じ様に体を傾ける。

 

 そうして俺たちの背後を素通りしていく銃弾ーーーそれは一直線上に並んでいた事で気付く事が出来なかったオエコモバに向かっていき、肩に着弾した。

 

 後方から聞こえるオエコモバの情けない声が響く。

 だが、そこで気を休めずそのまま容赦なく次の銃弾を放つ男を視界に収めると、体を傾ける勢いそのまま“全身”を回転させる事で回避する。

 体を倒す勢いで生まれた『二つ』の鉄球の回転。

 

 2人の手を離れた緑色と黒色の鉄球は互いを邪魔する事なく、渦巻きを作りながら空気抵抗をものともせず豪速球で前進していく。

 

 対して拳銃を左手に持ち替えた男は、高くマガジンを空中に投げるやいなやシミひとつないスーツの裾をたくし上げると慌てる事なく鉄球を受け流す。そして、降りてきたマガジンを掴み瞬時に拳銃へ入れ直すと再び発砲し始めた。

 

 「おいおいおい全く効いてねえぞッ、どうなってんだあの男は!??」

 「だから言っただろーーーって、おいそっちは駄目だ!」

 

 咄嗟に岩場に隠れようとするジャイロの首根っこを掴んで止めると、その1cm先に跳弾で反射した銃弾が通過していく。

 埒が開かないと、尚も射撃を止める事のない男を尻目にジャイロを連れて屋台の方へと駆け出した。

 

 「ーーッ本当になんなんだあいつは! 鉄球をあんな簡単にいなせるスーツなんぞ見た事ねぇぞ!!」

 「あれはああいうもんなんだ。銃弾も跳ね返すーーーどういう素材かは知らんがな」

 「なんだ、知り合いか?」 

 「遠い友人だ」

 「友人に命は狙われねえだろ。外見、銃捌きから見ても明らかに素人じゃあなかった。お前は、何でそんな奴に狙われている」

 「そう言うなーーー大体知ってるんだろう?」

 

 疑心に満ちた目でこちらを見つめるジャイロにさりげなく黒色鉄球を見せつけると、すぐに押し黙った。

 

 事前にホットパンツから伝えられた、彼女自身のスタンド能力で得た情報では明らかにジャイロは黒色鉄球の事を認識していた。それがいつの時点知り得たのかは分からないが、レースの受付所で会った時はそんな雰囲気は感じられなかった。

 

 脇見もする事なく、そのまま“ある地点”まで走る中、遠くから一発の銃声が聞こえた。

 

 「今のはーー」

 「おそらく、お前の敵にトドメでも刺したんだろう。仕事以外で敵意のない相手には危害は加えないからな」

 「やけに詳しいなーー奴さんと同じ仕事でもしてたのか?」

 「まぁ、そんなところだ」

 

先から妙に探ってくるジャイロの追求をよそに、やっとこさたどり着いた“厩舎”の扉を開く。

 若干の仄暗さが漂う厩舎内には既に中継地点についている参加者の愛馬が何頭も縄で繋がれていた。

 そしてその側にいたのはいつもの係員ではなく、ガタイのいい中背で頭を丸刈りにした係員で。いつもの奴じゃあないのかという謎の郷愁を感じていると、その係員はこちらに気付くと気さくに話しかけてくる。

 

 「お早いですね、まだ着いたばかりの筈でしたが。 出発するのでしたら本人確認と所持品確認をしますのでこちらに」

 

 そう言いながらさも当然と手を差し出してくる。これまでのステージではそんなものあったかと思う反面、確か1stステージではジャイロの様に武器を使った奴は大半が失格処分を受けていた。多分、それ対策にするんだろうと自分自身を納得させながら近づこうとするとーーー今度は自身がジャイロに首根っこを掴まれる。

 

 「下がれガソリンーーーこいつは“運び屋”だ!」

 

 掴まれた事で体がガクンと僅かに下がった。

 だがその叫び声になんだと言う暇はなく、1cm先の頭があった場所には先まで気さくそうにしていた係員の“拳”が通過していた。

 

 「こいつもかーーーよッ!」

 

 何処にいても追っ手がいる。その苛立ちを全て足に込め、敵の腹を蹴り込む事で一旦距離を離そうとする。

 が、苦し紛れで放った攻撃が見破られない訳もなく当然の様にクロスした腕で防がれてしまった。

 

 (ーーー壁みてぇな、本当に人間かこいつ……)

 

 男は蹴られた位置から1mmも後退していない。

 その様子に、本日何回目かも分からない冷たい嫌な感触を背中に覚えた。

 すると、ジャイロもそう感じたのか恐れを振り払うようにして叫ぶ。

 

 「ネアポリスのただの運び屋がーーー遠く離れたアメリカに一体何の用だ!」

 「仕事だよ、ジャイロ•ツェペリ法務官様」 

 

 そういうと男は静かに拳を構え、ファイティングポーズを取った。

 

 「ジャイロ•ツェペリ法務官並びに黒色鉄球の保持者、大人しく着いてきてもらおう」

 「チッーーー誰に頼まれた」

 

 ジャイロも同じように構えると、“運び屋”はニヤリと微笑んだ。

 

 「ルール2ーーー名前は言わない、だ」

 「げーーッ!?」

 

 そして合図があった訳でもなしに始まる肉弾戦。当然、鉄球を投げる暇もなくこちらも体術で応戦するも、ジャイロの口振からも相手はネアポリスで名を馳せているだろう人物には付け焼き刃にしかならない。

 

 距離を詰められての二発目の右ストレートは倒れ込んで躱わし、三発目のケリは何とか出した足でいなすも、今度は逆に足を掴まれて厩舎の隅にある干し草の上まで投げ飛ばされた。

 

 「この野郎ッ」

 「いかんせん、直線的すぎるな」

 

 俺を投げ飛ばして生まれた隙にジャイロが鉄球を投げ込むも、運び屋は着弾した箇所に生まれた回転を瞬時に服ごと脱ぐ事で易々と対処する。

 ジャイロも負けじと今度は地面に広がる餌の残骸を回転で巻き上げ相手の視界を奪おうとするが、それすら何も臆する事なく運び屋はそのまま突っ込んでいく。

 

 そして、気がつけば隣の干し草の上にジャイロが並んでいた。

 

 「ーーーあの“運び屋”とやらは何なんだ」

 「“お前”を追ってる奴とほぼ一緒だろ、ただしこっちのは殺しが主じゃないにしろーーー馬鹿力にも程がある」

 

 首だけ上げて、2人揃って干し草の上から運び屋を見やる。

 視線の先の男は右手でこちらに手招きをするような仕草をこれ見よがしに見せつけてきた。

 明らかな挑発ーーーこっちを完全におちょくってやがる。

 

