Fate/Zero Over (形右)
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プロローグ


 簡易的注意事項

 ・お気に召さない方はブラウザバックでお願いいたします。
 ・感想は大歓迎ですが、誹謗中傷とれる類のコメントはご勘弁を。



 それでもよろしければ、本編の方をお楽しみください――――



 

 ――――そう、それはとても綺麗な理想(ユメ)だった。

 

 

 

 燃え盛る炎の中で、たった一人救われた子供が抱いた夢。

 だが、それを『夢』とするには、あまりにも醜悪な決意と焦燥が邪魔をする。

 それは自らの内より出でたものではなく、ただその時救われたことが――その救った男こそが――返って救われているかのようで。

 それが、とても……綺麗だと感じた。

 だから憧れた。

 だからこそ求めた。

 その、偽りの幻想(ユメ)の果てを。

 仮に、誰かに救われたのなら、そのために生きなくてはならない。

 誰かに助けられたのならば、簡単には死ぬことなど出来はしない。

 

 ――生きなくてはいけない、救われたのなら、その義務がある。

 

 そんな機械じみた、破綻した思想。

 どこまでも滑稽なまでに愚直な、歪な夢。

 それこそが、彼の始まりに他ならない。

 そんな、何もかもが焼かれた炎と、静寂で綺麗な月の下で、彼は〝生まれた〟のだから。

 

 ――そう、英霊となる『衛宮士郎』は、いつだってこの伽藍堂――心を一度殺した、虚無の中から始まる。

 

 その身は剣。

 流れる血潮は滾る鉄、磨耗した心は傷だらけの硝子。

 幾多の戦いの中でも、諦めることはせず。

 即ちそこには勝利も敗北もなく、逃げ出すことなどありはしない。

 その在り方故に、錬鉄の丘にただ一人。

 日々を超え、擦り切れながら、剣を鍛え続ける。

 それに意味はなく、また意味を求めることなどはしない。

 けれど、その生涯に支えるものが居る時。

 ()て去らなかったその身は、己を残した剣となり、救いたいという夢を抱きながら歩みを確かなものとした。

 

 常に共にあった、尊い様な黄金の輝きが。

 気高く、凛々しく美しい宝石の様な赤が。

 穏やかに、淑やかに隣に居てくれた花が。

 雪の様に清廉なまでの無垢で支えた姉が。

 

 嘗て、それだけのものを経て、彼はその道を進む。

 大切なものを守るためには、自分自身を失うことがあってはならないという不変の法則と決意を胸にして――。

 

 

 

『シロウ――――貴方を、愛している』

 

 たった一つ、欲しいと。

 愛していると、言ってくれた。

 

『シロウを真人間にして、最高にハッピーにするのが、私の野望なんだから!』

 

 どこまでも、幸せにしてみせる。

 自分の大切にすることを教えてくれた。

 

『――約束の日を迎えるために、永く種を蒔き続ける。償いの花。私の罪が赦されるまで、ここで春を待ちましょう』

 

 いつまでも、そこで待つ。

 日常の象徴として、待ち続けると。

 

『ううん。言ったよね、兄貴は妹を守るもんなんだって。

 ……ええ。私はお姉ちゃんだもん。なら、弟を守らなくっちゃ』

 

 包むように。

 家族だからこそ、守ると。

 

 そういってくれた人たちがいた。

 

 ……あぁ、これがどれだけ幸せなことか。

 だからこそ、ここまで来れた。決して、忘れることなく。

 彼女たちのくれた、その愛が。

 荒野しかないはずの少年の心を癒し、失われない道標になる。

 

 赤い荒野は炎だけではなく、師の紅玉の光を残して。

 彼の目指す先は、最果ての理想に眠る黄金の輝きが。

 思い返すのは、そこにあった幸せの象徴は春の色で。

 そこには、雪の様に清廉で温かな無償の慈愛の心が。

 

 いつまでも、この心は消えない。

 どんな時でも、きっとこの想いは彼を支え続ける。

 少年は、いつまでも大切な美しさを忘れない。

 誰かを大切にし、自分も大切にする。

 それが出来て、それを理解して、誰かを助けた時――それは救いになる。

 己にとっても、相手にとっても。

 

 

 ――そんな、答えを貰ってきた筈の少年は、もう一つの始まりに至る。

 

 

 それは、『衛宮士郎』が誕生するであろう、もう一つの可能性。

 『士郎』と言う名の少年が一度死に、再び生を受ける可能性。

 抑止が欲しがる、錬鉄の英雄が生まれるかもしれない、その場に。

 彼は引き込まれ、二度目の生を得てしまう。

 醜悪で、苛烈で、残酷な、彼自身真には見知ることはなかった――――始まりの戦いへ。

 

 

 

 

 

 

 ――――ここに、始まりを越える物語が幕を開けた。




 ――はい。
 と、大袈裟な見出しを切ってみました駄作者こと形右でございます。
 ひっさしぶりにコチラへ投稿しますので、かなりテンション上がってますが、勝手に浮かれてるだけなので大丈夫です(笑)。

 Pixivの方で完結した記念且つ、此方とPixivで新シリーズをマルチ投稿する記念で、こちらのシリーズを投稿するといった感じでございます。
 なお、新シリーズの方は三、四話書き溜めが済んだら始めようかなと思ってます。
 ……ただ、凄まじく誤字が多いタイプなので、全部ちゃんと終えてからシリーズを始められるかは正直不安です。気を配ってはいますが、それでもまだ見落としがありましたら作者の方にお教えいただけると幸いです。
 とまあ、気づけば弱音ばっかりですが、とりあえずこの作品のコンセプトについて書いておきます。

 開始当初のコンセプトとしては、〝ヒロインたちの助言や支えを受けて、自分をないがしろにしない、自分の命を換算に入れた上での正義の味方、理想とする英霊に至れた士郎が、第四次でもう一つの終わり方をしそうになった『○○士郎』に憑依してしまう〟というものでした。
 その関係で、英霊になった士郎の姿は彼の理想形であるリミゼロの姿をイメージしてます。
 そうして、託されてしまった身体をもって、士郎が第四次に参戦してしまうという感じです。

 何というか、妄想全開な内容でな上に、終わりになってくると色々暴走気味だったりするので、完全に初心を守り抜けたかについては、書いてた自分自身が疑問を抱いてたりするんですけども。
 特に自分、アンケートを取るのが好きな人間なので、連載当時各話ごとに大体アンケート在りましたから(汗)。
 まあ、そんなグダグダ作者の妄想ですが、

 ・そんな妄想でも読んでやるぜ!
 ・妄想全開? ハッ、てめえの方がついてこい。
 ・寧ろこういうの好物です。
 ・受け止めてやる、お前が俺の翼だァ!

 という方は、此処から先もお読みいただければ幸いです。
 お気に召さない方は、ブラウザバックして記憶から忘却してください。
 感想なども頂けるのでしたら幸いですが、荒らし等はご遠慮ください。

 まだまだ未熟者ですので、拙い部分は有りますが、よろしくお願いします。


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第一話 ~少年の終わり、始まりの戦争~

 こちら、第一話になります。


 ある少年の終わり、そして始まり

 

 

 

 

 

 

 〝――――♪〟

 

 

 〝――――――けて〟

 

 

 

 ……何かが、聞こえる。

 自身の居る『英霊の座』という場所にあるはずのない、他人の声が。

 微かな声も聞こえたが、それは霞のごとく弱々しく霧散し、はっきりと聞こえた方は声色はどことなく楽しそうで、ふざけているかのようにも聞こえる。

 だが、そんなふざけた様な軽い声に、度し難い程の邪悪さをにじませていなければ、単なる戯言の類と思ったかもしれない。

 隠しようもない、邪悪さ。

 それはかつて対峙してきた悪に対するものではなく、どちらかというなら……寧ろ、自分の同類だったあの外道神父に近い、何かを求め、その為に何かをただひたすら蔑ろにするかのような。

 極端に形容すれば、無邪気とさえいえそうなその声に、嫌悪以上に恐怖を感じた。

 ……いや、待て。

 そもそも、何故こんな声が聞こえる?

 それに、〝恐怖〟……?

 英霊となったこの身に、正義の味方になりたいと願い、少女たちに支えられ、その理想に向かって歩んだこの身に、〝恐怖〟?

 悪を、より言い含めるならば、人々を苦しめるその原因を打ち倒す。

 けれど、それでも全部救いたい。

 その理想を追い求め、自分の手の届くところの人々は勿論の事、手の届かない人にも手を差し伸べられたら。

 そんな想いで歩み続け、決して孤独のまま終わらなかった。

 こうして歩み続けたはずなのに、どうして今更〝恐怖〟を感じ、こんなにも心かき乱されるのだろうか――

 

「――ッ……!?」

 

 意識が体に宿る。

 その感覚は、英霊(サーヴァント)として呼び出される、あの感覚に似ている。

 しかし、

「――♪ 閉じよ閉じよ閉じよ閉じよ(みったせーみったせーみたしてみったせー)。繰り返すつどに四度――あれ、五度? えーと、満たされるトキをー、破却する……だよなぁ? うん」

 足の指で魔法陣を書きながら、歌うように節をつけ、その詠唱(コトバ)を口にしている。

「♪ |閉じよ閉じよ閉じよ閉じよ閉じよ《みったせーみったせーみったしてみったしてみったっせっ》、っと。はい、今度こそ五度ね。オーケイ?

 ――ん? 目ぇ覚めたかい、坊や」

 今回のそれは、あまりにもこれまでの事とは異なるものだった。

「――――」

 声を失い、目の前に広がっていたその光景がその心をかき乱す。

 ごくごく一般的な民家らしい場所のリビング。だが、その惨状は、とてもではないが一般的だなどとはいえないものだった。

 目を疑う程の、『(あか)』。

 周りを覆いつくすのではなく、足元にだけ広がっているどす黒い赤。

 こんなもの、戦場ではいくらでも見てきた。

 けれど『この身』は一度もこんなものを見たことはない。

 奇妙なほどに、その心は搔き乱される。

 奇怪、異常とさえ言い換えられそうなその感覚に、すっかり呑まれそうになる。

 否、既に〝呑まれた〟のだ。

「」

 そこで理解する。

「んー? もしかして……寝ぼけてる?」

 目の前の軽薄で、異常な青年の残虐性など気にも止まらない。

 そう、これは。

(……そう、か――)

 ここは、

(――『俺』が……死ぬ、場所)

 そして、生まれる場所。生まれ変わる場所だ。

 その可能性の一端。

 『○○士郎』が『衛宮士郎』になったように、この『士郎』もまた、一度死んだのだ。

 ……何の因果か、至った『衛宮士郎』を引き寄せて。

 一度死んだ伽藍洞の身体に、錬鉄された(つるぎ)が注ぎ込まれた。

 嘗て、伽藍洞のまま『抑止力』となった男がいる。

 彼もまた、ここいる少年たちと魂を同じくするもの。

 どうやら、世界にとって『エミヤシロウ』は、非常に都合のいい存在であるらしい。

 〝正義の味方〟などという幻想を、本気で目指す偽善者。

 歪な心で、誰かに何かをささげなければ息すらできない。そんな、人間ふりをし続けたブリキの騎士。

 誰かを救う。

 悪をくじく。

 そんな子供じみた心を、果てしない程の偽りの心で凝り固めた。

 そしてそれは、最後の最後。己の命が尽きる瞬間にだって折れはしない。

 例え何が起ころうとも、その形は永劫に消えない。

 人類という種を存続させることを目的とした『抑止力』にとって、これほど都合のいい存在がいるだろうか? いや、そうはいない。

 『英霊エミヤ』がそうであったように、ここにいる『士郎』も正義の味方を諦めなかった。

 ただその途中で、彼に至らずそこへ至った。

 そのためか、彼よりはまだ『英霊』に近い。

 ごく僅かな違いだが、それが『彼』という存在の最果てにとっては決定的に、大きな違いとなる。

 そして、ここにもまた――同様に。()()()()()()()()()()()()()()少年がいた。

 そんな少年が真に〝終わる〟ことは、神が許そうと世界が許さない。

 固有結界を潜在的に宿し、死んだときにその世界を完成させる。

 そして、その形は鍛えれば鍛えるほど、鋭さを増す剣の様に。

 闘う程に、戦場を越えるほどに、彼は文字通り鍛えられる。

 空の心が、その内に秘める空白を、心を無限に形にする。

 それこそが、彼に許された唯一の魔術。

 その力は、彼にとっての一度目の死と、父の呪いの言葉経て、二度目の死である『第五次聖杯戦争』を越え、そこに至る。

 これは、どの世界においても、『士郎』という少年が背負った一つの道筋(さだめ)

 

 ――が、ここにもう一つの可能性があった。

 

 それより早く、死んでしまう可能性。

 何にも至らない、まっさらな一度目の死を迎える可能性。

 そんな些末な運命に、世界も抑止も神さえも。誰も何もする気などない。

『士郎』という少年は死んでしまう可能性など、腐るほどにある。そのために専用の案内所が並行世界に用意されているほどに。

 ならば、その大本が死ぬ可能性もゼロではなく、またそれもその一端。

 些細なことでしかないが、気まぐれか偶然か、その綻びを多少気にした世界が、死に瀕する子供を見捨てるはずのない正義の味方を遣わした。

 己自身とはいえ、まだそれは『彼』ではない彼。

 心内に関して言えば、他人と言っても差し支えないだろう。

 それでも、それは彼だ。故に世界は彼の元に彼を遣わすことをした。

 しかしそれは僅かに間に合わず、形式が変更され、召喚ではなく憑依となってしまう。

 

(――じゃあ、あれは……)

 

 『座』に届いた、最後の声。

 あれは、死の淵に晒された、自分自身の声。

 本来、『衛宮士郎』の心は折れない。何者にも屈することもなく、その心は決して敗走を許さない。けれど、ここに居るのはそれ以前の姿。

 何の変哲も無い、ただの子供。

 地獄を見る前の、ただの子供。

 いや、彼も地獄は見たのだろう。

 目の前で、両親を殺されるという、地獄を。

 幼い子にとって、唯一にして絶対無二の存在である親を、こんな理不尽に奪われることがどれほどの衝撃であるかは、想像に難く無い。

 あの時も、この時も。少年はなにも出来ず、目の前のものを失った。

 なのに、そこには自分だけがいた。

 地獄を歩き続けた。生きなければ嘘だと思い、目の前の死を置いて。

 今度は歩くことすら出来ず、より一層明確な死を見た。なにが起こったのか、それを理解できないという意味合いは同じだが、天災に比べ、人災はその形をどうしても解ってしまう。

 目の前で切り裂かれ、誰も自分の味方がいなくなる。死が迫る、逃れることの出来ない、その死が。

 だからこそ、もがこうとした。抗おうとしたのだろう。

 立ち向かうまではいかなくとも、その恐怖から逃れるすべを探そうと。

 しかし、ここにそんな活路はなく、さながら虫と子供。玩具にされるのは目に見えて居る。そんな現実が、彼の心を閉ざし、殺した。

 彼が『彼』になる前に、空の心になるその前に、最後に言い残したあの言葉。

 決して強くはない、断末魔。弱々しいその残響は、酷く耳に残っている。

 間に合わなかったことが――例えそれが自分自身だったとしても――それで救えなかったことが、果てしなく彼の胸を締め付ける。

 これだけは、直ることはなかった呪い。

 だが、同時に目の前の人間を分け隔てなく救おうとするには必要な心。

 そしてそれは、こんな状況でも、彼女たちのくれた『愛』を忘れないという決意を伴って、ここに在る。

「うーん、子供にはまだこの芸術(アート)は早かった、かなー?

 ま、いいや。ところでさ、坊や――悪魔っていると思うかい?」

 目の前の誰かが何なのかもわからないが、それでも放っておいていい相手じゃない。

「テレビや新聞だとさぁ、よくオレのこと悪魔呼ばわりするんだよね。でもそれって変じゃねぇ? オレ一人が殺してきた人間の数なんて、ダイナマイト一本もあれば一瞬で追いぬいちゃうのにさ」

 傍に転がっている躯に、彼の足元の魔法陣に、一つ一つに目が行き、そして最後はその青年に目を見据える。

「お、ようやく起きたのかな?」

 その目線を自身への抵抗と見たのか、何と見たのかはわからないが、青年はもう少しこの玩具で楽しめるだろうことを喜んでいる。

 また、死に瀕する者を前にすると、彼は饒舌になるという癖があった。

 死に瀕するとき、大人は時として醜い抵抗をするが、子供は純粋で、見ていて愛らしい。故に、こうした問答は彼の好むところの一つと言えるかもしれない。

「いや、いいんだけどさ。べつにオレが悪魔でも。でもそれって、もしオレ以外に本物の悪魔がいたりしたら、ちょっとばかし相手に失礼な話だよね。そこんとこスッキリしなくてさぁ。『チワッス、雨生龍之介は悪魔であります!』なんて名乗っちゃっていいもんかどうか。それ考えたらさ、もう確かめるしかほかにないと思ったワケよ。本物の悪魔がいるのかどうか」

 そう子供に向かって上機嫌になりながら告げる。

 この問答も、儀式殺人に凝りだしたから考えた、なんてものではなく、単なる偶然でしかない。

 実際、ここでこの少年が生き残るのも、単純にここの家の住人が、両親二人と兄妹で、親と一緒に寝るのが恥ずかしかったのか、背伸びしたい年頃なのか何なのか知らないが。たまたま離れた個室で寝ていた少年一人を後回しにして、まとめて殺した後に捕まえて残したというだけに過ぎない。

 実際、魔法陣を描く血に関しても、その三人で事足りた。

 その後で、何か別の殺し方を試してみようと思った程度だったのだが、そこで、一つのアイディアが浮かぶ。

「でもねー。やっぱりほら、万が一本物の悪魔が出てきちゃったらさ、何の準備もなく茶飲み話だけっていうのもマヌケな話じゃん? だからね、坊や……もし悪魔サンがお出まししてきたら、ひとつ殺されてみてくんない?」

 その提案に、先ほどまで恐怖で気が動転していた子供ならば、きっと〝可愛い〟反応をしてくれるだろうと、そんな気分で愛嬌を振りまいている。

 だが、そんなものは士郎にとっては醜悪の極みだ。

 目の前の相手は、かつて対峙した神父と同様、己の欲望にただどこまでも純粋だ。この青年の方がいささか感覚は幼いが、それ故か自分が悪だという感覚はない。それは、この探求こそが彼の生であるからに他ならない。

 そこに彼自身の抱く感慨は有っても、そこに飲まれる者達への罪の感覚はない。

 子供が昆虫の羽をむしり取るのと同じ感覚を持ったままで、彼はそれを人に対してなしている。

 単純にそれだけのことだ。

 この、今始まっている目の前の惨状すら、彼には大したものではない。

 恐らく、彼にとって重要なのは、そこに有る死を見る事だけ。

「悪魔に殺されるのって、どんなだろうねぇ。ザクッとされるかグチャッとされっるのか、ともかく貴重な経験だと思うよ。滅多にある事じゃないし――ぁ痛ッ!」

「――――?」

 喜々として、『悪魔』とやらについて語っていた目の前の男が、急に手の甲を抑えたことを不思議がる。

 なんだ? と、士郎は今の自分の状況すら忘れて、その様子を注視する。

 同時に、背後の魔法陣が微かに流れを生む。

 青年は、手の甲に現れた何かに気を取られ、まだそれには気づいていない。しかし、士郎はそれを理解した。

 アレは、英霊の召喚。

 目の前の男が言っていた『悪魔』とは、『聖杯』により呼び出される『英霊(サーヴァント)』の事だということを。

 ただ、それを理解した上で、この召喚を行おうとしているのではない。かつての自分と同じように、彼は偶然その召喚の仕方だけを知り、この戦争に偶々参加してしまうことになるのだと。

 資質があろうがなかろうが、そこに身を差し出す覚悟があるのなら、聖杯はそのものを『マスター』として選び取る。

(―――拙い……っ)

 拙い。非常に拙い。

 見たところ触媒もなく、彼はここへその英霊を導こうとしている。

 『聖杯(きせき)』を巡るこの戦争(たたかい)において、英霊は触媒を用いない場合は、その召喚者に近い性質の英雄が呼び出される。

 無色の願望来る聖杯はその性質が悪である英霊を呼ぶことは、本来ならばない。しかし、この世界に士郎がいるという事は、恐らくであるが第四次聖杯戦争が行われていて、この召喚はその戦いのもの。

 つまり、聖杯は第三次聖杯戦争の『この世全ての悪(アンリマユ)』の召喚が行われ、汚染されている。

 無論、聖杯戦争を辿る世界は様々な可能性に満ち満ちている。

 確実ではない。けれど、往々にして無色のものは侵されるのは物事の道理に等しい。

 加えて、

「……ん? ――ッ」

 青年は、魔法陣に起こっている明らかな変化に息をのみ、その行く末を見据えている。

 それを受けて、士郎は今この瞬間に自分を監視するものが無くなった好機を得る。

 だが、このままでは、おそらく士郎は何もできずに死んでしまう。

 死ぬことは出来ない。義務ではなくとも、このまま今を生きることを放棄することは、出来ない。

 この体の元の『士郎』はこの状況に心を殺してしまった。

 そこに割り込んだのは、例え同じ自分でも、その命を継いだなら……無駄になど、出来るはずがない!

「…………生きる……生きるんだ……っ」

 新たに決意を固めた士郎の声は、口に貼られたガムテープと、召喚によって巻き起こる魔力の風の音に搔き消え去れてしまう。徐々に強くなるその流れが、血の匂いにむせ返りそうな部屋の空気を循環させる。青年はそれに夢中になり、士郎のことは頭から抜け落ちてしまっている。

 チャンスは、今しかない。

 

(――――同調(トレース)開始(オン)――)

 

 未熟な身体が空になり、その虚空に剣の体が押し込まれた。開いてなどいない魔術回路は置き換わり、次第にその身体を侵していく。

 巡る感覚が、空の身体にあるべき世界を作り出していく。

 ――開かれた。

 身体と手首を縛るロープと、口に貼られたガムテープ。その材質を、その構造を、解析する。

 綻びを探す。どうすればこの場を脱せるのか、それは分からない。けれど、足掻き続ける事こそ、諦めない事こそ、自分自身が自分自身である、その所以。

 手首を縛ってたのがテープではなくロープであったことや、まだ未熟な身体が幸いした。経験を持つ士郎は、固まり切っていない関節を上手く外し片手を引き抜くと、次なる動きへと繋げていく。

(――――投影(トレース)開始(オン)……ッ!)

 撃鉄を引く、魔術回路を開く、その行為が、これほどに身をよじらせる。

 開かれても、使われてもいない、ある事すら知られていなかったその回路(みち)が、現身(うつしみ)にされた英霊の――衛宮士郎の力で満たされる。

 ……まるで、『体』を作り変えるようだ。

 漠然と、そう感じる。

 元よりこの『体』は――本来の(カラダ)は――生み出し創るためのものだ。しかし、それはこの身体の本来の持ち主である『士郎』のもの。果たして、これが正しいのか、それは分からない。

 だけど、ここで終わるわけはいかない。

 

 ――この体を、本意かどうかは別として、こうして託されているなら……それを、無駄になんてするわけにはいかない!

 

 拙い構成で、それでも強い心で、その剣を打つ。

 本来に比べれば粗雑であるが、生み出されたその剣は士郎の手に良く馴染んだ。

 細やかな動作で、身体にまとわりつくそのロープに剣を当てる。

「――問おう」

 士郎が身体を縛るロープを切るのと、目の前の魔法陣から英霊が出現したのはほぼ同時だった。

「我を呼び、我を求め、キャスターの(クラス)を依代に限界せしめた召喚者……貴殿の名をここに問う。其は、何者なるや?」

 現れたのは、異様なほど眼球の大きい男。着ている服のせいで瓢箪ないしマトリョーシカのように見えるだろうが、その中身はおそらくがりがりにやせ細っていることは傍目から見ても明らかだ。

 そのことから、おおよそ〝戦闘〟を主軸とした英霊(サーヴァント)ではないであろうことが見て取れる。加えて、先程聞こえた本人の発言からも、召喚された(クラス)が『キャスター』だと分かる。

 そんな相手の前で魔術を行使したのだから、気づかれる可能性もあるが、今二人は何かを話していて士郎の方には注意は向いていない。

 だからといって、この隙を隙と思って無防備に逃げ出そうとすれば、その考えは悪手になりかねない。

 狙うのは、相手と自分が十分にお互いを認知した状態での決定的な隙。

 通常サーヴァントから逃げ出そう、などというのは本来なら絶対にできないといっても過言ではない。それこそ、蟻が象に挑みかかるようなものだ。

 けれど、今の士郎なら――その可能性は、決してゼロではない。

「――まぁ、それは置いといて。とりあえずお近づきに、ご一献どうです? ……アレ、食べない?」

 此方に注意が向き、その視線に身体が強張る。

 見る者が見れば、それだけで悪魔と呼べそうなその風貌。そんな男の異様にギョロついた目玉が、真っ直ぐ士郎を見据えている。

「――――ふむ」

 しかし、即手を下すという事はせず、男は何から洋書のような厚手の表紙の本を取り出す。

「あ、凄ぇ、それ人間の皮でしょ?」

 青年がその材質に興味を持ってそう呟く。

 士郎はその材料に眉を顰めるが、ここであまり暴挙に出ても仕方がない。

 汚染された聖杯は、反英霊や怨霊すらも呼び出す。

 その英霊の持つ宝具などが悪趣味なものであっても、それはその伝承から来たものだ。今更とやかく言って変わるものでもない。

 落ちついて、まだ無力な子供であることを示すのだ――この先にある、生存を勝ち取るために。

 動揺を押し殺し過ぎず、相手が侮る程度の状態を保つ。難しい上に、厳しい賭けだ。

 額を汗が伝う。それを相手は恐怖ととったかどうかは定かではないが、相手は、先程から凝視してくる士郎を見て、何かを思いついたらしい。

 二、三節程度の呪文らしきものを唱え、士郎の傍に寄ってくる。

 いつでも行動に移せるように、覚悟だけは強く鋭く、けれど静やかに。一本の糸の様に張り詰める。

 だが、意外なことに、士郎に対してその『キャスター』は――

「――? おぉ……! これは……」

 手首と身体を縛っていたロープを、どうやったかまでは分からないだろうが、抜け出している士郎を見て、喜色を浮かべる。

 こういう反応をするものは、総じて危険だ。

 これは、子供が助かる道を模索して、それをしようとしたことに対する勇気の称賛ではない。獲物がいかに足掻き自分から逃れようとしているかを楽しみ、その最後を自らの手で刈り取ることを目的とする狩る側の愉悦でしかない。

「よく頑張ったね、坊や。怖がらなくてもいい、君の勇敢さは素晴らしい……さあ、立てるかい?」

 手を差し伸べ、あくまで優しく士郎を立ち上がらせた。

 そっと士郎の口からガムテープを外し、笑顔を浮かべる。

 その笑顔は、まさに悪魔だと思っていた男が、実は慈愛の精神を持っていたという〝演出〟にはうってつけだった。

 頭をそっとひと撫でし、

「さあ、あそこの扉から部屋の外に出られる。一人で行けるね?」

 といって、部屋の扉を指さした。

「――うん」

 こういったタイプは、その最後の瞬間を絶望に染め上げたがる。かつてたどった道の中、その手の輩は大勢いた。戦い、時にその命を屠り、時のその命は本来の形を取り戻して和解したこともある。

 掃除屋に成り果てなかった自分の姿は、かつて対峙した『理想』に届いているだろうか。

 ただ、その掃除屋だって、間違いだったわけではない。そう、俺たちの理想は――決して間違いなどではなかったのだから。

 一歩、また一歩と外へ進む。

 廊下に出ると、すぐその先に玄関があった。もしこれが一から捕らえられ、殺されかけたただの子供であったのなら、きっと玄関の戸から漏れ出す光は、救い光明か世界からの祝福に見えただろう。

 が、士郎にとって、この光は……まるで自分を試している世界からの挑戦状に思えた。

「――――、……る」

 背後から迫る殺気。

「――生きてみせる……ッ!」

 士郎の手に霧の様な魔力が浮かび、双剣が生み出される。生きる決意が、形を成す。

「ぅ――あぁぁッ!!」

 迫り来る蛸擬きのような、或いは人食い海星のようなその怪物の触手を、幼子にあるまじき剣捌きで斬り落とす。

 とはいえ、熟練の武人如き捌きができたわけではない。

 己の生存を勝ち取るため、誰かの命を守るための剣を磨き続け、自分の命も換算に入れて闘うことを目指した、もう一人の錬鉄の英雄。

 その剣を、託されてしまった命を守るべく、振るった。身体が恐れるその恐怖を切り伏せるように、心を研ぎ澄ましながら。

 そうして、自分を捉えようとする触手のみを切り落とし、外に出ることだけを最優先にする。

 本来なら、相手に背中を見せるようなこの行動は悪手になるかもしれない。だが、たった今召喚されたばかりのキャスターにそこまでの準備は出来ていない筈だ。

 ここで無理に戦うことは、きっと何もできずに終わるだけだ。あんな悪魔の化身のようなマスターとサーヴァントを放っておくことなどできないが、今の己にできることは何もない。生き残る事、それ以外には。

 確固たる決意で、その怪物から逃れるための最善手を選び抜き、命からがらそこから退却する。

「はぁ……はぁ……ッ!」

 外に出て、すっかり夜に染まった夜明け前の街を幼い足で駆け抜ける。

 自分が覚えているよりも少し昔のこの街で、戦いが始まる。

 何故自分にとっての過去に呼ばれたのかは分からないが……それでも、まぎれもなく、今自分はここで『生きて』いる。

 既に止まったはずの心臓は、先ほどまでの緊張でバクバクと脈を打つ。

 燃え上がりそうな脈動に、息を荒げながら夜の街を駆け抜ける。わき目もふらずに駆け抜けているのに、湧き目に映る光景は、『士郎』の心を締め付ける。

 ここに在ったはずの平穏は今日――そして、あの日をもって打ち砕かれた。

 

「ぅ……く……っ!」

 

 流れるはずの無い涙は、空の身体から流れ出して頬を濡らす。

 見も知らない、けれど……確かに解る、本来の父と母、そして忘れていた妹の骸を残して来たということに。覚えていなくても、なにも出来ない自分と、こうなってしまったことへの悲しみ。

 ひび割れた心を潤すかのように、忘れてしまったその悲しみの元を弔うように、士郎ができないことを代わりに悼むように流れた。

 本来なら、もう会うことはなかった。思い出せるはずも、なかった。でも、こうしてここに居ることで、この身体に――魂の根幹に刻まれたその本能が、悲鳴の代わりと言わんばかりに溢れ出した。

 酷い顔になっている。その自覚はあったが、足を止めて死ぬわけにはいかない。

 あんな事をした悪魔を野放しにすることは、こうして涙を流しても洗い流せないが、今出来もしないことでこの身体を殺すのは、この命と共にあった人たちへの冒涜であるように思えた。……何より、起こってしまった悲劇は覆せない。なら、できることは一つだけだ。

 自分は偶然だが、ここで『生きて』いる。ならば、前に進むしか無い。

 いつだって、答えも明日も希望さえも、前にしか無いのだから。

 そうして悶々とした思考の中、走り続けた。どれくらい走ったかもわからないが、明けの明星が輝き始めたことを見ると……夜は明けるらしい。

 また、しばらく走ったが、後ろから迫る者はなかった。どうやら、そこまで追い汚い狩人ではなかったらしい。

 息を整え、これからのことを考える。しかし、考えなければならないが、心の動揺が大きく……冷静になりきれない。目眩を感じながら、それでも前に進む。

 そんな心の痛みを抱えながら、少年の戦いは始まった。

 

 

 

 ――――こうして、始まりの戦争に、正義の味方を目指し至った少年が招かれ、本来とは異なった始まりを迎える。

 

 



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第二話 ~決戦前夜と幕開け~

 夜は更け、明けてまた更ける

 

 

 

 夜明け前の、仄かに光を孕んだ薄暗い夜闇の中を歩く幼い少年の影が這う。

 寝巻きらしい格好だが、その所々に黒く変色した染みがついており、何か不穏な事の気配が漂うが……生憎、夜の街にその姿を捉えるものはいなかった。

 閑静な住宅地の住人も寝静まり、忙しく起きていた者もそろそろ床に着こうとしているだろう。だが、このまま街を彷徨い続ければ、いずれその目に少年の姿が写るのは必然。それは少年自身も分かっていることだ。

 同時に、それは決してしてはならないということも、少年には分かりきっていることだった。

 しかし、

 

「――――――」

 

 だからといって、少年がすぐさま己の身をひた隠しにするかといえば、そうではなかった。

 泣き腫らした目と、疲れ切った身体。

 足取りこそ地を踏めているが、その心は虚ろな宙に浮いている。

 普通なら、子供にそんなことをするとも、そもそもの時点で期待するなどということはありえないだろう。

 が、彼は見た目こそ幼子であるが、その内にある魂はそういったこと――つまり、こと戦いに置いて、彼はその経験を既に持っている。

 それこそ、こと万人では言うに及ばず……蛮勇であろうとも、越えて来た戦場の数なら負けはしないだろう。

 けれど、そんな経験すら今の彼にとって身体を動かすに至るまでに、億劫さを感じさせずにはいられない。

 

「………………っ」

 

 彼とて、頭では分かっている。

 寧ろ、体の奥底では動き出せと撃鉄が幾度となく引かれ、また幾度となく叩きつけられている。

 歴戦を越えた魂の形は、彼に立てという。

 だが、身体が……はたまたその心か。どちらともつかないが、確かに少年はその身に引きずられていた。

 決して思い出すはずのない『肉親』と、戻ることなどありえない『我が家』。

 どちらも既に得ていた。同時にどちらも、既に無くなっていたのだ。自分の中で糧となり血肉になり昇華されていった筈のものだ。

 その内の片方が――思い出せる筈も、再び目にすることも出来る筈がないというだけで。

 ……それなのに、(まみ)えてしまった。

 再び、出会ってしまったのだ。

 あの焼かれた地獄の中で、二度と戻らないことを知らされた現実の死の中で、炎に飲まれて消えたはずのものに。

 けれど、そんな奇跡は地獄と変わらないものでしかなく――そこには骸が転がっていた。

 また、助けられず……また、見捨てた。

 否応無しに、そう思えてしまう。

 己を戒めるのは、人であれば必然だ。その度が過ぎれば単なる機械になると、教えられたことは忘れてなどいない。

 ただ、どうしようもなく……悲しいのだ。

 訳も分からないこの感情は、歪な生まれ故にこうなった。その当たり前を、当たり前に悲しめない。

 

 だからこそ、それが余計に苦しかった――。

 

 

 

 しばらく歩き、ふと目に付いた公園で足を休ませる。

 プラスチックと金属で出来たベンチは冷たかったが、その冷たさが心に焼け付くような、残り火を冷やすようで心地よい。

 すっ、と抜けていく熱。

 悔やんでも、戻せない。生きている今にあったそれを、無かったことになど、出来ないのだ。

 あの夜の戦いで、それは十二分に学んだ。

 

「――――そうだよな……」

 

 悔やみ続け、ただその中に呑まれるのは逃げでしかなく、敗走に他ならない。

 曲がりなりにも『錬鉄の英雄(そこ)』へ、一度は至ったのだ。そんな道は、選ばない。

 兎にも角にも、まずは顔を上げなくてはならない。

 そこからもう一度、始めよう。

 この戦いを駆け抜け、生き残るために。そして――自らの生きる今を、共に生きている人々もまた、救うために。

 傲慢な願いだ。しかし、それを抱きながら彼は歩みを止めず、その道を走り続けた。だからこそ、一度は辿り着いた。

 本当の最果てに至ることは、まだ出来はしないだろう。が、それでもここで歩みを止めればそれすら無くなる。

 ならば、もう一度本気で走り出す(生きる)までだ。

 決意を固め、少年は顔を上げた。

 もうすぐ朝日が昇り来るだろというその時間に、彼はこれまでと同じく――決意と覚悟を胸に刻んだ。

 

 

 ***

 

 

「――――っていっても、このままじゃマズいか……」

 

 夜明け間近の公園で、『衛宮士郎』はそう呟いた。

 決意を固めたはいいものの、寝巻きのままの子供――それも血の染み付きで裸足ときた――がこんなところにいたら、ほぼ一〇〇%の確率で、お巡りさんないし児童保護施設の方にご厄介になることだろう。

 下手すれば、この状況を説明する訳にもいかずに、しどろもどろとなったのを勘違いされて精神科に強制収容……なんてことにもなりかねない。

 元来、彼は嘘をつくことが往往にして下手だ。

 いや、それよりももっと恐ろしい想像をするならば――

 

「――まさか、教会に保護されたり……はない、よな……多分」

 

 思考がネガティヴな方向に加速する。そのお陰で多少心に余裕は出来るというのもおかしな話だが、事実そうなのだから仕方がない。ただ、絶対に先の想像は現実にしたくないが。

 彼の頭に、外道神父の激辛麻婆が蓮華と共に差し出される。……もっと嫌な想像をすれば、それを掬い口を開けるように催促してくる目の死んだ神父が克明に――そこまで想像してしまったところで、どうにか思考を切る。

 それはただの夢だ。

 あり得ない幻想だ。

 第一、ここにいる訳ない。

 第四次にいるといっても、参加者なのだから神父として教会にいる筈がない。最後に養父と『聖杯』を巡ったと、互いに互いを天敵とみなしていたと言っていたあの野郎が大人しく負けて教会の椅子にのうのうと座しているわけがない。

 確かに、奴は初期の戦いで敗れ、奴の父の管理していた協会に保護されたと言っていた。

 だが、奴はかの英雄王と共に聖杯戦争の最後の戦いに挑んでいるとも言った。それが養父と奴の戦い。第四次聖杯戦争の最後の戦闘だ。

 ならば、奴が敗れたと言ったのは奴の策。つまりは何かしらの手を打って戦争に残留しているということ。

 わざわざそんなことをするのなら、協会に居るはずもない。

 士郎は「そうだ、そうに違いない。だいたい、あの外道神父がそう簡単にくたばる玉か、いや無い」と、自身の脳裏に浮かぶ幻想を打ち砕いた。

 つくりだしたものを消すのは、贋作者たる己には容易いと、幼い顔を何処ぞの赤い弓兵の様なニヒルな笑みに固めようとしたが、どうにも嫌な予感がしてならない。

 どうにも好意や、それこそ悪意にすら鈍いと自負しているが、偶に嫌な予感がすると割と当たりそうになる事が多い。人の感情に疎い筈なのに、どうもこういうことはよく当てる。伊達に虎道場の常連ではないというところか……と、時空が迷走を始めた辺りで、士郎は頭にあった可能性をひとまず振り払う。

「兎に角、服と靴だな……」

 ――いけるか? と手をかざし、目を瞑って集中して服を投影しようとする。相も変わらず剣以外の投影は不得手だが、ともかくやってみるしか他はない。

「――投影(トレース)開始(オン)

 先程の脱出の際、魔術回路自体は開かれたものの……まだ十全とは言い難い。

 なんとか魔力を流し込みはしたが、生前の無茶な鍛錬によって図らずも作られたあの魔術回路に比べると、どうにも使いづらさを感じてしまう。思い通りの構成を作り出せず、ハリボテの様な物になってなってしまうのだが……そもそも、この歳で魔術行使など本来はしていなかったのだから、そういう意味では、回路のは開閉が出来るだけでもまだマシな方だろう。

「……まあ、こんなもん……かな?」

 どうにか衣服を一通り投影し、それにさっさと着替える。

 出来るだけ子供らしい服を――といっても、幼少期など当に過ぎた身としては子供らしい服などあまり想像がつかないので、ひとまず動きやすくあまり目立たないことを前提にして、青のパーカーと薄緑のTシャツ、灰色の半ズボン。黒い靴下と履き慣れたスニーカーの子供版(ミニサイズ)を投影した。

 幸いここ『冬木市』は割と温暖で、名前ほど寒くはない。幼い身体故に、風邪をひかないようにくらいは気をつけるべきだろうが、それ以外はさほど問題はない。

 

 ――大して厚着をしなくて済むというのは、動きやすくていい。

 

 そんな結論に至った士郎はひとまず身につけた後、朝になるまでに拠点となる場所を探さなければならない。流石に、昼間に出歩くのは兎も角……このまま何の寝床も無しでは、そこでアウトだ。子供一人で出歩いていれば、何かしらの勢力が彼を捕えるだろう。

 

 

 ――それが、公であれ裏であれ、その大勢の前に前にはあまりにも今の自分は無力すぎる。

 

 

 さて、冬木市のことは大体知ってはいるが、それでもここはそれより少し昔だ。覚えきれていない場所の方が多い。

 手頃な場所をいくつか探しておかなくてはならないだろう。それを考えると、誰か協力者が欲しいというのが本音だが、誰かを巻き込むのは本意ではない。まして、恐らくいたであろう一般人の顔見知り程度がいるかいないかといったこの状況では……

「……まぁ、分かっちゃいたことだけどさ」

 ここには、この世界には、養父である衛宮切嗣も姉代わりだった藤村大河も、遠坂凛、間桐桜、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンも、セイバーだっている。いるが、誰も士郎のことなど知らない。

 誰も、知らない。

 なんとも言い難い虚しさが襲うが、それも今は仕方ないこと。

 前向きに考えれば――現状では、というだけのことだ。ここが『士郎』にとっての地獄なら、越えたその先には幸せもある。

 その幸せを見るために、失われるものは、零れ落ちる命があるなら、手を差し伸べなくてはならない。

 自分にとっての現在(いま)は、ここなのだから。

 

 

 ――休めていた足を再び前に出し、歩き出す。

 

 

 少しずつ朝日に晒されていく公園には、誰の影もない。

 もし見る者がいたならば、そこで戯れる雪の妖精や黄金の英雄と青き槍兵、赤い外套の守護者、気高き騎士王にあかいあくま、黒い桜を幻視したかもしれない。

 そして、そこにいる――赤銅の髪の少年の姿も。

 

 

 ***

 

 

 朝日を感じながら、嘗て二人の少女と狂戦士から逃れるために隠れた廃屋に足を踏み入れる。

 アインツベルンの城とその周囲の結界に含まれてはいるが、『士郎』はアインツベルンの敵ではなく、また同時に、()()この城を統べていた小さな主人(あるじ)から護られている。

 小さな雪のお姫様に感謝を重ねつつ、記憶にあるより幾分新しい廃屋を眺める。人が生活するには幾分足りないかもしれないが、練習も兼ねた投影で補っていこうと思う。

「一石二鳥、ってとこかな――」

 そんなことを考えながら、ひとまず横になれる場所を作る。

 こんなところか……と、本来の持ち主には悪いが、しばらく使わせて頂きますと、念を送る。

 しかし、

「本当に、どうするかなぁ……」

 なにぶん着の身着のままで飛び出した故、今の服も文字通り自前だ。

 金銭の類もないので、買い物というのも無理だ。どっかのあかいあくまなら気兼ねなくお金の投影や投影品の売却を提案してきそうだが、一応これでも正義の味方の一端くらいにはもしかしたらいるんじゃないかなぁ、と自負しているので、流石にそれはちょっと……困るというか、なんというか。

 

(…………せめて、やるにしても最後の手段にはしたい)

 

 子供の身ではバイトにしてくれとも言えないし、だからって盗むのは絶対にあり得ない。

 となると、文字通り自らの内から生み出したものなら――多少誠意増しでなんとか――と。

 何だか、あかいあくまがこんなとこで死ぬくらいならやりなさい、さもなきゃ私が殺すわよ? と言ってきてる気がした。いや、死ぬ気はないから、頑張るからもう少し待っててください赤師匠。あ、虎師匠ちーっす。

 

 ……なんだか、変なことになってきたな。

 

 まあ、一度気を取り直そう。まずそこから考え直そう。

 ふざけた想像が頭の中をかき乱したが、どうにか冷静にはなれた。

 冷えた頭で、一度状況を確認していく。

 

 (ここは、第四次聖杯戦争の時代。俺は、『俺』の中に憑依している様な状態……まるっきり幽霊だな、こりゃ……)

 

 背後霊や守護霊程度だったらまだ可愛いものだったが、これではまるで擬似的な先祖返りだ。ある意味、これも呪いといえるかもしれない。

「まったく……難儀なもんだな」

 自分という存在は、と最後に付け足す。

 どうにもこうにも徒労の多い人生を歩まねば済まない質らしい。

 そんなことを考えながら、これからすることを整理していく。

(ここは、第四次聖杯戦争の行われている時代。

 つまり、切嗣(じーさん)やセイバーが居る。その他に記憶にある第四次に関する情報は、イリヤの母親が今回の小聖杯に据えられている。その他に知っているのは、せいぜい言峰がギルガメッシュと組んでることくらいだ……)

 他にも遠坂凛の父親が参加していることなど、朧げに知ってはいるが……それ以上の詳細は知らない。

(まいったな……)

 今更ながら自分の無知さを思い知る。

 師匠が聞いたら相当怒り心頭であろうが、生憎とそういったことを知る機会はなかった。

 いや、あるにはあったが、それでもその情報に『過去の出来事』それ以上の理由を求めることが出来なかった。養父(キリツグ)とセイバーの戦い抜いた戦いであることは分かっていたが、それでもあの出来事は自分にとっても、あまりいいことではない。

 あの戦いがあったことが、自分の始まりではあったが……それでも、あの火災で見たものは等しく地獄だった。

 やり直したい、とは思わなかった。それを越えてきた〝それまで〟を、無くしたりはしないと。

 だが、やり直しなど求めるでもなく、この時代に自分は存在してしまった。

 並行に流れる、世界の一端。その場に、今こうして立っている。

 ならば、この身に傍観は容認し得ない。目の前で零れるなにかを、そのままにしておくことなど……出来はしない。

 故に、この身は再び剣をとる。――自分に出来ることを、するために。

 例え偽善だとしても、それはいい。もとより、この身にある本物(おもい)など、ただ一つ。その根底すら、借り物でしかないのだ。今更、何をどう臆しろというのか。惑うこともなく、あるのは美しい夢を見た心。その夢を成すために、彼女らから貰った愛。

 真に必要なものなど、それだけだ。

 

「…………っし」

 

 方針や、やることは決めた。

 しかし、それでもこの世界の情報はまだまだ足りてない。

 かといって、今の実力ではこの戦いにむやみに飛び込むことは出来ない。嘗て、自分の戦闘技術や回路の使い方、あるいは投影武器も、自分の理想の果てとの戦いで自分に写して見せたことはあった。

 この身が作るのは、本物の影――贋作だ。なればこそ、真に迫るために、その使い手たちの持つ『技術』すらも写し取る。

 

 

 ――創造の理念を鑑定し、

 ――基本となる骨子を想定し、

 ――構成された材質を複製し、

 ――制作に及ぶ技術を模倣し、

 ――成長に至る経験に共感し、

 ――蓄積された年月を再現し、

 ――あらゆる工程を凌駕し尽くし、

 

 そしてここに――幻想を結び、剣と成す。

 

 

 真に迫ろうと足掻く贋作者のとった、たった一つの魔術。

 それが、この魂のとった形。己の起源となる剣を内包する世界を作るに至る、そのとるべき工程にして越え続ける過程。

 いずれ、打ち続ける屑鉄(ガラクタ)刀剣(ユメ)に変える。そんな想いを含んで、理想を目指す。

 そんな大仰な願いは、たった一人の人間では包みきれない大望。

 だからこそ、心が作るのは無限に広がる剣を蓄え続ける世界。

 それは、魂を同じくし男の――人を救うため、理想を願い続けたことで理想に反し続け――戦い続け、すり切れて伽藍堂になった一人の男がただ一つ持ち得た、心の姿でもあった。

 失い続けて、手に入れ続けた、墓標(けん)が納められる――そんな世界。

 そこに、少女たちのくれた色彩を残したのが、今の『自分』の世界だ。

 それまでの己を、今の身体に重ねる――。

 

同調(トレース)開始(オン)……!)

 

 身体を巡る魔力が、その心象を写し取り、この身体を作り替えていく。

 重ねられていくその影が、身体を少しずつ自身の『体』へと変える。

 痛みが走る。

 骨が捻れ、身を裂かれるような、身体そのものを侵していくその感覚。

 人の身が、耐えられるはずがないその感覚。しかし、その身体は元からある一つを成すだけのもの。一度死ぬことで、身体は中身を失い空になる。

 人らしいものなど当に捨て、内に秘めるのは思いのみ。

 

 故に――そこに、あるものはたった一つ。

 

 空になったからこそ、そこに包みこめる(得られる)ものがある。

 生み出せるものもある。人の限界を超え、その先へと進む。

 元より、生まれ持った限界など、当に超えている。そもそも、この非才の身にはそんなことを考えている余裕すらない。

 ただ、幻想していく。己を、己の内にある自分(げんかい)を凌駕する。

 

(――イメージするものは、常に〝最強の自分〟)

 

 生み出すものだからこそ、挑む外敵などいらない。

 常に、越えるべき壁は己だけ。そこに並ぶものなど、己を越えれば超えられる。だからこそ、ひたすらにその身を穿つ。鋭く、もっとその先へと、(カラダ)を鍛え続けていく。

 

 さあ、もっと……その先へ――!

 

 身に刻まれた回路が軋みを上げる。

 循環する魔力は、経験から得たものをかき集めても微々たるものだ。が、その程度ですら……今のこの身には、苛烈に感じる。

 だが、ここで止めてはならない。

 経験を宿すには、止まっては駄目だ。止まったままでは、その先へ行けない。常に、もっと先へと進まなくてはならない。今、それこそが必要だと解っているのならば尚のこと。

 一つ、その先へ。もう一つ、その先へ。

 〝これまで〟を――己の歩んだ経験(それまで)を、影のように見に重ね合わせていく。

「う――――あ……ぁぁ……っ!」

 剣が、内側から飛び出して来そうだ。

 ともすれば、そのまま刈り取られてしまうような。慣れ親しんだ、魔術を行使するその感覚。『衛宮士郎』にとっては、極々当たり前でしかないこの感覚は……心の世界の内側に宿す剣が、生み出されては身体を裂き、骨を砕き、捻れ狂うようににして体に置き換えられ――再生していく。

 そうだ。これが、これこそが――この身にあるべき形。

 酷く歪で、異常なほどに狂っている。

 そんな無茶な魔術の形が、かつて英霊の持つ楔を折ったこともある。

 その異常さを、すべて飲み込んでしまえ。

 恐怖に呑まれた、あの感覚も。この世界で見た、初めての絶望も。何もかも呑み込んで、糧にして、それを作り変えて、力に変えてしまえ。

 数多の武器を墓標()とした、錬鉄の守護者のように。

 この身に託された愛も、決意も覚悟も何もかも、新たなものを生み出す大本へ。

 取り込め取り込めと、不相応に得た経験が魔力を取り込み、送り込まれた魔力は魔術回路を循環する。

(この、感覚は……)

 あの時と、似ている。

 遠坂凛の魔術刻印を移植して、その繋がりを持って交わしたパスから引き入れた魔力を自分の魔力回路に流し込んだ時に。

 だが、あの時とは勝手が違い……同時に、その意味も大きく違ってくる。

 溢れ出す力が、流れる未熟な回路(みち)を壊していく。

 痛い、という言葉の意味すらも疑いたくなるほどの激しい衝撃。

 膨れ上がるように、身体(から)を破ろうとノックしてくる。血の塊が心臓から直接送り込まれてくるようなその圧迫感に、幼い身体が悲鳴をあげる。

 悲鳴をあげ、静止を呼びかける身体。けれどその心はその無茶を厭うことはしない。

 解っているのだ。

 目を見開け、止まろうとするな。その先を目指さない限り、きっとそこに生存はないのだからということを。

 

 ――経験、憑依。

 ――肉体、解析。

 ――回路、生成。

 ――身体、強化。

 ――魔力、循環。

 

(巡れ、巡れ……巡れ!)

 

 駆けめぐれ。

 恐れを抱くな、そこにはきっと未来がある。

 

 

『シロウ』

 

 そうだ――信じ続けた、先にこそ。

 

『士郎』

 

 守るべきものも、大切な人たちも。

 

『先輩』

 

 享受すべき、己自身の幸せもまた。

 

『シロウ』

 

 

 いつだってそれは、信じて走り続けたその先にあった――!

 

 

「ぁ――――がぁああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 迸る魔力と、紫電のように周囲を取り巻いた閃光が、バチバチと音を立て……この身体が変わり始めたことを知らせる。

「ごほっ……げほ……っ!!」

 込み上げてくる咳をすべて吐き出し、息を戻そうとする。その意思とは裏腹に、血反吐を混ぜながら、床を吐き出した咳と唾が濡らしていく。

 廃屋に膝をついて、ぼろぼろになっている幼子。

 自分を客観視してみると、酷く痛ましいものなのだと今更ながら気づく。

 少なくとも、他の誰かがこれをしていたら絶対に止めているだろう。自分だと思って無茶を重ねすぎたのかもしれない。

 ぼんやりと熱を帯びたその思考が、次第に冷却されていく。

 比例するように、支えとなっていた手も次第に力を失い、身体は床に倒れた。

 人らしい中身などなくしたはずの体は、途方も無いほどにボロボロになった。その度に、体内の剣が傷を覆い被さるようにして包み、段々と身体に戻していく。

 英霊としての記憶にあるより、治りが早いのは何故なんだろうな……と、人ごとのように考えていた。

 

(……でも)

 

 この感覚には、覚えがあった。

 あの夜、幾度となく尽きた命を救ってくれた力に、とても似ている。

 そういえば、あれが始まりだった。

 炎の中で、死にかけた身体に埋め込まれたのは――黄金の鞘。

 深く刻見込まれたその縁は、しっかり己の起源としても残っている。そのものは無くても、しっかりと……心は、繋がっている。

 満ち足りた思いで、黄金の輝きを目に浮かべつつも……どうにか保ち続けた意識もそこで限界を迎え、途切れてしまった。

 

 

 ***

 

 

 温かな流れを感じた。

 何か、懐かしいものが側にあるような、そんな気がした。

 とてもとても、引かれ合う。引っ張られるように、目が覚めた。

 

「――あれ?」

 

 寝惚けた目で、辺りを見渡す。

 外は暗く、廃墟には月の明かりだけが注がれている。そこでようやく自分が大ポカをやらかしたことに気づいた。

「しまった……こりゃあ、遠坂がいたらぶっ飛ばされてるな」

 なんの警戒もなく、そもそも結界を張るような才能は持ち合わせていないため、そのまま寝てたようなものだ。こんなのをその辺にいるかもしれない魔術師に見つかってたらと思うと、ぞっとしない。

 相変わらず、悪運だけは強いらしい。

 色々と、今後へ向けての改善点はあるが、ひとまず助かったことを喜んでおくべきか。

 そんなことを考えながら体を起こすと、微かに……魔力の強い流れを感じた。

 一体何だと思ったが、その理由は今ここにおいては、ほぼひとつしかない。

 

「サーヴァントか……!?」

 

 聖杯敗戦争に招かれる、七人の英霊。かつてその名を歴史に刻んだ、伝説の存在。人では決して追いつけない境地にいるとも言われるその存在。

「この近く……じゃないな」

 気配そのものはもっと遠い――でも、この感じは。

「セイバー……なのか?」

 ここが第四次であるなら、彼女がいる可能性は高い。今にしても思えば、最初に感じたのも彼女の気配だったような気もする。

 となると、その場へ行って確かめたいという気持ちが先行し、居ても立ってもいられなくなってしまう。

「けど――今の俺じゃ」

 何も、できない。

 寧ろ、ただの邪魔者でしかなく。知っている筈の人とも、再会の言葉も交わすこともできない。というよりも、誰も自分のことを知らない。

 ……知りもしない、それも己の願望を邪魔立てする者に対してどういった感情を抱くのかなど、目に見えているだろう。

「はぁ……」

 解ってはいた――その筈、だった。

 幾度となく、否応なく、この世界において何度も実感してしまう。仕方の無いことだと、理性は知っている。頭では理解できていることなのだが、どうしても割り切れないと思えてしまう。

 それは一人きりを選ばなかったが故かもしれないが、それは弱さでも……ましてや罪では無いのだと、そう教わった。

 自分の幸せを享受することは、自らの命を換算に入れることとは――間違いか否か以前の問題であり、それを感じられてこそ人間(ヒト)であれると。

 別に、機械でありたかったわけではない。

 同時にまた、その感情を殺して合理的な天秤の釣り合いを求めることが、自信の志す『正義の味方』としての理想であったことも、思い知った。

 けれど、それでも〝全てが救えない〟ことを悩むよりも、〝全てを救いたい〟と願うことをやめない道を選んだ。

 誰かを思いを通じ合わせ、心を繋げられる様な――――そんな、正義を。

 優しい様な、甘ったるく、それでいてどこまでも歪な願いを。

「……悩むのは、やめだ」

 動き出してしまえ、まずはそれからだ。

 冬木の虎ならきっとそう言うだろうし、あかいあくまにしても似たようなことを言う。

 具体的には、そう――

 

『なーに弱気になってんのぉ? 考える前にまずは行動! 考えるな、感じるんだ若人よ! ボーイズビー、アンビシャス!』

 

『ったく、士郎のくせに悩みで動けないなんて……そもそもへッポコなんだからぐだぐだしてないで動きなさい! アンタに出来ることをまずやりなさい! 士郎の取り柄なんて、愚直につっぱしることくらいなんだから!』

 

 ……うん。なんだろう、すごくいいそうだ。

 まあ、師匠二人のアリガタイオコトバを賜ったわけだし、早速動くとしよう。狙撃くらいなら投影層写(ソードバレル)を使えば、放った場所を少しくらい誤魔化すことは出来る。弓でも、赤原猟犬(フルンディング)のような追尾性をもった()を用いれば同じことは出来る。

 要は発想。後は行動。

 

「……うっし」

 

 少しけだるさを残した身体を起こし、立ち上がる。

 その先に見据えるものは、現在を精一杯生き抜いた先。理想へ至っても、未だ見果てぬ夢の果ての、そのまた続きを。

 

 

 

 さあ、もう一度飛び込もう――始まり(ゼロ)の――幕を開けた、新たな運命の夜へ。

 

 

 



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第三話 ~開戦、英霊激突~

 第三話です。


 昂揚、激戦の幕開け

 

 

 

  懐かしき感覚を感じ、その流れを辿りながら彼女のいる場所を目指す。

  一心不乱に幼い足で夜を駆け抜け、着いたのは、あまり足を踏み入れたことのない港の倉庫街。

  何故こんなところで? という疑問はない。寧ろ、今に相応しいといえるだろう。秘匿すべき戦いの場として、ここはなかなかに良好な場である。

  それにしても、

 

(震えてくるな……こんな感覚は、久しぶりだ)

 

  近づくほどに、その場に漂う威圧感が増していく。先日のキャスターが放っていた、下卑た芸術感とでもいうべき殺気とは一線を課す、気高き闘気。

 とても懐かしいその感覚に、知らず知らず口角が上がる。

 昨夜とはまた違う胸の高鳴りを感じながら、そこを目指す。

 狭い歩幅で走り抜けた時間はとても長く感じたが、それでもそこに至ることができた。

 そこで、彼が目にしたものは――

 

 

 

 ――――彼にとって慣れ親しんだ、懐かしく遠い記憶の中にあった、『あの夜』の自分では手に届かなかった英霊の絶技の再現だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――そこは、まさしく激戦の地。

 

 二本の槍を抱えた槍兵と、深志の剣を構えた剣士。

 片や端麗な美丈夫、片や麗しき美少女。この世のものとは程遠い雰囲気を感じさせる二人の戦いは、まさしくこの世のものとは思えぬものであると、その光景を見ていた白銀の髪と紅の双眸を持った女性――アイリスフィールはそう思った。

 

「これが……サーヴァント同士の戦い……」

 

 彼女の呟きが、目前で繰り広げられている打ち合いの凄まじさを物語る。

 呆然となるしかないほどの、その絶技。音速に至るのではないかと思わしき剣撃の数々。その上、それらは全て彼女の目では負いきれず、断片を読み取る事すら難解なもの。

 歴史に名を遺す武人の力が、現世においての光速を自ら引きちぎるように振るわれる。狭い、足りない、こんなものでは堅苦しいとでも言わんばかりに、剣が、槍が――その場の空気を震撼させ、周囲一帯を食い破ろうと錯綜する。

 交わされる一合ごとに、囲い留める世界が悲鳴を上げるように、斬撃の余韻が鳴り響く。

 これが、『聖杯戦争』――激突の余波と、迸る魔力の奔流を感じながら、アイリスフィールはその言葉の意味を噛み締めた。

「……っ」

 息が詰まる。

 目を離せない程すさまじく、けれど同時に美しい戦いを見守り続けながら……ただひたすらに、この『決闘(たたかい)』行く末を瞳に映し続ける。

 キィィンッ! と、甲高い鋼の弾ける音がして、二人の英雄が距離をとる。

「は――あ……ぁ……!」

 不規則な呼吸がようやく再開した。

 荒れた息を整えながら、ようやく目の前の現象を現実として受け入れる。驚愕と脅威を同時に認識しながら……アイリスフィールは、この神話や伝説の再現劇のような中に住まう住人の顕現などという出鱈目を行う、この戦争の異常性を改めて呑み込む。

 何度目かもわからない。ただ、幾度となく雷鳴の様に一瞬で通り過ぎる幻想、そして奇跡の具現を。天を裂く雷や、大地を砕く波動、海を割る一閃、そんな人ならぬ所業を成してきた英雄たちの、その偉業の再演を今この目にしているのだとういうことを認識から離さないように反芻する。

 刹那的にでもこれを挙行だと思い込んだが最後、身体と首がつながっていられる自信がない。

 本来、その戦の為〝だけ〟に作られたはずの彼女は、その『理由(いみ)』を今本当の意味で理解し、自身の役割を識った。

 それと共に、彼女は尊敬のような念を目の前で戦う少女騎士に向ける。また、少女へ向け、一つ願い祈る。

 この戦いにおける、奇跡を夫へささげて欲しいと。それが自身の最も大きな望みであると同時に、今なお雪の城に残された幼き愛娘の未来の為にと。

 

 

 

 唸る風の中、アイリスフィールは驚愕に晒されていたが……この場で驚愕に晒されていたのは、何も彼女だけではない。

 何方かというと『恐怖(おそれ)』に近い感情を抱いていた彼女とは裏腹に、その者の抱いていた感情はどちらかと言えば『畏敬(おそれ)』に近かったが。

 倉庫の裏に隠れ、その戦いを見つめていた少年の存在に誰も気づかなかった。

 可愛い騎士王の戦いを見定めていた狙撃者も、あの百の貌を持つ暗殺者でさえも。それは彼が元々歴戦を積んだものゆえか、或いは幼すぎる子供だからなのかは定かではない。けれど、彼はそれほど自然にその場に溶け込んでしまっていた。

 ――ドクンッ、と胸の内が高鳴る。

 その高まりは、決して鼓動によるものだけではない。

 昂揚と、色濃くその身に残った繋がりと、愛をくれた一人の少女に対する情愛とが、彼の胸の内で脈動し続けている。

 

(セイバー……)

 

 少女の名を呼ぶ。

 声には出せないが、それでも精一杯の親愛を込めて。

 剣として、女性としてあの夜をともに叩かた彼女は、変わらず美しい。

 神秘を体現した、恒星の如き煌き。それはまさに、星の願いを受け束ねた聖剣を担う彼女にこそふさわしいものだと。

 幼い身体を隠しながら、その戦いを見守り続ける。

 槍と剣が奏でる旋律。そんな武器の声が、少年の起源である『剣』を刺激してくる。

 それはまるで、乾いた砂に水が染み渡るかの様にすんなり体の中に取り込まれていく。身体とは不相応に鍛えられた目がそれらを解析し、己の内へ。

 相も変わらず、あの黄金の剣は読み切れないが……それでも、十分だった。

 それはまるで、彼女がそこに在るという証の様だったから。……今はまだ、それで十分に思えたから。

 少年――士郎は、この世界で初めて目にした彼女を見たことで、言い知れぬ安堵を覚え、果てしなく続いていた心の縛りが、改めて外れたような気がした。

(単純だな……俺も)

 そんな事を考えながら、士郎はセイバーと二本槍のランサーの戦いを見る。

 二人の名のある剣士と槍兵の戦いは、見ているだけでも感嘆の一声に尽きる。英霊に至った身とはいえ、その中に割って入れるかと言えば、きっと出来ない。そう思えてしまう程、二人の戦いはまさしく『本物』だった。

 こすれあった残響だけでも背筋が凍りつきそうなほど、ましてその戦いの渦中に飛び込むのだとすれば――武者震いを禁じ得ない。

 ぞくぞくする。この感情は、決して悪いものではない。寧ろ、それに伴ってくる心の高鳴りに心地よさすら感じる。

 しかし、だからといって腰砕けのまま惚けているつもりもない。

 士郎は目を見開き、己の力を余すとこなか使い切る心算で、名高き英雄の武器(とも)をその鷹の目で読み解いていく。

 騎士王の剣はともかく、あの槍兵――ランサーの槍ならば、読み取れるだろう。片方は包帯状の呪符に封印されているが、その程度で『英霊エミヤ』と同じかそれ以上の――解析することに特化したその目には通じない。神秘を隠すその布の、僅かばかりの綻びさえ見透かして、その武器の全てを紐解くように見定める。

 赤い魔を断つ槍と、呪符に包まれている呪いを与える黄の槍。

 そして、英霊としての記憶からその武器の名を引き出していく。

 あの槍はたしか、かのフィオナ騎士団の名高き騎士――〝ディルムット・オディナ〟が持つ二対の槍。

 

 ――『破魔の赤薔薇(ゲイ・ジャルグ)』と『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』。

 

 何方も強力な宝具である。

 その威力こそ、彼と同じケルト系の大英雄たる『クー・フーリン』の持つ『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』よりは低いだろう。〝心臓を穿つ〟――〝急所を捉えた〟という結果を作ってから放たれる必中必殺の呪いの朱槍を回避するには、その因果を乗り越える幸運と直感。そして何よりも、この槍を防ぎきるだけの防御力を持ち合わせなくてはならない。これに比べると、この二本はそういった分かりやすい『必殺』の効果は持たないが――それでもこの槍は、相手が魔術を用いればその魔を断ち、相手が万全の状態で挑みかかれば癒えることのない呪いを残すという、こと対人戦という意味においては、その戦いを勝ち抜くために一撃必殺と肩を並べられるほどの強みを持っている。

 なんとも強力な槍だ。とりわけ、士郎とは相性が悪いといえる。

 士郎の造り出す剣は確かに宝具であるが、その大本は魔力で作られたという投影品。現実に造りだされた影である投影品には、その物にはもう魔術による品であるという部分はかなり薄まっている。仮に魔術の流れを遡るような攻撃があったとしても、その効果はその投影品までにしか及ばない。士郎本人には繋がりの部分から来られることはない。

 だがしかし、魔を断たれるという意味において、かなりの苦戦を強いられるだろう。

 何せ、その投影した元が魔力であるなら、投影した後の姿である宝具としての機能も魔力によってのもの。その部分の原則にまでは、いかに生み出す者でも干渉し切れない。だからといって、まったく魔力に関連の無い鈍らなどを作っても、それでは英霊に対抗することなどできない。

 ただ、厳密には槍の効果は刃先の部分にのみ。また、成立している魔術には効果がない。あっても薄い、などという弱点があるが、それでも――また、士郎の行う『投影』の特殊性を差し引いても――魔力を纏って使われる宝具を、魔術で造り出しているのだから、その効力を削がれることは避けられない。

 そういった視点で見れば、彼の持つ槍は士郎にとって非常に凶悪であると言える。

(……ったく、サーヴァントってのは……)

 嘗ては自身もそうだったことも忘れ、正式な伝説を持った英雄達に対し、ため息と共にそんな声が漏れた。

 声を漏らしてしまったことに気づき、ハッとなり慌てて先ほどよりも息を殺す。

 身を隠す場合、気配を断つのは必然だが断ちすぎるというのもまた悪手である。

 気を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中というように、ごく自然に溶け込むことが隠蔽においての肝である。

 気配を断つ、というのはすなわち――その存在を消すことでもある。言い換えるなら、だまし絵のようなもの。

 不自然に見えないよう、別の部分に視点を向けさせることで風景の中に存在を溶け込ませる。溶け込んだことでその存在は隠され、見つからない。だが、その存在を消し過ぎればそれは、その絵の一部を消しゴムやパレットナイフで削り取るようなもので、そこだけ消しさることで不自然な空白が出来上がってしまう。それこそ、『気配遮断』のような『スキル』として認識されているものでもない限り。

 そのため、絵の中に空白ができれば、自然、観る者はその空白に目を寄せる。一枚の『絵』の中にできた、不自然な部分に目が向いてしまうのだ。

 それでは元の目的からは遠ざかり、消したつもりが……かえって目立ってしまっていることになり、それを隠すこと――隠蔽ではなくなってしまう。

 そんな教訓を反芻しながら、心のささくれを落ち着かせていく。

 殺し過ぎず、かといって無防備でもない。その状態を維持していき――。

 

(――――)

 

 周囲に、変化はない。

 視力は『アーチャー』クラスが基本という自身の適性からしても良い方であると自負しているので、周囲をざっと見回して確認をとる。

 幸い、周囲にこちらを注目している存在はない。

 寧ろ、

(――あれは……アサシン……?)

 仮面をつけた黒い人影。

 以前に見たことのある『山の翁(ハサン)』とは別であるようだが、アレもまた、紛れもなく『暗殺者(アサシン)』のサーヴァント。

 先程言った隠蔽をはじめとした、闇に紛れる行動。

 そういった暗殺者としての力を主軸とした戦いをするサーヴァント。それが、まさしく『山の翁』と呼ばれる一団。

 〝アサシン〟という言葉の語源となった『ハサン』という名を冠する者たち。

 それがこの聖杯戦争における『アサシン』そのものである。

 が、無論例外も存在している。

 士郎の参加した『第五次聖杯戦争』では、サーヴァントを呼ぶ『聖杯』の汚染から西洋の英雄しか呼び出されない筈の戦争に『佐々木小次郎』という名のある剣豪をアサシンとしてのクラスに当てはめて呼び出した神代の魔女がいたこともある。

 そういった理由もあって、士郎にとっての馴染みのあるアサシンと言えば佐々木小次郎であるが、別のアサシンも見たことがある。

 正規のアサシン――『呪腕のハサン』。

 五百年生きた吸血鬼、マキリの党首『間桐臓硯』が召喚していた暗殺者と剣を交えたこともあるのだ。

 しかし、そのアサシンと目視したアサシンは別の存在であるらしい。

 アサシンというのは、総じて『山の翁』が呼び出されるものだが、その山の翁という存在には複数の逸話があり、その数だけ別の『山の翁』が呼び出される。

 あれもまた、別の逸話から呼び出されたアサシン――士郎は視線の先にあるアサシンをしばし見つめ、アサシンが何か見ているのに気づく。場所が場所なのだから、見ているのは先二人――セイバーとランサーの戦いだろう。

 だが、それにしては妙である。

 偵察、というだけなら霊体化してみるだけでいい。

 かつてのアーチャー、『士郎』の別の可能性である『エミヤシロウ』はそういった方法で敵を観察していた。士郎と戦ったセイバー、つまりここにいるセイバーは〝霊体化ができない〟というハンデを背負っている。彼女のような制約があるなともかく、通常においてサーヴァントにはその制約はない。

 まして、正規のアサシンなら尚の事だ。

 それをしていないということは、何かそれをしないという理由――ひいてはその目的があるということ。

 それが、一体何なのか。

 士郎には想像もつかなかったが、マスターによる何かしらの指示なのだろうということだけは分かる。

 

(……暗殺者としてはふさわしいのかもしれないけど、やっぱり不気味だな……)

 

 幸か不幸か、セイバーとランサーは勿論。アサシンですらこちらには気づいていない。

 前者は目の前の戦いに、後者はその戦いを見ることに、それぞれが意識を裂き続け……不意の攻撃でもなければおそらく振り返りもしないだろう。

 それは士郎にとっては幸いだったが、返って何処か薄ら寒い。

 自分の経験した聖杯戦争が生易しかったと思えそうな程、この場の空気は剣呑としている。生易しいものでなかったのは確かだが、それでもこの戦争はその一段上にあるような恐ろしさを感じさせる。

 惨劇の約束された様な、そんな死の香りがする。

 

「…………っ」

 

 思い出される、炎。

 呼吸が乱れそうになるところを 必死に押しとどめる。

 士郎の始まり、こことは別の、士郎本人の始まりの記憶。そこに救いはあったが、同時に呪いもあった。歪な願いと、欠落した考えの下で行われた正義。そんな破綻した願いを持つことになった、あの始まりを。

 その道は、決して間違いではなかったけれど……その悲劇は、確かに傷を残していた。士郎だけでなく、切嗣やセイバー。イリヤ、凛、桜……皆が、あの戦いの尾を引いていた。

 ――往々にして、この戦いは悲劇だった。

 どの聖杯戦争も、喜劇ではない。けれど、ここまで多くの呪いを残した戦いは、この戦争なのではないかと士郎は思った。

 悲しみの連鎖が、ここに在った。

 それを見ているだけなんて、……嫌だ。歯ぎしりしながらその戦いに視線を戻す。

 目の前に苦しみがあって、自分の大切な人たちが苦しめられているなら――

 

(――叩き潰してやる……っ、そんなもの――!)

 

 誰かを憎む。

 そんな感情からは一番遠い所にあるといっても過言ではない少年が、その感情をむき出しにして運命に挑む。

 人でもなく、悪意でもない。

 

 ただ、そこに有る無情な神の悪戯(Fate)に。

 

 再び心を定める少年。その目に、もう一つ、新な存在が映る。

 その姿は、彼の記憶にあるよりも幾分か若い――けれど、纏う殺意は全く知らないほどに冷たい。

 

 ――彼を助けてくれた、優しい養父(ちち)の姿だった。

 

 

 

 



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第四話 ~激化する戦い、動き出す運命~

 第四話です。


 剣と槍、夜闇をかける剣戟

 

 

 

 

 

 

 〝――この男、出来る!〟

 

 

 

 美しい翡翠色の双眸が、目の前の美丈夫をじっと見据える。

 鋭い眼光が、睨みつけた先を射貫(いぬ)く。一人の少女とは思えないほどの美しさが、彼女にし不釣り合いともいえる夜の倉庫街を照らす。

 自身にふさわしくない場所を、無意識のうちに塗り替えていくような、そんな恒星の煌きの様な強さが、彼女にはあった。

 その彼女を今、目の前にいる槍兵がその手に持つ二本の槍で押し留めている。彼女に対抗しうるだけの力を持った者――則ち、これもまたもう一つの伝説。

 

 英雄同士の激突、舞踊のごとく気高き戦がここに幕を開けた。

 

 

 

 槍とは、基本的に両の手で扱う武器である。それが少女――セイバーの中での認識だった。

 しかし目の前の男は、片手ごとに一本。

 そこにおいて、まず一つの例外。その上での二槍。しかもそれらを同時に振るうにも拘らず、その手腕には一切の〝虚〟がない。偽りが存在しない。

 自信に満ちたその槍捌きは打ち込んだ剣筋をあっさりと流し、すぐさま反撃に転じてくる。

「どうしたセイバー、打ち込みが甘いぞ」

「……ッ」

 目の前の美丈夫――ランサーはセイバーにそういい、不敵に笑う。

 そう言われても反論のしようがない。

 事実ここまで三十合ばかりの打ち合いでも、不可視の剣を振るうセイバーに対し、ランサーは全くと言っていいほど引き離されはしなかった。形の上でセイバーが優勢だが、攻勢に見える状況も直ぐにひっくり返る可能性は捨てられない。

 一体、どれだけの鍛錬を積んで至ったのか……彼の重ね続けたであろう研鑽は計り知れない。

 本来、担い手が使う武器には〝虚〟と〝実〟が存在する。様々な視線をくぐり抜けてきた武器には、自然と魂が宿る。それは、『愛着』と言い換えてもいいかもしれない。

 経験を重ねるのは、何も担い手だけではなく、その武器にもまたその経験は重ねられていく。物も育つ、生きているとはよく言ったものだ。

 それだけの相棒を手にするまでに、それを手に伝説に名を刻み、英雄となったほどの担い手であれば……少なくとも、その手に宿る槍のどちらかが彼にとって真の相棒と言えるのであろうが、それもまだセイバーには判断できない。

 真っ赤に染まった破魔の槍と、それより三割ほど短い呪符に隠されたもう一つの短槍。

 果たして、どちらがその真打ちなのか……

(――――ふっ)

 疑念が尽きない戦況にもか変わらず、彼女の浮かべたもの笑みだった。

 口角が吊りあがる感覚も決して不快ではない。むしろ、それは嬉しいもの。押して、押しとどめられて、打ち込みが通じないのに、それがたまらなく嬉しく感じてしまう。

 偽りのないその真っ直ぐな剣筋は、セイバーとしても好ましいものだ。

 離れ業のような槍使いも、まだまだ見知らぬ武人との戦いは嬉しい悲鳴というもの。先に感じた驚愕も、既に昂揚へと置き換わってしまう。

 自然、高鳴る胸を思う存分に踊らせ、セイバーはさらに目の前の敵へと打ち込んでいく。

 

 ――止んでいた剣戟が、再び始まる。

 

 

 

 ***

 

 

 

 夜闇に暮れる倉庫の上で、一人の男が煙草を吹かしながら佇んでいた。

 男の名は、衛宮切嗣。この第四次聖杯戦争におけるセイバーのマスターだ。

 彼が何故こんなところで身を潜めているのかといえば、それは彼の戦略によるものである。

 セイバーを妻であるアイリスフィールに任せ、彼女をマスターであると他陣営に誤認させることで、自身の動きをより有効にする。とりわけ、この聖杯戦争に参加している面々はほぼ全員が魔術師としての戦いに偏る動きをしている。

 遠坂時臣、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトといった所謂〝優秀〟な生粋の魔術師たちは勿論。御三家の一つである間桐から参加している雁夜、時計塔の方から来ているらしいウェイバー・ベルベット。キャスターのマスターのみ不明だが、そんな存在は取るに足らず、彼が危険視しているアサシンのマスターである言峰綺礼も何らかの工作でアサシン〝一体〟を生贄に、監督役である父・璃正の管轄下である教会に降ったらしいが、それも何処までが真実か疑わしい。

 ただ、それでも奴の師は時臣であり、魔術師ではない彼が魔術師との戦いを考える際、『代行者』時代の知識と共に師の助言を仰がだろう。ならば、その戦いは魔術師よりのもの。となれば、それも切嗣にとっては獲物として見なせる。

 そう、『魔術師』を狩るのが『衛宮切嗣』――〝魔術師殺し〟の真骨頂であるのだから。

 しかし、いまはまだ様子見。今夜の目的は、セイバーを他陣営に見せること――また、アイリスフィールを〝マスター〟であると誤認させることが狙いだ。そうすることで、今後の戦いで切嗣の動くことのできる範囲とそれに伴う戦略の幅が格段に上がる。それだけに、セイバーとアイリには頑張ってもらう必要がある。

 正直なところ、頃合いを見計らって撤退してもらえるのが好ましいが……果たして、あの騎士王がアイリからとはいえ(寧ろそれが余計に)その命令に従うかどうかは心許ない。

 あの〝高潔な精神〟とやらを大事にしている『伝説の騎士』。

 そんなものを守りながら戦いに勝てるなどと多少なり思っている節がある辺り、おめでたいにも程がある。

 そんなもの、戦場にある悲劇を、そしてそこで流れた血を肯定するようなあり方も、英雄などという言葉によって人々を死地に駆り立てるその傲慢さも、切嗣にとっては何よりも認められない。

 そこには、確かな『正義』があるのだろう。しかし、そんなもので人々を救えるはずがない。――そんなものが、正しいはずがない。

 はっきり言って相入れない関係であることは否めないが、それでも手持の駒の力を確認するのも悪くはないだろう。

 なら、ここは見定めておこう。決して相入れることのない、気高き騎士王の戦いとやらを。

 

「……では、お手並み拝見だ。可愛い騎士王さん」

 

 暗闇に呟いた言葉は流れ、自身を見ている者があるとも気づかず、男は冷たいスコープの先にある黄金の輝きを見据えていた。奇しくもそんな思惑とは裏腹に、その表情は見ていた少年がよく見知った――優しい養父のそれに近いものだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 倉庫の上で、養父(キリツグ)が大型のライフルと共にセイバーたちを見ているのが見えた。その姿は、記憶にあるものよりはとても冷たいもので、一瞬それが本物なのかどうかを疑ったほどだ。

 しかし、その出で立ちはどこを見ても養父のもの。同時に、伝え聞いた『魔術師』としての――否、『魔術師殺し』としての姿だった。

 目の前に広がる戦争(たたかい)の様子に、自分が戦いぬいた戦い以上の恐ろしさを感じながら、自分がどう動くべきかを見定める。ここから繰り広げられる悲劇、それを叩き潰すために。

 戦況は、未だ動かず。

 セイバーとランサーの拮抗した剣撃は未だ止まない。

 時折止むそぶりを見せながらも、お互いの技量を推し量りながらのぶつかり合いはまだまだ止む気配を見せないままに、周囲一帯を震わせ続けている。

 とはいえ、その拮抗ですらも周りを破壊するだけの威力を持っている。既に倉庫は二棟ほど倒壊しており、地面を覆っていたアスファルトも歪な畝を作り、既に砕け散る寸前だ。

 小手調べ、などと言えば大したものではないが――サーヴァント同士のものであるならば話は別だ。神秘をぶつけ合うその〝小手調べ〟はまるで直下型の大地震にも等しい。天災とも形容できそうなその惨状を前にしても、その当事者である二人には傷一つすらない。マスターの振りをしているアイリスフィールも同様。

 夜の闇に潜む倉庫に不釣り合いなほどに、それこそ清涼とさえいえそうなまでの清々しさ。

 気高き戦士たちの戦いは、これまでを多少なり重ねたこの身にさえ余りそうだ。

 呆れかえりそうになる気分を押しとどめながら、今再び〝静〟の間に入った剣士と槍兵のにらみ合いを凝視する――

 

 

 

「――名乗りもないままの戦いに、名誉もくそもあるまいが――ともかく、賞賛を受け取れ。ここに至って汗一つかかんとは、女だてらに見上げた奴だ」

 殺意と闘気を漲らせたままの二本の槍の切っ先をセイバーに向けたまま、ランサーは涼し気な眼差しでそういった。

 それに対し、

「無用な謙遜だぞ、ランサー」

 セイバーも騎士としての礼と、名高き武人と渡り合えることへの笑みを浮かべたままに応える。

「貴殿の名を知らぬとはいえ、その槍捌きをもってその賛辞……私には誉れだ」

 本来であれば、何の縁もない時代も国も異なる英雄同士。

 交わることもない、別の存在である二人がこうして出会うという、まさに奇跡にも等しい所業。これこそが、この『聖杯戦争』という異端(イレギュラー)による異常事態の妙であろう。

 両者の心に通ずるのは、武人として、騎士としての心構え。

 強者との戦いに心躍る。それは、自身の磨き上げた武をもって相手との戦いに注力する。己が剣のみを矜持とし、敵であれ、その誇りをぶつけるに足る相手に対しては畏敬の念すら抱き、捧げるという心の在り方。

 二人の英霊は、互いの気質を持って相通ずる存在であるという事を理解していた。

 誇り高き戦士としての胸の内を持つ者同士。

 故に、この相手とは誇りある戦いができるであろう事もまた、二人には分かっていた。分かってはいたが、それでもそれは二人の理想(ねがい)でしかなく、この場は『聖杯(きせき)』を巡る戦いの場である。

 そこに確固たる誇りを持って挑む者と、何よりのその先にあるものこそ求める者。

 その違いを、というより――その〝存在〟と、その〝在り方〟を。

 それを二人はまだ、理解しきれていない……あるいは、理解しようとしなかった、ともいえる。

 

『――――戯れ合いはそこまでだ。ランサー』

 

 倉庫街に響く声。

 姿を隠匿しているらしいその声の主は、姿と共にその声すらも変えている。

 男なのか女のか、それすらも定かではないが……それでもその言い方や雰囲気から、恐らくは男性ではないかという憶測を立てる位は出来た。

「ランサーの、マスター……っ!?」

 アイリスフィールはあたりを見渡すが、声の発せられたところすら隠されている上に、その姿もまた幻覚の類の魔術で伏せられている。この場で、ランサーのマスターの存在と位置を把握できたのは、切嗣とその相棒である舞弥。暗殺者のサーヴァントであるアサシンと、英霊としての経験を憑依したばかりである士郎くらいであろう。かといって、そのマスターそのものに攻撃するのは、これまた三者三様な理由で躊躇われている。

 切嗣と舞弥は、狙撃し、殺したところですぐさまランサーを消すには至らないという事と共に、意趣返しとして何かをされては困る。加えて、その狙撃によって自身の場所をもう一人の監視者であるアサシンに露見させてしまう事で自身らに及ぶ危険から。

 アサシンは、課せられた命令と漁夫の利を攫う事や不意打ちにこそ、彼らの力を発揮できること。また、この場の誰もがまだ知らないが、この戦いで召喚されたアサシンは『百貌のハサン』。個にして群、群にして個の彼らにとって一体のみでの戦闘はその本質を使わないものであり、ステータスで劣る自分たちが他のサーヴァントに挑むための有利な条件として働くという理由から。

 最後の士郎に関して言えば、牽制程度の狙撃はするかもしれないが、それでも人を殺すなんていうのは彼の性根の上では決してしない。まして、今自分の存在している場所で、聖杯の現出を進めてしまう恐れのあるにも関わらず、マスターを殺せるはずもない。

 それらの理由から、彼らはランサーのマスターに手を出しはしなかった。それを知ってか知らずか、或いはそれさえどうでもいいと踏んでいるのか、それに関しては定かではないが、ランサーのマスターはランサーに指示を下す。

『これ以上、勝負を長引かせるな。そこのセイバーは難敵だ、速やかに排除せよ。――宝具の開帳を許可する』

 英霊としての最奥である宝具をさらすことを承知したうえで、セイバーを狩らせようとするマスター。

 遠慮は無用。

 サーヴァントとしての最大にして最高の牙をもって、セイバーを屠れと命令を下した。

「了解した。我が主よ」

 それを受け、ランサーは応える。

 惜しげもなく短槍を足元に捨て、赤き魔槍を構える。斬り合いの中で解けた先端と同じ、柄の紅をさらしてセイバーに狙いを定めた。

 真の力を開放するべく、深紅の槍が先程とは比べ物にならない魔力を纏い始める。

 霞の様に、煙と舞い始める桁違いの魔力。

 本当の戦いが、ここから始まる。

「そういう事だ。ここからは、()りに行かせてもらう」

 ランサーは宣言する。

 ここから先は、これまでとは違うと。

 サーヴァントの神髄たる『宝具』。果たして、ランサーの槍はいかほどの力を持つのか、とセイバーは思考する。

(短槍を放り捨てたということは、あの赤槍が彼の真打ということに……だとしたら、それは一体どんなものなのか)

 あの槍に隠されたる力はどんなものなのか、彼女はそれを見定めている。

 宝具には、対人、対軍、対城、対界といった種類がある。それぞれに特化した力があり、いずれもまた等しく敵を屠るための力の方向性を示すものだ。

 真名を開放することでその力を開放し必殺の一撃と成すものと、武器としての性質そのものが宝具となっているものとがある。

 さて、セイバーの持つこの戦いの場に晒している宝具は二つ。

 手に持った剣とその剣を覆い隠す風の衣。

 風の衣は名を『風王結界(インヴィジブル・エア)』。これは先に挙げた何かに対するものではなく、どちらかというならば自分自身を保護する結界型の宝具であり、意味合いとしては武器よりは利器に近い。しかし、〝結界〟という体をとっているとはいえ、彼女の持つこの結界は一度開放すればその纏った風を相手へ向け撃ち放ったりする武器にも転じ得る強力なもの。纏った風はそれだけで王に相応しいだけの神秘の一つと言えるだろう。まさしく、『騎士王』たる彼女にこそふさわしいといえる。

 そして、彼女がその『騎士王』としての名を冠するだけに足る代名詞。戦場において、勝ち続けたといわれる常勝の王が王たる所以の聖剣(けん)

 それこそが、『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』。

 一度放てば、その光は大地を焦土へ変え、手向かう一千の軍勢であろうと薙ぎ払い、全てを切り裂く伝説の剣。

 

 ――聖剣・エクスカリバー。

 

 セイバーこと、『アーサー・ペンドラゴン』の持つ最大にして最強の剣である。

 〝こうあって欲しい〟――ただそれだけの、想いなどという曖昧なモノの集まりでしかないはずなのに、この剣は全ての聖剣の頂点にある。

 それは、人々の希望や願い、想いを形にしたもの。星によって鍛えられた、最大にして最後の幻――『最強の幻想(ラスト・ファンタズム)』と呼ばれる神造兵器。

 単なる美しさではなく、ひたすらに尊い存在。神話にも人ならざる業にもよらない、ただの『想い』によってのみ鍛えられたが故に、幻想・空想の身でありながら聖剣全ての上に立つにまで至った、人々の心の結晶。

 そんな数多の英霊の中でも名高い聖剣の担い手である『騎士王』の見立てでは、ランサーの槍はおそらく『風王結界(インヴィジブル・エア)』と同じ武器としての性質こそが宝具に至ったもの。

 だからと言って、セイバーの方が圧倒的に有利かと言えば……それは違う。

 彼女の使う『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』はその威力と比例して魔力の消費も激しく、周りに与える被害も大きい。敵に当たりこそすれば必滅であるが、当たらなければただの無駄撃ちにすぎず、反対にセイバー自身の敗北にもつながりかねない。マスターである切嗣の魔力から考えても、一度の戦いで撃てるのは精々二回程度。それ以上の無理をすれば、セイバーは魔力切れで消滅してしまうだろう。

 それでは本末転倒。聖杯を手に入れるまでもなく、こんな初戦で敗走するわけにはいかない。

 だからこそ、使用するタイミングは推し量らなければならない。

 それに、その攻撃力にこそ派手さはなくとも、ランサーの持つ槍の力は絶大であろう。対城でないから弱い、などという数値の上だけのでパワーの競い合いそのものは、『戦い』のそれではないのだから――。

 

「「――――――」」

 

 両者、沈黙。

 殺気だけが水面下で錯綜し、その先にある剣筋をどこへ当てるのかを探り続ける。

 静寂が増し、されどそこに張り詰めた糸は今にも切れそうな程で――それが、今。

 

「ハ――――ッ!!」

「フ――――ッ!!」

 

 

 

 ――――途切れる。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――――宝具の開帳を許可する。

 

 それを聞き、背筋に冷たいものが走った。

 場の空気が変わっていく。魔力の流れが、肌で分かる。

「…………」

 知らず、息を呑んだ。

 対峙する二人の一挙一動に目を奪われる。もう、そこから目を離せない。

 一瞬たりとも、目を離すわけにはいかなくなった。その先を、どうしても見たいという思いが大きくなる。戦士としてか、一人の男としてか……それは分からない。

 でも、視線だけは絶対に二人(そこ)からは離さない。

 一挙一動に、己の全てを裂く。

「――ここからは、()りに行かせてもらう」

 ランサーのその言葉が皮切りに、二人の間にあった糸の様に張り詰めた空気が解き放たれ――裂かれた糸は、場を震撼させる。

「ハ――ッ!!」

「フ――ッ!!」

 二人の声が、針を通すように息に乗って抜けていく。

 振るわれた剣と槍。

 先んじたのはランサーだったが、その一撃はあまりにも愚直。言うなれば凡庸。

 けれど、

(それは駄目だ、セイバー……ッ!)

 声を出せず、心で叫ぶ。

 真っ直ぐすぎるその一撃。

 彼女なら、問題にすらならない程度の、その一撃。

 二本の槍を振るうことで繰り出される、先ほどまでのランサーが行っていた変幻自在の一撃に比べると、取り立てて重くもなく鋭くもない一撃を危なげなくセイバーは打ち払う――が、その時。

 

「――――ッ!?」

 

 周囲に、風が巻き起こった。

 正確には、セイバーの剣を覆っていた風の衣が(ほつ)れ……旋風を巻き起こしたのだ。

 その一撃の真の意味に気づき、セイバーは驚愕をあらわにする。

 驚き続けるだけの間も無く、解れた風の中に隠された剣が放つ光が辺りを黄金に彩る。そうして薄暗いだけの簡素な夜を、二人の英雄の絶技と纏った神秘で色付けていった。

 直に見た、黄金の剣。己が起源である『剣』が歓喜し、再びその剣を一瞬とはいえ直に見ることが出来たことに震えた。

 愛しい少女と恩義ある養父の隠したものが晒され、徐々に掘りを埋められて行くというのに、それでも感じたのは彼女の剣とそれを持った彼女。

 その美しさに、あの夜と同様に――俺はまた言葉を失う。

 思えば、セイバーとの出会いを経て、戦うことを決めた。戦う中で、もっと色々なものを受け取ることが出来た。そういう点では、彼女は他の少女たちよりとほんの少しだけ、己に取って特別なのかも知れないと思う。

 ただ、それは言ってしまえばベクトルの違いのようなものでしかないのかもしれない。

 

 ――目指すべき存在として、セイバーがいて。

 

 ――そもそもの『憧れ』として遠坂凛がいて。

 

 ――何よりも日常の象徴として間桐桜がいて。

 

 ――家族という繋がりを最も示したイリヤがいた。

 

 そんな少女たちに、本質的に優劣などつけられるはずがない。だからこれは、きっと感傷のようなものでしかないのだろう。

 けれど、その感傷こそ大切なものなのだ。

 誰かと出会い、誰かを想い、誰かを探し、誰かを識る。繰り返され、交わり続ける世界の中で、決して忘れることのない想いが心を強くする。

 一時(いっとき)の気の迷いすら、場合によっては全てを変えてしまう。

 だからこそ、これもまた――大切にするべき自分の一部であり、守り通して、貫くための幸せの証なのだと、人のフリをした空っぽのロボットは教えられてきた。

 誰かを大切にするのは正しい。しかし、そこに自分を数えて尚貫き通すことは難しい。

 幸せになってはいけないと自分を思って、誰もかれもが救われたのなら、そこでようやく自分も救われるかと思って。

 ……いや、それも少し違う。

 単純に、誰かに本当の救いを差し伸べられたら――自分も救われるのではないかと思っていた。

 浅ましいが、それもまた事実。

 救われたいから、救っている。

 そんな醜い根底を晒され、絶望する未来(りそう)を突きつけられた。

 でも、それを。

 その始まりが偽物であっても、そう生きられたのならば――どんなに良いだろうと憧れた。

 美しい願いだと思ったから、自分も目指したかった。

 無様でも、それでも進むと決めた。

 

 ――その夢は、間違いではないじゃないんだから。

 

 そんな想いが巡り巡って、それまでの自分の道を再認識するようにあの剣に思いを馳せた。

 やはりあの剣は――その担い手たる彼女は、いつだって『俺』の道標なんだと。

 そうして晒された剣に心を混ぜられていると、ランサーがしてやったりといった面持ちで、セイバーに対しこういった。

「晒したな。秘蔵の剣を」

 その言葉を聞いて、セイバーは今しがた起こった現象についての確信を得たのだろう。驚きを隠しきれていなかった瞳は、再びするどさをます。先の風の理由を見て取ったらしく、ランサーへの警戒をより一層強くする。しかし、彼女の剣の真の姿――その正体を、ランサーは確実に目視しただろう。

 事実、ランサーは「刃渡りも確かに見て取った。これでもう、見えぬ間合いに惑わされることもない」といってさらに追撃をしかけていく。

 攻めと守りの均衡がわずかに崩れだした。

 真名に通ずる剣の正体。それまであった分からない間合いという戦闘の好条件。

 有利二つを失っただけとはいえ、それだけでもかなりのアドバンテージをセイバーは失ったことになる。だが、彼女がその程度のことで素直に剣を納めるかといえば、そんなことはあるはずもない。

「……くっ!」

 好機とばかりに、ランサーは正確無比な太刀筋を持ってセイバーを攻め立てる。一撃浴びればセイバーとて無事ではいられないであろう打ち込み。交わすだけとも行かず、その振るわれる一撃ごとに剣で打ち払っていく。

 そうして再び交わる剣と槍。

 するとまた、剣を覆っていた風の衣の一部が剥ぎ取られ、内に秘められた〝黄金の剣〟が露わになる。

 暗がりを明暗するように軌跡を残していくセイバーの剣。槍の穂先が擦れるたびに、隠していた剣の全貌が明らかになっていく。

 セイバーがこのまま終わるとも思えないが、それでもこのまま戦わせていたらいずれ脱落してしまうかもしれない。

 記憶にあるセイバーは、確かに第四次聖杯戦争で勝ち残ったが……しかし、それがここでも同じであるなどとは限らない。ここは過去であるが、自分が体験した第五次に繋がるものかどうかなど分からないからだ。

 

 俺は――『衛宮士郎』は確かに生きている。

 

 けど、それはこの世界の『士郎』の声を聞いた自分と、世界の気まぐれのようなものが重なって起こった偶然でしかない。

 つかり、この世界ではきっと……『衛宮士郎』が生まれることはなかった。生まれない〝はず〟だった。

 なら、その結末がどうなるかなど、俺に分かるわけもない。

 衛宮士郎に、『衛宮士郎』の生まれなかった世界の聖杯戦争は分からない。英霊エミヤにしても、あそこで俺が辿ることになった結末はアイツとは異なるものだった。

『衛宮士郎』の可能性は、聖杯戦争に関わることになって相当に増えている。だが、それでもエミヤと士郎の辿った経緯が違い、別人になった以上――二人の記憶が完全に繋がることはない。夢写しの様なモノなら少しくらいはあるかもしれないが、それもかなりあるか怪しい。

 真名に関しても、『エミヤシロウ』と『衛宮士郎』と一応は異なっている。

 故に、彼女が落ちることはないと高を括り。彼女に屠られそうになったランサーを逃す程度で済ませる――なんていうことが叶うはずもない。

 実際、今この場において追い詰められているのはセイバーなのだから。

 ならば、どうするのか。

 それを今は考えなくてはならない。

(どうするかな……セイバーとランサーを引き離すなら、狙撃でなんとかいけるかもしれないけど――)

 その場合、撃った後二人との交戦を避けることはほぼ不可能に近い。

 なにせ、最速と最優の座に収まっている英霊たちだ。撃った瞬間、二人とも躱して撃ち込まれた方向に攻撃を仕掛けてくるだろう。そうなったら、この身で二人の剣戟に何合耐えられるか。殆ど無理、という結果は……敗北は目に見えている。

 おまけに、此処にはランサーのマスターとアサシン、そして全盛期の〝魔術師殺し〟というオマケ付きだ。二人が見逃してくれても、このマスターと暗殺者から逃れるすべは今の俺には無い。

 果たして、どうするのが一番いいのか。

 考えあぐねて、二人から少しだけ目をそらし、街の方を見つめてみる。

 アーチャー――『エミヤ』だったら、ビルの上からの長距離射撃とサーヴァントの身体能力で易々ことを成すだろう。そう考えると、なんだかとても悔しい気がする。『フン。貴様にはその程度のこともできないのか? やれやれ、相変わらずの未熟者っぷりだな』というアイツの声が聞こえてきそうなのが、更に腹ただしい。

 ――さあ、どうする?

 思考の波が舞う中で、二人はまた一合二合と打ち合っている。

 光と闇のコントラスト。夜の倉庫街に、新たな流れが呼び込まれていく。

 

 セイバーが、仕掛ける。

 

 魔を断つという槍。

 しかし、彼女はまだその槍の性質そのものには届いていない。

 本質ではなく、『風王結界(インヴィジブル・エア)』を破るだけに足る貫通力。結界を削り取るだけの攻撃力を秘めていると、そう考えている。

 そんな彼女がとった行動とは――。

 

(この槍筋ならば……)

 

 セイバーの一挙一動、その思考、先に見るものがなんとなく浮かぶ。

 自分の内にあるたった一つの魔術の一部である、〝憑依経験〟が彼女の太刀筋を少しずつ見知ったものも、知らないものも、体の中に取り込んでいく。

 

 ――彼女のとるその先は、『死中に活』の一手。

 

 狙うは、甘い一撃の先に剣を届かせるカウンター。槍の一閃を打ち払い、懐に跳びこむ。

 槍の軌道によっては身体に一撃を受けるかもしれないが、それは致命傷にならなければいい。

 だからこその死中に活。

 鎧を掠める程度の一撃など、大したものじゃない。

 防げる一撃なら、鎧に任せて一刀一閃。

 相手が自分を打ち払おうとしても、その前に叩き伏せる――!

 だが、それは。

 

(それは、ダメだ……!)

 

 歯噛みしながらセイバーの仕掛けた一閃を見送る。

 彼女の動きに間違いはなかった。ただ、ほんの少し見極めが甘かったというだけで。

 懐へ飛び込んだ彼女の鎧を掠めるはずの一閃が身体を貫く――

 

「…………ッ!?」

 

 ――寸前、彼女の直感が、活に飛び込んで貫かれた死中を躱した。

 脇腹を掠めた一撃。

 それを受けて距離を取る。

 滴る鮮血に、彼女は自分の見立てと合わせて槍の本質を射止めた。

 傷を伴ったその感触は、セイバーの中に浸透していく。

 そんな彼女へ向けて、後ろに控える銀髪の女性――アイリスフィールは治癒の魔術をかける。セイバーは彼女へ向けて礼を述べると、セイバーはランサーへ向けてこういった。

「……そうか。段々とその槍の秘密が見えてきたぞ、ランサー」

 しかし、そんな彼女の鋭く通った声にも、ランサーは興が乗ったかのように楽しげに笑う。セイバーを突き抜けなかった落胆はなく、寧ろ楽しそうに返した。

「やはり、そう易々とは勝ちを獲らせてはくれんか……」

 暫し、二人の視線のみが交錯する。

 交わった視線を先に外したのは、セイバーだった。ランサーの槍に目を向けると、深紅の柄と矛先を眺めてから一言。

「そうか。その槍は――魔力を断つのだな」

「ご明察……鎧の守りを頼みにしているというのなら、諦めるのだなセイバー。俺の槍の前では、丸裸も同然だ」

 赤槍を向け、そう微笑とともに告げる。場の流れは、完全にランサーへ向いていく――

 

「――たかだか鎧を剥いだぐらいで、得意になられては困る!」

 

 セイバーはランサーの声を遮るようにそういった。

(形勢は、まだ変わりきってなどいない!)

 バッ! と、手を振り払い鎧を脱いだ。包まれていた青いドレスを露わにした彼女はどこまでも綺麗で、思わず息を呑んでしまうほどで……目を、奪われる。

 声も失い、どこまでも気高い彼女の存在をひしひしと感じさせる。

「ほう、思い切ったものだな……乾坤一擲、ときたか」

「防ぎ得ぬ槍ならば、防ぐ前にきるまでのこと。覚悟してもらおうか、ランサー!」

「その勇敢さ、潔さは……決して、嫌いではないがな」

 二人の闘気が、再び膨れ上がった。

「しかし、この場に限って言わせてもらえば――それは失策だったぞ。セイバー」

「さてどうだか。諫言は、次の打ち込みを受けてからにしてもらう」

 張り詰める空気が、二人の剣戟の開始を待つ。

 

「「――――」」

 

 はっ、となる。

 今度こそ、本当に拙い。それに気づくのが遅れてしまった。

 このままでは、セイバーが勝つかあるいは癒えぬ傷を残されてしまう。

 マヌケだった……今度こそ、何か手を打たなくてはならない。

 ぼやぼやしている暇はない。

 二人が動き出す前に、俺の次の一手を――!

 もう迷っている時間もなく、これ以上の戦闘による影響を二人に残すわけにはいかない。

 

「――行くぞ」

 

 左手に弓を、右手には剣を。

 そして、自分の体である剣を――相手へ向けて放つための、己が矢へと変えていく。

 

 

 

 ――――I am the bone of my sword.(我が骨子は捻れ狂う)

 

 

 

 



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第五話 ~震撼する戦場、迫り来る影~

 第五話です。


 射貫く矢、そして降り立った王

 

 

 

 心静かに、(けん)を弓につがえる。

 少し高い倉庫の上。幼子らしからぬ身のこなしが出来たことから、だいぶ()()()()()()のだという事が解る。

 狙う先には二つの人影。猛き青と緑の戦士たちが持つ、剣と槍。また、射るは剣と槍の間。二人の激突するその隙間を撃ち抜く。

「……ふぅ」

 一息(いきひとつ)。集中の撃鉄が起こされた。

 傷つけることなく、二人の攻め筋にある空白を貫き、勝敗なき錯綜をこの場に作る。

 外しはしない。少女が剣を覆う風を解き放ち、丈夫が二槍を操り少女の不意を狙う、その刹那を再び静に還すために、この世界で初めて弓を引く。

「――――」

 引き絞りながら、囁くように詠唱(コトバ)を紡いだ。

 声に合わせ、引く手に合わせ、手の中にある『剣』が『矢』に変わっていく――

 

 ――――I am the bone of my sword.(我が骨子は捻れ狂う)

 

 螺旋を描く剣が、その身を更に引き絞られ――より鋭く、より速く、対象を穿ち貫くためのものへと姿を変える。

「――偽・螺旋剣(カラドボルクⅡ)

 真名を解放し、『鷹の目』と称されたこの目で両者の間にある隙を射る。

 少女が解いた風が伝わる。頬をなでる猛々しい感触は、自分にとっての強さの象徴である彼女にはふさわしい。

 が、それさえも今の己にはどうでもいい。

 矢を引くことで(から)となったこの身は、今はただ彼女の剣と、向かってくる彼女をもう一つの真打ちで穿とうとしている槍兵の槍先のみを狙う。

 響く地鳴りすら意識の外に置いて、決定している軌跡をなぞれと矢を放った。

 それで、もうこの状況は終わった。

 外すことはない。それは、数少ない自身の中にある矜持であるからこそ。

 直ぐさま二本の剣を作り、次に起こる事態をかき消すために矢を少しずらした方へ向け、弓につがえる。続けざまのこの二射も、焦ることはない。この身が未だ幼かろうと、落ち着いて放て。

 焦る必要は無い。『矢』は、これらの『剣』は、己が体。

 自分が成すために、ただ一つの世界に閉じ込められた記憶であり、同時に『(カラダ)』という全て。

 経験(きおく)を重ねたばかりの身体は、まだまだ未完成で完全というにはほど遠いが――それでも、この身が至った理想が、誰かを救うことである限り、こればかりはし損じるわけにはいかない。

「赤原を駆けろ、緋色の猟犬――喰らえ、赤原猟犬(フルンディング)……ッ!」

 それぞれの赤い矢に、それぞれの獲物を命じて撃ち放つ。とはいえ、本当に射貫(いぬ)くための奇襲ではなく、最初に放った場所を誤魔化すためだけの牽制の一撃。

 本来ならば決して離さぬ猟犬も、未熟なこの身でそれならば、そこまで行ければ上々だ。元より、英霊相手ではそう易々とは必中はとれはしないのだから。

 だが、それでいい。

 戦況は、これで変わる。その先はいまいち解らないが、それでもいい。

 今、ここで英霊に死なれるのは困る。戦うことが騎士の誉れだとしても、それでも俺は邪魔をする。

 聖杯戦争という中で、今目の前で起こるそれらから始まる悲劇を、叩き潰すために。

 

 

 

 ――英霊たちでさえも気づかない内に、無駄なく放たれた三本の矢が、運命の夜を覆う闇を駆けだした。

 

 

 

 ***

 

 

 

 一閃必中。

 狙い定めた一撃は、確実に相手を屠るだけの威力を持っている。

 解き放った風が、体躯(カラダ)を後押しする疾走感に駆られながら、手に握った愛剣が後ろで引かれるほどに振りかぶりながら突進する。

 通常の踏み込みに対して、その速度は実に三倍近く。英霊の身体能力を考えれば、ゆうに音速を超えそうなほどの勢いのまま、敵であるランサーの懐へ飛び込む。

 風を解く寸前、奴が僅かながらに足捌きを誤ったのが見えた。

 その隙、僅かながらの解れへと、文字通り飛び込んでいく。敵の赤槍を吹き飛ばす心算で、剣を振るう――

「――――ふっ」

 笑っ、た……?

 敵の浮かべた笑みの意味が解らず、目の前の光景が急に停滞を始めたが、そのくせ身体はちっとも動かない。

 生命の危機に瀕した時の、思考の加速。

 ――私は何か、重大な見落としをしているのか?

 自身への問いかけも、突き進んでいく体躯も。何もかもが世界から、空間から、時間から切り離されたかのように、自分の思考の中に沈んでいく。

 そんな中、黙視していた深緑の戦士が足下から何かを蹴り上げた。

 無駄なくてに収められたのは、先程放り捨てた短槍。

 そこで、ようやく気がついた。

 

 〝――宝具は、決して単一とは限らない〟

 

 そんな基本に、今一度立ち戻る。

 あの槍兵が、もし二本の槍を操る伝承を持つ英霊なのだとしたら――あの二つの槍は、何方も奴の『宝具』たり得るのだということに。加えて、飛び込む前に奴の言った言葉。

 それは――。

 

『しかし、この場に限って言わせてもらえば――それは失策だったぞ。セイバー』

 

 つまり奴には、飛び込んでいく此方を貫くだけの何ががある。

 有利に転じた筈が、一瞬にして不利な状況に転じた。だが、それがどうした。此方の一撃もまた、魂を込めて放つ一撃。

 ――何方も自分の矜持を掛けて、真っ向から突き抜ける!

 そう決意した瞬間。停滞した時の流れは終わりを告げ、周囲に色彩(いろ)が取り戻された。

 しかし、奴の槍と私の剣が交わることはなかった。

 それどころか、私と奴はその交わる筈だったその隙間を、正確無比に〝射抜いて〟きた『誰か』によって貫かれた。

 だが、それは相手(ランサー)にとっても予想外らしく……奴もまた、自らの黄色の短槍の穂先を弾かれた事に驚き、目を見開いていた。

 その驚きも頷ける。

 何せ、その射は――私たちの剣と槍が交錯する直前の、私の腕を擦る槍先とランサーに届こうとしていた剣先を()()()()弾き飛ばし、私たちを無傷のままに左右へ吹き飛ばしたのだから――――

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「ぐっ……!?」

 ドザザッ! と、セイバーが地面に身体を擦らせ止まった。勢いがついていた分、彼女の方が俺よりも体勢を崩されたらしい。

 此方は弾かれた槍を手から取りこぼした程度で、姿勢によろめきはさしてない。

 それこそ、今すぐ喉元を突かれたとて、それを躱し敵の喉笛を狩らことは造作もないほどに。

 しかし今、この身を驚愕に晒しているのは、先程まで互いを斬り伏せんと肉薄していた俺たちを、剣先を交わらせる事なく引き離した何者か。

「――何奴……?」

 矢の飛んできた方向を見ながら、矢を放った者の意図を探る。

 援軍かと思いもしたが、それにしてはおかしい。あれほどの射にも関わらず、矢を放ったであろう何者かは、決して〝俺だけ〟を狙ったのではなかった。そうでなければ、あの瞬間に、あとほんの僅かばかり矢の軌道がズレていただけでも、今頃は確実に俺の脳天は貫かれ地に伏していただろうに。

 なのに、狙われたのは俺とセイバーの〝二人〟――いや、これも正確ではない。

 より正確にいうならば、狙われたのは俺たちの武器の切っ先。

 何方も倒さない、傷つけないことを前提とした精密な射撃。

 そこに己の力を鼓舞する意図は見受けられず、寧ろ受けた此方からすれば――あの射は、セイバーを庇った(・・・)かのようにも見えた。

 だが彼女もまた、矢が此方へ向け放たれた瞬間に動揺していたことから――これは恐らく、彼女の知るところではない第三者からの追撃と考えるのが自然か。

 彼女の『陣営』からの援護とも考えられなくはないが、先程のは紛れもなく『矢』であった。それも、相当な神秘を纏ったものであり、同時に何処かケルト系の流れを持つかのようにも感じられた。

 となると、新手という事になるのか? と、考えもしたが――どうもその線はなさそうだ。

 殺気らしい殺気が感じられなかった、と考えていた――――その刹那。

 

「「――――――ッ!?」」

 

 再び、矢が襲い来る。

 ほぼ同時に飛来した二本の赤い矢。更に信じられない事に、それらはまるで意思があるかのように、俺とセイバーの両方を狙って向かってきた。

 セイバーはすぐさま起き上がり、その矢を躱そうとしている。

 此方も直ぐさまそれに倣い、躱す。

 最優、最速の『(クラス)』は伊達ではない。

 危なげなく、迫る矢を躱そうとした。

 だが、

「な――に、……っ!?」

 その矢は、躱そうとしたとした獲物を追う猟犬のように、その動きを不規則に曲げて、こちらへ迫る。

「くっ……!」

 槍で弾く。喰らいつかれそうだが、落とせぬ程ではない。

 そして、『宝具』であるならば――この手の魔槍は、魔を根底から断ち切る!

「せあ――ッ!」

 赤は赤によって砕かれ、魔力の粒子に変わっていく。このことから、矢が宝具であるという確信に至る。

「やはり宝具……となると、新手というのは確かなようだな」

 此方と同様に、矢を叩き伏せたであろうセイバーへ視線を向けそういうと。

「その様だな。決闘を邪魔するとは、その了見を問わねばならんな。ランサー」

 彼女はそう答えた。

 ああ、だからこそ――この『騎士王』たる彼女は好ましい。

 正体を晒して尚、決して萎縮する事なく真っ直ぐな心根をもつかの王に、騎士としてどうしようもない畏敬を感じる。

 だがその前に、この場を掻き回した無粋な輩を拝まずにはいれまい。

 矢の飛んできた場所の当たりは凡そついた。しかし、第二射――ほぼ間の無い二連の〝一射〟に思えた一撃は、飛んできた方向が分からなかった。十中八九矢の特性なのだろうが、万に一つ撃ち手の力でないとも限らない。

 どうにも、動きを封じられた。

 それはセイバーも同じようで、彼女の視線は、口惜し気に第一射の放たれた辺りを見つめるまでに留められている。

 場は、再び静まり返ったかに思われた――――

 

 

「――――AAAALaLaLaLaLaie(アアアアララララライッ)!!」

 

 

 刹那の静寂をぶち破るかのように、雷を迸らせながら巨大な戦車がよく似合う大男がこの場に降り立った。

 筋肉隆々。猛々しい事この上ない風貌で、まさしくそれに相応しいと言わんばかりの豪快さで、その大男は声を張り上げ、俺たちへ向けてこう宣言した。

 

「双方剣を収めよ、王の御前である!」

 

 自らを王と称したその男は、その巨体には似合わない憎めなさを伴う笑みを浮かべながら、有り余るほどの威厳を放ち、周りの空気を自分自身の色へと染め上げている。

 それはまるで、何もかもを蹂躙していく大勢の如く。

 

「我が名は征服王イスカンダル! 此度の聖杯戦争では、騎兵(ライダー)の『(クラス)』を以て現界した」

 

 

 

 豪快にして不遜極まりなく、自身に絶対の自信を持つ確固たる姿。加えて、自らの真名を隠そうともしない何とも風変わりな『王』の登場に、場の流れは再び塗り替えられていくのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――――『冬木大橋』。

 

 聖杯戦争においての戦いの場にして、その儀式の大本たる『大聖杯』の眠る土地――冬木市の『新都』と『深山町』を二分している大河を渡る巨大な橋である。

 その橋の上、より正確に言うならば、車の走る道路のさらに上。

 橋にかかるアーチの鉄骨の上に堂々と立つ身長二メートルはあるだろう大男と、それとは対照的にびくびくと鉄骨にしがみついて震える小柄で中性的な少年がいた。

「ラ、イ、ダー、降りよう、ここ……早く!」

 震えている少年。ウェイバー・ベルベットは、ここに上って何度目になるか分からない弱々しい声で己のサーヴァントであるライダー、『征服王イスカンダル』にそう告げる。だが、先ほどから続くこの嘆願は風に流され、ここから唯一降ろしてくれるであろう存在のライダはも、遠く離れた倉庫街で戦っているらしいセイバーとランサーの戦いに夢中でウェイバーの言うことなどちっとも聞いてくれはしない。

 半泣きのまま「……もう嫌だ……イギリスに帰りたい……」と泣き言をぶつぶつと呟くウェイバーに、ライダーは最初のほうこそ冗談交じりで相手をしていたが――とはいえ、そんなデコピン一つとっても、ウェイバーからすれば命の危機に等しいものだったが――今はそちらには目もくれず、ただひたすらに倉庫街での戦いを凝視している。

「……いかんなぁ。これはいかん」

「な、なにが……」

 久方ぶりに口を開いたライダーに対し、ウェイバーは純粋にライダーへ質問をしたかったのか、はたまた自分で自分の気を紛らわそうとでもしたのかどうかも分からないままに口を開く。

 ともかくそう訊くと、ライダーは暫し己の思考を反芻した後、ようやく応えた。

「ランサーの奴め、決め技に訴えおった。早々に勝負をつけるつもりだな、ありゃぁ……」

「え、それって好都合なんじゃ――」

 聖杯戦争に挑むマスターの一人として、サーヴァントが一人でも脱落してくれるならば喜ばしいことなのではないのかと、自分が橋の鉄骨の上にいることも僅かに忘れてウェイバーはそう思い、ライダーにそういったのだが……どうやら、この時二人の間にない共通認識の齟齬(そご)は〝高い所は危険である〟というモノだけではないようだった。

「馬鹿者。何を言っとるか」

 ガン、と鉄骨を踏み鳴らしライダーは苛立ちを橋に伝える。

 英霊であるライダーがそんなことをしたら、必然その橋はただではすまない。しかし、そんな愚考にわざわざライダーがはまるわけもないのだが、ことその隣で橋の揺れを直に受けているウェイバーからしてみれば恐ろしいことこの上ない。

「ひい……っ!?」

 またしても小さく悲鳴を上げながら、ますますがっしりと鉄骨を細腕で抱きしめる。

「もう何人か出揃うまで様子を見たかったのだが、あのままではセイバーが脱落しかねん。そうなってからでは遅い」

 その言葉に、ウェイバーは怪訝な顔をした。

「はあっ? ほかのサーヴァントが潰し合ったところを襲う計画だったじゃないか」

「……あのなぁ坊主、何を勘違いしおったか知らんが」

 ライダーは呆れた様子でウェイバーを見返す。

「確かに余は、ランサーの挑発にほかの英霊が乗って出てこないものかと期待しおった」

「な、ならなんで……?」

 ウェイバーにしてみれば至極当然の疑問。しかし、ライダーにとってそれはまた違った意味であり、同時に彼にとってごくごく当たり前のことだった。

「当然であろう。一人一人相手をするより、まとめて相手をしたほうが手っ取り早かろう」

「まとめて……相手?」

 呆然となりながらもそう呟いたウェイバーを見て、ようやく己が主も我が意を得たかとばかりに笑みを浮かべたライダーは、狩る獲物を見つけた獣のように唸りを上げると、嬉しげにこう語った。

「応とも。異なる時代の英霊豪傑と矛を交える機会など滅多にない。それが六人もそろうとなれば、一人たりとも逃す手はあるまい?」

 獅子か熊でも目の前にしているかのような気分にさせるその様に、これがライダーなりの含み笑いなのだろうとは思っても、どうにもその恐ろしさからは脱しきれないウェイバーをよそに、ライダーは早速とばかりに腰に下げた剣を抜き、今尚続く剣戟の真っ只中へ乱入する気満々で己が戦車(チャリオット)である〝 神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)〟を呼び出そうとする。

「現に、あのセイバーもランサー。あの二人にしてからが、ともに胸の熱くなるような益荒男どもだ。気に入ったぞ、死なすには惜しい」

 嬉々としたままライダーはそういうが、ついにその物言いにウェイバーは我慢できずに怒鳴る。

「死なさないでどーすんのさ!? 聖杯戦争は、殺し合いだってば――」

 しかし、そんな精一杯の威勢さえ、かの征服王の前ではデコピン一つで終わってしまう。

「勝利して尚滅ぼさぬ! 征服して尚辱めぬ! それこそが、真の〝征服〟である!!」

 高らかに宣言し、ライダーは雷を迸らせて戦車を呼んだ。

「さて、見物はここまでだ坊主。我らも参じるぞ!」

「馬鹿馬鹿馬鹿! お前やってること出鱈目だ!」

 最早ついていけないと、ウェイバーは言おうとした。付き合いきれない。もう勝手にしてくれ、と。

 だが、

「ふむ……では気に食わぬなら、ここで余が戦い終えるまで待つか?」

 それはつまり、降りれもしないこの場所に一人取り残されるということで――

「行く! 行きます! 連れて行け馬鹿!!」

 ウェイバーは、もう恥も外見もかなぐり捨ててそう叫んだ。

「うむ! それでこそ我がマスターだ!!」

 満足そうにライダーは自身のマスターを伴って戦場へと向かう。

 

「いざ駆けよ! 神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)!!」

 

 新たな一石が投入され、静まり返りつつあった水面(せんじょう)は再び波紋に踊らされた。

 そうして、戦場へ向かうライダーだったが――その前にもう一度と、再びセイバーとランサーのぶつかり合いを目視しようとして、目を向けた。

 すると、丁度それは二人がぶつかり合う瞬間。さらに、その瞬間に新たな第三者からの介入があったのが見えた。

 赤槍と黄槍、そして黄金の剣。二つの神秘がぶつかり合い、剣がランサーの槍を払い、セイバーの左腕を黄槍が擦ろうとしたとき、射られた矢の一閃がそれらを弾き飛ばす。

 一見すれば、騎士同士の戦いを愚弄した無粋な一撃。しかしそれは決して卑怯な暗躍ではなく、寧ろもっと別の何か故のものであると感じられる。

 そんな征服王たる彼の目には、自分とはまた別にあるもう一つの『波乱』の予感がありありと映し出されていた。

 

(はてさて――こりゃあ、心躍るのぉ……っ!)

 

 

 

 再び、戦況は動き出す。

 

 

 

 ***

 

 

 

 響いたのは、まさしく轟音。

 何事かと音の方を凝視すると、そこには二頭の牛が引く、雷を迸らせた巨大な戦車(チャリオット)と、それに乗った戦車の巨大さに見合うだけの巨軀を持った大男が勇ましい咆哮を上げながら降りてくる。

 

「――――双方剣を収めよ、王の御前である!」

 

 一体何なのかと驚愕に頭を悩ませていると、先ほどの不遜な物言いのままに、男は豪快に自らの名を叫びながら、この場にいる全ての者にこう宣言した。

「我が名は征服王イスカンダル! 此度の聖杯戦争ではライダーの(クラス)を以って現界した」

 その潔すぎる有様に、というよりも寧ろ――その馬鹿正直さというか、馬鹿馬鹿しいほどの無鉄砲さを目の当たりにして、先ほどの宣言を聞いた誰もが呆気に取られてしまい、言葉を失っていた。

 唯一、その征服王のマスターらしい少年だけが「何を――考えてやがりますかこの馬鹿はあああぁぁぁっ!!!???」と、気の毒なほどサーヴァントに振り回されているのが目に見えてわかるツッコミをしていたが、征服王はとりとめもなく少年にデコピンをかまして黙らせる。

 非常に気の毒なことだが、この混沌とした場ではあまり意味を成さなかったそれは、夜気に渡った痛そうな音と少年の受けた痛みだけを代償に沈黙という名の海に沈んだ。

 そんな中であるが、当の本人である征服王はまったく気にすることなく、己のもたらしたこの悶々とした空気すらも楽しむかのように、二人の騎士と――未だこの場には見えぬもう一人の狙撃者に対して問答を始めようとしている。

「うぬらとは聖杯を求めて相争う巡り合わせだが……矛を交えるより先に、まずは問うておくことがある。

 うぬら各々が聖杯に何を求めるかは知らぬ、だが、今一度考えてみよ。その願望、天地を喰らう大望に比して尚、まだ重いものであるのかどうか」

 何を、言っているのだろう。

 死角に身を顰めながら、士郎はそんなことを考えた。

 征服王を名乗る大男というだけでも、今一つ頭が追いつかなさそうなものだが、それに加えてこの問い。はっきり言って、どういうことなのか理解しがたい。

「何なんだよ、一体……?」

 ボソリと、そんなことを呟く。お人好しの代表格のような士郎をしてこれである。ならば、他の面々がいかほどの不信を覚えたかは想像に難くない。

 そもそも、何を言いたいのか今一つ分からないが、要するにそれは〝聖杯を奪い合う間柄になってしまってはいるが、世界を喰らいつくすような大きな野望を前にしても尚、自分たちの願いがまだ重いものであるのかどうかを今一度考えてみろ〟――という事なのだろうか。

(滅茶苦茶だ……)

 図らずして、件の征服王――ライダーのマスターと同じことを考えた。いつの世も、振り回される側の人間というのは、総じて似たような思いを胸にするものらしい。

「貴様――何が言いたい?」

 この場において最も堅物な少女、セイバーはライダーのその物言いを無礼だと感じているのか、キツめの物言いで問いに問いを重ねた。

「うむ、嚙み砕いて言うとだな……」

 しかし、そのつんけんとした態度さえライダーにとっては些末な事らしく、飄々とくだけた口調で自らの意を唱え始める。

「ひとつ我が軍門に下り、聖杯を世に譲る気はないか? さすれば余は貴様らを朋友として遇し、世界を制する快悦を共に分かち合う所存である」

 

「「「…………」」」

 

 その言葉に、いよいよ皆が言葉を失い始めた。

(なんでさ……)

 士郎を始めとした、ランサーやセイバーたちの様に、呆れて言えなくなる者たち。

 唖然としたまま、言葉どころか思考まで固まってしまっているアイリスフィールたちマスター陣。ただし、切嗣とその相棒である舞弥に関しては、呆れというよりほとんど嘆息のようなもの故の沈黙であったようだが。

 その場に再び、暫しの静寂が流れる。

 場を搔き回し、動乱させたのも征服王であるのならば……起こした動乱をまた凍り付かせて沈ませたのもまた、征服王その人であった。

「先に名乗った心意気には、まぁ感服せんでもないが……その提案は承諾しかねる」

 滞った空気の中、先に口を開いたのはランサーだった。

「俺が聖杯を捧げるのは、今生にて誓いを交わした新たな君主ただ一人だけ。断じて貴様ではないぞ、ライダー」

 忠義を果たすべくこの戦いに馳せ参じた彼にとって、征服王の人を食ったような物言いはあまり好ましいものであるとは言い難かった。

 真名を堂々と晒してきた豪胆さこそ感心しもしようが……それでも彼の提案はあまりにも突拍子のない暴挙である。

 確かに、〝世界征服〟という一点において、征服王イスカンダル程その言葉の真意と実現に近づいた者もおるまいが、そんな彼の発した『我が軍門に下れ』という提案は破天荒すぎる。

 英断か愚行かでいえば、まず愚行であると同時に、何よりも暴挙であるといえる。

 挙句矛も交えない内から懐柔を求める行動は――己が信条を、絶対的な信念と真理であるかのように生きる様は、端からこの世を縛る何ものも意に介さないという姿勢はまさに、聖杯戦争という枠組みすら逸脱したもの。とてもではないが、従う気になどなれない。

 そしてそれは、騎士としての矜持を抱くセイバーとて同じこと。

「戯言が過ぎたな征服王。騎士として許しがたい侮辱だ」

 また、元来生真面目な彼女にとっては不愉快極まりない提案であったらしく、ランサーの様な僅かな呆れの笑みすらない顔で征服王を睨みつける。

 しかし、そんな二人からの鋭い視線を受けてもまだ、征服王は彼らを諦めきれないらしく「むぅ」と唸ると、再び二人へ向けてこういった。

「……待遇は応相談だが?」

「「くどい!」」

 にべにもなく、一喝。

 提案をすげなく蹴られた征服王は、惜しみつつも唸るばかり。これ以上言葉を重ねても、二人はてこでも動かないであろうことが分かり切っている以上は、非常に惜しいが一度諦めなくてはならないかと征服王は次なる征服の手段を考えようとした。

「惜しい。惜しいなぁ……是非とも貴様らをわが軍に加えたかったのだが――」

 その時、ふと思い出した。

 今この場に出ている二人以外にも、同じように勧誘を掛けたかった存在がいたことに。

「おぉ、そうであった――! もう一人おったな。先ほどセイバーとランサーの矛先をかすめ弾きおった強者が」

 辺りを見渡す。

 士郎もまたその視線に僅かながら驚き、身をすくませた。

「そろそろ出て来てははどうだ。ここにおるのであろう? なぁ、先ほど矢を放った弓兵よ!」

 そんなこと言われても、出ていくわけにいかない士郎は「俺にどうしろっていうんだよ……」と、小さく念じた。

「うーん、出てこんなぁ……」

「あ、当たり前だろ! そもそも、場所晒して狙撃手の意味があるわけ――ッデェ!?」

 ボクハゴクアタリマエノコトヲイッタダケナノニ、とウェイバーは泣きながら、本日何度目かを数えるのも忘れた強烈なデコピンに晒された額を(さす)った。その心情は押して知るべしである。

 同情とは失礼かもしれないが、誰もがその状態に気の毒に思ってしまった。何せ、傍から見れば屈強な大男と線の細い子供である。主従逆転している状況は、どうにもこうにも、気の毒に映ってしまうのだから。

(なんだかすみません……ライダーのマスターさん)

 一応時代的に目上なのは明白なので、そんなことを一人胸中でごちた士郎。

 正直、今すぐに出て行って事情を説明出来たのなら、どんなに楽か分からない。若干自分のせいでウェイバーの額が痛みに晒されていると、どうにも心が痛む。

 何というか、苦労人としてのシンパシーのようなものが働いている気がした。気の強い女性陣に振り回される自分も、傍目にはあんなもんだったのだろうかと思うと、せめてあの場の誰か一人でも自分の言葉を真摯に聞いてくれる人がいればなぁ……と、思わずにはいられない。何故なら、〝聞いてくれそうな人〟というだけならばともかく、〝まともに取り合ってくれる人〟となると、この場においては流石に難しいであろうから。

 しかし、

「こりゃー交渉は決裂か……勿体ないのう、残念だなぁ……」

 そんな思いもつゆ知らず、単純に残念だとぼやく征服王。頭を搔きながら下を向くと、何やら恨めし気な思いを訴えてくる視線と目が合った。

 彼を恨めし気に見る視線の先には、ウェイバーが額を腫らしながら、それに勝る口惜しさや惨めさで擦れた声をライダーへと送る様が見えた。

「ら、い、だぁぁぁ……どうすんだよぉ……征服だのなんだのいっといて、結局総スカンじゃんかよぉ……」

 お前本気でセイバーたちを部下にできるとか思ってたのか? とウェイバーが締めくくると、征服王は――

「――まぁ、〝ものは試し〟というからの」

「〝ものは試し〟で真名バラしたんかい!?」

 どうしようもない理由を、さも当然の様に堂々と言い張った。

 ウェイバーにとっての初めての、本格的な『戦い』の場である聖杯戦争。しかも、初めての『実戦』であるそれを、彼にとっての初戦で、真名を堂々とばらして自分たちが不利になった上、サーヴァントは言うことを聞きもせず呑気なこととを平然とやってのけているというこの状況。

 二重三重に降りかかる責め苦に、ウェイバーは己の自尊心や自信、戦いに賭ける意欲や情熱といったものを悉く潰されてしまう。

 その上――

 

『おやおや、誰かと思えば……』

 

「――――っ!?」

 この場で、もっとも聞きたくなかった(もの)が聞こえてくる。

『何を血迷って私の聖遺物を盗み出したのかと思えば……まさか、君自身が聖杯戦争に参加する腹だったとはねぇ? ウェイバー・ベルベット君』

「ぁ、……ぁ……っ」

 その声は、ウェイバーが最も嫌っていたものだった。同時に、それはこの戦いを通して、彼が最も鼻を明かしてやりたいと願っていた相手の声でもあった。

『残念だ。いやぁ、実に残念だよ』

 好都合であった。

 今ココには、自分の呼び出したサーヴァントであるイスカンダルがいる。

 この場にいるどの英霊にだって引けを取らない、大英雄。それを、この僕が呼び出したんだ! と、言い返してやりたい。

 しかし、浮かぶ思考とその意思に反したまま……ウェイバーはただブルブルと震えているしかなかった。

 怨嗟を含んだその声と、他ならぬ自身の名を呼ばれたことで、相手が誰なのかが嫌という程理解できてしまう。

 他の誰にも、ウェイバーのことが分からないのがここにおけるせめてもの救いだろうか。

 敵である相手の聖遺物を盗み出して、聖杯戦争に参加した。事実、ウェイバーの手には令呪が宿り、こうしてイスカンダルが現界している。それだけで見れば、万能の願望器を巡る戦いにその者を出し抜いて選ばれたと誇ることもできよう。散々受けてきた辱めに対する、最も効果的な意趣返しではないか。

 だが、その相手もまた新たに聖遺物を手に入れ、戦争に参加してきた。

 どうしてそんなことを予想できなかったのか。奴よりも、自分の方が選ばれたのだと、そう思って浮かれていたのは間違いだったのか。敵――時計塔という魔術の世界の最先端にいる教師であり、魔術師としての力を〝神童〟とまで呼ばれ讃えられた男である、あの『ケイネス・エルメロイ・アーチボルト』を出し抜いた。

 それだけのことをしたと思っていたのに、その男はこうして敵として立ちはだかって来た。

 言い知れぬ恐怖が、ウェイバーを襲う。最早、長々と芝居がかったかのような口調で自分をなじるケイネスの声など耳に入ってこない。やり返してやりたいと思っていた恨み辛みすら、萎んで地に枯れ落ちた。

 彼の思考に残ったのは、たった一つのこと。

 ――逃げなくては。逃げなくてはならない。

 幸いなことに、ウェイバーの相棒であるイスカンダルの(くらす)は『ライダー』。機動力に関しては、この場にいる誰よりも秀でている。確実に逃げ切れる……否、そうでなくては困るのだ。こんなところに居たら、確実に殺されてしまう。

 魔術師として、言葉の上で理解したつもりだったその意味と、普段笑い飛ばしていたその重みを今――ウェイバーはその身をもって体験していた。

『到し方ないなぁ、ウェイバー君。君については、この私が特別に個人授業を受け持ってあげよう』

 向けられた殺気に、もう心臓が凍り付きそうだった。

『魔術師同士が殺し合うという事の、本当の意味――その恐怖と苦痛とを、余すところなく教えてあげよう。光栄に思いたまえ』

「……ぁ、っ……は、ぁ……」

 息が乱れ、目の前は白いのか黒いのかすら判らなくなっていく。

 屈辱であると、普段の彼ならそう思ったであろう。ちっぽけな矜持を胸に、蟻が巨象に挑むことを厭わないのだと胸を張っただろう。それこそ、勇気であると。自分にはそれを成すだけの力があり、努力を積むことでそれは成されるという虚勢を張れたはずなのだ。

 そこに、得体のしれない〝死〟というものがなく、自分がその場でそれを受け入れなければならないと強いられていなければ、だが。

 矮小な己はこの場の流れにすら飲み込まれ、潰えてしまうのだと、彼には間違いなく、その確信があった。

 が、しかし。

「おい、魔術師」

『……?』

 何も救ってくれるものなどいない筈の場で、

「……ぇ……」

 救いの手は、何よりも近い隣から差し出されていた。

「先の話から察するに、貴様は坊主に成り代わって余のマスターになる腹だったらしいな」

 征服王は、『ライダー』として己を呼び出したウェイバーを庇いたてた。

『…………』

 相手からの答えが返らずとも、征服王の言葉は終わらない。

「だとしたら片腹痛いのぅ。余のマスターたるべき男は、余と共に戦場を馳せる勇者でなくてはならぬ。姿をさらす度胸さえない臆病者なぞ、役者不足も甚だしいぞ」

 その言葉に、ウェイバーは沈み呑まれた重い空気(どろ)の中から引き揚げられたような感覚を覚えた。

 征服王イスカンダルが、ただの人からその上である英霊にまで至るほどの偉業を成した男が――自分を認めて、肯定してくれたのだと。

 それだけのことが、今のウェイバーにとっては、何よりも救いであった。

 そのことが不愉快であるといった怒りが征服王に向けられるが、そんなものが何だとばかりに呵々と笑い飛ばす。いかに優秀であろうと、姿を晒せぬ臆病者が何だとばかりに。

 征服王の豪快で確かな優しさにより、ウェイバーの心中が多少なり安定を取り戻していく。それを見て、満足そうな笑みを浮かべた後、征服王は今宵の大一番に至るべく、元から大きな声を更に張り上げて、その場全てに今一度宣告した。

「おいこら! 他にもおるであろうが。闇に紛れて覗き見をしておる連中は!」

 その言葉に、倉庫の周りにいる者たちは僅かばかり眉を潜め、何かを仕掛けてくるつもりなのか? と警戒を強めた。

 だが、先ほどまで戦っていた二人は怪訝な顔で征服王に問う。

「――どういうことだ? ライダー」

「セイバー、それにランサーよ。うぬらの真っ向切っての競い合い、まことに見事であった。あれほどに清澄な剣撃を響かせては、惹かれて出てきた英霊が、よもや余一人などという事もあるまいて」

 まして、先程の弓兵は主らの戦いを止めるに足るほどのものであったしのぅ――と、征服王は感慨深そうに言った。

 手を出さない者や、隠れながら見るだけの者。何もせずに傍観するだけの者。

 そんな闘志に乏しい者たちではなく、止めるだけの力を持ち、誰も傷つけない様なこの状況を作り出した。だからこそ、面白いと征服王は姿なき弓兵に賞賛を送る。

 だが、この戦いにおいては正式な弓兵ではない士郎としては、そういわれると、この戦いにいるであろうあの金ぴか野郎の気を煽ってしまうんだろうなぁと、今から少し胃が痛くなった。互いに天敵であるが、勝てるのは奴が慢心しているからである。加えて、もっと魔力を円滑に流せるだけの準備が無ければ切り札は使えない。

 というか寧ろ士郎的には、何故征服王はたかが横やりを入れただけの自分にここまでいうのかの方が不思議だった。こんなことでいちいち賞賛されたら、あの金ぴかが面倒な具合に怒りだしかねない。

 前途は多難だ、と士郎がため息をつこうとした、その刹那。

「情けない。情けないのぅ! 冬木に集った英霊豪傑どもよ。このセイバーとランサー、そして未だ出てこぬが何やら高潔なアーチャーが見せつけてきた気概に何一つとして感じることが無いと抜かすか? 誇るべき真名を持ち合わせておきながら、コソコソとのぞき見に徹するというのなら、腰抜けだわな。英霊が聞いてあきれるわなぁ。んんッ!?」

 隠れ潜むやり方を笑い飛ばした征服王は一息吸うと間髪入れず、更なる怒号如き声を響かせ熱弁を振るった。

 

「聖杯に招かれし英霊は今! ここに集うがいい。尚も顔見せを怖じるような臆病者は、この征服王イスカンダルの侮蔑を免れぬものと知れ!!」

 

 士郎やアイリ、ウェイバーは内容にこそ割と関心したものの、その咆哮然とした大声に思わず耳を塞ぎ……セイバーやランサーはその豪快さや潔さに僅かばかりの感嘆を覚えた。

 だがしかし、ケイネスはそのライダーの言い分が自身を卑怯者であると言われている様で腹ただしさを感じたが……己はランサーをその場に出している上、魔術師である以上、こうした行動は卑怯で姑息な考えによるものではなく『戦略』の一つであるとし、知性や気品といった面を欠いた征服王に、先程ウェイバーを庇った分も含めての侮蔑を向けるだけに留め、姿は晒すことはなかった。

 其れよりも離れた場所に座すアサシンは、征服王の挑発に乗ることなく、己が『暗殺者』たる矜持故に傍観を続けることを選ぶ。

 そして、アサシンより僅かに逸れた位置で場を見ていた切嗣は――

「――あんな馬鹿に、世界は一度征服されかかったのか?」

 と、戦う上での鉄則をまるで無視した、まさに『英雄』然とした『イスカンダル』という英霊の在り方に、セイバーに対する理解以上に認識(それ)を放棄して、呆れと侮蔑を込めた嘆息を一つついた。

 誰しもがその言葉を聞きながらも、それ以上の行動を起こせずにいる中……その場を〝見て〟いる三人ほどの者たちは、嫌な予感を覚えていた。

 その宣言を聞き、絶対にその言葉を聞き捨てないであろう英霊に一人、彼らは嫌という程心当たりがあった。

 その予感を感じたのは、士郎とその場にいない他二人。

 アサシン越しに場を観戦しながら状況を把握し、師に報告していた『言峰綺礼』と、その彼の師である『遠坂時臣』。

 秘密裏に協力関係を結んでいる二人だが、時臣の召喚(よびだ)したサーヴァントが二人の抱いた悪い予感の種である。

 この言葉を聞き、恐らく……いや、絶対に黙っていないであろう英霊。

 己以外を有象無象であると豪語する――世界最古の『英雄王』。

 

 

(オレ)を差し置いて〝王〟を称する不埒者が、一夜のうちに二匹も涌くとはな」

 

 

 眩いばかりの()威光(かがやき)を持ち、黄金の鎧を纏った英霊が――夜闇に晒された戦場へと姿を現した。

 

 ――――戦場は、再び荒れ狂い始める。

 

 

 

「……く…………はは、ははは……っ」

 

 そして、そこにはまだ新たな影も――――。

 

「――――殺れ……あのアーチャーを殺し潰せ……ッ! バーサーカーァァァッ!!」

 

 

 

 始まりの夜は長く、未だ明けない。

 

 

 



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第六話 ~原初の王、狂乱の影~

 第六話でございます。


 巡る場、狂う戦況――咆哮する影

 

 

 

 戦い渦巻く、港の倉庫街より遥か遠く。

 冬木の街の一角に聳える、魔術師の『城』たる大きな洋館にて――一人の男が、己が弟子からの報告に頭を抱えていた。

「……これは、拙いな」

『拙いですね』

 苦り切った声と、平坦ながらも恐らくは眉を潜めているだろうことが解りそうな声が、その屋敷の中で微かに木霊した。

「このままでは……」

『師よ、いざという時には――ご決断を』

 重々しく告げる弟子の言葉に、師である男は「……あぁ。分かっているとも、綺礼」と返した。

 それを受け、弟子・言峰綺礼は再び己が使命へと戻る。

『では、私は再び監視に戻ります。随時報告を行いますので、その時は……先の通りに』

 綺麗な言葉に、男は数瞬の沈黙の後、

「……綺礼、頼んだよ」

 といい、綺礼もまた『御意』と師に応えた。

 交信を終えると、男は溜息をつきながら聖痕の刻まれた左手を撫でる。

(序盤から、有利にことを運ぼうと画策していたが……まさかこんなことになろうとは……)

 男――遠坂時臣は、自身らにとって最強の手札であり、同時に最凶の札でもあるジョーカーに、頭を痛めた。

 この戦争において、勝利は揺るがないものであるが――故に、その道のりは険しいものになる。目的を踏まえて考える幸不幸の天秤なれば、間違いなくその比重は幸に偏ろうが……それでも、思わずにはいられない。

 我が王に、もう僅かばかりの分別あれ――と。

 

 

 

 ***

 

 

 

 〝眩い〟と形容するのも遺憾し難いほど、その男は場に不釣り合いなほどの輝きを放ちながら現れた。

 倉庫街を危うげに照らす、か細い街頭の上。

 高々十メートルも無いであろう場所にも関わらず、ぎらぎらと獣のような獰猛さを宿した真紅の眼はまるで、その場所が世界の中心であると共に頂点であると物語るかの様に――文字通りの〝全て〟を余すところなく見下ろしていた。

 なんという傲慢さ。

 けれど、それに見合うだけの器を備えていることを否応なしに示す程の威光。

 

 統治者。

 支配者。

 制圧者。

 独裁者。

 

 その有様は、この世全ての暴君とその野望、野心、欲望、怨嗟、悦楽、愉悦に展望、大望を集めて尚まだ足りぬと答えること間違いないだけの確信を示す。

 そう、紛うことなき『王』が――そこにいた。

 

「――――(オレ)を差し置いて〝王〟を称する不埒者が、一夜の内に二匹も涌くとはな」

 

 さも不機嫌そうに、その『王』は眼下の場を呈した。

 先んじて現れた征服王の豪快さとタメを張れそうな豪胆さであるが、その根底はまるで違う。

 確かに、双方共に傲然で尊大。

 が、征服王の眼差しには確かな相手への慈しみを含むものがあり、声もまた相手への思い遣りを示しているのに対し、黄金の英霊から滲み出すのはひたすらに冷淡な気配のみ。

 相手への慈悲を積極に示すことは無く、興じさせるもので無いのなら潰して当然といった態度。

 己が中心だという考え方こそ通ずるやもしれないが、他者との在り方において――彼らは全くの正反対だった。

 個としての頂点。

 群としての頂点。

 其々の〝至高〟とするものが異なるということは、当然選ぶ道もまた違う。

 世界を己が制す箱庭(にわ)と見るか、自らが征すべき未開(にわ)と見るか――それこそが、二人の決定的な違いであった。

 

 ――――世俗を愛でる至高の王と、未知を踏破す蹂躙の王。

 

 果たして、その何方が真であるのかなど、考えるのは無粋であろう。

 だが、もしそれを示す唯一絶対の定義があるのだとすれば……それは、何方がその心のままに闘い抜いた先の勝者であるかに他ならない。

 勝てば官軍負ければ賊軍。

 古代より明白な力の掟。古の王二人にはあつらえ向きの結論。

 己が覇道を示せ王よ。

 すでに幕は上がっているのだから――。

 

「難癖つけられてもなぁ……。イスカンダルたる余は、世に知れ渡る征服王に他ならぬのだが」

 

 征服王イスカンダルが、新たに現れた黄金の英雄に対し困惑を残しつつそういった。

 流石の彼も。まさか己以上に高飛車に『王』を名乗りながら現れる英霊がいようとは予想だにしなかったのだろう。

 だが、そんなイスカンダルに対し――黄金の英雄はイスカンダルを含めた是認が『全く分かっていない』といったように鼻で嗤い、イスカンダルたちを再度見下してこう言い捨てた。

「たわけ。真の王たる英雄は、天上天下に(オレ)ただ一人。あとは有象無象の雑種に過ぎん」

 さらりと、単なる侮辱と表現することも憚られるような宣言。

 その傲岸不遜な言いように、セイバーが眉根を寄せ、あからさまな苛立ちの色を示す。しかし、イスカンダルは寛容にその言葉を聞き流したらしく、溜息を吐きながらも目の前の黄金の英雄に「ならば」と言葉をかける。

「そこまで言うならば、まず名乗りを上げたらどうだ? 貴様も王たる者ならば、まさか己の威名を憚りはするまい?」

 至極もっともな言い分である。

 自分以外の『王』を証する者をそこまで貶めるのならば、その真の王たる自身の名を名乗ってみろというのが本筋であろう。

 事実、この場において名乗りを上げていないのは、先ほどの狙撃を行った〝アーチャー〟の除けば目の前の金ぴかのみだ――が、それを聞き、先ほどまで以上に不愉快そうに眉根を寄せた。

 真紅の双眸を鋭くし、怒りを示す。

「問いを投げるか? 雑種風情が、王たるこの(オレ)に向けて?」

 理は、順当に向けばイスカンダルにあったであろう。

 その筈なのだが、どうにも目の前の金ぴかの観点からすると、イスカンダルの言い分は度し難い不敬に当たるらしい。

 

「我が拝謁の栄に浴して尚、この面貌を見知らぬと申すなら――」

 

 これまで以上の、憤怒。

 彼の怒りに、自らの〝真名の秘匿〟を成すなどという打算的な考えは微塵も感じられない。そこにあるのは、単なる癇性。

 己自身の感情を以って、この場において自らが受けた非礼を裁く裁定者のごとく、彼はその矛をその場に晒す。

 ゆらり、と陽炎か波紋のように金ぴかの背後の空間に〝揺らぎ〟が生じた。

 浮かび上がるのは――無数の〝武器〟。

 武器、

 武器、

 武器。

 数えるのすら馬鹿馬鹿しいほどの数の剣が、槍が、斧が、矢が、鎌が、そこに在った。

 まるで底が見えない。あるいは底があるのかということすらわからないような、圧倒的武力。一体、どれほどの逸話があれば……これほどの『宝具』を手中に収められるというのか。

 先ほどまでの言葉が、単なる鼓舞でないないということを今になって思い知る。

 まさしく、そこには原初の『王』がいた。

 ここにもう、先ほどまであった騎士の誉も、王の覇道も、正確無比な想いもない。

 有るのはただ、独裁者()の裁定による〝裁き〟のみ。

 程度を弁えない下賤は不快だと、完全なる独善による裁定を下す。

 

「――そんな蒙昧は生かしておく価値すらない」

 

 原初の『王』による裁きが、ここに始まる。

 

 ……しかし、もう一つ。その場に歩を進める影あり。

 

 

「……aa……ah……」

 

 

 それまで以上の混沌が、ここに始まる。

 

 

 

 ***

 

 

 

「まったく――次から次へと」

 

 港からの夜の潮風の中、苛立たしげに男はそう呟いた。

 手に持ったライフルのスコープから目を離しながら、周囲に起こっている有り得る筈のない混戦に閉口しつつ、次にするべき行動のため、男はこれまでに起こったことを並べ反芻し、思考する。

(第一に、先ほどセイバーとランサーの交錯の際に放たれた狙撃の『矢』。あれは先日遠坂邸で確認された〝アーチャー〟――あの金のサーヴァントとは別の者の仕業と見て間違いない。少なくとも、こうしてあの征服王(バカ)の宣言につられて出てきた時点であんなことをする筈のないことは判った。

 となると、残る(クラス)のサーヴァントだということになるが……残るのは『キャスター』と『バーサーカー』のみ。この二体があんな芸当ができるとは到底思えないが――起こっている以上、そうであると考えるしかない。狙撃場所は自分の目と舞弥で確認したが、第二射撃の場所は把握できなかった。

 最初に放たれた方向との差がデタラメ過ぎる。『矢』の能力を見た限り、追尾性に任せたブラフである可能性もあるが、だからと言ってあの狙撃の目的がなんなのかが解らない。

 そもそも、あのタイミングで狙えるならなんでセイバーもランサーも殺さなかった? そんなことは戦略上ありえない。仮にあのライダーやアーチャーのような馬鹿だったとしても、あの状況で敵を倒さないというのはありえない)

 男――魔術師殺し、衛宮切嗣は戦況を逐一確認しながら、長々と答えの出せない思考を続ける。

(第二に、ライダーの参戦。

 マスターはまったくのノーマークである新たなマスターが召喚したらしいが……あの程度なら、さして問題はないだろう。自身のサーヴァントすら御せないような未熟者では、さして脅威ではない。おまけに、あのケイネスとの何かしらの遺恨がある。奴の聖遺物を盗んだのはこいつで間違いないだろう。

 なら、互いに潰しあわせるようにでもしむければいい。あとは勝手に共倒れするだろう。

 しかし、だからといってあのサーヴァントは強力だ。ランサーやセイバー同様、相当におめでたいようだが……あの戦車。それにまだ何か隠し球を持っている可能性もある。警戒はしておいて損はない)

 新たに場に現れたサーヴァントに対しての警戒。

 まだまだ情報が足りない序盤において、こんなにもイレギュラーが重なるなどありえない。

 こんなにも荒れるなんてのは、全くもってナンセンスだ。

 この『聖杯戦争』という儀式は、馬鹿みたいな騎士の誉れだのなんだのと、そんな下らないものを示す場ではない。

 誰もが勘違いしている。下らない妄執に囚われた御三家の老害ども。誇りだのなんだのと、戦いで自らの経歴に箔をつけようとする者ども。

 まだ発覚していない他の者は、そもそもの願いなど己の欲望を振りかざすだけ。

 そんなもの、認められるものではない。

 だからこそ、ここで倒す。

 そう決意し、切嗣は次なる射手を討とうとした時、さらに黄金の英霊が現れた。

 死んでも馬鹿が治らないのが英霊なのか、と文句を垂れそうになったが、それ以上にこの場を掻き回す事態をどう有利に進めるべきかだけに視点を絞る。

 その黄金に輝く英霊がどうしようもないほど自己中心的な価値観を持って動いている様に、数多ある宝具を出現させている様に、此方にも飛び火する可能性に多少なり警戒を残しつつも、この状況を打破するべく戦略を一部組み立て直し、優先度をいくつか計り直す。

 やるべきことは大きく一つだが、そこにいたるまでにやるべきことがまだいくつかある。

 自身らと同じくここを監視している『アサシン』の排除。

 ランサーのマスターの排除。

 そして何より、先ほどの〝狙撃者〟の排除だ。

 とはいえ、サーヴァント、ということならこちらが打って出たところで返り討ちになりかねない為、迂闊に手出しはできない。

 大きすぎる不確定要素は叩いておきたいが、今ここにある戦力では倒しきるという結果は得られないだろう。

 それが分かっているからこそ、未だ踏み切れずにいるのだが……ここまで来ると、後何か一つでも場に投じられた一石があれば、戦場は一転し、何処へ転ぶか分からないというのもまた事実。

 ならば、

「舞弥」

『はい』

 居場所を探り出すまでのこと。

「先程の狙撃の行われた地点、そこにいる狙撃者を探せ。但し、攻撃はするな。此方には、対サーヴァント戦の備えはない。動くなら、もう少し後になる」

『了解』

 簡潔なやり取りのまま、一度離したスコープへと視線を戻す。

 狙撃者(スナイパー)を恐れるのは、いつでも同じく狙撃者(スナイパー)である。

 それは、互いが似た状況に立ち、その上で場所の選定と狙撃のタイミングをどれだけ有効に使えるかが生死を分けるからでもあり、その戦いにして、互いの思考の読み合い(トレース)であるからでもある。

 幸いなことに、相手はアサシンではなく別のクラスなのは確認済み。基本的に他の(クラス)、それこそエクストラクラスなどという例外中の例外を含めても、最も索敵と隠蔽に長けているのはアサシンだ。

 それ以外であれば、此方も見つけるのに相応の準備はしてある。

 霊体化でもされていれば探すのは骨だが……往々にして、魔術に関わるなんらかの形を持つものはそこに依存したままの停滞に甘んじる。切嗣らの用意した現代兵器――ないし現代の機器――に対する無知などその際たるものだ。

 故に、

(なんらかの尻尾を掴めれば、それが次の一手に繋がる――)

 そう切嗣が確信した、その時。

 

「……aa……ah……」

 

 ガチャリ、ガチャリと、漆黒の甲冑に身を包んだ騎士が現れる。

 そこで一つ、切嗣に一つの確信が生まれた。また、もう一つの推察も。

(バーサーカー……か)

 残る座は、『キャスター』のみ。例外かどうかの確認が得られるまでは、暫定的に先の狙撃者はキャスターということになる。

 そう断じた切嗣だったが、それは同時に――その狙撃手を一度諦めなくてはならないこととほぼ同義だった。

 何故か? それは――――

 

「誰の許しを得て(オレ)を見ておる? 狂犬めが……」

 

 ――――原初の王と、漆黒の狂戦士が、闘いの狼煙を上げたからだった。

 原初の王が、黄金に煌めく宝物庫を、己が座である射手(アーチャー)たら所以を、この場にまざまざと示さんと、自らの武器(ざいほう)を石飛礫か何かのように扱う。

 

「せめて散り様で(オレ)を興じさせよ。雑種」

 

 ここから戦いは――英霊の顕現という奇跡の、本当の出鱈目さを悠然と物語る。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――始まる、闘いが。

 

 見せつけろ、己が使い魔(サーヴァント)を。

 ぶち壊してやれ、奴らの自信を。

 叩き潰せ、憎き男の呼び出したモノを。

 何もかもを粉砕して刻み込め、己が存在を。

 そう……己は今、この場において誰より強い――!

