海原を巡って (魚鷹0822)
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第一話 色あせた写真

 時計の長針と短針が直線を描く頃、部屋の主は目覚まし時計が鳴らなくとも脳を覚醒させ、寝床から体を起こし、布団を折りたたんで部屋の隅に置き、身支度を始める。寝巻きを脱ぎ、枕元に綺麗にたたまれた皺一つない制服を手に取り、鏡のまえに立つ。

「髪の毛、よし。制服の皺、よし」

着替えを進めながら彼女は鏡を覗き込み、服に皺が寄っていないか、どこかに落ち度がないかを確認していく。

「手袋、よし。靴下、よし」

すべての衣服を身につけ、彼女は最後に鏡を見つめ、目を大きく見開いた。

「眼光、よし!」

戦艦クラスの眼光に陰りがないことを最後に確認し、彼女は何一つとして問題がないことを確かめ終える。

「今日も、問題無しですね」

身支度を終えた彼女は、壁に取り付けられたフックに掛けてあるラッパを手にとり、足音をたてないよう忍び足で部屋を出る。

 寮を出て、彼女は目的地に向かって歩を進める。基地の中を歩きながら、周囲を見わたす。波が穏やかな海、草木を僅かに揺らすそよ風、晴れ渡った空、ゆっくり進む雲、ほのかに香る海の香り。どこにでも見られる、ありふれた光景。

「静かなものです」

この風景だけを切り取れば、平穏そのもの。だれが、今この海原が、水平線の向こうが、戦場になっているなどと信じるだろうか。基地を満たす静寂の中を、少女は一人歩く。

「起床まであと、5分ですね」

残り時間を寸分の狂いのない体内時計で確認し、彼女はラッパを手に、基地の中央にそびえる司令部の入る建物の階段を上っていく。鉄扉をあけ、彼女は屋上へと降り立つ。屋上を通るそよ風が心地いい。水平線から登り始める太陽に向かって、ラッパを向け、起床時間丁度に狂いなくラッパを鳴らすべく準備をする。起床まで、残り30秒、29秒。秒刻みで、彼女の体内時計は正確に時を刻む。

 残り、5秒、4秒、3秒…。吸い込んだ空気をラッパに吹き込もうとして……

 

「あおばああああああああああああああああああ!」

 

 吹こうとしたとき、起床ラッパも驚く程の大声が基地内の静寂を切り裂き、空気を揺るがした。その大声に驚いた少女は手をすべらせ、取り落としそうになったラッパを慌てて掴む。同時に、寮のいたるところで襲撃と勘違いした者たちが布団をはねのけ、ベッドから転げ落ち、畳みを転がり、窓を開け放ち、寝巻き姿のまま基地内に目を凝らす。いつも決まった時間に、狂いのない起床ラッパで始まる一日が、今日は誰かの大声で騒々しく始まる一日となってしまった。

「・・・不知火に落ち度でも?」

誰にでもなく、彼女はつぶやいた。

 

 

 

「青葉、どこ。どこに行った!」

先程の大声の主は、頭の左右に結ったツインテールを逆立て、肩をいからせながらあたりを見回している。その何かに噛み付かんとする表情の彼女を、一人の少女が馬をなだめるように両手を振る。

「き、衣笠。朝から基地の中で大声は迷惑だって。非番で寝ている子も多いんだから」

すると衣笠は、右腕を一直線に伸ばし、なにかを指差した。

「心配は無用よ古鷹。間近で聞いた加古が、ご覧のとおり寝ているんだから」

「あ~、眠い……」

衣笠が指差す先には、鼻提灯をぶら下げながら立つ加古がいる。未だに意識という船体の半分が、夢の中という名の大海に沈んでいるようで、頭を上下させながら船をこいでいる。

「いやいや、加古を基準に考えちゃだめだよ」

古鷹は、苦笑を浮かべながら言う。可愛い妹のことではあるが、衣笠の言うことも否定はできない。それほどに、加古と睡眠は切っても切れないものになっている。衣笠は大きくため息を吐きだし、雲が流れる青空を見上げる。

「にしても、青葉どこいったのかしら。起きたら布団は綺麗に畳まれていたし、食堂にも姿なかった」

「・・・いいじゃん。非番の日くらい好きにすごして」

加古は、意識が半分沈んだ状態で苦情を訴える。

「加古は、いつも暇さえあれば寝ているでしょう」

起床前に姿を消した青葉を探すべく、衣笠たちはどこへともなく歩き出す。とはいっても、孤島の狭い基地の中。探せる場所など限られる。

「いずれにしても、この孤島から出ることはできないから、どこかにはいるはずだよ。艤装はちゃんと工廠にあったし」

「あ~。眠い~」

「加古、起きて。眠りながら歩くのは危ないよ」

古鷹が加古の両肩を掴んで揺らすも、沈みゆく加古の意識が浮上する気配はない。

「全く、非番の日はいつもいなくなっちゃうんだから」

非番の日、青葉が布団からいなくなるのは今に始まったことではない。出会ってから間もなく始まり、今でも続いている青葉の習慣の一つ。訓練の時や睡眠の時を除いて、青葉が同室の衣笠たちと一緒にいる時間は、驚く程少ない。鉄の船だった頃から時が経ち、人の形を手に入れて再会できたのに、青葉はちっとも嬉しそうじゃない。一緒にいることを拒むように、青葉は衣笠たちと一緒にいようとしない。別に消灯時刻には帰ってくると分かっているのだが、それまでどこにいるのか。寝床を共にするだけの、妹も知らない姉の行動。

「ほんとに、なんでよ・・・」

その理由が衣笠や古鷹、加古たちには思い当たらず、こうやって姿を消す青葉を探すというのが、非番の日の恒例行事になっている。見つかった試しは一度としてないが。何か嫌われるようなことをしただろうか。でも、青葉は何も教えてくれないし彼らにも思い当たる節はない。それを知るためにも、衣笠たちは姿を消した青葉を探すため、基地の中を歩き始めた。

 

 

 

 

「ふあ~」

 恥じる様子もなく、大口をあけて盛大なあくびをする少女が一人、首からカメラをぶら下げて基地内を歩く。彼女は起床ラッパで目覚める前に布団を抜け出し、基地内を静かに散歩していた。だが、自分の名を呼ぶ大声に驚き、慌てて手近な場所に隠れた。

「はあ、衣笠にも困ったものです。朝からあんな大声で青葉を呼ぶなんて」

原因が自分の行動にあることは脇に置き、ほとぼりが冷めたであろうころを見計らい、愛用していたカメラをもって基地内を散策する。でも、この狭い基地の中では特にネタもなく、カメラのフィルムは一向に減らない。無計画に基地の中をひたすら歩き、無為に時間が過ぎていく。時間が勿体無いとわかっていても、彼女は最近シャッターを押す気になれない。ふと思い立った彼女は、建物の屋上に足を向けた。普段は洗濯物を干すくらいにしか使い道がない場所だが、場所が変わればなにか新しいネタがあるかもしれない。そう考え、足を運んだ。

 階段に、彼女の足音だけが等間隔に響く。屋上へつながるドアの前にたち、少しさびたドアのノブを回した。ドアを開け放つと、海から吹く風で髪が舞い上がる。バタつく髪を抑え、屋上に足を下ろす。洗濯物は一つもなく、ただ何もない殺風景な風景が広がるだけ。でも、そこには先客がいた。先客はカメラを構え、レンズの向く先の風景をフィルムに収めている。よほど集中しているのか、重くて高い金属音をあげるドアがしまっても、一向に気づく気配はない。青葉は無意識にカメラを構え、先客にむけてシャッターを切った。

「ん?」

先客に、シャッターを切った音が聞こえたようだった。

「おやおや。こりゃ油断したな」

先客は、頭をかきながら彼女に歩み寄ってくる。

「こんなところへ何の用だ、青葉」

彼女はカメラをさげ、いたずらの成功した子供のような笑みを浮かべる。

「青葉、見ちゃいましたよ。司令官」

 

「それで、何の用があってここにきたんだ?」

司令官は、クーラーボックスからラムネを取り出して栓を開け、一本を青葉にわたす。

「今日は非番だったはずだぞ」

「非番、といっても、なにかしたいことがあったわけでもないので・・・」

「カメラ片手に、基地の中を歩いていた?」

「はい。この基地は、どこかにいくこともできません。周りに何もありませんしね」

たまに取れる休暇は、艦娘たちにとって、何物にも代え難いものになる。そんな休暇を充実させようと、艦娘たちは休暇申請が通ったら事前調査に余念がない。何をして過ごそうか、何を買いに行こうか。誰を誘おうか。消灯後まで、そんな話に花を咲かせる艦娘は多い。だが、今二人のいる基地があるのは、日本の南端の離島の一つ。元が無人島であったところに基地を作っただけあり、島には無論商業施設などない。必要な物資は、いつも船便か、艦娘の遠征任務の時ドラム缶に詰め込んで届けられる。そんな僻地での非番の日の過ごし方など、読書か、寝るか、自主練か、甘味を楽しむか相場が決まっている。

「そしたら、カメラを構えている司令官という、珍しい被写体に遭遇しまして」

「シャッターを切った?」

「はい、そのとおりです!」

元気のいい声で青葉は言った。

「それにしても、司令官に写真の趣味なんて、あったんですね」

青葉は、司令官が持っているカメラを凝視する。

「しかも、一昔前のフィルム式カメラじゃありませんか。デジタルカメラが当たり前のご時勢で、珍しいですね」

「それはお互い様だろう」

司令官は、青葉が持つ、同じくフィルムを使うカメラを見る。デジカメが当たり前になって久しい中、化石ほど古くはないものの、使う人間の限られるものだった。

「デジタルカメラは、どうも好きになれなくてね」

「どうして、ですか?」

「電子情報は、いつ消えるかもわからない危険性を孕んでいる。少しぶつけただけで、データが破損するかもしれない。そういうものが、どうも信用できなくてね」

「でも、デジタル情報なら、色あせることなく、いつでも同じ写真が印刷できますよ。フィルムの保管ほど手間もいりませんし、長持ちだってします」

「確かにそうだが」

司令官は、屋上の椅子に腰掛け、ラムネを少し飲む。青葉も習って、隣に腰掛ける。

「いつまでも色あせないものが、必ずしもいいとは限らない。人が年をとっていくにつれ、写真だって同じように年をとる」

「でも、それって困りませんか?」

写真は、多くは決定的瞬間など、日常の一幕を切り取った、大事な思い出。それが色あせ、見にくくなるのは困る以外何ものでもないはず。

「場合によるけど、形あるもの、いつかは朽ち果てる。人も、思い出も、記憶も、朽ち果てていつかはなくなる。色褪せることで、味が出るものもあるし、ようやく向き合えるものもある」

司令官はラムネをおくと、ベンチの横に置いていたカバンから、1冊のファイルを取り出した。適当なページを開くと、青葉の前に広げる。

「これは・・・」

青葉は、司令官の開けたファイル、アルバムを覗き込む。そこに収まっている写真は、少し変色してきているものの、まだハッキリ見ることができる。

「私が幼い頃から今まで、ずっと撮影してきたものだよ」

アルバムには、船や飛行機、家族で撮影したのかもしれない集合写真等、色んなものがあった。

「写真はいい。流れていく時間の中で、ある瞬間だけを切り取って、いつでも眺めることができる」

「そうですね。それがやっぱり魅力ですよね」

写真の話題のためか、青葉は笑顔で会話をしてくれる。

「でも、決定的瞬間をとるのは、やっぱり難しいですよね」

「そうだな。この写真なんて、ムササビが飛ぶ瞬間に立ち会えたのに・・・」

ムササビを本でしか知らない青葉は、その写真を食い入るように覗き込む。でも、そこにはよくわからないピンボケ写真が挟まれているだけだった。

「立ち会えたんだが、場所や角度がわるくて、な・・・」

司令官は、片手で握り拳をつくりながら、写真を指差す。それには、ムササビのしっぽと思われる部分しか写っていなかった。

「でも、失敗した写真でも、それはそれで思い入れがある。それを思い出すのも、また楽しい」

司令官はページをめくっていく。

「こうしていると、ハッキリわかるだろ?」

古い写真は、色彩が悪くなっているのに対し、新しいものは写りが鮮明で、細かいところまでわかる。時間の流れを、感じさせるように。

「こうやって、時間の流れを感じる。変かもしれないが、こういうのも、なんだか好きでな。それに、ハッキリとれているか現像するまでわからない。それが不安でもあり、楽しみでもある」

それを聞いた青葉は、少し笑い声を漏らす。

「なにか、変か?」

「司令官って、言っていることが時々ジジくさいですよね?」

人によっては怒りかねない台詞を青葉が言っても、司令官は穏やかな表情のままでいる。

「そうか?」

「だって、電子書籍があるのにわざわざ紙の本を取り寄せますよね?情報端末があるのに、古い型の携帯電話とパソコン持ち歩いていますし。現代の若者らしくないですよ」

青葉の言葉に、司令官は苦笑する。

「よく言われるよ。でも、紙の本の匂いや感触が好きなんだ。電子書籍は便利だけど、なんだか味気なくて」

これまで幾度となく言われたことなのか、司令官に気にした様子はない。

「そういえば、先程は何を撮っていたんですか?」

青葉は、司令官が撮影していたものが気になり、カメラがあった場に立ってその先を眺める。その先に広がる光景を目にして、青葉は顔をこわばらせた。そこには、お茶を飲みながら話に花を咲かせる、この基地の駆逐艦娘たちが見えた。青葉の頭に、嫌な予想が浮かんだのは仕方のないことだろう。