 

 この野郎、盛大にぶっ飛ばしてやる。

 

 目を閉じ、深呼吸を何度か繰り返す。

 そして、ジャイロの方へと振り向いた。

 

 「ーーーおいジャイロ、アイツに一泡吹かせてやるぞ」

 「よしーーーのった」

 

 

 

 



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Ob-La-Di, Ob-La-Da

 埃漂う寂れた厩舎の中、ジャイロ•ツェペリが駆け出した。

 

 「今に見てろッ」

 

 歯噛みしながらその一言と共にそばに転がる用具入れを盾にして一歩ずつ運び屋と呼ばれた男へと近づいていく。

 

 運び屋、またの名を“フランク(ルピは自由な男”とは程遠く、一度締結した契約を厳守し元に動く男はその挙動に注目していた。

 

 (こりゃまたーーー随分とまあ跳ねっ返りに育って、()()()()()の奴も苦労しているだろうな)

 

 懐から拳銃を取り出し、今現在ジャイロが潜んでいる用具箱と未だ動きを見せないガソリンの方へと命中させる。

 

 「どうしたーーー鉄球は使ってこないのか!!?」

 「ーーーお望みとあらばッ今すぐにでもくれてやるよ!」

 

 走り出してから5歩目の、事前に決めていた仕掛ける合図。

 

 同時に、投擲される緑と黒2対の鉄球。

 

 銃弾より速度は劣る。だが、この仄暗い厩舎の中でも耳に届く風切り音がその威力が生半可でない事を示している。運が良ければ打撲で済むが、悪ければどうなるかは分からない。

 

 しかし、そのような凶器が目の前に立ち塞がってもなお“運び屋”は後退する素振りすら見せず。

 傍に脱ぎ捨てたシャツをタオルのように掴みとると、ぶんぶんと回転させていく。

 

 長年ネアポリスという鉄球使いが多く存在している国で“運び屋”として仕事を果たしていた彼だからこそ熟知している鉄球への対処法。

 鉄球での攻撃は回転を軸とした投擲であり、真っ向から立ち塞がるモノに対してはめっぽう強い。しかしながら回転という風などの自然の力を利用しているからこそ、側面からの流れに逆らわない力に対しては弱く、抵抗しにくいという特徴がある。

  

 故に運び屋はシャツをコマ回しの紐の如く犠牲にする事で回転の力を掻き乱そうとした訳で、そしてその対処法は極めて有効な手段であるのは間違いないのだが、あくまでそれが適用されるのは通常の鉄球にのみである。

 

 運び屋が振り回すタオルに緑の鉄球より僅かに先行していた黒色鉄球が触れた途端、タオルはその形を接触面から失い、消失させていく。

 

 「ほォ」

 

 だが伊達に経験は重ねていないからか、生まれた隙に着弾する鉄球に対して脇を絞め、腕と体の隙間で威力を殺して受け止めようとするも弱まる事はなく。

 

 間に合わないと運び屋が判断した時にはすでに遅く、緑色の鉄球が男の身体に減り込んでいく。

 

 運び屋はうめき声をあげる時間すらもなく、馬が逃げないように設置された柵ごと厩舎の奥へと吹き飛ばされていく。

 

 経験を重ねて、自らの体験が最優先に先行する人間だからこその誤算。

 

 「まだだぜーーーッ!」

 

 ジャイロの声を皮切りに、その視線の先ーーー緑色の鉄球が運び屋を吹き飛ばしたのと同時にトランポリンへ着地したかのように反発の力で鉄球は空中へ舞い上がる。

 かと思えば、今度は建物の支柱へ巻きつけられていたロープを絡め取るとそのまま運び屋の体を縛り上げた。

 

 肉弾戦を主とし、おそらくその片鱗すら見せない事からスタンド使いではないと判断した上での捕縛方法。

 ジャイロは元々祖国で法務官であったそうだから手慣れているだろうとの事での作戦ではあったが、やはり心配はいらなかったらしい。過去に先生が語っていたように、こと鉄球に関しての小技でツェペリ家の横に出る者は早々いないというのは確からしい。

 

 大の人間が吹き飛ばされた事で空中に土煙が舞う。

 

 「ーーーどうやら、うまく行ったみたいだな」

 

 砂を手で払いながら次第に晴れていくその先に見えた男の反応はようやく止まっていた。

 

 「ガソリン、お前意外とやるじゃあねェーか。ーーーその黒い鉄球といい、一体誰からその技術を教わった? 到底一年やそこらでマスターしたものじゃねえだろ」

 「詮索はなしだーーーお互い、知ってていいものとよくないものがあるだろ。それより話を聞くなら早くしろ。直ぐに“ババヤガ”が来るぞ」

 「ーーーさっきの奴のことか?  ロシアの魔女(バーバヤーガ)ねぇ……大層な名前で、良い身分なこった。」

 

 黒色鉄球を手元に戻し、幾許か重くなった鉄球へ先とは逆の回転をかける。するとその中心から巻き戻されるようにシワシワになったシャツが姿を現す。

 

 ほらよとジャイロへ放り投げると、彼は何も躊躇う事なくそのシャツのポケットから裏地の隙間まで弄りだす。

 

 ジャイロが手を返すたびにティッシュやら飴の包み紙、服の元の持ち主だろう身分証やらが次々と取り出されていくがどうやら目当てのモノではないようで。

 

 「腐ってもその運び屋は一般社会の人間じゃあないんだろ? そんな奴が身分をひけらかすリスクがある物を持っている訳がないだろーーー」

 「い〜や違うね。こういう奴は自分のは無いにしろ何より契約を重んじるタイプだからなーーー俺が欲しいのは・・・あったぞ」

 

 そうしてジャイロが裏地のポケットから取り出したのはどこか薄汚れた手帳。

 おそらく相当年季が入ってるのだろう、ページ自体は入れ替えられているらしく新めにみえるが、表紙の文字が掠れている。

 

 「何なんだその汚いのは…」

 「人名に…金額、通貨はバラバラだがこりゃあ契約書みたいなもんだろーな」

 

 表紙ごと手帳を破いてしまわないようにゆっくりと手帳が開かれていくのを後ろから眺める。ラッキーな事かは分からないが、今のところ開かれているページには知り合いの名前は記されていなかった。

 

 「なるほどーーーじゃあつまりそれを見れば」

 「ああ、俺達を狙ったクソ野郎・・・いやクソ女かも知れねえがソレを見つける事が出来るーーがスゲェなこりゃ。ネアポリスの高官がうじゃうじゃいやがる。道理でいつまで経ってもこいつの尻尾が掴まれねえ訳だ」

