ビルドリビルド 仮面ライダービルド at once A and B (鉄槻緋色/竜胆藍)
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第1話 ベストマッチにはまだ早い
01 霹靂のビューチューバー


『ビルド・チャンネル! いえーい!』

 どこか軽薄なタイトルコールと共に、画面の二色のロゴが渦を巻いて消えると、そこには緑深いどこかの山中の光景が映し出された。

 ただ、空は澄み渡る青さなのに、辺りは煙に巻かれているかのように靄がかかって薄暗い。

『フッフー! やあみんな!実験してる? 仮面ライダービルドでぇーす!』

 そこに画面の上方から着地してきた人影が、斜めに構えてフレミングの右手のサインを振りながら前口上を述べ始めた。

 それは、赤・青・黒の斜線で構成された装甲服を纏った人間に見えた。

 頭部は顎まですっぽりと覆う球状のヘルメットに包まれており、目にあたる位置には左右非対称の奇妙な形状のクリアパネルが張り付いていて、外からでは中の素顔は見通せない。

『今日の舞台はこの辺! 場所は言えないけど見覚えのある人ならだいたい分かるかな? 通報してくれた視聴者さん情報ありがとー!』

 だが、そんな無機質な異様に反して口調と身振りはどこまでも軽薄で非常に人間臭く、底抜けな明るさと愛嬌に満ち溢れている。

『通報にあったスマッシュの居場所はだいたい絞り込んでいるよ! あとはもう追い込むだけだからね!』

 振り返った背後の彼方を指して、仮面ライダービルドが宣う。

 その遠景には、山並みの向こうを遮る、左右の果てから果てまで連なる壁のようなものが見えた。

『それでは今回も、ビルドのバイナリー・コンプレックスの真骨頂をお目にかけよう! 』

 言って広げた両手を振ったビルドは、振り返るなり猛然とした勢いで駆け出した 。

 画面もすぐに追従するが、同期したビルドの周囲を流れる景色が凄まじい勢いで後方に流れてゆく。両足で駆けているにも関わらずバイクに勝るとも劣らないスピードだった。

 そしてその速度のまま倒木を、大岩を、地面の亀裂を迅速に柔軟に飛び越えてゆくのだ。

 まるで野ウサギのごとき俊敏性にして、戦車の無限軌道のごとき走破性。

 それは、あれほどの装甲服を着込んでいる人間とは思えない動きだった。

 やがて小高い丘から跳躍すると、下方へ向けてオーバースイングで拳を振るった。

 まるで何も無いところを殴りつけたようにしか見えないが、あろう事か拳の軌跡から黒い靄が出現し、寄り集まると砲弾の勢いで射出されたのだ。

 未だ宙にあるビルドが続いて右脚、左脚で回し蹴りを放つと、同様に蹴りの軌跡から黒の霞が現れ、砲弾と化して撃ち出された。

 それら黒の砲弾は、地上にある廃墟に殺到し凄まじい音を立てて爆砕した。

 爆煙たゆたう地上の拓けた場所に、難なく着地するビルド。

 そこは、かつて町だった場所。建物は寂れ、軒並み崩れ落ち、生活の気配が一切無いゴーストタウン。

 やがて、爆砕した瓦礫の中からのろのろと何かが這い出てきた。

『情報照会。ビンゴ! 通報にあった個体だね!』

 ぱちんとフィンガースナップを打って指差したそいつは、人でも動物でもないおぞましい異形だった。

 鈍く輝く金属色。まるで工場の機械を圧縮して歪な熊かゴリラの形に練り上げたかのような体躯。それなのにまるで筋肉のように有機的に膨張、収縮する腕脚を動かして、そいつは立ち上がった。

『罪の無い市井の皆さまの生活を脅かす野良スマッシュは、今ここでこのビルドが討伐する! さて、御視聴の皆さんもご一緒に!』

 そこまで言ったビルドは画面に顔を向けて指を差し。

『──さあ。実験を始めようか!』

 フレミングの右手を横に振り、高らかに宣言した。

 

 

 赤・青・黒の装甲服と金属色の異形のぶつかり合いを映す携帯端末を、獰猛な目付きで見つめる男がいた。

 一部を編み込んだ頭髪に、ストリートファッションのラフな着崩し方など、まるでチンピラめいた男だった。

 人知を超えた異形同士のバトルは程なく決着し、断末魔の爆炎を背に額のアンテナをなぞり上げた右手をパッと開いたビルドと名乗る装甲服姿が勝ち鬨をあげた。

『イエーイまずは一体! 引き続き、この周辺で野良スマッシュをやっつけるから、みんな安心してね! 他、スマッシュの目撃情報は引き続き東都政府にも連絡を!あっちの方がプロだからね。 それじゃあまた! ビルドチャンネルでした! 応援コメントが力になるのでよろしくね!』

