綺麗なまま死ねない【本編完結】 (シーシャ)
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33〜29年前
1.結末はとっくに見えている



そろそろ楽にならせてほしいと私は力なく笑った
だってもう色々と疲れてしまったのだ

親の頭はお花畑、ついには死んでしまった
兄はトンデモ級の極悪人だし、もう一人の兄なんて死んでしまったし

とんでもない世界、とんでもない時代
そしてとんでもない人たち
そんな中に生まれ育って、でもまあ…幸せだったかな

家族を愛し、家族に愛され
時に憎み、逃げ出すことはできなかったけれど

苦しくて悲しくてあんまり順風満帆じゃない
こんなとんでもない全てに対して
私は恋をしていた



「私、嫌です!絶対ここにいる!」

 

ドンキホーテ・ドゥルシネーア、2歳。現在絶賛反抗期中。

 

「ルシー、分かっておくれ。ここにいるのはお前たちのためにも良くないんだよ」

 

「嫌っ!」

 

「ねえルシー。地上にはたくさんの素晴らしいものがあるのよ?」

 

「嫌ーっ!」

 

父親と母親の説得に対して嫌だと喚きまくる。こうなることは生まれてすぐ分かっていた。だってここ、ワンピースの世界じゃん。しかもドンキホーテさんの家で、兄2人。これからどうなるか分かっているからこそ言える。天竜人なんてお家から出た瞬間、こんな貧弱な幼児なんて死亡確定だ。

 

「地上に行くなら死んでやるっ!」

 

「ルシー!!!」

 

「そんなこと言わないで、ルシー…!」

 

「泣かないで、母上…」

 

ついに泣き出した母親に寄り添い慰めているのは2番目の兄だ。つまりロシナンテ、後のコラさんである。この気弱な2番目の兄は喋れるようになってすぐキャンキャン喚き出した妹が宇宙人にでも見えるのか、あんまり近付かないしいつも困った顔をしている。チッ、ヘタレめ。親がダメなら兄たちを説得して地上反対組に引き込みたいのに、それが上手くいかなくて困ってしまう。原作ではとんでもない長男&ドジっ子次男だが、なんだかんだと親が好きな素直な子なのである。少なくとも今は。むしろそんな大好きな親を困らせる妹が嫌なようだが。

 

「どうせ地上に行ったら殺されるんだ!それなら今死ぬ!すぐ死ぬ!さあ殺せー!」

 

「ルシー……」

 

火炙りも銃で撃たれるのも罵声浴びせられて踏みつけられるのも、絶対嫌だ。何より、こんな優しい家族が目の前で暴行されて死んで行くのなんて、絶対見たくない。地上に行くなら好きにすればいい。それならそんなのを見なくて済むように私を置いて行くか、むしろ殺してくれたなら。

 

「ワガママ言うなえ、ルシー」

 

「ドフィ兄上…」

 

「ルシーは妹だえ、家族だえ。誰も殺さないえ」

 

「じゃあ置いてって。私、地上は嫌」

 

「それもダメだえ。家族は一緒にいるものだえ」

 

「じゃあみんなでここにいようよ。せめて私が大人になるまではここにいよう。そしたら地上に一緒に行くよ」

 

「でもね、ルシー。ドフィもロシーもあなたも、地上で育つべきなの。ここにいるよりも、地上でのびのびと育ってほしいの」

 

「だから地上に行ったら殺されちゃうんだってばー!」

 

「そんなわけないえ。そんなやつはドレイにして遊んでから殺してやるえ」

 

「こらこらドフィ」

 

「ドフィ兄上、地上に行ったらドレイ持てないよ?好きなもの買えないよ?兄上の好きな遊びも全部できないよ?」

 

「なんでそんなのが分かるえ?ドレイは地上から持ってくるんだえ?」

 

産地直送だと言いたげなドフラミンゴに頭を抱えた。あーもう!この人たちはなんで分からないんだ!むしろ2歳児の言葉にまともに取り合っている時点でこの人たちは普通じゃないんだろうけど。天然というか…。頭のアンテナでも毟り取ってやれば正気に戻るんだろうか?

 

「ルシーは…ぼくたちといっしょがイヤなの?」

 

「そんなことないんだけど…!」

 

「大丈夫だよ、ルシー、ロシー。いつだって家族みんな一緒だ。大丈夫、みんなでいれば怖いものなんてない」

 

「むしろ怖いものしかないよ!?」

 

「行ってみなきゃ分からないだろう?」

 

ニコニコしながら母親の肩を抱いて何の根拠もなく言いやがる父親に、ちょっと全力のアッパーでもかましてやりたくなった。頭沸いてんのかこのバカップル!

 

「とにかくっ!私は!絶対に!地上には!行かないんだからねーっっ!」

 

そう叫んだのがつい先日。

 

「……………………2歳児って無力…」

 

寝ている間に強行されて連れてこられたよ。地上に。ええ、もちろん地上に。

 

「ほらルシー、地上もいいところだろう?見てごらん、あれが海だよ」

 

「綺麗でしょう?ルシー。あなたたちに地上の素晴らしさを見せてあげたかったの」

 

「見せるだけなら天竜人やめなくてよかったじゃんかよおおお!!!」

 

後ろでドレイを買いに行こうと言っているドフラミンゴと私を見て、両親が困った子たちねと笑った。

 

「この子たちにはちゃんと教育しなければいけないな」

 

むしろあんたたちに教育が必要だ。今後のことを思うと頭が痛くなって、私は父親に抱き上げられたまま滂沱の涙を流したのである。



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2.猶予は残されていない

 

 

「どうして誰も跪かないのかえ!?」

 

ちっちゃいドフラミンゴが地団駄を踏みながら怒った。ちょうど食事時、広すぎてサッカーできんじゃね?って感じの食堂で荒ぶる兄の姿を見ながら、やわやわなオートミールを食べた。うーん、薄味。ちっちゃいドフラミンゴよりテレビ見たい。テレビが恋しすぎて今なら幼児向けアニメ代表のアンパンマンでも許せる。

 

「…んぐっ!?げほ…っ!」

 

現実逃避しながら食べていたら気管に入ってしまった。むせる私の背中を白魚のような手とも言うべき母親の柔らかな手が撫でさすった。

 

「あらあら、ルシー。慌てないでゆっくり食べなくちゃ」

 

「はい、母上…」

 

私の体は2歳児というには未成熟だ。元々生まれた時に未熟児だったとかも関係してるんだろうけど、メンタルが大いに関係していると私は踏んでる。主にストレスで。だって成人済みのいい年した成人女性が気が付いたら乳児でおしめ替えられながらギャン泣きしている最中でしたとかどんなよ!?しばらく現実逃避で拒食とか育児全力拒否とかしていたのが懐かしい…あれからもう2年か…。まあそんなわけで、私は今なお離乳食を食べている。大人と同じ固形物食べてたら嘔吐か下痢しちゃうしね。

 

「ルシー。これ、あげる」

 

卓球の試合が6試合同時にできそうなくらい大きな食卓の端から、小さい方の兄が果物を持って来てくれた。ちっちゃいロシナンテは自分より流暢に話して文句言いまくる妹に時々怯えながらも、こうやって私の好物を分けてくれたりする心優しい兄である。あーーー、コラさんマジ天使!

 

「よかったわねぇ、ルシー。いい子ね、ロシー」

 

「ありがとう、兄上」

 

皿から数切れ果物を取らせてもらって例を言うと、ロシナンテは丸々した頬を染めてはにかんで笑った。その控えめな笑顔に胸いっぱいである。ロシナンテとドフラミンゴ…まさに天使と悪魔である。遠くで父親が荒ぶる悪魔、もといドフラミンゴを宥めていて…うん、アレはまあ、原作通りと言うかなんていうか…。

 

「父上!ドレイが欲しいえ!母上!新しいオモチャが欲しいえ!」

 

「ドフィ…」

 

「街に行っても誰も跪かないえ!誰も命令を聞かないえ!下々民のくせに!」

 

「こらこら…今は我々も天竜人ではないんだぞ、ドフィ」

 

(あーあ…あぁあーーぁー………もーうやっちゃってたのか…!)

 

天竜人一家がフルボッコにされる前兆来ちゃったよ!クッッソ!せめて満足に私が走り回れる年齢になるまではおとなしくしてて欲しかった。…ん?待てよ…?ドンキホーテ家がフルボッコにされるまでに何かなかったっけ?

 

「ルシー?どうしたの?」

 

「…へ?あ、ううん何でもないよ」

 

ロシナンテの声にハッと我に返った。フォークにブッ刺した果物を食べようとした姿のままで考え込んでいたらしく、膝の上には果物の汁がすさまじく滴りまくっていた。服はもう気にせず、ムシャリと果物を口にすれば甘くて柔らかで幸せな味がした。

 

「おいひい……………あ…あーっ!」

 

火事だ!火事が起きて家が丸焼け、そんでゴミ山生活とかになるんだ!案外平和な日常にウッカリ忘れていたことを思い出して悲鳴をあげてしまった。そんな奇異な末娘を見て母親と小さい方の兄が目を丸くしていた。ついでにいうと遠くにいた父親と大きい方の兄も。

 

「ど、どうした?何かあったのか?」

 

「ルシー、あなた最近どうしたの?あんまり外にも遊びにでかけようとしないし…」

 

「いやそれは街の人が怖いだけで…じゃなくて、ちょっと私、部屋に戻る!ごちそうさまっ!」

 

「えっ、ルシー!?」

 

子供用の椅子から飛び降りて自室へと走った。マズイ、マズイ…マズイって!このままじゃガチで一家共々路頭に迷いまくって原作道まっしぐら!母親死ぬし父親殺されるし…ってかその前に拷問だよ、拷問!父親は最悪もう自業自得って諦められ…いや、諦められないけど。天竜人界隈でも何アイツやばーいみたいな噂出てたような私を擁護してただの子として育ててくれた恩があるし。あんな天然アホバカ親父でも愛すべき父親なんだし。…じゃなくて、家族全員を助けるなら何か手を打たなきゃ。金…そう、とりあえずは金だ!

 

「えっと…私の誕生祝いにもらった金銀財宝が……あった!」

 

これで貴女も奴隷でも買うアマス、なんて親戚のドンキホーテさんたちや母親のママ友天竜人たちからお祝いでもらっていた金目の物一式の入った宝箱を開けて中を取り出そうとした。

 

「くっ…!クッソ重い!なんで金ってこんな重いの!?」

 

金の延べ棒の半分ぐらいの質量しかない金の首輪(言わずと知れた奴隷の人間用サイズ…)を一つ取り出すのにすら、両手で必死になってじゃないと無理だ。それならば、と煌びやかな金貨を持つと、こっちは普通に持てそうだった。ただし、片手に1〜2枚が限界。

 

「……避難用のリュックサックでも用意しとこうかな…」

 

持てるだけの金貨と薬と食料…なんでこの世界ってインスタント食品が発達してないんだろうか。仕方ないから飲み水と乾パンとビーフジャーキーでも突っ込んでおこう。あーあ、うちの親ったらもう!せめて天竜人やめる前にドフラミンゴの性格を矯正させとけよな!



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3.頼れる者などどこにもいない

 

それから数日、依然としてドンキホーテ邸宅には何も起きなかった。だから余裕を持って、庭のあちこちに穴を掘って、運べないと判断した金銀財宝をちょっとずつ埋めて隠すことができた。何かコソコソしていると様子を見に来たドフラミンゴは数時間で飽きて街に出ていっちゃったけど、ロシナンテは何日も私の穴掘りに付き合って、しかもしっかりと手伝ってくれた。とはいえ掘った穴に自ら転げ落ちること3回、金銀財宝を足の上に落とすこと7回、何もない所で転ぶこと19回と、すさまじいドジっ子っぷりを発揮してくれたけど。コラさんってホントもう…!

 

「ルシー、どうしてうめるの?」

 

「もしもの時にすぐ掘りかえせるようにしたいの」

 

「使用人に、かんきんさせたのも?」

 

「だってこんな重いのより札束の方が持ち運べそうだもの」

 

天竜人をやめたとはいえ家事一つまともにできない両親は、ほんの数人だけど使用人を雇っていた。たぶん破格のお給料だと思う。その中の一人、執事のおじさんに私の金銀財宝を少しずつ換金させていた。親に内緒という口止めと、たぶんポケットにいくらか盗んでしまっちゃうであろうと考慮して、売値の3割は臨時ボーナスにすると伝えたら嬉々として換金に行ってくれた。そしたらアタッシュケースが山のようになってきたので、今は札束でなく金貨に変えてもらっている。

 

「それよりロシー兄上、避難グッズの用意はできた?」

 

「うん。母上の好きな紅茶の葉っぱと、父上の好きなくだものと、兄上のお気に入りのじゅうと、ルシーの好きなお金と、僕のくまさんと」

 

「うん。あのね、半分ぐらいは置いて行こうか」

 

茶葉はまだ嵩にならないし重くないからいい。金はもちろんいい。ロシナンテのくまさん人形もまあいいだろう。けど果物は傷むからダメだし、銃なんて以ての外だ。その銃でオメーのトーチャン殺されっぞ!?

 

「ってか私がお金好きって!心外な!」

 

「え?きらいだったの?」

 

「いや…まあ、嫌いじゃないけど…むしろぶっちゃけ好きだけど…でもなんか語弊がある…!」

 

「変なルシー」

 

「お黙り目隠し小僧」

 

「えっ?」

 

「ううん、何でもないよー☆」

 

おっと、危ない危ない。ついつい口からぽろっと悪態が出てきてしまう。今日のノルマでだいたい終了だ。あとできることといえば…何だろう。そもそも私は屋敷の使用人を信用していない。さすがに食事に毒を混ぜるとかはしていないようだけど、なんだか愛想笑いというか、怪しさ爆発だったから。天竜人生活しかしていない両親と兄二人はあれが愛想笑いだと見抜くことはできていないようだけど、前世の記憶持ちの私からすれば、あれはもう紛れもなく裏のある愛想笑いだった。例えるならクラス中でイジメをしていて、でも私はあなたの味方よ!って近付いてニヤニヤ笑ってる連中の顔…アッ、トラウマスイッチ入りそう…。それに、以前私の部屋のアタッシュケースから札束を抜く所をたまたま目撃してしまったのが決定打だった。

 

「…せめて一人でも信用できる使用人がいれば、別の街に小さな家でも購入させて、緊急時はそこに逃げ込んだりしたかったんだけどなぁ」

 

親に一度別邸の購入を求めたら、天竜人をやめて質素に暮らすのが目標だからと善意100%の笑顔で却下された。私のおねだりにドフラミンゴも共感してくれたけど、悲しいかな、子どもの要求とは通らないことが常である。

 

『もう下々民の生活は飽きたえ!早く聖地に帰りたいえ!ルシーも可哀想だえ…!』

 

マリージョア時代から、天竜人やめたくないとか、せめて最強レベルな悪魔の実が欲しいとか、私が散々おねだりしまくっても全て却下されているとドフラミンゴは知っていたらしい。ただ、そこで自分と妹可哀想、とかにならないのがドフラミンゴ。悲しむ代わりに激怒して暴れまくっていた。おかげでお高い壺がいくつ粉々になったことか…。

 

「もう暗くなっちゃったよ。ルシー、ごはん食べに行こう」

 

「うん、兄上」

 

土まみれの小さな手に、もっと小さな私の手を包まれた。泥まみれになりながらも笑顔で妹を家に連れ帰ろうとするロシナンテを見て、胸がゆっくり切り刻まれるように痛かった。

 

「ロシー兄上、大好き」

 

「ぼくも、ルシーのことが大好きだよ。あたっ!」

 

「ぎゃん!」

 

何もないところで転んだロシナンテに引きずられるように、私も地面に転んでしまった。奇跡的に私もロシナンテも大した怪我はしなかったけど。ああ、体重が軽くて柔らかい子どもの体でよかった。

 

「ルシー、ごめんね。大丈夫?」

 

「大丈夫。…兄上のことは、私がちゃんと守ってあげなきゃだねぇ…」

 

「ちがうよ!ぼくがルシーを守るんだよ!」

 

「じゃあ、早くかっこよくて強い大人になってね、兄上。…できればドジっ子もなおしてほしいけど」

 

ロシナンテのドジっ子はガチで一生ものだもんね、とは言えなかった。

 

「かっこよくて強い大人かぁ」

 

自分の大人の姿を想像してか、ほわほわと頬を緩めているロシナンテの手をしっかり握って家までリードした。私が家族を守らなくては。私がちゃんと、死なないように守ってあげなくては。キリキリと痛む胃を押さえて前を見据える。

 

そして2年後。

一般人だった私の緊張なんて、1年も保たなかった。

金払いさえよくすれば使用人たちは裏切らない、私は原作を打破したのだ、そんな甘い幻想に私は浸ってしまった。

街の住人たちが、ドンキホーテ家は元天竜人であり、何をしても天竜人たちから理不尽な目に合うことはないのだと確信を深めていった、その2年間。

私たちドンキホーテ家は、至極平和に暮らした。

 

私の、ドンキホーテ家に関する原作知識が霞のようになるのに、2年は十分すぎた。

 

使用人たちが自宅へ帰り、ドンキホーテ家の者たちが寝静まった深夜に。

 

「数百年分の世界の恨みをあの一家に刻み込め!!!」

 

立派な屋敷は街の人々の手により、無残に焼け落ちてしまった。

 



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4.守ってくれる者などいない

 

 

何度も親に頼んだ。この島から出ようと。別の島に別邸が欲しいと。北の果てなんて逃げ場のない場所から、東の海とまではいかなくても、せめて海軍基地の近くとかに移住しようと。それでも親はワガママな天竜人の娘だと、教育し直さなくてはならないとまともに会話をしてくれなかった。

 

(愚かな人たち)

 

だから金で飼い慣らした使用人を使って、遠くの小島と船を買おうとした。…その使用人も、私の金だけ持って逃げてしまった。

 

(誰も、頼れない)

 

父親が私の作った避難グッズとロシナンテと私を担いで、母親がロシナンテの避難グッズを担いでドフラミンゴの手を引いて、聞くに耐えない憎悪の声を背に浴びながら、逃げた。どこへ向かうのか、これからどうするかだなんて、誰も頭になかっただろう。ーー私以外は。

 

「父上、向こうに行って!」

 

「ルシー!?しかし向こうは森で…」

 

「いいから向こう!森の中を突っ切って行くの!足元暗いから荷物の中からランタン取って。たぶん今日は野宿になるけど、この森を抜けたら2つ向こうの街が見えるはずだから…!」

 

「父上、ルシーの言う通りにして!」

 

ロシナンテと一緒に父上を急かして、民衆の松明の灯りが届く前に森に逃げ込んだ。2年の間に付け加えた道具からランタンを取り出して、息を整えながら火をつけてもらった。父親の手が震えているのは、見て見ぬ振りをして。でも握りしめたロシナンテの手も震えていたから、ギュッと握りしめて落ち着かせようとした。

 

「ああ…何故、どうしてこんなことに…っ」

 

「母上…」

 

「泣かないで、母上…」

 

地面に崩れるように泣き始めた母親を、駆け寄ったドフラミンゴとロシナンテが慰めている。火を灯したランタンを持った父親も、妻の背を抱きしめ嗚咽を漏らしていた。

 

(私が、守らなきゃ)

 

こうなることを僅かにも考えなかった、可哀想な人たち。そんな親に引きずられてこんな所まで来てしまったドフラミンゴとロシナンテ、そしてもちろん私も、哀れだった。たとえ今後母親が体を壊して死ぬことになろうと、父親が愛する息子に殺されることになろうとも。そう、ドフラミンゴが暴虐の限りを尽くそうと、ロシナンテがいずれ死ぬ運命にあろうと…今はただ、可哀想なだけだった。

 

「ーーー父上、母上」

 

空っぽの手を握りしめる。自分の震えに見て見ぬ振りをする。私が守るんだ。そう、決めたじゃないか。

 

「ドフィ兄上、ロシー兄上!」

 

遠くから怒号が聞こえる。殺さずあらゆる苦痛を与えろと叫ぶ声が。怨嗟の声が。世界中全てに呪われてしまいそうな音が。

 

「っ、大丈夫!絶対大丈夫!私がみんなを守るから!みんなで…家族で!一緒に生きていけるようにっ!私、頑張るから…っ!」

 

必死に笑顔を作るのに、涙がぼとぼと滴り落ちた。ああダメだ、これじゃこの可哀想な一家を、安心させてあげられない。煤で汚れた袖をまくって、腕で涙を雑に拭った。

 

「家族みんなで!『ここ』で!生きていこうよ!」

 

だって、そうするしかないじゃないか。美味しいごはん、暖かい家、素敵な服、煌びやかな世界。確かに腐った天竜人がわんさかいて、可哀想な奴隷も山ほどいたけれど。天竜人を続けていれば、こんな目には合わなかった。…それを、こんなにも意気消沈している両親にぶつけたところで何になるというのか。私がもっと子どもだったなら、ドフラミンゴのように思いのまま感情をぶつけたかった。だけど私は本当はいい歳した大人で、しかもこんな小さな子どもの前でなんて、我を通すことはできなかった。

 

「ルシー……すまない…すまない…っ!」

 

こんなことにまでなった今、ようやく親たちは私が耳にタコができるほど言ったワガママの意味を、カケラでも理解してくれたらしい。迷子の子どものように泣くだけの親たちとロシナンテ、そしてサングラスの向こうで戸惑いの目で見てくるドフラミンゴに、私は笑顔を見せた。ドンキホーテ・ドゥルシネーア、4歳女児は、そんなこんなで一家の大黒柱にならざるを得なかったのである。

 



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5.行き着く先はここしかない

 

 

結局あの後、親子共々慣れない獣道に何度も躓いて進むに進めなかったので、森の中で野宿をせざるを得なかった。木の葉を敷いただけの硬い地面では眠れないとドフラミンゴも文句を言っていたけれど、体力が尽きていたのか、程なくして眠ってしまった。両親とロシナンテも眠った中、私は追っ手が来た時に備えて眠い目をこすって起きていた。

 

(あ、雨…)

 

突然、真っ黒な空から大粒の雨が降り落ちてきた。体に叩きつけるような土砂降りに、さすがに家族たちも目を覚ました。

 

「どこか、雨をしのげる所はないのか…!?」

 

子どもたちを腕の中に包み込んで、両親はやつれた顔で周りを見ていた。慣れない野宿で、ほんの数時間だけの休眠しか取れず、それでも両親はなんとか歩き切って森を抜けることができた。けれどアタリをつけていた街ですらもう天竜人の噂が流れていて、濡れ細り煤をつけた一家を見た住民たちは、街の入り口で私たちを罵ってきた。

 

「天竜人め!さっさと出て行け!」

 

「いや待て!捕らえて嬲り殺しにしてやろう!」

 

「生きたまま内臓を引きずり出してやれ!」

 

「女は街中で犯してやれ!」

 

ひゅ、と細く母親の呼吸が聞こえた。そりゃそうだ、名指しで強姦、輪姦してやると言われたのだから。生まれてから今まで高貴な世界で生きてきた彼女にとっては地獄のように見えたことだろう。今まで自分と同じ天竜人たちがしていたことを、今度は自分がされることになるなんて、ほんの僅かにも思ったことはなかったのだろう。子どもを腕の中に庇い、投げつけられる石を背に浴びながら、両親は何を思っていたのだろうか。

 

「……父上、母上、ここから南東にゴミ捨て場があるよ。そこに逃げよう」

 

苦渋の選択だった。だってそこで母親が体調を崩して死んでしまうのだから。けれど原作では確か、そこを拠点にしていても襲われるという描写はなかったはず。だからずっとそこにいるのではなく、一時的な休息の場として両親に提案したのだ。けれど、幼いドフラミンゴにそんなことが分かるはずなどなかった。

 

「ゴミ捨て場!?そんな所、絶対に嫌だえ!」

 

癇癪を起こして叫ぶドフラミンゴに、精神的な余裕などなかった私はつい大人気なく怒鳴ってしまった。

 

「このままじゃ捕まるんだよ!?兄上は母上が酷い目にあってもいいの!?」

 

「っ…!そんなの、いいわけがないえ!!!」

 

「…兄上、ルシーも、もうやめてよぉ…!」

 

わあわあと怒鳴りあって泣く子ども3人を、両親は悲痛な顔で抱きしめてきた。

 

「ドフィ、すまない、我慢してくれ。きっと私がなんとかする。きっとだ…!」

 

「あなた…」

 

「ーーーさあ、案内しておくれ、ルシー」

 

「………はい、父上」

 

避難グッズの中の水と乾パンで飢えを凌ぎながら、海沿いを数日かけて歩いた。2歳児の時よりも体力がついたとはいえ、ほんの少し歩いただけですぐに息が切れるこの体は……やはり、普通よりも弱いのだろう。前世で近所にいた幼稚園児なんて一生走り回ってるって感じだったのに。ドフラミンゴとロシナンテも、日常的に活動量が少なかった両親よりも元気で、先へ先へと両親の手を引いて行く。ロシナンテは10歩に1回は転ぶけど。

 

「ああ…あそこか…」

 

土砂降りの雨は何度か降ったりやんだりして、その度に全員の体力を奪っていった。特に母親は赤い顔をしてふらふらしていた。

 

(マズイ…マズイ、これはマズイ!とりあえず薬を飲ませなきゃ!)

 

天竜人をやめる時に持ってきた薬だが、消費期限はまだまだ先だから大丈夫なはず。母親の症状は疲労からくる風邪のようなものだから、滋養強壮剤で大丈夫なはず。…素人が勝手に薬を飲ませるなんて完全にアウトだ。本当は親相手にこんな賭けみたいなことをしたくなかった。けれど、これはもう仕方がないことだと、腹をくくるしかなかった。

 

「雨露をしのげるだけでありがたい……」

 

ようやくたどり着いたボロボロの掘っ建て小屋で、父親はそう漏らした。それは彼の本心からの言葉だったのだろう。妻を粗末で汚いベッドに運んだ後、ゴキブリのような虫が這い回る床に荷物も何もかも置いて、彼はその場に座り込んだ。

 

「こんな汚い所で生きていけるわけないえ!!!」

 

家の匂いに吐き気がする、虫があちこちを這いずり回っている、そう言ってドフラミンゴは激怒していた。

 

「母上、しっかり水分を摂って眠ってね。着替えの服は確か避難グッズに……あ、濡れてる…」

 

何度も大雨にあたったせいで、リュックの中は水浸しになっていた。せっかく着替えの服も持ってきたのにこれでは意味がない、と防水の袋に入れなかった過去の自分を殴り飛ばしてやりたくなった。そんな私の頭をロシナンテは撫でて慰めてきた。

 

「ルシーはいっぱい頑張ったよ。本当だよ」

 

「ええ、そうね。こんなに小さくて体の弱いあなたがここまで頑張ってくれただけで十分よ」

 

それはたぶん今はアドレナリンがドバドバ出ているだけで、またすぐダウンしちゃうと思うんだけど、なんてヤボなことは言わなかった。自分も辛いだろうに褒めてくれる優しい兄と母親には、ただただ頭が上がらなかった。

 

「……みんな、先に眠っていなさい」

 

口をへの字に曲げたドフラミンゴをこちらにやって、父親は家を出て行った。きっと一人で落ち込んでいるんだろう。慰めるべきか、それとも放っておくべきだろうか。そんなことを考えながら、母親たちが眠るベッドから降りて部屋を出ようとした。その時、後ろから誰かに腕を掴まれて驚いた。

 

「待て、ルシー」

 

「ど、ドフィ兄上…?」

 

「………ルシーは、平気かえ?」

 

「へ?」

 

「母上もルシーも体が弱いのに、こんな所にいて平気かえ?」

 

その言葉にハッとした。きっとドフラミンゴの癇癪や激怒は彼自身の利己的な感情そのものなのだろう。しかし、その中にカケラでも、体の弱い母親と妹を思う気持ちもあったのだ。ゴミ捨て場を嫌がったのも、あばら家に文句を言うのも、自分のためであり家族のためでもあったのだ。

 

「ありがとう、兄上。今はまだ大丈夫。兄上も大丈夫?」

 

「大丈夫じゃないえ…あそこに帰りたいえ…」

 

悲しみだけでなく激しい怒りも感じる声音でドフラミンゴはそう呟いた。小さくとも彼はドフラミンゴなのだな、と私は素直にそう思った。その時だ。

 

「ここまでの事になるとは想定できなかった…!私が甘かったんだ…!」

 

隣の部屋から、温厚な父親にしては珍しく荒げた声が聞こえた。ドフラミンゴと互いに顔を見合わせ、どちらともなくあばら家の外へと続くカーテンをわずかに開けて、その隙間から父親の姿を見た。こちらに背を向けた父親はいつもの大きな体と同じとは思えないくらいに、そう、まるで別人のように小さく見えた。

 

「頼む、何でもする…!妻と子供達だけでいい、マリージョアへ帰らせてくれないか………このままでは一家全員殺されてしまう!!!」

 

『君が選んだ人生だえ。捨てたものは戻らない。もう二度とかけて来るな』

 

ロシナンテが避難グッズに入れていたのだろう電伝虫を使い、父親はマリージョアへと電話をかけていた。なんて甘い人なんだろうか。自分が足蹴にして捨てておいて、困った時は頼ろうとするだなんて。私と同じことを思っていたのだろう通話相手は、尊大な声で吐き捨てるようにこう言ったのだ。

 

『人間の分際で』

 

ガチャ!と通信は荒っぽく切られた。父親は体を丸めて呻くように泣き出した。ギュッと私の手を握りしめ、ドフラミンゴはそんな父親の背を見つめていた。

 

「………」

 

いつものように怒鳴るでもなく、悔しそうに歯噛みするでもなく、ただただ無言のままで。

 



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6.それは私の義務だから

 

 

あんな父親の姿を見てから、ドフラミンゴは不気味なほどに大人しくなった。毎日のように起こしていた癇癪も、文句も言うことがなくなった。けれど私も家族も、なぜドフラミンゴが大人しくなったのか、なんて考える余裕はなかった。生きていくのに必死にならざるを得なかったのだ。

 

「そこのお肉と、干し肉ください」

 

「おや、お嬢ちゃん一人でお使い?小さいのに偉いねぇ」

 

「えへへ。あのね、ちゃんと一人でお買い物ができたら、お父さんとお母さんが褒めてくれるの!だからがんばるの!」

 

「そうかいそうかい。…ところでお嬢ちゃん、見ない顔だけど、どこの子なんだい?」

 

「えっ、えっと…あのね、向こうの向こうの向こうの通りを向こうに行って向こうに行ったところなの」

 

「うーん…そっかぁ、遠いところから来たんだねぇ」

 

偉いねえ、なんて肉屋のおばさんに褒められながら支払いをして商品を受け取った。とっさに子どもらしく曖昧な感じで住んでいるところをごまかしたけれど、この街の子どもではないとバレただろうか。いや、まだ大丈夫そうだ。

 

「最近天竜人狩りが横行しているからね、お嬢ちゃんは巻き込まれないように気をつけるんだよ」

 

「えっ、天竜人ってなあに?私分かんなーい」

 

「…人を家畜のように扱うやつらさ。さあ、明るいうちに帰りな」

 

「…はーい」

 

口に出すのも汚らわしい、とおばさんは顔をしかめていた。どこへ行っても天竜人の嫌われっぷりはすさまじいものがある。なんだかなー、と思いながら街の人たちの様子を横目に街を散策した。引っ越して2週間、まだ買出し係の私を天竜人とは疑っていないらしく、こっちを見てヒソヒソとかはなさそう。せめて母親の体調が落ち着いてもう少しマシな所へ引っ越しするまでは…私たちにとって安全な街であってほしい。

 

「コホッ…街の様子は…どう…?」

 

「まだ大丈夫だよ。母上は?」

 

「ええ、大丈夫よ…コホコホッ」

 

嫌な咳だ。薬も効かず、食欲もないまま。このまま原作通りになるのでは、と嫌な感じがひしひししている。母親の服を着替えさせてあげながら、早く何とかしなくては、と焦りを押し殺した。

 

「父上、海軍に連絡はした?」

 

「ああ…しかしこちらの名前を言った途端切られてしまってな…」

 

「………ぅゎ…」

 

この人バカなの?こっちがどれだけ助けを求めたところで、海軍なんて普通は一般市民から成ってる組織じゃないか。これだけ迫害を受けて、一般市民に天竜人アレルギーがあるって身に染みて理解しているはずなのに、なぜ素直にフルネームを答えてしまうのか…。

 

「…どうすべきだろうか、ルシー」

 

「〜〜っ!じゃあ次は私が…って子どものいたずらって思われたらダメだから……母上に、かけてもらう。台本は私が用意するわ。…あ、兄上たち、みんなのご飯用にお肉を焼いてもらっていい?母上のごはんは私が作るから」

 

「うんっ」

 

「父上……一体いつまで…こんな暮らしが続くえ?」

 

「ドフィ……」

 

ドフラミンゴの言葉に父親は肩を落とした。けれど、そんな暇があるならさっさと助かるための手立てを考えて欲しいのだ。

 

「兄上、お腹空いたでしょ?私もお腹ぺこぺこなの!早くお肉焼いて欲しいなぁ」

 

「昨日もごはん食べてないもんね。ねえ、兄上…うわっ!」

 

ロシナンテが肉を抱えたまま盛大に転んだ。手に持っていた肉が包装紙から飛び出てゴキブリの上にべちゃりと落ちた。あーあ…あれはもう食べられないわ…せめてただの床の上だったらよかったのに、なぜゴキブリの真上…絶対無理…生理的に無理…。

 

「あっ……ご、ごめんなさい…っ!」

 

「あー、うん……もう一回買いに行ってくる。みんな、干し肉食べてて…」

 

崖をよじ登れないから遠回りになるけれど森の中を抜けて2日かけて買い出しに行くことになる。子どもの体にあるまじき関節痛と筋肉痛を引きずって、私はカバンに金を補充した。あの肉が無事だったなら、体の不調を治す猶予があったんだけどなぁ。それでも、金銭感覚も買い物の仕方も分からない父親やドジっ子のロシナンテ、天竜人節が抜けないドフラミンゴを行かせるよりは百倍も千倍もマシなのが事実である。父親たちの気遣わしげな視線を背に浴びながら家を出た。

 

(先に海軍に連絡した方がよかった?でも、海軍がいつ到着するか分からないし、これ以上家族を飢えさせると確実にヤバイ。特に母親は虫の息って状態なのに…。せめてあと一回は食べ物を補充して、それから避難を求める方がいい。私が家族を守るんだ。私が彼らを守らないと)

 

頼れる者はいない。守ってくれる者もいない。食べるもの、住む場所、健康、そんな目の前のことに必死にならないと生きていけなくて、ほとんど薄れてしまった前世の記憶を活かして有利に生きるだなんて発想になどなれるはずもなかった。お荷物を4人も抱えた4歳児による究極のサバイバルだ。敵は世界そのもの。

 

「……私が、やらなくちゃ」

 

呪文のように呟きながら、この3週間ほど絶え間なく酷使し続けて痛む体でゴミ山を越える。後ろから軽い足音がいくつか聞こえてきた。

 

「ルシー!待つえ!一緒に行くえ!」

 

「ドフィ兄上?えっ、ロシー兄上も?どうして?」

 

「ルシーだけじゃ危ないから…それに、ぼくたちも行けばたくさん持って帰れるから」

 

「おおぉ…なんか、成長してる…」

 

「さっさと行くえ!」

 

「あ、はーい」

 

親は変わらずあんな状態だというのに、子どもというのはこんなにも成長するものなのか。ドフラミンゴとロシナンテのメンタルが強くなりつつあることに感動した。なんだか完全に我が子の成長を見守る母親目線になってしまった。両側から兄二人が小さな手で、もっと小さい私の手を握ってきた。

 

「ルシーのことはちゃんと守ってやるえ」

 

「だから泣いてもいいんだよ、ルシー…うわぁっ!」

 

さっそく転んだロシナンテに引きずられて私も転んでしまったけれど、ドフラミンゴがなんとか腕を引っ張って支えてくれたおかげで顔面ダイブはしなくて済んだ。でも、ああ、そうか。家に火をつけられてから今まで、家族の中では私だけが声を上げて泣いていない。それを気にしていたのか。

 

「別に、泣かなくても生きていけるんだよ、兄上」

 

「……さっさと行くえ」

 

「私は大丈夫だから、母上の側にいてあげて。父上だけじゃ頼りないし」

 

「だめだよ!」

 

「ルシーも女だえ!下々民に何かされるかもしれないえ…!」

 

「え、こんな子どもに?」

 

まさか母親だけでなく成長期などまだまだ先の妹にまで気を使っていたとは。子どもだ子どもだと思っていたけれど、本当に成長しているんだなぁ。うっかり涙腺を刺激されてしまう…まあ、そんなことで泣けないけど。

 

「…じゃあ、兄上たちも一緒に行ってほしいなぁ」

 

二人のちょっと汗ばんだ小さな手を握りしめた。一人で歩くというのはやはり疲れが出るものだったらしい。ロシナンテがしょっちゅう転ぶとはいえ、早くも超人の片鱗を見せるドフラミンゴが弟妹を引っ張って進んでくれたおかげで1日ちょっとで街にたどり着くことができた。

 

「え、早…すげぇ」

 

途中でドフラミンゴとロシナンテに背負ってもらったからか、疲れもほとんどない。ワンピース世界の10歳児と8歳児…すごい。

 

「何を買うんだえ?」

 

「ああ、えっと肉をね。あとドライフルーツとかあればいいんだけど。うーん…兄上たちでお肉買ってきてもらってもいい?塊肉5kgほどでいいかな。お金はこれで十分足りるはず」

 

「ルシーは?」

 

「ドライフルーツとオートミールと、あと薬とか買ってくる。買い終わったら街の外の坂で集合ね」

 

こっくりと頷いたロシナンテに札を数枚握らせて、ドフラミンゴにロシナンテがドジをしないよう頼んだ。ドフラミンゴがいれば、もし何かあっても上手く逃げられるだろう。

 

「それにしても……なんだろ、今日はガラが悪いのが多いな…」

 

露出の多い服を着た女を侍らす男たちが、手に物騒な武器を持ってたむろしている。その中の一人の背を見て肩が震えた。

 

(海賊…!?)

 

背にドクロとバツのマーク…誰でも分かる、明らかな海賊の印だった。

 

「あン?」

 

「っ!」

 

あまりに見つめていたからか、視線を感じたらしい男に一瞥された。とっさに目をそらしてコソコソ逃げた。怖い、あれは人に暴力を振るうことに躊躇いのない類の人種だ。さっさと買い物を済ませて、街の外を目指して走った。酸欠で倒れかけて何度か休憩を取ったけれど、それでも今までのように情報収集をしていないだけ早いと思う。ドフラミンゴとロシナンテは、と周りを見渡して……見つけた。

 

「チッ…やられた…」

 

食材を抱えたロシナンテを背に守るようにして、ドフラミンゴが怒鳴りつけている相手。街にたむろしていたガラの悪い面々だった。子どもの持つ荷物を狙ったのか、誘拐でもしてやろうと思ったのか…そしてドフラミンゴがいつもの天竜人節で返してしまったのだろうか。正直に言うと、自分一人だけでも逃げたいと思った。だって子どもたちを守って痛いめに合うのは嫌だ。だけど…。

 

「……私は大人、私は大人、私は大人…!」

 

大きく息を吸い込んで、下っ腹に力を入れた。荷物を木陰に投げて、ドフラミンゴとロシナンテの元へと駆け寄る。私は大人だ、だから子どもを守る義務がある。私は彼らの家族だ、だから兄たちを守る義務がある。

 

「あの!私の兄たちに何の御用でしょうか!?」

 

たとえ、今ここで私が殺されてしまうことになっても。

 



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7.さよならは言えないまま

 

 

わあん、わあん、と鍋の蓋が落ちたみたいな、子どもが泣いてるような…そんな音が遠くから聞こえていた。体を揺さぶられる感じがあって、ああ、もう朝なんだとぼんやり思った。なんだか長い間、お母さんのごはんを食べてない気がする。そうだ、久しぶりに和食がいいなぁ。料亭のごはんみたいなのじゃなくていいよ。白いごはんとお味噌汁、それから卵焼き。焼き魚があったら万々歳かな。あと肉じゃがも食べたい。ううん、やっぱり何でもいいよ。お母さんの作ってくれたごはんならなんでもいい。

 

(お腹いっぱいごはんを食べて、綺麗であったかい布団でたくさん寝たい。ただ生きるだけのことなんかに心配せず、誰にも怖い思いをさせられないで…)

 

そこまで考えて、おや?と疑問が浮かんだ。平和な日本に生まれ育った私が、なぜそんなことを心配するのか、と。

 

「………ぅ……」

 

ほんの少し身じろぎしただけで、腹部を中心に激痛が走った。まるで全力で動き回って筋肉痛になったみたいな、前世で毎月地獄のような苦しみを感じていた生理痛が内臓全部に広がって出てきたみたいな。息が止まるほどの苦痛にしばらく耐えて、なんとか目を開けてみればボロボロで粗末な天井が視界に広がった。やだ、私の部屋にいつの間に改修業者が入ったの?お母さん何も言ってなかったじゃん。部屋の片付けとかしてないからその辺に雑誌とか放置して…。

 

(ん?前世…?………あ)

 

切れた糸が繋ぎ合わさったように、記憶がギュルギュルと急激に戻った。私は生まれ変わって、ドンキホーテ家の娘になって、家を焼かれて、ドフラミンゴたちと買い物に行って、それで…それで……。

 

「……る、ルシー!?」

 

ぐわん、とベッドが沈んで体が揺れた。ベッドに飛び乗ってきたらしいドフラミンゴが、真上から私を見下ろしていた。

 

「……あに、うえ…?」

 

「ルシーッ!!!」

 

「ぐえっ!」

 

容赦ない抱きつき攻撃で体中が悲鳴をあげた。今度こそ息もできなくて目の前にチカチカ星が飛び散った。だというのにドフラミンゴはこっちの様子などおかまいなしでぎゅうぎゅう抱きしめてくる。そろそろ死ぬ、と意識が薄れかかった時、外からロシナンテの声が聞こえてきた。

 

「兄上、母上にお花を…ルシー!?」

 

バフッとベッドから埃が舞って、ベッドが沈んだ。…嫌な予感。反対側からロシナンテの顔のアップが視界を占めて、ガッチリ拘束されるが如く体をホールドされた。

 

「ル"ジィィィ…!!!」

 

「ぐぇぇ…」

 

「ル"ジー…ごべん…ごべんね"……っ!」

 

これは一体何事なんだろうか。ドフラミンゴは無言で絞め殺さんばかりに抱きついてくるし、ロシナンテは鼻水まで滝のように流しながら謝罪の言葉を繰り返している。二人ともが、あっという間に私の服がびしょ濡れになるほど、号泣している。なんとか痛みを堪えつつ身をよじって、気道を確保した。何か分からないけれど、この子ども二人が泣きじゃくるなんてそうそうない。手は何故か動かなかったから、頭を左右に動かして、頬をそれぞれの頭に擦り付けた。

 

「泣かないで、ドフィ兄上、ロシー兄上」

 

「でも"…っ!」

 

「……ルシー…!?」

 

ガラン、と金属の何かが床に落ちる音がして、父親の声が聞こえた。

 

「父上?」

 

「ああ……ルシー!ああ、あぁ……よかった、ルシー…!よかった!!!」

 

「ぐえー」

 

父親が子どもをまとめて抱きしめるようにしてきたせいで、せっかく呼吸できていたのにまた酸欠になった。本当にこいつら似た者親子だな!親子……おや?そういえば母親の姿が見えない。というか私が寝ているここってベッドだよね?ベッドって母親がずっと使ってたよね?あれ、母親どこいった?もしかして治った!?

 

「父上、ねえ、母上はどこ?」

 

父親が、ピタリと嗚咽を止めて表情を暗くした。ドフラミンゴが一層強く抱きついてきた。ロシナンテがびくりと震えて一層激しく泣き出した。そんな彼らを見て、ひどく嫌な感じがした。

 

「母上は、どこ?」

 

父親の反応を見ながら、慎重に尋ねた。じわりと滲んだ嫌な汗に、気付かないフリをして。

 

「ーー…ぁ………」

 

「母上は!出て行ったんだえ!!!」

 

「…ドフィ兄上?」

 

か細く息を吸った父上が声を出すより早く、ドフラミンゴはそう声を張り上げた。

 

「『こんな所はもう嫌だ』と、母上は出て行ってしまったんだえ!だから、もうここには帰って来ないんだえ!」

 

「兄上…〜っ!」

 

「だから!ルシーは母上のことは忘れてしまうんだえ!」

 

「ウゥ…ッ!」

 

嘘だ。ロシナンテが絶望したような顔で泣いている。父親が悔しさをにじませる顔で泣いている。何よりドフラミンゴが、以前の癇癪の時のような、思い通りにならない全てに対して激怒する顔で、泣いている。

 

(ああ、死んだのか)

 

あの弱い女性は、死んでしまったのか。人に虐げられたのに、復讐も何も考えず、怯えて暮らすだけだった弱い人。雨に打たれても、石を投げつけられても、我が子を細くて頼りない腕の中に隠して守り続けた弱い人。前世の記憶のあるバケモノのような私を、周囲の天竜人のように気持ち悪がりもせず、ただただ笑顔で慈しんで愛してくれた人だった。……ああ、もしかしたら、そんな天竜人たちから私を遠ざけたくて、夫の計画に賛同したのかもしれない。だからって天竜人をやめてしまうなんて、今でも私は馬鹿だと言ってやりたいけれど。

 

(……最期まで、あの人を母親と愛することはできなかったなぁ)

 

前世の年齢と比較しても、彼女のことは姉妹と同じ感覚でしか見ることができなかった。腹を痛めて産んでくれても、ずっと愛してくれていても、私は彼女を母親として愛することができなかった。私の母親は、前世でのお母さんただ一人だけだったから。もし、彼女の今際の際に私が寄り添っていたとしても、きっと最期の最後まで、私は彼女を母親と見ることはなかった。けれど、彼女は本当に、この世界で私が出会った誰よりも、『母親』だったと思う。

 

「……そう…母上は、いってしまったのね…」

 

彼女が逝った先は、きっとこんなゴミ捨て場なんかよりも、ずっとずっと綺麗であたたかい所だろう。

 

(お腹いっぱいごはんを食べられて、綺麗であったかい布団でたくさん寝られて。ただ生きるだけのことなんかに心配せず、誰にも怖い思いをさせられないで…)

 

「…ぁ。……ふふ…」

 

ふと、頭の中で繋がった。私が前世で生きていたあの場所は……今はもう遥か遠く、手の届かないあの世界は。

 

きっと、天国と呼ぶにふさわしい場所だったのだ。

 



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8.理不尽だと嘆くこともできないまま

 

「ははーん。なるほど、理解できましたわー」

 

つまり私は買い物の後、ゴロツキに絡まれているドフラミンゴとロシナンテを助けんと割って入ってゴロツキと交渉したけれど、見逃してくれると思いきや背後から踏んだり蹴ったりどころではない明らかな暴行を受け、トドメに金属バット的な物で頭を殴られ昏睡。同じく暴行を受けたロシナンテも気絶。ドフラミンゴはなんとか意識を失うまでではなかったけれど、動けない状態になっていた。

 

(ここまでは原作にもあった…気がする。あー…だいぶ原作の記憶無くなってきてるなぁ。最後に漫画読んだのって5年くらい前?しかもそんなガッツリ読み込んでないし…)

 

なんとかロシナンテの意識が戻り、ドフラミンゴも動けるようになったけれど、私だけが意識不明のままで、死ぬと思ったドフラミンゴたちは私を医者に運び込んだ。そこで不審に思いながらも医者は私を治療してくれた。私は腕指足肋骨とあらゆる骨が折れて、内臓も破裂まではいかずとも腫れ上がって炎症を起こした状態になっていたらしい。で、お代の話になった時に、ようやくドフラミンゴが父親に伝えることを思い出して走ってゴミ捨て場に帰った。驚いた父親は私の避難グッズだけでなくロシナンテの避難グッズからも金品を根こそぎ取り出して持って行った。…結果はご想像の通り。

 

「つまり、一般人が一生かかっても目にすることなんてないほどの金貨と札束を持って行ったことで、街中に私たちが天竜人だとバレたと。んで、あれだけあった金品全てを投げ出したせいでうちは今無一文だと」

 

「し、しかしルシー、お前を助けるためだったんだ…」

 

「………ハーーーーーァァァ……教育すべきは親の金銭感覚だったか…」

 

まさか、こんなことになるだなんて思いもしなかった。どこかで暴行を受けるだろうとは想像がついていた。いずれこのまま母親が死ぬだろうということも。けれど、まさか…まさか、自分が暴行を受けて気を失った間に無一文になって、その間に母親が死んで、街中に天竜人だとバレるだなんて…。これでプランは練り直しだ。母親の声で海軍に助けを呼ぶ案が消えた。移動しながら細々と街で買い物をして生きていく案も消えた。さて、これからどうすべきか。

 

「…父上、もう一度海軍に電話しよう。今度は私の台本通りに喋って」

 

「あ、ああ、分かった!」

 

体を動かせないので口頭でセリフを伝えて、禁止事項を何度も繰り返し頭に刷り込ませた。天竜人だったことを知られないようにする。ドンキホーテの名前を言わず偽名を伝える。シナリオはこうだ。代々森の中で細々と暮らす一家だったが、チンピラに襲われ命からがら家を捨てて逃げ出し、運悪く天竜人の逃亡と時期が重なり街では保護してもらえず、幼い子どもたちは街の住民たちから暴行を受け死にかけている。

 

「これで本当に上手く行くだろうか…」

 

「上手く行くかじゃない、上手く行かせるの。それと、場所はここじゃなくもっと離れた場所を伝えて。きっと近くの街では天竜人が近くにいるって噂になってるはずだから」

 

「ああ、分かった」

 

住民たちが起きる前にとゴミを漁りに街まで行ったドフラミンゴとロシナンテには悪いが、電話をするタイミングでいなくてよかったと思う。途中で父親の通話を邪魔されたり、父親が気をそらして海軍に嘘だとバレてはいけないから。

 

『ガチャッ!こちら海軍第213支部。事件ですか?事故ですか?』

 

「事件です、助けてください!」

 

話が通じそうだ、と気が急いて声が大きくなった父親をジェスチャーで制した。冷静に、慎重に事を運ばなくては。

 

『では現在の状況と場所をーーー………え?あっ、はい、分かりました。…少々お待ちください』

 

プツ、と音が途絶えた。何だこれは、何が起きているんだ。途中で誰か違う人物に通信を遮られた。助けを求める人に待てだなんて、普通はありえない。もしかしたら命に関わることかもしれないのに。じわりと冷や汗が背中を流れた。父親は何も不思議に思っていないらしく、まだかまだかと待っているだけだ。嫌な感じがする。とても、とても嫌な予感がする。

 

『…お待たせいたしました。お名前はドンキホーテ・ホーミング、でよろしいですね』

 

「!!?」

 

(嘘だろ、なんでーー!!?)

 

まさか逆探知とかされたの?そんな技術が、この世界にあるの?いや、そうだとしてもいちいち電話一つ一つに逆探知なんて普通しないよね?なのになんでーー!?ハッとして父親を見ると、不思議なくらいに全てがスローモーションに見えた。たぶん火事場の馬鹿力というか、本能的に一瞬だけでも限界突破できたんだと思う。馬鹿正直に頷こうとした父親の袖を掴んで、必死の形相で首を横に振って見せた。

 

「あっ……い、いいえ、違います…!」

 

『…そうでしたか、失礼しました。ところで、どのようなご用件ですか?』

 

「じ、実はーーー」

 

何度か手元の台本を見ながら、つっかえつっかえ父親はセリフを読み上げた。…気味が悪いほどに通話相手は相槌一つなく無言のままだった。ああ、これは嘘だとバレているな、と途中で諦めがつくほど。こんな馬鹿馬鹿しい茶番、さっさと終わらせてしまいたかったほどに。

 

『大変でしたね。…ところで。そちらの島ですが、世界政府の非加盟国となっております。つまり、残念ながら我々海軍にはあなた方を助ける義務がありません』

 

「なっーーー」

 

『そちらの島に寄ることがありましたら、またご連絡させていただきます』

 

慇懃無礼な言い回しで、相手は通信を切った。ああ…やられた。そもそもこっちの身分がバレた時点で終わっていたのかもしれない。けれど、まさか非加盟国であることを逆手にとってくるだなんて…!

 

「う…ウゥ…ッ!!!」

 

台本をぐしゃりと握りしめ、父親は床に蹲ってしまった。そんな父親を見て、私はここで死ぬことを覚悟した。ドフラミンゴは必ず生き残る。父親は必ず殺される。私もきっとこの分なら死ぬだけだろう。…ロシナンテは大丈夫だ、だって彼はコラさんになるんだから。……待てよ?なんでコラさんになるんだっけ?コラさんってそもそも……ああ、確か、ええと、海軍のスパイだったっけ。あれ?でもどうしてドフラミンゴと一緒に海賊にならなかったんだ?

 

(…ほとんど、原作のことなんて忘れちゃった)

 

主人公ルフィの冒険の数々は割としっかり覚えている。仲間の子たちの出自やエピソードも。けど、主人公が倒す敵の一人の細かい人生までは覚えてなんていない。そう、自分がこんなことになるだなんて思いながら頭に叩き込んだりなんてするはずがなかった。…ここから先はどうなるか分からない、としか言いようがない。

 

「…まあ、何とかなるよ」

 

なるようにしかならないよ。そんな言葉を飲み込んで、父親に笑いかけた。母親が死んだ時点で、父親を生き延びさせることは不可能なのだろうと察していた。死ぬ予定の人間を生き延びさせるなんて、こんな極限状態では不可能だ。何より私が先に死にそう。

 

(あーあ、なんで平和なイーストブルーとかに生まれることができなかったのかなぁ)

 

両手で顔を覆って嘆いた。せめて平和な東の海に生まれていたなら、こんな危険極まりないワンピースの世界でだって生き延びられたかもしれないのに。…あ、もちろん一般的なご家庭でね。ルフィたちの生まれ育った島のゴミ山とか絶対死ぬ。生きたまま燃やされる。

 

「……ルシー?」

 

「んー?」

 

「お前…その、腕は大丈夫なのかい?」

 

「うで?」

 

「ああ…。そんなに動かしても痛みはないのかい?」

 

「いや全然………おや?」

 

そういえば、骨がバキバキに折られたのに、なんで腕が動くんだろう。まさか通話の最中に突然治ったんだろうか。いやいや、そんなまさか…。内心自分の考えの突拍子もなさに笑いながら足を持ち上げて、痛みが全くないことに目を丸くした。まさか…まさか!?

 

「えっ、治った!?っぎゃあ!立てない!」

 

「ルシー!!?」

 

ベッドの上に勢いよく立ち上がったら、全身の力が抜けたようにへにゃりとへたり込んでしまった。よくよく見ると足や腕があらぬ方向にぐんにゃりと曲がってしまっている。ああ、コレ絶対治ってないわ。

 

「急にどうしたんだ、ルシー…」

 

娘が奇妙なことをし始めた、と戸惑いを隠せない父親に真顔で尋ねられたのが辛すぎたので、素直に答えることにした。

 

「あのー、全然痛みがなくって…」

 

「痛みが!?それは……いいことなんだろうが、他は何か変なところはないかい?出血は?」

 

「その辺は大丈夫。でも……そういえば、シーツとか触ってる感じが、しない…」

 

まるで分厚い手袋を何重にもつけていて、感覚が全くないみたい。微かな振動だけしか分からないから、自分がちゃんと左右に均等に力をかけてベッドに座っているのかすらも分からない。平衡感覚は……うん、今は大丈夫そうだけど。痛覚と触覚、この2つが、消えた。もしかしたら他の感覚も?

 

「何か酷い事態になったのか…!?」

 

「あー…ううん、たぶん痛すぎて感覚が麻痺しただけだと思う。きっとすぐ治るよ。…たぶん」

 

痛くないのは嬉しい。うっかり刺されて死にかけても痛みがないから気付けないって点では生き物としてもう死ぬしかない=アウトな気がするけれど。それでもこれからの暴虐を耐えるためと考えれば。それに、そんなことよりも食料問題とかをなんとかしなくちゃ。

 

「父上、釣竿を作ろう。海に行って魚を釣るの」

 

「ああ、わかった。…ところで、釣竿とは何かね?」

 

「だーーー!!!棒の先に糸つけて、糸の端に虫とか付けたやつ!ほら、早く外のゴミからそれっぽいの見つけてきて!」

 

「あ、ああ!」

 

だんだん私も父親に容赦しなくなってきたなぁ。布団に倒れこんで乱れた息を整えた。体は動く、痛覚と触覚はない。…これ、もしかしたら空腹とかも感じないのかな。だとしたら私は限界まで遠慮して、彼らに優先的に食べさせてあげられる。

 

「ルシー、戻ったえ!」

 

「ルシー…うわっ!」

 

「おかえり、兄上たち」

 

ドフラミンゴとロシナンテが手に手に生ゴミ…もとい、私と父親の食事を持って帰ってきた。かろうじて虫がたかっていないものだ。衛生面ではとても気になるとけれど、食べられると判断した彼らを信じるしかないのが現状だ。

 

「私はお腹減ってないから先に父上にあげて。兄上たちはちゃんと食べた?」

 

「ああ。なら、先に父上に持っていくえ」

 

「お願いね」

 

頷いた二人を見て安堵した。お腹を壊していないようだし、このまま無事に生きて行ってほしい。…と親目線で思っていたら、ドフラミンゴが父親に食料を持って行った途端にロシナンテが腹を抑えて蹲ってしまった。

 

「えっ、ちょ、兄上!?」

 

「なんか……きもち、わるい…」

 

食あたりだ!安心できる場所に帰ってきて緊張が切れて、そこでやっと自分の体の不調に気づいたといったところか。吐きそうな顔で床に蹲るロシナンテを、せめてベッドで休ませたかった。

 

「兄上、こっち。ここで休みなよ」

 

「…うん……」

 

よろよろとベッドによじ登って隣に入り込んだロシナンテは青い顔をしていた。布団を上にかけてあげて、お腹を軽く叩いた。可哀想だと思った。こんなに小さいのに、優しい子なのに、こんな目にあってしまって…。

 

「……ははうえ…」

 

ロシナンテは、ぽろりと涙を流した。死んだ母親を恋しがって泣く姿を見るのはこれが初めてだった。

 

「……ロシー、大丈夫よ。大丈夫、きっと、すぐに良くなるわ」

 

母親の真似をして、トン、トン、とお腹の上からリズムをとった。

 

「ロシー、可愛いロシー…今は、ゆっくり眠りなさい」

 

「………」

 

少しして、ロシナンテの呼吸が安らかなものになった。眉間のしわも和らいで、顔色はまだ悪いけれど眠りにつけたようだった。いつまでも苦しむ子どもを見続けるなんて居た堪れなかったので、ホッとして息を吐いた。すると、ベッドの反対側がギシっと押されて揺れた。

 

「………」

 

「ドフィ兄上?」

 

「……ロシーばかり、ズルイえ!」

 

むっつりと引きむすんでいた口を開いたかと思うと、そんなことを言い出した。ああ、10歳とはいえドフラミンゴも寂しかったのか。相変わらずサングラスは外さないまま、布団に潜り込んで私の体にくっついてきた。オイオイ、力一杯くっ付いてくるなよ…痛覚無くなってなかったらまた激痛ものだったぜ?なんてハードボイルドに私の心の悪魔が文句を言ったけれど、心の天使は可哀想な子どもに真似でもいいから母親の安らぎを与えてあげるべきよ、なんて言い出していた。それもそうだな、と納得して、ドフラミンゴの体に手を回して、背中を軽く叩いて言葉をかけてあげた。

 

「ドフィ、頑張り屋さんのドフィ。いつも家族みんなを助けてくれて、ありがとう。辛いのに、頑張ってくれてありがとう」

 

髪を撫でて、背中でリズムをとって、優しく優しく声をかけた。ドフラミンゴにこんなに優しく声をかけたのは、たぶん初めてだ。ドフラミンゴはちょっと居心地悪そうに身じろぎしたけれど、特に文句も言わず、逆に私の包帯だらけの体に擦りついてきた。

 

「……もっと」

 

「…ふふ。可愛いねぇ、ドフィ。大丈夫、ドフィは一人じゃないから…」

 

役立たずの父親と、ドジっ子の弟と、ズタボロな妹を抱えて、ドフラミンゴもきっと追い詰められているのだろう。少しでも楽になればいい、少しでも何も考えなくていい時間を持てたらいい。そんな思いで、私はドフラミンゴに優しく声をかけ続けた。震える体と流れる涙に見て見ぬ振りをして。

 



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9.指をくわえて見守るだけ

 

 

ドフラミンゴとロシナンテを名前呼びで甘やかすようになって早2年。徐々にドフラミンゴから独特の喋り方が抜けてきて、ロシナンテはお腹を壊すことがなくなってきた。父親は、まあ、相変わらずだけど…上手く使えばちゃんと動いてくれることが分かった。今までは単に動き方が分からないだけだったようだ。そして私はというと、驚くことに2年もの間、死なずに済んでいた。いくつか考えられる理由はあるが、まず一番にあるのは私が街に行かなくなったということだろう。直接命に関わる暴行を受けることがないから、たとえ食べ物や感染症で死にかけてもなんとか復活できたというべきか。

 

(でもこれは完全にアウトだよなぁ…)

 

わあわあと騒ぎ立てる街の住民に囲まれ、父親に庇われながら思った。これは確実に詰んだ。私の6年の人生終了宣言が間近で高らかに聞こえてる気がする。ドフラミンゴたちは頑張った方だろう。2年もの間、ゴミ捨て場が住居だと特定されていなかったのだから。…もしかすると私たちの住居の特定は済んでいて、元天竜人を迫害しても本当に海軍が来ないのか、少しずつ試していただけなのかもしれないけれど。とにかく詰んだ。家から引きずり出された私たちは、首に縄を付けられて一日中、文字通り引きずられながら、街に連れて来られた。

 

「子供達は許してくれ!!!私だけにしてくれェ〜〜〜!!!」

 

父親が泣いて叫んでいる。そんな父親に縋り付いてロシナンテもわあわあと泣いている。周りの人々の声が何か巨大な生き物の唸り声のように聞こえる。うるさい…ああ、うるさい!

 

(父親はもう無理だ、捨てていこう。でもドフィとロシーは、助けてあげたい…!)

 

耳を塞ぎながらなんとか逃げ道は、と目を凝らした。けれどどう頭をひねったって、知恵を絞ったって、360度周囲を取り囲む武装し我を失った住民たちに囲まれてはどうしようもなかった。話を聞くどころか今すぐ嬲り殺されそうだ。なんで海軍はロシナンテを助けないの。なんでドンキホーテファミリーの幹部の人たちはドフラミンゴを助けに来ないの。

 

「…っ!」

 

「っ!ドフィ…?」

 

ドフラミンゴが栄養失調で細い腕で私を抱き込んだ。まさか、この状況で私を守るつもりなのか。ちら、と顔を上げると、そこにあったのはとてもじゃないけど妹を守ろうとする兄の顔などではなかった。憎悪だ。周りの人々が憎くて憎くてたまらない、そんな顔。視線で人を殺せるのなら、きっとこの広場には死体しか残らないのだろう。ドフラミンゴは激怒していた。痩けてはいるが丸みのある子どもらしい顔に、怒りで青筋が浮き出ているほどに。

 

「ーーあにうえ…?」

 

「……っ!」

 

ドフラミンゴはほんの一瞬たりとも私に視線を落とさず、歯を噛み締めて周囲の人々と見ていた。サングラスの奥の目が、憎悪に燃えていた。私はこの時初めて恐怖を感じた。私たちを殺そうとする人々にではなく、実の兄の憤怒に対して。

 

「殺してやる…ッ!」

 

腕が白くなるほど強く抱きしめられていた私だけが聞いた、ドフラミンゴの言葉。あの言葉は一体誰に向けられたものだったのだろうか。触覚がなくなったはずなのに、なぜか背中を流れる冷たい汗を感じることはできた。

 

「殺すな……!!ずっと、生かして苦しめろ!!!」

 

一人ずつ紐でぐるぐる巻きにされて塔から吊るされ、火あぶりにされた。人々が自分や家族の身に起きたことを喚き始めた…まるでそう叫ぶことで私たちに行う残虐の全てが許されるとでも言いたげに。矢で射られたか銃で撃たれたのか、父親やドフラミンゴたちが叫び声を上げていた。

 

「頼む"!!子供達は助けてぐれ!!!…っ!ルシー…ルシー!返事をしてくれ…っ!ルシー!!!」

 

父親の声を、ぼんやりとした頭で聞いていた。一酸化中毒だろうか、炎の熱に喉をやられたのだろうか。頭がぼんやりとするし、声も出なかった。生きる気力がゴッソリと抜け落ちたのだ。私はもうとっくに疲れ果てていて、このまま死にたいな、なんて薄ぼんやりと思っていた。返事がないから妹が死んだとでも思ったらしく、父親とロシナンテが一層激しく泣き出した。

 

「も"うしにたいよォ」

 

父親とロシナンテがそう叫ぶ中。

 

「覚えてろ"オマエら"」

 

炎で枯れた声で、ドフラミンゴは怨嗟の言葉を紡ぎ始めた。

 

(……あーあ)

 

目覚めてしまった。今までは小悪魔程度だったドフラミンゴの本性が目覚めてしまった。

 

「おれは死なねェ……!!!何をされても生きのびて…おまえらを一人残らず殺しに行くからなァ!!!」

 

ビリリ、とドフラミンゴから何か振動のようなものが噴き出した。漫画の世界を現実のものと受け入れるには十分すぎるほどの物証ーーー覇王色の覇気だった。

 



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10.向けられた銃口

 

 

あの後、気が付いたらゴミ捨て場に戻ってきていた。ロシナンテと父親が困惑した顔でドフラミンゴを見ているのがとても気になったけど、覇王色の覇気で住民たちを圧倒したのが原因で間違いないだろう。ただ、誰がロープを引き上げて私たちを助けてくれたのかが不明だ。…街の中にも善人がいた?いや、そんなはずは……。

 

「イテテ…」

 

「兄上、大丈夫?」

 

「ぼくは大丈夫。ルシーは?」

 

「痛くないから平気。腫れてるのもたぶん放っておけば治るよ」

 

痛くないっていうのは最高だ。あと、火あぶりにされて気付いたけど、痛覚と触覚だけでなく温感もなくなっているようだった。何これサイコー!両足が熱気に炙られて真っ赤に腫れ上がっても全然痛くない!水膨れで水が溜まっているのかパンパンに腫れ上がっていても、うわーなんかグロテスクだわー、とか思うぐらいで全然平気!ホント痛くないって最高!そして最高にヤバイ!…これって皮膚が呼吸できてない状態だから確実にヤバイよね?皮膚がズル剥けて感染症になって死ぬパターンだよね?

 

「この人生って死亡フラグ乱立しすぎなんだよなぁ…」

 

「ルシー、やっぱり痛い…?」

 

「あっ、ううん全然!……兄上も酷いことになってるよねぇ。ズボンの破けてたところなんか皮膚が直にやられちゃったからなおさら…」

 

そう、ゴミ捨て場に2年も生活したけれど、奇跡的に我々は靴を潰さずに生活できていたのだ。というか、ゴミ捨て場にちょうどいいサイズの靴があったから履き替えたりしながら生活してたってのが正しいけれど。おかげで火あぶりをされた時も直に皮膚をやられずに済んだ。ただそれでもこんなひどい水膨れができているのは辛いところだけれど。

 

「兄上、どこに行ったんだろう…」

 

半ズボンのドフラミンゴとスカートだった私が火傷で重症、特にドフラミンゴは矢を射られていたのでより怪我が酷かった。だというのに、私が目覚めたのを確認した後、自分の怪我の手当てもろくにしないで着替えてどこかへ行ってしまったのだ。食べ物を持ってくるのならロシナンテも一緒に連れて行くはずなのに。

 

「……ドフィ兄上も、すぐ戻ってくるよ」

 

「……お腹、空いたね…あっ、ごめんルシー」

 

「ああ、別に気にしないで」

 

ロシナンテに謝られて思い出した。そういえば、空腹も感じない。…なんか私、生きてるのに死んでるみたいだ。

 

(……2年経った。なんとかどこかの港で船でもちょろまかして逃げたい。それか、お金でなんとか買収したい。ああ、お金があればなぁ…)

 

地上へ来た後で庭に埋め続けた私の金銀財宝のことが、この2年間ずっと気になっていた。取りに行きたかったけれど大人の足で何日もかけて歩いた場所に戻ることが難しく、火をつけた犯人たちがまだ近くの街などにいることを考えると足がすくみ、他にも家族からも止められていたというのも理由で、取りに戻ることができなかったのだ。そもそも金銀財宝があっても札束に換金するには換金所を利用しないといけないわけで。つまり、換金所で天竜人をマークしているかもしれないと考えるとなおさら、危険を犯して金銀財宝を取りに戻るにはメリットが少ないと思ったのだ。しかしこのまま放置して文字通り宝の持ち腐れなんてもったいないこと限りなし。それならいっそのこと、船を盗むか買い取るかして家族揃ってこの島から出て行きたい。ゴミ捨て場の材料を利用した船を作ろうとしていたけれど、家の真横で作業していたし、この分じゃどうせ街の住人に見つかって潰されているだろう。もう非加盟国とかそんなのどうでもいい、海軍の助けなんてどうだっていい。無人島に島流しでも何でもいいから、とにかくこの島から出て行きたかった。私が死ぬ前に、家族を安全な場所に…。

 

「…そういえば父上は?」

 

「分からない…。最近、ずっとどこかに通信をかけてるけど」

 

「通信?…どこにだろ……」

 

マリージョアでもなく、海軍でもなく、彼はどこに電話をかけるというのか。…もしかしたら、とうとうおかしくなってしまったのかもしれない。

 

「ルシーの足に包帯巻いてあげるね」

 

「うん、お願いしようかな。じゃあね、ちゃんと煮沸してる向こうの棚の包帯で巻いてくれる?あっ、焦らなくていいから慎重に!転けないように!」

 

「分かってる!」

 

ロシナンテはなんだか反抗期になってきた。素直に頷かなくなってきたのだ。ドフラミンゴは生まれた時から反抗期だけど。いやー、この子も成長したなぁ…。小さな兄たちの成長を見るたびに、相変わらず感激してしまう。よくぞこの歳まで生きてくれた、と万感の想いだ。珍しく慎重に、一度も転けずに包帯を持ってきたロシナンテを手放しで褒めた。

 

「ロシーすごい!一回も転ばなかった!包帯が全部無事!すごいよ!よく頑張った!やればできる子!」

 

「もう!そんなのいいから足出して!」

 

「アッハイ」

 

反抗期の息子って難しいなぁ…優しいけど。でも褒められて嬉しいのは嬉しいのか、髪の間から覗き見える頬が真っ赤になっていた。可愛いやつめ…。この2年でかなり上達したとはいえ、まだまだガタガタな巻き方で包帯を巻いてくれた。ロシナンテのことだから十中八九、しっかり巻くと私の足が痛むとでも思っているのだろう。優しい子だからなぁ。そんな風に思っていると、外から誰かの足音が聞こえた。軽い、一人分の足音だ。ドフラミンゴだろう、と私は迎えに出た。

 

「兄上、お帰りなさい!……ん?兄上、それ…」

 

ドフラミンゴが物騒なものを手に携えていた。銃だ。木製の、弾が一発とかしか入らないタイプの。なぜ、そんなものがここに?

 

「喜べ、ルシー。聖地に帰れるぞ」

 

「え」

 

「ロシーを連れて海の側で待っていろ。おれもすぐに行く」

 

「…待って…え、ちょっと……ねえ、待ってよ兄上…!何それ、どういうこと?聖地に帰る?ねえ、それ本気?」

 

「当たり前だ。…すぐに船が来る。あいつらが海軍を呼んだからな。あとはおれがーー」

 

サングラスの奥でぎらりと光る目は、明らかな狂気に染まっていた。殺意に満ちていた。ああ、この後の展開はよく分かる。よく、知っているーー。

 

「…兄上、聖地の人たちは私たちを絶対に仲間に入れてくれないよ」

 

「そんなはずない」

 

「聞いたでしょ?父上が電話してた…人間の分際で、って言ってたでしょ?ねえ、兄上、昔はどうあれ私たちはもう人間なんーー…」

 

「黙れッ!」

 

ガチャ、と怒りのままに銃を突きつけられた。息を荒げたドフラミンゴが、震える手で私を撃とうとしている。仲のいい兄妹をやっていただけに、割とショックだった。だから命乞いというわけではないけれど、ドフラミンゴに僅かでも良心があると信じて訴えかけてみた。

 

「……私はドフィと対立しない。裏切らない。敵には絶対にならない。それでも…兄上は私を撃つ?」

 

「……撃つわけねェだろ。冗談だ!」

 

ドフラミンゴは口の端だけ無理に持ち上げて、余裕を見せて銃を下ろした。

 

「たまにはおれの言うことも聞け、ルシー。海の方に行くんだ」

 

「…兄上たちも来る?」

 

「もちろんだ」

 

「父上も?家族みんなで聖地に行ける?」

 

「ーー…あァ、もちろんだ」

 

「絶対に?」

 

「くどい。さっさと行け」

 

信じたいと思った。けれど、嘘だと分かった。ドフラミンゴは父親を殺す。絶対に。けれどここで私が粘ったところで、ドフラミンゴは意思を変えないだろう。

 

「兄上は?」

 

「着替えてから行く」

 

「じゃあ、兄上が着替えるまで待ってるね!」

 

チャンスだと思った。着替えている間に銃弾を抜いてしまえばいい。それが無理でも空に向けて適当に撃ってしまえば弾切れで、父親を撃ち殺せなくなるはずだ。

 

「いいから、行け…!」

 

「っ!?な、何!?」

 

ぐるり、と自分の体が意思に反して反転した。まるでーーー操られているかのように。

 

「兄上!?」

 

「心配するな…後から行く」

 

ばさり、とカーテンを押しのけ家の中にドフラミンゴは入って行った。私の体は勝手に動いて、どう頑張ったって海の方に進むだけ。パラサイトをもう使えるのかと驚いた。そもそもいつ悪魔の実を食べたのかと疑問に思った。でもそんな自分の感情よりも、ただ一つのことを思った。

 

(ああ、どうか…帰ってこないで…!)

 

操られていても、涙は自然と流れ出てきた。結末を知っていても、父親だなんてカケラも思ったことのない父親に、ただただそう願った。

 



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11.聖地に帰ろう

グロ注意



ドフラミンゴのパラサイトはゴミ捨て場の半ばでぷつりと途切れた。能力がまだ未熟だからか、原作にあったように一国の軍隊を長時間根こそぎ操るような腕はまだないようだった。

 

「…父上…!」

 

なんとか間に合って欲しい、そんな思いで私は引き返した。普通の6歳児に見合わない弱い体が、途中でスタミナ切れを起こして何度も倒れてしまった。痛みも苦しみも感じないのに力が抜けたように倒れる自分の体は、まるで人形のようだった。…ドフラミンゴの糸に操られて、ようやく動くことが許される人形になんて、私はなりたくない。酸欠で飛びかける意識を何度も持ち直させて、家に向かった。けれど、もう、遅かった。

 

「わあああああああああ!!!!!!」

 

遠くから、引き裂くようなロシナンテの叫び声が聞こえた。目の前で父親の頭を吹き飛ばされたロシナンテはーーーこの世の終わりのように、泣いていた。父親の死体に縋り付き、ドフラミンゴから守ろうとしているロシナンテに、ドフラミンゴは苛立ちを隠してさえいなかった。

 

「どけ、ロシー!そいつの首を持って聖地に帰るんだ!」

 

「い"やだああ"ああ!!!!!!」

 

(……あーあ……あーぁ………死んじゃった…)

 

死体を見たのは、初めてだ。前世でも、親戚の葬式でさえ棺の中の遺骸をわざわざ見ることはなかったから。死んだ…いや、ここはあえてこう言おう…『殺されたばかりの死体』だなんて、前世の人だってなかなか見ることはなかったんじゃないかな。父親の死体は、テレビで見る作り物のようだった。頭が凹んで、そこからイチゴジャムみたいに血と脳漿が飛び出ていた。プリンみたいな卵色の柔らかそうなものが潰れていた。あれはたぶん脳だな。近くにいたであろうロシナンテに返り血が付いていないのは奇跡だ。…いや、靴にいくらか飛び散っているか。

 

「ッ!ルシー…なんで戻ってきた!?」

 

「……ルシー…?」

 

焦りを露わにしたドフラミンゴと、魂が抜けたように呆然としたロシナンテが私に顔を向けた。

 

「あー…えーっと、気になって。とりあえず、ロシー、こっちおいで」

 

「ル"ジー…っ!」

 

ぼとぼと涙を滴らせて、ロシナンテが抱きついてきた。いや、自分の体で私を覆い隠そうとしていたのだろう。私からは完全にドフラミンゴが見えなくなったから。ああ、父親のように殺されるとでも思ったのか。父親の代わりに守ろうとしているのか。けなげな小さい兄の姿に、目頭が熱くなる。

 

「ルシー、そのままロシーを捕まえてろ」

 

そう言ってドフラミンゴは何かし始めた。…父親の首を切り落とすつもりなんだろう。ロシナンテに抱きつきながら、私は頭の中でぐるぐると考え始めた。なんで父親が殺されたの?ロシナンテの避難グッズからはドフラミンゴのお気に入りの銃は抜いておいたはず。なのになんでドフラミンゴが銃を持っているの?首を持っていけば聖地に帰れるなんて誰の入れ知恵?どうしてーー?

 

「ルシー、行くぞ」

 

赤い血が滴り落ちる袋を持って、ドフラミンゴは言った。満足そうに笑いながら。

 

「ルシー…」

 

涙を流して縋り付くロシナンテを私は一度抱きしめて、にっこり笑って頷いた。

 

「うん、ドフィ」

 

何も考えたくなかった。おかしくなってしまいたかった。地獄のような場所で2年もの間、妻を失ってもずっと身を呈して我が子を守ろうとしてくれた父親の生首を見て、それでも私はこう思ったのだ。

 

(ああ、殺されたのが私じゃなくてよかった。ドフラミンゴの逆鱗に触れたのが私じゃなくて、本当によかった)

 

泣きじゃくるロシナンテの手を引いて、ドフラミンゴの後を追った。目印のように落ちた血痕を、踏み潰しながら。

 



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12.暴虐の兄と脆弱な兄

グロ注意


 

 

海に、海軍の船が来ていた。しかもゴミ捨て場に一番近い海に。父親が電話をかけていたのは海軍にだった?いや、そんなはずはない。だって逆探知されて手酷く切り捨てられたのだから。しばらく悩んで、一つ思い当たることがあった。ドフラミンゴのファミリーになる、彼らだ。確かハート、スペード、クローバー、ダイヤの幹部になるから…4人か。彼らがドフラミンゴに悪魔の実を提供して、武器を持たせたのだ。そして父親を殺して……おそらく、首を持って行けば天竜人に戻れるとでも唆したのだろう。

 

(ドフィを騙したのか…いや、彼らは彼らなりに考えて首を持って行くことに勝算を見出していたのかもしれない。でも、天竜人は私たちを絶対に拒絶する。だってそういう人たちなんだから…!)

 

二人の兄の手を強く握りしめた。こんなのは無駄なことなのだと言ってしまえばいいのかもしれないが、ドフラミンゴが納得するはずがない。なぜそんなことが分かるんだと詰られるだけだ。ロシナンテはもう顔を上げずに足元しか見ていない。…静かに泣き続けている。

 

「おや?君たちどうしたんだい?」

 

人のいい笑顔で話しかけてきた海兵に、ドフラミンゴは尊大に言い放った。

 

「おれたちは天竜人だ。さっさと船で聖地へ送れ」

 

サッと海兵の顔色が変わった。

 

「あのね…お父さんお母さんから聞かされてないのかな?天竜人を名乗るだけでとんでもない犯罪になるんだよ?」

 

「くどい!さっさと船に乗せろ!」

 

ビリリ、とドフラミンゴから覇気が滲んだ。面食らった海兵が一歩たじろいだが、私たちを船に上げようとしなかった。当然だ。だけど、ドフラミンゴから見れば当然のことではない。

 

「チッ、役に立たねェな…!もういい、お前は消えろ」

 

「え?あ…体が…っ!!?」

 

私の手を離し、ドフラミンゴの手が奇妙な動きを見せた。すると海兵が背中の銃を構え、そして、銃口を咥えてーー。パァンと軽い音がこもって聞こえた。どちゅ、と肉を床に叩きつけたような音がして、そして、海兵の背後に赤い霧が花火のように散った。体がぐらりと傾いて地面に倒れた。弾け飛んだ後頭部が一瞬見えたけれど、すぐにドフラミンゴの手で視界を隠されて見えなくなった。私は一層泣き声がひどくなったロシナンテの背中を撫でてなだめた。

 

「……兄上、何も殺さなくても…」

 

「邪魔するやつを処分しただけだ」

 

銃声を聞いて何事かと船から降りてきた海兵たちを悉く自殺させて、ドフラミンゴは悠々とタラップを登って行った。血と肉片で汚れきった地面とタラップを進むには、それらを踏みしめて行くしかなかった。生臭さはゴミ捨て場で慣れたとはいえ、空気が濁るほどの臭気は初めてで怯んでしまう。うんざりしながら、けれどドフラミンゴを追うしかなくて、私も一歩踏み出した。

 

「ぐっ…オエェ…っ」

 

「…ロシー兄上」

 

耐えきれず嘔吐したロシナンテを哀れに思った。うん、普通は無理だよね。死骸が積み重なる中、血と肉片の上を歩いて行くのも、そんな光景を作り出した兄に従って行くのも。でも、仕方ないじゃないか。私たちはまだ彼の『家族』の枠の中にいる。そこから出てしまえば、次に死体になるのは私たちなのだから。

 

「兄上、目を閉じて」

 

「ル"ジー…」

 

「大丈夫。これは悪い夢なの。船に乗って、耳を塞いで目を閉じていれば、ちゃんといつもの朝が来るよ」

 

船の中でドフラミンゴが怒鳴りつけている声と銃声、大の大人が泣きわめく声が聞こえる。このまま皆殺しにして出航できなくなってしまえ。やけになってそんなことを思った。賢いドフラミンゴのことだから、きっとそんな凡ミスはしないだろうけど。…痛覚や触覚がなくなってから、あらゆる場面で現実味がない。VRのゲームでもしているみたいだ。

 

「…どう、して…ルシーは平気なの…?」

 

「……これは夢だもの」

 

これは夢、夢なんだよ、とロシナンテに繰り返した。夢だから、怖い事があってもそれは現実じゃないのだと。それでも納得なんてしていないロシナンテに、目を閉じるように言った。

 

「私が手を引いてあげる。ロシーは目を閉じて付いてきて」

 

「ロシー!ルシー!早く来い!」

 

「ほら、ドフィ兄上が怒ってるよ。ね、大丈夫。ロシー兄上のことは私が守ってあげるから」

 

「…ごべん"…ごべん"ね"……ル"ジー…っ!」

 

「…いいんだよ、私は大丈夫だから」

 

本当は大丈夫じゃない。だけど、子どもの前で泣き言は言えなかった。だって私は、本当は大人なんだから。

 



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13.せめて早送りができたなら

オリキャラ(老医師)が出ます


 

 

ドフラミンゴは海軍の船に乗っていた一番偉い人を人質に、船を出させようとした。けれどその人が部下に自分を見捨ててこの子どもを殺せと言ったから、ドフラミンゴは容赦なく自害させた、次に偉い人にも同じことをしたら、その人は我が身かわいさに船を出すことを了承した。たぶん天竜人としてまだ現役の親戚がいると、ドンキホーテの名前を名乗ったことが大きいと思う。下手に天竜人の親戚を殺して何が起こるか分からないと怯えたのかもしれない。…だって、海軍は街で私たちが受けた暴行のことをまだ知らないのだから。

 

「さて…ルシー、足を診せろ」

 

「足?」

 

「コイツらに治療させるんだ」

 

「ああ、そういう。でもドフィ兄上もでしょ?」

 

「あ?おれは治った」

 

「いやいや、そんなまさか。……おいうそだろ」

 

治ってた。いや、僅かに赤みが残っているけれど、ほとんど腫れが引いて治っていた。昨日の今日で?あっ、違う、私昏睡してたから数日前か。いやいや、それにしても数日でそんな治る?さすがはワンピース世界の超人、恐ろしい限りである。

 

「すみません、診てください」

 

「あ、ああ…構わんよ」

 

私が頭を下げると、船医長を名乗った老医師は戸惑った様子で頷いた。そんな驚かなくても、天竜人だって頭下げたりするよ…元だけど。でもその前にロシナンテを休ませてあげようと思った。極度のストレスで限界だろうから。

 

「すみません、そこのベッド借ります。…ロシー、おいで」

 

「………」

 

「ちょっと休もう。さあ、横になって」

 

「……ルシー…」

 

「大丈夫…大丈夫…何も、怖いことはないから…」

 

血と肉片がこべりついた靴を脱がせて布団の中に押し込み、背中を軽く叩いて子守歌を歌ってあげた。私が前世持ちの人間だと証明するための歌を、お母さんに歌ってもらった時のように、優しく、ゆったりと。前髪を上げてちゃんと眠ったことを確認して、私は足の火傷を診てもらった。包帯を外して火傷の重症度を確認した後、老医師は化け物を見るような目で私を見て言った。

 

「……よく、生きているものだ」

 

「私もそう思います。あと、脳に障害が出たのか、神経が切断されたのか分からないんですけど、触覚と痛覚と温感がなくなりました。あとは空腹も」

 

「そいつはまたえらいこった…!しかしなぁ、脳となると私は専門外だ。専門の病院で診てもらうべきだろうが…」

 

「…まあ、無理ですね。じゃあ、足だけでいいです」

 

老医師は難しい顔をして唸りながら足を泡でそっと洗って、薬を塗りつけ包帯を巻いてくれた。時々私の顔をチラチラ見て、痛さで泣き出したりしないのを確認してはため息を吐いていた。

 

(この人は、使えるかもしれない)

 

まだ大海賊時代も迎えていない年代の海軍の船医とはいえ、割と大きな船の船医長になるまで勤め上げたのだから、ある程度は顔がきくはず。

 

「…あの、あなたにお願いがあります」

 

「何かね?」

 

せっかく海軍の船にいるのだから、このまま海軍に保護してもらうのが一番だと思ったのだ。もちろん、私とロシナンテの2人を。…ドフラミンゴは、保護を願い出るには、海兵を殺しすぎている。きっと速攻で懸賞金を付けられるのがオチだ。ドフラミンゴも保護してもらえるかも、なんてことはありえない。

 

「海軍の偉い人にセンゴクという名前の方がいるかと思います。その人に会わせてください」

 

「センゴク…センゴク中将か?」

 

「おかきをよく食べてると思います」

 

「ならば中将のことだな。しかし、一体何の用だね?」

 

「兄と私を保護してもらいたいんです」

 

「なにィ!!?」

 

目玉が飛び出て顎が外れそうなほど仰天されてしまった。

 

「し、しかしだね、君たちはマリージョアに行くのだろう?」

 

「はい。でも、きっと天竜人には戻れないんです。戻れたとしても私とそこにいる兄に天竜人の生活はできません。だから、私たちを保護してもらいたいんです。海兵として研鑽します。だから…!」

 

話すほどに、老医師の目が穏やかになっていく。静かに凪いだ海のように。私は、自分が久しぶりに敬語で喋っていることに気が付いた。目の前にいるこの人は前世の年齢を加えたとしても私よりずっと年上なのだ、そう気付いた。久しぶりに心が落ち着いていく。生まれてから今までずっと、私の心は周囲から弱火でじっくりと嬲られるように、常時荒れていたのだ。冷静になって、自分が突拍子もないことを初対面の人に言っていると気付いた。

 

「すまないが、私の一存ではそれは決められない」

 

「そう、ですか…」

 

そりゃまあ当然だよなぁ。なら、ロシナンテが自然とセンゴクさんに会うまで待つしかないのか。

 

「…だが、連絡はしてみよう」

 

「へっ!?」

 

「言っておくが、期待はするんじゃないぞ」

 

「あ、はい!ありがとうございます!」

 

まさかダメ元ででも連絡をしてくれるだなんて思いもしなかった。あまりに嬉しくて頭を下げると、老医師は困ったように笑って言った。

 

「キミ、本当に天竜人の子かね?」

 

「あはは……まあ、一応…?」

 



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14.潰えた希望

グロ注意



 

 

『ドンキホーテ・ホーミングは裏切り者の一家だえ。決して聖地に近付けるのではないえ』

 

聖地を目前に、電伝虫越しに伝えられたのはそんな言葉だった。そりゃそうだよな、と人ごとのように眺めている私の目の前では、ドフラミンゴが父親の首を見せつけて怒鳴っていた。

 

「なぜだ!?裏切り者の首を刎ねて持ってきたんだぞ!?おれたちはもうコイツとは何の関係もねェ!!!」

 

『フン。恨むのなら父親を恨むのだえ』

 

無情にも切られてしまった電伝虫を前に、ドフラミンゴは怒りのままに手に持った袋を甲板に投げつけた。

 

「くそおおお!!!」

 

地べたに叩きつけられた袋から重い音がして、べぢゃ、と生首が転がり出た。ドフラミンゴのかなりの強行により数週間という短さで聖地に着いたものの、保冷剤もないままの状態で、父親の生首はとうに傷んでいた。皮膚がずたずたに崩れ果て、中の筋肉と脂肪が変色して灰色がかった茶色になっていた。目玉もとろけて涙のように垂れたらしい。眼窩は落ち窪み、優しい父親の顔なんて見る影もない。生首のあちこちに無数の小さな穴ができていて、肉を食ったのだろう蛆がうじゃうじゃと這い回っていた。

 

「ウッ…!」

 

「ぐぷっ…オェエ!」

 

「ひでェ…」

 

生き残った海兵たちからは、嘔吐とともにそんな声が聞こえてきた。しかし幸いなことに、殺してやる、全部壊してやる、と呪詛を吐き続けるドフラミンゴには聞こえていなかったようだった。かくいう私もさすがにこの光景は限界で、即座に船から身を乗り出してゲロをぶちまけていた。喉などが胃酸にひりつく感覚はなかったが、味覚はまだ健在だったので、ゲロの味で口の中がただただ気持ち悪かった。

 

(ロシナンテがベッドに引きこもっててよかった…)

 

ロシナンテがこんなのを見たら失神していただろうから。ただでさえストレスで言動が年齢退行していて、あの歳でおねしょも復活しちゃったというのに。これ以上ロシナンテの精神に負荷をかけさせるわけにはいかない。袖で口を拭って、腐敗した生首を視界から外し、ついでに鼻もつまみながらドフラミンゴに声をかけた。

 

「あにうえ、こえからどうふる?」

 

鼻をつまんでこもった声ながらも、ドフラミンゴはちゃんと聞き取ってくれたようだ。

 

「ハァ…ハァ…!…これからだと?」

 

「うん。あのひま(島)にかえふ?」

 

ドフラミンゴは心底腹立たしげに歯を食いしばっていたが、少し悩んだ後で腹を決めて頷いた。

 

「ーーーああ、戻るぞ、ルシー」

 

「うん」

 

そんなわけで、海兵を操ることで能力の扱い方がさらに上手くなり、しかも船の扱いを理解したらしいドフラミンゴは、再び副船長を操り、ついでに今度は天竜人ではないからと船から私たちを突き落とそうとした海兵たちをも操り、元の島へと戻らせたのだ。途中で海兵によって船の乗っ取りの連絡を受けた海軍船が数隻近付いてきて、操られる海兵もろとも船を沈めようとしてきたけれど、負けじとドフラミンゴが大砲を撃たせて&覇王色の覇気で応戦して勝ってしまったというエピソードもある。…本当に、とんでもない兄だと言うしかない。漫画の世界だから、と割り切るには神がかった奇跡の連続だ。けれどドフラミンゴとロシナンテをここで死なせることはないという、確固とした運命のようなものすら感じた。

 

「ロシー?ロシー兄上?」

 

「……ルシー…?」

 

「あのね、島に戻ってきたよ。もう船の旅はおしまいなの」

 

「………」

 

何を言っているのか分からない、そんな顔でロシナンテは私を見つめ返していた。

 

「ルシー、ロシーはまだなのか?」

 

「っ………」

 

船旅を続ける中で、ロシナンテがドフラミンゴに話しかけることがなくなった。間近にいる私だから気付けて、ドフラミンゴに分からない程度に、ロシナンテは震えていた。

 

「船旅で疲れちゃったみたい。後でロシー兄上を連れて行くよ。ドフィ兄上は先に降りてて」

 

「分かった。降りたらゴミ捨て場で待ってろ」

 

「どこかに行くの?」

 

「ーーああ」

 

ぎゅっと拳を握りしめてドフラミンゴは行ってしまった。おそらく、未来の幹部になる4人に会いに行ったのだ。聖地に帰れなかったという報告と、次にどうすべきか知恵を出させるために。つまり、今がチャンスだった。

 

「逃げよう…!」

 

「…ぇ……?」

 

「ドフィ兄上がいないのは今しかないの!ロシー兄上、逃げるよ!」

 

今すぐ船を出してもらおう。保護してくださいと頭を下げよう。舐めろと言われたら靴だって舐めてやる。こんなに無防備にドフラミンゴが私たちの元から離れて、しかも私たちが海兵たちの側にいるタイミングなんて、金輪際訪れないだろう。今しかない!ごうごうと胸の内で炎が燃えた。今!しか!ない!海兵は微妙なので、比較的協力を得られやすいと思えたあの老医師に頼み込もうと、もたつくロシナンテの手を引いて医務室から出た。

 

「おじ、ぃーーー」

 

おじいさん、と呼びかける声が、続かなかった。言葉が、息が、止まる。背後でロシナンテが失神して床に倒れた。

 

「ぁ…あぁ……!」

 

これが最後の機会だった。あの老医師ならば信用しても大丈夫だと、そう思えたのだ。なのに。

 

「いやああああああ!!!」

 

老医師も、海兵も、みんな、みんな。

 

鋭い刃物か、ピアノ線のように細くて丈夫な糸で、体を輪切りにされて、真っ赤な廊下に落ちていた。

 



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15.恐怖という足枷

 

 

あの後なんとかロシナンテを引きずって外に出たらしい。らしい、というのも私の記憶がぶっ飛んでいるからだ。気がついたらゴミ捨て場でロシナンテに抱きつかれていた。

 

「ロシー、ルシー。こいつらがこれからはおれたちのファミリーだ」

 

紹介された4人の顔を見て、薄く残る記憶が呼び起こされた。ああ、そういえばこんな顔だったかな…。自己紹介をしてきた彼らに名乗って、万が一にもうっかり殺されないようにとドフラミンゴの手を握った。ドフラミンゴは私が大人に対して怯えていると思ったようだ。

 

「大丈夫だ、ルシー。こいつらがルシーを傷つけることは絶対にない」

 

「……そう…」

 

もうどうでもよかった。死にたくない、死なないためならなんだっていい。

 

(せっかく、海軍に保護してもらえそうだったのに…)

 

全部台無しだ。ああ、これで原作でのロシナンテが海軍に保護されるルートが潰えていたらどうしよう。死にたくないなぁ。死ぬのは怖いなぁ。母親と父親も、死にたくなかっただろうになぁ。ドフラミンゴたちが話している側から離れて、ゴミの側で膝を抱えて蹲った。

 

「ルシー…ルシー!起きて!」

 

名前を呼ばれた。私の本当の名前はそんなのじゃないのに、6年間呼ばれ続けたせいかちゃんと反応してしまった。

 

「海軍の船が来たんだよ、ルシー!」

 

海軍の船が来た?ロシナンテが私の腕を引っ張って、どこかへ連れて行こうとしている。ああ、これ夢なのかな。

 

「…そう。ロシー兄上、行ってきて。きっと保護してもらえるから」

 

「ぼくだけじゃだめだ!ルシーは優しいから…優しくて弱いから、兄上といちゃダメだ。兄上は、ドフラミンゴは、バケモノだ…!」

 

「……ロシー…私、疲れたの。置いて行っていいよ」

 

体が重い。動かせない。足の火傷もかなり治ってきていたし、立って動けるはずなのに、動かそうと思えなかった。ロシナンテについて行けばドフラミンゴの意図から外れてしまうと考えただけで、目の前にあの真っ赤な廊下が浮かんでしまう。

 

「お願いだから……ルシー…」

 

だけど、私が動かないと、ロシナンテが保護されない。それはダメだ。なけなしの勇気を振り絞って、私は立ち上がった。

 

「………分かった」

 

海軍は本当に来ていた。それも、私たちが乗って聖地に行った船よりも大きく立派なものが。遠くで何人もの海兵たちがセンゴク中将、と呼びかけている人がいた。

 

(あれが、海軍のトップに立つセンゴクさん…)

 

エースの処刑を進めた人だ。原作にあったような感じではなく、もっと若い。でも丸眼鏡をかけていて、髪型もそのままだった。これで、ロシナンテは助かる。ホッと息を吐いた。これで心残りはもうなくなる。

 

「ロシー、ここでお別れしよう」

 

「ルシー?疲れたの?でもあそこまで頑張って…!」

 

「ううん、違うの。行くのはロシー兄上だけ。私は戻るよ」

 

「えっ!?だ、ダメだ!戻ったらどんな目に合うか…!」

 

「でも、ドフィ兄上を一人にできないよ」

 

違う、ドフラミンゴを裏切ったと知られてしまうと、地の果てまででも追いかけられて殺されるからだ。

 

「アイツの周りには危ない人間がいっぱいいるんだぞ!?」

 

知ってるよ。だって彼らは海賊になるんだから。でも私はスラスラと嘘を吐いた。ロシナンテに私を諦めさせるために。私がドフラミンゴの元に戻れるように。

 

「それでもだよ。だってどっちも、私のお兄ちゃんだもの。ロシーが保護してもらうのが海軍なら安全。でもドフィは危ない場所と人に囲まれていて、とっても危険。だから私は守ってあげられなくても、ドフィと一緒にいてあげなくちゃ」

 

「ルシー…!!!」

 

「ドフィ兄上は私たちを守ろうとしてくれるところもあるんだよ。なのに、私たちがいなくなったら、きっと寂しがるよ」

 

違う…本当は、私の本音は、そうじゃない。怖いだけ。ドフラミンゴに背を向けた途端、ドフラミンゴに殺されるということが怖くてたまらない。なのにロシナンテには背を向けて行くよう仕向けている。だって知っているから。ロシナンテがセンゴクさんに保護されて、ドフラミンゴに殺されることなく大人になれると、私は『事実として知っている』から。だからロシナンテは海軍に保護してもらえばいい。けれど、私は分からない。ならば殺される確率が少ない方を選ぶのは、自然なことでしょう?そう、自分の心に嘘をついた。

 

「ル"ジー…!一緒に行ごゔよ…!」

 

「……ごめんなさい。ロシー兄上のこと、ずっとずっと大好きだよ。…さようなら、元気でね」

 

「ル"ジーー…っ!!!」

 

泣き叫ぶロシナンテの声は、きっと海兵たちの耳に届くだろう。ああ、よかった。これでロシナンテは安全だ。そして私もドフラミンゴの元に戻ることで殺されずに済む。万々歳じゃないか。なのに、目からも鼻からも液体がどばどば流れて止まらなかった。

 

「…ひっ…ひっく…うぅ……!ど、ドフィ兄上ぇえ…!!!」

 

「ルシー!!!お前、どこに行ってたんだ!ロシーは!?」

 

ロシナンテが何処かに行った、だけでは理由には弱い。例えば…そう、誰かに誘拐されたとでも言えばいいかもしれない。さあ、言わなくちゃ。そう思うのに、喉が震えて言葉が出てこなかった。

 

「う…うぅ…!うぁあああぁ…っ!」

 

代わりに出て来たのは下手くそな泣き声だった。自分の喉から出てくるものなのに、一瞬、誰の泣き声だと思った。だって転生してから今まで、こんなに声を出して泣くなんてーーー冗談でも比喩でもなく、ガチで産声以来だったから。

 

「な、泣くなっ!ロシーはどこに行ったんだ!」

 

「いっ、い、いなく、なっちゃった…!誘拐…行っちゃった…っ!」

 

「クソッ!!!誰がロシーを攫ったんだ!?」

 

ドフラミンゴは私の手を握り、しかし泣く妹を気遣うことなどせず、ロシナンテを誘拐したであろう人物に殺意を向けていた。この時、私の頭に突拍子もなく閃いたことがあった。お腹が痛いと蹲ったロシナンテをベッドに招いて背を叩いて優しく包み込んであげたこと。ドフラミンゴが父親を撃ち殺した後からずっと目を閉じさせて手を引いてあげていたこと。何も見なくていいと、これは夢だからと言い続けてあげたこと。悲しくて涙に濡れる夜に抱きしめてあげたこと。それら全て、私は私の大切な家族のためにとしてあげたことだと思っていた。けれどーーー。

 

「あ、兄上っ!行かないで…っ!兄上まで、いなくならないで…!」

 

ロシナンテを探させるわけにはいかない。なるべく自然に見えるようドフラミンゴに抱きついて、動きを鈍らせた。

 

「…っ、行くぞルシー!アイツらにロシーを探させるんだ!」

 

ドフラミンゴが私を抱き上げて走り出した。私は涙を流しながらドフラミンゴにしがみついた。…結局のところ、私がロシナンテにしてあげていたのは、ドフラミンゴの独善的な理論と同じことだったのだ。

 

(日本に帰りたい…家に帰りたいなぁ…)

 

私は、理解した。私がロシナンテに優しくしてあげたのは、ロシナンテのためでもあり、結局はどうあってもこの世界に独りきりでしかない…可哀想な私のためでもあったのだと。『私がして欲しいこと』を、ロシナンテにしていただけだった。そしてきっとロシナンテはそのことに気付いていながら、そして弱いながらも、私を妹だからと守ろうとしてくれていたのだ。頭の悪い私はロシナンテがいなくなってようやく、私がただの利己的な人間であると思い知ったのだ。

 



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もしもの話1
もしセンゴクさんに保護されて養子扱いで万年三等兵の海兵になっていたら


見合い話一歩手前
完全なるギャグ


「へ?私が?お見合い?ですか?」

 

朝食の席で突然保護者にそんな話を出されて、頭の中いっぱいに疑問符が飛び交った。お見合い?なにそれおいしいの?いや、もしかしたらとんでもなくクソまずいものかもだけど。え、私がお見合い?マジで言ってんの?最近家に帰れないくらいに仕事が忙しすぎてとうとう頭沸いちゃった?

 

「ここのところ家にも帰れず寂しい思いをさせただろうと思ってな。だが同じ寂しさならわしを待つよりも夫を待つ方がいいだろう?」

 

「え、そんなの気にしてたの?今さら?てか兄上は何て?」

 

「…ロシナンテにはまだ言っとらん」

 

気まずげにスッ…と目をそらしたセンゴクさんに胡乱な目を向けてしまった。おいおい…身内に内緒で見合い話進める気だったわけ?張り飛ばすぞ?けれど気を使ってくれているということは分かったし、あと個人的な興味でお相手が誰かものすごーく気になったので聞いてみることにした。

 

「…で、誰か候補でもいるんですか?」

 

「ああ。こいつらなんだが」

 

複数かよ。ってか釣書多っ!どこから出したと悲鳴が出るほど、ごっそりと束で渡された。ひーふーみー……あっ、14人もいる…。ごはんを口に入れながら行儀が悪いぞとたしなめる声を無視して1枚目の表紙をぺらりとめくりーーーむせた。

 

「ゴッフ!!?」

 

「どうした!?」

 

「ど、どど、どうしたもこうしたも…!ちょ、おとーさん!これ!この釣書!本人たちから許可取ってもらったんでしょうね!?」

 

「?ああ。義娘の見合い相手にどうだと聞いたら自分たちから進んで持ってきたぞ」

 

「…マジでぇええ?うそだろ…いや、ぜってー嘘だろ…」

 

ざっと目を通して、いよいよ本格的にめまいがしてきた。なんでこんな錚々たる面子のちょっと気取った写真ばかり…。サカズキさんに始まり、クザンさん、ボルサリーノさん、キャンサーさん、ストロベリーさん、ラクロワさん…モモンガさんまでいる…。あっ、ヴェルゴ!?ちょ、これドフィに私とロシーのことバレてね!?

 

「おおおとーさんおとーさん!」

 

魔王が!魔王が追いかけてくる!

 

「騒がしいやつだな…。良い男でもいたのか?」

 

「良い男揃いすぎて恐れ多いわ!…じゃなくて!こ、これ…みなさん、義娘が私って…ご存知なの?」

 

「?ああ、お前の釣書と引き換えにしたからな」

 

詰んだ。私とロシーの居場所、ドフィにバレた。これ原作ブレイクすんじゃん。詰んだ…。

 

「何勝手に義娘の釣書配ってんだこのクソおかき親父ィィィィ!!!」

 

「すまなかった!落ち着け!話せばわかる!」

 

「問答無用じゃー!!!」

 

包丁はさすがにヤバイので、まな板と漬物石を投げつけてやった。顎にクリティカルヒットしてぐったりしたので、迎えにきた部下に適当に渡しておいた。ざまあぁぁぁ!……アッ、キャンサーさんチーッス。あっ、ちょ、頬染めないで。まだあなたと見合いするって決めたわけじゃないから!