 「国のお抱えってとこかーーーだが、実際ソレを見つけれたとして一体どうする。依頼主がネアポリスに居るんだったら今からでもお国に戻るか? その場合はレースアウトって事だが、ツェペリ“法務官”様」

 

 それを言い放った途端、ジャイロの動きがビタと止まった。

 一応ある程度の状況を把握している事を暗に伝えたつもりであったが、思ったよりも嫌味たらしかったか。少し踏み込みすぎたなと内心で僅かながらに反省の気持ちが湧き上がる寸前で、ジャイロにしっしっと手で追い払われた。

 

 「うるせぇーー国の事はお前は関係ないだろ……いや、狙われてるんだからまったくの無関係では無えのか。だが、人のベッドに土足で上がる奴は容赦しねぇぞ」

 「ーーーそりゃいいベッドをお持ちで結構」

 

 そうしてギロリと向けられた視線をそっぽを向く事で受け流す。

 なるほど。ジャイロの事情は彼の心の余程深い所まで根を張っているのは間違いないのだろう。

 

 ホットパンツが言っていたーーージャイロが果たそうとしている目的。確か、無実の罪で投獄された少年を助ける恩赦を手に入れる事だったか。こいつもこいつで俺と同じく多くの人間に狙われる立場なんだろうが、それでもレース優勝で恩赦を狙い続ける意思はジャイロ•ツェペリという人間の美徳という部分なのだろう。

 

 決していい出会い方ではなかったが、ここまで数日という僅かながらの付き合いでも彼自身の芯の強さは感じ取れた。

 国の決定に異を唱えるという点では確かに法務官という役職には向いてないのかも知れないが、善悪という属性から見ればどちらにも偏り難い中立であり、立場的には法務官に向いている人間ということか。

 

 そんな事を考えながら運び屋が目を覚ましていない事を確認しつつ、再びジャイロの方を見るが未だ手帳を調べ終わる気配はない。

 

 (ーーーこりゃ長くなるな)

 

 列に従って几帳面に書き記された名前を一つずつ丁寧に確認しているジャイロを見ると法務官然と見えなくも無いかとかどうでもいい事が頭を過ぎる。

 だが、いかんせん時間に余裕があるわけではない。

 ジャイロを焦らせるつもりは微塵もないが、時間をかけていられないのも確かだ。

 肉を自由に操るという能力の特性上、死にさえしなければ大怪我であっても治す事ができるとホットパンツは話していた事もあって、その言葉通り彼女の継続戦闘能力は高い方なのだろう。

 だが、それを聞いたとしても心配する気持ちが無くなるなんてことはないのが人の性というものである。

 ジャイロと同じく、数日前に会ったばかりの関係とは言えども既に死線を幾つも潜り抜けてきた同行者であり、情が移っていない訳がないのだ。それは想像以上に絆されている自分に対して笑いが込み上げてくるほどであり、あれがもしハニートラップだったとしたら完全にお手上げなのは言うまでもない。

 

 上着を着直し、紛らわすようにフーッと気合いを入れ直す。

 連戦に続く連戦でのため息とも言われるかもしれないが、要は気の持ちようだと自分に言い聞かせようとする。するとふと、視界の隅に映るジャイロが何やら手間取っているのが見えた。

 

 「何やってんだこんな時にーーー」

 「その目やめろ・・・こっちだって必死にやってんだよ! あ〜クソッ、なーんか指が冷たくてよぉーーーこのちっこいページを掴めねぇ。おいガソリン! そんなに言うならお前がめくってみやがれ」

 「ああーー寒けりゃ上着着りゃいいだけだろ? 確かにさっきからそんな気もするが・・・まぁいいこっちに貸してみろ」

 

 しゃがんでいたジャイロが立ち上がり、古ぼけた手帳をこちらに渡そうとして近付く。ふぅっとため息を吐いた瞬間、不意に自分の口から漏れた息が白く染まっていた事に気づく。

 

 「こんな寒かったっけかーーーまだここはロッキー山脈の麓ですらないし、第一砂漠から離れて間もねぇってのに・・・」

 「いやーーー違うジャイロこれはまさかッ」

 

 咄嗟に振り向いた方向の壁の先から殺気のような寒々とした空気を肌に感じたかと思えば、外に続く厩舎の床から白い半透明の膜が瞬時に広がっていく。

 ジャイロの首根っこを掴んで積まれた藁の塊の上へ乗り上げると、先まで自分等がいた付近でちょうど〝氷”の侵食が止まった。

 

 「これはッーーー氷か?」

 「そういう“能力”だ! あの言葉が嘘だったんなら一度倒した筈だったんだがな……」

 「ーーー? 一体どう言う事かは分からんが、どうやらまたお前を追ってる奴に巻き込まれたってのだけ分かった!」

 「毎度申し訳ないねーーーッと!?」

 

 手招きしながら氷の現象に怖がっている馬を逃がしてやっていると、冷気が差し込んで来ている壁が突如として真っ白に凍りついた。

 それは次第にミシミシと音を立てだすとその形が崩壊し、砂で作った城のように粉々に砕け落ちる。

 

 そして宙に舞った木片の塵の奥から、夢現の列車の中で見た白いスーツを纏った男が姿を現す。

 

 「見つけたぜぇ〜やっとこさな。手間ァ取らせやがってこんのまぐれ野郎ーーー」

「勘弁してくれーーー負けた事どんだけ根に持ってやがる・・・」

 「ーーーおいおいおいお前まさかこいつに追われてやがんのかッ!??」

 

 しょうがなく仕舞ったばかりのホルダーに手をかけ直そうとすると、隣に居たはずのジャイロがいつの間にか後方に下がっていた。

 

 「なんだ、知り合いか?」

 「知り合いなんてもんじゃあねぇッ、欧州マフィアの中でもこいつ含めた“三兄弟”は顔も見たくねぇんだ! 鉄球使いの衛兵が何人やられたと思ってるーーーだがオヤジが捕らえていたはずだ! それが一体何がどうやってこんなとこにいるッ!!」

 「解説どうも! だがそれは俺が知りたいねーーーお前の親父は牢に捕まえた奴をやすやすと逃がしちまう奴なのか?」

 「俺が知る限りは情から最も離れた人間だーーー逃す訳がねぇ筈だ!」

 「ーーーー仲良くお喋りしてる場合かァ〜? 安心してろ、ツェペリ家の恨みも纏めて2人共あの世に送ってやるからよ」

 「ーーーーゲッ、俺がツェペリだってばれてら」

 「お前から話したんだろうが……」

 