 番組終わったところで男は携帯端末を床に放り捨てて立ち上がった。

「俺らのシマで派手にやってくれんじゃねえかよ……」

 犬歯を剥き、獰猛に呻いて拳を掌に打ち付ける。

「ボス。コイツやっちまうんですかい?」

 危うく携帯端末をすくい上げた後ろの男の問いに、ボスと呼ばれた男が振り返って吼えた。

「ったりめーだろうが! こんなもんネットに流しやがって、あんなのが好き勝手してんのを他所のチームに見られたら、ウチらが舐められんだぞ!」

 ボスはそこにあった一斗缶を蹴りつけて仲間を振り返った。

 十数の眼光を睨め回して続ける。

「お前ら! そいつを探し出して居場所を掴め! 見つけたら俺が戻るまで目ェ離すな! 後を付いて張り続けろ! いいな!」

 おう!と男たちの声が唱和した。

「……って、ボスどっか行くんスか?」

 小首を傾げた男の額を、ボスのデコピンが打った。

 打たれた男は尋常ではない勢いで縦回転しながら派手に吹き飛んでいった。

 仲間数人を巻き込んで、机やロッカーもろともなぎ倒してようやく止まるほどの威力。

 それは人知を超えた暴力だった。巻き込まれた男たちが怯えた顔で目を白黒させている。

「馬鹿野郎。今日の仕事があんだろがよ。尊い尊い労働がよ」

 そんな部下たちを見下ろし、口の端を上げてボスは頑丈そうなアタッシュケースを掲げて見せた。

「いいか! このシマは誰にも渡さねえ。ここのスカイロードは、俺たち『クローズ』のモンだ!」

 

 それから程なく、ボスの姿は山深くの森の中にあった。

 辺りは日射を枝葉に遮られていることを差し引いても薄暗い。黒の霞が淀んでいるよう。

 それでもボスは意に介さず、荒れた地面を軽々と踏破してゆく。

 岩を乗り越え木々の間を抜けると、巨大な壁が見えてきた。

 高さはおよそ日本一と謳われた公共電波塔に匹敵すると言われる。

 幅に至っては果てが見えない。

 何しろ日本を海まで三つに割っていると言うのだ。

  ──「スカイウォール 」。

 十年前、初の有人火星探査で発見された謎の物体のお披露目会で、その物体が原因で生えてきたシロモノらしい。

 その壁は、陸路を物理的に遮り、上空をも謎の力場で遮り、海洋の遥か遠くまでを遮って、日本を完全に三つに分断してしまった。

 かつては電波すら遮断していたらしいが、今では政府によって新たなインフラを構築され、限定的ながら通信網が敷かれている。

 そしてもう一つ、直接壁を通り抜ける術があった。

「……」

 ボスが立ち止まったのは、巨大な壁に穿たれた大きな亀裂の前。

 この亀裂の穴は、壁の向こう側まで通じている。

 スカイウォールに空いた道、ということで「スカイロード」と通称されているものだ。

 こうした亀裂はここだけではなく、どこかに数カ所あるらしい。

 当然、政府が発見・確保した直轄の通路もあるし、探せば誰でも壁の向こうと行き来できるかもしれないが、おいそれとそうする訳にはいかない事情がある。

 その理由は、辺りに立ちこめている黒の霞にある。

 それは壁の根元、地面の隙間からだくだくと湧き出ているガス。

 研究機関によって「ネビュラガス」と名付けられたそれが、壁の根元から常時吹き出して辺りに蔓延しており、壁全域から十キロメートルの範囲を進入禁止区域に指定させてしまったのだ。

 もちろん人体に有害な為だ。防護策も対処も無しに常人が立ち入れば、いずれ死に至ると言われている。

 だと言うのにボスは意に介さず、普通に呼吸して歩を進め、壁の亀裂「スカイロード」へと入っていった。

 

 壁を抜けた先は、まるで冬の墓場のような世界だった。

 季節は晩夏のはずなのだが、ここは酷く寒い。

 陽光を壁で遮断された深刻な日陰である事を差し引いても、異常な冷え込みだ。

 壁一枚、たかだか五百メートル隔てただけなのに、なぜか空の色も薄暗い。

 町へ降りる斜面は乾いた土を晒し、草も無く、枯れ木の群れが墓標のように乱立している。

 もっとも、ボスにとってはどうでもいい事だ。

 三つに分断されたうちの東北方面、すなわち北都地区は壁を境に極寒の地に成り果てたそうだが、壁際で暮らすボスにとっては散歩がてらに行ける避暑地程度の認識しかない。

 とは言え長時間居座っていれば強烈に冷え込む。だからボスは持ってきたスタジャンを羽織った。

 背中に派手な龍の刺繍が踊る。

 枯れ木の墓標の合間を抜けて山を降り、歩くこと小一時間。

 やがてたどり着いたゴーストタウンの取引場所である廃ビルに入ると、中に作業着姿の男がひとり立っていた。

「猿渡 一海さんか?」

「ああ」

 ボスの問いかけに、作業着の男がぶっきらぼうに応じた。

 およそ三十歳前後に見えるそいつは、どこか獰猛な匂いを湛えた、まっとうでない雰囲気を纏っていた。

 もっとも、そもそも『クローズ』のような闇ブローカーに絡む者がまっとうな訳がない。

「……あんたは?」

「注文のブツはこれだ。カネは持ってきたか?」

 相手の質問をはぐらかし、アタッシュケースを掲げて見せる。

「ああ。これだ」

 作業着の男・猿渡もこだわらず、懐から厚い封筒を出して見せた。

 ボスは頓着せずにすたすたと歩み寄り、アタッシュケースを突き出すと、差し出された封筒を受け取ると同時にケースから手を離した。

「おお……!」

 喜色を浮かべた猿渡が、そそくさと屈み込んでアタッシュケースの留め金を解きに掛かった。

  『クローズ』は、一般人では往来の容易でない壁を利用して、物資の遣り取りを仲介している。町の運び屋が持ってきたものを壁の向こうに運んでいるだけなので、ボスもアタッシュケースの中身は知らない。