 

「……私が万年三等兵ってみなさん知ってるだろうに…なんでオッケーしたのかね…」

 

特に後の三大将や中将たち…訓練でボロボロにされる私とか何年も何年も見てるだろうに。ハッキリ言って訓練中は女捨ててるから。首だけになっても食らいついてやろうと汗だく泥まみれで獣みたいに唸って海楼石の鞭と銃を振り回してるから。そんなの相手によくもまあ…。

 

「……でも、こうやって見るとやっぱイケメンよね」

 

全員しゃちほこばってるのは置いといて、迫力があるというか、貫禄があるというか。てかサカズキさんの帽子オフとか珍しい。…海軍記録に残すための写真を使いまわしたのではなく、釣書のためにわざわざ撮影したのだろう。クザンさんも見たことのない新しそうなスーツでキリッとした顔をしているし、ボルサリーノさんはいつもより穏やかで優しそうに見えるし。

 

「そういえば、最近になってやたらと話しかけられたりお菓子とか花とかくれたりしてたな…」

 

サカズキさんも忙しいのに能力無しで稽古つけてくれたし、クザンさんは自転車の後ろに乗せて海の上に連れて行ってくれたし、ボルサリーノさんは流行りのお菓子を腕いっぱいにくれたし、他の人たちも花だとか昼食だとか、不自然なほどなんやかんやと……。…ちょっと待て、いきなりこんなに釣書が集まるわけがない。もしかしなくてもこの釣書、前々から集めてた…?いつからだ…!?

 

「おはようございまーす!宅配便でーす!」

 

「あっ、はーい」

 

「ドンキホーテ・ドゥルシネーアさん宛てです」

 

「私?あっ、ご苦労様です」

 

巨大な重い段ボール箱を何とか引きずって部屋に入れて、何か注文していただろうかと開けて…絶句した。中に入っていたのは赤、青、黄、それぞれのカラーのアクセントが入った淡い色の着物たちだったのだ。しかも重厚な桐箱に入れられて。つまり、センゴクさんの狙いは私とあの未来の三大将の誰かとの見合いだと。

 

(あ、あのおかきオヤジ〜っっ!!!)

 

企みやがって、と怒りが湧いたものの着物に罪はない。シワになるとダメだからせめて吊るそうと桐箱から着物を取り出した。刺繍で紅色と蘇芳と桃色の桜が舞い散る柄の白い着物…ヒェッ!よく見たら元々白い生地に白銀で幾何学模様が描かれてる!手描き!?…を持ち上げ、大きなため息を吐きながら衣紋掛けに吊るした。

 

「可愛い…可愛いけど袖を通したら負けな気がする…!」

 

次は素朴で可愛い……ち、違う!白い生地を下から紺、藍、青、空色、瓶覗とグラデーションになるよう染めた…うわっ、これ総絞りだ!細かっ!しかも袖とか裾にさり気なく雪の結晶の柄の染めをしてる!?

 

(これはクザンさん向けか!キャラをイメージした着物とか…オーダーメイドにもほどがあるだろ!?)

 

めまいがしつつ最後に取り出した着物は黒い生地に白と黄緑で草の柄を描いて、金糸の刺繍をふんだんに使って蛍の柄を施したずっしり重く華やかなもの……ウヒッ!裏地が黄色!金糸で縞柄にしてる!これ絶対ボルサリーノさんのスーツ意識してる!

 

(露骨な裏地……まさか!?)

 

他2つの着物の裏地も見てみると、サカズキさんをイメージした着物の裏地は紅色の生地の端に白い薔薇一輪だけの染め、クザンさんイメージの着物の裏地は青地に銀糸で可愛い雪の結晶が降り落ちるように刺繍されていた。

 

「い、一着幾らなの…?」

 

腰が抜けそうだ。帯もそれぞれ赤青黄色の絢爛豪華なオーダーメイド。前世で成人式の着物を探すときにぼんやりと着物の種類を知った程度の知識でさえ、腎臓売るくらいじゃ帯一枚にも手が届かない額のものだと分かる。包装紙を握りしめて呆然としていたら、ガラガラと玄関の戸が開けられる音が聞こえた。

 

「ルシー、ただいま」

 

「ぎゃああああ!!!兄上おかえりなさい帰ってきちゃダメー!!!」

 

玄関までダッシュしてロシナンテの背中を外に押し出して後ろ手に戸を閉めた。せ、セーフ!!!あんな着物見られたら一発で見合いだとバレる……あっ!釣書どこに置いたっけ!?

 

「は…?どうしたんだ?家に入れてくれないのか…?おれ、何かしたか?それとも、ルシー…おれのこと嫌いになったのか…?」

 

「ち、違うんだけどさああああ!!!」

 

メソメソしだしたロシナンテを慰めつつ、何で私がこんなに焦らなくてはならないのかとぐったりとしてしまった。

 

「あのおかきオヤジ…ぜってーぶっとばす!」

 




活動報告にてちょっとしたネタを募集しています。
もしよろしければご協力ください。


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続・もしセンゴクさんに保護されて養子扱いで万年三等兵の海兵になっていたら

リクエストより、「もし海兵になっていたらの続編でドフラミンゴとの再会話」です。
紛れもなくギャグです。
シルヴィアさん、リクエストありがとうございました!


 

「ドゥルシネーア…お前に任務を与える」

 

「おとーさん、カッコつけてゲンドウポーズしてないで早くお茶碗下げてよ。カピカピになったら洗いにくいのよ?」

 

「………お前、だんだん私に容赦なくなってきてないか?」

 

心なしかしょんぼりしながらも食器を下げて私の分も洗ってくれた。さすがお義父さん!無駄に元帥やってないね!

 

「で、任務って何?どの部屋の掃除すればいいの?」

 

「お前なあ…そんなだからなかなか昇格しないんだぞ?だいたい掃除は雑用の仕事だろうが。…同期が昇格するのはお前も辛いだろう?」

 

いや、そんなに昇格したくないです。たしかに一等兵ぐらいにはなりたいなー、と思うけど、原作ブレイクした時点で今後何があるかわからないし、できるだけ本部でのうのうと暮らしてたいです。…あの時原作通りにドンキホーテファミリーにスパイ任務しに行こうとしたロシナンテを引き留めるのにどれだけ苦労したと思ってんだ。

 

「あー、ヒナちゃんとか?私より後から入ったのにもう中佐だっけ?すごいよねー。もう兄上も抜かすんじゃない?あはは」

 

「笑い事か!だから私が与える手柄を立てやすい任務を大人しく受ければいいものを…!」

 

「お義父さん、それ職権濫用だから。サカズキさんにチクるよ」

 

「ユーモアの通じないやつめ…」

 

そんなことを喋りながらも食器を拭く手を止めない…さすがお義父さん、無駄に元帥(略)。しかし仕事中ならまだしも家で仕事の話をしてくるなんて珍しい。しかもロシナンテのいないタイミングを狙って。…まさかまたお見合いか?前回はヴェルゴがいた時点で完全終了のお知らせだったから、必殺「まだお義父さんと一緒にいたいの…」作戦で躱したというのに…!ロシー!妹がピンチだよ!早く出張から帰って来て!

 

「客人の接待を頼みたい」

 

「お客さん?…え、まさか七武海?やだよー。クロコダイルさんってば怖いんだから」

 

人を値踏みするような目でジロリと見た上で意味深に鼻で笑ったし…。七武海で一番海兵たちに好かれているアラバスタの英雄とはいえ、あの態度は酷くね?私の接待に不出来でもあったのかと思いきや、なんか毎回指名してくるようになったし。何なのあの人…怖いよー。

 

「まあそう言うな。あの気難しいクロコダイルに気に入られているのはお前だけなんだぞ」

 

「だからなんか裏がありそうで怖いんだってば…」

 

「茶を出して会話をするだけだぞ?単にお前の接待が上手いからだろう」

 

「ま、10年はお茶出しやってますからね!ふふん!」

 

「私の義娘なのになんでこうも出世欲がないのか分からん…」

 

泣くなよ、トーチャン。そんな話をした2日後、七武海会議のために続々と錚々たる面子が揃って来た。私が接待するクロコダイルさんは毎回前日に到着するので予定が組みやすい。料理も酒も事前にオーダーくれるし。部屋に案内した後、少し間を置いて葉巻セットと水を持って部屋に伺った。

 

「サー・クロコダイル、ドゥルシネーアです。葉巻と飲み物をお持ちしました」

 

「ーー入れ」

 

奇妙な間があって、けれどクロコダイルさんはいつものように入室を促してきた。

 

「…失礼します」

 

「よォ、ルシ「うぎゃあああああ!!!!!」

 

ピンクのモフモフが見えた瞬間に扉を閉めたけど、あれセーフ?ねえセーフ?なんか私の名前呼んでたけど気のせいだよねっ!?全速力で廊下を突っ走ってセンゴクさんを探した。お、お義父さん助けてえええ!!!

 

「フッフッフ!おいおいルシー…ご無沙汰だってのに、随分とつれねェじゃねえか…!」

 

「ぎゃあああ!!!や、や"だあ"あ"あぁっ!!!」

 

お義父さん!お義父さんっ!魔王が私をつかんでくるよー!魔王が私を苦しめるううう!もうこの際ロシナンテでもいいから助けてええっ!!!15年近く音信不通だった実の妹にパラサイトする兄とか悪夢でしかないー!

 

「おい待て」

 

ザァア、と周囲に砂が舞う音が聞こえた。目を閉じていたんだと気付いてなんとか瞼をこじ開けると、真後ろから風と砂に煽られた分厚いコートの端が見えた。嗅いだことのある特殊な葉巻の香りもした。あっ、体が動く!

 

「く、クロコダイルさん…っ!」

 

あなたが神か!今まで怖がっててすみませんでした。今度からは全身全霊で接待します!具体的には次から飲み水を水道水からちょっとお高い水に!

 

「クク…やはりお前の身内か」

 

「……感動の再会を邪魔するんじゃねェよ、センパイ」

 

あっ見えないけど分かるぞ。クロコダイルさんは絶対悪い笑顔だ!そしてドフラミンゴは怖い笑顔だ。てかクロコダイルさん、私がドフラミンゴの身内って分かってて指名してたのか。ほらな!やっぱそういう裏があったじゃないか!お義父さんのバカ!クロコダイルさんの飲み水はやっぱり水道水のままな!

 

「嫌がる女に無理強いは良くねェな……っ!」

 

「へ?うひっ!?」

 

ふわりと腹に何かが巻きついて、直後に凄まじい力で天井まで持ち上げられた。何事だと目を丸くした私の眼下を、ピュン、と光線が飛んで奥の壁を爆発させていた。もしかして、もしかしなくても?

 

「おやァ〜〜…何事かと思ったら…七武海は会議前後で接触禁止ってェお達しだったろォ〜?」

 

「ボルサリーノ中将!う、っわ!」

 

カッとフラッシュしたと思ったら浮遊感があって、眩んだ目を瞬かせるといつの間にかボルサリーノさんに抱き上げられていた。…肩の上に。お姫様抱っこではなくお米様抱っこである。なんでや…未遂とはいえ見合いに名乗り出たくらいだから私のことが心底嫌いというわけではないんだろうと思ってたのに、まさかの無機物扱い?

 

「しかも女の子を巻き込むとかさァ〜……ちょいとやりすぎだよねェ…。ルシーちゃん、大丈夫かい〜?」

 

「あっ、はい!ありがとうございます!」

 

「ならいいんだけどねェ。じゃあ、ここはもういいからセンゴクさんの所に行ってきな〜」

 

優しく私を床に下ろして、ポン、と背中を押してくれた。どうやらクロコダイルさんへの接待はもういいらしい。

 

「ありがとうございます!今度お礼させてくださいーっ!」

 

「それじゃあ〜〜手料理でも期待しようかねェ」

 

「ガッテンです!」

 

早速明日にでもセンゴクさんのお弁当作るのと一緒に作ってあげよう。

 

「待て、ルシー!」

 

「おおっとォ〜!行かせないよォ!」

 

ドフラミンゴとクロコダイルさんをまとめて止めてくれるなんて!私の中でボルサリーノさんの株が急上昇した。ほ、惚れてまうやろー!今まで胡散臭いオッサンだと思っててすみませんでした!ごはんの上に桜でんぶで大きいハートマーク付けて差し上げますねー!!!

 



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もし白ひげ海賊団に保護されて非戦闘員の娘になっていたら

活動報告よりリクエストをいただきました。
14話の後に、「世界政府非加盟国」を気にした白ひげの使いで、たまたま様子を見に寄ったマルコが出てきます。
サン&ムーンさん、リクエストありがとうございました。



目の前が、青い光に閉ざされた。青い、北の海の雪解け水のような、美しい青。海軍船の中を染め上げるように散っていた赤や茶の血肉で焼ききれそうだった視神経には、それは鮮烈すぎるほどに美しかった。

 

「おいおい、こりゃあ……どういうことだよい」

 

ああ、ドフラミンゴの声じゃない。それだけで、安心してしまって。

 

「………たす、けて…」

 

「…!おい、しっかりしろ!おい!」

 

体が動かなくて、ばたりと倒れてしまった。ああ、もう、限界。ロシーが腕の中にいることを、意識が途切れるまで確認し続けながら。

 

「ーーあの時は絶対に死んだと思ったよい」

 

賑やかな食堂の一角で、マルコの語りが始まった。一番隊隊員のロシーを隣に、そして新人を前にしているところを見ると、たぶんまたあの話だ。オッサンって同じ話を繰り返したがるよなー、と呆れつつ、手早くパスタを皿に盛りつけた。アルデンテアルデンテ…。

 

「マルコ隊長、もうその話はいいんで…」

 

「おいおい、ロシー!面白いのはここからだろ!?そんで、取り乱したマルコがこいつらをまとめて連れ帰っちまって?」

 

「空飛んでる最中にロシーが寝ぼけて?」

 

「「「ションベン垂らして泣いちまうんだよなー!!!ぎゃはははは!!!」」」

 

「やめてくれー!!!」

 

わあっ、と机に突っ伏してロシーが泣いてしまった。大泣きも大泣きである。マルコが昔話をすると毎回こんな感じだ。周りの連中はいつだって、マルコの話よりもロシナンテの反応を楽しんでるってのに。あーあ…。マルコの前に大皿に乗せたパスタを置いて、両手をかたく握りしめた。私の様子に「あっ」と気付いた新人くんに、にっこりと笑いかけて……ゲラゲラ笑っているオッサンたちの後頭部を殴りつけてやった。

 

「イ"ッ…!!?」

 

「イデェエエエ!!!」

 

「誰だァ!!!っる、ルシー!!?」

 

ひゃっ!と目に見えて青ざめた『兄』たちが、手と手握り合って怯えていた。おい、うちのロシーを泣かせておいて、かわい子ぶってんじゃねえよ。本当の可愛いってのはロシーのことを言うんだからな!

 

「はいそうですよ、あなたたちの可愛い妹ルシーちゃんですよ。分かったらさっさとメシ食って風呂入って寝てこいオッサンども!」

 

「ル"ジー……っ!」

 

「もう…泣かないでよ、兄上。兄上が毎回そんなだからお兄ちゃんたちがからかうんじゃないの」

 

でも、とか、だって、とか鼻水を垂らしながら言い訳をしだしたロシナンテをぎゅむっと抱きしめておいた。

 

「はいはい、大丈夫、大丈夫。私の兄上は世界一素敵な兄上だよ」

 

「ションベン小僧でもかァ?ルシー」

 

「どんだけダサくってもよ!」

 

ふん、と言い切ってやると、一部の兄連中がキラキラした目で私を見ていた。な、何…気持ち悪…。

 

「ルシー、もう一回!もう一回お兄ちゃんって呼んでみてくれよ!」

 

「頼むよルシー!あと一回でいいから!」

 

「私の素敵なお兄ちゃん、って!さあ!」

 

「バッカ!そこはカッコいいお兄ちゃん、だろ!?」

 

「分かってねェなあ!頼れるお兄ちゃん、の方がグッとくるだろ!?」

 

「……どこにどうグッとヤってほしいって?」

 

グッと拳を握りしめて睨みあげてやると、バカどもがきゃあきゃあとかわい子ぶって騒いで股座を隠していた。ほほう…私がどこにグッとしてやろうと考えてるか、よく分かってんじゃないか…。

 

「…まあ、落ち着けよい。ああそうだ、メシまだだろい?ここ座って食っていけ」

 

「ありがとう、マルコお兄ちゃん。でもお父さんの所にスープを持って行きたいの。また後で来てもいい?」

 

「ああ。オヤジを頼むよい」

 

「任せて」

 

ぽんぽん、と頭を撫でられた。また子ども扱いして、と不満だったけれど、マルコは命の恩人で、しかも尊敬に足る人だから何も言えないのだ。それを知っていていつまでも子ども扱いしてくる辺り、めちゃくちゃずるいと思うけど。

 

「ルシー、おれも手伝おうか?」

 

そう言ってロシーが腰を上げたけど、大丈夫、と返した。それより、目の前で胡乱げな顔をしている新人くん…エースにちゃんと話をした方がいいと思う。たぶんあれ、ロシーが実力者だってことを絶対に疑っている目だから。

 

「新人くん。ごはん中はあんまり寝ないで、あったかいうちに食べてね」

 

「へ?あ、ああ…」

 

目をまん丸にしたエースににっこりと笑顔を向けて、厨房に戻った。後ろで「ルシーってたまに変なこと言うよなァ」「メシ食ってる途中で寝るってどんなだよ」「いや、ああ言う時のルシーが間違ったことねェ」「出たよ妹馬鹿…って寝たーー!!!?」「エーーースーーッッ!!!」なんて騒いでいたけれど、みんながうるさいのはいつものことだ。

 

「サッチお兄ちゃん、スープできた?」

 

「おう。零さねェようにしろよ。あと熱いからな、十分に気を付けろよ。ゆっくり持って行っていいからな」

 

「はいはい、分かってますって」

 

「絶対にだぞ!?」

 

「はーい」

 

サッチはちょっと大げさだ。別に火傷したって熱くも痛くもないのに。私が痛がらない分、みんなが大げさなほどに私の怪我に痛がってみせるから、なんとなく罪悪感はあるけど。……一応、気をつけて持って行こう。ひと抱えほどもある大きな椀を持って、ゆっくりゆっくり近付く私に気付いたニューゲートが、じっと見守るようにしてこっちを見ていた。彼は私の仕事を絶対に手伝わない。代わりに、スープを零したりしそうになるとすぐ庇ってくる。ちょっと過保護だ。…なんだか大切にされているみたいで…ちょっと、気恥ずかしい。

 

「お父さん、スープだよ。熱いから気をつけてね」

 

「グララ!ありがとうよ」

 

私が抱えるようにして持ってきた椀を、ニューゲートは片手で軽々と持ち上げて机に置いた。うーん、大きいっていいなあ。

 

「足りないものはない?」

 

「ああ、酒が欲しい」

 

「お姉ちゃんたちにオッケーもらった?」

 

「……いちいち煩ェなあ、おれの娘は」

 

「当たり前です!お父さんのことが心配だもの!」

 

胸を張って言ったら、周りの兄たちから拍手された。みんな、なんやかんやとニューゲートのことを気遣っているのだ。その代わりに、祝い事の時は遠慮せず酒をプレゼントしているからあんまり意味がないっちゃないんだけど。

 

(ああ、そうだ)

 

私は前世のことで、とても後悔していることがある。…親に、大好きだと伝えていなかったことだ。子どもの頃は、母の日や父の日なんかで少なからず好きだといった言葉を使ったような気がする。けれど、思春期を迎えて、好きだと伝えることなんてなくなって、むしろ嫌いだと言い放っていた。大人になってからも、親のことは好きだったけれど、なんとなく、素直に伝えることはできないままだった。そして……この世界に生まれ変わってからも。私は、父親と母親に、産んでくれてありがとう、とすら言わなかった。それに関しては、むしろなんで産んだんだとすら思ったりしていたぐらいだけど。けど、好きだと伝えるくらいは、すべきだったと今では思う。

 

(誰かに好意を伝えることは、そんなに難しいことじゃない…そうだよね)

 

前世でも今世でも、親たちは不出来な私を、私の娘、と自慢げに言ってくれた。彼らにはもう返せない言葉を、せめて私は今の父には伝えたいのだ。どかりと座ったニューゲートに近付き、たくさんのびるチューブに引っかからないように気を付けて、大きな大きな体をぎゅっと抱きしめた。

 

「お父さん、大好き。あなたの娘になれてよかった」

 

「グラララ…!ああ…愛してるぜ、じゃじゃ馬娘」

 

大きな手が背中に回されて、ぐっと引き寄せてくれた。おれもオヤジの息子になれてよかったぜー!と、兄たちが我こそはと声を張り上げる。ニューゲートはそんなガラの悪い息子たちを愛おしげに見回して、馬鹿息子が、と笑っていた。

 



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もしドンキホーテ家の長子に生まれていたら

活動報告よりリクエストをいただきました。
「妹でなく姉として生まれていたら」の天竜人続行ルートです。
両親への批判過多です。ご注意を。
野口八緒さん、リクエストありがとうございました。



「父上、母上。私、嫌だからね。絶対ここから出て行かないから!」

 

ドンキホーテ・ドゥルシネーア、12歳。現在猛烈に反抗期中。頭の中がお花畑な両親を説得するも敗北。泣く泣く天竜人のチップを………

 

「渡しません!」

 

「る、ルシー!何を言ってるんだ!?」

 

「ルシー、あなたもちゃんと分かってくれていたじゃない…!」

 

「確かに『分かった』って言った。父上と母上に何を言っても無駄だと『分かった』ってね。…チップのない父上と母上はもうただの下々民です。私に命令することは、できない!」

 

強い悲しさを感じながらもそう宣言すると、見守っていた海兵たちが銃口を父親と母親に向けた。息を飲んだ両親を庇うようにドフラミンゴが怒鳴って、ロシナンテが私にしがみついてきた。

 

「あ、姉上やめてーっ!」

 

「姉上!何をするんだえ!」

 

青ざめた親にバカだなと、小さな弟たちを可哀想だなと、そう思って私は何度もした質問をもう一度した。

 

「…まだ、下々民の生活をしたい?」

 

「……私たちは、同じ人間なのだよ、ルシー」

 

悲しみをたたえた目をしている両親を見ていると、救いようのなさに吐き気がした。同じ人間?同じ人間だって?それならどうして命の重さに違いがあるのよ。

 

「ドフラミンゴ、ロシナンテ。あなたたちは戻ってきなさい」

 

「っ!嫌だえ!こんなことをする姉上のところになど、戻らないえ!」

 

「ぼ、ぼく…母上たちといたい…!ねえ、ぼく、姉上もいっしょがいいよ…っ!」

 

反発心で怒鳴りかえしたドフラミンゴと、親が好きだからと返したロシナンテ。どちらもが、可哀想でしかたがなかった。自分の未来とか、そういうことをちゃんと考えて出した答えなのかと、問い詰めてやりたいぐらいに。でも、私が懇々と諭した所で意味はないのだろう。『身をもって』体験しないと、理解できないはずだ。だって彼らは、愚かなのだから。

 

「そう。なら、好きにしたら」

 

「ルシー……」

 

とうとう涙を零して私の名前を呼んだ母親に、少しばかり思うことがあった。前世の知識がある私には、彼女が近い将来死んでしまうと…分かっていたから。

 

「………電伝虫、回線は切らないから。助けが必要になったら連絡してきたらいいよ」

 

「姉上…?」

 

潤んだ目で不思議そうに見上げてくるロシナンテの頭を撫でた。可愛い素直な子なのに。可哀想に。遥か高みから『家族』たちを見下して、心の底から哀れんだ。

 

「『下々民ごっこ』なんてあなたたちには無理だと、そこでじっくり思い知ればいい」

 

私の中に残る僅かな罪悪感ごと、そう吐き捨てた。縋るロシナンテの手を払い落として、タラップを登る。私の名前を呼ぶ家族を視界に入れないで。

 

あれから2年が経った。周囲から異常だと気味悪がられつつも、前世の知識をフル活用して一家の主人としての立場を確立させた。後ろ盾をしてくれるミョスガルド聖の一家なんかは、ドンキホーテ一族から裏切り者が出たことをかき消すように、優秀な人材を輩出したと私をやたらと持ち上げてきてるけど。

 

(まあ、お互い上手く使い合えばいいよね)

 

天竜人らしく奴隷を買って、天竜人らしく散財してればいいだけ。仲間に対する周りの目は案外甘いものだし。そんな生活をしていたある日、今までインテリアとなっていた電伝虫が着信を知らせてきた。涙ながらに暮らしが辛い、迫害されて殺されてしまう、なんて切々と訴えてきた。

 

「おかしらー。これから地上に行くけど、どうする?解放したげよっか?」

 

「いや、まだ全くマリージョア内部を把握できていないからな。あと数年は世話になるぞ」

 

「オッケー。聖地襲いに来るときはちゃんと教えてよー?」

 

「おう」

 

それより何でおれがおかしらなんだ、とぶつくさ言われたけどムシムシ。未来じゃ御頭になるんだからちょっと先取りするくらいいいでしょー。魚人の奴隷なのに反骨精神で暴れていて、食事抜き鞭打ちはもちろん、体を焼かれたり、銃の試し撃ち、刀の試し斬り、皮剥ぎ、同じ奴隷の男たちに犯さ…あっ、これ以上はR18になるか。とにかくすんごいことをされてたので、私がもらってきたのだ。まさかフィッシャー・タイガーがこの時代からマリージョアにいるとは思わなかったからめちゃくちゃ驚いたけど。忌々しげに名乗られた時に、たぶん目を剥いて3度見はしてたと思う。

 

「それより…普通のやつはお前が異端だと知らん。護衛はつけるだろうが…気をつけろよ」

 

「はいはーい」

 

「返事は一度だ!」

 

「はぁーいー!……私、一応天竜人なんだけどなぁ…」

 

なんかもう…親より親みたいだ…。だって今は現実を見て夢から覚めたであろう親たちだけど、あの人たちは自分のエゴを押し付けて善行をしたと満足感に浸るだけの人たちだったんだもの。私はアレを親とは呼びたくない。

 

「あっ、ドゥルシネーア宮!お出かけですか?表の桜が見頃ですよー!」

 

「ドゥルシネーア宮、お菓子焼けましたよ!自信作です!」

 

「ああちょっとアンタ!襟が曲がってるじゃないか!まったく、手のかかる子だねえ!」

 

先月他の天竜人から引き取った手長族のお姉さんが遠くからニュッと手を伸ばして襟を正してきた。

 

「あんたらは私のカーチャンか!」

 

思わずツッコミを入れると、周りの奴隷たちからゲラゲラ笑われてしまった。なんでうちの奴隷たちってこうも我が強いんだ…!

 

「ドゥルシネーア宮!海軍本部より護衛が到着いたしました!」

 

「ちゃんと指定した人たちが来てくれた?」

 

「はっ!」

 

海兵の後ろに並ぶ面々を確かめて、よし、と内心ガッツポーズをした。彼らならまず間違いはありえない。

 

「うん。ご苦労さまです」

 

緊張してガッチガチに強張ってる海兵を労って、片目を潰された奴隷の子からカプセルを受け取った。ありがとう、と言うとくすぐったそうに首をすくめて笑った。こんな可愛い子を売り飛ばす親がいるなんて、世も末だなと思う。

 

「私これから北の海に行くけど、誰か一緒に行きたい人いるー?」

 

「ドゥルシネーア宮、私一回家に帰りたいですー」

 

「あ、おれも!でもまだ金溜まってねェから来月くらいに迎えに来てくれよ」

 

「もう一回奴隷市場に出品されて来たらァ?」

 

「違いねェ!」

 

ゲラゲラ笑ってブラックジョークを飛ばしてる奴隷たちを、年若い海兵は戸惑った目で見ていた。

 

「あんたたち、私の奴隷になって不幸せ?」

 

「「「まさか!」」」

 

私は親のようにはならない。自分のエゴを押し付けて善行をしたと満足感に浸るだけの天竜人になど、ならない。海兵の後ろで面白そうにこっちを見ているガープと厳しい顔で睨んでくるサカズキに、それじゃあ行きましょうか、と声をかけた。

 



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続・もしドンキホーテ家の長子に生まれていたら

リクエストをいただきました。
「妹でなく姉として生まれていたら」の天竜人続行ルートの続編です。

※注意※ 両親と弟たちへの批判過多です。

奈半さん、野口八緒さん、リクエストありがとうございました。



 

「天竜人の証明チップを再発行することはできません」

 

「…ま、普通はそうですよねー」

 

当たり前だよなぁ、とため息を吐いた。どれだけ願ったところで、投げ捨てた地位は取り戻せない。だというのに家族たちは真っ青な顔で縋るように私を見ている。バカな親、バカな弟たち。でも…見捨てることはやっぱりできない自分もいる。見捨ててしまえばあとは自然と原作の流れに沿うだけだって、分かってるのに。それでも…。

 

「……ガープさん、ちょっとご相談が」

 

「……お?なんじゃ、わしにか?」

 

他人事だと鼻ほじってたガープさんに頼むことにした。腐っても中将…なんとかしてくれるはず。

 

「うちの親を海軍でまともにしてやってくれません?雑用とか調理とかの一般人の教養と、仕事でその日暮らしができる手立てを身に染み込ませてやってほしいんです。その後は東の海のフーシャ村に小さな家でもくれてやってください。私からポケットマネーを出すんで」

 

「ルシー!?」

 

両親が目を丸くして私を見てきた。近付こうとした体を、海兵たちがきっちりと掴んだのを確認して続けた。

 

「それから、弟たちを海兵に」

 

「姉上っ!?嫌だえ!嫌だえ!こんな、海兵になんてなりたくないえ…!」

 

「姉上…?」

 

この世の終わりだと言いたげに叫ぶドフラミンゴと、意味を理解していないのか涙目で見上げてくるロシナンテを指差した。…たった2年で私の心は凍ってしまったんだろうか。生まれた時は可愛い、可愛いと愛でていた弟たちの悲痛な顔を見ても、全く心が揺らがない。

 

(…結局、他人だしねぇ)

 

家族ごっこをしたのは12年。そのうち弟たちとは10年も一緒にいなかったのだし。何より、顔立ち、かな。前世で今の倍以上も日本人の顔を見て育った以上、未だにここは海外って意識があるし。醤油顔じゃないと血の繋がった人たちだって意識できませーん。HAHAHA!…笑えねえ!

 

「ドフラミンゴは覇王色の覇気を持っています。鍛えれば、育ちます。この子が海賊になれば……世界政府の国宝のことも知っていることですし、とびっきり厄介な存在になるでしょうね」

 

ほう、と面白そうにドフラミンゴを見下ろすガープさんの後ろで、サカズキさんのこめかみがぴくりと動くのが見えた。周りの海兵たちも動揺している。そう、ちゃんとドフラミンゴの将来性を見ておいてよ。せいぜい敵に回さないようにね。

 

「それで?そっちのボウズは?」

 

「ひっ!?」

 

「ちょっとガープ中将!ドゥルシネーア宮の弟様ですよ!?」

 

迫害を経験して大人が怖くなったのか、視界で収まりきらない大きさの男に見下ろされたロシナンテが短く悲鳴をあげた。海兵が私の様子を伺いつつガープさんに進言していたけど、別にそれは問題ない。どうぞどうぞ、好きなだけご検分を。

 

「ロシナンテは優しい子ですしドジっ子なので重要任務には向かないでしょうが、腕は立つようになります。愛嬌がありますし、協調性もあります。将来的に教官などにすることを見越して鍛えていただければ」

 

でもってスパイなんてさせないでもらえればいい。ローは……そうだ、ローのことも助けないと。えーと、フレバンスを丸ごと買い取って、ドラム王国のイッシー20とDr.くれはをローテーションで借り上げて研究でもさせたらいいかな。時間的にもまだまだ間に合うだろうし。あとはオペオペの実を同時進行で探して買い取ればいいか。

 

「…気に入った!わしが鍛えてやろう!」

 

怯えるロシナンテのどこを気に入ったのかは知らないけど、なんだか嬉しそうに笑って硬直したロシナンテを高い高いし始めた。あーあ、初孫を喜ぶジジイかよ。…あ、孫といえばガープさんに子育てはダメだ!

 

「それは遠慮します」

 

「なんでじゃ!?」

 

「ガープさん。あなた、子育てがヘタでしょう?」

 

「!!?」

 

なぜそれを、と言いそうな顔をされた。ほらな!革命軍のリーダーのドラゴンさんを育てた時点であんたに育児能力は皆無なんだよ!ルフィもエースもダダンさんに丸投げだったし!

 

「ロシナンテは、センゴクさんかおつるさん辺りでお願いします。ドフラミンゴは……サカズキさん。あなたにお願いしたい。それとゼファー教官にも」

 

「………」

 

名指しでお願いすると、サカズキさんの目がぎらりと光った。うわっ!怖っ!でもそれくらい怖くないとドフラミンゴの教育とか無理だろうし、適材適所だ。

 

「お、恐れ多くも…ドゥルシネーア宮、彼も育児には不向きかと…!」

 

「そうです!もし弟様に何かあっては…!」

 

「私が考える『最悪』は、ドフラミンゴがその辺のチンピラに担ぎ上げられて『海賊ごっこ』や『ドレスローザ国の奪還』なんてバカをすることです。…サカズキさん、お手数をおかけしますが、この子の性根を叩き直して正義に生きる海兵として育てていただきたい。どうやらうちの親は育児能力がなかったようですから」

 

深々と頭を下げると、サカズキさんから返事のような鼻息のようなものが聞こえた。ドフラミンゴの叫び声が一層大きく聞こえたし、おそらく了承してくれたということなんだろう。

 

「ルシー…」

 

あーあ、泣いちゃった。そりゃ親としたら我が子にズタボロに言われるのは不本意だろうけど、実際あんたたちは子育てを失敗してるんだってーの。3人産んでやっとまともに子育てできたのがロシナンテだけとか。ほんとやめてほしい。陰鬱な雰囲気にげっそりしていると、遥か高みから賑やかな声が降ってきた。あの声は…うちの奴隷たちか?

 

「ドゥルシネーア宮だ!おかしら!ドゥルシネーア宮が帰ってきた!」

 

「ドゥルシネーア宮ー!おかえりなさーい!」

 

わあわあと各々が手を振って出迎えに来てくれた。うーん、優しい!うちの子たちはみんな体に傷はあるものの、清潔で身なりも綺麗だからいいわぁ。私の親と弟たちとは大違い。HAHAHA……いや、だから笑えないって。

 

「……ただいま、みんな。留守の間何もなかった?」

 

抱きついてきた隻眼の奴隷の頭を撫でて、御頭に尋ねた。すると案の定というか、御頭が首を振った。…左右に。

 

「いや、奴隷を返せと乗り込んできたやつがいた。追い払ってやったがな」

 

「もう…。そういう時は電話してよ。殺してないでしょーね?」

 

「残念なことにな」

 

「ならいいでしょう!」

 

ギザギザの歯を剥いてニヤリと笑った顔は…まあ、凶悪って感じだったけど。殺してないなら私の所有物に手を出そうとした天竜人を主人の命令で追い払ったって建前が通用する。さて、だれが私の所有物に手を出そうとしたか……しっかり調べてギッチリ締め上げてやろう。

 

「姉上ーっ!おれも…おれも、『そこ』に帰りたいえ…っ!」

 

何を今さら。あのドフラミンゴが涙ながらに懇願する様は、ひどく滑稽だった。…私の表情筋はぴくりとも動かなかったけど。

 

「……あなたも父上たちと同じよ、ドフラミンゴ。あなたは私の手を取らなかった。それが全て」

 

海兵たちが私を見てぎょっとした顔をしていた。サカズキに捕まえられたドフラミンゴが、ガープさんに抱かれたロシナンテが、海兵たちに取り押さえられた両親が、絶望に満ちた顔を見せた。

 

「捨てたものは…もう、戻らないの」

 

天竜人の地位を、私を、捨てたのはお前だ。いつかの時空で父親が言われたであろう言葉を、私はあえて復唱した。こぼれる涙も、震える声も全部無視して、透明な膜を一つ隔てた先の小さな弟に吐き捨てた。

 

「二度と話しかけてこないで。…人間の分際で」

 



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続続・もしドンキホーテ家の長子に生まれていたら

活動報告よりリクエストをいただきました。
「妹でなく姉として生まれていたら」の天竜人続行ルート3です。

※注意※
・フィルムゴールドの登場人物とネタが出てきます。
・今回は家族との絡みがないです…

天然水さん、リクエストありがとうございました。



ドゥルシネーア宮は変わり者。成人の頭脳を持つドンキホーテ家の異端児。親兄弟の代わりに奴隷を愛でる。そんな風評で私の体がコーティングされる頃、フィッシャー・タイガーがそろそろ解放しろと言ってきた。

 

「ええー…おかしら、もう出て行っちゃうのぉー?サービーシーイー!」

 

数年も同居していれば立派な身内だ。あの手の水かきとかしっとりした皮膚に触れなくなるのはとても寂しい……あっ、人柄もね!兄貴!って感じだったからいなくなるのはとっても寂しい。

 

(他の奴隷たちも悲しむだろうに…。隻眼ちゃんなんか御頭にメロメロだから泣くだろうなぁ)

 

色々思うところはありつつ、廊下の隅のもみの木にクリスマスツリーみたいに飾ってた鍵を一つ投げて渡した。好きな時に出て行っていいよ、とみんなが取りやすい所に置いてるのに、一向に誰一人として出て行こうとしないとか。どんだけー。あ、たまに旅行で出て行く人は例外とする。またすぐ戻ってくるしね。

 

「…結局何年いたっけ?」

 

「ここに来てからは7年ほどか」

 

ガチャ、と首輪を外して、鍵ごと袋に入れていた。たぶん後で解除方法とかを解析して、奴隷解放の時に役立てるつもりなんだろう。

 

「……本当は1年で奴隷たちの居場所なんて全部把握してたんでしょ?」

 

なのに7年もここにいた。それは、私の自惚れじゃなかったら、きっと彼はーーー。

 

「…馬鹿を言うな。半年だ」

 

極悪な笑みを浮かべて、御頭は私の頭を押さえつけるように撫でてきた。この容赦ない撫で回しも…もう最後なんだな、と悲しくなった。

 

「私のこと、みんなのことも、忘れないでね、おかしら」

 

「忘れねェさ。人間にも、天竜人にも、お前みたい変なやつがいるってことはな」

 

お別れのパーティをして、隻眼ちゃんは一つの目で号泣しながら御頭に告白して、バッサリ振られて、ますます泣いてて。御頭はそんな隻眼ちゃんの頭を撫で回して、幸せになれよとグラスを掲げる奴隷たち一人一人に挨拶をして回っていた。

 

「失礼します。ドゥルシネーア宮、船の手配が済みました」

 

「ご苦労様です。おかしらー、そろそろ出発だよー」

 

「分かった、すぐに行く」

 

荷物を取りに戻る魚人を見て、7年前にはあたふたしていた海兵がにやりと楽しげに笑って言ってきた。

 

「寂しいですか?ドゥルシネーア宮」

 

「当たり前でしょ。私は自分の奴隷たちが大好きなの。でも、みんなが幸せになる方法を自分の手で掴めるなら…それが一番だもの」

 

「ドゥルシネーア宮って可愛くないですね!」

 

「お黙るアマス!」

 

「似合わねえー」

 

久々に天竜人っぽく言ってみたら、海兵に大いに笑われてしまった。……この人、本当に海兵?私の方が偉いのよ?世界一偉いんだよ?クッソ!…アマス!

 

「私の『家族』たちは元気?」

 

「あー、はい。ご両親はフーシャ村で農業の手伝いをしているそうです。母君は体が健康体になったとか。父君も労働後の酒が美味いことを知ることができたとか言ってたそうですよ。天竜人って可哀想ですよね。あの一杯の美味さを知らないなんて」

 

かわいそうに、としみじみ言う海兵には激しく同意。分かるわー。私も前世で給料日のちょっとした贅沢をどれだけ楽しみに生きていたことか…。そして母親については素直によかったねと言ってあげたい。元気で長生きしろよ!

 

「で、弟たちは?」

 

「あー…それがですね……ロシナンテは…失礼、ロシナンテ様は」

 

「いや、呼び捨てで結構」

 

「そうですか?なら遠慮なく。ロシナンテなんですけど、あのドジっ子、ガチなんですね。ビビりました。この間あいつが入隊して始めての訓練を見学したんですけど、めちゃくちゃ転んでました。周りのやつらからめちゃくちゃ心配されてました。いやー、おれ、あんなドジっ子初めて見ました」

 

いや、そんな感動されても…。でも元気にやっているようなら安心だ。周りから心配されてるってことはそれなりにいい関係を作れているようだし。

 

「ドフラミンゴは?」

 

「あーーー…うーーーん……」

 

なんか唸ってる。いや、分かるよ。ドフラミンゴの報告を最後の最後に回すとか、それだけ言いにくい話だよね。うん、なんとなく想像できる。

 

「毎日毎日毎日毎日サカズキ少将に噛み付いて行って、毎日毎日毎日毎日ボコボコにされてます。あいつが暴れだすと覇王色の覇気でみんながぶっ倒れるからホント厄介で…ハァ……」

 

「そりゃまた……」

 

「あ、CPから報告も上がってくると思いますけど、今のところチンピラとか裏の組織的なやつらと繋がるそぶりはないですね。というかサカズキ少将とガープ中将が常に相手してるんで、そんな暇はなさそうです。つる中将も時々洗濯してるようですし」

 

「そう。…なによりだわ」

 

どうやらガープさんも手伝ってくれているらしい。あの人、噛み付いてくる子を力で屈服させるのは上手そうだし。むしろ歯をむき出しにしてくる反骨精神の塊な子ほど可愛がってそうだし。サカズキさんも、よくもまあ7年もガキの相手をしてくれるものだ。お礼の一つでもしなくては。あの人何が好きだっけ?盆栽?薔薇?…後で良さそうなものを送らせよう。

 

「ルシー」

 

「あっ、おかしら。電伝虫持って行って」

 

「おう。またな」

 

「うん。元気でね」

 

ばいばい、と手を振って、御頭を見送った。別れの挨拶は手短に。だってまた会えるのだから。早々に姿が見えなくなったのを、やっぱりどこかで寂しく思いながら、屋敷まで引き返そうとした時。元気な声が聞こえた。

 

「離せ!離せっ!ステラはどこだ!?どこにいるんだ!!?ステラ…っ、ステラーっ!!!」

 

「ゴッフ!!!」

 

あ、あれ…フィルムゴールドのテゾーロさん!?ハァ!?ここで会う!?まだゴルゴルの実は食べてないし、彼がゴルゴルの実を食べるのはドンキホーテ海賊団から奪っての………アッ、もしかしなくても私…この人の運命、変えちゃった…?

 

「ドゥルシネーア宮、どうされましたか?」

 

尋ねてきた海兵に、震える指で奴隷を指差し命令した。たぶん、口元も引きつってたと思う…。だって、まさかここでテゾーロさんに会うなんて…映画版のネタとか…原作ならともかく映画版は全部把握してないっての…!

 

「あの元気な奴隷…欲しいからもらってきて」

 

「はっ!」

 

「買い主との交渉は私が出るわ…」

 

あーあ、ついてない。バカラさんを女中にするか、ラキラキの身を探して私が食べちゃおうかなあ!

 



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続続続・もしドンキホーテ家の長子に生まれていたら

活動報告よりリクエストをいただきました。
「妹でなく姉として生まれていたら」の天竜人続行ルート4です。
「ガープ、レイリーとの関わり」です。

※注意※
・海兵ドフラミンゴ出してしまいました…

天然水さん、リクエストありがとうございました。



 

テゾーロさんとステラさんを探してまとめて引き取って、2人の背中に焼き付けられた焼印の手当をしてあげた。ステラさんはひどく弱っていたけれど、テゾーロさんが看病しているし優秀な医師もいるから大丈夫だろう。奴隷たちに留守を預けて、私は海軍の船に乗り込んだ。定期的にフレバンスの医師団の視察に行くようにしているのだ。

 

(ミョスガルド聖一家はフレバンスに近付くなと言ってたけど。あれ、露骨だよな)

 

フレバンスの話題を出すだけであんな態度をしているなんて、あそこに毒があると公言しているようなものだ。いや、知っている私だからこその違和感か。

 

(そもそも上質な珀鉛が無害でただ美しいだけなら、マリージョアが珀鉛で彩られないわけがないんだし)

 

白い町は本当に美しかった…今は閉鎖しちゃったけど。それでも害があることは公共の場で言っていないから、よく裏稼業者が珀鉛を採掘しに来るらしい。供給があるということは、つまりは需要があるということに他ならない。愚かだと思う。珀鉛を買い求める人たちは、なぜフレバンスの人たちが急に珀鉛から距離を置くようになったのか、知ろうともしないのだから。供給を担う裏稼業者たちはその辺りのことを知った上で珀鉛を売ったりしてそうだけど。まあその辺は海軍がいつかまとめて捕縛してくれるだろう。ああ、不正な利益がフレバンス住人に行き渡るように手配してもらわないと。

 

「それではガープさん、本日もよろしくお願いします」

 

黒髪の似合うガープさんに頭を下げると、おう、と威勢のいい返事が返ってきた。

 

「今日は…あら、ドフィ?」

 

10代半ばともあってかなり背の伸びた弟が海兵たちの中に並んでいた。サカズキさんはいないんだろうかと見回すも、姿が見えない。おや?もしかしてドフィのお目付役が嫌になった?

 

「サカズキなら今日は私用でな。オハラに向かっておる」

 

「オハラ…ああ、バスターコールですか」

 

「相変わらず妙によく知っとるのう」

 

「恐れ入ります」

 

なるほど、オハラが地図から消えるのか。

 

(ドフィを連れて行かないのは…万が一にも国宝のことや天竜人の成り立ちを知られないようにするためか)

 

自分の持つ情報に価値があると確信を持ったら、ドフラミンゴはどんなことをしだすか分からない。『最悪』の事態も想定される。サカズキさんはそう考えたのだろう。賢明な判断だ。

 

「行きましょう」

 

「挨拶せんでいいのか?」

 

「今のあの子はただの海兵です。必要ありません」

 

「なんじゃ。つまらんのう」

 

つまらなくて結構。さあさあさっさと行きましょう、とガープさんを急かして出航した3日目。事件が起きた。ぐらっと大きく揺れた船と、海兵たちの大声が深夜の軍艦に響き渡る。

 

「…何?」

 

急に天候が荒れたというわけではなさそうだ。海楼石を敷き詰めた船だしガープさんもいる…海獣でもなく、海王類でもないだろう。まさか人でもあるまい。海軍の軍艦相手に喧嘩売るようなバカはまずいない。

 

(…避難船に移動した方がいいかな)

 

避難用にと軍艦にはシャボンでコーティングされた潜水艦を積んでいる。怯える侍女たちに先に避難するよう命じた。危ないからと必死になって止めてくる彼女たちに再度命令して、ガープさんを探しに出た。

 

「ガープさん!ガープさん、どこにーー」

 

私の予想は大外れだったらしい。深夜の美しい星空の下、私の乗る軍艦は、軍艦に比べれば小さな船と対立していた。それも、海王類を間に挟んで。ガープさんは海兵たちに大砲の弾を用意させて、次々と打ち込んでいる。対する船からも斬撃のようなものなどが飛んできて、空中で大砲の弾を正確に爆散ささている。間に挟まれた海王類も瞬く間に傷だらけになって、とうとうその巨体を海に沈めてしまった。その衝撃は、凄まじかった。

 

「っ、ひゃ!?」

 

軍艦を海面から大きく跳ねさせるほどに。ーー私の体が軽く飛ばされて海に落ちるほどに。

 

「っ!!!姉上!!!」

 

声変わりしたドフラミンゴの声が、私を呼んだ。あの子はまだ、私を姉と呼ぶのか。

 

(死ぬ…!)

 

慣れない浮遊感と、内臓をキュッと持ち上げられるような感覚に死を覚悟した。のに。

 

「おっと!」

 

(ひっ!?)

 

背中を何かに包まれて、浮遊感が一度止まった。夜の海水の冷たさを覚悟したのに、体を包み込むようにした何かはとてもあたたかい。すぐあとにまた浮遊感が襲ってきて、自分を包む何かに縋るようにくっついた。浮遊感はすぐに終わって、地面に到達した時には、とん、と軽い音がした。人が落ちたにしては、あまりに軽い衝撃に何事かと目を回してしまった。

 

「ふふ。怪我はないかね?お嬢さん」

 

深みのあるイイ声が、すぐそばから降ってきた。ふわ、と香る芳醇な酒の匂いと海風の染み込んだ匂いが、私を包む熱いほどの温度に乗って香った。

 

(人…?海兵?)

 

酒の匂いがするということは休息中の海兵か。私を名前で呼ばないということは侍女の誰かとでも間違っているのか。そんなことを思いながら顔を上げて、礼を言おうとした。

 

「あ、はい、ありがとう、ござい…ます…っ!?」

 

「なに、礼には及ばんよ。半分はこちらの責でもあるからね」

 

満点の星空を背に笑顔を見せるのは、あのシルバーズ・レイリーだった。特徴的な髭の形だから、間違えようもない。身を硬くした私を、笑みを浮かべた眼鏡の奥から検分しているのが分かる。

 

(やばい…まずい!天竜人だとバレたら海に投げ出される!?)

 

冷静に考えれば、レイリーさんがそんなことをするキャラではないと分かるのに、その時の私は命の危険を無駄に感じてそこまで頭が回らなかった。

 

「た、助けていただき、ありがとうございました。あの、下ろしていただけ…ぎゃんっ!?」

 

ビシュッ、と空を切る音がして、私の体に再び浮遊感が襲ってきた。何事!?悲鳴をあげる私を宥めるようにレイリーさんが背を撫でてきたけど、いや、そうじゃない、それは求めてない!私を!下ろして!

 

「テメェ…!姉上を離せ!」

 

「ほう?海兵の姉か。私はてっきり君が天竜人だと思ったのだがね」

 

(バレテーラ!)

 

殺される?海に投げられる?身を硬くした私を見て、レイリーさんが楽しげに笑った。

 

「お嬢さん。君の名前を聞かせてもらいたいのだが」

 

「いい言えません言えません!」

 

「ふむ…。ではこのまま連れて帰るとしようか」

 

「こっ、困りますーっ!」

 

「はっはっは」

 

「下賎の身で姉上に近付くなっ!」

 

笑い事じゃねえええ!!!海王類の死骸の上を動き回ってドフラミンゴの攻撃を避けつつ、レイリーさんは着々とオーロジャクソン号に近付いていく。これ、まさかの誘拐される感じ!?血の気が引いてきた私の姿を目視できたのか、軍艦から海兵たちが叫んでいた。

 

「ガープ中将落ち着いてくださいーっ!大砲投げちゃダメです!!!」

 

「ドゥルシネーア宮に当たったらどうするんですか!!?」

 

「レイリー!!!その手を離さんかッ!!!」

 

(名前呼ばないでーー!!!)

 

詰んだ。顔を覆ってさめざめと泣く私を、レイリーさんはじっと見た。こ、殺される?

 

「なるほど。君が変わり者の天竜人、ドンキホーテ・ドゥルシネーアか。なんだ、普通のお嬢さんじゃないか」

 

「へ?」

 

納得がいった、と言わんばかりにレイリーさんが頷いた。そして私を海王類の上に下ろして、頭を撫でてきた。え、どういうこと?

 

「君は知らないだろうが、君からの縁で救われた者は多い。私もその1人でね」

 

「どういうーー」

 

「姉上!」

 

「おっと」

 

追いついたドフラミンゴに向けて私を体を押して、レイリーさんは船へと身を翻した。ふらついた体をドフラミンゴに支えられながら、不安定な足場の上で私は目を白黒させるしかできなかった。

 

「ではな、我らが救いの女神。またどこかで会おう」

 

「行くぞ、レイリー!」

 

「ああ。待たせて悪かったな」

 

そんなやりとりをして、オーロジャクソン号は離れていった。ガープさんが打ち込む大砲の弾を、ことごとく無効化させながら。

 

(なんか…嵐みたいな人だったな)

 

彼が嵐となれば、ますます私の予想が大外れだ。ああ、避難船に乗った侍女たちは無事だろうか。それにしても…。

 

「…救いの女神、だって」

 

なんとも、凄まじい名前で呼ばれたものだ。しかしレイリーさんをも助けるってどんな?

 

(…もしかして、御頭?)

 

レイリーさんが助けられたというとハチの存在が思いつく。御頭がまだ年若いハチに何か入れ知恵でもしたんだろうか。そのハチにレイリーさんが助けられた?…まさか、そんな偶然あるわけ…ないよね?悶々と考え込む私に、ドフラミンゴが話しかけてきた。

 

「姉上……ドゥルシネーア宮、艦に戻るぞ」

 

強張る仕草や声音に、ちょっと気が緩んだ。あれだけ不遜な態度がデフォだった弟の鼻を、サカズキさんはよくもここまでへし折ってくれたものだ。また今度お礼をしないと。この前と同じように盆栽とバラの花でいいだろうか。一級品の剪定道具にした方がいいだろうか。

 

「…ええ。私をあそこに連れて行って、ドフィ」

 

昔の愛称で呼ばれて、ドフラミンゴの口元が驚きで一瞬緩んだ。それを引き締め直して、ドフラミンゴは私を軍艦へと連れ帰ってくれた。

 



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29〜17年前
16.こんにちは、新しい家族


 

 

 

ゴミ捨て場のあばら家には父親の死体(首から下)が放置状態ということで、そんな家に戻りたいとも思えず、結局私はドフラミンゴに手を引かれて未来の幹部4人のアジトに移住することになった。もちろん一番足が遅いのは私なので、遅いペースで手を引くドフラミンゴの足並みに合わせて彼らもゆっくり付き添って歩いてくれた。時々鼻水を垂らしつつトレーボルが顔をニヤニヤと覗き込んできたり、おでこに絆創膏をつけたピーカが心配そうに振り返ってきたり、ディアマンテが野ウサギを串刺しにして夕飯にしようと言ったりしていた。でもなぜかそれらに構うような余裕がなかった。なんだかだるいし、しんどい気がする。足取りが重いというか、頑張っても早く歩けない。息がすぐに切れる。ぜえぜえと息を切らして必死について行こうとする私を見かねてか、頬に焼きそばパンをくっつけたヴェルゴが仕方なさそうにもう片方の手を握って引っ張ってくれた。

 

「ゼェ……ヴェルゴ、さん……あり、がとう…ございま……ゲホッゲホ…!」

 

「…大丈夫か?」

 

「…ぁい……ゼェ……ゼェ…」

 

おお、優しい。未来でコラさんをボコボコにしてローにぶった切られる人物と同じには見えない。引っ張ると私が転ぶと思ったのか、私の歩みに合わせてヴェルゴもドフラミンゴと同じく遅いペースで歩いてくれた。手の大きさとかは全然違ったけれど、ロシナンテの手を思い出してちょっと目頭が熱くなった。別れたばかりだというのに、我が心の天使、ロシナンテが早くも恋しい…。

 

「ゼェ……ゼェ……」

 

なんだか視界がぐるぐると回っている気がする。なんだろう、気のせいかもしれないし、ガチで気絶一歩手前な気もする。今ここに布団があったら頭からダイブする。絶対にする。

 

「あ"ーーー……だっっ……っるい……ゲホッ…一生…ゼェ……寝て、たい…ゼェ…」

 

「オイオイ、ドフィ…本当にコイツは妹なのか?お前の妹だってのにグダグダじゃねェか」

 

「…珍しいな」

 

遠くでディアマンテが私をディスる声が聞こえた。おいちょっとドフラミンゴ、ちょっとは否定しろよ。お前の妹がグダグダとか言われてんだぞ。気持ち的には元気いっぱいなので内心で反抗していたら、ドフラミンゴの手のひらがぴたりと額に当てられた。そして口をへの字に曲げたドフラミンゴが突然大声を出してきた。

 

「熱が出てる…!ルシー、乗れ!オイおまえら!アジトに寝床と水、あと医者も用意しとけ!」

 

「熱?ああ、分かった。なら俺は先に行ってるぞ」

 

ドフラミンゴが私の前にしゃがみ込んだ。体力切れでダウンした私をいつものように背負って連れて行こうとしているのだ。ディアマンテはウサギの耳を掴んだまま、街の方へと走って行った。ガラが悪くて確実にカタギでない大男が、自分の兄である子どもの命令を聞いて行動している様は、なんとも言えない奇妙さがあった。

 

「ドフィ〜、王たるもの軽々しく膝をつかないでくれェ」

 

「うるせェ!黙ってろ!」

 

「ドフィ〜…」

 

トレーボルが眉を顰めてドフラミンゴの行動をたしなめた。けれどドフラミンゴの一喝でトレーボルはすごすごと引き下がり、今度は気遣うような顔で私の顔を覗き込んできた。そこで、こいつのせいで!と私を睨んだりしない辺り、ドフィのことを心底大切に思っているのだと伺えた。役立たずと分かっていても王にしようと決めた子どもの妹を蔑ろにはしないとか、なかなかできることじゃない。ヴェルゴに肩を支えられながら、ドフラミンゴの背中に乗ろうとした時、ふと大きな影が隣にしゃがんできた。

 

「おいお前、俺の背中に乗れ…!」

 

「へ…?」

 

奇妙なソプラノボイスが私に向けて発せられたのは自己紹介以来2回目だ。…元気だったら笑ってたかもしれない。

 

「ん〜?そうだなァ。べっへへへ…それならいいだろう?ドフィ」

 

「……あァ…」

 

わざわざドフラミンゴが背負う必要はないとトレーボルが笑った。確かに、ガタイ的にもドフラミンゴよりもピーカに背負ってもらうほうがいいだろう。あまりドフラミンゴに甘えていると、そのうち彼らに見殺しにされそうだ。ヴェルゴに押し上げてもらいながらピーカの背中に…背中っていうかむしろ肩?に乗って首に腕を回した。えっ首回り太…腕が回りきらない…だと…?末恐ろしい子どももいたものだ、と内心ガクブルした。後から聞いたら11歳らしい。マジかよ…どんだけ発育いいんだ…。

 

「ピーカさん……ゼェ…ありが、と…ゲホッ……」

 

「ルシー、もう喋るな」

 

ご迷惑をおかけします、と言った方がよかっただろうか。でも口を開くなとドフラミンゴに制されてしまったし。とりとめもなく考える私の顔を、ピーカやヴェルゴは不思議な生き物を見るような顔で見ていた。ニヤニヤしてるトレーボルは知らん。鼻水垂らしながら顔近付けんな。

 

「…寝てろ。ちょっと揺れるぞ」

 

「…はい……」

 

ピーカの背中は広かった。大きな背中と走る振動から、2年前の放火から逃げる時に背負ってくれた父親の背中を思い出した。そう思えばとても遠い所へ来てしまったものだ。

 



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17.みんなで一緒にごはんを食べよう

 

 

未来の幹部4人は身内に引き入れた者には実に甘かった。…というか、ドフラミンゴの妹である私に対して甘かった。ちょっと咳き込めば夜中でも医者を銃で脅して連れてきたし、花屋の花を綺麗だなと言えば次の日には部屋中に花が溢れかえっていた。どこにそんな金が……アッ、圧倒的なパワー(銃)のおかげですね、ハイ。そうそう花屋といえば、2年ぶりに自由に街を歩くことができるようになった。あまりに人里離れたゴミ捨て場での仙人暮らしが板につきすぎていたので、命の危険に怯えず好きに出歩けるようになったことがここ数年で一番嬉しかった。二番目に嬉しかったのはお風呂に入って清潔な服を着れたことだ。ああ、臭くなくてダニとかで痒くないって素晴らしい!…まあ、外出に関しては幹部二人に左右から挟まれて、という制限はあるんだけど。

 

「おいルシー、何か食べたいものはあるか?そうだな…あァ、あそこのパンはどうだ?焼きたてらしいぞ」

 

「えっと…私は大丈夫」

 

「オイ!遠慮すんじゃねェ!」

 

4人が4人とも、私の名前をちゃんと呼ぶようになった。それと同時に、私にも名前を呼べと強制してきた。彼らの理論で言うと、私たちは対等なのだそうだ。だから敬語もさん付けもしなくていい、と言われた。……年上のヴェルゴを呼び捨てなんてしたら原作みたいにボコられて殺されんじゃないの?と思ったけれど、本人がいいと言ったんだから仕方がない。でもって、彼らの個性もなんとなく掴めてきた。例えば、ディアマンテは自分の言動を肯定されると喜ぶ。褒めて伸ばして欲しいタイプらしい。

 

「あーっと…えっと、でもね、ドフィたちに買って帰ってあげたいなぁ」

 

「ウハハハハ!そりゃァいい!とびきり美味そうなやつを選ぶとしよう!」

 

ディアマンテがゲラゲラと笑いながら剣を抜いてパン屋に向かって行った。あの人…物を買うって意味分かってんのか…?そういえば驚くことにこのディアマンテ、大人顔負けの貫禄なのにまだ15歳だった。見えねぇ…。

 

「ルシー、疲れたら言えよ。背負ってやるからな」

 

「うん。ありがとう」

 

対してピーカはまだ可愛げがある。迷子にならないようにと私の手を握って、私の歩幅に合わせてゆっくりゆっくり歩いてくれる。最初は自分勝手だったドフラミンゴもだんだん歳下の妹に気遣うことができるようになっていったけれど、ピーカのように最初から気遣いのできる人は珍しい。優しいロシナンテだって最初は私をどう扱うべきか狼狽えていたのになぁ。……ロシナンテに会いたいなぁ…元気かなぁ。

 

「……元気ないな。どうしたんだ?」

 

「うん…ロシーに会いた……………アッ、いやいや、何でもない何でもない!」

 

ここで会いたいなんて言ったら武力行使でロシナンテを探そうとするかもしれない。それこそ島中の人間一人ひとりを拷問にかけたりしながら。…それはマズイ。店で暴れるディアマンテの方に早く行こうと、ピーカの手を引っ張った。

 

「は、早く行こう!ディアマンテを止めなきゃ、お店がなくなっちゃう!」

 

「ああ、そうだな」

 

ピーカのソプラノボイスは独特だ。本人もとても気にしていて、何度か喉を潰そうとしたけれど失敗して今の声に落ち着いたのだと聞いた。そんなヘビーな話を聞いてしまうと、ソプラノボイスを聞いても笑うに笑えなかった。でもあの笑い声はまだちょっと笑いそうになる。…ゴメン。

 

「ねえピーカ、兄上は?」

 

「ドフィはヴェルゴと訓練をしている。大丈夫だ、ヴェルゴはドフィに怪我をさせない…」

 

「うーん、そっかー」

 

それは別に心配してないんだけどなぁ。両腕に山のようにパンを抱えたディアマンテが、早く帰らないと焼きたてじゃなくなる、とか言い出したのでピーカに背負ってもらって帰ることになった。アジトでは息を切らしたドフィとヴェルゴが水を飲みながら会話していた。

 

「ただいま、兄上、ヴェルゴ」

 

「ああ。…ディアマンテ、何だそれは?」

 

「焼きたてのパンだ!!!」

 

木箱で作ったテーブルの上にはヴェルゴがドヤ顔でパンを置いたけれど、いくつかは乗りきれずにテーブルから転がり落ちた。ああ、もったいない…。落ちたパンを軽く払って食べようとしたら、ヴェルゴに怒られた。

 

「オイ、ルシー!落ちた物を食べるな!」

 

「へ?…あ、つい」

 

ハッとした。そうだ、何で私、落ちた物を躊躇いもなく拾って食べようとしてるんだ。3秒ルールは別として、前世じゃ床の上、しかも土足で踏みしめる床に落ちた物なんて食べようと考えすらしなかったはずなのに。生きるか死ぬかのゴミ捨て場生活がとことん身に染みてしまったらしい。かくいうドフラミンゴもハッとした顔をしているし。…私はドフラミンゴとロシナンテが持って帰ってきた生ゴミを食べて生き延びていたけれど、ドフラミンゴなんかはガチでゴミ漁って食べてたし。

 

「いや、でもほら、床に虫が這ってるわけでもないし、泥水吸ってるわけでもないし、カビてないし、焼きたてだし。せっかくディアマンテが取ってきてくれたのに、もったいないじゃない?」

 

「…先にテーブルのを食べるんだ。わざわざ落ちた物から食べる必要もないだろ」

 

「それもそっか」

 

当たり前のことを言われて、改めて納得した。ああ、この下がりきった価値観はちゃんと直さないと。落ちたパンを置いて、机の上のパンにかぶりついた。甘くて、真っ白でモチモチしてて…香ばしくて、柔らかい。海軍の船に乗った時だって、毒を盛られないようにと缶詰、干し肉、ドライフルーツぐらいしか食べていなかったから、こんな美味しいものを食べるのは本当に久しぶりだった。ドフラミンゴたちも各々パンを食べて、わいわいと盛り上がっている。食事を食べて、賑やかに笑いあっているなんて、久しぶりすぎて、気が付いたら視界がぼやけていた。ああ、これで温感が戻ってきていたらなぁ。きっと、あたたかさが分かったはずなのに。

 

「……オイオイ、どうしたんだ?ルシー」

 

「ううん…なんか、幸せだなーって思っただけ」

 

「つくづく、変なヤツだなァ…お前は」

 

ディアマンテが大きな手のひらで頭を撫でてきた。後から取り立てを終えて戻ってきたトレーボルも一緒にパンを食べて、内容は物騒極まりないものだけど賑やかに今後の…未来の話を語り合って、眠るまでずっと、この粗末な食卓を囲んで、みんなで一緒に過ごした。この薄暗いアジトは私の家なのだと、心から思えた日のことだった。

 



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18.凡人なりの努力

今日はみんな出かけるから、と留守番を任された。もちろん私一人でなく、ヴェルゴもいるけど。悪魔の実を食べていないしまだ12歳だというのにトレーボルたちのグループに入って暴行恐喝なんでもやってるなんてすごいな、と思っていたら、覇気を使いこなして戦うことができているというのが彼の強みだったらしい。頬に朝食で食べたハンバーガーを半分くっつけたままで竹竿を振り回して訓練している。

 

「ヴェルゴ、忙しいところをごめんなさい。ちょっといい?」

 

「ああ」

 

ひとしきり武器を振り回して、一息入れたタイミングで声をかけると、ヴェルゴは快く頷いて近寄ってきた。

 

「何だ?」

 

「あんまり根を詰めてると脱水で倒れちゃうかと思って。経口補水液…ええと、出た汗と似た成分の水?作ったから時々飲んでもらいたいの。あと、ほっぺたにお弁当がついてるよ」

 

「弁当?…ああ、通りで今朝は量が少ないと思った」

 

ハンバーガーをぺろりと食べて、喉を潤した後、再び訓練に戻ろうとするヴェルゴの頬をタオルで拭いておいた。ハンバーガーのケチャップが血のようについていたのだ。微妙な顔をしつつ大人しく頬を拭われてくれる辺り、身内には優しい子どもだと思う。…この間街で大の大人を何人も半殺しにしていたのは、まあ、裏の顔ということで見て見ぬ振りをすることにする。

 

「……覇気って、どうやったら使えるようになるの?」

 

「は?何だ急に」

 

「いやー、私のも使えたらいいのにな、って思って」

 

覇王色の覇気と………なんだっけ?あと2つほどあった気がする。なんか声が聞こえたりするやつと?ヴェルゴが訓練で使ってて体が黒くなるやつ?あの黒光りする覇気は別にいらないけど、聞き耳立てられる覇気は欲しい。興味本位でヴェルゴに尋ねると、案外真面目に考えてくれた。

 

「ルシーはドフィの妹だけど覇王色の覇気は使えないだろうな。武装色の覇気は使えるように俺が鍛えてやってもいいが、まだ体が弱すぎるな。見聞色の覇気は……」

 

「…うん?何?」

 

ヴェルゴは一度言葉を止めて、じっと私を見てきた。……なんだよ、そんな熱視線を送られちゃ照れるじゃないか。

 

「…ドフィから聞いたけど、死にそうな目に何度も合ったんだよな?」

 

「うん。割と頻繁に」

 

「生命の危険に晒された時なんかに見聞色の覇気に目覚めることが多いんだが、そういうことはないのか?」

 

「ん?そういうことっていうと、どんな?」

 

「幻聴みたいに常時誰かの声が聞こえたり、目を凝らしたら何キロも先が見えたりすることだ」

 

「ない!です!」

 

そんなトンデモ状態になってたまるか。日常生活すら危なくなるわ。ただでさえ体がボロボロなのに。…あ、足の火傷は治癒したけれど跡が残った。足首から膝上まで茶色いシミのように広がっていて、水膨れが引いてシワシワに、しかも皮膚が溶けたのか何となくツヤツヤと光っている。あんまり見ていて楽しいものではないし、みんなも見たくないだろうと普段はズボンやハイソックス、ロングスカートで隠している。

 

「ルシー」

 

「ハイ、先生」

 

「お前には才能がない」

 

茶化して先生呼びをしたのにバッサリ切り捨てられた。しかも才能がないと断言された。いや、分かってたさ、所詮私なんて原作からしたらイレギュラーな存在なんだし、ぶっちゃけモブの中のモブみたいなもんなんだし、ワンピースの世界の花形代表みたいな覇王色の覇気とか使えるようなウルトラハイパービックリな超人じゃないってことは。それに精神も体もこの世界の常識…というかドフラミンゴの人生に付き合いきれなくてズタボロになる程度の弱さだ。武装色の覇気だって習得するのは無理だろう。でもせめて見聞色の覇気ぐらいは…身につけたかったなぁ。

 

「先生…せめて見聞色の覇気だけでも身につけたいです…」

 

「いや、優先度で言うなら武装色の覇気だ」

 

「なんで?」

 

「体が弱すぎるなら、武装色で補う必要があるからだ」

 

「お…おお!!!」

 

なるほど、と納得した。さすがは未来の出世頭だけあって頭がいい!見聞色の覇気で逃げの一手しか考えていなかったけれど、武装色の覇気を使えたなら、プロは無理としても少なくとも一般人に危害を加えられることはなくなる。私はまだ子どもだし、体は弱いし、割とすぐ潰れてしまうから、下手するとドフラミンゴたちの足手まといになってしまう。それなら足手まといなりに自分の身を守ることぐらいはすべきなのだ。それらの考えを加味した上で、ヴェルゴは私に武装色の覇気を覚えるよう言ってきたのだ。

 

「じゃあヴェルゴ先生、覇気の身につけ方を教えてください!」

 

「……いいだろう。途中で逃げ出すようなマネはするなよ!」

 

「はいっ!」

 

かくして、私のスポ根な夏が始まりを告げた。



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19.不得意なことと得意なこと

 

 

未来の紳士的な海兵ってのは、過去でも紳士的ってわけではなかった。むしろ鬼教官だった。鬼教官怖い!でも言葉が通じる辺り、実の兄より怖くない。その点ドフラミンゴってすげぇよな、最後まで恐怖たっぷりだもん。…懐かしいなぁ、トッポ食べたい。この間ピーカからもらってチョコを食べたら、強烈な甘さに口の中が大変なことになった。久しぶりの甘味に唾液腺がはじけ飛びそう、と例えた漫画の主人公を思い出した。ゴールデンカムイまた読みたい…。

 

「…で、あいつらは何やってんだ?」

 

「ああ、ルシーに覇気を教えるんだと」

 

恐怖の大魔王ドフラミンゴがディアマンテに尋ねていたけれど、二人とも話題にしているが、こっちにはそんなに興味がなさそうだった。そりゃまあそうか、私は筋トレとボールぶつけられるのを繰り返しているだけだし。筋トレといえばすごいことを発見した。痛覚と触覚がないってことは、前世でダイエットしようとして長続きしなかった理由一つである筋トレの苦痛を感じないのだ。代わりに限界まで酷使された筋肉が痙攣してプルプルしっぱなしだけど。え、大丈夫?これ本当に大丈夫?

 

「べっへへへ!んね〜んね〜、そんなんで上達してんのかァ〜?」

 

「トレーボル!邪魔をするな!立て、ルシー!」

 

「はい、先生!」

 

気力はまだまだ尽きないのに、体が限界を迎えてしまった。力が抜けて地面に倒れた私に、ヴェルゴが鬼教官らしく喝を入れた。今の気分はアタックナンバーワンの主人公だ。あれって確か鬼コーチと健気系主人公の話だよね。

 

「それのどこが立っているというのか説明してみろォ!!!」

 

「え?あっ、ホントだ、生まれたての鹿状態だ。先生すみません!ちゃんと立てません!」

 

「ヴェルゴ、ルシーを少し休ませろ。今朝からずっと訓練し通しじゃないか」

 

「ピーカが優しい…」

 

思わずホロリときてしまう。そういえばだんだん慣れてきたからか、最近は気が抜けたタイミングでピーカの笑い声を聞いても吹き出しそうになることもなくなった。やっぱこういうのって慣れなんだな。

 

「ヴェルゴ、お前も少し休憩しろよ。休みなしだろ?」

 

「…今日はここまでにする」

 

「はい先生!ありがとうございました!」

 

やっと休憩できる、と座り込んだら服が上から下まで汗だくでベタベタだった。もしかしてちゃんと立てなかったのって筋肉疲労だけでなく脱水もあるのかも…。まだギリ感覚がある喉の渇きが限界突破して麻痺する前に水分だけでも摂らせて貰えばよかったな。ぐびぐび水分を取っていると、ヴェルゴが器用に頬にティースプーンをつけながら話しかけてきた。

 

「弱音を吐かないのはいいことだ。けどお前は本当に才能がなさすぎるんだ。せめて痛覚か触覚があれば、おれの攻撃や殺意に反応して生存本能が刺激されたんだろうが」

 

「便利なんだけどなぁ、この体。大人から何されてもショック死とかしなかったし」

 

そうでなきゃ、今頃廃人だ。

 

「…おれたちは覇気と悪魔の実によって生き延びられたが、お前は自分の体を切り捨てることでしか生きられなかったのかもしれないな」

 

「べっへへ…そういう点じゃ、お前も才能があったんだなァ〜」

 

「どんな才能よ…」

 

トレーボルが札の枚数を数えながら、ニヤリと笑った。

 

「体の弱いガキが迫害受けながら年単位で生き延びるって時点で、もう常人じゃねェぜ〜?」

 

言外にバケモノと言われたようだ。トレーボルの言い回しは他のメンバーのように露骨じゃないからちょっと分かりにくい。

 

「…まさか。私はごく普通の一般人だよ」

 

前世から比べればバケモノもしくは心身ともに障害持ちなんだろうけど。SAN値が振り切れなかったのはひとえにロシナンテがいたからだ。私より正気度がガン減りしている子どもが近くにいたから、私が守らなくては、と必死になっただけにすぎない。ロシナンテは今ごろどうしているんだろうか、と記憶の中の我が天使に想いを馳せていたら、隣から聞こえた音に一瞬反応できなかった。おや、と隣を見るとドフラミンゴがため息を吐いていた。

 

「腹が減った」

 

「そりゃ大変だ!何か取りに行くか」

 

ディアマンテは相変わらず買いに行くって言わないんだな…。ボコボコにされた店を思い出してなけなしの良心が痛んだ。剣を手に立ち上がったディアマンテに私は言ってみた。

 

「ねえ、材料と道具揃えてもらったら私がごはん作るよ」

 

「「ルシーが?」」「「お前が?」」「できんのか?」

 

…疑わずにちょっと嬉しそうにしてくれたのはピーカだけだった。なんか傷つくわぁ。

 

「簡単なものならできるよ」

 

「べっへへへ!取りに行った方が早いじゃねェか〜!」

 

「そうだけどさー。でも夜中とかお店やってない時には自炊もいいと思う」

 

「…まあ、それなら用意してやるさ。美味いもん作れよ」

 

ままごと程度の腕だろうと食うけどな、とディアマンテは笑った。案外優しいな、と思う一方、なんだか悔しくなった。こうなったらめちゃくちゃ美味しいものを作って驚かせてやる!その後すぐに調理道具一式とあらゆる食材を持って帰ってきたディアマンテとピーカに驚いた。仕事が早すぎる。私は筋肉の痙攣で四苦八苦しながらなんとか包丁を最低限使わなくて済む料理としてポトフや照り焼き、付け合わせのポテトサラダを作って粗末な食卓いっぱいに並べてやった。なのに10分と経たずしてみんなが完食したってことは、まあ、つまりは美味しかったってことなんだろう。

 

「おいルシー!足りねェぞ!」

 

丸ごと一枚の鶏モモをフォークで刺してかじりながらディアマンテが文句を言ってきた。ドフィやピーカはもちろんとして、ヴェルゴとトレーボルも頬いっぱいに詰め込みながら食べていた。

 

「じゃあ次はもっと作るね」

 

「ルシーにもこういう才能はあったんだな…」

 

鬼教官ではなくただの子どもらしくヴェルゴが言った。感動したようにサングラスの奥で目をキラキラさせて。…もちろん、頬にポテトサラダをごっそりとくっつけて。そういったひとつひとつが、まるで私の前世を認めてもらえたように思えて、私はにんまりと笑ってやったのである。

 



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20.兄の壮大なる野望

 

 

ドフィが転んだからと街を焼いたり、ドフィを不快にさせたからと住人を皆殺しにしたりしながら、アジトを変えて生活すること数回。数年を経て栄養失調のドフィの体が年齢相応のしっかりした体になってきた頃、とうとう島を出ようという話になった。もちろん皆殺しにしてやる宣言通り、私たちを火焙りにした街の人たちは一族郎党皆殺し済みらしい。私が留守番をさせられている間に全て終わっていたから詳しくは知らないし、知りたいとも思わない。ほんの少し、父親やロシナンテをも火焙りにしたやつらに対して、私の心の悪魔がざまあみろと笑っているだけだ。

 

「ねぇ、名前は何にするの?」

 

「あ?何の名前だ?」

 

「え、海賊団の」

 

「海賊?」

 

おや?話が噛み合っていない。島を出るというからてっきり海賊になるものだと思っていた。ドフィは私の考えを読んだのか、悪い笑みで海賊か、と呟いた。

 

「いいじゃねェか、海賊!」

 

「いや、あの、別に海賊になろうって言ってないからね?盗賊とか山賊でもいいからね…?」

 

「フッフッフ!どっちにしたって賊じゃねェか!」

 

それもそうだ。そもそも今さらみんなが真っ当な職業に就いてるとか想像できないし、その辺はもう仕方がないとしか言えない。とはいえコレ、私が変にせっついてしまったせいで海賊団結成に繋がってしまったのか…。私じゃどうあっても原作の流れを変えるなんて無理だけど、まさか決まった流れはそのままに、早送りとかしてないだろうか。とっくに薄れた原作を思い出して、どうせたいして意味のないこととは分かりつつ、自分が変なことをしていないかと時々不安になる。

 

「なァ、ルシー!」

 

「…へ?あ、ごめん聞いてなかった」

 

「オイオイ、体調が悪いのか?」

 

大きくなった手のひらで額を覆われた。成長期真っ只中のドフラミンゴはぐんぐん背が伸びている最中だ。時々成長痛で体の節々が痛いと文句を言っていて、誰のせいだと色めき立つ幹部連中を宥めるのが私の日課になりつつある。同じく成長期に突入したヴェルゴやピーカは成長痛を我慢してるというのに。うちの兄は本当に困っちゃうぐらいワガママボーイだ。それでも素直に妹を案じるところはまだ可愛いけれど。

 

「今日はフラフラしてないからたぶん大丈夫だよ。んで、何の話だっけ?」

 

「海賊団の名前だ。ドンキホーテ海賊団でどうだ?」

 

「ドフラミンゴ海賊団でよくない?」

 

「それだとおれだけの海賊団になっちまうだろ。お前もいるんだ、おれたち兄妹の海賊団でなきゃ意味がねェ」

 

「……おおお!!?」

 

おれたち兄妹の海賊団…だと…?いや、そんな、えっマジで?驚くことにドフラミンゴは本気で私を自分と同格だと思っているようだった。そしてたぶん、ドフィと私だけを視野に入れての言葉ではないのだろう。

 

「ロシーも?」

 

「…あァ。名を挙げて、あいつを探し出してやろうじゃねェか」

 

あの日からなんとなくロシナンテの話題を口にしていなかったけれど、ドフラミンゴもまだロシナンテを兄弟として想っていたようだ。サングラスの奥でドフィの目がギラギラと欲望に燃えていた。

 

「おれが王でロシーとルシーは王弟と王女だ。そしていつかおれたちの王国を取り戻すんだ…!」

 

「いや、私王女ってガラじゃ……んんん?え、待って?なんかナゾな言葉が聞こえた気がするんだけど。え、王国?なにそれ?」

 

「そうか、ルシーはまだ小さかったから知らねェのか。…グランドライン後半の新世界に、ドレスローザって国があるだろ?あれは元々おれたちの国なんだ。おれたち天竜人が捨てていった国を、適当なやつらに新たな王を立てさせてやって使わせてやってんだ」

 

「…へ、へぇー…」

 

(そういやドレスローザ編ってそんな設定だったっけか…?)

 

しかしそれを建前でなく堂々と事実のように語るドフラミンゴにちょっと引いた。この人、国を乗っ取るためでなくガチでそう思ってたのか。しかもこんな年齢から、おとなになってからもずっと。ドンキホーテ家がドレスローザ国王だった時代なんて、一体何百年前の話だ。それでも、ドフィは自分の願いを叶えてしまう。しかも国民に熱烈に望まれる形で。…可哀想な人達を山ほど作って。

 

「…私、王女なんかにならなくてもいいよ。みんなと一緒に住めたらそれでいいよ」

 

ちょっと甘えてみせてそう提案してみた。本音と打算をまぜこぜにして。ドフラミンゴは肩をすくめてバカだなと笑った。

 

「それは大前提だろ。それにお前が王女なのも大前提だ。そこは決して揺るがねェ」

 

「…こんな庶民派な王女様がいてもいいものなのかなぁ」

 

「まあ気品だ何だってのは今まで出てくる場面がなかっただけだろう。なんたってお前はおれの妹なんだからな」

 

「ドフィ、眼科行ってくる?」

 

「フッフッフ!お断りだ!さて、そうと決まれば海賊船を調達しねェとだな。おいルシー、何か希望はあるか?」

 

「えー?うーん、可愛い船がいい。花柄ピンクのメルヘンなやつ」

 

「………まあ、考えておこう」

 

ドフラミンゴは難しい顔をしながら参謀のトレーボルに要望を伝えに行った。花柄ピンクのメルヘンな海賊船とか作れるもんなら作ってみろ。むしろ見たい!その中からいかつさしかないドフラミンゴたちが凶悪な笑みを浮かべながら出てくるとか………アッ、だめだ、想像しただけでギャップで笑える。ウケるー。可愛いは正義だ。たとえ凶悪な人殺し集団に成り果てたとしても、彼らに可愛いげさえ見出せたなら私はまだ受け入れられるだろう。ああ、大切なのでもう一度言っておこう。どんな悪党であれ、可愛いは『正義』だ。

 



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21.真面目2人の加入

原作762話の上座から順番にファミリーに加入していったものとして書いていきます(コラソンとデリンジャーを除く)



 

いくら万全の状態で出航したとはいえ旅をする中で不具合は出てくるもので、特に船を動かすには人手が足りないからとトレーボルたちは治安の悪そうな島や裏路地などでスカウトを始めた。さまざまな武闘大会で優勝したけれど嵌められて落ちぶれ暗殺者をしていたというラオG、そして裏路地でドフィが拾ってきたグラディウスがファミリーに入った。他にも原作で見たことのない人たちが10人は入ってきたけれど、ドフィたちによる訓練という名の暴行に音を上げて早々に逃げ出してしまった。

 

(グラディウスはまだ悪魔の実を食べてないらしいけど、原作で何歳の時に食べたとか解説あったっけ…?)

 

ちなみに私はヴェルゴ先生によって武装色の覇気を獲得するため猛特訓を続けていた。筋トレで筋肉が痙攣したり食欲が湧かなくてゲロを吐くことはなくなったし、体がうっすら引き締まってなんとなくお腹の中央に筋肉の細い縦線ができるまでになった。これはまさか細マッチョになれちゃうのかも!?なんて鏡の前でお腹をチラチラ見ながら喜んでいたら、通りすがりのディアマンテに「なんだルシー、お前本当に鍛えてんのか?全然筋肉がついてねェじゃねえか!フニャフニャだなァ!ウハハハハ!」と高笑いされたので大いに気分を害した。全く、デリカシーのカケラもない!ないと言えば、やっぱり私にはセンスがないからか、数年訓練を続けてたって武装色の覇気はほんの少しも発現しなかった。

 

「お嬢には闘いの才が無い。驚くほど皆無だ!」

 

「ですよね!知ってる!!!」

 

見学に来たラオGから太鼓判を押されるほどに、私には闘いの才能がなかった。薄々というか当然のように分かっていたことだったが、改めて断言されるとそれはそれでショックだ。

 

「まァ、何かあってもおれたちが守ってやるから心配すんなよ、ルシー」

 

「…くやしい」

 

「あァ?」

 

「ヴェルゴにもずっと訓練してもらって鍛えてるのに、全然覇気が出てこないとか!悔しいっ!」

 

大人気なく感情的になって、地団駄を踏んでキーキー喚いてしまった。だって、訓練を始めてから何年になるのか。才能がないというだけでその年月が全て無駄だったなんて悔しいし、信じて特訓に付き合ってくれていたヴェルゴにも申し訳なさすぎる。喚いた私の頭を撫でて、鼻水も盛大に垂らしてトレーボルがニヤニヤ笑った。ディアマンテもニヤニヤしてるし。こいつらホント大人げねえな!

 

「そうやってるとドフィの妹だな〜!でも誰もお前に期待なんかしてねェー」

 

「うっさい!」

 

「ウハハ!だがよォお前、前より病気にならなくなったじゃないか」

 

「…まあ、そうだけど」

 

ある程度体が成長したし、体を鍛えたことで風邪になることは減った。けれど逆に、そこまでしないと一般人並みの体にはなれなかったともいえる。そこまで弱いのだ。

 

「ルシー」

 

「何、ヴェルゴ…」

 

「ここで諦めて逃げるなよ。次は見聞色の訓練をするんだからな」

 

「っ!!!ヴェルゴ先生ー!!!」

 

ヴェルゴ先生カッケー!!!ずっとついていく!!!感動して見ていたら、離れたところから舌打ちが聞こえた。おや、と思ってそちらを見ると、部屋から出て行く後ろ姿が見えた。私より年下で、路地裏にいた時から回復していないからかガリガリで細い、グラディウスだ。どうしたんだろうかと首をひねる私に、ドフラミンゴとピーカが話しかけてきた。

 

「まだ馴染まねえなァ、あいつ。イイ目をしてるが…」

 

「ルシーに舌打ちをしたぞ…処分しておこうか?」

 

「いやいやいやいや、ダメだってダメダメ!あの子はダメ!」

 

未来の幹部を殺す気か、と二人にストップをかけた。真っ先に能力を発動させようとしたピーカが吊り上がった目を和らげて止まってくれたので一安心した。

 

「気に入ったのか?」

 

「え?あー…うん、気に入った。とっても気に入ってる。だから殺さないで。お願い兄上!いいでしょ?」

 

「フッフッフ…可愛い妹の頼みだからなァ!おい、ピーカ」

 

「……ああ」

 

全力を振り絞ってのかわいこぶりっ子は功を奏したらしい。グラディウス…一生私に感謝してくれよ…。自分の気持ち悪さにうっすら出た鳥肌をさすりつつ、グラディウスを追いかけた。廊下に手をつきながらふらつく背中を見つけて、声をかけた。

 

「グラディウス!」

 

「………」

 

グラディウスがチラッとこっちを見たけれど、そのまま何もなかったように歩き出した。何その露骨な無視…傷つくわ…。

 

「ねえ、グラディウス。一緒に話そうよ。ちょっとでいいからさ」

 

「話すことなんてない」

 

「まあそう言わず。あ、そろそろおやつの時間だよ。一緒にクッキー食べよう。お茶入れてあげるから…おっ!?」

 

目と鼻の先に、ギラリと光るナイフを突きつけられた。もちろんグラディウスに。

 

「…目障りだ。消えろ」

 

「え、無理。ってかさ、これからファミリーで一緒にやってこうってのに、何でそんなこと言うかなぁ」

 

「おれは若について行くだけだ。お前などどうだっていい!」

 

「……あっそう」

 

カチンというか、ブチッときた。ロシナンテと別れてから周りにチヤホヤと甘やかされていたからか、こういう露骨な拒絶をぶつけられるのが久しぶりすぎたのだ。

 

(いや待てよ…相手は少年、私は大人…ここで感情のままに言い返すのはさすがに大人気ない…)

 

だって冷静に見ればまだ小学生ぐらいの男の子だ。ちょっとヤバイ育ちをしただけの反抗期少年を相手にしている、と考えると……なんだか逆にワクワクしてきた。テンションうなぎのぼり。前世から私は純粋ピュアピュアなショタよりもツンデレショタの方が萌えるタチだ。あっ、でも本来はジジ専ね。執事服を着て刀を構えたり悪漢を肉弾戦で軽やかに撃退する系なら尚更萌える。タナカさん最高。黒執事も大好物でした。リストランテ・パラディーゾも懐かしい。…前世のことを思うと、今の状態が非現実的すぎてなんだか冷静になれる気がする。にっこりと笑って、思いの丈をぶつけてみた。伝われこの萌…熱意!

 

「私は君が好きだよ、グラディウス少年。この歳でツンの割合が高すぎてデレ要素が少ないキャラを確率させるとかなかなか神がかってていいと思う。忠犬キャラも両立させるとかホントすごくいい。でもそのほっっっそい体はダメね。今度からヴェルゴたちが君にも訓練つけるんだって?なら真っ当な人間じゃ死ぬほどキツイと思うよ。まあ私は無事だったけどね!あっはっは!」

 

長袖長ズボンにマフラーと帽子までつけて肌を隠しているけれど、少し動けばすぐ体の細さが分かるのだ。そんな子どもを見ていると、ロシーを思い出す。ドジっ子だから生ゴミもろくに食べられず、しょっちゅう転んでいたロシナンテ。体に脂肪どころか筋肉もまともについていなかったから、転ぶたびにあちこちに青あざを作っていた。こうやってグラディウスを見ていると、ガリガリのヒョロヒョロなのに私を庇うように抱きついて、でも見知らぬ人全てに怯えていたロシナンテを思い出して、悲しくなるのだ。

 

「ねえ、こんなのはポケットに直して、一緒におやつ食べて楽しく話そうよ」

 

「っ!?」

 

ナイフを掴んで腕ごと降ろさせた。躊躇いなく刃物を掴んだことに対してか、あるいはにっこりと女神のように慈愛たっぷりで微笑みながら距離を詰めたことに対してか、グラディウスは怯えたような目をして一歩退いた。そこで逃げ出さないのは彼のプライドなんだろう。

 

「……バケモノめ…!」

 

グラディウスがナイフを引こうとするたびに、こちらも全力で引き留めた。この手を離すとナイフを持って立ち去ってしまいそうだったから。けれどまさか自分と似た年頃の女児が痛みや恐怖で泣き叫ぶでもなく、笑顔で拮抗されると思いもしなかったらしく、グラディウスは気味悪そうに吐き捨てた。

 

「それ、よく言われる。なんでだろうね、私はいたって普通のオンナノコなのにね」

 

ナイフが肉を突き破って骨に当たっているのか、お互いが地味だけど全力でナイフ一本を奪い合う中、私の手の方からゴリゴリと骨に当たる振動が伝わってきた。うわー、気持ち悪い。

 

「…っ!おれが従うのは若にだけだ。妹であろうとお前に指図される筋合いはない!」

 

「その辺はまあ当然でしょ。私とドフィは別の人間なんだから。でも、同じファミリーでしょ?普段から仲良くしてなくちゃ、いざって時にお互いが足引っ張っちゃって一緒にドフィを守れないよ。ねえ、私が言ってることって間違ってる?ねえ?」

 

「……おれは!お前が、嫌いだ!」

 

初めて声を荒げたグラディウスを見て笑ってしまった。捻くれた大人の言葉に感情をぶつけて反発してくるなんて、なんとも素直で可愛い子じゃないか。

 

「あはは!やっぱ私、君のこと好きだわ!」

 

「嫌いだって言ってんだろうが!気持ち悪いやつだな!」

 

「そう言われても私は君のこと好きだよー。メッチャ可愛い!萌える!」

 

「黙れ!ついて来るな!」

 

「一緒におやつ食べようよー」

 

「いらねえ!!!」

 

「まあまあそう言わないで」

 



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22.奇抜なセンスの持ち主

 

 

手の傷が深かったので、怪我をしたと速攻でバレた。立ち寄っていた島の医者にも怒られたし、ピーカやヴェルゴからも怒られた。でもって、グラディウスを追いかけたことを知っているドフィとピーカがグラディウスのせいなのかと問い詰めたら、グラディウスが自分のせいだと言ってしまったらしい。なぜそうなる!

 

「ルシー…本当にその怪我は自分でやったんだな?」

 

「だからそうだってば。落ちてたグラディウスのナイフを掴んだまま転んじゃったのよ。あの子に刺されたならこんな傷にならないでしょ?ねえ、ディアマンテなら刃物に詳しいから分かるよね?」

 

「さあなァ…俺はそんなに詳しくねェからな」

 

「いやいや、うちのファミリーで一番詳しいでしょ?」

 

「よせよ、そんなおれのことを専門家みたいに言いやがって…」

 

「じゃあヴェル…」

 

「そこまで言うなら見てやろう!」

 

なんだこのコント。トレーボルのベタベタに捕まってるグラディウスを解放するよう説得するにも、なぜかドフラミンゴはご機嫌斜めで私の説明だけでは納得してくれないのだ。自分の知らないところで私が怪我をしたのが気にくわないからだろう。

 

「…まあ確かにルシーの言い分通りだろうよ。ヒョロヒョロのソイツが切りつけたならこんな深い傷になんざならねェ」

 

「ほらね!だから血の掟とかナシ!今回は適応外!」

 

「……仕方ねェ。おいグラディウス。今後一切おれの妹に怪我させるんじゃねェぞ」

 

「はっ…」

 

拘束を外され、ドフラミンゴに深々と頭を下げたグラディウスに申し訳なく思った。まさか私の怪我一つに対してドフィたちがこんなにガチで怒るとは思わなかったのだ。

 

「グラディウス、巻き込んじゃってごめんね。まさかあんなに疑われるなんて」

 

「ついて来るな」

 

「……うん……ごめんね…」

 

申し訳なさすぎてグラディウスについて行くのを諦めた。本当にもう、年々過保護になっていく幹部連中がうっとうしくなりつつある。なんとか仲直りしたいなぁ、と船から遠くを見ていると、後ろから声をかけられた。

 

「ルシー」

 

「なにー?」

 

「これからはこの服を着ていろ」

 

ヴェルゴに渡された紙袋を開けると、中からは白いワンピースが出てきた。しかも洗い替えで何着も。さらに言うなら膝丈。おいおい、火傷跡が隠せないじゃないか。

 

「何これ、誰の趣味?いくら私の顔が母親似で可愛いからって変態ロリコンに狙わせる気?」

 

半ばマジで文句を言うと、ヴェルゴが顔をしかめた。コレを用意したのはお前か!

 

「な、なーんて…冗談冗談!ウワー、カワイイナァー!…で、なんで急に服の指定?」

 

「それなら怪我をしたらすぐに分かるからだ」

 

「はぁ…左様で…」

 

「今回もそうだが、深い傷をお前が気付かずに放っておくと死ぬこともあるんだからな。いくら体が丈夫になったとはいえ油断してもいいわけじゃないんだ」

 

子どもに説教をされるなんて不思議な気分だ。けれど、私を心配してくれているのだと分かるから、ちょっとくすぐったい気もする。

 

「…じゃあ、着ておく」

 

「ああ。お前も怪我に気付いたらちゃんと報告するんだぞ。いいな」

 

「はーい。でも足が見えちゃうよ」

 

「足?」

 

「ほら、火傷の」

 

カーテシーのようにスカートをめくって膝下を見せたけれど、ヴェルゴは気持ち悪がりもせず、なんてことないように首を傾げてきた。

 

「それが何だ?」

 

「え?いやいや、気持ち悪くない?」

 

「そうか?」

 

気を使ってるのではなく、ガチでどうでもよさそうだった。日本の子どもなら、あざ一つ見ても気持ち悪いとか言いそうなものなのに。ここの世界の子どもは強いな。

 

「ヴェルゴって男前だよね。見た目で偏見されないってすごく嬉しいわ」

 

「ふざけたことを言ってねェでさっさと着替えてこい!」

 

「はーい」

 

ちょっと頬を染めたヴェルゴに怒鳴られた。可愛いやつめ。あんまりからかっていると鬼教官が出てきそうなので、部屋に戻ってさっそく着替えてみた。サイズはちょっと大きい気もするけれど、ブカブカすぎるほどではない。私の今後の成長に期待というところか。けれどやっぱり膝下に見える火傷の跡が目立つ。かといってハイソックスというのもどうかと思って、せっかくだからと街に買い物に行こうと思った。

 

「今空いてる人いる?ちょっと個人的な買い物に付き合ってもらいたいんだけど」

 

「買い物か。ラオG、ピーカ、お前らはどうだ?」

 

「ええ、構いません。行きますぞ、お嬢」

 

「ルシー」

 

ピーカがいつものように手を伸ばしてくれたので、握って一緒に船を降りた。店が多く、そこそこ繁盛している街のようだ。早々に下着屋を見つけたので、肌色でデニールの単位が大きいタイツをいくつか購入した。火傷跡を完全に隠すことは難しいだろうが、薄く見せることはできるだろう。早速ひとつその場で履かせてもらうと、意外と上手くごまかせたようだった。同じ女として気遣ってくれたのか、店員がラメや模様のあるタイツも紹介してくれたのでそれも購入した。なんでも、普通のタイツより模様があるものなんかの方が火傷跡やあざなどをごまかしやすいらしい。

 

「終わったのか?…なんだ、それだけでいいのか」

 

「うん。これだけあれば当分は保つよ」

 

ピーカに袋を持ってもらって、帰りはピーカとラオG二人に手を引かれて歩いた。ラオGは私を気遣ってか少し体を傾けて手を引いてくれた。体幹が斜めになっていても、まだ腰の痛みとかはないらしい。彼にもぜひとも長生きしてほしいものである。本当に子どもになったような気分で、ちょっと浮つきながら街を横目に歩いていると、ふと、奇妙なぐらいの極彩色が視界に入った。

 

(わぁ……すごい。すごく細かくて繊細な絵なのに色使いが凄まじく派手な絵!)

 

目に痛い色彩を一般人ウケする色合いにするだけで人気が出そうなものなのに。私があまりにじーっと見ていたからか、ラオGとピーカが立ち止まってくれたことにも気付けなかった。

 

「…気になるのか?」

 

「うん。斬新って感じ」

 

もしくは奇抜。しっかりした画材だし、額縁もすごいものを使っているのに、路上に並べて売っているなんてちょっと不思議だった。他にもいろんな人たちが絵を路上で販売しているけれど、大抵がただの紙に描いたり、白黒だったりするのに。描いた人は誰なんだろうか。それとも…もしかしてこれ、盗品?

 

「あらっ!あーた、この絵が気に入ったざますか!?見所があるざます!!!」

 

(こ、このご時世にザマスだと…?)

 

ドフラミンゴのような吊り上がったデザインの、でも薄い色のサングラスをかけた女性が満面の笑みで駆け寄ってきた。ヒェッ!圧が!すごい!奇抜な色と形の髪は置いといて、口調とマダム風の衣類からも、ふと前世の国民的アニメのとあるキャラを思い出した。スネちゃまどうしたザマス?とか言ってほしい…。いや、声優さんが違うだろうけど。

 

「お嬢、わしの後ろへ」

 

「ちょっと!あーた邪魔ざますっ!」

 

ラオGが庇ってくれて、ピーカに後ろへ下がるよう連れられ、そこでようやく女性の全体像が見えた。圧がすごいと感じたのは急に駆け寄られたからだけじゃなかった。ラオGよりもガチで身長が高かったからだった。……あと、とっても、既視感がある。もしかして原作でファミリーにいた?

 

「はじめまして。私はドゥルシネーアです。あなたの名前は?」

 

「おいルシー、関わるんじゃねェ」

 

「あたくしはジョーラ!あーたはどこの子ざます?あたくしの芸術をもっと披露して……あっ!どこに行くざます!?」

 

「逃げるぞピーカ!」

 

「しっかり掴まっていろ…!」

 

「待つざますー!!!」

 

家のことまで聞いてきたジョーラさんを警戒して、ラオGとピーカが私を担ぎ上げて走り出した。でも見た目的に逆にピーカたちが誘拐犯扱いされそうだ。それにあのジョーラさん、たぶんファミリーに加入する人だ。なんで勧誘するにちょうどいいこのタイミングを逃してしまうのか!加入しなかったらどうしよう、と嫌な汗が流れた。いや、別にただの芸術家をファミリーに加入させる必要はないんだけど、たぶんあの人は悪魔の実の能力者だから、実力重視のうちのファミリーに入ってもらっても問題ないだろうに。

 

「え、ちょ、何で逃げるの?」

 

「あいつは危険だ」

 

「どういうこと?」

 

「点で視線を送っていたことやあの手の独特のタコ…恐らく、銃器使いですぞ」

 

「暗殺者か?」

 

「その可能性は高い」

 

「銃?能力者じゃなくて?」

 

「能力者かは分からねェが…何だ、知ってて話しかけたのか?」

 

「いや、そういうわけじゃないんだけど…」

 

船に逃げ帰ったのに、まだあの高い声で、待つざますー!と叫ぶ声が遠くで聞こえてる気がする。絵もそうだったけど、なかなか強烈な個性だな。でも、うん、絶対ドンキホーテファミリーにあの人いたって。妙に確信を持って言える。

 

「ねえ、あの人も家族にしようよ」

 

おいお前嘘だろ、って顔をされた。でも私がファミリーのことについて口出しするのは珍しかったからか、ピーカはドフラミンゴにジョーラさんのことを話したらしい。かくして島を出発する頃には、ジョーラを含む新しいメンバーたちがファミリーに加入し、次の島に上陸するまで残っているのは妙にタフな精神力でファミリーに粘り着いた彼女一人だけとなったのである。

 



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23.だんだん大人に近付いていく

 

 

さあみなさんやって来ましたよ!月に一度のアレ!生理が!この人生でもやってきてしまいました!なぜこんなにテンションが高いのかというと、痛覚がないから生理痛もないからである。前世で毎月死ぬほど辛かったので、これに関しては本当に最高にハッピー極まりない。

 

「…で、懲りもせずお前は料理してるってのか」

 

「え、別にいいでしょ?」

 

「今朝まで貧血でぶっ倒れてたやつが言うことじゃねェだろ。さっさと布団で寝てろ」

 

「それはそれ、これはこれ。今は大丈夫だし。あ、グラディウス、そこのお皿とって」

 

ぶっ倒れるんじゃないかと心配してくれているのは分かるけど、超巨大に成長しつつあるドフラミンゴが私の後ろを常にくっついて動くのでめちゃくちゃ邪魔だ。おいグラディウス、お前からこの過保護兄に何とか言って…アッだめだ、グラディウスはドフラミンゴ教の信徒だった…!

 

「…これか?」

 

「ううん、その隣の平皿を人数分」

 

「ちゃんと持てよ」

 

「ありがとう」

 

あれからグラディウスとは普通にやり取りができるようになった。もしかしたらドフラミンゴがとりなしてくれたのかもしれない。…いや、ドフィがそんな繊細なことしないか?

 

「…もう、兄上!料理やりにくいから先に座って待ってて!」

 

「ルシー!若に何て口のきき方だ!」

 

「だって動きにくいんだもの!」

 

「あとは配膳だけだろ?ならグラディウス、お前だけでいけるな」

 

「もちろんです」

 

「なら先に行くぞ」

 

後ろからドフラミンゴに捕獲されて子どものように抱き上げられた。やめろ!やめてくれ!恥ずかしさの極み!恥ずか死ぬ!

 

「ぎゃー!ひとさらいー!」

 

「フッフッフ!…人攫いか」

 

手足をばたつかせようにもホールドされてろくに動けないし、ドフラミンゴが暴れてもビクともしないせいで効果がなかった。

 

「べへへ!んねーんねー何何何してんだー?」

 

「人攫いごっこだとよ!全く、ごっこ遊びが好きたァルシーもまだまだガキだなァ!!!」

 

「ニヒヒヒ!」

 

トレーボルやディアマンテたちは相変わらず他人事だと笑っている。薄情なやつらである。他の家族たちもニヤニヤしたりお互いに会話したりして、私を助けようなんてしてくれなかった。私の味方はいないのか…。あ、以前襲ってきた敵船をフルボッコにしたら、船長だったマッハ・バイスが傘下というか家族に加わった。彼、めっっっちゃデカイ。主に横に。あと敵船から襲撃された時にうっかりうちの船で能力を使われると沈没してしまうので、その辺に関してはみんなでよくよく言い含めたらしい。

 

「おい、トレーボル」

 

上座に座り、当然のように私を膝の上に乗せて、ドフィはとても悪い顔で参謀に声をかけた。

 

「何だァドフィ」

 

「そろそろ船や島を襲うケチなやり方はやめて次のステップに移ろうじゃないか。つまり…『商売』だ!」

 

「べへへ…商売か…!べっへへへ!なら拠点を作って準備していこう…!」

 

「フッフッフ…ゆくゆくは武器…薬…そして人間も売りさばいて金に変えてやる!」

 

ヒューマンオークションか、と遠い目になった。天竜人時代に幼少期のドフラミンゴが好んだ場所だ。もしかするとまだ現天竜人と接点を持とうとしているんだろうか。そういえば以前、天竜人の弱みを知っている、と言っていた。……嫌な感じだ。天竜人を強請ろうとでもしているんだろうか。

 

「…ドフィ」

 

「ん?ああ、体調が悪いか?…体も冷えてるな。だから寝てろって言っただろうが」

 

私たちも、家族たちも同じ人間だというのに、人間を売り買いすることに抵抗のないドフラミンゴの頭の中は相変わらず謎構造だ。たぶん家族は別格なのだと無意識に除外しているんだろう。それでも、少しも幼少期から変わらない恐ろしさに身震いしてしまう。ドフラミンゴは私をモフモフしたコートの中に入れて、温めるようにお腹や腕を手で撫でてくれた。…優しいところもあるのになぁ。なんでドフィはこんな人なんだろう。

 

「お前にもおれと揃いのコートを仕立ててやるか。お前の好きなこのピンクで作ろうか?それとも服と揃いの白にしてやろうか?」

 

あれ、私、ピンクが好きだって言ったかな。どうかというと海や空みたいな青色の方が好きだけれど。ーー…ああ、もしかしたら昔に私が言ったことを覚えていたのかな。どんな船がいいかと言われて『花柄ピンクのメルヘンな船』と言ったから。…ドフィに微妙に似合ってるあのコートは、私が好きな色だからとピンク色にしたのか。こういう時、ドフィは嫌な人だけど、可愛いところもあるなと思う。でも、お揃いのピンクのコートは恥ずかしいから嫌だけど。それなら、そう、かっこいいし黒とかがいい。

 

「黒色がいい。汚れても目立たないし」

 

「黒?……ジョーラ、どう思う?」

 

「ルシーは白い服ばかりでございましょ?それなら黒より断然白の方がいいに決まってるざます!せめて身なりだけでもお上品に、かつエレガントにすべきざます!」

 

おいジョーラ、せめてって何だ。母親似の可愛い系の見た目に中身が伴っていないって言いたいのか。…その通りだけどな!くそう!

