勇者の記録 (白井最強)
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勇者と覇王と怒涛♯1

この作品ではアニメ版や漫画版のウマ娘と設定が違うところがあります


テイエムオペラオーはリギル所属ではない


『さ~あ、直線に入りどのウマ娘が飛び出すのか!?』

 

 

6月最終週に行われるGIレース宝塚記念。

 

阪神レース場2200メートルで行われ、ファン投票で選ばれた精鋭ウマ娘が鎬を削る夏のグランプリ。この夢の舞台で数々の激闘が繰り広げられてきた。そして今日行われる激闘を見ようと多くのファンが阪神レース場に押し寄せる。ファンの熱気と初夏の熱気が合わさりレース場は圧倒的な熱を帯びていた。

 

 

『先頭に躍り出たのはメイショウドトウ!ドトウ先頭!ドトウ先頭!ドトウの執念が実るのか!?』

 

 

メイショウドトウ。

 

 

中長距離のレースを得意としており、GIIレースを複数勝利。GIも二着五回と誰もが認める実力者である。本来ならば間違いなく主役になれるはずだった。だがウマ娘の神様はそれを許さず彼女は準主役で甘んじ続けた。そして彼女は後ろに一切目をくれずゴールを目指す。主役になるために、自分を負かし続けた相手に勝つ為に。

 

 

『だがテイエム来た!テイエム来た!テイエム来た!冬のグランプリを彷彿とする末脚だ!』

 

 

テイエムオペラオー

 

 

GI7勝ウマ娘。一年間出るレースすべてに勝つという前人未到空前絶後の偉業を成し遂げたウマ娘。絶対王者にしてウマ娘界の主役。そしてメイショウドトウのGI二着五回のうちすべてのレースでオペラオーが一着だった。今日も勝利の凱歌を歌うためにメイショウドトウに襲い掛かる

 

 

『しかしメイショウドトウ依然先頭!ついに一矢を報いるのか!夢の一矢を報いるのか!』

 

 

ゴールまで残り200メートルまで迫るがオペラオーは依然捉えきれない。いつもと違う。オペラオーはドトウを抜き去ろうと歯を食いしばる力を振り絞る。またドトウもリードを守り切ろうと歯を食いしばり力を振り絞る。

 

ゴールまで100メートル、50メートル、10メートル、5メートル。0メートル

 

 

『メイショウドトウだ!やった~!やった!やった!メイショウドトウだ!ついにオペラオーを倒した!』

 

 

ゴールを最初に駆け抜けたのはメイショウドトウ。6度目の挑戦でついにオペラオーに先着する。ついにドトウがオペラオーを負かした。あの絶対王者のオペラオーが負けた。驚愕、喜び、困惑。様々な感情が渦巻き会場はざわついている。まるでどう反応してよいのか分からないようだった。

 

 

『あ~、ドトウが蹲っています!いったいどうしたのか!?』

 

 

ドトウがゴールを駆け抜け30メートルほど進んだところで両膝を地面につき顔を芝に埋めた。その様子を見て会場は一気にざわついた。会場の観客たちにある言葉が脳内に過る。

 

 

故障

 

 

宿敵オペラオーを倒すために100%以上出してしまった代償なのか?軽度の怪我ならまだいい、だが重度の怪我、まさか競争能力喪失するほどの怪我か、観客たちは祈りながら固唾を飲んで見守っていた。するとオペラオーはドトウの様子に気づき踵を返し戻り心配そうにドトウの顔を覗き込む。その顔は最悪の状況を想像しているのか険しい、だが数秒すると表情は弛緩し笑みすら見せていた。その目に映ったのは泣きじゃくるドトウの姿だった。

 

 

勝てました。やっと勝てました。

 

ドトウはそう呟きながら芝を涙で濡らし続けていた。GI連勝記録をストップさせた相手が目の前にいる。恨み言の一つや二つでも言いたいところだが恨みや憎さはまるで湧かない。何度も負けても立ち向かい一矢報いた。その精神力その走りに敬意に似たような思いを抱いていた。

 

オペラオーは労うようにドトウの背中を優しく擦る。そして立つように促すとドトウの片手を掴みその手を高らかなに上げる。その行動は『ボクに勝ったのだから胸を張れ、そしてファンの声援に応えてやれ』と言っているようだった。

 

 

『ドトウ!ドトウ!ドトウ!』

 

 

その姿を見た観客たちは自然発生的に勝者の名を叫ぶ。ドトウの勝利を望んだ者も、それ以外のウマ娘の勝利を望んだ者も、オペラオーの勝利を望んだ者すらドトウの健闘を称え拍手を送っていた。先ほどまでの重たい空気は吹き飛び会場は興奮の坩堝と化した

 

 

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チームプレアデスのチームルームでも阪神レース場と同じような雰囲気に包まれていた。レースを見ていたウマ娘達も感動を噛みしめるように画面を見つめていた。何回も敗れた相手に一矢報いる。フィクションでも使い古されたシュチュレーションだがそれ故に普遍的で心に響く。彼女たちはこの時はレースを走る競技者ではなくレースを愛する一ファンになっていた。皆が余韻に浸っているとそれをぶち壊すように一人のウマ娘が声を張り上げる。

 

 

「オペドトキテル!」

 

チームメイト達は一斉に声の主の方に首を向ける。栗毛の髪色に赤い大きなリボンをつけている小柄なウマ娘は興奮で息を弾ませ顔を紅潮させている。その姿を見たチームメイトはすぐにモニターに視線を向けた。彼女の奇行はいつものことだった。

 

彼女の名はアグネスデジタル。GIレースマイルCSに勝利しているチームプレアデスの看板ウマ娘だ。

 

 

「ねえ見た見た白ちゃん!ねえ見た白ちゃん!」

 

 

デジタルは幼子のように声をかける。白ちゃんと呼ばれる壮年の男性はデジタルに首を向ける。彼はチームプレアデスのトレーナーだ。トレーナーは興奮状態のデジタルとは違い冷静に答える。

 

 

「ああ、あの先行策。ドトウの作戦勝ちやな。だがドトウの走りは見事だった」

 

 

勝利はカトンボを獅子に変える。ドトウの実力は元々認めているところだったがこの勝利で化けるかもしれない。そしてオペラオーも久しぶりの負けという屈辱を味わいさらに強くなるだろう。秋での二人の対決が楽しみだ。トレーナーではなくウマ娘レースの1ファンとして思いをはせる。しかしその答えはデジタルが求めているものではなかった

 

 

「違う!あのオペドトの絡み!最初は自分の勝利を邪魔するナルシストのいけ好かない奴と思っていたドトウちゃん!でもワンツーフィニッシュを繰り返し心を通じ合わせていくうちにオペラオーちゃんに魅かれていくドトウちゃん!そんな時オペラオーちゃんは宝塚に勝ったら海外挑戦ということを知りショックを受けるドトウちゃん!もっとオペラオーちゃんと走りたい!掲示板の一着と二着は私とオペラオーの指定席!オペラオーを他のウマ娘に渡さない!そのためには自分が勝ちオペラオーの海外挑戦を白紙にさせるしかない!そして魂の激走!そして一方オペラオーちゃんは負けたショックで放心状態!それで……」

 

「わかった!わかったから」

 

 

先ほどよりさらに興奮状態で捲し立てるデジタルをトレーナーは手で制した。顔は数センチまで近づき興奮状態で話しているせいか唾が飛んできて汚い。

 

何回も負け続けた相手に雪辱を果たす。判官贔屓心を擽る状況であり、その相手が自分を倒した相手を讃えて大歓声に包まれる会場。確かに感動的な場面で確かに胸が熱くなる。だがここまで興奮できるものなのか?

さらにデジタルは事実に有ることないこと自分の妄想を付け加える。カップリングがどうのこうのなど、攻めだの受けだの専門用語をよく聞かさられる。最初は白井はもちろん同じチームのウマ娘もそのデジタルの情熱、いや奇行に引いていたが、今ではすっかり慣れてデジタルがトレーナーに自分の妄想をぶつけるのは日常の光景になっていた。むしろデジタルに感化されたのか他のウマ娘がデジタルとカップリングについて話しているのもよく見かける。

 

 

「ほら、インターバル終了!宝塚記念見終ったならトレーニング再開や!」

 

 

デジタルの妄想トークから矛先を逸らそうとトレーニング再開を促す。チームメンバーはトレーナーの言葉に従いチームルームからトレーニング場に向かう。デジタルも妄想トークを止めトレーニング場に向かう。だが名残惜しそうに振り返りモニターに映るドトウとオペラオーの姿を見つめる。

 

 

「宝塚記念は録画予約しているから後で見ろ、さっさとトレーニング行って来い」

 

 

デジタルはその言葉に納得したのか渋々トレーニング場に向かう。チームルームから退出する際にデジタルは小声で呟いた。その言葉はトレーナーの耳に届かなかった。

 

 

「あたしもオペラオーちゃんとドトウちゃんの絡みをもっと近くで見たいな」

 

 

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「突き抜けた!突き抜けた!アグネス!アグネス!アグネスデジタル完勝!」

 

 

盛岡レース場で行われるダート1600メートルのGIレース南部杯。

 

アグネスデジタルなどの中央ウマ娘と各地にあるトレセン学園に似たような学園に所属している地方ウマ娘。

 

その中央と地方のウマ娘が一緒に走る地方交流レースであり、中央で行われるGIレースとはまた違った盛り上がりを見せるレースだ。

 

そしてアグネスデジタルはこのレースに出走して地元の強豪ヒガシノコウテイを抑え勝利した。

 

 

「ようやったなデジタル」

 

 

トレーナーはデジタルにタオルを渡し勝利をねぎらう、デジタルは他のウマ娘の返り砂を拭き満足げな表情を見せる。

 

 

「食べ物も美味しいし、レース場のロケーションも綺麗だし、いいところだね。何よりヒガシノコウテイちゃん!あの体つきは中央のウマ娘にないもので眼福!それにあの中央ウマ娘に絶対に勝つっていうあの眼!たまらない~!」

 

 

デジタルは満足なレースが出来たのか笑顔見せて相変わらず興奮気味に喋りかける。

 

トレーナーはデジタルの能力に少なからず感嘆していた。デジタルは東京や京都など中央のウマ娘が走るレース場以外に、船橋、川崎、大井、名古屋などの地方ウマ娘協会が主催するレースに出走したことがある。ウマ娘は人間と比べて多少神経質なところがあり、中央では実力が発揮できても地方の独特な環境に戸惑い力が発揮できないウマ娘も多い。だがデジタルは地方でも変わらず実力を発揮している。精神力が強い、いやマイペースというべきか。環境の変化に戸惑うことなくただ一緒に走るウマ娘に関心を向けている。それがデジタルのマイペースの所以だろう。

 

 

「ねえ、次はどのレース出るの?」

「次はJBCの予定や。2000メートルは勝ったことがないが今のお前なら十分やれるやろ」

「白ちゃん。あたし秋の天皇賞に出たい!」

 

 

トレーナーはデジタルの思わぬ発言に目を見開く。

 

天皇賞秋。東京レース場で行われる芝2000メートルGI。秋の中距離GI三連戦の初戦のレースの最近のウマ娘界は中距離を重視する傾向があり、秋の天皇賞の価値は高まっている。

 

このレースにデジタルを走らせる選択肢は今までまるでなかった。

 

デジタルはかつて芝の1600メートルのGI、マイルCSで勝ったことがある。だがデジタルはマイルCSに勝ってから芝のレースで三回走ったがいずれも勝つことができなかった。その敗戦もさることながらデジタルはダートの方に若干適正があると考えておりダートで走らせていた。だが今なら良い戦いできるだろう。だが。

 

 

「けどオペラオーが出てくるからな」

 

 

天皇賞秋にはテイエムオペラ―が出走してくる。宝塚記念でドトウに負けたといえど中長距離NO1ウマ娘の座は揺るがない。比類なき勝負根性、ゴール前で計ったように差し切るレースセンスと瞬発力。その力は歴代ウマ娘の中でも屈指であると評価していた。

 

さらに2000メートルという距離。ありえない位置取りから差し切った皐月賞。他のウマ娘に完勝した去年の天皇賞秋。オペラオーのベスト距離は2000メートルであると考えていた。

 

やるからには目指すは勝利のみ、勝負を放棄しライブに出られる2着3着を狙うのは主義に反しチームのウマ娘にもそんなレースはしてもらいたくはなかった。

 

2着3着狙いなら可能だろう。だがオペラオーを倒して一着になるには少々分が悪い。

 

 

「お願い!あたしオペちゃんとドトウちゃんと一緒に走りたいの!」

 

 

いつものあっけらかんな態度と打って変わり真剣に頼み込む。

 

デジタルは今までトレーナーが提案したレースに出走することに異議をとなえることがなかった。

 

他のウマ娘は憧れのこのレースに勝ちたい、あのウマ娘に勝ちたいとレースの変更を求めることがある。そんなウマ娘はトレーニングにいつも以上に力を入れている。だがデジタルは一切しない。ただ指定されたレースに出走し、普段通りトレーニングしていた。

 

 

だが今デジタルは初めて執着を見せた。その執着がデジタルを強くしオペラオーを打ち負かすかもしれない。トレーナーはデジタルの執着に可能性を賭けた。

 

 

「ちょっと待っていろ、今調べるから」

 

 

トレーナーは手持ちのタブレットを立ち上げる。天皇賞秋は外国で生まれたウマ娘、俗にいうマル外は二人しか出られない。そして出走を決めるのは各レースの着順で得られるポイントの多さで決まる。

 

一人はメイショウドトウで決定的である。そしてアグネスデジタルが南部杯に勝ったことによりポイント数で二位になり出走が可能だ。

 

 

「デジタルは出走可能か、よし次は天皇賞秋や」

「ありがとう白ちゃん!」

「抱き着くなや!」

 

 

デジタルは喜びのあまりトレーナーに抱き着き、その様子を見たウマ娘や関係者が如何わしいものを見るような視線を向ける。

 

トレーナーはしっかりと抱き着くデジタルを必死に引きはがした。

 

 

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「フェラーリちゃん今月号のユウシュン読んだ!?」

「読んでないけど。何か面白い記事でも有ったの?」

「面白いも何も、オペラオーちゃんとドトウちゃんの記事でしょ!やっぱりオペドドキテル!」

「へえ~。じゃあ次読むから貸してよ」

「いいよ。あたしがオペドトの素晴らしさをたっぷり解説してあげる」

「それはいいわ。しかし本当に楽しそうね」

「うん。早く天皇賞秋で生絡みを見たいな」

 

 

チームルームではメンバーがトレーニングの準備をしながらそれぞれ思い思いに雑談に興じる。昨日のTVの話題、今日の授業の内容について、来週のGIの予想。会話は弾みチームルームは和やかな雰囲気に包まれる。すると扉をノックする音が辺りに響く。

 

 

「お~い、着替え終わったか?」

 

 

トレーナーが来た。デジタルは皆が着替え終わっているのを確認すると入っていいよとドア越しに伝え、トレーナーは入室し後ろに設置されているホワイトボードの前に立つ。それに反応するようにウマ娘達は床に座り話を聞く体勢を作る。トレーニング前だけあり先ほどまでの和やかな空気は薄れ真剣みが増していた。トレーナーは全員がいる事を確認し言葉を発しようとするが、それは思わぬ来訪者によって邪魔される。

 

 

「アグネスデジタルとそのトレーナーはいます!?」

 

 

扉を蹴破らん勢いで一人のウマ娘が鼻息荒く入室する。白髪のロングヘアー、肌も新雪のように白い。だがその肌は興奮で赤みを帯びていた。ある者は不安そうに、ある者は警戒心を募らせながら見つめる。誰しもが少なからずこの来訪者は友好的ではないことを理解していた。場は剣呑な雰囲気に変わっていく

 

 

「私はチームリギルのウラガブラック。それでアグネスデジタルとトレーナーはどこです!」

「あたしだよ」

「俺がデジタルのトレーナーや」

 

 

デジタルとトレーナーはウラガブラックの敵意に満ちた空気にあてられることもなくいつも通り鷹揚と答える。

 

ウラガブラックは二人の姿を確認し、トレーナーの方にツカツカと歩み寄り顔を近づけ睨むように目線を定める。

 

 

「単刀直入に言います。アグネスデジタルを天皇賞秋から回避させてください」

 

 

トレーナーはその言葉を聞きすべてを理解した。

 

ウラガブラック。ジュニアクラスでGIレースNHKマイル一着などの輝かしい成績を誇る世代屈指の実力者。そしてマル外である

 

ウラガブラックは天皇賞秋に出走登録していがデジタルが出走登録したことでレースポイント所持数で登録から弾かれる。弾かれるウマ娘のことは考えていなかったがウラガブラックがそうだったのか。そして出走する為に直談判しに来た。

 

 

「私なら一着になって、テイエムオペラオーとメイショウドトウがいつも一二着の退屈で停滞した中長距離レースに風穴を開けられます。ファンもきっとそれを望んでいます。ですから回避してください!」

 

 

自分ならオペラオーとドトウに勝てる。その自信家ぶり、そしてわざわざ直談判しに来る心意気。トレーナーはその心意気を買っていた。自分が出走登録し、デジタルが天皇賞秋への気持ちがいつもと同じ言われたから走る程度だったら譲ってやらないことはないが、このレースはあのデジタルが始めて自ら走りたいと志願したレースだ。譲ることは出来ない。

 

 

「すまんな。デジタルは天皇賞秋に出走させる。協会に枠を増やせと直談判するなら俺も少なからず協力する」

 

 

協会に頼み込めばマル外の枠が増えるかもしれない。だがそれは少なくとも来年のことだろう。天皇賞秋まで残り三週間弱。その期間でマル外の出走枠を増やせるほど協会のフットワークは軽くは無い。そしてウラガブラックもそれは重々承知していた。

 

視殺戦のようなにらみ合いが数秒続きウラガブラックのほうから目線を逸らす。トレーナーを説得するのは無理だと察した。

 

ウラガブラックはアグネスデジタルに向かって歩み寄りトレーナーの時と同じように目線を定める。ウラガブラックのほうがデジタルより身長が高く見下ろすようになっておりその場面だけを切り取れば上級生が下級生をカツアゲしているようだった。

 

 

「天皇賞秋を回避してください。貴女ではテイエムオペラオーには勝てません。ですからマイルCSに出走すればいい。マイルCS連覇。偉業じゃないですか」

「偉業?」

「そうです。偉業です。ですが天皇賞秋に出走すれば疲れが残りマイルCSに勝てないですよ」

「そんなの興味ない。あたしはマイルCSに勝つよりオペラオーちゃんとドトウちゃんと一緒に走ることのほうが重要だから」

 

 

ウラガブラックはデジタルの言葉に違和感を覚えた。一緒に走ることのほうが重要?何故天皇賞秋に勝つと言わないのか?すると脳内である結論に達しそして激怒した。

 

 

「何で私の夢を邪魔するの!一緒に走りたい!?そんな下らないことのために出るなら枠を譲りなさいよ!」

 

 

ウラガブラックはデジタルのトレーニングウェアの襟首を掴みヒステリックに叫ぶ。こいつは勝つ気がさほどない。そんな奴に私の夢を邪魔されるのか!

ウラガブラックにはある夢がある。それは凱旋門賞に勝つこと。そして今年は国内で文句なしの実績を積み国内最強の座を勝ち取る、来年は同じチームのエルコンドルパサーのように長期遠征で凱旋門賞に望む。それが描いていた計画だった。

 

国内最強の座を得る為には秋の三冠。天皇賞秋、ジャパンカップ、有マ記念を全部勝つか、最低でも二つは勝たなければならないと考えていた。

 

 

一つ目のジャパンカップ。このレースには現時点では出走不可である。同チームから一レース四人まで出走可能と定められており、リギルからはシンボリルドルフ、ナリタブライアン、エルコンドルパサー、グラスワンダーが出走をきめている。四人のレースポイントはウラガブラックのポイントを遥かに上回っていた。

 

 

そして有マ記念はファン投票で出走ウマ娘を決めるレースである。このレースならポイント数の有無に関係なくファン投票が上位なら出られるが、NHKマイルしか勝っていないウラガブラックが選ばれることはほぼない。

 

 

このままでは天皇賞秋ではマル外の枠で弾かれ、ジャパンカップではポイント数で弾かれ、有マ記念では人気投票で弾かれ、秋の三冠レースに一つも出られない。

 

だが天皇賞秋に出走できれば道は開ける。天皇賞秋で一着か二着にならばジャパンカップへの優先出走権が与えられる。そうならばポイント数も関係ない。弾かれるのはリギルで一番ポイントが少ないウマ娘だ。出走さえできれば誰にも負けないという自負があった。

 

 

「下らないこと?」

 

 

デジタルはウラガブラックが発した言葉を鸚鵡返しし、その顔を見上げる。その表情と目つきはいつもの陽気で鷹揚とした雰囲気とはまるで違っていた。

 

 

「それが何よりも重要なの!あなたにはオペラオーちゃんとドトウちゃんの尊さが分からないの!?宝塚記念を経て二人の関係は変わっていく!ドトウちゃんはオペラオーちゃんが今まで勝利だけで自分事を見てくれなかったが今は自分を見てくれていることに気づく!それを喜ぶドトウちゃん!けど何故喜ぶの?それはライバルとして見てくれるから?それとも別の感情?いつの間にか芽生えていた恋心に無意識に蓋をして苦しむドトウちゃん!一方オペラオーちゃんも……」

 

 

デジタルは一方的に妄想トークを繰り広げる。極度に興奮しているせいか、目が血走り鼻血を出し口元から涎が出ている。それはまるで薬物中毒者のようだった。その姿にいつも見慣れているはずのチームメイトやトレーナーすら引いていた。

 

 

「躍動する肉体!弾む呼吸!滴る汗!歯を食いしばる表情!レースを通して心を通わせる二人!その極上の光景が特等席で見られるんだよ!それ以上に何が重要なの!?ジャパンカップは距離が長いから勝負所で千切られて二人の様子が見られない!でも天皇賞秋なら千切られないし二人の様子がよく見られる!ここを逃したら一年は待たなきゃいけないんだよ?待てるわけないよ!あなたの夢なんて知らない!知らない!知らない!」

 

 

この豹変に慣れているはずのチームメイトとトレーナーが引いているのであればウラガブラックはさらに引いていた。いや恐怖すら覚えていた。このウマ娘は何を喋っている。尊い?恋心?言っている事が何一つ理解できない。

 

そしてこの圧倒的熱意。自分には夢がありそれを叶えようとする情熱がある。だがデジタルはただ一緒に走るということに自分以上の熱量を注いでいるように感じた。

 

ウラガブラックは未知の恐怖と熱意の前に無意識に襟元から手を放し、後ずさっていた。

 

 

「マイルのダートウマ娘がオペラオーに勝てるわけ無いでしょ!この変態!」

 

 

ウラガブラックは涙ぐみながら脱兎のごとくチームルームを後にする。捨て台詞のように吐いた言葉は涙声でせめてもの抵抗だった。その様子をトレーナーとチームメイトは呆然と見つめていた。

 

 

「全く、オペドトの尊さがわからないなんて。でも顔を真っ赤にして詰め寄るウラガブラックちゃんも可愛かったな~あたしも大人気なかったし嫌われたくないから謝りに行ってこよう。白ちゃん、ちょっとウラガブラックちゃんのところ行ってくるね」

「待たんかいデジタル」

 

 

我に返ったトレーナーはデジタルに詰め寄り後ろから肩を掴み行動を阻止する。デジタルは何故止めるのかと振り返りながら不思議そうに見つめる

 

 

「大丈夫、トレーニングをサボるつもりはないから」

「いや、そういう問題じゃない。今のウラガブラックにお前みたいな変態が詰め寄ってきたらトラウマになる」

「変態?あたしが?」

「今の様子を見て確信した。お前変態やわ」

「白ちゃんヒドイ!あたしはウマ娘が大好きなだけだよ」

 

 

デジタルは賛同を求めるようにチームメイトに視線を向ける。だが向けられる視線の意味はトレーナーの意見への賛同だった。

 

 

「あたしもトレーナーと同じ意見」

「ちょっとこれから距離置いていい」

「女性同士でもセクハラは成立するから気をつけなよ」

「え~」

 

次々と投げつけられる手厳しい言葉にさすがに気落ちしたのか。その日のトレーニングは実が入らず時計は良くなかった。

 

 

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「おはよう!」

 

デジタルは教室に入るといつもより元気よくクラスメイトにあいさつする。

 

天皇賞秋まで残り3週間、あと3週間でオペラオーとドトウの絡みが生で見られる。そう考えると自然とテンションが高まっていた。

 

だがクラスメイト達の反応が鈍い、それに何か視線が若干の敵意が含まれている。まあ月曜だから機嫌が悪いのだろう。デジタルは気に留めることなく授業を受ける。だが気のせいではなかった。

 

日に日にクラスメイトや他のウマ娘の敵意めいた視線は増していた。普通なら気づくだろう。しかしデジタルはオペラオーとドトウのことで頭がいっぱいな全く意に介してなかった。

 

 

「あんた本当に図太いというか鈍感ね」

 

 

デジタルが食堂で食事を摂っていると対面側に一人のウマ娘が座り込む。

 

エイシンプレストン。

 

クラスメイトの一人で同じマル外さらに同室ということもありデジタルとは親しい友人である。

 

 

「どういうこと?」

「あんた今陰口叩かれているのを知っている」

「そうなの?」

「知らないってことは原因も知らないわね。ずばりあんたがウラガブラックを弾いて天皇賞秋に出走するからよ」

「ウラガブラックちゃんか、そういえば天皇賞秋に出たいってチームルームに来たっけ。で、それが何の関係があるの?」

 

 

プレストンは天皇賞秋に出ることと陰口を叩かれることの因果関係を説明する

 

 

中長距離路線はオペラオーとドトウが一二着を独占していた。同じような顔ぶれ、同じようなウイニングライブ。その現状にウマ娘ファン達は嫌気がさしていた。そしてファンは停滞した現状を壊すニューヒーローを待ち望んでいた。

 

 

それがウラガブラックだった。圧倒的なポテンシャルを持ちオペラオーとドトウとまだ戦っていない新勢力。ファンは二強を倒してくれることを期待した。

 

だがそこにアグネスデジタルが出走を決め、マル外の二人の枠から弾かれてしまった

 

 

それが片や数々のGIウマ娘が所属している最強のチームのリギルに所属し、チームの期待のルーキーであるウラガブラック。

 

片や全体で見て中位ぐらいの成績のパッとしないチームプレアデスに所属し、GIは勝っているもの抜群の成績をあげているわけではなく、芝よりランクが低いと認知されているダートで走り、2000メートルのレースで実績がないアグネスデジタル。

 

 

両者ともオペラオーとドトウとは初対決であるが、ファンとマスコミがどちらに期待するかは一目瞭然だった。

 

 

「であんたは『ダートのマイラーが勝てるわけない』『ウラガブラックの可能性を摘んだ』『ウラガブラックのレースが見たいんだよ!空気読めよ』とファンに思われて、そして少なからず同じ気持ちのウマ娘がいるわけ。わかった?」

「ふ~ん」

 

あの視線はそういう意味だったのか。しかしどうでもいい。

 

その程度の敵意でオペラオーとドトウの生絡みが見られる特等席を退くほど二人に対する想いは安くない。プレストンの説明はさらに続く

 

 

「それにリギルやスピカのメンバーが海外挑戦しているなか、オペラオーさんとドトウさんは国内でずっと走っているのも気にいらないみたい。弱い者イジメするなよってさ。まあヒール的な扱いをされちゃっているわけよ」

「オペラオーちゃんとドトウちゃんのどこがヒールなの!」

 

 

デジタルは食卓を全力で叩き激昂し食堂の視線は二人に集まる。プレストンは注目が集まるのが耐え切れなかったのかデジタルを宥め席につかせる。一方デジタルの胸の中には怒りが渦巻いていた。

 

何故オペラオーとドトウの美しいライバル関係に心惹かれない。この関係はウマ娘史上でも最も素晴らしい関係だ。自分達は歴史の証人なのだ。それなのに何故嫌気がさす?何故関係が壊れることを望む?自分ならこの関係がいつまでも続いてほしいとすら願っている。デジタルは世間の感性がまるで理解できなかった。

 

 

そして翌日からデジタルを取り巻く空気が変わる。

 

デジタルを見る視線は敵意から憐れみに変わっていた。時には「かわいそうだね」と直接声すらかけられた。さすがに鈍感なデジタルも空気の変化を感じ取った。何かが起きている。周囲の変化に目敏いプレストンなら何か知っているかもしれない。デジタルは授業とトレーニングが終わるとすぐさま自室に向かう。すると一足先にトレーニングが終わったのか部屋着でくつろいでいるプレストンの姿があった。

 

 

「どうしたのデジタル?」

「最近あたしに対して、こう……優しいというか憐れんでいる感じがするけど何か知らない?」

「ああ、きっとこのことだよ。というよりあたしも事の真相をデジタルに聞こうと思っていたんだよ」

 

プレストンは携帯端末を操作し画面を見せる。画面に映っているのはウマ娘について意見を交わしている掲示板だった。

 

 

『プレアデスのトレーナーまじムカつく!』

 

『ウラガブラックの枠つぶしの真の犯人はデジタルじゃなくてトレーナー』

 

『記念出走のためにデジタルを利用した無能トレーナー』

 

 

目に飛び込んでくるのはトレーナーに対する罵詈雑言だった。

 

 

「ある雑誌でデジタルの天皇賞秋出走を決めたのは自分だ。デジタルは出たくないと言ったが強制的に登録したってインタビューで語っていたの」

「こんなのデタラメだよ!」

「あたしもそう思うけどトレーナーさんは一切否定しないし。それを信じたファン達がこうやって掲示板でああだこうだ言っているわけ」

 

 

デジタルはすぐさま部屋を飛び出し書店に向かいその記事が掲載されている雑誌を購入し内容を確認する。

 

確かにそのようなことが書かれていた。だがそれでも記事の内容を信じられなかった。トレーナーは出走レースを指定するが自分やチームメイトにレースに強制的に出走させることは一度もなかった。

 

何故こんな嘘をつく?デジタルは脳細胞を最大限働かし考えるが答えは出ない。答えが出ないなら答えを聞けばいい。それが脳細胞の導き出した答えだった。

 

デジタルは全速力でトレーナーの家に向った。

 

 

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ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。ピンポーン

 

 

「何やこんな夜に」

 

 

時刻は22時をまわっているこんな時間に訪問販売か、というよりどれだけチャイム鳴らしている。トレーナーは機嫌を一気に悪くさせながら扉を開ける、

 

 

「呼び鈴は一回押せば充分って……デジタル!」

「白ちゃん説明!」

 

 

扉の前にはまるでレース後のように息を乱しているデジタルが立っていた。なんでいる?格好も外用の服というより近場のコンビに行くようなラフな格好である。この息の乱れ具合とこの格好。まさか寮から来たのか?

「お前寮から来たのか?」

 

「白ちゃん説明して!」

 

 

デジタルはトレーナーの言葉を一切聞かず大声で説明を求める。このままでは近所迷惑だ。トレーナーは半ば強引に家に入れた。

 

 

「まあ、とりあえず飲め」

「ありがとう」

 

 

ちゃぶ台に座ったデジタルは差し出された麦茶を口につける。寮からここまで数十キロの道のりを給水無しで走った体は水分を欲していたのか瞬く間に飲み干す。

 

水分を摂取し一と心地つき余裕が生まれたのか辺りを見渡す。アパートの間取りだった。普通のちゃぶ台、普通のテレビ、普通の座布団。

 

だが普通のものではないもあった。ちゃぶ台の横にある積み重なった雑誌や紙束、それらは全部ウマ娘についてのもので中には英語で書かれているものもあった。そして壁に飾られている数々の写真。

 

それらも被写体はすべてウマ娘だった。写真の中にはチームメイトや自分自身、中には見知らぬ者の写真もあった。

 

 

「で、なんの用や」

 

 

対面に座ったトレーナーはデジタルに質問する。その声色には夜分遅くに訪れたことやチャイムを連打したことへの怒りはなく、ただ何故ここに来たかという疑問が含まれていた。

 

 

「これはどうゆうこと?」

 

 

デジタルは有無を言わさず例のインタビューが掲載されている雑誌に投げる。トレーナーはその雑誌を眼で確認すると気づいたかとバツの悪そうな顔を見せた。

 

 

「何であんな嘘つくの?天皇賞秋に出るって言ったのはあたしだよ。それなのに雑誌では『俺が無理やり天皇賞秋に登録した』なんて。ねえ何で?」

 

 

デジタルは身を乗り出し額と額がくっつきそうなほどに顔を近づける。一方トレーナーは目線を一瞬逸らす、嘘で煙巻くか、それとも真実を言うか。数秒間の沈黙の後話を切り出すように息を吐く。

 

 

「デジタル、ウラガブラックが天皇賞秋に出走できなかったことでファンやマスコミの間で騒ぎになっているのは知っているか?」

「うん、プレちゃんから聞いた」

「そうか、それでウラガブラックが出走できなかった不満や怒りがどこに向かうと思う?」

「あたし」

「そう、それでマスコミがそのことについてインタビューしにくるだろう。それでお前がウラガブラックを押しのけたことについて聞かれたら『知らない、あたしはオペドトが見たいだけだから』とか言ってファンやマスコミを逆撫でするのは目に見えていた。お前は空気読まないというか周りに目を向けないからな」

 

 

デジタルは思わず頷いてしまう。図星だった。もしそんなことをインタビューされていたらまさにトレーナーが言ったようなことを答えるだろう。オペラオーとドトウの生絡みを見ることが最優先であり、他のウマ娘のこと。ましてやファンのことなど欠片も考えてなかった。

 

 

「いくら鈍感でマイペースなお前も世論で悪役にされたらさすがにキツイやろ。だから俺が天皇賞秋に無理やり出させたということにした。それならファンやマスコミの怒りは俺に向くし、お前はトレーナーの被害者ということでいろいろと言われることもないだろう。というわけや、だから記事のことが本当か聞かれたらそうだと答えるんや」

 

 

まさにトレーナーの読みどおりだった。ある日を境に周囲に向けられていた怒りや不満は哀れみに変わる。あの変化は自分がトレーナーの被害者と認知されたからだったのか。

 

説明を聞き理屈はわかったし、その効果もわかった。だが納得はいかなかった。

 

 

「嫌!おかしいよ!何で白ちゃんが悪口言われなきゃいけないの?まずあたし達がなんで悪口を言われなきゃならないの?そもそもオペラオーちゃんとドトウちゃんが悪者扱いなのがおかしい!」

 

 

デジタルは不満をぶつけるように声を張り上げる。

 

何故やりたいことをしようとしただけで文句を言われる。それにこの騒動の原因はオペラオーとドトウという憎まれ役を倒すウラガブラックというヒーロー候補が出られなくなったということだ。まずその前提自体がおかしい。

 

そのデジタルに対しトレーナーは教え子に対する教師のように諭すように話した

 

 

「デジタル、ファンは常に刺激を求めて停滞を拒む。絶対王者、オペラオーとドトウのワンツーフィニッシュはファンにとってまさに停滞の象徴なんや。人気があればここまで打倒オペラオードトウの空気にはならないだろうが、如何せんあの二人は人気がない。勝ち方は地味で着差も少ないし」

 

 

仮にメイショウドトウがサイレンススズカのような逃げウマ娘、テイエムオペラオーがミスターシービーのような追い込みウマ娘ならもう少し人気が出ていただろう。だが二人は先行抜け出しか好位差しという面白みのないレーススタイルである、しかもぶっちぎって勝つというわけではなく、ハナ差やクビ差、開いても一バ身差という地味なものだった。

 

 

「俺みたいな関係者、お前みたいなプレイヤーには二人がいかに凄いか分かる。だがファンにはあの凄さは伝わりにくい。この流れはある意味必然なのかもしれん」

 

 

トレーナーはウマ娘の関係者であると同時にウマ娘レースのファンでもあった。だからこそファンの主張も理解できる。もしトレーナーではなく1ファンだったら同じような気持ちを抱いていだきデジタルが出ることに文句を言っていたかもしれない

 

 

「だから世間の不満は俺がすべて受け止める。デジタルは何も気にせずオペラオーとドトウのことを妄想してグフフと気色悪く笑いながら、指折り数えて天皇賞秋まで待っていればええんや」

 

 

トレーナーは笑顔をつくりながらデジタルの髪をクシャクシャと撫で、それを無言でうつむきながら受け入れる。

 

なんて不器用な人なのだろう。自らが盾になり誹謗中傷を受け止めるなんて。そんなやり方ではなく自分が傷つかないもっとかしこいやり方があったはずだ。それに気にするなと言っているが誹謗中傷を受ければつらいに決まっている。それなのに

 

今まで好きなことをやって好きなように生きていたつもりだった。だがそれは周りにいる人々がフォローしてくれたからできたことなのかもしれない。デジタルはトレーナーの不器用な思いやりに嬉しさと感謝の念を抱く。そしてその気持ちを言葉に出した。

 

 

「わかった。ありがとう白ちゃん」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

レース前々日の金曜日。GIレースが行われる日はレース場近くの会場を借りて枠順決定の抽選と記者会見を行われる。ウマ娘達は豪華絢爛なドレスに身を包み場の雰囲気はGIレースに相応しく華やかだ。

 

 

「テイエムオペラオー選手くじを引いてください」

 

 

司会の声に促されピンクと黄色を基調としたドレスを身につけたオペラオーが壇上に上がりくじを引く。抽選方法は今までのレースで獲得したレースポイントが多いものからくじを引いていく。オペラオーは獲得レースポイントが一位なので最初にくじを引く

 

 

「テイエムオペラオー選手。5枠6番です」

 

周りから儀式的な拍手が起こる、枠としては可もなく不可もないポディションだ。

 

 

「メイショウドトウ選手。くじを引いてください」

 

青とピンクを基調にしたドレスを身に纏ったメイショウドトウが猫背気味に壇上に上がる。すると壇上から降りるオペラオーとすれ違いざまに視線を合わしくじを引いた。

 

 

「メイショウドトウ選手。2枠2番です」

 

 

次々とウマ娘達がくじを引いていきデジタルの番が回ってくる。

 

しかしデジタルは一向に壇上に上がる気配を見せない。

 

 

「おいデジタル!呼ばれとるぞ。速くくじを引いてこい」

 

 

デジタルはトレーナーに促されて赤青黄の色を散りばめたドレスをはためかせ小走りで壇上に向かう。オペラオーとドトウが一瞬交わした視線。あの視線で多くを語ったのだろう。さすがオペドト。ウマ娘史上最高のカップリングだけある。

 

 

「アグネスデジタル選手。7枠10番です」

 

 

デジタルは壇上に上がりオペラオーとドトウに視線を配らせながらくじを引き、そそくさと自分の席に戻った。

 

「7枠か、もう少し内枠が良かったんだがな。て聴いてんのかデジタル」

「オペラオーちゃんと目が合っちゃったよ白ちゃん。あの紫にキリリとした瞳、それにこっちが目線を外すまで視線を晒さなかったよ。あの勝気なところがいいよね~。ドトウちゃんは一瞬あったけどすぐ逸らしちゃった。そのぶんいっぱい見れたけどグフフ」

 

 

気味が悪い笑みをこぼすデジタルを見てトレーナーは思わず笑みをこぼす。

 

自分の枠よりオペラオーとドトウの様子が気になるか。相変わらずの平常運転だ。

 

そうこうしているうちに出走ウマ娘の枠順が決まり、記者会見に移り始めウマ娘達は再び壇上に上がるように促される。

 

 

「デジタル、不用意なことを喋らないように気を付けろよ」

「大丈夫大丈夫」

 

 

トレーナーはデジタルが少しスキップ混じりで壇上に上がって行く後ろ姿を不安そうに見つめる。

 

会見でファンやマスコミ受けが悪い、煽るようなことは言わない様に打ち合わせをしたが全く安心できない。頼むから余計な事を言うなよ。祈るように記者会見を見つめる。

 

流れとしては全員が一言二言喋り、その後は記者たちが質疑応答に移り、全員が無難に答えていくなか、一人だけ空気を読まず喋るウマ娘がいた。

 

 

「降着にされたがオペラオーに先着したのは紛れもない事実。オペラオーの底は見えたし、宝塚でオペラオーにまぐれで勝ったドトウ。その他は問題なし!このレースを勝つのはあたしだ!」

 

喋り終ると椅子にもたれ掛るように行儀悪く座る。黒と黄色のドレスは明らかに着崩している

 

 

キンイロリョテイ

 

 

中長距離のGIレースで三着以内に何回も入っている実力者。潜在能力はオペラオーすら凌ぐとも言われているがこの気性の荒さ故にレースで実力を発揮できていなかった。だが今年になって海外で行われたGIレース級のメンバーが集まったGIIに勝利するなど本格化の兆しを見せており、トレーナーも警戒していた。

 

 

しかしプロレスラーのマイクみたいだな。協会からは煙たがれ注意を受けているがファンの受けは意外と良いらしい。まあ興業という意味ではこういう者が一人ぐらいいたほうがオモシロい。

 

キンイロリョテイのコメントが終わりデジタルの番が回ってくる。

 

 

「テイエムオペラオー選手やメイショウドトウ選手などの一流の選手と走れて光栄です。GIレースに恥じない走りをしたいと思います」

 

 

トレーナーは胸をなで下ろす。

 

打ち合わせ通りのコメントだ。さすがのデジタルもここではアドリブを入れてこないか。

 

だが次の記者質問がやっかいだ。打ち合わせはしたが、こちらが想定していない質問をしてきてデジタルが不用意なことを言うかもしれない。そして質疑応答に移った。

 

 

「オペラオー選手、前哨戦では勝利しましたが降着繰上りでした。去年より不安要素が有るように見受けられますが?」

「問題ないね。調子も好調を維持している。宝塚では足元をすくわれてしまったが、もう一つも落とさない。秋のGIは全部勝ち、来年の春のGIも全部勝ち、文句なくキングジョージ、そして凱旋門に行かせてもらうよ」

 

 

オペラオーのコメントに会場がどよめく。国内のレースに全勝して世界最高峰のレースに挑むと言い放ったのだ。ビックマウスだがもしかするとオペラオーなら。場の空気はそんな期待感に包まれる。そのコメントにキンイロリョテイがすかさず反応を見せる

 

 

「無理無理、ドトウ程度に負けるような奴に勝てねえ。というよりあたしがお前らを負して国内に引きこもらせてやるよ」

「相変わらずのビックマウスだねリョテイ。だがドトウはキミより強いよ。第一キミはボクとドトウに一度も先着していないじゃないか。いつになったら本格化するのかな?」

 

 

売り言葉に買い言葉。キンイロリョテイは椅子から立ち上がりオペラオーに詰め寄り睨みつける。場は一触即発の空気に包まれる。数秒間両者の睨みあいが続きリョテイが視線を逸らし自分の席に座った。

 

 

「え~質疑応答を再開します」

 

ザワザワと周囲がざわめくが司会が何事もなかったように進行する。

 

 

「ドトウ選手ははれてGIウマ娘になりましたが、何か心境の変化はありましたか?」

 

 

先ほどの剣呑な雰囲気に委縮しているのかドトウはいつも以上にビクりと体を震わせ、いつも以上に恐る恐る口を開く。

 

 

「私がGIウマ娘なんて信じられないです。いまだに夢なんじゃないかって思っています。でも……でも……まぐれでもオペラオーさんに勝てましたのでそれに恥じないレースをして……また勝てたら嬉しいです」

 

 

ドトウの丸まった背中が少しだけ伸びている。そのコメントにオペラオーの発言とは別の意味で会場がどよめく。インタビューでも会見でもつねにネガティブな発言しかしなかったドトウがオペラオーに勝ちたいと言った。この心境の変化に記者たちは驚いていた。

 

 

質疑応答はオペラオー、ドトウ、キンイロリョテイの有力ウマ娘を中心に進んでいく。キンイロリョテイも言葉遣いは荒いものも比較的に大人しく質問に応えつつがなく進み、ついにデジタルに質問が回る。

 

 

「デジタル選手は久しぶりの芝ですが不安はありませんか?」

「……あっ、はい、すみませんもう一度お願いします」

「デジタル選手は久しぶりの芝ですが不安はありませんか?」

「えっと。芝のGIも勝っていますし、芝に対して違和感はありません。大丈夫です」

 

 

デジタルは急に振られたせいか慌てながらも質問に答える。これはトレーナーが想定した質問であり答えをあらかじめ考えていたおかげで何とか答えられた。

 

 

「ウラガブラック選手を押しのけて天皇賞秋に出走するということは、余程自信がおありですか?」

 

やはり来たか。トレーナーは内心舌打ちをする。

 

デジタルとウラガブラックのことは切っても切れない話題だ。ゆえにこの質問にたいする答えも想定している。頼むぞデジタル。余計な事を言うなよ。トレーナーは祈るように見守る。

 

 

「レースに絶対はありませんので確実に勝てるという保証はありません。そしてウラガブラック選手が出走できないことは心を痛めております。ですが私も勝算を持ってこのレースに臨んでおりますのでご理解いただきたいとしか申し上げることができません。これ以上このようなことが起こらないようにマル外の出走枠拡大について協会の皆さまが御検討していただければ幸いです」

 

 

よし練習通り、トレーナーは思わずガッツポーズをした。

 

デジタルのこの応答に対しこれ以上突っ込めないと察したのか記者は質問を止め、ウラガブラックについての質問はされなかった。そして質疑応答は終了した。

 

 

「お疲れさん。ちゃんと答えられたな。あとオペラオーとドトウの妄想していただろう。だから最初の質問の時に聞き返した。違うか?」

「あれ分かる?いや~生オペドトでこんな濃密な絡みが見られるなんて!ドトウちゃん…」

「言うな。お前の妄想はだいたい分かる。」

「じゃあ言ってみて」

「リョテイにドトウを侮辱されたことに反応したオペラオー、そしてドトウがオペラオーに勝ちたいといったところから妄想してたんやろ」

「うん、だいたい正解。白ちゃんもわかってきたね」

「散々妄想トークを聞かされたから嫌でもわかるわ。よし帰るぞ」

「ちょっと待って、あと白ちゃん預けたスマホ貸して」

「何するんや?」

「オペラオーちゃんとドトウちゃんと話してくる!」

 

 

デジタルはトレーナーからスマホを受け取るとそそくさと2人のもとに向っていく。

 

周りを見渡すと雑談している二人の姿を発見した。二人の世界に割って入るのは大分気が引けるがチャンスは今しかない。意を決して二人に話しかけた。

 

 

「オペラオーちゃん、レースではよろしくね」

「ああ、ボクのレースを盛り上げてくれるように期待しているよ」

 

 

デジタルは笑顔見せながら手を差し出す。オペラオーも一瞬デジタルを見るとにこやかに笑みを見せて手を握り返す。サラサラとして余分な脂肪がなく見た目通りのさわり心地だ。

 

 

「ドトウちゃんもよろしくね」

「GI二勝のデジタルさんによろしくなんて恐縮です……」

 

 

そしてドトウも背中を丸めて恐る恐るデジタルの手を握る。プニプニとして肉感が良い、これまた見た目と同じような感触だ。これがあのオペラオーとドトウの手の感触。デジタルは憧れのアイドルの手を握ったファンのように舞い上がっていた。そしてその高揚した気分のままに今思っている率直な気持ちを二人に伝えた。

 

 

「外野が色々と言っているけど気にしないでね!あたしはオペラオーちゃんとドトウちゃんが好きだし、二人が一二着なのをつまらないと思っていないから!むしろずっとそうであってほしいと思っているから!」

 

 

二人は予想外の発言に目を点にする。初対面の相手に好きと恥ずかしげもなく言い放った。それに二日後には一緒に走る相手に一二着であって欲しいと言うだなんて。変なウマ娘だ。

 

だがその直球に伝えられた想いは嬉しくもあった。

 

 

オペラオーとドトウはそれぞれリギルやスピカといったような有力チームに所属していない。それぞれ若手のトレーナーが率いているチームに所属していた。

 

出る杭は打たれる。有力チームなら勝ち続けるのは仕方がないことだと済まされ周囲からの不満は軽減される。だが若手であるトレーナーは勝ち続けることで募ってしまう不満を軽減させる、トレセン内での地位もパワーも無かった。そしてそれは少なからずオペラオーとドトウにも影響を与える。

 

超がつくほどのナルシストのオペラオー、引っ込み思案でネガティブ思考のドトウ。その性格ゆえにオペラオーは反感を買いやすく、ドトウは非難の的にされやすい。二人はそれなりに陰口や不満をぶつけられた。

 

一二着を独占し続けることで外のマスコミからも中のトレセンからも不満をぶつけられる。それだけにデジタルの純度100%の好意は二人の心に響く。

 

 

「ふふふ、ありがとう。しかし質疑応答の時とは大分印象が違うのね。もう少し大人びた印象も抱いていたのだが、随分フランクだね」

「あれはマスコミにネチネチ言われない様の外面。普段はこんな感じだよ」

 

 

デジタルはあっけらかんと喋るがその苦労はオペラオーとドトウにとって推し量れるものがある。

 

リギルのウラガブラックを押しのけたことで物議を呼んでおり、空気を読めと陰口を叩かれている場面を見ていた。マスコミからもトレセン内でも不満をぶつけられている、その環境に多少なりのシンパシーを感じていた。

 

 

「デジタルさんごめんなさい。私がマル外だったばかりに……私が出なければウラガブラックさんも出走できてデジタルさんとそのトレーナーさんも非難されなく……」

「それはダメ!ドトウちゃんはオペラオーちゃんと一緒に走らなきゃいけないの!それにあたしは平気だし二人が一緒に走るレースに出られるだけで充分だから」

「あ…はい」

 

 

デジタルの勢いにドトウは思わず後ずさる。その姿を見てオペラオーは思わず笑みをこぼした。

 

本当におかしなウマ娘だ。

 

 

「ところでデジタル。キミはレースに勝つ気はあるのかい?キミの気持ちは嬉しいが、ただ賑やかしで出走するのならそれはそれで不快だ。去年のドトウだって一応ボクに勝つ気でいたからね」

 

和やかな雰囲気が急激に引き締まる。その雰囲気に反応してかドトウがオペラオーとドトウに交互に視線を配る。

 

デジタルの言動から今一勝つ気が感じられない。去年散々負かし続けたドトウも言動はネガティブだが勝つ意志は感じられた。勝つ気がないウマ娘がいられては自分の勝利で終わる美しいレースが汚される。

 

 

 

「あたしは…あたしは…」

 

デジタルの脳内ではオペラオーの質問がリフレインする。

 

天皇賞秋に出走しようと思ったのはオペラオーとドトウのレースを、二人の絡みを生で間近で見たいからだ。そして…そして…

 

 

「あたしはオペラオーちゃんとドトウちゃんと一緒に走って、そして二人に勝ちたい!」

 

 

デジタルはオペラオーの目を見据えて決断的に言い放つ。

 

オペラオーとドトウと一緒に走る天皇賞秋を存分に楽しめと周りの非難を一身に引き受けてくれたトレーナーのために。そしてレースに勝ちたいというウマ娘の本能が勝利への渇望を呼び起こした。

 

 

「そうか、これならボクの勝利で終わるレースが美しいものになりそうだ」

 

オペラオーは満足げに笑った。デジタルの目に闘志が宿った。これはドトウとキンイロリョテイと同じぐらいの脅威になるかもしれない。

 

 

「ドトウもウカウカしていられないぞ。二着はデジタルになるかもしれないな」

「はい……いや、いいえ……私が一着でオペラオーさんが二着です……生意気言ってすみません」

 

 

ドトウは気恥ずかしさからか二人から背を向けていつも以上に背を丸める。オペラオーはその様子を見てクスりと笑い、デジタルは鼻を抑えながら急に背を向けた。

 

オペラオーが二着はデジタルと言った時にドトウはすぐに反応し、いつもと違うビックマウスを言った。そして思わず言ったビックマウスに気付き恥ずかしさで身を丸めた。

一二着は自分とオペラオーのものであり、泥棒猫は引っ込んでいろということだろう。

これが生のオペドト!何て破壊力だ!デジタルは鼻血が出ないように必死に興奮を抑える。

 

 

「ハァ…ハァ…ところで二人の写真を撮っていい?」

「ああ、かまわないよ。だがスマホのカメラじゃボクの美しさが伝わらないな」

「ごめんね。ちゃんとしたカメラ持ってないの」

「しょうがない。ほらドトウ」

「私はいいです……」

 

 

オペラオーは座って丸まっているドトウを無理やり立たせる。

 

「じゃあ撮るよ。はいチーズ」

 

デジタルは声をかけてシャッターボタンを押す。

 

画面に映るのは俯き加減で猫背気味のドトウと、ビシッとポージングしているオペラオーの姿だった。何とも二人らしい姿だ。

 

すると後方からオペラオーとドトウを呼ぶ声が聞こえてくる。それぞれのトレーナーが二人に会場から出るように催促していた。

 

 

「トレーナーが呼んでいる。じゃあデジタル、東京レース場で」

「デジタルさん、さようなら」

「じゃあ~ね~」

 

 

デジタルはブンブンと手を振りながら二人の姿を見送る。するとトレーナーがデジタルの肩をぽんと叩いた。

 

 

「終わったか?」

「うん!生のオペドト、いやドトオペを見ちゃったよ!もう最高!それに二人のツーショットも撮っちゃった!見る!?見る!?グフフフ…」

「お…おう…」

 

 

トレーナーは若干デジタルのハイテンションに引き気味になりながらスマホの画面を覗き込む。二人と会話できたことが相当嬉しいようだ。これなら良いテンションで天皇賞に臨めそうだ。いや逆に入れ込みに注意しなければならないな。

 

写真をみると不思議なことに気付く。デジタルが映っていない、普通なら憧れの人と写りたいとオペラオーとドトウのスリーショットで撮ってもらうはずだが。そのことを尋ねるとデジタルは『こいつ何もわかってないな』と大きなため息をついた。

 

 

「白ちゃんは何もわかっていない!オペドトにあたしはいらないの!二人のツーショットにあたしが写ったら穢れちゃうでしょ」

 

 

めんどくさいというか拗れている。

 

トレーナーは半ばあきれながら、デジタルはプンプンと擬音がつきそうな怒り具合で会場をあとにした。




想定より文量が多くなってしまったのでレースは次になります


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勇者と覇王と怒涛♯2














(眠れない!)

アグネスデジタルは目を開けベッドから上半身を起こした。

 

天皇賞秋前日、レースの前日はいつもより早めに寝るのが鉄則である。だがデジタルの意識は眠りに落ちることなく覚醒し続ける。

ついに!ついに!オペラオーとドトウと一緒に走れる!二人はどんな会話を交わす?どんな表情を向ける?二人のことが頭に浮かび全く眠れなかった。このままでは睡眠不足でレースを迎えてしまうことに若干の危機感を抱き始める。

 

気分転換に散歩でもするか。

 

デジタルは同室のエイシンプレストンを起こさないようにこっそりと部屋を抜け出す。すると夜の学園は昼とは別の顔を見せていた。

日中は生徒の声で騒がしかった場所はまるで別世界のように静かだった。聞こえるのは風に揺れる紅葉や銀杏の葉の音と鈴虫の鳴き声ぐらいである。静かで心安らぐ音だ。そのかすかな音に耳を傾けながら当てもなく散歩する。

するといつの間にかチームプレアデスの部屋にたどり着き窓から光が漏れているのが目に入った。

テレビの消し忘れか?それとも誰かいるのか?

デジタルはチームルームの扉の前に立ちドアノブをまわすとドアノブはすんなりと回った。ということは誰かがいるのか?チームメイトかそれとも…

何が起きてもいいように警戒心を募らせながら入室する。そこには見知った後ろ姿があった。

トレーナーだ。モニターに映るレースを集中して見ており自分の存在に全く気付いていない。デジタルのなかにふとした悪戯心が芽生え、音をたてないように忍び足でトレーナーの背後に近づきいつもより少しだけ大きい声で呼びかけた。

 

「白ちゃん!」

「デジタルか、脅かすなや」

 

トレーナーは声をかけられた瞬間背中をビクりと震わせて慌てて映像を停止し、勢いよく後ろを振り向く。そしてデジタルの顔を確認すると安堵の表情を浮かべた。

 

「こんなところで何しているの?家に帰らないの?」

「今日は緊張して眠れそうにないからここで夜を過ごすことにした。ここなら東京レース場に近いし、朝になったら誰かしら来るから寝坊をする心配もない。デジタルは?」

「あたしも明日のことを考えると眠れなくて、学園を散歩していたらチームルームから明かりが漏れているのが見えたから来たの」

「そうか」

 

早く寝ろと小言を言おうと思ったがそれを止めた。

トレーナーは過去のことを思い出す。史上二人目の三冠ウマ娘のシンザン、その三冠がかかる菊花賞が行われる前日の夜、あの時も三冠達成の歴史的瞬間を生で見られると思うと楽しみと興奮で眠れなかった。

オペラオーとドトウと一緒に走れる明日はあの時の菊花賞以上に楽しみなのだろう。その興奮を抑えて寝ろというのは無理な話だ。

 

デジタルはトレーナーの真向かいに座ると何気なく喋り始める。

 

「もう明日なんだね。楽しみなイベント前は時間があっという間に過ぎちゃう」

「そうだな、それに色々あった。まさか出走するのにここまで言われるとは正直思っておらんかった」

「そうだね…そういえばチームのみんな何か言っていなかった?」

 

デジタルは声のトーンを少し落とし俯きかげんで質問した。

トレーナーは質問の意味を推察する。この質問の意味はチームメイトが自分のせいで迷惑がかかっていないかということだろう。

 

「心配するな。マスコミはお前が出走する件は全部俺のせいと信じているから、他の奴らに取材しに行っていない。それにお前が出ることに文句を言っている者はチームで一人もいない」

 

トレーナーは励ますように少し大きめな声でデジタルに伝える。

ウラガブラックの件でデジタルと一緒のチームだからと謂れの無い非難を受けているかもしれない。それを危惧してプレアデスのメンバー全員に聞き取り調査したところ、数人陰口を叩かれたと答えそのメンバー達はこう言った。

 

ほんのチョットはデジタルが出走しなければ陰口を叩かれないのにと思ったことはある。けどあれだけオペラオーとドトウと一緒に走るのを恋焦がれているのを見ているとそんな気持ち吹き飛んでしまう。

 

デジタルの情熱はチーム全員が知るところだった。デジタルにはオペラオーとドトウと一緒に走ることに集中してもらいたい。陰口を叩かれたメンバーはデジタルに心配かけまいとそんな様子を一切見せなかった。そしてチーム全員が天皇賞秋に向けてトレーニングなど献身的にサポートしてくれていた。

 

その言葉を聞きデジタルは安堵の表情を浮かべる。図太い神経の持ち主だと思っていたが人並みに周りのことを気にしていたのか。だがこれで少しは不安が和らぐだろう。

そしてデジタルの興味はテレビの映像に移っていた。

 

 

 

「それで何を見ていたの?」

「ああ、天皇賞秋に出る他のウマ娘のレースの最終確認だ。オペラオーやドトウの脅威になるとは思ないが癖とかを把握しておけば思わぬアクシデントも回避できる。まあそれをやらなきゃいけないのはお前やけどな」

「そういうのは白ちゃんに任せるよ。あたしは走るのが仕事、白ちゃんは考えるのが仕事」

 

トレーナーはデジタルの悪びれることない様子を見てオーバーリアクションでため息をつく。

まあ、全ウマ娘の動きを詳細に把握してレースを運ぶという離れ業は超一流と言われるウマ娘でなければできず、デジタルは明らかにそういうタイプではない。

逆に本来の力を発揮できなくなってしまう。調べてデジタルにもわかるように伝えるのが己の仕事だから問題ないが、せめて把握しようという努力は見せてほしいものだ。

 

「それよりオペラオーちゃんとドトウちゃんのレース映像ある?二人のレース見よ」

「近三走分の映像しかないぞ」

「え~何で二人の全レース持ってきてないの?まあいいや、とりあえずそれ流して」

「しゃあないな」

 

トレーナーはディスクを取り替えてとオペラオーとドトウのレース映像が入っているディスクを再生機に入れる。すると今年の天皇賞春のレース映像が流れた

 

『今年も覇王の強さは衰えない!テイエムオペラオー!春秋春の天皇賞3連覇達成!』

 

「はぁ~オペラオーちゃんはかっこいいな、泥まみれのこの姿がまた絵になる。それにドトウちゃんの2着になって、ほっとしたような嬉しいような悔しいような複雑な表情。いいよね~」

「オペラオーが完璧にレースを運んだな。あのレースをされたらどうしようもないわ。ドトウも中距離寄りのウマ娘だが3200でよく二着にきたな。やっぱり地力がある」

 

今年の天皇賞春のレースを見ながらデジタルはアイドルを見るファンのように、トレーナーは評論家のような顔をしながらそれぞれの見地でレースの感想を述べた。

 

「ねえ白ちゃん」

「なんや?」

 

デジタルはトレーナーに視線を向けず、画面から目を離さず質問する。トレーナーも同じように目を離さず相槌を打つ

 

「ねえ白ちゃん。そんなに緊張してるの?いつもだとそんな様子は無いのに」

 

トレーナーはデジタルの思わぬ質問に驚く。オペラオーとドトウにしか目が向いていないと思っていたが、こちらを気にかける余裕があったのか。

 

「チームのみんなが出るレースのたびにやり残しはないかって緊張しとる。だが明日は特別やな。何ていったってガキのころからの目標、いや夢が叶うかもしれないからな」

「夢?天皇賞が?」

「ああ、天皇賞はどうしても取りたいタイトルの一つで夢や」

「そうなの?白ちゃん海外かぶれだから取りたいのは凱旋門やブリーダーズカップとかで、国内のタイトルなんてどうでもいいと思っていた」

 

トレーナーはデジタルの反応に苦笑する。

確かに海外志向ではあるし、チームのウマ娘達に海外のレース事情などを語っていたりはしたが、そこまで国内のことを軽視していると思われていたのか。

 

「どうでもいいとはなんや。まあそこらへんも取りたいのは否定しないが、それ以上に欲しいのが天皇賞や」

「そんなに天皇賞が欲しいの?なんで?」

「それはGIレースのなかで一番古いからな、その分だけ歴史が積み重なり権威は増す。」

「へえ~そうなんだ」

 

トレーナーは感心している様子を見てデジタルの姿に思わずため息をつく。

おそらく授業で教えているはずだ、忘れているなこいつ。そんな様子を見ながら天皇賞に思いをはせる。

昔の天皇賞は日本で一番強いウマ娘を決めるレースだった。だが今は時が経つにつれ天皇賞の持つ意味も変わっていった。

最強ウマ娘を決めるレースは天皇賞ではなく、東京レース場でおこなわれる日本ダービーと同じ2400メートルのジャパンカップという認識になっており、注目度でも人気投票で出走ウマ娘を決める有マ記念のほうが天皇賞に比べて高い。

 

そういった意味では天皇賞は最も重要視されるレースではないのかもしれない。

だが、生まれる前から行われたという歴史に対する敬意、そして天皇賞と取る為にトレーナーが心血を注ぎウマ娘を鍛え、そのウマ娘たちが全力を尽くしてレースの数々。それらを幼き頃に見てその姿は心に強く刻み込まれ、憧れと夢を生んだ。いつか天皇賞に勝ちたいと。

 

そしてその夢を叶えてくれるかもしれないウマ娘、アグネスデジタルが出走する。

天皇賞秋に出走登録した時はオペラオーとドトウ相手に勝ち一着をとるのは難しいと思っていた。

だが天皇賞にむけて稽古を積むごとにデジタルは成長し仕上がりも万全だ。これならば充分勝機はある思えるほど手ごたえがあった。

 

一方デジタルも天皇賞に思いをはせるトレーナーについて考えていた。

トレーナーの言葉の一つ一つに想いの重さが感じられた。年は確か50代後半ぐらい、それでトレーナー免許を取得してから20年近く、どれほど想いこがれてきたのだろう?正直想像もできない。

 

「ねえ、白ちゃん。あたし昨日オペラオーちゃんに勝つ気があるのかって聞かれたの」

「それで何て答えた?」

「あるって答えた。正直言えば最初は勝敗には興味なかったの。ただオペラオーちゃんとドトウちゃんと一緒に走れればそれでいいって。でも今はかなり勝つ気あるよ」

 

デジタルはテレビ画面から目線を外しはっきりとトレーナーに視線を向ける。それは一種の決意表明だった。その決意を察したのかトレーナーもデジタルに視線を向けた。

 

ただオペラオーとドトウと一緒に走り間近で二人を眺めたいと思って出走を決意した天皇賞秋。今ではその初志に多くの想いが加わった。

天皇賞秋に出走する事で向けられる非難を一心に受けてくれ、長年の夢を叶えたいトレーナーの為。

同じチームに所属しているがゆえに色々と言われていたかもしれない、それでもそんなそぶりを見せずに接してくれたチームメイトの為。

次第に芽生えてきたウマ娘の本能として勝ちたいという自分の為。

 

勝ちたい。二人に勝ちたい。

デジタルの胸中には初志と勝利への欲が加わった。

 

―――――――――――――――――――――――――

 

「ふぁ~何だか眠くなってきちゃった。部屋に戻るね」

「ああ、気をつけて帰れよ」

「うん。白ちゃんも夜更かしはほどほどにね。じゃあお休み」

「お休み」

 

デジタルは30分ほどレース映像を見ながら雑談に興じると眠気が来たようで欠伸をかきながらチームルームを出て行った。

 

「かなり勝つ気があるか」

 

一人になったトレーナーはデジタルの言葉を自ら口にする。

デジタルの口からこのような言葉が出るとは思ってもいなかった。

勝利への執着が出てきたことはウマ娘として嬉しい変化だ。この言葉を聞いてデジタルの勝利が一歩近づいた気がした。

 

暫く映像を見ているとトレーナーに眠気がくる。

俺も寝るとするか。テレビの電源を切り、腕を枕代わりにして机に突っ伏し目を閉じた。

トレーナーは眠りに落ちる前に明日のレースを想像する。

思わぬ結果にどよめく東京レース場、そしてしばらくしてその走りを称えるように観客たちはその名を呼ぶ。

アグネスデジタルと

 

 

ピピピピ、ピピピピ

 

トレーナーは携帯電話から流れる電子音によって意識を強制的に覚醒させられる。その不快な音を止めようと半覚醒状態で携帯電話を手に取り音を止めた。

椅子に座った状態で体を大きく伸ばす、すると部屋が少し暗いことに気づく。

電気を消したが朝のこの時間ならもう少し明るいはずだ。トレーナーは窓を開けて目に飛び込んできた冷気と風景を見て思わず舌打ちをする。鈍色の空に地面を打つ水滴。外は雨だった。

天気予報では雨は18時過ぎと予想されていたが外れたか。この雨の勢いだと天皇賞秋がおこなわれる11レースではバ場状態は重だろう。

テイエムオペラオーは重バ場に強いウマ娘である。アグネスデジタルもダートGIに勝てるほどなので苦手というわけではないが芝で走るならキレを生かせる良バ場でやりたかったのが本音だ。これは天がオペラオーに勝てと言っているのか?そんなネガティブな思考が頭をよぎる。

 

「おはよう白ちゃん!」

 

すると笑顔を見せながらデジタルがチームルームに入室する。その笑顔は外の天気とは打って変わって快晴の様なニッコニッコの笑顔だった。

 

「おはよう。体調はどうだ?」

「ちゃんと眠れたし、絶好調!」

 

デジタルは鼻息荒く答える。様子からして言葉通りまさに絶好調なのだろう。仕上がりは完璧と言っていいだろう

しかしデジタルの様子はまるで遊園地にいく小学生のようだ。そしてこの姿を見ているとネガティブな思考が消し飛びポジティブ思考になっていく。

 

「よし、じゃあ行くか愛しいオペラオーとドトウが待つ東京レース場に!」

「うん!」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「あ~疲れた」

 

一人のウマ娘が疲労困憊の様子で控室に入室し近くの椅子に腰をかけ息を吐いた。少女の服と体は泥でひどく汚れている。トレーナーは少女にタオルを渡し労いの言葉をかける。

 

「お疲れさんライブコンサート。厳しい展開だったがよう踏ん張った。」

「きつかったです。前の東京も重でしたけど前以上に足が止まりますね。まあ皆が勝っているしデジタルの前に負けられないですよ」

 

ライブコンサートは緊張感から解放されたのか、ホッと息を吐き笑顔を見せる。

 

ウマ娘のレースはメインレースの前に10個のレースが行われ、チームプレアデスのメンバーは2レース、3レース、9レース、そして天皇賞秋が行われる11レースにエントリーしていた。

そしてチームプレアデスは好調で2レース、3レースを勝利し、この9レースも勝利していた。

 

「おい、デジタル。チームメイトが勝ったんだから祝いの言葉でも言ったらどうや」

 

トレーナーは控室の隅でタブレットを凝視しているデジタルに声をかけるが反応は一切返ってこない。その態度を不満に思ったのか再度声をかけようとするがライブコンサートはそれを制止した。

 

「いいですよ。今のデジタルはオペラオーとドトウとのランデブーで頭がいっぱいみたいです。それに気に入ってくれて良かったです」

「どういうことや?」

「なんでもないです。じゃあシャワー浴びてきます。お疲れ様です」

「おう、お疲れさん」

 

ライブコンサートは一礼すると控室を後にしていく。トレーナーはその後姿を見送りデジタルに視線を移す。相変わらず脇目も振らずタブレットを凝視している。恐らくライブコンサートが来たことも気づいていないだろう。凄い集中力だ。

 

「11レースのパドックを開始します。関係者の皆様は準備してください」

 

すると控室のスピーカーからアナウンスが流れトレーナーは没入しているデジタルの肩を叩き大声で呼びかける。

 

「デジタル!デジタル!パドックが始まるぞ、準備しろ」

「え、もうそんな時間?」

「そんな時間だ。しかしそんな集中して何を見ていたんだ?」

「オペラオーちゃんとドトウちゃんの画像集。ライブちゃんやフェラーリちゃんが渡してくれたの。いや~見たことないものばっかりだよ」

 

デジタルのタブレットのなかにはレースやウイニングライブなどの公式な写真や、チームごとのブログに掲載されているオフショットのような日常の写真から学園の裏ルートで仕入れた盗撮まがいの写真まで様々なものが入っていた。

気に入ってくれて良かったとはそういうことか。デジタルのテンションをあげようと渡してくれたのだろう。トレーナーはチームメイト達の気遣いに感謝した

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「それでは第11レースのパドックを開始します」

 

場内アナウンスとともにウマ娘達の姿を写真に取ろうと集まったファン達がカメラや携帯電話を一斉に取り出し始める

 

パドックとはレース前のウマ娘たちが周回しながら準備運動などをする場所であり。パドックの中央にはランウェイが設置されており、ウマ娘たち一人ずつが姿を現し調子を確認するお披露目会のようなものである

パドックは第1レースから11レースまですべて行われ、第1レースはメイクデビュー戦や未勝利戦がおこなわれ余程熱心なファン以外はパドックには来ない、そして第2レース第3レースとレースのランクが高くなるごとにパドックを見に来るファンが増え、GIが行われるレースとなれば多くのファンが集まり人口密集度でいえば都心の満員電車と変わらないほどだ。

姿を見せる順番はファン投票数が少ないウマ娘から始まり、ファン投票数が一番多い者が最後に姿を現す。人気下位のウマ娘達から姿を現しそしてアグネスデジタルの名前が呼ばれる

 

「続いてアグネスデジタル選手です」

 

アナウンスとともにランウェイに姿を現すと歓声とシャッター音とフラッシュがデジタルを出迎えた。デジタルは最後から四番目、つまり四番人気である。過去数回GIには出走しているがここまで注目を受けるのは初めてだった。だがデジタルはそれらに動じることなく悠然とランウェイを歩く。その姿をトレーナーは関係者スペースでじっと見つめていた。

 

肌つやも良く、表情も過度な緊張も無くトレセン学園を出た時と同じくレースが待ちきれないといった表情である。いい状態だ。

 

デジタルのパドックが終わると交代するように三番人気のキンイロリョテイが現れた。このレースの3強と位置づけられるだけあって歓声とシャッター音とフラッシュの量はデジタルより多い。リョテイは気合満々といった具合にノッシノッシとランウェイを歩く。他のウマ娘なら入れ込んでいると判断されるところだがリョテイはいつもこんな感じである。

そしてキンイロリョテイと交代するようにメイショウドトウが現れた。

 

トレーナーは今まで何百、何万のウマ娘のパドックを見てきた。日本のレースだけではなく凱旋門賞やブリーダーズカップなどの世界のビックレースでのパドックも見てきた。その経験からごく稀にウマ娘から後光が差しているように光って見えることがある。そしてトレーナーの目にはドトウは光って見えていた。

光って見えるときはそのウマ娘が強いか調子がすこぶるいいときである。その感覚は100%正しいとは限らず光って見えていてもそのウマ娘がレースに勝たないこともしばしばある。だがトレーナーは楽観的に捉えることができなかった。

今日のドトウは強い、宝塚の時のオペラオーだったら完勝できるほどに。

オペラオーに勝つ事で成長すると思っていたがこれほどまでか。これはオペラオーよりドトウをマークしたほうがいいかもしれない。頭の中でレース展開をシミレーションしていくうちにパドックはドトウからテイエムオペラオーの番に変わっていた。そしてオペラオーの姿を見てドトウの出来のよさで険しくなったトレーナーの表情がさらに険しくなる。オペラオーの姿もまた光って見えていた。

 

昨日まで、いやパドックの姿を見るまでは正攻法で互角の勝負が出来ると思っていた。だがその認識は甘いことを思い知らされる。これはまともにいっては負ける。出し抜き奇襲奇策といわれる戦法をとらなければ勝てない。

 

トレーナーは脳細胞をフル稼働し勝利への道筋を探し始める。

相手、バ場状態、天候。様々や要素を考慮し思考する。パドックが終われば一旦控室に戻りそこからレース場に入る、それまでの時間は15分弱、それまでに見つけなければならない。

思考の海に没入する中トレーナーの脳内にある言葉が浮かび上がる

 

―――――重でしたけど前以上に足が止まりますね

 

ライブコンサートが何気なく言った言葉。確かに今日は普段の重と比べてタイムもいつも以上に時間がかかっている。コースの内側は相当荒れているのだろう。その瞬間ある一つの方法にたどり着く。まさに奇襲といえる方法だった。だがこれはデジタルに伝えるには躊躇してしまう作戦だった。これはデジタルの想いを踏みにじる方法だ。他に方法はないのか?残り少ない時間で必死に考えるが他の方法が思い浮かばず時間は無情に過ぎていく。そして選択肢は二つしか残されていなかった。伝えるか、否か。トレーナーの脳内では葛藤が渦巻いていた。

 

――――――――――

 

「デジタル、レースの作戦はどうするつもりだ」

 

控室に戻るとトレーナーが重々しく尋ねる。デジタルはレース前の高揚感からかその様子の変化を感じ取ることはできなかった。

 

「たぶんレースはドトウちゃんが宝塚みたいに抜け出してオペラオーちゃんがそれを捕らえる展開になると思う。だからオペラオーちゃんの後ろについて一緒に仕掛けようと思う。二人の叩きあいに加わって間近で見るの」

 

正攻法といえる戦術、それはトレーナーが数十分前まで考えていた戦術だったが今は状況が変わってしまった。トレーナーは一つ深呼吸をして苦々しい顔を作りながら言葉をつむいだ。

 

「デジタル…直線に入ったら…外埒に向かって走れ…」

「え?」

「オペラオーとドトウとの競り合いに参加したら勝てない。バ場状態が良い外に回ってお前の末脚のキレを生かしつつ二人の勝負根性をすかせ」

 

今日のバ場は予想以上に重い、だがすべての場所が重いとは限らない。それこそ誰もが通っていないルート、外埒付近ならまっさらな状態で走れる。デジタルは長く良い脚よりマイルCSに勝ったときのようにキレ味で勝負したほうがいい、そしてそのキレ味を生かせるのは荒れていないバ場だ。

そしてこの作戦の利点はオペラオーとドトウの勝負根性を最大限発揮できないことである。外埒付近を走るということは内側を走る二人から十数メートル離れることになる。内側ならデジタルの末脚で抜き去ろうとしても勝負根性を発揮し食らいつき抜き去ろうとするが、外ならデジタルが離れており、その比類なき勝負根性を持つ二人でもどうして弱くなってしまう。

 

その言葉を聞きデジタルの高揚感は急降下し、楽しみで待ちきれないという笑顔は真顔になっていた。

 

「やだ。それじゃあオペラオーちゃんとドトウちゃんの近くで一緒に走れないってことでしょ」

 

外埒に向かって走るということはまさに二人から離れるということである。仮にドトウが外埒に向かえばオペラオーがマークする為に外埒に向かうことがあるかもしれない。だが伏兵扱いのデジタルをマークする為にオペラオーかドトウが来ることはありえない。オペラオーとドトウの近くで走り二人の様子を観察する。それがデジタルにとっての大前提だった。

 

「大丈夫だよ!二人の勝負根性が凄いなら、あたしの勝負根性だって凄いもん!二人の近くで走れば二人以上に勝負根性を出せる!あたしを信じてよ!」

 

デジタルは懇願するがトレーナーは決して首を縦に振らなかった。デジタルが言うように二人以上の勝負根性を発揮するかもしれない。だがそのイメージを持つことができなかった。勝つためには叩きあいの勝負に持ち込むより外に出してのキレ味勝負しか考えられなかった。

 

「もういい、わかった……」

 

デジタルは観念したように呟く。そしてその表情はいつもアッケラカンとして朗らかなデジタルが見せたことが無いような冷たい表情をしていた。

 

「今日ばかりは白ちゃんの言うことは聞けない。あたしの好きなように走らせてもらうから」

 

デジタルの胸中は深い失望に満ちていた。トレーナーなら自分がどれだけ二人と走るのを待ち望んでいたか知っているはずだ。だからこそ負い目を感じないようにマスコミからの非難を庇ってくれた。そんなトレーナーを心から信頼していた。それなのに!トレーナーは二人の近くで走るなと言った!

今日ばかりは好きに走らせてもらう。例え指示に背いた事でチームをクビにされたとしてもかまわない。

デジタルはトレーナーと目線を合わせず控室を出ようとする。だがトレーナーはそれを止めるように両肩を握りしめ強引に目線が合うように振り向かせた。

 

「デジタル!お前はルール上問題ないにせよウラガブラックの夢を摘み取った!お前には勝利を目指す義務がある!自分の力を最大限発揮するのが勝利を目指すことやない!自分の力を削いでも相手の力をそれ以上に削ぎ上回ることが勝利を目指すことや!」

「そんなこと知らない。あたしはあたしの好きなようにするから」

「ならお前を応援し勝利を望むファン達、何よりチームのみんなを裏切るんか!」

「あたしだって!」

 

デジタルはトレーナーを睨むように顔を上げる。その目にはうっすらと涙を浮かんでいた。

 

「あたしだって勝ちたいし白ちゃんやみんなの期待に応えたいよ!でも……それ以上にオペラオーちゃんとドトウちゃんの近くで走りたいの……」

 

デジタルにも皆への感謝の念やその期待に応えたいという気持ちは充分にある。だがそれ以上に二人を感じたいという願望が強かった。なんて自己中心的なのだろう。それでもあふれ出す衝動を抑えることができない。デジタルの願いとレースへの勝利を計りにかけ苦しみ選択したトレーナーと同じようにデジタルも苦しんでいた。

 

デジタルの悲痛な顔を見てトレーナーの決意が揺らぐ、本当に、本当にこれ以外方法はないのか?考えろ!脳細胞が焼ききれるまで!トレーナーは必死に考える。人生でこれほど脳細胞を酷使したのは初めてかもしれない。そしてあるアイディアが脳内に閃く。

このアイディアを浮かんだときは自らの正気を疑った。だが勝利とデジタルの願いを叶えるためには常識はずれ奇想天外と言われるような方法をとるしかない。

 

「デジタル、勝利とデジタルの願いを叶える方法を思いついた」

「本当?」

「今から言うことはかなりアホで突拍子もない方法だ、いや方法とすらいえないもんや。こいつ頭イカれたかと思ってもとりあえず聞いてくれ」

「うん」

「この方法はルドルフでもブライアンでも出来ない。日本中、いや世界中探してもお前にしか出来ない方法だ」

「わかった」

「じゃあ言うぞ」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

各レース場には観客席の最上段のさらに上に関係者スペースが設けられている。レースではゴール版近くで観戦する者もいるが、大半のトレーナーやチームメイトや親族はこの関係者スペースで観戦する。そしてこのスペースにはトレセン学園所属のウマ娘及びトレーナーなら出入りは可能である。

 

「どうやら間に合ったみたいね」

 

その者達がスペースに入った瞬間周囲がざわめく、入ってきたのはトレセン学園ナンバーワンのチームリギルのトレーナー東条ハナ、そしてそのメンバーのシンボリルドルフ、ナリタブライアン、エルコンドルパサー、グラスワンダー、ウラガブラックだった。

六人は空いている観覧席に座りガラス越しにレース場を見下ろす。

 

「それぞれこのレースに出たならどこに位置取りどこで仕掛けるか、シミレーションしながら観戦しろ」

「はい!」

 

メンバーはハナの言葉にしっかりと返答する。ウラガブラック以外は全員オペラオーとドトウが出走予定のジャパンカップに出走するメンバーだった。ここにきたのもテレビ観戦以上にレースを俯瞰的視点で見られるからだった。

 

「ちなみに誰が勝つと思う?」

「オペラオーが勝つと思います」

「同じくオペラオー」

「私は同じマル外としてドトウに期待しています」

「あたしもデース」

 

ハナの質問にそれぞれが答える。ルドルフとブライアンはテイエムオペラオー。グラスワンダーとエルコンドルパサーはメイショウドトウと答える。

 

「ウラガブラックは?」

「アグネスデジタルが負ければ何でもいいです……」

 

そしてウラガブラックは若干ふてくされ気味で答えた

 

「いつまでふてくされているんデス。じゃあ何で来たのデスか?」

「分不相応に出たアグネスデジタルが負けるところを見に来ただけです。というより痛いですエルコンドルパサー先輩」

 

エルコンドルパサーはヘッドロックを極めながら人差し指でウラガの頬をつついていた。

 

「でもそのおかげでダートの素質が分かって良かったじゃないデスカ。え~っと日本でいう~」

「怪我の功名?」

「それデス、グラス。怪我の功名デス」

「そうだな。せっかく仕上げからとためしに出したがあそこまで適正が有るとは思わなかった。私の見る目のなさで危うくウラガの才能を潰すところだった。まさに怪我の功名だ」

 

エルコンドルパサーの言葉にハナは賛同する

天皇賞秋に出走できなかったウラガは天皇賞の前日に開催されるダート1600メートルのGⅢレース、武蔵野ステークスに出走する。すると圧倒的なパフォーマンスを見せ一着になった。

 

「あっ、入場が始まりますよ」

グラスの言葉を聞きメンバーはレース場に注目を向けた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「お~いこっちだこっち!」

 

東京レース場ゴール板付近、男性が手を振るとそれに気づいたウマ娘二名が男性の下に駆け寄る。

 

「間に合ったな。傘をしまってこれを着ろ。ゴール前は傘を差さないのがマナーだ」

 

男性はレインコートを渡し、二人のウマ娘はそれを着用する。二人のうち一人はスペシャルウィーク、もう一人はサイレンススズカ、そして男性はチームスピカのトレーナーである。

サイレンススズカ、スペシャルウィークの二名もリギルの四人と同じくジャパンカップに出走予定しており、テイエムオペラオーやメイショウドトウの敵情視察も兼ねて東京レース場に訪れていた。

 

 

「トレーナーさん。わざわざ雨にぬれなくても関係者スペースで見ればよかったでは?」

「まあ、そうだがレース映像は後で見られるし、近くでしかわからないことも有るからな。何よりレースを見るならガラス越しじゃなく生で見るゴール前だろ」

「そうですね。皆が走るドッドッドッドって音の迫力は興奮します」

 

『各ウマ娘の入場です』

 

アナウンスが流れると観客達の歓声が上がり会場の興奮と緊張が高まっていく。それに呼応するように三人の鼓動が少しだけ速くなった。

入場はゲートの若い順番が行われ、一番のウマ娘が入場してくる。そして二番のウマ娘が入場すると歓声は大きくなった。

 

『今日も勝って政権交代なるか!?覇王の宿敵!二枠二番メイショウドトウ!』

 

メイショウドトウは体を小さくしながら入場するが、観客席を見ると何かを決意したかのように背筋を伸ばしその雄大な体をファンに見せる

 

『潜在能力はメンバー屈指!その情熱を解き放て!四枠四番キンイロリョテイ!』

 

バ場に入場すると観客席に向かって雄叫びのようにシャアッと叫ぶ。その後返し運動をしながらゲートに向かう途中に突然サイレンススズカ達のほうに近づき何かを叫び、再び返し運動に戻った。

 

『府中に覇王が帰ってきた!前人未到の天皇賞四連覇へ!五枠六番テイエムオペラオー!』

 

オペラオーが入場するとこの日一番の声援が出迎える。オペラオーはその声援に舞い上がることなく動じることなく淡々と返し運動をしながらゲートに向かう。その風格はまさに王に相応しいものだった。

 

『物議を呼んだ出走、黙らせるには勝つしかない!七枠十番アグネスデジタル』

 

アグネスデジタルの表情は真剣みを帯びて険しく、一歩一歩踏みしめるごとに何か覚悟を決めるようだ。バ場の真ん中に立つと観客席、そして上部にある関係者席に目線を向ける。数秒ほど見つめるとゲートに向かった。

 

そして全ウマ娘が入場し、あとは発走まで待つのみになる。その間ファン達の予想や希望を話す声でレース場は騒がしくなりスペシャルウィーク達もその例に漏れなかった。

 

「ドキドキしますね!スズカさん!トレーナーさん!」

「そうねスペちゃん」

「そうだな。お前達が走るレースの時のこの時間は緊張で胃が痛むが、ファンとして迎えるこの時間はワクワクで楽しみだ。しかしリョテイがこっちに来たときは驚いたな」

「急に来てびっくりしました。何か怒らせたかと思いました」

「ごめんねスペちゃん。リョテイも悪気があったわけじゃないと思う。ただ感情が高まっているところに私を見つけたからそれをぶつけただけだと思う」

 

リョテイが迫り来る形相を思い出し少し怖がっているスペシャルウィークをサイレンススズカはあやすように声をかける。

リョテイの闘争心、いや気性の荒さは同期でもずば抜けていた。その気性の荒さゆえに様々なトラブルを招いていたな。スズカは数々の気性難エピソードを思い出し懐かしむように笑った。

 

「スペとスズカは誰が勝つと思う?」

「う~ん。メイショウドトウさんかテイエムオペラオーさんだと思います」

「私も無難ですがその両者だと。あとは同期の縁でキイイロリョテイにもがんばって欲しいです。トレーナーさんは?」

「まあ、その三強だろうな。あと個人的にアグネスデジタルを期待している」

「アグネスデジタルですか?」

「というよりトレーナーの白さんにかな」

 

デジタルじゃなくトレーナー。二人は思わぬ答えに驚きの表情を作る。

あの人の考えは破天荒で予測不能だ。

例えばアグネスデジタルがマイルCSを勝ったとき。芝では結果が出ずダートで結果を出していた。このままダート路線をいくと思いきやのことだった。関係者がその出走に戸惑っているなか勝利した。大半のトレーナーはマイルCSには出さないだろう。それほどまでに意外なことだった。

そしてこの天皇賞秋もダートを走ってから芝のレースに出走。マイルCSと同じ状況だ。何かしら勝算があるのだろう。だがアグネスデジタルは三強より劣っている。それがトレーナーの見立てだった。そうなるときっと奇襲や奇策をしかけてくるだろう。何を仕掛けてくる?トレーナーは作戦を予想しながら発走を待つ。

 

 

 

各ウマ娘がゲートに入る前に準備運動を行いながら集中力を高めていく。キンイロリョテイは内にある闘志を抑えきれないとばかりに他者を威嚇している。メイショウドトウはテイエムオペラオーを見つめながら何回も深呼吸を繰り返している。テイエムオペラオーは悠然と自然体に準備運動をおこない集中力を高めていく。そしてアグネスデジタルはメイショウドトウとテイエムオペラオーの様子を凝視していた。

二人の表情、呼吸、すべての要素を観察する。このときは観客の声も他のウマ娘の存在もデジタルの世界には存在しない。存在するのはドトウとオペラオーだけだった。

 

暫くするとファンファーレが鳴り響き観客席から地鳴りのような歓声が上がり、各ウマ娘達がゲート入りしていく。汚名返上、リベンジ、実力の証明、葛藤。様々な思いと願いを秘めながらゲートを開く瞬間を待ち続ける。その時間は長かったのか短かったのか?それぞれの体感時間とは裏腹に時間は過ぎてゲートが開く。

 

天皇賞秋が始まった。

 




この話で終わらせるつもりでしたが思った以上に長くなったので
レースは次の話になってます


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勇者と覇王と怒涛♯3

 

『ゲート開いて各ウマ娘一斉にスタートしました。さあどのウマ娘が飛び出るか。お~っとサイレントハンター出遅れた!』

 

観客席のファン、そしてレースに出る全ウマ娘に思わぬ展開に動揺が走る。

サイレントハンター

逃げの戦法を得意とするウマ娘であり、どのレースも果敢に逃げを打っていた。だが今日は大きく出遅れてしまう。ここから先頭まで駆け上がり逃げをするのは不可能ではないがそれだけで力の大半を使いレースに勝つ可能性はほぼ0%になる。それ故にサイレントハンターは後ろから走ることになる。

このまま予定通りレースをするか、それとも変更するか。ここでの方針決定が勝負を左右する場面であり各ウマ娘に判断が迫られていた。

 

『サイレントハンターの代わりに先頭に立つのは…メイショウドトウです』

 

ドトウは本来なら逃げをするウマ娘ではない。だがスタートが思ったより上手くいったこと、そしてサイレントハンターが逃げに失敗してスローペースが予想され、この状況ではいつもの位置取りより不慣れでも前にいったほうが、むしろ先頭に立った方がいい。瞬時に判断したドトウは先頭に位置付けた。

そのすぐそばにテイエムオペラオーが二三番手につけ、オペラオーにすぐ後ろ四五番手にキンイロリョテイがつける。そしてその3バ身後ろにアグネスデジタル。三強が前に、デジタルは中団に位置を取った。

 

『今、1000メートルを通過し1分2秒02といったところでしょう。先頭から最後尾まで約八バ身そこまで差が開いておりません。一団となっております』

 

これはバ場が重としても遅いペースだった。だがドトウは逃げウマ娘ではないのでこれはある意味必然なのかもしれない、直線のために力を温存するように溜めて逃げる、このペースで行くから前に行きたい奴は行け。それがドトウの主張だった。そして他のウマ娘達もドトウの主張に従うように後についていく。ペースが遅いならば前に位置したほうが有利でありドトウより前に、むしろ早めに仕掛けたほうがよいと思うかもしれないがことはそう簡単ではない。

ドトウを含めすべてのウマ娘達がこのスローペースに折り合うために行きたい気持ちを抑えて必死に我慢している。もし我慢できずスパートを掛けてしまえば予想以上に体力を消費していることに気づかず直線で力尽きてしまうだろう。

 

 

「ああ!うぜえ!」

 

 

『おおっと!ここでキンイロリョテイがなんと三角で仕掛けた!』

 

 

キンイロリョテイが三コーナーからドトウを抜き去り二バ身三バ身と差をつけて先頭に躍り出る。そして誰ひとり追走せずその様子を集団は見送った。リョテイは元々気性が荒いウマ娘だ、このスローペースに我慢できずに飛び出したのだろう。それに東京レース場ではタブーと言われる三角からの仕掛け、持つわけがない。これでこのレースから脱落した、それが集団の見解だった。

 

 

(オペラオーさんは……動かない)

 

 

オペラオーは王者としての誇りを持っており、相手を動いたのを見送ってそのままゴールされるというレースは絶対にしないウマ娘だ。もしオペラオーが動くなら動く準備をしていたが動かない。これは最後に垂れる、もしくは差し切れる自信があるということだろう。ならばこちらも動かない。マークするのはオペラオーでありキンイロリョテイではない。

 

 

『最終コーナーに入りキンイロリョテイ先頭!このまま押し切ってしまうのか?』

 

 

キンイロリョテイが内ラチ沿いにピッタリとくっつくように最終コーナーを曲がり直線に入る。その五バ身後ろからドトウメイショウドトウを先頭にした集団がコーナーを抜けて直線に入った。

そしてメイショウドトウは道中ペースを抑え溜めていた力を一気に解放し宝塚記念と同じようにオペラオーより先に仕掛けた。そのスピードは集団を一気に置き去りにしみるみるうちにキンイロリョテイとの差を縮め残り300メートルで並んだ。

 

「てめえドトウ!あんなどスローにしやがって!こっちとはイライラしで血管切れそうだったわ!レース後シメる!」

「ひい!ごめんないさい……」

 

 

キンイロリョテイは並んだドトウに睨みをきかせ噛み付かんばかりの形相を見せる。ドトウもその形相に驚くが態度とは裏腹にスピードは全く衰えずリョテイを抜き去り半バ身リードした。

 

 

『ここでメイショウドトウがキンイロリョテイを抜き去り先頭に立った!』

 

 

「あっという間にリョテイさんを捉えました。すごい反応とスピードです」

「常識破りの三角からの仕掛けだが、並みの奴ならあの展開のリョテイを捉えられないし、捉えられても追い抜けない。強いウマ娘だ」

「本当にドトウは運がないデス。オペラオーが居なかったら覇王の称号はドトウだったデス」

「それはどうかな」

 

 

観客席上部の関係者席で観戦していたブライアンとグラスワンダーとエルコンドルパサーが私見を述べているとトレーナーのハナが口を挟んだ。

 

 

「オペラオーがいたからここまで強くなれたのだろう」

「なるほどオペラオーが引っ張り上げたってことデスね」

「いやドトウ自身が押し上がった。宝塚と天皇賞秋でオペラオーの二着になり周りからオペラオーのライバルと認知され始めた。本来ならオペラオーのライバルになれる器はなかったがそうあろうとした。その覚悟と自覚が彼女を押し上げオペラオーに一矢報いるほどになったんだ」

 

 

ハナの言葉を受け自らの体験を振り返る。シンボリルドルフとナリタブライアンは3冠ウマ娘として、エルコンドルパサーはダービーウマ娘として、グラスワンダーは周囲から怪物と賞賛されるウマ娘として周囲の期待にこたえようと努力してきた。それぞれがドトウの姿をどこか重ねていた。

 

 

「だが、覚悟と自覚なら彼女だって負けてない」

 

シンボリルドルフは呟いた

 

『残り300メートル、このまま二人の一騎打ちか?』

 

 

「一騎打ちだってよドトウ。それだったらお前相手なんて楽勝だ」

「それはないです。あの人は来ます」

「だよな」

 

 

残り300メートルとなり抜け出した二人の一騎打ちの様相を見せていた。後続を引き離しお互い雌雄を決しようとしているように見えるがまだ余力を残していた。

 

これで決まれば楽なのだが、そんな考えが一瞬過るがすぐさま打ち消した。あいつは必ず来る、そのために力を残しておかなければならない。二人は全く同じことを考えていた。そして二人は同じタイミングで後ろを振り返る。キンイロリョテイはうんざりとした顔を、メイショウドトウはどこか嬉しそうに笑う。予想通りそのウマ娘はやってきた。

 

『そしてやはり上がってきた!テイエムだ!テイエムオペラオーだ!真打登場だ!』

 

 

「やあ、リョテイにドトウ。露払いご苦労」

「来たなバカ王子!今日もあたしの方が強いってことを思い知らせてやる!」

「今日は真っ直ぐ走ってくれよ。このまま斜行したらドトウが巻き込まれる。まあキミの小さい身体じゃあドトウに弾かれるけどね」

「ハハハ!あの無駄に重い体重とデカイ胸で弾かれそうだ」

「私はそんなに重くありません……」

 

遅れてくるようにテイエムオペラオーが集団を抜け出し二人に迫り並んだ。二人はオペラオーが並んだのを見てすべての力を解放する。

だがそれでもテイエムオペラオーの速度は二人を上回りクビ差ほど前に出た。だがそこから差が広がらない。ドトウとキンイロリョテイはオペラオーに懸命に食い下がった。

 

 

三人による叩き合い。そのデッドヒートに観客は興奮し握りこぶしを固め、声を張り上げる。

 

『残り200メートルで三人の叩き合い!やはり三強で決まるのか!?』

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

『最終コーナーに入りキンイロリョテイ先頭!このまま押し切ってしまうのか?』

 

 

四コーナーを回り各ウマ娘が直線に入る。チームプレアデスのトレーナーは上部にある関係者スペースからアグネスデジタルの動きをただ静かに見守っていた

あの時はあのようなことを言ったが時が経ち冷静に考えればかなり無謀で無茶、いや実現不可能なことをデジタルに課したのかもしれない。

仮にそれができたとしてもデジタルの願いが叶えられるかと言われればかなり怪しい。自分がやった行動は詭弁を弄してデジタルを騙しただけかもしれない。

あの時はデジタルに勝ってもらいたいから外を回れと言った。だが本当は自分が天皇賞の盾が欲しいから言っただけではないのか?

