Bloody Masquerade (ヤーナム製薬)
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1. First Hunt

獣狩りの夜は終わらない



 月明かりだけが照らす静謐な世界。

 

 赤く、大きな月が照らす悍ましい世界。

 

 青年は燃え盛る工房の中で狩りの準備をしていた。

 

 永きに渡って使い続けてきたノコギリ鉈を修理し終わった彼は柩のような道具箱の中身を漁っている。狩人に必須である輸血液に水銀の弾、怪しげな秘薬や神秘的な触手など、出し惜しみなく全ての道具を持ち出して行く。

 大量な道具の数々は青年の懐に余すところなく収まった。物理的に不可能なはずの現象は、繰り返されてきた経験のために全く可笑しいと感じなくなっていたことに気が付いた。

 咽び泣くように轟々と燃え盛る工房の中、彼は悼むように古臭い内装を一瞥し、扉に向かって歩き始めた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

モヤモヤとした白い霞が掛かったような感覚。それは目の前の出来事なのに、どこか遠い出来事のように感じていて、言いようのない違和感が私に纏わりついてた。

 彼は工房の外へと歩きだし、ゆっくりと思い出を噛み締めるように進んでいった。私はプカプカと宙に浮かびながら、彼の周りをグルグルと回っていた。

 そこでようやく、私は思い出したのだった。

 

 

___あっ、これって夢だった

 

 

 これがいつもの夢の続きだと、私は漸く自覚した。

美しい人形に別れを告げる青年を横目に眺めながら、私は一体いつからこの夢を見続けているのだろうと思い返していた。

 

 これは10年前のあの日から時折、文字通り思い出すように見る夢だった。この夢はヤーナムという異邦の地を旅する一人の青年の記憶を辿る、そんな夢であった。

 彼はいつも帽子を深くかぶり口元をマフラーで覆っているために顔立ちやら年齢やらは不明であるが、話し声から若年の男性であることは予想できた。服装はヤーナムの伝統的な狩り装束と呼ばれるものらしく、体の一切を覆い尽くした黒づくめの中世風な装束であり、不気味なヤーナムの雰囲気と合わさってダークファンタジーを連想させた。

 

 夢の中で私はいつも青年を見下ろすような視点に浮かんでおり、彼の冒険を傍観しているのだ。私は彼に触れることができず、彼もこちらに気が付くことはない。一方的でいて不完全な干渉が私たちの関係であった。

 彼は多くの化け物と戦っていた。血に塗れた獣に触手まみれの化け物、名状しがたい数多の生き物を殺し尽くし、そして嘗ては人間だった物を殺し尽くした。

 彼は少しの人間と触れ合っていた。夢の世界はどこまでも静謐で、空に浮かぶ赤い月を背景に辛うじて正気を保っている人々と互いの正気を確かめるように言葉を交わしていた。

 

 夢の中における青年の活動は()()と呼ばれるものであった。私が目にする青年の姿のほとんどは、狩人として多種多様な冒涜的な存在と対峙する青年の姿であった。

 自分がこの世界で戦っているとすればこんなに恐ろしいことはないが、所詮は夢なのだ。第三者視点で青年が戦っているのを眺めているだけなので、実際あまり怖くはない。

 正気を削るような化け物が出た時に直ぐさま目を瞑ることを忘れなければ、ちょっとしたアクション映画を見ている気分で居られるのだ。昨今はグロテスク成分満載のバイオでハザードな作品やらが手軽に楽しめる時代であるが、私の夢で味わえる臨場感は現実では得られないものだろう。そう考えると、なんだかお得な気分になる。

 

 そうこう考えているうちに、青年は淡く輝く白い花で埋め尽くされた庭園に立っていた。彼は大樹の元に佇んでいる老人と何やら会話を交わしている。幾つか言葉を交わしていると、やがて老人は悲しげに表情を歪め、青年をまっすぐに見つめた。

 老人は確かめるように青年に問いかける。青年の選択が嘘であってほしいと願うように。

 

「なるほど、君も何かに呑まれたか。狩りか、血か、それとも悪夢か?」

 

 狩り、血、悪夢。今までの夢でそれが大事なことであったのは知ってはいた。それが指す意味も、無い頭を捻って考えはした。けれども夢で見る情報は断片的で、それらが意味するものを結局理解することはできなかった。

 

 しかし、青年は全てを理解したのだろう。理解してしまったうえで、彼は答えに辿り着いたのだろう。

 

 青年はその問いかけに言葉で応じることはなく、ただ武器を構えることを応答とした。

彼は手に馴染んだノコギリ鉈を構え、青白く輝くナメクジを擦り付けていくと、無骨な銀色の刃はナメクジの粘液によって神秘的な白濁に覆われていく。

 深く被った帽子の奥に隠れたその瞳が寂寥感に揺れたように感じた。それでも、青年は確固たる意志を以って老人に刃を突き付ける。

 

 その姿を眺める老人の表情は変わらずに悲しげであった。堪える様に小さく震え、小さく溜息を吐く。老人はやがて未練を振り払うようにかぶりを振ると、弱弱しい眼差しを虚空に彷徨わせて独り言ちた。

 

「まあ、どうでもよい。そういう者を始末するのも、助言者の役目というものだ」

 

 徐に老人が車椅子から立ち上がる。年季を感じさせる銃器を左手に、古めかしくも鋭い輝きを放つ刃物を右手に、一歩だけ足を踏み出す。

 助言者と自称するに相応しい、厳格でありながら慈愛を感じさせる様子は見る影もなくなっていた。そこにあるのは、処刑者染みた冷酷さを感じさせる歴戦の狩人の姿だった。

 

「ゲールマンの狩りを知るがいい」

 

 そう告げると、老人は大きく刃を振りかぶった。

 

 

 

***

 

 

 

 青年と老人が血で血を洗うような闘争の火蓋を切ってから、どれだけの時間がたっただろうか。最新鋭のゲームや映画でも表現できないような生々しい迫力に満ちた殺し合いは華々しくもあり、それでいて背筋の凍るような悍ましさを湛えていた。

 最古の狩人と最新の狩人が技術の粋を集め、ただ相手を殺すために全霊を尽くす。月だけが照らす闇夜に、舞い踊るような銀色の閃光が絶えず閃き、ぶつかり合っては火花を散らす。足元を埋め尽くす白い花の上で黒衣が翻り、時折赤い雫が鈍く水気を帯びた音を奏でて大地を濡らす。一種の芸術のような闘争が、私の目の前で繰り広げられている。

 

 しかし、永遠に続くと錯覚するような戦いの終わりは呆気ないほどに突然だった。

 

 実に呆気なく、青年の振りかざした一太刀が老人の体に食い込み、肉を噛みちぎり、生命を咀嚼した。零れ落ちる臓物と共に夥しい量の血が舞い飛んでいく。真っ赤なしぶきの一粒一粒が鮮明に目視される。そして、赤い雨が幻想的な白い庭の一角に降り注ぎ、儚げな花々を鮮やかに染め上げた。

 致命傷は避けたものの多くの傷を負った青年と、ただ一つ致命的な傷を負った老人は息を荒げて見つめ合っていた。青年は達観したような様子で、老人は諦観したような様子で佇んでいた。やがて老人は糸が切れたように膝をつき、咳込みながらもポツリと呟いた。

 

「・・・すべて長い、夜の夢だったよ」

 

 最後にそう呟いた老人はどこか満足げな表情で倒れ伏した。それを見届ける青年の顔は相変わらず隠されているが、彼の心は涙を流しているように私は感じた。青年は祈るように片手を胸の前で握り、老人の亡骸はゆっくりと青ざめた霞に消えていく姿を眼に収めていた。

 そんな青年の姿に私はどうしようもなく心を搔き乱された。私は知っているのだ、彼がどれほど悲惨な戦いに身を投じてきたのかを。彼が弱音も吐かず、涙も見せずに戦い続けたことを。無辜の民を慮り、心を交わした友人を大事に思い、そして助言者の老人をこの上なく尊敬していたことを私は知っている。だからだろうか、彼に届くはずがないのに、私は思わず言葉をもらした。

 

 

___悲しかったら、辛かったら涙を流していいんだよ

 

 

 まるでその言葉に反応するように、彼は此方に振り返る。

 

 予想外の反応に、私は驚きのあまり飛び跳ねる。今までいくら語り掛けても反応がなかったために、私はひどく混乱してしまったいた。

 まずは自己紹介をするべきだろうか?いや、それとも勝手に彼の姿を覗き見していたことを謝るべきだろうか。そもそもなんで私は言い訳を考えているのだろうか。一方的に知っているだけの人とのコミュニケーションなんて初めてだしどうすればいいのか皆目見当がつかない。ここまでテンパったことが今まであっただろうか。

 

 混乱しきっている私の事情など知らんとばかりに、彼は歩み寄ってくる。彼が紳士的であることは知っているが、それ以上に異形の者への容赦も皆無であることを私は知っている。幽霊っぽさ満点だろう私への対応は推して知るべし。

 だんだんと近づいてくる彼が何やら剣呑な雰囲気を纏っていることに気が付いた私の脳内は完全に真っ白になりかけていた。なんでもいいから話さなければという強迫観念にかられた私は兎にも角にも口を動かした。

 

___あわわわ、えっと、その、・・・こんばんは!

 

 挨拶は大事。たぶん、このタイミングですることではない気もするけど。しかし、彼は私の渾身の挨拶を無視して立ち止まると、そのまま空に浮かぶ大きな赤い月を見上げたのだった。なんだか気まずい無言に耐えられず、私は意を決して話しかけた。

 

___あっ、あの~。その、・・・こんばんは~

 

 少し震え声になりながらも、確かな声量で発した挨拶にそれでも彼は反応しなかった。やっぱり怒っているのかな、と思ってビクビクしていたが無言を貫く彼に違和感を覚える。

 よく思い出してみると彼は此方を向いたが視線は私に向いていなかったし、彼の視線は空に浮かぶ月にだけ向けられていた。思い切って彼の肩をポンポンと叩いてみるが、いつも通り何かに阻まれて触れることができない。耳元で大声を出しても全く反応がないことを確認すると、彼が今まで通り此方を認識していないことを確信したのだった。

 

___あー、もうっ!ビックリしたじゃん!!

 

 私は自分の醜態を彼に見られなかったことに安心すると同時に、今日も彼に気付いてもらえないことに少し寂しくもあった。何だか恥ずかしい気持ちで一杯になったので八つ当たり気味に彼の背中をポカポカと叩いてみるが、やっぱり彼が気付くことはない。バカー、アホー、と本心では思っていない悪口をかましてみても、やはり彼は私の存在を認識してくれなかった。

 

 ひとしきり悪態を付いて落ち着いたところで、青年が変わらずに剣呑な雰囲気を携えていることに気が付くと、ふと疑問が生じた。彼は()()()()()警戒をしているのだろうか?

 彼がジッと見つめている視線の先を、私も追ってみる。そこには星一つない真っ暗な空を照らす赤く大きな月だけがあった。よく目を凝らしてみて、ようやく私にも見えてしまった。月に重なるように、ナニカが空から降ってくる姿が。それは赤く黒ずんだ冒涜的な触手を丸めたような姿をしており、丸まった触手が解けていくにつれて、名状しがたき姿が明らかになっていった。

 

 そして、そのナニカが私を一瞥した様子を目にしてしまった。

 

 私は反射的に眼を瞑った。ソレは、人の世界に存在してはいけない化け物だ。身の毛もよだつような恐怖に背筋が凍り、自分が死んでしまったかのように体温が下がっていく。歯の根が噛み合わず、カチカチと不安げな音が響く。

 あの姿が恐ろしい。まとう空気が、雰囲気が、死の気配が、圧倒的な上位者の存在感が恐ろしい。そして何よりも、私の中で芽吹いた一つの疑問がこの上ない恐怖を駆り立てた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自分が自分でなくなっていくような、無意識の底に溶けていくような感覚に沈んでいく。いっそ、自殺してしまった方が楽になれるなんて考えが頭の中で大きく主張している。死んでしまいたい、死にたくない。狂気の底に叩き込まれた私は限界を迎えていた。

 

 ガサリと、赤く染まってしまった花々を踏みしめる音が耳朶を打つ。凍え切った私の体を包み込むような、温かな気配を感じる。それに気が緩んだ私は、少しだけ瞼を持ち上げた。

 

 私の視界には、青年の大きな背中だけが広がっていた。名状しがたい化け物から私を守るように、青年が毅然として佇んでいた。

 

 青年は先ほどの戦いでボロボロになった外套を風に乗せて脱ぎ捨て、襤褸切れみたいになった皮の手袋を投げ捨た。そして、深くかぶっていた帽子を弾き飛ばし、口元を隠していたマフラーを解き、彼は振り返った。

 そこではじめて私は青年の顔を見た。東欧系の整った顔立ちは意外なほど若く、私と同年代のように見えた。短く整えられた黒い髪とシュッとした顔の輪郭は鋭さを感じさせるものの、宇宙色の深い青を閉じ込めた瞳は優しげであった。

 時間を忘れたかのように見つめ合っていると、彼は相好を崩して小さくお辞儀をした。彼の視線は私の後ろ、老人が倒れ伏していた方向を向いていた。自分の手で屠ってしまった尊敬すべき老人に対する思いを、最後に形にしたかったのかもしれないと私は思った。私は彼に満面の笑みで、ありがとうと告げた。それに気づいた様子もなく、彼は再び化け物に向かい合った。

 

 これが最後の戦いになるのだろうと、私は根拠もなく夢想した。目の前の化け物を見て怖気づかない人間はいないだろう。それでも彼は立ち向かうのだろう。恐怖を乗り越え、終わりのない悪夢を終わらせるために。

 そして彼は、散歩の中で今日の天気を話すように何気なく告げた。

 

「きっと今日は、狩りに相応しい日だ」

 

 普段通りの変哲もない口調であったが、しかしそれは万感の思いが込められた言葉だった。今日で全てが終わるという確信に満ちた、そんな言葉だった。青年はゆるく握りしめたノコギリ鉈を片手に、自然体で一歩を踏み出す。

 

 彼の後姿を眺める内に、意識がだんだんと明瞭になっていくことを感じる。きっと私の夢もここで終わるのだろう。他人事のように思っていたけれども、いつの間にか彼に対して随分と感情移入をしていたなあと思い、それがどうにも愛おしく思えてきた。

 あなたのことを応援している、あなたの勝利を願っている、きっとハッピーエンドが訪れるって信じている。そう思って絞り出した声はきっと、やっぱり彼には届かないのだろうけれど。それでも、私は伝えたいのだ。

 

 

___あなたは悪夢に負けないよ

 

 

 そう、祈るように言葉を捧げた。

 いつも通りに彼が化け物へと挑み、狩りへと身を投じる姿が見える。その景色は遠ざかっていき、やがて私は夢から覚めていったのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 

 規則的に響く電車の走行音を目覚ましに、私は夢から覚めた。未だに意識は朧げではあるが、座席のほどほどに固い感触や耳を打つ周期的なリズム、春先の生ぬるい空気に五感が刺激されて此処が現実の世界であることをようやく意識する。

 まだ夢の中で感じた興奮や恐怖、安堵の感情が冷めやらないまま、私立月光館学園への転校手続きに関する書類や、巌戸台分寮への入寮に必要な書類を念のためにもう一度確認する。

 年頃の乙女にしては随分と少ない荷物をかき分けて目当ての書類を見つけ出し、書き漏らしがないことを確かめた。しかし、これらを今日中に提出することはできないだろう。ある程度時間に余裕をもって家を出たのは良いのだが、予想以上に遅延した電車のおかげで窓の外はすっかり暗くなっていた。この調子では目的地に着いた頃にはすっかり夜が更けているだろうし、今日中に手続きを終えることは不可能だろう。流石に今から宿を探すのは面倒なので、せめて寮に入れるように夜更かしが好きな寮生がいることを祈るばかりだ。

 

 現実的なことを考えていると、ふと先ほどの夢を思い出す。彼はあの後、どうなったのだろうか。彼は狩りを成就したのだろうか、それとも悪夢の底に飲み込まれてしまったのだろうか。所詮は夢に過ぎないはずなのに、私にはどうしても現実にしか思えず、真剣に彼の無事を祈っていた。

 そんな私の意識を遮るように、巌戸台駅への到着を知らせる電車のアナウンスが響いた。私は急に現実に引き戻され、慌ただしく荷物をまとめ、飛び出すように電車から飛び出したのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 巌戸台に降り立つと、駅前は雑然としていて、正直に言って汚かった。放置自転車が彼方此方に溢れかえっており、酔っ払いの怒号が響いている。不良っぽい学生がたむろして酒やらタバコやらを嗜んで、反社会的な青春を謳歌している。

 だいぶ夜も深まってきたのだし、普段ならもう少し大人しい街だろう。そうであって欲しいと願いながら、駅前に張り出されている周辺地図を眺めて巌戸台分寮の場所を確認すると、ここから更にモノレールに乗って人工島という場所に行く必要があることを知った。

 長い旅路に辟易としながらモノレールを乗りついで寮の最寄り駅に辿り着いた頃には真夜中になりかけていた。駅から寮までは近いようであるが、やはり夜は怖いものだ。夢の中でならば青年が常に一緒にいたために安心していられたが、現実の世界ではか弱い乙女が一人きりだ。愛用のウォークマンを取り出し、恐怖を誤魔化すようにイヤホンで耳を塞いでいそいそと歩き出した。

 意気揚々と軽快なビートを刻むはずのウォークマンはうんともすんともいわず、私は訝し気にウォークマンをいじる。充電はまだ大丈夫だったと思うが、どうにも起動しない。

 

 そこで私は違和感を覚えた。いくら何でも町が静かすぎるし、町の街灯は一つ残らず消灯しており、あたりには人っ子一人いない。それどころか成人男性ほどの大きさの棺桶が点々と歩道に佇んでいる。車も走っておらず、私だけが世界から切り離されたような、そんな奇妙な感覚に襲われた。

 そして、町が明るすぎることも不自然であった。明りの一切ない場所にしては、この場所は明るすぎた。人工的な光が一切消えたこの場所で、私を照らす光源など一つしか考えられなかった。