「・・・司令官」

青葉はさびた砲塔のように体を回転させて、司令官に向き直る。彼女は、震える口で言葉を紡いだ。

「まさか・・・」

「なんだ?」

「まさか、盗撮!?」

青葉の言葉に、司令官は口に含んでいたラムネを吹き出した。同時に、飲み込んだラムネが変な場所に入り、含まれる炭酸ガスがはじけて妙な部分を刺激し、胸が痛み、それを体外に排出しようと咳き込む。

「司令官は、そういう趣味がお有りだったんですね!」

「ちょっと待て、そういう趣味ってなんだ!」

「だって、階下には、楽しげに話す駆逐艦の子たちが。そういう趣味があるとしか思えません。は!もしかして青葉、本当に決定的瞬間に立ち会ってしまったんじゃ」

青葉はメモ帳を取り出し、目にも止まらぬ早さでペンを紙面に走らせ始める。

「待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て!」

司令官は、必死になって青葉のメモの手を止めようとする。

「もしかして司令官、青葉も対象なのですか!ストライクゾーンが広くありませんか!?」

「ストライクゾーンってなんだ!誤解だ!盗撮じゃない!」

「盗撮犯は、みんなそう言います!」

「会ったことあるのか!?いや、とにかく誓って盗撮じゃない!」

「何が誤解だというのですか!とにかく、この情報を持ち帰らないと」

「だから誤解だというとるに!後で写真を確認してもいい!だから落ち着いて話しを聞いてくれ!」

傍目から見れば明らかに年下の少女にすがりつく大人という、なんとも情けない構図だが、司令官はなりふり構っていられなかった。ここで青葉を逃せば、後日この噂を広められ、駆逐艦娘たちから冷たい目で見られることは想像に難くない。もし新聞でも書かれようものなら、「司令官にロリコン疑惑!?非番の日に駆逐艦娘を屋上から盗撮 その後記者を襲う」などという記事をだされ、色んな意味で抹殺されかねない。そうならないよう、司令官は青葉を止めるため、必死の形相で立ち向かったのだった。

 

 

「それで、実際は何を撮っていたんですか?」

それから落ち着いた青葉と司令官は、少し間をあけて再び屋上のベンチに座る。青葉に疑いの眼差しを向けられながら、司令官は答える。

「あれだ」

司令官は、ある方向を指差した。でも、そこにはただ何もない空間が広がるだけ。

「何もないですよ」

「あれだよ。目の前の」

「駆逐艦の子たちですか?」

「だ・か・ら、それじゃない。その向こうだ!」

青葉は、その向こうに視線を向ける。でも、やはりなにもない空間が広がるだけ。

「何もないですよ?」

司令官は大きなため息を吐き出す。出来の悪い生徒に頭を悩ませる教師のような仕草に、青葉は少し頬を膨らませる。

「海だよ」

「・・・海?」

「そう。目の前に広がる海原」

この基地の周囲を取り囲む、地球の大部分を占めるという、大きな海原。

「そんなものを撮影しても、つまらなくないですか?」

「なんで?」

「だって、どこを撮影しても同じですよ」

「そうか?」

司令官は、海を、目の前に広がる広大な海原を眺める。基地の沿岸、近くの島、その向こうまで見通すような、そんな視線で。

「海には、色んな表情がある。平穏な海、夕暮れの海、月が写る海、荒れる海。いつみていても、飽きないものだよ」

司令官の言うように、海は色んな顔を持つ。時に、魚介類や塩など、恵をもたらす。その一方、大波や水害などで、人々に牙を向く。どちらも、同じ海のもつ顔だ。水泳に適した、平穏な海。サーフィンに適した波の来る海。月の写る、幻想的な海。引きずり込まれそうな、暗闇の海。時や状況によって、海は様々な顔を見せる。

「まあ、日々海を見ている君たちには、言うまでもないことかな」

「司令官は・・・」

いつの間にか、青葉はうつむいていた。疑いの眼差しではなく、少し表情を曇らせ、司令官に問いかける。

「海が、怖くないんですか?」

青葉の思いもしない質問に、司令官は首をかしげる。

「青葉は、海が怖いのか?」

「質問に質問で返さないでください」

そこには、さきほどまでの笑みを浮かべ、元気そうに振舞っていた青葉はいなかった。何かに怯える少女がいた。艦娘にとって、いや、今の人類にとって、海は決していいものではない。

 深海棲艦。ある日姿を現した未知の敵に人類は制海権を奪われ、対抗するために青葉たちのような存在、艦娘を生み出した。この両者の戦う、生と死の交錯する戦場は、目の前に広がる海原だ。深海棲艦が姿を現してからというもの、海を渡ること、漁を行うことは地獄への片道切符に等しい。日々戦闘が絶えず、安全そうに見えても、船が撃沈されることも少なくない。今の海は、人類を陸に押し込める巨大な牢屋のようなもの。楽しめるような場所ではないことは、想像に難くない。

「・・・そうだな」

司令官は椅子に座り直し、話を続ける。

「正直、怖いかな」

先程の司令官の言葉とはかけ離れた答えに、青葉は彼を見つめる。

「海軍入隊間もない頃、私は船に乗っていた」

司令官はアルバムを手に、あるページを開く。

「これが、その船の写真ですか?」

写真には、灰色に塗られた現代風の船と、その前に並ぶ乗員たちと思しき人々が写っている。人数は、200人弱だろうか。

「ミサイル駆逐艦。名前は、いなづま」

「いなづま、って秘書艦の電ちゃんと同じですね」

「平仮名だけどね。でも、かつて君たちが鉄の船だった当時の名前を、引き継いでいるよ」

すると、青葉は目を輝かせ、司令官に迫る。

「あの、今、引き継いでいるって、いいましたよね?」

青葉に気押され、司令官は黙って頷く。

「あの、あおば、はないんですか?」

引き継いでいるという言葉に反応したのか、青葉は期待に満ちた視線を司令官に向け、答えを待っている。それを裏切る結果になるが、司令官は視線を泳がせながら言った。

「いや~。あおば、は、まだなかったなあ・・・」

「・・・そ、そうですか」

きらきら輝く視線から一転、青葉のささやかな期待は、一瞬にして撃沈されてしまった。

「これは、航海に出る前に、船の前で、みんなで撮影したものなんだ」

司令官は、どの人物が艦長なのか、同期なのかを青葉に説明する。ほぼ全員のことを事細かに覚えているあたり、彼は当時の乗員たちとの仲は良好だったようだった。

「それじゃあ、これは皆さんとの、大事な思い出の1枚なのですね」

「まあ、そうだな」

だが、司令官の言葉はどこか歯切れが悪い。

「それで、ここに写っている皆さんは、今はどうしているのですか?」

何気ない質問だったのかもしれない。司令官は僅かに言葉に詰まった。でも、またいつもの表情に戻って、話を続けた。

「もう、ほとんどはいない」

彼の浮かべる微笑みとはかけ離れた言葉に、青葉は口をあけたまま固まる。

「いなづまに乗っていて、航海が終わるのを目前に控えたとき、深海棲艦の襲撃にあってね」

こともなげに話を続ける司令官に、青葉は固まったように動かない。

「私を含め、数人だけ生き残って、190人近くの乗員たちは皆海に消えた。いなづまと、共に・・・」

ちょっとした世間話でもするかのように、司令官は軽い口調で言い放った。

「これは、彼らと撮った、最初で最後の写真なんだ」

写真も、思い出も、いいことばかりではない。いい思い出だったのに、突如として思い出したくないものに変わることもある。

「みんなで、また平和な海を。そう誓い合った仲間たちも、今はこの写真の中でしか、生きていない」

司令官にとって、仲間たちとの思い出を、彼らの存在を語る、最後の遺品になった瞬間だったのだろう。

「その後は、飛行機勤務になった。その時も、深海棲艦のものと思われる艦載機に襲われて、海に落ちて、何度も陸まで泳いだよ」

「何度も、ですか?」

「何回かは覚えていないけど、6回はあったかな。暗い海を、星を頼りに泳いだ。海の底に引きずり込もうと、海の中に無数の手が見えたこともあった。幻覚だったけど、今でも夢に見る」

深海棲艦の登場により、貿易は勿論、漁業まで影響をうけることになった。加えて、空母級の登場により、空も安全ではなくなった。

「あの時ほど、海がこわいと思ったこともない。先が見通しにくくて黒くて荒れる海は、気を抜けば全てを飲み込んでしまいそうだった。私は一人、冷たい水の中、波に揉まれながら陸地を目指した。あんな経験、もうごめんだよ」

「じゃあ・・・」

青葉は、言葉を選ぶように、聞くのをためらっているように間を置く。司令官は、青葉が言葉を発するまで、じっと待つ。

「そんな怖い思いをしたのに、なんでまだ海軍にいるんですか?近づきたくもないはずでしょう?」

「まあ、そう思ったこともある」

「じゃあ、なんで・・・」

青葉の問いかけを遮り、司令官は話を切り出した。

「私は仲間の犠牲の上に立っている。みんな死に際に、お前は生きろといってくれた。後は頼むとも言った。託されたものがいっぱいあるのに、自分だけ逃げるなんて、私にはできなかった」

司令官は、口調を強めて言った。自分に、言い聞かせるように。

「司令官は、強いんですね」

「強くない。でも、そうしていないと君たちが不安がる。そうするしかないんだ」

それが、誰かを率いる、上にたつということだ。そう最後につぶやいた。

「いいんですか?青葉にそんなこと話してしまって?」

「問題ない。付き合いの長いメンバーは、みんな知っているから」

「む~。青葉だって、司令官との付き合いはそれなりに長いですよ」

古鷹に加古、それに青葉と衣笠の計4隻の艦娘は、この基地でも古参とは言わないまでも、着任してからそれなりに長い。それでも、青葉の司令官に関して知っていることは、多くない。

「でも、私は古鷹たちほど、君のことを知っているわけじゃない。だから、折に触れて話すようにしているんだよ。今みたいにね」

青葉は体をピクリと震わせた。

「そういえば、今日は衣笠に古鷹、加古も非番のはず。一緒に過ごさなくていいのか?」

基地には、数は少ないものの姉妹艦がいる艦娘もいる。非番が重なった日は、一緒に過ごすのは珍しくない。司令官は、ふと青葉の異変に気づいた。青葉はうつむき、体を震わせている。

「青葉?」

何事か、司令官は近づこうとする。その時、青葉が急に顔をあげ、立ち上がった。

「あ、青葉取材に行きます、ではでは!」

青葉は言うなり、走り去ってしまった。

「・・・なんだ?」

突如走り去ってしまった青葉に、取り残された司令官は呆然とする。置かれたラムネの瓶を処分しようと、彼は手を伸ばす。そのとき、青葉が座っていた場所に、黒いメモ帳が置かれているのが目についた。さきほど、青葉が司令官の盗撮疑惑を書きとめようとしていたメモ帳だ。

「忘れ物か、そそっかしい奴め」

あの慌てぶりでは、忘れたことにも気づいていないだろう。届けようと、司令官はそのメモ帳を手にする。すると、中から挟まれていたのであろう紙が、4枚落ちる。それを彼は、指で掴んで拾い上げる。それがなんなのかわかったとき、司令官の顔が驚愕の色に染まった。

「あ・・・」

4枚の紙に驚く司令官が、ゆっくりとした動作で声の方向を見ると、忘れ物に気づき戻ってきた青葉が屋上出入り口に立っていた。

「し、司令官、それ・・・」

青葉が震える指で指す方向には、司令官のもつ手帳、落ちた4枚の紙があった。

「・・・見たんですね?」

「え、いや、その・・・」

青葉の目が細められ、鋭さを増した表情で見つめられ、司令官はたじろぐ。

「見たんですね?」

「あ、その・・・」

「見たんですね!?」

有無を言わさぬ、言い訳を許さない青葉の気迫に、司令官はただただ頷く。青葉は、動けない司令官の手から、手帳と紙を取り戻すと、それを胸に抱きしめる。

「・・・悪い、勝手に見て」

「・・・いいんです。忘れた青葉が悪いんです」

会話が続かず、お互いの間に沈黙が訪れる。

「なあ、青葉」

司令官が声をかけると、青葉は体を震わせる。

「実は、衣笠たちから、相談を受けていてな」

内容が気になるのか、青葉は司令官に顔を向ける。

「君たちが以前いた、呉鎮守府に着任したときから、青葉がよそよそしい。一緒にいようとしない。まるで、壁を作られているようだ、とね。」

思い当たる節があるのか、彼女は表情を曇らせる。

「それと、今日は折角の非番なのに、朝起きたらもうどこかに行ってしまった。見かけたら、居場所を教えて欲しいって言われているんだが・・・」

何も答えない青葉に、司令官は話を続ける。

「君は、なぜ彼女たちに壁を作る?鉄の船だった当時から共に戦った、大事な仲間のはずだ。それに、その写真・・・」

先程司令官が見た青葉の手帳から落ちた4枚の紙は、ただの紙ではなかった。少し色あせた、写真だった。4枚の、全く同じ角度から、同じ被写体を写した、全く同じ4枚の写真。少しよれて、退色し、オイル等の汚れがついていても、それは同じものだった。