 政府直轄のスカイロードを通せない以上、まっとうでないモノなのは確かだろうが、ボスには興味が無かった。

 だから、猿渡がアタッシュケースの中身を漁っている間、目もくれずに受け取った封筒の中身を数えていたのだが。

「カーシラー! おーい、カーシラー!」

「げ⁉︎ 」

 秘密のはずの取引場所に、第三者の声が聞こえてボスは猿渡と同時に顔を上げた。

 変な声を上げたのは猿渡だ。

「おい、アンタ! 一人で来いっつったろ!」

 慌てて問い質すが、猿渡も泡を食った様子でケースの中身を掻き集めている。

「いや、違ぇ! 悪い、カネは足りてるよな? じゃ、あばよ!」

 ケースと中身を大事そうに抱え込んだ猿渡が立ち上がり、忙しなく左右を見回す。

 その際、よほど慌てていたのかケースを取り落とし、中身をばら撒いてしまった。

「ああああ⁉︎」

 猿渡は慌てて屈み込み、床に散らばったそれらを必死に搔き集める。

「……?」

 その床に落ちたものを見るともなしに見てしまったボスは喫驚の呻きを漏らした。

「……な」

 それは、華やかな衣装を纏った若い女性の写真、あるいは写真を使用したメモだかカレンダーだか日用品などの、いわゆる「アイドルグッズ」の数々だった。

「カーシラー! まーた生活費持ち出したでしょー! この辺にいるんでしょ! カーシラー!」

「やべえ! じ、じゃ、世話ンなったな!」

 遠くの声が迫る中、ようやく荷物を回収した猿渡があたふたとビルから駆け出していった。

「あー! あそこだ!」

 遠くの声も猿渡を追って遠ざかってゆく。

「……マジかよ……アイドルグッズに闇ルート使うか普通……? オタク怖ぇな……」

 その間ボスはその事実に愕然とし戦慄していた。

 



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02 紙一重のシリー・ウォーク

『十年前、我が国は未曾有の災厄に見舞われた』

 壇上で、グレーのスーツをぴしりと着こなし、口髭をたくわえた壮年の男が重々しく口を開いた。

 スピーカーから重く太く、通りの良い声が響く。

『我が国初の有人探査機による火星調査隊が、成果を持ち帰ったことは実に偉大な事だが、もたらされた火星の文明の遺産・パンドラボックスの異常反応により出現した壁・スカイウォールは我が国に甚大な被害をもたらした』

 広い会場に敷き詰められたパイプ椅子には、揃いの制服を着た非常に体格の良い人々が、やたら良い姿勢で着座し静聴している。

『壁直上とその付近にあった町・施設は打ち砕かれ、大勢の方々が亡くなられた。続いて噴き出した有毒ガスによって、壁から十キロメートルは今でも汚染され進入禁止区域となっている。

 更には、それによって我が国は三つに分断されてしまった』

 滔々と語る男が両手をついている演台には「氷室幻徳」と表記された名札が立てられている。

『被害はそれだけではなく。有毒ガスに汚染されて変質・凶暴化した野生生物が徘徊し、今でも進入禁止区域付近の町を、国民を襲うこともある。

 だが、防衛策も進んでいる。見たまえ』

 背後の巨大なスクリーンに映し出されたのは、どこかの寂れた街角。

 奥の建物の陰から異形の人影がノロノロと這い出てきた。

『あれが有毒ガス──通称「ネビュラガス」に汚染され変貌した害獣、通称「スマッシュ」だ。そして』

 画面手前から、ぞろぞろと揃いの黒い装甲服を纏った十数人の集団が現れた。

 腹には複雑な機械じみたバックルを据え付け、装甲板には幾重もの斜線が刻まれている。

『これが東都先端物質学研究所が開発した防衛作戦服「Dテクター」だ』

 スマッシュを取り囲み、有機的に陣形を組んだ装甲服姿──氷室幻徳曰く「Dテクター」たちは、各々細長い円錐形の穂先を持つ短剣を抜き出して一様に構えると、スマッシュへと飛びかかっていった。

『なお、スマッシュの腕力は自動車を片手で粉砕できる。それを踏まえて映像を見てもらいたい』

 今、スマッシュに殴り飛ばされたDテクターが背後のコンクリート壁を砕いて転がっていった。

 だがそれはすぐさま跳ね起きて再び戦場へと駆け戻ってゆく。

 おお、と会場にどよめきが起きた。

 やがてDテクター部隊の連携攻撃によってスマッシュは力尽き、膝を着くと地に倒れ伏す直前に大爆発を起こした。

『このように、脅威に対する装備は万全だ。だが、装着すべき人材が増えれば国民の護りもより盤石になる。諸君らにも、どうか東都の防衛に力を貸して欲しい。我々東都政府は諸君らの志願を待っている』

 