 未だ減らず口の絶えないジャイロに冷たい目線を送る。

 見えないように背後で黒色鉄球を握り直すと、全身白いスーツを身に纏った男の腕がぴくりと動いた。

 

 「モノならなんでも凍らせる能力ーーー速度は早すぎるとまでは言わないが、掴まれたら終わりだぞ。名前は確か、ギアッチョといったか」

 「ネアポリスでの異様な痕跡ーーーなるほどな、スタンド使いだったって考えれば想像に易い。ガソリン、こいつに追われるなんぞ碌な事してねぇだろ」

 「言いか、よく聞け。“こいつら”が勝手に追ってきたんだ!。俺はなんもしてねえーーーこいつらはハナから鉄球狙いで来やがったんだよ!!」

 「チッーーーいつまで喋ってん、ーーーーだッ!!!」

 

 痺れを切らしたようにギアッチョが腕を振るう。キラキラとした何かが反射したのが目に入ったとほぼ同時に、一粒一粒が鋭く尖った氷の礫がしゃがんだ頭上を通過していった。

 

 「ッてめ何しやがる!」

 「助けたんだよーーーこれで貸し2だぞ!」

 

 鉄球も持たないまま突っ立ってるから蹴飛ばしてやったのに、ジャイロからはなんていいようだと睨み返されてしまった。

 横で転がり返ったジャイロは咄嗟に姿勢を立て直すとすぐさま鉄球を拾い上げ、回転した勢いを利用しそのままギアッチョに対して投擲した。

 

 「しゃらくせぇぞーーーッ!!!」

 

 が、一般人には極めて有効な攻撃手段である鉄球はなんのその、氷に覆われた床を滑りながら纏った氷を鉄球の回転の向きに合わせて楕円にする事でギアッチョはその凶弾を滑らせ容易く潜り抜けてくる。

 

 「うそだろッ」

 「ーーーそれがスタンドって奴なんだろ。どうやら負けたら強くなれるタイプみたいだな、しっかり対策貼ってきやがって」

 「なんだぁーーーチクチクチクチク、俺の教師かてめぇはよォッ!!」 

 「うおッ」

 

 まさに猪突猛進、ギアッチョは氷の推進力を利用して前進しながらジャイロとガソリンを分断するように中心へ躍り出る。

 2人の意識を回避へ向かせるのと同じくして、スーツで覆われた両手を開いた瞬間、ギアッチョの体表から鋭く尖った氷の針が飛び出した。

 

  前回は見なかった新たな攻撃方法ーーーここが前の戦いの舞台と違って列車という限られた空間でない事は分かっているつもりではあったが、完全に反応がワンテンポ遅れた。

 

 その生まれた完璧な隙を一級のヒットマンであるギアッチョのような男が見逃してくれるはずもなく。

 無防備な自分に対して1cmずつハリがこちらに近づいてくる。その瞬間が妙にスローモーションに感じる世界で目の前に唐突に現れたのはーーー緑色をした鉄球だった。

 

 「ちょっと痛ェが我慢しろよな」  

 「ーーーぐぅッ!!?」

 

 咄嗟に出した左手で顔面へ受けるはずだった衝撃を緩和しようとするも威力を殺す事までは出来ず、摩擦で煙を上げる鉄球ごと1mほど後ろへと押し戻された。

 

 「クソッーーーあと少しの所を邪魔しやがって・・・」

 「ガソリン、これで貸しは0だぞ」

 「ッーーー計算もできねえのかよ!!」

 

 反動により体に走る痛みを無視して無理矢理動かし、自らの鉄球を投げ飛ばす。

 

 宙に舞うチリを掻き分け鉄球が放り出されたのはーーーちょうどギアッチョの頭上。

 

 「ハッーーーどこへ投げてやがる」

 

 その余りの苦し紛れにも思える行動にギアッチョは頭上に投擲された鉄球に目もくれず、すぐさまこちらへの次の攻撃態勢へ移ろうとするが、そのどれもが彼が今とるべき適切な行動ではない。

 

 投げられた先の空中で最高到達地点で止まってもなお回転による摩擦音は次第に増していく。

 その音は決して一つではなく、二つ以上の回転と回転が重なる音を奏で出す。

 

 機織り機に携わる歯車が一つ一つ噛み合っていくように、中心の鉄球は大きく回転する事で()()についた極小の鉄球もが回転してゆく。

 そして蓄えられた力が限界を超え、摩擦と回転によるエネルギーが爆発する時に生み出される『護衛鉄球』の力。

 

 極小ではあるものの、その限界以上の力を発散する事で生じる余りにも強い衝撃波は対象に一時的な脳の障害を引き起こし、左半身の感覚を失わせる。

 

 前回接触した時は場の狭さから最悪自分もその衝撃波を喰らう可能性があったため使う事はなかったが、今回はそれが功を奏した。

 

 コンマ1秒、鉄球同士が反発し合って弾ける。

 

 「こいつはーーー」

 

 大きい鉄球に弾き出された幾つもの極小鉄球は雨のように無防備の敵へ降り注いでいく。

 

 仮に氷のスーツを貫通しなかったといえども表面上に伝わる衝撃波は確実に相手の意識を阻害するという確信が心の内に湧いたその瞬間に、降り注ぐ鉄の雨に対してギアッチョは右腕を翳した。

 

 「ホワイトアルバムーーージェントリーウィープス」

 

 それと同時に、ギアッチョの目の前に無数の半透明な何かが意思を持ったように空中へ浮かび始める。

 

 すぐさま極小鉄球は氷の群れの中で通過していこうとするもビリヤードで球同士が乱反射していくように、そこを通過しようとした途端に極小鉄球は軌道を変え一つ、また一つとこちらへ反射を始める。

 

 「グブーーッ、ぐ・・・ぁ」

 

 計算されていたのか、それともただの偶然なのか。軌道を変えた鉄球は加速度を増してガソリンの肩、脇腹を掠っていく。身体の損傷としてはただその程度ではあったがそれでも威力は決して低いとは言い切れず、次第に左半身の感覚は失われていく。

 

 (当たった直後はーーー喋る事すら、できないのか・・・ッ!)