 

「殺れ……っ! あのアーチャーを叩き潰せ……っ!! バーサーカァァァッ!!」

 

 落伍者と蔑まれた男は今宵、閉じられた幕を破り捨て、救済と復讐の舞台へと飛び出して行く――。

 

 

 

 己がマスターの叫びを受け、狂戦士が動き出す。

 されどのその動きは急いたものではなく――ゆっくり、ゆっくりと地を踏みしめながら、今宵集いし猛者どもの前に、その漆黒の甲冑を晒した。

 現れた新たな役者に、全員の注意がそちらへと向く。

 征服王の騎士王も、誰しもが漆黒の狂戦士を見て僅かに身体を揺する。

「……なぁ征服王。アイツには声をかけないのか?」

「誘おうにもなぁ……ありゃあ、のっけから交渉の余地なしだわなぁ」

 輝く貌の飛ばした問いに、流石の征服王も狂戦士にかける言葉を見つけられないでいる。

 しかし、そんな彼らのことは眼中にないらしく、漆黒の狂戦士はある一点を見据える。

「――誰の許しを得て(オレ)を見ている? 狂犬めが……」

 その視線の先に、黄金の英雄がいた。

 彼のマスターが狙えと命じた、〝アーチャー〟のサーヴァント。

 ぶれることなき(てき)。視線は一点に集中する。

 無作法に向けられる視線に怒る黄金の英雄の眼光すら、今の彼には微々たるものだ。

 元より戦士として、また騎士として。相手にへつらう(こうべ)は持ち合わせていないのだろうが、それでもここに置いて――目の前の敵は厄介な存在であることを、狂気に囚われて尚、彼は判別できないほど堕ちてはいない。

 侮りはしないが、それでも彼は手ぶらの徒手空拳。

 一見すれば、無数の宝具を従える英霊の前に立つなど、正気の沙汰ではないだろう。

 そう、それは文字通りの意味。彼はそもそも、正気ではなく――またそこに、元から恐れなど存在しない。

 戦場にて武器の有無が恐れになるのではなく、無剣であろうとしせることはなし。

 この心構えこそ、狂気に落ちて尚失わぬ――彼の常勝の王に仕えた騎士の一人としての矜持である。

「せめて散りざまで(オレ)を興じさせよ。雑種」

 無造作に撃ち放たれた宝剣と宝槍。二本の宝具が狂戦士に迫る。

 

 

 

 ***

 

 

 

「な――!?」

 

 ありえない。

 異常事態だ。

 そもそもが奇跡の具現であるイレギュラーな儀式――『聖杯戦争』に置いても、明らかに〝異常〟な存在。

「なぁ、坊主。ありゃあサーヴァントとしちゃどのくらいのもんだなんだ?」

 隣から己のサーヴァントである征服王が、ウェイバーに現れた狂戦士についての問いを投げた。しかし、その問いの内容こそ……ウェイバーの()()取った〝異常〟である。

「――判らないんだ」

「何ぃ? 貴様とてマスターの端くれであろうが。得てだの不得手だの、色々と〝視える〟ものなんだろう?」

「まるっきり見えないんだ! あの黒いの、間違いなくサーヴァントなのに……」

 ステータスが、何も見えない。

 なんの情報も見て取れない。聖杯戦争に置いての、マスターとしての一手を掠め取られたかのような感覚だ。

 騎士王だろうと、輝く貌だろうと、征服王や黄金の王ですら例外ではないというのに。

 あの黒い狂戦士からは、何も見て取れない。

「なんなんだ……あの黒いの……」

 訳がわからない。困惑しているウェイバーの隣で、「ふむ……」と征服王は顎に手を置いて黒騎士の出方を見る。

 幸か不幸か、黒騎士の第一目標はあの金ぴかのようだということを見て取った征服王は、先ほどまであの金ぴかが自分や騎士王に対して向けていた〝王〟を称することについての怒りを、黒騎士の不躾な視線に対する不快感に移したことから、この二人が一体どのような戦いをするのかを見届けることを決めた。

 その刹那、黄金の英霊の放った二本の武器が、黒騎士を穿たんと放たれた。

 しかし、その僅か後に広がっていたのは痛ましげな黒騎士の骸ではなく――その場の誰しもが目をみはる光景だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「散れ」

 

 放たれた宝具は二本。

 迫り来る速さも伊達ではなく、まさしくそれは〝射手(アーチャー)〟の名に相応しい。

 そしてその攻撃は、この戦争の本当の一戦目である戦いにて、暗殺者を一瞬で塵にした出鱈目な威力を持ったもの。

 だが、しかし――。

「……aa……ga……a……!」

 

「「「――――ッ!?」」」

 

 危なげなく。黒騎士は、自らに襲いかかってきた宝具を難なくあしらった。

「……奴め、本当にバーサーカーか?」

「〝狂化〟されてるにしては、えらく芸達者な奴よのぅ」

 その技量は、彼の騎士と王を以ってして、そう言わしめるほどであった。

 一射目、躱して避けると共に掴み取る。

 二射目、掴んだ剣を持って槍を叩き落とす。

 強化されてるとは思えないほどの技量で持って、原初の王の財宝を難なく己の糧とした上で攻撃を凌ぎきる。

 ……いや、凌ぐどころか寧ろそれを、己が技量のみで〝凌駕〟していた。

 また同時に、

「アレは――!?」

 黒く染まりゆく原初の財。

 黒騎士は、己が能力を持って更に、その技量を力へと昇華する。

「……なるほどな。あの黒いのが掴んだものは奴の宝具となるというわけか」

 感心する征服王だが、その光景を度し難いほどに怒るものがこの場にいた。

「……汚らわしい手で、我が宝物に触れるとは――そこまで死に急ぐか、狗ッ!!」

 波紋のように、陽炎のように、黄金の英霊は背後の空間を揺らがせ〝門〟を解放する。

「そんな、馬鹿な……」

 ウェイバーがそんな呟きを漏らす。それは、至極当然であった。

 なにせ、現れたその全てが――紛れもなく神秘を纏った一級の宝具。

 先ほどまでの小規模な展開とはわけが違う。世の頂点に立つと豪語する王が、自らの財を冒涜した狂犬を無に返すために、裁定を下ために財を解き放つ。

 冒涜には、冒涜された手段を以って粛清する。

「その小癪な手癖の悪さでもって、どこまで凌ぎきれるか――さぁ、見せてみよッ!」

 主人の命を受け、一斉に放たれた武器の数々が黒騎士へと殺到していく。

 夜の風を切り裂く音が鳴り、黒騎士が弾き、かわすたびに地面から轟音と土煙が立ち登る。

 だが、その無数の宝具の雨の中であっても尚、決して――黒騎士は倒れない。

 掴み、弾き、折れたらぶつけ、できた空白で身を捩り、更に飛来した武器を掴み上げて、降り注ぐ雨を叩き落とす。

 たったそれだけのことでしかない。ただそれが、無数の必殺の武器の猛襲であるだけで。

 黒騎士が倒れないことが確認されるたび、黄金の英雄の眉間の皺が深くなる。

 怒り心中といった表情は、今にも焼け爛れそうだ。

 癇性にまかせ、己が力に絶対の自信を持ったまま、黄金の英霊は自身の天敵に悪手を放ち続ける。

 そのまま、もしも黒騎士が文字通りの『全て』を防ぎきってしまったとするならば――最後の一手を、こんなところで抜かなくてはならなくなる。

 無論、黄金の王はそんなことを考えてもいないし、マスターの方もその最後の一手についてはまだ知らない。だが、それでもこの戦況を見て傍観を続けた上で得るであろう勝利を見据えることに、腹を据えかねる。

 このままでは、拙い。

 序盤で全てを出し尽くすなど、あってはならないことだ。

 原則に縛られた、実に魔術師的かつ、人間的な不安。

 戦場からは遠い屋敷の中で、更に遠い協会で、二人の男が言葉を交わす。

『アーチャーは……〝ギルガメッシュ〟は本気です。更に王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を解き放つ気でいます』

「…………」

『師よ――ご決断を』

「……分かった」

 こうなっては、仕方がない。

 負ける、などということはないだろうが……それでも、わざわざこんな序盤で何もかもを押しつぶすようなやり方は、優雅とは言えない。

 聖杯戦争という血みどろの奪い合いにおいても、格式を重んじる実に固定観念的な考えのもと、男は手の甲に刻まれた〝聖痕〟を使う決意を固める。

 相手を尊重するつもりではいたが、これは許容範囲外に到達していると言って差し支えない。

 やるしか、ない。

 その間にも、黒騎士は更に黄金の王――ギルガメッシュに攻撃を仕掛ける。どれだけ放っても当たらないギルガメッシュとは裏腹に、黒騎士の方は両手で掴みとった宝具を正確にギルガメッシュの立つ街灯に投げ放つ。

 ポールは枝先と根元の両方から分断され、地に転がった。

 必然、その上に立っていたギルガメッシュは街灯が分断されると共に、地面に立つ――。

「痴れ者が……っ!」

 怒り、などというそれまでの感情で表せないほどの激昂。

「天に仰ぎ見るべきこの(オレ)を、同じ大地に立たせるか――その不敬は万死に値する! そこな雑種よ、もはや肉片一つたりとも残さぬぞ!」

 真紅の双眸が、漆黒の騎士を本気で殺そうとしたその時。

 

『――令呪を以って奉る。英雄王よ、怒りを鎮め撤退を』

 

 マスターの手に宿る、絶対命令権。

 令呪に寄る嘆願の形をとった帰還を促す諫言に、ギルガメッシュは己の行動を妨げたことへ(いか)る。

「貴様ごときの諫言で、王たる(オレ)の怒りを静めよと? 大きく出たな時臣……ッ!」

 忌々しげにそう吐き捨てるギルガメッシュだったが、臣下の礼をとっている者の願いを聞き届けるのもまた王の努め。

 それにこれ以上自らの財を放り出し続けるのも、得策ではないことも口には出さないものの思ってはいるだろう。負けることはないが、それでもこれ以上は無駄であるかと思い直す。

 プライドと多少の怠惰などから、ギルガメッシュは嫌々ながらマスターである時臣の嘆願に乗ってやることに決めた。

 黒騎士へ再び侮蔑の視線を送り、

「……命拾いしたな、狂犬」

 傲慢な態度は一切改めることなく、ギルガメッシュは場を去るにも関わらず傲岸に言い放つ。

「雑種共。次までに有象無象を間引いておけ。(オレ)(まみ)えるのは真の英雄のみで良い」

 言うだけ言って去る、という言葉がこれ以上なく良く合う態度のままギルガメッシュは実体化を解いた。黄金の残滓のみが尾を引き、実態を失ったギルガメッシュを構成していた粒子がかすかに舞う。

「フムン。どうやらアレのマスターは奴自身ほど剛毅な質ではなかったらしいな」

 征服王がそう言った後は、あまりにもあっけない幕切れに、この場からどう先に進めばいいのかと誰しもが思っていた。

 この場において最も我の強い英霊が去り、戦場は静まり返ったと。

 けれどそれは――

 

「――a」

 

 結局のところ、相対していた驚異の片割れが残り……また、新たな開戦の狼煙であるということでしかなかった。

 

 

 

「……ar()……ur()……ッ!!」

 

 

 

 ――――今宵、最も怨嗟に濡れた音に聞こえる咆哮が轟いた。

 

 

 

 

 



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第七話 ~夜明け、そして真の始まり~

 第七話。
 倉庫街での戦いの幕引きです。


 荒れ狂う狂気、明け行く夜

 

 

 

 

 

 

「――ar()……ur()……ッ!!」

 

 闇に濡れた漆黒の騎士が、怨嗟に塗れた咆哮を上げた。

 痛いほどに場を震わせるその叫び。

 ここまでに、場を何度も変えた幾多もの英霊たちのそれとはまるで違う、怨念止まぬ怨霊のようなその有様に、誰しもが呆気にとられて息を呑む。

「何だ……? ――ッ!」

 誰かが、そういった。

 しかし、その言葉の主が明らかになるより先に、漆黒の騎士は動いていた。

 駆け出しながら、先ほどまで黄金の英霊の立っていた街灯のポールを蹴り上げて掴みとる。

 自ら切断したポールを持ち、己が魔力で黒く染める。照明具の部分を切り落としたそれは、まるで漆黒の槍。

 その闇に濡れた手で、目の前の黄金を(けが)そうとしているかの如く――彼の騎士は、彼の王に襲い掛かる。

「ぐっ……!?」

 身の丈に差があると言う他ない、大男と少女の鍔迫り合い。

 その上、漆黒の騎士が手にしているのはただの棒切れだ。そんな()()()()()()、先ほどその存在を晒されたばかりのこの世で()()()()()()()と張りあっている。

 誰もが感じたのは、まず驚愕だろう。

 そこで行われているのは、清涼な騎士の剣舞でも、豪快な征服王の覇道でも、短気な原初の王と黒騎士の数と技量の勝負でさえない。ただ、脈絡無き唐突な激突であった。

 攻撃を仕掛ける側にある理由(わけ)も、受ける側の徐々には解らない。

 けれどそこに、確かに何かの怨嗟の流れを感じる。

 誰もが解らないのに、誰しもが痛感する戦いが、そこにあった。

「バーサーカー……ッ! 貴様は、一体――!?」

「……」

 応えは無かった。

 ギリギリ、と擦れる刀身が悲鳴を告げる。

 そこにはただ鍔迫り合う剣の(こえ)だけがあり、それ以上は何も無い。

 凡俗と呼ぶのすら躊躇われるような、有象無象の棒切れが王の剣を凌駕し、端麗な顔に傷をつけんと迫り来る。

 だが、常勝の王の名は伊達では無い。

「せ――ああああっ!」

 少女――セイバーは、『魔力放出』を高めて迫る脅威を吹き飛ばす。

 ビギィッ! と音を立て、黒く染まった鉄の棒は砕け散る。いかに強化されていようとも、最強の聖剣の前に立つには役者不足。

 未練なく、躊躇いなく、黒騎士は砕け散った棒を捨てる。

 これにより、彼の武器は無くなった。

 またしても無剣か、と思われたその時――黒騎士は弾かれた勢いのまま後退し、戦いの余波で折れかけたもう一つの街灯の鉄柱部分を捩じ切るようにして再び構える。

 

 ――その場にあるもの全てが、我が武器。

 

 そう示すかのように、黒騎士は不気味に赤く光り続ける眼を向けた。

 背筋を撫でる冷たい殺気に、セイバーは眉根を寄せる。

 いくつか戦いを経たとはいえ、まだまだ彼女は万全に近い。

 そんな最強の聖剣の担い手である『剣士の英霊』たる彼女が、ただの鉄柱を構えるだけの騎士の黒い殺気に恐れを感じた。

 全くの未知に、生唾を飲み込む。

 僅かな震えを感じる間も無く、黒騎士の攻撃が再開される。

 

「……ga――aaaa……ッ!!」

 

 ――――黒き咆哮が、再び街を震わせる。

 

 

 

 ***

 

 

 

「な――――っ!?」

 

 夜の風に、少年の声が微かに響く。

 彼の中にある、絶対的な〝強さ〟や〝気高さ〟の象徴――それこそが『セイバー』だ。

 なのに、彼女を今押しているあの黒騎士は、あろうことか彼女をなんの神秘も持たない鉄柱で圧倒している。

 それも、ただのスキルによる補正だけでなく、その技量の上でもだ。

 

 ――一体、何が起こっているのか? そう思わずにはいられない。

 

 無論のこと、彼女が無敵では無いことは知っている。

 魔力をうまく供給できずに弱体化させてしまったこともあるし、令呪によって無理強いされ動けなくなったのも見たことも、彼女を文字通り飲み込んで怨念に染め上げられた彼女(セイバー)と戦い、そして大切な少女(さくら)を救った戦いも覚えている。

 けれど、それでも。

 彼はあそこまで、技量で押されるセイバーは見たことがない。

 先ほども己の放った攻撃によって、彼女は呪いの黄槍からの呪いは受けていないにも関わらず、黒騎士の卓越した武を以って、翡翠色の双眸をした少女を追い詰める。

 迫る脅威、そしてその狂気に、彼の王の剣は次第に押されていく。

 ――でも、彼女(セイバー)なら……と、そんな甘い考えが微かに浮かぶ。

 浮上する思考は、こと戦場において最も忌諱すべきもので、〝甘い〟などという言葉で表すにも足らぬほどに抜けた考えだった。

 確かに、この場に未だ残る英霊たちは、戦場においても相手との真っ向う勝負や己が大望を互いにぶつけ合うことを真とする者たちばかり。だが、それが必ずしも彼らを従える召喚者(マスター)たちにまで通ずるのかといえば、それは全く持って否である。

 

「悪ふざけはその程度にしてもらおうか、バーサーカー」

 

 魔を断つ赤槍が、魔力によって強化された鉄柱を両断する。

 ランサーがセイバーの助太刀に入る形でバーサーカーの攻撃を止めた。彼の魔槍にかかれば、いかな技量を持つとはいえ、その武器が〝魔力で強化されている〟という前提の下で成り立つ物であれば、その槍の力で以て本来あるべき、元の鉄屑という姿へと還すことは容易い。

 事実、バーサーカーは再び得物を失い、攻撃の手を続けられずにいた。

 目の前に現れた新たな敵――つまりは、自身にとっての邪魔者である槍兵をどう倒すか、その思考が狂戦士に生まれ動きを止める。

 が、それはあくまで一時的なものでしかなく、今日戦士はじわじわと次なる『武器』を手中に収め、目の前に立ちはだかるランサー――牽いてはその先にいるセイバーを叩き伏せんと殺気立つ。

 どこまでも負の念に縛られた殺気を受けながらも、この戦争(たたかい)において、新たなる主に今度こそは揺るがぬ忠節を捧げんと誓った騎士は、清過ぎるほどの〝騎士道〟の下、向けられる殺気を受けて立った。

「……そこのセイバーは、この俺と先約があってな――これ以上下らん茶々を入れるつもりならば、俺とて容赦はせんぞ?」

「ランサー……」

 セイバーは同じ騎士として、彼の健全なる精神に感銘を受けた様だ。

 ランサーの忠実なる誇りに感極まりつつ、彼女は目の前の〝騎士〟を見た。そこには、確かに自身と同様の誇りを持った戦士の姿がある。

 混沌としたことばかりが続いた、『聖杯戦争』の始まりの夜において――幾分ささくれ立っていたセイバーの心は、ランサーという同士を見たことで安らかさを感じられた。……しかし先に述べた様に、戦場(ここ)において、そうした清廉さを至上とする人物ばかりが集まっているわけではないのだという事を、二人は身をもって知る事となる。

 

『何をやっている。セイバーを仕留めるのなら、今こそが好機であろうが』

 

 姿を隠したランサーのマスター、『ケイネス・エルメロイ・アーチボルト』がそういった。

 その声色は、ランサーを糺することがありありと浮かんでいて、ランサーの行動がマスターの不興を明らかに買っていることが分かる。

 だが、ランサーはそんな声にも毅然とした面持ちのまま、

「セイバーは! 必ずこのディルムット・オディナが、騎士の誇りに懸けて討ち果たします。故にどうか、我が主よ……!」

 そう主へと訴え掛ける。どうか、このセイバーとの決着だけは尋常なものとさせて欲しいと。

 けれど、そんな騎士の訴えは、戦いにおいて不要な思考である。

 今の戦いに対する価値観や、あくまで勝利を得るために戦う以上……そんなものに拘られては敵わないと、そう考えるだろう。

 故に、

『ならぬ』

 ランサーの訴えを切り捨てると、ケイネスは未だ渋るランサーを従わせるべく行動に移る。

 誰にも見えないが、ケイネスは英国紳士らしく決闘の場たる戦場にふさわしいであろう装いの一つである手袋を外した。

 手の甲に刻まれた、聖痕が光を放つ。

 

『――令呪をもって命じる』

 

 ひたすら無情に、聖痕の輝きが増していく。

「主よ……っ」

 呼応するように、ランサーの悲痛な声が漏れ、ケイネスの声が場に響いた。

 

『バーサーカーを擁護し、セイバーを――殺せ』

 

 その声とほぼ同時に、ランサーの槍がセイバーへ向け振るわれる。先程までの清涼さもなく、受けた命を果たす為だけの――彼の心を殺した一撃。

 どうにか交わしたセイバーだが、振るった一閃のまま俯くランサーに何と声をかけるべきなのか、或いは掛けざるべきなのかが分からず……ただ「ランサー」と名を呼ぶだけに留まった。

 それに対し、彼の返答もまた――すまん、という一言のみだった。

 愚弄された騎士の誇り、追い込まれた一人の騎士。

 黒と深緑、そして青。

 心がすり減りゆくような、三つ巴の戦いが――暗い倉庫の片隅で始まった。

 

 ――それを受け、二人の男がその戦いをどうにかして乗り越えなくてはならないと思考を加速させる。

 

 闇に紛れる狙撃者二人。

 一方は冷酷に、他方は情故に、動き出す。

(この戦争において、『器』であるアイリの保護は最優先だ。どうにか隙を作り、ここを離脱するのがベストだが――しかし、バーサーカーのマスターは視認できず、おまけにこの闇のどこかにもう一人狙撃者がいる……。おまけに、あの騎士王様がおいそれと撤退に応じるかどうか……)

 腹ただし気に、けれどより効率的に――〝魔術師殺し〟・衛宮切嗣は動き出す。

 相方にアサシンの気を逸らさせ、此方からはランサーのマスターを狙撃し殺す。

 それで少なくともランサーを弱体化させ、この戦いをある程度有利に傾けられる。

 勿論、ランサーのマスターを殺してもランサーは直ぐには消えないし、バーサーカーを直接どうこうすることは出来ない。

 まして、そこにいるライダーだって攻撃してくる可能性はゼロではないのだ。

 便乗という選択肢を取られたら、どのみち不利なのはセイバーとアイリスフィールである。

 が、あのライダーのマスターらしき少年がすぐさま状況を把握できるほどの技量を持っているとは思えない。その上、あのライダー――征服王のおめでたさ(・・・・・)は馬鹿々々しいほどだ。

 あんな間抜け共に、この戦いが制せるわけもない。

 これまでいくつも超えてきた、〝騎士の誉れ〟やら〝王の覇道〟など存在しえない、ヒトの醜い欲望だけが渦巻く戦場を越えてきた切嗣は見て取った。

 ランサーのマスターを殺し、間髪入れずライダーのマスターを殺す。

 幸いなことに、姿を隠しているランサーのマスターの死が知れるまでには(ラグ)がある。それだけあれば、二人目を殺すなど、造作もない。

 切嗣のそんな冷たい殺気と共に、カウントダウンが始まる。

「――舞弥、僕のカウントダウンに合わせてアサシンを攻撃しろ。制圧射撃だ」

『了解』

 抑揚の少ない声が、交わされ……数を刻み始める。

「――――六」

 

 それと時を同じくして、少年もその頭を絞り尽くして状況の打破を狙う。

 彼に取れる選択肢は多い。しかし、その多い選択を選び取り実行するに至れるかはかなり不確定だ。

 その上、自身の居場所を晒さずにこの拮抗した状況を変えるとができなければ、打破とはいえない。

投影連続層写(ソードバレル)か、それとも投擲と射撃の組み合わせか……一番堅実なのはやっぱり前者だよな……)

 もう一人の狙撃者である切嗣が、己の危険を加味したうえで手札を切ったのと同じように、少年――士郎もまた、己の手札を切らねばならない時を迫られている。

 元より、お人好しな上に……彼自身にとっても特別な少女が危機に晒されているのならば、彼が動かずにいられるはずもない。未熟な頃、ある意味ではこの幼い体以上に未熟だったあの頃にさえ、彼のよく知った白い雪の姫が従えていた狂戦士の一撃から彼女を護ろうと飛び出したほどだ。

 どれだけ彼が学んでも、答えに近いことを知っても、はたまたその答えを得たとしても――その手に動ける手段があって、尚且つ目の前にセイバーが危機に晒されているなら手を差し出さずにいられるものか。

 どうしたらいい? いや、そんな事は決まっている。再度問うた自問を振り払った少年は、次の動きへと移ろうとした。

 しかし、その時――。

 

「――AAAALaLaLaLaLaieッ!!」

 

 狙撃者たちの考えも、その場のわだかまりも、全てまとめて吹き飛ばすかのような轟音が響き渡った。

 耳を劈くような雄叫びと共に、地上から雷が走る。

 何の比喩でもなく、地上にいた巨大な戦車(チャリオット)で紫電を迸らせながら駆け抜けた征服王の一撃は、まさに天から(あた)われた稲妻の如し。

 その威力のままに、黒騎士を吹き飛ばした大男は、未だうごめく黒騎士を倒しきれなかったと悔やむのではなく、寧ろそのしぶとさに感心するかのように場を眺めていた。

「ほう……? なかなかどうして……根性のあるヤツだのぅ」

 ニヤリ、と口角を上げた征服王は実に楽しげであった。

 戦いを楽しむ、その一点において、彼は今夜の戦いにおいて最も秀でていたと言えよう。

 黒騎士が、今の一撃によるダメージと十分でない魔力故に撤退を余儀なくされる様を見て、満足げに「とまぁ、こんな具合に黒いのには退場願ったわけだが――」と呟いた征服王だったが、あたりをぐるりと見回すと、浮かべていた笑みを消すと、どこにいるとも知れぬ不可視の魔術師へ向けこういった。

「――ランサーのマスターよ。どこから覗き見しておるのか知らんが、下種な手口で騎士の戦いを汚すでない! ……と、説教を垂れても、通じんか。隠れ潜む程度の度胸しかないような魔術師なんぞが相手ではな」

 そういうとライダーは、呆れにも似た溜め息を一つ吐く。

「ともあれ、ランサーを引かせよ。尚これ以上そいつに恥をかかすというのなら――余は()()()()()()()()()。二人がかりで貴様のサーヴァントを潰しにかかるが――それでも良いのか?」

 先程までの笑みとは一転、獰猛さがありありと浮かぶ含み笑いで見えざる相手を威圧した。

 わざわざ問いかけるようにしているあたり……彼の挑発的な性格と、このまま潰しても良いのだぞと暗に告げる凶暴さがひしひしと伝わってくる。

 ――どうするかね? 再度そう問われたケイネスは、今度は自身が追い詰められ、駆られる側へと回ってしまったことを認めざるを得なくなってしまった。その悔しさと屈辱に歯ぎしりをし、苦り切った声でランサーにこう言い渡した。

『……ランサー、今宵はここまでだ……』

 悔し気な様子を隠し切れないまま、ケイネスは戦場を去る。

 プライドの高い彼にとって、これ以上この場にとどまるなどは考えられないだろう。

 己が主の気配が遠のくのを感じつつ、ランサーは征服王に感謝を述べた。

「……感謝する。征服王」

 安堵の表情を浮かべながら、槍の切っ先を下げたランサーに征服王にかっとした笑みこぼした。

「なぁに、戦場の華は愛でる質でな」

 ははは、と笑う征服王に、ランサーは再び視線でもって誠意を伝える。そしてセイバーの方を振り返り、これまた視線でいずれ再び剣を交えるであろうその時を決着を誓う。

 言葉を交わす必要が無いとさえ思えるほどの、騎士同士の交わす信念の重きがそこに有った。

 

 ――いずれまた、決着を……。

 

 確かにそう感じ合ったランサーは、主を追うべく霊体化して去っていく。こうして、その場には征服王とセイバー、アイリスフィールのみが残った。

 戦いの終わりを告げる、物悲し気で脱力していく様な静寂の中――セイバーは征服王にふと訊ねる。

「……結局、お前は何をしにわざわざここへ出向いて来たのだ?」

 戦いが終わったという感覚からか、力の抜けた素朴な疑問に対し、征服王は「さてな」と一拍置き、応える。

「そういう事はあまり深く考えんのだ」

 肩をすくめそういった征服王は、自らの事であるのにまるで他人事のように語る。

「理論だの目論見だの、そういうしち面倒くさい諸々は、まぁ後の世の歴史家が適当に理屈をつけてくれようさ。我ら英雄は、ただ気の向くまま、血の滾るままに、存分に駆け抜ければ良かろうて」

 満足げにそう語る征服王の言葉に、セイバーは憮然とした表情のまま、それを否定する。

「……それは、王たる者の言葉とは思えない」

 先程まで安堵に浸っていた彼女の心に、僅かながら怒りの火が付く。

 そんな彼女の様子を見ても、征服王は鼻で嗤う程度で怒るなどということはなかった。

 寧ろ、それが至極当然であると、彼女と自身の行動原理――即ち、王としての心構えについてこう語る。

「ほう? 我が王道に異を唱えるか……しかし、それも当然よな。全ての王道、己が覇道とは唯一無二。王たる余と、王たる貴様では、相容れぬのも無理はない。いずれ貴様とは、とことん白黒つけるねばならんだろうな」

 その言葉を受け、セイバーは好戦的に、

「望むところだ、何なら今すぐにでも――」

 と、そう言い放ったが……征服王の方は「よせよせ」といってそれを制した。

「そう気張るでない。今宵は中々に楽しめた……しかし、余は征服王イスカンダル。決して勝利を盗み取るような真似はせぬ。ランサー、バーサーカーと散々戦って少なからず疲弊している今の貴様を葬ったところで、何の意味もなかろう。ランサーとの決着も、バーサーカーとの諍いも清算して尚、貴様が残っているのであれば……その時は、共に胸躍るままに熱く雌雄を決しようではないか。最も、その相手はランサーやバーサーカーやもしれれんがな。

 ……おい坊主。お前もなんか、気のきいたセリフはないのか?」

 自信たっぷりに、けれどおおらかに。傲岸でありながらもどこか憎めないその語りに、セイバーは軽く首肯して了承の意を示す。

 セイバーはそれでよかったのだが、征服王に二の句を振られたマスター、ウェイバー・ベルベットは征服王の言葉に何の反応も示さない。征服王に襟首をつかまれ持ち上げられた彼は、すっかり気を失っていた。どうやら、先程のバーサーカーへの一撃を共に駆けたのは、彼には少々過激だったらしい。

「……もうちょっとシャッキリせんかなぁ、こいつは」

 そういって嘆息しつつも、律儀に小脇に抱えているあたり、彼もマスターを嫌っているわけではないらしい。

「では騎士王、しばしの別れだ。次会う時もまた、余の血を存分に熱くしてもらおうか」

 不敵に笑い、征服王は戦車に乗り込むと、それを引く二頭の牛に鞭を入れる。

「さらば!」

 そう言い残して、征服王は去っていく。

 遠のいていく轟雷の響きを聞きながら、場にはセイバーとアイリスフィールの二人だけが残った。

 白銀の髪をした女性、アイリスフィールはようやく終わった戦いに心から安堵し、今宵自分を守ってくれた騎士であるセイバーに礼を述べる。

「ありがとう、セイバー。あなたのおかげで、生き残れた」

 それに対し、セイバーも微笑みを浮かべ、こう返した。

「私が前を向いて戦えたのは、貴女に背中を預けていたからです。アイリスフィール」

 金と銀の美しい髪が、夜風になびく。

 月明かりと、都会の光は相性が悪いが、薄暗い倉庫街の爛れたアスファルトの上に立っていても、二人の美しさが損なわれるという事はなかった。

「ですが、戦いはこれからです。今夜の戦いも、長い戦いの始まりにすぎません」

「……そうね」

 辺りを見渡せば、最悪の天災を十も重ねたような跡が残る倉庫が見える。

 こんな場にいて、生き残れたのはセイバーがいたからである。それも、これほどまでに滅茶苦茶な始まりの中で、だ。

 アサシンが一方的にやられたという、公式の第一戦を除けば、今宵こそが始まりの夜。しかし、ここまで混沌とした始まりがこれまでにあっただろうか? 様々な英霊たちがあっさりと自身の宝具を晒し、七騎全て(・・・・)の英霊が集い、総当たり戦のような構図を展開した挙句、一人として脱落していないという、奇妙な始まり。

 この『聖杯戦争』という儀式に最も精通している一族の出である彼女をして、そう感じた。

 

 ――今回の戦争は、これまで等とは比較にならないほどの大戦になるのだと。

 

 そっと、呟く。

「これが、聖杯戦争……」

 改めて体感するその異常性。一体、この先どうなってしまうのか……夫の勝利を願うと同時に、そうであると確信してはいても、不安がないとは言えない。

 紅玉の様な、美しい赤い瞳を夜空に向けながら、アイリスフィールはそう思っていた――――。

 

 

 

 *** 二人の道化、正義と願い

 

 

 

 二人の美しい女性たちがこの先の戦いに対する感慨を感じている頃、一人の少年が戦場からどうにか離脱して一息ついていた。

 見つからない方へと滅茶苦茶に走って来たため、自分がどこにいるのかよくわからないが、ひとまず戦場からの離脱はひとまず成ったといえる。

 身を隠すための宝具を投影したため、魔力を使いすぎた。そうでなくても、セイバーとランサーを県と槍の交錯から一度引き離すために矢を放っているのだから、無理を重ねたツケが今更ながら回ってきたのは無理もない。

「――はぁ」

 少年・士郎は安堵の息を吐いた。

 だが、その安堵とは裏腹に、心内は穏やかではなかった。彼は概要しか知らなかった、〝第四次聖杯戦争〟という戦いの出鱈目さを文字通り身をもって体感することになった決戦初夜。

 こんな戦いをセイバーと義父は生き残って、勝ち残ったのかと……そう思わずにはいられない。

 でも、ひとまずは見つからずには済んだ。気配には鈍感な方だったが、これでも元は英霊にまで至った魂。そう簡単にその経験は消えはしない。

 けれど、幼い身体はまだまだついてくるには足りない。疲労感にどっぷりとさらされた士郎は、壁に背を預け、しばし沈黙に身を晒していた。

 周りが静かになると、人間は自然と周囲を確認するのが常である。士郎もそんな人の本能に習い、ぼんやりと周りを観察していた。

 どうやら、子供の歩幅というのは思ったよりも狭いものであるらしい。

 倉庫街を出るには至らなかったようで、人気(ひとけ)こそないものの……そこはまだあの倉庫街の一部であった。

 どの程度進んだのかよくわからないが、それなりに進んだのではないかと思う。

 角にして四つ……いや、三つ程度かも知れないが、それでもそれなりに離れたといえる程度には走ったつもりだ。

 そんな事を思っていた士郎だったが、先ほどまで士郎自身の発する音と夜風の音ぐらいしかなかったはずのその場に、新たな音が微かに響いたことに気づく。

 ズッ……ズズッ……と、やけにもたついた音。発生源は、少し離れたマンホール。先ほどまで気が付かなかったが、そのマンホールは持ち上げられて三分の一に満たない程だが、隙間が開いていた。

 そこからのぞいたのは、手。

 暗がりであるのに、それが手であると分かるほどに白く病的な色を見て、何者かが出てくると確信する。

 『聖杯戦争』真っただ中という事で、必要以上に、その音と手は酷く不気味に見える。

 何が出てくる……? と、気を引き締め、視線を鋭くする。

 だが、しかし――。

「ぐ――っ、ぁ……ぁぁっ!」

「……?」

 這い出してきたのは、フードを深くかぶった男だった。

 酷く細身で、一体にがここまで目の前の人を追い詰めたのかと思う程、傍目から見ても彼の状態は酷いものだった。

 実際、それは見せかけや虚構のようなものではなく、本物の不調であるらしい。

 先程から、ぜぇぜぇと荒息を尽いたまま、士郎に気づきもしない。それから見るに、今の彼にとっては、よほどマンホールのふたを開けるという事がいかに億劫なことであるかがよく分かった。

 正直その様は酷く不審なものであるが、お人好しの士郎がそんな状態の他人を見捨てるという選択をとれるはずもなく、声をかけて事情だけでも聞いておこうとする。記憶を消す魔術は使えないので、少し悪いが気絶させて何かしらの治療を施そうかとも思った、その時。

 目の前の男が、信じられないことを口にした。

「……さ、……くら……ちゃん……」

 酷く弱々しく、どこか虚ろであったが……そこには、彼の確かな意志があった。

 更によく見ると、その全身は血まみれであった。毛細血管が全て破裂でもしたのかと思う程、身体中から血が滲みだしている。

 先ほど覗いていた手も、よくよく見てみると流れ出した血がべっとりとついていた。

(何がここまで……)

 一体、どういうことだ……? そんな疑問と共に、先程聞いた名前が頭から離れない。

 

 ――さくら……桜。

 

 それは、彼にとっての日常の象徴だった少女の名前だ。

 とても大切な、妹分の様でもあり……そしてとても綺麗な少女だった。

 セイバーや、師匠だった少女、同じく妹の様だった白い雪の妖精のような少女ともまた違う、彼女。

 その名前を、何故……?

 勿論、同じ名前など腐るほどあるのだろう。

 人違いだと思った方が無難だ。

 そう、無難なのだが――どうしてか、彼女と目の前の男のイメージが重なる。

 見た目も何も似ているわけではないが、どことなく……纏っている感じが、似ている様な気がした。

 辛いことを耐えて、受け入れてしまった桜。その抑心の傷が解き放たれた時の彼女が放っていた狂気。

 それが、目の前の人と何か似ているような、気が――

 

「がはっ……ごふ……っ!?」

 

 思考がそこまで行った瞬間、男は血を吐いて咳き込んだ。

 はっ、と我に返り、反射的に駆け寄ろうとした、その時……士郎は、見た。

 

 ――彼の吐いた血の中でうごめくモノを。

 

 それは、先程男が呟いた名を持つ、士郎の大切な少女が、祖父によって植え付けられていた忌まわしき魔術の痕跡に他ならない。

 微かな引っ掛かりは確信へ変わり、目の前の人に手を差し伸べなければならないという決心が固まる。

 この人を、助けなくてはならない。

 だって、この人もまた――あの少女を助けるために立ち上がったのだろうから。

 士郎が近づくと同時に、男はバタリ、と音を立てて倒れこむ。

 男の傍によると、身体の状態を解析した。

 彼は桜よりひどい状態にさらされている。もはや、生きているのが不思議なほど、その中はズタズタにされ……これ以上ないほどないまぜにされている。

「なんてこった……っ」

 こんなことをした、あの老獪に対する怒りが沸くが、今はそんなことを考えている場合ではない。

 士郎は倒れこんだ男を、幼い少年が抱え上げる。

 なんとも奇妙な光景だが、そんなのは些末なことだ。

 とにかく、この人を治療しなくてはならない――と、士郎は今宵最後の無茶だと身体を説得し、その場を去っていく。

 治療し、話を聞き、そして助けよう。

 一度、曲がりなりにも、正義の味方に至ったのだから。

 ずっと憧れた、その夢の名に恥じぬ様に、誰かに手を差し伸べたい。

 それ以上に……ただ、助けたい。

 自分の大切な少女を、それを護ろうとした人を。

 自分が知らなかった、この世界で生きた彼らを。

 今この瞬間を同じく生きる者として、助けたい。

 

 

 

 ついに戦いの一夜が明け……救いを求める者たちと、少年が出会う。

 

 

 

 

 

 

 その日――――正義の味方を目指し続けて錆付いた、空っぽだったブリキの騎士と。たった一人の少女の幸せを願い続け無様に踊った道化者が、出会ったのだった。

 

 

 



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第八話 ~出会う二人、誰かのために戦うということ~

 第八話。
 最初に知ろうが手を取り合おうとした協力者、それは――?


 ある男の願い

 

 

 

 

 

 

 ――――蠢く。

 

 暗い、とても暗い蔵の中で、蟲が蠢く……。

 其処にはただ絶望のみがあり、其処にはただ壊れかけの少女がいた。

 

 ――なんで、こんなことになった?

 

 そう問いかける。

 誰にでもなく、目の前の地獄の不条理さに。

 誰が悪いのか?

 何がいけないのか?

 こんなことが許されて良いのか?

 そんなことがあってもいいのか?

 問いかける。

 幾度となく、問う。

 けれど其処に答えはなく……また、返ってくる道理もない。

 何故か? その答えこそ単純である。

 この地獄を造った人間、その誰もが目の前の光景を正しいと思っているからだ。

 誰も、これを疑わない。

 誰も、これに容赦を加えない。

 そう、正しいこと――あるべき姿(カタチ)と思っているのだから。

 これこそが『魔術師』として正しさであると、その在り方を誇っているからだ。

 

 

 

 ――――巫山戯るな。

 

 

 

 自分の娘を地獄に突き墜とし、預かった子供を弄び道具として育てるだと? そんなことが、あってたまるか。

 まして、それを誇るなどということがあって良いはずがない。

 居てはならない、そんな考えをする者が。

 在って良いはずがない、そんなことをする鬼畜が。

 犬畜生にも劣る、そんな屑が――居て良いわけがないのだから。

 しかし、誰も救わない。

 奴等のような者どもには、これが正しく、また干渉をするべき事ではないと見える。

 腐りきったその眼で、腐りきった世界を見る。

 笑えない皮肉だ。『魔術師』という濁り切った価値観が、幼い命を(けが)していく。

 そんな在り方が、腐った者同士素晴らしく見えるなど……誇るなど、在って良い筈がない。

 笑えない冗談だ。

 裁かれて然るべき邪悪だ。

 こんな世界にそんな奴らがのうのうとのさばっているのが、耐えられない。

 あぁ、全く……正義なんてない。ヒーローなんていない。

 何て、酷い話なんだ。

 幼い少女の壊れかけの心を見て、そう思った。

 そして、少女の受けた苦痛の一端が、己の所為であることも理解した。

 

 ――『魔術師』とは、一子相伝が基本。

 

 故に、この家で元々資質を残していた己の代わりでもあるのだ。この少女は。

 勿論、資質に関して言えば天と地だ。

 悔しいが、少女の父親はその点においても自身を軽々凌駕している。まして、母親は自身の愛した人――諦めきれなかった人だ。

 優れてこそあれ、劣るなどということはない。

 なのに、汚された。

 自分の生まれたこの家に。この家に座する妖怪に。『魔術師』という存在に――この子は汚されたのだ。

 なのに、このまま指をくわえているのか?

 あり得ない。

 誰も救わないのなら、自分が救う。

 劣った身でも、至らぬ力でも、霞のような命でも。

 救えるのなら、なんだってやってやる。

 あの子の笑顔を、取り戻すために……そのために、この戦いは足を踏み入れたのだから。

 ――あの子の味方がいないなら、その味方に俺がなる。

 それだけの願いなら、きっと叶えられる。だから、祈っていてくれるだけで良い。

 子供を守るのは、大人の役目なんだから。

 そして、彼女を傷つけるモノを全部無くしたら――きっと其処には、優しい世界が広がってる。

 

 ――――待っててくれ、桜ちゃん。

 そして、待ってろよ……時臣……ッ! あの子を悲しませるお前らは、絶対に許さない。

 俺が、必ず……お前の間違いを思い知らせてやる!!

 

 

 

 闇に沈む蔵の中で、間桐雁夜はそう決意したのだった。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 目が覚めた。

 ここ最近の目覚めは酷いものばかりだったから、なんの痛みもない目覚めというのは、なんだか新鮮に感じた。

 当たり前の筈のことを、まるで今生まれたばかりの雛の様に感じていると、今自分のいる場所に見覚えのないことに気づく。

「ここは……?」

 思わず声を漏らした。

 すると、返事はすぐに帰ってきた。

「あ、起きましたか」

 意外なことに、その声の主は、子供だった。年齢は、丁度自分の義理の姪と同じか一つ上程度。

「……っ」

 失礼だとは思ったが、少し声を詰まらせずにはいられなかった。

 子供という存在が、どうしようもなく心に痛い。今もなお、あの暗い妖怪屋敷に閉じ込められている、小さな女の子の影が、どうしても頭をよぎる。

 しかし、このままただ黙っているわけにもいかない。

 助けて貰ったらしいことは分かった以上、お礼は言わなくてはならないだろう。

 詰まった声をどうにか戻して、再びその子を見て、お礼を述べる。

「ありがとう。どうやら、助けて貰ったみたいで……」

「いえ、それは大したことじゃないですから。それより、大丈夫ですか?」

 心配そうな目で見てくる。

 無理もない。確かにこの身体は他人に見せられるようなものじゃない。度重なる魔術の鍛錬を重ね、ボロボロになったこの身体は。

 むしろこの子の前で死んで、トラウマを残さなかっただけでも儲けものだ。

「あぁ……これは平気なんだ。ゴメンね、びっくりしただろ? おじさん、少し病気しててね……感染すと悪いから、もう行くね。本当に、助けてくれてありがとう」

 無難な言葉を並べ、この場を立ち去ろうとした。

 経緯はともかく、今は『聖杯戦争』の真っ只中だ。こんな子供を巻き込むわけにはいかない。

 魔術とは、秘匿すべきもの。

 落伍者のなどと言われても、その程度のことは分かっている。それに、自分の家の魔術を知っている身としては、こんなモノを他の誰かに見せるということ自体が悪だ。

 誰かを貪り食う様な、悪魔の造った……この魔術は。

 だが、

「待ってください」

 その子は俺を引き止めた。

 別に、其処まで何かをした訳でもないこんな男を引き留めるというのも変な話だが、この子が優しいからなのだろうとそう当たりをつける。

「どうしたのかな?」

 なるべく柔らかく言葉を返そうとしたが、潰れかけの喉は掠れた声を生む。

 でも、その子はそれについて気にした様子はなく、言葉を続けた。

「少しだけ……信じられないかと思いますが、俺の話を聞いてくれませんか?」

「話っていうと……?」

 何だろうか。まさか治療費の請求という訳でもあるまい。

 そんな的外れなことを考えていると、その子の口から、酷く衝撃的な言葉が出た。

「……桜の、『間桐桜』のことを……お話ししたくて」

「な――」

 サクラ、さくら――桜? 何故、この子が桜ちゃんのことを知っている!? 驚愕のまま、ポカンと口を開けた様は、こんな身体でなくてもさぞ間抜けに映っただろう。

 だが、その子は決してふざけるなどということはなく、酷く真っ直ぐな目でこちらを見ていた。その目が、何だか眩しくて……でも、その眩さから、目を逸らせなかった。

 そこにはまるで、無くしてしまった何かがある様な気がして――

「信じられないことだとは思います。でも、これだけは言っておかないといけないと思って。

 だから、言います。俺一人で足掻くだけでは足りないから、力を貸してください」

 訳がわからない。

 急展開を繰り返しすぎて、脳がシェイクされた様になり、視界が虚ろになって行きそうだった。

 それでも踏みとどまれるのは、ひとえに――彼の口にした『間桐桜』という言葉に対する引っかかりからだ。

 目の前の幼い少年は、いったい……何を知っている?

 その疑問は、すぐに晴れた。

 彼は、驚愕を隠せずにいる自分に対して、こういったのだ。

「俺は、この『戦争』のことを知ってる。でも、それは〝ここ〟でのものじゃなくて、ここより先の――〝第五次聖杯戦争〟を、俺は知ってる。

 信じられないのは当然だけど、でも……本当なんだ。俺は、この戦いがここで終わらないことを知ってる。それに、桜や遠坂……凛やセイバーが、苦しんでしまうことも」

 そう、つまり彼は――

「俺は、未来の記憶を持っている。この世界と同一かどうかはわからないけど、それでもかなり近い記憶を。俺は、一度英霊になって『座』に登録されてた。だけど、いつの間にかこの時代の『俺』の中にいた……。

 なぜこうなったのかはわからない。でも、こうしてここにいるなら、俺は――目の前で苦しんでいるみんなを見殺しになんて、できない。だから、お願いします。どうか……俺の言葉を信じてもらえませんか?」

「――――」

 信じられそうな話ではなかった。そもそもの時点で、どうしてこの子供が桜の名前を知っているのかという点からして怪しい。

 敵の罠だと言われた方が、まだ納得できるほどに。そうだ、こんなことを言われても、はいそうですかと納得する方が、きっとそれを否定するよりも難しい。

 にわかには、信じがたい。

「……聖杯戦争を知っている、のか? 本当に」

「……嫌という程……」

 苦々しげな顔は、とても演技だとは思えない。

 が、魔術師同士の戦いは、いつでも騙し合いの化かし合い。簡単に(はらわた)を晒すようなマネはしないだろう。

「その上で、敵でないと――そういうのか?」

「俺は、この戦いの誰の敵でもない。ただ、ここに――俺の大切な人たちが、苦しみ、目指したはずの道を誤りそうになっているから……俺は、それを助けたいんだ」

 どうしても、と強い意志を込めた瞳でそう言った。

 魔術師としての道を一度は捨てた身としては、この言葉が真摯であるように聞こえる。

 だが、往々にして、『魔術師』なんて輩は大抵碌なものじゃない。

「……お前が、俺たちの敵でないという確固たる証拠はない。だから、信用はできない。助けてくれたらしいことには感謝してる。たとえそれが作戦であってもだ」

 でも、だからこそ――

「お前が、本当に敵でないとわからない限り――俺は、桜ちゃんを救うための障害になるモノは全て叩き潰す……っ!!」

 ――容赦は、できない。

 だって、『あの子』は今なお苦しんでいるのだから。ここで自分が倒れたら、きっと完全に壊れてしまう。

 いつの日か、もしも都合のいい現実が、夢のように優しさを彼女の元に運んでも、それだけではきっと救われない。それを、最後まで救えるような彼女だけの味方が現れるまで、ここで倒れることを受け入れるわけにはいかないんだから。

「出てこい、バーサーカー」

 黒騎士を伴って、目の前の子供を見定める。

 

 

 

 ***

 

 

 

「――出てこい、バーサーカー」

 

 交渉は、一時決裂。

 当然といえば当然だが、遠坂凛のような魔術師たちとばかり会っていたため、あまりこうしたギスギスした『魔術師』としての価値観を知らずに魔術の世界に入り込んだ彼には、甘いままでいられる道があった。

 いくつもの汚いモノを見ても、それでもなお――汚されない輝きが、確か側にあったから。

 だからこそ、ここで諦めはしない。

 何時だって、諦めることはしない。

 衛宮士郎は、諦めは決してしない。

 それが、あるところまで至ってなお、目指し続けている『正義の味方』の姿であるから――。

「g……a」

 現出した黒騎士。

 不気味に光る赤い眼に、鬼気迫る状況だということを嫌という程に思い知らされる。

 だが、こんなところで――

「――それでも、俺は」

「……a……?」

「俺は、正義の味方に……誰かを救える人間になるって、決めたんだ!」

 強い意志が、空の体の鉄を打つ。

 脈動する血潮に、伽藍堂になった体の奥底から湧き上がる、剣の鼓動が重なり合う。

 ここで生み出すは、裏切りの短剣。

 されどそれは、狂気さえ拭い去る解放の剣。

 かの〝裏切りの魔女〟の怒りと、愛情を張り合わせたような、愛憎の呪剣。

 

 その名は――『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』。

 

 相手が襲いかかる前に、生み出した短剣を持ち懐へ飛び込む。本来ならば、この騎士がこんな拙ない行為を許すはずはなかった。

 しかし、昨夜のライダー――征服王イスカンダルの一撃を浴びて、まだ回復しきれなていない上に、マスターからの魔力供給分は雀の涙ほど。

 加えて、短剣に刺された程度で崩れる身体ではないという、僅な驕り。

 それが重なり合い、決定的な隙となった。

 黒い狂気を突き破る短剣の刃。

 剥ぎ取られていく狂気の霧に、黒騎士が呻き声をあげる。

 それに伴い、サーヴァントの不測の事態から起こるフィードバックがマスターである間桐雁夜の身体を蝕んだ。

 元より、無理を重ねて来た身体は、ない混ぜにされたその中身を更に混濁させながら捻れ狂う。植えつけられた生家の魔術――『マキリ』の一端にして象徴である、蟲。

 『刻印蟲』と呼ばれる異形の魔物が、暴れ出した。

 サーヴァントに自身を守らせようとしたまでは良い。しかし、雁夜のサーヴァントであるバーサーカーが動くより先に、士郎の生み出した短剣がバーサーカーを突き刺さり、貫いたのだ。

 刹那の出来事に、雁夜もバーサーカーも対処しきれなかった。

 手に剣など持っていなかったにも関わらず、いきなり突き刺されたことや、奪い取る隙間もなかったため、バーサーカーは昨夜のダメージを引きずったまま、士郎の一撃を良しとしてしまった。

 そして、それは――。

「gaaaa…………ァァァああああああっっっ!!!???」

 

 ――一人の騎士の、目覚めを告げるものでもあった。

 

「…………なぜ……何故? 私は……狂気に堕ちることすら許されないと、そういうのか……? 私はただ……王の手で――」

 虚ろな瞳で、哀しみに暮れた声を漏らす、一人の騎士。

 紫に見える黒髪は、きっちりと揃えられているでもないが、緩くウェーブを描くそれは、彼という美丈夫によく合っていた。

 が、彼が項垂れたままなので、垂れ下がっているその様は、まるで泥に濡れた罪人のようだ。

 そしてそれは、決して間違いと会うわけでもなかった。

 

 彼の名は、『ランスロット』。

 

 かのアーサー王に仕えた騎士の一人にして、裏切り者の代名詞とも呼ばれる存在である。

 嘗て彼は〝湖の騎士〟と呼ばれた忠義の騎士であったが、アーサー王の妃であるギネヴィア王妃に心奪われ、想いを捨てきれず不義を働いてしまう。

 だが、彼をアーサー王は決して一方的に断罪をしなかった。

 寧ろ、王は――己の秘密である性別のこともあり、寧ろ二人を想いを捨てさせるよりも、許す様な形で終わらせてしまった。

 仮に、それが裁きであったとしても、ランスロットは裁かれたとは感じない。

 許されたことが余計に、心の枷を強くする。日に日に、苦しみが残る。

 望んでいたのは、ただ、裁かれること。

 不義を働いてしまっても、それでもその忠節を捨てられなかった、この世の誰よりも敬愛する王に、その手で――

「――裁かれたかった……だけで、あったのに……」

 だからこそ、狂気に身を落とす化け物になりたかった。

 王が、ただ悪として自分を切り捨ててくれる様にと、そう願ったからこそ。

 けれど、その願いもここで潰えた……。

 こうなっては、王に剣を向けることなど出来はしない。その上、守るべきマスターさえ、守りきれず相手の先行を許して――

「――しまった……マスターッ!」

 自分が今まで何を呆けていたのかを自覚し、マスターを守らねばならないという本来の目的を思い出した。

 胸を貫いた短剣は既になく、一体何が起こっているのか理解できなかったが、それでも動けるのならマスターである雁夜を守らなくてはならない。

 ランスロットは、直ぐさま自身の後ろにいるはずのマスターの方を振り返る。

 だが、そこに見えたのは全く予想だにしなかった光景だった。

「――――」

 先程自分に一撃を食らわせた琥珀色の瞳をした少年・士郎が、雁夜の身体に手を置き、先程の短剣を雁夜の身体の至る所へ突き立てては離し、また突き立てるということをしていた。

「な……ッ」

 本来ならば、残忍極まりないとも言えそうな行為であるが、ランスロットの驚いたのはそこではない。

 そう、そんな行為ならば、戦場で見慣れている。

 彼の驚いたのは、それほど突き刺されているにも関わらず……雁夜が、〝傷を負っていない〟という点だ。

 突き刺されてはいるのに、雁夜は無傷。

 勿論、先程ランスロットの暴れた分で体内の刻印蟲が刺激されたことによるダメージはあったが、刺されたことによるダメージは無いのだ。

 何がどうなっている? と、ランスロットが思ったのも無理はない。一見して、士郎のしていることは怪訝なものであるだろう。

 当然だ。側から見ただけでは、解らないのも仕方がない。

 ただ、一つ付け加えるのならば――士郎は、決して雁夜を痛めつけ、傷つけるためだけにこんなことをしているのではない、ということだけだ。

 その認識と共に、そもそも、雁夜をここへ連れてきたのは他ならぬ士郎だったということを、ランスロットは思い出した。

 その間にも、士郎による処置は続いていた。

 ふぅ……っ、と、緊張した吐息とともに士郎は短剣を消失させる。

(刻印蟲は潰した……後は、その分弱った身体機能の回復。

 ――想像(イメージ)しろ。……創造(イメージ)しろ! あの、途方も無い程遠い、最果ての理想郷を!)

 士郎の内にあった、あの『鞘』を。

 どうしようもなく美しい聖剣を内包していた、失われた鞘を。

 ここに、生み出せ――――!!

 

「――――投影(トレース)開始(オン)

 

 魔力が、奔る。

「ぐ……」

 昨夜から無茶を重ねたのは、士郎とて同じ。その上、『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』まで投影している。

 これ以上、無茶が成り立つとは思えない。正直なところはそれだ。しかし、ここで諦めるわけにはいかないのだということは、とっくに決めていることだ。

 故に、止まらない。

 止めることは、しない。

 身体に刻まれた、この鞘を生み出す(引き出す)までは――決して、止めることは、しない!

 ――今尚色濃く残る、常勝の王たる少女との繋がりをここに。

 身体中の回路(みち)を走り抜けた魔力(おもい)は、導かれ、そこに編まれた。

「……あれは……何故……っ!?」

 かの騎士は呆然となり、呟いた。その、鞘の名を。

 

「――――全て遠き理想郷(アヴァロン)……ッ」

 

 生み出された鞘は、踏みつけられてきた道化者を癒していく。

 救いを与えるという理想を基にして走った、ブリキの人形の思いに、その鞘は応えた。

 願われ、求められ、今ここに――一つの形となって繋がった。

 

 

 

 物語(うんめい)は、まだ始まったばかりだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第九話 ~開け行く戦いと闇、そして心の狂気~

 第九話です。


 薄れゆく狂気、決して薄れぬ想い

 

 

 

 あたたかい光が、身体に染み渡る。

 痛みと苦しみ、そして憎しみと恨みしかない筈の身体に、慈愛にも似た何かが流れ込んでくる。

 一体、それが何なのかは分からない。

 けど、こうしているのは、不思議と悪くない。

 このまま、身を委ねれば……楽になれるだろうか?

 矮小で無価値な自分という存在をただ内包するかの様な、このあたたかさの内居れば、何も憂うことは無いだろう。

 ここは、とても心地良いのだから。

 ただ、全てを手放せばそれでいい。

 何もかも、捨てて、忘れて、振り払って。

 全てがからっぼになったら、このまま、眠れ……る?

 

 ――何か、大切なものを忘れている気がする。

 

 とても、とても大切な、何かを。

 少なくとも、こうしてまだ存在している自分が、決して忘れてはいけないものを、忘れている気がする。

 それは、何だろうか?

 それとも、その何かも忘れてしまえばいいのだろうか?

 ……いや、それは違う気がする。

 漠然と、そう感じた。

 これだけは、忘れてはいけないのだと。

 そうして朧に浮かぶのは、春の色。

 しかし同時に浮かぶ、絶望の色。

 終わりを告げられた花のように、命を散らし、心が砕かれていくその姿を――忘れて良いはずがない。

 

「か――はっ」

 

 はっきりとその意志が浮かんだ時、身体は忘れていた呼吸を不意に思い出したかのようにしゃくれた様に喉を鳴らした。

 擦れ、こじ開ける様に、空気が体の中へ。

 命を拾ったかの様に目覚め、喪う筈だった身体との繋がりを取り戻す。

「はぁ……はぁ」

 呼吸が粗い。

 ただ息切れと言うより、粗雑な粗さ。

 無理矢理目の前の状況を整理しようと、脳が酸素を欲し、それに応じて周辺の空気を体内(うち)体外(そと)で循環させていく。

「……さ、くら……ちゃん」

 絞り出した声と共に、綯交ぜにされた身体を動かそうとした。

 無様でもいい。ここで終わって、あの子をいま一人にするくらいなら、腕や脚くらい幾らでもくれてやる。

 頭だけになっても、あの子の元へ向かおうとする男のぐちゃぐちゃな筈の身体は、思いの外すんなりということを聞き、彼は立ち上がった。

 身体を起こすと、いつもの感触と違うことに気づく。

(あれ……?)

 変だ。と、まずはそう感じた。

 半身不随になりかけていた筈の左半身が、全く正常とは言えないまでも、ある程度動く様になっている。

 それどころか、最初こそ荒かったが……呼吸にも憤りの様な不快さはなく、しっかりと通う様なものになっている。

 

 ――どういうことだ?

 

 訝しげに自分の身体を見るなんて、奇妙なこともあったものだ。

 自分のものであるのに、まるで別のものの様だ。戦うことを決めたあの時、妖怪爺にこの身を差し出した時とは真逆で、仕方ないという感情よりも、寧ろ不思議なだけという気分だけしか無い。

 そこには、呆然とした霞の様な現実しかなく……目の前にあることを、答えとしてくれる者は誰もいない。

 たった一人の、少年を除いては――

 

「あ、おはようございます」

 

 ――そう、なぜか自分のサーヴァントとのエプロン姿で起こしに来たらしいこの少年だけが、この状況を、把握している。

 

「取り敢えず、言いたいことは山積みでしょうけど……まあ、まずは食事からどうぞ。腹が減ってはなんとやらですし」

 

「…………」

 

 ……本当にこの少年がちゃんと応えてくれるのか、それとも自分がもう死んでいて変な夢でも見てるのかについて、かなり懐疑的にならざるを得ない事に目を瞑れば、だが。

 

 

「ご飯、出来てますよ」

 

 

 最後に、屈託のない声でそう締め括られ、なんとも奇妙な食卓が始まったのだった――――。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 ガツ、ガツっ! バク、バクッ!

 

「――――」

 

 唖然とするままに、少年・士郎は目の前の二人を口を開けて見ていた。

「くぅぅぅ、固形物最高……っ! 人間らしい食事なんてのにまたありつけるとは――士郎君、本当にありがとう!!」

「あ、いえ……」

「……ガヴェイン。あぁ、貴公の言う料理など料理ではなかった……ッ! シロウ、なぜ貴方は我らが円卓にいなかったのか――後二千年ばかり運命の歯車が早ければ、我々は、我々は……っ!!」

 もはや半分むせび泣いているかの様な主従二人は、料理をがっつきながら様々なことを言っている。

 雁夜に関しては固形物とは言いつつまだ柔らかめのものが多いのだが、本人はそれでも嬉しい様だ。

 先ほどまでの重い空気は何処へやら。ただ目の前の料理を咀嚼することのみに全力を注いでいる二人に、士郎はただ呆けているしかなかった。

 ……それにしても円卓は、やはり食事なのか? 嘗ての自分の剣だった少女を思い出して、士郎は思いを遠くに馳せた。

(あいつ……元気でやってるかな)

 何とも難題な想いをここから少し離れた城に居る少女へ向けるが……当の少女はというと、外道な主人(マスター)が着々と進めている暗躍の計画に滞りを覚えながら、ギクシャクとしたままの空気に歯噛みしていた。

(出来たら、セイバーにも料理作ってやりたいなぁ……となると親父に信用してもらわなきゃいけないわけだけど……前途は多難だ)

 そんな現実逃避にすら胃痛を覚えるしかないこの状況に、士郎は今度こそ呆然となる。

 

 ……。

 …………。

 ………………いや、本当にどうしよう?

 

 この先に進むためのヴィジョンが見えない。

 連れていくまでの間は、まだギクシャクしていたんだ。うん。

 でも、何かその間にある程度の補足をしながら、料理を出したあたりで信頼度が何故かMAXになっていた。

 いや、本当になんだろこれ。先ほどまでシリアスな空気を孕みつつも、ある程度はほのぼのしてた筈なのに、一体ドウシテコウナッタ?

 さっぱり分からん。士郎は一人そうごちた。

 一つ言えることがあるのなら、それは料理とはいつの世も人の心を掴んで離さない強烈なものであるということだろう。

 その間にも料理はすごい勢いで減っていく。こうしてみると、本当にブリテンの財政や生産性は苦しかったんだなぁと、この時代にいるまだその感覚を知らない少女に、無性に料理を振る舞いたくなった。

 蟲倉で()()()()()あの少女にも、この暖かさを知って欲しいと強く思った。

 そしてその少女の姉に、妹と食卓を囲む光景をまた見せたい、味合わせてやりたいと思った。

 雪の白に囚われた我が姉にも、誰かと一緒にいることの温かさを、一度も忘れることのないまま過ごして欲しいと、無くなってしまったなどと、一度も感じさせない様にしたいと思った。

 この世界は、まだ優しくない。

 救われない運命の中で、まだ現在(いま)を流れている。

 だからこそ、その中に囚われたのがどんな偶然であろうとも、誰かを守りたいという思いを貫いて――大切な人たちの笑顔が、少しでも曇らない様にできるなら。

 この世界が、ほんの少しでも――優しくなるなら。

 喜んで、身を粉にしよう。

 決意が固まり、目の前の光景を呑み込めた士郎は、再度そう決めると、自分も食事に再び箸を伸ばしていった。

 

 

 

 それから数十分後、漸く人心地ついた三人は先ほど短くだが、話した内容を再び反復していく。

「じゃあ、改めて話を反芻すると――この世界は君のいた時代の十年前と酷似してるってことだったけど……士郎君自身には、第四次についての知識はほとんどない。だから協力者が欲しかったって事で良いのかな?」

「はい。だいたいそうです」

 雁夜と士郎がなんともハイペースに打ち解け、そんな会話をしていた。

 根っこのあたりでお人好しだと、どこか通じるものもあるのかもしれない。加えて、雁夜はまだ早期に士郎と出会ったこともあり、多少なり思考が恨みつらみから半歩ばかり抜けられてもいた。因みに、ランスロットは甲斐甲斐しく皿洗い中である。

「でも、初めに聞いたときは驚いたし、疑ったけど……これだけ色々見せられて、おまけに襲ったのに助けて貰ったら、信じるしかないないよなー」

 雁夜は目の前にある士郎の投影した剣を見ながらそう言った。

 魔術と積極的な関わりを絶っていたとはいえ、雁夜とて魔術に固執する家の中で育ったのだ。士郎の使っている魔術が、明らかに異常であることくらいは判る。

 また、年上がどっちかと言う話題も出たが、ここは単純に時代的な部分に従うことにした。はっきり言って士郎からすれば雁夜は自分より前で、雁夜としても士郎は随分と先の人であるからだ。まあ、後は単純に見た目に引きずられている部分もあるのだが、それは些細なことだ。

「それにしても……」

 雁夜は深い溜息を吐く。

「結局、俺は……あの子を救うことは出来ないんだな」

 薄々は解っていた。

 でも、それでもやってのけてみせると、そう決めていた。

「いや……それは」

「あぁ。違う世界の話なんだろうけどさ……それでも、きっと俺だけじゃあの子を救う出すことは出来なかったんだろうなぁ」

 自分でも驚くほど、その言葉は口から出た。

 もっと怨嗟にまみれ、後悔に沈むだけの言葉が出てくるかと思っていたのに。

 雁夜は、まるで生まれ変わったかの様な錯覚を感じていた。

 勿論、心残りはある。

 自分が最後まで味方で居続けられなかったこと、最後まで救うことができなかったこと、そして……もうひとつ。

(あの子を――――俺は、救えなかったんだな)

 心残りは、まさにそれだ。

 ただ、それは別の世界であり、救われた『桜』もここの桜ではない。

 それが解っていても、そんな幸せな未来があっても、いまこの瞬間にも桜は確かに心を擦り減らして苦しんでいる。

 世の中という流れ、魔術師としての生、運命という鎖。複雑で解ききれない螺旋の中で、雁夜は今新しい可能性を知れた。

 それは、十年後にあるかも知れない物語。

 そして、既にあった物語。

 

 ――間桐雁夜も、遠坂時臣も、遠坂葵もいない。自分たちのいなくなったあとの、闘いの物語だ。

 

 桜と凛は姉妹であるのに関わらない間柄にあり、またしても運命の鎖の下で『聖杯戦争』に繋がっていく。

 その上、聖杯は汚れている。

 『この世全ての悪』――『アンリマユ』と言う名の悪性に染められているのだ。

 また、世界全ての悪性を備えたそれは、桜にも被害を出すと言うではないか。

 この闘いで発生する聖杯のカケラを埋め込まれ、『マキリの聖杯』として仕立て上げられてしまうのだという。

 だとしたら、何を執着するのか。

 確かに、士郎の話を鵜呑みにする必要などない。

 そもそも『魔術師』としての思考で動くなら、こんな(ハラワタ)を晒す様な真似など、滑稽でしかないのだろう。

 だが、雁夜はそこまで『魔術師』でなく、全てを自分一人で正しいと思えるほど才覚に溢れるわけでもない。まして、元の行動原理が時臣への嫉妬や怒りに塗れた部分が強くなっても、結局の所、雁夜は普通の男だった。

 〝間桐〟という魔術師の血統に生まれようが、どれだけ身をないまぜにしても、所詮平凡で凡俗で凡庸な存在なのだと、雁夜自身がそう思わざるを得ない。

 しかし、それはある意味で正しいのかも知れないとも思う。

 何故なら、こうして士郎の言葉を聞き、魔術師なのにどちらかと言うと一般人寄りに説明してくれる士郎の言葉から、幾つか察することのできた部分もあるのだ。

 例えば、時臣の采配についてがその大きい所だ。

 桜の属性――そもそもの資質が優れているということは雁夜も知っている。それを〝伸ばす〟為に間桐へ送られたことも。

 ただ、それは穴倉を決め込むのが得意な時臣の怠慢と『魔術師』然とし過ぎた価値観故にだと士郎は先ほど大まかに語ってくれた。食事前に軽く聞いただけだが、確かに時臣(あいつ])のやりそうなことだとも合点がいく。

 それをただ頭ごなしにぶつけても、きっと通じないことも。……あいつを殺しても、何も解決しないことも、解った。

 闘いの場に立った相手の言葉に耳を向けるか? 対等ならばそうであろう、語らいもまた闘いであると決闘じみた真似もしよう。

 が、時臣の考えだったらきっとそれは違う。

 彼は才覚に溢れる、というほどではないが……それを目指す為に誰よりも修練を積むことを厭わない。相手が遠くとも、同列に立てるまで追いかけ続けるだけのことを止めないだろう。

 そうして培われた精神から、行動に移る時。

 自身の積んだことが間違いだと思うだろうか? それは否だ。

 やるだけの事をやり、自分の目指す結末を見据え走る。

 それだけのことを〝成し遂げる〟ことは、普通は難しい。

 ただ、それをやってのけることを信条にする者からすれば、何故足を止めたままにするのかと諦めた者に対して思うだろう。

 故に――つまる所、遠坂時臣と間桐雁夜は相性が悪過ぎた。

 

 ――悪辣極まりない『魔術師』の家に生まれ、逃げ出した者。

 ――優雅さを信条とする程端麗な魔術を磨き、走り続けた者。

 

 そんな両者が、互いのことが解るだろうか? いや、解るはずもない。

 解るはずもない、その地獄を。

 解るはずもない、その精神を。

 決定的にズレていたのは、やはりどこまでもその感覚と認識の差だった。

 ただ、逆に言えば――ズレていたのはそこだけだということでもある、といえる。

 何せ、何方も――たった一人の少女の行く末に、心の形こそ違えども、確かな愛を持って願ったのもまた、事実である。

 彼らは願った。

 幸福を、そして健やかな成長を、一人の少女のために。

 その想いに、甲乙を付けるなど無粋もいい所だ。

 例え、何かが間違っていようとも……決して、その願った時の想いだけは、間違いなどではないのだから――。

 

 だとすれば、することは決まっている。

 

「間桐から桜ちゃんを解放して、時臣に改めて今後のことを考えるべきだと伝えること……俺がやるのは、きっとそれしかない……」

「雁夜さん……」

「士郎君、力を貸して欲しいって言ってたけど、寧ろ貸して欲しいのは俺の方みたいだ。

 お願い、出来るかな?」

 これまでにないほど、柔らかな声で雁夜はそう言った。

 早く気づけたからこそ、そう思える時もある。それでも、気づけたことはきっと、とても幸運なことだったのだろう。

 たった一人で、無様に終わるのはいい。

 でも、あの子を助けないままなんていうのは絶対に駄目だ。

 終わりに晒されて、そこで自己満足のまま終われない。何かを知るということは、何かをするためのチャンスを得ることでもある。

 それは、ヒトという矮小な存在に与えられた、今を生きるための選択肢。

 未来へと繋がる、己の道の開拓だ。

 だからこそ、この小さな手を取ると雁夜は決めた。

 この先……いや、嘗てあの子を救ってくれたこの少年と共に、決して敵わないと思っていた巨悪に立ち向かうために。

 間桐雁夜の決意を目にして、士郎はもちろんその手を払ったりなどしない。嬉しさがこみ上げ、また一歩先へ進めた幸運を噛み締めて、二人は手を取り、握手を交わした。

 誰かのために、たった一人のために、命を賭ける男たちが硬く……互いの手を握り合った。

 

 

 

 この地獄を、覆すだけの決意と誓いを持って――――。

 

 

 

 



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第十話 ~狂信者現る、少女の胸の内~

 第十話は軋みを書いた回でした。
 なんだかんだ、一番ギスギスしてた回かも知れません。


 冬の一族の城、始まりの戦いの陰の邂逅

 

 

 

 

 

 二人の男が結束を新たにしていた頃――冬木にそびえる三つの『城』では、様々な動きが起こっていた。

 

 

 

 冬木市郊外にそびえる、西洋風の城。

 それは、魔術により隠匿され他の住人たちの目に留まることのないように施された、ある一族の所有しているもので、その名を『アインツベルン城』という。

 彼の大家である『アインツベルン』が、聖杯戦争を戦う際の拠点として作り出されたこの城は、並みの魔術師では決して破ることのできない結界や罠。そして、数々の細工が施してある。

 そんな城の一角で、広い城に似つかわしくない程の少人数によるミーティングが行われていた。

「次に僕らの攻め込むのは、ケイネス・エルメロイのところだ。奴らは大した用心もせず、ただ魔術師としての〝防衛〟 取っているにすぎない。奇襲をかければ、あっさりと陥落する」

 くたびれたロングコートにスーツの全てを黒で統一した、黒ずくめの装いに身を包んだ男がそう口にすると、彼を囲んでいる者たちは三者三様な反応を示す。

 

 一人、黒髪の女はただ首肯し。

 二人、銀髪の女は僅かに惑い。

 三人、金髪の女は眉を寄せた。

 

 それぞれの反応を黒ずくめの男は一瞥し、一人を除き確認の意をとった後、再び手元に広げた資料に目を戻して話を続けた。

「ケイネスについては、すぐにでも決行する。早ければ今夜あたりが好ましい。それに、奴はセイバーを仕留められなかったことを相当に根に持っているからな……大方、次の相手が来ればそれを仕留めようと躍起になる。馬鹿正直に、自分たちの領分だと勝手に思い込んだまま、ね」

 凍り付きそうな声色に、男の妻である銀髪の女性――アイリスフィールは息を詰まらせる。

 彼女の夫である切嗣の細められた目に浮かぶのは、彼が娘であるイリヤスフィールと戯れる際に浮かべたような慈しみなどではなく、そこに有るのはただ獲物を狩る狩人の目だった。

 冷酷無比。

 そんな言葉がまさしく似つかわしい姿を晒している。

 しかし、そんな切嗣の〝魔術師殺し〟としての姿を至極当然と捉えている黒髪の女性――舞弥は、クールな面持ちを崩さず、作戦を提示されたことに首肯する程度の反応しか示さない。

 場の空気は、決して良いものであるとは言えなくなっている。

 金髪の女性――セイバーは、美しい翠玉の瞳を軽く俯かせながら、今瀬の主の言葉を聞き続ける。

 勝つための、そのための策謀がこの場に巡っていく。

 そこに人の情などはなく、それら一切を排した〝より効率の良い〟戦い方だけが語られていく。

 今ここにおいて強いられるものは、あくまでも非情さであり……高潔であるとか、正しくとか、そんな()()()()()を捨て去ることを必要としているのだから。

 けれど、それもまた決して間違いではない。

 戦い、においてその思考は必要であるのはセイバーにもわかっている。

 ただ、彼女にとってそれを持つという事と非情に徹した上で勝利(かち)を拾うというのは別である。相手を辱めたり、姑息な手段に訴えて勝つくらいならば、そこに有る敗北も受け入れるという彼女。……そういった部分において、この主従は果てしなく齟齬を引き起こしてしまっていた。

 けれど、決裂するにはまだ早い。

 お互いに、まだ互いが必要である。この戦いを、勝ち進んでいくために。

「一人目の敵に関する作戦はここまで……次は、八人目のサーヴァントについてだ」

「……」

 切嗣が口にした言葉に、セイバーも思考を切り替え冷静に聞き入ることを決め、耳を向ける。

 彼の口にした存在は、この戦いにおいて最も異質な存在についてのものだった。

 

 ――八人目の、サーヴァント。

 

 それは、数々の異形が揃うこの『聖杯戦争』に置いても、その原則を真っ向から逸脱する存在。

 だが、今現在その存在を知っているのは、おそらくはこの場にいる切嗣率いる〝セイバー陣営〟のみである。

 何故、彼らだけがその八人目を知覚するに至ったかというと、それはまだ記憶に色濃く残っている先日の倉庫街での大乱戦の後のことにまで遡らなくてはならない。

 先日、倉庫街でに戦いの後、セイバーはとあるサーヴァントとの邂逅を果たしていた。

 アイリスフィールを無事に守り通し、セイバー自身もまた決定的な手傷を負うことなく戦場を戦い抜くことが出来た。そのため二人は、最初の一夜を切り抜けられたことに安堵を覚えながら、今いる城を目指して車を走らせたのだが、その道中にて……少々厄介な手合いが姿を現していた――――

 

 

 

***

 

 

 

 ――――疾走。

 まさにそう表現するにふさわしいスピードで、切嗣が妻であるアイリスフィールの為に用意したメルセデス・ベンツ300SLクーペは、白銀の貴婦人などと比喩される流麗なボディを猛らせながら、整然とした夜のしじまを爆走する。

「ね? ね? 結構スピード出るもんでしょ? これ」

「お……思いのほか、達者な……運転ですね」

「でしょ? これでも猛特訓したのよ」

 楽しそうに問いかけるアイリスフィールとは裏腹に、その隣に座るセイバーは普段は崩さない表情を愛想笑いに引きつらせながら、翠色の双眸で車がなぞっていくコースを注視する。

 今二人の乗っている車は、十分にクラシックカーと揶揄されるにふさわしい程度には時を重ねているが、まだまだ十分に現役である。ただし、問題なのは別に車本体が古いという事ではなく、もっと単純に――それまで一度も白銀の箱庭から出たことのない生粋の箱入りお嬢様が、道路を走るという事についての知識を欠如させたまま、疾走どころか暴走と呼んで差し支えない速度で白銀の貴婦人を細腕で乗り回している、という事である。

「――ッ、……!?」

 少なくとも、隣に座しているセイバーからすれば危なっかしいことこの上ない。

 この車本来の性能は、2996ccの排気量からも想像できるように、伝説のスポーツカーとしての名に恥じぬものである。今アイリの出している速度など、まだまだ序の口と言って差し支えない。

 が、そのアイリの手で運転されていることがここ一番の問題なのである。

 猛特訓した――という本人の言葉を信じるにしても、どう見てもギアを変える手つきは危なっかしく、円滑なドライビングと呼ぶにはいささか無理がある。

 いっそのことエンストでもしてくれたら無理やりにでも止めてセイバーが運転を変わりたいと切に願う程だが……思いのほか達者な運転、というセイバーの言葉はあながち間違いでもなく、アイリはメルセデス・ベンツを夜の道へと爆走させ続けている。

 騒音をかき鳴らすエンジンの音に逆らうようにして、セイバーはアイリに後この道中はどれほど続くのかと訊いてみると、

「……この地にあるアインツベルンの所領というのは、まだ先なのですか?」

「車で小一時間くらい、と聞いてるわ。近づけばそれと解る筈なのだけれど――」

 と、アイリは答えた。

 それを聞き、セイバーは一刻も早くこのドライブが終わることを祈る。

 深夜の国道に車――特に対向車――がいなかったのは幸いと言えるだろう。勿論、アインツベルンの城へと向かっているのだから、必然郊外に向かってはいるのだが、それでもこの道路は紛れもなく国道。いつ何時、神の気まぐれで疾走する白銀の獣の前に子ウサギが晒されるとも限らないのだ。

 被害が出る前に、早く終わって欲しいと願うセイバーの血中のアドレナリンは、もしかしたら戦闘中以上に高まっていたかもしれない。

 何せ、アイリときたら、本当に交通ルールを知っているのかどうか非常に怪しい。

 赤信号の意味くらいは多少なり察したが、それでも停止などせず減速するそぶりを見せる程度。

 おまけに車線の間違いに関して進言してみれば、「あ、そうよね」と些末な間違いの様に応える。

 それにしても、千年以上前の英霊である自身が現代を生きているはずの彼女にそんなことを注意するというのもどうかとセイバーは思った。

 冬木に降り立った際に、飛行機も操縦できるという〝騎乗スキル〟を説明したくだりでは、アイリはセイバーの言った『鞍に跨り手綱を握る』という表現について、少々笑っていたが……そんなある程度は現代の機器に(つうず)る彼女が、それを扱う際のルールについておろそかにするというのはいかがなものだろう。

 ……まぁ、アイリにとっての現代機器というのは、夫の持ってきてくれた〝玩具〟である様な感覚である部分が大きいため、ある意味では仕方ないのかもしれない。

 実際、専門の運転手を雇ってもよかったのでは? というセイバーに対し、アイリは「だめよ。其れじゃつまらな――危険ですもの!」と答えていた。

 ……果たして、この運転とは名ばかりの暴走と、専門の運転手を『聖杯戦争』の脅威から護る事、どちらがより難いのか、セイバーにはすぐに答えは出せなかった。

 加えて、普段彼女と相対していると忘れそうになるが、彼女はまだ生まれて二桁も年を重ねていないのだ。

 成体として作られたホムンクルスであるとともに、切嗣というファクターを得たことにより母として妻としての母性を備えているが、精神の根本では多少なり幼い部分が残っている。

 そのため、新しいものが面白いと感じても、それを使う背景まではしっかり見ない。

 それは、アイリ同様に見た目とは裏腹な年月(としつき)の重ね方をしてきたセイバーからすると、微笑ましくはあるが……だからといって、「はいそうですか」と容認するにはこれは危険すぎた。

 セイバーの役割からして、アイリを無事に守ることが今ここにおける最優先事項である。

 いざとなれば、サーヴァントであるセイバーにはアイリ一人抱えて外へ離脱するくらいは訳ないことだ。

 ただしその場合、伝説のスポーツカーの無残な廃車は確定であるが……生憎、この時代の金銭感覚に疎い元・王様と、ホムンクルスとはいえ金銭的にはほとんどお姫様状態で過ごしてきた二人が、〝たかが車一台〟にそこまで気を配るという可能性は、ほとんど無に等しいとだけいっておこう。

 なんとも言えない状態のまま、二人を乗せたメルセデスは闇を走り続けた。が――

「――ッ、止まって!」

 セイバーの一声により、その疾走は一旦終わりを告げる。

 道の上にいきなり現れた、その不気味な人影の登場と共に……。

 

 

 

「――――お迎えに上がりました。我が麗しの聖処女(おとめ)よ……」

 

 

 

 甲斐甲斐しくお辞儀をしたその者は、言葉の調子とは裏腹に、酷く邪気に満ちた笑みで二人の麗人を見据えていた。

 異様なほど飛び出した眼と、瓢箪のようなシルエットは、何処と無く悪魔や悪鬼の類を連想させる。

 何者なのか、とセイバーは目の前に現れた男を鋭い眼差しで射抜く。

 だが、そんなセイバーの眼差しをさも神のもたらした祝福であるかのごとく、男は恍惚とした嘆息を漏らしつつ、目の前にいるセイバーへ向けてうっとりとした視線を向ける。

 その眼差しはどろりとした不快さを伴い、セイバーは全身が逆立つかのような感覚にさいなまれる。

 一体、何者だ……? セイバーは、わずかながらに目の前に現れた者に対し、困惑する。

 気配から、少なくともサーヴァントであることは疑いようもないのだが、それにしてもおかしい。

 何故なら……先の戦いで、この戦争における七人の英傑たちは既に出揃っているのだから。

 だとすれば、この〝八人目〟はいったい――?

 そこまで彼女が考えたあたりで、目の前の男が垂れていた(こうべ)をスッともたげ、先ほどまで下から狙いすますようにしていた目線を真っ直ぐにこちらへ向けた。

 それと共に、セイバーは後ろへ控えるアイリを庇うように一歩前へ出る。

 先程人影を見つけた瞬間、車を止めると同時にセイバーはアイリと車外へと出て、自分の後ろから離れないようにと言い含めていたが、得体のしれない相手である以上、闘争・逃走もやむを得ない。

 ――どう出る?

 目の前の男に、鋭く目線でそう語る。

 だが、目の前の男はそんな眼光すら気にも留めず、愛も変わらずうっとりとした目線を向けている。

 それが、セイバーには不快で仕方がない。酷く気に障るが、こんなところで感情に呑まれてしまっても馬鹿らしいので、どうにか抑えているが……それでも、生理的な嫌悪感は拭えなかった。

 また、〝もしかしたら……〟という『もう一つの可能性』も捨てきれなかったのだが、どうもそれは違うらしいというのは判った。

 倉庫で彼女と槍兵(ランサー)の戦いを阻んだ一射と、あれを放ったサーヴァント。出揃った七騎から考えて、おそらくクラスは〝魔術師(キャスター)〟。

 あの場においては、戦いを邪魔されたように思ったが……あのランサー、〝ディルムッド・オディナ〟の槍の事や、ライダーの言っていたことなどから、自分を庇ったのではないかという考えも浮かんできた。

 何を思ってそうしたのかは知れない。けれど、もし、あのディルムッドと同じように騎士としての在り方として、今宵のことを知り……もし尋常なる勝負を求めていたのならと、騎士としてその部分は確かめておかなくてはならないという考えにも至っていた。

 実際のところ、もしあの射が無かったら――きっとセイバーは左腕を失っていただろう。

 そうなると、最大の宝具である『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』が振るえない。

 勿論、自分の失態は自分で精算するのが彼女の流儀であるし、信条である。しかし、もしもそのような高潔な精神を持っている誰かがいるのならば、万全で挑めるというのは騎士としては誉れだ。

 向こうは、万全の己を求めて、この状況を作ってくれた。ならば、それに対し応えるのもまた、礼儀である。

 それに――それこそなんとも馬鹿々々しいのだが、あの時、セイバーはこうも感じたのだ。

 その射を放った者の心の在り方を、その存在を、とても……好ましいと。

 在り得ないのだが、値にしてAを冠されるほどの〝直感〟がそう告げていた。

 

 ――が、目の前の男からはそれを感じない。

 

 明らかに、敵。

 好ましくない者、屠るべき悪の類であると、感覚がそう告げる。

 そもそも、最初に目の前の男は何と告げた? 迎えに来た、と、そう告げていた。

 しかし、

「……セイバー、この人、貴女の知り合い?」

 アイリがそう訊くが、勿論セイバーの応えは一つだ。

「いえ、見覚えは有りませんが――」

 そう、知りはしない。

 セイバーにとって至極当然の事実であったが、その事実は向こうにとっては信じがたい幻想か悪夢の様であったようで、目の前の男はセイバーの答えを聞き、狼狽えた様に捲し立て始めた。

「なんと……ッ!? おぉぉ、ご無体な! この顔をお忘れになったと仰せですか!?」

 さも大仰な事であると言われたようで、尚の事セイバーは憮然と言葉を返す。

「知るも何も、貴公とは初対面だ。――何を勘違いしているか知らぬが、人違いではないのか?」

 そこまでが、セイバーにとっての最後の譲歩だった。けれど、最低限の礼を残したまま帰したセイバーの答えを受けて尚、向こうの暴走は留まるところを知らなかった。

「おお、おおぉぉ……っ!?」

 脂ぎった髪をかきむしりながら、いっそ哀れにすら見えるほど狼狽したまま、男は呻く。

 呻き声を漏らし、先ほどまでの恍惚とした表情から一転。歓喜すら覚えていた表情は一瞬で落胆と悲愴に染まり、歪む。これだけでも、相当に感情の起伏が激しく、その振れ幅によって行動が移り変わるのであろうという事がよく分かった。

「私です! 貴女の忠実なる永遠の僕、ジル・ド・レェに御座います! 貴女の復活だけを祈願し……今一度、貴女と巡り合う奇跡だけを待ち望み続け、こうして時の果てにまで馳せ参じたのですぞ!?

 ――ジャンヌ!!」

 悲痛さを孕んだ訴えも、セイバーにはさして意味を持たない。寧ろ、一体何を言っているのかという思いを増すばかりである。

 少なくとも、彼女の治めたブリテンにはこのような輩はいなかった。仮にいたとして、そこまで執着されるほどセイバーに会いに来ようとする者など、いたとしてもそれは『円卓の騎士』の誰かくらいの者であろう。

 しかし、このような者は円卓にはいない。

 〝ジャンヌ〟などという名にも覚えはない以上、人違いが確定したという事でしかないのだが、彼女の隣にいたアイリが驚いたように息を呑み、こんな呟きを漏らした。

「ジル・ド・レェ、ですって……!?」

 セイバーはさして感慨を持たなかったが、それは致し方ない事である。

 彼女の真名は、〝アルトリア・ペンドラゴン〟。彼の有名な聖剣の担い手、アーサー王その人である。

 対して、ジル・ド・レェの口にしたジャンヌ、すなわち彼の聖女〝ジャンヌ・ダルク〟。

 この二人では、生きた時代も国も、あまりに違いすぎる。

 セイバーが生きたのが五世紀ごろであり、ジャンヌの生きたのはその千年ほど後……判る筈もなく、ましてイギリスとフランス。時代背景と共に、場所からしても、ほとんど敵同士である。

 そしてさらに言えば、セイバーは男として『王』であり続けたが……ジャンヌは女として、『聖女』として軍勢を率いた。

 継承権こそ低かったが王の嫡子というセイバーと、平凡な村の娘だったというジャンヌの生い立ちも、男として、女として戦い続けたその在り方も逆だった。

 彼女らに似通った点があるとすれば、それはともに〝圧倒的勝利〟の象徴であるとともに、己の信じ続け、守り続けたものに裏切られ終わりを迎えたことであろうか。

 しかし、いかに似た部分があろうとも、二人の関連性はここではあまり関係がない。

 何せここは聖杯戦争の真っただ中――〝様々な時代の、ありとあらゆる英霊たちが現出し、雌雄を決する戦いの場〟なのだから。

 つまり、セイバーがすることといえば、(意図的かどうかはさておき)真名を明かしてきた相手に対し、騎士としての礼を尽くすことのみである。

「私は貴公の名を知らぬし、そのジャンヌなどという名にも心当たりはない」

「そんな……まさか、お忘れなのか!? 生前のご自身を!?」

 相も変わらず話の通じないことに苛立ちを覚えつつも、まだ呆れの方が上回っていたため、ため息を一つ吐いて要点のみを口にした。

「……貴公が名乗りを上げた以上は、私もまた騎士の礼に則って真名を告げよう。我が名はアルトリア。ウーサー・ペンドラゴンの嫡子たるブリテンの王だ。此度の聖杯戦争では、セイバーのクラスをもって現界した」

 セイバーは自身の由来たる、誇りの籠った名を告げる。

 毅然と胸を張り、騎士の礼をもって堂々と宣言した少女の姿は、夜の闇に相まって一筋の光明であるかのようであった。

 けれど、それはジル・ド・レェにとっては、度し難い現実であったようで――

「――おおぉぉ、ォォォオオオオッ……!!」

 暫し言葉を失った後、ジル・ド・レェは悲鳴にも似た咆哮を上げる。

 なりふり構わず、無様に嗚咽を吐き洩らしながら、ジル・ド・レェは地面を叩き始めた。

 地面のアスファルトが、ジル・ド・レェの苛立ちを受け止め砕けていく。

「何と痛ましい! 何と嘆かわしい! 記憶を失うのみならず、そこまで錯乱してしまうとは……おのれ……おのれぇぇッ! 我が麗しの乙女に、神はどこまで残酷な仕打ちをぉぉぉ!!」

「貴公は、一体何を言っている? そもそも私は――」

「ジャンヌ、貴女が認められないのも無理はない。かつて誰よりも激しく、誰よりも経験に神を信じていた貴女だ。それが神に見捨てられ、何の加護も救済もないままに魔女として処刑されたのだ。己を見失うのも無理はない……。

 ですが……目覚めるのですジャンヌ! これ以上、神如きに惑わされてはならない! 貴女はオルレアンの聖処女、フランスの救世主たるジャンヌ・ダルクその人なのだ――――」

 そこまで聞いて、セイバーはもうジル・ド・レェが自分の話を聞く気がないのだという事を理解し、これ以上この男の世迷言に付き合う必要も、礼を残しておく必要もないのだと知った。

「――――いい加減にしろ! 見苦しい!!」

 冷厳に、嫌悪感をこれ以上隠す必要もないと、軽蔑のこもった目でジル・ド・レェを睨みつけるが……目も耳も、何もかもを閉ざし、都合のいいようにだけ解釈を連ねるだけの妄信者には通じない。

 それがまた、セイバーの怒りを煽る。

「……セイバー、何を言っても無駄よ」

 激高を抑えられずにいるセイバーを、アイリが宥める様にそういった。

 セイバーがそうやってイライラするのも仕方ないと言えば、仕方がない。彼女は、まだ『英霊』として完全ではないが故に、『聖杯』から与えられる知識に偏りがある。

 そのため、彼女の後世に名をはせた英雄たちについての知識が欠けている。

 彼女は〝英霊の座〟に未だ至っていないため、彼女がまだ留まっているあの〝血塗られた丘〟を超えた時空の英雄たちの伝説は知らないのだ。

 

 『ジル・ド・レェ』――――彼の聖処女を支えたという有名な軍師だが、その伝説には救国の英雄となった輝かしさと共に、聖処女(ヒカリ)を失った後の狂気に彩られた凋落の物語を持った人物である。

 

 フランスの動乱を戦い抜いた軍師であるが、彼はジャンヌを失った後に狂気と淫欲の道に堕ち、悪魔の術を手に入れるにまで至る。

 ジャンヌとジル、両者を関連付ける伝承は多いが、二人の関係がどのようなものであったかについては諸説あるが――少なくとも、ジルの妄執を見る限り、二人の関係はきっと悪くないものであったのだろう。

 しかし、彼の嘆きにもあったように、神の仕打ちもいえばいいのか、運命は最悪の形で二人を引き離した。

 非難の声と粛正の炎に焼かれた聖女と、それを守りたかったが故に怨嗟に身を焦がし狂気に堕ちた軍師。

 そんな運命を背負い、狂気の道を進み続けたジル・ド・レェは、その妄執を果たすべく狂ったままにこの戦いに足を踏み入れた。

 そして、出会ってしまったのだ――セイバーに。

 ジャンヌとセイバーがどの程度似ているのか、それは当の二人が出会いでもしない限り分からないが、妄執を連ねてきたジル・ド・レェが自らの想いが果たされたと錯覚するには十分であった。

 自分の考えや幻想に囚われた盲目程、恐ろしいものはない。何せ、囚われたその輪の中では、本人にとって都合の悪いものなどその目には映りも掠りもしないのだから。

 一度確信を持ってしまえば、それは彼が彼自身の認識を疑わない限り覆されることはない。

「ジャンヌ、もうご自身をセイバーなどとお名乗り召されるな。

 ええそうですとも。私も貴女も、セイバーだのキャスターだのと(・・・・・・・・・・・・・・)、我らはサーヴァントなどというような頚木に繋がれてはいない。聖杯戦争は、もう既に決着している!」

「な――」

 〝キャスター〟と、目の前の男は確かにそういった。

 つまり、目の前にいる男はサーヴァントのクラスにして『魔術師(キャスター)』に据えられている。

 という事は、この男こそが七人目。

 だとすれば、あの時の〝七人目〟はいったい――? と、そこまでセイバーが思ったところで、先ほどまで一歩引いていたアイリが先ほどのジルの言葉を聞き捨てならないとばかりに前に出る。

 天真爛漫な少女の様であり、毅然とした貴婦人然とした普段の彼女からは考えられない程、不快感を露わにしてジルの前に立つ。

「それはまた、随分な意見ね」

 一千年をかけて、この戦争に至った一族・アインツベルン。この大家は『聖杯』を造り上げた一族でもあり、戦争(たたかい)のたびに『聖杯の護り手(小聖杯)』としてのホムンクルスを場に送り込む。

 彼の『冬の聖女(ユスティーツァ)』から続く、四代目の小聖杯――それこそが彼女、アイリスフィール・フォン・アインツベルンなのだ。

 そして、彼女は此度の戦いにおいて『聖杯(きせき)』を手にする者は、彼女という護り手がその祈りを捧げるのは――心に決めた、ただ一人だけ。

 アイリスフィールの愛した夫、衛宮切嗣だけであると、彼女はそう確信している。

 故に、最も『聖杯』に近い存在である彼女の差し置いて……〝願いが叶った〟、〝『聖杯(きせき)』はこの手にある〟などという戯言を吐かれるのは、我慢ならない。

 だからこそ、彼女は狂人の前に立ち、問うた。

「……ねぇ、ジル元帥。戦いが終わったというのなら、聖杯はいったいどうなったのかしら?」

 そこには、静かだが……確かな彼女の怒りが込められていた。

 だが、そんな問いかけも、ジルにはただの決定事項を聞かれている程度にしか聞こえないのだろう。

 高らかに、彼は語る。

「勿論、万能の釜たる願望器は、既に我が手に収まっている! 何故ならば、我が唯一の願望――〝聖処女ジャンヌ・ダルクの復活〟が、まぎれもなくここに果たされているのだから!

 何人と争うまでもなく、既にわが願望は成就した。戦うまでもなく聖杯は、このジルを選んだのですよ! ジャンヌ!!」

 満面の笑みと共に、歓喜に奮えるようにジル・ド・レェは堂々と宣言した。

 だが、それを彼が言い終わったその瞬間。

「――――」

 ゴオッ! と、不可視の剣が振るわれた。

 射貫く様な冷たい眼差しのまま、セイバーはジル・ド・レェへ剣を指し向ける。

 地面を真っ二つに両断した剣先から立ち上る闘気は、見えずともそれと知れたであろう。抑えられてはいるが、それでも隠し切れないほどの憤怒が確かに込められていた。

「我ら英霊全ての祈りを、それ以上愚弄するというのなら――次は容赦なく斬り捨てる」

 研ぎ澄まされて冷え切った声色は、まさしく彼女の差し向けた刃の温度だった。

「さぁ立て。平伏した者を斬るのは主義に反する。貴様も武人の端くれならば、妙な詭弁を弄するのでなく、尋常に戦い抜いて真に聖杯を掴むがいい。最初の一人はこの(セイバー)だ。

 今ここで相手になってやる。こい、キャスター(・・・・・)!」

 激高し、熱高まりを感じるセイバーとは裏腹に、ジル・ド・レェは急速にその熱を失っていく。

「そこまで心を閉ざしておいでか……」

 立ち上がったその体躯は昨夜戦ったライダーほどではないが、十分に長身と呼べるものであり、小柄なセイバーと比べるとその差は歴然であった。

 黒いローブを纏ったその身からは、確かな気迫を感じる。

 先ほどまでの無様さからは全く想像できない程、立ち上る威圧感は、幾度となく戦場を地に染め上げてきたものだけが持つ威風……英雄と崇められ、狂気に身を堕とした暴君として畏怖される者ならではの覇気がそこに有った。

「致し方ありますまい。それなりの荒療治が必要、とあらば――次はそれ相応の準備をして参りましょう。

 誓いますぞ、ジャンヌ。この次、相見えるその時こそは……必ず、貴女の魂を神の呪いから解き放って差し上げます」

 スッ……と、夜の闇に溶けるように、男は姿を消した。

 消えていくその姿を見ながら、狂ってはいるが断じて容易い相手ではないという事を再認識し、次会ったときは手加減なく、一刀両断にするとセイバーは決める。

 とはいえ、このまま臨戦態勢をとったままという訳にもいかない。

 セイバーは手に握った剣を再び空気に溶かし、構えを解いた。

 張り詰めた糸が途切れる様に、その場の空気が再び静やかな夜気に戻っていった。そうして解けていく緊張感(くうき)に呼応するように、アイリはメルセデスに少し寄りかかるように息を吐く。

「会話の成立しない相手って……疲れるわね」

「……えぇ、全く。

 次会ったときは、言葉を交える前に斬ります。――ああいう手合いは虫唾が走る」

 セイバーはそういうと、暫し夜風にその場を任せる。

 今宵は、分からないことが多すぎる。

 様々なことが起こり、混沌とした幕開けになってしまったが、二人の美女を撫でる夜の風だけは穏やかなものであった。

 この先に、一体何が待ち受けるのか。それは未来予測に至るとまで言わしめられたセイバークラスの直感ですら、分かりえない。

 

 ――こうして、始まりの夜は本当の意味で始まりを告げ、そして終わった。

 

 様々な不確定要素(イレギュラー)や、異常な狂気を纏った魔術師、そして何より今回集まった英霊たちの格の高さ。

 厄介であることこの上無い事柄を伴いながら、事態を震わせていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 昨夜の邂逅を反芻し終わったセイバー陣営は、ここまでにあった出来事から推測しえる事柄を並べていった。

「――〝キャスター〟についての情報が得られたのは幸運だった。何を勘違いしているのか、セイバーを〝ジャンヌ・ダルク〟と勘違いして出向いてくれるとはね。

 これで、サーヴァントが明らかに〝八人〟いるという事が分かった」

 切嗣は昨夜の出来事をそう締めくくり、現状における情報戦の成果は上々であるとした。事実、ここまでにおいて得られた情報は他の陣営に比べて大きいといえるだろう。

 あの時、倉庫街での戦いにおいて確かに〝七人〟の英霊があの場にいた。

 しかし、その〝七人〟という前提が覆るなど、誰も予想だにしないだろう。まず監督役からして、その内容を知っているかどうか怪しい。そういう意味で、少なくともここ一時(いっとき)におけるアドバンテージを獲得できたといえる。

 ならば、そのアドバンテージを生かすために、一つ一つの行動を迅速に進めていく必要がある。

 それ故の、冒頭におけるランサー陣営への奇襲だ。

 切嗣がそれを決めた理由は二つ。

 まず、遠坂時臣のアーチャー陣営と、言峰綺礼のアサシン陣営は協定を交わしている。御三家の一つである〝遠坂〟と、〝監督役〟である言峰璃正。そして元〝代行者〟である言峰綺礼。

 奴らが組めば、遅かれ早かれ、八人目の正体には辿り着くだろう。また、あの狂ったキャスターなら、おとなしくしているなどという事はない。おそらく近いうちに、セイバーを求めて行動を起こすだろう。

 それを迎え撃つために、此方からはセイバーを晒して動くわけにはいかないのは当然。

 あくまでも、この戦いを必ず勝ち抜くために取るべきは〝効率のいい戦い〟であり、間違っても騎士の誉れなどというものを表に出したものではない。

 だからこそ、八人目を知るだろうこの陣営は手を出さずにおく。監視役と提携しているという事は、おそらく何かしらの不正も、表に出ない程度ならば遠坂と言峰綺礼には許される。

 こちらが有利になるようにことを運べるまで、手を出すわけにはいかないのはそれが大きい。

 アサシンを暗躍させている言峰は厄介だが、アサシン自体はさほど脅威ではない。そして、アサシンは公式にはすでに死んでいることになっているため、表には出せない。

 つまり、此方を目立った行動で手を出させるわけではないということ。はっきり言ってアサシン自体は脅威ではない。闇に紛れられると厄介にはなるが、それを端から知って警戒できているのなら、話は別だ。

 いざとなれば、令呪を使いセイバーを呼び寄せれば、その時点で決着はつく。

 まして、アイリをマスターとして堂々と晒している此方は、常にセイバーをアイリの傍に置いておける。

 これもまた、一つのアドバンテージだ。

 アサシンはアイリを殺せないし、警戒をして同じく暗躍している切嗣にも手を出せない。

 もう一つは、他の陣営の中で最もランサー陣営が仕留めやすいからでもある。

 行動の読めないライダー陣営は、マスターが素人なだけにいつしか勝手に自滅するだろう。そもそも、サーヴァントを御せもしないマスターに、戦いができるわけもない。経歴を見ても、ただの学生に過ぎない。まず第一に除外となる。

 そういう意味でキャスター陣営も除外する。マスターの姿は視認できなかったが、あのサーヴァントを従えているのか操られているのかどうかは定かではない様なあやふやなマスターがキャスターを制御しているとも思えない。寧ろ、あの狂っている趣味嗜好に賛同して好き放題にやらせている可能性の方が高い。総じてこんな戦いに足を踏み入れた者がまともであるはずもないというのは、ある意味当然なのかもしれないのだが。

 そして最後に、バーサーカー陣営。ここははっきり言って、一番脅威ではない。

 落伍者を引き戻して無理やり仕立てたマスターに後れを取るほど間抜けではないのは当然として、バーサーカーはキャスター同様にセイバーに何かしらの執着があるのなら、向こうが仕掛けてきたところを仕留めればいい。

 ただ、それだけではない。脅威ではないがゆえに脅威であるという部分とがある。

 それは、あの間桐の裏の頭首である〝間桐臓硯〟の存在だ。

 アインツベルン同様、ほとんど妖怪同然の延命をして今まで生き延びている化け物が裏にいる以上、マスターである間桐雁夜が表立って出てきたところを仕留めた方が楽に事が運ぶ。

 以上の理由から、ランサー陣営こそが第一の標的として定められた。

 マスターであるケイネスは、魔術師の総本山である『時計塔』の誇る〝神童〟ではあるが、それゆえに『魔術師』としての価値観に凝り固まっている。

 その上、奴の聖杯に欠ける望みは望みとも言えないものでしかないようなもの。

 戦いに赴いて、自身の武勇に箔をつけるなどという考えで奴はこの戦争に参加している。

 ――そんな程度しか賭けるモノのない男に、一体何ができる?

 だが、そんなマスターであっても従えているサーヴァントは中々に厄介な輩。戦闘能力こそそれほどではないが、癒えぬ呪い与えられるかもしれないというのはこちらが不利に陥りやすくなる。だからこそ、早めに叩いておこうという訳だ。

 これが、今のところ切嗣の考えているこの戦争における序盤の番面である。

 しかし、それを行うことを進めるうえで、切嗣にとって最も厄介な存在である〝八人目〟――それだけは、切嗣には全く予想もつかない。

 ライダーやランサーのような馬鹿かと思えば、姿をさ晒さないどころか、探した此方に気づいていたかのようにその存在を包み隠していた。

 

 ――全く、その行動の理由が分からない。

 

 ある意味、言峰綺礼よりも恐ろしいかもしれない。

 切嗣はそう思ったが、まだまだ情報が足りない以上、早急に潰せるところは潰していかなくてはならないだろう。

 それが、

「今、この場における行動指針は以上だが……何か質問はあるかい? アイリ」

 切嗣の締めくくりの言葉だった。

 そして、その言葉はたった一人にしか向けられていない。

 何故か? 単純である。

 最初の問いかけと同じだ。

 

 切嗣にとって――

 

 妻であるアイリの意見は聞くものだが、

 自身の相方である舞弥は元より自身と同じ志であり、

 そもそもにおいて道具であるセイバーの言葉を仰ぐ気など毛頭ないからである。

 

 ――そしてそれは、その問いかけを向けられた側にも同じこと。

 

 一人、黒髪の女はただ首肯し。

 二人、銀髪の女は僅かに惑い。

 三人、金髪の女は眉を寄せた。

 

 舞弥は切嗣に対する異論はなく、アイリは切嗣の〝魔術師殺し〟としての冷徹さに戸惑い、セイバーは切嗣の戦い方に好色は持てないながらもその在り方を否定するわけにはいかない。

 ただ、この場において最も心痛を残したのはセイバーであろう。

 共に戦う者として、切嗣に認めてもらいたい。

 そして、アイリの語っていた平和を求める切嗣の姿を信じたい。

 結局、滅ぶ姿を見るしかできなかったあの過ちを正すために――――

 

 

「――――では、今日はここまでだ。次はランサー陣営を責めたあと、その後の計画を説明する」

 

 

 

 ***

 

 

 

「――――では、今日はここまでだ。次はランサー陣営を攻めたあと、その後の計画を説明する」

 

 

 

 今瀬の主の冷淡な声を聞きながら、一人の少女は救いを待つ。

 自らの手で手繰り寄せるべき奇跡を求め、図らずして共に在るもう一つの繋がりを引き寄せながら。

 常に正しく在ろうとした一人の『王』は、未だ違えたままのその在り方を貫き通すべく歩み続ける。

 そして、この戦いの先に置いて、彼女の求める〝救い〟を与えるはずの少年は、本来よりほんの少し早く、〝彼女ら〟の元を訪れる。

 ただ、彼女の元を訪れるのはもう少し後になりそうだ。

 ……まずは、泣いているあの子を救わなくてはならないから。

 

(――――だから、もう少し待っててくれ。

 きっと、もうすぐお前たちのところに行くから……)

 

 優しい鞘の導きは、決して彼女の心を傷つけたままにはさせない。

 そしてまた、泣いた少女を泣かせたままにはせず、毅然とし続けた少女の苦しみもきっと和らげ、雪の城に囚われた少女も寂しいままにはさせないから。

 

 

 

 ――――一人では無理だけど、もう一人じゃない。

 

 

 

 誰かに頼る事。

 人と人との繋がりの大切さ。

 何より、自分を大事にすること。

 たくさんたくさん教わって来た。

 だからこそ、今度は必ず手を伸ばす。

 誰かを助けること、苦しんでいる誰かを救いたいという願い。

 それを理想として掲げ、一度はそれに至った。

 だからこそ、もう止まらない。

 必ず、成し遂げて見せる。

 その心は決して潰えず。

 

 そうして願い続けたこの想いは、絶対に間違いではないのだから。

 

 

 

 さあ、〝始まり(ゼロ)〟を越えよう。

 その先にある〝運命の夜〟への道は、もう始まっている。

 

 

 

 さあ、走り続けよう――――いつでも少年は、見果てぬ荒野(りそう)を目指すものであるのだから。

 

 

 

 

 

 

 



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第十一話 ~立ち上る狼煙、巡り行く戦いの嵐~

 第十一話。
 シリーズ初期では最高の文字数の回でした。
 実に四万越えでして、自分でも詰め込みすぎだろとか思ってました(笑)



 動き出す少年、紡ぎたい願い

 

 

 

 

 

 冬木の地にそびえる三つの『城』――彼の『冬の血族』が収める城で、一人の王である少女が愁いを感じていたその頃。

 この地で最も古いが、同時に最も新しい血族が住まう『城』へ向けて……三人の男が、その歩を進めていた。

 

 ――薄暗く、どす黒く穢れた闇の中へ落とされてしまった一人の少女を、救うために。

 

 

 

 ***

 

 

 

「早速ですけど、雁夜さん。桜を助けるための準備として、〝遠坂〟の協力を仰ごうかと思ってます」

「な……協力?」

「はい」

 まだ幼さの残る少年が提案したのは、ある意味において当然のことであり、同時にとんでもない事であった。

「遠坂と協力って……時臣がそう簡単に協力に乗ってくるとは思えないんだけど……。

 それに、桜ちゃんを助け出すんだったら、バーサーカーと士郎くんだけでも過剰戦力なんじゃ……それに俺だって、そんな大した戦力にはならないかもだけど、令呪でバーサーカーをサポートするくらいならできると思うんだけど……」

 雁夜の考えはそれもまた至極当然であった。

 実際のところ、武器を無限に生み出せる士郎と、その武器を全て己が宝具として一〇〇%使いきれるバーサーカー、〝ランスロット〟がいれば、いかにあの間桐臓硯とはいえ、そうやすやすと勝てはしない。

 勿論、戦力が多いに越したことはない。

 だが、一度〝間桐〟という『魔術師』の大家を信頼して我が子を託した『魔術師』が、その考えが間違っていたという事を信じてくれるかどうかも怪しく、ましてその上での協力など、乗ってくるだろうか?

 正直なところ、その可能性はかなり低いといえる。

 重ねて言うなら、今は『聖杯戦争』の真っただ中であり……同時に〝間桐〟と〝遠坂〟、つまり雁夜と時臣は敵同士である。

 更に、なんとも拙いことに先日の倉庫街の戦いの折りに、雁夜はバーサーカーに時臣のサーヴァントであるアーチャーを襲わせ、挙句令呪を切ってまで撤退させたという事実がある。これは向こうにしてみれば手痛い損失であり、とても話を聞いてくれるほど友好な雰囲気には持ち込めそうにない。

 仮にその話の切り口を『協定』という建前で持ちかけるとしても、メリットも何もない提案を持ちかけたところで、時臣がはっきりと認識・理解・納得した上でなければ、その交渉は失敗に終わるのは目に見えている。

 加えて、知っての通り遠坂は監督役引き受けている聖堂教会の言峰親子と既に協定を結んでいる。

 これ以上の協力者は寧ろ統率を乱すだけであり、必要ないはずだ。

 協力を仰ぐというのなら、まずその交渉の切り口から模索していかなければならない。

 だが、それについては勿論士郎も十分に認知している。

「分かってます。でも、一度向こうに桜の置かれた状況を知ってもらえないと、桜をこれから守っていくのは難しくなるんです。

 桜の持っている資質は、『魔術師』の側から見れば喉から手が出るほどに欲しいもので、それから守るためには大家の加護が必要になってくる。そういう意味では間桐はまさにうってつけではある……。

 とはいっても、勿論あの臓硯が桜を大事に保護なんて真似をしてくれるはずがない。だからこそ、今後の魔術師の側から守るための要素として、遠坂と教会側の協力も取り付けられれば、これ以上ない有効な手になります」

 つまり〝間桐臓硯〟を倒すだけでは不十分であるから、そこから万全を期すために桜の生家である〝遠坂〟の協力と彼女の状況を向こうにも認知してもらう必要がある、と。そう士郎は言った。

 それを聞き、確かにそうかもしれないと雁夜は思った。

 実際のところ、雁夜には桜を助けた後の彼女の〝安全な〟保護先を全く考えていなかったのである。

 母である葵や姉の凛とまた仲良く暮らせればいいと、魔術の世界など無視してしまえばいいと、そんな程度にしか考えていなかったのだ。

 だが、それは許されない。

 桜のもった資質は、決して彼女を魔術の世界から目を背けることをよしとはせず、彼女が生きている限り、必ず何らかの形で付いて回ることは避けられない。

 そうなると、どうしても彼女を守るための後ろ盾が必要である。

 今の雁夜なら、間桐の家を継ぎ頭首として名を置いておくだけでもいいが、いつ何時不測の事態に巻き込まれるかわからない。魔術の世界では、実験や研究の為の素材として優れた人材を使うことを惜しむ者は少ない。魔術的に優れた性質を持った様々な生物や、時として桜のように優れた人間を一要素として必要とし、標本か何かの様にホルマリン漬けにすることさえ辞さない様な連中が実際にいるのだから。

「……確かに、時臣の協力はあった方がいい。

 でも、だったら尚更どうする? 言っちゃあなんだけどさ、前の戦いで俺思いっきり時臣のサーヴァントに喧嘩売っちゃったんだけども……」

「……そこに関しては、もう仕方ないかなと思います。まぁ、あの金ぴかに関しては、何かしらの興が乗れば勝手に出張ってくると思うので、邪魔さえされなければ何とか……一応、俺とランスロットはあいつの天敵ですから」

 そう、邪魔さえされなければいい。

 正直なところ、あの不安定な気まぐれな英雄王にはあまり期待していない。味方になってくれれば頼もしいことこの上ないが、逆に敵だったら厄介なことこの上ない存在であるから、あまり過度に協力を期待するのは禁物だ。

 ……逆に、変なところで興が乗ると妙に乗り気で協力してくるのがまた厄介なところである。

 すっかり俗世にハマり切った英雄王が高笑いするさまが目に浮かぶようだ。まったく、頭が痛い。

 まぁ、そうはいってもこちらには今、今世での奴の天敵筆頭であるランスロットがいる。

 そして、士郎は一度凛のサポートを受けながらとはいえ、あの英雄王・ギルガメッシュを人の身で追い詰めて『敗北』を認めさせたことがある。完全に倒すにはあと一歩及ばなかったとはいえ、この二人がそろっている以上は、即座にあの〝乖離剣〟を抜かれない限りこちらに負けはないだろう。

 そうして、士郎はもし遠坂邸へ交渉に行ったらあの英雄王とまた戦わなくてはならない可能性を考えると胃が痛くなる。

 あの頃よりは使い慣れたとはいえ、今の状態では固有結界がきちんと発動するかどうかも怪しいのは不安なところだ。

 そうした不安要素があるからこそ、何事も慎重に順を追って固めて行こうとしている訳なのだが……実は、〝間桐〟を真っ先に襲撃しないのは、もう一つ理由がある。

「まあ結局のところ、臓硯を倒すために協力は必要ですし……御三家の内、聖杯戦争が始まった当時からこの街に住み着いている化け物を倒すには、同じ御三家の協力が必要です。

 だけど、アインツベルンはまだ少し交渉にかけるものが足りない。

 でも、遠坂ならもし決裂してもランスロットと俺がいれば、英雄王を止めるくらいはきっとできる。アサシンがいるのも不安なところだけど、多少の無茶を重ねてでも、交渉を取り持たないと――とりわけ、臓硯は聖杯戦争のサーヴァントシステムと、令呪を考案した相手。サーヴァントを使って挑むなら、決して侮れない。

 なら、いっそのこと初めから過剰すぎる戦力で挑んでいけば必ず勝てる……!」

 そう、雁夜の話を聞いていくつか分かったことから、遠坂との協力は間桐家を攻略するのに最も適していることが分かっている。

 同じく聖杯戦争を熟知し、『火』の属性で蟲との相性のいい時臣。

 たとえどれだけの手駒があろうと、問答無用で叩き潰すことすら可能な士郎の固有結界と英雄王の宝具。

 単一では決して敗退などするはずもない円卓最強の騎士。

 その上で、闇に紛れるアサシンや魔を狩ることに長けている元・代行者。

 これだけ揃ってしまえば、勝てない道理もない。

 そのための一歩として、遠坂との交渉を成功させられるのならば、言うこと無しないのだが――まだ、そのための場が足りないのが現状である。

 交渉のテーブルとはよくいったものだ。

 相手を席に着かせることができなければ、言葉を交わすことすらままならない……難儀なものである。

「……まったく、難しいもんだよなぁ」

 少々嘆息しながらも、動き出すしかないという事は雁夜とて分かっている。

 

 ――さて、ここで今現在において士郎と雁夜が取れる手段を考えてみよう。

 

 一つ、書状を出してから尋ねる。

 二つ、使いを出して自らの意思を伝える。

 三つ、いきなり押し掛ける。

 

 簡単に考えるとこの三つだろうか。そもそも、一と二は似ているように思える。

 とはいえ、使いという形で意思を直接伝えるのと、書状というのは破り捨て去られればそれまでというのではだいぶ違う。

 そういう意味では、ある意味三が一番手っ取り早いといえる。

 玉砕覚悟での特攻など、通常においては無謀以外の何物ではないのだが……今回に限って言えばかなりの妙手、とも言えなくもないかもしれない。

 うむむ、と二人が唸っていると、台所の方から皿洗いを終えた湖の騎士が戻ってきて、主へ向けてこう言った。

「マスター。私は、命があればいつでもあのアーチャーへ向かっていきます……!」

「バーサーカー……!」

 流石は湖の騎士。円卓最強の名は伊達ではないらしい。

 ライダーの一撃から受けた負傷は、雁夜の回復と士郎の投影した『鞘』により既に癒えている。

 あの夜の様に狂気に晒された戦いはもうしない。

 己が技量の全てをもって、阻むもの全てを薙ぎ払うとそう誓う。

 そうして、狂戦士陣営の主従二人が信頼を深めていたのだが、それを傍目に見ていた士郎はなんとなく思った。

(……妙に似合うな、エプロン姿)

 何といえばいいのだろう。

 甲斐甲斐しく傍に仕えるという在り方が地に沁みているのだろうか? ランスロットは随分と過保護さが表立った格好のまま、雁夜はそんなランスロットの恰好など関係ないと頼もしい相棒を頼りにしてるぞといった空気をありありと醸し出す。

 ……ちなみに、そんな湖の騎士の姿に、同じように主に甲斐甲斐しく使える槍兵や、別世界の剣士適性の本人が娘(息子)相手に過保護さを発揮して軽くくしゃみをしたのだが、無害です。

 話がそれたが、ランスロットの気概は賞賛に値する。

 それに加えて、

(……ぶっちゃけた話、英雄王(あいつ)が真っ向から仕掛けられたら絶対慢心してるだろうしなぁ……)

 士郎の予想は当たらずとも遠からずであった。

 彼らは知る由もないが、実のところの英雄王はいささか退屈しており、娯楽を求めて外道神父(覚醒前)を唆して一興としようとしていた。

 加えて彼は、ヒトの飽くなき業が大好きである。

 言ってしまえば、信念を持って足掻く凡俗の有様を愛でるような愉悦思考なのだ。

 実際、〝贋作者〟と呼び蔑んだ士郎たちの内、『エミヤ』の在り方を〝奴も贋作者であったが、その理念は俗物ではなかった〟と、彼にしては珍しく認めたかのような発言をしていたこともある。

 最も、これに関しては士郎とエミヤを比べて、どちらが残った方が面白かったかという話だったので、意味は少し違うのだが。

 そんな予感から、士郎は真っ向からの正面突破などという無謀を試してみるのも悪くないかもしれないと思った。

 その有無を雁夜とランスロットに伝えると、二人もそれに関して異論はなかった。

 二人とも、英雄王と邂逅したのは短い時間だったが、確かに自己中心的で癇性的な性格であるのは十分すぎるほどに分かっていた。

 感情に左右される傲慢な人間ほど、強くてもその行動は単純になる。

 とりわけ、その自信を打ち砕かれたことが数えるほどしかない、生まれながらの最古の王などは特に。

「…………」

 考えれば考えるほど、もしかしたら自分たちはとんでもないジョーカーキラーなんじゃないかと思ってしまうが――一度落ち着こう。

 士郎の力は確かに対ギルガメッシュとしてこれ以上ないものであるが、その力を十二分に発揮できるかどうかはまだはっきりとはしていない。

 だが、それを確かめることができたのなら、この作戦を実行に移せる。

 となれば、

「……少し、付き合ってもらえないだろうか」

 今、自分に何ができるのか? それを確認する。

 幸いにして、魂に刻まれたセイバーとの縁。本来この時代で第四次聖杯戦争が終わったときに養父となった切嗣によって埋め込まれるはずの鞘は、一度は英霊となった影響か……セイバーと共に同じ時代にいるという補正が掛かり、士郎に良い影響を及ぼしていた。

 これは、セイバーに鞘を返却した場合と、返却せずに別れてしまった場合の両方が混ざり合って、士郎の至ったもう一つの『錬鉄の英雄』としての形になっているからではないかと思われる。

 それを含めて、今の自分に出来るその全てを、確かめたい。

 士郎の眼差しに、二人は力強く首肯した。

 この場において異論はもう無く、それ以上に進みを止める道理もない。

 歩み続けることを決め、彼らは黄金の英雄と深淵の暗殺者への戦いへ臨む。

 

 

 

 ――――だが、決戦の火蓋はもう既に切られてたことを、彼らはまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 *** 拗れ行く思い、暗躍する影と立ち上る狼煙

 

 

 

 一人の少年と騎士がその力を確かめ合うことを決めた時より、時は僅かばかり遡る。

 

 

 

 冬木・新都にそびえる、高層ビル群の中でも頭一つ抜き出た――『冬木ハイアットホテル』。

 地上三十二階を最上階とするこのホテルは、さして都市という程でもない冬木の地においては最高級のクラスに位置する。

 が、そんな高級と名を冠するこのホテルも、生まれついての貴族であるケイネス・エルメロイ・アーチボルトからしてみれば何の趣もないとしか言えないものであったらしい。

 

 ――ただ広いだけの部屋と、漠然と据えられた高価なだけの家具の数々。

 

 そこに歴史はなく、何の文化もなく、何一つとして重ねられたものがない。

 ほんの百年ほど前まで憲法すらなく、ここ最近の急発展で経済力打の科学技術だのといったもので西欧諸国と張り合って、まるで世界の流れの一部を担っているかのような厚顔ぶりを発揮している。

 ポリシーがない、執着がない。

 そういった部分が、ケイネスをより一層苛立たせる。

 貴族の何たるかも知らない者が、その浮遊感を出そうとしただけの豚小屋のようだ、とケイネスはホテルの部屋を揶揄していた。

 全く持って〝贅を凝らす〟という言葉の何たるかも理解していない俗物どもがあつらえた部屋に、偏頭痛を覚えるほど嫌悪感を抱いていたケイネス。彼はそういった背伸びに敏感であったために、余計に煩わしさを感じざるをえなかった。

 とはいえ、彼がここまで苛立っているのはそんなことからではない。

 傲岸不遜でこそあれ、そこまで最良の狭い人間ではない自負は彼自身もっている。

 だが、それでもなお苛立ち加速させ募らせていく装飾に当たらずにはいられなかった。

 その原因とは、

(――――くそ……ッ! ランサーめ……!!)

 彼の従えていたサーヴァントにあった。

 歯噛みするほどの屈辱を覚えるほどに、彼は己のサーヴァントであるランサーに対して憤怒を抱いている。

 その理由は、先ほどまで交わされていたやり取りにあった――。

 

「ランサー」

「――は。ここに」

 粛々と姿を現したサーヴァントに、ケイネスは抱いた苛立ちを隠しもせずぶつけた。

「今宵の戦い……あの様は何だ?」

 つい先ほどまで続いていた、倉庫街での闘争。

 ホテルのすぐ下から聞こえてくる喧騒に、住民たちもその戦いの爪痕に気づき始めているのが窺えるが……在り得ない問題として認識されない辺り、監督役とやらを買って出ている聖堂教会の手腕はそれなりのものであるようだ。

 それほどまでに、先の戦いは激しさを伴っていた。

 ランサーは健闘したが、だがそれを知った上で尚、ケイネスは問う。

「どうして、セイバーを倒せなかった?」

 倒せなかった。そのことが、ケイネスには度し難い。

 健闘などでは足りない。

 確固たる成果を手に入れられなかった戦いに、一体何の価値があるだろうか? というのがケイネスの抱いている見解であった。

 マスターとして、武勇を手に入れるために参加した彼にとって、敵の一人も屠れなかった使い魔など何の価値もない。だからこそ、ランサーに対し、怒りを向けている。そしてそれは、ランサーの戦いに赴いた態度もまた、彼に怒りを抱かせた原因の一つであった。

「それに貴様、セイバーとの戦いを〝愉しんで〟いたな? あのじゃれ合いはそれほどまでに愉悦であったか? 敵をみすみす逃し、決着を先送りにするほどに」

 彼らにとっての騎士の誉れなのだろうが、だからといって戦いに結果を求めているケイネスにとって、誇りをぶつけ合うその姿勢すら遊びに映る。そもそも、敵を屠る事こそがサーヴァントの役目であるというのに、だ。

 そのことを責め立てるケイネスに、ランサーは変わらず粛々と目を伏せ、「騎士の誇りにかけて、遊びで剣をとる事は致しませぬ」とだけ語る。

 実際、愉しんでいなかったかと聞かれれば、ランサー自身、彼女――セイバーとの戦いに興じるところがなかったわけではなかった。故に、彼はその叱責をある程度予期していたのであろう。

 ケイネスの怒りを、彼は余すところなく一心に受け止めている。

 その姿は、確かに忠義を尽くそうとする者の姿勢ではあった。けれど、結果としてその姿勢に行動が伴わなかったこともあり、ケイネスにはその想いは今一つ伝わっていない。だが、それも無理からぬことであった。

「……申し訳ありません、主よ。

 しかし、この失態は必ず償うとここに誓います。セイバーの首級は必ずやここに晒して見せます。故にどうか、今少しばかりの猶予を」

 ランサーは主に勝利を捧げられなかった己の不甲斐無さを侘び、主の抱く怒りに耐え忍びながら、改めて忠義と今後の挽回を誓う。

 しかし、

「改めて誓われるまでもない! それは当然の成果であろう!」

 ランサーの言葉を受けても、ケイネスの怒りは増すばかりであった。

 断っておくが、ケイネスは決して怒りを御せることのない癇性の塊ではない。

 ただ、彼が送って来た人生において、なまじ人より優れた家柄や才覚を持ち得てしまったことが、自身の内へ向ける怒りへの弱さを作ってしまった。

 成功や祝福しか受けてこなかった人間は、総じて挫折や困難に弱い。

 ケイネスの抱いている怒りの大本の原因はといえば、本命であった『征服王・イスカンダル』の聖遺物を盗んだ挙句に召喚したサーヴァントを御しきれずに戦場を引っ掻き回すだけかき回してこちらの勝機すら摘み取っていったウェイバーに対するものから始まっている。

 だが、それに対する憤怒はいずれウェイバー本人と相見えたときにでもぶつけてやればいいと整理はついている。

 彼はそうした外――つまり他者へと向けるべき怒りに関して、ケイネスは分別を付けられる男であった。

 だが、そうやって生み出された怒りによって副次的にもたらされた無様な戦績という己に降りかかって来た不利益に対して、ケイネスの持つ抵抗力・許容力の類はほとんど赤子同然のようなものであった。

 そうしたものに慣れていない彼はどうしていいか解らないため、ランサーに対して激高をぶつけてしまっている。

「貴様は私と契約した! このケイネス・エルメロイに勝利をもたらすと! それは即ちほか六人のサーヴァントを切り伏せる事と同義だ。だというのに、今更セイバーの首一つについて必勝を誓うだと……それが価値のある約定だとでもいうのか? 一体、何を穿き違えている!? それこそ当然の結果であろうが!!」

 増していくばかりの怒りに、ケイネスは抑えが聞かなくなり始めている。だが、それは仕方ないのかもしれない。

 ……何故なら、ケイネスにはランサーに対する私恨がもう一つあったからである。

 その私恨とは、

「――ケイネス。ランサーを責めてばかりいても仕方のない事でしょう?」

「……ソラウ」

 今まさに口をはさんできたこの女性にあった。

 普通であれば、このように口を無遠慮に挟まれてただ引き下がるケイネスではない。が、何事においても例外は存在するという言葉の様に、ケイネスにとって彼女はその例外――ありていに言って特別な存在であった。

 この地上で唯一の例外――それが彼女、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリ。

 彼女はケイネスの恩師であり、彼の専攻している降霊科(ユリフィス)における教授であり同時に長でもあるソフィアリ学部長の娘にして、彼の許嫁でもある。

 彼にとって、彼女に関する事柄だけは、どんな理屈でも固めきれない熱に侵されてしまうようであった。

 家柄も、彼女自身の才覚も、そして何よりその美しさもまた、ケイネスを虜にしていた。

 無論それだけではなく、彼女と共に歩む未来こそが彼にとっての幸福の感性でもあった。彼女という最高の妻を娶ることによって、その未来は栄光の身に彩られた宝石の一本道の様になることが決まっているといっても過言ではない。

 それだけの恋慕と執着を、ソラウに対し抱いているケイネスであったが……その関係はとてもではないが、熱情を共にするカップルであるとはとてもではないが言えなかった。

 プライドが高い彼は未だに認めてはいないが、二人の間にあるものはどんな贔屓目に見ても恋人同士の愛などというよりは寧ろ――端的に表して、上下関係。

 その様は、さながら女帝と従者……とてもではないが、双方からの身を焦がす熱情も恋情などがあるとは言えない。だが、二人とて貴族であり、また同時に相手に対しての憎悪するほど不満があるわけでもない。

 ただ、それでも二人は恵まれていて、そして平坦過ぎたのだ。

 ケイネスはソラウに対し熱を抱くが、ソラウの方はケイネスに対してその熱を抱けなかった。

 そのことが、二人にこれ以上ないほどの溝を作る原因になってしまう。

 ウェイバーに聖遺物を盗まれ、本命であるイスカンダルを呼べなかったケイネスは次点としてランサー・ディルムットを召喚したのだが、ディルムット・オディナと言えば美丈夫として有名な英雄。そんな彼の持つ、女性を惑わすという伝承がもととなっている〝魅惑の黒子〟がケイネスとソラウの心を半ば別つような状況を作り出してしまう。

 ソラウはケイネスに対して不満はなかったが、別段焦がれるような感情も持つことができなかった。だからこそ、彼女の程の名家の出ならば何という事のないはずの〝幻惑〟から生まれた〝熱〟を受け入れてしまうことになる。

 恋沙汰など経験したことのない令嬢であったソラウが初めて出会った、言いようのない心の高ぶりと昂揚。今までに経験したことのない新鮮で妖しい新鮮な感覚に、彼女はすっかり夢中になってしまっていた。

 これが、ケイネスがランサーに私怨を抱いてしまう原因でもある。

 ソラウ自身、それがまがい物であると分かっているのに、まるで麻薬にでもハマったかのようにその感覚を受け入れ、ランサーに恋心をいだいているかのようなそぶりを見せる。

 事実、今彼女の口から紡がれる言葉は全てランサーを擁護するものばかり……。

「……ランサーが健闘したことについては私も認めている。

 だが、ランサーが成果を上げられなかった事――セイバーを仕留めることができなかったのもまた、事実だ」

「あら。別にそれはランサーに限ったことではないんじゃなくて? 私も見ていたけれど、あの場において出揃ったサーヴァントは誰一人として、全て〝引き分け〟という結果に終わったように見えたけれど?

 寧ろ、あの時姿を出した七人目――出揃ったクラスから考えて、おそらくはキャスターが放った狙撃を避けられただけでも褒めるべき成果であるように思うのだけれど……?」

 ……これだ。

 ケイネスがこうしてランサーがセイバーに手傷を負わせることができなかったことを言えば、それは隠れ潜む七人目、おそらくはキャスターであろう相手の放った者のせいで双方ともに五分であり、寧ろ射貫かれなかっただけ褒めるものであるといい、

「それに、貴方が倒すことに固執していたセイバーにしても、令呪を一角切るくらいならバーサーカーに標的を変えた方が良かったと思うのだけれど? とりわけ、ディルムッドの持つ『破魔の赤薔薇(ゲイ・ジャルグ)』はバーサーカーに対して有効だったのは明らかだったのにね」

 バーサーカーを仕留めようとしていたことにしても、あの場においてセイバーを目の敵にするよりも、むしろ一時の協力に甘んじていた方がサーヴァントを討つという考えにおいては英断であったと述べた。

「……君はセイバーの脅威を知らない。

 私はマスターとしての透視力で、あのセイバーの能力を把握できた。総合力ではディルムッドを凌いで余りある! だからこそ、あの場で着実に倒せる好機を見過ごすわけにはいかなかった……ッ」

 ソラウの観察眼はケイネス自身認めているし、確かに彼女の言っていることは一理あるが、それとこれとはまた別である。

 それに、焦がれる女性とはいえども、こうも頭ごなしに罵られるようでは男としてのプライドに関わる。

 ケイネスは沸々と湧く憤りを噛み殺しつつも、断固としてそう言い放つ。

 しかし、そんな彼の確固たる言葉をソラウは冷ややかに鼻で嗤い、こういった。

「まったく貴方って人は……自分のサーヴァントの特性を、本当に理解しているのかしら?

 確かにあの場において、どのサーヴァントに対してもディルムッドは勝つことはできなかった。けれど、だからと言って貴方の見た驚異的な能力値だけが今後の戦況の全てを変えるとでもいうの?」

「……いや……」

「ディルムッドのサーヴァントとしての真価は、セイバーの様に真正面から突破するだけの猪突猛進さではないでしょう?

 何のための双槍だと思っているの? 治癒不能の呪いを残す『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』と魔力を絶つ『破魔の赤薔薇(ゲイ・ジャルグ)』……この二つの組み合わせでいうのなら、バーサーカーに有効だと分かった時点でそれを差し向け倒すべきだったのよ。

 脅威の度合いにしても、あの時点では正体不明のバーサーカーの方が上……。

 仮にセイバーを狙うにしても、共闘してバーサーカーを屠ってからでも遅くない。ある程度疲弊したところを狙って治癒不能の呪いを残していたのなら、仮に倒すまでに行かなくても上々の戦果を挙げられたのではなくて? わざわざ令呪を使って、わざわざサーヴァントにまで非難を浴びるような行いをしなくてもね」

 淡々と、しかし確実に、ソラウの言葉はケイネスを刺していく。

 言葉が重ねられるたびに、ケイネスはぶちぶちと堪忍袋が引き千切られていくのを感じていた。

「だが……!」

 苦し紛れの反論をしようとしても、ソラウはそれを見越してでもいるのか更に続ける。

「それに、もしセイバーを()()()危険視していたのなら……なんで貴方は、セイバーのマスターを捨て置いたの?」

「――っ、……それは」

「まさか、こんなところでフェミニストにでも目覚めたわけでもないでしょ?

 本当にあの時、貴女がセイバーを警戒していたのだとしたら……その時取るべき行動は一つだったはずよ」

 呆れられるようにそう告げられて、ケイネスはいよいよ屈辱から声も出せなくなってしまう。

 ……とはいえ、ソラウの言ったことはケイネスにとっても痛いところであった。

 確かに、本気でセイバーを脅威として認識し、その力に危惧を抱いていたのだとしたらならば……あの場でケイネスがとるべきだった行動は、マスターの排除だったのは必然だ。

「セイバーのマスターらしき、あのアインツベルンの女……あんな無防備に突っ立っていた相手を放置して、貴方はいったい何をしていたのかしら?

 …………全く、情けないったらありゃしない」

 そう問われ、今度こそ何も言えなくなった。

 奇策や奇襲の類は無粋であるし、出来る事ならばサーヴァントを倒してマスターをひれ伏させたいが、サーヴァントという存在はこの世の理を外れた高次の存在。だからこそ、ケイネスはマスターとの矛を交える場があるのであれば、尋常なる勝負をするつもりでいた。

 相手がどれだけ鼠のように蠢こうとも、その程度でケイネスはやられはしない。『水』と『風』の二重属性と共に扱う彼の魔術礼装は、生半可な相手ではそもそも敵にすらならないほどのものである。

 ただ、それは真っ向から相手にするだけの余裕があったのであればのこと。

 セイバーを倒すことに意固地になるほど脅威であると認識していたのだとしたら、マスターの方に何の攻撃も加えなかったのはおかしな話だ。

 それもそのはずである。

 実際のところケイネスはセイバーを倒したかったが、それは真に脅威であるというよりも、最初に見つけた相手であるからであり……バーサーカーがセイバーを攻撃し始めたのを見て、初戦の相手であり強力なサーヴァントであるセイバーを倒そうと思ったからに過ぎないのだ。

 だが、それをランサーがセイバーを助ける様に助勢したばかりか、先ほどまでの戦いを明らかに愉しんでいたために彼女との決着を先送りにしようとしたランサーが癪に障った。尚のこと渋るランサーに苛立ちを覚え、令呪を切るに至ったのがあの場の流れであることはほとんど疑いようもない。

 苛立ちに任せてランサーを責め立てる口実にしていたとは彼は認めないだろうが、自身の思い通りにならないといったことに対する脆さと、天才であり名家の貴族であるそのプライドが、ランサーへの私怨も相まって、こうしてソラウに詰られる様な状況に陥る羽目に彼を追い込んでいた。

 そんな恥辱に耐えるケイネスを見て、さすがのソラウも多少なり察したのか幾分口調をやわらげ、揶揄するような口ぶりでこういった。

「ねぇ、ケイネス。貴女は自分が他のマスターに比べてどんなアドバンテージを持っているのか、理解していないわけではないでしょう? 他でもない、貴方自身が工夫したことじゃない」

「それは――無論」

「あの〝マキリ〟の完成させたサーヴァントの契約システム……その本来の仕様に独自の要素を加えてのけた貴方は、確かに天才だわ。流石は、降霊科(ユリフィス)随一の神童と謳われただけのことはあるわね」

 賞賛の言葉などうんざりするほど浴びてきたケイネスだが、それも焦がれる女性からものであれば話は別である。男として、気を向けている女性から褒められて悪い気はしないのは当然だ。

 ソラウの語った評価は追従などではない。

 今回の聖杯戦争に臨んだケイネスの用意した秘策は〝アインツベルン〟、〝マキリ〟、〝遠坂〟の『始まりの御三家』の敷いたルールを根底から覆すほどの意味があった。

 彼の用意した秘策とは、サーヴァントとマスターの本来なら一つしか無いハズの〝因果線〟を二つに分割し、魔力供給パスと令呪の束縛によるパスを、それぞれソラウとケイネスの二人に当てはめるというもの。

 この荒技を、ケイネスは己の才能の閃きによって実現させた。

 供給源となる者と、使役する者。それらの役割を分担したケイネスとソラウ、この男女はまさに二人で一組のマスターである。

 ケイネスの才覚により実現したこの破格の条件だったが、しかし――。

「――ケイネス。貴女はそうやって自分の才覚でそろえた下準備を、何も戦術的に活かしていないじゃない。

 貴方は、魔術師としては一流でも……戦士としては二流よ」

「……いや、私は」

 言葉に詰まるケイネス。だが、最初に比べ幾分柔らかくなったとはいえ、ソラウの糾弾は未だ止まない。

「何のために、私たちの役割分担があると思うの?

 他のマスターが背負ってしかるべきサーヴァントという枷を、貴方と私に限っては取り外すことが出来る。貴方の――ロード・エルメロイの魔術師としての才覚をいかんなく発揮するために、これがあるの。

 何のために、私があなたの背負うべき魔力供給を肩代わりしていると思うの? 全ては、貴方をこの戦いで有利に立たせるため、より円滑に戦いを進めるため……そして何よりも、勝利させるため。

 なのに、貴方ときたら――」

 ソラウの非難に対し、ケイネスは怒りや憤りよりも寧ろ悔いばかりが募り、顔色を失うばかりだ。

「だ、だが、戦いはまだ序盤なんだ。緒戦の内は慎重に……」

 しどろもどろに、普段ならば絶対にしないであろう言い訳を重ねるケイネス。そんな彼の語った言葉を、ソラウは嗤いながらこう掬い取った。

「――なら、何故ディルムッドにばかり結果を急いて求めるのかしら?」

 その時の微笑は、美しくはあったが……お世辞にも優しさの欠片などない、見るもの全てを冷たく凍りつかせるようなものであった。

「っ……、――ぐ」

 ケイネスの腹の中で、その(わた)が煮えくり返る。

 自分のここまでが思い通りにいかないことに。

 ソラウが自分ではなくランサーを庇うことに。

 よろしくない。

 非常に、よろしくはない。

 貴族である彼にとって、こんな誹りを受けるという事だけでも度し難いというのに……ましてその詰りがたかだか〝使い魔〟如きに焦がれた妻となるべき女性からものだという。

 そんなものが面白い筈も無く、悋気の熱と共に沸き起こる感情は実に女々しいものであるが、端的に言ってケイネスの心中は嫉妬と滞りに染まり、この街に来てから巻き起こる自信を取り巻く全てのことに憎悪していた。

 その上、

「――そこまでにして頂きたい。ソラウ様」

 ……これだ。

 凛とした通る声は、聞くものが聞けばさぞ甘かろう色気の豊穣に身悶えするだろう。

 こうした要素もまた、美丈夫たる由縁の一つであるのか……声一つで、本来娶るべき男の声に謎耳も暮れない女を(かい)してしまう。主人への糾弾を制止するその姿勢は誉めるべきものなのだろうが、今のケイネスにとってそれは過ぎた屈辱であると同時に身を斬られる様な屈辱でもあった。

 黒く、鬱屈とした感情がケイネスの心内を更に染め上げていく。

「それより先は、我が主への侮辱だ。騎士として見過ごせません」

「いえ、そんなつもりじゃ……御免なさい。言い過ぎたわ」

 たった二言(ふたこと)三言(みこと)

 それだけで、先ほどまで女帝さながらであった冷淡な笑みを一瞬で氷解させたばかりか、謝罪の言葉まで引き出して見せる。

 ――たかが〝使い魔〟風情の諫言が、本来夫となる男の言葉では届かない鼓膜に届きうるほど重いものなのか?

 何もかもをないまぜにされる感覚に晒され、何もかもが自分の内から消えていく。さながらそれは、これまで決して自分を貶めず貶さなかったはずの母から唐突に見捨てられた捨て子の様な気分だ。

 あぁ……全く、巫山戯た話だ。

 忠義を謳いながら騎士道とやらをその主よりも重んじる使い魔。

 そんな役立たずの使い魔にまるで娼婦の様に焦がれる己の許嫁。

 そして、それ取り囲まれて一喜一憂し搔き乱されている己自身。

 異物に道を狭められ道を狭められていく(くだ)に閉じ込められたように、これ以上ない程押し込められた鼠の様になってしまっているこの状況に――今の彼は、どうしようもない程〝憂さ晴らし〟を欲していた。

 その願いは、ある一側面において聞き届けられることになる。

 

 ――じりりりりりりっっっ!!

 

 突如響いた警報の音。

 火災の発生を告げる電話が鳴り、どうしようもなく求めていた『獲物()』がのこのことやって来たことを告げる。

「……いったい何?」

 当惑するソラウに、たった今聞いたフロントからの連絡の内容を語ってやる。

「火災だそうだ。小火(ぼや)程度のものらしいが……まぁ、間違いなく放火だろうな」

 そう告げたケイネスの顔には、どことなく晴れたような微笑を浮かぶ。

「放火ですって……? よりにもよって、今夜?」

「今夜だからこそ、だろうね。偶然という事もあるまいさ」

 ケイネスは隠し切れない獰猛な獣の様な笑みを更にこぼしながら、ギラギラとした目を輝かせる。

「だとすれば――襲撃?」

 僅かに不安さを醸し出しながら、緊迫した表情でソラウが訊く。

 戦闘や戦術についての心得があるからと言って、彼女は箱入り娘。サーヴァントのような異常がひしめく戦場に唐突に放り込まれるというのは初めてだろう。

 だが、それとは裏腹にケイネスは喜色に満ちていた。

「ふふ……。敵とて魔術師……人払いの計らいだろうさ。普通ならば、とてもではないが有象無象のひしめく建物の中で勝負を決める気にもならんだろうからな。大方、暴れたりないであろう輩が攻めて来たといったところか」

 あぁ、全く……

「面白い。今宵の戦いに不本意だったのはこちらとて同じ……そうであろう、ランサー?」

「ええ、その通りです。我が主よ」

 男たちが猛る顔で視線を交わす。

「よし、ならば下の階へ行って侵入者を迎え討ってやれ。ただし、無下に追い払う事の無いようにな」

「御意に――!」

 ケイネスの言葉に、恭しく辞儀を示しランサーが消える。

 交わしたやり取りこそ短かったが……二人は早速、襲撃者との戦いに興じることに思考を切り替えた。

「……さて。では、早速お客人にケイネス・エルメロイの魔術工房を堪能してもらうとしようか」

 金にものを言わせて借り切ったホテルのフロアの全て、そこには〝ロード・エルメロイ〟としての嗜好を凝らし改装した――つまり、『時計塔』の誇る〝神童〟の全てが込められているといっても過言ではない。

 魔術師としての嗜みである工房への細工。凝らすべくして凝らした罠の数々。それだけのものを備えたこの場所へ攻め入るというのは、勇猛果敢な勇者故か、はたまたどうしようもない愚者か……まぁ往々にして、その選択はケイネスを目の前にしたものが凡俗であるのなら、必然的に後者を選ばざるを得なくなるのだが。

「他の宿泊客がいなくなれば、もはや何の遠慮も要らない。互いに秘術の限りを尽くした競い合いが出来よう……」

 抑えきれない笑いに気づくが、もはやそれを抑えようとも思わない。

 それに加えて、もし攻めてきたのがセイバーのマスターであったのなら……と、考えなくもないが、それはさすがに出来すぎかとも思い直す。

 最も、来てもらったからには骨の髄まで〝ロード・エルメロイ〟の恐ろしさを刻み込んで頂こう。

「私が戦士としては二流だという指摘、直ぐに撤回させてもらうよ? ソラウ」

 鬱屈とした彼が、求めていたのはまさしくこれだ。

 必要としていた行動を目の前にして、ケイネスは背負ってしまった屈辱感を帳消しにするためには行動と結果を伴わないといけない。その丁度いい体裁を手に入れ、彼の心中は踊り狂っていた。

 〝天才〟――〝神童〟と謳われたその才覚を遺憾なく発揮し、己を鼓舞することの出来る状況。

 まさしく水を得た魚を思わせるほど、今宵の彼は血に飢えていた。

 最早、ここまで募り積もった不満や怒り、それら全てを敵の血で以て鎮める。

 目の前に据えられた格好の晩餐、いや、生贄に対し血を求める。獣の様なケイネスの高ぶりを目にして、ソラウはふと柄にもなくこう思った。

 ……全く不幸なことだと、彼女は見知らぬ襲撃者に対しての同情を禁じえなかった。

 この男に目を付けられるなど、魔術師として殺し合うならば全く持って不幸――〝不運〟という他ないだろう。

 だからこそ、ソラウはこれまた柄にもなく、この時ばかりはケイネスに対し満面の笑みと共にこう告げた。

「――ええ。勿論、期待しているわよ? ロード・エルメロイ」

 焦がれる女性からの珍しい賛辞に、ケイネスの高ぶりは既に最高潮へ達していた。

 

 

 

 ――――だが、彼らはまだ知らなかった。

 

 

 

 本当の意味で〝不運〟なのは何方なのかという事と、彼らの育ってきた〝貴族〟として〝魔術師〟としての生に真っ向から叛逆するような人生(みち)を歩み続けてきた男がいたという事。

 そして、何よりも――――

 

 

 

 ――――この戦争(たたかい)に誰よりも願いを焦がれているにも拘わらず、誰よりもその奇跡を生み出すモノの在り方に嫌悪している〝魔術師殺し・衛宮切嗣〟という男の存在と、彼がその名を冠するに至った本当の意味を、彼らは自分たちの立つ床が崩壊を始めるまで、決して気づくことは無かった……。

 

 

 

 ***

 

 

 

 時は僅かに遡り、宿泊客の避難指示を出していたホテルの乗務員たちは未だ見つからない客人二人を、泡を食って探していた。

「――アーチボルト様! ケイネス・エルメロイ・アーチボルト様! いらっしゃいませんか!?」

 風変りではあるが、海外の貴族らしいその客人は、この冬木に置いて最も高級であるとされる『冬木ハイアットホテル』の最上階のスイートをフロアごと借り切った大口である。そんな大物を、失わせる不始末など負うわけにはいかない。

 それこそ血眼になって、総員で探し続けていたその時……フロント係が、一人の男に声を掛けられた。

「――はい。アーチボルトは私です、ご心配なく。避難しています」

 声を聞き、安堵と共に振り替えったフロント係の男は当惑してしまった。

 何故ならば、その声の主は――誰とも知れぬ黒髪黒目の、衣服に至るまで漆黒の装いに身を包んだ、ややくたびれた印象の東洋人だったのだから。

「……」

 質の悪い冗談か、はたまた影武者か。自分でも馬鹿々々しいと思うような考えがいくつか浮かぶが……奇妙なことに、フロント係はその男から目を離せなくなっていた。

 不思議と、得体のしれない吸引力のようなものが男から漂い、声すら出せなくなる。

「――ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは私です。妻のソラウ共々、避難しました」

 落ち着いた、明瞭な声で言い含める様にしてそう告げられ、霞が掛かった様な思考は目の前の男が確かに〝客人〟なのだと認識した。

「あ……はい。そうでしたか、ご無事で何より……」

 ぼんやりと、ただ漠然と手元にあった避難者リストの最後の空白に〝避難済み〟のチェックを入れた。

 ――これで、宿泊客全員の避難、および安否が確認されたことになる。

 ほっ、と、安堵のため息を吐いたフロント係は、早速他の避難客たちの対処へと向かうべく奔走を再開する。

 そうして走り出した彼の脳裏には、もう既に先ほどまで言葉を交わしていたはずの〝アーチボルト氏〟との会話の痕跡は影も形も無くなってしまい、彼自身もまた……その消失に何の疑問を抱く余地すら持ち合わせてなど、いなかった。

 そして、先程言葉を発していた黒ずくめの男もまた、その姿を人込みの海に沈め暗躍を再開した。

 黒ずくめの男は、ロングコートのポケットから携帯電話を取り出し、既に指に馴染んだボタンを数回プッシュする。

 コール音が数度し、すぐ相方の声が聞こえてきた。

「準備は完了だ。そちらはどうだ?」

『異常はありません。いつでもどうぞ』

「そうか……」

 そう呟き、一度通話を切る。

 便利なものだと、手のひらに収まる小さな無線端末を見た男は、再びいくつかの番号をプッシュしていく。

 携帯電話というのは非常に便利な道具だ。

 小型で持ち運びは容易であり、誰が持っていようと不自然でない程度には普及している。

 登録された架空の名義へと通話を飛ばすが、そこに出るのは何者でもない。

 飛ばしたその先は、一台のポケットベル。

 改造を施してあるポケベルの回路を走る着信を告げる電流は、曲げられた道を通じて繋げられたC4プラスチック爆弾へ送られる。当然、呼び出し音も振動もしはしないが、その分送られる電流はダイレクトに伝わる。

 だが、爆弾と言ってもその爆薬の量からして、さほど大きなものにはならないが……そんな小規模な爆発とはいえ、侮るのは早計である。

 知っているだろうか? ほんの数キロ程度の爆薬を用いて、一〇〇メートルを優に超える高層ビルを崩壊にまで至らせるばかりか、その周囲には瓦礫一つ散らさないように〝処理〟することのできる技術がある事を。

 ――――爆破解体(デモリッション)

 発破解体などともいわれるそれは、規則上の都合から日本ではあまり用いられることはないのだが……しかし、海外では非常に主流なビルの解体方法であり、費用や人材を抑えられることからもその利点を認められている。

 ……とはいえ、日本では先ほど言ったようにほとんどされることはない手法。

 だからこそ、その〝ビルの崩壊〟という結果だけを目にした乗客たちが思い描くことは、突然ビルが崩壊するというその光景のみ。

 ()()()()()()()()()()()()、ビルが崩れ去るなどという日常ではありえないものを見た群衆はどうなるのか――当然、パニックに陥ることになる。

 ざわめく人々の波。

 崩壊を続けるビルと、それに伴う轟音。

 日常から完全に逸脱したその光景に、誰も冷静でなどいられない。

 逃げ惑い、喚く人間まで出てくる始末だ。

 恐怖に彩られた動乱。ひしめき続ける音と光景が混乱を煽り続けている。

 そんな中、たった一人だけ……我関せずといった形で紫煙をふかしている男がいた。

 ……いや、彼は瓦礫から立ち上った白煙に汚れた母親と子供にかすかに目を向けてしまっていたが、それに気づいた彼は直ぐに振り払う。

「…………」

 声も発さず、ただ流れる人波を止めない程度に動きに合わせるだけで、その足取りには何の滞りもない。

 未だ倒壊しきらないビルを背に、僅かばかり人込みから離れた男は吸い終わった吸殻を足下へ放り捨て、先程自分が微かに覘かせてしまった〝甘さ〟をかき消すように、踏みつぶして火を消した。

 懐から煙草の紙箱を取り出し、一本取りだして火をつける。

 万に一つ、周囲に被害を出すような不備は働いていない。

 客が、ある一人を残して去るまで行動は起こさなかったのは当然として、その残り一人は決して避難はしない事は〝同じ立場〟に立つ者として必然的に分かっている。

 ――何せ向こうは、此方が直接ホテル内へ出向くことを何も疑っていないのだから。

 だからこそのブラフであったはずなのだが……。

 自分の中にあった、微かに残った別の感情。

 先程逃げようとした母娘(おやこ)に重ねてしまった、自身の妻子の姿。

 ……失態だった。

 〝そんなモノ〟を自分に残すことを、男は良しとしなかった。

 少しかぶりを振り、往来に散っていく人々を見ながら、倒壊を続けるビルの監視を命じた相方へ向け、男は再び電話を掛ける。

「何か動きはあったか?」

『いえ。たった今崩壊しきったその瞬間まで、何も』

 よし、とだけ男は呟いた。

(これで、一人脱落か)

 ぼんやりとそう思い浮かべ、特に感慨もない壊れた瓦礫の山を眺め、被害を出さずに状況を終えられたことだけを確認した男は即座にその場を離れようとする。

 男はまた一人、その二つ名の通り……一人の『魔術師』を闇に葬り去った。

 彼の名は衛宮切嗣。

 この街で今なお続く『第四次聖杯戦争』に参加しているマスターの一人であり、『魔術師』の世界にその悪名を轟かせた殺し屋――〝魔術師殺し〟である。

「……仕事は終わりだ。舞弥、城に戻り次第次の作戦を練る」

 状況終了であるとし、今夜の仕事は終わったと告げて次への行動を開始しようとする。

 だが、

『――――』

 電話の向こうからは、何も声は返ってこない。

 その代わり、電話口から慌ただしく動くかのような音が遠巻きに聞こえた。

「……舞弥?」

 訓練された戦士としての舞弥に、下手に動くなどという事が有る筈もない。

 ……何かが起きている。

 その確信をもって、切嗣は動き出す。

 向かうべき先は、舞弥を潜ませておいたホテルの正面にある建設中の高層ビル。ケイネスがホテルのフロアから逃げ出そうとした場合に狙撃を行う準備として、彼女をそこへと差し向けたのである。

 だが、人など来る余地もない深夜の建設中のビルで、何かがあった。

 急がなくてはならない。

 本来ならば、わざわざ出向く必要はなく、舞弥とて切嗣の助力を願っているかと言えばそれは否だ。

 しかし、まだ舞弥が死ぬには早い……戦争(たたかい)は、まだ始まったばかりなのだから。

 加えて、序盤に他陣営に自分の痕跡を残した相手を捕えさせるわけにはいかない。

 決して負けることのできない戦いであるからこそ、暗躍をする切嗣の存在を敵に知られるわけにはいかないのだ。本来ならば、この通話もすぐ切らなくてはならないのだが、まだ判断を下すためには決定的な情報が不足している。聞こえてくる音を決して聞き漏らさず、此方の声を向こうへとは漏らさないように注意しつつ、耳をそばだてる。

 何が起こっているのかは分からないが、何かが起こっているのだとしたら――自分は必ず、舞弥を救出へ行かなくてはならない。

 自身の持つ武装を確認しつつ足を速め目的のビルへ向かおうとする切嗣に、電話口からようやく声らしき声が聞こえてきた。

 だが、その声は――この戦いにおいて、絶対に聞きたくないモノであった。

 

『――――察しがいいな、女』

 

 平坦で、冷たく、何の感慨も感情もない声がそこからする。

 しかし、その声だけで切嗣がとる行動も指針も決まり切った。

 荒々しく通話を切ると、ポケットに携帯電話を押し込んで全力で走る。

 動じる必要もないはずだが、それでも気が荒くなる。決して、あの男にだけは絶対に関わりたくないのだと、本能が警告を鳴らす。

 ――早急に、舞弥を回収しなくてはならない。

 切嗣は逃走経路や離脱、その全ての方法を模索する。

 絶対に、元・〝代行者〟との交戦は避けなくてはならない。

 

 ――――得体のしれない敵という恐怖へ向けて、切嗣は夜の闇を疾走していった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 建設中のビルの暗がりの中で、一人の大男が華奢な女性を問い詰めていた。

 その周囲にはいくつもの弾痕が残り、微かに散った血の跡がつき、殺伐としていた。

「さて、そろそろ答えてもらおうか。……私の望む答えを」

 ――衛宮切嗣は、どこにいる?