「氷室首相補佐、お疲れ様です!」

 所長室に戻る通路の途上で、鋭角な眼鏡をかけた白衣の男が出迎えた。

 胸を張ってはいるものの、痩せぎすの体躯は頼りなく、浮かべた満面の笑顔もどこか薄っぺらい。

「ここでは所長と呼べ。……おべっかも度が過ぎると若干ヒくぞ、内海室長?」

 氷室幻徳は親指を口髭の端に滑らせながら白衣の男──内海の前を通り過ぎた。

 程なく辿り着いた所長室のドアを開き、氷室に続いて、内海も入室する。

 室内中央のソファに向かう氷室を見送り、内海は入って数歩の所で後ろ手を組んで控えた。

 その間も、内海の作り物めいた笑顔は微塵も動かなかった。

「Dテクター隊員の志願者、集まるといいですね!」

「心にも無いことを言うな内海。おまえの傑作を大っぴらにできないもどかしさは俺も同じだ」

 振り返り、腰を下ろしてソファに深々と背中を沈めた氷室が、ハエでも追い払うように手を振った。

「葛城がいなくなった今、これ以上の改良発展が見込めないDテクターに成り代わるのは、おまえの発明だ内海。それは揺るがん。……それを聞きに来たんだろう?」

 言われた内海の薄っぺらい笑顔の口の端がさらに上がり、本物の喜色が加わった。

 それはまるで褒められた幼児のような無邪気な笑顔で。

「ヒ、ヒヒ。そうです。その通りです」

 内海は一転して歯が見えるほど笑んで何度も頷いた。

「僕は葛城なんかよりずっと優秀なんです! 「悪魔の科学者」達だって目じゃ無いです! ぽっと出の自称・天才とか言う紙一重野郎の桐生なんか論外です! 僕の発明が最高なんです! それを証明して見せますよ!」

「ああ。期待してる」

 興奮気味に盛り上がる内海に対し、氷室は変わらず冷淡に続けた。

 片手で眉間を摘み、目元をマッサージするフリをしてその姿を遮断する。

 正直この内海、三十路手前の男としては、科学者ゆえの変わり者だと言うことを差し引いても性根に難があり、その、困る。

 だからこう問いかけてやった。

「ところで内海。例の頼みについて、何か思い付いたか?」

 そう言った途端、内海の顔がたちまち不機嫌に歪み、口が「へ」の字に引き結ばれて静かになった。

 

 

 氷室幻徳首相補佐官は、同時にこの東都先端物質学研究所の所長であり、当然館内全てのマスターキーを所持している。

  「桐生研究室」と札がつけられたスライドドアの端末に片手をかざし、指紋とリストバンドの二重ロックを解除すると、静粛に展開したドアをくぐって入室した。

「……って、また物が増えてないか?」

 目の前に現れた、乱雑に置かれた無数の機材、用途不明・様々な形の謎の什器の群れに、氷室は一瞬だけ圧倒された。

 ここは元々もっと広大な部屋だったはずなのだが。

 おかげで部屋の向こうが全く見えない。

 すぐに気を取り直して奥へ進む。

「桐生! 桐生室長はいるか!」

「げ 」

 背の高い什器の隙間を掻き分けてようやく見通しの良い場所にたどり着いたところで、そこにいた白衣の若い女性が素っ頓狂な声で出迎えた。

 明るい色のウェーブヘアに艶やかなルージュと、白衣の下は魅惑的な肢体と派手めなスーツの、華やかな女性だ。

「……氷室所長。またわざわざ遭難しに来たんですか?」

「滝川君」

 互いに目が合ったその途端。

 氷室は両手で髪型を整え、口髭を撫で付けて居住まいを正した。若干斜めに構えてキメ顔を作る。

 それと同時に白衣の女性・滝川も白衣の前のボタンを全部留めてスカーフで口元を覆い、アピールポイントを全て封印してしまった。

「……やあ滝川君。今日のファッションも素敵じゃないか知的さと美しさがうなぎ登りだ」

「目ぇ腐ってんですかセクハラで訴えますよあと絶滅危惧種に謝ってください」

 それきり黙り込む。

 しばしの静寂の中、時計の針の音が白々と響いた。

 んん、とわざとらしく咳払いした氷室がキメ顔を解いて姿勢を戻した。

 だめかー、と小声で呻いてから顔を上げた。

「桐生室長はいるか?」

「端末で入出記録見れるじゃないですか」

 氷室が職務モードで問いかけても、滝川の半眼は解けない。

「あいつの場合、セキュリティが意味を成さない事があるからな。直接確認する必要がある」

「研究所の設備の管理不行き届きじゃないですか仕事してくださいよ総責任者」

 努めて普通に語りかけているのだが、滝川の辛辣さは留まるところを知らず、相変わらずにべもない。

 深々と溜め息を吐いた氷室は、降参したように両手を振って呻いた。

「オーケイ。じゃあまた勝手にフィールドワークに出かけたっきりなんだな?」

「そうでーす。電話かけても出ませーん」

 所長相手だと言うのに滝川の返事はまるで奔放な学生のようだった。

「無駄だと思うが、戻ったら連絡するよう伝えてくれ頼むお願い」

 滝川の微動だにしない半眼に、なぜか氷室の声が語尾に進むにつれだんだんと弱ってゆき、嘆願の色を帯びてきた。

 氷室が拝み打ちにした両掌を振りながら後退してゆき、スライドドアが閉じる音が聞こえるまで黙って見送ると、滝川はようやく口元のスカーフを下げ白衣の前を全開にして振り返った。

「はぁーウザかったー。桐生室長早く帰ってこないかなー」

「じゃーん! 戻ったっしょー!」

  にゅっ、という感じで、テーブルの端から満面の笑顔の男が飛び出した。

「ひゃ⁉︎ 」

 滝川が喫驚して飛び退いた。

 現れた男は、およそ二十代半ば、茫洋とした顔立ちで髪はボサボサ、若干猫背気味のヨレヨレ白衣とまるで偏屈な研究者そのものの出で立ちだったが、不思議とその目と表情には人を和ませる愛嬌と活力があった。