「その写真、君に衣笠、古鷹、加古の4人が写っている。場所は、背景の建物からして呉鎮守府。でも、なんで全てを君が持っているんだ?」

青葉はうつむいたまま、何も答えない。

「まさかと思うが、その写真に写っている3人は・・・」

「司令官は・・・」

突如青葉が口を開き、司令官は言葉を切る。

「言いましたよね?」

青葉の声が低くなり、司令官は戸惑う。

「形あるものは、いつか朽ち果てるって。記憶や、思い出も」

「・・・ああ」

それは、先程青葉と話していた中で、司令官が言った言葉。

「私も、そう思っていました。いつか、時間が経てば、自分の中で向き合えるって、そう思っていました」

青葉が振り向き、顔をあげて司令官を見つめる。彼女の顔を見て、司令官は言葉を失った。彼女が、笑いながら、涙を流している。

「でも、この思い出は、朽ちてくれないんです。いえ、朽ちて欲しく、ないんです」

青葉の声に、涙声や震えが混じりはじめる。

「時々、夢にまで見るんです。楽しいはずの思い出なのに、大事な写真のはずなのに、思い出すたびに、見るたびに苦しくて、悲しくて。私、どうしていいか、わからなくて」

いつもの元気な彼女からは、想像もできないほど弱い声。

「沈んだ者は、勝手です。沈まなかった者を呪ったり、憎んだり。特に最後には、勝手に、想いを託して。遺された者が、どう思うかも知らないで!」

悲しんだり、声を荒げたり、青葉はいつも見せない顔をいくつも見せる。いや、これが本来の彼女なのかもしれない。むしろ、いつも笑顔を貼り付けている青葉のほうが、演技なのかもしれないと、司令官は考える。微笑ましい笑みの影に、暗い影があることを隠すために。

「司令官、聞いてくれますか?」

青葉はゆっくり司令官に歩み寄り、彼の胸板にこつんとおでこをぶつける。

「私にとっての、最初の、彼らの話を・・・」

 



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第二話 あの海へ・・・

 数年前の呉鎮守府。あの日も、今日のように、日差しが眩しい時期だった。深海棲艦が現れ、喪失した制海権を奪回しようと、既存の兵器をもって反攻作戦に打って出るが、結果は惨敗。新たな対抗手段として、それまでにない兵器、艦娘が生まれた。対抗手段が見つかったことで、日本は勢いづいた。制海権奪回のため、艦娘の建造、戦力の編成は急務とされ、日々鎮守府に属する艦娘たちは、訓練に明け暮れた。当時呉鎮守府に属していた青葉も、例外ではなかった。

「あづいです~」

例外では、ない、はず。

「もう、重巡が青葉しかいないからって、旗艦や標的を私にばかり押し付けるんだから、神通さんにも困ったものですよ」

青葉の制服は、訓練弾の赤い染料がいたるところについている。艦娘の数が少なく、戦略も手探りだった当時、彼女は貴重な重巡として訓練に引っ張りだこだった。駆逐艦を率いたり、砲撃訓練の標的になったり、そんな日々の繰り返し。あの頃は駆逐艦たちも、貴重な重巡に憧れの視線を向けていた。その視線の前では、演習の誘いを受けて嫌などと言えず、休暇もろくになく訓練漬けの毎日。

「早く着任して欲しいですよ、新しい重巡」

愚痴を言いながら、よそ見をして歩いていたせいだろう。寮に向かおうと建物の角を曲がったとき、なにかに青葉はぶつかり、目から火花が飛ぶような痛みが走った。

「いたた・・・」

青葉は痛みにその場で尻餅をつき、頭を押さえた。

「あ、ご、ごめんなさい。よそ見していて。大丈夫ですか!?」

ぶつかった相手が、青葉に手を差し出してくる。

「大丈夫、です。こちらこそよそ見をしていて、申し訳ないです」

青葉は、差し出された手をとる。引かれて立ち上がり、相手の顔を見る。瞬間、彼女は固まった。自分と同じ色の髪、似た服装。姿形は変わっていても、それが誰であるか、青葉の魂はすぐに答えをはじき出した。

「もしかして、衣笠?」

「え?」

ぶつかった相手と、青葉はお互いしばらく見つめ合う。染料まみれになっている青葉の顔を、ツインテールの少女はまじまじと見つめる。

「青、葉?」

するとぶつかった相手、衣笠は、青葉の首に両腕を回して抱きついた。

「青葉だ!ひさしぶり~」

「久しぶりですね、衣笠」

衣笠は、犬のように青葉の胸に顔を擦り付ける。そんな衣笠の背中に、青葉は優しく腕を回す。鉄の船だった頃以来、久しぶりの再会。青葉にとっては、たったひとりの妹。姿が船から人に変わっていても、彼女は間違わなかった。

「古鷹、加古、青葉見つけたわよ~」

衣笠の声に、青葉は面食らう。衣笠の声に呼ばれ、名前の主二人が駆け寄ってくる。

「古鷹さん、加古・・・」

懐かしい名前を口にすると、青葉の胸の奥底から、何かがこみ上げてくる。

「今日この鎮守府に着任したのよ。これからよろしくね」

笑顔でいう衣笠に対し、青葉はその場で泣き崩れてしまった。感動の再会にいきなり大泣きされてしまい、3人ともどうすればいいのかわからず困惑し、あたふたする。でも、青葉は泣きながらも笑っていた。もう会えないと思っていた。海の底に消えたはずの3人に、再び会えた。しかも、今度は鉄の船じゃない。嬉しさを感じる心に、気持ちを伝える口も、ぬくもりを感じる体もある。青葉は、しばらく衣笠の胸で泣いた。伝えたいことがあった、言いたいことがあった。姉妹艦が続々と着任する中、もし会えたら何を言おうか。いつも彼女は考えていた。なのに、いざその場面に出くわすと、何一つ言葉が出てこない。でも、焦る必要はない。今日からまた、みんなといっしょなのだから。

 

 

「すみません。いきなり、泣いてしまって」

古鷹からハンカチを借り、青葉は涙を拭う。

「では、改めまして」

青葉は、先程までの泣き顔が嘘のように、晴れ渡った空のような笑みを浮かべて言った。

「お久しぶりです、古鷹さん、加古、衣笠。また、よろしくです」

青葉は、心の底からの笑みを浮かべた。再会できた、かつての仲間に向かって。このためなら、2度目の生に意味があったと思えるほどに、彼女は幸福というものを感じた。

「あ、そうだ!?」

青葉は、首から下げていたカメラを手に取る。

「第六戦隊再結成というわけで、一緒に写真撮りませんか?」

誰も反対する理由はなかったようだが、その時になって青葉は自分が染料まみれということを思い出し、疾風のごとく染料をシャワーで流して着替えて戻ってくる。そして、三脚を部屋から持ってきて、高さや角度を調整し、カメラのタイマーをセットする。4人は、肩に腕をまわして横一列に並ぶ。

「は~い、皆さん。笑顔笑顔」

全員が笑顔を浮かべた瞬間、シャッターが切られた。

「写真は現像して、ちゃんと渡しますね」

「なんだか、みんなに再会できたし、もう思い残すこと、ないかも」

「こら加古、不吉なこと言わない」

「あ、古鷹。ごめん、ごめん」

その後、青葉は3人の着任の挨拶をしに、執務室へ案内した。そこで、彼女は思いもしないことを告げられた。

「私が、指導役ですか・・・。3人の」

「ああ」

呉鎮守府の提督は、表情を引き締めていう。

「3ヶ月後、南方の制海権奪回に向けて大攻勢をかける。それにあたって、当鎮守府からも、戦力を派遣することになる」

当時、深海棲艦はまだ駆逐、軽巡、重巡、雷巡、軽空母が確認されていたのみで、戦艦、正規空母は確認されていなかった。艦娘には、戦艦クラスに正規空母クラスが少数ながら存在していたが、戦艦や軽巡、重巡に重きが置かれていた。

「それに、私たちを?」

「ああ。それまでに、3人の練度向上を頼むぞ」

そんなことを告げられてしまった青葉は、帰りの足取りがおぼつかない。3ヶ月で3人の練度をあげ、実戦に参加できるようにする。まして、敵勢力下の南方に派遣できるように。敵に戦艦クラスが確認されていない中、青葉たち重巡クラスを、4隻も遊ばせておく余裕はないということだろうか。でも、青葉の頭の中は、かつての記憶のことでいっぱいだった。南方は、3人の沈んだ場所。そこに再び行かねばならないなど、なんの運命のいたずらなのかと。考えることで頭が処理落ちしそうな青葉は、右手に暖かいぬくもりを感じた。

「青葉、大丈夫だよ」

「古鷹さん、・・・でも」

それでも、青葉の表情は晴れない。

「だって、青葉が鍛えてくれるんだよ。何度傷ついても戦場に舞い戻って、最後まで生き残った青葉が鍛えてくれるなら、きっと今回はみんな帰ってこられる」

古鷹がそう告げると、衣笠と加古も、そうよ、大丈夫だ、と青葉を励ます。3人が、青葉の右手を包み込む。あの時離してしまったものが、今は確かにそこにある。彼女は決めた。

「・・・わかりました」

青葉は、重ねられた手を包む。

「では皆さん、明日から青葉が、皆さんをみっちり鍛えます。ですから、しっかりついてきてください」

全員が頷く。

「ですから、ひとりも欠けることなく、必ず帰ってきましょう」

青葉の言葉に応え、狭い部屋に、少女たちの声が児玉した。

 

 翌日から、青葉は古鷹たちの指導を始めた。基本的な座学から、航法、砲撃等の実技。人の体の扱い方など、自分が知っている限りのことを全て彼女は伝える。雨が降れば海上に出てバランスの取り方を教え、夜間訓練も行った。その甲斐あってか、3人はめきめき腕をあげ、呉鎮守府の期待の星になっていた。

「あ、古鷹砲撃に集中しすぎです、周りをよく見て。衣笠、無駄弾が多いです。加古、航行しながら寝ないでください!」

なっていた、はずだ。訓練に訓練の日々が、ひたすら過ぎていく。日々訓練に明け暮れれば、疲労がたまるのは当然で、訓練をおえ夕食に入浴を済ませると、みんな沈み込むように寝てしまう。

「ふふ」

青葉は、隣で眠る妹、古鷹、加古の布団をなおす。そして、彼らの勉強机に置かれているものを見る。彼らが着任したあの日に撮影した、あの写真を。後日現像して渡していた。

「いつかこの写真を、懐かしく見れる日を、この4人で迎えましょう!」

この写真を渡した日に、彼らはそう誓い合った。青葉は、自分の写真立てを掴み、カレンダーを見る。作戦の決行日は、一週間後に迫っていた。

「でも、今度は大丈夫」

あの地獄の海へと、彼女たちは再び赴く。教えることは全て伝えた。これなら大丈夫。青葉は写真立てを自分の机に静かに戻すと、布団をかぶった。

 それから一週間後、始まった。南方の資源地帯確保のための作戦。貴重な戦艦娘を含め、重巡、軽巡、駆逐まで、投入できる戦力をかき集めて挑んだ大攻勢が、人類の反抗作戦が始まった。

 

 緒戦から、青葉たちは作戦に加わり進撃した。青葉が鍛えた第六戦隊の働きはめざましく、他の鎮守府から派遣された艦娘たちも負けじと戦果をあげる。開戦間もない時は、人類側の連戦連勝だった。快進撃が続き、南方、ショートランドに泊地を構え、連日深海棲艦との戦闘が続いた。何度出撃しても訓練の甲斐あってか、4人揃って帰ってくることができた。それが続くたびに、今度は大丈夫。青葉だけでなく、古鷹に、加古、衣笠も、そう思ったに違いない。泊地での食事を口にするたび、僅かな休息の時間を共に過ごすたびに、青葉は不安を払拭していった。でも、別れの時は、確実にせまっていた。

 ある日の出撃、突如どこからかもわからない砲撃に会い、加古が海の底に消えた。数秒前までそこにいたはずの彼女の突然の轟沈に、青葉たちは声もでず、ただ泊地まで逃げ帰り、呆然とするよりほかなかった。その日を境に、艦娘たちの損害は増大の一途をたどる。原因は、初めて確認された戦艦クラスの深海棲艦、ル級だった。当時戦艦クラスの艦娘は少なく、泊地にいても温存され前線には滅多に出ることはなく、到着まで時間もかかった。加えて、同時期に確認された正規空母級の深海棲艦ヲ級によって、制空権が握られ、本隊に近づくことさえ難しくなった。現状の戦力では厳しいと悟った司令部は、慌てて軽空母、正規空母を問わず、本土から呼び寄せるもすでに遅かった。その間にも減り続ける艦娘、備蓄した資源。残された道は、航空戦力の使えない夜戦をしかけることだけ。その作戦に、青葉たちは赴いた。だが、結果は無残なものだった。   