だとしたら何とも未熟だ。優先すべきはウマ娘であり己は二の次三の次なはずではないか!

結局作戦だけを伝えどのように走るかの最終決定はデジタルに委ねた。

だがデジタルにはオペラオーとドトウと併走して欲しいとすら思っていた。己の過ちで本意ではない走りで勝つぐらいなら、好きなように走ってもらいたい。勝利だけがすべてではない。何を目標にして何を重きに置くかはそれぞれの自由だ、それは他者が押し付けるものではない。そんな当たり前で重要なことを今さら思い知った。

 

『残り200メートルで三人の叩き合い!やはり三強で決まるのか!?』

 

そして直線に入って暫くして二人の人物がデジタルの異変に気づいた。一人はトレーナー、もう一人はウラガブラックだった。多くがオペラオーとドトウとキンイロリョテイの動向に注視しているなか二人はデジタルに注視していたから気づけた。

 

――――鼻血を出しながら笑っている!?――――――

 

『いや?外から?大外から?アグネスデジタルだ!』

―――――――――――――――――――――――――――

 

「外埒ぞいを走りながら限りなくリアルなオペラオーとドトウのイメージを作り出し併走しろ、それができれば実在する二人と一緒に走るのと変わらない。これでオペドトも堪能できるしレースにも勝てる」

 

この言葉を聞いた時はトレーナーの正気を心底疑った。まるで一休さんの頓智ではないか。いや頓智どころではない、強引にも限度がある。だがトレーナーはお前の妄想力ならきっとできると懸命に説得していた。

ふざけるな!もう少し真面目なことを言え!

この言葉が喉まで出かかったその時ある考えが頭をよぎる。これは試練ではないのか?

もし自分のオペラオーとドトウへの想いが本物なら現実と変わらないイメージ像の一つや二つぐらい作り出せると。

外に出せと言われたときはトレーナーに失望した。何故あたしの想いを理解してくれない。だがあの時の表情は魂を鑢がけされたような苦しく悲痛な表情だった。トレーナーも自分の想いとあたしの想いとの板ばさみで苦しんでいるのだ。

そしてトレーナーは苦しんで第三の方法を考え出し、そして最終決定はあたしに委ねた。

 

それは方法とすら呼べないものかもしれない。だが自分には到底考え付かないアイディアだった。そしてこの荒唐無稽な方法を世界中でもお前にしかできないと心の底から信じてくれた。

確かにオペラオーとドトウの間近で走りたいという想いは、勝ちたい、トレーナーやチームメイト達の気持ちに応えたいという想いより勝っている。だがそれは天と地の差ではない。ほんの僅かな差だ。

そしてトレーナーの提案を聞き想いに対する妥協が生まれた。現実と変わらないイメージを作り出しその二人と併走すればオペドトを堪能できるし問題は無い。それで勝てれば皆も喜びあたしも嬉しい。

デジタルは外埒に向って走りながら、今まで知りえた二人の情報を脳内からすべて引きずり出しイメージを構築する。だが二人の姿は目の前に現れない。

あたしの想いはこんなものか?もっとだ!もっと深く想像しろ!

さらに詳細なイメージを構築しようと脳を酷使する。そのせいかデジタルの鼻から血が流れていた。

 

(((……私は……たくない……たい)))

(((……い…トウ……ル……だ……く……くで)))

 

すると耳に誰かの声が届く、それはノイズが酷く聞き取りにくかった。だが次第にその声はハッキリと聞こえてくる。

 

(((私はオペラオーさんに負けたくない。勝ちたい)))

(((こいドトウ。ボクのライバル!今日もワンツーフィニッシュだ。ボクの一着、ドトウの二着で)))

 

聞こえた!

デジタルの耳には本来なら聞こえるはずの無い二人の声が鮮明に聞こえていた。するとそれと同じくして半バ身先にオペラオーとドトウの姿が現れていた。

息遣いの音、流れる汗の臭い、躍動する筋肉、一心不乱に走る表情。デジタルが作り出したイメージは圧倒的なリアリティを有しており、それは自分自身すらも錯覚に陥れていた。

これでオペドトを思う存分堪能できる!

デジタルは嬉しさのあまり無意識に笑っていた。

―――――――――――――――――――――――――――――

『アグネスデジタル!大外からアグネスデジタルが三強に襲い掛かる!』

 

「あのチビ!」

「え!?」

「一応警戒していたが、本当に来るのか」

 

三人も大外から猛然と迫り来るアグネスデジタルを視界の端に捉えていた。まさかそんな場所から来るのか!?思わぬ強襲に三人に動揺が走る。それぞれは全力で走っているが故に大外に視線を向ける余裕は無く詳細な情報を得られない、だが視界の端に映るアグネスデジタルの走りは三人に敗北の予感を与えるには充分だった。

 

「うぉおおお!」

 

負けてたまるか!勝つんだ!勝つんだ!勝つのはあたしだ!

キンイロリョテイは吼えながら体に鞭を入れる。限界、いやそれ以上の力を出す為に。その形相その威圧感はまさに獲物を狙う肉食獣のそれだった。

 

ーーーブロンズコレクター、シルバーコレクター

 

 

それが周囲からキンイロリョテイに与えられた称号だった。

数多くのGIレースに出走し多くの二着、三着。シルバーメダルとブロンズメダルを得てきた。

多くの精鋭が集まるGIレースで二着や三着に何度も入着できるということはそれだけで高い実力を持っている証であり、純粋に賞賛の意味で言う者もいる。だが多くのものは皮肉の意味を込めていた。

当然本人はこの称号は不名誉そのものだった。何とかその称号を払拭しようとするものも勝ちたいという気持ちが空回りしさらにGIで負け続ける。さらに同じシルバーコレクターと言われていたメイショウドトウですらついにGIを勝ち取った。

もうこれ以上負けられない!

 

周囲への嫉妬、自分の不甲斐なさ、世間への反骨心。それらを起爆剤に変えキンイロリョテイは一着を狙う。

 

『残り150メートルを残しメイショウドトウ食い下がる!懸命に食い下がる!』

 

メイショウドトウはすぐ内側を走るキンイロリョテイ、大外から迫り来るアグネスデジタルの存在を意識からかき消した。そしてクビ差ほど先に走るテイエムオペラオーだけに意識を集中させる。

最初はオペラオーのことは好きではなかった。超がつくほどナルシストで勝つたびに自分相手に自画自賛してくるのは本当に嫌だった。何度も何度も負かされ、オペラオーとのレースのたびに胃が痛む日々で最終的には悪夢で出てくるほどだった。

 

だが今では嫌いではない。

一年通してGIの舞台で何回もウイニングライブを歌ったことで親近感も沸いてきた。そのせいかナルシストぶりも生暖かい目で見られるようになり、良い所も目に付くようになった。何よりそのうんざりするほどの強さは尊敬できるものであり憧れていた。

オペラオーは本当に強い。キンイロリョテイやアグネスデジタルより早く走るだろう。だからオペラオーに先着することだけを考えればよい、そうすれば勝利はついてくる。

宝塚記念で勝利したときは本当に嬉しかった。オペラオーと一緒に主役としてライブを行ったときは本当に楽しかった。だから今日も勝って主役としてオペラオーと一緒にライブをするんだ。

 

宿敵への憧れ、勝利への欲望。それらを推進力に変えメイショウドトウは一着を狙う。

 

『オペラオー先頭!オペラオー先頭!このまま押し切れるか!?』

 

アグネスデジタルの姿を視界の端に捉えたとき嫌な記憶が強制的に呼び起こされた。同じ東京レース場でおこなわれた日本ダービー、あの時も直線で先頭に踊り出た。このまま押し切れると思ったが結果的には早仕掛けであり直線半ばで同期の天才アドマイヤベガに差し切られる。あのレースは今でも夢に出てくるほど悔しかった。リベンジしようにも天才は一等星のように輝き瞬く間に駆け抜けてしまい今はトレセン学園にいない。

 

後方の馬が猛然と迫っているこの状況はダービーの状況と似ている。だがあの時の自分ではなく多くの敵と激戦を繰り広げ成長でしてきた。今なら押しきれる。

 

宝塚ではウイニングライブを望んでいるボクのファンの期待を裏切ってしまった。そして何より悔しかった。長く味わっていなかった敗北の味がこんなにも苦く苦しいものとは思っていなかった。もうあんな思いはたくさんだ。そして世界に行く為に秋のGIも全部勝って春のGIも勝って日本の王者として世界の舞台に行く!ファンのために、ボクのために勝つ!何よりドトウには負けたくない!

 

応援する者の期待、王者としての誇り、過去の清算。宿敵へのライバル心。それらを燃料に変えテイエムオペラオーは一着を目指す。

 

『しかしアグネスデジタル凄い脚!凄い脚!このまま三強を差しきれるか!?』

 

(((待って!待ってくださいオペラオーさん!私を置いていかないでください!)))

(((頑張れドトウ。今日のレースも、ジャパンカップも、有マ記念も一二着はボクたちのものだ。二人のライブで観客達を虜にしよう)))

(((はい!)))

 

(キテるキテるキテるキテる!オペドトキテる!)

 

脳内で作り上げたオペラオーとドトウの心の声はナレーションとしてデジタルの耳に届く。これだ!これがオペラオーとドトウの絡みだ!レースに出て本当に良かった!けどもっと近くで見たい!感じたい!

デジタルは一バ身先をいる作り上げた理想の二人に近づこうと全力で走る。だがチームメイトやトレーナーの為に勝ちたいという勝利への願いが無意識に作用し永遠に縮まらない一バ身差を作り上げていた。それに気づかないデジタルはニンジンをぶら下げられたウマ娘のように永遠に追いかけ続ける。

その結果本来のキレ味と二人に追いつくために発揮する勝負根性が合わさりデジタルは圧倒的な速度で三人に迫っていた。

二人への執着、個人的願望、周囲の期待。それらをエネルギーに変えアグネスデジタルは一着を目指す。

 

『さあ、残り100メートル、勝つのは誰だ!誰なんだ!?』

 

キンイロリョテイ、メイショウドトウ、テイエムオペラオー、アグネスデジタル。

それぞれが思いを秘め天皇賞の盾を勝ち取る為に全力で駆け抜ける。それぞれの心情を知る者がいれば四人全員に勝って欲しいと思うだろう。だが現実は勝つのは唯一人。そしてその審判は下された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『勝ったのは……アグネスデジタル!二着にテイエムオペラオー、三着にメイショウドトウか?オペラオードトウ王朝崩壊!アグネスデジタル三強を見事に撫で斬った!これでウラガブラック陣営も納得でしょう』

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

「まさか」

「すげえ切れ味」

「ワオ!ファンタスティック!」

「これは予想外です」

 

チームリギルの面々から困惑、驚嘆、賛美の声が漏れる。まさかアグネスデジタルが勝つとは。フロックの勝利ではと頭を過ぎったがすぐに打ち消す。確かにアグネスデジタルは三人を出し抜いたと言っていいかもしれない。だが出し抜いたからといって勝てるほど三人は弱くは無い。これはアグネスデジタルが強いのだ。

 

「トレーナーはこの結果の予想はできたか?」

 

ルドルフの言葉にハナは言いよどむ。

データとしては勝つ可能性はあったが交通事故レベルの話だった。

アグネスデジタルが2000メートルでこれほどの切れ味を発揮するとは思ってもいなかった。そして通ってきたルート、結果的に見れば切れ味を生かす為に大外を通ったのだろうがあそこまで極端に外を回すとは。なんと斬新な発想だろう。

 

「勝っちゃった……」

 

ハナとルドルフ達と離れた処でウラガブラックは呆然とレース場を見つめながらポツリと呟いた。

まさか、本当に勝つとは。今日この場に来たのは秋の天皇賞に出られなかった鬱憤をデジタルが負ける姿を見て晴らすためだ。デジタルがマスコミに色々と言われていたのは知っている。その様子を見てもいい気味だ、ざまあみろと内心で嗤っていた。

だがデジタルは前評判や世間の罵倒を跳ね除け見事に勝利した。この結果を見せられれば世間も黙らざるを得ない。そしてウラガブラックも。

ウラガブラックは無意識に賞賛の拍手を送っていた。

 

「うおおお!スペ!スズカ!オペラオーとドトウが負けたぞ!アグネスデジタルが勝ったぞ!」

「はい!アグネスデジタルさん凄かったです!」

「まさか二人が負けるなんて」

 

アグネスデジタルの勝利で困惑に包まれる東京レース場でスズカは会場の空気と同じように困惑し、反対にスピカのトレーナーとスペシャルウィークはレースの様子を見て興奮を抑えきれないという様子を見せていた。

アグネスデジタルは外埒に向かうように走った。その姿はスペシャルウィーク達がいた最前列からはもっとも近く見えていた。泥しぶきを巻き上げながら間近で走るその姿はスペシャルウィークに今までの観戦で味わったことのない迫力と興奮を与えた。

そしてスピカのトレーナーはそのレース内容に興奮していた。

アグネスデジタルのトレーナーは奇策をうってくる。逃げを打つか?それとも常識破りの三コーナーからの捲りか?

 

だがその予想すら外れていた。文字通り大外に出しての強襲。誰も通ってない真っ新なバ場のところまで外に出す。これで切れ味を発揮できオペラオーやドトウの根性もすかすことができる。結果を見れば合理的考えと言えるだろう。だが大半のものは常識が邪魔し思いつかないだろう。

このルートはオペラオー達に比べ恐らく50メートルは余分に走っている。

仮にオペラオー達が全くロスなく走ったと仮定すれば20バ身のハンデを背負うことになる。20バ身とはとてつもない差である。20バ身差あればデビューしたばかりのウマ娘でもGIウマ娘に勝つことが可能であり、それほどまでの差でもある。

 

レースの道中は距離損をできるだけ無くすのが鉄則だ。それを20バ身の大回りをして外に回せと勝算があったとしてもどれほどのトレーナーが言えるだろうか?

トレーナーのアイディアと胆力、そしてそれを実行したアグネスデジタルの実力。その二人が合わさりあのオペラオーとドトウに勝った。トレーナーはその勝利に酔いしれていた。

「デジタル!」

 

チームプレアデスのトレーナーはアグネスデジタルが一着で駆け抜けた瞬間、すぐさま地下検量室に向かう直通エレベーターにすぐさま飛び乗った。デジタルが一着になった時は人生で最高の感動と興奮が去来した。だがその興奮はあっという間に引き後悔が押し寄せる。

 

デジタルは自分の意志を曲げてまで走った、いや自分が曲げてしまった。トレーナーの胸中に後悔と懺悔の気持ちが渦巻く。どんな顔であいつと顔を合わせればいい、何と言葉をかければいい。様々な言葉が脳裏に過る、そしてその多くの言葉のなかでかける言葉は謝罪の言葉だけであると悟った。誠意を持って謝りどんな対応を受け入れる。それが自分の見せる誠意だ。

トレーナーは地下計量室にたどり着き地下バ道から降りてくるデジタルを待つ。デジタルは怒っているだろうか?悲しんでいるだろうか?トレーナーは自分に向けられる表情を想像する。すると地下ウマ道に歩行の反響音が聞こえてくる、デジタルが来た。トレーナーはどんな表情や罵声を向けられても挫けないように深呼吸する。だがトレーナーに見せた反応は完全に予想外のものだった。

 

「白ちゃん!」

 

デジタルがトレーナーを見つけると満面の笑みを見せながら駆け寄る。その様相は興奮覚めやらぬ。いや極度の興奮状態といっていいものだった。

 

「いや~オペドト最高!あんなに間近で見れちゃった!このレースに出られて本当に良かった!ありがとう白ちゃん!」

「デジタル……お前その鼻血は大丈夫か?」

「ああ、これ?それは二人の走りを間近に見られたんだから鼻血の一つや二つ出るよ!」

 

 

デジタルは今気づいたというように無造作に鼻血を手で拭いとる。一方トレーナーはデジタルの極度なハイテンションに戸惑っていた。そしてその言葉に違和感を覚えていた。

あんな間近で見たと言ったが道中はそこまで近くにいなかった、それに直線でも大外に出たからオペラオーとドトウとは離れていたはずだ。まさか自分が言った突拍子もないアドバイスを実行し実現させたというのか?

 

その時ある考えが過る。

デジタルは指示通りオペラオーとドトウのイメージを作り出し一緒に併走した。そしてそのイメージを作ったことで催眠術をかけられた状態のように強い自己暗示をかけてしまった。その結果オペラオーとドトウと一緒に走ったと思い込んでいるのだ。

確かにデジタルはオペラオーとドトウに対する執着が強く。そして思い込みが強く妄想癖がある。そういった性格を踏まえてイメージを作り出せるのではと作戦を提案した。だがここまで効果を発揮するとは思っていなかった。

 

「デジタル…その……」

「お互い一緒にウイニングライブ歌いたかったみたい!そうレース中に言っていたの!だからずっと一着二着を取れたんだよ!いや~あの二人の愛の力は偉大だね!あたしも頑張ったんだけどね~たぶん三着かな?二人の愛の力には勝てなかったよ!」

 

デジタルはどこか嬉しそうに笑顔見せる。だがまるで薬物中毒者のように目は血走っておりその笑顔はどこか薄気味悪さを醸し出していた。

確かにアグネスデジタルは一着でゴールを駆け抜けた。だがその目の前にはイメージで作り上げたオペラオーとドトウの姿があった。そのイメージはデジタルにとって真実であり、ゴールを一着で駆け抜けたのはオペラオーとドトウだった。

 

「それでね!それでね!」

「デジタル!」

 

なおも喋ろうとするデジタルをトレーナーが遮るように声をかける。その声は計量室に響き渡りそこにいた人たちは思わずトレーナー達に視線を向ける。

 

 

「デジタル。お前は勝ったんや」

「え?違うよ。一着と二着はオペラオーちゃんとドトウちゃん。あたしは三着以下だよ」

「違う。それはお前が生み出した幻や。オペラオーとドトウが内側で走るところお前は大外に出して全員を差し切った。あれが答えや」

 

デジタルはトレーナーが指を指したほうに視線を向ける。ホワイトボードには書かれているのは1着の場所に10番、2着には6番、3着には2番。10番はアグネスデジタル、6番はテイエムオペラオー、2番はメイショウドトウだ。そして数字の下には確定の文字。これは着順が確定した証しである。

 

「あ…あたしが勝った?」

 

デジタルは事実を再確認するように呟く。

レース中の興奮状態と2人に対する執着と強い思い込みがデジタルに自己暗示をかけさせた。ただ時が経ち興奮が治まってくることで解けていき、それと同時に記憶が鮮明になっていく。

そうだ、直線に入りトレーナーの指示通り外埒に向ってそして二人の姿をイメージしたのだ。

 

「うん。そうだ。そうだった。オペラオーちゃん達は内を走ってあたしは大外を走ったんだ」

「すまなかったデジタル!」

 

物悲しそうに頷くデジタルの姿を見てトレーナーは90度近く頭を下げて謝罪した。

妄想で幻覚を見るほどにデジタルは二人と一緒に走ることを望んでいた。それを自分の指示でぶち壊した。デジタルの表情を見て後悔と罪悪感がトレーナーを責めたてる。

 

「顔を上げてよ白ちゃん。あたしは……怒っていないよ。勝てたことは嬉しいから。これを選んだことに悔いはないよ」

 

デジタルは少しばかりの後悔を押し込めるように白い歯を見せるような笑顔を作った。

オペラオー達の近くで走らなかったことに後悔が無いと言えば嘘になる。だがチームメイト達やトレーナーの為に勝てたことは嬉しく、選手としてオペラオーとドトウに勝てたことは嬉しい。

 

それに自分が作り上げた二人のイメージ。あれは我ながら良いものだった。だがあれはチームメイト達がオペラオーとドトウの資料を集めてくれたから。そしてトレーナーが天皇賞秋に出走を許可してレースに集中できるようにしてくれたから。だからこそレースに向けて二人を想い、前々日会見で二人と会話できた、パドックなどで間近で見られてより精巧なイメージを作り上げることができた。天皇賞秋に出られなければここまで二人を想うことなくこんな体験はできなかった。

 

「ほんまか?」

「ほんま!ほんま!それより少しは褒めてよ『お前はほんま凄いやっちゃやな!』とか『天才ウマ娘』とかさ!」

「ああ、お前はほんまに凄い奴や。こんなアホみたいな作戦実行できるのは日本中、いや世界中探してもお前だけや」

 

デジタルの明るい口調に合わせる様にトレーナーは軽口を言い放つ。しかしトレーナーはデジタルの一瞬表情が曇るのを見逃さなかった。デジタルは許してくれたがその好意に甘えてはならない。今回のようにチームのウマ娘の要望を切り捨てるようなことはならない。要望に応えつつ勝たせる。それができるように鍛え作戦を考えるのがトレーナーの仕事だ。

デジタルの一瞬曇った表情、それを脳裏に深く刻みつけた。

 

「あ……」

「どうした?」

「あたしが勝ったっていうことは……オペドトのワンツーフィニッシュが途絶えたんだよね」

「そうやな」

「あたしが……オペドトの…あの美しい関係を壊しちゃった……」

 

突然デジタルの目から涙が流れ思わず手で顔を覆った。

オペラオーとドトウのワンツーフィニッシュ。それは二人の想いの、友情の、愛の結晶である。成績に並ぶ1着テイエムオペラオー2着メイショウドトウ、もしくはその逆の結果は美しくすらあった。レースに勝つことはその美しい結果を壊すことになる。それは分かっていたつもりだったが、いざ目の当たりにすると罪悪感と悲しみがデジタルを襲う。

 

「なあ、デジタル。永遠に続くものはそうあらへん。お前が1着にならなくてもいずれは誰かが1着になっていたかもしれん」

「そんなことないもん!」

「それに二人のワンツーフィニッシュが崩れたからこそ、二人の関係に変化が生じ生まれるものがあるんやないか?それもお前の言うキテる要素なのかもしれんぞ」

「なるほど……」

 

確かにそうかもしれない、デジタルは思わず頷く。

3着になったことに不甲斐なさを感じるドトウ、その負い目からオペラオーと会っても思わずその場を立ち去ってしまう。それを不審に思ったのかドトウの後を追うオペラオー。考えるだけ色んな展開が予想できる。

二人のワンツーフィニッシュは美しい関係だと思っていたがそれはマンネリ、倦怠期を生むこともある。時には刺激も必要だ、それによって二人の関係はより素晴らしいものに変わっていくかもしれない。

 

「じゃあ、あたしは少女漫画で出てくる恋のライバルキャラってことね」

「よくわからんがそういうことや」

「二人の関係に関われるなんて光栄だな~グフフフ」

 

トレーナーはデジタルが元気になった様子を見て胸をなで下ろす。

デジタルの態度は敗者に対する憐れみに見られてしまうかもしない。だが憐れんではいない、本気で悲しんでいるのだ。

例えば憧れの選手と対戦しその選手に勝ってしまった、越えてしまったと悲しむことはあるかもしれない。だがデジタルにはそういう気持ちはなく、ただ二人のワンツーフィニッシュを壊してしまったことに本気で悲しんでいる。こんなことを考えるのはデジタルだけだろう。本当に不思議なウマ娘だ。

 

「やられたよ。アグネスデジタル」

 

 

二人が声をかけられた方を振り向くとそこにはオペラオーが立っており、勝負服と顔は泥にまみれていた。右手に着いた泥をふき取り差し延ばす。デジタルもそれに応じる様に右手を差出し握った。

 

「あの末脚は凄かったよ。じゃあウイニングライブで」

 

オペラオーは手を振ると自分のトレーナーのもとに歩を進める。その後ろ姿は背筋がピンと伸び凛々しさすら感じられた。

 

「オペラオーの手を見たか?」

「うん」

 

右手を差出し握手し何気なく会話をしているなか、左手は握りこぶしのまま震えていた。あれは悔しさの抑える為に力一杯手を握っていたのだ。本来なら悔しくて口を利きたくないはずなのに、己の流儀か敗者としての流儀かは分からないが勝者に賞賛の言葉を送ったのだ。

 

「今回は紛れもない不意打ちや2度目は無い。あんな負け方したオペラオーにとってたまらないのに一切言い訳を言わずお前を讃えた。強いウマ娘や」

「うん。本当にかっこいいよ」

 

グッドルーザーという言葉があるがテイエムオペラオーの姿はまさにそれだった。

誇り高き王者。デジタルはオペラオーに尊敬の念を抱いていた。一方ドトウは背中を丸め悔しそうにしておりトレーナーが慰めている。その刹那デジタルに恨めし気に視線を送りそれを受けて思わず身震いする。

ワンツーフィニッシュを崩されて相当悔しかったのだろう。再び罪悪感が去来し胸が苦しくなるがそれを懸命に耐えた。二人にはこれを糧にして強くなってもらいたい。そしてジャパンカップや有マ記念。そしてウインタードリームトロフィーに出てくる強敵からワンツーフィニッシュをもぎ取ってもらいたい。それが二人のファンとしての切なる願いだった。

 

「ところでデジタル、代えの勝負服持っているか?」

「うん、持っているよ」

 

デジタルは質問に答える。GIレースに出走するウマ娘達は不測の事態に備えて予備の勝負服を持っていた。

 

「なら、表彰式が始まるからすぐに着替えて来い」

 

 

トレーナーの言葉を聞き自身の勝負服を確認する。バ場が荒れていないところを通ったのでオペラオー達のように泥まみれにはなっていないが、道中の他のウマ娘達が蹴り上げた芝などでそれ相応に汚れていた。デジタルは着替えてくると言い残すと足早に控室に戻っていった。

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

『これより秋の天皇賞の表彰式を行います』

 

厳かな音楽をBGMにデジタルは真新しい勝負服、トレーナーは一張羅といえるスーツを身に纏いコースの中央に設けられた表彰台に上がる。するとプレゼンターが促すとともに観客席から盛大な拍手と多くのフラッシュ光が二人を出迎える。トレーナーの表情は緊張の色を見せ、デジタルはいつも通りの日常と変わらないといった具合の平静とした表情だった。

 

『それでは中央ウマ娘協会理事長より天皇盾の贈呈を行います』

 

 

理事長が白手を装着しデジタルも係員から白手を受け取り装着する。GIレースに勝利すると優勝トロフィー、またはそれに類するものを受け取るが天皇盾のみ白手を装着する。素手で盾に触れてはならず白手を着けるのが慣例になっている。

盾を渡す前に両者が握手を交わしその後に盾を渡すという流れになっており、予定通り握手を交わす。するとデジタルが理事長に何か喋りかけている。トレーナーは聞き耳を立てるがデジタルから距離が遠く雨の音のせいでよく聞き取れない。理事長は一度首を横に振りデジタルは尚も懸命に頼み込む。すると理事長は首を縦に振った。するとデジタルは白手を外しトレーナーに渡した。

 

「あたしはいいから、白ちゃんが盾を受け取りなよ」

 

普通ならトロフィーはレースの主役であるウマ娘が受け取るものであり、トレーナーが受け取ることはまずない。それをトレーナーが受け取ることは異例の事態でもある。

 

「あかんやろ、お前が受け取れ」

「だって小さい頃からずっとずっと欲しかったんでしょ。ならあたしより白ちゃんが先に受け取るべきだよ」

「あかん。理事長が許さん」

「さっき頼んだらいいよって言ってくれたよ」

 

さっき何か二人で話していたのはこのことだったのか。トレーナーは理事長に視線を送ると無言で頷き早くしろと視線で語る。天皇賞秋でのマル外出走枠は増やさないのに、こういうところは融通が利くのか。デジタルに視線を向けると行ってこいとばかりにウインクを見せる。

 

観念したトレーナーは白手を装着し天皇盾を受け取る。それは想像していたより重かった。これが歴史の重みなのか。すると脳裏に様々な記憶が蘇る、三冠ウマ娘シンザンが勝った天皇賞のレースを始め数々の激闘、そしてトレーナーになってからの日々。楽しいことも嬉しいことも辛いこともあった。そして今日アグネスデジタルという素晴らしいウマ娘によってこの天皇盾を受け取ることができた。トレーナーの目には一瞬涙が浮かぶ、だがそれは雨粒で見えなくなった。

 

その後表彰式はつつがなく終了する。するとチームプレアデスの面々がコースに集まってきた。GIレースでは表彰式の後に記念撮影を取ることが許されており、参加者としては本人、トレーナー、所属チームのメンバー。優勝ウマ娘の親族などである。

 

「やったなデジタル!」

「あのオペラオーとドトウに勝つなんて凄いです!」

「会場のあのどよめき。痛快だったよ!」

 

チームのメンバーがデジタルに抱きつき祝福の言葉を送り時には手荒く祝福した。その様子をトレーナーは嬉しそうに眺めていた。皆の喜びがオペラオーとドトウの近くで走れなかったデジタルの悲しみを癒してくれればいいのだが。

そしてデジタルはそれに満面の笑みで応えていた

デジタルへの祝福が終わると記念撮影を取るために列を作り、デジタルとトレーナーが中央で天皇盾を二人で持ちそれを囲むようにチームのメンバーが並んだ。トレーナーは中央にいくことを拒んだがチームメンバーが強引に位置取らせ写真を撮らせる。写真に写るすべての者は満面の笑みを浮かべていた。

 

 

天皇賞秋 東京レース場 2000メートル

着順 枠番 番号  名前       着差     人気

 

1  7  10   アグネスデジタル       4

 

2  5  6   テイエムオペラオー  1     1

 

3  2  2   メイショウドトウ  クビ      2

 

4  4  4   キンイロリョテイ  クビ      3

 

5  6  8   トイキガバメント  5      5

 

 

 

 

 

「フフフ~ン。フフフ~ン」

 

アグネスデジタルは授業が終わり鼻歌交じりで自室に向かう。本来は天皇賞秋での激走によるダメージで体中が傷んでおり歩くだけで痛みが走る、だが昨日のオペラオーとドトウと一緒に行ったウイニングライブのことを思い出しただけで顔はニヤケ痛みが消える。あのオペラオーとドトウと一緒にライブができた。二人のライブを外から見るのもいいが二人と一緒にライブをするというのは格別の体験だった。改めて天皇賞秋に出走した己の決断と周りのサポートに感謝の念を抱く。

 

デジタルは自室に着くと制服をクローゼットにしまい部屋着に着替えるとベッドに飛び込んだ。今日明日は体を癒すために完全休養日である、いつもだったらトレーニングをしているのに部屋でゴロゴロしているのは妙な気分だ。だがせっかくの休日を思いっきり満足しよう。とりあえず昨日のライブをじっくり見ようと手持ちのタブレットを起動するとトップ画面にライン通知が届いていた。

 

 

「白ちゃんからだ」

 

送信相手はトレーナーからだった。メッセージには『16時に視聴覚室に行け』と端的に書かれていた。『何があるの?』とメッセージを送っても返信は帰ってこない。デジタルは数十秒ほど悩み制服に着替えなおし視聴覚室に行くことにした。多少怪しいが特にやることもないし、ライブは後でも見られる。デジタルは痛む体を労わるようにゆっくりと起こし、ゆっくりとした歩調で視聴覚室に向かう。

 

「白ちゃん何の用だろう」

 

 

デジタルは視聴覚室に着くと扉をゆっくりと開ける。最初に考えたのは祝勝会が開かれることだが、祝勝会はチームのメンバーとレースが終わったその日の晩に行った。だとしたらそれ以外の人物か?友人のエイシンプレストンはチームプレアデスの祝勝会に参加していたし目ぼしい人物は思いつかない。だとしたら天皇賞秋の取材か?まあ開けばわかるだろう。

デジタルが扉を開き飛び込んできた光景に目を見開く、そこには思わぬ人物がいた。

 

 

「やあ!よく来たねデジタル!つつつ」

「こんにちはデジタルさん……」

 

 

テイエムオペラオーとメイショウドトウの二人がデジタルを出迎える。二人は挨拶をするがどこか動作が重くレース中に感じたようなオーラがなく弱々しい。彼女らも天皇賞のレースの激走でダメージを負っていた。その様子を見てデジタルは思わず微笑んだ。二人も自分と同じ状態なことに親近感を抱く。

 

 

「オペラオーちゃんにドトウちゃん!イタタタ…どうしたの?白ちゃんに呼ばれたの?」

「白ちゃん?デジタルのトレーナーのことか。企画したのは彼だが、ここにはいないよ」

 

 

企画した?ここにいない?デジタルはオペラオーの言葉に疑問符を浮かべる。

そうしている間にドトウが部屋のカーテンを閉め電気を消しプロジェクター下ろし映像を再生する。画面には昨日行われた天皇賞秋のレース前映像が流れていた。

 

 

「昨日はデジタルのトレーナーに『ドトウとデジタルとの三人で昨日のレースを見てくれないか』と頼まれてね。まあ勝者と反省会をすることは有意義だろう。さあ見るぞ」

「私も一人でいても塞ぎこむだけだってトレーナーに行ってこいって言われました」

 

 

オペラオーとドトウは席に座りデジタルも二人の隣の席に座る。そして映像ではゲート入りが終わりレースは始まっていた。

 

 

「まさかサイレントハンターが出遅れるとは思わなかったな、そしてドトウがハナを主張したと」

「どうしようかと迷ったんですけどペースが遅くなりそうですし、慣れていなくても逃げたほうがいいかなと。それに宝塚では前に位置づけて勝てたので」

「デジタルは何を考えていた」

「えっと、とりあえず二人より後ろに位置取ろうと思っていて細かいポディションを気にしてなかった」

 

 

オペラオーが映像を逐一止めてそれぞれが心境を語っていく。

正直言えばこの反省会は一人で行いたかったし当時の心境を語りたくもなかった。ただデジタルのトレーナーがレース当時の心境を詳細に語ってくれと頼まれた。断ろうと思ったが中年のトレーナーが小娘相手に何の躊躇もなく頭を下げて頼み込む真摯さと真剣さに心打たれて提案に承諾した。

ドトウも同じようにそれ以上にこの反省会に来たくはなかった。だがオペラオーと同じように頼み込まれて、押しに弱いということもあるが同じように心打たれていた。

 

オペラオーは包み隠さず当時の心境を語った。アドマイヤベガを思い出したこと、レースに勝って世界に打って出たいということ。ドトウには負けたくないということ。

 

ドトウも包み隠さず語る。レースに勝つのはオペラオーだからオペラオーだけを意識していたこと、勝ってオペラオーと一緒にウイニングライブをしたいということ。

 

そしてデジタルもレースの二人と同じように語った。本当は二人と叩き合いに参加したかったこと、けどトレーナーに外に出せと言われ突拍子もないアイディアをもらったこと。ゴールしたときは自分が一着ではなかったと思い込んでいたこと。

 

 

「へえ~二人はそんなことを考えていたんだ!オペドトキテる!」

「デジタルさんも凄いですね。あたしだったらそこまで思い込めません」

「妄想のボクはさぞ美しかっただろう。でも実物のボクのほうがもっと美しいだろうデジタル」

「もちろん」

 

 

三人はレース映像を見終わりそれぞれの心境について感想を述べる。

オペラオーもドトウもお互いについてここまで本音を赤裸々に語ったのは初めてだった。本来なら気恥ずかしくて言わないのだが、デジタルがあまりにも目をキラキラと輝かせて聞いてくるのでつい喋ってしまった。だが妙な開放感と心地よさがあり今以上に親密になれた気がする。

 

そしてアグネスデジタルというウマ娘。オペラオーとドトウを想うあまりに精巧なイメージを作り出し一緒に併走した。そのあまりある想いは一歩間違えれば相手にドン引きされてしまうものだ。だがオペラオーとドトウは不思議とそうは思わなかった。そこまで純粋に想えることはある意味凄いことであり、何よりレースで戦った者同士だけがわかる奇妙な友情のようなものを感じていた。

 

 

「さあ、前座はここで終わりだよ。ここからは美しく強くて速いボクの輝かしい栄光の記録と少しだけドトウの勝利の瞬間の上映会だ!今日はオフだし特別にたっぷりと語ってあげよう!」

「本当に!やったー!」

「ドトウ早く準備をするんだ」

「はい……」

 

 

ドトウは渋々とディスクを切り替える。こうなったオペラオーは止められない。今逃げようとしても捕まえて椅子にくくりつけてでも参加させられるだろう。それに元々おこなう予定でもあった。

二人で走ったレースの回顧をできればやって欲しい。それもデジタルのトレーナーのリクエストだった。元々自分のことを語るのが好きなオペラオーは二つ返事で了承し、ドトウもオペラオーの勢いに押され渋々と了承していた。そしてオペラオーの独演会が始まった。

 

 

 

「夜遊びかデジタル。っていうより今までどこで何をしていたの?」

「オペラオーちゃんとドトウちゃんと一緒にDVD見てた」

「もう22時回わよ。こんな時間まで見てたの?それに何見てた」

「二人のレース!」

 

デジタルは上機嫌で同室のプレストンに返事をする。16時から寮の門限の22時ギリギリまで食事休憩を挟みながらも8時間ぶっ続けでオペラオーのレース回顧はおこなわれた。大概の者にとって一種の苦行であり、オペラオーの自慢話になれているドトウすら終盤はぐったりとしていた。だがデジタルにとっては苦ですらなく、好きなタレントのトークイベント並みに楽しいものだった。雑誌のインタビューでは語られなかった心境や当時の背景を数多く知れ二人の連絡先も教えてもらい一気に親密になれた。まさに最良の一日だ。

デジタルはパジャマに着替え携帯のアラームをセットしようとし思い出す。そういえばまだお礼をしていなかった。ラインアプリを起動しトレーナー宛にメッセージを送る。

 

 

ピロロロ~ン

 

部屋で明日のトレーニングメニューを考えていたトレーナーの携帯から着信音が流れる。作業を中断し手に取るとデジタルからのラインメッセージが送られてきた。

 

『白ちゃん、今日はオペラオーちゃんとドトウちゃんを呼んでくれてありがとね。楽しかったよ』

 

トレーナーはメッセージを見て顔を綻ばせる。今朝方レース中にオペラオーとドトウと併走させられなかった罪滅ぼしとして二人にレース中のことを語ってもらおうと思いついた。そこでオペラオーとドトウのトレーナーに連絡を取り二人に会わせてもらい二人に交渉した。負けた直後でレース中の心境を詳細に語ってくれるかという不安があったが、どうやらデジタルは喜んでくれたようだ。

するとメッセージの後に画像が送られる。ファイルを開く自撮した三人の写真が写っていた。

オペラオーはばっちりとポーズを決め、ドトウは疲れているのか引きつった笑顔を見せている。そしてデジタルは満面の笑みを見せてピースサインをしている。この画像だけでデジタルの心境が手に取るように分かった。

 

 




これで天皇賞秋編は終了です。
白ちゃんがどんな作戦をデジタルに授けるか注目していた方。
すみません!精神論でした!
筆者の頭ではモデルの調教師が考えた作戦を超えるアイディアを考えるのは到底無理でした!

レース描写は書いていて楽しかったです。
最初に書いたものとは結構内容が変わり、展開も史実のレース通りに書いていたのがキンイロリョテイが三コーナーから捲ったり、レース中も最初と比べキャラクターたちが多く喋っています。そして好きな競馬漫画のセリフとかもそっくり引用してしまいました。
大好きなセリフだけにどうしても入れたかった!

天皇賞秋編が終わり、次は香港編の予定です。


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勇者パーティー魔都香港へ#1

「デジタル、香港ウマ娘協会から香港国際競争のレースに招待されたがどうする?」

 

アグネスデジタルが秋の天皇賞を走ってから一週間が経ち、数日の休養を終え徐々に運動強度を増やし始めていた。そんな矢先トレーナーはトレーニングが終わり制服に着替え部屋に帰ろうとしているデジタルに伝えた。

 

香港国際競争。

香港ウマ娘レースの最大イベントであり、12月に行われる同日複数GIレース競争である。

 

芝1200メートルの香港スプリント。

芝1600メートルの香港マイル。

芝2000メートルの香港カップ。

芝2400メートルの香港ヴァーズ。

これらのGIレースに四競争が一日でおこなわれる。

 

創設されてから日は浅いが関係者の努力により業界内での地位が高まり、今では世界中の強豪が集まるレースになっており、レースに招待されることは世界的に評価されている証でもあった。そのなかでデジタルは香港カップと香港マイルのレースに招待されていた。

 

「香港…香港か~」

 

デジタルは招待されたことを聞き腕を組み悩ましげに首を曲げ唸る。

香港国際競争に招待されることが名誉なことは知っている、だが正直乗り気ではなかった。

 

まず海を越えて見知らぬ土地で走るということに多少なり不安を感じていた。そしてなにより懸念しているのは相手のことをまるで知らないことである。

今まではトレーナーに指定されたレースをそのままに走っていたが、それでも相手のことを調べときめくポイントを知り好感度を高めていくなどしてモチベーションを高めていた。

だが海外のウマ娘となると得られる情報の量も質も国内のウマ娘と比べると劣り、入手できるといえば簡単なプロフィールとレース映像ぐらいだろう。

デジタルが知りたいのはそのような表面的な情報ではなく、もっとディープなものであった。

 

「白ちゃんはあたしの次走は何を考えているの?」

「マイルチャンピオンシップかジャパンカップダートか香港マイルか香港カップ。この四つや。デジタルは何に出たい?」

「そうだね~マイルチャンピオンシップかジャパンカップダートのどっちかかな」

 

天皇賞秋を走ってからデジタルにある心境の変化が生じていた。レースを選ぶ際に重要なのは誰と走るかである。現役ウマ娘のなかで一番好きな選手でありカップリングでもあるテイエムオペラオーとメイショウドトウとのレースは楽しく素敵な体験だった。その体験を基にいかに心ときめく相手と走るかに比重を置くようになっていた。

 

その観点から次走はマイルチャンピオンシップかジャパンカップの二つに候補にしていた。マイルチャンピオンシップにはエイシンプレストンが出走する。ウラガブラックがチームルームに乗り込んできた時はマイルチャンピオンシップを連覇することに興味がないといったがプレストンが出るとなれば別だ。

プレストンは一番の友人であり4回も一緒に走っている。漆黒長髪を2つのお団子にし、その毛先を垂らしている独特のヘアースタイル。その毛先を靡かせ走る姿はレースの度に見とれてしまう。そしてレースでは普段とは全く違う顔を見せてくれ、その度に心をときめかしてくれる。ゴール前で友達と競り合えればそれは幸せな時間だろう。

 

ジャパンカップダートにはウラガブラックが出走する。天皇賞秋の出走の件でもめた相手がレースに出走してきたらどんな感情を向けてくるだろう。それにあの白髪と新雪のような白い肌に美しいプロポーションを誇る体を間近で見てみたい。

デジタルが二つのレースに思いを馳せているとトレーナーはポケットから何かを取り出し手渡した。

 

「USBメモリー?」

「これには香港カップと香港マイルに出走予定のウマ娘のデータが入っている。一応目に通しておけ。それを見てからどのレースに出走するか決めても遅くはないだろう」

「うん。わかった。それじゃあね」

 

デジタルはUSBメモリーをカバンにしまうと手を振りながら寮の自室に帰宅していく。トレーナーは視界から消えるまでその後ろ姿を見送った。

 

「さあ、どうなるかな」

 

トレーナーの希望としては天皇賞秋で現役屈指のウマ娘であるテイエムオペラオーとメイショウドトウを打ち負かしたデジタルには世界に打って出て欲しかった。だが自分の願望をチームのウマ娘たちに押し付けてはならないと骨身にしみている。だが押し付けなくてもデジタルに情報を与えることはできる。デジタルには海外のウマ娘の情報を入手することは難しいが自分が持つ世界各国のコネクションを活かせば入手することは難しくない。

もしかすると香港マイルや香港カップにはオペラオーやドトウのようにデジタルの心をときめかすウマ娘がいるかもしれない。それを知れないのは可哀想だ。

デジタルにはより多くの情報と選択肢を与えた状態で悔いの残らないレース選びをしてもらいたい。それがトレーナーの願いだった。

 

「それじゃあ早速見てみようかな~」

「何を?」

 

ノートパソコンにUSBを差込み中に入っているファイルを見ようした時、誰かがデジタルの肩に手をかける。後ろを振り向くとそこにはエイシンプレストンがいた。勝負服と同じ赤と黒で彩られたパジャマを着ており長髪はタオルで巻かれていた。

 

「香港カップと香港マイルに出走予定のウマ娘ちゃんのデータ」

「香港カップと香港マイルに招待されたの?」

「うん。あまり乗り気じゃなけど、白ちゃんが一応見ておけって」

「へえ~あたしにもちょっと見せてよ」

「いいよ」

 

デジタルは座っている椅子を横に動かしスペースを開けるとプレストンはそこに椅子を入れて二人並ぶように座る。そして香港マイルと書かれているファイルフォルダーを開き、そこからウマ娘の名前が書かれている個人ファイルを順々に開いていく。

 

よく調べている、それがプレストンの抱いた感想だった。

レース映像やレース後のコメントは記録されている。それだけでもよく調べたと思うが目に付いたのはそれ以外の情報だった。

好きな食べ物やマイブームなどパーソナルな情報が細かく網羅されている。しかも活字だけではなく写真やホームビデオのような動画まである。この質と量を見るとレース映像やコメントがおまけのように思えてくる。

しかしレースに関する情報が本当に少ない。もし同期のエアシャカールがレースに向けてこのUSBをもらったら『もっとトレーニング動画とかとってこい!使えない情報よこすな!』とメモリを叩き壊すほどレースに使えない情報ばかりだ。

 

だがデジタルにとってはこれでいい。レースの度に『相手のウマ娘ちゃんを愛でるためにはこういう情報が必要なの』と専門誌で掲載されているインタビューや特集でパーソナルな情報を集めていた。

その甲斐あってかデジタルは目をらんらんと輝かせ食い入るようにファイルを見続ける。そんなデジタルを尻目にプレストンは椅子から立ち上がり髪の手入れを始めた。ちょっと興味が有ったのでデータを一緒に見ようとしたが、悪いがそんな熟読するほど興味が持てない。デジタルはプレストンが離れたのを気づかないままデータを見続ける。

 

「う~ん、読み応えあった」

 

デジタルは画面から目を離し椅子の背もたれに寄りかかり体を伸ばす。読み始めていたから数時間が経っていた。

このファイルを見るまでは次走に香港マイルと香港カップは選択肢に入っていなかった。だがこれを見てパーソナルな部分を知れたことで愛着も湧いてきた。海外のウマ娘で眼福を得るのも悪くないと思い始めていた。

 

「読み終わった?それで気に入ったウマ娘はいたの?」

「UAEのドブーグちゃんがあたしの推しかな。トブーグちゃんはCクラスであのチームゴドルフィンの出身なの。ジュニアBクラスではGIレース2勝したんだけどCクラスではなかなか勝てないの。名門のチームに相応しい成績があげられなくて落ち込むけど、それでもビッグマウスを言い続けて頑張る姿がグッときちゃう!」

「それはよかったわね」

「白ちゃんもいい仕事しますね~」

「本当ね。こんなしょうもな……レースに使えそうにないデータを集めてくれるなんて」

 

プレストンはしょうもないと言いかけた言葉を飲み込んだ。ほかの人にはゴミみたいな情報だがデジタルにとっては宝なのだ。現に一度パーソナルな情報をしょうもないと言って説教を食らったことあった。

 

「しかしこうなると次走をどうしようかな~マイルチャンピオンでプレちゃんと走りたいし、ジャパンカップダートでウラガブラックちゃんと走りたいし、香港カップでトブーグちゃんとも走りたいしな~」

「じゃあいっそのこと全部走る?」

「それいいねプレちゃん」

「冗談よ。そんなローテーションで走ったら間違いなくパンクするわ」

 

デジタルはそうだよね~とうんうんと唸りながら首を傾げ悩んでいる。プレストンはその姿を大変そうだなと他人事のように眺めていた。暫くするとプレストンは世間話のような軽い感じで話を切り出す。

 

「そういえばデジタルって将来はトレーナー志望だよね」

「うん。将来はウマ娘ちゃんとのハーレムを満喫するの。グフフフフ」

「それだったら香港カップに出れば?」

「どういうこと?」

「いやテレビの番組でさ、海外で活躍した日本人のスポーツ選手が指導者になってその活躍を見ていた子供がその人の指導を受けに海外まで来たって話があってさ。香港カップは結構世界的に有名だし。もし勝てば番組みたいなことがおこるかもよ」

 

プレストンはとりあえず思いついたことを言ってみただけだった。だがデジタルは言葉を聞いた瞬間に体中に電流が走ったような感覚が駆け巡る。

 

「それ!それいいよプレちゃん!何でこのシュチュに気付かなかったんだろう!」

 

デジタルは椅子から立ち上がり絶叫する。

現役を引退しトレーナーになった自分のチームに新入生が入ってくる。そのウマ娘は香港出身で自分が勝った香港カップを現地で見ていてその姿に憧れて、はるばる海を越えて日本のトレセン学園に入学してきた。

何と心トキめくシュチュレーションなのだろう。デジタルの脳内ではそのウマ娘を起点にした自分好みのシュチュレーションが次々と思い浮かんでくる。

 

「はいはいドウドウドウ。そしてもう消灯時間だから寝なさい」

 

プレストンは興奮状態のデジタルを一旦座らせ背中をさするようにして落ち着かせてベッドに誘導した。これ以上騒がれたら近所迷惑だし同室の自分も寮長に怒られる。きっと自分の妄想で興奮したのだろう、こういう奇行は珍しいことではない。

そしてプレストンもベッドに入ると消灯時間になり部屋の電気が消えた。二人の部屋に響くのは寝息ではなく、デジタルのグフフフという不気味な笑い声だった。

 

 

「次は香港カップに出ることにしたから、手続きお願い」

 

翌日、デジタルは練習前にトレーナーに自分の意志を伝える。わずか一日でのこの心変わり、あのデータのなかにオペラオーやドトウのように心惹かれるウマ娘がいたのか?香港カップを選んだ理由を尋ねると学生に自らの理論を聞かせる教授のような偉そうな態度で答え始めた。

 

「トブーグちゃんとかそれなりにグッとくるウマ娘ちゃんも居たしね。それより白ちゃん、物事は長期的な視点で見なければダメなのだよ」

「どういうこっちゃ?」

「この国際化社会において国内だけではなく世界にもアピールできなきゃ。その点香港カップなら世界的な知名度も高いし、勝てば一気にあたしの名前が広まる」

「まあ、凱旋門やブリーダーズカップやドバイワールドカップと比べれば劣るが、それでも注目度は高いし、アジア圏やオーストラリアにはかなり名が売れるだろう」

「そしてあたしがトレーナーになったとき世界中の関係者はこう思うの『ヘイ、あの香港カップに勝ったアグネスデジタルがトレーナーになったって?そんな凄いウマ娘がトレーナーになるんだ。きっと名トレーナーになるに違いない。それだったらウチの娘を預けてみるか』『え?あの憧れのアグネスデジタルさんがトレーナーになったって?それならあたしも日本のトレセン学園に行かなきゃ!ママ!あたしは日本に行くわ!』って。そしてあたしのチームの元に世界各国のウマ娘ちゃんが集まってきて、国際色豊かなハーレムができるの!グフフフフ」

 

デジタルは持論を語りながら妄想の世界に入り込み不気味に笑う。トレーナーはその様子に苦笑いを浮かべながらデジタルが言わんとすることを察していた。

デジタルが将来トレーナーになりたいことは知っていた。そして香港カップを勝つことを就職活動の一環と捉えているのだ。

 

日本のウマ娘達の実力は先人の努力の甲斐もあって欧州やアメリカなどのトップに勝るとも劣らないものになっている。だが知名度の面では劣っており、世界的には日本のGIレースに勝つより世界のビッグレースに勝つほうが知名度は上がるのが現実である。

 

そして通説ではウマ娘のトレーナーは人間のトレーナーと比べウマ娘の間に特別な絆を築くことができず、良い成績を出すことができないと言われている。だがそれを知ってなお憧れの名ウマ娘の元で指導を受けたいとチームの門を叩く者は少なくない。

そしてその名ウマ娘が海外のビッグレースに勝ったならば海を越えてやってくるウマ娘もいても不思議ではない。つまりデジタルは香港カップをトレーナーとしての広告塔としようとしているのだ。

デジタルは刹那主義と思っていたがこのような長期的考えができるとは思っていなかった。

 

「そうか、ならマイルチャンピオンシップとジャパンカップダートはいいのか?走りたい相手がいるんだろう」

「それは悩んだよ。プレちゃんとも走りたいし、ウラガブラックちゃんとも走りたいしね。でもウラガブラックちゃんはフェブラリーステークスに出てくるだろうし、プレちゃんは安田記念に出てくるでしょ。なら二人とはそこで走ればいいや」

 

デジタルが香港を選んだ理由は言葉通りだったがそれだけではなかった。香港カップを勝つことで早く心トキめくシュチュレーションを迎えられる環境を整えたい。それだけですでに頭がいっぱいで来年までとても待てる心境ではなかった。

 

「そうか、そう言うなら香港カップに登録しておこう」

「じゃあお願いね。よ~し、未来のハーレムのために練習頑張るぞ~!」

 

デジタルは気合をみなぎらせて練習場に向かう、オペラオーとドトウと走ったことでもしかしたら燃え尽きてしまうかと思ったが杞憂だった。むしろ新しい目標を見つけてモチベーションを上げている、ならばさらに燃料を与えてやろう。恐らく喜んで参加するはずだ。

 

「おい、デジタル。そういえばオペラオーとドトウから一緒に練習してくれないかと誘いがあったぞ。どうする?」

 

デジタルは目を輝かせ即答した。

 

「もちろん参加する!」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

11月下旬、寒さも深まり日中でも吐く息は白く身を震わせる。週末にはGIレースジャパンカップが行われる。GIレースの花形である中長距離レースにおいても重要視されているレースであり、トレセン学園もレースが迫るにつれて活気付き騒がしくなる。そして出場者も大一番に向けてトレーニングに励んでいた。

 

「はぁはぁ」

 

ウッドコースで二人のウマ娘が息を弾ませながらウッドチップを跳ね上げながら駆け抜ける。テイエムオペラオーとメイショウドトウである。二人は歯を食いしばりながら全力で走る。心臓を限界まで脈打ち太ももや脹脛が悲鳴を上げる。だが隣で走る相手よりも1センチでも前に、その一心が彼女達を突き動かす。

二人がコーナーを曲がり直線に入るとコーナー前で待機していた一人のウマ娘が二人を追走する。スタート直後でその差は五バ身あったが見る見るうちに差は縮まりゴールまで残り50メートルで半バ身まで迫っていた。二人は粘りこもうと、追走者は差しきろうと力を振り絞り三人は横一線でゴールする。

三人はゴールすると同時に徐々に減速し50メートル先で完全に停止した。

 

「この一本は……ボクのクビ差勝ちかな……デジタル、ドトウ……」

「はい……オペラオーさんが若干体勢有利だったと思います……」

「さすが……オペラオーちゃんは……速いね……」

 

テイエムオペラオーは肩で息をしながら勝ち誇るように二人を見つめる、メイショウドトウはその結果を受け入れるように頷く。そして二人を追走していたアグネスデジタルは満足げに笑った。

 

天皇賞秋が終わって1週間が経ったころ、オペラオーとドトウはチームプレアデスのトレーナーにある打診をした。

 

『ジャパンカップまでデジタルをボク達の練習に付き合せて欲しい』

 

テイエムオペラオーとメイショウドトウが出るジャパンカップには多くの強豪がエントリーしていた。その中にはナリタブライアン、スペシャルウィーク、グラスワンダーなど二人と同じ末脚、それ以上の末脚を持つメンバーも参戦している。その仮想相手として先の天皇賞秋でキレ味鋭い末脚をみせたデジタルが選ばれたのだった。

 

ウマ娘の練習というものは基本的に個人単位あるいはチームメンバー内でおこなうものであり、他のチーム同士で合同して練習するというのは珍しいことである。言動から察するにオペラオーとドトウは一緒にトレーニングをするようだ。そこにデジタルが加われば三チームのメンバーが一緒にトレーニングをすることになる。

それは異例な事態だ。チームのトレーナー同士親交が深い、また弟子師匠の間柄ならあるかもしれないがオペラオーとドトウのトレーナーとはそこまで深い関係でもなく、何よりトレーナーから連絡を受けていない。ということはオペラオーとドトウの独断専行か。

 

トレセン内の暗黙の了解を破るほどにジャパンカップに懸けているということか。トレーナーはチーム練習を終えてから、そしてデジタルが承諾したらという条件でオペラオー達のトレーニングに参加させることを承諾する。

トレーニングには刺激が必要である。そういった意味ではレベルが高く大好きなオペラオーとドトウとトレーニングするのはデジタルにとって良い刺激になるだろう。そしてデジタルに影響されたのか二人を応援してやりたいという気持ちを抱いていた。

 

 

「じゃあ、クールダウンしようか」

 

三人は本日の最終追い切りが終わり、ウッドチップコースの外周をクールダウンのためゆっくりと走り始める。

 

「いよいよ明後日だね。二人とも調子はどう」

「パーフェクト。と言うよりこのボクが調整ミスするなんて有り得ないよ」

「悪くないです。でも相手は強い人ばかりで私が絶好調でもダメかもしれません……それだと一緒に練習してくれたオペラオーさんとデジタルさんに申し訳が…」

「大丈夫!ドトウちゃんは強いよ」

「そうだドトウ。このボクと一緒にトレーニングしたんだ、君は強くなっている。次のレースでも二着に入れるさ。一着はボクだけど」

 

デジタルはじゃれ合うようにドトウに抱きつき、オペラオーは励ますように背中をポンと叩いた。ドトウは二人のエールに応えるように自然と笑みを見せていた。

天皇賞秋、そしてオペラオーとドトウのジャパンカップへのトレーニングで接する時間が多くなった三人は親交を深め友人と呼べる関係になっていた。

 

「そういえばデジタルはいつ日本を発つのだい?」

「事前調整とかイベントとかもあるから明後日には出発かな、本当なら現地で二人を応援したかったけど、白ちゃんが団体行動だから時間はずらせないって言うの。少しぐらい融通利かせてくれてもいいのに」

 

デジタルは頬を膨らませて怒りを表す。その子供っぽい仕草に二人は思わず笑みをこぼした。

 

「それは残念だったね、ボクの晴れ姿が見られないなんて!でも楽しみは有マ記念まで取っておけばいいさ」

「そうだね。どうせ二人のどっちかが勝つんだし現地観戦の楽しみは有マ記念に取っておくよ」

「ドトウじゃなくてボクだけどね」

「じゃあ同着でいいや」

「まあ同着なら百歩譲って認めよう」

 

二人は示し合わせたように笑う。その様子をドトウは不思議そうに見つめていた。

デジタルは二人の勝利を、オペラオーは自分の勝利を前提に話している。何故二人は勝てると言い切れるのだろう?この豪華メンバーで勝利を確信できるなんてよほどのビックマウスか自惚れ屋だろう。自分なら口が裂けてもいえない。

だが二人の会話を聞いていると自分のネガティブな感情を打ち消してくれて不思議と勝てそうな気がしてくる。こんな感覚初めてだ。ドトウは初めての感覚に戸惑いながらも心地よさを噛み締めていた

 

「さようならデジタルさん、香港カップ頑張ってください」

「帰ったら香港カップとジャパンカップの祝勝会だ」

「うん、香港土産と一緒に持ってくるね」

 

三人はトレーニングを終えて帰路に着く。デジタルは帰りの道中の考え事は海外に行くという不安や期待ではなく、オペラオーとドトウが走るジャパンカップのことだった。絶対に勝てると言ったが相手の強さは理解しているつもりだ。厳しいレースになるだろう。

だが二人には勝負根性がある。お互いが体を併せれば二人の友情とライバル心から生まれる勝負根性は凄まじく、その勝負根性がお互いの限界を引き出し超えていく。そうなればレースには勝てる、二人にはそれができると信じていた。

 

「帰ってきたわね。早速準備するわよ」

「ちゃんと準備したよ」

「再確認よ。海外だと忘れ物しても日本みたいに送ってもらったり買うのが難しいんだから」

「は~い」

 

部屋に帰ったデジタルを出迎えたのは床一面に広がる荷物とエイシンプレストンだった。デジタルは渋々と香港行きのために荷造りしたキャリーケースを開き荷物を床に広げ二人は必要な荷物が入っているか指差し確認していく。

 

「ねえプレちゃん。オペラオーちゃんとドトウちゃんジャパンカップ勝てるかな?」

 

デジタルは確認の手を止めて問いかける。二人の力を信じているが、それでも不安を紛らわすために友人にそうだと言って欲しかった。

 

「厳しい戦いになるでしょうね。人気も恐らく六番か七番ぐらいだと思う」

「やっぱりプレちゃんもそう思う?」

「けど、あたし達ができることはあの二人を信じて祈ること。そしてオペラオーさん達のことを気にするあまり忘れ物をしてレースに重大な支障をきたさないこと。もしそんなことになったらオペラオーさん怒るわよ」

「そうだね」

 

デジタルは荷物確認を再開する。もうここまでくればふたりを信じるしかない、そしてプレストンはあたし達と言った。プレストンもオペラオーとドトウも勝利を信じて祈ってくれる、それだけで嬉しかった。

 

「まさか、プレちゃんと一緒に香港に行けるとは思わなかったよ」

「あたしも正直招待されると思わなかった」

 

二人は荷物を整理しながら香港国際競走について話題を変える。

エイシンプレストンは前々走のGⅡレース毎日王冠に勝利し、前走GⅠのマイルチャンピオンシップは2着に入線する。その結果が評価され香港マイルに招待されていた。

 

「しかしマイルに出るんだったら言ってよ。そしたらあたしもそっちに出るのに」

「招待状が来たのがエントリー期限ギリギリだったんだから仕方がないでしょ。それにマイル走ったらトブーグと走れないわよ」

「トブーグちゃんとプレちゃんだったらプレちゃんを選ぶよ。プレちゃんの方が好きだし」

 

プレストンはデジタルの言葉に思わず顔を背ける、当人を目の前によく言えるな。

デジタルの直球な好意を少し戸惑っていた。その戸惑いを隠すために話題を変える。

 

「た…たしか香港ヴァーズにはキンイロリョテイさんが出るんだよね。あの人気性が荒いらしいしちょっと不安なんだけど」

「キンイロリョテイちゃんか、オペラオーちゃんがバカだけど悪い奴じゃないって言っていたし大丈夫じゃない」

「そうだといいんだけど」

 

プレストンは思わずため息を漏らす。

制御不能のウマ娘、肉食。気性難を表すあだ名を数多く、気性難のエピソード挙げていけば両手で足りない。それほどまでに気性が荒いウマ娘がキンイロリョテイだ。何がきっかけで理不尽な目にあうか分からない。極力接しないようにして細心の注意を払おう。

二人は荷物を確認し終えると、早めに就寝した。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

日曜日の国際空港となると人が多く、いかにも海外出張に向かうビジネスマン、旅行に行く家族連れだなどがロビーのベンチで待っている。そしてアグネスデジタルのトレーナーも同じように椅子に座り時計をチラチラ見ながら待っていた。

もうそろそろ集合時間だがまだ来ない。デジタルはともかくプレストンが一緒なら問題なく来るはずだが、トレー内に一抹の不安が過る。すると携帯電話が振動する、電話が来ており相手はアグネスデジタルだった

 

「もしもし、デジタル今どこだ?」

「もう着いたよ、真正面にいる」

 

トレーナーは周囲を探るとデジタルが手をぶんぶんと振りながら小走りで駆け寄り、その後を追うようにプレストンも駆け寄る。

 

「ん?どうしたの?」

 

デジタルはトレーナーの視線がいつもと違うので問いかける。

 

「いや、スーツを着ているデジタルってのがな」

 

デジタルとプレストンは黒色のスカートタイプのスーツを着ていた。海外遠征の際にはスーツを着用する決まりだが、普段や制服やトレーニングウェアを身につけているのでスーツ姿に違和感があった。

 

「どう?できるキャリアウーマンみたいでしょ?」

「エイシンプレストンは似合っているが、お前は中坊が背伸びしているようにしか見えん」

「白ちゃんひど~い」

「デジタルが似合ってないのは置いておいて、キンイロリョテイさんはまだ来ていないのですが?それにキンイロリョテイさんのトレーナーは?」

「池さんは前準備で香港に前のりしている。そしてキンイロリョテイは今駅に着いたと連絡があったからすぐに来るだろう。そして噂をすれば……」

 

トレーナーは目を見開きただ前を見つめている。様子もしゃべるのを辞めたというより思わぬ事態に絶句したようだった。デジタルとプレストンも不審に思いながらも後ろを振り向きトレーナーと同じように目を見開いていた。

 

キンイロリョテイがトレーナーの元に近づいてくる。格好は規定通りパンツタイプのスーツを着ているので問題は無いがその着こなしが問題だった。

シャツのボタンを外し胸元が大きくはだけており首元には趣味の悪い金色のネックレスを着け、丸メガネのサングラスを着用しガムをクチャクチャと噛みながら肩を切って歩いている。

その姿は完全にチンピラだった。周りも関わりたくないといった具合にキンイロリョテイを避けている。

 

「うっす。よろしく」

「お…おう」

 

リョテイはトレーナーの元に来ると挨拶する。本来ならその言葉遣いを注意するところだが驚きのあまりにできなかった。するとデジタルの姿を確認すると近づいてくる。

 

「ようデジタル、秋天以来だな。あの時は世話になったな」

「よろしくねキンイロリョテイちゃん」

「マグレでもオペラオーとドトウとあたしに勝ったんだ。気張れよ」

 

まるで威嚇するように睨みつけるリョテイ、デジタルは全く臆することなくいつも通りだったがプレストンはデジタルが何かされるのではと警戒態勢をとる。だが言葉はデジタルを激励するようだった。すると今度はプレストンの元に近づいてくる。

 

「初対面だな、キンイロリョテイだ」

「どうも…」

「マイルCSは二着だったな。死ぬ気でやれ」

 

リョテイはプレストンにも激励のような言葉を贈る。第一印象でチンピラみたいだと思っていたが案外いい人なのではと思い始めていた。するとリョテイは二人の間に立ち啖呵をきった。

 

「デジタル!プレストン!あたし達は日本を代表して香港に乗り込むんだ!『よく頑張ったね』って言われるような温いレースするんじゃねえぞ!最近は日本ウマ娘はなめられているからな!ヴァーズとマイルとカップを三タテして香港国際競DAYをジャックする!これはチームジャパンのカチコミなんだよ!」

 

リョテイの啖呵はロビーに響き渡り人々は何事かと一斉に振り向き、デジタルとプレストンはその啖呵を聞き驚きのあまり口をポカンと開けていた。

これが気性難で名高いキンイロリョテイか。公衆の面前だろうが関係ないといわんばかりに自分の思いをぶつけてきた。そしてこの口上、カチコミだなんて物騒極まりない言葉が出てきた。香港でのレースをヤクザの抗争か何かと思っているのか?

だがその溢れんばかりの情熱は二人の心にしっかりと伝わっていた。

 

「ええこと言うな、キンイロリョテイ」

「デジタルのトレーナー」

「次のレースは国内のレースと違い少なからず国の威信を背負うことになる。不甲斐ないレースをしたらお前たちの評価が下がるだけじゃなく日本ウマ娘界の評価も下がる。そこを覚えておけ」

「はい」

「うん」

 

プレストンの表情は引き締まったものになり、デジタルもほんの僅かだが引き締まった気がする。二人共海外遠征が初めて気持ちの持っていきかたが分からずどこか若干観光気分なところがあったのかもしれない。だがそれはリョテイの言葉で完全に吹き飛んだ。この他人に伝播する溢れる闘争心は短所であると同時に最大の長所で魅力だ。

 

「よしキンイロリョテイ、日本の威信を守るために服装を直すか」

「え?なんで?」

「そんなチンピラみたいな格好で香港に行くつもりか?そんな格好を香港のマスコミに撮られたら日本の恥だ」

「やだよ。かっこいいじゃん」

「ダメだ。俺は池さんに引率を任せとるんや。日本の恥を連れて行くわけにはいかん」

 

そこから搭乗ギリギリまでトレーナーとリョテイの服装を直す直さないの口論は続き、この格好じゃなきゃ飛行機に乗らないという言葉が決め手となりトレーナーが折れる。

こうして四人は香港へ旅立った。

 




変態と狂犬と普通人がいざ香港へ!
現実の競馬ですとダイタクヤマトとメジロダーリングも香港スプリントに出ていますが
話の都合で出てきません。ダイタクヤマトとメジロダーリングのファンの方には申し訳ございません。
あとリョテイも現実ですとジャパンカップの後に香港ヴァーズに出走していますが
この話ではジャパンカップは走らず、天皇賞秋から香港ヴァーズのローテです

ちなみにプレストンのビジュアルは今年放送された某NHKアニメのキャラをモデルにしてます

追記
あとゼンノエルシドも話の都合上香港マイルに出走しません。
コメントでエルシドのことを書いていないとご指摘を受け気づきました。
ゼンノエルシドのファンの方に不快な気持ちを与えてしまい誠に申し訳ございませんでした


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勇者パーティー魔都香港へ#2

「オラオラオラ待てデジタル!」

「ちょっとキンイロリョテイちゃん怖い~」

「いつもそんな五月蝿いんですか?」

 

 ウッドチップコースで三バ身先を先行しているアグネスデジタルをキンイロリョテイは猛然と追走する。その様子はまるでサバンナで獲物を追い立てる肉食獣のようである。そしてデジタルは追い抜かられないように走る、いや逃げると表現したほうが適切かも知れない。その証拠にデジタルの表情が珍しく恐怖で少しばかり引き攣っていた。

 そしてエイシンプレストンはキンイロリョテイを並走しながらデジタルを追走する。感情を爆発させるリョテイとは対照的に体の細部に意識を配らせ最大限に力が出せるフォームを維持しながら走る。

 

 香港国際競争がおこなわれるシャティンレース場、一体はレース場だけではなく日本のウマ娘が生活するトレセン学園のようなものもあり、そこで生活するウマ娘達はすぐにレース場に向かうことができる。また海外から遠征にきたウマ娘達にもトレーニング場を開放しており三人も本番にむけて調整をおこなっていた。

 

 今はアグネスデジタルを先行させ、リョテイとプレストンが後から追走する追い切りメニューである。そしてこの一本はデジタルが半バ身ほどリードを保ちゴールした。

 

「ちくしょう差し損ねた!もう一本行くぞ」

「ねえプレちゃん、今度はプレちゃんが前走ってよ。怖いんだけど」

「先行するデジタルをあたし達が追走する。これはトレーナー達が本番を想定したメニューなんだから勝手に変えちゃだめよ。それに並走するこっちだって目をギラギラ光らせるキンイロリョテイさんを並走するの怖いし」

「ゴチャゴチャ言ってねえで行くぞ!」

 

 リョテイはデジタルを引きずるように追い切り開始地点に移動し、プレストンはその後をついていく。その様子をトレーナー達は専用のスペースで双眼鏡越しから真剣な眼差しで見つめていた。

 

「みんな調子はまずまずと言ったところやな。しかしリョテイはこんなに五月蝿いんか池さん?まあらしいといえばらしいが」

「すまんな、白。まあいつもこんな感じだ。最近じゃうちのチームの奴も怖がって前に置くことも並走させることもできず単走ばかりさせていたからな。久しぶりの並走追い切りできて楽しいのだろ」

 

 リョテイのトレーナーはデジタルのトレーナーの言葉に苦笑しながら謝る。二人は同じ年のトレーナーの試験に合格し比較的に年齢が近いこともありプライベートでも仲が良かった。

 

「しかし稽古でもこんな闘争心を見せるのだから大したものです。けどこの気性は苦労するでしょう」

「ええ本当ですよ北さん。いつも生傷が絶えません。その点エイシンプレストンは真面目で大人しくて羨ましいです」

「でも結構神経質なところがあって意外と苦労します、その点キンイロリョテイは無縁そうです」

「確かに。神経質という単語はあいつの辞書にはないですね」

 

 プレストンのトレーナーの言葉にリョテイのトレーナーはさらに苦笑いを浮かべた。プレストンのトレーナーは二人より年上で定年を間近に控えるベテラントレーナーである。

 

「しかしあのじゃじゃウマ娘との付き合いもあと少しだと思うと寂しくもありますけどね」

「本当にこれで最後なんか池さん?天皇賞秋のレースを見る限りまだまだやれそうだが」

「俺もそう思うのですけど、本人の意思は固いし尊重したいと思う」

 

 デジタルのトレーナーの言葉に物寂しそうに答える。キンイロリョテイは香港ヴァーズを最後にウマ娘レースからの引退を表明していた。

 

「そして香港ヴァーズがGIレースに勝つ最後のチャンスだ。ですから迷惑かけるかもしれないが協力頼む白、北さん」

「もちろん。チームジャパンですからお互い協力し合いましょう」

「名前に金がついているんだ。最後は金メダルで終わらせんといけないですね」

「うまいこと言うな白」

 

 デジタルのトレーナーの言葉に皆は笑みを浮かべる。そうしているうちに二本目の追い切りが始まりトレーナー達はウマ娘たちに目を向ける。一本目と同じようにデジタルを前に置きリョテイとプレストンが追走する。今度はゴール前でプレストンがデジタルを差し切っていた。

 

「エイシンプレストンが差し切ったか、強いですね」

「ええ、デジタルもいつもプレちゃんは凄いって言っていますし。俺もそう思います」

「ありがとう。私もプレストンの才能はトップどころに負けていないと思っています。本来ならもう一つ二つはGIを取れる才能があるのですが」

 

 プレストンのトレーナーは溜め息をもらす。エイシンプレストンはアグネスデジタルと同期でジュニアBレースのGIに勝利し将来が嘱望されていたウマ娘だった。だが骨折で半年間休養を余儀なくされる。そして復帰してもなかなか結果を出すことができず一年間勝利に見放された。だが陣営の努力もあり、夏のGⅢレース秋のGⅡに勝利し先のマイルチャンピオンシップでは勝ちウマ娘にコンマ一秒差という好走をみせていた。だがトレーナーとプレストンにとって喜べる結果でなかった。

 

「本人も理想が高いせいかマイルチャンピオンシップを落としてカリカリしているのが気がかりです。そういった意味で遠征先で友人のアグネスデジタルがいるのはありがたい」

 

 環境の変化に敏感なウマ娘にとって遠征先でいかに平常心でいられるかということは重要な要素である。その点同室のデジタルと一緒なのは幸運でだった。プレストンの話を聞く限りデジタルとは良い関係のようだし、気心知れた仲間と一緒というのはプレストンにとって好材料だ。現に追切を終えクールダウンしているプレストンの表情はどこか柔らかい。

 

「よし、そろそろあいつらを迎えに行こうか」

「そうですね」

 

三人は双眼鏡をしまいトレーナースペースからデジタル達がいるグランドに降りていく。

 

「あ~あ疲れた。早くホテル帰って肉食いてえ。ステーキ食いてえ」

「あたしもデザート食べた~い~。でも食べられな~い……」

「デジタルのトレーナーさんは体重管理に厳しいからね」

「本当だよ。やたら体重にうるさいの」

 

三人はクールダウンを終えトレーニング上からトレーナー達が待っている駐車場に向かっていた。するとリョテイが突如立ち止まり耳を立て辺りを見渡す。

 

「どうしたのキンイロリョテイちゃん?」

「誰かあたしの名前を呼んだような」

「それはあれだけ騒いで走っていたなら嫌でも注目されますよ」

 

 リョテイが立ち止まり聞き耳をたてる。それに続くようにデジタルとプレストンと立ち止まり聞き耳を立てる。すると自分たちの噂話している声が聞こえてきた。

 

「くそ!何言っているかわからねえ」

 

 リョテイは思わず舌打ちを打つ。このトレーニング場では香港国際競争に出る各国のウマ娘が集まっている。そして喋る言語も様々であり日本語では誰ひとりしゃべっていない。日本生まれ日本育ちで勉強の成績が悪いリョテイには何一つ聞き取れなかった。

 

「えっと。『あれがファンタスティックライトに勝ったキンイロリョテイか、強そうだ』ということを言っていますね」

「プレストン外国語わかるのか?」

「一応アメリカ生まれですから英語ならそれなりに」

 

 英語がわかるプレストンに感嘆しているリョテイ、そしてプレストンはデジタルにむけてリョテイに見えないように唇に人差し指を立てた。それにたいしデジタルは無言で頷いた。

 

 周りのウマ娘達は「あれがファンタスティックライトに勝ったキンイロリョテイか、なんか頭悪そうだな」と言っていた。だが正直に言えばあの気性からして喧嘩を売りに行く可能性が高い、なので少しだけ嘘を加えた。

 そしてデジタルもアメリカ生まれだけあって多少なり英語を聞き取ることができ、同じくケンカになりそうだと思っていたのでプレストンの意図を理解し黙っていた。

 

「しかしキンイロリョテイちゃんも有名なんだね」

「あのチームゴドルフィンのファンタスティックライトに勝ちましたからね」

 

デジタルとプレストンはリョテイに真意を知られないように持ち上げるように褒め、リョテイも満更でもないという具合に胸を張った。

 

チームゴドルフィン

 

 UAEに本拠地を置く世界でも有数のチームである。

 

 莫大な資金で作られたトレーニング施設とスタッフの元に世界中からスカウトされたウマ娘達がトレーニングで鍛えられ、所属しているウマ娘達はヨーロッパやアメリカのビッグレースに度々勝利している。そしてファンタスティックライトもゴドルフィンに所属していた。

 ファンタスティックライトは世界中をビッグレースに参戦しGI6勝した名ウマ娘である。かつてはジャパンカップに参戦しテイエムオペラオーとメイショウドトウと激戦を繰り広げた。直線での三人の叩き合いは凄まじく見る者の魂を震わせるもので今でもベストレースと語るものも少なくない。

 そしてキンイロリョテイはそのファンタスティックライトのホームで勝利した。環境の変化に敏感なウマ娘にとってホームとアウェイの差は大きい。そして有利なホームで走るファンタスティックライトを国内のGIにも勝っていないウマ娘が負かした。

 このニュースは世界中に衝撃を与えキンイロリョテイの名を世界中に轟かせた。その評価は高く先のアグネスデジタルが勝った天皇賞秋では国内ではテイエムオペラオーが一番人気だったが、海外ではキンイロリョテイが一番人気だったほどである。

 

――――そしてあれがファンタスティックライトを負かしたテイエムオペラオー、キンイロリョテイ両方に完勝したアグネスデジタルか、思ったより小さいな

 

「おっ、デジタルの噂もされているわね」

「なんか照れるね。でも今でも噂されているんだから、香港カップに勝ったら評価は爆上げ!そしてあたしの元にウマ娘ちゃんがやってくる~」

 

 デジタルは未来を想像し楽しげにニヤつき、プレストンはその様子を微笑ましそうに見つめる。しかし身近な友人がいつの間に世界のウマ娘に噂されるほどになったのか。誇らしくもあり、差をつけられてしまった悔しさと寂しさを感じていた。

 

――――それでキンイロリョテイとアグネスデジタルの隣にいるウマ娘は誰?

――――知らない。二人の帯同ウマ娘じゃないの

 

 プレストンはその話声に対して目を見開き反射的に振り向いた。

 

帯同ウマ娘

 

 環境の変化に敏感なウマ娘が海外遠征先で安心できるように仲の良いチームメイトを連れて行くことがある。そのついて行くウマ娘を帯同ウマ娘と呼んでいた。先のエルコンドルパサーの遠征においても帯同ウマ娘がついていった。

 帯同ウマ娘は基本的に遠征に向かうウマ娘より格下なものが多く、メインのビッグレースで走る一方、現地のOPクラスやGⅢのレースを走ることが大半である。

 

 あたしがデジタルとリョテイの帯同ウマ娘!?あたしが格下!?

 

 確かに二人より世界での名声はない。だがそれでも帯同ウマ娘に見えるほど弱く見えるのか!