 「こんにゃろーーッ!!」

 

 遠くから聞こえてくるジャイロの声が妙に頭の中に響く。

 ジャイロは極小鉄球を反射した見えないバリアをよりサイズの大きい鉄球で砕こうとギアッチョの背後から投擲を行うがーーしかし。

 

 「反射はまだ終わってねェーーぞッ!!!」

 

 鉄を叩いたような甲高い音が鳴り響いたのと同タイミングで、未だギアッチョが敷いた結界内を残留していた極小鉄球が向かってくるジャイロの鉄球目掛け突進し始めると、軌道はすぐさまズレて行き、ジャイロの攻撃が届く事はなかった。

 

 「この野郎ーーーなんでもありか」

 「ぐッーーーよけろジャイロッッ、近付くんじゃあない!!」

 「ーーーその程度の入れ知恵をした所でどうにかなると思ってんじゃあねェーぞッ!!!」

 

 どうにか絞り出した声でジャイロへ逃亡しろと叫ぶ。

 

 元はと言えば唯の利害の一致でしかなかった。ジャイロを襲った敵は初めの戦いで既に決着がつき、残るババヤガとギアッチョに関しては俺の不始末の結果であり、ジャイロは1mm足りとも関係はない。こいつを前回仕留める結果に繋げれなかったのも、今回の戦いに巻き込んでしまったのも全て俺の“責任”だ。

 そこで命を張らせてしまうほど意味もなければ俺にそんな価値もない。

 

 だからこそ、もう無駄な事はしなくても良いとジャイロへ言い放ったにも関わらず、スケートの要領で迫るギアッチョを前にしてジャイロは“あえて正面”を向いた。

 

 「なにをーーー」

 「これで終わりだッッッ!!!」

 

 周囲に鈍い音が響く。

 

 拳を腹に正面から受けたジャイロの体は次第に鯖折りになっていく。

 

 「ーーーーッ!!!」

 

 勢いそのまま支柱に叩きつけられたジャイロは息も絶え絶えの意識の中、拳で堅く握りしめた鉄球を地面へ投下しようと指を開く。

 が、殴られた腹部を起点としてジャイロの四肢を覆うように纏わり付く氷が、最後の足掻きすらも停止させた。

 

 「気持ちのわりぃ感触だーーー表皮を回転で硬化させかつ急所をずらす事で威力を弱めたつもりなんだろーが、それだけで対策できるほどホワイトアルバムは弱くねェ・・・足掻きだろうが何だろうが、隙は1ミリ足りとも与える事はしない」

 「ジャイ、ロ・・・」

 

 衝撃波で体を思うように動かす事すらままならず、残った半分の視界では凍ってしまったままのジャイロの体の半分すら見る事ができない。力を振り絞ろうとするも、足早にこちらへ向かってきたギアッチョに蹴り飛ばされ、半ばで中断される。

 

 「ぐ・・・」

 「まぁ待てよ、焦らずとも手を下すのはどっちみちお前からなんだ。さっきのツェペリしかり、てめえら鉄球使いは揃いも揃って死に急ぐ癖でもあんのか? それとも唯の自殺願望持ちなのかーーー俺には関係ない事だがな」

 「ハッーーー随分と口が回るじゃないか。聞きたい話でも、ッーーーあんのか? 丁寧に対策までしてきやがって・・・前はあんなの使ってなかったろ」

 「ーーー追い詰められたピンチの状況や死の淵、精神の高揚は人を一段上へと押し上げるのさ」

 「チッーーーじゃあ俺の責任、ってわけか・・・」

 

 血が溢れる傷口を押さえながら見上げると、僅かに見える敵の目線は床に転がる黒色鉄球へと向かっている。最後の足掻きと言わんばかりに義手の中に埋め込まれた火薬に火をつけようとするも、義手の根本から踏み抜かれる事で阻止されてしまった。

 

 「あまり俺をイラつかせるなよーーーお前は既に出来上がっているんだ、この先お前がどういう行動を取ろうと、どうしようもなくな」

 「フンーーーカルシウムでも取ったらどうだ。そんなんだから兄に見捨てられるのさ。ここに来た時から思っていたが・・・大方ここには1人で来たんだろう」

 

 口元の血を拭いながらあくまでも余裕である様を醸し出す。

 前回の戦闘でも分かっていた事だがこいつはキレやすく熱されるのが早いタイプだ。

 

 唯の経験からくる勘であるが、そういう奴は総じて感情的になりすぎるあまり周りの事が見えなくなってしまうきらいがある。

 

 故にーーー今は挑発し続ける。し続けて、隙を作る。相手が周りを見なくなる完全な隙が生まれるまで。幸いな事に腕を破壊した事でギアッチョ自身は俺の手札全てを封じたと勘違いしている筈だ。

 

 自分の不始末は自分でつける。ジャイロやホットパンツにまで迷惑はかけていられない。

 前回とは異なって何故かこちらの投げかけにも言葉を返してくれる事が影響して、お陰で完全ではないが半身に広がる麻痺が改善し不十分ではあるが動かす事が出来るようになった。

 

 「もういいーーー鉄球の出所や継承者とか聞きたい話もあったが、お前からは聞かねェことにした。後は野となれ山となれだ・・・始末しさえすりゃ、俺はハナからどうだっていい。お前をこの手で終わらせる事が出来るならな」 

 「そうかよ、じゃあ早く終わらせてくれーーー」

 

 1cm、2cmと白いスーツ状のスタンドを身に纏ったギアッチョの腕が首目掛け近づいてくる。

 

 まだ、まだだ。

 

 極限まで、肌が触れる一歩手前だ。薄皮一枚、表皮に触れこいつのスタンド能力が発揮するコンマ1秒前を狙う。

 

 自然を操る圧倒的なスタンド能力に加え、ネアポリスで生き抜いてきた上で体に染みついたその圧倒的な戦闘センス、ここで仕留めないと後々道を塞がれるのは間違いない。“こいつら”は、何故ここまでして黒色鉄球を狙おうとするのかは分からない。だが一つだけ分かるとするならば、こいつらは死ぬまで目的を果たすまで行動し続けるだろうという事だ。

 

 俺は、このレースで一位を取ってみせる。ジャイロ含めレースに参加している人間は何かしら叶えたい夢だったりがあるのだろう。だが、このレースで勝つのは自分であり、勝って賞金を手に入れて村へ戻らなければならない。賞金を使って村を大きなモノにし、自分を救ってくれた人々に対して恩を返す。初めから何も無かった自分に出来ることなどハナからその程度しかない。

 だからこそ、だからこそ道を塞ぐ障害は何があっても払うと心に決めたのだ。

 

 普段は祈らない神に誓っても、必ず一位を取ってみせる。そして、邪魔者は排除する。それが例え鉄球を狙う輩であろうとなんだろうと。

 それが師から鉄球を継承した者の務めであり、“責任”であるからだ。

 

 

 ギアッチョの指が視界に入り、表皮に触れる寸前。

 