 ル級の砲撃から青葉を守るため、探照灯を照射した古鷹は集中砲火を浴び、轟沈。青葉も大破。衣笠が懸命に応戦するも、本隊に迫ることはできず、相手に損害を与えられたのかさえわからなかった。沈む古鷹を前にして、青葉は衣笠に手を引かれ、泊地へと逃げ帰った。

「青葉、ちゃんと休んでいてね」

「衣笠・・・」

「そんな顔しないの」

入渠のために病院着のような服に着替えさせられ、ベッドで死人のような顔をしている青葉の頬を、衣笠はつねった。

「安心して。ちゃちゃっと行って、敵の飛行場を破壊してくるだけだから」

空母艦娘の到着を待てない司令部は、敵空母の撃沈と、飛行場の破壊を最優先にしていた。

「でも、私たちには空母がいないんですよ。そんな中いけば、どうなるかなんて・・・」

「こら、不吉なこと言わないの」

青葉の唇に人差し指をあて、それ以上の言葉をとめた。

「安心して。機銃は沢山積んだし、訓練もした。それに、青葉が鍛えてくれたのよ。さっさと任務終わらせて、帰ってくるから」

衣笠の制服の袖を、青葉は掴んで引き止める。

「絶対ですよ。衣笠まで、沈んだら」

「青葉!」

衣笠は、青葉のおでこを軽く小突いた。

「妹のことが信じられないの?お姉ちゃん」

そういわれてしまっては、姉として青葉は何も言えなかった。

「衣笠は卑怯ですよ。こんな時に、お姉ちゃんなんて」

沈んだ表情の青葉に、衣笠は微笑む。

「大丈夫よ。衣笠さんに任せて」

それが、青葉が見た、妹の最後の笑みだった。敵艦載機の爆撃やル級の砲撃によって、衣笠が轟沈した報を青葉が聞いたのは、彼女が出撃した翌日のことだった。

 



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第三話 水底からの声

青葉は浜辺で一人、手にした写真を虚ろな瞳で見つめ、写る3人を指でなぞる。

「古鷹さん・・・、加古・・・、衣笠・・・」

4人が揃った時に一緒に撮って、いつかこの写真を懐かしく見られるときがやってくる。その時まで、全員で生き残る。そう誓い合った、はずだった。青葉の瞳からこぼれ落ちた雫が頬を滴りおち、砂浜に落ちて吸い込まれる。

「う、うう・・・」

一度結界したダムは、せき止められない。青葉は声を押し殺し、一人波打ち際で涙を流した。今度は大丈夫。そう思った。そうなるよう必死に訓練した。できる限りのことを教えた。なのに、蓋を開ければ自分だけがまた遺された。かつての戦いの時のように、みんないなくなって、自分だけが生き残った。味方を失い、命からがら日本に帰り着いたのに、そんな自分を動かす油はもうなく、呉の港で砲台として係留された。沈んだ仲間の一人の名前の由来となった、古鷹山を見続けることが、彼女の最後の役割だった。

「何も、変わらなかった。何も、何も・・・」

悲しみにくれる青葉の耳に突如、警報が鳴り響くのが聞こえた。

「敵襲!?」

地面が大きく揺れ、遅れて空気を震わす轟音が水平線の彼方から鳴り響く。泊地の施設が破壊され、浮き足立った艦娘たちが入り乱れて走り回る。青葉は自分の部屋に走った。いそいで病院着を脱ぎ捨て、いつもの制服に着替える。そんな中、放送が入った。泊地に設置されたスピーカーから聞こえた声に、青葉は耳を疑った。

 泊地の放棄の決定。重巡以下の艦娘は、司令部や戦艦娘の撤退までの時間稼ぎを行うこと。相手はル級を含む強力な水上戦力。にもかかわらず、戦艦クラスは結局戦闘に参加せず撤退。しかも、低速の戦艦クラスや司令部の人員が撤退するまでの時間を稼ぐなど、容易な話しではない。下手をすれば全滅する。それが最善だとしても、青葉の心は、荒波がたったように乱れていた。青葉は、奥歯を噛み締める。

「なんのために、なんのために・・・」

青葉は、古鷹たちのことを思い出す。このまま泊地を放棄したら、彼女たちの犠牲は、沈んだ者たちは、なんのために・・・。でも、選択の余地はなかった。身支度を終えた青葉は、部屋を出ようとドアノブに手をかける。そのときふと、あるものが目にとまった。それは、3人の残していった写真。3人が存在したという、数少ない証明。数少ない、彼らとの思い出。彼女は、3人の写真とカメラを手早く掴み、防水バッグに押し込んで口を締める。そのまま工廠に向かい、装備を受け取る。入渠を途中で打ち切ってしまったため全快ではないが、時間を稼ぐことぐらいはできる。

「青葉、出撃します」

桟橋から海面に着水して外洋に出ると、あの夜戦で取り逃がしたル級が、海上を悠然と進んでいた。周囲に、軽巡や駆逐イ級を従えて。古鷹を、加古を、衣笠を、仲間を沈めた深海棲艦が、青葉の目の前にいる。

 青葉は奥歯を噛み締め、胸の奥底から湧き上がってくるものをこらえる。主砲を構え、砲戦を開始する。重巡の大型の主砲の砲撃音が鳴り、砲弾は周囲の随伴艦を無視し、ル級に命中する。

「なんで、どうして・・・」

だが、ル級の硬い外殻や船を立てたような砲塔が盾の役割も果たし、有効打にならない。他の駆逐艦や軽巡たちも応戦を始めるが、敵が損傷を受けているようには見えない。そんな中、ル級が咆哮をあげた。地獄のそこから響くような高くも、体に響く独特の声に、青葉は体の底から恐怖のようなものが湧き上がるのを感じた。足が震え、体が硬直する。ル級の主砲が火を噴いた。

 彼女の主砲よりも大きなそれが巨大な砲弾を放ち、直後に耳を塞ぎたくなるような轟音が鳴り、爆風が海面を揺らす。放たれた砲弾は青葉の後方に着弾する。大きな水柱が何本もたち、着水の衝撃で海面が激しくうねって彼女の体を揺らし、何度も海水を頭からかぶる。波に揉まれる中青葉は、体を安定させようと必死になる。うねりが治まったところで、彼女は周囲を見渡す。そこに広がった光景を見て、言葉を失った。さっきまで戦っていた駆逐艦をはじめとした仲間たちが、海面を漂っている。

「そ、そんな・・・」

中には大破し、海に沈みゆく者もいる。戦えるのは、青葉一人だけ。彼女は恐怖で震える体を、逃げ出したくなる足を必死に押さえつけ、主砲を敵に向け、砲撃を再開する。だが、もう勝てる相手ではない。被弾しなくても、間近に着弾した戦艦の主砲弾の作りだす海面のうねりで体は揺れ、吹き飛ばされる。加えて、随伴艦も砲撃してくる。力でも数でも不利では、もう勝目はない。懸命に回避行動をとるも、ル級の砲撃が青葉をかすめ、主砲の砲身が曲がり、艤装が損傷を受ける。体が吹き飛ばされ、何度も海面を転げまわる。

 度重なる被弾で服は破れ、艤装は損傷がひどく、残弾も多くない。それでもまだ機関はかろうじて無事なのか、体は沈まない。満身創痍の状態になった青葉は、海面に仰向けになって漂う。どうやっても、敵を倒す方法が思いつかない。もう、戦う気力もない。勝目もない。

「ここまで、ですか・・・」

一人、諦めの言葉を呟く青葉。でも、青葉の心は不思議と、もう恐怖に震えてはいなかった。呉の港で砲台として過ごし、最後に爆撃で大破着底したかつてとは違う。今度は、自分も逝ける。戦った結果、自分も沈む。古鷹や加古、衣笠のいる、南方の海の底へ。みんなの元へ。

「・・・待っていて、くださいね」

砲撃音が海や大気を揺らす中、青葉は目を閉じ、最後の瞬間が訪れるのをまつ。

「青葉も、行きますから、ね」

すべての感覚を手放し、最後の瞬間が訪れるのを青葉はただ待つ。沈むときは、痛いのだろうか。沈んだら、どこにいくのだろうか。沈んだら、自分はどうなるのか。そんな些細な疑問が、彼女の頭に浮かんでは消える。ル級たちが、彼女にむかって距離を詰めてくる。そのとき、水の中から声が聞こえた。

 脳内に直接届いたように感じたのは、聞き覚えのある声。水底から響いたような声に、青葉は目を見開く。無意識に彼女は、自分の制服の胸ポケットに手を当てる。確かに感じる、僅かな厚み。ポケットには、取材に備えて常に肌身離さず持っている手帳が入っている。そしてその手帳の中には、沈んだ3人との思い出も。ふと、彼女は思った。

 ここで沈んだら、誰が、彼女たちの最後を伝える?誰が、覚えている?彼女たちが、ここにいたことを。青葉の脳裏に、彼らと過ごした日々がよぎる。わずか3ヶ月たらずであっても、青葉にとって彼らと過ごした時間は、かけがえのないものだった。もし彼女が沈めば、その記憶はここで潰える。ここで沈んでこれまでのことを、全て無かったことにしていいのか。

「・・・みんな」

青葉は痛む体に鞭打って海面に立ち上がると、まだ使える主砲をつかって、ありったけの砲弾をル級に放った。また、同じように砲弾が阻まれる。それは、彼女も承知のはず。残弾が少なくなる中、有効打にならなくても、青葉は移動しながらの砲撃を止めない。それでよかった。彼女の目的は、別のところにあった。少なくとも、少しは時間が稼げたはず。その間に、青葉の周りに黒煙が立ち込めてきた。

 砲弾を放ちながら、青葉は急いで機関の出力をあげ、煙突から出る黒煙の量をふやしていた。次いで何度もその場周辺をまわって煙幕をはる。十分に煙幕をはると、ル級に背を向けて彼女は一目散に逃げ出した。後方では、またル級の主砲の轟音が鳴り響く。砲撃を回避するために、青葉は海上を蛇行しながら進む。機関は無事だが、部分的に損傷しているのか浮力が安定せず、何度もバランスを崩しては転びそうになる。だが彼女は速度を落とさず、何度も転倒しそうになりながらも、ル級の射程範囲外へと逃げ切ったのだった。

 

 結局、南方への大攻勢は失敗におわり、多くの資源と、艦娘を失うという結果に終わった。青葉は修理を繰り返し、呉に命からがら帰還した。

 だがその彼女を待っていたのは、生き残ったことに対する賞賛ではなく、逃げ帰ったことに対する侮蔑の視線や陰口。そして、古鷹たちの遺品整理という、気の進まない作業だった。

 



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第四話 離れゆく心

 4人分のベッドと机が置かれている部屋で、青葉は静かに作業を進める。彼らの、沈んだ古鷹たちの遺品を、ダンボールに一つずつ詰めていく。とは言っても、古鷹たちは着任から間もないということもあり、遺品はほとんどない。勉強ノートや日記などしかなく、2つほどのダンボールに、全てが収まってしまった。この世に存在したことが、まるで夢や幻であったかのように。その中の一冊を手に取ると、青葉は体の底からこみ上げてくるものを感じた。

「古鷹さん、加古、衣笠・・・」

青葉はハッキリ覚えている。着任した日に、一緒に並んで写真を撮ったことを。今度は一緒に生き残ろうと、共に鍛え合った日々を。夜気持ちよさそうに眠る、加古の寝顔を。青葉を励まそうと手を握ってくれた時に感じた、古鷹のぬくもりを。姉を励まそうと微笑んだ、衣笠の最後の笑みを。彼らとの過ごした日々を、大事な記憶を、無かったことになど、青葉はできなかった。

 ふと、彼女は思い立って自分のカバンをあけて、3人の写真を取り出す。急いでカバンに放り込んだ上に、戦闘にも巻き込まれたからフレームやガラスが破損している。でもこれは、4人の大事な、数少ない思い出。青葉は、写真立ての裏面の蓋を開け、中身の写真を取り出し、アルバムにでも保管しようと考える。裏蓋を開けると、青葉はそこで動けなくなった。

「・・・これは」

写真の裏面には、彼らが着任した日付と、短い言葉が書かれていた。

「青葉と一緒に、今度は生き残る」

青葉はもしやと思い、残りの二つも裏蓋を開ける。

「みんなと一緒に寝られる 今度は、いい夢が見られる」

「青葉を、お姉ちゃんを、一人にしない」

それぞれの写真の裏には、持ち主の決意が、願いが書かれていた。それを見た青葉は、次第に視界がにじみ、文字が読めなくなった。

「・・・みんな」

彼女は、写真を胸に抱いた。そのまま、彼女は床にうずくまり、ひとり、涙を流した。でも、彼らが着任した日に青葉が感じたぬくもりは、もうない。慰めてくれる優しい声も、頭や背中をなでてくれる手も、もう、何一つ。この部屋に、彼らは帰ってこない。でも、彼らは確かに存在した。青葉の胸に抱く写真が、大事な思い出が、青葉に一層その事実を突きつける。彼らはもう、いないということを。

 

 

 