 胸の名札には「桐生 戦兎・桐生研究室室長」と書かれている。

「ど、どうやって戻ってきたんですかあ?」

「ん? 」

 この研究室は窓も無く、出入り口は厳重なデジタルロックのドアひとつだけ。この数分間に出入りしたのは氷室所長のみだったはずだ。

「いや別に。幻さんの背後にくっついて部屋に入って、死角をこうぐるーっと」

 言いながら、事も無げな顔で氷室が辿ったルートとは反対側の什器の群れを指差した。

「回ってきただけだよー」

 言うが、それは実際タイミングや足音など、プロのマジシャン顔負けの所業である。

「また館内記録に残らない出入りしちゃう桐生室長ってば素敵!」

 そして、それらを事も無げにこなしてしまうのも、自称天才桐生戦兎たる所以だった。

「そんな事より助手くん! 今日も大漁だったよー」

 言って白衣を左右に広げると、そこには小瓶が大量にぶら下がっていた。

「美羽、って呼んでくださいってばあ」

「ネビュラガスの化合成分と、分布のポイント。送ってあるデータと照合しながら整理してね! はい仕事」

 一転して甘ったるい声でしなだれかかろうとする滝川を無視して、目の前に小瓶の山を押し付ける。

「やーん、室長のいけずー」

「そうだ! 付き合いが悪いぞ桐生室長!」

 そこに、什器の陰から先刻退出したはずの氷室が再び両手をわきわきしながら現れた。

「げェーッ! 幻さん!」

 戦兎が思わず後退る。

 そしてそのまま屈み込んでテーブルの陰に消えた。

「いや、待てコラ桐生! なんで逃げるんだ⁉︎ 」

『だって、なんか俺を見る幻さんの目つきに貞操の危機を感じるからさあ!』

 氷室の問いに答える声が、何故かそこら中から乱反射して聞こえ、その位置が特定できない。

『ぶっちゃけ助手君と同じ目つきなんだもん俺こわいよー』

「やーん室長♪ 美羽って呼んでぇ♪ 」

「……そんな……俺、こんなか……?」

 隣で体をくねらせて嬌声を上げている滝川を見遣り、氷室は愕然としてうなだれた。

「い、いや誤解だ桐生室長! ホントに真面目な話だ! 無用には近づかんから頼むから話を聞いてくれ!」

 宥めるように両手を振って氷室が見えぬ相手に訴える。

「ほんとに?」

 その声は、先ほど消えた地点とは反対側の、背の高い棚の小窓から聞こえた。

 ぱかりと小窓が開き、戦兎が顔だけを出した。

 もの凄く疑念に満ちた眼差しで。

「あ、ああ。そのままでいいから聞いてくれ」

 どこからどうやって移動したのかは謎だが、戦兎の奇行は今に始まった事でもない。

 滝川の態度は努めて無視しつつ、氷室は居住まいを正した。

 

「Dテクターについてだ」

 改めて氷室は語り出した。

「なあ。本当に、強化の余地は無いのか?」

「無いですよ」

 戦兎はあっさりと答えた。

「前任者の葛城って人のデータで分かるところはアレで全部です。パワードスーツのスペックも、トランジェルソリッドによる擬似物質化を応用したスーツの出し入れも、全てネビュラガスの作用であり、装着者への毒性のリスクは現時点でギリギリ。これ以上の出力アップは命に関わる。出力不足は数の運用でカバーしてください……何度も言った通りです」

 戦兎が淀みなく答える。棚から顔だけ出したまま。

「だが、もしDテクターの数でカバーしきれない強いスマッシュが現れたら?」

「あ。じゃあそろそろ壁の根元を掘るんですね?」

 戦兎の即答に、氷室はほぞを噛んだ。

 さすが自称天才。わずかな会話の中からでも事の次第を見通してしまう。

「出力で言えば、ウツミンのところの「ガーディアン」がある。ウツミン俺には触らせてくんないから良く分からないけど、関節と機構の配置からしてアレ絶対合体して出力増強できるし」

 挙げ句、他人の研究をちょっと見ただけで機密事項まで看破してしまうのだ。

「そのガーディアンがあるのにまだDテクターに拘るのは……ガーディアンは全部、出張の大仕事があるから。例えば穴掘り。それでもし高濃度のネビュラガスを掘り当てたら……スマッシュへの影響は未知数だ。確かにスマッシュに強化されちゃったりしたら……厄介だね。民間への被害が拡大する。

 やめたら?穴掘り」

 滔々と、話していない真相と問題点を語り上げ、最後にはけろりとした顔で結論まで付け加えてしまう。

 優秀過ぎる頭脳に、氷室はつくづく舌を巻いた。

「……そうもいかんよ。壁の交差点の地下深くにはパンドラボックスが埋まっている。この十年間、そこにあると知りながら手出しできなかったものを、北都、西都が今にも掘り返すかもしれないんだ」

 氷室の話には、戦兎は首を横に振って応えた。

「いち研究者の俺が首相補佐官を止められるワケないっしょ。俺はやめたら、って思っただけ。だから、Dテクターについては責任者が責任持って運用でカバーしてね。以上!」

 言うや、パタンと小窓を閉じて戦兎は引っ込んでしまった。

「いや、それは分かってる! 今の話は建前だ!本題は別にあるんだ、桐生室長!」

 氷室の声に、棚の小窓がゆっくりと開いて、心底嫌そうな戦兎が再度顔を出した。

「……なあ、桐生室長。 例えば、ミックスジュースを、元のそれぞれの果実ジュースに分離する事はできないか?」

 氷室のそれは、子供じみた奇想奇抜な、しかしその眼差しは極めて真剣な、差し迫った問いかけだった。

 そのどこか必死な様子の氷室に対して、戦兎は。

「ムリに決まってるっしょバカですか幻さん」

 鼻の穴を広げて吐き捨てると棚の小窓をピシャリと閉じてしまった。

 