 

 私が空を見上げると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()が浮かんでいた。

 

 夢の中で嫌という程見続けてきた空が、現実の世界に広がっている。それだけでも私はどうにかなりそうだった。一体全体どうなっているのだろうか。今すぐにでも金切り声を上げて何処かへと走り去りたい気分だ。

 イカれてしまいそうな頭を押さえていると、視界の端に路地裏から飛び出してきたサラリーマン風の男を捉えた。そこでようやく正気を取り戻すことに成功し、私はその男に駆け寄り事情を尋ねようとした。この町では趣味の悪いデコレーションが流行っているんですよ、と男が答えてくれることを期待しながら。

 

 私は駆け出したが、すぐにその足を止めなければならなかった。目の前で、男が出てきた路地裏から黒い影のようなものが飛び出してきたのだ。すぐに影は男へと覆いかぶさり、短い悲鳴が上がった。その影は骨を砕き肉を噛みちぎる悍ましい咀嚼音を奏でだし、男の声はすぐに聞こえなくなった。

 私は蒼白な顔でその光景を眺めていた。影は男から流れ出した血液の一滴も逃がさないとばかりに収縮と膨張を繰り返し、全てを喰らい尽くした。やがて、その影の表面が泡立ちトゲのように逆立つと,それらは光沢のある毛皮になった。細かく位置を調整するように影は蠢くと、四足の獣のような姿へと変貌していき、顔と思わしき位置でギュルンと赤く光る眼球が姿を現した。

 ヨダレを垂らすだらしなく開いた口元、人間など一裂きでミンチにできそうな強靭な四肢、血と肉の死臭の漂った人間より一回り大きな体。高らかに遠吠えを上げるその生き物を私は知っている。

 その生き物は恐怖に震えて立ち竦む私に気が付くと、不細工な顔を喜色に歪めて駆け出してきた。その生き物は、紛れもなく夢の世界に存在したヤーナムの獣であった。

 

 恐ろしい。夢ではヤーナムの獣に出会った時には感じたこともなかった、身の毛もよだつような恐怖が襲いかかってくる。差し迫った生命の危機に私はどうすることもできないのだろうか。止まらない震えを押さえ込むようにして、()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()

 

 思わず放り投げてしまった荷物は私の後ろに転がっているだろう。今、私は何も手には握っていなかったはずだった。しかし、確かにこの手に何かが収まっている。

 冷たい鉄の硬さ、滑り止め程度に巻かれた包帯の感触。視線を下せば禍々しいノコギリ刃がギラリと月明かりを反射して鈍く輝いている。

 

 いつのまにか手にしている武器は、夢の世界で青年が振るっていたノコギリ鉈であった。

 

 あまりに不可解な出来事が立て続けに起きでパニック寸前であったが、獣に立ち向かう手段の出現にどうにか心の平静を取り戻すことができた。理由はなんであれ、武器があるのは僥倖だ。

 しかし、なんの変哲も無い女子高生が、こんな化け物を前に何ができるのだろうか。冷静になればなるほど自らの窮地を自覚してしまう。

 

 そうこうしている内に、獣は目前に迫っていた。

 獣の鋭く発達した爪が大きく振りかぶられる。

 

 私はただただ獣の凶刃が迫るのを茫然と眺めている。

 私は、このまま死ぬのだろうか?

 

 

____我ら血によって生まれ、人となり、また人を失う

 

 

 意識が嘗てないほどに研ぎ澄まされる。

 

 まるで長年染み付いた動作であるかのように、私は狩人特有の軽やかなステップで後ろに身を躱した。人外の膂力で振るわれた獣の腕が目と鼻の先を素通りし、空振りした腕の風圧だけが顔を掠めた。

 大振りの一撃を躱された為に、獣の体制が僅かに崩れる。数秒に満たない、常人には突く事の叶わない僅かな隙がそこにはあった。それは私にとっては充分な時間であった。

 

 素早く間合いに潜り込み、握りしめた刃物で切り付ける。獣のどす黒い血液を浴びながら、私は僅かな手ごたえを感じた。獲物の刃渡りの都合上、致命的な一撃を加えることが出来なかったのだ。

 力一杯にノコギリを振り抜くと、獣は慌てて後ろに飛び跳ねようとする。こちらは無傷で獣は深手を負っている。しかし、距離が離されれば私が不利になるだろう。私の獲物と獣の爪、どちらのリーチが長いかを考えれば、獣の優位性は確実である。ましてや俊敏性では間違いなく此方が劣る。

 現状の武器のリーチでは、逃げようとする獣に掠める程度の傷しか付けられないだろう。このままでは一方的に不利な展開に持ち込まれてしまうはずだが、私に焦りはなかった。

 

 

____新たな狩人よ、

 

 

 人の強さは原始的な暴力に依存しない。足が速い、腕が長い、力が強い。それらも一つの強さであることは認めている。その土俵では人間は決して獣に勝てないことも知っている。

 そして、ある種の悪意こそが人の強さであることも知っている。暴力をより効率的に、より狡猾に振るう知恵こそが人の持つ強大な力。連綿と受け継がれる、毒にも薬にもなりえる暴力の結晶が今は私の手の中にある。

 

 獣が飛び跳ねたその瞬間に、返す刀で()()()()()()()()()()()()

 

 カシャン、という軽快な金属音とともにノコギリ型の刃物が展開して、鉈型の刃物へと変形する。変形により倍に近いリーチを得た武器ならば、この間合いでも外さない。

 逃げるための体制をとっている獣ならば、反撃は間に合わない。私が刃を突き立てて、獣はただそれを受けるしかない。

 

 

_____かねて血を恐れたまえ

 

 

 肉をえぐり叩き斬り、頭蓋をかち割る甲高い音が夜の街に反響すると同時に、脳を打ち抜く湿った水音が聞こえる。不快としか言いようのない感触は、獣の命に手が届いた実感をこの上なく与えてくれた。

 力なく倒れる獣の姿を後目に、ノコギリ鉈を振るい、血を払う。カシャン、という作動音と共に元のノコギリ型の形状へと折り畳まれる。

 初めての狩りの経験に緊張し、未だに心臓がバクバク言っていることが感じられる。恐怖と興奮を訴えている鼓動が私の生存をより強く実感させてくれた。

 

 暫くすると興奮は冷め、色々と不安が込み上げてきた。私は()()になってしまったのだろうか。私は何と戦わなくてはならないのか。ここで武器を投げ捨てて逃げ出たら、私はいつも通りの日常に戻れるのだろうか。

 

 人の気配が消えた町、悍ましい赤い月、ヤーナムの獣、突然現れた武器。

 

 きっと、逃れられない運命の流れがあるのかもしれない。戦う手段を投げ出して忘れるように逃げ出しても、再び現れるかもしれない獣に為す術もなく殺されるだけだろう。私の取れる手段は、安全な場所に逃げ込むか戦うかの2択でしかない。

 夢の中で安全だった場所の殆どが壊滅した記憶のせいで安全な場所に逃げるという選択肢はないようなものだ。どんなに堅牢でも、絶対な安全は存在しないことは良く理解している。

 結局のところ、私は突然降って湧いた狩道具を頼りに、狩人として戦う術を身に着ける以上に安全な選択肢はないのだろう。あまりの憂鬱さに思わずため息がでる。

 

 気分を切り替えるために、私は大きく深呼吸すると、彼がよくそうしていたように空を見上げた。赤く、怪しく輝く大きな月を見つめていると、私は懐かしい気分になった。この月を通じて夢の中の青年と繋がっているような気がした。

 

「悪夢はまだ、終わっていないんだね」

 

 不思議と、この世界でも彼と会えるような気がした。根拠はないけれど、そんな確信が私の中に芽吹いた。

 本当に彼と会えたら、何を話そうかと考えると、段々とましな気分になってくる。あなたのことを夢に見ていました?ずっと会いたかった?なんだかメンヘラみたいな切り出し方で、少し吹き出してしまう。別に深く悩む必要はないのだろう。はじめは挨拶、次に自己紹介。あとは気楽に話せばいい。きっと楽しいに違いない。

 ついでに私の事情を話したら、彼も力を貸してくれるかもしれない。もし私が狩人になっちゃっても、彼と一緒ならばきっと大丈夫な気がした。私はとても気分が良くなったので、こう独り言ちた。

 

「きっと今日は、狩りに相応しい日だね」

 

 そうして私は寮へと歩き始めたのだった。

 

 




血濡れの刃物と服装をどうしようか悩むハム子ちゃんprpr

ペルソナ3とブラボやったの結構前だし、設定やストーリーがうろ覚え。
そもそもペルソナ3はキタローでしかプレイしたことないし・・・。
もう一回ゲームやり直してきます。(反省)

あと、連載することにしました。よろしくオナシャス。


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2. Dormitory

(無言投下)



 意気揚々と歩き出した私の頭を悩ませたのは、手に握った危険な刃物と返り血に塗れた制服であった。武装した女子高生という存在は2次元の世界ではありふれたものであり、そういうフェティシズムに需要があると聞いたことがある。そう考えれば、案外セーフなのではないかと血迷った考えが頭をよぎったが、すぐにふざけた案を棄却する。

 鉄臭い上に獣臭い血濡れた服に、血がベッタリとこびり付いた鋭利で大振りな刃物。言い訳の余地もなく危険人物まっしぐらであり、どこからどう見てもアウトだ。

 

 まず、武器は絶対に手放せない。狩道具なくして、今後も現れるだろう獣に対抗できるとは到底思えない。現状私の命を守る唯一の手段であるノコギリ鉈は、できれば肌身離さず保持する必要がある。もっとも、こんな大きな武器を携帯する方法もまた思いつかないために、このままでは銃刀法違反で捕まる方が先であろう。

 そういえば、夢の中で青年が物理的に不可能なサイズの武器を懐から出し入れしていたことを思い出し、私にもできないだろうかと思いつく。ノコギリ鉈が懐に収納されるように祈るが、いくら唸ってもそれが消えることはなかったので、とうとう諦めることにした。

 武器に関しては一先ずティッシュや布で丁寧に血をぬぐい、適当な衣類でぐるぐる巻きにしてからスーツケースの中に隠しておくことにした。一時的な対処に過ぎず、そもそも普段から持ち歩くことが出来ないので、この問題はいずれ絶対に解決しなければならないだろう。

 

 血濡れた制服については、もう捨てるしかない。ここまで汚れてしまったら何をしても血の跡は落ちないだろう。近くのコンビニのトイレでも借りて、持ってきた荷物の中から適当な私服を取り出して着替えると、脱いだ制服をビニール袋に詰め込んで道すがらのゴミ捨て場にこっそりと放置しておいた。今だけは人っ子一人いない不気味な町並みに感謝しながら、装いを新たに再び歩き出した。

 そして学校に来ていく服がなくなった訳であるが、制服は家に忘れました、と言い訳をして新しく買い直すしかない。財布は痛むし恥も掻くが、社会的な生存のためには必要な犠牲なのだ。そう自分に言い聞かせてはみたものの、暫く続くであろう節約生活を想像すれば、私は深く溜息を吐かざるを得ないのであった。

 

 

 

***

 

 

 

 歩き続けて早数分、私は巌戸台分寮にようやく到着した。未だに町は静謐さを保っているために、外と同じく寮には誰もいないのではないかという疑問が湧いて出る。ダメ元で扉に手をかけると、幸いにも鍵が開いていることに気が付いた。夜分遅くに失礼します、と一応断りを入れてから静かに扉を開き、足を踏み入れる。

 

 外と寮の境界線を跨いだ瞬間に、世界が反転するような眩暈がした。

 

 立っていられない程の吐き気を催しながら、壁に寄りかかって何とか堪える。頭の中を搔き乱されたような、むしろ、頭の中が泡立っているような悍ましい感覚に思わず脳味噌を掻き出したくなる。混濁した意識を辛うじて保ち、浅い呼吸を繰り返して眩暈と頭痛が収まるのを待っていると、男のしわがれた声が寮のロビーに響いた。

 

「血の匂いだ・・・。濃厚で、月のように芳醇な血の匂い。

 儂には分かるぞ。狩りに優れ、無慈悲で、血に酔っている。お主は良い狩人だ」

 

 姿を現したのは浮浪者然とした壮年の男性であった。目元を包帯で隠し、汚ない草臥れた服を身に纏っている不審者に警戒を隠せないが、それ以上に男の告げた単語に驚愕する。()()と確かに口にしたのだ。

 無精ひげを蓄えた口元を三日月状に歪めながら、悪いこと考えてますとデカデカ書かれている顔で男は喋りだした。

 

「ああ、狩人よ。何も恐れることはない。時は誰にでも結末を運んでくるものさ。たとえ、耳と目を塞いでいてもね」

 

 この男が何を言っているのか、そして何を仕掛けてくるかはわからないが、まずは神経を集中させて精神を統一する。毅然として歯を食いしばると眩暈が僅かに和らいでゆき、朦朧とした視界は辛うじて焦点が合ってゆく。未だに絶不調であることに変わりはないのだ。目元を伏せ、壁にもたれ掛かったまま浅く絶え絶えな呼吸を繰り返す。

 

「さあ、契約の証を受け取り給えよ。何も心配することはないのだよ」

 

 怪しさ満点の赤黒い液体がたっぷりと詰まった注射器を手に、壮年の不審者が近寄ってくる。見せつけるように注射器を軽く叩く不審者の姿は無邪気な子供のように、実に楽しげだった。

 

「何があっても・・・悪い夢のようなものさね・・・」

 

 男は薄気味悪い笑みを浮かべて、私の腕を舐めるように取った。余りのキモさに鳥肌が立ち、抵抗するように弱弱しく睨み付けてやると、注射器を振り上げた男は恍惚な表情を浮かべた。それを見た私は今こそが反攻の好機だと確信し、怠い体を無理やりに動かした。

 握られた腕を捻じるように振り払い、そのまま足首を力一杯蹴飛ばしてやる。男は情けない声を上げて転倒し、手から零れ落ちた注射器がパリンと割れると床に小さなシミを作った。急いで起き上がろうとする男よりも早く、私は大きく振り上げた脚を全力で振り下ろす。私を舐め腐った報いを受けてもらおう。

 

 ゴウ、と風を裂いて振り下ろされる渾身のストンプが男の頭に吸い込まれる。

 

 鈍い衝突音の後に、床と挟まれた頭部はボキンという嫌な音を奏でると、顔面が潰れて盛大に血を撒き散らした。

 倒れ伏した体を足で突いてみて、不審な壮年の男が沈黙したことを確認する。しかし息の根は止まっていないようであった。これは縛り付けてから叩き起こし、事情を根掘り葉掘り訊かねばなるまいと奮起した私は、ムンッと気合を入れ直して男を見下ろした。

 寮のホールの中、少女の声が私の耳を打ったのはその時であった。

 

「・・・誰!?」

 

 その声が届くと同時に、曖昧だった意識が覚醒する。僅かに残っていた吐き気と頭痛は見る影もなくなり、体調の不良は突然消え去った。床で血を流してへばっていた男も、転がっていた注射器の破片も、床のシミもいつの間にか消えており、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「この時間に・・・どうして・・・」

 

 声の出所に振り向くと、私はまたもや驚愕しなければならなかった。ピンク色のカーディガンを羽織った少女が拳銃を握りしめていたのだから。

 彼女の握る拳銃が本物であることを、モデルガンにしては重々しすぎる質感が教えてくれた。だが、実銃だとしても、それが私に向けられると決まったわけではない。それ格好いいね、ところで私のノコギリ鉈も見てよ、イカスでしょ。今の流行は武装系女子だよね、となって案外話が弾むかもしれない。なんて適当な冗談を頭に浮かべながら、私は彼女に声を掛けようとした。笑顔を浮かべて手を振って、そうして口を開こうとした時だった。

 

「動かないでっ!!」

 

 彼女はヒステリックに叫びだし、私を睨みつけると銃口を此方に向けた。今日は何度命の危険に晒されるのだろうか。世の中の理不尽さに嘆きを隠せない今日この頃であるが、目の前の危機を無視することはできない。

 何はともあれ、本日3度目の危機となれば幾分か冷静に行動できる。まずは視野を広く持ち、相手を観察しながら辺りを軽く見渡し、状況を確認する。

 ピンク色の彼女が握る拳銃は注視するまでもなく震えている様子が見て取れた。彼女は蒼白な顔をして、体は恐怖に竦んでいた。ぶつぶつと小声で独り言を呟いている様子からも冷静さは見られない。仮に彼女が引き金を引いたとしてもまともに狙いをつけられる状態ではないことが伺えた。これが演技ならば、彼女は主演女優賞を狙えるだろう。

 寮のロビーはかなり広かった。両者の間を繋ぐ空間に遮蔽物は一切なく充分な広さを誇っており、動きを制限するような要素は一切なかった。それに近すぎず遠すぎない互いの距離も私には丁度良いものであった。

 

 そして、()()()()()()()()()()躱せると理解した。

 

 気狂い達が振るうガトリングの乱射や、歴戦の狩人が放つ洗練され切った弾丸は如何に狩人といえど避けきれないだろうが、何の変哲もない正面からの銃撃は狩人を仕留めるには役不足だ。更に言うと、たかが銃弾の一発や二発で死んでしまう狩人は夢の世界には一人もいなかった。もっとも、私は凶弾に撃ち抜かれて無事でいられる自信は全くないし、それを確かめたくもないのだが。

 

 ともあれ何の気負いもなく、静かに銃口を見つめる。狩人の優れた反射神経と身体能力を以ってすれば、発射された弾丸を見てから回避することも決して難しくはない。私はただ、発砲の瞬間を見逃さず、いずれ訪れる弾切れを待てばよい。

 銃口を向けられても焦ることなくジッとしている私に痺れを切らしたのか、彼女は喉をゴクリと鳴らして目を大きく見開き、そして引金を絞る指に力が込め始める。私はそれを自然体で見つめている。時が来るのを待っていると、寮のホールの奥からコツコツと階段を歩く音が聞こえ始め、その音が段々と大きくなってきた。

 

「待て、岳羽」

 