 そう問われ、ここまで重ねてしまった自分の言葉のいくつかに歯噛みする。

 彼女が絶対に目前に迫る男と巡り合わせたくない人物――即ち衛宮切嗣は、先程口にした言葉の所為で自分という情報源から目の前の男へと繋がろうとしている。

 女性はこの状況を離脱するかを模索するが、まったくもってその策は浮かばない。

 じりじりとにじり寄る死の気配に、女性は歯ぎしりをした。

 だが彼女にとって自分の死などどうでもいいことだ。

 彼女にとって問題なのは、自分という道具を失うことで切嗣の勝率を下げてしまう事と、迫り来る黒いカソックに身を包んだ男――言峰綺礼へ切嗣の情報を流してしまうこと。

 だから、身に着けている品のいくつかが切嗣に繋がりかねないものであることから、安易に自害を選ぶことも出来ず、かといってずるずると闘いにもつれ込んでいけば、代行者をしていたという相手に自身が敵う道理もないという二重。

 わき腹からにじみ出る血糊を感じながら、黒髪の女性・久宇舞弥は顔に悔しさを浮かべた。

 加えて、先程から言峰綺礼は舞弥の力を試し、計るかのようになぶるだけで決定打に訴えようとはしない。

 彼女の持つ覚悟と、切嗣という男がどれだけ手駒を育てているのかを見定めている。

 端から、言峰綺礼の目に舞弥は映っていない。彼女を通して、彼は切嗣という男を推し量ろうとしているのだ。

 動けば動くほど、近づけたくない天敵二人の距離が縮まってしまう。

 何という矛盾だろうか。切嗣を守るべき状況で、かえって切嗣を追い詰める原因を生むなど、有ってはならないことだ。

 が、今の舞弥にこの状況を好転させる手立てなど、有りはしない。

 対して綺礼も、さして舞弥の存在に脅威も感慨も抱いてはいなかった。

 倉庫街で巻き起こった乱戦の(のち)……最もその場所が明らかであり、有り体に言って狩りやすい獲物を割り出してみたところ、ケイネス・エルメロイがそうではないかと当たりを付け、彼の泊まっているホテルを監視するのに長けている場所を探してここへと辿り着いたというだけのこと。

 しかし、案の定そこには先客がおり、また同時にケイネスの宿泊先である『冬木ハイアットホテル』は無残な有様へと変貌した。

 明らかに普通ではない手口、いかにも〝魔術師の裏をかく〟という行動に長けている何者かの仕業である。

 嘗て、魔を狩る代行者をしていた彼には良く解った。

 これは、戦う者の取りうる手段ではなく、あくまで狩る者の手段であると。

 ――だからこそ、目の前の女には捕らえるだけの価値がある。

 落胆していたはずの心中に、言い得ぬ昂揚を覚えた。

 自分の求めている〝答え〟を持った存在が、確かにこの戦いに影を残している。

 ……いる。

 奴は――衛宮切嗣は、確かに()()()()()

 獰猛な獣の様に、本能がそう告げてきた。

 生まれたときよりその心内は空白で、美しいものも何もそうとは感じられず、自分にとっての〝願い〟など存在しなかった言峰綺礼がようやく見つけた、己の同類。

 それが、衛宮切嗣。

 全く持って度し難い様な経歴を重ねてきた自身とどこか重なるその足跡と、此度の戦いに赴いて来た奴の行動に、綺礼はそこにこそ答えがあると感じた。

 だからこそ、舞弥の口が満足に動き、彼女が彼女として言葉を発せる内にその存在をわずかでも聞き入れたい。

 故に、綺礼は舞弥をじわりじわりと追い詰めていく。

(殺しては駄目だ。生かしたまま連れていく必要がある。さて、どう攻めるとするか……)

 こつり、こつり、と左右の壁もなく素通しのビルの床を踏みしめる音を聞きながら、舞弥は最も奴に情報を与えない終わり方を模索する。

 隠れるまでの交錯で分解されてしまった銃と、手持ちの装備を確かめながら、現状で取りうる手段を統べて算出した上で、彼女がその一歩目へ動き出そうとしたその時――。

 

 ――からんっ! という音共に、その周囲は白煙に包まれた。

 

 〝……煙幕!?〟

 くしくも双方の思考は一瞬重なり、次の瞬間全く別の行動へと転じた。

 煙に覆われたフロアを走り抜ける音へ向け、綺礼は手持の黒鍵を投げ打とうとしたのだが、これまで様々な条理外の存在と戦ってきた彼の〝代行者〟としての経験が、それに〝まった〟をかけた。

 そのまま警戒を強めるだけに動きを押しとどめ、綺礼は煙が晴れるのを待った。

 幸いにして、強風の吹き抜け続けているその場から煙が晴れるまでに数十秒も掛からなかったが、敵が姿をくらますには十分なまであったらしい。既にその場に己以外の人影はなく、一人取り残されたことを把握した彼は手に抱えていたままの黒鍵を収め、懐へしまう。

 元より深追いする気もない。

 追い詰めていた時点でならいざ知らず、一度離れた状況の相手に漠然と向かう程、彼は愚かではなかった。

 侮っていい相手ではないという事は、十二分に承知していたことである。

 寧ろあそこまで追い詰めていた時点で、何か知らの助け船を渡した者がいるというだけでも収穫だ。

 

 ――今宵はここまでだな。

 

 そう納得し、自身もその場から立ち去ろうとした綺礼の前に、彼のサーヴァントであるアサシンが姿を見せた。

「……市街地ではみだりに姿を見せるなと、そう伝えてあったはずだが?」

 辛辣な物言いであるが、既に自分たちは〝脱落〟した身である。

 綺礼のみならまだしも、アサシンまで姿をさらしてそれを補足されては拙いのだ。

 アサシンの方も、それ元より承知の様であるが、どうしても現界せざるを得ないわけがあるらしく、綺礼はそれ以上の追及は一旦置いておくとして、まずはアサシンの話を聞くことにする。

「は、申し訳次第もございません。ですが綺礼様、早急に御耳に入れなくてはならぬ儀がございまして――」

 

 ――――八人目のサーヴァントが、今しがた捕捉されました。

 

 突如告げられたその言葉に、綺礼の理解が追いつくまでの間、たっぷり十秒もの時間を要した。

 そしてその報告は、翌日の夜に迫り来ようとしている来訪者たちの存在を言外に指し示していたといえなくもないのだが……生憎、その言葉の先を読むことなど、例え彼ら『聖堂教会』の信仰する神であろうとも、果たして分かったかどうかは定かではないのだが。

 

 そしてその頃――一人の少年と、彼の言葉を受け入れた今日戦士とその主とが、この地において最も若い〝始まりの御三家〟の頭首が構える『城』へ向けて、着実にその歩みを進めて行く……。

 

 

 

 運命は、いよいよをもってその道を捻じ曲げ始めていた――――。

 

 

 

 

 

 

 *** 確かめるべき力、辿り行く己の軌跡

 

 

 

 それは、

 一人の男が街一番の高さを誇ったはずのビルを崩壊させる直前であり、

 一人の神父が暗殺者より新たな異常についての言伝を受け取るより少し前の事。

 

 ――――一人の少年が甲冑に身を包んだ騎士相手に剣を取り、真っ直ぐに向き合っていた。

 

 

 ***

 

 

 

 幾重にも閉ざされた森の中、その閉ざされた膜を重ねるように結界を張り、彼と湖の騎士とが向き合っていた。

「――それにしても、本当に不思議なものですね。こうして、結界の中に入り込んだ上で尚も気づかれないように結界を張るとは……」

「あぁ……小さな冬のお姫様に昔、教えてもらったんだ」

 紫髪の美丈夫の言葉に、琥珀色の瞳を持つ赤銅の髪をした少年はそう答えた。

 騎士の名はランスロット。

 彼の名高き上昇の王たるアーサー王の臣下にして、その配下である円卓の中でも最強を謳われた騎士である。

 対する幼き少年の名は衛宮士郎。

 ()()……この冬木の地が焼け落ちた日に救われ、そのことがきっかけで『正義の味方』を志して走り続けた少年である。

 破綻したようなその理想は――〝苦しむ誰かを救いたい〟という願いであり、例えその根底が偽物であっても、その想いだけは本物であると信じ、走り続けた。

 そして、その夢を支えてくれた少女たちの想いを受け、彼は一つの理想の一端へ至る。

 だが、その後この〝始まりの戦争〟に引き寄せられ、幼い自分自身の身体に取り込まれ手しまうという数奇な状況に晒されている。

 何故こうなったかは分からないが、目の前で苦しむ人間がいるのならば見て見ぬふりは出来ない。結局のところ、『正義の味方』を目指したその心は、如何様に破綻していようとも、どこか優しいものであった。

 そんな彼と共に初めに手を取り合った二人。

 今対峙しているランスロットと、その主であり二人の構えを真剣に見つめている間桐雁夜。

 そんな二人との出会いが、この時代においてどこか孤独だった士郎にとても大きな温かさをもたらした。

 手を取り合った彼らの目指すものは目下、一人の少女の救出とその先にある戦争の終結。

 それを果たすために、今士郎とランスロットは対峙しているのである。

「……まぁ、いくら直接教わったって言っても、元から俺は一点特化で大したものには出来ないから、早めに終わらせよう。

 そして明日の夜、遠坂邸へ出向く」

「えぇ、分かっていますとも。ただ、いかな小手調べとはいえ、本気でやらねば意味がないという事は、開始前に士郎殿の言われた通り……しかしこれでも、私は円卓では最も技巧に優れたと王にのたまわれた者。

 安心してください。決して、剣を行きすぎることは有りませぬ」

「光栄だ。セイバーの下に仕えた、あの円卓の一人と手合わせできるんだからな……でも、俺だってただ流されるだけで終わるつもりはないってことだけは、覚えといてくれ。

 これでも、俺はどっかの『錬鉄の英雄』と同じ、正義の味方としての英霊だったんだからな」

 笑みを交わし、二人は互いの剣を交えることにのみ意識を注ぐ。

 そして、場の空気が糸の様にしんと張り詰めたその刹那――。

 

『――――ハァ……ッ!』

 

 二人の剣が、激突した。

 

 

 

 ***

 

 

 

 鍔迫り合い、火花を散らす剣先。

 ギリギリとこすれ合う金擦れの音。

 そして、鋭くなるその眼光と共に、二人の身体は一気に離れた。

「その体躯で、良く()してくる……!」

「生憎と、俺の戦い方はあんたらみたいな真っ当なもんじゃない。俺に出来ることはたった一つだけ――」

 

 ――創造の理念を鑑定し、

 基本となる骨子を想定し、

 構成された材質を複製し、

 製作に及ぶ技術を模倣し、

 成長に至る経験に共感し、

 蓄積された年月を再現し、

 

 ――――そうして紡がれた幻想を結び、剣と成す。

 生み出され続ける無数の剣。

 ある一つの最果てに至った英雄の姿がそこに在った。

「それが、『衛宮士郎(おれたち)』という『錬鉄の英雄(そんざい)』だ……!」

「なるほど――貴方は、我らが王と同じように、誰しもが抱き続ける〝祈り(ユメ)〟を力とするのですか」

 ランスロットは、士郎の戦い方をそう称した。

「俺のは、あくまでも自分自身の心だけ……とてもじゃないが、セイバーには及ばない」

 そう。これは万民の抱く願いを形にした彼女の剣とは違う。

 もっと矮小で、もっと独善的なものだ。

 しかし、それでも彼の騎士はそれに敬意を払う。

「いえ、それでも。貴殿の抱くその夢は――決して紛い物の強さではない」

「……光栄だ!」

 賛辞を受け、再度ぶつかる剣と剣。

 生み出され続ける剣の雨を払い、つかみ取り、そして投げ返す。

 技量と物量。

 自らの手の内を確かめ続ける剣戟が展開されるが、ランスロットは士郎という新たな戦士の力に高揚を抱き、士郎は彼女に仕えたという最強の騎士との手合わせに心を躍らせる。

 また、自分が今出来る限界を段々と越えて行き、少しずつ慣れた『経験』を身に焼き付け続ける。

 でも、まだ――足りない。

 あの丘へ届くためには、まだこの身体には想いが足りていない。

 なれば、打て。己が〝体〟という鉄を、経験という名の槌で鍛え続けろ!

 士郎は身体を巡る魔力を、次々と形にする。

 名剣、

 宝剣、

 神剣、

 魔剣、

 聖剣、

 妖刀、

 鋭刃、

 鈍。

 己の世界からその全てを次々と引き出し続けていく。

 そうして、一度。

 もう一度。

 また一度。

 幾度となく続いていく限界の壁を無理やり叩き壊す。

 あの時、『エミヤ』に敗れたとき――自分の本当の敵が自分自身であることを知った。

 生み出す者。それ即ち、己との戦いの化身。

 闘う者でないからこそ、己の壁の身を敵とし、その上で外敵へと挑む事となる。

 出来ることがたった一つであるのならば、それのみを極め……己を越えることで先へ進む。

 それこそが、『衛宮士郎』の戦い方。

 たった一つ、鍛え続けた夢の行き先(さいはて)への足跡――!

「う――――ぉぉぉぉおおおおおおっ!!」

「ぬ……くっ!」

 迫る剣の数々と、彼自身による追撃。

 それは、ただ撃ち出すのみであった英雄王とはまた違う、歴戦の戦士の戦法。

 苦しむ誰かを救うために、愚直に磨き続けてきた、何かを守るための剣技だった。

 そして、

 ――――ドクッ……!

 それは、

「ぐ――、……っ!」

 彼らの心。

 荒れた荒野と空から成り、一人一人が歩んだ錬鉄の道に沿った世界へと到達する――。

 

 

 

 

 

 

「――――――体は剣で出来ている」

 

 

 

 

 

 

 その言葉は、明らかにそれまで続けてきたものとは異なるものだった。

 それを聞き、ランスロットは最好調に達した高揚に口角を上げたが、だが同時に剣を収めていた。

「……ここまでですね」

「?」

「貴方のその力は今ここで無駄撃ちするよりも、来るべき時にこそとっておいた方がいいでしょう。それに、それほどの力を使えば、流石に気づかれないという訳にもいかないでしょうから」

 その言葉は、確かに理にかなっていた。

 士郎の最果ては、魔術の秘奥中の秘奥。

 いかにその〝体〟が嘗ての小聖杯の寵愛を受けていようとも、これ以上『魔術』的な力の発現を続けたら気づかれるのは必然。

 士郎は滾る魔力を散らし、剣を消した。

 ランスロットの手からも剣は消失し、乱れた息を整えようとする二人の呼吸だけがその場に残る。

 二人が止まったのを数瞬遅れて認識した雁夜は、自分が息をするのも忘れてしまう程に二人の剣戟に見入っていたことを知った。止まっていた呼吸を補うように空気を吸い、静かに残る脱力感を感じた。

 短い間であったが、その攻防は理解の範疇に留まることのないほど凄まじいものだった。

「間近で見てると、本当にすごいな……」

 思わず呆けたような嘆息と共に雁夜は二人にそう言う。

 そして彼はその言葉を口にするとともに、自分がいったいどれだけ凄まじい戦いの場にいたのかという事を再認識することとなった。

 だが、その賞賛も士郎は照れ臭そうにするだけで、ランスロットが本気を出さないでくれたからだと頭を搔くだけに留まる。

「……でも、これでようやく自分にできることの範囲は分かりました。行動を起こすために支障は有りません」

「そっか……なら、早速明日にでも」

 雁夜がさっそくそう口にしたとき、郊外に有る筈のこの地にまで届くほど、高い狼煙が街の方から上がっていることに三人は気が付いた。

「なんだ……あれ?」

「分かりません。ただ、魔術やサーヴァントのそれではないようです。マスター」

「……何があったんだ?」

 訝しむ三人がその狼煙の原因を知るのは、初めにその戸を叩くことを決めた魔術師の『城』へと出向くその途中のことだったが――その狼煙の原因が『冬木ハイアットホテル』の爆破であることを知り、一人の少年がいやな予感を感じ頭痛を覚えたのは、また別の話である。

 

 その後、彼らはひとまずそのことを頭の外へ置き、彼の英雄王と暗殺者を内包したその『城』へと出向くこととなる。

 

 由緒正しき、魔術師が『城』――〝遠坂邸〟の門を、名家の落伍者と裏切りの騎士、そしてブリキの人形が叩くまで、あと僅か――。

 

 

 

 *** 行き付いた標、答えを持ちうるはずの者への道

 

 

 

 再び時は遡り、冬木の街に〝魔術師殺し〟の狼煙が立ち上ったその夜。

 教会の地価の一室、言峰綺礼へ当てがわれた部屋に置いて――おおよそ教会という場所に不釣り合いなほど傲岸不遜且つ、ぎらつく金髪と紅の瞳を光らせた男がソファに寝そべりながら、なんともくつろいだ様子でワインを口に含んでいた。

 その男の名は、ギルガメッシュ。

 人類最古の英雄王にして、原初の財と世の贅と悦楽の全てを貪ったという男である。

 だが、そんな有名な逸話を残している英雄の一人であるが、彼自身に教会を訪れるべき理由など無く、そもそも彼がこの世界に現出しているのはこの部屋の主である言峰綺礼の師である遠坂時臣が呼び出した英霊(サーヴァント)であるからに他ならない。

 だというのに、他人の部屋だろうがお構いなしにくつろいで見せる図々しさには注意をしようとする気さえ失せそうなほど自然体でやってのけている。その上、彼の醸し出す雰囲気がその部屋をまるで自分のものであると語らずとも示すかのように、威光や風格で満たしていくのだから始末に負えない。

 とはいえ、来るもの拒まずの協会というものに席を置く聖職者である綺礼自身、正直邪魔さえされなければ別段他人が部屋にいようがどうでもよかった。

 これが個人的な用事や休息時であれば多少怒りもしようが、今はそれどころではない。

 父である璃正と師である時臣にアサシンからの新たな情報を報告し終えた後、現在この街で起こってしまっている更なる〝異常事態〟の処理のための準備をしなければならないからである。

 だが、目の間のサーヴァントは有ろうことか自分に興味がわいたなどとぬかし、この部屋に未だ居座っていた。そのとき彼に指摘され、呈された言葉の響きに、綺礼は己の内側に眠る得体のしれない〝罪深い何か〟を感じてしまっている……。

(――私は、一体何に心をかき乱されている?)

 彼は無意識のうちに、先程ギルガメッシュと交わした言葉のいくつかを反芻していく――。

 

 

 

 居座った彼は綺礼の酒蔵を勝手に物色し、そこに有るいくつかを愉しみながら、ギルガメッシュは綺礼の師である時臣との契約についての退屈さを口にしていた。

 ギルガメッシュが言うには、自身を召喚し、現界を保つ魔力という供物を捧げ臣下の礼を取っている彼にはそれに応えるだけのことはしてやってもいいとの事だが――人の業を愛でるという言葉通り、彼は魔術師としては〝高潔〟である時臣の魔術師らしさが、逆に言えばそれしかないという事でもあり、つまらないと言ってのけた。

 だが、綺礼にとってみれば時臣の人格は立派であると思えるし、厳格で有名な彼の父との交友から見ても、少なくとも非難するべき人物であるようには思えない。実際、時臣を優勝させるために綺礼は今こうして聖杯戦争に参加しているのだから。

 教会に仕える者として、神に背くような業に流された願いなどを世界に向けられては困る。

 だからこそ、時臣のいかにも魔術師らしい『根源』への到達という願いならば、世界に何の変革も齎さない理性的な願望であるとし、それを助力するためにマスターに選ばれた綺礼は父と師の采配の下、こうして暗躍している。

 そもそもギルガメッシュがここへ来たのは、綺礼が彼と同様に〝退屈〟を持て余す者であるからだと認識したことや、本来魔術師たちと敵対するはずの聖堂教会に属している綺礼が時臣に助力することなどに興味を抱いたからだった。

 その顛末を簡潔に説明してやり、根源とは世界の外側へと向けられた願いであり、内側に変革を巻き起こすような浮世の冥利に染められては困る。そもそも、『聖杯』がそうした魔術師特有の願いである『根源』への到達のみに特化したものであるのなら、聖堂教会も容認・放任を貫いたであろう。

 が、『聖杯』は不幸なことに〝万能〟であった。

 故に先程の理由に移ったのである。信仰を脅かすような可能性のある変革をもたらすことのない、聖堂教会(こちら)側からすれば退屈でつまらなく無意味な事でしかない『根源』への渇望を求める〝遠坂〟が勝利する結末こそ、理想の形であるという事からこうして助力を行っているのだと綺礼はギルガメッシュに言った。

 だが、

「まったくもって退屈だ。〝万能〟を目前として、『根源』に至るために使うだと? つくづくつまらん企てもあったものだ」

 ギルガメッシュはそうした彼らの姿勢を鼻で嗤い、斬り捨てた。

 この男にかかれば、魔術師たちの生涯を賭けるに値する悲願すら〝つまらない〟の一言で切り捨てられてしまう願いらしい。

 綺礼は苦笑しつつも、その言葉は分からなくもないと思う。

 実際、綺礼たちの所属する聖堂教会はあくまでも信仰を脅かすモノ……則ち、余をかき乱す人の業を加速させる『聖杯』の現出を恐れているのである。それ故、教会側(かれら)信仰(にわ)を荒らすことの無い世界の〝外側〟への願望になどに欠片の興味もないのだ。

「……『根源』への到達は、いわば世界の外側への逸脱だ。それによって世界の〝内側〟に何かしらの影響があるわけでもない。内側(こちら)にしか視野を持たない自分達(われわれ)にとって、それを理解できるはずもない」

 ある意味、綺礼にとっては師を貶めるような言いぐさであったかもしれないが、素直にそう言ってのけた。

 ギルガメッシュもそれについては納得であったようで、彼にしては珍しくすんなりとそれを認めた。

「成る程な。確かに、(オレ)(オレ)の庭であるこの宇宙を愛でるだけで満たされている。

 (オレ)(オレ)の支配の及ばない領域になど興味もない。故に、世界の外側にあるとかいう『根源』とやらにも何の興味も湧かぬ」

 散々な言い草だが、先に『根源』をつまらないのだと肯定するようなことを言ったのは綺礼であったため、綺礼はそれ以上『根源』の価値について言及する様な言葉は控えることに決めた。

「最も、お前がどう思おうとも時臣師はマスターとしては理想的な人物だ。師の様な聡明な人物であれば、他の参加者のような世の冥利を求める様なことも無かろう」

「ほう、結構ではないか。どれも(オレ)が愛でるものばかりだぞ」

「……お前こそはまさしく俗物の頂点に立つ王だな」

 聖職者へ面と向かった上で人の業を愛でると言ってのけるこの王の神経はいったいどうなっているのかと思わなくもないが、そんな姿勢を示すならば綺礼がこれ以上非協力な言葉を呈するギルガメシュにかまう必要はない。

 先程の評価も別段相手の気に障った様子もないため、綺礼は机へと向かい、先程賜った仕事をこなそうとしたのだが……そんな綺礼へ向けて、ギルガメッシュは綺礼にとって最も疑問である問いを投げかけた。

「――さて綺礼。貴様はいったい聖杯に何を求める? まさか、時臣のような『根源』への到達などとは言うまいな」

「私の、望み……」

 この部屋にいきなり居座られていたことを除けば、始めて虚を突かれたような気分だった。

「私には……別段望むところなど、無い」

 その時の綺礼の言葉に、微かに迷いが孕んだことをギルガメッシュの赤い双眸は見逃さなかった。

「それはあるまい。『聖杯』はそれを手に取るだけに足る〝望み〟を抱いた者を招き寄せるのであろう?」

 そう、それはまさにその通りである。

「そのはずだ。

 ……が、私が選ばれた理由は私にも解らない。何故、賭けるだけの望みも、果たすべき大望もない私が選ばれたのか、など」

 そんな綺礼にとって、ここまでの生涯における解明不可能な命題を、ギルガメッシュはからかうように一喝する。

「それが迷う程の難題か?」

 茶化す様に失笑し、ギルガメッシュはさも当然の様にこういった。

「理想もなく、悲願もない。ならば愉悦を望めばいいだけではないか」

「馬鹿な!」

 思わず声を荒げてしまったのは、綺礼にとって無意識の事だった。

「神に仕えるこの私に、よりにもよって愉悦など――そんな罪深い堕落に手を染めろというのか?」

「罪深い? 堕落だと?」

 これはしたりと、ギルガメッシュは口角を上げながら底意地の悪い笑みのままにこういった。

「これはまた飛躍だな、綺礼。何故、罪と愉悦が結びつく?」

「……それは」

「なるほど、確かに悪行によって得た愉悦は罪かもしれぬ。だが、人は善行によっても喜びを得る。ならば、悦そのものが罪に結びつくなどと断じるとは、どういう理屈だ?」

 今度こそ、二の句を告げなかった。

「…………」

 言葉を返せないことに、自身の内が否応なしに見えてくるようだ。

 何の形もない、色もない、空っぽのその空洞に何か得体のしれないものが覗くようなその感覚に、綺礼は漠然とした()()()()()を抱く。

「――愉悦もまた、私の内にはない。求めてはいるが、見つからない」

 漸くの事でそう返したが、そこには何の自信もない。返答を取り繕うための空虚な響きしか存在していなかった。

 そんな綺礼を、推し量るようにしてじっくりと見つめた英雄王・ギルガメッシュは、短くこう口にする。

「言峰綺礼――俄然、貴様に興味がわいたぞ」

「……どういう意味だ?」

「言葉通りだが……まぁ、それに関しては気にすることはない」

 ギルガメッシュは手にしたグラスに酒を注ぎ、それをまた煽り言葉を続ける。

「良いか綺礼。愉悦というものは、言うなれば魂の(かたち)だ。〝有る〟か〝無い〟かではなく、それを〝識る〟か〝識れない〟かを問うべきものだ。

 綺礼、お前はまだ己の魂の在り方が見えていない。愉悦を持ち合わせんなどとぬかすのは、要するにそういう事だ」

「……サーヴァント風情が、この私の説法でもするというのか?」

「粋がるなよ、雑種風情が。この世の悦楽の全てを貪った王の言葉だぞ? まぁ黙って聞いておけ……」

 言葉の割りに、さして怒るでもなくまるで聞き分けの無い子供にでも言い聞かせるようにギルガメッシュは語り続ける。

「ともかく綺礼。お前は、まず娯楽というものを知るべきだ」

「娯楽――だと?」

「内側に目を向けてばかりでは仕方があるまい。まずは外に目を向けろ……そうだな、手始めにこの(オレ)の娯楽に付き合う事から始めてはどうだ?」

「生憎だが、今の私にはお前の遊興に付き合っている時間はない」

「まぁそういうな。時臣に与えられた役務の片手間にできることだ――そもそも綺礼。お前は、五人のマスターに間諜を放つのが役目であろう?」

「……あぁ。そうだが」

「ならば、その五人の意図や戦略だけでなく、その動機についても調べ上げるのだ。そして(オレ)に語り聞かせろ。造作もない事であろう?」

 確かに、その程度であれば綺礼に与えられた役目の範疇から逸脱することはない。

 マスターたちの素性についても、監視に着けているアサシンたちに奴らが周りの人間と交わす会話についても聞き入れておくように命じておけば自ずと分かるようになるだろう。

 だが、

「そもそも、お前は何故そんなことを知りたがる?」

「知れたことよ。先ほども言ったであろう? (オレ)は、ヒトの業を愛でると。

 この世の情理を捻じ曲げてでも、己が悲願を果たそうと奇跡に縋る度し難い願望の持ち主が雁首揃えているのだ。きっと中には一人や二人、面白みのあるやつが混じっていようさ。少なくとも、時臣よりかは幾分ましであろうよ」

 ここまで聞いても、別にギルガメシュの願いを聞き届ける必要も、ギルガメッシュの言い分に従う謂れなども綺礼にはない。

 そもそも、自分の求めているだろう解答に最も近いはずの衛宮切嗣以外にさしたる興味もないのだ。こんなことにわざわざ時間をかける意味など、まったくと言っていい程存在しないのだが、

「……いいだろう」

 それでも、綺礼はギルガメッシュの提案を飲んだ。

 時臣が手を焼くこのサーヴァントにいくらかでも影響を及ぼせるだけの一手を確保しておくにも丁度いいと思った。

「だが、それなりに時間はかかるぞ」

「かまわん。気長に待つとしよう」

 そう答えたギルガメッシュは更に瓶の中身をグラスに注ぎきり、一気に煽って飲み干す。

 すると瓶とグラスをソファの前にある卓の上に置くと立ち上がり、霊体化して立ち去ろうとした。

「まぁ、今後も酒の面倒も見に来るぞ。天上の美酒という程でもないが、僧侶の蔵で腐らせるには惜しいものが揃っているからな」

 全く持って最後まで勝手な奴だと思ったが、別に綺礼はそこまで集めた酒に執着があるわけではなかったので、それについては何も言わなかった。

 長く続いていたかのように思えたこの問答も、そろそろ終いらしい。後は、ただ消えていく目の前のサーヴァントが消えていくのを見るだけだ。綺礼はどことなく安堵にも似た思いを感じつつ、ギルガメッシュが消えていくのを見送った。

「あぁ、それともう一つあったな」

 だが、ギルガメッシュは最後にもう一つ付け加えることがあるといった。

「得体のしれぬ八人目のサーヴァントとやらについても調べておけ。いつの世に置いても、条理を捻じ曲げるだけの物事を起こすような輩は、総じて何かしら業が深い……これもまた一興であろうからな」

 ニタリ、と、笑いだけを残しギルガメッシュは消え去った。

 綺礼は、言われるまでもないことだという思いと共に……優雅独尊のようでいて、妙に耳聡いサーヴァントだなと変な感心を抱きながら、己の役目である諜報へと戻っていった。例外ばかりがひしめくようなこの戦争(たたかい)に身を投じた、様々な業を背負う者達を知るためにも。

 ……が、その〝付け加え〟である最も顕著な〝異常(イレギュラー)〟が思った以上に早く目の前に現れるなど、その付け加えをした当人である英雄王にすら、予想がつかなかったということを知る事となるのは、すぐ翌日の事であった。

 

 

 

 そしてついに……原初の王にすら挑む覚悟を決めた少年が、その王の控える門を叩く時が来る――――。

 

 

 

 *** 叩かれた門、ただ願われた少女の運命への焦燥

 

 

 

 冬木の一角にある洋館。

 少年の知る限りでは、嘗てそこに住んでいた一人の少女と、彼女の呼び出した赤い外套を纏った男がいたことを思い出せる。

 だが、今の時代に置いて彼女はここにはおらず、そこに住むのは彼の知らぬ先代頭首とそのサーヴァント。

 また、非常に不本意ではあるのだが――そのサーヴァントと少年は、並みならぬ因縁がある。

 しかし、ここを戦い抜くことができなければ、一人の少女を救うための手立てが一つ失われることになる。

 だからこそ、ここで引くわけにはいかない。

 こうして馬鹿正直に門を叩くというのは、愚者としての選択だっただろうか。

 はたまた、まわりまわった英断であっただろうか。

 その答えは、この先にある結果こそが証明する。

 恐れず、その門の前に立った三人はそこをくぐるべく進む。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――――時臣、桜ちゃんのことで話がある。少しでいい、話を聞いてくれないか?

 

 

 

 予想外。

 それは、全く持っての予想外であった。

 馬鹿正直に魔術師の穴倉ともいえる工房へ足を踏み入れるなど、とてもではないが在り得ないことだ。

 しかも、その相手がこの戦争でも格の劣る落伍者であるのならば尚更である。

 質の悪い冗談であると言われた方がまだ納得もできようというものだ。

 だがどうだろう。事実、冗談であることなど微塵も感じさせもしない面持ちで、その男は現れた。

 いつものどこか自身の無い、少し線の細いイメージのあった青年はそこにはおらず、全身に残る遺痕から何かしらの魔術による傷跡の名残を晒しながら、彼はサーヴァントと幼い少年を引き連れてやって来た。

 ただでさえ御し難いサーヴァントの所為で頭痛がしていたのに、これではその種を増やすばかりだ。

 ……とはいえ、その持ち掛けられた最初の言葉が彼自身もまだ心残りである我が子の事であったのもまた、彼がそれをただ漠然と斬り捨てることができなかった一因でもあるが。

「……君は、聖杯戦争に参加しているのだろう? ならば、敵陣である此方にこうして出向いてきた意図は――」

「聖杯を欲しがっているのは、俺じゃなくて爺ぃの方だ。俺が話をしたかったのは、お前に桜ちゃんが間桐でどう扱われているかという事だけだ」

「…………」

 話が見えないが、門前を映す水晶と門前から聞こえてきた大きくはないが確かな声に、時臣はますます怪訝な印象を抱かざるを得ない。

「ひとまず話を聞いてくれるのなら、此方としては幸いなんだが……それが駄目となれば、此方も攻め入ってでも聞いてもらわなければならない。

 それくらい事は急を要するんだ」

 切実な声だ。

 だが、魔術師にとって敵とは疑うもの。その原則をたがえるつもりはない。

「……どうしてもというのなら、御頭首の書状なりを用意した正式な場でなら話を聞こう。こうして押しかけられて門を開くほどには、今の君と私は友好的であるとはいえない」

「なら、俺たちも腹を決めるしかない」

「――正気か? 君ごときにこの遠坂の『城』を攻略できるとでも?」

「いちいち癇に障る言い回しだな……でも、まぁそうだな。確かに俺程度じゃ、きっとお前の工房は突破できない」

「ならば、おとなしく帰りたまえ。私とて、人として葵の幼馴染である君をただ殺すのは忍びない。そうすれば、いずれ訪れる決戦の場か、正式な通達の下で言葉を交わすこともあるだろうからね」

「あぁ、そうか……だけど、後悔するなよ? お前は今日ここで戦いを受けなかったら、少なくとも戦いの場に置いてサシで俺には勝てない」

「血迷ったか? 君に私が劣るとでも――」

「言葉が足りなかったな。俺が言ったのは、俺たちの優劣じゃない。そもそも、この戦争での戦いに置いてマスターが姿を晒すなんてのは馬鹿らしい。お前だって、だからこそ穴倉を張ってるんだろう? ――だからこそ、俺とお前の優劣なんてどうでもいいんだ。俺の言ってるのは、お前のアーチャーじゃ絶対に俺の相棒であるバーサーカーには勝てないってことだけだ」

 雁夜の言っていることは、確かに間違いではない。先日の戦いを見ても、彼のバーサーカーは英雄王にとって天敵に等しい能力を持っていたのは事実だ。しかし、だからと言って英雄王が負けることなどないだろうことはマスターである時臣が一番分かっている。

 だが、

「――ほう? 狂犬を従えた程度でこの(オレ)に勝てるなどと世迷言を抜かすとは、なかなかの道化ではないか」

 こういわれて理性ある沈黙を保てない人物であるという事も、よくよく理解していた。

 

「狂犬を仕留めた後、その生意気な口を一体どこまで開いていられるか試してやろうではないか」

 

 先日ほどではないが、明らかに怒りを買ったことをうかがわせる笑みを浮かべた黄金の英雄がそこにいた。

 

 

 

 *** 幕を開けた闘い、本物対贋作

 

 

 

 どうやらまどろんでいた時間らしく、先日より軽装な黄金の英霊を見ながら、雁夜は心中穏やかではなかった。

 最も、それは恐れや恐怖ではなく――

 

(…………ホントにあれだけの挑発で穴倉から出てきたのか……ッ!!!???)

 

 ――単純に、ささやかな挑発をしただけにも関わらず本当に、それこそ気前よくと言っていいほどにあっさりと、庭先へと出向いて来てくれた英雄王の短気さに驚いていただけだったのだが。

 実はここに来る前、雁夜は士郎に一つ聞いていたことがある。

 それは、このメンバーの中で一番自然にと時臣と話ができるのは雁夜のみなので、下手に追い返されないように体面を保ちつつ、軽く英雄王を挑発してくれというもの。

 そうしたら、絶対に出てくるだろうという事を言われ……半信半疑ではあったが、追い返されない程度に言葉を続けていたら、本当に目の前に出て来て驚いていた。……しかも、何故か部屋着の様に薄着だったので尚更に。

 因みに、それを吹き込んだ当の本人である士郎の方はというと、(あー、やっぱりか)ともはや決定事項であったかのように冷静に目の前の堪え性の無い自己中心的な慢心だらけの英雄王を見ていた。

 少なくとも、彼は認めた相手以外には徹底的に手抜きをした上での物量で勝とうとする。

 実際、嘗ての士郎が辿った記憶にある英雄王・ギルガメッシュの姿はというと――セイバーを生かして捕えるためにいつでも殺せる士郎を放っておき、目の前でマスターからセイバーを奪おうと手抜きをした乖離剣でセイバーをいたぶった後に士郎の投影した『鞘』の力で乖離剣を阻まれて撤退を余儀なくされていた。また違うときには、士郎の発動させた固有結界をみすぼらしい心象であると言って無限の剣とはいえ贋作、その程度が本物の重みに適うはずもないと手札を出し惜しんだ挙句敗北。終いには、桜を侵食しつつあった中身を刺激した挙句それに飲まれて退場するというなんともお粗末な結果を迎えていたりする。

 なので、本気にさせたまま挑むのでなければ、相性で勝る場合は勝利する道は確かに存在しているのだ。

 おまけに、この前ランスロットに散々宝具をとっかえひっかえされた挙句、ダメージすら与えられないまま令呪で撤退を余儀なくされてしまったという記憶が彼の脳裏にはありありと残っている。

 真の英雄の身とまみえるといったが、訪ねてきた目的が戦いではなかったことや、そもそもこちらも本格的に仕掛けるのは次の機会であると暗に言っているのと変わりない。ならばこそ、ここでその屈辱を払拭しようとするであろうことは目に見えている……。

 つまり、ここで出てこないなんて英雄王らしくはなく、また同時に英雄王本人のプライドがそれを許さないだろう。そして彼は元来――それが、仮にもこの聖杯戦争におけるマスターであろうとも――人の話など聞く質ではない。

 そこから導き出される答えとは、一つ。

 

 端的に言って――この戦いを、ギルガメシュはどこまでも余裕を保ち続けたまま勝ちたいはずだ。

 

 ならば、後は全力を出し惜しみさえしなければ、此方は英雄王に対する天敵×天敵の二重の壁。

 一気に畳み掛け、交渉のテーブルへと引きずり込む。

「もう俺には、後は信じる事しかできない……だから、頼んだよ。二人とも」

「ここまで持ってきてもらえただけでもありがたいです。ここから先は、俺たちが引き受けます……!」

「その通りです。このランスロット――騎士の誇りに賭け、我が主の作り出した好機を無駄には致しませぬ」

 二人の強い決意を受け、後ろへ下がる雁夜。

 そして変わるようにそれを引き継ぎ前に出る二人の戦士。その姿に、英雄王は微かに怒りを忘れたかのように興を乗らせた。

「ん……? 小僧。貴様も前へ出るというのか?」

「あぁ……俺も、守りたいものの為になりふり構ってられないからな」

「ふん。その心意気はまぁよし――だが貴様、一体何だ?」

「別に、特別なもんじゃない。借り物の理想を信じ続けて……ただ見果てぬ夢を見続けた、馬鹿なガキの成れの果てってところさ――」

 手をかざして……己を表す、慣れ親しんだたった一つの言葉を口にする。

 

「――――投影(トレース)開始(オン)

 

 そして、そのたった一つの全てによって、その場の流れが一気に変わっていく。

 それはまるで、何かを願う夢追い人の背中を押し続ける女神の追い風(エール)が始まったかの様であった。

「その剣は……贋作か? その成りで既に己が無いとはな」

 ギルガメシュは僅かに眉を顰め、少々つまらなそうに士郎を見た。

 本物を至上とする王にとって、紛い物造り出すだけの作り手は大層不快な存在なのだろう。

 しかし、士郎はそんな視線程度には臆さない。

「己が無いわけじゃない……これが、これこそが『俺』なんだ。

 〝偽物〟だったそれを全て、ずっと最後まで信じ続けた結果として存在するのが、俺なんだよ」

 ハッキリと、前は直ぐに答えられなかったそれを真っ向から宣言する。

 彼女達に支えてもらったこの心、それを否定させはしないのだと、ます直ぐに目の前にそびえる英雄王を見据える。

 それがどうやら英雄王の興に多少引っかかったらしく、

「ただの偽物かと思ったが、なかなかどうして……その奥に秘めたる度し難い程の大望の影。――興じさせるではないか」

 なんとも珍しく、先んじてその在り方に興味を示したかのような反応を示した。

「あぁ、光栄だ。なら認めてくれたらそのついでに食事でも作らせてもらうよ。英雄王」

「おぉ、我が面貌を見知るか。良い。その点は評価してやろう。その上で供物を忘れぬか……だが覚悟はしておけよ小僧。俺の舌を満足させる美味に至らなければ、即消し飛ばすぞ?」

 軽く流すようなやり取りを交わすが、視線は力を失うことはない。

「そりゃどうも……精々肝に銘じておくよ。でも、その前に俺はやらなきゃならないことがあるんだ。あんたマスターに話をしなくちゃならないからな」

(オレ)を差し置いて、時臣を所望すると? 生意気な奴だな」

「我らはある一人の少女を救わねばならぬ故……剣を取らせていただきます」

「ほほう……単なる狂犬かと思えば、こちらも何やらひと悶着あったようだな。

 そこな雑種どもよ。その条理を外れた破天荒ぶり、この俺にどこまで示せるか見定めてやる。光栄に思え」

 ゆらり、と陽炎の様に波紋が空中に広がっていく。

 ここからは、ただ闘いだ。思ったよりも好印象を貰えたことに対し士郎はそこはかとない不安を感じていたが、そう言えばギルガメッシュは割と前から子供や変に大望を抱いた様な欲深な人間を気に入っていたような傾向があることを思い出す。

(……もし、遠坂がこの戦いのときにここに居たら、ギルガメッシュと仲良かったんだろうな)

 ふと、自身の師匠であり強烈な輝きを示していた〝あかいあくま〟な少女を思い出す。彼女ほどの煌きを放つ者ならば、きっと原初の王とも真っ向から渡り合う事だろう。

 が、自身は彼女ではないし……あくまでも、ここで示すのは己の力だけだ。

 気を抜くな。一瞬でも気を抜いたら、そこで終わるほどに相手は強い。

 飛ばしていけ、最後の一滴まで。

「ほんの少しだけ、時間稼ぎを頼む。ランスロット」

 投影した剣をランスロットに放り、〝詠唱時間〟を確保できるように頼む。

「承知――!」

 手にした剣と共に、英雄王へと向かっていく湖の騎士。

「まずはお前からか。だが、俺は何かをしようとするものをただ待つほど気長ではないぞ?」

 嗤いながら、原初の財を集めた蔵から次々と惜しみなく武器を雨のごとくはなっていく。ランスロットも、さすがにその中をただ馬鹿正直に突破するという訳にも行かず、士郎の投影した剣でいくつかを叩き落したのち、砕け散った剣の代わりをつかみ取ってはその雨を弾き飛ばし進んでいく。

 そして、それは士郎とて同じ。

「嫌という程分かってるよ。そんな事は……ッ!」

 言葉と共に、鮮やかな花弁の盾が咲いた。

「――――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている) ……〝熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)〟!」

 嘗て、トロイア戦争で用いられたというアイアスの盾。

 その強度は絶対であるとさえ言われ、聖杯戦争においては彼のケルトの大英雄の必中必殺の投擲すら防いで見せた。

 だが、今咲いているのはまだ不完全な四枚。

 身体がいくら使い方を知ったとはいえ、まだまだその中身は足りていない。だからこそ、その魔力こそ循環するが、その心内から引き出しきれない。その経験に、身体はまだまだ追いつき切ってはいないのだ。

 しかし、それでもかまわない。

 今この場を抜け、大切な人たちを護る一歩となりえるのなら……不完全であろうとも何であろうとも構いはしない。

 無様でも何でもいい。

 ただ、今この力で誰かを救えるために動けるのであれば、それで。

 痛みになど慣れている。

 だが、これは戒めの痛みではなく、自分を解き放つモノ。

 壊れかけの歪な硝子のような罅割れた心を、自分自身を許すことの出来るようになったその心を、形に。

 

 

 そうして、今すぐに……自分の世界(それ)をここへと手繰り寄せる――――!

 

 

 

 

 

 

 *** 幕間 少年の抱く、剣の世界

 

 

 

 そう、それは一つの祈りだった。

 誰かを救いたくて、足掻いて、足掻いて、足掻き続けて。それを支えてもらった一人の少年の抱いた祈りと願い。

 

 ―――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)

 

 炎に焼かれ、伽藍洞になった心。

 何もかもを失くしたときに手に入れた、引き継いだ理想。

 歪な生き方を決め、己という剣を鍛え続けるというという偽りの贖罪をする。

 

 ―――Steel is my body(血潮は鉄で),

    and fire is my blood.(心は硝子)

 

 滾る思いとは裏腹に、その心はボロボロで。

 歪な形に傷ついたまま、砕けることがない事だけを誇りにした。

 だが、そこにはまだ自分を認められるだけの何もなくて……本当の心をひた隠しにした。

 

 ―――I have created over a thousand blades.(幾度の戦場を越えて不敗)

 

 決して諦める事だけはせず、その歩みを止めることはなかった。

 

 ――― Unaware of loss.(たった一度の敗走もなく)

 

 けれど、それは生易しい道のりではなく。

 

 ―――Nor aware of end.(ただの一度も勝利はない)

 

 何かを与えることも、また与えられることもなかった。

 

 ―――Withstood pain to create weapons,(担い手はここに夢を残し)

 

 生きるというだけのことが苦しくて、何も出来なくて。贖罪の様に重ねてきた偽善は、本当はただ自分が救われたいものであると、気づいていたから。

 そんな自分が、許せない。

 捻じれるような心の螺旋に、ただ自分を傷つけるだけ。

 馬鹿げた理想と、借り物の心。

 だけど、こんな夢を認めて、支えてくれた人たちがいて……

 

 ――― go toward for one's destination.(果てへと歩み理想を目指す)

 

 ……たった一人だったその心には、いつも誰かがくれた温かさが宿っていた。

 

 ―――I have no regrets, and never end.(故にこの身は空白を超え)

 

 こうして知った大切な人たちと、託されていった想い。

 空っぽで、傷だらけだった心は、何時しか癒され……大切なものに満ち満ちていた。

 

 My all life was(打ち続けた体は)――――

 

 そうして歩み続けた道の先に、確かな答えがあった。

 

 始まりの月夜に交わした誓い(呪い)と、託された理想。

 黄金の丘で告げられた清廉な愛と、最果てへの道標。

 心を癒してくれた深い愛と、進むために再び立つ命。

 帰るべき日常の象徴としての、穏やかで温かい慈愛。

 愛し守るべき家族という繋がりと、無垢な無償の愛。

 

 荒れ果てた心が、たくさんの想いに潤されていき、想いが心の形として紡ぎ結ばれ――その世界はついに完成した。

 

 

 

 ――――“UNLIMTED BLADE WORKS”.(果て無き剣で出来ていた――!!)

 

 

 

 

 

 

 その時、世界は一変する。

 

 

 

 

 

 

 *** 幕引き、今宵の決着は――

 

 

 

 まず目につくのは、無限に連なる数多の剣が地面に突き刺さっている光景。

 一面の緑を残し広がる荒野と、雲の隙間から顔を覗かせる広がった青空。

 残った歯車はかみ合いを確かに取り戻し、刻々とその歯を刻み合う。

「な――!?」

「これが……士郎君の」

「心の風景……」

「ほう……固有結界か」

 呟かれる声を聞きつつも、少年はただその場に佇む。

 目をつぶり、その世界にある剣たちを想う。

 その世界にはすべてがあり、そしておそらくは何もない。

 彼の抱いた強い願いが、傷ついた伽藍洞の荒野となった心を形とした。

 そしてその傷を癒してくれた少女たちという緑に彩られ、吹き荒む風は清涼さをまし、青空を覗かせた。

 この世界は、彼一人だけの世界だったのと同時に、彼と共にある人々の想いを受けて完成した世界でもある。

 人の振りをしようとした機械のような少年が、その空白を埋めてくれた人々の想いを背負った世界。

 それこそが、彼の持ちうる唯一にして無限の剣――――故にその名を『無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)』。

 個にして全、全にして個の世界が……今再び原初の王へと牙をむく。

 

「……この世界は、俺が持ちうる唯一のもの。

 だけど、その唯一を支えてくれた人たちがいた。だからここは俺だけの想いだけではこうはならない。枯れた荒野を潤してくれた大切な人たちの心があるこの世界には、誰が相手だろうが絶対に折れることはない。

 行くぞ、英雄王――――武器の貯蔵は十分か?」

 

「面白い――興が乗った。かかこってこい、小僧」

 

 飛び掛かっていく剣。

 撃ち放たれる剣。

 切りかかる剣。

 その戦いの様は、果て無き武器のぶつかり合い。

 無限の剣の世界と、この世の全てを収めた蔵。

 先に膝を折るのは果たしてどちらなのか、それは見ているだけの者には分からなかった。

「そらそら! 小僧。その程度の速度で我が財を追い切れると思ってるのか?」

「ぐっ……な、めるなぁぁぁああああああっ!」

 剣たちを次々と撃ち出し、地面にある剣たちを引き連れ、自身と英雄王の剣の雨を駆け抜けていく。

「吠えるだけでは何も変わらんぞ。さあ、もっとこの(オレ)を愉しませろ!」

 原初の財を放ち、幼な子を蹂躙しようとする。

「うおおおおおおぉぉぉっっっ!!」

 だが、それを叩き落す。

 手を止めず、歩みを止めず、そこへ向けて駆けていく。

「ふん。なかなか猛るはないか……その業、なかなかに気に入ったぞ」

「英雄王、私のことも忘れないでもらおうか……!」

 かの騎士もまた、原初の王へと迫る。

「ふ、忘れるまでもない。すぐに塵に還してやるから待っていろ」

 乱戦にもつれ込むが、いかんせん士郎とランスロットの進行は止まらない。だが、決定打に欠けていることは否めない。

 身体がついていき切れていない士郎は、世界の維持と降り注ぐ剣を解析・投影・迎撃のシークエンスと自らも剣を振るうという状況にギリギリの状態。

 おまけに体躯も足りず、軽い体はまさに飛んでしまいそうだ。

 対してランスロットも、彼の本来の宝具である切り札『無毀なる湖光(アロンダイト)』は『騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』と『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』を封印せねば使えないという欠点がある。また、同時に『無毀なる湖光』は神造兵器であるため、そのままでは士郎は投影をすることが出来ない。

 だが、だからこそ――そこさえ越えてしまえば二人は一気に攻められる。

投影(トレース)開始(オン)――全投影連続層写(ソードバレル・フルオープン)!」

 士郎によって生み出された剣たちが、さながら弾倉に納められた銃弾の様に重なり合い、そして撃ち放たれる。

 ランスロットへ迫る剣を全てそれで薙ぎ払っていく。それを見て、ランスロットも士郎の言わんとすることを理解した。

 すぐさま、かの聖剣と起源を同じくする、彼の聖剣を構える。

 それを見たギルガメッシュは、ランスロットへさらに格の高い武器を持って射貫こうとするが、士郎はそれを許さない。

 荒野に刺さっている剣の全てを四方八方からギルガメッシュへと放つ。

 此処が、ギルガメッシュの持つ『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』と士郎の『無限の剣製』との違い。射出方向の制限の有無である。

 ギルガメッシュが正面へのみ射出しかできないが、士郎は固有結界の中であるのなら〝どの方向へでも〟自分の意志一つで射出することが可能である。

 自然、そうなると死角から迫り来る剣を迎撃するためにはギルガメッシュは自ら動かなくてはならない。

 それが決定的な隙となった。

「――彼方の王よ、この光をご覧あれ。最果てへ至れ……『無毀なる湖光(アロンダイト)』!」

 断罪の湖光が、最古の王を狙う。

「ちぃぃぃ……ッ!」

 だが、ギルガメッシュとてそう簡単に終わるような真似はしない。

 すぐさま蔵から盾を取り出してその光を防いだ。

「なかなかに惜しかったな。だが……『まだだ』……なにっ!?」

 そういったギルガメッシュの背後に、既に士郎が愛用の夫婦剣を突きつけて立っていた。

「勝負、ありましたな」

 ランスロットの言葉がその場における全てを証明していた。

 士郎の周囲には無数の剣が並んでおり、いつでもここ一体を串刺しにできるだけの準備がある。

 流石のギルガメッシュも、ここまで宝具をさらし、その上いつもは守るなどしない状態から盾まで使わされた挙句に背後をとられてしまうという失態に歯噛みする。

「この俺が背後をとられるなど……! いったい何をした、小僧?」

「簡単だよ。ただ飛ばした剣にしがみついて飛んできただけだ」

「なにぃっ!?」

 そう、士郎は足りない体躯を逆に利用し、その軽く小柄な子供の肉体ならではの移動方法を使ったのだ。

 ランスロットに気を取られ、防御しようとしたときの弾幕に紛れて自分も一緒に飛び背後をとった。背後へはギルガメッシュは射出ができず、またランスロットの宝具は鎧抜きの彼が剣を防ぐ片手間に縦横無尽に迫る剣を叩き落しながら防げるものではない。

 その隙を、彼らは狙った。

「……俺たちの、勝ちだな」

「おのれぇ……! 小癪なことを……ッ!!」

 不覚をとったことに腹ただし気に唸るギルガメッシュに、士郎はぽつりと言った。

「なぁ……これで、俺たちのことは認めてくれるか?」

「……なんだと?」

 唐突な言葉に、ギルガメッシュは怪訝な顔で聞き返した。

「俺たちは、ある子を助けるための協力が必要でここまで来た。あんたみたいな最強の一角に協力してもらえると凄く有難いんだけど……どうだ?」

「ハッ! 笑わせる。この(オレ)に人助けでもしろというのか? 図に乗るのもいい加減にしろよ、雑種めが」

「…………」

 士郎は眉を寄せ、剣を消すとギルガメッシュに頭を下げて頼み込んだ。

「今、闇の中でただ苦しみに晒されて、その命を弄ばれている女の子がいる……その子を助けるために、俺はこの戦いを終わらせてその子を姉に会わせるために、囚われの女の子を救うために、呪いに侵される親父を救うために、たくさんの人を救うために……力がいる!

 だから頼む、英雄王。そのための一歩として、あんたのマスターに話をしなくちゃいけない。その度量に免じて、俺たちに進むためのチャンスをくれ」

「……顔を上げよ」

「?」

 ギルガメッシュは不満そうであるが、それでも己をここまで追い詰めた相手に敬意を表さない程、誇り無き暴君ではない。まして、一時の時の勝負に負けただけで子供という宝をそのまま見殺すほど、彼は薄情でもなかった。

「いいだろう……ここまで興じさせた褒美だ。貴様のいうその者たちの話をすることを許そう」

「! ありがとうな、ギルガメッシュ」

「ふん。王をよび捨てるとは生意気な奴だ……貴様、どことなくあの神父に似ておるな」

 無礼であるくせに、どこか丁寧である所や無茶苦茶な香りをただよわせているところなど、やたらと同類の臭いがする。

 だが、その傾向は全くの真逆であることは、考えずともわかったが。

「は?」

「何でもない。こっちの話だ」

「そうか……まぁいいんだけどさ。話聞いてくれるなら」

 固有結界が解け、その場には元の洋館が戻ってくる。士郎は膝をついたところをランスロットに支えられ、ギルガメッシュに見乱れながら雁夜と共に時臣の元へと向かうことに。流石に時臣もここまで滅茶苦茶をされると話を聞かざるを得ない事だけは分かった。

 というより、未だに頭が追いつかないといってもいいかもしれない。

 それも無理はない。

 何せいきなり落伍者が来たかと思えば、そのサーヴァントは円卓最強の騎士でその隣にいた子供はいきなり固有結界を使い、挙句の果てに最強の切り札である英雄王を追い詰めて言葉にこそ出さないが敗北をある程度認めさせた。

 ここから先にあるその話とやらに何があるのかと考えなくもないが、これ以上一体何があるというのか想像もつかない。

 この状況で、彼が口にできた言葉は残念なことにたった一言だけであった。

 

「まったく……優雅じゃない」

 

 ただ、彼にとって不幸なことがあるとすれば――それはここから始まる話の方が彼個人に対するダメージが大きいという事であろうか。

 魔術師としての彼には奇跡への道が潰えることを、父親としての彼には娘の置かれた惨状を。

 ……加えて、未来で自分の死んだ後に娘を二人ともたぶらかした少年がとんでもない才能の持ち主で、これほどの力を持っている術師を遠坂の血に加えたくないかといえば割と歓迎している自分がいるという二律背反に頭を抱えることになる。

 また、娘をたぶらかしたとはいえ、その直後に振る舞われた料理の腕前や妙に家事スキルが高い事などで英雄王に気に入られ始めてしまうというサーヴァントにまで及ぶそのたらしこみにより頭を抱えるのだったとさ……。

 

 

 

 

 

 ――――余談だが、そんな師の『父親』と『魔術師』の間で悶え悩む姿を見て、一人の神父が軽く愉悦に目覚め始めてしまうのだが……それはまた、別の話である。

 

 

 

 

 

 



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第十二話 ~妄執の果て、燃え尽きた魂~

 闇に沈んだ春の色

 

 

 

 

 

 

 冬木市・深山町にある遠坂邸で突如起こった、想定外の激戦。

 それは、あるたった一人の少年がきっかけで起こったものだった。

 

 ある少女を、必ず救うために――。

 

 

 

 

「何ということだ……」

 遠坂時臣は、乱戦ののちに語られた、彼の娘が現状において置かれた状況の苛烈……いや、醜悪なまでの残酷さに、頭を抱えた。

 魔術の世界を生きる家に生まれ、才覚に恵まれた我が子たちを、如何にかして持ち合わせた贈り物を活かした上でなお、幸多き生を謳歌して欲しい。

 一人の父親として、一人の魔術師として、そうあって欲しいと願い、信じたはずの選択であったというのに……その選択は、娘の人としての尊厳も幸福も、その全てを汚して侵して全てを奪い去るに終わってしまう。

「これが、俺が間桐の家で見た全てだ……勿論、臓硯は桜ちゃんを俺が約束した聖杯を持ち帰るまで、その〝教育〟と称した体質の改変作業を止めようとはしない。

 奴ははっきりと、自分の本命は次の第五次であると――間桐の胎盤となった彼女がいずれ生むであろうそれに期待していると、そう言ってのけた。つまり、桜ちゃんを大切にする気はなんてのは勿論、俺の兄である鶴野の次の、ないし代わりの頭首にする気すらない。

 時臣。お前に語った約束は奴の都合のいい様にだけ守られこそすれ、お前が期待した形にはならないだろうよ……」

 雁夜の語った言葉と、彼の身体にある〝魔術教育〟の痕跡。

 それを見て、間桐に置ける桜の今の現状をしかと認識した時臣は、自らの選択が誤りであったのだと思い知る。

 優れた資質を育てるため、実験のための道具や体のいい標本にされる様なことの無いようにと、その健やかな成長を願った。

 それが出来たならば、仮に将来来るかもしれない『聖杯戦争』で、我が子らが争うことがあったとしても……そこに欠ける誇りを賭して競い合うものであるのならば、とても名誉なことであると。

 ただ、僅かばかりの願いとして……我が子のこれからの生が『魔術師』としても、勿論人としても彩られるようにと望んだ。

 時臣にしてみれば、たったそれだけのこと。

 才に溢れすぎた我が子が、ただ凡俗に落ちるしかなく……その先の未来に怯えなくてはならないようになっては意味がないと思ったからこその決断。

 なのに、その蓋を開けてみればその結果はどうだ?

 次期頭首を生むために、教育とは名ばかりの拷問のような改変を施せる、体のいい資質を持った胎盤だと?

 只の材料や実験動物のような扱いを受けることなく、幸多き行く末を願ったにもかかわらず、その実蓋を開けるなと約束させられて中で幸せを手に入れているかと思えば、どうだったか?

 まるで、臭い物に蓋をするかのように閉ざされた地獄の中に我が子を沈め、穢れる様に貶めただけではないか。

 自分の子供にそんなことを据えるために、選択をしたのか? ――否。

 捨てるために、彼女を間桐へと送り出したのか? ――否。

 

 ――絶対に、そんなことの為に、私は娘を預けたのではない。

 

 時臣の心は、家訓に背くほどに熱を帯びていた。

 人生に置いて、それほどまでの怒りを感じたことがあっただろうか。いや、恐らくはない。

 ただそれでも、人ならざる道などと揶揄される『魔術師』であろうが、我が子を思いやることの無い親になるほど、彼は畜生に堕ちたつもり、元のより堕ちる気もない。

「――それで、桜の現状は全てなのかい? 雁夜」

「あぁ……これで全て。あの家の妖怪の腹の内、ドス黒い膓の思惑そのものだ」

「……そうか……」

 スッと立ち上がり、時臣は彼の礼装である杖を取る。

 立ち居振る舞いこそ普段と同じとはいえ、その目は、これまでにない程に猛り狂っていた。

 まったく、酷い話だ。

 願いの責任も果たさないまま、全てを整えた気でいたなど……それで、何が始まりの御三家か。何が、名誉な魔術師としての生か。こんな体たらくで、何が親か。

 雁夜は身を賭してまで桜を守ろうとしたと言うのに、実の父が何もしまいまま終わるなど、そんなもの存在として最低でしかない。

「間桐へと出向くとしよう。盟約について、当主として話をせねばならないようだからね――――」

 魔術師にとって、誓いとは非常に重い意味を持つ。

 由緒ある魔術師であるならば、それは守らねばならない。

 果たすべくして交わした契りならば、例え何があろうとも、それについて責任は取ってもらわなくてはならない。

 ……そう、何であろうとも、必ず。

 

「――――盟約は破棄させてもらおう。私は娘を傀儡にするために他所(まとう)へ送ったわけではない」

 

 怒りが、滲む。

 滞りが積もり積もる。

 早く気がつくべきだった。

 知らぬ存ぜぬでは済まないことをしてしまった。

 最早これは死ぬまで恨まれることになっても仕方がない。

 だが、そんなことはいい。子から怨みを買うなど、魔術師ならよくあることだ。

 そんなことなどどうでもいいのだ。今するべきことは、エゴだろうと何だろうと、我が子を救うこと。

 それだけだ。

 そんな時臣に、ギルガメッシュは今の彼をこう評した。

「おうおう……随分と良い顔だな、時臣よ。家訓とやらはどうした?」

「お見苦しいところを――ですが王よ、今しばしこの道化にお付き合い願えれば幸いでございます。

 家訓は今関係ありません。この時ばかりは、私のエゴを突き通さなくてはないです。私が死のうが、どうなろうが、我が娘たちがいるならば遠坂としても……私としても、本望ですから」

「相変わらず安直でつまらん、が――お前のその顔は中々いい。

 一皮向けたな。その威勢に免じて、残り令呪全てで貴様に同行してやってもいいぞ?」

「願っても無い……令呪如きで桜を救えるなら、安いものです。お心遣い痛み入ります」

 深々と頭を下げる。

 時臣のその態度に、ギルガメッシュは僅かばかり眉をひそめる。

 ここに及んでも尚、臣下としての態度をとる時臣に、ギルガメッシュは一度は見せたかと思った腹の内をまだ隠そうとするのかという印象を受けた。

 故にこう問うた。

「良いのか? 令呪を使い切れば、(オレ)が貴様にここから先へ従うかどうか謎分からんぞ? 一時の気まぐれの為に、悲願など斬り捨てるやもしれん」

 元より、士郎たちとの戦いで一度彼らのことを認めたギルガメッシュは、桜という娘を助けるとのたまった士郎たちに協力をするつもりではあった。

 だが、時臣がこれまでにない業の影をのぞかせたので、少し試してみたくなった。

 そしてそれに対し、先の問いかけを述べたが、時臣はそれに対し即答した。これまでと何も変わらないままに。

 それ故にどことなくうさん臭さを取り戻しかけたのだが、それは原初の王たる彼には珍しく、少しばかり早計な判断であった。

「悲願など――我が子を思う父として、斬り捨てる事など造作もありません。それに、仮に魔術師としての立場に立ったとて、我が子を見捨てる選択をすることはないでしょう。なぜなら、元より『根源』など、元より人の身でなどそう簡単に到達できないものなのですから。

 それ故、我らの相伝……まして、私などよりよほど優れた未来への種を潰すなど、それこそ愚者の所業。ですから、これは私の業として、ここにおける全てをなげうってでも未来へと賭しておきたいもののためにある、矮小な私の投資。

 故に私は、我が王の力を借りて、私の業を未来へと繋ぎます。娘たちの命という形で」

 心内を上手くすべて伝えられたわけではない。

 だが、これが今の時臣。

 魔術師として、父親として、全ての情と業を次へと繋ぐために選んだ、彼にとっての最善手をここでつかむという覚悟であった。

「……くくっ」

 だからこそ、笑う。

「くくっ……ふははははっ!」

 愚行を嫌っていた男が、ここまで愚者としてなる。

 しかしそれは、己にとっての悲願を遂げるための賭けであり、何よりの最善であると言ってのけた。

 そして、暗にそのためなら何でも使うとそう言ってのけた。

 中々の業。

 つまらないかと思っていた男が見せた、未来への投資とやら……その考えは、この世全てを己の庭とする王にも通ずる部分があった。

「よい。良いぞ、時臣。つまらん男と思っていたが、これがなかなか……腹を割れば存外興じさせるではないか。

 気に入ったぞ。己が子のために、この英雄王すら使い潰そうとするとはな」

 応えは、無かった。

「……」

 同時に、否定も無かった。

「それでよい」

 弁解などくだらない。

 一度口にしたのならばそれを貫いて見せればいい。

 〝愚行〟を決め、それでもなお、最後まで戦場を駆け抜けた〝英雄〟とはそういうものだ。

 それを見た士郎は、

「決まり、だな」

 そう口にし、その隣にいた雁夜もまた、うなずいた。

「それじゃ、いくとするか」

「ええ、行きましょうか。我が主の生家へ――」

 ランスロットの言葉を皮切りに、一同は遠坂邸を後にする。

 途中、教会へ寄って綺礼に事情を説明し彼も戦力に加えた後、今度こそ間桐邸を目指す。

 

 この聖杯戦争に置いて、これ以上ないほどに〝群〟であり〝蟲〟である相手に特化した編成をもって、今宵……五百年の妄執に憑りつかれた妖怪の運命が決まる。

 

 

 

 ***

 

 

 

「――――雁夜め、やられおったか?

 まぁ、良い。元より、吾奴(あやつ)に期待などしとらんからな……まったく、せめて興じさせるくらいまではしてもらいたかったのだがな。やはり、落伍者は落伍者という事だな、かかかかっ」

 

 

 

 ――地獄で、妖怪が嗤う。知りたくない事実を口にして、笑う。

 

 

 

 嘘だ、

 ……嘘だ、

 …………嘘だっ。

 

 ――ふと、失ったはずの感情が生まれた。

 

 いやだ、

 ……いやだ、

 …………いや……だ。

 

 ――光の見えない地獄で、一匹の妖怪だけが己を見る。

 

 何も、そこにない。

 暗闇の中の同類もない。

 もう、何も……なにも、ない。

 

 何時も優しく包んでくれた母の温もりも。

 何時も厳格で少し恐くもあったが、優しい父の眼差しも。

 明るく眩しい、宝石にも等しい輝きを放つ、姉の笑顔も。

 暗闇の中で、たった一人手を差し伸べてくれた、覚えのある手の温もりも。

 

 

 

 ――――もう、わたしには、なにもない。

 

 

 

 蟲の中で溺れ、このまま死んでいくしかないのかな?

 ……いや、いっそ死ねたらどんなに良いだろう。

 そんなことも分からなくなった。

 なにもなくなったのに、お爺様は〝たいばん〟とやらの為に生きなくてはならないといっていた。

 もうここには、何もないのに。

 わたしという存在は、もう求められたくないのに。

 そんな、部品みたいに、ただ放置されるだけなんて……。

 だから、もう考えなければよかったのに。

 なのに、考えてしまう。

 暗闇の中ですら、馬鹿な光を見せてくれたあの人がいたから。

 ……自分以上に惨めに見えたから、あの人がいるならいいのかなって。

 でも、そんな中でも……あの人がわたしにくれた温かさだけは嘘じゃなかった。

 汚いものではなかった。

 穢れ切った、こころと身体。

 それなのに、あの人はまだばかな希望を見せた。

 居なくなるなら、どうして、そんなものを見せたの?

 ねぇ、迎えに来てよ。

 

 ――とっくに捨てたはずの想いが、また芽生えた。

 

 枯れたはずの涙がこぼれた。

 

「おぉ……可哀想にのぅ。雁夜め、ここでひとつ興じさせるとはな。塵際に花一つ、といったところかな……? かかかっ」

 

 ……あぁ、もう駄目だ。

 もう、本当に、何もかも。

 死ねばいいのかな。

 舌でも噛めばいいのかな。

 でも……痛いのも、死ぬのも……〝わたし〟が無くなるのも結局、本当は怖くて。

 何の勇気も何もないわたしは、一体このままどこへ行くんだろう。

 もし、願えるのなら……誰も来てくれないけれど、来てくれる筈なんてそもそもないけれど。

 それでも、願えるなら。

 ひとつだけ、ねがう。

 

 

 

 ――――――――――タ ス ケ テ。

 

 

 

 その声を、誰かが聞いた。

 そして、その声に答えた。

 

『――勿論だ』

 

 少女のか細い声は、ふと流れてしっかりと、届いた。

 剣が注ぐ。

 炎が焦がす。

 迫り来る全てを全て光と鍵で振り払う。

 そして、一本の腕が、少女の手を掴んだ。

 

「桜ちゃん……!」

「…………お、じ、さん……?」

 

 その時をもって、何もできなかったはずの道化者は、たった一つ――誓いを果たした。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「――――貴様ら……何故!?」

 

 来る筈も無い。

 知る筈も無い。

 まして、あの落伍者の言葉を誰かが訊くなどある筈も無い。

 元より、奴に誰かを懐柔するなどという器もない。

 ――なのに、何故……っ!? そんな驚愕だけが、五百年の妄執にとりつかれた妖怪の脳裏にまるで嵐の様に巻き起こる。

 目の前に立つのは、まるでしつらえたかのように己の存在を脅かす者ばかり。

 この〝蔵〟にある何もかもを殺し尽くすかのように、その面子はそこに集まった。

「久しいですな、間桐の翁……少々手違いがありまして、私の娘を返してもらいたいのですが……」

「な、何を馬鹿なことを。今更――」

 唐突な申し出に、思わず言い淀む。

 だが、

「そうですか、では仕方がない」

 あっさりと、その申し出をした方が斬り捨てる。

「ならば、後は力づくというほかありませんな」

 炎が巡り、蟲蔵をあっさりと焼き尽くす様に広がっていく。

「ぐ……舐めるなよ、小童が!」

 が、間桐の翁――間桐臓硯とて、生粋の魔術師。

 元は水の属性。そして束縛と吸収を司るその魔術は、はっきり言って強力だ。

「この蟲蔵で儂に勝負を挑むとは、間抜けな者どもよ!」

 そう、確かに……魔術師にとって己の庭である工房での戦いは、必勝を誓えるテリトリーに相違ない。

 とはいっても、

「――ほう。この(オレ)に向けて侮蔑を投げるか? 羽虫よ」

 そこに集った相手が相手でなければ、だが。

「どこまでその口が吠えられるか、見せてみよ」

 原初の財が、容赦なく躊躇いなく、羽虫の主へと突き刺さる。

「が、ぁぁぁ……っ!!!???」

「身の程を弁えよ。地に埋まってばかりの蟲が、この(オレ)に手を下されるのだ。それだけでも光栄に思え」

「……使い魔風情がぁぁぁ……ッ!」

 臓硯の身体が崩れ、時臣の炎に飲まれなかった蟲を通じて本体を包み隠して再び肉体を形作る。

 そして、雁夜に抱かれた桜を指し示し、そうのたまった。

「この小娘を助けたいのであろうが遅かったな。その小娘の心臓には儂の本体が宿っておる。どのみち、救えはせんなぁ……っ!」

「はっ、何を言うかと思えば……矮小よな。妄執にとりつかれることも、業を馳せることもまた認めよう。だがな、その程度の器で――この(オレ)に脅しをかけようなどとは、哀れを通り越して醜悪よな。

 そこな小娘を殺して貴様を殺して、それから蘇生させることができぬとでも思うか? この(オレ)に」

 ぎらつく赤い双眸に、思わず戦く。

 力の差が、ありすぎる。

 確かにそう思わざるを得なかった。

 何もかも、適うはずもない。

 原初の王に、五百年の妄執など霞んでしまう。

 何もかもを手に入れた王と、手に入れようと生き汚く足掻き続けた蟲。

 己の抱いた理想すら見失った男に、その輝きは眩しすぎた。

 久しく感じなかった恐怖と、常々感じていた恐怖が同時に襲い来る。

「――ま、今回はそこな小僧に任せてやろうがな」

「!?」

 声を受けて、振り返った先には、まだ幼い子供がいた。

 ただその手に、ありとあらゆる魔術的な契約や呪術を解する短剣を以て。

「……じゃあな、〝マキリ〟」

 本当は、優しい世界に――正義の味方に、憧れた人。

 少年の一撃が、少女の心臓に宿る臓硯を貫く。

 本体が殺され、身体が崩れ去っていく。

「こ……んな、ところ……で……!? 儂、は……不老、不死にぃ…………っ!」

 妄執は崩れ去る。

 こんなところで、野望を諦めねばならないのか?

 そんな訳にはいかない。諦めるわけにはいかない。

 不老不死をもって、()()()()()()なら……ない。

 ……何を?

 叶えなくてはならない願いは、なんだ?

 

「――――、ぁあ……」

 

 忘れていた理想。

 ただ、世界が、優しく在って欲しかった。

 それだけの、願い。

 結局、たどり着けず――反することのみに執着を燃やした。

「滅ぶのは、道理だったか……」

 世界とやらは、やはりよく出来ているらしい。

 願った理想は引き継がれ、今こうしてまた一つ成就された――。

 

 微かな笑みが浮かび、老人は一人の青年に戻っていく様な錯覚を抱く。

 そして、その先には――ずっと焦がれていた、純潔の冬の聖女の姿が。

 

(お前の様には成れなかった……焦がれた理想に反した私では、成れるわけもなかったがな)

 

 一つの終わりが目の前を覆い、妄執から解き放たれた魂は扶助の穢れを振り払い読みへと向かう。

 その心には、自分の汚してしまった者たちがこの先苦しまない様にという願いが……。

 意味がないと分かっていても、願う資格がないのだとしても、それでも――願う。

 終わりの時にこそ、始まりの理想を抱いて消えたい。

 堕ちたからこそ、そう思った。

 

 妄執は終わり、彼の願った理想は――図らずも、引き継がれていく。

 

 優しい世界は、またここから始まっていく――――。

 

 




 お祖父ちゃんにO☆SHI☆O☆KIの回でした。
 改めて読んで思った。
 集めた面子が凄まじく(お爺ちゃんにとっての)絶望しか生まないというかなんというか。
 やばいね(笑)。


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第十三話 ~夜更けの冒険の始まり~

 赤い悪魔の影がこの回から。
 そして、それに呼応するようにSTICKが……?


 夜明けの冒険

 

 

 

 そこはまるで、原初の地獄を思わせた。

 

 ――赤い。

 ぐつぐつと煮えたぎるラー油の溶岩、そこで溺れる豆腐は赤く染め上げられて、亡者の如く血の海に沈む。

 釜の中で湯だつ血の様に、どろどろとしたその赤みは(まさ)しく残忍なまでの辛味の象徴。

 全てのものが倒れ伏せ、何もかもがその辛味の下に蹂躙された。

 

「これは……一体」

 

 しかし、ただ一人。

 その煉獄の釜の中身のもつ〝美しさ〟に――その醜悪なまでの有り様に、心から魅せられた一人の男……黒いカソックを纏い、首元に十字架を下げた神父を除いては。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「――何? 間桐邸が、焼け落ちただと……?」

 衛宮切嗣は、舞弥からの報告を受け、訝しげにその事案を見定めようと思考を巡らせていく。

『はい、完全に焼失と見て間違いありません。ただ、翁の姿は確認できませんでした』

「そうか……もう少しの間、監視を続けてくれ」

『了解』

 手短に交わしたやり取りを終え、切嗣は煙草をくわえて火を付けた。

 胸に吸い込まれる紫煙の味が、唐突な事態に直面して乱れた思考を整えてくれる。

 ――何が起こっている?

 今回の『聖杯戦争』の異常さ、それを差し引いてもいささか今回の事案は例外が過ぎた。

 妖怪の様にこの街に巣食う悪魔の様な老人を、何者かが襲撃した――これは間違いない。

 だが、だからといってこれが何かしらの意味を持つとは切嗣には思えなかった。何せ、そもそも間桐の影の当主――『マキリ』としての流れを牛耳っている間桐臓硯はかなり危険な相手であると同時に、今回の参加者ではないのだ。

 そんな相手に挑む危険と、それを犯すに値する見返りとが釣り合わない。

 そんな馬鹿なことをする者がいるとは思えないし、ましている筈もない。

 頭が痛くなるとはまさにこのことか……厄介な相手が野放しになったかもしれない、今後の計画に支障をきたす可能性がある。

「――厄介だな」

 ふぅ……と煙を吐き、灰皿に吸い殻を押し付けた。

 椅子から立ち上がって、次の行動をとるために話をしなくてはならない。

 何よりも守らなくてはならない『器』であると共に――彼自身はそれを捨て去ろうとしているが――最も愛しい妻である女性のために、この事態を説明しなくてはならない。

 切嗣は部屋の戸を開け、妻を呼ぶために城の廊下へと歩みを進めていった。

 

 

 

「――――落ちたの……!? あの〝マキリ〟が?」

「あぁ……不可解ではあるけどね」

 切嗣は妻、アイリスフィールに先ほど受けた報告をそのまま語った。

 その内容に、『マキリ』――つまりは彼女の生家である『アインツベルン』と同じ、〝始まりの御三家〟の一つが落ちたという事実に、彼女は驚愕を隠せずにいた。

「しかし、これであの妖怪がくたばったとも言い切れない。用心はしておいてくれ、アイリ」

「えぇ、分かってる」

「今のところ、新たな動きは以上だ。僕は少しやることがあるから部屋に戻るよ」

 部屋の戸に手をかけ、外へ出る。

 部屋の外に出ると、そこには一人の少女がいた。

 一見少年に見える中性的な顔立ちだが、折れそうに見える華奢な体躯が彼女か少女だとより強く印象付けている。だが、その実彼女は文字通り巨石をも粉砕する力を持つ条理外の存在、英霊である。

 そして、此度の『聖杯戦争』においては、切嗣と契約を交わしたサーヴァントでもあるのだが……切嗣は、自分を見つめる翡翠の双眸を全く見ようとすらしなかった。

 それどころか、彼女――セイバーが僅かばかりの言葉を発しようとも、彼は決して足を止めることも声をかけることもない。

 路傍の石以下の存在として、道具であるセイバーを無視して彼は部屋へと立ち去る。

 残されたセイバーは、自らの口からの説明もなく、ただひたすらに……それこそまるで子供か何かのように自分を避け続ける今世の主に、言いようのない悔しさを噛み締めていた。

 

 ……けれど、そんなない交ぜにされた少女騎士の心中も癒えることを待たぬまま、戦いの嵐はまた幕を開けていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

「――――」

「――はふ……はふ、あむ」

 一心不乱に蓮華を運ぶ一人の神父。そして、それを見て引き攣った笑みを浮かべている少年が一人。洋館の食卓の上で煮えたぎるマグマのような麻婆豆腐を前にしていた。

「……ホントにそれ好きなんだな」

「? ――、……食うか?」

「いや……いいよ。それはあんたのために作ったやつだし――それに、皆の口直しもこれから作らなきゃだし」

 周りに転がっている屍――もとい、その一歩手前の人の山を見ながら、少年・衛宮士郎はそういった。

「……そうか」

 心なしか残念そうに、神父――言峰綺礼は蓮華を運ぶ作業に戻る。

 士郎は、はぁと一つ息をつくと立ち上がり、転がっている皆に口直しのリクエストをとる。

「あー、口直しのリクエストあるかー?」

 その声を聞き、いの一番に飛び起きたのは原初の王と名高き英雄王ギルガメッシュ。

 最近士郎の料理と、時臣の娘である桜とその叔父である雁夜にかまうのがお気に入りになりつつある現世満喫王である。

「甘いものを持て雑種ぅぅぅ!! そもそもだな! あんな料理が食えるかぁぁぁああああああっっっ!!!???」

「いや、でも――」

 そんなギルガメッシュを前にして、ちらりと綺礼の方を見る士郎。

 すると、

「――――食うか?」

 綺礼は再び、蓮華を差し向けた。……今度はギルガメッシュの方だったが。

 むろんギルガメッシュも、今現在怒りの原因となっているものを受け渡され、それに応じるわけもなく――

「食わんわ戯けぇぇぇ!!!!!! そもそもだな! 英霊たる(オレ)が、料理ごときで黄泉を渡りかけたのだぞ!? こんなものが食えるかぁぁぁあああああああああああああああああああっっっ!!!!!!」

 再び怒りに吠えた。

 こんな二人のやり取りが漫才のように思えてきた当たり、士郎は大分この空間に溶け込んでいると言えよう。

 ……にしても、バビロニアには黄泉の概念はあったのだろうか?

「……おじさん、大丈夫……?」

「う、うん。大丈夫だよ? 桜ちゃん……」

 その隣では雁夜が麻婆に打ちのめされてるのを見て、心配そうにしている桜の姿が。助け出されて間もないため、まだまだ表情豊かとは言えないが、少なくとも桜の心は――士郎の記憶にある閉ざされた頃よりは守られている。

 しかし、

「…………私の心配はしてくれないんだね、桜」

 その代償なのか、割と大活躍だった時臣より先に手を伸ばした雁夜の方に懐き度が傾いたらしく、桜は時臣にまだ少し冷たい。……それを見て、何だか士郎は慎二に強気に出た桜を思い出したという。

 ただ、捨てたという認識だけは改められたため、嫌いというよりまだ少しどう向き合うべきか迷うという感じのようだ。

 この分なら、姉の凛辺りならあっさり打ち解けそうな気もする。

 士郎の脳裏には、事情を知って父と間桐に追い打ちをかけようとする『あかいあくま』の姿が見えたとか何とか。

 そんな中時臣は一人静かに立ち上がり、優雅にワインを取り出して開けていたが、その背中はひどく寂しそうに見えた。

 それを見て綺礼の蓮華が益々掬う速度を上げていたのを、士郎だけが知っている。

 ギルガメッシュの説法の後、軽い愉悦に目覚めたのか――自覚しているかどうかはともかく、時臣のうっかりというかフェアリーというか、そんな部分に面白味を感じているらしい。

 その程度で済んでくれればと、士郎は切に願う。間違ってもラスボス覚醒だけはさせたくない。特に、この時空の奴の娘は少しでもまともなシスターになって欲しいものである。

 何というか、さすがは始まりの御三家と言うべきか――

 

(――遠坂の家に関わると、割と誰もがラスボスになるんだよな……)

 

 英雄王に外道神父、黒い春の花に、一応士郎もまたアンリに殻を取られたことがあるのでそれも一応。

(カオスだな……)

 そんなことを頭に浮かべつつ、慣れた手つきでデザートを用意して口直しとする。ホントに、麻婆は食事の後に出して良かった。……そのせいで食事後のお楽しみにを覚えた(もとい士郎に餌付けされた)英雄王が我先にと蓮華を伸ばし、あれよあれよと先の地獄絵図に変わったのは置いておくが。

 そんな平和な遠坂邸でのひと時だが、まだ聖杯戦争は終わっていない。

 加えて、聖杯自体の性質が本当に歪んでいるかどうかも確認できていないため、完全終結は難しい。なにせ、発言をした士郎自身証拠を持ってはいないのだから、それを証明できないのだ。

 仮に証明できたとして、それを信じそうもない輩が何人かいるので更に頭が痛い。

 しかし、悩みを抱えた頭を休ませる暇もくれないまま、冬木の地で再び騒動が巻き起こる。

 すっ、と光の粒が集まり、霊体化を解除したアサシンが姿を見せる。

「――時臣殿。お食事時に失礼ですが、早急にお伝えせねばならぬことがあります」

「どうかしたのかい?」

 時臣が訊ねると、アサシンは粛々と応え始めた。

「は。教会で待機しておられる璃正殿が、キャスターの動きを把握したとのことでこちらは伝えるようにと。何やら召喚者である殺人鬼と共に夜な夜な子供を攫っているとか――」

「何――!?」

 士郎はアサシンの言葉に、勢い良く立ち上がる。

 その際テーブルが音を立てて揺れ、桜が少し驚いたようにしたのを見て士郎は我に返る。

「あ、いや……それで?」

「はい。どうやら奴らは秘術の秘匿など考えにないらしく、表の住人たちもこれに気付きかけているそうで……璃正殿は参加者全員にある一つの提案をすると申しております」

「提案? それは一体」

「璃正殿の仰った提案とは、キャスターの討伐指令でございます」

「な、それは――!」

 思わず士郎はまた声を上げてしまった。

 しかし、アサシンは士郎を落ち着けるように手で制し、ことばを続けた。

「無論承知のこと。ただ、これはキャスターを倒し聖杯に焚べるためのものではなく、他の陣営が報償を求め動くことを想定してのもの……聖杯戦争に参加する陣営ののすべて一同に会するために、他の陣営が少しでも表に出るように促す策であります」

「でも……それはっ」

 それは、確かに正しい。

 けれど、それは果てしなく間違いだ。

 葉ではなく枝、枝でなく幹。そして、その周りに広がる根や周りの木々の集まりである森。

 一部を見るな、大勢を見よ。

 そんなことは分かっている。

 しかし、それを理解しても最後までそれを全て願うことこそ、少年の抱いた夢。

「それは――絶対にダメだ」

 頑なな士郎を、綺礼は蓮華を止めじっと、ギルガメッシュは見定めるように、時臣は僅かに怪訝そうに、雁夜と桜は心配そうに見ていた。

「士郎くん……でもここは」

「分かってます。だから、討伐指令自体は出してくれていいんです。でも、その代わりに一つ頼みがある――俺が、囮役をすることを認めて欲しいんです」

「君が、囮だって……?」

「はい。キャスターのことを倒すために他の陣営が動く、っていうのは璃正さんの想像通りだと思います。

 ……でも、その間に子供をさらうのを見過ごすのは絶対に嫌だ! 守れる命があるのに、それを見過ごすなんてのは俺は認めない。それにこれには魔術側にも教会側にもメリットはある……俺がキャスターたちの邪魔をすれば、少なくともこれから失踪した子供を嗅ぎまわる表沙汰は減る」

「なるほど……確かに、それは一つの策として筋は通っている」

「しかし、お前に守りきれるとでも言うのか? だとしたらそれはさぞかし尊かろうよ。

 だがな、それは叶えばの話だ。そうでなければお前はただの愚者となろう。……加えて、私に今後麻婆を作る料理人が減る」

「そこかよ!」

 真面目な話かと思えばこれか。なんだか少し第五次の時の言峰に近くなってきた気がする……と、士郎は溜息をつく。

「たはは……まあ、冗談はさておき。士郎くんの言ってることもあながち間違いじゃない。

 それに、子供を見捨てるなんてさ。元々の集まるきっかけが子供を救うためだった俺たちがするのは、カッコ悪いだろうからな。なあ、バーサーカー」

「ええ、雁夜(マスター)の言葉最もです。私が士郎のサポートに入りましょう。私との組み合わせならば、そう負けはないかと思われますので」

「ありがとうな、ランスロット」

「いえいえ」

「ちょっとまてぇいっ! 小僧がここにおらなんだら、誰が俺に供物を作るのだ!?」

「――――はむ(麻婆の咀嚼を再開)」

 その場には、静かに沈黙が漂った。……なお、誰に言うわけでもないが、冬木市にあるとある商店街には、あらゆる料理を唐辛子塗れにしてしまう中華料理屋があるとかなんとか。つまるところ、チョイスを任せた場合死ぬ。主に辛味的な意味で。

 妙に視線だけは痛く刺さるような感覚で――ついに士郎は、嫌な予感しかしない咀嚼音の中で観念したようにいった。

「――えっと、作り置きをしておきます」

 

「「「……ほっ」」」

 

「――――――(チッ)」

 

 張り詰めていた空気が溶け、妙な安堵が漂う。

 士郎はひとまず先ほど約束した口直しを作ろうかと席を立とうとした、その時。

 

 ――ジリリリリッ! と、けたたましく電話が鳴り響いた。

 

「? 誰だろうか、こんな時間だと言うのに」

 時臣が立ち上がり電話を取ると、そこから聞こえてきた声は彼にとって聞き慣れた人の物だった。

『貴方? よかった……起きててくれて』

 酷く安心したように、葵は普段の彼女らしくもなく焦った声でそういった。

 妻のそんな反応に、時臣は不思議に思いながらも話を聞いていく。

「あぁ、葵。どうかしたのかね? こんな時間にだというのに」

『それがね……凛が』

「凛? 凛が、どうかしたのかい?」

 唐突に出てきた愛娘の名に、時臣は母と共に彼女の実家である『禅城』の家にいる少女を思い浮かべる。

 普段からとても熱心な子で、色々と気が強すぎる部分もあるがそれがまた魅力的に映るような、人を惹きつける力を持った我が娘。その上、魔術に関する資質に関しては妹である桜共々、己をはるかに凌駕するほど。

 とても優秀で自慢の娘が、何かをしでかしたのだろうか? しかし、時臣の記憶にある限り、偶にお転婆が過ぎる時であっても、葵はおっとりとした笑みを損なうことなく母として娘を導いていたものだが――と、そこまで時臣が思った辺りで、葵がとんでもないことを伝えた。

『あの子が……こっちの家を抜け出したの」

 まさに、このタイミングにおいては……最も最悪といって差し支えないそれを。

『いつのまにか寝室を抜け出していて、そこに書き置きが……あの子、お友達が例の失踪事件に巻き込まれたらしいことを随分と気にしていたようで……冬木(そっち)に戻るって』

「なんだって……!?」

 驚愕のあまり、時臣は思わず受話器を握り潰さんばかりに手に力を込めてしまう。

 だが、妻の言葉の続きを聞くために耳に意識を集中させる。

『それで、もしかしたらと思って……一度そっちの家に戻っていたりは』

「……いや、ここでは無いよ。凛はこちらには来ていない」

 僅かばかりの期待も結ばず、このままではと思ったのか葵は夫に娘を探しに出ると言った。

『そう……私、これから少しあの子を探しに出てみるわ』

「それは――」

 だが、時臣としてはこの事態は好ましくはなかった。

 娘ばかりではなく、己が妻までが殺人鬼の巣となっている冬木の夜の街に繰り出すなど……おまけに、先ほどの話を聞く限り凛は学校の友達が行方不明になったことを気にしているらしい。

 それは、凛が囚われた子供たちの元を目指すということを意味していた。

『それじゃあ、私は急いで凛を探しに――』

「待ってくれ葵。凛は、私が探そう」

『え――でも、今は』

「構わない。少し前に連絡を入れた時も言ったが、少しばかり今回の戦いにイレギュラーが多く起こっていてね……近いうちにいくつか君の耳にも入れておかなければならないことがある。

 一先ずそういった理由もあるから、凛は私が探そう。見つけたらまた連絡を入れるよ」

『そう……ですか。それじゃあ、貴方……凛を』

「勿論だとも」

 会話を終え、早速後ろに控える皆に凛を探すということを伝えた。

「それにしても師よ、奥方に一度連絡を入れておいたのは正解でしたね」

「あぁ、もしそうなら葵だけで探しに出ていただろう。おまけに、凛をただの子供と思った他の連中に連れ去られずに済む」

 実は、時臣は間桐邸から桜を奪還したのち一度葵に連絡を入れていた。

 桜のことは直に話すつもりだったので、今回の聖杯戦争が少し狂い始めていることや間桐との盟約が少し変わったという体での連絡だったが、葵は魔術師の妻らしくそれを受け入れてくれたし、桜のことも多少なり察してくれていただろうことが覗えた。

 そんなことがあったからこそ、葵は聖杯戦争中の夫に娘のことで連絡をよこしてくれた。そしてそれは、まさしく僥倖であったといえる。

 何せ、今にもキャスター討伐指令出そうというその時に、そのキャスターの元へ向かったかもしれない娘のこと側方のだから。

 下手を打っていれば、キャスターもろとも凜が殺されていたとあっても不思議ではない。

 そのため、一同は凜の行動を探り、キャスターと鉢合わせする前に彼女を連れ戻すべく動き始めた。

「凜はおそらく電車で冬木まで来ているだろうから、探るなら駅から小学生の足で移動できる範囲。それもここ三十分以内で……」

 時臣は地図を広げ、新都の冬木駅を中心に凜が行きそうな場所を探るが……凜の思考がどう向くのかなど、父親や弟子、妹にさえ分からない。

 何せ彼女は、僅か十年後には〝あかいあくま〟などと形容されるほどの狐に成るのだから。

 士郎は地図を見ながらつい、どうせなら凜との魔力パスが今も繋がっていれば、などと考えてしまう。

 この世界の凜も桜も、あくまで士郎のいた世界に続くかもしれない一端の存在であり、同一ではないことは分かっている。だが彼女たちや、もちろんセイバーやイリヤも、士郎にとっては等しく大切で、守り抜くべき存在であることには変わりは無い。

(何か……何か無いのか? 一発で遠坂を見つけ出せるような作戦は)

 だが、そんな便利な物はいかな魔術を使っても手に入らないだろう。遠見の水晶玉にしても、居場所が分からなければ使いようもない。

(いったい、どうすりゃいいんだ……いっそのこと、遠坂がこっちに引き寄せられるか、こっちから遠坂に向かっていくようなもんがあれば……。

 まさかそんな出鱈目な物――ん?)

 ふと、士郎の脳裏に浮かんだ物が一つあった。

 デタラメな代物。そんな言葉に、妙に引っかかる物が、この家にはあるはずだ。

「――あ、ぁぁああっ!」

 唐突に叫んだ士郎に、他の面々が驚いたように彼の方を向く。

「わ!? きゅ、急にどうしたんだい? 士郎君」

 雁夜がそう訊ねると、士郎は興奮したようにまくし立てた。

「あったんですよ! とおさ……凜を探し出すための代物が!」

「なに? それは本当かい、士郎君」

「まぁ、あんまり〝アレ〟には頼りたくないんですけど……まぁ、面白うそうなことと言うか、玩具にする相手として、確実に見つけてくれると思いますよ。凜を」

「玩具……?」

 綺礼は怪訝そうな顔をしたが、時臣は「まさか」と士郎の思い描いている物を想像し、冷や汗を流した。

「? どうしたんだ時臣? 顔が青いぞ」

「い、いや……なんでもないんだ。そう、何でも無い……」

「訳が分からんぞ小僧。説明せよ」

「あー、その。何つーか、さ……女の子を探すなら、たぶん〝愉快型魔術礼装〟の出番なのかなぁーって」

 なんだそりゃ、と一部を除き皆首をかしげる中……士郎は時臣に一応の確認をとっておく。

「それで……いいですか? 時臣さん」

「…………」

 時臣はしばらくの間、その問いに答えられなかったが……やがてゆっくりと、家訓である優雅さと、愛娘の安否を天秤にかけて……首肯した。

 

 その問いは、魔術師としても父親としても、逃げ道のない問いかけだったと後に時臣は語り、士郎はそんな時臣にしばらくひたすら謝り続けていたという。

 

 

 

 ――――その脇では、高笑いをする赤い悪魔と不思議そうな顔をしたその妹の黒い悪魔が居たとかなんとか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ふぅ~ふっふっ~♪ なにも、一本だけだなんて決められてませんよねぇ~?(ゲス顔)』

『姉さん、ご自重ください。私たちの出番はまだ後です』

『そう言ってる時点で、すでに私たちの大暴れ決定みたいな感じですけどね~♪ やったー! アンバーちゃん大勝利ぃ~!』

『おやめください。ついでに言うと、メタとネタバレが過ぎます。内と外的な意味で』

『おやおや、それは失礼を~。では、またどこかで~』

『…………はぁ』

 

 

 

 



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第十四話 ~冒険と出会い、少女の見る少年の背中~

 やっぱ語るなら背中だよね。
 ↑連載当時のサブタイ決めの心境(笑)


 親友の為に ――凛の冒険――

 

 

 

 ――――彼女、遠坂凛には覚悟があった。

 

 

 それは他の子供たちとは違う、〝魔術師〟という流れを受け入れるという運命を背負う覚悟。それが、彼女の中にはある。

 そのための手本は直ぐ身近に。

 自分ほど父を敬愛する娘もいないだろうという自負と共に――彼女は、自身の父の常たる厳格な立ち居振る舞いや、端麗な魔術の腕にずっと憧れている。

 だからこそ、そんな誇りを強く抱く彼女だからこそ……

 

 今宵、両親からの言いつけを、覚悟を持って破り捨てる。

 

 遠坂凛という少女は、元来両親からの言いつけには素直に従い、守って来た。

 それは両親を親愛しているからであり、自身の生き方の理想である父や、女性としての理想形である母の言葉が、自分を思ってのものであると分かっていたからである。

 けれど、この時ばかりは彼女がこれまで守り続けて来たそれに、背を向けねばならない。

 親友であるコトネが、ここ最近話題を攫っている〝連続行方不明事件〟に巻き込まれてしまったのだ。

 親友の危機――そんなものに直面して、幼い正義感が黙っていられないと雄叫びを上げる。

 何時も大人しく、凛の後ろに隠れがちだったコトネ。そんな彼女が、こんな恐いことに巻き込まれてしまって平気なわけがない。

 そう考えて眠れない夜は、一晩っきりで十分だった。

 結界に包まれている自身の生家である遠坂邸に比べれば、今預けられている母の実家の『禅城』の家を抜け出すのはそう難しくはなかった。

 寝室の窓から庭へと降りるために丁度良い塩梅の支柱があり、テラスから伸びるそれに捕まり滑り降りると、そのまま庭を突き抜け、通りに面した生垣の下を子供ならではの小さな体で通り抜け、後そのまま駅へと走るだけだ。

 それが凛の使った脱走の手口の全貌。

 ものの五分もかからず、彼女は夜の街へと飛び出した。

 こうしている間にも、凛の心中は両親への申し訳なさでいっぱいだった。

(ごめんなさい……お父様、お母様)

 だが、それは決して後悔ではなく、あくまでもそれは、自分への戒め。

 禅城の家を抜け出して、行方不明になっている友達を、必ず探し出す。

 その行動の為に、あえてここで言いつけを破る事へのけじめ。

 だが、それ以上にこれを成し遂げたのならば――きっと。

(……そうよ。きっと、やり遂げてコトネを連れて帰れば――)

 父も母も、己の行動を叱りこそすれ、内心褒め讃えてくれる。自分を誇りに思ってくれるはずなのだ。

 故に、凛はその足を堂々と踏み出した。

 そしてその足取りは、彼女の抱く、今宵の心意気そのもの。

 ある儀式による異常事態の所為で、動乱の最中にある夜の冬木に繰り出すという覚悟。

 そして何よりも、敬愛する父がセカンドオーナーを務めるこの街で起こる異常事態の一端を、自分の手で少しでも好転させてやるという一つの誇りが、幼い凛の足を冬木の街へと向けて急き立て続けていた――――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 凛が夜の街へ繰り出したころの遠坂邸にて――時臣をはじめとした一同が、一つの大箱を前に会していた。

 彼らは、夜の街に繰り出した凛を探すための最終兵器を解放しようとしていたのだ。

「この箱だが……」

 時臣が士郎を案内すると、それは士郎の記憶と寸分たがわぬ場所にあった。

 見た目はただの箱。

 どんなに高く見積もったところで、それはせいぜい多少の装飾がされている『子供の玩具箱』程度のモノでしかないように見える。

「随分と珍妙な箱よな。……しかし、この中身は」

 その反応から、原初の王であり、同時にこの世の悦楽を貪ったという英雄王・ギルガメッシュをして……その箱の『中身』は彼の眉根を寄せるだけの力があることは間違いないのだと伺える。

「けど……本当に一体こりゃ何なんだよ? そろそろ説明してくれないか?」

「マスターの言う通り、そろそろこれについて我々も聞きたい。シロウ、それか時臣殿。説明をいただきたいのですが――?」

 雁夜とランスロットは、明らかに事情を知っているらしい二人に説明を求める。……ただ、どちらかというと箱からものすごくあからさまに視線を外そうとする時臣よりは、士郎へ向けてだったが。

「いや、それは勿論……でも、」

 首をかしげる二人の視線にさらされて、士郎も説明したいのはやまやまだが……果たしてどこから話していいものやら分からない。

 結果として士郎は言葉に詰まったまま視線を彷徨わせるしかない。

 正直なところ、この箱の『中身』について普通に理解してくださいなんて言うのは無理な話である。

 元々、知っている士郎ですら――勿論、その現・所有者(?)である時臣もまた――コレのことを完全に熟知しているわけではないのだ。

 

 たった一点――〝関わると絶対にろくなころにならない〟という部分を除いては。

 

 だからこそ、諦めた様に士郎は遠い目をしながらこういった。

「まぁ、見ればどんなものなのかはわかると思いますけど……それこそ、心傷(トラウマ)に残るくらいに」

 珍しく瞳に光を失いながら、士郎は箱の蓋に手を掛ける。

「ぅ――――ッ」

 ……そんな彼の弁に、というか士郎が蓋に手をかけたのを見て、時臣の肩が震える。

 師の様子があまりにも不自然なため、綺礼は内心柄にもなく本気で心配に近い感情を抱く。

「師よ……本当に、どうされたのです?」

「――――――」

 ここまで行き度か続いた問答の果てに、今度こそ――時臣からの応えはなくなった。

「……開けます」

 遂にこの時、禁断の扉が開く。

 その先に待つのは地獄の釜か、はたまた煉獄の炎か。

 或いは、それすらも生ぬるく感じるほどの、醜悪なまでの亡者の大群か。

 

 ――答えは、この中に。

 

「…………」

 きぃ、と箱の金具がるのに呼応するように、士郎の喉からごくりと生唾を飲み込んだ音がした。

 そしてついに、箱の中が晒され――

 

 

 

『いぃぃぃ~~やっふぅぅぅ~~~~っ♪』

 

 

 

 ――るよりも先に、その場にいた者たちの予想をすべて裏切って(うち二名だけはほんの少し予想してはいた)箱の『中身』自ら飛び出してきた。

 奇怪な雄叫びとともに飛び出して来たそれに、思わず誰もが呆気に取られる。

 だが、飛び出して来たそれはそんな皆の様子を歯牙にも掛けず、能天気に宙に浮かんでいるだけだ。

 ふわふわと浮かぶそれは、とてもではないがこの遠坂邸にしまわれていたという事実からして疑わしいものだった。

 ……いや、凜や桜といった少女たちがいるのならば、寧ろそれは不自然でもなかったかもしれない。

 それは、全長はおおよそ七〇センチほどの〝ステッキ〟。

 いや、本来ならば〝ステッキ〟というにはいささか短く、かといって子供用というにもいかがなものかという感想を抱かせる。

 時臣の持つ宝石のはめ込まれた杖の様に装飾はされているが、それは()の部分ではなくその先の(つか)――例えるなら、頭に当たる部分とでもいえばいいのだろうか? そこに、正円の中に五芒星がはめ込まれた飾りが付いている。

 その周りには三対の鳥の羽根に似た飾りがついており、左右合わせて計六枚の羽がついている。

 だが、それは単純な飾りではなく、はめ込まれた五芒星もまた、単なる飾り以上の何かがあるように思えるのは何故か……答えは単純である。

『いやぁー、待ちくたびれちゃいましたよぉ~。もう、士郎さんったらじらし上手なんですからねぇ~♪』

 なんとも間延びした声で、そのステッキが喋っているからだ。

 丁度、大人っぽいけど悪戯好きで、ちょっとお茶目な割烹着の似合いそうな美少女家政婦を思わせる声で、五芒星が顔の様に動き、羽がまるで手の様に器用に蠢いていた。

 そして、その口(そもそも口らしき部分はないけれど)が放つ物言いといったら、張り詰めた空気を一気に瓦解させるには十分――いや、寧ろ水爆級の威力を秘めた、非人道的な新兵器でも相手にしている気分にさせるものだった。

「ひ、人聞きの悪いことぬかすな!」

『えぇ~? でぇ、もぉ~……私の事を早く出せばいいのにいつまでたっても出してくれなかったじゃないですかぁ~?

 あ、時臣さーん! おひさしぶりでぇ~す♡』

「………………………………………………………………………………やぁ、久しぶりだね。ルビー」

『おやおや、随分と沈黙が……私、何か嫌われるようなことしましたっけ? あんなに楽しくご一緒してフェアリーなことを共にした仲ですのにぃ~』

「うぐぅぅぅ……っ!!!???」

『おや』

「と、時臣!?」

「時臣師っ!?」

 がくり、と膝をつく時臣。

 たった一言で、彼の優雅さは完全に崩壊せざるを得なかった。

 というより、これ以上その体裁を保とうとしたら、精神への重圧で死んでしまいかねないだろう。

 しかし、彼のことを心配する者はいたが、生憎と状況が呑み込めず救う手立てなど無かった者がほとんどであり……また、この状況が分からないことが不満な者もいる。

 ……特に、ルビーと呼ばれたステッキへ問答を開始した原初の王などが。

「おい、そこな杖」

『はいはぁ~い! 何でしょうか? そこな金ぴかなお兄さん』

「む……まぁいい。お前はいったい何だ? この(オレ)をして、お前の正体が解らんのだ。説明せよ」

『うーん、なんだか偉そうなお兄さんですねぇ~。あ、丁度今別の世界のルビーちゃんからの記憶(じょうほう)伝言(アップデート)が――ええと何々? この人は……おぉ。でも、この状況は……? おぉぁぁっ! これはまた……なんと! えぇっ!? これはまたおもしろ……いや、大変なことが……』

 あのギルガメッシュを前にしてなお、ルビーは一切マイペースを変えることなく、一人(?)でぶつぶつと何かをやっている。情報のアップデートとか言っていたが、何を――と考えた士郎は、その意味をようやく飲み込んだ。

 そして、ギルガメッシュ含め皆の抱いた疑問は、その疑問の対象自らの口から(しつこいだろうが口はないけど)語られた。

『オッホン。では、そこの英雄王さんのご質問と、皆様の抱いた疑問について、ルビーちゃんが分かりやすく、的確に答えしちゃいまーす♪』

 高らかに、そして楽し気にルビーはそう宣言した。

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 ――――私たち(・・)〝カレイドステッキ〟は、彼の大師父『ゼルレッチ・シュバインオーグ』によって生み出された魔術礼装です。

 

 並行世界を自由に行き来する第二魔法を基に造りだされ、他の世界からの無限の魔力を使用者に供給できるという第一級の霊装ですが、その使用のための魔術行使はあくまで使用者の魔術回路に依存するといったもの。

 ですから、私たちは、使用者の想いに応じた力を与えるための乗り物であると考えてください。

 担い手の力を、最大限に発揮するための支えとなるべくして作られた――愛と正義の魔法の杖、それが私、カレイドルビーなのです!

 

 ですから――――早速私と契約して、マジカル☆タイムをしましょう!

 

 

 

 どこぞの質の悪い契約を求める白い悪魔(叙情詩の方ではない)のようなことを言って、カレイドルビーは己の存在をまざまざと示した。

 

「「「――――――――」」」

 

 完全に皆は沈黙し、士郎だけが唯一その相手をさせられていた。

「……最後の一文で台無しだな。ていうか、ここにお前と契約できる奴は桜以外いないだろ」

『おや、異なことをおっしゃいますねぇー、士郎さん』

「いや、だってお前、女性限定の霊装だろ?」

『…………はて、何のことやら』

「おいこら」

 とぼけた様に首(というか柄)をかしげるルビーに、この野郎調子よすぎんだろと呆れた士郎に罪はないだろう。

 だがしかし、そんな事でルビーは止まらない。

『まぁまぁ、いいじゃないですか。幸いにして、ここにはなんとも面白そうな人材がそろってますし、そもそも――いつから私が、その程度の例外という壁で諦めると錯覚していたんですかぁ~?』

「なん、だと……っ!?」

『おほほほー! 甘いですねぇ、士郎さん。ここにいる方々は、かなりヒロイン力の高い人ばかり――とりわけ士郎さんは、ヒロイン力の権化ともいえる未来の可能性を持っています。それこそ、他のヒロインのルートを食う勢いで。いやぁー、赤弓はいいですねぇ〜♪ でも、それ以上に男気溢れる凛さんまじぱねぇっす。

 あ、ちなみに桜さんも後でじっくりねっと――もとい、ばっちりと魔法少女へと変えて差し上げますが、生憎とサファイアちゃんが来るまでもう少しかかるのでもう少しお待ちを~。いやー、やっぱり紫ヒロインはちょっぴりエッチなコスチュームのが映えますよねぇ~。とりわけ、桜さんなら将来性もばっちりですし?』

「ンな事させないからな!? というか、サファイアって誰だよ!」

『? 私の妹ですが何か?』

「むしろ不安しかない……!!!???」

『まぁ、サファイアちゃんが来るまでにサクッと凛さんを捕まえてからですかねぇ。やっぱり魔法少女はしっかりとそろってポーズ決めませんとね。ポーズ大事ですよ、ポーズ!

 そんな訳で、お姫様を捕まえに行くのに士郎さん、お供もよろしくです』

「またマスコットパターン!?」

『良いじゃないですかぁ~、萌えません? とりわけ、ショタだった時の感覚といったら……うーんキマしたわぁああああああっ!!』

「オマエ、どっかで変な要素拾ってきただろそうなんだろ!?」

『おっと失礼。ついつい、魔法少女は百合という原則を逸脱してしまうところでした。しかし、魔法少女に恋されてる兄を前にして言うセリフでもないかもですね~。まぁ、でもこれだけは言えます。

 かわいいは正義! ロリショタも正義! 寧ろ、恋愛は有っても無くても妄想は正義! いや、ほら私たちの創造主の言葉からして、「人が空想できること全ては起こりうる魔法事象」ですし? 問題ないよね!』

「問題だらけだよ! って、おいルビィィィ――――ッ!?!?!?」

『まっててくださぁーい! この世界での私のベストパートナーの凛すぅわぁぁぁん!!』

「なんでさぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 

 嵐の様に飛び出し、そしてまた疾風のように突き抜けて行ったそれに、誰しも呆然となりついていくことができなかったという。

 だが、その後自分の料理人を奪われた様な感じがしたためか、英雄王と外道神父(まだ綺麗)が空飛ぶ王座に乗って飛び出していった。勿論、その場にいた全員を連れてだったが。

「優雅じゃない……優雅じゃない……」

「ぶつぶつ言ってんなよな、時臣……いや、まぁ気持ちはなんとなくわかるけど」

「雁夜、どうやらまだ我々の知らない何かがあるようです。気を引き締めておいてください」

「ねぇ、おじさん。お父様は、なんであんなに虚ろな目をしているの?」

「さぁ、きっと過去にトラウマでもあるんだよ……あ、大丈夫だよ桜ちゃん。二度と桜ちゃんには辛い思いさせたりしないから。俺たちが、絶対に」

「……うん」

「ふははは! 良いぞ雁夜。時臣の代わりに随分と父親らしいことをしてるではないか。時臣が憂いてる姿はどことなく面白いぞ」

「いや、仮にもお前のマスターだろうが……というか、俺が同情するなんてよっぽどだぞ、この状況は……」

「麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆麻婆…………」

「……こっちはこっちで自分のことしか頭にないし……もうやだこの陣営。桜ちゃんと士郎君とランスロット以外に救いがない」

「雁夜まで、私を見捨てるんだね……」

「いや、お前そんなキャラじゃないだろう!? いったい何があった! ホントにあのステッキに何されたんだ!?」

「……常に、余裕をもって……優雅…………たれ…………ッ!」

「血涙をにじませるほどなのか!?」

 

 数多の世界を渡る男の造ったステッキは、世界をあっさりと搔き乱して正義の味方を翻弄し、その愉快な仲間たちまでおかしくさせていくのだった。

 

 

 

 

 

 

『あ、続きはCMの後! ねちょねちょの蛸妖怪に捕らえられちゃったロリロリな凛さんのあーんなシーンやこーんなシーンが盛りだくさんですよぉ~?』

 

「嘘つくな嘘! というかそんなこと俺がさせないからな!?」

 

(オレもさせん!)

 

「『あ、無銘さんは座へお帰りください』」

 

(くっ、何故だ……!)

 

 

 

 

 

 

 ―――続く。

 

 

 

「――――って、オマエなに勝手に変な自主製作次回予告作ってんだよ!?」

『いやー、久々に面白そーなことだったので、つい調子に乗っちゃいました。てへっ☆』

「この野郎……っ!?」

『あはははー♪ まぁ、そんなこと言ってるうちに、凛さんのとこまであと五分ですよー』

「早すぎんだろ……!? 主に展開的に!」

『いいですか士郎さん。この世には、御都合主義というものがありましてね――――私たちはその化身なんですよ。あ、勿論、あの〝虎〟の次にですけどねー』

「SSF! SSF!」

『さぁーて、士郎さんも(私のノリに)乗ってきましたし、飛ばしますよぉー!!』

「ちょ、速すぎ……おわぁあああああああああああっ!?」

 

 

 

 

 

 

*** 救って、救われて ――その背に見るものは――

 

 

 

 ――夜の街に繰り出した遠坂凛は、焦っていた。

 理由はいくつかあるが、その内で最も大きな理由はまず一つ。

 

 子供を攫っているらしき男を見つけたから、という点だ。

 

 冬木まで来るのは造作もなかったが、その後どうやって探すのかに関してははっきりって運任せだった。

 何せ、凛はこの誘拐事件が魔術がらみのことだということ以外知らなかった。だからこそ、父から誕生日に送られた魔力針を頼りに、より強い魔力の反応を追っていくことしかできない。

 しかし、彼女はそれでも辿り着いた。

 明らかに怪しい人物が子供の手を引いているところを見つけ、その後をこっそりと付ける。

 

「――――――、……っ」

 

 心臓が、ドクドクと恐れを孕んだ鼓動を鳴らし、息は次第に上がっていく。

 もしも彼女が、この冒険に出かける前――大丈夫か? と、誰かに訊かれていたとしたら、彼女はきっと「大丈夫」と答える。

 そして、二度それを訊かれたのなら、きっと子供扱いされたと剥きになって「大丈夫!」と答える。

 だが、もし……本当に、絶対に大丈夫なのか? と、訊かれたのならば――――彼女はきっと、応えることを迷っただろう。

 こんな質問自体、凛にとっては意地悪な問答でしかなく、彼女にとって最も大事なことはあくまでも親友のコトネを見つけ出すことだけだ。

 とはいえ、凛はまだ幼い子供だ。

 心構えを一人前にしようと気張ったところで、その中身はまだまだ拙いものでしかない。

 しかし、そんな子供らしい心だからこそ――二度と親友と会えなくなることが、大丈夫だとは口が裂けても言えなかったし、言いたくもない。

 

 だからこそ、今こうして嫌な気配――決して良くはないモノたちのひしめく冬木の街へと来たのだから。

 

 意気込みを強く、

(逃がさない、絶対に……!)

 きっ! と視線を鋭くし、心に残る迷い全てを振り払う。

 凛は勇んで、夜の街にはびこる何かを解き明かしていく。そこに在るものが、なんであるのかを決定的に認識できていないまま、幼い少女は純朴な正義感で走る。

 そっと後を付け、裏路地へと子供を連れて行く男の行く先をなぞる。

 途中、パトカーに見つからないように身を隠し、決して相手に気取られることの無いよう小走りで付いて行く。

 ゴミや廃材などの充満した繁華街の裏は、女の子の凛にとっては正直足を踏み入れたくない場所だ。しかし、ここで逃すわけにはいかない。

 しばらく追って行くと、廃れたバーの様な所へと着いた。

 追っていた男の姿はその中へと消え、その中から感じる気配に、〝魔術師〟としての凛の才覚が成せる直感が凄まじい警告を鳴らす。

 父のくれた魔力針もまた、そこから発せられている『何か』の魔力を感じ取り、赤く光を発している。つまり、何か『良くないモノ』がそこに在るという事は疑いようもない。

 でも、

「――行かなきゃ」

 凛は止まれない。止まるわけにはいかない。

 恐れはまた生まれる。けれど、そこに曲げられない信念がある時――人は、無謀という名の道へさえも飛び込んでいく。

 勇桀は、時として無謀を得る。しかし、戦う力を持つ者はいつの世も、そんな無謀を走り己を示し……己の確固たる道をつかみ取る。

 そして、遠坂凛は――当然というべきか、そんな才覚に溢れた一人の資質ある者だった。

「よし……っ!」

 一歩、まずはそこから踏み入れよう。

 足取りを確かめつつ、一歩、また一歩と仲へと進んでいく。

「――――、ここ……」

 薄暗い店の中は、いかにも閉店中といった風体の店構えで、色々な物があちこちに散乱していたが、幸いというべきか、先ほどまで追っていた男の姿は見えない。

 店の奥にでも引っ込んでいるのか知らないが……少なくとも、大きな音さえ立てなければまず見つかりはしないだろう。

 仮に、奥から出てくるにしても自分のテリトリーで音を抑えて動くとも思えない。それをいち早く気取れば凛が逃げ出す余地は十二分にある。

 凛はぐるりとあたりを見回し、何か少しでも手掛かりになる者を探す。

 だが、それは一瞬にして好転する。

「――コトネ……ッ!?」

 そこには、倒れていた親友がいた。

 せめて、何か手掛かりでも――という程度にしか考えていなかった凛にとって、まさか目の前に親友本人がいるなんて考えてもいなかったため、思わず彼女はコトネへと駆け寄り、倒れていた彼女を抱き起す。

「コトネ、コトネ!」

 二度ほど呼びかけてみるが、応答はない。

 単なる気絶、という訳ではいないようで……微かにだが、コトネを取り囲む魔術の痕跡を感じる。恐らく、何らかの魔術によって昏睡状態にさせられているのだ。

 速く何とかしたいと思いばかり焦るが、凛はまだまだ〝魔術師〟としては半人前。

 生まれ持った資質こそ規格外であれども、上手く魔術を発動させることが出来ない今のままであるならば、有象無象の凡俗にさえ劣るだろう。

「どうしよう……」

 目覚めぬ親友の身体を抱きながら、凛はそう呟いた。

 先程、自分が何をしなければさほど危険がないのかと思った声とさえ忘れてしまうほどに。

「あれ?」

 聞こえてきた声に、凛の背筋が凍り付く。

 そこには、紫のジャケットを羽織り紺色のジーンズをはいた、どこにでもいそうな青年がいた。

 子供二人の手を引き、凛の方をしげしげと眺めている。

「こんなところでどうしたのかな、お嬢ちゃん? 迷子?」

 声のトーンこそ柔らかいが、そこに込められた感情は絶対に好ましいものではない。

 狂気のにじむ瞳から向けられる視線、幼い凛の心は完全に凍り付く。もはや、強がりも何もない――ここに在るのは、ただの絶対的な恐怖だけだ。

「ぁ……、ぃ……ぁ……あの」

「……まぁ、丁度いいや」

 何の躊躇いもなく、手にしていた二人の子供を床の上に放り出す。

「ひ……っ」

 ごとり、と音を立てて子供う二人が倒れ伏せる。それを見て、凛は理解した。

 ……普通ではない。子供相手だろうが、目の前の男は何の感慨も容赦も抱かない。それはまるで、狂気に晒された人間以外の『何か』とさえ思えるようなものだ。

「俺らこれから〝パーティ〟始めようと思ってたとこなんだけどさー。まだまだ人手不足でさ」

 凛の背後にある椅子に座り、

「だからさー、君も手伝ってくんない?」

 それは這い寄る蛇の様に、凛の身体をなめつけるように縛り付ける。一刻も早く目の前の男から視線を外そうと、耳元の顔から眼を逸らす。

 だが、そこには――凛の想像していた以上の悪夢が広がっていた。

「き、――きゃぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!」

 幼い悲鳴が響き渡るが、それを耳にしたのはたった一人の殺人鬼のみ。

 凛の感じた恐怖など気にも留めず、殺人鬼・雨生龍之介は凛に問いかけを重ねる。

「ほら、こーいうのってみんないた方が盛り上がるじゃん?」

「……い、…………いやっ!」

 龍之介は、あの中に凛を加えようとしている。

 本能的にその事実を感じ取り、凛は龍之介の伸ばしてきた手を払いのけようとして、

「――――!?」

 それに、気づいた。

「……ん」

(え……なに、いまの……)

 何かを弾いた感触。

 だが、決してそれは物理的なものではない。

 そう、それは凛だかこそ感じられた、魔力と魔力の打ち合う感触。

 〝魔術師〟としての修行を重ねる過程で、凛は少なくとも、この場で今〝一番強い魔力を発している〟龍之介よりもその類の感覚・知識を持っている。

「ったく、逃っげんなよ……っ」

 だからこそ、それに気づくことが出来る。

 いつものように子供を捕まえることができず、気怠げに立ち上がって龍之介は凛に手を伸ばす。

「――――ッ」

 思いついたのは、一つの活路。

 伸ばされる龍之介の手から逃れながら、凛はそこらにある物を散乱させ、龍之介に投げつけ、どうにかして妨害を計る。

「いって、ぁあ……くそ」

 勿論、その程度では大人と子供の差すら埋められないのは当然。

 逃げ回ってはいても、狭い店の中では、龍之介に次第に追い詰められてしまう。

 だが、凛の目はある一点だけを鋭く見据える。

(あのブレスレットで、皆を眠らせてる……なら……ッ!)

 龍之介の腕にあるブレスレット。あれが、ここにいる子供たちを昏睡させている原因だと、先程ぶつかったときはっきり確信した。

 そうして、思い起こすのは父との鍛錬。

 宝石魔術を扱う〝遠坂〟では、宝石に己の魔力を注ぐことなどからその修業が始まる。

 だが、まだ制御の上手く出来ない凛は、内に秘める膨大な魔力を注ぎ込みすぎて壊してしまうことが多々あった。

 それと同じこと。

 父である時臣も言っていた。

 

『――魔力を一度に注入しすぎたんだ。平常心を保つこと、魔力を制御するには、自分の精神をコントロールしつづけなくてはならない。

 その制御を誤ると、魔力は自分の身体に跳ね返ってきてしまう。

 加えすぎた力、誤った形は自分だけでなく、周りにも害を与える――――常に正しい〝流れ〟を心掛けなさい』

 

 つまりそれは、〝思う存分、感情のままに魔力を注入すれば――――強い力は、より強い力で覆すことが出来る〟ということだ!

 凛はカウンターテーブルの上を移動しながら、龍之介に物をぶつけ続ける。流石に、我武者羅に物をぶつけられるのは鬱陶しいらしく、手で顔を庇いながら彼女を止めようとして手を伸ばした。

 それを、凛は見逃さず――伸ばされたブレスレットのある方の腕を掴む。

「……あん?」

 しかし、その意図がわからない龍之介にとっては凛が龍之介に捕まりに来たようにしか見えない。

 存外素直じゃないか、と笑みを浮かべ龍之介はこの世で最も敬愛する師匠から賜ったブレスレットが効果を発揮するのを待つ。

「っ……、ぅぁ……」

「……ひひ」

 案の定、凛の顔が次第に生気が失われていき、陶酔でもして行くかのように表情が蕩けていく。

 口から漏れ出す呻き声に、龍之介の口角が上がる。

 子供が恍惚として堕ちていく様は、いつ見てもいい。殺すための獲物として見ているが、龍之介は子供は好きだ。

 何せ、大人とは違い……死ぬときに見せてくれる表情は実に可愛い。

 おまけに、よくよく見てみれば、目の前の子は中々に端麗な顔立ちをしている。きっと、数年もしないうちに美しく成長することだろう。

 さあ、この子は――一体どんな死に顔を見せてくれるのか? 楽しみで楽しみで仕方がないと、龍之介はニタリとした笑いを見せる。

 が、そんな龍之介の思惑は遂げられることはなかった。

「――――、き……っ!」

 凛の瞳に、鋭さが戻る。

 こんなことで、

「……こわ、さなきゃ……っ!」

 こんなところでやられるつもりなど、凛の中には毛頭ないのだから!

 強く、確かなものとなっていく意志に呼応するように、凛から立ち昇る魔力の流れが増していく。

「……お?」

 もしも、龍之介に多少なり魔術の心得があったのならば、己に差し迫る脅威に気づいただろう。

 しかし、龍之介はそんな教育を受けたことはない人間だ。

 故に、凛に対して抱く彼のイメージは、中々屈服しない珍しい子供か、ちょっとしたレアリティ程度の認識であり……彼女の発している光に関しても、自身の敬愛する師匠であるサーヴァントを見た彼からすれば〝世の中にはそういうものもあるんだろう〟といった程度の認識でしかない。

 

 ――――それが、彼の決定的な敗因となる。

 

 凛が下げていた魔力針が僅かに浮き上がり、龍之介のブレスレッドを指し示し赤く光る。

 より強い魔力を指す、それがこの魔力針の特性だ。

 針はまだ、龍之介を刺したまま……つまり、まだ足りない。

 力の限り、魔力を注ぐ。

 次第に針が振れ始め、ぐるぐると見定めるべき(強い力の)方向を見失ったように回転を始める。

「――――こん……な、ものぉぉぉ――――!!」

 凛の叫びと共に、針は完全に彼女の方を指し示し赤く輝いた。

 ――この瞬間、本来『人』の越えうるはずのない『英霊』の造りだした霊装を上回る。

 びき、とブレスレットに亀裂が走る。ひび割れはだんだんと大きくなり、流石の龍之介も何かがおかしいと、その違和感に気づいた。

 瞬間、凛の発している魔力が、ここ一番の輝きを放つ。

「おわぁ……ッ!?」

「が、――――ぁぁぁああああああああッッ!!」

 バギイィン! という音共に、龍之介の腕からブレスレッドは完全に砕け散る。

 それと同時に、子供たちを昏睡させていた禍々しい魔力が、捕らえられていた皆から霧散していく。

 皆が目を覚まし始めたのを見て、凛はコトネの元へと駆け寄って呼びかける。

「コトネ!」

「……りん、ちゃん……?」

 まだ少し朧げだが、確かな応えが返ってくる。それに合わせ、龍之介の方を確認すると、先程の交錯の影響か、龍之介は腕と目を抑えて呻いている。

 どうやら、凛の最後の魔力光と、ブレスレッドの破壊された時のショックが思いの他効いたらしい。

 これなら、と凛は慌てふためいて、今にも泣き出しそうになっている皆を見て一喝する。

「泣いてる場合じゃないわ! 逃げるの!!」

 早く、速く! と皆を急かして、出口から次々と逃がす。

「お、おいおい……」

 さしもの龍之介も、わらわらと逃げまどう子供を一人でとらえきることは出来ないのか、或いは唐突な邪魔者に混乱して手を出しかねているのか……それは分からないが、凛にとってはどっちでもいいことだ。

 そこから波に乗り、コトネを引き連れて外へと飛び出していく。

 親友の手を引きながら夜の裏路地から飛び出すと、丁度そこには巡回中のパトカーがいた。

 程なくして、一同は約一名を除き、巡回中の警察官に保護されたのだった。

 そうして、漸く助かったのだと呑み込めたコトネは警官たちに誘導されながら、親友である凛にお礼を言おうと振り返る。

 だが、先ほどまで手を繋いでいた彼女の姿はどこにも見えない。

「……あれ、凛ちゃん?」

 問いかけに応えるものはいない。

 辺りを見回しても、そこにはもう凛の姿はなく……どこに行ったのか探そうとする前に、コトネは警官と共にパトカーの中へと乗せられ、家路をたどることになった。

 

 

 

「――良かった」

 少し離れた場所でその様子を安堵した様子で眺めていた凛は、親友が無事家路を辿れるのを見送ると、ホッと胸を撫で下ろした。

 だが、彼女もいっしょに家路をたどればいいにも関わらず、こうして一人あの集団から逃れたことにはいくつかの理由がある。

 まず一つは、凛が今帰るべきは隣町の母の実家である『禅城』の家。

 だが、きっと警官たちは凛の名前を聞けば遠坂邸へと連れていくだろう。それでは、今〝大事なお仕事〟をしている父にも迷惑がかかる。かといって、母の実家に預けられている旨を説明すれば、今度は凛だけがみんなの速やかな帰宅の障害になる。

 勿論、警察の方で気を回してパトカーを余分に回してくれればなんてことはないが、この後に身元の確認などを含めれば結構な時間がかかる。

 それなのに、余計に時間を食ってしまっては皆に悪い。

 冬木で誘拐された子供たちを一刻も早く家に帰すには、凛は少し邪魔になるのだ。それに加えて、凛は今宵の大一番をどうせなら一人で全部完遂させたかった。

 そうすれば、このやり遂げた所業を父と母が褒めてくれるのは間違いない。

 お叱りは当然あるだろうが、親友のコトネを始めとした、沢山の年の近い子供たちをいっぺんに救って見せたのだ。

 両親ともに、内心では凛のことを誇りに思ってくれること請け合いである。

 故に、彼女は踊る胸を押さえようともせず、未だやり遂げた高揚感を抱いたまま意気揚々と帰路に着こうとした。

 けれど、それがいかに浅はかであったのかを考えないままであった凛は、すぐに今の冬木の異常性を軽んじていたことを思い知る。

「さぁ、急いで家に帰らなくっちゃ。まだ終電残ってるだろう、し……」

 父のくれた魔力針が、再び反応を示した。

 その反応は、先ほどまでと同じ、凛にとっては今宵初めて目にした〝強力過ぎる〟魔力の反応。

 ――普通ではない、異形への反応だった。

 路地裏の闇が、先ほどまでの意趣返しを受けろと囁いているかのように、凛へと不気味な気配を伸ばす。

 昂揚から一転、一気に恐怖へと着き戻されてしまい……幼い心は上がり下がりの付加に耐え兼ね、凛の足はすくんだように動かなくなってしまう。

 逃げなければいけないと分かっているのに、意志になったようにその場から動けない。

 早まる鼓動が煩く鳴り続ける耳に、どことなく湿ったような音が混じる。

 まるでそこに、何かが芽吹いた様な息吹を感じる。ぴちゃぴちゃと、街の路地裏には決してあるはずのない音を立て、〝それ〟は確実に凛に迫ってくる。

 〝嫌だ嫌だ嫌だ……絶対に嫌、いや……いや……っ!〟

 何もかも救えたと思ったのに、こんなところで無様に死にたくない。

 せっかくのハッピーエンドも、自分自身がいなくなってしまえば紙くず同然の価値しかない。

 立ち止まらず、立ち向かって今度こそ勝ち取れとプライドは叫ぶのに、恐怖に駆られた身体はそれを良しとしなかった。

 厳しい現実を前にして、凛は今の自分程度の器で全てを救う事など過ぎたことだったのかと、後悔にも似た気持ちを持つ。

 ただ身を竦めていることしか出来ない自分にはきっと、近づいてい来る『何か』の正体を知ることも、このまま二度と母の温もりを感じられることも、父の厳格な姿を見ることも叶わない。

 

 このまま、死ぬしか――な、い。

 

「……いや……っ!!」

 認められない。絶対にそんなの認めたくない。

 まだ、凛にはやらなくてはならないことがたくさんある。したいことがまだまだたくさんあるのだ。

 父と母に会いたい。コトネと学校に行きたい。……妹の桜にまた会いたい! そんなたくさんの願いが凛の中で吹出し、暗闇に潜む異形に最後の意地を張るだけの勇気を与える。

「わたし、は……! こんなところで、殺されたりなんて……絶対にしないんだから!!」

 大きな瞳に涙を滲ませて尚、彼女はそう叫ぶ。

 だが、そんな彼女の叫びを遮るかのようにこの世のモノとは思えない方向が闇の中で轟いた。

「――――グルォォォぎぉああアアアアアぁぁぁアアアアアアアッッッ!!!!!!」

 蛸の様な、海星の様な姿をした海魔。

 絶対にこの世のものではないと確信できるその存在が、ベトベトと気味悪く濡れた体を這わせ、牙で取り囲まれた口を向け、幼い凛の華奢な体躯(からだ)を貪り尽くそうと凄まじい勢いで跳び掛かって来た。

「……ッ」

 最早、悲鳴すら出せそうもない。

 強く噛み締めた口からは声が出るのか分からない。

 だが、嫌になるほど鮮明な、飛び掛かられる瞬間の映像は、これまた嫌になるほどゆっくりと凜へと迫ってくる。

 走馬灯の様なものが流れ出し、肉親や友人の姿が次々と浮かぶ。

 これが諦めというものなのかと、幼いながらも心がしっかりとそれを認識していた。

 そんな中、妙な考えが一つ――凛の中に浮かぶ。

 どうせ、もう何をやっても助からないなら。……こんな時、試してみるというのも悪くないのかもしれない。

 普段の彼女なら、絶対にやらない事だが……こんな時だ。ほんの少しくらい、馬鹿な夢を見てもいいだろうと思った。

 子供らしく、遠坂の家訓も優等生の仮面も、全てかなぐり捨てて――たった一つ、願う。

 

 

 

「――――たす、けて――――ッ!」

 

 

 

 絶対に聞き届けられないだろう。

 それは、先程凛のしたことよりもよほど滑稽夢想なおとぎ話だ。

 助けを求めたら、必ず助けてくれるような、そんな〝正義の味方〟みたいな存在がいるはずが――――

 

 

 

「まかせろ」

 

 

 

 ――――な、い。

 在り得ない筈の声が聞こえ、空から降りてきた一人の少年が、凛を護るように海魔との間に立ちはだかる。

 その手に握られた双剣は、まるで凛を護るためにこれまであったかのような絶対的な信頼感を――何らかの運命を感じさせた。

 あからさまに場違いなステッキが傍に浮いているが、そんなことが気にならないくらい、凛はその少年に目を奪われていた。

 闇に浮かぶ赤銅色の髪と、優しげな琥珀色の瞳。

 年の頃は凛とそう変わらないが、どこか少し幼い印象の男の子。

 だが、そんな背中が……酷く広く、大きなものに感じたような気がして。

 これから先、きっと自分の運命に深くかかわってくるんじゃないかと本能的に、そう感じさせた。

 何より、これだけは確信を持って言える。

 ―――彼は、凛の味方なのだと。

 

 

 

「――悪い、待たせたな――」

 

 

 

 この日、遠坂凛はついに一つの運命と出会い、冬木で巻き起こっている『(たたかい)』の中に飛び込んでいくことになるのだった――――。

 

 

 



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第十五話 ~魔法少女☆爆誕~

 シリアスな雰囲気が完全に死んだ話。
 ここからカオスが混じり始めたんですよねー、いや当初からChaosな部分はあったけども(笑)


 夜明け、だが混沌(カオス)の始まり

 

 

 

 

 

 

「――悪い、待たせたな――」

 

 

 

 命が消えるその刹那、無謀な願いを口にした凛が耳にしたのはそんな声だった。

 陰陽の双剣。

 どこのモノなのかは、小学生の凛には分からない。けれど、それが凛を傷つけることはないだろう。

 目の前にいる男の子の背中に、そんな絶対的な安心感のようなものを感じた。

 

 ――きっと、もうそこに絶望はない。

 

 あるのは、ただひたすらに温かい様な、一つの信念からくる想いだけだった。

 

 

 

「もう少しだけ我慢しててくれ――すぐ、終わらせるから」

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――――それは、ほんの少し前のこと。

 

 上空一〇〇〇メートル、とはいかないが――少なくとも、三桁は割らないだろう高度を、一本のおもちゃの様なステッキに引っ張られている少年がいた。

 

『いぃぃぃやっふぅ~~~~♪』

「おわぁぁぁあああああああああああああああああああああああっ!!!???」

 

 悲鳴、というよりは絶叫。

 遊園地の絶叫マシーンの方がきっと優しいだろう暴走っぷりに、流石の正義の味方も形無しであった。

「る、ルビー……ッ! 一体どこへ向かってんだよぉぉぉッ!?」

 探し人である遠坂凛の元へと向かっているはずだが、生憎と水先案内人であるこの性悪ステッキは、あと五分といった手前であるにも関わらず、かれこれ十分近く空を旋回し続けていたのだった。

 故に士郎は、そんなルビーに叫びつつ問うたのだが、この性悪ステッキはさらりとこう言い捨てる。

『いやー、凛さん今ちょうど修羅場っぽくてぇ~。せっかくの活躍の場を邪魔しちゃ悪いですしー?

 なので、少し時間を潰すべく、劇的に駆けつけるための準備運動を、と思いましてぇ~♪』

「なぁっ!? ふ、ふざけんな! さっさと遠坂のとこ行けよ! なんか危ない目にあってんなら、早く助けないと――」

『御心配には及びません。私たちは持ち主を選び、共に面白おかしく笑いあったりもしますが、決してマスターを見殺しにしたりはしませんよー?

 というか、相手はサーヴァントでもないので、本当にヤバくなったら士郎さんをぶん投げますので、それで大丈夫ですよー』

「何だそりゃ!?」

 ふざけてやがる!? 心中で吐き捨てるが、三半規管がそろそろ悲鳴を上げそうなので声には出さなかった。

 士郎はこいつをどうにかへし折りたかったが、少なくとも士郎には上空一〇〇~三〇〇のこの状況ではかえって危険なので、断念せざるを得ない。

『あ、そろそろヤバそうですねぇー。それじゃ士郎さん、凛さんを助けに行きましょう。準備はいいですか、正義の味方さん?』

 と、思っていたら、急に出番がやってきたようだ。

 しかし、当然のごとく士郎にはそんな準備は出来ていない。

 そして、これもまた当然の様に、ルビーは誰かの準備を待つような性格はしていなかったのもまた、悲しい現実だった。

『それじゃあ、乙女のハートをゲットしに、レッツゴー!』

「お、おい、そりゃどういう――ぉぉああああああああああああああああああっ!?」

 

 

 

 ――――そして、現在。

 

 

 

(はああぁぁぁ――――死ぬかと思ったぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁあああああッッッ!!!!!!)

『(ふっふっふっ~♪ 契約の第一段階はこれでクリアですねぇー)』

 きらきらとした凛の視線を受けつつも、内心、まったく明るくない(片方は乗り物酔い的に、一方は単純に腹黒い)二人組。

(あぁ……ついカッコつけちまった。背中に当たる視線が微妙に痛い……)

 とはいっても、そんな事は言っていられない。

 士郎は、凛を襲おうとするこの蛸擬きと海星擬きを今すぐ斬り伏せなくてはならないのだから。

「はぁ……ったく」

 つくづく、こうした巡り合わせには縁があるようだ。

 この時代(せかい)に来たとき、初めて出会ったサーヴァントとそのマスターである殺人鬼の二人。

 あの時出会ってしまった悪意の痕跡に、こんな形で再び見えることになろうとは。

「まぁ、ぼやいていても仕方がないか……」

 剣を構える。

 獲物が唐突にふえた所為か、はたまた士郎とルビーの発している気配のためか、今にも飛び掛かろうとしていた二匹はその足を止めている。

 子供二人と、杖一本。奴らの感覚からして、どれからかかってくるのだろうか。

 そんな事は分からないが……幸いにして、この海魔たちは宝具の一部のようなもの。そこに意志はなく、また同時に魂もないただの傀儡で、サーヴァントの本体の一部でも何でもないのだ。

 つまり――遠慮なく倒しても、何ら問題は存在しない。

「――――さあ、行くぞ」

 鋭く、士郎はそう呟いた。

 士郎の投げ放った双剣が、二体を同時に狙う。

 陰陽の夫婦剣が、互いにひかれあい、そして狙うべき敵へと向かって行く。

 それと共に、士郎もまた両手に新たな剣を生み出し、地面を蹴って飛び掛かる。

投影(トレース)開始(オン)……!」

 造り出したのは、同じ夫婦剣。

 生み出す為だけに造られたそれには、担い手が存在しない。故に、生み出す者にとっての最大に相棒となりえる。

 名を、干将・莫邪――錬鉄の英雄たちの、愛刀といっても差し支えない剣である。

「せ――ぁああああっ!」

 奮った剣が、触手を切り裂いていく。

 だがしかし、そうして士郎が剣を振るう程、後ろに控えている凛に不安が少しずつ溜まっていく。

 元来、『士郎』という存在は突出した才覚を持っているわけではない。

 特殊な『投影』を使えるが、それは本質的には戦う為のモノではない――それは、担い手としてのモノではない。

 あくまでもこれは、士郎という〝生み出す者〟としての力だ。

 それが、くらいついているかのような姿が――さらに言えば、同じ年ごろの子供が戦っているというのに、自分が何も出来ないという事実が――凛にとってはふつふつと滞りが積もってしまう。

 そんな凛を、勿論〝愛と力〟――もとい、〝愛と正義〟を司るカレイドステッキが見逃すはずもなく、知らない筈も無く……悪魔の手は、将来『あかいあくま』の名を継ぐ少女へと伸ばされた。

『彼を、助けたいんですか?』

 唐突に杖に話しかけられ、まるで自分の心を読まれたような感覚がして、凛はビクッと阿多を震わせながらもそれに応じた。

「……で、でも」

『大丈夫、無理強いはしません。

 それでも、今の貴女の素直な気持ちを聞かせてください――貴女は、彼を助けたいんですか?』

 優し気に、そして柔らかに、凛に問いかけてきたステッキ。

 色々と迷うところはある。だが、彼女の聡明な頭は既に、今宵起こり続ける異常事態にすっかり毒されていた。

「……たす、けたい……」

 少し迷ったのち、凛は頷いた。

『分かりました。なら、私が貴女に力を貸しましょう。

 私は、貴女のお父様の持ち物でもあります。なら、御息女に力を貸すことへの躊躇いもありません。

 さぁ、私を手に取ってください』

「う、うん」

『では、ほんの少し貴女の血を頂戴いたします。そんな大げさなものではありませんが、ささやかな魔術契約の為です。

 無限の魔力を供給する、私――カレイドステッキを使う為のものなので、ご安心を』

「っ……」

 少しだけ、ステッキの柄に凛の血が伝う。

 柄の部分から棘でも出たのか、肌を刺す痛みは小さかったが、確かに血が出ているんだろうなという感覚がある。

 しかし、この程度であの子の手助けになるのなら……と、凛は気丈にステッキの次の声を待つ。

『血によるマスター認証、接触による使用契約、起動に必要な乙女の恋心! 全て滞りなくいただきました~!』

「ふぇっ?」

 何か変なことが聞こえた気がしたが、ステッキはかまわず続ける。

『何でもないのでお気になさらず☆

 さぁ、最後の仕上げです! 名前を叫んでください。そうすればきっと――〝強い貴女〟に変身できます!

 貴女のお名前は?』

 動揺していたため、深く考えることができず、凛は結局素直に名前を告げてしまう。

「あ、えっと――と、遠坂凛」

 名を告げた瞬間、周囲を赤い光が包み込む。

「え、なにこれ?」

『ぃぃぃ――やっふぅぅぅ~~!! よっしゃーっ! ロリっ子ゲットぉぉぉ!』

 幼い凛の脳裏に最後に残ったのは、そんなルビーの興奮したような、言っている意味が今一つ掴めない叫びだけだった。

 

 

 

 その時、夜の路地を眩い光が包み込む――――。

 

 

 

 *** 魔法少女、誕生!

 

 

 

「な、なんだ……? って、まさか――!?」

 思いの外手こずりながら切り合っていると、急に後ろで光が溢れた。

 恐れてはいた。だが、まさかこんなところで凛が誘いに乗るとも士郎には思えない。

 ……しかし、彼の頭からは決定的に欠落していた部分がある。

 一つ、凛は負けず嫌いで、誰かにだけ重荷を背負わせるのを黙って見ているようなお姫様でない。

 二つ、マジカルルビーは、獲物を決して逃がさない。

 三つ、自分のフラグ体質。

 

 何を隠そう、マジカルステッキの起動の為の力は、魔力でもないんでもない――乙女の愛力(ラヴパゥワァ~)なのである。

 

 強すぎる輝きに、海魔たちが怯む。

 悪魔は光に弱い、まるでそれを象徴するように、悪夢を終わらせるべく――光を纏った使者が舞い降りる。

『やったー♪ 素敵です! 素敵ですよぉ~! マイ・マスタぁ~♪』

 よっぽど嬉しいのか、ルビーは興奮したように幼い凛を褒め称える……が、しかし。

「……まさか、こんな形でここに〝来る〟ことになるとはねぇ……」

 その口調は、非常に士郎に慣れ親しんだもの。

 けれど、その持ち主はここにはいない。

 いるはずはないのだが、

「ったく士郎! なんで私をコイツと契約させてるのよ!」

「と、遠坂……なのか?」

 口元が引き攣るのが分かる。

 そういえば、マジカルルビーの元々の力は、想い描く〝理想の自分〟を並行世界から今の自分に乗せること。

 つまり、どこかの並行世界にはきっといるであろう〝何かの達人〟である自分の技術だけをダウンロードする。ちょうど士郎が武器の記憶を読み取り、担い手の経験を憑依させることに近い。

 違いがあるとすれば、なんとも皮肉なことに――このダウンロードには、負担がないのだ。

 たった一点、使い手の精神的負担以外は、何も。

「勝手にトリップして目ぇ逸らしてんじゃないわよ!」

放射(フォイヤ)~!』

「おわぁ!? な、何すんだよ! カレイドルビー状態でそんなモン撃たれたら普通死ぬぞ!?」

「死んでないんだからいいでしょ! それより士郎! なんでこんなことになってんのか説明しなさい!!」

「んな、横暴な……って、海魔がまだ――」

 ほんの少し忘れていたが、そう言えば自分たちは現在進行形で命の危機だったのだ。

 放っておくわけには――と、後ろを振り返る。

 そこには、既に消し炭になった海魔の残骸だけが残っていた。

「いぃっ!?」

『いやー忘れられがちですけど、そもそもガンドにしても放射にしても、担い手が怪物じゃなきゃこんな風にはならないんですけどねぇ~』

 そうだ。

 そうだった。

 ただの軽い呪いを、まるっきりマシンガンの様に連射して教室を戦場の後の様にするようなトンでも悪魔だった、コイツは。

「邪魔モノなんていないし――ゆっくりとお話しできるわね? ()()()()♪」

「……ハイ、お付き合いさせていただきますです。ハイ……」

 何故か二度返事をしてしまった。確認すれば悪夢は消えるかと思ったのだが、どうやらそんなことはないらしい。

 というより、化け物級に強い魔術師(今は魔法少女)の前では、全ての意志は蹂躙されてしまうのかもしれないということを、士郎は再び、身に沁みるほどに学んだのだった。

 

 

 

「反省しろぉおおおおおおおおっ!!」

「なんでさぁああああああああっ!?」

『いやー、ベタでいいですねぇ~♪ ぐふふふ、最ッ高ですよ~マイ・マスター! 輝いてますよ~!!』

「うっさーい! こんなとこ呼び出されて、黒歴史また作らされて輝いてるも何もないわよばかぁーっ!」

「小学生の頃の見た目だから高校生の時よりはいいだろ!? つか、俺に当たるのは勘弁してくれぇ―っ!」

「そもそも、この時空の私が起動するに至ったのってあんたがこっちでもフラグ立てたのが原因でもあるでしょ! 責任取れ!」

『おぉー! 凜√突入ですか!?』

「そういう事じゃないわ! この阿保ステッキ!!」

 

 そんなことをわーわーぎゃーぎゃーと言い合いながら、夜の街ではそんな微笑ましい様な馬鹿々々しいような光景が繰り広げられていく。

 三人(内訳子供二人+杖一本)がその喧騒を収めたのは、それから数十分後。

 魔力の波動を辿って来た時臣たちが乗ったヴィマーナが、冬木大橋のあたりで魔力弾を必死の形相で受け流している士郎と、涙目で怒りのままに撃ち放っている凛を発見するまで続いたのだったとさ――――。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 で、その後。

 

「「ごめんなさい(正座)」」

 

 子供二人、英雄王の空飛ぶ座こそ〝ヴィマーナ〟で正座&反省中であった。

 因みに、ステッキに契約させられたままの凛は、子供のころの記憶と先取り(ダウンロード)した未来の記憶がおおよそ三対七ほどの比率で混ざり合っている状態である。

 そんな二人を見ながら、奥の方で「魔術の秘匿が……」と呟きながら頭を抱えている時臣、そして「また後始末か……」と顔を歪めている綺礼はこの二人の仕出かしてくれた痕跡が、はっきり言ってキャスターのそれより(死者に関しては一人も出ていないにしろ)大規模であることに頭を抱える羽目になった。

 だがその一方で、

「ぎゃははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっっっ!!!!!!」

 腹筋どころか、その膓に至るまで捻じれていようかと思わせる爆笑ぶりを見せる英雄王がいたり、

「……なるほどな」

「……心中お察しいたします」

 時臣があれほど恐れていた理由が色々な意味で分かったバーサーカー主従であったり、

「姉さん……可愛い」

 フリフリの端を弄られながら、妹に絡まれている凛の姿が。ちなみに、アサシンズは甲斐甲斐しく綺礼の父、璃正のお手伝いである。

 しかし、この場で一番(年齢的・精神的にも)子供である桜は、何だか良く分からないけど姉が可愛い恰好をしているのを物珍し気に見ている。

 あまりの急展開に、なんだかもう自分が間桐家にいたことかどうでもいいかな、とか思い始めているのだが……果たしてこれは前進と呼んでいいのだろうか。ともかく、こうして姉妹の再会はなされた。

「桜……ごめんなさい。あなたを一人にして」

「姉さん……わたし」

「いいの。〝私〟は、知ってるから。でも、〝わたし〟はまだ知らない。だから、いつでもぶつかってきなさい。

 その度に、『私たち』は何度でもあなたに向き合うわ。

 あなたが、本気でそう望んでいるのなら――何度でも、ね」

「…………はい」

「……よく頑張ったわね。

 でも、大丈夫。ここから先は安心していいの。

 絶対に、夢なんかじゃ終わらない、終わらせない未来があるから――」

 絆を取り戻した姉妹の抱擁に、その場は一時静寂に落ちるが……勿論、そんな空気を読んでくれないような奴もいる。

『あのー、桜さん? 唐突ですが、凛さんとお揃いの魔法少女、成ってみませんかー?』

「なれるの?」

 割と乗り気の桜さん。

「げっ!? あ、あんた、私の妹にまで黒歴史の毒牙を掛けようとしてたの!?」

 それとは反対に、妹の危機を感じ焦る姉。

『あはははー♪ 毒牙だなんて人聞きの悪い。私の妹のサファイアちゃんがそろそろ来る頃なので、桜さんをパートナーにどうかなー? と思ってました次第というだけですよ~』

「妹!? 何それ!?」

「……なってみたいな」

「桜ぁーっ!?」

「姉さんと……お揃い」

「嬉しいけど! 嬉しいけども思いとどまってぇ――っ!!」

『うっしゃぁああああーっ!! 二人目のロリっ子ゲットォー!』

「士郎ぉー! 桜を止めてぇ~~!!」

「無理だ遠坂。この時空の桜が言うこと聞くのはたぶん、今この場ではオマエと雁夜さんくらいだ……」

 正義の味方では止められない。

「おじさーん!」

「え、あ……いや、まぁ……可愛いんじゃない、かな?」

 保護者としては、別にそこまで恥ずかしくないと思ってしまう。欲目もあるだろうが、はっきり言って今の年頃凛と桜なら可愛らしくこそあれ、そこまで恥ずかしくもないだろうからというのが最も大きな理由だが。

 ……ちなみに、カメラは既にランスロットがキープ済み。

「そんなぁああああ~っ! だめー! 桜は汚させないぃー!」

『うるる……何と麗しい姉妹愛。妹を持つ身としては、共感を得ます……ですが、このルビーちゃんの一番好きなことは、〝(ラブ)正義(パワー)〟! 