 

「フッフッフ!…だそうだ。決まりだな。コラソン、頼んでもいいか?」

 

「ああ、任せてくれ」

 

ヴェルゴがこっちを見て意味深にニヤリと笑った。きっとジョーラが言ったようなお上品(笑)かつエレガント(笑)な白いモフモフコートを作らせるんだろう。自分がそれを羽織るところを想像してゾワゾワと鳥肌がたった。そんな私を寒がっていると思ったのか、ドフィがぎゅむ、と私を抱き込んで笑っていた。

 



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24.鬼教官からの卒業

 

「10年近く訓練してて覇気が出ないってのは、むしろもう一種の才能だイーン!」

 

ヴェルゴに投げつけられるボールは割と避けられるようになってきたけれど、相変わらず覇気のはの字すら現れそうにない私に、マッハ・バイスがいっそ清々しいくらいに断言してくれた。もはや諦めの境地にいる私も、せやな、と頷くしかできなかった。怒りすら出てこない…。

 

「でも風邪ひいたりしなくなったし、走っても息切れしにくくなったし!ヴェルゴ先生のおかげです!」

 

船の中を一周走っても途中で酸欠で倒れることはなくなったし、病気も本当になりにくくなった。ボールをぶつけられる訓練を繰り返していたおかげで、動体視力も心なしかアップした気がする。

 

「……よく頑張ったな、ルシー」

 

「ヴェルゴ先生…っ!!!」

 

「むしろここまで諦めなかったコラソンを褒めてやれよ!おれなら1日で諦めるがな!ウハハハハ!」

 

せっかくのキラッキラした青春を台無しにする男、ディアマンテ。本当にコイツは人の心を踏みにじるゲスだな!でもその通りだと悔しさを噛み締め、ヴェルゴに握手を求めた。

 

「本当にありがとう。私の先生があなたでよかった」

 

「?これで終わりみたいな言い方をするんだな?」

 

「え、まだコレ続けんの?」

 

「いや。覇気の訓練は一度終わりだ」

 

覇気の訓練『は』……ってことは他の訓練をするのか?鬼教官再び?マジで?

 

「次は護身術を身につけろ」

 

「ゴシンジュツ」

 

目から鱗なことを言われた。たしかに、見聞色も武装色も、我が身を守るために習得しようと思っていた。なら護身術を身につけるということも立派な身を守る術だ。普通は覇気とか言う以前にすべきなんだろうが、ワンピースの世界ということで覇気を身につけることが優先だと偏見を持っていたらしい。

 

「分かった。じゃあ、また鬼きょ…ヴェルゴ先生、よろしくお願いします!」

 

「おれは忙しい。ドフィの仕事を手伝うからな」

 

ズバッと切り捨てられた。え、ヴェルゴ先生に見捨てられた…?地味にショックを受けてへこむ私に、ヴェルゴはにっこりと笑って後ろを指差した。

 

「安心しろ、代わりは見つけてある。ラオG、グラディウス」

 

「ああ。よろしく頼みますぞ、お嬢」

 

「………途中で音をあげるなよ」

 

「ラオGとグラディウス…ってことは武術と銃?剣とかはいいの?ってか銃ならジョーラもいるけど?」

 

「おれじゃ不満だって言いたいのか…!?」

 

プクーッとグラディウスの顔が膨らみ始めた。いや、比喩でなく。たまたま商売で流れてきた悪魔の実を、巨額になるから売り飛ばすかと調べた時に、パムパムの実という破裂の能力があるということでうちのファミリーで活用することになったのだ。ヴェルゴ、ラオG、グラディウス、ジョーラの誰が食べるかという話になった時に、真っ先に手を挙げたのがグラディウスだった。ドフラミンゴとしては幹部で唯一能力者でなかったヴェルゴに食べさせたいと思っていたらしいが、能力者のドフィが万が一海に落ちた時に助けられるからとヴェルゴ自身が身を引いたのだ。あとはトレーボルたちや私がグラディウスならばと推薦したのもある。閑話休題。みるみるうちに膨らむグラディウスに、違うと否定した。

 

「グラディウスの腕はうちで一番だって知ってるよ。不満なんてないない!むしろ嬉しいなあ!私グラディウス大好きだしヴェエ…」

 

「黙ってろ!!!」

 

ふざけたことを言いやがってと怒ったのか、顔を赤くしたグラディウスに思いっきり頬を引っ張り上げられた。おい、なんでみんな微笑ましそうに見守ってんの!ねえちょっとこの子止めて!?おたくらの王様の可愛い妹の頬が超ピンチなんですけど!?血の掟どこいった!

 

「おれが棒術、ディアマンテが剣術を教えてもいいが、いざという時にそういった類の道具がなければ意味がない。それにお前の筋肉量では返って武器を奪われて危ない目にあうだろう」

 

「おっしゃる通りです」

 

その辺は胸を張って言える。…あ、胸といえば第二次性徴期で胸が育ってきた。前世のツルペタが嘘のように巨乳だった。ジョーラの爆乳には負けるけど。…信じられるか?ジョーラの胸…片胸だけでも下手したら人間の頭ぐらいあるんだぜ…?

 

「今までの訓練で動体視力はそこそこみられる程度になっているからな。ラオGには相手の力を利用した戦い方を教えるように言っている」

 

「専門外だGAな…の「G」ィィィ!!!まあ、なんとか教えてみせよう」

 

「ありがとうございます、よろしくお願いします!」

 

ラオGの専門は老化の痛みが何か強さに変換される?とかいう謎の武術なので、老化はともかく痛みを強さに変換というのは私とは最も相性が悪い。だが、相手の急所を突いたり、体を動かす方法を教えてもらえるのはありがたい。いざという時に役に立てそうだ。

 

「銃の腕はそこまで期待していないが」

 

「やる前から期待皆無!?」

 

「まあ聞け。そもそも女の腕で扱える銃は少ない。その中でも特に反動の少ないものを厳選しなければお前の肩程度、すぐに反動で外れるだろう」

 

「え…銃ってそんなヤバイもんなの?」

 

路地裏ではナイフを使っていたグラディウスが、ファミリーに入ってたった数年で神がかった腕前になっていたから、銃はそんなに扱いが難しいものではないと思い込んでしまっていた。それにドフラミンゴだって今の私よりもずっと細くてヒョロヒョロだった幼少期に普通に銃を使っていたはずなのに。

 

「反動の少なくお前の腕でも扱え、さらに外れた時に備えて装弾数が数発はあって小型で常備できるものとなると威力は虚仮威し程度のものしかない。引き金を引くだけでもお前にとっては相当な力と時間をかけなければならないだろう。…敵がそれをわざわざ待つと思うか?」

 

みんなに守られている私が銃を使わなければならないほどの場面になってしまって、しかもモタモタしながら銃を準備するだなんて、確実に死んでる。久しぶりに命の危険というものを意識して、ぞくりと背中が粟立った。…触覚がないからあくまでも気持ちの問題だけど。でも、そうか、ドフィが手広く商売をするに従って、みんなが守ってくれるから安全、船に隠れていれば安全、という話ではなくなってきているんだよな。下手をするとすぐ人質に取られて、うっかり殺されかねないのだ。

 

「…速攻で殺されて終わりだと思う」

 

「そういうことだ。…グランドラインにはバルジモアという国があるそうだが、少なくともそういった国で作られた特殊な武器でもない限り、お前に扱えるものなどごく僅かだ。だが、護身となれば虚仮威し程度で十分だ」

 

「へ?」

 

さっきと言っていることが矛盾していない?殺されないための護身術が、イコール虚仮威しとはならないはずだ。だって虚仮威しで変に刺激してしまえば逆上した相手に殺されるんじゃないだろうか。

 

「グラディウス」

 

「…麻酔弾や催涙弾、催眠弾の扱いを教える。飛距離も威力もないが、火薬の量が少ないから反動も僅かだ。当たりさえすれば敵を無効化できる。催涙弾は当たらずとも顔の近くに撃てさえすればいい話だからな」

 

「お…おおお!!!」

 

それなら相手を殺してしまう心配もない。…そう考えて、自分の甘さに気付いて内心笑えた。今までドフラミンゴたちがどれだけ人を殺してきたか知っている。その殺しによって私が美味しくごはんを食べたり綺麗な服を着て柔らかなベッドで眠れていることも。なのに、自分の手を汚すことを未だに恐れているだなんて滑稽だ。うっかり笑ってしまったのを見られて、何がおかしい、とグラディウスに尋ねられた。

 

「いや……私、人を殺すのが怖かったんだなー、って思ってね」

 

何を甘いことを言っているんだ、と怒られるだろうか。けれど、誰も怒ったり笑ったりしなかった。ただ、ヴェルゴが私の頭を撫でて、こう言った。

 

「ああ…そうだと思っていたよ」

 



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25.せめて安らかに

 

この年は変化の多い一年だった。まず、ドフラミンゴが武器の売買に本格的に手を出し始めた。そのためには船だけでなく広い倉庫も必要になるということで、とある島のゴミ処理場の倉庫を丸ごと手に入れて、そこを拠点にすることになった。

 

(そうそう、セニョール・ピンクも仲間になったなぁ。実力のある能力者で身なりを整えられていて弁が立つとか、めちゃくちゃ才能があるのになんで海賊になったんだろ)

 

あんまり多くを語らないので、その辺りは分からないし、実力さえあればいいとみんなも聞き出そうとし……いや、してたわ。粘着質なトレーボルとか性格悪いディアマンテとかが聞き出そうとかしてた。でもってドフィから窘められて渋々引き下がってた。

 

(なんかみんな、年々性格に磨きがかかってるよなぁ…)

 

そして、海賊船も一般の商業船も海軍さえも襲って金品や武器、海楼石を奪い取って部下を着々と増やす私たちは、とうとう政府に目をつけられることとなった。そもそもなぜ幼少期に海軍船で海兵の皆殺しをした時点で懸賞金をかけられなかったのか意味がわからない。後でトレーボルに聞いてみたら、ドフィの出自への配慮や島で一般市民の暴走を止めなかったこと、父親の通報を無視し続けたことなど色々な要素が重なった上での結果だと言われた。なるほどなー?微妙に納得できないけれど、トレーボルたちが手を回したのかどうかはそれ以上探ることができなかったのでこの疑問は一旦置いておくことにした。というわけで、うちの兄は20歳を目前に現在億越えの大悪党である。怖い。幹部3人とグラディウスも能力に目をつけられて、懸賞金をかけられている。ヴェルゴは私の護衛が多いからか、それとも別の何か意図でもあるからか、幹部なのにまだ懸賞金をかけられていない。むしろ懸賞金をかけられないよう、極力表に出ない仕事をしているようだ。

 

「ルシー、寝かせろ」

 

「はいはい」

 

ドフィは年々過保護に拍車がかかってくるようになっていた。ラオGとの訓練で骨を折ったり、昏倒して意識を失ったりしたからだろうか。それともグラディウスとの銃選びの時に試し撃ちで散々肩を外しまくったり指の骨を折ったからだろうか。とにかく、何かというと私を抱き上げて膝に乗せたり、頬擦りしたり、頭を撫でてきたり、こうやって夜に自分を寝かしつけろとベッドを奪いにくるようになった。

 

(人恋しいのかな…?なら恋人でも作ればいいのに)

 

一度唆してみたら、いつ誰が裏切るか分からない、と割とガチめに返された記憶はまだ新しい。私のベッドは3メートルとかいうわけが分からないくらい巨大に育ったドフィには小さすぎるはずなのに、ここ最近なんかほとんど毎日のように、体を丸めて意地でも寝てやるとばかりに潜り込んでくる。おかげでもういっそお前がドフィサイズのベッドがある船長室に住みに行けと家族たちからせっつかれるようになってきた。年頃の娘のプライバシーなんて、海賊の前にはただのゴミ扱いだった。唯一の常識人であるセニョールが、若干憐れみの目をしてサムズアップしていたのを思い出してムカムカしてきた。…あの親指、逆側にへし折ってやればよかっただろうか。

 

「ルシー、早く来い」

 

「はいはい…」

 

ドフラミンゴの半分ちょっとで止まってしまった私の身長では、並んでベッドに入るとまるで子どもと大人のようだった。ドフィにくっついて、大きな背中に手を回して、軽くリズムをとって叩いて、優しく優しく声をかける。子どもの頃に、ロシナンテとドフラミンゴの2人にしてあげたように。

 

「ドフィ、頑張り屋さんのドフィ。いつも家族みんなを助けてくれて、ありがとう。みんなのために頑張ってくれてありがとう」

 

たくさん褒めて、優しく優しく、眠りに誘う。悪夢に追いかけられないように、夢の中でだけでも休めるように。

 

「……もっとだ」

 

お気に入りの人形を抱きしめるようにして、ドフラミンゴがくっついてきた。ああ、子どもの頃にお気に入りのくまの人形を抱きしめて眠るのはロシナンテの方だったはずなのになぁ。ロシナンテに会いたいなぁ。サングラスを外したドフラミンゴの顔に手を伸ばした。目を閉じさせて、くっきり寄っている眉間のシワを伸ばして、そのまま髪を優しく撫でてやる。

 

「兄上、大好きだよ。大丈夫、みんながいるから怖いことはもう何もないよ。大丈夫…大丈夫…」

 

「あァ………そうだな……」

 

ふっ、と笑ったドフラミンゴの体から、力が抜けた。私の体の上のドフィの腕がずしりと重みを増した。

 

(…可哀想)

 

私のように痛覚も触覚も温感も無くしていれば、地獄のようだったあの迫害の日々を未だに悪夢として追体験することはなかっただろうに。私のようになっていれば、VR体験みたいだなぁ、なんて他人事のように流せただろうに。

 

(復讐することでしか悪夢から解放されないと信じ込んでるなんて、悲劇だよなぁ)

 

世界を壊すとか、無茶苦茶なことを言うくせに、家族のことは守ろうとしている矛盾の存在だ。それでも、この人は私の兄なのだ。こんなに大きくなってしまったのに、今でも幼い頃のドフラミンゴを重ねて見てしまう。

 

「私が、守らなきゃ…」

 

できもしないことを、私は未だ呪いのように唱えた。

 



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26.人形からの脱却決意

 

 

「うわー………え、何?今度は保育園でも始めたの?」

 

私が20歳になるのを目前に、アジトの第2倉庫が檻だらけですごいことになってた。もちろんこんな状況で私が保育園かと尋ねたのはブラックジョークである。…まさか、倉庫なんて用はないしと見に行っていない間にこんなことになっているなんて。

 

「あっ、妹様!わざわざこんな見苦しい所に来られずとも…っ!」

 

せやな、とうっかり頷きかけた。もうすぐ殺処分される保健所の犬の収容されている場所かと思うほど、汚い、臭い。糞尿が垂れ流し、入浴どころかシャワーすら浴びていない、着替えなんてもちろんしていない、食事だってまともなのを食べさせてもらっているか分からない、そんな子どもばかり数十人は檻に詰め込まれている。まるで出荷か、それこそ殺処分を静かに待つ動物のように。下っ端たちがホースで雑に水をかけて汚れを海に流しているようだけれど、そんなので間に合うはずもない。この子どもたちを、かわいそうだな、と思う。でも、思うだけだ。私がドフラミンゴの商品にあれこれ言う資格などないのだから。

 

「でも放っておくのもなんか嫌なんだよなぁ」

 

「妹様、何かご用でしたか?グラディウス様ならさっき第一倉庫の監査に向かわれましたけど」

 

「兄上はどこか知ってる?」

 

「本日は来られてませんが…」

 

「そう。どうもありがとう」

 

子どもたちの縋るような目を見ていられなくて、下っ端にドフラミンゴの居場所だけ聞いて倉庫から出た。助けて、と細い声を聞いた気がした。私が倉庫の扉を閉めると、中から下っ端が子ども相手に怒鳴りつけて何かを殴っている音が聞こえた。私は知っている、あれは棒で人の腹を殴る音だ。ああ、嫌だ、最悪。この現状をドフィは知っているのだろうか。だとしたらなぜ放っておくんだろうか。ドフィは私たちが幼少期にされたことを、今度は他の子にするつもりなんだろうか。趣味が悪いにも程がある。ムカムカしながらアジトに戻ってドフィを探した。

 

「コラソン、セニョール」

 

「ルシー?ドフィならさっき部屋に戻ったぞ」

 

「そう。ありがとう」

 

「…どうした?眉間にシワが寄っているぞ」

 

セニョールに指摘されて眉間を触ると、たしかにクッキリと凹凸ができていた。自分で思う以上にイライラしていたらしい。こんな風に感情を露わにしていてはだめだな、と大きく深呼吸をして、気持ちを静める。

 

「ちょっと、第2倉庫のことについてドフィに話したいの。今の第2倉庫の担当って誰?」

 

「ああ、ディアマンテだが……ルシー、お前まさか商売に口出しする気か」

 

じわり、とヴェルゴから激しい感情が漏れてきた。子どもが可哀想だからやめて、とか私が言い出すとでも思ったんだろうか。

 

「ええ、そうよ。だってあんな状態じゃ、売る前に死んじゃうでしょ?」

 

私はドフラミンゴが怖い。邪魔だと思えば実の父親でも撃ち殺すあの人が怖い。そんな兄に、この私が、真っ向から逆らうはずがないじゃないか。眉間にシワが寄らないよう意識して、にっこり笑った。ヴェルゴとセニョールはなんだか含みのある視線を交わして、けれど納得したように頷いた。

 

「ならいい。…じきに次の商談の時間になる。話すなら早めに行ってこい」

 

「はーい」

 

白いモフモフコートが落ちないようにしつつ、早歩きでドフィの部屋に向かった。ノックをする前に私だと察していたドフラミンゴが、入れと早々に言ってきたので遠慮などせず堂々と乗り込んでやった。

 

「なんだ、ルシー」

 

「第2倉庫のことで兄上に進言したい」

 

「あ?第2倉庫?…フッフッフ……おれのお優しい妹はガキを見捨てられねェのか?」

 

「まあね。売られるのは仕方ないとして、せめて衛生環境は改善してあげて。……もう、病気の子とか死んだ子とか出てるんでしょ?せっかく仕入れても死なせちゃ丸損だよ」

 

「……フッフッフ!!!なァ、ルシー!おれたちは今はたった2人の血の繋がった兄妹だ!妹が本音を隠してお綺麗な言葉で説得しようとしてくるなんざ、兄としちゃ寂しい限りだぜ!?」

 

書類を机に投げつけて、ドフラミンゴは大げさに両手を広げてそう言った。何があったかは知らないけれど、あまり機嫌は良くないらしい。まあ、部屋に入った時から視線を向けてこない時点でそんな気はしていたけれど。でも本人がそうご希望ならば、と私も素直に言ってみることにした。

 

「あの子達を見て、街の大人に暴行されていた兄上とロシーを思い出した。私は、私が兄上たちにできなかったことを、せめて目の前で同じ目にあっている彼らにしてやりたいと思う。具体的に言うと衛生だけじゃなく生活環境も整えてやりたい。でも私には商売に口を挟むような権利はない。だから兄上にお願いをしに来たの」

 

「…おねだりなら可愛く甘えて言ってみろよ、ルシー。おれの気が変わるかもしれねェぞ?」

 

嫌な人だなと思った。一緒に生活しててディアマンテの性悪がうつったのかもしれない。だいたい可愛くってどんなだ。あいにく私はそんなかわいこぶりっ子できるようなタイプじゃないってのに。何が悲しくて前世込みでの自分の半分も生きてない若造にそんな甘えてみせなければならないのか。…いや、れっきとした私のワガママのためなんだけれど。だってあの子たちをあのままにしているということは、少なくとも今はドフラミンゴに不利益は出ていないようなんだし。だとしたら生活環境を整えてほしいというのは私の単なるワガママなんだ。嫌な世界だ。嫌な時代だ。それでも、私が生きている場所だ。望まれるままに踊るしかない。しばらく悩んで、諦めてドフラミンゴに近付いた。ここ最近のドフラミンゴを見ていれば分かる、彼にとっての甘えるとはこういうことだろう。真正面から抱きついて、顔を擦り寄せて、耳元で囁くようにおねだりをした。

 

「お願い、ドフィ。小さい頃の私を助けて」

 

「…フッフッフ!!!」

 

私を膝の上に座らせて、ドフラミンゴは大変満足そうに笑った。さっきまでの不機嫌は吹き飛んだらしい。

 

「あァ…やっぱりお前は可愛いなあ、ルシー。可愛いだけの、人形みてェだ」

 

ずきり、と胸が痛んだ。痛覚なんてないはずなのに、私はまだ、言葉のナイフに突き刺されると心が痛むらしい。ドフラミンゴに意図はないのだろう。けれど私には、お前に価値はないのだと、言外に言われたように感じた。ドフラミンゴたちに生かしてもらわなければ、満足に生きることすらできないのだと。

 

「…兄上は性悪に育ったね。まるで悪の大魔王みたい」

 

「大魔王とは随分な言われようだなァ!まあ、その通りだけどなァ…!」

 

大口を開けて哄笑したドフラミンゴの頬を引っ張り、睨みつけてやった。おい、約束はどうした。

 

「兄上?約・束・は?」

 

「おいおい…お前までグラディウスみてェなことを言うなよ?心配せずともおれは時間も約束も守ってやるさ」

 

「具体的には?」

 

「…ガキどもの生活環境を整えてやる。毎日服を着替えさせて、一日三食食わせてやって、便所も風呂も使わせてやる。これでいいだろ?」

 

「よろしい。さすがは私の兄上、話が通じてよかったわ」

 

引っ張ったお詫びにもう一度ぎゅっと抱きついた。どうせそんなに目立たないだろうが、引っ張って赤くなった頬をよく揉んで誤魔化しておいた。

 

「そういやルシー、おれを探してたんだろ?何か用があったんじゃないのか?」

 

部屋を出ようとする私に、ドフラミンゴが聞いてきた。そう、第2倉庫に行ったのも、元はドフィを探してのことだった。別件でお願いがあったのだけれど、今は時期ではないだろうと思った。

 

「また今度ね」

 

にっこり笑って、部屋を出た。通りすがったディアマンテ に顔が怖いぞと笑われたけれど、うん、と頷いて自室に駆け込むことしかできなかった。

 

(…いつか、ここから出て行こう)

 

一生をここで生きることはできない。ドフラミンゴの仕事が大きくなるにつれて、だんだんそう思うようになってきた。家族は好きだ。ドフラミンゴも、まあ、割と好きだ。けれどもうすぐこの体も20歳になる。ならば他者から見たって、妹が保護者である兄から独立することに何も問題はないはずだ。むしろこれから一生ドフラミンゴに食わせてもらうなんて、完全にニートだ、ニート。それはさすがにまずい。前世で成人して親元から離れていち社会人をやっていた人間としては、社会に出て働けるのにニートを満喫している穀潰しになるなんてことは避けたい。

 

「…可愛いだけの人形……だって」

 

ふっと笑ってしまった。かつて自分でも思ったことを、改めて兄の口から言われるというのは、なかなか精神的に堪えた。痛覚がなく、触覚も温感もなく、空腹すら感じない。ドフラミンゴの糸に操られてようやく生きているだけの人生……そんなの真っ平御免だ。私にだって1人の人間として第二の人生を面白おかしく生きる権利がある。今日ドフラミンゴに相談しようと思ったのはそのことについてだった。けれどあんな言い方をするということは、おれがいないとお前は生きていけないだろう、と宣言されたも同じだ。

 

(悪いけど、私は生まれた時から反抗期なのよ、ドフィ)

 

絶対に独立してやる。久しぶりにごうごうと胸の中の炎が燃え上がった。

 



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27.さよなら心臓

 

コラソンがヴェルゴになるらしい。何を言っているか分からないと思うが(略)。要するに、ヴェルゴはドフィから別の任務を任されたらしい。そしてコラソンという幹部の座からは外れて、ヴェルゴとして活動することになったと。任務の内容は言えないがな、と頬に朝食のおにぎりをくっつけたまま荷造りをするヴェルゴの背中を見ていると、じわりと視界がぼやけてきた。

 

「寂しい…」

 

なんやかんやでドフィを除けば、訓練だ護衛だと私のそばに一番長く一緒にいてくれたのはヴェルゴだった。才能皆無な私に根気強く付き合ってくれたし、訓練をつけるのがラオGとグラディウスになっても、時々様子を見てくれていた。鬼教官が恋しいのではない、けれど本当に血の繋がった家族のように育ってきた彼が船からいなくなってしまうことが、たまらなく寂しかった。おかしいなぁ、私、こんなに寂しがりだっただろうか。とうとう雫が目からこぼれ落ちてしまった。歳をとると涙腺が緩むってこういうことだろうか。ぼっとぼっとと泣き出した私を見て、カケラも慌てずヴェルゴはため息を吐いた。

 

「何も生涯会えないわけじゃない。…ドフィの妹がそんな不細工な顔をするな」

 

「失礼な人だな!」

 

つい大声で言い返した私をからかうように笑って、ヴェルゴは頭を撫でてきた。まるでこれが最後だというように。

 

「ドフィを頼むぞ、ルシー」

 

「…役立たずの私に頼むくらいなら、任務なんて行かなきゃいいじゃない…」

 

「お前だから頼むんだ」

 

袖で私の顔を雑に拭って、ヴェルゴは言った。

 

「お前はおれの弟子だろう?」

 

鬼教官はめちゃくちゃ怖かったのに、その言葉があんまりにも優しくて、また泣けてしまった。

 

「……でも私、いつか独立するかもしれないよ」

 

「お前が?…まあ、やれるものならやってみりゃいいさ」

 

どうやら、お前には無理だろうがな、と言われたようだ。そんなことない、と言い返したかったのに、言ってはいけない気がした。だってヴェルゴは私にドフィを頼んできたのだ。言い返したらヴェルゴのことを否定したのと同じになってしまう。そろそろ時間だ、と荷物を持って出て行こうとしたヴェルゴの手を掴んだ。買い物に行く時、敵船に襲われた時、訓練で立てなくなった時も、いつも手を握ってくれていたことを思い出した。ああ、触覚と温感が今戻って欲しい。手を繋ぐのはこれが最後になるかもしれないのに、ヴェルゴの手がどんな手だったかも記憶できない。ヴェルゴは黙って荷物を片手でまとめて持って、もう片方の手で私の手を握ってくれた。家族たちに後のことを頼むと言って船から降りてしまうまで、ずっとずっと握っていてくれた。

 



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28.訓練終了の日

 

特訓を続けること数年。とうとうラオGに言われてしまった。

 

「……お嬢、もう諦められよ」

 

「どうして?」

 

才能がない、とでも言われるのだろうか?何度目だろう。自分でも闘いの才能がないことは重々承知している。才能以前に体だってろくなものじゃないのだし。骨折しまくって、ラオGに困った顔をされ続けて、それでもラオGは私に諦めろとは言わない人だと思っていたのに。構えを解いて、ラオGは重い口を開いた。

 

「…若が、お嬢に闘い方を教える必要はないと判断されたのだ」

 

ショックだった。まさか、今まで私が護身術を習うことを黙認していたドフラミンゴが、今更口出ししてくるようになっただなんて。トップがそんなことを言ってしまえば、部下は従うほかない。ラオGも心底納得したわけではないのだろうが、ドフィがそう言うならばと了承したようだった。なら、私は何も言えない。唇を噛み締めて感情を押し留めて、にっこり笑ってみせた。全く気にしていないとアピールするために。

 

「ドフィがそう言うなら仕方ないよ。長い間、どうもありがとう。不出来な生徒でごめんなさい。今後は…バッファローも育てなきゃだし、ラオGも忙しいもんね。うん、仕方ないない!」

 

「お嬢…」

 

「私、シャワー浴びてくる!それじゃ、今までありがとうございました!」

 

深く礼をして、何か言いたげなラオGに背を向けて部屋へと走った。だんだんと、ドフラミンゴの檻を意識するようになってきた。もしかすると子どもの頃から私を閉じ込めるための檻はあったのかもしれないけれど、それが年々窮屈になってきた。きっと私が、檻に合わないほど大きくなってきてしまったからだ。ドフラミンゴに依存しなくても生きていきたいと願ったから、檻の中でこんなにも息が詰まりそうになるんだ。気付かず俯いて爆走していたようで、角から出てきた人にぶつかっても一瞬何が起きたのか分からなかった。悔しさで涙が出ていたのか、視界がぼやけすぎて色彩しか分からないが、この黒い服はたぶんグラディウスだろう。私がぶつかってきたと分かるとグラディウスがすごい剣幕で怒鳴ってきた。

 

「っ!ルシー!!!ちゃんと前を見て歩、け……!?」

 

「……ごめん」

 

心に余裕がなさすぎて、雑な謝り方をして逃げるしかできなかった。けれどグラディウスが私の腕を掴んでいたのか、走ろうとすると体を後ろに引かれてたたらを踏んでしまった。

 

「誰に泣かされた…!」

 

「…グラディウスには関係ないでしょ」

 

「ルシー!」

 

自分でもかっこ悪いと思うくらい、ツンケンした言い方をしてしまった。しまった、と思ったら案の定咎めるように名前を呼ばれてしまったので、逃げるのを諦めた。

 

「……グラディウスも、私に訓練する必要ないって、ドフィに言われてるんでしょ」

 

「……ああ」

 

馬鹿正直に肯定したグラディウスにちょっと笑えた。才能がないなりに私が必死になってみんなの訓練に食らいつこうとしていたのを知ってるくせに。泣いた私からこの話題が出た時点で、なぜ泣いてるのか分かってるくせに。そんなだからモテないんだぞ。

 

「…自由になりたい」

 

「今は自由がないと言いたいのか」

 

「そうだよ」

 

マスクとグラス越しに、グラディウスがギュッと顔をしかめたのが分かった。食わせてもらってるくせにわがままを言い出した面倒な女だとでも思っているんだろう。でも、私そんなわがまま言ってる?これでも一応この間成人したんだよ?家から出るとか別に普通のことじゃない?この世界でも普通のことかは分からないけど。ぐるぐると考え出して、ふと私の心の天使を思い出した。

 

「…ロシーに会いたい」

 

あの悪魔が酷すぎるんだとロシナンテに愚痴を言いたかった。だってここにはドフィの味方しかいないんだもの。ロシーならきっと私の味方をしてくれる。きっと。絶対に。

 

「ロシーに会いたい!ロシーに会いたい!!ロシーに会いたいーーーっっっ!!!」

 

呆気にとられて拘束を緩めたグラディウスから逃げて、部屋でわんわん泣いた。なんで今、ここにロシナンテがいないんだろう。今何してるんだろう。ちゃんと海兵になったんだろうか。元気に暮らしているんだろうか。今はもう、ドフィが怖いと泣いていないだろうか。なんであの時、私はロシーと一緒に逃げなかったんだろう。あの頃から体が大きくなった今は、ドフラミンゴに殺される恐怖なんかよりもロシナンテに会えないことの方が、怖くて辛かった。

 



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29.哀しい女の子

 

 

「よし。ルフィには原作通りに大魔王をぶっ飛ばしてもらおう」

 

強く決意して拳を握りしめた。要するに他力本願である。自分ではできないから、主人公に任せる。なんと素晴らしい計画!具体的なプランは、私は何もしない、これだけ!もちろん私も非情ではないので、ドレスローザやら何やらで苦しむ人や殺される人たちを思うと胸は痛むけれど、痛むだけだ。別に胸の痛みが原因で死ぬわけでもない。もっと言うなら見ず知らずの人がどこでどう死のうと私には知り得ぬことだから胸の痛みになんてなるはずがない。つまりはノーカンだ。とっくに記憶からかき消えた原作知識が今更戻ってくるわけでもないし、ここで私がどう足掻こうときっと決まり切った世界の流れっていうものは変わりはしないんだろう。母親が死んだように。父親が殺されたように。ロシナンテを助けたのがあのセンゴクさんだったように。そして、この子がベビー5と名付けられたように。

 

「ルシーさん、これお花です!お店で一番綺麗な花を買ってきました!」

 

にこにこと笑いながら、赤いバラの花を一輪プレゼントしてくれた。私の訓練を強制終了させたことにほんのわずかでも罪悪感を持っていたのか、それとも単に私の暇つぶしのためにか分からないけれど、ドフラミンゴは新しく家族になったベビー5をしょっちゅう寄越してきた。

 

(可愛い子なのになんで極悪極まりないうちみたいな海賊団に入ってきちゃったのかなぁ)

 

だからって娼館に行けという気はさらさらないし、むしろこんな可愛い子が家族になったことは超絶嬉しいんだけれど。ベビー5はトレーボル辺りから私は花が好きとか聞いて、きっとなけなしのお金を叩いて買ってくれたのだろう。昔トレーボルたちが花屋を襲って花を根こそぎ奪い取り、花を部屋いっぱいにしたことを思えば、なんて善良で素敵なことだろうか。前世で母の日にカーネーションを渡したら、お母さんが涙ぐんでいたのを思い出した。今やっとその気持ちが理解できたよ、カーチャン!

 

「ルシーさん、あの……嬉しくなかったかしら…?」

 

「ううう嬉しいよううう!!!ベビちゃん最高!ありがとう!すっごく嬉しい!」

 

「本当!?ルシーさんのお役に立てたなら嬉しいわ!」

 

役に立つ、と彼女はよく強調する。悲しいけれど、本当に役に立てることで喜んでいるのだ。相手が喜んでくれたら私も嬉しい、という感覚とは根本的に違っている。それに、役に立てなかったら自分が存在する意味がない、とまで思い込んでいる辺り、本当にどうしようもない。なんとか子どものうちに矯正しなければ。奴隷の子たちとは違って、彼女はこれから私の家族としてやっていくんだから。

 

「ベビちゃん」

 

「はい、ルシーさん」

 

「ベビちゃんはベビちゃんのままでいいのよ」

 

「?」

 

「だからね、えーっと……」

 

上手く説明できない。だってこんな子初めて会う。前世でだっていなかった。いや、きっと存在はしていたんだろうけど、私がそうと察する形では会ったことがなかった。たとえばヒモを養う人とか、DVをする伴侶を支え続けようとする人とか、ベビー5はそういった人たちと同じなんだろう。……違うか。うーん、本当にこんな子初めてで、上手く例えられないし理解が追いつかない。ヤンデレ系?…ってわけでもないしなぁ。

 

「うーん…うーん…」

 

「…あの、ルシーさん…私、ルシーさんを困らせてるのかしら?だとしたら私、どうすれば…」

 

「そうじゃないよ、大丈夫大丈夫」

 

泣きそうな顔をして、見てるこっちが可哀想になるくらい狼狽えられた。いや、違う違う!ある意味あなたのせいだけど全然あなたのせいじゃないから!

 

「あのねー、うーん…私はベビちゃんのことが大好きだよ。可愛いし、よく気がつくし、勤勉で頑張り屋さんで、それに可愛いし」

 

「えっ!?」

 

大切なことなので2回言いました。ベビー5は頬を染めてめちゃくちゃ可愛いく照れてくれた。ああ、可愛い…。

 

「だからね、そんなベビちゃんが失敗しても、間違ったことをしちゃっても、怠けてても、可愛くなくなっても、もちろん役に立たなくったって…私はベビちゃんのことが大好きだよ」

 

長所が長所でなくても好きだと言われた意味が分からないのか、ベビー5が戸惑った顔をした。

 

「ど、どういうことなのか分からないわ…」

 

「…ベビちゃんが生きてるだけで大好きってことだよ」

 

「そんなはずないわ」

 

真っ向から否定してくるベビー5に戸惑ってしまった。どうしてそこまで言い切れるんだろう。捻くれてるんだろうか。…いや、きっと、心の底から自分に価値がないと思っているんだ。自分には価値がないから、自分に価値をつけたくて、誰かの役に立とうとしている。ああ、価値がないなら生きている意味はないと思っているのか。押し問答をしていても、ベビー5はより頑なになるだけだろう。それなら、自分は生きているだけでいいのだと、愛されているのだと分からせてやればいいのだろうか。

 

(全く、親はどんな教育してたんだ!)

 

親から手を引かれて売られてくる子どもだって、この子よりもうちょっとマシだ。吐きたくなるため息を飲み込んで、ベビー5の持つバラを見た。カタカタと小さく震えながら、手が白くなるほど握りしめているせいで、茎がしんなりしてきていた。

 

(…ああ、本当に、可哀想な子だなぁ)

 

生きているだけでいいのだと、初めて言われたのかもしれない。緊張していて、怖がっていて、自分がどう答えたら相手の機嫌を損ねないのかと、どうしたらいいのか分からないといった顔をしている。

 

「…じゃあ、私はあなたのことが大好きなんだってことだけ覚えてくれてたらいいよ」

 

「……わかっ、たわ……?」

 

頭の中いっぱいに疑問符が飛んでいるのだろうけれど、とうとうくったりと頭を下げてしまった赤いバラには気付かないまま、ベビー5はこくりと頷いた。

 



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30.邪魔な人形は捨てればいいのに

 

 

「ねえ、ドフィ。やっぱり銃だけでも習えない?」

 

「あァ?必要ねェだろ?」

 

「でも万が一ってのがあるしさぁ」

 

「フッフッフ!却下だ」

 

「ドフィのケチー!」

 

悪態をついてソファに寝転ぶと、グラディウスから二重の意味でのお叱りの声が飛んできた。お察しの通りドフィに悪態をついたことと、スカートを気にせず人前で横になっていることに対してだ。そもそもこんなお姫様ちっくなワンピースを着せているドフィの趣味が悪いのがいけないんだ。私はズボンを穿いて走り回りたいお年頃だってのに。護身術を習うことすら禁止されたことを、私は未だに根に持っている。むしろ一生言い続けてやる所存でござる!

 

「動きたいー!はしゃぎたいー!鍛えたいー!」

 

「フッフッフ!」

 

「ルシー!少しは慎みを持て!」

 

「無理ーぃ」

 

チッと鋭い舌打ちと、グラディウスから私のモフモフコートが飛んできた。バタ足をしたことで晒された私の魅惑の生足(笑)を隠せということだろう。グラディウスをこれ以上怒らせると爆発しそうだったので、大人しく言うことを聞くことにした。コートを膝掛け程度に体の上に乗せていると、まだ書類を読み終えていないというのにドフィが立ち上がって出て行こうとしていた。

 

「兄上?」

 

「客が来たみたいだなァ。ルシー、お前は大人しく待ってろ。行くぞ、グラディウス」

 

「はっ!」

 

「いってらっしゃい、ドフィ、グラディウス」

 

どうせいつもの取引相手だろう、と手を振って見送った。ドフィもニヤリと笑みを浮かべながら後ろ手を振ってきたので、ドアが閉まるまで手を振り続けた。一人きりになると話相手もいなくて退屈になる。ベビー5はバッファローと一緒にラオGから訓練を受け始めたからあんまり遊びに来てくれなくなったし。

 

「ヒマ…」

 

とびきり大きくあくびを一つかました、そのタイミングで。ドォンッ、と大きな音と振動がソファの上で寛ぐ私にまで響いてきた。突然の轟音と衝撃で反射的に体が飛び上がった。ああ、客ってそういう…。ドフラミンゴが2億とかいう訳の分からない懸賞金になってからは船を見ただけで逃げ出す人たちばかりだったから、敵襲なんて久しぶりだ。さすがに大砲をブチ込まれて船が損壊するなんてことはないだろうけど、船の近くに落ちて海水まみれになって帰ってくる仲間たちの姿は容易に想像できた。いずれドフラミンゴを見殺しにして逃げ出す予定のニートとはいえ少しは役に立ってやろうという気持ちで、風呂場からタオルを出して仲間たちを迎える準備をしようと思い至った。部屋の外は思いのほか冷えていて、冬島が近いのかな、なんてのんびり考えながら船内を歩いた。甲板の方から騒ぎ声や武器の音、振動なんかも伝わってくる。いつものことだ。けれど、なぜかこの時は胸騒ぎがした。いつもは楽しげな仲間の声に焦燥を感じたからか、敵船に乗り込むのが常だというのに今日は珍しく敵に乗り込まれていたからか。言いようのない感覚に突き動かされるように、様子を見るだけだと内心でドフィに言い訳をしながら甲板の方へと近付いた。その時、真正面に浮かぶ敵船から、狙撃手がドフィを狙っているのが見えた。それを見つけたのは、まさに奇跡としか言いようがなかった。訓練は長い間させてもらっていたけれど才能がなくて覇気も出せず、護身術は初歩の段階でやめさせられ、実際には幼い頃の暴力しか味わったことがなく、今はニート生活を謳歌していた私が、遠く離れた場所の狙撃手を発見し、しかも狙撃手が狙う先に兄がいると直感できたのは、奇跡だった。もしかしたら、ドフィをここで死なせてはいけないという、世界の予定調和だったのかもしれないけれど。

 

「兄上っ!」

 

「ルシー、ッ!?」

 

パァンッ、と。乾いた銃声が、胸への振動が来てから遅れてやってきた。

 

「ルシーッ!!!」

 

揺れる船の上でなんとか立っていた私の体を、ドフィが大きな腕で抱え込んだ。

 

「ルシー、しっかりしろ!ルシー!」

 

珍しく焦った声で縋ってくるドフィに、何をそんなに慌てているのかと聞き返そうとして、ふと自分の胸元に目がいった。白いワンピースの右半分が真っ赤に染まっていた。どうやら肩と胸の中間地点辺りを銃で撃ち抜かれたらしい。とはいえドフィからは苦痛の雰囲気も感じられず、おそらく無傷なのでひと安心。おっぱいがデカくてよかった、前世の私の貧乳のままなら貫通した弾でドフィも怪我していただろう。しかしものの数秒でワンピースから滴るほどの流血とは、なかなかヤバい所を撃たれた様子。いやー、痛覚死んでてマジ感謝。

 

「ど、ふぃ…」

 

ごぶ、と口から血の塊がせり上がって来た。なんだか呼吸もしづらい。もしかしなくても肺がやられちゃったか。あーあ、ついてない。呼吸できなくて窒息死ってのはしんどいらしいのに。徐々に酸欠で朦朧としてくる意識をなんとか研ぎ澄ませて、憤怒の顔で能力を爆発させている兄を見上げた。これがロシーなら泣きじゃくって抱きついて来ただろうけど、ドフィはそんな可愛い兄ではないので、今はもう私に怪我させた敵をブチのめすことしか頭にないんだろう。あーあ、ロシーが恋しいなぁ。記憶の中のロシーはいつでもちっちゃいショタのままだから、なおさら恋しい。

 

「ぁに、…ぇ」

 

絞り出した声が、数多の悲鳴にかき消えずドフィに届いたのかどうかは分からない。けれど悪の大魔王らしく、凶悪そのものなドフラミンゴは、ニートで足手まといの代名詞みたいなこんな私を、結局最後まで手放そうとはしなかったのである。

 



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サイドストーリー
29話…ベビー5視点


サン&ムーンさんより、「29話のベビー5視点」です。
ご意見ありがとうございました!



 

ひもじくて、ひもじくて、食べる物も、飲む物もなくて、…ママも、いなくて、ひもじくて、辛くて、けれど、何より信じていたママに手を離されたことが、寂しくて、辛くて、ひもじくて………頭が、どうにかなってしまいそうでーー。

 

ぎゅう、と胸もお腹も焼け焦げたように痛かった。

 

「さあ、これからお前はここで生活をするんだーー…」

 

「ここで?おれ、腹いっぱいメシが食えるの?」

 

「あァ、そうだよ…綺麗な服も着れるし、1日に3回もメシが食える。雪の降らない暖かな場所でな」

 

「やったー!おれ、腹ペコなんだ!」

 

わあわあと嬉しそうに笑いながら、痩せた男の子が大人に手を引かれて倉庫に向かっていった。いいなあ、と思った。けれど同時に、なんて甘えてるんだろう、と思った。ごはんも服も寝床ももらえるのなら、役に立たなきゃいけないのに。役に立たなきゃ、生きる意味なんてないのに。

 

(バカな子…)

 

ギリギリ、胃の腑がねじ切れるように痛んだ。前にごはんを食べたのは、いつだっけ。ああ、いいなぁ。私も…私だって、役に立てたらごはんを食べさせてくれるかなぁ。うん、きっと食べさせてくれるよね。だって、あんな子だって何もしないでごはんを食べられるんだから。私の方が、役に立てるんだからーー。ふらふらする体で、彼らの後を追った。港の近くまではなんとか追いかけられたのに、途中で見失ってしまった。どこだろう、と見回していたら、大きな倉庫から奇妙な服の大人が出てくるのが見えた。倉庫から漏れるオレンジの灯りが、まるで暖かな春の日差しを連れてきたように感じられて、冷え切った素足が存在を主張するようにピリリと痛んだ。

 

「あの…っ!」

 

「ん〜?なんだァ〜?」

 

寒いのだろうか、鼻水を垂らした大人が、遠く上の方から見下ろしてきた。

 

「あの、ここで、働かせてください。私、役に立てます。必ず、役に立ちます。だから…!」

 

お腹の痛みもひもじさもどうでもよかった。役に立ちたい…役に立ちたい!私はまだ、生きていたい!

 

「んん〜……べへへへっ!あァ、構わねェぜ〜!こっちに来な。うちのボスに合わせてやるよ〜」

 

じろじろと私を見た大人が、倉庫よりも少し小さな、けど丈夫な造りの建物に導いてくれた。部屋の中はとても暖かくて、足も体も解けるように力が抜けた。

 

「…そうか。いや、構わねェぜ。うちはやる気を持って来るものは拒まねェ!それがたとえどれだけ骨みてェなガキだろうとな!なァ、ルシー。お前の好きそうな子どもだろ?」

 

「………そうだね。ねえ、あなた名前は?」

 

暖炉の前に、華やかで暖かそうな服を着た大人たちがいた。大きな男の人が笑って、隣の女の人に話していた。その人は、綺麗だった。とても、とても見たことがないほど……白くて、ふわふわしていて、キラキラしていて、柔らかそうで…綺麗だった。雪のお姫様なのかしら?でも暖炉の前にいるのに溶けていないわ。

 

「あ……わ、わたしは…」

 

「ーーいや、いい。どうせうちじゃコードネームで呼ぶんだからな…。……そうだな、お前はこれからベビー5だ」

 

「ドフィ」

 

「フッフッフ!せいぜい可愛がってやれよ、ルシー」

 

女の人がため息を吐いていた。ああ、もしかして、私は必要ない?迷惑なのかしら?引き返しそうになる私の前に来て、膝まで折って、目を合わせてくれた。ーーママのように。けれど、ママより白くて柔らかい手が私の頭を撫でてくれた。ああ、私、汚くないかしら。髪、洗ったのはもう忘れちゃうくらい前なのに。私、臭くない?ねえ、この人に嫌われない?

 

「これから、よろしくね。ベビちゃん」

 

ああ、きっと神様がいるなら、こんな人だ。ママにも必要されなかった私に、まだ何の役にも立てていない私に、こんなにも優しく話しかけてくれるなんて。男の人と女の人は、私に温かいごはんも、柔らかい寝床も、清潔な服もくれた。いつもニコニコ、笑顔を向けてくれた。私が失敗しても、笑って許してくれる。ああ、喜んでもらいたい。この人たちに必要とされる私になりたい。もう二度と、捨てられないように。どうすれば、役に立てるのかしら?

 

「そうだな……ベビー5、ルシーの世話をしてこい」

 

「ルシーさんの?」

 

「あァ。おれの役に立ちたいんだろ?これなら、ルシーの役にも立てて一石二鳥だ。違うか?」

 

「!はい、若様っ!」

 

若様は素晴らしい人だ。私の望みをいつだって叶えてくれる。…けれど私はまだまだ出来損ないだから、ルシーさんの所へ行っても困った顔をされてしまう。役に立ちたいのに、ルシーさんは何もさせてくれない。一緒にお話しするだけなんて、甘いお菓子を食べさせてくれるだなんて、私に優しいだけ。それじゃあ私は役に立てない。必要とされない。ちゃり、とポケットの中の硬貨が音を立てた。ああ、そうだ。いつもお菓子をくれるように、ルシーさんに何かあげたなら。きっと、きっとルシーさんは喜んでくれる。私のこと、役に立つ子だって思ってくれる。……でも、何が欲しいんだろう。お菓子はルシーさんはたくさん持ってるし、あんな綺麗なお洋服を買えるほどお金は持ってない。悩んで、悩んで、私をここに連れてきてくれた大人に聞くことにした。

 

「ルシーの好きなもの〜?ん〜…花だなァ。あいつ、ガキの頃はよく花屋を見てたからなァ〜」

 

花屋の花。それなら、大丈夫かもしれない。雪の降る中を走って行って、持ってるお金全部で、一番素敵な花を選んでもらった。真っ赤な、血よりも濃くて赤い、バラの花。大切に大切に手で包み込んで、アジトに帰った。途中で大人に連れられたあの男の子とすれ違った。首輪と鎖をつけられて、犬のように連れられていた。泣き喚いて、みっともなかった。

 

(バカね。役に立たなきゃ捨てられるに決まってるのに)

 

でも私は大丈夫。だってルシーさんに、こんなに綺麗な花を渡すのだから。

 

「ルシーさん、これお花です!お店で一番綺麗な花を買ってきました!」

 

絶対に喜んでもらえる、そう自信を持ってルシーさんに渡したのに、ルシーさんは受け取ってくれなかった。細い手を震わせて、目に涙を溜めて…え、悲しんでるの?どうして?私、間違ってしまったの?

 

「ルシーさん、あの……嬉しくなかったかしら…?」

 

「ううう嬉しいよううう!!!ベビちゃん最高!ありがとう!すっごく嬉しい!」

 

やっとルシーさんの笑顔が見られて、ほっとした。よかった、役に立てた。ルシーさんはいつだって大げさなほどに喜んでくれる。嬉しい。嬉しい!私は役に立てた!

 

「本当!?ルシーさんのお役に立てたなら嬉しいわ!」

 

だからつい、ルシーさんの前で言ってはいけない言葉を言ってしまった。ああ、失敗しちゃった。またやっちゃった。私が役に立てることを喜んだら、ルシーさんは悲しそうな顔をするのに。

 

「ベビちゃん」

 

「はい、ルシーさん」

 

「ベビちゃんはベビちゃんのままでいいのよ」

 

意味が分からない。ルシーさんの言葉は、時々とっても難しい。

 

「だからね、えーっと……うーん…うーん…」

 

「…あの、ルシーさん…私、ルシーさんを困らせてるのかしら?だとしたら私、どうすれば…」

 

私…私が、ルシーさんを困らせてるの?私がいると邪魔なの?やっぱり、私は必要とされていない子だから?私もあの子のように、首輪をつけられて、また捨てられてしまうの?

 

「そうじゃないよ、大丈夫大丈夫。あのねー、うーん…私はベビちゃんのことが大好きだよ。可愛いし、よく気がつくし、勤勉で頑張り屋さんで、それに可愛いし」

 

「えっ!?」

 

「だからね、そんなベビちゃんが失敗しても、間違ったことをしちゃっても、怠けてても、可愛くなくなっても、もちろん役に立たなくったって…私はベビちゃんのことが大好きだよ」

 

やっぱり、ルシーさんの言うことはよく分からない。私が役立つことを褒めてくれるのに、役に立たなくてもいいだなんて…分からない。ルシーさんの優しい言葉をちゃんと理解したいのに、全然意味が分からない。思わず手に力が入った。ねえ、ルシーさん、分からないわ。もっと分かるように言って。

 

「ど、どういうことなのか分からないわ…」

 

「…ベビちゃんが生きてるだけで大好きってことだよ」

 

「そんなはずないわ」

 

(そんなの、絶対、ありえない)

 

違う。それは、絶対に違う。だって、そうでなきゃ、ママが私を捨てるはずがない。ママは私が必要でないから捨てたのに。必要とされない私なんて、生きている意味がないのに。

 

「…じゃあ、私はあなたのことが大好きなんだってことだけ覚えてくれてたらいいよ」

 

ああ、それなら分かる。だって、私が失敗しても、こんなにも優しくしてくれる人は、ルシーさんだけだから。ルシーさんはきっと私のことを好きでいてくれる。だけど………でも……。

 

「……わかっ、たわ……?」

 

若様に一番に必要とされて、大人たちに慕われているルシーさんが、間違うはずがない。私のことを大好きだと言ってくれたルシーさんが、間違うわけがない。けれど、私は……私は、役に、ルシーさんと若様の、役に、立たなきゃーー。手の中で、受け取ってもらえなかった赤いバラが萎れていた。……どんなに好かれていたって、必要とされなきゃ、生きてる意味なんてないのにねーーー。

 



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30話…ドフラミンゴ視点

サン&ムーンさんより、「30話のドフラミンゴ視点」です。
ご意見ありがとうございました!



 

 

ドゥルシネーアは弱い。体も弱ければ精神も弱い。ガキの頃から大人の真似をして強がっていたが、少し脅せばこの世の終わりのように怯えるし、甘い顔をしてやれば笑って擦り寄ってくる。時々頑固だったが、そんなちょっとしたワガママならば、この世の地獄を味わってなお素直なあの顔で言われりゃ許容できる範囲だった。だが、自傷行為だけは許せなかった。痛覚がない、触覚がない、温感がない…そんなのはどうだっていい。おれの家族がなんとかするし、いざとなればおれの糸でなんとでもしてやれる。が、それを利用して加減一つできない捨て身の訓練をすることだけはいただけなかった。肋骨も、手も足も指だって、折れていないのは背骨ぐらいだと言うほどに、あちこちの骨を折るほど全力で打ち込んでいた。全ては痛みが分からないからだ。そんなルシーが可能な限り傷付かないよう熱心に教えていたヴェルゴがファミリーを抜け、妹はますます加減ができなくなっていた。

 

(それともただ単にヴェルゴが好きだっただけか?)

 

ヴェルゴがいなくなってからというもの、訓練に打ち込む姿はまるでヤケになっているように見えた。だから、訓練をやめさせた。可愛い妹が好き好んで傷ついていく姿は見ていて不快だった。アイツはおれが守ってやらないとすぐ死んでしまうような妹なのだ。だから無意味な訓練を辞めるようラオGとグラディウスに言い渡した。それを聞いた妹はラオGには笑って受け入れたように見せておいて、グラディウスには泣いて激怒したという。感情一つ押し殺せない小さな妹は、齢を重ねるほどに素直になっていて可愛いものだというのに。

 

「ねえ、ドフィ。やっぱり銃だけでも習えない?」

 

「あァ?必要ねェだろ?」

 

「でも万が一ってのがあるしさぁ」

 

万が一などない。おれたちがどれだけお前を守るのに力を尽くしているのか知らないから言える言葉だ。何も知らない無知で弱い可愛い愚かな妹。そんな妹を、何より尊いと思う。ーーかつての母のように、哀れな妹。アイツを殺したことは今でも正しいことだったと言える。アレは存在が無意味だったから。だが、おれとロシー、この妹を母に産ませたことだけは、アイツの唯一賞賛すべき点だった。

 

「フッフッフ!却下だ」

 

「ドフィのケチー!」

 

「ルシー!」

 

ただ、妹のこの諦めの悪さだけは、困ったものだった。グラディウスがたまらず声を荒げていた。ああ、こいつはルシーに下心を抱いているからな、と思うと妙に笑えた。そんなグラディウスの純情を弄ぶかのように、ルシーは何にも気付かない。立派な悪女に育ったものだ。

 

「動きたいー!はしゃぎたいー!鍛えたいー!」

 

ガキのようにソファーに寝転がり足をバタつかせる姿は、たまらなく無防備で平和なものだ。

 

「フッフッフ!」

 

「ルシー!少しは慎みを持て!」

 

「無理ーぃ」

 

夏島が近くて暑いからか、珍しく火傷跡の残る足を晒したルシーに、グラディウスが焦ったように舌打ちをしていた。ああ、そうだよな。慕っている女が普段は見せない足を自分の前で晒してんだ。意識してもらえない悔しさと、恥ずかしさと、嬉しさと…まあ、そんなんで頭が破裂しそうなんだろうよ。よかったなァ、ルシー。おれがこの場にいて。

 

(ーーー来たか)

 

ざわり、と外の空気が揺れていた。あァ…ようやく獲物が糸にかかった。この日をどれだけ待ち望んだか。質のいい奴隷を売り、武器をばら撒き、薬で各地を崩壊させて、ようやく繋げた細い糸。それを伝って一言二言囁いてやれば、奴らは目に見えて動揺した。ーーああ、そうだ、おれを殺しに来い。おれはお前らを食い物にして、必ず世界をぶっ壊してやる。気分良く書類を投げ出してネクタイを緩めた。さァ…この首を獲れるものなら獲りに来い、天竜人ども。

 

「兄上?」

 

「客が来たみたいだなァ。ルシー、お前は大人しく待ってろ。行くぞ、グラディウス」

 

「はっ!」

 

まだ今は序の口だ、護衛は不要だろう。だが、この弱い妹には手出しをさせない。

 

「いってらっしゃい、ドフィ、グラディウス」

 

無知な妹が手を振っていた。ああ、そうだ。お前はそうやっていればいい。安全な場所で、真綿に包まれるようにして生きていればそれでいい。そう思っていた。ーーーなのに。

 

「兄上っ!」

 

なんでお前がここにいる?

 

「ルシー、ッ!?」

 

いるはずのない妹が、自分の前に飛び出して来た。真っ白な布のような妹を思わず切り殺しそうになって手を止めると、間を空けず乾いた銃声が聞こえた。戦闘中には珍しくもなんでもない銃声が、妙に生々しく聞こえた。何が、起きた。何が起きている。

 

「ルシーッ!!!」

 

なぜ、おれの妹が血にまみれているんだ。

 

「ルシー、しっかりしろ!ルシー!」

 

心臓の鼓動に合わせるように、赤い血が吹き出てくる。母のように白い妹が、アイツのように赤く染まる。何が起きているのか分からない、と目を丸くしていた妹が、ふとおれを見て、自分の傷口に目をやって、そしてにこりと安心したように笑った。嫌な笑顔だ。殺す前のアイツと、同じ顔だ。弱いくせに、おれを守れたと満足そうにした、笑みだ。おれはお前に守られるほど、弱くはねェ…!

 

「ど、ふぃ…」

 

ルシーが口から血の塊を吐いた。最初は、何人か残して拷問にでもかけてやろうと思っていた。だが、あいつらは『おれの』妹を傷つけた。許さねェ。絶対に!!!

 

「若っ!ルシー!!!」

 

家族の呼び声が遙か遠くに聞こえる。自分を中心に樽や船が糸に変わっていくのが分かった。ああ、これだけ糸があれば殺せる。人の形など跡形も無く、ひき肉にしてやる。殺してやる!殺してやる!!!

 

「ぁに、…ぇ」

 

死にそうな顔で呼んだのは、おれか、ロシナンテか。…ガキの頃から妹が抱きついて甘やかしていたのはいつだってロシーにだった。いや、ロシーがルシーに抱きついて縋っていたのか。肝心な時に居やしねェくせに、こんな時でさえ呼ばれる弟が、羨ましくてーーー憎かった。

 



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17〜16年前
31.現実の世界


 

 

目を開けたら懐かしい天井が見えた。目尻からこめかみに何かが伝った感覚があって、なんだろう、と指で触ると透明な雫が指先に溜まっていた。随分と、長い夢を見た気がする。すごく嫌な思いをするのに、なぜか抜け出せなかった。蟻地獄みたいな夢だったけれど、悪夢を見た後の奇妙な気持ち悪さはなかった。むしろ、どこか満ち足りたような…。ピリリリリ、と鋭い電子音にビクッと体が震えた。頭がまだ寝ぼけていたからか、スマホのアラームだと気付けなくて音源はどこだと随分探し回ってしまった。

 

「7時…?」

 

こんな時間にアラームを鳴らすなんて、今日は何かあったっけ、と頭を回転させるも、とんと思いつかない。何だろう何だろうと思いながらベッドから降りた先に、見慣れたスーツが吊られていた。

 

「…………かいしゃ!!!」

 

何で忘れていたんだろう、会社だ会社!30分後の電車に乗らないと遅刻する!慌ててパジャマを脱ぎ散らかしてスーツを着込んだ。その途中途中で奇妙な感覚がして、着替える手が何度も止まりそうになった。私の肌の色はこんな色だっただろうか。私の足はこんなに太くて綺麗な肌だっただろうか。私の腹や腕もこんなに肉が付いていただろうか。

 

(私の胸はこんなに貧乳……アッ、なんで朝からこんなセルフ自虐してんだ)

 

混乱しながらもキッチリ服を着て、さっさと化粧をしようと鏡の前に立った。そこで、強烈な違和感に見舞われた。私、こんな顔だった?こんな髪だった?こんな目の色だった?鏡の中で同じように困惑した顔をしている女がいた。どこにでもいそうな平凡な人間だ。そう、これが私だ。私以外の何者でもない、……はずなのに。震える手で洗顔をして、さて化粧水をと思った段階でとうとう手が止まってしまった。

 

(……化粧水、どれだっけ)

 

いくつか並んだボトルは、確かに見慣れたものだった。量も半分ほど使っている、私のものだった。なのになぜかそのボトルが不思議なほど洗練されたデザインに見えた。これは絶対におかしい、異常事態だ、そう思ったけれどそこで仕事を休むなんてありえなくて、ボトルの文字を読みながらなんとか化粧水をしていった。駅まで走っている時も、私はこんなに走れただろうかと思ったし、定期を改札にかざすことも一瞬忘れていた。電車は乗り間違えそうになるし、あまりの人の多さと密度に悲鳴が出そうになったし、極め付けに見ず知らずの人の手を掴みそうになってしまった。彫りの深い外国の方で、背が高い男性だった。

 

(いや、いやいやいや!私何しようとしたの!?痴女!痴女なの!?)

 

道に迷いながらもなんとかギリギリの時間で会社に着いた。けれどその後も、仕事の内容を忘れていたり、朝食を抜いたことを忘れていて強烈な空腹に死にそうになったり、同僚の名前が出てこなくて名札を何度も見たりしている私を見かねたらしく、上司から病院に行ってこいとまで言われてしまった。あれ?うちの会社ってこんなホワイトだっけ?いつも殴る蹴るの暴行と言う名の訓練があって骨とかしょっちゅう折られていた気が……?

 

「あんた、大丈夫?ってかそんな会社普通にありえないから。さっさと病院行ってきな?もしかしたら何かヤバい頭の病気なのかもだし。あー、ほら…若年性アルツハイマーとか」

 

うんうん、と頷く同僚たちと上司に促されて、午後から休みをもらって首をひねりながら家に帰った。保険証を家に置いてきていると気付いたからだ。もしかして本当に病気なんだろうか。寝ている間に頭でも打ったのか?でもどこにもタンコブとかないんたけどな…痛むところもないし。私、本当にどうしちゃったんだろう。ため息を吐いて家に帰り、保険証はどこだったかなとあちこちを探しているうちに、ふと本棚が目に付いた。

 

「……ああ、この漫画…懐かしいなぁ」

 

主人公が海賊王目指すやつ。少年漫画らしく努力友情勝利な漫画で、50巻を越えてからどハマりしたから全巻揃えるのが大変だった…。

 

(あれ?懐かしい?)

 

まだ連載は続いているのに、最新刊まで買ってるのに、生まれ変わるまで何度か読み返していたはずなのに。

 

「うまれ、かわる…まで……」

 

キリキリと胃のあたりが痛くなった。けれどそれを無視して、漫画を手にとってみた。海賊船の絵が出てくると、スループ型帆船だとか、ガレオン船だとか、キャラベルだ、なんてぽこぽこと湧き出るように船の種類が分かった。悪魔の実の能力者が出てくると、ああ、ここが弱点なんだよな、でもこの人はこういう戦い方もするから割と隙がなくてやりにくいんだよな、なんて漫画に載っていないことまで考えてしまった。

 

(…なんで?)

 

キリキリ、キリキリと胃が存在を主張する。……違う、胸が、刻まれるように痛んだ。なのに病院のことも忘れて食い入るように漫画を読み直した。そう、脳に、目に、記憶に焼き付けるように。そしていつしか、どうすればこの人を欺けるだろう、どうすればこの人が死なないだろう、そんなことまで考えながら読みふけっていた。夢中になるほど楽しくて大好きだった話なのに、娯楽として他人事みたいに楽しめなくなっていた。

 

「ドゥルシネーアって…なんだっけ」

 

記憶に引っかかっているのに、その単語が漫画に出てこない。スマホで検索して、笑ってしまった。大昔の小説の登場人物だった。ドン・キホーテという架空の騎士になった男が、ある女性を架空の貴婦人に仕立てて、彼女の素晴らしさを世に伝える旅をするらしい。その架空の貴婦人の名前が、ドゥルシネーア…ドゥルシネーア・デル・トボーソ。その正体はアルドンサ・ロレンソという、宿屋の下働きをする、ただの田舎娘。

 

「よくもまぁ、こんな名前を付けたものだわ…」

 

架空の貴婦人だなんて、まさにその通りすぎて笑ってしまう。ドゥルシネーアの正体は、平和な日本で平凡に生きる、ただの会社員なのに。そう、私の名前はーーー。

 

 

 

ぐわん、と頭が揺れた。いや、船全体が大きく揺れたのだろう。目を開けたら見慣れた船室の天井が見えたから。

 

(ああ…やっぱりこっちが現実か…)

 

漫画のコマ一つ一つを鮮明に思い出せる。けれど、こっちの世界が私の現実になっていた。確かめるのは簡単なことだった。だって、泣きながら架空の貴婦人の名前を必死になって私に呼びかけてくる、ドジっ子な兄に抱きしめられていたのだから。

 



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32.揃った家族

夢かな、と思った。けれど体に伝わる嗚咽の震えも、名前を呼ぶ声も本当にくっきりとしていて、やっぱり夢じゃないのかと分かった。夢じゃない、けど、じゃあなんでここにロシナンテがいるの?フェイスペイントも黒いモフモフコートも趣味の悪いハート柄のシャツもタバコの匂いも、全部原作通りのロシナンテだ。間違えようもない。だって、子どもの頃から目元も髪の質感も泣き虫も変わってないんだから。

 

「ル"…ル"ジー………っ!?」

 

おいおい、ナギナギの実の能力はどうした。私の名前に濁点を付けて涙と鼻水をだらだら垂らして全力で泣きじゃくるロシナンテを、ひどく動かし辛い腕で抱きしめ返した。

 

「…………に、うぇ…?」

 

「…っ!!!」

 

驚くほど喉がカサカサしている。普通に声を出したつもりが、掠れてただ聞こえ辛い雑音のようだった。それでもしっかりと反応したロシナンテが、私を見下ろして信じられないとばかりに目を丸くしていた。

 

「ぁに、うえ……ロシー?」

 

「っ!……!!!」

 

ぼろんぼろんと大粒の涙を降らせながら、ロシナンテが肩に顔を埋めてきた。

 

「なか、ないで、ロシー…」

 

私は私の天使の涙に弱いんだから。

 

「おれたちの最愛のルシーが目覚めた!そして今夜からはロシナンテが正式に2代目コラソンに就任した!こんなに喜ばしい日はない!!!さあ!お前らも盛大に賑わえ!」

 

広いテーブルに所狭しと食べ物を並べて、ワイングラスを掲げたドフラミンゴが無礼講を宣言した。そうでなくても無礼講じみた食卓風景だというのに、そんなこと言ったらとんでもないことになりそうだ。もみくちゃにされそうな予感を察知したので、早々にドフラミンゴのそばに避難した。ただでさえみんなから頭やら肩やら背中やら手やらあちこちを撫で回してよかったよかったと半泣きで言われているっていうのに、下手するとセクハラされそうだ。誰にとは言わないけど。それに、今は家族よりもロシナンテと話したかった。ああ、ロシナンテだ!コラさんだ!本物だ!生きてる!熱々の肉を頬張って火傷したのか一人で暴れている。ちゃんとドジっ子も健在だ!

 

「やっと家族が揃ったねぇ」

 

感慨深くて涙が出そうになった。私が目覚めた途端、声を出さなくなったけれど、ロシナンテが原作通りに能力を得ていると分かったし。

 

「ロシー兄上はちょっと前に帰ってきたんだって?」

 

「あァ。2日ほど前か…ルシーを医者に診せた後にコイツから声をかけてきたんだ。なあ、コラソン」

 

「………」

 

ドフラミンゴの言葉に、ロシナンテはこっくりと頷いた。弟が話せないことをドフラミンゴは不思議に思わなかったんだろうか。…いや、確か子どもの頃に…ロシナンテがドフラミンゴの元から逃げようとした時には、もうすでに自分からドフラミンゴに話しかけることはなくなっていた。きっともうその時には弟が喋れなくなっていたんだとでも思っているんだろう。

 

「そういやお前、今までどこにいたんだ?このおれが探しても手がかり一つねェとはなァ…。随分心配したんだぜ?」

 

「………」

 

「きっと違う海にいたんだよ。あの島は人攫いが多かったんだし。ね?ロシー兄上」

 

「……、…」

 

ロシナンテに驚いたような目で見られた。なんでお前がそんなことを言って庇ってくるんだ、とでも言いたいのだろうか。大丈夫、私がドフラミンゴにわざわざ本当のことを言う理由なんてないでしょ、と伝えるようににっこり笑い返した。目をそらされた。おい、なんでだ。おめーのカーチャンそっくりな可愛い妹の笑顔が直視できないってのか。

 

「フッフッフ!別にどこにいようが構わねェさ!五体満足でお前が帰ってきた、それだけでいい!…おっと、ルシー…勝手に降りちまったら危ねェだろ?」

 

「いやいや、さすがにもうこの歳で兄の膝の上だなんて恥ずかしいんだってば…。ロシーも帰ってきたってのに」

 

「そうつれねェこと言うなよ。なァ?ロシー」

 

「………」

 

ロシナンテは食べ物が喉に詰まったのか胸を叩いて必死になっていた。聞けよ。昔よりはるかに酷くなったドジっ子にドフラミンゴは呆れたように笑っていた。どうやら長年探し続けていた弟が五体満足で帰ってきたことに心底ご機嫌らしい。

 

「そういや、よくコイツがロシーだと分かったな。身なりも顔も変わってただろう?」

 

逃げ出そうとした私を、胸の傷に気を使うそぶりをしつつ膝の上に戻して、ドフラミンゴは私に尋ねてきた。だって原作を知ってるし、とはさすがに言えず、何て返すべきかと悩んで、そういえば泣き顔でも懐かしく感じたなと号泣するロシナンテの顔を思い出した。

 

「えっと、目が覚めた時のロシーの顔がね…泣いてたし」

 

「…!!!」

 

「私の記憶の中のロシー兄上は、いつも泣き顔だもの。懐かしくなっちゃって」

 

「………」

 

「フッフッフ!!!確かになァ…!」

 

そんな話を聞いていた幹部3人も、そういえばガキの頃も泣いてたなあ、と笑った。からかわれて恥ずかしかったのか、ロシナンテが席を立ってどこかへ行ってしまった。たぶん、部屋に戻ったんだろう。…悪人をしている私たちと同じ空気すら吸いたくない、とまでは思われてないといいんだけど。

 

「あァ…ルシー、痛くはねェだろうが、しばらくは動くんじゃねェぞ」

 

「え、なんで?」

 

「……肺を切ったからだ」

 

なん…だと…?なんでも銃で撃たれて肺に穴が空いて、縫い合わせることもできなかったから右肺上葉って所をバッサリ切除したらしい。あと、大動脈弓から?右上半身に伸びる動脈の?…えっと、何だっけ………まあ、とりあえず心臓から右腕に向けて伸びる動脈が損傷したとかで、あの時ほんのわずかな時間で血がドバドバ出ていたのはそのせいなのだとか。よく分からん。…訓練でラオGに人体構造について習ったはいいけど、あんまり頭に入ってなかったみたいだ。

 

(本当に不出来な元生徒でごめんよ、ラオG…)

 

で、私が怪我をしたことでドフィに新たな能力が獲得されました。傷口を糸で補修する、修復作業らしいです。…マジか…このタイミングで獲得するのか…。でも咄嗟のことだし能力自体が未熟だから応急処置程度しかできなくて、近くの島の医者に診てもらった時には肺の方はダメになっていたと。で、完全に治ると思っていたら私の肺を切除されちゃったということで、腹いせに医者もろとも街を破壊してやったと。…無茶苦茶すぎる。その医者だってやれることをちゃんとやってくれたのだろうに。で、その破壊行為の最中に、同じ島にいたロシナンテがドフラミンゴを見つけてわざわざ会いに来たと。

 

(……きっと、ドフラミンゴと接触するタイミングを狙っていたんだろうな。ロシー…帰ってきたんだ…スパイとして)

 

原作の過去編が、始まろうとしている。ロシナンテが死んでしまう未来が、近付いている。じくり、と胸が痛んだ。ドフラミンゴをルフィに倒させるなら、ドレスローザ編まで進まなくてはならない。だとしたら、ロシナンテを救うことは……いや、大魔王を倒すよりも目の前の天使を救う方が最優先だ。でも、そんなことが私にできるのだろうか。死ぬ予定の人を助けようとしたのに、どうあがいてもできなかった、この私に。

 



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33.次兄の仕事

コラソンの部下は原作76巻登場人物欄で古参なのに軍の下部に描かれているあの2人にしています(コラソン軍解体後に他軍に入った設定と仮定して)



ロシナンテ…2代目コラソンは大役に似合う仕事ができるようにするためか、仕事やファミリーの内情を覚えようと積極的に頑張っていた。部下にあたるジョーラやマッハ・バイスから、仕切っている街からどう取り立てをするのか、奴隷をどう買い取り、どう売り捌くのか、なども。

 

(熱心なのは妨害するためなんだろうなぁ…)

 

特に人身売買を。取り立てでは大したヘマをしないくせに奴隷の扱いとなるとすぐヘマをして逃しちまう、と奴隷担当のディアマンテが呆れていたから。おそらく、武器の密売やら違法薬物の取引やらになっても、同じように盛大にヘマをしでかすだろう。もちろん…わざと。ドフラミンゴの弟で、ドジっ子と周知されているから全て許されているけれど、これが下っ端ならば即座に血祭りにあげられているはずだ。予想だが、取り立てであまり失敗しないのは、悪党から金をせしめ取ることには罪悪感が薄いからだ。

 

「海兵かぁ…」

 

ロシナンテが中佐にまでのし上がるには、どれだけ努力したんだろう。ドフラミンゴまでとはいかずとも、私と違って才能はあっただろうから、覇気でドジをカバーして戦ったりしていたんだろう。きっと、とても強く、なったんだろう。ドフラミンゴと同じように。ーーーひ弱な私が守ったりしなくてもいいぐらいに。

 

「ルシー、久しぶりに海軍が襲ってきたぜー!べへへ!しかも2隻だ!」

 

「ルシーさん、今日は私が護衛です!」

 

珍しいなと思った。もう北の海では3億目前のドフラミンゴ相手に仕掛けてくる海軍なんていないと思っていたのに。しかもたった2隻で?もしかしなくてもロシナンテが通告したんだろう。あのドジっ子…もうちょっと家族の懐に入り込んで怪しまれないようにしてから、とか考えないのか。ベビー5が寄ってきたので、手を繋いでよろしくねと笑いかけた。…笑顔が引きってないといいんだけど。

 

「……また海楼石が手に入るね。バイスに沈めないように言った?」

 

「そりゃもちろんだ。お前はさっさと船の中に戻ってろよー」

 

「ルシーさん、早く早く!」

 

「はいはい」

 

海軍の船は潰したところで金銀財宝などの旨味はないけれど、船の底にある海楼石はいくらあっても足りないから、みんなこぞって狩りに行く。海楼石は船底に敷き詰めるのはもちろん、銃弾にしたり、手錠にしたりしても活用できる。もちろん、高値で売りつけることだって。自室に戻る前に船を確認したら、遠目に『鶴』の字が見えた。おっと…さっそくつる中将に派遣要請をしたのか。今まで将校クラスがが挑んできたことはあるけど、さすがに中将相手は初めてのはず。

 

(ロシナンテは…)

 

ちら、と戦いの準備をしている仲間たちに視線をやると、その中で大砲の弾を足の上に落として盛大に悶えているロシナンテがいた。ディアマンテとバッファローがそれを指差して笑い転げている。ああ、海軍のレベルがいつもと同じだと油断してるなぁ。ロシナンテも油断を誘っているんだろうけどなぁ。

 

「ルシーさん?」

 

「ああ、ごめんごめん。行こうか。…ねえ、ベビちゃん。大人になって、もし海賊じゃなくなったら…何になりたい?」

 

「えっ?えーっと、えーっと…若様やルシーさんの役に立つ人になりたいわ!」

 

「うーん…まだだめかぁ」

 

お花屋さんになりたいとか、お嫁さんになりたいとか、そういう夢があればいいのに。いっそ武器商人になりたいとかでもいいのに。

 

「ルシーさんは何になりたいんですか?」

 

子どもは無邪気だ。相手がとっくに大人になってても、これからもっと違うものになれる可能性があるのだと信じて疑わないのだから。キラキラした目で見つめられるのがむず痒くて、苦笑しながら、そうだなぁ、と考えた。

 

「……社会人、かな」

 

大砲の撃ち合いが始まったのをバックサウンドに、それは何ですか?と手を繋ぎながらベビー5が尋ねてきた。今の私と違う人になりたいってことだよ。

 



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34.理想の男性とは

「ルシーさんはどんな人と結婚したいんですか?」

 

「へ?ケッコン?」

 

「若様みたいな人?コラさんみたいな?」

 

「躊躇いもなく兄の名前を出すあたりベビちゃんってすごいなって思うわ…。うーん…えー?結婚でしょ?普通に普通の結婚?」

 

「?」

 

「たぶんねぇ、私、ドフィの道具として結婚させられる可能性が高いのよ。うちより強い相手と対等の同盟結びたい時とかで。だから別にあんま期待を持っても辛いというか…」

 

「あっ……」

 

悪いことを聞いてしまった、とばかりにうろたえたベビー5を見ていると、じわりと罪悪感が胸に滲んだ。きっとこの子は裏も何もなく、純粋に私と恋バナをしようとしていただろうから。そうだなぁ、とワンピースの世界のメンズを思い浮かべた。好きなキャラ…ダンナにしたいくらい好きなキャラ……あ、いたわ。

 

「………せっかく結婚するなら、カッコイイ人がいいな。見た目はその辺の樽みたいなのでもいいから、裏切り者とかでもいいから、何が何でも絶対に私の味方になってくれるカッコイイ人がいい。嫁の家族を敵に回しても、嫁の一番の味方になってくれるひとがいい」

 

具体的に言うと、カポネ・ベッジさんな。あの人見た目はアレだけど、めちゃくちゃカッコイイじゃない?部下から慕われ、家族と部下を大切にし、営業上手で隙があれば下克上するしたたかさがある。綺麗好きだし食事作法も綺麗だし、センスもよさそう。決して美女というわけではないシフォンさんと政略結婚したはずなのにめちゃくちゃ愛妻家で、嫁のワガママにギリギリのギリギリまで付き合うし、いざって時は嫁を抱っこして一目散に逃げるし、嫁のために命まで張ってた。何より我が子をめちゃくちゃ溺愛している。あの人、旦那にするには最高だと思うんだけど。独身時代は母親から散々な目に合わされてたシフォンさんだけど、結婚してからはベッジさんと一緒に世界一の幸せ者になったと思う。未だ実兄にべったりされてる身としては、心底羨ましい。

 

「じゃあ、じゃあ……ダメだわ、コラさんでもコラさん…ヴェルゴさんでもないのね。みんなルシーさんの味方だけど、若様の味方だもの。グラディウスなんて特にダメね」

 

「よくご存知で」

 

「若様を敵にする人なんて、いるかしら…」

 

「…まあ、いないわね。だから、結婚相手は別に誰でもいいのよ」

 

ベッジさんと真反対の男とか嫌だけど。そんな男はさすがにドフィも好かないだろうし、結婚相手に選ばないよう考慮してくれるはずだ。そういった面ではドフラミンゴのことを信用できる。

 

「いーい?ベビちゃん。ベビちゃんはイイ男を探して結婚するのよ?具体的に言うと、顔がどんなゴリラでも、口調が乱雑でも、家族と喧嘩してても、婚約者がいても、ベビちゃんのことを大切にしてくれるような人!ベビちゃんの命を守るために体を張って、ベビちゃんと結婚するために婚約者を捨て去ることのできる人!」

 

「る、ルシーさん落ち着いて…」

 

「だから、絶対!絶対に!ベビちゃんにお金を要求したり、何か買わせようとしたり、便利とか言ったり、道具扱いしたり!ベビちゃんの大切なものを傷つけるような男は!絶・対・に!選んじゃダメだからね!」

 

「わ、分かったわ…?」

 

首傾げながら曖昧に頷かれた。この子まだ全然分かってないな!?

 



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35.優しい人と身勝手な人たち

今日こそ言うぞ、と大きく深呼吸した。今日こそ、今日こそと思い続けて長く経ってしまったけれど、今日こそは本当に言うんだ、と腹を決めた。ドフラミンゴからの独立を宣言する、それだけのことなのに、めちゃくちゃ緊張してしまう。今まで露骨に、面と向かってドフラミンゴに言ったことがなかったから。これが裏切りとカウントされなければ殺されないし、裏切りとカウントされれば殺される。それだけの話なんだけど。痛覚がなくてよかった。きっと殺される時は痛いだろうからなぁ。ごくんと生唾を飲み込んで、意を決してドフラミンゴの自室の扉をノックした。

 

「…兄上、ちょっといい?」

 

「ああ、入れ。何かあったか?」

 

部屋にはドフラミンゴの他にロシナンテもいた。そのことにホッとする。いざって時は守ってね、お兄ちゃん。戸を閉めてドフラミンゴと対面する位置に立って、気合いを入れて口を開いた。

 

「ドフィ兄上、私、独立したい」

 

「………あァ?」

 

いつものニヤニヤした口元が、ギュンッと逆向きになった。完全なる不機嫌顔だ。あ、やっぱこれ殺されるパターンかも。同じことを思ったのか、視界の端でロシナンテが険しい顔をしていた。

 

「……すまないなァ、ルシー。おれの聞き間違いか?お前が、何だって?」

 

「私は、兄上に食わせてもらうタダ飯食らいの寄生虫を、卒業したい」

 

分かりやすく卑下して言ったら、ドフラミンゴはいつものように笑う余裕すらなかったのか、目頭を指でほぐしながら天井を仰いだ。

 

「…………ハァー………いいか、ルシー。お前が独立する必要はねェし、お前1人独立したところでガキの頃みてェに迫害を受けるのがオチだろう。何よりお前は大切な家族だ。タダ飯食らう寄生虫だなんて思ったことは一度もねェ!」

 

覇気とまではいかないものの、それに近い圧をぶつけられた。思わず引き下がりそうになる足を気合いで留めて、ならばと口を開いた。こんな風に言い返されるなんて、百も承知だ。

 

「それなら私にも仕事をちょうだい。何でもいい。家事だって、売られた人たちの世話だって何だっていい。私はこれからもずっと、一生食わせてもらうだけの役立たずなんて嫌だ!」

 

ドフラミンゴの側から逃げ出すことを拒否されるなら、せめて働かせろと要求した。私は間違ったことは言っていないはずだ。なのに。

 

「ダメだ!お前に任せるような仕事はねェ!」

 

全てが、押し潰されてしまう。拒絶されてしまう。私の存在などあってないようなものだと、そういう意味なのだろうか。…いや、きっとドフラミンゴは本当に、無意識のうちに私を人形扱いしているのだ。お気に入りの人形を、いつまでも手元に置いておこうとしているんだ。その人形に意思があることも、ひとりの人間であることにも、理解できないままに。そう気付くと、頭の中がカッと熱くなった。冗談じゃない…ふざけるな!私にだって自分の人生を生きる権利はあるのに!罵倒が口から飛び出てきそうになったが、その直前に頭のなかにポンとベッジさんの顔が出てきた。そうだ、この間ベビー5と話したじゃないか!

 

「じゃあ…じゃあ!結婚する!結婚して、ここから出て行く!どうせ兄上だって私の活用方法を考えてるんでしょ?どこかと同盟を組む時の道具になるようにって!」

 

「ルシー!!!」

 

とうとうドフラミンゴが席から立ち上がって怒鳴ってきた。一瞬怒りで我を失ったのか、覇王色の覇気をぶつけられてビリリと体が震え、意識が吹き飛びそうになった。けれど私が泡を吐いて失神する前に、視界いっぱいに、真っ黒のモフモフが現れた。

 

「…退け、コラソン」

 

自分が妹を攻撃しようとしたことに気付いたのか、覇王色の覇気がフッと消えて、いささか冷静になったドフラミンゴの声が聞こえた。ロシナンテは無言のまま、後ろ手で私の手を握りしめてきた。ドフラミンゴの命令を無視して、私の盾になるようにドフラミンゴの視線から自分の体で私を隠してくれた。大きな手のひらに、私の手なんてすっぽりと包み込まれてしまう。温感も触覚もないのに、記憶の中にある温かさと包み込まれる感触が、脳裏に再生された。この手の優しさに、涙が出そうになった。

 

「ハァ……。ルシー、お前を同盟の道具に使う気なんざねェ。そもそもお前を結婚させることもない。お前はおれの大事な妹だからだ。それは、分かるな?」

 

「………うん」

 

「お前が結婚を望むなら、相手はおれが選ぶ。お前に相応しい人材、人格、血筋、権力…それらを加味した上で、良さそうな男をお前に選ばせてやる」

 

「………そんなの、なくたって、いいじゃない」

 

ロシナンテの手を握りしめて、もう片方の手で目の前のコートにしがみついた。久しぶりに、目の前がくるりと回りかけた。ドフラミンゴの言葉があまりにも独善的で強烈で、倒れそうだった。

 

「フッフッフ……お前は『おれ』の妹だからだなァ…!」

 

「っ…!!!」

 

「……話は終いだ。そろそろ次の商談の時間だ。コラソン、片付けておいてくれ」

 

この話題は終わったと言わんばかりに、ドフラミンゴはいつも通りに部屋を出て行った。姿が見えなくなって緊張が解けたのか、私は立っていられなくて床に座り込んでしまった。…圧倒された。ドフラミンゴの、歪みきった思想を、思い知らされた気がした。ドフラミンゴがどれほど自分自身に付加価値を見出しているのか、私自身に何を求めているのか、そのことを否応無しに無理矢理脳内にねじ込まれたようにすら感じた。ぶるり、と体が震える。怖い…怖い、怖い!!!

 

「………」

 

スッと目の前にロシナンテがしゃがみ込んだ。しゃがんでなお大きなロシナンテは、口を開いて何かを伝えようとして、けれど音が出ていないと途中で気付いたとばかりに真面目な顔をしたり、慌てたり、不思議な行動をした。そして涙をぼろぼろ零しながら見上げる私の顔を大きな両手で左右から挟み込んで、じいっと目を覗き込んだ。漫画でローにここから出て行けと行った時のように、真剣な顔で、何度も同じ単語を繰り返し訴えてきた。『大丈夫』、『大丈夫だ』…と。何の根拠もない、気休めだ。けれど、聞こえずともその言葉は今の私に効果抜群で、まるで特効薬のように効いた。マイナスにまで落ち込んだ心が、ゼロに戻されたようだった。

 

(たすけて…)

 

ずっとずっと、助けてほしかった。ずっと誰かに守ってもらいたかった。私が守るのではなく、私を守って欲しかった。子どもの頃から、いや、理不尽なこの世界に生まれた時から、ずっと。私の『心』を守ってくれる人が欲しかった。

 

「…ロシー……たすけて…」

 

涙腺が崩壊したみたいに涙が止まらない。目の前のロシナンテに縋り付いて、私は声を上げて泣いた。ロシナンテは大きな体ですっぽりと包み込むようにして私を抱きしめて、トン、トン、とゆっくりとしたリズムで慰めるように背中を叩いてくれた。全て知っている私が、殺されるであろうロシナンテを守らなければならないのに。こんな私がロシナンテに守ってほしいと縋り付くなんて、本末転倒だ。結局私はどこまで行ったって、自分のことしか考えられてないのだろう。…優しいロシナンテに甘えて、犠牲にさせるようにして。

 

(…優しい人は、勝手な人に頼られて、振り回されて、可哀想だって。本当に、その通りだ…)

 

そう言っていた登場人物がいた。あれは一体何の本だっただろうか。



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36.忍び寄る世界の闇

 

あれからドフラミンゴは私が言ったことなんてまるでなかったかのように振る舞った。…いや、少しは気にしているのか、家族ではなく自分の目の届く所に私を置こうとした。お前は粘着質なストーカーかヤンデレ彼氏なのか、というツッコミ待ちなんだろうか。めんどくさすぎるし鬱陶しいので、ロシナンテがいる時は避難するようにずっとくっついていた。ロシナンテも私がいると鬱陶しいはずなのに邪険にせず、頭を撫でたり、お菓子をくれたりと気を使ってくれた。やりたいことも多いだろうに…ごめんよ、我が心の天使…。代わりといっては何だが、転びそうになったり熱々の紅茶をすぐ飲もうとしたら、ドジをする前に止めてあげた。

 

「……ルシー、こっちに来い」

 

最近私が近付こうとしないことにちょっとは傷付いているのか、ドフラミンゴは私に呼びかけることが倍増した。いや、もしかしたら3倍増かも。

 

「嫌。ロシー兄上とイチャイチャするんだから、ドフィ兄上は邪魔しないで」

 

「………」

 

ムッとした顔をしたけど、私がまだ怒っているなら気が変わるまで放っておこうとでも考えているのだろう。諦めたようにため息を吐いて書類に手を伸ばしていた。ざまーみろ!傷付け!そしてその傷が元でくたばれ!…アニメの海星ちゃん可愛かったなぁ。あの子もバカ兄貴に苦労する妹キャラだったっけ。イライラがおさまらなくて、ふん、と鼻息荒くロシナンテのモフモフに抱きついた。うーん、タバコ臭い!そんな兄と妹に挟まれて困っているのか、ロシナンテは目に見えて狼狽はしないもののどうしたらいいか分からないと眉を八の字にしていた。間っ子って大変だ。

 

「……ルシー、気晴らしに街にでも行ったらどうだ?」

 

第三者に声をかけられてビックリした。あ、みんないたの?タバコを口の端に咥えつつ、セニョールが提案してきた。さすがはハードボイルド、機嫌を損ねた女に正面から対応しようとするのは逆効果だと分かっているってか。でもたしかにヴェルゴがファミリーを出てからは、なんだか買い物だ何だと外に出る機会が減った。ドフラミンゴが外に行くことを快く許可してくれなかったので面倒だったのもあるけど。…ってことはこいつのせいか!そう思うと、大して買いたい物もないのに、街に出かけたくなった。

 

「行く」

 

巨体のバイスとバッファローに挟まれて、華やかな街に着いた。どうやら裏のありそうなお店が多いらしい。歓楽街なんて前世でもなかなか行く機会がなかったし、今世では初めてだ。

 

「あっ!アイスだすやーん!!!」

 

「ちょ、バッファロー!?」

 

歓楽街に不似合いだけど妙に流行ってるアイス屋を目ざとく見つけ、バッファローが速攻で駆けて行った。まだまだ子どもだなぁ。…そういや原作でもアイスを食べてる描写が多かったっけ。私の護衛を言い渡された時にお小遣いをもらっていたから、早速使う気なんだろう。

 

「アイツもまだまだガキだイーン」

 

「だねぇ…」

 

呆れたように笑うバイスに同意した。しかし、歓楽街か…買い物も何もできないんじゃないだろうか。煌びやかな店の合間にたまに見るのは、夜の女の人や男の人たち向けの服屋、宝石屋、花屋、バーぐらいなものだ。列に並んでウキウキしているバッファローは放置して、バイスと一緒に服屋の前を通った。ショーウィンドウ越しに売っていた服は、やはりというか当然というか、露出の高い高価でエレガントなデザインの夜のお店向けのものだけ。服の露出が高いと火傷や手術、訓練での骨折の治療などでズタボロになった体が露呈するから着られない。どうせみんな気にしないだろうけど、私が気になるのだ。

 

「…花……」

 

服屋に隣接する小さな花屋には、色鮮やかな花が所狭しと売っていた。きっと男性たちが目当ての女性にプレゼントするんだろう。以前ベビー5が赤いバラをくれたことがあったな、と思い出して、お返しに花をあげようと思い立った。

 

「ねえバイス、ちょっと花を………ってオイ」

 

鼻の下を伸ばして綺麗なお姉さんたちをぼうっと見ていた。バイス、お前もか!護衛はどうした。

 

「ハッ!…あまりにタイプの女がいてな…すまなイーン」

 

「いや、どうせこんな昼間からヤバイ人とかいないだろうし、別にいいけどさぁ…」

 

悪いなァ、と笑いながらも浮ついた感じで通り過ぎる美女たちを眺めている。せやな、ヒョロヒョロの小娘の護衛なんかより道行くお姉さんたちの方が見ていて楽しいわな…。アッなんかつらい…。さっさと買って帰ろう、とベビー5の好みそうな花を物色していた時、ふといい香りが間近に漂った。

 

「……あなた、ドゥルシネーアさん?」

 

「へ?あっ、はい…ーーッ!!?」

 

ぐうっ、と息ができなくなって、急激に意識が薄れた。首を絞められたのだとは、とうとう最後まで気付けなかった。

 



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37.世界政府に喧嘩を売った男の妹

原作キャラのクズ化注意。輪姦(未遂)表現注意
R15程度の表現があります



太い木の枝をへし折ったような音が聞こえた。体が揺れたような気がした。ちょっと呼吸しづらくなった気がした。何か大きな音が耳元で聞こえた気がして、もしかしてまた海軍からの襲撃?と欠伸をしながら目を開けた。いつものようにドフラミンゴのニヤニヤした顔が視界いっぱいにあるのかと思いきや、暗い部屋に何本もの人の足が見えて驚いた。

 

「……あなた、凄いわ。これだけ痛めつけたのに欠伸をしている人なんて私初めて」

 

軽やかな声が驚嘆を含んで聞こえた。コレって子どもの夢だろうか、と暗闇に慣れない目を何度か瞬かせていると、再び体に振動が加わった。え、地震?でも地震にしては一瞬だったぞ?

 

「あれ?地震じゃない?」

 

「…もしかしてあなた……脳の障害でもあるの?ドンキホーテ海賊団は能力者揃いだって聞いてたからわざわざ海楼石で繋いだのに」

 

暗さに慣れてきた目で見上げると、そこには綺麗な服を着た綺麗な女性が不思議そうな顔をして見下ろしてきていた。

 

(……歓楽街の女王、CP0のステューシーさん?なんでここに?)

 

髪型は違うけれど、漫画に出ていたままの美しさだった。ってことは海軍に捕まったのか。ん?いや、海軍じゃなくて政府にかな?ああ、でも綺麗だなぁ。

 

「あなたには聞きたいことがたくさんあったんだけど、痛みを感じないなんて…どうしようかしら。……ねえ、今は何を考えているの?」

 

「綺麗な人だなぁ、って思ってました。いいなぁ」

 

「あら、ありがとう。……そう、危機感もないのね。ハズレを引いちゃったかしら」

 

残念だと言わんばかりにステューシーさんはため息を吐いた。頬に手を添える仕草や眉をちょっとひそめる仕草など、そのちょっとした優雅な仕草にまでクラクラしてしまう。廃棄された倉庫らしき場所なのに、それすら彼女の美しさを引き立てる小道具のようだった。そして隣や後ろに立つのは、仮面を被った奇妙な男たちと、やや小柄な少年だった。こんな所に子ども?と不思議に思ってよくよく顔を見ると……獣人型に変身したロブ・ルッチだった。うわー!生だ!本物だ!カッコイイ!

 

「ねえ、ドゥルシネーアさん」

 

「何ですか?」

 

「あなた、アレを見たことがある?」

 

「といいますと?」

 

はぐらかすわけでもなく純粋に質問の意図が分からなくて首を傾げると、素直に言う気がないように見えたのかルッチ(小)に首根っこを床に押し付けられた。胸が潰れて肺が圧迫らせたらしく、ぐう、と潰れた声が出てきた。

 

「とぼけるな!」

 

「いやいや本当に…アレって言われる物の意味が分からなくって。もうちょいヒントください」

 

「マリージョアの国宝のこと」

 

「ああ、そっちですか」

 

「そう…やっぱり知っているのね」

 

ステューシーさんの声がワントーン下がった。あっ、違う違う!なるほどその話ですか、って意味で頷いたんであって!いや、でも何なのかもう原作で出たから知ってるっちゃ知ってるんだけども!?くっそう、知らないとは言い切れない…!

 

「そっちのこと、ってことは、他にも何か色々知ってそうね?」

 

「さっさと吐け…!」

 

「えー?いやー、ほら、政府って色々隠し事多いですし?噂とかならみんな知ってるでしょうし?私だけが知ってる隠し事があるとか、そんなそんな…」

 

恐れ多いです、と謙遜したのにルッチに腕を踏みつけられた。あっ、ボキッていった。あーあ、骨が折れちゃったか。久しぶりだなぁ。

 

「……痛みに屈しないなんて、どうしようかしら…。………ああ、そうだわ。ドゥルシネーアさん、あなた、処女?」

 

「へ?」

 

「いえ、答えなくてもいいわ。そうよね、ドフラミンゴが妹をいつまでも大事に大切に手元に置いているんですもの。きっと男性経験はないのでしょう?」

 

嫌な感じだ。とてつもなく、嫌な流れだ。おいおい…少年誌でそういうのってアウトでしょ?ねえ…!?

 

「あなたが素直にお喋りしたくなるのは、何人目からかしら。楽しみだわ。…ねえ、ルッチくん?」

 

「……契約外だ。おれは関係ないだろ」

 

「あら。元天竜人で病気もない綺麗な処女よ?こんなことができるなんて、きっと人類初だわ。最初はとても頑張ってくれているあなたにさせてあげたいのよ。あなた、筆下ろしもまだでしょう?」

 

「……チッ!」

 

「それじゃあ、素直にお喋りしたくなったら呼んでちょうだい。あなたたちも壊さない程度になら楽しんでいいわよ」

 

……えっ、マジで?ちょちょちょ、待つでござる待つでござるルッチ氏待つでござる!?ちょ、アンタ童貞ならもっと初恋の相手とかとヤッてこいよ!別にこれ、ルッチ夢とかじゃねーから!お互い後々のトラウマになるから!アッ待って待って服破かないで!アッーーー!!!レイプ漫画にありがちな感じでビリビリとワンピースもタイツも破かれて、ごろん、と仰向けに転がされた。下着と破いた服引っ掛けてるだけとか!私そんなエロ趣味で興奮しておっ勃てるルッチ氏見たくないでござる!!!

 

「っ……!」

 

馬乗りになっていたルッチが目を丸くしてわずかに身を引いた。立ち去ろうとしていたステューシーさんが何か起きたのかと、ハイヒールをゆっくり鳴らしながら近寄ってきて、私を見下ろして目を丸くして言った。

 

「ーーーあなた、あのドフラミンゴの妹でしょう…?どうやったらそんな体になれるの?」

 

「へぁ?どうやったらっていうと?」

 

ステューシーさんの細い指が、体の上を一つ一つ指差した。

 

「太い動脈の真上に銃痕…胸郭に大きな手術痕…肋骨を何度も骨折した跡…腕も何度も骨折を繰り返しているのね……それに、足の火傷跡…これは、昔のものかしら。体の5分の1は皮膚が死んでいるわね」

 

「子どもの頃に火炙りにされたり、暴行されたりしてたんで。この間も肺切除とかしたらしいですし。あはは」

 

あとは訓練で、と言う前に、ステューシーさんとルッチがギュッと眉根を寄せて奇妙な表情を向けてきた。

 

「あっ、それから私、触覚死んでるんで。不感症なんで。輪姦されても素直にお喋りしたくなりませんから、悪しからず」

 

だからレイプとか意味ないよ、とアピールしてみたら、ステューシーさんにとうとう頭が痛いと言いたげに大きなため息を吐かれてしまった。ああ、美人は苦悩する姿も綺麗だなんて羨ましい。

 

「今は自白剤も手元にないし…ドフラミンゴを強請るにもこっちの戦力が整っていないし………タイミング、間違っちゃったかしら」

 

「おい、どうするんだ」

 

「……とりあえず、物は試しだし一巡くらいはしておきましょ。そこで吐けばいいし、吐かないなら……半殺しぐらいにして世界政府に連れて行きましょうか」

 

一巡…?おいおいおい…マジで?輪姦続行?ショタと言ってもおかしくない年齢の子とか仮面被った何処かの誰かさんたちに馬乗りになられて腰振られんの?ちょ、やめてやめて!トラウマ確定だから!同じ女の方が女の嫌がることが分かるとはよく言ったものだ。ステューシーさんがくるりと背を向けて出て行こうとした。その時だ。

 

「ルシー…っ!!!」

 

「くっ…!」

 

「きゃあっ!」

 

ボゴッ、と床が大きく弛んだ。ああ、このソプラノボイス…ピーカだ。我が心の家族よ!私の上から動物らしく瞬時に飛び退いたルッチやステューシーさん、仮面の男たちがすぐさま視界から消えた。全方位から石の匂いがして、ピーカの能力で包まれたのだとはすぐに気付いた。

 

「ルシーさんっ!!!」

 

「ルシー!!!」

 

「っ…ここにいるよ!」

 

どうやらピーカ軍が探し当ててくれたらしい。ベビー5の声やグラディウスの声も聞こえた。意識はあるし無事だと返すと、それを聞いた彼らが各々の能力を駆使して攻撃に転じたのが分かった。

 

「貴様ら…っ!うちに楯突くとはいい度胸だな!!!」

 

「ルシーさんに酷いことしたのね!?許さないっ!」

 

「っ……分が悪いわね。ここは手を引きましょう」

 

「逃すと思うのか…!?」

 

「ええ。逃げさせてもらうわ!」

 

攻撃を受けているはずなのに、ステューシーさんの平然とした声が撤退を指示した。地鳴りのような音が聞こえたから、ピーカが周囲を覆って逃げられないようにしたのだろうが、ルッチの声と爆音が聞こえたからきっと突破されてしまったのだろう。悔しげに罵声を吐いたり舌打ちをした家族たちが、深追いは危険だと判断したのか、私の方へと寄ってきた。

 

「ピーカ、ルシーさんに会わせて!」

 

「……ダメだ」

 

「えっ!どうして!?ルシーさんは無事なんでしょ?ねえ、ルシーさんっ!」

 

ベビー5が泣きそうな声で石の壁を叩いてきた。別に会わせてくれてもいいのに、とピーカの奇行を訝しんだけれど、ふと下を見れば自分の素っ裸が目に入ったので納得できた。なるほど、気を使ってくれてるのか。

 

「…ピーカ、どうせこの格好じゃ帰れないし。グラディウスからコートでも借りれたら嬉しいっていうか」

 

「………なら、これを着ておけ」

 

「んぶっ!…ありがとう」

 

石からボコッと服が排出されて、頭の上に落ちてきた。ピーカの上着だと分かったので、大きすぎるんだけどな、と思いつつ羽織ってみた。案の定床を擦るほど長いし、袖も私の手なんて全然出せないくらいに長い。グラディウスの方がまだ着丈が似てるのに、と思いつつピーカが善意で貸してくれたことに感謝した。私が着たことを確認して、ピーカの石の壁がボコボコと崩れていった。

 

「!ルシーさ、ん……!?」

 

パッと喜色を露わにしたベビー5の顔が、ザッと青ざめた。グラスの向こうで目を丸めたグラディウスが、額に青筋を立てて聞くに耐えない罵声を吐いた。

 

「っ…あ、の野郎ども…ッ!!!」

 

「ルシー、さん…ルシーさん…っ!」

 

わあっ、と大粒の涙を零して、ベビー5が抱きついてきた。小さな体を抱きしめ返してあげたかったのに、両腕が折れていたのか、ぶらりと垂れて言うことをきかないから、仕方なく頬ですり寄った。

 

「…お迎えに来てくれてありがとう。ピーカも、グラディウスも、ベビちゃんも…ありがとう。大好きだよ」

 

「わああぁんっ!!!」

 

ベビー5の泣き声が一層大きくなって、私の背を支えてくれるピーカも、目の前で激情を押さえ込んで俯いてしまったグラディウスも、何も返してくれなかった。騒ぎを聞きつけたドフラミンゴたちがやってくるまで、ずっと。

 



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38.四皇との真夜中の接触

 

痛覚が、触覚が、温感があった。そんな私の肋骨を折り、腕を折り、足を折り、多くの男たちが地べたをのたうちまわるのを虫でも見るような目で見下ろしていた。激痛に脂汗を滲ませて泣きわめく私の顔を殴りつけ、怯んだ私の上に馬乗りになった。反応を楽しむように服をわざとゆっくりと破かれてしまった。素肌に何人もの手が這い回って、その体温に、性器を撫で回す感覚に、吐き気がした。そしてーーー。

 

「っ!!!」

 

ひゅ、と喉から細い息が漏れた。全力疾走したかのように、息が荒くなる。夢を見ていたのか、と気付くまでしばらくかかった。知らず知らずのうちに体が震えて、視界がじわりとぼやける。

 

「ルシー?…あァ、嫌な夢でも見たのか」

 

両手が動かない私の代わりに、セニョールが目元を拭ってくれた。家族たちみんなが私を囲むように雑魚寝しているのが、なんだか不思議な光景だった。もしかして気遣ってくれたのだろうか。けれど、そうだとしても、彼らの仕事のせいで、そして私の血筋のせいでこんな目に合ったことは百も承知だ。優しさを与えていればひどい目に合っても許されるなんて、そんなことみんなだって思ってないでしょう?