 集中で呼吸さえも止まる。

 糸が端同士から引っ張られピンと限界まで引き伸ばされるような緊張感に包まれる中で。 

 後数mmで指が触れるその瞬間にーーー聞き覚えのない音が耳に届く。

 

 そして、続け様に響く壁を突き破ったのような轟音。

 

 それを前にして漸く手を止めたギアッチョの前に現れたのは、見たことのない〝鉄の塊”だった。

 

 「なんーーーー」

 

 突如として目の前に現れた鉄の塊に2人して言葉を止める。

 列車などとは違う、確か時代の最先端を行くとか如何とかで金持ちのレース参加者の1人が馬の代わりに乗り込んでいた“自動車”とかいうやつに似ている。

 横幅は大の男1人が腕を広げたほど、縦幅に対してはそれよりも長く、そのような大質量を持った鉄の塊が壁を破って、上に跨るギアッチョを目掛けて前進を始めた。

 

 運転席には先に係員に化けていた運び屋の姿が何ともピンピンした姿でこちらを睨みつけておりーーー巻き込まれると目を瞑りかける寸前でタイヤがぐん、と下に弾むとギアッチョだけを狙うように車体が()()()()()

 

 この、鉄道などより小回りが利き、かつスピードとパワー、そして宙を舞う事さえできる自動車という機械の骨組みを下から見る事などおそらく人生でもうないだろう。というか、見たくもない。そう心から感じながら綺麗に自分の頭上を通過していく様が妙にゆっくり見えた。

 

 力は重さと速さ、圧倒的な質量では流石のスタンド使いといえども鉄の塊に対処することはできず、車輪がギリギリと巻き込む音を出して再び壁に突撃していくーーーかに思われた目前で、突如として車両が急停止する。

 

 「ここまでいくとーーー本気にバケモンだな」

 

 タイヤの摩擦音が上がり、地面との摩擦熱で上がる蒸気がもくもくと車両を包み始めているのと比例して、額から冷たい汗が伝ってくるのが分かる。

 

 「ご、、こ゛な゛く゛そ゛・・・ッ!! 」

 

 幽鬼のようにプルプルと体を震わし、氷で作ったマスクの中を赤く染めながら尚もギアッチョは立ち上がる。その背後には、自然に出来たとは到底思えない量の氷柱が蜘蛛の巣上に厩舎の壁を撃ち抜く形で伸びており、一本だけでは脆い氷の糸を幾つも手繰り合わせながら形成された防御壁はまさに女郎蜘蛛の巣の如き様相を呈していた。

 

 おそらく、生への執着心が成し得たその現象。車が衝突するより以前のギアッチョであれば防ぐ事は出来なかったであろうその芸当はその本人が話していた精神の高揚による成長を何よりも強く示していた。

 

 埒が開かないと思ったのか、運転席に座したまま運び屋は窓ガラスごとギアッチョ撃ち抜こうと拳銃の引き金を引こうとするも、すでに銃身ごと運び屋の右手は凍り始めていた。

 

 (どこにまだそんなバカ力が残ってんだ・・・一度のしてやった運び屋がここへ戻ってきた事実も謎だが、運良く状況が好転したのは事実・・・チャンスはここしかーーーーッ)

 「ざぜる゛がーーーッホ゛ケッ!!!」

 「がっーーーーッくそ、」

 

 本体まで届かずとも、車輪が動いてしまえばいい。その一点だけを考えて鉄球を投擲しようと立ち上がるも、ギアッチョが目線をこちらに動かした途端にすぐさま目の前に鉄球の軌道を阻害する氷壁が形成され後方へ押し出される。

 

 何でもいいーーー何か奴を支える氷柱を打ち崩せる物を投擲さえすれば奴を車両の下敷きにする事ができる。

 ここだ、ここで奴を倒さなければ今後このような絶対的な瞬間が来るとは到底思えない。先までジャイロと共に交戦していた筈の運び屋が何故俺を助けるような真似をしているのかは想像すらできない。だが、()()なんだ。奴を仕留めるタイミングはもう此処しかない。

 

 2投目をすぐに準備しようと咄嗟にバックルから作り出した鉄球を放り投げようと氷壁のない別の位置へ移動する。しかし、体に思うように力が入らずに、手元にしっかりと握りしめていた筈の鉄球はこぼれ落ちてしまった。

 

 (護衛鉄球の反動がーーーここで、か・・・ッ!)

 

 霞む視界の中で、蒸気を上げながら尚もタイヤを回転させている車両がじりじりと次第に後退していく。

 

 「5秒やるからその醜い足掻きを止めろーーーじゃないとみっともなくあの世に行く事になるぞ」

 「ギギギーーー運び屋“フランク”、か。お゛前の目的がハナから俺達兄弟だって゛のは分゛か゛ってた。この質量にパワー、国の御用達になるのはなるほどだが、ーーぐぶ、俺があえてお前達の前に出てきたってのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ!!」

 「クソーーーグレゴリオの野郎に後でたんまりと請求してやる…」

 

 ギアッチョが叫ぶと、それに呼応する形でギアッチョのスーツが更に氷の表皮を重ね巨大化していく。

 それに伴い先までギアッチョを押し潰そうとしていた車両は押し戻るどころか次第にミシミシと持ち上げられていく。

 タイヤの回転数からおそらく運び屋も最高速度で車輪を回しているのだろうが、なすすべなく1ミリ、2ミリと車体は持ち上げられる。

 

 それを尻目にして未だに自分は体の主導権を完全に戻せてはいない。何とか奴の防御壁を壊そうと抵抗の一つでも取ってやりたいが、いかんせん半身失調の副作用がぶり返し体が全くと言っていいほど動かない。こんな時にーーー何て頼りにならない人間なのだと自分に対して嫌気がさす。

 

 自分は肝心な時にいつも何も出来ないのだ。いつもは余裕風を吹かせながら何でも出来るような口振でどっしりと構えている癖に、本当は振りをしているだけでアクシデントに直面すれば何をする事もできない。

 

 “あの時でさえ”もーーー背後に隠れる幼い少女に恐怖心を植え付けてしまったあの日でさえも自分はただ盾になる事しか出来なかったのだ。

 

 「おいおいおいーーーそんなデカくなっちまって、俺の車で轢き甲斐があるようになったじゃねえか」

 「減らず口をーーーッ、だが慌てるんじゃあねぇ。1人ずつ、こうして巨大化した体で踏み殺してやるからよォ!! そんで鉄球も奪って、てめえら全員血祭りにあげてやッーーーーー」

 

 「ーーーアレを打ち崩せばいいのか?」

 

 その時、ギアッチョの体が大きき揺らぐ。

 

 瞬間ギアッチョの背後を支える氷柱が一本、また一本と唐突に崩壊を始める。

 