「はじめまして、青葉」

青葉は、脳天に雷が落ちたような衝撃に、体が動かなかった。かつての3人と、寸分違わぬ姿をした3人が、そこにいた。

「ちょっと青葉、この姿で初めての再会なんだから、もう少し嬉しそうにしたら?」

「あ~、眠い」

「ちょっと加古、折角初めての再会なんだから起きて」

青葉の頭は、目の前の出来事を受け入れるのに精一杯で、他のことに処理能力をさけないでいた。

「ああ、そうですね」

青葉は、なんとか笑みを顔に貼り付け、言った。

「古鷹、加古、衣笠、お久しぶりです。またよろしくです」

照りつける日の光によって陰った顔で、引きつった笑みで青葉は、なんとかその言葉だけをひねり出した。

 そしてまた、彼女は新たに着任した古鷹たちの指導役を任された。でも、意気込んでいたかつてと違い、青葉は次第に彼らと距離をとるようになり、部屋にこもりがちになった。彼女は苦しんでいた。記憶の中に生きるかつての古鷹たちと、今目の前にいる古鷹たちとの違いに。記憶の軋轢に。

 何気ない仕草、考えるときの癖、言葉の反応、味覚、服を着る順序・・・。どんなに微細であっても、青葉はそういった違いが、次第に目に付くようになった。姿形は同じでも、艦の頃の記憶は同じでも、他は同じじゃない。それによって生じる違いが、彼女を困惑させた。その記憶との違いに耐えられず、彼らから青葉は次第に遠ざかっていった。

「ねえ、青葉。訓練の時間よ」

衣笠が訓練開始の時間を伝えるが、青葉は机に突っ伏したまま動こうとしない。

「ちょっと聞いているの」

「聞いていますよ、衣笠。訓練メニューは、ちゃんと渡しましたよ」

机に突っ伏したまま顔を上げず、曇った声で青葉は応えた。

「青葉に教えて欲しいって言っているの」

でも、青葉は動こうとしなかった。そんな姉の様子に、衣笠はどうしたものかとため息をはく。ふと、衣笠は机の上の倒されている写真立てに目がいった。彼女は、それを持ち上げた。

「この写真、こんなの撮ったっけ?」

青葉はすばやい動きで、衣笠の手から写真を奪い返した。

「触るな!」

姉の敵を見るような鋭い視線と声に、衣笠は首をすくませる。

「ご、ごめん・・・」

衣笠は両手を前にだし、降参の意志を送る。

「ねえ、その写真に写っているのって、誰?」

「・・・話すことはありません」

青葉は彼女に背を向けて、そっけない言葉で応える。

「妹にも言えないの?」

「・・・はい」

「たった一人の、妹なのよ」

たった一人。その言葉が、青葉を激高させた。

「私の妹はもういませんよ!」

衣笠は、一瞬目を見開いたが、表情を曇らせ、「そう」とだけ言い残して部屋を静かに出て行った。扉が締まる音と、足音が遠ざかるのを耳にすると、青葉はその場に膝をついた。

「何しているんでしょう、青葉は」

本当は、妹に全てを打ち明けたかった。今の古鷹たちに甘えたかった。でも、それはできない。今の彼らと仲良くなる。かつて失った古鷹たちと、同じ姿をした彼らと。それは、沈んだ彼らとの思い出の絵に、新たな絵の具で上書きをして塗りつぶしてしまうような行為だと、彼女は思っていた。そんなことをすれば、海に消えた彼らは、永遠にこの世界から消えてしまう。だから、青葉だけは忘れるわけにはいかない。

 でも、今のままでは、古鷹たちとの仲は悪くなるだけ。かつて大事だった古鷹たちと同じ姿をした彼らと、反目し合う。そんなこと、青葉には到底耐えられない。でも、彼女は認めたくなかった。青葉が一緒に居たいと願った彼らは、もうこの世界のどこにもいないという事実を、彼女は受け入れられなかった。

「どうすれば、いいんですか・・・」

静かな部屋で、青葉はひとりつぶやいた。

 

 

「転属、ですか・・・」

司令官は黙って頷いた。ある日の朝、秘書艦から呼び出しを受けた青葉は、執務室で司令官から転属の旨を告げられた。理由は、古鷹たちの指導をおろそかにしていること、やる気が見られないなどが理由だという。それだけでも納得できる話ではあるが、青葉は独自の情報網でもう一つ理由があることを知っていた。最近、利根型、高雄型、妙高型等新型の重巡の建造に成功し、配備が始まる予定であること。それを受け入れるためにも、能力の劣る艦娘をどこかへ送らなければならない。各鎮守府等が持てる艦娘の数は決まっている。つまり、性能の低い青葉はお払い箱ということになる。それを口にしなくても、彼女を転属させるにはちょうどいい理由もある。

「・・・わかりました。明日の朝、鎮守府を発ちます」

青葉は、淡々と答えた。

「急ぐ必要はないんだぞ。期限までは、まだある」

「別に。ご命令ですから」

秘書艦から必要な書類を受け取った青葉は、執務室をあとにした。

 自室に入ると、青葉と同室の古鷹たちが椅子から立ち上がり、神妙な面持ちで青葉を見つめる。

「どうしたんですか、皆さん?」

青葉が笑みを貼り付けて問いかけると、古鷹が両手を拳の形に握り締めながら、青葉に言った。

「青葉、転属するってきいたけど・・・」

「ええ、そうですよ。古鷹さん」

今更隠すこともないだろうと、青葉はあっさり肯定する。すると、いつも眠そうにしている加古が、真剣な顔つきで青葉の胸倉を掴んだ。

「青葉、なんで勝手に転属なんて決めた。私らに何もいわずに」

「ご命令ですから」

「私たちの指導を投げ出してか?」

「優秀な重巡が配備されるそうですから、その方たちの方が青葉より適任ですよ」

加古が奥歯を噛み締め、青葉を掴んでいない右手で拳を作る。

「私たちは、青葉がいいって言っているの」

衣笠が加古の手を払い除け、青葉の両肩を掴んで向かい合う。

「青葉に、教えを請わないほうがいいですよ」

「・・・なんでよ」

「青葉が教えることなんて、なんの役にも立ちませんから」

彼女は知りうる限りの、全てを彼らに伝えたはずだった。でも、その彼らは皆、海の底に消えた。そんな教えなど、何の意味もないと青葉は考えていた。部屋に、乾いた音が響いた。衣笠が、青葉の左頬を張り飛ばした。

「どうしたのよ。どうしちゃったのよ、青葉」

「・・・どうしたんですか、衣笠。折角の美人が台無しですよ」

今度は、右頬が打たれた。

「なんで、なんで何も言ってくれないの!そんなに、私たちのこと頼りないの?」

「・・・はい」

衣笠は、再び右手を振り上げた。それを、古鷹が掴んだ。

「古鷹、離して!」

「ダメだよ、これ以上は」

青葉は、ふらつきながら立ち上がる。

「とにかく、もうこれは決定事項です。もう覆りません。明日の朝、青葉は呉を発ちます」

青葉は、精一杯の笑みを浮かべて言った。

「皆さん、お元気で」

雫がたれそうになるのを、必死にこらえながら。古鷹たちは、無言で部屋を出て行くより他なかった。

 翌朝、青葉は早くに部屋を出た。私物と呼ばれるものはほとんどなく、背中に背負ったリュックに収まる程度の量だけ。中にはカメラと、あの3枚の写真が入っている。彼女は、鎮守府の門の前で立ち止まって振り返る。もう、帰ってくることもないだろう。新たな配属先は、日本本土から離れ、南端に存在する孤島にある基地で、艦娘の墓場と呼ばれ、再訓練場という名の最前線基地。お似合いだと思った。彼女は、鎮守府の背後に見える山を見上げた。仲間の一人の名前の由来になった山、古鷹山。せめてもの救いは、これを見続けなくていいということだろうか。そしてこれで自分も、沈んだ彼らの元に、今度は行けるのかもしれない。あの時は、ル級を前に諦めた自分を励ましてくれた声を裏切ることになるが、やっぱり一人は辛い。

「やっぱり、もう一度、会いたいです。どんな形でも、構いませんから・・・」

それがたとえ、冷たく、暗い海の底に沈むことであろうとも、今の青葉には些細な問題だった。彼女は、静かに呉をあとにした。

 



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第五話 たった一つのこと

「そして、この基地にやってきた、と?」

「・・・はい」

「遅れて、古鷹たちがやってきたのも、君を追いかけてきたからか」

「・・・多分、そうです」

 青葉の手に握られた2本目のラムネは、弾ける炭酸の勢いは弱まり、すっかりぬるくなってしまっている。

「青葉は怖かったんです。今の古鷹たちとの新しい思い出を築いていくことで、沈んだ古鷹たちとの思い出が、少しずつでも、消えていってしまうんじゃないかって」

 形があろうとなかろうと、どんなものもいずれ寿命が来て無くなる。でも、たとえそうであっても、分かっていても消えて欲しくないものはある。それが、もう手に入れられないものなら、なおさら。

「時間が解決してくれるかも。そう思ったこともあったんですが、このままじゃ、今の古鷹たちとの仲は悪くなるだけです。分かっていても、沈んでいった彼らとつい重ねてしまうんです。昔の古鷹はああだった、加古はこうだった、衣笠はこうしたって」

 青葉は体を傾け、司令官にもたれかかる。

「司令官、なんで今の青葉たちは、人の形を得て生まれたのでしょうね?」

 司令官は、青葉の方を目だけ動かして見る。

「なんで、鉄の艦の姿じゃなかったのでしょうね?なんで、心なんてものを持ったのでしょうね」

 青葉の声には、次第に震えが混じってきた。

「こんな思いするくらいなら、何も変わらないなら、二度目の生なんて、心なんて、何もいらなかったです!司令官が乗っていた、いなづまのように、鉄の艦で良かったんですよ!」

 青葉は、司令官の右腕にすがりつく。固く閉じられた二つの瞳から雫が溢れ出し、頬を伝って彼女と、司令官の服に小さな染みをつくる。彼は、司令官は一言も言葉を発さなかった。

 人間は、死んだら二度と生き返ることはない。それは、この世界の、自然の摂理だ。でも、それが分かっていても、人々の願いは今も昔も変わらない。

 

 一度でいい。もう一度でいいから、先に逝った人と、もう一度会いたい。話をしたい。声を、言葉を聞かせて欲しい。

 

 科学や医療が発達した現在であっても、復活の思想や死後の世界というものを未だに信じ続けるのも、そう思わなくては、遺された者たちは生きていけない。大事な人の死に区切りをつけることはできても、乗り越えられるほど、人間も、艦娘も強くない。

 心をもってしまったが故に生じた、青葉の苦しみ。かつてと同じ歴史を繰り返したくないと願ったが、また同じように仲間を失い、同じように遺された。

 他の兵器のように次々生み出される艦娘だが、遺されたものにとって、新たに建造された彼らは同じじゃない。姿形は同じであろうとも、青葉にとって一緒に居たいと願った古鷹たちは、海に消えた古鷹たちであって、今の古鷹たちじゃない。

 なぜ同じことを繰り返させるために、何のために2度目の生を受けたのか。青葉は、答えの出ない、先の見えない迷路に迷い込んでしまっている。

「どうすればいいか、わからないんです。司令官・・・」

 司令官は青葉の頭に手を置いて、静かに言った。

 

「じゃあ、どちらも大事にすることだ」

 

 青葉はキョトンとした表情で口を僅かに開けたまま、司令官を見上げる。

「確かに、青葉にとって今の古鷹たちは、かつての古鷹たちとは違うだろう」

 青葉は、黙って頷く。

「じゃあ、今青葉と一緒にいる彼らは、誰だ?」

 青葉はしばらく考え込むが、少しすると言葉を返した。

「古鷹に、加古に・・、衣笠です」

「そうだ」

 司令官は表情を引き締め、青葉と向き合う。

「彼らは、古鷹、加古、衣笠以外何者でもない。たとえ、君の記憶にある彼らとは違っても、それは事実だ。姉妹艦の君が、それを認めないでどうする?」

 それを聞いた青葉は、立ち上がって司令官を睨みつける。

「じゃあ司令官は、海に消えた古鷹たちのことは、忘れろというんですか!?」

「そうは言わない」

 声を荒げ、今にでも噛み付かんとする青葉に、司令官は静かに返す。

「海に消えた彼らも、古鷹、加古、衣笠だった。それもまた、紛れもない事実だ」

「・・・何が言いたいんですか?なんでそう言えるんですか!?」

 青葉の司令官を見つめる視線が、次第に鋭さを増してくる。

「艦娘は、かつて沈んだ艦の記憶をもつ者である。これはわかっているな。当人に聞くのは変だが」

 青葉は、険しい表情のまま頷く。

「当時鉄の艦だった君が、どこで作られ、さきの戦いでどんな海戦に参加し、どんな最後を迎えたか。それが君たちのもつ最初の記憶になる」

「はい。それは、今の古鷹たちも、前の古鷹たちも同じ内容でした」

「記憶は、ただの記録みたいなものだ。君の最初の姿、重巡青葉は、この世に1隻しか存在しなかった。それは古鷹に加古も、衣笠も、他の艦娘ももちろんそうだ。なら、その記憶に違いは生じない」