 デジタルにはその声は聞こえていなかったのかリョテイと雑談しながら歩いている。その後ろでプレストンは歯を食いしばり手のひらを力いっぱい握る。勝つ!必ず勝って周りを見返してやる!プレストンは静かにそして激しく怒りを燃やしていた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「プレちゃんどうしちゃんだろう……」

「どうしたものか」

 

午前11時過ぎ

 

ホテルのロビーのソファーに座りながら宿泊客は地図を広げ今日の観光予定や旅先で食べる食べ物の美味しさを想像し胸を膨らませ楽しげに喋っているなか、その一席のスペースの空気はひどく重かった。

 

香港に着いてから数日後、調整は順調に進んでいた。ひとりを除いて。

 

「プレちゃん落ち着いて」

「おとなしくしろガキ!」

「離してデジタル!キンイロリョテイさん!あたしはトレーニング場に行くの!」

 

キンイロリョテイはプレストンを羽交い締めし、デジタルが前から抱きつくようにして必死に動きを抑える。それでもなおプレストンは拘束から脱出しようともがき続ける。

 

それは香港から来て数日が経った頃だった。

ホテルのロビーでデジタルとリョテイとそのトレーナー達が雑談していると聞き覚えがある声が響き渡る。

それはプレストンの声だった。どうやらトレーナーと練習に行く行かないで口論となっているようだった。あの真面目なプレストンが声を荒げながらトレーナーと口論している。それは長い付き合いのデジタルにとっても初めて見る光景だった。

とりあえず傍観していたが口論はヒートアップし、プレストンが立ちふさがるトレーナーを押しのけて出口に向かう。これは何かまずいと感じたデジタルとリョテイはプレストンの動きを拘束した。

 

「プレストン落ち着きなさい、今日は疲れを取りなさい」

「追い込まなきゃ…もっと追い込まなきゃ勝てない!」

 

トレナーの言葉に対してプレストンのヒステリックな声がロビーに響き渡る。

 

 初日のトレーニング以降プレストンは明らかなオーバーワークだった。リョテイの闘争心が伝播し、友人のデジタルに張り合おうと気合が入ってしまったのだろう。プレストンのトレーナーはそう考え、二日目から単独でトレーニングさせることにした。

だが一人でトレーニングしていても必要以上にトレーニングをおこない、時には自ら隠れて斤量を装着し負担を増やしていた。その結果体に負荷がかかりすぎて調子を落としていた。そして今もトレーニングを休みと言われてもホテルを抜け出してでもトレーニングを行おうとしていた。

そしてプレストンは拘束されても尚強引に練習場に向かおうとしたため、リョテイが実力行使でプレストンを無力化し自室に拘束していた。

 

「どうしよう……」

 

デジタルは深くため息を吐き、デジタルのトレーナーは眉間に皺を寄せながら天を仰ぐ。

 場の空気はことを大きく左右する。

 

場の空気が良ければ練習にも身が入り試合でも実力以上の結果を出せることもある。そして逆もしかりである。

 プレストンが抱いている負の感情は二人に伝播していた。友達であるプレストンが追い詰められている姿はマイペースで図太いデジタルにも悪影響を与え、図太く友人と言える間柄でもないリョテイにも僅かばかしの影響を与えていた。

 このままではレースに向けて無視できない悪影響を与えることになってしまう。そのことをトレーナーは充分に理解しており、何とかしたいという思いはある。だが何をすればいいのか思いつかなかった。

 二人の間に重い空気が流れる。だがその重い空気を一人の能天気な声が切り裂いた。

 

「あっやっぱりここに居た!白先生見っけ~!」

 

 一人のウマ娘が二人のもとにやってくる。そのウマ娘は小柄で薄暗い茶髪にショートヘア、赤黄黒のトリコロールカラーのヘアピンで前髪がまとめられている。トレーナーはそのウマ娘に見覚えがあった

 

「おお!?ダンスやないか!何でここに!?」

「旅行。先生も元気そうだね」

「まあ、ぼちぼちと言ったところや」

 

 ダンスパートナーはトレーナーの手を取りぶんぶんと振り回す。トレーナーも思わぬ再会に自然と笑みをこぼしていた。

 

ダンスパートナー

 

 かつてデジタルが所属しているチームプレアデスに在籍し、オークスとエリザベス女王杯に勝利し当時では珍しく海外GIにも果敢に挑戦した名ウマ娘であり、トレーナーに初めてのGI勝利をもたらしたウマ娘でもある。今は現役を引退している。

 

「何でここに居るのがわかった?情報は公開していないはずだぞ」

「前に香港に走りに来た時はここに泊まったし、もしかして居るかな~って寄ってみた。そしたら本当に居るなんて!いやーラッキーラッキー!」

 

 ダンスパートナーはガハハとテンション高く笑うと座っているデジタルに目線を定める。

 

「これが噂のデジ子か、小さくてめんこいな~ヨーシヨシヨシヨシ」

 

 ダンスパートナーはデジタルをに抱きつき顎と頭を撫でる。デジタルも一瞬と惑ったが合法的にウマ娘ちゃんにお触りできる好機と身を委ねる。

 冬の厚着でもわかる肉感、案外着痩せするタイプだ。それに漂う石鹸の匂いは香水とは違う自然な香りで落ち着く。デジタルは五感を集中させ臭いや体の感触を味わっていた。

 

「ところでデジ子、私のこと知っているか~?」

「うん、知っているよ。ゲートに括りつけられた話は皆から聞かされた」

「やっぱり、その話か。酷いよね~うら若き乙女をゲートに括りつけるなんて」

「いや……あれはすまんかった……」

 

 大根役者のような嘘泣きをみせるダンスパートナーにトレーナーは申し訳なさそうに謝る。

 かつてダンスパートナーはゲートが下手で何回もレースで出遅れ、重要なレースを何度か落としていた。

 このままではGIに勝てないと思ったトレーナーは対策としてダンスパートナーを長時間ゲートに括り付ける事にした。これによりゲートに慣れてスタートの出が良くなることを期待していた。しかしこれは荒療治である。

 ウマ娘は基本的にゲートのような閉所に閉じ込められることを嫌う。さらにダンスパートナーのようなゲートが嫌いなウマ娘にとってはかなりのストレスである。

 現にゲートに括り付けられた際は暴れ叫んだ。だがトレーナーは心を鬼にして括りつける。その結果オークスに勝つことが出来たが、その荒療治は物議を呼び上層部から叱責を受けていた。

 そしてその時の壮絶な光景はチームプレアデスのメンバーに脈々と伝えられ、ヤンチャな後輩には『言う事聞かないとトレーナーがゲートに括り付けるぞ』と言えば、恐怖で震え上がり誰もが言うことを聞き、今ではチームの伝統的教育方法になっていた。

 

「しかし秋天は凄かったなデジ子。大外をビューッと駆け抜けてテイエムオペラオーとメイショウドトウを倒しちゃうんだもんな。うちの上司も記念出走で走るなよとか散々文句言っていてさ、勝った時は嘘~って感じで驚いていたよ。あれは傑作だった」

 

 ダンスパートナーはその上司の顔を思い出し笑う。上司に対して強く言えないが後輩のデジタルが文句言われていたのには相当腹に据えかねていた。それだけにデジタルの勝利は痛快だった。

 

「ダンスはいつまで香港にいる予定や?」

「月曜の昼には帰るよ」

「それだったらシャティンにレース見に来いや」

「当然。旅行の主目的はそれだもん。チームの後輩がレースは違えど私が走った同じ場所、同じ距離のレースに出るなら応援しに行かなきゃ嘘でしょ」

 

ダンスパートナーの言葉にトレーナーとデジタルは思い出す。春に行われるシャティンレース場でおこなわれる芝2000メートルのGIレース、クイーンエリザベスカップに出走していた。

 

「私の敵をとってよデジ子」

「でもレースが違うよ」

「細かいことは気にしない気にしない。…どうした?何か悩み事でもある?」

 

 ダンスパートナーはデジタルに何気なく言葉をかける、じゃれあいながらもデジタルの様子を観察していた。意外と目ざといところがあり現役時代もチームメイトの様子の違いには敏感だった。

 

「うん…まあね…」

「まあこの年頃の乙女には悩みは沢山有るもんね。でもそういう時は美味しいもの食べて遊べば大抵は解決する。今日のトレーニングは終わった?」

「うん、今日はもうオフだよ」

「じゃあこれから遊ぼうか、私が連れて行ってあげる」

「それもいいな。デジタル行ってこい」

 

 ダンスパートナーの提案にトレーナーが賛同する。その意外な賛同にデジタルは驚く。

 

「え?いいの白ちゃん?あんな観光気分じゃないんだぞって言ってたのに」

「どうせ今日はやることはないし、せっかく香港に来たのだから遊んで来い。ほれ小遣い、あまり暴飲暴食するなよ」

「サンキュー白先生!それじゃ行くぞデジ子!」

 

 ダンスパートナーはデジタルの手をとり半ば強引にホテルから連れ出して行きトレーナーはその後姿を静かに見送った。

 デジタルはエイシンプレストンのことで気を病んでおり、このままではふさぎ込んでしまう。ならば強引に息抜きさせたほうが良い、ダンスパートナーの明るさと強引さならデジタルを程よく息抜きさせてくれるだろう。問題の根本的な解決にはなっていないがしないよりマシだ。

 

「さて俺はデータでも調べなおすか」

 

トレーナーは椅子から立ち上がりホテルの自室に戻っていった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「いいよ!いいよ!もっと大胆なポーズとってダンスパートナーちゃん!艶かしく色気たっぷりに!」

「それより別の服にしない?ミニはさすがにちょっと…」

 

 ダンスパートナーは恥ずかしそうに提案する。彼女は今黒のチャイナドレスを身に纏っておりそれは伝統的なものではなく、いかがわしい店の店員が着ているような丈が短くスカートのスリットが深いタイプだった。

 

「大丈夫!似合っているから!はやく!」

「こう?」

 

 デジタルはダンスパートナーの提案を取り付く暇も無く却下する。それに観念したのか少しばかり顔を赤くしながら生脚を強調したポーズをとる。デジタルをその姿にウフフと興奮しながら自前の携帯で一心不乱に激写していく。

 

 ホテルを出ていった二人はショッピングや食べ歩きをしながら過ごしていく。

 デジタルは表面上楽しそうにしていたが目の光がくすんでいるのをダンスパートナーは見逃さなかった。どうすれば楽しんでもらえるだろうかと悩んでいるとデジタルがある店の前で止まり陳列されているチャイナドレスに目を輝かせて見つめていた。

 こういうものが好きなのか。値段さえ手ごろなら買ってもいいと思っていたが価格は予想を遥かに超えていた。あきらめかけたその時店員からあるサービスを薦められた。

 

 どうやら低価格でチャイナドレスが試着でき写真が取れるらしい。それを薦めるとデジタルは自分ではなくダンスパートナーに着てもらいたいと言ってくる。まあ後輩の頼みならと気軽に受け最初は露出が少ない伝統的なチャイナドレスを着る。

 デジタルはカワイイー!と言いながら喜びながら写真を取りその様子を微笑ましく見ていた。だが次第に要求はエスカレートし、服はどんどん露出度が高いものになりポージングまで要求するようになっていた。

 

「ウフフフ~良いものが撮れた」

 

 二人は撮影会が終わるとオープンカフェでお茶を飲みながら休憩する。デジタルはダンスパートナーお勧めのエッグタルトに口をつけず写真に収めたチャイナドレス姿を満足げに眺めていた。

 

「デジ子は着なくてよかったの?」

「あたしはいいの。あたしは着るより、着ているウマ娘ちゃんの姿を見たいの。本当は買って帰ってオペラオーちゃんやドトウちゃんとかに着せさせたかったな~」

 

デジタルは二人がチャイナドレスを着る姿を妄想し笑みを浮かべる。その楽しげな姿にダンスパートナーは笑みをこぼす。

 

「やっと楽しそうに笑ったな」

「あたし、そんなつまんなさそうにしていた?」

「うん。雑誌の写真や映像で見た楽しそうな大分印象が違って、写真撮る前までは思いつめている顔してた。デジ子の悩みはそんなに深刻なの?」

「うん…」

「もし良かったら相談に乗ろうか、先生にも話せないことはあるだろうし」

「…あのね」

 

 デジタルはダンスパートナーに悩みを打ち明けるか迷っていた。プレストンの悩みを解消する為にはネコの手でも借りたかったが、友人のプレストンの苦しんでいる姿を今日初めて会った人間に知られたくもなかった。だが短い時間だが接することでこの人になら打ち明けても大丈夫だという安心感があった。

 

「なるほど」

 

 ダンスパートナーは注文していたコーヒーを飲み干し静かに深く息を吐いた。

 

「デジ子、この一件私に預けてくれない」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

シンフォニーライツ

 

 香港島、九龍半島の主要な高層ビルから放たれる色とりどりのレーザーが加わり、世界中から訪れる観光客を魅了し続ける香港が誇るナイトイベントである。その夜景の美しさはまさに百万ドルの価値があるといえるだろう。

 この景色を見るためにダンスパートナーはトレーナー達の許可を得てアグネスデジタルとエイシンプレストンとキンイロリョテイを連れ出し、公園側から湖をはさんでライトアップされるビル群を眺めていた。

 

「うわ~キレイ」

「これはすげえな」

 

 その夜景の美しさにデジタルとリョテイは目を奪われている。よく例えで夜景を宝石箱と表現するが今見える景色は本当に夜空に宝石箱をばら撒いたようだった。だがエイシンプレストンは目を奪われることなく虚空を見るように漠然と眺めていた。

 

「どうしたの?楽しくない?」

 

 景色をボーっと見ているエイシンプレストンの後ろからダンスパートナーが現れホットの缶コーヒーを手渡した。

 

「ありがとうございます。いやつまらなくはないのですが…あたしの今の気分じゃ楽しめないというか…」

 

 プレストンはコーヒーを受け取ると言葉を選びながら返答する。せっかく誘ってくれた先輩の気分を害さないようにと考えているのだろう。真面目な娘だ。

 

「この景色を見ても悩みは晴れないか」

「ええ……」

「ずばり、デジ子に追いつこうと焦っているね」

 

 プレストンは目を開きダンスパートナーを凝視する。その顔には「何故分かった!?」と書いてあるようにわかりやすかった。

 

「ちょっとだけ昔話を聞いてもらえるかな?」

 

 プレストンは無言で頷くとポツリポツリと語り始める。

 ダンスパートナーが現役のころ、かつてはトレセン学園の寮で生活しており同室には同学年のあるウマ娘がいた。そのウマ娘は明るくお茶目で多くの人に好かれており、ダンスパートナーも彼女のことが好きだった。

 

 また能力も素晴らしく、ダンスパートナーがメイクデビューに向けてトレーニングを続けていくなか、ジュニアB級の重賞に連戦連勝しクラシック最有力とも言われていた。

 しかしジュニアC級に昇格すると二人の立場は逆転した。ダンスパートナーはメキメキと実力をつけクラシック戦線をGI桜花賞2着、GIオークス一着という好成績を挙げる。一方同室のウマ娘はクラシックを走り掲示板にのることができない凡走続きだった。

 その後もダンスパートナーはコンスタントに重賞を好走しGIエリザベス女王杯に勝利するが、そのウマ娘は重賞で掲示板に載る事はできなかった。

 

「世間はあの娘がただの早熟だったというけど、それは違うと断言できる。才能は私以上だった」

 

 ダンスパートナーの手には無意識に力が入り持っていた缶がベコベコと音を立てて凹む。

 

 ある一つの負けが彼女の歯車を狂わせる。そのレースはダンスパートナーと一緒に走ったレースでダンスパートナーが2着、彼女は6着だった。

 レースに負けた彼女は次のレースには絶対に勝つんだと入れ込み、ハードトレーニングをおこない体調を崩し、その体調不良が原因で負ける。そして入れ込みハードトレーニングをして体調を崩して負けるか、怪我をするかという悪循環の繰り返しで最後まで抜け出すことができなかった。

 

 そして敗北の連続は彼女の性格まで変えてしまった。明るくお茶目だった性格はすっかり荒み友人も徐々に減っていった。

 何故彼女があそこまで入れ込んでしまったのか?当時は理解できなかったが今では理解できる。それは自分への対抗心だ。

 初めての敗北、そして格下だと思っていた自分に先着されその相手がどんどん先に行く。それが彼女のプライドを傷つけられ、焦りを生み出した。

 

「あの娘は自分ことを信じ切れなくて自滅した…私になんかに一回ぐらい先着されたぐらいであんなに焦んなくたっていいのにね…。そしてその娘とエイシンプレストンちゃんがダブるの。だからエイシンプレストンちゃん、もっと自分を信じたほうがいいよ。そんなに自分を追い詰めなくたって大丈夫だよ」

 

 ダンスパートナーは諭すようにプレストンの肩に手を置き、プレストンは地面を見るように俯く。分かってくれたか。だがプレストンは顔を上げ睨みつけるようにダンスパートナーを見つめた。

 

「そんな、分かったようなこと言わないでください!デジタルは才能も有って凄く強い。そんなデジタルに追いつくにはあたしはもっと練習しなきゃダメなんです!」

 

その言葉と声量にダンスパートナーはハッと驚き、そして優しく笑った。

 

「そうだよね。部外者が知った口利いてもしょうがないよね。じゃあ部外者じゃない人に説得してもらおう」

「プレちゃん!」

 

 するとデジタルが二人の後ろから声をかける。その顔は不安で今にも泣きそうな顔をしていた。

 

「プレちゃんは強いよ!可愛くてかっこよくて速くて憧れで、それは今でも変わらない!今はあたしのほうがGI勝っているけどそれはプレちゃんの調子がちょっと悪いだけでプレちゃんを超えたと思っていない!そんなに追い詰めなくてもあたしより強いよ!嫌味に聞こえるかもしれないけどこれは本心だから。だから自分を信じて!それでもダメならあたしが信じるプレちゃんを信じて!」

 

 デジタルは自分の思いを赤裸々に告白する。ダンスパートナーはデジタルにたいしてプレストンが強いと思っているということをストレートに伝えろとアドバイスをする。

 そのアドバイスに対して嫌味に聞こえるかもしれないと難色を示した。そんなデジタルに対してこう告げた。

 

想いというのは想っているだけでは伝わらない、口に出して初めて相手に伝わると。

 

 

 かつての自分もデジタルと同じようなことを想っていた。だが嫌味や憐れみと捉えられるかもしれないと思い彼女に自分の気持ちを伝えられなかった。

 だが今思えば自分の思いを伝えるべきだった。そうすれば彼女はその言葉を糧に自分を信じられたかもしれない。彼女とプレストンのケースが同じとは限らない、だが後輩のには自分と同じ悔いをして欲しくなかった。

 

「デジタル…」

 

 プレストンはデジタルをじっと見つめる。高い自分への理想。自身のマイルチャンピオンシップでの敗北。香港での格下扱い。そしてデジタルのここ最近の活躍。

 早く勝ってデジタルに追いつきたい、早く負けを払拭したい。早く見返してやりたい。それらがプレストンの焦りを生み出す。GIを勝てない自分から速く脱却したいという弱さがハードワークをすればGIに勝てるという安直な思考に結びつき練習に逃げ込ませた。

 今自分に足りないのは練習することではなく、自分の現状から目を晒さず、自分を信じる強さだったのだ。

 

「わかった…あたしはあたしを、そしてデジタルが信じるあたしを信じる」

「プレちゃん!」

 

 デジタルはプレストンの元に駆け寄り抱きつく。

 想いが伝わってくれた。日々追い詰められていくプレストンを見ているのは辛かった。そして何もできないのはもっと辛かった。でもこれでいつものプレストンに戻ってくれる。

 

 プレストンも不安から解放されたかのか安堵した表情を見せる。

こんなにも心配かけていたのか、いつもはデジタルの心配をしていたのに立場が逆ではないか。デジタルには後で謝らなければならない、そしてトレーナーにも。

 自分の弱さのせいでトレーナーが考えに考えてくれた最善を信じることができなかった。

 

「おうおう学園青春ストーリーだな。ドラマだったら『エンダ~』ってボーカルをBGMにバックから湖の水が噴水みたいに噴射しそうだ」

 

 すると近くの屋台で買ってきた焼き鳥をつまみながらリョテイがダンスパートナーの元に近づいてくる。リョテイはプレストンと二人で話し合っているのを見てデジタルに気づかれないように場を離れていた。

 

「キンイロリョテイちゃんも空気が読めるんだね。そんな乙女思考が有ったとは思わなかったよ。メディアの印象とは違うね」

「プレストンが立ち直るのは香港三タテには必要不可欠だからな。それにウジウジされると部屋での居心地が悪い。おいプレストン!」

「はい…なんですかキンイロリョテイさん」

 

 プレストンはデジタルを引き剥がすと姿勢を正しリョテイの方を向いた。

 

 

「あたしもついでに言っておいてやる。トレーニングは地続きなんだよ。そんなマンガじゃあるまいし二日三日猛練習したって必殺技を覚えて強くなるわけねえんだよ。やるんだったらレース前の三ヶ月からその猛練習をしろ、それぐらいでやっと力になるんだよ。ジュニアクラスのガキじゃねえんだからそれぐらい気づけ」

 

 プレストンはリョテイの言葉に深々と礼をしてリョテイは鼻を鳴らし見つめる。

全く世話のかかる後輩だ、これだから真面目ちゃんは。リョテイも現役生活のなかでそうやって潰れたウマ娘たちを多く見ていた。

 

「よし問題ごとは解決したし!何か美味しいもの食べに行こうか!今日は私の奢りだ!」

「そんなの当然だろ!とりあえず肉!」

「あたしはウマ娘ちゃん喫茶!」

「あたしはエッグタルトを……」

 

ダンスパートナーの呼びかけとともに三人は歓声を上げ夜の繁華街に消えていった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「明日の健闘を祝して乾杯!」

「乾杯!」

「乾杯!」

 

 

 ホテルの部屋にグラス同士がぶつかった際に生じる澄んだ音が響き渡り、三人はグラス注がれていた野菜ジュースを一気に飲み干した。

 

「しかし野菜ジュースにつまみがスティック人参ってしけてるな、肉もってこいよ肉」

「レース前にそんなもの食べてどうするんですか、明日のレースに勝ってから食べればいいじゃないですか」

「そうだよリョテイちゃん。ご馳走は明日までとっておこうよ」

 

 キンイロリョテイはTシャツ短パンのラフな格好ベッドに腰掛ける、エイシンプレストンとアグネスデジタルもパジャマ姿で部屋にある椅子を移動させて三角形を作るように座っている。

 リョテイが中心に置かれている机からスティック人参をつまむとデジタルとプレストンもそれに倣う様に人参をつまんだ。

 

 レース前日の夜。トレーナー達が作戦会議と言いながらも酒を持っている姿を目的したアグネスデジタルはならばあたし達もと女子会を開催することを提案する。

 キンイロリョテイは乗り気で、エイシンプレストンは満更でもないといった具合に了承した。本来ならばジュースやお菓子などをつまみながらするものだが、レース前に暴飲暴食はよろくないということで自粛し健康的な野菜ジュースとスティック人参に変わっていた。

 

「なんか夜のホテルでお喋りするなんて修学旅行みたいだね」

「じゃあ修学旅行名物の猥談でもするか、どキツイのを聞かせてやるよ」

「レース前夜に何話そうとしているんですか、やめてください」

 

 顔を赤らめながら拒否するプレストンに対してリョテイを冗談だよと笑いながら話を流す。

 

 香港ウマ娘協会から用意されたのはホテルの三人部屋だった。キンイロリョテイは個室を用意しろと駄々をこねたがそれは叶わなかった。そして三人はトレーニングや寝食を共にすることで互いを知り距離が近づいていた。

 

 アグネスデジタルとエイシンプレストンが抱いた第一印象は恐怖だった。

 

 初遭遇ではチンピラファッションで登場し、二人に啖呵をきるその姿はヤクザのようだった。だが一緒にいるうちにつれキンイロリョテイに対してのイメージは変わっていく。

 キンイロリョテイとは良くも悪くも姉御肌だった。ガサツで時々奇行に走る面もあるが、情熱的で血気盛んで面倒見もよく、プレストンとデジタルが他の国のウマ娘に絡まれているときは即座に駆け寄ると二人を庇い喧嘩寸前までの言い争いを巻き起こしていた。ウマ娘界きっての気性難と言われ、本来なら近寄りたくない人物である。

 だが何故かファンにもウマ娘達にも愛されているのが不思議だったがこの性格故にということを理解できた。

 

リョテイはデジタルとは天皇賞秋で一緒に走ったが特に接点はなく、香港に来るということで最近デジタルと一緒いるオペラオーとドトウからデジタルのことを聞いていた。 二人いわくウマ娘マニア、ウマ娘大好きっ娘。聞いたときは何だそれは思っていたが、一緒に行動する事でその言葉を理解することはできた。

 練習中でも他の国のウマ娘を粘着質な目線で凝視し、部屋ではウマ娘の画像を見ながらグフグフと気色悪い笑みを浮かべ、毎晩毎晩一緒に走ったウマ娘について聞いてくる。

 好きなものに夢中になり、他人の迷惑を顧みずそのことに聞いてくる。まるで無邪気なガキのようだ。そしてプレストンから天皇賞秋でオペラオーとドトウの妄想を具現化させながら走っていた聞いたときは大笑いした。なんて気色悪さだ。完全な変態の所業だ。だがそこまでの突き抜け具合はリョテイに好印象をもたらせていた。

 

そしてリョテイはプレストンに抱いた印象はくそ真面目だった。他のウマ娘に余所見するデジタルや時々手を抜いている自分と違い、二人を注意しつつ必死にトレーニングしていた。その真面目さゆえに香港に入ってからオーバーワーク気味であったがあの夜からオーバーワークをやめて、今は万全の状態だそうだ。本当に迷惑をかけるやつだ。

 

「キンイロリョテイさん。一つ聞いていいですか?」

「ん?何だ?」

「明日のレースで本当に引退するのですか?」

 

 プレストンの言葉に和やかな空気がピリつく。リョテイは香港ヴァーズを最後に引退を表明している。トレーナーもデジタルもそのことに触れずにこの日まで過ごしてきた。

 個人的な理由があるのだろう、だがプレストンは気になっていた。

 

「ああ、どんな結果になっても明日で引退だ」

「何故ですか、トレーニングで一緒に走っている限りまだまだやれると思います。力があるのに引退しても悔いはないのですか?」

「それはだな。これから衰えるからだよ」

「はい?」

 

プレストンは思わず聞き返す。衰えたじゃなくてこれから衰える?言葉の意味がまるでわからない。そんなプレストンにリョテイはめんどくさそうに説明する。

 

「お前らウマ娘の身体能力がある日に急激に衰えるのは知っているよな?」

「はい」

「うん」

 

 二人はリョテイの言葉に頷く。

 ウマ娘は人間のように老いで徐々に身体能力が衰えるのではなく、ある日を境に急激に身体能力が落ちていく。その原因は未だに解明されておらず、いつ衰えが始まるのかも個人差があり、長年衰えず走るものもいれば、すぐに衰えるが者もいる。

 

「それでたぶんあたしの衰えはそろそろ始まる。もって来年の4月ぐらいまでだろう」

「何でそんなことが分かるんですか?」

「勘」

 

 リョテイはきっぱりと答える。

 生来から動物的勘が鋭く、他の人物にはわからないことも未来予知めいて予想できることがある。そして多少の誤差はあれどこの予想は外れないだろう。

 

「それだったら結論を急がず衰えが確認できるまで走ればいいのではないですか?キンイロリョテイさんもGIが欲しいんですよね?昨年勝ったドバイシーマクラシックもGIに昇格しましたし、4月の1週にある大阪杯もGIに昇格しました。香港ヴァーズで引退しなくてもそのどちらかを走ってから引退しても遅くはないはずです」

「まあ普通ならそうだろうな」

 

 プレストンは言うことはごもっともであり合理的だ。だがそれではダメなのだ。リョテイは野菜ジュースを一気に飲み干しグラスを叩きつけた。

 

「あたしはGIを何が何でも取りたい。だから退路を断つ!香港ヴァーズにすべてを掛けて真っ白に燃え尽きるまで力を出し尽くす!出し尽くして衰えが来てもかまわない!」

 

 リョテイは頑丈なゆえに何回もGIに出走できた。それ故に今回負けても次が有ると無意識に思っていた。

 だが衰えという唐突な終わりを予知したことで自分は何故今までGIを取れなかったのかに気づいた、覚悟が足りなかったのだ。必要なのはすべてを掛ける捨て身の精神だ。

 

 二人はリョテイの雰囲気に身震いする。

 プレストンもGIを取りたいという気持ちは負けてないつもりだった。だがリョテイのほうが遥かにその気持ちが強かった。もし自分が同じ立場だったらリョテイと同じ覚悟できるだろうか?恐らくできない。一回より二回とチャンスの多さという合理的考えを選択してしまうだろう。

 

 デジタルもリョテイがそこまでの覚悟を持っていることは気付けなかった。明日を捨て今日に全てを賭ける。滅びの美学だろうか、その覚悟を持ったリョテイのその姿に美しさすら感じていた。

 

「なあ、GIを取るってどんな気分だ?」

 

 リョテイは唐突に二人に質問を投げかける。二人は思案し答え始める。

 

「あたしの場合は人気薄で気楽に走っていたから、勝ったというより勝てちゃった感じで実感が沸かなかった。でも白ちゃんもチームの皆も喜んでくれて、パパとママも国際電話でお祝いしてくれて、凄く嬉しかった」

「そうですね見える景色が変わった感じです。上手く言えないのですが勝ったあとだと見えるものがすべて違って見えました」

「凄く嬉しいに、見える景色が変わるね」

 

 嬉しいとはどれぐらいだろう?宝くじで一等が当たったぐらいか?景色が変わる?どんな風にすべてがピカピカに輝くのか?

 リョテイは想像するがすぐに辞めた。明日GIを取ればわかることだ。

 

「オペラオーちゃんがあのバカは潜在能力なら物凄いって言ってたし。そのキンイロリョテイちゃんが本気の本気で走れば楽勝だよ」

「そうです。貴女ほどの人がこれほどの覚悟で臨むのですから、それで取れなきゃウマ娘の神様はとんだ三流作家です。そんな脚本速攻で焼却炉行きです」

 

 明日はGI取りたいな。

 そう口から出かかった刹那の二人の言葉にリョテイは自身を自嘲する。何弱気になっている。何センチメンタルになっている。取りたいじゃない。取る!奪い取るんだよ!

 

「よし、前夜祭はこれで終わりだ!万全を期すために少し早いが寝るぞ」

「りょうか~い」

「はい」

 

キンイロリョテイの言葉とともに三人はグラスや飲み物を片付け寝床につく。

デジタルもベッドに行き目をつぶる。いつもなら寝る前は自分がグッとくるシュチュレーションなどを妄想して楽しむのだが今日は別のことを考えていた。

 

引退

 

 今までそんなことを考えたことはなかったが、キンイロリョテイがその言葉を口にしたことで今は意識していた。

 能力が衰え引退する日が必ずやってくる。そうなれば二度とレースで大好きなウマ娘達と走れなくなる。感じたのは幼い頃死について考えたときのような得体の知らない恐怖だった。

 デジタルは思わず背筋を震わせる。このままではダメだ。恐怖を取り除こうと強引に脳内妄想に没頭する。そして気づけば意識は途絶え眠りに落ちていた。

 




アニメなどのメディア作品では引退について触れられておりませんが、この世界観では引退します。
やはり競馬には引退要素はなくてはならないと思っていますので、引退要素を入れました。

設定としてはウマ娘に宿ったモデルの競走馬の魂、ウマ娘ソウル(勝手に命名)が徐々に衰えていき、その結果身体能力が衰えていきます。その衰えは人間の老いによる衰えとは違い短期間で衰えていきます。



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勇者パーティー魔都香港へ#3

『セイエイタイシ!セイエイタイシ!世界よ刮目せよ!これがセイエイタイシだ!』

 

香港国際競争第1レース香港スプリント。連勝記録を伸ばし続ける香港のセイエイタイシが世界各国から集まった快速スプリンターを完封。地元の英雄の圧勝劇に観客たちのボルテージは一気に高まり、割れんばかりの歓声が起こり勝者を称える声がレース場内に響き続ける。その音量は凄まじく地下にある関係者控え室にも届いていた。

 

「強いと思っていたがこれほどまでか、寒気がしたわ」

「これが世界ですか」

「これに勝てるウマ娘なんておるんか?」

 

椅子と机程度の最低限の用具しかない質素な控え室でトレーナー達はセイエイタイシの強さに畏敬の言葉を吐く。 控え室にはレース映像を映すモニターが設置されており、関係者もレースを見ることができた。

 

「さてと、地元の英雄さんが会場を温めてくれたしさらに盛り上げてくるか。いや、あたしが勝ったら盛り下がるか」

 

控え室にいたキンイロリョテイが椅子から立ち上がり獰猛な笑みを浮かべる。

この後はOPクラスのレースを挟みキンイロリョテイが出走する香港ヴァーズがおこなわれる。リョテイがパドックに向かおうとするがアグネスデジタルが制止した。

 

「ねえ、せっかくだから、みんなで円陣組もうよ。こういうのやってみたかったんだ」

「いいぜ、軍団対抗戦前みたいでテンション上がるぜ。やるぞジジイ」

「しょうがない」

「あたしもちょっと憧れていたのよね。あたし達もやりましょうトレーナー」

「何か学生に戻った気分です」

 

リョテイとプレストンとそのトレーナー達が次々と肩を掴み円陣を作る。デジタルのトレーナーも小っ恥ずかしいと嫌がっていたがデジタルが強引に腕を掴み輪に入れた。

 

「で誰が音頭取るんだ?」

「じゃあキンイロリョテイちゃんお願い」

「よし」

 

リョテイは了承すると鼻から大きく息を吸い声を張り上げた。

 

「あたし達の目的はヴァーズ、マイル、カップの三タテだ!ぶっちぎりで勝って香港の英雄さんの勝利なんて観客の頭から吹き飛ばしてやろうぜ!いくぞー!!

「「「「「おう!」」」」」

 

六人の声が控え室に反響する。有終の美を飾るため、自身の強さの証明と周りへの感謝を示すため、将来の夢と個人的嗜好のため、そしてパートナーの願いを叶えるためにそれぞれが勝利を目指す。そしてチームとして戦うという今までに味わったことのない体験と連帯感が皆を高揚させていた。

 

「デジタル、プレストン。あたしが後輩のために露払いしておいてやるよ。後に続けよ」

「うん。頑張ってね」

「期待しています」

「リョテイ、悔いだけは残すなよ。真っ白に燃え尽きてこい」

 

三人の言葉にリョテイは無言で腕を上げて答える。

香港ヴァーズ。キンイロリョテイ出陣。

 

 

 

『そして先頭はゴドルフィンのエクラールが先頭だ。後続から5バ身から6バ身のリードをとっている。そしてキンイロリョテイが集団から抜け出してきた、捕らえることがキンイロリョテイ?』

 

香港ヴァーズはエクラールに支配されていた。

道中は絶妙なペース配分でレースを引っ張り、3コーナーあたりからややペースを上げると、後続を引き離しにかかる。

不意打ちを受けた格好になった2番手以下もペースを上げるが4コーナーを回ったときには7~8バ身のリードをとっておりエクラールにとってはセーフティーリードだった。そして見ているものにもこの差がセーフティーリードであることがわかっており、実況の声にも悲壮感が漂っている。

 

「キンイロリョテイちゃん…」

「キンイロリョテイさん…」

 

デジタルとプレストンは祈るように名前を呟く、この差を差し切るのは相当厳しい。だがキンイロリョテイなら、日本ウマ娘界屈指の潜在能力を秘めているといわれるリョテイならやってくれるかもしれない。そんな期待を込めながら二人は再びキンイロリョテイの名を呟いた。

 

『キンイロリョテイも懸命に追う!残り200メートルを切ってその差は3バ身から2バ身!頑張れキンイロリョテイ!』

 

(これ、無理かもしれねえ…)

 

キンイロリョテイの心に諦めが去来する。キンイロリョテイは計算してレースを走るタイプではないが、50走という豊富なキャリアから自分のスピードと相手のスピードとリードを考えて差し切るのは無理であるという答えを無慈悲に出していた。

 

(結局最後も銀メダルかよ…あたしらしいと言えばらしいか)

 

その時エクラールと目線が合いその顔は笑っていた。レース中にウマ娘同士の視線が合うことは滅多にない。あるとすれば横に並んだときぐらいだ。だが何故前と後ろの位置で目線が合う?その答えは一つだった。

 

(てめえ勝った気でいやがるな!)

 

エクラールは勝利を確信していた。この差を詰められるはずがない。レースをすべてコントロールしての勝利は格別なものだった。そしてその余裕と優越感から敗者の姿を確認しようと思わず後ろを振り向いたのだった。だがその行動がリョテイの中に潜む爆弾に火をつけた。

 

「調子乗ってんじゃねえぞ!」

 

『先頭との差が2バ身、1バ身半、1バ身!』

 

リョテイは雄叫びをあげる。

すべてを燃やし尽くす!自分も知らない体中のすべての力を燃料にするかのような激走。そのブースターがついたような走りはエクラールとの差をみるみるうちに縮めていく。

そして迫り来るリョテイの足音を聞きエクラールの表情から笑みは消え失せていた。なんでそこから伸びる!?ありえない!?

 

エクラールも懸命に食い下がる。だが潜在能力をすべて開放したリョテイの末脚に対抗する力を持ち合わせていなかった。

 

『キンイロリョテイ差し切った!なんとあの絶望的な位置から差し切りました!何というウマ娘でしょう!長い旅路の終着点は金メダルだ!』

 

エクラールは肩をがっくり落とす。その表情は信じられないものを見てしまったという表情だった。そしてリョテイはエクラールに勝ち誇るように笑いながら吐き捨てた。

 

「ざまあみろ」

 

リョテイは立ち止まり周辺を見渡す。これがプレストンの言っていた1着の、GI1着の景色か。気のせいかいつもよりすべてが綺麗に見える。そして嬉しいという感情がマグマのようにこみ上げ体中を駆け巡る。それは心地よいものだった。

すると正装に身を包んだウマ娘がリョテイの元にやってきた。 香港ではレース直後歩きながら勝利インタビューをすることになっている。

 

『優勝おめでとうございます』

「あっ?何言ってるかわかんねえよ」

 

インタビュアーは全世界で放送していることもあり英語で喋る。だがリョテイには全く理解できず心地よさを味わっている最中に邪魔されただただ不快だった。それでもなお英語で喋るインタビュアーにだんだんとイライラしてきたリョテイはマイクを奪い取る。

 

「おい見たか!これがあたしの!日本ウマ娘界の実力だ!アイ、アム、ナンバーワン!」

 

リョテイは日本語で叫び人差し指を天高く突き上げた。

その瞬間観客席から耳がつんざくような歓声があがる。あの位置から差し切ったレース。そしてこのインタビュー。この破天荒さがシャティンレース場の観客の心を一気につかんだ。

 

「リョテイよくやったぞ!」

「やればできるじゃねえか…」

 

リョテイが意気揚々と引き揚げてくると日本人のファンが一斉にスタンド前に駆け寄り大歓声を上げる。中には涙をこぼしながら歓声を上げるファンもいた。

するとリョテイは突如勝負服を脱ぎだす。上着、ズボン、装飾品、レース用シューズなどを日本人ファンに投げ入れる。これはリョテイなりの応援してくれたファンへの感謝の気持ちをこめたプレゼントだった。ありとあらゆる物を投げ入れ気づけば装着しているのは下着だけだった。それでもリョテイは全く意に介することなく地下バ道に降りていく。

 

「ジジイ!ジジイやったぞ!金メダル取ってきたぞ!」

「ああ…よくやった…お前は世界一だよ…」

 

計量室でトレーナーを見つけたリョテイはいの一番駆け寄り抱きついた。トレーナーもその勢いと同じように強く抱きしめた。下着一丁のウマ娘と中年のトレーナーが熱い抱擁を交わしている。その光景は異質であった、普通なら戸惑う場面だが二人から溢れ出す感情を感じたギャラリーは祝福するように拍手を送った。

 

――――――――――――――――――――

 

「すごい!すごいよキンイロリョテイちゃん!」

「あそこから差し切るなんて!」

「だろ。あたしは凄えんだよ」

 

控え室に帰って来たリョテイにデジタルとプレストンが賛辞の言葉を送る。

信じられない!あんな位置から差し切るとは!あの位置はプレイヤー目線からしてまさに絶望的だった。だがリョテイはその絶望の壁をぶち破って勝利をもぎ取ったのだ!なんて精神力!なんて潜在能力か!リョテイのレースは二人の魂を揺さぶりボルテージを一気に高めた。

 

「さて、露払いはやっておいた。次はお前だ。気張れよプレストン」

「プレちゃんなら楽勝だよ」

 

リョテイは力強く、デジタルは優しくプレストンの背中を叩く。プレストンはそのエールに力強く頷いた。

 

「プレストン。君なら勝てます」

 

プレストンのトレーナーはエールを送る。その言葉は短く端的だったがその中には百の励ましの言葉が込められておりそれをプレストンはしっかりと感じ取っていた。

 

 

 

 

「はい、勝ってきます」

 

香港マイル エイシンプレストン出陣

 

 

 

『さあ四コーナー回ってエイシンプレストンは大外を回した。この位置取りは厳しいか』

「おいおい内つけよ。そんな大外ぶん回しちゃだめだろ」

 

キンイロリョテイが思わず愚痴をこぼす。勝つとしたらレースの流れに乗ってロスなく回り内を突くべきだ。だがリョテイの考えとは反対のプレストンは大外を回していた。そしてその考えはリョテイとデジタルのトレーナーも同じく思っていた。三人が不安そうに見つめるなかデジタルは平然とモニターを見つめている。

 

「デジタル随分余裕だな」

「不安じゃねえのかよ」

「プレちゃんならあそこからでも差し切れるよ。大丈夫大丈夫」

 

デジタルのトレーナーとリョテイの言葉に笑顔見せて答える。何故そこまで自信満々に答えられる。盲信かそれとも確信なのか、リョテイとトレーナーにはデジタルの心境を推し量れなかった。

 

『先頭はチャーミングシティだ、チャーミングシティが先頭だ。しかしそこにゴドルフィンのチャイナヴィジットが襲いかかる』

 

逃げ粘るチャーミングシティに青色がトレードカラーのゴドルフィンが猛然とせまる。脚色は完全にチャイナヴィジットが優っており抜き去ろうとした瞬間、さらに外から次元の違う脚で突っ込んでくるウマ娘が一人いた。

 

『外からエイシンプレストン!?エイシンプレストンだ!チャイナヴィジットを一気に抜き去った!』

 

残り150メートルで先頭に立つとそこからは独走だった。他のウマ娘も食い下がろうとするがそのスピードの前に抵抗すら許されない。最後50メートルは完全に流し自分の力を見せつけるように観客席に向かって派手なガッツポーズを決める。

 

二着との着差は4バ身。これが後の香港で最も有名な日本所属ウマ娘になるエイシンプレストンの衝撃のデビュー戦だった。

 

「おい、あいつこんなに強かったのかよ!」

「これは北さんも惚れ込むわけだ」

「こんなのが同期か、ダート走れてよかったなデジタル。ダート走れなかったら今後は路線が被って全部持っていかれるかもしれへんぞ」

「でしょ~!プレちゃんは本当に強いのだ!」

 

あまりの圧勝劇に言葉を失っている三人の前にデジタルは自慢げに笑みを見せる。

どうだ!あたしの友達は凄いんだ!もっと褒めろ!デジタルの表情はそう言いたげだった。

 

レースが終わりプレストンへのインタビューが始まるがレース場はいまだにザワザワついている。リョテイの勝利が熱狂ならプレストンの勝利は困惑だった。

リョテイのあの差し切りは凄まじかったが、あの世界トップレベルのファンタスティックライトに勝つポテンシャルを有しているリョテイならまだ分かる。

だがプレストンは何だ?追加招待で選ばれた脇役がゴドルフィンのウマ娘をぶち抜き、超一流のようなパフォーマンスを見せた。これほどのウマ娘がGI一勝しかしていないなんて、日本のレベルはどれだけ高いのだ。観客たちはただただ困惑していた。

 

『優勝おめでとうございます。物凄い末脚でしたね』

『ありがとうございます。後方で脚を上手く貯められました』

 

ウマ娘のインタビュアーの英語にプレストンも英語で答える。アメリカ生まれなだけあって流暢な英語だった。インタビューが進みインタビュアーから一言ありますかと聞かれ、プレストンは力強く答えた。

 

『レース場に来てくださった皆様。私がエイシンプレストン!是非この名前を覚えていてください!』

 

 

 

 

これは追加招待扱いにした香港ウマ娘協会、そして帯同ウマ娘と勘違いした名を知らぬウマ娘たち。覚えておけ、エイシンプレストンの名を。

最後の言葉は無名扱いした者達に対するささやかな恨みから出たものだった。

そしてプレストンはキンイロリョテイに倣うように指を二本天高く突き立てた

ざわめきが収まらないなかプレストンは胸を張りながら地下バ道をおり計量室に向かう。そしてそこにはプレストンのトレーナーの姿があった。

 

「お疲れさま。まあこれぐらいプレストンならできると思っていました」

「ありがとうございます。この度は色々とご迷惑をおかけしました」

「これだけぶっちぎって勝ったのだから多少は自信を持てたでしょう。これからが大変ですよ。今じゃアグネスデジタル以上に世界から注目されるウマ娘ですから」

「はい!」

 

プレストンは力強く返事をする、自分への自信のなさ、デジタル対しての嫉妬と劣等感、すべて見透かされていたのか。流石トレーナーだ。 でもこれで自信を持つことができた。そしてデジタルと肩を並べられたような気がする。

 

プレストンはこの勝利によって自分にまとわりついていた何かが取り除かれた気がした。 それはとても爽やかな気分だった

 

「さすがプレちゃん!信じてたよ!」

「ありがとう。これもデジタルのおかげね」

 

控え室に戻ったプレストンにデジタルはその胸に飛び込むように抱きつく。 あの時の強くてかっこいいプレストンが戻ってきた。それが堪らなく嬉しかった。

プレストンは胸に飛び込んできたデジタルの頭を優しく撫でていると、後ろからリョテイの手が迫り頭を乱暴に撫でる。

 

「すげえじゃねえか!あたしの舎弟にしてやるよ」

「キンイロリョテイさんにもご迷惑おかけしました。あと舎弟にはなりません」

 

手荒く労を労うリョテイに謝罪の言葉を述べながら舎弟入りはきっぱりと断る。 リョテイはその様子にニヤリと笑みを浮かべるとデジタルの方に向き話を切り出す

 

「さて、あたしがど派手に勝ち、プレストンもど派手に勝った。香港ジャックの計画は順調に進んでいる。そして最後の大とりだ!しくじるなよデジタル!」

「頑張ってね。デジタル」

「うん。ちょっとパドック行ってくる」

 

デジタルは二人の言葉にVサインで応じるとパドックに向かっていった。

 

シャティンレース場は異様な空気だった。

最初は香港の英雄による圧勝劇で幕を開けお祭り騒ぎになると思っていた。だが香港ヴァーズと香港マイルではゴドルフィンでもなくフランスやイギリスやアメリカでもない日本のウマ娘が素晴らしいパフォーマンスを見せて勝利する。この展開はレース場にいる誰ひとり予想していなかった。そして最後の締めをくくる香港カップに日本のウマ娘が出てくる。となれば注目されないわけがない。

 

パドックでデジタルに向けられる視線に含まれる期待感は日本では感じたことがないほど大きかった。デジタルもその視線の圧を感じていた。

 

香港ではパドックを終えたらすぐに地下バ道を通って本バ場入場が始まる。地下バ道に行くこの僅かな時間でトレーナーとウマ娘は最終確認をおこなう。

 

「作戦は昨日の打ち合わせ通りや」

「うん。わかった…」

「どうした?まさか緊張しているのか?」

「う~ん。ちょっとだけ不安かな」

 

デジタルは人差し指と親指で僅かな隙間を作るジェスチャーを見せる。

 

「キンイロリョテイちゃんとプレちゃんがあれだけ派手な勝ち方したから、あたしも派手な勝ち方しなきゃいけないでしょ。でも白ちゃんの作戦だと勝ち方が地味だから文句言われそうかな~って」

「なんやそんなこと心配しておったのか。香港カップは格が高い分マイルやヴァーズと比べてメンツのレベルが高い。だから勝つだけでも充分や。気にするな」

「へ~じゃあキンイロリョテイちゃんとプレちゃんには『弱メンツに派手に勝っただけで調子乗るな』って言ってたって伝えておくね」

 

「それは勘弁してくれ、エイシンプレストンはともかくキンイロリョテイに伝わったらマジでど突かれる」

「冗談冗談」

 

二人はおどけるような口調で喋り、示し合わせたように笑った。デジタルとトレーナーも周囲の期待と日本ウマ娘の連勝の勢いに乗って勝たなければならないというプレッシャーを程度の差はあれど感じていた。

 

「そういえば知っとるかデジタル?ヴァーズとマイルでの二着はゴドルフィンの所属で、トブーグもゴドルフィンや。きっと目の色変えてお前を負かしにくるぞ。」

「うん。名門ゴドルフィンがジャパニーズ相手に三タテされるわけにいかない!そんな感じの視線を向けてくるんだよね~。これであたしを注目してくれる。やっぱり一緒に走るんだったら意識してもらいたいのが乙女心だよね~」

「それに他のウマ娘もお前に注目している、モテモテやんけ。勝ってくれたキンイロリョテイとエイシンプレストンに礼言っておけよ」

「本当だね」

 

二人は引き続き軽口を叩き合う。だがそうすることでプレッシャーが薄れフワフワしていた感覚が地に足がついた感覚に変わっていた。そうしているうちに地下バ道入口まで着く。

 

「じゃあ、行ってくるね」

「あっちょっと待て」

 

トレーナーは入口に向かうデジタルを呼び止めその手にものを握らせる。中には赤黄黒のトリコロールカラーのヘアピンがあった。

「香港で買ったヘアピンや。よかったらそれを着けて走ってくれ」

 

それはダンスパートナーのヘアピンだった。

ダンスパートナーが走ったクイーンエリザベスカップ。あの時は未熟で海外のことをわからずその結果は5着。だがダンスパートナーの実力は勝ったウマ娘に劣っていなかった。

 

 

 

 

負けたのはダンスパートナーではなく自分だ。だからこそせめて罪滅ぼしに負けた舞台と同じ距離のレースでダンスパートナーの私物だけでもゴール板を一着で通過して欲しい。それが願いだった。

だがこれでプレッシャーを感じてしまっては元も子もない、なので真意は伏せる。

 

「なに?香港カップ用のおしゃれアイテム?」

「まあ、そんなところや」

「白ちゃんにしてはセンス良いね」

 

デジタルは礼を述べて前髪にヘアピンを着ける。そしてトレーナーは関係者専用の観覧席に、デジタルは地下バ道に向かっていく。

 

(白ちゃんもセンチメンタルだよね~)

 

デジタルにはトレーナーの真意は筒抜けだった。一目見ただけであのヘアピンがダンスパートナーの物だとわかった。この計らいを知ったダンスパートナーはどんな反応を示すだろう。恥ずかしがるか?喜ぶか?だが嫌がることはないだろう。

どのウマ娘達も愛おしいく喜ぶ姿は見るのは至福である。たった数グラムの斤量でウマ娘の喜ぶ姿が見られるなら着ける以外の選択肢はない。

 

『各ウマ娘入場です』

 

入場してくるウマ娘を大歓声が出迎える。香港カップは香港国際競争の大とりのレースだけあって観客の歓声も一際大きい。

 

『ゴドルフィンの欧州ジュニアBクラスチャンピオン!惜敗が続くがこのレースを勝ち飛躍なるか?トブーグ』

 

トブーグの入場で一番の大歓声が上がる。観客席を一瞥するとブロンドヘアーを靡かせ返し運動をおこなう。トブーグはこのレースの一番人気である。ここ最近では勝てていないものもイギリスダービー3着、イギリスチャンピオンステークス2着が評価されてのものだった。日本ウマ娘躍進が続くなかでの一番人気、それだけ欧州のレースのレベルが高いという評価だった。

 

『地方ダート、中央芝の次は海外だ!テイエムオペラオーとメイショウドトウを撫で切った末脚は炸裂するか?二番人気アグネスデジタル!』

 

デジタルが入場するとトブーグに劣らないほどの歓声が上がる。デジタルは周りを見渡す。一方を眺めれば高層ビル群が立ち並び、一方を眺めれば山が見える。自然と人工物が交じり合う不思議なレース場だ。そして観客席を見渡し目当ての人物を見つけるとそちらに駆け寄った。

 

「デジ子~頑張れ~!」

 

スタンド前ではダンスパートナーが大声で応援している。そしてお手製の垂れ幕を手すりにかけている。

そこには「プレアデス魂!アグネスデジタル」と書かれており自分をデフォルメしたイラストも描かれていた。文字は毛筆で書いたように荒々しくデフォルメイラストとのギャップに思わず笑みをこぼす。するとダンスパートナーと目線があった。

その瞬間デジタルは装着したヘアピンを指さす、伝わっただろうか。そしてデジタルは返し運動に向かう。

 

 

全ウマ娘の入場が終わり全員はゲート前で準備運動をしながらゲート入りを待つ。するとトブーグがアグネスデジタルに話しかけてきた。

 

『ヘイ、あんたがアグネスデジタルか?』

『そうだよ。よろしくねトブーグちゃん』

『英語がわかるのか、丁度いい。私はマイルやヴァーズで負けたチームの三下とは違うからな。覚悟しておけ』

 

デジタルはトブーグの言葉にほんの少し不快感を表す。同じチームメイトを馬鹿にするのは好かない。 その態度をみたトブーグはデジタルを鼻で笑う。

 

『ファンタスティックライトに勝ったテイエムオペラオーとキンイロリョテイの両者に勝ったアグネスデジタルというから注目していたがあまちゃんだな。チームメイトは友達じゃない、ただの競争相手だ』

『そんなこと言っちゃだめだよ。ウマ娘ちゃんはみんな仲良くしなきゃ』

『私に勝てたら仲良しこよししてやるよ』

『あっ言ったね。じゃああたしが勝ったら仲良くするんだよ』

『ああ、無理だけどな』

 

トブーグは高笑いをあげながらゲートに入っていく。そしてデジタルもゲートに入っていく。

一緒に走るメンバーではトブーグを推していたが少しばかり評価を下げなければならない。プロポーションは日本で言えばタイキシャトルのような感じで素晴らしい。

だが心が荒んでいる。だがこういう跳ねっ返りを自分の友情パワー走りでレースに勝利し、その走りに感銘を受けたトブーグが改心する。そして自分のことをお姉さまと言って慕ってくれる。うん中々良いシュチュレーションだ。

 

デジタルは様々な妄想を巡らせる、これがデジタル流の集中力の高め方である。 そしてスターターの準備終わりゲートが開く。14人立てによる香港カップが始まった。

 

『さあゲートが開いて飛び出したのは…アグネスデジタルです。アグネスデジタル好スタート』

 

デジタルは誰よりも早く飛び出し先頭に立つ。だがトブーグがスピードを上げハナを主張しデジタルはそれに付き合わず先頭から3番手のポジションにつけた。

 

「おいおいおい、あいつの脚質は差しだろう。あんな前につけていいのか」

「デジタルは差しだけではなく先行もできます。現にダートでは先行で南部杯に勝っていますが……」

 

日本チーム控え室では思わぬ展開に騒めく。マイルチャンピオンシップや天皇賞秋では豪快な差し切り末脚の印象が強いデジタルがまさかの先行策。これは狙い通りなのか?

 

「どう思いますトレーナー?」

「アグネスデジタルほどのウマ娘ならある程度ゲートを出るタイミングを調整できます。後方待機しようとしたが間違ってゲート良く出てしまったということはないでしょう。これは意図的です」

「白が周囲の予想に反した行動を取るときは何かしら勝算がある場合だ」

 

プレストンの問いにトレーナー達が見解を述べる。そしてその見解は正しかった。

デジタルのトレーナーはデジタルに先行するように指示したのだ。理由は3つ

 

1つ目はバ場の性質。

シャティンのバ場は粘っちこく時計が掛かるバ場である。このようなバ場では天皇賞秋のように直線一気で差し切ることは難しい。

 

2つ目は走る相手

トレーナーは香港カップに出てくるウマ娘達を調べあげ、今回のウマ娘達に逃げの脚質はおらずレース展開はヨーロッパのように団子状態になることが予想する。そうなると前が有利で後ろは明らかに不利だった。

 

3つ目はコースの形状

シャティンレース場でおこなわれる2000メートルのレースはスタートからしてすぐに第一コーナーを迎える。すると遠心力で外に振られて距離ロスしてしまう。それを防ぐにはハナに立つ勢いで先行するか、早々に後方待機してゆっくりと回るかである。

 

この3つの理由から先行したほうが有利であると判断しデジタルに指示した。そしてこの先行策は思わぬ利点を生み出す。

デジタルは枠抽選で外枠を引く。トレーナーとしては内枠を引きたかったがそれは結果的に幸運だった。

リョテイとプレストンの活躍によりデジタルへの警戒度が想定以上に増していた。そのことによりデジタルを恐れ囲まれて身動きが取れなくなる危険性が増えていた。だが外側なら多少外を回せば囲まることはなく、逆に内枠だったら先行しても囲まれて身動きが取れなくなる可能性があった。

 

(アグネスデジタルが先行?差しじゃないのか?)

(うん、ここはトブーグちゃんの後ろ姿が見られる特等席だ。さあ、あたしにすべてを見せて)

 

トブーグは粘着質な視線を受け薄気味悪さを覚えながらも逃げを打つ。絶妙なペース配分でレースを引っ張り、スローペースの流れを作る。レースは特に動かず淡々と進んでいき4コーナーに入るところでデジタルは一気にとペースを上げ直線に入った際には先頭に躍り出た。

 

『先頭はアグネスデジタル!残り400メートルを押し切れるか!?』

 

全ウマ娘がスローペースによって貯められた末脚を解放する。全員がデジタルを目標に猛然と追い詰めるがデジタルとの差は一向に縮まらない。

残り300メートルをきりデジタルは一バ身のリードをキープする。このまま押しきれるか?デジタルを応援するものに希望が宿る。だがそれを打ち砕くようにトブーグがジワジワとデジタルとの差を縮め、そしてついにクビ差まで追い詰める。

 

『追いついたぞジャパニーズ。根性勝負だ。お前みたいなあまちゃんに負けない!』

『いいよ。あたしだってオペラオーちゃんとドトウちゃんの日本の一のど根性ウマ娘ちゃん達と一緒にトレーニングしたんだから』

 

デジタルが引き離しにかかるがトブーグも影のようにぴったりと離れない。まさに根性勝負といえるデッドヒートだった。

 

『辛いだろう?苦しいだろう?だがあたしは耐えられる!これがゴドルフィンの力だ!お前みたいな島国でぬくぬくしている奴とは鍛え方が違う!』

 

ゴドルフィンに所属しているという誇り、ゴドルフィンの厳しいトレーニングに耐え抜いた自信がトブーグに力を与える。並みのウマ娘ならとっくに心が折れるが歯を食いしばり懸命に耐える。その形相は鬼のようだった。

だがその差は縮まらない。トブーグは思わず並走しているデジタルに視線を向ける。そして驚きで目を見開く、デジタルは笑っていた。

 

何故笑っていられる!?

 

デジタルもトブーグのように苦しかった。だが苦しさより多幸感が優っていた。

汗の臭いは柑橘系のような爽やかで、弾む息遣いは少しハスキーボイスで胸をトキメかせ、躍動する肉体は興奮させる。そしてこの絶対に負けないというこの情念は体をゾクゾクさせる!トブーグのすべてがデジタルに幸福感を与えていた。

 

『残り100メートルでアグネスデジタル僅かに先頭!がんばれ!ゴールはもうすぐだ!』

 

デジタルは依然クビ差のリードを保っている。

もっと!もっと一緒に走りたい!だがデジタルの願望とは裏腹にゴール板は目前に迫っていた。楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまう。一抹の寂しさを覚えながらデジタルは最後の力を振り絞る。

 

「トブーグちゃんとの根性勝負楽しかったよ。また一緒に走ろうね」

 

デジタルは日本語で語りかける。無論トブーグには言葉の意味はわからない。だがその言葉は死刑宣告のように聞こえていた。

『アグネスデジタル香港カップ制覇!ヴァーズ、マイル、カップの三連勝!』

 

日本のウマ娘による香港国際競走3連勝

その歴史的偉業に日本の応援団から歓声が上がる。そしてそれが波紋のように広がりレース場の観客たちも次々に歓声を上げる。

そしてデジタルは日本チームの偉業を誇るように指3本を天高く突き上げた

 

『くそ……強い……』

 

勝ち誇りデジタルの後ろ姿を見つめながらトブーグは言葉を吐き捨てる。

デジタルとの差はクビ差か2分の1差といったところだろう。見ているものには逆転可能な僅差に見えるかもしれない、だが本人にはとてもそう思えなかった。

どこまで行っても追いつくことができない永遠の着差。こんな気分を味あわされたのはあのウマ娘と走った時以来だ。

 

そんなトブーグを尻目にデジタルの状態が落ち着いたのを見計らいインタビュアーが近づきインタビューが始まる。

デジタルは息を整えながらインタビューに応じた

 

『おめでとうございます。大変タフなレースでしたが』

「サンキュー」

『四コーナーを抜け出すスピードは素晴らしかったですね』

「あー、アイム…パワフル…フォースコーナー……ストレート……パワフル……」

 

レース上では勝者のアグネスデジタルがどんな言葉を語るか固唾を飲んで見守る。そして発せられた言葉は意味不明な英語だった。

 

 こいつは何を言っているんだ。予想外の出来事にレース場はざわついている。

 

『はい!素晴らしいレースでした!ありがとうございます。アグネスデジタル選手に今一度声援を!』

 

インタビュアーの言葉に促されるようにレース場の観客は再び歓声をデジタルに送った。

 

 

「何だよあのインタビュー!あたしの英語よりひでえな!何だよ」

「ねえ、何て言おうとしたの……」

 

香港国際競争の大とり、香港カップに勝利し控え室に凱旋するアグネスデジタルを迎えたのは笑い声だった。

キンイロリョテイはひとしきり大笑いした後デジタルのインタビューの様子を滑稽に演じる。

エイシンプレストンは必死に笑いを耐えようとするがリョテイのモノマネを見て我慢できずに吹き出してしまう。トレーナー達も同じように笑いを必死にこらえていた。

 

「う~違うの!あれはあたしの英語回路があの時だけいかれたの!本当ならペラペラなんだよ!」

「何だその言い訳!いかれているのはお前の頭だ!」

 

デジタルの言い訳を聞きリョテイはさらに笑い転げる。デジタルは恥ずかしいのか悔しいのか思わず地団駄を踏んだ。

インタビュアーの英語の質問に『はい四コーナーを回ったときには余力は充分にありましたのであのまま押し切れる自信はありました』と答えようとしていた。

 

だがいざ話そうとすると単語が全く頭に浮かび上がってこなかった。ヒヤリングはできるのに全く言葉が浮かび上がらない。それはデジタルにとって未知の体験だった。

それでもデジタルは懸命に英語で答えようとした結果が『アイム、パワフル、フォースコーナー』だったのだ。

インタビュアーもデジタルがアメリカ出身だったのでプレストンのように流暢な英語を話せると思っていたが、あまりに拙い英語だったのでインタビューにならないと早々に切り上げてしまった。

 

「いや~俺もモニターで見ていて唖然としたわ……これじゃあ将来トレーナーになっても海外のウマ娘は来ないな、なんたってアイム、パワフル、フォースコーナーやからな…そんな英語しか喋れないトレーナーには預けたくないわ」

「違うの!白ちゃんはあたしが英語喋れるって知っているでしょう!」

「そうなんかパワフルフォースコーナー」

「ううっ!プレちゃんも何とか言ってよ」

「そうなのパワフルフォースコーナー」

「プレちゃんまでひどい!」

 

デジタルはさらに地団駄を踏む。その姿は全員の笑いを誘い控え室には笑い声がいつまでも響き渡った。

 

 

レースが終了しある意味メインイベントといえるウイングライブが始まる。

ライブの順番もレースの順番と同じでスプリントに勝ったセイエイタイシのライブから始まった。

 

香港の英雄セイエイタイシの持ち歌はもはや香港の誰もが知っている曲であり、観客の完璧な合いの手とコールアンドレスポンスで大会史上一番の盛り上がりを見せた。

そして次はキンイロリョテイのライブがおこなわれ、ハードロックな曲は言語の壁を越えて会場を盛り上げる。

エイシンプレストンの持ち歌は典型的なJポップだが海外用にと英語で歌い上げる。インタビューと同様な流暢な英語で観客を満足させた。

最後にデジタルのライブが行われ自身の持ち歌をプレストン同様に英語で歌い上げる。今度は英語回路が正常に作動しちゃんと歌えることができた。インタビューの時とは別人のような英語に観客は誰しも驚いていた。

 

「いや~日本語で盛り上がるかとちょっと心配していたけど思った以上にノリが良くて盛り上がったな」

「はい、あたしもシャティンの雰囲気が好きになりました。また香港でウイ二ングライブしたいです」

「じゃあ来年も一緒に行こうよ」

「それもいいわね」

 

ウイニングライブが終わりジャージに着替えて意気揚々とホテルに引き揚げる。三人ともライブの手応えの良さに満足気な顔を浮かべていた。初めて聞く曲で本来なら好きでもない外人の曲のライブなど空気が冷め切ってもおかしくないはずなのに、観客たちは盛り上げようと勤めてくれた。

これがライブを盛り上げなければならないという勝者への敬意なのかわからない。だがその心遣いは三人に届いていた。

 

「プレちゃん、キンイロリョテイちゃん。ちょっとトイレに行ってくる」

 

急に尿意を催したデジタルは急ぎ足でレース場にあるトイレに向かう。確かまだ空いているはず、だがこれで空いていなかったら結構やばいかも、そんな不安を感じながらトイレに駆け込む。幸いにもトイレは空いており無事に用を足すことに成功する。

洗面台で手を洗い二人の元に向かおうとした瞬間、個室から出てきた人物と鏡越しに目があった。

その人物はウマ娘だった。同い年ぐらいで身長は170センチほどで青い瞳に褐色の肌、髪は茶髪のポニーテール、服装は上下青のジャージだった。

 

「貴女は香港カップに勝ったアグネスデジタルさんですか?」

「うん、そうだけど」

「レース見ていましたよ。強かったですね」

 

ウマ娘の少女はデジタルに握手しようとするが手を洗っていないことに気づき、手を洗いハンカチで拭いてから一方的に手を握ってきた。

人懐っこくて一気にコミュニケーションの間合いを詰めてくる娘だな。それがデジタルの抱いた第一印象だった。

 

「そしてライブも驚きました。インタビューでは拙い英語だったのにライブではあんな流暢な英語が喋れるなんて、何でインタビューの時はああなったのですか?」

「あの時はあたしの英語回路が壊れちゃって、上手く喋れなかったの。今はもう大丈夫だけど」

「英語回路ですか、でも言いたいことはわかります。私も母国語は英語なのですが、アラビア語ばっかり喋っていると時々英語が出なくなるんですよ」

「アラビア語?てことは」

「はい、ゴドルフィンに所属しています」

「へえ~チームゴドルフィンの選手なんだ。でもヴァーズとマイルには出ていなかったからよね。スプリントに出ていた?」

「違います。今日はチームメイトの応援に来ました」

 

今日走っていないということはゴドルフィンに入団したばかりのジュニアクラスだろう。それなのにわざわざ異国まで応援に来るなんて頭が下がる。

そして今日のヴァーズ、マイル、カップの二着は全員ゴドルフィンの選手だ、デジタルは目の前のウマ娘にチームメイトと勝利の喜びを分かち合わせることができなかったことにわずかばかりの罪悪感を覚える。

 

「気にしないでください。結果は残念でしたがアグネスデジタルさんが気に病むことじゃありません」

「そう言ってくれると助かるな」

 

デジタルは心境を見透かされた動揺を隠すように愛想笑いをする。ここまでピンポイントに読めるのか、その洞察力に舌を巻く。

 

「ところでゴドルフィンの中で推しのウマ娘って居る?」

「推し?推しってなんですか?」

「ええっと……例えばキレイだなとかカッコイイなとかカワイイなとか思うチームメイト居る?」

 

ゴドルフィンは世界中からウマ娘が集まる人材の宝庫だ。ネットでも情報を手に入るがせっかくゴドルフィン所属のウマ娘に出会えたのだから実際に体験した生の声を聞いておきたかった。

 

「そうですね……憧れなのはドバイミレニアムさんですね」

 

そこから褐色のウマ娘から様々な情報が語られた。話すことはすべてデジタルの興味を引くものだった。最初は冷たいイメージを持っていたが、誕生日に逆ドッキリをしかけたなど所属選手たちの年相応でチャーミングな面を聞くことでイメージが変わっていた。

そして話の中で一番興味を引いたのはファンタスティックライトの話だった。

ジャパンカップでテイエムオペラオーとメイショウドトウと走った際に二人の強さをクレイジーと賞賛したらしい。

この情報は今まで聞いたことがなかった。あのファンタスティックライトがクレイジーというほどの強さを持っていた二人のことが友人として誇らしかった。

 

「うん。ちょっと待って」

 

ポケットのなかで振動する。携帯電話を見るとラインメッセージで『早く帰ってこい』と書かれていた。時計を確認するとトイレに入ってから10分以上経過していた。いつの間にこんなに喋っていたのか。

 

「友達に呼ばれているから出るね。長々と話を聞かせてもらってごめんね。楽しかったよ」

「いえ、こちらこそ」

 

デジタルは小走りでトイレの出口に出る。すると出口付近で立ち止まり振り返る

 

「あっそうだ。トブーグちゃんのこと知っている?」

「はい」

「もし良かったら『チームメイトとは仲良くして』と伝えておいて」

 

レース前に交わした約束。これは所詮口約束で強制力は何一つない。だがそれでももしかして約束を守ってくれるかもしれない。その意志を確かめたかったがライブの最中でも会話を交わすことができず意思確認をできなかった。ならば約束を思い出してくれるように伝言を頼みたかった。

 

「分かりました。伝えておきます」

「ありがとう。練習がんばってね。アナタならきっと凄く強くなれるよ」

「何でそんなことが分かるのですか?」

 

走り出そうとしたデジタルの動きが止まる。妙なところで食いついてきたな、社交辞令と受け取るかと思っていたが。

 

「なんというか、スター性があるというかオーラを感じたの、もしかしたら凱旋門賞取っちゃうかもね」

 

冗談めかして言うと褐色のウマ娘もクスクスと笑いだす。

 

「はい、アグネスデジタルさんの言葉通り凱旋門賞が取れるように頑張ります」

「じゃあね、またどこかのレースで会おうね」

「はい、さようななら」

 

デジタルは出口を出て走り出す。そして褐色のウマ娘もデジタルの後に続くようにトイレを出た。

 

「ずいぶんトイレ長かったけど大丈夫?」

「いや~ゴドルフィンのウマ娘ちゃんと偶然あってね、色々と聞いていたの。いい話が聞けてよかったよ」

 

デジタルは二人と合流し車に乗ってホテルに向かう。その車中でプレストンは事情を聞いていた。相変わらずデジタルの行動に頬を緩ませる。そしてデジタルはトイレで会ったウマ娘のことについて考えていた。

少ない時間での交流だったが楽しかった。気に入ったというか波長が合う感じだった。日本のトレセン学園にいれば友達になれただろう。デビュー前のジュニアクラスのA級かB級だろう。もし彼女が成長したら本当にどこかでレースができるかもしれない。そうなったら楽しいだろうな。そういえば名前は何ていうのだろう?聞き忘れていた。

デジタルはトイレで出会ったウマ娘に思いを馳せながら車窓から流れていく香港の夜景を眺めていた。

 

 

 

店内で流れるジャズの生演奏に客たちはその心地よい音に耳を傾けながら酒を楽しむ。

ここはデジタル達が止まるホテルにあるバー。ホテルのロビーに店がありその音は店内の客たちだけではなくロビーにいる宿泊客たちにも届いていた。

 

「じゃあデジ子の勝利を祝して乾杯~!」

「乾杯」

「乾杯」

 

トレーナーとダンスパートナーはカクテルを、デジタルはジュースを片手で持ち乾杯する。

ホテルに帰ったウマ娘達とトレーナー達はそれぞれ勝利を祝っていた。大々的な祝勝会は日本で帰ってからおこなう。それだったら今日はそれぞれのパートナーと静かに祝おうじゃないかと自然とそういう流れになり各々が好きに祝っていた。

そしてデジタルとトレーナーもどこで祝おうか考えていると、トレーナーがダンスパートナーも祝いの席に呼んでいいかと提案しデジタルもそれを了承した。

 

「デジ子~凄かったぞ~かっこよかったぞ~可愛かったぞ~」

 

ダンスパートナーがデジタルに抱きつき頭と顎をペットのようになでる。その感触は心地よかったが若干酒臭かった。

 

「ダンスパートナーちゃん飲んでた?」

「おう!ホテルで祝い酒していたら白先生に呼ばれてここに来た!バーテンダーさん!この子が香港カップに勝ったジャパニーズ・ストロングフォースコーナーのアグネスデジタル!」

「それはもう止めて…」

 

ダンスパートナーは酔っぱらいのノリでバーテンダーに話しかけ、デジタルは恥ずかしさで俯く。バーテンダーは『おめでとうございます』と爽やかな笑顔でいなしていた。

 

 

 

 

「しかしレースは心臓に悪かったぞデジ子。エイシンプレストンみたいにもっと圧勝してよ」

「あのメンツで圧勝しろなんて無茶言うな」

 

トレーナーが異を唱える。

香港カップにはゴドルフィンのトブーグだけではなく、アメリカのGIアーリントンカップに勝ったドイツのシルバノ。去年の覇者フランスのジムアンドトニック。アメリカGIブリーダーズマイル三着のアイルランドのバッハ。フランスGIオペラ賞に勝ったフランスのルーラテールと数多くの強豪がいた。その相手にプレストンのように圧勝できるウマ娘なんて世界中でもひと握りだ。

 

「レースだって先行策とるしさ、お前差しウマ娘じゃなかったんか~いって思っちゃったよ。直線だって叩き合いで心臓バクバク」

「そうか?俺は負ける気が全くせえへんかったぞ」

「そうなの?いいな~白先生にそんなに信頼されて」

 

ダンスパートナーは泣き真似をしながらデジタルの胸に飛び込み、デジタルはよしよしと頭を撫でる。髪は手入れが行き届いており予想以上にサラサラで役得とばかりに感触を楽しむ。

 

「ところでダンスパートナーちゃん。ヘアピンに気づいた」

「気づいたよ。白先生が貸してくれって言うから貸したけど、デジ子が着けていたのか」

「じゃあヘアピンの意味は分かる?」

「意味?」

 

ダンスパートナーは目をキョトンとして首をかしげる。意味はわかっていなかったか。デジタルはトレーナーの方を向いた。

 

「だって、白ちゃん。直接口で言ってあげなきゃ」

「ええわ。恥ずかしい」

「思っていることは言葉にしないと伝わらないよ」

 

楽しげなムードで緩んでいたデジタルの表情が真剣味を帯びる。

思っていることは口にしないと誰にも伝わらない。

それがエイシンプレストンの件でダンスパートナーから教わったことだ。トレーナーの想いは素敵なものだ、それを知れないのはダンスパートナーにとって残念なことである。 デジタルの雰囲気に押されたのかトレーナーはカクテルを一気飲みし思いを伝えた。

 

 

「ダンス。お前のクイーンエリザベスの5着はお前のせいじゃない。俺の未熟が招いたことや。だからせめてもの罪滅ぼしでお前の魂が入ったヘアピンだけでも一着を取ってもらいたかった。香港での調整方法もシャティンのバ場もスローペースになるのもダンスが走ったから分かったことや。デジタルの勝利はダンスのおかげでもありダンスの勝利でもある。ありがとう」

 

トレーナーは深々と頭を下げ、恥ずかしかったのかダンスパートナーからそっぽを向いた。

 

「そうだったんだ、知らなかった。ありがとうダンスパートナーちゃん」

 

デジタルもトレーナーに倣い深々と頭を下げた。あの作戦はダンスパートナーとの経験を元に考案したのか、あの作戦がなければ勝てなかったかもしれないし、トブーグとの素敵な体験はできなかった。

 

「デジ子の勝利は私の勝利か…」

ダンスパートナーは噛み締めるように言葉を繰り返し天を仰いだ。

自分がやってきたことは無駄じゃなかった。自分の経験が後輩の糧になり、その後輩の経験がそのまた後輩の糧になる。ああウマ娘のレースは何て素敵なのだろう。そして自分の経験を後輩に生かしてくれるトレーナー。そんなトレーナーと一緒に走れて自分は幸せだったのだな。

 

「じゃあ!インタビューではそれを強調しておいてね。香港カップ勝利の偉業の要因が私だって知ったら会社も特別ボーナスくれるかもしれないし」

「ああ、大々的に言っておいたる」

「よし!改めて乾杯だ」

「おう乾杯」

「乾杯」

 

三人は再び乾杯する。グラスがぶつかり澄んだ音が発する。その音はいつもより澄んでいた気がした。

 

 

香港カップ シャティンレース場 芝2000メートル

 

着順 名前 所属国  着差 人気

 

1  アグネスデジタル       日            2

 

2 トブーグ      UAE    クビ   1

 

3 テーラテール       仏    1 7

 

4 ホークアイ          英 1    6

 

5  ジムアンドトニック       仏 2    3

 

 

 

チームゴドルフィンが使用する遠征用ジェット機の機内の空気はひどく重苦しかった。

全勝を目録見み臨んだ香港国際競争は全敗に終わる。

 

香港スプリントは歴代スプリンターでも五指に入ると評判の地元の英雄セイエイタイシのまえに破れた。建前上全勝を掲げていたがある意味仕方がないと割り切っていた。だが残りの三レースは予想外だった。

 

完璧にレースを運びながら常識はずれの末脚に屈した香港ヴァーズ。

脇役に子供扱いされた香港マイル。

期待のホープが負けた香港カップ。

 

イギリス、フランス、アイルランド、アメリカなどの先進国ではなく、最近の活躍は目が見張るものはあるが本音では後進国と思っていた日本に三タテを喰らったのだ。その屈辱は耐え難きものである。

 

「すみません遅れました」

 

そんな重苦しい車中に明るく朗らかな声が響き渡る。そのウマ娘は身長170センチほどで青い瞳に褐色の肌、髪は茶髪のポニーテール、服装は上下青のジャージだった。

彼女は申し訳そうにしながら自分の席に向かう。その際に時々止まりながら声をかけていた。

 

「エクラール、上手くレースをコントロールしていたよ。あんな大駆はそうそう出ないから次もこのレースみたいにできれば勝てるよ」

「ありがとう」

「チャイナヴィジットも離されても最後まで心が折れなかったね。その気持ちは必ず次に繋がるから」

「がんばるよ」

 

褐色のウマ娘はレースで走ったウマ娘たちに労いと励ましの言葉をかける。その言葉は力を与え彼女の雰囲気が車内の重苦しい空気を変えていく。声をかけ終わると指定席であるトブーグの隣に座った。

 

「お疲れトブーグ」

「次は勝ちますよ」

 

トブーグはぶっきらぼうに答える。レースに負けた苛立ちもそうだがこの人の存在が苛立ちを加速させる。

自身はトップクラスの実力を持っているのに、どのウマ娘もすべて尊いと重賞にも勝っていないウマ娘にも聖母ぶって接してくるのが気に入らなない。はっきり言って嫌いだ。

 

「そういえばアグネスデジタルから伝言を預かったよ『チームメイトとは仲良くして』だって」

「チッ。あいつまだそんなこと言っているのかよ。というよりあいつと会ったのですか?」

「ええ、面白い人だよね。出会ってすぐにゴドルフィンで推しのウマ娘を教えてくれって聞かれたよ、そんなこと聞かれたのは初めて」

「あんなの笑いながら走っている気持ち悪い奴ですよ」

「それに私に『アナタなら凄く強くなれるよ』って、私も少しは名が知れていると思っていたけどまだまだだな~」

 

褐色のウマ娘は楽しげに語りだす。するとトブーグは悔しげにつぶやいた。

 

「次同じレースで走ったら絶対に勝ちますけど、今日の香港カップはどうやっても勝てなかった…走っても走っても絶対に追いつけない感覚を味わいました。あの感覚はレースの着差は違いますけど、あなたと一緒に走って以来ですよ、サキーさん」

 




以上で香港編は終了編です。

巷ではキンイロリョテイのSSを見かけるなか、香港ヴァーズのシーンだけ書くのが何か美味しいとこだけ頂いてしまった感があって恐縮です。

あとこの話で香港スプリントに勝ったウマ娘のモデルは当時の香港スプリントには出ていません。
出したのは作者の趣味です。


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勇者と去りゆく英雄たち、そして新たな出会い

香港国際競争が終わり年を越した1月。

 

 部屋の窓から外を見渡すとそこは一面銀世界に覆われていた。葉がすっかり枯れ落ちた木々に雪が乗っかっており、その重さに耐え切れず枝が折れる。そのベキベキ折れる音は窓を閉め切っている部屋の中でも聞こえてきた。

 そしてアグネスデジタルとエイシンプレストンは木が折れる音を聞きながら、積雪も寒さも無縁な自室でココアと茶菓子を片手に映画を見ていた。

 

 

「かなりオモシロかったね。やっていることはベタなんだけど、ついついハラハラドキドキさせられちゃう」

「でしょう」

 

 アグネスデジタルの言葉にエイシンプレストンは満足げな表情を見せながらリモコンを操作し映像を停める。

 トレセン学園では記録的積雪により複数のトレーニング施設が使用不可になっていた。屋内のトレーニング施設は使うことは可能だが、元々屋内施設を使用予定のチームに屋外でトレーニングができなくなったチームが加われば、屋内施設の定員はあきらかにオーバーしてしまう。

 それを避ける為に屋内施設利用権利を抽選で決めることになり、デジタルが所属するチームプレアデスは抽選から漏れてしまう。そうなるとトレーニングも碌にできないので急遽オフになった。

 

 だがオフになってもこの積雪では行動は大幅に制限されこれといってやることもなく部屋に戻る。すると同じく抽選にもれてオフになったプレストンも居て、暇つぶしに映画をみることになった。

 

 二人が見ていたのはとある香港映画である。

香港国際競争から帰ってからプレストンは香港映画を何本も見るなどやたら香港文化に興味を示していた。香港マイルの勝利がよほど嬉しかったのか、それともよほど香港の空気が合ったのか。

 そして度々香港映画を一緒に見ようと薦められていた。デジタルにとってさほど興味がなかったが、自分もウマ娘関連の映像などを一緒に見ようとなかば強引に誘っていたので断りづらくもあった。いざ見てみると予想以上にオモシロく満足できるものであった。

 

「でも、ウマ娘ちゃんが足りなかったな~それがあればもっとよかった」

「結局そこなのね」

 

 デジタルの言葉を受け流しながらプレストンはディスクを取り出しケースに入れ、何気なくテレビをつけてザッピングする。昼の三時を過ぎたこの時間では大半の局がワイドショーをやっており、著名人の不祥事や今日の積雪について話している。

 

「そういえば一月前まではあたし達のことをいつも報道していたのよね」

 

 プレストンはココアを啜りしみじみと呟いた。

 日本ウマ娘による香港国際競争GI三連勝という偉業に世間は大いに沸いた。空港では多くの人に出迎えられ、帰ってからも祝勝会や取材などで多忙な日々を過ごしていた。だが一週間も過ぎれば有マ記念やWDTの話題に関心が移り報道量は減少した。

 

「そうだったね。でも白ちゃんが『なんでうちのデジタルがキンイロリョテイより扱いが低いんや!日本のマスコミはレースの格よりドラマを優先するんか!』って怒ってマスコミに抗議しようとするんだもん」

 

 デジタルはトレーナーの真似をしながら喋り、ものまねのクオリティが思った以上に高くプレストンは思わず笑みをこぼす。

 

「フフフ、愛されているじゃない。でも言ったら悪いけど、デジタルやあたしよりキンイロリョテイさんのほうを特集したほうが視聴率取れそうだし、仕方が無いでしょ」

 

 スランプを経てGI勝利。

 南部杯、天皇賞秋、香港カップの破竹のGI三連勝。

 それに比べればシルバーコレクターが引退レースで劇的な勝利、なによりキンイロリョテイのキャラクターのほうが視聴者にとっては魅力的だった。特集でも二人よりリョテイに時間を割き、現役時代の気性難エピソードや香港ヴァーズ勝利後の脱衣事件などもう見飽きたよと言ってしまうほど報道していた

 

「そうだよ、それなのにそこのところ全く理解しようとしないんだもん。それにあたしに時間を割くぐらいだったらプレちゃんやリョテイちゃんの魅力を紹介したほうがいいよ」

 

 デジタルはそのことを思い出したのか腹を立てる仕草を見せ、プレストンは過去の事を思い出し思わず頬を緩ませる。

 デジタルもトレーナーと同じように自分よりプレストンの扱いが小さいと抗議しようとしておりプレストンは恥ずかしかったので全力で阻止する。

 二人とも抗議しようとするところをみるに、やはり似たもの同士なのかもしれない。

そしてデジタルは自身を過小評価しているというか、無頓着な傾向がある。そこはある意味美徳なのかもしれないが、デジタルの報道量が削られることで応援している者や気にしている者が悲しむことを忘れないで欲しい。現にプレストンもデジタルが番組や記事で賞賛されているのを見ると自分のことのように嬉しかった。

 ワイドショーでは今年は何が流行するかという話題になり、二人も今年の話になっていた。

 

「そういえば、プレちゃんは今年のローテはどうするの?」

「まずはGⅡの中山記念から始動して、次は香港のGIクイーンエリザベスカップで次は安田記念、で調子がよければ宝塚記念。デジタルは?」

「あたしはフェブラリーステークスでウラガブラックちゃんと走って、大阪杯でオペラオーちゃんとドトウちゃんと走って、安田記念でプレちゃんと走って、宝塚でプレちゃんとオペラオーちゃんとドトウちゃんと走る。うん完璧なローテーション。今から楽しみだな~」

「さらりと言っているけど、フェブラリーから大阪杯って凄いローテーションね。もういっその事フェブラリー、大阪杯、かしわ記念、安田記念ってダートと芝交互に走れば」

「う~ん、確かに、かしわ記念にウラガブラックちゃんが来るかもしれないし有りといえば有りかも。でもそれだと宝塚がキツイな…」

 

 プレストンは冗談めかして言ったがデジタルは本気で自身のローテーションを検討し始める。

 ダートと芝のレースはまるで別物である。芝で速くてもダートでも速く走れるというわけではなく、芝でGIに勝ったウマ娘がダートのGIで同じように力を発揮し勝てるものでもない。それだけ求められるものもと適正が異なり芝とダートの間には大きな壁があると言える。

 普通ならこのようなローテーションを走ることはできないし、走れたとしてもトレーナーも提案しない。だがこの二人ならやりかねない。改めて常識外れなウマ娘とトレーナーだなとプレストンは思っていた。

 

 すると緊急速報のテロップと音が流れる。プレストンは思考に没頭するデジタルをよそにテレビに意識を向ける。

 

 何が起こった?災害か、訃報か、歴史的快挙か?