 「ってめぇーーー一体誰だッ、つぁーーおい!!」

 

 正面から鉄の塊が突っ込んでくる衝撃をも受け止める氷の力を支えていた氷柱が壊れ始めた事で、次第に優勢だったギアッチョのバランスが揺らいでいく。

 

 一歩、また一歩と急速に肥大化していた足は少しずつ後退していき、ギアッチョの背中と厩舎の壁がくっついたそのタイミングを見計らい、車両のタイヤが再び回転を始める。

 

 「あッーーーーがががか゛か゛か゛ッッ」

 

 アイスピックで削られる氷のように、摩擦でホワイトアルバムの表皮が剥がされていく。

 擦れていくたびにびくびくとギアッチョは体を振るわせながらーーーどういう原理で氷を操る事ができて、それがなんであんな硬度を保っているかはわからないが、一つだけ分かる事がある。それはあの殺され方だけはされたくないって事だ。

 

 知らぬ内に体を張っていた氷の破片を取り除きながら、命からからがら厩舎まで逃げ込む理由を作った男へ目線を向ける。

 

 「何だお前もーーー揃いも揃って命を狙ってきた奴らが一体どういう風の吹き回しだ」

 「なに、ただの利害の一致だ。元より俺はーーーお前の様子を見にきただけだったがな」

 

 この場に見合わぬスーツを着直すババヤガの手には、未だ硝煙が掻き消えてはいない拳銃が握られていた。

 

 「様子をって言ったって、マジに爆殺しかけにきやがったやつが何言ってんだ……」

 「アレはただのブラフーーーというよりも偶然だ。ジャイロとかいう、お前のツレと接敵していたやつがおおかた設置してたんだろう」

 「ーーーじゃあこっちに向かって撃ってきたのは何だったんだ、あん時は確実にやっちまう目してたろ」

 「人生に演技ってもんはつきもんだ。それに、お前を狙う奴を誘き出すためには今のこの状態が一番好ましいと思ったからな」

 

 目の前の男は特に悪びれる素振りも見せず、淡々とこちらの問いかけに答える。

 こいつーーー仕事をしてた時からある程度タガが外れているのは認識していたが、まさか此処までとは考えていなかった。

 

 「本当は、誰に頼まれた」

  

 無言のまま真っ黒なサングラスをかけられた。

 ただそれだけで誰から頼まれたか分かった俺も相当あの女に絆されてるのだろう。

 呆れとピンチを乗り切った安堵感で思わず足の力が抜けて倒れそうになるも、ババヤガの腕を借りる事で何とか体勢を立て直した。

 

 「って事はだ、つまりホットパンツはーーー」

 「お前を命張って守った女の事なら無事だ。“あの能力”なら、もう時期此処にくるだろう、だが今はそれよりもーーー」

 「チッ、ああもうーーーこっちは腹一杯だってのにッ!」

 

 再び厩舎内に轟音が響き渡る。

 音の方向へ振り向けば、ギアッチョを押し込みながら車両が迫り上がっている壁面が突如として逆側から爆発が起きたかのように吹き飛ばされた。

 

 ホワイトアルバムの氷によって密閉されていた空間に風穴が開き、外から光と生ぬるい風が厩舎内に一気に流れ込む。

 

 腕で風を抑えながら逆光の先へ目を凝らすと、車両よりも少し小さい、人間にしては巨大すぎる影が微かに見えた。

 刹那、およそ人の腕ではならないような風切り音とドゴン、という鈍い音が鳴りいとも簡単に運び屋の乗る車両が数m跳ね除けられた。

 そのまま影は傷だらけになったギアッチョを徐に担ぎ出すと、休む暇もなくこちらの視界を潰す目的で瓦礫をまるで石ころを投げるかのように連続で投擲し始めた。 

 

 「これは少し、手に余りそうだな」

 「う、ぉぉおーーーーーッッ!」

 

 ババヤガは早々に肩を貸すのを諦めると、瓦礫の雨をガソリンの首根っこを掴みながら厩舎中を駆け回る事で何とか避けていく。

 

 出店でやるような射的やらのミニゲームとは比較にならない、球の大きさがターゲットである俺達と同等以上のサイズという破格の泥試合の中で未だに怪我一つ負っていないのは運がいいだけなのか。

 首根っこを掴まれながらも、余波を喰らわない様に端で伸びていたジャイロを掴むとババヤガの移動するスピードが一段下がった。

 

 「悪い、こいつは見捨てられない」

 「全く、君は相変わらずお人好しだなーーーだがまぁいいだろうッ」

 

 そのまま幾許か厩舎内を首根っこを掴まれながら地獄の様な射的ゲームを逃げ回っていると瓦礫の雨は止み、その代わりに野太い雄叫びが辺りを包んだ。

 少し動いた事で逆光が晴れ、巨大な影の姿が映し出されていくとそこには毛むくじゃらの生命体が青筋を浮かべてそこに佇んでいた。

 

 「あれもスタンド、なのかーーー?」

 「いや、呼吸反応から見ても何らかの生命体だろう。グリズリーかビッグフットかーーー」

 「ーーー奴の名は“フォーエバー”。ぐッーーー、どうやってこんな大陸まで引っ張ってきたんだか、あれは四肢を縛り上げた上で閉じ込められてた知性のある、ッ化け物だ」

 

 苦悶混じりの声に意識を向ければ、片膝をつきながらも自分の力で立ちあがろうとしているジャイロがそこにいた。

 

 「ジャイロ……! なんだ、生きてたのか」

 「うるせぇ、それよりもーーーさっきまで殺し合ってた奴らと手組んでるっつーのはどういう状況だ」

 「なに、最初からその状況自体が作り込まれていたものだったってことだ」

 「なんだ、そりゃーーーどういう事だ?」

 「それはあそこにいる運び屋だって同じ事ーーーつまりは互いが互いを試しあってたって事だ」

 「んなッ」

 「っておいーーー怪我人になにしやがるッ!」

 

 会話の結末に辿り着く前に突然ジャイロ共々首根っこを掴まれる。大の男2人を易々と持ち上げる力も大概ではあるが、綺麗に空いていた厩舎の壁の穴からそのまま放り出される。

 

 「此処は俺達に任せて、お前達はレースに迎え。各々が成し遂げなければならない事だけに集中しろ」

 「どういうことだそりゃーーー」

 「痛ッてぇーーーくそ、なんのつもりだ!」

 

 ポカーンと空いた口を押さえつつも放り出された体勢からなんとか起きあがろうと這い上がる。しかし時すでに遅く、厩舎に空いた穴は氷の壁によって塞がれてしまっていた。

 