 そして、自分の楽しみを貫くために、あえて大切な主人(という名のおもちゃ)にノーという事です!』

「あぁ……やっぱこうなったか」

 

 ――――そして、その場は再び地獄(?)となったのだった。

 

 

 

 *** 夜は終わり、彼は再び〝それ〟と(まみ)える

 

 

 

 

 地獄の一端。

 それは、見ようによってはとても素晴らしいモノなのかもしれない。

 だが、それは往々にして、人の心に傷をつける様に穿ち、抉っていくのが世の常であるという事を、忘れてはならないのだ――――。

 

 

 

『さあさあ、時は満ちました!! 行きますよぉ~っ? レッツ、転身(マジカル)タイム!』

『理由は分かりませんが、ひとまず同調しておくことにします』

 そんな声が、夜の闇に響く。

 ぎゅんぎゅんと、無駄に輝きを放つ二本のステッキ。というか一体いつ増えた?

『先ほどです』

 即決回答をありがとう。

 さて、目の前で起こっている現状は、少なくともごくごく平和とは口が裂ける――どころか、仮に全身が反転することになっても言えそうにない。

 勿論、何も言えない俺は泣いている女の子に手を差し伸べられそうもない。

 ……嗚呼、正義の味方に成れていたと思ったのは、俺だけの自己満足だったのか。いや、元々見返りが欲しかったわけじゃないと、摩耗した未来の自分ですら言ってたくらいの馬鹿だとは知っているけれど、それでも。

「うぅ……士郎のばかぁ……!」

「姉さんと変身……(わくわく)」

 こんな状況を、俺にどうしろっていうんだ。

 出来ないことは引き受けない。それは、大切な人が相手でも例外はない。

 だけど、心が痛いなぁ……嗚呼、俺にもっと力があったら。

『あぁ……! 高まります! 昂ぶりますよぉ~ッ!!

 さあ、サファイアちゃん。行きますよ? 私たちのマスターを、可愛らしく、凛々しく、美しく、華麗に変身させて差し上げましょう!!』

『……些か心が痛む気もしますが、出オチというのもしゃくなので、今日のところはひとまず姉さんに従いましょう。

 それに、私もマスターが欲しい所なので』

「たー、すー、けー、てぇぇぇ――――っ!!」

「……ゴメンな、遠坂……今の俺は無力だ…………」

「(わくわく)」

 三者三様の表情を見せ、光に満ち満ちたヴィマーナで、悪夢(?)かもしれない何かが始まった。

 

『『――――コンパクトフルオープン! 鏡界回廊、最大展開!』』

 

 繭の様になった光が、凛と桜の身体を包み込む。

 カレイドステッキに溜まった魔力が収束し、二人の服を吹き飛ばし、新しい服を作り出す。

 男なら見ていたいような気もするが、光のカーテンは男の目を悉く遮り、麗しい少女たちの変身の全貌は隠している。

 シルエットのみが映される中、少女たちの衣が少しずつ変えられていく。

 服が、

 腰にスカートが、

 背になびくマントが、

 順を追って変わっていく、変えられていく。

 ひょこひょこと揺れるケモミミが最後に頭部に着けられ、遂にその光は一気に弾けた。

 

『魔法少女、カレイドルビー(真)――爆・誕・っ!!』

『魔法少女、カレイドサファイア(妹)――推参いたしました』

「姉さん。わたし、楽しいです(きらきら)」

「あはは……よかったわね。ええ、よかったのよ……もう何でもいいわよ(ぐすっ)」

 

 ――そこには、大変可愛らしくポーズを決めた魔法少女たちがいた。

『よっしゃぁぁああああああああっ!!

 決まりました! 初の決めポーズ、ばっちりでしたよ! サファイアちゃん!』

『ええ、見事な決めポーズでした。お二人とも、大変可愛らしく、そして凛々しい姿だと思われます』

「だそうです。姉さん(にこ)」

「あー、嬉しいなぁー! こんちくしょーっ!」

 ごめん。ごめんよ遠坂。あと似合ってるよ、うん。

 そして桜、段々感情が強くなってる。良い傾向だと思うよ。うん。

 俺には止められなかった。……というか、よくよく考えてみると、何で桜の方は人格のダウンロードがされてないんだろう?

 まぁ、それはともかくとして――ここから先に、俺はいったい何を見るべきなのだろうか。

『きゃー☆ 素敵ですー、マイ・マスタ~!』

 ルビーは、嫌味なほどにご機嫌だ。

「あははははははははははははははははっ! よい! 良いぞ小娘らよ! 中々に愛いではないか」

 か、完全に楽しんでやがる……。

 ぶん殴りたいような衝動に駆られたが、止められなかった俺にそんな権利がある筈も無く、俺は結局申し訳なさと……二人共可愛いなと思うくらいしかできなかった。

「はぁ……」

 俺がため息をついている傍らで、桜が雁夜とランスロットに写真をお願いしている。

「はーい、笑ってふたりとも~」

「では撮りますよー」

「ピース」

「……ぴーす」

 保護者目線な雁夜と、ランスロットはさして躊躇うこともなく二人を撮っている。

 ……そもそも、凛と桜の心境は無きが入るほど差があったような気もするが。

 その後も撮影会は続き、『別バージョンですよぉ~♪』とルビーの出した提案に乗った桜に頼まれると、色々と知ってしまっている人格を付加された凛に断ることなどできる筈も無く、結局その後も衣装替えが幾度となく続いた。

 

『とある三角水晶(プリズマ)な世界線のモノでーす♪』

「……猫耳ないのは、まだいいのかしら?」

『いやー、可愛いとは思うんですけどねぇ~。

 こちらでは年増呼ばわりしちゃったりもしますけど、私は基本的に過去・現在・未来を通して、(面白い)マスターのことは大好きですよ~♪』

「……聞こえてんのよ、本音が」

『さー、次行きましょう次!』

「うん、お願いサファイア」

『桜様が望むのでしたら、是非もなく。この世界の私のマスターは貴女ですから』

「ありがとう」

『麗しい友情ですねぇ~』

「……なんでこうなるのかしら……優雅さはどこへ消えてしまうのかしら」

 きっとそれは、遠い遠い次元の彼方だよ、遠坂。

 優雅さはあまり気にしなくてもいいんじゃないかな? と、かなり失礼だが……項垂れている凛と、後ろでなんか怯えてる時臣さんを見ていると、ついついそんなことを思ってしまうのだからしょうがない。

『さあ、さ。今度はステッキ入れ替えでの転身ですよ~♪』

「ふわふわ……」

『凛様も、とてもよくお似合いです』

「露出多いなぁ……」

 諦めてきたのか、凛は既に半分楽しんでしまうべきか思案中の、反応半減モード(単なる現実逃避ともいう)に入っていた。

『では次はビーストも――「アウト! それだけはアウトだぞルビー!」

 右手に契約破りを持って、ルビーに突きつける。

『あーれー、おたすけぉ~』

 絶対そんなこと思っていないだろう口調で、ルビーはそんなことを言った。

『御慈悲を~』

「ない! そんなものはない! 少なくとも、これ以上遠坂を辱めたら、八つ当たりされるのは間違いなく俺だからな!」

 一応、遠坂の方を見る。

 もしかしたらそこまではしないと言ってくれ――

「(あ、それは分かってるのね)」

 ――る筈もないらしい。

 それは、悲しい事実だった。

 というかステッキを交換してる最中でなければ、きっとルビーにこんなことは出来なかっただろう。

 ああ、もうこうなりゃヤケだ。

「――――投影層写(ソードバレル・オープン)

 上空に、〝精霊を殺す〟あるいは〝呪いを解く〟ことに関連したありったけの『記憶(ちしき)』を基にした剣を並べる。

 いくら()()()()()()()が手を焼くといっても、コイツ自体には持つ主から離されて俺に抵抗する力はない。古今東西にいる英霊たちの武器、これならきっと……確実に殺せるだろう。

 ……つか、あの朱い月の成れの果ても魔法少女を面白がってやってるくらいだ。これくらいあれば、少なくとも契約の解除くらいは出来るだろう。

 そして、どうやらそれは当たりらしい。

 目に見えて焦りだしたルビーは、

『あ、あのですね……? ちょ、ちょーっとやりすぎたかなー、と思わなくもないルビーちゃんなのですが……?』

 こんな風に、どうにか逃がれるための算段を立てている。

「――――――」

 だがそれは黙殺しておいた。

 多分、その方が〝らしい〟だろう。

 桜の手からステッキを奪い取り、剣を突きつけている様はいったい傍目にはどう映ったのだろうか? きっと、凄く間抜けに見えるだろうが……こっちだって、命は惜しい。勘違いされがちだが、割と俺も命は惜しかったりする。

 少なくとも、どこぞの親友のワカメ頭に妹の日記帳を見に連れていかれて、自分だけ逃げだそうとするくらいには。……よし、あいつもこの際だから更生させよう。あいつはシスコンなくらいでいい。愛が重いのが間桐家だし、多分大丈夫だ。うん。

 くだらないと百も承知の思考が一秒間脳裏を駆ける間に、被告人ルビーは許しを請うべく士郎に交渉のカードを提示する。

『じゃ、じゃあ、士郎さん! 妹さんたちのあられもない写真とか欲しくありません? 今なら無料でお渡しできますよー?』

「んなもんいるか!」

 断じて俺は妹(たぶん雪のお姫様)のあられもない写真などに釣られはしない!

『で、では! もう一人のマスターのとかどうです? 思春期の男の子にはたまらないと思いますよ? たぶん、おっぱい的な意味で!』

「ぶぶっ……!? ば、馬鹿! ンなもん余計にもらえないわ! というか後が怖すぎるんだよ! 真冬のテイムズ河はご免なんだよ……っ!!」

『んー……じゃあ、ママさんの方はいかがです?』

「……親父に殺されるぞ? オマエ」

 というか、どこで手に入れてくるんだ? そのルビーコレクションは。

 もしかしたら、カレイドのネットワークは、きっとどんな次元すらも超越しているのではないだろうか……?

『むむむ……手ごわい。

 あ、ではこれなどいかがです? いかがわしくない、寧ろ士郎さんが見る分には何の問題もないモノですが』

 前置きがない分恐いが、一体それが『何で』あるのかについてははっきりさせておかなくてはならない。

「……で、それは誰の?」

 

『時臣さんです』

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………思考回路が途絶する。

 だがそれは、皆もまた同じようで。

 

 

 

「「「――――――――――――――――――――――――――――――」」」

 

 

 

 長い長い沈黙が、その場をただ漂っていた。

 空気は凍り付き、何もかもがその場に固まっている。

 しかし、勿論――――あの(・・)ルビーがその空気を読んでくれる筈もなく。

 

『これはこの時間軸における、二十年ほど前の映像なのですが――』

 

 最大の悪夢を、ここに投下してくれることになったのだった。

 その場に、ルビー以外に音が生まれたのなら、それはきっと――家訓をかなぐり捨てた時臣の心の悲鳴だっただろう。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 ――――世界は今一度、地獄を渡る。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 一瞬の気の迷いだった。

 何もかもが、最悪に転んだ一瞬。

 それだけの、はずだったのに――――。

 

 

 ――――この遠坂は、誇りある『魔術師』の家系である。

 

 

 疑いようのない、その一点を信じたがゆえに起きた――一時の悪夢。

『私は、くそじじ……もとい、あの大師父・ゼルレッチに造られたマジックアイテムなんですよ~♪』

 嗚呼、信じてしまったがゆえに――こんなことが。

『――――さあ、私と契約してくださいまし☆』

 手に取ったあの時を、何度後悔したか分からない。

 

 

 

 〝うっかりフェアリル! マジカルボーイな魔法少女、とっきー☆〟

 

 

 

 

 

 

 うがぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!!

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――――――そして、全てが終わった。

 

 

 

 *** 終焉 ひと時の終わり To_be_next.

 

 

 

 何もかもが終わった後、そこには今よりも結束を強くした陣営だけがあった。

 

 ――ただ、それだけ。

 

 それだけの終わりを迎えた、夜の物語だった――――。

 

 

 



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第十六話 ~巡り合う前の日、混沌とした日~

 個人的には、多分このシリーズで一番ぶっ飛んでたギャグ回。


 前奏曲(プレリュード) ――何かが決定的に間違った世界の話――

 

 

 

 ――常に余裕をもって優雅たれ。

 

 今日もまた、遠坂時臣は優雅に街の悪を裁き続ける。

 だが、貴族たる者、時にはユーモアに興じる心は必要だ。

 日々に潜む細やかなお茶目さ。細やかなうっかりもまた、我々には必要なこと――だから、今日も朝のコーヒーに砂糖と塩を入れ間違えたのも悪い事ではない。

 そうして彼の朝は過ぎていく。

 愛しい愛娘たちと、妻が外に出かけた後も、時臣は本業である冬木のセカンドオーナーの傍ら、家業の一つである不動産の管理やその他もろもろの〝いかにも〟な両家筋の事業に精を出していた。

 だが、そんな時間をのんびりと過ごす余裕を、この街を汚す下船の輩は与えてくれない。

『師よ』

「綺礼か」

 弟子であり、相棒である綺礼・ゲ・ドーから連絡が来た。

『冬木の危機です。師よ、御手を貸していただけますでしょうか?』

「無論だとも。町の危機、弟子の危機だからね。それに――娘たち、そして妻の暮らす街の平穏は、常に保たれていなければならない」

 すぐそこへ向かう。

 時臣はそういうと、通信を切った。

「やれやれ、出番の様だよ、ルビー」

 呼びかけると、ふわふわとやって来た魔法の杖、マジカル・ルビーが時臣の隣を漂いながら軽くぼやく。

『この街はホント退屈しませんねぇ~。では、悪を倒しに行きましょうか』

 とはいえ、彼女も自分の本分を忘れたりはしない。

 時臣に羽根を器用に伸ばして、ルビーは行こうかと問う。

「あぁ、行こう」

 無論、家族の暮らす街の平穏を護るのは、いつの時代でも大黒柱の役目。

 女の子たちに譲れない意地があるのなら、男にはいくつになっても忘れられない夢と張り続けるべき意地がある。

 

 

 そしてそして――

 

 

 冬木市、新都にて。

「……この世界は、石器時代から一歩も先へ進んじゃいない」

 弟子と同じ目の死んだ男、真正ゲドー・ケリィ・パッパが暴れていた。

 いつもいつも平和を享受するはずの世界に、この世の悪を憎む男は不要だったのか、或いはそんな世界でも残っている悪に不満を抱いて、日々些細な悪行を果たしている人間にも鉄槌を下している。

 それだけ聞くと、ただのお助けマンか正義の味方なのだが……ただ、彼の場合二つほど欠点がある。

 一つ、己の妻に危機が及ぶと問答無用でコンテンダーを構える。

 二つ、子供たち(娘二人と息子二人)に危機が及ぶとマシンガンでところかまわず武装する。

 そんな困った家族愛。

 或いは重すぎるその過保護っぷりに、世間は結構迷惑しているが、割と応援する声も多かったりするのは、多分息子たちがイケメンなのと妻と娘が滅茶苦茶かわいいとご近所で評判だからかもしれない。

 しかし、

「常に、余裕を持つことが大切だ。とりわけ、この疲れた現代社会ではね」

「来たな……なぜ僕の邪魔をする。お前も分かるだろう、同じく家族を持つ者ならば……っ」

「……同じだからこそ、君を私は止める。私も、この街を乱されては困る身なのでね」

『では、変身しましょう! マイ・マスターッ』

 

 ――――コンパクトフルオープン! 鏡界回廊最大展開!

 

 光が包む。

 優雅に、

 華麗に、

 時臣の身体を包む光となたった魔力。

 そして誕生したのは――

「――酷い、な。おぞましい……」

 その姿をみて、男はそう称した。

 実際、誰しもがそう思うのではないだろうか。ごくごく一部の例外を除けば、時臣の恰好は一般的に行って痛々しいものだった。

 フリルの破壊力(精神的)の強さは伊達じゃない。

「勝手に言ってくれ。ただ、こうなった以上、君には勝ち目はない」

 その言葉に嘘はない。

 だが、それでも――譲れないものは、ある。

「…………それでも、僕は――――家族を、救う――から、だ……っ!」

「やれやれ……君も、そう叫ぶ以外にも楽しみを見つけてはどうかな?」

 ちらり、と横目に見るのはのんびりしている彼の妻アイリと、呆れた顔をしている子供たち。ちなみに、息子二人は頭を抱えている。

 まったく、はた迷惑なことだ。

「まったく、優美さの欠片もないな。

 よし、ならば私が教えてやろう――――本当の優雅というものを」

 そして、ルビーの周りから炎に変換された魔力の渦が迸る。

「……さあ、本日の幕引きだ。

 一度頭を冷やして反省してきたまえ。あ、それと葵が今度、ソラウさんとアイリさんとお茶会を開きたいと言っていたから、伝えて置いてくれ。

 息子さん方や娘さん方もよければ来るといい。ギルも待っているからね」

『クロさんとギル君なんだか反目し合う関係ですからねぇ~(によによ)』

「ウチの娘はオマエのとこに何ぞやらんぞ! ノーモア親離れ!」

『まったく……私たちの根底をあっさり否定してくれますねぇ~。

 ではマスター、この駄々っ子さんにお仕置きタイム、行きますよぉ~~っ!!』

「了解だとも、ルビー」

 そして収束を始める炎。

 まるでそれは嵐の様に放たれたそれに、はた迷惑な正義の味方さんは燃え尽きた(安心安全の浄化攻撃です、ご安心を)。

 時臣はそれを確認し、彼の断末魔を聞きながら、優雅に杖を振り払いながら最後の決め台詞を口にする――!

 

「ぐっ……がぁ……っ! ……うちのこたち、マジ…………天使……っっっ!!!!!!」

 

「――――優雅たれ……ッ!」

 

 ドッガアアアアアァァァン! 華麗な炎の爆発に、ルビーを振りかざした時臣の顎髭がダンディに揺れる。

「悪は滅びた。さて、帰るとするか」

 妻と娘たちの居るわが家へと足を運び、今日のご近所を護るお仕事は終わったことを確認し、ワインを呷った。

 

 

 

 ――――こうして、本日もまた、冬木の街は守られた。

 

 

 

 頑張れ、魔法中年マジカル★トッキー! 負けるな、トッキー! うっかりフェアリルに、優雅に、華麗に事件解決ぅ♪

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 う、―――――がぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!!??????

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――ハッ!?」

 ガバッ! と、時臣はベッドから体を勢いよく起こす。

 朦朧とした意識と、圧迫され切って摩耗した神経が、悪夢から解放されたことを脳へ伝えるまでほんの少し時間をかけた。

 だが、程なくして――

「――――ゆ、夢か……?」

 今自分の置かれた状況を理解する。

 ひとまず、認識した現実をそう口に出すことで、どうにか正気を取り戻すことが出来た。

 未だ冷めやらぬ動機。決してこれは妻との愛せを思い出した際の甘いものなどではなく、少なくとも幸せとは程遠い何かである。

 荒息のまま、ひとまず額のあたりを手で覆い、ため息を一つ吐く。

 今、自分を保つためには家訓を口に出すべきだろう。

 悪夢は忘れ、ちゃんとある娘たちと妻の待つ現実を認識しよう。

「……常に余裕をもって優雅たれ」

 よし、と自身に言い聞かせつつ、時臣はいつも通り赤いスーツに身を包みリビングへと向かう。

 歩いている間に廊下の柱時計を見ると、いつも士郎が朝食を作ってくれているくらいの時間だ。夢の内容は最低だったが、時間のタイミング的には中々にばっちりだったのかもしれない。人生、こういう部分で釣り合いが取られているのかもしれない。

 そんなことを考え、夢の内容を半分ほど忘れた時臣は、リビングへ入る扉に手を掛ける。

「おはよう」

 そう声をかけながら、中に入ると、そこでは何やら皆がテレビの前に集っていた。

 何だ……? と、少し気になってそこへ向かうと、そこではソファにふんぞり返っているギルガメッシュとワインを片手に画面を凝視している綺礼。そして、時臣の愛娘二人と顔を青くしている雁夜とランスロット、そして、がっくりと項垂れて頭を抱えている士郎がいた。

(一体、何だ?)

 ますます訳が分からなくなり、時臣はほんの少し首を伸ばすようにしてその画面を見る。

 そこには、

 

 

 

『――――今日も冬木の平和を守り通すことはできた。でも、まだまだ困った駄々っ子は世の中に後を絶たない。頑張れトッキー! 負けるな、トッキーっ!!

 次回、魔法中年マジカル★トッキー、第二話。

 〝魔法を継ぎし者、赤と黒の交錯する悪魔の定め。加速せよ、愛しき小妖精の為に命を燃やせ!! 荒野での決戦。スターダスト・リジェンダーの煌きに、スカーレット・ダーク・ブラスター、発射ですよ!〟』

 

 

 

 

 

 

 ――――その日、再び屋敷には、今瀬における最大ボリュームを更新した、時臣の悲鳴が響いたという。

 

 

 

 ***

 

 

 

 悲鳴の後、ひとまず士郎の一言により食卓に着くことになった一同。

 嘱託を囲んでいても、先ほどまでの衝撃は消えることはなく残り続けていた。

 そんなどことなく詰まった空気の中、士郎はここ最近よく思うようになったそれを、心内で呟いた。

(……どうすりゃいいんだよ)

 昨夜、あまりにも衝撃的すぎることの連続で混乱していた頭を、ひとまず夕食という一手段を持って収めた彼のだが……その後凛にしばらく説明を求められ、彼女にここまでの顛末を説明することになり、それを話した。

 そうして話しては見たが、やはりというかなんというか……理性の残っていた分、橋の上での一時ほど酷くはなかったものの、結局凛にはガンドの数発をお見舞いされる羽目になったのは、時間にしてはほんの数時間前の出来事である。

 しかし、父の生きている時空で、兄弟子がまだ外道に染まり切っていない所為もあってか、凛はどことなく鬱憤の溜まった様子で悶々としていた。だが、士郎にとって幸いなことに、彼女が直接の攻撃に出ることはなかった。

 ……まったく内心笑ってない笑顔で、うっかり契約してしまった性悪ステッキを自ら使いだそうとしそうになっているのを、抑えながらの状態ではあったのだが。

 士郎の背に嫌な汗を流させながらも、ひとまず凛は納得した。

 まあ、まだまだ不満たらたらだったのにも関わらず、今こうして妹を結局苦しめる采配をしてしまった父を遠い目で「分かってます」な表情で見ている彼女は、ほんの少しばかり憐れな気もしたが、無害です。

 寧ろ、この状況を作り出してくれた今このギスギスした空気の中で、一人だけ悠々と「やり切った」という笑みのままでいる、このはた迷惑な王様の方が、士郎にとっては頭痛の種になっている。

 そもそも、あの映像を流す羽目になったのは、朝珍しく時臣が他の皆よりも少し遅く起きてくるようなので、朝食前にアレをもっと見せろとギルガメッシュがルビーに命令したからである。

 結局、それが始まるまで士郎は台所での作業を続けていため、大笑いが響き渡って来たのを起きぬけてきた凛、桜、雁夜、ランスロット、綺礼の面々と共にリビングのテレビ見てからそれに気づいた。

 尚、遠坂邸に置いて早起きの順序は、

 士郎(鍛錬と朝食準備)、

 綺礼(鍛錬、朝の祈り)、

 ランスロット(精神統一)、

 時臣(提示起床、朝の微睡)、

 雁夜(定時起床、桜の目覚まし)、

 桜(雁夜に起こされる)、

 凛(寝坊、朝弱い)、

 ギルガメッシュ(朝だから起きるという気はない、ただ士郎のメニュー目当てで気まぐれに早起きする)、

 といったところである。

 そんな気まぐれが、今朝の悲劇を呼ぶこととなった。

 凛の『カレイドルビー』の活躍と共に時臣のそれも見て大笑いしていたところ、あんまりにもうるさかったので、悪夢に晒されていた時臣以外がリビングに集結し、そこに立ち会ったという訳だ。

 凜は自分の把握してない部分まで見せられ、顔を真っ赤にして怒ったものの、ルビーは現在ギルの手中だ。

 転身していない彼女が敵う道理もなく、延命な努力も努力虚しく――綺礼(内心的に)、士郎(業と料理的に)、桜(儚い子供可愛い)、雁夜(時臣より父親してる面白い)、時臣(爆笑 New!)の次にお気に入り認定を受け、彼の玩具となることに。

「むきぃーっ!!」

「ははは! 良いぞ凛、お前のことは気に入った。今度、またヴィマーナにでも載せてやろう。

 それとも、何か他の衣装の方がいいか? ……く、あはははっ!!」

「うがぁぁぁあああああああああああああああああああっっっ!!」

 そんなやり取りがあったのち、ルビーはギルの要望通りに様々な凛の映像と、極めつけに時臣のそれをシリーズの様にして見せた。……本当にファンサービス(?)に余念のない悪魔である。

(にしても、番宣タイトル(アレ)は遠坂のよりも酷かった……)

 脳死寸前どころか、既に灰燼となりそうなもんだった。

 士郎はそんなことを考えた。

 だが、ギルと綺礼は、いい酒の肴を得たとばかりにご満悦な表情でニコニコしている。

 ……正直、気持ち悪い。そして、凛からの視線と時臣の茫然自失っぷりが痛い。

 尚、雁夜とランスロットは基本これらに関しては、ノーコメントの姿勢を貫くことを決めたらしい。

 桜は、凛の活躍をキラキラした目で見ていて、凛が膝を折るほど純真な目で見つめられたらしい。彼女の中では、姉の株が現在絶賛上昇中である。……父の株も、ちょっと上がってる。お揃いは嬉しかったとかなんとか。

 ともかく、士郎はこの流れをどうにかしなければならないと思い、ひとまず次に出すべき言葉を探る。

 無言というのもいただけない。

 どこぞの虎のおかげで、賑やかな食卓に慣れ切っている士郎はこの空気をどうにか氷解させたいが、生憎と彼には虎ほどの力はないのが悲しいところ。

(ホント、どうすりゃいいんだか……)

 いっそ、ホントに虎でも埒ってくるか何げに物騒なことを考え始めた頃、やはりこの空気をぶち破ったのは、赤い悪魔だった。

「あー、もう! もういい!! ええ、もうどうでもいいの! いい加減、話を進めなくちゃ始まらないわ!

 この際恥も体裁も関係なく、この戦争を終わらせるための道をみんなで探しましょっ!」

 おぉ……っ! さすがは師匠! 俺にはできないことを易々と……っ!! そこに痺れ憧れて、士郎は思わずパチパチと拍手をしてしまった。

「凛……あぁ、未来の君は、どうやら立派な当主になったんだね……」

「お父様……っ」

 親子の絆、ここに深まれり。

 カレイドステッキによるヘンテコな邂逅は、心の傷こそ活断層並みに作ってくれたが、削り捨てるばかりではなく、しっかりと絆を深めてもいたのだった……っ!

『うぅぅ……いやー、麗しい親子愛。感動ですねぇ~』

『……正直、今姉さんの言葉に同調するには、些か姉さんの悪行の方が大きすぎて無理かと思います』

『およっ!? まさかの姉妹の絆は崩壊フラグ!?』

『はぁ……』

 サファイア、お前は根っこがまともで嬉しい。誤解してたみたいで、ごめんな。

 心中謝辞を述べつつ、士郎は凜の言葉を拾っていく。

 起こる嵐に翻弄される生来に気質はともかく、彼とて早くこの戦いを終わらせたいのは変わらないのだ。

「で、遠坂。具体的には?」

 弟子の問いかけに、師匠は心強く頼もしく応えてくれた。

「そんなの決まってんでしょ!」

「というと?」

 ため息を吐くように、凜はいう。

「察しが悪いわね。

 ――――よーするに、一番あくどそうなのと、いっちゃんメンドそうなとこを、まとめてぶっ潰すのよっっっ!!!!!!」

 

「「「――――――」」」

『いやぁー……凜さん、発想からして、マジパネェっす』

 

 

 

 それは、あまりにも頼もしすぎる宣言であり……同時に、今宵の騒乱を意味した見た目幼い『あかいあくま』の咆哮でもあった――――。

 

 

 

 

 

 

 *** 終曲(フィナーレ) ――運命の夜への追奏――

 

 

 

 ――――しかし、それに呼応するように動き出す者たちがいた。

 

()くぞ?」

「……御意」

 

 

 

「っふふふ……お待ちください、我が聖処女よ。

 今、貴女の軍師が御身の元へ馳せ参じます故――――」

 

 

 

「――――何故あなたは、戦いを私に委ねてはくれない……?」

 

 

 

 幾つもの思いの交錯する中で、再び混沌とした嵐の夜が始まる。

 

 奇跡を巡る戦いの夜は未だ開けることはなく、開けるべき時を、待ち続けているのだった――――

 

 

 

 

 



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第十七話 ~ついに出会う運命の夜、正義と理想の行方~

 し、シリアス……お前、生きてたのか……!?
 そんな心境だったなぁ。懐かしい。


 ある男の歩んだ道

 

 

 

 悪夢とは、いっときの夢でしかない。

 だが、同時に幾度と繰り返されるものである。

 

 故に、そこに抜け道はあろうとも、出口はない。

 

 つまり、一時の安らぎ(終わり)があろうとも、決して平穏となるべき幕引き(完結)はないのだ。

 人の世の道理――争いは消えないもの。

 こんな世界をどうにかしたいと、そう願う時。

 

 ――――あなたは一体、何を成す?

 

 一体、何を求める?

 その気になれば、一つの手として、自らの手でその悪夢を晴らすことも出来よう。

 確固たる信念をもち、勇ましく戦った果てに、それを掴み取れるのなら、人はそれを――〝英雄〟として讃えるだろう。

 しかし、必ずのその裏で少数が失われるということも、〝輝かしい栄光〟とやらは包み隠す。

 どれだけ誇りを抱こうが、

 どれほど高潔であり続けようが、

 人の本質を知ろうともせず……その終わりを〝ただ美しい平和〟であると考えるような者には、本当の意味での救いを司ることなど出来はしない。

 

 ――――けれど、往々にして世界は正確無比な天秤でしかない。

 

 人の手では、それを成し得ないのだ。

 例え、どんな英雄であろうとも……決して。

 だからこそ、人は必至で生きようとする心を持つ。

 時に歪み、時に穢れてしまい、美しくも醜く、どうしようもなく儚く……そして尊いような、そんなものを。

 

 だが、

 

 それだけでは足りないと、こんな方法だけでは足りないと――そんなものは無意味だと断じた男がいた。

 彼は、誰よりも夢に燃えた男だ。

 子供の様な大望に、誰よりも焦がれた人間だった。

 切り捨てるべき小を殺し、大を拾い平和を成し続けようとも、斬り捨てる少数を悼む心を持ってしまった男だ。

 子供の夢想。世迷言の類と知りつつも、彼はそれを求めて続けている。

 方法を、一つしか知らないまま、生き続けながら。

 ――心を鉄に、体は機械に。

 ただの一装置、測り手として天秤を計り続けている。

 

 そうして、ただ正確な〝測り〟のみを探求し、〝願い〟を求め続けた、……どうしようもなく〝無知〟な彼は―――――――

 

 

 

 ――――――ついに、『奇跡』に出会う。

 

 

 

 

 

 

 *** 夢は覚めて、夜の始まりは再び

 

 

 

「――、……これは」

 

 嬉しい碧眼を開きながら、セイバーはそっと呟いた。

 一時の眠りから覚めた……らしい。

 自身の状況であるはずなのに、どことなく絵空事であるように思われるなと、セイバーはぼんやりと考える。

 珍しく気の抜けた様な事をしでかしてしまったからか、セイバーの思考は混濁してしまっていた。

 そもそも、こんなことは〝普通〟在り得ない。

 彼女は英霊(サーヴァント)、則ち過去の英雄が聖杯により現世に招かれた存在である。そうして呼び出されたサーヴァントは、基本的に夢を見ない。

 通常ならば、魔力の身体を持つサーヴァントは、基本的に睡眠など必要ないのだ。

 けれど、どんな偶然か神の気まぐれか――彼女は、そのユメを見た。

 ひとえに、それはセイバーの持つ幾つかの特殊性が故である。

 ……セイバーはほんの少し特殊な英霊である。

 本来、聖杯に招かれる英霊たちは、人ならざる者――過去に様々な英雄譚を築き上げ、その身を死後『英霊の座』と呼ばれる高次の空間にある『座』へと、『世界』によって召し上げられた英雄たちだ。

 しかし、セイバーは英霊であるにもかかわらず、その『座』を持っていない。より正確に言うのなら、セイバーは正確には〝まだ死んではいない〟英霊なのだ。

 そんな彼女だからこそ、こうして〝眠る〟という行為をなすことが出来る。

 彼女は死後、その身を世界の為に使うと『世界』に誓い、契約を交わした。

 それは(ひとえ)に、『聖杯(きせき)』を求めるためだけに。

 機会を得た代わりに自身の死後を売り渡し、捨てた。

 

 ――――自分の犯してしまった間違いを、自国の滅びの定めを変えるために。

 

 故に、彼女は生者なのだ。

 ザーヴァントとしての力を得ながらも、まだ完全な死者ではない特殊事例。端的に言って例外である。

 腹を裂かれ様とも即死せず、けれど霊体(うつしみ)に成ろうとしても成れない。

 そんな、酷く歪な存在なのだった。

 此度の眠りも、そんな彼女だからなのかは定かではないが――それでも、彼女は夢を見た。

 ある一人の、どうしようなく愚鈍で……どうしようもなく無垢な〝祈り()〟を。

 

 知ってしまった。

 

 聞いていたかもしれない、けれど真に理解出来てはいなかったある一つの形を。……本来ならば、決して知るべくもなかったはずの、その幻想(ユメ)を。

 けれど、それは――

「――だからあなたは、私に戦いを委ねてはくれないのか……?」

 どうしようもなく、理解し会えないであろうことを再確認するだけに留まる。

 一度現実を知り二度と覆ることないはないと裏切られた人間と、裏切られようとも幾度となくそれを信じ続けた人間。

 そして、誉れを持って生き続けた少女と、誇りなど捨てた男。

 解り合うことは出来ないと、そう思えそうなほどに、二人の目指す先は平行線だ。

 決して交わらない。どちらかが、何かを曲げない限り。

 ……或いは、二人共がその間違いに気づくことが無ければ、決して。

 だから知らない。

 二人は知ることはない。

 曲げられるものが、無いから。

 凝り固まった二人の夢は、そうしてまだ夜を彷徨う。

 道を見失った子供の様に、一人寂しくその道を歩き続けている。

 それに気づくまでは、ずっと。

 

 

 現実に夢も希望もない。

 法と理念では人を律することは出来ない。

 光を追い求めるだけでは、ヒトは変われない。

 

 

 思いを伝え合うことも、言葉を交わすこともない。

 ならば、一体何が判るのだろう。

 どんなに愚直でも、それでも信じ続けようとする。

 その心は、決して間違いではない。身を削り、走り続けるほどに求めものはきっと尊い。

 しかし、分かり合おうとも知ろうともしない心の形は決して、成されることはないだろう。

 何かを変えるために、何かを得るために、願い続けた祈りは脆いものだ。

 始まりをくれる光はいつでも、人の生末を閉ざし続ける。

 道は有っても、出口はない。

 だからこそ、一人だけで届くことはない。

 そう、ヒトである以上――どんなものであろうとも、たった一つでは必ず崩れる時は来る。

 何かを築くためには、何時しかその理想の果てに行くためには、何か一つきっかけがいるのだろうが……そんなきっかけなど、ほんの少しでいいのだ。

 ……それこそ、そっと誰かの手を取るだけでも。

 世界には――悲しみだけでは出来ていない。きっと、夢も救いもある。

 

 

 

 ――――そのための物語は、既に始まっている。

 

 

 

 ことごとく続いた番狂わせ。それが読んだ偶然の象徴が、こうして彼女に僅かばかりの贈り物を給わせることとなった。

 少しだけの偶然。

 それは、鞘と悪魔のもたらした、ささやかなギフト。

 小さな小さな運命のカードが重なり合い、崩れるだけの心に微かな支え、あるいは理解を与えた。

 またこうして――――夜が、始まる。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 その日、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは苛立っていた。

 

 理由はいくつかあるが、彼が最も不得手とする自身への怒りが、彼の脳裏を埋め尽くしているということが、何よりも大きな原因である。

 彼は非常に聡明であるが故に、これまでの人生でこの時ほど行き詰まった経験がない。

 その弱さが、彼に対してその脆さを否応なしに自覚させる。

 憤りを通り越して、既に彼は動かずにはいられないほどに手詰まりを感じていた。

 信用ならないサーヴァント。

 そんな間男に色目を使う婚約者。

 ……そして、その状況を打破出来ずにいる自分。

 

 何もかもが気に食わないと、

 こんな状況が欲しくてこの戦いに臨んだのではないと、

 彼の内にある脆い器(プライド)は、もう耐えられないと悲鳴をあげる。

 ギリッ、と歯を鳴らして、ついにケイネスは自ら椅子を立った。

 証明する為に、彼は立つ。

 そしてその為の使いもまた、ここに。

 主の動きを見て、その足元に参じる美丈夫。ケイネスのサーヴァントである、ランサーだ。

 しかし、その口は特に何を発するわけでもなく、真なる従僕であるようにかしづいているだけだった。

 相も変わらずいけすかない鉄面皮、冷静を装っている己が使い魔に彼は苛立たなくもないが……まあ、従順であることが望みと言うのなら、今一度その英霊の矜持とやらを試してみるのも良いだろう。

 加えて、ケイネスにとっても今ここで彼を失うのは得策ではない。

 こんな筈ではないこの状況を打破するべく、今すぐ自分自身の才を見せしめる為に、サーヴァントであるランサーは、聖杯戦争に勝つためには必要だ。

 静かに、けれど獰猛な獣のように、ケイネスは口角を少し上げる。今宵の彼は、どうしようもなく飢えているらしい。これまでの悉く重なった、己が恥を清算する為だ。

 本来、彼は自己顕示欲は強いものの、ここまで自分を誇示するほど愚かでは無かった。

 ここまで彼を急き立てるのは、持っていて当たり前のモノ――つまりは、彼にしてみれば当然の権利でもある地位や名誉、自分自身の天才性を取り戻したいから。

 自分がこんな無様なまま、おめおめと引き下がるかという意地。それは時に、勇猛な英雄に勝利をもたらすものでもある。

 

 ――――だが、悲しい事に彼にはまだ理解できていなかった。

 

 

 この世の、不条理という名の荒波と……なりふり構わないほどに焦がれ、執着し求める、ヒトの業の深さというものを。

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 ――アインツベルン城のテラスで、一人の男が煙草を吹かしていた。

 

 時刻は、そろそろ夜も深まろうという頃。

 誰もいないそこで、彼は一人次の動きを思考している。

 だが、その思考はまとまった様で、一向にまとまりを見せてはくれない厄介なものだった。

 彼が考えるべきは、この戦争(たたかい)に勝利することのみだ。

 その為に彼は、最も効率の良い手段のみを選び取り続けている。

 ただそれだけで、この戦いの果てにきっと聖杯は彼に奇跡を捧げるだろう。

 彼にとって、勝利とは前提の一つ。

 故に一時の勝負にも、ましてその勝敗になど執着することはない。

 何故なら、彼にとって戦いとは、あくまでも危険を避け相手を狩ること。

 結果としての勝利のみが、彼にとっての唯一つの解答(こたえ)

 それ以外の感情など、塵芥にも劣る。寧ろ、戦場における下らない誉れや誇り、飾り立てた名誉や栄光など――彼にとっては忌諱すべき害悪でしかない。

 男は、そう考えている。

 戦いなど、何を誇れるものがあるのか。

 他者を虐げただけのエゴに染まった平和など、何の価値がある。

 そんな下らないモノの為に、一体どれだけの血が流れ続けたことか。

 流血を悪とする彼、衛宮切嗣にとって……この戦争はこの世における最後の闘争でなくてはならない。

 この世界で流れる、最後の血でなくてはならない。

 

 その先の、永遠(とわ)の平穏の為の、最後の必要悪。

 

 見るべきは葉ではなく枝。枝ではなく幹。

 そして、その根底に至る根や大地の果てまでを見尽くして、最後に残るのは――二度と争いの起こらない世界だ。

 妻と娘を担保にし、喪うと解っている妻を贄として、自分の残り全てを娘へと捧げる。

 その為なら、この世の全ての悪さえ、担っても構わない。

 ……そう、あくまでも衛宮切嗣は正義ではない。平和を作る為の、歯車の一つであり、世界全てに憎まれるべき悪意の矛先の藁人形でしかない。

 しかし、それもまた彼は是とした。

 己の望みはそれだと肯定した上で、彼は――――

 

「――――ここに居たのですね」

 

 その時、ふと声が聞こえた。

 女の声だった。とはいっても、この城にいる人間は彼を除けば女だけなのだから、もしも彼以外に声を出すものがあるならば、それは女であるのは必定である。

 けれど、声を受けても切嗣は振り返らない。

 これがもし、他の誰かだったのなら、彼は恐らく振り向くくらいはしただろう。

 向かないのは、それ以上に単純な理由である。

 認識する相手として成立しない、道具に呼び掛けられてその方向を向く必要はないと、ただそれだけの考えだった。

 声の主は、セイバー。

 彼女は、切嗣の最も嫌う英雄であり、彼が最も悼む被害者としての側面も併せ持った少女である。

 此度に置いては、切嗣の剣となるサーヴァントのセイバーだが、彼は頑なに彼女の存在を認めようとしない。

 そんな、決して理解し合えない二人は、何の気まぐれか――たった二人きりで顔を突き合わせている。

「…………」

 これまでの様に、切嗣はセイバーを居ないものとして扱う。

 無視だけを続ける彼に、彼女は少し諦めた様な顔をする。浮かべた表情には、これまで覗かせていた怒りや憤りはなく……寧ろ、何処か哀しげな色が見える。

 まるで同情でもされているようで、内心切嗣はセイバーが余計に邪魔だと感じ始めたが、勿論表情はおろか態度にすら出しはしない。

 ただ、ひたすらなまでの無視を貫く。

 今瀬の主が見せる態度に、セイバーは少々眉根を寄せたが、それだけだった。

 それ以上の反応はなく、それ以上の苛立ちも見えない。

 一体、こいつは何をしに来たのだろうかと、切嗣は先ほどまでの思考を一旦放棄して考えた。

 が、思い当たる節などなし。まさか、月を見に来た――なんて戯言を口にするはずもあるまい。そもそも、二人はそんなことをするような間柄でもなく、むしろ彼らの関係は最悪の一言に尽きる。

 怒鳴りにでも来たのならば席を外し、なにか戯言を述べるのならば無視をしてここを去る。どのみち、切嗣にとってここにいる意味は消え失せている。

 今度こそ、〝邪魔〟の入らないところでもう一度自分だけの思考に没頭するべく、切嗣はその場を去ろうと煙草を足元に捨てて消し潰し、足を前に出そうとした。

 だから、唐突に発せられたそれは、切嗣にとって意外だった。

 

「――あなたの、過去(ゆめ)を見ました――」

 

 この時、初めてこの主従は顔を付き合わせることになる。

 死んだように光のない目が、美しく光に溢れた翡翠の瞳を見据える。

 ただし、そこに言葉はない。せいぜい、言いたいことがあるのならば言えと言われている程度のものだ。

 まともに取り合う気もないまま、切嗣はセイバーの次の言葉を待つ。己の過去を覗かれたなど、決して気持ちのいいものではない。とりわけ、その過去を悔やんでいる者ならば、なおのこと。

 ゆえに今初めて、切嗣は微かにではあるが、〝セイバーに対して〟感情を覗かせている。

 沈黙が消えることはないが、ただの静寂とも言えなくなったその場の空気が二人の間を漂う。

 ……だが、元々二人は言葉を交わしたかったわけではない。切嗣は驚いただけで、セイバーもまた、彼にその反応を求めていただけではない。

 彼女がしたかったのは、それを言葉にするということだけ。

 ただ漠然と、自分の見てしまったそれを――――触れてはいけなかったかもしれないそれを、ただ伝えたかった。

「……気分のいいことでなかったですね。

 申し訳ありません。ですが――ただ少しだけ、どうしてもそれだけは伝えねばならなかった気がして。

 …………ごめんなさい。では」

 そう言って、彼女は立ち去った。

 去ろうとしていたはずの、切嗣よりも先に。

 そして、彼は結局何の言葉を発することもなく、珍しくただ呆然となったまま立ち尽くしてしまう。

 

 

 

 ――――そんなアインツベルンの城に、一人の悪鬼が訪れるのは、それから程なくしてのことだった。

 

 

 

 *** ある悪鬼の陶酔

 

 

 

 男は震えていた。

 恐怖にではなく、歓喜に。

 今宵こそ、漸く彼の取り戻したかった〝彼女〟の輝きを取り戻せる。

 その身に宿した、高潔で尊く……どこまでも甘く美しい、聖女の心を。

 そのための贄は既に揃った。

 あるべくして、彼女はそれを救うだろう。

 けれど、それは叶うことはない。……何故なら、〝在るべくして在る〟その聖女の誇りを、全て取り払い取り戻すことが彼自身の今の望みなのだから。

 

「っふふふ……待っていてください、我が聖処女よ。

 今、貴女の軍師が御身の元へ馳せ参じます故――――」

 

 悪魔の足は、それに相応しく。

 御伽の中にあるようなと噂される、街外れの深い森の中へと向かっていくのだった――――。

 

 

 

 *** 行間 ある王の供物の行方

 

 

 

 戦いの狼煙が、再び上がろうとしていた頃。

 冬木市の上空を飛ぶ、巨大な王座の上で――ちょっとした企てがなされていた。

 

 

 

「――なぁ、遠坂。本気なのか?」

「はぁ……ったり前でしょ。ここでほっといたら、私たちの記憶のまんまになっちゃうじゃない」

「いや、でもさ……」

「ごちゃごちゃうっさいわよ。良いのよ、今は。取り敢えずアンタは、倒さずに撤退させることに死力を尽くしなさい。

 あ、それかセイバー奪ってきても良いわよ? 何だったら、お母さんの方でも良いけど」

「んなこと出来るかよ……つか、こっちのアイリさんはそもそも俺のこと知らないって」

 というか、その前に親父に一〇〇%殺される。

 士郎は一人、〝あかいあくま〟のお達しをそんな考えで捨ておこうとする。

「セイバーはともかく、アイリさんの方は冗談よ。

 兎に角、例の作戦が出来たら速攻で外道どもを改心させてやるんだから! あ、ちなみにアンタもよギル。その性根も後で叩き直してやるわ」

 我が家崩壊フラグはへし折るぜ! と言わんばかりの凛。

 しかし、子供好きな慢心王はそれを一笑したのち、更に高笑い。

「はっ! 思い上がったな、小娘。

 良いだろう、貴様の様な雑種が(オレ)にどう一矢を報いるか、試してやろうではないか!」

 あはははっ! と、やかましく笑うギルガメッシュ。

 普段ならムキになる凛だが、どうやら今回はそこまでする必要すらないらしい。

 

「――――アンタのご飯、一週間あの麻婆にするわよ――――?」

 

 勿論、士郎による救済もない。

 そんなちょっとした、何でもない呟きだったが、効果はてきめん以上である。

 ついでに、予備令呪は協力者である璃正の腕にあるので、今の凛ならば、やろうと思えばギルを縛ることは出来る。……ただ、「ご飯は麻婆以外駄目」なんて命令に使われる令呪はある意味哀れだが。

 因みに、〝いやー、カレイドな凛さんは恐いくらいに強いですねぇ〜〟とは、そういう風にした張本人のルビーの談。更にいうと、令呪を考えた臓硯が、草葉の陰で泣いているか……それとも平和な使い方に喜んでいるのかは謎である。

 そして、正義の味方な士郎は、天敵である〝あかいあくま(Not外道)〟には決して敵わなかったりするので、それが意味することはつまり。

「で?」

「ふ、ふははは! 良かろう、(オレ)が許す! どこまで貴様の行いが(オレ)に届くか、やってみせるが良い!!」

 冷たい確認に対し、虚勢の威勢を見せてくれた王様は、額に冷や汗を流していた。麻婆恐るべし。

 こんな調子で、原初の王すら手懐けた〝目の前の男の子(士郎)を助けられるくらい、隣に並べるくらい強い自分〟的な願いで爆誕してしまった遠坂凛は、絶賛無敵なのであった。

 彼女の横でその無双っぷりをひしひしと感じながら、士郎はふぅと溜息にも似た嘆息を漏らしたが、一先ずその事は置いておくとする。今求められるのは、この場において――如何に戦いを、勝敗の差なく収めることである。

「良い? 士郎。貴方のやるべき事は、やって来るキャスターを迎撃して、撤退させること。

 犠牲はなるべく出さない、なんてのは許さないわ。貴方は、その為にここまで招かれた。私はそうだと信じてる。

 ――師匠にここまで言わせたんだから、やり抜きなさいよね」

「……あぁ。勿論、やるだけやってみるさ。師匠の面目のためにもさ」

「その息よ。……って言いたいんだけど、やっぱり、どっか似てきたわね」

「――――言わないでくれ……」

 どっかの赤い弓兵ほど、皮肉屋でもニヒルになったつもりもない。士郎は苦い顔をしつつ、そんな事を言った。

 相変わらず嫌いなのね、なんて呆れている師匠には悪いが、生憎自分たちはどうにも認め合えない仲なのだ。……そんな事を考えてる士郎だったが、割と二人とも顔を合わせたら協力したりはよくしてたりするので、結局傍から見れば、ただの意地張りも良いとこなのだった。

 そうした和やかな雰囲気を孕みつつも、真剣な二人の表情は今宵の戦いにしかと向けられている。

 覚悟がないわけではない。

 そんなものは、元からしてあった。

 二人は、方いう生き方をして来たのだから。

 どうしようもなくお人好しで、歪な機械を見捨てられない優しい悪魔。

 他人を見捨てられないブリキの騎士は、身内を見捨てられない悪魔にいつも助けられる。

 そして、二人が組んだ時――成せなかった事はない。

「行くわよ――?」

「了解だ、遠坂」

 

 希望、なんてものがあるとまでは言わない。

 けれど、それを信じていないとは言わない。

 もしもそれがあるというなら、戦い抜いた先で、それを示すから。

 だから……今はただ、剣を取ろう。闇を照らす光を放とう。そのために、ここへ来たのだから――――

 

 二人の目指す明日は、もう手の届くところにある。

 

 

 

 *** 悪魔の誘い、滾る闘志

 

 

 

 空を飛ぶ王座がこの森へ迫るのと、時を同じくして――城の中では少しばかり騒々しくなっていた。

 

「……来たわ、切嗣。キャスターよ」

 あのときのテラスでの刹那の言葉の後、切嗣は妻のアイリに、この城の周りを覆っている結界に侵入者が入ってきたことを告げられた。

 そう、それは……まごうことなき、敵の気配。

 何の加護もなく、そこには邪悪しかない。

 だが、こうして出向いてきた相手は、まさしく切嗣とっては獲物も同然。

 倒せる相手ならば、ここで屠っておくのが得策。まして、相手はこちらのテリトリーにのこのこ現れたのだ。

 罠にかかった獲物を、わざわざとり逃がそうとする狩人もいない。

 〝魔術師殺し〟の名を冠するほどに、これまで戦いを繰り返してきた切嗣にとって――今のキャスターは屠ることのできる獲物。

 彼にとって、仕留めるのは至極当然のことだった。

 しかし、

「あなた……でも、入ってきたのは一人じゃないの。もう、二つ――いえ、それ以上に」

「……何?」

 どうやら、招かれざる客人は何もキャスターばかりではないらしい。

 状況をもう少し把握しなくてはならない。

 〝面倒なことになってきた〟

 そう切嗣は感じただろう。此度の聖杯戦争には、不明な点が多すぎる。

 

 ――初戦に現れた、得体のしれない〝八人目〟も、

 

 ――この戦争の最中に、急に起こった間桐邸の炎上も、

 

 ――行方不明事件の最中に冬木の街を震撼させた、ありえないほど膨大な魔力も、

 

 何もかもが、不明瞭だ。

 合理的な考え方、あくまでも最小の危険性(リスク)で最大限の結果を導こうとする切嗣にとっては、一体何がどうなっているのかが想像だにできない。

 少なくとも、こんな戦い方――こんな動きを見せるのは、誰かがこの戦争を動かしているからに他ならない。何か、特異な存在がこの戦争にいるのだと彼は考えている。

 きっとその『何か』は、言峰綺礼以上の仇敵として、切嗣の前に立ちはだかる。

 彼の危惧する点はそれだ。

 情報の無い敵、姿なき敵ほど……暗殺者である切嗣には最も重くのしかかる。

 そもそも、彼は戦士では無いのだ。戦場に希望を持つことも、そこで得る勝利に昂揚と陶酔を得ることも無い。

 欲しいのは結果だけ。だが、それを得るためには切嗣単体での力は小さすぎる。それほどに、彼の求めるものは大きすぎる待望であるからこそ。

 ゆえに、最小にて最大を手にいれる。

 

 この場でとりうる最良の手段――最善手を探す。

 

 今、彼の選び得る手段(カード)

 その全てが彼の脳裏で広げられ、そして〝戦術〟として構成し直される。

 少なくとも、幾つかの策はもともと用意している。だが、現状をより把握する必要があるだろう。まずは、敵の正体を知ることから始めなくてはなら無い。

 瞬時にその思考をまとめ上げ、彼は妻に次の一手への布石を打つための準備を要請する。

「……こちらの取れる手段は、キャスターに対しては有効なものばかりではある。が、まだ情報が足り無い。なら――よし。

 アイリ、遠見の水晶玉を用意してくれ」

 夫のその言葉を受けて、アイリはすぐにその準備を始めるべく、動き出した。

 そばにあった熱が離れていく。

 かつての彼であったのなら、そもそもからして、その熱すら感じることはなかっただろう。

 だが、今の彼は弱い。

 

 ――――どうしようもなく、弱い。

 

 一見冷酷に見えるその内には、どうしようもない脆さを覗かせる。

 が、それを吐き出すことは叶わなかった。……また、そうしようとすることをどこかで考えてしまっている自分が、どうしようもなく腹ただしい。

「ふぅ……」

 吸い残っていた煙草を踏み潰して、自分の中の弱さもまた捩伏せる。

 そんな下らないモノに、策だけの感情を持つ必要などない。彼の肩に乗っているのは、全世界六〇億の人の平和。

 それが偽善であること、独善的な行いであること、それを彼はもちろん知っている。だからこそ、それを嘆く己の独善を貫き通すためだけの担保もまた背負っている。

 六〇億の人類と匹敵――否、霞むほどの担保を背負っている。

 それは、彼の妻と娘。

 彼自身は認めはしても、その衝動に決して従うことは出来ないだろうが……それでも、どうしようもなく〝人間〟である彼にとって、その担保は重すぎるモノ。

 何物にも代えがたい、たった一つの宝。

 それは、血に濡れ汚れた彼には眩しく、そして尊すぎた。

 

 必要のなかった弱さを得てしまうほどに。

 必要のないはずの愛を思い出してしまうほどに。

 決して、自分が抱いてはいけないはずのそれを慈しんでしまうほどに……。

 

 そう。

 彼は鉄の信念と機械の身体を得ようとしている反面、

 どうしようもないほどに脆い、硝子細工の心を持った人間だった。

 本来、人は機械になどなれないのだ。それこそ、生まれ変わりでもしない限り。

 だが、彼はそれを求めている。

 軋みを上げ、崩れ落ちそうなほどに歪な在り方を、雁字搦めにした鉄線で括り上げても尚。

 弱さを抱いた彼にもし、何か幸いであるとするのならばそれは一つ。

 それはとても残酷なことだが、仕方がないことだろう。

 何故なら、

 

 

 ――――彼は弱いが……どうしようもなく、自身の理想に正しすぎるのだから。

 

 

 

 ***

 

 

 

 アイリが水晶に結界内の侵入者を投映する。

「いた」

 水晶玉に移る青瓢箪。

 異様なほど飛び出した目。

 間違いない、キャスターである。

「……こいつがキャスターか」

 ポツリ、と切嗣がアイリの隣でそう呟く。

 だが、今の彼女の意識は、傍にいる夫の声よりも、その水晶の中に見える光景に引きずられていた。

「これは――」

「人質、でしょうね……」

 セイバーの押し殺したような声に、アイリはそう言葉を重ねる。

 水晶に移る森の中には、無数の子供たちの姿が。そこにいたのは、まだ年端もいかない、あってもせいぜい小学生程度の幼い少年少女たち。

 何故こんなことを、と問うのは愚問であろう。

 ここ数日で起こった冬木で退い行方不明事件。その原因は、紛れもなくこのキャスターなのだから。

 そんな音をしでかした男が、こうして子供たちを連れてきて何をするのか――そんなことは、考えるまでもなく明らかだった。

 そうして歯噛みしたアイリとセイバー。

 だが、その時。

「――――っ」

 キャスターが、こちらを向いて微笑んだ。

「……見破られて、いるの……っ!?」

『先日のお約束の通り、ジル・ド・レェ罷りこしてございます。随分と日が立ってしまいましたが……我が麗しの聖処女ジャンヌに、今一度、お目通りを願います。

 ――ですがまぁ、お取り次ぎはごゆるりと。私も気長に待たせていただくつもりで、それなりの準備をしてきましたからね。そのための余興は用意してきましたので。

 なに、他愛のない遊戯なのですが……少々、御庭の隅をお借りいたしますよ?』

 嫌な笑み。

 それに呼応するように、子供たちの意識が解放される。だが、キャスターは何も焦ることもない。

 当然だ。

 彼にとって、これは遊びにすぎないのだから。

 子供達は怯える。自分が置かれた状況がわからないままに。

『さあ、子供たち。鬼ごっこを始めますよ〜?

 ルールは簡単。私から逃げ仰せればあなたたちの勝ちです。……ただ、私があなた方を捕まえた時は』

 キャスターの手が、目の前に立っていた少年の頭蓋を掴み上げる。

 子供は、恐怖のあまり益体のない音を口から漏らすだけで、逃げる気すら失せてしまったように顔を蒼白に染める。

「止めろ……ッ!」

 意味がないとわかっていても、それを見ていてセイバーはそう言わずにはいられなかった。

 そんな思いも虚しく、キャスターの手に力が籠り始める。

 後数秒もしない内に、子供の頭蓋は簡単に握りつぶされ、子供の残骸はキャスターの手からボロボロと地面に落ちていくだろう。

 キャスターは子供達に呼びかける。

「さあ、お逃げなさい。出ないと、次は貴方たちがこの子の様になってしまいますよ? 百を数えたら追いかけますので――さあ、この光景をその目に焼き付けなさい」

 子供達は一瞬だけ固まると、すぐさま逃げなければと本能のままに駆け出した。

 キャスターはそれを楽しそうに見ると、再びアイリたちに呼びかける。〝来るのでしたら、どうぞゆっくり。待つ間のおもちゃはいくらでもある〟と。

 

 そこが、二人の限界だった。

 

 子を持つ母であるアイリには、目の前で殺される子供たちをそれ以上見捨てることは出来るはずもなかった。

 夫に何を聞くよりも先に、彼女はセイバーに頼んだ。

「セイバー、キャスターを倒して」

 それを受け、

「――分かっています」

 待っていたとばかりにセイバーは夜の中へと疾走する。

 英霊としての力を解き放ち、弾丸のように彼女は城を飛び出していった。

 それを、切嗣は目で追うこともなく、どうでもいいように放置する。自らのマスターのその態度に、結局まだ何も変わっていないのだということをセイバーは再び噛み締めつつも、今自分のするべきことを為すべく、森の中を駆け抜けていく。

 

 

 

 遂に、御伽の森と噂される森の中、一人の悪魔と王の戦いが幕をあける。

 

 

 

 そして、悪魔の手にかかる子供の前には、もう一人――現れる者の姿があった――――。

 

 

 

 

 

 

[newpage]

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 騎士王が夜へ向けて駆け出したのと時を同じくして、二人の男が森の中へと新たに足を踏み入れていた。

 

()くぞ」

「御意」

 

 ブロンドの髪をオールバックにした青の洒落たスーツに身を包んだ男と、深緑の装束に身を包んだ少し癖の強い髪を逆立てたような槍兵が、今共に御伽の森へと足を踏み入れた。

 二人は暫く森を進み、その奥にある城の影が見えた辺りで一度別れる。

 が、その前に。

「ランサー、今ちょうどセイバーが交戦を行なっているのは分かっていような?」

 ケイネスはランサーにそう問うた。

 その問いに対し、ランサーもまた即座に応える。

「はい。恐らくは、例の〝キャスター(七人目)〟かと」

 ランサーの応じを聞き、ケイネスは改めてもう一度だけ彼に今宵の戦略の確認を取って置く。

「よし。ならばランサー、貴様は奴をセイバーと共に打ち捨てよ。この聖杯戦争を汚す下賤な輩には早々にご退場願え。

 そして、私がセイバーのマスターと戦う間、セイバーを食い止めておけ」

「心得ました」

 そういうと共に、ランサーは霞となって霊体のままセイバーとキャスターの元へと駆けて行った。

 次第に主従のパスが遠くなるのを感じながら、彼は柄にもなく、今宵の幸運を噛みしめるような気分になる。

 結局ここまで満足な成果を何一つ示せていない彼にとって、何かしらの勝利の証が必要だったのは言うまでもない。ただ、その為の何かを考えようとするよりも先にこうして表に出て来たのは、なにも苛立ちによる激昂だけではなかった。

 確かに彼は、初戦で何の手数も合わせることの出来なかったセイバーを早く仕留め、初日の無様さを水に流したかったが……それよりも先に、欲しいものがある。

 先日、彼の御三家である〝マキリ〟の屋敷が焼失したとの報告に驚くまもなく、監督役である言峰璃正より通達のあった『キャスター討伐における追加令呪の付与』という褒賞。

 初戦で一角消費してしまったケイネスには、喉から手が出るほどに欲しい代物だ。とりわけ、自らのサーヴァントに不信感を抱いている身としては、手綱は幾つ有っても良いと思えるだろう。

 そのために、一度キャスターを倒そうと冬木の街を探そうとしたのだが――目にした光景に、ケイネスは一瞬唖然となった。

 そもそも、優れた魔術師である彼にとって、魔力の流れを辿って敵を探すのは造作もない。まして相手は、ここ最近行方不明事件を堂々と巻き起こしているような狂人てある。

 いかな魔術師のサーヴァントとはいえ、相手にもならないだらうと思っていた。

 けれど、キャスターの動きにケイネスはその方針を変えた。

 子供たちをぞろぞろと引き連れ、マキリと並ぶ御三家の一つであるアインツベルンの本拠地である城へ向かうキャスターに、これは好機であるとケイネスは踏んだ。

 本来、魔術師たる者にとって――敵の拠点、つまりは魔術工房(ホーム)で戦うのは不利益しか生まず、避けるのが原則である。

 だが、生憎とケイネスはそうしたら原則の内に留まるほど弱くない。

 無論ただ挑むだけなら良くはないが、サーヴァントが出払っているとなれば、必然残りはマスター同士の魔術戦による一騎討ちということになる。

 そうなれば、ケイネスには敵はない。

 こと〝魔術〟に置いて、彼を上回るマスターは存在しないという事実を以て、彼はそれを是とした。

 如何に罠を張り巡らせようとも、彼の魔術礼装には敵はない。

 ホテルの爆破や、崩れ去る建物の崩壊からさえ逃げ果せたという事実と自信。どうしようもなく付き纏う生まれ故の誇りと奢りが、その判断をより強固に肯定する。

 ……彼を突き動かすものすべてが、半ば仕組まれたものであるにも関わらず。

 そんなことは知らぬまま、戦いにおいての経験が圧倒的なまでに不足している若き天才は、自らのハマる泥沼のような過ちに気づかぬまま、森の中を進んでいく。

 

 そうして、ケイネスは毅然と歩みを進めていく頃――この森のあちこちで闘いが幕を開け始めていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「――さあ、この光景を目に焼き付けなさい」

 

 キャスターの腕が、子供の頭蓋を握り潰そうとする。

 握られた子供は、もう既に生きるための気力や希望など何もかもが無くなっていた。

 逆にキャスターの昂揚は、子供の自我の消失と共にどんどん高まっていく。事実、彼の心中は恍惚に染まっていた。

 本来なら、直ぐにでも〝ジャンヌ〟の下へと参じたかったが、ここ最近冬木では不可解な出来事が起こっていたのは彼も感じていた。加えて、彼の現世での主――牽いては、同じ芸術(アート)への情熱を抱く相棒でもある雨流龍之介が、この前攫ってきたはずの子供に逃げられた際に腕輪を壊されたらしいので、その補修の時間もかかった。

 故に、

「っふふふ……!」

 そのための余興にも、より熱が籠るというもの。

 子供を集める為も掛け、こうしてそれなりの人数を集めている。あとは、〝ジャンヌ〟が来るまでの間にこの地を悲劇に染めるだけ。

 そうすれば、きっと彼女は神の枷から解き放たれるのだと……キャスター、ジル・ド・レェはそう信じている。

 なれば、そのための惨劇はより盛大に。悲劇はより悲惨なものにならなければならない。

 子供たちが、背に受けた〝同じ子供が殺された事実〟を知る音。それがギリギリ、逃げ出せそうな距離まで来た瞬間に、届くように。

 ジルは、彼らがそれだけの距離をとれる位置まで行けるのを待っていた。

 あと少し。……もう、少し。

 さあ、盛大な開幕の花火となるべく――ジルは、子供の頭蓋を握り潰そうとした。

 彼の脳裏には、既に陶酔した感情のみが残っている。今日、この時を以て――――聖処女の復活をする、と。

「さあ、神よ! 貴殿の呪縛より、我が麗しの乙女を取り戻すための儀をこれより始めますぞ……?

 貴殿の加護とやらが、その寵愛とやらが、如何に無意味なものであるのか――――今ここに知らしめてご覧に入れましょう!!」

 高らかにジルがそう宣言する。

 もう、子供たちにはそこが地獄にしか見えなかっただろう。

 何もかもが、血に染まる。本能で、彼らはきっとそう感じている。

 この世全てが地獄に染まる。何もかもがここで終わる。これから先にあったはずの未来を、彼らは奪われてしまう。

 ……そのことが、どうしようもなく許せない、度し難い程の業を背負った男がいた。

 

 

 

 〝――我が骨子は捻じれ狂う(I am the bone of my sword.)――〟

 

 

 

 瞬間、一閃。

 闇を裂くように、一本の矢がキャスターの腕を吹き飛ばした。

 刹那の内に、訪れた事象を認識するまで、彼らはいったいどれほどの時間を要することになっただろう。

 ジルは、自らの腕が拭き飛んだことを。

 子供は、自分が悪魔の手から離されたことを。

 

 ――少なくとも、それは決定的な隙となった。

 

 これは、ジルがここを訪れるまでに時間が掛かってしまったこと。そして、彼があまりにも陶酔するほどに、自分の行いに酔ってしまったことが原因だ。

 このことが、この場で起きるはずだった悲劇を蹂躙しつくしてしまった。

「逃げなさい」

「っ、……ぇ?」

 唐突に傍らにあった声に、先ほどまで命運を悪魔に握られていた少年は驚いた。

 赤い少女がそこにいた。艶のある黒髪がふわりと揺れ、その青い瞳は暗い闇の中でも光を放つ。

 失われぬ輝きのようなものが、その少女にはあった。

 思わず言葉を失いながらも、少年は自分の状況を把握しようして周りに目を向ける。

 目の前に、黒と白の剣を手にした子供がいた。

 年は、自分とそう変わらない。

 なのに、彼は臆することなく悪魔の前に立つ。その姿は、彼の目には一体どう写ったのだろうか? ……だが、きっとそれは誰にも分からない。

 しかし、

 

「――好き勝手しやがって。人の命は、お前の玩具じゃない――!」

 

 その一言は、その場の人々に希望を持たせるには、きっと十分だった。

 琥珀色の瞳が、始まりの夜と同じように悪魔を視る。……闇を晴らす様に、正義の味方として。

 ――今宵の悲劇は起こさせない。

 ただ、それだけの決意を持って、少年はここに立つ。

 

 

 

 

 

 

 ――動き出した運命は、終わりへの道を示し始める。

 

 

 

 ***

 

 

 

「これは……?」

 悲劇を止めるべく、駆けつけたはずのセイバーが目にしたのは、悲劇ではなかった。

 その場に広がっていたのは、奇妙過ぎる光景だった。

 二人の子供がキャスターの前に立っていて、その周囲には子供たちが立っている。逃げるでもなく、だ。

 〝一体どうなっている?〟

 彼女がそう感じるのは無理からぬことだろう。

 けれど、それでもなお、目の前にある光景は常軌を逸していた。

 サーヴァントの前に子供が立っている。これだけでも在り得ないと断言できるが、その上、キャスターの片腕が潰されている。

 いかなる手段を以てそんなことをしたのか、セイバーには想像もつかない。

 ……だが、そこに立っている二人。黒髪の少女と、赤銅髪の少年を――彼女の〝直感〟が良しとしている。

 不思議と、胸が高揚する。

 それは、彼女の最初の夜に感じたものと同じ。

 優れた〝直感〟スキルは、未来予知にさえ匹敵するという。

 図らずして、彼女はそれを体験してもいるのだが、生憎と本人にはそれを判別・認識するだけの確証はない。

 故に、彼女は今この場をらしくもなく呆気にとられたままで見るのみとなった。

 

 糸の張りつめたような刹那の空白が場を漂う。

 

 その均衡を破ったのは、今しがた腕を潰されたキャスター、ジル・ド・レェでその人だった。

「な、――んなァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!???」

 何をされた!? と、ジルは驚愕のままに叫びをあげる。

 痛みにではなく、一体誰がこれをしたのかという現実について。

 今宵の儀式を、初っ端から台無しにして掛かる蛮行――それは、ジルにとって、目の前の余興以上に今すぐ排斥するべき『悪』そのものであった。

 だが、それを成した本人はジルの事を睨みこそすれ、彼本人にそれほど集中してはおらず、傍らの少女に今この場の状況を確認している。

「遠坂、皆に何か魔術の痕は……?」

「そうね……何か〝良くないもの〟を仕掛けられている感じはする。多分、寄生の類だと思うわ。でも、今の内ならあんたの投影で造れるものでどうにか出来るわ」

「了解。それじゃあ、解術は任せるよ。俺は、あいつを止めとくから」

「分かった。でも、無茶すんじゃないわよ士郎? まだ、やることは残ってんだからね。特に、あんたのお父さんのコトとか」

「…………分かった。そしてすまん」

「今に始まったことじゃないでしょ。それに、あんまギル待たせるとあいつの方が先に暴走するかもしれないわよ?」

「そりゃ困る……」

 そう締めくくると、シロウと呼ばれた少年は前に彼が造ったどこか歪な形の短剣とは対になるという、それとは反対に整った形の杖を造りだした。

「じゃあ、頼むぞ。遠坂」

「はいはい。……にしても、あんた私が今ルビーと繋がってるからって、魔力持ってき過ぎじゃない? 少しは遠慮しなさいっての。

 全く、魔力の生成量だけはどんだけ成長しても足りないんだから。わたしか桜がいないといけないんだから」

「む……。確かにそりゃそうだけどさ、でもこの世界来てからは魔術回路を身体に馴染ませちゃった所為でだけど、固有結界だって使ったし……」

「短期決戦、それもランスロットとの共闘でしょ? 私が魔力あげてギルを倒したときとか、アーチャーの腕を手に入れたときに比べたら全然じゃない。

 やっぱり、私たちがいないとダメダメなんだから」

 どことなく楽しそうに言われて、士郎はため息をつく。

 いつまでたっても敵わない、と、どこかぼやくように言ったのち、剣を構える。

「いくぞ」

「ええ」

 こうして、二人は一気に思考を戦闘の方へとシフトさせる。

 士郎の目がジルと交錯する。

 敵を捕らえたジルは、怒りに顔を歪ませながら咆哮した。

「き、っさまらぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!! 

 誰の許しを得て、私の邪魔立てをぉぉぉおおおおおおっっっ!!!???」

「うっさいわよ、目ん玉悪魔。私たちが何しようが、私らの勝手でしょ? あんたは悪で、私らは正義。こっちには正義を愛するステッキと、どうしようもない頑固な正義の味方までいるんだからね!」

「いや、それ自慢するところじゃ……」

『流っ石です凛さん! それでこそ私のマスターですよー! そこの神代の魔女っ子の杖に浮気したことさえわすれますから、バンバン愛と正義(ラブ&パワー)しちゃいましょー!!』

 先ほどまで成りを顰めていた五芒星と羽根飾りのついた杖、マジカルルビーが凛の心の昂揚に合わせるように、彼女の髪の中から飛び出してくる。

 それを見て、

「面妖な……子供とはいえ、我が麗しの聖処女(おとめ)の解放の儀を邪魔する者は、何人たりとも許しはしませんよぉおおおおおおっ!!」

 自分のことは棚に上げ、それを面妖と称したジルはすぐさま、目の前の敵を倒すために動き出す。

 彼の手にある魔導書が怪しい光を放つ。

「っと、させるかっての!」

『転身したいのはやまやまですが……まぁ、今回は省略も仕方ないですねー。ではいざっ!』

「いくわよ――放射(フォイヤ)!」

 凄まじい量の魔力が収束された砲撃が、魔術師の『(クラス)』に当てられた英霊へ向けて撃ち放たれる。

 子供の筈の敵から、思いもよらぬ一撃を放たれ、ジルは驚いたようにそれを躱す。交わしながら、彼はようやく自身の腕を吹き飛ばしたのが、目の前の二人であることを認識する。

 狂人ではあるものの、彼は元は才に溢れる軍師。

 敵を倒すために、彼は自分の要してきた策を発動させようとする。

 元々は、この場に来るであろう〝ジャンヌ〟を出迎えるための準備ではあるのだが、この際仕方がない。ひとまずは目の前の敵を討つことが重要である。

 それに、手数の点でいえば――通常、ジル・ド・レェには途切れるという事はまずないのだから。

「ふふふっ……」

 手にするは、彼の盟友プレラーティが残しし、魔書。

 この魔書の名は、盟友にちなんで、彼はこう名付けた――『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』と。

 使用者に無尽蔵の魔力と、海魔を従えるすべを与えるという逸品である。

「勇者というのは何時の時代もいるようですが……決してその程度の武勇や気概などでは覆すこともできない、数の差というものを、彼の聖処女の軍師たるこの私が享受して差し上げましょう!」

「士郎!」

「了解!」

 手に持った双剣を投げ、士郎はジルに次の動きをさせまいとする。

 空になって彼の手には新たに剣が生まれ、その周囲を取り囲むように剣が生まれる。

工程完了(ロール・アウト)……! 全投影、待機。

 ――――停止解凍(フリーズアウト)全投影連続層写(ソードバレル・フルオープン)!!」

 生み出された剣が、まるで銃の様に撃ち出される。その光景に、セイバーは驚いた。

「な――!」

 こんな戦い方をする人間は、例え英霊の座に至った者の中にもいないだろう。

 どこかあのアーチャーに似ているが、それとは違う。あれは、〝取り出している〟のであって、こうして〝生み出す〟のではない。

 それに、傍らにいる少女が持っているあの杖は――?

「いくわよ――『修補すべき全ての疵(ペインブレイカー)』!」

『あーん、凜さんったら浮気者ぉ~!』

 ……杖、なのか? いや、一本は間違いなくそうなのだが。もう片方は何というか、うねうねと蠢ていて、ただの無機物という気がしない。

 魔剣か何かの一種か――と、セイバーが当たりを付けたのと合わせる様に、杖から放たれた光が周囲の子供たちの身体に染み込んでいく。

 一瞬皆の顔が歪むが、すぐに我に返ったようにハッと顔を上げた。

 邪気が祓われたと判る魔力の残滓が立ち上り、子供たちの中にあった『何か』が消え去る。

 それで驚愕したのは勿論、他ならぬジルである。

「な、何を――!?」

「何って、別に。どっかの魔女の性格が歪む前の夢見がちな乙女心(やさしさ)の象徴よ」

「そして、お前もこれを終わりだ――――赤原猟犬(フルンディング)

 言葉と共に放たれた赤い矢に、ジルは歯噛みしながらも応戦しようと再び魔書を翳す。

 計画通り、とはいかなかったものの……それでも彼もまた、形こそ狂い切ってはいるが、譲れぬ信念の下でここにいる。

 だからこそ、彼にはここでは引けない。

 贄とすべき者はいる。ならば、後はそれを喰らい増える者たちを呼ぶのみ。

 通常よりも魔力は掛かるが、今は仕方がない。

 彼の持つ、『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』が再び光を放つ。

 すると周囲から海魔が生み出されて、呼び出した主たるジルを矢の攻撃から庇った。

 そして、それはある意味で妙手である。

 ――――ただし。

 その赤原猟犬が〝本物〟であったのなら、の話だが。

「――壊れた幻想(ブロークンファンタズム)

 言葉と共に、()がその内側に秘めたる神秘を解放する。

 神秘とは、その高さ故に強いものだ。例えば、名のある英霊は、その知名度などによってその力を補正されることもある。補正とは、例えば生誕の地であり、戦った土地であり、時に人々の信仰でもある。

 人々の心にある分だけ、その幻想はよりその輪郭を鮮明にする。

 則ち、それを解放するということは、これまで積み上げられてきた数多の夢を砕くことと同義。

 それ故に、その爆発的なまでの威力を得るのだ。

 幻想が砕け、その力でジル・ド・レェを焼き尽くす。

 だが、魔力を一層消費し、吹き飛ばされた英霊の血肉によって呼ばれたそれらが吹き飛ばされ、辺りに広がった海魔の残骸。

 それを更に介して、海魔が呼び出される。

「数ばっかりがうじゃうじゃと……でも、厄介ね」

 凛の言葉はその通りではあった。

 いつの間にか、周囲一帯を覆い尽くす海魔たち。

 次第に包囲網を固め、士郎と凜だけでなく、もっと狙いやすい獲物――逃げられていない子供たちへと目標を定める。

 血肉を得ることで、更なる呼び出しを企てるジルは顔を悪辣な笑みを浮かべて、嗤う。

「ぅ……ぅぅっ」

「っ、ひっ……ひくっ」

「えぐ……っ、ぅ……」

 子供たちの嗚咽が僅かに木霊する。

 蠢く海魔たちの呻きの様な声に、子供たちに生まれたはずの希望が段々と薄れていく感覚。

 まるで縋るように、彼ら彼女らは士郎と凜の元へと寄っていく。それ自体は間違った行動ではない。少なくとも、恐怖でパニックに陥るよりは、皆はまだ心の均衡を保っている。それだけでも、十分に勇気があるといえるだろう。

 けれど、このままでは守り切れるかどうか――。

 特に、この後にもやることが控えている二人としては、ジルを早く退けたい。

 あくまでも今夜の目的は、他陣営への勧告。特には、まだ何も知れていないセイバー陣営への勧告だ。

 ハッキリ言うと、凛の言からして『あんたの父親とか、綺礼と同レベルの破綻者じゃない。ベクトルは反対だけど』といったものである。なので、その正義厨(偶に凛が士郎とアーチャーに使う)たちを一旦諫めようとするつもりである。

 ……しかし、このままでは。

「士郎。固有結界で、こいつらを飛ばせる?」

「あぁ、じゃあ遠坂は皆を森の外に……」

 と、二人が最大の殲滅手段に出ようとした、その時。

「――子供相手にこの所業、頂けんな」

「――同感です」

 赤と黄の槍が、暗闇を裂いて現れる。

 そして、それに呼応するように不可視の剣が纏った風が海魔たちを切り払う。

 青と緑の装束に身を包んだ、二つの影。夜の冷たさを輝きに照らしていく様な、端麗さを滲ませる美しい二人の騎士たち。セイバーとランサーである。

 先ほどまで戦いを見るだけだったセイバーも、主と別れこの場に辿り着いたランサーも、戦いを邪魔にするほど無粋ではない。

 あくまで、今宵の救い主はあの二人。

 そうであるとしたのだが、これ以上無辜の子供たちが恐怖に駆られるのを見ているのは忍びない。

 二人が飛び出してきたのは、そう言ったわけからだった。

「助太刀させてもらうぞ、小さな戦士たち」

「この剣、今は貴方たちと共に振るわせてもらいます」

 頼もしい二人の登場に、士郎と凜の士気は上がる。だが、しかし。それは逆にジルの激情を煽った。

「貴様……誰の許しを得て、我が麗しの聖処女ジャンヌと共に……っ!?」

 呼び出したはずの想い人を、脇から攫われたかのような声を出すジルだが……それは、別段彼らには何の意味も齎さなかった。

「ふむ――なぁ、キャスター。別に俺は、貴様の恋路にまでは邪魔だてはせんよ? だがな、そこのセイバーは俺と再戦を誓っている。騎士として、それを違えられるのはいただけない。

 それに、子供相手に数頼みとは、外道とはいえ些か芸がないのではないかな?」

 フフン、と蠱惑的な笑みでジルにそういうランサー、ディルムッド・オディナ。そして、彼の言葉を受け、セイバーもまたこう応える。

「その通りだ。やりすぎたな外道、もはや貴様は聖杯を競うに値しない……この程度のことでしか己を示せんのなら、ここで斬り捨てる!」

 剣先を突きつけながら、言葉も共に突き立てられ、ジルは激情に駆られるままに叫ぶ。

「その女性(ひと)は、私の願いによって蘇った! その肉の一片から血肉の一滴、魂に至るまで全て私のモノだぁぁぁああああああっっ!!」

 最早そこに何か考えらしい考えなど無かった。

 思い浮かべた目論見は全て潰され、今目の前には作る筈だった惨劇の欠片さえも残っていない。

 そう、彼は今宵、するはずだったことを全てに失敗したのだ――――。

 

「――――覚悟はいいか、外道」

 

 セイバーのその言葉を皮切りに、運命は完全に変わった。

 こうして集まった彼ら彼女らは決して、背後にいる子供たちを見捨てることはない。

 その姿勢はきっと、子供たちの未来に残されるはずだった遺恨など全て吹き飛ばすだろう。

 それは、セイバーやランサーに言わせれば、戦場に置いての騎士の役割に起因するところとも言える。

 彼らの役割は、何も理想や忠義に従って戦い、主や国にその身を捧げる事ばかりではない。騎士の義務ともいうべき役割の一つに、戦場での希望でなければならないという側面を有する。

 人という生き物は、最悪の状況に陥っていくほどに、どんどん醜悪な側面を露わにして言ってしまう。だからこそ、そのためには何かしらの証明がいる。

 何時であっても、騎士とは戦場の華。

 光を示すものでなくてはならないのだ。堕ちていくものを、再び人へと戻していくための光。それが、セイバーやランサーにとっての〝騎士〟である。

 それは決して間違いではない。

 だが、決してそれが正解であるともまた言えない。

 だからこそ、人の争いは止まらない。――そのことを、セイバーは今瀬で再び理解した。

 ……とはいえ、彼女にとってそれが目の前の小を切り捨てる事と同義にはならない。

 だからこそ、彼女はこうして剣をとる。

 隣にいるディルムッドもまた、同様である。

 そしてまた、士郎と凜もまた、零れる何かを……零れてしまうだろう何かを掬い上げ、そして少しでも救いになるように願っている。

 故に、こうしてここにいる。

 信念は同じく。結果として、悲劇をなくしたい。

 

 

 

 ――そんな想いが、こうして悪魔の所業を終わらせるべく動き出す。

 

 

 

 ***

 

 

 

 森での戦いが佳境に入り始めた頃、城ではまた別の戦いが幕を開けようとしていた。

 

 城の入り口に、ケイネスが足を踏み入れる。

 心持ちが焦っていても、彼には彼なりのプライドに由来する作法、或いは〝しきたり〟とでも呼ぶべきものがある。

 それは、貴族の生まれならではともいえるかもしれないが、魔術師同士の戦いはあくまでも〝決闘〟である、という認識が彼の中にあるからであるともいえるだろう。

 魔術師たるもの、誇りをもって挑むべし。

 そんな彼だからこそ、この城で――つまりは、御三家の一つである〝アインツベルン〟の洗礼を受けたことが、その怒りを増長させる。

「アーチボルト家九代目当主、ケイネスエルメロイがここに推参仕る!

 アインツベルンの魔術師よ! 求める聖杯に命と誇りを賭して、いざ尋常に立ち会うが良い!」

 挑発的な宣告だが、応じる声は何もない。

 勿論ケイネスとて、馬鹿正直な決闘を期待していたわけでもないのだが……それでも、ここの主ないし魔術師が仕掛けていたらしい仕掛けの巻き起こした爆風に、眉根を寄せる。

「――ここまで堕ちたか、アインツベルン」

 彼の周りには、自身の礼装である水銀の塊が幕の形をとって彼を護っていた。

 時計塔、降霊科の天才児と呼ばれるロード・エルメロイの誇る最強の礼装。『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』と呼ばれるそれは、ケイネスの持つ二重属性の〝水〟と〝風〟の双方の合わせ技である『流体操作』を軸にした最強の攻撃手段()であり最強の防護手段()でもある。

 元々、天才とされる彼にはこの城に張り巡らされている結界も、城の門を護る術式もさして苦も無く破ることができた。

 そもそも、この礼装を用いている時点で、ケイネスに自身が敗れるなどといった考えはなかった。

 この『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』は、二重属性の流体操作によって動く代物だが、それがすべて手動という訳ではなく、ある程度の自律防御も可能である。

 勿論、使用者が指示するほど細かい動きが成されるわけだが、こと迎撃・防御に関してはそうではないことが多い。

 例えば、拳銃程度であるならば、秒速はおおよそライフル弾の三分の一。秒速にして、おおよそ三六〇m/sといったところか。

 これであれば、通常の十分な距離が空いていれば必然。そうでなくとも、銃口を向けられた瞬間に体面を覆う幕を張り巡らせれば弾丸を防ぐことは可能だ。

 しかし、それにはかなりのリスクが伴う。

 そうしたリスクが大きい程、人は危険性よりも安全性をとるのは必然。故に、ケイネスのとった安全策はこうだ。人の感覚よりも遥かに速い速度で、それこそ脊髄反射の様に〝攻撃〟に反応し、それを防ぎ、放った敵を察知し、それを見つけ攻撃する。

 こうして施されたその自律防御の精度は一流と呼んで差し支えない。事実、この門を潜って直ぐに襲ってきた地雷の爆風さえ防いで見せた。

 彼が先日のホテルの爆破から助かったのもこの霊装の力によるものだ。建物の倒壊、地上五〇mほどの建物の崩壊からすら逃げおおせるならば、その防御力はお墨付き。さらに、こうして速度まで備えられてしまえば、通常突破する手段はない。

 これほどの才能と武器を持ち合わせている彼が、自身の敗北を考えないのも無理からぬことだろう。

 加えて、彼は今何よりも払拭すべき至上の事項がある。

 その払拭すべき事項とは、彼が〝戦士としては二流である〟というもので、彼の婚約者であるソラウの言葉だ。

 焦がれている婚約者にそんなことを言われては、彼とて引き下がれない。この聖杯戦争に参加した理由からして、『自分の武勇を上げるため』である彼は、ここまでの失態を全て今宵の〝決闘(たたかい)〟でこれを示さなくてはならない。

 ……けれど、その願いはどうにも果たせそうにないようだ。

 

「下種め……」

 

 どうやら、先日ホテルを爆破した発破師はアインツベルンの手のものであるらしい。

 近代兵器にはとことん疎いケイネスだが、それでも先ほどの〝洗礼〟が魔術によるものでないくらいのことは判る。

 ため息を一つ吐くと、彼は僅かばかり嘆きにも似た表情を覗かせる。

 同じ魔術を学ぶ者として――何よりも、この戦いの発端である一族が、このような現代兵器に頼り切った〝無粋な〟戦法を取るとは信じたくはなかった。

 しかし、他の血族を入れないまま純潔を守り続けた、などという逸話を持つかの一族が専門である錬金術やホムンクルスなどの製造以外で、こうも実践的な戦いの手段をとれるはずもない。それは、第三次までの聖杯戦争の結果を見ていれば明白である。

 ならば、これは戦いに勝つために雇った第三者の手法。

 〝勝利に執着するのは結構だが、もう少し矜持を持ってもらいたいものだ〟

 そんな事をケイネスは考えながら、城の廊下を悠然と闊歩していく。

 周囲を見渡すと、それなりの装飾品が色々と目について回る。それらは、アーチボルト家の御曹司であるケイネスをしても中々目を見張るものばかり。

 現在ホテルを破壊されてしまい、埃臭い廃工場を拠点にしているケイネスは、この戦いが終わったらこの城を新たな拠点にしようかと考え始める。婚約者の機嫌が日に日に悪くなっているのもそうだが、貴族育ちの彼からしても今の環境はプライドが許さないといって差し支えない。

 破壊は最小限にして早々に敵を討ち取るか、と、余裕綽々とケイネスは廊下を歩いていくが、敵はお構いなしに無粋な殲滅手段をとってくる。

 降り注ぐ爆風や銃弾。

 けれど、そんなものはケイネスには通用しない。

 流石にしつこいそれらに、彼もうんざりしてきた。

 こちらが破壊の規模を抑えようとも、向こうが自身の拠点を何の感慨もなく破壊してくるのでは奪うどころではないだろう。

 ならば簡単に、向こうの居所を突き止めて倒せばいい。

 いくつかの節を詠唱し、礼装である水銀に指示を与える。

 すると、まるでその命令に応える意志があるかのような勢いで城中に水銀の手が伸びていく。

 〝手向かってくる気がないのなら、引きずり出して魔術師同士の決闘の何たるかを、指南してくれる〟

 ケイネスは、時計塔で出来の悪い生徒に罰を与える教師の心情になる。ここまで無粋極まりない戦いを見せてくれたのだ、ならばこちらは貴族として礼節というものを相手に叩き込んでやるがいいだろう。

 

「――――宜しい。ならばこれは、決闘ではなく誅罰だ」

 

 聞く人もなく、彼自身の意志の矛先として放った言葉ではあったが、その言葉と共に進んでいく彼の姿は、物陰に潜んだ小型のCCDカメラによって二階のサロンに送られていた。

 そこには、妻と自身の相方を先に退避させたこの城の今の主がいる。

 厄介だとは思っていたが、どうやら相手の力は聞き及ぶよりも凄まじい。仕掛けもさして効果が見られないことを考えると、自身もまた〝魔術師〟としての戦いをしなければならないと、衛宮切嗣は静かに自身が勝つための最善手を一度頭の中で反芻する。

 気を抜けば、一瞬で勝敗を持っていかれる。

 確かに勝つことは難しい。だが、ケイネス・エルメロイと衛宮切嗣の戦いは、その道筋を間違わない限り、必ずその行方は決まっている。

 何故なら、ケイネスは〝魔術師〟として天才であり、衛宮切嗣はそんな魔術師たちをカモにしている〝魔術師殺し〟――ならば、その行く末は決まっている。

 頭の中に完全に叩き込まれている城の見取り図を思い浮かべながら、迎撃するための位置を考えていた切嗣は、ケイネスがここへ来るよりも先に迎撃するための場所へ向かおうとする。

 が、しかし。

「……なるほど。『自動索敵』か」

 扉に手を掛けようとしたところで立ち止まり、切嗣は苦々しくそう呟いた。

 鍵穴から垂れる水銀の雫。それは切嗣が近づいた瞬間、まるで生き物のように鍵穴を逆行してその奥へと戻っていく。

 水銀が跡形もなく消え失せたのと共に、サロンの床が円形に刳り貫かれる。

 どうやら、事態は僅かばかり切嗣の当初の策より敵の方が先手を取ってしまったらしい。

 だが、それもまた想定はしていた。切嗣にとって、事態とは常に最悪を想定するものである。

 故に彼に失策という言葉は存在しない。相手を屠るまで、最善を取り続けるのが、〝魔術師殺し〟の戦い方であるのだから――――。

 

「見つけたぞ。ネズミめが……」

 

 余裕綽々と放たれたその言葉を皮切りに、今回の聖杯戦争における、初のマスター同士の戦いが始まった。

 

 

 

 ――――人の業と、誇りを求める我欲。

     明日を見るのは、果たしてどちらなのか――――

 

 

 



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第十八話 ~天秤の傾き、決着への一手~

 …………(無駄にシリアスでコメントが思いつかねぇ。前は何て書いたか)。


 矜持と信念の交錯

 

 

 

「――――見つけたぞ。ネズミめが……」

 

 銀色の海月の様になった水銀の幕が開くのと共に、余裕綽々とした声がその場に響く。

 ゆっくりと、サロンの中央に空いた穴から自らの従える水銀の塊に乗って浮上して来たのは、丈の長い洒脱なスーツと青いコートを纏った金髪の男。

 敵へと向けられた青い瞳には明らかな侮蔑が込められており、その(さま)は、戦いに来たというよりも寧ろ、罰を与えに来た執行者か教師のようである。

 が、今宵の敵は、その程度のことで怯む輩ではないらしい。

 向けられる侮蔑の視線には、冷たい殺気でその視線を投げ返す。

 光を失ったような漆黒の瞳と、それ以上に闇に染めたような黒ずくめの風体。もしもこの二人の対峙する様を見るものがいたならば、さぞかし対照的に見えただろう。

 しかし、その刹那の間すらも捨て去る様に、二人の決戦の火蓋は瞬く間なく切って落とされる。

 

 方や、戦場を駆ける猟犬として名を轟かせる〝魔術師殺し〟衛宮切嗣。

 

 方や、()の魔術の総本山たる『時計塔』の若き天才教師、〝ロード・エルメロイ〟を謳われるケイネス・エルメロイ・アーチボルト。

 

 共に規格外の要素を秘めた天才と鬼才。

 それとは裏腹に、二人は正反対に妻の心を手に入れたいと足掻き、妻と娘の命を賭して世界を望もうとする。

 規模こそ違えど、そこに賭ける信念や良し。時に一は全を、全は一を凌駕するものなのだなら。

 なればこそ――果たして運命の女神は、一体どちらに微笑むのか?

 

 ――――これは、それを決めるための戦いである。

 

 〝第四次聖杯戦争〟における、初のマスター同士の決戦の幕が、切嗣の撃ち放った自動小銃(カービン・ライフル)の盛大な火花と共に引き上げられた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 暗い暗い森の中で、子供たちは初めて絶望が希望に変わる様を直に見ていた。

 

 青い輝きが斬り伏せ、緑の疾風が魔を断つ。

 赤き光が闇を照らし、琥珀色の瞳が運命を開く。

 それらは、久しく人が忘れていた……純粋なまでに、善であろうとする者たちの戦いである。

 

 息をする事さえ忘れそうな程、少年少女はその戦いに見とれている。

 もし、その脳裏に残ることがあるのだとすればそれは――きっと希望という光のみ。

 人は、万能では無い。

 簡単なことで歪み、些細なことで闇に堕ちる。

 もちろんそれは、それは武勇を誇る英雄とて同じこと。

 しかし、だからこそその身はいつの世も光であらんと願われる。

 先へ進むための、一つの道標として……彼らは、いつの時代も人の心を救って行く。

 それを間違いとする者もいるだろう。

 いっときの夢であると、そう嘆く者もいるだろう。

 けれど、決してそれは無駄なことでも無意味なことでも無い。

 全て救うことが、ただのお伽話でも、どんなに罪深い祈りなのだとしても。

 

 

 

 きっと人は、それを信じ続けていける先にこそ、確かな未来を描けるのだから――――。

 

 

 

 

 

 

「ぉぉぉ――――うぉおおおおおおおぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!!」

 

 悪魔が嘆きの悲鳴を上げる。

 悲嘆に(まみ)れた悲鳴を上げる。

 

 それはきっと、

 彼の忘れてしまった光の証で、

 決して忘れてはいけなかった道標で、

 受け入れなければいけなかった一つの結末で、

 ――――きっとまた一つの〝希望〟の形だった。

 

 しかし、彼は罪を犯し過ぎた。

 余りにも、罪なき命を還し過ぎた。

 故に、ここで彼は知らねばならない。

 かつて己の守りたかった、それを今一度。

 

 そして、そのための光は、

 

「――――覚悟はいいか、外道」

 

 確かに、ここにある。

 闇は晴れる。幕開けのために、彼らは剣を取る。

 

 

 

 ***

 

 

 

 森の戦いが、その終幕を飾ろうとしていた頃。

 城の中では二人の男が、共に賭けるべき信念の為の雌雄を決しようとしていた。

 

 開口する間もなく、切嗣の手にあるキャレコが火を噴く。短機関銃から降り注ぐ九ミリ弾の雨を、ケイネスを守護する水銀は苦も無く防ぎきる。五〇発の弾倉が空になるまではものの数秒程度――しかし、それだけあれば〝詠唱〟には充分。

 瞬間――この戦いにおいて初めて、切嗣は己の『魔術師』としての真髄を覗かせる。

Time alter(固有時制御)――double accel.(二倍速)!」

 詠唱によって彼の体内を魔力が駆けるのと同時、止んだ銃弾の雨に合わせる様にして、水銀の鞭の様な刃が放たれる。

Scalp(斬ッ)!」

 それらはまさしく、死活の宣告と宣言の対比。

 だが次の瞬間、驚愕の声を上げたのは死の宣告者であった。

 迫り来る二本の水銀の刃は、切嗣に届くことなく空振りし、城の壁を破壊するに留まる。いかな破壊力を有していようとも、当たらなければどうという事はない。

「ふむ――少しは魔術師としての心得もあるらしいな」

 薄く笑い、ケイネスはそう呟いた。

 結果として、彼は敵を逃がしてしまった。だが、彼の中にあったのは、敵を屠る事が出来なかった悔しさでも、敵が躱してきたことへの称賛でもない。

 あったのは、急激に熱が逃げていくような感覚。

 ただの鼠ならばいざ知らず。仮にも魔術の恩恵を受けながらも、小細工に頼る卑劣漢。おまけに、手段は選ばぬ外道。

 立ち会うでも、名乗るでもなく。邂逅すら許さぬままに銃弾を放ち、当たらなかったと見えるや否や逃亡していった。こんな手段を取り、あまつさえ魔術師としての誇りを賭することもなく戦う。

 こんな人間は、自身と同じ『魔術師』を名乗るに値しないとケイネスは断じた。

「屑めが……死んで身の程を弁えるのだな」

 穴から階下に降りつつ、ケイネスはそんなことを口にしながら、敵の行方を模索する。

 敵が逃げ込んでいった穴は、先程ケイネスが空けたものだが……まさか彼の通って来た通りに出口に向かった、なんてこともあるまい。でなければ、いかにキャスターがいるとはいえ、わざわざ城に残っていたりすることはないだろう。となれば、少なくとも交戦の意志は向こうにもある。

 だというのに、望んでいたような決闘(たたかい)を行えるような相手ではないことが余計にケイネスの癪に障る。まるで嘆くかのように眉を顰め、苛立ちを隠そうともしないままに、彼は水銀に指示を送る。

Ire(追跡)sanctio(抹殺)

 下知を受けた水銀が、飛沫の様に城内を迸る。

 嗜虐的な笑みを浮かべたまま、ケイネスは獲物を探す。

 ……けれど、彼は気づいていなかった。戦うにあたって、自身が最も有効な初手(もの)を逃してしまったという事を。

 彼自身は決して認めないであろうが、状況判断の甘さ。自己への惜しみない賞賛や信頼。それこそが、彼が戦士としては二流であるという事の表れなのであるという事を、さして時間も置かずに体験することになる。

 

 

 

 

 

 

 一階の廊下へと躍り出た切嗣は、背後から即座に迫って来るかもしれない水銀の第二撃を警戒しつつ、手に持つキャレコの螺旋弾倉(ヘリカルマガジン)を交換。更に、彼の〝礼装〟であるトンプソン・コンテンダーの中に通常の弾丸を装填する。

 まだ、〝奥の手〟には早い。

 突き当りの柱の陰に身を隠し、背後を今一度確認する。

 だが、ケイネスの姿はおろか、水銀の影すら見えない。どうやら、敵は随分とこの戦いを愉しみたいらしい。恐らく、切嗣の位置を先ほどと同じように索敵し、その(のち)に仕掛けてくる腹積もりのようだ。

 〝――都合がいい〟

 そんなことを思考した切嗣だが、彼の肉体は、常人ならば耐えがたいであろう〝反動〟に襲われていた。

 そもそも、切嗣の使った先ほどの魔術は『身体強化』の様な単純なものではない。

 彼の使用したのは、『固有時制御』と呼ばれるもので――〝衛宮〟に伝わる『時間操作』を利用したもの。時間を調整するというのは、本来ならば『固有結界』の一種に分類されるもので、〝魔法〟には及ばないものの、かなり大掛かりな秘術ではある。

 しかし、戦場を生きることを決めた切嗣には無用の長物。

 大魔術などとは言っても指定した空間に〝過去化の停滞〟、或いは〝未来化の加速〟といった作用を施すこと――つまりは〝時の流れ〟を世界から切り離す――のは、『因果の逆転』や『過去への干渉』の様な〝時間の改竄〟に比べればさして困難過ぎるという訳でもない。

 しかし、そういった〝時間の調整〟であっても、結局は準備や設備が大仰になってしまう。加えて、往々にして不用意な『変化』を齎すモノは、〝世界からの修正〟が成されることとなる。

 と、これだけならばやはり切嗣にとっては不必要な物であっただろうが……彼は、それを自身の体内に効果範囲を限定することで、戦場で生きるための――〝魔術師殺し〟の力の一端として利用することに成功した。

 〝体内のみを固有結界にする〟ことによって、彼は体内時間を加速・停滞させる。

 これが、衛宮切嗣の用いる魔術――『固有時制御』の正体である。

 この魔術によって、切嗣は常人以上の反射速度や移動速度。或いは生命活動の遅延など、戦うことにおける要素へと転換しうるような力としたのだ。

 ……とはいえ、いくら体内のみに限定したとはいっても、〝修正力〟は容赦なく彼の身体に起こった変化を元に戻そうと働きかけ、容赦のなく変化を圧し戻す。

『固有時制御』における最も難と言えるのは、やはりこの負荷(はんどう)である。

 ごくごく一部を除き、世界からの〝修正力〟は万物に適応される。

 よほどの幸運か、或いは呪いか……もしかしたら、途方もない程の〝永久機関(ふへんせい)〟でも秘めていない限り、世界の流れには人は抗えない。

 個人の手で条理を捻じ曲げようとする『固有結界』とは、往々にしてそんなものである。

 故に、倍速や停滞をひとたび行った瞬間、切嗣の体の中はズタズタに捻じ曲げられているかのような感覚に襲われる。どれほどそれに慣れようとも、人の身体には限界があり、結論として彼が肉体を損壊させない程度に使用出来るのは〝倍速〟と〝三重遅延〟程度まで。それ以上を使用したとき、彼が立っていられる保証はない。

 今も尚、身体にかかる負荷に虐げられるような痛みが切嗣を侵す。

 だが、休む暇はない。――彼の肩のあたりに、ケイネスが放ってきた索敵の為の水銀の触手が迫る。

Time alter> 固有時制御]]――[[rb:triple stagnate.(三重停滞)!」

 鋭く詠唱を口にすると共に、切嗣の視界が一気に狭くなる。

 しかし、それとは真逆に彼の視覚はありえないほどの光を浴びる。

 何も、周囲の光量が増したわけではない。

 切嗣は自身の生命活動を三分の一に減速させ、身体の体温変化や呼吸、心拍音を明らか人間のそれとは異なるように押し留めたのだ。

 そのため、彼の視界には人間の通常浴びる光の量であっても、その捉える量がまるで三倍になったかのように感じられるというだけのこと。そしてこうしたことによって、切嗣はケイネスの索敵から逃れることになるだろう。

 ケイネスの用いている索敵は、別に使い魔によるものの様に目が見えたり、耳が聞こえたりしている訳ではない。……そもそも、無機物が生き物のようになる事例を切嗣は少なくとも見たことはないし、ケイネスがそんなものを用いているという情報もなかった。

 この索敵に置いては、標的の体温や心拍音、振動などを探っているのだと見て間違いはない。ならば、今の水銀には決して切嗣を見つけ出せないだろう。程なく水銀は元来た道をたどるように戻っていく。

 ――これでケイネスは、ここに切嗣がいないと確信しただろう。

 それを証明するかのように、停滞した耳から送られる音にも感じられ程、苛立った足音が此方に近づいてきている。

 好機は来た。最早、躊躇う理由などない。

Release alter.(制御解除)!」

 既に組み上がった勝利への道筋が、世界の修正力によって、今度は引き戻されるようになる切嗣の脳裏を駆け巡る。

 視界の明度が一気に戻り、切嗣の視神経が本来の反応速度を取り戻す。

 ――〝狩りの時間〟は、こうして始まった。

 近づいてくるケイネスを迎え撃つべく、切嗣は即座に一手目の構えを整える。

 柱の陰から飛び出し、敵がそこにいたことを認識した敵が驚きに塗れるのを遠めに見るとともに、構えた自動小銃(カービンライフル)が、狼煙の時と同様に火花を散らした。

 唐突に放たれた銃弾の応酬。

 だが、主の驚愕をよそに、月齢髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)は精確且つ速やかにその役目を全うした。

 目の前の現象に、ようやく思考が追いついたケイネスは、今自身の浴びせられている攻撃が先ほどの再演であることを見て取るや、防護膜の裏で失笑を零し、襲撃を掛ければ同じ攻撃でも当たると考えたかと考えていたらしい、〝杜撰な奇襲〟を嘲った。

「――馬鹿めが。無駄な足掻きだ!」

 ……けれど、そんなものは勿論有りはしない。

 無駄も、悪足掻きも、どれをとっても〝魔術師殺し〟に最も不要なものだ。まして、誇りや矜持、自尊心……あるいは、名誉や栄光など、万の塵芥にも劣る。

 敵にとって、最も必要なものはたった一つ。

 それを知ろうともしない彼に、この状況を読み解くことは出来なかった。

 加えて、敵が何を狙っているのかも、自分の礼装を信じ切っているケイネスには決して考えの及ぶことの無い領域――既に彼が〝狩りの獲物〟であるという事実を、彼の優秀なはずの頭脳は都合よく無視して、敗北への選択肢を選び取った。

 キャレコの弾倉が尽きるより先に、切嗣は右手に構えた大型の拳銃、トンプソン・コンテンダーを水銀の張った防護膜のど真ん中に向けた。銃口の先にいる標的(えもの)へ、切嗣は嘲るでもなく、音もなくただ口角を上げる。

 狩りの首尾は、上場である。

 たった一発の発砲音が廊下に轟く。

 派手でもなく、雨霰の様な猛威でもない。ただ一撃の、銃弾による貫通。

 

 ――――それが、完全に勝敗の天秤を余すところなく切嗣に傾けた。

 

Scalp(斬ッ)!」

 殺意のこもった一喝を受け、水銀が敵を屠らんと動き出すが、そんなモノは既に脅威ですらなかった。怒りに震える獲物の声が廊下に轟き、床を、壁を、次々と力任せに叩き壊す。その先にいる敵を殺そうと、杜撰な攻撃を返してくる。

 だが、冷静さを見失った獣など、最早敵と認識する必要もないのだ。

 水銀の動きは、確かに生物の様に機敏ではあるが、その実流動する液体という性質はそのままであった。

 仕組みとして、あの水銀の礼装は圧力を変えることでその形を変える。

 防護膜を張る時の仕組みもそのままで、キャレコの様に弾幕を張る武器に対しては薄く広く、より強大な一撃には厚く緻密に。

 斬撃を放つ時は、機動する鞭の部分が高速で動き、斬撃をぶつける部分である切っ先が切りつけるのだが、その威力の大本は遠心力によるところが大きい。そのため、実のところ斬撃自体の軌跡は掴み易い。とりわけ、切嗣ほどに近接戦闘の心得がある者ならば、それを見抜くのにさしたる時間も要することはなかった。

 今の両者の距離は、おおよそ十五メートル。

 これだけあれば、もう〝固有時制御〟も必要ない。

 となれば――ここからは、正真正銘の〝狩り〟だ。

 切嗣は、既に見切った水銀の動き、特性。そして、その限界を見てとった先にある詰み手を重ねていく。

 先程の一撃、その真の意味はここにある。

 逃走に移った切嗣を奴が追ってくるならばそれで良し、まだ自身の傷を治癒する思慮を残していればまだ挑発が足りないということだ。

 コンテンダーという近代兵器の威力を目の当たりにしたケイネスは、おそらく次はこれを通さない防御膜を作り出すだろう。自慢の〝ロード・エルメロイ〟という自尊心を、たかが現代兵器の一撃で破られた。これだけでも、奴の激高の程は先程の怒り任せの攻撃からも見て取れる。

 次に切嗣が同じ手段で、再びその身を穿とうとする時――ケイネスは全身全霊を込めた防御を展開し、コンテンダーの銃弾を完全に封じてくるだろう。

 いや、より正確には、

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 切嗣は心中でそう呟き、頭の中に馴染んだ城の見取り図を辿る。

 文字通り、これは互いの命を賭けた闘いで、二人がもう一度顔を突き合わせたその時、決定的な命のやり取りが成され――全ての決着――が着く。

 

 

 

 ***[chapter:追想 悪魔の記憶、ある光の啓示]

 

 

 

 森の中、新たに現れた加勢によって――士郎と凜の戦況は、一気に好転の兆しを覗かせていた。

 

 だが、それだけでは意味がない。

 

 ここで必要なのは、キャスターを撤退させることだ。

 決して、倒してしまってはいけない。そうした場合、取り返しがつかなくなってしまう。

 どうにかしてここを切り抜け、既に浮かんでいる幾つかの用意を済ませた後に、奴を倒さなくてはならない。

 おまけに、

 〝――小僧、小娘。城の中でも何やら戦いが始まったようだぞ?〟

 どうやら、厄介ごとがまた増えてしまったらしいことを上空に控えている原初の王が告げてくれた。……そして勿論、彼は自分から動く気はなし。

 その様子に、凛は怒り止まぬ様子で『こんなことなら、さっきの脅しで加勢もつけとくんだったわ』と、隣から物騒な呟きを漏らしたが、その気持ちは良く分かるので、士郎は反論を呑み込んだ。

 短期決戦――いや、要は暫く大仰に動けない程度に弱体化させてしまえばいいのだが、生憎それが難しい。

 次から次へと湧く海魔と、四人の背後に庇われている攫われた子供たち。

 これらを全て庇うには、どうにかして道を開かなくてはならない――その思考は一致し、四人の目標(ねらい)は一点に定められていた。

「どうです? 覆しようのない数というものは」

 今も、愉快そうな笑みを浮かべているキャスターの、左腕に抱えられている一冊の本。

 魔書――『螺湮城教本(プレラーティズ・スペルブック)』。あれこそが、ここに犇めいている悪魔たちを従えている大本である。

 あれさえ壊せれば、キャスターもこれ以上の反撃には出れまい。

 その意を汲む様に、セイバーが皆に声を掛ける。

 

 ――――ここで一つ、賭けに出てみる気はないか? と。

 

 その声を受けて、ランサーは「良いだろう。このままというのも芸がないだろうからな」と同意し、凛や士郎も頷いて了承の意を示す。

 一同の向くべき方向は重なり、一点を穿たんと燃える。

 そして、そのための一番槍は――この場に置ける最速の戦士が請け負うことに。

「私が道を開く。ただ一度きりのチャンスだ。風を踏んで走れるか? ランサー」

「――なるほど。その程度なら、造作もない」

 翡翠と黄土の瞳が交錯し、互いの意を酌み交わす。

 セイバーとランサーのしようとしていることを見て取り、呼吸を合わせ、次なる一撃へと備える。

 だが、キャスターはこの状況がまだ揺るがないものだと確信に見た多声で嘲る。

「何をぼそぼそと囁いているのです? さては末期の祈りですかな?」

 数に任させるままに周囲を取り囲む。なるほど、確かに彼の聖処女を支えたという軍師としては、正にらしいやり方であるだろう。

 多勢に無勢、少数は往々にして多数に蹂躙される――なるほど、確かにこれは真理だ。

 が、それは勿論、踊る駒が確かな単一の個体である場合の話である。

 もし、それらがたった一手で瓦解するような脆いものであるのならば、その理屈は成り立たないことになってしまうだろう。

 ……そう。今の状況は、まさにそれだった。

風王結界(ストライク・エア)!」

 セイバーの構えた剣を隠していた風のヴェールが解き放たれ、キャスターへの道を阻む海魔たちを吹き飛ばす。この一撃は、キャスターも確かに予想しなかったものではある。

 が、通常であれば問題はなかった。

 開けられた道は、再び魔の群れによって綻びを直す様に塞がれるだろう。

 しかし、

「な――ぁッ!?」

 にもかかわらず、彼が驚愕の声を漏らしたのは、この一撃はそれのみには終わらなかったからである。

 即座に塞がれるべき綻びを、その綻びとなった道を駆ける影に気づく。

 若草色の人影は、さながら風に翼を預けた燕の様に、風の航路を飛翔するように駆けていた。セイバーの造りだしたそれを、阿吽の呼吸で合わせたランサーが利用しキャスターへ迫っていく。

「獲ったり、キャスターっ!」

「ひいぃッ!?」

 右手に握られた赤い魔槍が、悪魔の呪いの根底を穿たんと突き出される。

 背後から主を護ろうとした海魔たちの攻撃も、後方深淵の様に放たれた殺と魔力弾によって防がれた。それを受けて、この一撃が、この場全ての想いを重ねるような者であることに、ランサーの口角は自然と上がる。

「抉れ、『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』ッ!」

 ランサーの声と共に突き出された赤槍が、魔書の表紙をその切っ先で抉る。遂に、全員の誇りを賭した一撃が魔書を穿つこととなった。

 だが、それは必殺には程遠い一撃でもあった。

 キャスター自身、自らの身体を槍が抉ることがなかったのを見て、再び邪悪な笑みを浮かべようとしたが……生憎と、それが叶うことはなかった。

「――? な……ッ!?」

 彼が見たのは、自らの『宝具』たる魔書がその力を失っていく光景。

 何が起こったのか、彼には直ぐには理解しがたいだろうが、その場にいる他の戦士たちにはその意味が良く分かっていた。

 

 宝具潰し――それこそが、〝魔を断つ〟とされるランサー、ディルムッドの魔槍『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』の持つ力である。

 

 紅の長槍の一撃が、悪魔の持つ魔書を抉り穿つ。

 邪気が霧散し、辺りの海魔たちが肉壊を通り越して血飛沫のように弾けて液状化に晒される。

 暗い森に蠢いていた闇の気配は一気に薄れ、それを象徴するように風の道を作り出した剣の輝きが悪魔の目に止まった。

「――――、……ぉ」

 一瞬目を奪われてしまうが、直ぐさまそれから目を逸らす。

 

 ――アレは見てはいけない。

 ――アレは理解してはいけない。

 ――アレを、知っては、いけないのだ。

 

 そうでなければ、きっと悪魔は悪魔ではなくなってしまうだろう。

 眩いほどの輝きは、何かを思い起こさせる。今知ってはいけない何かを思い出させる。

 

 

 

 ――――逃げなければ。

 

 

 

 今、直ぐに。

 この場を離れなければならない。

 思い出してはいけない何かからの逃避、避難、逃走を図る。

 悪魔は、自分が相手に与えるべき恐怖に晒されたまま、森から逃げ出そうとした。

 それを見て取った少年と少女。倒さずに、この場から満身創痍で逃げ出させるためにさらなる追い打ちをかける。案の定、悪魔は我先にと逃げ出した。

 自ら発した目くらましの中を、呼び出した海星擬きのようにうねりながら森を飛び出す。

 

 ――戦いは終わる。

 

 何を失うこともなく、何も失われることはなく……滞りなく、詰まりなく、この戦いは終わる。終わらせる。

 あと、たった一つ。城の中の結末をここで変えれば、この戦いは終わる。

 そのための準備は、とうに終わっていた――――。

 

 

 

 *** 幕間 交錯する一手

 

 

 

 森での戦闘が幕引きを覗かせていた頃、城での戦闘もまた――終結への足音を加速させていた。

 

 ――有り得ない。

 

 ケイネスはじくじくと自身の思考を阻害する肩の傷に蝕まれながら、城の廊下を破壊し続ける。

(有り得ぬ。こんなことは、断じて――ッ!)

 否定に否定を重ね、彼は自分を侵す感覚を脳裏から排斥しようとする。

 だが、城を壊せば壊すほど。

 その痛みの(もと)を排斥しようとすればするほど。

 ケイネスの心中は、言い得ぬ不快感に晒されていく――。

 

 もしもこれが魔術師同士の戦いであれば、彼はここまで怒りにさいなまれることもなかっただろう。

 

 ――しかし、これは〝戦い〟ではない。

 断じて、これは〝魔術師〟同士の戦いではない。

 そもそも、聖杯に欠ける望み事態はさして重要ではなく……こんな極東の僻地まで来た目的は、遠坂時臣や間桐臓硯を始めとした、この『聖杯戦争』を共に競う好敵手たちとの決闘を望んでのこと。

 故に、この傷は〝戦い〟によってのものではない。

 こんなもの、道端の小石に躓いた様なものだ。

 腐った床を踏み抜いた程度のものだ。

 服の裾に泥がはねた程度のものだ。

 

 ――〝怒り〟など、感じる事さえ馬鹿々々しい。

 

 野良犬にかまれた程度だと、笑い飛ばしてしまえばいい。

 事実、彼の表所は青く能面の様に無表情だった。傍目に見えるその様子は、〝怒れる者〟のそれではない。

 誰に憎しみを向けているわけではなく、彼が不愉快だと感じているのは、ひとえにこの世の不条理に対してのもの。

 敵――いや、敵とさえ形容したくはない今の相手は、不愉快な虫けらでしかない存在だ。視界に納めるのすら腹ただしいゴミの様なモノだ。

 だというのに、肩の傷がそれを許さない。こんなものを〝怒り〟の対象とするなど、〝ロード・エルメロイ〟としての沽券に関わる。決して、そんな事は有ってはならないというのに、それはまるで焼けつく酸の様に、彼の中をじわじわと焦がし続ける。

 己が内に向くその憤怒は、まるで子供の癇癪。

 思い通りにいかない、言ってしまえばその程度のことだが――それらに対しての滞りや憤りが、これまで人生を阻害されることの無かったケイネスの脆い器に、いまなお罅を刻み続けている。

 〝有り得ない――〟

 既に〝戦い〟ですらないこんなことで、傷を負うなど。

 〝あのような下膳のクズが、私の血を流すなど……有り得ぬ! 有って良いわけがないのだッ!〟

 彼は一言の罵倒も口にすることもなく、ただ夢遊病にでも罹ったかのような足取りで切嗣の後を追って行った。

 何の音も彼が発しない中で、彼を守護する水銀の塊だけが主の心内を反映したかのように、通りかかる廊下にある物を手当たり次第に破壊していく。

 絵画も、陶器も、瀟洒な家具も。一切の隔てりなく、何もかもを壊して進む。

 途中、幾つもの仕掛けもあった。

 無論の事、魔術的なものではなく近代兵器の類、所謂ブービートラップである。

 そして当然の様に、それらを蹂躙して進むケイネス。彼の礼装〝月齢髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)〟は、先程突破されたことが嘘のように――爆撃、銃撃、刺殺に圧殺。その他迫り来る数多の脅威から、己が主を完璧に守り通した。

 まるで子供騙しの玩具如く仕掛けを蹴散らす度に、その罠の滑稽さに笑いそうになった。

 けれどそれは、先程それによって手傷を追う事となったケイネス自身を笑うことと同義である。

 そう自嘲するたびに、返ってより一層内面が掻き乱され、心が煽り立てられる。

 本来であるならば、こんな下らない戯言に付き合う必要はない。

 彼の水銀――礼装は、こんなことの為に使われるべき代物ではない。ガンドを受け止め、霊刀を弾き、魔術の炎を、氷を、雷撃を突破するべき武装であるとともに……敵となるべき魔術師を驚嘆させ、異形と共に死を知らしめるための秘術であるべき代物なのである。

 

 ――なのに、今の彼の有り様はといえば。

 

 名も知らぬネズミ一匹にまんまと手傷を負わされ、自慢の礼装も一度ではあるが突破された挙句、今も辺りを取り囲む不愉快な児戯を防ぐのに使わされている。

 〝こんなことが、有っていいものか――ッ!〟

 積もり積もった苛立ちが頂点に達した頃。そうして続いたヒステリーの悪循環にも、ようやく終わりが見えてきた。

 水銀の自動索敵が、遂に獲物を見つけた。

 上階に逃げた以上、退路は有限。それは敵の側も分かっているのか、先程からピクリとも動かない。

 このまま登っていけば、いずれ三度目の邂逅へと行き着くであろう。

 逃げない敵、つまりは最後の対決を誘っているのだろうか――と、そこまで考えて彼は失笑する。脳裏に自然と浮かべた〝対決〟という言葉に、いつ間にか自分が散々と今宵の毒に晒されているのだという事が分かってしまった。

 が、もうそれも終焉。

 次に顔を合わせた時、その毒は完全に浄化される。

 ケイネスの聖杯戦争を狂わせた害悪は、ここで以て粛清されるのだから。

 報いられた一矢は、何のことはないただの不条理という偶然が呼びこんだだけだという事を、思い知らせてやらねばなるまい。解らせてやらねばならないのだ。

 対決などという言葉になるはずもない、ただ一方的なまでの虐殺――処刑によって。

 

 ケイネスが闊歩していくと、三階の廊下へと程なく行き付いた。

 ゆらり、と揺らめく月から窓を通し注ぐ光に照らされた廊下の突き当りに、奴はいた。

 逃げる気はどうやら本当にないらしい。

 この時ばかりは、真正面から二人は向かい合っていた。

 その距離三〇メートル弱。廊下の幅は六メートルで、遮蔽物らしいものは何もない。

 二人の男の間には、最早何もない。

 次の一瞬で、その全てが決まるだろう。

 

 お互いの次の一手――それら全てを以て、この刹那の開港は終結する。

 

 苛立ちにまみれたケイネスと、どこまでも冷淡な切嗣。

 どこまでも対照的な二人は、互いの次の一手の為に互いの是とする行動をとる。

「まさか先と同じ手が通じる、などとは思っておるまいな? 下種が。

 最早楽には殺さぬ。魔術で肺と心臓だけを再生し続けながら……爪先からじっくりと切り刻んでくれる。

 悔やみながら、苦しみながら、絶望しながら死んで行け。そして、死にながら呪うが良い。貴様の雇い主の臆病ぶりを……この〝聖杯戦争〟をここまで貶めた、アインツベルンのマスターをなァ!!」

 そんな怨嗟にまみれたような叫びと共に、火蓋は三度(みたび)切って落とされる。

 これまでの二度と同様に。――それゆえに、決定的なまでに異なる、この三度目の銃撃と水銀による防御のぶつかり合い。

 どちらも、その表情は笑みであった。

 互いに、自身の策がすべてハマったという確信の下での笑み。

 こうして女神の天秤は傾き始める。

 約束された勝者の為に、その傾きを確かなものにするべく、どこまでも正確無比な結末を用意するが――――。

 

 

 

 ……しかし、その結末は訪れない。

 結末は、正確無比な天秤を、その在り方を決して是としなかった、一人の少年の手によって防がれる。

 それと共に、一人の男は地獄を辿ることになるだろう。

 誰よりも熱く、誰よりも焦がれ続けた夢に正直すぎたゆえに、あまりに歪な在り方を辿り続け、どうしようもなく〝無知〟だった彼は――己の在り方そのものを、今一度、見つめ直さねばならない。

 

 ――一人の女を妻として生かし殺したことを、

 ――自分の娘を死ぬよりも辛い道を辿らせたことを、

 ――同じように理想に焦がれた少女を慟哭の淵に追いやったことを、

 ――一人の少年を救い、決して戻れない理想(みち)へと誘ったということを。

 

 それらすべてを、彼は知らねばならない。

 救いへの道の為に、犠牲を是とするのであれば――今、彼自身が心傷(それ)を追わねばならないのだと。

 赤い少女に命じられ、その手を一度離れ少年と共に降り立った、呪いと称されるほどの悪魔の手によって――――

 

 

 

 ――――彼は、自身の悪とする戦場以上に、最もおぞましい、ある〝過ち〟の地獄(きおく)を巡る。

 

 

 



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第十九話 ~巡る地獄、ヒトの本質とは~

 真面目な戦闘かと思った?
 残念、ギャグへの導入でしたぁぁぁぁ!! (まさに外道)

 と、つまり外道なら改心へ続く路をやっとかなきゃねぇ~。
 ―――その始まりです。


 悪魔の誘う、地獄の始まり

 

 

 

 ――――ゆらり、と揺らめく月から窓を通し注ぐ光に照らされた廊下の突き当りに、奴はいた。

 

 逃げる気はどうやら本当にないらしい。

 この時ばかりは、真正面から二人は向かい合っていた。

 その距離三〇メートル弱。廊下の幅は六メートルで、遮蔽物らしいものは何もない。

 二人の男の間には、最早何もない。

 

 次の一瞬で、その全てが決まるだろう。

 

 

 お互いの次の一手――それら全てを以て、この刹那の邂逅は終結する。

 苛立ちにまみれたケイネスと、どこまでも冷淡な切嗣。

 どこまでも対照的な二人は、互いの次の一手の為に互いの是とする行動をとる。

 

「まさか先と同じ手が通じる、などとは思っておるまいな? 下種が。

 最早楽には殺さぬ。魔術で肺と心臓だけを再生し続けながら……爪先からじっくりと切り刻んでくれる。

 悔やみながら、苦しみながら、絶望しながら死んで行け。そして、死にながら呪うが良い。貴様の雇い主の臆病ぶりを……この〝聖杯戦争〟をここまで貶めた、アインツベルンのマスターをなァ!!」

 

 そんな怨嗟にまみれたような叫びと共に、火蓋は三度(みたび)切って落とされる。

 これまでの二度と同様に。――それゆえに、決定的なまでに異なる、この三度目の銃撃と水銀による防御のぶつかり合い。

 どちらも、その表情は笑みであった。

 互いに、自身の策がすべてハマったという確信の下での笑み。

 こうして女神の天秤は傾き始める。

 約束された勝者の為に、その傾きを確かなものにするべく、どこまでも正確無比な結末を用意するが……

 

 ――しかし、その結末は訪れない。

 

 結末は、正確無比な天秤を、その在り方を決して是としなかった、一人の少年の手によって防がれる。

 それと共に、一人の男は地獄を辿ることになるだろう。

 誰よりも熱く、誰よりも焦がれ続けた夢に正直すぎたゆえに、あまりに歪な在り方を辿り続け、どうしようもなく〝無知〟だった彼は――己の在り方そのものを、今一度、見つめ直さねばならない。

 

 ――一人の女を妻として生かし殺したことを、

 ――自分の娘を死ぬよりも辛い道を辿らせたことを、

 ――同じように理想に焦がれた少女を慟哭の淵に追いやったことを、

 ――一人の少年を救い、決して戻れない理想(みち)へと誘ったということを。

 

 それらすべてを、彼は知らねばならない。

 救いへの道の為に、犠牲を是とするのであれば――今、彼自身が心傷それを追わねばならないのだと。

 赤い少女に命じられ、その手を一度離れ少年と共に降り立った、呪いと称されるほどの悪魔の手によって――――

 

 

 

 ――――『彼』は、自身の悪とする戦場以上に、最もおぞましい、ある〝過ち〟の地獄(きおく)を巡る。

 

 

 

 対峙する黒と青。

 月明かりの下、退路無き廊下で睨み合う『魔術師』たち。

 誇りと信念。あるいは、自己顕示欲と独善的な願望。それらをぶつけ合うべく、二人の男が殺し合う。

 先手は、三度(みたび)同じ銃撃の火花。

 それを受けて、水銀の膜が同じように主を護り、攻撃を阻む。

 状況は一向に均衡。されど、そこに互角であるという事実はない。

 たった一手、先程とまったく同じ一手が、互いの本当の全てを今宵の幕引きへと誘った。

 共に全てを賭している男たち。

 差を生むことになったのは、そこにかける執念の度合い。

 たった一撃の魔弾によって、天才は血の海に沈む。これまでに、幾度となく繰り返してきた狩りと同じように、また一人――この世界から離脱する魔術師へと選別を送る。

 

 終焉の幕が今、降ろされた――――。

 

 

 

 *** 狂信者は去る、一時の幕引き

 

 

 

 御伽の森の戦いは、決定的に勝敗が別たれた。

 キャスター、ジル・ド・レェの宝具はディルムッドの赤槍によって穿たれ、既にもう奴には勝ち目など残ってはいない。

 右手は赤銅髪の少年・士郎の()によって吹き飛び、左手に抱えられた魔書は破壊までとはいかずとも、既にもうその力をほとんど失っている。いかに『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』が穿った瞬間にのみ、魔力の流れを遮断するといえ――一度解除された術はもうどうしようもない。

 加えて、再び術を発動する隙など、勿論誰も与えてはくれる筈もない。もうこれ以上、この場で彼に取れる手段はなくなっていた。

 ぎりと、歯ぎしりをしながら、不敵な笑みを浮かべているディルムッドを睨みつけるジル。

 その悔しそうな面持ちも、相手からすれば一矢報いた必然の結果。

「如何かな? 〝最速〟の座に据えられし、槍兵の一撃の味は」

 軽口を叩き、ジルを煽り立てるディルムッド。そんな戯れの様にされた煽り立てに激高し、叫ぶ。

「貴様ッ――貴様キサマ貴様キサマ貴様キサマキサマキサマキサマァァァッ!!」

 何もかもが悪い方へ転び、絶望的な状況を作り出す。

 最早、これ以上ここには留まれない。

 その瞬間目に飛び込んでくるのは、清廉な青き闘気――その手に握られるは、黄金の光を放つ聖剣。

「――――、……ぉ」

 刹那、目を奪われてしまうが、すぐさまそれから目を逸らした。

 

 ――アレは見てはいけない。

 ――アレは理解してはいけない。

 ――アレを、知っては、いけないのだ。

 

 そうでなければ、きっと悪魔は悪魔ではなくなってしまうだろう。

 眩いほどの輝きは、何かを思い起こさせる。今知ってはいけない何かを思い出させる。それは、遠き日の思い出。

 賜った啓示の記憶が――――。

 

「――――ハッ!?」

 

 駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ。

 思い出すな。感じてはならない。一番求めているのはそれであるから。

 矛盾した思考が、ある日の記憶を封じ込め、目の前の現実から逃げ出せと警告を鳴らす。

 

 

 

 ――――逃げなければ。

 

 

 

 今、直ぐに――。

 この場を離れなければならない。

 思い出してはいけない何かからの逃避、避難、逃走を図る。

 悪魔は、自分が相手に与えるべき恐怖に晒されたまま、森から逃げ出そうとした。

 それを見て取った少年と少女。倒さずに、この場から満身創痍で逃げ出させるためにさらなる追い打ちをかける。案の定、悪魔は我先にと逃げ出した。

 だが、彼女の攻撃よりもわずかに先んじて、ジルは魔書の魔力を開放する。

「これは……!?」

 魔物になりそこなった瘴気が辺りを覆い尽くす。

 血霧が森を覆い、子供たちを背に庇った士郎はその霧の中へと隠れ潜んだ悪魔の追撃を警戒した。

 けれど、追撃はない。

 そのことに逃走の意を汲んだセイバーは、その手に持った聖剣を振るい目くらましとなった霧を吹き飛ばす。

「悪足掻きを――ハッ!」

 だが、既に霧の晴れた先に姿はなく、どこか遠くへと走り去る音が遠巻きに聞こえる程度。あれほど意味もなく自信過剰に攻め入ってきたジル・ド・レェとはいえ、この状況で自身に勝機が無いという事を理解するだけの思考はまだ残していたらしい。今頃は、自ら発した目くらましの中を、()び出した海星(ヒトデ)擬きのようにうねりながら森を飛び出していることだろう。

「まったく……どこまでも卑劣な」

 苦々しくそう吐き捨てるセイバー。

 生憎だが、彼女には霊体化したサーヴァントを追う選択肢はない。彼女は英霊であるが、霊体かが出来ないのである。この場で唯一それが可能なのはランサーであるのだが、彼は今それどころではなかった。

 主の窮地を――繋がれた経路(パス)を通して感じ取っていたのだ。

 ……とはいえ、それを口にするのは憚られる。

 事実、セイバー側の思惑がはまったというだけの事であり、マスターより仰せつかった〝キャスターを討つ〟という事だけをディルムッドは遂行する上で助太刀をしたというだけのことなのだ。

 故に、セイバー側がマスターを討つというのなら、ここから離れることになる。が、それを許すとういうのはセイバーにとってマスターに対する造反ということでもあり、無論それが徹道理はない。

 また、なんとも皮肉なことに――ランサーとセイバーとしての力量差こそなくとも、ステータス的にはディルムッドはセイバーには及ばない。

 しかし、セイバーには彼の高潔さを咎める気はなく、こうして子供たちの窮地を救ったという行為が悪であるはずもないのだ。

 なればこそ、彼をここに留め置く必要などはない――

「――そこまでよ」

「ッ……なにを」

 彼女の思考がそこまで至り、ディルムッドにその言葉を告げようとしたその時。先ほどまで子供たちを庇っていた年のころは彼ら彼女らと大して変わらない少女、遠坂凜がセイバーの思考を両断する。

「その思考は捨てなさい。それは、もっともしてはいけない行為よ、セイバー」

 あまりにもはっきりとしたその声に、セイバーは子供だとか、今初めて会ったはずの幼い少女だという事柄をすべて投棄し、彼女の声に応えた。

「……確かに、私が選ぶべきではない。私のマスターが奇策を講じて、キャスターと渡り合う事よりも攻め入った単体の敵を屠ることを是としたのは事実です。

 だからといって、私は騎士の誓いを交わした彼を、こんな形での結末を与えることは――」

「そうじゃないの」

「そうではない、とは――?」

「貴女の言うことは、ある意味では正しいのかもしれないわ。わたしとしても、騎士としての誇りを否定する気もないけれど……でもねセイバー。今の世界に、その誇りや矜持、誓いの重さは紙よりも薄いの。

 とりわけ、こんな戦いに身を投じた人間なら尚更ね……」

 彼女の言葉は、間違いっているものではない。

 セイバーとて、騎士であると同時に王だった身である。人の心の移ろいが、どれほど短絡的なものであるかも知っている。

 が、それでも。

「だが、ランサーが私との誓いを破るなど――」

 セイバーはそっとランサーを見やる。

 ここまで口を挟まなかった彼も、遂に口を開く。

「……便乗するようですまないが、それでも俺は誓う。俺は断じて、セイバーのマスターに危害は加えない」

 やはり、ディルムッドはどこまでも騎士である。

 そうセイバーは認識を新たにするが、どうやら凛の言いたいのはそこではないらしい。

「……はぁ。だから、あんたたちが言ったらだめなのよ。

 どっちかが単体で行ったら、それはどちらのマスターに対しても裏切りになる。そして、ともに行ったとしても、セイバーのマスターが押されているランサーのマスターをゴリ押ししようとして令呪を使えばそれまで――となれば、答えは一つ」

「出向くな、と?」

 苦い顔でそうセイバーは問う。しかし、どうやらそうではないらしい。

「そうはいってないわ。それに、手ならもう打ってるし、ね……?」

「手……?」

「そうでしょ? ――ギル」

 そう凛が名を呼んだ瞬間、森の木々を吹き飛ばす様にして黄金の王が現れた。

「待たせ過ぎだ。あとで俺に対する礼を尽くせ」

 相も変わらずの傲岸不遜。派手な黄金の鎧に身を包んだこの男こそ、この聖杯戦争におけるアーチャーのクラスに据えられた、原初の王。

 英雄王ギルガメッシュである。

 新たなサーヴァントの出現に、セイバーとランサーが警戒の構えをとる。

 が、

「それは士郎に言いなさい。……まぁ、ここにはいないけど」

「なにぃ!? 凛、士郎はどこだ!」

「ルビーに飛ばしてもらってるわ、今頃は向こうに着いてるんじゃない?」

 言われて初めて、セイバーとランサーも士郎がいないことに気づくが、今はそのこともだが、状況の変化が激しすぎて頭が回らない。

 そんな状況でも空気を読むことなくギルガメッシュは己のペースで爆走し、それを凛は諫める。

「ぐぬぅぅぅ……あの雑種めぇ」

「どうどう。そんな怒ってないで、やることはやってんでしょうね?」

「誰に口をきいていると思っている小娘。この英雄王に、物事の是非を問うなど愚の骨頂であるからして――」

「――――麻婆豆腐(ぼそり)」

「勿論できている。造花と道具は見つけておいたぞ!」

「よし。じゃあ、その二人も乗せて城に行くわよ。改心させなきゃいけない人と、さっさとこの戦争を諦めさせなきゃならない貴族上りがいるんだから。

 ……まったく、ホント貴族ってめんどいわね」

 割と己にもブーメランなことを呟く凛は、自分と同い年くらいの金髪の少女を思い返す。

 まさにそれは、フィンランド出身のとある〝きんのけもの〟を思い出す〝あかいあくま〟の図であった。

 個人的主観の恨みとか遺恨とか、(本当はそれほどでもないけど)なんか気にくわない同族嫌悪とは根深いものである。

 最も、いまするべきことを後回しにするほどの私怨でもないので置いておくが。

 

「さあ、行くわよ」

 

 貫禄に溢れた蒼い瞳に、燃える炎を感じ取り、セイバーたちは有無を言えなくなる。

 一同は、黄金の王の座に乗って、白き冬の貴婦人と闇の烏を伴い、『正義の味方』である少年の居る、御伽の城へ向かう――――。

 

 

 

 *** 魔弾と盾、壊す者と生み出す者

 

 

 

 ――――弾倉という枷を外された魔弾が今、水銀の膜を蹂躙せんと放たれた。

 

 それに対し、水銀は棘を渦巻く竜巻の様に編み上げて防ごうとする。操り手はきっとほくそ笑んだであろう。

 今度こそは勝った、と。

 しかし、それこそが狩り手の狙いである。ただ軽く防がれるだけでは意味がない。文字通り、相手の死力を尽くした防御に当たってこそ、魔弾は真の威力を発揮する。

 

 〝起源弾〟――魔術師殺し、衛宮切嗣の魔術礼装。

 

 撃たれた対象に、自らの〝起源〟を埋め込むというこの魔弾は、切嗣の骨を粉末にして内包することで、その〝起源〟たる『切断』と『接合』を相手に発動させる。

 〝破壊と再生〟ではなく、一度断ち切ったのちに〝修繕〟を施す。

 これは、ある種の不可逆の〝変質〟を意味しており、治癒・再生を意味しない。

 一度途切れた針金は、結びなおせば事足りるだろう。だが、これが精密機器となれば話は別だ。

 これが切嗣の限界。――否、彼の生まれ持った魂の様相(カタチ)である。彼の手先は、殺し屋や猟犬などと揶揄されているように、様々な場面を生き抜き切り抜け、そして獲物を屠って来たこれまでが示す様に、ある程度の器用さや正確さは持ち合わせているだろう。

 しかし、彼の本質は『切断』と『接合』。すなわちこれは、〝破壊〟と〝修繕〟を意味している。

 例えるなら、先の針金の様にただ結ぶだけでその〝機能〟を取り戻すモノであれば、〝修繕〟は〝修復〟を意味しない。これらは時として、等しく〝再生〟に見えることもあるが――実のところこれらは全て別物なのだ。

 精密機器の回路の様に、モノの根底的な部分は、このような僅かな綻びによってその機能を失い壊れてしまう。

 要するに、切嗣の手先は手早くはあるが杜撰なのだ。それ故、何かを治そうとするとき綻びを生じさせてしまい、結果としてその機能を全て失わせる。……また、この現象は単なる〝機能停止〟には留まらない。〝破壊と再生〟と呼ぶにはニュアンスの異なる、〝切って嗣ぐ〟というこの〝起源〟は不可逆の変質を施す――つまり、齎されるモノは、もっとさらに悲惨なモノ。

 生物がこの『魔弾』に撃たれたのなら、撃たれた箇所は被弾による出血もしないまま傷無く終わる。しかし、その中身は全て死んだ状態になるのだ。銃弾に穿たれた神経や筋肉、血管や細胞の一片に至るまで、何もかもが機能を失わせて壊死した状態で何事もないように〝嗣がれて〟いる。

 

 ――表層的な傷は癒え、けれど決定的に死んでいる。

 

 それが、この〝起源弾〟の持つ力であり、〝魔術師〟という『外のものを取り入れて』力を行使し、またそれらを『外へと放出する』獲物たちに対する切り札。

 全力で魔術回路を使用している魔力を、礼装へと繋ぐ経路(パス)を逆流させて殺し尽くす。

 それはさながら、高圧電流の上がれる電線へ一滴の水を垂らすようなもの。

 水滴を貰った回路は、完全にショートして壊れる。回線短絡(ショートサーキット)と呼ばれるこの現象を、切嗣はこの『魔弾』によって〝ショート〟という現象を魔術回路に引き起こすことが出来る。そして、こうした〝ショート〟は、どれだけその回路を流れる電流(チカラ)が強いかによって変わってくる。

 

 流れ、導かれている電流(モノ)によって、流れるべき(みち)は完全に破壊される。全力の魔力行使をした瞬間、この攻撃を防御するとなれば……その結果は、見るまでもなく明らかである。

 

 水銀へと放たれた魔弾は、その水銀を穿つ必要はない。

 それこそ、触れるだけでも構わないのだ。そうするだけで、何もかもがここで決するのだから……。

 相手の使用する代物が魔術を解する代物であるのならば、切嗣の魔弾は分け隔てなくその全てを壊し尽くし、再び結び直すだろう。

 

 これまでと同じように、一つの例外もなく。

 

 とはいえ、例外は往々にして、その者が出会ったことがない故に例外足るのもまた事実……。つまり、人は例外に出会い続けている。

 そして、ここには偶々――そうした出会えない筈だった例外がいた。

 

 

 

 ――――瞬間、鮮やかな花弁が二人の男の間隔てたる様にして現れる。

 

 

 

 ***

 

 

 

『――何……っ?』

 

 全く予想外の範疇にある眼前の光景。くしくも、まったくの正反対にあるはずの男たちは、その光景を前にして声を重ねた。

 見えたものは、美しい七枚の花弁を持った盾。

 一目見て、その盾が通常の『盾』でないことは明らかだった。何かしらの魔力の流れを受けて煌くその様は、万物の理に背くモノ。

 だが、それだけであればきっと切嗣(かれ)はここまで驚愕に晒されることもなかったであろう。なぜならば、彼にとってデメリットは一つだけであり、左手と右手の武装を用いれば、一時の悪運を得ただけの相手など直ぐに葬れる。

 加えて、彼の放った魔弾は〝魔力の流れ〟を受けているモノに対してであれば、絶対的な威力を誇る。強い力とは、常として些細な綻びで崩れるものである。

 まして、あれだけの『盾』を作り出すなど、目の前にいる天才()でも容易な事ではないだろう。それだけの魔力を込めたという経緯が存在しなければ、目の前の事象は存在しえない。

 ならば、切嗣の魔弾は寸分の狂いなく、その『盾』を生み出した何者かの中身が、それこそ捻じれ狂うまで蹂躙し尽くすだろう……だというのに、その『盾』は魔弾を正面から受け止め切り、その内部にいくつかの亀裂を走らせて一枚だけ(・・・・)砕けただけで、その『盾』は何の未練もなく消え失せる。しかしそれは、別に破壊の産んだ消失ではなく、作り手自身が消したゆえの結果に過ぎない。

 それは即ち、ある一つの決定的なまでの事実を表す。

 

 ――神秘は、より高い神秘によって覆される。

 

 魔術の道を一度と通った人間であれば、誰もが知っているその原則。

 つまりあれは、『魔術師』たちの礼装ですらない、それ以上の何か高位に位置する存在――『宝具』の域に達している存在だということだ。

 〝在り得ない〟筈の現象を目の当たりにした切嗣の脳裏は、彼の内側にある常識や論理を超越した先にそんな答えを導き出す。だが、それは直ぐに彼の本人の思考によって打ち消されて、否定を生む。

 そんな筈はない、と。

 この戦いに挑むにあたって――否、これまでの生涯を通して――切嗣の積み重ね、集め続けてきた魔術世界の情報や、摂理。あるいは、そこに名を連ねる者たちの逸話や持ちうる(すべ)の対策や対抗手段に至るまでの、その全て……。

 全てが、あの盾一枚に変えられてしまう。

 

 人の手で成し得ないほどの魔力行使――そうでなければ造りだせなる筈がない。

 今、『宝具』を持ち得る『魔術師』はいない――では目の前にあるのは一体何だ?

 今回の英霊(サーヴァント)にあんな盾を持ち得る英霊はいない――いたとしてもここにいる筈がない。

 

 とすれば、そもそもあれは、何の為にここに〝生み出された〟のだ――?

 知らず本質へつながる言葉へ手を掛けながらも、切嗣の脳裏はないまぜになるほどに流転していた。強固すぎる鉄の意志が彼を地面に縫い付けておかなければ、きっと彼は、その事故を含め完全に瓦解していたことだろう。

 手だけは弾倉(マガジン)を交換し、次に何が起こるかに対応するべく動き出す。

『魔弾』の二発目も装填済み。今ならば、先程の無駄撃ちに終わった敵を簡単に屠ることもできるだろう。

 防御に込められた魔力が先ほどのそれを下回るのだとしても、キャレコを防御したのちに再び先の防御をとるならばそれもまたよし。仮にそうでなくても、薄く弾幕を防ぐための(たて)ではこの魔弾は防げない。まして、この距離で狙いを外すこともない。膜を抜いて殺すことも容易いだろうし、先程の威力を文字通り身に染みた敵は意地でも防御をとるだろう。ならば、倒れ伏せるのは敵の方。

 しかし、冷静に一人の対処を描くほどに、彼の中に得体のしれない不安が生まれてくる。

 判らない。――その恐怖が、彼を針山に晒された亡者の骸を穿つかのように、精神へと突き刺さって来た。

 もしも彼が自身のサーヴァントに絶対の信頼を置いていたのだとしたら、その恐怖は多少なり軽減されていたことだろう。目には目を、歯には歯を。毒には毒を以て征し、条理外の存在には条理外の存在をぶつける。それは、〝魔術師殺し〟などと呼ばれる彼自身が、一番よく知っているであろう事柄。

 けれど、彼はそのことを受け入れられない。

 駒として見ているが、信頼など置いていない。

 故に、この戦いで最も〝臆病者〟である彼は、この恐怖を退けることが出来なかったのである。

 例え、それは。

「――――ふぅ。何とか間に合ったみたいだな」

『はい。でも、結構ギリッギリだったみたいですけどねー』

 続いて現れたのが……ほとんど年端もいかない少年であったとしても、だ。

 

 

 

 運命の流転は、遂にその二人を立ち会わせる。……次いで、地獄の蓋が獲物を誘うべく開き始めた――――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 殺伐とした廊下に会った殺気は霧散し、言い得ぬ圧迫だけがその場に残る。……否、より正しく言い換えるのであれば、それは恐怖の類であろう。

 なにせ、

『あら〜? 何だか歓迎ムードってわけではなさそうですねぇー』

 何処と無く間延びした、割烹着の似合いそうなお茶目な美少女家政婦さんらしき声で、無機質な筈の杖が、妙に滑らかにうねうねと蠢きながら宙を漂っているのである。この光景に恐怖ないし驚愕の類を覚えないのは、未だ夢を忘れぬ少年少女のみ。

 詰まる所、それは如何にもファンタジーキッズアニメのアイテム然としていたのである。

((アレは一体何だ……っ!?))

 先ほどまでの殺し合いもなんのその。

 完全に空気を崩壊させにかかった魔法の杖――彼()の魔法使い、ゼルレッチ・シュバインオーグが作り出した呪いに等しい気まぐれな悪魔。数多の人々(主に彼の弟子の家系)に希望という名の絶望と、決して消えぬ心傷(トラウマ)を刻み込んできた、カレイドステッキは、また新たな犠牲者をしかと捉えほくそ笑む。尚、彼女の表情がどうしてわかるのか、それは今現在誰にもわからない。

 ……そもそも、切嗣もケイネスもそういった俗な番組など見ていないので、アレが何かという想像想定の時点で理解不能に陥っており。また、発言の端すら察することも出来てなどいないのだが。

 しかし、そんな二人を他所に状況は二転三転としていく――。

『いやー、それにしても本当にピンポイントでしたねぇ~。士郎さんの盾が無かった今頃は、陽気なダンスタイムでしたよー?

 にしても、ホントぶっ壊れ性能ですよねー、士郎さんの投影は。「宝具」を遠隔投影した上に、あの魔弾の効果が来る頃にはこの世の物として複製されているなんて。おかげで、士郎さんの魔術回路とはすでに関係なくなって効果は及ばないとか……ホント、親子の縁って不思議なもんですねぇ~』

「まぁ、その辺は追々……。ともかく、今はここから先のことだ」

 士郎と呼ばれた少年がそういうと、隣に漂っている杖も仕方ないとばかりに(どうしてそう見えるのかは謎だが)同意しているらしく、ケイネスと切嗣に二人の視線が向けられる。

「あー、突然現れて何だけど。話を――」

 言いながら、士郎はとてもではないがそんな雰囲気ではないよなぁ……と、自分の中に今更ながら湧いて来た当たり前の事柄にしまったと冷や汗一つ。だが、どうやらそんな言葉さえ、この場の流転。もっと言えば、崩壊するレベルでの〝面白おかしいこと〟を求めている気まぐれ悪魔は、士郎の言葉をまどろっこしいとばかりに遮って言葉を重ねていく。

『じれったいですねぇ~、はっきり言ってあげればいいじゃないですか士郎さん。

 この戦いに意味なんてない。ただ滅びに向かうだけの無意味な争いはここでやめるんだ!! って、どっかの熱血主人公みたいに』

「いや、そんな台詞が通る雰囲気じゃないだろ……」

 この場の相方の言動に顔を引きつらせてそういって、ケイネスと切嗣の方を向く士郎。

 当然の如く、どう見ても敵意MAXの状態でこちらを見てくる。先ほど見せた『盾』を二人が知らなければ、今すぐハチの巣かミンチにせんとばかりに、銃弾か、水鋼(みずはがね)の刃の猛攻に晒されていたことだろう。ある意味、こうして言葉が廊下に響いて多少なり二人の鼓膜に届いているだけでも奇跡的である。

 意識には届かないしても、得体のしれない敵と思われているならば、多少なり此方の言動も聞くだけは聞いてもらえているだろうことも含め、士郎はこの状況はまだ直せると、ギリギリの崖っぷちを頭の中に描く。

 状況を好転させるには、どうしたらいいか。思い悩みながらも、その答えは一向に現れることはない。さながら、今の彼は決壊寸前のダムの前に縛られたまま動けない赤子のごとし。

 手も足も出せず、せいぜい出せるのは口くらい。しかしその口さえ、弁の立つ方ではない彼にとっては武器となり得るかは微妙なところとくれば、多少なり外への助力を求めたくなる。なるが、隣の相方は事態を悪化させることしかないだろうカレイドステッキのみ。

 まさしく八方ふさがり。

 正義の味方を目指した彼をして、その状況で足掻き立つことよりも、逃げ出す方の選択肢を取りたくなるほどに事態は最悪と呼んで差し支えない――と、彼が考えたその刹那。

 唐突に、士郎とはまた別の何かが、先程彼の破った窓を更に大きく破る形で乱入して来た。

 

 

「士郎、大丈夫ー?」

「いつまで待たせる気だ雑種ぅ!! (オレ)の晩酌の肴を作る約束はどうなったぁぁぁ!?」

 

 

 ……そんな、なんとも気の抜けそうな台詞と共に。

 

『――――』

 

 思わずその場の空気が死んだと思えそうな程、沈黙などという言葉が生温く感じられそうな一瞬の空白。

 けれど、それを意に介することなく暴走に直走る師匠と、最近コイツって一周回ってイイヤツ? といった印象が生まれ始めている王様の二人が、様々な方がを引き連れたヴィマーナで廊下をぶち破って入って来た。

 余りの事態の急変に、何が何やらと冷や汗を垂らすセイバーとランサーを始め、更に唖然としている銀髪と黒髪の女性、切嗣の妻アイリと相棒の舞弥を加え、凛とギルガメッシュはやって来たのである。

 確かに、その流れは聞いていたものであるが、こうも躊躇いなくされると、先程の空気と相まって場の混沌が深まったように思える。

 だが、何も分かっていない上に、付いて来られないケイネスと切嗣に比べれば、そう思えただけましかもしれないと、士郎は他人事のように自身の心境を見つめなおす。

 

「さあ、処刑――いえ、お仕置きしてやるわ」

 

 言いなおしはしたものの、物騒なことを堂々と狂暴な眼光とと主に言い放った幼女のそれに、大の大人から百戦錬磨の英雄に至るまで。その場にいる全ての人々が、等しく背筋に薄ら寒いものを感じたのはきっとただの勘違いという訳ではないだろう――――。

 

 

 

 *** あかいあくま〟の(いざな)

 

 

 

 そこからの展開は早かった、と後に士郎は語る。

 

 この場で一番何を仕出かすか分からない切嗣を、『聖杯の器』であり妻でもあるアイリを連れてくることで無力化し、『魔術師』としての側面を重んじるケイネスを〝監督役からの警告〟と、『始まりの御三家』たる〝遠坂〟の名を以て彼をあっさりと懐柔した凛。

 少なくともそこに手抜かりはなく、凛の言っていることは切嗣もケイネスも聞き入れざるを得ない。更に更にと言わんばかりに、切嗣側の事情も看破されているのだと仄めかされたとなれば、この魔術師殺しと言えども話を聞かざるを得まい。おまけに、妻と手駒は全部奪われ、まさしく八方塞がりなのだから。

「さて、事情はあらかた呑み込めたからしら?」

「……正直、眉唾だと思いたいのだが……彼の『万華鏡(カレイドスコープ)』の礼装を持ち合わせている以上、信じざるを得ない……だろう」

 かなり苦しそうに首をひねるケイネス。

 正直あの杖の存在を認めたくはないが、聞いたことがないわけでもないというのがもどかしい。一概に否定出来ない存在ほど、魔術師が突き放しづらいものも無いだろう。

 一方、この話の間も切嗣は相も変わらず無言だが、ケイネスは時計塔に席を置く者として、また魔法使いの一端に触れるとなれば、彼の方は凛の問答に反応を示さずにはいられるわけもない。

「では、仮にだ。君のいう聖杯の汚染とやらが真実だとして――」

 と、一先ず譲歩の姿勢は見せるが、どうやら赤い悪魔には物足りないらしく、ケイネスの許嫁と良い勝負とばかりの冷たい笑みを見せながらこう口にした。

「――仮に(・・)?」

 それは、悪魔という表現すら生優しいと思えそうな笑顔。

 幼い少女の笑みが、口を開いても良いが、次に応えを誤れば分かっているだろうな? と、暗に問うてくる。

 ここ、アインツベルン城の廊下全てが、等しく遠坂凛によって蹂躙されて行く。……因みに、最近めっきり出番のない巨漢と少年が、冬木の街のどっかの民家で大小のくしゃみを重ねたことは余談である。

 何せ彼女のバックには、得体のしれない〝八人目〟だったという士郎と、初戦からその滅茶苦茶ぶりを見せつけた『アーチャー』ギルガメッシュまでいるのだ。逆らう、などという選択肢は選びようもない。

 既に退路はなく、また進路もない。

 煉獄の門を開け放つように、〝あかいあくま〟の微笑みがそこへ咎人たちを誘う。

 

「――さあ、本番を始めましょうか」

 

 ニタリ、と笑った顔はお世辞にも可愛いとはいえない。

 いや、別にその笑いが不格好というわけではない。寧ろ綺麗ではある。あるのだが、どうしてもその後ろに漂う凄まじいオーラ的なものを押さえ切れていないのが怖いのである。

 オマケに、本番とは何のことだろうか。

「と、遠坂……? 本番って――」

 何だ? と訊くよりも先に、士郎の問いかけを遮るようにルビーを呼ぶ凛。

 一体何が始まるのかと、一同は抱く関心の度合いこそバラバラではあるものの、視線だけは一律に凛の方に向いていた。

「アレ、やってあげなさい」

『あぁ……そんなマスターっ! やっちゃっても良いんですか? こんな面白そうな――(もとい)、こんな秀逸な素材を前にしたら、ルビーちゃん。押さえられませんよぉ~!?』

 言い直しているけど、全く以て言い直せていない言葉をほざくルビー。

 士郎は頭を抱え、隠そうとはしているものの、どう見ても何が始まるのかとワクワクしているギルを他所に、凛は不安そうな面々の脇で眉を潜めている切嗣とケイネスへ指を差し向け、高らかに宣言した。

「そこ二人は、決して放ってはおけない人たちよ。反省させなければ、そこの正義厨とか慢心王なんかよりよっぽど性質(たち)が悪いわ――あぁいや、ギルの方が性質(たち)悪いかしら……? えぇい、まぁそんなのは良いわ!