 まあおそらく自分には関係ないことだ。今までもそうであり、速報を見てもへえ~と呟く程度のことだろう。だがそれはプレストンにとって関係のあることだった。

 

「うそ?」

 

 プレストンは反射的に呟いてしまう。テロップが出ている時点で嘘なわけはないがそれでも信じられることではなかった。このことは噂話一つすら聞いていない。寝耳に水とはまさにこのことだ。

 

「どうしたの?……うそ?」

 

 プレストンの呟きにデジタルは思考の世界から現実に意識を取り戻された。そしてはテロップを見た瞬間持っていたマグカップは手から離れフローリングの床に落ちる。ゴンと鈍い音とともにココアが茶色いシミを作った。

 

――――――――テイエムオペラオー選手、メイショウドトウ選手、現役引退を表明

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

カツ、カツ、カツ

 

 蹄鉄の音が反響しトンネル状の空間に響き渡る。いつもは18人分の音が響くのだが今日に限り二人分の音だった。

 

 一人は宝塚歌劇団の主役が着そうな華やかな服を身に纏った栗毛の小柄な少女が背筋を伸ばし悠然と歩いていた。

 その栗毛の少女の後ろからもう一人少女がついて来る。髪は鹿毛で緊張か不安のせいかビクビクと辺りを見渡している。身長は栗毛の少女より8センチ程度大きいもののも猫背のせいか同じ、むしろ低いような印象を抱いてしまう。

 自信ありげに悠然と歩く者、その後ろをおっかなびっくり歩く者、まるで行進する王様とそれに仕える従者のようだった。栗毛の少女が何気なく後ろを振り向きビクビクと歩く鹿毛の少女が目に映りやれやれとため息をついた。

 

 

「ドトウしっかりしてくれよ、ウマ娘のなかで最も美しく最も速かったこのボクの引退ライブなのだからさ」

「ごめんなさい……でも私なんかがオペラオーさんの引退ライブに参加どころか、合同だなんて畏れ多くて……」

 

 ドトウはオペラオーの言葉に委縮したのかビクついて縮こまった身体がさらに縮ませ、相手の顔色をビクビクと覗っていた。

 その様子を見てさらにため息つく、だがその様子は嫌悪ではなく、相変わらずだというあきらめといつも通りであるという安堵の心情が混じっていた。

 

「確かに!本来ならボクの豪華絢爛なオンステージな予定だったのに残念だよ」

「ごめんなさい……もう帰ります」

「でも君は一度でもボクに勝ったのだ。その実力と功績は僕の華麗なる引退ライブに参加する資格は充分にある。胸を張りなよ、でないとボクの引退ライブがみすぼらしいものになってしまうだろう」

 

 オペラオーは激励するかのようにドトウの肩に手を置く、それに呼応するようにドトウの背筋はピンと伸びオペラオーを見下ろした。その様子を見て満足気に頷いた。

 

「それでいい、ウマ娘は美しく、そして観客達には美しい姿を見せないと」

「はい」

 

 二人はバ場に向かって歩みを進める。その威風堂々とした姿は先程までの王様と従者ではなく、王様ともう一人の主役の姿だった。薄暗い地下バ道を抜けると出迎えたのは眩しいばかりの太陽光と観客の声援だった。

 

『今入場してきました!テイエムオペラオー選手とメイショウドトウ選手です。温かい拍手と声援でお迎えください』

 

 アナウンサーの声とともに万雷の拍手と声援が二人に降り注ぐ。オペラオーは堂々と、ドトウは少し恥ずかしながら声援に応えコースを回り始める。

 

 テイエムオペラオーとメイショウドトウが引退発表した数日後、二人の功績を称え中央ウマ娘協会は阪神、京都、中山、東京レース場で二人による合同引退式と合同引退ライブを開催することを発表する。

 今までの引退ライブは一人で行われていたが、二人による合同ライブは歴史上初めてのことだった。

 まるで二人のライバル関係を象徴するかのような合同ライブ、その姿を人目見ようと多くの人が集まり、そして最後のライブが行われる東京レース場にもGIとかわらないほどの観客が集まっていた。

 

『数々のレース場で走ってきた二人ですが、この東京レース場でも素晴らしいレースを見せてくれました。日本ダービーではテイエムオペラオー選手、ナリタトップロード選手、アドマイヤベガ選手の三強対決で注目を集めました。そしてレースも三強による直線での攻防は手に汗握りました』

 

「ボクも若かったな。あの時のボクじゃあそこから仕掛けてトップロードとベガを押しきれるわけないのに。ちなみにドトウはあの時は何をしていた?」

「テレビでダービーを見ていました。あの時は羨ましいというより別世界の出来事を見ているようでした」

 

 二人は思い出話に花を咲かす。すると二人は肌寒さに身を震わした。そういえばこの時期で東京レース場を走ったことは無かったな、そんな他愛も無いことを考えながらキャンターで第一コーナーを回る。

 

『テイエムオペラオーが連勝で迎えた秋の天皇賞、一番人気は勝てない。そのジンクスはシンボリルドルフ、メジロマックイーン、サイレンススズカなど数多の名ウマ娘を飲み込んできました。しかしその魔物すらテイエムオペラオーの勢いを止められませんでした。一番人気での勝利を果たしジンクスに終止符をうちました』

 

「オペラオーさんはジンクスのことは知っていたのですか?」

「もちろん。でもボクのように強いウマ娘には関係ないことさ!」

「私は気にしちゃうタイプです。あの時はジンクスでもいいから縋りたかったです…」

 

 二人は第二コーナー、三コーナーを回る。レースだったら直線に入るに向けて様々な想定を考え思考をめぐらせながら走る。しかし今の二人は過去を振り返り目に映る景色を目に焼き付け思い出をかみ締める。

 そして四コーナーを回り二人は直線に入る。ファンは東京で行われた二人のレースを見た当時の興奮を思い出すように歓声を上げる。

 

『そして秋の天皇賞を勝って迎えたジャパンカップ、後のGI六勝ウマ娘、ファンタスティックライトがやってきました。ゴドルフィンという名の黒船の襲来、しかし二人はその脅威から日本の威信を守ってくれました。この府中の直線での三人の叩き合いは後世に語り継がれることでしょう』

 

「あの時はついに勝ったと思ったんですけど」

「あれは危なかった。ドトウが予想以上に粘るし、後ろからもファンタスティックライトが来るし」

 

 ゴール板から残り数メートルのところでオペラオーは突如停止し、それを見たドトウも動きを止めた。するとオペラオーはドトウの前に手を差し出す。その意図を察したドトウは手を握りながら歩調を合わせゴール板を通過した

 

『今はゴール板を通過!最後は同着です』

 

 お互いを讃え合うかのような同着、その心憎い演出は観客の心を震わせ歓声を上げる。

 ゴール板を通過するとホームストレッチには仮設の表彰台が設営され、そこにオペラオーとそのトレーナー、ドトウとそのトレーナーが立つ。そして司会進行が壇上に上がった。

 

『これより引退式を執り行います。では二人の活躍を振り返ってみましょう』

 

 すると東京レース場に設置されているオーロラビジョンに映像が流れる。二人の競争人生を振り返るものであり、ドラマチックに仕上げられたその映像は観客を興奮させる。そしてオペラオーとドトウもその映像を見ながら過去を振り返っていた。

 映像が終わると、オペラオーとドトウとトレーナー達を交え現役生活を振り返っての話が始める、それが暫く進行すると進行が話を切り出した。

 

「それでは、ここで花束贈呈です。今日は去年の天皇賞秋で激闘を繰り広げた。アグネスデジタル選手がお越しくださりました」

 

 司会の声とともにデジタルが入場し、笑顔を浮かべながら花束を二人に渡した。そしてデジタルは司会からマイクを受け取る。

阪神ではキンイロリョテイ、京都ではナリタトップロード、中山ではアドマイヤベガと二人の式それぞれに縁が深い人物が二人の花束を贈り、コメントを残していった。そして東京では二人の希望もありデジタルがその役に指名された。

 

「え~皆さんこんにちはアグネスデジタルです。あたしは一競技者であると共に二人の大ファンでした。その思いは皆さんにも負けません!」

 

デジタルの開口一番のファン宣言に観客から『知っているぞ~』『俺のほうがファンだ!』野次のような合いの手のような言葉が投げかけられ会場の笑いを誘う。

 

「かっこよくて、可愛くて、強い二人はあたしの憧れで天皇賞秋に出たのも二人と一緒に走りたいからという思いで決めました。そして幸運にも二人に勝つことができました。これは一生の自慢でおばあちゃんになっても自慢します!あたし達はオペラオーちゃんとドトウちゃんの活躍をリアルタイムで見られた世界一の幸せ者です!そしてこの後ウマ娘ファンになる人たちに自慢しようよ!そして語り継ごう!オペラオーちゃんとドトウちゃんは最高のウマ娘だって!」

 

 デジタルの言葉に観客は歓声を上げ拍手がおこる。そうだ自分達は伝説を目撃した幸せ者だったのだ。ファン達が心のどこかで思っていたことをデジタルは代弁していた。

 デジタルのコメントが終わり引退式もドトウとオペラオーの言葉で最後となる。観客はその姿と言葉を焼きつけようと集中し緊迫した空気を作り上げる。ドトウがマイクを受け取り喋り始めた。

 

「皆さま今日はわざわざお越しくださりありがとうございます。

私はどんくさくて臆病で何の取り得もないウマ娘でした。でもそんな私に辛抱強くトレーニングに付き合ってくれたトレーナー。そして何度負けても声援を送ってくださったファンの皆様。皆様は負け続けても声援を送ってくださいました。そのおかげで私は立ち上がることができGIを取る事が出来ました。

そしてオペラオーさん。貴女と何度も一緒に走っている時は辛く苦しいと思った時もありました。でも今は楽しかったとはっきりと言えます。一緒に走った時間は一生の宝物です。本当にありがとうございました。」

 

ドトウは深々と観客にお辞儀し、オペラオーにも深々とお辞儀をする。その姿は今までで一番凛々しく堂々としていた。ファンの中ではその姿と成長ぶりに涙を流す者も居た。

そしてマイクはドトウからオペラオーに渡された。

 

「ボクのファン達!今日は着てくれてご苦労だね!ボクの華麗なる伝説は今日で閉幕だ。皆の声援はボクの華麗なるレースを華やかなものにしてくれた。それは少しだけ感謝しているよ。ありがとう。

そしてドトウ。最初はどんくさい奴だとは思っていたけど、気づけばいつもボクの隣に居て、ついに一度だけ追い抜いた。それは賞賛に値するよ。ボクがウマ娘界で最高のナンバー1なのは当然として、キミは最高のナンバー2だ!」

 

 最高のナンバー2。

 それはオペラオーにとって最大の賛辞だった。オペラオーからライバルへの言葉に観客達は湧きあがる。そしてその言葉に感極まったのかドトウは手のひらで顔を抑えていた。

 

「さあ、湿っぽいのはここまでだ!これからはボク達の最高のライブをお送りしよう!ドトウ!」

「はい!」

 

オペラオーの言葉に反応するように持ち歌のBGMが流れ始め、二人はマイクを持ち壇上に上がる。しんみりとした空気は一気に熱を帯びる、この日のライブは二人が行ったどのウイニングライブよりも盛り上がっていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「お疲れオペラオーちゃん、ドトウちゃん。今日のライブはほんと~に良かったよ!」

「ありがとうございます」

「観客のノリもよかったし最高のライブだった。ボクの最後に相応しいものだったよ」

 

 ライブが終わり控室に帰った二人をデジタルが出迎える、差し入れのペットボトル飲料水を二人に手渡すと二人はタオルで汗を拭き椅子に腰掛けながらペットポトルのキャップを開け中身を飲む。

 

「これで観客の前でライブをするのも最後なのですね…最初は恥ずかしかったですけど、今はもうできなくなると思うとさみしいです」

「ああ」

 

 ドトウの言葉にオペラオーも相槌を打つ。

 これほどまでの観客を前にしてのライブ、それは日常では体験する事ができない興奮と快感をもたらす。そして非日常の体験をすることがないことを二人は改めて実感していた。

 

「そしてトレーニングもしなくていいのですね」

「そうか、もうあの厳しいトレーニングをしなくていいのか。でもドトウの場合だとすぐに肉がつきそうだから、節制しないとダメだぞ」

「オペラオーさんも節制せずポッチャリした姿を見せたらファンが悲しみますよ」

「フフフ、言うようになったな」

 

 仲むつまじい姿にデジタルも笑顔見せる。二人の顔はどこか穏やかで満ち足りている表情を見せていた。二人は今後の事を話題にしているとデジタルが二人の会話に割って入るように話しかけた。

 

「オペラオーちゃん、ドトウちゃん。ねえ知ってる?大阪杯がGIになったんだって。距離も2000だしさ…二人ともまだ衰えていないよ…だからね、三人でまた一緒に走ろうよ…」

 

 デジタルは涙で声を詰まらせながら喋る。言ってはならないと脳が命令するが、口が勝手に動いてしまっていた。

 

 二人が引退するという緊急速報の後に引退会見が開かれた。

それを見た後デジタルはすぐさま二人の元に向かい真意を問いただそうとした。何で相談してくれない、友達ではないのか?そんな気持ちでいっぱいだった。

そしてデジタルは二人の引退に全く納得していなかった。だがそれはプレストンに止められる。

 二人は考えに考え抜いて引退を決めたはずであり口を出すべきじゃない。それに友達だからこそ相談できないこともある。できることは二人の意志を尊重し笑顔で送ってやることだ。そのように諭されデジタルは想いを心の奥に押し込め、笑顔で送り出そうと努めた。だがその想いは奥に押し込めただけであり解消されたわけではなかった。

 

 デジタルの言葉にオペラオーとドトウは顔を見合わせる。そしてオペラオーが一つ息を吐き語り始めた。

 

「デジタル、確かに衰えたといってもそれはほんの僅かだと思う。今後のGIでも展開や運が良ければ勝てるかもしれない、でもそれじゃダメなんだ。ボクはファンやデジタルにラッキーで勝つような姿じゃなく、実力で勝ってきた全盛期の姿で皆の記憶に残りたい。だから引退を決めた」

 

 かっこ悪くないよ。言葉に出かかったがそれを口に出す事はできなかった。

 オペラオーはナルシストであり、そして誰よりもかっこいい王者であろうとし続けた。そのナルシズムが衰えてもなお玉座にしがみつくより、潔く去り後に続くものに玉座を明け渡すことを良しとした。

 

「ドトウちゃんは?ドトウちゃんもそうなの?」

 

 オペラオーの言葉に込められた意志から説得は無理だと感じ取ったデジタルはドトウに話題を振る。ドトウはデジタルの目をまっすぐ見て答えた。

 

「私は少し違います。GIに向けて厳しいトレーニングをして当日を迎えます。でもパドックにもゲートにもそしてレース中にもオペラオーさんの姿がいない、もうオペラオーさんと一緒に走る事は無い。そう考えたらフッとやる気がなくなってしまいました」

 

 デジタルはドトウの言葉を聞き、何も言う事ができなかった。

 ドトウの理由は他の人が聞けば甘いだの、軟弱だの言うかもしれない。だがドトウにとってオペラオーはそれほどまでに大きい存在だった。二人には外野には分からない絆が有り、それを絶たれたドトウにもう一度走れと言うことは口が裂けても言う事ができない。

 

「わかった。ごめんね、わがまま言って。今までお疲れ様。オペラオーちゃん、ドトウちゃん」

 

デジタルは改めて二人に労いの言葉を掛ける。その表情は憑き物が落ちたように晴れやかだった。

オペラオーは自らの美学から、ドトウはライバルへの想いから引退を決める。それはじつに二人らしい引退の理由であり納得がいくものだった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「どうしたものか」

 

 デジタルのトレーナーの独白がチームルームに反響する。

 オペラオーとドトウが引退した翌日、デジタルは気落ちする様子も無くトレーニングに励む。一見普段とは変わらない様子だった。だが人の目は騙してもデータは騙すことができない。

 タイムが落ちている。これはフェブラリーステークスまで日にちがあり仕上がっていないということを加味しても見過ごせないものだった。オペラオーとドトウが引退した事が無意識に影響しているのだろう。それにウラガブラックが怪我によるフェブラリーステークス回避も不味かった。

 主目的であるウラガブラックの回避により、デジタルのフェブラリーステークスへのモチベーションは一気に下がった。

 フェブラリーのウラガ、大阪杯のオペラオーとドトウ、組んでいたローテーションの中でデジタルは二つのレースの主目的を失った。残るは安田記念のエイシンプレストンだけだ。このまま気が抜けた状態でレースに出ることは危険であり、他のウマ娘の枠をつぶすことになる。このままの状態が続けばレースを回避すべきだ。

 そうなると安田まで三ヶ月以上間を空ける事になる。それまでモチベーションを失ったままトレーニングをさせれば効果は薄く何より怪我をする可能性が増す。ここはリセットを兼ねて実家に帰郷させるか。トレーナーの悩ましい声が再びチームルームに反響する。

 

――――どうしよう

 

エイシンプレストンも布団に包まりながらデジタルのトレーナーと同じように悩んでいた。

デジタルは元気が明らかに無い。自分を心配させまいとしているのか表面上は平静を装っているが、すぐに分かるものだった。

 楽しみにしている3つのイベントのうち、1つがいつ再開するか分からない延期状態、1つはもう二度と行われる事は無くなった。無理もない事である。

 デジタルは自分と走る事を楽しみにしていると言ってくれた。ならばオペラオーとドトウが出ない大阪杯にエントリーするか、だがそうなると中山記念、大阪杯、香港のGIと三回走る事になる。大目標が香港のGIであり、そこまでタフではない身体の自分としては万全を期すために消耗するGIの大阪杯は挟みたくない。

 しかしデジタルと走る予定の安田記念まで待つ事なれば腑抜けてしまうかもしれない。友人が腐っていくのは見たくはない。自分を優先するか、友人を優先するか。プレストンはその二つの間で悩んでいた。

 

――――どうしよう

 

 デジタルも布団に包まりながらトレーナーとプレストンと同じように悩んでいた。

何だか力がわかない。オペラオーとドトウの引退に納得し笑って送り出したつもりだが予想以上にダメージが有る様だ。まるで身体にぽっかり穴が開いた気分だ。それにウラガブラックも怪我でフェブラリーを回避しいつ復帰するか分からない。

 ならばフェブラリーのウラガブラック、大阪杯のオペラオーやドトウの代わりになる、ときめくウマ娘を探そうと思ったがそうはいなかった。以前なら妥協できたがオペラオーとドトウと一緒に走った至極の幸福を体験してしまったこの身体では妥協はできなかった。

 楽しみは2つ消えて残りはエイシンプレストンと走る安田記念だけだが、その長い間楽しみの無く宙ぶらりんで待つのは正直辛い。

 

 デジタルはふと携帯電話を手に取りネットを立ち上げて調べ始める。

 楽しみが無ければ探せばいい、香港カップの時の様に将来のステータス+ときめく相手の合わせ技でオペラオーとドトウがいる大阪杯並みの楽しみが見つかるかもしれない。デジタルは海外のレースを調べ始めていると3月に行われるドバイミーティングについて調べ始める。

 ドバイミーティングとは毎年3月下旬の土曜日にアラブ首長国連邦のドバイにあるメイダンレース場で開かれる国際招待競走の開催日、および同日に行われる重賞の総称である。一日に多くのGIレースが開催され、レースの規模、質ともにデジタル達が出走した香港国際競争より上とも言われている。

 ダートの1200から芝の3200と様々なレースがあるが、調べるレースを自分が走れそうなドバイターフは1800メートル、ダート2000メートルのドバイワールドカップに絞った。

 ドバイターフは1800メートルという距離ゆえに世界中の強豪中距離ウマ娘やマイルウマ娘が参戦するレースになっている。そしてドバイワールドカップは今ではアメリカのブリーダーズカップに並んでダートの最高峰と位置づけられているレースである。

 

「あっ!」

 

 デジタルは驚きのあまり大声を出してしまい慌てて口を押さえた。プレストンを起こしてしまったか?聞き耳を立てるが特に起きた様子は無く胸をなでおろす。

 ドバイワールドカップについて調べていると凱旋門賞に勝ったサキーというウマ娘が出るということで、サキーについて検索し画像を見た瞬間声を出してしまった。

 それは香港のトイレで出会ったあのウマ娘と同じだった。応援に来ていたと言っていたのでデビュー前のジュニアの選手だと思っていたがまさか凱旋門賞に勝ったウマ娘だったとは。しかも自分と同世代である、あまりに初々しかったので勘違いしてしまった。

 そしてレース内容は初々しい姿とは裏腹に凄まじかった。イギリスのヨークレース場で行われる芝約2100メートルのGIインターナショナルステークス、夏のヨーロッパレース界のビッグレース、各地の中距離の強豪が集まるレースでは二着に七バ身。そしてエルコンドルパサーが挑戦した芝世界最強を決める凱旋門賞では二着に歴代最大着差の六バ身。圧倒的な強さだ。

 

 スタートを上手くきり、道中はロスなく先行し、好位から素早く抜け出し、直線で鋭く伸び相手を突き放す。

 完璧なレース運びで相手に絶望感を与えの心を砕くその走りはデジタルに衝撃を与えた。初々しい外見と凄まじい走り、そして何よりデジタルが興味を示したのは彼女が醸し出す雰囲気だった。

 サキーの表情、声色、所作、それらはデジタルを惹きつけ見ているこちらの気分を明るくさせてくれる。生まれ持った天性の陽性、そしてトイレで会った時に感じた人懐っこさと安心感、まるで太陽のようだ。それがサキーに抱いた印象だった。

 興味が沸いてきた、他には情報がないのか。デジタルは引き続きサキーについて調べ続けた。

 

 

「おはよう」

「おはよう…ってどうしたのその顔?」

「うん…携帯で調べ物していたら止まらなくて」

 

プレストンはデジタルの顔を見て目を見開く。顔色が悪く目の下にクマができている、一晩中起きていたのだろう。

 

「それで何を夜中まで見ていたの?」

「いや~サキーちゃんのことを調べていたら、朝になってたよ」

「サキーって凱旋門賞に勝った?」

「そう、実はあしたシャティンのレース場のトイレで会ってたんだよ!友達になれそうだなと思っていたけどまさか凱旋門に勝ってたなんて!それで…」

 

デジタルはなおも矢継ぎ早に喋ろうとするがプレストンがそれを手で制した。

 

「話は教室で聞いてあげるから学校に行く準備しなさい」

「は~い」

 

 デジタルはパジャマから制服に着替え登校の準備を始める。徹夜しているせいか瞼は落ちかけ着替えている最中でもフラフラしている。体調は最悪そうだがそれでもデジタルから生命力や活力のようなものが漲っているのをプレストンは感じていた。

 それはオペラオーとドトウと走る前のデジタルの雰囲気と似ていた。何があったか知らないがもう大丈夫そうだ。プレストンは友人の復活を嬉しく思いながら登校の準備を進めた。

 

 

 

「白ちゃん、あたしがサキーちゃんとドバイワールドカップで走ったらどうなる?」

 

 授業の大半を熟睡して過ごしたデジタルはチームルームに向かいトレーナーを見つけるといの一番で尋ねた。唐突の質問に面を喰らいながらもトレーナーはシミレートを開始する。ドバイのダートの特徴、サキーとデジタルの持ち時計、様々な要素を考慮し答えを導き出す。

 

「まあ、最低五バ身差はつけられるだろうな」

「五バ身差?マジで?」

「大マジや」

 

 デジタルは半信半疑で聞き返しトレーナーは力強く頷いた。GIを三連勝しオペラオーとドトウに勝ち、トブーグにも勝った自分ならもう少し着差は小さく、もしかしたら勝てると言ってくれると密かに期待していたが。だが世界のトップクラスが集まる凱旋門賞で六バ身もつけて勝ったのだ。それぐらいの差はつけられるかもしれない、だがトレーナーの答えは少なからずショックだった。

 

「なんや?ドバイワールドカップに出たいんか?」

「うん!サキーちゃんと一緒に走りたい!」

 

 デジタルは訴えかけるようにトレーナーを見つめる。サキーは調べれば調べるほど魅力的なウマ娘だった。その存在はオペラオーやドトウと同等にデジタルを魅了していた。

 一方トレーナーはデジタルのドバイワールドカップへの出走を二つ返事で許可できなかった。香港カップに勝ったデジタルならドバイワールドカップへの招待状届くかもしれない。

 だがサキーはとんでもなく強い。もし自身の想定通り五バ身差という大差で負ければプライドが砕かれ今後の競走生活に影響が出るかもしれない。そんな懸念があった。

 

「ねえ白ちゃん。どうやったらサキーちゃんとの五バ身差を埋められる?五バ身も離されたらサキーちゃんを近くで見られないし感じることもできない。それじゃ出る意味がないの、サキーちゃんに近づくためならどんなことだってやるよ」

 

 デジタルの言葉と眼差しに決断的な意志が込められており、トレーナーの懸念は消し飛んだ。五バ身差と言われ落ち込むどころか、どうその差を埋めるかを考えすでに前を向いている。

 何を弱気になっているのだ。プライドが砕かれる?そんなもの砕かせなければいい。自分の知識と経験を総動員させその差を埋めればいいだけだ。

デジタルなら自分のどんな作戦に応えてくれる。デジタルならどんなハードトレーニングにも耐えられる。そして世界一にも届くはずだ。

 

「よし、今日からどキツイ練習メニューになるぞ。覚悟はできているな」

「勿論!サキーちゃんに近づくためなら例え火の中水の中!」

 

トレーナーの言葉にデジタルは力強く答える。こうして二人の世界一への旅は始まった。

 




競馬でもオペラオーとドトウは合同引退式をおこなったそうです。粋ですよね

あとオペラオーとドトウの引退報道が速報テロップで出ました。
ウマ娘レースは国民的スポーツということでサッカーのカズが日本代表に落ちたときもテロップで速報が出ましたので、オペラオーとドトウほどのウマ娘なら出るでしょうと判断しました


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勇者と皇帝と求道者#1

個人的にジャパンカップよりチャンピオンズカップのほうを注目しています


「あ~疲れた!」

 

 アグネスデジタルはトレセン学園に設置されたダートコースに大の字になって倒れこみ空を見上げる。

 日は完全に落ち空は真っ暗になっていた。満天の星空でも見えれば最高なのだが生憎この場所では星が見えない。故郷のケンタッキーなら空気が澄んでいるので満天の星空をいつも見られるのにと懐かしむ。

 そういえば小さい頃は目一杯駆け回り疲れ果てて草原に大の字になって寝そべっていたな。草原は草のクッションが利いていてその場で眠れそうなほどに心地よかった。その点ではダートも足元が悪いウマ娘が出るレースに選ばれるだけあってクッションが利いていて柔らかく寝心地では劣らない。だが髪の毛への影響は雲泥の差だ、このまま寝そべれば髪に砂が付着し痛んでしまう。髪は女性の命であり早く立たなければいけないことは分かっているが体は女の命より休息を優先してしまっていた。

 

 サキーと走りたいとトレーナーに伝えた翌日からデジタルのトレーニングの負荷は大幅に増えた。体感としては今までの1.5倍ぐらいキツイ、ここまでの負荷がかかるトレーニングはチームに所属してから初めてだった。今は追い込み時期でこのトレーニングはドバイワールドカップがある3月末までは行わないだろう。いやトレーナーは基本的にスパルタ指導だ、このまま3月末まで行う可能性は充分にある。デジタルは暗い未来に悲観して大きなため息をついた。

 

「こんなところで寝ていると風邪引くぞ。はよ起きろ」

 

 すると夜の空で支配されていたデジタルの視界にトレーナーの顔が割り込んでくる。トレーナーが寝そべっているデジタルに手をさし伸ばし、デジタルはその手をとり何とか体を起こし立ち上がると億劫そうに歩きコース外にある木にもたれかかった。

 

「白ちゃん疲れた~部屋まで運んで~この際オジサンのお姫様だっこでも文句言わないから」

「無理言うな。お前みたいな斤量背負って歩けるか」

「女の子を斤量扱いってひどくない。それに羽のように軽いあたしを持てないなんて白ちゃん貧弱~」

「普通の50過ぎのおっさんはお前ぐらいの体格の女を持って長距離は歩けんわ。それで今後のローテーションについて話す。座りながら聞いてくれ」

 

 トレーナーの表情が真剣みを増し、それにつられるようにデジタルも表情を引き締める。

 

「まず2月4週のダート1600のフェブラリーステークスに出走する。これは当初の予定通りや。そして3月5週のドバイワールドカップに出走。ドバイには1週間前ぐらいに現地に入って調整をおこなうつもりや」

「うん」

「そしてドバイワールドカップに出走するためにはUAEウマ娘協会から招待状が届かなければ出られない。そして現時点では招待状は来ていない」

「そうなの?」

「それで俺の見立てとしてはフェブラリーステークスで1着になれば出走確実。ウイニングライブ圏内なら五分五分と言ったところだ。そしてフェブラリーはメイチで仕上げん。仕上げたらドバイを100%で走れないからな。ドバイを100%としたらここは90から95といったところにするつもりだ」

「フェブラリーステークスに全力でいかなくていいの?ここで負けたら招待状来ないんでしょ?本末転倒じゃない?」

 

 デジタルの指摘はトレーナーにとって痛いところだった。

 未来を重んじすぎればフェブラリーで負けてドバイワールドカップに出走できなくなる。今を重んじすぎればフェブラリーにピークを持っていき勝利しても、その反動でドバイワールドカップではピークに持っていけず間違いなくサキーに負ける。

 

 今を取るか未来をとるか

 

 どちらを取っても現時点では間違っているとはいえずトレーナーは難しい選択を迫られていた。どれがデジタルにとって正しい選択なのか?数日感熟考を重ねた結果未来をとることにした。

 

「悩んだ結果そして俺はドバイを優先することにした。だがデジタルがドバイに出走することを優先したければ反対はしない。フェブラリーを取るためにメイチで仕上げる。お前の意見も聞きたい」

「う~ん」

 

 デジタルは腕を組み目を閉じて熟考する。サキーとは走りたいがただ走るだけではダメだ、より近くで感じなければ。だが一緒に走れなくのは困る。

 

「ところでフェブラリーで100%に仕上がったらドバイではどれぐらいになる?」

「まあよくて90%ぐらいだろう」

「それで95%でフェブラリーを走って勝算はどれぐらい?」

「詳しくは言えんが出走予定メンバーが全員出てくるならウインングライブ圏外になることも十分考えられる」

 

 

去年のフェブラリーステークス3着、ドバイワールドカップ2着、エリザベス女王杯1着のトゥザヴィクトリー。

 

去年のフェブラリーステークス1着のノボトゥルー。

 

去年のジャパンカップダート1着のウイングアロー

 

今年の東京大賞典1着の地方ウマ娘ヒガシノコウテイ

 

そして史上初の南関4冠を達成し東京大賞典3着のセイシンフブキ

 

今年のGI川崎記念1着のリージェントブラフ

 

フェブラリーステークスには去年のジャパンカップダートを圧倒的なパフォーマンスで勝ったウラガブラックは出走しないがそれでも出走メンバーのレベルは高い。

 

 

「だが、デジタルの底力なら1着を取れる。俺はそう信じている」

 

 トレーナーはデジタルを真っ直ぐ見据えデジタルも視線を逸らすことなく見つめ、その状態が数秒間続きデジタルが口を開く。

 

「……わかった。白ちゃんがそう言うなら信じるよ。白ちゃんのプランでいこう」

 

 デジタルにとってどっちが正しいのか分からない。ならば相手と自分をより詳しく知っているトレーナーの判断に委ねることにした。

 

「ありがとうデジタル。なら未来を勝ち取るために今から練習に行くぞ」

 

 その言葉を聞いた瞬間デジタルの表情は引き攣る。このハードな練習の後にまだ練習をおこなうのか?鬼かこの男は。デジタルは視線でこれ以上無理だと必死に訴えかけるが、だがトレーナーも視線でその訴えを却下した。

 

「20分後に迎えに来るからな」

 

トレーナーはデジタルに背を向けて歩き始める。デジタルはせめてもの抗議として鬼~悪魔~人でなし~と罵倒するがトレーナーは手をひらひらと振り意に介すことなくことはなかった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「着いたぞ」

 

 車が止まるとデジタルは助手席からゆっくりと車内から出る。そして目の前に見える意外な物に意表を突かれる。

 

「高校?」

 

 車が止まったのはとある高校の正門だった。トレーニングというからにはもっと漫画に出てくるような仰々しい修行場のように連れて行かれると思っていたがまさか人間の高校生が通う学校とは。

 しかし何故に高校だ?トレセン学園はウマ娘がトレーニングするうえで最適な環境であり、このような高校にトレセン学園以上の設備があるとは思えない。

 デジタルが思案しているなか、トレーナーは正門付近に設置されているインターホンを鳴らし誰かと会話する。すると数分後に警備員がやってきて正門の鍵を解錠しトレーナーは敷地内に入っていきデジタルも戸惑いながらもトレーナーに続いて敷地内に入っていく。

 

「ねえ白ちゃん?この学校に何があるの?」

「まあすぐに分かる」

 

 デジタルの質問にトレーナーははぐらかし進んでいく。デジタルはトレーナーに着いていきながら周りを見渡す。

 日中のようにはっきりと見えないが外灯が点いているのでうっすらと見える。

 左手には屋外プールがあり、プール開きが始まっていないせいで苔や藻がびっしり生えているのだろうか独特の臭いが鼻腔を刺激する。

 右手には校舎が見える、その外観などはトレセン学園にあるものと変わらない。高校は漫画の舞台でよく出てくるが実際は見た事が無いのでどんなものかと少し期待していたが驚くほど普通で感慨はわかなかった。

 二人は正門から直進して階段を上っていくにつれ人の声が聞こえてくる。そして階段を登りきるとそこにはグラウンドがあった。

 端から端までは目測で約200メートル、だとすれば二万平米ぐらいだろう。トレセン学園の広大な敷地に比べればネコの額程度と言えるかもしれないが、普通の高校に比べれば広大といえるスペースだった。

 そのグランドにはサッカー部が練習していたようで、練習が終わり部員達は後片付けをしていた。

 

「ここが目的や」

「グランドが?ここで何をするの?」

「それは走るに決まっているやろ」

「何で?トレセン学園で走ればいいのに、何で車まで使ってこんな場所に来るの?」

 

 デジタルはいぶかしみ質問を投げかける。見た目は普通の高校だが中には最新鋭の設備でもあるのだろうと予想していた。だが来てみれば何の変哲も無いグラウンドで練習すると言っている。意図がまるで読み取れない。

 そしてトレーナーはその反応を見越したように逆にデジタルに質問を投げかける。

 

「ドバイワールドカップはどのコースで走るか知っているか?」

「バカにしているの白ちゃん。ダートの2000メートルに決まっているでしょ」

「じゃあ日本のダートとドバイのダートの違いは?」

「え?違うの?」

 

 デジタルは意外そうに答える。ダートは万国共通ではないのか?トレーナーはその答えに大仰にため息をついた。

 

「サキーのことを調べるのはかまわんが、自分が走ろうとするコースぐらい知っとけや。いいか日本のダートは砂浜にあるような『砂』、世界的にはサンドと呼ばれとる。そしてドバイで走るダートは『土』、丁度このグランドのようなやつに似ている。触ってみろ」

 

 デジタルは言われたとおり屈んで手でグランドの土を掬う。確かに硬い。普段走るダートならすんなり砂を掬えるが、この土はある程度力を入れなければ手に取れない。

 

「日本のダートは芝と比べて足抜けが悪くパワーが必要となり時計が掛かる。だがドバイで走るダートは固くて足抜けはよく速い時計が出る」

 

 足で土を踏みつけながら感触を確かめる。確かに芝コースに芝がなくなったらこの校庭の土のような感じだろう。これだったら日本のダートよりスピードが出るはずだ。

 

「トレセン学園にはこの土のコースは無いからな、といより作る意味がない。レースでは全く使わないし足への負担は芝と大して変わらん」

「じゃあ何でこの学校にしたの?土の校庭がある学校ならそこらじゅうにあるでしょ?」

「それは単純にこの学校の校庭が広いからや。この校庭を斜めに走れば約400メートル、丁度ドバイの直線と同じだ」

「なるほど」

「ということで挨拶するぞ」

 

 するとトレーナーは指導者らしき人物の元に歩み寄りデジタルもそれについて行く。

 

「初めまして。この後グランドを使用させて頂く中央ウマ娘協会トレセン学園のトレーナーです。で隣がアグネスデジタルです」

「初めましてアグネスデジタルです」

「どうも初めまして、話は聞いております」

 

 トレーナーは指導者に名刺を渡し、デジタルも深々と頭を下げる。指導者もそれに応じる様に丁寧に頭を下げる。

 

「では照明の操作方法やトンボの置き場所を教えますのでついて来てもらえますか?」

「かしこまりました。デジタル、アップがてらグランドの端を軽く回っておけ、あとこれ履いてな」

 

 トレーナーは手荷物からシューズを取り出してデジタルに手渡すと指導者の後についていく。デジタルは自分のレース用シューズを持っているがとりあえず言われたとおりトレーナーに渡されたシューズに履き替える。そして二つのシューズのある違いに気づく。

 渡されたシューズ、正確にはシューズの裏に装着されている蹄鉄は自分のシューズと違い大きい歯のような出っ張りがある。

デジタルは初めてのシューズと場所に多少戸惑いながらもトレーナーに言われたように走り始めた。

 

 グラウンドにはサッカーゴールに野球に使うバックネット、それにバスケットゴールまで複数あった、それを物珍しそうに眺めながら走る。

 トレセン学園はウマ娘が速くなるための設備はあるが、このように様々なスポーツをおこなえるような設備はない、それだけに新鮮だった。それに毎日ウマ娘やそのトレーナーに囲まれているだけあって、近い世代の人間の男子高校生がこんなにも見るということも珍しかった。

 そして走っている途中に部員たちが片付けの手を休めデジタルを見ながらヒソヒソと話していた。それに対しデジタルは笑顔で手を振る。すると部員たちは思わぬ対応に慌てて目を背け片付けを始めた。

 

 デジタルがグラウンドの端を3周した頃には部員たちの片付けが終わり着替えに部室に入っていく、そしてトレーナーも話を聞き終えデジタルを呼び寄せた。

 

「よし、トレーニングを始めるか、どうや、土の感触とシューズの感触は」

「芝の感じに似ているような気がするし、ダートのような感じもあるし、何か変な感じ。それにこのシューズ走りにくい。何これ?」

「それはスパイク蹄鉄や。日本では使用が禁止されているがアメリカでは許可されていて、ドバイでも使用可能だ。出っ張りのおかげで引っ掛かりがよくなってこれを使えばタイムが伸びる」

「確かに引っ掛かりはいいね」

 

 デジタルは確かめるように土を踏みしめる。

 

「ここでのトレーニングの目的はこのスパイク蹄鉄と土に慣れることだ。これからはアップでも芝の走りかたの感覚のほうが走りやすいか、ダートの走り方の感覚のほうが走りやすいか、それとも両方の走り方を混ぜたほうが走りやすいか。意識しながら色々な走り方で走りやすいのを見つけろ」

「面倒な要求するね、まあ色々試してみるよ」

 

 デジタルはトレーナーの言葉に何気なく返事する。だがこの要求の難易度はかなり高いものである。

 芝を走るウマ娘でもトレーニングでもダートで走ることがある。たがあくまでもトレーニングでありレースに勝つための速さは求めない。例えダートに適した走り方をしていなくとも矯正することはない。逆にダートの走り方を覚えてしまうとフォームを崩し芝での走りに悪影響を与えてしまうこともある。

 しかしデジタルはその天性の才能で芝とダートで十全の力を発揮できる走り方を会得し、芝とダートのGIに勝利した数少ないウマ娘の一人である。そして中央の芝とダート、地方ダート、香港の芝と数多くのバ場を走ってきた経験がある。その天性の才能と経験の引き出しを駆使し土という第三のコースでの最適な走りを導き出せというのがトレーナーの要求である。

 この要求は他のウマ娘にはしない、デジタルになら出来るという確信があるから要求したのである。

 

「というわけや、とりあえず今日は初日だし疲れておるだろうから、グランドの斜めから斜めを5割程度の力の2本で勘弁してやる」

「はいはい」

 

 デジタルは嫌みったらしく言いながら、トレーニングを開始する。

 言われたとおり5割程度の力で走っている、だがいつもの5割程度と比べて明らかに遅く動きも躍動感が無い。この原因は疲労のピークであることより土とスパイク蹄鉄の違和感によるものだろう。その証拠に表情もしっくりこないというような顔をしている。

 しばらく違和感は拭いきれないだろう。だがデジタルなら次第に慣れて最適な走りを見つけるはずだ。だがこれでやっとサキーとの勝負の土俵に立てた程度だ。

 サキーはドバイと同じバ場のBCクラシックで初の土で僅差の2着に入着した。さらにいうならば凱旋門賞から中3週という厳しいローテーションでだ。ドバイワールドカップは相手の地元であり同じコースのステップレースを使い、さらに土の走りを身につけてくるだろう。厳しい戦いになる。

するとデジタルは2本の追い切りを終え少し息を乱しながら帰ってくる。

 

「タイムはまあ…こんなもんだろう。よしトンボして帰るぞ」

「トンボ?なにそれ?」

「ああ、この言い方じゃ分からんか、グランドを整地するってことだ」

「それあたしがするの?」

「当たり前やろ。見てみい。お前が走ったところは土が掘り返されてボッコボコや」

 

 芝のコースでも普通の蹄鉄を装着したウマ娘が走れば芝は捲れ上がる。さらにスパイク蹄鉄をつけたとならば地面はさらに抉られる。デジタルが走ったルートのグランドの土は抉られ所々で穴が出来ている。

 

「やだ~めんどくさい。白ちゃんやってよ。あたしはその間ストレッチやっておくからさ。そのほうが時間を有効活用できるでしょ」

 

 トレーナーはブーたれるなと言おうとしたが言葉を呑み込む。確かにデジタルの言う事には一理ある。ウマ娘に最高の環境を与えるのがトレーナーの仕事だ、雑務を押し付けるぐらいならストレッチでもして体をケアすることのほうがよほど有意義だ。

 

「よし、じゃあ俺がやっとくわ」

「本当に?」

「ああ、そのかわりしっかりやっておけよ」

 

 トレーナーは整地をするために道具を取りにいく、そして自らの提案に後悔することになる。

 デジタルが掘り起こした土を集めトンボと呼ばれる用具を使いならしていくことを繰り返すのだが、50メートル、100メートルなら何とかなりそうだが、400メートル分をならすのは予想を遥かに超える重労働だった。それにトンボは鉄製で50代の体で扱うには重かった。

 トレセン学園の造園課はいつもこんな苦労をしながら芝やウッドチップのコースなどを整理してくれたのか。今度お礼と感謝の品でも持っていくべきかもしれないな。トレーナーは造園課に感謝の念を抱きながら整地作業を黙々とおこなった。

 

「いや~ご苦労白ちゃん。日頃運動不足そうだし良い運動になったんじゃない」

 

 整地が終わりグラウンドの照明を落として帰ってくると出迎えたのはグランドのフェンスを背に踏ん反り返りながら座りニヤニヤと笑うデジタルの姿だった。疲労している体にそのどこぞの社長のような偉そうな態度はトレーナーの神経を少しばかり逆なでさせる。

 

「おう、ええ運動になったわ。デジタルもトレーニング量増やしてもっとええ運動するか」

「え?今の量からさらに増やすの?それは勘弁してよ」

「冗談や冗談」

 

 デジタルはトレーナーの提案に表情が慄く、一方トレーナーはその怯えた表情を見て溜飲が下がったのか表情をほころばせる。

 

「なあデジタル?ドバイワールドカップや凱旋門賞に出るべきウマ娘は誰だと思う?」

「急にどうしたの?う~ん?別に出たいウマ娘ちゃんがいれば誰が出ていいんじゃない」

「そうか、それもそうだな」

 

トレーナーは思わぬ答えに一瞬驚いた後笑みをこぼす。デジタルらしい答えだ。

 

「だが俺の考えは少し違う。ドバイや凱旋門は芝やダートでそれぞれの日本の王者が出るべきだと思う」

 

 ドバイのダートが砂ではなく土であるように海外で求められる適性は違う。日本の芝やダートで強いウマ娘より適性が有るウマ娘のほうが勝てる可能性があるかもしれない。

 だがこれらのレースは世界一を決めるレースで有り、日本のチャンピオンである者が行くべきとトレーナーは考えていた。

 

 ダートでの王者とは何か?

 

 ダートのGIレースはシニアクラスで1600メートルが3レース。2000メートルが2レース。2100メートルが2レース。1200メートルが1レース。このうち半分勝てば文句なし、レベルが高いと言われているジャパンカップダートとフェブラリーステークスに勝利すれば王者と名乗る資格はあると言える。

 

 ドバイのダートと日本のダートは質が違う。だがダートで一括りされているからにはダート王者として出走しなければならない。

 そしてデジタルはダートでは南部杯しか勝っていない。王者として認められるためには最低でもフェブラリーステークスは勝ってほしかった

 

「だからフェブラリーステークスには勝ってもらいたい。全力に仕上げないで勝てなんて勝手なことを言っているのはわかっている。だが勝ってダートチャンピオンとして世界一の戦いに挑んでもらいたい」

「まあ、白ちゃんの拘りはわからないけど、どっちみち勝たなきゃならないんだから勝ってダートのチャンピオンになってあげるよ」

 

 デジタルは手を差し出すとトレーナーはその手を取って起き上がらせた。

トレーナーの持論には完全には賛同できなかった。だが自分の拘りというものは分かる。推しウマ娘の推しポイントを言ってもチームメイトやプレストン等の友人に言っても理解してくれないこともある。だがそれは自分にとっては重要なことでありそれと同じなのだろう。

 

 トレーナーとデジタルは帰り支度を始める。すると今から帰ろうという様子の運動部員の集団から抜け出した男子生徒がデジタルに近づきソワソワしながらデジタルに話しかけてきた。

 

「あの……ウマ娘のアグネスデジタル選手ですか?」

 

 トウィンクルシリーズを走り複数のGIを勝ったウマ娘であれば世間での知名度は相当なものだ、こうして声をかけられるのは不思議ではない。しかしこのタイミングで声をかけてしまうとは運が悪い。

 デジタルはウマ娘が大好きであるが、自分の人間のファンなどにはさほど興味がなく俗に言う塩対応なきらいがある。以前ファンと出会った時の対応の悪さを注意したことがあり多少マシになったが、それでも塩対応に分類される方だ。

 さらに練習終わりで疲労が溜まって機嫌が悪く、声を掛けられて億劫なはずだ。とりあえずは最低限の対応はするだろうが男子生徒もあまり良い印象を抱かないだろう。自分のしごきで疲れて機嫌が悪かったとフォローしておくか。

 トレーナーはそのあとの対応を考えているとデジタルの反応は予想を反するものだった。

 

「はい、あたしを知っているんだ、嬉しいな」

 

 デジタルは一瞬面倒くさいという表情を見せるが、すぐに笑顔を作り声も半オクターブ高い声で返答する。その仕草にときめいたのか男子生徒は顔を紅潮させている。

 

「香港カップ見ていました!優勝おめでとうございます!凄い粘りでした!」

「ありがとう」

「もしよろしければサインを頂けませんか?」

「いいよ」

 

 男子生徒はショルダーバッグからノートを取り出そうとするが、緊張と動揺とノートが見つからない焦りからか荷物をぶっ散らかしながらノートを探している。デジタルはその様子にイラつくことなく笑顔を崩さず待っている。

 やっとこさノートを見つけた男子生徒はデジタルに手渡し空きページにサインを書く、さらにデジタルは写真を一緒に撮らないかとまで提案してきた。

 このファンサービスの良さは何だ?一体何が起こったのだ?

 トレーナーはその変貌にキョトンとしているとデジタルからスマホを手渡されて言われるがままに写真を撮り男子生徒に渡す。男子生徒は撮られた写真を見ると目を輝かせデジタルに礼を述べると喜々した様子で集団の元に帰っていく。

 

「おい、どうしたデジタル?何だあのファンサービスの良さは、悪いもんでも喰ったんか?」

 

 トレーナーはデジタルに詰め寄る。ファンに対しての対応は素晴らしいものだった。だが自分が知るデジタルとはあまりにも違いまるで別人のようだ。

 

「悪いもの食べたって、ちょっとした心境の変化ってやつだよ。オペラオーちゃんとドトウちゃんに言われてさ」

 

デジタルはトレーナーの言葉を一笑しながら二人との会話を思い出す。オペラオーとドトウの引退式の時に言われたことを話し始めた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「デジタル。キミは天皇賞秋でボクとドトウに勝ち、香港カップでも勝利した。もはやウマ娘界のメインキャストと言っていいだろう。そうなれば望む望まないに関わらず責任が生じる。ウマ娘界の顔としての責任がね」

「どういうことオペラオーちゃん?」

 

 オペラオーとドトウの東京レース場での引退ライブが終わり、デジタルとオペラオーとドトウの三人でトレセン学園に帰っている最中にオペラオーが仰々しく語り始めた。

 

「以前三人で出かけてファンに囲まれたことがあっただろう。覚えているかい?」

「ああ、あの時だね。オペラオーちゃんとドトウちゃんがファンサービスして映画の上映時間ギリギリで駆け込んだんだよね」

「あの時のデジタルの対応はあまり良くなかった」

 

 デジタルはその当時のことを思い出す。数人のファンがオペラオーとドトウにサインや握手などを求めてきて、その中にもデジタルのファンがいた。だがオペラオーとドトウとの至福の時間を邪魔された怒りからかファンへの対応お世辞にも良いと呼べるものではなかった。

 

「プライベートの時間に声をかけられて不愉快な気持ちはわかる。だがキミの対応にファンはどう思う?きっと嫌な気分なはずさ。そうなるとレースに出るウマ娘自体が嫌いになってしまうかもしれない」

 

 デジタルはオペラオーの言葉に相槌を打つ、確かにそうだ。第一印象で植えつけられたものを覆すのは難しくファンとウマ娘は複数回会話することは滅多にない。そこで嫌な印象を抱いてしまったらそのウマ娘に好感を持てないだろう。

 

「そしてその感情が周りの人に伝播してしまうかもしれない。それはウマ娘界にとって損失だ。だが逆に良い印象を与えればファンになってくれ、そのファンはさらにボク達ウマ娘を応援してくれるかもしれない。それはウマ娘界にはプラスになる。知名度が上がり今後はファンたちと交流する機会も多くなるだろう。だからこそ振る舞いには気をつけなければならないのさ」

 

 デジタルはウマ娘としての意識の高さに思わず感嘆の声を上げる。ここまで業界のことを考えていたのか。

 

「その点ボクは完璧さ。ボクのファン、ついでにウマ娘のファンには最高級の対応をおこなっている」

 

オペラオーは髪をかきあげ自慢げに語る。その対応は意識の高さはもちろんだが、興味のないファンにも丁寧な対応をおこない自分に興味を持ってもらいたいという打算的考えもあった。

 

「そしてドトウも結構頑張ってファンサービスしていたよ」

「え?ドトウちゃんが?」

 

 デジタルは思わず聞き返した。あの引っ込み思案のドトウが積極的にファンサービスするとは思えなかった。

 

「はい、私もオペラオーさんに同じことを言われました。でも初対面のファンの方と会話するのは恥ずかしいし、どうせ笑い話にされていると思っていました。でも少しずつ愛想良く振舞う努力をするとファンの方が嬉しそうな顔をしてくれるんです。その顔を見ると心が暖かくなりました」

 

 ドトウはその場面を思い出し優しげな笑顔を見せる。ファンの中にはただ顔を見たことがあるからという程度で声をかけてくるものもいる。だが自分のファンで自分と同じように臆病で引っ込み思案の人が必死に勇気を振り絞って声をかけてくれることもある。そんな人に一声かけると嬉しそうな顔をしてくれる。それはドトウにも嬉しいことであり勇気を持って一声かけたことが報われた瞬間であった。

 

「デジタルさんはその何というか……好き嫌いが人よりはっきりしているというか……ウマ娘に比べてファンの方には興味が少しだけ薄いと思います。でもファンの方の嬉しそうな姿を見るのも気分がいいものですよ」

 

 ドトウは言葉を選びながら諭す。デジタルのウマ娘への興味と愛情は凄まじくそれはある意味美徳だ。それと同時に人やファンへの興味の薄さは悪徳でもある。

 デジタルのトレーナーやチームに属する人間には興味を持ち心を開いているが他の人物には驚く程関心がなく、それはいずれ災いをもたらすかもしれない。

 ファンとの交流を通してその気質を改善してもらいたいという思いもあった。

 

「そうか。オペラオーちゃんやドトウちゃんがそう言うなら、あたしも少しは頑張ってみるね」

 

 それからデジタルはできるだけファンサービスを行うようになった。

先ほどの男子生徒へのファンサービスはもちろん、グランドの端を走っていた時男子生徒達に見られながらヒソヒソ話をされた時もいつもなら不快感を顕にしていたが、それに堪え笑みを浮かべながら手を振ったのもファンサービスの一環だった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「そんなことがあったんか」

「オペラオーちゃんやドトウちゃんが頑張ってやったことをあたしがぶち壊すわけにはいかないもんね。自分でできる範囲でやってみるよ」

「そうか、よし、今日は初日だし甘いもんでもおごってやる。しかもハーゲンダッツや」

「本当に?やったー」

 

 デジタルは思わぬ提案に喜びを露にしてトレーナーはその様子を見つめる。

 

 トウィンクルレースに出るウマ娘というのはある意味特殊な立場に居る。まだまだ未熟な年頃の女性が世間の注目を浴びチヤホヤされる。その注目がストレスになり自分勝手な振る舞いをすれば世間からバッシングを浴びてしまう。ウマ娘でも別のスポーツでもそんな対応で潰された有望な若人は多い。

 それでもオペラオーやドトウのように若いながらも個を犠牲にして業界全体のことを考えて行動できる者もいる。そしてデジタルも二人によって業界の主役としての振る舞いを自覚するようになった。それは好ましい変化だった。

 

 そして月日が過ぎデジタルのドバイの土とスパイク蹄鉄になれるトレーニングとフェブラリーステークスに向けてのトレーニングは順調に進んでいった。

そしてフェブラリーステークス前々日。二人は前々日会見の会場に向かった。

 




この話からフェブラリーステークス編になります
フェブラリーステークスで印象に残っているのは09年のレースですね
競馬観戦でのベストレースと聞かれたらこのレースと言っています。

復活したカネヒキリ、
カネヒキリの復活により暫定王者扱いされ復権を狙うヴァーミリアン
強いはずなのにヴァーミリアンとカネヒキリの歴代屈指のダート馬によってGI勝利から遠ざかるサクセスブロッケン
アメリカ遠征という路線を歩んできたカジノドライブ
当時の上がり馬であるエスポワールシチー
根岸ステークス覇者のフェラーリピサ

様々なダート路線から集結し、人気どころが全部上位にきての決着
直線の叩き合いは痺れました。

そしてあの時はダイワスカーレットが参戦するかもと話題になっていましたが怪我で回避したんですよね。もし参戦していたらどうなっていたか今でも思いを馳せます


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勇者と皇帝と求道者#2

この話ではアグネスデジタルはもちろん実装ウマ娘はいっさい出てきません。



「準備はできたか?」

「はい」

 

 トレーナーの言葉にウマ娘が答える。長い黒髪は三つ編みにメガネ、一昔前のステレオタイプの文学少女のような容姿である。彼女の名前はヒガシノコウテイ、岩手ウマ娘協会に所属する俗に言う地方ウマ娘である。

 ヒガシノコウテイは振り返り自身が住む寮を見つめる。朝の5時を回っているがこの季節は日が短くまだ夜のように暗く、外灯の薄暗い光が学生寮を照らしていた。鉄階段の塗装は完全に剥がれており、外壁も薄汚れてヒビが入っている。今まではトレーニング設備の充実のために資金を回しているらしく学生寮の修繕は後回しになっていた。

 だが自分が次のフェブラリーステークスに勝てばグッズが売れて岩手に人が集まる。そうなれば修繕費をすぐに賄えるはずだ。ヒガシノコウテイは決意を新たにし寮を後にして駐車場に向かう。車で駅まで向かい新幹線で東京に向かうことになっている。

 ヒガシノコウテイは辺りを見渡す。夜にかけて雪が降ったせいか一帯は銀世界になっている。これは今日のトレーニングは中止でみんなで雪かきをすることになるだろう。しかしフェブラリーステークスの前々日会見のために東京に向かわなければならず雪かきに参加できない。そのことを心の中で謝罪しながら新雪に踏みしめながら歩いていく。

 2人は駐車場に着くと思わぬ光景が待ち受ける。

 

「ヒガシ先輩頑張ってください!」

「岩手の力を見せてやれよ!」

 

 駐車場には多くの人が待ち受け二人に激励の言葉を投げかける。岩手トレセンのウマ娘達はもちろんトレセン近くの近隣住民までが出迎えていた。

 

「みんなどうして?」

「それは地元の星が中央に殴り込むんだ。出迎えないわけにはいかないだろう」

 

 ヒガシノコウテイの言葉に行きつけのケーキ屋の店長が威勢よく答える。だが言葉とは裏腹に寒さで体を震わせ歯がカチカチと鳴っている。さらに周りを見てみると店長と同じように手に白くなった息を吐きかけながら寒さを凌いでいた。

 岩手の2月の朝の気温は氷点下を下回る。寒くないわけはない。それなのにわざわざ激励に来てくれたのか。皆の気持ちにヒガシノコウテイは思わず涙ぐむ。

 

「おねえちゃん!おねえちゃん!」

「なに?」

 

 声がした足元に視線を向けると幼女のウマ娘がいた。膝をつけて視線を合わせ笑顔で答えた。

 

「これあげる!幼稚園で作ったの!」

 

 幼女は満面の笑みで手渡す。それは円形の木材に金色の折り紙を貼り付けた物だった。これは金メダルだろうか?本来金メダルは1位になってから貰うものであり、レースが終わっていないのに貰うのはまだ早い、だがそれを言うのは野暮である。少女に礼を述べると金メダルを懐に大切にしまった。

 

「テイちゃん」

 

 一人のウマ娘が声で呼びかける。そのウマ娘は栗毛のロングヘアーで肌は雪のように白く、鈴の音のような声色とおっとりとした笑みは周囲の人を癒す不思議な雰囲気を醸し出していた。

 彼女の名前はメイセイオペラ。かつては岩手ウマ娘協会に所属しており、唯一地方ウマ娘でありながら中央のGIを制した。そしてヒガシノコウテイとは幼馴染であった。

 

「オペラお姉ちゃんも来てくれたの!?」

 

 ヒガシノコウテイはメイセイオペラの元に駆け寄り手を握り嬉しそうに笑顔を見せる。その表情はヒガシノコウテイをいつも以上に幼く見せ二人が話し合う姿は本当の姉妹のようだった。

 

「あまり気負わず腕試しの気持ちで気軽にね。あと怪我にも気をつけてね。テイちゃんは真面目で頑張り屋さんだから地方のために岩手のためにって無理しそうだから」

「うん」

「あとこれあげるね。いらないかもしれないけどお守りとして」

 

 メイセイオペラは懐からあるものを取り出しヒガシノコウテイの手を包むようにして渡す。それは赤色と黄色のリストバンドだった。赤色の物には「明」黄色のものには「正」と文字が刻まれていた。これはメイセイオペラが現役時代につけていたものであり両親の手作りである。

父親の名前と母親の名前の漢字を一つとって繋げれば明正となりメイセイと呼べる。一種の語呂合わせのようなものである。

 母親はレースでつらいこともあるが明るくいて欲しいという意味を込めて「明」

 父親はレースで真っ直ぐに走り心も真っ直ぐでいて欲しいという意味を込めて「正」

 二つの意味と愛情を込めて両親はメイセイオペラに手渡した。そしてメイセイオペラはそれをお守りとしすべてのレースにこれを装着していた。

 そのメイセイオペラに対する深い愛情は幼じみで家族ぐるみの付き合いをしていたヒガシノコウテイも分かっていた。

 

「いいの?だっておじちゃんとおばちゃんがオペラお姉ちゃんに渡してくれた大切なものでしょ?」

「私はいいの。お父さんとお母さんが自分たちの込めた念はレースの時しか発揮しないって言っていたから。だからレースで走るテイちゃんにあげる」

「ありがとう…」

 

 メイセイオペラは二つのリストバンドをヒガシノコウテイの手を包み込むように渡す。そのリストバンドには喜びや悲しみなどメイセイオペラが体験したすべての感情、そして今まで背負ってきた皆の想いがレースで詰まっているように重かった。

 

「では皆様行ってきます!必ずフェフラリーステークスの優勝レイを岩手に持って帰ります!」

 

 ヒガシノコウテイは少し声を大きく出して挨拶をする。すると皆は囃したて照れくさそうにはにかんだ。

 

「みんなが出迎えるなんてメイセイオペラがフェブラリーに出たとき以来か?」

「はい、あの時の私は出迎える側でした。今は選手として送られる側なんて少し感慨深いです」

 

 ヒガシノコウテイは助手席に座り皆が見えなくなるまで後ろを振り向きながら、感傷に浸るようにつぶやく。そういえばあの時も雪が降っていたな。

 車は10分ほど走ると駅に到着しトレーナーとヒガシノコウテイは東京行きの新幹線に乗り込んだ。新幹線が発車して数分後ヒガシノコウテイは大きなアクビをかく。早起きと緊張のせいであまり眠れなかった。

 

「すみません。少し寝ていいですか」

「ああ、いいぞ」

 

 トレーナーの許可を得てから瞼を閉じる。すると睡魔によって瞬く間に眠りの世界に落ちていく。そして夢の世界で過去のことを思い出していた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 ヒガシノコウテイは岩手で生まれたウマ娘である。そして同世代のウマ娘と比べて体が弱く幼少期の健康診断で将来はレースに出ることは無理だと医者から通告されていた。その通告は少なからずショックであった。その姿を見かねた医者が地方には中央で走れないと宣告された者が集まっており、ヒガシノコウテイのように体が弱いものでも走れるかもしれないと教えた。

 各地にある地方が運営している地方ウマ娘、そこは中央ウマ娘協会が運営しているトレセン学園に入学できなかった者が門を叩く。医者の言葉から地方に興味を持ち始める。

幸運なことに岩手ウマ娘協会のウマ娘達が走る盛岡レース場は家のすぐ近くにあった。近所の年上の幼じみである姉のような存在のメイセイオペラと一緒にレースが開催されるたびに盛岡レース場に足を運んでいた。

 

 地方に所属するウマ娘はアグネスデジタルなどが所属している中央ウマ娘協会が運営するトレセン学園に入学できなかった者、中央のレースで結果ができなかった者などである。それゆえに都落ちなどマイナスなイメージがついてしまう。

 だが岩手レース場で走るウマ娘たちは自分の境遇に悲観することなく走る歓びを噛み締めるように懸命に、そして楽しそうに走っていた。その姿はヒガシノコウテイの心を強くうたれ、そして同じように心打たれたファンが熱心で暖かい声援を贈る。ウマ娘とファンたちが作り上げるどこか暖かな雰囲気はあっという間に虜になり、同じようにメイセイオペラも虜になっていた。

 大人では中央より地元の地方に熱中することはあるが、ヒガシノコウテイのように幼い子供が中央ではなく地方に熱中することは珍しいことだった。この年頃の子供は大人より郷土愛が弱く、地方よりレベルも人気も高い中央のほうに興味を示すことは自然なことだった。そんな地方に興味を持つヒガシノコウテイはマイノリティであり学校でも浮いた存在だった。だがそれでもかまわない。同じように岩手のウマ娘たちを愛するメイセイオペラというたった一人の理解者がいるだけで充分だった。

 

 レースを見始めてから数年の月日が経った頃、岩手ウマ娘界の伝説となったスターウマ娘が彗星のごとく現れた。

 

トウケイニセイ

 

 デビューから連戦連勝し、瞬く間に岩手ウマ娘界のトップに君臨する。その存在と強さは二人を夢中にさせていた。二人の同級生たちのアイドルが中央のダービーウマ娘であるならば、二人のアイドルはトウケイニセイだった。ある日イベントとしてトウケイニセイのサイン会と握手会が二人の住む近所で行なわれることになる。

 

「どうしよう、すごく緊張してきた」

「私もだよテイちゃん」

 

 二人は緊張を紛らわすようにお互いの手を握りながら列に並ぶ。

 会場は近くのスーパーのイベントスペースで行われ、トウケイニセイが来るであろうスペースはパーテションで簡易的にスペースを作った質素なものであり企画の予算の無さが伺える。買い物客も何のイベントだろうと視線を向けるがトウケイニセイのサイン会だと知ると興味なさそうに次々と去っていく。それが岩手ウマ娘レースの現状の知名度だった。

 

 定刻になるとサイン会が行われ列が徐々に前に進んでいき、それに比例するようにヒガシノコウテイの心拍数も上がっていく。そしてヒガシノコウテイの番がやってくる。係員に促されてブースに入り憧れのトウケイニセイとついに対面した。

 

 いつも応援しています。

 

 そう言おうとするが緊張のあまり頭が真っ白になり言葉が吹き飛んでしまう。それでも何とか思いを伝えようとアタフタしているとトウケイニセイはその様子を笑うことなく優しげな声で話しかける。

 

「確かメイセイオペラちゃんと一緒にいつもレース場に来てくれている子だよね?」

「え、あ、はい。えっと何でオペラお姉ちゃんのこと知っているの?」

「さっき軽く話したからね、いつも応援に来てくれてありがとう」

「はははい!」

 

 ヒガシノコウテイは外に並んでいる人たちに聞こえるほどの大声で返事をする。あのトウケイニセイが自分の事を知っている。それだけで天に昇るほど嬉しかった。

 

「小さい子供が何度もレース場に来てくれるのは珍しくてさ、みんな中央で興味を持って会場に来てはくれるんだけど、いざ見るとなるとレース場の施設やライブがしょぼいって来なくなるんだよね」

「そんなことない!盛岡レース場で走る皆はかっこいいです!」

 

 トウケイニセイが自虐気味に語るがそれを即座に否定する。その速さと勢いに目を見開きそして嬉しそうに笑った。

 

「ありがとう。じゃあ将来は中央じゃなくて盛岡で走ってくれる?」

「はい!あ……でも……あたし体が弱くてお医者さんからレースには走れないかもって言われて……」

 

 最初の勢いよく返事するが、次第に勢いと声量は小さくなり最後は消え入りそうな小さな声で目には涙を溜めて今にも泣きそうだった。するとトウケイニセイは人差し指でヒガシノコウテイの目元をそっと拭き白い歯をみせ励ますように肩に手を置いた。

 

「大丈夫!私も体が弱くて小さい頃医者にレースに走れないって言われたけど、こうしてレースを走れている。だからヒガシノコウテイちゃんも大きくなったら体が丈夫になって走れるようになるよ」

 

 トウケイニセイもヒガシノコウテイのように体が弱く、それゆえに中央のトレセン学園の入学試験は不合格となり中央で走る道は絶たれていた。

 

「本当に!?」

「本当本当」

 

 その言葉を聞きヒガシノコウテイは飛び跳ね先ほどまでの暗い表情が嘘のように明るくなる。知らなかった。完全無欠だと思っていたトウケイニセイが幼少期は同じように体が弱く医者にもレースには走れないと言われていたとは。それならば自分もトウケイニセイのようになれるかもしれない。それは暗闇のなかで見つけた一筋の光のようだった。

 

「あたしガンバル!好き嫌いしないで一杯食べて一杯練習してトウケイニセイさんみたいになる!」

「おお、未来のエースの登場だ。これで岩手は安泰だ」

「そして速くなって岩手レース場で走って、オペラお姉ちゃんと桐花賞で一緒に走るの!オペラお姉ちゃんはすっごく速いんだよ」

 

 桐花賞とは年末岩手レース場で行われるレースであり、中央の有マ記念と同じようにファン投票の数で出走ウマ娘を選出する岩手で一番のビッグレースである。そしてそのレースを走ることは夢でもあった。だが医者に体が弱いと診断されこの夢は実現できないと思っていた。だがトウケイニセイの話を聞き実現可能であると思い始めていた。

 

「よし、それじゃあ私も混ぜてよ。三人で桐花賞走ろう」

「うん」

 

 ヒガシノコウテイは小指をトウケイニセイに差し出し、それを同じように小指に絡ませて指きりの約束を交わした。

 

 すると係員がトウケイニセイに無言の圧力を与える。気づけば一人に与えられている時間をオーバーしていた。もう少し話していたいが他のファンを待たせるわけにはいかないと急いで色紙にサインを書き手渡した。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「頼んだぞトウケイニセイ!」

「中央を止めてくれ!」

 

 10月の盛岡レース場、天気は曇りで空は鈍色に染め上がる。ゲート入りを前に集中力を高めるトウケイニセイに声援が飛ぶ、その声色は声援というより祈りの声だった。

 

地方交流元年

 

 中央ウマ娘協会のウマ娘は今まで地方のレースには出られなかったが、制度改革により中央のウマ娘でも出られる地方のレースが設立され、それと同時にあるウマ娘が頭角を現した。

 

ライブリラブリイ

 

 南は佐賀から北は門別まで地方のダートレースに出走し次々とその地域の地方の強豪ウマ娘を撃破していく。その戦歴は全国を平定していく豊臣秀吉を髣髴させ『将軍』の異名をとっていた。そしてここ盛岡で行われる重賞レース南部杯に勝てば九州、四国、中国、関西、中部、関東、北信越、東北、北海道の地方ウマ娘とレース場で勝利することになる。それは地方の完全敗北を意味ことだった。

 だが岩手には地方にはまだトウケイニセイがいる。42戦42勝。すべてのレースに勝利という圧倒的な成績の岩手の怪物。その強さは他の地域の地方ウマ娘ファンにも知れ渡っていた。

 中央の将軍と岩手の怪物のレース。果たしてどちらが勝つのか?その結果を見届けるために、何より岩手の怪物を後押ししようと岩手ウマ娘ファンはもちろん他の地方のウマ娘ファンもレース場に足を運び、その日の入場者数は過去の最大記録を更新していた。そしてメイセイオペラとヒガシノコウテイも盛岡レース場に訪れていた。

 

「大丈夫、大丈夫だよテイちゃん」

 

 メイセイオペラは観客席に座りヒガシノコウテイの手を握り締めながらトウケイニセイの様子を見つめる。その声は微かに震え手もいつもより冷たい。メイセイオペラはレース場を包み込む重苦しい空気に呑み込まれていた。何より憧れであるトウケイニセイが負けるかもしれないという不安と恐怖に押し潰されそうだった。

 

「心配しないでオペラお姉ちゃん。トウケイニセイさんは勝つよ」

 

 一方ヒガシノコウテイは何の憂いもないと言わんばかりにメイセイオペラに笑顔を向ける。メイセイオペラを不安がらせるライブリラブリイは敵であり、トウケイニセイはそんな敵をやっつける正義の味方だ。

ならば負けるはずが無い。

 正義の味方が敵をやっつけて皆が喜ぶハッピーエンドを迎える。それはヒガシノコウテイにとって太陽が東から昇り西に沈むことのように当たり前のことだった。

 

 

 

『ライブリラブリイ先頭!ライブリラブリイ1着!中央の将軍が全国平定!トウケイニセイは2着!トウケイニセイ敗れる!』

 

 ライブリラブリイが一着で入線した瞬間に観客がおこした行動はライブリラブリイへのブーイングの声を浴びせることでもなく、トウケイニセイが負けた事に対する嘆きの声をあげることでもなく沈黙だった。正確に言えばあまりのショックで言葉を発する事ができずにいた。それはヒガシノコウテイも同じだった。

 

 負けた?あのトウケイニセイが負けた?これは何かの間違いだ、きっと夢に違いない。ヒガシノコウテイは同意してもらおうとメイセイオペラに視線を向ける。するとメイセイオペラは泣くでもなく嘆くでもなく周りの人と同じように虚空を見つめ唯呆然としていた。

 そのショック状態はライブリラブリイのウイニングライブまで続き、観客達は会場を後にする事もなく唯ウイニングライブを呆然と見つめ続ける。その異様な光景は後日ライブリラブリイにこの世の地獄と言わしめるほどだった。

 ライブが終わり会場から出るようにアナウンスされた後金縛りが解けたように次々と席を立ち会場を後にする。そして観客達は幽鬼のようにフラフラとした足取りで歩いていく。

 人はあまりのショックの出来事が起きると状況を整理する為に交通機関を使わず歩いて帰路に着くという話がある。そしてその説を立証するかごとくファン達は駅に向かわず大通りをフラフラと歩いてく。それはホラー映画のゾンビの行進のようだった。

 そしてメイセイオペラとヒガシノコウテイもお互いの手を握りながら同じようにフラフラと歩いていく。手を握っていないと魂がこの世から離れてしまう、そのような錯覚に陥っていた。

 

「くそ!あともう一年早ければトウケイニセイが負けるわけはなかったんだ!」

 

 ある一人の中年のファンが電柱を力いっぱい蹴りつけ喚き散らす。多くのファンはその様子に関心を示さず幽鬼のように歩き続ける。だがヒガシノコウテイは手を離しその中年のファンに歩み寄る。

 

「どういうことオジさん?」

「トウケイニセイは足元の爆弾に年齢による衰えでとっくにピークを過ぎていた!本来ならとっくに引退していてもおかしくなかった!けど、中央に対抗できるのは自分しかいないって体に鞭打ってレースに出て……」

 

 トウケイニセイはサイン会で幼少期は体が弱かったと言った。それは過去形ではなく現在進行形のものだった。

 体の弱さ、足元の弱さは克服できていなかった。その足元の弱さゆえに練習もろくにできず怪我と折り合いながら走り続けていたのだった。

 そして衰え。ライブリラブリイの走りは凄くピーク時のトウケイニセイでも勝てるとは断言できないものだったが今日のトウケイニセイは明らかに峠を過ぎていた。ヒガシノコウテイはむせび泣く中年のファンを見ながら呆然と立ち尽くす。そして突如走り出した。

 

「テイちゃん?」

 

 放心状態だったメイセイオペラがふと我に帰る。すると手にあったヒガシノコウテイの感触がなくなっていた。いつの間に居なくなったのだろうトイレにでも行ったのかな。そう考え逸れないようにその場に留まっていた。だが5分、10分経ってもヒガシノウテイは現れない。そして顔から血の気が引いていくとともに事の重大さに気づいた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 時刻は18時をまわっており日は完全に落ちていた。辺りは薄暗く普段なら河川敷を照らしてくれる月の光は雨雲で覆われ雨粒が河川敷に降り注ぐ。

 そんななかメイセイオペラは栗毛をなびかせながら河川敷を走っていた。レインコートも着けていない体と顔面に雨粒が容赦なく打ち付けられる。普段であれば雨粒などうっとおしいと感じるぐらいだが今は違う。ウマ娘は最高時速であれば70キロを出せるが今はその半分程度の30キロで走っている。その際に雨粒が当たればそれは相当な衝撃であり走ろうとする意思を挫くには充分な痛みである。それでも走り続けた。

 

 ヒガシノコウテイがいなくなった。それに気づいたメイセイオペラはすぐに自分の親とヒガシノコウテイの両親に連絡する。その際は混乱で支離滅裂に泣きそうな声で必死に状況を伝えた。

 ヒガシノコウテイの両親から引率を任されたのに何をやっているんだ!自分があれだけショックを受けているのだから幼いヒガシノコウテイはもっとショックを受けているはずだ。だからこそしっかりしていなければならないのに、トウケイニセイが負けたショックで放心状態になってしまっていた。メイセイオペラの胸中は後悔恐怖不甲斐なさなど様々なネガティブな感情が渦巻きいつの間に涙が流れていた。だがすぐに涙を拭き行動を起こす。交番にいる警察に状況を伝え自らも探し始める。

 学校、商店街、図書館など居そうな場所は片っ端から探したがそれでもヒガシノコウテイはいなかった。そして探しておらず心当たりがある場所は一つしかなかった。

 

 メイセイオペラは息を切らしながら河川敷下の土手を見下ろす。川と川を繋ぐ橋の下、スプレーで壁に落書きされているスペースにはダンベルや雑誌などが散乱していた。

 メイセイオペラは将来に岩手ウマ娘協会でレースを走るためにこの場所でトレーニングをしていた。走り込みをおこない、ウェイトトレーニングをおこない、ヒガシノコウテイがそれをサポートする。そして二人でトウケイニセイのウイニングライブの真似も何十回もおこなった。ここはメイセイオペラとヒガシノコウテイの二人だけの秘密のトレセンだった。

 するとそのスペースに一人の少女が倒れていた。その姿は見間違えるはずもない、ヒガシノコウテイだ。

 

「テイちゃん!」

 

 メイセイオペラは血相を変えながら土手の斜面を下りて駆け寄り体を抱き抱える。呼吸は異常に荒く歯を食いしばりながら足首に手を当てている。患部に触ると熱を帯びていた。ヒガシノコウテイは体が弱く、過度な運動をしてしまうと喘息のように呼吸が荒くなり足首が痛くなると言っていた。まさに同じ症状だった。

 

「オペラお姉ちゃん……」

「テイちゃん!ダメじゃないそんなに運動したら!お医者さんにも言われたでしょ」

 

 メイセイオペラは安堵な気持ちとは裏腹に強い語意で叱責してしまう。ヒガシノコウテイにとって過度な運動は命に関わることだった。それを知っているがゆえの叱責だった。

 

「オペラお姉ちゃん……どうしてあたしの体はこんなに弱いの?どうしてこんなに足が遅いの?……体が強かったら、足が速かったらトウケイニセイさんの代わりにライブリラブリィなんてやっつけてやるのに」

 

 ヒガシノコウテイは大声を上げて泣き始める。それは体の苦しみや足の痛みによるものではなく悔しさからだった。中年の男性からトウケイニセイの話を聞いた瞬間すぐさま自分たちの練習場がある土手に向かって駆け出していた。

 トウケイニセイさんを!オペラおねえちゃんを!レース場で応援していた皆を悲しませたライブリラブリィが許せない!あたしがやっつけてやる!

 そのためには強くならなければならない、速くなければならない。悔しさと怒りに身を任せて自らの症状を忘れ強く速くなるためにひたすらに走る。結果症状が発症し倒れ込んでいたのだった。

 

「でもトウケイニセイさんでも勝てなかった……。そしてこれからも中央のウマ娘が岩手に来るんでしょ……あたし達は勝てないの?岩手の…地方の皆はまたいじめられるの?中央に意地悪されて地方に来て、それでも楽しく走っていたのにまたいじめられるの?悔しいよオペラお姉ちゃん……」

 

 メイセイオペラは悔しさと自らの無力さに震えるヒガシノコウテイを力いっぱい抱きしめた。

 

「テイちゃんは必ず病気が治って、強くて速いウマ娘になれる。だから焦らないでゆっくり治していこう。テイちゃんが病気を治して一緒に走るまで私が岩手を……地方を守るから、中央のいじめっ子をやっつけてあげるから。そして地方のウマ娘は中央に負けないってことを証明してあげるから」

 

 ヒガシノコウテイの耳元で優しくそして力強く宣言する。腕の中にいる同じく岩手のウマ娘を愛する幼き少女の姿を見て決意を固めた。

 地方交流が始まり今後も中央のウマ娘が岩手のレースに参加してくるだろう。あのトウケイニセイですら勝てなかったのだ、今後は厳しい戦いを強いられ負け続けるかもしれない。そうなればファンたちも岩手のウマ娘達の弱さに愛想が尽いた。岩手のウマ娘達が負ける姿を見たくないと客足は離れるだろう。そうなれば自分とヒガシノコウテイが愛した岩手は暗く閉ざされる。

 そうならないためには光が必要だ。トウケイニセイのように、いやそれ以上の光が必要だ。ならばなってみせる。メイセイオペラの性格は大人しく主役になるようなタイプではなかった。だがヒガシノコウテイを見て覚悟を決めた。これ以上幼じみを悲しませるわけにはいかない。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「がんばれ!がんばれオペラお姉ちゃん!」

 

 東京レース場のゴール板付近でヒガシノコウテイは力の限りの声でメイセイオペラに声援を送る。喉が枯れてしばらく声が出なくてもいい。力いっぱい声を出してやる。その大声に呼応するように周囲の人間もそれに負けじと大声でメイセイオペラに声援を送る。

 

 トウケイニセイが負けて引退してから数年後、メイセイオペラの予見通り中央のウマ娘が盛岡でおこなわれるレースに参戦し圧倒的な力で蹂躙していく。それでも悔しさを胸に押し込め雌伏の時を過ごし、岩手ウマ娘協会に所属すると少しずつ着実に力をつけていった。そしてトウケイニセイが務めていた岩手のエースの座にはメイセイオペラがつき、エースとして中央のウマ娘を迎え撃ち、ほかの地方のレースに参戦していく。

 アブクマポーロ、コンサートガールなどの地方の強豪とも数々の激闘を繰り広げ、盛岡でおこなわれた重賞マーキュリーカップでは中央のウマ娘を返り討ちにする。その実力は現役のダートウマ娘で最強とも呼び声高かった。中央を返り討ちにし盛岡を守るその姿は岩手ウマ娘ファンが待ち望んでいた英雄の姿だった。そして岩手の英雄はついに中央に打って出る。

 

フェブラリーステークス

 

 二月の東京レース場でおこなわれるダート1600メートルでおこなわれるGIレース。そのレースにメイセイオペラは参戦することを表明した。その一報に岩手ウマ娘ファンは一気に活気づいていた。

 地方所属のウマ娘で中央のGIレースに勝ったものは誰ひとりもいない。地方ウマ娘にとって出るだけでも困難なのが中央のGIレースだ。そのレースに出るどころか勝つ可能性が充分にある。

 地方ウマ娘が中央の舞台で勝つという歴史的快挙を一目見ようとファンたちは一同に東京レース場に訪れる。その一団の中にヒガシノコウテイもいた。そして東京レース場に岩手の一団を迎えたのは会場に訪れた観客たちの好奇の目線だった。

 勝てないのにわざわざご苦労だな。地方でいいレースをしているかもしれないが中央は違うぞ、せいぜい思い出でも作ってくれと観客たちが視線でそう語っている気がした。

 それに対してヒガシノコウテイは胸を張る。オペラお姉ちゃんは強い、必ず勝ってくれるはずだ。だがトウケイニセイがライブリラブリィに負けた時の光景がフラッシュバックする。絶対が絶対でなくなった瞬間。だが頭を振りその映像を打ち消す。オペラお姉ちゃんはあの時宣言通り中央から岩手を守ってくれた。そして地方の強さを証明してくれる。ならば信じるのみだ。ヒガシノコウテイは悠然とゴール板付近に向かう。

 

『完全に抜け出した!完全に抜け出したのはメイセイオペラ。やりました!ついに!ついにやりました!東北の英雄が中央の壁をこじ開けました』

 

 レースはメイセイオペラの2バ身差の勝利、まさに横綱相撲と呼べるほどの内容だった。ゴール板を駆け抜けた瞬間ヒガシノコウテイは絶叫する。そして岩手の応援団も絶叫する。その絶叫は地方ウマ娘の実力にどよめく東京レース場によく響いていた。

 そして地下バ道に戻る前に岩手の応援団を見つけたメイセイオペラは深々と頭を下げる。夕日を背に茜色に染まったその姿は神々しかった。ヒガシノコウテイはメイセイオペラの姿を脳内に強く焼きつける。この光景を忘れることは一生無いだろう。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「着いたぞ」

 

 トレーナーの声に呼び起こされてヒガシノコウテイは目を覚ます。倦怠感を感じながらもゆっくりと新幹線を降りる。やはり岩手と比べると暖かいというのが降りた際に感じた印象だった。

 

「相変わらず凄い人ですね。初めて来たとき人の多さに戸惑ったことを思い出します」

 

 ヒガシノコウテイは忙しなく歩く多くの通勤者を目で追いながら懐かしむように呟く。メイセイオペラの応援のために初めて東京駅に降りたときは人の多さに酔い迷子になりかけたことを思い出していた。

 

「それでどこに行くのですか?」

「東京レース場の近くに有るホテルだから府中に向かう。府中はここから中央線で新宿に行ってそこから京王線に乗るみたいだ。中央線は…あっちだな」

 

トレーナーはスマートフォンを見ながら中央線のホームに向かいヒガシノコウテイもそれについて行く。そしてホームについた二人はしばらく待つと電車がやってくるとその電車の外装に驚く。

 

「わあ、すごい」

 

 二人が乗るのはラッピング電車だった。フェブラリーステークスのラッピング電車で1両ごとに出走するウマ娘の写真やらプロフィールが書かれていた。自分のものはあるだろうかと発車時間ギリギリまで探したが見つけられず慌ただしく乗車した。

 

「中央はこんな宣伝しているのですね」

「ああ、岩手じゃ逆立ちしてもできないな。これが中央の資金力か、おっ、このテレビでもフェブラリーステークスのCMをやっているぞ」

 

 トレーナーは車内に取り付けられているテレビに視線を移す。一方ヒガシノコウテイは流れゆく車窓の景色を眺めながらフェブラリーステークスについて思いを馳せる。

 

 フェブラリーステークスを勝利した後のメイセイオペラはGI南部杯や帝王賞に勝つなど地方の大将格としてふさわしい活躍をみせる。

 メイセイオペラが活躍するなか、ヒガシノコウテイも辛抱強く治療に励んだことで体質も徐々に強くなりレースを走れるほどに強くなっていた。そしてヒガシノコウテイはウマ娘レースに出られる年齢になると中央のトレセン学園に受験することなく、岩手ウマ娘協会の門を叩いた。

 これでメイセイオペラと一緒に走れる、その日を夢見ながらトレーニングに励む。だがそれは叶うことがなかった。

 メイセイオペラは怪我により入れ替わるようにして現役を退き、その跡を継ぐようにヒガシノコウテイは力をつけ岩手ウマ娘の頂点となった。

 そして岩手の頂点として迎え撃つGI南部杯。中央からはGIフェブラリーステークス覇者ノボトゥルー、ジャパンカップダート覇者ウイングアロー、ダートの強豪ゴールドティアラ、そしてアグネスデジタルも参戦していた。

 相手は強い、だがこの南部杯はメイセイオペラが決死の思いで防衛してきた岩手ウマ娘の誇りだ。自分の代でそうやすやすと渡すわけにはいかない、この日のために万全の準備を行い全身全霊で迎え撃つ。結果はアグネスデジタルの二着だった。

 盛岡レース場から思わずため息が漏れる。岩手の至宝の流失、それは岩手ウマ娘ファンにとって少なからずショッキングな出来事だった。

 メイセイオペラが守ってきたものを手放してしまった。悔しさと自身の不甲斐なさに幼少期以来泣いていなかったヒガシノコウテイは思わず涙した。そして追い打ちを掛けるがごとく衝撃の事実を知る。

アグネスデジタルは本気じゃなかった。南部杯をステップレースとして目標はGIレースJBC(ジャパン・ブリーダーズ・カップ)であった。

 行きがけの駄賃で岩手の至宝は奪われたのか!ヒガシノコウテイは激怒した。この借りはJBCで必ず返すと心に誓う。

 だがアグネスデジタルはJBCから急遽天皇賞秋に参戦を決め、次走は香港カップと芝路線を歩みダート路線に戻ってくることはなかった。このままリベンジの機会は訪れず終わってしまうのか、そう思った矢先にアグネスデジタルがフェブラリーステークス出走の一報を受ける。

 それを知りすぐさまフェブラリーステークスに出走登録をおこなった。リベンジの舞台はメイセイオペラが勝ったフェブラリーステークということに何か運命じみたものを感じていた。

 

「オペラお姉ちゃんごめんね。無茶するから」

 

 ヒガシノコウテイは呟く。

 

 現状では厳しいレースになることは必至であり勝つためには無茶をするしかない。その無茶の代償に競争寿命を縮める、いやここで終わるかも知れない。だがそれでもかまわない。そうしなければアグネスデジタルには勝てない、それほどまでの相手だ。

 ヒガシノコウテイはおもむろにポケットに手を入れてメイセイオペラからもらったリストバンドを強く握った。

 




まさかのすべてオリキャラ!
一話でちょいキャラで出したヒガシノコウテイがこんな形で出てくるとは一話を書いている時は全く思っていませんでした。

一応解説をしておきます。ヒガシノコウテイのモデルはトーホウエンペラーです。


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勇者と皇帝と求道者#3

またまたデジタルはもちろん、実装ウマ娘は一切出てきません


「行ってくる」

 

 ウマ娘の少女は玄関先で呟いた。だが家には誰もおらず暗闇の空間に声だけが虚しく響いた。ウマ娘はボストンバッグを片手に背負い家を出発する。そのウマ娘はおでこが完全に露出するほどの黒髪のベリーショート、身長も170センチ台後半とウマ娘としては比較的に大きく筋肉質な身体が印象的である。そして三白眼でありその目つきの鋭さは反骨的な気質を想像させる。

 

 彼女の名前はセイシンフブキ、アグネスデジタル達が所属している中央ウマ娘協会とは異なり地方公共団体が運営する組織、船橋ウマ娘協会に所属しているウマ娘である。セイシンフブキは中央クラシック三冠にあたるレースの南関三冠に勝利し、さらに中央のウマ娘たちも参加するジャパンダートダービーにも勝利し史上初の南関4冠を達成した。船橋、いや地方ウマ娘界の期待のホープである。

 

 そして東京レース場でおこなわれるダート1600でおこなわれるGIレース、フェブラリーステークスの前々日記者会見に出席するために東京レース場近くに有る会場に向かおうとしていた。

 

 セイシンフブキは扉の鍵を閉め外に出るとひんやりとした風が体を刺激し薄汚れた黄色の落ち葉が脚に当たる。今日はいつもより風が強い。その証拠に地面に落ちている枯葉が渦を巻いて常に動いている。セイシンフブキは寒さに耐えるためかマフラーを首元にしっかりと巻き、手をコートのポケットに突っ込みながら歩き始める。するとトレーニングを終えたウマ娘たちが前方から歩いてくる。両者は視線を合わすことなく何事なかったようにすれ違った。

 

 セイシンフブキは船橋にいるウマ娘全員と親しいというわけではなく、今すれ違ったウマ娘も顔を見たことある程度で声を掛け合う関係ではなく無言ですれ違うのはおかしくはない、だが彼女たちが纏う雰囲気にはセイシンフブキに対する嫌悪のようなものが感じられた。そして彼女たちが抱く感情は船橋にいる大半のウマ娘たちは抱いている。セイシンフブキはある発言により船橋にいるウマ娘から嫌われていた。

 

 自分は思っていたことを素直に口にしただけだ、それで嫌うなら嫌うがいい。その感情に気にも留めることなくひび割れたアスファルトを歩いていき寮の敷地内出口から駅に向かう。すると出口の門付近に二人のウマ娘が待ち構えていた。

 一人はピンク色のコートに緑のマフラーに髪はベージューカラーのロングウェーブ、そのウマ娘は気怠そうに門に寄りかかっている。

 もう一人は赤色のコートに茶髪のショートヘアーで白の星型のヘアピンをつけており、もう一人とは対照的に背筋を伸ばし腕を組み待っている。その二人はセイシンフブキがよく知る人物だった。

 

「お疲れ様ですコンサートガールさん」

「頑張ってこい、南関の意地と力を中央に見せてやれ」

「ありがとうございます。南関ではないですけど、ダートウマ娘の力は見せつけてやりますよ」

 

コンサートガール

 

 大井所属の地方ウマ娘であり、地方で最も権威のあるGIの一つである帝王賞に勝利したことがある。中央のバトルラインと船橋のアブクマポーロとの激戦は地方ウマ娘ファンに語り継がれており、その勇姿はセイシンフブキに強く刻み込まれていた。

 

 赤色のコートのウマ娘コンサートガールの言葉にセイシンフブキは笑みを見せる。それは今までの醸し出していた剣呑な空気とは違い好意的な態度を見せる。

 

「で、何のようですか?」

「そんなツンケンしないでくれたまえフブキ、後輩が中央GIに出走するのだ、先輩が激励するのは不自然ではなかろう」

 

 コンサートガールの時のような友好的な態度とは一転し、舌打ちし睨みつけて敵意を全開にする。それに対してピンク色のコートのウマ娘は自分の髪を弄りながら全く意に介することなく話しかける

 

アブクマポーロ

 

 かつてセイシンフブキと同じ船橋ウマ娘協会に所属しており、地方のダートGIに複数回勝利し中央のウマ娘たちを蹴散らし、同時期のコンサートガールとメイセイオペラと名勝負を繰り広げ地方を盛り上げた船橋のレジェエンド的存在である。

そしてダートとは何かという疑問をレースで走りながら考え続けるその姿から『南関の哲学者』と呼ばれていた

 

「いりませんよ。アンタが地に落としたダートの価値をアタシが勝って上げてきますよ」

「おまえまだそんなことを。あれは…」

 

 セイシンフブキの悪態にコンサートガールは反論しようとするが、アブクマポーロが手で制す。

 

「期待しているよ」

 

 アブクマポーロの言葉にセイシンフブキは地面に唾を吐きかけ返答する。そして一瞥をくれることなく二人に背を向けて歩みを進める。その背中を寂しそうに見送った。

 

(クソッ!朝から嫌なことを思い出せやがって!)