 別の少女の声が緊張した場に割り込んだ。目線は逸らさずに視界の端へ意識を少しだけ割くと、赤い髪をした如何にもお嬢様風な少女が立っていた。

 

「・・・桐条先輩!」

 

 岳羽と呼ばれたピンク色の少女は、彼女が桐条と呼んだ赤髪の少女の闖入によって、幾らか冷静さを取り戻したようだ。ヤケクソ気味に銃をぶっ放そうとしていた彼女の手からは力が抜け、安堵のため息が口から零れ落ちていた。

 どこか安穏とした雰囲気が流れ始めたように感じた。やれやれと今にも言い出しそうな表情で腰に手を当て、ふぅと息をつくと軽く微笑む赤髪の少女。拳銃を下ろしはしないものの、視線を赤髪の少女に向けて笑みを返すピンク色の少女。紛れもなく彼女たち二人の気が抜けた瞬間であった。

 

 故に、弾切れを待たずして訪れた好機を私は見逃さなかった。

 

 瞬時に腰を低く落とし、滑るように素早く正面へとステップを踏む。一瞬にして目の前に現れた私に茫然とした表情を向けるピンク色の少女と、消えるように駆け出した私を驚いた表情で見つめる赤髪の少女を同時に視界に収めながら、スナップを利かせた手刀で拳銃を叩き落す。手の甲に走った衝撃に怯んでいる隙に、拳銃を遠くに蹴飛ばしておく。

 赤髪の少女にも目を配りながら、一歩後退して次の行動に備える。先ほど遭遇したヤーナムの獣や不審者のオッサンと比べると敵意や殺意が欠けているためか、やりずらさを覚える。しかし一度でも敵対した相手である以上、切っ掛けなしに警戒を疎かにすることはできないのだ。そうしていると、肌に感じる空気が変質するのを感じ始め、変化はすぐに訪れた。

 

 パチリ、と気の抜けた音を立てて電灯が付いた。

 

 不気味な赤い月から注ぐ光だけに照らされていた室内は、瞬く間に常識的な色合いを取り戻していた。完全な無音が支配していた町にも音が蘇っており、深夜の時間帯らしいラーメン屋台の気の抜けたメロディや、酔っ払いが気分良さげに歌う高らかな演歌などが遠くで聞こえた。町を覆い尽くす異界染みた様相は、一瞬の合間に一切合切消えて去ってしまった。

 

「灯りが・・・」

 

 思わずといったようにそう零したピンク色の少女を私が見つめていると、しまったと云う様に彼女は口を結んでしまった。居た堪れない空気が流れ始める間もなく、赤髪の少女が口火を切って話し始めた。

 

「あー、ゴホン。どうやら到着が遅れたようだね。私は桐条美鶴、この寮に住んでいるものだ。君は転入生だろう、ここへの入寮が決まっている手筈だったね」

 

 今日にして初めて話の通じる人間に会えた気がした。エキセントリックな反応を予想していた身として、常識的な対応をする彼女には恐縮してしまった。だがまあ、渡りに船とはこの事である。私は喜んで会話に応じた。

 

「はい! 今日からお世話になります、有里公子といいます! よろしくお願いします!」

 

 いつも通りの調子で笑顔を浮かべながら元気一杯に答えると、桐条さんは年頃の少女らしい笑みと共に話を続けた。

 

「ああ、よろしく頼むよ。君は確か2年生だったな。転校してきたばかりでは、色々とわからないこともあるだろう。困った時はいつでも頼ってくれ。

 それと、彼女は岳羽ゆかり。この春から2年生だから、君と同じだな」

 

 ピンク色の少女改め岳羽さんは紹介を受けてもモゴモゴと口を動かしては目線が泳いでいるだけであったが、私がよろしくというと、可愛らしくペコリとお辞儀をした。

 その様子に満足したような桐条さんは、続けて寮や学園に関してごく簡単に話してくれた。わかりやすい説明にフムフムと納得していると、何か質問はないかと親切に尋ねてくれる。折角なので、一番訊きたいことを訊いてみることにしよう。はいっと私が元気に手を上げると、どうぞと桐条さんは優雅に頷いた。

 

「なんで岳羽さんは銃を持ってるんですか?」

 

 少し空気の読めない質問であったのか、桐条さんの表情が一瞬ピシりと固まったように見えた。この疑問を解消しないことには安心して学園生活を送ることが出来ないので、是非とも答えて欲しいものだ。岳羽さんは冷や汗を流し焦った様子で言い訳を考えているようで、なんとか誤魔化そうという気概がヒシヒシと感じられた。

 

「えっ・・・あ~、なんていうか、趣味っていうか・・・」

 

 それは咄嗟に出た嘘にしか聞こえなかった。仮に本当でも、趣味で銃を人に向けるのは止めた方が良いと思った。狼狽える岳羽さんの言い訳はまだ続くようであったので、もう少し様子を眺める。

 

「あ、いや、趣味のわけないや。ええと・・・うぅ・・・」

 

 テンパってグルグルしている瞳には涙が滲み始め、限界を迎えてしまった岳羽さんを見かねたのか、桐条さんが助け舟を出した。

 

「世の中物騒だからな、護身用といったところさ。もちろん、弾が出るわけじゃない。

 なんにせよ今日はもう遅いし、長旅で疲れたろう。部屋は3階に用意してあるから今日はゆっくりと休むといい」

 

 ここまで露骨に誤魔化された以上、あの拳銃に後ろめたい事情があることは確定した。しかし私も懐を探られると致命傷に至るので、深くは詮索をしないでおこう。

 それに、疲れているのは事実だ。今日はあまりに色々ありすぎた。深夜を過ぎて眠くなってきているもの確かだし、ここはゆっくりと休ませてもらおうと思い、おやすみなさいとお辞儀をしてから階段へと向かう。私が部屋へと歩き出すと、何故か岳羽さんもくっ付いてきた。

 

「あっ、荷物。荷物運ぶの手伝うよ」

 

 同じ寮に住む者同士、コミュニケーションを取らないわけにはいかない。お互いの最悪に近い第一印象を拭う為だろう、岳羽さんは気さくな様子で優しさを見せてくれた。私も普段ならば有難いと思うところだし、険悪な関係でいるのは勘弁願いたい所である。しかし、今はマズイ。非常にマズイのである。

 

「だっ、大丈夫! 私、力持ちだから。それよりも案内をお願いしたいかなぁ~!」

 

 岳羽さんが手を伸ばす前に、急いで抱え込むようにスーツケースを持ち上げる。この中には素晴らしい危険物が隠されている。あのサイズの金属が入っているとなれば、重量に違和感を覚えられること請け合いだ。誤魔化すように、私はそそくさと階段を上りだした。

 

 当たり障りのない世間話としながら階段を上がると、一番奥の部屋が私の部屋だと告げられた。私は部屋に引っ込む前に、一つだけ忘れていたことを尋ねることにした。

 

「そういえばさ、一階にいた浮浪者みたいなオジサンって誰?」

 

 突然現れて襲い掛かってきたかと思えば、突然消えてしまった不審な壮年の男。もしかしたら寮と関係のある人物かと疑っていたが、薄気味悪そうに肌をさする岳羽さんの反応を見る限り違うようだった。

 

「・・・誰の事? ちょっと、やめてよ、そういうの・・・」

 

 岳羽さんは少し顔を青くしながら震え声でそう言った。予想通りではあるが、やはり彼女はあの男を認識していなかった。そしてホラーっぽい話が苦手そうであると、その反応から容易に推測できた。自室のドアノブに手をかけると、今度は岳羽さんが尋ねてきた。

 

「あの・・・ちょっと訊きたいんだけどさ。駅からここまでくる間、ずっと平気だったの?」

 

 恐る恐るといった様な彼女の質問に私はどう答えるべきかわからなかった。間違いなく平気ではなかったが、仔細を口にすれば精神の異常を心配されるだろう。私が悩みながら頭をコテンと傾けると、彼女は両手をブンブンと振って遮った。

 

「いやいや、全然大したことじゃないんだ。その様子だと、なんだか平気みたいだし・・・。

 えっと、ごめんね。あんま気にしないで大丈夫だから。じゃあ、おやすみなさい」

 

 そこまで言われると気になるが、彼女は私の反応を見ることなく立ち去って階段を下りて行ってしまった。それを見届けた後に、自室のドアノブを回して部屋の中に立ち入る。割り当てられた部屋の内装はシンプルでありながら広々としたものだった。ロビーのような絢爛な様子でなく、落ち着いた雰囲気に小市民である私は少しホッとした。

 荷物を端に寄せると、着替える気力も湧かずに私はベッドに倒れこんだ。ボスンという柔らかい衝撃に安らぎを覚え、私はふぅっと一息ついた。ようやく肩の力が抜けたようだった。今日は本当に色々あって疲れてしまった。大仏のように重たくなってきた瞼に逆らうことなく、私は深い眠りに落ちていくのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 翌朝、どんどんと扉を叩く音で目が覚める。

 

「岳羽ですけど、起きてる?」

 

 微睡みに揺蕩う感覚が心地よく、生返事を返すと扉がガチャリと開いた。扉の先にいる岳羽さんは既に学園にいく準備が整っているようで、頭の天辺から爪先までバッチリ決まっていた。一方の私はボサボサの髪の毛に皴の寄った私服姿がだらしなさを演出している上に、昨日お風呂に入り損ねたせいで少しだけ、ほんの少しだけ体が臭い。

 一切の女子力を感じさせない私の有様に、彼女は仕方がないなぁという表情を浮かべていた。

 

「おはよう。昨日はそのままベッドに倒れちゃったみたいだね。まだ時間に余裕あるし、シャワーでも浴びてきたら?」

 

 そういうと、岳羽さんは私の手を引っ張ってお風呂場まで案内してくれた。当然であるが、洗濯機やシャワーに台所、そして冷蔵庫などの諸々の設備は共用のものである。お風呂場まで案内して貰う道すがら、それらを利用するルールを教えてもらう。お風呂場につくや否や、彼女はシャンプーやら化粧水やらをテキパキと用意してくれた。彼女は意外と面倒見の良い質なのかもしれないと思った。ありがたやありがたやと拝む私に、やめてよと彼女は照れた様子で頬を掻いていた。

 

 そんなこんなでシャワーをパパっと浴びてさっぱりした私は、一つの重大な問題を思い出した。

 

「どうかした? もしかして化粧水合わなかったかな」

 

 どよーんとした顔をする私を心配して彼女は声を掛けてくれるが、それは大丈夫だったと伝える。私は肌や髪のケアに拘りがない方だ。それはそれで心配だと、彼女は頭を抱えて溜息をつく。

 私は彼女に相談すべきだろうか。なんというか、それを告げると自分が間抜けに見えるので非常に恥ずかしいのだ。しかし始業式を迎えた今日となっては、この問題は避けようのないものであった。どうせ隠し立ては出来ないので、意を決して自分の過失を告げた。

 

()()()()()()()()()()()

 

 そう告白する私を、岳羽さんは呆れたようにジトっと見つめていた。

 

「・・・予備の制服、貸そっか?」

 

 私はその制服を受け取ると、心優しい彼女に多大な感謝を捧げたのだった。

 




ハム子ちゃんカワイイヤッター!
でも血生臭さが足りないだろ、もっと内臓ぶち撒けろよホラホラ。(欲求不満)

好き放題書いてるので細かい点や辻褄合わせは殆ど考えてないです。大まかな設定や展開は考えてるけど、実際に書いてみると難しいねんな。
今のところペルソナ3をもう一回プレイしながら書き進めているので、不定期で更新していきます。

感想や評価、お気に入り登録をありがとうございます。
ペルソナ3とブラボが好きな人を近くに感じられて嬉しいです。
色々とガバガバな小説ですが、何卒よろしくお願いします。


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3. Break Out the Veils

人の心の奥底には、悍ましい獣が潜んでいる



 転校初日は、実に何事もなく過ぎていった。

 

 私は岳羽さんに学校まで送り届けたもらった後、彼女は新しいクラスに、私は職員室へと向かった。そこで鳥海先生に諸々の説明を受けた後、始業式に参加し、そして今後一年間過ごす教室でホームルームに出席する。昨日の波乱万丈な出来事から一変したよう平穏な一日は、派手さや華々しさこそないものの、とても心地よい安心感があった。

 あまりの安心感に微睡んでいると、いつの間にホームルームは終わっていたようで、各々が放課後を謳歌すべく好き好きに行動を始めていた。私も何処かに遊びに行こうか、それとも校内を散策でもしてみようかと、机の上に頬杖を突きながらボーっと考えてみる。

 そうやって時間を浪費していると視線を感じ、此方に歩いてくる足音が聞こえてきた。

 

「よっ、転校生! 初日から眠そーじゃん、元気してる?」

 

 青いスポーツ帽子をかぶり、高校生らしからぬ顎髭を生やした少年が陽気な口調で話しかけてきた。眠気が覚めやらぬまま、私は軽く手を振って元気さをアピールする。

 

「あー、・・・大丈夫か? まあ、実はオレも中2ん時、転校でココ来てさ。転校生って、いろいろと一人じゃわかんねえじゃん? だから不安がってないかなってさ」

 

 どうやら彼は、転校したてで右も左もわからない私を心配してくれているようだった。頭をガシガシと掻きながら、目線を彷徨わせる彼をしげしげと観察していると、岳羽さんが話に加わってくる。

 

「まったく、相変わらずだね・・・。女の子とみりゃ馴れ馴れしくしてさ。ちょっとは相手のメーワクとか考えた方がいいよ?」

 

 岳羽さんと髭の彼は友人同士の様で、気負わない関係性が声の調子から感じられた。因みに、彼女と私は同じクラスに在籍している。周りの人間を誰一人として知らないために、顔見知りの彼女が居てくれるのは心強かった。

 

「な、なんだよ。ただ親切にしてるだけだって」

 

「ふうん、なら、いいんだけど。じゃ私、弓道部の用事あるから行くけど。順平、この子に手出したりしないでよ?」

 

 アタフタとしつつ応答する彼を咎めるように見つめ、岳羽さんは教室を後にした。それを見送ると、彼は子供のような不貞腐れた顔で、怖い怖いと大袈裟な身振りでおどけていた。

 

「あの方、保護者か何か」

 

 茶化すような彼の指摘が思いのほか的を射ていたため、私はクスリと笑みを溢した。岳羽さんは中々面倒見が良い性格をしていることは今朝に知っていたが、どうやら少し過保護な一面もあるようだった。

 

「あっ、言っとっけど、マジでヤマシイつもりはないからさ。何か困ったこととかあったら、いつでも相談してくれよな!」

 

 キラーン、と効果音が聞こえてきそうに白い歯を見せつけて親指を突き立てると、彼は颯爽と教室から歩き去っていった。正直なところ、頼るのならば同性で同じ寮に住んでいる岳羽さんに頼る心積もりであったが、折角の親切を無碍にすることもない。何かがあったら、彼を訪ねることもあるかもしれない。

 そこでふと、まだ彼の名前を知らないことに思い至った。しかし明日にでも訊けば良いことであるので、私は悠々と帰路についたのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 学校が始まってから数日経ち、私はすっかり新しい生活に慣れ始めていた。ここ最近はクラスメイトと親交を深めたり、岳羽さんと一緒に学校付近のショッピングモールへ遊びに行ったりと、充実した毎日を送っている。今日も一日が無事終わり、明日に備えて自室でゆっくりと休んでいた。そして、だからこそ思い出すことがあった。

 楽しい日々が続くからこそ、平穏な日々が愛おしいからこそ、狩人として目覚め、初めて獣と刃を交えたあの夜を強く思い出してしまうのだ。青ざめた空に浮かぶ赤い月、ヤーナムの獣、怪しげな男。自分が渦中にいる運命の全貌は未だに全く掴めていない。

 

___私は、どうすればいいのかな

 

 部屋にコッソリと隠しているノコギリ鉈を取り出し、込み上げてくる不安を誤魔化すように、刀身を優しく撫ぜる。窓から差し込む月明かりに照らされてギラギラと鈍く輝く狩道具に自分の顔が映り込む。自分を見つめる二つの赤い瞳は、心細さに揺れていた。

 

「こんなことじゃ、駄目なのになぁ・・・」

 

 私は大海原の真っ只中で一人迷子になってしまった気分だった。何処に向かえば良いのか、何を考えればいいのか、誰に頼ればいいのか。少なくとも、手に伝わる硬質な金属の感触は私を導くことはない。本当に何もわからなくって、それが少しの焦燥と不安を駆り立てている。

 きっと、私はがむしゃらに走り続けるしかないのかもしれない。時には疲れて休んでしまうこともあるだろうけど、そうしていれば、いつかは自分の為すべきことが見えてくるかもしれない。今は、信じ続けるしかないんだ。そう自分に言い聞かせる。

 

 窓の外をふと見上げる。今夜も青ざめた空に浮かぶ大きな月は世界を赤く染め上げようとしていて、私がどれだけ悩んでも変わらないんだと威張っている様に見えた。

 なんにせよ、手掛かりとなる情報が全くないのだ。これ以上悩んでも進展しないのであれば、時が満ちるまでに出来ることをすればよいだろう。今夜はなんだか眠る気分も失せてしまったので、帰りに買ってきた柔らかい布と研磨剤をビニール袋から取り出し、私は今後お世話になるだろうノコギリ鉈をじっくりと磨き始めたのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 巌戸台分寮の4階にある一室の中、閉め切った薄暗い部屋の中で明るく輝くディスプレイの前に桐条は腕を組んで立っていた。ディスプレイには部屋でくつろいでいる有里の姿が映っており、桐条は一挙一動も見逃さぬと画面を凝視していた。

 部屋の片隅に置かれていたラジオからは、最近巌戸台周辺で話題になっている疾患を懸念するトークや、桐条グループの系列会社に関する露骨なマーケティングが垂れ流されていた。時計の針が0時を指そうとするまで後少しとなった所で、軽快なミュージックに載せて番組の終了が告げられた。

 

「KJ プレゼンツ、The Bay Happy Tuners、えー、来週もまた、この時間にお会いしましょう。この番組は、人に・永遠の・快適時間、桐条エレクトロニクスの提供でお送りしました。0時です」

 