 

(……全然感覚なんてなくて、しかも未遂だったのに…私、怖かったんだ…)

 

わざわざ夢で続きを体験してしまうほどに、自分ではどうにもできない圧倒的な恐怖に、私は絶望していたのだ。笑えなかった。悔しかった。この世界全部が嫌になるほど。

 

「………海賊なんて、嫌い。世界政府も嫌い。…大嫌い」

 

「……そうか…」

 

他の家族が聞いたら怒ったり悲しんだりしそうな言葉に、セニョールは頷くだけでいてくれた。私の肩にショールを掛けてくれた辺りでロシナンテも目が覚めたのか、寝ている家族たちを踏まないよう慎重に跨いで……うっかりベビー5を蹴り飛ばして起こしつつ、ぐずぐず泣く私の側に来てくれた。

 

「………」

 

「んー…なに?コラさん……あっ、ルシーさん!どうしたの?どこか痛いの?それとも、何か悲しいことがあった…?」

 

ベビー5にもかわいそうなことをしてしまったと思った。彼女は私を慕ってくれているのに、ボロボロになってひどい目にあわされた姿を見せてしまった。きっととてもショックだっただろうに。

 

「……ありがとう、大丈夫よ。私、痛さは感じないから」

 

「でも…でも、体は痛くなくても、ルシーさん、どこか痛いんでしょう?」

 

「っ…!」

 

優しい子だと思った。私の涙腺を刺激するのが上手い子だ。本当に、どうしてこんな子が海賊になんて入ってきたんだろう。ずび、と鼻をすすって、ロシナンテにタオルで顔中をゴシゴシ拭われて、視界がクリアになったところで、ようやく笑って返せるようになった。

 

「…大丈夫!ベビちゃんが可愛いから、元気になれたわ!ほら、もうすっごく元気!」

 

「本当?本当に?私、ルシーさんの役に立てた?」

 

「うん。とっても!」

 

だから大丈夫なのだと笑顔を見せると、ベビー5はようやく安心したようににっこり笑って照れてくれた。まだ夜も深いからもう一眠りするといい、とセニョールが言ってくれたけどトイレに行きたくなったので、ロシナンテとベビー5に介助してもらって一緒にトイレに向かった。原作では色々描写があったが、私の目の前ではロシナンテはベビー5たちをいじめるようなことはしていない。さすがに妹の目の前で可愛がってる子どもを痛めつけるようなことはしないらしい。私を支えているので転ばないよう慎重に歩くロシナンテに、やればできるじゃないかと感心した。

 

(子どもの頃は10歩に1回は転んでたのになあ…)

 

途中、ドフラミンゴの部屋の前を通る時、わずかに開いた扉の隙間からドフラミンゴの声が聞こえてきた。

 

「ーーーおれには一体何のことを言ってんのか分からねェなあ。おれの妹が、何だって?」

 

何か、揉めているようだ。その冷たい言い方に、びくりと足が止まってしまう。…私の話?立ち聞きをする気は無いのに、耳が声を拾ってしまった。ロシナンテも内容が気になるのか、足を止めてしまった。たたらを踏んだベビー5が、どうしたの、と仰いできたので、静かにね、と囁いて返した。

 

『お前には妹がいるんだろう?ドンキホーテ・ドフラミンゴ。元天竜人に相応しい、最っ高の結婚相手が必要だろう?うちの最高傑作を用意してやる。懸賞金の額はお前よりも遥かに上だ。それにうちはお前の妹がキズモノだろうが気にしないさ。こんな美味い話はなかなかないよ?身内同士を結婚させて同盟を結び…そして一緒に世界を手中におさめようじゃないか!!!さあ、どうだい?』

 

「フッフッフ…!!!ビッグマムってェのは随分と笑えねェ冗談を言うようだな…。うちを乗っ取ろうってのか?」

 

『ママママ!欲しいのは傘下じゃなく同盟さ。うちの影響力とあんたたちの交易…一緒に上手くやっていこうってんだよ』

 

「残念だったなァ…うちはもう他の四皇と手を組んでるんだ。力が欲しいなら他を当たれ」

 

『他の四皇だァ?……なるほど、近頃カイドウのやつに武器を売ってんのはお前かい?』

 

「フッフッフ!さあなァ…!だが、欲しいものがあるなら売ってやる。おれは商売はキッチリとする主義なんだ。それとも…潰しにくるか?」

 

『マママママ…!よく言ったもんだね。ああ…残念だよ。お前たちが世界政府をバックにつける前に『仲良く』しておきたかったんだがねェ…。まァ、気が変わったら言っておいで。息子を用意していつまでも待っているからね』

 

(四皇が、ドフラミンゴと接触を持とうとしている…)

 

ドンキホーテ海賊団は、トータルではもう何億と懸賞金のかけられた指折りの海賊団になってしまった。オハラが壊滅し、海賊王が世を大海賊時代にしてしまったのはほんの数年前のこと。世の荒波を実力で乗り切るために、世界政府と関わりのあるドフラミンゴを…正確には、世界政府の闇を知る元天竜人のドフラミンゴを手の内にとビッグマムも考えたのだろう。…あの人は長年CP0のステューシーさんと関係のある人のようだったから、お互いに不利にならない程度で情報交換でもしているのだろう。

 

(……やっぱり、ここにはいられないよ)

 

こんなドロドロした闇の中に居続けるなんて、度胸も実力もなく一般人でしかない私には無理だ。自分が独立したいからでなく、客観的に見て、そう判断した。ロシナンテはドフラミンゴの四皇との繋がりを聞いて顔を真っ青にして、けれど転んだりドジをすることなく私とベビー5を連れてドフラミンゴの部屋の前から立ち去った。暗い顔をする私たちを困惑したように見つめるベビー5の頭を、子ども嫌いのキャラを作っているロシナンテにしては珍しく優しく撫でるというドジをして。

 



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39.どうして喜んでくれないの?

あれからロシナンテの様子が変わった。より感情を押し殺すようになり、表情が乏しくなった。以前はうっかりやっていた口パクすらしなくなった。すっかり有名になってしまったドンキホーテ海賊団に入りたいと希望する人は子どもであろうと露骨に暴力を振るって追い出し始めた。…そう、原作の2代目コラソンらしくなっていった。

 

「きゃあっ!」

 

「ニーン!」

 

そう、私の目の前でベビー5やバッファローに暴力を振るほどに。

 

「ちょ…ロシー兄上!子どもたちに何してんの!」

 

「………」

 

心の天使が突然豹変したのがショックで私が批難の声を上げても、ロシナンテは無言でタバコに火をつけるだけだった。あと自分の肩まで燃やしていた。確かにロシナンテは原作ではそういったキャラを演じていたけれど、今までは私の目の前ではしていなかったから。妹に気遣うよりも子どもたちを一刻も早く出て行かせたいとでも思っているのだろう。しかし、ただでさえ護衛任務を忘れて私が拐われたことの罰を受け、ボロボロになっているバッファローにまで容赦しないだなんて。

 

「……2人とも、おいで。私の部屋で勉強しよう」

 

「えっ、いいんですか!?」

 

「えー?勉強とか嫌だすやん!」

 

気遣ってやってるってのにこいつは本当にもう!!!

 

「いいから!来る!…ベビちゃん、手を繋ごう」

 

「はい、ルシーさん!」

 

バッファローに比べてベビー5の可愛さは天井知らずだ。無限大に可愛い。ロシナンテが何か言いたげに見ているのは分かっていたけれど、あえて無視して自室に立てこもった。

 

「……2人とも、ちゃんと勉強するのよ。そうしたら、海賊じゃなくても生きていける道はたくさん増えるから」

 

まだ懸賞金がつけられていない内に、ここをやめてしまえばいい。おおっぴらに原作打破なんてできない私には、これが限界だった。ロシナンテとはやり方が違うが、ベクトルは同じ。

 

「別にやりたいこととかないだすやん。だから勉強しなくてもいい?」

 

「うーん、そうだなぁ。…アイス屋さんとかはどう?なりたくない?」

 

「アイス!?なりたいだすやんー!」

 

「なら勉強勉強!」

 

「でもアイスならアイス屋から買えばいいだすやん!」

 

「……せやな」

 

子どもだ子どもだと思っていたけれど、もうこんな手には引っかからなくなってきていたのね…。成長したわね、バッファロー…。

 

「ルシーさんが言うからアイス食べたくなっただすやん…」

 

「もう、バッファロー!ルシーさんを困らせないで!」

 

「ベビちゃん…っ!!!」

 

ベビー5が優しすぎて泣ける。でもきゅるりと可愛くお腹が鳴っていたので、ベビー5もきっと空腹なんだろう。恥ずかしそうにしているのを見て見ぬ振りもできなくて、仕方なく私はご要望に応えることにした。

 

「じゃあ、おやつ持ってきてあげる。だから、今のところから2ページは進めておくように!」

 

「えー?2ページもだすやん?」

 

「あら、もっとたくさんやりたい?」

 

「2ページがいいだすやん!」

 

「よろしい」

 

「ルシーさん、私もお手伝いします!」

 

「いいのいいの。ベビちゃんが今しなくちゃいけないのはこっちだからね。いーい?」

 

「…はい」

 

ベビー5はまだ役に立つことに固執している。それが善意でというのが厄介だな、と頭が痛かった。あの性格をなんとかしたいのになぁ。

 

「じゃあな。ちゃんとキッチリ枚数を揃えて取り立ててこいよ、コラソン」

 

「………」

 

ディアマンテがロシナンテを送り出す声が聞こえた。どうやらこれから街まで取り立てに行くらしい。武器の密売や奴隷の売買には不向きだと判断されたらしく、ロシナンテの仕事は彼が唯一失敗しない裏稼業者たちからの取り立て全般になった。危ない連中から取り立てをするせいで、時々怪我をして帰って来ることもあるのだけど、それでも上手く取り立てているから、ファミリーからスパイだと怪しまれることはない。スパイといえば、私はロシナンテが本部に連絡を取る瞬間を抑えてやろうと企んでいる。声を出せる、秘密の話をしている、海兵である、この3点を綺麗に抑えられるからだ。でなければ、ロシナンテを救うためとはいえ、私が急にロシナンテのスパイ活動に協力する、なんて言ったところで怪しまれてしまうだけだ。ロシナンテの信用を失うには、まだタイミングとしては良くないから。

 

「…ん?」

 

チカッ、と眩しい光が目に当たった。下のゴミ捨て場から鏡か金属に反射した光がたまたま目に当たったんだろう。眩しいな、と私が顔をしかめた時だ。ギュゥン、と視界がねじ曲がった。

 

「っ!!?」

 

何だこれ、とふらつきかけた私の脳裏に、一つの映像が映し出された。ロシナンテが出て行こうとする扉の隙間から、外……遠く離れたゴミ山の隙間に、黒い丸……。

 

(銃口…!?)

 

「ロシーッ!」

 

「……、っ!?」

 

3メートル近くあるロシナンテの巨体を力任せに引っ張って、扉の中に引きずり込んだ。その反動で、私の体が、ぐんっと外に出てしまった。

 

「しまっ、」

 

キュンッ、と静かな銃声が聞こえた。私の右脇腹から、赤い花びらを散らすように血が噴き出た。とっさに右半身を動かした。

 

(…大丈夫、浅い!)

 

痛覚も触覚も温感も失った私が、長く訓練を続けていて分かったことがある。筋肉痛であれ怪我であれ、体がピクリとも動かなければアウトだし、スムーズに動けばまだ動けるということだ。つまり、銃で腹部を撃たれようと体が動くから死なないということ。

 

「向かって左下!」

 

ロシナンテの腕を掴んだままだったので、ロシナンテが倒れるのに合わせて抵抗せず一緒に床に倒れ込んだ。そのままの体勢で狙撃手の位置を伝えると、瞬時に状況を判断したディアマンテが普段は使わない大砲をひらりと出現させて、お返しとばかりに撃ち込んでいる。ロシーは無事だろうか、と下敷きにしてしまったロシナンテを見ようとしたけれど、それより早く私の目の前が真っ黒になった。抱き込まれたのだと分かると同時に、体が持ち上げられた。必死な形相をして走るロシナンテの目には、涙は浮かんでいない。

 

(…泣かなくなっちゃった)

 

昔だったら、べそべそ泣きながら抱きついてきていただろうに。私の心の天使は、強くなってしまった。

 

「…っ!!!」

 

「ん?なんだコラソン、ノックを……ルシー!?何だこれは…!何があった!?」

 

(結局、頼るのはドフラミンゴなのね)

 

船医のいないうちの海賊団じゃ仕方がない話だ。ドフラミンゴは能力で内臓の修復ができるのだし。けれど、だからって真っ先にドフラミンゴの所に行くとは思わなかった。医者は遠く街にいる。だからロシナンテの判断は冷静で正しいものなのに、私には別の意味に見えて笑えた。

 

(なんだかんだって、私もロシーもドフィに頼っちゃうのか。結局…子どもの頃から変わらないな…)

 

昔ゴミ捨て場で暮らしていた時から何も変わらない。今も実際にはゴミ捨て場生活みたいなものだし、こうやってドフィに頼っているし。

 

「…兄上、襲撃、ディアマンテが、迎撃中」

 

「…そうか。ルシー、意識はあるな」

 

「うん。右脇腹、撃たれた」

 

ドフラミンゴの手が右脇腹に添えられた。ドフィの腕から蜘蛛の糸のように細い糸がふわふわと浮いていたから、もう修復に入っているのだろう。

 

「ーーお前を狙ったのか」

 

ドフラミンゴの様子が変わった。じわりと覇気が滲んでいる。息がつまりそうになりながら、私は首を左右に振った。

 

「違う。外に、出ようとした、ロシー、狙ってた。私、ロシーを、部屋に、引っ張って、そしたら、私ーー…」

 

「ーーなるほどな。で、ルシーは何でそれが分かったんだ?」

 

「見えた、から…」

 

何で?いや、分からない。偶然見えたとしか言いようがない。……待てよ?あの感覚、原作でも描写があった。ーーそう、ドレスローザ編でウソップが獲得した、見聞色の覇気だ…!訓練をやめて何年も経つけれど、ついに私にも見聞色の覇気が獲得されたんだ!にわかに胸が喜びで震えた。やっと…やっと、私にも力が目覚めたんだ!

 

「…覇気か」

 

「………」

 

喜ぶ私とは対照的に、ドフラミンゴとロシナンテは表情が陰っていた。どうして?どうして喜んでくれないの?私、やっとお荷物じゃなくなるんだよ。なのに、なんで。

 

「フッフッフ……お前には何も期待なんてしてなかったんだがなァ…」

 

「え……どういう、こと…?」

 

「お前には、今後一切の外出を禁止する」

 

「…………は?」

 

(何それ…何だそれ、どういうこと!?)

 

さっきまでの喜びなんて一瞬でかき消えた。たしかに訓練を中止させたのはドフラミンゴだ。けれど私が見聞色の覇気を獲得することは、そんなにいけないことだった?ただの無力な私ではなくなったというのに、今になってなぜ私を軟禁しようと言い出したのか、信じられなかった。ドフラミンゴの頭の中が理解できなくて、パニックになりそうだった。そして、それを黙認するように押し黙るロシナンテのことも。

 

「聞こえなかったのか?おれたち全員が揃ってアジトを変える時以外での、お前の外出の一切を禁止する。おれは間違ったことを言ってるか?ロシー」

 

「………」

 

ロシナンテは、ドフラミンゴの言葉を否定するように、首を左右に動かした。幹部のコラソンとしてではなく、兄のロシナンテとして、私を軟禁することに同意したのだ。

 

「なんで……?喜んで、もらえると……思ったのに…ッ!!!なんで…っ!!?」

 

声を振り絞って、訴えた。けれど2人の兄たちは、もう何も答えてはくれなかった。

 



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40.とりひきしましょう、そうしましょう

ドフラミンゴとロシナンテが何を考えているかは全くの謎だったが、今はただ心の天使に裏切られたショックが大きすぎて何も考えたくなかった。ドフラミンゴはいいとして、ロシナンテにまであんなことを肯定されるとは思わなかったのだ。

 

(喜んでくれると、思ったのに…)

 

覇気は一度感覚を掴めばコツが分かるものだと、いつだったか訓練の最中にヴェルゴは言っていた。しかしロシナンテを守ったきり、何度試しても見聞色の覇気など一切発現しなかった。まるで鎖にかけられて深く沈められたように、これっぽっちも。ショックだった。才能がない、才能がないと散々言われても諦めずに訓練を続けて、急に訓練をやめさせられたけれど数年を経てせっかく芽が出たと思ったら、軟禁を言い渡された挙句に覇気が出なくなったなんて。

 

(私………何してんだろ…)

 

ヴェルゴに会いたかった。私に覇気が出たことを報告したかった。そして、ドフラミンゴとロシナンテの考えが理解できないと縋りたかった。答えを教えて欲しかった。けれどそれは、できない。ぽつ、と目から雫が落ちて枕にシミができた。なんだか、すごく、疲れてしまった。扉がノックされる音にも反応できなかった。

 

「………」

 

怪我の療養にと部屋に引きこもらされた私を見舞って…いや、見張るために家族たちが次々と来ていた。今日はロシナンテらしい。無言で入ってきたロシナンテは極力私に目を合わせないようにしていた。罪悪感からなのだろうか。それとも何か別の意図があるのだろうか。けれど、それすらもどうでもよかった。疲れたのだ。何もかも、投げ捨てたくなるほど。そして、自暴自棄なままに、どうにでもなってしまえと行動してみようと思ったのだ。

 

「…ロシー兄上」

 

「!」

 

ロシナンテはまさか私に名前を呼ばれると思わなかったのか、まん丸に見開いた目で私を凝視してきた。素直だなと思う。やはり、私はロシナンテが好きなのだと。だからきっと原作通りにしか進めない未来を、今ここで盛大にぶち壊してやりたくなったのだ。

 

「MC.01746、ドンキホーテ・ロシナンテ中佐。ナギナギの能力でこの部屋を覆って」

 

「っ!?」

 

ギョッとした顔をされた。まずい、とあからさまに表情に出ている。任務を中断して逃げることを考えたのか、ロシナンテの腰が浮きかけたのを、止めた。

 

「逃げたらドフラミンゴにバラすわよ」

 

「ーーーッ!!!」

 

ロシナンテの頬を伝って汗が一筋、ぽつりと落ちた。…ああ、もしかしたらこのままロシナンテが逃げてしまったほうが良かっただろうか。でも、そうしたら…ローが死んでしまう。……同じ北の海とはいえ私がフレバンスに赴いたところで、今さら代々摂取し続けた白鉛を取り除けるでもないのだし。ローを死なせて原作をぶち壊したところで、それは私の望む原作打破ではない。同じ『世界をぶち壊す』が目的だとしても、私はドフラミンゴになりたいわけじゃないんだから。

 

「退屈なの。ねえ、一緒にお喋りしましょう?」

 

にっこりと笑ってロシナンテに椅子を勧めた。私と同盟を組みましょう。どうせ優しいあなたは、秘密を知っている私を殺せはしないのだろう。甘いあなたは私を説得すればまだ任務が続けられるとすら考えているかもしれない。みんなが見くびるほど無力な私にでも、ベッドの上からだってできることはあるのだと思い知らせてあげよう。ずしりと腹と目が据わった。

 



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41.当たり前のこと

 

「………」

 

無言を貫いて、ジリジリと警戒しながらも椅子に座ったロシナンテに、バカだなと思った。やはり、彼には私を殺せないのだ。優しい人だから。優しい人は、可哀想だから。だから、『私が守らなくちゃ』。

 

「喋れるでしょう?サイレントを使えばいいのに」

 

「…!」

 

ロシナンテは見たことのない凄まじい形相で私を睨みあげてきた。悲しいなぁ。私たち、仲のいい兄妹でしょう?まあ実際には私はドゥルシネーアという弱い妹の皮を被った赤の他人なんだけど。…それだって、傷付くものは傷付くのだ。

 

「……まあ、いいわ。ねえ、ロシナンテ中佐。あなたは任務でドフラミンゴを止めにきた。センゴクさんと連絡を取りながら、スパイ活動をしている。本部のつる中将に居場所を伝えている。ここまではいい?」

 

「………」

 

かた、とロシナンテの指先が震えるのが見えた。けれどそれを綺麗にごまかして、ギュッと拳を作っていた。つまりその行動は、私の原作知識が正しいという裏付けでしかない。まだシラを切ろうとしているのかと、ロシナンテの強情さに感服した。子どもの頃はあんなにもすぐに泣いていた子だったのに。

 

「『おかき』『あられ』だよね?」

 

「っ、どこまで知ってるんだ…!?」

 

ガタッ、と荒々しく椅子から立ち上がって、ロシナンテが詰め寄ってきた。合言葉まで言ってみせた私を、ようやく全力で警戒する気になったらしい。判断が遅い。ドンキホーテ海賊団の面々を見て生活していた、凡人でしかない私からですら、そう見えた。

 

「たぶん、任務のほとんど全てを、私は知っているよ」

 

「……このことは、」

 

「ドフラミンゴには言っていない」

 

「………そうか」

 

ロシナンテがぐったりと椅子に座ってうなだれた。その表情は見えないけれど、きっと意気消沈しているのだろう。ドフラミンゴでもなく幹部たちでもなく、まさか妹にバレるだなんて露ほども思ってはいなかっただろうから。

 

「ここ、アジトだよ。防音壁をしなくていいの?」

 

「……"サイレント"」

 

パチン!と指を鳴らして、見えはしないがロシナンテは能力を使ったのだろう。ああ、原作と同じだ、なんて喜んでしまうのはおかしなことだろうか。

 

「どこで知ったんだ?」

 

「………ヒミツ。でも、誰かに聞いたんじゃない、私自身で調べたの」

 

前世でね、とは言えないけれど。深くは聞かないでほしいと暗に告げると、ロシナンテは意を汲んでそれ以上は追求してこなかった。

 

「それで…ルシーは何をしたいんだ?」

 

「へ?」

 

「おれの秘密を知っただろう?ドフラミンゴに言わないのは、何か考えがあるからだよな」

 

おっ、意外と鋭い。けれどこれは私を丸め込んで任務を続けようという意図があるのだろう。冷静を装っているけれど、目がガチだし。私はドフラミンゴをぶちのめしてもらうことよりも、ロシナンテを生かすことを選んだ。けど、できることなら、ローのことも死なせたくない。あのキャラ、割と好きだし。

 

「私はあなたに情報を流す。だから、見返りが欲しいの」

 

「見返り?」

 

「私を助けてほしい。具体的には、私がドフラミンゴから独立して普通の人間として生きられるようにしてほしい」

 

私だけでは無理だった。それなら誰かに手伝ってもらえばいい、そう考えた。ドンキホーテ海賊団で、様々なものを見た。人の生き死にを簡単に決めてしまう人たちを見た。泣いて助けを求める子どもたちを何人も見殺しにした。人を痛めつけて平然とする人たちも。もう、たくさんだ。そんなことで発生した金で食わせてもらうのも、もう、十分だ。前世で汗水流して働いて、生活するだけでいっぱいいっぱいな薄給にでも喜んで、給料日にはたまの贅沢を楽しんで…そんな生き方で、私は自分の人生に満足を感じていた。ファミリーのみんなのように、戦いでも答弁でも頭脳でだって才能はないけれど、私は普通の人間らしく第二の人生を生きて死にたい。それに、前世じゃ未婚のままだったし、この人生では結婚だってしてみたい。ベッジさんみたいな理想的な旦那でなくていいから、普通のどこにでもある人でいいから。血生臭さとは無縁の人と、結婚して、一緒に生きてみたい。そんな万感の思いを込めてロシナンテに取引を持ちかけた。ロシナンテは険しい顔を穏やかなものにして聞いてくれた。自分の命を握られているのも同然な相手を前になぜそんなにも穏やかな顔なのか、私には分からない。

 

(もしかして、私、何か間違えた?)

 

何かを悟ったかのようなロシナンテを前にしていると、妙な焦りで落ち着かない。そわそわしだした私の頭を、ロシナンテは大きな手のひらで撫でてきた。

 

「……ああ、そうだよな」

 

何に理解をしめした言葉なのかは分からない。けれどロシナンテの声が、穏やかで、優しくて。なぜかは分からないけれど、涙が出てきそうになった。

 

「ルシーは、やっぱり父上と母上の子だった」

 

「ロシー…?」

 

「なあ、ルシー。妹に頼られて、嬉しくねェ兄貴はいないんだ」

 

何かに納得したように、満足したようにロシナンテは私に言った。ドジっ子のくせに、妙にかっこつけて。

 

「妹を助けるなんて当たり前のことだろ」

 

「………私、いっそのことコラさんと結婚したい…!」

 

「!!?」

 

おれとお前は妹で!とか、世の中には兄妹で結婚できない決まりがあって!とか、必死になって説得してくるロシナンテには悪いけれど。そういう意味じゃないんだよなぁ。

 

(私、この世界に生まれてきて、今初めてよかったって思えたかも)

 

こんなにもすてきな人が兄だなんて、現実じゃありえないから。

 



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42.機を逃さずに

 

取引とは言ったものの、ロシナンテは私に何もしなくていいと言った。実際にロシナンテがローを連れていなくなるまでは上手くいっていたようだし、と納得しかけて、思い出した。

 

「あのー、海軍に襲撃要請をするのは、ちょっと控えて置いた方がいいと思うの」

 

近い将来ローを連れてファミリーから離れた途端に海軍からの追跡がなくなって〜、なんて話したところで理解してもらえないだろうし、今後に不利益が出るのもいただけないからそこは省いた。ごめんよ、ロシー。何も聞かないで。

 

「ロシーが帰ってきた途端に海軍が襲ってくるようになった、って繋げられると、まだ困る段階でしょ?」

 

「…それは無理だ。襲撃のタイミングはおれじゃなく上層部が判断しているからな」

 

…たしかに原作でも、ドフラミンゴは来ないじゃないか、とおつるさんがセンゴクさんの愚痴を言ってる場面があったっけ。ロシナンテが報告したことに対して、知将と呼ばれるセンゴクさんが判断しているとなればまだ話は通じるかもしれない。けれど、それがもっと上の……そう、例えば、世界政府とかからの命令なら?ステューシーさんが私を襲った時点で想像はつく。今現在、ドフラミンゴは天竜人に命を狙われている最中にあるのだ。数多くの暗殺を乗り越えれば天竜人からの協力を得られて、七武海・国王・ジョーカーの顔を持つ原作通りのドフラミンゴになる。…ロシナンテにどうこう説得させたところで無意味だ。逆に何を言っていると怪しまれるだけだろう。怪しまれることは避けたい。じゃあこの案は却下。次!

 

「………うーん…じゃあ、バレそうな時用にフェイク作っておこう。海軍で何かない?居場所を発信する系の電伝虫とか」

 

「そんな電伝虫は聞いたことがないな…。一応、センゴクさんに掛け合ってみよう。…期待はするんじゃないぞ?」

 

「はーい。あとは……あ、そうだ。初代コラソンだけど」

 

「何だ?」

 

「今ーーうわぁっ!?ベビちゃん!?」

 

「!」

 

何気なく見ると扉が開いてて、そこからベビー5とバッファローが顔をのぞかせていた。私と目が合うと嬉しそうに笑って駆け寄ってきたので、慌ててロシナンテに能力を解くよう合図した。

 

「ルシーさん、コラさんと何してたんですか?」

 

口ぱくぱくしてた、と無邪気に寄ってきたベビー5を膝の上に抱き上げて、バッファローの頭も撫でた。

 

「………!」

 

「…ん?どうしたの、兄上?」

 

「…、………っ!」

 

ロシナンテは私の手を指差していて、何かよく分からないけれど怒られているらしい。

 

「…あっ!ルシーさん、手がまだ治ってないでしょ?使っちゃダメって言われてるのに!」

 

「そうだすやん!前もコラさん引っ張って悪化させたの若様たちに怒られてただすやん!」

 

うん、若様ってかディアマンテとピーカとグラディウスとジョーラが強烈に怒ってたね。グラディウスが私にガミガミ煩いのはいつものこと。あんたは私のカーチャンかっての。むしろお母さんも母親もあそこまでうるさくなかったわ。

 

「ごめんごめん。だって動くからさぁ。つい」

 

「ルシーさん…無茶しないで…」

 

「無茶してるつもりないんだけど…」

 

「してます!」

 

「無茶だすやん。無茶苦茶だすやん」

 

子どもたちにまで怒られた…。別にそれでロシーが守れたのだし、私としては全然問題ないんだけど。だって腕もお腹も痛くないし。そもそも痛いってどんなだっけ?最近痛いという概念すら忘れつつある。ますます人間捨てつつあるなぁ、私。

 

「………」

 

「あっ、コラさん…」

 

私の頭を撫でて、ロシナンテが部屋から出て行ってしまった。

 

(大丈夫、まだ時間はある)

 

ローが現れてから3年弱…実際には2年ほどだろうか。その間は、絶対に、ロシナンテは死なない。今までは原作の流れを変えることはできなかったし、変えたことの余波がどこにどの程度来るものか分からなかったから、大っぴらに動けなかった。けど、これからは違う。だって私はトラファルガー・ローの過去を読んで知っている。これから起きる事実を利用すれば、私なんかのほんの少しの力でだって、大きく捻じ曲げることもできるはず。

 

(でもローより先にデリンジャー加入だったよな)

 

そこまでは、ゆっくりしよう。かりそめの平和を享受しよう。

 

「ルシー…フッフッフ!なんだ、お前らもいたのか」

 

「若様!」

 

「おいベビー5、そこを退け。そこは俺の席だ」

 

「別にドフィの席じゃないですしー。ベビちゃんの方が素直で可愛いですしー」

 

「何だ、まだ拗ねてんのか?いい加減機嫌を直せよ、ルシー」

 

ロシナンテとは違う、大きな手のひらが私の頭を撫でた。私が何にどう怒っているのか、何を考えているのか、理解しようともしない人だ。私が泣いて縋れば、きっとドフラミンゴの怒りに触れない範囲であれば、第2倉庫の時のように望みを叶えようとしてくれるだろう。ロシナンテは、妹を助けるのは兄として当然のことだと言った。ベクトルは違う、それでも、ドフラミンゴとロシナンテは同じ私の兄なのだ。

 



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43.はないちもんめ

 

ドフラミンゴとトレーボルに連れられ、久しぶりに第2倉庫に来たら子どもを扱う倉庫から大人も扱う倉庫にチェンジしていた。その中でも特に目立つのは、奥の檻…他は何人もの人が詰め込まれているのに、そこだけ1人しか入っていなかった。お腹が大きい女性…妊婦だ。妊婦が売られるなんて、珍しい。もうすぐ生まれるからと物珍しさでドフラミンゴは私を連れてきてくれたらしいが、その感覚、完全に野良猫の出産を興味本位で見る人と同じだから。

 

(やっぱり感覚が普通じゃないんだよね、この人…)

 

子どもの頃に天竜人をやめたとはいえ、感覚はとうに完成されていたようだ。かわいそうに、と首輪を嵌められた女性を見上げた。憎々しげにこちらを見上げる、可哀想な妊婦。自分を商品扱いする人間に、家畜のごとく出産を見られるなんて、死んでしまいたいほどだろう。しかしそんな感情なんて、ドフラミンゴたちに理解できるはずなどない。仕方ないな、とため息を吐いた。

 

「…兄上、生で見るのはやめた方がいいと思うよ」

 

「?」

 

「出産の時って激痛だし、気が立ったら首輪のことなんて忘れて暴れるかもだよ?録画とか通信で見る方が危なくないよ」

 

「フッフッフ…よく知ってるなァ。ああ、そうだろうよ。それともなんだ、ルシーは血を見るのは嫌なのか?」

 

…出産の時に血が出るとか、よく知ってるねぇ、兄上。このゲス野郎め。

 

「…トレーボル、ちょっと兄上と2人にしてもらえる?」

 

「そういうことだ。悪いな」

 

「ん〜〜ん〜〜それなら仕方ねェな〜」

 

トレーボルはニヤニヤと笑いながら倉庫から出て行った。特に用事もないのにトレーボルが付いてきた理由なら察しがついた。ドフラミンゴの行動が異常なものと理解しつつ、それに私が嫌がる顔を見たかったんだろう。みんなみんな、性格悪いからなぁ。

 

「で?2人きりで何の話をお望みだ?」

 

2人きりじゃないけどね。周りに数多の目があるけどね。けれど奴隷になる人たちなんてドフラミンゴからすれば下々民と等しく全てゴミみたいなものなのだろう。

 

「妹が本音を隠してお綺麗な言葉で説得しようとするのは、兄としては寂しい限りなんでしょう?だから私の意見とおねだりをしようかと思って」

 

「ーーいいだろう。それで、ルシーは何が望みだ?」

 

奴隷を解放してほしい、は無理。出産を見ないでやってほしい…これはギリアウト。さて、どう意見すべきか。そう考えながら、檻の中の彼女を見た。強い憎しみの目の中に、縋るような色が見えた。助けてほしいと、訴える目だ。助けてほしい、それは、何?考えて、考えて、彼女が大切そうに抱える腹に目がいった。母が、命よりプライドより大切に想うものなんて決まってる。

 

「兄上。兄上が売り買いするのはこの女性よね?」

 

「ああ、そうだ」

 

「なら、腹の子はただの付属品で、生まれてしまえばその子は奴隷ではなくただひとりの人間のはず。そうでしょう?」

 

「…フッフッフ!ーーなるほどなァ。それで?」

 

もう私が何を言いたいか分かるくせに、と思うけれど、表面上は満面の笑みで傲慢におねだりをした。

 

「あのお腹の子、私にちょうだい」

 

「フッフッフ…!!!あァ!いいぜ、好きにしなァ!!!」

 

「わーい!ありがとう、兄上!」

 

ぎゅう、と抱きついて礼を言うと、体を持ち上げられて抱きしめられた。ドフラミンゴの頬にすり寄って、嬉しい、ありがとうと言えば、ドフラミンゴは機嫌よく笑っていた。妹のワガママを聞く兄ーーーとんだ茶番だ。ドフラミンゴは私が腹の中で嫌悪していることを理解しているはず。それでも私がこうやって縋り付く姿を見ることで、妹が糸なくしては動けない人形であることを確かめて満足しているのだ。

 

(ロシーは妹に頼られたいと言っていたけれど、ドフィは妹に縋られたいんだ…)

 

似ているようで、決定的に違うことがある。そこに自立した私の意思があるか、ないかだ。

 

(だから妹にも弟にも嫌われるんだぞ、おにーちゃん)

 

いや、優しいロシナンテはドフラミンゴのことを嫌い切れていないのだろうけど。

 

「と、いうわけで。お腹の子は私のものということは、その母体である彼女も今は私のものということになります」

 

「は?」

 

「そして生まれて来る子のプライバシーの問題もあるので、出産を一般公開することはできません。今から彼女を個室に移動させて、出産が終わるまで生活してもらいます」

 

「おい、ルシー…それはどういう、」

 

「それじゃあ兄上、さよーならー。彼女の担当はディアマンテよね?ちゃんと兄上から話通しておいてね。あ、そこのお兄さん!ちょっとこの檻を隣の空き部屋に移してくんない?」

 

「……ルシー」

 

「なぁに?約束と時間を守る、私のステキな兄上」

 

たっっっぷりと含みを持たせて、にっこり笑ってドフラミンゴを見上げた。ドフラミンゴは何か言い返そうとしたようだけど、とうとう何も言わず、下を向いていた口角を面白そうに上に吊り上げた。

 

「…傲慢な妹を持つと兄ってのは苦労するぜ」

 

「兄上も負けてないじゃない」

 

「違いねェな」

 

楽しそうに笑って、ドフラミンゴは檻を移すよう下っ端たちに命令を下した。私と2人きりになった部屋で、檻の中の彼女は、やはり憎々しげに私を見ていたけれど。

 

「………あなたのお腹の子は、私が大切に育てる。いつも笑っていられる子にする。他人に食われる側ではなく、他人を食いつぶせるほど強い子にするわ。…約束する」

 

「………ありがとう」

 

なんとかギリギリ聞こえるほど小さな声で、彼女はそう言った。そしてその1週間後、彼女は檻の中で元気な子を生んだ。ツノと背ビレの生えた小さな男の子。名前は、デリンジャー。闘魚の血を引く、半魚人だった。

 



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44.秒読みが始まった

(ハイ、かりそめの平和終了〜)

 

腕の中に赤ん坊を抱いて、あやしながらミルクを作る。ギリギリまで母親と一緒にいさせてあげたけど…写真や映像で母子の姿を残しておくことはできたけど、当然のように若くて美しい彼女は高値で買われてどこかに行ってしまった。これからは母親の彼女が付けた名前より、ドフラミンゴが付けたコードネームで呼ばれることが増えるけど、それでもベビー5のように親から捨てられたという感覚はないままに育つことはできるだろう。

 

(だって原作でもあんなだったし…)

 

ドンキホーテ海賊団に染まりきって、笑顔で人を殺せるようになるはずだ。…でも、あの喋り方はちょっと直したいところだ。原作読んでてもガチで女の子だと思ってたし。

 

「…こんなもんかな」

 

何度も何度も作っていればミルクの作り方なんてすぐ覚える。ただ、私は温感がないから、毎回温度計で温度確認しなきゃいけないんだけど。洗い物が増えるからそこはちょっと手間だ。

 

「はーい、デリンジャー。ごはんだよー……ってオイまたか」

 

空腹に耐えかねたのか、母親と間違えたのか、デリンジャーが私の首筋をガッツリ噛み締めていた。ワーオ、なんて熱烈なキスマーク…ってか歯型。そう、驚くことにこのデリンジャー、もう歯が生え始めている。しかも原作通りのギザギザな歯。むず痒いのか、よくベッド柵やおもちゃを噛みちぎっていて、なんだか将来が末恐ろしくもある。そう、木のベッド柵を噛みちぎるほどの顎の力ということは、私の首なんてすぐに抉られるわけで。

 

「っキャーーー!!!ルシーがまたデリンジャーに食われてるざますー!!!」

 

「そんなカニバみたいなこと言わないで!?」

 

ジョーラが悲鳴を上げて騒ぎ始めた。何だまたかと言いつつも青ざめた顔で駆け寄ってくる家族たちは…ちょっと過保護すぎると思う。別に痛くないってのに、大げさなんだから。

 

「オーイ、ルシー!お前ちゃんと防具付けろって言ったじゃねェか!」

 

ディアマンテがデリンジャーの首根っこを引っ掛けるようにして持ち上げた。あっ、口元が血まみれで吊り下げられてるのに遊んでもらってると思ってるのかこの満面の笑み!すごい!こいつァ将来有望ですな!…なんて笑っていられない。怖…生まれながらの海賊って感じ…。

 

「お嬢、ここに座りなされ」

 

「おい、遅いぞ!消毒液はまだか!」

 

「ルシーさん、タオルを首に当てますね!」

 

わあわあと私を取り囲みながら、家族たちが手当てを始めてくれた。

 

「あっ、ディアマンテ。ミルクの温度が下がっちゃうから、デリンジャーにあげてくれない?」

 

「おれが?こんな物騒なガキの世話なんざできるかよ」

 

「ディアマンテならきっと正しい抱き上げ方で上手くミルクもあげちゃうんだろうなぁ〜」

 

「おいおいよせ、それじゃまるで…」

 

「ディアマンテは育児もできる天才でしょ?」

 

「そこまで言うなら任せとけ!!!」

 

ちょろいな…。早くも首がすわっているとはいえ、まだ不安もあるデリンジャーをディアマンテは上手く片手で抱き上げていた。やればできるのになんでおもちゃみたいに扱うかなぁ、この人。襟元のボタンを外して傷口を晒し、慣れた手つきで消毒を始めたベビー5が、私を見て顔を顰めた。

 

「ルシーさん…ちゃんと寝てる?」

 

「うん、もちろん。ちょこちょこ睡眠とってるよ?」

 

「うそ!だってデリンジャー、昨日も夜中にすっごく泣いてたわ!ルシーさんの声も聞こえたもん!」

 

「あら…起こしちゃってごめんね」

 

「そんなのいいの!…ルシーさん、クマもできてるのに」

 

痛そうな顔をして、ベビー5が私の目の下を撫でてきた。ベビー5は口調が砕けてきて、よそよそしさがなくなった。ちょっと強引になってきたところを見ると、やっと少しずつ自分のことを優先できるようになってきたということか。子どもっていつも成長してるなぁ、と微笑ましくなってたら、ぐいっと髪を引っ張られた。

 

「おい、ちゃんと寝ろ」

 

「大丈夫大丈夫、寝てるって。てか夜泣きしてたらみんなが寝られないでしょ?」

 

「お前が気にすることじゃねェ。それにガキなんざ勝手に泣かせておけばいいだろ」

 

「グラディウス、ちゃんとルシーさんを抑えてて!」

 

ベビー5に怒られて、私の髪をかきあげて首と肩を固定し直したグラディウスは、まだまだ文句を言ってた。なんだかんだと結局はみんなで育児をすることになってるし。赤ん坊だからと血の掟は免除だし。ラオGなんて素っ気ないフリして可愛い帽子なんか被り始めたし。デリンジャーの母親も、これなら安心してくれるんじゃないだろうか。

 

(……デリンジャーが一人で座れるようになった頃…ローが来る)

 

楽しみだし、怖かった。私はちゃんと、原作を変えられるだろうか。

 



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45.表舞台に上がる時

とうとう、来た。久し振りに家族全員が一緒にごはんを食べられるからと倉庫に机を用意し始めた段階で、ああ、と気付けた。「スパイダーマイルズ」ゴミ処理場倉庫…原作のあの場面だ。

 

「ルシー?気分が悪いざますか?」

 

「……へ?そう見える?」

 

「もしかしたら貧血かもしれないざます!夕飯まで少し休んでらっしゃい。デリンジャーはわたくしが預かるざますよ」

 

「…じゃあ、お願いしようかな」

 

離れたくないと嫌がるデリンジャーを宥めつつ、ジョーラに託した。精神的な緊張のせいだとは分かっているけれど、どうも目の前がチカチカする。

 

「…大丈夫か?」

 

廊下ですれ違いざまにロシナンテが尋ねてきた。わざわざ能力まで解いて。…そんなにひどい顔色をしているんだろうか。

 

「…へーき。…兄上、たぶん後で男の子が来るの。あの子のことは、絶対、いじめないであげてね」

 

「………」

 

うんとかはいとか言えよ。無言のままロシナンテは食事の準備に向かってしまった。…アレ、たぶん後悔してるな。原作じゃ一週間前にローを高台からゴミ捨て場の鉄山に投げ込んでたし、たぶんこの世界でも同じことをしたのだろうし。あんなことをされても、一週間も粘るとは思わなかったんだろう。きっと優しいロシナンテの心の中ではすさまじい後悔と焦りと哀れみが渦巻いているはずだ。

 

「ルシー、どうした?顔色がよくねェな」

 

部屋の前でドフィにも指摘されて、ぺたりと額に手を当てられた。

 

「熱は…ねェか。夕飯まで寝ておくか?」

 

「うん、そうするー。兄上、たぶん後で男の子が来るんだけど、みんなにいじめられたら助けてあげてね」

 

私がこんなこと言わなくても、きっと原作通りにドフラミンゴは家族を嗜めるんだろうけど。

 

「フッフッフ…やっぱりお前はガキが好きだなァ。そういやデリンジャーはどうした?」

 

「ジョーラが預かってくれてるよ」

 

「そうか。まあ、こっちのことは気にすんな」

 

「はーい」

 

わしわしと頭を撫で回された。部屋に入って、ベッドに倒れこむと、途端に目の前が暗くなった。ジョーラの言うように貧血なのかな。

 

(デリンジャー、だんだん私に噛みつかなくなってきたんだけどなぁ…)

 

ふ、と考えが途切れた。次に目が覚めたのは、ベビー5に体を揺さぶられた時だった。

 

「ルシーさん、ごはんです!」

 

「……寝てた…」

 

「いい夢見ました?」

 

「…ううん」

 

生まれ変わってから、私は夢を見なくなった。見たのはあの時が最初で最後だった。前世の夢。平凡で、普通に生きていた時の夢。

 

(私…前世でどうやって死んだんだろう…)

 

トラックに轢かれたとか、駅のホームで突き落とされたとか、そんな記憶は一切ない。気が付いたらここに生まれ変わっていたから。

 

「ルシーさん?」

 

「……ごめん、なんか寝ぼけてたみたい」

 

「ふふっ!ルシーさんが寝ぼけてるなんて初めて!」

 

手際よく私の髪を編みながら、ベビー5が笑った。髪を切りたいと言ったらドフラミンゴに却下されたので、もう腰より長く伸びてしまった。今でも私に母親を重ねているなら、髪はもっと短くてもいいだろうに。

 

「行きましょう、ルシーさん!みんなもうごはん食べ始めてるかも!…あっ、そういえば男の子が来てます!」

 

じく、と胸が疼いた。それは、新学期前日に手付かずの宿題を見つけたような、期限前日に仕事を回されたような、嫌な焦燥感にも似ていた。

 

「でもね、今日はコラさんがいじめないの。若様も気にしてたし、もしかしたら家族になるかも!」

 

兄2人は妹のお願いを聞き届けてくれたらしい。…いや、単に原作の流れがそうだからか。

 

「…そう。それは、いいことだね」

 

「…ルシーさんは、子供が好きなの?あの子のことも好きになる?」

 

「へ?あー、そうだねぇ。でも、私はベビちゃんが一番好きかなぁ」

 

最近はデリンジャーにばかり構っていたから、ベビー5のことを構ってあげていなかった。彼女は彼女で訓練や任務への同行で忙しかったというのもあるけど。もしかして、寂しかったんだろうか。ちょっと不機嫌そうなベビー5が可愛くて、抱き寄せて頬擦りした。

 

「わ、私も!ルシーさんが一番好きよ!大好き!」

 

ぎゅう、とくっついてきたベビー5が、とても可愛い。ああ、本当にこんな子が、どうして海賊なんだろう。

 

「じゃあ両思いだね」

 

「うん!」

 

ベビー5とくっついたまま、みんなの所へ歩いて行った。ヘマをしちゃいけない。原作の流れを上手く利用しなくてはならない。そんなプレッシャーに竦みそうになる足を、必死に動かして。

 



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もしもの話2
もし38話でドフラミンゴがビッグマム海賊団と同盟を結んで、主人公がC家に嫁ぐことになったら


活動報告よりリクエストをいただきました。
38話でドフラミンゴがビッグマムからの同盟提案を呑んで、主人公がシャーロット家カタクリさんに嫁ぐことになっていたら、です。
サン&ムーンさん、リクエストありがとうございました。


 

私を送り届けたドンキホーテ海賊団を別所に案内して、私とビッグマムが二人きりになった途端、ホーミーズの手によって服がビリビリにされましたとさ。

 

(なんで!?)

 

お代官様ごっこをするほどの時間もなく、手慣れた様子であっという間に素っ裸にひん剥かれてしまった。キャーエッチ!なんてビッグマム相手に叫べるわけもなく、ビッグマムに体を持ち上げられてくるくるとあちこちから人形のように検分されてしまった。

 

「天竜人といってもこんなもんかい」

 

「へ?」

 

「ママママ!手術の痕に銃で撃たれた痕!噂通り汚い体だねェ!」

 

……ステューシーさんから聞いたんだな、と吐きかけたため息をぐっと飲み込んだ。そりゃね、綺麗な体じゃないけど別にあなたに嫁ぐわけでもなし!旦那になる人が黙認してくれるなら私はそれでいいのよ!そんな思いを胸に、逆にビッグマムを観察してみた。………いや、すごいと思う。間近で見ているから分かるんだけど、本心から、すごくお肌が綺麗だと思う。だってこの年齢で毛穴の開きもないし、化粧のノリも悪くない。まつ毛が長くて彫りも深いから、この年齢でもパーツは十分綺麗。…体格維持の努力を怠っているからか、太ってきつつあるのがマイナスだけど。

 

「あっはっは!そりゃマムの美しさに比べればみんなそうですよー!すごいですよねぇ、四皇まで上り詰める実力者なのにお肌メチャ綺麗って…羨ましいです…」

 

舐めるようにじっっくり見つめると、ビッグマムはニヤリと笑った。私を床の上に下ろして、真正面から向き合ってくれた。お、やっとまともに会話ができそう。

 

「えらくお世辞が上手いじゃないかい」

 

「いやいや、本心です。なんでも昔から手長族の手を短くしてあげようとしたり?魚人族の背ビレをとってあげようとしたりしたとか?戦いもそうでしょうが、人種や甘いお菓子のことも博識とのことで。マムとは以前からおしゃべりしたかったんです」

 

「ママママママ!!!…いいだろう、これから死ぬまで時間はたっぷりある。お茶会にはお前も呼んでやろう。楽しく『お話』しようじゃあないか!」

 

(おっ!お茶会の参加権ゲット!これは……上手くやれば長生きできるかも)

 

彼女は私の持つ天竜人のお宝的な知識が目当てだとは分かっている。だけどこれ、上手く立ち回れば私やドフラミンゴを生かす価値ありと判断されそうだ。うちはヴィンスモーク家みたいに、一家皆殺しして軍事力だけゲット、なんて活用の仕方はできないのだし。

 

「わあ、嬉しいです!ええ、ぜひ!あっ、できれば噂のセムラを食べてみたいです!…それまで私が生きてられたらいいんですけどねぇ」

 

暗にステューシーさんがいるなら私の命を狙われる可能性があると示唆すると、ちゃんと考えを汲んでくれたらしいビッグマムが楽しげに笑った。

 

「マママ…。来るものは皆歓迎するが去る者は皆殺し!ここは万国!世界政府に目をつけられた元天竜人であろうと殺させやしないさ…。カタクリ、自分の嫁くらい自分で守ってやるんだよ」

 

「……ああ、ママ」

 

気配もなく背後、しかもほぼ真上から声が飛んできて、文字通り飛び上がって驚いた。

 

「ぎゃあエッチ!ふふ服!服どこぶふっ!……あ、ありがとうございます」

 

投げられた布を体に巻きつけて、一息つけた。やれやれと思って見上げると、超大型巨人…もとい、電信柱級の巨人なカタクリさんがじっと私を見下ろしていた。あ、口元さらしてる。ってことはこの布マフラーか!アザーッス!うわー、ガチの牙だ。本物!カッケー!

 

「………」

 

「……?」

 

目と目が合うー瞬間好ーきだと…いや、気付けないしそんな一目惚れとかじゃないけど。でもカタクリさんはキャラ的にかなり好き。妹想いとかドフラミンゴに見習わせてやってほしいレベル。原作も舐め回すように読んでたから口元とか知ってたし。カタクリさん側からしたら何で叫ばないんだとか言われそうだけど。

 

(叫ぶとしたらむしろ口元なんかよりその巨体だよね…)

 

ドフラミンゴでもめちゃくちゃデカいってのにプラス2メートルとか…本当に人間?って感じ。でも顔はイケメン。イケメンなら許せる。なんたってイケメンだからね!

 

「…なるほど。変わったやつだ」

 

「へ!?心読まれた!?え、ちょ、ぎゃー!」

 

マフラーごと胴体を掴みあげられた。片手で。…どれだけ身体差があるかお判りいただけただろうか…?

 

「ママ。連れて帰るぞ」

 

「ああ、好きにしな。言っておくが、カタクリーー」

 

「…分かっている」

 

「マママ!ならいいさ」

 

え、何今の?アイコンタクトで会話?いくら親子とはいえアイコンタクトで会話とかすげーな!

 

「え、何?何の話ですかね!?」

 

「黙ってろ」

 

「アッハイ」

 

そんな感じで人形よろしく掴まれて連れて行かれたのがカタクリさん宅。何もかもがめちゃくちゃ巨大だった。いやー…不思議の国のアリスってあんな感覚だったのかな。ドリンクミーだっけ?イートミーだっけ?同じサイズまで大きくなりたいわ。…それにしても。

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

巨大だけどイケメンである。イケメンはいいね。さすがはイケメン!イケメンすぎてイケメンがゲシュタルト崩壊しそう。舐め回すようにじっくり見ていたい。ああイケメン!

 

「………」

 

「むぎゅ!」

 

餅が顔に貼りついた。ち、窒息するう!…あ、普通に呼吸できるわ。よかった、ドールサイズの嫁(予定)も呼吸する必要がある人間だって認めてもらえてた!さすがは我が旦那様(予定)!

 

「な、なんでふか?」

 

「……何の用だ」

 

「用?いえ、別にないですけど?」

 

「………」

 

納得できません、って感じの沈黙の後に、ずるんと餅が顔から剥がれていった。おお、やっぱりイケメン!彫りが深くて睫毛が長い!

 

「あ、何で見てたかですか?イケメンだなーって見てました」

 

可能なら牙触りたいです。やっぱ牙にも神経通ってるんですかね?アイス食べたら知覚過敏になる?

 

「…ママにしたように煽てずとも、お前が殺されるのは阻止してやる」

 

「え、あれかなりガチだったんですけど。おだててるように聞こえました?やだなぁ…勘違いされたかな…。あ、イケメンは嘘じゃないですよ!カタクリさんマジイケメン!悔しくなるレベル!」

 

「悔しいだと?どういうことだ」

 

「だって幼少期に会えていたらイケメンが成長するのを間近で楽しめたじゃないですか!ご兄弟が羨ましい限りです」

 

何こいつ、って目で見下ろされた。傷つくぅ!ドフラミンゴはさておき、ロシナンテの時に思ったことを素直に言ってみたら引かれた。ねえ、ひどくない?一応私、あなたの嫁(予定)なんですけど?

 

「ま、可愛さはうちの兄の方に軍配が上がりますけど!」

 

「アレがか?」

 

心底意味がわからないと胡乱な目をされた。あっ、これ誤解してるな!?ドフラミンゴじゃない方の兄に決まってんでしょうが!

 

「あっ!ディスりましたね!?うちのロシーの可愛さ舐めてたら痛い目みますよ!ドフィは悪の大魔王ですけ「アタシ達のお兄ちゃんだって世界一可愛いわよ!!!」

 

思いもしない所からカッと強烈な叫び声が飛んできた。幽霊でも出たのかと飛び上がって驚いてしまった。な、何事!!

 

「ブリュレ…!?」

 

(あっ、ブリュレさん!?って若ーーー!!!え、なんか原作より可愛いじゃない!?幼少期の妖精のような可愛さの面影がまだ!ある!ギリだけど!)

 

顔にはクッキリした傷跡があるけど、それでも年齢が若い分まだ可愛い感じが残ってる!くっ…彼女の幼少期も生で見たかった…!

 

「カタクリお兄ちゃんは強くてかっこいいアタシ達の自慢のお兄ちゃんなんだからっ!あんたのお兄ちゃんなんてメじゃないわ!なんてったってカタクリお兄ちゃんはありとあらゆるものを見下す男!世界一強くてすてきなんだから!」

 

「よせブリュレ…」

 

「うんうん。それで?」

 

原作通りのベタ褒めに感動した。ワクテカで先を促したら、ブリュレさんが一瞬驚いたように瞬きして、でも途切れず兄賛美を続けた。

 

「お、お兄ちゃんは生まれてから今まで無敗の男!強さだって懸賞金だってあんたのお兄ちゃんよりもずっと上なんだから!万国もアタシ達も守ってくれる、最強のお兄ちゃんよ!」

 

あえてドフラミンゴよりも上だと強調したブリュレさんに拍手を送った。そうなのよ!うちのドフラミンゴ、ピノキオ並みに鼻高々だけど、まだまだ上には上がいるって心の底から思ってなさそうな節があるのよ!あの鼻をへし折って現実見せてやりたいのに、周りはみんなドフラミンゴ万歳状態すぎて!!!さすがはブリュレさん、よく分かっていらっしゃる!でもドフラミンゴとロシナンテを一緒くたにされるのは心外!

 

「うんうん、分かりますよ!カタクリさんかっこいいですよね!何よりイケメンですし!妹思い!いやー、うちのロシー兄上もイケメンでかっこよくてほどほどに強くて子ども好きだから海賊やめさせようと心を鬼にしていじめて追い出そうとしたりしててですね!しかもドジっ子っていうギャップがめちゃくちゃ可愛くてですね!完璧に見えてのあのドジっ子!もうたまらん可愛いわけですよ!」

 

「カタクリお兄ちゃんだって普段は隠してるけど「やめろブリュレ!」

 

妹同士で兄自慢を繰り広げてたら、カタクリさんが耐えきれずに口を挟んできた。あっ、なんか耳元がちょっと赤い。ハハァン?これは原作であったようなブリュレさんの兄自慢にまだまだ慣れてない感じ?照れてますな?カーワーイーイー!

 

「うんうん、ギャップ萌えがあるんですよねー!分かります!いやー、あなたとはいい友達になれそう!私、ドゥルシネーアです。あなたは?」

 

「アタシはブリュレよ………って何普通に挨拶してんのよ!!!その顔切り裂くわよっ!?」

 

このノリ!このツッコミ!ブリュレさんマジいい子!うちの家族にいなかったタイプ!

 

「あはは、別にいいですよ。あ、でもカタクリさん的にどうです?嫁が妹とお揃いってアリです?」

 

前世以来の、年の近い同性とのキャッキャウフフな会話にテンションだだ上がりでウキウキしながらカタクリさんに聞いたら、妙に冷静な顔で見下ろされていた。あ、あれ?もしかしてガールズトークについていけなかった感?気付かなくてごめんねー。

 

「…………ブリュレ、一度帰れ。後日挨拶に連れて行く」

 

「お兄ちゃん……そいつ変よ、変な女よ…!?気をつけてね!」

 

「ああ」

 

兄妹揃ってひでえ!

 

「あっ、ブリュレさん!今度一緒にお食事でも!」

 

「お断りよっ!!!」

 

鼻息荒く拒否されて鏡の中に帰られてしまった。……寂しい…。

 

「おやつのお誘いの方がよかったですかね…?」

 

「…お前は」

 

「はい?」

 

「……いや、何でもない」

 

わずかな沈黙を挟んで、カタクリさんがスッと目をそらした。え、何?なんかさっきもそんな感じのやり取りをしたような……まさか?

 

「………まさか、今までちょいちょい私の返答を先読みしてました!?」

 

「………」

 

「ちょっとカタクリさんー!」

 

私は何を聞かれて何を答えたの!?質問と答えの先読みってプライバシーの侵害だ!ずるい!大きな手を掴んで揺すってさっき何を聞いたのか教えてと言うも、カタクリさんに無言を貫かれた。どんな質問に私が何て答えたら、そんな顔を赤くするようになるんですか!?

 



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続・もし38話でドフラミンゴがビッグマム海賊団と同盟を結んで、主人公がC家に嫁ぐことになったら

「38話でドフラミンゴがビッグマムからの同盟提案を呑んで、主人公がシャーロット家カタクリさんに嫁ぐことになっていたら」の続編です。

※注意※結婚式直後ぐらい。カタクリ夢です。

Re.さん、サン&ムーンさん、VVHさん、リクエストありがとうございました。



なんやかんやで結婚式まで終了した段階で、カタクリさんはドンキホーテ海賊団からのお呼び出しに出向いてしまった。

 

(うわぁー…まだ顔赤いかも)

 

誓いのキスで間近になったイケメンの顔に、未だに照れが爆発中だ。いやあ、もう、なんであんなイケメンなのか!物憂げに少し伏せられた目に長い睫毛!切りそろえられた短い髪の毛!マフラーから出ている口の端からの縫い目が気になるけど…あれ、幼少期からあったからもう痛くないのかな。また今度聞いてみよう。で、誓いのキスも口でなく額に、しかもマフラー越しにってのがミソだけど。

 

(それにしてもイケメンだったなぁ…)

 

顔が近付いた時に親族席から上がった強烈な悲鳴の数々。トン、と軽く当てるようにされた誓いのキスでは、もはや爆音並みの悲鳴と殺意が飛び交っていた。……主にカタクリさんの妹たちと、私の家族たちから。グラディウスの爆発であちこちのケーキがライスシャワーよろしく飛び散っていたのは面白かったけど。…あんな阿鼻叫喚な結婚式は一回きりで十分である。

 

(アイドルの結婚式ってもしかしたらあんなのかも…)

 

これから妹さんたちに刺されないかなぁ…。めいっぱいカタクリさんに密着して守ってもらおう、そうしよう。あとはお友達(予定)のブリュレさんに助けてもらおう!できる限り前向きに考えて、新婦の親族控室の扉に開けてちょうだいと頼んだ。扉が「今修羅場よ!」なんてコソッと教えてくれたけど……え、どういうこと?

 

「おっじゃまっしまー…す……ワァ、修羅場…」

 

「「「………………」」」

 

「………………」

 

どう……声をかけたらいいのかな…?嫁の親族と新郎がタイマンで無言のまま見つめあってるって…ねえ、これどんな状況…?しかも新郎の方がめちゃんこデカい。あー、グラディウスが見上げすぎて仰け反ってる…腰痛めそうだな…。

 

「あのー…何して…って、ロシー?」

 

無言のまま腕を引かれて、部屋の隅に連れて行かれた。誰だ、と顔を上げると、カタクリさんまではいかないものの、一般人から見れば十分巨人級なロシナンテがそこにいた。

 

「………」

 

「ロシー…泣かないで」

 

ロシナンテは涙目で私を見下ろしていた。白い手袋越しに頬を撫でると、とうとう耐えきれなかったのか涙がぼろっと滴って、私の顔に降ってきた。

 

「ねえ、笑っててよ。妹の晴れ舞台だよ?幸せになれって応援しててよ」

 

「……っ!!!」

 

「…そいつがお前の言っていた兄か」

 

謎の修羅場を抜けてきたのか、カタクリさんがそばまで来てくれた。

 

「そうそう。ね?可愛いでしょう?」

 

ぐずぐずと泣き始めたロシナンテの背を撫でて、カタクリさんに自慢した。ほぼ垂直に顔を上げてドヤ顔をしたけど、カタクリさんの反応を確かめる前にロシナンテの腕の中に抱き込まれてしまった。はいはい、あなたの可愛い妹はまだここにいますよー。

 

「ルシーさん…その人はルシーさんの理想の人?」

 

「………」

 

沈黙を破るようにされたベビー5の質問に答えられなくて、無言でにっこりと笑い返した。カタクリさんが身内を切り捨てても嫁の味方につくような人かって?答えはNOよ。ありえない。私の考えを正しく読み取ったらしいベビー5が、悲痛な顔でドフラミンゴに訴えた。

 

「わ、若様っ!この結婚やめてください!ルシーさんに帰ってきてもらって!」

 

「…ビッグマムに伝えろ。おれの妹を蔑ろにするってことは『おれ』への宣戦布告と同じだってなァ!ーー行くぞ」

 

「若様っ…ルシーさんっ!」

 

わあん、ととうとう泣き始めてしまったベビー5を担いで、ドフラミンゴたちが帰って行った。みんながみんな、時々振り返って。港まで送って、出航して、船の姿が見えなくなってしまうまで、ずっとずっと手を振り続けた。

 

「……理想の人ってのはなんだ」

 

手を振り続ける私を少しでも高い位置にと抱き上げて、肩の上に座らせて、そうして最後までずっと付き合ってくれてたカタクリさんが、おもむろにそう尋ねてきた。いや、まあ、そりゃ目の前であなたなんかタイプじゃないわ!と言われたようなものだろうし、気になるよね。あはは……うちのベビー5が空気読めなくてごめんなさい。

 

「あーーうーん…………まあ、その、ね。あのー…まあ、色々?なんか、こう、あるじゃないですか?」

 

「話せ」

 

上手にお茶を濁せません!!!すぐそばで、それも真顔で問い詰められて逃げられる人がいるならぜひ教えてほしい。だって!カタクリさんはイケメ(略)

 

「……怒りません?」

 

「……内容による」

 

無意識なんだろう。タキシードに合わせた白いマフラーを引き上げているカタクリさんを見て、つい笑ってしまった。ああ、カタクリさんが気にするポイントってやっぱりそこかぁ。口元を隠すそのマフラーは、大切な妹のためだもんね。

 

「家族を切り捨てても嫁の絶対的な味方であり続けてくれる人がよかったんですよ、私は」

 

そう答えると、ちょっと意外そうに開かれた目が、肩の上の私を見上げていた。かっ……!!!ちょ、ブリュレさん!分かった!これがカタクリさんの可愛いポイントですね!ギャップ萌え!ギャップ萌え!!!キュンキュンしながら手を伸ばして、周りの人たちから見えないように気を使ってマフラーの中に手を突っ込んだ。

 

「見た目が樽みたいな人でも、ぶっさいくな人でも別に良かったんです。大男でも、口が大きくても、牙が生えてても、家族にすら弱みを見せたくないって頑張ってても…そんなのどうでもよかったんですよ」

 

感覚がないから今ひとつ分かりづらい中、手探りでカタクリさんの口に触れた。私の手を止めようとはせず、でも戸惑ったように体を硬ばらせる姿に、ちょっと嬉しくなった。自分の弱点を触られてもあえて好きにさせてくれるって、これもある意味私を傷つけないようにっていう気遣いだよね?

 

「カタクリさんは嫁より親兄弟をとる人でしょうけど、それがカタクリさんですもんね。仕方ないです。でもカタクリさんは外見も中身もイケメンですからね!現時点ではプラマイゼロですよ!」

 

「…不可がなけりゃ可もないってのか?」

 

「へ?…あっ!いやいや、言葉の綾ってやつでですね!そんなディスるとかそういうのじゃなくて!なんて言えばいいのかな…!」

 

あんまり気にせず言った言葉で暗にけなしてた!やっちまったなー!プラマイゼロにしてどうするんだよ!カタクリさんの可愛さも合わせればプラスになるに決まってんじゃないの!

 

「つっ、つまりですね!旦那がどこからどう見てもかっこよくてイケメンでその上可愛いってのは!私はものすんごい幸せ者なわけです!何回でも惚れ直せますからね!喧嘩しても不満があってもチャラにできるほどのお顔立ちですよ!だからあの、その…、私!カタクリさんと結婚できてよかった!」

 

口元を叩きながらファンらしく愛を語ってみたら、手の動き何かに止められた。あれ、動かない。………まさか食われてる!?

 

「カタクリさん、私、お菓子系の能力者じゃないんですが…!美味しくないでしょ?」

 

「……ふ…」

 

ふ?え、今の何だ、と見下ろした先で、カタクリさんは予想外なほど優しい目で海を見ていた。カタクリさんの赤みがかった目に、キラキラと水面に反射した光が映っている。頭の処理が追いつかない…!えっ!イケメンの微笑…!?ちょ、待って待って!こんな至近距離でとか破壊力抜群すぎて!!!おそらく照れと興奮で真っ赤になったであろう私をちらりと見て、カタクリさんはますます愉快そうに笑った。これだからイケメンは!!!

 

「帰るぞ」

 

「っ、はい!」

 

(これからの生活…心臓保つかなぁ…)

 

私の死因が夫にときめきすぎてのキュン死だったら、ドフラミンゴたちはどうするんだろう。もしかして戦争になる?確かに芽生えつつある恋心が爆発してしまわないように、ぎゅうぎゅうと必死におさえつけた。

 



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続・もし38話でドフラミンゴがビッグマム海賊団と同盟を結んで、主人公がC家に嫁ぐことになったら…グラディウス視点

活動報告よりリクエストをいただきました。
「38話でドフラミンゴがビッグマムからの同盟提案を呑んで、主人公がシャーロット家カタクリさんに嫁ぐことになっていたら」続編の、グラディウス視点です。

※注意※
・カタクリさんオチです
・グラディウスが…辛い…

美傘さん、リクエストありがとうございました。



 

少しでもあいつが嫌がる素振りを見せたら、この辺り一帯を破裂させて連れ帰ってやる。式当日も変わらずそう決意していた。口には出さねェが、若も幹部たちも、誰もが同じ思いのはずだ。特に若はこの婚約話を好き好んで進めたわけではない。おれたちに、まだ力が足りないばかりに、こんな選択を取らざるをえなかっただけだ。たかだか海賊風情の、たかだか次男坊に、大切な妹をくれてやる予定などなかったはずだ。ぎちり、と胸が軋む。海賊風情。ーーおれと、同じ。…同じはずだった。

 

「ママママ…!ああ、今日はなんて最っ高の日なんだろう!最っ高のウェディングケーキ!最っ高の花婿と花嫁!こんなに素晴らしい日はない!」

 

(何が四皇だ…ッ!)

 

ケーキで作られた高台にいる巨人もどきを睨み上げ、吐きそうになる罵声を堪える。顔もろくに見せねェあんな大男に、ルシーが嫁ぐ?馬鹿なことを!テーブルの下で握りしめた手から血が滴った。不気味な巨人もどきも、周りで笑う人外どもも、そして何よりルシーの陰口を叩いて殺意を露わにする女どもを!殺し尽くしてやりたい!

 

「落ち着け、グラディウス」

 

「若…!」

 

「フフ…まあ…大人しく見てろ」

 

「…っ」

 

若が耐えているというのに、おれがぶち壊すわけにはいかない。コラソンはもはや息もまともにできないほど涙と鼻水を垂らしてむせび泣いていたが…ファミリーの誰もが殺意を迸らせながら、花嫁の登場を待った。蕾を模した純白の大きな塊に包まれて、花嫁が入場した。

 

「っ、ルシー、さん……」

 

ふわりと花開くように塊が解け、中から現れたルシーは……別人のように見えた。ベビー5の声が、細く消える。おれたちも、四皇の側も、誰一人として言葉が出なかった。コートを脱いだルシーは、華奢だった。いや、元から体格は良くなかった。だが強調する部分は強調し、しかし全体的に細く見せるドレスのデザインがルシーをそう見せているのだろう。あいつの傷も全て覆っていて、金の髪も豪奢にまとめ上げられている。ルージュを引いたルシーは、場所も相まってまるで砂糖菓子の人形のようだった。長く引きずるドレスはダイヤを散りばめていて、少し歩くだけでも足元がキラキラと輝いていた。白い服を着たルシーなんて今までずっと見てきたはずなのに、神聖で、清らかで、何者にも触れ難い美しさがそこにはあった。天竜人、その言葉の真意を目の当たりにしたとすら感じた。だというのに。

 

「手を貸せ」

 

「はい、カタクリさん」

 

容易く差し出された手に、ルシーは触れた。当然のようにエスコートされて高台へ登る姿に、一瞬頭が真っ白になった。

 

(おい、ルシー…なぜそんなやつの手を取ってやがる。そんな所で何してやがる、なぜ戻って来ない?お前の家族はここにいるだろ!?)

 

怒りや苦々しさ、言い知れない激情で体が震えた。隣でベビー5やラオGたちががしゃくり上げている。お前ら、なぜルシーを取り戻しに行かねェんだ!沸騰しそうになった頭に、若の声が冷水を浴びせるように届いた。

 

「…ルシー……」

 

覇気のないその声につられて顔を上げて…息を飲んだ。ルシーはーー微笑んでいた。呆然と目を見開くおれのことなど視界に入れず、美しく甘ったるいケーキの高台で、この世で一番幸せそうにーー。

 

(なぜ……笑っているんだ…?お前の望んだ婚姻じゃないだろう?)

 

あはは、と軽やかに、無垢に笑う声が耳元に蘇った。

 

『やっぱ私、君のこと好きだわ!』

 

幼い日の、戯れ言だ。なのにあの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。あの高台で肩を並べて立つこともできないおれには、子どもの頃のそんな言葉に縋り付くしかないと、そう示すように。

 

(おれは、あの時何て答えたんだ…?)

 

あの日の言葉を間違えなければよかったのか。そうすれば、お前とそこに立つのは、おれだったのか。不覚にも涙腺が緩んでしまう。涙が溢れてくる。グラス越しに見るルシーの姿が滲んで、ぼやけて…それでも、あの巨人もどきがルシーの肩に触れるのが、顔を近付けるのが、分かって。もう、耐えきれなかった。

 

「きゃっ!?」

 

「なにっ!?あっ、やだケーキが!」

 

「おお!花吹雪じゃなくケーキの吹雪か!」

 

「マママ!こりゃあイイ演出じゃないか!」

 

破裂で霧散した殺意や陰口の代わりに聞こえるのは、四皇や子どもたちの楽しげな声だった。おれが見上げた先で、ルシーは、笑っていた。おれを見て、嬉しそうに美しく笑っていた。

 

『一緒におやつ食べようよー』

 

あの日のルシーの言葉を思い出す。追い払っても追い払っても追いかけて付きまとってきた、おれのために手のひらから血を流したあの子どもは。もう二度とおれの手の届かない場所で、おれに見せたよりも何倍も満ち足りた顔で、幸せそうに笑っていた。

 



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サイドストーリー
32話…ロシナンテ視点


サン&ムーンさんより、「32話でルシーを抱きしめている時のロシナンテ視点」です。
ご意見ありがとうございました!



 

 

妹はいつでも強かった。おれの方が年上なのに、手を引いて歩くのは小さなルシーの方だった。おれの最も古い記憶の中では、まるで先を見越したように天竜人をやめることを嫌がり、父と母を困らせるわがままな妹がいた。それを不可解そうに眺める兄も、大好きな父と母を困らせる妹がよく理解できなくて怯えるおれもいたけれど、あの妹だけは昔から何も変わらず強いままだと、信じていた。

 

(帰ったぞ、ルシー…!助けに来たぞ!)

 

ドンキホーテ海賊団の悪名はもはや海軍でも指折りのものだ。北の海で知らぬ者のいない恐ろしい売買人として、海軍すら恐れず数々の船を襲う海賊として。そして…まことしやかに囁かれる、元天竜人の一味として。もはや見過ごすことはできないと、世界政府からも早々に駆除するよう要請があった。早々に高い地位にいる保護者から教えられ、任務を受けないかと尋ねられ、迷うことなく拝命した。幼い頃の兄の残虐性を見ていて、身内として止めるべきだとすら思っていた。そして何より、妹のことが心配でたまらなかった。緊急の救援要請を受け島にたどり着いた時には、気にくわないことでもあったのか、ドフラミンゴは街を一つ壊滅させていた。しかし自分に会った途端にころりと表情を切り替え、大いに喜んだ。驚くほどスムーズに、しかも幹部の地位まで与えられて、まさかこれは罠なのかと疑ってしまうほどに。だが、集った極悪極まりないメンバーたちを見回しても、妹の姿はなかった。

 

(ルシー……お前はまだここにいるんだよな?)

 

妹は強くなどなかった。虚勢を張って、弱さを隠していただけだった。ドフラミンゴの残虐性に、心を殺して接していた妹に、弱虫だった自分は気付けなかった。気付こうとしなかった。…妹に頼って生きていたから、妹が弱いと気付きたくなかった。妹の心の柔らかい部分にやっとのことで気付いた時には、もう、泣いて謝っても、遅かった。私は大丈夫だから、と心を殺して笑って手を引いてくれた、おれたちの小さな妹。父と母に似た優しい妹をドフラミンゴの元に置いてきてしまったことだけを、この14年間、ずっと悔やみ続けていた。

 

『早くかっこよくて強い大人になってね、兄上。…できればドジっ子もなおしてほしいけど』

 

弱い兄はもういないのだと。ドフラミンゴがどれほど恐ろしくても、おれがお前を守ってやれるのだと。そう、ヒーローのように、胸を張って妹の前に現れたかった。なのに……どうして?

 

「………、……ッ!!?」

 

妹がそこにいると、幹部たちに教えられて入った部屋には、たくさんの管を体に差し込まれた妹が眠っていた。やはり、妹は弱かったのだ。弱いくせに強がって、家族みんなを守ると虚勢を吐いていただけだった。けれどその虚勢に妹自身が騙されて、だから、こんな不相応な無茶をして、怪我を……こんな、死にかけるほどの、大怪我を…!

 

「ルシー…!?おい、ウソだろ!!?ルシー!おい、ルシー!!!」

 

病人の体を動かすなんてダメだと分かっていたが、それでも目の前の事態が嘘のようで、信じられなくて、自分自身を止められなかった。妹の細く小さい体を揺さぶって、何度も何度も名前を呼んだ。けれど、妹は冷たくて、反応がなくて、まるでーー。

 

「お、お前が…死んだら、守ってやれないだろ…!?」

 

かっこいいかは分からないが、強くなった、強い大人になった。ドジっ子はなおらなかったけど、お前1人守れるくらい強く、ようやく、なれたのに。

 

「ル"ジー……ッ!!!」

 

こんなのは、あんまりじゃないか。やっとおれの手で助けてやれると、そう思ったのに。お前はドフラミンゴの元で、どれだけ苦しんでいたんだ。今までちゃんとメシを食って、心から笑って生きていられたのか?なあ、何で応えてくれないんだ。おれのことが大好きだと、また笑って言ってほしいのに。

 

「ル"…ル"ジー………っ!?」

 

おれの背中に、何かが触った。ハッとして顔を上げたが、やはり部屋に他者の気配はない。まさか、と妹の顔を覗き込んだ。死んだ母のように、白い顔だった。けれど、確かに、それはルシーの手だった。

 

「……………、…ぇ…?」

 

北の海の冷たい風の音かと思った。けれど確かに、妹の唇から聞こえたものだった。まさか、まさか、ああ、なんてことだ!

 

「ぁに、うえ……ロシー?」

 

今度こそ、か細い声が、そっと鼓膜を震わせた。奇跡だと思った。ドフラミンゴたちに死ぬかもしれないと言われていた妹が、目を覚ました。おれの名前を、呼んだ。生きていてくれた…!

 

「なか、ないで、ロシー…」

 

涙で妹の顔が見られなくて、せっかく再会したのに初めに見せる顔が泣き顔だなんて成長していない姿を見せたくなくて、妹を抱き込んで顔を伏せた。妹の小さな声と背に回された頼りない腕に、胸が詰まるようだった。記憶の中で幸せそうに笑う、優しい母を思い出した。

 



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37話…ピーカ視点

サン&ムーンさんより「37話のピーカ視点」です。
他、グラディウス視点とベビー5視点もアップできましたら、ご一緒にお楽しみください。



「……ルシーが攫われた、だと?」

 

怒気を煮詰めたようなドフィの声に、耳を疑った。誰が、何だって?ルシーが、と…そう言ったのか?バッファローはともかくバイスが付いているというのに、みすみす攫われてしまったと?まさかと思ったが、ドフィから漏れ出す覇気に血の気が引いた。

 

「ドフィ」

 

歓楽街はアジトから少し離れている。だが、バイスの足の速さなら、時間からもまだ遠くへは連れ去られていないはずだ。早く、早く探さなくては。

 

「……あァ。ピーカは歓楽街付近を探せ。ディアマンテは港だ。コラソンとトレーボルはうちに出入りしている商人どもの相手をしろ…ルシーの存在を気取らせるな。他の連中は幹部の指示に従え。敵の命よりもルシーの安全が最優先だ。いいな」

 

「「「はっ!」」」

 

ドフィの糸で拘束されたバッファローとバイスには、後でおれからも処罰を与えなければ。串刺しだ。殺しはしない。あいつらはドフィとルシーの家族なのだから。

 

「グラディウス、ベビー5、花屋で聞き込みをしろ。おれは隣街ごと歓楽街を壁で覆う」

 

「ああ…!」

 

「っ…、分かったわ」

 

ベビー5の返答に間があった。こいつもルシーのことが心配なんだろう。立ち止まり、2人が歓楽街に駆け込んだのを確認して、地面に潜り込んだ。ルシーを気絶でもさせて攫ったのだとは容易に想像がつく。気絶した人間は移動に邪魔なものだ。そして殺したでなく攫ったとなれば、おそらく、ルシーを人質にすることか、ルシーの知識が目当てなのだろう。近頃顔を見せた商人たちはルシーの存在を知らないし、怪しいそぶりもなかった。馴染みの商人たちでも旨味を十分に与えていることから、わざわざドフィの怒りを買うような真似をするとは思えない。何より、ルシーを人質にするにしては、あまりにタイミングが良すぎる。なぜおれたち幹部が側にいないタイミングを狙った?…とすれば、目当てはルシーの知識の方か。おれたちの仕事に立ち入らず、大して頭も良くないルシーだが、ドフィの妹だ。ドフィが世界政府を強請ったネタを、ルシーも持っているとでも考えたのだろう。

 

(つまり、敵は世界政府か…!)

 

以前から奴らは海上でもアジト付近でも強襲してきていた。恐ろしく強く、海上では苦戦を強いられたことを思い出す。…ルシーが撃たれたのも、あいつらのせいだった。

 

(なるほど…あの時にルシーの特徴でもおさえたか)

 

結局あいつらはドフィが船もろとも皆殺しにしたはずだが、電伝虫で映像でも飛ばしていた可能性が高い。知識が目的であるなら、最悪の事態が想定される。知識を得たいのならば、脳だけあればいいのだから。体に何をしようとも、脳さえあれば情報は得られる。自分たちが今まで他人にしてきたことを思い出した。

 

(あれを、ルシーが、される?)

 

目の前が真っ暗になるようだった。生かさず殺さず、どうやればいいのか散々試して理解している。だからこそ、あの弱いルシーがどんな目に合うのかが容易に想像できた。しかも、ルシーは痛みに強い…痛みを感じない。そんな人間を拷問するには、どうすることが効果的なのか。心をへし折るのだ。完膚なきまでに、精神もプライドも思考もぐちゃぐちゃにしてしまう。ーーールシー。

 

「ピーカ!」

 

深く考え過ぎていたようだ。ハッとして、遥か下を見ると、ベビー5が見上げて声を張り上げていた。

 

「女の人が気絶した白い服の女の人を連れて、山側の方に行ったって…!」

 

「……分かった」

 

ずるり、と再び地面に潜って歓楽街を抜け、山側へ向かう。確かいくつか廃墟や倉庫があったはずだ。一つ一つに顔を出して確認するうちに、やっと、見つけた。見つけてしまったーー普段は隠している肌を晒した、ルシーを。その上に乗る、男を。

 

「ルシー…っ!!!」

 

手を伸ばして、包み込んだ。弱くて、尊い、ドフィの小さな妹。

 

「くっ…!」

 

獣のような俊敏さで男が飛び退いた。挽き潰してやろうとしたが、相手の方が速かった。身なりから察するに、動物系の能力者か。捉えるのは骨だ、と舌打ちをした。…どうしようもない、能力の差だ。地面の動きからここにいると察したのだろう、すぐさまグラディウスとベビー5が合流し、ルシーの安全を確認してから猛攻を加え始めた。だが、敵の方が上手だった。世界政府側は、海上でファミリー全員でもって総攻撃をしても苦戦を強いられた相手だ。ルシーの安全を優先し、さらにたった3人で迎撃することは困難だ。ドフィからも敵の命よりもルシーの安全を優先するよう命令されている。囲った石の壁も容易に突破するほどの相手を追う必要は、今はない。手の中のルシーがもぞりと動いて、安堵した。ああ、生きている。

 

「ピーカ、ルシーさんに会わせて!」

 

ルシーの状況を知らないベビー5が、悪意もなく懇願してきた。グラディウスもなぜルシーを出さないのかと批難するような目をしていた。皆、ルシーの安全を自分の目で確かめたいのだ。ルシーは弱いから。会わせてやりたいのは山々だが、こんな状態のルシーを晒すことはさすがにできなかった。女は乱れた身なりを他者に見られたくないものだろう?

 

「……ダメだ」

 

「えっ!どうして!?ルシーさんは無事なんでしょ?ねえ、ルシーさんっ!」

 

ベビー5は自分の手の皮が破け血にまみれても、何度も何度も石の壁を叩いてルシーを呼んでいた。そんな悲痛な声を哀れに思ったのか、手の中からルシーが訴えてきた。

 

「…ピーカ、どうせこの格好じゃ帰れないし。グラディウスからコートでも借りれたら嬉しいっていうか」

 

ルシーは馬鹿だ。突然コートを貸せと言われれば、融通の利かないグラディウスでもルシーの身に何が起きたのか気付いてしまうに決まっているのに。お前、自分に恋心を寄せる男に、そんなことをさせる気か?

 

「………なら、これを着ておけ」

 

「んぶっ!…ありがとう」

 

仕方なく自分のコートを渡せば、案の定ガキがシーツを引きずるような姿になってしまった。ガキの頃からとびっきり弱い、小さなルシー。なぜお前がこんな目に遭わなけりゃいけないんだ。

 

「!」

 

ゆっくりと手を開くと、ベビー5の目が煌めき、思わずといった様子でグラディウスも一歩踏み出してきた。…こいつらに、こんなルシーを見せるのは、辛かった。殺すためではなく、守るためにもう一度手を閉じてしまいたいと思ったのは、これが初めてだった。

 

「ルシーさ、ん……!?」

 

ベビー5の顔が、瞬時に曇った。ああ、やはりこいつもルシーがどんな目に遭わされたのか、理解できたのか。ドフィと等しく、あるいは実の母か姉のようにすら慕うルシーが、なぜ頬を腫らし、髪を乱れさせ、おれのコートを羽織っているのかが、理解できるのか。

 

「ブチ殺してやる!一族郎党皆殺しだ!腑を海にばら撒いて生きたまま魚に食わせてやる!死ぬまで拷問にかけてやる!親兄弟のケツの肉を削いで食わせてやる!殺す!殺す!あの野郎ども…ッ!!!死んでも殺し尽くしてやる!!!」

 

驚くほど下劣な罵声を吐いたグラディウスを、ルシーが目を丸くして見ていた。

 

「ルシー、さん…ルシーさん…っ!」

 

縋り付いて泣き叫んだベビー5を、ほんの少し羨ましく思った。おれも、グラディウスだって、お前のようにルシーを抱きしめることができたなら。ルシーのような目にあわせた多くの女たちを思い出してしまわなければ、きっと、小さなルシーを腕の中に包み込めたのに。

 

「…お迎えに来てくれてありがとう。ピーカも、グラディウスも、ベビちゃんも…ありがとう。大好きだよ」

 

おれたちが、お前に、感謝されるような、人間であればよかったのに。

 



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37話…グラディウス視点

サン&ムーンさんより「37話のグラディウス視点」です。
他、アップが終了しましたら、ピーカ視点とベビー5視点もご一緒にお楽しみください。



 

 

若の声に、全員があっけにとられた。

 

「ルシーが…さらわれた?」

 

そんなはずはない、そう言いたかった。だが、ハッとして周りを見回せば、ドジなコラソンを含む幹部たちが全員揃っていた。

 

(っ…今日は幹部が護衛じゃなかったのか!)

 

バイスとバッファロー…なぜあんなやつらを護衛にしたんだ!一体誰が!?実力はあるが女に目がないバイスのことだ、歓楽街の女にうつつでも抜かしたのだろう。…だが、昼間に女が歓楽街を歩いているものか?いや、そうでないならバイスがルシーをみすみす手放すわけがない。それに、ルシーはよく誰かと手を繋ぎたがる。バッファローが護衛だったならバッファローと一緒にいるはずだ。バッファローもろとも攫われたのか、と思った。だが、すぐにバッファローがバイスを追って戻ってきたのを見て、ブチ切れそうになった。

 

(なんでテメェがここにいるんだ!!!)

 

感情が昂り破裂してしまいそうになった時、ピーカが若を呼んだ。そうだ、一刻も早くルシーを探さねェと!若の適切な指示に従って、歓楽街へ向けて走った。陽が傾き賑わい出した街の連中が目障りで、全て殺してしまいたくなった。

 

「オイ!昼間に女を見なかったか!?白いドレスを着た、金の長い髪の女だ!」

 

「ひぎぃっ!し、知らねェ!知らねェよお!!!」

 

「チッ!」

 

みっともなく震える男を捨て置いて、目に付いた花屋を片端から尋ねて回った。女を見なかったか。白いドレスの女だ。金の長い髪を今日は編んでいた。これくらいの背丈の、弱い女だ。どれだけ脅しても、怒鳴っても、楽しそうに笑って側に寄ってくる、美しい女だ。

 

(どこに行った…ルシー!)

 

「グラディウス!向こう!」

 

息を切らしたベビー5がアジトと反対側を指差した。先導するように石畳の中を移動するピーカを追って、山の中へと駆け込んだ。虱潰しに倉庫や廃墟の中を見て行くピーカが、大きな音を立てて動いた。

 

(あそこか!)

 

「ベビー5!」

 

「はい!」

 

飛び込んだ先にいたやつらに、砲撃を食らわせてやったが、致命傷を負わせることはできなかった。ベビー5もだ。能力や技術の問題ではなく、奴らの方が強く、練度が上だった。

 

「分が悪いわね。ここは手を引きましょう」

 

連中の中で一等華やかな女が合図を出した。あいつが主犯格か!

 

「逃すと思うのか…!?」

 

「ええ。逃げさせてもらうわ!」

 

逃げさせてもらうと言うだけの実力で、やつらはピーカの壁すら突破して逃げてしまった。若の顔に泥を塗りやがって!

 

「チッ!あいつら…殺してやるっ!」

 

苛立ち紛れに近くの瓦礫を吹き飛ばした。あいつらを、この手で殺してやりたかった。

 

「ピーカ、ルシーさんに会わせて!」

 

ベビー5の悲痛な声に、ルシーのことを思い出してピーカの側へと駆けた。もう敵はいない。だというのに、なぜルシーを出さないんだ。

 

「……ダメだ」

 

なぜ、ルシーを出さない。

 

(まさか)

 

まさか、と思った。おれたちにすら見せられないのか。そんなにも酷い目に遭わされたのか。

 

(ーールシーは、『ルシー』でなくなったのか?)

 

若の妹は、あのまっさらな女は、死んだのか?ピーカとルシーがぼそぼそと話して何かのやり取りをした後、ピーカの石の壁が崩れていった。じれったいほどに、ゆっくりに思えた。

 

(ルシー…!)

 

暗い倉庫で微かに輝くような金色が見えて、たまらず身を乗り出した。

 

「ルシーさ、ん……!?」

 

ベビー5の声がひどく遠く聞こえた。

 

(これは、『ルシー』か?)

 

コラソンやおれたちとの訓練で負った怪我など、些細なものだった。そこにいた女は、凌辱されたように、佇んでいた。白く滑らかだったはずの頬が腫れて変色し始めている。美しく編んでいた髪が、掴まれて引き摺られた後のように乱れている。ピーカのコートを羽織っているのに、胸元深くまで見える肌が、足がーーー。

 

「ーーーーー!!!」

 

自分が何を口走ったのか、覚えていない。ただ、とんでもない言葉でも吐いたのか、目の前の女が目を丸くしていた。素直に、驚いていた。

 

(……この女は、『ルシー』だ)

 

穢されても、まだ清い。いや、体臭からして、既に強姦されたというわけではないのだろう。だがそれに近いことをされてなお、ルシーは『ルシー』のままだった。ああ、安心した。まだルシーはルシーのままだ。こいつの心は壊れていなかった。あんな連中に穢されてはいなかった。…だが、ルシーが狙われた。これからも危険な目にあうかもしれない。穢されてしまうかもしれない。それなら、それならばいっそ、おれがーーー

 

(…っ!?おれは今、何を考えた…!?)

 

あいつらとおれと、何が違うっていうんだ。

 

「ピーカも、グラディウスも、ベビちゃんも…ありがとう。大好きだよ」

 

おれの汚い考えなど露ほども知らないで、ルシーは笑っていた。おれたちには触れることすらできないのだと、おれたちとは違う世界の存在なのだと、思い知らせるような…清い笑顔で。

 



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37話…ベビー5視点

サン&ムーンさんより「37話のベビー5視点」です。
ピーカ視点とグラディウス視点もご一緒にお楽しみください。
リクエストありがとうございました!



 

「若、ルシーが…攫われちまった…っ!!!」

 

駆け込んできたバイスが息も絶え絶えに言った言葉が、理解できなかった。

 

「……ルシーが攫われた、だと?」

 

若様の声に、ようやく、意味を理解した。けれど、不思議なほどに現実味がなかった。

 

「ルシーが…さらわれた?」

 

椅子から立ち上がったグラディウスが夢でも見ているように言った言葉を聞いて、ようやく、ようやく、本当のことだって、分かった。

 

「…そんな…」

 

ルシーさんが、いなくなった。みんなが同じ部屋にいるのに、そこにルシーさんだけがいないだなんて。そんなこと、想像したこともなかった。

 

「ーーー他の連中は幹部の指示に従え。敵の命よりもルシーの安全が最優先だ。いいな」

 

若様の言葉が頭を通り抜けてどこかに行ってしまったみたいで、私はどうしたらいいのか分からなかったけれど、グラディウスと一緒にピーカ軍として付いて行くことにした。

 

(ルシーさん…ルシーさん、迷子になってるだけよね?ねえ、誰かに攫われたなんて、そんなの、うそよね?)

 

ピーカとグラディウスの後を、全力で追いかけた。息が切れて喉やお腹が痛くなったけれど、そんなことどうでもよかった。ルシーさんに会いたかった。探しにきてくれたの?ありがとう、と笑う姿を見せて欲しかった。私の知らない間にバイスから話を聞いていたのか、ピーカが私に指示をしてきた。

 

「グラディウス、ベビー5、花屋で聞き込みをしろ。おれは隣街ごと歓楽街を壁で覆う」

 

「ああ…!」

 

「っ」

 

息を飲んだ。…花屋?歓楽街の花屋で、花を買ったことを思い出した。私が強く握ったせいで、萎れてしまった赤いバラ。ルシーさんはそれを大切そうに受け取って、長さを整えて小さな花瓶に活けてくれた。丁寧に、美しく飾ってくれたその花を見るたび、私の心はふわりと舞い上がるように揺れた。まるで、私のことも、そんな風に大切にしてくれたように思えたから。

 

「…分かったわ」

 

花屋の場所なら分かる。私が買った店じゃなかった。その次の店でもなかった。けれど3軒目で、昼間に花を選ぼうとしていた女性がいたことを突き止められた。

 

「大きな男に付き添われた、白い服の金髪の女だろ?確か昼過ぎだったな。熱心に選んでたのに、気がついたらいねェんだよ。男の方はまだいたのに変だなァ、と思ってたら、側にいたこれまた美人のねえちゃんがな、女に肩を貸して向こうに連れていったんだ。ありゃァ貧血か何かで倒れたんだな、と思ってな?通りの女にうつつ抜かしてやがる男の方に、お連れさんが行っちまうよ、って親切心で教えてやったわけ。けどそん時にゃもう2人ともいなくってよォ…」

 

ぺらぺらと仔細に話す花屋の男が疑わしく思えて、なぜそんなに詳しく覚えているの、と尋ねると男は首を捻りながら言った。

 

「んん〜…なんでかねェ…?あの時間帯にしちゃ妙に女が多かったからか…?…いや、あのねえちゃんがここらでもとびっきりの美女だったからだな!」

 

「山の方ね!ありがとう!」

 

建物よりも高い位置から街を見下ろすピーカの元へ走って、ルシーさんに類似した人の情報を伝えた。

 

「女の人が気絶した白い服の女の人を連れて、山側の方に行ったって…!」

 

「……分かった」

 

石畳の中を動き出したピーカを追って、途中でグラディウスにも声をかけた。

 

「グラディウス!向こう!」

 

「ああ…!」

 

ピーカの後を追って、山の倉庫の一つに飛び込んだ。丸い大きな石が見えて、もしかしてあの中に、と胸が踊った。

 

「ルシーさんっ!!!」

 

「ルシー!!!」

 

「っ…ここにいるよ!」

 

ああ、見つけた!ルシーさんがいる!ほっとして、けれどルシーさんを攫ったやつらが心から憎くて、能力で思い切り銃弾を浴びせてやった。

 

「ルシーさんに酷いことしたのね!?許さないっ!」

 

「…分が悪いわね。ここは手を引きましょう」

 

手を引く?手を引くですって!?だめよ、許さない。若様の前に引きずり出してやるんだから!ピーカが逃げ場を閉ざして、私とグラディウスとで攻撃を仕掛けたというのに、動物の顔をした男がピーカの石壁を破壊して逃げて行ってしまった。なんで…なにあれ、あんなことができるなんて…!

 

「チッ…あいつら…、絶対に許さないんだからっ!…ピーカ、ルシーさんに会わせて!」

 

あんなやつら、もうどうだっていい。この石の壁の向こうにルシーさんがいる。ルシーさんに会いたい!ルシーさんはきっと、いつもみたいに笑って抱きしめてくれる!ねえルシーさん、ルシーさんのことを私たちが助けたのよ!

 

「……ダメだ」

 

「えっ!どうして!?ルシーさんは無事なんでしょ?」

 

さっきのルシーさんの声は元気そうだったのに、どうしてピーカはそんな意地悪をするの!?ひどいわ!

 

「ねえ、ルシーさんっ!」

 

ルシーさんに会いたい。ルシーさんもきっと私たちに会いたいって思ってくれてるよね?だってルシーさんは家族が大好きだもの。私たちのことが大好きだって、いつも言ってくれるもの!邪魔な壁を殴りつけて、ルシーさんに呼びかけた。ルシーさん、ルシーさん!返事をして…っ!

 

「!ルシーさ、ん…」

 

壁が、ようやく崩れた。ルシーさんに会える、やっと会える。…そう、思ったのに。

 

「…!?」

 

(だれ、これ?)

 

ルシーさんじゃない…。北の海の街に積もったばかりのまっさらな雪のようなお姫様じゃなかった。いつだって白くて、ふわふわしていて、キラキラしていて、柔らかそうで、綺麗な……ルシーさんじゃなかった。踏み躙られて泥と混ざったような、汚らしい街の雪みたいになってしまった。取り引き先の商船で扱われているような、女の人たちみたいになってしまった。なのに。

 

「ルシー、さん」

 

私の声ににっこり笑ってくれる、この人は。どれだけ目をそらしたくても、私の大好きなルシーさんだった。

 

「…ルシーさん…っ!」

 

(何で泣かないの?どうして悲しまないの?こんなに、こんなにも酷いことを、されたのに…どうして怒らないの?)

 

こんな姿のルシーさんを見ていられなくて、ルシーさんに抱きついた。商船の女の人たちみたいに、泣き喚いて、暴れて、絶望してもいいのに。まるで人間じゃないみたいに、ルシーさんは笑ってた。ーー神さまみたいに。

 

「お迎えに来てくれてありがとう」

 

(そんなこと、言わないで…)

 

頬が腫れているのに、ルシーさんが顔を寄せてきてくれた。いつものように、私を抱きしめるように。ぐちゃぐちゃにされて、汚されて、でもまだルシーさんからはルシーさんの優しい匂いもしてて。本当に、本当にあの白くて優しい人が、こんなことになってしまったんだって、実感した。

 

「ピーカも、グラディウスも、ベビちゃんも…ありがとう。大好きだよ」

 

(ありがとうだなんて…私、ルシーさんの役に立ちたかっただけなのに…っ)

 

もう、手遅れだったのに。私がルシーさんに大好きなんて言ってもらえるわけ、ないのに。

 

(優しいルシーさんは、かわいそう)

 

誰かの食い物にされるだけのこの人は、かわいそう。

 



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39話…ロシナンテ視点

活動報告よりリクエストをいただきました。
「39話のロシナンテ視点」です。
サン&ムーンさん、リクエストありがとうございました。



ドフラミンゴから聞いていた。おれが戻る直前に、ルシーがドフラミンゴを庇ったんだと。庇って、撃たれて…死にかけたんだって。

 

「……見聞色かもな…」

 

厄介なことになった、と言外にドフラミンゴはグラスを傾けた。血のようなワインが飲み干され、空になったグラスにドフラミンゴは再びワインを注いだ。満たされていくグラスを見ていると、妙に心が落ち着いた。

 

(…ルシーは、ドフラミンゴを庇ったのか)

 

逃げよう!と幼い頃の妹が発した声を思い出した。

 

『ドフィ兄上がいないのは今しかないの!ロシー兄上、逃げるよ!』

 

あの時初めて、妹は自分と同じで、ドフラミンゴを恐れていたのだと知った。ずっとドフラミンゴに笑いかけて、平然と話して、死体を踏みしめながらおれの手を引いた妹は、ドフラミンゴと同じバケモノに見えていたのに。おおよそ人間らしい感覚を根こそぎ失った、人形のようだったのに。本当は怖かったんだと…おれは兄なのに、知ろうとしなかったんだ。あの小さく弱い妹に、守られていたんだ。

 

(……やっぱり、お前は父上と母上の子なんだよ、ルシー)

 

どんなことになっても、お前はドフラミンゴのことも許してしまうんだ。

 

『大丈夫!絶対大丈夫!私がみんなを守るから!』

 

もっと幼い頃の妹が言った言葉だ。たとえどんなことになっても、ルシーはドフラミンゴを守ろうとするんだろう。銃口を突きつけられてなお、笑顔で謝った父上のようだと思った。そんな父上と妹を重ねて見てしまうから、ドフラミンゴは不安がって、苛立っているのだと、そう…思ったんだ。ーーーなのに。

 

「ロシーッ!」

 

「……、っ!?」

 

鋭い妹の声にハッとした。子どもたちを連れて部屋に行ったんじゃ、と思う間もなく、腕を掴んで引きずり倒された。自分の半分とまではいかないものの小さな体のどこにそんな力があったんだ。一体何が起きたんだ。

 

「しまっ、」

 

考えがまとまらない。けれど、耳は正確にその銃声を捉えて。陽の光を背にした妹の腹から、血が吹き出る様を、見ているしかできなかった。

 

「ーーーっ!!!」

 

(ルシー!!!嘘だろ!?なんで、なんでこんな…!!!)

 

倒れてきた妹を抱きとめると、手が熱い液体にどろりと濡れた。

 

「向かって左下!」

 

なんで、そんなに冷静に指示を出してんだ。

 

(お前は優しい父上と母上の子だろう…!!?)

 

痛がらない。怖がらない。悲しまない。そんな妹を見て、可哀想だと、哀れだと思えない自分がいた。

 

(おれの知らない間に、お前はドフラミンゴと同じになったのか)

 

軽く柔らかな体を抱き上げて、ドフラミンゴの部屋に走った。不思議そうに自分を見上げる妹の姿なんて、見ていられなかった。痛さを感じない。銃で撃たれて怯えない。血を見ても平然としている。

 

(ルシー…お前は弱いままでいいんだ…!)

 

痛みを感じなくても、痛がればいい。怪我に怯えて悲鳴の一つや二つあげたっていいんだ。血に怯えて、こんなところは嫌だって、言えばいいのにーー。

 

(ドフィが恐れていたのは、これかーー)

 

室内の様子を伺うこともせず、走る勢いのまま扉を足で蹴破った。

 

「…っ!!!」

 

「ん?なんだコラソン、ノックを……」

 

窓辺で書類を読んでいたドフラミンゴが、おれたちの姿を見て立ち上がった。ばらりと書類が雪のように床に投げ出された。

 

「ルシー!?何だこれは…!何があった!?」

 

駆け寄ったドフラミンゴの前に、ルシーを下ろした。ひどい怪我に血の気の引いたおれたちとは正反対に、ルシーはひどく冷静に状況を話し始めた。不具合の出た人形のように途切れる言葉が、痛々しかった。

 

「ーーお前を狙ったのか」

 

怒気の混じるその言葉を聞いて、ハッとした。先日の誘拐を思い出した。また、狙われたのか。アジトで隠すように生活をさせているのに、また…!?

 

「違う。外に、出ようとした、ロシー、狙ってた。私、ロシーを、部屋に、引っ張って、そしたら、私ーー…」

 

おれを、庇ったのか。おれのせいで、怪我をしたのか。ルシー…!堪え難い感情が湧き出て、知らずと唇がわなないた。そんなこと、お前がしなくていい。お前は何も知らないまま、安全な場所で笑っているだけでいいのに。

 

「見えた、から…」

 

誇らしげに、嬉しげに、妹は笑った。血にまみれたまま、心底嬉しそうに。ーー吐き気がした。妹が、同じ人間に見えなかった。

 

「…覇気か」

 

「………」

 

「お前には、今後一切の外出を禁止する」

 

は、と吐息のように聞き返した妹を哀れに思った。さっきの笑顔なんてどこかに消えて、混乱するようにおれたちの顔を見上げていた。妹は、理解していなかった。自分の異常さを、悲しさを。感覚だけでなく自分の思考が人でなくなりつつある、その事実を。何一つ…理解していなかった。

 

「聞こえなかったのか?おれたち全員が揃ってアジトを変える時以外での、お前の外出の一切を禁止する。おれは間違ったことを言ってるか?ロシー」

 

「………」

 

ドフラミンゴは、何も間違っちゃいなかった。兄を庇う妹の姿を、おれも見てしまったから。ルシーがおれを…庇ったから。身を呈して守るしかできないのなら、見聞色など会得しなければよかったんだ。

 

「なんで……?喜んで、もらえると……思ったのに…ッ!!!なんで…っ!!?」

 

ドフラミンゴは、父上とルシーを重ねて忌々しく思ったんじゃなかった。幼い頃の弱い妹と、バケモノのようになっていく今の妹を比べて…それを止められない自分に、嫌悪していたんだ。妹の白い服が赤く染まっていく。それをワインのように飲み干してしまいたかった。この弱い妹を白いままでいさせられるのなら、何だってしてやりたかったのに。

 



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44話…グラディウス視点

活動報告よりリクエストをいただきました。
サン&ムーンさんより、「44話のグラディウス視点」です。
リクエストありがとうございました。


「おいグラディウス、見ろよ。ガキがガキの子守りをしてやがるぜ!」

 

ディアマンテが面白くて仕方がないと腹を抱えて笑っていた。促されて泣き喚くガキの方を見ると、慣れない手つきでガキをあやす小さな背中があった。普段は達観したような目をしているルシーが、何かに手間取り眉を下げる姿は珍しかった。そういや銃を教えた時も最初はあんな風だったか、とかつての姿を思い出した。

 

(ガキがガキの子守りをしてる、か)

 

年の離れたディアマンテにはそう見えるのだろう。何せ、10にもならない年齢からルシーを見ているのだから。おれにとっては昔から年上ぶった余裕の表情で近付くあいつをガキだと思ったことはなかったが。

 

「うあぁあーっ!!!」

 

「あばば…!デリンジャー、髪の毛!ちょ、ストップストップ!絡まってるからま…あっ!食べちゃダメだって!」

 

ルシーの長い髪を握りしめたガキが、髪を口に運んだらしい。悲鳴をあげて慌てふためくルシーの姿を見て、ディアマンテが膝を打って笑い転げていた。だがーー。

 

(………イラつく…?………?)