 記憶は、起こった事実や経験を、自分の目を通して見たまま記録したもの。青葉という艦が1隻しかないなら、その艦の経験や歩んだ道も1つしかない。

「艦の記憶が同じであること。それが、彼らもまた古鷹たちであるという証拠だ」

「それじゃあ、青葉が感じた、今と、沈んだ古鷹たちとの違いは何ですか!」

 青葉は確かに沈んだ古鷹たちと、今の古鷹たちとの違いを目にしている。記憶や姿が同じであっても生じるその違いは、どこからやってくるのか。

「艦が歩んだ道、記憶は一つであっても、そこに込められた想いは、必ずしも一つじゃない」

 結論を先に言わない司令官に焦れながらも、青葉は先を促す。

「記録は一つしかない。でも、込められた、宿った想いはそうじゃない。人間の中にだって、喜びや悲しみ、苦しみ、憎しみ。一人の人間の中に、いくつもそういった顔がある。艦娘だって、いくつも顔を持つのは変わらない」

 先程まで青葉は、司令官の前で泣いたり、笑ったり、色んな顔を見せていた。

「君たちの心、想いの根本は、当時関わった人々の想いだろう。敵を倒すことに躍起になった乗員もいれば、無念のまま沈んだ乗員、国に帰りたかった乗員、勝つことを信じて君たちを直した、作った者たちだって、いたと思う」

 人の数だけ、想いがある。人が集まれば、それだけ想いも増える。この国には、使い込まれた道具には、魂が宿るという考えがある。青葉たちも、乗員たちの数だけ、想いがやどっていたのかもしれない。

「私の私見になるが、艦娘は、一隻の艦に宿った数多の想いの、欠片が作り出したものじゃないか。そう考えているんだ」

「欠片・・・」

「根源となる艦は同じでも、元になった欠片が違う。それが、沈んだ古鷹たちと、今の古鷹たちとの違いを生んでいるのかもしれない」

 司令官はあくまで可能性としながらも、青葉は反論をしない。その彼女の頭に、ふと疑問が浮かび上がった。

「それじゃあ、欠片が違えば、深海棲艦にも、なるんですか?」

「なんでそう思う?」

 司令官は青葉をじっと見つめ、彼女が応えるのを待つ。

「ル級と戦って海面を漂っていたとき、水の中から、声が聞こえたんです。立って、諦めるな、沈んじゃダメって」

 青葉が参加したという南方への侵攻の話を、司令官は思い出す。彼は、その言葉が誰からのものであったのか察した。

「そのとき、もう一つ聞こえたんです。おいで、おいで、こっちにおいでって。水底に引き込まれそうな、そんな声でした」

 司令官は、ある噂を思い出す。艦娘に関わる者、艦娘たちの間でもまことしやかに囁かれている。

 

 深海棲艦は、沈んだ艦娘たちの成れの果てであるという噂。

 

 青葉の聞いた、相反する二つの言葉。励ましと、誘い。根源が同じだからこそ、艦娘と深海棲艦が本質的には同じだからこそ、誘いの言葉は、青葉に届いた。根源が同じでも、そこには様々な想いがあるからこそ、一方は鼓舞し、一方は引きずり込もうとする。彼女の聞いた声は、その噂に裏付けを与えているように聞こえる。

「司令官は、どう考えますか?」

「・・・わからない。だが、深海棲艦の出現地点の多くが、かつて海戦があった場所であること。そして、艦娘の建造に躍起になっているのに、相手は底なしのように次々湧いてくる。沈んだ艦娘であるなら、明らかに数が合わないほどに。なら、一つの可能性が考えられる」

 青葉は司令官を見つめ、彼が言葉を発するのを、固唾を呑んで見守る。

「深海棲艦は、かつて沈んだ鉄の艦であった君たちに宿った、乗員たちの想いや、遺された者たちの数多の想い。悲しみや憎しみ、孤独、後悔といった負の感情の、欠片が生み出したもの」

 あくまで、仮説。司令官は、そう念を押す。

「逆に艦娘は、国を守りたい。大事な人を守りたい。そういった、正の感情の欠片である。そういう可能性だ」

 司令官の答えを、青葉は黙って飲み込む。欠片であるのなら、数が合わなくても、多少は理解できる。それに、これに対する反証を、彼女はできなかった。

「青葉も、他のみんなも、そういった想いの欠片の一つなのでしょうか?」

青葉は、胸に手を当てる。自分に宿る、かつての鉄の艦、重巡洋艦青葉の欠片の一つにふれるように。

「かもしれない」

「沈んだ古鷹たちも、今の古鷹たちも、根源は同じ。ただ、宿った欠片が、違うだけで」

 青葉は、静かにつぶやいた。静かな声でも、自分に言い聞かせるように、芯のある声で。

「根源の艦が同じでも、姿形が同じでも、君は今の古鷹たちと、沈んだ古鷹たちの違いを目にしている。異なる可能性があるとすれば、そこだと思う」

 欠片が違えば、同じになるとは限らない。それが、司令官の推測だった。深海棲艦も艦娘も、根源は同じ。だとすれば、一つの疑問が青葉に生じた。

 

「でも、欠片の違いで方や艦娘、方や深海棲艦になるとすれば、なんで、この国を、故郷を攻撃するんですか?なんで、守りたかった故郷に、そんなことを?」

 

 青葉の疑問に、司令官は表情を曇らせる。

「たとえ憎しみや悲しみと言った負の感情が宿ったとしても、青葉たちはこの国を守るために作られ、乗員たちだって、そのために戦いました。なのに、どうして・・・」

国を守るために、青葉たちは作られた。敵から何かを守る。それは軍艦に限らず、兵器の存在意義そのものになる。司令官は、俯きながら静かに言った。

 

「この国は、かつて戦死者たちを、適切に埋葬できなかった」

 

 その言葉の意味がすぐにはわからず、青葉は首をかしげて疑問符を頭に浮かべる。

「でも、各地に慰霊碑はありますし、定期的に法要だって行われていますよ」

「確かにそうだ」

 終戦のあった8月。その月が来れば、政府の閣僚も参加して毎年追悼式が行われ、各地の慰霊碑や神社でも行われる。それは、現在も変わらない。

「だが、他の国とは違い、この国は過去の総括や検証をまともにやらなかった。あの戦争は自衛戦争だったと言い張る者もいれば、侵略戦争だったと認めるべきだ。そういう者もいる。アジア解放のためだ等、あげればキリがない。長い時間だけがすぎ、結局統一された見解は出なかった」

 青葉は、司令官の口から出た言葉が信じられなかった。

「他国の顔色をうかがい、他国におもね、発言は風見鶏のように変わる。談話を引き継ぐか変えるかで揉め、神社を参拝するかどうかで揉める。戦後数十年以上が経過しようとも、国は過去の総括さえできず、政治上の詭弁しかできなかった。特攻一つとっても、総括ができていない」

「・・・そんな」

 青葉の表情は、険しいものから次第に驚きの色に染まっていく。

「結局、時の流れに翻弄され、当時を知るものたちはいなくなり、語り手もいなくなった。かつて戦争があった。君たちが戦ったことは、教科書に収録されている膨大な用語の中に埋もれてしまった。そんな彼らを覚えていて、省みるものたちなど、もういない」

 青葉は言葉が出なかった。自分たちの行いを、誰も覚えてくれてない。

 

 自分の人生を、命をかけて戦った乗員たち。

 最愛の人を故郷に残したまま、亡くなった者。

 

 軍艦乗りだけではない。

 

 物資輸送という多大な貢献をしながら、歴史の表舞台に記録されることなく消えていった、商船の人々。

 勝つことを信じ、日々試行錯誤を繰り返した兵器の技術者たち。

 戦場に行った、大事な家族の帰りを待っていた遺族たち。

 

 上げればキリがない様々な人々の想いは、努力は、何のためにあったのか。答えてくれる者は、もうどこにもいない。

「時間が経過してからは、なんであんな馬鹿なことやったんだろう。そんな一言で済まされるご時勢にも、いつしかなっていった」

「じゃあ、青葉たちは、なんのために・・・」

「・・・だからかもしれないな」

 司令官は静かにつぶやき、空に、海原に目を向ける。

「深海棲艦が、この国を襲ってきたのは」

 青葉は、黙って言葉をまつ。

「自分たちを忘れたことに対する復讐、みたいなものなのかも、な」

 真相はわからない。終わらぬ戦いを続けているのか、司令官の言うとおり復讐に来たのか。それは、誰にもわからない。しばらくの間、二人の間に沈黙が訪れた。

「青葉」

 司令官は青葉に向き合って腰を屈めて視線を合わせ、彼女の両手を手にとる。

「辛いだろうけど、古鷹たちが沈んだことは事実だ。受け入れるしかない」

青葉は俯き、司令官の手を握る手に力を込める。両手の震えが、彼に伝わる。

「古鷹たちは沈んだ。でも、沈んだ古鷹たちの欠片は、まだ君の中に生きている」

 誰もが、死者を記憶の中に留める。それは、人間も艦娘も変わらないのかもしれない。

「青葉は、彼らのことを、覚えているんだろ?」

「も、もちろんです!忘れるわけありません」

 青葉は、力強く言い放った。

「なら、彼らをまた殺さないためにも」

 司令官は、作戦説明を行うときのような、真剣な眼差しで言った。

「君は、絶対沈んではだめだ」

 彼女は、黙って司令官を見つめる。

「沈んだ者は、覚えている者の記憶や思い出の中でしか、生きられない。その君が沈んだら、彼らは本当に消えてしまう」

 青葉は、表情を曇らせて俯く。この基地に来たときから今も、彼女は心のどこかで思っている。一緒に沈みたかった。彼らの元に逝きたかった。

「辛いと思う。一緒に逝きたかったと思う。でも、彼らとの思い出を、彼らの想いを抱いて進むことは、君にしか、生き残った青葉にしかできないことだ」

「青葉にしか、できない・・・」

「ここに居る君が、沈んだ古鷹たちにできる、たった一つのことだ。そして、今この基地にいる古鷹たちにとっての青葉は、君だけだ」

司令官は、青葉の両手を重ね、包むように自分の手を重ねる。

「彼らと、このままでいたいか?」

 青葉は、首を横に振る。

「自分が沈んで、自分が感じた苦しみを、彼らにも味あわせたいか?」

 青葉は一生懸命、首を横にふる。たとえ差異があっても、今この基地にいる彼らも、古鷹、加古、衣笠に違いない。自分が沈んで、遺されたときの悲しみや寂しさを、今度は彼らに味あわせるなど、青葉は耐えられなかった。

「なら、沈んだ古鷹たちとの思い出や想いを無かったことにしないためにも、今の彼らを悲しませないためにも、両方共大事にして、この戦いを、必ず生き残るんだ。それが、生き残った君の、君にしかできないことだ」

「欲張りですね、司令官は」

 青葉が、笑いながらいう。

「だって、青葉がどうすればいいか迷っているのに、結局両方共大事にしろ、なんて」

「そうだな。私は欲張りだ」

「あ、開き直りましたね。盗撮犯も、最後は開き直りますよ」

「おま!だから違うって!」

「わかっていますよ」

 それまでの沈んだ空気はどこかへ消え、二人はクスクスとしばらく笑いあった。

 

 

 

「司令官は、やっぱり強いですね」

「なぜ?」

「だって、青葉と違って、司令官の仲間は、もう・・・」

 青葉の言葉は次第に小さくなり、途中で途切れた。艦娘は建造で生み出せても、違いがあっても、人間に2度はない。あの写真に写っていた彼の仲間たちは、もうどこにもいない。

「そうだな、もうこの世界で会うことはない」

 青葉は、かつての記憶を大事にし、今の古鷹たちと歩む道がある。どんなに時間がかかっても、受け入れ、歩むことができる。でも、司令官にそれはできない。

「なのになんで、今でも海軍にいられるんですか?いくら託されたものがあったからって、逃げ出すことだってできたはずです。死んだ人々は、何も答えないのに・・・」

 司令官は立ち上がり、青葉に背を向ける。彼は、目の前に広がる海原を見わたす。

「私も、いつかは死んでこの世を去る。今、私は戦場にいることだし、明日かもしれないし、数年先かもしれない。戦場にいなくても、誰にも寿命はやってくる。生きている以上、死は避けられない」

「・・・そうですね」

「だから、いつか死んであの世に行ったとき、先に逝ったみんなに会えた時に、言いたい言葉があるんだ」

 楽しい話ではないのに、司令官の口調は沈まず、悲しみは含まれていない。

「君たちのおかげで、私は最後まで生きられたよ。ありがとう、って。あの世で、私を産んでくれた母、育ててくれた家族や祖父母、共に時間を過ごした友人、一緒に戦った仲間、助けてくれたみんなに一言、そう言いたいんだ」

 司令官もまた、死後の世界を信じていた。

「関わった人々がいなければ、私は今ここにいない。彼らのおかげで、私はここにいる。彼らにまた会えた時、なんでこっちに来たんだ、とか。こんなところで何やっている、さっさと生き返れ、とか。バカ息子、とか言われないために。自慢の息子だよって、君に託せてよかったって言ってもらえるように、胸を張って会うためにも・・・」

 司令官は、空を見上げながら言った。

「私には、へこたれている暇なんて、ないんだ」

 青葉は、無言でカメラを構え、シャッターを切った。空を見上げ、なにかを見つめている司令官は、すごく絵になっていた。

「やっぱり、司令官って、言っていることがジジくさいですね?」

「え?そうか?」

「そうですよ」

 青葉は、カメラを下げる。

「だって、おおよそ若者のいう台詞じゃありませんよ」

「経験によって、人のいうことは変わる。年齢は、関係ない」

「そうですか」

「そうだ。それで・・・」

 司令官は、背を向けていた青葉に向き直る。

「心は決まったか?」

「・・・わかりません、まだ」

「そうか。まあ、時間はある。ゆっくり考えるといい」

 後悔しないように。そう付け加える。その時、屋上へ続くドアが勢いよく開かれた。

 