 0時を知らせるアナウンスと同時に、電源を消したわけでもないのにラジオがぷっつりと途切れる。暫くすると、ガチャリと部屋の扉を開けて岳羽が中に入ってくる。扉の奥に見える廊下は、まだ電灯がついていた筈だったが、まるで停電のようにそれらも消えてしまっていた。

 しかし、部屋の中を薄暗く照らすディスプレイは消えることなく、変わらずに有里の姿を映していた。彼女は監視カメラに盗撮されていることに気付いた様子はなく、岳羽と桐条はそれを眺めて話し始める。

 

「お疲れ様です。あの、どうですか。有里さんの様子は?」

 

「相変わらず、平然として起きているよ。やはり"影時間"に適性があることは確かなようだ」

 

 "影時間"、毎晩0時になると訪れる隠された時間。普通の人間は棺のようなオブジェに姿を変えて、この時間が存在することを認識することすらできない。影時間の中で動ける人間はごく限られた数であり、彼女たちの存在は稀有なものであった。そして仮に影時間の中で動ける適性があったとしても、日常の外側に潜む時間に迷い込んだ人間は得てして不安定になるものだ。最初のうちは桐条たちも取り乱したり、記憶の混乱が見られたものだ。

 

「・・・しかし、彼女は何故あんなに物騒な刃物を持っているんだ? 直接話して没収すべきか、それとも暫く監視を続けるか」

 

 女子高生が所持するには、それどころか正常な人間が所持するには似つかわしくない暴力的な刃物を優しい瞳で撫でている有里の姿は、桐条と岳羽の目から見ても異常にしか映らなかった。とはいえ彼女たち二人も、世間一般と比すれば異常な人間に分類されるのだ。武器の保有についても、自分たちだって人の事は言えない。

 岳羽もそれを自覚しているのか、それよりも大事な問題があるという意識が絶えず頭をよぎっており、おずおずと桐条に進言した。

 

「あの、やっぱり・・・良くないですよね。今からでも、監視してたことを謝って、直接事情を話したほうがいいんじゃ・・・」

 

 有里の監視は、当然のように無許可であった。自分が事情を説明された時や勧誘された時は、もっと穏やかに事が運んでいただけに、有里を謀ってコソコソとする方法を岳羽は許容しかねていた。しかし、有里の事情は岳羽とは違うのだと、言い聞かせるように桐条は答えた。

 

「・・・そう言ってくれるな。私だって、こんな真似を続けたくはない。だが、有里は普通じゃない。影時間の中でも全く取り乱さないどころか、むしろ落ち着いている。

 それに、彼女の来訪と影時間の変貌は無関係とは思えない。私たちは、・・・彼女を見極めなければならない」

 

「それは、わかってますけど・・・」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それがある日突然、月は血のような赤色に変貌し、空は血の抜けたような青白さに覆い尽くされてしまっていた。そして、その変化が訪れた日は有里が巌戸台分寮に現れた日でもあった。これが何の関連性もない偶然だとは思えないだろう。この疑わしい関係と有里本人の異質さのために、桐条たちは様子見に徹するという選択を取らざるを得ないのだ。

 辛い沈黙が薄暗い部屋の中を蔓延する。桐条は現状を割り切っている様子だが、岳羽にとっては違うようだった。体調が優れないので、今夜は部屋に戻らせてください。良心の呵責に耐えられず、そう言って仮病を使ってでも休ませてもらおうと岳羽が思いついた時だった。ピコーン、と外からの緊急呼び出し音が鳴り響く。

 

「こちら、作戦室だ。・・・明彦か、どうした?」

 

 桐条が音声の通話を繋げ、マイクに向かって呼び出し元の状況を訊きだす。明彦と呼ばれた少年の興奮した声がスピーカーから流れた。

 

「凄いヤツを見つけたっ! これまで、見たこともない奴だ!! ただ、あいにく追われていてな・・・もうすぐそっちにつくから、一応、知らせておく」

 

 部屋の空気が凍り付く。

 

「それ・・・奴らがここに来るってことですか!?」

 

 岳羽が動揺するのも無理のない話だ。桐条と明彦とよばれた少年は実戦経験がある一方で、岳羽は一切奴らに挑んだ経験がない。しかも、向かって来ている奴は少年ですら見たことがないという程の相手だ。

 なんにせよ、最早こんなところで時間を潰すような猶予は存在しなかった。二人は急いで階段を駆け下り、寮のロビーで少年が帰ってくるのを待った。

 一分もしないうちに、扉が蹴破られたかのように激しく開いて一人の少年が転がり込んでくる。口の端から血を垂らし、息も絶え絶えといった具合で肩を上下させている彼は、キラキラと瞳を輝かせて喋りだした。

 

「おい、すごいのが来るぞ。見たら、きっと驚く」

 

「面白がってる場合か!」

 

 場の空気を全く読まない無責任な発言に、桐条が憤慨する。悪びれる様子もなく、少年は楽し気な様子であり、桐条はそれを見てこれ以上問い詰める事を諦めた。

 そして直ぐに、追跡者は寮に到着した。大型トラックでも突っ込んできたのかと疑うような衝撃が寮を襲う。地震とは違う、明らかな衝突音が響き渡る。桐条はこの場にいる誰よりも早く対応策を考え、すぐさま岳羽へと指示を飛ばす。

 

「岳羽! 君は上にいる有里を連れて、裏から逃げるんだ!」

 

 桐条は戦闘経験のない岳羽と有里を逃がすことを優先した。ここで迎え撃つ以上、不確定な戦力には離れてもらった方が互いのためになる。それを岳羽も理解して、階段へ駆け出した。

 

「・・・っ、わかりました。先輩たちも、ご無事で」

 

 去っていく岳羽を見届けると、桐条と少年は腰に下げた銀色の拳銃を手に取って臨戦態勢を取った。ピリピリと緊張し真剣な面持ちの桐条とは対照的に、少年は危機感の足りない様子だった。

 

「さて、俺たちはどうする、美鶴?」

 

「ここで何としても食い止める。明彦、つれてきたのはお前だ。責任は取ってもらうぞ」

 

「奴らの方が勝手についてきたんだ! まったく・・・」

 

 軽いやり取りをしていると、扉から敵が雪崩れ込んでくる。二人は()()()()()()()()()()()()()()、躊躇いなく引き金をひいた。

 

 

 

***

 

 

 

 寮が大きく揺れ、ズウンという重苦しい音が建物を反響した。ちょうどノコギリ鉈を磨き終わり、ホットミルクを淹れて月でも眺めようかと思っていた時の事だった。その時、私は運命の歯車が動き出す気配を感じ取った。

 今夜、何かが起こるという確信めいた虫の知らせに従って、私は動きやすい服装に着替えると、丁寧に磨いたノコギリ鉈を手に取った。裸で持ち歩くわけにもいかないので、隠して持っていけるように丁度いい大きさのスポーツバッグにしまい込む。こんな時のために買っておいて良かったと思う。

 いざ、文字通り人気のなくなった街へ繰り出そうと、バッグを肩にかけて扉に向かった瞬間、大きな音を響かせて扉が乱暴に開いた。

 

「ゴメン、勝手に入るよっ!」

 

 開いた扉から飛び込んできたのは岳羽さんであった。彼女はいつものピンクのカーディガンを羽織った制服姿であったが、それに似合わぬ仰々しいヒップホルスターと、それにささっている銀色の拳銃が目を引いた。

 

「悪いけど、説明している暇ないの。今すぐ、ここから出るから!」

 

 彼女は私の手を引っ張り部屋の外へと駆け出した。ここ数日で彼女が信頼できる人物であることは確認できており、私は本当に緊急事態なのだろうと察した。

 廊下を駆け出し階段を降りだすや否や、岳羽さんは耳に手を当てて小声で何かを話し始めた。彼女の制服の襟にマイクがくっ付いていることから、誰かと通話しているのだろう。彼女は突然驚いた表情で、マジですか!? と叫んで足を止めた。それと同時に階段の下の方から窓ガラスの割れる音と、それに続いて何かが入り込む音が聞こえる。

 

「ヤ、ヤバッ! ゴメン、上に急いで!」

 

 階段の下の方に何かがいるのだろう。獣であるようなないような、どちらにしろ怪しい気配を私は感じた。岳羽さんの走る速度に合わせて、私たちは踵を返して階段を駆け上がった。

 

 

 

***

 

 

 

「ふぅ、鍵も掛けたし、一先ずは大丈夫かな・・・」

 

 屋上まで逃げ込んできた私たちは入口のドアに鍵をかけて、開けた空間に陣取っていた。岳羽さんは一息ついているようだったが、こんな薄っぺらな扉程度なら私でも蹴破れるので安心するのはまだ早いと思う。

 それに、ここは建物の外だ。律義に階段を昇るまでもなく、ここまでくる方法は他にもある。

 

 それを証明するように、柵のない屋上の縁に一本の腕が掛かる。

 

「嘘ッ・・・! 外を登ってきたの!? そんな、嘘で、しょ・・・」

 

 野太い腕が一本、また一本と屋上に這って出てくる。それらがグイと力を入れ、本体が屋上に姿を現す。その宇宙的恐怖を湛えた冒涜的存在の姿に、私と岳羽さんは言葉を失うほかなかった。

 大量の人間の死体が結合したような胴体から、テラテラした粘液に覆われた人骨の上半身が生え、それは瞳のない空っぽの眼窩を私たちに向けていた。重たそうな胴体を持ち上げようと、無造作に生え散らかしている乾いて黒ずんだ腕は屋上の縁を健気に掴んでいる。一本だけ投げ出されている巨大な腕は、人間の腕と脚が複雑に絡み合ったような悪趣味な造形をしていた。そして胴体には白くブヨブヨとした脂がへばり付き、その隙間からは名状しがたい汚濁が絶えず流れている。

 悪夢の底から生まれ堕ちたような悍ましい化け物の姿は、まだ完全には姿を現していない。多腕の化け物の体が屋上に登りきっていない今ならば、少ないリスクで先手を取れる。私は手元のスポーツバッグから中身を取り出し、体を屈めて足に力を込めた。ノコギリ鉈を右手に構え、風を切って前へ駆け出す。

 化け物は屋上に体を乗り出すために腕を多く使っているためだろうか、一本の腕だけが私を迎え撃った。それを悠々と躱しながら、すれ違いざまにノコギリで肉を切り抉り、見上げるほどの大きさの胴体まで接近した。見るからに本体らしき骸骨には手が届かないので、仕方なしに目前の胴体に狙いをつける。

 胴体を深く切り付けると寒気のする気色悪い感触が武器を越して手に伝わってきた。腐りきってブヨブヨになった肉を切り裂いたズブリという異様な柔らかさ、スカスカな骨が折れ、糸のような繊維がプチプチと千切れる感触。傷口からは膿が破裂したように黒々とした血液が溢れ出し屋上を汚していく。

 これが小さな相手だったら決着が着いたかもしれないが、相手は巨大な化け物だ。この程度の傷など気にしないと言わんばかりに他の腕を振り回して私を追い払おうとする。私もこれ以上密着しても危険なだけであるため、距離を取って体制を立て直す。

 

 私が次の行動に移る間も無く化け物はとうとう全身を屋上へ表した。鼻をツンとつく刺激臭を発する吐瀉物のようなドロドロの体液が地面に広がると、ジュワジュワと不快な音を立てながら蒸発して消えていった。黒いシミだけを残して消えていった体液が危険であることは明瞭であった。

 次に近寄るタイミングを計りかねていると、化け物の周辺に赤い雲が渦巻き、そこから血の砲弾が放たれた。サッカーボールほどの大きさをした血の塊らしきグロテスクな砲撃を軽々と避け、敵の行動を分析する。

 雑に振り回す多腕は冷静に見ていれば安易な軌道を繰り返すだけで、ある程度近づければ再度懐に飛び込むことは難しくはない。えげつない大質量を持つだろう一本の巨大な腕は、その大きさに比例して鈍重な動きをしている。常に巨腕の逆側を意識して立ち回れば脅威にはならない。そして血の砲弾は前兆が明らかな上、さしたる速度でないために、前兆である赤い雲にだけ注意を払えばよい。

 これで全てではないだろうが、これらの情報である程度の行動予測は出来るようになった。あとは立ち回りのために地形の確認が必要だ。巌戸台分寮は豪華な出で立ちに見合った広大な屋上を備えているようで、私が大きく動き回っても足を踏み外すことはない。万が一を考え、退路も確認するために屋上の入り口に視線を向けると、()()()()()()()()()()()()()()()()()。岳羽さんはもう逃げているだろうと思い込んでいただけに、私は自分の不注意を呪った。

 

「岳羽さん! 危ないっ!」

 

 岳羽さんに迫る危機を伝えるために、声を張り上げる。彼女は脂汗を滝のように流しながら、大きく見開いた眼を痙攣させ、荒々しく呼吸をする口からは涎が垂れ、目の前の冒涜的存在に脳液が沸騰しているかの如くだった。恐慌状態に陥っている彼女は拳銃を胸元に掻き抱き、真冬に裸でいる様にガタガタと震えた体で身を竦ませていた。そんな彼女に向かって、今まさに冒涜的な血弾が発射されようとしていたのだ。

 動けそうにない岳羽さんのもとへ駆け寄り、気遣う余裕もなく突き飛ばす。眼前に迫る穢れた塊は最早躱せる余裕などなく、故に全身全霊を込め、ノコギリ鉈を変形させながら尋常ならざる速度で縦に振り下ろす。リーチが伸びて遠心力が加わった長物の鉈がグロテスクな血弾を切り裂き、目の前で真っ二つに飛び散り、私の左右へと飛散した。

 顔を庇うために掲げていた左腕に幾らかの飛沫がかかり、ジュウジュウと嫌な音を立てながら皮膚を腐食する。焼けるような痛みが走るが、我慢できない程ではない。一方の岳羽さんは遂に悍ましい現実の光景に耐えることが出来なくなった様で、プツリと糸が切れるように気絶してしまっていた。

 そして、私は地面に転がっている拳銃に目を付けた。岳羽さんの私物だろうが、どうせ彼女は戦える状態ではないだろう。緊急事態故に手札は一つでも多く欲しく、この武器は私が有効活用させて貰う。一応、一言断りを入れてから手を伸ばす。

 

「これ、借りるね」

 

 銀色に輝く拳銃を拾い上げ左手に握った瞬間、私の中でナニカが胎動するように感じられた。人間の世界とは相いれない、遥か異次元の存在を垣間見たような、奇妙な異物感。知るべきではない啓蒙的真実を耳元で囁く得体の知れない幻聴が、理解できない音の羅列を繰り返している。

 この拳銃の使い方を、私は知っている。未知である筈だと訴えかける頭を、私の中に流れる血が否定する。握りしめた冷たい金属の感触が冒涜的な叡智を目覚めさせてくれる。だから迷いもなく、私はこめかみに銃口を突き付ける。引き金にかかった指が、撃鉄が落ちる瞬間を今か今かと待ちわびる。

 

 深淵からの呼び声に応え、私はその名前を唱えた。

 

 

____ペルソナ

 

 

 引き金をひけば、パリンというガラスの破砕音に似た鋭く甲高い音が頭蓋の中で反響する。青白い燐光をブワリと舞い散らせながら強い風が轟轟と吹きすさぶ。風が収まっていくと同時に、ヒト型の怪物が周囲の光を掻き散らし、威風堂々と現れた。

 その怪物は無数の棺桶を鎖で繋いで背負っており、体にぴったりと張り付いた黒衣を夜風にたなびかせていた。携える一振りの刀は武骨としか言いようがなく、研ぎ澄まされた獣性を感じた。そして、鳥の頭蓋を模した()()()()()()()を被り、深く窪んだ眼窩から暗い瞳が獲物を求めて爛々と輝いているようであった。

 

 耳をつんざく、怪物の産声が夜の闇に響き渡る。

 

 怪物の心地よい咆哮に、私は口元を歪める。次第に、私と目の前の怪物の精神が徐々に同化していく。蕩けていく脳髄は意識と感覚を鈍麻させる。それと引き換えに、言いようのない全能感が全身を駆け巡った。だから私は、()()()()()()()()()()()に手古摺っていたことを、不思議に思ってしまう。

 

 怪物は私の想像したとおりに動いてくれる。獣のように鋭敏化した神経は、時間が止まったかのように周りの風景を後ろに置いて行き、一瞬にして奇怪に蠢く化け物の目の前に躍り出る。

 化け物が突き出している腕は全て捻じ切って、胴体を引き摺る巨大な腕を一閃して根元から断ち切る。支えを失った体は無様に地を這いつくばり、碌な抵抗の出来ない肉の塊へ思う存分に刃を叩き付ける。

 あっというまにボロ雑巾のような姿になった化け物はしぶとく生き残っているようで、苦し気に呼吸をするよう小さく脈動していた。()()は高揚する精神に任せて、獲物を甚振る様に刀で突き刺し、ノコギリで抉り、叩いて蹴って砕いて潰して、玩具が壊れる寸前まで暴力を尽くした。

 しかしお楽しみの時間は何時までも続かず、やがて飽きが来てしまった。辛うじて形を残していた本体らしき骸骨を力一杯踏みつぶすと、化け物の残骸は大きく吹き飛んで、血の雨を降らせながら青い霞と共に彼方へと消えて行ってしまった。

 

 勝鬨を上げる仮面の怪物は、月を見上げて獣のように咆哮する。血に酔いしれた頭でそれを眺めている私は、いよいよ怪物と自分との境目が曖昧になっていく様を自覚していた。私は、私ではない何かが自分を塗り潰してしまうような気がした。このまま力に溺れ、何もかもを壊してしまうのも悪くないじゃないか。そう、怪物が囁いたように感じた。

 ギリギリの境界線で、目が覚めるように気が付く。気の赴くまま血に酔いしれる自らの醜態に、悪辣に敵を甚振る誇りなき自らの振る舞いに。全く働く様子のなかった脳味噌は、ただの事実として、獣染みた私の姿を如実に想起させた。自身の澱みを掻き消すように、そして自ら選び取った道を確かめるように、赤心からの叫びが湧き上がってくる。

 

「私は、決して・・・血に飢えた獣じゃないっ・・・!」

 

 確かな認識と共に、私と怪物が明確に分離される。初めてのアルコールにやられてしまったような質の悪い酩酊感はすっかり覚め、根拠のない万能感は露と消えうせていた。その代わりに、強い意志に満ちた魂が私の体を支えてくれるのを感じた。

 

「・・・私はッ・・・、狩人なんだ!!」

 

 そうだ、私は狩人だ。獣を狩り、そして悪夢に立ち向かう者。血によって人を失う可能性に怯えながら、それでも自らの意志に従って進む()()なのだ。

 私は大きく深呼吸をする。自身の決意を確かめるように、狩道具を強く握りしめる。もう迷いはなかった。だから、

 

「お前は、消えろ」

 

 私の奥底に潜んでいた異形へ、決別の言葉を告げた。

 

 それを受け入れるように凶暴な獣性は鳴りを潜め、仮面の怪物は沈黙した。ゆっくりと白い光を伴って、あるいは月夜に体を溶かし込むように、怪物の姿が霞んでゆく。

 その姿を見届けると、唐突に疲れが体から吹き出てくる。まっすぐ立ってすらいられず、両膝を突いて屋上に倒れ伏す。暗転していく視界が完全に閉ざされる直前に、懐かしくも温かい声が労いの言葉をくれたような気がした。私はその声に安心して、深い眠りへと落ちていったのだった。

 

 




ハム子「ペルソナなんて必要ねぇんだよ!」

まさかの主人公ペルソナ縛り。プロット通りでも正直ちょっと不安・・・。
まあ、あんまり原作通りだと詰まらないし、多少はね?