 とにかくルビー、やっちゃいなさい!」

 あんまりな物言いに士郎は抗議の声を上げようとしたが、そんなものを意に介することなど、このコンビには期待するだけ無駄である。

『アイアイサ~!!』

 高らかなマスターの宣言(めいれい)という名の免罪符を手に入れたルビーは最早先ほど以上に無敵無双であった。

 ランサーの制止を掛けようとした手さえするりと抜けて、ケイネスの手に(無理矢理)自らを握り込ませる。すると、一秒もしないうちにケイネスは地面に倒れ伏した。あんまりな急展開にまたしても空白が生まれるが、そこにはランサーの「主ぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいっっっ!!!???」と言う叫びだけが虚しく轟くのみで、誰もその先へ進めない。

 

 ――そして勿論、ルビーは止まらない。

 

『ご心配なく~。 別にケイネスさんに危害を加えたりはしてませんよー? ただ、ちょぉ~っとだけマジカルタイムしただけですから~♪

 いやー、それにしても意外と深層心理内のショタっ子先生は美少年でしたねぇー。これはアレですかね。エルメロイの名を継ぐ人間は、少年期はヒロイン然としてないといけないんですかねぇー?』

 意味が分からないことを抜かし続けるルビー。

 なまじ分かってしまう士郎はケイネスという会ったこともない魔術師の冥福祈るのみで、他の面々は勿論、笑っているギルも役に立たない。また、黒く大きなサングラスが幻視出来そうな凛がプロフェッサーよろしく「よし! 次も()れッ!」の命令を下す。

 マスターの下に向けられた親指を確認し、ルビーは早速次の獲物である切嗣に迫っていった。

 呆然とそれを見ているだけの士郎。……正直。本当に心の奥底では、士郎は止めたかった。が、勿論凛はそれを黙殺する。

 

 

 

 ――――そこに、既に慈悲は無い。

 

 

 

 ***

 

 

 

 その矛先を向けられた衛宮切嗣は恐怖した。

 彼の目の前の獲物を一瞬でKO(ノックアウト)した、目の前で蠢いている異形の物に対して。

『いっきますよぉ~?

 〝シミュレーションモード〟! G(外道)D(ダメ)Z(絶対)K(改心)Ver.!! 発動!』

 瞬間、切嗣の周りを光が包む。

「……なんだ、これは……ッ!?」

 カレイドステッキに秘められたシークレットデバイスの一つ、シミュレーションモード。

 これは本来、深層心理へ干渉(アクセス)し、手に取った人間を意識内に置いて魔法少女化する――というものなのだが、

「こ、れは……!?」

『ふっふっふっ……勿論、あなた相手にそんな温いことはしませんよぉー? 故に、あなたにはこの言葉を贈りましょう――――さぁ、地獄を楽しみな!!』

「こん、な……もの!」

『あはははー♪ 無駄ですよぉ~? 並の人では決して解けません。……特に、融通の利かない頑固者とかには絶・対・に♡』

 あー、なるほど……と、意図せずその場の誰もがそう思っただろう。

 そして、今の状況とルビーの心境を表すならばまさしく、きっとこんな感じだった――――。

 

 

 

 ――――無駄無無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無駄駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!!

 

 

 

 ――――と、どこぞの人間を止めた吸血鬼の様に連呼しながら、創造主(こちらも吸血鬼)をして『呪い』であると言わしめた機能を開放していく。

「あなた……!」

 切嗣の身を案じるアイリ。

 だが、切嗣は別に消えるわけではなく、ただ意識のみが刈り取られていくだけ。

 この光景に、セイバーは動けない。否、寧ろ動くべきかどうか迷う程に困惑していた。本来の彼女にあるまじき行為だが、仕方が無い。

 この悪魔(ステッキ)の前では、全ての抵抗も児戯に等しい。

 悠々と、ルビーは切嗣へ向けた、最高の地獄へ向かう片道切符(フルボッコラインナップ)を示した。

『まぁ、命には別条がないですし、問題はないですよねー♪ まぁ、因みにお見せするラインナップはこーんな感じでぇ~す』

 

 

 蒼い初恋の日々に始まり、

 母の日の別れを経て先へ行き、

 戦場での日々を乗り越えた先に、

 ある出会いを以って手に入れた安らぎと、

 そして、ある戦いの顛末と共に、選択の結果を以って、

 ――――ある少年の理想(呪い)幻想(ユメ)の末路へと誘う。

 

 

 並べられたのは、かなり酷いものであった。

 とりわけ、

(一個も安心できない……っっっ!!!???)

 知っている人間、というかその一つの当事者である士郎にとっては尚更。

 

 

 

 そして、抵抗も虚しく。精神世界へと向けて、切嗣は完全に溶けていった――――――。

 

 

 

 *** 幼き夢、始まりの炎

 

 

 

 ――そこは、知らない場所/思い出の場所だった。

 

「……ここは……」

 

 夕闇の中に佇む黒づくめの男。衛宮切嗣は小さくそう呟いた。

 彼の呟きを呑み込んだ細波(さざなみ)の音がやけに響くこの場所は、彼が幼少の頃を過ごした地そのもの。

「アリマゴ島……なのか?」

 否、そんなはずはない。口か漏れ出した、己にあるまじき妄言を捻じ伏せる。

 そもそも、あの場所は――当の昔に失われてしまっているのだから、と。

 しかし、当り前のようにあったその認識は、簡単に覆される。……いや、自分だけの中にあったはずのそれが蹂躙されていくのを感じる。

 

 

 ――瞬間、景色(ばめん)が変わる。

 

 

 そこは星に彩られた水辺。

 目の前には幼き頃の自分と、褐色の肌をした少女が立っている。二人の浮かべている笑顔は、ここが幻想であることを忘れさせるほどに夜の中で輝いている。

 今は遠き、夢の日々。

 それを見まごうことはない。

 彼女を見まごうことはない。

 髪を一つにくくった少女は、彼の初恋の人で、

 ……そして、彼が救えなかった/殺せなかった人だ。

 苦虫を噛み潰したように顔を歪め、この世界の主のこれを見せたいとを問う。

「これを見せて、貴様はどうしたいというんだ?」

 問いかけへの回答(こたえ)は直ぐに返ってきた。

 拍子抜けするほどに軽く、ぬるい声色で。どこからともなく切嗣の耳へと向けて、その声は問いかけに応じきた。

『ふぅ……ほんっと、素直じゃないですねぇ〜。

 まぁ、端的に此処のことをお伝えするなら、そのコチコチの正義厨な頭を(ほぐ)すための空間といったところしょうか~?』

 それは、あまりにも馬鹿馬鹿しい応答であり、説明だった。

 故に切嗣は、その声を聞き取ることを早々に放棄する。こんなところに居る必要も、これ以上何かを見せられる必要も無い。反応を見せてやる必要もない。

 〝魔術師殺し〟と呼ばれた測り手の鋼の精神(こころ)は、即座に彼を脱出へ迎えと次手への思考を提案する。

「……」

 一刻も早く、この不愉快な空間から脱出しなければならない。

 彼の思考はここからの脱出を図るべく考察を開始する。

 見た所、ここは現実ではないはずだ。自分の前にあの杖によって倒れ伏せていたケイネスも此処を経験したのだとすれば、身体そのものに対する攻撃ではなく精神攻撃の類。また、『魔法使い』でもない限りここまであっさりと世界の一面を変えてしまうことなどできない。ならば、ここは自分の精神下でのものであると判断することが妥当だろう。

 それはある意味正しく、そしてある意味で間違っていた。

 なぜなら、

『あらあら……ここで改心してれば、まだ地獄まではいかなくて済んだんですが……やはり、貴方には一度本気で絶望してもらわなければなりません。

 心苦しいですねぇ……私とて、現マスターの嫁(つまりは√UBWのヒロインこと紅茶さん)の父親をこうはしたくないのですがー、まぁ、仕方ないですかね?』

 彼の目の前にいるのは、その世界の変革すら可能とする『魔法』の一端を受け継いでいるもので、

「何を――」

 創造主をして、呪いと言わしめるほどに――正真正銘、〝気まぐれ〟の化身たるロクでもない悪魔なのだから。

『貴方は、一度思い出さなくてはなりません。

 何を抱き、何に焦がれ……そして、何をしたかったのかを、その心にもう一度刻まなくてはなりません。

 貴方は、それをして初めて――本当の意味での「正義の味方」としての自己を思い出し、過ちを犯すこととなる、自らのその〝無知〟を知ることになるでしょう』

 再び、この世界は一変する。

 ……ある日の、幼き夢を抱き考えるきっかけとなる、一つの言葉を残して。

 

 

 

 〝――――ケリィはさ、どんな大人になりたいの?〟

 

 

 

「っ……」

 

 聞こえた言葉は鮮明に。

 より形を深めて彼に突き刺さる。

 

『世界を変える力だよ――いつか君が手に入れるのは。

 そう、世界を変える。君にならできる……私が保証する』

 

 しかし、そんな物は持てなかった。だからこそ、奇跡に縋るしかない無様な臆病者でしかない今の自分がいる。

 

 〝違う……違うんだ。

 僕が、手に入れたのは……そんな、ものじゃない……〟

 

 切嗣は心の中でそう繰り返す。

 

 ――そんなものじゃない。

 

 心の底からそうだといえる。

 もしもそうで無いというのなら、彼の居るはずの世界にはきっとあるべき筈の姿を失っているわけが無い。

 なのに、何故――?

 一端を見せられるのみで、切嗣の心は矛盾を伴う熱と冷気を己の中に同居させる。

 否定するべくもなく、正しく自分自身の過ちという名の夢をこうして見せられて、彼はこの世界の主に問う。

 

「これで満足か? 茶番はもう良い、このくだらない世界をいつまでも続けたところで時間の無駄だ」

 

 戦場で、魔術師を刈り続けた猟犬は屈しないと、自らに巣くう悪魔に呈する。

 だが、勿論のこと。悪魔が人の言葉を受けるときは、代償を要する取引・契約においてのみである。

 

『おや、珍しく弱気ですね。私としては、この先は無視されっぱなしなのかと思ってたのですけども。ちょうど、貴方がつまらない意地を張って、いたいけな少女の精神をフルぼっこにしてるみたいに』

 

「……」

 

 ここまで心内を覗かれた以上、なにを言ってこようともそれは詮無きことだ。

 戯れ言を聞く必要は無い。

 それよりも、早くここからの脱出を――と、切嗣は脱出を試みようとした。

 そんな彼へ向けて、その時悪魔はこういった。

 

『あー、そうそう。

 勿論、〝こんなこと〟で終わりだなんて思ってませんよねぇ?』

 

「こんな、ことだと……っ?」

 

 その言いぐさにはさしもの切嗣も鶏冠に来たらしい。

 しかし、それも当然である。

 自分の心内を覗かれたあげく、決して侵されたくは無いその領域の一部を他愛の無いことのように言われるのは面白くは無いだろう。

 だが、勿論ルビーはその口を閉じない。

 彼女の目的(とマスターからの指令)は、そもそもこの分からず屋に、彼の〝無知さ〟を骨の髄まで叩き込んでやることなのだから。

 

『はい。そのとおりですよ~。

 貴方は、いかにそれを知らないか、諦めるのが早すぎたか……そして、求めすぎたのか。それらを知ってもらうまでは、貴方は決してここから逃げ出すことは出来ませんし、また私も逃がす気は毛頭ありませんので悪しからず~♪』

 

 この宣言によって、地獄/救いへの入り口はまだ始まったばかりだということを、彼はようやく認識した。

 

 

 

『――こ、ろじ、……でぇ……っ』

「――ッ」

 

 

 

 場面は再び変わり、いよいよ彼の理想の真の姿を丸裸にする。

 決して間違いでは無い、けれど何処までも破滅しか喚ぶことのない――この世における全ての悪を担うことさえ辞さない男の、果たされることの無い願いの姿を。

 

 

 

 夜の終わりは、彼の夢の終わりと共に。

 この戦争が平穏を成し、冬の姫君の幸福を今一度。

 そして、世界の平和は――――たった一人では無い、誰かと共に。

 

 

 

 ***

 

 

 

 呻き、血を吐き、体中を掻き毟り続ける少女。

 ……少女、だったもの。

 彼女を目の前にして、嘗ても今も声を出せない。

 故に聞こえるのは一つだけ。

 懇願するように聞こえてくるのは、たった一つ残された〝彼女〟の意志。

 そして、それは嘗て、切嗣が果たすことの出来なかった〝始まりの過ち〟であった。

 

『は――や、ぐぅ……っ! もう――抑え――――』

 

 言葉を失っていた。

 何も言えない。何を認識せよというのか。

 こんな、……こんな悪い夢(地獄)の、何を認めろというのだ。

 

 

『ご、……ぉ…………ろ、じ…………で……ぇ……っ!!』

 

 しかし、世界は彼を逃さない。

 声は小さく、囁く/呻くように――深く深く耳に刺さる。

 

 

 ――――逃げた。

 

 

 耐えられなくなり、逃げた。

 

 認めたく無い現実/殺したく無い人を、

 

 認めたくなくて、逃げた。

 

 性質(たち)の悪い夢から、覚めるように祈って――――

 

 

 

 

 ――そんな祈りが、届く筈ないと知っていても

 

  そう願わずにはどうしてもいられなかった――

 

 

 

 始まりの過ちは、目違ってはいけなかったのは、それだった。

 目の前の現実から逃げて。親しいから、なんて理由で殺せなくて。結局、それが彼の安らぎの場所を壊してしまった。

 ……火が走る。

 森が焼け、海が陽炎を写し、村が灰燼と化す。

 その光景が自分自身によって引き起こされたものであるなど、思いもよらない地獄の景色。

 始まりは淡い恋だった。

 そして、何よりも失いたくないと言う幼い願いだった。

 いつの間にかそれが全てを滅ぼして、彼の手からは何もかもがこぼれ落ちていく。

 ヒトがヒトでなくなり、安らかな日々を過ごしていた当たり前の筈だった世界が、音を立てて崩壊する。

 形を失った日常。

 切嗣は、そんな崩壊の中をただ逃げた。

 だが、子供の逃避など何の力も無い。児戯は容易く否定され、程なく切嗣は命の危機に瀕する。

 しかし、そんな中でも。

 

『――さて、坊や(そっち)の話も聞かせて貰おうか』

 

 切嗣は、落ちるではなく、掬い上げられた。

 望んだわけでもなく、偶然という歯車が彼を生かしたのである。

 掬い上げた女性(ヒト)との出会いを経て真に知ることになった『魔術師』の姿。

 本来、これから先も尊敬する筈であった人物の。……事実、誰よりも誇りに思っていた父の姿を。切嗣は、この時を以て、姿(それ)を否定せざるを得なくなった。

 救ってくれた恩人に嘘を付き、受け取った〝二つの〟得物を用いて父の前に立つ。

 訊くべきことは/聴きたくも無いことは、既に決まっていた。

 〝自分も、彼女のようにするつもりだったのか?〟と問う。けれど、父はそんなことはないと言った。我が家の血が目指す〝根源〟への道にはどうしても時間がいる。だからこそ、そのために悠久の時が必要であるのだと。

 そのために、彼女は――

 

『――シャーレイは早々に結果(こたえ)を出してくれたな』

 

 父のその言葉を最後に、切嗣は父の口から発せられる言葉を耳から完全に拒絶した。そこから先の言葉など聴きたくも無い。――いや、聴くに値しない。

 逃げるための準備とやら始める父。己の犯した過ちを、何の躊躇いもなく見捨てるだけ。悔やむでもなく、ただ失敗だったと惜しむように。

 その程度なのか?

 自らを師として慕っていたあの子の命は、貴方にとってその程度だったのか?

 こんな有様を作り出しておいて、……それを止められなかった息子を見て糾弾することもない。だというのに、貴方は何も思わず、何も感じないままに、ここから逃げられるなどと思っているというのか……!?

 募る苛立ちのようなものは、本来あるべき熱を失い冷え切ったまま。

 捻れるような痛みと苦しみに、思い浮かぶのはたった一つの言葉。

 

 

 

 〝――ケリィはさ、どんな大人になりたいの?〟

 

 

 

 その言葉だけが、多分。切嗣は本当に必要としていた物だった。

 気づけば、切嗣はあの子の持っていたナイフで父の腹を突き刺していた。

 感慨はないわけでなく、どうしてこうなったのだろうと滞りは残っている。けれど、それでも切嗣は躊躇いなくもう一つの武器で父を完全に殺した。引き金は考えていたよりも軽く、放った鉛は想像よりも重く心を殺す。

 子供があるべき心を、殺し続ける。相手ではなく、何処までも、何処までも己へと刻まれるように。

 指は引き金を引くことを止めなかった。

 その女性(ヒト)が、止めるまでは。

 

 

 

 〝……そいつは子供が親を殺す理由としちゃ下の下だよ〟

 

 

 自分が全うした、壊れ始めた夢のために決めた決意の言葉を継げたとき、彼女は静かにそういった。

 その言葉は、哀れむと言うよりも、死にゆく幼い心をただ案じているような響きを持っていたように思う。

 それを聴くだけで、まだ失わずに済む気がした。零してしまった大切な物を、これからは守っていける筈だと思い直せそうな程に。

 だから当時、自分の返した言葉は――

 

『――アンタ、いい人なんだな』

 

 そんな言葉を還すと、彼女はため息を一つ吐き、自分を島の外へと連れ出してくれた。

 後のことは勝手にしろ、と言っていたから、勝手に決めることにして、彼女についていく道を選んだ。

 既に未練も無く、何か欲しいものも無い。だから、その後の人生でまた後悔することの無いように、その人についていくことにしたのだ。

 今度こそ、躊躇うことのないように。

 過ちを繰り返さないように。

 切嗣は、彼女――ナタリア・カミンスキーの弟子になった。

 

 

 

 *** 行間一 再び(まわ)り始めた場面(トキ)の中で

 

 

 

 場面はまた変わり、再び地獄までの〝幸せな日々〟を映し出す。

 いくらでも、何処までも。

 重ね続けた終わりを迎えるまでの日々を見せつける。

 忘れそうになっていた光景も、見たくない景色も。全て等しく反芻するように切嗣を侵していく。

 幾度となく、現実とやらを目の当たりにし続けて、切嗣はナタリアと共に、〝狩人〟としての人生を歩むための研鑽の日々を過ごしていた。

 そしてこれは、そんな日々の終幕であり――いつもと同じように起こった、ある悲劇を潰しただけの一幕でしかない出来事だった。

 

 

 

 *** 母の日の別れ、乖離していく心と体

 

 

 

 その日――『魔蜂使い』を始末するために旅客機に乗り込んだナタリアを援護するべく、切嗣は、広く果て無く澄み渡る大海原に佇んでいた。

 ナタリアは未だ旅客機の中。

 暗躍する『封印指定』の魔術師を狩るためにその中にいる。切嗣はというと、その魔術師がいかに人の目を欺き闇に潜むかを探るべく、またその仲間がいるというNY(ニューヨーク)へ先行し、地上からナタリアのバックアップとして地上からの補助役となっていた。

 しかし、そんな最中一つの問題が浮上した。

 標的であるオッド・ボルザークを殺すこと自体はうまくいったものの、その標的が税関の目を掻い潜り、機内にその『魔蜂』を持ち込んでいたという事が発覚したのである。ナタリアはその処理を試みたが、結局撃ち漏らしを生む羽目になった。

 この『魔蜂』は『死徒蜂』とも呼ばれ、嘗て切嗣の父である矩賢も研究をしていた吸血鬼――つまり、『死徒』を生むための研究によってもたらされたモノ。最も、これも完全な『死徒化』ではなく、その一端に過ぎないものでしかなく、生み出されるのは『死徒』ではなく『屍食鬼(グール)』と呼ぶべき出来損ない。最も、それさえも使い手が生きているのならば、の話である。

 顎で噛み、毒針で刺した対象を死徒化させることによって手駒を増やすという悪辣な力を持ったこの蜂たちは、主が命を失うとともに機内に解き放たれ乗客を全て無差別に『屍食鬼(ししょくき)』へと変えてしまったのだ。

 そして、ナタリアはその割を食うこととなり――これが今、切嗣の置かれた解決すべき状況であった。

 脱出できる可能性は絶望的である。

 ナタリアには飛行機を操縦することはほとんど不可能。彼女にはセスナ程度の操縦であれば熟せる技量はあるが、これほどまで巨大な鉄の鳥を巣に戻すとなれば足りない。

 仮に一人だけパラシュートなどによって脱出出来たとしても、それでは生存と死亡の危険性(リスク)は五分五分だ。その上、ナタリア自身が準備したう日には、そんなものはない。

 加えて、そのまま誰一人として操縦する誰かを失うとすれば、鉄の塊がどこかの街に堕ちる事によって被害が出る。――それも、『死徒』という最悪の贈り物付きでだ。

 が、『何があろうと手段を選ばず生き残る』という信条のナタリアは最後まで生存の可能性を使い潰す気であり、また切嗣も彼女の生存を信じた上で準備を行っていた。

 繋がった無線の先で、ナタリアは未だ戦っている。

 

『……聞こえてるかい? 坊や……まさか寝ちまっちゃいないだろうね?』

 

 

 

 ――――そして、最後の会話が始まった。

 

 

 

「感度良好だよ、ナタリア。お互い徹夜明けの辛い朝だね」

 

『昨夜の君がベッドで安眠してたんだとしたら後で絞殺してやりたいよ……さて、良いニュースと悪いニュース、どっちから聞きたい?』

 

「良い報せから話すのがお約束だろう?」

 

『オーケイ。まず喜ばしい話としちゃあ、とりあえずまぁ、まだ生きてる。飛行機の方も無事だ。ついさっきコックピットを確保したばかりでね。機長も副操縦士もご臨終ってのが泣けるところだが、操縦だけなら私でもできる。セスナと同じ要領で何とかなるなら、の話だけどさ』

 

「管制塔との連絡は?」

 

『つけたよ。初めは悪ふざけかと思われたけどね。優しくエスコートしてくれるとさ』

 

「……で、悪い方は?」

 

『ん。――結局、噛まれずに済んだのは私だけだ。乗員乗客三〇〇人、残らず屍食鬼になっちまった。コックピットから扉一枚隔てた向こう側は、既に空飛ぶ死の都ってわけだ。ぞっとしないねぇ』

 

「……」

 

 

 

 ――――何もない。

 最早、〝生き残るべき手段は〟何もない。〝最悪(災厄)〟という、そのたった一つを除いては。

 

 

 

「その有様で、アンタ……生きて還って来られるのか?」

 

『まぁ、扉は十分に頑丈だしね。今もガリガリと引っかかれてるけど、ブチ破られる心配はないさ。――むしろ着陸の方が不安でねぇ。こんなデカブツ、本当にあしらいきれるもんなんだか』

 

「……アンタなら、やってのけるさ。必ず」

 

『励ましてるつもりかい? 嬉しいこったね』

 

 

 ―――――段々と、乾きを伴ってくる。

 心と体が、乖離していく。

 

 

『空港まであと五〇分ちょっと。祈って過ごすには長すぎるねぇ。――坊や、しばらく話し相手になっておくれ』

「……構わないよ」

 

 

 ――――けれど、その場にあったのは間違えようもない親愛のようなもの。

 時は流れ、どこまでも饒舌な二人の言葉だけが通い合う。どうしようもない程に、流れが等しく世界を統べる。早朝の朝を写した水面を光に晒し、揺らしている。

 

 

『――坊やがこの稼業を手伝いたい、っていったときにはね、ほんと頭を痛めたもんさ。どう言い聞かせようと諦めそうになったからねぇ』

「そんなに僕は、見込みのない弟子だったのか?」

『いや違う。……見込みがありすぎたんだよ。度が過ぎて、ね』

「……どういう意味だい?」

『指先を、心と切り離したまま動かすってのはね――大概の殺し屋が、数年がかりで身に着ける覚悟なんだ。けど、坊やはそれを最初から持ち合わせていた。とんでもない資質だよ』

「……」

『でもね、素質に沿った生業を選ぶってのが、必ずしも幸せなことだとは限らない。才能ってやつはね、ある一線を越えると、そいつの意志や感情なんぞお構いなしに人生を決めちまう。人間そうなったらオシマイなんだよ。

 〝何をしたいか〟を考えずに、〝何をすべきか〟だけで動くようになったらね……そんなのはただの機械、ただの現象だ。ヒトの生き方とは程遠い』

 

 ――――冷たく霜の様に、ナタリアの言葉が切嗣の中へ染み渡る。

 だが、それとは裏腹に。切嗣の手は彼の意思とは関係なく動く。

 彼女が言ったように、既に切嗣はもう、その才能(みち)に嵌り込んだ現象と化す。

 

「僕は、さ。――アンタのこと、もっと冷たい人だと思ってた」

『何を今更。その通りじゃないか。私が坊やを甘やかしたことなんて、一度でもあったかい?』

「そうだな……いつだって厳しくて、手加減抜きだった。――アンタ、手抜きせずに本気で僕のこと仕込んでくれたよな」

『男の子を鍛えるのは、普通父親の役目なんだけどね。

 ……坊やの場合、そのチャンスを奪っちまったのは、この私が原因みたいなものだ。まぁなんていうか――引け目を感じないでもなかったんだろうさ』

「……アンタは、僕の父親のつもりで?」

『男女を間違えるなよ、失礼なヤツめ。せめて母親と言い直せ』

「……。そうだね。ごめん」

 

 ――――軽口の様にやり取りを交わしながらも、もう余裕などはなく。擦れた声でそう返すのが精一杯になってしまっていた。

 それでもまだ。会話はまだ、続く。

 

『……長い間、ずっと一人で血腥い毎日を過ごしてた。自分が独りぼっちだっていうことさえ忘れてしまう程にね。

 だから、まぁ……フン、それなりに面白可笑しいモンだったよ。家族、みたいなのと一緒ってのは』

「僕も――」

 

 ――――何事にも、終わりは来る。

 〝最善を成す〟ためには、最短の手筋で物事を進めなくてはならない。

 守るために。……家族ではなく、顔も知らない他人のため。

 世界を、救う、ために。

 

「――僕も、アンタのこと、まるで母親みたいだって思ってた。一人じゃないのが、嬉しかった」

『……あのな、切嗣。次に会うときに気恥ずかしくなるようなことは、そう続けざまに言うのはやめろ。

 ああもう、調子が狂うねぇ。あと二〇分かそこらで着陸(ランディング)だってのに。土壇場で思い出し笑いなんぞしてミスったら死ぬんだぞ? 私は』

「……ごめんよ。悪かった」

 

 ――――意味のない謝罪と共に、最後の一節(ことば)が紡がれ始める。

 

『ひょっとすると、私ももう、ヤキが回ったのかも知れないね。

 こんなドジを踏む羽目になったのも、いつの間にやら家族ごっこで気が緩んでたせいかもな。だとすればもう潮時だ。引退するべきかねぇ……』

「――仕事を辞めたら、アンタ、その後はどうするつもりだ?」

『失業したら――ハハ、今度こそ本当に、母親ごっこくらいしかすることがなくなるねぇ』

 

 ――――瞳から零れ、流れ落ち、頬を伝う涙が、視界を歪ませる。

 もう何もかもが終わる。

 たったそれだけで。

 嘘偽りなく、しかしどこまでも欺瞞だらけ。

 〝使命(なすべきこと)〟に塗りたくられたその躰が、遂に幕引きの為の銃爪(トリガー)を引く。

 

 

 

 

 

 

「アンタは――僕の、本当の家族だ」

 

 

 

 

 

 

 朝焼けの空に散った鉄の鳥。

 動力源(いのち)を絶たれ、翼を捥がれたその鉄塊がミサイルによって燃え尽きる姿を、まだ年端もいかない少年の瞳が捕らえ続ける。

 〝母親〟と過ごした日々が、走馬灯のように脳裏を駆けていく。

 が、そんな責め苦は直ぐに失せ、いつの間にか空には何も無くなっていた。

 ……もう、何も。彼には何一つとして、残されてはいなかったのだ。

 

 

 

「――見ていてくれたかい? シャーレイ……」

 

 心を凍らせていく、その〝正しい理想〟以外は、何もなかった。

 

「君の時の様なヘマはしなかった。父さんの時と同じように、殺したんだ」

 

 ……けれど、そんな思いは決して届くことはなかった。

 

 

 

「――僕は、多くの人を、救ったんだ――」

 

 

 

 ……だから。だから、何だというのだ。

 こんなこと(・・・・・)が何になる?

 誰とも知れない他人を護って、父を殺したことの意味を得ようとした。殺してしまった人の分だけ、それを選ばなかった自分の罪の分だけ、誰かの為に何かをしたいと。

 誰かを救いたいと、そう願っていた。

 そうしていることで、何時か。――どこかに平和が存在できるならと願って。

 だが、もし仮に。こんな行為が人々に知れたとして、それで人々は切嗣を讃えるだろうか?

 それは、ある時は讃えられるだろう。

 そして、ある時は蔑まれることになるだろう。

 でも、切嗣が欲しかったのはそんなものではなかった。

 名誉も謝恩欲しくない。

 欲しかったのは――父やシャーレイたちと島で暮らす平和な時間であり、ナタリアを『母さん』と呼べるような日々でもあった。

 なのに、正しいはずの/どうしようもなく正しかったその行いは、結局彼から何もかもを奪い去っていったのだ。

 

 

 

 〝――――ケリィはさ、どんな大人になりたいの?〟

 

 

 

 なりたかったものは何か? それは、『正義の味方』だった。

 けれど、〝正義〟は最愛の人達を奪い去る。

 父を、母を、初恋の人を。

 分け隔てなく平等に、愛しい人々を懐かしむ権利さえも地に濡れた赤い色で染め上げ、汚していく。

 もはや、安らかな回顧など叶わない。代わりにあるのは、永遠に続くほどの怨嗟にまみれた叫びだけ。

 責められるだけの人生を歩む。

 それこそが、〝正義〟を求め担おうとした者への代償であった。

 非情に徹し、結果として〝最善〟を選んだ切嗣のことを、彼らは決して赦すことはないだろう。……いや、例え彼らが赦したとしても。結局もう、切嗣の内に残ったのは、自己に苛まれる続けるだけの命でしかない。

 だが、止められない。止まれないのだ。

 ここで止まってしまえば――ここまで〝終わらせて〟しまえば、これまで支払ってきた代償が無に帰されてしまうのだから。

 これまでを、一片の価値すらない無価値な藻屑になるようなことなど、有ってはならない。

 故に、彼はこれからも鉄の様に固く冷え切った心で、どこまでも憎みそして焦がれる理想という名の幻想に従い続けるのだろう。呪い、憤りを覚えながらも、どうしようもなく胸に残り、祈らずにはいられないその決意は、切嗣の背を押し続ける。

 こうして、世界とやらに裏切られた少年はただ、慟哭の中に沈んでいく。

 

 

「ふざけるな……ふざけるなッ!」

 

 

 それは、幼き心の死にゆく様を(うた)う、無様に〝母〟を失った子供の叫びだった。

 

 

「馬鹿野郎……馬鹿野郎……っ!!」

 

 

 こうして、己の選択によって。

 彼は知りもしない他者の平和を知られずに守り、

 親愛の情を抱いていた〝母親〟を殺した/失った――――。

 

 

 

 ――――そして、悪夢は当然のように終わらない。

 

 

 

 *** 行間二 得るということ、失うということ

 

 

 

 ――母を失い、男は家族を失う。

 けれど、無くした家族を、再び得ることになる。

 

 冬の森の中で、儚く咲いた造花の命。

 その美しさを、本当の価値をまた知ってしまう。

 知らないということは、得てしまうという事は、救いであると同時に、どうしようもない呪いとなって彼の進むべき進路を阻み続ける。

 どうしようもなく温かく、捨てがたいほどの安らぎと共に。

 

 今度もまた、捨てることが決まっていたそれを、彼は再び手にすることとなった――。

 

 

 

 *** 愛とは――造花に宿った灯火(ともしび)

 

 

 

 

 

 

 新しい記憶。

 反芻することなど容易い、愛しい〝最愛〟を見つけてしまったあの瞬間の光景。

 そして、初めて耳にした彼女の名を。ようやく意志の欠片を宿し始めることとなった彼女が、その名を口にしたあの時。

 造り物と自らを称するのではなく、彼女だけのその名前を初めて聞いた邂逅の時だ――――。

 

 

 

「君には、名前はないのか? ホムンクルスとか、器とかじゃなく――君固有の名前は?」

 

『私は、……〝アイリスフィール〟。

 ――――アイリスフィール・フォン・アインツベルンと、申します』

 

 

 

 愛するモノを失った彼は、また再び失う愛を結んでしまった。

 楽しい時間は、いつの間にか過ぎ去るだけ。妻の命を糧として、その先にある平和を娘のために使おう。全世界全てを、一つの祈りで正して――。

 しかし、その戦いは決してなどいない。

 なのに何故、この悪夢はそれを見せる?

 また失うと、そう言いたいのか?

 そんなことは、いやという程に知っているというのに。

 

『それは貴方が、本当に〝無知〟であることを此処で知って貰わなければならないからですよー』

 

 言うに事欠いて、無知だと? 仮に、この身に刻まれた記憶や痛みを全てそうでないとすれば、知るべきこととは何だというのか。

 一体、これ以上何を知れと言うのだ。

 失い続けた痛みも、これから失う痛みも、痛み続ける人の世を。

 何を知れという? 戦場に血が流れる以上の地獄が、何処にある? 妻や娘を失う苦しみ以上に、一体何を知れという!?

 遂に切嗣はその苛立ちをぶつけた。

 願いを叶えるために、()()()()()()()()()()()()()()()()()()のために、全てを捧げると決めているというのに。

 何もかもが、これ以上彼の〝必要としないモノ〟――犯し続けた愚かな過ちを、振り払おうとした。

 その先に、〝必ずある〟幸せをつかみ取るために。

 けれどそれは、

 

『ふーむ。では、一つの問いかけをしましょう。

 いえ、別にくだらないモノです。貴方が、真に〝知〟を持つのであれば、この答えは自ずと出るでしょう。……ですが、もし。

 ――――貴方が何も知らないのであれば、その先は地獄以上の(みち)となるでしょう』

 

 たった一言によって瓦解する。

 

『――貴方は、世界が()()()()()()平和になると思いますか――?』

 

 その問いへの答えを、彼は持ち合わせてはいなかった。

 問いかけ同様に、これまで測り続けた――そのたった一つを、除いては。

 

『さあ、貴方の答えを聞かせてください』

 

 この問いは、決して衛宮切嗣がたどり着いてはいけないモノだった。

 故に、当然の如く。〝回答(こたえ)〟など持ち合わせてはいない。

 この世において、『悪』とされる全てを担うことさえ躊躇わない。それが衛宮切嗣の覚悟であった。

 けれど、その覚悟はここに置いて意味が無い。

 なぜなら、今求められているのはそれではない。

 悪を背負い、奇跡を手にすることによって奇跡を願う。

 それこそが、衛宮切嗣の〝回答〟である筈だ。……否、求めていた〝回答〟そのものだと思っていただけのモノだった。

 

『〝奇跡〟は、〝仮定〟を以てそれを成します。故に、そこには確かな〝辿るべき過程〟が存在しなければ奇跡となり得ません。何故なら、そこを省略して、奇跡は起こるのですからねぇ。

 ――さあ、貴方の思い描く、世界が平和になるまでの過程とはどんなモノなのですか?』

 

 応えられなかった。

 いや、それは正確ではない。

 はっきり言ってしまえば、『衛宮切嗣』は〝回答〟を持ち合わせてなどいなかったのだ。

 

『うーん。答えられないようですねぇー。まぁ、無理もありません。貴方の願う平和を成す手段が、貴方自身の中にないのなら――奇跡は、貴方の取り得る手段を以て呪いとなるであろうことはほとんど確定的ですからね~。

 そうですね……では、この質問から逃げられないように、質問を変えましょうか。

 〝仮に、二隻の船が在るとした場合。片方には三〇〇人、もう片方には二〇〇人乗っているとして、そこへ貴方一人を加えたそれを、人類の最後の生き残りと設定します。この船が航行中、船底に穴が同時に開いたとき、唯一修理する技術を持ち合わせる貴方は、果たしてどちらを先に救うのか――〟』

 

 ――ダメだ。

 その先を、言わせてはいけない。

 

『おやおやー? なにか、不都合がありましたかねぇ? 私は単に、この世界がどう平和になるのかを問うているだけですのに。

 世界を救うつもりなら、ありとあらゆる犠牲を払ってでも平和を成そうというのならば……この程度の質問には答えられなくてどうするんです? なんでしたら、この問いの回答を答えられたなら、特典として精神世界(ここ)から出してあげてもいいですよぉ~?』

 

 歯の根が合わなくなりそうだ。

 久しく感じていなかった恐怖を、いま感じている。

 問いは続く。

 蹂躙されていくように、理想の為に生きるこの心を。

 

『〝――貴方はどちらを選ぶか。否、どちらを選ばなければならないのか――〟』

 

 人数の、多い方の船を……選ぶ。

 

『でしょうねぇ……でも、それは正しいのでしょうか?』

 

 天秤の針は間違っていない。

 〝少数の犠牲で、より大勢を救う〟のだから。

 

『そうですか――

 しかし、もしも〝貴方が多勢を選んだことで、少数が貴方に修理を強要してくる〟のだとすれば、どうでしょう?』

 

 それ、は……いや、しかし。

 

『身に染みて知っているんでしょう? 人は、自分が助かりたいためならば欲に溺れると。

 なら、こうなって当然。そして、これもまた〝争い〟――とすれば、衛宮切嗣(アナタ)はどうするのでしょう』

 

 ……。

 …………。

 ………………目の前が、赤くなる。

 

 いつの間にか船の上にいて、そこはもう血の海であった。

 この世から争いを根絶する。

 確かに、それは衛宮切嗣の願望だ。

 そのためならば、流血すら辞さないと、確かに思っている。

 しかし、これは……これは、違う……!

 

『ほう……。貴方は、貴方も知らない方法で、世界が平和になるとでも? さっきも言ったでしょう。〝奇跡〟は、〝過程〟あってのものだと。

 なら、貴方が知らない方法なんかで、奇跡が敵うはずないでしょうに』

 

 なら! ならば〝万能の願望器〟とは……! それのどこが、〝奇跡〟だというのか!?

 

『別に、奇跡であるとは思いますよぉ~? 人の手では成し遂げられないことを成すわけですからねぇ。

 ただ、貴方(とか外道神父)が使うと破滅的な汚染が加速するってだけで、別に私は聖杯そのものを貶めたりはしません。

 何せ、私たちのマスターって、結構聖杯関連の人が多いですから~♪』

 

 汚染……?

 聖杯が汚染されている、とでもいうのか?

 

 

『ええ。そんなことも気づかなかったんですか?』

 

 ……。

 

『そんな黙り込まなくても、さっきまで城にいたキャスターとか、まさしくその象徴じゃないですか。あーんなあくどそうなサーヴァントが呼ばれるなんて、どう考えても汚染起こってるってわかりますし』

 

 そん、な……ことが。

 そんな事が、あってたまるか!

 

『いやいや、これがあるんですよー。

 で、その所為で呪いの様にして、人を殺すことでしか願いを叶えられない。

 それが、今の「聖杯」ですよ』

 

 そんな、筈は……!

 

『往生際が悪いですねぇー。

 なら、貴方の(うち)にある言葉に近く語ってあげましょうか?

 〝騎士、英雄なんぞに世界は救えない。過去の歴史がそうであったように、これからもずっとその通りである。正義で世界は救えない。そんなものに、興味はない〟と。

 確かにそれはある一側面では正しいかも知れません。

 貴方の生涯を見ても、確かに戦場やそこにある闘争を悪とする心も理解は出来ます。けれど、戦いに正邪が本当に無いのだとしたら……そこにあるのは、人間の本質だけとなります。

 貴方が根絶したいものが、なんであるのか。それを考えれば、そして貴方の中にある悪を生むものが、一体なんであるのか……』

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 

『だから、貴方の願いを歪めてしか叶えられない。

 争う事――つまり、人が生きようとする限り。他者との諍いの絶えることの無い今の人間たちに、平和をもたらすには〝振るい分け〟が必要となります。

 それこそ、貴方とその家族になるまで、他を切り捨て続けでもしない限り止まらないほどの〝振るい〟が』

 

 

 

 ……遂に、答えが来た。

 

 

 

 場面が変わり、そこは冬の城。

 何もかも、この世全てが失われた世界。

 

 ――望み続けた、〝平和な世界〟の姿だった。

 

 その筈だというのに。

 娘から伝わる温もりも、妻の微笑も、絶対に失いたくないこの平穏も。

 乖離する躰と心。

 意識が離れた指先は、すり寄ってくる娘ではなく――――冷たい銃の引き金に掛かっていた。

 大好きだ、と。

 嘘偽りない気持ちを告げる。

 だが、それでも殺した。

 妻の慟哭も耳に入らない。

 もしも、こんな世界が成就してしまうのならば……僕はそれを止めなくてはならないのだから。

 妻の首を締め上げる。

 

 ――『聖杯』は、あってはならない。

 

 その時ふと、そんな言葉が浮かんできた。

 見知った場所と、知らない筈の光景と共に。

 土蔵に横たわる銀髪の女性。その内より出でる黄金の鞘。

 これからの戦いへと、夫を誘う為に自らの生へ背を向けた妻の姿がある。

 

『私はね……幸せだよ……』

 

 だが、それでも幸せだったという言葉は偽りなく。

 ただひたすらに願う。

 娘への祈りを。

 奇跡を、夫への最後の贈り物としようと。

 器の担い手足る女は、最後にそう口にした。

 

『はい――お気を付けて、あなた』

 

 不思議とそんな言葉が脳裏に浮かぶ。

 しかし、もう腕は止まらない。

 彼女は『小聖杯』であって、『聖杯』ではない。彼女を殺すのではなく、本来ならば『大聖杯』を壊さなくてはならないのに。

 だというのに。腕は、躊躇いなく、流れ出る雫を生む心とは裏腹に、妻の首をへし折った。

 

 

 〝――――君を殺して、

 僕は――世界を――救うから、だ……ッ!〟

 

 

 まるでそれは、これから起こることのように自分の中にするりと入って来た。

 〝過ち〟をまた、繰り返すのだと告げる様に。

 この世界が、この願いが。全て間違いに終わってしまうかのように。

 『衛宮切嗣』という存在が、本来知りうるはずのない領域(きおく)へと進んでいく――。

 

 

 

『〝ようやく入り口に至ったか〟――なーんちゃって! やだ~、ルビーちゃんたらおっ茶目ぇ~♪ 

 さぁ、ここからが本番ですよぉ~?』

 

 

 

 ***

 

 

 

 妻を殺した直後にしては、切嗣は屍人(しびと)のように平坦であった。

 何時の間にか空には黒い〝孔〟があり、そこからは泥が漏れ出している。街々が火に晒されていて、そこはかつて過ごした村のように灰への変えようのない定めを進んでいる。

 ――アレは、止めなくてはならない。

 切嗣はそう断じた。

 何故かは判らないが、この奇妙な場面がやけに心の奥に抉る様に突き刺さる。

 初恋の人も、父も、母も失くした身であるが、妻と娘はまだいる。

 だというのに、この見知らぬ光景は、確かに『衛宮切嗣』のものであった。

 それを知らせるのは、先ほどまで苛立ちを募らせていた案内人の声。

 そこに怒りは失せ、あるのはこの先に向かう恐怖のみ。

 恐れながらも、知らなくてはならないと身体が動く。母に言われた、その才能。切り離すことに対しての、最善を選び続ける機械としての部分が、切嗣をここから逃がさない。

 無知であるのならば、知らねばならないのだ。

 己が成し得ない、平和への辿るべき道。奇跡のための軌跡が、今の彼には必要であるからこそ。

 しかし、未だ流転する石の様に、切嗣はまだまだ落ち続ける。

 これまでと同じように、これからも赦されることのない代償を払いながら、目の前の天秤を計り続ける。

 

「令呪を以って、セイバーに命ず。――〝聖杯を、破壊せよ〟」

 

「切嗣……っ! よりにもよって貴方が……何故……っ!?」

 

 己と同じように、理想に焦がれた少女が戸惑いの声を上げる。

 それでも止まらない。声もかけない。何故なら、そんなことは不必要であるから……。

 いますべきは、たったひとつ。

 聖杯を破壊すること、ただそれだけである。

 

「続けて第三の令呪を以って、重ねて命ず。

 セイバーよ――〝宝具にて聖杯を、破壊せよ〟」

 

「――――やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉ!!」

 

 この戦いにおいて、初めて流れた少女の涙。

 それは憎むべき敵でも、悼むべき誰かに対するものでもない。

 ただ、結局何も判らなかったのだという後悔だけを刻み込ませる、主人からの呪いを悔やむ思いからのものだった――

 

 

 

 ――場面は変わり/留まり、血塗れの丘/火の海が目の前に広がる。

 

 

 

 この時切嗣は、何故か先ほどまでとは違い……己の中ではなく、その光景を人ごとのように傍観する位置にいた。

 

『……ごめんなさい……ごめんなさい…………私なんかが……ッ』

 

 丘で泣き叫ぶ少女と、火の海を彷徨う自分の姿が重なって見える。

 それはまるで、道に見失った子供のようだ。

 今の二人の手には何もない。だからこそ諦めきれない。

 故に、求める/探すのだ。

 その為の、救うためであり、救われたいがためであるその証を。

 

 ――――そして、ついに出会う。

 

 始まり(ゼロ)を越え、運命を導くであろうその少年に。

 少女の元へ光が注がれ、切嗣の救いとなった少年へ彼の手から温もりが伝わっていく。

 失い続け、そうして得たモノ。

 或いは、それから得るであろうモノを、見た。

 

 写し絵を変え続ける映写機(スライド)の様に、場面は一気に変わっていく。

 地獄の光景であり、理想の光景を。

 しかしそこには呪いしかなく、決して間違っていないという願いだけがあった。

 いつ解けるとも知れぬ鎖の中。

 男は、ある少年の辿る正義という名の幻想(ユメ)を視る。

 いつ果てるとも知れぬ命を削り、終わりなき荒野を歩いた(うた)を知る。

 

 

 

 

 自らの残した理想(呪い)の為したその行末(カタチ)を――――

 

 

 

 

 



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第二〇話  ~地獄の果てにあるモノとは……?~

 ☆改心開始☆

 ケリィのライフにダイレクトアタック☆DA☆ZE☆


 ――そこは、理想(じごく)の果て――

 

 

 

 

 

 

 焼けた空から注ぐ雫。

 額を濡らす水滴の感覚は、何も空から注ぐものばかりではない。

 光を失ったはずの瞳。枯れた筈の路は、今も尚、それを流す。

 この世の地獄を渡り尽くした彼が、初めて得た救い。巡り巡る罪科の怨嗟を背負いながらも、確かに救いの証はその手の中にあった。

「――ありがとう……ありがとう……ッ」

 漏れる声は、ただひたすらに感謝。

 〝……生きていてくれて、ありがとう……〟

 どうしようもなく、陳腐な感謝を言葉にする。

 何もかもを捨てて、平和を得ようとした。

 しかし、その代償は、何もかもを失うだけの結末で、最後までそれを覆すことは出来なかった。

 これまで切り捨て続けたモノをこれまで通りに捨てて、最後の最後に耳にした声は、自分と同じほどに理想に焦がれた少女の声。

 願うものが同じでも、過程が決定的なまでに異なるような、力も存在も信念も、何もかもが正反対な同類。

 ――誰かを護りたい/自分が救われたい。

 それは自分自身の願望で、誰かを護りたかったという独善的な希望であり、祈願。

 焦がれた理想はどこまでも優しい世界で、運命を変えるために、大切な人々が流した血を覆す力を欲していた。

 だが、その願いはどうしようもなく〝間違い〟だったのだと気づかされてしまった。

 取りうる手段が、

 或いはその願いの為に積み上げられた人々の心が、

 天秤を量るだけの機械に、持ちうることのできなかった過程(しゅだん)であったということを突きつけ、一度通った運命(みち)を決して悔いることはないとした命の咆哮(こえ)が叫んでいたことに気づけなかった王へ変わらず敬愛を告げたのだから――

 

 

 

 ***

 

 

 

 この地獄(りそう)は、自分のものであった。

 だが、理想(じごく)は彼のものでもあったのだ。

 

 ――――無数の剣が乱立した、赤い荒野に佇む男が目に写った。

 

 どこか悲しげな目でこちらを見ている。

 何かを悔いる様に、或いはただ傷ついた子供の様に、彼はこちらを見ていた。

 全く知らない他人であるのに、どうしてか心が痛む。

 まるで、彼に自分が何かを言わなければならないように。……かつて告げたものと同じ、感謝を告げなければならないと言うように、理性ではなく本能が吠え立てる。

 そんな自分の裡を見透かすように彼の口元が少し上がり、どことなく皮肉気な笑みが浮かぶ。

 

「……これはまた、随分と珍しいこともあったものだ」

 

 そんな声と共に、そんな笑みもすぐに消える。

 まるで彼は自嘲するように微かに息を漏らし、先ほどまでとは全く違う心からの表情を浮かべてこちらを見ていた。

 子が親に向けるような、屈託のない笑みでこちらを見ている。

「道にでも迷ったのかね? 生憎、ここには人を持て成せる様なモノは無くてな……すまないが、茶飲み話となっても茶の一つも出せんよ」

 言葉のわりに、声の調子は優しい音を持っていた。

 無論そんなモノを求めているわけではなく、別段そんなものはいらないのだが、どうしてか口元が緩むような気がしてならない。

 此方の様子が伝わったのか、向こうもどことなく気を張る空気を霧散させる。

「ここへ来たというのなら、何かに惑ったのか、それとも地獄巡りにでも付き合わされているのか……そのあたりの事情は知らないが、まぁ、ゆっくりしていくといい。

 暇を持て余しているというのならば、話し相手くらいにはなるが――どうかね?」

 奇妙なことに、その提案に対して悪い気はしなかった。

 ここまでの案内人の、どことなく割烹着の似合いそうな可愛らしい女の子の声で散々引きずり回された記憶の中、こんな休憩も悪くない。

 馬鹿げた話だが、不思議とこの状況を受け入れている自分がいた。

 知らねばならない。

 この一点を、遂げるために。

「……あぁ。

 なら、君にはここの地獄について、語って欲しい。

 ここまで来るのに、散々巡って来た。散々な過去や、今の自分の愚かさをね……。これまで幾度となく繰り返して、多分、この後一生繰り返し続けるだろう間違いを見せられた。だからこそ――僕が知らない、僕の無知さを変えるための答えを教えて欲しい。

 ……君の話を、教えてくれ」

「――そうか。

 なんとなくだが、事情は察した。なるほど、君はどうやらとんでもない運命に恵まれているらしい。

 救いという名の地獄。ある意味ではこれは救済となりえるだろうが、過ちを突きつけるのはどうにも苦手だ。とりわけ、相手が君となればなおさらに」

「……僕、だから……?」

「おっと、最初はそこからか……そうだな。

 とりあえず断っておくが、私は人を弄ぶのは好きではない。冗談も言うし、皮肉も言うだろう。だが、あくまでもそれは日常の範疇に過ぎない。

 君が求めているのは、いまの君がいる場所は、少なくともそこからは程遠い。故に、私は真実と私の見てきたものと、私が感じたものを語り、君に伝えよう。

 ただひとつ。言っておくことがあるとするならば、それはまずこれだろう。

 癪だが、あの小僧の言葉をそのままと、私の言葉を君に告げておこうか……この理想(呪い)に焦がれた、まぁなんというか、そう――()()()()の言葉を」

 

 

 〝――この夢は、決して間違いなんかじゃない〟

 

 

 自分も彼も、恐らくは、この理想に呪われた数多の人間たちが欲し、最も自らの内に望んでいた言葉を口にした。

 

 〝――――確かに、答えは得た。

 どれだけ理想に溺れても――それでもオレは、間違ってなどいなかった――――〟

 

 告げるための言葉を口にすると、世界と光景が変わっていく。

 語り部が場面を変えるように、舞台が書き換えられていった。

「どうやら、この巡り合わせを考えた主も、語れといっているらしい。

 最も、私の言葉が真に必要なものであるかは疑問なのだがね――」

 

 

 

 

 

 

 荒野が光に包まれ変わっていく。

 その光は、遠き理想郷の放つモノ。

 あらゆる怨嗟と、全ての傷を癒す、人々の祈りを紡いだ剣を収める鞘。

 そしてこの光は、彼の――少年の『世界』を形作る大本となった〝起源〟そのモノでもあった。

 ある時は、生涯少年の中に在り続けたモノであり、

 時に少年より少女の手に返還されたモノでもある。

 理想に焦がれた少年の中にあったつかめぬ光、理想に準じた少女が最後に眠る地。

 故にその名は――〝全て遠き理想郷(アヴァロン)〟。

 

 

 

 そうして場面は、再び変わる。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――――その光景を覚えている。

 

 炎の海の中。

 独りで居た終わりゆく命を掬い上げた、ある男の姿を。

 その時見た、余りにも()()()()ような笑顔を、覚えている。

 まるでそれは、救ったはずの男の方が救われたかのようなもので……救われた筈の命は、いつか自分も()()()()()()と思い憧れた。

 

 そう――

 それは例え磨耗し、粒子(こな)()った記憶(こころ)であっても決して忘れなかった、ある始まりの光景(きおく)

 

 終わりを告げた地獄で始まった呪いのような理想(ユメ)の物語。

 余りにも罪深い、その在り方を遺された少年の物語。

 ……どうしようもなく、優しい/偽りの物語が、この時幕を開けた。

 

 

 

 〝――――ありがとう……ありがとう……ッ〟

 

 

 

 そんな、感謝の声と共に――――

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 確かに取り戻した命。

 そこには確かに幸せの一端(カタチ)はあって、けれど何処か欠けたモノを思わずにもいられない。

 故に、男は少年に与えた呪いに気づくことはなかった。

 ……いや、気づいてはいたのかもしれないが、それでも何処か祈りにも似た気持ちがあったのかもしれない。自分では果たせなかったその夢を、

 

 〝――――しょうがないから、俺が代わりになってやるよ〟

 

 引き継いでくれると、そう口にした少年(むすこ)の頼もしい言葉に……

 

 〝任せろって。 切嗣(じーさん)の夢は、俺がちゃんと形にしてやっから〟

 

 

 美しい月明かりの下――

 どうしようもないほど歪で、どうしようもないほどに美しすぎた、穢れきった奇跡を求め続けるその呪いと言う名の理想に。

 

 

 〝あぁ――――安心した〟

 

 

 どうしようもなく、救われていたから――――

 

 

 

 ***

 

 

 

 救われないはずだった二つの命。

 

 果たしてこの時、救われたことが〝奇跡〟だと言えるのだろうか?

 ――否、確かに奇跡ではある。

 何故なら、到底叶いもしない願望を抱き、そして夢を叶えようともがくのはヒトの業でしか有り得ない。

 それらはまごうことなく、等しく奇跡だった。

 だからこそ、こう言えるだろう。

 

 引き合うほどに、矛盾するように絡み合い、出会ってしまったこと自体が奇跡だったのだろうと――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 物語は、ついに始まる。

 夜に終止符を打った日に始まった、夜を越えていく物語が。

 

 赤き荒野を渡った少年も、

 そこへ至らなかった少年も、

 その荒野を越えて行った少年も、

 傍にある花を護ると決めた少年も、

 白き雪に咲いた儚い命を支えた少年も、

 

 その全てを越えて行った少年もまた、その物語を生きた。

 

 

 

 そうしていつも、始まりはこの言葉から――。

 

 

 

 決して忘れることはない、美しい夜の出会いの言葉。

 清廉な宵闇の空気に誘われるように、冠された『座』が示す、剣の如き鋭く凛とした声が少年へと向けられる。

 

 

「――――問おう。貴方が、私のマスターか?」

 

 

 翡翠色の瞳に、金の髪。

 青い秀麗な戦衣装(ドレス)と、その上に着けられた甲冑。

 風の衣に包まれた不可視の剣。

 

 この時まさしく、運命の糸が、この出会いを結び合わせた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 戦いの嵐は苛烈に、けれど確かに強い意志の下で吹き荒れる。

 幾重の願望・信念・私欲が絡み合い、奇跡を巡る戦いは加速していく。

 

 ――始まりの日。

 まるで雪の様な髪をした少女の従えた、狂戦士との交戦。

 

 初めて目の当たりにした、条理外の存在同士が真っ向からぶつかり合う、真に『力』とはなんであるかを知った。

 同時に、誰かが目の前で傷つくのが、どういう事であるのかも……。

 当然、適うはずもないのだ。……そんなことは、初めから分かっている。だというのに、心はそうではないと声を上げる。

 ただ、目の前で誰かが傷つくことが耐えられない。

 この身は、誰かの為でなければなくてはならない。

 

 岩から削りだされたかのような大剣。

 

 人の身では、振り回すことさえも難しいだろうそのひと振りを、まさか人の身で受け止められるまでもない――

 瞬間、それはヒトの形を失った。

 

 

「――酷いものだろう?」

 

 

 問われた男は、目の前の光景に返答を口にすることさえもできなかった。

 目の前の光景は、確かに酷い。アレは、自分を顧みないのではない。自己犠牲などという言葉では足りないほどの自己献身は、もはや歪な恐怖さえ感じさせる。――が、どうしてもそこから、目を逸らせない。

 ドクドクと鼓動が早まり、早鐘の様に心臓の音がする。

 同じ様に、腹を裂かれた騎士王を始めとして、誰しもが言葉を失っている。

 それほどまでに、その光景は異常であった。

 何故、いま目の前にある光景が作られたのか解らない。こんなことをする必要がないのだということを、当たり前として知っているからこそ。

 死を顧みないのではない。

 単純に、目の前に命を差し出すことを躊躇わないこと。それが、異常なのだ。

 出す必要がない、或いは、出しても仕方がない。

 そうした自分という存在の価値を量る当たり前の機能(ほんのう)が、少年には決定的なまでに欠落していた。

 

 場面は変わる。

 そこは、どこかの学校らしき建物。

 渡り廊下に倒れ伏せる生徒の傍に、先ほど狂戦士に挑んだ少年と、勝気そうな黒髪の少女が立っている。

 次の瞬間、彼らの元へ向けて〝見えない楔〟が投げ放たれた。

 迫り来る脅威に気づいた少年と少女。

 狙いは、少女の顔の辺り。すると、何と少年はまたしても躊躇いなく、自身の腕を楔の軌道へと割り込ませた。

 呻き声を上げる少年。

 だが、彼が穿たれた傷を気にしたのは、自らの肉を抉られた一瞬のみ。

 血を流すことを気にするそぶりもなく、襲撃者の元へと向かって行く。

 その場を任された少女の顔は、再び垣間見た少年の異常性に驚愕を通り越して忘我の域に達していた。けれど、その場を〝任された〟以上、彼女は倒れていた女性生徒を見殺しにすることもできず、治療を続行した。

 しかし、その手は焦りに震えている。

 このまま彼をただ一人で前に進ませてはいけないのだと、強く本能が警告を発しているのだろう。

 他人に構う必要のない戦争(たたかい)の最中にあるのだということは、傍観者である自分達にも判っている。……だというのに、この戦いの中に飛び込んだ少年の姿は、どうしようもなく他者を掻き乱していた。

 時に嫌悪を、時に心痛を伴わせながら、彼のことを想う人間を掻き乱していく――。

 

 

 

 手に持っていた棒切れで、人ならざる者に挑みかかる。

 ……ただ一方的にやられるだけ。

 直面した事実を、彼は真っ向から受け止めた上でこの場に立っている。その上、手に刻まれた聖痕を使うには、自分がやるべきことを成してからであると自らに枷を課した。

 これはもう、無謀を通り越して馬鹿の所業である。

 

 ――――しかし、どうしようもなく目を離せない。

 

 時は進む。

 麗しき騎士王は、新たな主への怒りを露わにしていた。

 無理もない。――自分でさえそう思うのだ。恐らく、彼女ならば猶更であろう。

 だが折れない。

 彼の信念は、決して曲がることの無い。

 せめてもの措置として、彼女は彼を鍛えることを申し出た。

 この光景に、隣の男も自分も苦笑した。どうしてこんな場所でここまで穏やかな表情ができるのか分からなかったが、張り詰めていたはずの心が、いつの間にか緩んでいることが自分でも感じられるほどになっている。

 ……不本意だが、悪い気分ではない。

 

 

 

 そんな自分の心を抜き去って、物語はまた進んでいく――――

 

 

 



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第二十一話 ~運命の道、運命の丘での別れ~

 Fate√の回想。
 ちなみに、語り部的な同行者がいるのは仕様(と当時のアンケートの結果)です(笑)。


 序 惹かれ合う『剣』と〝剣〟

 

 

 

 ――――それは、『剣』と〝剣〟。

 

 未だ知らぬ本質は、闘う者と生み出す者。

 ――二人の在り方はまるで違う。

 あるべき姿もまた違う。

 赤い荒野で無限に連なる剣と、永久に続く想いを束ねた剣。

 それらは、無限を極めて力とし、たった一つを究極と成す。

 仮に心意気が同じとて、決して相いれることはないだろう。――なのに、二人は惹かれていた。

 己の中の正しさを曲げてしまいそうなほどに。

 果たして、二人にとってこの剣撃の()は、一体どう聞こえていたのだろう。

 真剣を用いた物でないとはいえ、二人の間に張り詰めた糸の様な空気は真に迫る何かを持っている。

 打ち合う度に、二人の心は踊っていく。

 どうしようもないほどに、言葉などとうに越えてしまい、心の融和だけがただ静かにそれを表す。

 心地よく、通い合う熱。

 響き合う音と共に、裡の水面が揺れる。

 まだ、お互いに気づいてはいないけれど――確かに、この時から既に、二人は惹かれ合っていた。

 

 

 

 *** 行間一 姉妹の見た、夕暮れの光景

 

 

 

 燃えるような夕暮れに染まった、静まり返った校庭の一角。

 一人の少年が、ひたすらに走り高跳びを繰り返している。

 未だに繰り返され続けている光景を青い/紫の瞳に映している少女たちは、その光景をただ見ていた/心内で見下していた。

 何がそこまでさせるのかと、

 酷く真摯な姿が妬ましいと、

 どうしても目が離せないままに、ひたすらに見ていた……。

 

 〝いったい何が、そこまでさせるのだろう?〟

 

 〝――――――失敗しちゃえばいいのに……〟

 

 二つの瞳は、凛とした光を、穢れた花の色を示し、少年を見ていた。

 けれど、二人の抱いた感情を意に介することもなく、少年は飛び続けていた。

 ――その時、

 

 

「「――あ」」

 

 

 少年は倒れ、夕暮れの走り高跳びは終わりを告げる。

 それを見て、

 少女は彼の元へと向かい、

 少女は彼に憧れを抱いた。

 そして、少年は――

 

 

 

 〝――――跳べないってことが、挑戦を止める理由にはならない〟

 

 

 

 少女たちへ仄かな想いを抱かせ、決して裏切ることがない強さを見せた。

 焦がれて、任せてもいいかもしれないと思った。

 傍に居たいと、そう願うようになった。

 彼女たちの記憶にその存在を刻んだ、ある夕暮れの出来事。

 真っ赤なグラウンドの中で、ある少女は片づけを手伝うことになり、またある少女は辛い家路を一人辿る。

 

 ――――落ちる夕日が燃える色を放ち、彼女たちの心も小さな熱を刻み込んだ。

 

 

 

 *** 行間二 冬の城で出会った姫と騎士

 

 

 

 冬の城を取り囲む、深い深い森の中。

 かつて、彼女の母も彷徨った森。

 父と胡桃の冬芽を探した森が、母の血が流れた痛みを知らない筈の少女を苦しめる。

 楽しい思い出が、彼女の知らない苦しみと共に、彼女のことをその内へと誘う。

 だが、そんな痛み苦しみは、心の中をドロドロと流れる憎悪によって潰される。

 祖父の語った言葉。

 〝――奴は、アインツベルンに背を向けた〟

 嘘だと思いたかった。

 だけど、迎えに来てくれる筈のあの大きな手は二度と少女のことを撫でてはくれない。それどころか、交わしたはずの約束さえ違えられてしまった。

 大人気無くて、まるで子供の様にズルばかりする人だったけれど、本当は……本当は、大好きな〝お父さん〟だったのに。

 もう帰ってこない。

 少女はもう一人だった。

 沢山のメイドたちや、大御爺様はいるけれど、誰も自分のことを見てなかった。

 どれだけ自分のことを支えてくれても、少し視野を広げてみればこの〝アインツベルン〟のことしか考えていないようなものだ。

 こんな世界は、望んでいたものではなかった。

 ただ、父と母がいてくれるだけで良かったのに。……望みは、本当にそれだけだったのに。

 冬の森は、容赦なく少女の小さな体躯(からだ)を痛めつけてくる。

 獰猛な狼たちは、無防備な肌を爪で裂き、歯で薄い肉を噛み千切ろうとする。

 苦しみに歪んだ表情。その裏に包まれた心は、ただひたすらに泣いていた。

 幼い心は、もうこんな世界は嫌だと悲鳴を上げる。

 誰も聞いてくれない、その悲鳴を――。

 

 だが、

 

 届くはずの無かった声は、一人の戦士によって聞き届けられた。

 巨躯に見合った、鋼の様な体を遺憾なく雪の中に聳えさせた狂戦士。

 少女の呼び出した英霊、苛立ちのままに散々暴騰し罵った挙句に見捨てたほどに、少女は彼に対して無礼なことばかりしてきた。……だというのに、少女の二、三倍はあろうかというその躰は彼女を護り、記憶にある父の手など優に超えた大きさ。だけど、そこに在った暖かさは同じだった。

 

 〝――――バーサーカーは、強いね……〟

 

 雫が溢れ、自分のことを守ってくれる誰かにもう一度で会えたことが、どうしようもなく嬉しかった。

 もう、何も恐くない。

 そうと解れば、もう少女に敵はない。

 何故か? と問えば、簡単な話だ。

 

 ――彼女は最強の魔術師(マスター)で、彼女の英霊(サーヴァント)は誰よりも強いのだから。

 

 少女の心は、自分を虐げ続けてきた世界への呪いを隠さない。

 自分を捨てた父も、あるべきはずだった儀式を遂げられなかった母の無念も、……自分という〝娘〟の存在を貶めた〝弟〟への復讐を誓う。

 そこに善悪はなく、あくまでも自分を侵されたからの報復に過ぎない。

 まだ何も知らない彼女は、これから沢山の真実を知っていく。

 胸の中に無い誰かへの想いは、この戦争の中で生まれるだろう。

 今はまだ、ただ憎しみと親愛の複雑な感情ではあるけれど、いずれ出会い、そして紡がれるだろう。

 父の代わりだった狂戦士を失い〝弟〟は〝兄〟として手を差し伸べる終わりもあり、その手が届くこともなく、誰に救われることもなく終わりを迎える結末のこともあった。

 そして、〝兄〟に〝妹〟として救われ、家族というものがどんなものであるのかを、〝姉〟として〝弟〟を救う決意の終わりもある。

 運命の夜は、彼女に優しく微笑むのか――あるいは、牙をむくのか。

 ――そのための夜は、運命を連れてやってくる。

 

 

 

 ***

 

 

 

 幾つもの人が、この夜と少年を待ち望んでいたのかもしれない。

 夜に始まる物語。

 夜に終わる物語。

 幾つもの人々の願いが、奇跡を培ってきた。

 白い祈りを汚した黒い呪いの泥。

 だがやがて、遂に――

 

 ――その一片を、人々は垣間見る。

 

 

 

 *** それは、一つ目の物語

 

 

 

 叫びを上げろ。

 守れなかったことへの、叫びを。

 幾度となく心を捧げ続けた男は、どの戦いに置いても、その心内に、曲げられぬ信念を隠し続けていた。

 すぐそこに在るというのに、何もできない。

 

「――そう、俺は過ちを正したかった」

 

 と、そっと彼は呟いた。

 しかし、その呟きの真意を知ることはまだ出来ない。今、見ているだけの切嗣は、内容をどうにか頭に送り込むだけで精一杯だったのである。

 先ほどまでの少年、そして彼の――

 そこまで考えて、ふと切嗣は今自分の置かれた状況を再び反芻する。

 不思議と落ち着くこの場だからなのか、妙に落ち着いた感覚で思い返すことが出来た。

 ここまで見た光景(きおく)には、いくつか矛盾する点がある。

 傍らの彼は、断定はできないとはい、恐らくはサーヴァントだろう。故に、ここにいる彼が〝聖杯戦争〟たる出来事に参加しているのも頷ける。セイバーがあそこにいるのも同じ理由なのだから、居る・居ないは問題ではない。

 英霊となったものは、『座』と呼ばれる高次の領域に召し上げられると聞いたことがある。何でもそこは、時間も空間も超越した場所。

 だからこそ、世界さえも超えて別世界に召喚させることも珍しくないのだろう。

 ……だが、あの夜は『あの少年』の物語だ。だというのに、あの〝悪魔の様な呪いのステッキ〟は彼をこの場に送ったのだろう? 本来であるのならば、あの少年がここにいるはずだというのに――

 

 〝―――――いや、待て〟

 

 そういえば、確かあの少年……そして、あの赤い少女もまた、あの場にいた。

 あの輝きを放つ『盾』を作り出し、自分の放った魔弾を打ち破った。その事実はもういい。ただ、切嗣は腑に落ちない部分を感じる――この物語を辿った少年はあそこにいた。にもかかわらず、どうしてこの物語の語り部が傍らの彼なのか? ――という部分。

 同時に存在していたのなら、語るには十分なのかもしれない。しかし何故、あのまだ幼い少年の物語がここにあり、そして彼が語るのだろう? そして、彼はいったい何者だ? 今更といって差し支えない疑問だが、ふとそんなことが彼の脳裏を過ぎる。

 切嗣が抱く疑問を他所に、……というよりも、そろそろだろうと解っていたように彼は、場面が変わりゆくさまを傍らの男に告げた。

 

「……混乱しているらしいところすまないが、じきにそれも分かるだろうさ。

 そんなに思いつめなくていい。ただひとつ、言えることがあるのだとすれば――そうだな、

 ()()()()は世界をそのまま受け入れられない堅物で、青臭い夢を追い求めようとした馬鹿な子供だった……ということぐらいだろう。おっと、長々と語りすぎたらしいな。

 ――――さあ、一つ目の物語が終わりへ向かい始めた様だぞ」

 

 顔を上げて、世界を見る。

 見やった先に、一つ目の物語の終わりへと向かう姿があった。

 そこには、ある本質へ迫る戦いが映し出されている――――

 

 

 

 *** 幕間 ――理想の果て――

 

 

 

 ――少年は、知らなかった自分の本質を()る。

 

 その時、男は告げた。

 〝お前は、戦う者ではない〟と。

 雪の少女が従えた狂戦士。冬の城での戦いで、男は彼を護らなくてはならなかった。

 本当にどうかしていた。

 自重するように笑い、呟いた。

 〝――殺すべき相手に助言するなど〟

 その呟きは真にとられることなく、ただ城のホールに流れた。

 ここから先を見ていた者は、狂戦士と少女のみ。その意味を知らず、また同時にこちらから告げる気もない。

 故に、彼女がこの(うた)の意味を知ることはないだろう。

 男が死ぬ、その時までは――――

 

 

 

  ――― 体は剣で出来ている(I am the bone of my sword.)

 

 静かな声色で、城のホールに男の声が響く。

 それは、男が――『彼』が、自身の生涯を現した、一つの(うた)だった。

 自らの全てを代価としてでも、命の果て……あるいは、そのさらに先の終わりなき地獄のつま先までを『剣』として生き続けた、紛い物が描いた軌跡。

 

 血潮は鉄で、心は硝子(Steel is my body, and fire is my blood.)

 

 いつも、滾る想いとは裏腹に。決して救えぬ何かを思い、悔やみ続けた。

 こんな力でも、何時かは救える日が来るのだと、そうどこか甘い理想という幻想(ユメ)を信じながら……。

 

 幾たびの戦場を越えて不敗(I have created over a thousand blades.)

 

 ……けれど、

 

 ただの一度も敗走はなく(Unknown to Death.)

 

 命の一滴。同時に、削り捨て続けたその死にさえ、意味は宿らない。

 

 ただの一度も理解されない(Nor known to Life.)

 

 逃げることはない。目を逸らすことはなかったのだ。

 何もかもを失うまいと意地を張って、結局何もかもを取りこぼし続けた。受け継ぐ前に、この理想(呪い)を抱き続けたある人間と同じように……。

 しかし、そんな紛い物の夢でさえ、彼は辿り着いてしまったのだ。

 

 彼の者は常に独り剣の丘で勝利に酔う(Have withstood pain to create many weapons.)

 

 ――誰一人としていない、たった一人の丘へ。

 自分が救った重みと、救えなかった重み。その全てを、悔いて悔いて悔い続けた。

 擦り減ったまま、何が出来るわけでもない歯車。

 剣を生み、屍を積む。

 赤い荒野に、墓標が刺さる。

 もう感慨も消え失せる。何かが欲しかったはずなのに、もうそれさえ思い出せない。

 

 故に、その生涯に意味はなく(Yet, those hands will never hold anything.)

 

 遂に、意味を失った。

 ならば、それはもうただの機械だ。

 悲しみも、苦しみも。何もかもがこの戦いだけで、決することはない。

 それでも、やり直しができたのだったら。

 

 その体は、きっと剣で出来ていた(So as I pray, UNLIMITED BLADE WORKS.)

 

 願っても、決してできることはないだろう。

 だというのに、それに真っ向から反逆するような道にいる。

 ……全く、ふざけた話だ。

 

 

 

 ――――結局、彼は勝てなかった。

 

 

 

 剣戟の極致たる、剣製の丘。

 大英雄には、あと一歩。……いや、それ以上に遠く及ばず。

 彼は、消えた。

 ……不本意ながらも、彼は『彼』に、その全てを託して。

 

 

 

 

 

 

 *** 写し出す、その本質とは

 

 

 

 その本質、無から有の創造。――否、とならば正解は何か。

 彼は己の中に世界を作り、世界にある『何か』をずっと蓄え続ける。

 とりわけ、その根底にあった代物が収めるべき『何か』――即ち、『剣』を。

 知り、そして複製し、そして変える。

 構造を把握し、成り立ちを読み解き、作り手の想いに共振し、象るべき構成を複製し、その全てを模倣する。

 白き雪の姫が従えた狂戦士。

 赤い外套をなびかせた弓兵を倒し、そして今――目の前で傷ついている騎士王もまた、ヤツは倒さんとしている。

 十二の命を持ち、その約半分を減らされていても尚……強靭な鋼の山の様に、聳える威圧感に衰えはない。

 おまけに、戦う為の大本からして、滝の如き奔流と沢の湧き水ほどに違う。

 闘うための力を、もう彼は彼女に与えることが出来ないでいた。

 だがもう、この場を戦い抜くためにはその存在を全てとすしか道がない。

 そう解っている騎士王は、風の絹衣(ヴェール)に隠された黄金の聖剣を開放しようとした。

 しかし、少年はそれを拒む。

 彼女を失ってでも、この場を切り抜ける道を選ばない。いや、本当はそんな小難しい理由(わけ)など無く、ただ彼女を失いたくなったのだ。

故に、欲しいのは全てを救うという願うべくもない幻想。――だが、それでも彼はなおも勝つための手段を欲した。

 

 

 

 ――――必要なものは、武器。

 それも、あの巨人を倒せるほどに強い武器を考え、心内に思い描く。そうして浮かび上がったのは、見たこともない『黄金の剣』。

 遥か遠い昔に、彼の〝常勝の王〟を選定したという聖剣。一度たりとも触れたこともない幻を今、この手に――

 

 

 

 辿るべき道筋は既にある。

 この手にするべき、強きモノ。

 己の中にある、最強という壁を越える。

 戦うべき外敵はなく、あくまでも生み出すものとしての敵。それは何時であろうと、己自身に他ならないのだから。

 

 〝――――想像(イメージ)しろ――〟

 

 なればこそ、ただの一つ狂いも妥協も許されない。

 淡く、剣の形を帯び始めた幻想が結ばれ始めた。

 襲い掛かる剣撃も、それを受けとめる剣戟も、何もかも他人事のよう。

 剣が独りでに動き、染み込んだ経験を吐き出している。自分の力ではない、何かを自らに乗せているような感覚。

 事実、それはその通りだった。

 〝生み出す者〟であるならば、戦闘などどうでもいい。己のすべきことは、この手の中にある幻想を、本物と見違えるほどの模造品にすることだけ。

 そしてそれが、この身を先へと進めてくれる――

 

 〝――現実で敵わぬ相手なら、想像の中で勝てるモノを幻想しろ。お前に出来る事など、それくらいしかないのだから〟

 

 ……そうだ。

 何もできないのなら、己の世界で越えるまで。

 自分という限度を持った枷を壊し、先へ進む。

 闘うのでは勝てない。勝つためには、越える何かが必要だ。

 自分という存在に内包された、その〝最強〟を幻想し生み出せ。

 この身は、そのためのモノ。ただそれだけに特化した、存在だったのだ。

 魔術回路を奔る魔力と共に、己のイメージをこの手に。

 生み出さんとする、『剣』という存在の全てを知り尽くして、この世界に置いての形を与える。

 

 ――創造の理念を鑑定し、

 基本となる骨子を想定し、

 構成された材質を複製し、

 製作に及ぶ年月を模倣し、

 成長に至る経験に共感し、

 蓄積された年月を再現し、

 あらゆる工程を凌駕しつくし――――

 

 

 ――――ここに、幻想を結び剣と成す――――!

 

 

 叫ぶようにして上げた雄叫びは、果たして狂戦士ものか、それとも自分のものだったのか。

 認識も追いつかず、判らないままだった。

 それでも、身体はするべき次の行動へ移っていく。

 左腕に囚われていた少女を開放するべく、剣を振るった。

 生み出されたその『黄金の剣』は、確かに凄まじい強さを秘めている。

 認識の方が遅れていた。手の内にある『黄金の剣』は、(まご)うことなく最強の名に相応しいだろう。

 だが、この剣では勝てない。

 何故なら、この剣は自分のものではないからだ。

 勝てるだけの武器があろうとも、担い手足る純然たる器がない。

 一度は拮抗した剣先も、あっけなく怒涛の様な力の前に弾き飛ばされる。

 地面に落ち転がりながらも、どうにか立ち上がった。

 ……どうしたらいい。

 が、悔やむ間もなく次なる一撃が迫る。

 使いこなせない剣を手にしたまま、迫る大剣の斬撃を待つしかないだけの無力な存在。

 苦々しい思いを噛み潰したその時、疾風の様に自身に迫る影が一つ。

 金色の髪を靡かせ、青い戦装束(ドレス)を纏った少女、即ちセイバーであった。

 彼女は、開放しないままの不可視の剣で以て、彼に迫っていた大剣を弾いた。

 すると即座に彼の傍らに寄り、この場に〝生まれ出でた愛剣〟との再会を愛しむような眼差しを一瞬だけ覗かせた。だが、その心は一度仕舞いこまれ、今なすべきことへと思考が切り替えられていく。

 そっと、今瀬での己が主を見やる。

 投げられた視線を見た瞬間、二人の思考は阿吽の呼吸の様に通じあう。

 ……思えば、それは道理だったのかもしれない。

 この剣は、元々彼女のモノ。故に、この剣を使える者がこの場にいるとするならば、それは勿論――彼女に他ならない。

 二人の手が重なり、柄を握る。

 息はピタリと合わせられていて、二人で剣を振るうことになんら支障はない。

 ただ一度きりの幻想にすぎない、紛い物の(つるぎ)

 されど、確かに少年が命を賭した一刀は、黄金の光を放つ剣が狂戦士の心臓へと突き立てられた――――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 あまりの展開に、思わず体中の力が全て抜け落ちたような感覚にとらわれていた。

 息はもう必要とされておらず、身体(にくたい)は空っぽの器の様に注がれた光景の情報を受け止め続けている。

 そこに在ったのは、確かに幻想(ニセモノ)。……けれど、そんな幻想もまた侮れない。

 どこまでも真っ直ぐに、どこまでもあきらめることなく足掻き続けた少年の造り上げたソレは、確かに狂戦士の命を穿ったのである。

 数にして、七つ。

 後にも先にも、永久に失われた黄金の剣。

 だが、その剣は今こうして現れた。

 一人の少年の願い、想いとなり、確かな形を宿して――

 

 

 〝――――バーサーカー、死んじゃったの……?〟

 

 

 しかし、それは一人の少女が、大切な繋がりを失ったということでもあった。

 哀しげに膝を折った少女の姿は、もう先ほどまで狂戦士を従えていた彼女と同一とは思えない。

 幼く、脆い百合の様だ。

 何かが折れてしまったように、彼女はもう既に戦うための気力を放棄していた。

 その光景は、あまりにも痛い。

 これまで、散々この光景を生んで――そして救い続けたこの身だというのに、未だに捨てきれない人間の部分が、機械の身体にその痛みを刻んだ。

 

 〝もしも、冬の城に残されたあの子が――この道を辿るのだとしたら、僕は、自分を許せるだろうか?〟

 

 問われた者はいない。

 これは、自分への問い。……いや、問ですらないただの確認。

 それは捨てきれないのではなく、本当に守りたいものであるからこそ。

 本当に欲しかったのは、こんなものだったのかと、自分の中に疑念が生まれる。

 ここまで、どこまでも深く深い地獄を重ねて来ても――それでも心の奥底に、僅かばかり残っていた燃え滓。

 それさえももう、残らないだろう。しかし、それもまた道理だ。

 こんなに薄汚れていても、分不相応ともいえる望みを抱いていたのだ。

 世界を平和にして、残されたその全てが誰に蔑まれるものであろうと、この身は全て『(かぞく)』の為に使うと――そう決めていた。

 ……けれど、もうそれは叶わない。

 〝この世全ての悪〟を担ってでも、それでもと、そう考えていた。

 だというのに、この世界には何も齎すことが出来なかったのであるのだとしたら、一体何を祈り続けていたのだろうか――――

 

「……そう悲観するものでもないだろうさ」

 

 傍らの声。

 何時の間にか俯いていた顔を上げ、彼を見る。

 顎で目の先を示す。

 その先には、白い少女があの少年の元で、笑顔でいる光景。

 とても嬉しそうに、安らかで温かな顔をしている。あまりにも尊い、その幸せの形。

 決して、その全てが無駄ではないと――告げられたようで、救われたかのようで。なんともばかなことだが、安心したような感覚に陥る。

 更に、彼は満足そうに微笑んでいるではないか。

 こんな状況、普通ならば在り得ない。だというのに、こうして在り得ている。

 何故、こんなことで、救われているのだ。

 言葉にしがたいジレンマを感じ、喉元をかきむしりたくなる。

 この心地は、一体何からくるものだというのだ。

 傍らの彼の事など、自分は何も知らない。ここで見知った、彼の言葉と雰囲気、そして彼があの中で見せ、そして今自分たちの背後にあるこの『世界』以外、何も。

 ――狂戦士に立ち向かった、あの『世界』の持ち主。

 無数――否、〝無限の剣〟が乱立する、いま二人の居るこの場所の住人。

 それが、彼だ。

 絶えることなく、剣を貯蔵し、生み出し続ける。

 ――――生み出された、『剣』。

 ふと思い浮かんだのは、一つの共通点。僅かばかりだが、そこに引っ掛かりを感じ取る。

 何か、大切なことを見落としているような感覚がある。

 もどかしい様な、言い難い感覚だ。

 思わず、口に出して問うていた。

「――君は、いったい――?」

 だが、それは少し寂し気に躱される。

「……その答えは、自ずと出るさ」

 目の前の光景が、再び変わりゆく。

 

 ――神代の魔女が作り出した『神殿(しろ)』へ誘われた彼ら。

 

 そこでは、『聖杯』の交霊を行おうとしていた。

 そのための贄となったのは、紫の髪を持った少女。

 が、その戦いは長く続かない。彼得らが善戦したというのもあるが、この戦いの幕を引いたのは、決して戦って得た勝利などではない。

 そこに現れたのは、傲岸不遜を体現したかのような男。

 先の戦いで、最後に騎士王と競り合った黄金の王が、この場でもまた再び嵐を起こす。

 

 

『――――その女は王である(オレ)のモノだ』

 

 

 当然のことの様にそう宣言したまま、土足でこの場へと踏み込んだ事を非礼とも感じないままに、黄金の王はこの世全ての財を無造作に打ち放つ。しかし、その威力たるや――もはや、抗おうなどと考えることが無駄に思えそうなほど。

 まさしく、格の違う強者の姿がそこに在った。

 崩れ落ちる魔女の城。

 瓦礫の中に埋もれて()くのは決してただ無念に死んでいっただけの無様な敗北者の姿はなく……決して別つことのできぬ、今瀬で芽生えた熱情と共に沈み行く、二人の男女の姿だけがあった。

 切ない思いに駆られる、なんてセンチなことを言うつもりはない。

 だが、その二人の姿が――先ほど見た己の妻の姿と重なる。

 最も想う誰かへ、最後までその想いだけは失わせまいした、その尊さに。今の自分の心は、確かに共振を感じている――――

 

 

 

 ――――畳み掛ける様に、また誰かと誰かの想いを写しだされた。

 今度の光景は、一人の王が一人の少女に返られてしまう、一つ目の物語の終わりへのひと欠片。

 なんてことない逢瀬だ。

 特に変わったところもなく、ただ二人は街の中を散策し、遊んでいただけ……寧ろ、年頃の男女の関係として言うならば、幼すぎる――といってもいいかもしれない。

 しかし、それでも――

 

『今日は、とても楽しかったです』

 

 そう言って笑い合う二人のことは、どうしようもなく美しいものであると言わざるを得ないだろう。

 互いの理想(しんねん)を曲げられない。

 ぶつかり合い、もう知らないとまで言っても尚、それでも別たれることはない。

 余りにもまっすぐで、嘘のように美しすぎるその在り方を見て、何も感じるなという方が無理な話だ。

 

 ため息が漏れそうな程、あまりにも純粋な二人の姿。

 それと同時に思い浮かぶ、彼女が最後に残した慟哭。

 

 対比されたその二つに対して、言い表せない複雑な心境を抱いてしまう。ただ、それは単純な後悔ではなく……決して変えることが出来ない筈の人間と英霊の関係に、こんな変わり方もあるのだという事実を知って、驚愕を覚えたといった方がいいかもしれない。

 今、こうして目の前にある光景を壊そうなど、とてもではないが思えそうもなかった。これまで散々踏みにじって来たというのに、この二人のことを壊せるものなど誰もいないだろうと確信できそうだ。

 酷く脆い、道一本違えれば直ぐに地獄へ誘われそうなモノでありながら、永久に続く守りの城の様に強固な絆。

 ……知ってしまうということは、罠にもなりえるのだと再認した。余りにも美しすぎて、手出しなどできそうもない。できたとしても、阻まれるだけだろう。

 だが、当然とでもいうかのように、世界は全く容赦なくその絆を壊そうと破壊者を誘ってきた。

 現れたのは黄金の王。

 常世全ての財を有したという、その〝英雄王〟たる己の真打を以て、二人の間を真っ向から切り裂きにかかる。

 相対するヒトであるならば、〝(ソレ)〟を見て恐怖しない筈がない。人という存在に刻まれた、原初の記憶(きょうふ)

 嘗て天と地を裂き、〝世界を創った〟とされる剣。

 敵う道理は、無い。

 だというのに、それでも二人は譲らない。

 どこまでも、どこまでも……ひたむきにお互いを思い続けている。

 聖剣の光が防がれ様とも、決して覆すことなどできはしない人間と英霊の存在の差を思い知ろうとも、それでもなお、食らいついていく。

 無駄なことを、と、英雄王が眼前にいる少年を嘲笑う。

 彼の狂戦士――〝ギリシャ最強の英雄(ヘラクレス)〟をも倒した筈の剣も、至極あっさりとその源流足る〝本物〟の前に〝贋作〟として塵芥と消えた。

 二人共、もう死に体だ。

 自らの血に沈む騎士王には最早、あの清廉なる闘気はなく、汚された直後の乙女にでもなったかのように無力なまま地に倒れ伏せている。

 敗北は必至。……諦めてしまえ、と乞う様に祈る。

 しかし、少年は擦れた声で、なおも彼女に呼びかけていた。

 先程の〝聖剣〟と〝乖離剣〟の激突によって光を失った彼女の瞳は、彼を捉えることが出来ていない。だが、敗北を、痛みなどという括りさえ越えてしまった身体の傷によって理解したらしく、もう敵わないのだと彼女は悟り、彼に逃げる様に告げた。

 その声が、耳に届いた瞬間。

 

 少年の中で――カチリ、と聞こえるはずのない音がした。

 

 まるで撃鉄が起こされたような音は、先程こちらの望んだ放棄・逃走の選択を、真っ向から握り潰す。

 少年の顔に浮かぶ気迫は言葉にならないほどの形相となっていた。

 起こされた撃鉄の音は、切り替えられた魔術師としてのスイッチを示す。

 体中を巡る魔術回路、その全てを総動員して、ある魔術の行使を試みる。

 己の不甲斐無さを痛感し、僅かに抱いていた甘えを清算するべく迸る魔力に形を与える。

 すると、本来在り得ぬはずのその力に、さしも英雄王も足を止めた。

 声になっていない彼の心情が流れ込んでくる。

 

 

 

 分相応の魔術は身を滅ぼす――そんなことは、解っている。けれど、そんな事はどうでもよかった。

 逃げろ、と告げられて、初めに浮かんだのは怒り。

 今まで散々助けられてきた。

 そして何よりも、今までこんなに放っておけない奴などいなかった。

 砕ける骨と身体を、鉄の魔力が埋めていく。

 そんな感覚さえどうでもいい。遠巻きに聞こえる、焦ったような守りたい少女の声さえどうでもいい。

 この手に思い描くのは『剣』。

 何故、戦う者でない自分がそれを取ろうとしたのかといえば、それは――

 

 ――彼女が傷つくのが、嫌だったからだった。

 

 ならば、そう思える彼女のことを、今ここで助けることが出来ないのならば、『――――(じぶん)』はここで死んでしまえばいい。

 故に、出し惜しみはなしだ。

 最初から、自分にできる最高出力まで上げてしまえ。

 さながらそれは、身体を火だるまにして、水辺へ向かう亡者の如き執念であった。

 しかし、それでいい。何も構いはしない。

 目の前であんな姿をしている彼女を見続けるくらいなら、その方がましだ。

 状況は単純。――――目の前には敵、背後には倒れ伏せた少女。

 もう、一歩たりともここから退くわけにはいかない。

 左手には重い剣の感触。肉眼()で確かめるべくもなく、狂戦士との戦いに次ぎ、二度目に行われたその〝投影〟は、滞りなくなされた。加えて、その銘はまさしくこの場に相応しいといえる。

 作り手の端くれ、……いや、それにも満たない贋作者であるが、それでもこの剣の銘は寸分違うことなく感じ取れた。

 

 ――――『勝利すべき黄金の剣(カリバーン)』。

 

 まさしく、ここで胸の内に刻んだ決意を象徴するに相応しい。

 分相応でも何でもいい。逃げろ、などと言われて引き下がる事などしてたまるか。

 ここへ来たのは、彼女を方ってなど置けないから――そして何よりも、自分が彼女とこれからも一緒に居たいと願うからこそ。

 ……あぁ、そうか。

 答えは、考えるまでもないことなのだ。

 剣に宿った記憶と共に、黄金の英雄に挑みかかるも、あっけなく本物の上位、すなわち源流に叩き伏せられた。

 左斜めからの振り下ろし。斬撃に咲かれた胴体は、先程倒れ伏せていた少女のものよりも大きな血の海を作り始めた。

 肩と胴体が噛み合っていない。

 遠くで耳障りな高笑いが聞こえる。吹き飛ばされた所為で近く聞こえる少女の声より、そちらに意識を集中する。……余りにも、懇願するかのように立たないでくれなどと言われては、決めた心も、途切れ途切れの四肢も、また力を失ってしまう。

 そんな彼女の声が、今は最大の敵――だからこそ、『煩い』と一喝して彼女を黙らせようとした。けれど、自分自身の守りたいという願いは、彼女にとって今この身に死んでほしくないという願いと同じほどに重たいらしい。

 が、それでも――

 本来優先するべき自分の命を勘定に入れらない自分はおそらく、途方もないほどに愚か者だろう。一番大切なものが空っぽで、幸せを完全に享受することが出来ず、本当に相手に幸せを分けられない様な一人よがりばかりが強い、とても歪な存在。

 ――だからといって、何時までもその空席を空けておけるほど器用でもないらしい。

 だって、ちゃんとそこには一番大切だと思える人がいるのだから……。

 答えは、確かな確信と共に強く胸に刻まれ、力を見失った身体へ無理やりにでも力を縛りつける。

 嘲笑し、せっかく手に入れたものを奪われるのは悔しいだろうと、指摘するような声。だがそんなもの、的外れもいいところだ。

 その言葉に我慢は限界を迎え、切れた。

 彼女はモノじゃない。仮に、求めるモノであっても、決してただ集めるための物などでは断じてない。

 彼女がどこに居たいのかは、彼女自身が決めることだ。

 だが、少なくとも目の前にいる奴に彼女を渡してやる気などない。

 求めるのは、此方も同じ。なればこそ、奴に渡してなるものか。守りたい彼女を、あんな奴になど――!

 

『――――俺には、セイバー以上に欲しいものなんて、ない――!』

 

 自分の命を換算できなくても、それでも守りたいものがここにあるのだ。

 好きだから、守りたい。

 まるで抜身の剣の様に、いつでもたった一つきりで完結して、最後が孤独なまま、闇に囚われたまま終わってしまう道に進もうとしているから……その全てが終わって、最後の死に際であっても、積み重ねたその生涯を誇り、胸を張って眠れるように――――

 

 ――――もう、迷いなど完全に消え失せた。

 

『俺、セイバーが一番好きだ。

 だから、お前のことをあんな奴になんて渡さない』

 

 身体中に力が漲っていく。

 死に体だった身体を、まるで何かが癒していくように……守りたいという願いに呼応するかのように、内側からその熱を感じた。

 途切れ途切れでも、まだ鼓動は続いている。

 魔力とは、すなわち命。ならばまだ戦える。

 この身が、完全に潰えぬ限り――挑む。挑み続ける。彼女の剣を手にして、何度でも。

 限界、などというものはない。あるとすれば、それは終わり。

 だからこそ、こうして剣を振るえていた。

 が、拙い。――目の前の敵は、再びあの〝剣〟を打ち放とうとしていた。

 防ぐ術など、此方にはない。でも、守らないと……。

 何時折れても不思議ではない美しい剣の様に、いつも立ち続けていた彼女を守る。

 そのために、剣を握ると決めたのだから――――

 

 

 ――――その時、完全に守りたい心に同調したかのように、目の前には黄金の鞘が現れていた。

 

 

 意識が途切れ途切れではあったが、それでも確かに感じる。

 自分の裡にあった鞘と、彼女の力が混ざり合い、黄金の英雄の一撃を跳ね返したことを。

 退却した怒りに塗れた黄金の英雄を視界の端にとらえたのを最後に、意識が薄れ始めていく。自分の身体が急速に復元されていくかのような感覚と、その復元の過程で自分の身体が無数の剣の刃によって接がれていく様なイメージを幻視した。

 ――まるでそれは、()()()()()()()()()ような錯覚を抱かせる。

 しかし、そんなことは、倒れ行く身体が彼女に支えられたことで、その存在を間近に感じたことで吹き飛んでしまう。気味の悪い、身体を剣で接ぎ直されている様な幻覚より、今は守ることが出来たのだという安堵の方が大きい。

 だが、少々擦り減りすぎた精神は、一刻も早い回復を訴えてきた。

 でも、まだ彼女の声を聞きたい。ここで途切れる前に、もう少しだけ――――と、そう願ったとき。

 

『――――やっと気付いた。■■■は、私の鞘だったのですね……』

 

 深く染み入るような彼女の声に、言い知れぬ安心のようなものを感じて、意識が途切れた。

 戦いが、終わったのだと、まるで身体の方が理解していたのだといわんばかりに、その意識は沈んでいく。

 

 

 

 ***

 

 

 

 その縁は、先の戦いより既に続いていた。

 ――剣と鞘。

 並び立とうと剣を握った少年も、ついにそれに気づいた。並び立つのではない、元から二人は一つだった。

 出逢うべき、その時のために……二人は今こうして、生まれも地位も、遥か遠く隔てる時代(じかん)さえ超えて共にいるのだから。

 まさに運命だった、その出会い。

 あまりにも尊い、理想に殉じた二人の出会いの物語は、ここに結びを迎えた。

 

 

 

 *** 黄金の丘での別れ

 

 

 

 ――見ていただけだというのに、その光景は異常なほどに心に染みこんでくる。

 物語は、もう佳境へと突入していた。

 見る側が息つく暇も無いほどに、互いのことを知った二人は駿馬の様にこの戦いを駆け抜ける。

 最後の戦い。

 攫われた少女を救うべく、二人は『聖杯(きせき)』が生まれるべき場所へと向かった。

 空には再び〝孔〟が開き、溢れ(いで)る黒い泥が、かつて龍が住まうとされた洞穴の周囲を侵していく。

 そしてその〝孔〟の前には、奇跡に繋がっている雪の妖精のような少女。まるで磔にでもされたかのように、あるいは最後の審判を待つ神の子の如く、この奇跡を敵にすべき人間の手を待つだけ。

 壊れ行く造花のように、何者かの思惑によって生まれた彼女には、この〝泥〟によって侵され()く己を救うことなど出来はしない。かつて、彼女の母もそうだったように……その〝呪い〟は決して解かれることはない。例え死んでも尚、その人格を殻とするほどに傲慢なそれは、最早打ち倒す術など何もない。

 だが、それでも二人はその場へと向かった。

 たったの二人。しかし、敵も二人。

 ならば、勝てぬ道理はない。

 無論、強敵であることには変わりない。故に、何処までも食らいつき続ける。決して負けぬと誓った、夜の決意と共に。

 互いを思い合い、求め合うというのに――二人は、それでもただ熱に溺れるだけの選択を是とはしなかったのだ。

 許されるのならば、共に居たい。

 ……けれど、互いの理想がそれを許さない。

 今はまだ、二人はそれぞれの根底を変えられなかったのである。自分に譲れないものがあるように、相手にもまた……曲げられないものがある。

 理解し合った。いや、最初から解っていたのかもしれない。

 それほど、二人の在り方が似ていたから。

 

 ――――これも、縁というものなのかもしれない。

 

 ふと、そう思えた。戦いは既に佳境、けれど二人が折れる様など想像も付かないといえる。

 見返して、自分と似通った生き方を辿ったのだと解る。

 しかし、それでも希望を捨てなかったのだと言うことも理解できた。

 空想妄想、虚偽夢幻の類。それを、現実という言葉と、奇跡と言う言葉で解釈する。ただ、噛み砕いた最後(けつろん)が、美しいはずだと汚れたそれを信じ思い続けたか、あるいは本質は悪であるとして全てをまとめ上げようとしたのかどうか、と言う違い。過程(それだけ)が、どうしようもなく違っていた。

 が、それももう終わりを告げる。

 二人の中の答えは、もう決まっていた。

 戦いの前に、最後の言葉を投げかけられた彼と彼女の言葉が、それを物語っている。

 

 

『やり直すことなんて出来ない。俺は、あそこに置き去りにしてきた物のためにも、アレを無かったことになんて出来ない』

 

『「聖杯(きせき)」が私を汚すものならばいらない。解らぬのか、外道。そんなものより、私は□□□が欲しいと言ったのだ』

 

 

 

 そして、二人は戦いの果て――――朝日に照らされた、黄金の丘での別れに至る。

 

 

 

 傷つき、それでも戦い抜いた。

 失ったものはあったけれど、それでも護り続けたものがある。

 確かに此処へ、二人は後悔無く至った。

 切なさも、哀しさもある。

 誰よりも幸せになって欲しいし、誰よりも幸せにしたい。

 だが、誰よりも愛しているからこそ――彼女の言葉を、受け入れなくてはならない。

 

『最後に一つだけ、伝えないと』

 

 それは、彼女にも解っているだろうし、自分も解っていた。

 強がりのように、最後にいつも通りに問い返す。

『……あぁ、どんな?』

 向けられた優しく、柔らかな声。そこに後悔はなく、二人は互いを愛し合ったが故の結論(わかれ)を取る。

 互いの誇りを汚さぬように、後悔だけはしないよう――想い合う心と、相手のことを愛したのだという確信が、それを選ばせた。

 

 

 

 

 

 

()()()――――――貴方を、愛している』

 

 

 

 

 

 

 そして、一つ目の物語が終わりを告げた――――

 

 

 



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第二十二話 ~迫り来る答えへの路……増加は塵、杯は誘う~

 UBW√突入。


 黄金の丘より、赤き荒野へ

 

 

 

 ――――気づけば、涙など流していた。

 

 そのあまりにも美しい物語に、既に失っていたはずの人間らしい心とやらが震えている。

 胸を打つ、なんて言葉では足りない。

 あれは、あの物語は――もっと別の何か。

 まるでそれは、失うばかりだった自分が、何も手に入れることができずにいて……どこまでも手の中のものにしがみつこうとしていたことに対する、真っ向からの美しい反逆のよう。

 互いの中にある、〝美しいもの〟を汚せないと分かったから別れる。――その選択は、いささか自分には酷だった。

 失うならば、そこに絶対の意味がなくてはならない。必ず、確固たるその存在意義がなくてはならないと、すべてを葬り続けた機械。そうして、手の中に残ったもの。別れた彼らの中に残ったもの。共に最愛はそこにはなく、けれどその裡にある心は雲泥の差を見せる。

 ……こんなにも、違うのか。

 普段なら嫌っているはずの子供じみた癇癪、あるいは駄々をこねるかのような見苦しい思考。

 だが、

 

「――ヒトは誰しも、間違う生き物だ」

 

 その声にならない〝言葉〟は、再び彼によって受け止められる。

 自己を攻め続ける連鎖を容易く断ち切ってくるその声は、まったく違うのに、あの月夜の時の―――

 

「…………ま、さか……」

 

 ―――その時生まれた、新たな可能性へ至る思考。

 都合よくとらえたのではないかとさえ思えそうな、その幻想。

 あり得るのか? もう一人の自分が問いかける。

 しかし、あまりにも違いすぎる。

 何がどうなれば、そこに至る?

 違う、と思ってみても、思考は矛盾する二つの輪を駆ける。

 もやもやと涌いてきた疑念。どこへ執着するとも知れない何かは、革新へと誘われていく。

 

「君は、」

 

 言葉に詰まった。

 浮かぶのも思考(コトバ)ならば、声になるのもまた発言(コトバ)。だというのに、うまくそれを出せない。――出してしまえば、それを認めることになるからかもしれない。

 詰まるところ、自分は臆病者なのだ。

 自分の残したものにすら責任を負えない、どうしようもない畜生のようなもの。人々に災厄を振りまき、愛する妻と娘は冷たい檻に。――そして、()()は呪いの旅路、へ……?

 ――――いや、何を考えている?

 自分の齎そうとしたものは平和であり、自分の妻と娘の定めはまだ決まってなどいない。

 そもそも、ここは夢現(ゆめうつつ)の中。この中の出来事に、何を心をかき乱されている?

 馬鹿げている。緩みかけた心は、もう一度引き締めなおせ。鉄の意志で、ここを抜けなくてはならない。知りたいのは答え。いや、もうそんなもの――

 

 

 ――蕩けた思考を整えようとする〝魔術師殺し〟。

 だが、無論のこと。割烹着の悪魔を宿した杖はそれを逃がさない。

 ある意味で、彼にとっては最も鬼門である道を映し出す。……傍らで、本来ならば慈しむべき存在に疑惑と疑念を生んでしまうこの状況。

 

 

 ――だからこそ、意味がある。

 一度冷静になっては意味が無い。本当に必要なのは、完膚なきまでの反省。

 故に、ここで出るのだ。

 自分の選んだ道を、持ちうる立ち返るべき思い出(救済)すら忘れ去ってもなお、進み続けた男の末路を見せなくてはならないのだから。

 無論、彼女も悪魔とて鬼ではない。

 見せることにこそ、意味がある。求めるのではなく、自ら歩み寄る道を示す。

 そう、最初にそれを聞いてしまっているからこそ、彼は決してそれに抗えない。

 実のところ、非道非業の〝魔術師殺し〟は――善性の化け物であるブリキの騎士以上に、どうしようもなく人間であるからこそ。

 

 

 

 ――――間違いでないと、()()()()()()()()ことを、なんとも感じないわけなどないのだから……。

 

 

 

 ***

 

 

 二つ目の物語が、幕を開ける。

 

 

 *** 重なる影、同化していく剣の丘

 

 

 

 始まりは変わらず。

 騎士王と少年が出会い、夜が始まった。

 しかし近づいていく心は、憧れていた宝石の様な輝きを放つ赤い少女へと向いていく。

 だが、それは一つ目の戦いにもあった。

 決定的な変化。或いは変わるものがあるとすれば、それは騎兵の早期脱落。

 まるで蛇の様に妖しくも、儚げな美しさを放っていた女は、聖剣の光を受けることなく戦いから姿を消した。

 それと時を置くことなく、魔女の影が迫る。

 龍の塒の側にある寺で、少年の運命は変わりだす。

 ――それと共に、何か違和感を感じていた。

 歪な鏡を見せられたように、

 まるで初めから分かっていた様に、

 少年の裡にあるその『世界』が、呼応を始めていた。

 気づくよりも早く感じていたその違和感。……だか、認めてはいけないそれに、少年の心は乱されていく。

 

 ――――――知ってはならなかった/知らなければならなかった。

 

 水面(こころ)は波立ち、湖底を掻いた泥のように吹き上がる不安。それは、恐怖とはまた異なる感覚。どくどくと早鐘を打つ心臓からの鼓動(おと)を聞きながら、進むべき足が後退を願う。――だが、それは決してあり得ない。

 それを示すように、彼は歩き続けてく。

 (つるぎ)との絆を失い、降りしきる敗北(あめ)に打たれてもなお、しかしそれを敗走とはせず。

 少年は、何もかもを失くして、それでも諦めなかった。

 何故なら――そもそも彼の中に、敗走という選択を良しとする選択肢が無かったからである。

 現状は最悪。

 何も得るべき手段もなく、とるべき札も持ち合わせてなどいない。

 けれど諦めない。無謀とも思えそうな方法であろうとも、取り戻したいと願う剣を思う。

 

 

 時を同じくして、少女もまたその兆候(かげ)に気付き始める。

 この世にないものを生み出し、形を与えるその力。

 現し身を創造する魔術は形なきモノを彩る――それは間違いなく、一つの側面において、人の理を超越した力だ。

 ……だが、その極致にして極地たる赤い荒野に立つ男の背にあるのは、到達した喜びでも、そこまでの道のりを慈しむでもなく、ただひたすらに悔やむばかりの思いを重ね続けた後悔の色だけ。

 

 

 ――そこまで至るのに、一体どれだけのものを捨ててきたのだろうか――?

 

 考えても、そんなことは判らない。

 しかしそれでも一つだけ、思うところがある。

 それだけの道を歩みながらも――それを何故、彼は後悔しなければならなかったのだろうか、と。

 だから、というわけではないが……ふと彼に問うた。

 

 ――――自分は、最後まで後悔しないような生き方をしたいとは思っている。

 だが、それが最後まで出来るのかどうかは判らない。きっとそれは難しいのだろう――――と。

 

 そう訊ねられた男は、少女を……本当はここにいない少女を……見て、言った。

 

『出来る者もいれば出来ない者もいる。とりわけ、君は前者だ。

 ――凛よ。鮮やかな人間というのは人よりも眩しいものを言う。そういった手合いにはな、歯をくいしばる時などないのだよ。

 そして、君は間違いなくその手合いだ。

 〝遠坂凛〟は、最後まであっさりと自分の道を信じられる』

 

 その言葉は、あまりにも染み入る。

 途方も無い信頼、あるいは無償の親愛にも似た感情を向けられ、伝えられた。

 頰が高揚し、不自然な早鐘が耳を鳴らす。

 ……判らない。判らないが、彼の言葉がどうしようないほど裡に響く。

 それはまるで、彼が自分の全てを知っているかのよう。――――いや、知っているだけではなく、まるでそれは見てきたかのような言い草にも思える。

 同時に、何故かなどと思考を重ねても、きっとその答えは彼以外に解り得ないのだ、ということも判ったような気がした。

 けれど、

 

『……じゃあ、あなたは……?』

 

 まだ一つ、先ほどの問いかけの答えをもらっていない。

 

『最後まで自分が正しいって信じられる?』

 

 彼の後悔の意味。あるいは、彼がその道を悔やんだのか否かを。

 本来ならば、先ほどの言葉の端々の音から半ば予想はつく――といってもいい。だが、彼の心境にはそれだけでは無い何かがある。

 決して他人が踏み入れてはならない、しかし踏み入れなくてはならない何かが。

 一人にしてはいけない。その思いはちょうど、あの少年に彼女が抱いた想いとどこか似ていて……

 

 

 

『……いや、すまないがその質問は無意味だ。――忘れたのかマスター?

 私の最後はとうの昔――――』

 

 

 

 ――――近づいたはずの距離は、再び開く。

 

 

 

      『終わっている』

 

 

 

***

 

 

 

 少年は、魔女に挑む。作り出された『神殿(しろ)』へと足を進めていく。だが、そこで再び新たな事態が生じ始めた。

 

 裏切りに始まり、またも助けることが出来なかった剣は未だ囚われのまま。

 

 だというのに、もう心など折れてもおかしくなどないのに、彼にそこまでする意味など、もう失われているにも関わらず、―――それでもまだ、少年は諦めない。

 心の折れない、そんな様子を見せ……気を張っている少女の心を解いてしまうほどに。

 自分ではなく、誰かを助けたいというその願いは、どうしようもなく美しいものに見える。

 

 ――――しかし少女の目には、その姿は、段々と被っていくように見えただろう。

 

 自分から離れてしまった、自分と同じ赤を纏った男の背中と――目の前にいる少年の背が、どうしようもなく重なって見えてしまう。

 何故だかは判らない。

 けれど、少女には確かにそれを感じさせるだけの何かを二人に見た。

 まるで似ていない、半人前の魔術師と皮肉屋の弓兵。

 ただもし、どちらにも当てはまる印象があるとするならば――〝遠坂凜〟にとって、決して無視できない『何か』と呼べるものがあるのならば、それはたった一つの共通項。

 とてもシンプルな答え、印象。

 

 ――〝放っておけない〟――

 

 ただ、それだけだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 目指すは冬の城。

 そこに()()、たった一つの可能性(少女)がこちらの手を取ってくれるかもしれない、という僅かな願望を抱いて二人は進む。

 

 ――――しかし、それは叶わない。 

 

 ある(みち)では、確かに彼女は笑っていた。

 ある路では、確かな笑顔で〝孔〟を閉じた。

 後悔などでは無く、確かに幸せを抱いて――――。

 

 

 だが、運命はそれさえも叶わせない。

 

 

 二人が見たのは黄金の王と、狂戦士の戦い。

 人の域などとうに越えた、岩山の様な大剣を振るう。まるでそれは、巨大な嵐のように冬の城を揺るがすほどに吹き荒れた。

 怒りなどではなく、ただ一人の護りたい少女の為に奮われた力。

 しかし、そんな想いさえも――この世全てを支配したという原初(始まり)の英雄へは届かない。

 幾多の剣撃。

 撓る鎖と鋼の決意、擦れ合う音が響き、固めた決意と友への加護とが拮抗する。

 いつの世も、誰かを護ろうとする心は等しく何者をも凌駕し続ける。が、その想いも一歩届かず――阻まれた英雄の一撃は王の財により蹂躙され、王は少女へと迫る。

 

 薄れゆく命。

 造られた造花の少女は、幻の視界()で、この旅路(みち)でただ一人――ずっと自分を守り続けてくれた英雄を想う。

 その姿に、彼の王は何思ったのだろう。

 彼の友もまた、何者かに造られた命。この少女に、その面影を見たのか……それは定かではない。

 だが、何時か違う出会いもあれば――何かしらの縁を結ぶこともあったやも知れぬ。……しかし、そんな事は今、この場に何の関係もない。

 故に――――

 

 

 ――――原初の王の手は、願いの器たる『杯』の核を容赦なく、抉り取った。

 

 

 



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第二十三話 ~理想の果て、そして――得た答え~

 UBW√の回想ラストでございます。
 前回ラストから比べると、大分救いになってますね。


 最果てを知るために

 

 

 

 迸る鮮血が、長い時を経てきた冬の城を染めていく。

 

 それを見守る男の眼は見開かれたまま捉えるべき像を見失っており、顎が外れそうなほど開かれ、震えた口からは言葉(カタチ)を得ない(オト)が漏れ出していた。

 驚愕、

 驚嘆、

 処理しきれない光景(ぜつぼう)を与えられ、その記憶(こうけい)に思考が停止していく――。

 心臓は凍り付き、もはや感じ取るべき情報を取り入れることもできなくなりそうだ。

 だというのに、だというのに……これらの物語を見るたびに、幾度となく思い返さずにはいられない。

 

 ――それでも、目を離せない――と。

 

 もう、どうしようもなくなった。

 魔術師殺しを守るべき合理性も、鉄の決意も、何もかもが無くなった。

 そうして、失くした理想への答えを導く道だけが残り続け、物語は終わりへの路を流れ下り始める――――。

 

 

 目の前で蹂躙された幼い少女。

 全てを分け隔てなく守りたいと願い続ける少年は、守り切れない現実をもう一度知る。

 嫉妬に狂った友は再び敵へ回り、黄金の王はこの戦いに置いての勝利を目前にして不敵に笑う。

 だが、殺されることはなかった。

 敵でないと、見逃され、捨て置かれる。

 しかしそれを屈辱とは思わず、少年はまだそれでも諦めない。

 

 ――――何故? なぜ……? なぜ……ッ!?

 

 見ているだけの男ならば、こんな場に送られたらいったい何ができるのか。

 いや、恐らくは自分であっても諦めはしないだろう。――だが、それで導ける答えがここまで頑なで在れるだろうか?

 決して敵わぬ敵、支える駒の無い状況。

 そんな、……そんな状況で、何ができるというのだ。

 器は呪いの塊。

 四面楚歌の戦場。

 それでも、あの少年は諦めないというのか――と、そこまで考えて男は勘違いに気づく。

 彼は、彼の周りにいる者を誰も敵としないのだ。本当の意味で、完全な敵とはしないのだろう。

 でなければ、自分を一度殺した男と肩を並べることなどできない。

 少なくとも自分には考えられない。自分と契約したサーヴァントにすら――互いに落ち度があったとは言えども――まともに信頼を結ぶこともできず、結局、何もかもを取りこぼしただけの自分には、決して。

 

 ――――――だが、少年はそれをした。

 

 自分を殺した槍兵と対等に言葉を交わし、傍らの少女に関しての軽口を叩けるほどに自然に、少年は容易くそれをしたのだった。

 それだけならば、ただのおめでたい馴れ合いだと言えたのかもしれない。

 しかし、少年は成してしまった。

 赤い弓兵の思惑こそあれども、囚われた剣を救うまで辿り着き、開放するところまで至ってしまう。

 魔女の願いを踏み越えても尚――かつて理想に溺れた、馬鹿な男の真意にまで。

 

 ここまで重ねてきたその疑念。

 気づくことが恐ろしかったこの事実。

 だがそれも、全てが必然だったのだろうか。或いは、胸の内に巣食っていたそれは全て、この時の為だったのだろうか。

 どうなのかは定かではない。誰の視点()から見ても、その正解を知ることはできないだろう。

 が、確かにあったものが一つだけある。

 ……そう、それは始まりのその理想を抱いた男が求めていた解答(こたえ)

 

 

 そこに在ったものこそが、それだったのだ――――

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――――投影(トレース)開始(オン)

 

 口にされたのは、ある一つの呪文。

 ある少年が決めた自分の為だけの決意の句であり、万物の構造を把握し複製するための、己の身体を切り替えるための詠唱(スイッチ)でもある。

 全ての理想の果てにある、剣製の丘へと誘う詩の序歌。

 そう、それは挙げればキリのない――『衛宮士郎(じぶん)』の為だけの言葉だ。

 

 ――――そして、それに呼応するように、剣が、迫る――――

 

「シロウ……ッ」

 何もかもが制止した場で、ただ一人その〝襲撃〟を感じ取った剣が、己の主だった少年を突き飛ばし、守った。

 何が起こっているのか、誰にも解らない。

 

「チッ……外したか。余計なことを」

 

 

 ――たった一人の男を除いては、誰も。

 

 

「アーチャー、何をしてるの!! 芝居はもう終わりでしょ? アンタまだ、士郎を殺すつもりなの……!?」

 そんなのは許さない、と、息まく少女に対し、赤い外套を羽織った男はまるで、耐えがたい屈辱を浴びせかけられたかのような顔をして少女を睨みつける。

「――――許す? 解らないな、なぜ私が許されなくてはならない? 

 私のマスターでもない()()に。――お前との契約は既に切れている」

 苦々しくそう吐き捨てた言葉に合わせ、唐突に降り注いだ剣が少女の周りを取り囲む。

 彼の行動と、その口から放たれた言葉に、その場の誰もが驚愕を隠せない。

 皮肉屋でこそあれ、少なくとも()()()目の敵にしている少年を除けば彼はこんな暴言を吐く人物ではなかった。

 だが、それが今はどうか。

 漸く機会を得たかのような、或いはこの時を待っていたかのような面持ちで鋼の光を放つ瞳は、赤銅の髪を持つ少年を鋭く射貫いている。

 ――――一体何がそうさせるのか?

 その答えは、いま。

 この瞬間を以て、完全に明らかになる。

 

 

「――――そう、自らの手で衛宮士郎を殺す。それだけが、守護者となり果てた()()の、唯一つの願望だ」

 

 

 一歩、また一歩と、アーチャーはセイバーと少年の元へと迫る。

 だが、その目が狙うのは少年――衛宮士郎のみ。

 やっと、この時が来たとばかりに迫り来る弓兵の前に、セイバーが立ちふさがる。

 ボロボロの身体で、それでも己が主だった少年を守ろうとするセイバー。

「……アーチャー。あなたは、まさか……」

 何かに気づいたように、彼女の内からはあるべき戦意が消えていく。

 それに合わせるように、目の前の男もまた戦意を一度沈め、言葉を発した。

「……そうだ。いつか言っていたな、セイバー。オレには、英雄としての誇りが無いのか、と。

 当然だよ。オレにあるのは、馬鹿げた後悔だけだった。

 ――――オレはね、セイバー。英雄になど、ならなければ良かったんだ」

 場違いなほど穏やかな声で、彼は『彼』として彼女に自らの心内を告げてきた。

「――――――ッ」

 その言葉を受けて、セイバーは苦々しく歯噛みした。

 判ってしまったその答えに、そして何よりも。……彼の心内が、あれだけ美しかったはずの理想が、ただの後悔に染まってしまったことに。

「……そういうことだ」

 話は終わりとばかりに、その鋼の瞳へと鋭い殺意が戻っていく。

「退いているが良い、()()()。マスターの居ないこの状況で無茶をすれば、すぐに消えるぞ。もはや、衛宮士郎にマスターとしての視覚はない、肩入れしたところで、君の望みには届かない」

 覗かせた微かな痕跡(おもかげ)さえも脇へ投げやって、アーチャーは既に消えかけのセイバーへそう言い捨てる。

 しかし、彼女もまたそれは同じ。――否、己が私情を捨てしまうのではなく、その〝私情〟故に、彼女は『彼』を裏切ることなど出来ないのだ。

「――――それは出来ない。

 私は彼を守り、剣となると誓った。マスターでなくなったとしても、その制約は消えない。

 ……聖杯戦争など知らなかった彼は、それでも私の一方的な誓いに応えてくれた。その信頼を、裏切ることなど出来ない」

 自らの決めたその誓い。制約を違えることは出来ないのだと、セイバーは言った。

 彼女の答えに、アーチャーから熱は全て消え、そしてどこまでも冷たい殺意だけが場を満たす。

 そして、

「――――そうか。ならば、偽りの主共々ここで消えろ」

 両の手に双剣を生み出し、セイバーへと斬り掛かった。

 向かってくる相手に、どうにか気力を振り絞って彼女は食らい付いていく。

 

 ――――だが、ものの数合で戦いは決してしまう。

 

 かつて目の前の弓兵を圧倒し、伝説に名高き騎士王に残された力は、もう僅かな残り香さえ感じさせないほどに薄れてしまっていた。

 遂に膝を屈した彼女の手には、当に剣すらない。

 魔女に抗い続けた彼女には魔力は残されていなかった。

 常時であれば難なく形成できる青き戦衣(ドレス)さえ、造りだせないほどに弱り切っている彼女は、それでもまだ翡翠の双眸は真っ直ぐに弓兵を捉えて離さずにいる。

 彼がセイバーのその視線に全くもって感じ入るところがなかったかと言えば、嘘になるだろう。

 だが、それでもこの目的の為ならば、と。

 赤き弓兵は彼女のことさえも切り捨てに掛かった。

 無防備なセイバーに、アーチャーの双剣が振り下ろされる。

 けれどそれを、

 

「っああああああ―――!!!!」

 

 士郎は全力を以て止めるべく、双剣を生み出して間に飛び込んでいった。

 その様子に、アーチャーは少しだけ感心したかのように口を開く。

「……ほう。もうしばらくは竦んでいるものと思ったのだがな。流石に、目の前で女が殺されるのは我慢できないか」

「うるさい! お前が殺したがっているのは俺だろ。なら、相手を間違えるな――ッ!?」

 言葉を全て吐き出しきる間を与えることなく、腹に蹴りを叩き込まれ士郎は水平に吹き飛んだ。

 音を立てて床を転がりながらも、体制を立て直してアーチャーを睨みつける。

 無論そんなものが、英霊である相手には何の効果があるはずもない。

 代わりに、ぼんやりとしていた〝何か〟が士郎の中へと流れ込みだした。

「人真似もそこまでいけば本物だ。だが――――お前の身体は、その魔術行使に耐えられえるかな?」

 まるでそれは、自身の為にある既視感(イメージ)であるかのように士郎の中へと入って来る。

「前に忠告したな。お前に、投影は扱えないと。分不相応の魔術は身を滅ぼす。

 お前をここまで生かしてきた魔術(きせき)の代償――ここで支払うことになったな、衛宮士郎」

「ぐ……っ、ぅが……ぁぁ!?」

 酷い頭痛が彼を襲う。

 自身の中にあるイメージこそが源である投影魔術は、その創造の為の想像が強固なほど、その存在をより明確に形作る。

 が、言うなればそれは――右を向いているときに左を向くようなものだ。

 剣を想像し、斬り掛かって来る敵の剣筋を己の身体に重ねて宿す。

 そのどちらともを完全にこなさなくては、この魔術は成立しえない。……如何に普通ではないとはいえ、異端同士がぶつかり合うのであれば、そこに妥協を生じさせた方にしわ寄せが来るのは必然だ。

 敗北を避けるために。何より、己の為に死に体の身体を引きずってでも立ち上がってくれたセイバーを守るためにも、『衛宮士郎』はその魔術(チカラ)の全てを余すことなく使わなくてはならない。

 しかし、

「……っは、ああああ――ぁぁッ!!」

「本気で自分が大成するとでも思っていたのか? 愚直に努力さえ続けていれば、その理想に手が届くと……」

 生み出された双剣は、寸分違わず生み出された双剣によって粉砕された。

 共に己を持たない贋作者同士。どちらがどちらを真似たところで、それは結局複製の複製に過ぎない。

 偽りの剣と、偽りの剣技。

 だが、それでも差が生じるのは何故か? 答えは、至極単純なものだった。

 決定的なまでに異なる、重ねてきた偽善の道のり。

 その果てに至ったか至っていないかの違いだけで、これほどまでに違う。

 そう、それはまさに――理想と、そこへと駆け上がろうとする未熟者との対峙。

「納得がいったか。それが『衛宮士郎』の限界だ。無理を重ねてきたお前には、ふさわしい幕切れだろう」

 最果てを知る者が、未だその頂を知らぬものへと声を投げる。

 己のみでの現界はそこだ、と。

 故に、これ以上進むことなど出来まいと、その場から動けずにいる士郎へ冷めた目で語りながら、遂に目的を果たさんとしてアーチャーは剣を振り下ろそうし、振り降ろされた剣先が士郎に触れようとした、その時――――

 

 

 〝――――告げる!〟

 

 

 暗がりの中。

 何もかもが終わったかに思えたその場に、少女の声が鋭く、そして凛と響いた。

 こんな状況下でも光を失わない、眩いばかりの蒼い光を放つ少女の双眸が、直ぐ傍にいる翡翠色に煌く少女の双眸へと語り掛ける。

 こんなところで終わっていいはずがない、と――!!

 

 〝汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に!

 聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うのならば応えよ――――〟

 

 そんな少女たちの邪魔はさせまいと、紡がれ行く誓いの言葉(えいしょう)に気を取られ、止まっていたアーチャーの剣に士郎は剣を打ち込んだ。

 不意を突かれたとはいえども、勿論のこと、彼の剣先が届くことはあり得ない。

 だがそれでいい。今の自分がするべきことは、目の前の男に彼女たちの邪魔を刺せない事なのだから。

 

「――――我に従え! ならばこの命運、汝が剣に預けよう……!」

 

 凛の言葉に合わせ、セイバーが地面を蹴って彼女の元へと駆ける。

 二人は手を伸ばし、まるで牽かれ合うようにその間に経路(パス)を作り出していく。

 その全ては、こんなところで死なせたくない、大切な少年の為に。

 

「セイバーの名に懸け誓いを受ける。貴女を我が主として認めよう、凛――!」

 

 二人の手と手が重なり合い、凛の手に赤く輝く聖痕が再び刻まれる。

 瞬間、すさまじい魔力の奔流がその場を満たして行く。

 まるでそれは、堰き止められて行き場所を失っていた水のように溢れ出し、文字通りその場を震撼させた。

 士郎を殺さんとしていたアーチャーでさえ、その姿に見惚れたほどに。

 それほどまでに、今の彼女は激しすぎるほどに美しく視線をその身に集めていた。

 本来の姿を取り戻し、その力の全てを身に宿した剣の英霊。古のブリテンを治めたとされる、騎士たちの王。

 世界最高の聖剣の担い手として名を馳せた、アーサー王が完全な姿でその場に降臨した。

 紫電が迸るほどに凄まじいその魔力の奔流は、とてもではないが、凡百の英霊如きでは太刀打ち出来そうもない。

 そしてその手には、先ほどまでとは打って変わり、確かな輝きを取り戻した聖剣が握られている。

 吹けば消えそうだった儚い花はもうそこにはいない。

 赤き弓兵の前には、何かを守ると、確固たる決意を以てそう決めた――鮮烈にして勇猛たる獅子がいた。

「――どうするセイバー。凛と契約した以上、君はもう本当に衛宮士郎とは無関係になってしまったわけだが?」

 理の通った指摘である。

 だが、そんなものでは、彼女の心を揺らせない。

 課せられた『座』にふさわしい、鋭く清廉なる剣のようにセイバーは言う。

「言ったはずです。シロウとの誓いは無くならないと」

 ……知ってしまったがゆえに。解ってしまったがゆえに、こんなところで彼にその選択をさせるわけには、行かないと。

「貴方こそどうするのですアーチャー。貴方がシロウを手にかけるというのなら、私は全力でそれを阻む。考え直すのなら今の内です。―――今の私を相手にして、勝機があるとは思わないでしょう」

 事実、今のセイバーならば、あのバーサーカーですら一筋縄には倒せないだろう。

 如何に特殊な力を持っていたとしても、白兵戦に秀でたクラスではないアーチャーに彼女を打ち倒す頃は不可能だ。

 しかし、

「フン――たかだか魔力が戻った程度で、よくもそこまで強気になる」

 敵は引くことも、己の身に迫る終わりの音に恐怖するでもない。

 セイバーと相対していたアーチャーはただ、再び手に持った双剣を彼女へ向けて突き立てた。

 

 ――――こうして場の状況は、一気に変わり始めた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――――あれ程までに、すさまじいのか。

 単なる傍観者にも、その姿はあまりにも美しく、そして激しすぎた。

 まるで水を得た魚のように打ち放たれるその剣技は、もう敵う者などいないのではないかと思えそうなほどだ。

 もう止められない程に加速のついた物語は、既に彼の心の中に染み入ってしまっていた。

 次々と巻き起こる展開から目を離せず、一旦冷静になったはずの頭さえも熱に浮かされた様に見入っている。

 加えて、もう答えは目の前にまで迫っていた――――。

 

 

 

 *** 正義(りそう)末路(こたえ)

 

 

 

 先ほどまでの不甲斐無さを払拭するように、セイバーは剣を激しく振るう。

 嵐の如き剣撃は、あっという間にその双剣を粉砕した。すぐさま次の剣を生み出したところで、壊れこそしないものの――あまりに強すぎる力の前には何も成すことは出来ない。

 剣戟こそ防いでも、圧倒的なまでの力の差は埋めようもない。事実、アーチャーがセイバーの聖剣をかろうじて防いで見せても、彼女には足下の床が陥没するほどに彼を押し切るだけの力がある。

 それこそ暴力的とまで言えそうなほどに、その力の差は歴然であった。

「―――ここまでです、アーチャー」

 戦いはここに決した。本来、こと剣戟に置いては弓兵が剣士に敵う道理などある筈はなかったのだ。

 セイバーはアーチャーへ向けて、僅かに悲しみを覗かせてこういった。

「先ほど私の身を案じていましたが、それは貴方にも言えることだ。

 キャスターを倒すためにあれだけの『()()』を使った今、魔力は残り少ない筈――加えて、この世に留まるための依代もない。魔力の供給もままならない今の貴方に、何が出来る」

 だが、彼女の言葉をアーチャーは否定する。

「アーチャーのサーヴァントには、マスターを失っても二日は存命できる。――それだけあれば、あの小僧を仕留めるには十分だ」

 初めから、抱く望みに変わりはない。

 ここに至ってもなお、アーチャーのすることは変わらない。

「馬鹿な、まだそんなことを言うのですか……!? 貴方の望みは聖杯でなく、ただシロウを殺すことだとでも……!」

「――――――」

 セイバーの言葉に、アーチャーは何も答えなかった。戸惑いや苦悩を滲ませたセイバーを見つめる鋼色の眼には、向けられた問いに対する、反論も否定もない。

 ――そうして残ったのは、沈黙という名の肯定だけだった。

 剣を握る手こそ緩まないものの、セイバーの翡翠の様な瞳にはいっそう哀しげな愁いが浮かぶ。

「……何ということを。

 アーチャー、貴方の望みは間違っている。何故――何故、そのような結末を望むのですか。そんなことをしても、貴方は……」

 そこまで言って、次の言葉を紡ごうとしたセイバーは唇を噛んで言葉を切る。

 結ばれようとしたその言葉は、その言葉の重みを知るものであるからこそ、軽々しく口にしようとして躊躇いを覚えてしまうもの。

 本当は誰しもが求め、且つ平等であるべきもの。

 が、それを享受することは決して易しくはない。

 彼女もそれを求める者であるからこそ、そんな容易く行ってしまっていい言葉ではない筈だった。

 しかし、

「……ふん。間違っている、か……」

 アーチャーの心情としてはそちらが重要かどうかは定かではない。いや、彼にとって、そんな事どうでもいいのだ。――何故なら彼は、『彼ら』は、自分のことなど初めから勘定に入っていないのだから。

「それはこちらの台詞だセイバー。君こそ、何時まで間違った望みを抱いている。

 ……何も残せなかったのではない、全てを借り切ったから故の終わりだったと考えることはできなかったのか」

 向けられた言葉は、彼自身にも当てはまるのかもしれない。

 だが、〝なるべくしてなった存在〟と、〝なろうとしてなってしまった存在〟に、彼自身が価値を等しく見いだせなくなっていた。

 己が間違いそのものだと、そう断じているからこそ。……だが、それと同時に彼女の救いを与えたいと願う。

 ――――酷く傲慢で、酷く優しい願い。

 嘘のように美しい物語を越えられなかったかつての少年が抱き、またその少年が成すであろう願いは今。

 こうして、理想との対峙を越えていく物語で彼女へと伝えられた。

「……アーチャー」

 退治する二人から、僅かに場を満たしていた闘気が失せる。

 けれどそれは、決して降伏などではない。

 これは、ただの一度も敗走(とうそう)を選ぶことの無かった男が、失ってしまってなおも持ち続けていた一片の矜持と、遠い過去に救いたかった大切な少女へと捧ぐ……己が目指し、そして行き付いた末路(こたえ)を示すためのもの。

 やはり剣技では敵わないのか、と、自嘲気味に呟いた。

 遠き理想を、輝きに手を伸ばしたかったかのような、そんなアーチャーの呟きに呼応するようにして――。

 

 その時――世界が震え始めた。

 

 判り切ってはいたが、それでも目指したかった(・・・・・・・)その輝きに届かないという事実に、アーチャーは哀愁を漂わせる。

 無論、そこで浸って終わるつもりは毛頭ない。

 敵わぬその道理を、捻じ曲げてでも進み続けてやると決意を固めるように。

 ()()を、示すために。

「――――オレは〝アーチャー〟だ。元より剣で戦う者じゃない。……最も、その弓すら、借り物の贋作だがね」

 言って、アーチャーは何のためらいもなく剣を床に投げ捨ててしまう。

 まるでそれは、その手の剣と共にこの勝負の行く末さえ投げたかのようにも見える。……が、それは違う。

「何を――」

 戸惑ったようにセイバーはそう口にしかけ、アーチャーの意図に気づいた。

 そんな彼女の反応に応えるように、彼の周囲には濃い魔力の霧が生まれ始める。

 鋭く光る鋼の瞳と、その出で立ちには一切の躊躇いも諦めもない。あるのは、ただひたすらに高まり行く決意と魔力のみ。

「真髄を見せる、と言っている。――それが、オレに出来るお前への最大の返礼だ」

 言葉に偽りはなく、本来最も大切にするべきだった少女へ向けての本音だけが、彼女へと向けて口に出された。

 

 〝――――体は剣で出来ている( I am the bone of my sword.)

 

「止めろアーチャー! 私は、貴方とは――――」

 セイバーが叫ぶ。

 

 〝――――ただの一度も敗走はなく(Unknown to Death )

      ただの一度も理解されない(Nor known to Life)――――〟

 

 だが、アーチャーは止まらない。

 静かな呪文(コトバ)と共に、小さくセイバーへ向けて言葉を織り交ぜながら、その詩を綴る。

「セイバー。何時か、お前を解き放つ者が現れる。

 それは今回ではない様だが――おそらくは次も、お前と関わるのは(オレ)なのだろうよ……。

 ――――だが、今のオレの目的は衛宮士郎を殺すことだけだ。

 それを阻むのならば、〝この世界〟はお前が相手でも容赦はせん……!」

 小さく消えていく様な声とは裏腹に、確固たる決意のように憎しみと後悔が世界を塗り替え始める。

 一節、また一節と。

 彼の一生を綴った詩が、静かにその場へと響き、()み渡っていく。

 そして、その最後の一節が紡がれた時。

 

 

 〝――――その体は、きっと剣で出来ていた(UNLIMITED BLADE WORKS.)

 

 

 炎が奔り、世界が塗り替えられた。

 誰かに、己に、彼はその歩んできた理想(みちのり)を見せつけるために。

 赤き外套を羽織った弓兵の――否、『正義』という名の理想に溺れた、『衛宮士郎』という名の、少年の道のりを。

 こうして、彼らは――『正義の味方』という呪いの真髄を、この時――目の当たりにした。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――――そこは、赤い荒野。

 広く、遠く、どこまでも果ての無い理想の光景(まつろ)

 まるでそれは製鉄場。

 燃え盛る炎と、空で回る歯車。

 担い手無き剣を生み続ける、贋作(ニセモノ)ばかりが延々と並ぶ一面の荒野。

 頭上には、始まりを告げた炎の空。

 足下には枯れた大地。

 炎が全てを拭い去り、限りなく無機質になった爪痕。

 生きているモノは何もない。踏み越えた屍を示し、悼むように立ち尽くす夥しい墓標(つるぎ)だけが乱立する世界。

 それは、まぎれもなく――

 終わりもなく、そして果たされることも無い、祈りの景観(カタチ)であった。

 

「――――これ、は……」

 

 突如変わった()()に、セイバーは驚愕に目を見開き、呆然としたまま立ち尽くす。

 そんな彼女とは裏腹に、

「……固有結界。

 自分の心象風景を具現化して、世界を侵食する大禁呪。

 つまり、アンタは剣士でもなければ、弓兵でもなくて――――」

 この世界を見つめる凛の声は、寧ろ漸く合点がいったとばかりに淡々としていた。

 彼女もまた、セイバーとは違った意味でソレに気づいていたのかもしれない。

「そう。生前、英霊となる前は魔術師だったということだ」

 とすると、これまで見てきた宝具だと思っていたものは、この世界より出でたもの。

 では、とセイバーが問う。

「アーチャー、貴方の宝具は……」

 投げられた問いに、アーチャーは淡々と答える。

 彼は、セイバーのような伝承も神秘もない身で、どうやって英霊に上り詰めたのかを語りだした。

「そんなものはない。私は聖剣も魔剣も持っていなかったからな。

 ――オレが持ち得るのは、この世界だけだ。

 宝具が英霊のシンボルだというのなら、この『固有結界』こそが、オレの宝具。

 武器であるのならば、オリジナルを見るだけで複製し、貯蔵する。それがオレの、英霊としての能力だ」

 ……だが、それは。

 つまりそれは、この世界そのものが、彼の結論――結末だったということだ。

「これが……こんな荒野が、貴方の行き着いた末路(さき)だというのですか。アーチャー」

 セイバーにはとてもではないが信じられなかった。

 あれほど真っ直ぐで、形こそ歪でも、眩しい輝きを持っていたはずの夢が、こんなものになってしまうなど。

 しかし、彼女の愁いはそんな、僅かばかり彼の顰蹙を買ったらしい。

 不敵な笑みと共に、アーチャーは挑発的に彼女の言葉を突き返してきた。

「フン――言ってくれるな。試してみるか、セイバー? お前の聖剣、確実に複製して見せよう」

「私の聖剣……その正体を知って言うのか、アーチャー」

「あぁ。――此方も自滅を前提とした投影だが、真に迫ることはできる。相討ち程度には持って行けるだろう。

 だが、聖剣同士が衝突したとき、周りの人間は生きていられるものかな?」

「な――――アーチャー、貴方は……!」

 彼女の動揺を見て、アーチャーは満足そうにニヒルな笑みを浮かべた。

「そういうことだ。

 間違っても聖剣を使うな、セイバー。使えばオレも抵抗せざるを得ない。

 その場合消えるのは我々ではなく周りの人間だ。……お前のことだ、自身を犠牲にしてでもそこの小僧を守るだろう。オレとて聖剣など投影しては自滅する。

 それでは生き残るのは衛宮士郎(ひとり)だけ。それではあまりにも意味がない」

 合わせるように左腕を上げ、空中に剣を投影する。

「――抵抗はするな。

 運が良ければ即死することもない。事が済んだ後、今のマスターに癒してもらえ」

 暗に殺す気はないという台詞を吐きながらも、その指先はセイバーを捉えて離さない。

 無数の剣が、セイバーに切っ先を向けていく。

 そのどれもが必殺の武器。

 だが、セイバーが本気の抵抗をするのならばアーチャーも捨て身を選ぶ。となると、周囲の人間は生きていられない。仮に生きていられたとして、それはこの戦いに一人きりでは生き残ることのできないド素人の少年一人だけ。

 そうなると、彼女に選べる選択は迎撃・回避のみ。

 ……けれど、それは。

「躱すのもいいが……その場合、背後の男は諦めろ」

 そういって、アーチャーは空へ浮かぶ剣たちへと号令を下す。

 気を抜けば己に、避けてしまえばマスターたちに。

 僅かにでも気の弛みを見せた途端、無限の剣が牙を剥く。

 向こうの魔力が尽きるまで、この世界は決して目的を阻む彼女から照準を逸らさない。

 これは詰まる所、何方かが限界を迎えるまで終わらない根競べ。

 そしてもし、彼女の方が先に力尽きることがあるとすれば――その時、『衛宮士郎』の命は尽きる。

 そうだと判っている以上、セイバーは聖剣を解放することなく向かってくる剣たちを薙ぎ払うしかない。

 だが、それはあまりにも不利な条件だ。

 数の上でも、知りうる情報の上であっても。……今この場の天秤は僅かにアーチャーへ傾いていた。

 第二、第三と剣の弾倉を作り出していくアーチャー。

 セイバーは歯噛みしながらも、向かってくる剣達(それら)へ剣を振るおうとして――自身の傍らを抜けていく人影を捉えた。

「シロウ!? だめだ、早く――――!」

 自分の背後に下がれ、と叫ぶ彼女の声を無視して、少年は己に標的を変えた剣の群れへ向かって行く。

 が、それは何も無謀な特攻でも何でもない。始まりの夜に、狂戦士の一撃から彼女を庇ったのとは違う。

 確かに、少年には確証があったのだ。

 頭が割れそうなほどに痛み、身体は軋みを上げていてもなお、向かってくるそれらに対抗できると信じられるだけの理由があった。

 ――――そう。

 

 その時の、彼の目には――――迫り来る忌々しい剣の全てが写っていたのだから。

 

 

 

「――――ふざけてんじゃ、ねぇ……!!!!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 駆け出しながらも、衛宮士郎は、肉眼では追い付かないほどの感覚で何かが体中を巡るのを感じていた。

 迫り来る第一弾――。

 数にして十八本、その全てが名剣であり、贋作。

 奴が、真似ることが出来るのならば、此方が出来ない筈はない。

 疑問など一部もない。これまでもそうだったように、今まで散々真似してきたその道理、法則に間違いがないのなら、必ず。

 あの程度、剣の雨を防ぐだけの剣を生み出すことも――出来る!

 

「――――投影(トレース)開始(オン)

 

 左手を突き出し、身体中を巡るイメージをそこに納めていく。

 振り下ろし、砕けたのならばまた生み出し、振るう。

 ただひたすらそれを繰り返し、自分を無に帰そうとする剣を、自分が引いた途端に背後にいる少女たちへ向かうかもしれないそれらを、打ち払って行く。

 それを繰り返していく内に、思考は加速し、意識は希薄になっていく。

 

 

 そして、意識が戻ったその時――目の前に広がる景色は赤い荒野ではなく、先程までいた場所だった。

 

 

 襲い掛かる地獄めいた吐き気を推し留めながら顔を上げ、自分を忌々しげに睨む弓兵を睨み返す。すると、ますます憎らしげな死線を強めると、何を思ったのか凛を捕まえ、その意識をあっさりと刈り取って此方へ背を向ける。

「……何処に行く気です、アーチャー」

「これ以上邪魔の入らんところだ。

 ……オレは今ので魔力切れだ。万全になったお前に守られた小僧を仕留めるだけの力はない。要は仕切り直しといったところだ。〝コレ〟は、あくまでもその為の保険だよ」

 言って、そのまま勝手に立ち去ろうとする奴へ向け、場所を指定する。

「―――郊外の森だ」

「……なに?」

 吐き気を堪え、今にも押し潰されそうになる意識を保ちながら、懸命に喉から声を絞り出して、場所を示す。

「郊外の森に、今は誰にも使われていない城がある。あそこなら、誰にも迷惑は掛からない。

 俺に文句があるんだろ? 良いぜ、聞いてやるよ。言いたいことがあるのはこっちも同じなんだ」

「郊外の森……あぁ、アインツベルンの城があったな。なるほど、確かにあの城ならば邪魔は入るまい。

 ――――ふん、良い覚悟じゃないか。衛宮士郎」

 殺されに来る覚悟は出来ていたのか、と。

 まるで小ばかにするような奴の言葉に苛立って、言い返そうとしたが、このままでは身体の中身を全て吐き出しそうだ。

 これ以上の軽口は聞きたくない。

 残った意識を無理やり留めるように頭に命令を送り、どうにか発せられる限界ギリギリの言葉を返した。

「うるさい。――遠坂に手を出してみろ、お前を殺してやる」

「よかろう。場所を指定した見返りだ、一日は安全を保障してやる。

 ――――だが急げよ。マスターがいない今、オレとて時間がない。この身は二日と保たぬだろう。その前にお前を殺せないとあらば、腹いせに人質を手にバラしかねないからな」

 相も変わらず、最後まで癪に障る物言いのまま地上へと向かう階段へと消えていったアーチャーが消えたのに合わせ、気が抜けたのか膝を付く。

「シロウ……!」

 力の抜けていく身体を受け止めるようにセイバーが支えてくれた。

 彼女が傍らにいるだけで、僅かずつだが何かが戻っていく気がする。最も、それが彼女という存在を取り戻したからなのか、それともここまでして取り戻せたことが一つでもあることそのものに安堵しているからなのかは分からない。

 が、どうにかこれ以上の無様をさらさずに済んだらしい。しかしそれでも、身体はやはり限界の境界線をふらついている。

 そんな、僅かに呻く自分を労わるように、セイバーが声をかけてくる。

「無茶をして……いくら貴方でも、アーチャーと同じ投影をするのは早すぎます」

「……御免な、セイバー。遠坂……盗られちまった」

「いいのです。アーチャーも、あれなら直ぐに凛を手に掛けたりはしないでしょう。それより今は、貴方の方が危ない。凛のことは私に任せて、貴方は家で休息をとるべきだ」

 家まで運ぶといって、彼女の肩を借りながら戦いの場となっていた教会を立ち去る。

 今となっては主もなく、最早そこは伽藍の洞。

 空虚なその場に別れを告げて、残った思考を切り替える。

 あの赤い外套の男との決着。

 そして、遠坂凜を取り戻すことを再度決意しながら――この戦いにおける一時の幕引きを噛み締めながら家路を辿る。

 

 

 

 *** 愚か者が歩んだ道のり

 

 

 

 この丘が、彼の世界。

 他人の為に戦い続けた男が手に入れた、歩みの果て。

 誰かの為にと願って、傷ついて、戦い続けた結末の光景。

 彼は、こんな風景を抱いて、笑って死んだ――――

 

 

 〝――――バッカじゃないの……っ!〟

 

 

 自分が頑張ったのなら、

 誰かを幸せにしたのなら、

 その誰よりも幸せになってやらなければ嘘なのだという、赤い少女の声が思考に重なる。

 だけどもう、そんなことさえ気にならないほどに、心は崩壊寸前まで来ていた。

 これ以上見せないでくれ、と、祈りたくさえなる。

 求めてきた答えなのに、本当に意味でこれは自分のものではないのに――借り物として、自分もモノでないそれを抱いて歩み続けた少年のことを思うと、恐ろしくなる。

 自分の望んだモノだというのに、恐怖した。

 その上、他人の理想でもここまで歩んでしまったことに呆然とした。

 何故、そこまで――そこまで、しなくてもよかったのだと、僕はそう言ってあげなくてはならないのに。

 それが僕の責任、の筈だ……。

 その、筈……なのに――――――

 

 ――――――情けなくも、僕はそれに救われてしまっていた。

 

 最低だ。

 何よりも、最低だ。

 これまで重ねてきたことが優しく思えそうな程、最低で、軽薄な心だ。

 自分のことを見ていてくれた人たちを殺した。

 こんな自分に尽くしてくれた人たちを殺した。

 カタチは違えど、願っていた少女の願いを踏みにじった。

 これを最後として、少年の両親や街の人々を地獄へ誘った。

 目指したモノが、絵空事だけではかなわないから、悪でいいと。真に『悪』を滅ぼせるならば、極悪非道で構わないと思っていた――のに。

 そんな最低を、どうしてそこまで行って叶えようとしてくれた。

 その上、……その上、行き付いた先が……こんな自分と同じだなんて…………それなのに、それなのに……!

 

 

 

 

 それでも、君は。

 こんな僕の夢を引き継いで……それでも君たちは…………笑って、くれるのか……?

 

 

 

 

 *** 己が理想との対峙

 

 

 

 深く、深い森の中に聳えた城。

 歩み続ける少年と、救われなった少年が相対する。

 ようやく気付いた、と赤いペンダントを手に少年は彼に言った。

 

 ――――そうして語られたのは、ある少年が〝英雄〟となる物語。

 

 その生涯を誰かの為に歩み続けて、

 死後でさえも、〝誰も泣かずに済むのなら〟と売り渡した――青く、まだまだ馬鹿な夢を見ていた、少年の物語。

 

 ――〝世界〟が、己を守るために行使する『抑止力』。

 

 ヒトという、霊長という種の存続を守る存在であるそれは――――苦しむ誰かを、つまりは〝人間〟を救いたいと願っている少年にとっては、きっと願い欲したモノに出会えたと思ったことだろう。

 ……だが、それは違った。

 夢に描いた『正義の味方』――それは、確かに義父の勝った通り、エゴイストそのものだったのである。

 味方をした側しか、救えない。

 そんな事はとうに分かっていたはずなのに。

 ……それでも、もっと、と。

 人の手に余る夢の代償は、結局願ったこの身に一番ふさわしい形で支払うことになった。

 思い上がり、傲り高ぶり、これで大丈夫だとそう思ったのさえ、幻想。それこそ、世迷言の類でしかない。

 

 ――――いや、そもそもが間違いだったのだ。

 

 自分を持たない己が、誰かの救いになれるなど……;ある筈がなかったのだから。

 そうして分かったのだ。自分の願った世界は、自分の手で踏みにじられていくのだと。

 別に、本当に〝争いの無い世界〟なんてものを目指していたわけではない。

 本当に願っていたのは、自分の手の届く範囲で涙する人が少しでも減らせたらと願っていただけだったのに――ほんの一片も、幸福を増やすことはできなかった。

 救える範囲が広がって、思い上がり始めたのだ。

 より多くの人間を救うために、少数には消えてもらった。しかし、それは数が増えればどんどん弥増していく。こうして救えなかった命があるのなら、きっとその先にある何かで悲しむ人や救えない命を減らせなくてはならない。

 ――減らせるはずだ、と。

 そうして詰まらない意地を張っていくごとに、どんどん追い詰められていく。

 本当に救いたかったものを、この手で削ぎ落としながら……。

 だからこそ、〝後悔〟した。間違いだったのだと、己のこれまでの生を正したいと願うことになった。

 果てに得たのは後悔のみ。

 

 

 ――――この身は、〝英霊〟に等なるべきではなかった――――

 

 

 だからここまで来た。

 ここで、終わらせるために。

 認められない、己という存在を――消すために。

 

「――――自害しろ、衛宮士郎」

 

 だが、それさえもまだ認識が甘かったのだろう。

 放り投げた短剣を手にしても、『衛宮士郎』は止まらない。

 ……いや、もしかしたら、止まらないことを忘れていたのかもしれない。

 死ねと言われて、簡単に死ぬ玉ではないのは知っている。理想と相対したとき、必ず向こうはこちらを否定しなければならないのだから。

 しかし、向かってくればそれまでだと思っていた。

 何せ、既に存在が違う。

 向こうが勝てる道理などない。

 だというのに、それでも――――奴はまだ、剣を下ろさない。

 

 

 

 ***

 

 

 

 理由は、非常にシンプル。

 向こうは、此方が気にくわないから叩き潰しに来たのだ。

 そしてこちらも、向こうが歩んできた道のりがどんなものなのかは分かった。けれど、それはどうにも全て納得しきることは出来そうにない。

 ――――故に、一つだけ訊いておくべきことがあった。

「アーチャー。お前、後悔してるのか」

 その質問に、吐き捨てるように奴は答える。

「無論だ。オレ……いや、()()は、〝正義の味方〟になぞなるべきではなかった」

 その答えに、覚悟が決まってくれた。

 これで判った。

 これで解った。

 そして、別った。

 

 ――――ここで別たれた。

 

「そうか。それじゃあ、やっぱり俺たちは別人だ」

 僅かに戸惑いを覗かせる奴――アーチャーに、自分がこれから歩む道のりがどんなものであれ、これだけは自分で変える気はないと告げる。

「俺はどんな結果になったって、後悔だけはしない」

 そう、これだけは変えない。

 〝だから――絶対に理想(おまえ)のことも認めない〟

 変えて良い筈がない、自分自身の信念。

 何もかもが借り物でも、これだけは譲る気はない。

 歪な生き方だった。奴の言うように、或いは少女たちが言ったように。

 それはやせ我慢の連続で、きっと得てきた物よりも、落としてきたモノの方が多い時間だったのだろう。

 だからこそ、その落としてきたモノの為に、『衛宮士郎』はここを退くことは出来ない。

「お前が俺の理想だっていうんなら、そんな間違った理想は、俺自身の手で叩き出す」

「その考えがそもそもの現況なのだ。お前もいずれ、オレに追いつく時が来る」

「来ない。そんな瞬間(もの)は、絶対に来るもんか」

「……そうか、確かに来ないな。ここで逃げないのなら、どうあれ貴様に未来はない」

 俺たちは一歩ずつ踏み出した。

「……シロウ」

「良いんだ、セイバー。その気持ちは嬉しいけど、どうか下がっていてほしい」

 不安そうに俺を止めようとするセイバーを制して、前に出る。

 

「――――だってこれは、俺がするべき戦いだ」

 

 踏み出していく足に不安はない。

 そもそも、その手には剣すらない。

 だがそれでいい。というよりも、当然のことなのだ。

 だって、俺たちは剣士ではない。そう――俺たちは、生み出す者。

 そして、そのための言葉は――――

 

 

 

『――――投影(トレース)開始(オン)

 

 

 

 手に生まれるのは、見かけはまったく同じ双剣。

 決して二つ存在するはずのない宝具を、俺たちは無数に、それこそ無限に生み出す。

 しかし、この手にある剣はまだ曖昧なままだ。

「分かっているようだな。オレと戦うということは、剣製を競い合うということだと」

 まだまだ中身は足りない――俺の剣製は、奴に追いつけてはいない。

「――――――」

 尖っただけの空想では、弛みを見せるだけで打ち合った瞬間、ただの妄想として砕け散る。

 そんなことは、解っている。

 だが、ここで引くわけにはいかない。絶対に、ここから後ろには下がらない。

「オレの剣製に付いてこれるか?