 

 セイシンフブキは舌を打ちしながら住宅街を通り駅に向かう。すると足元にあった小石を衝動的に蹴りつける。ウマ娘の脚力で小石を全力で蹴ればそれは立派な凶器になる、小石は勢いよく前方に飛びゴミ捨て場にあったガラス瓶に当たりガシャーンという音とともに粉々に砕けた。その様子を見ていた犬を連れた男性が思わずセイシンフブキを見つめ、それに対して八つ当たりのように男性を睨みつけた。その怒気に慄いた男性は即座に視線を逸らし犬はク~ンと情けない声で鳴いた。その様子を一瞥すると舌打ちしながら歩き始めた。

 

セイシンフブキはダートが好きだった。

 

 砂塵を巻き上げながら走るウマ娘たち、雨が降るなか泥まみれで走るその姿、足に沈み込む重厚な感触、蹴り上げられた砂の痛さ、レースが終わり口に入った砂に気づいた時の気持ち悪さ、それらはすべて戦いの象徴であり、血潮を沸き立たせ興奮させるものだった。

 ダート競走こそ真の戦いであり、それに比べ芝のレースなどただスピードが出るだけの軟弱者のゴボウがするレースに過ぎなかった。その持論を力説するが周りは誰ひとり賛同しなかった

 セイシンフブキがレースを見ていた時はダートのGIレースもなくレースも少なく、ダートレースに対する注目度が極端に低かった。さらにダートレースは地方で多く行われ、地方は中央ウマ娘協会に入れなかったウマ娘達が走る二軍という印象がウマ娘ファンたちに有った。それゆえにダートは芝で通用しなかった落伍者が走る二軍レース扱いされていた。

 

 それゆえにセイシンフブキは変わり者のレッテルを貼られた。何故皆分からない!?理解してくれない!?その事実は幼いセイシンフブキを傷つけ涙で枕を濡らさせた。

 セイシンフブキは世論に憤りその怒りを紛らわすように地方のダートレース場を見に行き次第に中央の芝のレースを見なくなった。地方のダートレースを見続けるなかある夢を抱くようになる。

 ダートレースは芝の二軍じゃない、ダートを芝と同等、いやそれ以上の価値に押し上げる。

 

 そして月日が経ちトレセン学園に入学できる年になったセイシンフブキは中央や地方のウマ娘関係者がみるトライアウトを受けそこで好成績を叩き出す。それを見た中央ウマ娘協会の複数のトレーナーからトレセン学園で自分のチーム入らなかいかと誘われるほどだった。だが即答で拒否する。

 セイシンフブキは未だに根付く中央の芝至上主義を嫌悪していた。それにダートレースが少ない、それだったらダートレースが多い地方に入る。

 こうして中央ではなく地方の船橋ウマ娘協会に所属することとなり、デビューに向けてトレーニングを積んでいるなかある制度改革が行われる。

 

地方指定交流重賞。

 

 以前は地方ウマ娘が中央に出られるレースは極端に少なく、また中央ウマ娘も地方のレースに出られなかった。

 だが地方のレースにも中央の枠を設け中央のウマ娘も出られるように制度が改正され、それにより多くの中央ウマ娘が地方のダートレースに参戦する。それによりライブリラブリィ、ナントベガなどの強豪が中央の強さを見せつけ地方を蹂躙していった。そんななか一人のウマ娘が頭角を現し始める。

 

アブクマポーロ

 

 船橋のレースを走りながら実力をつけたアブクマポーロは地方交流重賞にも参戦し連勝街道を驀進する。勝ったレースには帝王賞や東京大賞典などのGIレースも含まれており、圧倒的な強さで中央のウマ娘を倒していく姿は地方ファンを大いに魅了し熱狂させる、その連勝の始まりであるGIレース川崎記念を見て雷に打たれたような衝撃が駆け巡った。

 

なんて強さだ!

 

 今まで多くのダートレースと名ウマ娘を見てきたが、そのなかでも別格の強さだ!

この人についてければ自分の夢を叶えるほどの強さを手に入れられる!

 

 その日からセイシンフブキはアブクマポーロに舎弟のように付きまとった。アブクマポーロも最初は邪険に扱っていたがそれでも付きまとう情熱に観念したのか一緒に行動するようになっていく。

 セイシンフブキにとってアブクマポーロは師匠であり友人であり同志でもあった。いつも小難しいことを考えており、はっきり言えば変わり者だ。難しいことを考えることが苦手な自分とは正反対の性格であり、普通に過ごしていたら関わることもなかっただろう、だがある一点でアブクマポーロとセイシンフブキは繋がっていた。

 それはダートが好きであるということ。考え方は違うにせよダートに対する愛と想いは自分と同等またはそれ以上だった。この人と一緒ならダートを芝以上の価値に上げられるかもしれない。幼き頃に抱いた夢は現実味を帯び始めていた。そして翌年の川崎記念を勝ち連勝記録を伸ばしたその日の夜のことは今でも覚えている。

 アブクマポーロの部屋の中は埃っぽく、書きなぐったメモ用紙が一面に貼り付けられ書類は塔のようにそびえ立っていた。そんな部屋でセイシンフブキは牛乳を、アブクマポーロはコーヒーのブラックを飲みながら語り合った。

 

「フブキ、ダートとは何だと思う?」

「ダートとは戦い!真の強者が戦う最高のレースです!」

 

 アブクマポーロの問いにセイシンフブキは即答する。このような問いを思い出したようにおこなっており、その度にセイシンフブキはいつも同じ答えを出していた。その答えを聞きアブクマポーロは一笑する。

 

「あいかわらず実にフブキらしい答えだ」

「これしかないですよ。それでアブクマ姐さんはなんだと思います?」

「それはまだ分からない」

「分からない?こんなに考えているのに?」

「ああ、まるで分からない。もしかしたら一生分からないかもしれない」

「それじゃあ考えるのを止めたらどうですか?疲れちゃいますよ」

「だからこそ考えるのだよ」

「わかんね~」

 

 セイシンフブキは思わず部屋の床に倒れこみ床に散らばっているメモ用紙を手に取り読み、すぐにメモ用紙を床に放り投げた。これ以上読んだら難しすぎて頭がパンクしそうだ。辛うじて日本語に書いてあることが分かるが内容はさっぱり分からない。こんな難しいことを考えているのにダートが何か分からないほど深いのか。自分の愛しているモノの底の深さが無性に嬉しかった。

 

「ところでフブキ、実はドバイワールドカップに招待されてね。受けようと思う」

「マジですか!ドバイってあの!」

「そう、ダート世界一を決めるレースだよ」

「じゃあアブクマ姐さんが世界一じゃないっすか!」

「フフフ勝てばね、ドバイのダートは日本のダートとは性質が違う。私が求める答えは得られないかもしれないが、世界一になれば別の視点で物事が見えてくれるだろう」

 

 アブクマポーロは淡々と話すとは対照的にセイシンフブキは興奮を隠しきれないといったぐあいにソワソワと体を動かす。

 アブクマ姐さんがついに世界一だ!セイシンフブキにとってアブクマポーロの強さは絶対であり世界一になるのは決定事項だった。

 

「そして世界一になればこの称号を奪いに芝で走っているウマ娘達も挑みに来るかもしれない。そうなったらダートを理解する手がかりになるかもしれない」

「そうなったらダートを芝の二軍なんて言うバカを黙らせられますよ!」

「その可能性は充分にある」

 

 セイシンフブキはさらに体をソワソワさせる。もしそうなればそれは思い描くシナリオのなかで最高のものだ。

 

「アブクマ姐さん!アタシはまだ弱いです。でも必ず強くなります。だから勝ち続けてください!そして強くなったアタシと連勝記録を伸ばすアブクマ姐さんと走りましょう。そしたらダートの価値は必ず上がります!」

「そうだね。強くなったフブキと走れればダートの本質に一歩近づけるかも知れない。その日を楽しみにしているよ」

 

 セイシンフブキの言葉にアブクマポーロは真剣に頷く。セイシンフブキの抱く夢は中央の三冠レースに勝つより難しいかもしれない。だがそれを実現できると一点も曇りもなく信じている。その情熱は刺激を与えダートの本質にたどり着くために重要な要素だった。何より自分と同じようにダートを愛するウマ娘がいるのは心の底から嬉しかった。

 

 二人は無言のまま示し合わしたようにお互いのカップを当てる。それは二人が一緒に走ることを約束した証だった。だがそれは叶うことはなかった。その翌日セイシンフブキは今後の人生において絶対に覆らない一番のショックな報せを受ける。

 

――――――アブクマポーロ芝に参戦!日経賞から天皇賞春へ

 

「姐さん!どういうことっすか!」

 

 セイシンフブキは文字通り扉を蹴破ってアブクマポーロの部屋に入っていく。その鼻息は荒く目も興奮で血走っていた。

 

「姐さんドバイワールドカップを走るんじゃないんすっか!?芝を走るだなんて嘘ですよね!」

「本当だ…私は日経賞から天皇賞春を目指す…」

 

 アブクマポーロは昨日の生命力に満ち溢れた表情とは別人のように弱々しく返事をする。その態度に激高しセイシンフブキは胸ぐらをつかみ体を揺らしながら喉も張り裂けんばかりの声で叫び拳を振り上げた。

 

「ダートで世界一になってダートの本質を理解するんじゃないんですか!そんなに芝が羨ましいか!?答えろアブクマ!」

 

 セイシンフブキの拳は驚く程あっさりアブクマポーロの頬に突き刺さる。憧れの人を全力で殴った。それに対して罪悪感や後悔は一切沸かなかった。湧き上がるのは怒りのみだった。

 その騒ぎを聞きかけつけた人々によりセイシンフブキは取り押さえられ暴行により謹慎処分を受けることとなる。そして謹慎中にアブクマポーロは日経賞で大敗したことを聞き、その数日後トレーニング中に怪我をしてその怪我により引退をしたのを知った。

 

 アブクマポーロの芝での大敗はダート界にとってマイナスイメージを植え付けることとなる。

 

――――アブクマポーロ、所詮低レベルのダートで粋がっていただけだろう、だから日経賞で大敗したんだよ。やっぱりダートは芝の二軍だよ。

 

 一部のファンからこのような意見があがってくる。これは極論であり断じてダートのウマ娘が芝のウマ娘に劣っているわけではない。だが日本ウマ娘界全体に蔓延る芝至上主義がこの意見を肯定する雰囲気を作り出した。

 

 同じようにダートを愛しながら、芝を走り惨敗しダートの地位を貶めたアブクマポーロの存在はセイシンフブキにとって許しがたい存在だった。奴も所詮芝至上主義に染まった軟弱者だ。

 その憎しみからアブクマポーロを声高に徹底的に批判する。アブクマポーロを慕っていた分だけ反動は大きくその批判は苛烈だった。そして船橋の英雄に対する侮辱的な発言は周囲の反感を買ってしまう。それがセイシンフブキの嫌われる原因だった。

 

 志を同じくした同志の突然の裏切り、それはセイシンフブキを深く傷つけた。幼き自分だったら悔しさと悲しみの涙で枕を濡らしていただろう。

 だが今は違う!この感情を力に変える!ダートは自分ひとりの力で引っ張り上げる!

 それから病的なほどに練習に打ち込みそれによって急激に力を付け史上初の南関四冠を達成するまでになる。そして病的なほどに芝を嫌悪していた。

 

 芝至上主義は未だに覆らない、いやむしろもっとひどくなっていた。その証拠に南関四冠を達成したあとある関係者が中央クラッシクのトライアルであるセントライト記念に出走しろと提案してきた。何故ジュニアC級ダートチャンピオンがわざわざ芝に出なければならない。その関係者が力づくで黙らせておいた。

 

 そして芝至上主義によってダートウマ娘は被害が及んでいる。

 GIレースジャパンカップの1着に与えられるレースポイントが3億ポイント、一方同じGIでダートのフェブラリーステークスの1着に与えられるレースポイントが1億ポイント。この例の通り芝のレースのほうがダートに比べ与えられるポイントが高い。その結果起こることが芝ウマ娘による出走枠の強奪だ。

 最近では芝で勝てないウマ娘が新しい活路を求めてダートを走ることがある。それによってポイント数が少ないダートウマ娘が枠から弾かれる。

 中央にもダートに真剣に挑んでいるウマ娘はいる。そういったウマ娘は例え強くなくともセイシンフブキは嫌いではなかった。だがそういったウマ娘が芝ウマ娘のダート初参戦により除外に追い込まれる。それはひどく気に入らないことだった。

 

 さらにその芝至上主義に拍車がかかっている。その拍車をかけているのがオールラウンダーの存在だ。

 NHKマイルとジャパンカップダートに勝ったウラガブラック。そしてマイルCSと南部杯と天皇賞秋と香港カップに勝ったアグネスデジタル。

 この二人が芝とダートのGIに勝ったことにダートは芝の二軍論が有力視されてしまう。この風潮を止めるにはその二人にダートで勝つしかない。ウラガブラックは怪我をしたがアグネスデジタルはフェブラリーステークスに出てくる。

 アグネスデジタルは天皇賞秋や香港カップなど芝中距離のビッグレースに勝利しておりこれからは芝路線を選択するだろう。このレースに出たのもドバイワールドカップへのステップレースだ、恐らく交わることはない。

 ならばここで勝つしかない。もし負ければ再戦の機会は与えられずダートは芝の二軍理論にさらに拍車をかけられる。それは何としても阻止しなければならなかった

 それにセイシンフブキはアグネスデジタルのことが大嫌いだった。芝を走っていたら突如ダートに顔を出して勝利し地位を貶める。アブクマポーロ、いやそれ以上に嫌悪している。

 

「絶対に勝つ…あいつは絶対に倒す…」

 

 セイシンフブキは歯を食いしばりポケットに入った両手を血が滲むほど握り締め敵意を高める。その膨れ上がった憎悪は周囲を威圧し行き交う人々は無意識にセイシンフブキを避けていった。

 

 

「やっぱり怒っているな」

 

 アブクマポーロはセイシンフブキが去った後乾いた笑いを見せる。刺すような敵意はあの一件からまるで変わらない。

 

「なあ、いい加減真実を伝えたらどうだ?真実を伝えれば分かってくれるはずだ」

「いい、裏切ったことは事実だ」

 

 コンサートガールの言葉にアブクマポーロは寂しそうに笑った。セイシンフブキと仲違いしてしまった原因でもある日経賞への出走、直前まではドバイワールドカップに出走するつもりであった。だがその直前トレーナーからドバイワールドカップではなく日経賞に出走してくれと懇願するように頼まれる。

 

 日経賞への出走はトレーナーではなく船橋ウマ娘協会の意志だった。アブクマポーロの活躍により船橋は活気づいていた。だが協会はそれでも物足りなかった。

 かつてオグリキャップというウマ娘がいた。地方の笠松ウマ娘協会に所属していたが、中央に移籍し数々のGIに勝ち多くの名勝負を演じた。その活躍に世間は大いに湧き社会現象と呼べるほどのオグリキャップブームを沸き起こし、笠松ウマ娘協会を潤した。

 

 そして船橋ウマ娘協会はその幻影を求めていた。アブクマポーロが仮にダートのドバイワールドカップに勝っても業界内で賑わう程度だ。だがオグリキャップのように芝で勝てばブームを、いや地方所属であればさらなるブームを巻き起こせると考えていた。さらにドバイへの遠征はリスクが高い。ドバイに遠征したウマ娘は軒並み体調を崩し、なかにはレース中の怪我で選手生命が絶たれてしまったウマ娘もいた。それも協会がドバイに行かせたくない理由でもあった

 

 自分にはドバイワールドカップに勝ちダートの本質を理解したいという欲求がある、それに同じ志を持ちダートを愛するセイシンフブキを裏切ることができない。アブクマポーロは断固とたる意志で断る。その態度に対してトレーナーは苦虫を噛み潰したような顔で告げた。

 

―――ドバイワールドカップに出走するにあたって経費が発生する。その経費を協会は一切払わず個人で負担してもらう。さらに出走した場合はトレーナーを解雇する。

 

 思わぬ言葉に激昂し地面を全力で踏みつけた。その足跡は地面にくっきりと残っている。

 

そこまでのことをするのか!

 

 アブクマポーロの怒りをよそにトレーナーは経費の詳細を語る。その経費は家の台所事情を知らないアブクマポーロでも捻出不可能とわかるほどの大金だった。さらにトレーナーのクビまでかかっている。夢のために自分が苦労するのはかまわない、だが家族やトレーナーを巻き込むわけには行かない。

 頭を抱え悩むアブクマポーロにトレーナーは協会の言葉を伝える。ずっと芝を走れとは言わない、日経賞で好走できなければ芝を走らずダートを走ってもいい。その妥協案にアブクマポーロの心は揺れ動く。自分の夢か家族やトレーナーの未来か。数十秒か数分か、時間は定かでないが悩み続けついに答えを出した。

 

「日経賞に出ます……」

 

 眉間にシワを寄せ搾り出すように声を出した。アブクマポーロは自分の夢のために他人を犠牲にできるほどエゴイストになれなかった。

 

「クソ!今思い出しただけでも腹が立つ!何で告発しなかったんだアブクマポーロ」

 

 コンサートガールは拳と手のひらを力いっぱいぶつける。その言葉に雲一つない青空を見上げ達観したように答えた。

 

「私は船橋が好きだし世間に醜態を晒したくない。今思えばリスクを回避したい協会の気持ちもわかる。それに出たかったら募金でもして金を集めれば良かったし、ドバイに勝てばそのトレーナーをクビにすることを世論が許さないことも分かっていたはずだ。たぶん無意識で勝てると思っていなかったし、芝への憧れがあったのかも……」

「そんなわけないだろう……」

 

 お前ほどダートを愛していたウマ娘はいない。それなのに芝に憧れていたなんてあるわけない。コンサートボーイはアブクマポーロの言葉を否定するように腕を軽く殴った。その思いが伝わったのかアブクマポーロは優しげに笑った。

 

「でもフブキのダートへの愛は私以上だ。私が『ダートの哲学者』ならフブキは『ダートの求道者』だ。同じ立場になってもどんな手を使ってもドバイワールドカップに出るだろう」

 アブクマポーロは思いを馳せるようにもう一度空を見上げた。セイシンフブキの強さとダートへの愛は本物だ。この情熱がダートの地位を押し上げるという夢を実現させるかもしれない。そしてその走りは己が求めていた疑問の答えを出してくれるような気がしていた。

 

フブキの夢の実現と無事を

 

 アブクマポーロは空に向けて東京レース場で走る後輩に祈りを捧げた。

 




またまたすべてオリキャラ!

今回も一応元解説しておきます。
コンサートガールはコンサートボーイです。
アブクマポーロはそのままで、セイシンフブキはトーシンブリザードです。


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勇者と皇帝と求道者#4

やっとデジタルが登場します


 ヒガシノコウテイは駅構内から外に出ると体を大きく伸ばし深く息を吸い込み吐いた。長時間での移動により凝った筋肉が伸び、暖房で温められた体の熱が冬の外気で冷やされ心地よい。

 周りを見渡すと左手には地元には全くないおしゃれな外観の建物があり、外壁には大型の液晶モニターが設置されており映画の予告映像が流れている、

右手には地元にもある百貨店があるが都心だけあり外装の華やかさも規模も雲泥の違いだった。

 

「ここから会場は何分ぐらいですか」

「歩いて10分ぐらいだな、こっちだ」

 

 ヒガシノコウテイはトレーナーの後についていく、本来なら一休みでもして近くにある美術館で絵画鑑賞でもしたいところだが、あと1時間半後にはフェブラリーステークスの前々日会見がおこなわれる。遅刻したとなれば岩手の、地方ウマ娘の評判を落としてしまう。それはあってはならないことだ。

 すると視界に一人のウマ娘が入る。170センチ台後半の身長に黒髪のベリーショートに鋭い目つき。その姿には見覚えがあった。

 史上初の南関4冠を達成した地方の若きエースのセイシンフブキだ。

 年の瀬のGI東京大賞典では先着したが骨折明けで本調子ではなかった。今回のフェブラリーステークスでは万全でくるだろう。

 ヒガシノコウテイは数秒セイシンフブキに視線を向けた後すぐに視線を外しながら早足で歩く。同じ地方所属として声を掛けようとしたが見送ることにした。元々社交的な性格ではなく、何より発せられるヒリつく空気に萎縮していた。

横をすり抜ける瞬間セイシンフブキが横を振り向くと反射的に顔を向けてしまいお互いの視線がばっちり合う

 

「あっ…どうも」

「こんにちは」

 

 セイシンフブキは軽く会釈を、ヒガシノコウテイは行儀よく頭を下げてあいさつをする。

 

「ヒガシノコウテイさんも今から会場に行くんっすか?」

「はい」

「一緒に着いていってもいいっすか?スマホが電池切れで道がわからなくて」

「かまいませんよ」

「あざっす」

 

 セイシンフブキは了承を得るとヒガシノコウテイの隣につき歩き始める。するとヒガシノコウテイはある変化に気づく。

 ピリピリした空気が感じない、いやセイシンフブキの雰囲気が和らいだというべきか。声をかけられる前の雰囲気なら居心地が悪いので、さりげなくトレーナーの横に並ぶつもりだった。だが今なら隣にいても悪くはないと思っていた。

 セイシンフブキはヒガシノウテイのことは嫌いではなかった。

 本調子ではなかったとはいえ初めて自分に先着したウマ娘であり、同じ地方の、ダートのプロフェッショナルとしてある程度の尊敬の念を持っていた。その敬意が刺々しい雰囲気を和らげていた。

 

「東京は初めてっすか?」

「いえ、オペラお姉……メイセイオペラ選手が出走したフェブラリーステークスを見に来たことが」

「あのレースですか、あたしも現地で見ていました」

 

 セイシンフブキは当時の思い出し感慨深げに語る。アブクマポーロのライバルであったメイセイオペラ。東京レース場は嫌いだがメイセイオペラが出るレースとならばダート愛好家として見なければならない。

 メイセイオペラがダートプロフェッショナルとして芝のクラシックレースに勝ったキョウエイマーチに勝ったのは痛快だった。芝で結果を出せないからダートならという反吐が出るような考えを叩き潰してくれて胸がすっとした。

 そしてあの先行抜け出しという横綱相撲での勝利は見事だった。あの強さは尊敬に値する。

 

「そうなんですか!?地方の威信を背負っての勝利!あのレースでたくさんの勇気をもらいました!」

 

 ヒガシノコウテイは目を輝かせて喋り始める。大人しい人だと思っていたが勢いよく喋る姿にセイシンフブキは戸惑っていた。

 メイセイオペラの話題から二人の会話は弾む。過去の地方ウマ娘についてなど共通の話題が多く、会場までの道中はあっという間に過ぎていった。

 

「じゃあアタシの控え室はこちらですので」

「はい」

 

 二人は会場があるホテルに入り控え室前までたどり着く。そこから正装に着替えて会見をおこなうのが本日の流れである。するとヒガシノコウテイがセイシンフブキの前に手を差し出す。

 

「私たちもメイセイオペラさんやアブクマポーロさんのような偉大な先輩達のように中央を蹴散らし、地方を盛り上げて行きましょう」

 

 今回のフェブラリーステークスは完全なアウェイであり、出走ウマ娘はほぼ中央所属だ。だがセイシンフブキだけが唯一の地方所属である。レースでは自分以外は敵である。だが矛盾しているようだがセイシンフブキは敵ではないと思っていた。

 味方、いや地方のために尽力する同志だ。その同士と健闘を誓うための握手だった。

だがセイシンフブキはその手を見つめたまま握手することはなかった。

 

「ヒガシノコウテイさん、一つ訂正させていただきます。アブクマポーロは……あいつは偉大な先輩じゃない。ただのカスだ」

 

 今まで穏やかだったセイシンフブキの雰囲気が一変する。怒気と侮蔑の感情が溢れ出しヒガシノコウテイに伝わる。先ほど遠巻きで見て感じた威圧感を何倍に濃縮したようだ、今すぐに立ち去りたい。だがその場に留まり真っ直ぐ目を見据え反論する。

 

「どうしてそんなことを言うんですか!?アブクマポーロさんは中央から南関を守り地方ウマ娘に勇気を与えてくれたヒーローじゃないですか!貴女もそうだったんじゃないですか?」

 

 メイセイオペラのライバルであるアブクマポーロ。

 何度もその前に立ちふさがりGIの勲章を奪い取ってきた。もし居なければあと何個の勲章を積み重ねることができただろうか。本来なら憎いはずだった。

 だがあのすべてのウマ娘をねじ伏せる四角からの捲くりも一瞬でちぎり捨てる末脚も好きだった。

 もし自分が南関に住んでいたらメイセイオペラに憧れたようにアブクマポーロに憧れていたのだろう。ヒガシノコウテイにとってアブクマポーロは敵ではなくもう一人の憧れだった。その憧れをカスと言うことはメイセイオペラを侮辱することと同じだった。

 

「あいつは……あたしを……ダートを裏切って日経賞に出やがった!それをカスと言わず何をカスって言うんだ!」

「何でそれがカスなんですか?」

「ドバイワールドカップに…ダートじゃなくて芝を走ったんだぞ!」

「ですが日経賞に出て勝てば天皇賞春に出られます。天皇賞春に勝てば地方所属での芝GI勝利です。そうなれば南関は一気に盛り上がります。南関のことを考えれば一回は芝の適正を試すのも悪くはないと思います」

 

 激昂するセイシンフブキに対してヒガシノコウテイは毅然とした態度で意見を述べる

ヒガシノコウテイも当時はアブクマポーロがドバイワールドカップでは日経賞を選んだのは疑問だった。だが現状のダートより芝を重視する日本ウマ娘界の風潮を考えればまだ理解できる。もし天皇賞春に勝つようなことがあれば社会現象と呼べるブームを巻き起こせるかもしれない。そうなれば南関や地方への影響は計り知れないだろう。

 

 だがその一言がセイシンフブキの逆鱗に触れた。ヒガシノコウテイの襟首を荒々しく掴み吊るし上げ憤怒の表情を見せる。

 

「あんたは違うと思っていたが、しょせんそっち側かよ」

 

 セイシンフブキは手を離しヒガシノコウテイは思わず尻餅をつく。そしてゴミを見るような侮蔑の視線を向けると自分の控え室に入る。ヒガシノコウテイはその様子を呆然と見つめていた。

 

 二人は同じ地方所属でダートを主戦場としている。一見似たもの同士かもしれないが主義主張は異なっていた。

 

ダートをとるか地方をとるか?

 

その質問を両者にしたとしたらヒガシノコウテイは地方、セイシンフブキはダートと答える。だからこそアブクマポーロの日経賞への出走についてヒガシノコウテイは理解を示し、セイシンフブキは理解することを拒絶した

 

ーーーーーーーーーーー

 

 中に入るとそこは豪華絢爛と呼べる空間だった。白を基調にし無駄な装飾を施さず落ち着いた雰囲気を醸し出す。そして高さ6mの天井にはシャンデリアが設置され華やかさを演出する。そしてフロア正面には3台のせりステージを設置され天井付近には「フェブラリーステークス前々日会見」と書かれた横看板が吊るされている。

 

「相変わらず豪華なところだね」

「ほんまやな。こんな機会しかこんな場所来れへんわ」

 

 アグネスデジタルは会場の雰囲気にマッチした赤青黄の色を散りばめたドレスを身にまとっている。一方トレーナーも会場に相応しい一張羅のスーツを着ている。

 

「来たのは天皇賞秋以来か」

「オペラオーちゃんとドトウちゃんとのふれあいを思い出すな~」

 

 初めて面と向かって会話したのが天皇賞秋の前々日会見だった。今では二人とは友人だがあの当時の自分はこうなることを想像できただろうか。

 

「あの時はお前が何を言うかヒヤヒヤしたわ」

 

 一方トレーナーはウラガブラックの出走問題でデジタルが失言をしないかヒヤヒヤした当時の心境を思い出していた。

 

『ではこれよりフェブラリーステークスの枠順抽選会及び前々日会見を始めます。出生ウマ娘の選手は壇上にお上がりになって指定の席についてください』

 

「あっ呼ばれてる。じゃあ行ってくるね」

「おう、粗相するなよ」

 

 会場アナウンスに促されデジタルは壇上に向かった。

 枠順抽選は滞りなく進み、アグネスデジタルは5枠9番、ヒガシノコウテイは5枠8番、セイシンフブキは6枠12番を引いた。

 

『では続いて、このレースのプレゼンター兼中央ウマ娘協会広報部所属のオグリキャップさんからお言葉を頂きます』

 

その言葉を聞き壇上のウマ娘から歓声のようなざわめきがおこる。

 

オグリキャップ

 

 笠松ウマ娘協会でデビューしたウマ娘であり、ジュニアC級になると中央に所属を移し中央所属のタマモクロスやスーパークリーク、同じく地方の大井ウマ娘協会から所属を移したイナリワンなどと激戦を繰り広げる。

 その実力と地方から中央に殴り込み成り上がるというシンデレラストーリーはブームを巻き起こし、興味がなかった人すらオグリキャップの名は知れ渡り、元々知名度があったトウィンクルシリーズの人気をさらに爆発的に上げた。

 トウィンクルレースでは3冠ウマ娘のシンザンなど歴史的ウマ娘は数多くいるが、知名度という面ではオグリキャップを凌ぐ者はいないと言われている。

 そして壇上に上がっているウマ娘の大半はオグリキャップの活躍を見ており、直撃世代の彼女らには嬉しいサプライズだった。オグリキャップは新雪のような白のロングドレスを身にまとい壇上に上がる。何を話すのか?会場にいる全員が固唾を飲んで見守る。

 

「オグリキャップです。明後日には今年初めてのGIレース、フェブラリーステークスが行われます。真冬の肌寒い季節ですが、そんな寒さすら吹き飛ばすようなレースを一人のウマ娘レースファンとして期待しています」

 

 オグリキャップは喋り終わると一礼し会場から拍手が起こる。話として無難な内容といえるものだった。だが壇上のウマ娘達は憧れのオグリキャップからエールを受け気持ちが高揚していた。

 

『ありがとうございます。では各選手の方々一言お願いします』

 

 壇上のウマ娘は司会に促され一言ずつ意気込みを語っていく。そしてヒガシノコウテイの番が回ってくる。

 

「岩手ウマ娘協会所属ヒガシノコウテイです。このフェブラリーステークスは同じ岩手所属のメイセイオペラ選手が出走し歴史的快挙を達成したレースです。私も偉大なる先輩と同じようにレースに勝ち、フェブラリーステークスのレイを岩手に持ち帰りたいと思います」

 

 ヒガシノコウテイは静かに落ち着いた声色で淡々と抱負を語り隣に座るアグネスデジタルに渡す。

 岩手の至宝を奪い取った相手が目の前にいる。今での闘志が溢れ出し睨みを利かせてしまいそうだが必死に押さえ込む。その努力が実ったのかデジタルはヒガシノコウテイの内に秘めた闘志に気づくことなくマイクを手に取る

 

「アグネスデジタルです。ウラガブラックちゃんと一緒に走れないのは残念ですが、このレースに出走するウマ娘ちゃん達はどの娘も魅力的で一緒に走れるのは楽しみです。そしてこのメンバーとレースを楽しんで勝ってドバイに行きたいと思います。サキーちゃん待っていてね~」

 

デジタルの願望垂れ流しのコメントに会場が笑いに包まれる。本来ならもう少し真面目にコメントをすべきと批判を受けることもあるのだがデジタルのキャラクターはある程度浸透し始めており、これぐらいのくだけたコメントは許容範囲だった。

 そして各ウマ娘が抱負を語りセイシンフブキの順番が回ってくる。

 

「え~あたしは非常に不機嫌です。フェブラリーステークスってダート1600のGIだよな?なのに何でスタートが芝なんだ?おかしくね。これじゃあ芝150メートル、ダート1450メートルだよな。これじゃJAROに訴えられるぞ。

こんなクソコースで走らきゃならないと思うと腸煮えくり返る思いです。今すぐこのクソコースを改修するか、芝スタートじゃないコースでレースしろよ。まあ芝至上主義の中央じゃそんなことするわけないけどな。

あとトゥザ…ルーザーにアグネス…ポンコツだっけ?芝の奴がダートに来るんじゃねえよ。大人しく芝で軟弱なゴボウ共と走ってろ。それともドバイワールドカップに出たいからフェブラリーで勝ちたいってか?ふざけるな。

ここはあたし達の場所だ。最近は芝で勝てないからってダートに来る奴が多すぎる。芝で勝てないからダートで勝てると思ってんじゃねえよ。とりあえず感覚で来るな。ダートプロフェッショナルとして叩きつぶしてそいつらと同じように恥さらしにしてやる」

 

 喋り終わるとマイクを隣のウマ娘に荒々しく渡しふんぞり返る。そして会場は水を打ったようになる。

 中央ウマ娘協会への批判は無いわけではなく、ゴシップ雑誌やネットの個人ブログでは文句を言っている者もいる。だがセイシンフブキは公然と中央ウマ娘協会を批判した。

 何という大胆不敵さ。その言葉遣いと内容は中央ウマ娘協会に喧嘩を売っていると言われても仕方がないものだった。そしてトゥザヴィクトリーとデジタルへの言動。気性の荒いウマ娘がいる場合は舌戦のような煽り合いになることはある。だがこれは明確な侮辱だった。

 

何より芝からダートを走ったウマ娘への言及。

 トレセン学園のウマ娘は入学前に適正テストを経てある程度自分の得意分野を知る。

だがテストだけでは本当の適性はわからないものだ。芝の適正が出てもダートで走って芝以上の強さを見せるなど例を挙げれば星の数ほどある。

 芝のレースに走っていたウマ娘が自分の適性を測るためにダートのレースに走ることは当然の選択である。

 だが病的なまでに芝を憎むセイシンフブキにとってそれは当然の選択ではなく、ダートを侮辱する憎むべき行為だった。

 一方批判されたトゥザヴィクトリーは予想外の出来事に一瞬呆けた後詰め寄ろうとするが隣のウマ娘たちに押さえつけられていた。場内は騒然となるが何とか会見は進行し無事終了し、ウマ娘たちはそれぞれトレーナーやチーム関係者の元に帰る。

 

「全くトゥザヴィクトリーちゃんをトゥザルーザーなんて言うなんて感じ悪い!」

「お前はポンコツ扱いだがそれでもええんか?」

「あたしは別にいいの。それより白ちゃんこそ『うちのデジタルをポンコツ扱いするとは舐めとんのか』って壇上に上って詰め寄るぐらいの甲斐性見せてくれてもいいんじゃない」

「人の名前をあんな風に言って神経を逆撫でさせるのはある意味常套手段や、褒められたもんではないが、それにポンコツ程度なら中央ウマ娘協会への罵倒に比べたら可愛いもんだ」

 

 天皇賞秋のキンイロリョテイもオペラオーやドトウに中々のトラッシュトークをした。だがあれは闘争心が抑えきれず言ってしまったという感じだがセイシンフブキは明確に憎悪をぶつけたという感じだ。なんであそこまでウマ娘を憎めるのだろう。デジタルにはその心境が理解できなかった。

 そしてトレーナーもセイシンフブキという存在を強く印象づけられる。

トウィンクルシリーズという一大興業を仕切る中央ウマ娘協会にあそこまで苛烈な文句を言うとは何という怖いもの知らず。

 しかも東京ダート1600をクソコースとは。よほどこのコース形態に不満が溜まっているのだろう。実際外側は30メートル芝が長く先行する際は外枠が有利というように多少不平等でもある。しかしクソコースはないだろう。

 

「さてと次は記者達の取材か、デジタル、不機嫌なのはわかるがそれを表に出すなよ」

「わかってる」

 

 デジタルは言われたそばから不機嫌さを隠し切れない様子で返事をする。

すると早速二人の元に誰かが近づいてくる。記者たちだろう。二人は心の準備をするがそれは意外な人物だった。

 

「こんにちはアグネスデジタル。少しいいかな」

「オ…オグリキャップちゃん!いいよ!何分でも何時間でも!あのオグリキャップちゃんが目の前にいる!幸せ~」

 

 セイシンフブキの件で下がったデジタルの機嫌はオグリキャップの登場により一気に良くなる。目を輝かし興奮気味に喋るデジタルに対しオグリキャップは動じることなく淡々と話す。

 

「私のことを知っているのか?アグネスデジタルは確かアメリカ出身で私が走っていた頃はアメリカで生活していたと思うのだが」

「うん。けどレース映像やライブ映像やオグリキャップちゃんに関するエピソードは白ちゃんから聞いて色々知っているよ」

「それは光栄だ。ではすまないが幾つか質問させてもらう」

 

 オグリキャップはメモとペンを取り出す。広報として独自に話を聞いてまとめたものをブログなどに掲載することも仕事の一つである。

 質問はアメリカ時代のことや今後のことなどなど当たり障りのない質問でデジタルは詳細に答え、逆にオグリキャップに質問をしてきたがトレーナーがそれを止めるというのを繰り返していた。

 

「それではこれで以上だ、協力感謝する」

「うん、こっちも楽しかったよ」

「今日本ウマ娘界でドバイワールドカップに勝つとするなら、芝とダートの両方を走れるアグネスデジタルだろうというのが業界での評価だ。期待している」

 

 オグリキャップは二人に一礼すると他のウマ娘の下へ向かっていった。

 

「聞いた?聞いた?オグリキャップちゃんが期待しているって!感激~!もうこれだけで会見に来た甲斐があったよ」

「よかったな」

「帰って皆に自慢視しよ~グフフフ!」

 

 デジタルはその後の記者の取材も上機嫌で答えた

 

 一方セイシンフブキとヒガシノコウテイの元には記者が集まり取材を受けていた。メイセイオペラに続いての快挙を期待してか多くの記者が着ており、特にセイシンフブキは過激な言動もあり多くの記者達が集まり取材を受けていた。そして記者達の取材が終わるのを見計らってヒガシノコウテイはセイシンフブキの元に近づいた。

 

「あの、セイシンフブキさん」

「何だヒガシノコウテイ?」

 

 セイシンフブキは言い争った時、いやそれ以上の怒気をヒガシノコウテイにぶつける。最初は敬称をつけていたのに今はタメ口。よほどあの時の言葉が許せなかったのか。別にそこまで怒られることを言ったつもりはないが。

 ヒガシノコウテイは身長差からか見上げるようにして喋る。

 

「今後はあのような言動は慎んでください。地方ウマ娘の品位に関わります」

 

 ヒガシノコウテイは人見知りのきらいがあり、セイシンフブキには関わりたくなかった。だがあのような態度を注意して直しておかないと地方全体のイメージが著しく下がってしまう。彼女の地方を愛する気持ちと地方を代表しているという責任感が勇気を生み行動を起こさせた。

 だが勇気を振り絞って発した言葉はセイシンフブキには届かない。

 

「なんで?実際クソコースなんだから、クソコースをクソコースって言って悪いのかよ」

「別に主義主張を持つのはかまいません。ですがもっと穏便な言動で抗議してください」

 

 セイシンフブキは何も悪い事をしていないという態度を見せ、それがヒガシノコウテイの神経を逆撫でした。場の空気は剣呑なものとなっていき一触即発だった。その空気を感じたのかさらなるゴシップを入手できると聞き耳を立ていつでもシャッターをきれるように準備をとる。

 

「こんにちはセイシンフブキ、ヒガシノコウテイ。少し話を聞かせてもらっていいか?」

 

 この剣呑な空気を感じていないのか、それとも感じていたのか分からないがオグリキャップが二人の間に入り話しかける。二人は同時にオグリキャップの方に視線を定める。その表情は他のウマ娘達が抱いていた憧れとは別の感情が宿っていた。

 

「すみません、オグリキャップさんにセイシンフブキ選手にヒガシノコウテイ選手。こちらに視線向けてもらっていいですか?」

「すみません。こちらもお願いします」

 

 すると記者たちが三人の下へ押し寄せる。地方から中央に移籍し成り上がった元祖地方の英雄と地方から中央のGI制覇を目指す新時代の地方の英雄の邂逅。この絵は記事の一面になる題材であり是非とも写真に撮っておきたかった。

 オグリキャップは笑顔を作り視線を向け、ヒガシノコウテイも一拍置いて笑顔を作り目線を向ける。一方セイシンフブキはノーリアクションだった。

 

「オグリキャップさん同じ地方出身として激励の言葉はありますか?」

「セイシンフブキ選手、ヒガシノコウテイ選手。元祖地方の英雄と対面してどんな気分ですか?」

 

 記者たちは矢継ぎ早に質問を投げかける。だがその質問はヒガシノコウテイの地雷を的確に踏み抜いていた」

 

「……してください」

「ヒガシノコウテイ選手何と言いました?もう一度お願いします」

「訂正してください!私はこの人と同じ地方出身でもないし!この人は地方の英雄でもない!訂正してください!」

 

 ヒステリックな金切り声は会場全体に響き渡り皆が一斉に振り向く。大人しげな印象のヒガシノクテイの豹変。そしてその豹変に記者一同はもちろん、ふてぶてしい態度をとっていたセイシンフブキすら驚いていた。

 

「ヒガシノコウテイ選手、それはどういう意味でしょうか?」

「まずオグリキャップさんは地方から中央に移籍したマル地。私達は地方に在籍しているカク地です!オグリキャップさんはもう笠松のウマ娘ではありません!そして英雄ではなく地方から逃げただけです!」

「地方から逃げたというのは違うのではないでしょうか、ヒガシノコウテイ選手」

 

 すると40代ほどの記者がヒガシノコウテイの主張に異を唱える。ヒガシノコウテイは言葉を止め、それを喋っていいという合図とみなし自身の主張を語り始める。

 

「当時は中央のほうが圧倒的にレベルは高かった。その中央に移籍し挑んだことは挑戦と捉えるべきではないでしょうか?このまま地方に留まって勝ち続けていてもそれこそ中央から逃げたということになるのではないですか?

そしてオグリキャップさんはダートより芝のほうに適正が有ったと思います。ですが中央にしか芝のレースは有りません。それに当時は地方から中央に挑戦するにしても出られるレースは限られていた。ならば中央に移籍することは自然な流れだと思います。

それにオグリキャップさんも苦渋の決断で中央を選びました。それをただ逃げたとくくるのは失礼なのではないでしょうか?」

 

 オグリキャップは当時中央に移籍するか地方に留まるか悩んでおり、笠松の人々が『お前はこんなところで留まる器ではない』と後押ししてくれた話は美談として有名であった。40代の記者の言葉に一同が頷く、逃げではなく挑戦。それは世間一般のオグリキャップへの解釈だった。だがヒガシノコウテイの解釈は全く違っていた。

 

「出るレースが無かった?当時はオールカマーとジャパンカップは地方所属でも出られました。ジャパンカップをとるならこのローテーションで充分でしょう。そして芝のレースに出たかったら、ジャパンカップに勝った自分を他のGIに出さないのか?中央はそこまでして地方にGIを取らせたくないのかとでも言って大々的に主張すればいい。そうすれば世論が後押しして中央も出走させざるを得なかったと思います」

 

 ヒガシノコウテイの主張はやや乱暴といえるものだ。

 ルールを変えればいいというのは口にするのは簡単である。だがそのためには多大な労力と困難が付き纏い、それでもルールを改正できないかもしれない。そうなればオグリキャップの稀有な才能は存分に力を発揮できなかった。そういった意味ではオグリキャップの選択は間違っていない。

 だがヒガシノコウテイは仮にオグリキャップと同じ時代同じ立場に生まれたとしてもこの考えを実行していたという自負があった

 

「ですがオグリキャップさんはそれをしなかった。本当に笠松を愛していたならこの考えにたどり着いたはずです。それに笠松の人々は本当に中央に行く事を望んでいたのでしょうか?確かにその稀有な才能が笠松で埋もれるより中央で羽ばたいてほしいという親心と罪悪感はわかります。ですが本当に見たかったのは『笠松で育ち中央で活躍するオグリキャップ』なく『笠松所属で中央に立ち向かう『私達』のオグリキャップ』ではないでしょうか!?」

 

 もしメイセイオペラが中央に移籍とすると言っていたら、岩手の皆も自分も笑って送り出そうとするだろう。だが心の奥底では岩手を捨てないでくれ、私達のメイセイオペラで居てくれと思っていたはずだ。そしてメイセイオペラはその思いを汲み取り岩手に残り続けてくれた。

 そして自分の主張を話していくうちに感極まり始め言葉にも熱が帯びてくる

 

「そして地方の英雄というのはピークが過ぎ体に爆弾を抱えながらも地方を守ろうと懸命に走ったトウケイニセイさん!中央のGIに挑み勝利し地方ウマ娘に光を示してくれたオペラお姉ちゃん!なにより地元のレースで懸命に走り、ウイニングライブで工夫を凝らしお客様を盛り上げ、交流重賞で地方の誇りを守るために中央を迎え撃ち、そして地方の力を示す為に中央に挑んでいったウマ娘達!そして地方を盛り上げようと努力している関係者の方々!そしてそんな地方を応援してくださるお客様すべてが地方の英雄なんです!オグリキャップさんは英雄であっても、断じて地方の英雄ではない!」

 

 ヒガシノコウテイは熱弁を振るったのか息を切らしながら記者一同を見渡す。地方は中央という強大で眩い光にかき消されそうになっている。現にいくつもの地方レース場は客足が遠のき中央があるから存続させる意味が無いと潰れていった。それでもアイディアを振り絞り懸命に努力していることを知っている。

 オグリキャップは確かに素晴らしい競争成績を残し、地方から移籍し成り上がったというドラマ性を含めても英雄と称しても文句は無い。だが地方から出て行ったものが『地方の英雄』であってはならない。その認識は正さなければならないという想いがヒガシノコウテイに熱弁を振るわせた。そしてその視線を記者からオグリキャップに向ける。高揚した精神が普段押し留めていた思いをさらに吐き出させた。

 

「オグリキャップさん、私が何より許せないのが笠松で引退式をしたことです。偉大な成績を残した貴女が引退式をあげるのは当然の事です。中央で引退式をあげるのは分かります。ですが何故笠松で引退式を行ったのですか?貴女はもう中央のウマ娘でしょう。笠松からオファーが有ったと聞きますがそこは絶対に拒否すべきでした。もう笠松の地を踏みしめる事は二度と無いと言う覚悟で移籍したのではないですか?それじゃ笠松にも中央にもケジメがつかないでしょう。実際は多くのファンに温かく迎えられたそうですが気分が良かったですか?私なら絶対に行きません、いや行けません。そんなことをしてしまったら恥ずかしすぎて腹を切ります。それに……」

 

 ヒガシノコウテイは普段の口少なさから想像できないほど喋り続ける。そして言葉は主張ではなくオグリキャップへの罵倒に変わり始めていた。それを察知したのかヒガシノコウテイのトレーナーは即座に手で口を押さえ文字通り口を封じた。

 

「オグリキャップさん、度重なる非礼な言動を陳謝いたします。記者の皆様も取材はこれで終了という事でお願いします」

 

 トレーナーはオグリキャップに深々と頭を下げると、ヒガシノコウテイを引きずる様にして会場を後にし記者たちはその様子を呆然と眺めていた。

 

「フッ。人には品位を落とすような言動をするなと言っておきながら自分がやってるじゃねえか」

 

 困惑と戸惑いが満ちている空間のなかセイシンフブキはおかしそうに笑った。

 現役を退いてもなお絶大な人気を誇る稀代のアイドルウマ娘オグリキャップ。誰もが褒め称え賞賛するウマ娘に対してあそこまで文句を言った人物はそうは居ないだろう。ダートを軽視するその主義は気に入らないがオグリキャップに噛み付いたその気質は嫌いではない。

 

「セイシンフブキ選手はオグリキャップ選手についてどう思いますか?」

 

 するとスポーツ新聞の記者が質問を投げかける。大人しそうなヒガシノコウテイがあれほどのことを言うならばセイシンフブキはもっと苛烈なことを言うに違いない。その言葉を引き出して見出しにし、部数をあげるのが狙いだった。

 

「ガキの頃親戚の家に行ったついでに笠松レース場に行ってさ、そこで物凄い走りをするウマ娘がいたんだよ。痺れたね。あたしの中で歴代ダートウマ娘ベスト10には確実に入るね。それがオグリキャップだった」

 

 セイシンフブキは昔話から話を切り出しオグリキャップを褒め始める。苛烈な言葉が繰り出されることを不安と期待していただけにある記者は安堵を、ある記者は落胆の様子を浮かべる。

 

「けど、そのオグリキャップは中央に、芝に移った。あの当時はダートから逃げやがってと泣き喚いたもんだ。オグリキャップはダートより芝のほうが向いていると言う奴も居るがあたしはそうは思わない。あの強さならダートを変えてくれると期待していた。それこそヒガシノコウテイの言うとおり中央の奴を煽りまくってダートに引きずり込むぐらいのことをしてもらいたかったけどな!」

 

 セイシンフブキはオグリキャップに挑発的に視線をぶつける。

 この主張はヒガシノコウテイの主張より乱暴なものだった。オグリキャップが走っていた当時は今よりもダート路線は冷遇されており地方以外走るものが皆無と言っていい状態だった。その時代にいくら挑発しても芝を走っている一線級のウマ娘がダートに走る可能性は皆無と言っていい。

 だが病的とまで言っていいほどダートに執着するセイシンフブキには関係ない事であり、ダートで力がある者がダートを盛り上げようとせず、ダートを走らないことは万死に値することだった。

 

「話しているとむかっ腹が立ってきたから帰る」

 

 一方的に主張を述べると出口に向かって踵を返す。もっと話を聞きだしたい記者たちは食い止めようと考えるが、怒りの矛先が向きそうになるので思い留める。そんななか一人の記者が意をけして問いかけた。

 言動の節々から感じるダートへの思い。そのセイシンフブキがこの質問に何と答えるか興味があった

 

「セイシンフブキ選手。貴女が考えるダート最強ウマ娘はだれですか?」

「アブクマポーロ」

 

 ノータイムでの答え。その答えは質問を投げかけた記者を大いに驚かせた。

アブクマポーロとの確執は知るところであり普通ならばアブクマポーロの名を答えたくないのが心情である。

 だが即答でアブクマポーロの名をあげる。記者にはその心情を推し量ることができなかった。一方セイシンフブキは質問に答えるとすぐさま足早に会場を後にした。

 

 二人の地方ウマ娘が嵐を巻き起こし、瞬く間に去っていった。その残した爪あとは大きく翌日のスポーツ新聞やウマ娘のニュースは二人の話題一色なった。

 

――――――――――――――――――――――

「この電車は船橋行きの電車です」

 

セイシンフブキは車内のアナウンスを聞きながら目を閉じて後頭部を窓につけて眠ろうとする。しかし自分が発した言葉について思考が傾き睡眠を邪魔する。

 

―――――アブクマポーロ

 

最強のダートウマ娘について答えた時熟考することなく反射でその名を答えた。ダートの強豪は数多くいる。

 

フェイトノーザン、カウンテスアップ、トウケイニセイ、メイセイオペラ、

 

 だがアブクマポーロを選んだ。アブクマポーロはダートを裏切ったカスでありその名を口にしたくも無いはずなのに。だがその強さは本物だった。

 強いものを強いと認められず私情で答えを曲げ違う者の名前をあげたらダートプロフェッショナルとして誇りは失われてしまう。だからアブクマポーロの名をあげたのだ。

 

 その強さを持ちながらどうして?どうしてダートを裏切った!

 セイシンフブキはあの日の出来事を思い出し、歯を食いしばり拳を強く握った。その体から発せられる怒気を察したのか隣に座っていた乗客は無意識に席を立ち離れていった

 



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勇者と皇帝と求道者#5

 2月4週の日曜日。暦では最後の冬の日曜であり、冬という季節に相応しく気温は低くさらに太陽は雲に覆われ木枯らしも拭いている。その冷風は東京レース場に来た観客達の体温を容赦なく奪う。一部の観客は建物のなかに避難しており。風は来なく暖房が利いている館内は外に比べれば極楽だった。だが多くの観客は遮蔽物がないパドック周辺、あるいはパドックが見られる客席の2階や3階の外側に出て肩をすぼめ寒さにたえ待っていた。

 

「これより第11レース、フェブラリーステークスのパドックを開始します」

 

 アナウンスが流れると観客達はカメラや携帯電話を構えウマ娘達の姿を撮ろうと準備を始めシャッターを押す。数多くのシャッターからたかれるフラッシュ光がウマ娘達を照らす。その数は例年より明らかに多かった。

 

 ヒガシノコウテイとセイシンフブキ二人の地方ウマ娘の言動は話題を呼んだ。

一人は中央ウマ娘協会への批判、一人はウマ娘界きってのアイドルウマ娘オグリキャップへの批判。これらの話題を公の場で批判する者はまずいなかった。

その言葉は賛否両論を呼びその地方のウマ娘を一目見ようとウマ娘レースに興味の無い者も東京レース場に足を運び、その結果観客動員数はいつもより増えていた。

 

「続いて6番人気、ヒガシノコウテイ選手」

 

 フェブラリーステークス出走選手が続々とパドックで姿を見せるなか、ヒガシノコウテイが現れると観客達のざわめきとフラッシュの量が多くなる。

 赤色を基調にしたセーラー服に左右に濃紺の襷、両手首には赤と黄のリストバンド。青色に白の横一線が入ったマントはボタンで左肩に縫い付けられている。

 

 観客達は好奇の目線を向ける。中央レース場に来るファンは地方のレースに疎いものが多く、ヒガシノコウテイの姿を始めて見ると言うファンも多かった。

 

――――あれがヒガシノコウテイか、オグリを侮辱しやがって

――――当時の人間じゃなかったなら何とだって言える

 

 ざわめきの中ヒガシノコウテイの耳に中傷の声が聞こえてくる。

地元の岩手だけではなく、同じ地方の大井や浦和や中央の札幌レース場で走ったこともある。大井や浦和では外敵として認知されてもいたが同じ地方ということもあり観客達からどこか仲間意識のような感情を向けられていた。

 札幌でも敵意は向けられていなかった。だが先日のオグリキャップへの言動もあってより多くの敵意を向けられることになる。それは初めての経験だった。身から出た錆とはいえ気持ち良いものではない。少しばかりの辛さを感じていると声が聞こえてきた。

 

「頑張れ!お前なら頂点をとれるぞ!」

「大井ファンだが今日は応援するぞ!地方の意地を見せてくれ!」

 

 周囲のざわめきをかき消すようにヒガシノコウテイへの檄が飛び、それを一帯から皮切りに次々とエールが送られ思わず顔を向ける。大多数とは言えないが何人かのファンが声援を送っていた。そしてある一角からそれ以上声援が飛んでき馴染みの顔が多くいた。岩手から来た応援団だ。

 ヒガシノコウテイの体に熱いものがこみ上げてくる。あれほどの暴言を吐き岩手の、地方の品位を落としてしまったのにそれでも自分を応援してくれることに感激していた。そして憧れのメイセイオペラと同じ舞台に立っていることに感慨にふけっていた。すると岩手の応援団の中からメイセイオペラの姿を確認する。お互い目が合いメイセイオペラは笑みを浮かべながら手を振り、ヒガシノコウテイはメイセイオペラから貰ったリストバンドに触れた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

(やってしまった……)

 

 前々日会見の後トレセン学園にある地方ウマ娘出張宿舎の一室に着くやいなやヒガシノコウテイはベッドに飛び込み枕に顔をうずめ後悔した。

 気分が高揚してとんでもないことを言ってしまった。セイシンフブキに地方の品位を落とすなと言っておきながら自分が落としているではないか。きっとスポーツ新聞やテレビ番組では自分の主張はより刺激的なものにする為に多少誇張されてしまうだろう。そうなればオグリキャップファンを敵に回してしまう。そうなれば地方ウマ娘界のイメージダウンは計り知れない。

 

 するとテーブルに置いていた携帯電話が振動しブルブルと音が鳴る。携帯電話を手に取り液晶を見て思わず顔をしかめる。そこにはオペラお姉ちゃんと記されていた。恐らく会見のことだろう。このまま居留守しようかと逡巡するが意を決して着信ボタンを押し電話に出た。

 

「もしもし…オペラお姉ちゃん」

「テイちゃん、私が言おうとしていることわかるよね?」

「うん……」

「ああいう言葉は誰かを傷つけるんだよ」

 

 怒るでもなく責めるでもなく、ただ悲しそうに呟いた。

 メイセイオペラは誰よりも優しかった。人の悪口は言わず、皆に気を配り、誰よりも人を傷つけるのを恐れて嫌っていた。幼い頃も間違ったことをしたら悲しそうに言われ、それが何よりも辛かった。

 

「でも…でも…世間は…皆…オグリオグリってオペラお姉ちゃんのことをどれだけ凄いことをやったのかちっとも理解しない!オペラお姉ちゃんのほうがずっと凄いのに!」

 

 ヒガシノコウテイは幼子のように喚く。

 オグリキャップへの言動は自身の主義主張も勿論あった。だが根底にあるものはオグリへの嫉妬だった。

オグリキャップとメイセイオペラの人気はヒガシノコウテイの理想より大きく隔離していた。メイセイオペラはもっと賞賛されるべきウマ娘である。だが世間の認知度は断然オグリキャップが上であった。オグリキャップは日本のアイドルウマ娘なら、メイセイオペラの知名度はせいぜい知る人と知る程度だった。それが何よりも許せなかった。

 

「トレーニング施設の質が中央より遥かに劣っている地方で育ったウマ娘がどれだけ大変なのか理解していない!中央から何度移籍を打診されても岩手の皆が、私が悲しむからって残ってくれたオペラお姉ちゃんの優しさもちっとも理解してない!それなのにオグリだけ美談扱い!おかしいよこんなの!」

 

 ヒガシノコウテイの独白は続きそれをメイセイオペラは口を挟まず黙って聞いていた。そして喋り終わり荒い呼吸音を聞きながらそっと切り出した。

 

「テイちゃんありがとう。でも私はそんな良い人じゃないよ。中央に移籍しなかったのもテイちゃんや岩手の皆と離れるのが嫌な唯の甘えん坊だからだよ。それに中央の設備でトレーニングするより岩手の皆でトレーニングするほうが強くなれると思ったから。全部自分のため、美談扱いすることじゃない」

「そんなことないよ……」

 

 どうしてそんなに謙虚なのだ、どうしてそんなに自分を卑下する。メイセイオペラは自分のために動く人ではない。他人の気持ちを思いやれる優しい人であることは岩手の皆には周知の事実だ。

 

「それに私は岩手が、岩手の皆が大好きだから残っただけだよ。テイちゃんだってそうでしょ?知っているよ、テイちゃんも中央に移籍しないかって打診されていたこと」

「違うよ、私はオペラお姉ちゃんみたいになりたいから」

「それこそ違うよ。テイちゃんが岩手のことが大好きだからだよ」

 

 ヒガシノコウテイも同じように誘われており、同じように拒否していた。自分自身もメイセイオペラのようになりたいからと思っていた。だが本心では岩手を愛しており離れたくないだけだった。

 

「みんなそれぞれ同じように苦悩を持っている。そこに上も下も凄い凄くないは無いんだよ」

「うん」

「それにオグリキャップさんが笠松で引退式をしたのだって、テイちゃんは恥知らずみたい言ったけど、その恥を忍んでも自分を育ててくれた笠松の皆にお礼を言いたかったんじゃないかな」

「うん」

「だからレースが終わったら謝ろう。私もついて行ってあげるから」

「そこまで子供扱いしないでよ」

 

 ヒガシノコウテイが不機嫌そうに呟くとごめんねとお茶目に笑う。それにつられてヒガシノコウテイも笑った。ひとしきり笑った後メイセイオペラがいつもより低く真剣みがある声できりかした。

 

「私はテイちゃんの心情が分かっているからオグリキャップさんへの言葉の意味が分かる。でも世間の皆はそう思わない。テイちゃんの言葉に怒ってフェブラリーステークスでもブーイングや文句を言われて、それが終わってからでも文句を言われるかもしれない、それは覚悟して」

 

 メイセイオペラの言葉に無言で頷く。

 もしメイセイオペラは地方に引き篭もった弱虫だと誰かに言われたら烈火のごとく怒るだろう。そのようなことをオグリキャップのファンに言ったようなものだった。そのことに気づかず感情に任せて喋ってしまった。何と愚かで幼稚な行為をしてしまったことを認識する。

 メイセイオペラは話を続ける。低く真剣みのある声からいつもの優しげな声に変わっていた

 

「地元のレースで懸命に走り、ウイニングライブで工夫を凝らしお客様を盛り上げ、交流重賞で地方の誇りを守るために中央を迎え撃ち、そして地方の力を示す為に中央に挑んでいったウマ娘達、そして地方を盛り上げようと努力している関係者の方々、そしてそんな地方を応援してくださるお客様すべてが地方の英雄なんです。

言い言葉だよね。泣きそうになっちゃった」

「ちょっとオペラお姉ちゃん、やめてよ」

 

 メイセイオペラはヒガシノコウテイの声を真似て先の発言を喋る。するとヒガシノコウテイは何故か羞恥心を感じ止めさせようとし、そのアタフタする姿が思い浮かびクスクスと笑う。

 

「地方での活動は中央に比べて少ない人の目にしか留まらない、交流重賞で無残に負けて、中央で最下位をとってバ場掃除と言われたウマ娘も一杯いる。でもみんな一生懸命やっている。そんな娘達をテイちゃんは英雄と言ってくれた。皆すっごく報われて勇気を貰ったと思う。オグリキャップさんへの言葉で敵を作った。でもそれと同じぐらい、それ以上に味方も作った。レースで苦しくなったら思い出して。私は、岩手の皆は、地方の皆はテイちゃんを応援している味方だよ」

「うん」

「じゃあ、レース頑張ってね。私も東京に行くから」

 

 通話は終了しヒガシノコウテイは息を深く吐いた。あの時咄嗟に出た言葉、その言葉をメイセイオペラは勇気をもらってくれたと言ってくれた。

 このレースに出る理由は南部杯での借りを返すために、岩手の皆を喜ばせるためだった。そして自分が言った地方の英雄達が報われるように、喜んでもらうために勝つという意志も加わった。

 ヒガシノコウテイは岩手のため、地方のため、他人のために走る。一流のスポーツ選手はエゴイストで自分のためにやらなければ大成できないという意見もあり、その意見から考えるとヒガシノコウテイは勝てないことになる。

 だが我欲はない。すべては周りのために走ることを今この場で決意した。

 

「続いて4番人気、セイシンフブキ選手です」

 

 セイシンフブキが姿を現す。上には白色の空手道着に下は緑のハーフパンツ、道着には桜吹雪が散りばめられている。

 

――――芝ウマ娘は芝以外走っちゃいけねえのかよ!

――――ダートなんて芝の二軍だろ!

 

 セイシンフブキがパッドクから出てくるともブーイングが飛んでくる。その殺気立った空気はヒガシノコウテイが登場した時の雰囲気よりさらに殺伐としたものだった。そしてセイシンフブキを応援するものはなかった。

 普段の言動から船橋のウマ娘、はては船橋のファンにも嫌われていた。唯一の味方といえるトレーナーも他人ごとのように見ている。以前はチームに居ながら一人でトレーニングを続けるセイシンフブキに態度を改めさせその気性を改善しようと試みていた。たが頑なに態度を変えないセイシンフブキに愛想が尽いた。そしてセイシンフブキに何も関与することがなくなった。今この場に味方は誰もいなかった。

 一方そのブーイングに対し声が聞こえたほうに一瞬向けるが何も反応を示すことはない。今までの言動や前々日会見の様子からこの殺気立った空気に反応して観客たちに噛み付いてくるとこの場にいる者たちは思っていた。

 だが静かすぎる。あの烈火のような気性が完全になりを潜めている。その様子は不気味さすら醸し出していた。

 しかしセイシンフブキは大人しくなったのではない。その激情を必死に押さえ込んでいたのだ。

 

(これでいいんですか、コンサートガールさん)

 

 前々日会見が終わった翌日、後一本の電話がきた。相手はコンサートガールだった。

 

「もしもし」

「ずいぶん派手にかましたな」

「昨日のことですか?事実を言っただけなんですけどね」

「上からは何か言われたか?」

「グチグチと言われました。知ったこっちゃないですけど」

 

 コンサートガールは愛想笑いをする。あれほどのことを言ったのだ。船橋ウマ娘協会への苦情は多く来ただろう。そしてその分だけ対応を強いられた船橋ウマ娘協会の上層部はセイシンフブキに説教をしたはずだ。

 そしてその説教を蚊が刺された程度にも感じず平然と受けた。それどころか説教すら受けずトレーニングに行く姿が思い浮かぶ。

 

「それでだセイシンフブキ、フェブラリーステークスに向けたアドバイスがある」

「本当ですが?是非教えてください」

「怒りを溜め込め」

「はい?」

「芝への怒り、ダートの扱いへの怒り、色々思う所があるだろう。だがそれを昨日の会見みたいに怒りを発散させるな。その怒りを溜め込みレースに使え」

「わかりました」

「話はそれだけだ。明日は期待しているぞ」

「ありがとうございます」

 

 セイシンフブキは電話を切り言葉の意味を考える。確かに今まで怒りを発散しすぎたのかもしれない。

 芝至上主義、ダートへの冷遇。レースを走っていると気に入らないことばかり出てくる。それに対し怒りをぶつけた。その怒りの発散が東京大賞典の敗北をよんだのかもしれない。

 

 ならばすべてを溜め込む。溜め込んで溜め込んだ怒りをレースで爆発させ、芝ウマ娘をたたきつぶしダートウマ娘の強さを見せつける。

 ダートを芝以上の価値にあげるという目標がある。そのためには勝ち続けなければならない。地方のことやファンのことは関係ない。すべて自分のために走る。

 セイシンフブキは決意を固めた。

 

「どうやらお前のアドバイスを聞いてくれたようだな」

「ああ、これで勝つ確率が少し上がった」

 

 パドック場の3階観客席、アブクマポーロとコンサートガールは双眼鏡を使いセイシンフブキの様子を見ていた。

 コンサートガールの口から語れたアドバイスはアブクマポーロのアドバイスだった。

そのアドバイスを伝えようと考えたが門前払いを食らうのは目に見えていたので、懐いているコンサートガールの口から言ってもらうことした。

 

「フブキの強さの源はダートへの強い執着とそれ以外への憎しみだ。ただそれを無駄に発散させすぎるきらいがあった。しかしそれを内に押し込めれば大きな爆発力を生むだろう。そうなれば充分勝算がある」

「でもそれでいいのかよ。アブクマポーロ?」

「何がだい?」

 

 コンサートボーイは声のトーンを下げて問いかける。

 

「セイシンフブキはもっと夢のためとか、仲間のためとか明るい要素を持って走れないのかよ。それこそお前への誤解を解けば芝への憎しみは薄れるんじゃないのか?」

 

 コンサートガールも現役時代はライバルに勝ちたい、1着になりたいと夢や希望を持って走っていた。それがウマ走る理由であり、だからこそ多くの人を惹きつけていると思っていた。

 だがセイシンフブキはまるで違う。元々芝を嫌っていたがアブクマポーロが芝に挑み袂を分かってから芝を病的に憎むようになっていた。セイシンフブキは怒りという負の力で走っている。それは何か違うような気がしていた。

 

「フブキは今でもダートを芝以上の地位にするという夢は持っている。ただ袂を分かってから怒りの感情の比率が多くなった。そしてそれがフブキを強くしていた。その強さは私の想像を超えていており、あのまま袂を分かっていなかったらあの強さを得られなかったかもしれない。フブキの夢を叶えるためには勝ち続けなければならない、そしてそのためには怒りは必要不可欠だ。ゆえに私から誤解を解こうとは思わない」

 

 アブクマポーロは涼しげな顔を浮かべ髪の毛を指で巻く。本音を言えば以前と同じように接したかった。だが理由はどうあれ裏切ってしまったことは変わりない。どんな形でもセイシンフブキの夢を叶えるために手助けする。それが唯一の償いであると考えていた。

 

 コンサートガールは反論しようとしたが口をギュッと噛み締め双眼鏡を手に取りパドックに目を移した。

 

 

「続いて1番人気、アグネスデジタル選手です」

 

アグネスデジタルがパドック場に姿を現す。すると大きな歓声がデジタルを出迎える。

 

――――頑張れデジタル!

――――勝ってドバイ行きを決めて来い!

 

 初めてのGIでの1番人気のせいか、いつも以上にフラッシュが眩しい。そして気のせいかいつもより観客のことがはっきり見える。

 あの女子高生ぐらいの女の子と目があった。すると隣の女の子に嬉しそうに喋っている。小さい男の子がお父さんに持ち上げられて自分を見ている。手に持っているのは自分のミニチュア人形だ。なかなか可愛く作られているな。

 

 不思議な感覚だった。今までは一緒に走るウマ娘のことを考えてパドックの時の記憶も薄かった。だが今は細かいところまで見えている。オペラオーとドトウにファンサービスしろと言われ意識し始めたせいだろうか。デジタルは観客の声に応えるようにランウェイを歩く。

 

 そしてトレーナーはじっくりとデジタルの姿を見ている。天皇賞秋ではウラガブラックを押しのけての出走で心無い声も浴びせられた。だが同じ東京レース場で1番人気として大きな歓声を浴びている。

 トレーナーは感慨にふけっていた。

 

 デジタルのパドックが終わると各ウマ娘がトレーナーの元に集まり最後の指示を受け、指示を受けたウマ娘達は地下バ道を通りコースに向かう。

 

「で、白ちゃん作戦は?」

「細かい作戦はない。前目につけろ」

「了解。それでパドックを見て白ちゃん的に推しウマ娘は?」

 

 トレーナーはパドックでのウマ娘の様子を振り返る。さすがGIウマ娘が何人もいるだけあり抜群の仕上げと言っていい体だった。判断に迷うところだ。

 

「みんな良さそうだが強いて言うならトゥザヴィクトリーの調子が良さそうだ。もし逃げるようだったらある程度マークをしろ」

「了解。ちなみにあたしはヒガシノコウテイちゃんかな!スポーツ新聞見て知ったんだけどオグリキャップちゃんへの発言でメイセイオペラちゃんのことをオペラお姉ちゃんって言ったんだよ。冷静沈着なウマ娘ちゃんがついプライベートの場での呼び方するいいよね!推しポイントが爆上がりだよ」

 

 なんだ推しポイントという意味不明なポイントはと言葉に出かけるが胸に押し込む。

 

「そういえば白ちゃん、あのサッカー部の部員達がいたよ」

「本当か?どこらへんだ?」

「あそこらへん、あっ、もう居ない。中に入っちゃったみたい」

 

デ ジタルは思い出したように指差すが、その方向にはそれらしき人物はいなかった。

 

「お前の応援に来たのか、それともウマ娘のレースに興味を持ったのか。どっちかは知らんが興味のない人間をレース場まで運ばせた。オペラオーの言う主役の責任を果たしたんちゃうか」

「そうかもね。ねえ白ちゃん。あたしは人よりウマ娘ちゃんが好きだし、人のファンにはそんなに興味ないし頑張ってくださいと言われてもちっとも嬉しくなかったし、ふ~んって感じだった。でもオペラオーちゃんやドトウちゃんのように振舞うようになったせいか、今日のパドックで観客の顔がよく見えたの」

 

 デジタルは自らの変化に少し戸惑いを感じながら喋る。確かに今までならウマ娘に夢中でサッカー部員に気づくことはなかった。それはデジタルの強さの一つでもあるウマ娘への執着が薄れていることなのかもしれない。だが一人のスポーツ選手としてはいい変化なのかもしれない。

 

「よし!サキーとのランデブーチケット取って、他のウマ娘を存分にしゃぶり尽くして、ついでにドえらいレースしてサッカー部員をお前のファンにしてこい!」

 

 トレーナーは激励するように背中を軽くたたく、だがデジタルは不満そうなしながら振り向いた。

 

「白ちゃんしゃぶり尽くすなんて下品すぎ~、ウマ娘ちゃん達は可憐で繊細なんだよ。愛でるっていわなきゃ。それにそんな言葉言うとセクハラで訴えられるかもよ」

「すまん」

「ちょっとそんな本気トーンで謝らないでよ」

「いや、セクハラはマジでシャレにならないから、気をつけなあかんと気を使っていたんだが…」

 

 デジタルは思った以上に真剣に謝るトレーナーに肩透かしをくらう。もう少し誂おうとおもっていたが興が削がれた。トレーナーも案外大変なんだなと僅かばかし憐れむ。

 

「大丈夫だよ白ちゃん。うちのチームにそれぐらいでセクハラと言わないから」

「ほんまか?」

「ほんまほんま、じゃあ行ってくるね。ドバイ行きを確定させて、ウマ娘ちゃんを存分に愛でて、ついでのついでで初めて見に来た人を楽しませてくるよ」

 

 デジタルはトレーナーに手を振ると地下バ道に降りていった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

『さあ、今年初めてのGIレースが始まります。冬のダート王を決めるフェブラリーステークス。各路線から様々なウマ娘が参戦してきました。出走ウマ娘の入場です。1番、近走は凡走が続きますが周囲をあっと驚く秘策はあるか?イシヤクマッハ。2番、去年のこのレースの覇者、ディフェンディングチャンピオンの意地を見せるかノボトゥルー』

 

 出走ウマ娘が次々と入場していく。歴戦の猛者達が集まっただけあり会場の大歓声にも動じることなく淡々とゲートに向かっていく。

 

『東北の英雄が扉を開いた!その後に続けるか?東北の皇帝が東京に初見参!東北から日本の皇帝へ!8番ヒガシノコウテイ!』

 

 ヒガシノコウテイがバ場に入るとある一帯から大歓声が上がる。それは岩手から来た応援団によるものだった。ヒガシノコウテイはその存在に気づくと応援団に向かって手を交差し高々と上げる。その意味は岩手のウマ娘ファンにはすぐにわかった。

 リストバンドに書かれた「明」と「正」の二文字。それを観客席に見えるようなこのポーズ、かつてメイセイオペラが本バ場入場時、そしてウイングライブで見せるものだ。リストバンドをくれた両親をアピールするかのようなこのポーズは、大人しいメイセイオペラが見せる唯一のパフォーマンスだった。

 そしてヒガシノコウテイがとった意味はメイセイオペラの、岩手の想いを背負って走るという決意表明だった。その意味を察知したファンたちはさらなる歓声を上げた。

 

『地方ダート、中央芝、海外芝、次に挑むは中央のダート!誰も歩んでこなかった道を未だに邁進中、ここを取りドバイへの道を切り開けるか!?本日の1番人気アグネスデジタル!』

 

 アグネスデジタルは観客席を一瞥すると、駆け足でヒガシノコウテイちゃんの隣を並走した

 

「久しぶりだね、ヒガシノコウテイちゃん。あたしのこと覚えている?」

「ええ、もちろんです」

「オグリキャップちゃんとの問答の記事見たよ。いいよね、オペラお姉ちゃんって呼び方。胸がキュンキュンきちゃったよ!普段はその呼び方なの?」

「想像にお任せします」

 

 デジタルはフランクに喋りかけ、ヒガシノコウテイはデジタルを振り切るために加減速することなく、普段通りにゲートに向かう。

 デジタルはあることに気づく。南部杯では張り詰めていた感じだったが、今はどっしりと構えている落ち着きがあった。前回の感じも好きだがどちらかといえば今の雰囲気が好きだな。

ヒガシノコウテイは今の心境を振り返る。南部杯の時は中央に取られてはならない、岩手の大将として守らなければならない。何よりトップとしての責任を果たさなければならないという気持ちはあった。今思えばそれは自分のためだった。

 今は違う。すべては岩手のため、地方のためにフェブラリーステークスに勝つ。そこには我欲はなかった。

 

『ダートは私の庭!庭を荒らす者はたたきつぶす。ダートに青春を捧げ、ダートに命を燃やすダートの鬼!史上初の南関4冠ウマ娘、真夏の吹いたブリザードが冬の東京でも吹き荒れるか?南関の求道者!12番セイシンフブキ!』

 

 会場の一部からブーイングが飛んでくる。だがセイシンフブキはそれが聞こえていないようにゆっくりと歩く。怒りがこぼれ落ちないように。

 ゲート付近に視線を向けると一瞬足に力が入り足首が深く砂に沈む。ダートレースなのに芝を走らなければならない。それは屈辱以外のなにものでもなかった。

 芝を走ったウマ娘はたたきつぶす。地方でダートを走りながらもアブクマの芝出走に理解を示した軟弱者はねじふせる。セイシンフブキは怒りを懸命に押し込めゆっくりとゲートに向かう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「まずいね」

「ああ、まずいな」

 

 アブクマポーロとコンサートガールは困っていた。パドックを見終わりコース側の観客席に移動するが予想外のことが起こっていた。レースを見る空間が無いのだ。座席は埋まっているのは立ち見するスペースぐらいはあるだろうとタカをくくっていたが、物の見事にスペースが埋まっており人の多さで通路は埋まっており見るどころか移動するのすら一苦労である。

 パドックのモニターで見るという手もあるがそれではあまりにも味気ないし、折角なら自分の目でレースを見たい。どこか、どこかスペースは無いのか。人をかき分け当てもなく探す二人だが思わぬ人物に出くわす。

 

「あっ」

「あっ」

 

 二人は思わず声が出た。メイセイオペラだ。自分たちと同じように後輩を応援しに来ていることは不思議ではないがこの広い東京レース場で出会うとはなんという偶然だろう。

 

「こんにちはアブクマポーロさん、コンサートガールさん。奇遇ですね」

「ああ奇遇だね。ところでどこか空いているスペースはないかい。予想以上に人が多くて」

「そうですか。ちょっと待ってください」

 

岩手の応援団に声をかける。すると椅子に座っていた子供が大人の膝上に乗り、座席に置いていた荷物をどかして二人分のスペースを作り上げた。

 

「どうぞ」

「すまないね」

「ありがとう」

 

 二人は礼を述べて一心地つく。この大人数をかき分けて移動するのは予想以上に体力を消耗した。

 

「助かったよ。実は東京レース場に来たのは初めてでね。ここまで人が多いとはおもっていなかった」

「私も観客として来るのは初めてですから、皆と来ていなかったら同じようになっていたでしょう」

 

 コンサートガールは談笑しているメイセイオペラとアブクマポーロの姿を眺める。かつて競い合ったライバルが現役を退いても偶然の出会いで肩を合わしているのは不思議な気分だった。

 

「君の後輩のヒガシノコウテイは強いね。君に続いての中央GI制覇を期待できそうだ」

「ありがとうございます。それを言うならセイシンフブキさんも勝てる可能性は充分にありますよ」

「ありがとう。しかし新聞で読んだが意外だったよ。フブキとは違い優等生な印象があったヒガシノコウテイがオグリキャップに噛み付くだなんて」

「なんというか……地方に対する想いが強すぎてちょっとだけ過激な言動をしてしまうんです。本当は大人しくて優しくて良い子なんですよ」

「あのオグリに言った言葉は地方出身として胸に響いたよ」

 

 アブクマポーロの言葉にメイセイオペラは笑みをこぼす。オグリキャップという稀代のアイドルウマ娘に過激な言葉を投げつけたことでイメージを悪くもたれていないか心配だったが杞憂だった。想いはちゃんと伝わっている。

 

「それに比べフブキはもう少しオブラートに包むことを学んで欲しいものだ。そうすれば少しは理解してくれる人もいるだろうに」

「そうですね、確かにセイシンフブキさんの言葉は過激で人を傷つけるものです。そこは直さないといけないと思います。ですがダートへの想いとダートへの誇りが伝わってきました。あの主張はダートウマ娘の誰しもが思っていることだと思います。彼女は言いたいけど言えないことを代弁してくれたのです」

 

 メイセイオペラもセイシンフブキの言葉に共感できることがあった。例えばフェブラリーステークスの芝スタート。現役時代にスタート対策で練習をしていたが何故ダートレースなのに芝の練習をしなければならないのかという若干の理不尽さは感じていた。

そしてその言葉に今度はアブクマポーロが笑みを浮かべる。過激な言動に隠れたダートへの純粋な想いを理解してくれる人がいること嬉しかった。

 

 一方出走ウマ娘はゲートに次々と収まっていく。レース開始がすぐそこまで迫っている。

 

「結果はどうあれ悔いの残らないレースを欲しいですね」

「ああ、勝利を願っているが負けたとしてもこれを糧にして強くなって欲しい」

 

 二人はゲート付近に視線を向け喋られなくなった。

 

 メイセイオペラと同じように岩手を愛し地方を愛するヒガシノコウテイ。

 アブクマポーロと同じようにダートを愛し誇りを持つセイシンフブキ。

 二人は紛れもなくメイセイオペラとアブクマポーロの魂を受け継いだ後継者だった。自分の後継者がどのようなレースを走り、このレースの後どのような競走生活を歩んでいくのか。そのことに思いを馳せる。

 

 そしてレース場ではファンファーレが鳴り響き各ウマ娘達のゲート入りが終了する。

 

『次は東京レース場、第11レースGIフェブラーステークス。ダート1600メートルです。凄まじいパフォーマンスを見せつけたウラガブラックは残念ながら怪我でここにはいません。ですがGIウマ娘10人というダート王を決めるのに相応しい猛者が揃いました。

公営の刺客か、中央のダート猛者か、それとも芝からの来訪者か。答えが出ます。

今…スタートしました』

 




次でフェブラリー編は終わりです。
今後のアイディアはある程度有りますが書くスピードが絶望的に遅い!
ウマ娘のアプリが配信されるまでに書き終わりたいですが果たして……


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勇者と皇帝と求道者#6

『さあ、スタートを切りました。先頭は奪うのは外枠ノボジャック、それに続くのはトゥザヴィクトリー、サウスヴィグラス、ノボトゥルー昨年の覇者です、そして公営のヒガシノコウテイ、その1バ身後ろに一番人気アグネスデジタルはここにいます。そしてその後ろはセイシンフブキだ、これはアグネスデジタルをマークしているのか?』

 

 東京ダート1600メートルは芝スタートしてダートコースに入るまで芝を150メートルほど走る。内と外ではが30mほど芝部分が長く、芝を走るほうがスピードが出る。その利を活かしてノボジャックが先頭に立った。

 

(これぐらいかな。ここならトゥザヴィクトリーちゃんの動きも見られるし)

 

 デジタルはトレーナーの指示通り前目のポジションをとる。

 スタートは上手く飛び出せもう少し前目につけられたのだが、トレーナーの言葉を思い出し少しスピードを落としトゥザヴィクトリーを先に行かせる。この位置ならマークでき、その後ろのヒガシコウテイも見られる。ただ。

 

(勝負服のマントが邪魔でよく見えない……マントが無ければうなじが見えるんだけどな~)

 

 ヒガシノコウテイの左肩に縫い止められたマントがはためきその後ろ姿が覆い隠される。

 気分がわずかに落ち込むが気を取り直して、ヒガシノコウテイの少し外側の誰も前にいない位置に付ける。

 ダートでは芝と違い蹴り上げられた砂が飛んでくる。その影響はバカにはならず当たればそれなりの衝撃であり、目に入ればスピードは一気に落ちる。それだけにポジション取りは重要だった。

 

 ヒガシノコウテイはアグネスデジタルの様子を気にしながら前を行く三人を見据える。トゥザヴィクトリーにノボトゥルー、両者ともにこのレースで好成績をあげている要注意だ。いつでも動けるように準備をする。

 

 セイシンフブキは先頭から七人目、中団とも言えるポジションだった。

勝った南関4冠のレース、そして前走の3着に破れた東京大賞典などはすべて3番手以内につけており、この位置でレースをするのは初めてだった。だが動揺や焦りは一切ない。淡々とレースを運んでいく。

 

『そしてその後ろにはイシヤクマッハ、プリエミネント、その後ろにスノーエンデバーにゴールドティアラにワシントンカラー、その1バ身後ろに川崎記念覇者リージェントブラフに昨年のジャパンカップダート覇者ウイングアロー、そしてイーグルカフェ、ゲイリーイグリットが続きます』

 

 先頭から最後尾まで約20バ身で前半3ハロン35秒1。1000メートル58秒8。緩みのないペースでレースは進んでいく。このペースでは前も後ろ有利不利はなく、どの位置からでも実力が発揮できる流れになる。

 

『さあ3コーナー向こうの大欅を通過し16人が直線に向かう。半数以上がGIウマ娘!ダートの頂点を勝ち取るために体と魂を燃やす。その熱気は冬の冷気をかき消すぞ』

 

 各ウマ娘が府中の直線500メートル、高低差3メートルの坂を駆け上がる。

 先頭のノボジャックが下がってくると先頭にトゥザヴィクトリーが躍り出る。それを追撃するノボトゥルーにヒガシノコウテイ。そして二人分の外からアグネスデジタルが猛然と駆け上がる。

 スタートを上手く切り、道中は不利を受けない良い位置につけ、直線で良い足を使う。

 テン良し、中良し、終い良し。

 

 それはデジタルが恋焦がれるサキーのようだった。ダートで走り先行していてもテイエムオペラオー、メイショウドトウ、キンイロリョテイを撫で斬った切れ味は変わらない。あっという間に差を広げていく。

 

『1番人気がやってきた!アグネスデジタルがトゥザヴィクトリーを抜き去り先頭!その差は2バ身、3バ身ダート王者の称号を手に世界最強に挑むのはアグネスデジタルか!?』

 

(強い……)

 

 あの位置でこれほどの切れ味、これが中央のトップの力なのか。ヒガシノコウテイはトゥザヴィクトリーとノボトゥルーと横一線に並びながら懸命に食い下がっていた。今でも精一杯なのに、これでアグネスデジタルを抜き返そうとするならばさらに力を出さなければならない。無理だそんなこと、体が壊れてしまう。

 

(無理しなくていいよね……私頑張ったよね……)

 

 ヒガシノコウテイの心はデジタルの切れ味の前に切り伏せられていた。

 

―――地方を守るから、中央のいじめっ子をやっつけてあげるから。そして地方のウマ娘は中央に負けないってことを証明してあげるから

 

 突如脳内で声がリフレインする。

 この声はオペラお姉ちゃん?そしてこれはあの時だ。トウケイニセイさんがライブリラブリィに負けて、悔しくて悲しくて。秘密のトレーニングセンターで我武者羅に走って体調を崩した時だ。

 そして視界にリストバンドが入る。目に映る「明」「正」の二文字。

 

―――今の走りが皆を『明』るくさせられるのか?今の走りが『正』しいのか?

 

違う!

 

 トウケイニセイはライブリラブリィに負けた時でも最後まで諦めなかった!メイセイオペラはどんな逆境でも諦めなかった!そして中央のGIを制した。そして中央に挑んだ地方ウマ娘達、結果は散々だったかもしれない。それでも彼女たちは地方の力を示すために一つでも着順をあげるともがいたはずだ。決して今の自分みたいに諦めなかったはずだ!

 こんな走りが正しいわけがない!

 

 皆を明るくさせる正しい走り。それはすべてを懸けてデジタルに挑み1着を勝ち取ることだ!

 そして自分は地方の代表として走っている。2着では中央に勝ったことにはならない、それは敗北であり地方の敗北を意味する。

 

――――所詮地方は中央に勝てない

 

 それを覆したのがメイセイオペラだった。

 メイセイオペラとそのライバルであるアブクマポーロが現役時代はダートの頂点はこの二人であり地方ウマ娘であった。

 メイセイオペラとアブクマポーロは地方が中央の2軍ではないことを証明した。二人のおかげで多くの地方ウマ娘は勇気と誇りをもらった。それはヒガシノコウテイも同じだった。

 ならば今度は自分が地方の力を示し勇気と誇りを与える番だ。レースに勝って次世代のウマ娘が来るまで地方が中央に負けていないと証明し続けなければならない。

 

 

「私はトウケイニセイさん、オペラお姉ちゃん。東北の怪物と東北の英雄の魂を継いだ東北の皇帝!ヒガシノコウテイだ!」

 

 故障しても構わない、この体が砕けてもかまわない!命懸けでアグネスデジタルに勝つ!

 ヒガシノコウテイ今この瞬間走ったレースの中で最も力を振り絞っていた。

 

 命懸けで頑張るという言葉がある。

 

 ただ人は自分のために命懸け直前までは頑張れるが、真に命懸けで頑張ることはできない。自分で自分の命を投げ出すことができないからだ、それが一人の限界である。

だが他者のためになら命を投げられる、限界を超えて命を懸けられる。

 メイセイオペラが作り上げた流れを途絶えさせないために、地方を愛するすべての者に勇気と誇りを与えるために、すべては他者のためにヒガシノコウテイは命懸けで頑張っていた。

 

『ヒガシノコウテイが盛り返す!アグネスデジタルとの差を3バ身、2バ身に縮めていく。そしてこれは?セイシンフブキだ!セイシンフブキが猛然と襲いかかる!東京にブリザードが吹き荒れる!』

 

 ヒガシノコウテイが抜け出すと同時に中団に控えていたセイシンフブキが地鳴りを上げ砂塵を巻き上げながら追い上げてくる。その勢いは凄まじく、ノボトゥルーとトゥザヴィクトリーの3番手グループあっという間にたどり着く。

 

「失せろ芝ウマ娘」

『セイシンフブキがトゥザヴィクトリーとノボトゥルーを抜いて三番手に上がった!』

 

 セイシンフブキはトゥザヴィクトリーに吐き捨てると次なる獲物に意識を向ける。

 

 パドックでダートは芝の2軍と言った奴は血祭りにあげたかった。芝ウマ娘の顔を見ただけで吐き気がした。芝の上に立ちながらゲートに入ったときはあまりに不愉快で気が狂いそうだった。普段だったら数回は爆発し暴れまわっていただろう。

 だがセイシンフブキは耐えた。アブクマポーロのアドバイスを信じその怒りのエネルギーのすべてをこの直線で爆発させる。

 ダートのGIレースというのはダートにすべてを懸けて命を燃やすダートプロフェッショナル18人が集まりおこなうもの、それが本当のダートGIである。いわばダートの聖域だ。

 そのレースに見て感動したものがダートプロフェッショナルへの道を志す。それが正しいあり方であり理想だ。

 

 だが負け続けた芝ウマ娘がダートの才能があるかもという淡い希望を持って挑み破れて、それに懲りず芝ウマ娘が挑んでくる。そして聖域が汚されていく。ダートに本気なものに芝で走っていた生半可な気持ちの者が勝てるわけがない。それが真理であり、そうでなければならない。

 だからこそダートの未来のために勝つ、いや殺す。

 圧倒的なレースで勝ちアグネスデジタルにダートに挑む気力をへし折る。そして次は復活してくるであろうウラガブラックだ。

 それでも挑む芝ウマ娘がいればたたきつぶし、何度でも何度でも息の根を止める。そして芝ウマ娘は誰も寄り付かなくなり聖域は完成し、いつしかダートを芝の2軍という奴はいなくなる。そしてダートは芝と対等の価値になり、いずれダートが上回る。

 

 レース前日、セイシンフブキはファンや地方のためにではなく自分のために走る決意した。だがそれは正確に言えば違っていた。自分のためではない。自分が愛したダートの為に走ることだった。ここにもまた一人、他のもののために命を懸けるものがいた。

 

『そしてセイシンフブキがヒガシノコウテイに並んだ!東北の皇帝と南関の求道者が中央に襲いかかる!』

 

「芝ウマ娘のついでにあいつを擁護するお前もついでにたたきつぶす。これはダートの明日を懸けた戦いだ。お前は盛岡や中央の芝で走っていろ!」

「いやです。私には芝の才能は無い、でもダートの才能はあります!この才能で中央に勝ちます。これは地方の明日を懸けた戦いなんです!地方の総大将は私です。勝たなきゃいけないのは私なんです!」

 

 二人は示し合わせたように接近し、今にも接触しそうなほど近づいた。

地方ウマ娘でありながら一人は地方の為に、一人はダートの為に走る。同じような境遇に生まれながら目指すものは違う。

 こいつには負けられない。その気持ちがお互いの勝負根性を引き出しさらなる力を生み出す。そのためにお互いは無意識に共闘を選んだ。二人の目標は違うがいま達成すべき目的は一つ。

 

打倒アグネスデジタル

 

 

(((アグネスデジタルさんドバイで待っていますよ)))

(うん。勝ってそっちに行くから待っていてねサキーちゃん!)