それと、九月の中旬まで滅茶苦茶忙しいので、真面目に続きを書けるのはそれ以降になりそうです。
楽しみにしてくださっている方には申し訳ありませんが、気長に待っていてくだされば幸いです。


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4. Sweat Dreams

ーーー良い夢を



夢の中に落ちていった意識は、深い暗闇の底を彷徨っていた。

 

___・・・さま

 

 微かな声が聞こえる。何処か愛嬌を感じる、老いた男性の声。誰かを呼んでいるようだが、あまりに小さい音で殆ど聞き取れない。

 そんな最中、私はまるで深い海の底に墜ちていくのような感覚を味わっていた。いや、本当に下に向かっているのだろうか。海面に浮上しているようにも感じるし、はたまた流れに翻弄されて遠くに向かっているようでもある。視界が暗くて何だか良くわからないが、不思議と嫌な感じはしない。

 

___・・・有里・・・公子さま

 

 次第に声が鮮明になっていく。その声は私の名前を呼んでいるようだった。それに気づいた矢先、瞳に一筋の光が差し込んでくる。自分の流されて行く先に、私は青白く輝く扉を見つけたのだ。みるみる内に目の前に迫る扉を前に、衝突に身を備える。しかし衝撃は一向に訪れず、やがて私は目も眩むような目映い光に包まれた。

 

 

 

***

 

 

 

 眩んだ瞳が落ち着いた頃、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。いつの間にか椅子に腰を掛け、視界には見知らぬ部屋が映っていた。大きな時計のかかった部屋の壁は格子のようで、隙間からは風景が下に流れていく様子が見て取れ、そして機械的な駆動音が部屋の上昇を告げていた。広々とした部屋でありながら、エレベーターのようでもある奇妙な部屋に私はいた。

 目の前のラウンドテーブルの奥には、膝に肘を立てて青いソファに腰かける鼻の長い老人がいた。老人はピシっとした黒いスーツを纏っており、ギョロリした目玉を此方に向けていた。

 

「ようこそ、ベルベットルームへ。私の名はイゴール。・・・お初にお目にかかります」

 

 イゴールと名乗った老人が会釈をする。老人の両脇を固めるように立っていた銀髪金眼の美男美女もまた、人形のような精密さでお辞儀をする。私はとりあえず会釈を返し、思ったことを口に出す。

 

「ここは、夢?」

 

 モヤモヤとした白い霞が掛かったような感覚。どこか他人事のように自分を俯瞰する、体から剥離しかけた意識。私にとって覚えのありすぎる状況だった。半ば確信めいた疑問に、老人が答える。

 

「正確に言うならば、ここは夢と現実、精神と物質の狭間にある場所。そして、何かの形で契約を交わされた方のみが訪れる部屋でもあります」

 

 なるほど。言ってることは意味不明だが、ここが現実の世界でないことは間違ってはいないようだ。それと同時に、自分が座っている椅子の感触や五感を刺激する部屋の環境が、ここは夢でもないことを教えてくれる。何とも奇妙な感覚だが、夢と現実のはざまという表現は正しいのかもしれない。

 しかし、契約とはなんだろうか。私はイゴールと名乗る老人と出会ったことは一度もないし、怪しげな書類にサインした記憶もない。契約を交わした人間が訪れると言われても、私は首をかしげるしかなかった。

 

「・・・あの。契約なんて、した覚えはないんですけど」

 

「いいえ、あなたは確かに契約を交わしておられる。なにも契約とは、形あるものに限らないゆえ、知らず知らずに、というのも可笑しな話ではないでしょう・・・」

 

「知らないうちの契約は、可笑しい話だと思うんですが・・・」

 

 私は真面目に訊いているつもりなのだが、イゴールはクックッと笑いながら瞳を細めるだけで、まともに取り合おうとする様子はなかった。契約についてもう少し詳しく話してほしいし、訊きたいことも色々とある。けれども、イゴールは話したがりの性分の様で、私が口を挟む間もなく喋りだす。

 

「さて、あなたをお招きしたのは他でもない。あなたにお話ししたいことがありましてな・・・きっと、必要な話でしょう」

 

 イゴールは勿体ぶった様に話を切り出した。

 

「ペルソナという力。人の内面を具現した、一つの可能性。それは人が内包する存在を刺激し、喚起する呪い。しかし毒とは時に薬になり、ペルソナは様々な困難に立ち向かっていくための仮面の鎧にも為り得る」

 

 ペルソナ、その猛威を私は体験したばかりだ。確かにあれ程の力を自在に振るうことが出来れば、向かうところ敵なしと錯覚してしまう。私が頷くと、イゴールはタロットカードの束を取り出して続きを話す。

 

「誤解を恐れずに言うなれば、あなたは特別だ。いわば、数字のゼロのようなもの・・・空っぽにすぎないが、無限の可能性でもある。あなたは一人で複数のペルソナを持ち、それらを使い熟す可能性があった」

 

 しかし、とタロットを手元で華麗に操りながらイゴールは続けた。

 

「あなたはペルソナを捨て去った・・・他人に提示される可能性に価値はない、と言わんばかりに。あるいは、ペルソナがなくても、人には無限の可能性があると信じているが故の選択か」

 

 私はペルソナを切り捨てたことを後悔していない。可能性がどうだの言われても、正直に言って実感がわかないのだ。ただ単純な話で、獣染みた狂気を武器にすることが性に合わなかっただけだ。

 イゴールはタロットを、机の上に綺麗なアーチを描いて並べた。彼は一枚のカードを手に取ると、その絵柄を私に突き付けた。大アルカナの0番目、愚者のカードが私と向かい合っていた。

 

「・・・いずれにせよ、実に興味深い。それが吉と出るか凶と出るか。全てはこれからのあなた次第でしょう」

 

 言いたいことを一通り言い終わったのだろう、イゴールは満足そうに頷くと口を噤んだ。丁寧に説明をしてくれているようでいて、しかし具体的な内容の欠けた話であったので、イゴールが何を私に伝えたかったのか微妙に理解できないでいた。婉曲的な表現を理解できないのは私の頭が悪いのだろうか。いや、絶対わからないように話していたに違いない。あの老人は、心なしかニヤニヤして私を見ている気がする。

 とはいえ、私も突然すぎる状況に混乱している。一方的に捲し立てられた発言をかみ砕きながら唸っていると、イゴールは一つ咳ばらいをしてから告げる。

 

「今からあなたは、このベルベットルームのお客人だ。そして、あなたは力を磨くべき運命にあります」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからこそ、必ずや私達の手助けが必要になる」

 

 揚々と語るイゴールに言葉を被せながら、部屋の奥の扉から一人の青年が現れる。実に見慣れた狩装束、いつもの顔を隠す帽子やマフラーは身に着けておらず、青年は最後に見た姿と変わらずにいた。私はその姿が眼に映ると、茫然自失として立ち尽くしてしまった。

 

「どうも初めまして。それとも()()()()、だろうか」

 

 ニヤリと笑う青年の表情は、ちょっとしたイタズラに成功した子供のようであり、見事驚かされた私を見て満足そうに頷いていた。そして何よりも、予想外の発言に私は驚愕と動揺を隠せず、私は石のように固まる他になかった。

 

「ぇ、ええっ!・・・なんで、わ、わたしのこと!?」

 

 なぜ、私の事を彼が知っているのだろう。夢の中で、彼は私に気付いたそぶりを見せなかったと記憶しているのだが。言葉をなくした私が口をパクパクさせている様子を目を細めて見つめると、彼は少し間をおいてから続けた。

 

「勿論わかるさ。貴方なんだろう? 偽りの月だけが照らす世界で、暗闇の中に差し込む一筋のか細く、暖かい光・・・終わりの見えない狩りの中、私を導いた月光を忘れはしないさ」

 

 青年は柔らかい口調で、そう告白した。私はずっと、彼が気付いていないものとばかり思っていた。しかし声や姿は見えなくても、彼は私の存在に気付いていた。その事に大層驚いて、嬉しいやら恥ずかしいやら混乱した感情が私の中で渦巻いていた。

 どうやら、彼も同じような気分の様だった。お互いよく分からない気持ちに居た堪れない様子であった。つかの間の沈黙を破り、彼は静かに言葉を紡いだ。

 

「こうして、お互い顔を合わせるのは初めてだろうか。全く、奇妙な関係だ・・・何を話したら良いやら・・・」

 

 頭を掻きながら青年は困った様に言う。実際、彼の言う通りに私たちは何とも奇妙な関係だ。互いに存在を認識しながら、しかし名前も姿かたちも知らない。私の方は一方的に色々と知っているが、わざわざ教える必要もないだろう。

 何だか微妙な空気が流れ始めたが、青年と会ったら先ず言うことは予め考えていた。私は座っていた椅子から立ち上がり、胸に手を当てて深呼吸をする。よしっ、と意気込んで私は青年の前まで近づいた。

 何度も頭の中でシミュレーションした通りの言葉を頭の中に思い浮かべて、私は心のままの感情を顔に出し、そして口にする。

 

「私の名前は、有里公子です。これから、宜しくね」

 

 はにかんで、右手を差し出す。発した言葉は、緊張からか少したどたどしくなってしまった。ガラにもなく強張ってしまった私の姿を見て、青年も見た目の年相応に柔らかな表情を浮かべながら言葉を紡ぐ。

 

「ああ、此方こそ宜しく。私の名はミナトだ」

 

 彼もまた手を差し出し、私たちは存在を確かめ合う様に手を握り合った。ジンワリと伝わる熱が幻ではないと教えてくれるようで、思わずもう片方の手で彼の手を包み込む。

 待ち望んでいた、思いのほか早かった再会は拍子抜けするくらいあっさりとおわってしまった。しかし、欠けていたパズルのピースが埋まったような、そんな安息感を感じていた。私にとっては 10 年前からずっと一緒だった気分なので、最後の夢から目覚めた後は実のところ心細い気分であったのだ。

 

 心から温かいものが溢れて、瞼にじんわりと溜まっていく。しかし、一つの不安が鎌首をもたげて、それが私の心に影を落としていた。最期の夢から、少しも忘れたことのない、恐ろしい怪物に立ち向かって行く青年の姿。その結末に、私は一抹の不安を抱いていたのだ。

 ミナトは私の不安を察してくれたのだろう。彼は私の目尻に指を添え、流れかかった涙を拭ってくれた。そうして、私の頭にポンと手を遣ると、いつかのような頼もしい姿で告げたのだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。長い夜の夢は・・・漸く醒めたんだ」

 

 その言葉を聞けて、私の胸のつかえはすっかり消えてしまった。

 

 青年の戦いは、終わっていた。永遠に続くようであった悍ましい夜に、彼は打ち勝ったのだった。その事実が本当に嬉しくて、純粋な歓喜の篭った大粒の涙が一つ零れる。あとはもう、止め処なく流れる涙を我慢することなんて出来なくて、私は滂沱の涙を流していた。

 ただ静かに傍に立って、私の頭をクシャリと撫でるミナトの手は、とても温かかった。

 

 

 

***

 

 

 

「ところで、ミナト様。有里様にお渡しするものがあった筈ですが・・・ご用意は出来ておいでですかな?」

 

 涙もようやく収まると、自分の取り乱した姿が恥ずかしく思えてくる。ミナトは笑いながら気にするなと言っていたが、恥ずかしいものは恥ずかしい。椅子に縮こまって座り、顔を赤く染めてウーウーと呻る私を見かねたのか、今まで空気を読んで黙りこくっていたイゴールが別の話題を放り投げてくれた。

 

「まあ、大した物ではないから期待しないで欲しいが・・・。結構な深手を負ったみたいだったからな。取り合えず、戻ったら使っておくと良い」

 

 どこからともなく、ミナトは小さなケースを取り出す。私はそれを受け取り、入れ物を開いて中身を確認する。中には数本の輸血液が入っていた。

 医療教会の齎した輸血液、夢の中で彼が使用する様を見ていたので存在は知っている。その精錬された血を摂取することで傷を治すことが出来るものの、時間を巻き戻すような気色悪い治癒の様子は見ていて気分の良いものではない。しかし、常に命の危険が伴う狩りにおいて、輸血液は必需品に違いない。

 

「分かっていると思うが、輸血液には限りがある。供給の目途が立っていないものでね。大事に使ってくれたまえよ」

 

 ミナトの言う通り、輸血液は貴重な品であったことも事実であった。なにせヤーナムの街は完全に狂ってしまい、どこかで新しく輸血液を精製している様子はなく、狩人たちは各所に保存されている輸血液を探し求めるしかなかった。人気のなくなった聖堂やビルゲンワース、他には時計塔などから勝手に拝借するほかに手に入れる機会が殆どないものだったので、彼が輸血液を使用するのもここぞという時だけであった。

 私は左腕に視線を落とす。ここは現実の世界ではないためか、確かに負傷して使い物にならなくなっている筈の左腕は健常であった。とにかく、目が覚めた後に輸血液を使う必要があるだろう。私は丁寧に輸血液をしまってケースの蓋を閉じた所で、一つの問題に直面する。・・・これって、どうやって持ち帰るのだろうか。

 

「それと、忘れ物だ。今回は私が拾っておいたが、全く、しっかりしてくれよ」

 

 私が輸血液を片手に固まっていると、そういってミナトはノコギリ鉈を取り出す。僅かに腐食液がこびり付いたそれは、確かに私の使っていた武器であった。相変わらず何もないところから取り出したようにしか見えなかったので、私は受け取りながら長年の疑問を投げかける。

 

「・・・前から気になっていたんだけど、それって何処から取り出してるの?」

 

「何処って・・・こう、アレだろう。自然と分かるものだと思うが・・・」

 

 ミナトも自分で行っている収納術の原理を知らないようだった。何度か彼が懐から紙やすりやら薬品やらを出し入れする様子を見せて貰ったが、やはり意味が分からなかった。とはいえ、その収納術を覚えない限り、私は現実の世界に道具を持ち帰ることが出来ないらしく、その技能は何としても習得しなければいけないのだった。

 

 ミナトから感覚的な解説を細やかに受け、途中でイゴールから神秘の概念を教わったりと試行錯誤を繰り返すうちに、私はようやくヤーナム流収納術を覚えるに至った。難しい説明ばかりで苦しんだものの、ヤーナムで狩人となった者は自然と覚えるものだそうだ。私が習得に四苦八苦した理由は不明だが、今は覚えられただけ良しとしよう。

 私が得意げにノコギリ鉈や輸血液を懐から出し入れしている様子を、彼らは微笑まし気に眺めていた。イゴールは肘を立てて椅子に座り直し、話を戻した。

 

「さて、そろそろ本題に入りましょう。有里様、あなたの立ち向かうべき運命と、我々の為すべき事について」

 

 イゴールは一息置いて話し出す。

 

「本来、あなたをお招きした理由はペルソナ能力の補佐のためでした・・・が、あなたはペルソナという力を手放した。ゆえに予定していたもてなしは出来ないのですが、あなたが獣狩りの夜に巻き込まれたという事実に変わりはない。

 あなたは戦い続け、そして使命を全うするべきでしょう。だからこそ、我々はあなたを狩人として歓迎し、そして喜んで手助けをしましょう」

 

 その言葉に、私は引っ掛かりを覚える。

 

「ヤーナムの悪夢は終わった筈、だよね。だったら、私が囚われている夜は一体なんなの・・・?」

 

 私の疑問に、イゴールは首を横に振る。

 

「わからない、というのが正直な所です。ベルベットルームから外の様子を伺うことが出来ない以上、原因を究明することは叶いません・・・が、しかし我々も事態を静観するつもりもありません。そこで、有里様にお願いしたいことがあるのです。

 何でも構いません、あなたが戦いを続ける中で得た情報を提供して欲しいのです。それさえ約束していただければ、我々は助力を惜しみません」

 

 つまり、イゴールは協力関係を結びたいと言っているのだろうが、言葉の選び方から壁を感じてしまう。ひょっとしてミナトもビジネスライクな関係を望んでいるのだろうか、心配になってチラリと視線を向けると、サムズアップをして答えてくれる。

 

「イゴールはこう言っているが、私は貴方を手伝いたいだけなのでね。可愛い後輩の面倒を見るのは先輩の特権だから、存分に頼ってくれ給え。もちろん友人として相談に来てくれても嬉しいよ」

 

 その言葉に安心してほっと息を漏らし、私はありがとうと言った。手をヒラヒラと振っているミナトであったが、イゴールはそれを咎めるようにして口を挟む。

 

「・・・ミナト様、我々はあくまで助言者である事をお忘れなきよう」

 