 

ジリ、と焦燥感のようなものが胸をよぎった。

 

(…ガキの泣き声がカンに障るからか)

 

まだ言葉も理解できないようなガキ相手に必死に話しかける姿に背を向けた。日がな一日ガキの相手をしているあいつとは違って、おれには仕事がある。……もう大方片付いたが、早く終えて問題のあるものでもないし、若に報告もしなけりゃならない。

 

「ふゃぁあ…!」

 

夜中に聞こえた音に、パッと目が覚めた。瞬時に敵襲かと身構えて、遠くで警報のように鳴り響く音がガキの泣き声だと理解した途端に、体の力が抜けた。

 

「チッ」

 

あのガキが来てからは毎晩毎晩ずっとこうだ。早々に慣れたやつらは気にせず眠っていたが、神経が尖るのかおれはなかなか慣れなかった。行き場のない苛立ちを抑えて横になり、布団を引き上げた。ガキももう少しすれば黙るはずだ。そうすればおれも眠れる。

 

「…よしよし、デリンジャー……お腹空いたのかなぁ…それともおむつ…?」

 

仲間たちの寝息に紛れて、静かな夜を縫うようにそんな声が聞こえた。寝起きのぼんやりした声は、間違えようもなく、ルシーのものだった。

 

「あいつ…」

 

時計を見ると、深夜の3時。本来ならあいつは熟睡している時間のはずだ。……まさか、と思い当たった途端に、漂っていた意識が浮上した。

 

(ガキが泣く度に起きて相手してたのか…?)

 

そういや最近は目の下に隈が目立っていた。肌も荒れて、日中の欠伸も多かった。デリンジャーが大人しい時には、ほんの数秒でも目を閉じて眠っていた。あれは全て、ガキの夜泣きのせいなのか。

 

(バカな女だ)

 

ガキで遊びたいのなら、もう少し落ち着いた頃のガキを若に強請ればよかったものを。奴隷の女に同情でもしたのか、腹の子をファミリーに加えるようなことをするなんて、バカだとしか思えなかった。

 

「ーーー…ーーーーー…」

 

気の抜けるような細い声が聞こえた。聞いたことのない不思議な音程のそれは、聖地で生まれ育ったルシーや若に馴染みの子守唄なのだろう。奇妙なことに、近くで眠る仲間たちの寝息よりも、遠く離れた部屋のルシーの子守唄の方が、すぅ、と染み込むようによく聞こえた。

 

「ーーーー…ーー、ーーーー…」

 

いつの間にか、あんなにうるさかったガキの泣き声は途切れていた。もう泣いてないのに、子守唄は途切れず続いている。それがなんだか、自分のために歌っているのではないかと錯覚するほど、優しく聞こえたのだ。

 

(……あいつも……さっさと、寝りゃ……いいん、だ…)

 

寝不足や慣れない育児が顔に出るほど辛いなら、誰かに助けを求めりゃいいんだ。ガキが好きなジョーラやラオG、ピーカだって、頼めば夜泣きの対処ぐらいしてくれるだろうに。

 

(……おれだって…)

 

ふつ、と意識が途切れた。どうやらあのまま寝てしまったらしい。身支度を整えて台所に向かう途中、ジョーラの叫び声が聞こえた。

 

「っキャーーー!!!ルシーがまたデリンジャーに食われてるざますー!!!」

 

「そんなカニバみたいなこと言わないで!?」

 

即座に反応しているところからすると、それほど酷い状態ではないのかもしれない。そう思いながら姿を探せば、首も肩も胸の中頃まで血で真っ赤に濡らしたルシーがへらへらと笑っていた。

 

(あいつ…!バカだバカだと思ってたがここまでバカだとは…!)

 

「お嬢、ここに座りなされ」

 

「おい、遅いぞ!消毒液はまだか!」

 

座らされたルシーの首元、噛まれたであろう場所を圧迫止血すると、すぐさまベビー5がタオルを持って来た。

 

「ルシーさん、タオルを首に当てますね!」

 

手際よく服をはだけさせるベビー5の代わりにタオルで抑え、血が付いた髪をかきあげてやった。相当強く噛み込まれたのか、小さい歯型だというのに出血がひどい。だというのにルシーはディアマンテにミルクをやってほしいなんて呑気に頼んでいる始末。こいつ……真性の阿呆だ!

 

「ルシーさん…ちゃんと寝てる?」

 

「うん、もちろん。ちょこちょこ睡眠とってるよ?」

 

「うそ!だってデリンジャー、昨日も夜中にすっごく泣いてたわ!ルシーさんの声も聞こえたもん!」

 

「あら…起こしちゃってごめんね」

 

「そんなのいいの!…ルシーさん、クマもできてるのに」

 

ほらみろ。こんなガキでもお前が無理してるってのは分かってるんだ。なのになんで自分のことが分からねェんだ。感覚がないだとかそんな問題以前に、自分が生きた人間だってことを忘れてるようにすら見える。それが…年々、ひどくなっている。ガキの頃に骨にまでナイフを食い込ませておいて平然と笑う姿にゾッとしたのを思い出した。…嫌な記憶だ。

 

「おい、ちゃんと寝ろ」

 

一纏めにして持ち上げた髪を引くと、近くで見るとなおさら悪い顔色でへらりと笑っていた。

 

「大丈夫大丈夫、寝てるって。てか夜泣きしてたらみんなが寝られないでしょ?」

 

「お前が気にすることじゃねェ。それにガキなんざ勝手に泣かせておけばいいだろ」

 

そう言うと、ルシーは困ったように笑った。別に泣いただけで死ぬわけでもねェんだ。ガキなんざ泣かせときゃいい。そのうち黙る。奴隷だってそうじゃねェか。

 

(ーーーまさか…おれたちが目を覚ますとでも思ってんのか?)

 

「グラディウス、ちゃんとルシーさんを抑えてて!」

 

知らずと手の力が抜けていたらしく、長い髪がたわんでいた。嬉しそうにベビー5を見ているルシーの肩と髪を固定した。ふと、血に混じってルシーから甘い匂いがした。ガキ特有の匂いだ。

 

(実の親でもねェくせに)

 

他人のガキなんざ適当に育てときゃいいじゃねェか。そう思ったが、言えなかった。おれには分からねェが、こいつはきっと悲しむだろうから。

 

「…一人で何でもできると思ったら大間違いだ。お前のような弱いやつが半魚人のガキを一人でまともに育てられるわけねェだろ。だいたいお前は…」

 

とめどなく口が不満を垂れ流す。その最中に、ルシーが動いたからか、金の髪がさらりと手のひらをくすぐった。

 

(どこもかしこも齧られやがって)

 

ガキが来るまでは綺麗な髪だったのに。少し傷んだ髪に、そんな髪にしたガキを許すルシーに、無性にーー腹が立った。

 



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16〜13年前
46.大嘘付きの大博打


「おっじゃまっしまーす」

 

夕食後にロシナンテの部屋に行って、今後の相談をすることにした。

 

「…?」

 

「兄上」

 

手でドームの形を作って防音壁をお願いすると、ロシナンテがパチリと指を鳴らした。よく眠っているデリンジャーの背中を軽く叩きながら、ロシナンテの部屋の木箱に座った。ここでの商売が落ち着いてきたから、また引越しになる。今度は船での生活が主になりそうだ。

 

「どうした?」

 

「ローのことで伝えておこうと思って。あの子、兄上を刺すよ」

 

「……だろうな」

 

「いやいや、だろうな、じゃなくて。たぶん、ロシーの左脇腹。ゴミ捨て場で背後から奇襲してくるはず。ナイフが貫通しちゃうよ」

 

「ルシー、なんでそんなことが分かるんだ?」

 

「へ?あー…うーん……あっ、見聞色の覇気で?なんか?未来が見えた的な?うん、まあ、そんな感じ」

 

「何だって!?」

 

思わず、と立ち上がった勢いで躓いてロシーが盛大に転んだ。あーあ、またドジして…。

 

「無駄な怪我はやめたほうがいいよ。だからこれ、背中に巻いといて」

 

しょっちゅうデリンジャーに齧られる私のために、ドフラミンゴとトレーボルが仕入れてくれた防刃帯を渡した。

 

「そ、そんなことよりお前…見聞色の覇気だって!?そんな、未来が見えるなんて…!」

 

鬼気迫る顔で迫ってきたロシナンテに落ち着けと言っておいた。どうどう。ちなみに嘘を吐いてドッキドキしてる私の胸にも落ち着けと暗示をかけた。どうどう…。

 

「で、前に言った電伝虫、どう?」

 

「…あるにはあるらしいが、海軍から受け取る術がない」

 

せやな。幹部のコラソンが海兵と接触とか、裏切り行為も甚だしい。何より、その海兵がヴェルゴかもしれないのだし。…あっ、そうだ忘れてた。

 

「兄上。ヴェルゴが海軍でスパイしてるよ」

 

「!!!」

 

あ、また転んだ。

 

「でもたぶん泳がせておいたほうがいいと思う。なんでバレた、ってなったら、きっとドフラミンゴはロシーを怪しむから」

 

今はヴェルゴを泳がせておいてもらわないと、今度は私の知らない誰かをスパイとして送るかもしれない。そうなったらもうどうしようもないから。

 

「……けど、センゴクさんに報告しねェと」

 

「……じゃあ、名前は伏せて報告したらいいと思う。少なくとも、ロシーがスパイをやめて海軍に戻るまでは、できる限り内部情報を漏らしてることをドフラミンゴにバレない形を取るべきだと思う。海軍にスパイがいるのだし、変に騒ぐとすぐバレるよ」

 

ドフラミンゴの嗅覚は猟犬並みだから。ドフラミンゴの相棒のヴェルゴだって優秀なのだし。本心からそう進言すると、ロシナンテは少し考えて、そうだなと納得したように頷いた。

 

「…分かった。おれの任務はドンキホーテ海賊団の内部を洗うことだ。…まだバレるわけにはいかないんだ」

 

さっさと海軍に帰っちゃえば、と言いたい。こんな綱渡り、しなくていいじゃないかと。でも、ローに会ってしまったから。ボロボロで、本当に小さい頃のドフラミンゴそっくりの目で、何も信じていないと言ったあの子を助けるには、オペオペの実しかないんだから。

 

(ローの人生に、ロシーがいなくちゃいけないんだから)

 

「…フレバンスのこと、みんなと一緒に調べたらいいよ」

 

「どういう意味だ?」

 

「世界政府があの子に何をしなかったのか、海兵なら兄上も知るべきだから」

 

じゃあね、とデリンジャーを抱いて部屋に帰った。大きく、大きく、息を吐き出す。

 

(これで、もう、後には引けない)

 

ロシナンテがローに刺されるのを阻止する。ロシナンテがオペオペの実奪還時にヴェルゴと会ってしまうことを防ぐ。…そしたら、きっと、ローは助かり、ロシナンテも…銃で撃たれたりはするけど、致命傷までは受けずに逃げ延びる道が出てくる。うまくつる中将と連絡をとれば…海兵嫌いのローは嫌がるだろうけど、ロシナンテとローは海軍に保護してもらえるはずだ。

 

(でもって、どさくさに紛れて私も逃げよう)

 

私は外出禁止令が出されているから、きっと船でデリンジャーと一緒に留守番をさせられるだろう。鳥かごを抜けたドレークが海軍に保護してもらったように、海軍に顔の割れていない私も保護してもらえたら…。

 

(……あ、でもCPには顔バレしてたわ)

 

その辺は…どうしようかな。でも、そんなことを考えられる頃には、きっと私は檻から出て自由の身になれているはずだから。

 

「がんばらなきゃ」

 

デリンジャーのことだって、守らなきゃいけないのだから。

 



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47.初めて守れた日

ローはあまり私に近付いてこない。というより、まだ家族でもないローをアジトに上げるわけがないし、私は外出禁止令が出ているしで、接点がないのだ。それでも、ゴミ捨て場に座ってじっと海を見ているローのことは、窓からよく見えた。

 

(…あ、こっち見た)

 

遠く離れているのに視線を感じるのか、ローが時々こっちを見て、すぐ違う所に移動してしまうのも日課になりつつある。それでもあの子は目立つから、どこに行ってもすぐ見つけられるんだけど。

 

(向こうは12番倉庫や13番倉庫の方か………ん?今日ってみんなが帰ってくる日だよな。先週から大掛かりな仕事があるって出かけてて…)

 

記憶の中の原作をぺらりと捲る。確かフレバンスの話の回……ローがロシナンテを刺す直前。あの子、12、13倉庫の方にいた…!

 

(ロシナンテ…!ちゃんと防刃帯巻いといてよー!?)

 

ひやひやしながら玄関で待って、待って、夕方になってようやくロシナンテが帰ってきた。

 

「!あにうべふっ」

 

「………!」

 

ロシナンテに持ち上げられて、部屋まで連行された。えっ、ちょ、傷は!?

 

「け、怪我は…!?大丈夫だったの?ロシー!」

 

指をパチンと鳴らして防音壁を張り、ロシナンテは大きな息を吐いた。顔色は…悪い。汗が流れている。

 

(お、お腹………あっ、傷が、ない…!)

 

前面から見て、ロシナンテの左脇腹に血のシミや刃で貫かれた跡はなかった。

 

「………お前の言う通りになった…」

 

「うん、でしょーね。後ろ向いて」

 

言ったのに向いてくれなかったので、デリンジャーを抱いたまま私が背後に回った。モフモフコートを引っ張って、刺されて穴の空いた趣味の悪いハート柄の服をめくりあげて、大きな体に防刃帯が巻かれていることを確認した。…そこにも穴が空いている。うそ、子どものくせにどんな力で刺したんだよ。冷や汗を流しながら帯を除去して…その下のロシナンテの体に傷がないことを確認した。

 

(傷が…ない)

 

は、と息が漏れた。緊張しすぎて息が止まっていたみたいだ。どこも怪我してない。傷がない。

 

「……よかった…ッ!」

 

ふっと体の力が抜けて、床に座り込んでしまった。腕の中のデリンジャーが驚いて泣いている。ああ、でも、よかった。どこも怪我していない。

 

「…ルシー…すごいよ、お前は。お前がおれを守ってくれたんだ…!」

 

「うん…ゔん"…っ!」

 

「ありがとうな…ルシー」

 

ぎゅう、と抱きしめられたロシナンテからは、血の匂いなんてしていなくて。

 

(私にも、ロシーを助けられる…原作を変えられるんだ…!)

 

嬉しくて、嬉しくてーーー涙が止まらなかった。

 



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48.どこかの誰かさんそっくり

いつもは私抜きでやってる会議に、今度拠点を移すからと出席を命じられた。南東に拠点を移しつつ拡大していく、ってやつだろう。前々からそういう話が出ていたから、みんな荷造りはできているだろうし、今日の会議はたぶん詳細を話すためのものだ。ちょっとやそっとでは泣かなくなったデリンジャーも連れて行っても会議の邪魔にはならないだろう。モフモフコートを動かしてデリンジャーのご機嫌をとりながら移動していると、同じく移動していたローとかち合った。

 

「こんにちは、ロー」

 

「………」

 

ぷい、と顔を逸らされて、地味にショックだった。うーん、嫌われてるのかなぁ。でもローとはあんまり関わったりしてないんだけど。どうせ一緒の方向なんだし、とローの隣に並んだ。

 

「ここには慣れてきた?」

 

「………別に」

 

おー!可愛くねえ!生意気ー!でもそこが可愛いー!前世も含めて○○歳に突入した身からすれば、こんなクソガキは強がってる可愛いだけのガキンチョにしか見えない。初々しいなあ、と満面の笑みで見下ろしていたら、私の無反応が気になったのか、ちら、と見上げたローにドン引きされた。

 

「な…何だよ!気持ち悪いやつだな!」

 

「べっつにぃ〜?可愛い子だなーって思ってね」

 

ひくっ、とローの喉が震えた。あ、これは怒鳴るぞ。そう思って見ていたら、本当に怒鳴ってきた。おーおー、昔のグラディウスそっくり。余裕綽々の大人相手に感情のままに怒鳴るなんて…素直だなあ。可愛いなあ。

 

「何でおれに構うんだよ…!何が目的だ!」

 

お、この辺はグラディウスとは違うな。頭がいいというか、他人が近付く時には何か目的を持っているのだと確信している目をしてる。

 

「目的?んーーー…」

 

そんなもの、言えるわけないでしょうが。あなたを助けたいんです?その珀鉛病はオペオペの実で治ります?そんなの言えるわけないし言うつもりもない。頭のおかしなバケモノ扱いなんて嫌だし。…あ、昔グラディウスにバケモノ呼ばわりされてたわ。今は私へのその印象が変わってるといいなぁ。

 

「…あ、目的っていうか、ローと手を繋ぎたいかな」

 

「は…!?」

 

「ほらほら、手を繋いで一緒に行こうよ」

 

「〜っ!ぜっっってーーに!嫌だ!誰がそんなことするか!!!」

 

ローが元気に走って行ってしまった。うーん、やっぱ嫌われてるなぁ…。

 

(まあ、これから少なくとも2年は一緒にいることになるんだし…ゆっくりやっていこうかな)

 

せっかくなんだから仲良くしたい。私、トラファルガー・ローのこと、割と好きだし。それにほら、私たちは『家族』でしょ?

 



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49.気付かぬうちに染まっているもの

新聞を読んでいて、端の方に珀鉛病の話が載っているのを見つけた。なんでも、フレバンスの周辺国でも一部伝染病患者が現れたけど、最後の1人を適切に処理したからご安心ください、という内容らしい。

 

(…そりゃそうか。珀鉛が含まれる地層が、人の決めた国境なんかで区切られるわけでもなし。きっと近くの村なんかでも珀鉛が採取できたりしてたんだろうな)

 

可哀想に、と他人事のように薄っぺらく思った。思った後で、ふと、ローのことが気にかかった。あの子、本当に原作通り3年未満までは保つの?もしかしたらもっと死期が早まってたりしない?そう思うといてもたってもいられなくて、さっそく兄に相談しようと思った。もちろん、怖い方の。

 

「あにうえー。ちょっといいー?」

 

「あ?どうした?…もうデリンジャーの服が小さくなったのか?」

 

赤ん坊ってすごいよね。服を買っても買ってもすぐ大きくなって着られなくなるんだから。…じゃなくて。

 

「いや、服はまだもうちょい大丈夫っぽい。それより、うちに船医入れない?」

 

「船医だ?応急処置ならおれやジョーラでもできる。お前が病気になってもおれやロシーがなんとでもしてやれる。何より今まで船医なんざ必要なかっただろ?」

 

「まあね。でもローの珀鉛病をなんとかできないか研究してもらいたいのよ」

 

「ローの?…なるほどな、確かに運なんてもんに委ねるにはあいつは惜しい。延命程度でもしておくべきか」

 

「ってか私思うんだけど。運が良かったらフレバンスなんかに生まれてなかったはずでしょ?」

 

ミニオン島でロシナンテはローが生かされていると、救いの神がと考えていたけれど、実際のところはとんでもない不幸を先取りして、とんでもない幸運が後から来たってだけの、いわゆる帳尻合わせなだけだと思う。それでも、帳尻が合わせられるだけ、ローは運がいいんだろうけど。でなきゃ不幸だけの人生を歩んで終了だ。

 

「…!フッフッフ!違いねェ!!!」

 

私の言ったことがお気に召したのか、ドフラミンゴが膝を叩いて笑った。

 

「ローの血液…あと、珀鉛病の人の死体とか体液とかが裏で回ってない?伝染病って報道だし、細菌兵器的な扱いで。あと、結婚とかして国外に移住した人の存在とか。別に船医じゃなくても、そういうので研究してくれる人でいいから、うちで雇えないかな」

 

「……そうだな、分かった。専門家を雇って研究させようか」

 

何の専門家かは聞かないほうがよさそうだ。けど、ドフラミンゴに頼んでおけば、私なんかがあーだこーだと提案する何万倍もの手段で必ず研究を進めてくれるだろう。その辺りだけは私はドフラミンゴを信頼している。

 

「しかし……」

 

「ん?」

 

「……フッフッフ…いや、何でもねェさ。ルシー、ローの面倒も見てやれよ」

 

「うん。…まあ、あの子が嫌がらない程度にね」

 

だってあの子、私のこと嫌いっぽいし。嫌がる子相手にくっついていくのは…まあ、それはそれで反応が楽しいからいいんだけど、グラディウスの時と違って四六時中べったりくっついていくわけにもいかないし。ほら、デリンジャーがいるからね。

 

「あいつがここから抜け出そうと考えねェように、だ」

 

「へ?いやいや、別にローは理由もないのに自分から抜け出したりしないでしょ。なんでわざわざ?」

 

「お前、分かってねェのか?」

 

「何が?」

 

え、いや、何の話?質問の意図が全く読めない。首を傾げた私をドフラミンゴはじぃっと見つめてきた。…やだ、何その熱視線…照れる…。

 

「……ルシー」

 

「なにー?」

 

「お前、とんでもねェ悪女だなァ」

 

妹になんて事言いやがる!!!

 

「はあ!?悪の大魔王に悪女とか言われたくないんですけどー!」

 

「フッフッフ!」

 

心の底から心外だとぎゃんぎゃん文句を言う私を見て、ドフラミンゴは楽しそうに笑っていた。

 



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50.代わりはいないから

「ウワッ!?ちょっと…今日はまたひどいねぇ…」

 

「ル"ジーざん"…っ!」

 

ドフラミンゴの脚にしがみついて泣いていたベビー5が駆け寄ってきた。今度は私にしがみついてめそめそと泣きじゃくるベビー5の背を撫でて、怪我は?と聞くと、大丈夫、と首を振っていた。いやいや、知ってるぞ?さっきチラッと見えたけど頬に殴られた痕があったじゃないの。

 

「兄上…どうしたの、これ?」

 

「勝手に賞金首に挑みやがったんだ。額としちゃ小物だが、こいつらにはまだ早かったってだけだ」

 

まったく、と呆れたようにため息を吐いて、ドフラミンゴはネクタイを外した。なるほど、自分から危険に突っ込んで行ったってことか。…ん?こいつら?

 

「え、ベビちゃんと誰……あ、もしかしてロー?」

 

「ああ」

 

大男の名前はなんだっけ?確かローの過去編でベビー5とローが死にかけて、それをドフラミンゴやロシナンテたちが間一髪助ける的なシーンがあったはず。自分の力試しとでも考えていたのか、賞金首を見つけて気が急いたのか、それともうちの海賊団のみんなよりも額が低いからって侮ったのか…。とりあえず、バカなことをしたことは確定だ。

 

「ーーーベビちゃん」

 

「はい…きゃっ!?」

 

燃える熱い想いを込めて、ベビー5の丸い額にデコピンを食らわせてやった。じっとりと見つめてやれば、やはり後ろめたさでもあるのか、そっと目をそらされた。涙目で。可愛い……いや、アホの子である。私と違って殴られたら痛いし悲しいだろうに、なんでそんな無謀なことをするのか。

 

「私はとっても怒ってます。何で怒ってるか、分かる?」

 

「………」

 

ぎゅっ、と唇を噛み締めて耐えているようだけど、大きな目からはぼろんぼろんと大粒の涙が落ち始めた。私がいつまでも甘いと思うなよ。

 

「ベビちゃん」

 

「……私が、ちゃんと…できなかっだ、がら"……っ!」

 

アホだ。アホの子だ。そうでなければ……可哀想な子だ。ちょっとはマシになってきたと思ったのに。

 

「あなたが危ない目にあったからよ」

 

「…っ」

 

ああ、やっとこっち向いた。鼻水まで垂れてきたバカ娘の顔を、手近にあったタオルで拭ってやった。…あ、これデリンジャーのよだれ拭きだ……いや、今はそんなことより。

 

「私はあなたが大好きよ、ベビちゃん。でも、そんな風に無策に危険に突っ込んで行くような子は、嫌い」

 

「っ!やっ、嫌!ルシーさん、ルシーさんごめんなさい!嫌いにならないで…!」

 

(…やっぱり…意味、分かってないか)

 

私がなぜ嫌うのか、という言葉の『なぜ』を理解できないで、『嫌われる』にしか意識がいってない。この子の生まれ育ちがズルズル重しになって引きずってるからだよなぁ。……生まれ育ちというか、ベビー5が母親から捨てられた経緯に関しては、ちょっと思う所はある。あれは本当に母親が好きでしたことなのか、って所だ。だって原作ではベビー5の走馬灯的な感じでチラッと出ただけだし、肝心の母親の顔は黒塗りで目だけギョロッとしてただけだし。

 

(飢えてるっぽかったし、邪魔なら殺して食うとか売って金に変えるぐらいはしそうなのに)

 

けどこれは私の妄想。ちょっと今は関係ないし、おいておこう。それに、そもそもなんで子どもだけで挑んだのか不明なままだ。…ドフラミンゴが与えてるお小遣いだけじゃ足りなかったのか?

 

「…賞金首を倒して、どうしたかったの?」

 

「………若様と、ルシーさんに…」

 

え、何?懸賞金を贈呈って?いやいや、そんな俗物的な…。あっ、もしかして私がお金好きだとかロシーから聞いた?違うのよ、あれは子どもの頃の逃走資金のためであって!なんて内心慌てまくってたら、ベビー5が涙ながらに訴えてきた。

 

「私が、強くなったって、見せたかったの……だから…っ…!」

 

あ、そっち?賞金首を狩れたら強くなったってって証明になるって?いや、そんなわけないでしょ。能力の差とか色々あるんだし。何より経験も体も出来上がってない子どもが大の大人を倒したとして、それを実力ととる人がいるわけない。偶然だろうと片付けられるだけだってのに、ベビー5はそんなこと思いもしなかったようだ。そういうところが、まだまだ子どもだと思う。

 

「……やっぱりベビちゃんってバカね」

 

「う…ぅ……ゔうぅ〜っ……!」

 

「そんなことしなくても、ベビちゃんがちゃんと強くなってるって、みんな知ってるよ。焦らなくていいの。まだこんなに小さいのに、…無茶しないでよ、ベビちゃん。ねえ?兄上」

 

「ああ。お前らの代わりはいねェんだ。自分のことも大事にしろよ、ベビー5、ロー」

 

「………」

 

向こうでジョーラに手当てされているローの顔は見えなかったし、返事も返してはくれなかったけど。ローの小さな背中が、なんとなく…寂しげに見えた。

 



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51.喜んでもらうって難しい

乾杯、とグラスを掲げた。今日はようやくこの辺り一帯をしめる海賊団を殲滅できたらしい。元締めの首を獲って、ドフラミンゴが縄張りを丸ごと手中におさめた。つまり…北の海でのドフラミンゴの影響力がまた増したことになる。もう北の海トップといっても過言ではないかもしれない。…ロシナンテが険しい顔をしてるし。ってかロシー…幹部なんだから、もうちょい喜ばしいって顔しておかなきゃでしょうが…。

 

(お。ロー、何してんだろ?)

 

みんなの背丈に合わせて高さのあるテーブルに向かい、背伸びをして何かしようとしている。もしかしなくても、料理を取ろうとしているのか。

 

(でもって、ディアマンテたちはそれを見てニヤニヤしてる、と)

 

相変わらず性格悪いなぁ、と呆れた。料理を取るくらい手伝ってやれよ。あの様子じゃ何も食べられないだろうし、とデリンジャーをジョーラに預けた。ワイン飲んでるところをごめんなさいね。

 

「ロー、これがいいの?」

 

「……!」

 

びく、とローの薄い肩が震えた。勢いよく振り返って見上げる目の中に、やっぱり激情が見えた。…えー?私のこと、そんなに嫌いなわけ?地味にショックを受けていたら、ローが無言のまま立ち去ろうとした。

 

「あっ、ちょっとロー。ごはんは?」

 

「いらねェ!」

 

「いやいや、さっき取って食べようとしてたじゃん。取ってあげるよ?」

 

「いらねェっつってんだろ!放っておけよ!」

 

「それは無理。私、ローのこと好きだし」

 

いつかのグラディウスに言ったように言うと、ぴたり、とローが立ち止まった。おや?

 

「俺はあんたが大嫌いだ!」

 

「へえ。そう。だから?」

 

感情をぶつけてきたちびっ子相手に、大人げなくニヤニヤ笑ってしまった。ちっちゃいグラディウスだ!ちっちゃいグラディウス!おーい、グラディウス、今の見た?昔のあんたそっくりよ!これくらいの歳の悪ガキってみんなおんなじこと言う法則でもあるのか?

 

「…っ…いっっっつも人のこと見てるし!ウザいし!めんどくせェし!その顔も!その格好も…!見ててイライラするんだよ!」

 

「ちょっとロー!!!あんた、ルシーさんに何言ってんのよ!!!」

 

「ルシーさんにそんなこと言ってると拷問だすやん!」

 

ばしっ、とローの頭を叩いて睨まれたベビー5が、それでも珍しく、バッファローの陰に隠れて泣いて震えながらもローのことをぐっと睨んでいた。バッファローもわあわあと怒っているし。ローはベビー5たちに舌打ちをして、私を無視するようにして部屋から出て行こうとした。その肩を掴んで引き止める。

 

(要するに…私のこの格好が気にくわないと。家も道路も草木さえ白かった、白い町を思い出すから?)

 

顔の好みは知らん。ローが嫌いだと言っても、この顔は母親似で兄2人が気に入ってそうだから、変えるわけにもいかないんだし。というか、それならそうとちゃんと言いなさいよと思った。服の色が嫌だと一言言ってくれれば、白以外の服だって買ってもらって着るってのに。

 

「……そう。私が白いから嫌なんだ?じゃあ、白くなくなったらいいのね?」

 

冷静にならねば、と思いつつ、やっぱり私は冷静になれなかった。目に付いたワインの瓶が、誘惑するように蝋燭の灯りにピカピカ光って見えたのだから。

 

「ベビちゃん。後でお掃除を手伝ってくれる?」

 

「え?あ、はい!」

 

中身が酸化してしまっていると一口飲んで放置されていた赤ワインの瓶を手に取った。どうせみんな古いワインなんて飲まないんだから、別に私が使っちゃってもいいよね。目を見開いたローの前でーーー目の前で、ワインの瓶を逆さにした。

 

「っっ!!?」

 

ローは私の行動に驚いたのか、声にならない悲鳴を上げていた。そんなのどうでもいい。それより、早く染めてしまわないと、ドフラミンゴのパラサイトで止められでもしたらせっかくのチャンスが潰されちゃう。…ワインの瓶って逆さにしてもあんまり勢いよく出てこないんだな。めんどくさいけど瓶を上下に振りながら中身を出し切って、さて2本目とボトルを手にした段階でローがしがみつくようにして私の手を止めてきた。

 

(あ、みんな悲鳴上げてたんだ…。さすがに予告ぐらいしておくべきだった?いやー、でも止められたくなかったしなぁ)

 

どうやら、集中しすぎて周りの声が聞こえなかったらしい。…いや、単に私がカッとしていただけか。頭に血が上っていたことも、周りが目に入らなかったのも、いい歳した大人なのに恥ずかしい限りだ。

 

「や、やめろよーっ!!!あんた…何してんだ!頭おかしいんじゃねェの!!?」

 

頭おかしい扱いされた!ヒデェ!!!昔のグラディウスのバケモノ呼ばわりより断然傷つくぅ!

 

「ちょっと…止めないでよ。ほら、まだまだらじゃない?白いところが残らないように、ちゃんと真っ赤にしなくっちゃ」

 

「なんで…っ!!?意味分からねェよ!なんでそんなことするんだ!!!」

 

「だって私、ローと仲良くなりたいもの。私たちは家族でしょう?」

 

前髪から垂れたワインが目に入った。ああ、痛くないって最高!でも匂いがなぁ…全身からモワッと立ち上がる酒気に酔っ払ってしまいそうだ。

 

「…短い間でも、私は君と仲良くしたいよ、ロー」

 

億に一つもないけどオペオペの実の情報が流れてこなかったらとか、原作通り進んだとしてもロシナンテと一緒にここから出て行ってしまったりとか。どのみち、私がドフラミンゴといる限り、ローとは長く一緒にいることはないんだから。

 

「…っ…バッッカじゃねえの!!?」

 

あ、半泣きだ。おかしいなぁ、なんでローが傷ついたような顔をするんだろう。別に、服が一着ダメになっただけの話なのに。あ、もしかしてこのワンピース気に入ってたのかな?それならそうと先に言ってくれたら、ちゃんと別の服に着替えてからやるってのに。

 

「……泣かないでよ、ロー。喜んでくれると思ったのに」

 

「っ…ぅ…、…ないて、ねえよ、…っ!!!」

 

しゃがんでローの目線に合わせたら、ローはやっぱり泣いてた。瓶を持っていて濡れていなかった方の手で涙を拭ってあげたのに、ローは俯いてますます泣いてしまった。ローがなぜ悲しんでいるのか分からない。けれど、声を上げて泣くこともしないこの子が、なんだか不憫で、可哀想だった。

 



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52.私は単なる子ども好きです

バカは風邪をひかないとはよく聞くけど、自滅する形で風邪をひいて熱まで出した私のことは何て言うんだろう。アホ?アホなの?アホの子?自分を大切に、なんてベビー5に言えた立場じゃないなぁ…。

 

「ママ、アイス!デリンジャーの!」

 

ベッドからアイスが生えてきた……いや、デリンジャーがアイスを松明のように掲げて、ベッドの上の私に見せようとしてた。か…かんわいぃーい!!!一気に喋ったり一人で動き回るようになり始めたデリンジャーは、とびきり可愛かった。デリンジャーのお母さん!あなたの息子はめちゃくちゃ可愛いですよ!

 

「そっかー。デリンジャーのアイスかぁ。誰にもらったの?」

 

「あのね、ピーカ!」

 

…ヴェルゴがいなくてよかったね。さんを付けろとか絶対教育的指導されてただろう。あの鬼教官、真面目すぎて子どもにも容赦ないんだよなぁ。

 

「そう、良かったね。お礼は言った?ありがとう、って」

 

「うん。ありがとうした」

 

「よしよし。デリンジャーはいい子ね。ねえ、ベビちゃん」

 

「はい!…あ、デリンジャー、鼻にまで付けちゃってる」

 

ハンカチでデリンジャーの顔を拭ってあげるベビー5は、この数年でぐっとお姉さんらしくなってきた。可愛いなぁ、可愛いなぁ!

 

「なんかそうやってると姉弟みたいだねぇ。……ん?どうしたの?ロー」

 

ジョーラに包帯で可愛くリボンを作られたローが、いつものようにじっとこっちを見ていた。うーん、リボン付けててもローはあんまり可愛くないね!破壊衝動バリバリな悪ガキ感は少し薄れて、ヤンチャな悪ガキ感は出てきたけど。前世の小学生の頃の、クラスの男子って感じ。ローは好きな子イジメしちゃうタイプだろ〜?

 

「……あんた、バカだろ。その風邪…あの時のが原因だろ?」

 

「違うんじゃない?私もともとしょっちゅう体調崩すキャラだったし。ま、風邪ひいたってことは私がバカじゃないと証明されたってことで!」

 

ふん、と胸張って言うと、うんざりしたようなジト目で見られた。なんか…道端のミミズでも見下ろすような…。ねえ、ロー…一応私、まだ胸は痛むんですけど?救いようのないバカを見るような目はさすがに傷つくからやめてくれない?

 

「バカだろ。あんたバカだ。救いようのないバカだ」

 

また言いやがった!まともな会話ができるようになったのは嬉しいけど、なんか酷くなってる!

 

「…なんか前より辛辣になってない?なんで?」

 

「知るか。さっさと病人らしく寝てろ」

 

「わぶっ!何これ?」

 

見事な投擲で顔にぶつけられた何かに、息ができなくなった。焦ったー。顔から剥がしたら、ちょっと凍りかけの濡れタオルだった。洗濯して外で干してたやつだろうか。

 

「頭冷やせってんだよ。見りゃ分かるだろ」

 

素っ気なくそれだけ言って、ローは医務室から出て行ってしまった。…嫌われてはいないんだろうけど、好かれてるとは言い難い感じだ。もうちょっとさあ…仲良くしたいのになぁ…。ちょっとへこでたら、ベビー5がこっそり教えてくれた。

 

「…あのね、ルシーさん。ローがね、ルシーさんが寝込んじゃった時にすごく落ち込んでたの。でね、若様にお医者さんの読む本をいっぱい買ってもらって勉強し始めたの。きっとルシーさんのことが心配だったのよ」

 

「え、そうなの!?」

 

(ハハァン?いわゆるツンデレってやつですか?クーデレ?)

 

デレの部分も見せて欲しいんだけどなぁ、なんて思ったけど、嫌われてはいないと分かって私の頬がダラッと緩んだのが分かった。

 

「やっぱり、ルシーさんは子ども好きなのね。ショタコンなのかしら?ロリコンって言うのかしら?」

 

ねえどっち?と満面の笑みで尋ねてきたベビー5の顔を3度見ぐらいしてしまった。ちょっとベビちゃん!?そんな言葉どこで覚えてきたの!!?

 



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53.心を抱きしめる

(珀鉛病の研究がなかなか進まない…)

 

水銀の過剰摂取が原因の中毒症と同じようだ…とまでは突き止められたらしいけど、それを体から取り除く技術にまではたどり着けていないらしい。特にローのように母胎内にいる時からというのが問題らしくて、脳や髄液、身体中に染み込むように珀鉛があるから、つまり…血液や髄液を入れ替えたり、という話ではないらしい。取り替えるなら細胞レベルでないと。

 

「…やっぱり、原作通りにしか動かないか」

 

ロシナンテに私が防刃帯を渡した時以外は、どうやっても流れが変わらない。考えたくはないけど、これ、原作の流れに大きく関わることは修正不可能ということなんじゃ?

 

(なら、仕方ないよね…)

 

窓から縞々柄の屋根の建物を見上げて、ため息を吐いた。

 

「ロシー、ロシー兄上はいるー?」

 

「コラソンならこれから取り立てに行くところだぞ」

 

「ありがとう!」

 

ピーカが船の外を指差して教えてくれた。ヤバイ、間に合わない。追いかけようとした私を捕まえて、ピーカが船の中にいろと言ってきた。

 

「ええ…別にちょっと出るくらいよくない?」

 

「だめだ。また何かあったらどうする」

 

怒られた…。私の味方をしてくれる頻度が高いピーカに怒られると割とショック…。しょげた私の頭を潰さないように撫でて、少し待っていろとピーカが外に出て行った。ロシナンテを呼んだくれたピーカに礼を言って、そんなに時間を取らないから、とロシナンテを部屋に引きずり込んだ。

 

「兄上、非常時用の小船に食料と電伝虫と金目のものと毛布と服と…とりあえず、しばらく生活できるだけは用意しておくから。あ、船は買い出しに使ってるやつじゃなくて救難用のやつね」

 

小声でロシナンテに言い含めると、ロシナンテがいきなり何を言い出すんだと首を傾げた。

 

「たぶん、今日じゃなくても近いうちに兄上が出て行くことになる。つる中将の襲撃に紛れてだけど」

 

「……バレたのか?」

 

「違う。でも、絶対ロシーはそう選択する」

 

「未来のおれの心の中でも読んだようなことを言うんだな」

 

そうだよ、私は読んだんだよ。これからあなたがどうなるかも、全部。

 

「コラソンー!もう取り立てに出たのかァー?」

 

ディアマンテの声に慌ててカームを使ったのを確認して、ロシナンテの背中を押した。

 

(……これが、最後かもしれないんだよなぁ…)

 

相変わらず触覚がないからロシナンテの背中の感触もコートの感触も何も分からないんだけど、なんだか離れ難く感じてしまった。ロシナンテを殺させない。けど、勝算は…。

 

「………兄上、抱っこして」

 

「!!?」

 

お前何言い出すんだ、と目を剥いたロシナンテに、バンザイをして抱き上げろと急かした。戸惑ったように私と出口を交互に見たロシナンテだったけど、私がじっと見つめていたら根負けしたように肩を落として体を持ち上げてくれた。ロシナンテの首に抱きついて、肩口にぐりぐりと頭を押し付けた。

 

(死なせない。死なせたくない。けど…だけど……死なせてしまうかも、しれない)

 

もう、私の心の天使には、これっきり会えなくなってしまうかもしれないんだ。タバコとボヤ騒ぎでの焦げた匂いを吸い込んだ。これを最後になんて、したくない。目の端に涙が浮かんだ。

 

「ロシー兄上、大好き」

 

「………」

 

とん、とん、と背中を軽く叩かれた。ロシナンテはしがみついて離れない私ごと玄関まで行って、ディアマンテたちから盛大に笑われてしまったけれど。私が離れようとするまで、じっと付き合ってくれていた。…あの日のヴェルゴを、思い出した。

 

(死なないでよ、ロシー)

 



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54.もしもし元気ですか?

そろそろデリンジャーも仕事に連れて行く、と言ったドフラミンゴにちょっと批難をして抵抗を見せつつ、渋々といった形のアピールをしてデリンジャーを託した。言葉を話すようになってから、油断ならない相手になりつつあるのだ。そう、例えばロシナンテたちと電話をする時とか。うっかり聞かれると、誰に喋るか分からない。バッファローのように買収することもできないから、この子のことは結構気を使うのだ。

 

「もしもし、兄上?二人とも元気?」

 

「ああ…元気だ」

 

「嘘。元気じゃなさそう。…ローは?進行してる?」

 

「まだそんなに辛くねェ」

 

「…そっか。こっちはまだオペオペの実を探してる。ヴェルゴから情報を得る算段みたいだけど…」

 

「……そうか」

 

「あと今ルブニール王国の東隣の島に向かってる。あと2日ほどかな」

 

「分かった。センゴクさんに伝えておく」

 

「……なあ、あんた…なんでコラソンのこと手伝うんだ?ドフラミンゴは反対してんだろ?それに、コラソンが喋れることも…」

 

「まあ、どっちも私の兄だからね。ローのことも心配だし。こういう兄たちを持つと妹がしっかりするものなのよ」

 

「ふうん…」

 

「…ロー、兄上は無茶していない?」

 

「してねェ」

 

「コイツ、すぐドジするんだ。昨日も逃げる時に坂道で転んだし」

 

「あっ!バラすなって言ったろ!?」

 

「あはは。…兄上が危なくなったらローが助けてあげてね」

 

「仕方ねェな…」

 

「兄上、ローは無理してない?」

 

「……無理させてばっかりだ」

 

「バカね、兄上。それなら兄上がローのことを、ちゃんと守ってあげてね。悲しいことばかりにならないように、ちゃんと側にいてあげてね」

 

「…ああ!」

 

「別にいらねェよ!」

 

「もー。ローは意地っ張りさんだもんねぇ…」

 

「…アンタはどうなんだ?」

 

「ん?」

 

「ルシー、お前は大丈夫なのか?」

 

「私?あー、うん、別に普通。…ねえ、ロシー兄上的にどう?この歳の妹がニートとか」

 

「いや、別にいいんじゃねェか?ルシーだしな。なァ、ロー」

 

「んー、まあな。あんたが働くとか想像できねェし」

 

「え?ひどくない?退屈なんだよ?」

 

「全部終わったら助けに行く。それまで待っててくれ」

 

「…ロシーって男前だよねぇ。ねえ、彼女とかいないの?」

 

「いねェよ!!!」

 

「えー?…まあ、うん、じゃあ…助けてください。あ、ローの次にね。手のかかる妹ですが、よろしくお願いします」

 

「…任せろ」

 

「……オレも助けてやる」

 

「よろしく!ロシーだけじゃ頼りないもんねぇ」

 

「ほっとけ!」

 

「あはは。ロシー、ロー、大好き。今日も気をつけて行ってらっしゃい」

 



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55.純粋な心を利用する卑怯者

そわそわ、と居心地悪そうにしながら、ベビー5が部屋に入ってきた。珍しい。

 

「ベビちゃん、どうしたの?」

 

「ルシーさん、あの…コラさんのことで…」

 

嫌な感じがした。ベビー5がこんな風に口ごもるのは珍しい。それに…このタイミング。ロシナンテがローを連れて離れてから半年が経った。つまり…原作でロシナンテが怪しまれるタイミングだ。しかもほぼ黒だという確信を持って。

 

「…ちょっと待ってね。デリンジャー、そろそろおやつの時間じゃないかな?ジョーラの所に行っておいで」

 

「おやつ!?おやつおやつおやつっ!ママは?ママもデリンジャーと行こう!」

 

「私もすぐ行くよ。先に行っててね」

 

「はあいっ!」

 

とんでもない力で扉を開けて、デリンジャーが飛び出して行った。鉄の塊である大砲の弾をひょいと持ち上げるぐらいだし、力が強いとは思っていたけど…やっぱりあの子すごいわ…。あとすごい音したけど扉壊れてない?大丈夫?

 

「…ベビちゃん、隣においで。ロシーがどうしたの?」

 

「……あの、ね…若様がピーカたちが…コラさんが、裏切ってたんじゃないか、って…!ねえ、ルシーさん!コラさん裏切ってたの?海軍に私たちのこと、殺させようとしてたのかなぁ…!?」

 

ひゅ、と喉がなった。この子は、こんな風に考えていたのか。殴られたり蹴られたりしても慕っていた相手に裏切られたこと以上に、相手が殺そうとしてきているとショックを受けている。それはつまり、ロシナンテがやっていた暴行を、ロシナンテの本心からではないと見抜いていて…許していたんだ。だから今はロシナンテが本気で殺そうとしてきたのだと悲しんでいる。

 

(やっぱりあなたは嘘が下手なんだよ、ロシー…)

 

じわりと目の端に涙が浮かんだ。

 

「そんなわけない!……そんなわけないよ、ベビちゃん。ロシーが家族を殺そうとするなんて、そんなことするわけないじゃない」

 

「っ…そうよね…!だって、若様も、ルシーさんもいるもの!きっと、何かの間違いよね…!」

 

ああ、疑われているなぁ。ベビー5は笑顔を見せてくれているけど、これは、本心からのものじゃない。私がロシーを信じているから、それを肯定するための笑顔だ。…時間がない。

 

(…デリンジャーもいないし、ベビー5に頼みごとをするなら今しかない…!)

 

頭をフル回転させて、どうすればいいのか考えた。どうすれば『裏切り者のロシナンテ』の今後の逃げ道を作れる?海賊団も海軍も敵に回して、きっとお金も食料も手に入らなくなる。どうしたら、私が『ドフラミンゴの無知な妹』を演じていられる?

 

「……ベビちゃん、私、ロシーに手紙を送りたいの。ほら、電伝虫の番号は私知らないし、ロシーは喋れないでしょ?本当に裏切ってないのか知りたいから…」

 

「そうね!じゃあ私が…」

 

「ううん、ベビちゃんに手伝ってほしいけど、ベビちゃんも忙しいだろうし。だから、荷物をとどけてくれそうな商人を探してほしいの。…兄上の息がかかってない人を。もし私がロシーと連絡を取ろうとしてるなんて兄上に知られたら、私、殺されちゃうかもだし」

 

「っ!!!そんなのダメっ!」

 

だれか、私を卑怯者と罵って。私を慕ってくれる子どもに、自分の命を人質にして頼みごとをする、卑怯者でずるい私のことを、批難してほしい。こんなことはしたくないのに、こんなことしか思いつかないなんて。

 

「…ベビちゃん、お願い。私のために、手伝って」

 

「うん!」

 

走って出て行った小さな背中に、ごめんね、と囁いた。

 



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56.委ねるしかないから

 

 

ドフラミンゴと幹部を除く家族たちが忙しく動き出したのを確認して、自室のベッドに潜り込んだ。まだ話し合いをしているだろうし、情報を伝えるには今しかない。痙攣しているように震える手で拳を作って、ぎゅっと顔に押し当てた。

 

(大丈夫…大丈夫…まだ失敗してない…まだ、やれる)

 

深く息を吸って、電伝虫のボタンを押した。

 

「…二人とも、聞いて。ロシーのことを家族たちが怪しんでる。スワロー島に海軍を配置するのはやめるように伝えて…!」

 

「ルシー、ローが…ローが!!!」

 

電話の奥でローの荒い息が聞こえた。涙ながらにどうすればいいんだと尋ねてくるロシナンテの声に、ついにか、と覚悟を決めた。ああ、本当に、原作通りのタイミングじゃないか…!

 

「…毛布で体を包んで、できるだけそばにいてあげて。オペオペの実を食べるまで、体力が落ちないようにしてあげて。兄上はすぐに出発用意を」

 

「ああ、分かった!」

 

ロシナンテの声が小さくなった。出航準備をしに行ったんだろう。けど電伝虫からは荒い息が聞こえる。情報をローに伝えないと。失敗しないように…悲しいことにならないように。

 

「ロー。ロー、聞こえる?今から言うことをよく覚えて」

 

「……ハァ……ハァ…なに…?」

 

聞こえてくる弱々しい声に、胸が詰まりそうだった。

 

「海軍にうちのスパイがいる。たぶんミニオン島に上陸してるはず。だから、絶対にミニオン島の海兵には近付かないで。用があるなら正義の服を着た老年期の女性海兵に頼むの。つる中将よ、分かるわね?」

 

「ハァ………コラさんは…ハァ……海兵、なのか…?」

 

苦しそうにしているのに、気がかりなのはそこなのか。ロシナンテをコラさんと呼んで、信頼を寄せているのが手に取るように分かって……いじらしくて、辛かった。でも、ローがロシナンテを信頼できたことが、たまらなく嬉しかった。やっぱり私は子どもに甘いみたい。

 

「ーー本人に聞きなさい、ロー」

 

「わか、た…」

 

視界が滲んできた。ぐい、と手で目をこすって、腹に力を入れた。まだ伝えることがある。

 

「ロー、ロシーの防音壁を見たでしょ?オペオペの実はあれと同じ、無菌のroomを張らないと発動しないわ。銃で撃たれた人の手当の仕方は分かるね?」

 

「……うん…」

 

「ロシーは撃たれるから、鉛玉を取り出すオペをすればいい。無理なら応急処置で、焼いた鉄やホッチキスで傷を塞いで出血を止めるの。物体の位置を入れ替えるシャンブルズとか、色々あるから、あなたが後で治療すればいい。…合流前にもう一回電話するからね」

 

「……うん…」

 

朦朧とする頭で、それでも必死に話を聞こうとしているんだろう。こんな病人に無理言うなんて、したくないのに。

 

(ごめんね、ロー…)

 

でも、ローにしかできない。私じゃできないから。

 

「ロー!行くぞ!」

 

ロシナンテの声が近付いた。通話を切られる前に、と私はロシナンテに再度繰り返した。

 

「ロシー、スワロー島に海軍の船を近付けさせないで。絶対にだからね!」

 

「ルシーさーん!デリンジャーがおれのおやつまで取ろうとするだすやん!なんとかして!」

 

バッファローの大声が近付いてきた。ハッとして電伝虫の通話を切った。知らないうちに声が大きくなっていただろうか。バレていない?大丈夫?そっと廊下に顔を出したけど、誰もいなくてホッとした。その後すぐに廊下の角からバッファローが走ってきて、私の顔を見て首を傾げてきた。

 

「なんか顔色悪いだすやん?貧血?」

 

「……そうかも。デリンジャーはどうしたの?」

 

「あっ!そうだすやん!デリンジャーがおれのおやつを!」

 

いつも文句を止めるベビー5がいない間に、とバッファローはデリンジャーの愚痴をわあわあと話し始めた。

 



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57.成長したと思い込んでいただけ

 

 

ベポ宛に日持ちする食料と、あと手紙を書いた。…もしかしたらロシナンテは無理かもしれないけど、ローは必ずベポの所にたどり着く。だから、『モコモコの帽子で肌の白い男の子が荷物を受け取りに行くから、町の外れで待っていてほしい』と書いて。…原作に載っていた情報だから、きっとその通りになるだろう。そもそも原作ではこんな私の行動なんてなくてもローは仲間を作ってちゃんと大人になる。だからこれは、単なる私のお節介だ。…ロシナンテが生きるための、単なる手伝いでしかないんだから。ロシナンテと、一応ローの血液型の輸血パックを複数、それから手術道具一式と薬品多数、電伝虫と金品と食料と衣類とドンキホーテの縄張りで通用する手形と書類…。ローの能力が使い物になるまでは、これで保つ。保たせてもらわないと、困る。

 

「では確かに。…それで、誰宛てにするんだい?」

 

ベビー5に密かに呼んでもらった商人に、大小の荷物と手紙を託した。運賃でぼったくったりしない辺り、割とちゃんとしていそうだ。……ベビー5によれば、ドフラミンゴの息のかかった商人ではないらしいけど…いや、そこは原作の流れを素直に信じよう。

 

「スワロー島のとなり町のはずれに、シロクマがいるんです。着ぐるみみたいなモコモコの。彼に預かっててもらおうかと」

 

「シロクマァ!?おいおい…!そんなんに荷物とか大丈夫なのかよ!?」

 

「あ、大丈夫です。ミンク族って一族の少年で、年の離れたお兄さんを探すために一人ではるばる旅をしてる健気で可愛い子ですから」

 

「ウッ…!よしてくれよ…おじさん涙腺弱いんだからさァ…!!!」

 

強面のくせに、とちょっと思ったけど、涙腺の緩さに関しては私も人の事を言えないし…まあいいや。でも、商人なのに情に流される辺りはダメだと思う。もしかしたらドフラミンゴの息がかかってないって、彼的にその辺がネックになったからか?私にとってはぴったりな条件だけどさ。

 

「大きい方は兄と連れの子宛です。ベポくんにこの小さい方の荷物と手紙を…あ、手紙が読めないようなら読んであげてもらってもいいですか?お代は弾むんで」

 

「喜んでェ!!!」

 

「もしベポくんがいなかったら…町の男の子でペンギンやシャチの帽子の子が居ると思うんで、その子たちに託してください。その場合もこっちの手紙を渡していただければ…」

 

しっかりと金を握らせて、荷物を託した。またのご利用を、と涙目ながらも愛想良く出て行った商人を見送って、無意識のうちに自分の肩に力が入っていたことに気が付いた。

 

(そういえば、他人を信用して荷物を預けるなんて…何年ぶりだろう…)

 

天竜人時代の荷物の換金で失敗しまくったことを思い出して笑えた。あの時も今も、必死なのは変わりない。必死になって、でも肝心なところは他人任せにするしかなくて、結局裏切られて…。

 

「変わってないなぁ、私…」

 

どれだけ体が大人になっても、どれだけ齢を重ねて精神が成熟しても。子どもの頃と同じ、私は無力なままだった。

 



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58.かつての懺悔と夢見る未来

 

 

「ーーールシー、おれはお前に謝らなきゃいけないことがある…!」

 

「なにー?」

 

ごおお、と通話の向こう側で嵐の音が聞こえた。これ、原作のあの時のだよね…?ローがロシナンテに海兵なのかと尋ねていた時の。…電話してて大丈夫なんだろうか。

 

「……あの日、母上は…出て行ったんじゃないんだ。あの日、母上は…」

 

絞り出すような声に何事かと思っていたら、ずいぶん昔に亡くなった母親の件だったらしい。

 

「ああ、それ。うん、知ってる。天国にいっちゃったんだよね?」

 

「!!!い、いつ…どこで知ったんだ!?」

 

「いや、みんなわんわん泣いてたし、ドフィの言葉に父上もロシーも悲壮感満載だったし。ってかそもそもロシーも母上に花束、とか言ってたよね?」

 

ロシナンテがショックを受けているようだったので、あえて明るく言ってみたけれど、逆に私が無理してるとでも思ったのか、懺悔のように謝られた。

 

「…っ…悪かった…!お前が、悲しむと思って…!」

 

「てか嘘ついたのはドフィだし、兄上と父上は泣いてただけじゃない。大丈夫、気にしてないよ。そもそも兄上、嘘下手すぎだし。…向いてないよ、スパイなんて。ローと一緒に旅でもしてる方が、ずっといいよ」

 

「ウウ……ル"ジー…っ!」

 

あーあ、本格的に泣き出しちゃった。ああ、そうだ。これからのことを伝えなきゃ。

 

「兄上、覚えてる?私たちが住んでた北の果ての島」

 

「ずびっ……?ああ、覚えてるさ…」

 

「一緒に、庭に財宝を埋めたでしょ?もし島の人に見つかってても、きっと一つくらいは残ってるはずだから。だから……逃げて、兄上。ローと一緒に」

 

まくし立てるように、私は喋った。殺気立った家族たちは各々出航の準備をしているから、奥の部屋に籠るだけの私の元へは来ない。唯一出入りするベビー5も、さっき出て行ったばかりだし。

 

「スワロー島のとなり町にいるシロクマ宛に、兄上とローの荷物を送ってるの。そこに電伝虫も入ってる。受け取ったら、ちゃんと連絡してね。私も後を追うから。…ロー、聞こえる?兄上がボロボロになってたら、あなたが引っ張って行くのよ。分かった?」

 

「……分か、った…!」

 

たぶん財宝一つでも家一軒余裕で建てられるはずだ。それを持って逃げよう。行き先は東の海がいいかな。でもフーシャ村は世界政府加入国の村で危ないから、そうだなぁ…グランドライン前半のアラバスタとか。大丈夫、戦争になりそうだったら一時的に逃げればいいんだし。それかドラム王国でもいい。Dr.くれはにローを弟子入りさせちゃったりしてさ。オペオペの実のローはきっとあの国を救えるから。

 

「…ル"ジー…ごべんな…っ!今度ごぞ……一緒に、行ごゔな…っ!」

 

ああ、と頬が緩んだ。ロシナンテは、私が一緒に行かなかったことを、今でも後悔していたんだ。血肉にまみれたタラップを踏みしめる時に手を引けば涙を流してごめんねと謝っていて、一緒に行こうよと海軍の所まで連れて行こうとしていた。あれは悲しかったり寂しかったからではなく、妹を…私を助けられない自分の無力を、嘆いていたのだと。今、やっと分かった。あの時の私は自分のことに精一杯で、ロシナンテの気持ちなんて考えられてなかった。

 

「……ロシー兄上のこと、ずっとずっと大好きだよ。…いってらっしゃい、また後でね」

 

電伝虫の通話を切って、床にしゃがみ込んで泣いた。窓の外の嵐の音に紛れて、遠くで家族たちが船を出す音が聞こえる。神様。かみさま。あの優しい人を死なせないで。私の家族に、殺させないで。

 



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59.それを歴史の修正力というらしい

 

もうすぐスワロー島に到着する、という段階で、見張りをしていたディアマンテが声を荒げて船長室に走ってきた。

 

「ドフィ!ミニオン島の周辺に海軍が…本部のおつるだ!コラソンがやりやがった!あいつら取引の日までバレルズを警備する気かもしれねェ!とりあえず予定通りスワロー島に着けるか!?」

 

「……海軍…なんで?」

 

(なんで…このタイミングで!)

 

海軍がミニオン島を守っている、それはいい。ドフラミンゴとロシナンテが合流するスワロー島に海軍がいないことこそが、ロシナンテを裏切り者と決定付けるピースを欠けさせる手段だったから。ロシナンテがセンゴクさんにどう言ったかは分からないが、合流地点のスワロー島でないとなれば、バレルズの隠れるミニオン島か、取り引きをするルーベック島に海軍が配置するのは自明の理。そのどこかで海軍はドフラミンゴを捕らえようとしているんだろう。それもいい、むしろ海軍としてはそうするしかないだろう。だけど、なんでこのタイミングでロシナンテが疑われるの。ロシナンテの不在から生じる不自然な点は何もなかったはずだ。

 

(ロシーの不在中も海軍に居場所を伝えて襲わせたのに…落ち合う場所に海軍はいないのに……なんで…っ!)

 

どうして、原作と同じ流れになっていってしまうの!

 

「フ……フッフッフ…」

 

「……兄上?」

 

「フッフッフッフッ!!!……いや、このままミニオン島に上陸する。警備の手薄な所を狙え…コラソンの狙いはオペオペの実だ。全員で行くぞ」

 

「あにうえ、だめ」

 

ろれつが回らない。頭が上手く動かない。影からできる限りのことはした。手を尽くした。けれど、修正されてしまう。どうやったって、こうなってしまう。どうして?どこで間違えたの?なんでロシナンテは裏切り者とされているの!?額に青筋を立てて、それでも不気味に笑い続けるドフラミンゴの手を引いた。だめだ。ここで行かせてはいけない。だめ、だめ!ロシナンテが殺されてしまう!

 

「ーーールシー…何が、ダメだってんだ?」

 

「え…」

 

「おれたちはコラソンとローに会いに行くだけだ。コラソンが守備の海軍の目を盗んで先にオペオペの実を奪うってんならおれたちはそれを支援するだけだ。何もしやしねェさ」

 

「……ほんとうに?ロシー兄上に…だって、ディアマンテが…」

 

やりやがった、とディアマンテが言った。文脈から考えて、コラソンが裏切った、という意味だっただろうに。戸惑ってドフラミンゴを見上げると、ドフラミンゴは部屋の明かりを背に、私の頭を撫でて、読めない表情でこう言った。

 

「デリンジャーと一緒に、『おとなしく』留守番をしていろよ、ルシー。何があっても外へは出るな。…いいな?」

 

頭が揺れる。船の振動か、撫でてくるドフラミンゴの手か、あるいは……ドフラミンゴが覇気を漏らしているからか。私には…頷くしか、できなかった。

 

(うそだ…あんなの、うそだ。嘘…!)

 

険しい顔をして船から降りていく家族たちの背を見つめた。ドフラミンゴも、家族たちも、私の顔を一度も見ない。ねえ、それは、これから私の大好きなロシナンテを手にかけることを…私に対して少しでも後ろめたく思っているから?それなら、ねえ、そんなことやめてよ…!

 

「っ、ロシーを許してあげて!!!」

 

船の縁にしがみついて、そう叫んだ。

 

「ーーールシー…」

 

「お願い…っ、お願いだよ、みんな…!私の、私の兄上を…殺さないで……っ!!!」

 

「…部屋に戻ってろ、ドゥルシネーア」

 

「ドフィ…!!!お願い…っ!」

 

私が縋り付くことを、喜んでいたドフラミンゴは。この時だけは、私の懇願を、聞き届けてはくれなかった。

 

(逃げて…ロシー…!!!)

 

鳥かごが発動して、銃声と悲鳴が轟いて……鳥かごが消えて、ドフラミンゴたちが帰ってくるまで。この世界にいやしない神様に、私は祈ることしかできなかった。

 



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60.連絡してね、って言ったのに

 

自室にこもって、頭の中に浮かぶ原作のページをめくらないように、ずっと祈りを捧げていた。両手を組んで、小さく丸まって、ロシナンテが無事逃げ延びる姿を必死になって想像しようとした。だけど思い浮かぶのはやっぱり、銃で撃たれて殴られ蹴られ、血にまみれたコラさんの姿だった。

 

(原作通りにはならない。ならない。絶対。ドフラミンゴはきっと、原作ほどコラソンのことを疑ってなかった。ロシーとローにはヴェルゴがミニオン島にいることも伝えた。ローに止血するよう伝えたし、運が良ければオペだって!死なない。死なないよね、絶対…!)

 

「ママ…いたい?いたいのどこ?」

 

ベッドの角で縮こまる私に、デリンジャーが声をかけてきた。心配そうに見上げる顔を見ても、上手く笑顔を向けてあげることはできなかった。

 

「……痛くないよ。痛く…ないの」

 

いっそ痛ければよかった。ロシナンテの代わりに私があそこにいられたなら。

 

「あっ、デリンジャーのおかし!あげる!」

 

「ありがとう…」

 

デリンジャーが大切そうにポケットに入れていた包み紙を取り出して、私に差し出してきた。美味しいとよく食べている大好物だろうに、迷うことなく差し出してきた優しさが、今はなぜか辛かった。

 

「ママ、なかないで」

 

ベッドによじ登って、デリンジャーが私に抱きついてきた。その小さな体を抱きしめて、甘い匂いを吸い込んだ。いつもなら幸せになるような甘い匂いなのに。今はただ、苦しいばかりだった。しばらくして大きな音と船の揺れがあった。家族たちが大声で叫びながら、急いで出航準備をしているのが聞こえる。眠ってしまったらしいデリンジャーを抱えて、窓辺の椅子に座った。窓に食いつくようにして…そこに、ローの姿があるだろうか、ローの声が聞こえるだろうかと島を見た。けれどローの姿も声も聞こえなくて、そのうちに船は出航してしまった。

 

(……まさか、もしかして、原作通りではなくなったの…!?)

 

遠ざかる島の全容を目を凝らして見ても、ローの姿は見えなかった。それはーーーそれは、つまり…!

 

「ーーールシー」

 

ドフラミンゴが部屋に入ってきた。いささか疲れたような顔をしたドフラミンゴに、私は冷静を装って尋ねた。

 

「……ロシー兄上は、どこ…?」

 

ドフラミンゴは部屋の半ばで立ち止まり、静かに私に言った。

 

「あいつのことは忘れろ」

 

「っ…どういう、意味……?」

 

「あいつはおれたちを裏切った。出て行ったんだ。だからもうここには戻らねェ」

 

「……本当に?本当に、出て行っちゃったの…!?」

 

「ああ」

 

忌々しげに言ったその言葉に、わずかに期待を抱いた。処分しただとか、そういう言い方をしなかった。出て行ったと言った。出て行って、もう戻らないって!なら、ローと一緒に逃げた可能性が高い…!

 

「だから、ルシーはあいつのことなんて忘れろ。いいな」

 

(ーーー違う…)

 

遠い昔を思い出した。目覚めた私を取り囲んでむせび泣く父親とロシナンテ。あの時ドフラミンゴが言った言葉と、今の言葉に、何の違いがあるだろうか。

 

「……そう…ロシーは、いってしまったのね…」

 

そしてそんな嘘に騙されたふりをして頷く私に、幼少期と何の違いがあるだろうか。妹が素直に納得したのを確認して、ドフラミンゴは部屋から出て行った。…窓の外で雪が降っている。地面に横たわって、静かに白い雪に埋もれていくロシナンテを想った。

 

(やっぱり、私なんかがどれだけ頑張ったって、変えられないんだ…)

 

ロシナンテはいってしまったのだろう。お腹いっぱいごはんを食べられて、綺麗であったかい布団でたくさん寝られて。ただ生きるだけのことなんかに心配せず、誰にも怖い思いをさせられない、そんな場所に。でも……そこに、ローはいない。ローにこれから二人で一緒に逃げるのだと言っていただろうに、ロシナンテだけが先にドフラミンゴのいないところへといってしまった。

 

(ドジなんだから…)

 

ロシナンテは、最期の最後までドジだった。きっとローも怒っているだろう。そう思うとなんだか笑えた。だけど窓に映る母親によく似た誰かは、眠る小さな子どもを抱いて、二つの瞳からとめどなく大粒の雫を落としていた。

 



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もしもの話3
もし59話でロシナンテを助けて生存させる道があったら


活動報告よりリクエストをいただきました。
もし59話でロシナンテを生存させる道があったら、です。
すみません、ドラム島までは辿りつけませんでした…。
サン&ムーンさん、リクエストありがとうございました。



 

勝ち筋を探した。頭の中じゃ考えつけなくて、時系列もキャラの行動も、何もかもを紙に書きなぐって。見つけられたのは、その方法だけだった。

 

(さようなら、ドフィ、みんな…)

 

縋り付く私に背を向けた家族たちに、心の中で別れを告げた。私はもう彼らと生きる道を選べない。だから今ここで…決別する。ベビー5のことだけが気がかりだったけど、原作通りなら彼女はサイと結婚して幸せになるから。何も心配なんてしていない。

 

「ママ?どこに行くの?」

 

「外の世界に行くのよ」

 

荷物はあらかじめ配達してもらっているから、持って行くのは最低限のものだけにした。そして逸れてしまわないよう、デリンジャーとしっかりと手を繋いで、避難用の船に乗り込んだ。行き先は、双眼鏡で見える場所に待機している海軍船。鶴の字が書かれた、中将の船。雪の舞う中、着の身着のままでレスキューと書かれた小舟に乗って子どもを抱えて手を振る女を、見捨てる海兵なんていないと、私は確信していた。あとは私の顔を見て驚くつる中将に、こう言えばいい。

 

「助けてください!ドフラミンゴが潜入任務中のロシナンテ中佐を、殺そうとしています!」

 

 

ーーーーーー

 

 

「とまあ、そういうわけで。兄上とローは一生私に感謝して長生きしてくれたらいいよ!」

 

「いーよ!」

 

ふん、と胸を張る私の横で、デリンジャーが真似をして仰け反った。ああ…そんなに仰け反ってたら後ろに転んじゃう!ベッドでチューブまみれになったロシナンテが呼吸器に遮られながらも、本当だな、とか細く笑っていた。ベッドを挟んで向かい側の椅子に座るローは、腫れぼったくなった瞼を持ち上げてじとりとこっちを見上げてきた。

 

「…なんであんたがいるんだ」

 

「言ったでしょ?私も抜け出すから、って。…でも…ごめんね、ロシー。結局海軍に戻ることになっちゃって」

 

「…いや、おかげで助かった」

 

「……問題はローだよね。肌の色も見られたし、誰だってオペオペの実と結びつけて考えるよ。…どうしようか」

 

海兵嫌いのローのことを、おそらく世界政府も危惧しているはずだ。白い町の生き残りが糾弾し復讐してこないようローを殺すか、オペオペの実ごと活用しようと擦り寄ってくるかは分からないけれど。…できれば後者であってほしい。

 

「兄上が復活したらみんなで一緒に逃げるってのも手だけど。海軍からの逃亡生活ってかなり辛いよね?」

 

「まあ…お尋ね者扱いに、なるには…ルシーもデリンジャーも、いるしな…」

 

女子供を連れて逃亡なんてまず無理だろう。特に私とロシナンテは元天竜人で、あのドフラミンゴの弟と妹。長年海兵をしていたロシナンテはまだしも、長年ドフラミンゴと暮らしていた私が国宝のことを知らぬ存ぜぬじゃ通用しないだろう。…ステューシーさんにもバレてるし。…え、これ、詰んだ?

 

「おい」

 

「…ちょっと待ってて…今考えてるから…」

 

「何考えてんのか話せ」

 

「いや、それはちょっと…ローも疲れてるだろうし寝てていいよ」

 

「っ!おれも一緒に考えてやるって言ってんだ!バカ!あんたの貧弱な頭で考えるより100倍マシだろ!?」

 

「ヒンジャク!?」

 

ローの発言にめちゃくちゃ驚いた。ちびっ子にすさまじい罵倒をされた!でも確かにあんな難しい医学書を延々読んでいるような子どもに頭の良さで勝てるわけがない。ぐう、と頭を抱えたらロシナンテが私に言った。

 

「ローなら、大丈夫だ」

 

「でも…」

 

「おれは、こいつを信頼してる」

 

ロシナンテの言葉に照れたのか、うるせえ、と怒鳴るローの顔は真っ赤で。ああ、大丈夫だな、と理由もなくそう思えた。

 

「じゃあ…お願い。助けて、ロー」

 

一緒に生きていくために。

 



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13〜8年前
61.折れた心が元に戻らない


 

あれから、やる気も何もかも燃え尽きてしまって、ベッドでだらける日々を過ごしている。みんなの顔を見たら詰ってしまいそうだったし。特にグラディウス、トレーボル、…あとはディアマンテか。原作でロシナンテに殴る蹴るの暴行を加えていた面々のことなど、視界に入れたくなかった。ロシナンテを殺そうとした相手が、自分を甘やかそうと近付いてくる、その不自然さに吐いてしまいそうだった。

 

「ルシー…入るざますよ」

 

「ルシーさん……」

 

気遣うように、ジョーラとベビー5がそっと囁いて入ってきた。

 

「デリンジャーが心配してるざます。若様も、あたくしも…」

 

「…ごめんなさい。ロシーがいないことが、寂しいの…」

 

「…どこかで元気にやってるざます!ええ、きっと!だからあーたは何も気にせず元気に笑っていれば…!」

 

うそばっかり。ころしたくせに。みごろしにしたくせに。

 

「……ロシーに会いたい」

 

「ルシーさん…」

 

「ルシー……ごはん、作って待っているざますよ。冷めないうちにいらっしゃい」

 

布団の上から私の背中を撫でたジョーラが、ため息を吐いて出て行った。別に食事なんてしなくてもお腹空かないのに。別に、料理が冷めてても熱くても、私には分からないのに。今さらそんなことで気遣われたって、お互い苦しいだけなのに。なんで気遣うようなことをしてくるのか、意味がわからない。涙で滲んだ視界を擦った時に、ふと、タバコの匂いがした。ジョーラの吸っているタバコだ。

 

(……違う)

 

この匂いじゃない。

 

「……ロシーの匂いじゃない…」

 

言葉にすると、ますます悲しかった。感覚も温感もなくても、最後に抱きついた時に吸い込んだロシナンテの匂いは今でもはっきりと思い出せる。ジョーラから香ったのは、ロシナンテのタバコの匂いじゃない。それがますます、悲しかった。

 

「うぅう……っ!」

 

助けられなかった。どうすればよかったの。どうしたら助けられたの。ずっと、ずっとそればかり考える。小さい頃に手を離した、そのことまで悔やまれる。もっと一緒にいればよかった。助けたかった。死なせたく、なかったのに。

 

「……ルシー、入るぞ」

 

ドアが開く音がした。入ってきたのはピーカだ。ソプラノボイスが、私に語りかける。

 

「ルシー、顔を見せろ。」

 

「…やだ」

 

「ルシー…お前のことが心配なんだ。顔を見せてくれ」

 

ピーカに布団をずらされた。さすがに力では負けてしまって、隠そうとした顔も頭ごと固定されて見られてしまった。涙と鼻水でずいぶんひどい顔だろうに、ピーカは何も言わずに、近くにあったタオルで顔を拭ってきた。

 

「……ロシーに会いたい…」

 

「……そうだな」

 

「ピーカ…ロシーに会わせて…!」

 

「……お前は昔から、コラソンに会いたがっていたな」

 

そうだっけ。できるだけ家族の前ではロシナンテのことを言わないようにしていたはずだ。だって万が一原作と流れが変わって、ロシナンテがドンキホーテ海賊団に入らなかったりするかもしれなかったから。…結局、ロシナンテは戻ってきてしまったけど。ああ、もしかしてグラディウスに聞いたのかな。訓練をやめさせられる時に八つ当たりで怒鳴ってしまったから。

 

「お前は本当に…家族が好きなんだな、ルシー」

 

家族、と言ったピーカは、少し寂しそうな目をしていた。まるで、自分は家族じゃないみたいに、そう言った。

 

「…ピーカも家族だよ」

 

「……ああ。おれにとってもお前は家族だ。だから、ちゃんと飯を食え。いつもみたいに笑ってくれ」

 

「……ピーカはひどいこと言うのね」

 

いつもみたいに笑え、だって?ロシナンテはもういないのに、私だけまたいつもみたいに笑ってここで生きていくなんて。…できるわけないのに。また涙が出てきそうになった時だ。ふと、あの匂いがした。

 

「…っ、ロシー!?」

 

微かに漂う匂い。家族のみんなとは違う、ロシナンテの吸っていたタバコと同じ、あの匂いだった。ベッドから飛び起きて、貧血にでもなっていたのかぐらりと頭が揺れた。倒れそうになった私をピーカが抱きとめてくれたけど、そんなのどうでもよかった。もしかして、もしかして…ロシナンテがいる?

 

(どこかに、隠れているの!?)

 

そんなのありえない。だけど、ふわりと漂う匂いに、ありもしない幻想を抱いた。…だけど。

 

「ルシー、さん……っ」

 

「………ベビちゃん…?」

 

涙をぼとぼとと落として、むせながらもタバコを加えてこっちを見るベビー5と目が合った。そこから漂う、ロシナンテのタバコの匂い。

 

(なんだ……なぁんだ………)

 

すとん、と落ちたのが納得か、絶望か、分からなかったけれど。胸にぽっかりと大きな穴が空いたことだけが、私にとっての事実だった。

 

「ベビー5…それは……」

 

「…っ、泣かないで、ルシーさん…!私…私が、ルシーさんのこと、守ってあげるから!」

 

とめどなく、涙が流れる。ずび、と鼻をすすったベビー5が、震える唇で笑みを作った。

 

「コラさんの分も…っ、私が、ルシーさんを守ってあげる!ずっと、一緒にいてあげるわ!約束よ!!!」

 

ベビー5の気遣いが、悲しかった。違うの。違う、そうじゃない。私は私を守ってくれるから、ロシナンテが好きだったんじゃない。ロシナンテだから、好きだったのに。

 

「っ……うゔぅ……っ!」

 

「ルシー…」

 

噛み締めた唇から、無様にうめき声が出た。ピーカに縋り付いて泣く私は、彼らにどう映っただろうか。裏切り者を殺したドフラミンゴの妹?裏切り者のロシナンテの妹?それとも、それとも……人一人死んだだけでみっともなく泣きわめく弱者?

 

「ロシーに会いたい…っ!」

 

弱い私は、まだまだ立ち直れない。

 



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62.叛逆の炎を燃やせ

あんまりにぐずぐず泣いてキノコ生えかけるレベルでじめっとしてたら、いい加減うっとうしくなったらしいドフラミンゴが行動に出てきた。

 

「ルシー、お前の女中たちだ。可愛がってやれよ」

 

「…ご機嫌よう、お嬢様」

 

「………」

 

(ご機嫌良くないしおたくの妹さんめちゃんこ不機嫌そうですけど???)

 

ずびーっと鼻をすすって、布団の隙間から見たら、そこにはモネとシュガーがいた。マジか。こういう展開か。

 

「……女中とか、いい。全部、一人でできる…」

 

「できてねェから付けんだ。最後に飯食ったのはいつだ。風呂は?着替えは?」

 

忘れました。てかあれから何日経ったのかも意識してなかったし。家族たちがちょこちょこローテーションで話しかけに来てくれたのは知ってるけど、みんな今日の日付けとかまでは言わなかったし。でも改めて言葉にされるとひどいな…トイレぐらいしか動いてないわ。え、もしかして臭い?臭いの?ならますます布団の中から出られんわ!風呂入りに行けないからさっさとここから出て行けー!

 

「……でも、女中は必要ない」

 

「ルシー……お前はこれから王女になるんだぜ。そろそろそういう環境に慣れとけ」

 

王女、と言われてぼうっとする頭の中で点と点が繋がった。

 

(えっ、もうドレスローザ過去編スタートすんの!?)

 

確かにシュガーが来た時点で…彼女がホビホビの実を食べるのはまだあと2年後だけど、国家乗っ取りの計画を立て始めるに今頃からが適しているんだろう。何せ、ドレスローザを手に入れることは、子どもの頃からドフラミンゴが計画していたのだから。……ローはロシナンテの機密文書をつる中将に渡しただろうか。渡して、もしかしたらローはつる中将に保護されたのかもしれない。だから海岸にいなかった?だとしたらロシナンテが死ぬ必要性がなくなる…ロシーは、死んでない?

 

(……ハッ…まさか)

 

ドフラミンゴが裏切り者を殺さないわけがない。家族たちが私に優しいのはそのためだ。ロシナンテは死んだ。それが全てだ。

 

「……ハァ。…お前ら、誠心誠意仕えろ。いいな」

 

「はっ!」

 

「はい、若様」

 

小さなシュガーにまで若様と呼ばせるオッサン……笑えねえ。

 

「お嬢様、一度お顔を拝見させていただけませんか?何か、必要なものなどもあればすぐにご用意させていただきますが」

 

モネは笑顔で優しく尋ねてきた。でも、その目は、笑っていない。

 

(………怯えてる?)

 

ぎゅっと握りしめられた手に、前髪に隠れた額に、じわりと汗が滲んでいる。それは無言で姉のエプロンを掴むシュガーも同じだった。よく見れば襟元から覗く首に、赤黒い跡が見える。

 

(ああ……奴隷だったんだ…)

 

奴隷として売られていたのを、ドフラミンゴが私用にと用意したのだろう。もしかすると、私の機嫌が直らなければ再び奴隷として売るとでも言い含めているのかもしれない。年若い姉妹を、心から哀れんだ。私の態度で人生が変わってしまう二人を、ただただ哀れんだ。

 

「……ごめんなさい、私、ひどい顔だから…タオルをもらってもいい?」

 

「っ!ええ、すぐに!シュガー、あなたはここでお嬢様のお相手を!」

 

バタバタと外へ走って行ったモネが、シュガーをここに残していった。…もしかしたら、タオルがあるドフラミンゴたちの所に連れて行くよりも、ここに残す方が安全だとでも思っているのかもしれない。

 

「……ねえ」

 

10歳にしては奇妙なほどに落ち着きのある声が、私に投げかけられた。

 

「…なあに?」

 

「あなた、えらいんでしょ?」

 

「……どうだろう。私はドフラミンゴの妹ってだけだよ」

 

「でも…私たちを殺させることができるんでしょ!?ねえ、お願い!私、死にたくない!あんな所に戻りたくないっ!ねえ、あなたなら何でもできるんでしょ!?助けて…!私とお姉ちゃんを、助けてよ…っ!」

 

布団にしがみついて、シュガーは懇願してきた。悲鳴のような訴えに、胸がじくりと痛んだ。見えない傷をもう一度嬲られるような、そんな感覚に、ぶるりと体が震えた。ああ、この子はあの日の私だ…。

 

「…何でもできるなら……よかったのにね…」

 

シュガーの言うように、私に何でもできる力があれば、ロシナンテを殺させずに済んだんだ。あの日、あの時、ロシナンテの正体を見破ってすぐに、ロシナンテをここから追い出せばよかった。ロシナンテの任務を遂行させてやりたいだなんて、おこがましいにもほどがあった。あの日私にだって、確かに未来を変える力はあったはずなのに。

 

(ロー…)

 

シュガーにローを重ねてしまう。…ローの方がシュガーより年上だけど、でもあの日、私はローのことを助けたいと思ってしまったから。…ロシナンテも、ローを……。

 

(ロシーなら、どうする?)

 

こんな時、あの優しい兄ならどうしただろう。ーーそんなの、考えるまでもない。

 

「お嬢様、タオルを…っ、シュガー!あなた何を…っ!?」

 

「っ!!?」

 

布団を揺するシュガーを止めようと近付いてきたモネごと、シュガーを抱きしめた。びくりと体を硬ばらせる姉妹を強く抱きしめて、私は宣言する。

 

「あなたたちは、殺させない」

 

「ぁ…お嬢、様…?」

 

「っ…うぅ…っ!」

 

戸惑うモネと、嗚咽を漏らすシュガーを腕に抱いて、私は呪いを唱える。

 

「私が、あなたたちを守るわ」

 

がらんどうの胸に、炎を燃やせ。

 



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63.手の中に残せるものはあるのか

 

 

やっと部屋から出てきた私を、家族たちは大げさなほどに喜んで迎えてくれた。やはりというか、特にドフラミンゴは機嫌の良さそうな満面の笑みで、モネとシュガーを褒めていた。

 

「さあルシー、好きなだけ食え!」

 

久しぶりに私を膝の上に乗せたドフラミンゴが、手元にさまざまな料理を並べてきた。鳥の丸焼き、具沢山のトマトスープ、アクアパッツァにアヒージョ……ウップ…見てるだけでなんか吐きそう…。

 

「…絶食してたんだから、急に食べてもお腹壊すだけだよ。モネちゃん、おじやお願い。シュガーちゃんは隣においで」

 

「はい、すぐに」

 

「……失礼、します」

 

シュガーはドフラミンゴが怖いのか、遠慮がちに椅子に座った。ドフラミンゴも家族たちも何も言わないところを見ると、私の女中というのは奴隷みたいに悪い立場じゃなさそうだ。

 

「フッフッフ…相変わらずつれねェなあ、ルシー」

 

「兄上が相変わらず悪の大魔王なんだもの」

 

「フッフッフッフ!否定はしねェさ!」

 

しないのか。楽しそうに私の髪をいじるドフラミンゴは、ロシナンテが裏切る前と何も変わらない。そう、家族も…いや、一部気まずそうにしている人たちもいるか。でも、それが、異様で、不気味で…気持ち悪かった。モネの料理を食べ終えて部屋に戻る途中、ふと廊下にセニョールの姿を見つけた。

 

(…何か読んでる?)

 

廊下の端で手紙でも読んでいるんだろうか、珍しい。そう思いながら近付いて、セニョールが微笑みながら見つめるものが…その手元にあるのが一枚の写真だと分かってーーー頭が破裂しそうになった。

 

(ギムレット…!!!ああ、そうだ!そうだった!私のバカ!ギムレットとルシアンのことを忘れるなんて!!!)

 

「!ルシー、いたのか」

 

ハッとした顔で写真を懐にしまったセニョールに、私は詰め寄った。何かを考える余裕なんてなかった。

 

「今すぐ、帰って」

 

「…ルシー?何をーー」

 

「今すぐ家族の所に帰って、セニョール!あなたの家族が死んでしまう!」

 

私がよほど鬼気迫る顔をしていたのか、呆気にとられていたセニョールは真顔になって私の肩を掴んできた。

 

「それは…どういう意味だ?なぜそんなことを言える?」

 

「っ…見えたから…!」

 

結局、私は私の持つ知識にすがるしかない。たまたま偶然現れた、見聞色の覇気らしきものを理由にするしかない。だって私には、そんなものしかないんだ。

 

「見聞色で…っ、『見えた』の…!」

 

掠れた声を聞きつけてか、廊下の端からトレーボルが顔を出してきた。

 

「んねーんねー何してんだーー?」

 

「…セニョールと、おしゃべりしてるの!」

 

「べへへへ!急に元気になったな〜」

 

私の答えで納得したのか、満足そうに身を引いたトレーボルに、安堵の息を吐いた。できる限り声を潜めて、汗をじわりと滲ませるセニョールにもう一度繰り返した。

 

「今すぐ帰って!あなたの子どもが病気になるの。奥さんが銀行に連絡して、あなたが銀行員でないと知ってしまう!奥さんが衝動的に飛び出して行って…土砂崩れに巻き込まれて…っ!」

 

「ーーー…」

 

「セニョール!!!」

 

「…っ、おれは、」

 

「私のために、行って!大切な家族を守ってよ…!」

 

胸ぐらを掴んで懇願した。もう、助からない命なんて、みたくない。知っている人が、助けられたはずの人が死ぬなんて、そんなの…!

 

「っ、行けってば!」

 

ドフラミンゴへの忠誠か、本当は海賊だと家族に黙っていたことか。そんなくだらないこと、命の前じゃ無駄でしかないんだって、いい加減気付け!激情で沸騰しそうな頭のまま、セニョールを非常用の小舟がある方へ向けさせて、背中を殴るように押し込んだ。それでも動かないセニョールを私は詰って、話を聞いてくれない悲しみでいっぱいになりながら部屋に逃げ込んだ。…家族よりも海賊であることを選んだセニョールなんて、見ていられなかった。その後すぐ、セニョールはドフラミンゴに何かしらの事情を伝えて小舟で家族の元へと行ったらしい。だけど、翌年にボンネットを身につけ始めたセニョールの姿に、私は掴んでいたはずのこの手から取り落としてしまった命を知った。

 



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64.プレゼント拒否

 

セニョールのベビー服の完成度が上がり、ちょっとずつふくよかになっていく。……うーん、キャラが濃い。あの後、セニョールは『私が見聞色で未来を見た』と言ったことをドフラミンゴや家族たちにはバラさなかったらしい。代わりに、ただ静かに、私の頭を撫でてきた。妻と子を失ったセニョールにも思うところがあるのだろう。…私がロシナンテを失ったのと同じように。

 

「ルシーさん、若様がルシーさんを呼んでるわ」

 

「私を?分かった、すぐに行く。…ねえ、ベビちゃん。そのタバコやめない?体に悪いよ?」

 

まだ成長期なのに、ベビー5はロシナンテが吸っていた銘柄と同じタバコを今も吸い続けている。あの時私にロシナンテじゃないからと否定されてやめたと思ったのに、気付いたらむせることなく堂々と吸うようになってしまっていた。……まだ成長期なのに!若い女の子なのに!お肌に悪いし将来子どもができた時にも良くないのに!やめさせよう、やめさせようと声をかける私に、ベビー5はべえ、と舌を出して見せた。

 

「ルシーさんの頼みでも聞けないわ。これは私が好きで吸ってるんだから!」

 

「もう…」

 

ぐんと背が伸びて、ちょっぴり反抗期気味に育ったベビー5はとびっきり可愛かったけど…やっぱりタバコはダメだって。ドフラミンゴから何とか言ってもらえないだろうか、と思いながら入った船長室で、異様な二つの果実を目にした。

 

「ルシー、来たか」

 

「…悪魔の実?」

 

「ああ。さあ、こっちに来い、ルシー」

 

手招きするドフラミンゴに近付くと、いつものように体を持ち上げられて膝に乗せられた。…ドフラミンゴはもう30歳になるってのに、飽きないものなんだろうか。家族は麻痺しすぎて何も言わないけど、これ、異常だから。四半世紀生きた妹を子どもの頃と同じように抱っこするとか変人だからな!

 

「何の実か分かるか?」

 

「知らない。悪魔の実はあんまり詳しくないし」

 

「…少しは興味持てよ」

 

珍しくドフラミンゴがツッコミをしてきた。ド正論である。せやな。日がな一日ニートしてるぐらいなら、ちょっとは勉強した方がいいかな…。……ああ、自立したい…。

 

「で?何の実なの?」

 

「ん?ああ、ユキユキの実と、ホビホビの実だ」

 

(きっっっ…キターー!!!うっそ、これがか!これがホビホビの実!?うっっわー!!!)

 

ドレスローザの悲劇の全てを作り出す、ドフラミンゴの能力とセットで有名なホビホビの実が!ここに!ある!めちゃくちゃテンションが上がった。と、同時にウソップの強烈な顔芸に倒されるシュガーを思い出した。…南無三。

 

「ルシー」

 

「何?」

 

「食え」

 

何を?

 

「え、兄上…何言ってんの?」

 

お前正気?とガチめに尋ねたら、ドフラミンゴが楽しげに笑って、片方の実を私の手のひらに乗せてきた。

 

「お前がホビホビの実を食うんだ。そうすりゃおれとお前で、ドレスローザを手中にできる。それに…ホビホビの実は身体年齢を止める作用もある。今の美しさを保てるんだぜ?」

 

いい話だろう、とドフラミンゴは囁いてきた。確かに20代半ばのこの年齢で外見がストップできれば花の盛りで絶妙にマッチするだろう。たぶん、ドフラミンゴには他の意図もあるはず。ホビホビの実を私が食べることで身体年齢が止まること以外に…そう、ドレスローザを転覆させるのに必須の能力だから、私をずっと手元に置く口実になる。私を四六時中守って、外敵に狙わせないための口実にも。

 

(でも弱点もある)

 

素知らぬふりをして、私はドフラミンゴに尋ねた。

 

「兄上、これはどんな能力なの?」

 

「ああ、相手を人形に変えちまう能力だ。人形は命令を聞くし、人形になった人間はそもそも存在しなかったことになる。ガキ好きなお前にはぴったりだろ?」

 

(そうね、人形みたいな私にはぴったりね)

 

あまりに皮肉すぎて笑えてしまった。ああ、おかしい。…なんてつまらない。

 

「能力が切れちゃうのは?」

 

「能力者が能力を解くか、気絶するか、だな」

 

よし、言った!気絶というワードを引き出せたことで私の勝率が上がった。

 

「…やっぱり私じゃダメだわ、兄上」

 

「あ?なんでだ。理由を話せ」

 

「だってまだ私、すぐ病気にかかるし、気絶だってしちゃいそうだもの。気を失って、目が覚めたらお気に入りの人形が人間に戻ってどこかに消えちゃいました、なんて絶対に嫌よ」

 

「……フッフッフ、そりゃそうだ。だが、実際のところお前以外の適任がいねェ。人形にした人間の存在を丸ごと忘れちまうんなら、お前も罪悪感なんて感じることはねェんだぜ?ルシー」

 

罪悪感、という言葉をあえて使う汚さに反吐が出そうだ。この兄は、妹が両親や弟と同じ人種だと見抜いた上でその言葉を使うのか。自分と同じ根っからの悪人にはなれないのだと、そう私を評価してなおそう言うのか。

 

(さすがは悪の大魔王…逃げ道を塞ぐとか汚すぎるわ)

 

でも、私は知ってる。シュガーが悪魔の実を食べることを。彼女がドレスローザを悲劇の国に陥らせることも。

 

(私じゃダメでシュガーだからいい事…私じゃ役不足でシュガーだからできること…!)

 

ドフラミンゴを説得するに足るものは、と頭をひねってひねって……ふと、自分の手が目に入った。ああ、そうだ、私はドフラミンゴの妹だ。

 

「兄上、やっぱりダメだよ」

 

私はドフラミンゴの妹なのだから。

 

「私は兄上の妹だもの。万が一反乱が起きたら、真っ先に殺されるよ。そうしたらすぐ能力が解けちゃう。それはマズいでしょ?」

 

「……そこまでして食いたくねェ理由を言え、ルシー」

 

ああ、やっぱり食べたくないことがバレていたらしい。私の頭でひねり出せるものなんて、本当に大したことないものなんだな。それでもドフラミンゴ相手なら仕方ない、なんて簡単に諦められる程度にはなってしまったんだ。観念して、私は両手を上げた。

 

「だって美味しくないらしいもの」

 

「…!フフ……フッフッフッ!!!違いねェ!!!」

 

この返答はお気に召したらしい。機嫌よく笑うドフラミンゴに、私は提案した。

 

「ねえ、兄上。ホビホビの実をシュガーに食べさせない?もう一個はユキユキだっけ?名前的に雪とかの能力だよね?ならそれはモネに食べさせてさ」

 

「シュガーに?」

 

意外そうに繰り返したドフラミンゴの鼻先に指を突きつけた。私は役者。私は女優。自分が食べないために、全力を注げ!

 

「ほら、兄上にも思いつかなかったでしょ?シュガーは小さいけど、体術は訓練で上達してるって聞くし。あの子が気絶してる所なんて見たことないし。姉妹だからどちらかをファミリーで囲っておけばもう片方は絶対に出ていけないよ」

 

「……なるほどなァ?」

 

ドフラミンゴは極悪な笑みを浮かべた。ああ、怖い。悪人みたい。本当は極悪人なんだけど。

 

「いいだろう、シュガーに食わせてやる。…お前に食わせたい悪魔の実は、まだまだいくつもあるからなァ!」

 

「げえっ!」

 

えっ、何の実!?何の実を食べさせられる予定なの!?嫌な予感しかしなくて身を震わせた私に、ドフラミンゴは不吉で楽しげな笑い声をくれた。

 



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65.それは天竜人が屈したという意味

 

 

ドフラミンゴが七武海に加入したらしい。仲間たちといつかのあの日のようにグラスを掲げて乾杯をしながら、無意識のうちにローの姿を探した自分に嫌気がさした。ローはいないんだっての。

 

「顔合わせにはルシーを連れて行く。モネ、お前はルシーの世話をしろ」

 

「かしこまりました」

 

「ーーーはい?」

 

いや、待って。あの…待って?え、顔合わせって何?文字通りの顔合わせ?この人が七武海に入りました的な?そんなのに妹連れて行く?ハァ!?

 

「兄上!私留守番する!」

 

そう言っていたのが先月の話。

 

(留守番するって言ったのに…)

 

寝ている間に連れてこられたのは、海軍本部。たぶんモネが能力で眠らせたとかそういう感じだと思う。でないと起きたら何日も経ってたとかないし。

 

「さあ、お嬢様。こちらをどうぞ」

 

「…ねえ、モネちゃん。本当に行かなきゃダメ?」

 

「はい」

 

完璧な笑顔で頷かれた。くっ…これだから美女は!一点の曇りもない美しい笑顔に気圧されつつ、それならばとモネに頼んだ。

 

「じゃあ身支度は自分でするから!モネちゃんも支度しててー!」

 

「私はもう身支度を終えていますので」

 

「ぐぬー!……ちょっと、気持ちが落ち着いたら行くから…」

 

「…分かりました。10分後に再度伺います」

 

「よろしく!」

 

なんとか自室に一人きりになれたのでその勢いのまま机に向かった。引き出しから取り出したレターセットを開けて、ペンにインクをつけた。時間はない。

 

(ロシーにできなかったことを、私がするの)

 

こんな風に海軍に行けるのなら、ロシナンテから機密文書のコピーをもらえばよかった。そう思いながら、ペンを走らせた。ロシナンテのマリンコード、私がロシナンテの妹であること、ドフラミンゴの今後の狙い、裏で繋がっている人のこと、…ジョーカーのこと。それらをインクの乾きも待たずに畳んで、封筒に押し込んだ。デリンジャーのおかしのおまけに付いていた、とびっきり可愛いハートマークで封をして。

 

「お嬢様、そろそろよろしいですか?」

 

「っ、うん!大丈夫!」

 

慌てて立ち上がった時にペンを引っ掛けて落としてしまった。ドレスの裾についた黒いインクの染みに、しまった、と苦渋を浮かべる。

 

(…大丈夫、コートで隠れる、隠せる。大丈夫…見つからないようにすればいい)

 

ドフラミンゴとお揃いのコートを肩にかけて、モネに付き添われながら外に出た。久しぶりに見る真っ青な空は眩しすぎて、目眩がしそうだった。

 

「ドンキホーテ・ドフラミンゴ。ここから先は他の海賊たちは入室できない。控えの間に案内しよう」

 

会議室まで続く廊下の途中で、私たちはそう警告された。当然だ、ファミリーまで引き連れた七武海会議などありえない。だというのにドフラミンゴは海兵たちを見下ろし、凶悪な笑みを見せた。

 

「おれたち2人でドンキホーテ海賊団の船長だ。下っ端がナマ言ってんじゃねェ!」

 

おそらくパラサイトでも使ったのだろう、海兵たちが泣き叫びながらお互いを切り殺しあっていたから。モネが私を抱きしめて見えないようにしてくれたけど、聞こえてくる悲鳴と床に流れてきた真っ赤な血で、ドフラミンゴが何をしているのかは分かってしまった。

 

(……くらくらする…)

 

久しぶりに、間近で人が殺された。ドフラミンゴに殺された。切り落とされた父親の臓腑の匂いを、腐った父親の頭の匂いを思い出す。腐り落ちた皮膚を、その屍肉に群がる蛆虫をーー。

 

「……お嬢様、大丈夫ですか?」

 

「へい、き」

 

…なわけないでしょ。ドフラミンゴは私の靴に血の海が付着する前に、私を避難させるように高々と抱き上げた。微かに感じる自分の吐瀉物の匂いに、胃の中のものが逆流しかけていることを感じた。

 

「兄上…吐きそうかも…」

 

「…弱くなったなァ、ルシー。いいぞ、寝てろ」

 

「うん…」

 

本当に、私は弱くなった。子どもの頃の方がグロ耐性もあったようだ。ぐらぐらと揺れる頭をドフラミンゴの首筋に押し付けて、私を抱き上げるその手に甘んじた。少し眠ろう。寝て起きたら、会議が終わっていればいい。

 

(…まあ、そんな上手くいかないよね)

 

ギシギシと空気までが歪みそうな圧迫感を受けて、目が覚めた。

 

「…兄上?」

 

「寝ていろ」

 

大きな手のひらが迫ってきて、私の頭を撫で付けた。

 

「ドフラミンゴ…その子は控え室に置いてきな」

 

「フッフッフ!おつるさんよ…そっちの下っ端に言ったはずだぜ?おれたちは2人でドンキホーテ海賊団の船長だってなァ」

 

「聞いてないね。あの子たちをお前が殺しちまったんじゃないか」

 

「そりゃあ悪いことをしたなァ?」

 

「悪いことだと思ってるならその子を巻き込んでやるんじゃないよ。まったく…」

 

壮年の女性がドフラミンゴと言い合っているようだ。ギシギシ、ギシギシ、頭が揺れる。ドフラミンゴが覇気でも出しているんだろうか。でも、こんなに近くでも辛くないのに。じゃあ誰が?いや、そんなことどうでもいい。七武海の会議だ。私は出て行く。控え室に行って、この手紙を置いていきたい。

 

「兄上、私、出たい」

 

「ルシー、いい子にしていろ」

 

「七武海になったのは兄上でしょ?私は兄上の付属品なんだから同席できないよ」

 

「ルシー、お前はおれの妹だ。付属品じゃねェ。何度言や分かるんだ」

 

「それでも、七武海になったのは私じゃない。人に迷惑かけちゃだめだよ」

 

首筋にくっついて甘えてみせると、少し考えた後でドフラミンゴは機嫌よく笑った。ああ、まだ私の甘えは通用するらしい。どれだけ懇願したって、ロシナンテのことは殺したくせに。

 

「フフ…フッフッフッ!!!ああ、そうだなァ!人に迷惑をかけちゃダメだよな!フッフッフ!…モネ、ルシーに付き添え」

 

「かしこまりました。…さあ、お嬢様。こちらへ」

 

ドフラミンゴからモネに手渡されて、私は自分の足で歩くことなく部屋を出た。部屋の中に誰がいたかは分からない。けど、ギシギシと体が震えるほどの圧は、確かに感じていた。控え室でモネが飲み物を用意する間に、手紙をクッションとソファーの間に挟み込んだ。センゴクさん宛に。

 

(掃除の方が、センゴクさんに渡してくれたら…)

 

祈る。会議が終わり、手紙のことを知られず、無事に家族の元へと帰れることを。うとうとしていたから何時かは分からないけれど、会議が終わって、ドフラミンゴが戻ってきた。七武海のある人に手を組まないかと尋ねたら振られてしまったのだと笑っていた。けど、私にはそんなことどうでもよかった。

 

(…センゴクさんの所に届きますように)

 

ささやかな改変が、許されますように。

 



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66.原作にはない海軍からの襲撃の最中に

 

 

七武海会議の後、モネが出て行った。そのままドレスローザに向かい、国内に潜伏する手はずになっていたらしい。

 

(もう、あと10年ちょっとでルフィがドフラミンゴを倒すんだ)

 

そう思うとほんの少しだけは良心が痛んだ。もう前世とほとんど同じだけ生きた第2の人生、その全てをドフラミンゴと共に過ごしたのだから。今はもうたった1人の肉親になってしまったドフラミンゴが倒されるというのは、やはり寂しかった。…もう、私が守るなんて言えるような存在ではなくなったし、ロシナンテのように原作を改変してドフラミンゴを守ろうど思わないけれど。ドフラミンゴは自業自得でやられるのだから。

 

(七武海でドフラミンゴは私をもう1人の船長って公言した…。それはつまり、ルフィが倒すべきドンキホーテ海賊団のメンバーに私も含まれたってことなんだろうな)

 

ヴィオラさんみたいに上手く行動して裏切れたならそれが理想なんだけど。ドレスローザ編の後、私も一緒に投獄されるのは間違いない。今から考えるだけでもとめどなくため息が出てくる。

 

「お嬢様、本日は私が護衛です」

 

ディアマンテが処分し忘れていたという私が昔着ていた服を、シュガーは気に入ってよく着ている。とはいえ多少は生地が傷んでいるから、染め直したりしてるんだけど。今日もシュガーは好物のグレープ色のワンピースを着ていた。果物の方は海上生活が長いから手に入らないし。

 

「あら、敵襲?デリンジャーは?」

 

「バッファローと一緒に砲術訓練してる。ホント子どもよね」

 

部屋に入るなり、シュガーは口調を崩して肩をすくめた。ベッドに座って足で空を蹴り、つまらなさそうにため息を吐いてみせる姿は、もう二度と成長しない。原作通りにしただけとはいえ、悪魔の実を進めた者として、罪悪感はある。じっと見つめる私に視線に気付いたのか、シュガーがちらりとこっちを見てきた。

 

「なに?」

 

「ううん、何でもない」

 

「嘘ね。何でもないって顔じゃなかった」

 

この子は賢い。賢くて、強い。悪魔の実を食べたことなんて、まるで気にしたそぶりを見せない。…私はシュガーのように強くなりたかった。頭も心も体も、彼女のように強くなりたかった。

 

「…私の服、まだまだ可愛いのがあるのになぁ、って思ってた」

 

能力者になったことを、本心から彼女は後悔していないだろう。だって実を食べたことで彼女は永遠にこの海賊団に居場所を得たのだから。だけどやっぱり私としては、この子が選べたであろうここ以外の道を断ち切った身として、罪悪感があった。だから、大人のサイズの服をシュガーに着させてあげられない、そんな風に暗に伝えるしかできなかった。シュガーは陰鬱な私の言葉を鼻で笑って、上から響く大砲の砲撃に負けない声で言った。

 

「私ね、今までお姉ちゃんの服のお下がりばっかり着てたの。うちはお金がなかったし、そもそもお姉ちゃんも誰かのお下がりとか古着ばっかりだったからいつもボロボロの服ばーっかり」

 

それも町ごと全部焼けちゃったけど、とシュガーは言った。彼女とモネの昔話を聞くのは初めてで、私は驚いた。辛い出来事だっただろうに、シュガーが軽く昔話として語れるほど強くなっていたことに、素直に驚いた。

 

「でもこうなってからは若様も幹部も家族もみんな新しくて可愛い服をいっぱい買ってくれるし、お嬢様の服もとっても綺麗だし、なかなか悪くないの」

 

グレープも美味しいし、と目を伏せて笑う姿は可憐だった。

 

「それに、お嬢様は知らないかも知れないけど、子供服ってブランド物ばっかりだし、高くて可愛いのばっかりなのよ?他の人たちは子どもの頃しか着られないものを、私だけはずっと着られるの」

 

「…うん」

 

「私もお姉ちゃんも、望んで能力者になったの。…なんでもかんでも自分のせいだなんて思い上がらないでよ」

 

ふん、と不機嫌そうにシュガーはそっぽ向いた。

 

(……ああ…慰めてくれたんだ)

 

「シュガー」

 

「え?」

 

小さな体を思いっきり抱きしめた。

 

「きゃっ!な、なによっ!」

 

「ありがとう。シュガーのことも、モネのことも、私、大好きよ」

 

砲撃音や戦闘音に負けないぐらい、大きな声で伝えた。シュガーは驚いたように一瞬息を詰まらせて、やっぱり不機嫌そうに囁いた。

 

「……そんなの知ってるわよ。…ほんとバカね」

 

顔を寄せて擦り寄るようにしてきたこの子が、この先とんでもない数の不幸を呼び寄せるとしても。それを私が断罪することは、できないのだ。

 



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67.空腹の辛さはよく分かるから

先日の一件から筆まめになりました、ってわけじゃないんだけど、やれることはやってみようかな、と少しばかり前向きな姿勢で動いていくことにした。目下の目標は、花畑に住むご一家の救済…王家は狙われているから、城に向かわず逃げて隠れているようにと伝えるもの。

 

(…時間稼ぎ程度にしかならないだろうけど)

 

シュガーに言われて気付けた。なんでもかんでも自分のせいだと思い込むなんて、本当に思い上がりも甚だしい。すべては『なるようになっている』だけのこと。両親のことも、セニョールの家族のことも、…ロシナンテのことも。

 

(私は、この世界じゃモブなんだよね)

 

おそらく、手を差し出すにはきりがなくて、見て見ぬ振りをしていた数多の奴隷や多くの部下たちも、そうなるべくして売られ、そうなるべくして死んでいったのだ。原作通りに。救えたと驕っても、それは救われるべくして救われた命にすぎない…デリンジャーがいい例だ。まさか人間の妊婦から生まれた子どもが半魚人だったなんて、あの時の私は思いもしなかったのだから。

 

「誰か、デリンジャーを知らない?」

 

倉庫で武器弾薬を整理している家族たちに尋ねると、グラディウスの影から小さな子どもが飛びついてきた。とんでもない力でアタックされて支えきれずにふらつくと、それを見越していたらしいバイスに背中を支えられた。さすがバイス、GJ!