 



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03 隔絶のコントラスト

 そこは薄暗い地下施設だった。

 照明はある。立ち並ぶ機材のインジケータも無数に点滅している。

 それでも、どこか昏い淀みが蔓延している。

 正直この地下施設を拠点とする組織の長だとしても、そうそう慣れることのできるものではない。

 この施設の目的と実験内容の都合上、様々な薬剤

 の臭いはもとより、苦悶、悲鳴、怨嗟などありとあらゆる絶叫と、その絶叫をあげる者の吐瀉物、体液、糞便と、遺体とその管理をする薬液などおよそ白日を避けるべき不快な要素に満たされている。

 いや、満たさせている。

 命じて、満たさせているのだ。

 今も、防疫防護服に身を包んだ研究員が、粗末な患者衣を着せられた男を数人ががりで押さえつけ、実験用カプセルに押し込んでいる。

 一段高い位置の、施設に不釣り合いな豪奢なソファに腰かけた異形の装甲服姿の人影が、それら数々の人体実験を見下ろしながら、顔面のコウモリ型のバイザーの下、人間であれば鼻の下辺りを親指で横に撫でた。

 それはDテクターとも異なる形状の装甲服。無数のチューブが複雑に絡み合った装甲に包まれている。

 この装甲服には有害な空気を遮断する空調機構も備えられている。ゆえにコウモリのマスクの下の生身の嗅覚にはそれらの異臭は届かない。

 はずなのだが、それは頭痛を抑えるようにこめかみに手を遣った。

『煮え切らないやつだなあ。今さら被害者ぶるなよ。みっともねえ』

 そこに、固い足音と共にひどく嘲笑の色を帯びた合成音声が響いてきた。

 無数の鉄パイプをまたぐキャットウォークを鳴らして歩いて来たのは、血のように赤い装甲服姿だった。

 それもまたDテクターとも異なる形状の装甲服。

 無数のチューブが絡まったような装甲は共通しているが、不快さを催す色調のグリーンのバイザーと胸郭の形状が、絡みついたチューブと相まってどこか蛇を思わせる。

 両足を気怠げに投げ出して歩くその様と言い、全身で嘲りを表現する振る舞いと言い、装甲の形状と相まってその全てが見る者の神経を逆撫で嫌悪を抱かせる。

 その禍々しい赤い人影を、コウモリのマスクがゆっくりと振り返った。

『……ブラッドスターク。何の用だ?』

『おおいおい⁉︎ ご挨拶だなナイトローグ! そろそろ検体の数が足りなくなってるんじゃないかって思って心配して来てやったのによお?』

 赤い装甲服・ブラッドスタークはハリウッド俳優もかくやというオーバーリアクションで両腕を振って大仰に宣う。

『いや、イィーい検体候補を見つけたんだよ同志! きっといい実験が期待できるぞ?』

『なんでそんなことがわかる』

 憮然としてナイトローグが問い返す。

 ブラッドスタークは手を打ってナイトローグを指差すパフォーマンスをしてまで、嬉々として答えた。

『壁付近でのうのうと生活しているアホがいたんだよ。もしもネビュラガスにちょっとでも適応してるなら、普通の人間とは違った結果が出るんじゃないか?』

『……どうやって見つけた』

『たまたまさ。いやあびっくりしたぜ! こりゃあ是非ともお前に教えてやんなきゃと思ってなあ!』

 ソファの隣まで来たブラッドスタークが、気安い調子でナイトローグの背に腕を回し、抱き込むようにして肩を叩いた。

 だがナイトローグはうるさげにその赤い腕を振り払う。

 振り払われたブラッドスタークは頓着せずに、肩を竦めるリアクションすらして一歩離れた。

『……わかってる。我ら「ファウスト」の掲げる理想のため、手段は選ばん。そいつの居場所を教えろ』

 重そうに腰を上げたナイトローグだが、それでも立ち上がってからは迅速にソファを回り込んで歩き出した。

 

 

 例えどんなに甚大な災害が起きようと、人々は幸福な生活を求めて何度でも復興し立ち上がってきた。

  「スカイウォールの惨劇」からしばらくは、数年経っても娯楽場や喫茶店など憩いの施設が白眼視されていた時期もあったが、それでも、あるべき人々の憩いの場を追い求める酔狂者がいる。