 

 デジタルの意識にはいま後ろで走るウマ娘は存在しない、意識は前にいる作り上げたイメージのサキーに向けてイメージが話した言葉に返答する。

 これに勝てればサキーと一緒に走れる。どんな素敵な体験が待っているのだろう。楽しみで今からワクワクが止まらない。デジタルは息苦しさを忘れて笑顔を見せる。

 

(((ア……グ……ネ……ス……)))

 

 急に音にノイズが混じりほとんど声が聞こえない。そしてイメージのサキーの姿が崩れていく。それに急に息苦しくなった、それに寒気もある。何が起こっている?デジタルは引き寄せられるように後ろを振り向く。そこには地方とダートのために命を懸ける護国の鬼がいた。

 その護国の鬼達が徐々にそして確実に迫ってきている。息苦しさと寒気はこの二人によるものか、近づくにつれ息苦しさと寒気がどんどん増してくる。

 

――――近寄らないで、こっちに来ないで!

 

『公営二人がアグネスデジタルに迫る!ドバイへの道は閉ざされてしまうのか!?』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

『公営二人がアグネスデジタルに迫る!ドバイへの道は閉ざされてしまうのか!?』

 

「どうしたんやデジタル!?」

 

 デジタルのトレーナーは出走ウマ娘のトレーナーが一同に集まっている部屋でモニターを見ながら思わず叫ぶ。デジタルが右に数メートルほど斜行した。レース中にバ場の状態が良いところを走りたいので斜行することもある。

 だが今のは違う。あれは意図せず斜行、寄れるという状態だ。

 寄れるのは主に全力で力を出すあまり真っ直ぐ走れなくなって起こることである。だが見ている限りそこまで苦しいレース展開には見えない。第一どんなことがあっても寄れないように鍛えている。疲れでデジタルが寄れることはないはずだ。

 だとすれば故障?故障したウマ娘が寄れてしまうことがある。するとデジタルのある変化に気づく。デジタルはこのレースではいつも通り笑っていた。だが今はその笑顔は消え失せていた。

 この表情から察するに怪我による寄れではない。怪我であったならもっと痛みに耐え歯を食い縛るはずだ。しかし今のデジタルの表情は何かに追われて怯えているようだった。

 

何が起こっている?

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

(なにあれ?怖い怖い怖い怖い!)

 

 デジタルが寄れたのは恐怖によるものだった。

 このまま並ぶことがあれば、あの二人に接近して走らなければならない。それを拒絶したデジタルの体は無意識に右に寄れて二人から距離を取ることを選んだ。

 デジタルは他のウマ娘と体を合わせながら走る根性勝負が好きだった。五感で愛しいウマ娘を感じられる極楽スポットが走っているウマ娘の隣であり、そのウマ娘を感じたいという情念がデジタルの勝負根性を生む。

 今迫っているのはヒガシノコウテイとセイシンフブキであることは辛うじて分かっている。レース前ならヒガシノコウテイは推しウマ娘ポイントトップであり、是非とも体を合わせ隣で走ってみたいウマ娘だった。だが今は違う。

 

横顔も見たくない、息遣いも聞きたくない、匂いも嗅ぎたくない。

 

 デジタルは競走生活で初めて根性勝負を拒否したのだった。その結果3人分ほどの横幅を取ることに成功した。だがその代償に僅かなタイムロスを生み二人は差を縮めていく。

 

 残り100メートルを残してデジタルと二人の差は1バ身、だがデジタルにはそのリードはゾロに等しく感じていた。

 脳裏には敗北の二文字が過る。そして同時にサキーの姿が思い浮かんでいた。

 ここで負けたらサキーと会えない。サキーと一緒に走れない。やだ!やだ!そんなの絶対にやだ!

 デジタルはサキーと一緒に走りたいという願望を心の奥底からかき集め自らを奮い立たる。その僅かばかりの勇気で地方とダートの鬼達の恐怖に対抗する。

 

『差が詰まっていくが僅かに残った!アグネスデジタル1着!2着はわずかにセイシンフブキか?アグネスデジタル前人未到のGI4連勝!しかも地方ダート、中央芝、海外芝、中央ダートでの4連勝!』

 

 最後はデジタルの勇気と地力がダートと地方の鬼達の恐怖と猛追を打ち払った。

 二人に煽られながらも何とか粘り込んでの勝利、テン良し、中良し、終い良しのレースで見方によっては完勝に見える内容だった。だが勝ったデジタルは全くそう思ってはいなかった。

 薄氷の勝利、それどこらか勝ったとすら思えなかった。その証拠にゴール板を1着で駆け抜けた後の表情は喜びではなかった。まるで死地から生還したような安堵の表情だった。

 デジタルは観客席にアピールすることなく逃げ帰るように地下バ道に降りていく。

 

「お疲れさんデジタル。直線で寄れたけど大丈夫か?」

「うん……」

 

 デジタルはトレーナーの元にゆっくりと近づくが体が蹌踉めき、トレーナーは反射的に体を支える。その時二の腕に触り異変に気づく。

 体が冷たい。全力で走った体は体温が上がっているはずだ、それなのに想像より遥かに冷たい。それに顔も血の気が失せている。こんなデジタルは初めて見た。

 

「デジタル何があった?」

「あたしは逃げたの……迫り来る二人が怖くて……」

 

 その言葉でトレーナーはデジタルに起こったことをすべて察する。あの寄れは並走を拒否した結果、この体の冷たさは冷や汗によるものだ。

 

「あたしはウマ娘ちゃんが大好きで大好きで、自分に向けられる感情は無関心以外ならどんなものでも受け止められるつもりだった。嫉妬だって、大嫌いって気持ちだって。でもあの二人から向けられる気持ちは受け止められなかった。あれは何なの?分からないけどとっても怖かった……」

 

 デジタルは直線で感じた恐怖を思い出し両手でスカートの袖を強く握った。セイシンフブキとヒガシノコウテイの何に恐怖したのか?それは二人の執念だった。自分が愛するものを守るために絶対に勝利するという殺意にも似た執念。その濃縮された二人の執念をもろに受けたデジタルは萎縮してしまったのだ。

 

「デジタル、本来なら早く家に帰ってゆっくり休めと言いたいところだが、勝利者インタビューとウイニングライブがある。酷かもしれんが何とか気持ちを切り替えてくれ。とりあえず着替えて来い」

「うん」

 

 デジタルは砂で汚れた勝負服を着替えるために控え室に向かう。その後ろ姿はひどく小さく弱々しかった。

 このレースはある意味デジタルがもっとも追い詰められたレースだった。トレーナーにはメンバー強いことは分かっており油断も慢心もなかったつもりだった。だが心のどこかでテイエムオペラオーとメイショウドトウと走った天皇賞秋より楽な戦いとは思っていた。

 そしてデジタルを追い詰めた地方ウマ娘の二人、地方に入る者は能力が低い、体に重大な疾患を抱えているなどという理由で中央のトレセン学園に入れなかった者だ、そして地方のトレーニング設備は中央に比べて劣っている。

 特に施設の差は大きく、普通に考えれば地方のウマ娘が中央のウマ娘に勝てないと考える。だがヒガシノコウテイとセイシンフブキはデジタル以外の中央のウマ娘に先着し、デジタルをここまで追い詰めた。これが地方でしか培えない力なのか。

トレーナーは改めてウマ娘レースの奥深さを痛感していた

 

 そしてデジタルは新しい勝負服に着替え設置されている姿見に向けて作り笑いをする。だがその笑顔はすぐに解けてしまった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

ウイニングライブが終わり観客達は家路に着くなか、ヒガシノコウテイとそのトレーナーも関係者口に向かう。

 

「よく頑張った」

「ありがとうございます…」

 

 トレーナーは慰めと労いの言葉をかけるがヒガシノコウテイの耳には届いており機械的に返事をするが、頭には全く届いていなかった。

 

 負けた。絶対に負けてはならないレースだったのに。このレースで地方は中央に負けていないということを証明しなければならなかった。

 だがアグネスデジタルに負けて2戦2敗。これで格付けが済んでしまった思う人もいるだろう、そしてもう再戦の機会は訪れないだろう。

 あそこで一瞬でも心が挫けなければ!もっと上手く立ち回っていれば!

 ヒガシノコウテイの後悔が渦巻く、ふと窓から見える景色を見ると空には満月が浮かんでいる。その模様はいつもなら兎に見えるのだが今日に限って髑髏が自分を嘲笑っているように見えた。髑髏から目線を外すように下を向く

 

「お疲れ様ヒガシノコウテイ!」

「顔を上げてくださいヒガシ先輩!」

 

 俯きながら歩くヒガシノコウテイを出迎えたのは東北の応援団だった。コーンで仕切られ警備員が警備している外側から声をかける。彼らはウイニングライブが終わるとすぐに関係者口に向かい出てくるのは待っていた。東北を代表して懸命に走ったウマ娘に激励の言葉を送る。ヒガシノコウテイは一瞬顔を上げるがすぐに俯いた。

 気持ちはありがたい、涙が出るほど嬉しい。だが今だけはその心遣いが辛かった。みんな貴重な時間を削って東京レース場に来てくれた。それなのに歓喜の瞬間を味あわせることができず、落胆させてしまった。とても合わせる顔がない。

 

「テイちゃん」

 

 暖かみのある優しい声が聞こえてくる、メイセイオペラの声だ。優しいメイセイオペラなら慰めの言葉をかけてくれるだろう、だがその分だけ惨めになる。ヒガシノコウテイは頑なに下を向く。

 するとメイセイオペラはコーンを飛び越え警備員の制止を振り切り近づくとヒガシノコウテイのほっぺを掴み強引に上を向けさせ真っ直ぐに目を見つめる。

 

「テイちゃんは本当に頑張った。今日の走りは多くの地方ファンや地方ウマ娘に勇気を与えたよ。責める人なんて誰ひとりいないよ。もしそんな人がいたら私がやっつけてあげる。だから自分を責めないで」

 

 メイセイオペラは力こぶを作る。その細腕と似つかわしくない姿にヒガシノコウテイの口角が若干上がる。それを見てメイセイオペラは笑みを浮かべた。

 

「そして前を向こう。負けても前を向く姿だって多くの人に勇気を与えてくれるんだよ」

 

 その言葉を聞いてヒガシノウテイは目を見開く。

 そうだメイセイオペラだってアブクマポーロに何度負けても立ち上がり前を向いてきた。強いだけが英雄じゃない、逆境にも挫けず何度でも立ち上がれるのも英雄だ。

 

「ありがとうオペラお姉ちゃん」

 

 ヒガシノコウテイの目に光が宿る。それを見てメイセイオペラは手を離した。そしてヒガシノコウテイは応援団に近づき一礼する。

 

「今日は応援ありがとうございました。そして岩手に優勝レイを持ち帰れず申し訳ございませんでした。ですがこれから私のレースは続きます。かしわ記念、帝王賞で中央から地方を守り、マーキュリーカップ、クラスターカップ、そして南部杯で岩手を守る戦いが待っています。弱い私でも皆様の応援が力になり戦うことができます。負けた私ですがこれからも声援のほどよろしくお願いします」

 

 これかも地方と中央の戦いは続く、フェブラリーステークスに負けた相手が捲土重来をはかり、まだ成長途上の中央の強豪が牙をむいてくる。すべての交流重賞に出走できるわけではない。だが一つでも多くのレースに出て地方を守る。自分は地方の大将格なのだ。下ばかり見ていられない。

 

「当たり前だろう!」

「ヒガシ先輩だけに負担をかけさせません。私達だって頑張ります」

 

 ヒガシノコウテイの言葉に暖かい声援がとびその言葉に涙ぐんでしまい手で涙を拭った。岩手に所属していて本当によかった。ヒガシノコウテイは心の底からそう思っていた。

 すると応援団以外の出待ちのファン達からざわめきの声があがる。何が起こっているのかと辺りを見渡すとその原因はすぐに分かった。

 

 オグリキャップがヒガシノコウテイも元に近づいてきている。その表情は真顔で現役時の近寄りがたい雰囲気は健在だった。一歩ずつ近づくたびに緊張感が増し誰もが言葉を喋らずオグリキャップの様子を見守っていた。

 

「オグリキャップさん。先日の失礼な発言の数々申し訳ございませんでした」

 

 ヒガシノコウテイが45°の角度でお辞儀をして最敬礼をする。あの時は感情に任せて暴言を吐いてしまった。許してくれないかもしれないが謝罪するのは人としての筋だ。そしてオグリキャップはその後頭部を見ながら微動だにしない。その態度がさらに周囲に緊張感を与えヒガシノコウテイも思わず唾を飲む。

 

「良いレースだった」

 

 オグリキャップはぶっきらぼうに言うと踵を返していく。

 これは許されたのか?ヒガシノコウテイは足音で離れているのを察知し頭を上げて深く安堵の息を吐いた。

 一方オグリキャップは今日のレース、ヒガシノコウテイの走りについて思い出していた。

 現役時代、笠松から中央のトレセン学園に転校した。

 そのことについて何一つ後悔はない。多くのライバルに出会い充実した設備で鍛え上げ多くの中央のレースで勝つことができた。そして勝つことで間接的に笠松の知名度をあげることができた。

 中央に入り多くの強さを得られた。それと同時に多くの強さがこぼれ落ちた気がした。

もし笠松に残り『私たち』のオグリキャップとして走っていたとしたら同じぐらいに強くなれたのだろうか?その答えの一端をフェブラリーステークスで見られた。

 ヒガシノコウテイのあの走りを見て誰ひとり弱いと言うものはいない。あの強さは地方に残り『私たち』のヒガシノコウテイとして走り続けたことで得た強さだ。

 

 自分の道も間違っていなかったが、もう一つの道も間違っていなかった。それをヒガシノコウテイが証明してくれた。次の公式ブログで書く記事は決まった。タイトルは

 

―――もう一人の自分が示してくれた強さ

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 体が鉛のように重く節々が痛い。いつもなら軽々と持てるレース道具が入ったショルダーバックがとてつもない斤量に思えてくる。

 セイシンフブキはヒガシコウテイが向かった関係者出入り口とは別の関係者出口に向かっていた。

 トレーナーに荷物を持ってもらえれば楽だがもう居ない。恥さらしと一言告げて一人で帰ってしまった。そのことを責めるつもりはサラサラない。

実際あれだけの口を叩いておきながら負けた、恥さらしの何者でもない。むしろ恥さらしでもまだマイルドなほうだ。自分だったら「かっこよすぎて、あたしなら自殺するわ」ぐらいの罵倒をしているだろう。

 レースに負けたセイシンフブキの心中を占めているのは怒りである。勝ったアグネスデジタルにではない。芝ウマ娘に負けた自分の弱さにだ。

 これでますますダートは芝の2軍という奴が増えるだろう。だが実際反論のしようがない。それに言ったとしても負け犬の遠吠えだ。

 

 関係者口を出ると他のウマ娘を出待ちしていたファンが一斉に目線を向けて、ヒソヒソと話し嘲笑の目線と言葉をむける。それどころか空に浮かぶ満月の兎に見える模様すら遥か上から嘲笑しているようだった。

 

 セイシンフブキは関係者口を抜けて敷地内から公道に出る。ここから駅まで徒歩だ。徒歩10分ぐらいだがこの状態じゃ長い道のりになりそうだ。

 すると一人のウマ娘が寄ってくる。袖は白色で胴の部分は青色、青の部分には横一文字に赤色のイナズマが入っている。背格好からジュニアの一番下か、入学前といったところか。

 

「セイシンフブキさん、いや師匠!私を弟子にしてください」

 

突如そのウマ娘は往来の前で土下座する。行き交う人は奇異の目線をむけるがセイシンフブキはそれに動じることなく見下ろす。

 

「断る。帰れ。それにあたしは負けた恥さらしだ。得るものなんて何一つない。弟子入りしたいならアグネスデジタルのところでも行け」

「嫌です!私はセイシンフブキさんの弟子になりたいんです!」

 

 セイシンフブキの冷徹な言葉を頑なに断る。その強固な意志に興味を示したのか問いかける。

 

「何故あたしなんだ?」

「私は今日のレースを見て…セイシンフブキさんのレースを見て…ダートは凄えと思いました!なんでか分からないですがとにかく凄え!ダービーよりジャパンカップより今日のフェブラリーステークスのほうが心が熱くなったんです!今までダートより芝のほうが好きでした!今では違います!このダートを極めたい!そして中央じゃなくて船橋に入って私を熱くさせてくれたセイシンフブキさんの下で学びたいんです!」

 

その言葉を聞き過去の記憶が掘り起こされる。

 

――――姐さん、アブクマポーロ姐さん

――――しつこいねキミも、もう付きまとうのはやめてくれないか

――――いやです!ダートを極めるまでずっと付きまといます!

 

 今目の前にいるウマ娘は過去の自分だった。

 アブクマポーロはダートを裏切ったカスだ。それは紛れもない事実だ。だが一緒に過ごして学んだことは有益であり、何より志を同じくする同志として過ごした日々は楽しかった。

 あたしはアブクマポーロとは違う、ダートを裏切ることはない。そして目の前のウマ娘に自分と同じおもいを味あわせることは断じてない。このウマ娘がダートを裏切るまで付き合ってやるか。

 

「おい、とりあえずあたしの荷物を持て」

「それは弟子入りしていいってことですか!?」

「勝手にしろ」

「ありがとうございます」

 

 セイシンフブキはウマ娘の前に荷物を置いて駅に向かって歩いていく。するとウマ娘は嬉しそうに目を輝かせ荷物を持ちセイシンフブキの後を追った。

 

「そういえばお前名前は?」

「はい、アジュディミツオーです!」

 

 

「意外な展開に出くわしたな」

「全くだ。これは予想できなかった」

 

アブクマポーロとコンサートガールは一連のやり取りを一部始終見ていた。

 

「これでフブキも少しは救われるかな」

 

 アブクマポーロはコンサートガールに聞こえないように呟いた。

 セイシンフブキの深いダートへの想いと誇りは彼女を孤独にさせた。深すぎる愛と高すぎる誇りは誰にも理解されず周りから人が離れていく。

 だがこうしてセイシンフブキの走りに感化されダートプロフェッショナルへの道を志した若者が現れる。これで一人でなくなった。

 

 コンサートガールはこう言った

――――もっと夢のためとか、仲間のためとか明るい要素を持って走れないのかよ。

 

 今のセイシンフブキは芝への憎しみで走っている。だがいずれアジュディミツオーの存在がそれを変えてくる。今後芝ウマ娘がダートに挑んできても憎しみではなく、アジュディミツオーが憧れたダートの地位を高めるために、弟子にカッコ悪い姿を見せたくないと考えながら走るだろう。かつての自分のように。

 この出来事によってセイシンフブキは弱くなってしまうかもしれない。だがコンサートガールの言うように憎しみを抱えて走るより良いはずだ、むしろアブクマポーロはそうあって欲しかった。

 

「コンサートガール、この後どこかで飲もうか?」

「いいね。どうせお前が喋って私が聞き役になるんだろうけど。それで今日は何を喋るつもりだ」

「ダートのあり方、ダート界の今後の未来と展望、そしてフブキの新しい門出を祝して」

 

アブクマポーロは微笑し、コンサートガールはニカっと笑う。二人は夜の府中の街に消えていった。

 

フェブラリーステークス 東京レース場 ダート1600メートル

着順    名前       着差     人気

 

1   アグネスデジタル          1

 

2  地 セイシンフブキ    クビ    4

 

3  地 ヒガシノコウテイ   ハナ    6

 

4   ノボトゥルー      2     2

 

5  トゥザヴィクトリー    1/2     3

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 フェブラリーステークスから数日後。

 トレーナーは自室で自分のノートPCの電源を入れてメールを立ち上げる。トレセン学園に向かう前に新着メールを確認するのは日々の日課だ。だが毎日メールが何通も来るわけではなく、時々中央ウマ娘協会や雑誌の取材依頼のメールが来るぐらいだ。

 すると一件新着メールが来ていた。件名が英語で書かれており、少しばかり翻訳するのに苦戦しながらもメールを読み終え安堵の息を吐いた。

確率としてはほぼ100%とは思っていたがイチャモンをつけられて弾かれる可能性を危惧していた。だがそれは杞憂だったようだ。

 端的に言うとメールにはこう書かれていた

 

―――アグネスデジタル選手をドバイワールドカップに招待いたします

 

アグネスデジタル、ドバイワールドカップ出走決定

 

 




以上でフェブラリー編は終了になります。

今回は地方対中央、ダート対芝をコンセプトをテーマにして書きました。
地方も中央も芝もダートも走ったアグネスデジタルだからこそのテーマだったと思います。

地方はみどりのマキバオーのサトミアマゾン、ダートについてはたいようのマキバオーのアマゾンスピリットを大いに参考にさせてもらいました。
サトミアマゾンもアマゾンスピリットも本当にかっこいいですよね。

日本ダービーでのアマゾンの「勝負から逃げるなんてそれ以下じゃねえか!」のくだりはかっこよすぎて丸パクリしようかと思いましたが、友人にそれはやりすぎと言われ自重しました。
そしてアマゾンスピリットの「オレたちはオレたちの頂点決めんだろうが!」のくだりのセリフはダートプロフェッショナルとしての誇りを感じる熱いセリフです!

そしてデジタルはいよいよドバイへ!
ドバイ編も現実のドバイミーティングに間に合うようにと書いています


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勇者のサブクエスト#1

ここからIF要素が入っていきます


 チームプレアデスのチームルーム内でカメラのフラッシュが炊かれ、シャッター音が響き渡る。そしてカメラの先の被写体はアグネスデジタルだった。服装はトレセン学園の制服でもなく、普段のトレーニングウェアでもなく、GIレースの際に使用する勝負服を着装していた。そして左手にはUAEの国旗がついたフラッグを持ちカメラから背を向けている。その後ろ姿をチームプレアデスのメンバーである、フェラーリピサが写真に納めていく

 

「ねえピサちゃん、なんで写真撮ってるの?というより何に使うの?」

「時期に分かる。それよりもっと背筋伸ばして胸を張る感じで」

 

 デジタルは言われたとおり背筋を伸ばすと、後ろから数回ほどシャッター音が鳴った。

 フェブラリーステークスが終わり、休息期間が終えてからのトレーニング開始日。デジタルの携帯電話に通知が届く、チームプレアデスのグループラインでチームメンバーから「放課後勝負服を持ってチームルームに集合」というメッセージが送られてきた。勝負服はGIレースに着る以外は使う事が無いもので、何に使用するのかといぶかしみながらもバッグに服を入れてチームルームに行く。すると勝負服に着替えさせられ写真を撮られていた。

 

「よし、こんなもんか。もう終わったから振り向いて良いよ」

 

 フェラーリピサの指示にデジタルはポーズを解き振り向く、目線の先にはフェラーリピサと話しているチームメイトのライブコンサートが居た。

 

「ピサちゃんにライブちゃんその写真を何に使うか教えてよ。被写体としての権利的な何かで知る権利があると思うんだけど」

「なにそのフワッとした言葉は?まあ悪用しないし楽しみにしておいて」

 

 デジタルの言葉にお茶を濁す。トレーナーなら知っているかと問いただすがトレーナーも知らなかった。まあなんに使うか知らないが言葉通り悪用されることはないだろう。デジタルは僅かしの不安と大きな期待を抱きながら勝負服からトレーニングウェアに着替えてトレーニングの準備を始めた。

 

 

 季節は3月になり暦上春を迎えるが冬の寒さは一向に衰えず、大半の木々花々は寒さにより花は咲いていない。そんななかで梅はちょうど開花時期を向かえ白や薄桃色の花が咲き、冬のコートを着て寒さを凌ぎながらトレセン学園に登校するアグネスデジタルとエイシンプレストンの目を奪う。

 

 チームルームで写真を撮られた数日後経つがこれといった出来事は起きておらず。デジタルの頭の中から写真を撮られた記憶は薄れ始めていた。

 下駄箱につき室内履きに履き替え教室に向かう。それがいつもの行動パターンであるがプレストンの手が止まる。

 

「なにあれ?」

 

 プレストンは階段近くに貼られている掲示物に目を凝らす。

 階段近くには掲示板のようなものが設けられており、チームの勧誘ポスターや学園行事の報せなど様々なものが掲示されている。その場所には貼られているポスターには見慣れたものが映っていた。あの色合いの勝負服にあの姿はデジタルだ。そのデジタルが写っているポスターに文字が書かれている。 プレストンの視力では下駄箱からでは文字が読み取れない、室内履きに着替えポスターに近づくとその詳細が明らかになる。

 

 ポスターにはデジタルがGIレースで走っている姿が正面から写っている。レース中かゲートに向かう前かは分からないが、普段の生活の時とは違う真剣みある表情を見せている。その写真も良いものだったが印象に残ったのは文字のほうだった。

 

――――真の勇者は、戦場を選ばない

 

 2つの国に10にも及ぶレース場を駆け巡り獲得してきたタイトルのバリエーションは、どんな名ウマ娘の追随を許さない。

 芝とダートの垣根を、そして国境さえも乗り越えて、チャンピオンフラッグをはためかせてきた勇者。貴女が刻んだ空前の軌跡、そのひとつひとつが永遠に輝く。

 

「へえ、かっこいいじゃない」

 

 プレストンは思わず感嘆の声を漏らした。 キャッチフレーズの真の勇者は、戦場を選ばないという言葉が良い。 ありとあらゆる状況場所でも戦い抜くという力強さと誇り高さのようなものを感じられる。 戦場を選ばないという言葉はデジタルの為にある言葉なのかもしれない。

 

ダート、芝、地方、中央、海外、右回り、左回り、

 

 それらの要素関係なくレースを走り勝利してきた。ここまでのバリエーションで勝ったウマ娘は記憶に無い。その未開のローテションを歩み切り開いた姿は勇者と言っていいかもしれない。

 

(けど、勇者ねえ)

 

プレストンは勇者と称された友人を見る。 勇者という単語を聞いて想像したのが世界的に有名なゲームの主人公の姿だ。勇ましく凛々しくたくましい正面切って戦い仲間を守る前衛タイプでありパーティーの中心人物。ウマ娘ならシンボリルドルフやナリタブライアンなどのイメージがあるが、デジタルにそのようなイメージはない。

 レースではそうかもしれないが、普段の生活で見る姿はウマ娘が好きという欲望に忠実でウマ娘のことを考えてグフフフと笑っている印象が強く、とても凛々しく勇ましいとは思えない。ゲームで例えるなら遊び人、よくて魔法使いといった後衛タイプだ。

 

「プレちゃんどうしたのって……何これ!?」

 

 プレストンの後を追ったデジタルもこのポスターに気づき感嘆の声を上げる。

 

「誰が作ったか知らないけど、かっこいいじゃない勇者様」

「勇者なんてこそばゆいな、あっもう1つポスターがある」

 

 このポスターに気を取られて気付かなかったが、もう一つポスターが掲示されていた。これもデジタルが写っていた。

 

 背景は暗く月があることから夜にとったのだろう。それに足元は砂だ。砂漠か何かで撮ったのか?そして中央には勝負服を着たデジタルの後ろ姿が写っていた。左手側には5本のフラッグが砂に突き刺さりはためいている。右手にはUAEのフラッグを持っている。そして「勇者約束の地へ」という文字が記されており、その下にドバイワールドカップの日本時間での日時が記されていた。

 

「どう私たちのヒロイン列伝風ポスター?手前味噌だけどかっこいいでしょう」

「あっ。ピサちゃんにライブちゃん。二人がこれ作ったの?」

「そう。うん。我ながらよくできている」

 

 デジタルが振り向くとそこにはチームメイトのフェラーリピサとライブコンサートが居て自慢げに胸を張っていた。

 

「デジタルがフェブラリーに勝って祝勝会やった後風呂場でもしデジタルのヒロイン列伝ポスターが作られたらどんなものになるだろうって考えていたの」

 

 ヒロイン列伝ポスターとは素晴らしい成績や人気があったウマ娘達の功績を称えて作成される。初代3冠ウマ娘セントライト、2代目3冠ウマ娘シンザン、稀代のアイドルウマ娘オグリキャップなどの偉大なウマ娘のポスターが作られていた。

 

「それで頭のなかで『真の勇者は、戦場を選ばない』ってキャッチフレーズを思いついたの。いや~我ながら良いキャッチフレーズだ。で、創作意欲がムンムン湧いて私とピサでデザインや紹介文的なものを考えて作ったわけ」

「本当にかっこいい。デジタルには勿体無いぐらい」

 

 プレストンの混じりっけのない賞賛の言葉を送り、二人は満更でもないという表情を見せ、さらに胸を張った。

 

「それでこの後ろ姿のあたしのポスターがチームルームで撮ったやつか、でも風景違わない?」

「それは加工した。ドバイワールドカップだから夜の砂漠を風景にしたの」

「そして左の5本の旗はデジタルが勝ったGIで右手のフラッグはドバイワールドカップをとるというのは表現したのかな?列伝風ポスターの文に合わせた感じ?」

 

 プレストンの解釈の答えにフェラーリピサが頷く。まさにプレストンが言ったとおりだった。

 

「それでこれはどういうポスター?」

「これは宣伝ポスターかな。これでデジタルがドバイワールドカップに出ることを知ってもらえるし。この2つは学園中に貼っておいたから。これで有名人だ」

 

 ライブコンサートとフェラーリピサはデジタルに向けて親指を立て、それに対しデジタルは少し恥ずかしそうに頬をかいた。

 

「しかし、そんなに貼っていいの?」

「サイレンススズカが復帰戦やるときだってスピカのメンバーが告知ポスター貼っていた話でしょ、こっちだって貼っていいでしょ」

 

 プレストンは公共のスペースを独占する事に難色を示したが、フェラーリピサとライブコンサートは平然と答える。前例があるのならやってもかまわないという考えだった。

 

「ありがとうフェラーリちゃん!ライブちゃん!こんなかっこいいポスター作ってくれて凄く嬉しい!」

 

 デジタルは二人に満面の笑みを浮かべながら手を握ってブンブンと上下に振り回す。その笑みに二人は苦労が報われたような気がしていた。

 

「ねえデジタル、このポスターを作ったのはネットとかで話題になって私達の承認欲求が満たされればな~とかいう考えもあるんだけどさ。それにアンタのことをもっと知ってもらいから作ったの」

「GI4連勝ってだけで凄いのにさ、南部杯、天皇賞秋、香港カップ、フェブラリーステークスって地方ダート、中央芝、海外芝、中央ダートってめちゃくちゃなローテで勝っちゃうんだから、もう凄いを通り越して笑っちゃうよ」

 

 フェラーリピサとライブコンサートはお互い顔を見合わせて思わず笑みをこぼす。

 

 最近のウマ娘はダートのスペシャリスト、マイルのスペシャリスト、中距離のスペシャリストとそれぞれのテリトリーで走り専門性が高まっている。それだけにそれぞれのテリトリーのレベルは高くなっていることを二人は実感していた。だがデジタルはそのテリトリーにあっさり入っていき、その分野のレースに勝っていく。

 その凄さと異能さはレースに走るウマ娘であるからこそ理解できる。この成績は世間が思っている以上に難易度が高い、だがそれに対してデジタルへの評価は高くないと感じていた。

 

ーーーそれはおかしい、我がチームの勇者は凄い!

 

 ならばデジタルの知名度を上がればこの偉業への評価も変わってくるだろうと考え、その一環としてポスターを作ったのだった。

 

「単純に言えばさ、三冠ウマ娘は数人居るけどこのローテを全部勝ったウマ娘はデジタル以外ゼロでしょ。ということは三冠ウマ娘より凄いってことじゃない」

「確かに、そしたら国民栄誉賞もらえるかも。デジタル選手、国民栄誉賞をもらっての感想をお願いします」

 

 二人は突如リポーターの真似をすると、デジタルもそのノリに応じてインタビューに答えてふざけあう。

 

「でも待って、三冠に挑んだウマ娘はそれこそ数百数千いるけど、デジタルのローテに挑んだのは恐らくゼロ。分母の数が違いすぎるから比較できないんじゃない」

「言われてみるとそうだ」

「それにこの走りも変態、性根も変態のウマ娘を公共の電波に出したら放送事故になるか」

「放送事故ってそれ酷くない!」

 

 プレストンの意見にフェラーリピサとライブコンサートは自分の考えを改める。それに 抗議するデジタルの様子に三人は思わず笑う。そして四人は暫く談笑すると教室に向かった。

 

 フェラーリピサとライブコンサートが作ったポスターは多くの学園にいるウマ娘の目に触れられることになる。作ったポスターをネット上にあげるとデザインの良さは話題になり、特に列伝風ポスターは大きな反響を呼ぶ。そしてデジタルの引退後二人が作ったものが正式にヒロイン列伝に採用されることになったのは後の話である。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 白く塗装された壁は若干黒ずみ、床も所々汚れが目立っている。これは掃除をしていないというわけでもなく、長年使用され続けたことにより生じたもので業者を呼ばなければとれないレベルになっていた。だが業者を呼ぶ金もなく、使用するのに支障はないと放置されている。そして部屋の中央には安い木の長机と7人分のパイプ椅子があった。そのパイプイスに二人のウマ娘が座り、机にスクールバッグを置いた。

 

 一人は栗毛のツインテールを赤いリボンでまとめたウマ娘、もう一人は鹿毛の髪に一部が白色のウマ娘だ。栗毛がダイワスカーレット、鹿毛がウオッカ。チームスピカのメンバーである。

 

「そういえばあのポスター見た?」

「見た。オレもGI勝ちまくってかっこいいポスター作られてえな」

 

 二人は今日目撃したアグネスデジタルのポスターを話題にする。ライブコンサートとフェラーリピサが学園中に貼ったというだけあって学年が違う二人の目にも止まっていた。

 

「特にあの『真の勇者、戦場を選ばない』ってキャッチコピーが痺れるぜ、なあスカーレット、もしポスター作られるならどんなキャッチコピーにする?」

「そうね『明日も、緋色の風が吹く』なんてどう?」

「おっ、スカーレットにしてはまあまだな」

「何よ、まあまあって!じゃあウオッカは何にするの?」

「オレは『その強さに、心酔』だな、どうだカッコいいだろう!」

「アンタにしてはまあまあね。どうせキャッチコピー負けしそうだけど」

「なんだと!」

 

 お互いイスから立ち上がり机をはさんで手四つの状態になる。これは本気で争っているわけではない。お互いライバル視しているが故にこのような小競り合いはしょっちゅうである。

 

「あたしは『史上最強ゴルシちゃん』だな」

「何ですかその恥ずかしいキャッチコピーは」

 

 すると二人の葦毛のウマ娘がチームルームに入室する。ゴールドシップとメジロマックイーンである。二人もスカーレットとウオッカの小競り合いを見ながら同じようにパイプイスに座りスクールバッグを机に置いた。

 

「じゃあマックイーンは何にするよ?」

「そうですわね。『メジロの誇りを胸に優雅に舞う』かしら」

「だっせ」

 

 ゴールドシップはマックイーンの言葉を一言で切り捨てる。マックイーンもこいつには言われたくないと掴みかかりそうになるが懸命に抑える。

 

「みんな盛り上がっているみたいだけど、何話しているの?」

 

 チームルームに鹿毛の髪の小柄なウマ娘が明朗な声を発しながら入室する。彼女はトウカイテイオーである。テイオーはイスに座ると会話の輪に入っていく。その明るい雰囲気にマックイーンは毒気が抜かれゴールドシップに対する怒りは失せていた。

 

「ごきげんようテイオー、もしヒロイン列伝を作られるならどのようなキャッチコピーにするかという話題ですわ」

「僕なら『帝王は皇帝を超えた』だね!絶対会長と同じように、いやそれ以上のウマ娘になるんだ!」

「じつにテイオーらしい回答ですわ」

 

 トウカイテイオーは鼻息荒く高らかに宣言する。マックイーンはその言葉に予想通りといった表情を見せる。テイオーがシンボリルドルフに強い憧れを抱いているのは公認の事実であった。

 

「お疲れ様です!」

「お疲れ様です」

 

 さらに二人のウマ娘が入ってくる。元気よくあいさつしたウマ娘がスペシャルウィーク、物静かにあいさつしたのがサイレンススズカである。二人が入室すると部屋にいた5人の話題はスペシャルウィークとサイレンススズカのキャッチコピーの話題になっていた。

 

「スペ先輩につけるなら何だろう?」

「これなんてどうだ『王道を歩み続ける強さ』」

「いいじゃん。スペちゃんはクラシックと古ウマ娘中長距離王道を皆勤して好成績を収めてたもんね」

「じゃあスズカ先輩は?」

「『異次元の逃亡者』とか『スピードの向こう側の住人』とかどうかしら」

 

 5人は話に熱中するなかスペシャルウィークとサイレンススズカはその様子を眺めていた。

 

「何の話をしているかわかりませんが皆楽しそうです」

「そうねスペちゃん。でもチームルームで皆のやりとりを見ていると落ち着くわね」

「はい、心がポカポカします」

 

 チームメイト達が賑やかに喋る光景、それは日常でありとても心地いいものだった。そしてチームメイト達は家族のような存在だった。

 

「そういえばスペちゃんの次走は何?やっぱり王道路線の大阪杯?それだと一緒に走れるわね」

「えっと……その……」

 

 スズカの言葉にスペシャルウィークは口ごもる。その様子をいぶかしんでいると、またまたチームルームに入室してきた。

 

「楽しそうにお喋りするのもいいが、練習の準備を始めろよ」

 

 入室してきた人物は黄色のシャツを着た男性である。彼はスペシャルウィーク達が所属しているチームスピカのトレーナーだ。

 

「まあ全員揃っているなら丁度良い、今後の日程について話すぞ」

 

トレーナーはホワイトボードを皆の中心に持ってくるとボードに書き始め、全員がボードに視線を向ける

 

 

「まずはスカーレットとウオッカはクラシック路線でチューリップ賞から桜花賞と考えている。まあ王道路線だな」

「おいスカーレット、別にチューリップ賞じゃなくてフリーズレビューやフラワーカップに回避してもいいんだぞ。チューリップ賞でぶっちぎりで勝って格付けを済ませるのも可哀想だし桜花賞まで待ってやるよ」

「冗談!逃げるのはアンタよ!」

「やる気があるのはいいがレースにとっておけよ」

 

 二人は額を合わせながらにらみ合いを開始するがいつも通りとトレーナーは二人の間に割って入り淡々と処理する。

 

「そしてゴルシとマックイーンは阪神大賞典から天皇賞春のローテだ」

「楽勝だな、軽くとってやる」

「させません。再び盾をメジロ家に持ち帰ってみせますわ」

 

 ゴールドシップは挑発的にマックイーンに話しかけるが、それに応じることなく冷静に受け流す。

 

「それで今年からGIになった大阪杯にはスズカとテイオーが出る」

「悪いけど会長に並ぶ為に勝たせてもらうよ」

「私も負けません」

 

 テイオーの不敵な笑みに、サイレンススズカも同じような笑みを見せた。

 

「あれ?スペちゃんは?阪神大賞典にも大阪杯にも出ないの?じゃあ日経賞?」

「いや、そのどれでもない。スペ、オファーが受諾されたぞ」

「はい」

 

 トレーナーの言葉に頷く、その声の声色と所作は力強く何か決意を秘めているようだった。

 

「スペの次走は、ドバイの芝2400のドバイシーマだ」

 

トレーナーの声に一同は驚きの声を上げる。

 

「どういうことスペちゃん!?」

「スペ先輩ついに海外デビューですか!?」

「マジっすかスペ先輩!?」

「お土産はラクダでいいぞスペ」

 

 矢継ぎ早に質問を受けその勢いと数の多さはスペシャルウィークの処理能力を上回り、質問に答えられず気圧されていた。

 

 そしてサイレンススズカは困惑の表情を向けていた。質問に対する歯切れの悪さはこのことだったのか。大阪杯というGIの舞台で、親しいルームメイトと一緒に走れることを楽しみにしていただけに落胆は大きかった。するとトレーナーが間に入ってくれたおかげで質問攻めから逃れたスペシャルウィークはサイレンスズカに向けて頭を下げる。

 

「ごめんなさいスズカさん。黙って次のレースを決めてしまって。本当はスズカさんと走りたいです。でもそれ以上に強くなってスズカさんに勝ちたいんです。ですからもっと強くなる為にはとトレーナーさんと相談して、海外で走ることに決めました」

 

 真剣に話すスペシャルウィークが発するシリアスな雰囲気に、さきほどまでの賑やかな空気は鳴りを潜めていた 。

 サイレンスズカはそのスペシャルウィークの姿を黙って見つめる。強くなる為に海外で走る。その感覚はサイレンススズカには理解できるものであった。以前アメリカに長期遠征をしたが、未知の環境で走る事で心身ともに強くなれたという感覚を抱いていた。

 スペシャルウィークが己に勝つために鍛え牙を研ごうとしていることは複雑な気持ちでもあった。親しい友人が牙をむこうとしていることへの悲しさ。だがそれ以上に嬉しくもあった。スペシャルウィークは大切な友人でもありそしてライバルでもあると思っている。そのライバル全力で挑もうとしている。

 

「わかったわスペちゃん。ドバイのレース頑張ってね」

「はい!頑張ります!」

 

 サイレンススズカは頭を下げ続けるスペシャルウィークの肩に手をそっと置き、優しく語りかける。スペシャルウィークは嬉しそうに返事をした。

 

「え~スペちゃんは大阪杯で僕と走りたくはないってこと」

「いや……そういうわけではなくて……」

「いいよ、スペちゃんがスズカのことが大好きだってことは知っているし、そのかわり宝塚で走ろうよ。ぶっちぎってあげるから!」

「いいえ、大阪杯も宝塚も私が勝ちます」

「よ~し、じゃあオレも桜花賞とオークス勝って宝塚に出る」

「は?何言っているの!私が桜花賞とオークスに勝って出るのよ」

「宝塚の優勝レイもメジロ家に持ち帰りますわ」

「なあスペ。ラクダの唾液には日焼け効果が有るらしいぞ」

 

 重苦しい空気は一転していつもどおりの賑やかな空気に戻っていく。トレーナーはそれを満足げに眺めていた。そして賑わいのなかふとゴールドシップが呟く。

 

「おいスペ、お前ドバイに行くってことはあのド変態と一緒ってことじゃねえか、あれだよ、あれ。ポスターに貼られていた」

「アグネスデジタル?」

「そう、それだよ」

 

マックイーンの言葉にゴールドシップは手を叩き頷いた。

 

 

 スペシャルウィークのアグネスデジタルへの印象で一番強いのは去年の天皇賞秋のレースだった。直線で一人大外に出して埓沿いを走りテイエムオペラオーとメイショウドトウを撫で切ったあのレース。鼻血を出しながら何とも楽しそうに走るその姿は印象に残っている。

 

「でもポスターに勇者なんて書かれている人が変態?そんなわけねえだろ」

「勇者と変態なんて真逆じゃない」

 

 ウオッカとダイワスカーレットがゴールドシップの言葉に反論し、スペシャルウィークも内心で頷く。ポスターで見た表情は引き締まっており、自身のイメージの挙動不審で緩んでいる感じの変態像とはかけ離れていた。

 

「まあ聞け、アグネスデジタルはうちのトレーナーみたいにふくらはぎや太ももを触るなんて変態初心者とはレベルが違うらしいぞ」

「おいゴルシ、俺は変態じゃない」

「女の子の体を無断で触る奴のどこが変態じゃないんだ」

 

 ゴールドシップの言葉に一同はトレーナー方向を向き視線で肯定する。トレーナーも否定しようとしたが事実であるがゆえに反論できない。そして話を続ける。

 

「奴は視姦してくる。じっくり舐めまわすように見つめ、その視線の気色悪さで精神がやられちまうんだ。そのせいでウラガブラックも休養に追い込まれ、香港で走った奴はトラウマを植えつけられ引退に追い込まれたとか」

「まじかよ…」

「スペちゃんドバイ行くのやめたほうがいいよ……」

 

 ゴールドシップの言葉を聞きスペシャルウィークとトウカイテイオーとウオッカは思わず唾を飲む。なんという悪魔的所業。そんな危険人物が野放しになっていることに恐怖を感じていた。 今言ったゴールドシップの言葉の情報ソースはネットでおもしろおかしく書かれたことや、日付しか合っていないと揶揄されるスポーツ新聞から得たものであり、事実無根である。

 少し冷静に考えればそんなことはないと分かるはずだが、ゴールドシップのその場を見てきたかのようなリアリティがある口調はよく言えば純粋、悪く言えば猜疑心が足りないスペシャルウィーク、そして物事を深く考えないウオッカとトウカイテイオーを信じさせるには充分な効果を発揮していた。

 

一方サイレンススズカとメジロマックイーンとダイワスカーレットのスピカの中では比較的に思慮深いメンバーはその言葉を眉唾だと言わんばかりに疑いの目を向けていた。

 

「そんなわけないでしょウオッカ、そんなの誰かが面白おかしく言っているだけでしょ」

「でも最近廊下でグフフフって気味悪い笑い方奴がいたじゃん。そういえばあれ思い出してみるとアグネスデジタルだったぞ」

 

 ダイワスカーレットはウオッカの言葉を頼りに記憶を遡る。あのグフフフと気色悪い笑みと笑い声をあげていたウマ娘。すれ違った瞬間悪寒が走ったのをよく覚えている。そういえばピンクの髪に赤いリボンだった。その姿は今日見たポスターのアグネスデジタルの姿だった。それだったら変態と言われていても頷ける。

 ちなみにダイワスカーレットとウオッカが見た光景はデジタルがサキーのことを考えて妄想し思わず笑みを浮かべた光景だった。

 

「スペ先輩!あの人に関わったらダメです!ドバイ行くのやめましょう!」

「どうしたのですスカーレット、貴女あの与太話を信じるのですか?」

「嘘じゃない本当なの!」

 

 ダイワスカーレットは突如怯えるようにしてスペシャルウィークに怯えながら辞退を勧めるその変化にメジロマックイーンとサイレンススズカは思わずお互いの顔を見る。あの三人なら兎も角ダイワスカーレットが信じるなら本当なのか?二人のなかでゴールドシップの与太話に信憑性が帯び始めていた。するとメジロマックイーンはあることを思い出す。

 

「そういえば聞いたことがありますわ。アグネスデジタルは天皇賞秋の時にテイエムオペラオーとメイショウドトウのイメージ像を脳内で作り上げて走り、あまりに精巧過ぎてゴールを通過しても自身が一着ではなく先に走っていたイメージ像のテイエムオペラオーとメイショウドトウが一着と二着で自分は三着だと言っていたと」

「まじかよ…クスリでもやってるんじゃねえの?」

「ウマ娘協会はドーピングをちゃんとやっていないんじゃない?」

「病院行ったほうがいいよそれ」

 

 メジロマックイーンの言葉に一同は震え上がり、話のきっかけを作ったゴールドシップすら引いていた。この瞬間スピカのなかでアグネスデジタルは変態のヤバイ奴という認識になった

 

「スペちゃん、ドバイに行くのやめましょう」

「だだだ大丈夫ですスズカさん!私は海外に行って強くなります!」

「スペ先輩めっちゃ震えているじゃないですか!?」

「これは……武者震いです!」

「アグネスデジタルと二人きりのスペ、その舐め回すような視線がスペを襲う……」

「おやめなさいゴールドシップさん。スペシャルウィークさんの震えがさらに増していますわ」

「いい加減にしろ!」

 

 スピカのメンバーが騒ぐなかトレーナーが少し声を張り上げる。その声でメンバーは話をやめ静かになる。それを見計らって話し始める。

 

「そんなのデタラメに決まっているだろ。なんだよ変態過ぎて再起不能になるって、白さんが育てたウマ娘がそんなド変態なわけがないだろう。どうせゴルシがテキトーな情報を掴んだだけだ」

「おお、変態がド変態を庇っている」

「うるさいぞゴルシ、それより早く練習に行った行った」

 

 トレーナーはメンバーの背中を押しチームルームから退出させようとし、それに応じるように退出していく。

 

「全く。仮にアグネスデジタルがド変態だとしても、あの白さんがそんなド変態を野放しにするわけないだろ。ないよな……」

 

 トレーナーは携帯端末を取り出し、アグネスデジタルが所属しているチームプレアデスの予定を確認する。

 

「そんなわけはないが、そんなわけはないが……確認するにこしたことはないよな」

 

 トレーナーはチームルームから出ると自転車に乗りチームプレアデスが練習している場所に向かってペダルを漕ぎ始めた。




JRAのヒーロー列伝かっこいいですよね。
特にキャッチコピーはどれも素晴らしく、見たことない方は是非見ていただきたい。


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勇者のサブクエスト#2

 トレセン学園にある栗東寮から離れた空き地、そこは手入れがされておらず地面にところどころ雑草が生えている。そして人が通ることは少なく、明かりも太陽が落ちた夜では寮に続く道を照らす街灯が唯一の光源になりその光は弱い。その微かな光にエイシンプレストンが映し出される。直立不動の姿勢で目を閉じて静かに息を吐く、

 

 吸って吐いて吸って吐いて。

 

 そして三回目の深呼吸と同時に目を開き右手に持っていた物を動かす。短い棍棒二つを鎖で繋いだ武器、ヌンチャクである。

 エイシンプレストンはゆっくりとしたヌンチャクワークから徐々にスピードを高めていく。右肩から右脇を通り左肩から左脇へ高速で動くヌンチャクは、素人ではどう動かしているかわからないものだ。

 ヌンチャクを操作するプレストンの10メートル前にアグネスデジタルが現れ、手にはバケツを持っており中から何かを取り出す。その両手には球体のような物体を持っており、全力でプレストンに投げつける。

球体がプレストンの体に当たる瞬間、ヌンチャクで球体を弾き飛ばす。すると球体は破裂し液体が体を濡らした。

 デジタルはそれを見ると二球目三球目と次々と球体を投げつける。その球体のうち二つはプレストンのヌンチャクで撃墜されるが、最後の一つはプレストンの腹にぶつかりポトリと足元に落ちた。

 

「1つミスしたか。残りの水風船を投げて」

「わかった。いくよ~」

 

 するとデジタルは水風船を取り出して振りかぶり全力で投げつけた。

 それは年が明けて少し経った頃、デジタルとプレストンの部屋にプレストン宛に宅配便が届く、その中身はヌンチャクだった。

 プレストンが見た香港のアクション映画で、主役が巧みにヌンチャクを操り敵を倒していくシーンがあり、目を輝かせて見ていたのをデジタルは覚えていた。きっとそのアクション俳優に憧れ購入したのだろう。デジタルも好きなウマ娘の人形や勝負服のレプリカなどを購入していたので気持ちは理解できた。

 

 次の日からヌンチャクを部屋の中でアクション俳優のように振り回し始める。だがその技術は拙くヌンチャクはすっぽ抜けてデジタルの私物を破壊していく。それを悪く思ったのかプレストンは次の日から外でヌンチャクの練習をし始めた。

 ここ最近プレストンは香港に傾倒しすぎている気がする。ヌンチャクを購入したきっかけの映画も香港の映画だった。これでは香港製と言われればどんな物でも買ってしまいそうな勢いだ。だがプレストンは聡明でありそういった詐欺には引っかからないだろうし、このマイブームも一過性のものであると思っていた。

 だが練習は毎日行われ、ふと様子を見てみると見間違えるほど上達したプレストンがいた。そしてある程度ヌンチャクを扱えるようになったプレストンは第二段階として投擲物をヌンチャクで弾く練習をし始めた。

 

「今の水風船で終わりだよ」

「わかった」

 

 プレストンはヌンチャクを地面に置くと空手の型のような動きを始め、デジタルは地面に座りながらそれを眺める。これはとある香港のアクションスターが作り上げた武術の型らしく、これもヌンチャクの練習を始めた頃から並行してやり始めた。最近はトレセン学園の近くの道場に通っているそうだ。

 

「プレちゃん、上手くなったね」

「わかる?自分でも上手くなっているのを実感している」

 

 プレストンは喋りながら型の動きをする。最初のぎこちない動きに比べれば動きが洗練されてきている。そして一通りの練習を終えると、デジタルの元に近づき持ってきたタオルで汗を拭きながら隣に座る。

「しかしプレちゃんがここまで影響を受けやすいと思わなかったよ」

「いや、あたしもレースに勝つために何か新しいことしなきゃなって思っていたところに映画を見てさ、それで試しにやってみたらハマっちゃった」

 

 プレストンは自分でも驚いていると他人事のように語る。しかしここまで香港文化に熱中するとは思わなかった。きっと前世で相性でも良かったのだろうと突拍子の無い考えが頭に過ぎっていた。

 

「うん?レースに勝つために新しいことをやる?どういうこと」

「ずっとレースのトレーニングばかりしていたら凝り固まるというか、視野が狭まるというか。何か全く関係ないジャンルから新しい要素を取り入れれば、速くなれるかもしれないって考えてさ、あれよ、ガラス拭きをしていたら実は防御の練習になっていた的なやつ」

「それでヌンチャクと武術の練習なんだね。それでレースの役に立っているの?」

「たぶん……」

「そこは言い切ろうよ」

 

 デジタルは軽くツッコミを入れる。だがきっかけは何であれ今のプレストンは新しい趣味を見つけ楽しそうだ。それに趣味なんて役に立つ立たないでやるものではない、楽しいからやるものだ。

 

「新しいことか…」

「デジタルも悩んでいるの?」

「あたしもプレちゃんと同じように何か劇的で新しいことしなきゃサキーちゃんに勝てないかなって」

 

 デジタルは思わずため息を吐く。

 ドバイワールドカップに向けてトレーニングは積み、スパイク蹄鉄と土に慣れる練習も行っている。できることは最大限やっているつもりだが、それでも足りないという漠然とした予感があった。それをトレーナーに伝えたが、気持ちは分かるが今は地道に練習していくしかないと言われた。

 確かにそうだ。そんな方法があればトレーナーがとっくに気づきやっているはずだ。無意識の焦りが近道を求めているのかもしれない。だがそれでもなにかしなければならないという焦燥感だけが募っていた。

 

「よし!帰ってウマ娘ちゃんの映像でも見て気分を変えよ!今日はプレちゃんも付き合ってね」

「今日もでしょ。いいわよ、こっちも付き合ってもらったから」

 

デジタルは気持ちをリセットするかのように声を張り上げ部屋に帰る、プレストンは道具を片付けて後についていく。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「今日はどのウマ娘ちゃんを見ようかな~」

 

 部屋に帰ったデジタルはどのウマ娘を見ようか、自分のPCに入っているウマ娘ファイルを物色していた。いつもならどのウマ娘を見ようかと直感で決められるのだが、今日は決められなかった。

 

「プレちゃん、1から99のなかで好きな数字を言って」

「何唐突に、じゃあ75」

「次は1から12」

「5」

「次は1から5」

「5」

「えっと75、5、5っと」

 

 デジタルはプレストンの言った数字をもとに自身のウマ娘ファイルを検索していく。自分で決められないなら他人に決めてもらう。プレストンに言わせた数字は西暦の下二桁と月とその週を決める数字だった。そしてその数字から検索されたレースは75年の5月の第5週のレース。

 

「75年の日本ダービーか、ということはカブラヤオーちゃん。いいよねカブラヤオーちゃん!」

「カブラヤオーか、名前は知っているけど詳しくは知らないのよね」

 

 デジタルはファイルを開き、レース映像が再生されるとプレストンもPCに近づき肩を合わせてレースを見始めた。

 

「やっぱり映像古いな、というより何人立て?」

「この当時は28人立てらしいよ」

「28人!?昔の人は大変ね」

「そう?それだけ多くのウマ娘ちゃんが見られると思えばラッキーじゃん」

「そう思うのはアンタだけよ」

 

二人は思ったことを口にする。

人数が増えればその分だけ各ウマ娘の思惑が絡まりレースは複雑になっていく。さらに勝つためのポジション取りも熾烈さも増す。プレストンはその労力と苦労を考えただけで気が滅入る。だがデジタルにとってそれは苦労ではなくご褒美だった。

 

「それに芝もボコボコ」

「当時は造園課の技術も今と比べると発展途上だったみたい」

 

 レース画面では28人のウマ娘が通り過ぎると芝はめくりあがり、ダートを走ったかのように砂煙が立ち込めている。現在では造園課の技術の進歩により、ウマ娘の強靭な脚力で踏みしめても芝がめくれることはないが、当時はそうではなかった。

 

「おお逃げ切った。でもカブヤオーもそうだけど走っている全員ヘロヘロじゃない。もの凄いタフなレースだったのね」

「前半の1000が58秒6で1200が71秒8だったみたい」

「58秒6に71秒8!?このバ場で!?」

 

 プレストンはその数字を聞き驚愕で目を見開く。最近の日本ダービーの1000メートルの平均が大雑把にまとめて60秒、1200メートルが73秒ぐらいである。それを当時のバ場で58秒6は恐ろしい程のハイペースと言える。

 

「それはフラフラになるわ、でも最後まで並ばせないなんて凄い根性ね」

「う~ん、根性とはちょっと違うみたい」

「どういうこと?」

「カブラヤオーちゃんは幼少期に色々あって人ごみで走るのが苦手になっちゃって、レースでもとにかくウマ娘ちゃんと離れたかったんだって」

「だから逃げの戦法をとっていたのね。怖いから逃げる、それで物凄く強い。面白い人」

「あたしもそういう趣味は無いつもりだけど、このカブラヤオーちゃんの怯えながら逃げる表情いいよね~それに他のウマ娘ちゃんのハイペースに巻き込まれながらも懸命に走る姿もそそられる!」

 

 デジタルは興奮がある一定のラインに達し妄想の世界に突入する。怖い物凄く怖い、でも愛する人達に勝利を約束したから頑張って走る。家族、トレーナー、友達。うんベタだが良いシュチュレーションだ。そして他のウマ娘が迫り来る恐怖に立ちすくむのではなく、逃げる力に変えてゴールに突き進む。逃げる力?逃げる力……

 

「これだ!」

「キャッ!急に大きな声を出さないで」

 

 プレストンは妄想の世界に突入したデジタルを生暖かい目で眺めていると、デジタルが突如大声をあげて反射的に悲鳴をあげてしまう。

 

「これだよプレちゃん!あたしがやらなきゃいけない新しいことだよ!」

「ちょっといきなり結論に飛ばないで順序建てて説明して」

「あっそうだね。まずドバイでは天皇賞秋での走りを使おうと思うの」

「ああ、あのトリップ走法ね」

 

 デジタルが天皇賞秋でオペラオーとドトウの精巧なイメージを脳内で作り上げ、自分の前に置くことで追いつこうと勝負根性を発揮させた。その話をデジタルから聞いたプレストンは麻薬を摂取した人が幻覚を見ることをトリップすると言うので、トリップ走法と呼んでいた。

「あれはオペラオーちゃんとドトウちゃんに引っ張ってもらう感じなんだよ。二人を追いかけるイメージ。それにカブラヤオーちゃんのように、怖いものから逃げる力を加えるの!」

 プレストンはデジタルの持論を頭のなかで整理する。デジタルの言いたいことは恐らく火事場の馬鹿力を使うということだろう。人は緊急事態に直面した時に普段脳で制限をかけているリミッターが外れ信じられない力を発揮する。それを俗に火事場の馬鹿力と言う。

 レース中にそんな命に関わることは起こるわけがなく、火事場の馬鹿力を使うことはできない。だがオペラオーとドトウの精巧なイメージを作り上げ、そのイメージが自分より先着すれば負けてしまったと思い込めるような妄想力、いや想像力があるデジタルなら死に直面するようなシーンを想像できるかもしれない。

 

「それで何を想像するの?」

「フェブラリーステークスの時のヒガシノコウテイちゃんとセイシンフブキちゃん」

 

 嬉々と話していたデジタルの表情が真顔になり僅かばかし青ざめる。プレストンはその意味を察する。デジタルのことだ、追いつかれたら怪物に食べられるとかもっと妄想チックなイメージをすると思っていたが、予想以上に現実味があるイメージだ。

 デジタルからレースで感じた恐怖については聞いており、映像で確認したら今まで見たこともない表情をしていた。

 

「あれは本当に怖かった……」

 

 デジタルは当時を思い出し僅かに唇を噛み締める。フェブラリーステークスで感じた恐怖と悪寒、あれは恐ろしかった。その恐怖に屈し途中で寄れて萎縮してしまった。だが今度はその恐怖をカブラヤオーのように恐怖から逃げる力に変える。

 

「あたしは反対だな。今のトリップ走法で良いと思うし、失敗したら体が萎縮して火事場の馬鹿力どころか普段の力も出せなくなる」

 

 プレストンはデジタルのアイディアを否定する。デジタルの言う方法が成功すれば大きな力になるだろう。だがその想像した恐怖を逃げる力に変えられず、恐怖に呑み込まれてしまったら?それは逆効果になることはわかりきっている。

 

「分かっているよ。でも白ちゃんが差は5バ身もあるって言っていた。新しいことを、リスクをとらなきゃサキーちゃん追いつけない。サキーちゃんに勝てない」

 

 デジタルは自分の意志を固めるように言葉を紡ぐ。プレストンが言わんとしているリスクはわかっている。それでも今の自分は挑戦者だ、何も賭けずリスクを負わずに望んだ結果を得られるわけがない。

 

「さすが勇者様ね」

 

 プレストンはデジタルの言葉を聞き予想通りと言わんばかりに笑みを見せる。デジタルが挑む相手は世界一だ、その相手に挑むのであればリスクを負うのは当然のことである。デジタルと比べれば安定を求める性格のせいか野暮な発言をしてしまった。

 その後二人はカブラヤオーの映像をしばらく見て、切りのいいところで就寝した。

 

ーーーーーーーーーーーーー

 地方所属のウマ娘達はどこでトレーニングをしているのか?

 中央のウマ娘達は広大な敷地を保有しているトレセン学園ならば、ポリトラックやウッドチップなど様々コースで充実したトレーニングを行える。だが地方ではトレセン学園のような施設を保有しておらず、野外でおこなうか各地方ウマ娘協会が保有しているレース場でトレーニングをおこなう。

 三月になったことで気温も暖かくなり、さらに今日は一段と暖かい。船橋レース場も例外ではなく5月上旬並みの気温だった。

 コース前に、身長170センチ台で黒髪のベリーショートで三白眼のウマ娘は、顔を顰めながらトレーニング前の準備運動をしていく。彼女の名はセイシンフブキである。

 フェブラリーステークスから1週間が経ち、レースの疲労を抜くことを優先してトレーニングは行っていなかった。その結果疲労は抜くことができたが、その代わり体のキレが落ちている。トレーニングを開始して数日が経ったが未だにキレは取り戻せず、そのことを今日の準備運動の段階で感じ取っていた。

 

 だが焦ることはない。次のレースに出走予定のGIかしわ記念は数ヵ月後だ。その間に体のキレを取り戻しピークに持っていけばいい。

 セイシンフブキは速る気持ちを押さえ込むように入念に準備運動をしていく。芝ウマ娘のアグネスデジタルに負けたことでダートの価値を下げてしまった。それは悔しく屈辱的なことであるが過去には戻れない。自分がなすべきことは鍛え上げ、デジタルの勝利に影響されダートに乗り込んできた芝ウマ娘からダートを守りぬくこと、そして今年のダートGIをすべて取り来年は自分がドバイに行き勝利しダートの価値を上げることだ。

 

 

「フブキ師匠!準備運動終わりました。早くトレーニングをしましょう」

「ダメだ、終わってない。お前もまだやれ」

 

 するとセイシンフブキの隣で準備運動していた黒髪に白のメッシュが入ったウマ娘が、待ちきれないとばかりに急かすがそれを却下し、そのウマ娘は少し肩を落としながら準備運動を続行する。

 彼女の名はアジュディミツオー、セイシンフブキが走ったフェブラリーステークスに感動し一方的に弟子入りし、今はトレーニングをともに行っている。

 

「今日も船橋でひたすら走るんですか?他の皆はウェイトとかなんか色々やっていますよ」

「嫌なら帰れ。それにダートの走り方を真に理解していないのに他のことをするのはバカのすることだ。」

「生意気言ってすみませんでした」

 

 セイシンフブキは厳しい声色で返答し、アジュディミツオーは勢いよく頭を下げた。

ダートに必要な要素はダートを走ることでしか身につかない。それがセイシンフブキの持論だった。

 そしてダートの完璧な走りは存在し、それを自身は会得していないと感じていた。それなのに他のことをするのは有り得ないことだった。

 そして入念に準備運動をおこないトレーニングを開始しようとした時思わぬ形で遮られる。

 

「お~い、セイシンフブキちゃん!」

 

 聞き覚えなのない声が呼びかけてくる。セイシンフブキとアジュディミツオーは声の主の正体を確かめるために後ろを振り向く。

 アジュディミツオーは数秒間その人物を見つめ、誰だが思い出したのか手を叩き指差す。そしてセイシンフブキは苛立ちを表すように舌打ちを打つ。

 あのピンク髪に赤いリボン、忘れるはずもない。あれはアグネスデジタルだ。勝負服ではなく私服を着ていたので一瞬誰だかわからなかった。だが何の用だ?二人は駆け寄ってくるデジタルを注視する。

 

「ここに居たんだね。こんにちはセイシンフブキちゃん」

「何のようだ?」

「ちょっとお話を聞きにきたよ」

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

「う~ん、なんか違う……」

 

 デジタルはベンチに座りながら空を仰ぎ唸り声をあげる。空は雲一つない快晴だがその心は澱んでいた。

 カブラヤオーのレースから着想を得たデジタルは次の日からさっそく試してみた。だがいくらやっても、フェブラリーステークスの時に感じた寒気と威圧感を再現することができなかった。

 二人はレース前までにどのように過ごし、レース中に何を思えばあの威圧感を出せるのか全く想像できなかった。何か情報を知ればわかるかもしれないと、資料集めに奔走するが、地方ウマ娘の情報は中央のウマ娘に比べて質も量も少ない。簡単なデータは調べられてもパーソナルな深い情報は得ることができなかった。

 オペラオーとドトウを再現した時のように、トリップ走法をするためには詳細な情報は必要不可欠である。そして情報を得られないということは、新しい要素を取り入れるためには大きな壁だった。だがデジタルはその壁を打開する方法をあっさりと思いつく。

 

 知りたい情報がないなら自分で直接話を聞けばいい。

 

 そうするとデジタルは即座に行動を起こす。トレーナーから数日ほど休みをもらうと、船橋レース場近く向かう電車に飛び乗った。

 

「聞きにきた?何をだ?」

「全部かな。セイシンフブキちゃんが今までどんな体験をしてきて、フェブラリーステークスの時は何を思って走っていたのかとか色々。お願い教えて!」

 

 デジタルは上目遣いで手を合わせながら懇願し、セイシンフブキはその様子を見下ろしながら冷淡に言い放つ。

 

「いやだ。お前に教えることなんて何一つない」

 

 セイシンフブキはアグネスデジタルのことが嫌いである。芝ウマ娘でありながらダートの世界に侵入してくる敵と言っていい存在だった。そんな敵に教えることなど何一つ

なかった。

 

「え~そんなこと言わないで教えてよ」

「いやだ」

 

 デジタルは縋り付くように懇願するがセイシンフブキは一蹴する。フェブラリーステークスで負けたのは、自分が弱かっただけということはわかっているが、それでも勝った相手に友好的に接せられるほど大人ではなかった。

 

「お願い教えて!どんなことだってするから!」

「いやだ。例え大金積まれたって教え……」

 

 再度断ろうとするが脳内であるアイディアを思いつく。この分だとずっとまとわりつかれそうだ。ならば一度条件を提示し承諾させて、その条件を達成できなくさせて断る。そうすれば相手は一度条件を飲んだ手前強く出にくくなるはずだ。

 

「じゃあこの条件を達成できたら話してやる」

「本当!?」

「ただし条件を達成できなかったら、話すことはない。さっさと消えろ。いいな?」

 

 デジタルは顎に手を当て考え込む。相手が提示する条件を知らないまま承諾していいのか?だがこの様子では教える気は一切ない。条件付きで教えてくれるこの状況を良しとすべきか?是が非でも話を聞きたいデジタルにとっては不利な立場と分かっていてもこの条件をのむしかなかった。

 

「いいよ」

「よし、条件だがあたしと勝負して勝つことだ。勝負方法はこのコースをお互い一緒に走り3バ身差つけたほうが勝ちとする。スタートでもコーナーでも直線でもいい、とにかく3バ身差だ。勝負が付いたらまた2本目を開始して3回連続で勝ったほうが勝者だ」

「3回じゃなくて3回連続なんだね。2回勝っても1回相手に勝たれたらリセットになって3連勝しなきゃいけないってこと?」

「そうだ」

 

 セイシンフブキの脳内ではアグネスデジタルに負けた憂さ晴らしとして、もっと不利な条件をつきつけて達成させないことも考えた。だがどうせなら対等な条件で戦ってアグネスデジタルの願いを打ち砕く。

 

「いいよ」

 

 デジタルは即答で了承する。想定ではもっと不利な条件を提示されると思っていたが、条件はほぼ対等と言っていい。強いて不利な点を言うならば私服ということだ。気温が高く比較的に軽装だが、ロングスカートを履いていて走りにくい。だがそんなもの縛って走りやすいようにすればいい。それでも走りにくければ脱いで走ればいい。サキーに追いつき堪能し勝つために必要なことであれば、羞恥心や女性としての尊厳など捨ててやる。だが問題があるとすれば……

 

「お互い靴は脱いで素足で走るぞ。いいな?」

 

 デジタルの危惧した問題はセイシンフブキの提案で解消された。セイシンフブキはトレーニング用のシューズ、デジタルはレディースシューズを履いている。もしこの状態で走ったら勝負にならないほどだった。

 デジタルは了承すると勝負を始める前に、準備運動の時間をもらいストレッチを始める。アジュディミツオーはデジタル様子を見つめていると、先程まで鷹揚していたのに集中力を一気に高めたのか、レース前のように真剣な表情をしている。トップクラスになると瞬時にスイッチを入れられるのか、アジュディミツオーは素直に感心していた。

 デジタルの集中力が高まっているのは本人の性質もそうだが、この勝負はデジタルにとって、レースと同じぐらい負けられない一戦と位置づけていた。そしてセイシンフブキも体を冷やさないように再び準備運動を開始する。その集中力はレースさながらである。デジタルと同じようにセイシンフブキにとっても負けられない一戦であった。

 

「こっちは準備万端だよ」

「わかった。アジュディミツオー、お前が計測しろ。3バ身差がついたら大声で伝えろ」

「わかりました」

 

セイシンフブキとデジタルはゴール版付近に着くとスタートの準備をする。そしてアジュディミツオーの合図とともに勝負は始まった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「これで……やり直しだね……セイシンフブキちゃん……」

 

 デジタルは震える膝を抑えるように手を置き、頭を下げ肩で息をしながら喋る。顔は出た汗が付着し砂が泥のようになっており、白のブラウスも砂まみれになり、元の色が白とはわからないほどに変色していた。

 アジュディミツオーは二人の壮絶な勝負に言葉を失っていた。

以前に砂浜を裸足で走ったことがあったが、僅かな時間で足がパンパンになり走ることをやめた。後で調べてわかったことだが、砂浜を素足で走ることで普段シューズを履いて走るだけでは鍛えられない筋肉が使われ、靴を履いて走るより負荷がかかるそうだ。 

 そんな素足での走りを二人は1時間近くしている。それはアジュディミツオーには驚愕すべきことだった。しかしこの勝負はもう終わるだろう、デジタルの敗北によって。

 始まってから暫く二人は互角だった。だが徐々に差が出始め、セイシンフブキが2連勝しデジタルが辛うじて3連勝を止めるという展開がずっと続いていた。デジタルとセイシンフブキの差、それはパワーの差だった。

 デジタルはジュニアクラスの時に地方の大井レース場で走ったことがあったが、結果は惨敗、その理由は砂の深さによるものだった。レース場によって砂の深さが違い、砂が深い分だけパワーが必要になってくる。船橋でのレースに勝ったことはあるがその時は砂が浅く、今の船橋レース場の砂は勝った時より深かった。

 

「お前も……わかっているだろう……もう勝機はないって……」

 

 セイシンフブキは息を乱しながら語りかける。最初は深い砂に足を取られ疲弊していく姿に溜飲が下がるおもいだった。だがボロボロになり万に一つ勝ちがない状態になりながらも抗い続けている。

 すぐに諦めていれば体への負荷は少なくすんだものの、ここまで負荷をかけ疲労をためてしまったらデジタルの今後にも影響するだろう。

 

「だって……勝負はまだついていないでしょ……セイシンフブキちゃんに唐突なアクシデントが訪れて走れなくなったら……あたしの不戦勝……セイシンフブキちゃんの話を聞きたいって気持ちは……疲れたからって勝負が決まる前に諦めるほど……軽いことじゃないんだよね」

 

 デジタルの体は限界を迎えていた。気を抜けばすぐにその場に倒れ込んでしまうほどの疲労度だった。だが足腰に力を入れて懸命に堪える。セイシンフブキはデジタルを得体の知れない何かを見た時のような未知の恐怖を抱いていた。

 

「その0に等しい可能性のためにお前は体を痛めつけるのか……そこまでしてあたしの話を聞きたいのか?」

「それはサキーちゃんに勝つためだからね……労力は厭わないよ……それに……折角セイシンフブキちゃんと一緒に走れるのに……辞めちゃうのはもったいないでしょ……」

 

 疲労で億劫になりながらも顔を上げセイシンフブキに笑みを浮かべる。最初はサキーに勝つために必要であるからこの勝負に挑んだ。だが今は違う、それにさらに理由が加わった。

 一緒に走っているうちに色々なものを感じ取った。ダートを駆ける力強さ、この勝負にかける想い、どれもデジタルの心を惹きつける。少しでも長い時間一緒に走りたい。勝って話を聞いてセイシンフブキのことをもっと知りたい。それが体を動かすエネルギーになっていた。

 

「そうか、じゃあ次だ」

 

セイシンフブキは僅かに目を見開くと、スタート地点に向かって歩き始めデジタルもその後についていく。そして次の走りが始まり、セイシンフブキが3本連続で取り勝負は終わる。その瞬間デジタルは倒れ込んだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「いや~ごめんね、アジュディミツオーちゃん。服を借りちゃって」

「別にいいですよ。師匠の命令ですし」

 

 船橋に所属しているウマ娘はトレーニング場や学校に自宅から通っている者もいるが、大半のものは船橋ウマ娘協会が建設した学生寮で暮らしていた。そしてその寮の廊下をデジタルはヨタヨタと歩きながら移動している。服は私服ではなく船橋所属のウマ娘達が所有している指定ジャージを着ていた。その後ろをアジュディミツオーがついて行く。

 セイシンフブキは勝負が終わり倒れ込んだデジタルを見ながら、アジュディミツオーにこう告げた。

 寮に連れて行き汚れを落とさせたら部屋まで連れてこい。

 これは勝負に勝ったのにデジタルの要求を飲むということなのか?