 

「・・・ぜえ、ぜえ。やっと、見つけた」

 そこには、青葉と同じ色の髪にツインテール、似た制服の少女がひとり、肩で息をしながら立っていた。

「あ、衣笠」

「あ、衣笠。じゃないわよ!もう、基地の中探し回ったんだからね」

 衣笠は、肩をいからせ、少々大股で歩み寄る。彼女の制服のいたるところが、汗を吸って張り付いている。

「なぜですか?」

「あ・ん・た・を・探して、よ!」

 衣笠は、青葉より若干高めの身長を活かして、彼女の頬を掴むと上に引っ張り上げる。

「いひゃい、いひゃいえすよ、きうがさ」

「全く、いつもいなくなっちゃうんだから」

 衣笠は司令官に目を向ける。

「提督も、青葉見つけたら居場所連絡してって言っておいたのに」

「ははは、悪い。いつの間にか話し込んでしまってね」

「もう。・・・ん?」

 衣笠の視点が、司令官のカメラに止まる。そして、階下に見える光景にも。

「提督・・・」

「なんだ?」

 衣笠は、青ざめた顔で言った。

「まさか、ここでそのカメラで、盗撮を!」

「だから違うって!ほんと姉妹だな、言うことが同じだ!」

「もう。あんな小さな子たちじゃなくて、私たちを撮ればいいのに」

「それはとても魅力的な提案だが、また今度な。今回は海を撮っていたんだ」

「海?」

 衣笠は、何かを思い出そうとするように右手人差し指を頬に当て、顔を傾ける。手が離れ、しゃべれるようになった青葉は両手で痛む頬をさする。

「う~ん」

 衣笠は、なにかにうなっている。

「どうかしたか?」

「いえ、どうにもすっきりしない疑問があって」

「衣笠が疑問ですか!青葉に聞かせてください!どんなネタですか?」

 この基地に来て、初めて記者モードに切り替えた青葉が、目を輝かせながらメモ帳とペンを手にいう。その様子に衣笠は戸惑いつつも、疑問を打ち明ける。

「いやね。青葉って、カメラ持っていても、あまり写真撮らないじゃない?」

「そ、そうですね・・・」

「うん。でも、記憶にある青葉は、カメラ片手にもっと写真一杯撮っていたように思うの」

 青葉は、メモ帳に走らせていたペンを止める。

「それに、海。行ったことないはずなのに、南国みたいな砂浜で、4人で笑いながら話しているのを、時々夢に見るの」

「夢に、か?」

「ええ。でも、私たちここ以外は呉鎮しか知らないの。どこなのかなって、いつも喉に引っかかったみたいで、スッキリしなくて。それに・・・」

 次の言葉に、青葉は衝撃をうけた。

 

「古鷹たちと、写真を撮った気がするのよね、4人並んで。でも、青葉が写真を撮っているところなんて見ないし、なんでかなって・・・」

 

 衣笠は戸惑った。目の前の青葉が、固まったまま、涙を流していたことに。

「ちょ、ちょっと青葉、一体どうし」

 青葉は、衣笠の胸に顔をうずめ、背中に腕を回した。初めは戸惑った衣笠だったが、同じように姉の背中に腕を回し、背中を優しくさすった。

 

 青葉も司令官も口には出さなかったが、二人は頭の中で同じことを考えていた。

 

 かつて沈んだ衣笠の欠片の一部は、確かに、目の前に帰ってきたのだと。

 



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最終話 海原を巡って

「ごめんです、衣笠」

「なに妹に遠慮しているの」

 衣笠はハンカチを取り出し、顔を上げた青葉の瞳から流れる雫を拭った。

「もう。青葉が私に、妹なんていないって言ったとき、結構傷ついたんだから」

「青葉、そんなこと言ったのか?」

「え、いや・・・はい」

 それは、今の古鷹たちが呉に着任して間もない頃、半ば八つ当たりのように言った言葉だった。青葉は俯き、衣笠に謝った。

「ごめんです、衣笠」

「もういいわよ。でも、時には頼って」

 衣笠は、少し頬を赤らめながらいう。

「たった一人の、妹なんだから」

「そうですね。青葉の妹は、衣笠だけです」

「と、いうわけで・・・」

 衣笠は、青葉の腕を力いっぱい掴んだ。

「お詫びも兼ねて、これから鳳翔さんの食堂に行きましょう。間宮のアイスと羊羹入荷したんですって。3人分おごって、お姉ちゃん」

 片目でウインクをしながら、衣笠は青葉にねだる。

「え!3人分も!?」

「古鷹に加古だって、それで嫌な思いしたんだから3人分。それに、基地中走らされた分も含めてね」

「そ、それは衣笠たちが・・・」

「はいはい。言い訳はいいから。さっさと行くわよ」

 姉妹のやり取りを微笑ましく眺める司令官を一人残し、衣笠は、基地の食堂へ向かって青葉を引きずっていってしまった。

 

 

 

 それから青葉は言葉にしなかったものの、次第に古鷹たちとの時間を増やしていった。3人の嚮導を引き受け、共に鍛え合った。食事を共にしたり、非番の日は彼らと甘味を楽しみ、布団から先にいなくなるということも無くなった。

 中でも大きな変化は、青葉が司令官に基地内での出来事を新聞にさせて欲しいと、申し出たことだった。娯楽が少ない孤島ということもあって、司令官は即座に承諾した。それから、青葉は基地内で手帳やカメラを手にネタを探すようになった。そんな時、彼女は珍しいものを目にした。

 

「え?司令官さんが深夜どこに行くか、なのですか?」

 

 青葉は、司令官と最も付き合いが長いという秘書艦に尋ねた。深夜に司令官を見かけたのは、新聞の編集を行っていた時であった。窓から外を眺めると、白い制服を着た司令官が一人、基地の正門へ向かい、何処かへと行くのを、彼女は偶然目にしたのだった。その後、青葉は同じ時間に同じように外を見た。すると、毎日ではないが、2日から3日に1度の割合であることがわかった。

「記者さんなのですから、司令官さんの後をつければいいと思うのです。或いは、何かネタを掴んで、ゆするとか迫るとか吐かせるとか」

「電ちゃんって、時々笑顔ですごいこと言いますよね」

「それほどでもないのです」

 褒めているつもりは青葉には微塵もないのだが、純度100%に見える笑顔で言われてしまってはそれ以上何も言えなくなってしまう。

「他の人に聞いてみてはどうなのです?」

「それが、皆さん何も知らないって」

 その時刻は、本来は消灯時刻で全員が夢の中にいる時刻。当然知っている人物など、いるはずもない。だが、秘書艦ならもしかしたらと、青葉は一縷の望みを胸に、司令官を一番知る電に聞くことにしたのだった。

「あいにく、電も知らないのです」

「そうなんですか・・・」

「やっぱり、何か弱みを握って」

 それ以上聞いてはいけないと悟った青葉は、秘書艦に頭を下げて駆け足で彼女の元をあとにした。

 

「はあ、誰も知らないなんて・・」

 廊下を歩きながら、彼女はメモ帳片手にため息をはく。実際問題、誰も知らないなら残された手段は、電の言ったように実力行使しかない。でも、弱みを握ってそれをネタに迫ったり吐かせるなんて手段を使えば、青葉の今後に支障をきたすことになる。記事は面白おかしくかいても、情報収集するときはあくまで誠実に。でも、そう言っていてはこれ以上の情報は入らない。

 深夜寝静まった後、一人孤島のどこかへ向かう司令官。何か謎めいた匂いがする。まして、それを誰もしらないというならなおさら。

「仕方ありませんね・・・」

 青葉は、手帳とペンを手に、口元を三日月のように釣り上げた。

 

 

 すっかり日が落ちた頃、青葉は草むらの中に潜んで時計を見つめる。

「情報では、間もなくのはずです」

 結局、聞いて分からない以上、自分の目で確かめるしかない。そう考えた青葉は、司令官を尾行することにしたのだった。これも基地の娯楽のためだと、彼女は自身に言い聞かせる。

「お、来ましたね」

 青葉の予想通り、司令官が司令部棟から出てきた。海軍の白い服装は、暗闇の中にあっても月明かりに照らされ目立つ。これなら、見失う心配はない。

「では、行動開始です」

 青葉は、つかず離れずの距離を保ちながら、司令官の後をつけていく。足音を殺し、呼吸を減らし、物音を極力たてないように。

 彼は基地の正門を出て、はずれにある森の中を進んでいく。こんな場所があるなど、青葉は気にもとめなかった。といより、こんな辺鄙な場所にくる理由がない。孤島に作られたこの基地は、付近に住宅も施設もなく、波止場のような場所があるだけ。基地に所属する艦娘たちの用事は、全て基地の内部で完結できるようになっている。それは、司令官も同じこと。

「気になりますね」

 そんな何もないはずの場所に司令官は、一体何の用があるのか。彼女の疑問は深まるばかり。どこかへ行く司令官、それを追う青葉。その構図がしばらく続くも、ようやく終わりがやってきた。森が途切れ、砂浜が現れた。

 その砂浜の一角には高台が作られ、石碑が建てられている。司令官は石碑の前にやってくると、腰をかがめて手を合わせる。しばらくそのままでいたと思ったら、彼は月を見上げた。その風景が絵になっていて、青葉はいつの間にかカメラを構え、シャッターを切っていた。寝静まった時刻、その音は小さくてもよく聞こえた。青葉にも、司令官にも。

「おや、また油断したな」

「隙が多いですよ、司令官」

「もう消灯時刻は過ぎているはずだが」

「そういう司令官こそ、消灯時刻すぎていますよ」

「そうだな」

 司令官は気にした様子もなく、青葉を手招きした。二人は石碑のある高台の淵に座り、夜空に登る満月を見上げる。

 

 

「よく、ここに来るんですか?」

「まあな。何で知ったんだ?」

「新聞を書いていたとき、たまたま司令官がどこかへ向かうのを、見かけまして」

「ははは。君には色々知られてしまったな」

 司令官は笑うも、すぐにいつもの表情に戻る。

「あの石碑は、何ですか?」

「君が南方への作戦に参加したとき、この基地から出撃して帰ってこなかった艦の名前を刻んだものだ。私が着任してから、過去の記録を調べて作った。流石に、何もないというのは、可愛そうだと思ってな」

 司令官が言った言葉に、青葉は表情を曇らせる。

「この基地は、以前から戦力外や成果の上がらない艦娘の左遷先。ここに来たら、もう行き先はない。そのせいで再訓練場から、いつしか墓場なんて言われるようになった」

 青葉も、この基地に転属になったとき、その噂は耳にしていた。

「でも、そんな基地でも、必死になって訓練する娘はいるし、自分をここに送った提督たちを見返すんだって、奮起する娘もいる。そんな彼らが、最後に確かにここにいたんだということを、せめて残して置きたくてな」

 戦力外とみなされ左遷を命じられた艦娘のことなど、もう誰も気に留めない。だからこそ、ここが最後の居場所だからこそ、司令官は石碑を作った。戦力外とみなされようとも、それぞれの考えや決意を胸に、この国を守るため戦った者がいたことを、残すために。

「彼らのことを忘れないように、ここに来るんですか?」

「それもある」

 他にどんな理由があるのか首をかしげる青葉をよそに、司令官は時計をじっと眺める。

「もうそろそろだ」

 彼は森の方に足を進める。青葉もその後についていく。間もなく、森の中の林に、光の玉が現れ、暗闇の支配する森の中に明かりを灯した。その光景に、青葉は目を奪われる。

「これは・・・」

「蛍だよ」

「・・・蛍?これが」

 普段山や森とはあまり縁のない青葉にとって、蛍は書物でしかしらないものだったのかもしれない。初めて目にする風景を、彼女は凝視する。

「この島には、なぜか蛍がいるんだ」

 二人の周りを、蛍が飛び始める。仄かな光を放つ虫たちが、上に下に、右に左へと動き、一種のイルミネーションを作り出す。

「この島の近くの海域は、私が何度も泳いだ場所でね。いつもこの島の蛍の光が見えると、帰ってきたんだって、ほっとしたものだよ」

 青葉の方を見ることなく、司令官は話し始める。

「蛍の光は、魂の光に例えられることがあるんだ」

 彼は蛍たちに向かって、手を伸ばす。その手のひらに、1匹の蛍が舞い降りる。

「この光の中に、沈んでいったみんなの魂が、もしかしたら会いに来てくれるかもしれない。そう思ってしまってね」

「魂の光、ですか」

 青葉も、司令官を真似て手を伸ばす。彼女の手のひらにも、1匹の蛍が留まる。この中に、あの海に沈んだ古鷹たちもいるのではないか、そう思ってしまう。

「衣笠は・・・」

 青葉は、隣りの司令官を見やる。

「彼女の欠片の一部は、帰ってきてくれたみたいだな」

「・・・はい」

 それは、青葉自身が確かめた。再び彼女の前に現れた衣笠は、沈んだ衣笠しか持っていないはずの記憶をおぼろげでも持っていた。青葉は、彼女の写真の裏に書かれていた、姉を一人にしないという、妹の決意が込められた言葉を思い出す。沈みゆく中、彼女は遺された青葉を思って、たとえ自分の一部であっても、帰りたい。そう願ったのかもしれない。