 ――――僅かでも精度を落とせば、それがお前の死に際だ」

 食らいついて、食らいついて――そこに、追いつくまで。

 この身は止まらない。そのことは言葉にするまでもなく、どちらにも解っていた。

 故に、戦いの幕開けに言葉など要らない。

 

『――――――ッ』

 

 息を呑む一拍を置いて、俺たちの剣は、まるで磁力にでも牽かれ合うかのようにぶつかり合った。

 

 

 

 ***

 

 

 

 剣を振るう。

 そのままぶつかり合い、此方の剣が砕け散った。

 砕けたその穴を埋めるべく、再び同じ剣を生み出す。

 担い手無き、作り手の為の剣であるとともに、陰陽の夫婦剣である干将・莫邪。

 だが、

「お前とオレの投影が、同レベルだとでも思ったのか」

 ――やはりまだ及ばない。

 判り切っていたことだというのに、それでもまだ足りていない。いくら己の中にあるイメージを強めようとしても、所詮は未だ空想。

 構造にその理はない。

 存在を担うには、未だ足りない。

 しかし、打ち合う度に――――確かに、ソコに続いている路が見える。

 少しずつ、少しずつ流れ込んでくるものがある。それは奴の剣筋であり、剣たちの記憶であり、そして――地獄への道筋だ。

 

 打ち合い続ける剣撃など、当に気にならなくなった。

 迫る剣など恐ろしくはない。――――流れてこんでくるもの、記憶(それ)こそが、今一番恐ろしい。

 その光景は、正しいか正しくないのか。はっきりと判断できる人間はいないだろうし、したいと思うものもいないのだろう。

 勿論、俺にはハッキリと断言することはできないし、解らないままだった。

 ――――でも、きっと正しかったのだろうと、思うことは出来る。

 

 奴の信じようとしていたもの、辿って来たもの。

 その結末が、脳裏に焼き付けられていく。

 追いつくというのは、そう言うことだと奴は言った。

 客観的に見れば、そこにおぞましいモノなどはない。

 言葉彩られ、命を守ろうとするその姿は滑稽だが芯が通っていた。

 美しいものは醜く、醜いものが美しかっただけ。……なのに、どうしてそんな〝偏り〟が生じるのか。

 問いかけても、答えは誰からも返ってこない。

 だからきっとそれは、己の本質へ迫るということで――――

 

 

 〝――――体は剣で出来ている〟

 

 

 誰かの為になれば良いと思っていた。

 例え、自分が傷ついても、相手からどんな裏切りや誹りを受けたのだとしても。

 それでも自分さえ裏切らなければ次があるのだと信じ続けて、結局それが他からどう見えるのかを知らないまま生き続けた。

 嘆くこともなく、傷ついた素振りも見せないままに。

 まるでそれは、血の通わない機械のよう。

 

 

 〝――――血潮は鉄で、心は硝子〟

 

 

 でも、そんな機械にだって守るべき理想はあったから、異様に使われることさえも受け入れた。

 都合のいいように扱われても、いつか何かに繋がるのだろうとそう信じて。

 だが、血の通わない、自分の無いそんな在り方は――いよいよ道具じみている。そんなものを、いったい誰が識ることが出来るのか。

 

 

 〝――――幾たびの戦場を越えて不敗。

      ただの一度も敗走はなく、

      ただの一度も理解されない〟

 

 

 それゆえ誰からも識られることはなく、自己満足しか残せない。

 が、その身は誰かの為のモノでなくてはならない。……でも本当は、何が一番欲しかったのかを理解した瞬間から、自己の中に生まれた矛盾に食い潰される。

 自分を保てず、その身はただの一度も、誰かと寄り添うことが出来なかった。

 このような有様で、一体何を救えたというのか。

 

 〝――――彼の者は常に独り、剣の丘で勝利に酔う〟

 

 誰に言うことでもない。

 思考と理想は矛盾して螺旋を描き、何時しか醜い偽善すらも残せなくなる。

 そうして残ったのはただ堆く積まれた骸の山と、理想の為に殺し続けたそれらへの墓標(つるぎ)のみ。

 

 〝――――故に、その生涯に意味はなく〟

 

 誓いの月夜を忘れ、

 在った筈の意味を失い、

 遠く輝く憧れの光すら消え去った。

 

 〝その体は、きっと――――――〟

 

 結局この夢は、『衛宮士郎』という愚者の戯言でしかなかった。

 抱いた理想が、嘘で塗りたくられた夢物語だろうと見せつけられて――己の正体が醜悪な『正義』とやらの体現者であると知る。

 この身はやはり、何かに使われるだけの意味を持たない剣でしかなかったらしい。

 詰まる所、この体は――――

 

 

 

 〝――――――剣で出来ていた〟

 

 

 

 自分の姿と奴が重なっていく。

 視認して、その経験や力そのものが重なっていくたびに、その地獄がどんなものであるのかを、その本質を知ってしまう。

 同情などしない。同情なんかしない。同情なんかしない。

 ――――けれど。

 酷い結末に繋がっているその路に、この足が足跡を付けようとしているのだと思うと、その路をこの足が歩き続けるのだと思うと――心が欠けてしまいそうになる。

 ……弱くなっていく心が、理想に押し潰されていく。

「あ――――ぐ」

 いつの間にか倒れていた。

 緋色の空が、この死に体の身体を見下ろしている。

 内も外もボロボロで、何故まだこうして生きているのか不思議なくらいだ。

 意識が遠くなり始めたところで、そこに声が響く。

「――そこまでだ。

 敵わないと知ってなお、ここに表れる愚かさ。障害下らぬ理想に囚われ、自らの意志を持てなかった紛い物。

 それが、自身の正体だと理解したか」

 理解など、とっくに出来ている。

「そんなモノに生きている価値などない。何よりこのオレが確信しているのだ。

『衛宮士郎』という男の人生に価値などない。

 ……ただ救いたいから救うなど、そもそも感情として間違えている。人間として故障したお前は――初めから、在ってはならない偽物だった」

 ……ああ、それだって解っていたさ。

 でも、

「は――――」

 それでも、身体はまだ戦えると訴えている。

 折れたはずの心が、折れていないと強がっている。

「――――あ」

 なら、立って、あいつを倒さないと。

 無様に立ち上がろうとして、向かうとしている此方に侮蔑を向けるように、奴はこう言い放った。

「……無駄なことを。

 オレはお前の理想だ。適うはずなどないと、今ので理解できたはずだが」

 確かに、力の差は明白。

 ……だが、それでも認めるわけにはいかない。

 ささくれだった神経が悲鳴を上げる中、動揺することなく八節の工程を組み上げた。

 右手に生まれた剣は、やはり奴と同じ双剣、干将・莫邪。

 生み出され、手に握られたそれを、残された己の全てで振るう――

「――そうか。認めるわけにはいかないのは道理だな。

 オレがお前の理想である限り、『衛宮士郎(おまえ)』は誰よりも『エミヤシロウ(オレ)』を否定しなくてはならない」

 平然と放たれた言葉が頭にきた。

 此方はもう息も絶え絶えというのに、どこまでも冷静な口ぶりの通り、奴は呼吸一つ乱していない。

「くっ、この―――!」

 全霊を込めた、渾身の一撃。

 どうにか鍔迫り合いにまで持って行ったが、鼻で嗤われそうなほどに腕力の差は歴然。

 剣が押し返され始め、刀身を蝕むようにして伝わってくる圧に、継ぎ接ぎだらけの腕が悲鳴を上げる。

 軋みを上げる双剣を見ながら、奴はこんな問いかけを投げてきた。

「では一つ訊くが――――お前は本当に、『正義の味方』になりたいと思っているのか?」

「な、にを――――」

 今更、と。

 口からはそう漏れ出した。

 その不意打ちに、空白を生んだ思考の間を悟られなかったかどうかは自信がない。それでも一瞬の空白を悟られていないと断じ、続けて苛立ち紛れに言い返す。

「――――俺はなりたいんじゃなくて、絶対になるんだよ……!!」

 けれど、そうして上げた叫びと。

 霞み始めた眼で睨みつけてやろうとしていた思考を、

「――そう、絶対にならなくてはならない」

 奴は、心臓を掴むような言葉で止めてしまった。

「何故ならそれは、衛宮士郎にとって唯一つの感情だからだ。否定することも、逆らうことも出来ない感情。

 ――――たとえそれが、自身の裡から生まれた物でないのだとしても」

 その先を、言わせては、いけない。

 続く言葉が何であろうと、その先を言わせてはならない。と、考えるより先に否定が生まれた。

 気づいてしまっては、この身が。

『衛宮士郎』という存在そのもの、根底を成す基盤が崩壊してしまうと。

 だが、しかし――――

 

「――――ほう。その様子では薄々感づいてはいた様だな。

 いや、初めから気づいていて、それを必死に遠ざけていただけだったのか。――――今のオレでは、思い出すことさえできないが」

 

 知りたくない。

 知ってはいけないと分かっている。

 それでも――――知らなければならないと、いい加減解ってもいた。

衛宮士郎(じぶん)』の矛盾。

 何を間違えて、何が歪だったのかという、その答えを。

 

「オレには、最早かつての記憶などない。……だが、それでもあの光景だけは覚えている。

 一面の炎と、充満した死の臭い。絶望の中で助けを請い、叶えられた時の感情。衛宮切嗣という男の、オレを助け出した時に見せた安堵の顔を。

 ――――それが、お前の源泉だ。

 助けられたことへの感謝など、後から生じたものに過ぎない。

 お前はただ、衛宮切嗣に憧れただけだ」

 

 そう――それが、答え。

 あの時、周りで死んで行く人々を助けられないことに、後ろめたさを感じていたわけじゃない。

 そもそも、感じるだけの心が死んでしまっていた。

 あの時の自分は、何もかもを失くして、空っぽだったのだから。

 死ぬのが当然だと思い知らされながらも、ただそこに居るだけで聞こえる死の声に耐えられなくなって、炎の中を彷徨い歩いていた。

 そうして、本当に何もなくなった時――助けられた。

 目に涙を溜めながら、自分を助けてくれた男は微笑んでいた。まるで、自分の方が救われたかのように。

 切嗣が見せた安堵の顔が、あまりにも幸せそうだったから。自分もそうなりたい、と。

 ――――だから、憧れた。

 

「そうだ。お前は、ただ一人助かったことによる後ろめたさを感じていたわけじゃない。

 ……お前はただ、衛宮切嗣に憧れただけだ。

 あの男の、お前を助けた顔があまりにも幸せそうだったから、自分もそうなりたいと思っただけ」

 

 ……あぁ、その通りだ。

 あの時、救われたのは俺の方じゃない。

 街を覆った災の中で、切嗣はきっと生存者を死に物狂いで探していた。

 原因が自分にあるのだとすれば、きっと耐えられなかったのだろう。自分が引き起こしてしまった過ちを、少しでも変えたいと願ったはずだ。――――でも、そんな相手の事情など知らない。

 俺には、あそこから助けて出してくれただけで十分だった。

 たとえそれが自己に向けられていたのだとしても、俺を救おうとする意志も、助かれと願ってくれたその真摯さも本当だったのだから。

 

 ――――あの、誰一人生存者などいない筈の惨劇。

 

 当事者である切嗣は、血眼になって生存者を探し続け……そうして、いるはずの無かった生存者を捜し当てた。

 助かるはずのない子供と、

 居るはずのない生存者を見つけた男。

 何方が奇跡だったのかといえば、それは――――

 

「子が親に憧れるのは当然だ。……が、お前の場合はそれが行き過ぎた。

 衛宮切嗣に、衛宮切嗣がなりたかった物に憧れるだけなら良かった。だが、最期に奴はお前に呪いを残した。

 あの時、お前は必ず正義の味方にならなくてはいけなくなった」

 

 月夜の誓い。

 あれが、始まり。

 自分の気持ちなどどうでもいい。

 ただ、幼いころから憧れ続けた者の為に、憧れ続けたものになろうとしただけ。

 〝誰もが幸福であってほしい〟という、その願いは――。

 俺ではなく、衛宮切嗣の抱いていた、叶うはずもないユメだった。

 

「お前の理想は、ただの借り物だ。

 衛宮切嗣という男が取り溢した理想、衛宮切嗣が正しいと信じたモノを真似ているだけに過ぎない。

 ――『正義の味方』だと? 笑わせるな。

 誰かの為になると、

 そう繰り返し続けたお前の想いは、決して自ら生み出されたモノではない。

 そんな男が他人の助けになるなど、思い上がりも甚だしい……!」

「ぐ、が……ぁぁああああ――――ッ!?」

 罵倒するように、剣が振るわれた。

 これまで技を魅せていた剣撃は消え失せ、力任せの剣が此方を襲う。

「――そうだ! 誰かを助けたいという願いが綺麗だったから憧れた――」

 一撃のたび、奴は自らを罵倒する。

「――故に、自身から零れ落ちた気持ちなどない! これを偽善と言わず、何と言う!?」

 繰り返される否定。

 その言葉が、何よりも『衛宮士郎』を傷つける。

「この身は誰かの為にならなければならないと、強迫観念に突き動かされてきた。

 ……それが苦痛だと思うことも、破綻していると気づく間もなく、傲慢にもただ走り続けた!!」

 砕けた心を、さらに粉砕していくその言葉。

 けれど、それでも身体はまだ、剣を受け止め続ける。

「だが、所詮は偽物だ。そんな偽善では何も救えない。……否、元より何を救うかも定まらない!

 見ろ! その結果がこれだ。

 初めから救う術を知らず。救うものを持たない醜悪な正義の体現者が、お前の成れの果てと知れ――!!!!」

 折れた心が、その否定を受け入れたがっているの。なのに、壊れかけの身体は、いっそうその否定を覆そうと抵抗(ひてい)する。

 しかし、流れていく血と共に、思考はどこか遠くに流れていく。

 遠くなっていく意識の中、奴は自らに対する結論を口にしていた。

「――――その理想は破綻している。

 自身より他人が大切だという考え、誰もが幸福であって欲しい願いなど、空想のおとぎ話だ。……そんな夢でしか生きられないのなら、抱いたまま溺死しろ!」

 生きる価値無し――否、その人生に価値無し、と。

 奴はそう吐き捨てて、此方を見下ろしていた。

 倒れそうになっている姿は、きっと酷く無様なのだろう。いっそ倒れてしまえば、それで終わると解っているにも関わらず。

 身体は、頑なにそれを否定している。

 一度倒れれば、二度と起き上がることは出来ないと理解した上で、降伏を拒み続けていた。

 

 既に、勝敗は決した。

 

 いや、そもそも『衛宮士郎』が『英霊エミヤ』に敵う道理などない。決していたというのなら、それは闘う前から決まっていたことだ。

 だというのに、身体はまだ、負けていないという。

 それに、奴の言い分に引っかかるところがあった。

 ほとんどが正しく、今の『衛宮士郎』に覆すことが出来ないモノばかりが並んでいた。反論など、こちら側からの否定など届かないと思ったその中に。

 

 ―――どうも、奴が何かを忘れているというのを感じた。

 

 

 

 *** 間違い、それでも〝美しいもの〟

 

 

 

 理想(じごく)()た。

 

 ――未来(じごく)を視た。

 

 ――――末路(じごく)を観た。

 

 ――――――いずれ辿る、自分(じごく)()た。

 

 それらは等しく現実で、酷く正しい過程だった。

 

 〝アンタは、その――正しかったな〟

 〝……器用ではなかったんだ〟

 

 けど、それは何かを失ってしまったかのように見えたが、それは違う。

 失ったのではなく、……それは自分から削ぎ落としてしまっただけだ。

 

 〝多くのものを、失ったように見える〟

 〝……それは違う。何も失わないように意地を張ったから、私はここにいる。何も、失ったものはない〟

 

 何もかもを求めたから、そこには何も残ることはなかった。

 だが、そんな中でも一つだけ―――

 

 〝ああ、でも―――確かに一つ、忘れてしまったものがある〟

 

 

 

 ――――最初に、その地獄を見た。

 

 

 

 炎の中を歩き続けていた。

 別に、特に行先があったわけじゃない。

 熱くて、息ができなかった。空には大きな〝孔〟が空いていて、そこからは何か泥のようなモノが降り注いでいた。

 逃げて、いたのだろうか。

 何処へ行っても助かりはしない。死さえ受け入れていても尚、それでも生き延びようとして、地獄を彷徨っていた。

 何故そこまでしたのか、そんなことは今となっては分からない。

 でも、あの時。

 本当に力尽きるその時まで、確かに俺は歩みを止めることは無かった。その様はまるで、死に場所を求める落ち武者か、死に切れていない屍のようだ。

 地獄の中を、まるで亡者のように彷徨っている。

 そんな記憶の中にいた自分の背に、届く筈も無い声をかけてみた。

 

 〝―――おい、その先は地獄だぞ〟

 

 聞こえる筈も無いのだから、届く筈も無い。

 当たり前のことだが、きっと――聞こえても止まらなかったのだろうなとは思う。

 何のために生き延びたのか、何のために為に、見送られたのか。

 あの時、自分はきっと――――その意味を、地獄の中で探していた。

 家族を、実の両親だったものを越え、まだ死んでいない自分と、死んでいく人々の中。

 どうして、と考えながら、俺は生きていた。

 ここで、なんで今こうしてまだ死なずにいるのだろうと。

 細かく考えらないまでも、何かの意味や目的のようなものを探していたのだ。

 

 ――けれど、

 

 何も得られないまま、そこで力尽きた。

 炎は雨と共に段々消えていく。

 それに合わせて、自分の命の灯も一緒に消えていく。

 漠然と、ここで終わるんだな――と、迫り来る終わりの刻を、薄れていく意識が受け入れていた。

 だが、まだ死んでいくことに抗おうと、残った意志が手を伸ばす。

 ……当然、誰にも助けられることはない筈だった。

 無駄なことだろうと思ったが、それでもまだ願っていた。

 星は見えない、暗い夕闇の空。段々と明けていくとき中で、伸ばした手が最後の力を失って行く――その時だった。

 まるでそれを待っていたかのように、大きな手が自分の手を包む。

 安堵の表情が見えた。救われたのはこちらであるのに、とてもとても嬉しそうな顔をしている。

 

 ――――それが、始まりだった。

 

 それが解れば、これからも歩いて行ける。

 ここから先にも、進んで行ける。

 そしてまた、足を前に踏み出す。

 すると、声がした。先ほどの自分と同じように、まるで引き留めようとする声が。

 

 〝おい――――その先は地獄だぞ〟

 

 あぁ、解っているさ。……だが、それでも。

 

 〝これがお前の忘れたものだ。確かに、始まりは憧れだった。

 ……でも、根底にあったものは願いなんだよ。この地獄を覆して欲しいという願い。

 誰かの力になりたかったのに―――結局、何もかも取りこぼした男の、果たされなかった願いだ……〟

 

 眩い光が炎の中で発せられ、その世界を変えていく。もう、そこには炎に焼かれるだけの無力な存在はいなかった。

 己の裡にあった世界が変わっていく。

 ――刻み込まれたその起源は、『剣』。

 数多の命を癒し、嘗てそこに納めるモノと別たれてしまった、失われし理想郷の光がその世界を創り上げる。

 収めていた星の輝きと同じ、黄金の光がその身体を包み、前に進むために背中を押す。

 

 〝……その人生が、機械的なものだったとしても……〟

 〝――あぁ。

 その人生が、偽善に満ちたものであったとしても――――俺は、〟

 

 〝――――『正義の味方』を張り続ける――――!〟

 

 この世界に込められた、その詠唱(コトバ)に込められた本当の意味。

 今はまだその真意は判らずとも、この光景を忘れてしまったお前に変わって、この言葉を貰って行く。

 ――完全に変わり切った、剣の世界。

 その丘の頂点に立つ剣を引き抜き、光が繋ぎ、守ってくれた命に再び火を灯した。

 奴の忘れている記憶、その失われていた色彩を取り戻す。

 これが、これこそが――――俺の、答えだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 死に体だった筈の少年の身体に、再び命が戻っていく。

 何が起こっている、と、僅かに驚愕を覗かせたが、すぐに男はその理由に至る。

「っ――、そうか……彼女の〝鞘〟……!」

 かつて己の中にも在った、この戦いを見守っている少女との縁。

 聖遺物としては頂点に位置するレベルの品であるとともに、所有者を守り、癒すための加護を与える代物。

 その上、この場には本来の所有者たる少女(セイバー)が居る。

 だとすれば、その加護の力は跳ね上がる。

 彼の狂戦士の一撃からさえ少年を守り、彼の父が用いた魔術の自傷からも守り抜いた。そんな守護の力が、この場で少年が死んでいくだけの結末を認める筈も無い――!

「あれは聖遺物……召喚されたモノではない。契約が切れたところで、その守護は続いている……っ!」

 ズタズタに、そして粉々になっていった身体が癒され、治っていく。

 そして、治された肉体(カラダ)は、さらに強い(つるぎ)へと変わる。鉄が鍛えられるように、錬たれ、鍛えられたその先にこそ――

 

 〝――――、体は〟

 

 ――彼らの真髄がある。

「……貴様……っ」

 眉根を寄せ、男は忌々しげに少年を睨みつける。

 そして、遂に――――その世界の為の言葉が、本来それを知らない筈の少年の口から発せられた。

 

 

 〝―――――剣で出来ている〟

 

 

 少年の身体を奔る回路が切り替わる。

 その手に再び形を成していく双剣。だが、それでは結末は同じ……。

 事実、少年は死に体。対する男は未だに息一つ乱していない。

 その力量差は歴然なのは変わらない筈だ。

 相手がスクラップ寸前なのは明白。――ならば、あと一撃でケリはつく。

 それを証明するべく、男は手にしていた双剣を投げ放った。

 宙を舞うように踊る双剣は、陰陽の力によって互いに牽かれ合いながら、少年の首を跳ねようと迫りくる。

 けれど、

 

「お前には、――――」

 

 迫る剣に、

 目の前の男に、

 もう、これ以上負けてなどやらないと。

 少年の琥珀色の瞳には、折れない覚悟が燃えていた。

 

「――――負けられない!」

 

 手にした双剣で、放たれた双剣を弾き落す。

 先ほどまであった差も、この一撃によって完全に埋まる。

 少年の手にある双剣は、今の少年の心を表すように――――今度こそ、微塵も欠けてなどいなかった。

「誰かに負けるのはいい。……でも、自分にだけは負けられない!」

 もうそこに、迷いなど無かった。

 寸分違わず、狂いも妥協もない剣が、少年の意志を強く表している。

「―――ようやく入り口に至ったか。

 だが、それでどうなる。実力差は歴然だと、骨の髄まで理解できたはずだが?」

 確かに、それでもまだ差はある。

 歩んできた道のりはほど遠く、果ての無いほどに遠い。

 しかし、

「手も足もまだ動く、負けていたのは俺の心だ。お前を正しいと受け入れていた、俺の心が弱かった」

 此処から引く気はない。

「お前の正しさは、ただ正しいだけのものだ。――――そんなもの俺はいらない」

 一歩たりとも譲る気はない。

 此処から先は、先ほどまで以上に単純明快。

 自分と自分との戦い。すなわちそれは、意地と意地のぶつかり合いだ。

 ゆえに、絶対に負けてやるつもりなど、欠片も無い。

「俺は『正義の味方』になる!

 お前が俺を否定するように、俺も死力を尽くして……お前という自分を打ち負かす!」

 そうして、信念の元に剣を振るう為に、地面を蹴った。

 

「……くだらん」

 

 まだ届かない筈のそれに、何故か男は苛立ちを覚えた。

「くだらん、くだらん、くだらん! 最早見るに耐えん!

 愚昧此処に極まったな、衛宮士郎。

 ……『正義の味方』になる? ただ正しいだけのもの? ――そこまで分かっていながら、何故間違いに気づかない!?」

 ……己の通って来た道を。

 重ねてきたその血の軌跡を思い返しながら、男は募っていく苛立ちの原因が判らないまま、言葉を続けていく――

「――『正義』とは、『秩序』を示すもの。全体の救いと、個人の救いとは別のモノだ!

 その二つは、絶対に両立しない。正しい救いを、求めれば求めるほど。お前は自己矛盾に食い尽くされる。――ただの殺し屋に成り下がる!」

 迫り来る何かに心をかき乱されるように、男は感情を剥き出しにして、向かってくる敵を罵る。

「それが解らないのなら死ね――その思想ごと砕け散れ! 何も成し得ないまま燃え尽きろ! そうだ、そうなれば俺の様な間違いも霧散する」

「――――――」

 少年は、それに応えない。

 ただ、彼は剣を振るう。

 続けて振るわれたそれは、あまりにも凡庸な一撃。

 先ほどまでの間に積み上げられた、経験から真似た剣戟の技を魅せる気など全くない、ただただ力任せの一撃。

 だが、

「な――――っ!?」

 その重みは、先ほどまでの度の一撃よりも重く男の手に響く。

 迫る剣撃の重みに驚愕し、受けに回っていては倒される。そうでなくとも、そのままでは押し切られると悟って、男も本気で剣を振るう。

 

 

 

 ――――それは、在り得ない剣戟だった。

 

 

 

 ほとんど死に体の身体。

 呼吸は止まり、魔術回路も焼け付いて、その源足る魔力すらも枯渇している。

 最期の炎、終わりまでの刹那。その程度の残り火でしかない、そのはずの剣撃を受け止め続ける。

 ……だというのに、止まらない。

 どれほど受けても、どれほどに捌いても、まだ止まらない。

 その姿が、これ以上ないほどに癪に障る。限界など越え、それでも止まらない。

 忌々しげに歯噛みする。

 間違いでも、偽物でも。理解し、認めた上でなお、それでも美しいと感じたものの為に剣を振るい続ける姿。

 その無様さを、彼は良く知っていた。勝てぬと知って、意味がないと知って、なおも挑み続けるその姿。

 それこそが、彼の憎んだ自身の過ちに他ならない。

 

 ―――――だというのに、何故。

 

 ふと、気が付くと……それをどこまで続くのかを見届けようとしていた。

 その事実に気づいて、自分がどこまで間抜けだったのかと思い返し、目の前の少年が切り伏せようとしているモノを知った。

 少年が切り伏せようとしているのは、己を阻む自分自身。これからも己を貫くために剣を振るっている。

 だが、それは彼とて同じ。

 本来、一歩でも退けば敵はそのまま自滅する。そうでなくとも、殺せるだけの剣を作り出すことで、射殺すことも出来よう。

 けれど、もしここで引いてしまったらと。

 頭の中で、何か決定的なものに敗北すると警告が鳴り響く。

 合わせるように、頭蓋にまで響くほどの痛みが走った。目の前がざらつき、景色が歪む。そして、そのまま視界には、何時かの夜を映し出されていき―――――

「っ…………、消えろ――――!」

 剣を生み出し、叩き伏せるために撃ち放った。

 自分を消し去る様な、敗北の予兆。

 この時、初めて真っ向から目の前の少年()を、彼の眼が捕らえた。

「……じゃない」

 迫る剣たちをものともせず、此方へと駆けるその足を一向に止めない少年の口から、何かが聞こえる。

「――い……じゃ、ない――!」

 敵は既にこちらを見ていない。

 見ているのは、そんなものではなかった。

 必殺の筈の一撃を潜り抜け、迫る剣。近づくたびに、僅かずつだが、少年の意志がこの世界を侵食していく。

 そして、

 

 

 

「――――この夢は……間違いなんかじゃない――――っ!!」

 

 

 

 決死の叫びと共に向けられたその一撃。左胸を狙ったその一刀。

 容易く守り切れる筈の一撃を、何故か彼は受け止めなかった。……だが、不思議と後悔はない。

 脳裏にあるのは、あの夜。

 ただ穏やかな、月夜の誓いだった――――

 

 

 

(……酷い話だ。古い鏡を魅せられているような――――)

 

 

 

 

 

 

 ――――――――こういう男がいたのだったな……。

 

 

 

 *** 己が内に秘めた、最果ての『世界』

 

 

 

 ――――こうして、戦いは本当に決した。

 

 少年は歩みを止めず、理想との対峙の果てに勝利を得た。

 だが、そんな感慨を抱く間もなく、本来の戦争が人々を食らい尽くそうとする聖杯の産声が上がる。

 答えに至った二人を襲う、武器の雨。

 アーチャーの背に刺さる剣の重みを理解したかと嗤う、黄金の王。

 偽物同士のつまらぬ戦いだったと言いながら、男は偽物を蹂躙するべく真作を撃ち放つ。

 黄金の英雄は、再び聖杯の中身をこの街にぶちまけようとしている。

 この世界を掃除すると、有象無象の世の中を整えると。

 無論、そんなことを許すわけにはいかない。

 ヒトの命を、現在によって裁く。

 なるほど、確かにヒトが積み上げた呪いによってヒトが死ぬのならば、確かにそれは理に適っている。

 ヒトは、業が深く醜い生き物だ。

 故に、黄金の英雄――英雄王・ギルガメッシュは、そんな地獄でも生き残る〝本物〟を求める目的もあると語る。

 そのために何をすべきか、戦いの果てを知っているアーチャーは、一番良く分かっている。

 奴の天敵であるのは、贋作者。ギルガメッシュが嫌い、恐れている二人の内――自身ではない片割れを生かした。

 

 そして、戦いのときは一時見送られる。

 

 裁定の時を待つ冬木の街。

 杯に満たされた泥は、今か今かと零れだす時を待っている。

 人間の悪性を煮詰めた、呪いの塊。願いを汲むべき器は、その内に秘めた穢れをかつてのそれ以上に垂れ流す。

 だが、それを止めようと足掻く少年は――少女の力を借りて、黄金の王へ挑む。

 対峙し、己の技量の限りを尽くして立ち向かう。

 本気にさえなっていない相手にも敵わない。――まだその身は、破るべき殻を破り切れていない。

 届かない手を嘲笑うように。

 核を殺せばいい、

 これならアーチャーの方が楽しめた、と、黄金の王は少年を煽り立てる。

 そして、未だ戦いとさえ呼べない剣戟の最中に、決して読み解くことのできない『剣』を視た。

 敵わない、そのことが解る。

 アレを抜かれた瞬間、此方には勝ち目がない。

 いくら本気を出さないと言っても、力量差が埋められない。

 口にされることも、いちいち間違っていない事ばかりで、此方をかき乱す。

 ……でも、それはもう解っていることだ。

 少年は思い返す。

 借り物の理想を託してくれた人を、託して逝った己の理想との剣戟を。

 ――――その、最果ての『世界』を。

 彼はそこまで行き付いた。誰も犠牲にしないで、何かを得ることなどできない。

 平等は、闇を直視できない弱者の戯言。

 人間は、他社の犠牲無しに何も得られない獣。

 偽物でしかないものが、本物に届くはずなどない。

 その程度のモノだと、黄金の王は言い放った。

 ……確かに、その通りだ。

 実際、対峙した理想もこの身の借り物の理想の果て、やっていることは偽善でしかないと言った。

 だからといって、偽物では届かないのか?

 偽物だから、届いてはいけないのか?

 ……それは違う。

 借り物であっても、どんなに歪であっても、単なる偽善であっても、そう断じてきた男こそがその理想を貫き通したのだから。

 ならば、歩いていける。

 たとえこの先に、何一つ求めたものがないのだとしても。

 それでも、確かに続いている。偽物であっても、その先へ進めるだけの路が、確かに存在している。

 それだけ解れば十分だ。

『衛宮士郎』は、この先もこの理想(ユメ)を張り続けられる。

 

 少年は立つ。

 

 大切な人たちを守りたい。この街を守る。もう、あんな悲劇は起こさせない。

 己の理想を、この先へ続く夢を示すために。

 目の前の敵を倒すために今――――

 

 

 ――――少年は、その偽善の最果てへと手を伸ばす――――

 

 

 助けに来たセイバーを凛の元へ向かわせ、たった一つの勝機を逃したことを嘲るギルガメッシュの声を聞きながらも、平静に己の裡に集中した。

 己の本質を漸く知り、目の前の敵を足すためにその力を解放する。

 そのための詠唱(コトバ)は、自然と脳裏に浮かび上がっていた。

 あの弓兵と同じ、自らを律するための詩。彼がその一生をつづるなら、自分は己の覚悟や決意を詠う。

 自らの世界を生む、その言葉は――――

 

 

 

 〝――――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)

 

 

 

 今いる寺で、かつて弓兵と槍兵が戦った時に見せた盾。

 かの必殺の一撃をも防ぎ切った、七つの花弁を重ねたよう盾を用いて、敵の攻撃を防ぐ。

 放たれる武器の雨など、今の彼にとって何の問題にもならない。

 

 〝――――Steel is my body,and fire is my blood.(血潮は鉄で、心は硝子)

 

 この体は、生み出すためのもの。

 ただ漠然と真似て造るのではなく、作り手の記憶に共感し、担い手たちの記憶に共振することこそが本質。

 己の心を、形にすること。

 

 〝―――― I have created over a thousand blades.(幾たびの戦場を越えて不敗)

      Unaware of loss.(ただ一度の敗走もなく)

      Nor aware of gain.(ただ一度の勝利もなし)

 

 それだけがこの身に許された、ただひとつの術。

 身体中を巡る魔力が、暴れている。

 流れる道が狭いと、足りないと内側の残された領域も侵食していく。だが、それでもまだ足りないとその奔流が体外にも押し出される。

 しかし、それでいい。

 

 〝――――Withstood pain to create weapons, (担い手はここに独り)

      waiting for one's arrival.(剣の丘で鉄を鍛つ)

 

 基盤を壊し、流れ出していく魔力。

 頼もしい少女の膨大な魔力は、この身の内側だけでは収めるに足りない。そんなのは当たり前のこと。

 

 〝―――― I have no regrets.This is the only path.(ならば我が生涯に意味は不要ず)

 

 だからこそ、解放してしまえばいい。

 あふれ出した魔力が空間を侵食していく。

 そうして世界さえも塗り替えて今、自分のだけの『世界』を形造れ――――!

 

 

 

 〝――――My whole life was “unlimited blade works”.(この体は、無限の剣で出来ていた)!!〟

 

 

 

 

 

 

 ――――炎が走る。

 世界との壁が創り出されて、牽かれたその境界から『世界』が生まれる。

 赤い荒野と、墓標の様に乱立する剣。

 空は炎に染まりきらない、青みがかった緋色。

 あの弓兵の様に歯車はなく、代わり果てに果て無き空はどこまでも広がり、その雄大さを感じさせる。

 だが、その心象風景は黄金の王の気には召さなかったらしい。

 みすぼらしい、と称した上でその『世界』を傲岸不遜に嗤う。

 確かに、奴の持ちうる真作――『本物』に比べれば、この世界にあるのは全て『偽物』でしかない。

 しかし、だからといってその偽物が本物に敵わない、などという道理はない。

ヤツが『本物』こそを至高だと謳うのなら、悉く凌駕して、その存在を叩き落そう。

 ここに在るのは無限の剣。

 この剣製の丘は、剣撃の極致たる一つの形を体現した世界。

 さぁ、その蔵にある武器はこの『世界』と渡り合うだけの数を有しているのか……

 

 

「行くぞ、英雄王――――武器の貯蔵は十分か」

 

「ハッ、――――思い上がったな、雑種」

 

 

 常世全ての武器を治めた王の蔵と、無限に剣を内包する錬鉄の丘。

 本物と偽物、贋作と真作――互いの矜持を賭けた闘いが、ここに幕を開ける。

 撃ち放たれる数多の武器と、丘から抜き出されて飛び放たれる無限の剣。

 撃ち漏らした敵の攻撃は、〝門〟を開放した敵の武器とまったく同様の物を投影して薙ぎ払う。

 迫り、離れ、そして迫る。

 荒野を駆け抜けて、黄金の英雄へと手に持った剣の切っ先を突き立てる。

 地面を蹴り、放たれた剣は全て吹き飛ばす。

「何故、雑種如きの剣が――」

 刃先が噛み合ってこそいないが、拮抗するこの状況は、まさしく剣戟の鍔迫り合いそのものだ。

 自分こそが最上。唯一無二の存在であると自負する敵は、この状況はさぞ不満だろう。

 だが、奴は『俺』が――『俺たち』が自身の天敵であると、そう理解しなければこの状況を変えることは出来ない。奴がそれを認めない限り、つまりは奴が自分の矜持を捨てない限り、奴の敗北はずっと二重の攻め手となる。

 詰まる所、奴は一度敗北を認めなくては、俺たちには勝てない。

「分からないか? 千を越える宝具を持つお前は、英霊の中でも頂点に立つ存在何だろうよ。

 だがな、お前は王であって剣士じゃない。一つの宝具を極限まで使いこなす道を選ばなかった――――俺と同じ、半端者だ」

「っ、……贋作を造るその頭蓋、一片たりとも残しはせん!」

 怒りのままに、攻撃の手を強めてくるギルガメッシュ。

 だが、そんなものは何の意味もない。

 ただ放たれるだけの担い手無き剣たちを、全て完全に解析して次々と複製していく。

 何の信念も籠っていないそんな攻撃など、如何な真作であるとしても、背負ったものの重みを振るうこの贋作にすら劣る。

 ――その勢いのまま、駆け抜けていく。

 奴までの距離は、後十メートルもない。埋めるのに二秒も掛からないだろう。

 向こうもそれは解っているのか、苦々しげな顔をしてこちらを吹き飛ばすだけの威力を持つ武器を撃ち放った。

 瞬間、目の前が爆ぜる。

 が、それだけでは甘い――

「――〝熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)〟」

 再び咲いた花弁は、四枚だけと少し頼りない。

 しかし、残りあと一撃か、或いはその次弾に至る攻撃を当てるまでの間なら、これでも十分だ。

 宙を滑るようにして、奴めがけて飛び込んでいく。

 迎撃を試みた攻撃によって盾は崩れ去る。だが、もうそれだけではこの進撃を止めるには至らない。

 突き出した手に、双剣の片割れを投影する。

 向かう先は、ただ一点。遂にその真打を取りだそうとするその手へと目掛けて、その手を振り下ろした。

 世界最古の剣は地面を転がり、その力は解放されぬまま主の手から逃げて行く。

 この状況に、己の敗北を悟る黄金の王。地を転がった剣の主は、屈辱と怒り、そして僅かな敬意に塗れた顔で絞り出すようにこういった。

「認めよう――――今はお前が、強い……!」

「――――逃が、すかぁああああああッ!!」

 そして、その声との間を置かずに、もう片方の手に双剣の片割れを生み出し、最期の一撃を振り下ろした――――

 

 

 ――――その一撃と共に世界は崩れ去り、勝敗の決した勝負は、完全なる決着を向かえないまま終わりを告げる。

 

 

 

 ***

 

 

 

 勝負には、少年が勝った。

 聖杯は崩れ、泥は止まっている。

 戦いは、完全に失うものなどないまま終わったかに見えた。

 だが、

「はあ――はあ、……まったく、魔力切れとはくだらん末路だ。

 ――――お前の勝ちだ。満足して死ね」

 まだ決着はついていなかったのだ。

 完全に力を使い切り、世界は元に戻ってしまう。額がこすれ合うほどに肉薄していたというのに、満足に剣を届かせることも難しい距離まで離れてしまった。

 確信できていた勝利が遠ざかる。

 このまま奴が野放しになれば、自分だけでなく、自分に力をくれた少女にまで死が迫る。

 何が何でもあと一手を詰めようとして、その異変に気付いた。

「な――――に?」

 ギルガメッシュの、先程自分が切り落とした側の腕に、黒い〝孔〟が生まれていた。

 人一人の見込めそうなその穴は、まるで本人の内側からギルガメッシュを呑み込むかのようにして吸い込む。

「この(オレ)を、取り込んだところで……! 待――――っ」

 何だかわからないが、どうやら終わったらしい。何が起こったのか、〝孔〟の正体も分からないが、それでも終わったのだろう。

 ――そうして敵は〝孔〟に吸い込まれ、何もかもが終わったかに思えた。

 安堵を覚えたその時、その中から鎖が飛び出して腕に絡みつく。

 驚愕に目を見開いていると、先程の〝孔〟から這い出して来る影が見える。

「ぐっ――――あの出来損ないめ! 同じサーヴァントでは、〝核〟にならんとさえ判らぬのか……!!」

 彼の狂戦士さえも拘束した鎖。

 自身の解析()が捉えた情報からすれば、真正を持つ相手にこそ絶大な効果を発揮する代物。つまり、神性などないこの身であれば――力さえ上回れば外せるはずではあるが、腕に絡みついたそれは頑なに離れようとしない。

「くそ――道連れにする気か……!」

「たわけ、死ぬつもりなどう毛頭ないわ!

 踏みとどまれ下郎、(オレ)がその場に戻るまでな……!」

「この……!」

 どこまでも傲慢な奴だ。

 しかし、悔しいことに鎖はどうやっても外れそうにない。

 このままでは引きずり込まれるか、或いは足が持たなくなるのが先か。

 どうせ外せないなら、道連れにされるくらいならば。

「――――ふ、ざけるな! こうなったら、腕を千切ってでも……!!」

「っ――――ぐ!」

 悔しげな顔が見える。

 やはり今この腕に巻き付いている鎖が意味をなくせば、奴はそのまま闇の中だ。ならば、こんなところで楔になってやる必要はない。

 と、そこまで思った瞬間。

 遠くから、聞こえない筈の声が聞こえた。

 

 〝――――ふん。お前の勝手だが、その前に右に避けろ〟

 

 驚きと戸惑い半分で、声のした方を指示のまま咄嗟に振り返る。

 境内の方から迫るそれは、解析()を走らせるまでもなく、何であるかは明白だった。

 真っ直ぐに穴を射貫くように飛来したその()は、寸分の狂いなくその中に居る男の額を正確に射貫いた。

 

 ――そして、どこまでもしつこく抗っていた黄金の英霊の断末魔が微かに響き、戦いは確かに終わりを告げる。

 

 不思議な満足感を覚えながら、その場にへたり込む。

 無理を重ねてきた身体は休息を欲し、安堵からくる疲労感にどっぷりと浸かる。

 言いたいことは、いくつかあった気もする。……でも、それを告げるのはきっと、自分ではないのだろう。

 第一、きっと行ってもケンカになるだけ。

 そもそも、自分自身に別れを告げる、などというのもおかしな話だ。なら、後は任せよう。きっとアイツには、彼女が――〝遠坂凜〟が、きっと俺が言いたかったこと以上のことを、伝えてくれる。

 そうして()を閉じ、きっとこれから先に会うことはない、自分の〝理想〟を目に焼き付けた。

 緋色の荒野は、もうそこにはなく。

 朝焼けに照らされた黄金の大地には、その輝きを浴びた赤い出で立ちの二人が立っていることだろう――――。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 奇跡を巡る戦いに終止符が打たれた。

 この夜が、長かったのか、短かったのか。それは判らない。時間にすれば短かったように思えるし、色濃く残った記憶からはとても長かったと感じられている。

 ただ、永久に縛られ続けるだけだった積念はもう、今はない。

 己を繋いだ枷はなく、そしてまた――この時代に留まるための楔もなくなった。

 終わりはただ速やかに肉体へ浸透して行き、現身の身体を消していく。透けていく身体が、あの時の様な黄金の朝日を浴びているのを感慨深く思う。

 記憶は無い筈だが、心に何かが残っていた。燻っているようなそれは、かつて救えなかった少女への想い。

 が、自分に出来ることはない。

 この光景に、彼女と共に辿り着くのは、きっと違う己なのだろう。

 ……敗者は去るのみ、だ。

 すると、その時。背後に駆け寄ってくる、懐かしい気配を感じる。

 戦いの最中、幾度となく傷つけて、ないがしろにしてしまった少女の気配。

「アーチャー……!」

 自身へ呼びかける声に視線を向ける。

 あれだけのことをしたのだ。きっと走るだけの気力もないだろうに、少女は息を乱ながらも、此方へと駆けて来た。

 それを、彼はただ黙って見守る。

 今いる場所よりも少し下の方で、彼女は立ち止まった。

 擦れた声で、己を呼ぶ声。

 特に言い残すこともないのか、以前と変わらない調子で赤い弓兵は、騎士然とした口調で少女の声に言葉を返した。

「――――残念だったな。そういう訳だ、今回の聖杯は諦めろ。凛」

 そんな彼の様子が、何より少女には堪えた。

 ……ずっと残っていたのだ。

 主なき現身のまま、それでもこの戦いを見届けるために残っていてくれたのである。結局、最後に彼の助けが無かったら、きっと凛と士郎はこの戦いに置いての、最善の勝利を得ることは出来なかっただろう。

 真に失われたものは何もない、これ以上ない終わり。

 確かに最善と呼べる結末だが、このままでは一つだけ失われてしまうものがある。

 けれど、こんな時だというのに、少女は言葉を紡げずにいた。いつもならば無駄に回る舌も、こんな時ばかりにはその器用さを失っている。

 いざというときに動けない、そんな自分を情けなく思う少女。

 それとは裏腹に、弓兵は穏やかな笑みを口元に浮かべていた。

 彼女がこの場面で、こんな場面だからこそ―――動けなくなるなんてことは、彼にとって分かり切っていたことだ。

 少女の感じている情けなさは、彼にとってはとても好ましい。

 赤い騎士にとっては、その不器用さこそが彼にとって何よりも懐かしく、好ましい思い出となっていたのだから。

「く――――」

 思わず口元が緩むのを感じた。

 しかし、そんな笑いは彼女にとっては少し癪に障ったらしい。

「――――な、何よ。こんな時だってのに、笑うことないじゃないっ」

 ふくれた少女は、僅かにむくれた顔で彼を睨む。

 だが、立っている場所の高低差と元々の身長の差の所為もあって、上目で見上げるその姿はどことなく幼く見える。

 再び笑いが零れそうになったが、これ以上怒らせても仕方ない。

 ひとまず、最初に笑ったことを謝っておくべく、弓兵は出会った頃と何も変わらない、皮肉屋な口調のまま、少女に謝辞を述べる。

「いや、失礼。君の姿があんまりにもアレなものでね。

 ……お互い、よくもここまでボロボロになったと呆れたのだ」

 軽口を叩きながらも、まだその笑みは消えないまま。

 彼の表情に、もう後悔の色は見られない。そんな顔に、少女の胸が詰まらされる。

 このまま消えてしまっていいのか、と。

 本当にそれでいいのかと、そう思ってしまった瞬間。

「アーチャー。もう一度、わたしと契約して」

 言うべきでなかったことを、口にした。

 彼にもう未練がないというのに、それでも縛るようなことを言ってしまう。このままでは、また嫌な掃除屋に逆戻りしてしまうのではないかと、そう思ってしまったから。

「それは出来ない。君がセイバーと契約を続けるのかは知らないが、私にその権利はないだろう。

 それに、もう目的がない。私の戦いは、ここで終わりだ」

 返ってきたのは明白な思いと、これ以上とどまる理由はないという答え。

 不躾かもしれない少女の言葉を、宥めるでも、咎めるのでもなく。彼はただ、この時代から立ち去るとだけ言った。

「……けど! けど、それじゃ。

 アンタは、何時まで経っても――――」

 その言葉に、彼女の想いに。

 例え本当に与えることは出来なくても、それでもこの身を案じてくれる、その想いに。

 彼は、自分がかつての自分に戻ったかのような感慨に囚われながら、困ったようにこう言った。

「――――まいったな。この世に未練はないが」

 自分に愁いはないが、自分の為に彼女が泣くというのなら、それは困った。

 未練はなくとも、この少女に泣かれるのはとても困る。

 彼にとっての彼女は何時だって前向きで、現実主義者で、とことん甘くなくては張り合いがない。

 そんな姿にいつも励まされてきた。

 ……だから、彼女には最後まで、いつも通りの彼女で居て欲しい。

「――――凛」

 優しく、彼女の名を呼ぶ。

 涙を堪えるその顔は、可愛かった。

 柄にもないことを思いながら、胸に僅かに湧いた未練をおくびにも出さずに圧し留める。

 そして、彼は遠くで倒れているだろう少年へ視線を投げながら、

「私を頼む。知っての通り、頼りない奴だからな。――――君が、支えてやってくれ」

 彼女にそう頼んだ。

 この上ない別れの言葉。

 そこに込められた、想い。――未来を変えられるかもしれないと、そんな希望の籠った遠い言葉。

 きっと、彼女の様な人間がいてくれたら、『英霊エミヤ』は生まれない。

 路を見失わないように、支えて欲しいと彼は彼女に頼む。

 ……けれど、それは。

「――――――アー、チャー」

 例え、この世界で彼がそこに至らないのだとしても。

 ――――それでも、それは『彼』の救いとはならない。

 既に存在してしまっている『彼』は、これからも永久に〝守護者〟として在り続けるのだろう。

 二人は、もう別の存在。

 原点(はじまり)を同じくするだけの、同位存在(べつもの)

 故に、彼女が彼に与えられるものはない。

 救いを届けることなど、当に出来ないのだ。

 ……だからこそ、それを承知した上で、少女は彼の頼みに頷いた。

 何も与えられないからこそ、最期に、満面の笑みを返すのだ。

 ――――私を頼む、と。

 己のことを自分に託してくれた、彼の信頼に精一杯応えられるように。

「うん、分かってる。わたし、頑張るから。アンタみたいな捻くれた奴にならないように頑張るから。きっと、あいつが自分を好きになれるように頑張るから……!

 だから、アンタも――――」

 

 ――――今からでも、自分を許してあげなさい。

 

 思いは言葉にせず、それでも届くと万感の思い込めて。

 少女は、消えて行く赤い騎士を見上げた。

 ……それが、どれほどの救いとなったのか。

 誇らしげに、彼女にもあったその答えを胸に、彼は微笑みながら消えていく。

「答えは得た。大丈夫だよ遠坂。――――オレも、これから頑張っていくから」

 幸せそうに、彼は微笑みながら傷ついたその身を休ませた。

 さあ、と。彼だった魔力の粒子は、風に流れる様に消えていく。

 

 

 

 ――――黄金に似た、その朝焼けの中。

     消えて行った彼の笑顔は、いつかの少年の様だった。

 

 

 

 何時しか成りたいと思っていた、その理想。

 彼はその願いを一つ叶えて、その時代を去って行った。

 託された想いを胸に抱き、消えて行った彼の表情に後悔はなく。

 ……間違いなく彼は。

 

 

 

 色を取り戻したその理想(ユメ)と、少女の想いによって――――確かに、救われていた。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 巡り、巡り、巡り、巡って来た。

 これまでを見て、今起こることを見て、これからあるかもしれない道を見て、自分残してしまった呪いを見た。

 余りにも罪深い願いはどこまでも尊く、大きくなっていく。

 自分が出来なかった事や、

 自分が踏みにじって来たものや、

 自分が残してしまった沢山のものが、

 大きく強く、そして優しく紡がれていく――。

 

 ――――こんな自分が、救われてしまってもいいのだろうか。……いや、それこそ自分勝手なのだろう。

 これは、勝手に自分が救われているだけだ。

 残してしまったものを引き継いで、この理想(ユメ)がどんな世迷言であっても、それでも繋いでくれた息子たちの心に、どうしようもなく救われていた。

 だから、伝えるべきことは沢山あった。伝えたいことが沢山あったのだ。

 でも、口から漏れ出すのは、陳腐な言葉ばかりで――

 

「ありがとう……ありがとう……っ」

 

 こんな自分の、子供であることを。

 どうしようもない自分の夢を引き継いだことを、誇ってくれて、ありがとう。

 叶えてくれて、……救ってくれて、ありがとう。

 涙と共にあふれ出した言葉は、きっととてもみっともない音になっている。

 それでも腕の中に居る息子の温もりは、とても優しいものだった。

 あの炎の中、地獄の底で何もかもを失ってしまった自分が、初めて手に入れて、失わずに済んだ、あのぬくもりと同じ……。

 

 

「ありがとう……ありがとう……、士郎ぉ……っ」

 

「……あぁ。オレこそ、ありがとう。

 救ってくれて、家族になってくれて、大切なものを沢山くれた。

 ……ありがとう――――切嗣(じーさん)

 

 

 

 

 

 

 *** 三つ目の路

 

 

 

 そうして、遂に物語は――散り行く花の物語へと進んでいく。

 

 

 



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第二十四話 ~守るべき散り行く花、理想との決別~

 HFの回想。
 前半は映画を大まかに元にして書きました。


 赤き荒野より、約束の花へ

 

 

 

 ――――その物語は、決して華やかものではなかった。

 

 夢のような出会いを鮮烈に生きるでもなく、凛々しくも優しい生き方を魅せてくれるものでもない。

 見ようによっては醜悪で、酷く悍ましい物語。

 何もかもが傷だらけの、痛ましい物語である。

 己の心を殺して、或いは知らずに生きる少女と少年の物語。

 

 

 

 けれど、それは紛うことなく――確かに〝ヒト〟の物語だった。

 

 

 

 誰かの為に生きて、それが全てで良いと思っていた少年と、

 醜くなった自分を卑下し続けながらも、それでも生きていたいと願った少女。

 

 ヒトとしての本質を失った子供と、誰よりもヒトらしく狂った子供。

 

 どの路よりも傷ついて、剣を失い、力など無いまま少年は進む。

 傷は深まり、その理想(ユメ)には届かない。

 戦況は絶望的。

 街はどこもかしこも闇に呑まれ始めていて、『悪』がこの世界を埋めていく。

 自分ではどうしようもない。失った物ばかりを数えるような時間だ。

 

 しかし、そんな中でも、二人の絆が、お互いの傷を埋めていく。

 

 進み続けるこの路で、守りたいもの。

 ソレがなんであるのか、少年は考えるまでもない。

 出会ったときから傍にいてくれたその少女を、己の守りたいものが何であるのかをしかと知る。

 決してソレは、遠く輝きを放つ理想の待つ星の座標(しるべ)ではない。

 決してソレは、己を導いてくれる鮮烈で凛々しき煌めきでもない。

 

 だが、ソレは―――ずっと傍にいてくれた温もりで、少年が帰るべき日常の象徴だった。

 

 ……けれど、その象徴が失われようとしていた。

 救えない、このままにしていてはいけない。

 二者択一。――誰かを守るのか、全てを犠牲にして彼女を守るのか。

 

 少年の選びたいと願う答えは決まっていた。

 選ばなくてはいけない答えも決まっていた。

 ……そして、少女が、もしかすると選んでしまう答えも分かっていた。

 

 器となり、壊れ行く儚い春の花。

 街々を覆い始めた『悪』の胎動。

 正義はどちらなのか、考えるまでもない。

 選ぶべきは一つ。だが、そんなものは関係なかった。

 きっとそれは、間違いなのだろう。

 しかし、きっと少年は〝これ以上、失いたくない〟と感じていた。

 何時か、その理想(ユメ)を託した人が言っていた。ひどいエゴイストが、その理想の本質だと。

 ならば、これはきっと――そのための選択。

 

 ――――そうして少年は、少女の為だけにその理想を捨てる。

 

 自分の全てを、彼女の為に捧げると決めた。

 その為ならば、例え世界を敵に回そうとも必ず守る。

 ブリキの騎士は、そうして機械的な理想ではなく、〝誰か〟ではない〝たった一人〟の為に生きると決め、戦いの道を進んでいく。

 例えその道が、どんなものであっても――――たった一つ、もう揺らぐことの無い、確かな心を抱いて。

 

 

 

 ***

 

 

 

 流れゆく物語は、確かに痛ましい。

 けれど、確かに彼らはヒトを取り戻していく。

 そのことが嬉しくもあり、ほんの少しだけ嫉妬にも似た思いを持たなくもない。

 自分への救いとなった二つの物語。

 その全てを、ある一側面に置いて捨ててしまうようなものだから。

 でも、それ以上にやはり嬉しい。

 息子の歩む道の最後まで見て行こう。

 今度はもう、間違えない。ここは地獄だ、確かに地獄だ。

 大事で、必要な地獄の一つだ。

 だからこれを越えて行こう。

「……これが、君の最後の答えなのかい?」

「―――いいや。これまでを全て含めて、俺があるんだ。

 みんなと歩んだ、俺が……」

「……フン。未熟者が、言うようになったものだ」

 僕の、息子たちと一緒に。

 

 ――――物語の幕が、三度(みたび)上がる。

 

 

 

 *** 『家族』の温もり

 

 

 

 始まりは、ほんの少しだけ早く――

 

 少年の家に、ある少女がやって来た。

 光を写そうとしないような、影を感じさせる少女。

 彼女を初めて見たとき、少年は彼女に、髪で顔を隠すような、俯きがちな印象を受けた。

 だがその実、彼女は非常に頑固だと思い知ることになる。

 始まりは自分のミスだったけれど、その出会いも唐突だったけれど。

 でも、確かに――温かな時間を、彼は彼女からもらった。

 

 ほんのささやかな幸せ。

 小さな変化だったが、それでも確かに……少年にもう一度、居場所のようなものが生まれていくのを感じていた。

 

 恩人の残してくれた自分の家。

 静かで暗い、無人の家路。

 一人鍵を開け、一人過ごす夜までのひと時。

 決意の痕でしかなく、必ず少年を待って居てくれる人は、もういない。

 ――――だけど、

 

『おかえりなさい。先輩』

 

 そうして言ってくれる度に、壊れている心が軋みを上げる。

 感じてはいけない筈なのに、嬉しさを感じている自分がいる。

 幾つもの矛盾をもって、突き放すべきだったのかもしれない。

 それが正しい理想。

 自分が、自分でいる存在理由の全て――。

 誰から見られようと、恥じるつもりなどない夢。

 ……しかし、彼は彼女には敵わない。

 誰よりも頑固なはずの『正義の味方』はいつの間にか、たった一人の少女に負けていたのである。

 そうして彼の日常は形作られて行き、帰るべき場所がもう一度。確かに、少年の中に生まれていた――――

 

 

 

 ***

 

 

 

 まるでそれは時計の針。

 一秒一秒を刻むように、一歩、また一歩と近づいてくる崩壊の予兆。

 壊れていく器は紛い物。

 名に冠された花のように、血を吸いながら色を増す。

 長き年月を重ねられた泥が、少女の傷を侵していく。

 心に巣食っていた恐怖や嫉妬、怨嗟と憎悪が悲鳴を上げる。

 この物語は、少年の物語だった。

 けれど同時に、少女へ繋がる絆を問うた物語でもあったのである。

 

 

 

 *** (から)の手、届かぬ理想(ユメ)

 

 

 

 始まりの夜、少年は再び死の淵へ。

 赤き少女は彼を救い、蒼き剣は彼の元へと参じた。

 青き槍兵を退け、戦いの場は教会へと移る。

 白き少女は狂気を謳い、少年は三度剣の前に立つ――。

 

 ここまでは変わることはなく、路はそれまでと同じ。

 だが、この時少年は友と相対することとなる。

 己の中にある劣等感を晴らすかのように、条理外の戦いという酒に酔いながら、彼は少年に戦いを挑む。

 しかし、結果は敗走。

 清廉なる剣は、堕ちた女神を呆気なく退け、少年はますます友の傷を抉る。

 何が悪かったという訳ではなく――。

 おそらくは全てが悪く、何もかもが間違っていて、そして正しかった。

 そんな混沌を示すかのように、戦いの嵐はこれまでとはまるで異なる過程(みち)を流れ下る。

 少年は再び教会へと足を運び、己の理想とした父の本質(すがた)を知った。

 それでもなお、まだ歩き続ける少年。

 剣とまた手を取り、絆を紡ぐ。

 赤き少女とも再度巡り逢い、手を取った。

 だが、それだけではまだ、此度の戦いを越えられない。

 迫る『悪』の影。

 暗躍する蟲のさざめき、執念の化け物と、その一側面を見る。

 

 そして、――――己が剣との、別離。

 

 奪われたのでも、負けたのでもなく。

 文字通りの意味で、戦いの中に呑まれていく。

 

 失い、失くした路の中で、少年は次第に、自分の道が分からなくなる。

 

 

 

 〝どうしたらいい、切嗣――――解らないよ。一体、どうしたら……『正義の味方』になれる?〟

 

 訊ねたい相手はもういない。

 そして、その問いかけに応えてくれる者は誰もいない。

 戦い続けた先に、何かが思っていた。

 が、もうそこには何もない。

 守れると思ったものを守れるだけの力など無く、矮小な己の中には、始まりに通った地獄と同じ――空の心と、空の両手だけがあった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「俺は、本当にちっぽけな存在だった」

 小さく、困ったように僕の息子はそう呟いた。

 この声に、何と返せばいいのか……。ここまで来ておいてなお、僕はまだ言葉を持ち合わせられていなかった。

 すると、傍らにいた『彼』が――いや、もう一人の僕の息子が、その言葉に応えを返す。

「……当然だ。そもそも初めから、オレたちにはそんな力など無かった。

 ここまでの路は、運が良かっただけ。――そして何より、彼女たちのおかげだ」

「あぁ、解ってる。

 だから、一人きりになって、初めて分かったんだ。

 俺一人の力が、俺自身の力が、どこまでなら届くのかが……」

「――そうか」

 その応えに、噛み締めるように声を返す。

 二人の声が交わされる度、じわりじわりと何かが伝わる。

 彼らの心が、この物語を更に進めて行く。

「さあ、最後とはいえ……ここからが佳境だぞ、爺さん。――――着いて来れるか?」

「……あぁ、着いて行くとも。シロウ」

 

 そして、再び場面は変わる。

 

 そこには、この路では救われなかった蒼き騎士王が、『(やみ)』の中で、己の影に手を伸ばしてしまったところが映っていた。

 数多のサーヴァントたちを呑み込んできた泥が、彼女を選ぶ。

 いずれ来たるその覚醒を待ちながら、悪性の泥に侵され、清廉なる蒼き剣は黒く染まっていく――――

 

 合わせるように、再び狂気に酔いながら友は少年を学び舎へ呼び出す。

 

 

 

 *** 隠し事と、その痛み

 

 

 

 壊れていく器を、

 散り始めた花を、

 最後に染めるきっかけになった戦い。

 

 ――――軋む世界。

 

 取り戻せたのに、また――その温もりは掌から零れ落ちていく。

 一体、どこまで転がり落ちるのか。

 醜さはその心を染めていく。

 願ってはいけない想い、願い続けていた希望。

 何方も届いてはいけない、届かなくなってしまう。

 知られたくなかった真実が、赤く、血に染まるように学び舎を染めていく。

 始まった暴走。

 何もかもが溶けていく様な、感覚を与える霧が学び舎を巡り――。

 壊れていく、散っていく花を、どんないびつな形であろうと守ろうとして、騎兵がその封印を解放する。

 

 

 ――――瞬間、全てが凝固した。

 

 

 そこから先の意識は漠然としている。

 ただ、悲痛な声が少年の耳に届く。

 いやだ、と。

 その声が、聴きなれたその声が、脳裏に残った。

 しかし、その先にある事の成りははっきりとせず、ただ選択の時がやって来る。

 

 真実、

 理想、

 選択、

 運命、

 

 そして、その最後の解答へ――――

 

 

 

*** 逡巡する思考と答え ~守りたい理由~

 

 

 ――――暗がりの公園で、少年は一人思考していた。

 

 祈ることさえ、今の自分にはできない。

 祈るなど、今の己には罪科でしかない。

 ……そんな考え方を、未だに引きずっている。

 言われたことは酷く正しく、きっと――間違っているのは、自分だ。

 善悪ではなく、責任。

 その所在はどこにあるのか、と。

 淡々と言われ、答えはあっさりと出た。

 出そうとするまでもない。

 当然のことで、当たり前の事なのだから。

 でも、それは。……それは、つまり。

 

 ――――ここまでに投げられた言葉を反芻する。

 

 神父に指摘されたのは、己の怠慢。

 彼女に同情するな、と、そう言われた。

 祈ることは罪だと言われた。

 所詮は他人でしなく、彼女の痛みを共有することなど出来ない。また、その資格さえないのだと。

 今の『間桐桜』にとって、『衛宮士郎』は害敵でしかないと。

 語られた真実は、今となっては半ば予期していたものだった。

 彼女の手に令呪が宿ったときと同じように、静かに受け入れられてしまう。

 ……けれど、それこそが己の怠慢。

 彼女を案じているつもりで、その実、全く彼女のことを見ようとしていなかった己の罪の証そのものだった。

 

 〝あの娘はお前にそれを知られまいとしながら、常に救いを求めていた筈だ。

 魔術継承の名を借りた凌辱がどれほど続いたのかは知らん。

 だが――身近にいながら、それに気づけなかったものに何が出来る。

 此処で祈る資格がないというのはそういうことだ。それでも間桐桜を想うのならば席を外せ。今のお前に出来ることはそれだけだ〟

 

 言い負かされたのではない。

 この時自ら席を立った理由は、結局のところ、神父の指摘が至極正しかったからだった。

 そして、立ち去るしかないこの背に、奴は追い打ちのように言葉を投げる。

 抱いた理想を知る奴は、その為の選択をせよと暗に告げてくる。

 あの時――慎二と初めて相対した夜、美綴はライダーに襲われた。

 幸いセイバーがライダーを撃退したことや、目の前にいる神父のおかげで彼女は助かったが、一つ選択を誤れば彼女は死んでいただろう。

 助かったのだから、善悪で語っているわけではないと神父は言う。

 ただ、責任の所在はどうなるのだろうか、と。

 それは、このままでいることを許さない糾弾。――否、この身がそれを許容出来るのかという問いであり、これ以上の惰性に浸らせない戒めの言葉。

 

 〝そう、今後の話だ衛宮士郎。

 このまま間桐桜が回復したところで結果は同じだぞ。

 正気を取り戻せたとしても、いずれ同じことが起きる。

 ――――その時お前は、いったい()()()()()()のだ?〟

 

 返せる言葉など無く、逃げるように出口へと向かう。

 だが、奴はその逃走の真似事を許さない。

 出来るはずなどないと知って、是非を問う。

 

 〝衛宮士郎。お前がマスターになった理由を覚えているか。

 お前は『正義の味方』になるといった。

 ならば決断を下しておけ。

 自身の理想、その信念を守る為――――衛宮切嗣のように、自身を殺すかどうかをな〟

 

 その言葉はまさしく最後通牒そのものだった。

 衛宮士郎が決して逃れることの出来ない、選択。

 ここら先に足を進めるために、選ばなくてはならない。

 自分の信念を問う。偽物の路を貫けるのかどうか、最後までその偽善者でいられるのかどうかを。

 その思考に蓋をするように、教会の戸を閉じる。

 外へ出ると、雨の匂いがした。

 灰色の空の下。広場には人影はなく、教会(ここ)を訪れようとする者はいない。

 そこに、主の元を離れて、静かに待っていた男がいた。

 普段毛嫌いしているにも関わらず、何故ここで待っているか――なんて、正常な疑問は浮かばない。

 不思議なくらい当たり前。

 まるでここで最後に待ち構えていなければならないのだと受け入れてしまえるくらい、彼がそこで待っていたのは自分にとって当然だった。

 赤い外套を纏った騎士は、無言でこちらを見据え、何かと決別するように一度瞼を閉じる。

 そして、彼は――――

 

 〝分かっているな、衛宮士郎。

 お前が戦うもの。お前が殺すべきものが、誰であるのかということを〟

 

 誰よりも、或いは自分以上に。

 此方が出すべき答えをカタチにした。

 その言葉だけで心臓が凍り付く。

 ……分かってはいる。

 この身が戦いに身を委ねた理由、その根底は無関係な人間を巻き込むマスターを止める為だった。

 二度と、〝第四次聖杯戦争(十年前)〟の悲劇は再現させないと決めて。

 そう決断し、セイバーの力を借りた。

 今更それを覆すことなど出来る筈も無い。

 ならば、ならば今――――誰を第一に止めるべきなのか? 嫌でも答えは、既にこれ以上ない程に明白だった。

 浮かぶ答えは明白で、これ以上ない程に選ばなくてはならない選択(こたえ)は正しい。

 けれど、声はカタチを成すことなく、喉は潰れたかのように全身を弛緩させていく。

 力を、気迫を、生きるための理由を。

 何もかもを失っていく様な此方を見ても、赤い騎士はいつものように皮肉の一つも飛ばそうとしない。

 ただ、黙っている。

 此方の迷いを知っているかのように、或いは、迷えなかったことを思い返すように。

 が、何時までも不甲斐無く、優柔不断なまま迷う此方を相手にしていられなくなったのか、突き放すように自身の決断を口にする。

 

 〝…………では好きにしろ。私の目的は変わった。アレが出てきた以上、もはや私怨で動く時ではない〟

 

 呆然と、口から小さく音が漏れ出す。

 何かを知っているような口ぶりに、答えを持っているかのような口ぶりに、ほんの少しだけ疑問のようなものが生まれる。

 だが、勿論彼はそんなものをくれるわけではなかった。

 

 〝……これは忠告だ。

 お前が今までの信念を守るのならそれでいい。

 だが――もし違う道を選ぶというのなら、『衛宮士郎』に未来などない〟

 

 それはこのままなら自分は死ぬということか、と問う。

 が、そう言いながらも、向こうが言いたいことは薄々解っていた。

 この先に未来などない。

 自分を殺せるはずなどない。

 言いたかったのは、そういうことなのだろう。

 ……自分を殺せない。確かに、それは間違っていない。

 死ぬことはできるだろう。

 死を賭してしまうことだって出来る。

 でも、この身は――その自分(りそう)を殺せない。

 そもそも、それが出来ていたならば――――いや、出来てしまっては、それは自分ではなくなってしまう。

 

 〝自らを閉ざすことを死というのならばな。

 そうだろう? 『衛宮士郎(おまえ)』は今まで人々を生かす為に在り続けて来た。その誓いを曲げ、一人を生かす為に人々を切り捨てるなど、どうして出来る〟

 

 断言された声に嘲りはない。

 そこには何かの決意と、虚しさだけが込められている。

 後悔を重ね、その旅路を渡って来た男は、確かにこの身が成し得ることの限界を知っていた。

 

 〝衛宮士郎がどの道を選ぶのかなど知らん。

 だがお前が今までの自分を否定し、たった一人を生かそうというのなら――――その(つけ)は必ず、お前自身を裁くだろう〟

 

 迷いに縛られ、その背を追うことは出来なかった。

 選べない。選び取ってはいけない。

 何故ならこの身は、その義務に生かされている。

 選んでしまう道は分かっている。……なのに、決められていない。

 

 

 

 ***

 

 

 

 そうして迷いの中を亡者のように彷徨い、何時しか変えるべき居場所(いえ)からも、少女の眠る教会からも遠い公園にいた。

 位置的には、酷く半端な場所である。

 だが、未だ選ぶことの出来ない、中途半端な場所を迷う自分には似合いの場所だと思った。

 ――答えを。答えを出さなくてはいけないというのに、頭の中はぐちゃぐちゃで、何を考えるべきなのかも定まらない。

 搔き乱された心内(うちがわ)を、多くの声がさらに傷つけていく。

 出ることがない答え。出すべき答えを急き立てるかのように、幾つもの言葉がまた反芻されていき、その何もかもが『衛宮士郎』をないまぜにしてくる。

 

 〝――――アレは性的虐待を受けている。

 間桐臓硯がどのような教育を施したかは想像に難くない。間桐桜は清らかな処女(おとめ)ではなく、男を知る女魔(あま)ということだ――――〟

 

「…………うる、さい」

 聞こえてくるそれを、圧し留めようとした。

 そんなに繰り返さなくても分かっていると。

 魔術師の端くれとして、それがどんなことなのか、桜がどんな目にあって来たかなんて、そんなこと――――

 

 〝――――あの娘はお前に知られまいとしながら、常に救いを求めていたはずだ。それに気づかなかった男に、彼女を想う資格はない――――〟

 

 痛い所を突かれ、図星を突かれ、認めたくない現実から目を逸らそうとした。

 けれど、自己を正当化することさえ出来ない。

 どんなに声をあげても、どんなに否定しても、結局。

 その苛立ちは、結局――。

 自分は、言われるまでもなく、そんなことを。

「うるさい、うるさい、うるさい……っ! 分かってる。お前に言われなくても、そんなことは――――!」

 …………そんな、ことを。

 どうして、気づけなかったのか。

 

「くそ――――くそ、くそ、くそ――――っ!!」

 

 ぎり、と噛み締めすぎた奥歯が砕けた。剥き出しになった神経を噛み潰しても、脳に突き刺さるような痛覚さえ、頭の憎悪(なか)を切り裂くことも出来やしない。

 彼女の姿が浮かぶ。

 記憶の中の彼女は、確かに笑っていた。

 そして自分はそれを甘受していたのだ。

 何も知らず、それがどんな痛みの上に成り立つモノなのかも知らずに。

 ただ、微笑んでいる彼女の傷だらけの強さに、甘えていただけだった。

 今となっては、あの笑顔が本物か偽物かなんてどうでも良い。

 あんなふうに笑っていた裏に、桜が痛みを隠していたのだと思うと、その元凶を殺したくなる。

 

「間桐、臓硯――――!」

 

 許せない。

 償いなんていらない。今すぐにあいつを桜の前から排除したい。

 だって、全部あいつの所為だ。

 臓硯さえいなければ、桜は普通の女の子として暮らせていた筈だった。体に刻印虫なんてものを植え付けられることもなく、マスターになることもなかっただろう。きっと慎二だってあそこまで取り乱さず、今まで通りやって行けたはずだ。

 だから、

 あいつさえいなければ、こんなことには――――

 募る恨み。

 これまで、ここまで何かを恨んだことなんてなかった。

 これまで、ここまで何かを憎んだこともなかった。

 ここまで何かを、無かったことにしたかったこともなかった。

 夢想、憎悪、憤怒、切望。

 その全てを拳に込めて、ベンチに叩きつける。

 学校で付けられた左手の傷が開いて、赤い血が白いベンチに零れていく。

 鮮やかのその色彩が目に入って、意識が戻る。

「未熟者――あいつさえいなければ、何が、どうなったっていうんだ」

 自分の馬鹿さ加減に、ほとほと愛想が尽きた。

 いくら恨んでも、憎んでも。

 結局、それは……

「……それこそ、関係ない話だ。他人に責任を押し付けて、なにを」

 楽になった気でいるのか。

 桜が何をされたのか、あいつが何をしてきたのかはもう否定しない。

 考えるだけで悍ましく、まるで蛇の下にでもなめとられたかのように、大切なものを奪われたかのような嫉妬が走る。

 でも、それだけだ。

 それで自分自身の咎は消えない。

 気づかなかったのは、それを出来なかったのは、他ならない自分なのだから。

 そんな事さえ、気づけていなかった。

「――――違う。気づけなかったんじゃない。俺は、」

 そんな事さえも嘘偽りだ。

 ……こんな自分に、何が解っていたというのだ。

 あぁ、そうだ。――気づいていたなんて、解っていた筈なんていうのは嘘だ。

 ただそう思いたかった。自分に都合の悪いことは、どうでないと解釈していただけだったのだから。

 間桐臓硯が、慎二にライダーを託した。

 なら、桜に何もしていないわけもない。

 ――――桜は、間桐(マキリ)に……『聖杯戦争』に関係ない。

 そんな言葉に踊らされて、苦い真実よりも、甘い言葉に酔っていた。

 ……何て、間抜け。

 何もかもが自明の理。ほんの少し手を伸ばせば届いた推測だ。

 実際、行き付いても驚きはない。

 すんなりとその事実は、自分の中に入ってくる。

 それが余計に腹ただしい。

 考えまいとしていたのは、自分にとって都合がいいからだ。

 気づいてしまっては立ちいかないと解っていたから、目を逸らした。

 そう、だった。

 けれどもう気づいてしまった。

 もう、取るべき道は決まっている。

 人々にとって間桐臓硯が『悪』であるのなら、『正義の味方』はそれと戦わなくてはならない。

 その手先となってしまうだろう桜も、例外ではない。

 だが、仕方ないことなのだ。

 そのために魔術を習い、この戦いに足を踏み入れた。

 人々を救い、二度とあのような厄災(じごく)を生み出さない。

 この目的があったからこそ、自分はここまで生きてこられたのだから――――

 

 〝――――先輩。もしもわたしが悪い人になったら――――〟

 

 桜は傷つけたくないし、同情もしている。

 出来ることなら救いたい。

 しかし、彼女が災いを呼ぶというのなら――――

 

 〝――――はい。先輩になら、良いです〟

 

 思い浮かんできた言葉に、思わず吐き気を催した。

 迷うことはない。

 排除するだけの、ことだ。

 なのに、どうして……。

 

「う――――、ぶっ…………! は――――、う、っ、ぐ――――!

 あ――――はあ……はぁ、はぁ、はぁ――――」

 

 こんなに必死になって、吐き気を堪えているんだろう。

 やるべきことは、これ以上ない程にはっきりしている。

 それこそが『正義の味方』だ/それのどこが、『正義の味方』だ。

 救いを求める誰かを知らず、反対に支えられていた。

 今となっては救う術を知らずに、こうして迷う羽目になっている。

 自分は何も出来なかったのだ。

 だからこうして、迷っている。

 このままでは、彼女を救うことは叶わない。

 他の誰を守ることも出来ない。

 だって、その上には――――。

 見ず知らずの街の人々を守るためには、桜を……こう思うのも、おこがましいのかもしれないけれど……家族を、犠牲にしなければならない。

 だが、それが正しい『正義の味方』の姿だ。

 大勢を救う。

 そのために、少数を切り捨てるのだとしても。

 確かに、それは正しい選択だ。

 ……なら、何を迷う?

 今すぐに、正しいなら、その先に行けるだろう?

 自分のことだなら自分で決めろ/決められもしないなら、突き動かされるだけの機械になれ。

 それが、自分の――理想だろう?

 そうして、吐き気の中でぼんやりと迷いを反芻して、どのくらい経ったのか分からなくなるくらい時間がたった。

 ……もう、これ以上、くだらないことを煩悶している時間はない。

 手術が終わったころに戻る、と凜は言っていた。

 街には雨の匂いが立ち込めてくる。振り出す前に戻って、教会で桜の容態を聞いて、それで――――

 そう思ったところに、

 

 

 

 

 

 

「シロウ、あそぼ!」

 

 ドン、と。

 唐突に後ろから抱き着かれたのを感じた。

 誰なのかは、振り返らなくても判る。

 この公園で出会うのは、決まって白い雪の妖精。

 月夜に映える美しい銀色の髪と、闇を差すような赤い瞳を持った少女。

 この戦争に置いて、狂戦士を従えた冬の姫、イリヤだった。

「えへへ、びっくりした? 街を歩いてたらシロウがいたから、つい声を掛けちゃった」

 楽しそうに笑う声は、無邪気に澄んでいて、鈴のように響く。

 けれど、

「――――――」

 その無邪気さが、今は辛い。

 身勝手ではあると判っていても、今は誰も、目の前でなんて笑ってほしくなかった。

 ……誰かの為に、生きると。手の届くところで悲しむ人を救いたいと。

 そう決意していたはずの身体は今、何よりも欲しかったはずのそれを拒絶していた。

 黙ったままのこちらにむっとして、イリヤは小さな淑女のように、男性に求める礼節を説く。

「あ。何よシロウ、無視しちゃって。話しかけてるのに俯いたままなんて、女の子に失礼だよ」

 だが、それに応えられるだけの力は、残っていない。

「…………」

 ……静かにしてほしい。

 正直なところ、誰かに構っている余裕もない。

 それでも、イリヤは自分に()()と言ってくる。

「むっ。シロウってば! 人の話はちゃんと聞かなくちゃダメなんだからね!」

「…………イリヤ。悪いけど、今そんな余裕ないんだ。遊ぶなら一人で遊んでくれ」

「ええー? せっかく会えたのに、それじゃ詰まんない。あれからシロウここに来てくれなかったし、今日を逃したらまた来ないに決まってるもん」

 いつの日だったか、そういえば確かに、そんな約束をした覚えは微かにあった。

 だけど、今は交わした約束すら、酷く鬱陶しく感じられる。

「……別に毎日って約束したわけじゃない。それにもう夜だぞ。マスターは、夜になったら殺し合うんじゃないのか」

 何時かここであったとき、確かに少女はそういっていた。

 

 〝ええ、わたしとシロウは敵同士よ。いつか夜に出会ったら、あの時の続きをするしかないもの。

 だからぁ、わたしに殺されたくないなら、先にわたしを殺さなきゃダメだよ? シロウ〟

 

 だからという訳でもないが、字面に間違いはない筈だった。

 でも、その言葉は、決してそんなものから生み出されたものではなく、酷く身勝手な想いから生み出されたものである。

 苛立ちと相まって、棘を含ませた言葉を返す。

 邪険に言った途端、そうと気づき、先ほどまでの吐き気が戻ってくる。

 自分がただ楽になりたいから、それだけの理由でイリヤを追い払おうとしている自分に、嫌悪した。

 だが、そんなものは彼女には全く関係ないらしい。

 言葉の棘など意に介することなく、寧ろ此方の言い分こそ不思議だといわんばかりに、きょとんとしている。

「なんで? シロウはもうマスターじゃないでしょ? だから、今夜は見逃してあげるけど?」

「っ――――マスターじゃないって、イリヤ」

「ふふーんだ。わたしに知らないコトなんてないんだから。シロウはセイバーを失って、リンはライダーにやられかけたのよね。けどライダーのマスターが倒れたから、残りはあと二人だけでしょ?」

 楽しげに、何もかもお見通しだというように、彼女は軽く答える。

「――――――」

 イリヤにしてみれば、特に含みはないのだろう。

 だけどそれは、無邪気なはずの彼女の笑みはまるで、桜の容態を笑っているかのように見えて――――

「もう勝敗は見えたも同然だもの。ライダーのマスターは自滅するだろうし、アーチャーだって大したことないわ。

 セイバーがいなくなった以上、わたしのバーサーカーに勝てるヤツなんていなくなったの。

 ね、だから遊ぼっ! シロウはもうマスターじゃないから、特別にわたしの城に招待してあげる」

 ――――気づけば、

 無遠慮に抱き着いて来たイリヤの笑顔に苛立って、激情のままに、その小さな体躯(からだ)を突き飛ばしてしまっていた。

 

「うるさいっ……! そんな暇はないって言っただろう、遊びたきゃ一人で遊べ!」

「きゃっ……!?」

 

 幸いなのか、イリヤが地面を転がるようなことはなかった。

 だが、明らかに体格差がある以上、突き飛ばされた方のイリヤに、まったく何もなかったという訳にはいかないだろう。

 しかし、今更後悔しても遅い。

 

「ぁ――――」

 

 イリヤは立ち尽くしたまま、信じられないものを見た様に呆然としている。

 ……裏表のない純粋な好意を、苛立ちに任せて跳ね除けてしまった。

 まるでそれは、親が子供を拒絶する行為に近い。

 信じてくれたものを裏切るような、或いは無に還すような行い。

 これで終わってしまった。――――今までイリヤが抱いていてくれた思いを、全て台無しにしてしまったのだから。

「――――――」

 イリヤは黙って此方を見つめてくる。

 怒るでもなく、手を上げたことを罵るでもなく、ただ静かに、彼女はこちらを見つめていた。

「………………」

 静かなその視線に耐えられなくなり、また顔を俯かせる。

 謝ることも、それ以上拒絶することも出来ない。自分の中にあるのは、最低なことをしてしまったという罪悪感だけ。

 もう、何も判らなくなってしまった。

 これまでの自分が、これ以上ない程にぐしゃぐしゃになってしまう。

 何もかもを失くしていく中で、これまで繋いできた偽物さえも失いそうになった、その時だった。

 信じられないことが、起こったのは――。

 

 

 

 

 

 

「ごめんね、シロウ」

 

 

 

 

 

 

 髪に小さな温もりが置かれたのを感じる。

 それが何かは、考えるまでもなく分かった。

 そう、それはイリヤの手。

 さっき突き放した筈の……酷い突き放し方をしてしまった筈の少女の小さな手が、愛しむように優しく、自分の頭を撫でていたのだ。

「え……?」

 顔を上げる。

 見えたのは、イリヤが心配そうな顔で、此方の顔を覗き込む姿。

 あまりの驚きに、凍り付いた心臓が、急に溶かされたような気がした。

「……イリヤ。お前、怒らないのか……?」

 突き放してしまったのに、それでも彼女は自分を嫌わなかった。……否、まるでそれは、嫌ってくれない、とさえ言われている様で……。

「怒らないよ。

 だって、シロウ泣きそうだよ? 何があったかは知らないけど、わたしまできらっちゃったらかわいそうだもん。

 だからわたし、シロウが何したって士郎の味方をしてあげるの」

「――――――」

 その言葉に、目の前が真っ白になった。

 ……たった一言。

 それだけの言葉で、ガツンと、頭の中をキレイさっぱり洗われた。

 

「俺の、味方――――?」

 

 此方の驚愕をよそに、彼女は易々とこちらの想像のはるか先を飛び越えていく。

 

「そうよ。好きなこのことを守るのは当たり前でしょ。そんなの、わたしだって知ってるんだから」

 

 誰かの味方。

 何かの味方をするということの動機を、あっさりとイリヤは口にした。

 その言葉に、再び揺らぐ。

「――――――」

 ……それが正しいのかどうかは、本当は判っている。

 これまで守り続けて来たモノと、今守りたいもの。

 どちらが正しく、どちらが間違っているのかくらいは判る。

 それらを知って尚、理解して尚――衛宮士郎は、その答えを選ぶ。

 これ以上、自分を偽れない。

 そのまま進んでしまえば、必ず後悔する。

 小さく、華奢な少女の手が、それを教えてくれた。

 

 責任の所在や、善悪の有無。

 そんなモノに追われることよりも、

 その手から零れゆく他の何よりも、

 桜を失うことの方が、重い。

 決意など要らない。するまでもない。

 

 

 〝――――俺はただ、桜を守りたいだけなんだから〟

 

 

 胸に渦巻いていた靄は、もうどこにもなかった。

 何気ない言葉が、その迷いを吹き飛ばしていく。

「――――ああ。好きな子を守るのは当たり前だ。そんなの、俺だって知っている、イリヤ」

「でしょ? シロウがそういう子だから、わたしもシロウの味方なの」

 嬉しそうに笑うイリヤ。

 その無邪気さに、本当の勇気を貰った。

 選択が間違えているのかどうかは、まだ判らないままだ。

 けれど、絶対に後悔はしないだろうということだけは、分かった。

「ごめんイリヤ。俺、そろそろ行かないと」

 イリヤに別れを告げ立ち上がり、行くべき場所を目指す。

 背を押してくれた小さなお姫様は、優しく笑みを浮かべて、また背を押してくれる。

「そうだね。そういう顔してるから許してあげる。また今度会おうね、シロウ」

「ああ。またなイリヤ。それと、ありがとう」

 最後にまたその微笑みを背中に浴びて、教会へと向けて走り出す。

 迷いを振り払うように、雨が降り始めた道を走り続ける。

 絶対に正しいかどうかなどという確証は、当然得られない。

 それでもたった一つだけ、確かなことがある。

 

 ――――『衛宮士郎』は、『間桐桜』を失いたくない。

 

 住む者がたった一人きりになったしまったあの家で、いつでも待っていてくれる存在になっていた少女。

 後輩だと、友人の妹だと。

 そう自分を誤魔化し続けていないといけないほどに、傍に居て欲しい存在。

 だが、そんな騙しは通用しない。

 既にそんな状況ではなくなってしまった。

 自分にとって、何が良いのか判らなくなって――もう何も考えられなくなったのならば、あとはもう、唯一無二の気持ちを信じるだけ。

 ただ、あの時のアーチャーの言葉。

 

 〝だがお前が今までの自分を否定し、たった一人を生かそうというのなら――――その(つけ)は必ず、お前自身を裁くだろう〟

 

 そんな予言めいた言葉だけはまだ、頭の中に僅かに引っかかっていたままだった。

 

 

 

 *** 消えぬ疵、罅だらけの心

 

 

 

 蟲が蠢く音がする。

 壁を這い、躰を引きずる音だ。

 暗く湿った密室。この家に置いて、少女に初めて与えられた部屋。

 此処へ来るたび、手に入れた温もりを否定されてしまうような気がする。

 所詮、嘘だというのに。

 あの家にいるのは嘘。――でも、嘘であっても、偽りであったのだとしても。あそこにいる間だけは、自分を取り戻せている気がした。

 何時の日か、この身の汚れを告白することもあろう。

 仮にそんなことがあったのだとしても、争うことだけはないと思っていた。

 ……想うことだけは、出来るのだと思っていた。

 例え、そこにいる事は出来なくても、その時までは。

 けれど、何故――どうしてこうなってしまったのか。

 戦いの渦に、巻きこまれていく。

 騎兵はこの手に宿った聖痕により招かれ、兄は魔術の聖戦に酔っている。

 そして、この家に巣食う化け物は――――

 

 〝そうさな。お主が望むのならば、一人や二人は慰み者にしてもよいぞ〟

 

 〝支障がない者ならば、生かしておいても構わない〟

 

 〝なんじゃ、それでも不満か? ……まったく困った娘よな。そのように臆病だから手に入るモノも手に入らぬのだ。よいか、今回のはよい機会だぞ? 欲しいものは、力尽くで手に入れればよいのだ〟

 

 甘く、好々爺めいた言葉が耳に届く。

 頭の中で、微かに浅ましい希望が生まれていく。

 計算されたものかどうかなど、関係はない。騙されてしまうのは、いつでもこの弱い心だ。

 ……そう。結局、臆病なだけの自分には。

 汚泥に塗れた自分には、決して手に入ることの無い望み。

 切望して、仮に叶ったのだとしても。

 きっとその結末は、彼にとっても酷いものになる。

 ……戦え、ない。

 そういって、殻に閉じこもろうとする。

 また逃げようとして、強いられることに耐えようと、身を縮ませる。

 しかし、それを知っているかのように、呆気ない程あっさりと、強いるはずの事柄を放棄しようといった。

 告げられた言葉に、息を呑む。

 どこまでが真意なのか、本気なのかはわからない。

 が、確かに彼女の言い分は受け入れられていた。

 振るえていた身体は止まり、暖かい安堵が胸に広がっていく。

 このままなら、ただ耐えているだけでいいのだと。

 そうなると思った、その時――――

 

 〝しかし、そうなると少しばかり癪だのう。今回の依代の中では、遠坂(きゃつ)の娘は中々に上等じゃ。機が味方すれば、もしやということもあり得るか〟

 

 姉の名が、化け物の口から出てくる。

 その時、魔が差した。

 直感的に、感じ取る。

 あの人なら、必ず勝つだろう。

 姉はそういうヒトだ。

 何時だって、欲しいものは全部手に入れて、それが当然だといわんばかりに颯爽と通り過ぎていく。

 その名の通り、凛とした出で立ちを微塵も崩さずに強く、美しいまま……。

 立ち止まったままの此方になど気づきもせず、此方が欲しいと望んだものを全て持って行くのだ。

 あの人は、必ず勝つ。――――勝って、しまう。

 でもそんなものはもう慣れた。

 嫌という程に慣れた。

 どうでも良い程に慣れたのだ。

 とっくの昔、あの人の妹だった頃から、ずっと。

 そんなものとっくに慣れていたんだ。

 しかし、言葉は無防備に解きほぐされた隙間に潜り込む毒に変わり、胸の中をかき乱していく。

 歪んでいく視界。

 胸を差す棘のような小さな痛み。

 厭な感覚は次第に自分の中の全てを変えてしまう。

 穢れた自分を、さらに壊していく。

 けれど記憶はそこで留まり瞼を開ける。

 目を覚ました場所は見知らぬ場所で、ただ助かったのだけは判った。

 だが、それもほんの一時の引き延ばしに過ぎないと知る。

 追い打ちをかけるように、外から姉と彼の声が聞こえてきた。

 片や、殺し救うという。

 片や、守り救うという。

 でも、皮肉にもそれが出来ないのは誰よりも一番知っていて、理性と本能がせめぎ合う。

 生きたい。

 死にたい。

 そんな自分の弱さが情けない。

 何もかもが恐ろしくなって、怖くなって――。

 自分が無くなる。

 誰かを殺してしまう。

 何方も嫌で、何も決められない。

 詰まる所、己は最後まで臆病者のままなのだと理解したとき。

 降りしきる雨を透かした窓を割り、神の家から、大切な人たちから逃げ出した。

 もう、誰も助けてなんてくれない。

 助けなんて、救いなんてどこにもない。

 それどころか、帰る場所さえない。

 ……帰りたい場所は決して帰れぬ場所へ変わり、帰りたくない魔窟は、いつか必ず連れ戻される地獄。

 自分から進むことなんて出来ない。心は弱わり行くだけで、悲鳴を上げる事さえできない。これまでと何も変わらない。

 そのまま、泥の中に沈むだけ。

 正しいかのか、間違っているか。それさえも解らなくなって立ち尽くす。

 雨の中、一人きりだ。

 何時しか帰りたいと願った人の温もりは程遠く、最も欲した温もりはそれ以上に遠い。

 こんな自分を守ってくれる場所はない。

 こんな自分に味方などいるはずもない。

 当たり前だった。

 もう慣れたことだ。

 だけど、……だけどまだ。

 世界は未だに、この身を見捨てない。

 楽になどしてくれない。

 雨音の中、その声が、響く――――

 

 

 

「――――桜」

 

 

 

 *** たった一つきりの宝物

 

 

 

 守る。

 必ず、守る。

 ただそれだけしか、もう何もなかった。 

 どんな被害が出るのか、どんな結末になるのか、それは後で考える。

 楽にしてやることも、助からないのだと認めることも、それは確かに正しかった。

 正しく、そして強い。

 本当なら、俺に相手を糾弾することなどできはしない。

 出来る筈も無いが、それでもこの時ばかりは売り言葉に買い言葉。

 絶対に、引くわけには行かなかった。

 イリヤのくれた答え。

 胸にくくった、一本の決意。

 それを守り、貫き通す。

 たとえ、どんな結果になるのだとしても、後悔だけはしない。

 そんな、選択を――――。

 

 

 

 ――――冬木市を渡る橋の下にある公園。

 そこに、彼女はいた。

 空を覆う雲は雨を注ぎ、曇天となったその色彩はまるで今の自分たちの心の様。

 

「桜」

「だめ、こないでください……!」

 

 今までにない程、強く拒絶される。

 思わず足を止める。

 雨の向こうに見える彼女は顔を伏せていて、スカートをぎゅっと握り締めている。

 己を恥じる罪人のように、彼女は今にも消えてしまいそうだ。

 それが、酷く辛い。

 ……その姿に、これ以上近づけなくなる。

 彼女が自分から顔を上げるまでは、決して近づいてはいけないと感じとった。

「――――桜」

「……帰って、ください。

 いま近づかれると、わたし――――何をするか、分らない」

 声は震えていて――

 雨の冷たさと、罪悪感から桜は震えている。

 直ぐに払拭することは出来ないだろう。

 今できるのは、ただ。

 

「――帰ろう、桜。おまえ、風邪治りきってないだろ」

 

 彼女が切り離そうとしている場所から、それでも手を差し出すだけ。

 けれどその言葉は、

「……先輩」

 雨を擦った髪が揺れる。

 唇を噛み締め、絞り出すように、桜は――

 

「帰れません。……今更、どこに帰れっていうんですか……?」

 

 悲しみよりも、むしろ憎しみを混じらせた声ではっきりと言い捨てる。

「――――桜」

 その苦しみは、決して解からないものだ。

 これはまさしく、知り得ないこと。

 ……祈る資格がない。

 これが、そう。――――これまで失うなんてことすら想像しなかった、怠惰へのツケ。

 気づかなかったから、遠くへ行こうとしてしまう。

 気づけなかったから、何時までも彼女は自分で咎を背負おうとしてしまう。

「良いんです先輩。わたしなんかに、無理に構う必要はありません。

 ……だって、もう知っているんでしょう? わたしがなんなのか、わたしの身体がどうなっているのか、全部聞いたんでしょう? なら――――もう、これで」

 終わりだ、と。

 白い息が音にならない言葉を告げていた。

 けど、そんなもの俺には関係ない。

「――馬鹿言うな。俺が聞いたことなんてどうでも良いことだ。俺が知っている桜は、今まで一緒にいた桜だけだ。

 それがどうして、こんなことで終わったりするんだよ」

「……だって、終わっちゃいます。

 先輩。わたし、先輩が思ってるような女の子じゃないんですよ? 貰われた先で小さいころからよく分からないものに触れられてきました」

 肘に爪を立てるその行為は、自らに沁みついてしまった穢れを罰するような、自虐的なものだった。

「それだけじゃないです。わたしは間桐の魔術師で、先輩にそのことをずっと隠してました。

 ……マスターになったときも黙っていて、先輩がセイバーさんを連れて来た時も、知らん顔して騙してたんです。ほら。だってその方が都合がよくて、先輩に怒られないじゃないですか」

「――――桜」

「でも本当、馬鹿ですよね。そんなので誤魔化せる筈なんてないのに、それでも騙しとおせるって思ってたんですよ?

 自分の身体にお爺さまの蟲が棲んでいても大丈夫だ。自分を確かに持っていれば負けないって思いこんで、あっさり負けちゃいました。

 ……あの時かけられたの、毒でも何でもない、暗示のようなものだったんですよ? わたしは、そんなのをかけられただけで自分が分からなくなって、先輩を傷つけたんです」

 吐き出されていく想いは、酷く苦しいもの。

 これまで、自分が見ようともしなかったもの、そのものである。

 吐露されていくソレを受けて、やっとそのツケがなんであるのか、ようやく解ったような気がした。

「……遠坂先輩は正しい。わたしは臆病で、泣き虫で、卑怯者です。こうなるって判ってたのに、お爺様に逆らうことも、自分で終わらせることも出来なかった。

 痛いのがイヤで、怖いのもイヤで、〝みんな〟より〝自分〟が大切過ぎて、死ぬ勇気も持てなかった……!」

 ……泣いている。

 でも、桜はただ泣いているだけ。

 泣いて、どうしたらいいのか判らなくなって、余計に悲しくなっているだけだ。

 その罪は、彼女だけのもの。

 だけどそれは、罰することを是とされない罪。

 しかし、逃れることも出来ない罪。

 誰も裁いてくれない罪は、真に罪足り得ない。やり直すことの出来ない、深みにはまってしまうだけだ。

「――――――」

 そのことを感じ取って後悔した。

 今まで、一度も桜の泣き顔を見たことがなかった――その意味を。

 こんな風に、自分を攻めることでしかなけない意味を、どうしてもっと早く気づけなかったのか、と。

「泣くな――――桜」

 雨音に邪魔されて、まだその想い(こえ)は伝わらない。

「だから――――全部、わたしが悪いんです。

 わたしはお爺様の操り人形で、何時さっきみたいに取り乱すか分からなくて、いつか、きっと取り返しのつかないことをします。そんなわたしが、何処に帰れるっていうんです、先輩……!!」

 彼女はそうして、自らを追い詰めていく。

 ……誰も桜を責めていない。

 だからこそ、彼女は自分で自分攻めるしかない。

 自分が悪人だと。悪い人間なのだと責めて、罰を与えるしかないから。

「――――だから、泣くな」

 何時か桜が言っていたことを思い出す。

 自分は臆病だから、強引に引っ張ってくれる人がいい、と。

 それがどういうことなのか、やっと判った。

 守りたいもの。

 自分にとって大切なもの。

 失うことさえ、思いつかなかったもの。

 それを、これ以上泣かせたくないのなら。

 その手を引いて、彼女を今からでも、日の当たる場所まで――――

 

「ごめんなさい、先輩。わたし、ずっと先輩を騙してたんです。

 けど、いつも思ってました。わたしは先輩の傍にいていい人間じゃない。だからこんなのは今日限りにして、明日からは知らない人のフリをしようって。

 廊下でであってもすれ違うだけで、放課後も他人みたいに知らんふりして、夜も、ちゃんと一人で家に帰って、今までのことは忘れようって……!」

 

 ……ごめん。

 気づけなくて、ごめん。

 ずっと、泣かせてしまって――ごめん。

 

「でもできなかった……! そう思っただけで体が震えて、すごく怖かった。怖くて、死のうって決めた時より怖くて、先輩の家に行くのを止められなかった。

 先輩をだますのも、それをやめてしまうのも恐くて、周りはみんな怖いコトだらけで、もう、一歩も動けなくなって、どうしたらいいか分からなかった……!」

 

 でも、こうして知ることが出来た。

 彼女は、知らなかった方がいいというけれど。

 ――それだと、俺はきっと、ずっと桜を泣かせたままだった。

 

「……馬鹿ですよね。こんなこと、何時か絶対判っちゃうのに。判っちゃった時はもう遅くて、わたしは二度とあの屋敷(うち)には入れない。だからそうなる前に、わたしから離れた方がいいって、毎晩毎晩思ってた。

 その方が先輩の為で、わたしもきっと、これ以上は悲しくなくなるって、これ以上泣かなくていいってわかっていた、のに――――」

 

 だから、もうこれ以上は泣かせられない。

 誰も桜を責めず、桜が自分で自分を責めるしかないというのなら。

 

「でも――それでも、隠していたかった……!

 先輩との時間を、これからも守っていたかった……!

 わたし、わたしにとってはそれだけが、意味のある事だったのに、どうして……!」

 

 他の誰が許さなくても、たとえ桜自身が許さなくても――――彼女の罪を、俺が代わりに許し続けるだけだ。

 

 

 

「あ――――――」

 

 

 

 冷えた身体を抱きとめる。

 ……回した腕は、酷く頼りなかった。

 強く抱きしめることも出来ず、桜を抱き寄せることも出来ない。

 ……俺には、桜を救うことは出来ない。

 ただこうして、傍に居て欲しくて、傍にいてやることしか出来ない。

 雨に濡れた身体は、どちらも冷たい。――――だけど確かに、この腕の中に、消えて行こうとする熱があった。

 彼女の証が、そこに在る。

 消え得てしまいそうなそれを繋ぎとめるように、抱きしめていた。

「先輩、わたし――――」

 か細い声が、雨音の中であっても、はっきりと耳に届く。

 まだ、桜の涙は止まらない。

 だから、その涙を止めるための言葉を探す。

 この胸に生まれた――伽藍洞(ニセモノ)を埋めた、その決意と共に。

「もう泣くな。桜が悪いヤツだってコトは、よくわかったから」

「――――――」

 息を呑む音。

 罪悪と後悔の混ざった戸惑い。

 それを否定するように、精一杯の気持ちを告げる。

「――――だから、俺が守る。

 どんなことになっても、桜自身が桜を殺そうとしても――――俺が、桜を守るよ」

「せん、ぱい」

 

 

 

「――――約束する。俺は、桜だけの正義の味方になる」

 

 

 

 ……抱きしめる腕に、少しだけ力を込めた。

 今はただ、触れ合うだけでも。

 この誓いは、何よりも固いものであると告げるように。

「…………」

 それにどれだけの効果があったのか。

 雨に濡れ、冷たく強張っていた桜の肩から力が抜けていく。

 ……桜は、彼女が何を行ったのだとしても、やっぱり今までと変わらない桜だった。

 抱きとめた感触も、肌の熱さも変わらない。

 お互いの吐息は白く、雨音の中に融けていく。

 呼応するように、降りしきる雨は、いつしか勢いを止めていた。

 ―――その、凍えた夜の中で、

 

「駄目です、先輩――――それじゃきっと、先輩を傷つける」

 

 桜は懺悔するように、そういった。

「――――――」

 雨が止んでいく。

 夜は真冬のように冷たく、言葉と共に熱を失おうとしていく。――――けれど、桜は抱きとめた腕を振りほどかない。

 ……そうして、

 

 

 

「先輩を、傷つけるのに――――」

 

 

 

 ――――こうしていたい、と。

 頬を濡らす最後の雫と共に、桜は言った。

 絞り出すように告げられたその声に、新たなものが生まれる。

 これが恋というものなのか、愛なのかは知らない。

 ただ――この恋の終わりは、報われるものではないと。

 そんな確信めいた予感が、胸の裡から離れなかった。

 

 だが、それでも構わないと少年は思った。

 先程口にした決意は微塵も揺らがず、失いそうだった花を取り戻した心は、初めてその色を生み出している。

 誰かのものでも、まして強いられたものなどではなく――――

 

 その想いは、確かに彼だけのモノだった。

 

 

 

 こうして、ブリキの騎士は理想を捨てる。

 偽物でしかなかった心に、灯された炎が燃え上がった。

 たった一つ、己の全てを賭けた想い。

 裡に抱く願いは、もう偽りではない。

 

 ――――こうして、一つの選択が終わった。

 

 けれど、これが終わりではない。

 此処は始まり。

 先へ続く、〝本当〟を始めた偽物の物語への入り口。

 

 黒き春の花。

 その物語は、ここから本当の始まりを経るのだから――――

 

 

 

 



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第二十五話 ~願われた悪、〝天の杯〟~

 HFルートの回想終わりです。
 
 映像化されてないので原作を元にしたんですが、説明とか戦闘とか、かなりそのまんまなので規制に引っかからないか心配。しかもクソ長いという。
 この辺が回想を書こうと思ったときに技量不足を痛感するとこでした。


 ともかく、今回がっつりHFのネタバレあります。
 ゲーム未プレイ・未視聴等々で、ネタバレNGの方はブラウザバックを推奨しております。
 それでもよろしいという方はお進みくださいませ。


 

 

捨てた理想、たった一人を守るということ

 

 

 

 夜の公園で、小さな少女から勇気を貰った。

 夜の公園で、一人の少女の為に夢を捨てた。

 そして、『正義の味方』を目指した少年は、たった一人の少女を守ると決める。

 

 進み行く物語は、その先へ――――

 

 離れて行こうとする少女を取り戻した夜、その代わりをするように少年は、少女と決別することになった。

 日常の象徴はその手の中に留まり、先を照らす輝きは二つとも掌から零れ落ちて行った。

 これまでの路で、ずっと少年の傍らにあったそれらは、すべて無くなった。

 取り戻した代わりに、少年の進むための力はこれ以上ない程に小さくなる。

 代わりに訪れたのは、これまでを忘れそうなほどに穏やかな時間。

 ともすれば、今事の時が戦いの渦中であると忘れそうなほどに。

 万事順調とは言い難いが、それでも確かに取り戻せたものがある確信が持てた。

 ……けれど、同様に失ったものもあったことを思い知る。

 だが、それでも止まることはなく。

 彼は進む。

 その先に、明確な破滅を予感しても――。

 確かな想いを胸にして、後悔の無い選択を続けていくために。

 

 ――――しかし、その路は決して簡単ではない。

 

 その軋みを見せつけるかのように、泥に沈んだ杯は少年に現実を見せつけ始めた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 冬木の郊外にある深い森。

 俗に御伽の森などと謳われるそこには、かつて五つの魔法の一端に届いた『冬の聖女』の一族のしつらえた城がある。

 

 その城には、此度の戦いにおける主がいる。

 

 最強の狂戦士を従えた、冬の姫。

 決断を下した、あの雨の日。選ぶべき選択(こたえ)に惑っていた少年に道を示した少女がいる。

 少年は少女に会いに行くために森へ足を踏み入れた。

 この戦争における共闘を望んだというのもあるが……正直に言えば、本当はそんなことよりもあの夜のお礼を言いたかったというのが本音だ。

 もちろん、前者が下心でないかと言えば嘘になるのだろう。

 人は人を簡単に信頼に値させようとはしない。それは、間違ってはいない道理の一つだ。

 だが、しかし――。

 あの時、彼が彼女に貰ったその勇気。

 アレを受けて尚、そんな下卑た思いに囚われるというならば、たとえ愚かであろうが、馬鹿げたくらい真っ直ぐな心で返したいと少年は思ったことだろう。

 そう思いたくなるほどに、あの優しさに報いたい。

 自分にとって、最も大切なものを守るために踏み出す勇気をくれた彼女だからこそ。そんな思いで向き合いたいと、そう願っていた。

 

 ――――けれど、やはり先行くべき道は決して楽には進まない。

 

 決別した筈の少女は、一晩過ぎて憑き物が落ちたかのようにあっけらかんと傍らに居座り始めた。

 ……悔しいことに。

 言い分に間違いはなく、また相も変わらずその在り方(本質)を嫌うことが出来ない。

 長らく自身の憧れだった彼女だからこそ、そんな強さに変わらず心のどこかを引かれていた。

 が、それは軋みのほんの序章。

 寧ろそれ自体は好ましいといってもいい程に些末なことだ。

 言うなれば前奏曲。

 本題に入るために必要な前置きに過ぎないものであり、崩壊を告げる予兆は、もっと別にある。

 ――その時、森が震えた。

 彼方より、まるで爆発めいた音が聞こえてくる。

 決して近くはないのに、まるで台風じみた何かが暴れているような感覚が伝わって来た。

 それがなんであるかは、考えるまでもない。

 始まりの夜に遭遇した、この森にいる少女が従えているこの戦争における最大の力。

 岩山のような様は、まさしく暴力の化身。

 つまり、この震えは――

 

「――――バーサーカー。どうやら一歩遅かったようね、わたしたち」

 

 傍らの少女が淡々と呟く。

 それを受けて、少年もまた感じた嵐の方向へ目を向ける。

 驚きこそしたが、決して不自然なことではない。

 この戦いに置いて、残っているマスターは残り四人。

 冬木の街に巣食う化け物。此処にいる少女と城の主。そして、少年が守りたい少女。

 その内の一人は此処にいて、もう一人は確実にあの家にいる。

 ならば必然、戦っているのは残りの二人。

 もうマスターではない少年に、赤い少女は問う。

 行くか、行かないか、と。

 当然の如く、答えは決まっている。

 戦いを終わらせるために始めた闘いであると共に、あの妖怪が襲っているのがあの少女(イリヤ)であるならば、彼に行かない道理はない。

 森を走りだした少年と少女。

 冬の少女の元へ向かう二人を待ち受けるのは、軋みの一端。

 歪められた戦争(たたかい)の、最奥に触れた者。

 そう。木々を震わせるのは、何もけたたましい狂戦士の咆哮だけではなかった。

 

 ――――振るわれた漆黒の剣閃と共に、泥に侵された少年の剣が、激しい嵐を巻き起こし始める。

 

 

 

 ***

 

 

 

 御伽の城を飛び出した少女は、長きに渡る因縁の相手と対峙していた。

 

 目の前にあるのは、一度も会ったことはない枯れ木のように朽ちて行く身体をした老人。

 そんなモノを彼女らは見たことがない。――けれど、深く見知っている男。

 彼女の記憶の根底。その大本たる原初にこそ、本来のそれがある。

 故に、両者にとって、この初の邂逅は、決して穏やかなものとは言い難い。

 とりわけ、少女の――否、彼女が継承せし器の守り手の側としては、醜く腐敗したその魂との邂逅は、今の少女に思うところがないのだとしても、決して喜ばしいものなどではなかったのだった。

「――――マトウゾウケン。聖杯に選ばれてもいないモノが、マスターの真似事をしているのね」

「ほ。聖杯に選ばれる、などとつまらぬことを。聖杯はマスターなど選ばぬ。聖杯とは受け皿にすぎぬもの。そこに意思があり聖別するなどと、おぬしまで教会の触れ込みに毒されたか」

「………………」

 愉快そうに笑う老人を、少女は冷淡な瞳で見つめる。

 ……確かに、老人の言い分には間違いはない。

 聖杯は選ばない。

 マスターは聖杯に選ばれ集うのではなく、そもそもの前提――この戦争におけるルールそのものが逆なのだ。

 故に、教会の触れ込みによって歪められたそれは、聖杯が遂げるべき結果を遡るようなものであると言える。

 聖杯は、ただ注がれるだけのもの。

 マスターは儀式における装置でしかなく、

 揃えられた英霊という七つの魂を順に『器』に注ぐための目印であり、サーヴァントはただ〝門〟を開くためのもの――――

 けれど、

「……ふん。貴方こそ脳を毒されたんじゃないの、ゾウケン。

 器となる〝聖杯〟に意思はないけど、マスターを選び出す〝大聖杯〟には意思があるわ。もともとこの土地に原型があるからこそ、貴方たちは英霊を呼び出して聖杯を満たそうとした。

 ――――ま、当事者である貴方がソレを忘れるぐらいだから、マキリの血は衰退したんでしょうけど」

 少女の声はどこまでも冷たい。

 そこには疑いようのない嘲りが込められていたが、老人はそれを笑って受け止め、彼女の声に応えた。

「いやいや、心配には及ばぬ。マキリの衰退もここまでよ。ことは成りつつあってな。予定では次の儀式で行うはずじゃったが、今回は駒に恵まれての。ワシの悲願はあと一手で叶おうとしておる」

 この戦いは貰う。

 マキリがこの戦いに置いて聖杯を手にする、と。

 老人の言い分は、端的に言えばそういうことだろう。

「そう。なら勝手にすれば? わたし、貴方に興味はないわ。わたし以外の『器』なんて気に入らないけど、どうせ失敗するんだし。邪魔はしないから、おとなしく地の底に戻ったら?」

 だが少女にとって、そんなことに興味などない。

 偽りの器がどうなろうと、決して自分たちには及ばない。ある種の矜持のようなものがそこに在る。

 突き放すように老人へそう言い、失せろと告げた。

 老人の方も、別に()の彼女へ思うところはない。

 だが、

「言われるまでもない。この老体に日の光は辛いのでな、ことが済めば早々に古巣に戻る。

 だが――――やはりのう、こうも上手くいきすぎると逆に不安が大きくなる。万が一のため、おぬしの身体を貰い受ける。ここで聖杯(おまえ)を押さえておけば、我が悲願は盤石じゃ」

 枯れかけのような老人に鬼気が灯る。

 傍らに控える白い髑髏の面を付けた黒装束が面を上げかけるが、地を蹴る前に動きを止めた。

 

「――――――」

 

 場に静寂が流れる。

 見るまでもなく、考えるまでもなく判るだろう。

 どうあっても倒せない。

 己がひとたび踏み込めば、この身は一太刀の下に両断される、と。

 黒装束の暗殺者は、少女を守る巨人に完全に気圧されていた。

「……ふん。主に似て、臆病なサーヴァントね。そんなに死ぬのが怖いなら戦わなければいいのに。貴方といいゾウケンといい、そんなに自分の命が大事?」

 自身の守護者(バーサーカー)に臆したらしい暗殺者(アサシン)を前に、少女は呆れたように言葉を投げる。

「――――――」

 白い面から言葉は返ってこない。

 代わりに、その主の方から高らかに返答がなされた。

「ああ、大事だとも! 我が望みは不老不死、こやつの望みも永劫に刻まれる自身の名でな。我らは同じ目的の為、こうして邁進しておるという訳だ」

 しかし、

「……正気なの、貴方。聖杯にかける望みが不老不死ですって?」

 その返ってきたその答えに、少女は明らかな嫌悪を瞳に浮かべた。

 が、彼女の反応に老人の口元が歪む。

 その罵倒。その罵りこそを待っていた、とでも言うかのように。

「当然じゃ。みよ、この肉体(からだ)を。刻一刻と腐り、腐臭を放ち、肉ばかりか骨をも溶かし、こうしている今も脳髄は劣化し蓄えた知識を失っていくのだ。

 ――――その痛み。生きながらに腐る苦しみがお主にわかるか?」

 なるほど。

 言っていることは尤もだ。

 だが、そんなものは同情に値しない。寧ろ同情すべきは、そんな状態(カラダ)になってまで生に執着しておきながら、今の自分を受け入れられずに醜く足掻き続けていることそのものだろう。

「……自業自得でしょう。ヒトの身体は百年の時間に耐えられない。それを超えようというのだから、代償は必要だわ。それに耐えられないなら消えればいい。苦しいのなら、死ねば楽になるんじゃなくて?」

 醜くなり下がるくらいなら、潔く終わりを迎えろと少女は言う。

 すると、

「――――――カ」

 老体が震える。

 魔術師(ゾウケン)は咳をするように背中を振るわせたあと。

 

「カカ、カカカカカ……! やはりそう来たかアインツベルン!

 貴様らとて千年続けて同じ思想よ! 所詮人形、やはり人間には近づけなんだ!!」

 

 そう、心底おかしそうに哄笑を上げた。

 

「……なんですって?」

 怪訝な顔で彼女は問い返す。

 それを受けた老人は、先程の嘲りを返すようにこう語った。

「――――たわけめ。よく聞くがよい冬の娘よ。

 人の身において、死に勝る無念などない。腐敗し蛆の苗床となる肉の痛みなど、己が死に比べれば脳漿の膿に等しいわ。

 自己の存続こそが苦しみから逃れられる唯一の真理。死ねば楽になるなどと、それこそ生きていない証ではないか。

 だからこそおぬしは人形にすぎぬのだ。その急造の身体ではあと一年と稼働()つまい。短命に定められた作り物に、人間の煩悩は理解できぬということだ……!」

 無念を、真理を、ヒトが超えられない枷だからこそ、望むのだと語る。

 故に、五百年の妄執に駆られた化け物は、ヒトの抱くその積年の願望を理解できない人形如きが、と少女を嘲笑った。

 しかし、そんな言葉などでは彼女を揺らせない。……否。仮に他の誰を絆せたのだとしても、偽り塗り固めるように見せつけることが出来たのだとしても、他ならない彼女だけは、絶対に揺らすことが出来ない。

 始まりを知る者であり、ただ造られただけの命ではない彼女だからこそ。

 その醜さの根底にあった輝きを知るからこそ、その言葉は見るに堪えない。

「――――ええ、理解できないわ。貴方は人間の中でも特例だもの。そんなに長く生きたくせに、自分の寿命を受け入れられないなんて、狂っているとしか思えない。

 ねぇ。貴方、そんなに死にたくないの?」

「無論。ワシは死ぬ道理(ワケ)にはいかん。このまま死にたくはない。まだ世に留まり、()()()()()()()()()()()。だがそれも既に限界。故に腐らぬ体、永劫不滅の器が欲しい。

 ――――その為に」

「その為に聖杯を手に入れようというの? ――()()()()()()()()()()()()()()()?」

「カ、死が恐ろしくない人間がいるのかね?

 よいか、如何な真理、如何な境地に辿り着こうと無駄なこと。自己の消滅、世界の終焉を克服することは出来ぬ。

 最期に知っておけ。

 目の前に生き延びる手段があり、手を伸ばせば届くというのなら――――何者をも、例え世界そのものを犠牲にしても手に入れるのが人間だとな……!」

「――――じゃあ貴方は、()()()()()()()()()()に、()()()()()()()()()()()()()っていうの?」

 最期の通告。

 だが、もう既に目を失った地中(もうもく)の蟲には、それを写し得ない。――知ることなど、思い出すことなど、出来ない。

 

「応よ。それで我が望みが敵うというのなら、世界中の人間を一人一人殺して回っておるわ。

 ――――人の強欲は尽きぬもの。

 おぬしとて木々の一本一本が寿命を延ばす妙薬とすれば、この森など瞬く間に食らい尽くそう。たとえそれが、僅か一日足らずの延命だとしてもな。

 己が一日の為に世界の一部を殺していく。

 その願望には、この森だけでは飽き足らず世界中の木々を殺すこととなろう。

 その伐採(おこない)によって世界(たにん)が滅びようと知ったことではない。

 当然であろう? もとより、人間とはそのようにしてここまで広がり、育ち、増え、繁栄し肥満しきった有象無象。

 そこに、最早連鎖すべき法則など成り立たぬ。いずれ破綻するのであれば、ワシ一人が足並みを崩したところで誰にも異論は挟ませぬわ……!!」

 

 嬉々として老人は語る。

 それを驚きの眼で見つめた後、

 

 

 

「――――あきれたわ。そこまで見失ってしまったの、マキリ」

 

 

 

 少女は、少女(かのじょ)の声ではない声でそういった。

 

「……な、に?」

「思い出しなさい。わたしたちの悲願、奇跡に至ろうとする切望は何から来たものなのか。

 わたしたちは何の為に、人の身であることに拘り、人の身であるままに、人あらざる地点に到達しようとしていたのかを」

「――――――」

 哄笑が止まる。

 老いた魔術師は、何か遠い空を見上げるように目を凝らし、

「――ふん、人形風情がよくも言った。先祖(ユスティーツア)の真似事も、すり込み済みという訳か」

 醜悪に形相を歪め、白い少女を凝視した。

「――――もうよい。戯れはここまでじゃ。おぬしの身体は要るが、心になど用はない。アインツベルンの聖杯、この間桐(マキリ)臓硯が貰い受ける」

「――――――」

 老人の影が地面を這うように迫る。

 ……それに応じて、少女に押しかかっていた重圧(ふあん)が増大していく。

 黒い巨人は、少女(あるじ)の命を待たずして出陣し、旋風を伴って、圧しかかる影を薙ぎ払おうとした。

 

「▅▅▄█▅▅▅▅█▄▆▆▅▅▅▅▄▆▆▅▅▅█▇█▅▅▅▅▄▄▄▂ッッ!!」

 

「だめ……! 戻ってバーサーカー……!」

 少女の制止は、一歩遅く。

 振り下ろされた剣閃は、まさしく嵐のように。

 凄まじい威力の一撃が、少女の敵を一掃しようとした。

 が、その切っ先を向けられた先には――――

 

 

 

 ――――泥に侵された、漆黒の王が立っていた。

 

 

 

 *** 漆黒の王

 

 

 

 風を切るように迸るその音は、酷く懐かしい音色を奏でていた。

 二度と聴くことが出来ないと思っていたソレは、懐かしさと同じほどに、酷く残酷な形で彼らの前に現れた。あの夜と同じように――けれど、何処までも再会の衝撃は心に重く、この戦いの凄惨さを見せつける。

 岩山をも砕こうかという剣閃も、今の敵には通用しない。

敵として立ちふさがった黒き王は、そうした剣戟の起こす風に靡くことも、弾け飛んだ土塊に動じるでもなく。ただ静かなほどに躊躇いなく、悪性に染まった星の生んだ祈りの結晶を振るった。

 上がる音は、狂戦士の苦悩のみ。

 

 ――もう既に、勝敗は決していた。

 

 彼女を連れてきた〝黒い影〟の生んだ泥の沼は、狂戦士を蝕み始めている。

 これ以上の抵抗など続けられるはずもなく、老魔術師はこの場を離れるとし、己が傀儡(アサシン)聖杯(イリヤ)の回収を命じた。

 盤上を制した彼らとは裏腹に、イリヤは泣くように狂戦士を止める。

 これ以上戦わなくて良いと、そう訴えるように。

 だが、これ以上戦わないと言うことは、つまりは彼女を見捨てると言うこと。

 そんなことを狂戦士(かれ)は望まない。

「▆▆▅▅▅▅▄▆▆▅▅▅█▇█▅▅▅▅▄▄▄▂ッッ!!!!」

 撤退を拒むように、バーサーカーは足下の泥を蹴散らすようにして前進する。

 それはあり得ない行動だ。

 足下の沼だけでなく、あの〝黒い影〟もまたその身体を拘束していた。動けるはずもなく、ただ呑まれるだけの筈だった。

 故に、その身を裂いた。

 肉を引き千切って前に進む。

 骨が覗こう言うまで、躊躇いなく前進を拒むモノを剥いでも、狂戦士は前へ。

 誇りと、命さえも賭けた最後の一撃。

 この一撃が必殺でないはずもなく、振るわれた剣は寸分違わず黒い騎士へ吸い込まれる。

 

 

 

 ――――しかしそれを。

     剣士は、最強の一撃でもって迎撃する。

 

 

 

 振るわれた二対の剣。

 その先にある結末を、視ていた少年の身体は知っていた。

 狂戦士に駆け寄ろうとしたイリヤを、飛び出して抱き留めその嵐に飛び込ませまいと庇う。

 だが、彼の裡に刻まれた根底が、それよりも先に今し方振るわれた一閃に共鳴していた。

 この目に〝あの幻想〟が焼き付いている限り、恐らくは人間らしい機能を取り戻すことが出来ない。

 目が死んだように、呼吸も死んでいる。

 感覚の正体は掴めなかったが――それでも嵐の中、白く染まった視界の中で、少年は知らず呟いた。

「なんて――――」

 立ち上がることさえ忘れていたのに、依然として裡から湧く本能(しょうどう)だけが告げている。

 アレこそが、己の中において遠くて近い夢。

 行き着くべき最果てにあるモノ。

 この身が成すべき術の頂点。

 詰まるところ、少年はそんな刹那の代物に、心全てを奪われてしまっていた。

 

「――――――デタラメ」

 

 ……数ある宝具の中でも、アレは段違いの幻想だ。

 造型の細やかさ、鍛え上げられた技の巧みさで言えば、上回る宝具は数あろう。

 だが、アレの美しさは外観ではない。

 否、美しいなどという形容では、あの剣を汚すだけだ。

 剣は、美しいだけでなく、ひたすらに尊かった。

 人々の想念、希望のみで編まれた伝説。

 神話によらず、ヒトならざる()にも属さず、ただ想いだけで鍛え上げられた幻想だからこそ――あの剣は空想の身で、最強の座に在り続ける。

 

 ――――視界が戻る。

 地面に転がっていた少年が見上げた空は暗く、まるで真夜中のようだ。

 先ほどの剣が放った光、黒い炎が空を照らしている。森を両断したそれは、その実闇そのものだったのか。

 音もなく炎は燃え続けていると言うのに、場の空気は依然として冷たいまま。

 アレは燃やすモノではなく、むしろ凍らせるものなのか。

 暗く照らされながらも、森は更に温度を下げてく。

「――――――」

 その、黒い炎を背にして、先ほどの剣士が立っていた。

 黒く染まった剣の切っ先は、少年とその腕の中に庇われている少女に差し向けられており、黒いバイザー越しに彼女は二人を静かに見下ろしている。

 そこに殺気はなく、敵意もない。

 だかこそ、それに殺されると確信する。

 その恐怖と悔しさに歯がみして、目の前の剣士を睨む。

 ――――これは違う。

 これでは別人だ。

 もうそこには以前の彼女はいない。何も感じられないどころか、今は、以前あれほど感じられた気高ささえ皆無だった。

 何の変化もない流れの中で、小さく音を立てバイザーが砕けた。

 バーサーカーの最後の一撃によるものだろう。

 誇り高く、最後まで守るために戦った狂戦士が、命を賭して剥いだベールの先には―――確かに彼女がいた。

 変わり果てていようと、確かに、それは彼女だった。

「セイ、バー」

「――――――」

 応えはない。

 見下ろす視線は何事も示さず、清廉さを失った瞳は無機質に。

 光を失ったソレは、くすんだ金色に染まっていた。

「――――シロウ」

 自身の名を呼ぶ声に、正気を取り戻す。

 目の前の状況に頭が追いつき、自分が何をするべきかを再認する。

 こちらを見下ろす剣士に先には、沼に沈んでいく最強の英霊の亡骸。

 腕の中には、微かに震えている幼い少女。

 迫り来る自分たちの死と、明白で鮮明な恐怖と絶望。

 この状況に、イリヤが怯えないはずもない。

 腕の中にいる小さくて尊い命を、守る。

 余分な思考を振り払い、たった一つすべきことを目の前に据える。

「――――――セイバー」

 左手の中にいるイリヤを強く抱きしめながら、空の右腕に力を込める。

 今は呆けている場合じゃない。

 イリヤを守る。

 イリヤを助けて、家に帰る。

 

 なら、ここで怯えて死を待つわけにはいかない――!

 

 決意を定め、腹を括り、立ち上がろうとした少年にセイバーは剣を振るおうとした。

 が、次の瞬間。

 彼女は、全く別の方向へ剣を振り払っていた。

「――――!」

 セイバーが横合いを向き直ると、そこにはアーチャーの放った三連の矢があった。

「アーチャー……!?」

 差し向けられていた剣から逃れ、イリヤと共に立ち上がった士郎は、文字通り降り注いだ機会(チャンス)に驚愕を露わにした。しかし、そんな暇はないとばかりにアーチャーが叫ぶ。

「止まるな! イリヤをつれてさっさと逃げろ!!」

 再び剣同士がぶつかり合い火花を散らす。

 横合いの狙い撃ちから間髪入れず、アーチャーはセイバーに斬りかかった。

「っ……!」

「――――」

 だが、それも気休めに過ぎない。

 神速の踏み込みで斬りかかった赤き弓兵を、黒い剣士は容易くはじき飛ばす。

「ぐ……っ!」

 様子がおかしい。

 が、原因は直ぐに分かった。見れば、アーチャーの足下にも先ほどの泥が集まっている。

 英霊にとっての弱点(ウィークポイント)。アレがセイバーの側にある以上、アーチャーは十全の戦いが出来ない。

 それを哀れむように、セイバーは追撃を掛ける。

 

「――――無様だなアーチャー。

 正純の英霊では、アレ呪界層には逆らえん。今の貴様は、この森に満ちる怨霊と大差ない」

 

 ……冷淡な声は、紛れもなくセイバーのもの。

 彼女はこともなげに、泥を踏み砕き、そのまま。

「ぐっ……!」

 容易く、アーチャーを背後の森まで弾き飛ばした。

「な――――」

 足を影の泥に取られていたとはいえ、アーチャーは双剣で彼女の剣を防ぎに掛かった。だというのに、セイバーはその防御の上からアーチャーをはじき飛ばしたのだ。

 そうなれば、また繰り返しだ。

 またしても、口を閉ざしたままのセイバーと対峙する。

 向けられた視線が、その金の瞳が――

 士郎に対し、イリヤを差し出さないのであれば殺すという絶対の意思を告げている。

 このままでは、どうしようもない。

 戦いの素人である彼が戦えば、きっと殺されるだけ。

 しかし、イリヤを差し出すなど出来ない。考えあぐねる士郎の焦りを察したかのように、イリヤはそっと彼から手を離す。

「……シロウ」

 不安げに揺れる赤い瞳。

 だが、それは何かを暗に告げてくる。

 この場で一番怯えているはずの少女が、自分が守ると決めた存在が。

 あの夜、たった一つの、掛け替えのないものを守るための勇気をくれた、イリヤが。

 まるで、自分を差し出して良いと言っているようで――迷いなど消え、最後のスイッチが入った。

「――下がってろ。森まで行けば遠坂がいる。そこまで行けば、何とかなる」

 イリヤを後ろへ押しのけて、開いた左手を木刀に添える。

 端から見れば、無謀な挑戦だ。

 そもそも勝てるなどとは思っていない。

 だが、それでも前に立つ。

 彼女を守れなかったら、きっと後悔する。

 ならば、ほんの少しでも良い。

 僅かにでも、イリヤの生存する可能性を上げられるのなら。

 この命を賭してでも、戦う価値はある。

 あの日迷いを晴らせたのは、イリヤがいたから。

 圧し潰されそうになった自分を、こんな自分の味方をしてくれると言ってくれたこの子を、守るために――――

 

「――――――」

 

 構えは正眼。

 戦略などは無く、ただ打ち込まれた瞬間に打ち返してありったけの力と魔力を叩き込むだけ。

 今はそれだけ。

 セイバーに言えることは無い。

 彼女が口を閉ざしている以上、衛宮士郎は彼女に言って良い何かなんて無い。

 今彼女は敵として目の前にいる。

 なら応えられることなど、全力を以て戦うことのみ。

 今、自分に出来る全て――

 相打ちなんて上等なモノは狙えない。

 実力差が開きすぎている以上、死を賭すというのは愚行だと彼女から教わった。

 先手は取れない。

 故に、振るわれた一撃を躱し、次撃を打つ。

 狙うは、先ほどのバーサーカーの残したダメージが蓄積している場所。砕けたバイザーのあった、何かを打ち込まれたと見れる頭部を狙い攻撃を仕掛ける。

 相手の弱点、何らかの活路を突きでもしない限り、衛宮士郎とセイバーでは勝負になり得ない。

「――――ッ」

 来る。

 避けろ、避けろ、避けろ……!

 無様でも何でも構わない。まずこの一撃を越えられなければ、イリヤを守ることさえ叶わない――――

 

 

 

「――――あ」

 

 

 

 死んだ。

 なまじセイバーと試合をしていた分、それが一本だと判ってしまった。

 隼めいた一刀は左上段から。

 稲穂を刈る鋭さで、こちらの首を薙ぎ払う。

 

 ……が。

 首はいつまで経っても着いたままだった。

 振るわれたセイバーの剣は、薄皮一枚のところで止められている。

 一体、何があったのか。

 彼女は剣を納め、後ろへ引く。

 その原因が何かと、視線を向ける。

 と、そこには。

「――――!」

 あの影の中から、何かが這い出ようとしている。

 何時かの公園で見た、呪いの塊としか言えない正体不明の存在。

 アレが、原因なのか――――

 

「私の役目は済んだ。後は貴公に任せる」

「有り難い。容易い仕事だ、狂人(マジュヌーン)に破れた失点を取り返せる」

 

 アサシンとのやりとりを終え、身を翻したセイバーはそのまま泥の中へ戻っていく。

 それを最期まで見届けた。

 何故この世に残っていたのか、敵に回ったのか、などは些末なこと。

 こうなってしまった以上、戦うだけのこと。元よりこの戦いはそういうものだった。

 ……ただ。

 もしも、あの夜。もっと自分が強かったのなら、彼女をあんな黒く濁った姿にしなくても済んだのかと思ってしまった。

 

「衛宮くん……!」

 

 呆けていたところを、その声で正気に返る。

 近づいてくる黒い影とアサシン。

 それから逃げるべく、イリヤの手を取って走り出す。

 一瞬、イリヤは悲しげに黒い沼を見たが、沈んでいった狂戦士を思いながらも、それでも涙をこらえて走り出した。

 そのまま森を駆け抜けていく三人へと向けて、しつこく追いすがるアサシン。

 士郎の首を落とそうと、背後から奇襲を掛けるようにして迫り来る。

「――――そこまでだ。オマエは要らない」

 不意に聞こえた声。

 耳元から聞こえた不吉な声は、直ぐ横で手にした探検をなめ笑う、白い髑髏の面からのものだった。

 イリヤの手を引いたままでは迎撃は出来ない。

 そして元より、英霊に人の身で勝つことは出来ない。

 が、それを――

「ズ――――!?」

「フン。奇襲でなければ小僧の首も落とせないのか、三流」

 侮蔑するように言いながらも、足を止めない。

 アーチャーは苦も無く白い髑髏の脇腹へ蹴りを喰らわせ、吹き飛ばしたのだ。

 そのまま、アーチャーは後ろに迫る〝黒い影〟と先ほど蹴り飛ばしたアサシンを警戒しながら、士郎へ言う。

「殿は任された。お前はイリヤをつれて逃げろ。

 ――――急げ、アレに追いつかれたら終わりだぞ」

 言葉の通り、周囲を侵食しながら追ってくるのが判った。

 黒く周囲を塗りつぶすようにしながら、逃げるこちらを追っている。

「アーチャー、アレは……!?」

「詮索は後だ。走れ小僧。イリヤの手を取ったからには、最後まで守り通せ」

 言って、速度を緩め後ろへ下がるアーチャー。

 その刹那にイリヤを微かに一瞥した時、彼の表情は酷く済まなそうなモノになっていたことを、士郎だけが見ていた。

 だが、それ以上のことを勘ぐる間もなく。

 アーチャーに背後を守られながら、三人は森を駆け抜けて行った。

 背後で轟く剣戟。

 しかし、激しく響く音とは裏腹に。決して追う側の攻撃が、その矛先を、前を走る三人へ届かせることはなかった。

「は、セイ――――ッ!」

 鬼神めいた気迫でもって、アーチャーは十重二十重の投擲を弾き墜とす。

 その度にアサシンは交代を余儀なくされ、決して前の三人には近づけない。

 〝黒い影〟も同様に、アーチャーを侵食しようとするが、まだ完全に呑み込むことは出来ていない。そのことに苛立ったように、アサシンは声を上げる。

「ぬ――――貴様、何故動ける……!?」

 それに対し、アーチャーは何を今更と言葉を返し切り伏せる。

「知れたこと。私は外の連中のようにまっとうな英雄ではない。正純でない英霊ならばあの泥と同位。

 つまり――――

 お前ほどではないが、この身も歪な英霊と言うことだ…………!!」

「ギ――――!」

 黒衣が四散する。

 アサシンは断ち切られた(おもて)を手で押さえながら逃走する。

 此処までの幾度と無い後退(仕切り直し)ではなく、命を保つための撤退。

 生存を勝ち取った。

 この事実が、微かに彼女の気を緩ませた。

「上出来……! これで追いつかれる心配も無くなった……!!

 ご苦労様アーチャー。疲れたでしょ、しばらくは休んでて良いから霊体に戻っていて」

 微かな油断が走る。

 そこに準じるように、遠坂凛の背後野守から〝黒い影〟が出現した。

「――――凛!」

「え、な……に」

「とお、さか――――」

 走っても間に合わない。 士郎では届き得ない距離を隔てた先で、触手を伸ばしたあの影が、凛を刺し貫こうとする――――

 

「――――グ、っ……!」

 

 それを、飛び出して串刺しにされたアーチャーが、防いだ。

 この時を以て、アーチャーは終わってしまった。未だ身体が残っていても、紛れもなく彼の身体は終わりを迎えていると判ってしまう。

 アレは、サーヴァントを殺すモノ。

 故に、その一撃は必殺に等しい。

 あの呪いを受けた以上、アーチャーには生存はない。

「うそ……アーチャー、なに、してんのよ」

 震えた声で彼に呼びかけ、おぼつかない足取りのまま立ち上がり、そのまま歩み寄ろうとした凛をアーチャーは一喝する。

 

「来るな……!! さっさと逃げろ、たわけ……!」

 

 そのまま、びくり、と足を止める凛。

 そこへ、黒い影が躍動し襲い来る。

 森が死ぬ。

 周辺のモノにある魔力を、アレが全て喰らい尽くし、奪っていく。

 このままでは拙い。

 まるきり、水風船に水を注ぐように。際限なく、それも限界を超えてまで注ぎ続けていく様な光景を前にして、そんな予感が脳裏を駆ける。

 アーチャーも同じなのか、触手を引き千切り足を止めている凛の元へ向かう。

 それを受けて、士郎もまた傍らのイリヤを守り切るべく、彼女の上に覆い被さるようにして地面に伏せた。

 瞬間、何かが弾けた。

 

 視界がなくなる。

 黒く染まった森の中を、魔力の波が波動の様に振るわせる。

 

 ――――熱い。

 

 身体が吹き飛ばされそうだ。

 満たしていく魔力が、暴風となって森を侵す。

 その時、何かが焼けた。

 

 ――――な、い。

 

 視界はまっくろ。

 こんなにはっきり見えているのに、何もないということは、黒い太陽でも落ちてきたのか。

 

 ――――(じぶん)が、無い。

 

 きっと、太陽の熱で溶かされのだろう。

 身体が無い。

 降りかかる痛みよりも、触覚のない喪失感が気持ち悪い。

 

 だが、それは困る。

 

 身体がなくては守れない。

 だから右手でイリヤを庇った。イリヤを連れて行こうとする〝黒い影〟に、右腕で賢明に抗ったのだった。

 そこで、ようやく理解する。

 身体は、ある。

 でなければ、イリヤを守ってなどいられない。

 無くなったのは左腕だけ。

 ……ただ、それでも喪失感は変わらない。

 二本の内の一本が失くなったと言うだけなのに、まるで身体の全てが消えたように思えるほど、大きな何かが欠けてしまっていた。

 

 薄れ行く意識の中、少年は微かに視界を探る。

 

 右腕の中。

 そこにはちゃんと、イリヤがいた。

 少し先に、赤い影が二つ見える。

 凛も、アーチャーも、いた。

 そのことに僅かな安堵を覚えながらも、次第に消えていく意識の中で、彼は――――誰かと、誰かのやりとりを聴いた。

 

 

「――――正気ですか。そんなことをすれば、貴方は」

 

 

「考えるまでもない。何もしなければ消えるのは二人だが、移植をすれば確実に一人は助かる。

 ……どのみちこの身体は限界だ。このまま消えるというのなら、片腕を切り落としたところで変わるまい」

 

 ……何がどうなっているのか。

 

「通常ならば死ぬ。肉の身に霊体を繋げてはつからない。だが、オレとその男は例外だ。凛が目を覚ましたら、上手く処置をしてくれるだろう」

 

 森に落ちた黒い太陽はもう無い。

 ただ、視界には軽く黒い髪を優しく梳いた浅黒い手が見える。

 そして、意識が消えゆく中で――

 

「――――ここまでか。達者でな、()()

 

 まるで自分の声のような声色で、別れを告げようとする(おと)を聴いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 そうして、少年の裡へ向けて、その身の真髄が叩き込まれる。

 未だ至れぬその場所(はて)を、経験()で追うのではなく――文字通り身に刻み、貸し与えていくのだ。

 だが、観ていた少女はそれを知らない。

 彼女の中に生まれたのは、少年が助かったが怪我をしたという事実のみ。

 普通であれば致命傷だが、奇跡的に彼は助かることになった。

 運命の巡り合わせか、はたまた募った後悔へ皮肉か。

 ともかく、少女はただ観ていた。

 少年を案じ、その生存に安堵しながら。

 ――その怪我によって。少年が、もう戦えないはずだと歓びながら。

 その口元は喜色に歪み、壊れかけの少女に更に罅を刻む。

 壊れ始めた二人の物語が、またその裡に秘められた真実への蓋を開けていく――――

 

 確かに、少年は生存を勝ち取った。

 

 伴う痛みは凄まじく、一時気を抜けば、崩壊してしまいそうになる程で。

 かつての相方であった剣が敵に回り、救いたいと願う少女を脅かす存在はまだこの街に蔓延ったまま倒せていない。

 が、それでも少年は、もう一度その日常へ帰って来た。

 壊れてしまいそうだった姉妹の絆を取り戻せるかも知れない。

 果たされなかった二つの家族の絆を取り戻せるかも知れない。

 いくつも、いくつも――――〝これから〟に、希望が生まれていく。

 だが、そう易々と平穏は訪れない。

 

 破滅の誕生を待ち望む者がおり、

 この世を再び統べると構える者がいて、

 砕けた劣等感(プライド)に濡れたままの親友(とも)がいる。

 

 そして、それら全てが――――少女を壊していく。

 

 

 

 *** 罅割れていく二人

 

 

 

 更に、路は進む。

 この先において、もう後戻りなどできない。

 いや、元より後戻りなどできはしないのだ。

 もう既に、心は決まっている。何をするべきなのか、何をしたいのかも。

 そして、何と――――戦うのかも。

 

 失ったものがないわけではない。

 だけど、それでも戦う手を止められないのは、歪な生涯を賭けるからではなく、もっと身勝手な想いからだ。

 そう、最も大切なもの。自分が、一番守りたいと願った少女を守るために、少年は戦う。

 勝てる確証はもちろんない。

 だか、それでもやめない。

 必ず救ってみせると、あの夜に誓った。

 腕を失くそうと、それでも止められない。止まることなど、するつもりはない。

 あの子が、笑っていられる世界を取り戻すために戦う。

 そして、必ず帰ってくる。

 ずっとそばにいる。

 

 その約束を、果たすために――――

 

 

 

 ***

 

 

 

 流れる光景は穏やかで、ただ見ているだけならば微笑ましい。

 ……けれど、その影にある闇を感じざるを得ない。

 壊れて行くその日常(せかい)

 近づいているのに、それでも離れて行く。

 誰もが安寧を願うのに、それでもこの嵐を()められない。

 幾つもの後悔が路を塞ぎ、本来辿るべき流れを塞きとめる。だが、祈りは塞がれた壁を越え、それでも希望はまだ先へ進むことを是とした。

 人の業。利己的な欲望。

 求めて来た展望。霞んでしまった理想。

 殺された夢は虫食いのように己を蝕んで、いずれ自分自身を食い殺す。

 でも、そんなのは分かっていたことだ。

 破滅的であっても、進むことを()めない。

 抱いた切望は誰のためのものか/大切なもののために。

 

 であるならば――――

 

「…………すまない」

「……爺さん、そんなのは」

「あぁ、分かってる。

 謝るのは筋違いだ。だけど――僕が果たそうとしたものが、ここまで尾を引いたのも、事実だからね。

 だから、これは僕の罪……。勝手に背負うだけの、身勝手なものだよ」

「…………」

「背負うのは勝手だが、忘れてはいないか?

 ここは、泡沫の夢のようなものだ。もう、あんたは十分地獄を見た。……それにじーさん。とんでもない運命に恵まれた今なら、きっと」

 

 間違わないさ。

 そう言ってくれる息子の言葉に、胸に落ちたものは失せる。

 故に、もう迷う必要はない。

 

「……そうだね。

 あぁ、きっと……そうだ」

 

 その思いを糧に、先へ進む。

 そのために、この物語の最後を見届けよう。

 

 ――――引き金を引くのは、またもヒトの血。

 

 それは名も知らぬ街人であり、

 時にわずかに知った顔であり、

 果てには名を馳せた王であり、

 最後には、本当の意味で嫌っていた訳では無かった筈の、兄の血で――――

 

 そうして、誰も分かっていなかった、操り手によって引かれる糸によって、最後の枷が解き放たれる。

 

 

 

『――――――――あ』

 

 

 

 ――――〝黒い影〟が、遂にその本質(すがた)を表出させる。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――――ソレは、人間(ヒト)を 殺すモノ。

     かつてこの街を(こわ)し、今もなお杯に巣喰いながら少女を(ころ)すモノである。

 

 告げられた言葉にも、知ろうとしなかった言葉にも意味はない。

 どちらも別にどうということではなく、片方には過程(もくてき)こそ違えど結果のために助力を貰った。その点においてのみは感謝すべきなのだろう。が、今はそんなこと気にしていられる状況ではなくなってしまった。

 少年は行き詰まり、故に結論を求め問うたのだ。

 アレは何なのか、と。

 そして、その答えがこれだ。

 

 ――――明確なまでの『悪性』。

 

 忌むべきものであり、少年が倒すべきモノ。

 取り除くべき不純物だとしながらも、彼に問われた神父はこうも言った。

 生まれていないモノに対して、罪科を問うことは出来ない、と。

 確かにアレは人間(ヒト)の悪性そのもの。誕生するまでもなく、影としているだけで依り代である少女()を侵食し、人を殺す。

 だか、その『悪』として糾すべき存在はまだ、生まれてもいない。

 それ故に罪を問うことは出来ない。仮にするとしても、それは後の話であり、誕生そのものは、如何なるモノであろうとも祝福すべきものであるのだと。

 これに対して、少年に反論はない。

 文句はある。ふざけている、とも思う。

 相手は明確な敵としての立場を隠さず、この問答は分かり易すぎる対立宣言である。

 けれど、相手は敵であるが、桜を無闇に壊す気はないとも言っている。

 誕生を齎す母体――依り代としての桜に差し支える事態があるのならば、先の様に助けもするし、あるいは別の手段を取ることもあると。

 そうであるなら、今向かうべき敵ではない。

 問うた側の少年にとって、目下の敵は一人。不思議なことに、この部分に関してだけは二人の認識は合致している。

 

 ――――神の家で対峙した二人の本質は何処か似通っていた。

 どちらも故障者。生まれながらに、或いは蘇生の際に欠落を伴って生き続けている欠陥品。

 本当に求めたモノが存在せず、己の拘るものが無いからこそ、最も己を興じさせたモノに()った。

 いくつも重ねたものはある。足りなかったことも、満ち足りすぎたこともあった。

 しかし、だからといって――そこに、真に『幸福』と呼べるものがあったのか。

 そうして重ね続けた自問、

 若しくは重ね続けた研鑽。

 果てに何が待つかを知らぬまま、二人は進んで来た。

 行き着く先は対極ながら、酷く似通った路。

 未だ、真に答えを得られるままに進む両者。

 戦いは依然として決せず、寧ろ螺旋の様に加速して行く。

 そうしてこの嵐に揉まれながら、彼らは――いずれ果てるだろう己が答えに向かうこととなるであろう。

 

 それに拍車をかける様に、平穏の象徴は遂に泥に身をやつす。

 

 闇に沈む家。

 本来の器を壊し、姉を殺し、最愛と思ったそれすらも殺そうとして、少女は己の力を振るった。

 だが、その路を簡単には行かせまいと騎兵がそれを阻む。

 しかし、阻みはしたものの、その先に対抗する力など無い。何せアレは英雄を侵すモノであり、ヒトを地獄に還すモノだ。

 詰まる所、誰であろうと止められない。

 この場で最も強いのは誰なのか、考えるまでもなく明らかだ。

 ……けれど、それでも影を操る少女は恐れていた。

 自分よりも強い者などいない場所に立っても、相手が恐怖で固まっていても、それでも彼女は恐れていた。

 姉を、

 騎兵を、

 本来の器を、

 そして何よりも、最愛の少年を。

 

 ――きっと次戦えば、自分は負ける。

 

 そんな予感がどこかにあった。それは、自分を殺すことを躊躇わなかった姉の言葉に引きずられたのか。

 それとも、或いは――――

 

「そこまでよ。余計なことはしない方がいいわサクラ。

 ――――貴女、これ以上取り込むと戻れなくなるから」

 

 その、僅かな思考の隙間を。

「……それはどういう意味ですか、イリヤスフィール」

 少女が、こんな状態になっても悔いを残した、その矛盾を本来の『器』である少女は的確に突く。

「言葉通りの意味よ。ライダーを取り込んでも、士郎を殺しても、リンを再起不能にしても、今のサクラには意味がないってコト。時間の無駄だし、八つ当たりはそのくらいにしておいたら?」

 隙間(そこ)に触れられて、

「――――――――」

 この場で最も弱い少女の言葉に、この場で最も強い少女は耳を向け始めた。

「サクラはわたしが目的なんでしょ。なら早く済ませましょう。大人しく一緒に行ってあげるから、あんなの放っておきなさい」

「正気ですか? わたしが欲しいのは貴女の心臓だけ。わたしと一緒に来る、ということはわたしに殺されても構わない、ということです」

「そんなの判ってるわ。けどどっちにしたって殺されるんだし、抵抗しても無駄でしょ。とりあえず、今はサクラが一番強いんだし」

「じゃあ、自ら生贄になるというの、イリヤスフィール」

「ええ。それがわたしの役割だもの。

 けど正装はここにはないの。サクラが後継者(うつわ)として門を開きたいんなら、わたしの城まで取りに行かないと」

「――――――」

「それに、」

 重ねられる言葉に、影を呑み込んだ少女の根幹が僅かに揺れる。

 そもそも、彼女がこの泥を呑み込んだのは何故か。あと一歩で崖に落ちるという寸前の様な状態に置かれても、それでも尚、何を思ってこうしたのか――――

 

「サクラは決着をつけるコトにしたんでしょう?

 なら、シロウを殺す必要なんてないじゃない。

 誰も殺したくないから受け入れたのに、今はみんなを殺したくて仕方ないなんて――矛盾してるわよ? サクラ」

「――――っ」

 

 最後の核心を突かれて、少女はそれ以上進めなくなった。

 それが、彼女の弱さ。けれど本来恥ずべきものではない弱さである。

 ただ、あまりにも裡に秘めすぎて……その場から動くことの出来なくなる、その弱さ。ある側面では美点であるが、だからこそ、壊れて仕舞えばこれ以上なく弱い。

 ヒトとしての当たり前の願望であり、尚且つ最も醜いもの。

 ……そしてそれは、

 

「……いいでしょう。自分で探す手間が省けますから。

 どんな思惑か知らないけど、貴女の口車に乗ってあげます」

 

 誰よりも我慢強くあった少女が、最も恐れていたものだった。

 故に――彼女はまた、逃げに回った。

 だがこの逃げは、まだ彼女が壊れきっていないことを表している。しかし、彼女を守ると決めた少年は、この場で彼女らを救うことが出来ない。これまでと同じように、自分自身の無力さを思い知りながら、あの城の時と同じように、自らと共にあった剣に行く手を阻まれ、それに敗北した。

 けれど、未だその膝は完全に屈すること無く――決意の行く末はとうに決めていた。

 少女たちがこの場を去る時、消えゆく意識が最後に捉えいくつかの言葉。

 残されたそれらに、また何も守れなかったことを思い知る。

 

「……もう、わたしの前に来ないでください。

 先輩を前にしたら、わたし――――先輩を殺すしか、ない」

 

「――――じゃあね。今まで楽しかったよ、お兄ちゃん」

 

 追い掛けることも叶わず、無様に転がっているだけ……。

 守りたかった筈のものも、救いたかった筈のものも、もう何処にもない。

 そこにあったのは敗北に沈む己だけでしかなく、何よりも、自分だけではどうしようもないのだと、そう思い知らされるだけの現実があった。

 憧れた赤い少女は倒れ、

 尊かった剣は泥に沈み、

 守りたいと願った忘れ形見は去り、

 何より焦がれていた少女を失った。

 

 自分で決めた、守ること。

 ……誰かの、味方になると言うこと。

 その意味の重さを量り違え、決して振れてはいけない方向に天秤を傾かせた。もしもこれが、これまでの怠惰へのツケだというのならば、いったい此処か先へ進む上で何をすれば良いというのか――

 

 

 

 ――では、最後の選択をしよう。

 

 

 

 勝敗は既に決している。

 考えるまでもなく、己が剣を失った時点で戦うための前提を無くしている。

 けれど、建前がなくなっても、意味だけはあった。

 十年前の戦いが決した、あの夜――地獄を見た。

 一人だけ救いの席に座り、あまつさえ救われていたのである。

 空になった心を惹きつけた安堵の表情(かお)。流れた涙の意味は、事の真相を知った今となってもどうでも良い。

 経緯なんて要らない。ただ、あの時魅せられた幸福に、憧れていただけなのだから。

 そのことに自責を抱き、後から生じた遺恨にさいなまれることとなった。……だけど本当は、ただ変えたかったのだ。これから起こるだろう悲劇を、二度とあんな事は起こらないのだと、自分が救われたことと同じように――――誰かを、救いたかったのである。

 しかし、そんな願いもいつの間にか独り。

 夢を託し、自分の贖いきれなかった罪を呑み込んで、父はこの世を去った。

 誰かのため/自分のため。

 救いたいから、救う。

 何のために? ――――それは。

 そうして、自己の矛盾に苛まれながら、いずれ摩耗するだろう道を選ぶ。

 だが、自分のためにと言う偽りを。……中身のない理想を追う中でも、それでも手を伸ばしたいと思ったものがあった。

 たった一つ、自分の偽善(ユメ)を壊してでも――守りたいと思った人が、いたのである。

 手の平から零れ落ち、守り切れなかった。

 

 〝お前が今までの自分を否定するのなら。

 その(ツケ)は必ず、お前自身を裁くだろう――――〟

 

 左腕にあるモノこそ、()の象徴である。

 今はもう切り落としても死にはしないのに、それでもまだ縋っている。浅ましくも、まだ諦めないとあがき続けている。

 何もかもを救いたい、などと。

 思い上がりも甚だしい。そもそもそれを出来るだけの力など、無い。

 この片腕があっても、自分には使いこなせないのだから……。

 軋みは何時しか罅となり、いずれ溝に変わる。そして、その溝は消えぬ傷となり、摩耗する度に薄れる代わり、最後にはあった筈の全てが塵に還るだろう。

 そう。詰まるところ、この腕にとって、自分はまだ役不足の器だ。足りないと急き立て、もっと先へと風を送る。その風圧に耐えられるまでに身体を変えろと強要し、出来ないのだとすれば壊れてしまえ、と。

 ……力足らずだ。

 こんな体たらくでは、何も救えない。――いや、今となっては選ぶことさえ出来ない。

 元々、全部は選べないのだ。

 自分を兄と呼んでくれた、守りたかった冬の少女も言っていた通り、全部を叶えることは、きっと出来ないのだろう。

 一緒にいることは出来ない。

 わたしたちは二人とも、長生きすることが出来ないから。

 ……それでも。そう言って、尚且つ自分を捨てた父への恨みを糧に生きてきた彼女が、自分の居場所を奪った筈の自分の背を押してくれた。

 自分の味方だと、迷い無くそう言ってのけたのである。

 なのに、なのに――――

 

 

 〝――――じゃあね。今まで楽しかったよ、お兄ちゃん〟

 

 

 あの時、自分が言わせたのは、そんな言葉だった。

 ……ふざけている。

 ここへ来ても尚、まだ守られているだけなのか。

 自分よりも遙かに脆い命を、こんな紛い物のために使わせているだけなのか。

 違うだろう。

 〝家族〟は、ただ守られるだけのものじゃない。

 ただ失うことを諦めて良いようなものじゃない。

 それはこんなところで諦めるわけにはいかない。

 無様に寝ているだけの敗北者で終わるな。燻っているくらいなら燃え尽きろ。

 決めていただろう。イリヤを守り、桜を必ず救いたいと。

 なら――――!