 路地の奥にある、暖色系の外装に彩られた喫茶店「nascita(ナシタ)」もそのひとつ……と思われていたが、立地のせいか、いまいちひと気が無い。

 その無人の路地に今、戦兎がどたばたと駆け込んできた。

 白衣ではなく、どこかダブつきのあるファッションである。

 地を擦り削って急停止し、ドアノブに飛びつくと、けたたましく引き開けた。

「じゃーん!」

 ドアベルが派手に鳴るドアを、後ろを向いてそっと閉め、そのままブリッジするかのように上体を仰け反らせた。

「ただいまっしょー!」

 逆さまの喜色満面の笑顔で叫ぶ。

「はいはい。おかえり」

 それに対し、カウンターの向こうでグラスを磨いていた中年の男が苦笑顔で応えた。

「おまえさ。もうちょっと普通に入ってきてもいいんだぜ? おれぁドアの蝶番が心配だよぉ」

 粋に歪めた苦笑顔で言う男に、戦兎も笑顔のまますたすたとカウンターまでやって来ると。

「言えた義理か、あほマスター!」

 いきなり飛び上がって、カウンターの上に貼ってあった巨大な横断幕をむしり取った。

 そこには「地球征服」とデカデカと書かれてあった。

「商売する気あんのかこの宇宙人! お客さんドン引きだろこんなの書いてあったら!」

「いーじゃん。おれの趣味なんだし」

 戦兎の剣幕にも男・店のマスターの苦笑顔は小揺るぎもしないし悪びれもしない。

「それに忘れたのか? ここは、おれの店だ。つまり、おれが何をしようと自由!」

 両腕を広げて高らかに宣うマスターに対し、戦兎は衝撃を受けたように後退った。

「……くっ、宇宙には医者も警察もいないのか……」

 そこで戦兎は傍を振り向いた。

 店の奥のテーブルに腰掛けている少女に向かい。

「美空! 美空からも何か言ってやれ!」

「知らないし」

 ところが少女・美空の返事はにべもない。

 ボサボサの髪を頭頂で適当に括り、ヨレヨレのクソダサいジャージにスリッパ、瓶底眼鏡でノートパソコンに齧り付き、せかせかとキーを叩いてばかりでこちらを見ようともしない。

 無表情で冷淡に吐き捨てる。

「編集作業で忙しいし。話しかけないでほしいし。お父さんも戦兎も四散して消えて欲しいし」

「そんなに⁉︎ 」

 戦慄した戦兎がわずかに後退った。

 その戦兎の肩を、いつカウンターから回り込んできたのかマスターががっしと抱きしめる。

「オイオイ、今をときめくネットアイドル・みーたん様の邪魔すんじゃねえよ戦兎。ところでその垂れ幕貸せ」

「あ」

 戦兎の手から呆気なく抜き取った巨大な布を、マスターは手品でもするように両手で握ってしわくちゃに揉み合わせた。

「さあて御覧じろ。これならいいだろ?」

 言ってマスターはカウンターの上に布を投げ上げる。

 するとなぜか布は勝手に広がり、元の位置にしわひとつ無く貼り付いた。

 そこには、なぜか修正跡ひとつ付けずに別の言葉が書かれていた。

  【地球はひとつ! 割れたらふたつ!】

「ざっけんなッ!」

 額に青筋を浮かべて絶叫した戦兎が、取り出した黄色い小瓶をひと振りしてキャップをひねると、小瓶を握った指先を横断幕に向けて一閃した。

 その途端、横断幕の文字が蠢き、別の言葉へと変形してゆく。

  【宇宙一くそマズいコーヒーの店!】

「せめてこれくらい謙虚になれってんだ!」

 おおー、とマスターは心底感心したようにぺたぺたと拍手した。

「さっすが天才科学者・桐生戦兎!」

 いやいやいや……と照れた戦兎が頭を掻いて小瓶を持った手を振り。

 はっ、と正気を取り戻す。

「って、そうじゃねえ! さらっと無視してんじゃねえよちゃんと読め!」

 さらに戦兎が言い募ろうとしたその時。

 マスターと戦兎の頭にそれぞれノートパソコンと瓶底眼鏡がもの凄い勢いで激突して跳ね飛んだ。

 飛び散るキートップ。砕け散る眼鏡のレンズ。

 衝撃に朦朧とした頭を振って顔を上げた二人の男は、物が飛んできた方向から嫌な冷気を感じて振り向いた。

 そこでは、美空が立ち上がり、眼鏡の下の可憐な素顔に底冷えのするイイ笑顔を浮かべて握り合わせた拳の骨を鳴らしていた。

「……そんなに覚えの悪い頭だったら、もういらないよね……首の断面を見せろ!」

 言うや、ひっ摑んだテーブルを丸ノコギリの勢いで水平に投げつけてきた。

 絶叫が、喧騒が店の外まで響くが、路地の外にまでは届かない。

 

「いやー死ぬかと思った」

「何日かにいっぺんは死にかけてる気がするよ」

  マスターと戦兎がぼやきながら店内を片付けている。

 なお、美空はそこのロッカーに頭から突き刺さって動かなくなっていた。何がどうしてそうなったのかは覚えていない。

「んで、今日も行くのか? 「正義の味方チャンネル」は」

 ひしゃげた美空のノートパソコンを両手で撫で回すマスターに、戦兎がうんざり顔を上げて応える。

「ビ、ル、ド、チャンネルな。言い間違いの方が長いじゃねえか」

 砕けた瓶底眼鏡の欠片を全て拾い集めると、戦兎はそれをマスターに突き出した。

 なぜか欠け傷ひとつ無い新品に復元されたノートパソコンをカウンターにそっと置くと、マスターは続いて戦兎の手のガラス片を受け取り、両手で揉み合わせ始めた。

 そして両掌をゆっくり広げると、そこには綺麗に復元された瓶底眼鏡が現れた。

「んじゃ、行ってきます! ……ああ」

 そんな怪現象など見飽きた顔で身を翻しかけた戦兎は、ふと立ち止まると、後ろに仰け反り逆さまの顔でマスターを振り向いた。

「……余計なことはするなよ?」

 指先を突きつけて言うが、マスターは鼻で笑って肩を竦めた。

「彼女がいるのにできるかよ。それに」

 言ってマスターは、復元した瓶底眼鏡をかけてニヤリと口の端を上げて見せた。

「俺には何もできない。お前は好きに動け」

 ちゃお、と片手をヒラヒラさせるマスターに、逆さまの上体を起こした戦兎はそのままドアを押し開けて店から出て行った。

 