 でも、だからといって、今の衣笠は、あの衣笠と完全に同じというわけではないことは、青葉自身わかっていた。

「あ・・・」

 青葉の手のひらに止まっていた蛍が、彼女の手から飛び立った。それを合図に数十匹もの蛍たちが、海面の上を飛び回る。二人は、海面をしばらく見つめ続ける。まもなく、蛍の光が集まってまばゆさを増し、次第に像を結び始める。それを見て、青葉は目を疑った。そこには、人の姿をしたものが立っていた。

「青葉、あれは・・・」

「司令官も、見えますか」

 司令官も、見えているらしい。二人は、信じられないものを見ているように、その場で固まってしまっている。青葉は、石碑のある高台から飛び降り、砂浜を走って波打ち際まで急ぐ。間近に迫ってわかった。

 目の前のことが信じられなかった。夢や、妄想の類かと思ったことだろう。でも、それでもいいと。それでも、彼女は信じたかった。

 

 一度、もう一度でいい。どんな形でもいいから、青葉が会いたいと願った彼らの姿が、そこにあった。

 

「古鷹、加古・・・、衣笠!」

 陽炎のようにぼやけているが、海面の上に立つそれは、確かにその3人の姿をしていた。青葉は海に足を踏み入れる。艤装を身につけていないために、普段と違って波や水の抵抗に足をとられ、服が海水を吸って重さを増し、転びそうになる。

 おぼつなかい足取りでも、彼女は一歩一歩進んで、彼らに近づく。青葉が近づくと、3人は海面に膝をつき、浅瀬に体を沈める彼女に視線を合わせた。

「古鷹さん、加古、衣笠・・・」

 幻なのか、幽霊なのか、何なのか何も分からない。青葉は、微笑みかける彼らに、手を伸ばした。それは、確かに触ることができた。あの時感じた懐かしいぬくもりを、彼女は感じることができた。幽霊には実体がないとか、そんな解釈はどうでもよかった。

 目の前の古鷹たちは、あの海に消えた彼らなのだと、彼女は確信めいたものを抱いた。すると、青葉は体の中からいくつもの言葉が泉のように溢れ出すのを感じた。溢れ出した言葉は、瞬く間に胸の中を一杯にし、張り裂けそうになる。何かを伝えなければならない。伝えたいことが沢山ある。でも、その時になると、言葉がうまく出てこないもどかしさを、彼女は感じる。彼女の中には、言葉がこんなにも溢れているのに。

 

「古鷹、加古、衣笠・・・。ごめんなさい・・・、ごめんなさいです」

 

 青葉が最初に口にした言葉。それは、彼らに対しての謝罪の言葉だった。 

「3人の頑張りを無駄にして、一人逃げて。みんなで生き残ろうって決めたのに、また、青葉だけ、生き残ってしまって」

 青葉の瞳に雫がたまり、頬を伝って落ち、小さな波に飲まれる。海面に浮かぶ古鷹たちの表情が、気のせいか曇る。

「今の古鷹たちに向き合わないで、逃げてばかりで。ごめんなさい・・・、ごめんなさいです」

 青葉は、謝罪の言葉を繰り返す。壊れた、ラジカセのように。その青葉をあやすように、彼らは身を寄せ合う。

「でも、それも終わりです」

 青葉の声が、涙声から、芯のあるものに変わる。

「私も、古鷹たちの元に行きます」

 青葉の発した言葉に、目の前の古鷹たちの表情が驚きの色に変わる。その言葉を聞いた司令官は、ただ黙って彼らを見つめる。

「でも、それは今じゃありません」

 彼女は震える口で、しっかりそう言った。古鷹たちは、微笑みを浮かべる。

「古鷹たちの頑張りで、青葉は生き残れました。その古鷹たちのこと、青葉は絶対忘れません。頑張りも、無駄にさせません。そのためにも、青葉はまだ、沈むわけにはいかないんです!」

 

 誰もが、叶えたい夢を、想いを、願いをその胸に抱いて、生まれてから死ぬまで、人生という道を歩き続ける。死んだら、そこで終わるのだろうか。

 

 いや、終わらない。

 

 生きている以上、いつか終わりがやって来る。それがわかっているからこそ、誰かに夢を、想いを、願いを託し、次へつないでいく。

 

 沈んだ古鷹、加古、衣笠は、青葉に後を託した。だから、青葉は沈むわけにはいかない。

 

彼らがいたことを、共に過ごした思い出を、消させないために。

 

戦いを終わらせ、あの写真が懐かしく思える時を迎えるという願いを、叶えるために。

 

彼らの生き、戦った意味を、込められた想いを、無かったことにさせないために。

 

彼らから託されたもの、共に築いたものを胸に、これから先も、彼女は歩いていく。

「ですから、いつか古鷹たちと、胸を張って会えるように、青葉は、この基地で頑張ります!」

 青葉は、とぎれさせながらも、必死に言葉を紡いだ。

「青葉はもう大丈夫です。あなたたちのことは忘れませんし、今の古鷹たちも、今度は沈ませません!ですから・・・」

 青葉は、瞳から流れる雫をこらえながら、できるだけ微笑み、穏やかな口調で言った。

「安心して、眠ってください。青葉が行くまで、待っていてください」

その言葉を聞いた彼らは、頷き、青葉から離れた。古鷹たちの姿が、次第に薄れてくる。

「古鷹さん、加古、衣笠・・・」

彼らにむけて、青葉は最後に言った。胸の中で溢れ出す、様々な想い全てを、その一言に込めて。

 

「・・・ありがとう」

 

 その言葉を最後に、彼らの姿は、闇に溶けた。

 

 

 

 浅瀬をゆっくりとした足取りで歩き、青葉は砂浜に上がった。

「良かったのか?」

「・・・はい。もう大丈夫です」

 司令官は、砂浜に上がった青葉の手をとる。海水に浸かった彼女の手の暖かさは、その水温と同じになっていた。彼は上着を脱ぎ、それを青葉に着せた。

「本当は、一緒に行きたかったんじゃないのか?」

「それも思いましたけど、やっぱりダメです。今のまま沈んだら、古鷹たちに追い返されてしまいますよ」

 笑い話でもするかのように、青葉の口調は明るい。

「さて、では帰って寝るとするか。寝坊したら、加賀と電にどやされる」

歩きだそうとした司令官は、足を止めた。彼の背中に、青葉が顔をうずめていた。

「泣きたいなら、背中貸すぞ」

 青葉は、しばらく司令官の背中で泣いた。彼が見たこともないほど、泣きじゃくった。伝えたかったことが、山ほどあったに違いない。それらを全て伝え切ったのかどうかは、司令官にはわからない。きっと、色んな言葉や想いが、彼女の中で渦巻いたはずだった。青葉の想いの一部でも、彼らに伝わったことを、司令官は心の中で願った。

 そのとき、少し強めの風が、二人の間を吹き抜けた。青葉は、司令官の背中から顔をあげ、風が吹いてきた方向に顔を向ける。

「・・・どうした?」

「いえ、なんでもありません」

 今度は、司令官にも聞こえなかったようだ。それは、青葉だけに聞こえた言葉。でも、確かに彼女に届いた。彼らの、言葉は。

 

 

 

 あれから数日が経過するものの、未だに二人はあの夜見たものが夢だったのか、現実だったのか信じられないという。司令官は、一つの可能性を言っていた。

 

 海は、地球上すべてをつないでいる。あの南の海で沈んだ古鷹たちは、沈みゆく中であっても、残してきた青葉のことを最後まで気にかけていた。その結果彼らの中にあった欠片が、青葉に会うために、あの日、あの場所に現れたのではないかと。

 

 海の底から、海流に乗り、時間をかけて、海原を巡って。

 

 おおよそ根拠のない、非科学的で、感傷的な妄想の類だと、司令官は最後に言った。もっとも、あれが夢であれ現実であれ、どちらでもいいのかもしれない。青葉は沈んだ古鷹たちに想いを伝え、今の古鷹たちと歩き出すことを決めた。それだけで、司令官にとっても、青葉にとっても十分だった。

 あれ以降、青葉と今の古鷹たちとの仲は良好で、仲睦まじい日々を送っている。また、時折青葉は司令官の元を訪れては、メモ帳やカメラ片手に、他愛ない話をする時間を作っている。だが、仲が良好になったことで、色々青葉は遠慮がなくなり・・・。

 

「待て青葉あああああああああああ」

「嫌ですううううううううう」

「司令官さああああああああああああん。待つのですううううううううううう」

 

 ある日の朝、基地の中を逃げ回る青葉を司令官が追い回し、その司令官を、艤装を身につけた電、響、時雨、不知火たちが追い掛け回すという奇妙な光景がそこにはあった。その彼らの上空に、レシプロ機の発動機の放つ独特の音が児玉する。零戦が、九七式艦攻が、九九式艦爆が、空を埋め尽くさんばかりの数の機数が編隊を組んで現れる。共通しているのは、どれも胴体下に、爆弾を搭載しているということだ。

「全機爆装、準備出来次第発艦。目標、青葉を追跡中の提督!」

「ちょ!加賀、ま」

「殺りなさい!」

 加賀の合図で、一斉に艦載機に乗る妖精たちは機体の高度を下げ、胴体下に吊り下げた爆弾を切り離す。司令官の走った後は、火柱が次々上がり、地面がえぐれ、爆風が吹き荒れる。次いで、電たちの装備する主砲がゆっくり旋回し、司令官に狙いを定め、砲撃音が鳴り響く。艦載機の落とす爆弾が、電たちの艤装の主砲が司令官を狙う。それらを懸命に回避しながら、彼は青葉を追いかける。

 この事態を引き起こした諸悪の根源を、加賀は左手で握りしめている。彼女が左手に持っているのは、青葉の書いた新聞だった。その一面には、大きくこう書かれている。

 

「司令官は実はロリコン!?非番の日に屋上から駆逐艦娘を撮影。衝撃の写真を独占入手」

 

という記事と写真が掲載されている。青葉が新聞を書き始めてからというもの、初めの主な話題は、司令官にまつわる話や鳳翔さんの食堂の新メニュー、艦娘へのインタビューなどだが、次第に司令官に対してゴシップまがいの記事も載せるようになり、面白くはなったらしいが、このような光景が繰り広げられるようになった。

 幸い、基地は孤島に作られたものなので、周辺住民への被害を気にする必要はない。だが、それでも問題無しで済むはずはない。

「爆撃も砲撃もやめてくれ!基地が壊れる!修繕費が!備蓄した資源が!」

だが、彼の必死の叫びも、追撃を続ける彼らには届かない。

 

「盗撮した上にロリコンの司令官に、情けはいらないのです!」

 怒り狂う電。

 

「司令官、止まってくれないか?狙いにくいじゃないか」

 絶対零度の視線で司令官を捉える響。

 

「提督、言ってくれればいつでも良かったのに。僕を差し置いて、隠れて他の子を撮るなんて、ひどいじゃないか」

 暗い笑みを浮かべる時雨。

 

「絶対に、逃しません」

 戦艦クラスの眼光を放つ不知火。

 

「私が対象外なんて・・・。あなたの名誉は守ります。だから、綺麗に消し去ってあげましょう。爪一つ残さず」

 色んな気持ちが混ざったオーラが、体中から溢れ出す加賀。

 

 司令官の味方は、ここにはいない。この状況を一刻も早く終わらせて誤解を解くためにも、彼は目の前を逃走する青葉を、全身体能力をもって追いかけるのであった。

 

「ま~たやっている。青葉も懲りないわね」

 基地内で爆撃や砲撃が繰り広げられる中、その光景を遠目に眺める衣笠たちの姿があった。

「そうだね」

「う~ん。ねみ~」

1名を除き、その日常と化した風景を部屋の窓から眺める。

「でも、最近の青葉、どこか生き生きしているよね」

「そうね。やっと青葉らしくなってきたわね」

 衣笠は、自分の机に置かれた写真立てを見つめる。そこには、真新しく、鮮明に写っている写真が収められている。青葉のカメラで提督に撮影してもらった、4人の集合写真だった。この基地の正面で撮影してもらった、4人で写った初めての写真。彼らの、最初の思い出になった。

「いつか、この写真が懐かしく思える時が、やってくるといいわね」

「じゃあ、そのためにも、その時まで生き残らないといけないね。今度は」

「そうね」

「・・・ああ」

 古鷹の言葉に、衣笠は頷き、加古は寝言で応える。

 

 失ったものは、もう取り戻せない。別のもので、補うこともできない。でも、折り合いをつけ、再び歩き出すことはできる。

 

 青葉は新しい白紙のページに、彼らとの新しい物語を綴り始めた。

 

 かつて失った、彼らとの物語を、胸に抱いて。

 




 最終話になります。短い話数だったかもしれませんが、これで完結とな
ります。読みにくい文章が多分にあった中、基本暗い部分が多かった中、
ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。


 もし、また投稿することがあれば、よろしくお願い致します。


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