 それにミナトはわかっているさと返し、憂鬱そうに溜息を吐く。なんにせよ、私にとっては嬉しいことだった。当てもなく過ぎる日々に少々心細さを感じていたので、彼らの助力を願えるのは心強い。

 

 真面目な話は区切りが良くなったのだろう。空気が弛緩して、皆の表情も柔らかいものになっていた。もう少し話し込みたい気分だったので、とりとめのない話題を投げかけようとすると、イゴールはそれを手で制する。

 

「随分とお引止めして申し訳ない。まだ話したいことも、話すべきこともあるのですが、今日はここまでにしておきましょう・・・あなたにも現実での生活があるでしょうから」

 

 イゴール曰く、この部屋で時間を過ごす間にも現実世界での時間も進んでいるらしい。どのくらいの時間が過ぎているのかは分からないが、長居をしすぎれば転校早々にして長期の自主休講をかますことになってしまう。彼の言う通り、もう帰った方がいいのだろう。

 当然のことながら、この部屋に来るのは初めてである。どうやって帰れば良いのかキョロキョロとしていると、イゴールが私の後ろを指差す。

 

「ベルベットルームと現実とは、その扉で繋がっております。今回は僭越ながら私自らお招きいたしましたが、次にお目にかかるときには、あなた自らお越しになってくだされば幸いです」

 

 そういってイゴールが礼をすると、後ろに空気のように控えていた美男美女も優雅な礼をする。私もペコリと頭を下げて別れの挨拶をしてから立ち上がる。ミナトも手を振りながら、見送りの言葉を掛けてくれる。

 

「今日は貴方と話せて楽しかったよ、また会おう。」

 

 彼の告げる言葉に、私はちょっとだけ不満を覚える。むくれた私を見てもミナトは何も気付かないようだったので、私は一言呟く。

 

「・・・"公子"」

 

 私が呟いた言葉に、ミナトは首をかしげる。私がちょっぴり頬を膨らませていると、彼はくすりと笑った。

 

「フフッ、そうか・・・そうだな。"公子"、また会う日を楽しみにしているよ」

 

「うんっ! ミナト、また会いにくるね!」

 

 彼の台詞に今度こそ満足すると、私は元気に手を振ってから戸口に手を掛ける。次に会えるのはいつになるのか、それを楽しみにしながら私は扉を開き、足を踏み出した。

 

 

 

***

 

 

 

 仄かな消毒液の香り、うっすらと目を見開くと私の視界には白く清潔な天井が目に入り、体が横になっていることに気が付いた。視線を横にやると、驚いた表情の岳羽さんが座っていた。彼女は震える手で口元を抑え、嗚咽を漏らした。

 

「あ、有里さんッ・・・!」

 

 岳羽さんは目に涙を溜め、上ずった声で私の名前を呼んだ。彼女の話によると、私と彼女は仲良く気を失っており、桐条先輩の手配によって巌戸台周辺の病院に搬送されたらしい。岳羽さんはすぐに目を覚ましたが、私は一週間以上眠ったままのようだった。

 

「良かった、良かったよ・・・。わたし、もう、駄目かもって・・・。」

 

「エヘヘ、大丈夫だよ。何とかなって良かった・・・その、何とかなった・・・よね?」

 

 記憶にある限りでは、化け物は消滅して私はそのまま気絶、岳羽さんは正気を失って兎に角しっちゃかめっちゃかな状況であった。その時のことを詳しく尋ねると、彼女はコクコクと頷いて話し始める。

 

「うん、わたしもあんまり覚えてなくて・・・桐条先輩に聞いた話だと、でっかいシャドウを倒したあとは特に何事もなかったみたい」

 

 そのような内容を弱弱しい口調で話した岳羽さんは、まだ少し精神的に参っているようだった。極めて冒涜的な光景を目の当たりにしながら未だに正気を保っているとは随分とタフだと感心しかけたが、どうやら彼女は当時の状況を朧げにしか覚えていないようだった。強い精神的ショックによる記憶の混乱は珍しいことではない。しかし、狂気的な記憶を想起させれば彼女の精神に支障をきたしかねないので、あまり掘り下げない方が良いのだろう。

 岳羽さんの話の中で、何度かシャドウという単語と、それに関する彼女たちの活動を示唆する話題が現れていた。そちらは訊いても問題もないだろうと幾つか質問を投げかけるが、彼女は言葉を濁すばかりであった。彼女もまた詳細は知らないらしく、後日責任者がまとめて説明をしてくれるらしい。今は養生して欲しい、とのことだ。

 

 そういえばと目線を落とすと、左腕に違和感を覚える。包帯でグルグル巻きにされ、感覚の殆どなくなった左腕は鈍い鈍痛だけを時折訴えてくる。今更になって私の左腕が悲惨なことになっていることを自覚すると、岳羽さんは顔を青くして震える声で謝罪を述べる。

 

「・・・有里、さん・・・あの・・・左腕、もう動かないって・・・その、最悪、切り取らなきゃいけないみたいで・・・・・・ご、ゴメンなさい! 私が、守らなきゃいけなかったのに・・・!」

 

 悲痛な表情で懺悔する岳羽さんを宥めてから、私はすべきことを始めた。包帯を解き、患部の状態を確かめる。化け物の腐食液は随分と強力だった様で、皮膚は溶けて肉はグズグズに焼け爛れていた。むき出しになった筋肉組織は悍ましく変色し、蕩けた腕からは白い橈骨が見えんばかりであった。ムワリと饐えた臭いを漂わす自分の体の一部は、あまりじっくりと眺めたいものではなかった。

 流れる様に包帯を外し患部を露わにする私を見て、岳羽さんはギョッとした様子で声を上げた。

 

「ちょ、ちょっと! 有里さん!?」

 

 私は夢から持ち帰った輸血液を取り出すと、見よう見まねで太ももに突き刺して血液を摂取した。患部に赤黒い光が渦巻く。強い血の脈動を感じて少し頭がふらつき、体が焼けるような熱を持つ。使い物にならない爛れた左腕は時間が巻き戻る様に、さながら悪夢から覚めるように、元の姿を取り戻していく。名状しがたい感覚に眉を顰めるが、すっかり左腕が元通りになれば気分も楽になった。私は満足げに呟く。

 

「うん、治った」

 

 輸血液は自分の知識にある通り、しっかりと私を治癒してくれるようだった。結果を確認するように、私はさっきまでボロボロだった腕を曲げたり伸ばしたり、左手を閉じたり開いたりする。焼けるような痛みはすっかり消え失せ、私はヤーナムの叡智の結晶に感謝した。

 

 私からしても現実離れしていると思うような光景を前に、岳羽さんは驚きに目を見開く。彼女は自分が夢でも見ているのかと錯覚しているのか、自分の頬を赤くなるまで抓っていた。プルプルと震えながら、大きく息を吸い込んでいる彼女を見れば、次に起こる事は明白だろう。

 病院では静かに、という私の言葉は間に合わなかったようで、私は急いで両耳を手で塞いだ。岳羽さんの驚愕を等身大で表すような叫びは窓ガラスを震わせ、意図せずともナースコールの役割を果たしてくれるのだった。

 

 




補足しておくと、狩人はキタローじゃないですし、全く無関係の人物です。元々は別の名前にしようと思ってましたし、なんとなくミナトという名前がシックリ来ただけです。

世界観説明とかは回想でサラッと済ませたいけど、省略しすぎると意味不明になるというジレンマ。
あー、モツ煮込み食べたいなー。(現実逃避)


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5. S.E.E.S.

S.E.E.S

特別課外活動部(意味深)

今回は短いです。
あと急いで書いたので後日修正するかもしれません。
すマヌス・・・。(深淵の主並感)



 あれから一悶着はあったものの、私は無事に退院をして寮に帰ってきた。十日近く気を失っていただけあって、再び学校に行った後もだいぶ心配されてしまった。実際に起きた事件の詳細を語るわけにはいかないため、周りには過労と心的ストレスによる一時的な入院として伝えられたようだ。

 無事、一般的な学生生活を再開したところで、私を待っていたのは四方山な面倒だった。我らが2年F組も結成して半月が経ち、仲の良いグループが固まり始めている。今後一年クラスでぼっち生活を送らないためにも交友を深める必要があり、そして入院生活は大きなハンデになっていた。幸い、顔の広い岳羽さん(あとノリの良い男子のクラスメイト、伊織君という名前だった)のおかげでクラスでの生活は良好なものになりそうだ。他にも部活動の見学に行ったり、担任に図書委員を任されたり、授業の課題が溜まったりと忙しい日々を送っている。

 

 今日も今日とて忙しく過ごしていると、帰り際に桐条さんに引き留められた。なんでも、寮に理事長が来ており、先日の件について話をしたいとのことらしい。なぜ理事長がわざわざ一生徒のために寮まで足を運んで? と疑問に思う。私は品行方正で模範的な生徒なので、問題行動の注意という訳ではないと思っている。

 ゆえに、先日の件と言われれば思い当たる節は一つしかない。新しい面倒事ではあるが、同時に新しい進展の予感も感じさせる。桐条さんに了承の返事をして、帰路に就く。私は道すがら晩飯を調達しつつ、足早に巌戸台分寮に向かうのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 巌戸台分寮のホールでは、既に桐条さんが待ち構えていた。私の方が早く帰ったはずだが、彼女は車で送迎して貰っているらしい。セレブってすごい、と感心していると4階の部屋に行くように指示される。もう理事長がいらしているので、すぐ向かう様にとのことだ。私は手早く自室に荷物を置いてくると、桐条先輩の先導に従ってノコノコと歩き始めた。

 

 キョロキョロと辺りを見回し、寮にしては部屋数も少ないなー、なんて考え事をしながら歩いていると、すぐに部屋の前に着く。桐条さんがコンコンコンと扉を叩き、どうぞという声が聞こえてから中に入る。私が彼女に続いて中に入ると、部屋には岳羽さんが居心地悪そうにソファに座っており、その対面にロン毛で眼鏡をかけた男性が座っていた。その近くには赤いベストを羽織った男子生徒が立っており、此方を興味深そうに観察している。

 

「理事長、お久しぶりです」

 

「ああ、桐条君も久しぶり。そんなに硬くならないでもいいんだけど・・・おっと、君が有里君かな。話は聞いているよ。ままっ、座って座って」

 

 理事長に促されてガチガチに固まっている岳羽さんの隣に腰を下ろす。彼は私の名前を知っているようだが、礼儀として名乗っておいた方がよいのだろうか。失礼にならない程度の適当な挨拶をすれば、彼は人のよさそうな笑みを浮かべて話し始める。

 

「やあ、こんばんわ。私は幾月修司。君らの学園の理事長をしているものだ。退院早々呼び出しちゃって申し訳ないね。だけど、君たちに話さなきゃないけないことがあって・・・ってあれ、真田君。彼はまだ来ていないのかい? ついでだし、一緒に説明したいんだが・・・」

 

「いえ、とっくに来ている筈ですが・・・少し様子を見てきます」

 

 真田と呼ばれた赤いベストを着た少年は、時々寮で見かける顔であった。たまにすれ違うことはあったが、タイミングが悪く大抵どちらかが足早に去ってしまうために寮に住んでいるだろうこと以外に何も知らない人だ。

 

「真田明彦、私と同じ三年生だ。同じ寮に住んでいる」

 

 桐条さんの説明でそういえばと思うのだが、今まで岳羽さんは先輩二人に囲まれての寮生活だったわけだ。彼女は結構気にしいな性格っぽいので、中々息苦しい日々だったと推察する。私が労わる様にポンと肩を叩くと、岳羽さんは意味が分からないとばかりに眉を顰める。

 そうこうしていると、真田さんが苛立ちに眉を顰めて戻ってくる。遅れてドタドタと音がたって誰かがやってきており、彼はその様子に呆れながら急かす。

 

「おい、早くしろ。・・・全く、何をやってるんだ」

 

「おっとっと・・・ちっと、待ってっ・・・」

 

 よろめきながら、一人の髭面な男子生徒が入室する。

 

「テヘヘヘ。どうもっス」

 

「えっ、順平っ? ・・・なんであんたが、ここに・・・」

 

 どうやら同じクラスの伊織君も理事長に呼ばれていたみたいだった。岳羽さんは驚いているが、私も少し予想外だった。彼は問題児には見えないものの、品行方正とは言い難い。正直、私と伊織君が同時に呼ばれたという事実を鑑みると、知らずのうちに問題を起こして理事長から目をつけられた、という説も見当違いとは思えなくなって来る。

 私がちょっと不安になり始めていると、真田先輩が伊織君を紹介する。

 

「2年F組の伊織順平だ。今日からここに住む。この前の晩、偶然見かけたんだ。目覚めてまだ間もないようだが、彼にも間違いなく適性がある。事情は軽く話してあるが、俺たちに力を貸すそうだ」

 

「適性があるって・・・それ、ホントですか!?」

 

 ・・・適性? 話が見えなくなってきた

 

「ほらほら、有里君が置いてけぼりだろう。早く本題に入らせて欲しい」

 

 理事長も忙しい身なのだろう。さっさと着席を促し、世間話の一つも挟まずに口火を切る。

 

「さて、手短に話そう。キミたちが経験して来た事象を思い返して貰えば、これから僕が語る説明も滑稽な作り話とは思わないだろうからね」

 

 簡単な前置きの後、彼は語る。

 

「君達は、自覚しているだろう。自分が、普通と違う時間を潜ったことに。あれは影時間・・・1日と1日の狭間にある隠された時間だ。電気は止まり、普通の人間は活動を停止して棺のようなオブジェに置き換わる。夜空には大きな月が・・・最近では不気味な赤い月が浮かんでいる。一部の人間しか認識できない、異常な時空間、それが影時間だ」

 

 しかし、重要な点はそこじゃない。そう彼は念を押す

 

「影時間の一番恐ろしい所は、そんな事じゃないんだ。キミ達も見ただろう・・・怪物を。私達はそれを、シャドウと呼んでいる。シャドウは影時間にのみ現れて、そこに生身でいるものだけを襲う。そして襲われた人間は精神を食い破られ、現実世界で植物人間のような状態に陥る・・・このところ騒がれている事件も、殆どが奴らの仕業だろう」

 

 私は最近テレビで見た、無気力症患者を思い出した。ある日突然、死んだように。理事長は恐らくそれを指して話しているのだろう。私があの夜に見た、ヤーナムの獣に姿を変えた男性も、無気力症患者になってしまったのだろうか。現状では確かめようのない疑問を頭の片隅置いて、続きに耳を傾ける。

 

「シャドウに通常の銃火器や兵器では歯が立たない。だが、全く手立てが無い訳じゃない。目には目を、歯には歯を、そして、未知には未知を。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()・・・ペルソナについては、君たちも知っているね? 有里君は実践で、岳羽君と伊織君は先輩方から聞いて知っているはずだ」

 

 そういわれて、私たちは思い思いの反応を示す。伊織君は特撮ヒーローの話を聞いた子供のように目をキラキラさせ、岳羽さんは記憶にはなくとも先日味わった恐怖は覚えているようで顔を強張らせていた。そして私がベルベットルームでの一幕を思い出している間にも、理事長は話を進める。

 

「さて、説明は一先ずここまでだ。単刀直入に言おう、我々は特別課外活動部。表向きは部活ってことになってるけど、実態はシャドウを倒すための集団だ。部長は桐条美鶴君、僕は顧問をしている」

 

 いつの間にか席を外していた桐条さんが、物々しいトランクケースを抱えて部屋に戻ってくる。彼女は机の上にトランクを丁寧に置くと、それを開いた。中には怪しく輝く銀色の銃が二丁だけ鎮座していた。

 

「要は君達に仲間になってほしいんだ。シャドウと最前線で戦うのは君たちで、しかも命の保証は出来ない。・・・勝手な頼みだという事は重々承知の上だ。私達も出来る限りのサポートは全力でする。どうか、君達の力を貸してほしい」

 

 理事長は深々と頭を下げる。桐条さんもまた、真剣な面持ちで私達を見つめると頭を下げる。横目に岳羽さんの様子を伺うと、彼女は複雑そうな表情を浮かべていた。

 

「私は、以前伝えたとおりです・・・これから、よろしくお願いします」

 

 そういえば、岳羽さんは既に銀色の拳銃を所持していた。いわば彼女は仮入部のような立ち位置だったのだろう。迷うことなく、この場で改めて共に戦うことを表明した彼女の真剣な様子とは対称的に、伊織君はブルブルと体を震わせると勢いよく立ち上がった。

 

「もちっすよ! オレも、世のため人のため! ゼンリョクを尽くさせていただきまっす! いや~、なんだか正義のヒーローみたいで、格好いいっスよね~」

 

 伊織君は軽い調子で承諾し、トランクケースへ手を伸ばして銀色の拳銃を手にした。うおーかっけー、と言って彼は新しいおもちゃを手にはしゃいでいるようだった。

 

 私自身、戦いからは逃れられない運命にあることは理解の上だ。一人で出来ることなど高が知れている以上、なんらかの組織に身を寄せる選択は間違いではない。活動の内容や組織の実情が不透明な点は気がかりだが、それでも渡りに船とはこの事だ。私は少しの間考え込んで、宜しくお願いしますと答えた。

 理事長は私たちの回答に満足したように目を細め、少し早口に話す。

 

「ありがとう、君たちの協力を得られて本当に助かるよ。天然のペルソナ使いは、本当に貴重な戦力なんだ。じゃあ早速活動の説明とか色々と・・・・・・っと、詳しい話は桐条君に任せてもいいかな? 僕も時間に押されていてね・・・悪いけど、そろそろ戻らなくちゃいけないんだ」

 

 理事長は腕時計に目を落とすと、桐条さんに目配せをする。彼女はピシりと整った姿勢のまま、堅苦しい雰囲気で受け答える。

 

「わかりました。理事長も、今日はお疲れ様です」

 

「うん、じゃあ僕は一足先に失礼するよ。それじゃあ皆も、良い学園生活を」

 