 

「ママ!なになに?遊んでくれるの!?」

 

「うーん、残念。ちょっとお使いをお願いしたいのよ」

 

「きゃー!おつかい!おつかいっ!おやつ買ってもいーい?」

 

いつもテンション高いなぁ。飛び跳ねてきゃあきゃあと騒ぐデリンジャーを、家族たちが武器庫の外に行けと押し出してきた。

 

「おいルシー、この先はドレスローザに直行だ。欲しいものがあるなら後にしろ」

 

「分かってる。でもどうせデリンジャーに出番はないんでしょ?部屋に飾る花が欲しいだけだし」

 

「花じゃと?」

 

グラディウスに返した言葉に、ラオGが首を傾げてきた。そりゃまあ、こんな時に何言ってるんだと言われるかもしれない。でも、その辺は私のキャラを知ってる幹部たちが納得してくれた。

 

「ウハハハハ!そりゃこいつはガキの頃から花好きだからなァ!」

 

「花は心の潤い!いついかなる時も美を求めることは素晴らしいことざます!」

 

能力でモヤモヤと何かをしはじめたジョーラを、セニョールが押しとどめていた。うーん、ジョーラはまだ能力に慣れてないみたい。倉庫の武器弾薬をアートにしちゃってもどうせみんな実力でドレスローザの兵士相手に勝つんだろうけど。

 

「ルシーさん、私もデリンジャーと行きます!」

 

元気よく挙手してきたベビー5には、ありがたいけど、と断りを入れた。私の企みを知られると困る。…ベビー5は私に黙ってドフラミンゴにバラすなんてことはしないだろうけど。

 

「危ない目に合わないようにデリンジャーだけでこっそり行ってもらうよ。ドレスローザは戦争をしない国ってことだし、子ども相手に武器振り上げることはないでしょ?ねえトレーボル、ピーカ、いいでしょう?」

 

「んん〜…ルシーがこの船から出ねェならいいぜ〜」

 

「…兵士がデリンジャーを襲わないようドフィに言っておけよ、ルシー」

 

幹部たちの了承を得て、私はにっこり笑って見せた。デリンジャーを部屋に呼んで、手紙とお金、日持ちのする干し肉やドライフルーツを詰め込んだ袋を用意する。それらをデリンジャーがいつも背負っているリュックに仕込んで、デリンジャーにお使いの内容を伝えた。

 

「いーい?デリンジャー」

 

「なーに?ママ!」

 

真似をしてきゃらきゃらと笑うデリンジャーに、よくよく言い聞かせた。

 

「ドレスローザの丘の上にはね、すてきな花畑があるんですって。そこに花を売ってる人たちがいるらしいの。怖そうなお父さんと、綺麗なお母さんと、デリンジャーぐらいの女の子のおうち。その人たちにね、リュックの中の物を全部渡して欲しいの」

 

「?お花を買うんじゃないの?」

 

「…リュックの中の物と交換で、リュックいっぱいにお花を買ってきてちょうだい。お金もちゃんと入ってるから。誰から?って聞かれたら、ママから、って言うのよ」

 

「うん!わかった!」

 

素直なデリンジャーは文字通り『ママから』と伝えるだろう。…ドレスローザを襲う海賊からなんて知ったら、きっと手紙も破り捨てられるだろうし。個人的な感覚で申し訳ないけど、私も空腹を知っている。この世界に生まれて数年だけ味わった飽食、その後に訪れた強烈なまでの空腹。床を這うゴキブリの上に落ちた肉の塊を、惜しいと思うあの気持ち。何日もかけて買いに行った、保存のきく肉や果物。家族に食べさせなくてはとひりつく思いで歩いた日々。あの空腹だけでも、花畑の一家から取り除いてあげたい。自分の空腹のために母親が殺されたなんて思いは、辛すぎるから。

 

(本当はディアマンテを止められたらいいんだけど…)

 

きっと無理だろう。私が四六時中、それも何日もディアマンテに張り付いて、彼が銃で人を撃ち殺すことがないよう見張り続けるなんて不可能だ。

 

「ママ、おやつは?あたしにおやつも買って!」

 

私の内心なんてカケラも知らず、デリンジャーは無邪気に尋ねてきた。その子どもらしさを、愛しく思う。

 

「じゃあ、兄上がドレスローザをとっちゃった後で、たくさんおやつを買ってあげる。シュガーにもグレープを買ってあげなきゃだもんね」

 

「きゃーっ!やったー!」

 



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68.平和を焼き尽くす炎

 

 

三十路手前でこんなに困惑することがあるだろうか、いや無い。頭の中で反語を繰り返しても、現状は何一つ変わらなかった。現在私がいるのはピーカの中。もう一度言おう、『ピーカの中』である。どうしてこうなった。

 

「ルシー、何があっても声を出すな。お前を外に出した後もだ。お前は一言も喋らず、おれの横に立ってろ…いいな」

 

「……トレーボル、ピーカ。私は船の中で待機じゃないの?」

 

「この方がドフィのためだからなァ〜!暇ならそこで寝てりゃいいぜ〜?べへへへ!」

 

石に反響してくぐもった声で、トレーボルはシレッと前言撤回していた。おいドフラミンゴ!あんたの参謀めちゃくちゃ腹立つんですけど!?ってか参謀の意見を受け入れてよ!

 

(船の中で全部終わるのを待ってたいってのに!)

 

なんとなく、ドフラミンゴの考えは分かる。…30年近く一緒にいるんだから、多少は考えが読める。ドフラミンゴは、ドラマチックに演出したいのだろう。自分が国王として迎え入れられるよう、私が王女として認められるよう。チッ、と舌打ちすると、ピーカからお叱りの声をいただいてしまった。

 

「ルシー、上品にしていろ」

 

「ふんだ!」

 

「ルシー…」

 

あ、困ってる。やっぱりピーカは私に甘い。ディアマンテなんて外で笑ってる声しか聞こえないってのに。

 

「フッフッフ!おれの妹はワガママだなァ…だが、そうでなきゃ困る」

 

「ハァン?何言ってんの兄上」

 

「フッフッフ…!随分と『らしく』なってきたじゃないか、ルシー」

 

前言撤回。やっぱりドフラミンゴの頭の中は意味が分からない。何がよ、と言い返したかったけど、外から悲鳴が聞こえてきて口を閉ざした。悲鳴…数多の、悲鳴だ。人の泣き叫ぶ声…いっそ殺してくれと懇願する声……石の壁に渦巻くように、反響して消えない。空気穴は空いているけど、夜の暗さも相まって、自分の手すら見えない暗闇の中で聞くその怨嗟の声は…さながら地獄のようだった。

 

(気持ち、悪い)

 

あの声は、ドレスローザの人々の叫びだ。平和に生きていた人々の、その全てを踏みにじる…悪魔の所業に対する叫びだ。それはつまり、私たちへのーー。感覚もないのに、ぞわ、と背中が粟立った気がした。怖い。怖い。あの悲鳴が、怖い。あれはいつか私たちに向けられる。必ず、私たちは報いを受ける。殺せと叫ばれる対象になる。『原作でそう決まっている』。その瞬間、不意に、あの迫害の日々を思い出した。

 

「ーーーぁ……っ!」

 

ドフラミンゴとロシナンテを庇おうとした、あの日を思い出した。気が付いたらベッドに寝ていて母親が死んでいたけれど…私はあの日、大人たちに『ああされた』んだった。足元の、街から響く悲鳴に、記憶の中のドフラミンゴとロシナンテの悲鳴が重なる。殴られた。蹴られた。踏みにじられた。罵声を浴びせられた。髪を掴んで投げ飛ばされた。酒瓶で頭を殴られた。ナイフを投げて遊ばれた。オモチャみたいにーーー捨てられた。

 

(っ嫌だ……思い出したく、ない…っ!)

 

失ったはずの痛覚が蘇ったように、全身に痛みを感じた。体がガクガク震えた。…歯の根が合わない。呼吸が浅くなって、頭がぼんやりした。それでも、一度思い出した記憶は、消えてくれなかった。

 

「……ルシー、どうした?」

 

ピーカの声が、遠い。反応しない私を訝しんだのか、ピーカの顔が内側に出てきた。

 

「ルシー!?どうした、何があった!?」

 

「どうした?」

 

「ドフィ、ルシーの様子がおかしい…!」

 

「!?」

 

石の壁が崩れて穴が空いた。そこから伸びてきた腕が、私を引きずり出した。ぐるりと変わった視界に、地上でごうごうと燃える炎の赤が映った。

 

「ルシー!おい、しっかりしろ!」

 

『ルシー、しっかりしろ!目を…目を開けるんだえ!』

 

幼い頃のドフラミンゴの声が、耳元で聞こえた気がした。もしかしたら私が暴行を受けた時に、同じように声をかけてくれたのかもしれない。じわりと視界がぼやけて歪んだ。

 

(ドフィは、何も、変わってないよね…?)

 

ドフラミンゴにも…優しいところが、本当はあるんだよね?でもそれ以上に苛烈な性格すぎるだけで、世界中全部が憎いだけ。そうだよね?ねえ、そうだと言って欲しい。私に救いを与えて欲しい。こんな風に…神さまみたいに、無数の人の悲鳴をあざ笑うだけの人間じゃないんだって…!

 

「兄上…もう、やめてあげてよ…っ」

 

掠れた悲鳴のような声を、ドフラミンゴは腕に閉じ込めるように、私を抱きしめてきた。

 

「ーーお前は本当に弱いなァ、ルシー…」

 

呆れか、落胆か、そんなのは分からない。だけどドフラミンゴは、弱い私を炎の明るさから遠ざけるように包み込みながら、ひどくつまらなさそうにそう言った。

 



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69.凍りつくほど美しく

 

 

劇的な登場をして、ドフラミンゴは国中から歓声を浴びるに至った。幹部たちや家族たちが、操られているだけの兵士たちや王宮内の人々を無残に倒しきるまで…私はただ、ドフラミンゴのそばで見ているしかできなかった。悲鳴をあげて気絶する、そんな悲劇のヒロインのようなことができたなら、どれだけよかっただろう。私には、ドレスローザの悲劇を見続けることしかできなかった。力が入らない足で地面を踏みしめて、唇を噛み締めた。涙がとめどなく溢れてきても、目をそらすことなんてできなかった。

 

「お嬢様、お待ちしておりました」

 

「モネ…っ」

 

涼やかに、しかし心から嬉しそうに迎えたモネの姿に、不覚にも安堵してしまった。彼女が王宮内制圧に尽力したことは分かっている。だけどモネの声はあまりに優しくて、緊張の糸がぷつりと切れてしまったのだ。手を伸ばすと、モネは躊躇いなく手を伸ばし返して、私をしっかりと支えてくれた。七武海会議の時のように、穏やかな笑顔で。

 

「さあ、お疲れでしょう?お部屋にご案内致します」

 

「モネ…これからどうなるのかな…」

 

「…あなたは王女になるんです。王女になって、幸せに暮らすんです」

 

まるでおとぎ話を語るように、モネは言った。おとぎ話のように、悪を打ち倒し、王子様と幸せになるなんて、そんなことはありえないと理解しているのに。モネはひどい。私に甘いことしか言おうとしない。…いや、家族みんながそうだ。私に甘い言葉ばかり与えて、優しくしたと満足感に浸るだけ浸って、私のことなんて見てくれない。

 

(所詮はドフラミンゴの妹か…)

 

そういう意味で私を見てくれたのは、ロシナンテだけだった。いや、頭のいいローのことだから、彼も私をドフラミンゴの妹という色眼鏡無しで見てくれていたのかもしれない。…ローは元気だろうか。無理をしていなければいい。海賊になんてならないで、そのまま自由に生きていればいいのに。

 

「父を…父を助けてください!父の命だけは、どうか!」

 

国中がざわめきたつ声で溢れる中、王宮内にその声は一等よく響いた。

 

「なに?」

 

「この王宮の元王女です」

 

そっけなく返したモネも、今朝まで笑顔で彼女に従っていたはずなのに。そう思うと、ぞくりと寒気のようなものがモネから感じられるような気がした。

 

「ウハハハハ!ドフィ、こんなやつらもう殺しちまおうぜ?おれにはこいつらが黙って従うような顔に見えねェ…」

 

「フッフッフ…同感だ。だがこいつの能力は消すには惜しい」

 

広間のそばを通り過ぎる時に、そんな声を聞いた。ああ、きっと彼女は父親の命乞いをして幹部になる。父親と姉と姪、3人の姿を見守りながら、彼女も人を殺す側に回るのだ。たどり着いた部屋は、白かった。モネが雪で作ったのではないかと思うほどに。でも吐き出した息は白くならなかった。王宮内を見ていても、こんな部屋の意匠はどこにもカケラも感じられなかった。つまり、潜伏中にモネが意図して私のためにこの部屋を誂えたということなのだろう。モネは、ドフラミンゴは、一体私に何を幻視しているのだろう。ドフラミンゴのように力のない私を『神さま』に引き上げるために、わざわざこんなことをしているというのなら、それは違うと叫びたい。私はただの人間だ。天竜人でも王女でも何でもない、ただの一人の人間なのに。

 

「モネ」

 

「はい、どうかしましたか?」

 

「私、独立したい」

 

一人で立って生きたい、そうモネに言うと、モネは慈愛の目で私を見た。

 

「ええ、この世にもはやお嬢様を狙うものはいません。尊い血族として、王女として、若様の妹君として、これからも励んでいきましょう」

 

噛み合わない。言葉を、理解してもらえない。モネの目の中に、私とドフラミンゴへの妄信のようなものを見た。モネは私がドフラミンゴから離れたがっているだなんて、1ミリたりとも思っていない。それとも、私の気持ちを分かっていて、それを無視しているのか。

 

「私はあなたをお守りします、お嬢様。誠心誠意、お仕えします」

 

かたかた、とモネの手が震えていた。私の前に跪いて見上げる瞳には、一点の曇りもない。一点の曇りもなくーーあの日と同じ、怯えがそこにあった。でもあの日と違う。だってモネの目は、裏切らないでほしい、そう訴えかける目だったから。

 

「モネ、きっとあなたの働きを兄上も家族たちも認めるし、シュガーのこともこれからずっと厳重に守り通すよ」

 

「お嬢様…?」

 

「兄上は裏切りは許さないけど、失敗なら許す人だよ。だから、あなたたちは殺されない。家族たちもあなたたちを守るから。だからーー」

 

続きが想像できたのか、モネの目から涙が落ちた。それは白く滑らかな頬を伝って、顎から落ちる時には丸い氷の粒になっていた。もはや人間のように涙さえ流せない、そんなモネが悲しくて、能力者にするようドフラミンゴをそそのかした自分にも強く罪悪感を感じた。見ていられなくて、凍った涙が落ちてしまう前に指で頬を拭ってやった。

 

「だから、私を自由にさせて」

 

「ーー若様は…あなたを、籠から出すことはしないわ。私たちも……あなたが籠から出ることを望まない」

 

モネの唇から流れる音は、冷たくて、残酷だった。

 

「『ここ』でずっと、美しく笑っていてください、お嬢様」

 

涙の粒が凍りついて、長い睫毛からポロポロと弾けた。モネは凍りついたような目で、凍えるほど美しくうっそりと微笑んだ。

 

『なんでもかんでも自分のせいだなんて思い上がらないでよ』

 

シュガーの声が聞こえた気がした。ねえ、シュガー、私は頭が良くないから教えてほしい。モネがこんな風になってしまったのも、本当に私のせいじゃないのかなぁ?

 



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70.心の悪魔が囁いた

 

 

(ベビちゃんが恋しい…)

 

絶賛癒し欠乏中の私は部屋でダラダラしながらベビー5の笑顔を思い出してはため息を吐く生活をしていた。だってベビー5はドフラミンゴの仕事がますます忙しくなったからとバッファローと一緒にあちこち飛び回っているし。デリンジャーもラオGたちの訓練できゃあきゃあ楽しんでばかりでなかなか部屋に戻ってこないし。シュガーは言わずもがな…というか大人びすぎているから癒しとはまた違うというか。ニートらしくベッドに寝転がって悶々と考えていると、突然扉が開いてピンクの巨体が部屋に入ってきた。

 

「ルシー、寝かせろ」

 

またかよ。

 

「えー?いい歳してまだ続けるの?」

 

「……お前の横が一番眠れるんだ。仕方ねェだろ」

 

いや、そろそろ悪夢も克服できたでしょ。返答までにあった妙な間から察するに、これは単なる口実だ。人恋しいだけ。まったく、いい歳して!

 

「モネとかに頼んだら?」

 

「ダメだ。すぐ起きられねェだろ」

 

「じゃあ奥さんとか作りなよ」

 

「フッフッフ!却下だ」

 

「なら愛人は?」

 

「…前よりしつけェな。何だ、おれが来ねェ方がいいのか?」

 

その通りです、とうっかり言いかけた口をなんとか閉じて、私は布団に潜り込んできたドフラミンゴに抱えられつつ苦言を呈した。

 

「ってか、いい歳して兄上と寝るとかさぁ…。そろそろ妹離れしなよ、兄上」

 

目元からこめかみ、耳元へと撫でると、心地好さそうに目を閉じたドフラミンゴが微笑んだ。邪悪さの感じないその表情は、もう立派にオッサンだっていうのに、今までで一番可愛く見えた。……もしかしなくても、今までずっと気を張り詰めていたのだろう。いつからだろう。もしかして、子どもの頃に家が焼け落ちた時からだろうか。私にすら気付かせなかったけれど、一人で、ずっと…。ドフラミンゴの顔を見てようやく、私はそう察することができた。

 

「………フフ…無理だなァ…」

 

眉間のシワをいくらか緩めて、ドフラミンゴは眠りに落ちた。やっと安心して眠れる、そんな顔をしている。

 

(やっぱり、私の兄なんだな…)

 

私には、身内への情が断ち切れない。これが両親のように数年単位での、それもいつか終わりがくるものと割り切った関係であればよかった。だけど、ドフラミンゴは違う。殺されるかもと怯えたり、守ろうとしてみたり、ぶっ飛ばしてもらおうとしたり、離れたいと願ったりしたけれど。なんだかんだで、私はドフラミンゴに守られて生きていたし、ドフラミンゴが死にかけたら庇ってしまう程度には、ドフラミンゴのことが好きだったのだろう。

 

(でも、私はロシーを忘れられないんだよ、兄上)

 

私はロシナンテに、助けて、と言った。ロシナンテは結局は叶えてくれなかったけれど、ドフラミンゴから離れることを肯定してくれた。真っ当な感性を持つ兄が肯定したのだ。たから私はここを出て行く。絶対に。

 

(ドレスローザ編での民衆が怖いっていうのもあるけど…)

 

私には国民全員に恨まれる覚悟も強さもない。…だから、尻尾巻いて逃げる。逃げさせてほしい。さもなくば、ひと思いにーー。

 

(ひと思いに…?)

 

私は今、何を考えた?

 



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71.自己満足な謝罪

ドフラミンゴの所にトンタッタ族が接触しに来たらしい。らしい、というのは話し合いが全て終わってから教えられたからだ。モネから小人の存在を聞いていたというドフラミンゴが、小人族の愚直なまでの素直さを利用しないわけがない。そう、いつの間にかシーザーと連絡をし合ってスマイル製造に乗り出そうとしているドフラミンゴが、植物を育てる優秀な人材を見逃すわけがない。

 

(国民も、トンタッタ族も…なんでドフラミンゴを信じるんだろう…)

 

いや、もしかしたら怪しんだ人たちもいたのかもしれない。けれどシュガーがそれを排除しているのだろう。…小人たちを密偵代わりにして、情報を集めて、着実に反乱の芽を摘み取っているんだ。

 

「……罪悪感、あるなぁ」

 

湯気を立てる美味しそうな料理を前にして、ズキズキと胸が痛んだ。真っ白な部屋で、その料理だけが鮮やかで美しかった。私もシュガーに人形にされた人たちと同じで、痛覚も感覚も温感も空腹も感じない。だけど、料理を食べて美味しいと感じることができる。家族がいて、彼らなりのやり方で大切にしてもらえる。人形にされた彼らは、それすら奪われたのだ。

 

(……今さら、謝って済む話じゃない。だけど…謝りたい)

 

人形にされた人たちに、謝罪をしたい。そう思った。これは私のエゴだ。だけど…何もせず美味しい食事を食べるたびに、真綿で首を絞められるように罪悪感に押しつぶされるのを待つことは、できなかった。幸いなことに、モネが言った通り、私やドフラミンゴに向けられる天竜人からの暗殺者や海軍からの刺客はなくなり、国民すらも味方となった今では私の外出禁止令はかなり緩和された。以前と同じように、家族と一緒なら外出が許されるぐらいには。1人でも構わないと言われないのは、ドフラミンゴ…ジョーカーへの恨み辛みを抱く人がいるからか、それとも単に過保護なだけなのかは分からないけど。

 

(さて、誰かいないかな……あっ、いた!)

 

「グラディウス!」

 

仕事を終えたのか、部下と別れたばかりのグラディウスを見つけて声をかけた。

 

「ねえ、これからシュガーの所に行ってもいい?」

 

「こんな時間に何の用だ。明日にしておけ」

 

確かにもう夜だけど…まだ深夜というほどじゃない。また過保護か。

 

「人形になった人たちに会いたいの。ねえ、今の時間帯なら幹部塔に戻ってるんでしょ?」

 

「…行ってどうする気だ」

 

「少し話したいだけ。ねえ、だめかな?ちゃんと誰かに一緒に来てもらうようにするから!」

 

お願い!と手を合わせると、グラディウスは大きなため息を吐いて肩を落とした。そんな姿に、おや、と内心首を傾げた。グラディウスがこんな反応を見せるなんて珍しい。大抵がカリカリ怒ったりする感じなのに。…神経質の塊のようなグラディウスでも、奪ったばかりとはいえドレスローザという大国に地に足ついた居場所を作ることができて、張り詰めていた気が緩んでいるんだろうか。

 

「……ついてこい」

 

しぶしぶ、とグラディウスは来たばかりの道へ体を向けた。え、もしかしてグラディウスが一緒に来てくれる感じ?珍しい!外出できた頃だって、女の買い物に付き合うなんてめんどくさい、とか言ってなかなか一緒に来てくれなかったのに!

 

(うわー!人って変わるもんだなあ!反抗期終了したのかな?頭はツンツンになったのに心は丸くなりました的な!?)

 

成長したなぁ、と親のような眼差しで、グラディウスの隣に並んで手を差し出した。

 

「はい」

 

「?金なら若にもらってこい」

 

「違うって。手、繋ごう」

 

「…!?」

 

あっ、グラディウスの体がフグみたいに膨らむ!

 

「ちょ、パンクは無し!私死んじゃう!」

 

「っ…!」

 

あ、落ち着いた。

 

「お前…っ!ガキじゃねェんだ!手なんざ繋ぐかっ!」

 

「…それ、夜な夜な妹のベッドに忍び込む兄上に言ってやってくんない?」

 

「………」

 

あ…黙った。だよね?だよね!?やっぱおかしいよね!?世間一般的に三十路の兄が妹のベッドに入ってくるとかガチで犯罪の匂いしかしないよね!?ドン引きだよね!うーん、手は繋いでくれないか。まあ私もいい歳して、って言われりゃそれまでだし。…今となっては手を繋いでお出かけしてくれるなんてドフラミンゴやピーカ、ベビー5、デリンジャーぐらいかな……って、結構多いな。

 

「………」

 

無言でスタスタ歩くグラディウスは、歩幅が違うことなんてお構いなしで先に行ってしまう。そんなだからモテないんだぞ!と、思いつつ、やっぱり手でも握っておかないと置いていかれそうだと思った。

 

(わざわざ許可取らずに行動しちゃえばいい?)

 

ダメだったら破裂する前に謝ればいいか、と軽い気持ちでグラディウスの指を掴んだ。びく、と肩を震わせて大げさに反応された。破裂する!?と身構えたけどされなかった。でもって、歩くスピードが落ちた。おっと…?これは……どういうことだ?ちら、と少し前を歩くグラディウスの耳を見上げると、廊下に灯された灯りではない赤みが滲んでいた。

 

(お…おおお!?照れてる?照れてる!?やっだ!グラディウスったら!カーワーイーイー!)

 

子どもの頃には見られなかった反応に、テンションが上がった。たぶんこの場にドフラミンゴがいたら、悪女だなァ、といつかのように言われそうだ。でもってたぶん否定できない。王宮の玄関から地下に降りて、幹部塔にたどり着くまで、グラディウスは手を振り払ったりはしなかった。なんだかんだとグラディウスも家族に優しいのだ。…ロシナンテには優しくなかったけど。

 

(ロシーのことを言い出したらみんなが許せないもんね…)

 

仕方ないと割り切ることは一生できないししないけど、忘れたフリぐらいはしてあげてもいい。そう思えるぐらいには、私も家族たちのことが好きだから。

 

「…ん?べへへ!シュガー、ルシーが来たぜ〜!」

 

「え?あら、お嬢様。こんな時間にどうしたの?」

 

「んー、人形がどんなのか見たくて。ちょっと見て回っててもいい?」

 

「どうぞ。でも仕事の邪魔はしちゃダメよ」

 

「何かあったら呼べ」

 

「ふふ。はーい」

 

シュガーがお姉さんぶってる!子どもにそんなふうに言われるのはちょっとむず痒くて、私も笑いながら返した。だけど、幹部塔から出て真新しい港を見れば、そこには悲鳴をあげながらこき使われる人形たちがいて。じくじくと忘れていたはずの痛みがぶり返して来た。

 

「あっ、これはこれはドゥルシネーア王女!こんな所まで来られてどうしましたか?」

 

人形たちに指示を出していた男が寄ってきて、へりくだってきた。…やめてほしい。私はそんなことをされるような身分でも何でもないのに。

 

「ちょっと視察に。…人形たちに声をかけても?」

 

「ええ、どうぞ!」

 

ありがとう、と礼を言って、なるべく人目につかない所で働いている人形に近付いた。

 

「…ごめんね」

 

「………」

 

「10年、待ってね」

 

虚ろな目が私を見上げる。分かっていたけれど、謝ったところで罪悪感なんてこれっぽっちも軽くはならなかった。

 



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72.騙された者たち

 

 

小人族との会談後、ドフラミンゴは小人たちを使って何かをしているようだった。王宮のあちらこちらでちらりと見る影に、いずれマンシェリーが捕まるからさっさと逃げろと伝えたくて声をかけたり追いかけるも、なぜか彼らは私から逃げるように姿を消してしまうのだ。ドフラミンゴが私に会わせないよう何か細工をしたとしか、思えなかった。

 

(なんで…そんなことする必要ある?)

 

もしかして、私もロシナンテ同様疑われているのだろうか。小人族に真実を吹き込まれると?……ありえる。私は昔からそういった面では信用されていないようだから。だから仕事のことにも、私を関わらせないようにしていたんだろうから。

 

(でも、なんとかマンシェリーのチユチユの能力だけは伝えないように言わなきゃ!)

 

王宮はもちろん幹部塔だとか街中だとか、あちこちで小人の姿を探し続けて2年は経った頃。前触れもなくマンシェリーはドフラミンゴの手に乗せられ連れてこられた。

 

「はじめまして、ドゥルシネーア王女!」

 

握り潰されることを恐れず可愛らしい笑顔を見せる小人に、ひっ、とあげかけた悲鳴を飲み込んだ。なんでここに!?って早く逃げなさいっての!

 

「フッフッフ!さすがのルシーも小人には驚いたか?」

 

「そりゃ驚くよ!まさか…だって、小人……」

 

「はい!マンシェリーれす!」

 

「あ、これはご丁寧に…。ドンキホーテ・ドゥルシネーアです」

 

手を差し出すと、小さな手のひらが指をキュッと握って握手してくれた。んんん!!!かんわぃいーい!!!思わず鼻血が出そうな可愛さ!ちんまい!小動物的な可愛さ!でれっと相好を崩した私を見て、ドフラミンゴは至極楽しそうに笑っていた。

 

「マンシェリー、さっそくだが頼むぞ」

 

「はいれす!」

 

何を?ドフラミンゴの手から机に降りたマンシェリーが、両手を広げてにっこり笑ってきた。

 

「それじゃあ、今からドゥルシネーア王女のお怪我を全部治します!」

 

「し…しなくていいっ!」

 

「あ?なんでだ?」

 

「どうしてれすか?」

 

どうしてって…それ、寿命削るじゃん?ドフラミンゴは分かってそうだけど、マンシェリーはなんでそんな軽くやろうとするのか…!ってかレオは?長老は?カブさんとかは?護衛もつけずになんで1人でいるの!?どんだけ上手く丸め込んだらそうなるの!?気持ちの問題で頭に痛みが出てきた気がした。もうやめてぇぇ…。

 

「………兄上、この子と2人で話したいから出て行ってくれる?」

 

「あ?いても別に構わねェだろ」

 

(空気読めよ!)

 

なんて言えばいいか、と頭をひねって、ひねって…仕方なく服の上から胸の傷跡を指差した。

 

「服、脱いだりするかもだし。出てって」

 

「……ほう?治す気はあるんだな?」

 

「ぐぬ…!と、とりあえず出て行ってってば!」

 

「フッフッフ!…マンシェリー、ルシーからあらゆる欠損を取り除け。いいな?」

 

「はいれす!」

 

(簡単に頷くなってのー!)

 

ドフラミンゴの言うあらゆる欠損とは、右上の肺の一部のことも含むのだろう。見た目も酷いし足の火傷の痕が治ればそれだけで万々歳だけど、肺に関しては何も問題はないから治癒なんてしなくてもいい。むしろ寿命を使うのならそんなことしないでほしい。さっそく、とどこからかジョウロを取り出したマンシェリーに、手のひらを向けてやめてほしいと訴えた。

 

「……痛くないし、もう体の一部みたいになったから。平気なの。治癒しなくても大丈夫なんだよ。だから早く家に帰りなよ」

 

「うーん、うーん……古い傷はちょっと時間がかかりますけど、ちゃんと治るれすよ!それに、ドフラミンゴ王とお約束したんれす!」

 

「でもあなたの寿命が縮むでしょ?もっと自分の体を大切にしてよ!」

 

「傷を治すだけなら大丈夫れす!無くなったものを戻すのは難しいのれすが…」

 

「いっ、いい!そこまではいらない!肺全部摘出したわけでもないし、全然大丈夫だから!…お願いだから、家族の所に帰って…!」

 

「いいえ!王女の傷を治すのは、トンタッタ族と新王様の友好の証なのれす!絶対治さなきゃなのれす!さあ、足から治すれすよ!」

 

鼻息荒く腕まくりをする姿に、ずきりと胸が痛んだ。ここで断れば、やはり彼女はドフラミンゴに処罰されてしまうのだろうか。友好の証と張り切っている彼女に、治癒を拒否したら…それを理由にトンタッタ族をいたぶることにならないだろうか。人を利用しているという罪悪感に苛まれつつ、けれど拒絶もできず、マンシェリーに圧されて厚手のタイツを脱げば、そこに広がるのは相変わらずひどい火傷の痕。子どもの頃から一向に薄れないその痕は、私がドフラミンゴたちとは違って弱いだけの人間なのだと示しているようだった。任務を全うできることが嬉しかったのか、マンシェリーは満面の笑みで頷いた。

 

「では、はじめるれすよ!」

 

さらさら、とジョウロから滴る光の粒が、足にふりかけられる。じわり、じわり、と皮膚のひきつれや溶けた部分が寛解して、色素も薄くなっていく。

 

(……すごい…)

 

原作を読んで知っていたはずなのに、やっぱりこうやって実物を目の当たりにすると、これはまさに奇跡だと感動してしまった。10分もしないうちに、足の皮膚が完全に綺麗になって、驚く私の胸元へマンシェリーはジョウロを向けた。

 

「マンシェリーちゃん、もう十分だよ。ありがとう。もう十分に友好の証だよ。だから、」

 

「まだれす。まだまだ、完治じゃないれすから」

 

「もういいよ!だから、もう帰って。早く家族の所に帰って、もうーー」

 

「いいえ!」

 

ここには来ないで、そう続けたかったのに、マンシェリーは言葉を遮って否定してきた。

 

「ドフラミンゴ王は言ってたのれす!ドゥルシネーア王女には自分を庇ったひどい怪我があるのだと!それを治すとお約束したのれす!」

 

ひゅ、と息を飲んだ。ドフラミンゴが、私の傷を気にしていたことに、ただただ驚いた。もう何年も前のことを、まだ覚えていたなんて。そんなそぶりを見せなかったから、未だに気にしていたなんて…思いもしなかった。

 

「ドフィ…」

 

胸が詰まる。ドフラミンゴは、まだ、優しい兄の一面を持っていた。そのことがたまらなく嬉しかった。ぎゅう、と締め付けられる胸に、脇腹に、マンシェリーは能力を使った。だから私は油断して、その顔色がぐんぐん悪くなることに気付くのが、遅れてしまった。

 

「はぁ……はぁ……どう、れすか…?」

 

「マンシェリーちゃん!?やだ、どうして!?」

 

くったりと倒れてしまったマンシェリーを抱き上げて、呼びかけて体を揺すった。え、待って待って!ちょっと、なんでこんな力尽きてるの!?だって、原作と同じように怪我を治しただけでしょ?さっきは全然、こんなに疲れ切っていなかったのに。こんなに疲労するなんて…そんなの、知らない!なんで!

 

「ど、どうして…しっかりして、マンシェリーちゃん!」

 

「えへへ…大丈夫って、思ったんれすけど……肺…治すの…大変、れし…た…」

 

肺を、治す。それはーー復元能力なんじゃ…。

 

「フッフッフッ!チユチユで欠損まで治せたか…!」

 

どこからか、ドフラミンゴの声が響いた。ぎくっ、と体を揺らした私の肩を抱いて、ドフラミンゴは至極楽しそうに笑って姿を現した。するすると、白い部屋に紛れていた糸が、ドフラミンゴの姿を作り出す。

 

「ぁ……あにうえ…」

 

「さすがだなァ、ルシー。お前のおかげでコイツがちゃんと使い物になると分かった。フフ…後でたっぷり褒めてやろう」

 

(……ああ、やっぱりドフラミンゴはドフラミンゴだった…っ!)

 

悲しさが、頭を麻痺させるみたいだ。私を治すなんて、ただの口実だった。マンシェリーが復元能力を使えるか、私を悲劇のヒロインに仕立てて騙していただけだった。ひどい。なんてことを…!

 

「だめ…だめ、だめ兄上!マンシェリーちゃんを家族の所に返してあげて!ひどいことしないで…!」

 

「ヒドイコト?フッフッフ…大切な一族の姫君に、おれがそんなことをすると思うか?心配するな。大切に匿ってやるだけだ…」

 

「っ、兄上、待って!マンシェリーちゃん!!!」

 

力尽きたマンシェリーを掴み上げ、ドフラミンゴは高笑いをしながら部屋を出て行った。追いすがっても、目と鼻の先で閉じられた扉は開くことはなかった。

 



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73.負けないよ、負けないで

 

 

やっぱり、私はドフラミンゴと分かり合えない。マンシェリーの一件で強く思った。時々廊下や謁見の間などで小人族がマンシェリーのことを聞いている姿を見かけたけれど、彼らは私を見ただけで慌てて姿を消してしまうから、接触すらできなかった。身体中の傷痕は、全て無くなった。けれど、どこもかしこも痛くてたまらなかった。

 

(私のせいだ…友好の証なんて言葉を全部否定して、すぐに逃してあげればよかった…)

 

いや、そんなことは無理だ。だってドフラミンゴは私の部屋に潜伏していたのだから。逃がそうとした時点で締め上げて…それこそ、原作でジョーラがしたように、握りつぶして体液を絞り出してでも、私を治そうとしたかもしれない。そう考えて、ぞく、と背筋が震えた気がした。ドフラミンゴならやりかねない。

 

(どうすればいい、どうすればマンシェリーに報いることができる?……せめて…せめて、小人族と話だけでもできたら)

 

私から逃げるのなら、私以外に伝言をお願いできれば。そう考えて、でも城の人たちはドフラミンゴの息がかかっているだろうからと考えて、考えて……一つだけ、思い当たることがあった。

 

「…兵隊さんだ」

 

そう、キュロスだ。確か……キュロスが片足の兵隊になったのは、シュガーとドフラミンゴ…あとは幹部ぐらいしか知らないだろう。そしてシュガー以外のみんなが記憶を失っているはず。だとしたら、私が片足の兵隊に接触しても、誰も危機感を覚えることはない。…はず。

 

(不安要素だらけだけど…)

 

かりかり、と手紙を書いて、小さく折りたたんだ。それを胸元に隠して、部屋を出る。真っ先に出会ったラオGに、シュガーに会いたいから幹部塔に連れて行って欲しいと頼んだ。

 

「あら、お嬢様?また来たの?」

 

「うん。また人形たちを見て回ってもいいかな?」

 

「…ええ。でもまだお昼だからそんなにいないわよ?」

 

それは大丈夫、と返して、荷運びをする人形たちを検分した。原作で、片足の兵隊はレベッカの誕生日祝いのケーキを買うために身を粉にして働く描写があった。ドレスローザを陥落させて日が経ち、ディアマンテが原作通りにスカーレットを撃ち殺したとして……時期的には、ギリギリだろう。…いや…無理かもしれない。何せ私はスカーレットたちに食料を送り、街に近付くなと警告をしている。

 

(…いや、スカーレットが殺されていなくても、お金や食料なんかはいずれ必要になる。必要になるけれど、王家に不信を持つ街まで彼女たちが行くことはできない。片足の兵隊が働いて妻子に街で買ったものを届けるというストーリーも成り立つ。つまり、いずれにせよ片足の兵隊は働かざるを得ない)

 

それはつまり、片足の兵隊がここで働いている可能性は十二分にあるということだ。

 

「ちょっとそこの方。片足の兵隊の人形をご存じないですか?」

 

「…いや、見ねえな」

 

「…そうですか。…ごめんなさい」

 

人形一人一人に尋ねるけれど、片足の兵隊を見たという情報は得られない。

 

「…ごめんなさい。人形にして、ごめんなさい…」

 

立ち去るときにそう伝えて、逃げるように次の人形に尋ねる。それを繰り返していると、さすがに目に付いたのかシュガーが近寄ってきた。片足の兵隊のことを聞かれないよう口を閉ざすと、シュガーは大きなため息を吐いて私を見上げてきた。

 

「…やめなさいよ、そんなこと」

 

「…いいでしょ。私の自己満足だよ」

 

「そうね。自己満足だわ。お優しいお嬢様は、いつもそう」

 

何も、言い返せない。だけど私は間違ったことをしているとは、どうしても思えないのだ。

 

「そんなんじゃ、いつかまた心が壊れちゃうんだから」

 

どこか憐れむような目をして、シュガーは幹部塔に戻って行った。その小さな背中に、それはモネのように?そう尋ねかけて、やめた。言ったところで意味がない話だ。

 

(しばらくしてからコロシアム付近を張った方が確実かな…)

 

ドフラミンゴは過激な殺し合いの場を民衆に、と日々コロシアムの改造に勤しんでいるらしい。口の軽い使用人たちからは、天竜人たちから海楼石を流してもらっている、という噂も聞く。

 

「あの…」

 

「ん?あら、あなた…」

 

幹部塔に初めて来たときに、無言で私を見上げたおもちゃがまだここにいた。気まずそうに私を見上げて、彼はおもちゃの口を開いた。

 

「片足の兵隊、見たことあります。一昨日の夜にここで働いてました」

 

「本当!?」

 

「はい。でも私たちと違って、彼、毎日働いてるわけじゃなさそうで…」

 

私に見下ろされてもぞもぞと居心地悪そうに言っている人形を抱き上げた。周囲をちらりと見回して、誰にも聞かれていないことを確認した。

 

「じゃあ、ちょっと渡して欲しいものがあるの」

 

手紙を取り出そうと胸に手を突っ込んだ時に、キャッ!と人形が目を隠した。もしかしてこの人形、元は女の子とか?いや、オッサンという可能性も………考えるのはやめておこう。

 

「この手紙を彼に渡して。…人形にされたあなたたちを救いたいの」

 

「……本当に?あなたは、私たちを、救ってくれるんですか?」

 

べたりと塗りつけられた虚ろな目が、私を見上げた。ずきり、ずきり、胸が痛む。だけど私はあえて笑って、人形に語りかけた。

 

「私じゃない。私には、手助けしかできないから…ごめんなさい。あなたたちのことは、あなたたちが救うの」

 

「………」

 

「8年は長いけど、でも、必ず助かるから」

 

人形の体の一部に、手紙を小さく折りたたんで挟み込んだ。パッと見て分からないし、動いても落ちることはないだろう。

 

「諦めないで」

 

(私も、諦めないで抗うから…)

 

壊れた方が楽だなんて、そんな悪魔のささやきには、私も負けないから。

 



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74.吐き気を催すほどの猜疑心

 

 

何もない日がずっと続いて、接触は無理かと思ったある朝。前触れもなく、突然小人族からの接触があった。少なからずマンシェリー行方不明に私が関わっていると知っているだろうと思っていたから、話し合いに来てくれる確率は低いと思っていたのだけど。

 

「…はじめまして。片足の兵隊さんに会ったんだね?」

 

小人族を王宮に派遣してほしい、という話を主軸に書いた手紙を、あの人形は片足の兵隊に渡してくれたようだ。そして片足の兵隊は小人族と接触をとり、私の手紙通りに動いてくれた。…罠かもしれないのに、信じてくれたようだ。限りなく低い可能性に、どうやら私は勝てたらしい。

 

「姫様はどこにいるんれすか?ドフラミンゴ王は姫様が病気だって言ってたれす」

 

「姫様がぐったりしてる姿しか見られなかったれす!せめて少しでいいれすから、話をさせてほしいのれす!」

 

わあわあ、と詰め寄ってくるトンタッタ族たちは必死の形相で、ああ、心から大切な家族を想う顔ってこんなんだったんだ、と不思議な感覚を味わった。それはどこか…ロシナンテを思い出させる顔で……悲しかった。

 

「……まず、情報を整理しよう。その前に…この部屋と周辺には誰もいない?」

 

「いないれす!指示通り、ちゃんと確認してきたれす!」

 

ひとまずはその言葉を信じることにした。嘘をつけないという面以外では、トンタッタ族は優秀だし。この時間帯に私の部屋を訪ねてくる人たちもいない。……家族たちには、彼らが忙しいからか、この王宮に住み始めてからあまり会えていないし。

 

「あなたたちは片足の兵隊さんに会ったね?」

 

うんうん、と頷くのを確認して、私は慎重に言葉を選んだ。トンタッタ族は諸刃の剣。騙されて私が裏切り者だとウッカリ漏らされでもすれば、きっと私は殺される。

 

(死にたくない…死にたくなんてない!)

 

こんなになってまで、私はまだ死にたくなかった。ドレスローザの国民たちを踏みつけて、それでもなお命が惜しかった。ロシナンテとは一緒に行けなかったけれど、私の気持ちは変わらない。生きて、ドフラミンゴから独立して、普通の人間として生きていきたい。こんな、食べて寝て起きて毎日白い色の中で閉じ込められる日々なんて、真っ平御免。恋だってしてみたい。前世ではできなかったけれど、結婚して子供だって産んで育てたい。私は今でもまだ、人間らしく生きて、死にたかった。ーーそのために、だれかを利用したとしても。

 

(だって、あなたたちはこの先ルフィに絶対に助けてもらえるでしょ?私を救えるのは、私しかいないの。…モブの私がドフラミンゴにも民衆にも殺されずに生きるには、これしかないの)

 

「私の名前はドゥルシネーアではありません。名前を名乗ることはできませんが、そのことを一族に伝えて欲しい」

 

「えっ?わ、分かったれす!」

 

「うん。…ドフラミンゴは悪人です。国民を騙してドレスローザを奪い取った。そして…治癒の能力を持つマンシェリー姫を捕えた」

 

えっ、と小人たちは目に見えてうろたえた。

 

「そんな…!だって、ドフラミンゴ王は約束してくださったんれす!今まで通り好きなものを持って行くことを許可するって!王家に騙されて悪いことしていた僕らを許すって、言ってくれたんれす!」

 

「僕らの生活がそのままでいいって言ってくれたんれすよ!仲良くしようって…友好の証に妹の怪我を治してほしいって…!家族を大切にする、素晴らしい王なのれす!」

 

(そのままの生活をしてもいい?何それ、何様の目線?そんなの、ドフラミンゴに許可なんかされるようなことじゃない。ただ単に、マンシェリーの能力を利用したいって魂胆を綺麗に見せるだけのパフォーマンスじゃない…!)

 

私がダシに使われたことは、この際どうでもいい。だけど、こんなのは…詐欺だ。ひどい。

 

(でも、なんでマンシェリーの能力がバレたの…?)

 

彼女は一族の姫君だ。マンシェリーも同じかは分からないけれど、少なくとも、能力を知られるような距離にまで姫君が人間に近付くなんてこと、トンタッタ族の傾向から見ても普通はありえない。それはつまり…誰かがドフラミンゴに情報を流したということに他ならない。誰?そんなの、少し考えればすぐ分かる。

 

(……ヴィオラさんか…!)

 

父親を救う代わりに幹部になった彼女。2年も経った今でも、私は彼女と接触できていない。おそらくドフラミンゴは小人族にしたように、ヴィオラさんにも私に近付かないよう言い含めたのだろう。それでも、彼女の能力なら私に接触できるはずなのに、それをしていない。ドフラミンゴを出し抜こうとしている彼女が私の内心を覗き見ていないからか、ドフラミンゴから逃げたがる私の内心を覗いてなお私と接触することにメリットがないと判断しているからか……彼女の本心は分からないけれど。

 

(幹部としてドフラミンゴの信を得るためにマンシェリーを売った…そういうことなんだろうか…)

 

だとしたら、彼女もなかなかの賭けに出たものだ。ドフラミンゴが考えるマンシェリーの利用法を覗き見て、殺されることはないと判断したんだろうか。それにしても、マンシェリーのことを黙っていればいい話なのに。

 

(……ううん、違うか。疑っちゃダメだ。きっと、そう、ドフラミンゴがトンタッタ族の長老にでも聞いたんだろう。一族に能力者はいないのか、とか言って)

 

きっとそうだ。ヴィオラさんには小人族を売る理由がない。彼女は私なんかと違って、いずれ救われる未来を知っているわけじゃない。そんなおぞましいことをするわけがない。

 

(…汚い考えをしているのは、私だけ)

 

人を疑い、利用し、裏切る自分。…吐き気がした。

 

「……?どうしたのれすか?」

 

「……なんでもない」

 

「それで、姫様はどこなのれすか?病気はどうなったのれすか?」

 

「マンシェリー姫は病気じゃないよ」

 

組んだ手を握りしめた。力のない私にはできなかったけれど、あなたたちには力がある。未来でいずれ救うお姫様なら、別に今救っても問題ないでしょう?

 

「お仕置き部屋は、探した?」

 



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75.いつか必ず報いを受ける

 

トンタッタ族はあの後すぐにお仕置き部屋を探そうとしたらしい。けれど途中でジョーラに会い、こんなところにいるわけないでしょう、と言われて納得してしまったのだとか。

 

(……ああああ!!!なんで!そうなるの!!!)

 

これは流れを変えてはいけないという原作の力なの?それともトンタッタ族がバ…素直すぎるからなの?どっち!?

 

「ど、どうしたらいいれすか?」

 

「……諦めずに、探して。王宮か地下の幹部塔を根こそぎ探して」

 

「わかったれす!」

 

「できるだけ姿を見られないようにね!」

 

「はいれす!」

 

返事だけはいいんだからもおおお!!!仕方ないと、私も少しは動こうと思って腰を上げた。

 

「片足の兵隊さんはどこ?」

 

街にいると聞いたので、さっそく動きやすい服に着替えて部屋を出ようとして……出る前に、一度立ち止まった。軽率な動きをしかけた自分を反省する。

 

(無策で行けるわけないっての)

 

机に向かって、手紙を書いた。片足の兵隊宛に、トンタッタ族と連携を取るようにと。特にトンタッタ族は騙されて計画をポロリしてしまうから、まず見つからないようにする、見つかったら逃げる、捕まっても逃げる、と逃げに徹するよう教育してほしいと書き込んで。手紙を胸元に突っ込んで、さあ行くぞと部屋を出た。

 

(ええと……街に出るなら、まずは王宮の入り口か)

 

外出が久しぶりすぎてドキドキする。まだ誰にも見つかっていない?広い王宮のあちこちにいる使用人たちの目を盗んで、隠れたり走ったりしながら確実に外へと向かった。

 

「あーーー!!!ママ!!!」

 

「ひっ!……でっ…デリンジャー…!」

 

嬉しそうに走り寄って来たデリンジャーは、体のあちこちを泥まみれにしながらも嬉しそうに笑っていた。

 

「きゃー!ママ!ママだ!久しぶりー!こんなところで何してるの?」

 

「ちょっとお出かけしようかな、って。デリンジャーは?」

 

「あたし?ラオGと訓練してたの!でもラオGったらあたしのことすぐ転がしてくるのよ」

 

デリンジャーはみごとな女口調に成長してしまった。…うちの家族の比率的に男の方が多いし、原作みたいにジョーラにべったりだからってわけじゃないはずなのに…気がついたら一人称があたしになっていた。ああ、決まり切った原作の力って怖い…。それともみっちり張り付いて男口調になるように矯正すべきだった?いやいや、口調なんて個人の自由だしなぁ。

 

「ねえママ、今日の護衛は?」

 

「いないけど?」

 

「じゃああたしがしてあげる!じゃなきゃ外に出るのは危ないわよ」

 

「危ない?」

 

まだ子どもだというのに、デリンジャーは私の護衛なんてものに名乗り出て来た。まるで船で生活していた時の真似事のように。その不自然さに首を傾げると、デリンジャーは当たり前のように笑って言った。

 

「トンタッタ族がママのこと恨んでるんだって若様が言ってたの。ママのせいでお姫様がいなくなったって。だからあたしがママのこと守ってあげるね!」

 

あっ、これ言っちゃダメだったっけ?と笑うデリンジャーの言葉に、息を飲んだ。デリンジャーに私が諸悪の根源だと名指しされたこともだけど、何より、ドフラミンゴがそういうやり方を選んできたことがショックだった。

 

(……ううん、事実、トンタッタ族が私を恨んでも何も不自然じゃないんだ)

 

シナリオとしてはこうだろう。白い服を着た王の妹がいる。怪我と病気を患っていて、治癒能力を持つマンシェリー姫が友好の証として派遣された。しかしマンシェリー姫は私から病気をうつされ病に倒れる。白い服を着た王の妹に近付いてはいけない。マンシェリー姫は王が保護している。…ドフラミンゴの考えそうなことだ。

 

(私が片足の兵隊に手紙を渡さなければ、トンタッタ族はもっと長い間マンシェリーが病気だと信じ続けていたんだろう…)

 

「…デリンジャー、一緒に散歩しようか」

 

「うん!ママと2人で散歩なんて初めて!」

 

きゃあきゃあと飛び跳ねて喜ぶデリンジャーと手を繋いだ。擦り寄る力が強いからか、体がぐいぐい横に押される。大きくなったな。強くなった。でも人の心を察することはできない超鈍感になった。誰に似たの?もしかして私?

 

(…人の、心…)

 

そういえば、私はずっと原作を元に心情を推測していた。その推測が合っているか間違っているか分からないけれど、今の私には顔を合わせれば雑談できる程度には家族との関係を築けている。

 

「ママ」

 

「なーに?」

 

「小人がママのこと嫌いでも、あたしはママのこと大好きだからね!」

 

「嫌な言い方するなあ!私もデリンジャーのことが大好きだよ」

 

「うん!知ってる!」

 

にんまりと笑ったデリンジャーは、当然のように私の答えを受け入れた。知っていると言いつつ、それでも、とても嬉しそうにしていた。デリンジャーと行った街で、私が片足の兵隊を見つけることはできなかった。ただ、街の国民たちから王女と好意的に呼ばれて、街にいくらか見かけるおもちゃたちに虚ろな目で見上げられただけだった。

 

(きもち、わるい。こわい。怖い、恐い…こわい)

 

いつか、報いを受ける。好意的な声や視線が、罵声と暴力に変わる。虚ろな目が嫌悪と憎悪の目に変わる。子どもの頃と同じ目に合う。

 

(逃げたいーーー)

 

逃げなきゃ、殺される。ドフラミンゴから与えられた以外でハッキリと命の危険を感じたのは、この時が初めてだった。

 



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8〜2年前
76.おとぎ話の結末のように


こりゃヤバイと確信してからほぼ毎日、私は逃げるコマンドを連打し続けた。具体的には、動きやすい服を着てドフラミンゴから与えられたアクセサリー類を根こそぎカバンに詰め込んで港までダッシュ。これがベース。あとはアレンジで使用人の服を着たり、散歩とみせかけて護衛を途中で撒いたりと色々。そして全戦全敗の記録を今日も更新した。

 

「あー…そらがきれい…」

 

「王女様、いい加減にしてくださいね」

 

モネ怖い…。モネに手をしっかりと握られたまま、街から王宮へと帰る。街の人たちがまた脱走失敗したのかと笑っていた。なんかもう名物扱いされている…。

 

「どうしてそんなにも一人で出て行こうとされるのですか?」

 

「…うーん……まあ、一番の理由は、もう30歳だからニートやめたいってのかな」

 

「王女様は王女ではないですか」

 

「兄に養われてるってのが嫌なの」

 

「では、他の理由は?」

 

(他の理由……ドフラミンゴが倒された後、事実を知って激怒した民衆にブチ殺される前に逃げたいとか言ってやりたいわ)

 

無理だな、と考えるまでもなく判断できる。

 

「…自分の人生を、自分で決めて生きたいから」

 

「例えば?」

 

「うーん、恋をして、結婚して、子どもを産んで育てて、なかなか悪くない人生だったってあったかいベッドで呟きながら老衰で死にたい」

 

それが叶う世界で生きていた身としては、やっぱりそれを望んでしまう。この世界の救世主だとか、ヒロインだとか、主人公だとか…そんなものにはなりたくないし、絶対になれない。それに付随する責任を背負えるほど、私は強くないから。人に恨まれてでも正義を貫こうとする勇気もない。

 

(私なんかがドフラミンゴの妹なんて、無理なのよ…)

 

同じ妹キャラなら、せめてマキノさんの妹とか、たしぎちゃんの妹とか、カヤさんの妹とかになりたかった。主要キャラと言われたらスモーカーさんの妹とかがいいな。あの人絶対いいお兄ちゃんだ。同じ兄キャラでもカタクリさんの妹だとビッグマムの子って時点で死亡ルートしか見えないから却下。

 

「ーー叶いますよ」

 

「ん?何が?」

 

モネはにっこりと笑って、確信を持った目で私に繰り返した。

 

「その夢は叶います。だって、あなたは王女様ですから」

 

晴れ渡る青空の下で、モネは力強く言った。おとぎ話を語るように言ったあの時とは違って、現実を見据えたような目をして。

 

(まあ、ドフラミンゴなら私をそういう所に嫁がせることもできるからなぁ)

 

なんたって今をときめくドフラミンゴ様だ。元天竜人で七武海で国王でジョーカー。ほとんど敵なしのカードだ。けれどそれは私だけに限った話じゃないはずだ。モネにだって、そんな未来が望めるはず。そんな未来があって、いいはず。

 

「モネもだよ。年頃なんだし、浮ついた話とかしてちょうだい。ねえ、いい人いないの?」

 

私がそう尋ねると、モネはきょとりと目を見開いて、何を言われたか分からない、と言いたげにした。そしてゆっくりと理解できたのか、ゆるりと頬を緩めて首を振った。

 

「いませんし、今は作ることもありません。…これからまたここから離れるので」

 

「へ?えっ、離れるの?いつ?なんで?」

 

「若様からの任務でこの後すぐ出発になります。ある研究者とのパイプを作るために。おそらく、年単位での任務になります」

 

(研究者…って、まさかシーザー!?)

 

どくりと心臓が嫌な音を立てた。ベガパンクの元で働くシーザーが失脚するのは、原作の4年前だったはず。まだ8年前だというのに…ああ、でもスマイル工場らしき建物を作り始めているから、もう連絡は取っているのか。でも、モネが秘書として行くのはもっと後だと思っていた…。もしかして、もしかして……もう、帰ってこないの?

 

「モネ…」

 

「はい、何でしょう?」

 

「…あの、あのね……体を大事にしてね」

 

この後すぐなんて、早すぎる。何も対策ができていない。モネに言い含めることも十分どころか全くできていないのに。守ると言った以上は、モネが死なないようにしたかった。あんなクソみたいなやつに、心臓をひとつきされて、なんて死に方をさせたくなかった。

 

「誰に何を言われても、あなたの体はあなたのもの。誰にも使わせないで。誰にも貸したり与えたりしないで。そんなことをいうやつには、私がダメだと言ったって、そう言っていいから。だからーー」

 

心臓を渡したり、しないでほしい。直接的にそう言えたらどれだけよかっただろう。いや、いっそ言ってしまおうか。そう迷った私の顔を、モネは覗き込んできた。

 

「ーーモネ」

 

「そんなこと言われなくたって、私の体は私のものだし、私は若様とお嬢様のためにいるの」

 

「何言ってるの。私や兄上は関係ないよ!」

 

「いいえ。私は若様とお嬢様に報いるためにここにいる。私がここにいる理由を、否定しないで」

 

「……なんで…」

 

どうしてそこまで、と声が震えた。モネは目を伏せて離れた後、私の手を引っ張って王宮へと歩き出した。

 

「私たちを拾ってくれた若様と、たとえできなくても守ると言ってくれたお嬢様は、私たちの恩人ですから」

 

ふわふわと伸びつつあるモネの髪が風に揺れる。綺麗だった。だからね、と続けて振り返ったモネは、強くて、キラキラしていて、とても綺麗だった。

 

「若様とあなたには、誰よりも幸せになって欲しいの」

 

でもその次は私たちね、と珍しく軽口のように言っていたけれど、それが本音だと分かるだけに、辛かった。モネとシュガー、2人が真っ先に幸せになれたらいいじゃないか。自分で自分の幸せを一番に願ってよ。

 



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77.きょうりょくしましょう、そうしましょう

 

 

「フッフッフ…ルシー、また逃げたのか?」

 

「ふん!家出したいお年頃なの!」

 

今日は王宮を出ようとした段階でピーカに見つかって、ドフラミンゴの所まで軽々と持ち運ばれてしまった。くそっ!見逃してくれよ!今までで最短時間で捕獲された!

 

「何が不服だ?装飾品か?おれたちが構ってやれないことか?…ああ、モネの代わりに入った新しい女中か?」

 

「ニート生活全部!」

 

「フッフッフ!ワガママな王女だ!なァ?ヴァイオレット」

 

ドフラミンゴが声をかけた相手に、え、と声が漏れそうになった。王座の向こう側、影になったところに、ヴィオラさんがいた。まだ幼さを残す顔立ちで、私たちを強い眼差しで見ている。真正面から見るのは初めてで圧倒された。目力のせい?なんだか、圧がすごい。

 

「…あなた…」

 

「新しい幹部だ。会うのは初めてだったか?」

 

「うん。…はじめまして」

 

「ーーはじめまして、ドゥルシネーア王女」

 

優雅なカーテシーに見惚れた。ああ、やっぱり本物の王女ってこういう人のことを言うんだよ。私みたいなとってつけた人間なんかには絶対にこの気品は出せない。比べるまでもなく、誰もが彼女を王女と呼ぶだろう。

 

「ルシー、しばらく部屋でヴァイオレットと仲良くしておけ。ーーいいな?」

 

「ええ、分かっているわ」

 

ドフラミンゴの言外の意図を読んだのか、何かにヴィオラさんは承諾した。仲良くはいいけど、一体何の話をしているの、と尋ねる間も無く、ヴィオラさんに部屋まで連れていかれた。この子、なかなか力が強いな…!ドアを背に、彼女は口を開いた。

 

「ーーーあなたは何をしたいの?」

 

「へ?」

 

「とぼけても無駄よ。私はギロギロの実の能力者、あなたの考えも行動も全てを見通すことができる」

 

ギッと睨むその目には、やっぱり圧がかかって感じる。言われるまでもなく、これは脅しだ。ヴィオラさんは、私を脅している。さっき彼女が言った通りなら、私が何をしたいかなんてプライバシーも何も関係なく心を読めるはずだ。なのにわざわざ聞いてくるとは、どういう考えなのか。

 

(……ドフラミンゴが、この部屋にいる?)

 

「……兄上、いるなら出てきて」

 

部屋に向かって呼びかけたけれど、ドフラミンゴは出てこなかった。隠れているだけか、と警戒を解かずにいると、ヴィオラさんは少しだけ肩の力を抜くように、呼吸を整えて教えてくれた。

 

「…この部屋には誰もいないわ。聞き耳を立てている人も電伝虫もいない。あなたと私だけよ」

 

「そう。ありがとう、安心した」

 

彼女が言うのならその通りなのだろう。彼女に私を陥れる理由はないはず。だとしたら2人きりになれたこの機会を、彼女は利用しようとするはずだ。お互いに腹の中を明かして、あわよくば協力者とするために。つまり、私を脅すように圧をかけているのは、単に緊張しているからだ。お互い、一手しくじれば終わりを迎えてしまう者どうしなのだから。私は椅子に近付いて、テーブル越しに彼女にも椅子を勧めた。

 

(ああ、久しぶりの感覚だなぁ)

 

もう何年ぶりになるか分からない、喉の乾くようなあの強烈な感情を思い出した。どうにでもなってしまえという自暴自棄にも似た、反抗心を。

 

「ヴィオラ王女、どうぞそちらへお座りください。一緒にお茶でもしながら、ドフラミンゴを出し抜く計画でもしましょう?」

 

「!」

 

へりくだった言い方が気に障ったのか、痛いところを突かれて驚いたのか。ヴィオラさんは体を強張らせた後、警戒しながらもゆっくりと椅子に座ってくれた。それを見届けて、私も椅子にかける。ああ、お茶をしましょうと誘っておきながら、肝心のお茶の用意を忘れてた。…まあいいか。

 

「……やっぱりあなたは…ドフラミンゴを裏切ろうとしているのね」

 

「裏切る、じゃないよ。私はドフラミンゴに対立しない。裏切らないし、敵には絶対にならない。…したところで殺されるだけだしね。私はただ、自由が欲しいだけ」

 

子どもの頃に私に銃を向けていたドフラミンゴに言った言葉だ。ただし今はその言葉に追記が入る。私は自由が欲しいのだと。

 

(この檻から出て自由になりたい。自由に生きて死んでいきたい)

 

ドフラミンゴに殺されるのだけは絶対に嫌。だって鉛玉で何発も撃たれるんだもの。せめて1発で頭をぶち抜いて殺して欲しい。それが殺す側の慈悲ってもんでしょ?

 

「…あなたは私の何を知っているの?ドフラミンゴに聞いたの?」

 

「いいえ。でも、誰かに聞いたんじゃない、私自身で調べたの。あなたが王女で、姪がいて、片足の兵隊さんがいて、父親を生かすために幹部になって、いつかドフラミンゴを裏切り落とし前をつけてやろうとしているって」

 

「本当に…どこまで知っているのよ…」

 

「誰にも言ってないよ」

 

「そうね。あなたが言っていたら、今頃ドフラミンゴは問答無用でお父様に何かしたでしょう」

 

ヴィオラさんは大きくため息を吐いて、やっと肩の力を抜いてくれた。少しは信用してくれたんだろうか。

 

「…あなたの心の中はとても複雑ね。壊したい気持ちと守りたい気持ちが渦を巻いているみたい。国民たちに罪悪感を抱いて生きている、でも…仲間を止めたいわけじゃないのね?」

 

「みんなはドフラミンゴの意向に沿って動いているだけ。…少なくとも、今はまだそうだと思う」

 

好き好んでこの国を壊滅させてやろうだとか、そんな風には思っていないはずだ。だって、グラディウスがあんなにも肩の力を抜いているのを初めて見た。デリンジャーが無邪気に走り回る姿も。それはつまり、ほんの少しでもこの国に愛着が湧いたんだった、好きになったんだっていうことでしょう?

 

「いつか必ずしっぺ返しを食らうって、知っているから。ドフラミンゴがこの国を乗っ取ると画策した以上、私にできることはないし」

 

「…見切りと諦めが早すぎるわ。あなた本当に30代?」

 

どきりとした。けれど同時に、もしかして前世の記憶まで読めるのかと、気になった。原作の知識を読まれてしまえば、もっと早く何とかできないか、なんて独断で動かれる可能性も出てきてしまう。力を持つとはいえ、彼女1人でドレスローザをひっくり返せるなんて思えない。けど、まず間違いなく、ヴィオラさんは確実に私の味方になってくれるだろう。打倒ドフラミンゴの旗のもとに。

 

(…賭けてみるか)

 

だって私は、仲間が欲しい。ドフラミンゴでなく私についてくれる、絶対に裏切らない仲間が欲しい。

 

「私の記憶、読めませんか?」

 

「…読んでもいいのね?」

 

「ええ、どうぞ」

 

ヴィオラさんはあの独特のポーズをして、しばらく私を見つめていた。私は…色んなことを思い出していった。船の旅。家族が増えたこと。天竜人と奴隷たち。ロシナンテが死んだこと。幼いドフラミンゴが海軍船を潰したこと。母親の咳。血と肉で埋もれた道。必死にロシナンテを生かそうとしたこと。恐怖。訓練を始めたこと、やめさせられたこと。取り引き。珀鉛病の皮膚の状態。父親の腐った頭部。輪姦未遂事件。火炙りで爛れた足。ーー兄に、人形のようだと言われたこと。

 

「っ、……ごめんなさい、気分が…」

 

吐き気を堪えるように、ヴィオラさんが手で口元を覆った。顔色がものすごく悪い。ああごめんね、血なまぐさい記憶もあるって伝え忘れてたね。

 

(あれ?その前の記憶は?)

 

私が思い出した記憶が、そのままヴィオラさんに伝わったというのなら…前世の記憶がまるごと抜けていることになる。

 

「ヴィオラさん、もしかして…本人が直接見聞きした記憶しか読み取れないの?たとえば、ええと…なんて言えばいいのかな…私が目の前の箱の中身を見ていないけど察しているって場合、記憶を読んだあなたは箱の中身を知ることはできない、とか…」

 

「…無理よ、それは推測でしかない。それを事実として読み取ることはできない…」

 

私が原作の知識を持っているのは、前世の記憶があるからだ。この体になってから得た知識ではない。ヴィオラさんの能力が他者の脳を覗き見ることにあるのなら、生まれ変わった私の脳に原作知識を刻み込むことはしていないから……つまり、私を通じて原作知識を読むことはできない?

 

(じゃあ、じゃあ…私の知識を、読んで信じてもらうことが、できない…?)

 

ぎり、と唇を噛み締めた。ああ、彼女を引き入れることは無理なのか。

 

「…いいえ、私はあなたを信じられるわ。真意を知って、もしあなたが敵になるなら…ドフラミンゴにあらぬことを吹き込んでしまおうと思っていたから」

 

「うわ怖っ!」

 

「ふふっ。ええ、私は幹部ですもの。目的のためなら、なんだってするわ」

 

ヴィオラさんは私に笑顔を見せて、真正面から手を差し出して来た。

 

「協力しましょう」

 

「ーーええ、喜んで」

 



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78.とても難しいこと

「ルシーさんー!!!」

 

逃亡準備をしていたら急に扉を蹴り開けてベビー5が飛び込んで来た。しかも泣きながら。えええ?

 

「なんか…荒れてるね?」

 

「だって…だっで!!!若様が!!!」

 

嗚咽と殺意交じりの話を聞くと、どうも初恋の相手を町ごと殺されたらしい。そんなベビー5の胸元には、全然似合っていない宝石ゴテゴテのネックレスがかかっていた。

 

「そのネックレスは?」

 

「ひっく…彼が幸せになるからって、買ったの…」

 

「………いくら?」

 

「500万ベリー」

 

「………」

 

(ああああ!!!この子はもう!!!そういう男は選ぶなと言ったはずなのに!!!)

 

お金を要求したり物を買わせる男は選ぶなど言ったはずなのに、もう忘れたのか!それともこれも原作の流れだから?だとしたらもう救いようがない。

 

「そういえばルシーさん、どこかに行くつもりだったの?」

 

「うん、ちょっと逃ぼ……お花畑に散歩しに行こうかなって!」

 

逃亡なんて言ったら一日中部屋に軟禁だと分かっているので、あえて散歩とマイルドにしてみた。すると、ベビー5はぐいっと袖で涙を拭って、私も行くと言い出した。

 

(今日は逃げるの無理っぽいなぁ)

 

仕方ない、と荷物を置いてベビー5と一緒に花畑まで向かった。周りは一面のひまわり畑。…もし、あの手紙で食い止められなくてスカーレットが亡くなっていたら、ここにお墓が…。

 

(…片足の兵隊がこの街で働いている時点で、スカーレットはもういないんだよね)

 

街に小さな家を借りて、そこにレベッカを住まわせているはずだ。レベッカがもう少し大きくなったら、戦い方を指南するだろう。

 

「ルシーさん、どうしたの?」

 

「…何でもないよ。それより、ちょっと落ち着いた?」

 

「…うん」

 

ずび、と鼻をすすった横顔には、まだ幼さがある。そんな子を騙すなんて…いや、騙されていたとしても、ベビー5にとっては真実だったんだろう。その人のことを本当に好きになったんだろう。たとえ私やドフラミンゴから見てクズみたいな男だったとしても。町ごと消すなんて過激な方法を選ばず、もっと話し合ったりすれば、ベビー5はバカな女じゃないんだから理解してくれただろうに。

 

「ルシーさんは、どうしていつも出て行こうとするの?」

 

「自由に生きたいから」

 

決まりきった答えを返すと、ベビー5は寂しげにしていた。

 

「…コラさんに会いたい?」

 

まさかベビー5が私の前でロシナンテのことを口に出すと思っていなくて驚いた。やはり、この子なりに私に対して罪悪感があるんだろうか。

 

「ーー会いたいよ。いつだって、今だって、ずっとずっとロシーに会いたい」

 

でも今はもう叶わない。だからせめて…せめてお墓まいりをしたいなぁ。毎日働いて、時々ロシナンテや親たちの菩提を弔いに行く、そんな生活もいいかもしれない。今まで逃げるだけしか考えていなかったから、そうやって未来の生活を想像すると現実味が増してきて、とても魅力的な生活に考えられた。穏やかで、きっと毎日が充実した生活だろう。少なくとも今よりは。

 

「ねえ、ベビちゃん。一緒に逃げない?」

 

「えっ!?」

 

「恐怖の大魔王から逃げて自由に生きるの。後ろ暗いことはやめて、普通の人たちと真っ当に生きていくの」

 

ベビー5は口を閉ざした。ぎゅっと目を閉じて、しばらく考えて、そして顔を上げて微笑んだ。

 

「…うん。私、ルシーさんと一緒にいたい」

 

「…ありがとう、ベビちゃん」

 

ベビー5がこんな風に言ってくれるのはきっと今だけだ。他の家族たちがいない、今だからこその言葉だ。きっと彼女は必要とされればファミリーの幹部として働き続けるだろう。そう分かっているから、私も世間話として受け入れて笑った。

 

(一緒に出て行きたいのは本当の気持ちかもしれないけれど)

 

お互いに、自由が欲しいんだ。自由に恋をして、自由に働いて生きていきたい。それだけのことが、どうしてこんなにも難しいんだろう。

 



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79.お守り代わりに持っておこう

 

 

「フッフッフ…世界会議だ!出かける用意をしろ!」

 

今日はどうやって逃げ出してやろうかとベッドでだらけながら考えていたら、今度はドフラミンゴが部屋の扉を蹴り開けてきた。なんだなんだ…揃いも揃ってみんな何か扉に恨みでもあるの?

 

(…ん?世界会議?)

 

レヴェリーってオリンピックみたいに4年に1回だっけ?ってことは…原作時間の8年前だから…なるほど、今年なのか。国獲りをして落ち着いてきているし、ってことかもしれない。未だに国ではドフラミンゴ人気はうなぎ登りだし、クーデターも何もシュガーが芽を摘んでいるし。

 

「私は留守番してるね。兄上いってらっしゃいー」

 

ごろ寝しながら後ろ手を振って、ばいばい、と言ったら、ドフラミンゴから不可解と不機嫌を混ぜこぜにした声が返ってきた。

 

「あ?行かねェのか?」

 

「うん。なんか怖いし」

 

あとドフラミンゴがいない方が逃げやすそうだし、とは口に出さない。言ったら即座にパラサイトされて連れて行かれそうだ。私に完全に興味が無いと知ってやる気が失せたのか、ドフラミンゴはため息を吐いて諦めてくれた。

 

「…まァいい。何も世界会議は今年だけのもんじゃねェからな。だが、護衛はつけるぞ」

 

「いらないいらない」

 

「フッフッフ。まあそう言うな。どうせまた逃げ出す算段でもつけてんだろうが」

 

「げっ!…で、護衛って?」

 

「セニョールだ」

 

というわけで、建築中のスマイル工場に来た。まだ工事中ということでセニョールがここにいる意味はないんだけど、ドフラミンゴにとって要になる産業なだけに幹部がちょくちょく建築の様子を見るのが常になってるのだとか。知らんわー。そのくせ私を捕まえる余力があるとかズルいわー。久しぶりに会ったセニョールは胴回りがむくむくと成長して、あと女の人たちにキャーキャー囲まれてた。

 

「場違い感がパないんですけどぉー?」

 

露出度からして真逆だし。そもそもこの国の人たちはくっきりはっきり華やか系で、私は母親によく似たマイルドなおっとり系だし。何より…。

 

「キャーッ!セニョール!」

 

「こっち向いてーっ!」

 

「………はぁ…」

 

テンションが天と地ほど違う。積極性とか趣味とか…まあ、その辺の感性も大いに違うのだろうけど。

 

「モテモテだねぇ、セニョール」

 

チュパッ、とおしゃぶりをくわえ直しながら、セニョールはどうでも良さそうに答えた。

 

「こいつらが勝手に寄ってくるだけだ」

 

「うわー。罪深いー」

 

事実、彼は興味がないんだろう。セニョールの愛する女性はルシアンだけなのだから。心のどこかでそんなセニョールを尊敬はしているんだけど、どうしても………見た目がアレすぎて……なんていうか、近寄りがたいというか。船旅では小さな空間にみんながいて、もっと、距離が近くて。こんな風ではなかったのに。

 

(…前の方が、家族って感じだったのになぁ)

 

女の子たちに囲まれてキャーキャー言われてるセニョールなんて見ていられなくて、スマイル工場の外壁の施工場所に向かった。

 

「これが海楼石?」

 

知識としてはあるけど、実物を見たのは初めてだ。…いや、自覚症状は全然なかったんだけど、ステューシーさんに捕まった時も海楼石で縛られてたんだったか。指でなぞっても粉っぽさはないし、軽く叩いた音などからも普通のレンガと何も変わらない感じがする。

 

(そういえば、原作ではドフラミンゴの糸で切れないスマイル工場を利用して、鳥籠を押し返そうとしてたんだっけ)

 

個人的には麦わらの一味が好きだから、あの時のゾロとかめちゃくちゃカッコよくてテンションだだ上がりだったんだけど。でも…そう、確かあの時原作を読んでて思ったんだよね。なんで国民たちがスマイル工場に避難しないんだろうって。だってスマイル工場に逃げたら鳥籠で殺されないし、人の重みで工場が動かないから、工場をわざわざ押さなくても鳥籠の動きを抑制できただろうに、と。

 

(…ああ、そっか、工場長がいたり、フランキーとセニョールが戦ってたりしてたから、国民たちは近付けなかったのか)

 

確か戦いが終わってすぐに鳥籠対策で押したりしてた……よね?うーん、セニョールの過去の話ばっかり覚えてて時系列が曖昧だわ。後でちゃんと思い出しておこう、と壁を眺めていて、ふと地面の小さなカケラが目に付いた。色も材質の見た目も壁と類似している。

 

(もしかして…海楼石のカケラ?)

 

ぐるりと周囲の地面を見て行って、ほんのわずかな小さいカケラをいくつも見つけた。

 

「何かの役に立てるかな…」

 

子どもが石ころを拾うように、ポケットの中に小さなカケラを放り込んだ。後からヴィオラさんに触ってもらったところ、ただの石ころだったり塗料の剥がれだったりがほとんどだったけれど、本物の海楼石のカケラもいくつかだけ混ざっていたようだ。

 

「それ、どうするの?」

 

「うーん……海楼石って高いらしいし。売って生活費にしようかな!」

 

「せめてドフラミンゴや幹部に飲ませるとか言いなさいよ…」

 

その手があったか、とヴィオラさんに拍手したんだけど、小さいとはいえ小石ほどの物を食べさせるなんてそうそうできることじゃないし。そもそももう女中のようなことはやめろと言われて食事を作ることすらなくなった私に、異物混入なんてできるわけもなく。

 

(…まあ、お守りってことで)

 

小さな袋に海楼石のカケラを入れて、ポケットに忍ばせておくのが新たな習慣となっただけだった。

 



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80.生意気な女になりたい

 

 

「ルシー」

 

「なに、あにうえ…」

 

「なんでこうもタイミングよく病気になるんだ、お前は」

 

「…病原体に聞いてよ…こほ…こほっ」

 

前回の世界会議から4年が経ち、ドレスローザ陥落から数えると6年目の現在。私は見事に風邪をひいていた。昼間だけでは無理だと判断して真夜中に、しかも視界の悪い嵐の中で逃亡しようとしたのが悪かったのか、見事に体調を崩してしまった。久々の熱は昔よりもずっとひどく感じる。歳食ったなぁ…。日々体力の衰えを感じちゃう。ちなみになかなかいいところまで行けたんだけど、嵐の夜に船を出す人なんていなくて待ってたら捕まった。クソッ!ふぁっきん!

 

(だって世界会議とかクッッッソめんどくさい所に出席とかしたくないんだもの!)

 

ドフラミンゴと違って所詮私は偽物だ。生まれながらの天竜人でもなければ、生まれながらのカリスマもなく、王族ですらない。中身は普通に普通の一般人だ。そんなのが世界会議に行ったところでドレスローザの品位を落とすだけだし、何よりそんなめんどくさいのは絶対に嫌だ!現在の世界会議が楽しそうなのは!ビビ王女やレベッカやしらほしちゃんが可愛いからであって!サボが潜入しているからであって!彼らのいない世界会議に行ったところでつまらないだけであって!!!

 

「…チッ」

 

しばらくベッドにいる私を見下ろしていたドフラミンゴが、舌打ちをして背を向けた。年々柄が悪くなってるなぁ。特に服のセンスが。昔はスーツ着ててなかなかイケメンだったのに、今はもうただのチンピラである。

 

「兄上、どこいくの…?」

 

「フフ…お前の風邪を治してやる」

 

「こほっ……まさか、マンシェリーちゃん?やめて、っ…こほっ…兄上、またマンシェリーちゃんを利用したら、怒るからね…!」

 

あんな可哀想なめに合わせて、まだあの子にムチ打とうとするのか。

 

(いや、待てよ?マンシェリーちゃんをここまで連れて来たら、無理やり逃すことができるかも?ああ、でも小人族に今から連絡なんて取れないし、でも彼らも王宮内にいるはずだからマンシェリーの姿を見て……いやいや、手の中に隠してしまえば姿なんて見せずにここに連れて来れるんだって…!)

 

熱のせいか考えがまとまらないし、咳も止まらない。ぐるぐると頭の中で考えている私がどう見えたのか、ドフラミンゴは不機嫌そうに戻ってきてベッドに座った。

 

「あれも嫌、これも嫌とはなァ……おれの素直で可愛いルシーは一体どこに行っちまったんだ?」

 

「兄上、知ってる?」

 

「あ?」

 

「んんっ…。素直な女は天国に行けるけど…こほっこほっ……生意気な女は、どこにでも行けるのよ」

 

「…フフッ…フッフッフッ!そりゃ誰の虚言だ!?現に今!お前はどこにも行けてねェじゃねえか!!!」

 

今はね、と言いかけた言葉を咳と一緒に吐き出さず、ごくりと飲み込んだ。言えばますます機嫌が悪くなるのは目に見えていたから。

 

「じゃあ、どこにも行けない、私は…今年も、留守番してるわ…」

 

「……フッフッフ…本当に、来なくていいんだな?」

 

「?どういう…こほっ!」

 

意味深なドフラミンゴの言葉を読み取れず、けれど尋ね返しても答えてくれることもなく。ドフラミンゴはご機嫌そうに笑いながら、それでも、咳をする私の背を大きな手のひらで摩り続けた。ドフラミンゴのこの言葉の意味を、後に私は理解することになる。

 



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81.家族の愛情とは

 

 

ドレスローザにはコロシアムがある。無敗のキュロスで有名なあのコロシアムだ。それが今はディアマンテの独壇場というか、ディアマンテこそが英雄扱いをされる血生臭いコロシアムへと変貌してしまった。最初は血にまみれたコロシアムをおっかなびっくり見ていた観衆たちが、7年も経った今ではもう血を見るために来ていると言っても良いほどに変貌していた。

 

「フッフッフ!たまには直に見るのも悪くねェ。なァ?ルシー」

 

「…悪趣味」

 

高台で綺麗な女性たちから飲み物をもらい、血の惨劇を見て湧き立つ観衆たちを見下し笑う。ドフラミンゴの絵に描いたような悪役っぷりに吐き気がする。こんなのは天竜人の真似事だ。ドフラミンゴと天竜人にはほんの僅かの差しかない。民衆にアピールをする必要があるか否かという点だけ。しかし、なぜ私をここに連れてきたのかが分からない。だってグロ耐性が極端に下がった私をドフラミンゴがコロシアムに連れてくることは今までなかったし。

 

(何が目的でコロシアムに…?)

 

私の疑問はすぐに解決された。剣を手にした1人の少女が現れたから。

 

『さあお待ちかねの囚人剣闘士の登場だー!!!』

 

(ーーまさか)

 

『街に火をつけ国民たちから財を奪い!そして恐怖を植え付けたあの男!にっくきリク王の孫娘!!!』

 

ざわざわと観客たちの間に戸惑いと殺意が膨れ上がるのが見て取れた。ドフラミンゴは椅子に深々と座り、頬杖をついて満足そうに笑っていた。

 

『レベッカだー!!!』

 

「くたばれー!」

 

「人殺しの一族め!殺されてしまえー!!!」

 

「よくもおれたちの町を焼きやがって!」

 

体が震えるほどの怨嗟の絶叫が響き渡る。憎悪のこもる罵声とブーイングが、溢れて止まるところを知らない。

 

(ひどい…!)

 

なんてことをするんだ。あんな女の子に、冤罪なのに、ひどい事を…!ドフラミンゴは楽しそうに笑っている。なるほど、このパフォーマンスを私と直に見ることが目的だったのか。…さすがは悪の大魔王、やることなすこと全てが汚い。

 

(足元すくわれるのはこっちなのに…)

 

ドフラミンゴは自分の計画に絶対的な自信を持っている。すなわち、この国が根底から覆ることはないのだと確信している。そこが私との大きな違いだ。私はドフラミンゴの統治があと3年で終わる事を知っている。つまり、今国民たちがレベッカに向けている感情が、言葉が全て私たちに向けられるという確定した事実を知っている。ドフラミンゴはこの状況を完全に他人事だと笑っているが、私からしたら真逆なのだ。

 

(ドフラミンゴは私の考えなんて理解できないだろうけどね…)

 

「…ん?顔色が悪いな、ルシー。また風邪か?」

 

ドフラミンゴの手のひらが額に当てられた。小さい頃からの習慣は変わらない。けれど未だに私は妹を気遣うドフラミンゴの優しさだと信じていた。だけど。

 

(本当に、身内だけ良ければ他人のことはどうでもいいんだ…)

 

レベッカがどういう経緯で囚人になったかは知らない。ドフラミンゴに逆らったかもしれないし、リク王の孫と知られたからかもしれない。いや、もしかしたら片足の兵隊はお尋ね者だったから、一緒にいるレベッカを先にひっ捕らえた形なのかもしれない。いずれにせよ、彼女は今、こうやって囚人剣闘士になってしまった。

 

(他人への対応は、いつか身内にも向けられる)

 

前世でよく聞いた言葉だ。長く付き合えるいい彼氏が欲しいなら、その人のコンビニ店員への対応やレストランでの対応を見なさい。そこで金を放ったり、嫌な言い方や不機嫌さを表して店員を侮辱するような人なら、いつかあなたにもするでしょう。その人にとってどうでもいい人にでもきちんと対応できるかが人柄を見る手段の一つなのだ、と。

 

(分かってたよ。ロシナンテをも殺した人だもの。最初から、ドフラミンゴがこういう人だってちゃんと知ってた)

 

だけど、優しさもあるのだと、信じていた。信じたかった。だって彼は私の兄で、『家族』だから。

 

(けど、もう無理…)

 

「兄上、気持ち悪いから先に戻るわ」

 

「…そうか。ディアマンテ、ルシーを連れて帰ってくれ」

 

「なんだ、久々にドフィにおれの雄姿を見せられると思ったんだがな…。まあルシーがへばっちまったなら仕方ねェな」

 

ディアマンテがひょいと私を抱き上げた。ディアマンテは上背があるからか、周囲の人たちから注目をされて恥ずかしかった。綺麗な女の人たちがきゃあきゃあと騒いでいる。恥ずかしかったし、セニョールの時と似た悲しさも感じた。周りの目から逃れるようにディアマンテにくっついて顔を伏せると、くすぐったかったのかディアマンテがげらげらと笑っていた。

 

(あ…兵隊さん……)

 

コロシアムを出たところで、伏せた視界に入った小さなおもちゃを見つけた。彼はただ、じっとコロシアムを見上げていた。血にまみれたコロシアムで娘が無事なのか案ずる姿が、悲しくて、……羨ましくて、見ていられなくて目を閉じた。私が知っている家族の愛情とは、今こうやって与えられているものではなく、キュロスとレベッカのようなものだと、羨望していたから。

 



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82.私の行く末

 

 

私の逃亡は、現在はパフォーマンスと化しつつある。というのも、以前嵐の夜に飛び出して以来、ドフラミンゴがヴィオラさんに私の監視を命じたからだ。ドフラミンゴの信を得るため、ヴィオラさんは私の行動を報告することに了承せざるを得なかっただろう。もうあと2年ほどでドフラミンゴの統治が終わる。原作でいうドレスローザ編になると分かった時点で、6年間頑張っても逃げられない、もう足掻いても無駄だと諦めつつある。ただ、最後で最大のチャンスとして、頂上戦争でドフラミンゴが留守にするからそのタイミングを狙おうとしている。だというのに。

 

「ルシー、すぐにここから逃げて!」

 

「なして?」

 

ヴィオラさんが私の逃亡グッズを引っ張り出してきて、私に外套を渡してきた。え、なんで?

 

「ドフラミンゴがあなたの婚姻の話を進めているわ!おそらく、次の世界会議にあなたを連れて行くはずよ!」

 

「…まじか」

 

頭が痛い。なるほど、30代半ばになってまだ結婚とか無縁なのかと思いきや、影で着々と婚姻話を進めていたというわけか。世界会議ということは、どこかの国の王族か?確かに政略結婚とかさせられるんだろうなと思ってはいたけれど、まさか海賊との同盟でなく国家間での同盟に利用されるとは思わなかった。そこまでスケールが大きくなるとは…。

 

「どこの国の人なのか分かる?」

 

「……違うわ」

 

「ん?」

 

「国の要人じゃない。……相手は天竜人よ」

 

びし、と体が硬直した。え、天竜人?天竜人ってあの天竜人?マジ?嘘だろ、と見るもヴィオラさんは目を合わせてくれない。滑らかな頬に冷や汗が流れ落ちた。

 

(…なるほど。前回世界会議に出席しないのかって聞いてきたのはそういう意図があってか…!)

 

おそらく、あの時聖地に連れて行かれていたら、その場で品物を評価するように見られて即決されていたのだろう。それでもドフラミンゴのあの言い方からして、私にも選ぶ権利が発生していたに違いない。

 

(普通に考えて、私はもう子どもを産むには年齢的にハイリスク出産にあたる。悠長に選ばせる時間はないと判断したのか)

 

ドフラミンゴが選んだ相手だ、普通の天竜人ではないのだろう。私の知識では全ての天竜人を把握でいていないし、子どもの頃に会った天竜人も全てではない。なにより30年近くも前の話だ、顔つきだって何だって変わっているだろうし、なにより私がはっきりと覚えてない。相手が分かったところで、ドフラミンゴが計画した時点でもう決定事項なんだろう。

 

「私の婚姻について、家族は?」

 

「知らないわ。私も知ったのは彼の頭を覗き見たからだもの。さあ、行って!」

 

「っ…あなたも行こう!」

 

目を見開くヴィオラさんに手を伸ばした。けれど、彼女は微笑んで、ゆるりと首を横に振った。

 

「私にはまだやることがあるわ」

 

「ーー私の婚姻は次の世界会議の時だって言ったよね」

 

「ええ」

 

「ならまだあと2年ある!私たちはお互いが協力者でしょ?」

 

今まで逃げようとしていたのは、私の自己中心的な考えでだ。ヴィオラさんのことを協力者と言いながら、私は私のことしか考えていなかった。そのことを、今、彼女の善意によって暴かれたのだ。自分が恥ずかしい。情けない。いつか必ず救われるからと、今も苦しみ続けている彼女のことを私は見殺しにしていたのだ。

 

(クソッタレ!!!)

 

荷物を床に投げつけた。ガシャン、と貴金属が音を立てて袋からあふれ出した。

 

「ルシー、あなた…!」

 

「行かない!」

 

「い、いつも逃げようとしてばかりなのにどうして!?」

 

「私、この人生で友だちができたことがなかったの」

 

今までずっと、対等な存在のいない人生だった。唯一それに近かったのはロシナンテだけだった。だから、勘違いしてた。自分の価値を、自分の価値観を、他人の存在を。私は全て、軽視していただけだった。

 

「今さら、友だちを置いて逃げるわけにいかないでしょ!」

 

肩を掴んで揺さぶると、ヴィオラさんはぐっと唇を噛み締めて、目を潤ませていた。何かを言い募ろうとして口を開いて、でも何も言わずに弱々しく微笑んだ。

 

「ーーバカね…」

 

伏せた目の端から、ポロポロと涙が落ちていた。

 

「……逃げなさい、ルシー。あなたがいなくても私には何の問題もないわ。逃げて、もう二度とここには戻ってこないで」

 

私の手を払いのけて、彼女は笑った。

 

「私を友だちと言うのなら、お願いだから私の願いを聞いてちょうだい」

 



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83.別れの挨拶

 

(……きた…)

 

今朝の新聞に挟まっていた懸賞金の紙を見て、生唾を飲んだ。麦わらのルフィ、懸賞金額は1億ベリー。つまり、現在空島付近にいるはずだ。原作で言うところの…おそらくベラミーがやられた辺りだろう。つまり、頂上戦争までのカウントダウンが始まったということ。エニエスロビー後に3億ベリーになるはずだから、まだ時間はあるけど。

 

(確か原作の空島後に、ドフラミンゴが直々にベラミーを処罰しに行くシーンがあったよな…)

 

ここからは距離もあるし、たぶんそろそろ向かうんだろう。逃げなさい、と繰り返し言ってきたヴィオラさんを思い出す。私のことを大切に思ってくれているんだろうと、そう分かる言葉だった。彼女は必ず救われると知っている。だけど、私にはまだ迷いがあった。置き去りにしてもいいものか、と。

 

(あの時は勢いで言っちゃったけど、レベッカがいる限りヴィオラさん連れて逃亡とか無理なんだよなぁ)

 

なんたって原作でもコロシアムの実況中継の画面を銃で壊すほどだ。姪が大切な彼女に一緒に逃げようと言ったところで無意味だったのを忘れていた。悶々と悩む私の部屋を、またも誰かが蹴り開けた音が聞こえた。

 

「ちょっと…だれー?」

 

「フッフッフ!七武海会議だ!出かける用意をしろ!」

 

あれっ?なんかデジャヴ?

 

「ん…?七武海会議って兄上この間も行ってなかった?」

 

「可愛い妹が脱走でもしてねェか気がかりでなァ…。あとは仕事の準備をするためだ」

 

「絶対後者がメインだ。……んー、行ってもいいけど、何もないでしょ?兄上待つのもヒマだし、シャボンディパークって所で遊んでたいんだけど」

 

「あ?シャボンディ諸島か」

 

「うん」

 

あのボンチャリってのに乗ってみたいし、噂に名高いシャボンディパークで遊んでみたい。もしかしたら魚人と会えるかもだし。それに…ローに会えるかもしれない。モネのこと、ヴェルゴのこと…ローに伝えておけば、2年後に彼女たちの命を救うことができるかもしれない。あと、冥王レイリーさんにも会ってみたい。可能なら逃亡するためのお知恵を拝借したい。でもってあわよくば麦わらの一味に連絡とかとってみたい。…まあ、連絡をとったところで特に用はないんだけども。念のためにというやつで。

 

「…いいだろう。ただし、おれの店から1人で離れることと護衛無しで出かけることは禁止だ。いいな?」

 

思いがけない提案に驚いた。え、行っていいの?マジで?

 

「………兄上、何か変なものでも食べた?」

 

「フッフッフ!日常が退屈だから逃亡したがるんだってな?なら良い機会だ、シャボンディ諸島で遊んでりゃいい」

 

「え、日常が退屈って……誰からの情報?」

 

「フッフッフ…知らなかったのか?ヴァイオレットは頭の中を覗き見る能力者だ」

 

「えっ」

 

まさか、ヴィオラさんがドフラミンゴにそう報告していたとは。思わず緩みそうになる顔を引き締めて、しかめっ面を作っておいた。

 

(た、助かった…!そういう理由で逃亡したがるってことにしてくれてたらドフラミンゴの警戒レベルも落ちる!)

 

本当に気の利く人だな、と素直に感謝した。

 

「じゃあ…じゃあ…ベビちゃんとデリンジャーも一緒に行きたい!一緒に遊びたい!」

 

「ああ。ただし、護衛には別のやつもつける。いいな?」

 

「うん!ありがとう、兄上!」

 

久しぶりに心からの笑顔をドフラミンゴに向けることができた。ドフラミンゴの方も私が久しぶりにご満悦だと分かったのか、ご機嫌で笑っていた。出かける支度をするからと別れて、部屋で荷物をまとめながら電伝虫でヴィオラさんを呼んだ。手が空いていたからかすぐに来てくれた彼女にシャボンディ諸島に行くことを伝えると、きりりとした表情でいつもと同じように言ってきた。

 

「ルシー、ちゃんと隙を見て逃げるのよ。特にドフラミンゴから離れた後は護衛が付くだろうけど、その時が一番狙い目でしょうから」

 

「…分かった。じゃあ、先に自由になってくるね」

 

彼女の言葉に素直に頷いたのは、これが初めてだ。ヴィオラさんは心から安堵したように笑って、私の背中を撫でてきた。

 

「あなたなら絶対に大丈夫。自信を持って」

 

これが最後かもしれないのに、まだ気遣ってくれるのか。ヴィオラさんの優しさが胸にしみて、じわりと涙で視界が揺らいだ。

 

(これが最後かもしれない…だったら、もう、言ってしまおう)

 

彼女の力になろう。原作を早送りしてしまおう、そう決めた。自分がいなくなった後がどうなってもいいと、そんな思いは全然なかった。私がいようがいまいが、決められた流れは変えることはできないと、そう知っていたから。

 

「…マンシェリーちゃんはこの王宮のどこかにいるの。探して小人たちに伝えてほしい。シュガーを気絶させたらオモチャを人に戻せるってことも」

 

「マンシェリーが王宮に!?…ええ、伝えるわ!」

 

「ただし、時期を間違えないで。トンタッタ族が騙されて口外するくらいなら、クーデターの日まで黙ってるのもいいと思う」

 

「分かったわ。慎重にする」

 

「それと、きっと2年後に麦わらの一味がここに来る。彼らがドレスローザを取り返す力を貸してくれるから、協力してもらうのをオススメするわ。特に黒足のサンジってぐるぐる眉毛の金髪の男性は女性に弱いから、入江に近い街角でダンスでもしていれば必ず会える」

 

他に伝えることはないだろうか。例えば原作で有利に動けるための何か、情報とか。悩む私に、ヴィオラさんは大丈夫だと言った。

 

「…本当はね、時々あなたのことを覗いて、考えを読んでいたの。あなたが葛藤してることも、私たちが救われるって確信を持っていることも知ってた」

 

「ま、まさか全部読んだの!?」

 

まさか前世の記憶まで、と聞き返しかけて、でもヴィオラさんが否定したのでちょっとホッとした。

 

「いいえ、たぶん全部ではないわ。まあ、どこからどこまでを全部というのか分からないけれど。だからね…本当はホッとしていたの」

 

「へ?」

 

「あなたは自分が身勝手な人間だって考えてたけど…でも、私たちが今から2年後に必ず救われるという一点だけは、いつどんな時でも揺るがなかった。それがどれだけ私の救いになったか、知らなかったでしょ?」

 

まさかそう言われるとは思いもしなくて、言葉を失った。だって、ヴィオラさんは私が原作を読んだ前世持ちだとか、そんなことを全然知らない。だからこそ確信を持ってドレスローザは救われると考えていることも。下手するとただの妄信だと気味悪がられてしまうことだろうに、彼女は私に救いを見出していた。その事実が、どれだけ私の罪悪感を軽くしたことか。

 

(結局、私は何も行動してないのに、それでも救われたと言ってくれた…)

 

涙が止まらない。私をこんなにも信じてくれる人が、ロシナンテの他にいるだなんて、なんて私は恵まれているんだろう。

 

「…ありがとう…っ!ヴィオラさん、ありがとう…!」

 

「元気でね、ドゥルシネーア。普通の女性のあなたに王女なんて似合わないわ」

 

ヴィオラさんとぎゅっと抱きしめあって、私たちは笑った。

 

「好きな人を見つけて、好きに生きて。私の姉のように、普通の女性になってきなさい」

 

「さようなら、ヴィオラ王女。あなただって悪の組織の幹部なんて似合わないよ。…まあ、逃亡の失敗したらまたここに戻ってくるかもだけど」

 

「大丈夫、あなたならできるわ。自信を持って!」

 

咲いたばかりの豪奢な薔薇のような美しい笑みで、ヴィオラさんは私の背中を押してくれた。



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84.夢見る未来

 

 

久しぶりに船に乗ると、波に揺れる感覚や海や空の青さに懐かしさを感じた。久しぶりに任務以外で外出できると喜ぶデリンジャーやベビー5と一緒に、シャボンディパークの本を開いて予習をしておいた。

 

「私、ルシーさんとショッピングに行きたいです!」

 

ベビー5の提案に、私の頭が動いた。ショッピングで試着となるときっと護衛のセニョールもラオGも服屋に入ってこない。その隙にベビー5とデリンジャーを連れて逃げることってできるんじゃないの?

 

「よし、行こう!」

 

ヴィオラさんにあれだけ応援してもらったんだから、きちんと逃げなくちゃ。

 

(聖地…)

 

船ごと移動はできないルートだからと聖地を通ってグランドライン前半に向かうことになった。その途中、誰かの視線を感じた。

 

「………?」

 

「ルシー、どうした?」

 

「なんでもない…」

 

(……元天竜人のドンキホーテ一族ってのが興味の源?それともヴィオラさんの言ってた、私の婚姻相手が?)

 

意図は分からないけれど、私に対する視線はあまりに気持ち悪くて、思わず身震いした。寒がっていると思ったのか、ベビー5やセニョールが早々に新しい船へと連れて行ってくれて、そこでようやく気持ち悪い視線から逃れることができた。後を引くように嫌な感覚が残る中、家族たちとシャボンディ諸島を目指した。

 

「……ん?あれ、兄上なんで船に乗ってるの?七武海会議は?」

 

あまりに自然だったから気付くのが遅れたけど、七武海会議って言ってたはずでは?首をかしげると、ドフラミンゴはにやりと笑った。

 

「フッフッフ…ジャヤに後始末をつけに行くだけだ」

 

(あ、なんか機嫌悪そうだな。……ん?ジャヤ?)

 

ジャヤ、と言われて思い出すのは空島編だ。

 

(なるほど。ベラミーを切り捨てるあのシーンか)

 

確かルフィたちが空島から青海に戻るシーンの合間にそういうのがあったはず。で、切り捨てられたベラミーがその後で空島に行って、ルフィたちがもらい損ねた巨大な黄金の柱をもらってきて、ドフラミンゴに進呈して傘下に戻ることになるはず。

 

(空島かぁ…いいなぁ。空島まで行ってもドフラミンゴなら追いかけてきそうだけど)

 

そこが問題だ。どこへ逃げようとこの兄は地の果てまで追いかけてきそうだもの。それならどこに逃げようか。一番安全そうなのは東の海なんだけど、むしろ追いかけてきたドフラミンゴに蹂躙されてしまいそうだし。とすると革命軍ってのも迷惑をかけてしまうだろう。何せ過去何度もドレスローザに仲間を送って、その度にオモチャにされてるくらいだし、今は表立ってドフラミンゴと敵対したくないはず。海軍に逃げるのも意味がない。だってドフラミンゴは七武海だもの、絶対に海軍も兄妹喧嘩に付き合うなんて嫌だと早々に私を投げ出す。

 

(いつかは追いかけられて捕まるのなら…ロシーのお墓まいりとかしたいなぁ)

 

お墓があるのか知らないけど。身寄りのない海兵って海に散骨とかなんだろうか。それとも水葬?もしかしたら火葬されてセンゴクさんがお墓でも建ててくれたかもだけど。それとも共同墓地かな。とにかく、場所は不明だ。それなら……ミニオン島かな。ロシナンテの死んだ場所。

 

(北の海まで逃げて、ロシナンテのお墓っぽいものでも作って、花を添えるくらいなら…したいなぁ)

 

ついでに母親と父親のお墓にでもしよう。いや、いっそのこと関わった人たち全員分まとめてでも。奴隷の子どもたち、大人たち、下っ端で使い捨てされた部下たち、街の人たち。みんなの。

 

(それは…なかなか、素敵な生活だよね)

 

ゆらり、ゆらり、船に揺られながら想像する自由は、魅力的で素敵だった。

 

「ルシーさん、シャボンディ諸島が見えたわ」

 

大人っぽくなったベビー5は、デリンジャーのようにはしゃぐことはなくなったけど、それでも心が弾むのか頬を染めて教えにきてくれた。

 

「ベビちゃん」

 

「はい?」

 

「大好きよ」

 

いつかのようにベビー5に言うと、彼女は花が綻ぶように美しく笑った。

 

「私もルシーさんが大好きよ」

 

「うん、知ってる。…一緒に行こうね」

 

「ええ、もちろん!」

 

きっとベビー5はシャボンディ諸島で買い物をしたり遊んだりすることを考えての返事だったはずだ。

 

(絶対、この子達を連れて行く)

 

後のことなんて知ったことか、とは言わないし言えない。私の力が及ばなければベビー5やデリンジャーを連れて逃亡できないし、そもそも私自身が逃亡できないだけだ。だけどもし、絶好のタイミングを狙って私が逃げられたなら…自由を勝ち取れたなら。好きに働いて、もし機会があれば結婚とかもして、それから…。

 

(ロシーに会いたいな)

 

遅くなってしまったけれど、私を守ろうとした家族たちの死を悼むことをしたいと、そう思った。

 



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85.ファンなものでして

 

 

シャボンディ諸島でドフラミンゴを見送り、さっそくデリンジャーとベビー5に連れられてシャボンディパークに行った。

 

「おおお…!遊園地だ!!!」

 

原作と同じ観覧車もあるし、コーヒーカップもある!念のため、と周りを見回してもルフィたちの姿なんてもちろんなかったけれど。やっぱりテンションはだだ上がりした。だって原作のあの場所だし!

 

(って言うならドレスローザもだけど)

 

あそこは別。居心地悪いし。

 

「ママ早くっ!ほら行くよ!」

 

私以上にテンションだだ上がりなデリンジャーに担がれて、ジェットコースターに向かった。いきなりジェットコースター?そういやデリンジャーはメインディッシュから食べる子だったわ。ベビー5なんて呆れるばかりで止めてくれないし。

 

「…デリンジャー、ほどほどにね?」

 

「もちろんよ!こればっかりで遊ばないでとりあえず全部まわるに決まってるでしょ!」

 

「まじか」

 

決定事項だった。途中でベビー5が抑止力になってくれたものの、見事に三半規管がやられて、ルフィたちみたいにゲロを吐く手前ぐらいまて追い詰められた。

 

(きっ…気持ち悪ぅうう…!)