 アジュディミツオーは思考を巡らすがすぐに止めた。師匠がしろと言ったのだから弟子の自分が断る権利はない。そして動けないデジタルを担いで寮まで運び、シャワーを浴びさせ服を貸し、何とか歩けるようになったデジタルをセイシンフブキの部屋まで誘導した。

 

「失礼します師匠。アグネスデジタルさんを連れてきました」

 

 アジュディミツオーはドアをノックすると部屋の中から声が聞こえてくる。それを合図にドアを開けデジタルに中に入るように誘導し自室に帰っていく。デジタルは中に入ると辺りを見渡す。内装は飾りっけもなく調度品も質素で必要最低限のものしか置いていなく、とても年頃の女性の部屋には思えない。目を引いたのが書きなぐられたメモ用紙だった。メモは特に整理されておらず机に散らばっており、片付けていないことからデジタルを客として扱っていないことが伺える。そしてメモには読み取れる限りでは『大井レース場、海砂、砂厚8センチ』などと書かれていた。

 セイシンフブキは上座の座布団に座り、デジタルは玄関側の下座に置かれている座布団に座りテーブル越しで対面し様子を観察する。雰囲気からして怒っている時独特のピリピリした感覚はないが真意は読み取れない。どのように切り出そうかと探っているとセイシンフブキが先に切り出した

 

「それで何を聞きたい?」

 

 世間話も前置きをおかず単刀直入に切り出す。それに対してデジタルは本題にすぐ切り出さなかった。

 

「ちょっと待って、話してくれるのはありがたいけど何で喋ろうと思ったの?あたしは負けたんだよ」

「そうだな、だが気が変わった。代わりの条件を飲むのなら話してやる」

「いいよ」

 

 デジタルは即答する。一度提示された条件を達成できなかったにも関わらず、再度条件を提示してもらい話を聞くチャンスを得られた。拒否する余地はない。

 

「あたしが提示する条件は今年中にもう一度日本のダートで走ることだ」

 

 デジタルは話を聞くのはサキーに勝つためと言っていた。何を聞けばサキーに勝つことに繋がるかは見当がつかないが重要なことらしい。仮にデジタルがサキーに勝つことがあればダート世界一という称号を得る。その世界一のウマ娘を日本のダートで走れば世間の注目度が一気に高まり、ダートの価値も上がる。そして世界一に勝ち自らがダートのトップになり、ダートの価値を更に上げる。セイシンフブキはそのような計画を思い浮かべていた。

 デジタルはそれを了承しレコーダーのスイッチを入れ質問を投げかける。幼少期のこと、船橋で過ごした体験、フェブラリーステークスで何を思っていたのか。その質問に一つずつ答えていった。

―――次は門前仲町、門前仲町

 デジタルは車内アナウンスの声で眠りの世界から現実に引き戻される。携帯電話の画面を見て乗り換えを確認する。ここの駅で降りて乗り換えなければ。座席から立ち上がりセイシンフブキとの勝負で疲弊した体にムチを入れながら電車から出て、ホームに降りる。そしてエスカレーターの手すりにもたれ掛かかりながら、バッグからレコーダーを取り出しイヤホンを耳につけセイシンフブキのインタビューを再生する。

 ダートに懸ける想い、ダートにかける情熱。それは途轍もなく大きく素敵だった。あのフェブラリーステークス前々日会見での攻撃性はダートへの愛情から出たものだったのだ。       

 そして自分がうっとおしく目障りで憎い存在であるかも聞かされた。ダートを犯す侵略者から愛すべきものを守る。あの時の寒気はそのダートに対する愛情から発生したものであると理解できた。

 自分はウマ娘を、セイシンフブキはダートを。

 好きなものに違いはあれど、執着し愛情を注ぐという点では似た者同士なのかもしれない。そして好きなものに情熱を注ぐセイシンフブキはとても素敵で尊い。

 今後の競走生活で走る楽しみがまた増えた。デジタルの疲弊した体と対照的に心は弾んでいた

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ずいぶんと喋ったな」

 

 デジタルが居なくなった自室でセイシンフブキは床に仰向けになりながら、自嘲的な独り言を呟く。デジタルの質問は今まで聞かれたことないようなパーソナルな部分に踏み込んできた。最初は話すことを戸惑ったが、興味深そうに真摯に聞く姿についつい口が軽くなってしまった。

 セイシンフブキがデジタルに語った理由。ドバイワールドカップに勝って日本のダートに参戦させ価値を上げる。それが主な理由であるがそれだけでもなかった。

 芝を走る奴は名声に目がくらみダートという真の戦いから逃げたゴボウだと思っていた。だが勝負で見せたデジタルの執念と根性、サキーに勝つためかそれ以外の理由かは分からないがあれは認めざるを得ない。

 芝ウマ娘は嫌いだ。芝からダートに参戦してくる奴は反吐が出る。だがアグネスデジタルというウマ娘への評価は多少改めなければならないかもしれない。



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勇者のサブクエスト#3

 盛岡レース場では冬の間は積雪が多くレースが行われない。その間岩手ウマ娘協会に所属しているウマ娘たちはトレーニングに励み他の地方に遠征したりしている。そして三月になると春の芽吹きとともに盛岡レース場でもレースが開催される。

 

 盛岡レース場の正門前、そこにはスイフトセイダイ、トウケイニセイ、グレートホープ、メイセイオペラ

岩手ウマ娘界において活躍してきたウマ娘たちの偉大なる功績を称えて銅像が建てられており盛岡レース場に来る人たちの待ち合わせ場所として親しまれていた。その銅像前に続々とウマ娘達が集まっていた。

 

「おはよう、昨日は降ったね」

「本当、冬将軍は大人しく帰ってくれればいいのに、何で開催日前日に頑張るかな」

 

 ウマ娘たちは防寒装備で身を震わせながら愚痴をこぼす。三月になったが岩手県では昨晩

に冬のピークと同程度の季節はずれの積雪に見舞われた。そのせいで岩手レース場は新雪に埋もれ、偉大なる先人たちの銅像も雪にうもれていた。

 

「みなさんおはようございます」

 

 メガネに飾り気のない防寒具を着た三つ編みのウマ娘が周囲に挨拶する。すると周囲のウマ娘が三つ編みのウマ娘の方へ振り向き挨拶をする。彼女の名はヒガシノコウテイ。先日のフェブラリーステークスでアグネスデジタルと南関の求道者セイシンフブキと激闘を繰り広げた岩手のエースである。

 

「皆さん、明後日は盛岡レース場の開催日です。私たちのレースを楽しみにお客様達がやってきます。お客様たちが快適に過ごせるようにがんばりましょう」

 

 ヒガシノコウテイの言葉に周囲のウマ娘が号令で返す。だが一人のウマ娘がふてくされたように座り込みそっぽを向いていた。彼女は今年協会に入ったジュニアクラスのウマ娘だった。

 

「おい、いつまでふてくされているんだ」

「何で私たちが雪かきしなきゃいけないんですか?そんなの選手じゃなくて他の人の役目でしょ。もし中央だったら絶対やらないですよ」

「それは中央と比べて協会にそんな人手はいないし、それにこの雪の量じゃ私たちウマ娘がやらなきゃ間に合わないだろ」

「それに今日も『あれ』やるんでしょ。あんなの絶対意味ないですよ。もっと科学的なトレーニングしましょうよ」

 

 先輩ウマ娘が宥めるがジュニアクラスのウマ娘はそれでもふてくされたままだった。するとそのウマ娘にヒガシノコウテイが近づき視線を合わすように屈んだ。

 

「気持ちはわかります。ですが私たちがやらなければレース場に来る人が不快な思いをしてしまいます。それにレースが開催できなくなり協会の人は困りますし、何よりレースを楽しみにしているお客様を悲しませてしまいます」

 

  ヒガシノコウテイは諭すようにゆったりとした口調で語りかける。その言葉に自身の我が儘を責められたようで思わず視線を外し項垂れる。

 

「それに雪かきだって悪いことではありませんよ。普段では鍛えられない箇所が鍛えられます。それに『あれ』だってメイセイオペラさん等の多くのウマ娘を強くした素晴らしいトレーニングです。『あれ』は中央ではほぼ出来ないトレーニングですからチャンスだと思いましょう」

 

 その言葉にジュニアクラスのウマ娘は立ち上がり用意されていたスコップを手に取る。ヒガシノコウテイは岩手ウマ娘界のトップだ。こんな雑務は他のウマ娘に任せていい立場なのに、誰よりも率先して誰よりも多く雑務をこなす。それに『あれ』を誰よりもやっている。結果を出しているだけに自分の我が儘だと分かっている。それでも非科学的という理由に拒否したいほど負荷がかかるトレーニングだった。

 

「ではA班はレース場周りの雪かきを、B班はレース場内の雪かきを、残りの人たちは私と一緒に『あれ』をやります」

 

  ヒガシノコウテイの指示に従うように各ウマ娘が準備を始める。すると一台のタクシーが盛岡レース場すぐ近くに停車する。関係者ならわざわざタクシーでは来ずに協会の車で来る。開催日を間違えたファンか?一同はタクシーから出てくる人物に注目する。

 

「うわ~寒い!いくら岩手だからっていっても、もう春でしょ!」

 

 その人物はこの気温には不釣合いな薄着で腕を摩り歯をカチカチと鳴らしながら車中から出てくる。それだけで地元の人物ではないことは推測できる。地元のものなら家にある防寒着を着るはずだ。そうしてないということは服を持っていない外から来た者だ。そしてその人物はウマ娘だった。ピンク髪に赤いリボンのウマ娘は周りを見渡すとヒガシノコウテイに視線を定め駆け寄ってくる。

 

「おはようヒガシノコウテイちゃん……岩手ってこんな寒いの?」

「おはようございます。この季節だと普段はこんな寒くないです。そしてアグネスデジタルさんはどうしてここに?」

「話せば長くなるけど、ヒガシノコウテイちゃんから色々話を聞きたくて来ちゃいました。まあ話したくない気持ちはわかるけど、そこを何とか、何か条件があれば可能な限り頑張るけど…」

「何かよく分かりませんがいいですよ。話せることでしたら話します」

「いいの!?」

 

 デジタルは全開で目を見開く。セイシンフブキの件があるので、何かしら条件を提示されると身構えただけに肩透かしを食らう。そしてヒガシノコウテイにとっては態々東京から岩手まで話を聞くためだけに来た人を追い返すほど非情ではなかった。

 

「でも話すのはトレーニングが終わってからでいいですか?」

「いいよ。というよりあたしも参加していい?」

 

 ヒガシノコウテイは思わぬ提案に戸惑いながら周りに視線を向ける。暫くしてもデジタルがトレーニングに参加することに反対の声が上がらないので承諾したと受け取った

 

「かまいませんが」

「じゃあ決まり、ちょっと着替えてくるから待っててね」

 

 デジタルは建物の影に行くと持ってきたリュックからジャージとシューズを取り出し着替え始める。トレーニングをするということは2~3時間はかかるだろう。その間何もせずに待っているのは暇でつまらない。ただ待っているよりかはトレーニングをしたほうが有意義であり、何よりヒガシノコウテイを始め岩手のウマ娘と触れ合えるチャンスだ、これを逃す手はない。セイシンフブキの件があるので万が一にと考えトレーニング道具を持ってきていたが功を奏した。

 

「お待たせ、じゃあさっそくトレーニングを始めよっか。皆よろしくね」

「ではアグネスデジタルさんは私と同じグループということで付いてきてください」

 

 デジタルはグループのウマ娘達に挨拶をするとヒガシノコウテイ達は並びコースに向かう。

 

「それでどこでトレーニングするの?スタンドの中で筋トレでもするの」

 

 コースに着いたデジタルはヒガシノコウテイに尋ねる。右手を見れば昨日の積雪で埋もれている野外観客席。左手には同じく雪化粧を纏った山と同じく雪で埋もれたコースが有るだけだった。こんな所ではとてもトレーニングができない。

 

「いえ、ここのコースを走ります」

「ここ?どこのコース?」

「ここです」

 

 ヒガシノコウテイは雪に埋もれたコースを指差しデジタルもその方向に視線を向ける。そしてヒガシノコウテイの表情を見て、もう一度コースを見て、さらにもう一度ヒガシノコウテイを見た。

 

「でも雪に埋もれているよ?」

「はい、雪を掻き分けながら走ります」

 

 ヒガシノコウテイはさも当然のように告げる。

 雪が60センチ以上積もっている、どう考えてもウマ娘が走るコースではない。これは岩手のジョークなのかな、ヒガシノコウテイは真面目そうだと思っていたがこんな茶目っ気が有ったのか。そんなことを考えながら周りを見ると周囲のウマ娘達も億劫そうにしながら雪に埋もれたコースに入っていく。その様子を見て冗談を言っているのではないことを察した。

 

 岩手のウマ娘たちがゴール板付近に続々と並んでいき、ヒガシノコウテイはコースの一番に並ぶ。そしてデジタルはヒガシノコウテイの隣に並んだ。

 

「では、各々ペースで大丈夫ですのでスタートしてください」

 

 ヒガシコウテイの号令とともに一斉にスタートする。デジタルはスタートから数メートル走っただけで顔をしかめた。コースに入り軽く歩いただけでも負荷が強くキツイと思っていたが予想をはるかに超えた負荷だった。感覚としてはプールでのウォーキングに似ているが水は液体であり浮力がある。だが雪は固体で浮力もないぶんさらに負荷がかかる。

 

 ヒガシノコウテイは雪に埋もれたコースを誰よりも速く走っていく。一方デジタルも雪に悪戦苦闘しながら懸命についていく。

 

「ねえ…岩手の皆は雪が降ったら毎回これやっているの?」

「はい。今日はまだいいほうです。ひどかった時は1メートルぐらい積もった時にやりましたよ」

「1メートル!?それ走れるの?」

「無理でした。誰ひとり一周を走りきれませんでした」

 

 ヒガシノコウテイは当時を思い出し笑みをこぼす。あの時は足が進まずウマ娘たちは次々と雪に埋もれていき、コース途中で走る力を使い果たし、歩いてゴールに向かった時はまるで雪山で遭難したような気分だった。あの時は辛かったが今では無茶をしたなと仲間たちの間では笑い話になっている。デジタルもヒガシノコウテイの笑顔につられ笑みを作る。

 

「そうなんだ。それにしても前に走った時も思ったけど、このコースは本当に良い景色だよね」

 

 雪に埋もれたコースを走ることに慣れてきたのか周りに視線を向ける。南部杯では山々は紅葉で赤く染まっていたが今は山々は雪化粧を纏い真っ白だ。空の青と雪の白のコントラストは秋の色鮮やかさとはまた違った彩で目を奪わせる。

 

「このレース場は山の中に囲まれて人工物はほとんど有りません。春、夏、秋、冬と山々はそれぞれの季節ごとに変化し来たお客様を楽しませてくれます」

「でもレースを走っていると景色を見ている余裕はないんだよね」

「そうですね。私たちはトレーニングのアップの時に走るときは景色を見る余裕があるのですが」

 

 ヒガシノコウテイは思わず苦笑する。だがこの山々に囲まれた景色は盛岡レース場のアピールポイントだと思っておりデジタルに褒められたことは嬉しかった。

 

「それにしても岩手のウマ娘ちゃん達は凄いよね。こんなキツイトレーニングを雪が降るたびにしているんでしょ。あたしだったらコタツの中に入って絶対出ないな」

「フフフ、このトレーニングは雪国でしかできませんから、折角だから利用させてもらっています」

 

 デジタルとコウテイは会話を弾ませながらトレーニングに勤しむ。

 デジタルは並走しながらヒガシノコウテイの横顔を覗き見る。その懸命に走るその表情は恵まれた環境で逆境を力に変える逞しさと精神が出ているようだ。

 レースでは並走するのが怖かった、でも今は一緒に走っていると不思議と落ち着きいつまでも一緒に走りたいとすら思っている。この温かさと素朴さがヒガシニコウテイの魅力なのかもしれない。この一面を知れただけでも岩手に来てよかった。デジタルは自然とニヤけていた。

 

 

「お疲れ様でした」

「お疲れ~」

 

 デジタルとヒガシノコウテイは席に座ると購入した缶飲料に口をつける。二人がいるところは盛岡レース場にある来賓客を出向かるゲストルームである。スタンドの最上階にありここはコースと山々を一望できその景色は絶景と言える。その景色に相応しく机もソファーも質が高いものだった。

 

「いや~雪のなかを走るのもそうだけど、雪かきもこんなに疲れるなんて思ってもみなかったよ」

「そうですね。私たちは雪かきし慣れていますが、普段やっていない人には辛いかもしれませんね」

 

 デジタルは雪に埋もれたコースを走ったあと、除雪作業もおこなった。これもトレーニングの一環ということで一緒にやったかが普段使っていない筋肉を使ったせいか体の節々が痛い。しかし岩手のウマ娘達はこの重労働を難なくこなし、時には地域で除雪作業ができない家庭のところに行き代わりにやっているそうだ。その体力と地域に対する貢献性には頭が下がる。

 プレストンは速くなるために何か別の分野からアプローチを試みていた。だがトレセン学園では最新の理論と最先端の施設と設備でトレーニングをおこなっており、これ以上の最善は無いと思っていた。

 だが船橋で裸足でダートを走り、盛岡では雪で埋もれたコースを走り、雪かきをおこなった。有効であるかは正確には分からないがこれらはトレーニングに活用できるかもしれない。新しい要素というものは少し視点を変えればそこら辺に転がっているかものだとデジタルは考えていた。

 

「じゃあインタビュー始めるけどいい?」

「はいどうぞ」

「じゃあそうだね、まずは……」

 

 デジタルはレコーダーのスイッチを入れると何を聞こうかと考え始める。すると扉からノック音が聞こえてきた。

 

「すみません。ちょっと出てきます」

 

 ヒガシノコウテイは訪問者に応対するためにソファーから立ち上がり扉を開ける。すると扉の間からスーツを着た中年の男性が見え手を招くような仕草でヒガシノコウテイを部屋の外に呼び扉を閉める。何か喋っていることは辛うじてわかるが会話の詳細は分からない。そして1分ぐらい経った頃に扉が開きヒガシノコウテイと中年の男性が入室してきた。

 

「初めましてアグネスデジタル選手。私こういう者です」

 

 男性は座っているデジタルに近づき丁寧な所作で名刺を渡す。そこには『岩手ウマ娘協会広報部 最上太郎』と書かれていた。

 

「アグネスデジタル選手はヒガシノコウテイにインタビューしに此処まで来られたと聞きましたが」

「うん、ちょっとヒガシノコウテイちゃんに聞きたいことがあって」

「誠に申し訳ありませんが、岩手ウマ娘協会に所属しているウマ娘に取材を行う際には前もって手続きをしていただき、それ相応のものを支払っていただけないとインタビューを行うことができません」

 

 最上は申し訳なさそうに深々と頭を下げる。その後ろでヒガシノコウテイもさらに申し訳なさそうに深々と頭を下げている。どうやらインタビューはヒガシノコウテイとしては良かったのだが、組織としては認められないらしくヒガシノコウテイはその仕組みを知らなかったらしい。

 

「え~っと今から許可をとることはできますか?どうしてもしたいんです」

「私の一存では決められないもので、上司に掛け合ってから決めますので数日はかかると思われます」

「そうですか」

 

 デジタルは腕を組みう~んと悩ましげな声をあげる。すぐに許可を取れそうな気がするが無理そうである。これがお役所仕事か。

 ヒガシノコウテイと岩手もウマ娘達とトレーニングや雪かきを行えたのは貴重な体験で楽しかった。だが本命のインタビューができないとなるとそれは困る。何とかして許可を取れないかと思考を巡らせていると、最上がデジタルに声をかける。

 

「しかしヒガシノコウテイの話を聞くために態々岩手までお越しくださったアグネスデジタル選手を追い返すのは私としても心苦しいのは事実です。私が提示する条件を了承して下されば責任を持ってヒガシノコウテイにインタビューをできるように取り計らいます」

 

 最上は任せろと言わんばかりに胸を張り背筋を伸ばしてデジタルに提案する。また交換条件か、船橋の時といい交換条件に縁がある。だが船橋の時と同じように断るという選択肢はない。二つ返事で提案にのると広報の最上は条件を提示した。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「差せ!差せ!」

「そのまま!そのまま!」

 

 盛岡レース場に観客たちの声が響く。岩手では冬の期間は積雪のためレースが開催できず、今日が今年入って初めての開催日になる、一昨日の大雪で開催が危ぶまれたが、岩手のウマ娘達や業者の除雪作業によって開催にこじつけ、最初の地元のレースを観戦しようと多くのファンたちが足を運んだ。

 

 レースは残り100メートルで先頭を走る鹿毛のウマ娘を芦毛のウマ娘が猛追する。ゴール間際で芦毛のウマ娘が追いつき二人はほぼ同時にゴールする。写真と判定になりウマ娘も観客たちもこの後流れるアナウンスを聞き逃すまいと耳をすまし、オーロラビジョンに注目する。結果は一着鹿毛のウマ娘、二着は芦毛のウマ娘。

 鹿毛は飛び跳ねて喜び、芦毛は悔しそうに頭を垂れる。その二人に対して観客たちは健闘と激励のエールを送る。その観客たちの中でコースに一番近い外埓通路に陣取るウマ娘が一際大きな声でエールを送り、もう一人のウマ娘がその様子を微笑ましく眺めている。エールを送っているのはアグネスデジタル、もう一人はヒガシノコウテイである。二人はウマ娘用のニット帽とマスクを装着している。

 

「いや~久しぶりに1ファンとしてレースを見るけど、楽しいね」

 

 デジタルは上機嫌でヒガシノコウテイに語りかける。地方のレースには走ったことはあるが、観客としてレースを見るのは初めてだった。そこで走るウマ娘たちは地方も中央も関係ない、一途で一生懸命で走り光り輝いていた。そしてこのレース場の空気、訪れた観客たちはすべてのウマ娘に声をかけ激励し、まるで娘や近所の小学生の運動会を見に来たようだ。良い意味で中央とは違い牧歌的で大らかな雰囲気に包まれており、この空気は好きだった。

 

デジタルは広報の最上が出した交換条件として、今日のイベントに出席するために盛岡レース場に訪れていた。イベントはすべてのレースが終わったあと行われ、その間は来賓席でレースを観戦することを勧められる。だがデジタルはどうせならガラス越しではなく近くで見て感じたいと、観客に紛れるように観客席に降りていき、同じくイベントに参加しレースがないヒガシノコウテイが解説と案内役としてデジタルの側にいた。

 

 ヒガシノコウテイはレースの度にコースの特徴や出走ウマ娘の情報や小ネタを教え、それらの情報、特にウマ娘の話は興味を惹いた。レースの合間にはレース場グルメを堪能し、岩手ウマ博物館で過去の名ウマ娘達を知り目を輝かせる。デジタルは岩手レース場を満喫していた。

 

 すべてのレースが終わりウイニングライブの準備が進んでいくなか、観客たちはパドックに集まり始める。イベントはパドックで行われ人がみるみる内に集まり、後から来た観客は録に見えない状態で、イベントの様子を映すターフビジョン付近に移動し始めていた。するとパドックの中にマイクを持った男性のMCが現れる。

 

「皆さまお待たせしました。それでは只今よりトークショーを開始します。では本日の主役をお呼びしましょう。ヒガシノコウテイ選手どうぞ!」

 

 MCの呼びかけとともに、ヒガシノコウテイが少しはにかみながらパドックに現れる。すると大歓声がヒガシノコウテイを迎えた。

 

「いや~凄い歓声ですね。人気の高さが伺えますね」

「ありがとうございます。そして今日は足元が悪いなかレース場に訪れ、レースを走ったウマ娘たちに暖かい声援を送ってくださりありがとうございました」

 

 ヒガシノコウテイは集まった観客たちに一礼し、その姿に観客は拍手を送る。いつでも応援してくれるファンたちに感謝の念を示す。それがヒガシノコウテイの美徳でありファンから愛される理由の一つでもある。

 

「そして、ご存知の方もいるかもしれませんが今日は特別ゲストもお越しくださりました!昨日急遽出演が決まったそうで、正直姿を見るまでは嘘だと思っていました」

「私もそうです」

「ではアグネスデジタル選手の登場です!」

 

 MCの呼びかけに応じるようにアグネスデジタルが登場する。すると観客から歓声ともどよめきともつかないような声が漏れた。

 本来このイベントはヒガシノコウテイのフェブラリーステークスの祝勝会、または残念会の予定だった。だが昨晩、岩手ウマ娘協会のツイッターでアグネスデジタルも参加すると告知される。それを見たファン達は半信半疑だった。

 基本的に中央と地方の交流はほぼ無く、来るとするならばオグリキャップやイナリワンなど、元地方出身のウマ娘が地元のレース場でゲストとして呼ばれるぐらいだ。そんななか中央でもトップクラスの実績を誇り、縁もゆかりもないアグネスデジタルが来るわけがない、ましては都心に比較的に近い南関ではなく盛岡に。しかも重賞もない開催日に尚更来るわけがない。ファン達はどうせ岩手ウマ娘協会の広報が間違えたのだろうと思っていた。

 

 だが翌朝になっても誤報の報せはなく、駅前にはアグネスデジタルも来るという内容のポスターが大量に貼られていた。これを見たファン達はアグネスデジタルが来ることに現実味が帯び始めていた。

 中央のステータスは効果が大きかった。アグネスデジタルが来るという宣伝効果は大きく、地方に興味がなかった中央ウマ娘ファン達も盛岡レース場に足を運ばせる。ヒガシノコウテイの残念会にアグネスデジタルが来るということで、今日の盛岡レース場には普段の倍以上の客入りだった。

 

「え~、去年の南部杯で見た人はお久しぶり、今日初めて盛岡レース場にきた人は初めまして、アグネスデジタルです」

 

デジタルの挨拶に拍手と若干の黄色い声援が飛ぶ。

 

「今日はよろしくお願いします。いきなりですが、このイベントに出演した経緯を教えてくれますか?」

「ヒガシノコウテイちゃんに用が有って盛岡に来て、広報さんにイベントに出てくれないかって頼まれたの」

「なるほど、しかし、それは中央としては有りなのですか?中央所属が地方のイベントに出ることはあまり前例がありませんので、権利的にアウトだったりして」

「広報さんが白ちゃんと交渉していたし、大丈夫じゃない?」

「本当ですか広報の最上さん?」

 

 MCの言葉でターフビジョンに映る映像がMC二人とヒガシノコウテイとアグネスデジタルから、広報のアップに代わる。それに気づいた広報の最上は大きな○を作り、ファンから笑いと拍手が起こった。

 

「どうやら、大丈夫そうなので始めたいと思います」

 

 そこからトークショーが開始する、内容としてはデジタルの盛岡レース場についての印象の話から始まり、南部杯で初めて来た時の印象、昨日の雪かきとトレーニング、今日のレースを見た感想を喋る。デジタルが楽しそうに喋る姿は中央に多少なりの敵対心を持つ、地方ファンたちにも好意的に受け取られ、トークショーは和やか雰囲気で進む。そして話題はフェブラリーステークスに移る。

 

「では、フェブラリーステークスについて映像を見ながら振り返りましょう」

 

 MCの言葉にビジョンにはフェブラリーステークスの映像が流れる。映像では直線に入りデジタルが抜け出し先頭に躍り出る映像が映し出される。

 

「直線でアグネスデジタル選手が一気に抜け出しました」

「凄い切れ味でした。これが中央のトップレベルかと実感させられました」

 

 ヒガシノコウテイが映像を見ながら振り返る。映像でも凄さは分かるが、体感した切れ味は凄まじかった。この瞬間心が挫けかけたことを思い出していた。

 

「ですが、ここでヒガシノコウテイ選手が驚異的な粘りを見せ盛り返します」

 

 映像は先頭に出たアグネスデジタルに猛追するヒガシノコウテイが映る。あの時挫けかけた心が、昔にメイセイオペラが自分に言ってくれて言葉で立ち直り、地方のために頑張るという思いで心を奮い立たせた。あの気持ちを忘れないようにしよう。

 

「あの時のヒガシノコウテイちゃんとセイシンフブキちゃんは怖かった」

「怖かったとは?」

「直線で何か息苦しくて寒気がして、それが後ろで走っているウマ娘ちゃんのせいだって感じて後ろをチラッと振り向いたの、そしたら二人が居た。二人共すごい気迫で怖くて怖くてビビって直線で寄れちゃった。ほらここ」

 

 デジタルは映像を指差す。そこには丁度右に寄れた姿が映し出されていた。

 

「初耳ですね。あの寄れは疲れからではなかったと」

「うん、映像で見てもビビっているのがよく分かるね。あれは初めての体験だったよ」

 

 デジタルの言葉にファンたちもデジタルを注視する。よく見れば確かに怯えているような表情だ。地元の英雄が中央トップをそこまで追い詰めたことが少しだけ誇らしかった。そして自分の醜態を恥ずかしげもなく語る姿に、多少驚いていた。

 

「そしてヒガシノコウテイ選手が懸命に追い詰めますが、アグネスデジタル選手が一着でゴール、ヒガシノコウテイ選手は二着のセイシンフブキ選手からハナ差の三着に終わりました」

 

 レース映像は終わるがフェブラリーステークスの回顧は続く、その途中でアグネスデジタルはふと何かを思いついたのか、懐から携帯電話を取り出す。

 

「アグネスデジタル選手どうしましたか?まさかこのイベントを出るのがNGでトレーナーさんからお怒りの電話とか?」

 

 MCの軽い口調の言葉に周りから笑いが起こる、デジタルは笑みで返すと電話をしてよいかとMCに尋ね許可を貰う。すると電話をかけ始めた。

 

「もしもし、今大丈夫?それで例の約束なんだけどさ」

 

 観客、MC、ヒガシノコウテイが一斉にデジタルの声に耳を傾ける。自分には気にせず話を続けてくれと言ったが、とてもそんな気になれなかった。すると電話が終わりデジタルは携帯電話を懐にしまう、その顔には嬉しそうに笑みを浮かべていた。

 

「え~っと皆さんにお知らせがあります。今喋っても大丈夫?」

「はい、どうぞ。何ですかね、気になります」

 

 MCが期待を煽るようにして許可を出す。

 

「あたしはセイシンフブキちゃんとある約束をしたの。『今年は必ず日本のダートで自分と一緒に走れって』って。その舞台が南部杯に今決まったよ」

 

 思わぬサプライズにMCとヒガシノコウテイは思わぬ発表にデジタルを見つめた、そして観客からは歓声が起こる。地方の英雄達と中央の勇者が繰り広げたあの激闘が再び見られる。その興奮で自然と声を上げていた。

 

「何というサプライズでしょうか!というよりローテーションをそんな簡単に決めていいのですか?こういうのはトレーナーさんとよく話し合うものだと思っていましたが」

「他のところは知らないけど、白ちゃんはあたしのお願いを聞いてくれるし、大丈夫だよ。怪我とかしない限り出るつもりだから、当日は盛岡レース場に来てね~」

 

―――――絶対見に行くからな!

―――――嫁を質に入れてでも見に行くぞ!

―――――

 デジタルの言葉に周りのボルテージはさらに上がる。周辺はレース後のような熱狂に包まれる。

 

「衝撃の発表で盛り上がっていますが、そろそろお時間です。では最後のお二方一言お願いします」

 

 MCが名残惜しそうにしながら二人にコメントを求め、二人は喋り始める。

 

「今日はアグネスデジタルさんやMCさんや見てくださった皆さんのおかげで、楽しいトークショーになりました。アグネスデジタルさん、ドバイでの健闘をお祈りします。そして南部杯で一緒に走ることを心から楽しみにしています」

「今日はレースで一杯ウマ娘ちゃんを見られて、ヒガシノコウテイちゃんとお話できて楽しかったです。南部杯はドバイワールドカップでサキーちゃんと走るぐらいに楽しみ!」

 

二人は感想を言うと自然とお互いの今後の健闘を祝すように握手をし、その日一番の歓声があがった。二人のトークショーは大盛況で幕を閉じた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「アグネスデジタルさん、今日は本当にありがとうございました」

「気にしないで、それよりあたしが出たせいでトークショーが冷え冷えになったら、どうしようと思っていたよ。それじゃあヒガシノコウテイちゃんがかわいそうだもんね」

 

 トークショーが終え、盛岡レース場内にある来賓室に入るやいなやヒガシノコウテイは深く頭を下げた。一方デジタルは畏まることなく、ヒガシノコウテイの顔に泥を塗らなかったことを喜んでいた。

 デジタルは急な依頼にも快く引き受け、サプライズまで用意して会場を盛り上げてくれた。自分ひとりだったら、ここまで盛り上がらなかっただろう。改めて深々と頭を下げる。

 数秒後ヒガシコウテイは頭を上げる、正直に言えば怒られたくないし、このまま黙っておきたい。だがこのまま黙っているのは人の道に反する。自分たちの罪を知らせなければならない。それが人の道だ。

 

「そしてアグネスデジタルさんに、謝らなければいけないことがあります」

「うん?何?」

「広報がインタビューする際に、事前に手続きをして相応のものを支払わなければならないと言っていたことを覚えていますか?」

「うん」

「あれは嘘です。雑誌に掲載するならばともかく、個人で利用する分には何の問題もないのです」

「じゃあ今回はタダ働き?」

「そういうことになります」

 

 ヒガシノコウテイは己のしたことを包み隠さず話した。

 広報がデジタルと約束を交わした後、ヒガシノコウテイは広報の言葉を不審に思い問い正す。広報はシラを切ったが、執拗に問い正すとそんなルールは無いと口を割った。

 それを聞きヒガシノコウテイはすぐさまデジタルの元へ向かい、インタビューに応じようとした。だが広報がその手を止め、こう言った。

 

―――そんなルールは無いが、君がそういう条件を出したことにすればいい。

 

 不正をしろというのか。

 ヒガシノコウテイは思わず睨みつける。だが広報は柳に風と言わんばかりに受け流し、自身の言い分を説明し始める。

 

 アグネスデジタルがイベントに来るとなれば、普段より来場者数が増えるだろう。ヒガシノコウテイとアグネスデジタルがイベントに参加するとなれば、GI南部杯と同じほどの来場者数が見込める。その実績を県に示せば、援助金が見込める。今が岩手ウマ娘協会の瀬戸際と説明した。

 広報が豪腕で時々問題を起こしているのを知っていた。だがそれはすべて岩手ウマ娘協会の為にと行動しているのも知っていた。ヒガシノコウテイの心は揺らぐ。自分が黙っていれば岩手ウマ娘協会が潤い、仲間たちも幸せになれる。自分の倫理観と周りの幸福、様々な葛藤を経て黙っていることを選んだ。

 

「別にいいよ」

「え?」

 

 重苦しく語るヒガシノコウテイに対し、驚く程あっさりした口調で許した。そのあまりの軽さにヒガシノコウテイは拍子抜けし思わず声を漏らす。

 

「今日はヒガシノコウテイちゃんとレースを見て、色んなところを回って、トークショーに出て楽しかった。依頼を受けなきゃできなかったし、タダ働きだと思っていないよ。寧ろ依頼してくれてありがとうって言いたいよ」

「いいのですか、アグネスデジタルさんを利用したのですよ」

「例えヒガシノコウテイちゃんにインタビューできなくて、一緒に遊べなくても依頼を受けていたよ。あたしはウマ娘ちゃんが大好きだし、ウマ娘ちゃんの味方だよ。よく分からないけど、あたしがイベントに出れば岩手のウマ娘ちゃんが喜ぶんでしょ?なら問題ない!」

 

デジタルはあっけらかんと話す。その言葉には気遣いなどは一切ない、純粋な本心だった。

 

「ありがとうございます。ではそろそろインタビューを始めましょうか」

「待っていました!」

 

 デジタルは意気揚々とレコーダーを準備する。デジタルは普通の記者が聞かないようなことを根掘り葉掘り聞いてきた。それに対しヒガシノコウテイは一つ一つ丁寧に詳細に答えていく。インタビューは長時間に及んだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

「見送りありがとう。じゃあねヒガシノコウテイちゃん」

「はい、お気をつけて」

 

 早朝の盛岡駅改札前で二人は別れの挨拶をつげる。デジタルの両腕には大量の紙袋がぶら下がっている。中身は盛岡レース場で販売されているお菓子で、ヒガシノコウテイからお土産にと大量に渡される。デジタルもこんなに貰えないと一旦断るが、迷惑をかけたお詫びにと半ば強引に渡されていた。

 

「デジタルさん、私は今まで中央を少なからず敵対視していました。でも、一緒にイベントに参加して考えが変わりました。中央を敵対視することはないんだと」

 

 ヒガシノコウテイは心境の変化をデジタルに打ち明ける。トウケイニセイが中央のライブリラブリィに負け、失意のどん底に落ちた盛岡レース場。そして中央の存在によって閉鎖していく地方のレース場。その体験から中央は地方の敵だと思っていた。

 だがそうではない、アグネスデジタルのように、地方の利益になる行動をしてくれたウマ娘もいる。中央でも地方を味方と言ってくれる。その姿を見て自らも偏見を捨て歩み寄る大切さを実感する。そしてお互いが歩み寄れば、地方と中央が共存共栄できるのかもしれない。

 

「なので、また何かあったら頼っていいですか?その分私も何かあれば手伝います」

「喜んで、あたしは地方も中央も海外も関係ない、すべてのウマ娘ちゃんの味方だよ」

 

 二人はトークショーの終わりの時のように自然と握手をする。その握る力は前よりも力強かった。

 




ドバイワールドカップまでに間に合うか微妙なところ……


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勇者のサブクエスト#4

 ウマ娘達は今日も今日とてトレーニングに励む。さらなる高みを目指すために、己が望む舞台に。それはGIを複数勝っている者であろうが、デビュー前のウマ娘だろうがそれは変わらない。

 ある葦毛のウマ娘がトレーナーの指示を受けて、ウッドチップコースに向かう。トレセン学園は広大な敷地と様々なトレーニングコースを有している。多くのウマ娘が在籍し、施設でトレーニングに励んでいるのでコースも貸切りというわけにはいかない。コースには顔見知りや初めて見る顔のウマ娘が多くいた。

トレーニングに向けてウォームアップを始めようとするが、コースに漂う空気がいつもと違う事に気付く。

 何だろう?浮ついているというか、ざわついているというか兎に角空気が違う。しばらく周りを観察していると、ウマ娘達がある二人のウマ娘に視線を送り、その姿を確認するとそのことについて周りと喋っている。原因はその二人のウマ娘だ。

一人は栗毛の小柄なウマ娘、もう一人は鹿毛の大柄なウマ娘、鹿毛のウマ娘が栗毛のウマ娘の背中を押し柔軟運動をしていた。

 あの二人どこかで見た事がある。だが今見えているのは後姿だけで誰なのかは思い出せない。二人の正体が気になったのか、さりげなく前に回りこみ顔を確認すると予想外の正体に驚いていた。

 

 一人は年間無敗を達成した覇王テイエムオペラオー。

 もう一人は覇王と何度も激闘を繰り広げたメイショウドトウ。

 

 先日引退式をおこない現役を退いた二人が何故ここにいる?

 

 するとオペラオーとドトウはあるウマ娘に呼びかけられると、ストレッチを止めて呼びかけに答える。その先には二人のウマ娘がいた。

 一人は赤い髪に赤い大きなリボンを着けたウマ娘、もう一人は漆黒長髪を2つのお団子にし、その毛先を垂らしている独特のヘアースタイルのウマ娘、あの二人は知っている。先日のフェブラリーステークスに勝利したアグネスデジタルと、去年の香港マイルに勝ったエイシンプレストンだ。

 

「デジタルさんにエイシンプレストンさん、これから暫くよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。デジタルのわがままに付き合ってもらってすみません」

「デジタル、ボクもドトウもやっと仕上がったよ。これならある程度キミを満足させられるんじゃないかな」

「付き合ってくれてありがとう、オペラオーちゃんにドトウちゃん。しばらくよろしくね。あと岩手のお土産買ってきたからトレーニング終わったら皆で食べよ」

 

 四人は和気藹々と会話をしている、この四人は仲が良かったのか。会話から察するにアグネスデジタルがテイエムオペラオーとメイショウドトウをトレーニングに呼んだようだ。しかし何故現役を退いたものをわざわざ駆り出した?葦毛のウマ娘は推理するが一向に答えは出なかった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 授業が終わっての中休み、勉学から開放され束の間の休憩を満喫するようにそれぞれが近くの学生達と会話を楽しむ。メイショウドトウとテイエムオペラオーもそのなかの一人だった。するとクラスメイトから声を掛けられる、どうやら来客が訪れているようだ。クラスメイトが指差すほうに目を向けると扉には見知った顔がいた。友人のアグネスデジタルだ。

 

「どうしたデジタル、何の用だい?」

「二人にちょっと頼みたい事があって」

「何ですか?出来る事なら手伝います」

 

 二人はデジタルの元へ行き用件を聞く、デジタルは一呼吸すると話しながら次に話す内容を考えているようなゆっくりとしたスピードで喋り始める。

 

「フェブラリーステークスの時はさ、サキーちゃんをイメージしながら走っていたんだよね。でもヒガシノコウテイちゃんとセイシンフブキちゃんの威圧感というかオーラにビビっちゃって、それでサキーちゃんのイメージが消えちゃった」

 

 デジタルの発する言葉は他人が聞いたのならば意味が分からないだろう、だが二人には言わんとしていることは理解できた。

 二人が走った天皇賞秋ではデジタルは大外を走りながらオペラオーとドトウの近くで走りたいという願望を叶える為に、内側で走っていた二人のイメージを作り出し、大外を走りながら二人の近くで走っていると自身を錯覚させていた。おそらくフェブラリーステークスではサキーのイメージを作り出し走っていたのだろう。そして言葉通り二人の威圧感によってイメージをかき消された。

 

「次のドバイワールドカップではオペラオーちゃんとドトウちゃんもイメージしようと思っているけど、サキーちゃんもそんな感じの威圧感を出してくるかもしれない。だから挫けないために二人のイメージをより強くすることが必要だと思ったの、だからあたしと一緒にトレーニングに参加してくれない?」

 

 デジタルは二人に向かって頭を下げる。サキーをより近くで感じ堪能し勝つために、トリップ走法でヒガシノコウテイとセイシンフブキの圧力から逃げる力を加えようと考えた。

 それがサキーに立ち向かうための新しい武器、だがそれだけでは足りない。

 既存の武器、デジタルの言葉を借りれば追いかけるイメージ、新しい武器と既存の武器を駆使する事が必要であると考えていた。

 だがドバイワールドカップではセイシンフブキやヒガシノコウテイのような強い威圧感を発するウマ娘がおり、既存の武器が砕かれるかもしれない。そうならないように鍛えなおす。二人と一緒に走る事でよりイメージを強固にしようとする狙いがあった。

 

 二人はデジタルの言葉を聞き、数秒ほど沈黙する。言いたい事は何となく理解できた。だがある懸念があった。

 

「あの、そのイメージを強化するトレーニングをおこなうのでしたら、私達とデジタルさんが体を併せるほうがいいですよね」

「うん、それなりに走って直線で二人と体を併せる感じかな」

「それだと出来る限り体を併せるのは時間が長いほうがいいですよね」

「うん、そうだね」

 

 ドトウはデジタルの言葉を聞くと、顔を伏せ何か言いづらそうな態度を見せる。デジタルは不思議そうにしているとドトウの考えを代弁するようにオペラオーが口を開いた。

 

「デジタル、悪いがそれは厳しいかもしれない」

「どういうことオペラオーちゃん?」

「今のボク達ではキミのトレーニングにはついていけない」

 

 オペラオーが現役を退いた理由は衰えによるものだった。そしてドトウもオペラオーがターフを去ってしまってはモチベーションが保てないという理由で引退したが、またドトウも同じように衰えていた。

 そして衰えは現在進行形で続いている。仮にデビュー前のウマ娘のトレーニングに参加するならば二人は十二分に通用する。だが現役でもトップクラスのデジタルのトレーニングに参加するには荷が勝ちすぎていた。

 

「ボク達の今の力ではあっという間に千切られるだろう。それに今のボク達では現役時のイメージとは隔離がある、イメージするならピークの時がいいだろう?今のボク達と走ったら逆効果になる恐れがある」

 

 オペラオーの言葉を聞きデジタルはわずかばかり意気消沈する。天皇賞秋のことを思い出しレース映像を見てイメージを構築する事もできなくもない。だが自分の目で近くで見る事が一番の方法だった。だがそういった理由ならしょうがない、それに断る理由が自分の事を思ってくれてのことは嬉しかった。デジタルは二人に礼を言い立ち去ろうとする。

 

「待った」

「待ってください」

 

 だが、オペラオーとドトウが同時に呼び止めた。二人は同時に顔を見合し数秒ほど間が開き、ドトウからきりだした。

 

「2週間、いや3週間ほど時間をくれませんか?」

「今のボク達はピークではない、だがピークに限りなく近づける事は可能だ。3週間後にキミが判断してくれ」

「うん!」

 

 デジタルはその言葉を聞き表情が一気に明るくなった。二人に何度も感謝の言葉を述べ、スキップ交じりで自分の教室に帰っていく。

 

「よかったねドトウ、これでダイエットできるじゃないか」

「そうですね」

 

 オペラオーの軽口にドトウは笑みで答える。現役を退いて、もうあの厳しいトレーニングをする必要がないと思っていた。だが再び現役と変わらず、それ以上にトレーニングすることになるだろう。しかし悪い気はしない、衰え現役を退いた者でも必要としてくれる友人がいる。それは何よりも嬉しかった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「それでオペラオーさんとドトウさんが居るのは分かるけど、何であたしも駆り出されているの?」

「それはプレちゃんもイメージするからだよ、一緒に生活していても走る姿は見ているわけじゃないしね」

「そう、後でお金払ってね」

「何で?」

「それはあたしのイメージを使用しているからよ。ライセンス料を払ってもらうから」

「え~自分の脳内で想像しただけでお金払わなきゃいけないの?」

「権利にうるさいアメリカ育ち、そこらへんにぬかりなし」

 

 二人はじゃれあいながらトレーニング前の準備運動をおこなっていく、するとデジタルのトレーナーが四人の元にやってきた。

 

「オペラオー君にドトウ君にプレストン君、デジタルに付き合ってくれてありがとう。暫くよろしく頼む」

 

 トレーナーが三人に頭を下げると、オペラオーは会釈程度に、プレストンは普通に、ドトウは過剰なまでに頭を下げた。

 

「それで、どんなトレーニングするの?」

「そうだな、このコースは一周2000メートルだから、まずスタート地点からデジタルとプレストン君が併せて1000メートルまで走る。プレストン君は7割ぐらいの力で走ってくれ。そしてデジタルはそのまま走る。オペラオー君とドトウ君は直線で陣取って、デジタルが直線に入ったらスタートして全力で走ってくれ。それを数本やる感じや。デジタルは1000メートルから直線に入るまでは少し緩ませていいが、レースのつもりで走れ、先着しろよ」

 

トレーナーの指示に4人は了承し、それぞれの場所に移動しトレーニングを開始する。

 

「じゃあ、プレちゃん準備良い?」

「いつでも」

「じゃあ、よ~い、ドン」

 

デジタルの合図で両者は同時にスタートする。出だしはデジタル自ら合図を出したことで好スタートをきれ、100メートル通過してクビ差ほどリードする。

 全力で走りながらもチラリと横を見る。無駄の無い美しいフォーム、風でなびく艶のある漆黒の髪、一歩でも前に行こうとする意志を秘めた瞳。併せて走るのは香港以来だが、相変わらず素敵な姿だ。隣で走っているだけで心が躍る。

 このままずっと併走したい。 だが200メートル、400メートルとハロン棒を通過していくごとにハナ差、クビ差、2分の1差と距離が開いていく。

 デジタルはレースまで残り3週間、プレストンはレースまで約7週間。仕上がりとしてはデジタルが早い、だがプレストンは1000メートル走るのに対し、デジタルは途中緩めるといえど2000メートル走らなければならない。それが広がっていく差の原因であった。

 1000メートルのハロン棒をプレストンが1バ身リードで通過する。デジタルも必死に追走したが体を並ばせることはできなかった。プレストンはそのままスピードを落とし立ち止まる、

 デジタルは走りをとめず、オペラオーとドトウが待つ地点まで向かう。トレーナーは緩めながら向かえと言ったが、緩めすぎてもトレーニングの意味が無い。直線で力が発揮できるギリギリの緩いペースに調整する。

 最初はペースを上げ、中盤でペースを緩ませ、直線でペースを上げる。これはフェブラリーでのペース配分と同じで、トレーナーが考えるドバイワールドカップでの勝率が高い走りでもあった。そしてこれはサキーの走りと同じペース配分でもある。

 残り500メートルに着いた瞬間、1バ身先に居たオペラオーとドトウがスタートを切る。それを合図にデジタルはペースを上げ、イメージを作り出す。イメージするのはフェブラリーでの直線に感じたあの圧力。

 二人から聞いた話を思い出し、二人が何を想い、どのような覚悟と決意を秘めて走っていたのかを想像する。 すると背筋に悪寒が走り、後ろから二人の心情が声になって聞こえてくる。イメージはできた。あとはそれを逃げる力に代える。

 デジタルの感覚としては想像の二人から発せられる重圧を上手く逃げる力に代えられる感覚があった。だが徐々にゴールに迫りながらも、オペラオーとドトウとの差が一向に縮まらない、むしろ広がっている。

 実は上手く逃げる力に代えられていないのか?不安からか思わず意識をイメージから前を走るオペラオーとドトウに意識を向ける。そこには天皇賞秋で想像した理想の姿と寸分と狂わない後姿があった。

上手くトリップ走法ができていないから差が縮まらないのではない、二人が全盛期と変わらないからだ!その姿に感動したせいか、デジタルのイメージはいつの間に消えていた。

 結局オペラオーとドトウが先着し、デジタルは3バ身をつけられてゴールする。デジタルは息を整える間を惜しんで、二人に駆け寄る。その瞳は歓喜に満ちていた。

 

「凄いよ!凄いよ二人とも!全盛期の姿と変わらないよ!」

「ありがとうございます、そう言ってくれて嬉しいです」

「いや、全盛期からはまだまだだよ。でもこれぐらいのハンデをもらえれば、デジタルの練習相手には充分なれそうだ」

 

ドトウは謙遜し、オペラオーは満足げに答える。二人のスピードはタイムから見れば全盛期と変わらないものだった。だがそれは500メートルだけしか走っていないからである。これをデジタルと同じ距離を走っていたならば、たちまちフォームは乱れスピードは落ちていくだろう。しかし、500メートルでも全盛期の姿を取り戻せたのは3週間のハードワークによるものだった。

 

「よし、二人は息を整えてくれ、デジタルはジョグでプレストン君の位置まで戻れ、あと中間ペースは少しペース緩めすぎや、もう少し締めていけ」

「あれで緩めすぎ~?厳しいな」

 

デジタルは若干愚痴をこぼしながらプレストンの位置に戻り、二本目を開始する。その後三本目をやって、この日のトレーニングは終了する。

 

 

「飲み物って何がいいかな?部屋の冷蔵庫には牛乳しかないけど」

「あたし達は牛乳でいいけど、オペラオーさんとドトウさんは好きじゃないかもしれないし、ベタなところで緑茶とか紅茶とか?」

「でも両方淹れ方知らないけど」

「じゃあ、コンビニでペットボトルとかで買えばいいでしょ」

 

デジタルとプレストンは雑談に興じながら、クールダウンをしていく。その姿を見つめながらオペラオーとドトウもクールダウンをする

 

「お疲れさん。ジェルパックはこれでいいかドトウ君」

 

するとデジタルのトレーナーがドトウにジェルパックを手渡す。ジェルパックとはジェルを冷やしたもので足首や腿裏につけていく部位を冷やす事で疲労回復を速め、怪我の防止にもつながっていく。ドトウは自分の分をつけ終わり、オペラオーの分を手渡し着けていく

 

「アイシングはきちんとしておきませんと」

「そうだね、しかしアイシングなんて現役時代やってないから、未だに馴れないな」

「今までアイシングやっていなかったと聞いて驚きましたよ。それであの頑丈さですから羨ましいです」

 

ドトウは過去のやりとりを思い出し、思わず笑みを浮かべる。二人で自主トレーニングをした後、ストレッチをしてジェルパックをつけるドトウに対して、オペラオーは何もつけておらず、思わず質問する。すると一回つけたけど、冷える感覚が嫌だからそれ以来つけていないと答えた。

それはドトウにとって衝撃的な答えだった。チームではアイシングは常識であり、どのチームもそうだと思っていた。だがオペラオーは一切やっていないと言う。それでデビュー後の骨折以来、怪我無くシニアクラス中長距離路線を皆勤したのか。なんという頑丈な体だ。

ドトウはオペラオーにアイシングするように薦めた。最初は拒否したが、もう現役ではないから体のケアはしっかりすべきである。そして怪我をして、デジタルに負い目を感じさせるわけにはいかないと強く迫り、オペラオーはアイシングするようになった。

オペラオーはジェルを着け終わるとトレーナーに問いただす。

 

「それでデジタルのトレーナー、デジタルの新しい走りはできているのかい?」

「正直言えば分からん。出来ているか否かは可視化できるものでもないしな」

 

トレーナーは思わずため息をもらす。

デジタルのトリップ走法は脳でウマ娘をイメージし、勝負根性と潜在能力を引き出す走りである。それは他者からの目では出来ているかは判別できない。例えば走りのフォームが乱れているとかならば、視覚情報として見え、トレーナーなどの他者が正しフォームと照らし合わせ修正することが出来る。

 だがデジタルが脳内のイメージは他者の視覚情報としてとらえることができない。判別する客観的データが有るとするならばタイム、または本人の口からイメージが上手くいったか、そうではないかを聞くぐらいだ。恥ずかしながらアドバイスできることは何も無い。

 

 するとデジタルとプレストンがクールダウンを終えてやってくる。オペラオーとドトウは出迎えようと立ち上がる。トレーナーは二人が来る前に告げた。

 

「もし、少しでも体に不調を感じたらデジタルには遠慮なく休んで、私に相談してくれ。君たちを怪我させるわけにはいかない」

「ありがとうございます」

「まあ、ボクは怪我をするようなやわな体じゃないけどね」

 

 二人はそう返すとデジタルとプレストンを出迎え帰路につく。四人の表情はレースに向けてトレーニングするアスリートとしてのウマ娘ではなく、たわいも無いお喋りを楽しむ年相応のウマ娘の表情をしていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『テイエム来た!テイエム来た!テイエム来た!』

 

 プレストンは最近の日課であるヌンチャクを使ったトレーニングを終えて、自室に戻る、すると大音量の実況が出迎えた。

 また見ているのか。プレストンは感心半分呆れ半分といった笑みを見せる。ここ最近のデジタルはずっとレースの映像を見ている。授業中、休み時間、トレーニングの合間、自室、僅かな時間をみて、むしろ僅かな時間を作ってでも映像を見ている。

 見ているのはテイエムオペラオー、メイショウドトウ、エイシンプレストン、ヒガシノコウテイ、セイシンフブキ、サキーの映像だ。

 トリップ走法のイメージ構築のために繰り返し繰り返し見ており、回数も数十回じゃきかないだろう。例えでテープが擦り切れるまで見るという言葉があるが、もしデジタルが見ているものがビデオであれば間違いなく擦り切れているだろう。そのせいか今のデジタルは世俗から離れている。最近起こった国民的男性アイドルグループの解散報道も知らないだろう。

 その執着と集中力にはデジタルと長く付き合っているプレストンにすら、狂気じみたものを感じ薄気味悪さを覚えている。プレストンですらそうなのだから、チームプレアデスや親しい人物意外は最近では近寄ろうとしない。

 

 デジタルは映像がひと段落ついたのかふと時計を見ると目を見開き、慌てて別のウェブページを立ち上げる。

 

「あぶない、あぶない。見逃すところだった」

「何を?」

「ネットでサキーちゃんのインタビュー番組を流すんだよ」

「へえ~、そんなのどこで知ったの?」

「ツイッター」

「でもサキーってゴドルフィンでしょ、ツイートもアラビア語なんじゃないの?アラビア語読めるの?」

「サキーちゃんのツイートはアラビア語のほかに英語でもツイートしているの!一人でも多く読んでもらうためにだってさ、意識高いよね!英語できて本当によかったよ」

 

 デジタルは自慢げに、そして楽しそうにサキーのことについて語る。これから勝敗を競う相手になるのにまるでファンのようだ。恐らくトレセン学園で一番サキーに詳しいだろう。そして番組が始まった。

 画面に映るのはインタビュアーとサキーの二人、インタビュアーはスーツで、サキーはゴドルフィンの指定ジャージを着ている。テロップを交えながらインタビュアーの質問にサキーが答えていく。内容としては日本でもよくあるインタビュー番組だが、セットや雰囲気からして民法のバラエティ的なインタビューではなく、国営放送の少し硬い感じのインタビュー番組のようだった。生い立ちから今までの経緯を語り、話題はドバイワールドカップに移った。

 

「ドバイワールドカップに出走されますが、警戒している又は注目しているウマ娘はいますか?」

 

 インタビュアーの質問にサキーは数秒間沈黙した後、喋り始める。気のせいかその声は弾み、ブルーサファイアのような青い瞳が光度を増したような気がした。

 

「私が気になっているウマ娘は日本のアグネスデジタルです」

 

 アグネスデジタルという名前がサキーの口から出た瞬間、プレストンとデジタルは顔を見合わせる。日本の放送ではない番組でデジタルの名前が出た。全く予想していなかっただけに心臓の鼓動が跳ね上がり、驚きで少しばかりあった眠気が吹き飛んだ。二人は一層集中して番組を見る。

 

「意外ですね。同じゴドルフィンのストリートクライの名をあげると思っていたのですが」

 

 ドバイワールドカップの前哨戦であるマクトゥームチャレンジで、2着に8バ身半もの大差をつけたストリートクライが関係者の間ではサキーの対抗と目されていた。それだけにサキーはその名前をあげると思っていた。

 

「ストリートクライは強いですし警戒もしています。ですが気になるという面ではアグネスデジタルですね。何と言ったってファーストコンタクトが印象的でしたから」

「どのようなファーストコンタクトでしたか?」

「始めて会ったのは香港のシャティンレース場のトイレでした。少し話した後、彼女は私に尋ねました『ゴドルフィンで推しのウマ娘っている?』と最初は意味がわかりませんでした。強いウマ娘がいるかということかと思いましたが、違いました。彼女はウマ娘の速さではなく、ゴドルフィンのウマ娘達の趣味やマイブームや周りで起こったエピソードなど、パーソナルな部分が気になっていたようです」

「それは珍しいですね」

「アグネスデジタルは目を輝かせて聞いていました。あそこまで興味を持って話を聞いてくれる人は初めてでした。そのせいか沢山喋ってしまい、集合時間に遅れそうになってしまいました」

 

 サキーは笑い話のように楽しげに過去を振り返る、そして思いだし笑いを堪えるように話を続ける。

 

「そして去り際に彼女はこう言いました『貴女ならすごく強くなれるよ、将来は凱旋門賞取れるかもね』と、どうやら私をジュニアBクラスだと思っていたようです」

 

 サキーは喋り終えると我慢できなくなったのか、クスクスと笑い始める。

 凱旋門に勝利し、周りの人々は少なからず畏敬の念を抱いて接してくる。現役のウマ娘なら誰でも知っているだろうという驕りがあった。だがアグネスデジタルは自分のことを知らないのか、畏敬の念を見せず、まるで気心知れた友達のように接してきた。

 デジタルの態度は不快ではなく、新鮮で心地よいものだった。そして海外所属とはいえど現役の選手に知られていないとは、自分の認知度とPR活動はまだまだであるということを実感させられた貴重な体験だった。

 

「凱旋門に勝ったサキーをBクラス扱いって、下手したら滅茶苦茶キレられる案件よ」

「いや~あの時はオペラオーちゃんとドトウちゃんに夢中で、海外には全く目が行ってなくて。それに会った時も良い意味で初々しかったから」

 

 プレストンは呆れ半分でデジタルに苦言を呈す。サキーが笑い話にしてくれているが、他の人だったらその場で怒られている可能性がある。いやサキー自身も実は腹綿煮えくり返っているかもしれない。その言葉にデジタルは悪気がなかったと言い訳する。

 映像ではインタビュアーはサキーの笑いが治まるのを待ち、話を切り出す。

 

「凱旋門賞ウマ娘を新人扱い。それは印象に残りますね」

「はい、印象に残っていますし、僅かな時間での交流でしたが、何となく気が合うのを感じました。もし機会があればお茶でも飲みながら話したいです」

 

 その後はドバイワールドカップへの意気込みを語って番組は終了した。

 

「これって相思相愛ってことだよね!プレちゃん!」

「それは言いすぎでしょ」

 

 デジタルはプレストンに鼻息荒く話しかける。声のボリュームが大きく、近所迷惑にならないように必死に宥める。恋焦がれている相手に存在が認知され、社交辞令とは言え一緒にお茶したいと言われたのだから、興奮しないわけが無い。気持ちは分かる。

 その後デジタルは興奮冷めあらぬのか、プレストンにサキーのことについて語り続ける。テンションが落ち着き話をやめたのは30分後のことだった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「そういうことが有ったんだよ」

「それはよかったですね」

「さすがのサキーも、ボクの魅力には敵わなかったみたいだね」

「でも、注目されていないほうが良かったんじゃない。ノーマークでコソコソしたほうが勝てる確率が上がりそうだし」

「う~ん、ドバイでサキーちゃんに勝って『何なのアイツ!』って注目されるパターンも悪くないけど、折角の晴れ舞台だから、最初から注目された状態で走りたいのが乙女心かな」

「乙女心は複雑ね」

 

 ウッドコース場で四人はウォームアップをしながら談笑し、話題は昨日のサキーの話に移る。

 デジタルはサキーが出ていた番組のことを嬉しそうに話し、ドトウはデジタルがはしゃぐ様子を微笑ましく眺め、オペラオーは当時のデジタルの興味がサキーではなく、自分達にあったのを嬉しそうに胸を張り、プレストンはデジタルの乙女心を若干皮肉るように賛同する。

 するとトレーナーが四人に準備が出来ているかと声を掛け、先のトレーニングと同じように持ち場に移動する。デジタルも移動するがトレーナーに呼び止められた。

 

「現地ではビシと追えるのは一本か二本ぐらいで、後は調整や。今日が最後になると思っておけ、新しいトリップ走法は完成できているのか?」

「うん、ほぼ完璧」

「そうか、なら最後ぐらい先着せえよ」

 

 デジタルはトレーナーの言葉に手をヒラヒラと振りながら、持ち場に戻る。タイムも伸びているし、直線でのオペラオーとドトウとの着差も縮まっている。デジタルの言葉通り、トリップ走法での逃げる力を引き出せることは出来ているのだろう。後は結果だ。

 このトレーニングで、この面子相手に先着できる現役ウマ娘はほぼいない。それほどまでにデジタルにはハンデがあるトレーニングだ。だが世界最強のサキーに勝つためには結果が欲しかった。

 

「今日で最後だね、付き合ってありがとう」

「だったら抜いて恩返ししなさい、まあ、抜かせるつもりはサラサラ無いけど」

 

 二人は言葉を交わしスタートをきる。スタートはデジタルが若干有利だが、すぐにプレストンが盛り返し横一線に並ぶ、そこから200メートル、400メートルとハロン棒を通過していく、まだ横一線だった。

 プレストンは併走するデジタルの横顔を覗く。その横顔は自分との併走を堪能するように笑顔だった。

 トレーニングというものは基本的に辛く苦しいものだ。だが辛いからこそ力がつき、その分レースに勝てれば何倍も嬉しくなる。そう思えば苦しい事は悪くは無い。

 だがデジタルと走っていると不思議と苦しいではなく、楽しいと思えてくる。デジタルの嬉しいという感情が伝播していくのかもしれない。それは心地よい体験だった。

 

 1000メートルを同着で通過し、プレストンはスピードを緩め抜き去られていく。

デジタルは名残惜しそうに一瞬振り返り眼が合う。プレストンはサムズアップサインを見せ、デジタルはそのサインに頷いた。

 オペラオーとドトウまでの500メートル、デジタルは最低限のペースの緩みで走りながら、息を入れ力を溜める。

 そしてオペラオーとドトウの1バ身後ろにつくと二人はスタートをきる。デジタルはそれを見て瞬時に脳から情報を引き出し、イメージを作り出す。

 オペラオーとドトウの間にはある一人分のスペース、そこにデジタルは入り込み併走する。三人は横一線になり直線を駆け抜ける。

 

 オペラオーとドトウは併走するデジタルを一瞥する。三人で走った唯一レースである天皇賞秋では、こうして肩を並べて併走することはなかった。だがジャパンカップのトレーニングでは、後ろから迫るデジタルに抜かれまいと力を振り絞りながら体を合わせ、ゴールではいつも僅差だった。そして今も三人で横一線になりながら併走している。

 今日でトレーニングは終えデジタルはドバイに旅発つ。そして勝つにせよ負けるにせよ、いずれ次のレースに向けてトレーニングを再開する。その時は衰えがさらに進行し、デジタルのトレーニングの相手にはならなくなる。これが本当に最後の走りだ。

 ゴールに迫ると感覚は沼に入ったように鈍化し、感傷的な気分と名残惜しさが増してくる。二人はさらに力を振り絞る。一秒でもデジタルが理想とする自分達であるように、一秒でもデジタルの目に焼き付けてもらうように、そして先着して理想の自分達を心に刻んでもらうように。

 残り100メートルでオペラオーとドトウはデジタルからクビ差ほど抜き出て、その差を維持したままゴールした。

 

「今日は……先着できると……思ったんだけどな……」

 

ゴールを駆け抜けると三人は同じ位置で止まり、呼吸を整える。そしてデジタルは息絶え絶えで話しかける。言葉では悔しさを表しているが、表情と声色はまるで違う。嬉しさを全面に現していた。

 

 三人は暫く呼吸を整えていると、トレーナーと戻ってきたプレストンが近づいてきて、三人に飲み物とタオルを手渡し労う。

 

「結局、最後まで先着出来んかったな」

「プレちゃんだって……オペラオーちゃんだって……ドトウちゃんだって……強いんだから……しょうがないじゃん」

「まあ、よくよく考えれば、この面子とハンデで勝つなんてサキーでも無理だったな」

 

 トレーナーの言葉にデジタルは『そうだよ~』と満足げな笑顔を浮かべながら答える。

 本音を言えば先着して欲しかったが、プレストンとオペラオーとドトウを過小評価しすぎていたということだろう。それにオペラオーとドトウという憧れを抜けないほうが良かったのかもしれない。

 デジタルがイメージする際、抜いた相手より抜けない相手のほうが、相手に近づこうとして、より力を引き出してくれるだろう。数分ほど四人は休憩を取る。その間トレーナーはデジタル息が整っていることを見計らい声を掛ける

 

「デジタル、ドバイ前の総仕上げだ。最後に一人で、もう一回2000メートル走って来い。本番を想定して、トリップ走法の逃げる力と、追う力を合わせたやつでな」

「うん」

 

 デジタルは寝そべっていた体を起こし、スタート地点に向かう。

 逃げる力と追う力を融合させたトリップ走法。デジタルがサキーに近づき堪能し勝つために生み出した走法。だがまだ完成していなかった。

 オペラオー達と走った後に何回か単走で実践してみたが、逃げる力から追う力にイメージを切り替える際の継ぎ目が甘く、若干タイムラグが出てしまった。それはイメージが固まっていなかったからだろう。

 だが今日まで逃げるイメージを構築し続け、追うイメージの相手である、プレストンとオペラオーとドトウの走る姿や息遣いを体験し脳に刻み込んだ今なら、完成できそうな予感があった。

 

 デジタルはスタート地点に着くと走り始める。本番と同じように序盤はスピードを速め、前目に位置取り先行する。中盤は若干緩まるので同じようにスピードを落とす。

そして残り600メートルになった瞬間、トリップ走法を使う。

 最初は逃げる力、ヒガシノコウテイとセイシンフブキをイメージし、余力を引き出す。200メートルを通過した瞬間に、逃げるイメージから追うイメージに替え、プレストンを出現させる。そこからは100メートルごとにドトウ、オペラオー、サキーとイメージする相手を代えていく。

 イメージを替えるタイムラグはなくスムーズに出来、余力を引き出し、体のすべてのエネルギーを使いきった感覚があった。

 

 デジタルは走り終わり、コースの外でタイムを計測していたトレーナーの元に近づく。その歩様は千鳥足で今にも倒れそうだった。その様子を見てトレーナーとプレストン達はすぐに駆け寄り、デジタルがコースに倒れ伏せる前に抱きかかえた。

 

「できたよ皆……でもこれ……脳も体も目一杯使うから……かなりしんどい……」

 

 プレストンの腕の中でゆっくりと喋りかける。トレーナーは膝や足首などを触診して痛みがないかと問うが、デジタルは無いと答えた。故障という最悪の事態を想定したが、どうやら力を使い果たしただけのようだ。

 

「お疲れデジタル、明日は完全オフだ。ゆっくり休め」

「そうさせてもらうね。プレちゃん部屋まで送って」

「はいはい。わかりましたよ、お姫様」

 

 プレストンはお姫様だっこでデジタルを運び、トレーナー達はその後をついて行く。

 

「タイムはどうだったのだい、デジタルのトレーナー」

「タイムは普通だが、トレーニングの最後の一本と考えれば自己ベストに近い。言葉通りトリップ走法は完成したのだろう」

 

 トレーナーはオペラオーとドトウに計測したタイムを見せる。全体は今までどおりだったが、トリップ走法を使った3ハロンのタイムは通常より伸びていた。

 これでサキーとも充分に戦えるだろう。あとは現地での調整しだいだ。トレーナーは今後のことについて思考をめぐらす。すると携帯電話に着信が入り、思考は中断される。

 液晶には番号だけが表示されている。何回か電話をかけたり、受けたりする番号であれば電話帳に登録している。名前が出ていないということは、初めて電話をかけてくる相手だ。トレーナーは僅かばかし緊張しながら電話に出た。

 




現実のドバイワールドカップに間に合うか微妙なところ…
がんばります


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勇者のサブクエスト#5

これにてサブクエスト完了!
いざドバイへ!


「しかし昨日は驚いたわね。まさかテイエムオペラオーさんとメイショウドトウさんがトレーニングに参加しているなんて」

「ああ、思わず二度見しちまったよ」

 

 ウオッカとダイワスカレートは授業が終わりチームルームでトレーニングウェアに着替えている最中昨日のことを振り返っていた。

 二人がポリトラックコースに移動している最中にウッドチップコースでテイエムオペラオーとメイショウドトウが準備運動をしている姿を目撃していた。

 引退したウマ娘が健康や美容のため、または普段の習慣が抜け切らないからとトレーニングすることは多々ある。だがそれらのウマ娘は暗黙のルールとしてトレセン学園の施設は使わず施設外で行うことになっている。施設はレースに本気で走る現役が使うものであり、真剣勝負をすることがない者は使うべきではないという一種の敬意から暗黙のルールに従っていた。二人もその暗黙のルールは知っておりそれを破るということは余程のことであると思っていた。

 

「しかもレース前さながらの気迫とスピードだったらいしいわよ。見ていた娘も『あれほど走れて何で引退したんだろう』って言っていたわ」

「マジかよ、見たかったな~」

 

 ウオッカは残念そうに呟く。二人もオペラオーとドトウの走る姿を見たいという思いに駆られたがクラシックの一つである桜花賞に勝つために、目の前に居るライバルに勝つために油を売っている暇は無いと泣く泣く自分のトレーニングを優先したのだった。

 

「しかしあのアグネスデジタルと一緒にトレーニングに参加してなんて三人は仲が良かったんだな」

「テイエムオペラオーさんは極度のナルシストだし、あの変態と仲が良いということは相当の変人なのかもね、でもメイショウドトウさんは何で仲が良いんだろう?ちょっと引っ込み思案そうな普通の人だと思っていたけど……」

「それはドトウがドMだからだよ」

 

二人は第三者の声に後ろを振り向く、そこにはゴールドシップの姿があった。

 

「ゴールドシップ!?どこから話を聞いていたの?それにドMってどういうこと」

「最初から。現役時代はオペラオーに何度何度も負けて、バッキバキに心折られているはずなのに何度も挑むなんてドMだろ。きっと夜な夜なデジタルとオペラオーに責められて悦んでるんだ」

 

 二人はゴールドシップの言葉からボンテージに鞭を持った典型的なS嬢スタイルのオペラオーとデジタルに鞭を振るわれて悦ぶドトウの姿をイメージしていた。

 普通ならこの名誉毀損に値するような憶測は即否定されるのだが、二人はアグネスデジタルを変態と見抜いたゴールドシップの洞察力にある程度の信頼を置いており、この言葉は真実になっていた。

 無論メイショウドトウの名誉のためにゴールドシップの言葉は全くのデタラメであると明記しておく。

 

「変態にナルシストのSにドMか。ある意味お似合いかもな」

「アグネスデジタルは勿論だけど、この二人にも近づかないほうがいいかもね。よしトレーニングにいきましょ。今日もチューリップ賞のように完封してあげるわ」

「あれはスカーレットに花を持たせただけだ。本番はそうはいかねえからな」

 

 二人はいつものように言い争いをしながらコースに向かう。こうしてゴールドシップの手によって誤った結論にたどり着いてしまった。

 

----------------------------

 

 

3月の4週目のある日、桜の開花が近づくにつれ気温は温かくなり、晴れということもあって絶好のトレーニング日和だった。

 

「みんな順調そうだな」

 

 チームスピカのトレーナーはコースで走るスピカのメンバーの様子を見つめながら思わず呟く。陽気のせいか声の調子が明るい。

 

 チームスピカのメンバーのレースは続く。

 先々週はウオッカとスカーレットがクラシックの前哨戦のチューリップ賞を走りスカーレットに軍配が上がった。レース後にウオッカは心底悔しがりスカーレットは勝ち誇った。だが二人はすぐに気持ちを切り替え本番の桜花賞に向けてトレーニングに励む。

 メジロマックイーンとゴールドシップは今週阪神レース場芝3000メートルGⅡ阪神大賞典に出走予定である。今年から4月の1週目でおこなわれていた阪神芝2000メートルGⅡ大阪杯がGⅠに昇格したことでメンバーが分散したが、それでも天皇賞春に向けての重要なステップレースであることは変わらず多くの強豪が集まっていた。マックイーンはもちろんのこと気分屋のゴールドシップもそれなに真面目にトレーニングに励んでいた。だがあの気分屋のことだからレース当日、いや発走した瞬間やる気を無くすことがあるから油断なら無い。

 次の週ではスペシャルウィークがドバイの芝2400メートルのドバイシーマクラシックに出走する。自身が志願したレースだけあって気合も入っており調整も順調に進んでいる。あとは現地入りしてどれだけ今の好調をキープできるかだがそこは自分の腕次第だろう。その次の週にはGⅠ大阪杯にトウカイテイオーとサイレンススズカが出走する。

 

「全く嬉しい悲鳴とはこのことかね」

 

 トレーナーは嬉しさ8割気だるさ2割といった具合のため息をつく。GⅠにベストの状態で迎えるための調整メニューの作成、GⅠに出てくるウマ娘のスカウティング、メンバー達の取材対応、やることは山積みで目が回るような忙しさだ。

 その多忙な日々を送っていたせいか不健康な生活を送っており最近わき腹が頻繁に痛む。本来なら病院に行くべきだがその時間が惜しい。幸いにも我慢できる痛みだ、一段落着いたら病院に行こう。トレーナーはわき腹に手を当てながらメンバーの様子を観察する。

 

 

「スペちゃんはパスポートもう取ったの?」

 

 トレーニングは小休止に入りコースの端で座りながら水分補給をしているスペシャルウィークにトウカイテイオーが近づき座り込む。

 

「はい。先週取って来ました」

「パスポートか、ボクも取ったほうがいいかも、いずれ会長と一緒に凱旋門賞を走るからね」

 

 テイオーはこの予定は確定事項だと言わんばかりに自信満々に胸を張る。するとスペシャルウィークの隣に座っていたサイレンススズカは笑い声が出ないように手で口を押さえながら2人から視線を逸らすように下を向く。

 

「ボクは可笑しい事言ったつもりはないんだけど」

 

 テイオーはスズカの様子を見ており不機嫌そうに言い放ち、スズカは笑いを堪えながら謝罪する。

 

「ごめんなさいテイオー。別に貴女の事を笑ったわけじゃないの、ただパスポートの話でスペちゃんのことを思い出して……」

「あのことはもう忘れてくださいスズカさん!」

「何かあったの?」

 

 恥ずかしそうに狼狽するスペシャルウィークに興味を示したのかテイオーはスズカに問いかけ、スズカはその質問に答えた。

 思い出し笑いしていたのはパスポートに写るスペチャルウィークの写真のことだった。普段では取材などで写真を撮られることに慣れているはずなのだが、海外で使う公的な身分証明書ということを妙に意識してしまい、写真を撮るたびに妙な顔になるので撮りなおしをおこない四度目の試みでスペシャルウィークは諦め、その妙な顔の写真をパスポートに載せる。その顔写真がスズカの笑いのツボに入っていたのだった。

 

「へえ~じゃあ今晩部屋に行くからパスポート見せてよ」

「ダメです!」

 

テイオーがからかう様に言うとスペシャルウィークは力いっぱい拒否する。二人は暫くじゃれているとスズカが心配そうに声を掛ける。

 

「スペちゃん、本当に大丈夫?」

 

 大丈夫という言葉は海外に行くのは大丈夫だという意味だった。

スペシャルウィークは北海道の田舎から東京のトレセン学園にやってきた。その際に北海道と東京のカルチャーショックに戸惑い馴れるのに時間が掛かっていた。

 今回は海外だ、カルチャーショックの度合いはさらに上だろう。それにUAEは中東にあり日本人にとってアメリカやヨーロッパと比べて馴染みが薄い。自分もアメリカに行ったときも戸惑ったので気持ちは理解でき、それだけに心配だった。

 

「そうですね。心配ないと言えば嘘になります。でもやることは日本に居たときと変わりません!どこで走ろうがレースはレースです!それに一週間程度ですから馴れなくても我慢できます!」

 

 スペチャルウィークは力強く答えた。良い意味で開き直っている、これなら大丈夫そうだ。

 

「その意気よスペちゃん。それにトレーナーさんだって居るし大丈夫……」

 

 スズカの笑顔は一変し、目を見開き動揺の表情を浮かべる。スペシャルウィークとテイオーも話の流れでトレーナーが出たので何気無く視線を向け、スズカと同じように動揺の表情を浮かべていた。

 そこには地面に膝をつき脇腹を押さえ蹲るトレーナーがいた。三人は一斉にトレーナーの下に駆け寄り様子を伺う。トレーナーは脂汗を流し苦悶の表情を浮かべていた。

 

「お~い。何かあったか?」

 

 すると三人の様子が気になったのか、別の場所で休んでいたウオッカ、スカーレット、マックイーン、ゴールドシップが駆け寄ってくる。

 

「みんな大変だよ!トレーナーがすごくお腹が痛そうで!」

「腹が痛い?どうせ下痢か何か…やべえなこれ」

 

 ゴールドシップのにやけていた表情はトレーナーの様子を見て険しくなる。この痛がり様は冗談やドッキリではない。

 

「マックイーンとゴールドシップは養護教諭を呼んできて!」

「養護教諭?何だそれ?」

「保健の先生ですわ。行きますわよゴールドシップさん!」

「なら最初からそう言え!」

「スカーレットとウオッカは正門に、テイオーは裏門に向かって。そして救急車が来たらここまで誘導して!」

「わかった!」

 

 スズカは迅速に判断し指示を出す。メンバーもトレーナーの容態の変化に動揺しながらも指示に従い行動に移す。

 

「スペちゃんは自分か私のでいいから携帯電話を持ってきて!」

「はははい!」

 

 スペチャルウィークは全速力でチームルームに向かう。コース以外での全力疾走は足に負担もかかり行きかう人に接触すれば大事になるので非常に危険だ。だがそんなことは頭の中には全くなかった。

 何が起こった?トレーナーは無事なのか?

 不安と困惑で頭の中がグチャグチャになりながらも、それらを断ち切るように全力で駆けてゆく。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 制服に身を包んだスペシャルウィークは病院の受付で必要事項を記入し、バッチをつけて階段を上っていく。足取りに迷いはない、向かっていく先はかつてサイレンススズカが怪我で療養していた病室のすぐ近くそばだ。何度も通った道のりであり体が覚えている。病室の前にたどり着き扉をノックする。

 トレーナーが入院している病室はスズカとは違い大部屋だ。中は四床のベッドがあり目を向けるとそれぞれお見舞いにきた友人や親族と談話をおこない、カーテンを閉めて様子がわからない入院患者もいる。それらの人の邪魔をしないよう音を極力たてないようゆっくりとした足取りで病室の一番奥のベットに向かう。

 

「トレーナーさん起きてますか?」

 

 スペシャルウィークはカーテン越しに小さな声量で声を掛けるとカーテンが開き病院着のトレーナーが姿を現した。

 

「おう、スペか。忙しい中わざわざ悪いな」

「トレーナーさん体の調子はどうですか?あと頼んでいた雑誌持って来ましたよ。あと、これは皆からのお見舞い品です」

「助かる。病院だと何もする事が無くて暇で暇で。ついこの間までは休みが欲しいと思っていたが、いざ休みがあるとそれはそれで微妙だな」

「わかります。私もインフルエンザで休んでいた時熱は下がっているのに、あと二三日は大人しくしていろと言われてやることがなくて暇でした」

 

 スペシャルウィークはトレーナーにウマ娘の専門雑誌数冊を手渡し、皆で金を出して買った花を花瓶に入れる。トレーナーの様子は普段と変わらない。そのことに胸をなでおろした。

 

 トレーナーは救急車で病院に運びこまれ手術をおこなった。腹痛の原因は虫垂炎、一般的に盲腸として知られている病気だった。その結果を聞いてスピカの面々は思わず安堵の息を漏らした。スピカのなかでは盲腸は軽い病気という認識だった。もっと胃に穴が開いたなどの重い病気を想定していただけに拍子抜けな感が有り、ゴールドシップにいたっては『盲腸ぐらいで倒れるなよ、ビビらせやがって』と悪態をついていた。

 そして手術から数日後、最初はスピカ全員で見舞いに行く予定だったが、喧しいのとレースに向けてトレーニングに励めというトレーナーの指示を受け、代表者一人が行く事になりくじ引きの結果スペシャルウィークが行く事になった。

 

「もうお腹は大丈夫なんですか?」

「ああ、痛みはほぼない」

「よかった。それでいつ退院できるんですか?」

「1週間後だ」

「1週間後ですか。それじゃあドバイ入りはレース直前ですね」

「そのことで提案、いやお願いがある」

 

 トレーナーは切り出しづらそうに口を開く、スペシャルウィークはその瞬間察する。これは自分にとって良くないお願いだ。唾を飲みこみどのような事を聞いても動揺しないように体を緊張させる。

 

「俺は直前に現地入りするが、スペは一週間前に現地入りして欲しい」

 

 スペシャルウィークはトレーナーの言葉を聞いてから数秒後顔を引き攣らせた。この言葉の意味はUAEで数日間たった一人で過ごし、レースに向けて調整しろということだった。

 

「私もトレーナーさんと一緒に現地入りじゃあダメなんですか?」

「初めての海外でのレースだ、現地になれるためには一週間前には着いていてもらいたい。直前に現地入りすることになればドタバタして馴れる時間が足りない」

「退院を早める事はできないんですか?」

「俺も何度も頼んだが、最低でも一週間は入院しろの一点張りだ」

 

 懸命に食い下がり代案を出すがすべて却下される。スズカには日本でも海外でもやることは変わらないと強気の発言をしたが、それはある意味虚勢だった。初めての海外でのレースということで不安が一杯だった。だが信頼できるトレーナーが一緒にいるなら大丈夫と自分を奮い立たせていた。だがその前提条件は崩れた。

 

「もし、それが嫌ならドバイは回避して大阪杯に出走してもかまわない。今ならまだ間に合う」

 

 トレーナーの言葉に心が揺らぐ、大阪杯なら異国での不安やストレスを抱えることなく気楽に走れる。そして走る相手にはトウカイテイオーが居る。何よりサイレンススズカがいる。何もそんな困難に向かわなくてもいいではないか。皆も自分の不安も分かってくれるし誰も責めはしない。

 

 だがすぐさまその考えを否定した。サイレンススズカはトレーナーも帯同せずたった一人でアメリカの地で過ごしレースに出走した。同学年のエルコンドルパサーもフランスに長期の遠征をおこなった。二人も不安や寂しさもあったに違いない。だが二人は電話や手紙などではそんな様子を全く出さなかった。その二人のことを思い出すと異国で過ごすことへの不安で弱気になり、レースを回避しようとしている自分が情けなく恥ずかしかった。

 

「大丈夫です!ドバイに行きます!やることは日本に居たときと変わりません!どこで走ろうがレースはレースです!」

 

 スペシャルウィークはサイレンススズカに言い放った時と同じ言葉をトレーナーに言い放つ。憧れのサイレンススズカに勝つと心に決めた。それをこの程度の困難で挫けていた勝てるわけが無い!自らを奮い立たせるように喋ったせいか予想以上に大声になっており、すぐさま病室にいる人間に向けて深々と頭を下げた。

 

 トレーナーはスペシャルウィークの姿を見せて一笑すると、携帯電話を取り出し電話をかける。

 話からして何かを頼み込んでいるようで、その真剣な声色にスペシャルウィークは固唾を呑んで見守る。話が終わりトレーナーは電話を切ると深く息を吐いた。

 

「スペはドバイに一週間前に、俺は直前に現地入りだ。申し訳ないが頼む」

「はい」

「それで俺が現地入りするまでの間は調整や世話は別のトレーナーに頼んだ。その人は海外についての知識も豊富で何回も海外遠征をおこなっていて信頼できる人だ。海外遠征という意味では俺より頼りになるはずだ」

 

 スペシャルウィークは思わず安堵の息を漏らした。てっきり自分ひとりで過ごし調整しなければならないと思っていた。それだけにスピカのトレーナーではないといえど、別のトレーナーが世話をしてくれるということは不安をある程度取り除いてくれる要因だった。

 

「ありがとうございます。てっきり自分ひとりでやるものだと思っていました」

「おいおい、外国語もろくに話せないで海外に行くのが初めてのスペを一人でドバイに行かせるわけ無いだろう。そんなことしたらトレーナー免許剥奪だ」

「それで代わりのトレーナーさんは誰なんですか?

「それはだな……」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 午前6時

 スペシャルウィークは目覚ましを止め、まだ寝ているサイレンススズカを起こさないように少しだけカーテンを開ける外を確認する。目に飛び込んできたのは雲ひとつ無い青空だった。これなら飛行機の窓から見える景色は素晴らしいものだろう。北海道からトレセン学園に向かう際に乗った飛行機の景色を思い出す。

 ベッドから起き上がると洗面台で顔を洗い髪形を整え、クローゼットに向かいスーツを取り出す。トレセン学園では海外遠征する際はスーツ着用が義務付けられていた。スーツを着て洗面台に向かい姿を確認する。スーツを着て外に出るのはこれが初めてであり、着心地もそうだが鏡に映る自分の姿にも違和感があった。

 

「スペちゃんOLさんみたいね」

 

 スペシャルウィークが後ろを振り向くと寝巻き姿のサイレンススズカの姿がいた。

 

「ごめんなさい起こしちゃいましたか?」

「いいえ、それよりスーツ似合っているわね」

 

 サイレンススズカは振り向いたスペシャルウィークを改めて見渡す。妹のようなスペシャルウィークはスーツを着ているだけで何だか年上のように見えてくる。服装一つでこれだけ印象が変わるものなのか。

 一方スペシャルウィークも褒められた事が嬉しかったのか、鏡で自分の姿を再確認していた。

 

「成田までは車で移動だったかしら?」

「はい、正門前に集合でそこから成田空港までです」

「じゃあ、そこまで一緒に行きましょう」

 

 サイレンススズカは寝巻きを着替えて準備をする。自分も海外遠征する時は不安だったが、一週間程度チームメイトが海外に向かうだけなのに、こんなに不安になるものか。普段ならそこまで心配しないが今回は事情が若干違う。

 スペシャルウィークも断ることなく、サイレンススズカが着替えるのを待つ。スペシャルウィークもサイレンススズカと同じように不安と名残惜しさを感じていた。

 

 外に出る準備が整うと二人は部屋を出る。すると春風が肌を刺激する。この風を感じると春になったことを実感する、そろそろ正門前の桜が開花する頃だろう、ドバイから帰ったら咲いているかもしれない。そしたらチーム皆でお花見でもしたいものだ。スペシャルウィークは未来のささやかな楽しみに思いをはせる。

 寮の階段を下りると三名がスペシャルウィークを出迎える。ダイワスカーレット、ウオッカ、トウカイテイオーだ。三人もスペシャルウィークを見送るために来ていた。

 

「うわ~スペちゃんスーツだ」

「かっこいいです」

「OLさんみたい」

 

 三人はスペシャルウィークのスーツ姿に驚き率直な感想を述べる。どれも好意的なものでスペシャルウィークは思わずはにかんだ。そしてサイレンススズカもはにかむスペシャルウィークの後ろで自分のことのように嬉しそうに笑う。

 そこから五人は学園の正門まで歩いていく。時間としてはほんの僅か時間でいつも通りの会話をしていたが、トレーナーが居ないなか海外に行くという不安が和らぐようだった。

 10分ほど歩くと正門が見えてくる、正門前にはすでに車が停まっており、50代の男性とスペシャルウィークと同じようにスーツを着ているウマ娘が話している。するとそのウマ娘はスペシャルウィーク達の存在に気づいたのか、顔をパッと明るくさせ駆け寄ってくる。

 スペシャルウィークは体をびくんと震わせ緊張し、テイオー、スカーレット、ウオッカは『ひぃ』など『うわぁ』など『こっちに来るよ~』と悲鳴のような声を漏らしながらスズカの背に隠れ、スズカは眉をピクリと動かし厳しい表情を向ける。

 

「初めまして、スペシャルウィークちゃん。あたしはアグネスデジタル。ドバイでは一週間チームメイトだね、よろしくね」

 

 デジタルは満面の笑みを浮かべながら手を伸ばす。

 

 スピカのトレーナーがドバイでのスペシャルウィークの世話を頼んだのはデジタルのトレーナーだった。その依頼にデジタルのトレーナーは了承し、事は上手く運ぶと思ったがそうはいかなかった。

 

 依頼した翌日、トレーナーの下にスピカのメンバーが押し寄せ抗議した。

 あのデジタルとそのトレーナーにスペシャルウィークを預け、一緒に行動させるわけにはいかない。考え直せと。

 ゴールドシップの言葉から、チームスピカのなかでアグネスデジタルのイメージは偏見や曲解が絡み合い、恐ろしい怪物へと変貌していた。

 

ど変態、マインドクラッシャー

 

 本人の知らぬところで、名誉毀損級のありがたくない称号が与えられ、デジタルには関わらないでおくことがスピカの共通認識になっていた。本来ならそこまで過剰に反応する事はないのだが、言霊のせいなのか、チームで一番思慮深いであろうサイレンススズカさえそう思っていた。

 

 トレーナーも以前デジタルに対するネガティブなイメージの話題で盛り上がってたのは知っていたが、ここまで本気で信じ込んでいたとは知らなかった。デジタルはそこまでヒドイウマ娘でもないし、仮にそうであってもデジタルのトレーナーは信頼できる人物であり、デジタルからスペシャルウィークに害が及ばないように配慮してくれる。

そのようにスピカのメンバーを説得し引き下がらせた。

 だがメンバーのなかでは不安の火種は燻っており、関西のレースに走るために遠征しているゴールドシップとメジロマックイーン以外のメンバーがスペシャルウィークを見送りにきたのは、アグネスデジタルとトレーナーを見定めようという意図もあった。

 

 スペシャルウィークは危険物にふれるように恐る恐るゆっくりと手を伸ばす。デジタルの噂を信じ込んでおり握手することへの抵抗感があったが、握手に応じないのは失礼だという礼儀正しさが勝り、握手に応じようとしていた。

 

 そして二人は握手を交わす。ごく普通の握手であり、スペシャルウィークは必要以上に触られていないことに安堵する。一方デジタルはスペシャルウィークの不振な様子を始めて会う人物と海外遠征で緊張していると判断した。

 

「あっ、ウオッカちゃんに、ダイワスカーレットちゃんに、トウカイテイオーちゃんに、サイレンススズカちゃんだ。スペシャルウィークちゃんの見送り?仲が良くていいね。あたしのチームメイトなんて今頃ベッドでぐっすり寝ているよ」

 

 デジタルはスピカのメンバーを一瞥した後軽い口調で不満を言う。ウオッカ達はデジタルが視線を向けると『目を合わせるな、見るだけでセクハラしてくるぞ』とこれまた名誉毀損級の言葉を発しながらさらにサイレンススズカの背に隠れ、サイレンスズカはデジタルを鋭い目つきで見据える。

 

「始めましてスペシャルウィーク君、私はスピカのトレーナーからトレーナー代行から任されたチームプレアデスのトレーナーだ。デジタルのこともあるから、付きっきりというわけにはいかないがドバイでは可能な限りサポートさせてもらう」

 

 デジタルのトレーナーがスペシャルウィークに近づき物腰柔らかな笑顔を向けながら手を伸ばす。その様子をサイレンススズカ達は観察する。

 

服装、容姿、仕草、表情

 

 まるで初めて彼氏を家に連れてきた時の父親のごとく審査していく。スペシャルウィークは年下にも礼儀正しい態度に警戒心を緩めたのか、デジタルの時と比べるとすんなり手を伸ばし握手をした。

 

「じゃあ、皆さん行ってきます」

 

 スペシャルウィークはスピカのメンバーに挨拶し車に乗り込むと、学園を出発した。

 

「行っちゃったね」

「スペ先輩大丈夫かな?」

「トレーナーの言うとおり、デジタルのトレーナーがまともであることを祈るしかないわね。今見た限りまともそうだし希望はあるわ」

 

 四人は離れていく車を心配そうに見つめる。だがもう賽は投げられた。できることはまさに祈るのみである。

 こうして思わぬ形で結成された急造チームは灼熱の地ドバイへ旅たった。




まさかのチーム白ちゃんにスペシャルウィーク参入!
デジタルのトレーナーのモデルの調教師は数々の名馬を育ててきましたが、私のなかではやっぱりスペシャルウィークとアグネスデジタルです!
ですが漫画でもアニメでも、スペシャルウィークが主人公故にメインキャラと絡みが多く、接点がない!、
ならば自分で接点を作ればいいとIF展開にしました


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勇者と太陽と未完の大器#1

ドバイまでに終わらそう思っていましたが、構成の大幅な変更などが有り
いつの間に4月の下旬になってしまいました……



  メイダンレース場、1週間後にはドバイワールドカップ等多くのGIレースが行われる。当日は数多くの熱戦が繰り広げられ、レース場は興奮の坩堝に化すだろう。だが今現在は嘘のように静かだった。

 そのメイダンレース場で、トレーナーはコース前に待機しながら時計を見る。時刻は午前6時を回ろうとしている。日本ならば日が出ている時間だが、ドバイの地では日は出ておらず辺りは薄暗い。気温も日本ならこの時間では少し肌寒いが、ドバイは暖かく初夏のような気温で過ごしやすいと言える。

 するとトレーナーの元に、半袖のウエアとズボンを着たアグネスデジタルとスペシャルウィークが歩み寄ってくる。

 

「おはよう、デジタル、寝心地はどうや?」

「おはよう白ちゃん。バッチリだよ。ベッドはフカフカだし、内装もゴージャスで香港のホテルより上かな。何よりレース場と隣接しているのが凄いよね。あと意外に暑い」

 

 デジタルはホテルで快適に過ごせたのか、いつもより少しだけテンションが高い。

 三人が一週間宿泊予定のザ・メイダンホテル。ドバイミーティングを見に来る著名人やセレブを満足させるに充分なサービスと施設を誇る五つ星ホテルである、最大の特徴としてはレース場と隣接しているという立地であり、ホテルを出ればすぐにレース場足を運べ、それどころか部屋の窓からレースを見ることすら可能だ。

 

「おはようスペシャルウィーク君、体調はどうや?」

「飛行機から降りた時よりはマシになりました。あと豪華すぎて落ち着かなかったです……」

 

 一方スペシャルウィークは覇気が弱く若干億劫そうに歩いてくる。成田からドバイまで12時間に及ぶ飛行機での移動が体に堪えたようで、ホテルに着くとすぐにベッドに飛び込み就寝していた。

 デジタルはアメリカに里帰りする際に、トレーナーは各国のウマ娘レースを見るために長時間での飛行機での移動に慣れているが、スペシャルウィークにとっては初体験であり、体調を崩していた。一晩寝れば治るかと期待していたが、そうはいかなかった。

 スペシャルウィークは実家でも質素に暮らしていたのだろう。慎ましく暮らしていた人間が、豪華な場所に行くと戸惑うということはよく有る話だ。

 

「それで、こんな朝早くから何するの?」

「散歩がてらのスクーリングや、それで軽く食事をすませてトレーニング」

 

 スクーリングとは海外から来たウマ娘達が本番で走るコースの感触を確かめる為に、歩きでコースを回ることである。デジタルはその言葉に若干不満そうに異議を唱える。

 

「別にこんな朝早くじゃなくてもよくない?正直ちょっと眠いんだけど」

「日が出てくると気温が上がり始め、昼頃には真夏並みになるぞ。高校球児みたいに頑張りたいなら別やが」

「それは嫌」

 

 デジタルはその辛さを想像したのか、渋々と了承する。真夏並みとなると気温は30℃を超えてくる。そんな炎天下では歩いてコースを回るのもしんどい、トレーニングなど真っ平御免だ。三人はまずドバイシーマクラシックがおこなわれる芝コースを歩き始める。

 

「コースはコーナーに傾斜があるだけで、基本的に平坦や。芝も東京よりちょっと時間がかかるが、ほぼ東京の芝と同じ。スペシャルウィーク君に合うやろ。スタートからコーナーまで250しかなく、もし外枠で先行しようと思うなら、少し忙しくなる」

 

 トレーナーが先導しながら、コースについて説明する。デジタルとスペシャルウィークはその後ろを歩いている。

 

「スペシャルウィークちゃんは枕が変わると眠れないタイプ?」

「そうかもしれません」

「そっか。でも家から枕を持ってくるのも嵩張るし、難しいところだよね」

「そうですね」

「あと今日の自由時間どっか行かない?」

 

 デジタルはスペシャルウィークに気軽に話しかける。スクーリングはコースを知るために重要な作業なのだが、芝のレースには出ないのでそっちのけである。

 一方スペシャルウィークは若干の警戒心を持ちながら、会話に相槌を打つ。チームスピカ内でのデジタルは変態であるという、認識をスペシャルウィークも抱いていた。 体調不良も飛行機移動の疲れもあるが、そのデジタルと相部屋という緊張感からくる疲れも起因していた。

 トレーナーはその会話に聞き耳を立てる。どうやらスペシャルウィークは若干人見知りなのか緊張しているようだ。自分も会話に参加しようか考えるが、今は同世代のデジタルに任せようと静観する。二人の雑談しながら歩き続けコースを一周する。

 

「これでゴールと、どうだった?コースを歩いてみて」

「やっぱり芝が日本と違う感じがしました。あと平坦だからか、京都に似ているなと思いました」

「そうやな。走ったことあるレース場なら京都が似ているかもな、直線はメイダンのほうが長いから、ちょっと長い京都のイメージを持ったほうがいいかもしれん。次はダートを回るがどうだ?将来走るかもしれんから参考にはなるぞ」

「はい」

 

 芝を走らないデジタルが付き合ってくれたのだから、付き合わないわけにはいかない。スペシャルウィークは二人の後についていく。コースに入ろうとするとレース用のシューズを徐に脱ぎ始めるデジタルの姿があった。

 

「アグネスデジタルさん、靴を履かないのですか?」

「裸足のほうが色々とわかるでしょ。半分は裸足で歩いて、もう半分はシューズを履いて歩くっていうのをいつもやっているの」

 

 素足で歩けば、靴を履いて歩いていたら分からない何かが分かるかも知れない。そう考えていたデジタルは初めてのコースをスクーリングする際は、いつもこのようにしていた。

 その様子を不思議そうに見ながらコースに入る。するとスペシャルウィークの表情が変わる。

 

「え?固い!?」

 

 足を踏み入れるとダート特有の沈み込むような感覚はない、まるで芝のような硬さだ。スペシャルウィークが戸惑っていると、デジタルがしたり顔で説明する。

 

「スペシャルウィークちゃんも、ドバイのダートは日本のダートと一緒と思っていたタイプか。日本のダートは砂でサンド。ドバイやアメリカは土でダート。ドバイのダートは固いんだよ」

 

 デジタルは僅かばかり自慢げに説明し、スペシャルウィークは土の違いが興味深いのか何度も足踏みする。

 一丁前に説明しているが、自分も数ヶ月前まで知らない側だっただろう。トレーナーは内心でツッコミを入れながらダートコースを歩く。

 

「どうやデジタル、初めてドバイのダートを確かめた感触は?」

「う~ん、校庭より粘りっけがあるね。でも校庭より若干固いかな。まあ、感覚の調整はできそうかな」

 

デジタルの言葉はトレーナーの考えと同じだった。校庭とドバイの土の若干の違いは想定済みであり、デジタルも対応できると言ったので問題ないだろう。

 

「ダートは日本のダートと違って塊だからな、土のキックバックに気をつけろ。痛いぞ」

「そんなに?」

「ああ、ちょっと手を出せ」

トレーナーの指示に従うようにデジタルは手を広げる。するとトレーナーは土を掬うと手のひらめがけ全力で投げつける。

 

「イタッ」

「ウマ娘の脚力でのキックバックはもっと痛いぞ。位置取りはキックバックが来ない位置か、キックバックが弱まるように距離を開けろ」

「分かったけど、口で言えば分かるよ」

「口で聞くのと体験するのとでは違うもんや。この痛みを覚えておけ」

「ウマ娘に対する虐待だ、協会に言いつけてやる。スピカのトレーナーなら、そんなことしないんだろうな」

 

  デジタルはトレーナーの愚痴を言いながら、スピカのトレーナーの話題に移し、会話をしていく、芝のコースのスクーリングと同じようにコースの特徴を聞き、スペシャルウィークと会話をしながら回っていく。一周した頃にはいつも間に日が昇っており、トレーナーの体からうっすらと汗が浮かんでいた。

 

「これで終わりや、あ~しんどい」

「ちょっと歩いただけだよ」

「4.2kmは普通のオッサンには結構な距離や、ウマ娘の感覚と一緒にするな」

「だらしな~い」

 