 理事長はパパっと身支度を整えると、足早に部屋を去っていった。学生の身分では想像がつかないが、理事長ともなると色々と忙しいのかもしれない。バタリと慌ただしく慌ただしく扉が閉まり、部屋には高校生だけが残った。先輩二人は落ち着いた様子だが、岳羽さんも伊織君もソワソワしているようだった。一人は不安で、もう一人は期待でという違いはあるのだろうが。

 

 暫くすると、部長である桐条さんが一つ深呼吸をして全員の顔を見渡す。彼女の表情は真剣で、心苦しいような声色で話始める。

 

「君たちが仲間に加わってくれて、感謝している。ようこそ、課外活動部へ。・・・初めに伝えたいことがある。あるいは、嘆願かもしれないが・・・」

 

 冷静に語っていた理事長とは異なり、桐条さんは些か感情的に語る。

 

「部活動と銘打っているが、我々の活動は人命に関わる。言語で表現不可能なほど悍ましい化け物と正面を切って戦うことだってある。人の命が・・・ましてや、自分の命が懸かった状況は尋常ではないストレスだろう。・・・脅している訳じゃないんだ、ただ知っておいて欲しい。私たちが身を投げ込む先は、平穏とはかけ離れた世界だという事を」

 

 言葉を区切り、真剣な眼差しが私たちを射貫く。

 

「勿論、君たちが共に戦ってくれるとしたら、これ以上に心強い事はない。けれど、戦わないことは恥ではない事も憶えておいて欲しい・・・後悔の念は決して、先には立ってはくれないからな・・・」

 

 悲観的に告げた桐条さんの顔は懺悔する罪人のような姿だった。その視線の先にいる真田さんは至極明るい表情で、肩をすくめて私たちに話しかける。

 

「美鶴の奴は大袈裟なんだ。シャドウは人間を襲う、だから俺たちはシャドウを倒す。シンプルで、刺激的な話だと思わないか?」

 

 彼の発言で重く息苦しい雰囲気が幾分か和らいだ様だった。すかさず便乗して伊織君が言葉尻に乗っかる。

 

「モチ、大丈夫っスよ! 心配せずとも期待の新星、この伊織順平がぁ~、シャドウをバッタバッタとなぎ倒しちゃいますんで!」

 

 芝居じみた口調でおどける伊織君は大きくバットを振るうように素振りをする。彼の頭の中では跋扈する魑魅魍魎を華麗になぎ倒す姿が浮かんでいるのだろう。その調子だ、と真田さんに煽られて調子づいたのか、伊織君は効果音付きで素振りをする。テンションの上がった二人は、これが本当のシャドウボクシングだな!という意味不明な真田さんの発言に腹を抱えて笑っている。

 どうにも場違いに明るくなってしまった雰囲気のせいで真剣さが伝わらないかもしれないが、私達二人は桐条さんに向き直る。

 

「桐条先輩・・・その、私は大丈夫です。・・・今度こそ、大丈夫です」

 

「私も平気ですよ。危なくなったら逃げるので」

 

 岳羽さんと私の発言を受けて、桐条さんは安心したような、しかし微かに青色を滲ませた吐息を吐いた。桐条さんは口を開き一瞬だけ逡巡すると、私たちに儚い笑顔を向けた。

 

「ひょっとしたら君たちには無礼な働きをしたのかもしれないな・・・済まない」

 

 そう言った彼女は雑念を払う様に頭を振って、まだワチャワチャしている男子高校生二人に呆れた眼差しを向けながら、良く通る声を部屋に響かせた。

 

「そこの二人も少しは落ち着け。岳羽と有里を見習ったらどうだ」

 

 徐に全員がテーブルの周りに集まり、視線が桐条さんに集まる。彼女は髪をバサリと掻きあげ、一つ深呼吸をしてから改めて音頭を取る。

 

「早速だが、今晩から活動を開始する。構わないな?」

 

「オッケィーっす! シャドウでもなんでも、バッチこーい!!」

 

 早速活動が開始すると聞いて色めき立つ伊織君、それにつられるように鼻息を荒くする岳羽さん。私もまた集団での狩りは初めてなので、少しドキドキしている。しかし、すぐさま桐条さんは私たちに冷や水を浴びせた。

 

「伊織、何を言ってるんだ? まだシャドウとは戦わないぞ」

 

「・・・へ?」

 

「ボクシングでも何でも、いきなり試合には出ないだろう。まずはトレーニングだ。トレーニング」

 

 キョトンとする私たちに、真田さんが当たり前だろうと告げた。正直な話、ミナトも碌な訓練も受けないまま狩りに没頭していったし、私も練習の機会も無しに実戦を強いられていたので、トレーニングという当然の発想が存在していなかった。しかしまあ、先人が居て指導をしてくれると言うならば、お言葉に甘えた方が良いに決まっている。

 成程、と納得した私と岳羽さんであったが、伊織君は違うようだった。不満ですと顔に大きく書かれている彼は腕をだらしなくブラブラさせ、全身で遺憾の意を表明していた。そんな彼も桐条さんの鋭い眼光で射貫かれれば、すぐさま背筋を伸ばし、叱られた小学生のように姿勢を正した。

 

「“敵を知り己を知れば百戦殆うからず”。いいか、やるからには中途半端は許さん・・・。君たちが命を落とさないためにも・・・全員で生き残るためにも、死ぬ気で鍛えてもらうぞ! 覚悟を決めろッ!!」

 

「いや、チョ・・・! 死ぬ気でって・・・マジっすか!?」

 

 物凄い気迫で宣言する桐条さんの目がギラリと光った様に見えた。それにビビりながら引き攣った声を上げる伊織君、冷や汗を垂らしながらも胸の前で両手を握って気合を入れている岳羽さん、その様子を眺めて面白そうに笑っている真田さん。話している内容に眼をつむれば、まるで普通の部活動みたいな光景だと思い、私はクスリと笑みを溢したのだった。

 

 




---

ハム子「私、ペルソナ使わないですけどいいですか?」

順平「マジ!? いや無理だろ!」

美鶴「(監視カメラで確認した人外の身体能力を考慮すればシャドウと渡り合えるだろうし、何故か有里の武器はシャドウに有効だった。ペルソナ無しというのは不安だが、危なくなったら嫌でも使うだろうから)いいぞ」

順平「ファッ!?」

---

次回更新は来月中に出来ると良いと思ってます。駄目だったらスミマセン。


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5.5. Moth orchid

閑話、ゆかりっち回
もはや内容が短くても雑でも、書き直す時間がない

本筋にはあんま関係ないかもなので、読み飛ばしても大丈夫です。


 草木も眠る影時間、私達は人気のない道を走っていた。

 

「あ゛~、もう無理・・・ホント、マジで・・・無理・・・」

 

 息も絶え絶えに、伊織君が脚をもつれさせて崩れ落ちる。私は周回遅れの彼の横を追い越し、ゴールの巌戸台分寮に到着した。そこには桐条さんが仁王立ちしており、それと一足先にゴールしていた岳羽さんが息を整えて待っていた。

 

 入部が決まった日から毎日、桐条先輩の指導の下で私たち三人は様々な訓練を影時間の中で行ってきた。そして、影時間に訓練を行う理由は大きく三つあった。

 先ず初めに、効率的な体力づくりのため。影時間の中では不思議と体が疲れやすくなるため、活動の場である影時間の空気に慣れながら戦闘に必要な持久力を身に着けようという寸法らしい。ちなみに走るためのトレーニングが主立っているのは、シャドウとの戦闘は引き撃ちが基本になるためらしい。ペルソナに比べて脆い肉体はシャドウの攻撃に耐えきれないので、距離を測り柔軟な回避行動に移行できるための歩法や、危機に瀕して咄嗟に逃げられるための走法が最も求められる能力だそうだ。ペルソナ並みの能力がある私でも必要な技能なので、負荷を高めて同じような内容の訓練を行っている。

 次に、バイオリズムを調整をするため。ぶっちゃけ私や岳羽さんは朝型の人間だったので、影時間の活動は眠くて仕方がなかった。しかし肝心の影時間で集中が切れることなどあってはならない。学校に行く時間帯と影時間の間に丁度体が起きるような生活リズムを作り上げるために、食事や睡眠など色々とアドバイスを受けながら体を慣らしている毎日だ。幸いなことに優秀な桐条グループの研究成果と先輩方の実証実験によって、私達へのフィードバックは効果的なものとなっていた。あと一週間もすれば、この生活にも適応するだろうとのことで、最近になってようやく自由行動の時間が増えてきた。

 最後に、学生生活との両立を達成するため。日中に訓練を行えないのは、学業が優先されるからだ。これには伊織君がぶー垂れていたが、ほかの全員は納得する理由だった。私たちの人生は影時間の中で終わるわけじゃない。戦う理由がわからなくなった時、戦う手段を失った時、あるいは影時間が終わった時。いつか何かしらの形で、普通の生活に戻るときが来るのだ。

 

「ハア、ハァ・・・有里さん、余裕っぽいね・・・」

 

 颯爽とゴール地点を走破すると、岳羽さんが歓迎してくれる。余裕そうに見えるかもしれないが、私も結構ギリギリのペースで走っていたので疲労は溜まっている。狩人とて、スタミナが切れる時は切れるものだ。

 Vサインを向けつつ悠然と歩いている内に、伊織君がゴールまで転がり込んできた。それを見届けると桐条さんは満足したように頷き、訓練の終了を告げる。

 

「よし、今日はここまでだ。クールダウンをしたら解散、今日は充分な休息をとるように」

 

 いつもだったら、この後に岳羽さんと伊織君のペルソナの召喚訓練が行われるのだが、限りなく限界を攻めて走りぬいた伊織君の様子を見て続行は不可能と判断したのだろう。

 唯一帰宅部であった彼は影時間に適応するのに最も時間が掛かり、無駄に体力を消費するせいか訓練でもビリを飾ることが多かった。おかげさまでといったら難だが、女子に負けてられないと伊織君が奮起した結果、目に見えて成果が出てきている。

 

「お先に、失礼・・・うっ・・・ヴォェ・・・」

 

 軽口の一つも叩かず、伊織君が足を引きずるようにして寮に引っ込んでいく。岳羽さんも疲労困憊といったようで、垣根でぐったりと項垂れていた。私は買い溜めておいた適当な飲み物を二つ持ってきて、彼女の横に座って片方を差し出す。私は影時間の空に浮かぶ赤い月を眺めながら、ぬるくなった炭酸飲料のプルタブを引いた。

 

 暫くボーっとしていると、岳羽さんはチラチラと私に目線を投げかけて来た。しばらく無言の時間が続き、しどろもどろではあるが彼女は静かに問いかけてきた。

 

「あのさ・・・ちょっと、聞いて良いかな」

 

 どうぞ、と言って飲みかけの缶を地面に置く。

 

「有里さんは、なんで戦うのかなって・・・・・・あっ! 悪い意味じゃなくて、その・・・ペルソナもなしにシャドウと戦うのって、怖くないのかなって・・・」

 

 彼女の言う通り、私はペルソナを使わない。それが私と根本的に合わない力であることが、直感的に理解できた。その代わりに私は超人的な身体能力を有しているが、すなわちそれはシャドウと直接切り結ぶことを意味する。容易く人の命を刈り取るシャドウを前に、懐へ飛び込む状況に恐怖を覚える事は当然であろう。

 

「そりゃ怖いかな。多分」

 

「じゃあ、なんで・・・」

 

 そう問われても、正直どう答えれば良いかわからなかった。狩人の誇りのためか、ずっと見つめていた背中に憧れたためか。うーむ、と悩んで缶の中身を飲み干す。ポイと投げた空き缶は、放物線を描いてゴミ箱に吸い込まれていった。

 今の私は何も知らない。だから、私の戦う理由はきっと。

 

「わからないまま終わる方が、よっぽど怖いから。だから、怖くても、迷っても戦う。私の待ち受ける運命を知るために」

 

 そっか、と岳羽さんは口にはしたが、表情は納得を覚えていないようだ。それも当然のことだと、私は思う。大切な人のために戦うでもなく、まるで好奇心に突き動かされるような動機だ。それでも、これは偽りのない本心なのだろう。正直な話、不安を感じない理由の一つとしてはベルベットルームの存在もあるのだが、それを言っても信じてもらえるかは微妙なところだし、言う必要もないだろう。

 

「いきなりゴメンね、でも気になってさ。私も、怖くて・・・どうすればいいのか、てんで分からなくって・・・」

 

 そういえば、最初に馬鹿デカい化け物と出会ってしまった時、たしか岳羽さんは恐慌状態に陥っていた。詳細は忘れたとはいえ、彼女の心には確かにトラウマが刻まれているはずだ。それでも特別課外活動部に居続け、シャドウと戦う道を選んだのには理由があるのだろう。

 静かに、私は口を噤んで岳羽さんの瞳を見つめる。視線を迷わせ、恐る恐る顔を上げる彼女に、私はゆっくりと頷いて見せた。

 

「10年前・・・、始まりは10年前だったの」

 

 ポツリと、確かめる様に、ゆっくりと言葉が紡がれる。

 

「桐条グループが持ってる研究施設で、エルゴ研っていう所が昔ポートアイランドにあったの。お父さんがそこで主任研究員をしてて、何をしてたかはよく知らないんだけど、格好良かった。楽しそうに研究の話をしてくれて、全然分からないんだけど、本当に楽しそうに話すから私も嬉しくなってたんだ。

 でも、10年前に大きな事故が起きて大変なことになっちゃって。結構大きな爆発事故だったみたいで、大勢の人が亡くなって・・・お父さんも死んじゃって・・・・・・。事故の新聞とかテレビとかでも取り上げられてたんだけど、知ってるかな?」

 

 その話なら私も知っていた。詳細はまるで知らない、その事件を引っ張り出して桐条グループを批判する記事を時々見かける。私は頷いて、続きを促した。

 

「皆、事故はお父さんのせいだって言ってたんだ。研究費を横領してたのがバレての犯行だとか、兵器を作ってて自爆したとか、精神を病んでいたとか、根も葉もないことを言い連ねてて・・・。

 そのせいで、学校でもいじめられてた。お母さんも風当たりが強かったみたいで、同じとこに住めなくて、ずっと色んなとこを転々としてた。いつからかな、お母さんもおかしくなっちゃって・・・私のこと全然見てくれなくなっちゃった。それも辛かったけど、違った・・・私にとって一番嫌だったのは、お父さんを貶められた事だった」

 

 肩を震えさせながら、顔を俯かせて彼女は語る。その震えは怒りからだろうか、それとも悲しみからだろうか。

 

「悔しいよ・・・誰もお父さんのこと知らないくせに、好き勝手なこと言ってる・・・お父さんがそんな酷い人な訳ないのに・・・お父さんだって、被害者なのに・・・」

 

 爪が食い込むほど強く拳を握りしめて、行き場のない憤りを吐き捨てていた。

 

「此処に来てからシャドウとか影時間の事とか知って、桐条先輩に声を掛けられて。そこで初めて知ったんだ、エルゴ研は影時間とかシャドウの事を研究してたって・・・。ずっと分からなくて、どうしたらいいか、全然分からなくて・・・でもようやく糸口が掴めそうな気がした。お父さんの無実を証明するための、糸口が」

 

 岳羽さんは目をつむった。怒りを、そして迷いを振り払うように大きく息を吐き出す。

 

「今更、世間に知って欲しい訳じゃないんだ。お父さんは悪くなかったって、そんなこと、本当に今更だから・・・」

 

 静かに開かれた瞼から覗いた鳶色の瞳は、雄弁に意志の強さを語っていた。

 

「でも、私は()()を知りたいの。納得しないと、私はずっと過去に囚われたままだから」

 

 心中を吐露して、どこか心のつっかえが取れたのかもしれない。岳羽さんのずっと重く張り詰めていた雰囲気も、幾分か和らいだようだった。彼女は立派な意思を持っている。決意を聞いた私は、何も言うべきではないだろうし、彼女も返答を求めていないだろう。

 それよりも、私は自分が恥ずかしかった。シャドウとの戦いに付いて来れるのだろうかとか、悍ましい夜を走り抜けることが出来るのだろうかとか、そんな無意識な上から目線で岳羽さんの事を見くびっていたのだ。一時的な狂気や、その場だけの痛みでは彼女は挫けないのだろう。膝を折っても立ち上がる、人間の強さを私は見せつけられた気がした。

 話してくれてありがとう。そう言うと彼女は照れ臭そうに目線を泳がせる。恥ずかしがることなどないのに、と思ってクスリと笑えば、それを別の意味で捉えたのか、眉を寄せて恨めし気に私を睨んでくるではないか。それがどうにも可笑しくて、とうとう声に出して笑ってしまう。

 頬を膨らませてムスッとしていた彼女も、釣られて笑い出す。今まで意識していなかったが、私達の間には壁があったようだ。それを意識したときには、私達の間を遮る壁はすっかり霧散した様だった。

 私はよしっ、と声を上げて勢い良く立ち上がる。

 

「コンビニ行こう! 新作スイーツでバナナ大福が出てるんだって。今から買いに行こっ!」

 

 私の言葉に、彼女はズルリと肩を滑らす。

 

「えっと・・・真面目な話だったんだけど・・・」

 

 呆れた様に見せる彼女だが、口元は笑っていた。

 私たちが選んだ道は確かに過酷なものだろう。でも、どんな苦難が訪れようと、ずっと苦しんでやる道理はない。どんな困難が待ち受けていようと、ずっと悩む必要もない。何でもない時くらいは女子高生らしく楽しく生きていたいものだ。

 

「真面目な話は一旦おわり。頑張った自分に、ご褒美タイム!」

 

 ちょっぴりおどけて明るい雰囲気を出せば、彼女は学校で時折見かけるような気の抜けた顔になっていた。

 

「あんたの気楽さが、羨ましいよ・・・」

 

 そう口では言う岳羽さんであったが、体は正直であった。グー、という情けない音が彼女のお腹から鳴り、静かな無人の街に響き渡った。

 

「コンビニじゃなくて、ラーメン屋とかのが良いかな・・・」

 

「いや、これは違うから! ・・・ッ、ニヤニヤすんな!」

 

 私達が寮に駆け込むや否や、影時間は束の間の眠りにつき、優しい黄金の月明かりが黒い空に目を覚ました。街の街灯が奏でる微かな唸りと、民家から聞こえる極小さな生活音。私達の日常を奏でる音が街に流れ出した。