 急いで中へ戻ろうと氷壁へ鉄球をぶつけるがキリキリと音を立てるだけで貫通する事は無かった。

 

 「あの野郎、この短時間でもう意識を取り戻したってのか……」

 「やっぱ、ネアポリスでも関わってなくてよかったぜーーー」

 

 どこか安堵する様子を見せるジャイロをよそに、ガソリンは氷壁から鉄球を回収しながら物思いに耽る。

 

 試されていたーーー? 俺が、というよりあの口振からするに俺とジャイロ両方なんだろうが……。いや、あいつらが試していたのか? 関係性とババヤガがジャイロの存在を知らなかった事からしておそらく彼は俺を、そして運び屋がジャイロをーーーなのだろうが生憎理由が分からなさすぎる。

 サングラスは何故俺をババヤガに確認させた。特別仲が良かったとか、別に悪い訳でもないが切っても切り離せない関係かと言われるとそういう訳じゃあない。とするとババヤガというのは必須条項ではない事が分かるが、ただ俺を心配しただけなのか? 

 だが、それにしてもジャイロ自身は運び屋を知っていても直接的な関わりは無さそうだしーーーいや、今考えたところでわかるはずもない。

 

 結局のところ、あの男が戦うという状況下においては逆に怪我を負った俺達は足手纏いにしかならないって事か。

 

 ポリポリと頭を掻きつつ未だ轟音が鳴り響く厩舎に背を向けて、先ずどこかへ逃げたいであろうヘイヤアとジャイロの馬をどう回収しようかと思考を練っている内に、見覚えのある男が視界の外から目的の馬達を連れて入ってきた。

 

 「ーーージョニィ=ジョースターか」

 「ガソリンに、ジャイロ!? 一体どうしたんだそんな血だらけでーーーまさか、あのスタンドとかいう超能力者がまた現れたってのか!?」

 「ジョニィ、てめぇ来るのが遅いんだよ! ったくーーーLesson1をクリアした程度でもう満足してたのかァ?」

 「なーーーッ、君こそ厩舎にいた癖にみすみす自分の馬を逃すなんて人の事言えないだろ! それに僕は爆音を聞きつつけてやって来たっていうのになんていい草だ!」

 「ケッーーーそれはもう終わったのさ! まぁいい、敵から“手紙の内容”も奪い返したんだ。このままレースは続行! あばよガソリン、共同戦線はこれで終了だ。ジョニィッヴァルキリーの手綱をこっちによこせ!」

 「そんな血だらけのままレースに行ける訳ないだろおいちょっと待てジャイロ•ツェペリーーーー!!!」

 

 ジョニィはそのまま背後から尚も聞こえる銃声に一度も意識を向ける事なく、血だらけで馬に飛び乗ったジャイロを追いかけていく。

 

 (どこにあんな元気があるんだかーーータフってレベルじゃ無いだろ。ネアポリス育ちの鉄球使いってのはああも頑丈なのか…..?)

 

 俺も早いとこホットパンツを回収してから追いかけるとするか。

 後方のDio達とはまだ大分アドバンテージがあった筈だが、差があいていて越した事はない。

 しかしながら、いかんせんダメージを負いすぎたなーーー。

 

 身体中に走る痛みを無視しながら、手綱を手繰り寄せようとジョニィが回収してくれていた自らの愛馬に近付こうとするも、走ってないにも関わらずそこに至るまでの道のりで足がもつれかける。

 

 「ーーー意外と薄情者だな、ヤツらは」

 「借りは返してもらったしーーーこれはレースだからな。そうも言ってられんだろ」

 

 急に軽くなった体に違和感を覚える事なく、その感覚に身を委ねると先まで思うように動かなかった体が急に前へ進み出した。

 

 「すごいなーーーこっちは見ての通りボロボロだが、一眼見ただけだと傷一つ見えないな」

 「そういう能力だからな」

 「まぁ、とにかく無事で良かったよホットパンツ」

 

 体が弱ってるからか、今ならいつもより素直に感謝の気持ちを伝えられる気がする。

 

 貸された肩に掴まりながら“ヘイヤア”の元に連れられる数秒の間でも、赤紫の髪を揺らす彼女はどこか俯いているように見えた。

 

 「なんだ、どうした。やっぱり傷は完全に治ってないかーーー?」

 「いや、そうじゃない。唯今回の出来事は敵の行動と仕掛けた事に気付かなかった、私の不始末が原因だーーーすまなかった」

 

 珍しく、というより今まで見た事のないほどにホットパンツにしては妙にしおらしい。いつもであれば次はないぞとか言ってきそうなものだが、此処最近は護衛という立場でありながら怪我を負って一時動けなくなってしまう事が重なっているからか。彼女自身も責任と悔しさというものをどこかで感じているのだろう。

 もちろんその全てが推測であり実際に彼女が語った訳ではないのだが。

 

 「謝る事はないーーーむしろ助けられたのはどう考えてもこっちだ。火薬の匂いは直前まで気づかなかったし、何よりお前がいなけりゃとっくに消し炭になってた」

 「だとしても、護衛としてお前を守る事が出来なかったのは事実だ」

 「ーーーだが、現に俺は今生きてる。それはお前があの時爆風から身を呈して守ってくれたという事実があるからだ」

 

 そこまで言うと、ホットパンツはもう何も言わなくなった。

 こいつには何を言っても無駄だと思われたか、それともまた別の事を思われたのかは知らない。

 

 ホットパンツに身体を支えてもらいながら、ゆっくりと近づくとヘイヤアは察したようで首を下げこちらに乗せやすい体勢を取ってくれた。

 

 「ーーーーー」

 「なにか、言ったか?」

 「何も」

 「そうか、俺達も急ごう。モタモタしてると直ぐにジャイロ達に距離を取られるぞ。それに後ろの銭湯がいつ終わるかも分からない」

 「ああーーー」

 

 ホットパンツから荷物を受け取ると、彼女のポケットに押し込まれていた治療済みのパーシーもそのまま自分のポケットへ押し付けられた。

 

 「何から何でもありがとよ」

 「ーーーフン」

 

 そっぽを向きながら自分の荷物を背負い出したホットパンツは、何処か先ほどよりも吹っ切れた表情に見えた。

 

 

 







 本体:運び屋ーフランク•マーチン
 能力名:ホウィール•オブ•フォーチュン
 能力説明:発明されたばかりである車両という物体を媒介として発現した能力。車体を変形させる事からガソリンを弾にして攻撃することも可能。
 【破壊力:B/スピード:D/射程距離:B/持続力:A/精密動作性:E/成長性:D】


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