 内側の埓に背中を預けぐったりとしているトレーナーをデジタルは誂い、スペシャルウィークは少し距離を置いて眺めていた。

 今まで他のトレーナーとウマ娘のやり取りを見たことは少なかった。だが僅かなやりとりでも、デジタルとトレーナーの間に確かな信頼関係が築けているのが分かる。デジタルのトレーナーは自分を気遣ってくれているのは分かる。しかし自分が二人の間に混ざっていいのだろうか?スペシャルウィークは二人と自分の間にある壁と疎外感を僅かに感じていた。

 

「よし、この後は軽く食事を取ってトレーニングだ」

「はいは~い。スペシャルウィークちゃん行こう」

 

デジタルは離れて見ていたスペシャルウィークに呼びかけ、それに応えるようにスペシャルウィークは二人の元に駆け寄った。

 

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 メイダンレース場に隣接するトレーニング施設、普段はゴドルフィンなどが使用しているが、ドバイ国際競走が開催する際には、各国から集まる出走ウマ娘も使用することができる。そのトレーニング施設を使い、スペシャルウィークとデジタルはトレーニングを終えると、日本や現地のメディア取材を受けていた。

 ウマ娘たちのインタビューや取材に立ち会うのも、トレーナーの仕事だ。主にウマ娘達が過激な発言をしないか、または記者たちがウマ娘たちの害になるような質問をしないかなどをチェックする。取材が終わったのは午後三時を過ぎたころだった。

 

この時間から気温も下がってくる。スペシャルウィークとデジタルは来て二日目ということで、トレーニングは行わないが、ゴドルフィンや早めにドバイ入りしているウマ娘たちはトレーニングをおこなっているだろう。

 

 

 トレーナーは二人が走る相手の様子を見ようと、ホテルからトーニング施設に向かう。するとデジタルに声をかけられる。

 

「白ちゃんはこれからトレーニング施設に行くの?だったら一緒に行かない?」

「なんや。スペシャルウィーク君と一緒にどこか行くんじゃなかったのか?」

「そうだったけど、フラれちゃった」

 

 デジタルはため息を吐いて肩を落とす。予定としては取材が終わったら、ホテルなり近くを散策するつもりだったが、スペシャルウィークの体調が優れず休みたいということでホテルの自室で休憩をとっていた。 溜息を吐き落ち込んでいたが、すぐに顔を上げる。

 

「まあ、まだ時間が有るし、これから仲良くなっていけばいいや」

「そういえば随分と積極的に話しかけているな、スペシャルウィーク君にご執心か?」

「うん、前々から気になっていたしお近づきになりたかったんだよね。でもチームスピカのメンバーや、グラスワンダーちゃんとかの同級生との絆が深そうで、ちょっと気が引けるというか」

「出来上がったグループに入っていくのは難しいからな」

「でも、今のスペシャルウィークちゃんは一人、しかも初めての海外遠征で心細くて、それを利用すれば仲良くなれるはず」

 

 デジタルはスペシャルウィークと仲良くなった明るい未来を想像しているのか、グフフフと不気味に笑っていた。

 

「相手が心理的に不安定なところを狙うというのは、何だか詐欺師みたいな手口だな」

「詐欺師ってヒドくない。というのは冗談で、あたしは初めての海外遠征では仲が良いプレちゃんが居たし、ついでに白ちゃんも居た。けどスペシャルウィークちゃんは仲が良いウマ娘ちゃんも居ないし、トレーナーも居ない。だから少しでも不安を和らげてあげたいかなって」

「そうだな」

 

 デジタルの言葉にトレーナーも同意する。確かにスペシャルウィークが置かれている環境は苛酷だ。それだけに大人である自分がケアしなければならない、そのことに気づかされていた。

 するとデジタルは真面目に話したことが気恥ずかしかったのか、おどける様に喋る。

 

「で、スペシャルウィークちゃんの寝顔を観察するプランもあったけど、さすがにダメだと思って外に出て、それで夕食までの暇つぶしで各国のウマ娘ちゃんを見ようと思ったわけ」

「そうか、じゃあ一緒に行くか」

「うん。しかし、スペシャルウィークちゃんは良いよね。間近で見れる機会はそうそう無いから、トレーニング中ガン見しちゃったよ」

「そういうのほんまにやめとけ、何れセクハラで訴えられるぞ」

 

 二人は肩を並べトレーニング施設に向かっていく。その道中の会話でスペシャルウィークの話題になると、ふと思い出したかのように、トレーナーが語り始めた。

 

「スペシャルウィーク君はもしかしたら、ウチのチームに入っていた可能性があったんや」

「え?初耳。どういうこと?」

 

 思わぬ発言にデジタルは驚きの声を上げ、トレーナーを凝視する。トレーナーは懐かしむように過去を振り返っていく。

 

「いつも通り電車でトレセン学園に向かおうとしたら、一人のウマ娘がおった。それがスペシャルウィーク君だった」

 

 スペシャルウィークの姿は一目で分かるほど、お上りさん感丸出しだった。トレセン学園に向かおうとしていたが、降りる駅を間違えたらしく、駅員に道を教えられると小走りで駅構内を出て行く。

 その姿は強く印象に残っていた。時期はずれの編入生で、お上りさんということもあるが、その立ち姿と小走りするのを見て、このウマ娘は走るという漠然とした予感を感じていた。

 

「次に見たのがリギルの選考レースやった。レースでもポテンシャルを秘めた走りを見せ、予感は確信に変わった。レースが終わり、すぐに口説きに行った」

「で、フラれたと」

「いや、口説く前にスペシャルウィーク君が拉致られた」

「それはヨハネスブルグの話?トレセン学園は日本だよ、白ちゃん」

 

 デジタルはボケた老人の戯言を聞くような生暖かい目線を送る。だがそれは事実であり、目の前でゴールドシップとダイワスカーレットとウオッカにより、袋詰めにされている姿を目撃した。

 

「その翌日、スペシャルウィークはチームスピカに所属していた。あれは勿体無かったな、もう少し早く声をかけていれば、ウチのチームに所属していたかもしれん」

「本当だよ、白ちゃん行動が遅い。駅で見かけた時にスカウトするぐらいのアグレッシブさで行かなきゃ」

「かもな」

 

 トレーナーはデジタルの言葉に自虐的に笑う。もし新人のころだったら真っ先に声をかけていただろう。だが自分の直感を信じきれず、もうレースなどを見て、もう少し確証がほしいと先送りにしてしまった。

 その結果スペシャルウィークをスカウトできず、トレーナーなら誰しもが憧れるダービートレーナーの称号を逃した。選考レースが終わった後に数分速く声をかけていれば、それ以前に直感を信じきれていれば。

 だが所詮過程の話だ。それにウマ娘とトレーナーには相性がある。自分のチームにいたらダービーに勝てなかったかもしれない。スペシャルウィークというウマ娘は、チームスピカのトレーナーが育てたウマ娘だ。

 

「でもこうして、一時期的でもスペシャルウィークのトレーナーになれた。それだけで充分や」

「それもこれも、ドバイワールドカップに出るあたしのおかげだよ。お礼の言葉は?」

「まあ、風が吹けば桶屋が儲かるしな」

 

 デジタルはニヤニヤしながらお礼を要求するが、トレーナーははぐらかす。そんな会話をしているうちに、トレーニング施設にたどり着く。

 

「サキーちゃん走っているかな~」

 

 トレーニング施設入口につくと、デジタルは待ちきれないと言わんばかりに小走りで中に入っていき、トレーナーはその後をゆっくりと追っていく。

 トレーナーはスペシャルウィークのことを考えていた。スペシャルウィークのことは、スピカのトレーナーの次に評価しているという自負がある。その存在は日本ウマ娘界の宝であり、実力は日本一、いや世界一になれると思っていた。それだけにドバイシーマクラシックにも勝てる実力があり、負ければ自分の責任だ。

 デジタルと一緒に、ドバイワールドカップとドバイシーマクラシックを走るウマ娘の様子を観察したが、頭の片隅には常にスペシャルウィークのことがあった。

 

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 部屋は金色を基調にしていた。カーペットも机も壁紙もすべて金色であり、ベッドのファブリックに金色の唐草模様を使われている。空間全てが金色であれば派手派手しく落ち着かなそうだが、調度品の金色も彩度が薄く、間接照明に上手く照らされ派手派手しさは薄れどことなく落ち着いてたラグジュアリーな空間になっている。

 ここはザ・メイダンホテルのデジタルとスペシャルウィークが宿泊している部屋である。風呂からあがったデジタルは部屋のクローゼットにあったバスローブを着ていた。着たのはドラマのセレブみたいで、一度は着てみたかったという単純な理由だった。

 

 デジタルは部屋にあるグラスに紫色の飲料を注ぎ、バルコニーの椅子に腰掛け景色を眺める。そこからは薄暗いがメイダンレース場が見えた。ドバイミーティング当日はライトに照らされ幻想的な風景を楽しめるらしい。当日はレースに出ているのでその風景は楽しめないが。デジタルは暫く薄暗いメイダンレース場を眺めるが、すぐに部屋に戻った。砂漠地方特有の昼は熱く夜は寒いという気温は健在であり、バスローブ一枚では寒かった。

 そして徐にベッドに身を投げる。高級な品を使っているのかクッションがよく、デジタルの体は数回ほど跳ね上がる。跳ね上がりが治まると、うつ伏せになりながら布団の生地の柔らかさを堪能する。だがすぐに意識は浴槽から聞こえるシャワーの音、正確に言えばシャワーを浴びるスペシャルウィークに思考が移る。

 

 トレーニング施設でトレーナーと他のウマ娘の様子を見た後、部屋で休んでいたスペシャルウィークと合流し夕食を食べて、トレーナーの部屋で簡単なミーティングをした。だがその間どこか余所余所しかった。

 まだ緊張しているのか?こちらとしてはフレンドリーに話しかけているつもりだが、警戒心が強いのか心を開いてくれない気がする。まあ、時間はたっぷりあるし、このまま話しかけていればいずれ心開いてくれるだろう。

 デジタルは楽観的な結論を導くと、ベッドの上であぐらをかき、目を閉じる。今から行うのはトリップ走法のためのイメージトレーニングである。

 

 まずはドバイワールドカップで走るコースを再現する。スクーリングでコースを回った事で砂質、コーナーの角度などが今までより鮮明に再現できていた。

 レースが始まり、サキーがスタートよく飛び出し前目につける。自分もサキーの後ろにつけて様子を伺う。道中は土のキックバックが飛んでくるが、対処できる位置に着け最低限の動作で回避する。

 直線に入りサキーが抜け出しその差は5バ身。自分も直線に入りトリップ走法を使う。最初は逃げるイメージ、そして追うイメージ。代わる代わるイメージする相手を切り替えて差を縮めていく。残り100メートルでサキーと並び、根性勝負。躍動する肉体、弾む息、飛び散る汗を堪能し、最後は差しきる。

 

 その瞬間、意識は現実世界に帰還する。デジタルの口元から涎がたれており、表情も弛緩しきっていた。

 想像といえど、サキーとの体を併せて走るのは至福の時間だった。これが現実ならさらに凄いのだろう。デジタルは本番の幸福感を想像しベッドでグルグルと転がり、身を悶えていた。すると視界に風呂上りのスペシャルウィークの姿が入る

 

「スペシャルウィークちゃんお風呂上がったんだ。どうしたの?」

 

 だがその姿には違和感があった。風呂に入れば体が温まり顔色も良くなるはずなのだが、その顔は青ざめて引き攣っている。

 

「もしかして霊感体質!?お化けでも見たのスペシャルウィークちゃん!よしホテルに言って、今から部屋を変えてもらおう!」

 

 デジタルは勝手に結論を出しホテルの受付に直行しようとするが、スペシャルウィークが慌ててとめる。

 

「大丈夫です。問題有りません」

「でも、顔色真っ青だよ。何かあったんじゃないの?」

「これは……あれです。最後に水のシャワーを浴びたからです。知っていました?お風呂の最後に冷たい水を浴びると健康に良いんですよ」

「へえ~そうなんだ」

 

 スペシャルウィークは捲し立てるように弁明し、デジタルは特に疑うことなく信じる。すると、まだ疲れが取れていないのでと、スペシャルウィークはデジタルから逃げるようにベッドに入っていく。その迅速さは寝る前におしゃべりしようとしたデジタルに取り付く島すら与えなかった。

 夜更けのガールズトークをしたかったなと、残念がりながらデジタルもベッドに入り就寝した。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「すみません。相談が有るのですが」

 

 午前7時、昨日と同じように朝のトレーニングを始めようとするトレーナーの前に、スペシャルウィークが声を掛けてきた。トレセン学園から成田空港に向かう間から行動を共にしてきたが、スペシャルウィークから声を掛けてきたのは初めてであった。少しは打ち解けてくれたようだ。

 

「どうした、スペシャルウィーク君?」

「トレーニングのことなのですが……一人のほうが集中できるというか……入れ込まないというか……」

 

 スペシャルウィークは手を弄り、しどろもどろで喋り続ける。トレーナーも言葉の真意を計ろうとするが要領が得ず、もう少し情報が欲しいと言葉に耳を傾ける。

 スペシャルウィークも直球で言うのも憚られるので、察して欲しいという期待を込めて主題をぼやかした感じで喋ったが、言葉を待つトレーナーの視線に耐えかねたのか本題を切り出した。

 

「これからは、アグネスデジタルさんと離れてトレーニングさせてください」

 

 一呼吸で言い切り頭を下げる。そして数秒後頭を上げると、思わぬ言葉に面食らったトレーナーの表情があった。いきなりデジタルを近づけさせるなと言ったのだ。当然の反応だ。

 さすがに直球過ぎた、これでは相手を怒らせてしまう。スペシャルウィークは固唾を呑んで見ていると、トレーナーが見せた反応は予想に反したものだった。

 

「すまない!配慮が足りなかった!」

 

 トレーナーは自分の失態に気付いたかのように、スペシャルウィークに頭を下げる。

 

「トレーニング中にペチャクチャ喋り掛けられたら集中できへんもんな。昨日のうちに釘を刺しておけばよかった。後で言っておく」

「えっと……その……」

「言いづらいことを言ってくれて、ありがとう。今後もデジタルや俺への苦情は遠慮なく言ってくれ」

 

 トレーナーは再び頭を下げると、デジタルの元へ向かっていく。

 これで真意を悟られず、デジタルと離れるという目的は達成できそうだ。スペシャルウィークは胸をなでおろす。だがスペシャルウィークの言葉を伝え、不満そうにデジタルと軽い説教をするトレーナーの姿は罪悪感を刺激する。だが自身にとっても抜き差しなら無い状況だった。

 

 昨日、スペシャルウィークがホテルの部屋の風呂に浸かっていると、浴室に着信音が響く。携帯電話を手に取った瞬間、表情は明るくなった。

 

「もしもし」

「もしもし、スペ先輩ですか。スカーレットです。聞こえますか?」

「うん、スカーレットさん、聞こえるよ」

 

 電話の相手はダイワスカーレットだった。すると電話先から複数の声が聞こえ、聞き覚えのある声だった。

 ウオッカ、ゴールドシップ、メジロマックイーン、トウカイテイオー。そしてサイレンスズカだ。

 

「スペ先輩が寂しがっていると思うので、毎日この時間に電話させてもらいます」

 

 すると電話越しに『寂しがっているのはスカーレットのほうだろう』とウオッカの声が聞こえ、スカーレットとウオッカのいつもの小競り合いが始まったようだ。その姿を想像して思わず表情が緩む。

 初めての海外で親しい人は一人も居ない。そんな緊張の日々の中で、電話越しに繰り広げられている光景は、いつもの日常が戻ってきたようでスペシャルウィークの心を癒した。

 スピカのメンバーが交代交代で会話していく。今日のトレーニングでスカーレットに勝ち越した。ゴールドシップがまたやらかした。テストが返って来て、予想以上に点数が良かった。そんな取り止めの無い内容だったが、どれも聞いているだけで、心地よいものだった。

 

「もしもし、スペちゃん。元気?」

「スズカさん!はい、元気です!」

 

 スペシャルウィークの声と表情が一段階明るくなり、その威勢の良い声を聞いて電話越しのサイレンスズカが笑みをこぼす。 会話はスペシャルウィークが話し手となる。

 天気は日本と違い暑かった。部屋が豪華だった。ホテルには日本食の店があり、美味しかったなど、ドバイで体験したことを話しスズカは聞き手となり相槌を打つ。 いつものような会話だが、それがとても愛おしかった。

 

「そう、今のところで何か不安なことや、嫌なことはある?」

 

 その質問を聞いた瞬間、わずかな空白が生まれる。

 

「ありません。アグネスデジタルさんもプレアデスのトレーナーさんも良くしてくれています!」

 

 懸念、不安材料、そういった言葉でくくれることは有る。だがスズカに心配掛けてはならないと嘘をつく、そのせいか無意識に声が高くなっていた。

 

「そう……じゃあスペちゃん明日ね。お休みなさい」

 

 スペシャルウィークは電話が切れると、深く息を吐いた。 懸念、不安材料。それはアグネスデジタルのことだった。

 スピカメンバーでの会話でデジタル=変態という認識を植えつけられており、トレセン学園から成田空港の道のり、ドバイに着いてからの時間は警戒しながら接しており、スペシャルウィークの精神を多少疲弊させていた。

 だが共に過ごしていくうちに初めての海外遠征の自分を和ませようと、積極的に話しかけるデジタルに対して評価を改め始めていた。

 

 しかし、それはすぐに払拭されてしまう。

 

 トレーニング中、やけに視線を感じていた。最初は気のせいかと思っていたが、その纏わりつくような視線は無くならない。その発生源を探しているとすぐにアグネスデジタルだと分かった。 スペシャルウィークの中でデジタル=変態説が脳裏に浮上するが、すぐに否定する。

 

――――きっと親切心から、自分に何か不調がきたしていないか観察していただけだ。

 

 そう言い聞かせ、強引に好意的解釈していた。でなければ変態と1週間近く過ごすことになり、耐えられなくなってしまうから。だがその精神の防衛機構は崩れ去る。

 

 風呂から出て寝室でデジタルの姿を見た瞬間、全身に悪寒が走った。

 

 デジタルの顔は弛緩し、口元から涎がたれている。それだけでも恐怖だが、何より怖かったのはその目だった。

 見たことはないが、まるで麻薬中毒者のようだ。あの目はどう考えても常人がする目じゃない。

 スペシャルウィークの中でデジタルは変態ではなく、おぞましい何かに変貌した瞬間だった。 そして逃げるようにしてベッドに飛び込んだ。

 

 印象は固定されてしまうと覆すことは難しい。デジタルの印象が定まってしまったことで、好意はすべて悪意に転換されてしまう。

 デジタルの思いやりと気遣いの行動は、すべて下心がある悪意有る行動に返還されてしまった。

 

ーーーーーーこのままではマズイ!何とかしてこの変態から離れなければ!

 

 スペシャルウィークはベッドの中でデジタルの脅威に怯えていた。

 



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勇者と太陽と未完の大器#2

 メイダンレース場近辺にあるドバイ・モール。

  ここは世界最大級のショッピングモールであり、1200もの店舗が並んでいる。カジュアル系ブランドからブルーミングデールズなどの注目のデパート、さらに高級ブランド専門のセレクションモールまで、一般観光客から世界中のセレブまで満足する品々が揃っている。

 ここには世界最大級の水族館、ドバイ水族館も入っている。特徴としてはギネスで有名な巨大水槽があり、見るだけならなんと無料だ。その巨大な水槽とその中を優雅に泳ぐサメやエイなどの魚達を見ようと、多くの観光客が訪れ、足を止める。

足を止め鑑賞している観光客の多くは、普段では見られない光景に心躍らせ笑顔を見せている。そんなか一人のウマ娘が浮かない顔で、水槽を泳ぐ魚を眺めていた。

 二日目のトレーニング、スペシャルウィークは徹頭徹尾アグネスデジタルから、物理的にも心理的にも距離をとった。コースでのトレーニングでは併走ではなく単走にしてもらい、体幹トレーニングなどの補強運動もデジタルの視線に入らないように、後ろで行っていた。

 トレーニングが終わり自由時間になると、逃げるようにドバイ・モールに向かっていった。異国の地で一人になる不安も有ったが、禍々しい変態とそのトレーナーから、一刻でも早く距離を取ることのほうが遥かに優先度は高かった。

 いざ着くが、ドバイ・モールはスペシャルウィークにとって退屈な場所だった。目的も無いので、当ても無くぶらついた。

 案内も英語などで書かれているが、日本語では書かれておらず、物の値段も日本円でいくら程度なのかもわからない。それは少なからずストレスであった。30分ほどぶらつくが欲しいものもなく、興味が引かれるものもなかった。

 そんな矢先にドバイ・モール内にある巨大水槽を見つける。ショッピングモールの中に水槽、その非日常的な空間は興味をひいた。吸い寄せられるように水槽に向かい、魚達が泳ぐ姿眺める。

 最初の数分は楽しかった。チームスピカの面々でこの光景を見たら、ダイワスカーレットとウオッカとトウカイテイオーはサメに興味を示し、ゴールドシップはエイの顔が不細工だと一人で笑っていそうだ。メジロマックイーンとサイレンススズカはカラフルな小魚に興味を示すかもしれない。そんなことを想像しながら眺めていた。だが突然心寂しさがスペシャルウィークを襲う。

 

  北海道ではウマ娘の友達はいなかった。だが、育てのおかあちゃんが居たので寂しくはなかった。トレセン学園ではスピカの面々やクラスメイトと出会った。気付けば多くの人と触れ合い、周りには常に人がいて寂しさとは無縁だった。

 だが今は違う、スピカの面々やクラスメイトも居なければ、トレーナーもいない。それがこんなにも辛いことだったなんて。

 周りに居るのはアグネスデジタルとそのトレーナー。だが二人はスペシャルウィークの寂しさを埋めることはない。

トレーナーが来るまで数日の間デジタルと共に過ごさなければならない。その未来を考えると気が重く、腹が締め付けられるように痛んだ。

 

「何でここに居るんだろう」

 

 スペシャルウィークは独り言を呟く。日本に居れば、環境の変化にストレスを感じることなく、デジタルと共に過ごすこともなかった。大阪杯に出走することを選択していれば、トウカイテイオーとサイレンススズカと一緒にトレーニングに励み、何のストレスも感じることなくレースを迎えられただろう。

 だが自分はドバイシーマクラシックを走ることを選択した。何故ドバイを選んでしまったのだろう。スペシャルウィークの胸中には後悔が渦巻くのに対し、魚達は気ままに泳いでいた。

 

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「今送ったのが、今日のトレーニングの様子だが、気付いた点はあるか?」

 

 ホテルの自室、そこは一人部屋である以外はデジタル達が泊まっている部屋と、内装は変わらない。デジタルのトレーナーはコーヒーを啜りながら、PCに映るスペシャルウィークの映像を確認する。これは現地の日本のメディアに協力してもらい、撮ってもらった映像をスピカのトレーナーに送ったものだ。

 デジタルのトレーナーは一日ごとに、スペシャルウィークの様子を撮った動画を送り、報告をしていた。

 

「そうですね……いつもより集中力に欠けている感じがします」

「やはりそう思うか」

 

  デジタルのトレーナーは受話器から聞こえる答えに同意する。

  一日目のスペシャルウィークは体のキレが悪かった。二日目は体のキレは戻ってきていた。だが、コースを走っている時も、後ろや周りをキョロキョロと眺めており、それは集中していないとうより何かに怯えているようで、その姿はどこか見覚えがあった。

 

「まだドバイに馴れていないせいですかね」

「いや違うと思う。集中力に欠けているのは、恐らくデジタルのせいや」

 

  デジタルのトレーナーは歯切れ悪く伝える。今朝のスペシャルウィークの提案にトレーニング中の様子。あれはデジタルに対して恐怖を抱いている。特にコースを走っている時の様子は、デジタルのフェブラリーステークスの直線の時に似ている。

 

「今後はデジタルから離して別々にトレーニングさせようと思う。迷惑をかけて申し訳ない」

「いえいえ、気遣い恐れ入ります」

「しかし、何でデジタルなんかにビビッているんやろな?」

 

  身内贔屓かもしれないが、デジタルの見た目や物腰は人を威圧するようなものではなく、到底萎縮するような相手ではない。

  もしかすると裏でスペシャルウィークにヤキでも入れたのかと、それとなく尋ねたが即否定し、そんなことするわけないと烈火のごとく怒られた。

  様子から察するに嘘をついているとも思えず、何よりウマ娘ラブなデジタルがそんなことをするはずもない。それだけにスペシャルウィークの萎縮振りは不可解だった。

 

「あの……そのことについて心当たりがありまして」

「スペシャルウィーク君がデジタルにビビッていることか?」

「はい、実は先月あたりのことで……」

 

  デジテルのトレーナーの疑問に、スピカのトレーナーは申し訳なさそうに答え始めた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 デジタルはスペシャルウィークの様子を横目に見ながら、頭を悩ましていた。スペシャルウィークは夕方になりホテルに帰ってきたが、その様子は明らかに気落ちしていた。三人での食事もまるで早食い競争のように食べ、逃げるように部屋に戻っていく。

何か悩み事でもあるのだろうかと声を掛けようと思ったが、未だに声を掛けられずにいた。

 

昨日まではまだコミュニケーションの余地があった。だが今朝がたから自分から距離を置き、話し掛けても素っ気無い返事で、すぐにでも会話を打ち切りたい様子だった。 

 ホテルから帰ってきた後は話しかけるなオーラが全開で、完全にコミュニケーションを拒絶していた。そうなっては取り付く島もなく、お互いの会話はなく部屋の中は沈黙が支配していた。

 すると携帯電話の着信音が沈黙を破る。デジタルは自分の携帯電話を確認するが、音はなっておらず、スペシャルウィークの携帯電話から音は鳴っていた。

 

「もしもし、今日はウオッカさんの電話からですね」

 

 スペシャルウィークは見せながら電話に応対する。その声はデジタルが聞いたなかで一番明るい声で、デジタルの胸はチクリと痛む。スペシャルウィークは会話しながら部屋を出て行き、その後姿をただ眺めていた。

 

「へ~そうなんですか」

 

 スペシャルウィークは部屋を出ると、階層ごとにある公衆電話があるスペースに向かっていく。そこでなら会話の内容を聞かれることなく、思う存分話せるからだ。

 昨日と同じようにスピカの面々との取りとめもない会話をする。だが、その会話はスペシャルウィークの寂しさと不安を癒す。会話をしている時間は日本のいつもの日常そのものだった。

 

「もしもし、スペちゃん」

「スズカさん。今日はショッピングモールに行きましたけど、凄かったです!中に水族館が有ったんですよ!」

 

 電話の相手がスズカに代わると、スペシャルウィークは饒舌に喋る。その声色は無理矢理空元気を出しているようだった

 

「スペちゃん、何か不安なことや隠していることはない?もしあるなら言って、話せば楽になることもあるからね」

 

 スズカはそのことに気づき、優しい声色で問いかける。スペシャルウィークも最初はそんなことはないと否定していたが、その声に押し込めていた不安が浮き上がり、今の心境を話し始めた。

 異国での不安、いつも周りに居た人物がいないことへの不安、思いの丈を存分に吐き出す。そしてアグネスデジタルのことも話していた。

 

「あの噂話は嘘だと言い聞かせしていました。でもベッドで薄気味悪く笑う姿を見て、噂は本当だったと思うようになって、今じゃ怖くて仕方がありません」

「そう……」

 

 スズカは相槌を打つとお互いの数秒間の沈黙が流れ、その後スズカが言葉を発する。

 

「スペちゃん、もし寂しくなったり、話したくなったらいつでも電話してね」

「はい」

「あとアグネスデジタルのことは私に任せて、じゃあ、お休みなさい」

「はい、お休みなさい」

 

 アグネスデジタルの件は任せてとは、どういう意味だろう?スペシャルウィークはその言葉の意味を考えながら部屋に戻っていく。

 部屋に戻ったスペシャルウィークはデジタルと会話せず、携帯電話のチームメイト達の写真を見て、昔を懐かしんでいた。すると今度はデジタルの携帯電話から音が鳴り、同じように部屋を出て行く。スペシャルウィークはデジタルが居なくなると、無意識に安堵の息をついていた。

 

「もしもし、プレちゃん。どうしたの?」

「今どこに居る?」

「ホテルの部屋だけど」

「隣にスペシャルウィークはいる?」

「いるけど、それが?」

「じゃあ、スペシャルウィークから離れて、電話できるところに移動して」

 

 電話の相手はエイシンプレストンだった。デジタルはプレストンの指示通り移動し、スペシャルウィークがスズカ達と喋っていた同じ場所に移動する。

 何か様子が変だ。いきなり移動しろという指示もそうだが、声が重苦しいというか、明らかに世間話をしようとして電話を掛けた声のトーンではない。

 

「もう移動した?」

「うん。したよ。プレちゃん何か変だよ、何かあった?」

「何かあったというより、あんたが何かやらかしたみたい。電話変わるから」

 

 プレストンの言葉の後に、別の人間の息遣いが聞こえ声を発する。その声は聞き覚えのない声だった。

 

「アグネスデジタルさんですか?」

「うん」

「初めまして、サイレンススズカです」

 

 デジタルは思わぬ人物が出てきたことで、体が緊張し体が少し固まる。

 

ーーーーサイレンススズカ。

 

 

 トレセン学園でも屈指の有名人であり、スペシャルウィークのチームメイトであり、ルームメイトである。そんな有名人が何のようだ?電話を掛けてきた意図がまるで読めない。デジタルは唾を飲み込み、聴覚に神経を集中させる。

 

「どうも」

「では、単刀直入に本題に入らせてもらいます。スペちゃんとは部屋を離れて、トレーニングでは離れて別々におこなっていただけますか?」

 

 あまりにも予想外の言葉に一瞬放心する。

 スペシャルウィークと離れろとはどういうことだ?スペシャルウィークとは仲良くなりたい。それなのに何故引き離そうとする?デジタルは動揺で反応できずにおり、その間にスズカは言葉を続ける。

 

「スペちゃんは貴女のことを怖がっています。貴女に悪気が無いにせよ、これは事実です。これではレースに影響が出る恐れがあります。もしスペちゃんをおもいやる気持ちがあるならば、考慮してください」

「うん……わかった」

「では失礼します」

 

 デジタルはショックのあまり、壁に背を預けズルズルと崩れ落ち座り込む。何となくそんな気はしていた。だがそれを認めたくないので思わないようにしていた。だが第三者から言われて強制的に自覚させられる。

 

ーーーースペシャルウィークは自分に恐怖している。

 

 デジタルはフラフラとした足取りで自室ではない方向に歩いていった。

「電話ありがとうございます」

「デジタルが何かやったんですか?」

 

 プレストンはスズカから携帯電話を受け取り質問する。その声色は若干の不機嫌さをはらんでいた。

 日課の武術の練習が終わり部屋でくつろいでいると、ノックの音が聞こえてきた。そして扉を開けると目の前にはサイレンススズカがいた。あの有名人が自分に何のようだろう?思い当たる接点は何一つなく、訪問してきた理由が何一つわからなかった。

 するとサイレンススズカはデジタルと話さしてくれと頼んできた。デジタルとスズカに何の接点があるのか?その要求を不思議に思いながらも、自身の携帯電話からデジタルに電話した。そしてスズカはもしスペシャルウィークが傍にいたら、離れたところで話したいと頼み、その言葉通り誘導しスズカに電話を渡した。

 プレストンはスズカに電話を渡し会話内容に耳を傾ける。すると顔をしかめ、機嫌はみるみるうちに悪くなる。いきなりスペシャルウィークはデジタルを怖がっているから、部屋から離れろと言ったのだ。

 

「事情は分からないですが、デジタルは人を怖がらせたり、危害を与えるような人間ではないですよ」

「そうかもしれません。ですがスペちゃんはアグネスデジタルを怖がっているのは事実です」

 

 プレストンの若干の敵意が含まれた言葉に、スズカは表情を崩さず返答する。一見温和に対応しているようだが、僅かばかりの苛立ちが含まれているようだった。

 スズカはプレストンにもう一度礼を述べると、部屋から出て自室に向かっていく。スペシャルウィークが思いを打ち明ける声、その震えた声は初めて聞くものだった。それほどまでにアグネスデジタルのことが怖かったのか。

 スズカの心にデジタルへの怒りが芽生える。自分にとってスペシャルウィークは可愛い妹のような存在だ。その妹はアクシデントでトレーナーすら居おらず、一人で異国の地で頑張っている。そんなスペシャルウィークを気遣うどころか、逆に怖がらせ害を与えている。

 姉分としてスペシャルウィークを守らなければ、そんな想いからデジタルへ電話し、言葉も無意識に厳しいものとなっていた。

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「ブッハハハハハ!」

「申し訳ございません。これも俺の指導不足です」

「いや、謝ることじゃない。確かに当たっている部分もある……しかしデジタルがそんな風になっていたなんてな……それはスペシャルウィーク君も怖がるわ……」

 

 スピカのトレーナーの話しを聞いた瞬間、デジテルのトレーナーは大笑いをした。

 デジタルに見られたものは精神がやられ、再起不能に追い込まれる。本来なら名誉毀損だと怒るべきなのだが、荒唐無稽すぎて怒りを通り越し笑いになっていた。スピカのなかではデジタルは物の怪の類扱いのようだ。

 だがある意味そういう扱いにされても仕方が無い部分もある。例えばデジタルの天皇賞秋での様子。デジタルと過ごす事で感覚が麻痺していたが、一着になったはずなのに自分は三着で、二着と三着のオペラオーが一二着だと真顔で言う様子は完全に狂人の所業だ。

 

「スペには事実無根だと何度も言ったのですが、まだ信じていたみたいで」

「いや、こちらにも多少心当たりがある。デジタルにはその点を矯正させておくわ」

「すみません。アグネスデジタルは悪くないと伝えておいてください」

「わかった」

 

 トレーナーは電話を切ると、息を深く吐いた。デジタルも悪気があったわけじゃない、だが状況と間が悪いせいで完全に裏目に出てしまった。これをどう伝えるべきか。トレーナーは頭を悩ませていると、ドアからノック音が聞こえてくる。扉を開けるとデジタルの姿があった。

 

「おお、どうしたデジタル」

「ちょっと相談が有って……」

 

 デジタルは明らかに気落ちしており、その様子を気にしながら部屋に入れて、椅子に座らせた。

 

「何か飲むか?」

「いい、歯磨いたし」

「そうか」

 

 トレーナーは冷蔵庫から飲み物を取り出そうとしたがデジタルが拒否したので、そのまま机を挟んだ対面に座る。

 

「デジタル、スピカのトレーナーから聞いたが、どうやらスペシャルウィーク君にとってお前は物の怪の類のようやぞ」

 

 トレーナーは笑い話を話す口調で切り出す。デジタルは物の怪の類という言葉に体をピクりと動かすが、トレーナーはそれに気付かず話を続ける。

 

「スピカの中ではウラガブラックが休養しているのも、お前の変態さ加減にメンタルをやられたせいらしいぞ。久しぶりに大笑いしたわ。どんだけ尾ひれがくっついとんのや。まあ事実無根だが、それでもスペシャルウィーク君にとってデジタルは妖怪みたいなもんや。だからあまり関わらず、少しは距離を置いてくれ」

 

 トレーニング中ガン見しちゃったよってデジタルは言っていたが、それもスペシャルウィークが恐怖している理由の一つだろう。だれだって妖怪から見られたら怖いに決まっている。

 デジタルがスペシャルウィークに対し好意と興味を抱いていることは知っている。だがスペシャルウィークは好意を抱いていない。それを知ればショックなはずだ。なので笑い話のように喋り、さりげなく距離を離すように促す。

トレーナーはデジタルが『妖怪と一緒じゃしょうがないよね。わかったよ』とこちらの気持ちに反応するように、笑い話で済ましてくれる事を期待していた。だがトレーナーの想いと裏腹にデジタルは乾いた笑みを浮かべながら相槌を打つ。

 

「そっか。妖怪が一緒ならサイレンスズカちゃんも心配して電話するわけだ」

「なんや、サイレンススズカと話したんか?」

「電話でスペシャルウィークちゃんが怖がっているから、部屋を別々にして、トレーニングも一人でやってくれってさ。あの反応はあたしのことを怖がっていたからなんだね。納得したよ」

 

 デジタルは悲しそうに乾いた笑いを浮かべる。そしていつものテンションで話を切り出す。

 

「それでサイレンスズカちゃんの言うとおり、部屋を替えて一人用の練習メニューを組んで欲しいって相談しに来たわけ。部屋はスペシャルウィークちゃんを白ちゃんに部屋にして、白ちゃんがあたしの部屋に移動しよう。できるでしょう?」

「フロントに言えばできるやろ」

「じゃあ決まり、全く、ウマ娘ちゃんじゃなくてオジサンと一緒の部屋なんて嫌だけど我慢してあげる。変なことしないでよ」

「するか、したらカミさんに怒られるわ」

 

 デジタルに応じるように、トレーナーも軽い口調で応じる。一見気にしていない体を装っているが、空元気なのは誰の目を見ても明らかだった。すると何かを閃いたようで指でスナップを鳴らし、トレーナーに話しかける。

 

「あとスペシャルウィークちゃん元気ないから、明日辺り練習なくして白ちゃんが気晴らしさせてあげて」

「俺がか?」

「本当はあたしがやりたいけど、妖怪と一緒じゃ嫌だろうしね……白ちゃんに任せたよ!」

 

 デジタルはトレーナーの背中をバシバシ叩く。思いのほか力が強く、トレーナーはむせ乖離ながら提案について思案する。

 確かに気分が晴れずトレーニングをして本番を迎えるより、一回リフレッシュしてほうがいいのかもしれない。それにスペシャルウィークと二人っきりで話すには良い機会だ

 

「わかった。デジタルはその間どうするんや?」

「あたしはテキトーにトレーニングしたり、妄想したりして暇つぶしているよ」

「そうか」

「よ~し、スペシャルウィークちゃんにはフラれちゃったけど、あたしにはサキーちゃんがいる!これからはサキーちゃん一本でいくぞ!」

 

 デジタルは自分に言い聞かせるように呟きながら部屋を出て行く。その声と後姿はどこか悲しげだった。

 

ーーーーーーーーー

 スペシャルウィークはティーにゴルフボールを置くと一回息を深く吐き、視線をボールから前方に向ける。そこには青空に対しドバイが誇る超高層ビルが天を貫くようにそびえ立っているのが見える。ゴルフ場とはもっと自然に囲まれた場所にあるものだと思っていたが、こんな都会のど真ん中に建っているものなのか。

 スペシャルウィークは違和感を覚えながら足幅を整えゴルフクラブを持ちながら腰を後ろに捻る。可動域限界まで捻ると、そのエネルギーを解き放つように一気に振り抜いた。クラブにボールが当たり、鈍い音ともに勢いよく転がっていく。

 

「おお、上手いもんや」

「テレビで見たみたいに飛んでいませんけど」

「初めてでトップなら充分や。俺は初めて暫くはまともにボールが飛ばなかったからな。才能あるんやないか」

「そうですか」

 

 トレーナーは拍手を送りながら褒め称える。一方スペシャルウィークは釈然としないよう様子を見せながら、ティーにボールをセットしスイングの動作に入る。

 デジタルにスペシャルウィークを気晴らしに連れて行けと言われ、その任を任されたがある悩みを抱く。

 

ーーーどこに連れて行けばいいのだ?

 

 トレーナー仲間だったら、テキトーに飲み屋でも行けば気晴らしになるだろうが、年頃の女性は何をすれば気晴らしになるのだろう?

 まず思いついたのが映画館やショッピングモールに行くことだが、映画は日本語吹き替えで上映しているものは恐らく無い。ショッピングも昨日行ってきたらしいが、あまり楽しめなかったようだ。

 しばらく悩んでいるとあるアイディアを思いつく、いっそのこと年頃の女の子が行かないで場所や、やらないことをやらせてみるのはどうだろう。そして思いついたのがゴルフだった。

 翌朝、トレーナーはスペシャルウィークをホテルから車で15分ほどにある、ゴルフ場に連れて行く。スペシャルウィークも今日のトレーニングは休みで、どこかに行く気にもならず、部屋に篭るのも乗り気ではなかった。

そんな時にトレーナーから誘われゴルフ場に向かった。ゴルフにはさほど興味がなかったが、アグネスデジタルと離れる理由があれば何でもよかった。

 スペシャルウィークはボールを打ち続ける。トレーナーから才能が有ると言われても、所詮今日グラブを握った素人だった。10球中2球は空振りし、6球は最初のように鈍い音を出しながら勢いよく転がり、2球はそれなりに飛んだが右に大きく曲がっていった。

 やはりテレビで見たように真っ直ぐ飛び飛距離が出るようなボールを打てない。ふと隣でボールを打つトレーナーを見ると、10球中8球は真っ直ぐ飛んでいた。

 

「上手ですね」

「付き合いで何度行っていればこれぐらいわな。まあ、それなりに練習もしたわ。スピカのトレーナーはゴルフするんか?」

「たぶんやってないと思います」

「そうか、今度誘ってみるか、藤沢先生や大久保先生も若い者が加われば、喜ぶかもしれんし」

 

 デジタルのトレーナーの言葉を聞きながら、スペシャルウィークは自身のトレーナーについて考える。そういえば普段のトレーニングや合宿などで接する時間は長いが、プライベートについてはあまりよく知らない。今度聞いてみるのもいいかもしれない。

 暫くの間トレーナーとスペシャルウィークはボールを打ち続け、トレーナーは打つのを止めてスペシャルウィークを指導し始める。一球ごとに悪かったところを伝え、身振り手振りで修正していく。

 そしてある一球、スペシャルウィークの体に稲妻のような衝撃と心地よさが駆け抜ける。打った瞬間今までとは違うというのがすぐに分かった。球はグラブの芯に当たり、打球音も今までの鈍い音ではなく、澄んだ音で、打球は空を切り裂くように勢いよく真っ直ぐ前方に飛び、今までより遥かに飛距離を出していた。

「おお!まるでプロ並みの飛距離や!凄いでスペシャルウィーク君!」

トレーナーは素直に賞賛の声を上げ、周りでボール打っていた者たちも、その音と飛距離を出したスペシャルウィークに視線を集める。

 ボールを打った瞬間、ゴールを一着で駆け抜けた時とは違った心地よさが体中に駆け巡った。もっとこの感触を味わいたい。スペシャルウィークはすぐにボールをセットしスイング動作に入った。

 

 ゴルフ場のクラブハウスにはレストランも有り、室内はもちろん室外でも食事を楽しむことが出来る。外に出るとドバイの海風が汗をかいた利用者の体を冷まし、その心地よさから外で食べる者も多い。トレーナーとスペシャルウィークもまたその一人だった。

 

「初めてのゴルフはどうだった?」

「はい!楽しかったです!また機会があればやってみたいです!」

「スピカのトレーナーに言ってみたらいい。トレーニングの一環とかテキトーに理由をこじつければ、やらせてくれるかもしれんぞ。何なら俺が理由を考えておこう」

「その時はお願いします」

 

 スペシャルウィークは昼食に注文したクラブサンドイッチを食べながら、嬉々とした表情で返事をする。2時間ほど打ち続けたが、グラブの芯に当たったショットを打てたのは5球ほどしかなかった。それでも芯に当たった感触は今でも手に残っている。

 最初は乗り気じゃなかったが、ゴルフがこんなにも楽しいとは思っていなかった。何より、ゴルフに集中していた時間は今まで感じていた、異国への不安やアグネスデジタルへの恐怖などの雑念を一切忘れていた。今は不思議な爽快感すら感じていた。

 一方トレーナーはスペシャルウィークの表情を見て胸をなでおろす。楽しんでくれて良かった。体験したことのない何かをやらせようと考えゴルフを選んだが、成功だったようだ。これでデジタルに顔向けできる。

 トレーナーはスペシャルウィークとスイングについて喋りながら機会をうかがう。ゴルフに連れて行った目的は二つある。一つは気晴らしのため、そしてもう一つを達成するために話を切り出した。

 

「ど変態、マインドクラッシャー。うちのデジタルも随分な言われ様やな」

 

 トレーナー笑い話を喋るように明るい口調で喋る。一方スペシャルウィークは飲んでいた水を噴出すという、まるでコントのような反応を見せ、トレーナーの笑いを誘った。

 

「誰に聞いたんですか?」

「スピカのトレーナーからや、最初はうちのデジタルは妖怪かってツッコンだが、話を聞いていくうちに、思い当たることが何度もあったわ。確かにこれなら妖怪扱いされても仕方が無い」

 

 トレーナーは話しながら笑いを堪え、腿を手で打つ。笑っているのは多少本心も有るが、スペシャルウィークを責めているのではないというパフォーマンスだった。その効果か、怒られると思っていたのか体を強張らせていたスペシャルウィークだが、そういう雰囲気ではないと感じ取り、リラックスしていく。

 

「これからはスペシャルウィーク君が俺の泊まっている一人部屋で寝てくれ、トレーニングも極力デジタルから離すし、極力接触させないようにする」

「いや……そこまでは……」

「前世で何かあったのかというぐらいウマが合わない人間が居るし、俺もそういう人は居るから気持ちは分かる。それを我慢してスペシャルウィーク君が不快な思いをすることはない」

 

トレーナーは軽い口調で極力責め立てないように喋る。スペシャルウィークは罪悪感を覚えながらも、デジタルから離れられることに対し安堵していた。

 

「ところでカマイタチって知っとるか?」

「カマイタチって、妖怪のですか」

「何も無いところで人の皮膚が突然斬れて出血する。その不可解な現象を昔の人は妖怪の仕業と思ったそうや。でも今ではある程度化学的に原因が解明されておる。妖怪物の怪の類への恐怖は未知からくるもので、知ってしまえば怖くないかもしれんな」

「……そうかもしれませんね」

「よし、そろそろ帰ろか」

 

 トレーナーは席を立ち、スペシャルウィークもその後について行く。パスは送った、あとは伝わるかどうかだ。トレーナーは己の意図が伝わっていることを祈りながら帰路に着いた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「う~ん、ダメだ!」

 

 デジタルは叫びながらベッドに大の字に寝転んだ。トレーナーとスペシャルウィークが外出したのを確認した後、トレーナーが作成したメニューを一通りこなし、トリップ走法のための妄想トレーニングに入る、だが妄想の精度が悪い。

 スペシャルウィークには嫌われたのを仕方が無い、その分サキーに集中すればいい。そう割り切ったつもりなのだが、まだ後ろ髪引かれているようで、その結果がこの精度の悪さだ。何と女々しいのだろう。デジタルはうつ伏せになると、己の雑念を立ちるようにベッドに頭を打ち付け、手足をジタバタさせる。

 

「あっ」

 

 デジタルは思わず声を漏らした。いつの間にかスペシャルウィークが部屋に帰っており、お互いの眼が合った。恐らく己の奇行もばっちり目撃しているのだろう。この分だとますます怖がられる。まあ、いまさら怖がられても大して変わらないか。

 自虐的な考えが頭を過ぎりながら、目線を逸らし乱れたシーツを整頓していく。スペシャルウィークはそんなデジタルを見据えながら深呼吸をおこない、叫ぶように喋る。

 

 

「私の名前はスペシャルウィーク!好きなことは食べること!好きな人は生んでくれたおかあちゃん!育ててくれたおかあちゃん!スズカさんやトレーナーさんやチームスピカの皆さんです!デジタルさんは何ですか?」

 

 デジタルは突然の言葉に思わず振り向き目を丸くする。スペシャルウィークはそんな様子を気にすることなく、鼻息を荒くしながら顔を近づけさせ問い詰め、気圧されながらも語り始める。

 

「え~っと……好きなものはウマ娘ちゃん。好きな人はパパとママ、プレちゃんにドトウちゃんにオペラオーちゃんにチームの皆、あとすべてのウマ娘ちゃん」

「私の夢は日本一のウマ娘になることです。デジタルさんは?」

「えっ?……将来の夢はトレーナーになって、ウマ娘ちゃんのハーレムを作ること」

 

 突然の自分語りと質問攻め。いったいどうしたというのだ?デジタルは戸惑いながらも質問に答えていく。

 スペシャルウィークはトレーナーの言葉である決意に至った。

 妖怪の怖さは未知から来るものである。

 

 自分にとってデジタルは妖怪の類のようなものだ。噂話も恐ろしいし、ベッドの上で常軌を逸した目をし、恍惚の表情を浮かべる姿を見たときは寒気が走った。だがすべてを知ったわけではない。あの様子をしていたのにも理由があるかもしれないし、噂話が本当でも納得できる理由があるかもしれない。

 デジタルを拒絶するのはそれらを聞き、デジタルを知ってからでも遅くはないはずだ。それをせずに一方的に拒絶することは人を傷つける行為だ。スペシャルウィークの優しさと勇気がデジタルに質問するという行為に及ばせた。

 

「トリップ走法ですか?」

「うん、あたしは大好きなウマ娘ちゃんと近くに走るイメージを想像して力を出すの。それで、その練習の一環としてイメトレしてたわけ。サキーちゃんの間近で走る想像してたらついついね」

 

 スペシャルウィークは様々なことを聞き、先日目撃したよだれを垂らし弛緩した表情に、麻薬中毒者のような目をしていた訳を問いただした。そして返ってきたのが今の答えだった。

 トリップ走法にイメージトレーニング、理屈はわかったが自分には理解できない世界だ。それでもサキーに勝つためのトレーニングの一環と知ることにより、不思議と恐怖が薄れ、自分の常識外の理屈で走り、結果を出しているデジタルに奇妙な尊敬の念抱いていた。

 それから二人の語らいは続き、数時間に及んでいた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

「それでプレちゃんがよく分からない武術に嵌っちゃってさ」

「そうなんですか、格闘技といえばエルちゃんはプロレスが好きでよく技の研究をしていて、たまに実験台にされます」

「エルコンドルパサーちゃんのプロレス技!?いいな~代わりたいな~」

「相当痛いですよ」

「随分と仲良くなったな」

 

 夜になり、ホテルの日本食店で三人は食事を取る。そこでは先日までとは違い、和やかな雰囲気で会話を交わすデジタルとスペシャルウィークの姿があった。

 

「それはもうスペシャルウィークちゃんとは友達だから」

「ドサクサに紛れて触るな、だから変な噂が立つんやぞ」

 

 さりげなくスペシャルウィークの肩に手を回そうとするのをトレーナーが阻止し、デジタルは不満そうな態度を見せ、その様子を見てスペシャルウィークは笑みをこぼす。

そんなスペシャルウィークを見て今度はトレーナーが笑みをこぼす。

 どうやらデジタルへの誤解はある程度解けたようだ。

 贔屓目はあるがデジタルは悪い奴ではない。だが蓄積された悪評と誤解が少なからず、スペシャルウィークの目にバイアスをかけさせていた。それを取り除いてデジタルに向き合って欲しい。それが親しくなりたいというデジタルへの親心だった。

 だが直接それを言えば、スペシャルウィークが悪いと感じてしまう。なので、妖怪の例え話でデジタルを知ろうとする努力をしてもらおうと仕向けたが、上手くいったようだ。

 これでデジタルのスペシャルウィークへの好意は正しく伝わるだろう。

 しかしスペシャルウィークの笑顔、愛想笑いでは無い笑顔をドバイに来て初めて見たが、何とも人の心を挽きつける笑顔だろうか。スピカのトレーナーがスカウトした理由は能力ではなく、この笑顔なのかもしれない。

 この日の食事は三人にとって、ドバイに来てから初めて楽しいといえる食事となった。



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勇者と太陽と未完の大器#3

『』は英語で、「」は日本語で喋っています


「よし、今日はこれで終いや」

 

 アグネスデジタルとスペシャルウィークは肩で息をしながら、トレーニングコースの外にいるトレーナーの元に近づく。今日の練習はドバイに来てから最もキツイメニューだった。スペシャルウィークは海外遠征では調整程度で済ますと思っていただけに、体力的には疲労困憊だが、精神的には昨日と比べると疲れていなかった。

 

「お疲れ様でした」

「お疲れって、ちょっとやりすぎじゃない?本番まであと三日だよ、このペースでやり続けたら疲れが残っちゃうよ」

 

 デジタルはトレーナーからペットボトル飲料を受け取ると、愚痴をこぼしながら飲み干す。この強度のメニューは香港遠征でもしなかった。これを明日もやることを想像し、若干気が滅入っていた。

 

「心配するな、今日がピークであとは軽く調整程度だ」

「それはそうでしょ」

「私は何だか今日のトレーニングでスッキリした感じですので、明日もこれぐらいでいいですよ」

「やめてよスペちゃん。そんなこと言ったら白ちゃん本気にしちゃうよ」

 デジタルはスペシャルウィークに詰め寄り訂正を求め、スペシャルウィークはどうしましょ~とはぐらかす。トレーナーはその様子を見ながら笑みをこぼす。

 

 二人の関係は良好になった。

 悪いイメージと先入観がなくなり、純情で人懐っこい性格であるスペシャルウィークは、デジタルの好意を素直に受け止めるようになった。

 名前の呼び方にも変化が生じ、デジタルちゃんスペちゃんと呼ぶようになっていた。

そしてスペシャルウィークの爽やかな表情、自身でも充実したトレーニングができた実感があるのだろう。

 昨日までのスペシャルウィークは集中力に欠けていた。だが、デジタルへの誤解が解けたことで、トレーニングに集中できていた。

 その変化に気づいたトレーナーは急遽トレーニングの強度を上げ、併走トレーニングの本数を増やした。それがお互いにとって良い刺激だったようで、スペシャルウィークは調子を上げ、それに呼応するようにデジタルも調子を上げていく。

 本番前に一回強めにトレーニングしたいと思っていたが、スペシャルウィークが集中力をあげたことで強めのトレーニングができた。調整過程はほぼ理想的といえる。これで二人とも何かアクシデントがない限り万全な状態で本番に挑めるだろう。

 

「俺は他のウマ娘のトレーニングを見るが、二人はどうする?」

 

 トレーナーはクールダウン二人に尋ねる。この後の予定は特に決めていないが、二人の行動次第で予定も変わってくる。

 

「あたしは疲れたから、ホテルに帰る」

「私もついて行ってもいいですか?自分で見ることで、分かることもあるかもしれません」

「大歓迎や、ウマ娘の目線も重要だからな。他のウマ娘のトレーニング、特にゴドルフィンならスペシャルウィーク君も得るものがあるかもしれん」

「ゴドルフィン?見るのはゴドルフィンなの?」

「そうだが」

「それなら。行く!行く!」

 

 クールダウンで心身ともに緩んだデジタルだが、ゴドルフィンの名前を聞いた瞬間活力を取り戻す。ゴドルフィンならサキーがトレーニングしている可能性は高い。今まではトレーニングを見られる機会はなかったが、これを機にサキーの姿を拝みあわよくば、会話できるかもしれない。

 

「よし、三人でアイスでも食いながら、ゴドルフィン見学でもするか」

 

 三人の予定は決まり、デジタルとスペシャルウィークのクールダウンが終わると、ゴドルフィンがトレーニングしているエリアに向かった。

 

「アイスといえば何好き?」

「私はトルコ風アイスですね」

「あの伸びるアイスか、いいよね。あたしも好き」

「いつも売っていればいいんだけど、気が付けば無くなっていて」

「そうそう」

 

 スペシャルウィークとデジタルがアイス談義に花を咲かせながら、トレーニングエリアに向かう。目的地に着くと、二人は見たことがない光景に目を奪われる。そのコースには黒い何かが敷き詰められていた。芝の緑やダートやウッドチップの茶色に慣れているだけに、黒は異質だった

 

 

「砂かな?でも砂って黒色じゃないし」

「なんだろう?」

「あれはタペタや」

 

 二人が黒い物体について推理していると、トレーナーがアイスを渡しながら回答する。

 

「タペタ?」

「砂にゴム片と人工繊維を混ぜ特殊ワックスでコーティングしたものが素材らしい。最近ゴドルフィンが開発したそうだ」

「そうなんですか、どんな感触なんでしょう?」

「ここはゴドルフィンしか使えないから、分からない」

「ふ~ん」

 デジタルとスペシャルウィークはアイスを食べながら、タペタについての説明に耳を傾ける。アイスを食べ終わったころには、コースの周りに地元のメディアや見学ツアーに当選したファン達や、出走ウマ娘のトレーナー達が集まっていた。暫くするとゴドルフィンのメンバーが集まり、最後にサキーが現れる。するとメディア陣がカメラのシャッターを切り、ファンたちが黄色い声援をあげる。

 

「うわ~、生サキーちゃんだ!かっこいいな~綺麗だな~」

 

 デジタルもファン達と同様に黄色い声援をあげる。サキーを見るその視線は競技者のものではなく、ファン目線だった。トレーナーはその様子にため息を漏らしながら、スペシャルウィークとトレーニングを見ながら、意見を交わす。

「あっちの大きい茶髪がネイエフで、隣の金髪がトブーグ。スペシャルウィーク君が走るシーマクラッシクに出走予定で、今現在の1番人気と2番人気や」

「トブーグさんって、確かデジタルちゃんが一緒に走った」

「ああ、中々に強い。一緒に走ってどうだったデジタル?」

「え?トブーグちゃん?」

 サキーを観察するのに夢中だったデジタルの意識は、トレーナーの声で二人の方に向けられる。

「トブーグちゃんか、ちょっとヤンチャなところがあるけど、あの柑橘系な良い匂いとハスキーボイスは良いね。レースは楽しかったよ」

「そういうお前しか興味を持たない情報はいい、もっとレースのことや」

「う~ん。レースでは最後まで諦めないガッツはあるかな」

 

 デジタルは香港カップのことを思い出しながら喋る。近くで走った者にしか感じられない何かを話してくれることを期待したが、大した情報は口にしなかった。

 トブーグはこれといった弱点があるウマ娘ではない。故にこれといった攻略法を助言できず、大した情報を持っていないという意味ではトレーナーも同じだった。

「それで、二人の隣を走るのがストリートクライや、前哨戦を圧勝し、本番では2番人気におされるウマ娘や……って聞いているんかデジタル?」

 黒鹿毛色で左側だけ髪が長いという左右非対称のセミロングの髪型のウマ娘、ストリートクライが二人と併走する。デジタルに意見を求めようしたが、意識と目線はサキーに向けられており、返答しない。

 

「スペシャルウィーク君はストリートクライの走りを見てどう思う?」

「どう思うですか?」

「パッと思いついた些細なことでもええ、ウマ娘から見た印象が聞きたい」

「そうですね。何というか……元気がなさそうです。走り自体は力強いですが、何故かそう元気がないと思いました」

 

 スペシャルウィークの言葉にトレーナーは頷く。

 ストリートクライは強い。パワー、スタミナ、レースセンスを高水準に備えている。だがレースに対して淡白というか、物足りなさを感じていた。その物足りなさがスペシャルウィークにとって元気がないと感じていたのだろう。

 前哨戦では圧勝したが、サキーを脅かすかと言えば疑問符が付く。正直に言えばデジタルより人気があることに納得してなかった。

 ゴドルフィンのトレーニングは軽めだったのか、一時間程度で終了する。ウマ娘とそのトレーナー達はトレーニングエリアを後にし、メディア陣はゴドルフィンのウマ娘に取材していた。

「よし、デジタル、スペシャルウィーク君引き上げるか」

「はい」

「あたしはもう少し残るから、二人は先に帰っていいよ」

「残って、何するんや?」

「サキーちゃんのこと見ていく」

「見ていくって、取材受けるだけやろ。そんなの見て楽しいんか?」

「楽しいよ。それに取材が終わったらサキーちゃんに声をかけようと思う」

「それなら俺も残る。失礼なこと言わんように監視しなきゃあかんし、あっちのマスコミに邪推された時に弁明する人間も必要だろ」

「いいよ、それで」

「じゃあ、俺はスペシャルウィーク君をホテルに送ったら、戻ってくる。それまで大人しくしてろ」

 トレーナーはスペシャルウィークと一緒にトレーニングエリアを後にする。デジタルはその後ろ姿を確認すると、取材を受けるサキーの元に近づいていった。

『調子はどうですか、サキー選手?』

『悪くはないですね』

 デジタルは取材陣に紛れながらサキーを見つめる。取材陣はUAEのメディアのようでアラビア語で喋っており、会話の内容はさっぱり分からない。だが取材陣から笑いが起こるなど、和やかで良い雰囲気で行われているようだ。

 取材陣に対し、真剣みのある表情や、はにかみながら答えるサキーの姿はデジタルを魅了する。30分ほど見ていたが、全く飽きが来ない。

 暫くするとトレーニング見学に来たファンたちとの交流が始まり、少し距離を取ってその様子を見つめる。サキーは短い時間ながらもファン一人一人と会話し触れ合う。これもアラビア語で何を言っているか分からないが、ファンの顔を見れば、どれだけ素晴らしい対応したのかがすぐに分かる。

 暫く眺めていると後ろから肩を叩かれ、振り返るとトレーナーがいた。

 

「ちょっと、ゴタゴタして時間喰った。まだ声はかけてないか?」

「まだ。今ファンサービスしているところ。これが終わったら声を掛けようと思う」

「そうか、練習後に長時間の取材にファンサービス。大変そうだな」

「凄いでしょ!」

「お前が自慢するな」

 

 デジタルが胸を張りながら自慢し、それにツッコミを入れる。すると最後のファンとの交流が終わる。それを見計らいサキーに近づいて声をかけた。

『サキーちゃん久しぶり。香港で会って以来だね。覚えている?』

『もちろん覚えています。お久しぶりです』

 

 サキーはデジタルの姿を見てすぐに笑顔を見せ握手する。

 覚えていてくれていた!ネットでのインタビューで自分の名前が出ていたので、覚えているとは思っていたが、それでも不安だっただけに、天に昇るほど嬉しかった。

 

『そちらはデジタルさんのトレーナーさんですね。初めまして、サキーです。すみません、日本語は話せないもので、英語は分かりますか』

『初めまして、チームプレアデスのトレーナーです。ペラペラとはいきませんが、多少は理解できます』

 

 サキーは英語で挨拶し握手を求める。トレーナーも英語で挨拶した。

 

『どうですか、ドバイには慣れましたか?』

『うん、最初はちょっと暑いと思ったけど慣れたよ』

『それは何よりです。それで今日はどうしてここに?』

『サキーちゃんを見に、トレーニング時間が被ったりして、中々生の姿を拝めなくて。それで今日は時間が被らなかったから来た』

『それは偵察ということですか?』

『違うよ。ただ純粋にサキーちゃんのことを見に来たの』

 

 デジタルは自身の気持ちを偽ることなく伝える。その予想外の言葉に僅かに驚く仕草を見せる。偵察でもなく、ただ自分の姿を見に来たのか。何とも不思議なウマ娘だ、だが自分の気持ちを率直に伝える素直さは好感が持てる。

 

『それは、光栄です。そういえばトブーグに「他のウマ娘と仲良くして」と伝えておきました』

『ああ、香港の時の』

 

 デジタルはその時のことを思い出し、手を叩く。香港カップでトブーグにレースに勝ったら、他のウマ娘と仲良くするように約束していた。

 そしてレースに勝利し、約束を思い出し果たしてくれるようにとサキーに伝言を頼んでいた。

 

『それでどうなった?』

『トブーグはヤンチャな性格ですが、義理高いというか、勝負に対する真摯さというか、自分に勝った者の言うことは聞くようで、あれからは態度が軟化しています』

『そっか、ウマ娘ちゃんは仲良くしたほうがいいもんね』

『そうですね』

 

 デジタルは安堵の笑顔を浮かべると、それに釣られるようにサキーは頬を緩ませる。

 

『サキーさん……そろそろ……』

 

 するとサキーの後ろから、ゴドルフィンのジャージを着たウマ娘がボソボソとした小さい声で声をかける。

 長身で黒い長髪を背中に流し、サイドは左側だけ髪が長い左右非対称の髪型だった。背筋は伸びているが、目に覇気が感じないのが印象に残るというのがデジタルの第一印象だった。彼女はドバイワールドカップに出走するゴドルフィンのナンバー2、ストリートクライである。

『わかった。この娘はドバイワールドカップに出走予定のストリートクライです。クライ、こちらはアグネスデジタルさん。挨拶して』

『ストリートクライです……』

『アグネスデジタル、よろしくね、ストリートクライちゃん』

 二人は握手を交わすと、ストリートクライは用事が済んだと言わんばかりに、そそくさとゴドルフィンのメンバーが集まる建物に入っていく。

『申し訳ありません。ストリートクライが失礼な態度をとってしまい』

『いいよ、ストリートクライちゃんは恥ずかしがり屋さんなんだね』

『はい、寡黙な娘なもので』

 サキーはストリートクライの態度がデジタルに不快な気分を与えてしまったと思い、謝罪する。

『あの性格のせいか、何か物足りないというか、殻を敗れてないというか。本当ならもっとやれる娘なのに……』

『サキーちゃん?』

『すみません独り言です。では、呼ばれているので、失礼させていただきます』

『うん、話出来て楽しかったよ。またね』

 サキーとデジタルはお互いに手を振り別れの挨拶をする。サキーは暫く歩くと、何かを思いついたように後ろを振り向き、デジタルに話しかける。

『デジタルさん。明日のこの時間空いていますか?』

 

 サキーの問いにデジタルはトレーナーに視線を送る。トレーナーは首を縦に振るのを見て答える。

 

『よろしければ、私たちの所でお茶会でもしませんか?』

『する!する!』

 

 デジタルはその言葉を聞いた瞬間、目を輝かせながら駆け寄りサキーの手を握しめる。依然ネットにあったサキーのインタビューで、お茶でも飲みながら話したいと言っていた。まさかそれが本当に実現するとは!

 

「待った!」

 

 するとトレーナーが軽く息を切らせながら追いつき、デジタルに告げる。デジタルは心底嫌そうな顔を向ける。それはトレーナーに向けていい顔ではなかった。

 

「何?まさか乙女のお茶会にオジさんが参加しようなんて言わないよね?」

 

 デジタルはトレーナーを威圧し凄みながら質問する。まさにお目付け役として参加しようと言おうとしたが、その言葉を飲み込む。

 これは本気で嫌がっている。ここで参加すると言ったら、どんな手段を使っても阻止し、嫌悪感をむき出しにして関係は険悪なものになるだろう。それほどまでにサキーとのお茶会を望んでいる。

 

「いや、違う。サキーとのお茶会にスペシャルウィーク君を誘ってくれ」

「スペシャルウィークちゃん?」

「サキーという世界一のウマ娘と話せる機会なんて、滅多にない。世界一のウマ娘と話すことで、スペシャルウィーク君が得られるものもあるかもしれんし、成長するきっかけになるかもしれん」

 

 デジタルはトレーナーの言葉を聞き頷くとサキーに交渉する。するとサキーは二つ返事で了承し、スペシャルウィークが参加するといえば、三人でお茶会をすることになった。

 

「スペシャルウィークちゃん来てくれるかな?」

「わからん。もし参加することになったら、通訳頼んだぞ。喋るのに夢中になりすぎるなよ」

「分かった。それにしても何であの提案したの?」

「それは良いおもいをしてもらいたいからや。スペシャルウィーク君は臨時といえどチームの一員、チームメンバーの益になるために行動するのはトレーナーとして当然やろ」

 

 世界一のウマ娘と話す機会はそうそうない。得られるものもあるし、いい刺激になると思う。

 どの分野においても一流の人間と交流することは少なからず刺激にはなり、そこから伸びるという話も少なくはない。それが同じ分野の世界一なら尚の事得るものも有り、刺激になるかもしれない。

 一時的だがスペシャルウィークはチームメンバーだ。デジタルをダシにするようだが、少しでも得をしてもらいたいという思いがあった。

 

 

 




誤字報告をしてくれた方ありがとうございます。
一応チェックしているつもりなのですが、どうしてもやってしまう


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勇者と太陽と未完の大器#4

「時間ギリギリ」

 

 サキーはゴドルフィンの施設にある広報室で雑誌取材を終えると、早歩きで応接室に向かう。内装は世界有数のチームで資金力も確かなゴドルフィンだが、質素ながら質の高い調度品が揃えられており、落ち着いた空間になっている。

 応接室に着くと急いでもてなしの準備をする。紅茶とコーヒーはある。砂糖ある。茶菓子もある。準備が終わるとサキーはソファーに座り息をついた。

 ドバイミーティングまで後二日、サキーは多忙を極めていた。トレーニングに雑誌やテレビ取材にトークショー、それにゴドルフィンに融資している出資者との会合。まさに分刻みでスケジュールが組まれていた。そんな多忙のなか何とかして作った1時間の自由時間で客人を招きお茶会を開くことにした。すると扉からノック音が聞こえてくる。姿勢を正し招き入れる。

 扉が空くと二人の人物が入室する。一人は黒鹿毛の髪色に白のメッシュが入ったウマ娘、もう一人は赤髪に赤い大きなリボンをつけたウマ娘だ。

 

『アグネスデジタルさん、スペシャルウィークさん、よくお越しくださりました』

『サキーちゃん誘ってくれてありがとう。今日はよろしくね』

 

 デジタルは自然な足取りで歩み寄り、英語で言葉を交わし挨拶の握手をする。一方スペシャルウィークは初めての場所と人物に会う緊張のせいか、キョロキョロと周りに視線を向けていた。するとサキーの視線はスペシャルウィークに向けお互いの視線が合う。

 

「ハイ、ハーワーユー、マイネームイズスペシャルウィーク。ナイストゥミートゥー!」

 

 デジタルが拙い英語で挨拶をする。英語で会話をしているなら、自分も英語で話すべきだろうと、スペシャルウィークは脳内から英単語を検索し、引き釣り出したのがこの言葉だった。

 デジタルはスペシャルウィークを生暖かい目線で見つめる。日本に来た当初は日本語が理解できず、道に迷った時に通りがかりの親切な人に案内されたことがある。その人は英語が苦手なのか、今のスペシャルウィークのように片言の発音だった。

 

My name is ○○ nice to me too

 

 この文章は恐らく日本人が最初に覚える英語の会話の文言である。実際スペシャルウィークも英語の授業で何度も音読し体で覚えており、緊張状態でも瞬時に出たものだった。それは俗に言うカタカナ英語と呼ばれる発音だった。

 その拙い英語に対しサキーは不快感を示さず、笑顔で応える。不慣れながらも一生懸命に喋ったスペシャルウィークの英語は、その人柄を表しているようでサキーにとって好感が持てるものだった。

 

『では、茶菓子を用意しますのでおかけになってお待ちください。飲み物は紅茶とコーヒーどちらがいいですか?』

「スペちゃん、飲み物はコーヒーと紅茶どっちがいいだって」

「えっと紅茶で」

『スペちゃんは紅茶で、あたしは……牛乳ある?有ったら牛乳でなければ紅茶で』

『ありますよ。ではコーヒーと紅茶と牛乳で』

 

サキーは注文を聞くと飲み物を作り始める。その後姿を見ながらスペシャルウィークはデジタルに話しかける。

 

「今牛乳を頼んだのですか」

「うん。正確には牛乳が無ければ紅茶でって。甘いものを食べるなら飲み物は牛乳でしょ」

 

 デジタルはチョコレートだろうが餡子だろうが、甘いものはすべて牛乳と一緒に食べている。そのせいかエイシンプレストンには子供舌とからかわれていた。

 

「牛乳ですか。私も北海道に住んでいたので、よく牛乳を飲んでいました。実は紅茶やコーヒーはあまり飲まないので、牛乳にしておけばよかったです」

「そうなんだ。じゃあサキーちゃんに頼んでおこう」

 

 デジタルはサキーに声をかけて牛乳に変更してもらうように頼み、サキーは了承のサインをデジタルに送る。

 

「念の為に聞くけど、サキーちゃんのことは無論知っているよね」

 

 デジタルはサキーが準備している間手持ち無沙汰なのか、スペシャルウィークをまじまじ見ながら質問する。するとスペシャルウィークはその視線に耐えかねたのか、顔を背けた。するとしょうがないと言わんばかりと表情を作りながら説明を始める。

 

「よし、じゃあ軽く紹介してあげる。ゴドルフィン所属のサキーちゃん。主な勝ち鞍はイギリス国際Sに凱旋門賞。凱旋門賞の着差は最多タイの6バ身。そしてブリーダーズカップクラシック2着。まあこれが基本情報で。サキーちゃんの魅力は何といってもその人間性だよね!

暇さえあれば小さなイベントやローカルテレビに出て広報活動をおこなっているの!働き者!ファンサービスも神対応で、触れ合った皆がサキーちゃんファンになっちゃうらしいよ!そんなサキーちゃんだから、人気者で国内の好感度ナンバー1スポーツ選手に選ばれたとか。まあ当然だよね!

そしてチームメイトにも優しくて、チームメイトが困っていることがあれば、誰にもでも分け隔てなく助けてくれるんだよ。例えば初勝利をなかなかあげられなかったウマ娘ちゃんにマンツーマンで指導してあげて、初勝利をあげたときは一緒に泣いていたシーンはこっちも泣いちゃったよ!ファンやチームメイトを明るく笑顔にさせてくれる、まさに太陽!そんなサキーちゃんだから皆『太陽のエース』って呼んでいるだよ!それで……」

 

 デジタルはまくし立てるように早口で説明する。スペシャルウィークはその情報量と熱量に圧倒される。そのせいか肝心の情報は全くと言っていいほど入っていなかった。、サキーを知るためには充分な情報を話すが止まらず、情報ではなくサキーに対しての個人的な感想を中心に移り始めている。スペシャルウィークはいつまで続くのだと辟易し始めるが、サキーが飲み物と茶菓子を用意しテーブルに置くとデジタルは話を終わらせた。

 

『お待たせしました』

「サンキュー、えっとワット……デジタルちゃん通訳お願いします」

 

 スペシャルウィークは用意されたクッキーを一口食べる。その味は日本では食べたことがない味だった。このクッキーに入っているフルーツらしきものが原因だろう。何が入っているか聞こうとしたが、英語が出なかったのでデジタルに通訳を頼み、デジタルが英語で茶菓子について尋ねる。

 

『これはデーツと呼ばれるドライフルーツが入っています』

「デーツですか、うん、デーツ イズ デリシャス」

『うん、濃厚で美味しい』

 

デジタルもビスケットを手に取り食べる。味はドライプルーンに似ており、それ以上にねっとりと甘い濃厚な味にしたような感じで、二人の舌に合うものだった。

 

『お口に合って何よりです。土産で売っていますのでよろしければ、店でも出来立てを売っている店もありまして、それはさらに美味しいので機会があればどうぞ』

『うん。美味しいよこれ。牛乳と相性ばっちりだよ』

『そうですね。私もよく牛乳と一緒に食べています』

『そうなんだ。もしかして甘いものを食べる時の飲み物は牛乳派?』

『はい。アグネスデジタルさんもですか?』

『うん、あたし達気が合うかもね』

『そうですね』

 

 二人は同時に笑顔を作り、場の空気は和やかなものになる。するとサキーが話を切り出す。

 

『改めて、本日はお越しくださりありがとうございます。誠に申し訳ありませんが、一時間後には別の用事が入っていますので、このお茶会は一時間で終了させていただきます』

『そっか、残念。そんなに忙しいの?』

『はい、この一時間も何とか作ったぐらいで、それ以降の自由時間はありません』

「凄いですね。自由時間がないほど予定があるなんて」

 

 サキーの言葉にスペシャルウィークは感心の相槌をうつ横で、デジタルはサキーに悟られないように落胆のため息をつく、サキーとならば夜通しでもお喋りできるが、わずか一時間か。サキーの活動が多忙なのは知っており、地元のビッグレースを走るとなれば、取材などもさらに増えるだろう。しかし一時間程度の自由時間すら確保するのに苦労するほど多忙とは思わなかった。

 

『それじゃあ、しょうがない。じゃあ一時間おしゃべりを楽しもう。しかし、あの番組で言っていたことを覚えていてくれて嬉しいな』

『ネット中継を見ていたのですか?』

『もちろん』

 

 サキーは僅かばかし驚きの表情を作る。以前のネット放送した番組でデジタルとお茶をしたいと言ったのは覚えているが、あの番組を見ていたのか。あれは自身のツイッターでもチェックしていないと存在に気づかないものだ、自身のファンなら分かるが、対戦相手が見ているとは思ってもいなかった。

 

『ドバイに着いてから、ちょっと期待していたけど本当に誘ってくれるなんて。改めてありがとうサキーちゃん』

『なら尚更誘えてよかったです。そうでなければ嘘つきになってしまうところでした』

 

 

 三人のお茶会が始まる。会話はドバイについてから始まり、日本や日本のレース事情について、アメリカやヨーロッパのレース事情や小話など話が広がり会話は弾んでいく。するとそれまで聞き役に徹していたスペシャルウィークが口を開く。

 

「サキーさんはどんなトレーニングをされていますか?」

『どんなですか…恐らく皆さんと変わらないと思います。補強運動したり、走りこんだり、フォームチェックをしたりです』

「それはどんな内容ですか?」

 

 スペシャルウィークが質問し、サキーが回答する流れが続く。内容はレースについてのことや食事についてまで熱心に聴いていた。今まではデジタルが喋っていたが、スペシャルウィークが熱心に質問するので、その熱意に押されてか今度はデジタルが聞き役に徹していた。一方サキーもスペシャルウィークの質問に、答えられる範囲で包み隠さず答えていた。

 10分程度経つが、スペシャルウィークとサキーの質疑応答が続く。デジタルの本心としてはもっと緩いガールズトークをしたかったが、場の流れは結構シリアスだ。恐らくトレーナーがトップレベルと話せば今後の為になるという話を真面目に聞いたからだろう。好きな流れではないが、スペシャルウィークがしたいというなら尊重しよう。デジタルは引き続き通訳に徹した。

 

「スペシャルウィークさんは真面目ですね」

 

 サキーはお互いが一息つく間を作るように喋りかける。だがこれは本心でもあり、日本人は勤勉で真面目だというステレオタイプなイメージを持っていたが、まさにその通りだ。

 

「すみません。私ばかり聞いてばかりで」

『構いませんよ。でも何だか焦っている気がします。何があったんですか?』

『いや、ウチの白ちゃんがさ、ウマ娘界のトップであるサキーちゃんと話せば色々と得られるだろうって言ってさ、たぶんそれを真面目にこなそうとしているんだよ』

『なるほど、でもそれ以外に何かあるように見えます。よろしければ話してもらえますか?そうすれば相談に乗れるかもしれません』

 

 スペシャルウィークは僅かに目を見開く、初対面でここまで自分の胸のうちが分かるのか。その観察力を持つサキーならば自分の悩みを解決してくれるかもしれない。サキーの言葉に促されるように、自分の悩みを話し始める。

 

「私にはサイレンススズカさんという、どうしても超えたいウマ娘がいます。その人とはチームが一緒で、練習メニューもほぼ一緒です。なので自主練習しようと思いましたが、練習は自分の限界ギリギリで組まれており、それ以上はオーバーワークになると制限されました。ですからサキーさんにトレーニングの話を聞いて、少しでも追いつきたいなって」

 

 スペシャルウィークはポツリポツリとサキーに意見を伝えると、サキーはすぐさま自分の意見を述べた。

 

『それはスペシャルウィークさんのトレーナーに相談すべきです。スペシャルウィークさんのことを一番理解しているのはトレーナーだと思いますので、自分の気持ちを伝えれば、きっと最善の道を示してくれるはずです。それに練習や食事の事を聞いていましたが、伝えたことは私にとってベストであって、スペシャルウィークさんにとってはベストではないかもしれません。ですのでトレーナーを信じて、練習や食事メニューを守るのが強くなる一番の近道であると思います』

 

 スペシャルウィークはサキーの言葉に大きく頷く。トレーナーは自分のことを自分以上に考えてくれている。そのトレーナーが考えるメニューが一番良いはずだ。それにサキーからのアドバイスを聞いたのも、自分だけ恩恵を得て強くなろうというよこしまな考えが合ったかもしれない。それでサイレンススズカに勝ってもズルイ気がする。

 

「分かりました。アドバイスありがとうございます」

 

 話した事で迷いが晴れたのか、スペシャルウィークの声は先ほどより明朗になっていた。そしてスペシャルウィークはふとデジタルの顔を見ると、デジタルは笑顔を見せる。スペシャルウィークの悩みが解決したことがデジタルにとっては嬉しく、笑顔を見せていた。一方スペシャルウィークはデジタルの表情を見て失敗に気付く、

 喋りすぎた。デジタルが待ち望んだサキーとのお喋りだが、時間は一時間しかない。それなのに自分の質問でそれなりに時間を潰してしまった。あとはデジタルが会話を楽しむ時間にさせようと最後の質問をする

 

「最後に一つだけ聞いても良いですか?」

『はい、どうぞ』

「凱旋門賞に勝つための攻略法や必勝法とか有りますか?」

『そうですね。有ると言えば有ります』

「それを教えてもらえますか?」

『それは困りました。私も今年も凱旋門賞は勝ちたいですし、強力なライバルがさらに強くなってしまってはとても大変です』

 

サキーはおどける様に喋り、デジタルは思わず笑みをこぼす。その言葉にスペシャルウィークは慌てながらも弁解する。

 

「私は出ないから問題ないです、ただエルちゃんのために聞いておきたいなって」

 

 スペシャルウィークの友人エルコンドルパサーは凱旋門賞を勝つ事を目標にしており、レースにも走っている。その経験からコースの特徴や攻略法を知っているかもしれない。だが勝った事ある人間の話を聞ければ、それは成功例であり貴重な意見だ。エルコンドルパサーのために是非聞いておきたかった。

 

『スペシャルウィークさんは凱旋門賞には出ないのですか?私の見立てでは充分に勝てる見込みはあると思いますが』

「日本一のウマ娘になるのに苦労しているのに、世界一を決める舞台に出るなんて正直ピンと来ません」

 

スペシャルウィークの言葉を聞き、サキーは数秒考え込む。すると何かを思いついたようでに提案する。

 

『ではこう考えてみてはどうでしょうか、凱旋門賞を世界一ではなく、日本一を決める舞台だと思えばいいのです。さきほどああ言いましたが、私個人としてはスペシャルウィークさんが出てくれれば、レースが盛り上がりますし一緒に走りたいです』

「凱旋門賞が日本一を決める舞台」

 

 スペシャルウィークはサキーの言葉を繰り返し呟く。日本所属で凱旋門賞に勝ったウマ娘はいない。その偉業を成し遂げれば日本一のウマ娘になったと言ってかもしれない。それに日本のレースではGIを何勝もしなければ日本一と認めてくれないが、凱旋門賞を勝てば一レースだけで済んでしまう。これは目から鱗かもしれない。

 

「そうだよスペちゃん。凱旋門賞に出て世界一になって日本一になっちゃおうよ!あたしも応援に行くよ……あれ凱旋門賞っていつだっけ、サキーちゃん?」

『十月の二週目の日曜で、日にちは分からないです』

「一週間後に南部杯だ!他のレースはともかく、南部杯前にフランスに行って応援する余裕はないな、ごめんねスペちゃん」

 

デジタルはしょげかえりながら謝り、スペシャルウィークは恐縮そうに気にしないでと口に述べる。その微笑ましい光景を見てサキーは思わず微笑んだ。

 

『アグネスデジタルさん、スペシャルウィークさん、貴女達にとってレースとは何ですか?』

 

 サキーが二人の様子を見計らって、質問を投げかける。随分と哲学的ともとれる質問だ。スペシャルウィークに翻訳すると頭を悩ませて、考え込んでいる。その間にデジタルは自身の考えを述べる。

 

『そうだね、ディズニーランド』

『ディズニーランドですか?』

『うん、私はウマ娘ちゃんと触れ合うのが一番好きで、お喋りしたり一緒に遊んだりしてウマ娘ちゃん達と交流できるけど、レースではそこでしか見られない表情や感情を見せてくれる。一緒に走ることで心を通じ合わせる感じ、分かるかなこの感覚?』

『何となく分かります』

『それを感じるのが楽しくてたまらなく幸せ。この感覚は子供の頃ディズニーランドで遊んだ時の感覚に似ている。だからレースはあたしにとってのディズニーランド』

『面白い回答ですね』

 

 サキーは予想外の回答に面を食らうが笑みを作る。それは相手をバカにしたのではなく、面白く愉快なものを見たときのような朗らかで爽やかなものだった。

 

「私は……トレーニングも辛い時も有りますし、負けたら泣きたくなるほど悔しいです。ですが楽しいこともいっぱいありますし、そういうのを全部引っ括めてレースは楽しいです!」

 

 スペシャルウィークの言葉をサキーに伝える。その答えはサキーにとってある程度予想通りだが、人柄通り純粋で真っ直ぐな答えは気持ちいいものだった。そしてサキーも自らの答えを話す。

 

『お二人共素敵な答えでした。そして私の答えですが、レースはウマ娘レースの魅力を周りに伝えるアピールの場です』

 

 サキーの答えを聞き二人は首を傾げている。それを見て言葉を付け足す。

 

『ウマ娘は素晴らしいものであり、レースは世界で1番面白いスポーツだと思っています。他を寄せ付けない圧勝でも、ライバル達との手に汗握る接戦でもいい。私たちのレースを見れば魂を震わせ、ウマ娘レースが好きな人はさらに夢中に、知らない人は興味が引かれていくと思っています。それをアピールできるのがレースです。だからレースはアピールの場だと思っています』

 

 レースとは魅力を伝えるためのアピールの場、サキーの考えは二人に全くなかったもので新鮮だった。そのサキーの答えを聞き、是非聞いてみたいことができた。デジタルは質問を投げかける。

 

『サキーちゃんの将来の夢って何?あたしはトレーナーになってウマ娘ちゃんのハーレムを作ることかな』

「私は日本一のウマ娘になることです」

 

 デジタルの答えに触発されるようにスペシャルウィークも自身の夢を語る。サキーは少し考え込むような仕草を見せたあと口を開く

 

『そうですね。私の夢は世界一のウマ娘になることです。そのためにドバイワールドカップ、キングジョージ、凱旋門賞、ブリーダーズカップクラシックの4大レースに勝つことです』

『それ、本当?』

『と言いますと?』

『サキーちゃんの夢はそんな個人的なことじゃなくて……何というか……皆のためというか……ウマ娘ちゃんラブ感がある夢だと思うんだよね』

 

 日本語訳を聞いたスペシャルウィークは不思議そうにデジタルに視線を送る。一方サキーは目を大きく見開き、言葉を続けた。

 

『すごいですアグネスデジタルさん。そうです。今の言葉は正しいですが、あくまでも夢を実現するために必要なことであって、夢そのものではありません』

『じゃあ、何?教えてよ』

 

 デジタルは興味津々そうに目線を送り、サキーはひと呼吸おき語った。

 

『私の夢は世界中のウマ娘と、関係者とファンの幸せです』

『ウマ娘ちゃんの幸せ?』

『ウマ娘レースはもっと知ってもらえれば、レース場にお客が入り、グッズも購入してくれます。下世話な話ですが大きな金銭が動き、そのお金はウマ娘とその関係者に入ります。そして人気になれば社会的地位も増してきます。人気になれば多くの人がウマ娘レースという素晴らしいスポーツを見て幸せになってくれます。そんな理想を実現するために4大タイトルに勝つことが必要なのです』

 

 サキーから語られる夢のスケールの大きさにスペシャルウィークは呆気にとられていた。

 

『素敵!素敵で凄い夢だよ!サキーちゃんもウマ娘ラブだったんだね!あたしも手伝うよ!何でも言って!』

 

 一方デジタルは感極まったのか抱きつきながら語りかける。サキーはウマ娘を愛し、幸福を願って行動している。なんというウマ娘愛だ!デジタルは猛烈に感動していた。

 

『ではドバイワールドカップで負けてくれますか?』

『えっと……あたしだってウマ娘だから勝ちたいし、将来のハーレムのために重要だから……』

『冗談です。私が望むのはデジタルさんがレースの100%の力を発揮してもらうことです。見ている人を惹きつけるレースは皆が全力をだすことですから』

『それなら大丈夫!100%、いや120%の力を出すから!』

『はい、楽しみにしています』

 

 二人は抱き合いながら健闘を誓い合う。そこには二人だけの空間ができており、スペシャルウィークはただ見守っていた。

 

 

 

 

『では今日は楽しかったです』

『私も楽しかったです』

「はい、こちらも楽しかったです」

『あたしも楽しかったよ』

 

 予定の時間を迎え、三人は握手を交わし別れの挨拶を交わす。

 

『サキーちゃんこれ』

 

 デジタルは握手する際にサキーの手に何かを握らせた。中には紙が入っており、メールアドレスと電話番号が書かれていた。

 

『必要な時があったらいつでも連絡して。サキーちゃんの夢、あたし本気で手伝うから』

 

 デジタルは真剣味を帯びた瞳でサキーを見つめる。それに応えるようにサキーもデジタルを見つめた。

 

『はい、その時は頼りにさせていただきます』

『じゃあねサキーちゃん、レースで会おうね!』

「シーユーアゲイン」

 

 デジタルは手を振りながら、スペシャルウィークは頭を深々と下げながら、サキーに別れの挨拶を告げる部屋を退出した。

 

 

「それで、サキーとのお茶会はどうだった?」

 

 デジタルとスペシャルウィークはお茶会が終わりホテルに帰ると、トレーナーと一緒に夕食をとる。その席でトレーナーが話を切り出した。

 

「いや~楽しかった」

「はい、いっぱい為になる話を聞けました。これもトレーナーさんが誘ってくれたおかげです」

「いや俺は何もしてへん。それよりデジタルは通訳ちゃんとしていたか?」

「それはばっちりでした」

「そうか、通訳そっちのけで話さないかと心配しっとわ」

「さすがにそこまでしないよ」

 

 トレーナーはからかう様に話すと、デジタルは若干不満