 

 

 

「――――ったりまえだ……!

 勝敗が決したがどうした、そんなんで後に引けるか……っっっっ!!!!」

 こんなところで、倒れてなどいられない。

 すると、そんな決意に応じる声が一つ。

「いい気合いだ。その様子では入院の必要は無いな」

「え――――っ、なんで言峰……?」

「……それは私の台詞だ。

 凛とお前、二人して玄関に捨てられていてな。

 捨て子にしては可愛げが無いので見捨てたかったが、揃いも揃って衰弱し切っていた。放っておけば死体が二つ並ぶことになる。教会としては体裁が悪いのでな、仕方なく治療してやったのだ」

 捨てられていた、とはずいぶんな言いぐさだが、恐らくはライダーの手腕だろう。彼女には人間に対する治療を行える力は無いため、此処に庭で桜に力を取られた凛と自分を連れてくることを思い立ったのか。

 と、そう思案する間を与えずに言峰はいくつかの事項を告げる。

 凛はひとまず無事であると言うことを、桜が去ってからかなりの時間が経過していること。

 その事実に焦り、教会を後にしようとしたこちらに、言峰は何が起こったのかについて説明を求めた。

 あらかたを告げると、戦争の行方はほとんど決まったようだと納得した上で、あり得ないことを口にする。

 

「お前一人では荷が重かろう。イリヤスフィールを攫われたというのなら、私も静観してはおられん」

 

 が、勿論それは単純な善意とは言い難い。

 情に絆されたでもなく、正しい〝聖杯戦争〟を取り戻そうというのでもない。言峰はただ、前に言った通り――自らの目的のために動く。

 利害の一致、と言えば聞こえは良いが、結局ことが済めば背を預け合った敵同士。

 しかし、これ以上戦力を望めない以上、助力を断る訳にもいかない。切羽詰まった状況なのは変わらず、迷っている暇も無いのだから……。

 

 故に、その手を取ることを決めた士郎は、言峰と共にアインツベルンの城を目指す。

 

 

 

 ***

 

 

 

 目指した先の城は、(ほぼ)もぬけの殻。

 そこを今支配している術士のおごりがありありと読み取れるほどに、ザルと違わぬ無警戒ぶりだ。

 森に入った存在を知らせる結界も張られておらず、遊ばれているのかとさえ思える。

 端から見れば滅茶苦茶な言峰の潜入や、追走する士郎の雑な侵入にも何の反応もしない。そして、あろうことか――――

 

「…………シロウ?」

 

 捜しものは、至極あっさりと見つかった。

「――イリヤ」

 安堵と共に、取り戻しに来た少女の名を呼ぶ。

 けれど、イリヤは迎えに来た士郎のことを酷く冷静な目で見る。

 初めて会ったときと変わらない、冷たい貌。自分の領分を弁えようとしないことを糺すように、彼女はこういった。

「――――呆れた。なんで来たのシロウ。

 もう貴方の出番なんてないのに、まだ無駄な努力をするつもり?

 まだ判らないの? サクラのことはわたしに任せれば良いの。これはわたしの役割なんだから、シロウは大人しく家に帰って、」

 が、それを――

「馬鹿。後始末が役割なんて、言うな」

 士郎は許せず、イリヤの頬を叩いた。

 そうして、士郎が自分に手を上げたことに、イリヤは驚愕する。

「な――――シ、シロウの無礼者……! レディの頬を叩くなんて紳士じゃないわ! い、いくらシロウでも、わたしにこんなコトするなんて許さないんだからっ!」

 雪の公園の時とは違い、今の士郎は苦悩の苛まれているわけでも、激情に駆られているわけでもない。

 しかし、それでも士郎はイリヤに手を上げた。

 冷静ではいられなかった。自分を守ってくれている彼女の言い分を、どうしても許すことが出来なかったから……。

「許さないのはこっちだバカイリヤ……! 男だったら拳骨で殴ってるぞ、この不良娘……!」

 守るつもりで自分を差し出した。

 あの日、狂戦士を失った日に賜った運を戻しただけ。それだけの事の筈だと、イリヤは思っていたのだろう。だから、こうして士郎が怒っていることを納得できない。喧嘩をしたいわけではないが、イリヤだって言われっぱなしは嫌だ。

「な、なによ、わたし怒られるコトなんてしてないじゃない! わたしは自分の役割を果たすためにサクラについて行っただけよ。それが一番良い方法なんだから、シロウに文句を言う資格なんか――――」

「うるさい、そんなものしたことか……!

 いいか、イリヤの役割なんて俺は知らない。俺はただ、勝手に出て行った不良娘を連れ戻しに来ただけだ。

 イリヤがどんなに強がって、どんなに平易なフリをしても騙されないからな。イリヤが少しでも嫌がっている限り、絶対につれて還ってやる……!」

 そんな怒りも、士郎は切って捨てる。

 助けたいと思うことに、躊躇いなど無かったのだから。

「な――――つ、強がってるって何よ! わたしは嫌だなんて思ってないわ。この身体は聖杯として造られた。あいつらのために鍵になるのは癪だけど、それで聖杯の力を使えるようになれば、サクラだって……!」

「それが強がってるっていうんだバカ!

 ……いいか、聖杯なんてどうでも良い。イリヤはイリヤだ。イリヤがイリヤのままでいたいなら、そんなコトはほっぽっといて良いんだ。自分以外の何かのために、自分を犠牲になんてするな……!」

「―――――――」

 それは正しいようで、同時に矛盾を孕む言葉だった。

 だが、願った心に嘘はなく。零れていく自分の家族を守ろうとする思いが満ちていた。

 士郎の思いを読み取れてしまうからこそ、追求が出来ない。……向けられた思いが嬉しいから、拒みきることが出来ない。

「――――それは、シロウだって」

 小さく、よく聞き取れない声でイリヤは呟く。

 声を届かせる気が無い発声だったが、心の内側を少し均す程度の効果はあった。また、これ以上拒めば、もっと士郎を追い込んでしまうのだろうということも、判っている。

 故に、突き放すのではなく、彼の話を聞くことに思考を切り替える。

「……良いわ。仮にわたしが嫌がっているとしても、それがどうだって言うの。わたしたちじゃあサクラには勝てないし、逃げられない。

 わたしをこの城から連れ出すことは不可能よ。だから、臓硯もわたしを好きにさせている。

 シロウだけならまだ見逃してもらえるけど……わたしと一緒じゃ、絶対に森からは出られないわ」

 だから、帰りなさいと。

 深紅の瞳がそれを拒絶する。

 伸ばした手は、掴まないと告げている。――――しかし、そんなことは知らない。

 考えるまでもない。するべきことは決まっているし、端からおめおめと逃げる気など無いのだ。

 

 ――――〝イリヤを連れ戻す〟――――

 

 それ以外の選択肢など、必要ない。

「それでも連れて帰る。俺は一人で帰る気は無いからな」

「――――」

 士郎がそう宣言すると、イリヤはぼんやりと彼を見つめる。

 怒るでもなく、それこそ最初に言った通り、呆れているようにして。

 半ば脱力に近い状態のイリヤの手を掴み、小さく、軽すぎるような身体を引き寄せて歩き出した。

「……呆れた。シロウには何を言っても無駄ね」

 困ったように笑うイリヤだったが、抵抗することなくトコトコと士郎の後に続いて歩いていく。

 こんな小さな呟きと共に、

「ホントに。こんなの、上手くいくはずないのに」

 そっと、幸福そうに士郎の手を握り返しながら。

 後悔はなく、憂う気持ちも今は温かい。

 ようやく取り戻し、もう一度そこへと向かうことを承諾した二人は、続き窓から飛び込んできた言峰と共に城の外へと逃げ出した。

 けれど、安堵を覚えたのもつかの間。

 森を駆け抜ける二人の後を追う者たちがやって来る。

 そのことに気づいた言峰は、ひとまず先立って邪魔立てをする暗殺者の方を引き受けると言って、先ほどまで抱えていたイリヤを士郎の方へ寄こす。サーヴァントを相手に取ると言ったことも驚きだが、寧ろ士郎が驚いたのはその後に言峰の残した、妙に人間臭い言葉の方だろう。

 これまでまともに感情を覗かせることも、何かに対して感慨を覗かせることすら珍しかった神父は、まるで自嘲するようにこういった。

「――――衛宮。助けた者が女ならば殺すな。

 目の前で死なれるのは、なかなかに応えるぞ」

 投げられた忠告に一瞬呆けたが、後はお前次第だと、この先の生存も共に預けられているのを理解した士郎は、地面を蹴って疾走を再開した。

 遠ざかる二つの影。

 最後に見届けた背が遠くなるごとに、何か不吉な予感が脳裏を掠める。

 二度と、来たまま会うことはないのだろう、と。

 ――――そんな、予感が。

 

 

 

 ***

 

 

 

 森の奥へと消え去る少年少女を見送った言峰は、対峙した暗殺者との死線を渡る。

 僅かに拮抗したかに見えた虚像も直ぐに取り払われ、言峰の方が若干分を悪くし始めたとき。

 合わせるようにして、城へ巣喰った妖怪が姿を見せる。

 慢心を重ね、嘲るように笑う相手に、言峰は死に際を悟り始めてもさしたる感慨を抱くことはなかった。

 虫は所詮虫。

 そもそも人は、勝てぬと知った戦に身を投じるほど愚かではない。

 傲り高ぶった蟲の主は、そのことに未だ気づけない。

 何もかもを見抜いたように振る舞いながらも、異常者、欠陥品と断じてきた男の本質を覗き切れてはいなかったのである。

 山の翁こと――『呪腕のハサン』。

 その宝具である『妄想心音(ザバーニーヤ)』は、呪いの右腕で敵に振れることによって対象の心臓を胸像として奪い取り、それを潰すことで相手を殺すもの。

 だが、この宝具には弱点が存在する。

 まず発動のためには相手に触れなくてはならず、また触れた後でも幸運やスキルなどによって効果を阻害されることもある。

 それらに加え、前提として〝心臓〟を持たない者には効果を発揮できない。

 しかし生物である以上、原則として後者はまずあり得ないだろう。まして、戦闘能力こそ高くとも、何の特殊性もない血榎本に生まれた人間には。

 が、その前提を破る者がいた。

「ば、馬鹿な、何故死なぬ綺礼――!?」

 十年前。

 聖剣によって砕かれた杯より零れた、〝この世全ての悪〟を飲み下した男がいた。

 その男は第四次におけるアーチャークラス、英雄王・ギルガメッシュ。常世全てを統べる王として、その程度を飲み下せずして何が王か、と宣った奴は、全人類の悪性全てを受け止めて呪いを弾き飛ばし、英霊であるにもかかわらず受肉にまで己を至らしめる。

 そして、その時の契約者にもその恩恵が与えられた。

 既に尽きていた命を、聖杯の泥が生かすことになったのである。

 

 ――――この事実が、勝負の行方を分けた。

 

 動揺から生まれた隙を突き、言峰はアサシンを手持ちの黒鍵を擲ち磔にする。

 するとそのままその主の様へと超人じみた脚力で跳躍し、敵の頭を『掌握』すると、この街に蔓延り続けた『魔』を祓うべく詠唱(せんれい)の句を開始した。

 〝マトウゾウケン〟は、肉体こそ朽ちかけているが魔術師としての実力は折紙付き。五〇〇年の猛襲は伊達ではない。

 だが、この一時においてのみ――老魔術師は己を守る全てを剥がされ、完全な丸裸にされていた。

 今の臓硯には実体はない。故に言峰の選ぶ対処法は、魂の浄化であった。

 この世で『魔』を祓うことに長けた『退魔』の血筋を除けば、それらを最も祓っているのは恐らく『代行者』だろう。

 そして、言峰綺礼は嘗て――その『代行者』として研鑽を積んだ第一級の狩人である。

 

「私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す。我が手を逃れうる者は一人もいない。我が目の届かぬ者は一人もいない」

 

 読み上げられていく言葉に合わせるように、醜く足掻く老骨。

 嘲笑い、その笑い声と共に神父を貶める。

 そこに在る恐怖を滲ませながら、与えられた終わりが身を溶かし行く。

 

「打ち砕かれよ。

  敗れた者、老いた者を私が招く。私に委ね、私に学び、私に従え。

  休息を。唄を忘れず、祈りを忘れず、私を忘れず、私は軽く、あらゆる重みを忘れさせる」

 

 まだ、そんなものを求めているのかと。

 絶対に無いものを求めているのか、と。

 判っているつもりのまま、的外れの言葉を投げる。

 

「装うなかれ。

  許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を」

 

 今はもう、何の意味もなさない。

 十年前に嫌悪した言葉は、理解を与えられそうになった言葉は、もう既に何も意味をなさない。

 そもそも、己の意味は知っている。ただそれでも尚、見たいものがある。

 対外的には悪。だがそんなものを今更気にする必要はない。

 悦楽把握ではない。自分が美しいと感じる者がソレであったというだけのこと。

 そのことを、もっと前から――――彼の中に答えは在ったのだから。

 

「休息は私の手に。貴方の罪に油を注ぎ(いん)を記そう。

  永遠の命は、死の中でこそ与えられる。

  ――――許しはここに。受肉した私が誓う」

 

 遠い日の記憶。

 無意味に返したくないと思った、ある女の記憶である。

 〝人並みの幸福〟は、確かに誰にも与えられることはなかった。

 しかし、己のことを識っている者はいた。

 苦しみには蓋を。死には生を。

 何もかもが空だったこの身には、生きる意味を。

 決して、正解を与えることは出来なかった時間ではあった。

 ただ、それでも――――

 

「――――〝この魂に憐れみを(キリエ・エレイソン)〟」

 

 あの時間は、無駄であって無駄でない。

 もしも、どんなものとも共有できない認識があるとして。

 蝶よりも蛾。幸福よりも悲嘆。あるいは、希望よりも絶望を愛でる。傷つき死にゆく者ならば、もっとその様を見続けていたい。

 異常で、異端な認識。けれどそれは、何かを傷つけて見つかるものではなく。

 

 〝だってあなた、泣いているもの〟

 

 誰しもが目を背けたいモノを愛することだったのだと、あの女はそう残して散って逝った。

 零れた滴を穢れだらけの純白に乗せながら、名に相応しく、梅雨時の花のように。

 

 詮無き思考であった。

 今ではもう思い出せぬものでしかない。

 珍しく感傷のようなものを脳裏に浮かべ、それらが晴れた先にいたアサシンへ意識を戻す。

 祓った魂はもう塵となり、散った。そんな魂を見送りながら、この場に留まることを選ばなかったアサシンの去り際から意識を外す。

 

 ――だが、戦いはそこで終わらず。

 泥に侵された、浮かべた女と似た、同じように穢れた花の名を冠する少女が現れた。

 壊れていく様を、自分を装うベールを言葉で剥がし取っていく。誕生の為に、もう少し持ってもらわねばならなかったというのに、とんだ期待外れだと。

 この糾弾が逆鱗に触れ、ヒトならざる心臓を与えた源と繋がった彼女に苦戦と呼べるだけの拮抗も許されずにいたぶられることとなった――――が、しかし。

 

 その時だった。

 森の中で、先ほどまであった巨大な〝力〟が霧散していく気配を感じたのは。

 

 

 

 *** ―――投影、開始―――

 

 

 

「はぁ――――ぁ、はあ――――」

 森を駆け抜けて行く、白銀と赤銅の影。

 走れ。走れ。走れ。

 圧し掛かった不安を振り払うように。

 迫り来る恐怖から目を背けるように。

 つまらぬ弱音が真っ白になるまで走れ――――!

 

「▆▆▅▅▅▅▄▅▄▄▄▂▆▆▅▅▅█▇█▅▅▅▅▄▄▄▂ッ!!」

 

 その時、横から、何か、耳障りな、叫びが聞こえ、た。

 

「だめ、止まってシロウ…………!!!!」

「っ――――――――!?」

 胸元からの叫びに、心より早く身体が反応した。

 全身全霊を込めたイリヤの忠告に、どうにかギリギリで士郎の反応が間に合った。

「――同調(トレース)、」

 頭に浮かべられたものはない。

 だが、止まったらそこで終わりだ。

開始(オン)――――!」

 留まる所など知らず、超速で回路へ魔力を奔らせる。

 手に持った黒鍵に力を流し込み、渾身の抵抗を試みた。

 旋風が放たれたのは真横から。

 深い森の木々を蹴散らし、追跡者はこちらを殴りつけてきた。

 その衝撃に身体が吹き飛び、一撃は一瞬で粉砕される。ありったけの魔力を込め、ダイヤ並みに強化された黒鍵は焼けた雨のようにひしゃげてしまう。

 余りにも絶望的な力の差。

 目の前に現れた凄惨な現実に、思わず死を受け入れそうになった。

 が、吹き飛び流れていく光景の中に――白く、小さな少女の姿を目が捉えた。

 咄嗟に腕を伸ばし、自ら木にぶつかって勢いを殺す。

 つま先から脳天まで響く衝撃に、破裂しそうになる身体を圧し留めながらも、可能なだけの呼吸を取り込む。

 足りない筈の酸素を取り込むたび、限界を迎えた風船の気分を味わう。

 一呼吸するだけで満帆状態。失っただけを取り戻すにはほど遠い。だが、それだけあれば今は良い。

 地面を蹴り、黒く染まった敵を前に、魅入られるように動かないイリヤの元へ跳ぶ。

 愕然と、目の前の現実を否定するような弱々しい声が響く。

「ねぇ、どうしたのバーサーカー? わたしだよ、わからないの?」

 分かっていない。

 もう、嘗ての気高さを失った狂戦士の眼には、何も写ってはいない。

 泥に呑まれた最後の戦い。あの時受けた傷さえもそのままに、彼のギリシャ最強の英雄は凡その感覚器官を失った状態で、ただ自分の前に在る生き物を殺す為だけの怪物と化していた――――

「――――やだ。

 わたしこんなのやだよぅ、バーサーカー……!!」

 懇願するような叫び。

 かつてなら、絶対に聞き逃すことの無かった守るべき存在の嘆願さえ……目や鼻、耳さえ失った今のバーサーカーには届かない。

 そして、その手に握られた斧剣を振り下ろす。

 

「イリヤァァァアーーーーーー!!」

 

 跳び出した先へは距離にして十メートルほど。

 これならば十分詰められる間合いの範疇だ。一呼吸分の燃料を、刹那の跳躍の為に爆発させる。

 前進を駆け巡るジェット気流のように、発火した思考を電荷の如き速度で巡らせろ――!

 時が止まっているように感じた。

 まるで目指す地点へは、必ず届くという確信を得られるように。

 本来の技量を越えた動きだったが、それでイリヤの元へ届くのなら迷いはない。

 が、間に合ったところでどうなる?

 先程の一撃を受けたとき、此方は拮抗するどころか、打ち合いにすらならなかった。

 黒鍵で歯が立たず、それすらも手元にはない。

『俺』で歯が立たない。

 故に――捜索し、検索し、創造(想像)する。

 勝てるモノを。

 この場で、敵に太刀打ちできるだけのモノを。

 それは、――――解析()に写る大剣以外に他ならない!

 

「―――、……あ」

 

 結果として、防ぐことは出来た。

 投影は成功し、散った命はない。

 だが、剣と剣がぶつかり合い、此方に亀裂が入るのと同時。自分の身体にもまた、亀裂が走ったような感覚に苛まれる。

 そのまま弾かれ、第二撃を防いだ身体はゴミのように地面を転がり滑っていく。

 けれどそんなことは良い。

 今何よりも酷いのは、度量に合わない技を使ったことによる反動。

 守ってくれる〝加護()〟は既に意味をなくしている。

 否、どうにか自分を繋ぎとめてくれるだけでも、十全に意味は在ったのだろう。しかし、散らばり始めた自分の欠片を集めようとしても、自分が失われていくのに抗えない。

 結合された先を行くモノに、侵されていく。

 足りないと暴れ狂う左腕。もっと先へ行け、先へ行けと――足りないことを容赦なく指摘する。

 受け入れるだけの器が足りないのに、酷似しているこの身の真髄へ手を伸ばせと。が、ソレは自分であって自分ではないモノ。

 だから軋む。

 だから崩れる。

 壊れていく、その差異の為に。

 ……気が付けば、強い風の中にいた。

 自分を削ぎ落として先へ進めと、光が先を照らして見せつける。

 けれど今は見せるな。

 その光は強すぎる。

 見失う。探しても探しても、見つからなくなる。

 失われていく我は、まるで砂漠に堕ちた砂粒のように、似た代物の中で見つからなくなって乾いて乾いて乾いて乾いて――――

 

「シロウ! しっかりして、ちゃんと自分を見つけなさい……!」

 

 イリヤが、いる。

 俺は倒れている。

 黒い巨人からは十メートルほど離れているだろうか。

 弾き飛ばしたものを探して、潰れた赤い両眼をギラギラと光らせている。

「――――!」

 そして、意識が戻った。

 倒れている場合じゃない。

 身体は――動く。目立った外傷はなく、、出血なんて掠り傷から滲む血だけ。

 ……他の中身がどうなっているのかなんて解りたくもないが、それでも身体は動く。

 ただ、苦しい。

 呼吸が上手くいかない。

 酸素が欲しい。今は此処から離れ、呼吸を整えたい。

 一分でも良いから、とにかく敵の間合いを離れなくては、イリヤを守り切れない。

「イリヤ、一旦離れるぞ……!」

 そういって、イリヤの手を取って走りだそうとする。

 が、それをイリヤは拒むように後ろへ下がった。

「……なんで? シロウ、自分がどうなってるか判ってるの?」

 酸欠でまともに働かない頭では、イリヤが何でそんなことを言うのか考えられない。

 ただ、自分がどうかしていたことだけは理解した。

 背後には、此方へ狙いを定めようとするバーサーカーがいる。

 このままでは拙い。

「イリヤ……?」

「…………ごめんなさい。けど、もういいの。もういいから、シロウ一人で逃げて」

「――――――」

 俯いてイリヤは言う。

 回らない頭に血が上る。

 回り切らないから、完全に頭にきた。

「ああもう、こんな時に駄々こねるなっ! 行くぞイリヤ、今はそんな場合じゃないだろう!」

「きゃっ……!?」

 イリヤの腕を引っ張り、無理矢理にでも連れて逃げる。

 ……抱え上げた身体はとても軽く、酷く小さく感じられた。

 そんな小さな身体で、イリヤは俺を助けようとする。その心が、また酷く、尊いものだと感じられた。

「ちょっ、何するのよシロウ!! もういいって言ってるじゃない……! 今ならまだ間に合うから、シロウ一人で逃げて!」

 それだけ言われ手もまだ手を引こうとする俺を、そうしてポカポカと頭を叩いてくるイリヤ。

 それを無視して、

「黙ってろ……! んなコト出来たらな、そもそもこんなところに来てないんだよ……!!」

「な――――」

 強く、ぎゅっと音がするくらいイリヤを抱きしめた。

 決して離すかものか。守り通すため、そのためにここへ来たのだ。

 その決意に、イリヤはどうして、と目で問い掛けてくる。

 ふざけている。

 どうしたもこうしたもあるか。

 ……そうだ。大した理由なんてない。

 ただ、俺自身がそう決めているだけのことなのだから。

「理由なんてあるかっ! 俺は勝手にイリヤを守るだけだ! いいか、兄貴はな、妹を守るもんなんだよ!!」

「はあ!? ばっかじゃないの、わたしはシロウの妹なんかじゃないもん!!」

 怒っている。だがそんなのはどうでもよかった。

 最初に言った通り、これは自分勝手な決意だ。守りたいイリヤが邪魔しようが何をしようが、変えるつもりなんてない。

「良いんだよ! 一度でも〝お兄ちゃん〟なんて呼ばれたら兄貴は兄貴だ! たとえ血が繋がってなくても、イリヤは俺の(かぞく)だろう……!!」

「――――――シロウ」

 考えるのは後だ。

 此方を向き直った黒い巨人から距離を取らなくては――――

「走れ、行くぞ……!」

 今度こそ、手を引いて二人で走り出す。

 バーサーカーとの距離は、何かの間違いで僅かばかり引き離しはしたものの、スピードは比べるだけ愚かだ。

 いずれ逃げるだけでは追い付かれてしまう。そうでなくとも、脚は既に限界へと向かっている上に、まるで心臓がストライキでも始めた様に身体中の循環が滞っているように感じられる。

 これではまるで死人。

 その上、イリヤには走り続けられるだけの体力は付加されていなかった。

「あ、だいじょう、ぶ、走れる、から……!」

 まだ走れる、と。

 こちらに負担を懸けまいとし、毅然とした声でそう言ってくれるが、実際の限界はおそらくイリヤの方が早いのは明白だ。

 かといって、あの巨人から隠れられるだけの遮蔽物が無い森の中では、身を顰めるということも出来ない。

 そう思っていた矢先、微かな幸運に見舞われた。

 先日、この森でセイバーとバーサーカーが対決した広場。

 そこに差し掛かった時、彼女の宝具が大地を裂いた際の亀裂が残っているのを見つけた。

 さながら塹壕じみた亀裂は、イリヤと俺を軽々収納した。安堵した身体に、微かに呼吸が戻る。

 しかし、それも一瞬だった。

 迫り来る巨人の咆哮。

 五感を奪われ、狂わされている狂戦士はどこへ逃げようと此方を追い、捕らえ、確実に惨殺するだろう。

 真に見失うことはない。

 けれど、此方にはもう、逃げられるだけの力は残っていない。

「……ぁ……、っ……」

 苦しさを押し殺した声は、傍らで縮こまっているイリヤのものだった。

 自分の身体を懸命に抱いて負担を見せないようにしている。

 これ以上イリヤを走らせることは出来ない。

 これ以上は逃げられない。……それ以上に、これ以上は我慢できない。

 左腕を覆う、赤い布。

 目線を落としたそこでは、聖骸布とやらで封じられた唯一の打開策が、今か今かと解放の時を待つ。

 エセ神父曰く、時限爆弾のようなモノ。

 そしてこれを開けるということは、既に撃鉄は上がっているのに、口の中に銃口を突っ込んで引き金を引くような行為だといえるだろう。

 解けば、死ぬ。

 先程投影を使った反動ですら、ほとんど死に近い状態に陥ったのだ。

 これを完全に解いたが最後、今度こそ、確実に戻って来られなくなる。

 しかし、解っていたはずだ。

 こうしてイリヤを連れ戻すのも、あの影を倒して桜を救うということも、結局はこの力がなければ成立し得ないのだと。

 ……覚悟を決めろ。

 答えは初めから出ていた。

 願い、思い描いたのは、自分の手では決して届かぬ奇蹟。

 こんな状況ですら、都合の良い結末を、全身全霊を賭けて望んでいる。

 自分では叶えられないのだと理解して尚、諦める事さえ考えられない。

「――――――」

 なら、行かないと。

 桜を救って、イリヤも助ける。

 そんなことは出来ない。

 死に行く者、破滅を迎えるしかない桜。

 それを救うということは奇蹟だと、誰かが言った。

 ――――そうだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自分を全て守って、誰かを守ることは出来ない。 破滅に進む桜を救うためには、誰かがその席を替わらなくてはならないのだとしたら。

 ……遠かったように思えた咆哮も、もうほど近い。

 迫る暴風の具現。

 もう、猶予は残されていない。

「――――外へ出る。あいつを倒していいな、イリヤ」

「え……?」

 一瞬呆然として、赤布(せいがいふ)に添えられた右手を見るなり、イリヤは焦ったように立とうとした此方を止める。

「だめ……!! それだけはだめ、アーチャーの腕を使ったら戻れなくなる……! 死ぬのよ、いいえ、死ぬ前に殺されるわ。シロウが、何も悪いコトをしてないシロウがそこまでする必要ない……!!」

 留めてくれる気持ちは嬉しい。

 ……だが、このままでは何も守れない。

 それだけは絶対に、あってはならない。

「それはなんとか我慢する。死にそうになってもなんとか我慢するから、イリヤは心配しなくていい。

 ああ、それと一つ訂正。俺だって、悪いコトくらいしてきたぞ」

「え――――シロウ……?」

「じゃ、行ってくる。イリヤはここで待っててくれ」

 残った自分の手を、イリヤの頭をポンと置く。

 そして、身を隠していた亀裂の中から足を進める。

 なるたけイリヤの居る場所から離れた場所へ。

 万が一にも、迎撃する際に彼女を巻き込まないように。

 迎撃までの間はほとんどない。

「――――――来たな」

 左肩の結び目に手を掛ける。

 聖骸布は手首の部分が特に強く結ばれているため、引き剥がすなら両肩からでなくてはならない。

 ここまで理解できれば、後はただ力任せに引き剥がすだけ。

 それだけで、あの投影の何十倍という痛みが押し寄せるだろう。

 時限爆弾。外すことで火が付き、本当の限界に届くのは何時になるのか。それまでの猶予の長さなど分からないが、確実なのは、一度ついた火は決して消せないということだけ。

 覚悟しただけで恐怖心までは消えない。

 口の中が乾き、舌の根まで枯れた。

 不安で不安で叫び出したくなる。

 正気でなどいられるか、と。

 俺は、俺自身怖くて怖くてたまらない。

 

 死ぬことそのものは怖くない。

 だって、このままでいても死ぬだけなのだ。ならば、少しでも長く続く方を取るのは当然。

 そのために必要な代償は払おう。

 ……だから、何よりも恐ろしいのは、それを払いきる前に自分の心が狂ってしまわないかということだけ。

 

「は――――――あ」

 

 あの痛みに耐えらるのか。

 戦うよりも前に自分も判らなくなって、イリヤも桜も判らなくなってしまうのか。

 守ると誓った言葉さえ思い出せなくなってしまうのか……。

 それが怖かった。

 何よりも、それが怖かった。

 だから封じた。

 この腕を使わないと決め、死ぬような目にあっても使えないと判っていた。

 ……バーサーカーの姿は他人事ではない。

 耐えきれず狂い、正気を失えばああいったモノになる。その恐れは、左腕がある限り消え去ることはない。

 この置き土産は自分を殺していく悪夢そのものだ。

 だが、それを分かっていても尚、ここまで残したのは何の為だったのか。

 ――――切り落としてしまえばいい。

 助かったのならば腕一つ、失くそうと思ってなくせば死ぬこともない。

 だというのに残し続けたのは、

 この腕は、使われるために残された。そのために在り続け、必要だからこそ奴は俺に託されたものなのだから。

 

 ―――俺は俺自身に裁かれる、と奴は言った。

  そしてイリヤは、何も悪いことはしていないと言ってくれた。

 

 なら、それで十分だ。

 贖いは此処に。

 己を裏切り、多くの命を犠牲にした。

 譲れないものは変わらず、そのために在り続ける。

 赤い罰に力を込める。

 生きるか、死ぬか。

 立ち向かうために深呼吸して、左腕に巻かれた布を引き裂くように右腕を――――

 

 

 

 瞬間。

 世界が崩壊した。

 

 

 

 *** 幕間 鋼の風を越えて

 

 

 

 風となった絶望が吹きすさぶ。

 秒速百メートルを優に超える超風。

 人が立つことはおろか、生命の存在そのものを許さぬ強風が叩きつけられる。

 否、既に風などではない。

 吹き付けるそソレらは鋼そのもので、風圧だけで肉体を圧し潰してくる。

 

 眼球は潰れ、背中は壁にめり込んだ。

 手を上げるどころか指さえ動かない。

 逆流する血液。

 漂白されていく精神。

 消されていくことに痛みなどない。

 痛みを感じ、堪えようなど、ここではあまりにも人間らしすぎる。

 

 とける。

 抵抗する苦労を上げることも出来ない。

 何もない。

 抗う術も、先へ進むための力すらも。

 

 白く。

 肉も心も本能も、何もかもが等しく壊れて行く。

 

 

    

前へ。

 

 何のためにここにいる。

    

それでも前へ。

 

 何のためにこうなった。

    

あの向こう側へ。

 

 何のために戦うのか。

    

この風を越えて、前へ。

 

 

 身体は壊れ、負けまいとしていた心さえ削り取られていく。

 粉砕されながらも。

 腕を、

 手を、

 指を。

 何かを、自分の足場にしようと模索する。

 だがどこにも、そのための足掛かりを掴めない。

 崩壊の渦に呑まれていく。

 残されたモノが薄れていく。

 その、中で――――在り得ない、幻を見た。

 

 ――――潰れたはずの視界の先に、一人の男が立っている。

 

 立って、向こう側へ行こうとしている。

 鋼の風に圧されることなく、あの赤い外套をはためかせ、前へ。

 

 

 

あ、ああ」

 

 顎に力が入った。

 ギリギリと歯を鳴らす。

 右手は、とっくに握り拳になっていた。

 

 が、赤い騎士の眼中には此方のことなど写っていない。

 僅かに振り返っている貌は厳しく、風に呑まれていくだけの未熟者に関心など抱いていない。

 先を知る奴にとって、この結果は判り切ったことだった。

『衛宮士郎』はこの風に逆らえない。

 自分を裏切り、手に余る望みを抱いた男に未来などないのだと。

 判り切っていたからこそ、奴の言った言葉は正しい。

 溜め続けた(ツケ)は自身を裁く。

 だというのに、奴の背中は――――

 

 

 

 〝――――ついてこれるか〟

 

 

 

 蔑むように、

 或いは、信じるかのように。

 

 ――――俺の到達を、待っていた。

 

 

「    ―――――ついて来れるか、じゃねぇ」

 

 

 視界が燃える。

 何も感じなかった身体に、ありったけの熱を注ぎ込む。

 手足は、大剣を振るうあのように風を切り、

 

 

 

「てめぇの方こそ、ついてきやがれ――――!」

 

 

 

 渾身の力を込めて、赤い背中を踏破した。

 

 

 

 *** 解放せよ、最強の一撃を

 

 

 

 地上に踏み上がる。

 視界を覆っていた風は途絶えた。

 向かってくる黒い巨人との距離は凡そ三〇メートル。

 敵がこの間を詰めるまで、おそらく三秒とかかるまい。

 ――――故に。

 勝敗は、この三秒で決せられる。

 

 思考は冴えている。

 

 指針の戦力は把握している。

 想像理念、基本骨子、更生材質、製作技術、憑依経験、蓄積年月の再現による物質投影。

 魔術理論・世界卵による心象世界の具現、魂に刻まれた『世界図』をめくり返す固有結界。

 アーチャーが蓄えてきた戦闘技術、経験、肉体強度の継承。訂正、肉体強度の読み込みは失敗。斬られれば殺されるのは以前のまま。

 固有結界〝無限の剣製〟使用不可。

 アーチャーの世界と、自身の世界とは異なっている。再現は出来ない。

 複製できるものは、『衛宮士郎』が直接学んだ者か、アーチャーの記録した宝具の身。

 左腕から宝具を引き出す場合、使用目的に最も適した宝具を〝無限の剣製〟から検索し、複製する。

 しかして注意せよ。

 投影は諸刃の剣。

 一度でも行使すればそれは自らの……。

 

「――――――」

 

 呼吸を止め、全魔力を左腕へ。

 把握するのは使える武装だけで良い。

 注意事項など先刻承知。

 それでも、もっと前へ。

 あの風を越えて、俺は、俺自身を凌駕する――――

 

 

「――――投影(トレース)開始(オン)

 

 

 敵の大剣を凝視する。

 その全てを、寸分違わずに見透かして。

 左手を掲げ、開いた掌に、未だ夢想の柄を握り締める。

 人に扱えるほど軽い剣ではない。

 だが、この左腕は――敵の怪力ごと、その剣技を確実に複製しよう。

 

 手に現れたのは、岩肌をそのまま削り出したかのような荒々しい大剣。

 如何にも〝力〟を象徴するにふさわしいその出で立ち。

 そこに込められた全てを、左腕に乗せ……。

「――――、ぁ」

 脳が罅割れた。硝子細工に走る亀裂のように、戦う力を削いでいく。

 だが、心配など無用。

「――――行くぞ」

 壊れた部分は腕が補強する。

 向けるべきは、敵をこの一撃で以て踏破することのみ。

 魔力の起こりを感じ取り、はっきりとバーサーカーは此方へ進路を取った。

 その姿は、まるで黒い凶つ星のよう。

 断末魔を上げ、敵を討たんと狂戦士は地を駆ける。

 そこで、ふと気づく。

 あの巨人は、何もかもが変わってしまったのだと思っていたが、それは違う。

 憤怒のまま、バーサーカーは何も変わってはいなかったのだ。

 アレは未だ、セイバーとの戦いの中にいる。視界も正気も失い、二度目の死に全身を腐敗させながらも尚、()()()()()()()()()戦っている。

 ……なればこそ。

 

 

 

 ――――、一秒。

 

 

 

 迫る巨人を打倒するには一撃では足りない。

 通常の投影、単なるトレースでは通じない。

 限界を越えた〝投影〟出なければあの狂人を倒すことは出来ないだろう。

 故に――――

 

「――――投影、装填(トリガー・オフ)

 

 脳裏に浮かべるのは、九つの斬撃(だんがん)

 未だに眠ったまま、全身を張り巡った二十七の魔術回路全てを動員し、装填したその一撃の下に叩き伏せる。

 

 

 ――――、二秒。

 

 

 目前に迫る大剣。

 振り上げられたそれに呼応するように、激流と渦巻く気流を感じ取る。

 踏み込まれた一足を一足で迎え撃ち、

 振りぬかれた一撃を同じく振るう一撃で薙ぎ払う。

 そして、敵の急所。

 その八点全てに狙いを定め、

 

全行程投影完了(セット)―――是、射殺す百頭(ナインライブズブレイドワークス)

 

 振り下ろされた音速を、神速で以て凌駕する――――!

 

 激突する剣戟。

 火花が奔り、僅かに勝った九つの剣閃が、黒き巨人を斬り裂く。

 が、倒れない。バーサーカーは自身の大剣で打ち抜かれて尚も健在である。

 しかし、身体の八割を失った敵へトドメを刺すならば、此方の方が早い。

 前へ踏み込む。

 そのまま左手の大剣を胸元まで持ち上げ、槍のように叩き込もうとした。

「▆▇████████▂▂▂▂▇████████████████▇▆……!!」

 だが、負けた。

 後先も何もなく、与えられた反則級の特権を全てを全開で投入した。

 ……にも関わらず、尚負けた。

 旋風を伴った一撃が迫る。

 それに気づいたのは早かった。

 だから、躱せる。

 全てを回避に費やせば、振るわれた一撃はこめかみを擦る程度で終わる。

 それでも即死。まるきり豆腐でも切るように、掠めた大剣の威力はこちらの頭を難なく吹き飛ばすだろう。

 驚異的なスピードで繰り出された一閃。

 最早、これに抗う術などない。

 際限なく加速する思考の中で、どうにか生存を掴もうとしても、先を見ることが出来なかった。

 ――が、その一撃は何時まで経ってもやってこない。

 至高の加速が過ぎて、時が止まったように見えたというだけではない。

 驚異的な速度で繰り出された一撃は、同様に驚異的な速度で止められていたのである。

 その隙を、躊躇わず貫いた。

 情を零さず、巨人の心臓を大剣で撃ち抜いた。

 ……例え、その視線の先に、この巨人が守っていた少女の姿が在ったのだとしても。

 最後に残した命が消え、狂戦士は光の塵へと還って行く。

 反撃はなかった。……ただ、その刹那。

 消え逝く赤い瞳が、少女を見つめたまま――お前が守れと告げていた。

 

 

――――故に、戦いはほんの一瞬。

     本当に一息の内に決着はつけられた。

 

「シロ――――」

 

 決意を固め、

 少女の元を少年が離れ、

 そして、少女が彼の後を追うその刹那。

 ほんの一息つく間に、戦いは終わっていた。

 既に終わった戦いの場を見渡した少女の視線の先には、自らを妹だと呼んだ少年。

 流れる風だけが場を奏で、少年の背を越えて少女の下に戦いの終わりを告げている。

 

「――――――」

 

 決着した。

 本当に、あの死を覚悟した状況は終わっている。

 英霊の腕の力ではない。

 少年は、自らの力で死と対峙し、打ち勝った。

 イリヤは、そんな士郎の背を見守り続ける。

 振り返ることの無い――いや、もう二度と振り返らない、その背中を。

 聖骸布を開放した出で立ちは、非常に雄々しかった。もう、迷いは見られない。

 投影を行使した時点で、彼はその裡にあるあらゆる煩悩(かけら)を落としたのだろう。

 

「――――――シロウ」

 

 哀しげな瞳で、イリヤはただその背を見つめ続ける。

 別人のような姿、別なものになってしまった身体を。

 ……自分を守るために、二人の(あに)がその想いを賭け――――引き返す道をなくしてしまった、愚かで尊い、ある一つの結末を。

 

 

 ***

 

 

 視界がざらつく。

 一刻も早く腕を封じ込めないと、時間切れ(タイムリミット)が来てしまう。

 が、まだスイッチを切ることはできない。

 均衡を保っている意識が切れてしまう。

 何より、

「――――セイバー」

 目の前にいる彼女を、退かせることさえ出来なくなる。

「……………………」

 最初からバーサーカー追随していたのか、セイバーは巨人の仕事を引き継ぐように、ゆっくりと此方へ近づいて来る。

 そうして、あと一息で詰められようという間合いまで近づいたところで止まり、くすんだ金に染まった双眸で此方を見据えてた。

 真っ向から対峙し、改めて彼女を倒すことは出来ないのだと思い知らされる。

 狂戦士を打ち倒せたことさえ、既に奇跡。ギリギリの生存にしがみついている今の状態では、どうあがいても勝ち目はない。

 ……そもそも、仮に五体満足であったのだとして、それでも戦えば倒されるのは此方だ。

 あの聖剣――セイバーの宝具を上回るものなど、投影することが出来ない。

 勝負は蓋を開ける前から決まっている。

 借り物では越えられない壁が、今まさに目の前に立ちふさがっている。

 倒す可能性があるのだとしたら、それはあの宝具に拮抗するモノをその持ち主に使ってもらうしかない。

 その時点で矛盾。

 こと攻撃力に置いて、あの聖剣に匹敵する宝具をこの身は内に蔵してはいない。

 〝間桐桜(せいはい)〟という無限の魔力を手にした今の彼女は無敵だ。マスターとなったその桜でさえ、彼女を殺しきることは難しいだろう。

 ならば、越える為にはあの聖剣を造るくらいしか――――

 

「――――無駄なことを。貴方では桜を救えないと忠告した結果がそれか」

 

 感情の無い声。

 それは開戦の合図。

 容赦も隙も無いまま、次の瞬間、彼女が此方を切り伏せに来る。

 だが、それがどうした。

 此処で殺されるわけにはいかないのだ。

 相手がセイバーだからと言って、負けられない。

 倒せなくとも、イリヤを連れて逃げ果たすくらいはして見せる。

 そう闘志を沸かせながら、セイバーを睨んだところで、彼女は此方へ背を向けて森の奥へと消えて行く。

「幸運だな。自滅する者に関わっている場合ではなくなった。――桜が、私を呼んでいる。

 ……いや。運ではなく、自らの手で勝ち取った生還か。

 貴方はバーサーカーを倒した。その決意が、この結果引き寄せたのだから」

 去っていくその背を呼び止めることはできない。

 今の彼女はどうあれ敵だ。

 強大過ぎる力を持った敵が、理由はどうあれ、それが満身創痍の自分たちを見逃してくれるというのならば、ありがたくその情けに預かろう。……もう呼び止めるだけのを持ち合わせていない身だ。

 募る痛みを噛み殺し、遠ざかっていくセイバーに背を向けた。

 とにかく今は、この森を出なくてはならない。

 イリヤを狙う敵はセイバーだけではないのだから……。

 桜とあの影を剥がすにしても、臓硯がいる以上は必ず邪魔をしてくるだろう。

 言峰が引き受けたと言ったアサシンもどうなっているのか判らない。戦況を把握できていない以上、ここを立ち去る以外に選択はなかった。

 腕の侵食は重過ぎる。リミットはおそらく、投影三回分ほど。

 五体満足でいたいのならば、あと一回でもするのは危ない。

 電波を失った砂嵐が目を覆う。ざらつき続けている視界の中で、どこからかイリヤの声を拾う。

「シロウ……?」

 不安げな声色。

 これ以上彼女の不安を煽れない。

 とにかく、今は――

「……ああ。今は少しでも早く森を出よう。

 セイバーの―――いや、桜の気が変わったら今度こそ逃げられない」

 視認できないイリヤへ向け、それでも足を踏み出した。

 

 こうして、森を去る赤銅と白銀の影を他所に、黒い杯と対峙した神父もまた此処を去る。

 森には、泥に侵された花と剣のみが残され、彼女らもまた――この場を去っていく。

 そして舞台は、始まりにして、終わりの場へと移る。

 

 ――――かつて龍が住まうとされた穴倉。

 そこに、魂を注がれた『杯』が眠っている。

 

 戦いは、遂に幕引きへと向かって行く――――。

 

 

 

 *** 終わりの地を目指して

 

 

 

 時は駿馬のように駆けて行く。……否、時間の流れは変わらない。

 変わっているのは、己の方。

 左腕の影響はもう抑えられない。

 聖骸布で封じていることさえ、もはや気休めに過ぎない。

 ――もう、自分が欠けて行くことを止めることは出来ない。

 強い力を真似(かさね)るのではなく、強すぎる力に侵食(おか)されている。

 力を使うのなら、この欠落は必然。……というよりも、一度使った以上は判りきっていたことだ。

 だから、この先にある自分の限界値を認識し、その範囲でやりくりを果たさなくてはならない。

 腕を使っての〝投影〟は、あと一度はどうにかなる。

 二度目以降は正直恐ろしい。

 そして、三度使えば――――それは決定的になる。

 仮に精神が残っていようが、先に身体の方が霧散(じめつ)しているだろう。

 

「――――冗談。自滅なんかしてたまるか」

 

 状況は絶望的。

 が、そんな事実は蹴り飛ばすだけだ。

 受け入れはしても、それに振り回されるだけの傀儡になどなってたまるものか。

 決意に合わせるようにして、やって来た少女と再会し、彼女との約束を思い出す。

 暫定限界値の内一回は、彼女との約束を果たすために使う。これは決めた。

 しかし、残りの二回。

 自滅などするつもりはないが、それでも無駄撃ちのできるようなものではないのは分かっている。

 故に、残りをどう使うのか。

 きっとそれが、これからの戦いの要となるだろう。

 そんなことを考えている中、今この戦いを動かしている元凶のことを少女たちが語らっていた。

 

 

 

 街の外れ。

 柳洞寺のある円蔵山に置かれた、この戦いの根底を為す基盤(システム)

 遥か昔。雪に覆われた白銀の城で、一人の聖女がある奇跡へと辿り着いた。……いや、辿り着いたというには、僅かばかり語弊がある。

 彼女は、作られた存在であった。

 けれどその創造には、人の意思を汲むでもなく――全くの偶然で生み出された、副産物のようなもの。

 三つ目の奇跡にたどり着いたものの、非常に効率が悪い。

 加えて、彼女自身その奇跡のために不老不死でこそあるが、その実非常に脆弱で死に易い。

 故に、彼女を生み出した魔術師の大家は、彼女の力を他の方法で使役することができないかと模索を重ね、ある一つの結論へと至った。

 

 その結論こそが〝聖杯戦争〟である。

 

 至った三つ目の奇跡。

 第三魔法と呼ばれるこの奇跡は、〝魂の物質化〟を可能とする。

 肉体という枷に引きずられる魂は、本来ならば物質界にそのままで存在することは出来ないもの。高位に存在している〝星幽界〟と呼ばれる場所に属しており、物質界にソレを降ろすことよりも、保有することの方がエネルギーを食う。そうしたものがエーテル体に宿り、生物であったり、或いは幽体として活動することができる。

 しかし、魂は魂と同じ肉体でのみ存在が可能。

 唯一不滅。永劫のものである筈の魂は、結局のところ肉体を失って行く時に合わせて消えて行く。

 だが、第三魔法はその摂理を捻じ曲げるものだ。

 魂そのものを生物とし、単体での存続を可能にするばかりか、同じものにしか入れらないという前提を覆す。

 それどころか、永劫不滅の魂を永久機関とさえすることが可能。

 この部分を応用したのが、聖杯戦争の基盤――『大聖杯』である。

 そう。願いを叶えるための戦い、それこそが表向きの理由。本質は、その第三魔法を体現するための儀式に過ぎない。無論、貼られたレッテルには偽りとは言い切れないだけの価値はある。

 英霊たちの魂を集めた無限の魔力。それを貯めておくのが大聖杯であり、またそれらを用いて根源の渦への道を開くものでもある。

 英霊たちは本来この世界よりも高次元の存在。

 そんな彼らが、呼び出された現世から本来あるべき『座』に還る時――孔が開く。

 開けられたその孔こそ、この世の外にある凡その神秘の大元である根源。

 かつてあった魔法の一端を体現するものを用いて、こうして本当の魔法への道を導くのだ。

 ここがレッテルの偽りと言えない根拠となる部分である。

 それだけのことを成すもの、これだけの魔力を普通の魔術師が手にすることができるのであれば、大抵の事柄を成すことができる奇跡と言っても過言ではない。

 

 どちらにせよ、結局のところは欲の体現を競う戦い。

 ――――それこそが、聖杯戦争そのものなのだ。

 

 が、それは正常な状態での話。

 今の聖杯戦争はその根底からして歪んでしまっている。

 原因となっているのは、この戦争のシステムを作り上げた御三家の一つ。

 そもそもの聖杯を作り上げた、アインツベルンが第三次聖杯戦争で呼び出したサーヴァントがきっかけとなっている。

 

 呼び出されしサーヴァントの名は――〝アンリマユ〟。

 

 そして、それは今の大聖杯の汲んだ願いそのものである。

 

 

 

 *** 〝この世全ての悪〟

 

 

 

 ――――アンリマユ。

 それは、この世全ての悪を担うとされる悪魔の名だ。

 人間の悪性を、全て受容するという悪魔の王。

 だが、アンリマユはそこまで祭り上げられるほどに高い神格を得た存在。

 故に――本来であるならば、聖杯が降霊させることの出来る英霊の上位、神霊の領域にいるモノの筈だ。

 いかな大聖杯であっても、神の領域にある存在は呼び出すことは出来ない。

 聖杯の基板は第三魔法。魂を物質化し、固定する奇跡であるが……英霊の召喚に関してはその奇跡とは関わりが薄い。

 そもそも、『座』から呼ばれるそれらは、本来在った英雄たちの魂を複製したものにすぎない。だからこそ、本当にそのものと言うわけではないのだ。

 彼らは、言うなれば記録。

 遙か昔遠い時代。そこに置いて名をはせた英霊たちを、現し身としてこの世に呼び出している。

 そう。まさか、死んでいない存在でもない限り――英霊の本体が時を超えて現れるなど、有り得るはずはないのだ。

 だからこそ、聖杯戦争に呼ばれる英雄たちは所詮儀式のためのモノ。

 マスターという道具によって呼び寄せられ、『大聖杯』という炉心が本来の力を発揮するための燃料にすぎないのだ。

 世界の外への道を得るために、霊脈以上の歪みを起こす。

 そうして孔となる〝門〟を空けるために。

 この過程において、英霊の魂という〝どんな奇跡をもなしえるだけの魔力〟と、〝根源〟という〝侵され切っていない無尽蔵の魔力〟を手に入れることが出来る。これらが『聖杯』が人の願いを汲むものである所以だ。

 聖杯戦争の前提は全てが逆なのだ。

 奇跡を得るのではなく、奇跡を得るための道として存在し。

 願いを叶えるために争うのではなく、願いを叶えるだけの力を集めて成す。

 機能よりも、機能を得るための準備が必要なのである。

 ――――そして、こうした逆出会った前提が、その基盤さえも反転させた。

 

 気の遠くなるほど昔。

 世界がまだ、ほんの小さな括りで完結していた時代。

 其処に暮らす者たちは、自身らの信仰する考え方の下で、清く正しく生きていた。

 だが、それだけで彼らの〝善性〟への渇望が止むことは無かった。

 小さな括りのなかで、正しく生きているだけではこと足りない。

 この世全て――それだけの救いを、彼らは求めてしまう。

 勿論、人間の機能である感情。悪性とされるそれらを切り離すことは出来ない。……それらは悪になり得ると言うだけで、その実何かしらの要素を含んでいるのだから。

 しかし、彼らはそれを切り離そうとした。

 たった一人。

 たった一人の人間に、この世全ての悪性を独占させてしまえば、外の人間はどう足掻いても悪いことが出来なくなる。

 そんな子供じみた理想論を、彼らは本気で信じ実行した。

 選ばれたのは何の取り柄もない、平凡な青年。

 贄とされた彼に人々は知りうる呪いの言葉を全て刻み、彼こそが〝この世全ての悪〟そのものだとして、悪魔の名を冠させて、恐れ断じた上で祭り上げた。

 嫌われる様に仕向けられ、何よりも悪であれと願われた人の願望の集合体。

 たった一人の人間に、人々はそうした悪性を全て任せることで、この世全ての人間を救済することになった。忌み嫌われるものでありながらも、人を救うもの。だからこそ、彼らはその青年を〝英雄〟として奉ったのである。

 こうして、歪んだ人の理想によって一人の英霊が誕生した。

 これこそがアインツベルンが第三次聖杯戦争において呼び出したサーヴァント、復讐者のクラスに据えられた反英霊・アンリマユである。

 無論、このような過程で生まれたとはいえ、悪魔の名を冠されただけの人間。〝人々の願望〟のみによって英霊となったアンリマユは、サーヴァントとして望まれた能力は皆無だった。

 結果は即座に敗退。開始四日足らずで彼は聖杯の中にただの燃料として回収された。

 無様に負けたアインツベルンのマスターはこう思っただろう。

 コレのどこが、人類全ての悪。人を殺し尽くす物なのか、と。

 ……そこで気づけなかった。否、そもそも既にアインツベルンの悲願は根源へ到達することでなく、ただ〝第三魔法・天の杯〟を成すことだけだ。故に、其処の中身に欠ける願いなどとうに消え失せている。

 歪みを加速させてしまった原因はコレである。

 アンリマユは、聖杯を用いて願いを叶えるため――或いは、無色の魔力を用いて根源を開くためであるならば、決して呼び出してはいけないサーヴァントだった。

 英霊をただの魂として回収するとき、その本質を奪うのが聖杯であるが……アンリマユにはその前提が通用しない。彼は自分の要素など何一つ無いまま、ただ〝願い〟だけで英霊にまで至らしめた存在であった。

 つまりアンリマユの本質は、名を冠せられたモノがどうであろうが、ソレがアンリマユである限り、人々の願望はアンリマユをアンリマユたらしめんと願い続ける。

 そして――聖杯は、人の願いを叶える物。

 願いを叶えるだけの器に、人の願いを汲む要素を付与した物が聖杯である。

 その中に取り込まれたアンリマユは、その願いの項目を自身の存在理由(いろ)で染め上げていった。

 この世の悪を全て担うモノ。

 ヒトを殺すものであれ、と。

 そう願われていた。だが、名を冠された偽物はいても、そのための存在は何処にもいない。

 で、あれば――――成すべきことは、たった一つ。

 現世に、世界全てを侵し尽くすだけの力を持った魔王として誕生すること。

 それが、アンリマユが人格さえ失って魔力の塊となっても果たそうとしている〝意思〟である。

 そのための器として、今回は間桐桜が選ばれた。自分を生み出すために、担い手となってくれる存在として、彼女は今、アンリマユという胎児の母胎とされているのだ。

 自分を生む。肉体という枷に縛られない、悪魔の王としての魂を受肉させる。そうした第三魔法の申し子として、アンリマユはその機能を持った大聖杯に巣喰いながら、誕生の時を待っている。

 永久の破滅を、もたらすために。

 

 そうした永久の器を求め、臓硯はサーヴァントとしてのアンリマユを狙っている。

 如何に破滅を呼ぶ魔王であろうとも、サーヴァントだというのならば話は別だ。

 そも、マキリは聖杯戦争において、令呪を用いたサーヴァントシステムの考案者である。使役できぬはずもない。そんな自負が、あの老人の中にはある。

 自分を壊さず、孫娘を契約させ、その精神は壊れた後に身体を奪う。

 そうして自分は、不老不死となるのだと。

 

 だが、この思惑が――――ある一つの対抗手段を連想させた。

 

 此処までの全てが、魔術による契約に関連する手法で行われているのだ。――とすれば、それら全てを無効化できるのであれば――対抗する策として機能するのではないか。その策を実行できるだけの要素を持ち合わせた少年は、その手段を思い描く。

 自分に貯蔵されただけの情報では足りない。

 が、確かに彼はソレを視ており、足りなければ――その全てを知って(・・・)いるだろう存在が、此処にその道筋を残している。

 その予感は半信半疑だったが、迫る危機と対峙する以上、これ以上の迷いを重ねていられない。

 皮肉なことに、その決意を後押しするように、影がまた再び彼らの家を訪れる。

 影に犯された少女は未だ自分を残したまま、止まれぬ怨嗟に押し潰されていく。

 だがそれでも彼女は〝自分を見捨てた〟姉との決着を望み、〝誰よりも愛した〟男を殺すことを渇望している。

 

 戦いは最後の局面。

 大聖杯の眠る大空洞にて、剣士と少女が待ち構えている。

 状況を打破しなければ、何も救うことは出来ない。

 先へ進まなければ、何も始められない。

 故に進むのだ。見果てぬ理想の先へ進むように、まだ見えぬ光明を探しながら、結末への路を彼らは駆け抜けていく――――

 

 

 

 ***

 

 

 

 (いにしえ)の杯。

 二百年前。彼の地に埋められた戦いの基盤にして、英雄たちの魂を汲む器。

 そして今は、呪いを煮出した悪性の釜。

 内より、誕生を待つ胎動が響く。中に眠るは、この世全てを覆い尽くすために願われた、悪性の塊。

 その呪われし人の理想を前にして、五百年の妄執を重ねた妖怪は嗤っていた。

 予定外の事柄はいくつもあったとはいえ、遂に時は来た。

 仮初めの肉体を失いはしたが、今はもう不要な物。あの神父にはさんざんな目に遭わされはしたが、問題は無い。……なぜなら。その代わりのモノはもう、十年前から用意されていたのだから――――

 

「ツ――――ようやく辿り着いたか。

 魔術師殿。姿は見えぬが、御身は健在か?」

「――――うむ。よく戻ったなアサシン」

 地の底で再び、老魔術師の声が響く。アサシンの呼びかけに応えたソレは、まごう事なき間桐臓硯のもの。

 そう。アインツベルンの森での戦いにおいて敗れ去った主従は、未だ以て健在であったのだ。

 確かに彼らは、言峰綺礼に敗れた。しかし、言峰が祓った臓硯の身体は所詮使い魔である蟲の集まりにすぎない。

 そのため臓硯の魂を殺すことで、言峰は霊体であろう本体を潰すことを試みた。

 肉体を霧散させ、ダメージは確かに与えたものの……臓硯を殺しきるだけの聖言は、いかな言峰と言っても持ち合わせてはいない。肉を潰し、本体のみを残すまでに弱らせはしたが、倒せてはいなかったのである。

 ……だが、確かに臓硯は弱っている。

 事実、今の彼はアサシンへの魔力供給さえ行えない。マスターを失ったサーヴァントは、よほどのことが無い限り消え去る定めだ。

 しかし、アサシンはまだ臓硯が健在であることを知っていた。故に、ここまで存在を保ち続けることに徹することでここに至る。

 とはいうものの、状況が緊迫していることに変わりは無い。

 何よりも欲するのは魔力であり、それは臓硯も同じ。早く自らの従者を万全に戻さなくてはならないのだ。

 両者共に永遠を求めるもの。主従にとって、現状ははっきり言って好ましくない。

 なればこそ、自らを脅かすこの状況を早く正常に戻さなくてはならない。

 が、新しく自信の肉体を集めるのは手間だ。

 といって、臓硯は魔力を作り出せない状態にある。

 ならばどうするか。この場において――最も健在、且つ膨大な魔力を有している者は誰であるのか。

 答えは、考えるまでもない。

「……ふむ。負担を掛けるが頃合いか。桜、アサシンと契約を結べ。バーサーカーを失った今、新しい護衛が必要じゃろう」

 この場に立っていながらも、一言も言葉を発しようとしない少女へと命令を送る。

 けれど、コレまで一度たちとも拒絶させなかったその命を、少女は受け入れようとしない。その様子に、魔術師と暗殺者は時がいたかと思い当たった。遂にその精神は崩壊し、器が空になったのだ、と。

 己が悲願への王手を真に感じ、老魔術師は醜悪に嗤う。

 もう腐敗して行く霊体のみで在りながら、狂気と執念を滲ませながら、嗤う。

 遂に欲した肉体を乗っ取り、育て上げたそのままに、呪いの根底。不老不死への一歩を踏み出せるのだと、そう確信して嗤居続ける。

 しかし、その嗤いを。

 

「その必要はありません、お爺さま。わたしは大丈夫です」

 

 ――少女の声が、冷たく一喝した。

 けれど、その事実に老人は未だ気づかず。

 これまでと同じように、彼女への命を下した。

「……ほう。呑まれてしまったかと思うたが、まだ踏みとどまっておったか。……ふむ。では桜、知と事情が変わってな。儂ではアサシンを維持できなくなった。少しばかり負担を掛けるが、儂の代わりにアサシンと契約するが良い」

 無害なもの。無力な小娘に過ぎないのだと、そう侮りながら。

 その傲りによって今し方、その肉体を失ったというのに。何も学ばないまま、――否。学べるだけの余力を残せなかった亡霊は、遂に己が歪みによって裁かれる。

 

「ギ――――、ガ――――ア、ああああああああああああああああ!?」

 

 影によって呑まれていく暗殺者。

 醜女はその面貌を覗きながら、骸骨の面で顔を隠した暗殺者はその実、自分がないが故に自分名を取り戻した上での永遠を欲しただけの愚者であると知り――心底つまらなそうに、顔無き山の主をその場から消し去った。

「ぐ――貴様正気か!? 何をするのだ、このバカ者め……!」

 驚愕し、何が起こったのかを把握できずに困惑する臓硯は未だ、その歪みに気づけない。

「だってあの人、二度も先輩に手を上げたでしょう?

 だから殺しました。だって、先輩を傷つけて良いのは、わたしだけなんだから」

「な――――」

 そこまで言われて、ようやく臓硯は自分が既に彼女にとって恐怖の対象でも、あるいは自身の命を握った操り手であるとさえ思われていないことに気づく。

「それにお爺さま? お爺さまはもう、彼に守られなくても良いんです。なら、彼には暇をあげないと可哀想」

 聞こえようによっては酷く優しい声色で――少女は形ばかりの祖父に語りかけ、姿無き老人を自身の前へと、文字通りの意味で引きずり出す。

「な――何を、何をする、桜――――」

 桜は自分の身体に手を入れ、こともなげに、心霊手術の如く己が心臓に巣喰っていた蟲を抉り出した。

 少女は困惑の極みにいるまま、声も出せずにいる祖父だったらしきモノを眺める。

「なんだ。やってみたら意外と簡単なんですね。わたし、お爺さまはもっと大きいかと思ってました」

 つまらない、と。

 こんなものが、怖かったのかと。

 拍子抜けするように、矮小な小蟲を眺め回す。その視線を受けた臓硯の混乱、困惑をなんと呼ぼう。

 実際のところ臓硯はこんな脆弱なモノではなかった。しかし、桜の身体に収まるためにはこの矮躯になるしかなかったのである。それでも、身体の中――それも心臓に巣喰うのであれば十分だった。

 けれど、もう意味は無い。

 本来の力も、寄生すべき場所も失い。かつての大魔術師は、これまで育て上げ、そして壊し続けてきた少女の手によって、その命運全てを握られていた。

「桜――桜、よもや」

「あの神父さんには感謝しないといけませんね。あの方がお爺さまを消してくださらなかったら、本当にわたしが食べられていたところだった」

 何もかもを見透かされている。

 いや、そもそも目的を隠している意味など無かったのだ。少女は老人に逆らわず、何時か取って代わられるだけの存在でしかなかったのだから。

 少女がこうして――老人へ反旗を翻す、この時までは。

「ま――――」

 今際の際に至り、五百年もの間他人を暗い続けた老人は、こうなってまでもまだ生き汚く言葉を重ねる。

 ――そうして嘘偽りを重ねるだけ、自分を追い詰めているんだと気づきもせずに。

「待て、待て待て待て……!!

 違う、違うぞ桜……! お前に取り憑くというのは最後の手段だ。お前の意識があるのなら、〝門〟は全てお前に与える。儂は、間桐の血統が栄えればそれで良い。

 お前が勝者となり、全てを手に入れるのであればそれでよいのだ、桜……!」

 醜い小蟲がピチピチと跳ねる。

 手の中で藻掻くソレに向けて、少女は慈愛さえ感じさせるほどに優しく、微笑みこういった。……ちょうど、少女をこの戦いへの意思を向けさせた時。甘言と共に姉の名を出し、彼女を逃れきれなくした、あの時の老人と同じように。

「それでは尚更ですね。だって、もうお爺さまの手は要りません。あとはわたしだけでも、門を開けることは出来ますから」

 はっきりとした決別の言葉。

 受け入れられない老人は、まだまだ醜く足掻く。藻掻く。最後の最後まで醜悪に、そして何よりも、見当外れの善性の一端を証明するかのように。

「――――!? 待て、待つのだ、待ってくれ桜……! 儂はお前のことを思ってやって来たのだぞ……!? それを、それを、恩を仇で返すような真似を――――――」

 そんなものは少女が望んでいたものではない。

 彼女が欲しかったのは、自分を受け入れてくれる場所。

 何よりも取り戻したかったのは、優しい時間。

 もしも、一欠片でも老人に情と呼べるだけの慈悲があったのだとして――先ほどの言葉が真実だというのならば、それは。

 

「さようならお爺さま。

 二百年も地の底で蠢いていたのは疲れたでしょう? ――――さあ、もうお消えになっても結構です」

 

 妄執などに取り憑かれず、よしんば取り憑かれたのだとしても、自分を使わないでいてくれることだけ。……つまるところ、生きながらえるなんてことのために生き続けるな、と言うことだけだったのだから。

 

 

 

 そうして、握りつぶした蟲の残骸は泥に沈む。

 手に残ったのは、蟲を潰した汚れと、自らの胸を抉った鮮血のみ。

 そして、その場には彼女以外誰もおらず、少女は自身の自立を体現するかのような黒い炎の揺らめきに受けて、狂ったように嗤う。

 黒く燃える地下の大空洞に響き渡る少女の声。

 手にした自由を以て、少女は自分が狂ったことを知らぬまま嗤い続ける。

 泥に酔いしれ、本来の目的も見失って。

 誰も恨まずにいた少女は、その恨みを以てその比重を知ることとなるだろう。

 ……なぜなら。誰かを恨まない、と言うことはつまり。

 誰かに怒りをぶつけることよりも、自分が痛いだけの方が、辛さを味合わずに済むからでしかないのだから――――

 

 戦いの場は、遂に整った。

 何の余分も許さず、最後の時が訪れる。

 始まりの地で、終わりの戦いが幕を開けていく。

 

 

 

 *** ~Iimited~

 

 

 

 戦いまでの猶予はあと半日。

 そして、投影の限界までの回数はあと僅か三回。

 そのための一回を、士郎は凛との約束のために使う。ソレがなくては、この戦いを勝ち抜けないが故に。

 渡された剣を下地に、第二魔法を司る宝石剣の模造品を作るのだと、凛の方はそう思っていたのだろう。

 だが、それは出来ない。

 彼の魔術――則ち投影は元々、自身の知り得る物を複製・改変するための術だ。

 視たことのあるものを。

あるいは、その構造を知りうる物を理解することによって創造する。故に、設計図を見たところで、宝石剣の投影は出来ないのである。なぜなら、彼にはその第二魔法を司る魔術理論を理解することが出来ない。

 構造に理がなければ創造はただの妄想として砕け散る。

 これが『グラデーション・エア』と呼ばれる投影魔術の申し子、通常の投影とは一線を分かつ〝剣製〟の本質である。

 だからこそ、士郎はその宝石剣を()る必要がある。――しかし、唯一のオリジナルを持ちうる放浪爺はこの世界にはいない。魔法使いなどと言っても、別に誰かを守り救うヒーローではないのだ。いないことを攻められはしないし、そもそもこれは自分たちの戦いだ。で、あるならば――自分たちで考え、模索し、そして行動するのみ。

 幸いなことに、そうして物語を綴る上で必要な要素は揃っている。

 なにせ此処には、その宝石剣の情報(きおく)を内包した冬の少女がいるのだから。

 

 少年は潜る。

 冬の一族の軌跡を中に納めた、聖杯(イリヤたち)の記憶。

 その始まりの記憶へと、足を踏み入れた。

 時は遙か二世紀ばかり前。

 この極東の地に『冬の聖女』と呼ばれた奇跡の担い手が根を下ろした際、その場に立ち会ったという宝石翁の姿が、其処にあるだろう。彼の手に持たれていたソレは途方もない情報を内包しており、制作に至った全てを読み解けるかは謎である。……しかし、失敗は許されない。

 否。そもそも、失敗などしてやるつもりもない。

 手を伸ばす。

 最奥へ向け、届かぬ手を伸ばしていく。

 外側で引き留めるような声が聞こえるが、もう止まれない。止まる意味もない。

 あとほんの少しで、其処に手が届く――――

 

 地下に広がる空洞。立ち会う三人の魔術師。広間には濃厚な魔力が満ちていてひときわ大きな祭壇のようになった場所に彼の聖女は自らを〝陣〟として植え付ける。広がっていく〝陣〟はまるで機械基盤でソレはまさしく聖杯を巡る争いの根底であることを象徴しているようでそれらの様子を見ている老人の手にはヒトが生みその手で以て及んだことが不可思議に思えそうなほどに情報が内包されてるアレは――アレは、――――だ。つく――――れ、……あ。じょう……、ほう――――だ、に……ま、おう……、―――――。

 

 きおくがとぶ。

 じぶんがうすれる。

 もどれなくなる。でも、けんはたしかに、このてに。

 だが、そのまま、もどらな、ければ、いみが、な――――い。

 

「シ――ウ! 聖……ま、から――おと、……しく――――しなさい……っ!」

 

 呼び戻された。

 声が、聞こえた。

 散々暴れ回ったらしく、自身の周囲は荒れていて、自分を呼び戻してくれたイリヤの姿がそこにある。しかし、彼女をまた突き飛ばしてしまったらしい自分の腕の感触を遅れて思い返し、後悔する。

 だが、そんなことを謝るよりも先に、イリヤは士郎の無茶に怒りを浮かべた。

 

「バカ、余計なものは見るなっていったじゃない……っ!

 ……まったく、上手くいったから許してあげるけど、今度わたしの言うコト聞かなかったら承知しないんだからねっ」

 

 ……結果として、投影自体は成功した。

 本来、魔法の一端に触れる物などそう複製することは出来ないのだが……錬鉄の定めを背負った者の意地か、これ以上を望めないほどに完璧な投影を、自己を殺しきることなく士郎は成し遂げた。

 無論、何も失わなかったというわけではない。歪な身体は、力の反動に対する代償を常に支払い続けている。

 けれど、それでもまだ。自分は戦える、と――そう士郎は自分自身の状況を確信した。

 そう思えるほどには、彼らの状況は前へ進むことを止められないだけの決意を残している。

 

 第二魔法を再現するとされる剣を手にした少女。

 ソレを生み出す、錬鉄の英雄の肉を背負った少年。

 それらを待ち受ける、第三魔法の権化に取り憑かれた少女。

 

 ――――何もかもが規格外のまま、戦いは止まらず、まだまだ先を行く。

 

 

 ***

 

 

 

 始まりと現況が眠り、そして泥に呑まれていく少女が待ち受ける祭壇へ続く路。

 其処へ向かうべく、大空洞を歩く一同の前に、一人の剣士が立ちふさがる。

 漆黒の鎧と、光を失った金の瞳。その手に握られしは、闇を放つ聖剣。

 最優のサーヴァントにして、この戦いにおいて最強となったサーヴァント。

 セイバーが、そこにいた。

 生命の気配を一切感じさせない洞窟の、最奥へと続くその道をふさぐように。

 絶対の殺気を以て、彼女はそこに立っている。

 番人であり、処刑人。

 一切の侵入者を通すことなく、ここで命を刈り取るために。

 けれど、例外が一人――――

 

「……そう。本気なんだ、桜」

 

 ただ一人。この奥に座す真打の少女は、自らの姉に会いたがっている。

 故に、セイバーにはその姉である遠坂凛と争う理由はない。通るのならば、他の二人。連れ添った士郎とライダーの援護をすることなく、おとなしく一人で迎え、と。

 セイバーは凛に選別をされた身を違えるなと、暗にそう告げた。

 その意向をくみ取ったのか、凛はためらうことなく一人で進んでいく。

 引き留めるでもなく、彼女を案じるように士郎が彼女を呼び止めようと、その歩みは止まらない。ただ、その声に短くこう応じる。――期待しているのだから、来るならば早く来るように。

 ……自分には、この奥にいる桜を救いきれるかどうか判らないのか。

 あるいは、単に自分で定めたルールを違えられないその気高さからか。

 凛は、彼女が本当に求めている救い主へ向けて、己の妹を――(ころそ)うという姉の手から攫うがあるなら、さっさと来いと告げていた。

 ならば、その信頼に、応えないわけにはいかない。

 大空洞の奥へと消えた凛を見送りながら、士郎はセイバーと向かい合う。

 セイバーは言った。その期待に応えるのは、通ることは不可能である。貴方は此処で死ぬのだから、と。

 けれど、こうも言っていた。ここを通る者のみを殺す、と。

 ライダーはその矛盾について指摘する。シロウが境界を越えない限り、殺すことは出来ない筈だ、と。

 

 それを、セイバーは――――真っ向から否定する。

 

 士郎は、ここを通らずにはいられない。

 絶対に、桜の元へ向かおうとする。仮に自分が、一切の手を加えないのだとしても、阻む壁である限り、彼は此処を通ろうとせずに入らないのだから。

 ……彼女の言葉は正しい。

 士郎は桜を救いたいし、そのためには此処を通らざるを得ない。

 そして、その道を阻む者はセイバー。

 その壁を越えない限り、望みには届かない。ならば、士郎は遅かれ早かれ此処を通る。自分の命惜しさに決意を蔑ろにできるような男でないことを、……その歪みを。誰よりも知っているセイバーだからこそ。

 士郎との激突が避けられないのだということを、誰よりも肌で感じている。

 勝てぬと知りながら、

 その心を、全て殺しきることが出来ぬと知りながらも。

 

 ――それでも、二人は、ここで対峙する。

 

 ライダーは前に、ここで彼女がセイバーと戦わなくては、士郎は最後の決定打を放つことができない。

 寧ろ、シロウ本人が戦うというのならば、逆に邪魔だ。

 ライダーにとって、最も救うべきは桜であり、そして最も守るべきは士郎なのである。

 士郎が戦うことで自滅してしまっては、それこそ意味がない。

 この一時の主従は、その意味において最適であった。

 共に渇望する者同士。そうして意味では、〝願い〟に懸ける情熱は他の追従を許さない。

 

「――――では。私の命は貴方に預けます、士郎」

 

 黒き杯の前において、姉妹の激突が始まったのと時を同じくして。

 闇を駆ける流星と、座した太陽の激突が始まった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 火花を散らす、剣と鎖。

 縦横無尽に駆け回るライダーと、それを泰然と構え受け止めるセイバー。

 戦況は、傍目に見ればライダーが押しているように見えるかもしれない。しかし、それは違う。

「は――――、ぁ――――」

 またも奇襲を弾かれ、身体を削られるライダー。

 超速で動ける彼女だからこそ、その程度で済んでいる。そうでなければ、セイバーの反撃で以て致命傷を食らうことになるだろう。

 しかし、そんな彼女であっても、かろうじて致命傷を避けている程度に過ぎないのだ。

 駆け巡る鎖と、その先を担う楔。それらをまるで、セイバーは児戯の様にはじき返し、返しの刃を容赦なくライダーへと叩き込む。

 セイバーは、己へ降りかかる全てを防いだ上で、少しずつ相手を削っていく。

 まったくの無傷のまま、自分が唯一劣っている速度が尽きた時を座して待つ。

 戦況は拮抗している様で、たった一つでも均衡を狂わせれば、その瞬間に瓦解するほどに脆いものであった。

 その現状を前にして、士郎はただ一瞬のチャンスを狙う。

 ライダーは、二分は持つといった。

 が、戦闘が始まってから、既に十分弱。当に限界を超えても尚、場の戦況を逆転させるために、ライダーは自滅覚悟で全てを投じてでも士郎を守り、自分たちの側に勝利を引き寄せようと、落ちていく速度へ鞭を打つ。

 ……息を殺し、時を待つ。

 そして、士郎はついに――左腕を開放し、全てを逆転させるための代物を、己が手に生み出す。

 

 

 結論から言うと、二度目の〝投影〟は成功した。

 欠けていく意識の中で、士郎は次の一手を思考する。

 セイバーとの戦いに割って入るのか、ライダーを助けるか、ライダーを信じ切るのか。

 壊れかけの思考で、どの選択をするべきなのか。或いはどうするべきなのか、その全てを思考し、選択する――――

 

 

 

選択の狭間で

 

 

 

 ――打ち合ってどうなるのか?

 もしもライダーがおらず、一人きりでこの場に立たされたのであれば。……きっと、何の躊躇いもなくセイバーへ向かって行けたのかもしれない。

 己の全てを賭して、己の全てを彼女と共に散らせるような、そんな結末に。

 

 ――ライダーを守る。

 それはある意味において、彼女が主と認めてくれた信頼を裏切るものであるかもしれない。だが、それでも守るために在るこの英霊の力は、彼女を無残に散らせるだけの末路など、迎えさせはしないだろう。

 嫌悪する男に託して逝った男の力だ。きっと、途方もなく甘い結論に至る。……そこからの結末が、例え傷らだらけの、贖罪の路となるのだとしても。

 

 ――ライダーを信じ切る。

 これは当然だ。散り行くことさえも覚悟にした彼女を信じ切る。仮初であろうとマスターとして認めてくれた信頼に対しての信を置く。こちらに〝投影〟に屈して崩れてなどやらないという覚悟があるように、彼女にも意地があるだろう。

 その意地がきっと、この先に在る真なる道を切り開くだろう――――!

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――セイバーの剣が空を切る。

 ライダーは既に敵の間合いから離脱している。

 彼女は、己が全てをこの一瞬の為に懸けていたのだ。

 セイバーの方はというと、ライダーが最後の最後まで耐え抜いた策に僅かばかり足を取られている。

 足止め程度ではセイバーは止まらない。

 稲妻の如き魔力で鎖を引き千切り、ライダーへ向けての迎撃を開始する。

 が、それでは遅い。

 隙とも呼べぬその刹那、僅か二秒ばかりの(とき)は、しかしライダーに十分な助走距離を与えた。

 それを受けて、ライダーは己が最大の力をセイバーへと叩き込みに掛かる。

 だが、その狙いはセイバーにも悟られてしまう。

 敵が最大の力で向かってくるのであれば、迎撃手段など一つだけ。

 最大の攻撃には、最大の攻撃を以て向かえ討つのみ。

 

 ――瞬間、二つの光が闇を裂く。

 

 片や、純白で眩いばかりに輝く神速の流星。

 片や、その流星を両断せんとする漆黒の太陽。

 

「――――――〝騎英の(ベルレ)〟」

「〝約束された(エクス)――――〟」

 

 双方の真名が(めい)じられる。

 解放されし、白色の閃光と漆黒の炎。

 鮮血の陣より生まれ出でし流星と、収束し臨界を迎えた星の光が、今。

 

「〝手綱(フォーン)――――〟!!!!!!」

「〝――――勝利の剣(カリバー)〟!!!!」

 

 空洞を染め上げ、己が光以外はいらぬと鬩ぎ合う。

 しかし、それでなお未だ至らぬ先がある。

 破壊力という点に置いて、ライダーの宝具は決して聖剣に及ばない。

 ならどうする? 光の奔流がその力を阻害し、彼女の進路を阻むというのならば――――

 

I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)

 

 

 ――――此方は、その光を阻害して彼女の進むべき道を作るまでだ……!

 

 

熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)――――!!」

 

 鬩ぎ合う光を隔てるように、熾天に咲く花弁が咲いた。

 赤い弓兵の持つ、最大の守り。だが、人々の幻想が生み、そして人の悪意が染め上げた聖剣は容赦なくそれを砕いていく。

 自分が消えていく恐怖を追い払うように吼え、同時に体内を巡る痛みに耐え続ける。

 盾が砕かれていく度、自分の身体の方が砕けていく様な感覚に苛まれ、消しゴムでもかけられたようにエミヤシロウの中身が白く変えて行き――――

 

 

 二つの光は拮抗を崩し――――その場を、白色の流星が染め上げた。

 

 

 勝利を手にした。

 だが、ライダーは力を出し切り地に伏せており、セイバーの方も、死に体でありながらその内側にまだ余力を残している。

 選択を迫られる。

 彼女を救うことは、出来ない。

 もう選んでしまった自分は彼女を選ぶ視覚はなく、彼女と最後まで時を共に出来なかった戦いの部外者に出来るのは――たった一つ。

 この戦いの幕を引き、自分の選んだ選択を全うすることのみだった。

 

 ……それらに気づかないまま、ただ走った。

 

 自分のすることを、理解できず。あるいは、本能が理解を拒むように。

 そうして、取り出したアゾット剣を開放する。

 この場を去った赤い少女から託されたこの剣には、彼女のこれまでの魔力が込められている。これならば、きっと――――セイバーを、

「――――セイ、バー」

 駆け寄った先の彼女に圧し掛かり、無抵抗なその身体に向けて、剣を構える。

 その様子が、一体どう映ったのか。

「ぁ――――シロ、ウ――――?」

「――――――あ」

 微かに聞こえた名前を呼ぶ声に、心が乱れる。

 本当は取り戻したかった剣。救えなかった剣。

 だが、彼女は、今は敵。なら、ならば――どうするのか。

 消えそうだった意識は、厭にシンプルだった。

 やることを全て、身に刻ませようとしているかのように。……彼女との思い出が、戦いの中で加速していた思考を埋め尽くしていく。それらに抗う様に、受け入れるようにして、その全てを込め、彼女に剣を突き立てた―――――

 

 

 

 抵抗はない。

 きっかりと一撃で、セイバーの命は止まった。

 此処で倒さなくては、彼女はきっと、また此方の行く手を拒む。

 もう二度と勝てない強敵として。――なら、彼女を殺さなくてはいけない。

 そうして殺した。自分の中にある全てを込めて、抉り出す様に、傍にあった温もりを捨て去るようにして、剣を突き立てた。

 もう二度と思い出すことが無いように。――けれど、それは許されることではない。

 選んだ道の為、他人を殺す。

 親しい人を、最期まで守ってくれた少女を、この手で殺した。

 後悔も懺悔も許されない。

 誰かの味方をするということは、愛した者に対するエゴを貫くために、大切なものを奪い続けること。

 誰かの傍にてくれるということは暖かい。

 誰かが、誰かを救ってくれた思いは尊い。

 そのことを知りながらも、こうして貫いたエゴは、誰かを踏み越えて行くことなのだと、そう始めて理解した気がした。

「――――でも、セイバー」

 ……喪った先には、見合う輝きはない。

 きっとあるのは、溜めたツケを払い続けるだけの時間。

 それでも、――いつか動けなくなるのだとしても。それに見合う幸せを、一生探し続けていく。

 滑稽で無価値なまま、奪い続けた責任を果たそう。

 幸福が何処にあるのかは判らない。だが、決して諦めることはしないと誓う。

 故に、その幸福を探すために。

 自分が一番大切なものだとした少女を、

 自分が傍らにいなくなってからずっと守ってくれていた彼女へ向けて、感謝を告げた。

「――――ありがとう。お前に、何度も助けられた」

 酷く恩知らずな言葉だったが、

 それに対し罵倒するでもなく、罵るでもなく。

 黒く染まった剣士は、最期まで口を閉ざして消えていった。

 突き刺した短剣にかかっていた重みが消え、気高き騎士王は霧散した。

 

 

 

 そうして、最強の門番との戦いに勝利した少年は――――少女たちの待つ、『杯』の眠る祭壇へと向かう。

 

 

 

 そこには、一人の少女が立っていた。

 求めていたはずの温もりを、その手で殺してしまったことに困惑しながら……。最期の抱擁の温もりを受け、自分が何をしてしまったのかを悔いるように、目の前の現実を否定するかのように。

 ――彼女はまた、たった一人で泣いていた。

 

 

 

*** 姉妹

 

 

 

 視界が開けたそこは、空洞というよりは荒涼とした大地そのもの。

 奥には果ての無い天秤と、黒い太陽。

 遥か遠方にある一枚岩。

 そこを越えれば、この戦争(たたかい)の基盤を成している巨大なクレーター()があるのだろう。

 天の杯――その名に恥じぬだけの力を備え、無尽と呼べそうなほどの魔力を納め、呪いの杯は誕生を待ち望むかのように胎動する。

 正に、その場は異界。

 既にこの世とも呼べそうにない場を、杯は其処に造りだしている。

 しかし、それだけ力に満ちた場でありながらも、足を踏み入れた少女に牙を剥く者は誰もない。彼女が待ち構えていると踏んでいた妖怪も、それを守る暗殺者の姿もなく、彼女は祭壇の先に――――

 

「――――嬉しいわ、姉さん。逃げずに来てくれたんですね」

 

 自身の想像を超えた、在り得ないモノを見た。

 

 

 

 頭上を見上げる。

 高い崖の上。

 そこで、黒い太陽を背にした間桐桜が、『大聖杯(ここ)』を訪れた己が姉を歓迎していた。

「――――っ」

 余りの変貌、その重圧に圧されて、凛は僅かに後退する。

 (いもうと)の変貌は、(あね)想像(それ)を軽く上回っていた。

 彼女を侵す泥の主。〝アンリマユ〟とは、本来であれば実態など持たないサーヴァントに過ぎない。如何に受肉寸前とはいえ、人の空想が象り、人の願いで以て生まれ(いず)る以上は〝影〟に過ぎないモノの筈だ。

 それゆえ、〝アンリマユ〟のもたらす力はその依り代に委ねられる。

 

 ――――桜は、まさしくそのためのうってつけの存在。

     今の桜はまごうことなく、〝この世全ての(アンリマユ)〟そのものであった。

 

 正直なところ、凛は「これは参った」と考える。

 兄弟子の綺礼がいれば、神の代行者とでも呼びそうな出で立ちは、禍々しいと同時に神々しい。

 力の差は歴然。

 成す術などまるでない。

 勝てる確信などありはしない。

 ……が、こんなところで諦めるような性分でもない。

 故に、凛は勝てる可能性を手に、妹の元へと向かう。

 

「どうしました、姉さん? そんなに怯えて。……ふふ、いまさら臆病風に吹かれた、なんて言わないでくださいね」

「……言うじゃない。そういうアンタこそ、いつもそばにいる保護者はどうしたのよ。弱虫なんだから、すぐ近くにいてもらわないと困るんじゃない?」

「――――――」

 場の空気が凍る。満ちていく殺気が魔力に乗って、場を満たしていくかのような感覚に陥っていく。

 売り言葉に買い言葉。

 口の勝負では分が悪いと思ったのか、詰まった言葉を息と共に呑み込んで、桜は笑みを浮かべながらこう言った。

「お爺さまならもういません。邪魔でしたから、アサシンと一緒に潰したんです」

「…………」

 問うまでもなく、薄々感づいてはいた事実を再認する。

 姿を見せないのも当然ということか。あの妄執に付かれた妖怪は、どうやら最後の最後で飼い犬に食い殺されたらしい。

「なるほど。完全に自由になったってわけね。良くも悪くも、臓硯はあんたを縛っていた支配者だった。

 その臓硯(よくあつ)を自分手で始末して、もう怖いものはないってワケ?」

 が、凛の問いに対し、桜はこう答える。

「いいえ。それがまだなんですよ、姉さん。

 お爺様を消したくらいじゃダメなんです。こんなに強くなって、なんだってできるようになったのに、わたしはまだ囚われている」

 未だに彼女は、恐いものがあるのだという。

 それは――

「……もう。もう姉さんなんて取るに足りない存在なのに、姉さんはわたしの中から消えてくれない。姉さんはわたしの中で、今も懲りずわたしを苛め続けている。

 だから――貴女がいる限り、わたしは自由になんてなれません」

 歌うように軽やかでありながら、粘りつくように重い。

 声の響きが抱える矛盾は、そのまま声の主が正気でない証拠だった。

 場に満ちていく殺気は、その実、優越と畏怖とが混ざり合った狂想である。

 しかし、

「……ふうん。その割にはご機嫌じゃない。臓硯を殺してアサシンも殺して、その分じゃ綺礼もアンタに殺されたとみるべきね。

 あれだけ嫌がってたのに大した手際だわ。人殺しにはもう慣れたの?」

 その程度では凛の持つ輝きはまだ折れない。勿論それは、桜自身、嫌というほど知っている。

 ……自分の持っていないものを、当たり前のように持っていた姉だからこそ。こうして未だに畏れ、そして未だに――――

「ええ。だって、人を潰すのも呑み込むのも変わらないもの。

 人間は(遊んで)していないと毎日がつまらなくて意味がないし、飲まないと乾いて苦しいでしょう?

 ほら、だから同じ。姉さんと変わらない。わたしは当たり前のように、みんながしているコトをするだけです」

「――――ちょっと。今の屁理屈、本気で言ってる?」

「屁理屈なんかじゃありません。わたしは間違ってない。

 違ったのは強くなったからです。強くなったから、今までとは在り方が変わってしまっただけ……。

 わたしは――――わたしは強くなりました。

 強くなれば、何をしても許されるんじゃないんですか……?

 ……そう。強くなれば、誰にも負けなければ、今までのことだって許される。わたしがわたしじゃ無くなれば、今までしてきたコトも全部当たり前の、仕方のないコトだって言える筈です……! ――――わかりましたか姉さん? わたしは、そういうモノになるんです。

 だから、誰だって殺せます。そんなの、わたしにとっては当たり前のことなんだから」

 怒りに満ちた絶叫は、そう信じることでしか逃げ場を得ることの出来ない、泣きじゃくる子供の訴えだった。

 幼いそれは、矛盾だらけ。

 憂うべきものではあったのだろう。

 が、まだ一人。それに当て嵌まらない人間はいる。

「……そう。で、目につくものなら、片っ端から八つ当たりするワケか。けど、士郎はどうなの? あいつは今でも、アンタを助けられると信じてる。それでも関係なく、アンタはあいつをやっちゃうわけ?」

 姉の問いに、最期の最後に残った引き金がまた引かれる。

 昂っていった気持ちは収束し、間近にまでやってきてしまった少年を想い、手放しかけた心を取り戻していく。

 僅かに詰まった息を呑みむと、少女は笑みを浮かべて。

「はい。それは先輩だって例外じゃないわ。――ううん。わたしが殺してしまいたいのはあの人だけなんです、姉さん。

 ……ええ。わたし、早く――――」

 

 〝――――先輩も、呑み込んでしまいたい〟

 

 酷く恍惚とした表情でそう答えた。

 ……最早、間桐桜の答えは何もかも手遅れだった。

 凛は僅かばかり残っていた情も振り払う。そして、目の前にいる存在を〝敵〟とみなし、倒すための算段に移る。

「……ふん。何がアンリマユと刺し違える、よ。

 バカな娘だと思ってたけど、ここまでバカだとは思わなかったわ。完全に取り込まれて、とっくに()()()()()()のね」

「――――フ。強がりですね、素直になってください姉さん。

 こんなに強い力を見せられて、本当は羨ましがってるんでしょう? 嫉妬してるんでしょう? だからわざわざ、敵わないって知りながらわたしを殺しに来たんです。

 ……そう。この子をわたしから取り上げて、また自分だけで幸せになる気なんだ」

 込められた怨恨に同調するように、影がその実体を持って浮き立つ。

 以前とは比べ物にならないほどの魔力の塊は、サーヴァントの宝具にも匹敵しようかというほどの〝吸収の魔力〟であった。

 そして、影は一つにとどまらず。

 次々と鎌首をもたげ、その場に現出していく。

「渡さない。これはわたしの力です。姉さんにあげるものは、後悔と絶望だけ。――それを、ゆっくりと教えてあげます」

 涌き立った影は四つ。

 街一つは優に落とせるだろう魔力が込められた巨人は、主である少女の意思によって、たった一人の人間へと向けられる。

 奥に立つ少女を護るように、眼下のちっぽけな人間を叩き潰そうと手を伸ばす。

「――――力の差を見せてあげますね、姉さん。

 今度は誰も助けに来ない。湖に堕ちた蟲みたいに、天の杯(このわたし)に溺れなさい」

 影の巨人が迫る。

 そうして、防ぐことも躱すことさえ出来ない絶大な力が、遠坂凜を呑み込んだ。

 

 それを皮切りとして――生まれてから一度たりとも対立したことの無い姉妹が、今この場で以て対峙した。

 

 ――――片や第三魔法、そして第二魔法の一端を有して、少女たちは此処に激突する。

 

 

 

 ***

 

 

 

 桜は、その光景が信じられなかった。

 勝ったと思った。絶対に、逃れ得ぬだろうと確信さえした。

 だが、彼女の思惑の通りに事態は進まない。

 黒い波が彼女の姉へと迫り、〝遠坂凛〟というちっぽけな獲物を逃すまいとして、ヒダの様な量の手を広げ、高波のように襲い掛かる。

 が、それを――――

 

Es last frei(解放)Werkzung(斬撃)―――!」

 

 眩いばかりの光が薙ぎ払い、両断した。

「な――――」

 言葉を失う。

 が、それも当然である。

 一体一体がサーヴァントに匹敵するほどの魔力を内包しているのだ。そんな巨人を、人の身で踏破できるはずもない。

 だというのに、遠坂凛はその差をもろともせずに場を駆ける。

 最初にいた四体をとうに越え、悉くを一撃で消滅させ、遠坂凛は苦も無く崖を駆け登りながら――現れた七体目を、手にした短剣の一振りでかき消した。

「そんな筈――――」

 次なる詠唱をし、桜はさらに影の巨人を生み出す。

 だが、それを「しつこい」とばかりに、閉口した様に凛は手にした宝石剣で一掃する。

 そうして、崖を登り切った。

 凛の前には桜。

 桜の前には凛。

 遠く離れていたはずの距離は、既に肉薄するほどに詰められている。

 目の前に迫る現実に愕然となり、桜はここまでの駆けあがった姉を呆然となりながらも凝視した。

「うそ――――そんな、はず」

 現実を認めようとしない焦りか、それとも、或いは影たちが主の危機を感じ取ったのか。

 たった一人きりの人間に対し、目盛を振り切るほどに込められた魔力で以て、その命を叩き潰そうとした。

 しかし、凛は未だ表情を曇らせもしない。

「――――また大盤振る舞いね。教会の人間がいたら卒倒するわよ。それだけの貯蔵量があれば、向こう百年は一部門を永続できるってね」

 軽口を叩きながらも、迫る影を容赦なく圧倒する。

 魔術師では決して届かない筈の、『天の杯(せいはい)』の恩恵を受けている筈の桜を()()()()――。

「――――それを切り伏せる姉さんは何ですか。わたしが引き出せる魔力は、姉さんの数専売です。姉さんには一人だって、(わたし)を消す力なんてないのに、どうして」

 桜の疑問は当然だ。だが、その認識には若干の差異がある。

「どうしてもなにも、純粋な力勝負をしているだけよ。

 わたしは呪いの解呪なんてできない。単に、影を創り上げている貴女の魔力を、わたしの魔力で打ち消しているだけ。そんなの、見て判らない?」

「それが嘘だって言ってるんです……!

 姉さんにはそれだけの魔力はない。いいえ、さっきから何度も放っている光は、まるで」

 セイバーの聖剣のようだ、と。

 数多の影を斬り祓っていく様は、そうとしか思えない。

 だが、そんなことが出来るとも思えない。――しかし事実として、凛はその剣で以て影を殺して行く。

 桜にはそうとしか考えられない。

 その思考が決定的。

 ――〝魔術〟をどう学んだのか。

 本来の目的のために学ぼうとしたか、或いはただ誰かが成すことの為に従順なモルモットを選んだのか。

 それこそが、この勝負の行方を分けた。

「……その剣ですか。考えられないけど、それはセイバーの宝具の力を真似ている。姉さんに残った微弱な魔力でも起動する、影を殺すだけの限定武装――――」

「は? ちょっと、そんなコトも判らないの? 貴女、今まで何を習ってきたのよ、桜」

 知識の差。

 魔術が本来、何であったのかを知るか知らないか。その部分に置いて、桜は凛には及ばない。魔術師としての在り方、その部分については、桜はド素人の衛宮士郎とも大差ないとさえ言える。

 それだって、敵が武器を持つのであれば桜は戦闘特化の士郎には性能の部分で劣る。

 桜に出来るのは、生まれ持った才覚をそのまま振るうことだけ。

 無論それも、出力に際限のないバックアップがあれば凡人など千人集まろうと、ただの塵芥に過ぎない。

 しかし、それが同等の才覚を持つ人間。

 もしくは、その力を一点突破できるだけの力を備えている人間が相手であれば、戦況はたやすく逆転するのだと。

 まさに桜の直面している現実は、今の状況を表すにふさわしいと言えるだろう。

「な――――バ、バカにしないで……! だって、そうでなくちゃ説明が」

「説明も何もない。これはセイバーの聖剣のコピーでもないし、影殺しの魔剣でもない。これはね、桜。遠坂に伝わる宝石剣で、〝ゼルレッチ〟っていうの」

「え……? ぜるれっち……?」

 聞き覚えの無い名に、今度こそ桜の思考は停止しかける。

 まさしくそこで、両者の魔術に対する姿勢が別たれ、勝敗の行方は決した。

「呆れた。ゼルレッチの名前も知らないのね。……なんか説明するのもばからしくなってきたけど、まぁ、要するに貴女の天敵よ。

 今の貴女は、魂を永久機関にして魔力を生み出す、〝第三魔法〟の出来損ない。

 そしてわたしは――無限に連なる並行世界を旅する爺さんの模造品、〝第二魔法〟の泥棒猫(コピーキャット)ってコト……!」

 共に無限、無尽蔵の魔力を体現するモノ。

 だが、その一点に置いて戦闘がどう運ぶかは、担い手たちの力次第。

 そして今、第二と第三の魔法同士の拮抗した天秤の針は遠坂凛の方に傾き始めている。

 宝石剣が一閃するたび、振り払われた軌道の通りに光は影を(ころ)して行く。

 そればかりか、本当に小さなエクスカリバーともいうべき破壊力で、放たれた光と熱は空洞の内壁を削り振動させる。

 そこまで分かれば、確かにそれらは魔力のぶつかり合いである。

 単なる力比べに過ぎないが、それでも確かに今、双方は同じだけの魔力のストックがあり、その拮抗は崩れつつあった。

「あ――――あ」

「近づくまでもないわね。こっちはこう見えても飛び道具だし、アンタは影に守られて出てこないし。

 どっちかの力が尽きるまで、打ち合いをするのも悪くないわ。……ま、あんまり続けられたら、わたしたちよりも先にこの洞窟が崩れそうだけど」

「そんな……打ち合いなんて、それも嘘です。

 姉さんには、もうこれっぽっちも魔力なんて残っていない。その剣が何であれ、もう次の攻撃なんてできないはず――――」

「そ? ならやってみましょう。良いからかかってきなさい桜。貴方が何をしてきても、わたしには届かない。

 荒療治だけど、ま、授業料って思って諦めるのね。ちょっと強くなったからってわがまま放題しかコト、後悔させてあげるから」

「――――!」

 まだ、と。

 桜は影を振るおうとした。

 だが、影はもう守りの意味をなさない。姉の手から放たれる光、その一閃によって何もかもが霧散していく。

 もう既に、相手を倒すなどという考えはない。

 今はただ、自らに降りかかる恐れのみで影を使役している。

 焦り、混乱、そして恐怖は人を縛る。

 だからこそ気づけない。

 凛の額の汗や、一撃を振るう度に腕の筋肉を切断されるその代償に。

 

「どうして――――!? わたしは誰よりも強くなった。

 もう誰にも叱られなくなった。

 なのに、どうしていきなり、そんな都合よくわたしに追いつくんですか……! 姉さんの魔力じゃ、わたしに呑まれるしかないのに……!!」

「それが間違いだっていうのよ。いくらデタラメな貯蔵量があったって、それを使うのは術者でしょう。

 わかる? どんなに水があったって、外に出す量は蛇口の大きさに左右される。

 間桐桜っていう魔術回路の瞬間放出量は一千弱。

 ならどんなに貯蔵があっても、一度に放出できる魔力はわたしとさして変わらない……!」

 

 そう、初めから戦力差そのものは変わってなどいない。

 桜には大聖杯の中に眠るアンリマユが、凛には閉口に繋がる世界の魔力(マナ)が味方をしているだけ。

 双方は、自分自身の身体を媒体にして力を振るう。

 故に、結局のところはどちらの身体が先に壊れるのかが鍵となる。

 ……そして、それに関しては凛に分が悪い。

 しかし、今落ち詰められているのは間違いなく桜の方だ。なればこそ、そこに付け入る隙は確かにある――――

 

「きゃっ……!?」

「だから、わたしが用意するのはアンタと同じだけの貯蔵量じゃなく、毎回一千程度の魔力でいい……!

 そんなバカみたいに肥大した魔力なんて、持っていても宝の持ち腐れよ―――!」

 

 語られた理屈は判る。

 それでも桜には納得がいかない。

 魔法に対して関心の薄かった彼女にとって、本来であれば百くらいの姉の魔力が、千を毎回放てるのか理解できない。

 矛盾している。成立しえない事柄を可能としている、あの剣の力が。

 彼女にとって、魔力とは自らの内側。ないし、外にあるだけの有限の代物である。

 確かにそれは正しい。どれだけ濃密であろうとも、場に満たされただけの魔力は使い切ってしまえば空になる。ならば、その空を埋めるにはどうすればいいのか。

 答えは簡単だ。

 ――――魔術師とは本来、〝外にある力を自らのものとして扱う者〟を指す。

 足りないのならば、持ってくるのは当然外から。

 この大空洞を一つの魔力の満ちた世界だとするなら、桜に対抗できるだけの魔力はこの世界だけでは一度だけ。――しかし、もしもここに、その世界がもう一つあるのだとしたらどうなるだろう?

 仮にもう一つ、同じ大空洞がここに存在しているのだとした場合、集められる魔力はもう一度だけ回数を増す。

 しかしそれでは焼け石に水。

 どうあがいても、その後に続く攻撃を対抗することはできない。

 が、その〝もしも〟を際限なく現実にできるならばどうか。

 ――並行世界。

 合わせ鏡のように列なる『ここと同じ場所』に穴をあけ、そこから、ここに在ったのと同じだけの、その世界ではまだ使われていない魔力を引き出せるとしたらどうなる?

 姉が力を振るう度。

 其処で桜は、自身と同じ様な歪みを持っていることにようやく気付く。

「っ……! その歪み、聖杯と同じ――――まさか、姉さん!?」

「そう、よそから魔力を引っ張ってるはアンタだけじゃない。けど、勘違いしないでよね。わたしのは、そんな無駄に増えたモノじゃない。わたしはあくまで、並行して存在する大空洞(ここ)から魔力を拝借しているだけ。

 合わせ鏡に映った無限の並行世界から、毎回一千ずつの魔力を集めて、力任せに斬り払ってるのよ……!」

「そんな。そんな、デタラメ……!」

「わかった桜? そっちが無尽蔵なら、こっちは無制限ってコト―――――!」

 宝石剣・ゼルレッチ。

 それは、無限に列なる並行世界に路を繋げるという〝奇跡(まほう)〟を体現した代物。

 が、剣の能力はそれだけ。

 僅かな隙間、人間など通れぬ僅かな穴をあけ、隣り合う『違う可能性』を持つ世界を除く礼装。

 魔力を増幅する力は勿論、一撃を振るう度に千の魔力を生み出す力もない。

 しかし、それで十分すぎる。

 使い終われば次へ。

 それが終わればまた次へ、と。

 決して際限なく、僅かな差異があるであろう世界との路を繋ぎ合わせ、そこから魔力を引っ張てくるだけでも事足りる。

 桜と凛の魔術回路(せいのう)に差はない。

 ならば、無尽蔵と無制限。まったく異なる二つの事柄は、今この時に置いては全くの同位であるのだから。

 幾度となく力をぶつけ合い、桜はようやく攻撃を止めた。

「は――――あ、あ――――」

 仮にこのまま姉が力尽きるまで続けたのだとしても、その前にきっと洞窟が崩れ去り、祭壇が崩壊してしまうだろう。

 仮にその逆、崩壊を度外視して姉を殺しにかかっても、結局先に力尽きるのは自分。

 そうなっては、桜の敗北だ。

 ようやく気付いた敵の正体に、悔しげに歯噛みして姉を睨む。

 凛もそこへ攻撃することはない。結局のところ、二人の敗北の条件は早いか遅いか違いでしかない。ならば無駄撃ちをする意味もない。

 が、どうしようもなくなって、動けなくなったのは桜の方だった。

 そんな妹へ向けて、凛はこう言い放った。

「何度やっても同じよ桜。貴女が手に入れた力なんてその程度。舞い上がってた頭も、これで少しは冷えたでしょ」

 しかし、そんな姉の言葉に、桜は再び攻防を開始する。

「ふざけないで…………! そんなの不公平です、姉さん……姉さんばっかり、どうして――――っ!?」

 無意味だと判って、自らの首を絞めていると知りながらも、それでも〝間桐桜〟は叫び続ける。

 ずっと長い間鬱積し続けた、たった一人の肉親に対する恨みと共に。

「そうです……! わたしは姉さんがうらやましかった……!

 遠坂の家に残って、何時も輝いていて、苦労なんて一つも知らずに育った〝()()()〟が憎らしかった。

 だから勝ちたかった。一度ぐらい、一度でいいから、姉さんに〝凄い〟って褒めて欲しかったのに……! なのにどうして、そんなことも許してくれないんですか……!?」

 垣間見えた妹の言葉を、姉は無言で受け止める。

 迫る影を斬り払い、漏れ出す言葉だけをただ静かに。

 ……けれど、それは。

「どうしてですか!? わたしは違ったのに。同じ姉妹で、同じ家に生まれたのに、わたしには何もなかった……!!

 あんな暗い蟲蔵に押し込まれて、毎日毎日オモチャみたいに扱われてた! 人間らしい暮らしも、優しい言葉もかけられたコトはなかった……!」

 その憎悪は、姉である凛に対するものではなく。

「死にかけたコトなんて毎日だった。死にたくなって鏡を見るなんて毎日だった。でも死ぬのは怖くて、一人で消えるなんてイヤだった……!

 だって、わたしにはお姉さんがいるって聞かされてた。

 わたしは遠坂の子だから、お姉さんが助けに来てくれるんだって、ずっとずっと信じていたのに……!!」

 微かに残された希望に縋っていても、その望みは敵うことはなく。

 ただ毎日の、絶望だけが何もかもを塗り潰していくだけ。

 諦めてなんかなかった。耐えていたのも、縋れるだけの希望があったからこそ。

 だから、本当は……本当は、ずっとずっと待っていたのだ。

 自分が救われる日を。また、姉と笑い合える日が来るんだと。

 そう、信じていたのに――――。

「なのに、姉さんは来てくれなかった。

 わたしのコトなんて知らずに、いつも綺麗なまま笑ってた。惨めなわたしのコトなんて気にせず、遠坂の家で幸せに暮らしてた。

 どうしてですか……!? 同じ姉妹なのに、同じ人間なのに、どうして姉さんだけ、そんなに笑っていられるんです……!」

「――――――」

 ……その憎悪は、姉である凛に向けたものではない。否、誰かに向けられたものですらない。

 その想いは――優しくなかった世界と、そこを抜け出せなかった自分への、出口のない懇願だった。

「人間を辞めた、ですって……!?

 当然です。わたしはもうずっと前から、人間扱いされてこなかった。目の髪も姉さんとは変わって行って、細胞の隅々までマキリの魔術師になるように変えられた……!!

 ――十一年。十一年です、姉さん!

 マキリの教えは、鍛錬なってものじゃなかった。あの人たちはわたしの頭のよさなんて期待していなかった。

 身体に直接刻んで、ただ魔術を使うだけの道具に仕立て上げた。苦痛を与えれば与えるほど、良い道具になるって笑うんです。

 ……そのうち食事にも毒を盛られて、ごはんを食べるコトは怖くて痛いコトでしかなくなった。

 蟲蔵に放り込まれれば、ただ息を吸うことさえお爺さまの許しが必要だった……!」

 次第に影は、殺す為ではなく、縋るために迫る。

 ……泣いている桜と、同じように。

 そんな影を、凛は無言で斬り伏せる。

「……あは、どうかしてますよね。でも痛くて痛くて、止めてくださいって懇願すればするほど、あの人たちはわたしに手を加えていった。

 だから姉さんみたいに頭もよくない。何でも出来るわけじゃない。わたしにできることは、こうやって自分の痛みをぶつけるコトだけです」

 ――けど、と。

 桜はそういって、胸の裡に巣食う根底(ぎもん)を吐き出す。

「それってわたしの所為ですか?

 わたしをこういう風にしたのはお爺さまで、間桐に売り渡したお父さまで、助けに来てくれなかった姉さんじゃない……!

 わたしだって、好きでこんな化け物になったんじゃない……! みんなが、わたしを追い詰めるから、こうなるしかなかったのに……!!」

 懇願は何時しか嘆願に変わり、自分の痛みを知って欲しいと姉に言葉を投げる。

 ぶつけるたびに涙があふれ、痛かった日々が、辛かった時間が、何もかもが胸の裡から零れだす。

 溢れた思いは止められず、桜は今になってもまだ姉に縋りつく。

 ……決して、手を取ってくれなかった姉に。

 

「――――ふうん。だからどうしたっていうの、それ」

 

 一切の同情はなく。

 姉は可哀想だとも言わず。

憐れむ事さえも無く、妹の言葉をそう斬り捨てた。

「な――――――」

「そういうこともあるでしょ。泣き言をいったところで何が変わるでもないし、化け物になったのならそれはそれでいいんじゃない? だって、今は痛くないんでしょ。アンタ」

 肯定の言葉。

 これまで嫌だったそれも、なってしまった醜さも、何もかもを肯定された。

 暖かさを求めた叫びは、確かに行き過ぎてはいた。だが、それだけまだ姉が優しさを見せてくれるのだろうと高を括っていたのだ。

 凛は、そんな桜の想いをそのまま惰性に浸らせない。

 突き放す様に、今までがそうだったのなら、仕方がないだろう、と。酷くドライにそう言い切った。

 求めた温もりは否定された。

 怪物になった自分は肯定された。

 弱かっただけ、抗いきれなかった結果だろうと。

 何時も潔癖で完全だった姉が、誤魔化しようのない真実を口にした。

 

「姉さん――姉さんが、そんなだから――――!」

 

 だが、そんなものを求めてはいない。

 求めたのは、憐みだけではない抱擁。

 あの雨の日のように、そっと傷を舐めてくれるようなものが欲しかっただけだ。

 ……自分を助けてくれる何かが、欲しかったのだ。

 だけど、そんなものでは変わらない。

 結局、寄り添ってくれた温もりさえ払いのけて、そこまで堕ちたのは自分からだろうと、そう凛は桜に言ったのである。

 間違ってはいない。けど、正しくもない。

 間違っても許して欲しかった。大丈夫だよ、と。また立ち上がれるきっかけを欲した。

 なのに、伸ばした手は払い除けられて、

 辛かった日々は仕方ないと済まされて、

 怪物になってしまった自分は、それでも良いと肯定された。

 それがどれほどの絶望だったのか。姉に圧され、戦いを拒否しかけていた少女は、その裡に秘めた絶望と共に呪いを具現化させていく。

 そうして、戦いを選び取った桜に対して。

「そ。じゃあ、わたしからも一つだけ言っておくわ。

 わたし、苦しいと思ったことは一度もなかった。

 大抵のことはさらっと受け流せてたし、どんなことだって上手くこなせた。

 だからアンタみたいに追い込まれることもなかったし、追い込まれる人間の悩みなんて興味なかった」

 凛は平静な声で先ほどの彼女と同じように、自分がこれまでどう思っていたのかを語る。

「そういう性格なのよ、わたし。あんまり他人の痛みが分からないの。

 だから正直に言えば、桜がどんなにつらい思いをして、どんなにひどい日々を送って来たかは解らない。悪いけど、理解しようとも思わないわ」

 簡潔な言葉に嘘はない。

 元々、嘘など吐く質でもない。

 凛は苦しみを訴える妹に対し、事実だけを口にする。

 そして、最後に。

「けど桜、そんな無神経な人間でもね?」

 真っ直ぐに。

 精一杯の気持ちを込めて、〝間桐桜〟を見返した。

 

 

 

「――――は?」

 

 

 

 今、あの人は何と口にしたのか。

 桜の中で、目まぐるしく思考が回る。

 理解できない理解できない理解できない。

 

 

 〝――――わたしだって、恵まれていなかった……?〟

 

 

 …………なに、を。

 何を、何をいまさら。

 憎悪に染まった脳裏は真っ赤だ。

 今になって、そんな都合のいい言葉なんて、ふざけているとしか思えない。

 

「今更――――恵まれていなかった、ですって……?」

 

 ――――うるさい。

 頭の中が余計なことでうるさすぎて捩れそうだ。

 何もかもが根底から壊れてしまいそうだ。

 ずっと自分だけ綺麗なままだったくせに。

 これまで一度もわたしのコトなんて振り返りもしなかったくせに。

 生まれ持った輝かしいまでの才能を、降伏と共に振りかざしていたくせに。

「よくも――よくも、そんな――――」

 わたしのコトなんて好きでも嫌いでもないくせに、

 持っていて欲しかったものを一欠けらさえも持っていないくせに、

 自分だけはキレイなままだと言い張って――――!!

 

 

 

「足りない――――!

 そんな言葉聞きたくない、そんな言い分けなんて聞きたくない、わたしは、姉さんなんてもう――――!!」

 

 

 

 要らない、と。

 そう、自らの闇を拒むように、叫んだ。

 

 そして、本当に狂いきってしまったかのように、桜は先程まで以上に暴れ出す。

 ……そこまでが、凛の限界。

 本当は、来てくれるのを待っていた。

 自分では救えないかもしれないあの子を、救ってくれるだろう少年を待っていたのである。

 それが〝遠坂凛〟の弱さ。〝間桐桜〟という少女に対する、弱さだった。

 本当は、もっと早くそうすべきだったのだろう。けど、それを他人に譲ろうとしてしまったのだ。……あの子の笑顔を戻してくれた、夕日の中でずっと諦めることをしなかった、あの眩しかった、仄かな憧れを抱いた男の子に。

 でも、それが間違い。

 桜が最初に待っていたのは自分だ。

 そして、訴えられてから漸くその痛みに気づいた自分は、どうしようもなく鈍い愚か者だった。

 ……だから。これまでの全てを今、この場で決着(けり)を着けよう。

 

「桜」

「――――え?」

 

 激高していた桜でさえ、呆然となったほどに何気なく。まるで、朝の挨拶でもするかのように穏やかに名前を呼ぶ。

 ――――その瞬間、凛はあっさりと勝負を決めていた。

「桜」

 そうして、もう一度名前を呼び。

 自身の方を向いた妹へ向けて、姉は最大の武器である魔法使いの遺産を惜しげもなく宙へ放り投げ、

 

「――――Welt(事象)Ende(崩壊)

 

 唯一の対抗策を爆散させた。

 宝石剣が爆散した際の光は、主を取り囲んだ影を全部取り祓い、阻む者の居ない道を造りだす。

 その道を駆け抜けて、一気に間合いを詰める。

 そのまま、もう一方の武器である短剣を手に持って駆け寄った瞬間。

 自分が殺されるんだと悟って動けずにいる妹の顔を前にして、

 

 〝――――――あ。ダメだこれ〟

 

 確実に殺った状況でありながらも、姉は自身の敗北を悟った。

 それと同様に、同じように自分が殺されるんだと理解していた妹は、姉への反撃を試みてはいたが、無駄に終わるのだろうと思っていた。

 

 〝――――殺され、るんだ〟

 

 双方は、お互いにその刹那を当然のように受け入れていた。

 互いに恐怖はない。

 〝間桐桜(じぶん)〟は他人に傷つけられることは慣れているし、であれば〝遠坂凛(たにん)〟によってそうなるのであれば、ごくごく当然のような気がする。

 またしても同じように、〝遠坂凛(じぶん)〟は――――。

 

 

 

 

 

 

 ……何時までも来ない痛みと、出血の感触を不思議に思い、瞑っていた目を開ける。

 確かに、血は流れていた。

 けれど、刺されて迸ると思っていた鮮血は何故か。

 自分の身体からではなくて――――

 

「ねえ、さん?」

 

 ――――自分を殺そうと迫っていたはずの、姉の身体から流れていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ねえ、さん?」

 

 直ぐ近くにいるのに、呆然となったような声はやけに遠く聞こえる。

 ただ、どうして? と言ったのは聞こえた。

 自分の方が早かったのは確実だった。……が、それでもこの結果が訪れたのは、つまるところ分かってしまったからである。

「……あーあ。士郎のことは言えないな、わたしも」

 そう。詰まるところ、理解してしまったのだ。

 ――――〝遠坂凛(じぶん)〟には、決して〝(いもうと)〟を殺せないんだ、と。

 どんなに変わっても、

 どんなに駄々を捏ねても、

 どれだけ悪い子になってしまっていても、

 それでも、桜は自分の妹なのだから、と。

 喪われていく熱を、腕の中に抱きしめた温もりで繋ぎとめる。

 ……全部消える前に、ほんの少しだけ、言いたいことがあったから。

 

 もうそこに、『魔術師』はいない。

 

 いるのは、

 いつも穏やかで、けど少し弱虫で、姉の後ろについていた妹と。

 皮肉屋で容赦がないけれど、暖かくて優しかった、妹思いの姉だけだ。

「…………はあ。バカだ、わたし」

 もっと早く気づけばよかったなー、と。他人事のように想い、そして呆れてしまう。

 それなら、もっと早く気づけと。

 最後の最後でドジを踏むというのも、筋金入りのうっかりさだ。

 ……けど。まあ、それも仕方ないのか、と納得してみる。

 

「……うん。でも、しょうがないわよね。

 わたし、だらしのないヤツを見てるとほっとけないしさ。きちんとした仕組みが大好きだから、頑張ってるヤツには、頑張った分だけの報酬がないと我慢ならないし」

 

 自分はそういう奴なのだ、と。

 そう自分を納得させて。そんな細かい事なんかよりも、どんなことよりも、明白な理由を自分中に見つける。

 最初からあったくせに、今思えばつまらぬ意地だった。

 ……魔術師同士の取り決め。そんなものの所為で、こうして近づけなかったって言うのなら、本当に、くだらないものだった。

 そうだ。最初から、〝遠坂凛〟は――――

 

「――――桜のことが好きだし。いつも見ていたし、いつも笑っていて欲しかったし。

 ……うん。わたしが辛ければ辛いほど、アンタは楽できてるんだって信じたかった。

 それだけで――苦しいなんて、思う暇すらなかったんだから」

 

 愛おしむように桜を抱く。

 一生で一度だけの、取り戻された姉妹の抱擁。

 ようやく手に入れた宝物のように、自らの腹部を貫かれたことなど放り捨てて、凛は柔らかく桜を抱きしめた。

「――――ねえ、さん――――」

 ……消えていく。恨み言なんて一つもなく、ただ自分では救ってやれないことを悔やみながら、遠坂凛が腕の中から消えていく。

 静止したかのような時の中。

 桜の脳裏には、混乱と言い知れぬ焦りの様なものが駆け巡っていた。

「ごめんね、こういう勝手な姉貴で。

 ……それと、ありがと。そのリボン、ずっと着けててくれて、嬉しかった」

 そう言って、舞い散った赤い花のように、凛は祭壇に崩れ落ちた。

「――――、ぁ」

 腕の中の重みが消えた。

 ほんの一瞬。蜃気楼のあやふやだった温かみと共に、姉だった人は消えていた。

 足下に広がる色は姉のもので……離れても、姉妹の絆をかろうじて繋ぎとめていた絆と同じ色だったもの。

 けれど今は、戻れていた筈の姉妹を引き裂く別れの色。

 在ったはずの温もりが消えていく。

 交わした言葉も、信を問わずに消えていく。

 

 〝――――けどね桜。そんな無神経な人間でもね。

 わたしは自分が恵まれているなんて、一度も――――〟

「――――、ゃ」

 

 ぶつけ合った言葉に込められていた孤独は、その言葉を口にした少女だけのものだ。

 抱いたであろう苦悩は、本人だけのもの。

 理解し、解放するなど、他人にはできない。

 そんな偽善は、絶対にない。――そう、思っていた。

 それと同じように、憧れた姉にもまた、同じような苦悩が在ったのだとしたら。

「――――――だ」

 ……だとしたら、どうなるのだろう。

 いつも自信にあふれて、欲しかったものを全部持っていた、理想そのものだった存在。

 そんな姉が、自分と同じように何かに縛られていた人間だったのだとしたら。

 本当は、

「――――わたし、が」

 弱くて悪いのは、自分の世界ではなくて。

 臆病で顔を上げられなかった自分だけだったのならば……。

 ――――そんな自分を、不器用ながら、愛してくれた人たちがいたのに。

 それを、今。

 手を濡らす鮮血が、取り返しのつかない間違いを犯してしまったのだと告げている。

 

 

 

「なのに――――わたしが、壊し、ちゃった……」

 

 

 

 ……何を間違えたのか。

 何処で間違ってしまったのか。

 全部あった。

 欲しかったはずのものは、全部目の前に在ったのだ。

 本当は在ったものを。あんなに優しく抱きしめてくれた人たちを、あんなにも想っていた人たちを。

 自分の手で、粉々に砕いてしまった――――

 

 

 

「――――――――――――、あ。

 ああ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ…………!!!!!!」

 

 

 

 抱き返すことも出来なかった両手は固まったまま。

 愛してくれて、愛していたはずの姉の地で染まり。押し寄せた後悔に融けるように、強く、自分自身を呪い始めていた。

 

 

 

 *** 贖いの花

 

 

 

 闇を抜けた先には、冬の少女の中にあった記録と同じ荒野が広がっている。

 いや、同じと言うにはかなり違った。

 景観の大まかな形こそ同じだが、目の前にある光景は、士郎がイリヤの中にあった記録とは大分違う。

そもそも、あの〝始まりの記憶〟の中には、あんなモノは存在すらしていなかった。

 地下であるにも関わらず、闇に濡れたような罅割れだらけの泥の柱が、黒い太陽へ向かって伸びている。

 ――――アレが、聖杯。

 戦いの元凶にして、勝手に桜を攫って行った間男のようなもの。

 おまけに、その中身は受肉しかけている。生まれ出でようとする、生命とするには行き過ぎたモノの息遣いにも似た何かが、この周辺を覆い尽くしている。

 すると、そんな不快なものを吹き飛ばす様にして、すさまじい光が煌いた。

 ……ああいう派手なことをする輩には心当たりがあるが、多くは言うまい。ともかく、あの場へ行かなくてはならない。

 幸いなのか。散々暴れているらしい暴走姉の暴れっぷりが気にくわずに、早く外へ出たがっている胎動が聞こえるものの、まだその身体は出来ていない。

 恐らく、あの泥柱が奴の胎盤のようなものなのだろう。

 そこで肉体が完成しない限り、外へは出られない。

 故に、誕生を阻害するかもしれない凛の暴れっぷりに焦り、早く外へ出ようともがいている。

 ……だが、それはつまり。

 悪性としての誕生を望み、そして世界を覆い尽くす魔王になるということだ。

 仮にその望みが他の誰かの物だとしても、もう既に人格さえ失った英霊の魂を〝そうあるべき〟だとして生み出しても、何にもならない。単に世界が滅びるだけなのだから。……それに何より、あの誕生には――桜が犠牲になるかもしれないのだ。

「――――ふざけろ」

 そういって走り出した瞬間、先ほどまでとは比べ物にならないほどの閃光が洞窟を照らした。

 闇に染まった洞窟を、一時光に染めた光。

 だが、それは直ぐに消えてしまい――代わりに、泣きじゃくる声が、最悪の予感を士郎の脳裏に浮かばせた。

 そして、崖の上に辿り着き――そこで見たものは。

 

 

 

「――――遠坂」

 

 

 

 地面が揺れている。

 うつぶせになった凛の顔は見えない。

 が、その地に崩れ落ちた様は、まるで茎から落ちた大輪の花に似ていた。

 その向こうに、

「…………、…………せん、ぱい」

 凛から逃げるように離れて、自身を罵倒している桜の姿があった。

「――――桜」

「……ちゃった。わたし、殺しちゃった。あんなに大切にしてくれてたのに、わたし、姉さんを、殺し、ちゃった――――」

 その声は誰に向けられたものではなく。

 ただ、自分で自分を拒んでいるためのもの。

 こうしている自分を。

 姉の地に濡れた自分、黒く染まった自分、自分に繋がった黒い影を、半狂乱になりながら、全力で憎んでいる。

 

「……わたし、馬鹿、でした。ごめんなさい。ごめんなさい。こんなのつらいだけだった。ダメだって、負けるなって、姉さんはずっと言ってくれてたのに、わたし、バカだから分からなくて、先輩が信じてくれたのに、裏切って、ばっかりで――――」

 

 桜は今、後悔に濡れたまま立ち尽くしている。

 だが、それは――間違いなく凛が桜に勝利した証でもあった。

 姉の意地か、彼女は桜にちゃんと自分を取り戻させたのである。

 最後の最後で、凛はやはり桜の命を選んでくれた。――しかし、その勝利は少々乱暴すぎた。大切なものを取り戻した代わりに、また大切なものを失ってしまった。

 その感覚に苛まれて、桜は自分をまた嫌ってしまっている。

 影に抗って、拒み、戻れなくなることを恐れている。

 その拒絶はいずれ、桜自身までも殺してしまう。まるで、あの黒い影は令呪そのものの様だ。

 マスターを、サーヴァントが欲しているからこそ縛り付けるような。

 けれど、桜は桜だ。

 凛が果たした結果を見て、士郎は改めてそう確信した。

 ……だが、同時に悔いもある。どんなに影に呑まれてしまったとしても、桜は桜だった。だからこそ、あの時――呑まれてしまった桜を恐れなく止めていれば、こんなことにはならなかっただろう、と。

 ――――故に、その時のツケを今払う。

 

 凛に歩みよって、彼女の生存を確かめる。

 呼吸はまだある。かろうじてと言ったところだが、諦めるにはまだ早すぎる。

 だからこそ、助けるのだ。自分が、桜と一緒に。

「桜。遠坂は死んでない」

「――――――?」

「そうだ、死んでない。まだ助かる。――いや、どうあっても助けなくちゃいけないんだ。そうだろう、桜」

「あ――――え?」

 桜の瞳に、光が戻り始める。

 虚ろだった意識が、自分を殺そうとした自我が、姉を取り戻したいという思いによって払拭され始めた。

 自害を選ぼうとする意識が薄れたためか、影の拘束はほんの僅かに和らいだ。

 しかし、桜が安堵の息をもらした瞬間。

「っ――――! だめ、逃げて先輩――――!」

「――――、つ――――」

 気の緩みの準じるように、宿主をたぶらかす輩を始末しようと影が迫る。

 士郎は動けない凛を庇い、影の一撃を背で受け止めた。幸い致命傷に至ることはなかったが、人を傷つけてしまった事実が、また再び桜の心を揺らがせる。

「ぁ――――ちが、違うんです先輩、わたし、わたし……!」

 自分がしてしまったことに動揺する桜。

 が、今の一撃は桜の意思によるものではない。

 まだ生まれてもいないわりに、危機感知能力だけは一級品だ。宿主から引きはがされることを予期して、単独でその障害を排除しにかかったのだ。

 だからこそ、シロウは落ち着きを払って動揺した桜を宥める。

 これ以上、彼女を苦しめることの無いように。

「分かってる。往生際の悪いガキの仕業だ。桜を取られたくないって、駄々をこね始めやがった。

 ――――待ってろ。すぐにそいつをぶん殴って、桜から引きはがしてやる」

「だ――――やめ、やめて先輩――――!」

 歩み寄る士郎の首を吹き飛ばそうとした影を、桜はどうにか抑え込む。

 だが、影は未だに静まらない。

「は――――あ、あ、う…………!」

 湧き上がる影を抑えるようにして、桜は自分を強く押さえつける。

 だというのに、宿主の意思を塗りつぶす様にして、影は表に出て行こうと桜を圧迫し続ける。

「ぅ……うう、ううう……!」

 ……桜が泣いている。

 影を抑え込もうとする痛みからなどではない。

 自分を抑えきれず、あの影に操られるしかない自分が悔しくて泣いているのだ。

 それを見て、もう士郎は止まることはできない。

「……先輩、ダメ、です。わたし、抑えきれない。姉さんが教えてくれたのに、負けちゃうんです。……強くなんてなかった。わたしは弱虫で、臆病で、酷い人間だった……」

 また一歩。

 顔を影が霞めようとも、その歩みは止めない。

「――――! やめて、何で来るんですか先輩……!

 それ以上来られたら、先輩を殺しちゃう……!」

 桜は来ないで、と叫ぶ。

 殺したくない。姉にしてしまったように傷つけたくない。

 もう誰も、誰のことも傷つけたくない。

 だから、凛を連れて逃げて欲しいと嘆願する。

 自分事なんて忘れていいから。一人でも、ちゃんと死ぬから。これ以上、こんな姿を見られたくないから、と。

 しかし、士郎は止まらない。

 左肩の聖骸布に右手を掛け、そのまま桜の元へと進んでいく。

 そのことに驚いて、困惑して、桜はどうして逃げてくれないのかと叫ぶ。

「どうして言うこと聞いてくれないんですか……!?

 先輩、先輩がそれ以上近寄るなら、わたしだって我慢しません。先輩に殺される前に、私が先輩を殺しちゃうんだから……!」

 脅しらしいそれを受けて、ぼんやりと士郎はその的外れな部分を指摘する。

 そもそも、さっき言った通りだった。

 士郎は初めから、

「どうしても何もない。桜をここから連れ出して、遠坂を助ける。さっきそういっただろう、桜」

 最初からそう決めていたのだ。

 だから、桜のことも諦めない。

 だがそれを、

「っ――――まだ、そんな事を言ってるんですか、先輩は。

 ……やめてください。わたしは助かりません。いいえ、助かっちゃいけないんです。わたしは、生きてちゃいけない人間だった」

 桜は拒む。

 縋ってしまえば、また壊してしまうかもしれないから。

 だから、押しのけようとして影を士郎にぶつけた。腹に衝撃を受けた士郎だが、受けたのはただの打撲。切り裂こうとする影の意思ではなく、桜の意思で自信を退けようとしたものだと理解する。

「ほら、見たでしょう先輩。わた、わたしはこういう人間なんです。今更外には戻れないし、この子たちもわたしを離してくれない。

 それに――もし、戻れた、ところで。……わたし、いっぱい人を殺しました。何人も何人も殺して、兄さんもも殺して、お爺さまも殺して、姉さんも殺してしまった……!

 そんな――――そんな人間にどうしろって言うんです……! 奪ってしまったものは返せない。わたしは沢山の人を殺しました。それでも、それでも生きて行けっていうんですか、先輩は……!」

「――――――」

 士郎は、ことの根本を把握する。

 後戻りのできぬ道。

 贖うことの出来ない罪が、桜の足を止めている。

 ……救いはない。

 どうあっても、桜の意思でなかったのだとしても、多くの人から命を奪ったという咎は桜の心に在り続けるだろう。

 影から解放されて、元に戻ったところで、桜の中には昏い影が残ったままだ。

 けれど士郎は、先程までの凛と同じように――――

 

「――――当然だろう。奪ったからには責任を果たせ、桜」

 

 ただ死に浸るだけの選択を許さない。

 左腕の拘束を外し、かろうじて死を圧しとどめながら、最後の投影を行う。

 気が遠くなっていく。

 自分が無くなっていく。

 だが、その前に。口にできるうちに、桜に言っておかなく手はならない言葉が、ある。

「先、輩」

「そうだ。罪の所在も重さも、俺には判らない」

「っ……!」

 影が士郎の身体に突き刺ろうと襲い掛かる。

 だが、火花を散らすのみで、身体には刺さることなかった。

 そんな、士郎は自分の身体に起こっている以上を今は脇に置いて、士郎はただ決意を告げる。

「けど守る。これから桜が問われる全てのコトから桜を守るよ。たとえそれが偽善でも、好きな相手を守り通すことを、ずっと理想に生きて来たんだから――――」

 前へ。

 桜はもう目の前にいる。

 自分の身体はもう、影如き通さない。そのことを士郎は理解していたのか。

 驚愕を浮かべた桜の顔を前にしながらも、それでも最後の投影を行う。自身に残された魔力の全てを使って、士郎はある宝具を全力で複製した。

「先、輩」

「お仕置きだ。 キツいのいくから、歯を食いしばれ」

「―――――――」

 必死に息を呑む音がする。

 そうして。はい、と短く答える声を聞く。

 これが、桜にとっての罰になりますように。誰も罰してくれなかった少女に、これまでの罪を清算するための一歩を踏み出させる。

 何よりも――――

 

「帰ろう、桜。――――そんなヤツとは縁を切れ」

 

 何時までも縛られたままの彼女を縛る、その呪いを全て破戒できるように。

 契約破りの短剣を、彼女の心臓へ向けて、一息で突き刺した。

 

 ありとあらゆる呪いを無効化する、『裏切りの魔女』の持つとされる宝具。

 使用者の命ではなく、対象を取り囲む魔術のみを破戒するこの宝具は、呪いばかりではなく、サーヴァントとの契約すらも破棄することが出来る。

 まさしく、この場にうってつけの宝具だった。

 如何な悪性の化身と言えど、サーヴァントであることに変わりはない。

 それを利用し、操ろうとしている輩がいたくらいだ。効果を発揮するのも道理だったといえるだろう。

「――――――」

 視界が安定しないが、桜と凛が生きていることは士郎にも確認できた。

 ……同時に、アンリマユがもう桜を失った程度では止まらないのだという事実も。

 故に壊す。

 そう決めて、破壊を決意したのはいいが――傍らにいる二人の少女を巻き込むわけにはいかない。どうするべきか悩んでいると、そこには士郎の見知らぬ髪の長い女性がいた。

 ……いや。知っているのに、記憶が消えていく。

 そのことを悟られていながらも、それでも彼女になら二人を任せられる。

 名前も消えていく相手に、そこまで信頼を置くというのも奇妙な気分であったが、士郎に二人を託された紫色の髪をした女性は、二人を必ず助けるといい、そして最後にこう言い残した。

「必ず。ですが士郎、それは貴方も同じです。

 サクラには、貴方とリンが必要です。それを肝に銘じておきなさい。……私も、サクラを支えるのは貴方でなければ納得できませんから」

「……?」

「急ぎます。――――ご武運を」

 欠落した頭では彼女の言葉を全てくみ取ることは出来なかったが、それでも決意だけは伝わって来た。

 去っていく後姿を見送りながら、あれならば大丈夫だと安堵のため息を漏らす。

 彼女に任せていれば、きっと二人は助かるだろう。

 なら、後は最後の始末をつけるだけだ。

 

 そうして、誕生しようとする〝アンリマユ〟を消し去るべく、前に踏み出していく。

 

 ――――しかし、先へ進むことを拒む関門のように。

 そこには、自分と同じように、決して自らに返ることの無い願いを持った男が立っていた。

 大本が同質でありながらも、在り方はどこまでも対極に位置している。

 だからこそ、互いに互いを受け入れられない。嫌うことが出来なくとも、決して受けいれられない存在がそこにいる。

 互いに、今求めるものが遠すぎる。

 故に、判っているのは一つだけ。

 

 ――――互いが、互いにとって欲するものを。

 目の前の敵は、壊そうとしているのだということだけだ。

 

 そして何より、互いに自分が貫けなかったものを持っている。

 たった一人を想う愛を。

 決して歪まぬ路を歩む覚悟を。

 互いが、互いに失っているものを持ち合わせている。

 だからこそ、互いに嫌い合えず、それでも許せない。

 

 故に、彼らは激突する。

 

 敵を殺し、その望みを叶えるのか。

 敵を倒し、その望みを破戒するのか。

 

 賭したものはお互いの命。

 燃え尽きる刻限まで、その全てをぶつけ合う。

 

 泥だらけの、己の裡から生み出せない者同士が、単一無二の信念を宿せない紛い物をぶつけ合う。

 詰まる所、彼らの戦いとは即ち。

 

 

 

 〝外敵とのものなどではなく、自身を賭ける戦いである――――!!〟

 

 

 

 そうして。

 矜持などかけるべくもない、望みでのみぶつかり合う戦いの幕は下りた。

 守るべきものがなかったから弱かったのか。それとも――望み過ぎたばかりに敗北したのか。

 或いは失いすぎたばかりに負けたのか、失ってきたからこそ勝てたのか。

 その真偽は、誰にもわからない。

 だが、それでも少年は勝利を手にし――少女の元へ戻るため、本当の幕を閉じるために、崩れかけの身体を引きずりながらも。

 ――――泥の溢れる孔へと、向かって行った。

 

 

 

 *** 行間 歪んだ理想、眩く遠い理想

 

 

 

 少年が祭壇の最奥まで登ろうかという頃。

 遥か遠く、崖下の泥の中でもがいていた蟲は、嘗ての仇敵であるとともに――ほかの何よりも憧れていた『聖女』と再会する。

 ――そうして、最期の時が終わる。

 嘗て抱いた望みを思い出し、妄執に苛まれて過ごした五百余年の月日を思い返し。

 結局のところ、至る寸前まではいっていたのだがな――と、そう惜しみながら、老魔術師はこの世から消え去っていった。

 その魂を見送った『聖女』は、この場で守るべき少年の家族へと戻り、彼のことを追って祭壇へと向かう。

 

 

 

*** 姉弟(きょうだい)

 

 

 

 最期の時。

 泥の塊、呪いの権化の前に立ち、少年は左腕を開放した。

 この呪いを破壊しない限り、あの少女は幸せを取り戻せない。

 ……だが、もう一度。投影を使ってしまったら、砂粒程度にしか残っていない意識が全部消えてしまう。

 そうなれば、死んでしまうことと同義だ。

 よしんば身体が残っても、心が全て欠けてしまえばそれまで。

 でも、これを壊さないと。

 守りたいから、自分の命を賭す。

 ……でも、本当はもっと一緒に居たいと思ってしまった。壊れてしまう前に、また会いたいと。

 約束を、傍にいるという約束を守りたい。

 ――――死にたく、ない。

 すると、そんな声に応えるように。

 

 〝――――ううん、シロウは死なないよ。

 だって、この門を閉じるのは、わたしだから〟

 

 もう名前も忘れてしまった、声がした。

 覚えてもいないのに、思い出せないのに名前を呼んだ。

 ――――そうしなければ、―――は、二度と帰ってこないと。

 だけど、返って来たのはこんな問いかけだけ。

 

 〝――――ね。シロウは、生きたい?

 どんな命になっても、どんなカタチになっても、シロウはまだ生きていたい?〟

 

 それに頷いては駄目だ。

 そうしたら、―――が消えてしまう。

 だというのに、先ほどまでの願いに、頷いてしまっていた。

 けれど、その〝誰か〟は嬉しそうに笑う。

 

 〝――――うん。

 良かった、わたしもそうしたかった。わたしよりシロウに、これからを生きて欲しかったから〟

 

 だめだ。

 言いから戻れ。

 それ以上進んだら、帰って来られない。そいつは俺が、連れて行く。

 と、そう思って名前を呼ぼうとしたのに、頭が空白の虫食いだらけで、大切な名前が思い出せない。

 そうこうしている内に、声は、遠くへ――――

 

 〝――――じゃあ、奇跡を見せてあげる。

 前に見せた魔術(とおみ)の応用だけど、今度のはすごいんだよ?

 なんていったって、みんなが見たがってた〝魔法〟なんだから!〟

 

 いい。

 そんなのはいいから、こっちへ戻って。

 だって、―――は、―――を守るもんなんだから、そんなところにいないで、戻ってきてほしい。

 

 〝――――けど(うつわ)だけは安物かな。

 使えるのはわたしの体しかないから、完全に再現は出来ないの。でも大丈夫。リンといっしょに試行錯誤すれば、すぐに元通りにしてもらえるわ〟

 

「――――――――、――ヤ……!」

 

 〝――――じゃあね。

 わたしとシロウは血が繋がってないけど。

 シロウと兄妹で、本当によかった〟

 

 ダメだ――そう思ってるなら、そう思っているなら行かないでくれ。

 犠牲になんてできない。一緒に暮らすって言っただろう? 今まで一人だった分、寂しかった分、一緒に暮らそうって言っただろう? 

 それでも、どちらかが犠牲にならなければならないというなら、それは――――!

 

 

 

 〝――――ううん。

 言ったよね、兄貴は妹を守るもんなんだって。

 ……ええ。わたしはお姉ちゃんだもん。なら、弟を守らなくっちゃ〟

 

 

 

 最期に、そう優しく微笑みを向けて。

 自分がずっと横取りをしてしまった、たった一人の家族は。

 自分よりも一つだけ年上で、銀色の髪と、紅の瞳がとても綺麗な―――――

 

「イ――――――リヤ。

 イリヤ――イリヤ、イリヤ、イリヤ、イリヤ、イリヤ、イリヤ…………っっ!!!!」

 

 ――――たった一人の姉は。

 じゃあね、と。最後まで優しく微笑みながら……弟である自分を守り、扉の奥へと向かい、それをパタンと閉じた。

 

 こうして、短い弟と姉の邂逅が終わり――杯を収めていた空洞は崩れ去った。

 戦いは幕を下ろされ、弟は姉によって救われ、少女の元へと返った。

 

 何もなかったわけではない。

 苦労なんて、数える方がばからしい。

 けれど、それでもつかみ取った幸せを噛み締めながら。重ねた罪やツケを払い続ける。

 

 

 

 そうしてまた、時を重ね――――春が来る。

 

 

 

 咎を背負い、贖いを続ける春の花。

 ブリキの理想を捨てた少年。

 ――これは、華々しい物語ではなかった。

 喪ったものは多く、取り戻せかなかったものもあった。

 だが、それでも確かに生き抜いた人間たちの物語。

 

 喪い続け、その罪を背負う日々。

 それでいても結末は、酷く温かい。

 幸福は罪ではない。

 背負うことで、贖う咎もある。

 

 

 ――――そうしてまた、皆で春を迎えていく。

 

 

「桜、幸せ?」

「――――はい」

 

 数多の絆が壊れ、傷つき、そしてまた結ばれていった。

 奇跡を巡る物語は終わりを告げ、そしてまた、終わりのない物語が始まっていく。

 新しい一日、新しい未来を抱えて出かけよう。

 しかし、明日は休みだ。

 天気も晴れそうだし、これからの物語には一度筆を置くとしよう。

 

 

――――さあ。           

それじゃあ今年も、約束の花を見に行こう―――

 

 

 

 

 

 

 *** ――もう一度、始まり(ゼロ)

 

 

 

 ――――そして、舞台再び。

 元の〝始まりの戦い〟へと(かえ)って行く―――――

 



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第二十六話 ~もう一度始まりへ、巻き起こる乱戦の予兆~

 回想編が明け、漸く本編へ戻ってきたこの一話。

 団結の後、悪者退治へ移行といった感じですね。



 終わり、そして始まり

 

 

 

 美しく、尊い物語を見た。

 尊くも、酷く歪な物語を見た。

 酷く歪でも、とても優しい物語を見た。

 

 最初に、そこは地獄だった。

 

 誰もが願いを謳い、自分の中にあった夢を果たそうと必死だった。

 懸けた願いと賭した思いは、酷く汚れていて重いものだった。

 故に決して叶うことはなかったのだ。

 どこかで間違えていた。賭けるべき思いではなく、取るべきものを穿き違えていたのである。

 しかし、それを知ることが出来たのであれば――――

 

 

 

 ――――きっと、本当の意味で間違うことはないだろう。

 

 

 

 全く、柄にもない。恵まれ過ぎだろう、こんなのは。

 だけど、嬉しい。ひどく恩知らずなことだが、とにかく、嬉しい気持ちに嘘はないのだから。

「……ありがとう。ありがとう士郎。こんな僕を、救ってくれて。――あぁ、僕は本当に恵まれてる。

 息子たちが、こうして来てくれるなんて……本当に、分不相応なほどに」

「そんなこと、言うなよ。俺たちは、」

「……同意するのは癪だが、オレからも言わせてもらう。

 少なくとも、単なる同情で助けたわけじゃない。ここに至ったのは本当に偶然で、この小僧がそこへ行ったのも何かの手違いだ。だからこそ、これはアンタの掴んだ個うんであってだな――」

「おい、誰が小僧だって?」

「見た目通りだろう? まったく、中身が成長したかと思えばこれだ。自分自身にすら迷惑をかけるとは、ほとほと依代に同情する」

「この野郎。目的すら忘れて、自分殺しに来た奴が何をぬかしてやがる」

「――――」

「――――」

 微笑ましい小競り合いだが、互いの存在がアレなだけに、これ以上は拙い。

「あー、……その。士郎?」

 ひとまず声を掛けて制止させようとした。

 すると、

「「あ」」

 瓜二つな反応を見せてくれた。

 それがなんとも微笑ましくて、つい吹き出してしまった。

「……く、はははっ。ふふふ、あぁ――――本当に、僕は幸せ者だなぁ。こんなに思ってもらえてるなんて」

「「む……」」

 バツが悪そうな二人だったが、アーチャーの方のシロウがここでの最後の教訓を締める。

「……はぁ。まぁ、つまるところはそういうことだ。この小僧はともかく、私は外には行けん。あとは、アンタの選択次第だ」

 その通りであるし、これからすべきこともある。

 だが、ほんの少しだけ心残りがあるとすれば、それは。

「……そうか、残念だな。もう少し一緒に居たかったんだが」

「…………オレとしても、別にやぶさかではない。が、そこの小僧といつまでも顔を突き合わせてるのは少々癪でね……『ンんだとこの野郎』……喧しいぞ、この未熟者。

 まぁそもそも、元が部外者だ。早々に立ち去ることに異論はないが――まぁ、あの性悪ステッキの気まぐれでもあれば、また会えるだろうさ」

「そうか。……そうだな。うん、また会えるのを祈っているよ」

「光栄だ。――それじゃあな、爺さん」

「ああ、シロウ」

 思うところがないでもなかったが、それでも彼の去り際はあの黄金の丘ほどではなかったが、酷く穏やかで――とても、幸福そうな顔をしていた。

 けれど、そレが少し士郎には不満だったようだ。

「……ったくあの野郎。最後までカッコ付けやがって」

「ははっ。シロウは、士郎が走り抜けた道が眩しくて照れ臭いんだよ。きっと」

「……」

 口をとがらせる様は愛らしく、引き取ったばかりの頃を思い起こさせる。

 尤も、僕自身の記憶ではないが……あのステッキが作り出したこの空間では、どうやら並行世界に干渉が可能らしく、僕の中には確かに、これまで見た路の全てと、そこから派生する士郎の物語がしっかりと残っている。

 だから、こんな気持ちを抱くことも出来た。

 捨て去っていた。いや、捨て去ろうとして締め付けすぎたタガを取り払われて、歩める道を選べるのだという感覚。

 取り戻したそれが今、こんなにも自分の中を満たしている。

 ……本当に、これ以上ない幸運だろう。

 だからこそ、僕は此処から間違わずに歩み出さなくてはならない。

 そのためには、まず目を覚ますことからだろう。

 言わんとしたことが解ったようで、士郎は「そのうち終わる」と言って、広がっていたはずの剣の荒野が崩壊していく様を指さした。

 ……あぁ、夢の終わりだ。

 そんなことを思い、自身の周囲が崩壊していく様を目前にして目を閉じる。

 本当なら最後まで見ていても関係ないのだろうが、何となく、目覚めるのであればこうだろうかと思い、目を閉じた。

 自分の周りが崩れていく感覚がある中で、まるで出口を見失わないように、士郎の手の感触だけが閉じた視界の中ではっきりとわかる。

 これなら、見失うこともないだろう。

 崩れていく感覚から打って変わり、妙な浮遊感の中に放り出される。

 だが、そこからは先程までとは違い、どこかへ引き寄せられる感覚の中であった。

 漠然と、身体に精神が引き寄せられる疑似感覚なんだろうか、と思いつつ、瞼の裏をまた、どこかの世界が流れていく――――

 何か、大きな黒い渦を見た自分と幼い士郎。

 妙にデフォルメされたサーヴァントたちを使う士郎を、アイリと一緒に見守っている自分。

 そして、かなり恥ずかしい……いや、可愛らしい恰好をしたイリヤと、何故かちょっとぐれてしまったかのようなイリヤが、友人と思わしき少女と暮らしている世界。勿論、そこにはアイリも士郎もいて、自分もいる。

 そんな可能性もあるんだな、と感慨を抱きつつ、士郎の手と離れたところで、自分に立ち戻るのだなと理解する。

 さて、戦いに戻らなくてはならない。

 ……ただ。そういえば僕は城の中で倒れているわけだが、今どうなっているのだろう。

 僅かばかり不安に駆られながら、僕はそのまま、瞼の裏を刺す光の中に飛び込んでいった。

 

 

 

 *** 目覚めると混沌(カオス)

 

 

 

「――――ハッ」

 目が覚めた。

 身体を起こし周囲を見渡すと、そこは周りは先ほどまでいた城の廊下ではなかった。

 見知らぬ場所――とまでは行かず、そこは城にあるサロンの一つ。

 ただ、見慣れた場所であるにも関わらず、そこは酷く魔窟と化していて――――

 

 

 

「うぅぅ……さくらちゃぁぁぁぁん……さくらちゃぁぁぁぁん……!!」

「大丈夫だよ、おじさん。わたしちゃんとここにいるから」

「そうそう。わたしたち姉妹は最強なんだからっ!」

 

 〝〟

 

「……綺礼」

「……はい。何ですか、師よ」

「いや、どうということはないのだが…………あまり、楽しみを深みまで行かないようにね」

「ええ。弁えていますとも(真顔)」

「綺礼! アンタお父様に手ェ出したらマジカルタイムなんだからね!!」

「神父さん。おじさんにも手を出さないでね。受けっぽいから、多分負けちゃうから」

「桜ちゃん!?」

 

 〝……〟

 

「……我を踏破したのは生意気だな。しかし、この料理に免じて許してやらんでもない。――むっ、士郎。これはいい、気に入ったぞ!」

「あぁ、美味かったなら良かったよ。って、お前何時から俺のこと名前で呼ぶようになったんだ?」

「ふはははっ! 気にするでな無い。興が乗ったまでのことよ、もし期限を損ねたら吹き飛ばすのは変わらん」

「ギル? 士郎はこの後必要なんだから、吹き飛ばしちゃだめよ。それに! コイツはわたしのでもあるんだからね!」

「いや……今の俺は別に遠坂のでは……」

「なにかいったー? ()()くん?」

「……ナンデモナイデス」

「よろしい。それとギル、アイリさんの身体治せる妙薬とかある? この後キャスター倒したら、魂の回収は桜にお願いするけど、一応予防策は張っておかないといけないんだから」

「この我を誰だと思っている? そのような物いくらでもあるわ。だが、そのような人形風情に――『そうよねぇ、持ってるわよねぇ? なら、天下の英雄王だもの。気前よく振る舞ってくれるくらいの器はあるはよね。あ、もしかして一個しかないから、誰にも上げられないとかそういう? まぁ、出せないのは仕方ないかしら』――いくらでもあるわ! たわけめ、一つや二つ財を欠く程度、この我が出せない等ということがあるか!」

「そ、ならよかったわ。安心して任せられるし」

「いくらでも任せるがよい。この英雄王がしくじるなど、万に一つもないのだからな!」

(えっと……しくじりの元凶は黙ってるべきだよな。うん)

 

 〝…………〟

 

「すみませんでした、我が王よ……私は、私は……」

「……良い、良いのだランスロット。私たちは、きっとどこかでズレてしまっていた。しかしこうして、自分たちの歪みに気づけた。ならここで後悔にくれるよりも、前を見るべきだろう。

 少なくとも、私はあの物語からそれを学んだのだから……」

「そうですね……。……ところで、その……王は士郎を狙うのでしょうか?」

「なっ、何を――」

「いえ。リンもサクラも、シロウのことを気に入っていますし……このままでは貴女の出番のないまま終わってしまうかと思いまして、その」

「そもそもアレは私であって私ではない! 大体、実際のところほとんど言葉も交わしていない状況で何をそんなに通じ合えるものか」

「あ、二人共お代わりは?」

 

「「大盛でお願いします」」

 

『通じ合いすぎて逆に気持ちいいくらいですねぇ~。あ、ちなみに英霊とは精神的だけでなく、物質的な縁も必要なんですが、士郎さんの場合〝鞘〟があれば、後は魂の本質の部分で双生児の様に似た英霊ということでアルトリアさんが呼ばれたりしますぅ~』

『無駄に細かい解説、有難うございます姉さん。ですが、それで言ったらエミヤ様の方が呼ばれやすいような気もしますが……』

『あー、確かに。ですがサファイアちゃん? 一つ言っておきましょう。――主人公属性は消得ない! いじょうでーす♪』

『なるほど。摩耗しても本質は変わらない――結局のところ、気に入らない自分の所より他人を優先させるわけですね』

『えぇ、ホント正義の味方ですよねぇ~。……まぁ、その分女の子との縁もふかいわけですけれども(面白いからいいですが)』

「ちょっと、ルビー。呑気なこと言ってないで、他にすることないの?」

『え~、だって切嗣さんはそこでぼーっとしてますし、ケイネスさんはランサーさんと仲深め合って(意味深)ますしぃ? ふっ、私の出番はここまでだ――みたいな感じでいいじゃないですかぁ~』

「なに勝手に脚色してんのよ……。看病してるだけじゃない。なんか、物分かり善くなってるっぽいのはありがたいんだけどね。まぁそれはいいわ」

『あぁ~ん、ここからがいいところですのにぃ。もぉ、凛さんってばいけずぅ~。

 あ、おはようございます切嗣さん。ご機嫌うるわしゅぅ~♪』

 

 〝………………なんだこれは〟

 

 如何せん理解しがたい光景が広がっている。

 魔窟。いや、これはもはや地獄を越えた何か――いわゆるカオスだ。

 切嗣の中を締める感情は主にそんなモノであった。

 唯一の救いがあるのだとすれば、見知った顔が皆無というわけではないという点ぐらいだろうか。

 しかし、妻のアイリや相方の舞弥。そして、あの中で知ることになった息子(仮)の士郎の姿もあるわけなのだが……それでも、やはりなんというか、場が、カオスだ。

 

 ――――が、その雰囲気を一掃するのはやはりというか、凛であった。

 

 

 

「ちゅうもぉーーく!」

 

 思わず一同の目が凛へ集まる。

 見た目幼い少女であるのに、なぜここまで見ずにはいられないのか。

 美しさ故か……いやもちろんそんなことはなく単純に怖いだけだである、主にステッキの所為で。

 と、皆の心境をさておいて。

 凛は早速、今後示すべき指標を告げる。

 

 

 

「ここにいる以上、皆まで言わなくても――この先になすべきことはわかっているはず。

 それなら、あとは行動するのみよ! 願いの杯はすでに泥。不満があるのなら、この理不尽を覆すために汚染を清めることから始めなくちゃだめよ!