 

幸い船酔いなんてしない体質だったし、今まで家族たちが体調を気遣ってくれていたからはしゃぐようなこともなく、三半規管をいたぶられるようなことのない人生だったのに。…もしかしてこれ、この体に生まれて初めての酔いってやつ?地味にショックを受けつつベンチでへばっていたら、デリンジャーに文句を言われた。

 

「ママってばまだ半分も残ってるのに!」

 

「仕方ないでしょー…私はデリンジャーみたいに強くないんだよ…」

 

「もー…。じゃあ一人で行ってくる」

 

「無茶しないでね…電伝虫持ってる?」

 

持ってる、と雑に返しながら次のアトラクションに走って行ったデリンジャーを見送り、ベビー5と一緒に少し休憩をとることにした。

 

「ねえルシーさん、どこか行きたいところはある?」

 

「ん?そうねぇ……バーとか行きたいかな」

 

「バーね。どこにあったかしら…」

 

ガイドブックを開こうとしたベビー5に先んじて場所を教えてあげた。もちろん、さりげなさを装って。

 

「13番グローブにあるみたいよ」

 

「13番?治安が悪そうね…セニョールかラオGにも付いてきてもらいましょうか」

 

「そうだね。セニョールはまだ仕事があるだろうから…ラオGかな」

 

夜も遅いし、この頃はだいぶ耳も遠くなってきている。きっとラオGの目なら盗むことはできるだろう。満足げに戻ってきたデリンジャーも一緒に一度ホテルへ戻った。案の定セニョールはヒューマンショップの経営についてまだ話すことがあるからということで、ラオGとベビー5と共にバーへ向かうことになった。

 

「デリンジャーは行かない?」

 

「あたしまだお酒飲めないもーん」

 

むしゃむしゃと大きな肉の塊にかぶりつくデリンジャーには留守を頼むことにした。

 

(手紙、書いたけど…レイリーさんに渡せるかな)

 

ぶっちゃけて言うと、レイリーさんに用はない。けれど、今後ケイミーやハチがヒューマンショップで危険な目に合う可能性が高いこと、麦わらの一味にコーティングをしてあげてほしいこと、頂上戦争があること、ロジャーの息子のエースが処刑されることぐらいは伝えてもいいはずだと判断した。ルフィに関しては、レイリーさんが自分の目で見て判断するだろうから言わなくてもいいかとも思ったけれど。

 

(余計なお世話だろうけど…でももし、レイリーさんがエースのことで後悔することがあるのなら、防げるかもしれないから)

 

原作ではそんな描写はなかったし、きっとかつての船長の忘れ形見であるエースが自分で決めた道だからと容認しただろうけど。もし……もしも、助けに行きたかったけど間に合わなかったのだと後悔するかもしれないのなら。ぼったくりバーのドアを開けた。軽快に鳴るドアベルの音の奥から、気だるげにシャクヤクさんが声をかけてきた。

 

「いらっしゃい」

 

「ーーこんばんは。3人、よろしいですか?」

 

「ええ。好きなところへどうぞ」

 

何人かいるガラの悪そうな客の側を避けて、カウンターにかけた。値段の書いていないメニュー表を見てちょっと笑えた。さすが、ぼったくりバー。しばらくグラスを傾けていると、だんだんとベビー5の口数が減り、二人ともがうとうとし始めてきた。そりゃそうだ、船旅でものんびりしていた私と違って、二人ともずっと働いていたのだし。…まあ、それを狙ったのもあるけど。

 

「お代わりは?」

 

タバコを咥えて空いたグラスを片付けに来たシャクヤクさんに、大丈夫です、と返した。ああ、年齢不詳だけど美人だなあ。

 

「こちらに、レイリーさんはご在宅ですか?」

 

「ーーどういったご用件で?」

 

顔色も声色も変わらない。ロマンチックなジャズと客たちの声をBGMに、私はシャクヤクさんに手紙を差し出した。

 

「私、レイリーさんとシャクヤクさんのファンなので。ラブレターをお渡ししたかったんです」

 

もちろんこっちの歴史なんてあんまり知らないから、原作の、という意味だけど。好きだという本気度が伝わったのか、シャクヤクさんは一瞬間をおいてだけど、微笑んで受け取ってくれた。

 

「あら、ありがとう。王女様にファンだと言ってもらえるなんて光栄だわ」

 

さすが情報通。私のこともとっくにお見通しだったのかと笑えた。

 

「レイリーさんにはお会いできません?」

 

「ええ、4ヶ月前に出ていったからそろそろ戻ってくるかもしれないけど」

 

世間話を装って、私は煮豆をつまみつつシャクヤクさんに話しかけた。どうやら話に付き合ってくれるようで、タバコの煙を吐きながら彼女は答えをくれた。

 

「じゃあ…あと2ヶ月後にですね。レイリーさんのビブルカードが必要になると思います」

 

レイリーさんが半年は戻ってきていない、とシャクヤクさんは原作でルフィに言っていたし。まだルフィたちもロングリングロングランド、ウォーターセブン、エニエスロビー、スリラーバークと旅を続けるわけだし、時系列もそんなものだろう。意外と島から島への旅は短い期間だし。

 

「あと、ちょっとした騒ぎにも。お気をつけくださいね」

 

「まるで未来を見たかのように言うのね」

 

「ええ。未来を読んだんです」

 

最後の一粒まで食べてしまって、水をぐびりと飲み干した。荷物から貴金属を出して、いくつかをシャクヤクさんに渡した。

 

「お代、足ります?」

 

「…ええ。十分よ」

 

「よかった。足りなかったらどうしようかと思いました」

 

「ふふっ。またいらっしゃい…今度は2ヶ月後に」

 

「ええ、ぜひ。…ベビちゃん、ラオG、そろそろ起きて。ホテルに行くよー」

 

「ええ〜……まだまだ…飲みたいぃ…」

 

雰囲気に流されて…あと私が勧めるがままにめちゃくちゃ飲みまくったから、完全に目閉じてグデグデになってるのにまだ飲みたがってる。そんな無防備にしてたら変な男にひっかかるぞ!

 

「フガッ?…おお、もう朝か?」

 

「まだ夜だよ、ラオG」

 

「おお、そうか」

 

おじいちゃんまだ夜よ、と言いかけた言葉を飲み込んだ。うーん…ラオG、歳をとったなぁ。ベビー5を背負ったラオGと一緒に店を出て、空を見上げた。澄んだ緑と海の匂いが気持ちいい。

 

(あと2ヶ月か…)

 

逃亡の狙い目は、決めている。ドフラミンゴのヒューマンショップに張り付いて、ローと会話して、その後で来るルフィが天竜人を殴って大将黄猿が来る時の、あの混乱に乗じて逃げるのだ。必要なら客に金を払って一緒に逃げさせてもらえばいい。それまで大人しくヒューマンショップに通い詰めていれば、きっとセニョールもラオGも油断して監視の目を緩めるはずだ。現に今も2人ともウトウトしていたから逃亡するチャンスはあったのだし。今までドレスローザで毎日のように逃亡していた私を覚えている分、彼らなら私が大人しくなったと油断する。

 

(…ああ、護衛がグラディウスやトレーボルじゃなくて本当によかった)

 

グラディウスやトレーボルの目を欺くのはきっとめちゃくちゃ大変だっただろうから。

 



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86.さながらサロメのごとく

 

計画通り、胸糞の悪くなるようなオークションを毎日毎日眺める。とはいえ大オークションは月に1回なので、毎日開催されるのは小規模で種族も人間だけの競りなんだけど。それでも毎日毎日飽きもせずぼうっと眺めているだけの私を見ていて逃亡しなさそうだと安心したのか、セニョールもラオGもベビちゃんも各々の仕事や買い物などをして動いているようだった。あ、デリンジャーはとっくに飽きてシャボンディパークとショッピングと海を泳いで遊ぶのを繰り返しているようだけど。

 

(まあ、号外で頂上戦争の知らせが来る頃に2人を側に呼び寄せたらいいか)

 

そのままベビー5とデリンジャーを連れて逃げられるようにしなくては。私のためにVIP席を用意しようとしたディスコに要らないと言って、毎回入り口に近い客席に座っている。もちろんそこは、ローたちが座っていた席だ。最初は泣き叫んだり自殺しようとしたりする奴隷一歩手前たちを見て吐き気すらしていたけれど、だんだんと感覚が麻痺してくるのか胸糞が悪い程度にまで落ち着いてきた。

 

(汚い世界だなぁ…その金で私も食ってるんだよなぁ…)

 

彼らの人権や命と引き換えに得た金で、美味しくごはんを食べて綺麗な服を着ている私は、もうとっくに汚れきっている。今日の目玉商品が高値で売れた辺りで、ふと慣れ親しんだ香りがした。

 

「イイコにしてたか?ルシー」

 

ピンクのモフモフが通路を歩いてきたので、席を一つ移動しようとしたらそのまま抱え上げられた。私が座っていた所にドフラミンゴが座って、久しぶりに膝の上に座らされた。

 

「おかえりなさい、兄上。もちろん、毎日のんびりしてたよ」

 

「何か欲しい商品でもあるのか?」

 

「んー………人魚か魚人、かな。デリンジャーの友達にしたいし」

 

っていうか本当はケイミーを私が競り落とせたらいいんだけど。麦わらの一味に恩を売れるし。でもデメリットがなぁ…天竜人を怒らせたり大将黄猿が来ないから混乱に乗じて逃げる計画がパーになるし。そもそも私が何かしなくてもルフィが上手くやってくれるんだし。

 

「人魚か魚人、なァ?まあ、ルシーの気に入ったもんがあるなら競り落としてもいい。イイコにはご褒美をくれてやるさ」

 

「え、いいの?とんでもない額になるかもよ?」

 

「フッフッフ!どうせその売り上げはおれの元に来るんだ。構わねェさ」

 

「あー、なーるほどー」

 

ってんなら私が奴隷一歩手前たちを競り落としまくっても問題ないってことか。ドフラミンゴの元に金が回らないだけの話なんだし。てか原作の流れ的にも、スマイルに仕事内容を移してるからそろそろヒューマンショップは店じまいを考えているようだし。

 

(そういやこの間、セニョールがヒューマンショップの売り上げが伸び悩んでるとか言ってたな)

 

私を嫁がせればヒューマンショップなんてなくても天竜人との太いパイプができるわけだし、その辺も決め手なんだろう。

 

「ねえ、兄上は七武海会議に行くんでしょ?私、もうしばらくここで遊んでてもいい?」

 

「…そうだな。まあここならそれほど影響しねェだろうしな」

 

「影響?」

 

「フフ…もうじき"新時代"がやって来るのさ!」

 

(新時代…ああ、なるほど。ジャヤでベラミーを潰しながら言ってたあのセリフは、事前に頂上戦争のことを知ってたからこそのセリフだったってことね。そういやラフィットが黒ひげを七武海に推薦しに来た時にエースを捕獲したって知ったんだしなぁ)

 

ご機嫌なのはそういうことか。あれから2ヶ月たつし、そろそろ超新星も集結してくるだろうし。…ドレークさんとか会ってみたいなぁ。あの人、なかなか私のタイプなんだけど。でもその前にーー潰せるものは潰しておきたいかな。

 

「ねえねえ、兄上。私、お土産が欲しいなぁー」

 

「フッフッフ…ルシーは何が欲しいんだ?」

 

恥ずかしさも何もかも投げ捨てて、声をツートーンぐらい高くして、私はドフラミンゴにすり寄った。この人生で一番じゃないかってぐらい甘えてみせて、とびっきりのおねだりをした。

 

「黒ひげの首が欲しいわ!」

 

サロメのように母親の望みでもなく、欲しがる首は聖人とは真逆の裏切り者で犯罪者の首だけど、私は朗らかに笑って無邪気を装ってねだった。ドフラミンゴは一瞬笑みを消して驚いたような顔になったけれど、自分の妹が生まれて初めて他人の命を消して欲しいとねだったことに良い感情を持ったのか、オークションの最中だというのに楽しげに哄笑した。

 

「フッフッフッ!!!ああ、分かった。ただし確約はできねェ。いいな?」

 

「やった!ありがとう、兄上!」

 

ドフラミンゴに抱きついて、私は心からの笑みを浮かべた。さあ黒ひげ、目一杯困ってしまえ。無力な私が、前世で好きだった白ひげ海賊団にできることなんてたかが知れてる。だけどその中でも最善の手を打ってやる。殺せたなら良し、殺せなくても原作の流れが続くだけの話なんだから。

 



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87.やっと会えたね

 

 

(ああーー居た)

 

オークション会場の幕の裏から確認して、私はベビー5とデリンジャーに電伝虫をかけた。

 

「2人とも、今日は一緒にオークション見よう。ってか私の護衛をしてちょうだい」

 

さすがに長期間のシャボンディ諸島生活に飽きていたのか、開始時間までには行くと快く引き受けた2人を待つ間に、できることをしてしまおうと決めた。

 

「ラオG、今日はベビちゃんとデリンジャーと一緒にオークションを見るから、休憩してきて。裏にセニョールもいるし、もう2ヶ月以上何もないから危ない目になんて合わないよ」

 

「……ほ?…おお、そうか?ならばちと休ませてもらうぞ」

 

暖かな陽気の中でうとうとしていたし、きっと疲れも溜まっているのだろう。二つ返事で了承したラオGがホテルの方に戻るのを見届けて密かにガッツポーズをした。

 

(いやー、日頃の行いがいいんだなぁ、私)

 

こんなにも簡単に信じてくれるなんてなぁ。そのままその足で裏に回って、セニョールにも同じことを伝えた。

 

「セニョール、今日はベビちゃんとデリンジャーと一緒にオークション見るから、よかったら休憩してきて。できればラオGにもそろそろ休憩を取ってほしいけど…」

 

「チュパ!…いや、その気遣いだけで十分だ。だが、まあ…そうだな、交代で休ませてもらおうか」

 

「うん。いつもありがとう、セニョール」

 

「気にするな。おれたちは家族だろう?」

 

従業員たちやファンらしい女の子たちに囲まれながらセニョールが裏口から出て行ったのを確認して、ふと息を吐いた。…これで準備はいい。コートを揺らしながら、いつもの席に向かった。そしてその席でくつろいでいる男に声をかけた。

 

「お隣、失礼するわね」

 

「ーーあんた…!!?」

 

ああ、声変わりしてる。懐かしむことができるのは、顔立ちと帽子くらいになっちゃったなぁ。

 

「こんにちは、トラファルガー・ロー。さっそくだけど、あまり声を出さないように。…私の心臓をメスで取り出せる?」

 

「ん?キャプテン、知り合いですか?」

 

クルーの言葉に返答もせず、無言のままローが心臓を取り出したのを確認して、ホッと息を吐いた。これで仲良くおしゃべりしてても、お互いに言い訳が立つ。

 

「じゃあそれ、一応持っといて。…さて、時間はある?ちょっとおしゃべりしようよ」

 

並んで座ると身長の差も際立つ。大きくなったなぁ。ドフラミンゴほどじゃないけど。確か身長は2メートル弱だっけ。立食パーティーのテーブルにすら届かない身長だったのに、こんなに大きくなって…。あっ、なんか感慨深すぎて涙が…。でも感動する私とは真逆に、ローは腰を浮かせて素早く視線を周囲に走らせた。

 

「…なんであんたがここにいるんだ?ドフラミンゴもいるのか!?」

 

「兄上は七武海の招集でここにはいないよ。セニョールがここのオークションの裏、ラオGが私の護衛で入口にいたんだけど…さっき休憩しに行ったからしばらく戻ってこないかな。あとはベビちゃんとデリンジャーがこっちに向かってるところかな」

 

まだオークションは始まりそうにない。人も原作で読んだほどは集まっていないし。…まあ、ベビー5やデリンジャーが来てもいきなりローを攻撃するなんてことはしないだろう。なんたって側にいる私が危機感もなく会話をしているのだから。

 

「元気だった?ロー」

 

「ーーああ」

 

「そう。…ちゃんと仲間もいて安心したよ」

 

原作通りのツナギを着たクルーたち。ペンギンくん、シャチくん、ベポくんまでは分かる。特にベポくん!実物はとびっきり可愛い!モフモフしたい!

 

「おれは………あんたに、伝えなきゃいけないことがある」

 

原作で読んだ感じとは違うというか、ローにしては意外というか。間を空けて、重々しく口を開いた理由は…分かる。ロシナンテのことだろう。雪に埋もれて息を引き取る、原作のあの1ページを思い出して胸がぎゅっと絞られる。それでもローの手前、気にしていないフリをして明るく返した。

 

「ん?ロシーのこと?」

 

「…ああ」

 

「おねーさん、コラさんのこと知ってんの!?」

 

「バッ…!声が大きい!」

 

思いもしない方向から、話題に踏み込んでこられてどきりとした。驚いて振り返ると、そこで口を塞がれて息ができないと暴れるペンギンと目があった。

 

「………なんで、きみがロシーのこと知ってるの?」

 

「だっておれらが看取ったし」

 

「…は?」

 

何?何だって?指先が震える。言葉にできない強烈な感情が湧き上がって、呼吸までできない。何、どういうこと?

 

「……え、…なに、どういうこと?だってロシーは兄上に撃たれて、死ぬまで…ローに、カームをかけたままーー」

 

もう放っといてやれ、あいつは自由だ、そうドフラミンゴに言って、銃で撃たれて死んだんじゃ……なかったの?

 

「……あんたに言われた通り、コラさんを引きずってスワロー島まで連れてったんだ。あんたの荷物の中の道具で輸血もした。けど、おれが能力を使えなかったからコラさんは…っ!」

 

ローの手が、白くなるほど握りしめられている。ああ、そうだったんだ。詰めていた息を、吐いた。息と一緒に、涙もぼろぼろ、溢れて落ちてきた。

 

「ーーあ、あの時…すぐに、死んじゃったんだと…っ!…そっか……そっか、ロシー…少しでも、自由になれたんだ…!よかった…!」

 

ローと一緒に旅をするって目標は達成できなかったけれど。それでも、あそこで、たった独りきりで死んでしまうような…そんな悲しいことにはならなかった。ロシナンテは死んだ。だけど、もう、それだけで十分だった。ドフラミンゴの手から自由になって、ローを救えて、ロシーはどれだけ安心したことだろう。

 

「海軍にスパイがいるからって…もしあの時すぐに海軍にコラさんを預けてりゃ、助かったかもしれねェんだ。…悪かった」

 

「ーー何言ってんの。あんな状況なのに、ローはよくやったよ。ありがとう、ロー。あなたがロシーと一緒にいてくれて、本当によかった…」

 

ローも、ローの仲間になる子たちも、ロシーはちゃんと見届けることができたのだ。それがどれだけロシナンテの救いになったことか。ロシーは死んでしまう間際でも、きっと笑っていられたのだろう。そう思えた。唇を噛み締めて俯くローの頭を撫でてやった。昔のように邪険にされて、手を振り払われるようなことはなかった。ああ、よかった。この子がちゃんと大人になれて。

 

「ねえねえ、もしかしてドゥルシネーアさん?」

 

「…ん?うん、そうだよ、ベポくん」

 

「やっぱり!あのね、あの時食べ物とかくれてありがとう!あれがなかったらおれ、飢え死にしてたかも!」

 

「ううん、むしろごめんね。突然荷物預かって、なんて言われて驚いたでしょう?」

 

「びっくりはしたけど、でも助かったから。あとちゃんと荷物守ったよ!ペンギンとシャチから!」

 

えへん、と胸を張った姿にほっこりした。うーん、デカくて可愛い!ゾウにも行ってみたいなぁ。こんなに可愛いミンク族たちの国とか絶対にパラダイスだ!ガルチュー!

 

「バッ…!なんでバラすんだよ!」

 

「黙ってりゃよかっただろ!?」

 

「すいません…」

 

「ほう…?お前ら、勝手におれ宛の荷物を奪おうとしてたのか?」

 

「キャプテンのだって知らなかったんですって!!!」

 

「知っててもあの時まだ会ってもなかったし!ギャー!」

 

コントみたいにじゃれあう彼らに、思わず笑ってしまった。さっきまでのシリアスな感じ、全部なくなっちゃった。ああ、いいなぁ。私もこんな家族がほしいなぁ。

 

「あはは。まあまあ、許してあげてよ、ロー」

 

「チッ…。で?あんたはこれからどうするんだ?」

 

「へ?今でも私はドフラミンゴから逃げる一択だけど?」

 

「そうか。じゃあ、行くか」

 

「ん???」

 

「約束しただろ。おれも、あんたをここから逃してやるって」

 

あ、と思い至った。ロシナンテがローを連れて出て行った後、電伝虫越しにぶっきらぼうに、助けてやると言っていた。よくあんな昔の話を覚えていたなぁ、と感動した。なんか…さすがは人気キャラ。こんなの絶対モテるに決まってる。

 

「………ローってさ、モテるでしょ?彼女とかいるの?むしろ嫁は?」

 

「は?」

 

あっ、極寒の目つきだ!北の海の冬より寒い!

 

「で、いるの?」

 

「いねェよ!」

 

「なんだ、残念」

 

「ところでおねーさん、誰?」

 

「ああ、コラさんの妹だ」

 

「え!?似てねえ!」

 

失礼な!確かに背丈も顔立ちも似てないけど金髪だけはそっくりでしょうが!モヤッとしつつ、そうだ、と思い出した。ローに会ったら頼まなければならないと思っていたことがあるんだ。

 

「ロー、頼みがあるの」

 

「あ?」

 

「…来年か再来年、パンクハザードでモネって子の心臓を取らないで欲しい。それか、もし取ったとしても、後でこっそりシーザーから奪い返してほしい。でないとシーザーがモネの心臓をスモーカーさんのと勘違いして潰してモネを殺すから。あと、ヴェルゴの頭と胴だけでいいから爆発から守ってほしい。命だけ助けてくれたなら、そのままスモーカーさんに渡してくれたらいいから」

 

「ーー何の話だ?」

 

「いいから。…お願いします」

 

「……わかった」

 

「よかった…」

 

よく分からない、と言いたげな顔のまま、ローは素直に頷いてくれた。よしよし、ここで拒否されたらどうしようかと思った。やっぱりなんだかんだで優しい子だもんなぁ。

 

「あ!ああ、あとね、後で来るルフィくんとかキッドくんと仲良くするのよ?特にルフィくんはこの後の頂上戦争で死にかけちゃうから、回収してローが治してあげて。女ヶ島のハンコックさんがルフィくんに惚れてるから後で渡せばいいし。それから冥王レイリーさんがここでコーティングやってるから何なら頼るといいってのと、あと、来年にローが七武海に加入しても兄上と喧嘩しないようにってのと、天竜人がもうすぐここに来るってのと、それからそれから…」

 

「落ち着け!あんた…ますます頭がおかしくなってんじゃねェか!!?」

 

医者が他人の頭の心配とか…ガチすぎて怖いんだけど!

 



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88.兄の威を借る妹

 

「ルシーさん、お待た…せっ!?ロー!!?なんであんたがここにいるのよ!!!」

 

「えっ、ロー兄ィ!?キャー!やだ、ほぼ記憶にないーっ!」

 

「………」

 

両手いっぱいに買い物袋を下げたベビー5と、5段ほど積み重なったアイスを持ったデリンジャーがきゃあきゃあと華やかに騒いだ。ハートのクルーたちは圧倒されてるし、ローは無表情だけど若干目つきが悪化してる。あーあー…周りのお客さんたちにも迷惑になるってのに…。

 

「はいはい、そこまで。ロー、この子たちも一緒によろしくお願いします」

 

「…………は?おい、嘘だろ?こいつらも連れて行くだと!?」

 

「あ、無理ならいいよ。元々この子たちを連れて飛び出す計画してたから」

 

「えっ、ルシーさん?飛び出すって…」

 

「ママ、また逃げようとしてたの?」

 

ママ?ママだと?コラさんの姪?いや、甥?なんてザワザワしてるクルーたちはあえて放置。年齢的に産んでても問題ないけど実子じゃないから。ちゃんと母親がいるって教えてたのに、いつの間にかママとか呼ばれてただけだから。でも説明が面倒だから!放置!

 

「また?」

 

「うん。ここ6年ほど脱走しまくってたけど全戦全敗でね。でも今日は大将黄猿も来るし、混乱に乗じて逃げられるかな、って思ってて」

 

大将が来る?とまた後ろでザワザワしてる。いやいや、さっき説明したじゃん。天竜人も来るって言ったじゃん。この分だとネタバレ全部がデマだと流されてたな…。

 

「まあ、そういうわけだから。ベビちゃん、デリンジャー。私の護衛ってことで一緒に行くわよ。文句言うなら引きずってでも連れて行くから」

 

「で、でも若様に何て言われるか…っ!」

 

「そうそう!きっとものすごーく怒られるんだからっ!」

 

「本当の家族なら相手の幸せを願ってナンボよ。兄上のような束縛して操ろうとする人を何て呼ぶか知ってる?毒親ならぬ毒兄って言うの!ーーそんなにあの毒男が好きで私と一緒に来るのが嫌だって言うなら、もういい。好きにすれば?」

 

「それは嫌っ!」

 

「イヤ!あたし一緒に行く!」

 

今まで甘やかして甘やかしてどろどろに可愛がっていた2人に、露骨な私の考えを初めて突きつけてみると、驚くほど動揺して首を振った。きっとこれ、勢いで嫌だって言っているだけだ。それでも今はこれでいい。一緒に自由になって、その先で広い世界を見て、自分のやりたいこととかをしっかり考えられたなら。その上でドフラミンゴの元に帰りたいっていうなら止めたりなんかしないし。

 

「というわけで…よろしくお願いします」

 

「…ハァー……そういやあんたはコラさんの妹だもんなァ…」

 

ワガママだと言いたいのならドフラミンゴの妹だと言うべきだろうに、ローはそう言って呆れていた。それでも帽子の陰で薄く笑っているのが見えて、ちょっと笑えた。

 

「ええ。私は兄上の妹だもの。強欲なのよ」

 

涙で潤んだ目のベビー5を抱き寄せて、頬を膨らませて拗ねているデリンジャーの手を握った。予想外の方向になったけど、逃げる算段がついた。でもせっかくだからと、オークションを見物してから出て行くことになった。

 

(麦わらの一味に会える最後のチャンスかもだし)

 

この後私が逃げたなら、きっと二度と会うことはないのだから。15人目が競りにかけられた頃に後ろを振り返って、思わず口元が緩んでしまった。キッドや麦わらの一味を生で見られて、めちゃくちゃテンションが上がる。あああ生の麦わらの一味!握手してください!サインください!…って私はバルトロメオか!

 

(ローが助けてくれるってことは…大将黄猿が来る必要はなくなった。パシフィスタも。でもくまさんは元々シャボンディ諸島でルフィたちをバラけさせる予定で動いてたっぽかった。つまり…ルフィに天竜人フルボッコ事件を起こさせなくてもいい感じ?あ、でもハンコック……うーん…)

 

まあ元々ハンコックの件は天竜人の件がなくてもなんとかなりそうっちゃなんとかなりそうだし、いいか。そう判断して、私は手を挙げた。

 

「6億ベリー」

 

しん、とした空間で周囲から視線を浴びる。うわー、なんか気持ち悪い。

 

「おい、何やってんだ!」

 

小声でローから怒られた。いやいや、この過程が今は必要なんだって。

 

「7億ベリーだえ〜〜!!!」

 

(そこまでして人間の血税で人魚を競り落としたいのかよ、クズだな…)

 

「8億ベリー」

 

「き、9億ベリーィ〜!!!」

 

「10億ベリー」

 

「邪魔をするのは誰だえ!」

 

(ふっ…勝った…!)

 

「ルシーさん素敵!」

 

「ママったらやるじゃない!」

 

「ふっふっふー!ドヤァ!」

 

原作でもクッッソ腹立つな、と思ってたやつを合法的に負かせてスッキリした。ああ、オークションっていいなあ!あえて無視して、奥から顔を覗かせる父親の方にだけ会釈をした。

 

「ーーごきげんよう?ロズワード聖」

 

「貴様…もしやドンキホーテの者かえ…!?」

 

「ええ。確か…幼少期に聖地でお会いしましたね?」

 

「さすがだのドゥルシネーア…相変わらずの化け物らしさよ。お前に会ったのは出生後すぐだったが…よくもまあ覚えておるものだえ」

 

「…恐れ入ります」

 

マジか。ハッタリって言ってみるもんだな。天竜人として生まれた時とか誕生日の時とかに、確かにめちゃくちゃ色々な天竜人たちに囲まれてたけど。まさかこの人もあの場にいたのか。ってことはもしかしたら北の海の元屋敷の庭に埋めてる金銀財宝の出所はこの人も含まれてたりして?

 

「さて。そちらの人魚、私が競り落としたということでよろしいですね?」

 

「……そうなるえ」

 

「お父上様!!?」

 

「あらあら?もしかしてご子息は2年後のことをご存知ない?」

 

ちょっと含みを持たせて言ってみた。天竜人との婚姻なんてまだまだ先のことだし確定した話でもない。圧倒的にあちらが有利なのは変わりない。だからこれは単なる私のハッタリだ。ここで何のことだと言われれば意味深っぽく頷いて引けばいい、その程度の考えでいたのに、ロズワード聖には思い当たることがあったらしい。

 

「…チャルロス、今回ばかりは諦めるんだえ」

 

「なんでだえ〜!?」

 

「相手が悪いえ」

 

(…マジかよ)

 

内心ドッキドキだった。だってまさか、天竜人が引く?私相手に?私の背後にいるドフラミンゴがそれほど天竜人に対する発言権を持っている?それとも…私の婚姻相手がそれほどに厄介な相手とか?…まさか。天下の天竜人が身を引くような相手とかあり得る?もしかしてイム様とかいうやつ?原作まだ途中だから知らないんだよなぁ、その辺の事情!

 

(でも、チャンス!)

 

「ふふ。ご英断、痛み入ります。…そこのみかん色のお嬢さんたち」

 

「!な、何!?」

 

「あなたたちの友だちでしょ?早く連れて帰りなさい」

 

「えっ!?あ、ありがとう!サンジくん!」

 

「あ、ああ!ケイミーちゃん、待っててくれーっ!」

 

バタバタと舞台へと走る彼らを見送りつつ、大きく息を吐いて席に戻った。

 

「…いいのかよ?」

 

「ま、恩を売って損はない相手だし。そもそも兄上のお金に戻るだけだし?あはは」

 

「なんか…性格の悪さに磨きがかかってねェか?」

 

「まさか。元から私はこんなもんだよ」

 

肩をすくめて見せると鼻で笑われてしまった。それにしても、ルフィ来るの遅くない?だけどその疑問はすぐに解決する。ディスコが木槌で落札宣言をした直後に空から悲鳴が降ってきたから。

 

「ケイミー探したぞ〜〜!!!よかったーーーー!!!」

 

「ちょっと!!!待て麦わら!!!」

 

「……あっ、ちょ、」

 

舞台に向かって走るルフィとそれを止めようとするハチ、2人を止めようと声をかけたけど見事に無視されてーーーハチが魚人だと即座にバレた。

 

「…魚人?魚人だえ!お父上様、魚人だえ!!!」

 

「…っんの、バカ…!」

 

VIP席から離れて銃を撃ったチャルロス聖が喜んで踊っている。そして私を見上げて小馬鹿にしたように笑う姿を見て、決心がついた。

 

(もう大将が来るとか知ったことか!)

 

行け、主人公!ボコってやれ!

 



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89.やっぱりこうなった

 

 

後はお察しの通り。原作通りにルフィが暴れて、天竜人たちはフルボッコ。…ここはあえて言おう。ざまあああ!!!

 

(久しぶりに胸がすいたわ…。さすが主人公!)

 

ニヤニヤしながら見てたら、ローに頭を押さえつけられて席の中にしゃがみこむことになった。乱暴な!

 

「おい、伏せてろ」

 

「デリンジャー 、ルシーさんを守るのよ!」

 

「キャー!楽しくなってきたわね!」

 

わあわあと観客たちが逃げ惑う悲鳴と、ロズワード聖の怒鳴り声、銃声がうるさく響く。いやあ、さすがにこっち向けて銃を撃ってくるとかない……よね?でも頭に血が上ってるっぽいし、可能性としてはあり得そうだな、と素直にローとデリンジャーに押さえ込まれた。ベビー5が両手を巨大な刃物にして覆うように守ってくれてるのがチラッと見えた。ああ、ベビちゃんも危ないのに…。

 

「「海軍大将」と「軍艦」を呼べ!!!目にものを見せてやれ!!!」

 

(自分の力じゃ何もできないくせに、よく言ったものだわ…)

 

まさに虎の威を借る狐…あっ、私もそうだわ。人のこと言えないわー。

 

「ちょっとママ!動かないで!」

 

今どんな状態か様子見たいのに、とウズウズする度に、デリンジャーに怒られた。ハイ、スミマセン…。

 

「首についた爆弾外したらすぐ逃げるぞ。軍艦と大将が来るんだ」

 

「えェ!!?」

 

すぐ側でそんなやりとりが聞こえた。えっ、まさか?まさかこの声って!?

 

「海軍ならもう来てるぞ、麦わら屋」

 

「えっ、ちょっ、ロー!ルフィくんいるの!?会いたいぶふっ」

 

「もうっママ!静かにしてなさいよっ!」

 

「デリンジャー、お願いどいてえぇぇ…」

 

ぎゅうぎゅうに押し込められて、私、そろそろ内臓が口から出てきそうな気がするよ…。

 

「ん?そこに誰かいんのか?」

 

「…気にするな」

 

トドメとばかりにローに頭を押し込められた。なんでだよ!憧れの主人公に会いたいだけだってのに!とかモダモダしている間に、ローとルフィの会話がぐんぐん進んで、遠くからシャルリア宮を呼ぶ声が聞こえてきた。バリバリ、と布の裂ける音が妙に生々しく聞こえる。まさか?まさか!?

 

「考えても見ろ………こんな年寄り、私なら絶対奴隷になどいらん!!わはははは」

 

「言い値で買わせてくださ「「「静かに!!!」」」

 

ローとベビー5とデリンジャーの三重奏が圧迫感と一緒に上から降ってきた。お、折れる!背骨が!このままじゃ折れる気がする!デカい胸のせいで圧迫感が増し増しだからか、酸欠で呼吸がしづらい。くそっ!こんなことなら前世のように貧乳の方が……いや、やっぱ巨乳の方がいい。ないよりある方がいい…。なんて葛藤していたら、酸欠じゃない強烈な何かに意識を持っていかれそうになった。

 

「ママ?えっ、やだママ、しっかりして!」

 

体の上からデリンジャーたちが退いたのか、視界が一気に開ける。明るいその場で、ぼやけた視界の中でデリンジャーの顔がドアップになった。ガクガクと揺さぶられて、やっと呼吸ができた。

 

「は……っ?」

 

「おっと…そんなところにお嬢さんたちがいたのか。失礼したね」

 

「へ?あ、いえ…」

 

こちらこそ、と頭を下げたらベビー5が激おこで銃の腕をレイリーさんに向けた。おいおい、待ちなさいっての!

 

「ちょっと!ルシーさんになんて事してくれたのよ!」

 

「あああ…ベビちゃん落ち着いて…」

 

「落ち着いていられるもんですかっ!」

 

「まあまあ。可愛い顔が台無しだよ?」

 

「えっ!?」

 

ポッと頬を赤らめて銃の腕を解除したあたり、まだまだ若いなぁ、と笑ってしまった。うーん、年頃の子って可愛いわぁ。デリンジャーの方はまだまだヤル気満々だけど可愛くないのよね…どうかっていうと物騒。周りがそろそろ脱出しよう、という流れになる中、キッドの言葉にローの顔色が分かりやすく変わったのが見えた。…訂正。ローとルフィの、だ。

 

「もののついでだ。お前ら助けてやるよ!表の掃除はしといてやるから安心しな」

 

「…ベポ。ルシーさんを守ってろ」

 

「アイアイ!」

 

(あーあ、分かりやすいなぁ……ん?ルシーさん?えっ、「ルシーさん」って呼んだ…!?)

 

「………!?ろ、ロー、今「ルシーさん」て…」

 

今まで頑なに名前を呼ぼうとしなかったくせに?今?呼ぶの?このまま一生あんたとか呼ばれ続けるんだろうな、となんとなく思ってたから、まさか名前で呼ばれるなんて思いもしなくて目玉が飛び出るかと思った。震えつつ手を伸ばしたら、ローが口をへの字に曲げて鬱陶しそうに言った。

 

「いいから行け!」

 

「あっ、待って!ロー、怪我しないようにね!」

 

「ーー誰に言ってんだ?」

 

ニヤ、と口の端を上げてキッドとルフィの背を追って行った。なんかもう、本当に大きくなったなぁ…!

 

「えっと、じゃあルシーさんはおれがおんぶするよ」

 

「おー!ありがとう」

 

別に一人で歩けるんだけど、という言葉は飲み込んだ。だってモフモフ!ベポのモフモフに合法的に抱きつけるんだから!でもなぜかデリンジャーがムキになって張り合ってきた。

 

「えー?クマなんかよりあたしの方がいいよね?ねっ?」

 

私の腕に抱きついて、ギラリとベポを睨んでる。こ、怖いわよ、デリンジャー!

 

「クマですいません…」

 

「てかデリンジャーは背びれあるからおんぶ無理でしょ?」

 

「あ」

 

忘れてた、と可愛く笑っていたので、ベポくんへの態度は許す!なんたって可愛いからね!

 

「まあとりあえず歩くよ。ベポくん、案内お願いね」

 

「アイアイ!」

 

「さあ、ベビちゃんも一緒に行こう」

 

「え、ええ!」

 

ベビー5がしっかりと頷いたのを確認して、ベポやシャチ、ペンギンの後を追って外へ出た。まー、何というか死屍累々?船長たちが倒した海兵たちが哀れなほどに力の差が歴然としていた。しかも誰も死んでないってのがいいね。

 

(これがドフラミンゴなら殺処分だろうからなぁ…)

 

ああ、主人公ってすごいなぁ。そして私はやっぱり、ドフラミンゴの妹であるというのに、悪の道をひた走るなんて到底無理だったんだな、と改めて分かって、なんだか笑ってしまった。

 



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90.自由をください

「あっ、ねえ!どうしてあなたはケイミーや私たちのことを助けてくれたの?」

 

「ん?」

 

ナミちゃんがクリマタクトを伸ばしながら聞いてきた。振り返ると、なんだかレイリーさんだとかキラーさんだとか思いのほかたくさんの人たちに見られていてびっくりした。

 

「まあ、建前で言うと、みすみす天竜人に売られるなんて可哀想だったから。本音で言うと……まあ、色々?」

 

「色々って?」

 

「そりゃもう色々よー?」

 

あなたたちに恩を売ろうと思って、なんて言うのは憚られるので割愛した。そこまあ、良い人っぽくシメてもいいでしょうよ。

 

「…とにかく、ありがとう!助かったわ!」

 

「ナミちん待って!まだお礼を…!」

 

「お礼?じゃあね…」

 

考える私を、生唾を飲んで見守る面々が面白くて笑えた。私はもちろん、彼らに10億のお代に見合うだけのお礼を期待している。それは10億なんてちっぽけに思えるほどの"お礼"だ。指を2本立てて、ケイミーちゃんに、というよりも麦わらの一味たちに向けて告げる。

 

「……2年後に、私に自由をちょうだい」

 

「自由?なんだそりゃ?」

 

「ふふ…。大きな檻を、ぶち壊してくれるだけでいい。お礼はそれでいいわ」

 

ゾロが首を傾げていた。うんうん、分からないよね、今は。でも2年経ったら絶対に分かる。国一つ覆う大きな檻を、その根源をぶっ飛ばしてくれたらそれでいい。私だけが自由になるためじゃない、ヴィオラさんやドレスローザ国民たち、みんなに自由を与えて欲しい。保険をかけられたことに大いに満足しながらベビー5やデリンジャーを連れて彼らから離れた。ジャンバールの首輪を外そうとしているローの方へと向かう時、すれ違いざまにルフィに腕を掴まれた。

 

「おい!お前っ!」

 

「ん?」

 

「一緒に来い!!!」

 

力強く、そう、胸の奥まで震えるような声をかけられた。間近で、まっすぐに目を見つめられて、思わず足が止まる。

 

「ーーへ?」

 

「ちょっと、ルシーさんに何を…!」

 

「自由なんて人にもらうもんじゃねェ!自由が欲しいならおれたちが手伝ってやる!お前ケイミーの恩人なんだろ?だから、来い!」

 

触覚も温感も痛覚もない。だというのに、腕を掴まれて、痛いほどに力強く、熱いほどまっすぐに感じた。ああ、これがルフィか。ーーかっこいいなぁ。なぜか、ロシナンテを思い出した。妹を助けるのは兄として当然のことだと、当たり前のように言い切ったロシナンテのことを。うっかり涙腺が緩んで泣きそうになった。

 

「……さすが主人公、イケメンだわ。惚れちゃうね」

 

「おい麦わら、勝手に決めんじゃねェ」

 

「ん?なんでだ?」

 

機嫌が悪そうにやってきたローがルフィの腕を叩き落としてた。おいおい、喧嘩はダメだっての。

 

「こら、ロー。ちゃんと仲良くしなさいって言ったでしょ?もうすぐくまさんと黄猿さんも来るってのに……あっ、そうだ、セニョールが戻ってくるかも!」

 

「!?…それを先に言えってんだ!"ROOM"!うちの船が53番グローブにある。先に行ってろ!」

 

「えっちょ、」

 

せめてルフィくんたちに挨拶を、と言おうとしたのに、瞬き一つする間に視界が一転してて唖然とした。頭の処理が追いつかないんだけど…たぶん能力であの場から追い出されたのだろう。遠くでドンパチする音が聞こえる。

 

「キャー!すっごーい!ねえねえママ、ロー兄ィって何の能力者なの?」

 

「あー、オペオペの実だよ。ローはお医者さんなの」

 

「ふぅん」

 

テンションの上がってるデリンジャーに説明するそばで、ぎしりとベビー5の体がこわばった。顔色も悪いし、どうしたんだろうか。

 

「ベビちゃん、どうしたの?」

 

「あ……あの、ルシーさん…オペオペの実は…」

 

「うん?」

 

「あーーー」

 

青ざめた顔で口を開こうとしたベビー5を止めるように、私のポシェットの中の電伝虫が鳴った。ベビー5が出るようにと頷いたので、先に通信に出ることにした。受話器を取ると同時にギュッと電伝虫の目がつり上がる。ああ、そうだった、ディスコが連絡したんだもん、そりゃあこっちにも連絡してくるよな。

 

「ルシー。今どこにいる?」

 

「ベビちゃんとデリンジャーと一緒にシャボンディ諸島にいるよ」

 

「キャー!若様ー!」

 

「若様!」

 

2人の声を聞いたドフラミンゴが、いくらか目元を和らげたらしい。電伝虫の表情が少しばかり和らいだ。

 

「どうしたの?」

 

「何番グローブだ」

 

「えっと……ああ、今はホテルに戻ろうと思って70番グローブを散歩してるよ。どうしたの?」

 

「えっ、ママんぐっ」

 

50番グローブでしょ、と言おうとしたデリンジャーの口を塞いだ。ちら、とベビー5に目配せすると、ハッとした顔をして私の代わりにデリンジャーの口を鉄に変化させた腕で塞いでくれた。

 

(ここでドフラミンゴに真実を言おうとしないってことは、ベビちゃんは…)

 

きっと、さっきみたいに一時的なものでなく、本当に私と逃げてくれようとしているんだろう。表情でドフラミンゴにバレないように気をつけて、にっこり笑ってみせた。

 

「兄上は今何してるの?」

 

「ーーまだメンツが揃ってねェから待機中だ。退屈で仕方ねェからな。一度そっちに行こうかと思ってるところだ」

 

(まずい…!今来られるとめちゃくちゃまずい!)

 

ローたちと鉢合わせしてしまう。それは、よろしくない。大変よろしくない!引きつりそうな顔を気合いで押しとどめてなんてことないフリをした。

 

「ふぅん?でも兄上までいなくなったらみなさんに迷惑かけちゃうでしょ?」

 

「フッフッフ…シャボンディ諸島なんざここから目と鼻の先だ。だからルシー、今日はホテルで大人しくしてろ。すぐに迎えに行ってやる」

 

「……聖地に行くのはヤダ。絶対にヒマするもの」

 

「まあそう言うな。お前が10億で競り落とした人魚で遊べばいいだろ?競りが下手なお前に、おれが直々に上手いやり方を教えてやる」

 

「そ、そう…」

 

情報筒抜けですやん。とうとう笑顔を作る口の端が引きつってしまった。まさかこれ、ローのことまでバレてんのか?麦わらの一味が暴れる中でディスコがローのことを視認していたとは思えないけど…。

 

(やばい…めちゃくちゃやばい!)

 

「じゃあな」

 

「はぁい…」

 

ぷつりと通信が切れて、受話器を戻した。これは、まずい。非常に、まずい!その場ですぐに電伝虫の受話器を上げ直してボタンを押した。賭けだった。あの時…ロシナンテとロー宛に送った荷物に入れた電伝虫を、今もローが所持していれば…!

 

(お願い、繋がって…!)

 

祈る。今まで一度も叶ったことなどないのに、それでも私は奇跡を信じて祈ることしかできないままだった。弱い私にほとほと嫌気がさす。それでも、この時ばかりは祈りが通じた。

 

「…もしもし?」

 

(っ、やった…!)

 

聞こえてきたローの声に、飛び上がりそうなほど安堵した。

 

「ロー、ドフラミンゴが来る!」

 

「ーーは…!?」

 

「今聖地にいるの!すぐここに来る!たぶん今コーティングしてるんだろうけど、一旦船に乗って逃げて!」

 

海賊が新世界へ行くにはレッドラインを潜って抜けるしかない。ローは必ずコーティングをしている。そう知っているからこその言葉だったけれど、どうやら大当たりのようで忌々しげにローが舌打ちするのが聞こえた。

 

「わかった。すぐに船へ戻る!だからルシーさんは、」

 

「ルシーさん!!!」

 

「へ…!?」

 

ベビー5に抱き寄せられてその場から飛び退いた。何が起きたの、と目を白黒する私とは反対に、ベビー5とデリンジャーがある一点をじっと見つめて警戒していた。その先を見て、私は息を飲んだ。あの巨体は、あの容姿は……七武海の、くま?なんでこんな所にーー。

 

(えっ、まさか手に……あった!バイブル持ってる!あの人がくまさんだ!)

 

「オイ!何があった!?」

 

「…七武海のくまさんがいる…!」

 

「はァ!?」

 

「船長!!アレ…」

 

「……………!?…こっちにも"七武海"がいるぞ!?」

 

「っ…パシフィスタ…!クソっ忘れてた!そういやそうだった!」

 

キッドとローたちがパシフィスタとかち合うんだった。このタイミングでか、と歯噛みした。最悪だ。ここで時間を取られれば取られるほど、ドフラミンゴに捕まる確率がぐんぐん上がる!

 

「ヤバ…なんか強そう…!処刑しちゃいたいけどママがいるのよね」

 

「…デリンジャー、ルシーさんの護衛が優先よ」

 

「もちろん、わかってるわよ」

 

ジリジリと距離を空けようとする2人を見て、バイブルを持つくまさんを見て、腹を決めた。可能性は限りなく低い。だけど、本当はくまさんは優しいのだというサボの言葉を、私は信じることにした。

 

「2人とも待って。ちょっと話したいから」

 

「はァ!?ちょっとママ正気?殺戮命令受けてたらどうするのよ!」

 

(…なるほど、そういう言い方するってことはベガパンクの作ったパシフィスタって認識はあるわけか)

 

まだまだ子どもと思っていたけれど、かなり深くまでデリンジャーが知っていることに驚いた。この歳でも幹部と呼ばれるだけあって、海軍や政府なんかの内部事情をドフラミンゴから教えられている。…下手したら一般人に戻ることのできないレベルまでいってるかもしれない。それでも、この子たちに一般人になる道があったっていいはずだ。電伝虫とデリンジャーの手を握りしめて、私は腹から声を出した。

 

「くまさんに、お願いがあります!」

 

「ーー七武海ドンキホーテ・ドフラミンゴの妹、ドンキホーテ・ドゥルシネーア…」

 

ひとまず武力でなく言葉で返してくれたことに安心した。

 

「私たちを北の海のスワロー島に飛ばしてください…!」

 

「はァ!?何言ってんのよ、ママ!正気!?」

 

「っ、デリンジャー!!!」

 

距離を詰めてくるくまさんを警戒して、ベビー5が鋭くデリンジャーを呼んだ。しかしくまさんに敵意がないと察したのか、2人は私を背に庇って警戒したままとはいえ、距離を空けることはしなかった。そしてとうとうくまさんの手が届く範囲にまで近付かれた。改めて見ると、めちゃくちゃデカい。生唾を飲み込んで、それでも視線をそらすわけにはいかないと彼を見上げた。表情や目からは何の感情も伺うことができない。私とは縁もゆかりもない他人だからか、ベガパンクの改造のせいなのかは分からないけれど。手袋を外し、スッと伸ばされた手を警戒してベビー5が銃の足を突きつけた。

 

「ベビちゃん、大丈夫だから足を下ろして」

 

肉球のついた手を伸ばすということは、きっと望みを叶えてくれるのだろう。そう信じることにした。

 

「だめ。だって私はルシーさんを守るってコラさんに誓ったんだから!」

 

(ーーああ…そうだったんだ)

 

不意に、頭の中にカチリとピースがはまった。ベビー5がタバコを吸い始めたのも、口調を崩し始めたのも、任務でなかなか会えなくても失恋だ何だと理由をつけて会いに来てくれたのも…全てが私のためだったのだ。さっき、オペオペの実について言おうとしたのも、きっと、ロシナンテのことを言おうとしたのだろう。ドフラミンゴと私のやり取りを家族たちが真実としてとらえているのなら、私が今でもまだロシナンテの死を知らないのだと信じているはずだから。

 

「…もういいんだよ、ベビちゃん。ありがとう」

 

この子の健気さに、泣きたくなった。ああ、本当に私は恵まれている。

 

「ベビちゃん、デリンジャー。一緒にスワロー島のロシー兄上のお墓参りをしよう。一緒に…普通の人として生きていこうよ」

 

「ーーぁ……知ってたの…?」

 

呆然と振り返ったベビー5に微笑み返した。喧騒の聞こえる電伝虫に向かって、話しかける。

 

「ロー、私のこと助けてくれるって言ったけど、やっぱり今はまだいいや。ありがとう。また連絡するね」

 

「くっ……ルシーさん…っ!?」

 

ローに胸の内でごめんと謝る。後でちゃんと理由を説明しよう。

 

「くまさん、お願いします」

 

「…お前はなぜ王女の地位を捨てる?」

 

「ーー元々私のものではないもの」

 

自由になりたい、それは真実だ。だけどそれ以上に、他人から奪ったその地位に、他人の不幸の上に成り立つその場所に胡座をかいてのうのうと生きるのは嫌だった。いつだってそれが私の心の中心にある。どんなことになろうと、決して揺るがない私の芯だ。

 

「地位も権力も綺麗な服も何もいらない。私はこの子たちと生きる自由が欲しい!」

 

「ーーそうか」

 

大きな手のひらが近付く。ベビー5とデリンジャーが私を呼ぶ声が聞こえてーーふっと意識が遠のいた。



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2年前〜原作へ
91.何もなくても希望に満ちた生活


 

くまさんパネェ。ビュンビュンと空を吹っ飛ぶ最中に目が覚めて、無駄にそんなことを思った。それにしても、長い。吹っ飛ぶ期間がめちゃくちゃ長い。私は空腹を感じないからいいものの、私と並列して隣でビュンビュンしてるベビちゃんやデリンジャーは大丈夫だろうか。ちょっと離れてるから様子が分からないし、暇で仕方ないからと寝ることにした。漫画を読んでいる間はギャグ要素だと笑っていたことを実体験して…まあ、あれは割とガチな反応なんだなとようやく理解した。そんな感じで飛び続けること……3日ぐらい?ふわんっと滑らかに体が揺れて、地面に落とされた。

 

「…ファッ!?………あ、ここってスワロー島?」

 

「きゃあっ!」

 

「キャッ!えっなになに?ここどこ!?」

 

ほぼ同時に悲鳴を上げて地面に落ちた2人を視認して安心した。無事かと顔をしかめてこっちに駆け寄ってきた。怪我はなさそうだし、空腹に負けず元気そうだ。

 

「よし。ベビちゃん、デリンジャー。となり町に行くよー!」

 

「え?となり町って、そこのこと?」

 

そこ、と指差された先を見てむせそうになった。こんな所に小さな町があったとは。しかもこっちをチラチラ見てる住人たちもいる。これはチャンス、と近くにいる人に声をかけた。

 

「すみませーん!ここに昔ペンギンくんとシャチくんが住んでましたかー?」

 

「うおっ!?そ、そうだが……あんたら、あいつらのこと知ってんのかい?」

 

「知ってます知ってます。ちなみに…昔この村で亡くなった、金髪のでかい男、誰か知りませんか?」

 

「ああ、ロシナンテくんのことかい?…ああっ!もしかしてあんた、ロシナンテくんのご家族!?」

 

「はい、妹です」

 

似てないとは言われたことがあるけど、一発で家族と当てられたのは初めてで嬉しくなった。…あ、髪の色的な?壮年の男性は気を許したように笑って、近付いてきた。

 

「そうかそうか…彼の妹さんかぁ…。いやー、服の趣味はあんまりだけど、本当にいい人だったよ、彼。最期まで妹さんと弟さんのことを随分気にしててねぇ…」

 

弟?もしかしてローのことだろうか。うーん、ロシーとローはあんまり兄弟っぽくないと思うんだけど。でも、最期までローや私のことを気にしていた、と言われてちょっと胸が痛んだ。最期まで、気を遣わせっぱなしだったんだなぁ。ロシーは両親と同じで、とても優しい人だったから。

 

「あの、兄の亡くなった場所はどこですか?」

 

「ああ、その林の中の小さな小屋さ。もしかして墓参りかい?彼の体は海軍が引き取って行ったんだが…」

 

ああ、やっぱり回収されたのか。その辺りは覚悟していたとはいえ、やはり直接弔うことができないのは少し悲しい。さてどうしよう、と思った時に、ふと、自分の体が目に入った。綺麗な服、アクセサリー、そして長い髪。

 

(小さいとはいえちょっとした店はありそうな村だし)

 

よし、と腹を決めて男性に尋ねた。

 

「換金所か質屋さんってどこかにあります?」

 

そんなこんなで、来ていた服と装飾品、それから髪をバッサリ切り落として売り飛ばした。さよならモフモフコート…無くなったら無くなったでなんか物寂しいな…。

 

「うう…ルシーさんの髪が…っ!」

 

我が事のように、滝のように涙を流してベビー5が惜しんでくれたので、私はもうそれだけで十分だった。

 

「ねえねえママ、そのお金でどうするの?ってか若様に連絡しないの?」

 

「うん。バカンスに兄上が来ちゃヤボってものでしょ?お金はねー、土地を買ってお墓でも作ろうかなって」

 

「え、土地?」

 

「そう。土地」

 

スワロー島でなくミニオン島の、本来ロシナンテが死んでいるはずだった広場を、私は買い取った。当時の事件の名残でか、島の住人がほとんどいなかったので、破格の値段で土地を買うことができた。ただしそのデメリットとして墓を建てる職人もいないから、当分は単なる広場のままだ。デリンジャーとベビー5を連れて、なんとか村と呼べる程度の場所の宿屋に泊まり込みで働かせてもらえることになった。

 

「…で、あんたの名前は?」

 

買ったばかりの粗末な服とベリーショートの髪の、いかにも仕事をしたことがなさそうな私を前に、宿屋の女主人は無愛想に尋ねて来た。ここで素直に本名なんて言うわけがない。かといって、前世の名前をこの世界で使う気にもなれなかった。だから、私はとびきりの笑顔でこう名乗った。

 

「アルドンサ・ロレンソです。精一杯働かせていただきます!これからお世話になります!」

 

架空の貴婦人の名前でなく、宿屋の下働きをする田舎娘の名前を名乗った。これから生まれ変わって、自分の力で生きていくために。ただし、私は一つ失敗してしまった。この世界では名前と苗字の並びが日本と同じだということを忘れていたのだ。

 

「ロレンソ!1階奥の部屋のベッドメイキングをしてきな!」

 

「はい、おかみさん!」

 

慌ただしく走って、アイロンをかけたばかりのシーツを掴んでベッドメイキングに行った。慣れない名前も、数週間と経つと板についてきた。

 

「…ルシーさんはそんな働かなくてもいいのに…」

 

「ベビちゃん、私の名前はロレンソね」

 

そんな不満を言っていたベビー5も、私が楽しげにしているのを見て、だんだんと諦めの表情を見せるようになってきた。ベビー5はミニオン島で唯一の花屋で働いている。たまに売れ残った花を持って帰ってきて、3人で生活をする部屋に飾ってくれている。ちなみにデリンジャーは漁師と一緒に魚を捕っている。スワロー島に出入りする商人たちに海獣の肉などを売っているので、私たちの中で一番の稼ぎ頭だ。さすが闘魚の血筋…強すぎる。

 

「…ロレンソさん…毎日楽しい?」

 

私の短くなった髪に、満開に咲いた売れ残りの花で作った花輪を乗せて、ベビー5は内心複雑そうに眉を下げて尋ねてきた。確かにここで働き始めてから手はあかぎれだらけ、肌はカサカサ、髪は短くなったし衣類は質素なエプロンドレスで化粧なんてほとんどしないような生活になった。以前の私を知っているベビー5から見れば、みすぼらしく、萎びて哀れに見えるかもしれない。それでも、私はとても充足していた。

 

「ええ。前よりずっと、生きてるって感じるわ」

 

相変わらず痛覚も感触も温感もないし、空腹も感じないままだけれど、それでも私は人間らしく生きられていることに満足していた。ベビー5はベビー5なりに笑顔で生活しているし、海獣や時に海王類と戦い倒すデリンジャーは誰よりも強いすごいと褒めてもらえることに自信と満足感を感じているようだし。私たちは以前に比べればなんだかんだと不足はあるけれど、充実した生活ができているのだ。

 

「ベビちゃんとデリンジャーと、3人で生活できて、私は幸せよ」

 

たとえここに血の繋がった家族の両親がいなくても、ロシナンテがいなくても、ドフラミンゴがいなくても。贅沢な暮らしでなくても、おかみさんに怒られながら仕事していても。

 

「本当に、幸せなのよ」

 

心から、そう笑うことができた。

 



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92.天国のみなさん聞こえてますか

オリキャラ注意です



 

 

 

「ロレンソさん、聞いてっ!彼にもらったの!」

 

「ベビー5!静かにおしっ!」

 

下からおかみさんの怒鳴り声が飛んできた。うちの子が毎度毎度すみませんー!ベビー5はドンキホーテ海賊団から離れた今もまだ、自分の本名で生活しようとしなかった。なんでも、私にベビちゃんと呼ばれたいからなのだとか。うーん、可愛いなぁ!

 

「あら、可愛い花束!よかったね、ベビちゃん」

 

「ええ!」

 

荒々しく扉を開けて飛び込んできたベビー5はそう言ってブーケサイズの可愛らしい花束を見せてきた。一目惚れしたというミニオン島住民の男性がベビー5の勤める花屋に通い詰めた結果、見事に恋人同士になったのである。まさかの展開に驚きつつ、こっそり様子を見に行ったら普通に普通の人で、これは騙されてるんじゃないな、と安心したものだ。というか、ベビー5が付き合いだして今までの2ヶ月間、ベビー5が財布を開くことが一度もないので貯蓄が溜まる一方なのだ。最初こそお付き合い=貢ぐことだと思い込んでいたので戸惑っていたものの、今では仲良く手を繋いで島の散策に行くほどの中という。リア充よ、永遠に幸せであれ。

 

「ママー!おじさんがくれたんだけど食べる?」

 

種類が豊富なのか色とりどりの魚の切り身を両手いっぱいに帰ってきたデリンジャーが机の上にそれらを乗せてきた。どれも獲れたばかりなのか、みずみずしく潤っている。しかしデリンジャーの服が血まみれという…。

 

「うん、食べよう。料理してくるから、デリンジャーは先にお風呂入ってきなさい。あっ、お風呂でちゃんと服の汚れを落としてから洗濯物に入れるのよ!?」

 

「はーい!」

 

「ベビちゃん、その魚肉持って調理場に行っててくれる?」

 

「はいっ!」

 

床に血をぼたぼた垂らしつつ浴室まで元気に走って行く背を見送った。ベビー5に魚肉を託して、床の汚れを雑巾で拭いていく。昼間に床掃除したばっかりだってのに、もう。

 

「まったく…仕方ない子だなぁ」

 

そうぼやきつつ、ついにやけてしまう。人間らしく生きている、こんな平和な生活が愛おしくてたまらなかった。なんとかおかみさんにバレて怒られる前に、玄関まで拭き掃除を終えることができた。やれやれ、と息を吐いて雑巾を洗って干しておいた。北の海だけどまだ暖かい季節だし、乾燥してるし、明日も晴れるし、きっと夜の間に乾くでしょう。やれやれとエプロンで手を拭った時、窓の外から私を呼ぶ声が聞こえた。

 

「ロレンソさん、こんばんは」

 

「ん?あら、サンチョさん。どうされましたか?」

 

戸を開けると、夕空の下にいたのは穏やかそうな風貌の男性だった。元々はミニオン島の住民ではなくルーベック島の住民だったらしいが、ドフラミンゴの鳥かご以降周辺の住民たちに協力してミニオン島の遺骸の葬送をする内に居着いてしまったらしい。ちなみに漁師でデリンジャーを船に乗せたりしてくれている。大柄で、風貌は違うものの、ちょっとロシナンテを思い出す人だ。

 

「ちょっと通りがかったので挨拶をと。デリンジャーくん、今日も絶好調でしたよ」

 

デリンジャーのあの狩りを絶好調で済ませられるとは…大物だな、サンチョさん。ちなみに私は一回見ただけでお腹いっぱいになった。血しぶきというか、波の揺れというか…なんかもう、すんごいんだもの…。

 

「ああ、そういえばデリンジャーにたくさん魚肉をくださって…。ありがとうございました!」

 

「いえいえ!ロレンソさんとベビー5ちゃんも一緒に食べてください」

 

「ええ、ぜひ!サンチョさんもまたうちに食べに来てください」

 

うちの宿場では食堂もやっているので、漁師の方々はよく食べにきてくれている。サンチョさんは常連さんだ。いい歳なんだし、奥さんもらって愛妻弁当でも作ってもらいなさいよ、と思ったこともある。って、いい歳して独り身って私もだ…。ブーメラン!

 

「ならぜひ明日の昼食にでも」

 

「はい、お待ちしてますね」

 

それじゃあ、と軽く手を振って家に帰る背を見送り、調理場に行こうと振り返ると、調理場と浴室からベビー5とデリンジャーが顔を出してニヤニヤしながらこっちを見ていた。な、何?

 

「ルシーさんもなかなか隅に置けないじゃない!」

 

「ママ、あたし別に反対とかしないからねっ!」

 

「え、なんのこと?」

 

「「別にー!」」

 

そう言って、きゃあきゃあと笑いながら引っ込んでいった。全く、何を期待しているのやら。

 

(でも…そっか、結婚かぁ…)

 

翌朝の休暇日、ベビー5の働く花屋で花束を買って、島の裏手にある広場の方へと向かった。土地の所有者である私がなかなか手入れに来れないものの、なんとか荒地というほど草だらけなんかにはならずに済んでいる。ベビー5たちと一緒に用意した墓石の周りを掃除して、花束を備えて祈りを捧げる。ロシナンテと、両親と、セニョールの家族と、それからドンキホーテ海賊団に所属していた名も知らない部下たち、奴隷たちにも。

 

「ねえ、ロシー。結婚も目標の1つにはしてたけど、いざそういう話が出始めるとなると、なんか不思議な感じだよね」

 

両親はきっと反対しないだろうし、相手が普通の人…下々民と結婚となれば喜んでいただろう。ロシナンテはもしかしたら泣いたかもしれない。優しい人だけど、私には甘い人だったから。でもきっと喜んでくれただろうな。そう思える。

 

(ドフラミンゴは……それこそ町一つ潰してでも反対してきそうだな…)

 

そういえば天竜人との結婚話はどうなっただろうか。私が逃げ出したことで白紙に戻ると思えない。あのドフラミンゴがわざわざ自らの失態を晒して、天竜人の機嫌を損ねてしまうことになんかしないだろうから、きっと予定通り結婚をさせようと話を進めながらハラワタ煮えくり返っているんだろう。…あの凶悪な笑みを想像しただけで鳥肌だ。しかし今のうちにさっくり結婚でもして子どもでも産んでおけば、もしかしたら諦めてくれるかも?

 

(いやいや、あのドフラミンゴが諦めるわけないわ…。結婚してた事実ごともみ消して、記憶操作系の能力者でも雇って私の記憶を改ざんしてきそう。……うわっ、ありえるー!)

 

ドフラミンゴに関しては、考えれば考えるほどドツボにハマる。考えるのをやめよう、と頭を振りつつ帰路についた、その時だ。海岸線沿いを歩く私の視界に、黒い影が見えた。もしかしてベビー5も来たんだろうか、と思った。でも、違った。

 

(………あーあ、平穏な日常終了かぁ…)

 

懐かしい姿が、今はつらい。ばちり、とグラディウスと目が合って、私は諦めのため息を吐き出した。

 



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93.家族のことは好きだけど

 

 

 

グラス越しにかち合ったグラディウスの目が丸く見開かれた。

 

「ルシー…!!!」

 

走り寄る姿を見て、これはもう逃げられないなと諦めた。もともとグラディウスから走って逃げるなんて体力もないし、逃げたところで村人を一人残らず殺して血祭りにでもされては困る。これが他のメンバーなら口で丸め込めただろうが、いくら可愛いとはいえ生真面目なグラディウス相手に説得は無理だ。

 

「久しぶり、グラディウス。元気だった?」

 

「お前…っ!」

 

「あっ、ちょっとパンクは無し無し!私死んじゃう!」

 

「っ…!」

 

ピタリと膨らむのをやめてくれたということは、ドフラミンゴから下されているのは無傷での捕獲の命令なんだろう。グラス越しの目は激情でこれでもかとつり上がっているし、握り締められた拳はブルブル震えている。グラディウスのことだ、きっと怒りだけでなく私のことを心配してくれたのだろう。なんだかんだと身内に甘いな、と笑えばグラディウスが私の腕を掴んでドスの効いた声で言った。

 

「帰るぞ!若がどれだけ心配したと思っている!」

 

「嫌よ。帰らない」

 

「な…っ!?」

 

おおかた、ドフラミンゴのことを出せば素直に帰るとでも思っていたのだろう。私に拒否されてグラディウスが目に見えて動揺した。

 

「黙って出てきてごめん。心配させたことも、ごめんね、グラディウス。だけど私は帰らない。ここで村人として生きて死ぬわ」

 

「何故だ!お前はそこまでしてでも若やおれたちの側にいたくないのか!?」

 

「違うよ。兄上のことも、あなたたちのことも大好きだよ。でも私はここで両親とロシーの菩提を弔って生きたいの」

 

「っ…」

 

ロシナンテのことを持ち出すと、息を飲んでグラディウスが動揺した。どうやらドフラミンゴは私がロシナンテの死を知っているとは誰にも言っていなかったようだ。掴まれていない方の手でグラディウスの頬を撫でて、できるだけ優しく微笑んだ。

 

「兄上とあなたたちが元気で幸せに生きられるように、ここから祈ってる。だから…」

 

「許さない…!若の元へ帰るんだ、ルシー!」

 

苛立たしげにグラディウスが腕を一振りして、海に爆発で派手な水柱が立った。その爆発が私に向けられなくて心底よかった。マジで死ぬ。

 

「グラディウス…」

 

クソッ、他のメンバーならだいたいこの辺で落ちるのに。雨のように降り落ちる海水を浴びながらため息を吐きたくなった。やはりグラディウスは真面目だ。真面目で、頑固で融通が利かず、何より手強い。仲間でいるうちは頼もしかったが、敵に回ると手間だ。どうしようかと迷ううちに、ざばっ、と水を掻くような音が聞こえた。波と違う音にまさかと振り返ると、見慣れたベビー服がみるみるうちに地面を泳いですぐ側にきた。あーあ、これはもう絶対に逃げられないわ。

 

「久しぶり、セニョール」

 

「チュパ!……ルシー…ここにいるってことは噛んでいるのはローか?」

 

「さあ?…私はただ、ここでロシーと両親の菩提を弔って生きていたいだけだよ、セニョール。ねえ、それってそんなにもダメなことなのかなぁ?」

 

「ルシー…!」

 

「落ち着け、グラディウス。…おれからは何とも言えねェな。だがお前にはもう一人、お前を待つ兄がいるってことは忘れてないだろうな?」

 

「忘れてないよ。兄上のことも、私の大切なあなたたち家族のことも。でも、それじゃあ死んでしまった家族たちのことは?ここに置いていかれたロシーのことは?ねえ、置き去りにされてしまった彼らに、ファミリーの誰が寄り添っていけるというの」

 

グラディウスに掴まれたままの腕を力任せに振りほどいてセニョールに詰め寄った。ボグッ、と慣れた音が肘から聞こえたから、たぶん関節が外れたんだろう。あんまり熱くなりたくなんてないけど、こればっかりは譲れなかった。

 

「私は忘れないわ、セニョール。ロシーのこと、死んでしまった可愛い小さな子どもたち、ちょっと怖いけど頼れた部下たち、殺された取引相手に海軍の人たち…助けられなかった、あなたの家族のことも」

 

「………」

 

セニョールが静かな目で私を見下ろす。彼だって家族のことを忘れた日なんて一度もないだろう。だからこそ私の言葉が響くはずだ。不意にぐっと腕を引かれたと思ったらまたグラディウスが私の腕を掴んでいた。そうでもしないと逃げるとでも思われているのだろうか。

 

「あなたたちは兄上と未来に向かって歩いて行けばいい。私はここで彼らを想ってひっそり生きていく。今までずっと役立たずだった私なんて必要ないでしょう?お願いだから、ここで自由にさせて」

 

「……それがお前の答えか?ルシー」

 

低い声が私を呼んだ。ああ、時間切れか。やはりこの二人を相手に説得して見逃してもらおうなんて無理だったんだなあ。私は諦めと久しぶりに会う嬉しさで微笑みを浮かべて、ゆっくりと海へと振り返った。

 

「……久しぶり、兄上」

 



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94.さよなら幸せな日常よ

 

 

文字通り飛んできたのだろう、珍しく息を切らしたドフィがサングラス越しにギラギラとした目で私を見下ろしていた。しかし自分に余裕がないことを悟らせたくないのか、口元に笑みを浮かべて話題を変えてきた。

 

「…髪を切ったのか、ルシー」

 

「うん。結構良い値段がついたよ。髪は短い方が生活しやすいし。子どもの頃みたいでしょう?似合う?」

 

「ああ…よく似合ってるぜ。髪を売って、その金はどうしたんだ?」

 

「家賃にしたよ。なんと一ヶ月分!破格だよねー」

 

「フッフッフ!…それで、髪を売ったその後はどうするんだ?次は身体でも売る気か?」

 

「まさか。次は労働力で稼ぐよ。兄上も知ってるでしょう?私、生活に関する頭はいいの」

 

「ああ、そうだったな。だがこの辺には悪い海賊が出るらしいなァ」

 

「なら村を出て野宿しようかな。海賊が見つけられないような場所で。この島にはゴミ捨て場はなさそうだし」

 

「…ルシー」

 

「なあに?兄上」

 

「帰るぞ」

 

「それは嫌」

 

「おれが笑っていられるうちに戻ってこい、ルシー。そう何度も同じ血筋を撃ち殺したかねェんだよ。それに……あァ、そうだった。誰の手引きでおまえらをここに来れたのか、教えてもらわねえとなァ?」

 

まずい、と思った。おそらくドフラミンゴはローのことを考えているはずだ。シャボンディ諸島に超新星が出揃ったことは世に周知されているし、大将黄猿、そして少なくともパシフィスタがローを確認している。となれば七武海に入る前のローを、ドフラミンゴは本格的に潰そうとするかもしれない。だって私の心臓は今もまだローの手の内にある。私に利用価値を見いだしているドフラミンゴが、みすみす見逃すわけがない。それに…。

 

(逃亡の手助けをしてもらったくまさんを、売れるわけがない)

 

もしかしたらデリンジャーはドフラミンゴにバラしちゃうかもだけど。だけど、少なくとも私はくまさんに恩を感じているし、くまさんの手によってということを言いたくはない。つまり………ここが潮時なんだろう。セニョールたちに気付かれないようドフラミンゴと会話しながら、ポケットの中の銃に触れた。ドフラミンゴから離れ、護衛制度を撤廃した時に、もしもの時にとベビー5が渡してくれたものだ。大丈夫、痛くない。痛くないから、死ぬのも怖くなんてーーーない。

 

「…そうだね、兄上がかわいそうだ。でも私は誰に協力してもらったか喋りたくない。だから、私はここで自殺するしかないね」

 

安全装置を解除しながらポケットから銃を引っ張り出すと、セニョールに銃ごと手を、グラディウスには掴まれていた腕をさらに強く引き止められた。まさかこんな素早く止められるとは思わなかった。もしかしたら私が自分に銃口を向けるって想定でもしていたんだろうか。しかし急に動きを止められたせいで、引き金を引いてしまった。

 

「なっ、」

 

「ルシー、ッ!」

 

まずい、思った時には、銃口がグラディウスの顔に向けられていた。グラディウスの右のこめかみから血がどろどろと流れ出している。あっという間に血で真っ赤になったグラディウスを見て、頭の中が真っ白になる。

 

(そんな、なんでこんな…っ、私のせいで…!)

 

「や、やだ!グラディウス…っ!」

 

「…っ…暴れるな!」

 

暴れるな!?そんなこと言ってる場合か!喋れるなら即死じゃない。そう分かっていても、グラディウスの傷口から目が離せない。

 

「落ち着け、ルシー。よく見ろ…掠っただけだ」

 

セニョールの言葉を聞いて、力が抜ける。私に見せるように、グラディウスが空いた手で傷口を雑に拭った。顔だから血が止まりにくいようだけれど、確かに傷口は小さい。そのことに、ほっとした。けれどそんな私を見ていたドフラミンゴは、私が対立の姿勢を崩さないと判断したのか、とうとう笑みを消して能力が使えるように腕をぶらりと垂らした。

 

「…あくまで逆らう気か、ルシー。残念だ」

 

「っ……私の頑固さは、生まれた時から何一つ変わらないよ。兄上は知ってるでしょう?私は兄上と対立しない。裏切らない。敵には絶対にならない。ただ私はここで自由に生きていたいだけだよ。最初から私、言ってたでしょ?『ドフラミンゴ海賊団でよくない?』って」

 

「おれの側では自由でいられないとでも言いたいわけか?」

 

「うん。私だって自由に生きたい。町を歩いたり、働いたり、海を泳いだり、恋だってしてみたい。結婚して子どもを産んで、毎日ここに墓参りをしに来て、ロシーや父上、母上、死んだみんなを想いながら、生きていたい」

 

「死人はお前に何も与えちゃくれねェぞ」

 

「生きてたって役に立たないのもいるよ。私みたいに」

 

事実、私は30年以上ドフラミンゴに寄生して食べる遊ぶ寝るぐらいしかしていなかったのだし。あ、訓練もしてたけど。…30年以上もニートとか改めて怖い。私の役立たず宣言を聞いたドフラミンゴがビリビリと震えるような圧を出した。まさか今になってやっと妹がニート三昧だったことに気付いたのか?

 

「…誰がお前にそんなことを言ったんだ?グラディウスか?セニョール、お前か?」

 

「若…!?」

 

「くっ…!」

 

セニョールが私を背に隠して、私の視界からドフラミンゴが消えた。グラディウスとセニョールが苦しそうにしているところを見ると、ドフラミンゴは覇王色の覇気で威圧しているらしい。どうやら妹がニートということはこの暴君は当然ご存知だったようだ。そりゃそうだ、ドフラミンゴは長年私の財布だったんだし。だとすると財布…もといドフラミンゴが怒っているのは、もしかして妹が中傷に傷ついて家出したという感じのこと?自分の妹を役立たず呼ばわりなんて許せない、みたいな?いやー、泣けるね。うちのお兄ちゃんの過保護っぷりに。そしてこのクソみたいな所有欲の塊っぷりに!

 

「兄上、誰にも言われてないよ。みんながそんなこと言うわけないでしょう?私が今になってやっと気付いただけだよ」

 

セニョールやグラディウスの前に立ちはだかると、ようやくドフラミンゴが覇気を納めたのか背後で2人が息を整えていた。とばっちりになって申し訳ない限りだ。

 

「お前はおれに必要だ、ルシー。だから戻ってこい」

 

「私が輪姦されそうになったあの日、わざと敵に攫われやすい状況を作った人が…よく言ったものね」

 

ぎし、と背後でセニョールとグラディウスが動揺して体を動かしたのが分かった。ねえ、私が気付かないとでも思った?それとも、昼間の歓楽街に不似合いなアイス屋や、時間外なのに綺麗な女性たちが大勢歩いてて、バッファローとバイスをピンポイントで誘惑していたのが、『普通のこと』だと思ってた?その上でサイファーポールが侵入しやすいようにしたのも、全部全部、街を仕切ってるドフラミンゴが手配したに決まってるでしょ?

 

「仕方ねェだろ?ああでもしねェとお前はおれの元に居続けるしかないと理解できねェと思ったんだ。…まあ、実際にはこうやって家出なんざされちまったがなァ」

 

ほら、ドフラミンゴは否定しない。妹に痛い目に合わせて身の程を教えようとでもしたのだろう。まあ今の返答で、私が察していると気付いていたようだけど。

 

「…先に言っておくよ、兄上」

 

お星様になってしまったもう1人の兄を想う。あの人はどうして帰って来てしまったのだろう。スパイなんて別の人がすればいいことを、わざわざ弟だからと引き受けたのは何故だろう。もしかして、もしかすると、ドフィと私を想っていてくれたのだろうか。少しでも元の兄妹関係に戻れる兆しがあれば、私とドフィを引っ張ってでも暗闇から抜け出させようとでもしてくれていたのだろうか。再会した時の、哀れみとも、愛しさとも見てとれる、あのなんとも言えないロシナンテの瞳を思い出す。ああ、きっと私も、今そんな目をしているんだろう。もう、お互いにたったひとりきりになってしまった、大切な家族なのに。どうしてこんなにも分かり合えない存在なのだろうか。

 

「これから私は何度だって、あなたの籠から出て行くよ」

 

「ーー……残念だ、ドゥルシネーア」

 

ぴたり、と体が動きを止める。ドフラミンゴの糸が私にかけられたのだ。ドフラミンゴが私に能力を向けるなんて2度目じゃないだろうか。ああ、傷口を修復するのも合わせたら3度…4度目か。銃を持つ手が持ち上げられる。自殺させる気なのかと思いきや、私の手は銃を遠くへ投げ捨ててしまった。

 

「……兄上?」

 

「フッフッフ…そうだな、認めよう。お前を閉じ込めておくにはあの程度じゃぬるかった」

 

ドフラミンゴが懐を探って、奇妙なものを2つ取り出した。1つは小さな箱に入ったもの。もう1つはぐるぐると渦を巻いた異様な柄の、果物。

 

「若、それは…!」

 

グラディウスやセニョールが息を飲んだ。なるほど、そういうこと。悪魔の実を食わせて支配しようとしているのか。我が兄ながら嫌な人だ。

 

「さあ、戻ってくるお前にとっておきのプレゼントだ」

 

「その能力で逃げ出すとは思わないの?」

 

「おれがそんなヘマをするって?おいおいルシー…本気で言ってんのか?」

 

私の手がドフラミンゴから箱を受け取り開けた。そこに入っていたのはリング状の一対のピアスだった。一体これは、と尋ねる前に、プチ、と耳元から音が聞こえた。

 

「さあ、つけてみな」

 

ドフラミンゴに操られるままにピアスを耳に持って行って、指先がぬるりと滑るように感じた。どうやら糸で耳たぶに穴を開けたらしい。私のまっさらな耳になんてことしてくれやがる!しかし文句を言おうとした口に、ドフラミンゴがあの悪魔の実を詰め込んできた。

 

「ぅ、ぐえ…っ!」

 

「ほら、ちゃんと残さず食え。…懐かしいなァ。昔もこうやってお前に食い物を持って帰っていたんだったな。なァルシー、お前も覚えているだろう?」

 

ドフラミンゴの手のひらに口というか顔の下半分を押さえつけられ、吐き出すどころか息すらできず、気が遠くなりかけたところでようやく口いっぱいに広がった激烈な味を飲み込んだ。すると突然ぐらりと目が回って、たまらず目を閉じて。

 

「さあーー帰るぞ、ルシー。手間をかけさせやがって」

 

思いのほか優しい手が力の出ない私の体を抱き上げた。まるで全力疾走した後のように力の入らないこの感覚は、噂に聞く海楼石の効果なのだろう。両耳から血を垂れ流しているのに、それが服に付くことに気付いているはずなのに、ドフラミンゴはひどく満足そうだった。

 

「また髪を伸ばせよ、ルシー。髪が長くても生活しやすいようにもっと女中を増やしてやる。それから他の装飾品も誂えてやろう。海楼石の指輪がいいか?アンクレットがいいか?」

 

「…指輪だと、ベビちゃんを撫でてあげられないよ」

 

「フッフッフ!そうだな!じゃあアンクレットだ。あァ、お前、付き合わせてたベビー5とデリンジャーに謝っておけよ。他の奴らにもだ」

 

「………そうだね。でも…今は寝ててもいい?」

 

「ああ。…おやすみ、おれの可愛いルシー」

 

ひどくだるい体を、ドフラミンゴがモフモフで包み込んでくれた。ふと視界の下、ドフラミンゴの肩越しに見えたグラディウスに手を伸ばした。ぴくりと一瞬動きを止めたのを無視して、傷口に触れた。

 

「……ごめん、グラディウス…」

 

「……もう寝てろ」

 

手元に置いている間は優しいドフラミンゴに、優しい家族たちに、もう何も言う気にはなれなかった。私はおやすみの一言すら返さず目を閉じた。もう二度と関わりを持ちたくなかったドフラミンゴからは慣れ親しんだ懐かしい匂いがして、なんだか哀しくてたまらなかった。

 



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95.ただいまドレスローザ

 

 

あの後、懐かしのドンキホーテ海賊団の船を見つけたデリンジャーと引きずられたベビー5も船に乗り込み、ミニオン島を出て行くこととなった。ただ、ベビー5は海賊をやめて恋人といたいのだと主張したから、恋人を町ごと殺されてしまったのだけれど。

 

(今回の恋愛は私も応援してた分…辛いなぁ…)

 

町ごと恋人を殺された、という原作のベビー5の言葉が今さらになって身に沁みた。そして改めてドフラミンゴの恐ろしさに身震いした。

 

(…逃げようと思うなら、本格的に自殺とかも考えなきゃダメかなぁ。死にたくはない。けど、でも、……天竜人の所に嫁ぐくらいなら…いっそ…)

 

「うっ、ううっ…ジョーカーのやろう…っ!許さない!あんなにも素敵な人だったのに…!」

 

力が抜けるせいでマイナスの考えしかできない。ベビー5はベッドに伏せる私の横で恨み言を吐いて、とめどなく涙をこぼしていた。なんとか手を動かしてその涙を拭うも、次から次へと涙が落ちてくる。原作でバッファローはベビー5を妹のように可愛がられている、と称していた。まさに、その通りなんだろう。私と同じとは言えなくても、それに近いくらいベビー5は可愛がられている。だから…言うならば、この子の涙や心の痛みは、私のものと等しいのだろう。大して気の利いた言葉をかけてあげることもできず、私はただただベビー5の背を撫でることしかできなかった。ちなみに隣の部屋ではデリンジャーが久しぶりのドフラミンゴに大喜びで、島での出来事を楽しげに報告している。今さら島での出来事を話されても何も支障はない。だって、ドフラミンゴたちが町の人々を皆殺しにしたのだから。おかみさんも、ベビー5の恋人も、サンチョさんも、気のいい町の人たちも、みんなーー。

 

「ルシーっ!!!」

 

「……ヴィオラさん…?」

 

「あーっ!ドゥルシネーア王女だ!おかえりなさーい!」

 

「今回は長い逃亡だったなあ!」

 

「おかえりなさい、王女様!」

 

港に着いた私に、鮮やかな色彩が飛びついてきた。ああ、ヴィオラさんだ。ドレスローザの花畑の香りと共に、ヴィオラさんの纏う華やかな香りが肺に広がる。国王の帰還を一目見ようと集っていた街の住人たちが、私の姿を認めて口々に喜びの声を上げた。ヴィオラさんはそんな声を背に微かに震えながら、けれどドフラミンゴの手前、無言のまま私を抱きしめていた。

 

「フッフッフ…こんなに熱烈に迎えてもらえるとはなァ…!これに懲りたらもう"二度と"逃げ出そうなんて考えるんじゃねェぞ?」

 

私の頭をゆるりと撫でて、ドフラミンゴは笑った。サングラスの奥の目が、笑顔で私たちを迎える人々に向けられる。ーーああ、ドフラミンゴはこういうやつだった。あらゆる方法で人の退路を絶って、その道を自ら選んだように仕組むような男。

 

(また逃げ出せば、今度はこの街の住人たちを皆殺しにするってことでしょ?)

 

ミニオン島の、私たちが住んでいた町の人々は見せしめだったんだろう。また逃げ出せば次はドレスローザの街一つを壊滅させる、と。きっとヴィオラさんはその心を見抜いてしまって、今こうやってドフラミンゴの顔を見られずにいるんだろう。

 

「…分かってる。兄上と一緒にいる。…次に離れる時は私か兄上が死ぬ時ね」

 

現時点で天竜人との婚姻はどうなったのか情報を引き出す意味でもそう言ってみると、ドフラミンゴは一瞬ギラリと鋭い目をして、そして私に楽しげに返してくれた。

 

「フッフッフッ!それこそまさかだろ?死ぬことはねェ…おれもお前もな。あァ、そういやあの話があったなァ!」

 

ニヤリ、とドフラミンゴは嫌な笑みを見せて、大きく両腕を広げて国民たちに宣言した。

 

「今この場で!ドレスローザ全国民に発表しよう!おれの最愛の妹、ドゥルシネーアの婚姻が確定した!1年後、ドゥルシネーアは聖地マリージョアに嫁ぐこととなる!天竜人の妻としてなァ!!!」

 

わああ、と国民たちが感嘆の声を上げた。宣言を聞いて天竜人への嫌悪感を出す人は少なくなかったのに、ドフラミンゴが決めたのだから悪いことにはならないだろう、という絶対的な信頼によってその表情が歓喜に変わる。

 

(…っ…吐き気がする……)

 

加盟国であるからか、ドレスローザ国民は天竜人から直接的な暴虐を受けたことはない。天竜人の数々の悪名すら、絶対的な王者の発言と信頼の前には搔き消える程度ということか。海楼石と精神面のダブルでぐったりしながら懐かしの白い部屋に戻され、ベッドに寝込んでしまった。どうやらストレス的な発熱が起きたらしい。看病の名の下に残ってくれたヴィオラさんは、ようやく涙に濡れるその顔を見せてくれた。

 

「ルシー、どうして帰ってきてしまったの!?それにそのピアス…まさか…!」

 

まだかさぶたにもなりきっていない流血の生々しいピアスホールと、私のセンスにしては独特なデザインのピアスを見て察したのだろう。ヴィオラさんは私のピアスに一瞬触れて、火傷したようにとっさに手を引いた。

 

「…能力者にとって海楼石ってこんなに辛いんだねぇ…」

 

辛そうな顔を見ていられなくて誤魔化すように笑って見せたのに、ヴィオラさんはますます悲痛な顔になってしまった。私のことを慮ってくれてのことだと思うと面映ゆいけど、今はそんな感動している場合なんかじゃない。

 

(原作に突入しても私がドレスローザからは出て行けないことが確定しちゃったし、次の手を打たなくちゃ。…あと1年しかないんだから)

 

放っておいても原作通りに物事は進む。だけど私は何かをせずにはいられない。シナリオの針を進めるとか、そんなおこがましいことも、もう考えない。ちょっと余計な口を挟むだけだ。そして、せめて足手まといにはならないように動くだけ。

 

「ヴィオラさん、片足の兵隊さんとコンタクトとれる?あとトンタッタで発言力のある若い子にも」

 

「え、ええ…。でも何をする気?」

 

「そんなの決まってるじゃない」

 

今までの人生で、幾度となく私を奮い立たせんと燃えていた胸の炎が、鈍く蠢く。その炎の勢いはもう、この世の中にだけでなく私自身にすら向かっていた。かつて父親とドフラミンゴ、そしてロシナンテとともに味わったあの地獄のような業火のように。この世界を拒絶するように痛みも何もかも消し去ってしまった、人形のような私を燃やし尽くすように。

 

「全て、終わらせるの」

 

幼少期と変わらずベッドに埋もれたまま。だけど今の私にだって戦うことはできるのだから。

 



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96.いつか必ず失うもの

 

 

 

来るべき1年後に向けて、私は自室にキーパーソンたちを集結させた。…集結させてくれたのはヴィオラさんだし、厳密にいうと私は片足の兵隊さんとはこれが初対面なんだけど。まあ一応、話の進行役は私だし。チャチャっと仕切らせてもらおう。

 

「それでは、ドレスローザ解放に向けての作戦会議を行います!えーと、兵隊さんが隊長ね」

 

かっこよくビシッと指名したのに、なんだか戸惑った顔をされた。というか、ヴィオラさんも兵隊さんもレオくんも、お互いがお互いにギスギスというかギクシャクした雰囲気なんだけど……え、なんで?顔見知りじゃないの?

 

「あの……ヴィオラ様、なぜあなたが…いえ、彼女は一体…!?」

 

「!?私を知ってるの!?私もあなた達をずっと見てた!!あなたと……レベッカを!!」

 

「!?」

 

(お、おお〜っ!?ちょっと…これどういうこと?顔見知りじゃ…………アッ、顔見知りじゃなかったわ!!!)

 

兵隊さんとヴィオラさんが出会うのって、ルフィと一緒にグラディウスから逃げつつスートの間を目指す時だった!やっちゃった!!!でもレオと兵隊さんは原作では顔見知りだったからセーフ!そもそもトンタッタと連絡を取るのに兵隊さんに頼んだのは私だし!

 

(あっ!でも、ここで「どうやっても集結できない!」とかいう展開にならなかったってことは、彼らの出会いは原作に大きく影響しないからってこと…?)

 

ロシナンテがローに刺されなかったように、スワロー島で亡くなったように。原作の流れが〜、とか言いつつも未来のことは分からないので、私の動きが全てを台無しにしてしまわないかと今でも不安だ。ここまできたら原作ブレイクとか言ってる場合じゃないんだし。

 

「えーっと。挨拶も終わったところで、さっくり計画しましょう。…いつドフラミンゴがここに来るか分からないし」

 

そう言うと、ピリ、と場の空気が引き締まった。

 

「…あなたは、ドゥルシネーア王女か。なぜあなたがドレスローザ解放などと口にする?この国の王座がリク王に戻れば、真っ先に不利益を被るのはあなた方だろうに」

 

いっそ不器用なほど直球だなぁ、と笑えた。きっとこんな人だから、スカーレットさんも事件の後で惚れ込んじゃったんだろうな。

 

「えっ!?やっぱりあなたがドゥルシネーア王女だったんれすか!?」

 

「あー、うん。ごめんね、悪気はなかったの」

 

「ならいいれす!」

 

いいんだ…。自分の身の安全のためだけに騙していたっていうのに、なんて甘…優しいんだろう。やっぱりトンタッタって諸刃の剣だわ…。

 

「まあ、私は全然王女なんて器じゃないし、ルシーとかでいいですよ、キュロスさん。不利益って言っても、単に国と王冠はあるべき場所に返すべきってだけの話だし」

 

「!!!あなたには…記憶があるのか!?」

 

「え?ねえルシー、何の話をしてるの?」

 

「???」

 

兵隊さん…キュロスとヴィオラさんがそれぞれ戸惑いの目を向けてきた。レオは話が見えていないのか、首を傾げているだけだ。

 

「順を追って話しましょう。この国の仕組み…シュガーのことと、ドフラミンゴのことを」

 

主に、現状を一番把握できていないだろうレオに理解させるために、ファミリーの情報を伝えた。おおよそはヴィオラさんも自身の能力で把握していたのか、私の説明を補足してくれた。ヴィオラさんも知らなかったのはシュガーを気絶させると能力が解除される点と、ドフラミンゴの鳥かご、そしてこの世で私だけが知り得る情報…つまり、1年後にルフィとローが手を組んでドレスローザの解放に来ると言う点だ。

 

「どこでそんな情報を?」

 

呆然とした表情のヴィオラさんに尋ねられた。その言葉に懐かしいような既視感を覚える。

 

(ああ、そっか…ロシーだ…)

 

「ヒミツ。でも、誰かに聞いたんじゃない。…あ、ホビホビが気絶で解除ってのはドフラミンゴ本人から聞いたんだけどね。未来に関しては、私の…まあ、特殊能力みたいなものかな。キュロスさんのことを忘れてなかったのもね」

 

「……間違いないようね。はあ…前々から不思議なことを言うとは思っていたけれど…」

 

「ヴィオラ様…」

 

ヴィオラさんの言葉にキュロスがにわかには信じがたい、と言いたげな声を出していた。

 

「???つまり、シュガーを気絶させればいいんれすね?」

 

「まあ…そうなるかな」

 

キュロスやヴィオラさんの戸惑いも何もかもすっ飛ばして、ズバッと結論を言ったレオは間違いなく大物だと思う。まあ、彼自身マンシェリーを探せるのなら細かいことは割とスルーしがちになっているのかもだけど。

 

「ヴィオラさんにはこの城にある海楼石の手錠の鍵を見つけて、スペアを作ってもらいたいの。たぶんローが捕まってしまうから」

 

「ヴィオラ様、ご無理をなさらないよう…!」

 

「普段は倉庫に入っているものだし、数も多くないから大丈夫よ」

 

幹部というだけあって把握していたのか、すんなりと了承してもらえた。よしよし、これで来年まで新しく手錠が補充されなければこの件はいける!

 

「それから兵隊さんにはトンタッタの指揮をしてもらいたいんだけど、まず問題なのはトンタッタが騙されやすくてドフラミンゴや幹部は騙すのが得意ってところなのよね」

 

「そうなのれすか!?」

 

せやで。なぜ気付かないのか、とため息が出そうだ。そもそもうちのファミリーはほとんどが悪人ヅラじゃないか!善人にもほどがある!頼むからまずは疑ってくれ!

 

「だからこの先トンタッタのみんなには一旦マンシェリーちゃん捜索をストップしてもらって、ドフラミンゴ以下メンバーに会わないためにも城に立ち入らないことをオススメしたいわ。それから……えっと…ちょっと待って。紙に書いて整理するわ」

 

もうこの先機会はないと踏んで、今日だけで作戦の全てを伝えてしまいたい、と思った。なので言い忘れがないようにと伝えるべき事項を紙に書いていく。

 

(伝達事項、結構あるな…。伝え忘れててもいざってなったらヴィオラさんに手紙とかで頼もうかな)

 

凡人の私は後から言い忘れを思い出すことが多いし。こういう時、自分が完全無欠な天才だったらなぁ、と心底思う。まあ、天才だったならこんな場所にいつまでもとらわれてはいないんだろうけど。海楼石のせいで書きづらいながらもなんとか頭の中の情報を書き出していく最中。ぎし、とブリキの軋む音がした。

 

「…!!!」

 

「キュロスさん?どうかしました?」

 

何か気にかかることでもあっただろうか、とザッと紙に目を通すも、特にキュロスが反応しそうなことはまだ書いていない。例えば、レベッカのこととか。だというのに、キュロスは微かにうめき声のようなものを上げて俯いてしまった。え、何事?

 

「兵隊さん、どうしたの?」

 

「隊長?」

 

「お…おおお…!!!…そうか、あなただったのか…!!!」

 

「なに?」

 

「あなたは!私に"2度"!手紙をくれた…!!!」

 

2度、という言葉と、手紙、という言葉が頭の中でゆっくりと結びつく。…ああ、そうだった。そういえば私はキュロスに2度手紙を書いた。正確には、1度目はキュロスたち一家に、だけど。もう何年も前にたった2回だけしか書いていないというのに、私の筆跡を見て気付くなんて。

 

「そういえば、お礼がまだだったね。トンタッタに連絡をとってくれて、ありがとう」

 

2度目の手紙でトンタッタに連絡を取りたい、と頼んだ礼を言い忘れていた。今さら思い出して、遅まきながら礼を言ったけれど、キュロスはそんなことはどうでもいいと言わんばかりに頭を振った。そして、絞り出すように、声を上げた。

 

「私があなたの忠告を受け入れなかったばかりに、スカーレットを…!!!」

 

ヴィオラさんが、はっと息を飲んで私を見てきた。姉一家のことを気にかけていたヴィオラさんのことだから、もしかしたら手紙のこと自体は知っていたのかもしれない。ただ、この反応から察するに、その手紙の出所は知らなかった…ということか。

 

「キュロスさん、あなたが悪いんじゃない。私が……ああなるって知っていたのに…何もできなかったから……」

 

気持ちが陰る。胸の中の炎に炙られるように、ジリジリと心がすり減る。…コロシアムでレベッカに浴びせられていた怨嗟の絶叫が耳に蘇った。そして、あの時以上に強く思う。あの憎悪の声は、遠くない未来、今度は私たちに向けられる。きっと武器を手に向かってこられる。今まで向けられていたあたたかな笑顔が、憎しみに変わる。そんな予測がかつて火あぶりにされた思い出と重なる。

 

「ーードフラミンゴを…止められなかった…私が…私が、スカーレットさんや街の人たちを殺したのよ…私が……」

 

「……ルシー、どうしたの…?」

 

直接的な苦痛であれば、どれだけマシだっただろうか。誰も私を責めてこない、そんな真綿のような罪悪感に、少しずつ絞め殺されるような感覚だった。

 

「ごめん、なさい……ごめんなさい、私…知ってたのに…!」

 

「……いや、あなたのせいではない」

 

「ええ……あなたが悪いんじゃないわ、ルシー。あなたは何もしていないんだから」

 

「あの、泣かないでくらさい…」

 

こうなることが分かっていたのだと告白した。だというのに…妻を失い娘と主君が酷い目にあっているというのに、キュロスは私を責めなかった。ヴィオラさんも、レオも。優しく私を慰めてくれた。

 

(どうして責めないの…)

 

私は怖くなった。いつか必ず、この優しさが無くなってしまう日がくる。今は優しい彼らも、1年後には私を詰る民衆の一人に変わるのかもしれない。原作を読んで違うとは分かっていながらも、そんな想像が頭をよぎった。

 

「……ごめんなさい…」

 

お前は本当に弱いなァ、と言ったドフラミンゴのつまらなさそうな声が聞こえた気がした。

 



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97.取りこぼした2人分の命

 

 

あれから何度か話し合いや手紙での連絡をして、なんとか原作通りに作戦を開始できる用意が整った。心臓100個事件のローの悪名や、頂上戦争での破天荒なルフィの名前を知っていたヴィオラさんの説得が一番大変だったかもしれない。何せ相手は国を乗っ取ったドフラミンゴと同じ海賊…しかも七武海だし、原作でもサンジの頭を覗くまでルフィたちを信用してなかったっぽいし。

 

(てか結局手を組むかどうかはサンジくんの頭の中を覗いてから判断するとか言われたし…)

 

まあ、それでも全く構わない。原作を読んだ以上に直接彼らと会ったことで、私は麦わらの一味をこれ以上ないほどに信頼をしている。

 

(懐かしいな、シャボンディ諸島……)

 

つい先日、ドフラミンゴがいいものが手に入ったと、ある悪魔の実を私に見せてきた。悪魔の実のことを少しは勉強しろとドフラミンゴに押し付けられた本を開くまでもなく、あれはメラメラの実だったと断言できる。なぜならこのタイミングでベビー5とバッファローの姿が見えないからだ。…要するに、原作に突入したのだ。さしずめ今はパンクハザード編ってところか。

 

(ローは約束を守ってくれるかな…)

 

モネとヴェルゴの命を助けてほしい、と強引に約束を取り付けたものの、原作のあのぐちゃぐちゃかつ忙しい中でそんなことが可能なのか、今さらながら心配になった。ソファにもたれかかり、祈るように手を組んでため息をこぼしていたら、出窓に腰掛けていたドフラミンゴが顔を覗き込んできた。

 

「…顔色が悪いな、ルシー。また熱か?」

 

私を膝に乗せると海楼石に触れてしまうからか、ドレスローザに戻ってからドフラミンゴがむやみにくっついてくることがなくなった。もちろん夜寝る時にお気に入りの人形代わりにされることもなくなった。何のかは知らないけれど能力者になって海楼石の装飾品をつけられてと散々な目に合ったものの、兄がある意味マトモになったのはありがたいことというか何ていうか…。それでも時々膝に乗せたりはされるけど。

 

「ううん……モネに会いたいなぁ、って思って」

 

「ああ、そういやお前はモネにもヴェルゴにも会ってねェんだな」

 

そう、モネとはもう8年も会ってない。ヴェルゴなんて別れを告げられてから14年以上も経つ。原作で時々病気の妹に会うために基地を留守に、って設定があったほどだし、きっとヴェルゴはドフラミンゴと会ったりしてたんだろうな。私にも会わせてくれたっていいだろうに。このまま二度と…遺体にすら会えないなんて、嫌だ。二度とモネをシュガーに会わせてあげられないかもだなんて、そんなのは絶対に嫌だ。

 

(お願い、ロー……モネとヴェルゴを殺さないで…原作に殺させないで)

 

奇跡が起きることを願った。ローを信じて待った。けれどーー。

 

「……悪いな。全てを道連れに……死んでくれ…!!!」

 

『了解。"若様"』

 

5匹の電伝虫をサイドテーブルに乗せ、それぞれの相手と通話するドフラミンゴの口から、そんな言葉が出た。そして、その相手からの了承も。ーーモネの、自らの死を承諾する言葉が。

 

「っ、だめ!兄上、モネを死なせないで!」

 

「黙ってろ…ルシー」

 

さすがのドフラミンゴも家族を自らの命令で死なせるのは初めてだからか、声に力がなかった。私は…本当は分かっていた。ローがモネの心臓を取り返していれば大爆発が起きて島ごと…モネも死んでしまうことを。それでも私はモネを助けたいと思って、だからローにモネの心臓を取り戻して欲しいと頼んだ。逆に、原作通りローがモネの心臓をシーザーから取り戻していなければ……モネが死ぬだけ。どちらにしても、モネは死ぬのだ。

 

(……それでも、シーザーにあんな形で殺されるなんて、そんなことはさせたくなかった…!)

 

けれど、ドフラミンゴの命令で死なせることもしたくなかった。私のせいだ。私がもっと、ちゃんとローに伝えていれば。モネを死なせない方法を、もっともっと考えていれば。

 

(私がモネを殺すようなものだ…)

 

『……お嬢様、そこに…いるんですか?』

 

「モネ…」

 

ドフラミンゴが無言のまま私に電伝虫を寄越してきた。震える手で受話器を手に取り、私はモネに話しかけた。

 

「ダメだよ、モネ…帰ってきてよ。そんなところで死なないで…!シュガーと一緒に幸せになるって、そう言ってたじゃない…!」

 

『………』

 

電伝虫が、笑みを見せた。通話の向こうのモネもこんな風に…神様が俯瞰するような眼差しで微笑んでいるのだろう。それは死を受け入れた人間の表情そのものだった。焦燥感が胸を焼く。いつかの叛逆の炎が、私を嬲る。

 

「今日まで…ごくろうだったな」

 

『………』

 

ーーああ、ヴェルゴも……。ローは2人の命を守ってはくれなかった。約束してくれたのに、ダメだった。私のせいだ。ローに任せっきりにせず、私がもっと上手く立ち回れていたなら2人を死なせずに済んだかもしれないのに。私のせいで2人が死んでしまうんだ。

 

「…あなたたちを守りたいのに」

 

涙がとめどなく落ちた。悔しい。悲しい。苦しい…!

 

『……さよなら、お嬢様。どうか幸せに…』

 

通話の向こうで爆発音が響いている。その音に紛れるような小さな声で、モネは言った。その途端、ガシャン、とひときわ大きな音が電伝虫から発せられた。ハッとしてモネに語りかけようと口を開いたけれど、喉が引きつって声が出なかった。

 

「…!?」

 

声の出ない私から受話器を奪い、ドフラミンゴがモネに向かって声を上げた。

 

「……モネ、…何かあったのか。応答しろ………!!!」

 

ああ、原作通りになってしまった。ぐわん、と視界が揺れる。全身の血が逆流するような、そんな衝撃に思わずソファへと倒れてしまった。

 

(え…何が、起きたの…?)