 手早く部屋に戻り、着替えを済ませて財布を握りしめたら、私達は駆け出すように寮を飛び出した。

 

「ゆかりー、早く行こー!」

 

 一足先に飛び出した私は、遅れてついてくるゆかりに声を掛ける。彼女は一瞬の間を置くと、湯沸かし器のように顔を赤く染めた。

 

「・・・えっ? あ・・・う~・・・待ってよ、公子ー!」

 

 さながら私たちは普通の女子高生のように、姦しく騒ぎながら見慣れた街へ駆け出すのであった。

 

 

 




ゆ(か)り

ひと月に一話投稿は無理でした。申し訳ナイス!
次もいつになるか不明です。

いつも沢山の評価や感想を頂いて、凄く嬉しいです。(ボキャ貧)
来年はもう少しちゃんと話を進められるように頑張ります。


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6. East to Nest

元日なので、実質初投稿です。



 訓練開始から数週後、最低限シャドウと対峙しても安心だろうと桐条さんのお墨付きが付いた頃の事だ。そろそろシャドウとの実戦を経験するべきということで、私達は桐条グループの人間が運転する車に乗っていた。いかにも高級そうな車の中はやはり居心地がよく、車窓から見える景色も心なしか普段とは異なって見える。

 ゆったりと広い車内はむしろ落ち着かなかったが、桐条さんは当然慣れた様子でリラックスしている。ソワソワと目を輝かせていた伊織君が落ち着いた頃、桐条さんは口火を切った。

 

「前にも話したが、我々の活動の一つは巌戸台周辺地区に湧き出すシャドウの撃破だ。気休め程度だが、それでも無気力症の予防にもなるし、無気力症患者を減らすことにも繋がる」

 

 この部活動の目的がシャドウを倒すことであると、再確認の意味も込めて告げられる。基本的に後手に回らざるを得ないため、少しもどかしさを感じる所でもある。シャドウの反応をある程度正確に探知できるのが桐条さんだけであるため彼女にかかる負担は大きいが、人命が関わるために手を抜くことは出来ない。今後は桐条さんの要請に応え、持ち回りで街にいるシャドウの討伐を行うとのことだ。

 

「最近になって無気力症だけじゃなくて、行方不明の人も増えましたよね。先月だけでも 10 人近くは・・・ちょっと多すぎると思いますし、もしかしてシャドウが・・・」

 

「ああ、確かに妙だがシャドウとの関連はない、というのがグループにおける現状の判断だ。行方不明者の目撃情報を集めて失踪した頃を推定しても、シャドウの反応があった日時とは一致しない。痛ましい事件だが、それは警察の管轄だろう」

 

 ゆかりの発言は、最近のニュースを見てのものだ。実のところ行方不明者の急増は、軽くお茶の間を賑わせる程度には大ごとになっている事件だ。しかし桐条さんは、シャドウとの関係性は薄いとして調査に手を回していないと言った。

 シャドウの生態が不明瞭である事を承知の上で手広くシャドウとの関連を調査しないのは、正確には調査する余力がないと補足された。もしかしたら新しい習性が、新しい疫病が、新しい災いが。可能性を考慮するのは重要であるが人員も時間も有限である以上、注力すべき方向は絞るしかないという事だ。そして現状はシャドウの討伐に向けて研究や調査が進められているらしい。

 

「繰り返しになるが、シャドウは人間を襲う。シャドウに襲われた人間は無気力症になり、そしてシャドウを倒せば無気力症の患者が治る・・・明確な因果関係は未だに不明だがな」

 

「そういや有里が仕留めた大物がいたろ。あの後は特に無気力症患者が減ったらしい」

 

 その先日の戦いで名誉の負傷を負った真田さんが嬉しそうに相槌を打つ。あの不気味な大型生物はシャドウとして呼称されているが、ナニカ別種の生き物のような気もする。何はともあれ、よく分からずとも人が救われたならばそれは良いことだ。しかし桐条さんは顔を暗くしたまま思索に耽っている。

 

「あれだけデカい図体が普段から街でウロチョロしてたら、いくら何でも気が付く。なら、大型シャドウが現れたのは最近な筈。・・・だったら、何故そいつを倒したら大勢の無気力症患者が治るんだ? 人を襲ったシャドウ自体が、無気力症を引き起こしている訳ではないのか? シャドウのせいで無気力症が蔓延し、シャドウを倒せば解決する。前提が間違っているのか、そもそも大型シャドウは・・・・・・情報が足りない・・・一体、何故なんだ・・・」

 

「美鶴、そんなのは考えても意味がない。俺たちがシャドウを根絶やしにすれば、どうせ考える必要もなくなるさ」

 

 一人考えを巡らせる桐条さんに、真田さんが口を挟む。彼が口にした脳筋な考え方は嫌いではないが、真田さんの発言に対し引っ掛かりを覚える。それはまるでシャドウを根絶する方法に見当がついているかのようだった。私の疑問を代弁するように、ゆかりが問いかける。

 

「根絶やしに、って。街にいるシャドウを虱潰しにするんですか? そもそも、なんでシャドウがいるのかも分からないですし・・・」

 

「そんなものは決まっている。チマチマやるのは性に合わん。俺たちは直接、巣を叩く」

 

「巣・・・シャドウの、ってことっスか?」

 

 真田さんが口にした巣という単語。それがシャドウの巣を指すことは明らかだが、本当にそんなものがあるのだろうか。自信満々な真田さんであったが、一方で桐条さんは懐疑的な口調で述べた。

 

「シャドウの巣、と決まった訳ではないがな。それでも内部には夥しい数のシャドウが蠢いている。正直、君たちが入ってくる前は人手不足のせいで殆ど探索が進まなかった・・・何があるかは、私達にも分からん」

 

「・・・今って月光館学園に向かってる途中っスよね」

 

 伊織君が目的地を再確認する。話の流れからして、もう察しはついていた。だけれども様式美として、つい口から言葉が漏れてしまう。

 

「・・・まさか」

 

「そのまさかだ。さあ、もう着くぞ」

 

 

 

***

 

 

 

 私たちは車を降り、深夜間近の時間帯に月光館学園の校舎前に立っていた。

 

「・・・どう見ても、いつものガッコーって感じっスけど」

 

「見てれば分かる。ほら、0時になるぞ。」

 

 時計の針が丁度一周した時だった。ありふれた日常風景が一瞬で変貌し、未知の領域へ身が投げ出されるような感覚。影時間の始まりを、私達は肌で感じ取った。

 

___それと時を同じくして、地響きが鳴る。

 

 ようやく見慣れてきた校舎の姿は、植物の成長を早送りで見ているかのように無機質な枝を伸ばし、天を貫かんばかりに月へと延びていく。歪な時計と無理やり捻じ曲げられたような奇妙な城のようなオブジェと化したその建物は、シャドウの巣と言われても名前負けしない程度には不気味な姿をしていた。

 

「これが、タルタロス。影時間の中だけに現れる迷宮だ。影時間が明ければ、また元の姿に戻る」

 

「なんか、スゲェことになってますけど・・・」

 

 桐条さんが補足説明をくれたが、伊織君は驚きのあまりに語彙が残念なことになっていた。私とゆかりも、ちょっと度肝を抜かれてしまった。まさか学校が変形して迷宮(ダンジョン)になるなんて、思いもしないだろうに。

 呆気に取られている私達から一歩前に踏み出し、真田さんが振り返る。

 

「如何にも、って感じの場所だ。ワクワクするだろう? 誰がどう見たって、ここには絶対何かがある・・・きっと、影時間の謎を解く鍵が」

 

 浮かれたような言葉に反し、真田さんの声色と表情には鬼気迫るものがあった。そんなやる気十分な真田さんに、桐条さんが水を差す。

 

「明彦、お前は留守番だ。怪我が治るまで探索はさせないぞ」

 

「・・・分かっているさ・・・ちょっと位ならいいじゃないか」

 

「何か言ったか?」

 

「いいや、美鶴。俺は大人しく留守番をしていると言ったんだ」

 

 長年の付き合いを感じさせる気軽な掛け合いを横目に、伊織君が私達二人に声を掛ける。

 

「真田先輩がいなくて不安だろうけどさ。ま、俺っちがついてるから安心しなされ!」

 

 どことなく不安を煽る伊織君の様子を見て、ゆかりとアイコンタクトを交わす。まあ何とかなるだろうという気持ちを胸に、私達はタルタロスの中へと歩を進める。

 光り輝く月に時計が埋め込まれているような意匠が施された扉は、見上げるほどの大きさに反して押せば簡単に開いてくれた。外観の凄まじさに引けを取らず、内装も非日常的な荘厳さを湛えていた。

 

「おお・・・中もスゲェな・・・・」

 

 舞踏会でも開けそうなほどに広い空間は、天井までの高さも外観からは想像できないほどであった。既に来た経験のある先輩を除いて、私達は非日常的な不可思議の空間に少なからず驚いていた。私の中の狩人の勘はタルタロスの内部に憶えのない既視感を訴えかけるが、残念なことに心当たりはなかった。

 

「ここはまだエントランスだ。本番は、そこの入り口の先からだ」

 

 白と黒の格子状のタイルの中、入口からまっすぐ伸びる道をカーペットが装飾していた。桐条さんが目を向ける先には、長い階段が続いており、これもまた時計を模したような奇妙な入口がそびえていた。成程、真田さんが何かあると訴えるだけあって、如何にもな雰囲気を漂わせた入口だった。

 

 皆が気構えている中、私はぐるりとホールを見渡す。すると、見覚えのある青い扉がホールの隅にひっそりと佇んでいた。他のメンバーが迷宮の入り口を見つめている隙に、扉の前までササっと足を運ぶ。

 以前イゴールは次に訪れる時は自分の手で、と言っていたような気がする。特に用事があるわけではないが、折角なので私は扉を開き、中にお邪魔したのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 扉をくぐった先には、あの時と同様にエレベーターの内部のような不思議な空間が広がっていた。部屋の真ん中に佇む丸テーブルをイゴールとミナトが囲んでおり、その傍にはエレベーターボーイ&ガールが微動だにせず控えていた。

 

「やあ、公子。結構久しぶりだな、元気にしていたかい?」

 

 そういってミナトは此方に振り返ると、ヒラヒラと手を振った。私も手を振り返して、元気元気と口ずさみながらミナトの肩越しにヒョコっと覗くと、机の上にはタロットカードで出来たタワーが鎮座していた。

 イゴールもようこそと歓迎してくれたので、私もお邪魔しますと断ってから適当な席に座る。目線をミナトに向ければ、彼は肩をすくめて気恥ずかしそうに頬を掻いた。

 

「最近は時間を潰すのにも難儀をしていてな。何分、ここにはモノが少ない・・・せめてタロットではなくトランプだったら少しはマシだったろうが・・・」

 

 言われてみると、この閉鎖空間には確かに机と椅子くらいしかない。外と中とは時間の流れが異なると言っていたが、具体的にどう違うかは聞いていなかった。私にとっては一月ぶり位だと思うが、彼らにとってはいつ以来の事になるのか。

 

「まあどうでもいいことだ。それで、今日はどうしたんだ」

 

「特に用事はなくって、ただ入口があったから何となく・・・」

 

 なんとなくか、と嬉しそうにするミナトとイゴール。どうやら暇を持て余しているのは本当なようで、特に用がなくても客人が来ることは歓迎なようだ。そんな二人を見て、私は時間があればベルベットルームに足を運ぶことをひっそりと決意した。

 ついでなので、私は今日までにあったことを掻い摘んで話した。シャドウの事、特別課外活動部の事、タルタロスの事、そして今からタルタロスの探索に向かう事。本当にあったことを話しただけなので取り留めのない内容になってしまったが、それでも二人は嬉しそうに聞いてくれた。

 

「タルタロス、シャドウの巣・・・シャドウに立ち向かうペルソナ使い・・・ペルソナ、私の準備が無駄に・・・」

 

「ハハハ、いいじゃないか。初々しい若人の門出だぜ。いやはや、別に公子が狩人でもサポートする事実に変わりはないだろう。別に私は狩人だからイゴールとは違うとかは思ってないさ。兎にも角にも景気よく祝おうじゃないか。アルコールがないのは残念だがね」

 

 イゴールは周到に用意していたであるサポートが無為に帰した事を惜しみ、ミナトは後輩の門出に喜色を滲ませている。和気あいあいとした談笑する雰囲気が、とても心地よかった。

 意外と軽いノリで話しているベルベットルームの住人たちは、最初に感じた威厳などがあまり感じられないのだが、それが嫌という訳では全くなく、むしろ素の姿を見せてくれて嬉しいくらいだった。

 

「じゃあじゃあ、これから戦いに向かう後輩に頼れる先輩からアドバイスとか欲しいかも!」

 

「私の背中を見てきたならば語るべきこともそう多くはないと思うが、たまには助言者らしいこともするべきかね。

 ゴホン、では・・・使()()に会ったら仲良くしなさい。狩人としての道を進んでいれば、必ず彼らと出会うだろう。彼らは狩人の良き隣人だ、きっと力になってくれる。因みに仲良くなりたいなら、小物をあげると喜んでくれるよ。彼らはお洒落さんなのさ」

 

 戦いに関する助言が貰えると思ったが、帰ってきたのは予想外の言葉だった。ヤーナムで狩人を助けていた使者たちが現代にも存在するとは予想すらしなかったが、ミナトの言葉には不思議な確信があった。先人の有難い言葉を拝聴し、そのまま調子に乗った私は思いついた言葉を口にする。

 

「そうだ! ミナトも一緒に行こうよ! そうしたら、きっと楽勝だし。それに、すっごく心強いし・・・」

 

「あー、その。残念だけど、私はここで待っているよ」

 

 言葉にしてから気が付いたのだが、私はどうやら心細さを感じているようだった。周りは全員ペルソナ使い、狩人は私だけ。しかも、私の力だって突然降って湧いたもののようだ。戦うことに不安はない、命を懸けることに躊躇いはない。ただ少し寂しくて、自分が狩人と名乗っていいのか不安に思っているのかもしれない。

 ちょっと我儘を言ってしまったようで気が引けたので、ミナトが断ってくれてむしろ良かったと思う。でもまあ、その様子を見て安心が半分、残念な気持ちが半分といった所だった。

 眉尻を少し下げて無言でミナトを見つめる私の姿は、ちょっとばかり子供じみていた気がする。そんな私の様子を見て彼は可笑し気に破顔し、指を立てて語り始めた。

 

「・・・・・・私の昔話を、狩りの始まりを知っているかい?」

 

 優しい表情のまま、ミナトは上に視線を動かす。

 

「私はかつて、流行り病に冒されていた・・・病を治すためにヤーナムへと足を運んだわけだが、何の因果か私は獣を狩る狩人になっていた。右も左も分からぬ若造が、降って湧いた力に戸惑って右往左往する様は、思い出しても楽しいものではないな」

 

 彼の顔に苦笑いが浮かぶ。けれど同時に、懐かしむような雰囲気も感じることが出来た。

 

「誰だって初めは不安を抱える。未知の恐怖に、戦いの険しさに・・・そびえ立つ壁に。そして自身の在り方を見失ってしまうのさ、そうして多くの狩人が道を踏み外したのかもな。

 獣を狩れば、それが狩人。世の中がそんな単純な話で済めば楽なんだがね」

 

 深い宇宙色の瞳に、私の瞳が映り込んだ。

 

「いいかい、公子。これは他ならぬ君が主役の物語だ。()()()()である君は、夜に立ち向かう権利がある・・・決して義務ではない、純然たる権利のみが存在するんだ。

 君には戦わない道があった。逃げても誰も君を責めることはない・・・それでも、君は自分の意志で立ち向かう事を選んだ。その意思が、君を狩人たらしめるものなのさ。

 その覚悟に水を差して私が余計な茶々を入れてしまったら、貴重な成長の機会を奪ってしまう。私には、そんな酷いことは出来ない」

 

 人生の主役は自分自身だとか、そんな冗談めいた言葉ではなかった。私が自分の道を進むために、ミナトもまた自分の言葉で私の背中を押してくれている。

 

「狩人に求められる素質は、全てを差し置いて()()であると思っているよ。身体的な強さだけじゃあない、確かな強い意思こそが狩りの成就への導きだ・・・そういう意味では、駆け出しの頃の私より公子の方が狩人らしいかもしれないな」

 

 まるで親が子を諭すような言葉に、先人から伝えられた意思に、ようやく狩人としての自覚が促された。ミナトの励ましの言葉を受けてら、現金なもので私は非常に元気になってしまった。

 

「もう大丈夫かい?」

 

 すっかり大丈夫だ。私は頷く。

 

「そうか、それなら良かった」

 

 ミナトは古ぼけた短銃をどこからともなく取り出し、私の手に握らせる。現代の日本人にとって馴染みのない代物であるはずだが、不思議とノコギリ鉈と同様、気味が悪いくらい手に馴染んだ。トリガーガードに指をひっかけ、くるりと一回転させる。包帯を巻いただけの簡素なグリップが、吸い付くように手に収まった。短銃を懐に仕舞い込み、口を開く。私が告げた感謝の言葉は、どんな言葉であっただろうか。彼らの綻んだ顔を見る限り、可笑しな台詞は口ずさんでいないはずだろう。

 

 そうして私は立ち上がった。

 

「さあ、狩りの始まりだ。気を付けて行っておいで」

 

 行ってきます。そう言って私はシャドウの巣(タルタロス)へと挑むのだった。

 




イゴールが空気過ぎる・・・
エリザベスとテオドアに至っては背景と化している。
いつかシャドウとかペルソナとか方面の解説が必要になったら活躍するかも(未定)

あと、前話で設定の矛盾を指摘してくださってありがとうございます。
まだペルソナ3の原作を思い出しきれていないので、今後も間違いがあったらスミマセン。(失敗を活かせない人間の屑)

そして書く時間がないので一話が短くなる悲しみを背負っている。
でも次こそ戦闘シーンだぞ!そして左手武器だぞ!書くのが楽しみ!
しかし次話の投稿はいつになるか未定。


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