 で、あれば――――!」

 

 

 ぐっ、と拳を握り、熱弁を振りながら天へ拳を突き穿つ。

 

 

 

「己の業があるのなら、まずは目の前の壁を壊すことから!

 そして、真の勝利を手にして、先へ駒を進めるのよ!!

 さあ、本番のときは来た――ここに集いしは、歴戦の魔術師、蛮勇を誇った無双の英霊!

 勝利とは、己が障害を屠った者にのみ与えられる栄光の言葉! 拳を振るうは、この戦いを乱すものを倒すために!

 ならば、敗北をよしとするか? ――否! それならあとは戦争!

 わたしたちの戦いはここからだぁあああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 

「「「お、おぉーっ!」」」

 

 

 

 

 

 

 戦え! 己が正義()のために!!

 

 

 

『……回想(たたかい)は終わり、遂に始まりへ戻った云々かんぬん〜〜〜そして、すでに是非もなし。

 目指すは残る一気の英霊――否、狂った快楽主義者。

 悪性の一体を打倒し、一同は汚れた杯を壊すために(かなり強引に)手をとった!

 さあ、君の目指す明日はもうすぐだ!

 では次回、Fate/stay Zero over――――

 〝真っ赤に弾けろ、俺が正義だ!

 血濡れの戦いの果てに待つ、奇跡の末路とは? 死線を越えた先に待つ究極の一撃! 

 征服と正義の戦いの結末へ向けて、少女たちの思いが輝きを放つ!!

 願った想いの路を超えて、アンリミテッドバースト! スターダストリジェンダーの煌めきに、ダークネスブロッサムがアイン・オフ・ソウル!!〟』

 

 

 

『……姉さん。半分近くは当たってますが、そのタイトルは如何なものかと』

『何ですと――っ!? この、脳死しそうなほどにヒートした熱量! 世界を超えるか魔法に変わるレベルで良い感じにまとまっているじゃあないですか!』

『…………』

『まさかの沈黙!? うぅ〜、良いですよ良いですよぅ……どーせその通りにさせて見せるんですからぁーっ!』

『はぁ……』

『ため息!? しかし、そんなことでこのルビーちゃんを止められるとは思わないことです!

 さあ、次回も心して刮目せよ――――っっ!!!!』

 

 

 



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第二十七話 ~狂信者は去り、彼らは巡り合う己が道の先へ~

 とりあえず先に謝っていおくと、キャスター陣営との戦いがおざなりになってしまったのは正直すまんかった。
 だって集まった陣営を顧みると、勝負どころか善戦する未来すら見えなかったんだもん!(ここまで書いといて逆ギレ)


 剥奪された意味を弔う者

 

 

 

 冬木市の地下を這う水路の奥に、二人の芸術家を自称する男たちの隠れ家(アトリエ)が存在している。

 彼らの目指すもの――その根底には美への探求という側面が挙げられるだろう。

 しかし、片方は尊ぶものを取り戻そうとかつて信奉したモノを貶めるために行う外法を芸術と称し……また、その片割れは人間の命が消える様に美しさを感じ、どれだけその『死』に迫れるかを信条としている。

 その中身に、どれだけ信念が宿っているのか。

 問うたのであれば、想像するのもおぞましいほどに、彼らはその信念に溢れているのだと答えるだろう。

 自分たちを倫理の外であると知りつつも、知識や感動を得ようと、その真に迫り続けるだけ。それが彼らにとって成すべきことであると共に、その世界の全てであるから。

 

 それを、是とするか否か。

 

 否定は意味がない。彼らにとって、否定は当たり前であり、自分たちの行いが凡百の知りうるのでないことだと信じているのだから。

 言うなれば、それは独善的な正義を語る思想に近い。

 独善であろうが何であろうが、ソレを志とするとき、抱くものが決して過ちのみでないとすれば、其処に微かな理が宿ってしまう。

 己の快楽となる蜜と、他者に施す満足は似たもの。

 しかし、だ。

 それが正しいのだとしても、認められない戦いの時は確かに存在する。同時に、侵された命が消えるたび、其処には無念が宿る。

 確かに此処に〝壊されたモノ〟はない。彼らにとって、芸術であろうこれらは破壊による産物ではなく、己が矜持を賭けた創作品である。だからこそ、此処には壊されたモノは何もない。

 だが、失われたモノがないわけではない。

 ここで失われたのは意味。否定され、境界を外され、ヒトだった形骸さえも奪われて――剥奪され、削り捨てられた、決して果たされなかったヒトの心。それが、ここにはあった。

 で、あるが故に。

 此処の主たちは、否定されることを知っている。ならば、自分たちが奪い続けた果てに、積もったツケの重みを知らずにいられないノは自明の理。

 いずれ、知ることとなるだろう。

 そう遠くない時間によって、自分たちの信念が人々と相容れないことを、否定される事によって。

 

 

 

 

 

 ――程なくして、其処は暴き出された。

 

 まるで、そこは地獄。

 悍ましさを煮詰めた果て、業の(すべ)を重ねた山。

 ……であるからこそ愛しむモノでもあろうが、しかし今はコレを愉しむに足るだけの場でも無い。

 故に、この迷い子たちを導こう。

 

 弄ばれた魂には休息を、

 開かれた肉には埋葬を、

 そして砕かれた尊厳には、同じだけの祈りでもって応えよう。

 

 ――――そうして、この日。

 冬木の地下に佇む〝芸術〟とやらは、一人の神父の手によって消えることとなった。

 

 

 

 *** 邂逅までの路

 

 

 

 唐突だが、魔術師にとって最も身近な属性は〝火〟である。

 五つある属性の内でも、人間にとって一番な神秘に成りやすいものとしてこれが挙げられることが多い。

 が、敵を探る上で最も簡単に形跡を探るに長けるものは〝水〟だとされる。

 そうされる理由は、これが〝高所から低所へ注ぐ〟という原則に則り、上であった『魔術の痕跡』を残して、下へそれを運んでくるからである。

 故に、通常の魔術師であるのならば、必ず秘匿する上で水の中に残滓を残すことはあり得ない。まして水の流れが判りやすい土地、もしくは流れる河川が街の全体に張り巡っている様な場所であるのならば尚更に。

 馬鹿正直に自分の居場所を去らすような真似などするはずもない。……ないのだが、どうやらそんな大馬鹿者がいたらしい。

 それも、命を賭した戦いである『聖杯戦争』の真っ只中においても、だ。

 

「…………」

 

 目の前にある冗談のように露骨な反応を見て、ウェイバー・ベルベットは眉根を寄せる。

 キャスターを討伐すれば監視役から追加令呪がもらえるという触れ込みを聞き、早速とばかりに他を出し抜かんと決意を固めた彼は、己のサーヴァントであるイスカンダルに何カ所かの水を集めさせた。暴れ馬のようなサーヴァントを縛れる令呪はウェイバーにとって、喉から手が出るほどに欲しいところだ。何せイスカンダルは霊体化することを拒んで、挙げ句の果てに潜伏しているマッケンジー夫妻の前にさえも姿をさらしてしまうほどだ。

 これ以上好き勝手はさせていられない。日に日に募るストレスを胃に受けつつ、目の前にある希望へ邁進するウェイバー。……だったのだが、用いた手段は非常に簡易的なもので、痕跡を少し見つけられれば程度の感覚で試したに過ぎない。

 だと言うのに、結果はどうか。

 秘匿する気など無いキャスターの痕跡はあっさりと、わざとらしいほどに露骨に見つかった。

 罠かとも思ったが、あからさまな垂れ流しにそれはないと判断できる。どうみても、自分たちの欲求に忠実なまま隙かってしているのだろう。そもそも、それくらいでなければ〝討伐願い〟など出るはずもないが。

 ――おかしい。こんなのが、『聖杯戦争』なのか。

 魔術師にとっての戦いとは知恵比べ。自身らの術を賭して全力で挑むものなのだと考えていたウェイバーにとって、こんな簡易的なやり方で居場所を明かしても何の感動も得られない。

 だが、いつも自分を小馬鹿にしているイスカンダルはここぞとばかりに関心を示す。

 欲しいときに得られない関心が、こんなことで得られるというのは面白くない。というより、寧ろ自分の至らなさを知らされているかのような気さえして、惨めささえも感じられる。

 そんなわけで沈み気味のウェイバーだったが、イスカンダルの方は彼の所業に感心し攻め気に逸っている。その上、こんなことまで言い出した。

 

「よぉし。居所さえ掴めればこっちのもんだ。なぁ坊主、さっそく殴り込むとするか?」

「待てこら。敵はキャスターだっての。いきなり攻め込む奴がいるかよ」

 

 全く以て頭が痛い。

 工房を構える魔術師の――それもサーヴァントの工房にいきなり攻め込むなんて、まず発想自体がどうかしてる。

 やる気に逸っているのは良いとしても、それなりの準備をしてから行かなくては追い返される可能性もあるだろうに。

 だというのに、何故かイスカンダルはやたらと攻め気で、うきうきしているかのようにさえ見える。

 戦いが好きなのか、それとも敵地を攻め込むというのが征服王の血に来るのか。いずれにせよ、イスカンダルはこれまでに無いほどにウェイバーを急かす。

「あのな、戦において陣というものは刻一刻と位置を変えていくもんだ。位置を掴んだ敵は速やかに叩かねば、取り逃がした後で後悔でも遅いのだぞ」

 にやつきながら、キュプリオトの剣いつの間にか実体化させて肩に担ぐイスカンダル。

 確かに言っていることは正しいが、ライダーのクラスである彼がキャスターをせめるリスクは少なからずある。三大騎士の、とりわけセイバーあたりの対魔力スキル持ちならともかく、イスカンダルはそれほど高い対魔力は持っていない。判定にすれば、およそDランク。その他にも、ことさらに魔術に強い伝承なども無いというのに、一体何がここまで彼を逸らせるのか。

「……オマエ、何でまた今日はそんなにやる気なんだ?」

 不思議さが先行して、ウェイバーは彼に何故そこまでやる気なのかを、そう訊ねてみる。

 すると、こともなげにこんなことを言って寄こした。

「当然よ。我がマスターがようやっと功績らしい成果を見せたのだ。ならば余もまた敵の首級を持ち帰って報いるのが、サーヴァントとしての心意気というものだ」

「…………」

 普段小馬鹿にしてばかりのくせに、こうして気まぐれに褒めてくるというのはいかがなものか。

 しかし、こうしたまっすぐは評価というのは、ウェイバーはあまり受けたことがないため――特に、時計塔での先生はあのケイネスである――なんとなくこそばゆくなって、ウェイバーはどう返答するべきなのか迷い、言葉を返せない。

 その沈黙を肯定と取ったのか、イスカンダルはウェイバーの細い肩を勢いよくどやしつけ、豪快に笑いながら何度か頷く。その表情は実に愉快そうである。

「そう初っ端から諦めてかかるでない。とりあえずブチ当たるだけ当たってみようではないか。案外何とかなるもんかもしれんぞ?」

「……」

 もしかすると、この暴走英霊は生前さえこうだったのか。仮にそうだとするのなら、ウェイバーは、こんな調子で東の果てまで引っ張り回された古の兵たちに同情を禁じ得ない。

 ただ、一つその思考に問題があるとするならば――

 今まさに振り回されようとしているのが、自分自身なのだということくらいである。

 

 結果だけ言うと、何とかなった。

 当たりをつけた下水の先を覗くと、確かに魔術の痕跡がある。

 それを聞くや、取り敢えず中へ行こうと急かすイスカンダルに押されて、いつもの様に『神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)』に放り込まれたウェイバーは爆走する牛舎に乗せられ狭いトンネルを行くことになった。

 

 

 

 ――そうして向かった先で二人は、あり得ないものを見る。

 

 

 

 *** 狂気(ユメ)の終わりを齎す者たちの祈り

 

 

 

 ――時は僅かに遡り、御伽の森に建つ城へ戻る。

 

 そこでは幾人もの魔術師と英霊たちがこれからの方針を語らい、そして、今後目指すべき目的を確認しているところだった。

 幸いにして既に一同の目的は、とある性悪ステッキにより(強制的に)揃えられている。

 ならば後はなすべきことを、順序を追って為すだけのことである。

 少なくともこの城に集まっている陣営には、これまた性悪ステッキによって『聖杯』に対する警告が成されているため、愚行に走る馬鹿もいない。生きているマスターならば当然、従えられている英雄たちに問ってもそれは同じだ。

 そもそも各々の目的からして、

『故国の救済』

『主への忠義』

『人格の統一』

『財宝の収集』

『贖罪の戦い』

 と、いずれも穢れた杯では叶うべくもないモノばかり。寧ろ、よしんば叶ったとしても、呪いの煮詰まった地獄の釜を開けるより容易い手段がある。

 一つ気がかりなのは蒐集家である英雄王その人であるが――生憎と、今瀬ではマスターの娘に手綱を。そしてその弟子(お気に入り)には胃袋をとっくに掴まれているため問題はない。

 故に、問題があるとすれば話し合いの通じそうにない輩への対処のみである。

 まず第一の目標は、この街での殺戮を繰り返しているキャスターとそのマスター。

 幸いというか、先日ルビーに記憶をインストールされる前の凛がマスターの方を撃退したため、今は好き勝手に動けないのは確認済みだ。昨日今日の話であるため、礼装を破戒された彼らは、そう気軽に動けるという訳でもないだろう。

 真名ももう割れているため、魔術師としてはそこまで恐れる必要はない。

 単純にキャスター、つまりは『ジル・ド・レェ』の恐ろしさはひとえに、彼の持つあの魔書にある。

螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』――

 かつての盟友の物である魔導書を使うことによって、ジル・ド・レェは魔力の供給源と海魔の召喚を両立している。

 軍師としての才覚を魔を使役することで振るうのは、はっきり言って脅威である。

 が、今ここに揃った面子に敵うほどの強者かと言えそうでもない。

 

 数を相手にするのであれば、士郎とギルガメッシュの餌食に。

 それらを束ね、より強大な『魔』とするのであればアルトリアの聖剣が薙ぎ払おう。

 まず魔書を発動する以前に、『魔術』を扱う時点でディルムッドの槍の恰好の獲物である。

 仮にそれらを克服するだけの技量があるのだとしても、最強を謳われる『円卓』の最たるランスロットには技量では及ばない。

 

 いずれにせよ、ここには悉く弱点を突くだけの面子がそろっているのだ。

 ならば、後はもう責めるのみ。場所は、『百貌のハサン』による諜報ですでに場所が割れている。

 街の中心を流れる河川があるというのに、馬鹿正直のそこへ術式の残滓を垂れ流して秘匿も何もあったものではないキャスター陣営の居場所を突き止めるのはそう難しいことではない。仮に隠れていたのだとしても、諜報に置いて基本キャスターはアサシンには敵わないのである。

 遅かれ早かれ、場所は割れていた。

 そして、今回は早い方だったのである。

 そうであるならば、後は――――ただ、攻め込むのみ。

 

 場所は冬木の河川中腹より、少し上流にある下水管の奥。

 ――そこには間違いなく、キャスター・ジル・ド・レェの工房がある。

 

 

 

「じゃあ、早速行きましょ。

 ここまで掻き乱してくれたんだもの。せめてお礼くらいはしてあげないとね」

「――そうですね姉さん。好き勝手してる殺人鬼さんたちには、ちゃーんとお仕置きをしてあげないといけませんよね」

「ええ、頼りにしてるわよ?」

「はい、任せてください!」

 

 ……ついに集結してしまった二人の悪魔の笑い声に、城の中にいた面々は――あの言峰やギルガメッシュですら思わず――身震してしまう。

 こうして戦いは、遂に詰め路を進み始めた。

 

 

 

 ――――そして、時間は戻り現在。

 

 下水道を遡った空間、その貯水槽に置いて。

 ライダー陣営は、既にキャスター陣営を討伐し終わった面々との邂逅を果たした。

 

 

 

 

 

 

 *** 舞台は城へ、巡り合う覇道と理想

 

 

 

「な――――!?」

 そこは、既に決した後であった。

 余り喜ばしくはないが、それでもせっかく見つけた手がかりである。その上報酬も掛かっているのだとすれば、多少なり身も入るというものだ。

 だがしかし、そこに在ったのは決した戦いの後始末。

 あちこちに転がっている、意味を剥奪された骸を偲ぶ者たちと、それを噛みつかんばかりに嘆いている一人の狂人の姿。

 此処における戦いは既に決していた。

 キャスターの、敗北によって――――

 

 

 

「ォ、――――ァァァああああああアアアァァァ!!!???」

 

 聖杯戦争をかき乱した、悪魔の断末魔が響き渡る。

 伸ばされた影に沈んでいく様は、さながら血の沼に沈む亡者の如く。

「ごちそうさまです――ふふっ」

 幼子とは思えないほど妖艶に笑う少女の影に、悪魔は成す術もなく蹂躙されていった。

 その惨劇を見て、敬愛する師を奪われた殺人鬼は――――

「ひ、ひでぇ……、あんまりだ……!

 アンタら何なんだ! 旦那をリンチにした挙句、俺たちが丹精込めて作った芸術(アート)を……! これがっ、これが人間のすることかよおおおおおおぉぉッ!!」

「ああ、無論そうだとも」

 にべもなく返された言葉に、思わず雨生龍之介は呆然と叫びをやめる。

 言葉を返した神父は、生粋の狂人に対しこう語る。

 まるであやす様に、愉しむように。言葉を紡ぎ、狂人を屈服させるのではなく、ただ事実を諭すだけのように。

「君は〝死〟についての探求を求めている様だが、それにも様々な価値観が存在する。君たちにとっての芸術を理解することの出来ない人間が大多数を占める世界では、さぞ生きにくいことだろうとは思う。

 だが、人は等しく〝死〟を尊ぶものなのだ。それが君たちの様な剥奪か、凡百の追悼かはさておいて――。

 そしてまた、見たところ君の言う芸術とは己が業を体現する道でもある。故に、同じく業を果たすべく動く人間がいるのだとすれば、それは必然ぶつかり合う。

 つまりだ。今回のそれは、君たちの敗北であったということだけだ。

 少なくとも、私は君らを糾弾はすまいよ。なにせ、私もまた破綻者である。――しかし、どうにもここにはそれ以上に破綻した者がいてな。

 そうそう。そこの子供、聞けば君がおり逃した獲物だった子供だそうだな。

 皮肉なものだ。君たちは、始まりの選択を誤った。なにせ、そこにいたのは度し難い程の理想を追い求めるモノ。

 ――――『正義の味方』、というやつだったのだからな」

 そうして紡がれた最後の言葉と共に、二人の芸術家の作品だった命は灰燼となる。

 意味を剥奪されたアートは、ここで以て意味を取り戻す。悼む者を、弄ばれるだけの材料でなくたったがゆえに。無念をすべて果たすことはできない。

 だが、それでも歩みを進めることは出来よう。

 願われた思いと共に、天へと誘われた魂の(さま)に―――殺人鬼は、己とは相容れない別の形を見た気がした。

 

 

 

「……いったい、これは……どういう」

 余りにも急いた展開に、一部始終を見ていたウェイバーは呆然と呟いた。

 それを受けて、傍らに立つイスカンダルは真剣な眼差しで周囲を観察し言う。

「どうしたもこうしたもあるまい。詰まる所、我らは少しばかり遅かったということであろうよ。

 キャスターを討ち果たしたのは連中で、倒された側が胸糞悪い狂人であったと、そういうことなんだろうさ」

 ただ、と。

 少しだけ語尾を濁し、

「向こうも、我らがここへ来ることは予想外の様であるがな」

 そういうと、イスカンダルは豪胆に構え向こうの出方を待つ。

 戦うというならば望むところ。語らい、場を移すのだというのなら請け負うと。無言で自身の意思を呈しつつ、傍らのマスターに被害は及ばないように気を配る。

 ある意味、そんな姿勢は向こうにとっては新鮮であったであろう。

 改善されたとはいえ、生憎とここまでフレンドリーな陣営はなかったのからこそ、最初からあんな信頼関係を結べているのは目新しく思える。

 と、それはともかくとして。

 少なくとも、すぐに事を構える意思がないのは双方同じ。

 故に、まずは互いに場の整理をしなくてはならないと判断した。

 

「――場所を変えましょう」

 

 その一言を皮切りに、場所を移すことになった一同。

 龍之介を投獄する手続きをするべく、席を外した綺礼は彼の父の居る教会へ向かっていった。曲がりなりにも魔術師の血筋を継ぐ者である以上、そうやすやすと警察に引き渡すわけにはいかないとのことである。

 そうして彼を除いた面々は一旦、自身らの陣営の全員を集め、アインツベルンの城へ集う。

 

 夜の闇を抜けて、彼らが集うは御伽の森。

 再び場を城へと移し、この戦争(たたかい)の行く末を決める、最期の選択の時が始まる。

 

 

 



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第二十八話 ~問答、己がユメを掲げる者たち~

 正義と覇道、その巡り合いの先へ。


 調理(トレース)開始(オン)―――!

 

 

 

 遡ること半刻、場所は冬木市の地下にある下水道にて。

 この奇蹟を巡る戦いに挑む者たちは、等しく其処に集結していた。

 が、全七組いる陣営の内――二つの陣営が、他と異なる流れでもってその場所を訪れた。

 一つは、他の六組から狙われていたキャスター陣営。そもそも、この下水道を根城(アトリエ)としていた彼らを〝狩る〟べく、他の陣営は其処を訪れていたのである。

 残る六つの内、五つまでが手を組んでここへやって来た。が、最後の一基たるライダー陣営の身は単独での行動をとりそこへ訪れる事となった。

 これがどういうことなのか、問うまでもない。

 詰まるところ、ライダー陣営のみがこの闘争の歪みを知らず、未だ全力でこの闘争を戦い抜かんと画策しているということだ。

 故に、残る陣営はこの闘争に置けるその歪みを彼らに告げなくてはならない。尤も、その答えが肯定かどうかは、誰も予測することは出来ないが……。

 であるからこそ、この席はその為――呪いをこの世界に振りまくことを是としない少年の意思が紡いだここまでの路を、未知への制覇・蹂躙を掲げる王へと示すためのものとするがために――――

 

 ――――少年は、己が調理器具(ぶき)を手に挑みかかる。

 

 イメージするのは、常に最強の自分。

 挑む相手は他ならぬ自分自身であるがゆえに、そこに一切の狂いも妥協も許されない。

 感覚を研ぎ澄ませ。

 夢想せよ。そして、想像し創造せよ。――最高の、料理を。

 そうだ。ソレは、ただ最高の料理を成すためだけの魔術回路(レシピ)――――!

 

「う、ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!」

 

 夜を迎えた御伽の森。宵闇の唄を告げる風が、森から城へと流れて行く。

 そんな夜更けの丑三つ時。衛宮士郎は、アインツベルンの城で調理に燃えていた。

 彼の気迫に押されるように、街に巣食っていた悪魔の消滅を知らせるような風に誘われる様に――狂気を祓ったこの時を以て、再び英霊たちが此処に集う。

 

 こうして、御伽の城にて『会談』の席が催された――――

 

 

 

 ***

 

 

 

 城の裏庭にある庭園。

 そこで、英霊とそのマスターたちによる会談が催された。催された、のだったが――

 

 

 

「――むほォ、美味いッ!!」

 

 一際大きく響く声は、この場に集った英霊の一角。ライダーのクラスに据えられた、征服王・イスカンダルのものだった。

 凡そ、辛気臭く沈みそうな問答のそれとは似つかわしくない、場の空気を塗り替えるような笑い声だ。しかし、それがどこか愛嬌の様に思えてしまうのは、イスカンダルの持つ人柄ゆえか。

 ともかく、そんな声を上げながら、イスカンダルは目の前に出された酒や肴を呑み喰らっていた。

 組した酒の美味さに思わず、提供者である英雄王・ギルガメッシュに出自を訊ねている。

「凄ぇなオイ! こりゃあ、ヒトの手によるもんじゃあるまい。神代の代物か?」

 この問いかけに対し、ギルガメッシュは傲岸不遜に応える。

「ふっ、当然であろう。この(オレ)の蔵の一品だぞ? 此処に納められている以上、それが至高でない道理もない」

 が、そんな彼を諫める様に横からの声が掛かる。

「ちょっとギル。何時までも呑んでないで、話を先に進めなさいよ」

 眉根を寄せ、料理や酒を飲み喰らう大人たちへ避難の視線を向けるような出で立ちで、遠坂凜はそんな声を上げた。

 見かけ上はこの場にいるのが不自然なほどに圧さない彼女であるが、他の二人――料理に取り掛かっている士郎や桜――にも言える様に、纏っている雰囲気が既に見た目のそれとは程遠い。……少なくとも。舐めてかかったとしたら、一生モノのトラウマを植え付けられそうだ。と、この場に置いて一番の弱腰であるウェイバーが感じる程度には。

 しかし、そんな彼の不安など歯牙にもかけず場は進む。問答、会談というよりは寧ろ、宴会か宴にでもなりそうな方向にだったが……。

「まぁ、待て凛。語らいの席であるのなら、此処は王としての器を問うというのも一興。どうせ問答などと言ってしまえばすぐ終わってしまうのだ。少しばかり時を微睡んだところで支障はない」

「おぉ! 珍しく意見が合ったなぁ金ぴか。こやつの言う通り、語らいの席であるというのなら、酒を酌み交わし、器を量ることも王の責務であるぞ? 小娘」

「誰が小娘よ! ンなこと言って、どうせ飲みたいだけでしょうがデカブツ!!」

「ふはははは! 生意気な態度もまたよし。寧ろ、この戦いの渦中に置いてはそのくらい勝ち気でなければ張り合いもない。

 さあ、お前も呑め騎士王。さっきから肴ばっかり食っとるではないか」

 気持ちよく笑う傍らで、飲み食いの〝食い〟の方にばかり情熱を傾けているセイバーに対し、イスカンダルはそういって酒を突き出す。

 が、彼女は酒を受け取りつつも、食べる速度を緩めようとはしない。……よほどストレスでも溜まっていたのだろうか。何やら、鬱憤がある程度解決したかの様な面持ちで料理を喰らっている。

「むぐむぐ……。うるさいぞ、征服王。これは、シロウの作った料理が私の好みに合いすぎるだけだ。通常であれば、私とてこんな席で酒よりも肴などとはならない」

「同感です。士郎は全く素晴らしい腕をお持ちだ。――あ、こちらの料理もう十皿ほど追加で。こんなポテトがあろうとは……煮込み一つで、ここまで変わるものなのですね」

 おでんのお代わり芋多めなリクエストを出しつつ皿を突き出して、腹ペコな騎士王に続く湖の騎士・ランスロット。彼もまた、何か救われたような面持ちで、これまでの鬱憤を晴らすかの如く呑み喰らっている。……本当に、生前の円卓――ひいてはブリテンの食事事情が悔やまれるばかりだ。

 それを受けての、今日の教訓。円卓は腹ペコである。以上。

 さて、そんな事実を目の当たりにしつつ、その片割れのマスターである間桐雁夜は、そんな彼らに呆れながら自身もちびちび飲み食いを続けている。無論、士郎たちによって改善はされたが、未だ濃すぎる料理は食べられないため、彼用のものを作ってもらってだったが。

「食い過ぎだろ二人共……。おい時臣、そろそろアーチャーに酒だの材料だの出させるの、やめさせろって。士郎君もなんか止まらないし」

 料理と聞いて――プラス騎士王の笑顔効果で――夢中になってしまった『正義の味方(小)』の様子と織り交ぜる様に、酒の提供主であるギルガメッシュのマスターである凜の父・時臣に制止を掛けろといった雁夜だったが、生憎と時臣もまた飲食系に優雅に夢中であった。

「……おぉ、この酒は素晴らしい。流石は常世全ての財宝を治めたとされる王の一品……!」

「お前もかよ! ……ったくもう」

「あ、雁夜おじさん。おじさんの胃腸に合わせた料理を作ったのでどうぞ♪」

「え、ああ……うん。ありがとう桜ちゃん」

 心労がかかるところに姪の気遣い。雁夜はなんとなく、嬉しさと呆れが混ざり合った場にもう身を任せた方が楽かもしれないと思い始めた。

 追い打ちをかける様に、調理を終えた士郎がやって来る。

 両親(仮)に料理を振る舞いつつ、セイバーとランスロットに料理を供するべく急ピッチで進めて来たらしい。

「料理の追加出来たぞー。あ、爺さんとアイリさんも……」

「ああ、ありがとう士郎」

「本当にすごいのねぇ~、士郎君の腕前って」

「ああ。こんな偶然の出会いだったけどね……自慢の息子さ」

「――――っ。

 ほ、ほら! そんな事よりも、まずは食べてみてくれって。セイバーのとこにも行かなきゃだし……」

「(照れてるのかしら?)」

「(そうだね、アイリ。士郎は時々素直じゃないからなぁ)」

「(あらあら、うふふ……♪)」

(…………なんだろう。今、決定的に覆せない何か、神の壁の的なものを背負った気がする)

 何故か、将来のヒエラルキーがここに確定した予兆を肌で感じつつ……士郎はセイバーたちに料理を運んでいった。

 

 

 

 

 

 

 *** 掲げ、馳せたユメのカタチは―――

 

 

 

 宴と化してしまった会談の席も進み、半刻も経った頃。

 盃を煽っていたイスカンダルが、不意にギルガメッシュにこんな問いを投げかけ始めた。

「なぁ、金ぴか」

「何だ?」

「いやなー、ここまで歓待を受けた上では無粋なのだが、少し訊いて置くべきだろうと思ったのよ」

「前置きは良い。言ってみろ、聞いてやる」

「そいじゃあ訊かせてもらうがな。

 そもそも貴様らは、いったい何故集まった? 余はまだそこも訊いていなかったからな」

 その疑問は至極当然なものである。

 事実ここまで引っ張って来て置いて、料理や酒にかまけたとは言え、確かに彼らはライダー陣営に対する説明に欠けていた。

 が、ギルガメッシュはと言えば今更かと言わんばかりに拍子抜けした顔を見せる。

「そんなことか」

 つまらなそうに息を吐いたギルガメッシュであったが、説明を惜しむ様なことでもない。かと言って、自分で説明するというのも面倒であったらしく、説明は別に任せることとした様だ。

「まぁ良い、折角だ。凛よ、此奴に説明してやれ」

 と、先程から傍に座ってジュースを飲んでいた凛に真紅の目を向け、彼女に説明してやれと匙を投げた。

「そこまで言っておいてわたしに丸投げ? どうせなら最後まで言いなさいよ。本っ当に勿体つけるの好きなんだから……。

 ま、それくらいなら別に良いわ。説明してあげる」

 軽く呆れを覗かせつつも、元来面倒見いい姉御肌な凛は、放られた些事を受け止め、未だ流れを知らぬイスカンダルとウェイバーに説明を始めた。

 

 ここまで辿った道のりを語る。

 一人の少年がこの世界に招かれ、自身の肉体(カラダ)と命を預かり生き延びる為に戦う道を選んだことや、悲劇を目の当たりにして動かずにいられなかったということ……そして、自身や妹もまた、彼のそんな〝お節介〟によって招かれたこと。

 呪われた杯に定められた運命から大切なものを守る為に、彼は皆を救おうと足掻いたことに至るまでの全てを――。

 それらを語り終えた頃には、イスカンダルはしげしげと士郎の方を見やりつつ、何度か首を縦に振りながら説明を咀嚼していく。

 

「ほほう……。つまりなんだ、そこの小僧がこの状況の発端というわけか」

「ええ。――ホント、いつも通り過ぎて呆れるわ。本人も、こいつの巡り合わせの方も」

 確認する様に投げられた声を肯定し、士郎のそれまでに対する呆れ混じりにこう言った。

 しかし、彼女の弁を未だ呑み込み切れていない者が一人。

「そんな……! 未来から来た、サーヴァントだっていうのか? それも、生身の肉体を依り代にして……? あり得るのか、そんなことが?」

 余りに馴染みなく告げられた現実に、困惑するウェイバー。

 が、混乱の中にいる彼に遠慮なくケイネスがこんなことを言い出した。

「ウェイバー君。君は何処まで無学を晒すのかね? 仮にもこの私の教え子だというのに、情けない」

「…………は?」

 一瞬、自分が聞き違えたのではないかと疑った。

 あのケイネスが、自分を教え子だと口にした? と、ますます深まる困惑に、ウェイバーの中にある認識が追いつかなくなってしまう。

 けれど勿論というか、口にした側はそんなことは御構い無しであった。

 続けざまに次の様なことを言い出し、これまでとかけ離れ過ぎたギャップに、逆にウェイバーが正気に戻ってしまうほどの衝撃を与えた。

「宜しい。それでは後で教え直しをしてあげるから覚悟したまえ。

 特別授業だ。内容は、英霊の降霊についてと高次の時間概念についてだ」

「ぇ……ええっ!?」

 ――何でケイネス先生が!? と、思わず戦いが始まってから付かなくなっていた敬称を思わず付け直してしまうほど、ウェイバーは混乱してしまっていた。

 嫌味で有名なケイネスが、酷く教師らしい様なことを言い出した事もそうだが、何よりも、何故か表示と言葉端にこれまでの様な見下しが足りない。

 ――――いったい、何があったのか。

 ついそんな感想と共に呆けてしまうほど、ケイネスの内面の豹変に彼は困惑した。……おまけに、その後ろに控えたランサーが何故か感涙に咽び泣いているので余計に。

 困惑するウェイバーを放置して(扱いの悪さはあまり変わっていなかったらしい)、ケイネスはこの戦争に置いて混じったイレギュラーについての自身の見解を述べて行く。

「良いかね? 確かに通常では考えられない事態ではあるが、これは何もそんなに特別なことではない。

 英霊の召喚――この場合は依り代への降霊だが、現象そのものは凡百のそれと同一だ。

 ただ高次の空間、所謂『英霊の座』からの降霊は多大な魔力と、『外』からの者を招くだけの力が必要となる。しかし、そこは聖杯戦争の最中であり、また彼が〝やって来た〟時が――偶然であるがキャスターの召喚と被っている。

 後は、依り代や土地柄。英霊の性質……縁としては、十分に条件を満たしていた。少々信じがたいことも事実だが、現実として起こっている以上は可能だったということなのだろう。

 ――――他者を救う為に英雄となった者が、過去の己に招ばれた、という現象が。…………まあ、後はあのステッキもだが」

 最後のはブツブツとした呟きに埋もれてしまったが、大まかにはケイネスの弁はウェイバーに理解を齎した。信じがたいという部分には同意しかないが、降霊科きっての天才が認めているのなら、未だ学生の身であるウェイバーも信じないわけにもいかない。

 そんな彼らに補足を入れる様に、凛が最後にこう付け加えた。

「ま、仮にも聖杯戦争に呼ばれた以上……士郎の存在はサーヴァントに近いし。クラスとして扱うならまぁ、『救い主(セイヴァー)』ってとこかしらね」

「ふむ……」

 そこまでの話を聞き、イスカンダルは暫しの沈黙を守る。そして数秒の(のち)口を開いたが、その内容はというと――――

 

 

 

「なるほどなぁ……うむ、ここまでの流れは分かった。

 そうであるが故に重ねて問う。貴様らの掲げる望みが、何であるのかを」

 

 ――――これまでを賞賛するでも、嘲笑するでも、罵るでもなく。ここまでを咀嚼し呑み込んだ上で、ただひたすら真っ直ぐに、ここに居る者全ての意を問うものであった。

「は――――ハァ!?」

 そんか己のサーヴァントの弁に驚き、素っ頓狂な声を上げるウェイバー。

「ここまで聞いといて今更、お前は何言って……いだぁっ!?」

 が、ここまでの事情を聞いてまだ『掲げる願い』を問うなど、理解出来ないとでもいう様にイスカンダルへ顔を向けたものの、その追求はデコピン一発で跳ね除けられてしまった。

「馬鹿者。ここまで来て、だと? 逆であろうが坊主。ここまで来たからこそ、だ」

 挙句、従える側から馬鹿呼ばわりである。すっかり話に置いてかれたウェイバーとしては、こうも言われるだけでは流石に黙っていられるわけもなく、そこに対する鬱憤だけをどうにか火種に、痛む額を抑えながら、イスカンダルの弁に噛み付きを続ける。

「な、何がだよぉ……!」

「まだ分からんのか。此奴らは、余に諦めろと通告して居るに等しいのだ。

 聖杯の汚染。監督役の中止宣告。

 なるほど確かに枠を決めた戦いからの逸脱した状況ならば停戦という選択もあろう。だがな、本来これは耳障りの良い事を並べようと所詮は比べ合いであり奪い合いだ。

 ならば、この戦いに席を置いた者として、余の望みを覆すだけの展望があるか否か。問わぬわけには行かぬだろう。何せ余の望みは、()()()()()()()()()()()のだからな」

「――――っ」

 堂々と言い放つイスカンダル。しかし、その語りにウェイバーは言葉を失った。

 イスカンダルの言い放ったのは、事実上の別離宣言である。どれだけ周りの意向が向いていようと、自分の目的のために走るのだと告げたようなものだ。

 この言葉を受けて、周囲が黙っているはずはない。

 少なくともウェイバーは、交戦を避けられないのだろうことを予期し、自身に降りかかる死を錯覚した。

 だが、一向にその戦いには移行せず。イスカンダルの言葉は、確かに周りに響いている。

 もちろん、聞き入れられたのではない。あくまでそれは、彼の弁がそこにいる者たちにとって、聞くに足るだけのもの。応えるに足るだけのものであったということである。

 ――――そう、賭けるものであるが故に。

 内に抱く展望を魅せるものである矜持。自身に対して、あるいは他に対してのものを持つものであるが故に。

 それを示せよ、と。イスカンダルはそう言っているのだ。

 自身の持つ願望。その欲に、絶対の覚悟を括った男の言葉に、最初に応じたのは、彼以上に己を絶対をする男であった。

「ほう? そこまで言うからには、貴様の抱く願望は相当に壮大なものなのであろうなぁ? ――()()()

 ギラつく真紅の瞳を向けて、ギルガメッシュはイスカンダルに逆に問いかける。傲慢な応答であるが、明らかに不利なのはイスカンダルの側である。

 問いに対する答えが欲しければ、先に答えろと言っているのだ。誇りの是非を問うのであれば、先に見せるのが道理である、と。

 通常のイスカンダルならこの返しにも即答できたであろう。けれど、何故か彼は躊躇いのようなものを僅かに覗かせた。らしからぬその態度に、不思議そうな顔をする面々。

 それを受けて、どうにか言葉を出そうとしたイスカンダルだったが、今ひとつ歯切れが悪い。

「あー……、そいつはなぁ」

 しかしどうにか意を決したらしく、言い澱みを残しながら、彼は己が望みを口に出そうとする。

 少し照れたように口にした、その望みとは――――

 

 

「余の望みは……〝受肉〟だ」

 

 

 口にされたその声に、場の者たちは言葉を失う。

 ただ一人、望みだと言う展望を語られていた少年を除いて。

「は――――はあっ!? お、お前! 望みは世界征服だって……あが、ぎゃうっ!?」

「戯け。たかが杯なんぞに世界を取らせて何になる。

 〝征服〟は己自身に託す夢――聖杯に託すのはあくまでも、そのための第一歩だ」

 思わず背中に飛びついて問いただすように迫ってきたウェイバーを片手で吹っ飛ばしながら、イスカンダルは未だ語る。

「いくら魔力で現界しているとはいえ、我らは所詮サーヴァント。余は転成したこの世界に、一個の命として根を下ろしたい。なんでも、先ほどの小娘の話ではそこの金ピカは泥を飲み干して受肉したのであろう? ならば余とて憶するわけにもいくまいて。

 それにな、未来から来たとかどうとか、その辺りもまず気に食わん。自らのいた時代で、起こる悲劇を変える。確かに尊ぶべき行いなのだろうな。

 だが、そんな風に変えてしまって何になる? 他のためだけに己を殺し、否定して――そこに、いったい何が生まれるというのか。救われるだけでは、人は進まん。

 誰もが焦がれるほどの待望を魅せてこそ、民は王の後に走る。己が夢をそこに賭け、選びとるのだ。自らの道を。

 そういった者たちとの絆を結び、共に進むのが我が生き様。

 身体一つで我を張って、天と地に向かい合う。それが、〝征服〟という行いの全て。そのように開始し、推し進め、成し遂げてこそ――――!」

 手にした酒器を煽り、そこにあった酒の全てを飲み干し、断じる。

 己が欲の全て、強欲の果てに夢を魅せる王の道。それこそが、この戦いにかける決意。〝征服王・イスカンダル〟としての信念その者であるのだと。

 

 

「――――我が〝覇道〟なのだ……!」

 

 

 その様は、確かに一つの王の姿であった。あの英雄王をして、確固たる決意に結ばれた賊の王であると認めるほどに。そしてまた、場の全員が同様に彼の生き様に各々の感慨を抱く。

 騎士王であるセイバーでその一人。

「…………」

 人を惹きつける力。

 王としての資質の一つである、いわゆるカリスマ性と言ったものであるが……それは『王』に据えられた者でなくとも、人の上に立つものであれば等しく持つ力である。

 ――あの物語の中で、確かに知った己の間違い。人を救うだけだった彼女には持てなかったものであるが、見ただけの彼女には未だその正解は判らない。これまで信じ願ってきた救済、刻まれた行いを覆すことを是と出来ないものであるが故に、口を出すことは憚られるが……。

(私は、まだ……)

 実感を持てずにいる。

 自分で体感していない事柄に対しては、至極当然。凛や桜のように生きた出来事からのダウンロードではない彼女にとって、知った知識を自らのものであると感じられないのである。とりわけ、彼女だからこそ――。

 セイバー、つまり『アルトリア・ペンドラゴン』は()()()()()()英霊である。

 彼女は滅びの最後。アーサー王伝説にあるところの、カムランの丘で『世界』と契約を交わした。

『聖杯』を手にする機会を手にする代わりに、死後ののち、己が身を世界の奴隷にするという盟約で持って、彼女は時を超え、英霊としてここにいる。

 だが、挑んだ戦いは己の理想とは程遠いものでしかなく――――

 そこに、救済への道はないのだと知った。むしろ、その先にある戦いの中でこそ彼女は夢の果てを見つけるとさえ告げられた。

 しかし、それは己の夢なのかどうか。今の彼女には判らない。

 故に、正しいのか否か。

 己の全てを見極めるために、この問答の行く末を見守らなくてはならない。

 

 ――――この少年の成す、理想(ユメ)の果てを。

 

 

 

「――――それは、少し違う」

 

「ん?」

 セイバーに持って来た皿を脇に置きながら、イスカンダル前に座る士郎。

 琥珀色の瞳を真っ直ぐに向け、先ほどの言葉に僅かな訂正を述べる。

「俺は別に、自分のこれまでを否定したいわけじゃない。この世界は多分、俺のこれまでとは繋がらないしな」

「ふむ。であれば小僧、お主は何故こうまでした? 聞いた限りでは、確かに此処には思うところもあったのであろう。しかし、それが己に繋がりもしない過去で救うことにどうして繋がる?

 悲劇はそれで回避できよう。だが、そこに悔いはないのか。或いは、お主の行いによって変えられた過去に思うところはないのか、否か……」

「…………そうだな」

 問われ、少し思考し思うところが無いと言えば、それは嘘になる。

 彼の言い分は分からなくは無い。……というよりも、それは士郎自身が言ったことでもある。

 薄暗い神の家の地下で、少年は言った。

 過去を変える気など無い。過去を変えることに意味などない、と。

 己が剣だった少女と、己の同類を前にして。

 

「〝――――この道が、間違ってないって信じてる。

 置き去りにして来たもの……いや、大切なもののために、俺は自分を曲げることは出来ない〟」

 

 でも、と。

 士郎は少し語尾に力を込める。

 逡巡する、これまでの道のり。

 決意は変わらない。

 イスカンダルの弁とて、間違ってはいない部分は否めない。――だが、これをやり直しだというのなら、それは少し違うのだ。

『英霊』と形容するにはあまりにも歪な形でこの戦いに迷い込んだ士郎にとって、ここが仮に過去であろうと無かろうと、ここで生を受けてしまった以上、目の前で苦しむ人がいるのなら、見捨てる道理は無いのである。

 それが彼の生き方そのもの。

 まして、その対象が自分にとって大切なものであるのなら、尚更に。

 故に守るのだと、イスカンダルへ言う。

 過去だから変えない、未来を知るから変えたいのでは無く。

 自分の護りたいものこそを、守るのだと。

 それは世界であり、街であり、家族であり、人である。

 そう語り、イスカンダルの前に立ち上がる。

 ――――さながらそれは、本当の意味での〝守護者〟の様に。

 

「今この時を再び制覇したいと言うなら、それは征服王イスカンダルの果たされなかった夢の続きだ。

 でも、だからといってお前にとってのここは、未来そのものか?

 きっと違うだろう。どんなに文明が進んでも、例えどんな神秘が薄れているのだとしても――今に根を下ろす命で在りたいなら、きっと此処はアンタにとっての現在(いま)になる。

 俺も同じだ。今、此処にある命であろうと。そう思っているから、俺は護りたいと思った。いや……元々、そんな生き方しかしてこなかった。

 だけど、それは絶対に間違いなんかじゃ無い。

 この夢を尊いと、美しいといってくれた人がいた。

 どんなに歪でも、正しさを認めてくれた人がいた。

 どんなに正しくても、ただ貫くことだけがそうでないと教わった。

 だから譲らない。なんと言われようと一歩たりとも引いてなんかやらないぞ――

 征服、制覇蹂躙こそがお前の王道(いきざま)なら、その反動で溢れるかもしれない涙を止めるのが俺の理想(ユメ)だ」

 

 ある少年の歩んだ物語(みち)

 其処にあった願いは歪で、けれど尊かった。

 彼は守る者。

 であるからこそ、侵す者であるイスカンダルの前に立ちはだかる。

 

「…………ふふ、ふはははははははははッ!!

 良い! 実に良い!!

 成る程。今ここにこそ生きる意味を求めるのであれば、かつて何処にあったかはまた違う。

 それもまた然り! お主から見れば、余は果たせなかった妄執にしがみつき、庭を踏み荒す賊に等しい。しかしなぁ、そこまで言うからには、解っているのであろう? 己の馳せし夢に賭けた、言い知れぬ情熱を」

 

 相反する方向に進みながらも、彼らは共に焦がれた者同士。

 であるからこそ、譲れぬものがあるのだと知っているのだろうとイスカンダルは問いかける。……立ち上がり、士郎を見据えた彼の意はつまり。

 それに対して、士郎は――。

「ああ」

 間を空けず、一切の迷い無く、応えた。

 知っている、と。

 そうだ。焦がれた者あれば、決して譲れぬものがあることくらい、知っている。

 であるがこそ、激突は必至。

「ならば話は早い。こうして互いに譲れぬ想いの果てを魅せ合うのであれば、衝突は免れぬのだとも。

 ――――なればこそ。よもやここで臆病風に吹かれると言うこともあるまい?」

 当然。

 そう言葉にする代わりに、士郎は立ち上がり対峙する。交わされる交視線と共に高まり行く熱を感じた。

 ――しかし、そんな彼に。

「シロウ――――」

 と、セイバーが少し案じたような色を覗かせる。

 それを、士郎は「大丈夫だ」と彼女を制し、向けた視線をイスカンダルに向け直しながら、こう言った。

「ありがとうセイバー。でもどうか、今は俺に譲って欲しい。……だってこれは、俺のするべき戦いで――――」

 それに、と。

 付け加える言葉を誇るように()()を浮かべながら、士郎は、真っ直ぐな琥珀色の瞳に炎を灯しこう言った。

 

 

 

 

 

 

「――――俺は、〝正義の味方〟だからな」

 

 

 

 

 

 

 己が在り方と共に、本質を律する言葉を口にする。

 そんな彼の背にセイバーは、今の幼子の姿とは異なる、赤と白の戦士たちの姿を幻視した。

 そして士郎は、手の中に生まれた剣を構え、目の前に立つ蹂躙の王を睨みつける。

 ――――一時の静寂が場を呑み込んだ。

 片や征す者。

 片や護る者。

 己が正道、覇道を示すのであれば必然、言葉でなど軽すぎる。

 

 

 そうして、投げ放たれた剣受ける剣がぶつかり合い、火花を奔らせた瞬間。

 

 ――――激突の、幕が上がった。

 

 

 



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第二十九話 ~覇道と正義、掲げた信念の象徴の果てに~

 ついに士郎の見せ場。
 ずっと考えていた宝具を出せた瞬間でした。何気にオリジナルで考えた詠唱よりも評判が良かったですね。


 激突せし理想と覇道

 

 

 

 ――それは、あまりにも異様な光景だった。

 

 

 

 交わされる剣戟は激しく、周りへも熱を散らす。――だが、その剣を振るう男たちは、なんともチグハグな出で立ちをしている。

 片や、二メートルを超そうかという大男。

 片や、その半分ほどの背丈しかない幼子。

 もしも、この()()を傍観するだけの観衆がいるのだとしたら、結果を問うまでもなく浮かべられるだろう。

 児戯にさえなり得ないだろう、差のありすぎる光景。仮に、こんなものをいつまでも眺めていたい人間がいるとすれば、相当に溜まっている人間くらいのものだろう。

 が、しかし――。

 生憎と、一方的な残虐(そういったもの)を期待するのならば、此処はお門違いである。

 

「うそ……だろ」

 

 思わずそう呟いたのは、この光景を見ていただけの少年。刃を交わし合う片割れである大男(サーヴァント)のマスター、ウェイバー・ベルベットだった。

 彼が目にした光景は、実にそのまま――先の通り〝大男と幼子の剣撃〟そのものである。

 直ぐにでも終わってしまいそうな、傍目には理不尽ささえ感じそうなものであるが、それでも二人は止まらない。

「せ――ああああああ!!」

「ぬぅ……、おぉぉっ!」

 既に、彼らの意識の内には人目など存在していなかった。

 ウェイバーはそれを見て理解した。

 周囲の一切を置き去りにして、己が信念を相手にぶちまけていく戦い。故に、この戦いに見てくれなど不要。

 技や正しさなど当に捨て去った先にある、抱く業を見せつけ合う戦いであるからこそ、張り続けた我の果てに、戦争(さかずき)の行方を決められる。

 ――――正義と、覇道。

 最果ての行方は、始まりの星か終わりの海か――そこまで続くであろう路を生む戦いが、舞い散る火花の中で激化していく。

 ……だからこそ、最期までこの戦いを見届けたい。

 しかし悔しいが、ウェイバーだけでは何の力にもならない。つまるところ、今の彼の状況はマスターでありながらも、無力な傍観者そのものだ。

 が、それでもこの戦いを最後まで見届けたいと思った。

 イスカンダルの信念。

 それに対した、士郎の信念。

 少なくとも善悪で判断するのならば、おそらくはイスカンダルの方が秩序を侵す行動をとっていると認めざるを得ないのだが……ウェイバーは何故か、そんなことを考えるのは無粋だと思った。

 ――――誰にも言ったことはないが、彼はイスカンダルの記憶を見たことがある。

 征服王と讃えられた男の記憶は、華やかなものではなかった。

 王としてのイスカンダルの器とその在り方は知ることが出来たが、士郎が戦いの前に言った言葉に少し感じ入る部分があった。

 

 

 〝――――今この時を再び制覇したいというなら、それは征服王イスカンダルの果たされなかった夢の続きだ――――〟

 

 

(――そうだ、あいつは……)

 届かぬからこそ、馳せた夢。

 世界に刻まれた結末は決まっているが、今再び、イスカンダルはその条理を捻じ曲げてでも挑もうとしている。

 征服だの、蹂躙だの。

 それらは過程でしなく、求める結果ではない。

(……あいつは、〝最果ての海〟を目指していた。届かない大望に、心から焦がれて……)

 そう――。イスカンダルにとって、目指すものは未知の先。

 己の及ばぬところであるからこそ、挑むのだと。そして、それは士郎もまた同じ。

 結局のところ、救いなどというものは決して手に収まるものではなく、また同じように未知を目指せば必ず障害に阻まれる。だが、それを押してでも進むのが、彼らの生き方なのだ。

 故に、見たいと思った。

 ……未だ至らぬ身である己が見たことの無い、最果てへの渇望。そして、二人の信念の全てを、この目で――――

 

 と、そんな少年の心境が生み出されたのに合わせ、戦況は変わり、イスカンダルが追い詰められていった。

 まるでそれは、少年がこの戦いの意味に迫る事を待っていたかのように。

 偶然か必定か――。

 それは定かではないが、少なくとも少年は『彼』を終わらせてはならないと感じた。

 無粋だというのは承知の上で、それでもまだ自分がこの先を見たいというエゴと共に、手に刻まれた聖痕に願いを託す。

 その時より、戦況は再び流転する。

 己が信念から、己が世界。これまでの生きざま全てを見せつける戦いへと――――

 

「――――避けろ、ライダーッ!」

 

 

 

 *** 示し合う〝世界〟

 

 

 

 剣を振るい、

 剣を投影し、

 そしてまた剣を振るう。――衛宮士郎のとった戦闘の方法を端的に表すのであれば、そんなものだった。

 だが、その程度では純粋な力でイスカンダルに及ぶことはない。

 如何な相手が騎兵の暮らすといえども、筋力は比べるまでもなく士郎の方が劣り、同時に対格差の不利を覆すには剣技だけでは足りないのは必然。

 普通のまま振るえば、上から敵の愛剣であるキュプリオトに上から圧し潰されよう。

 逆に跳びあがって振るえば、そのまま小柄な体躯が吹き飛ばされる。

 しかし、戦いを挑んだ以上は士郎に引く選択肢は存在しない。掲げた目的からして、他者を守るために力を振るう以上、『錬鉄の英霊』は守るべきものに背を向けることなどある筈も無かった。

 であれば、その差をどう埋めるのか――士郎がイスカンダルに対抗できる策と言えば、まず一つ。

 ――――言うまでもない。それは、手数の多さ。

 錬鉄の名の通り、彼らは生み出す者。そして、その起源は『剣』。

 己が世界の内より知りうる武器を世界に創造し、それらを振るう戦いこそが彼らの戦いそのものである。

 が、そのままでは今回は分が悪い。故に、手段はその派生形となる。

「――投影(トレース)開始(オン)

 詠唱を口にし、生み出した剣たちへ命を下す。

凍結解除(フリーズアウト)――投影連続層射(ソードバレル・オープン)!」

 瞬間、射出された剣たちがイスカンダルを襲う。

 流石の征服王も、据えられたクラスの通り白兵戦に置いて絶対の力を発揮するタイプではないのは明白だ。

「ぐぉ……っ!?」

 降り注ぐ剣の雨を前にして、さしものイスカンダルも焦りを見せた。

 少なくとも、剣技に絶対の自信を掲げるタイプではない彼には、この剣を防ぎきるだけの力はない。おまけに、通常の回避手段である戦車(チャリオット)を呼び出す暇もなく、このままでは串刺しにされるのは明白である。

 このまま行けば詰みとなり、あとは此方の言い分を聞かせるのみ。

 無論そう易々と行くものではないが、イスカンダルは敗北の言い訳をするタイプではない。ならば、勝者には従うだろう。

 元より、この戦いはそういうものである。

 だが、訪れようとした結末を――。

 

「――――避けろ、ライダーッ!」

 

 それまでただの傍観者に過ぎなかった少年の声が妨げた。

『!?』

 

 令呪が発動したことを告げる赤い光が輝き、ウェイバーの手助けによりイスカンダルは九死に一生を得る。来るはずの終わりを拒むかのように、令呪による強制回避が成され、イスカンダルは士郎の剣の雨から逃れることが出来のである。

 が、唐突に起こったウェイバーの独断に、効力によって助かったイスカンダルでさえ戸惑いを隠せない。

 ……というよりも寧ろ、

「坊主……助かったが、流石にそれは無粋なのではないか?」

 何故ここまで来て己を助けたのかを不思議がってさえいた。

 先の問答。会談の場となった席で、ウェイバーはイスカンダルが言い放った言葉に驚きこそすれ、好色を示していたといは言い難かったというのに。

 そのことを訊くと、ウェイバーは苦い顔でこう応えた。

「う、うるさい! そりゃあ僕だって、お前の言い分には正直あきれた。……けど、だからってこんなことで負けられたら、その……なんだか後味が悪いじゃないか。

 ……それに少なくとも、聖杯の現出を進めたくないから僕が殺されることもないし、相手にだってバックアップはいるんだ。やるなら、とことんまでやれよ。だって、その……お前は、僕のサーヴァントなんだからさ……」

 還された応えに、イスカンダルはきょとんとした顔で、ウェイバーをまじまじと見た。

 その視線に耐えきれなかったのか、顔を逸らすなり、「さ、さっさと戦いに戻れよ!」と声を荒げるウェイバーだったが、イスカンダルはそれさえなんとも楽しそうに受け止める。

 何故か、などとは今更言うまい。

 元より、イスカンダルが誇る覇道とは仲間との絆。

 イスカンダルは一人で王になったわけではない。先ほどの戦闘同様、彼は弱点を突かれるなりすれば負けてしまう。

 無敵の存在などではなく、戦場に置いては命を落とすこともありうる存在なのだ。

 戦場に置いて生死は誰しもが等しくそうであるものだ。が、そうであるのだとしても、王であるならば、ただ死ぬことは許されない。それも、開き続けて来た王である彼ならば尚更に。

 紡ぐことこそが彼の本懐である以上、それを支えてきたのは友であり臣下だ。

 なればこそ、

「そうさなぁ……マスターにここまでお膳立てを貰ったのだ。少しばかり足りなかった覚悟を、入れなおさねばなるまい」

 現世に置いて手に入れた絆に守られたのであれば、その分を返さねばならない。何せ、彼こそはその覇道を謳われた者。

 だというのに、ここまで来て本質を見せつけずして、何が征服王だというのか。

「仕切り直し、と言うにはいささか無粋さもあったが、我がマスターは如何せんまだ青い。よって非礼の分は、至らなかった余が果たそう」

「だ、誰が青いって!?」

「まぁそういうな。偶然とはいえ、良い位置に逃がしてくれたおかげで助かっておるのは事実だ。それに、聖杯を現出させたくないのは本当らしい。キャスターはともかく、我らはあの影にされることもないようだしなぁ」

 勿論、状況は四面楚歌であるし、士郎がやられそうになったのならば皆血相を変えて飛び出してくるだろう。

 しかし、それがないのは(ひとえ)に、ここまで紡いできた士郎の信頼の賜物と言ったところか。加えて、当人もイスカンダルに対して卑怯だなどと罵ることも特にない。

 実際、これはサーヴァント同士の対決であり、マスターがそのバックアップをするのは別段変な事でもない。そもそも士郎とて、短期決戦でもなければ投影を乱発は出来ないのだ。必然というか、バックアップについてもらっている凛と桜の魔力を借りている身である。

 今の桜はあの泥と繋がっていた時とは少し異なり、いくら影を使えるといっても桜自身の魔術回路は未発達な状況でサファイアによるダウンロードを行った為、肉体が酷使できる限度も存在している。

 凛の様に既にある程度は鍛えられたものであったのなら、もう少し酷使は出来ただろうが、生憎と桜は無理矢理の調整の中で開かれただけで魔術回路自体は完全ではない。おまけに、器の無い状態でアイリから経路を自身に移し、キャスターを聖杯に送り届けたのだ。

 幼い肉体には過ぎた行為だ。

 いくら強かろうと、限度ギリギリであることに変わりはない。

 これが仮に、身体中が魔術回路の様なホムンクルスであれば多少は違ったかもしれないが、虚数を使える身で桜と同様に影を使える存在はそうはいない。それ故、桜を酷使出来ない状況にある。

 また、ウェイバーを殺してしまうと正規のラインを通ってイスカンダルが第聖杯へ送られてしまう。そうなると、ある程度の緩和策をとっているとはいえ、アイリに負担が掛かってしまうことになる。

 強行に出ることはできない。例え、あの切嗣であろうとも。

 他の面々も、この戦いは出来れば説得で終わらせたいと考えている。いくら数がいても、あの聖杯の中にはアンリマユがいる。だからこそ、戦力である英霊は多くて損はない。それゆえのこの状況であるが――。

 奇しくも、重なった思惑は士郎とイスカンダルの対決を推し進めるかのように進む。

 果たしてこの運命(Fate)はどちらに微笑むのか。

 その行く末を決定づけるための第一歩を先に踏み出したのは、イスカンダルであった。

 

 ――――彼の周囲を季節外れ熱風が吹き荒れ、石畳の上だというのに砂塵さえ舞い踊り始めた。

 

 一体、この風はどこから来るのか。

 場に集った者たちが浮かべたであろう疑問の答えを、彼らは次の瞬間否応なく知ることになる。

「さて、大分時間を食ったが……ここまでの無粋は全て、此処で清算させてもらおう……いや、そもそも我らは魅せ合うために剣を交わしたわけだが、まぁアレは余の完敗であった。だが、なればこそだ。マスターの生んだこの刹那に、我が全てを賭して貴様に示そう。

 今宵、我が覇道をここに記す――――!」

 最後の言葉に煽られるかの如く、熱風は最高潮に達した。

 そして、その場の全てが変わり――――

 

 

 

 ――――塗り替えられた場は、一転して、太陽が燃える砂漠となった。

 

 

 

「な――」

「……これ、は……」

「…………」

 一変した光景に、誰しもが息を呑む。

 其処は、不毛の平野。草木の一本もなく、見渡す限り灼熱の太陽に焼かれた砂漠が延々と広がっている。

 この現象は――。

「〝固有結界〟……か」

 宵闇を塗り替え、蒼穹の果ても見えぬ砂漠を照らす場を生み出したのは、他ならぬイスカンダルである。

 士郎を含め、此処の面々はイスカンダルの宝具を知らなかったこともあり、魔術師でもない〝ライダー〟のクラスに据えられた英霊が『固有結界』を使えることに驚きを隠せない。

 本来、『固有結界』とは己の心象風景を具現化する大禁呪であり、魔術の最奥にして、魔法に最も近い現象とさえされている。

 だが、これを使える術者は少ない。

 資質は勿論のこと、大半が仕様直後から世界からの〝修正力〟に屈して消え去ってしまう。

 しかし、イスカンダルの心象は消えない。

 ――一体何が、この『世界』を支えているのか。

 それは、

「驚いておるようだが、無論これは余一人の技ではない。魔術師でもない余がこの世界を形作れるのは、(ひとえ)に此処が我が軍勢の駆け抜けた地であるからこそ――!」

 イスカンダルは誇るように手を広げ、先程とは異なる位置から士郎たちへ語る。この『世界』が、どんなものであるのかを。

「かつてこの大地を駆け、苦楽を共にした勇者たちが等しく心に焼き付けた光景。この世界、この景観を形にできるのは、これが我ら全員の心象であるからさ!」

 何もなかった彼の背後から、足音が聞こえ始めた。それも一つ二つなどではなく、砂を踏み鳴らす音が際限なく増え続けていく――。

「見よ、我が無双の軍勢を!

 肉体は滅び、その魂は英霊として座に召し上げられて尚、余に忠義する伝説の勇者たち。時空を超え集う、永久の朋友たち――

 そう、彼らとの絆こそ我が至宝! 我が王道! イスカンダルたる余が誇る最強宝具――『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』なり!!」

 高らかに宣言した通り、それはまさしく王の軍であった。

 マケドニアから世界へと飛び出し、己が国を広げ続けた王が率いた伝説の兵士たちが今、〝固有結界〟によってその伝説が現実となり、世界を塗り潰している。本来の使い手である魔術師ですらないにも関わらず、鋼の絆がこの『世界』を確かなものとしているのだ。

 ――なるほど、これが覇道か。

 士郎はこの世界を見て、そんな感慨を抱いた。

 恐らくは生前、イスカンダルは暴君であったのだろう。

 救うものではなく、導く者だった。

 士郎や、セイバーとは違う存在。守るためでなく、進むために戦い続ける。それこそが彼らの誇りであり、揺らぐことの無い矜持なのであろう。

 ならば、士郎が見せるべきは――――

「これこそが我が王道――

 さあ、次は貴様の番だ『錬鉄の()()』よ。何か持っておるのならば、その全てを余に見せてみよ――!」

 挑発的にイスカンダルが士郎にそういった。

 なんともらしい言動だが、士郎はそれを軽く皮肉交じりにこう返す。

「……敵に情けを懸けていいのかよ。世界征服がしたいんだろう? なら、こんなところで止まっていたくはないんじゃないのか、征服王」

 それに対し、イスカンダルは苦笑しながらこんなのことを宣った。

 曰く、

「いやなぁ、確かにそれはそうだがな。先ほどの一件も少し引っ掛かっているというのもあるが――そうさな、一番の理由は貴様が守るものである以上、いずれ余の前に立ちふさがるだろうからな。

 その時になって阻まれても面倒だ。なら、今のうちに叩いておく方がよかろうて。

 それにだ。先ほどの剣を生み出す魔術、アレがあれば余の軍はさらに強くなるであろう。余は気に入ったものは手に入れることにしているのだ。何せ、このイスカンダルは征服王であるが故」

 ということらしい。

 詰まるところ、気に入ったものは集めたがるわけだ。この王様は。

 納得した士郎は、礼を述べつつもその誘いを断った。

「……そうか。評価はありがたく受け取るけど、それは無理だ」

「ふむ……あれだけの剣を作れると判ったのなら、是非とも欲しかったのだがなぁ……」

「アンタが困ってるなら手は貸すのはやぶさかじゃない。でも、今は俺の大切なものを侵略する敵だからな。

 だから、今はお前を越えていく――――」

 そう、別に士郎はイスカンダルの気質は嫌いではない。だが、今は相対した敵である。

 彼は一度自分を殺した相手であろうが、必要とあらば手を借りるし、同盟とするのなら汲むことも拒まない。

 しかし、そんな彼をして越えられぬ一線がある。

 敵であれば、懐柔されるわけにはいかない。とりわけ、守るべきものがあるのならばなおさらに。

 故に見せよう、己が信念の全てを。

 ――右手を翳し、灼熱の大地を己の心象で塗り替えるべく詠唱を開始した。

「――――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)

「……ほう」

 イスカンダルは興味深そうに士郎の様を見届ける。

 その空白の刻は、異様なほどに静かだった。

 先程のイスカンダルが固有結界を発動した時とは異なり、派手さも鮮烈さもない詠唱のみが響き渡っていく。

 その身一つで、幾つもの戦場を越えて来た。

 紛い物の張った理想は借り物で、己などないまま、ブリキの騎士の様に世界を守ろうとした。故に、此処までに勝利も敗走もない。

 けれど、そこには確かな信念があった。

 彼の理想を支えてくれた少女たちのくれた思い、それらを背負ってここに立つ。

 最早、この身は無限さえ越えた。ブリキでも、機械でもなく。あふれ出す思いは確かに夢を残して――。

 〝正義の味方〟を目指し続けた少年は、この『世界』を果て無く広げて行く。

My all life was(打ち続けた体は)――――」

 この世界は、彼だけのものではない。担い手足る少年は、決して一人ではない。

 此処に至るまで紡いできた、彼と少女たちとの絆の証。

 進む道は異なろうと、それでも先を目指す標を失わないように結ばれた想いと共に、この『剣の世界』を織り成そう。

 其の名は――――

 

「――――“UNLIMTED BLADE WORKS”.(果て無き剣で出来ていた――!!)

 

 こうして、此処にもう一つの世界が生まれた。

 世界という飽和したキャンバスを、さらに塗り潰し合う二つの『世界』。

 鬩ぎ合い、ぶつかり合う両者の心の光景を形にしたもの。

 歩み続けた夢の果てへ続く道。

 それらが魅せるのは、己が信念の証。

 既に、力の在り方など意味をなさない。あとは、残ったものだけを示すのみ。

 

 

 

 ――――さあ、本番を始めよう。

   存分に己が世界を魅せ合おう。最果てに待つ、結末(ユメ)の為に――――

 

 

 

「くく――――フハハハハハハハハハハハハハハッッッ!!!!!! まさか貴様も〝固有結界〟の使い手とはなぁ! 成したことこそ聞いておったが、これは知らなんだ。

 面白い! 実に面白いではないか!!

 この展開は、実に我らが戦いに相応しい! では存分に死合い、魅せ合おうではないか。しかし降参するのならば今の内であるぞ? 何せ余は貴様が気に入った。是非とも貴様を真に我が軍勢に加えたい! 手に入らないとなれば、略奪せざるを得んからなぁ」

 不敵に笑うイスカンダル。

 だが、士郎はそれに対して同様に笑みで返す。

「そんなに仲間がいて、まだ物足りないのかよ。欲張りな王サマだな」

「まぁな……紡ぐ絆こそ我が至宝ゆえ、どうしても欲しくなるのよ。貴様こそ、それほどの『世界』がありながら剣だけというのはどうなのだ? その気になれば他のものも作れるだろうに」

「ああ――まぁ、剣が俺にとって一番相性がいいってのは事実だ。……それに、俺は〝鞘〟でもあるからな」

「ふむ……」

 この身の内にあった黄金の鞘、アレこそが彼の起源を創りだした始まりだった。

 遥かな時を越えて、常勝の王となった少女の鞘は錬鉄の英雄となるだろう少年の元へと流れつき、彼の為の世界を作り出す。

 彼の世界は運命の夜を経て、彼が歩むべき道を示した。

 そして今、その世界は王の世界と対峙する。

 誰かのために生きるという叶うことの無い世界は、呪いとさえ言えそうなユメであるが、それでもなお美しい。

 であるがゆえに、ここに示そう。

 まずは、一つ――――

「――――まぁ、細かいことは置いておくさ。

 行くぞ、征服王。見ての通り、ここに在るのは無限の剣。剣戟の極致の一つだ……お前の軍勢は越えられるか?」

 此処に、赤き騎士と同じ剣撃の極致を。

 対し、蹂躙の王はその世界を恐れることなく向かうことを選ぶ。

「おうとも。存分に来い、錬鉄の英雄よ。しかし、余たちの絆、貴様の剣で容易く断ち切れるほどの柔ではないがな。

 なぁ、そうであろう我が友よ!」

 鼓舞された戦士たちは、恐れることなく王の声に応えた。

『『『然り! 然り! 然り!』』』

 騒めき立つ軍勢の鬼気迫る迫力に空気が震撼する。

 だが、それを恐れることはなく――練達の英雄は、己の裡にある剣たちを従え連ね、躍らせる。

 

 

 

 ――――戦いの第二幕が、此処に上がる。

 

 

 

 *** 幕間 狭間の光景/終わりへの刹那

 

 

 

 地を踏み鳴らす大勢の足音(じなり)が響き、それらに対して()ち放たれる剣たちが風を薙ぐ。

 彼らの〝固有結界〟の発動に際して離れてしまった距離さえ、今この時には何の意味もなさなかった。

 目の前で起こる光景に、見る者たちは各々の感慨の中に囚われる。

 無限の名に相応しき剣の奔流と、それらを薙ぎ払っていく無双と謳われる勇者たち。

 両者の激突は、果たしてどちらに天秤を傾けるのだろう。

 見知ることは出来ない。だが、それでもそれぞれの心が、己が信念を示し合っている。

 否応もなく、その様は刻まれた。

 世界に、人の心に、そしてこの時に。

 色濃く、永久に続くのではないかと思われた。

 一進一退。決して進むことはないだろう戦況だと思われるほどだったのだ。

 けれど、何事にも終わりは訪れる。

 当然、この戦いにおいても。

 

「「「――――AAAALaLaLaLaLaie(アアアアララララライッ)!!」」」

 

 高らかに雄叫びを上げ、自らの軍勢(とも)と共に砂塵を踏み抜き、剣の丘へと駆け抜けて行く征服王。

 そして、それを迎え討つは無限の剣を従えた少年。

 果たして、この終わりを告げたのはどちらだったのか――――。

 

 

 

 ――――瞬間、槌音が響く。

 

 

 

 *** 己が真髄、打ち続けた先にあるモノ

 

 

 

 ――――なんてヤツだ。

 

 士郎は自身が撃ち放った剣を打ち払い、なおも進み行く軍勢に思わず瞠目した。

 一抹の恐れも感じさせない前進っぷりには、流石は征服王に忠義する勇者であると感服せざるを得ない。

 だが、士郎とてこのままおめおめとやられるわけにもいかない。

 このままでは接近戦を強いられることになるだろう。以前、遠坂邸訪問の際にギルガメッシュへ用いた方法で回避してもいいが、それでは一度背後から打ち放っている剣を止ませなくてはならない。

 かといって、このままでは負ける。

 少なくとも先ほどの様にイスカンダルだけに剣を集中させることはできなくなり、士郎が剣を振るうことになる。もし仮に、この体躯でなければそれも望むところだったが、いま取りうる手段としては下策だ。

 ならば、どうするのか――。

 連続の投影層写だけでは抑えきれず、また剣撃でも不利。且つ、この剣撃の奔流を前にしても、あの軍勢はこの剣の丘へと駆け上がって来るだろう。おまけに、士郎にとってこの場の勝利はイスカンダルを殺すことなく倒すことである。

 既に鬩ぎ合う世界の境界を当に越え、士郎の居る場所に辿り着くまでどの程度時間を要すことかさえ定かではない。

 そもそも、『王の軍勢』はイスカンダルの宝具としてされているが、実情は個の宝具とも言い難い。あの兵士たち全員がイスカンダルに忠義した彼の臣下であり、この結界を創り上げている者の術者でもある。

 つまるところ、あそこにいる全員がサーヴァントであり、同時に固有結界を宝具足らしめている存在なのだ。

 故に、頭を倒したところで結界が即時に消滅するということもないだろう。

 何故なら心象風景を具現化している固有結界は、世界の修正に抗い続けている限りは消えない。

 それも、複数の術者が行っているのであればなおのこと。

 打ち破るのならば、過半数を減らすか世界ごと切り裂くくらいしか方法はない。

 ――そのどちらを取るのか、或いは取りうるのか。

 士郎が持ちうる選択肢は、

「――――考えるまでもない。

 そんなのは、最初から決まってる……!」

 士郎の周囲に魔力が巡る。

 その様に、彼の元へと爆走するイスカンダルは何を見たのか。

 否。見えたものは、形を成していない。というよりも、巡る、という言葉自体が間違いだった。

「ほぉ……! まだ何か隠し玉があるのか!」

「ああ、当然だろ……? こんな軍勢を相手にするんだ。奥の手くらい、なきゃ勝てないに決まってる!」

 手をかざし、そこに一つの〝剣〟を生む。

 今更、と思うものがいたのならば浅はか極まりない。

「さっき、全てを見せろ、と言ったな。――認識が甘いぞ、征服王」

 何しろそれは、この世界を外へ生み出すためのきっかけに過ぎず、またその全ては其処にあるのだから。

「全てはもう此処に在る。今から見せるのは、贋作者(オレ)としての本質――」

 そう――。

 これは、己の心を形にする者が、己の外側へそれらを作り出すための器。

 戦うべき外敵を持たないからこそ、戦いはすなわち己以外にあり得ない。

 ……しかし、それだけでは足りない。

 そのままではただの現象に過ぎない。

 抱いた理想は、そんなものでは終われない。

 最初に何を願ったのか。――それは、救いだった。

 誰もが幸福であって欲しいという願い。それこそが始まりだった。

 故に、内側だけでは救えない。ただの機械では何も成せない。

 〝醜悪な正義の体現者〟のまま、終わるわけにはいないのだ。

 

 ならば、その為の術を此処に生み出せ――――

 

 

 

 *** 空白(ゼロ)を超えた最果ての『劔』 ――もう一つの〝極限〟――

 

 

 

 手に宿すは一振りの日本刀。

 銘はなく、かといって確固足るだけの力も無い。

 知りうる最も強大な剣とも、最も強い剣とも、最も尊い剣とも違う。

 何処のモノでもない、ただ一つの〝(うつわ)〟。

 孤高とも、孤独とも違う。

 この身は凡百、己の外に究極の一となり得るだけの剣は創れない。

 であればこそ、己が究極とは何か。その答えを探し、少年は決して歩みを止めず、内なる世界を墓標(つるぎ)で埋める。

 (つら)なる剣は、彼の足跡(あゆみ)そのもの。

 時に相まみえた強敵であり、時に焦がれた理想の証。

 仮に、その出会いの度に傷を増やそうと、この身に重なる想いが埋めていく。

 消えぬ(きず)となろうと、その(あと)が必ず先へ進む道になる。

 それで構わない。

 何も憂いなどあるものか。

 例え、永久に嗣ぎ跡を残すとも。この身の歩みは止まらない。

 ……そう。

 未だ届かぬ夢想(ユメ)であろうと、自身の最果てが伽藍であろうと。

  ――――目指した先に、自分だけの究極(こたえ)がある。

 瞬間。

 背後にあった草原さえも消え去り、列なる剣は一太刀の内へと内包されて行く。

 

 

 基は全にして一。

 一にして、全。

 であるがゆえに、これは無限を究極へと練り上げる一刀。

 己が裡に秘めし世界を外側へ生み出すための現象である。

 

 敵は世界を席巻した王。そして、彼の起こした嵐と共に駆ける勇者。

 であればこそ、この剣に込められた〝歩み〟をぶつけられる。

 ――――さあ、己が歩みを剣とせよ。

 

 

 

 そして、この理想が覇道を越え得るかを此処に示せ――――!

 

 

 

 

 

 

「――――投影(トレース)層写集約(オーバーライド)――――」

 

 

 

 

 

 

 〝――無、色ヲ取リ戻ス(空の身体、色彩を知る)

 

 

 初め、其処に色はなく。

 空の器を呪いで満たした。

 

 

 〝――戦士、則チ是記憶(心、この身に重ね宿す)

 

 

 偽物は夢に焦がれ、剣を造る。

 裡を埋める剣の記憶。

 (つわもの)たちに共振し、足りぬ己に重ね続けた。

 

 

 〝――夢、其処ニ偽リ無ク(理想、決して違わず)

 

 

 固めた決意を違えず、最果てへの夢を馳せる。

 導は胸に。

 見失うことも、

 忘れることも無く。

 少年はずっと、荒野の先を目指す。

 

 

 〝――想イ募リ、形ヲ成ス(強き祈り、夢へ至る)

 

 

 願ったのは、温かな世界。

 借り物であろうと、そう在れるのなら構わない。

 綺麗だと、

 美しいと、

 そうだと感じたからこそ、先にあるものを信じた。

 

 

 〝――内ニ残ス剣、全テ此処ニ(積み上げた願い束ね)

 

 

 歩んだ道に後悔は無い。

 けれど、平坦なものでも無い。

 涙があり、悲しみがあった。

 笑顔があり、喜びを見てきた。

 其々が同じだけ存在し、終わりは見つからない。

 焦がれた最果ての理想は遠く、だからこそ意味がある。

 

 

 〝――幻想ハ結ビ、理想ト成ル(ただ一つの剣を生む)

 

 

 紛い物であろうと、この身が成せることをしよう。

 そう、この身はただそれだけの為に。

 自分の全ては、守り生み出す為のモノ。

 

 

 〝――全、即チ是一(無限は極限)

 

 

 また、歩みは始まり世界は揺らぐ。

 争いは起こり、平和など泡沫の夢と消える。

 しかし、それならばその先にまた行こう。

 

 

 〝――一、即チ是全(極限は無限)

 

 

 路は此処に。

 清算は為さずとも、諦めなど微塵も無い。

 何故なら、そうでなくてはならないから。

 始まりであり、呪い。

 だが、絆であり理想。

 始まり(ゼロ)の先へ進む、少年の出した解答(こたえ)

 

 

 〝故ニ、剣ノ丘更ニ先ヘ(果てへの道は此処にあり)――――〟

 

 

 終わりの無い世界を今一つに。

 ひと時の終焉(やすらぎ)を此処に記そう。

 打ち付けた終止符で筆を止め、また再びそれを握る。

 そうして世界を劔に変え、紡がれし物語の終始の地を形創る。

 

 

 

 〝――――此処ハ対ノ極、剣戟ノ極地ナリ(この手に象るは理想、示すは業の清算)

 

 

 幻想を結び続けた極めの一刀。それは、重ね続けた『世界』という万象を単一の『劔』へと集約させる絶技。

 これこそ、理想を求めた少年の心そのモノだ。

 最初に偽り、次に偽善。

 空の身体に納めた剣。

 その剣たちが吸い続けた血の味を、裏にあった担い手たちの想念を束ねる。

 憧れた聖剣が希望を謳う様に、この『劔』は怨恨の浄化を願うモノ。

 ヒトの重ねた業を断ち、先への道を紡ぐためのモノである。

 故に、(めい)じる其の真名()は――――!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――無を極め到りし、夢幻の劔(リミテッド/ゼロオーバー)……ッ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――そうして、振るわれた劔が世界を裂いた。

 

 

 



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第三〇話 ~世界は裂かれ、そして杯への路を辿る~

 決着。
 そして、その先へ。


 裂かれた『世界』、そして――

 

 

 

「……いやぁ、こりゃまいったわい……」

 

 城の石畳の上に仰向けに転がったまま、イスカンダルはそう呟いた。

 感嘆とも悔恨とも違うような、途方も無いモノを見せられたという感慨と共に。

 

 ――――放たれた一撃は、彼の『世界』を裂いた。

 

 一切の妥協なく高められた一閃。

 まごうことなく――アレは()ち続けられ、鍛え上げられた一刀であった。

 剣の丘の先。その全てを束ねぶつける技。

 ――――更にその本質は、破壊に非ず。

 理想を賭したあの『劔』は、イスカンダルの〝固有結界〟と共に、英霊としての一切の争いを生む力を拭い去っていった。無論、全てを奪い去ることなどで気はしまい。事実こうして寝転がっている間にも、徐々にイスカンダルの中にぬぐい去られた欠片が戻ってくる感覚がある。

 しかしだ。仮に戻らなかったとして、イスカンダルは士郎を罵ることがあっただろうか。

 本来であればこんな状況は、〝生かさず殺さず〟も良いところである。

 己が正道には正義なくして悔恨を生まずのイスカンダルであるが、自身が敵を蹂躙することで滅ぼし、それらを恥ずかしめる行為は認めない。

 今まさしく我が身で受けているのは、その筈か締めに等しい行為だといえる。……だというのに、不思議とこの状況に一切の怒りが浮かぶことはなかった。

 残っているのは、途方もなく出し切った高揚のみ。真に強者足る敵を前にして敗北し、命を散らす際の様な気分だけである。実際のところ、別にこうしていても死ぬことはなく、またマスターであるウェイバーとの契約(パス)が消えることもない。

 死なず、けれど生きず。

 まるで真昼の幽霊の如く間の抜けた間隔だ。

 この状況を与えたのが、先ほど『劔』。

 正しく、怨恨や業を絶つモノだというのか。

『錬鉄の英雄』……則ち、『正義の味方』の辿り着き、未だ先を目指す為の力――――

 

 

 

(――――いや。そんな生温いもんでも無いなぁ、ありゃあ……)

 

 

 

 そんな綺麗なものではない。

 小綺麗なだけの〝正義〟などではあんなモノは生まれない。

 人々の争いを遂げる力であるにも関わらず、争いの場で用いられる力。

 当然であると共に、決定的な矛盾を孕むアレは――。

 確かに絶技と呼ぶに相応しい威力を持ってはいた。だが、其処に込められた効果は破壊力等という単純なモノでもない。

 そして、あの一撃の刹那に。

 イスカンダルは間違いなく、あの世界全てにあった兵どもの記憶を見た。

 絶たれた刻になだれ込んだ光景は、劔の持つ効果とは裏腹に、どこまでもドス黒い色に塗れていた。

 最初に地獄。最後に待つ情景は叶うのかさえ定かではない。

 どこまでも延々続く果ての無き逡巡。それは世界にあるべきものであるのに、たった一人の内側(なか)で巡り続ける。

 まるで、他人(ヒト)の背負う業の器。押しつけられたモノを背負うどころか、担おうとさえ足掻く。

 なんと醜い。

 なんと罪深い。

 なんと意味の無い。

 いっそ無価値と言えそうな程に。……否、寧ろそれで諦めが付くのなら、まだマシな方だ。

 何処までも終わらせない呪い。だからこそ、諦めや後悔を抱くことがない。

 それではまるでただの現象。或いは機械。

 少なくとも、ヒトの生き方ではない『何か』――だというのに、そうであっても尚、先を目指した男の生き様は酷く尊いものであった。

 成る程、確かにアレはヒトの生き方でない。

 けれど、どうしようもなくアレはヒトの願いそのものだ。

 ヒトの機能を失ったブリキの騎士は、その実誰よりもヒトであろうとし、同時にヒトでなさ過ぎたが故に、ヒトで在り過ぎたのである。

 

 

 誰かの為にと言う願い/その始まりは己の憧れ。

 

 全てを守らなくてはならないと言う義務/それは大切過ぎたが為に。

 

 美しいと感じた理想は汚れの塊/そんな偽善さえも最後は最果ての路を見つけた。

 

 ――そう。何時までもしがみついて来ただけに見えた展望は、実のところ、何よりも根深くヒトの持つ一つの本質。

 己が利を求める心の対極にある、他の平穏を願う心そのもの。

 空想夢想の類でしかなく、決して両立できぬ在り方であるのに、それでも男はどこまでも〝そう在った〟のだ。

 

「…………」

 

 かつて最果ての海を目指した男は、同じ様に星を目指した男の生き様に屈していた。

「……まだまだ見果てぬ先かあったということか……」

 両者の思いに優劣()は存在しない。

 しかし、此度の路は僅かに針を傾けた。

 賭けた想い、その執念の重み。そんな、どうしようもなくヒトでなく、同時にどこまでもヒトであった少年の夢が――――王の道を、阻んだのであった。

 

 

 

「――――俺の勝ちだ、征服王」

 

 

 

 近づいて来るはずの声をどことなく遠く感じながら、イスカンダルは返答を返した。

「然り。そして我らの敗北であるなぁ……何とも惜しい、実に心踊ったのだがなぁ」

 残念そうな口ぶりであったが、気分は晴れやかである。

 あれほどのものを見て尚、まだ美しさを失わない理想。

 そこに、確かな〝極〟を見た。

 後悔など浮かぶはずもなく、先への大望が霞むこともない。だが、確かに此度において、自身は敗北を喫したのだと理解した。

 そんな心さえ、知るかのようにこう返された。

「なら、また目指せばいいさ―――俺もまだ、夢の途中だ」

 己よりも先を進んだ男がそう言うのであれば、それは恐らく真実なのだろう。

 果ては人の夢の数だけ無数にあり、内いくつかと重なり、敗北してもなお先へ進むものであるのだから。

 そう。詰まるところ、叶わぬ夢にこそ――人は挑むのである。

「……そうさなぁ、確かにその通りだ。

 見果てぬからこそ、夢は挑むものであるからな――――」

 目を閉じ、深く想いを馳せる。……今回も届くことのなかった、最果ての海へと。

 しかし到達せぬからこそ、夢は尽きない。同時に果てに至ったとしても、更に果てを目指す事も出来る。

 いくらでも続く、終わりの無き路。

 ――なればこそ、阻まれるもまた一興か。

 

「して、貴様は敗北者である余に何を望む?」

「……別に俺は、お前から何かを簒奪がしたいわけじゃないぞ」

「そうとも限るまい。こうして阻まれただけでも、十分に夢を取られた様なものであるからなぁ」

「…………」

 確かにそうかも知れないが、そこまで言うからには、もう答えは分かっているのではないだろうか。いや、この王様ならば求める答えは間違いなく知っているだろうな、と士郎は思う。

 その上でこう問いかけてくるのだから、全く、一筋縄でいかないことこの上ない。

 少将の呆れを伴いながら、士郎は改めてイスカンダルに己の頼みを口にした。

「それなら、敢えてこう言う。

 ――――俺たちの味方に付いて、手を貸してくれ。大聖杯を解体する為に」

 そう言って、手を差し出す士郎。

「やれやれ、現し身の身体さえも失うことになろうとはなぁ……しかし良かろう! 敗者にクチナシとこの国では言うらしいからな、大人しく貴様らに協力してやろうではないか」

 それを受けて、イスカンダルは残念そうに口を開きながらも、最後には豪快な笑い共に彼の手を取った。……体格差ゆえ、引っ張り起こす事は出来なかったのは少し格好がつかなかったが、まあそれも情緒と笑い飛ばす。

 敵であろうと、利害や人柄の一致があれば悔恨を残さない。この辺り、士郎とイスカンダルは何処か似ていた。

 戦いの最中で交わした言葉の通り、イスカンダルは士郎が気に入っており、士郎も別にイスカンダルは嫌いではない。

 勝者と敗者が分かたれたにも関わらず、彼らの心内はこの上なく晴れやかであった。

 イスカンダルはこうして敗北を認め、此方側につくことに。

 が、そうなると同時に彼のマスターであるウェイバーの聖杯戦争も終わりということになる。

 停戦に納得していたようだが、イスカンダルに助力をした辺り、未練があるかのように取れなくもない。だが、戦いの中で聞いた限り、あれは未練などではなく――。

 詰まる所。彼もまた、先が見てみたかった者の一人であったと言うことだ。大馬鹿極まりない行為だと蔑む者もいるだろうが、この場に置いてそれはない。

 何故かと是非を問うまでもなく。ここに集まった面々もまた、突き詰めれば途方も無い大馬鹿ばかりであるが故に。

 だからか、イスカンダルも今回ばかりは低姿勢な態度である。

 本当に悪かったと言うように、ウェイバーとこんなことを語らっていた。

「済まんなあ、坊主。助力を受けたのに負けてしまったわい」

「……別に良い。

 初めから、特に願いはなかったからな。それに聖杯の汚染されてるなら、そっちをどうにかした方が名を売るには良いし……」

 納得はした。理解はした。

 と、一先ずはそう言うことであるらしいのだが、イスカンダルはウェイバーの弁に何か思うところがあるようである。

「ふぅむ……」

「な、なんだよ……まだなんか気にかかることでもあるのかよ?」

 その視線を訝しむ様にウェイバーはこう訊ねると、イスカンダルはあろうかとかこんなことを言い出した。

 

「いやぁ、余としてはやっと坊主がやっとそれらしくなったかと思ったのだがなぁ……やはり背丈がなぁ」

「そっちかよ!」

 

 何だかいい雰囲気というか、折角らしい信頼関係が出来始めたかと思えば、一番最初の頃に言われたコンプレックスをまた蒸し返され、ウェイバーは驚愕と羞恥心の双方に苛まれた。

「うっさいうっさい!!

 何だよ! 少しは負けて大人しくなったかと思えばコレかよ!?」

「だってなぁ……やはり男は丈があった方がそれらしく見えるものだぞ? せっかくアレだけの男気を見せても、これでは締まらんだろうが」

 何となく憐れまれる視線。

 そこまで言うか!? と、ウェイバーは喚く様に突っかかる。

「良いんだよ! そのうち伸びるんだから!」

「だってなぁ……坊主、今十九かそこらだろうに。もうとっくに伸び時を過ぎてあるのでは無いか?」

「だあああぁ! ンなコトどうでもいいだろ!! もうほっといてくれよ!」

 コミカルなやり取りにすっかり毒気を抜かれた(さっきまで空気だった)一同は、この二人なら色んな意味で大丈夫そうだと思い直して宴の残りを片付け始める。

 ……若干名気まずそうにしている面子もいたが、そこはギリギリ酒を酌み交わす程度には関係が修繕されていたのでよしとしよう(流石はブラウニー、仕事が早いと修繕も楽だネ!)。

「……ランサー、今宵は少し付き合え。我々には語らいが足りなかった様だ……」

「あ、主……!!」

「…………えっと、その……セイバー」

「……(びくっ)」

「いや……なんというか…………」

「(ほら、切嗣。頑張って!)」「(じーさん、ファイトー)」

「……うん……えっと……なんというか、取り敢えずゴメン」

「……いえ、その……私もその……すみませんでした」

「……うん」

「……はい」

「いや、二人ともそんな固くならなくても」

「「でも……」」

「おいおい……」

 こんな光景が生まれていた。――平和だ。

 ライダー陣営のバタフライエフェクトばない。……尤も、当の本人らはまだ漫才を続けていたが。

 と、そんな中未だにギャーギャーとイスカンダルに噛み付いているウェイバーへ向け、するりとやってきたモノが一つ。

『ふぅっふっふっ♪ だいじょーぶですよぉ〜』

「は? ――って、うあっ!? な、何だこのヘンなの!?」

 ウネウネと獲物を見つけた蛇の様に寄る珍妙な物体に、ウェイバーは驚いて飛び退くが、その程度でコイツは躱せない。……というか、躱せたら苦労しない(by被害者同盟)。

『むむむっ! 第二魔法を司るマジカルステッキに向かって、ヘンなのとは失敬な! せっかく耳寄りの情報をお届けして差し上げようと思いましたのにぃー!』

「だ、第二魔法? ……これが?」

 訝かしむウェイバーだったが、傍らのケイネスがガチ震いしているのを見て認識を改めた。

「……誠に遺憾ながらね。ともかく気をつけたまえよウェイバー君。下手をすれば…………いや、まあ……頑張りたまえ」

「何を!?」

「安心……は出来ないが、まあ死ぬことはない。……あぁ、死ぬことはないのだよ」

(それ死ぬことはないだけで単純に地獄なんじゃ――――!?)

 そんな経緯で、何故か変な師弟の通じ合いが生まれた。

 これがルビーちゃんクオリティだよ、やったね! 大勝利街道(ハッピーエンド)まっしぐらだよ!!

 益々勢い(調子)に乗ったルビーは場を捲し立てていく。

『さてさて~♪ ではウェイバーさんには、早速シュミレーションモードを――「やめい」――あぁ! そんな凛さんご無体な~~ッ!? 良いんですか? こんな横暴マスターしてると見限っちゃいますよ!? 浮気しちゃいますよ!?』

「まあ、今だけ使えればそんなに……困んないわね。うん」

『そ、そんなぁ~!? わたしと凛さんとの(ラブでパわぁ~な)血塗れの絆は嘘だったんですかぁ~~~!!』

『いえ、姉さん。今回は正直そろそろ収拾が付かないので、凛様の判断は非常に的確かと思われます。それと、正直最後の字面があまり芳しくありません』

『ガガーン!? そ、そんなぁ……サファイアちゃんまで~っ!! しかも何気に最後のところまでディスられた!?』

「はいはい、良いからもう落ち着きなさいこのアホステッキ(ルビー)

『ちょっ、凛さん! そのルビはどうかと思うんですがショックなんですが、ですが!?』

「どっかの武将みたいな繰り返ししなくて良いわよめざとい奴ね。言いかげんこの混沌とした場を前に進めなきゃ話が進まないでしょう」

『内外的な意味で?』

「しつこい!」

『あうっ!?』

 石畳にルビーを踏みつけながら、凛は早速本題へ話を戻していった。

「ふぅ、では先に話を進めましょう……って、今更確認するほどでもないんだけど。

 まぁそれでも、最終確認くらいはしときましょうか。

 わたしたちの目的はこの冬木の地下にある大聖杯によって開かれている聖杯戦争の終結。そして、内部に巣食っているこの世全ての悪(アンリ・マユ)の摘出よ。

 現状において、大聖杯を破壊するだけなら戦力は十分。ただ、ほんの少しでも〝泥〟が零れたらこの土地や世界にまで被害は広がる。本来なら、時間を掛けて魔力を抜くべきではあるんだけど……いまの聖杯には飽和した魔力が溜まったままになっているから、下手をすれば溢れる可能性は否定できない。

 ――――だから、一度その魔力を抜く為の策を此処に提案するわ」

「その策とは何だね、遠坂の令嬢」

 ケイネスの問いに、凛はこう応えた。

「難しいものじゃないわ。策としては単純も単純、様は力押しよ。

 泥に指向性を持たせてカタチを与えて戦争しても良いけど、せっかく此処にはこんなにも強力な宝具持ちが居るんだもの。使わなきゃ勿体ないわ」

 つまり彼女の策は、

 

 

「――――――最大火力で以て一気に終わらせる!!」

 

 

 大火力攻撃は、英雄の華。

 そうといわんばかりのごり押しであった。

 

 

 



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第三十一話 ~最後の夜へ向けた混沌~

 何というか、日常とシリアスの配分って難しいですよね。


 決戦の明けた城にて

 

 

 

 イスカンダルと士郎が激突の翌日のこと――。

 アインツベルンの城に部屋を割り当てられた面々はそこで、僅かばかりの休息(すいみん)を取っていた。

 しかし、そんな浅い眠りの世界は明け、再び戦いの終結へ向けた場が設けられる。

 それこそが、〝第四次聖杯戦争〟を、如何にして万全の状態で締めくくるのかを議論しあう為に開かれた、最後の夜へ向けた作戦会議である。

 

 

 

 ***

 

 

 

 城の中にあるサロンの一室。

 無駄に広いこの城には、切嗣とケイネスがある程度戦闘した後とはいえ、使える部屋はまだかなり残っている。

 ついでに言えば、どうしても駄目そうな部分は士郎が投影を駆使して修繕済みである。流石は穂村原――ひいては冬木の小妖精(ブラウニー)といったところか。

 さて。

 そんな彼の尽力も在り、会議の為の部屋は滞りなく用意できた。

 更には、先日の戦闘の後に陣営内での友好関係は第四次開始当時の一〇〇倍くらいには高まってる。

 まさしく体制は万全。であればあとは、残る問題を解決するのみであるのだが――生憎と、そう簡単にいけば苦労はない。

 何故かというと、

「おい遠坂。なあ、そろそろ起きてくれって……」

「んー……、やぁ~」

「……駄目だこりゃ。相変わらず朝弱いのな、こいつは」

「あ、先輩。ご飯の方は用意できてますよ? 姉さんは……まだ、みたいですので、わたしが着替えさせておきますから」

「ああ、悪いな桜」

 ばかばかしい理由であるが、始める為に必要な言い出しっぺが低血圧だったというだけの話である。

 

「姉さん? 歩きますよ~?」

「ぁー……」

 

 妹に連れられて部屋に引っ込んだ寝起きの(まだ起きてはない)凛が消えたところで、士郎はサロンに運んだ朝食の具合を確かめに行く。

 しかし、彼がサロンに入ると、其処は。

「おーい、ご飯足りてるかー? ……え?」

 

 ――何故か和やかな朝のひとときとはほど遠い、戦場と化していた。

 

「……英雄王。貴様、それが私のだし巻き卵と知っての狼藉か? あろうことか、大根おろしまでこの皿から……!」

「くく、何を言うかと思えば、騎士王ともあろう者がかくも矮小な物言いだな。士郎と桜は(オレ)の専属料理人だ。彼奴らがこうして饗するからには、無論好き好きに食べるのも構うまい。だがな、あれらが(オレ)のお気に入りである以上、この(オレ)がどう食べるかは(オレ)が決めるものである」

「世迷い言を……! 桜は確かに、今の私にとっては縁が薄いのは否めない。だが、シロウに関して言えば、彼があの『世界』を持つ以上、私の鞘であることに変わりない。故に、シロウの料理は私の物だ! ――な!? 征服王、よもや貴様まで!!」

「ふははは、油断大敵だぞ? セイバーにアーチャー。これほどの馳走であるならば、余もまた所為はせねばなるまいて!」

「どうやら自身の領分を弁えぬ輩だったな、賊の王よ。この場で(オレ)が直々に裁定を下してやる。――今すぐそのエッグベネティクトを我に返せ雑種ぅううう!!」

 

「…………なんでさ」

 

 古より、食を共にすると絆が深まるという。――が、何故か今朝は逆効果であった。

 故に、此処に教訓を記そう。

 美味すぎる物は、逆に争いを生むこともあるのであると。

 尚、魔力消費(ねんぴ)が良いランサーは先にマスター側に移って見ないふり。またランスロットは逆に、マスターの魔力供給量が少なすぎるので専用の物を用意してあったので知らぬ存ぜぬで目の前の食事にがっついている。

 そして、他のマスター勢はというと――

 英霊がこんなことで争うのもそうだが、遠慮無く威圧を放っている状況にすっかり腰を抜かしかけている(主にウェイバー)。

 これはなんかしなくてはと、士郎は早速対抗策に出る。

「…………追加作ってきてやるから、喧嘩するなよ。

 追加は、何が良い?」

 

 

「「「「アスパラベーコン/だし巻き卵/エビのリゾット/フリッタータ!!!!!!」」」」

 

 息ぴったりであった。そして、何故貴様もいるのかランスロットよ。

 とまぁ、こんなアホらしくも愛すべき英雄たちに早速追加を振る舞うことになった士郎であったとさ。

 因みにこの騒動は桜が凛を連れてくるまでたっぷり三〇分以上続き、途中でまたギルがセイバーにちょっかいを出し、彼女がオルタ化してしまう騒動まで引き起こしたのは余談である。

 

 

 

「シロウ、ハンバーガーとナゲット追加だ」

「なんでさ!?」

「あー、ごめん士郎。僕も……」

「ほう……? キリツグ、貴方はもっといけ好かないマスターかと思ったが、なかなかに見所があるようだ。これまでの無礼を〝(あお)〟に変わって謝罪しよう」

「あ、ああ……そうかい? いや、光栄かな。僕としても…………最初から、黒い方が良かったかもなぁ(ギルとランスロットを足蹴にながらふんぞり返るオルタを見ながら)」

「ふ、やはり時代は青より黒だな。――おい、動くでないぞ下郎ども。座りずらい」

「Gaaaaaaa……AAAAA! Ar……thuraaaaaaaaaaa……!!!!!!」

「ぐっ…………………………好きだ……っ(ぼそっ)」

「お、落ち着けそこ二人! 戻れなくなるぞ!?」

「あぁ……わたしは、こうして……裁かれたかった……!!」

「違うそれ裁きじゃない絶対違うから!」

「邪魔をするな士郎……これは、(オレ)の知らぬもう一つの箱庭(せかい)……!!」

「戻れギルガメッシュ!」

「うるさい。それよりシロウ。ジャンクフード、追加だ」

「ぐっ……!? ああ、もう――――――なんでさぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 

 

 ――――そして、泣く泣く作り出されたジャンクフードはセイバーのお腹に収まり、黒が満足して青が帰ってきた頃。

 ようやく赤と黒の悪魔姉妹が戻ってきたことで、場はもう一度平穏を取り戻した。

 だた一人、士郎という犠牲を残して……。

 

『士郎のご飯ライフ(第四次Ver)は犠牲になったのだ。彼がセイバーに甘いという、彼自身の業の犠牲にな……』

『姉さん。初台詞がそれなのはどうかと思うのですが』

『えぇ~? 良いじゃないですかぁ、どーせこの後少し堅苦しくなるんですしぃ~~』

『はぁ……』

『さてさて~。わたしたちの愛しのマスター方が戻ってきたようですし、作戦会議を始めましょー♪』

『脱線しないことを祈るばかりですね』

 

 

 

 *** 『会議の結論:娘を救うためにLet's_Germany♪』

 

 

 

 漸くと言うべきか、やっとこさ作戦会議の体を成し始めた話し合いの場において、マスターたちは大聖杯に対し、どういった手順で以て、昨夜語った策を実行するかを論議していた。

「それで、ミス遠坂。力押しとは言うが、結局どのように大聖杯そのものに攻撃を加えるのかね? 君の話では、中に巣喰うこの世全ての悪(アンリ・マユ)を外に出すと危険だと言うことだったのだが……」

 一体、いかようにして其処までの路を開くのか。

 話し合いが始まったいの一番に、ケイネスは凛にそう問うた。

 実際のところ、確かに大聖杯そのものを壊す事で外に漏れ出す可能性はなくはない。大空洞の奥にあるとはいえ、結局アレは龍脈の上に陣取っている器であり、起動式であり、また同時に巨大な魔術回路でもある。

 仮に外に一部が形を成し始めているとか、満杯で無い程度に魔力が抜けているならともかく、現在の飽和状態での攻撃は愚策と成りかねない。

 常識出考えれば、壊せば済むと言う話しでもなさそうなものだが、その辺りは凛にも考えがあるようだ。

「確かにただ壊すだけでは意味が無いわね。――でも、そこに関してわたしたちを見くびらないでもらえるかしら。ね、桜?」

「はい姉さん。

 ケイネスさんのおっしゃるとおり〝繋ぐ〟ことは必要ですけど、不確定なものを扱うのはわたしの得意分野ですし、〝孔〟を繋ぐだけなら、今のわたしでも経験から行うことは可能です」

 片や、魔術における全属性を併せ持った万能のアベレージ・ワン。

 片や、架空元素・虚数と小聖杯としての経験を持つイレギュラー。

 まさしく、遠坂と禅定の血を継ぐ姉妹は化け物じみた組み合わせであった。

「……なるほど。

 アンリ・マユまでの道筋を作りだし、あとは宝具でその〝孔〟を通して宝具による攻撃を叩き込むというわけか」

「ええ。ただ、これは遠距離且つ大規模な攻撃を放てる英霊に任せるのが妥当ね。

 セイバーの聖剣、ギルの乖離剣、士郎の劔。この三つがとりあえず〝孔〟に打ち込める圧倒的火力持ちと言って良いわ。

 ディルやイスカンダル、ランスロットの宝具はあまり聖杯の奥にあるアンリ・マユには向かないけれど、その分僅かにでも外に漏れ出した泥には友好だわ。泥は英霊にとって必殺に近い力を有しているとは言っても、所詮は魔力の固まり。

 破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)なら断ち切れるし、奥底が消えた状態なら王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)にいる英霊たちでも殺せる筈だわ。ランスロットは白兵には万能だし、多数との戦いもこなせるタイプでもあるしね。

 ――――ま、仮に出来なくても士郎とギルから対魔術・呪術用の武器ふんだくってでも戦わせるけど」

 と、さりげにサラっと最後に付け加え、使い潰す気で居るから覚悟しろと言外に告げたあかいあくま。どうやら決めてしまった以上、彼女に妥協を求めることはできそうもないらしい。

 そんな流れで大雑把に進むものの、わりかし的を射ているだけに反論のしようも無い。

 端的に言って、アンリ・マユは所詮『呪いの塊』だ。浄化・破壊出来るだけの力があれば、それをぶつけることで消滅させられる。突き詰めてしまえば最後はそれだけの話であるのだ。

 さて、主立った懸念は失せた。

 英霊たちも基本協力的である。また、唯一の懸念材料も今となっては形無しだ。

 流石は悪魔姉妹と言ったところか、彼女らは既にこの世界の支配権を得たも同然である。

 ……おかしい。これは正義の味方が始めた物語だったはずなのだが、いつの間にか裏の流れ全てが掌握されている不思議。

 女は恐ろしいものである。しかし、したたかであろうと強い限りはまあ良しとしよう。

 素直が一番だ。……足が痛いとか言い出したら怖いのだけれども。ふとそんなことを思った深緑の騎士が、錬鉄の英雄を少し温い目で見たのは無理からぬことであっただろう。

 

 と、主に戦いの方に関してはケリが付いた。

 残るは、〝聖杯戦争〟を完全に終わらせる為に周囲をどう整えるかだ。

 

 冬木における根回しは聖堂教会側と遠坂家の方で何とかなる。

 そもそも戦う場が大空洞だ。柳洞寺の面々を退避させればほぼ事足りると言っても良い。

 このほかにあるとすれば、それは――――

 

 

 

 ――そう。

 アインツベルン本家に残された、次世代の小聖杯――イリヤの事についてだ。

「あとはイリヤね。あの子がアインツベルンに残っていると、〝聖杯戦争〟の火種として使われる可能性があるわ」

 大聖杯が使い物にならないのだとしても、聖杯(ひがん)の完遂のために利用されること請け合いである。

 せっかく両親と暮らせる可能性があるのに、それはあまりにも酷な話だ。

 故に、

「……ま、そうじゃなくても助けるけどね。士郎もやる気みたいだし」

「当たり前だろ」

 即答するは、彼女の弟にして兄である少年。

 彼の返事は予想できていたとはいえ、些かこうも素直だとなんとも良い方ものがある。だからというわけでもないが、凛はため息を吐きながら士郎に呆れたようにこう返す。

「はいはい。ホント、アンタはセイバーとイリヤに甘いわね……殺されても平気で妹扱いしてたし」

 その指摘は耳が痛いが、士郎としてもこればかりは譲れない。

「……イリヤは知らなかっただけなんだ。それに、今なら――」

 せっかく、本当はたどれる筈だった家族の時間を取り戻せるところまで来たのだ。なら、むざむざ無に還す訳にもいかない。

「そうね。じゃあ早速、冬のお姫様をお迎えに行きましょうか」

「あの、凛ちゃん? イリヤを迎えに行くのを手伝ってもらえるのは有り難いんだけれど……今からアインツベルンまで行くと、かなり掛かると思うの。移動手段はどうするのかしら?」

 飛行機で地道に、なんて間を取っていたら本家の方に気づかれる可能性もある。

 が、もちろん凛としてもそんな間抜けなことを言い出す気は無い。

 アイリの問いに笑みで返すと、ギルガメッシュとイスカンダルに視線を向ける。

 のろのろしていう間はない。

 ならどうするのか? ――答えは単純である。

 

 

 

 ――――ちょうど此処には、神代の移動手段を併せ持った英霊が二人居て、片方は某青狸の四次元ポケット的な者まで持っている。

 なら、ちょうど良いではないか。

 

「あら、言わなかったかしら?

 最初から最後まで、やるなら全力全開だ、って」

 

 

 

『アインツベルンよ、幼女の命は悲願より重いと知れ――な~んちゃってぇ♪ やだぁ~、ルビーちゃんってばお茶目さん♪』

『姉さん。正直、今回のわたしたちの役がかなり酷いのは姉さんの性格の所為だと思います。主に、コメディ的な意味で』

『なんと!? いやいや、でもあんまり重くてもいけませんよ~。

 そもそも、このわたしが居る時点で、悲劇なんて(わたしの好みの範囲でしか)起こさせる気は無いですし☆』

『……はぁ』

 

 …………割と冗談抜きで、アインツベルンの明日はどっちだ。

 

 

 

 *** 冬のお姫様を救出せよ!

 

 

 

 深い積雪に覆われた、ドイツの奥地にあるアインツベルン本家。

 千年以上にわたる錬金術の大家であるアインツベルンの構える城は、森を取り囲んだ結界と、守護を担当する戦闘用のホムンクルスたちによって守られている。

 既に盲目した当の悲願とは裏腹に、城は純潔を思わせるほどに白く清廉なままに保たれている。

 そんな城の中に、一人の少女がいた。

 名は、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 彼女は切嗣とアイリの娘であり、母譲りの銀髪と紅の双眸をもった、雪の妖精を思わせるような姿の幼い少女である。

 しかし、まだまだ歳行かない少女であるにも拘わらず、イリヤはどことなく寂しげな顔で広い天蓋付きのベッドに寝転がって大人しくしている。

 ほんの二週間ほど前までとは偉い変わり様だ。

 まだ父母が城に居た頃は、メイドたちも手を焼かされるほどのお転婆娘であったのに、両親が日本の冬木へ旅立ってからはすっかりそのお転婆もなりをひそめ、快活さを表に出さない大人しい少女になってしまっていた。

 そうしてベッドに転がって寝返りを打つだけの彼女を、心配そうに傍らで見守っているメイドが二人。

 イリヤの専属であるセラと、リーゼリットである。

 この二人は姉妹型として鋳造された身であるが、セラは魔術的、リズは戦闘向けに機能を調整されているため、正確や容姿は割と違いが大きく出ている。主に性格的な部分が強く違っており、リズはセラに比べ自我が希薄な面が強い。

 だが、そうした部分は些末名問題でしかなく――

 二人にとって何よりも大切なのは、今ベッドの上で気落ちしているイリヤのことについてだった。

 苛烈きわまる戦争について、まだ調整が本格的に始まっていないイリヤはあまり知らない。無論、こんな人里離れたところに住んでいる以上、魔術師としての素養としてそれらをしらない訳でもない。

 つまるところ、まだ学びかけの雛鳥の様なものだ。

 故にと言うべきか、イリヤは父母が早く帰ってきてくれる事を心待ちにしている。

 〝大変なお仕事〟を終えたら、きっとまた少し前までの日常が帰ってくるのだと、そう信じながら日々を過ごす。

 けれど、やはりそれも幼い子供には辛いものがあるのも事実。

 人間とホムンクルスの間に生まれた彼女は、元から施されるべき知識などはなく――まさに神秘と言っても良い割合を保ちながら、ある一つの究極的な命の形を得ている。だからこそアインツベルンのホムンクルスたちは彼女を神格化すると同時に、大切な令嬢として守ってもいる。

 しかし、その弊害というのか、精神性は幼い。

 だからこそ辛さを、寂しさを感じてしまうイリヤを、セラたちを含めたメイドたちはどう接するべきかを日々悩み、切嗣の早急なる帰還を根愚ばかりだったのだが――

 

 ――彼女らの思いは、その日唐突に全く別の形では足されることとなった。

 

 豪雪地帯に位置するアインツベルン城では、吹雪によって森や窓がざわめくのはさして珍しいことではない。

 だが、逆に年中雪景色だからこそこんなことは有り得ない筈だった。

 

 

 

「――――AAAALaLaLaLaLaie(アアアアララララライッ)!!!!」

 

 

 

 雷を纏いった旋風が城の周りを駆け回る光景などは、決して。

 吹き荒れていた吹雪を裂いて飛び出した雄叫びと共に、神威の車輪が行きのベールの中を爆走し城へと駆けてきた。

「…………」

 見慣れぬ景色に、ぽかんとした表情でイリヤは窓の外を眺めに行こうとする。

 そんな彼女を慌てて止めてるや、セラは部屋の外に出て状況を確認しようとした。

「な、何事です!? 結界は――――ッ」

 と、叫んでみても廊下に人気は無く、代わりに遠巻きに場内を駆け巡る足音だけが賑やかに響いてくる。

 一体何事かと混乱していると、僅かながら此方へ向かってくる足音があった。

 自体の報告に来たのかと思いきや、その足音の正体は――――

 

「「イリヤ!」」

 

「あ、アイリ様に、キリツグ様まで……!?」

 聖杯戦争はどうしたのか。

 セラがそう問いただしたくなったのも必然であったと言えるだろう。そもそも、アイリは戦争が終われば死ぬ定めにあった筈なのだ。

 一瞬これがたちの悪い夢かとも思ったが、生憎とそんなことはなく。

 現実として、イリヤの両親である二人はこの場に居た。

 しかし彼女の困惑を他所に、切嗣とアイリはイリヤの元へと走り、その姿を見つけるや、小さな身体を思い切り抱きしめていた。

「イリヤ……あぁ、イリヤ……っ!」

「キリツグ! それにお母様も! こんなに早く帰ってきてくれるなんて!!」

 嬉しい! と、イリヤも二人を抱きしめ返す。これだけ見れば微笑ましい家族の再会、といえばそうなのだが――こうなってくると困惑の中にいるのはセラである。

「い、いったいこれはどういうことなのでしょうか……?」

 困惑の最中に居る彼女に、アイリが短く説明してくれた。――今、彼女らが選び取った選択についてを。

「セラ、それにリズも。落ち着いて聞いてもらえる?」

「は、はい」

「わかった」

「私たちは、今回の聖杯戦争に置いて『聖杯』を完成させることが出来ないのだという結論に至ったわ。だから、私と切嗣はイリヤをつれてアインツベルンから離反する事に決めたの」

「な――っ!?」

 セラの驚愕も無理はない。

 そもそも『聖杯』を捨て、次世代の『小聖杯』までも持ち去ろうというのだから、アインツベルンに従うメイドである彼女には納得しかねる事柄であろう。仮にそれが、仕える主人の両親であろうとも。

「な、何故ですか! アイリ様はあれほどに使命を果たし、キリツグ様とイリヤ様に未来をと願われておられたというのに……!?」

「――そうね。確かに、一見すれば恥知らずな行為だとも思うわ。

 でもねセラ。その願いが、果たされる事がないのだと知ってしまったの。そして、私たちの子供()()が、苦しまなくては成らない未来(さだめ)があるのだということも」

「さだめ、でございますか……?」

「ええ。奇蹟みたいな偶然だったけれど、それでも私たちはこの道を選ぶわ。子供たちのために、ね」

「…………」

 そこに浮かぶ覚悟に、一切の後ろめたさは感じられない。

 後悔はなく、アイリと切嗣は確かに己の意思で、その選択を選び取っている。

 いったい冬木の地で何があったのか、それはセラやリズには計り知れない。

 だが、それでも確かなことが一つあるとすれば――。

「……じゃあ、イリヤは連れてちゃうの?」

「ああ。この城から、アインツベルンから。この子を阻む、全てのものから守るために」

「そう……じゃあ、わたしも行く」

「り、リズ!?」

「だって、二人とも嘘吐いてない。それに、わたしたちはイリヤのメイドだから。セラは、行かない?」

「それは……」

 そう、詰まるところ二人はメイドで、イリヤたちに仕える事を誇りとしている。

 アインツベルンの思想を崇高だと考えていようが、これまでの経緯にどれだけの意味を伴うのだとしても、其処だけは変えられない。

 だから単純なことだ。

 ――主人の選択を是とすること。

 それが彼女らにとって、最も優先すべき事柄であるが故に

 ――――そして、冬の城から出て行く面子が二人増えた。

 

 

 

 ***

 

 そこから先は流れるままに英雄たちの武の時間。

 全ては蹂躙され、誉れのままに幼子を守る戦いを為し、理を示すかの如く力を振るった。

 

 ――そして、冬の城は陥落した。

 千年にわたった妄執は、この日、七人の英雄によって潰える事になったのだった。

 

 ***

 

 

 

 妄執は費え、ある親子の再会が叶った。

 となれば―――もはや、残したことはただ一つ。

 相手取るは、杯の巣喰う悪魔。

 

 最後(おわり)の夜。

 運命の夜へ続く、始まりが遂に道を分かつ。

 遠かった筈の終結の刻は、もうそこまで迫っている――――

 

 

 



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第三十二話 ~終わりの刻、始まりの時~

 別れの時。
 けれど、それが始まりの時。

 ――――最後の夜への幕間。


 始まりの地

 

 

 

 冬木に流れる龍脈の上――その中でもひときわ大きな力の流れを汲む場所が、三つ存在している。

 内二つは、大本からの派生。

 街中に存在しているそれらは、ある意味で分地のようなものであると言ってもいい。

 本当の大本は、たった一つ。選ばれた理由は、力の量がどうというわけでもなく、他人が近寄らず、また同時に広い空間が必要だったからとされている。

 そう、それこそが――。

 

「ここ、柳洞寺地下にある大空洞。円蔵山地下に広がる龍脈の上に陣取った、聖杯戦争を運営する基盤(システム)の中枢――〝大聖杯〟そのもの」

 

 凛の紡いだ言葉に、場を訪れた面子は皆、息を呑んだ。

 祭壇のように列なる崖と、確かに杯と称するだけのことはある半球状のクレーター。其処に張り巡らされた幾何学模様は、二百年前にこの地で自らの身を此処に埋めた、『冬の聖女』の魔術回路そのものである。

 がしかし、魔術回路だけと言うには――些かその場には、淀んだ空気が漂っていた。

 とりわけ英霊たちは濁ったようなそれに嫌悪感を抱いていたのではないだろうか。

 ならば、彼らの感じた印象は正しい。何せ、アレは同じ物でありながら、全くの別方向に力の矛先を据えたモノ。同族を喰らい、喰らった魂によって杯を動かし、肉を得ようとしているのである。

「……この中に、この世全ての悪(アンリ・マユ)が?」

「そうよ、セイバー。第三次聖杯戦争で聖杯の炉心にくべられた、英霊の魂。

 無色の魔力を悪性で塗り替えた、他者の悪性全てを担う伝承から生まれた反英霊が……今もこの中に貯められた魔力を喰って受肉を求めている」

 ――本当にこれが、英霊の末路なのか。

 セイバーは、自分たちもくべられる可能性のあった場所を眺めながら、改めてこの場所のおぞましさを肌で感じた。

 けれど、決して臆したわけではない。

 手に持った聖剣の柄をいっそう強く握り、セイバーは気を引き締めた。

 彼女のそんな様子に押されたのか、凛も傍にふわふわ浮かんでいたルビーを掴むと、周りに居る皆に最後の確認を取る。

「それじゃあ、これからわたしたちで〝(とびら)〟を開いて、大聖杯の中への道をつくるわ。

 そうなったら、後は士郎たちの出番よ。思いっきりぶちかましてやりなさい!」

 凛の言葉を受け、士郎は「ああ、もちろんだ」と頷き、セイバーもまた、騎士らしくこう応える。

「ええ。我が剣は、人々の希望を謳うモノ……であればこそ、ここでその輝きをしかとごらんに入れましょうとも」

 しかし、そんな彼らの弁を気に入らないとばかりに、ギルが口を挟んできた。

「おいおい。この我を置いて話を進めるなよ、雑種ども。

 そもそもだ。我が〝乖離剣〟がある以上貴様らの獲物など、本来不要であるのだからな」

「あら、英雄王様はこの作戦がご不満?」

「当然であろう。まあ、気に入りである貴様らだからこうして此処に来てやっているわけだが、それでもこの采配はハッキリ言って愚だな」

「ふぅん……つまり、ギルはもったいぶりたいわけ? せっかくあるもの全部出そうって言うのに、出し惜しむなんて。

 案外けちね」

「たわけ! そんなことは言うておらぬわ!!」

「そ? じゃあ問題ないわよね。全ての王の原初である貴方が、まさか後世の相手に道を示せないわけもないだろうし?」

「…………ちっ、良いだろう。我が後ろから宝具を振るうことを許す」

「うんうん。天下の英雄王ですもの、そのくらいじゃないと困るってもんよ!

 ランスも、イスカンダルとディルも頼むわよ? お父様と叔父さんたちをしっかり護ってよね!」

 と、凛が他の英霊たちに呼びかければ、彼らもまた任せろと頼もしく応えてくれる。

「無論だ。流石にここまで来て坊主たちをみすみす死なせるとあっては、征服王の名折れであるからな!」

「当然。我が忠義を尽くし、完璧に守り切ってみせるとも」

「……我が名は裏切りの代名詞でありますが、今宵は再び忠節の騎士となりましょう。故に誓いを此処に。この身に変えても、必ずや皆様を守り通すと――!」

「ったく、何時までも坊主坊主って……結局直さないんだもんなぁ」

「青二才であるのは事実だろう? ウェイバー君。

 まぁそれはともかく、ランサー。――任せるぞ、貴様の聖杯に懸ける望みよりも大きかったという忠道、しかと見せてもらおうか」

「主人よ……っ! は。必ずや果たしてみせると此処に誓います……ッ!」

「なんだか随分大げさになってきたけど……まぁ、とりあえず俺たちはいつも通り行こう。頼りにしてるぜ? バーサーカー」

「ありがとうございます雁夜。……ですが、本当に大丈夫ですか? 途中で枯渇したりしせん? ああいえ、別に雁夜を嫌いだからとかではなく、単純に魔力量の問題というかなんというか」

「回りくどいっての! ……心配すんなよ、一応桜ちゃんからも魔力の経路(ライン)繋がってるんだから」

「義理の姪に頼らなければならない時点で安心も何も……」

「うるせぇよ! しょうが無いだろ!? こちとら急造な上に病み上がり何だから! どっかの誰かが娘を魔術師としても最低な扱いにしやがったせいでよ!!」

「……すまない。本当にすまない、雁夜……」

「ああ、もうこっちもこっちで面倒くさいな!

 謝るくらいなら、ちゃんとこれからは桜ちゃんの幸せを見守ってやがれ。もう間桐との盟約は意味を無くしたっていっても、庇護が必要な内は名前だけでもちゃんと家を残しとくから、その他をちゃんとしてやれよ……!」

「…………ああ。もちろんだとも」

 納得と共に、此処にもう一度男の敵愾心から始まる友情的な何かが始まろうとしていたのだが、そこへ横槍を入れるステッキ一本。

『――責任を果たせないのは、他人にも劣る犬だよ(ぼそり)』

「ぐ、がぁ……ッ!?」

 なんだか妙に魂に刺さる言霊を喰らわされ、時臣が悶絶する。

 そうやって、せっかくまとまっていた雰囲気をぶちこわしにしてくれたステッキに、凛はお仕置きを開始する。

「るびぃ~~~っっっ!?!?!?」

『あはは、軽いジョークですよぉ~……って、凛さんギブ! マジでギブです!! あ、あぁ、そんなにされたら中身出ちゃいますよ……あがががが!?』

「……ステッキの中身って、何だろうな?」

「さぁ……」

 ステッキなら寧ろ、乱暴されたら折れるんじゃないのか? と、そう思っていた狂戦士主従。

 すっかり場がコミカルに染まり始めたのを見かねて、士郎は何か話の方向を変えられないかと思い、口を挟もうとした。

「あー、遠坂?」

「なによ!」

『いだだっ!? ちょ、凛さんそこは!? そこはだめですぅぅぅぅう!!!???』

 が、目の前の光景に些か押されてしまう。

 いくら唐変木とはいえ、流石にこうも緊迫と混沌の境がおかしくなっていれば、口もつまるというものだ。

「なに黙ってるのよ? 言いたいことがあるなら早くしなさいよね。こちとら今、この馬鹿杖にしつけするので忙しいんだからぁ……!」

『ぐぇぇぇっ!? あぁ……時が、み……え、る……』

 色々酷い。本当に酷い。

 だが急かされた以上、黙っている訳にも行かなくなった。また、同時に逃げ身とも封じられたもう同義である。

 少なくとも経験則上、何でも無いなんて応えた場合の八つ当たり確率は三分の二だ。

 それならまだ、質問でもして何でも良いから答えを貰った方が良い。そう言うとこは律儀な凛相手なら、此方の方がまだ穏便である。

「…………いや、その」

 故にとにかく何か、と考えたのだが、良い考えは浮かばない。ここぞという時の木の木かなさに定評のある彼らしいと言えばらしいが、それでは困る。

 で、結局。

 頭を悩みに悩ませ、至った結論はと言うと――――

 

「あー、ほどほどにな?」

 

 質問が思いつかなかった士郎は、放置、という安牌(せんたく)を取ることに決めたのであった。

『そ、そんなぁ~!? 士郎さんのひとでなしぃー! ステッキ一本救えずして、何が正義の味方か!?』

「……悪いな、ルビー」

 正義は、自業自得にはなかなか適応させるのが難しいのだ。

 それから、たっぷり十分程の間――ルビーは凛にこってり絞られることになったのであったとさ。

 そして、

 

「――さあ、しんみりしてるのはおしまいよ。

 ここからが本番。最後の大一番、派手に咲かせてやろうじゃないの!」

 

 ――――大一番の幕が上がり、すっきりとした顔の〝あかいあくま〟が始まりを告げた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「――Anfang(セット)

 

 静かに、少女の声が響き始める。

 虚数(かげ)魔導(ちから)を振るう彼女のその詠唱(ことば)が、杯の奥へと続く路を形成していく。

Es schließen(声は静かに)――Mein Blut schliest Sie.(私の影は世界を覆う)

 不穏な空気が漂い始める。

 悪性の泥が、世界に漂い始めているのだ。

 ――ヒトを()()ために生まれた〝悪〟が。

 何物よりもヒトを呪うモノであれと願われた、世界を食い尽くす悪魔の王の名を冠された怪物が、遂に顔を覗かせる。

 そして、釜の底が開く――――

 

Bildet(声は近くに)――Mein Herz Tür öffnen.(私の心は孔を空ける)

 

 瞬間、釜の底へ続く扉が開け放たれた。

 そうして空間(セカイ)に、呪いが満ちる。

 世界に蔓延する悪性の全てが、その呪いに伴って空間を侵食していく――――

 

 

 

 

 

 

 ――――其処は、罪の泉であった。

 しかし、同時に救いを与える理でもある。

 

 たった一人に内包された〝悪〟。

 ありとあらゆる生き物を殺せと定められた〝希望〟

 

 

 それは正しさのために捧げられた贄であり、何よりも正しさの歪み汚れを象徴した間違いそのものである。

 

 

 全てを奪った。全てを与えた。傲慢怠惰憤怒嫉妬暴食色欲強欲。憂鬱で虚飾に彩られた唾棄すべき汚らしい業の全ては、小さな括りで始まった全ての人類への博愛でヒトへ向けた希望であり遵守すべき信仰であると共に、知恵を絞り正義を敷き、堅固で節制された何よりも尊ぶべき世界に等しく法を為したモノであったのだ。

 ――――――ね。

 奪われた全てが償いなのだ。贖いを求める人々を救うためのモノだ。だから背負え。だから担え。誰よりも何よりも条理の果てさえも超越した悪であれ。醜悪で侮蔑を受ける汚らわしい畜生となって我らを救え。元より貴様はその為だけのモノ。何の価値もなく、何の意味も持たない生命(いのち)に意味を与えよう。この世全て、等しく誰しもを幸福にするための、使命を貴様に与えよう。――全ての悪を独占すると言う役割を。

 ――――――死ね。

 何処までも誠実に忠義に寛容に、何処までも数多の罪科を余さず呑み込んでいけ。人々に希望を与えよ世界を平静に保て我々を救え希望となり勤勉に慈愛で以て分別ある忍耐を見せろ。勇気を持って自制せよ。純粋に純真に何処までも正純に汚れ爛れた姿を保ち続けろ。そうして最後にたった一つの悪を残して世界に平和を成せ。

 ――――――死ね。死ね。

 原罪悪徳奸悪魔性背徳邪奸計破戒罪障非道違法売国利敵国事犯政治犯戦犯過失犯犯人犯罪人罪人科人犯罪者殺人脱法誘拐窃盗強盗抑圧秩序破壊遺棄投棄絞殺圧殺銃殺自殺致傷殺傷傷害損故意過失名誉棄損罪科咎濁冒瀆欲大罪罪業流罪罪刑刑罰死刑監禁刑処刑私刑極刑劫罰体罰厳罰処罰偏執本質宿業都塵汚俗腐敗堕罪堕落醜態詐欺偽造教唆疑獄凶状退廃倒錯殺生猟奇極悪悪辣悪行不当贈収賄背任脱法不道徳背教禁忌浮気不正直不義理不正義煩悩金銭欲愛欲強姦淫犯女犯好色裏切り不届き淫ら不埓な横道な無様な虐め水責め火責め痛い醜い憎い病い煩い殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ……ッ!!

 ――――――死ね。死ね。死ね。

 公平に公正に不正で不当なる悪を呑め。蛮行を禁じ暴力を禁じ、その身で全てを受け止めろ。非道に外道に外法で不法なる精神を持ち、人々が如何に清廉で純真なる愛を持つかを示せ。過ちを許し、他人を許し、自らは決して許されず。人々の悪性の全てが貴様に集約されることを真実と為せ。最早、世界の汚点はただ一つ。悪性全てを独占したモノの他に悪など居ない。そう、これこそがたった一つの悪であり、この世全ての悪である。人々の中に巣喰う悪を殺し続ける悪魔。ありとあらゆる悪の依り代。

 それでこそ、〝この世全ての(アンリ・マユ)〟と呼ぶに相応しい――――

 

 

 

 ――――――死ね、死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……ッッ!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 〝杯〟の完成を待たずして開かれた〝孔〟に、この世全ての悪(アンリ・マユ)は歓喜した。

 ――――外へ出られるのだ、と。

 最早、人格と呼べるものは残っていない。故に、仮に何らかの意思の発現を可能とするのならば、何らかの人格()を被る必要がある。――とはいえ、何らかの被り物を出来たのだとしても、自身の意思などというものは存在しないのだが。

 大本からして、ヒトを呪うモノ。

 本体が『大聖杯』の中にいる以上、何らかの願いを受けることでしか本質を発動し得ない。なぜなら、『大聖杯』は『小聖杯』を通してしか、〝(とびら)〟を開けないのだから。

 しかし、今――その道が開いた。

 となればもう待つ必要は無い。

 ヒトを呪うこと、ありとあらゆる命を侵すこと。

 それこそがこの身に課せられた使命であり、あるべき理由。

 眠っていた力を解き放ち、形骸(カタチ)を得られていない(にく)を外へと吐き出せ。この世全ての悪を完遂せよ。

 

 ――――そうして、悪性を煮詰めた泥が、〝孔〟の外へと漏れ出す。

    始めは霧のように、場を埋め尽くすように、呪いを伴った泥が外へ出ようとした――――

 

 

 

 ――――しかし、その時。

 未だ外へ出ていないにも関わらず、アンリ・マユは三つの〝光〟を目撃した。

 その光は誕生への祝福か、或いはその逆か。

 

 ただ一つ確実なことは、三つの光は――アンリ・マユの全てを余すことなく包み込んだと言う事実のみであった。

 

 

 

 *** 終わりを告げる閃光(ひかり)

 

 

 

 ――――三つの光は、それぞれ異なる力によって振るわれる。

 

 

 ――一つ目のそれは〝天の理〟。

 原初(はじまり)において『世界』を創造し、空と地を裂いたのち、統べる者と支配される側を分け隔て、定めたモノである。

「――裁きの時だ。(オレ)手ずから裁定を下す。光栄に思えよ、〝この世全ての悪(雑種)〟。貴様ら如きでは届かぬ、本物の地獄というものを()せてやろう」

 原初の地獄を織り成す〝乖離剣〟。

 ヒトの原罪による悪性を、始まりの王がここで裁く――!

 

天地乖離す(エヌマ)―――」

 

 ――二つ目のそれは、〝最強の幻想(ラスト・ファンタズム)〟。

 次いで分けられた『世界』で、人々が信ずる願いの結晶を星が象徴として成した。誰しもが求める救いを魅せ、絶望を照らす希望を謳うモノ。

「束ねるは星の息吹。輝ける命の奔流――」

 万人の願いを背負い、常勝の王は高らかに。

 儚くも尊い、哀しくも美しい希望(ユメ)を紡ぎし、〝聖剣〟を振るう――!

 

約束された(エクス)―――」

 

 ――そして最後のそれは、〝理想(呪い)の集約〟。

 神秘など薄れきった世界で、届かぬ夢。呪われた理想を背負い続けたモノが、たった一つ持ち続けた矜持。人々が願う救いを担い続けた、最果てを刻む。

「――投影(トレース)層写集約(オーバライド)――」

 紛い物。偽善者。偽物。贋作者。

 受けた誹りは全て血肉に。決して折れぬ鋼の心で、偽りだらけの理想を、たった一つの〝究極(つるぎ)〟にまで押し上げる――!

 

無を極め至りし(リミテッド)―――」

 

 

 

 そうして、今――三つの光が、それぞれの〝宝具(けん)〟より放たれた。

 

 

 

「―――開闢の星(エリシュ)ッッッ!!」

 

「―――勝利の剣(カリバー)ァァァ!!」

 

「―――夢幻の劔(/ゼロオーバー)ァァァ!!」

 

 

 

 

 

 

 撃ち放たれた光が呪いを浄化していく。

 それともに、現し身の身体が壊れて行く――――

 

 段々と。段々と。

 解き放たれていくのを、ただ静かに英霊たちは感じていた。

 終わりに、後悔はない。そもそも、意味は無い。

 それ以上でもそれ以下でもなく、此処には、ただ静かに別れの時が流れていた。

 

 

 

「……すごい」

 ポツリ、と最初に呟いたのはウェイバーだった。

 宝具の解放に伴った凄まじさ。その力強さは、半人前には強すぎた。――否。それ以上に、彼の心中を締めているのはもっと別の感情であった。

「でも、これで……終わりか」

 遂に、これで終わりなのだという納得だけが彼の中にあった。けれど、それをイスカンダルはこう返す。

「違うな。これは、始まりだ」

 消えゆく身体にも拘わらず、力強い声で。

 イスカンダルはハッキリと、終わりを始まりだと告げた。

「此度の戦い確かに終わった。最後の出番も、美味しいとこもすっかりあの三人に持って行かれちまったのも惜しい。

 ――だがな、この先にある道はまだまだ果てなく残っておるぞ? だからなぁ坊主。そう辛気くさい顔などするな」

「…………」

 顔を背けながら、自分の頭を撫でている巨大な手の主を見ないようにしているウェイバー。

 鬱陶しさからも、戦争(たたかい)からも解放されるというのに。

 なのに何故、どうして。

「……ぅる、っさいんだよ、この馬鹿……っ」

 こんなにも、胸につまるものがあるのだろうか。

 しかし、彼だけではない。その痛みに、耐えていたのは――それぞれが同じ。

 

「主……」

「語らずとも良い。――貴様の忠義は、確かなものだった。

 故に誇れ。貴様は、この戦いにおいて、ただ一人望みを叶えた英霊なのだから」

「主――貴公のことを、我が身は二度と忘れることはないでしょう。また何時か、巡り会うことがあれば、この身は貴方の槍となりましょう」

「……ふん」

 

 それは終わり。

 別れの刻限であった。

 が、であるからこそ、この瞬間は尊いものであるのだ。

 本来ならば、二度と会うこともなかった。

 通うはずもない心であった。

 しかし、今は――そんな枷を外した、偶然の狭間にいる。

 存分に楽しめばいい。

 存分に、謳歌するべき物であるが故に―――

 

「叔父さん」

「? なんだい、桜ちゃん」

「いえ、ただ……呼んでみたくなって」

「……そっか」

 ただ、腕の中にあるぬくもりを。

 取り戻せないと思っていたそれを。

 何時の日か、見放していたぬくもりを。

 忘れていた、そのぬくもりを今。確かに感じている。

「……さよなら、雁夜叔父さん。

 こっちのわたしを、よろしくお願いします」

「うん。必ず、今度はちゃんと守るから……」

「…………はい」

(良かったですね……雁夜。

 ……ああ。この時に巡り会えた幸運は、何物にも代え難い。このような私でも、こんな場面に出会えるとは――実に、実に恵まれた時間だった……)

 

 

「時臣。貴様は良いのか? 桜に別れを告げずとも」

「はい。私には、あの子には許されないことをしました。ですから、今の桜には雁夜の方が良い―――ですが、これからは」

「……ふっ、そうか。精々、足掻くのだな――貴様の娘どもは、どちらも曲者揃いであるからな」

「ええ――実に」

 満足げにギルガメシュにそう返すと、時臣は凛と向かい合う。

「凛。すまなかった、君に頼りきりで……本来、私が果たすべき責務であったのに」

「いえ、良いんです。お父様。

 それより、さっき言ってたとおり、これからのことをお願いします。……今のわたしたちは、ここまでみたいですから――これからの、わたしたちに」

「……ああ、もちろんだとも……」

 最後の抱擁。別れへの刹那。

 そこで親子の絆。無くした筈の絆を。

 もう一度ここで温め直していた。

『さて凛さん、ではそろそろ行きましょうか。元の世界までご案内いたしますよ~』

「はいはい。ホント、変なとこで気が効いてるわね」

『あははは~、それがルビーちゃんクオリティですからねぇ~♪

 それじゃあ、時臣さんもご機嫌麗しゅう~』

「あ、いや……そうだな……世話になったね、ルビー」

「それじゃあ、雁夜叔父さん。それから……お父様も。さようなら――また、いつか」

「ああ、桜も……元気で」

『では、桜様は私がお送りいたします』

「うん。お願いね、サファイア。――でも姉さん。本当に先輩には挨拶しなくて良いんですか?」

「良いのよ。どーせ、またあの馬鹿はまた面倒ごとに会うんだから。――そして、その時、私たちが傍に居ないなんて、有り得ないんだからね」

 〝アイツ〟との約束もあるし、放っとけないのよ――と、凛。

 そんな姉のその言葉と、視線の先にいる金色の髪をした少女に気づき、桜も察したように「そうですね!」と行って朗らかに笑みを浮かべる。

 そうして、遠坂姉妹の身体を光が包む。

 行われた人格のダウンロードが解除されているのだ。

 ダウンロードは簡単だが、戻す場合はルビーたちが引率を担当する。

『いや~、ホントわたしって出来たステッキですよねぇ~(主に空気を読んでる的な意味で♡)』

「こら。黙ってなさいよ、せっかく良いとこなんだから」

『はーい』

 軽口を叩くルビーを叱りながら、『凛』と『桜』が消えていく。そうして、二人のがこの世界に呼ばれた基準点(りゆう)だった士郎もまた、聖杯戦争のシステムの消失と共に消えていく――。

 別れの時だ。一度、物語の筆を置こう。

 ――――けれど、その前に一つだけ。

 

「――――シロウ」

「どうした? セイバー」

「貴方のおかげで、私は己の夢を取り戻せた。サーヴァントとしても、主の生きるべき場所を守ることが出来きました。

 ありがとうございました、シロウ」

「別に、俺の力って訳じゃないさ。

 ――いつもと同じ、運命の悪戯(Fate)ってやつだったんだよ」

「……そうですね。

 ――――では最後にもう一つだけ、お願いしたいことが」

「……ああ、どんな?」

「今はアイリスフィールの中にある〝鞘〟を、貴方に持っていて欲しい。

 何時かまた、巡り会う定めの時のために。

 それまでを歩む貴方の道の、助けになるように――――」

「――ああ。お前が望むなら、喜んで預かっておくよ。

 セイバーの言う通り、何時かまた……俺たちが、巡り会う時のために」

「ええ――また、いつかの出会いに」

 

 

 

 ――――こうして、終わりが静かに流れ行く。

 

 巡り、巡り、巡ってきた。

 此処までの長い長い路を。

 二度と戻ることのないと思っていた時代。そこに、もう一度戻り、そこで自分の在り方を全うする事が出来た。

 ……それが、酷く嬉しい。

 

「じーさん」

「――なんだい、士郎?」

「こっちの『俺』さ……多分っていうか、俺が此処から居なくなったら、一人ぼっちになっちまうんだ」

 あの炎の中でさまよっていた、あの時のように。

 だから、

「頼んでも良いかな。俺はこいつの声を聞いて此処に来たけど、俺にはもう、『(こいつ)』を助けることが出来ない――

 勝手だとは思うけど、『俺』の事、頼みたいんだ。

 見ての通り、頼りない奴だからさ。じーさんたちが、助けてやってくれないかな?」

 笑みを向けた少年の顔に、此処にはいないもう一人の息子の顔が重なり、浮かぶ。

 しかし、仮にその面影がなかったのだとしても――。

 既に返事は決まっていた。

「ああ、任せてくれ士郎。

 君のことは、僕が――僕たちが、必ず」

 

 ――――幸せに、してみせるから。

 

 

 

「そっか、――――ありがとう。……ああ、本当に」

 

 

 

 ――安心した。

 

 そう言い残し、少年は帰って行く。

 三人の子供の身体から抜け去った救い主たちは、こうして消えた。

 後に残された大人たちは、自身らの果たすべき責を果たすべく動き出す。

 

 ―――迎えるため、或いは導くために。

 

 やることも、為すべきことも尽きることはない。

 英霊たちを始めとした存在は世界を離れ、確かに一度――物語には終止符が打たれた。

 こうして一時の休息を交え、そしてまた――――

 

 

 

 ――――――新しい〝夜〟が始まる。

 

 

 



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最終話 ~Over Zero After ――更に先へ――~

 ――初めに手を伸ばした少年が、救いのも取らされた後で、最後に救われる。

 そんな今シリーズのエピローグ。
 かつ、次作へのプロローグ。

 新月の夜へ続く、始まりの時。


 終わりを迎えた少年の始まり ――Restart――

 

 

 

 ――――あの日、大切な何かが終わった。

 

 大切なモノを()くしたような、そんな()()()

 痛みも恐怖も、その終わりと共に消えていった。

 そうして、何もかもを失った後……身体(じぶん)は何時しか、空白(からっぽ)になってしまっていた。

 何となく、それはヒトでなくなったのだと知る。

 自己が消え、命だけが残り、繋がりを全て失った。

 ……なのに、酷く客観的に、命だけが残った肉体(カラバコ)を観ている。

 

 これは、本当に〝死〟だったのだろうか?

 

 在り方を失ったモノに、それを知る術はない。

 何か一つだけでも欠けてしまえば、変わることだけは判る。

 ただ、それ以上に何かを見極める術を持たないが故に、先へ進むことが出来ずにいた。

 取り残された残骸のように、過ぎる時を呆然と感じている。

 痕跡だけを残し、存在するだけ。

 生きているわけではないのだろう。

 何故なら、在るべきものでも、必要なものでもない。

 しかし何にも害を為さず、在ることもまた害でない。

 ただ、そこにいるだけ――――ああ、なんて無価値な存在感。

 

 酷く歪だ、……今の『自分』は。

 哀しいコトだったのだろう。

 もしかすると、痛いコトなのかも知れない。

 ……でも、何も感じられない。

 失ったモノは戻ってこない。

 止まったままの針を動かすことが出来ず、何時までも留まっている。――あの夜に、ずっと。

 

 

 ――――ああ、でも。

 

 

 そういえば何か、……別物のようであったのに、何か同じ物が、ずっと共にあったような気がする。

 少しだけ、あの時――針が動いていた。

 でも、それは自分の知らないところで始まり、いつの間にか終わっていた。

 なら、関係ないことなのだろう。留められ続けても、今こうして先へ進めないなら、同じことだ。

 

 思い浮かぶのは、あの夜。

 暗くて、冷たい。

 とても苦しくて、鉄の臭いが強く充満していた。

 

 〝――――怖い〟

 

 最初に、(おぞ)ましい笑い声が聞こえた。

 澄んでいるのに、どす黒い汚れを感じさせる声。

 自分を満たすために他者を弄ぶ。

 悪いコトで、酷いコトだったのに……何の助けもやってこないまま、自分の繋がりをあっさりと断ち切られた。

 怒りで燃えた。

 でも、直ぐに冷めた――恐ろしくて、怖かったから。

 なのに最後まで、自分が残っていた。

 恐怖なんて無くても、今と同じだ。

 たった一人きりで、残ってしまっている。

 ……なら、自分なんてどうでも良かった。

 こんなところにいるだけの自分なんて要らない。

 

 

 

 〝まさしく、正しく――そこは地獄だった〟

 

 

 

 だから、何か救いが欲しかった。

 だから、手を伸ばした。

 元の時間を取り戻したい、と。

 ……だが、間違いなく救えたモノなんて何もなかった。

 全ては救えなかったのだ。

 恐怖は消え、確かに救いはあったのだろう。

 でも、こぼれ落ちてしまった物は確かにあった。

 伸ばせた偶然に、奇跡に救われてしまった。

 それを理解したとき、硝子の割れる音がしたような気がする。

 

 砕けていく自分。

 それはそれで良かったのかも知れない。

 砕けて、()くしたモノの場所に行けるなら、それでもいいと。……どうせもう、誰も自分など必要としていないのだから。

 ならもう、こんな『自分(から)』なんて要らないだろう。

 終わりなら、それでいい。

 どうせ今はもう、空っぽで。

 独りだけで、一つだけ。

 隣り合うモノは、何も無い、はず……なのに。

 ……そう、思っていたのに

 

 どうしてか、決して消えることなく、何かが繋がっている。

 見えるモノなど何処にもないのに、間違いなく自分と本当の意味で繋がっている。

 失われた熱が燃え上がる。

 だけど、一度目に広がったのはまた地獄。

 炎の中、人が死んでく。

 誰も彼も平等に。けれど、自分だけが生き残る。

 恐怖に優劣など存在しないが、少なくとも静かな終わりとは全く別の恐ろしさがあっただろう。

 同時に、手を伸ばすことさえ出来な――

 

 ――――しかし、光が起こる。

 

 まるで、案ずるなと諭すように。

 そっと、包み込むかのようにして、何かが。

 炎を晴らし、先への道を示す。

 

 〝暖かな光は、黄金の輝き。

 遠くで待つ少女は、清廉な青を思い起こさせる。

 連れて行ってくれるのかと思ったが、それは違うようだ。

 今はまだ違う。

 其処に、貴方だけの繋がりがあると告げ、彼女は微笑みを向けてる〟

 

 

 ――――それは、無価値なだけの人間(ずめん)意味(カタチ)を与える輝きだった。

 

 

 肯定と共に、熱が宿る。

 守られているように、支えられているように。

 先への繋がりを、示すように。

 そうして、繋がりはまた結ばれる。

 

 

 

 

 

 

「こんにちは」

 

 

 

 閉ざされた戸が開き、黒と銀が覗く。

 瞬間。鼓動が強く、ハッキリと自分を動かし始めた。

 先へ進めと、身体の方が理解しているように。

 が、意見には同意した。

 悪いことにならないのは、判る。

 ……だから、もし手を伸ばしてもらえるのだとしたら、きっとその手を取ることになるんだろう。

 あの暗闇の中のように。

 あの地獄の中のように。

 ……もう一度だけ、始まりを()()

 今の自分の意味。

 求められた理由。

 それ以上に、あの光が望んだ『自分』の生を。

 もう一度だけ、今度は自分から掴もう。

 

 〝そうして、定めの幕が下ろされ、また此処に始まりを告げる。

 在る少年の歩く次の路。

 もう一つの、更に別の夢の道――――――〟

 

「ねぇ、〝士郎君〟。

 いきなりだけど、貴方は見ず知らずの私たち夫婦に引き取られるのと、施設に預けられるのだったら、どっちが良い?」

 

 これが始まり。

 終わりの自覚と共にやって来た、もう一つの路。

 失われたモノの先へ――。

 空白の時を越えた、新たな物語の始まりだった。

 問いかけの答えの代わりに伸ばした手は、ハッキリと二人を指している。

 嬉しそうに微笑んだ二人。

 そして最後に、

「ああ、そうだ。一つ言い忘れてたことがあった」

 今度は男の人がこう告げた。

 その内容は、悪戯っぽい笑みに似つかわしく、けれど何の躊躇いもなく。

 

 

「うん。初めに言っておくとね?

 ――――僕たちは、〝魔法使い〟なんだよ」

 

 

 とても夢想じみた言葉だったが、その時の()に浮かんだのは純粋に、二人への感心だけだった。

 

 

 

「うわ―――二人とも凄いな……!」

 

 

 

 

 

 

 

                  

Fate/Zero Over―――END

 

 

 




 これで、Fate/Zero Over――連載当時ほとんど出てこなかった副題で、ハーメルンでの題名――最終話でございます。
 このシリーズの、本当に最後の最後。
 こちらへの移行投稿も終わり、やっと次のシリーズへ行けそうです。

 ともかく、これで完結でございます。

 一応、続編へ続くのですが、次のシリーズはこのシリーズの設定・世界状況を完全に引き継いだ続編ではありません。
 アンケートでプリヤ時空へ繋がるので、接合性のための変更が多々ありますので、ご注意を。

 ともかく、お読みいただきありがとうございました。

 次のシリーズも読んでいただけたら嬉しいです。


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オリジナル詠唱およびオリジナル宝具の説明

 出した士郎の詠唱・宝具の簡単な解説。
 おまけというか、ちょっとした言い訳タイムみたいな感じです(笑)。


 無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)

 

 

 

 ―――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)

 

 ―――Steel is my body(血潮は鉄で),

    and fire is my blood.(心は硝子)

 

 ―――I have created over a thousand blades.(幾度の戦場を越えて不敗)

 

 ――― Unaware of loss.(たった一度の敗走もなく)

 

 ―――Nor aware of end.(ただの一度も勝利はない)

 

 ―――Withstood pain to create weapons,(担い手はここに夢を残し)

 

 ――― go toward for one's destination.(果てへと歩み理想を目指す)

 

 ―――I have no regrets, and never end.(故にこの身は空白を超え)

 

 My all life was(打ち続けた体は)――――

 

 ――――“UNLIMTED BLADE WORKS”.(果て無き剣で出来ていた――!!)

 

 

 

 士郎本来の『宝具』たる、ありとあらゆる武器を複製し貯蔵する『固有結界』。

 ただし、その光景はただの荒野ではなく――

 焼け、枯れた大地には、ある少女たちのくれたモノが刻まれている。

 

 故に、意味を求めずに進むのでもなく。

 理解されない事を受け入れるだけでもない。

 

 ここに在るものは、理想。

 何よりも美しいもので、大切なもの。

 全てを出来ない事を受け入れた上で、全てを望み続けた夢の結晶。

 

 枯れた大地に緑が芽生え、緋色の空は青く。

 けれど、その傷を忘れる事だけはせず――己の本質である剣をこの中に。

 

 歯車を伴う剣の丘。

 赤き剣の荒野。

 雪月の墓場。

 ――――それらに続く、もう一つの『剣の世界』である。

 

 

 

 

 

 

無を極め至りし、夢幻の劔(リミテッド/ゼロオーバー)

 

 

 

 

 

 

 『――――投影(トレース)層写集約(オーバーライド)――――』

 

 この詠唱をトリガーとして、以下の詠唱で以て発動する『宝具』。

 

 

 

 〝――無、色ヲ取リ戻ス(空の身体、色彩を知る)

 

 〝――戦士、則チ是記憶(心、この身に重ね宿す)

 

 〝――夢、其処ニ偽リ無ク(理想、決して違わず)

 

 〝――想イ募リ、形ヲ成ス(強き祈り、夢へ至る)

 

 〝――内ニ残ス剣、全テ此処ニ(積み上げた願い束ね)

 

 

 〝――幻想ハ結ビ、理想ト成ル(ただ一つの剣を生む)

 

 

 〝――全、即チ是一(無限は極限)

 

 〝――一、即チ是全(極限は無限)

 

 

 〝故ニ、剣ノ丘更ニ先ヘ(果てへの道は此処にあり)――――〟

 

 〝――――此処ハ対ノ極、剣戟ノ極地ナリ(この手に象るは理想、示すは業の清算)

 

 

 

 〝――――――無を極め到りし、夢幻の劔(リミテッド/ゼロオーバー)

 

 

 

 イメージコンセプトは『鶴翼三連』と『都牟刈村正』の二つ。

 詠唱の形を組み合わせて、効果や絶対の一撃であるというといった士郎(と村正)の象徴的な宝具に並び立つものにしてみようと考えた結果、あんな感じになりました。

 性質はそんな感じで、なんだかそれっぽい説明にしてみると以下の様になります。

 

 士郎の持つ固有結界を一つに集めた、究極の一撃。

 分類は『対界宝具』で、その一閃は敵の『世界』を断ち、絶つ。

 が、それはただ滅ぼすためのモノではなく――

 これまでの生を、大切な人々を護りたいと願い続けたが為の一撃であるが故に、断ち切るのは命に非ず。

 剣が捌くは募る柵、刃が別つは怨嗟への路。

 平和を求め、溢れる涙を憂い、優しい世界を夢見て来た正義の味方たちの(ユメ)が織り成す、歩み続け、重ねて来たその収斂の全て――。

 それらを束ねた、最果て想いを馳せた『劔』である。

 

 と、こんな感じでしょうか。

 でも一応、『都牟刈』は〝造り続けた結果〟のものですが、どちらかというとこっちは〝歩みの総括〟みたいなイメージで書きました。なので、一時の幕を引くものですが、まだその先に旅路が在る――終わりなき夢を追う士郎の在り方を鑑みて、こうしてみました。

 あと、リミゼロの宝具として考えたので〝『無限の剣製』を集約させる〟という基本は絶対に残しておきたかったので、外側は他の二つで出来てますが、宝具名には結構そのあたりを自分なりに考えてみた部分が結構あります。

 例えば、振るうのは『刀』ですけど、集めているのは『剣』なので旧字体の『劔』にして両方を合わせたイメージにしてみたり……あとは、最後の〝夢幻〟は〝無限〟との音あわせみたいな感じですね。

 ちなみに、そのままの読み方は最後の『劔』だけ読み手の好みで読んでいただければと思ってます。「けん」と読めばエクスカリバ―のそれと近く感じますし、「つるぎ」と読めば士郎の詠唱の方に近い感じがすると思います。

 

 

 



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