 

当然痛みはない。2人が死んでしまうことが、物理的に倒れるほど私にとってショックだったのか。呆然としていると、さすがに様子がおかしいと思ったらしいドフラミンゴが私を抱き起こしてきた。

 

「ルシー…どうした?一体何がーー…!!?」

 

ハッとした顔で、ドフラミンゴは私の背をさすった。私を抱き起こした時に違和感を感じたのだろう。そして正面から、私の胸に大きな手を当てて、服の上からその凹みを確認した。そう、私の心臓がないことをーー。

 

「…ローか!!!」

 

憤怒の感情をあらわにし、しかし強烈な感情を溢れさせながらも笑みを浮かべ、ドフラミンゴは机の上の電伝虫1匹と側に引っ掛けていたコートを掴んで文字通り窓から飛んで行ってしまった。徐々に楽になって息ができるようになってきたけれど、私はその背を見送ることしかできなかった。もしかして今の衝撃は、ローが持つ私の心臓が握られたものだったんだろうか。

 

「……モネの心臓と私の心臓、取り替えてくれてたらよかったのに…」

 

そうすれば、私がシーザーに殺されてただろうけど、モネは助かっただろうに。……いや、それはないか。

 

(どっちにしたって、モネは死んじゃったんだから…)

 

もう、モネと繋がっていた電伝虫も、ヴェルゴと繋がっていた電伝虫も、どちらからも微かな爆発音しか聞こえなかった。

 



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98.へし折れていく心

 

 

 

(やっぱり、私も動かなきゃダメだ…)

 

腹を決めた。銃は没収されたけど、私には悪魔の実の能力がある。いざとなったらこの海楼石のアクセサリーを家族たちにピタッとくっつけて…。

 

(…あ、海楼石といえば)

 

ドフラミンゴに見つからずに済んでいた、あの海楼石のカケラを取り出した。カケラの数はそんなに多くはないけど、いざとなったら家族たちに投げつけて…いやいや、さすがにこんな小さいものをぶつける前に、持った時点で私が脱力しちゃうっての。それに、動くも何も、そもそも私の耳や足の海楼石を取らないことには…。

 

(困った時のヴィオラさん、だよね)

 

何から何まで申し訳ないけれど、他に頼れる相手がいないのだ。今回ヴィオラさんに頼んだのは2つ。人形を1人連れてきて欲しいということと、このピアスとアンクレットの模造品を作って欲しいということだ。数日して私の望み通りにしてくれたヴィオラさんに周囲を見張ってもらいつつ、私は人形に頼んだ。

 

「このピアスとアンクレットを取ってください」

 

「…分かりました」

 

人形の虚ろな目が私を見上げた。その目に既視感を覚える。もしかしたら幹部塔で会った人形の1人だろうか。無力にも、ごめんねと口先だけで謝る私を、恨みとともに覚えているのかもしれない。いつかこの人形にも報復される。ピアスを取るために近付いた手に、一瞬ぞくりと背筋が震えた。微かな振動とともにピアスが取られ、そしてなんとかアンクレットも取ってもらった。人形は海楼石に触れても、元の人間に戻ることはなかった。あくまでも「悪魔を宿す能力者」に作用するものであって、「人形になってしまったもの」には能力無効の作用はないということか。そしておそらく、シュガーに海楼石を触れさせても、人形なってしまった彼らを元に戻すということはできないのだろう。厄介な、と吐きかけたため息がすぐに掻き消える。体がふわりと浮かぶように、軽い。

 

「わ……」

 

一歩前にと踏み出した足があまりに軽すぎて転んでしまいそうになるほどだ。海楼石がないと、こんなにも軽やかに動けるものなのか。

 

「取ってくれてありがとう!ヴィオラさんも、助かりました!」

 

「良かったわ。でももしかしたらドフラミンゴにはバレてしまうかもしれないから、何か手を打った方がいいわ」

 

「じゃあ…ピアスだけ。すぐ取れるくらい緩く付けておくわ」

 

耳たぶに癒着しかけていたのか、耳にまた血が滲んでいたけど、ドフラミンゴは海楼石を恐れて私の耳に触らないからバレないだろう。それでも海楼石のピアスを付けておくのは、たまに抱き込まれたりするから、その時はさりげなく海楼石を身に付けてるアピールのためだ。アンクレットは自分で取れないから却下。海楼石のものとよく似ているアンクレットを足に付けた。

 

「ドゥルシネーア王女」

 

「…うん、どうしたの?」

 

人形が私に語りかけてきた。限界を迎える直前のような、感情の磨り減ったような声だった。

 

「私たちは、まだ諦めてはいません。助かるために、私たちはまだ誰も、諦めてはおりません」

 

かつて、私が幹部塔で人形たちに言った言葉を思い出した。諦めないで、と。私でなくあなたたちがあなたたちを救うのだと。そう言ったことを思い出した。

 

(やっぱり、あの時幹部塔にいた人形だったんだ…)

 

よくぞ8年もの間、諦めずにいてくれたものだと思った。素直に彼らの力に驚いたし、感動した。

 

「ですから、あなたも負けないでください。私たちには何もできませんが、ドフラミンゴに負けないでください」

 

「……え?」

 

この人形は一体何を言っているんだろうか。私がドフラミンゴに負けるとは、どういう意味なのだろうか。

 

「国が炎に包まれ、あの日、ドフラミンゴが王位についた瞬間を皆が見ていました。高らかに笑うドフラミンゴと幹部たちの側で、あなただけが私たちのために泣いてくれていた…」

 

もしかしたら、この人形はドレスローザの兵だったのかもしれない。

 

(そうか、彼には私がそう見えたんだ)

 

国民たちはみんな王座についたドフラミンゴを歓迎していたと思っていたけれど、やはり兵は疑いの目を向けていたのか。だから私の様子にも気付けた、と。なんていうか、勘のいい人だ。

 

(まさか……だから人形にされたの?)

 

これはドフラミンゴの罠だ、と糾弾しようとしたのか?だから人形にされた?だとしたらそのきっかけはーー私だ。

 

(また…私のせい…)

 

体は軽やかになったのに、心がずぐりと落ち込んだ。私が不用意に泣いたりしていなければ。幹部たちの、それこそピーカの中にでも隠れていたなら、よかった。

 

「…ルシー、あなたのせいじゃない」

 

幾度となくヴィオラさんから言われた言葉を、また言われた。私が落ち込んでいる度に気遣ってくれる彼女の優しさが、辛い。この優しさを失いたくないと思うのは、私の弱さで、汚さだ。ほとほと、自分が嫌になる。

 

「…ねえ!それよりもルシーはどんな能力だったの?」

 

「…分からない。でも、たぶん……予想はできるわ」

 

こんなにも体が軽いのは、きっと海楼石から解放されたからだけじゃないんだろう。バイスのように重さに関する能力者はもう原作でいたから、おそらく、私は空気に関係する能力を手に入れたんだ。けれどドフラミンゴは逃亡できるような能力ではないと断言した。そしてこれは私の勘なんだけど、きっとアニメオリジナルなんかの未知の悪魔の実ではないだろう。……その上で、この原作の段階で、所在が分からない悪魔の実は、限られている。

 

(これで違ったら本を読んで勉強し直さなくちゃだけど…)

 

ドフラミンゴに渡された分厚い悪魔の実図鑑…どこやったっけ。そんなことを思いながら、私は胸に手を当てた。

 

「ーー"凪"」

 

じわり、と胸元があたたかくなったような、そんな錯覚を覚えた。見た目には何も変化がない。

 

(これで違ったら……いつかまた旅に出てロシーの実を探さなきゃだなぁ)

 

そんなことはもう不可能だろう、そう薄々感じながらも思った。きっと私は死ぬまでこの国から出られない。ルフィにドフラミンゴを倒された後も、天竜人が私に価値があると判断して結婚までするわけがないんだから。ドフラミンゴが倒されるということは、今まで沈黙していた世界政府や天竜人がドフラミンゴと私を本格的に殺そうとしてくるということだ。そうでなくてもドレスローザ国民に恨まれて嬲り殺しされそうなのに。

 

(やっぱり、私に自立なんて無理だったんだなぁ…)

 

旅なんて夢のまた夢だ。分かってる。けどそれが悔しいし、悲しい。机の上に置いていた本を手にとって、床に投げつけた。

 

「キャッ!」

 

「ルシー何を……!!?」

 

ふかふかの絨毯の上とはいえ、本を投げつけても音が一切しなかった。

 

(ああ、ロシー……やっぱりあなたの力だった)

 

身の内に宿る悪魔に語りかけた。ようこそ。会いたかったよ。でも、本当は会いたくなかった。

 

「(会いたいよ…ロシー…)」

 

ロシナンテの死を看取ったローたちや村人から話を聞いて、ロシナンテの墓まで作って、どうやらそこまでしても私は心のどこかでロシナンテの死を認めたくないなかったらしい。けれど、こうやってロシナンテの能力を私が引き継いでしまったなら、ロシナンテの死を受け入れざるを得ない。この世に、あの優しい、私の絶対的な味方はもういないのだと、認めざるを得ない。

 

「(…会いに行きたい)」

 

柔らかな絨毯に、ぽつりと涙が落ちた。

 



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99.もたらされた吉報と終焉の叫び

 

 

 

本当はもっと能力の幅が広いのかもしれない。そう思いつつも、見たことがあるのは2つだけだったから、私はひたすらカームとサイレントだけを特訓した。部屋に閉じ込められたまま日がな一日することといえば特訓だけ。前世の私なら退屈すぎて死んじゃってたかもしれないけれど、かつてヴェルゴたちに鍛えられた日々を送ったり、ドフラミンゴに閉じ込められるという特殊環境に慣れていたおかげで、特に支障もなく特訓に明け暮れることができた。おかげでサイレントに関してはなかなか広い範囲で発動できるようになったと思う。……まあ、確認できてる範囲はまだ自室だけなんだけど。凪は数人分くらいいけそう。とはいえ、24時間365日単位で口元に限局して能力を発動させていたコラソンには敵わない。

 

(…やっぱり、才能の差なんだろうなぁ)

 

悲しいことに、これが現実だ。武術の才能がない私は、能力者としても今ひとつなようだ。ロシナンテが能力を使うのを見ていて、それでもなお劣化コピーしかできないなんて。

 

「ルシー、ちょっと来い」

 

「うわっ!兄上?へ?ちょっと、なに???」

 

ドフラミンゴに担がれて連れて行かれたのは、広いスートの間。まさか、と顔を上げた先に、大きな椅子が並んでいた。ハートの椅子に座っていたのはーーローだった。

 

(は、は、早くない!?)

 

スタイリッシュに2度見3度見をした私を、ドフラミンゴが楽しげに笑った。え、うそ、もう原作のこんな場面?聞いてないんですけど!?ってかそれならそもそも朝の時点で国民たちがドフラミンゴの七武海やめたやめてないetcで騒いだり……あ。

 

(もしかして…能力の特訓のせいで聞こえてなかっただけ…だったり?)

 

ざあ、と顔から血の気が引いた私の肩を支えたまま、ドフラミンゴはローの側へと近寄った。今は海楼石をつけてないから、大人しく脱力のフリをしてドフラミンゴに連れられた。間違ってもドフラミンゴの手がピアスに触れないよう、バレないように、気を張り詰める。

 

「ロー。お望み通り連れてきてやったぞ。ルシーの心臓を返す気にはなったか?」

 

「………」

 

ギロ、とドフラミンゴを睨みあげる姿は、さすがというか。後が怖すぎて私にはできないことを、ローはよくやれるものだと尊敬する。傷めつけられて、ズタボロになっている。そんな姿を見てかわいそうだと思う、けれど、どうしてもモネとヴェルゴの姿を思い出して複雑な気持ちになってしまう。

 

(…どうして助けてくれなかったの?)

 

単に余裕がなかっただけなら、しかたがないと諦めもつく。だけど、昔を思い出す。ミニオン島で、弱ったロシナンテを手当てさせようとローが海兵を…ヴェルゴを連れてくる、そんな場面がないように、私はちゃんと手配してたでしょう?もしかして、それでもロシナンテとローはヴェルゴに見つかってしまっていたの?一度は約束してくれたものを覆すほどに、そんなにもヴェルゴとモネが憎かった?視線で会話なんてできるわけもなく、そらすことなくじっとローと見つめあっていると、突然外が騒がしくなり始めた。

 

『外壁塔正面入口より報告!!侵入者〜〜!!!』

 

ドフラミンゴがけたたましく鳴り響く警報と、賑やかなコロシアムの実況の方へと向いた時、私は今しかないと判断した。

 

「"サイレント"」

 

騒音に搔き消えるほどの小さな声と指の音だったというのに、ローは正確にそれらを聞き取ったらしい。見開かれた目に、じわりと涙の膜が張るのが見えた。

 

「(まさか、本当にこの国に私の心臓を持ってきたわけじゃないでしょ?私と話したかっただけなんだよね?)」

 

ハンカチでローの顔に流れる血を拭って、ドフラミンゴにバレないように話しかけた。声が聞こえないとはいえ、見られれば口が動いているのは丸わかりだからだ。

 

(くそっ…ヴィオラさんに作ってもらった合鍵、私ももらっておけばよかった…)

 

今ならローの手錠を外すことができるのに、と悔しく思った。だってまさかこのタイミングでドフラミンゴがローに会わせてくれるなんて思いもしなかったし。とはいえ、もしローが私の心臓を持っていたなら、手錠をかけた今もまだドフラミンゴが取り上げていないわけがない。ここにはサニー号もローの船もないんだし、きっと私の心臓はローの船かどこかにあるはずだ。

 

「(なんで、あんたがその能力を…)」

 

「(…性悪な兄上にでも聞いて。それで、要件は?)」

 

ちら、と後ろを見ると、ドフラミンゴが電伝虫を何匹か用意してどこかに連絡をかけているところだった。部屋の外の兵士たちの動きが活発になってきているのが分かって、そろそろバッファローたちがやって来るのでは、と警戒を強めた。

 

「(……モネとヴェルゴは海軍に引き渡した。約束は守ったぜ、ルシーさん)」

 

「(……え)」

 

にや、と笑う悪い顔が目に入った。次の瞬間には顔が引き締められて、私の背後へと目配せしたのが分かったから、とっさに能力を解いた。けれど、告げられたことが信じられなくて、呆然としてしまう。

 

(モネとヴェルゴが……生きてる?)

 

「あっ!ルシーさん、ローから離れてっ!」

 

「わっ!?あ、ベビちゃん…!」

 

「若様、ルシーさんには部屋に戻ってもらう方が…!」

 

ローから隠すように、ぎゅむ、とベビー5に抱き込まれた。ベビちゃん…こんな時だけどさ…大きく育ったねぇ…色々と。なんとかモネ・ヴェルゴショックから立ち直りつつ、今度は柔らかな胸の谷間に抑え込まれて、ヨコシマな発想が出てきた。

 

「ハァ…。ベビー5、ルシーを部屋に戻せ。ルシー、お前はしばらく部屋で大人しくしてろ。いいな」

 

「…わかった」

 

「イイコだ」

 

ぐりぐり、と頭を抑え込むように撫でられた。ベビー5に体を支えてもらいつつ部屋へと戻った直後、悲鳴のような騒がしさが街から王宮にまで広がってきた。いや、王宮の中でも、凄まじい悲鳴や歓喜の声が響いている。

 

(…シュガー……)

 

ウソップがやったのだろう。ああ、これでドレスローザは終わりだ。能力で全てかき消してしまいたいほどに、まるで地鳴りのごとく声のうねりは大きく聞こえる。私たちの終わりを告げるように。

 

「…ルシーさん」

 

「ん…?なあに?」

 

「あのね…私はずっと、ルシーさんの味方よ」

 

私の心の中など知らないはずなのに、ベビー5はまるでヴィオラさんのように心を読んだようなことを言ってきた。思わずどきりとして、けれどそんなことを悟られてはいけないと私は笑ってみせた。

 

「ありがとう。私も、ずっとベビちゃんの味方だからね」

 

「…うん」

 

ベビー5はタバコを咥え、部屋から走って出て行った。

 

(…そっか……ギロギロの実じゃなくたって、心が読めるくらい、ずっと一緒にいたんだもんね…)

 

大切な家族だ。大切な彼らだ。だけど、私には守れない。たとえドレスローザから秘密裏に逃がせるような能力を持っていたとしても、私にはその後を守りきることなんてできない。世界を相手に、家族を守ることなんてーー。私にできることは、彼らが無事に海軍に捕まることを見届けることだけ。

 

「…私は、みんなを守らなくちゃ」

 

錆びついた呪文をもう一度唱えた。たとえ家族たちを世界から守る手立てがあったとしても、私はもう手を出さない。全てをこの世界の流れに任せることが、ベストなんだ。

 



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100.結末はとっくに知っている

「とはいえ、やれることはやらなくちゃ」

 

この先戦いが激化するまでドフラミンゴは頂上から動かない。家族たちはあちこちで動くけど。つまり、私が家族たちに引きずり戻されないうちはドフラミンゴと会うことはもうない。耳や足からただの装飾品をむしり取った。綺麗なだけで実用的でない真っ白なドレスを脱ぎ捨てて、動きやすいワンピースを頭から被った。

 

(シュガーがやられたってことは、すぐにピーカが地形を変化させるはず!)

 

靴を履いて海楼石のカケラや装飾品もまとめてポケットに突っ込んだ時、窓の外が真っ暗になった。次の瞬間に鼓膜が破れるんじゃないかと思うほどの轟音が鳴り響く。窓際に駆け寄って見下ろした先に、もうもうと土埃をあげながら瓦礫の山ができあがっていた。もしかしてこれが、と恐る恐る見上げた先の、スッパリとカットされて寂しくなった王宮の塔がなんとも言えない。

 

(こっっっわ!!!足でのひと蹴りで本当にこんなことになんの!?)

 

ゾッとした。もうこんなの人間技じゃない。正真正銘の人外バトルが始まる。せめて、戦えない国民たちを避難させなくては。

 

(私にできることなんて、それしかないんだから…!)

 

「"凪"!」

 

震える足を殴りつけて、王宮の外を目指して走った。金の髪、白い服、あの逃亡の日々、それらによって私がドフラミンゴの妹であり偽の王女なのだと誰もが知るところになった。ドフラミンゴが諸悪の根源だと分かった今でも、兵士たちは私をどう扱うべきか分からないのか、走る私を戸惑いながら見送るだけだった。王宮から出てすぐ、空に広がる鳥カゴと街の火の手、人々の悲鳴を聞いて体が震えた。大人しく部屋に戻って震えていれば、と弱い私の心が訴える。だけど、とそんな自分を叱咤した。

 

(ここで私が怯えてどうするのよ…!)

 

本当に怯えているのはこの国の人たちなのに。望遠鏡を手に国民への避難やら何やらで慌ただしく動く兵たちを見つけて、能力を解除して駆け寄った。

 

「ちょっと貸して!」

 

「あっ、ドゥルシネーア王女…!?」

 

半ば奪うように望遠鏡を借りて、周囲を見た。

 

(工場は…あった!……そっか、そういうこと…!)

 

コロシアムの地下から上がってきた工場を見て、ようやく理解できた。工場の周囲は足場がぐちゃぐちゃで、とてもじゃないけど一般人が避難するなんて考えられない状態だ。ただでさえセニョールが…いや、セニョールは途中から工場へと向かったんだっけ。セニョールなら、きっと非常事態だし一般人を……いや、五分五分かな。セニョールもドンキホーテ海賊団のファミリーだ、無情に人々を見捨てる可能性がないこともない。工場長もいるけど、彼女が私に逆らうことはないだろう。だって私はドフラミンゴの妹なのだから。

 

(よし……先手を打つ!)

 

セニョールとフランキーが来る前に、私が工場の鍵を開けて国民たちを避難させる。それが無理ならコロシアムの中へ避難させる。工場の破壊が目的のフランキーでも、さすがに一般人が避難してたらガワは残してくれるだろう。それに、私は国民を避難させる役割だ。ヴィオラさんやキュロス、レオたちと何度も計画を練ったんだから。

 

「ここにいる全員、よく聞いて!」

 

私の王女という肩書きがどこまで通じるのかは分からない。だけど、今だけでいい、私を王女と認めて動いてほしい。

 

「あの鳥カゴは少しずつ狭まってます。数時間後には国民も兵も全員が兄に殺されます!だから、みんな、国民たちに声をかけてコロシアムと工場へ向かってください!海楼石のあの建物の中なら安全です!」

 

「し、しかし、工場の鍵は王が…」

 

下っ端たちにも幹部たちの話し合いの内容は通達されたのだろう。戸惑う彼らに、私はヴィオラさんに用意してもらっていた合鍵を見せた。

 

「私が鍵を開けます。だから、早く!」

 

「「「はっ!」」」

 

慌ただしく動き出した面々を置いて、街へと駆け下りながら私は声を張り上げた。

 

「っ…ピーカ!」

 

ちょうど同化してルフィたちを追い詰めようとしていたタイミングだったんだろう、ピーカが地面から出てきた。

 

「ルシー…!?何故ここにいる!部屋に戻っていろ!」

 

「兄上が、工場の中にいろって…!これ、合鍵!」

 

鍵を掲げて見せると、ピーカは驚いたように目を見開いた。そりゃそうだ、ドフラミンゴが家族たちの目の前で合鍵も含めて2つとも刻んだんだから。だけど工場の鍵がここにある。ドフラミンゴから指示を受けていないからか混乱した様子だったけれど、ピーカは空に展開される鳥かごを見て、工場の中にいる方が安全だと判断したんだろう。

 

「……分かった、途中まで送る」

 

「ううん、道を均してくれたらそれでいいよ」

 

「……ルシー」

 

「ん?」

 

「…いや。……おれたちはいつだって、お前の味方だ。それだけは忘れるな」

 

ピーカまで、ベビー5と同じことを言った。まるで私の心の中を読んだように。

 

「…うん。ピーカも、私の大切な家族だよ。これからも、ずっと」

 

誰に笑われても、バカにされても、私たちは家族だ。送ってくれる気でいるんだろう、ピーカの巨大な石の手が私を包み込むのをただじっとして受け入れた。ぼこぼこと体が震えた数秒後には、工場の前へと送り出されていた。あれだけの距離をあっという間に、なんてさすが。

 

「中に入ったらすぐに鍵をかけろ。…すぐに護衛を向かわせる、いいな」

 

「…うん、わかった」

 

(護衛…?…くそっ、原作通りセニョールが工場に来ることになるのか!)

 

余計なことをしたか、と内心舌打ちした。この場合、私が動いたからセニョールが工場に来ることになるのか。だってドフラミンゴは家族たちに、海楼石だから守る必要はないと断言していたのだから。…いや、違う。私が動かなくても、きっとセニョールは工場に来た。だって、それが原作の流れなんだから。

 

「…ピーカ」

 

「なんだ?」

 

「……、」

 

すぐに戻ろうとするピーカに、何て声をかければいいのか分からなかった。気をつけて?無理しないで?…ここにいて?そんなの、どれもが無駄なだけ。もう、結末は見えているのだから。

 

「ありがとう、ピーカ」

 

「ーーああ。気をつけろよ、ルシー」

 

ついでに、と工場周りを均して、ピーカは消えてしまった。遠く、王宮でピーカの巨大な石像が姿を現わす。最高幹部の中で、彼はとびっきり私に優しかった。熱を出した私を背負って走ってくれた、あの広い背中は今でも忘れない。

 

(さよなら、ピーカ…)

 

滲んできた涙を拭って、私は工場の鍵を開けた。

 

「こ、これは…ドゥルシネーア様!?なぜここに…!?」

 

「工場長を呼んで。…非常事態です、ここは避難所として解放されることになりました。あなたたちもトンタッタも、全員、国民の受け入れを始めて!」

 

「えっ、は、はいっ!」

 

悔やんでいる暇も惜しむ時間もない。さあ、私にできることをしよう。



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101.猶予なんて残されていない

 

 

 

渋る工場長を説き伏せるのにドフラミンゴの名前を使って、なんとか扉を全開にさせることに成功した。中ではトンタッタを逃すまいと工場長と下っ端が慌ただしく何かしている。トンタッタを助けてあげたい気持ちは山々だけど、今は死ぬかどうかの境にいる街の人々の避難の方が優先だと割り切った。予定通りなら、もうすぐレオが仲間をこっちに寄越す手はずになっているし。

 

「早く工場の中へ!まだ入れます、早く中に逃げてください!」

 

私も兵や下っ端と一緒に声を張り上げて、街の人たちを中に誘導した。けれど今ひとつ効果がない。避難誘導の声を聞こうとしないというよりは、避難しようとするけど私の姿を見て足が止まっているような状態だった。

 

(もしかしたら私や下っ端は立ち退いて、兵だけに任せるべきなのかも…)

 

そりゃそうか。ドフラミンゴの妹、部下というのは誰がどう考えたって敵だし、怪しい。

 

(それに、この熱気……下手すると私と下っ端に向けて暴動が起きるかも)

 

どのみち皆殺しにするくせに、ドフラミンゴがパフォーマンスにと懸賞金をかけたせいで、国民も海賊も海兵も、誰もかれもが殺意と憎悪で熱狂している。金に目を眩ませる者、仕方がないと苦悶に顔を歪ませる者、ドフラミンゴに立ち向かおうとする者もいる。けれど国を包むように渦を巻くこの熱は、紛れもない激情に満ちていた。ただの善良な一般人に武器を取らせるほどの、狂った激情に。

 

(やっぱり、想像してたのと全然違う…)

 

知識と経験は違うと理解していたはずなのに、それでも体が竦む。逃げ出したい。逃げて隠れて、全てが終わるのをただ待つという手もあった。それをしなかったのは、私の弱さのせいだ。もう後悔するのが嫌だったから、怖かったからーー自分が動いたことで1人でも救えたら、なんて驕っていたのだ。

 

「……逃げろだって!?」

 

憎しみのこもった声がぶつけられて、体が硬直した。反射的に見た先で、血にまみれ、微かにも動かない女性を抱いた男性が、涙に濡れ憎しみで充血した目で私を睨んでいた。

 

「この国を…おれたちをこんな目に合わせておいて!よくもそんなことを!!!」

 

「っ、ドゥルシネーア様!」

 

がきん、と金属同士が叩きつけられる音が響いた。その音があまりに間近だったものだから、肩が跳ねるほど驚いてしまった。私に怒鳴ってきた男性とは別の人が、背後から殺意を持って私を殴りつけようとしていた。それを剣で受け止めているのは王宮で私が見たことのない兵士だった。

 

「あんた…リク王軍の兵じゃないか!あんたたちだってこいつらに酷い目に合わされたんだろ!?」

 

「なんでそいつを庇うんだ!」

 

「くたばれ!」

 

「おれたちの10年間の苦しみを味あわせてやれ!」

 

周囲の人々から、おそらく人形にされていたであろう人たちからも、そう叫ばれた。

 

(分かってた…けど、やっぱり怖い…っ!)

 

昔の記憶と重なる。ぐるぐると視界が回りそうだ。もうしにたいよ、と泣いた幼いロシナンテの声が耳に蘇る。ここにはもう私を助けようとしてくれたロシナンテも、無力なりにも私たちを庇おうとした父親すらもいない。ーードフラミンゴが殺してしまった。

 

「私はっ!この10年、ドフラミンゴに人形にされ、地下で働かされていたっ!!!」

 

ふっ、と空気の流れが変わった。ガチャガチャと鎧や武器を鳴らしながら、何人かの兵や一般人、カタギではなさそうな人までもが私に背を向けた。まるで、私を捕らえようとする民衆たちの動きを阻むような格好で。

 

「だが!!!それはドンキホーテ海賊団の総意だったのか!?この国から!ドフラミンゴからも逃げ出そうとしていた彼女は!本当に私たちの仇なのか!!?」

 

「ーーー」

 

息を飲んだ。この期に及んでまだ私のことをそんな風に言う人がいるなんて、想像すらしていなかった。あなたの国民でしょう?この民衆の中にはあなたの家族もいるかもしれないんでしょう?あなたの大切な人が殺されたかもしれない。あなたの家族、部下、知人、友人もドフラミンゴ海賊団に酷い目に合わされたのかもしれないのに。あなたも死にたくても死ねない永遠のような絶望に苛まれていたはずなのに。

 

(ーーなんで私なんかを庇ってるの?)

 

「つべこべ言わずにさっさと中に行け!!!」

 

「あんたならドフラミンゴを止められるかもしれねェんだろ!?さっさと行って兄貴止めてこい!!!」

 

なかばヤケになったような声で私の背を押したのは、やはり見たことのない兵だった。なんで、どうして、そんな疑問ばかりが頭の中をぐるぐると渦巻く。私の家族でもないのに、どうして私を守るの。

 

「ま、待てっ!」

 

「お前ら、その武器を向ける相手をちゃんと自分の頭で考えて出直せっ!!!」

 

「だいたいこんななまっちろい女に何ができるってんだ!!!」

 

その通りだ。私に何かできるかもと思っていた時点で、私は自分を過大評価していたんだ。戦いも覇気も、色んな才能がないと家族たちからも散々酷評されてたじゃないか。他人の方がよっぽど正確に私を理解してくれている。そんな彼らが、私ならドフラミンゴを止められるかもしれないと言ってくれた。

 

「ーーありがとう」

 

敵意を持つ人々を丸ごと工場に押し込むことは彼らに任せて、私は真正面からやってきたフランキーへの対応に走った。ビームで工場を壊そうとする彼に、両手を広げてやめるようアピールする。真正面の強烈な光が大きくなるのを見て、逃げ出したいと体が震えたけれど、なんとかフランキーには私の姿を視認してもらえたのか光が収束するのを確認できた。

 

(ナウシカってすごいな…!)

 

よくもまあ、撃たれることを覚悟して両手を広げて待ち受けたものだ。さすがは姫ねえさま、恐るべし。

 

「アンタ確か…ドフラミンゴの妹か!!!」

 

「ええ。この工場は国民の避難場所になりました。だから壊すのはやめてください。…セニョール!あなたも手を出さないで!」

 

「何っ!?敵か!!!」

 

気付かれないうちに倒そうとフランキーの背後に泳いで近寄るセニョールにも声をかけた。フランキーが反応したことで奇襲に失敗したセニョールが、ざばりと地面から飛び出てきた。

 

「チュパ!!…ルシー、これは一体どういうことだ。ここで一体何をしている!」

 

「国民を避難させてるの。兄上はこのまま国民全員を殺しきるつもりだって、あなたなら分かるでしょ?」

 

「……若を裏切るつもりか」

 

きっと、セニョールも葛藤しているはずだ。本当は優しい人だもの。だけどセニョールはドフラミンゴの意図を理解した上で、それを是としている。このまま国民たちを見殺しにするつもりだ。13年前に鳥カゴの中の人々を残らず皆殺しにしたのと同じように。悔しかった。悲しかった。家族と言いながらも私はセニョールに何もしてあげられない。

 

(…海賊なんてやめて、本当に銀行員にでもなってたらよかったね)

 

フランキーに海楼石を渡して、痛めつけることなく早々にセニョールを拘束してもらおう、と思って手をポケットに伸ばしかけて、やめた。きっとフランキーはそんな卑怯な手を使おうとしないだろう。それができるなら原作で工場の壁にセニョールを押し付けて、すぐに勝てただろうから。それをしなかったということは、彼らは正面から戦い合うことを望んでいるんだ。私が手や口を挟めるような戦いじゃない。

 

「フランキーさん。セニョールと戦うんですよね」

 

「あ、ああ。こいつが工場を守るってんならな」

 

「分かりました。…セニョール、中に避難した人たちを殺すというなら、フランキーさんとの決着をつけてからにして。フランキーさんも、鳥カゴがなくなるまで工場の外側は壊さないで。それぐらいはいいでしょう?」

 

「ああ、もちろんだ」

 

「…いいだろう。だがルシー、お前はどうする気だ。この中に避難する気はないようだが」

 

「…私には、まだやることがあるわ」

 

この国の人たちに、ドフラミンゴを止めてこいと言われてしまった。ドフラミンゴにとって、私にはまだ利用価値がある。殺されることは、ない。何より、私が工場の中に避難したところで、避難した人々に嬲り殺されるのがオチだ。セニョールもそれが分かっているからだろう、苦々しい顔をした。

 

「えっ、あの、ドゥルシネーア様!ならせめてここで一緒にいましょう!」

 

「きっとセニョールが守ってくれるわ!」

 

「よせ。女の覚悟を邪魔するんじゃねェ」

 

周りの女の人たちが善意で私を引き止めようとするのを、セニョールは止めた。そんなセニョールの一挙一動にくらくらと見惚れる彼女たちには悪いけれど、私は長く思っていたことをセニョールに告げた。

 

「…私は女の人たちに囲まれているあなたより、船の隅で写真を眺めていたあなたの方が好きだったよ、セニョール」

 

「……そうか」

 

「フランキーさん、後をお願いします!」

 

「ーー任せろ!」

 

はるか遠く、2段目で戦う大きな体を見つけて、私は走った。ハイルディンが一度倒れて、その後起き上がったらそのままバイスが鳥カゴに叩きつけられる。その前に、早くハイルディンに会わないと。

 

「"凪"!」

 

この先、激しい戦いの最中に飛び込むことになる。けれどその前に憎悪に呑まれた人々の合間を縫って走ることになる。

 

(生きてたどり着けるかな)

 

ギャッツが持っている国全体に響き渡る電伝虫を借り受けて、避難のアナウンスができれば上々。途中で大将藤虎や海軍に会えて避難誘導を頼めたらまだマシ。それらができなければ…原作通りになるだけ。

 

「(私が守るんだ…!)」

 

あんなに重かった体が、今はこんなにも軽い。

 



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102.頼りたい人はもういない

 

能力の恩恵なのか体の軽さと息切れのし辛さがあるものの、何度か休憩を挟むだけで王宮前まで来ることができた。けれどそこで動く気配のない人だかりを見つけて、なぜさっさと逃げないのかと焦燥感が滲んだ。だがその理由はすぐに理解できた。銃を手に何かを見守る海兵の姿と、その奥で燃え上がる炎や轟音が聞こえたからだ。

 

「(あんたたち、何してんですか!)」

 

大将藤虎とサボの戦いってこんなに長く続いてたの?早く一般人の避難誘導をしないと、後ろから次々押し寄せてきているっていうのに。そう思って張り上げた声が、自分の能力に遮られて届かなかった。自分に凪かけていたのを忘れてた、と頭を抱えた。まさか能力と一緒にロシナンテのドジまで引き継いでしまったとかないよね?我ながら情けない。能力を解除して、人の波を押しのけて海兵の所まで向かった。

 

「あの、海兵さん!早く国民の避難をさせてください!」

 

「あ、ああ…だがあの戦いが終わらないことには…!」

 

「くそっ、やはりおれたちもイッショウさんの手助けを…!」

 

「よせ!下手に手を出すとかえって危険だ!」

 

海兵たちも思うところがあるのか、手出しも口出しもできずにたたらを踏んでいる。なんて無駄な時間を!

 

(っ…バイスが戦ってる!)

 

予定ではハイルディンの指にでも海楼石のアンクレットを結びつけて、できる限りお互いに軽傷のままバイスを倒してもらおうと思っていた。鳥カゴの押さえ込みには負傷していないハイルディンの力が必要だと思ったからだ。だというのに、このペースじゃ戦いに間に合わなくなる。

 

(だいたいあんたたち、海軍と革命軍でしょ!?どっちも一般市民を守るって目的のくせに、なんでこんな所でぐだぐだと戦ってんのよ!)

 

何が賞金首だ、何が理想だ。そんなもん、人の命の代わりになんてなりはしないのに。

 

(あの人たちはどこ向いて戦ってんだ!)

 

「"サイレント"!」

 

周囲の音を断絶させて、サボと大将藤虎だけを私のサイレントの中に取り込んだ。サイレントを自分の部屋以上の大きさに広げられたことに安心する心の余裕もなく、私は大きく息を吸い飲んだ。突然静かになった空間に警戒を強めた2人に向けて。

 

「七武海撤廃とか打倒天竜人とか敵とか味方とか!そんなの!今は!どうでも!いい!!!周り見ろ!さっさと一般人の避難誘導してこい!!!こんな時まで戦うとか…!あんたたちバカじゃないの!!?」

 

激しい怒りのままに流れる涙を拭う時間すら惜しくて、そう怒鳴りつけた。

 

「「………」」

 

ぴたり、と動きの止まったサボの視線と、大将藤虎の意識が向けられた。ああ、よかった、止まってくれた。殺されはしないだろうと思いつつ、それでもやっぱり戦いの横入りなんてするもんじゃないな。怖いし。特にメラメラと燃えるサボの腕が。ーー炎は、苦手だから。火あぶり、という単語が頭をちらつくのを無理して引き剥がして、大きな声でもう一度だけ声をかけた。

 

「返事は!!?」

 

「…ああ、その通りだな」

 

「…この場は王女に免じて引きやしょう」

 

このギャンブル好きめ、私が王女って分かってたんかい。へえ、王女か、とサボから検分するような目が向けられた。

 

「…海楼石でできた工場とコロシアムは、ドフラミンゴの鳥カゴの影響を受けないでしょう。兵と下っ端たちに避難誘導を任せています。ぜひ海兵の力も貸していただきたい。それから…地下の港にもまだ逃げ遅れた人がいるかもしれない。ジョーカーの各国への武器密輸の記録や人造悪魔の実、カイドウとの癒着などの証拠もあるはず。あと黒ひげの所のバージェスがメラメラの能力を狩り、バルティゴに乗り込むため船に革命軍の船に密航を………ああもう!!!とりあえず地下と地上はあんたたちでなんとかしといてください!!!」

 

伝えたいことは山ほどあるのに、時間も私自身の心の余裕もないのが悔やまれる。前もってサボや大将藤虎と会えると分かっていたら、長々とネタバレの手紙でも書いておいたというのに。頭を掻きむしる私にサイレントの範囲外の海兵たちもドン引きしていた。

 

(おい、そんな目で見てんじゃねえよ!さっさと避難誘導してこい!)

 

サイレントを解除して、いたたまれない空間から逃げるように王宮へと向かおうとした。私は忘れていたのだ。ここには、私の正体を知っている一般人もいたことを。

 

「うわっ!?あっ、おい!やめろ!」

 

海兵の驚き諌める焦った声と、ガチャ、と微かな金属音に危険な空気を感じて振り返ったのが良くなかった。さっさと逃げてしまえば良かった。そしたら、こんな目をこんなにも近くから見つめることはなかったかもしれないのに。

 

「あんたが…あんたたちのせいで、この国はめちゃくちゃよ!!!」

 

「よせ!やめろ!!!」

 

「おやめんさいっ!!!」

 

遠くでサボと大将藤虎が声を張り上げていた。手を伸ばせば触れられるような距離だ。その至近距離で、真正面から罵倒された。憎しみのこもった目をした彼女は、本当なら穏やかな目の優しい女性だったんだろう。片腕で我が子の遺体を胸に抱き、片手で海兵から奪ったらしい拳銃の銃口を私に向けていた。ドン、と銃口が火を吹く。ーー痛みはない。だけど、想像していた以上に、人から撃ち殺されるというのは…ショックだった。

 

(…まだ、やることがあるのに……)

 

目を閉じて、自分の体が傾ぐ時を待った。けれど、一向にその時は訪れなかった。何かおかしい、そう思って目を開けると、目を丸くして私を見つめる人々がいた。

 

「……え………なんで、私…ちゃんと撃ったのに…」

 

呆然と手の中で煙を立ち上らせる拳銃を見て、彼女は言った。彼女や、周囲の人々の驚愕の眼差しが、私の胸に向けられている。慣れないとはいえ至近距離での銃撃は、見事に私の胸の中央やや左を捉えていた。そう、今は空洞の心臓を。

 

「……あ…ああ……いやああぁっ!!!化け物っ!!!」

 

つんざくような叫び声を、私はただ受けた。頭を狙わなかったのはなぜだ。私はまだ死ねないというのか。怯えた彼女が投げ出した銃を拾い上げ、昔グラディウスから習った通りに残弾数を確かめて私は頭を下げた。

 

「…ごめんなさい、私はまだ……死ねないの」

 

ドフラミンゴを説得する、もしくは海楼石を直に当てて隙を作るか……飲み込ませる。それがこの国に私ができる、唯一の贖いだろう。心臓を撃たれても血の一滴も出ない体を、彼らはどう思っただろうか。彼女が叫んだように化け物と見られたんだろうか。だけど、私は私自身をこう思った。

 

(私…本当に、人形みたいだ)

 

されるがままに飾られ生きてきて、壊される時はあっという間。撃たれた時、心臓をローに渡したことを一瞬忘れた。そして自分の胸の銃撃の痕を見て、妙に納得していた。血が出ないのも、痛みを感じないのも、温感や触覚、空腹感すらないことも、全ては私が人形だからなんだと。だからこの人生が、こんなにも現実味がなかったんだと思った。まるで無機物のように生きてきた人生だったとすら、あの一瞬で思った。…いや、現実味がなかったのは前からか。だけど死にたくないと必死に足掻くことをやめたのは、いつだっただろう。

 

「…本当に、ごめんなさい」

 

「あっ、オイ!待て!」

 

誰かが引き止める声を無視して、再び王宮へと走った。胸が痛い。心が苦しい。まるで見えない炎に炙られているようだ。

 

「っ…ごめんなさい…!!!」

 

バイスとセニョールの倒れる姿が目に浮かぶ。ああ、ピーカが斬って捨てられる。デリンジャー、大丈夫かな。ラオG、ベビー5に酷いこと言わないでよね。ジョーラは今頃マンシェリーの方へと向かっているのかな。今はそれよりも、早くグラディウスの所に行かないと。グラディウスの能力も早く無効化しないと。忠誠心、能力、タフさ…気絶させられたとしても、あの子が家族の中で一番危険なんだから。海楼石のカケラが入ったポケットを強く意識する。これから私がしようとしていることは、とても酷いことだ。能力者となって海楼石を身につけさせられた今の私だからこそ分かる辛さを、私はあえて大切な家族に味あわせようとしている。

 

(「自分がされて嫌なことは人にしちゃいけませんよ」なんて、この世界で私に言った人は誰もいなかったな)

 

親も親だし、周りも周りだったから。私がこれからしようとしていることを、ロシナンテが知ったらどう言っただろう。裏切り者とバレたロシナンテに殴る蹴るの暴行を加えたグラディウスたちに、ぜひ復讐してやれと言っただろうか。

 

(そんなわけ、ない)

 

優しいロシナンテが、いくら敵にとはいえそんなこと言うはずがない。そもそも私にそんなことさせまいと止めたに違いない。もしくは私の頑固さに根負けして「ほどほどにな」と呆れた顔で言うだけだろう。

 

(…ロシーに会いたい)

 

ねえ、大切な家族に酷いことをしようと企む私を、止めに来てよ。半ば賭けだったけれど、ピーカは原作でヴィオラさんが使っていた緊急通路を潰してはいなかったようだ。どれだけの段数があるか分からない、気の遠くなるような階段を見上げて、くらりとする目眩を無視して覚悟を決めた。これを駆け上がって、家族の所へ着く頃には…もう、とっくに戦いは終わっているだろうけど。それでも私は彼らの所へ行きたいのだ。

 

「あっ!ドゥルシネーア王女!」

 

「待ってたれすよ!」

 

ピョコピョコと飛び跳ねて声をかけてきたトンタッタの子たちが駆け寄ってきた。

 

「はぁ……はっ……、な…なんでここに!?」

 

「ヴィオラ王女に言われて来たんれす!」

 

「イエローカブも準備万端れす!」

 

「ヴィオラさんが…」

 

さすが、原作では先を見通しているようだと言われていただけある。彼女たちとの計画では私がするのは市民の避難誘導だけだったけど、その上こうやって手助けをしてくれるということは、いつの間にか私の心を読んでいたということなんだろう。それでも知らないふりをして、こうやって準備してくれていたなんて。

 

(ヴィオラさんってば…こんなのされると惚れちゃうじゃない!)

 

イエローカブの紐を貰って、手に何重にも巻きつけた。確か思いっきりジャンプするんだったか。イエローカブたちが空へ飛ぼうと浮かんだのを確認して、内壁に沿って取り付けられた階段めがけて思いっきりジャンプした。想像以上にふわりと体が浮く。すごい、これならあっという間に王宮の下部までは行けそうだ。

 

(そこから先は原作のロビンさんみたいに外壁に沿いながら、イエローカブでジャンプすれば……いける!)

 

土埃や銃痕で薄汚れたワンピースの裾が揺れる。どうやったって結局私はドフラミンゴに抗ってしまう。彼が私に望む綺麗な人形のままでは、私は生きていけないのだ。



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103.守ってくれる人を手放した

 

 

 

トンタッタが持つ灯りを頼りに暗い頂上付近まで近付いた時、あっと私の肩の上で3人が声を上げた。

 

「で、出口がないれす!」

 

「しまった…!」

 

この緊急通路が残っていたということはピーカが知らなかったからだと思っていたけれど、単にあらゆる出口を塞げば怪しい場所を消す必要がないと判断したからだったかもしれない。エレベーターも含めてピーカがあらゆる昇降手段を断とうとしたことがうかがえる。かといってここでまた降りるような余裕はない。

 

「えっと、ぼくたちどうしたら…」

 

「……壁を叩いて音を聞くの。空洞があれば、そこが外に繋がってる可能性が高い。ねえ、あなたたちの尻尾で壁を破壊できないかな?」

 

「分からないれす。けど、やってみるれす!」

 

「任せてくらさい!」

 

「調べるれすよ!」

 

トンタッタの3人は私の目では捕らえられないような速さであちこちをバンバンガンガンゴンゴン叩きまくり、すぐに壁の薄そうな場所を見つけ出した。

 

「ここれすね…離れてくらさい!いくれすよっ、えーいっ!!!」

 

なんとも可愛らしい掛け声の後に、まるでグラディウスが爆発させたような破壊が行われた。目を疑うような光景を見て、この後のこともこの子たちに任せておいた方が良くない?なんて考えがよぎったけれど、そんなわけにはいかないと大穴に向かってジャンプした。これは彼らの家族である私がケジメをつけないと、意味がないことなんだから。

 

「……よし、行こう」

 

「はいれす!」

 

見事に外に通じたらしく、戦いの残骸があちこちに散らばる場所に出ることができた。けれど主要キャラがいないから、今がどの時間軸か分からない。とりあえずはバイスと戦うハイルディンに海楼石のアンクレットを装備させることと、グラディウスを海楼石で無効化することが目的だ。

 

(特にグラディウスが厄介だしなぁ)

 

原作では、バルトロメオの一撃でラストまで退場扱いになってた。だけど本当にそんなことが可能なのか。あのドンキホーテ海賊団の幹部が長々と眠り続ける?能力を使ったとはいえたった毒にやられた人のひと殴りで?原作では下っ端が担架に乗せて連れて行くシーンで終了してたけど、あの後彼がどうなったか分からないし。

 

(大丈夫だとは思うけど、万が一があると困るもの)

 

イエローカブに任せきりになるけど、と緊急通路に引き続いてジャンプしながら台地を見て回ることにした。悪い足場も軽々と飛び越えられるし、何より私が走るより断然早いから。

 

「あっあそこ!大きいれす!巨大人間れすよ!」

 

「巨人族っていうんだよ。でも…遅かったか」

 

バイスを倒してからしばらく経っているようだ。当然、空を見上げたけれど、バイスの姿なんてなかった。ピーカは、と視線を動かすと、3段目の台地にピーカの顔があった。あっまずい、見つかる。とっさに突き出た岩の柱に隠れた。

 

(ここ…2段目か。でもベビちゃんたちはいないのか)

 

もしかしたら裏側にでもいるんだろうか。仕方がない、と上の台地に上がることを決めた。でもその前にトンタッタの1人に頼んだ。

 

「…マンシェリーちゃんは礼拝堂の裏のお仕置き部屋にいるはず。レオくんが助けに行ってるわ。マンシェリーちゃんを救えたら、誰にでもいいから献ポポを頼んで、チユポポの綿毛でそこの巨人族を優先で治してちょうだい」

 

「えっ、いいんれすか!?あの巨大人間が起きても怖くないれすか?」

 

「優しい人だから大丈夫。それにこの先巨人族の彼の力が必要になるの。お願い!」

 

「わわっ、分かったれす!行ってくるれす!」

 

「ごめんね、あなたたちもマンシェリーちゃんの所に行きたいだろうけど…まだ私の手伝いをしてちょうだい」

 

「大丈夫れす!ヴィオラ様にお願いされたんれすから!」

 

「ぼくたちがちゃんと守るれすよ!」

 

「ありがとう…!"凪"」

 

トンタッタ3人と自分に能力をかけて、私とトンタッタ2人とで上に向かった。ピーカが棘のように石の柱を作ってくれているから登りやすい。ピーカの顔から離れるようにして無音のまま上がって行くと、ちょうど倒れているグラディウスの姿が視界に入った。遠くで動いているのは…担架にデリンジャーを乗せた下っ端たちだ。ジョーラの所へ連れて行く気なんだろう。

 

(……デリンジャー…)

 

下っ端からデリンジャーを受け取り、助けようと一瞬思った。だけどその後デリンジャーをどうしたらいいのか、私には思いつけなかった。デリンジャーは能力者ではない。私には、彼を制御することは…できない。どうしたら、と悩む私を待ってなどくれない。あっという間にデリンジャーの姿は消えてしまった。

 

「(…デリンジャーのお母さんに謝らなきゃだなぁ)」

 

彼女に約束した通り、家族みんなで大切に育てた。いつも笑っていられる子になったし、他人に食われる側ではなく、他人を食いつぶせるほど強い子にもなった。約束は果たした。だけどこの後海軍に捕まるデリンジャーを守ることは、私にはできない。身を引き裂かれるような苦しさのまま諦めの息を吐いて、能力を解除した。

 

「…グラディウス」

 

「………」

 

少し離れた場所で、バルトロメオが息を飲んで上を見上げている。今まさにロビンさんがキャベンディッシュと花畑に到着する頃なんだろうな。バルトロメオに邪魔される前にと、私はグラディウスの頭を膝に乗せた。

 

「……ごめん…ごめんね、グラディウス…。私のことは、一生恨んでいいから」

 

長年一緒にいる私でさえあまり見たことのない口元を晒した。そして覚悟を決めて、海楼石のカケラを指で摘み上げた。指先で触れた途端に吸い取られるように力が抜けてしまう禍々しいカケラだ。体内に入るとどうなるか、想像もつかない。

 

(ごめんね)

 

私はいつも、この子に謝ってばかりだなぁ。

 

「……っ、んぐ…っ!!?」

 

眠っている人間に何かを飲ませようなんて、それだけで殺人行為だ。そう分かっていながら、私は海楼石のカケラを飲み込ませた。無意識のまま異物を吐き出そうとするグラディウスの口を押さえつけ、頭を抱き込んで身動きを封じた。海楼石で脱力したグラディウスなんて、小さい頃のデリンジャーよりも容易く押さえつけられた。やがてごくりと飲み込んで、呼吸の様子が正常に戻るまで、ずっとそうしていた。

 

「は……っ、は……」

 

(やった…やってしまった…)

 

恐ろしいことをしてしまった、と今さら体が震える。それでも、グラディウスを封じ込めるにはこれしかできなかった。布で体に海楼石を縛り付けたりする程度じゃ、グラディウスは何とでもしただろうから。

 

「グラディウス…」

 

右のこめかみに残る傷跡を、指でなぞった。私の不注意で残してしまった傷跡を、どうしてグラディウスはマンシェリーの力で治そうとしなかったんだろう。あの時にはすでにマンシェリーを手元に捕らえていたのに。ドフラミンゴが大切な家族の傷を放っておくわけがないのに。それにーー。

 

(結局最後まであんまり仲良くできなかったね…)

 

怒っていないグラディウスは、と思い出すのは、何年も前に1度だけ2人きりで手を繋いで地下まで行ったあの時ぐらいだ。照れて耳を赤くしていたのが珍しくて、可愛かった。訓練の時だって日常でだって、いつも私に怒鳴るようにして怒っていたし、彼が敬愛するドフラミンゴに私は何度も歯向かったりしていたから仕方ないんだろうけど。でも、グラディウスはきっと私のことが心底嫌いじゃなかったんだろう。私が強姦未遂にあった時も助けに来てくれて、逃げた敵へと凄まじい剣幕で罵声を吐いていたぐらいだし。もしかしたらドフラミンゴの次ぐらいに好かれてたのかなぁ、なんて…まあ、そこまで思い上がりはしないけど。

 

「昔も言ったけどさ…私は君が好きだよ、グラディウス」

 

能力者に海楼石を飲ませるなんて酷いことをした私には、そんなことを言う資格なんてもうないんだろう。そもそも気を失っているグラディウスには聞こえていないだろうし。だけど、そう伝えずにはいられなかった。だってグラディウスと会うのはこれが最後になる。グラディウスの口元を再び隠して、最後にもう一度だけこめかみの傷に触れた。

 

「さようなら。…どうか、元気で」

 

「あっ、あの、ドゥルシネーア様!幹部たちを集めるようジョーラ様に言われてて…」

 

担架を持った下っ端たちが、恐縮したような態度で私に声をかけてきた。さっきデリンジャーを運んでいた下っ端とは違う人たちだ。

 

「ーー分かった。丁重に運んで」

 

「はい!」

 

「あ、待って」

 

担架にグラディウスを乗せて運ぼうとする下っ端たちを止めて、脱力してだらりと垂れたグラディウスの腕を腹の上に乗せた。

 

(…さようなら、グラディウス)

 

「あっ!何だべお前ら!!」

 

あ、バルトロメオだ。グラディウスを運ぶ下っ端たちがしどろもどろと話している。焦れたようにさっさと行けと怒鳴った彼に近付いた。ちょうどいいタイミングでここにいてくれたものだ。

 

「バルトロメオさん」

 

「うおっ!?」

 

横から声をかけたら私の気配に気付かなかったのか、バルトロメオに飛び上がって驚かれた。あれ、私能力解いてたよね?ああ、敵を倒してバルトロメオの緊張が緩みすぎただけか…。

 

「な、なんだべ!!?」

 

「ピーカとの戦いで、ゾロさんはあなたの力を必要とします。どうか下に行って、バリアで住宅街に瓦礫が降り落ちないようサポートしてください!」

 

「ええっ!?ゾロ先輩がおれに、た、た、頼みを!!?」

 

(いや、そこまで言ってない)

 

だけど勘違いしてやる気を出してくれるなら儲けもの。涙目で頬を紅潮させるバルトロメオに、にっこりと笑ってやった。

 

「それがゆくゆくは"ルフィくんのため"に繋がるでしょうね」

 

嘘は言ってないぞ。だって最後には街の人たちがルフィたちを大将藤虎から庇ってくれるんだから。

 

「うおおお!!!」

 

雄叫びを上げて余所見もせず下へと駆け下りる姿に安堵した。大将藤虎が能力で瓦礫が落ちないようにするとはいえ、やっぱり街の人たちが心配だったから。これで街の人たちに関しては…いや、やっぱりギャッツの持つ電伝虫での避難誘導もすべきだ。原作の風景を思い浮かべる。コロシアムを出たギャッツは、どの高台に行ったんだ?そこが分かれば、ドフラミンゴがルフィに殴り飛ばされて落ちる場所もある程度特定できるはず。

 

「2人とも!コロシアムのギャッツさん、分かる?コロシアムから台地のどこかに向かってるはずなの。あの人が今どこにいるか探して!」

 

「はいれす!じゃあ私はあっちから探すれす!」

 

「じゃあぼくはあっちを!」

 

「お願い!」

 

2人が左右から走ってぐるりと周囲を確認しに行ってくれた。この土埃に加えて慌ただしく動く人々がいるし、ただでさえ私の視力じゃ人の鑑別なんて無理だ。絵だから動かず、そしてクリアに描かれているウォーリーを探せの方がどれだけ楽か。

 

「ドゥルシネーア様ーっ!こっちれすー!」

 

「いた!?」

 

「はい!ほら、あれじゃないれすか?」

 

小さい指で示された場所を目で追うも、やっぱり見えない。けれどそっちにいるのなら、とイエローカブに繋がる紐をしっかり手に巻きつけ直した。

 

「行くよ!"凪"!」

 

ジャンプして飛び降りる時に、ピーカの顔がぼこりと引っ込んだのが見えた。おそらく、4段目、2段目と負傷者たちを始末しに行ったのだろう。3段目を飛ばしたのはまだグラディウスを運ぶ下っ端がいるからか。

 

(ハイルディンさんの復活、間に合ったかな)

 

イエローカブでゆっくりと降下しながら見上げると、ピーカの力でハイルディンの巨体が飛び上がるのが見えた。

 

「(なるようにしか…ならないのか)」

 

助手の女性と一緒に、息を切らしながら上へ上へと登るギャッツの姿がようやく見えてきた。

 



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104.行き着く場所はここしかない

ギャッツと助手の女性、2人の姿は少し向こう側で、私がこのまま真下に降りれば通り過ぎてしまいそうだ。方向を修正しないと、と突き出た石の柱に一度降りた。その時だ。向こう側でボコボコと巨大な石の彫刻が出現した。

 

(ピーカ…)

 

ピーカがまっすぐに向かっているのはリク王の所なんだろう。

 

「"キラーボウリング"!!!!」

 

私よりほんの少し上の場所で、気合の入った声が飛んできた。そして弾丸のように何か黒い塊が、ピーカめがけて一直線に吹き飛んでいったのが辛うじて見えた。ゾロがピーカの元へと行ったんだ。瞬きほどの間に、ピーカの体が横に、縦にと分断される。やがて腕がいくつかに輪切りにされてーー。

 

「"キィーーーングパァーーーンチ"!!!」

 

落ちる残骸を、ゾロが投げられたのと同じ場所からの衝撃波が吹き飛ばした。私がいる場所にまで伝わる力に気を抜けば吹き飛ばされてしまいそうだ。石の柱にしっかりくっついて、その衝撃を逃した。

 

「(……っ、ごめんなさい…)」

 

きっとヴィオラさんやリク王は無事だろう。もしかしたら、今こうやって泣きそうな私のことも見えているかもしれない。ヴィオラさんの安全を喜ぶよりも先に、ピーカのことを思った私を、どうか許してほしい。彼もまた、私の大切な家族だったのだから。

 

(っ、だめだめ!今は早くギャッツさんの所へ行かないと!)

 

これ以上向こうに走って行かれると修正しきれなくなる、そう思って足に力を入れた。その時だ。

 

「(ひっ!!?)」

 

バリバリッ、と凄まじい圧が空から降ってきた。肩から転がり落ちそうになるトンタッタの2人をとっさに受け止めて、腕の中に抱き込んだ。

 

(これ……これが、ルフィとドフラミンゴの覇気の衝突!?)

 

間近にいるローの体が飛ばされるほどの物とは知っていたけれど、まさかここまでとは。ぐらぐらと揺れる頭に喝を入れる。ここで気絶なんてしたくない。歯をくいしばっていると、ふっ、と圧が途切れた。

 

「(2人とも無事!?)」

 

トンタッタの2人は、と腕の中を見ると、呆然とした顔で空を見上げていた。目に涙を浮かべてさえいる。

 

「(ーー…)」

 

「(ーーーーーーーーーーーーー…!)」

 

彼らにかけた能力のせいで何を言っているか分からないけれど、とにかく覇気の衝突では無事なようだった。王宮からもうもうと上がり始めた土煙を見て、ドフラミンゴとルフィの戦いが激化したことを察した。このままじゃこの辺りも危ない。ドフラミンゴがルフィに叩きつけられるし、ドフラミンゴが台地にダメージを加えるのだから。だいたいドフラミンゴのせい。

 

(ってことはここ登ってるギャッツさんたちもじゃんか!)

 

そりゃいかん、とランダムに生える石の柱を蹴って上下移動を繰り返しつつ、なんとかギャッツの所までたどり着いた。能力を解除して、突然現れた私に腰を抜かす2人に詰め寄った。

 

「ここはもうすぐドフラミンゴに潰されます!早く下へ…!」

 

「し、下!?いや、しかしここが鳥カゴの中心で…」

 

「いいから引き返して!…もうすぐルフィくんが地面に落ちてきます。だから、彼をーーっ!!?」

 

どおん、と間近に衝撃が走った。地震か発破か、と思うような衝撃に、足がずるりと滑った。いや、足場が崩されていた。イエローカブたちが一斉に空に向かって飛んだおかげで、なんとか私の落下は免れたけれど。

 

(しまった、ギャッツさんたちが!)

 

「ぎゃーっ!!!」

 

「きゃああぁっ!!!」

 

台地をまるで滑り台のように滑り落ちていく2人の姿が視界に入った。落ちる先を見ても障害はないし、あの分なら無事に地面にたどり着けるだろう。だけど、まだ私は避難誘導を頼めていない。

 

「待っ…」

 

「ドゥルシネーア様、あそこ!」

 

トンタッタの小さい指がある一点を示す。台地に叩きつけられ、ドフラミンゴが、そこにいた。感覚はないのに、背中がひやっとした。やばい。見つかったらどんな目に合うか!

 

「あ、明日に向かって退却!下に行くよ!"凪"!」

 

「えっ、何れ(ーー?)」

 

「なんだかカッコイイ(ーーー!)」

 

きゃあきゃあと楽しげなトンタッタの声が途切れた。このまま真下のギャッツさんの所まで行くのはめちゃくちゃヤバい。あの2人と違って兜を被ってない私は、これから落ちてくる数多の瓦礫で頭を打って気絶する可能性が高すぎるからだ。安全第一なヘルメットが欲しい!急いで台地を蹴って街へと向かった。その背後で、ドフラミンゴが台地を砕く音が聞こえた。怖い怖い怖い!!!瓦礫に紛れながら、ぶつかってきそうな瓦礫はトンタッタの2人がドカボコと尻尾で跳ね返しながら、どうにかこうにか住宅街の屋根に降り立つことができた。

 

(しっ、死ぬかと思った…)

 

今日一日でどれだけ心臓に負担がきたか考えたくもない。ルフィはよくもまあこんなことを日常的に繰り返しているもんだ。大きく息を吐き出して、ドフラミンゴが降り立った場所に目を向けた。……あ、見つけた。ここからは離れてる。糸が目印のように空に振り上げられるのが数回。まだ街の人々の悲鳴は…途切れなく聞こえる。

 

「(私が……っ!)」

 

息を整えて、立ち上がる。トンタッタ2人が引き止めるように服を引っ張ってきた。その必死な顔を見て、ダメだと知りつつも嬉しくなってしまう。どうしてみんな、こんなに優しいんだろう。どうしてドフラミンゴはこんなにも優しい人たちを利用して、足蹴にするんだろう。優しい人は、やっぱりかわいそう。能力を解除して、2人の小人をぎゅっと抱きしめた。

 

「頼みがあるの。ギャッツさんに伝えて。国民を工場かコロシアムに避難するように、電伝虫で避難誘導するように、って」

 

「ドゥルシネーア様は一緒に行かないんれすか?」

 

「ええ。私は、やることがあるの」

 

「なら、ぼくが一緒に行くれすよ。まだまだ危ないれすから」

 

「私は大丈夫だから、2人とも行って。イエローカブ、ありがとう。すごく助かったわ」

 

手に巻きつけていた紐を解いて、2人に託した。ヴィオラさんとの約束があるからか、2人はまだまだ動こうとしない。唇を噛み締めて、じっと私を見上げていた。

 

「お願い。この国の人たちを守ってあげて。私じゃ…できないの」

 

「…危ないこと、しないでくらさいね!」

 

「すぐ…すぐにまたもどってくるれす!だから…っ!」

 

「ーーありがとう。あなたたちも、気をつけてね」

 

涙目で鼻をすすりつつ、2人はイエローカブで飛んでギャッツのいた方向へと向かった。これでいい。この先は、トンタッタにはあまりに危険だから。

 

(ドフラミンゴを止めてこいなんて、無茶だよなぁ)

 

足がすくむ度、あの兵の言葉を何度も頭の中で繰り返した。折れそうな足と心を奮い立たせるために。走って走って、とうとう息が切れて、倒れそうになった、その先で。ドフラミンゴへと歩み寄るマント姿の誰かがちらりと見えた。そしてこっちに来るレベッカの姿も。

 

(ヴィオラさん!?ちょっ…ドフラミンゴに近付くのはダメだってば!)

 

「あっ!あなたは…ドフラミンゴの!!!」

 

建物に寄りかかって息を整える私の姿を認めて、レベッカが鋭い眼差しを向けてきた。そりゃそうだ、この国を乗っ取ったドフラミンゴの妹のことは噂で聞いてるだろうし。協力者になったんだからあいつのイメージアップをしておいてやるか、と気を利かせるキュロスなんて想像できない。

 

「はっ……は、っ………はぁ……。…落ち着いて、聞いて。私は兄を…説得してみます。無理かもだけど…やってみるから……あなたは、早く避難を…」

 

息を整え、唾液を飲み込んで、か細くもなんとか言葉を絞り出した。胸の奥が痛い…気がする。視界の端でチカチカと星が飛んでる。今にも倒れてしまいそうだ。だけど、二本の足で必死に踏みとどまる。私の横を通り抜けようとするレベッカの前に立ちふさがって、ドフラミンゴの所へ行こうとするのを防いだ。

 

「退いて!私があいつを止めるの!ルーシーが復活するまで…少しの間だけでも!!!」

 

「退かないわ!絶対に退かない!」

 

「っ!!!邪魔をするなら……あなたを倒してでも…っ!」

 

すらりと抜かれた剣が首筋に押し付けられた。ディアマンテが言った通り刃が潰れている。こんなの全然怖くない。本当に怖いのは、民衆から向けられる憎悪だ。こんな、可愛い女の子が戸惑いながら向けてくるものなんて、怖くなんてない。刃の潰れた剣を握り込んで、ぐっと横に押しやった。まさか私がそんなことをするなんて思わなかった、と言いたげに怯えた目が見開かれる。ああ、小さい頃のグラディウスもこんな風に私を見たことがあったなぁ。にっこりと女神のように慈愛たっぷりで微笑んでやった。

 

「あなたが危ない所に行っちゃうと、私がキュロスさんに怒られちゃう。いい子だから、ここで待っていて」

 

「え…どうしてあなたがお父様を……あっ、待って!」

 

動きの止まったレベッカを建物の影に押し込んで、彼女に背を向けた。いざとなったら彼女の母親のセリフを言って混乱している間に、と我ながらクズな考えをしなかったわけじゃないけど、今の彼女にはキュロスの名を出すだけでも効果があったようだ。よかったよかった。走り出したその先に、ドフラミンゴがヴィオラさんに向けて怪しく指を動かそうとするのが見えて、私は大声を出した。

 

(怖くない、怖くない……怖い、怖い怖いっ…けどっ!)

 

さっさと行って兄貴止めてこい、と声が背を押す。止まれない。ここで私が立ち止まることは、もう許されない。

 

「兄上、やめて!」

 

「っ、ルシー!!!お前、なぜここに……」

 

ハッとした顔でドフラミンゴが私を見る。崩れるように地面に倒れたヴィオラさんを見て安堵の息を吐いた。まだ何もされていない。ああ、よかった!ヴィオラさんに駆け寄った私を見て、サングラスの奥のドフラミンゴの目が変わった。何度か目にしたことがあるあの目はーー家族に向ける目じゃない。

 

「……ルシー…お前、どうやってここまで来た」

 

「兄上…もう、やめようよ」

 

「っ!!!」

 

「だめっ、ルシー逃げてっ!!!」

 

ピシュッ、と空気を切る音が左右から聞こえた。何が起きたんだ、と驚いた私の視界の端で、やっと伸びてきた髪がばらりと舞い散っていくのが見えた。何にも飾られない私の耳と足を見てドフラミンゴが顔を歪めた。鈍い私はそこでようやく、サイドの髪を切り捨てられたらしいと気付いた。ドフラミンゴがたかが髪とはいえ私に危害を加えてきたのは、ピアスの穴に次いでこれが二度目だ。それだけ切羽詰まっているということなんだろう。

 

「お前も…おれを裏切るのか、ルシー」

 

「だめ、だめよルシー!逃げなさいっ!」

 

私を背に庇おうとするヴィオラさんを押しとどめて、逆に背に庇った。大丈夫、私は大丈夫。だって私にはまだ"価値"がある。天竜人との繋がりを作ろうと2年以上も前から計画してきた、そんなドフラミンゴがみすみすこの場で私を殺すわけがない。ドフラミンゴの頭の中には、まだ華やかな未来への計画が描かれているはずだ。ルフィやローを倒し切らず、こんな所でパラサイトなんてしてるぐらいだ、まだ、敗北という言葉を想像してすらいないはずだから。だから、私が彼に殺されるわけがない。

 

「……私は兄上を裏切らない。敵には絶対にならない。だけど……ねえ、兄上。兄上ならもう分かってるんでしょ?もう、これ以上は無理なんだよ」

 

視野の狭まったドフラミンゴにもちゃんと見えるように、私は胸にできた銃痕に手を寄せた。それを見て驚いたように開けた口を、ドフラミンゴは歯を食いしばって閉じた。感情を強烈な怒りで上書きする姿は、昔から何度見ても慣れなかった。

 

「まだだ……まだ何も終わっちゃいねェ!!!この国も!生きているやつらも!全て消し去ればいいだけの話だ!!!」

 

「もう、夢を見るのは終わりだよ…兄上」

 

「っ!?あっ!!!いや、だめっ!ルシー、逃げて!!!」

 

何年と付き合いのあるヴィオラさんのこんな悲鳴を初めて聞いた。その途端、身体中の神経が張り詰めるのを感じた。背後のことなのに、ギュゥン、と視界がねじ曲がって見えた。ヴィオラさんが目に涙を浮かべてナイフを振りかざす姿を、驚くほどくっきりと感じた。まさかドフラミンゴが私を傷つけるなんて、と思わなかったわけじゃない。けれどドフラミンゴが自分の修復能力とマンシェリーの治癒能力でなんとでもできると過信しているのは、手に取るように分かった。ドフラミンゴはそういうキャラで、そういう兄だから。

 

(ヴィオラさんと私、両方とも動けなくするつもりか…!)

 

私たち2人を直接パラサイトで操ったり拘束しないのは、単にドフラミンゴの趣味だろう。心を折って、動けなくする、そういう手口がお好きなようだから。けれど、ドフラミンゴは未だに私を甘く見ていた。少なくともこの時点では、私の動きを封じるということはしなかった。原作でヴィオラさんの動きを封じたように。

 

(だから足元すくわれるんだよ、兄上)

 

今でもまだ、私は母親と同じように体が弱く無力な女に見えるんだろうなぁ。『ナイフがまっすぐに突き立てられる』のを感じて、私は体を捻って避けた。避けて、そのまま体を回転させてヴィオラさんを拘束した。この時足をもつれさせることなくとっさに動けたのはヴェルゴやラオGから受けた訓練の成果だったとしか思えない。才能がない私の訓練と、不完全な覇気。それらは合わさることで、ようやく意味をなした。

 

「きゃあっ!?えっ、ルシー…!?」

 

「!!!なぜだ……なぜ避けられる!?お前の能力でそんな動きはできねェはずだ!!!」

 

「…訓練の成果だよ、兄上」

 

ドフラミンゴのそんな顔を、この世界に生まれてきて初めて見た。してやったり、という気持ちと、やってしまった、という気持ちがごちゃ混ぜになる。

 

『さァ皆さん!!!もう少しの辛抱だ!!!』

 

狭くなった鳥カゴの中、ギャッツの声が大きく響き渡った。

 

(ーーきた…!)

 

私の顎から汗の雫が垂れた。手のひらにも背中にも、じっとりと汗が滲んでいることだろう。ドクドクと空洞の胸が強く脈打つ。こんなに高揚したのは、前世でも今世でも初めてだった。だけど奇跡は何度も起こらない。次はもう攻撃を避けるなんて芸当は無理だろう。見聞色のあの奇妙な感覚も消えた。それでもーー。

 

『"スター"は蘇るっ!!!ーーあっこら何をする!ギャーッ!こ、ここっ、小人っ!?』

 

『みんな早く避難してくらさいっ!工場に逃げてくらさーいっ!』

 

『早く避難してくらさいーっ!あっ、キャーッ!エッチー!』

 

『ぶへぇっ!』

 

『キャーッ!ギャッツさんーっ!!?』

 

緊張感のカケラもないアナウンスに、思わず笑みがこぼれた。

 

(あの子たち、やってくれたんだ!)

 

たぶん、このアナウンスを聞いた人たちがちゃんと避難誘導に従ってくれるかというと、そんなことはないだろう。戸惑いながらもまだ鳥カゴの中心を目指そうとする人がほとんどだろう。だけど、もう、それでもいい。ここまで私は時間は稼げたんだから、これでもう心残りはない。ドフラミンゴに向かって、私は余裕ぶって笑って見せた。

 

「訓練をやめさせたり、勝手に結婚相手を決めたりして!もううんざりなのよ!私の人生を…私の価値を!あなたが決めないで!!!」

 

「ルシー!!!」

 

ドフラミンゴを煽る言葉を次々と言うギャッツに触発されてか、今までにない鋭さで、ビリリ、と覇王色の覇気がぶつけられる。ふっ、と意識が途切れかけた時、まるで映写機の映像が切り替わるように急に視界が変わった。

 

「っ!?」

 

これは…前にも一度経験したことがある。どさっと体が地面に叩きつけられた振動に驚いていると、荒く呼吸するローがちらりとこちらを見た。

 

「…ハァ……ハァ……ったく、あんた…何してんだ!やっぱ頭がどこかおかしいだろ!いつか絶対にオペしてやるからな!覚悟してろ!!!」

 

怒涛の勢いでまくしたてられた。覚悟してろ、の声音が本気すぎてドフラミンゴの覇気並みに怖かった。医者が他人の頭の心配とかガチすぎて本当に、本っっっ当に、怖いからやめて!幼少期に何日も昏睡しちゃうくらいの暴行受けてるし、頭の異常に関しては心当たりが多いんだから!

 

「トラ男、なんかおれのじーちゃんみてーだなァ…」

 

「あ、やっぱりガープさんってこんな感じなん………え、ルフィくん生きてる!?」

 

「ってオイ!!!勝手に殺すんじゃねえよ!」

 

失敬なやつだな!と声だけは威勢よく主人公が怒った。ふらつきながら立ち上がる姿を見ていると、ギャッツのカウントダウンはちょっと秒読みが早すぎたんじゃない?と思うほどだ。

 

(って、レベッカ何してんのー!!?)

 

原作と同じ光景が遠くに見えた。レベッカが剣を手に、縛り上げられるヴィオラさんに向かって歩み寄っている。一つ違うのは、レベッカとヴィオラさんの距離がそれなりに遠いということだけ。

 

「ロー、ヴィオラさんとレベッカもこっちへ!この国の王女様たちだよ!」

 

「っ、簡単に言うんじゃねェよ!麦わら屋!いけるか!?」

 

「ああ!頼む!!!」

 

「"シャンブルズ"!」

 

パッ、と遠くにいたヴィオラさんの姿が掻き消えて、代わりにルフィがドフラミンゴの前へと飛び出した。ぐいんと伸ばした腕が、レベッカの剣を地面へと叩き落としていた。

 

「……!?」

 

「ヴィオラさん!」

 

私の側に落とされたヴィオラさんは、突然のことに何が何だか分からない、と目を白黒させていた。けれど直後に隣に落ちてきたレベッカを、ヴィオラさんはとっさに抱きとめていた。原作にはなかった光景だ。ぎゅっと抱きしめ合った2人の姿が、なんだかとても羨ましかった。

 

「……もうすぐ、兄上が街を糸に変えるわ。空に飛び上がった兄上を地下港まで叩きつけたら、落ちる前にルフィくんを回収してあげて」

 

「ハァ…ハァ……分かった…!」

 

空に、大きな蜘蛛の巣がかかる。逃がさない、逃すものか、そんな執念を感じさせるようなドフラミンゴの糸がーー大きな、とても大きな拳に、打ち砕かれた。

 

「………あぁ……」

 

知らず知らず、唇から息が漏れた。燃えて輝いて燃え尽きて、やがては流れ落ちる星のように、ピンクの塊が地を抉り地下深くへと堕ちる。

こうして、ドフラミンゴの支配は幕を閉じた。



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105.これが私の贖罪だから

 

 

(終わっ…た……?)

 

ルフィの勝利を、濁音混じりで高らかに宣言するアナウンスが響いた。国中から歓声が上がるのを、呆然と身に受ける。終わった…ルフィが勝った。

 

「は……」

 

全身の力が抜けて私が倒れこみかけた時、ドサッ、と煙を立ち上らせながらルフィが落ちてきた。その音に驚いて、手放しかけた意識を引き締め直すと、ルフィにレベッカが駆け寄って膝枕をしている姿が見えた。危ない危ない、寝る所だった…。

 

「ハァ…。……オイ、顔色が悪いぞ。後で安全な場所まで連れて行くから、ここで少し寝てろ」

 

ローの申し出に全力で頭を下げたくなったけど、頭を振ってなんとか意識を繋ぎとめ直した。まだ、私にはやることがある。

 

「ロー。ちょっと、兄上の所に行ってくるわ」

 

「だめだ」

 

「お願い。きっとこれが最後になる。兄上はもう起き上がることはできないよ」

 

ぼやける視界のまま、じっ、とローと睨めっこをする。先に目をそらしたのはローだった。ヨッシャー!勝ったぞー!

 

「………ハァ。"ROOM"」

 

行くとは言ったものの行き方まで考えていなかったのを察してか、疲れ果てているというのにローが能力を使ってくれた。これはもしかしなくてもドフラミンゴの所まで送ってくれるってやつか!優しいなぁ。

 

「ーー手出ししないでね、ロー。兄上を最後まで見届けたいだけなの」

 

「…トラファルガー・ロー。ルシーがバカなことをしないよう、お願いするわね」

 

ヴィオラさんが私の説得を後押しするように言ってくれたおかげでか、ローの眉間のシワがほんの少し和らいだ。って、バカって何?今まで協力し合ってた仲なのに、ここにきてまさかの罵声?

 

「…分かった。"シャンブルズ"」

 

「えっ、ちょっ!!?……ちょっと…ローまで来なくてもよかったのに…!」

 

腕を掴まれたと思ったら、ローと一緒に見慣れた地下の交易港奥に場所が切り替わっていた。

 

「ハァ……ハァ……今のあんたを、放っておくと……ロクなことが…起きないだろうからな…ハァ……元々救いようのねェ、バカだし」

 

「元々!?」

 

あっ、そういえば昔にそんなこと言われてた気が…。子どもの頃のことなのによく覚えてるなぁ、この子。ヴィオラさんもローもなんだか容赦がなくなってきてるなぁ、なんて思いながら周りをぐるりと見回して、私よりも先に見つけたらしいローがある方向を指差して教えてくれた。

 

「…ここで待っててね。ちょっと行ってくるわ」

 

疲れた顔で座り込んだローが、手にした刀を軽く上げて了承の意を示した。やっぱりいい子だなぁ。何度も瓦礫で足を滑らせ、転びながらも光の刺す場所へと向かって瓦礫の山をよじ登った。昔生活していたゴミ山もこんな風に足場がすごく悪くて、すぐに転んだり穴に落ちたりしてたから、崖の上の町まで買い物に行くだけでも大変だったなぁ。

 

『ルシーのことはちゃんと守ってやるえ』

 

『だから泣いてもいいんだよ、ルシー…』

 

私たちしかいない静かな交易港に、幼い2人の声が聞こえた気がした。…気がしただけなのに、涙がじわりとこみ上げてきた。辛くて、悲しくて、ひどい人生だった。それでも、私は彼らを愛していたし、彼らも彼らなりに私を愛してくれていたのだろう。涙を拭い、瓦礫を踏みしめ、ようやくたどり着いた場所にドフラミンゴは倒れていた。表情を見られたくなくて、ローに背を向けるようにしてドフラミンゴの側へとしゃがみこんだ。息は…している。だけど意識は完全になくなっているようだ。地に堕ちたドフラミンゴを見つめて、ポケットに潜ませていた拳銃を取り出してそっと持ち上げた。

 

(これで、撃てば…)

 

ドフラミンゴを殺せば私は自由になれるんだろうか。ーーそんなわけない。ドフラミンゴに向けて持ち上げた拳銃を、ゆっくりと下ろした。ドフラミンゴの盾がなくなれば、世界政府と天竜人に命を狙われるだけ。国民たちからも世界中の人々からも嬲り殺されるだけ。…いや、昔に言われた通り、ずっと生かして苦しめられるのかな。

 

(この人を殺せるならとっくに殺してた。兄上だって、私には何もできないって分かってたんでしょ?)

 

海楼石の装飾品をつけさせてから頻度は減ったけど、今でもドフラミンゴはお気に入りの人形を閉じ込めるように私を抱きしめて眠っていた。悪夢に魘されるのを何度宥めたかは、もう数えきれないほど。私が逃げていなくなった後は、ヴィオラさんを代わりにしていたようだった。けれど、私もヴィオラさんも、眠って無防備になったドフラミンゴを殺そうとはしなかった。できなかった。ヴィオラさんはもしかしたら予言めいた私の言葉を信じて今まで待っていただけかもしれないけど。少なくとも私は、ドフラミンゴを殺そうとは思えなかった。

 

「……嫌いになれたらよかったのにね」

 

遠くから何人もの足音や大きな声が聞こえてきた。…タイムアップだ。ポケットの中に手を入れた。グラディウスにしたように、海楼石のカケラを飲ませてしまおうと思った。でもいざドフラミンゴに、となると、それ以上手が動かなかった。対立しないと言ったことは撤回するけど、裏切らない、敵にはならない、そう何度もドフラミンゴに言ったのは口先だけの言葉じゃなかった。長年染み込んだ恐怖が邪魔しているというのもあるけど、守らなきゃ、と繰り返した呪文が私の手を縛り付けている。

 

(ロシーを殺されても……それでもドフィのことが、心底嫌いになれなかったや)

 

カケラを取り出す代わりに、指に引っかかった輪っかを引き上げた。前世も合わせて、これがもらって1番嬉しくなかったプレゼントだった。グラディウスよりドフラミンゴに手心を加えるとか我ながらおかしなことをしてると思う。ドフラミンゴの耳のピアスを片方だけ取って、力が抜けて地面にへばりつつ、震える手で海楼石のピアスを代わりにつけた。

 

「…片方だけ返すね、兄上」

 

ドフラミンゴの耳から取ったピアスはというと、なんだかここで投げ捨てるというのも躊躇われて、仕方なくワンピースのポケットに入れておいた。同じリングタイプのピアスでも、片方は美しい黄金で、片方は海楼石のそっけない鉱物色。

 

(やっぱり、私と違って似合わないねぇ、兄上)

 

偽物の王女だった私とは違って、生まれながらに本物の王様だったドフラミンゴには、どう見たって本物の貴金属の方が似合っていた。

 

「いたぞ!あそこだ!」

 

銃を担ぎ、大慌てで駆けてくる海兵たちの姿を見て大きく息を吐いた。ああ、終わった。何もかも。これでおしまいだ。割れたサングラスを拾い上げ、軽く柄の歪みを直してかけ直してあげた。うん、ドフラミンゴはこうでなきゃ。

 

「ドゥルシネーア王女、ここで何を…」

 

私の手の中の拳銃を見て警戒した海兵に、何もしないと両手を上げて笑いかけた。

 

「先ほど、兄の耳に海楼石を付けました。けれど念のため、早く海楼石の錠で取り押さえてください」

 

「わ、分かりました!おい、急げ!」

 

「はっ!」

 

「それと、幹部たちはどうなりましたか?ラオGとデリンジャーは能力者ではないのですが、歳が歳ですし、その辺りを配慮していただきたいのですが…」

 

「幹部たちは捕縛しました。扱いについては保証しかねます。それとブキブキの実の幹部の行方が分かりませんが、何かご存知ですか?」

 

「…いいえ」

 

「そうですか。ご協力ありがとうございます」

 

(ベビちゃん…ちゃんと逃げられたんだ)

 

ベビー5に、デリンジャーも一緒に連れて逃げてあげて、とはとうとう言えなかった。あの子はもう、海賊として染まってしまっている。あの子の母親との約束を最後まで果たせなかった、それだけが心残りだ。両手を下ろして、私は指揮をとる海兵に声をかけた。ローの体力が回復する前に、ローが私を逃がそうとする前に、早く私もーー裁きを受けなければ。

 

「海兵さん。早く私も捕まえてください」

 

「……現在あなたには賞金がかかってはおりません。あなたの身柄は今後ドレスローザ国軍が保護する手筈ですので、しばしこちらでお待ちを」

 

思いもよらなかった言葉に目を剥いた。この国の兵が、私を保護?そんなバカな話があるものか。

 

「なっ…なんで!?私はドフラミンゴの妹です!長年王女の名を騙っていた犯罪者なんです!それに……そう、七武海会議でドフラミンゴは私をドンキホーテ海賊団のもう1人の船長だと公言しました!私の家族を捕まえるなら、私も捕まえるのが筋でしょう!?そうでないなら、もう、ここで殺してください…っ!」

 

「できません!!!…あなたはこの国の人々を救わんと奔走していた。イッショウさんは、あなたもまたドフラミンゴの被害者であると判断したのです」

 

「ーーそんな…」

 

膝の力が抜けてしまった。そんな理屈が通るわけがない。明らかにおかしいじゃないか。なんで?どうしてこんなことに?

 

「じゃあ、私は……」

 

ざあ、と記憶が巻き戻る。憎悪の眼差し。罵声を吐いてきた人たち。背後から殴り殺そうとしてきた人。向けられる殺意。私を罵倒して銃で撃ち殺そうとした人。腕の中の子どもの遺骸ーー。その途端、今まで私を突き動かしていた何かが、胸から消えてしまった。

 

「海軍は私に、ここで国民たちに嬲り殺されろと…そう言うんですね」

 

「えっ?いや、そんな意味ではなくーー!」

 

海兵の声が遠い。ふっつりと、私の胸の中の炎は消えてしまった。原作通りの流れを見届け、心残りだった家族たちの結末も知り、活力が消えて残ったのは消し炭のような脱力感だけ。

 

(もう、疲れたよ……)

 

そろそろ楽にならせてほしいと、私は力なく笑った。だってもう色々と疲れてしまったのだ。

 

(親の頭はお花畑、ついには死んでしまった。兄は極悪人だし、もう一人は死んだし…)

 

とんでもない世界、とんでもない時代。そしてとんでもない人たち。そんな中に生まれ育って、でも……。

 

(まあ…幸せだったかな)

 

家族を愛し、家族に愛され、時に憎み……逃げ出すことは…できなかったけれど。苦しくて悲しくてあんまり順風満帆じゃない。こんなとんでもない全てに対して。ーー私は恋をしていた。この世界が大好きだったから、今まで生きてこれた。でも、もう…これ以上は無理だ。

 

「ルシーさん!!?」

 

異変を感じたのだろう、ローの声が遠くから聞こえた。目が霞んで表情は目視できなかったけれど、その方向に向かって私は笑顔を向けた。

 

(いろんな意味でドフラミンゴからは逃げられないし、逃げられてもこれからの人生、死ぬまで世界政府や天竜人に追いかけられる。ローやベビー5はきっと守ろうとしてくれるだろうけど、彼らの負担になるわけにもいかない。前世の記憶を持つ私は……この作り物の世界そのものからは…生きている限り、逃げられないの)

 

大将藤虎は私を捕まえないと公言した。とすれば、私を待ち受けるのはドレスローザ国民たちからの報復だ。気のいい人たちが豹変する様は昔から嫌ってほど見てきた。そんなのはもうこれ以上見たくない。私の逃亡を楽しげに見て笑っていた彼らのまま、私の記憶から消えて欲しい。城から逃げ出しては家族に捕まっていた、ただの間抜けなドゥルシネーアのままで国民たちの記憶から消えてしまいたい。憎悪の対象として彼らの手で消されることだけはーー嫌だ。

 

「ーーロシーが迎えに来てくれるといいなぁ」

 

銃の安全装置を外して、銃口を額に押し付けた。ミニオン島でのように、今度はもう、私を止める家族もいない。海兵たちに押さえつけられ、気を失って倒れているドフラミンゴに、私はそっと囁いた。さんざん汚れながらも手の中に掴んできたのに、私たちの周りにはもう誰もいなくなっちゃったね、ドフィ。

 

(さよなら、世界)

 

止めようと伸ばされた海兵たちの手が届くよりも早く、私は引き金を引いた。

 



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それから
106.さよならは言わないよ(完)


 

 

目を開けたら見慣れない天井が見えた。消毒液の匂いが鼻腔をくすぐる。目尻からこめかみに何かが伝った感覚があって、なんだろう、と指で触ると透明な雫が指先に溜まっていた。随分と、長い夢を見た気がする。すごく嫌な思いをするのに、なぜか抜け出せなかった。蟻地獄みたいな夢だったけれど、悪夢を見た後の奇妙な気持ち悪さはなかった。むしろ、どこか満ち足りたような…。その感覚に既視感を覚える。

 

(ここ…病院かな…)

 

無意識に頭に触れると、きっちりと包帯が巻かれていた。持ち上げた指や腕に何本もの管が通っている。記憶がないし、痛みもないけれど、頭でもぶつけて入院したんだろうか。起き上がろうとしたら、ぐらりと体が揺れて、とっさに点滴を吊るす棒にしがみ付いた。ひやり、と冷たい金属が手のひらを冷やす。その強烈な冷たさに驚いて、火傷をしたように勢いよく手を離した。冷蔵庫で冷やされていたでもないのだし、たいした冷たさではないのだろう。けれど、その感触は私にはあまりに奇跡のようなもので、驚いてしまった。

 

(……感覚が…ある。温感も、触覚も)

 

何年ぶりだろうか。何重にも膜を隔てたような感覚ではなく、ちゃんと何かに触れていると感じられるのは。今ここに、私が生きていると…こんなにも実感できるのは。胸に手を当てると、どくりどくりと心臓が力強く脈打っていた。ローに渡したはずの心臓がここにある。感覚が全て戻っている。それは、つまりーー。

 

「………夢、だったのかな」

 

長い長い、夢を見ていたんだろうか。漫画の悪役の妹とか、そんなトンデモ設定の夢。頭の中が直にぐるぐると混ぜられるような奇妙な感覚に、目を強く閉じた。

 

「私…」

 

しばらくの間、見慣れた手のひらを見つめていたけれど、どうにもこうにも動かないことには何も分からないだろうと真っ白なベッドから腰を上げた。案の定着ていたのは着脱の容易な薄っぺらい水色の服で、そんな布一枚を頼りなく思いながらも裸足で床に降りた。床の冷たさがビリリと痺れるほどに感じられる。ここが病院なら、看護師さんがいるはずだ。もしかしたら親や友達が見舞いに来ているかもしれない。彼らに会えば、もっとちゃんと現実味が出てくるだろう。そう判断して、部屋を出た。点滴台を支えに、周りもろくに見ず、人の声がする光の眩しい方へともつれる足で向かって……光の中に飛び込んだ瞬間、目の前に鮮烈な赤色が飛び込んで来た。

 

「ん?…あーーーっ!!!お前起きたのか!!!」

 

「ひっ!!?…ぁ……生きてる」

 

「当たり前だろ!!!人を勝手に殺すな!本当に失敬なやつだな!!!」

 

麦わら帽子を片手で押さえ、誤った言葉の使い方で文句を言ってきたのは……漫画の主人公、ルフィだった。

 

(夢じゃ…ない)

 

足の力が抜けて、甲板に座り込んでしまった。点滴の管がピンと引っ張られて、腕にズキリと痛みが走る。何もかもが嘘みたいだ。まだ私は夢の中にいるんだろうか。

 

(だって感覚がある……たしかに死んだはずなのに…私、なんでまだこの世界に生きてるの?)

 

驚きや戸惑いで頭が破裂しそうな私の前にしゃがみこみ、ルフィは私に声をかけてきた。

 

「なあ。お前、死のうとしたんだってな。なんでそんなことしたんだ?」

 

真正面からまっすぐに投げられた豪速球に面食らいつつ、私は言葉を選んだ。なんで死のうとしたか?そんなの決まってる。

 

「……迫害されるのが、怖かったから」

 

「ハクガイってなんだ?」

 

「周りの人たちに、酷いことをされるってことだよ」

 

「ふーん。そんなら戦うか逃げりゃよかったじゃねえか」

 

「…私は戦う才能はなかったから。逃げるのも…逃げられなかったの。何年も試したけど、できなかった」

 

「そっか」

 

悲嘆も何もかもすっ飛ばして、テンポよく日常会話のように交わされる言葉が心地良い。ええ、そう、そうなの。私は逃げた。死ぬっていう、究極の方法でこの世の全てから逃げようとした。なのに死ねなかった。生きてる。

 

「………なあ。なんで死んじまおうとしたんだ?」

 

「だからそれは…」

 

「他にも理由があんだろ?全部言ってみろ」

 

「!!!」

 

驚いた。胸の深いところに隠した泥のような感情を見破られた、そう思った。こんな汚い感情を、まっすぐに私を見つめてくるこの子に言うことはできない。誰にも知られたくない。逃げようと足を引いたら、鋭い声で引き止められた。

 

「逃げるな!!!」

 

「っ……!だ、だって………もう嫌だったのよ!」

 

全部嫌になったんだよ。前世で死んだ実感も何もないまま突然漫画の世界になんて転生して、しかもそれがとんでもない家庭で、親で、兄たちで。それでも悲しい結末にならないように頑張ったこともあった。下準備をして、未来を知っているという唯一の武器をフル活用させて。でも、何の役にも立たなかった。私の存在なんて、あってもなくても同じだった。挙げ句の果てが人形扱いや、利用できる道具扱い。…生きている意味が、分からなくなった。

 

「一生怯えて暮らすのも、また火あぶりにされるのも、救えたはずの家族が殺されるのも!もう嫌だった!誰かのためなんて綺麗な理由じゃない…私が嫌だった!!!でも、私1人じゃどこへも逃げられなかった…っ!だからこうするしかなかったのよ!」

 

「ならなんであの時おれたちに自由が欲しいなんて言ったんだ!」

 

あの時と同じように、腕を掴まれた。今度はちゃんと実感した。痛いほどに力強く、熱いほどまっすぐに、彼がドゥルシネーアではなく私自身を見て言っていることを。

 

(あの時…私、何て考えたんだっけ……)

 

ぼうっとした頭の中に、華やかな笑顔が浮かび上がった。ヴィオラさん、トンタッタの子たち、街のみんなーー。

 

「私だけじゃない、みんなのことも自由にしてほしかったのよ…」

 

「……なんだ。お前、怖がってるくせにあの国のやつのこと好きなんじゃねえか。それによ、お前逃げたけど、本当はあいつらだっていいやつかもしれねーだろ?」

 

ルフィは迷いなくそう言った。本当は国民たちは私をいためつけようとしなかったかもしれない。いち国民として、仲間に加えてくれたかもしれない。ーー…そんなのは綺麗事だ。夢物語だ。ありえない。だって現に私は殴り殺されかけたし、銃で撃たれた。ローに心臓を渡していなければ、私は確実に死んでいた。たった1人2人の感情でそのレベルだというなら、民衆が束になり感情が激化したならどうなった?幼年期の時と同じ、暴虐へと繋がるだけだ。確かに私を守ろうとしてくれた人たちはいた。けれど、それだけで私が生きていける保証になんてならない。

 

「……いい人たちだよ。だからこそ怖いに決まってるじゃない。私はドフラミンゴの妹で…元天竜人だから……世の中から嫌われて、憎まれて…殺されるしかないのよ」

 

「ふーん。おれはお前のこと嫌いじゃねーけどな。お前、ケイミーのこと助けただろ?それに、おれがミンゴと戦ってる時に戦えねェやつらを助けてたんだろ?いいやつじゃねえか!おれ、そういうやつは好きだ!根暗だけどよ!」

 

目から鱗、とはこういうことか。まさか自分の行動を評価される日が来るなんて思いもしなくて、驚いて大きく目を見開いた。力強く、太陽のように笑う主人公が、ただただ力強く眩しい。ああ、私は、こんな人になりたかった。

 

「……私、やっぱり君のこと好きだわ。惚れるわ」

 

「おっ?そうか!ならお前、おれの船に乗れよ!お前が自由になれる所まで連れてってやる!世界は広いんだ、お前が自由に生きられる場所も絶対にあるさ!それに、前に約束したからな!」

 

「おい麦わら屋!何勝手なこと言ってやがる!ルシーさんはおれが連れて行くと言っただろうが!」

 

割って入るようにして、ローがルフィを押しのけて来た。ザッと瞬時に頭から足の先まで私を検分して、安心したように息を吐いていた。きっと、たくさん心配をかけたんだろう。引き金を引く間際の、悲鳴にも似たローの声を思い出した。

 

「にしし。別にいーじゃねーか。おれこいつのこと気に入ったしよ」

 

「だから勝手に決めんなって言ってんだろうが!」

 

うわあ、ローが年相応に叫んでる。本当だったんだ。原作を読んだのではなく、実際にこうやって目の当たりにして、ようやく実感できた。やっぱり主人公って…いや、ルフィって人はすごい。

 

「この際だから言っておく、ルシーさんはおれとコラさんの大切な人だ!お前になんざ渡してたまるか!」

 

「っ…ふ…ふふ…っ!あははははっ!」

 

なんだそれ。人前でとんでもない告白されちゃったわ。ーーああ、そうだよ、そうだった。ローも、私の大切な家族の1人だった。

 

(なんだ、私はひとりぼっちじゃなかったんだ…)

 

向こう側でこっちを見て楽しげに笑う麦わらの一味や、どうしようかとオロオロしているバルトロメオたちが見えた。うーん、ドフラミンゴほどじゃないけど、ローもなかなか過保護っぽいなあ。ロシーの分まで余計に保護者をやってきそう。口喧嘩の結果、ルフィをゾロたちの方へ押しやったローが、ルフィの代わりに私の前へとしゃがみこんだ。

 

「……ルシーさん」

 

「ん?」

 

「あんたは世間じゃ死んだことになってる」

 

「ーーーは…?」

 

(なに、どういうこと?)

 

ローの言葉の意味が分からない。何?何を言ってるの?

 

「あれだけの海兵の前で頭を撃ったんだ。それに、あの後で幹部だった女が国民の前であんたの自殺を公表したからな……あんたの死は世界中に知れ渡ってるだろうよ」

 

「ーー…うそ」

 

「ったく……バカなことをしでかすだろうとは思ってたが、まさかあそこで自殺するほど大バカだとは思わなかった。あの至近距離で撃った弾を小石に替えるのがどれだけ難しいかあんたは知らないんだろうがな!こっちは腕をぶった切られた上に能力を酷使して疲れてんだよ!!!」

 

「い"だっ!!?」

 

ローの容赦ない手刀が頭に落とされた。辛うじて舌は噛まなかったものの、視界に火花がチカチカ飛ぶほどの強烈な一撃だった。ああもう、涙が出てきた!私の悲鳴を聞いたローが、耳を疑うと言いたげに声を発した。

 

「ーー痛い、だと?」

 

「痛いよ!痛い!冷たいし寒いし痛い!……痛い……こんなに痛いの、子どもの頃以来だよ…っ!」

 

痛い、すごく痛い。痛いのに、それがたまらなく嬉しい。目に涙を浮かべながらへらへら笑う私は、とんでもなく変な女に見えるだろう。でも私はなんだか笑わずにはいられなかった。

 

「…じゃあ……じゃあ、私のことを知ってるのは…」

 

「……おれたちと元幹部の女、それからあんたの頭の治癒をしたトンタッタの姫ってやつだけだ。……ああ、アイツの傘下のやつも何人か…」

 

指折り数えて、意外と多いな、とローが苦く呟いた。減らすか、と言わんばかりにバルトロメオたちの方に鋭い目を向けたローの手を握って首を振った。そんなことする必要ないでしょうが。突然握られたというのにローは私の手を振り切ることなく、逆にぎゅうっと握り込んできた。ローの体温は低めなんじゃないかな、とぼんやり思っていたから、意外と熱い手に包み込まれて驚いた。昔は手を繋ぐのをあんなにも嫌がってたのにねぇ。

 

「ルシーさん。あんたを縛るものはもう何もない」

 

「……!!!」

 

ローから不意打ちを食らって、息が止まった。視界が歪んで、ぼろぼろと私の目から大粒の涙がこぼれた。その言葉はロシナンテがーー。

 

「でも、私はーー」

 

「あんたはもう、自由なんだ」

 

口を手で覆って嗚咽を押し込めようとした。けれど、溢れるように出てくる声を、涙や想いを、止められない。

 

「っ……ぁ……!」

 

自由が欲しかった。私にだって1人の人間として第二の人生を面白おかしく生きる権利がある、そう思いながらずっと生きてたつもりだった。いつしかそれは叶わないことなのかと理解して、身に降りかかる恐怖から逃げるためだけに自由を求めていた。家族を切り捨てて、兄の手を振り払って、そうしてやっとのことで得た自由。でも本当は……私は"家族たちと一緒に"自分の足で歩いていく未来が欲しかった。汚れ仕事を任されたってよかった。牢屋にぶち込まれてもきっと耐えられた。ただ対等に、同じ家族として私もみんなと一緒にーー。

 

(さびしいーー)

 

自由ってこんなに寂しいものなのか。喜びと、僅かな後悔に俯いた私の頭を、ローが大きな手で撫でてきた。

 

『これでよかったんだ、ルシー』

 

(ーーロシー…?)

 

大きいとはいえ、ドフラミンゴの手より、ロシナンテの手よりも小さなローの手だ。何より私は大人になったドフラミンゴとロシナンテの手の感触なんて知らない。けれどその瞬間、確かに私にはロシナンテの声が聞こえたのだ。もう忘れそうなほど、懐かしい声。私の心の天使の声。

 

「ーーやっと約束を果たせたな、コラさん」

 

誰に言うでもなく、ぽつりとローが呟いた声が聞こえたーーーのだけど、次の瞬間ローの声をかき消すように空を切る音と凄まじい衝撃が船を襲った。

 

「"ひょう"だ!!人間の頭ほどあるぞ!!!」

 

「うわーー!!甲板に穴あいた〜!!!」

 

突如として襲いかかる氷の塊に、船のあちこちから悲鳴が上がった。船室から出たばかりの私の側にも、驚くほど大きな雹が弾丸のように降り落ちて来た。

 

「くそっ!ルシーさん、早く中へ!」

 

ローが腕を引っ張って中に引きずり込もうとするのを、私は止めた。

 

(実感がある。能力の感覚も。今なら……できるかもしれない)

 

空に手を伸ばした。霰が腕や体に掠って、泣きたくなるほど痛いし冷たい。耳を塞ぎたくなるほどの喧騒も鬱陶しいばかりだ。だけど、それも全部私がこの世界に生きてる証拠だ。痛くても、悲しくても、寂しくても、それだけが全てじゃない。空を撫でる。手のひらで優しく添わせるように、包み込むように。この世界を愛おしむように。

 

「ーー"サイレント"」

 

広がれ。空の向こうまで届け。この分厚い雲を突き抜けて、空島より高く、遠い天国にまで。体の中をふわりとあたたかなものが通って放たれる。船の周囲一帯だけ、丸く円を描くように、雲が霧散した。

 

「おおおお!!!?」

 

「これは…!」

 

霰の名残がキラキラと太陽の光を反射しながら静かな海に落ちていった。

 

「へェ……やるじゃねェか」

 

あたたかな気温だけが、風一つない空間に漂う。荒れ狂う波も、振り落ちる霰も、何も進路を阻むことはない。

 

「ここだけ、まるで"凪の帯"のようね」

 

すごいわ、と呟かれたロビンの声に賛同するかのように、周囲で歓声が上がる。

 

「お前、やるじゃねェか!!!」

 

「すっげえええ!!!お前、すっげえな!!!」

 

「ただのネーチャンかと思ってたらこんな才能があったなんてな!」

 

『ルシーにもこういう才能はあったんだな』

 

あの日、薄暗く小汚いアジトで、私が作った料理を口いっぱいに頬張って目をキラキラさせて言っていたヴェルゴを思い出した。あの日のあたたかな生活には、もう二度と戻れない。ロー以外の家族はみんないなくなって、私だけになってしまった。けれど、私はもう、孤独ではない。

 

(さよなら、みんな…)

 

海軍に捕まった家族たちは無事だろうか。誰も欠けることなく生きているだろうか。私が死んだと聞いて、ほんのちょっとでも悲しんでくれたのかなぁ。…もしかしたら泣いてくれたかもしれないなぁ。いつか、いつの日か、原作とか世界政府とか、そういう何もかもが終わった頃でいい。面会とかそんな形でいいから、家族たちに会いに行けたならーー。

 

「魔法使いか!?何者だよこいつ!」

 

「自然に逆らうとバチが当たるぞ!!!」

 

「神をも恐れぬ恐ろしい女だべ!!!」

 

ねえ。今この時だけは、何もかも忘れて笑うことを許してほしい。主人公たちからかけられる何気ない言葉のひとつひとつが、こんな生き方しかできなかった私を認めてもらえたように思えて……嬉しかった。だから過去もしがらみも全部振り切るように、私はにんまりと笑ってやったのである。

 

「私はごく普通の一般人だよ」

 

「「「うそつけ!!!」」」

 

「お前みてェな一般人がいてたまるか!!!」

 

「あははは!」

 

今日も笑い声が突き抜けるような青空だ。

私を閉じ込めるものは、もうどこにもない。

 

さあ、これからどこへ行こう。

 

 






あとがき

「綺麗なまま死ねない」本編はこれにて終了となります。
ドフラミンゴの誕生日には完結させられるかな?と思いつつ書いていましたが…ダメでした!計画的に書けばよかったなぁ…。

8月から書き始め、約3ヶ月という期間ではありましたが、私にとっては人生初の完結させられた長編作品になりました。
毎日のちょっとした息抜きに読んでもらえるといいなぁ、と読みやすい文章量で可能な限り毎日更新できるよう頑張りました ( ง⁼̴̀ᐜ⁼̴́)ง⁼³₌₃

初期からお付き合いくださった方たち、途中からお付き合いくださった方たち、みなさんに読んでいただけていると実感できたことが私の書く気力となりました。
特に、あたたかい感想やリクエストをくださった方たち、誤字に始まり様々なご指摘をくださった方たちには、本当に感謝してもしきれません。
本当にありがとうございました!


主人公のその後についてですが…もしリクエストをいただいたとしても、私には書くことはできないと思います。申し訳ないです…。
ハートの海賊団の一員になったのか、ルフィの船に乗って新天地を目指したのか、バルトロメオの船の天候専門要員になったのか、ゾウに永住したのか、前世の名前で1人で自由に旅に出たのか、はたまた万国にまで行ってファイアタンク海賊団に押し入りをしたのか、ワノ国でカイドウと接触するのか……。
私が書いた世界に主人公を閉じ込めることは、もうできません。
みなさんが彼女を自由な世界へと導いてあげてください。


リクエストや別キャラ視点は今後少しずつ書いて挿入にて更新していく予定です。
遅筆ですので投稿が遅くなるかとは思いますが、活動報告のページで、まだまだリクエストも受け付けています!
もしよければ時々様子を見にきてやってくださいー!\(* ˙꒳˙* )/


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