 

 北都エリアからスカイロードを抜けて戻ってきた闇ブローカー「クローズ」のボスは、森を抜けてふもとへ降りると、アジトとは別の方角へと歩き出した。

 土が露出した斜面がやがて平坦なアスファルトに変わっても、付近にひと気は一切無い。

 スカイウォールから十キロメートルが進入禁止区域となって十年。付近一帯の街はずっと無人のゴーストタウンのままである。

 商店も、デパートもビルもなにもかも、砕けた外壁を晒して沈黙している。

 そんな墓場のような廃墟を歩くこと小一時間ほど。

 進入禁止区域と居住可能区域の境目付近に近づくにつれ、遠くから自動車などの走行音や生活の騒音が聞こえてきた。

 政府が定めた進入禁止区域とは言え、物理的に壁や仕切りを立てられるわけでもない。

 この辺りは言わば、グラデーションのように有人・無人の家屋が入り混じっている。

 スカイウォールに近付けば、ネビュラガスに侵されるがその距離は曖昧であり、繊細な市民は壁から十キロメートルと言わずそれ以上離れる方向へ移住し、閑散とした毒気の薄い区域にはやがて人目を憚る連中が寄り集まって住み着いた。

 それは身寄りのないホームレスなどであったり、あるいは裏社会の住人であったり。

  「クローズ」のアジトも距離的にはこの辺りになるが、ここはアジトとは完全に別方面の地域。

 そんな壁付近よりはひと気があり、市街よりはうらぶれた町を、ボスは迷いのない歩調で進んでいった。

 

 やがて辿り着いたのは、看板も窓も砕け落ちた廃病院だった。

 だがボスは頓着せずにひしゃげたドア枠を乗り越えて中へ入ってゆく。

 朽ちかけた立入禁止の札をまたいで地下への階段を降りると、外観からは想像もつかない整備された一画が現れた。

 見える各部屋の内部には新品同様の医療機材や什器が並び、万全な医療設備が設えられている。

 その中の一室に入ると、黒を基調とした重厚な調度が並ぶ部屋。その奥のデスクに一人の老爺が革張りの椅子に腰掛けていた。

「……よう、龍我」

 眼帯をかけ白衣を纏った小太りの男は、片手を上げて出迎えた。

 呼ばれたボス・龍我は仏頂面のままデスクの前まで来ると、懐から抜き出した分厚い封筒をデスクに放り出した。

 落ちた衝撃で中から紙幣が滑り出る。

「お袋の調子は?」

「良くはねぇな。いつも通りだ」

 小太りの男は封筒を取り上げると中の紙幣を数え始めた。

「母親の見舞いに手ブラで来るんじゃねぇよ。これで何か買って来いや」

 言うと、小太りの男は封筒の内から数枚の紙幣を引き抜いて龍我に突き出した。

 龍我は相変わらずの仏頂面のままだったが、やや目を泳がせてからその紙幣を受け取った。

「……なぁ龍我。今の稼業はいったんやめてよ、母親とゆっくり暮らしちゃあどうだ?」

 小太りの男が穏やかな顔で語り出した言葉に、龍我は血相を変えて詰め寄った。

「やっぱやべえのかよ!」

「良くはねぇと言った。ただ、若いおめぇと違って、お袋さんはいつまでこのままか分からねぇ。延命のために身体張ってる時間をよ、一緒に穏やかに暮らす時間に変えちゃぁどうだ?ん?」

「ふざけんなよ!」

 龍我はデスクに拳を振り下ろして叫んだ。

「テメェ医者だろ? なんとかしろよ!」

 凄まじい剣幕で迫られても、老爺の顔は小揺るぎもしなかった。

 穏やかな眼差しで、じっと龍我の目を見つめている。

 しばし睨み返していた龍我だったが、やがて目を泳がせると俯いて退がった。

「……悪かったよ。無茶言った」

「その歳で聞き分けが良いのはいいこったが、本当はまだ早ぇんだよなぁ」

 小太りの男は深々と溜め息を吐いた。

「闇医者だブローカーだって言ったところでよ、曲げらんねえ道理ってなぁあるんだよ。お前には、本当に酷な事だと思う」

 心底親身な男の声に、龍我は力無く首を振った。

「まあ、土産買ってきてよ、お袋さんに会ってけよ。……どっかで暮らすってんなら、この金は餞別にくれてやるからよ、良く考えな」

 封筒を振りながら言う男に、龍我は目元を赤く腫らせた顔を上げ、

「……ああ」

 それだけを絞り出すように言って、部屋から出ていった。



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04 運命のエンカウンター

『どぉーだい同志! 泣かせるハナシじゃねえか!』

『うるさい』

『さぁーて同志! 作戦開始だ! 活きのいいスマッシュが作れるかも知れねえぜ!』

『待て、作戦とは何のことだ? いきなり連れてきて説明も何もなかっただろう』

『細かいことはイイんんだよぉ! 下準備はオレがバッチリ済ましてあるから、指揮官どのはドーンと構えて見てやがれ!』

 

 

 居住可能区域の商店街を目指して歩いていた龍我のスマートフォンが着信音を奏でた。

 ポケットから引き抜いたスマートフォンの表示された発信者を一瞥して、指先を滑らせ耳にあてる。

「──おう、どうした」

 ところが、受話スピーカーからは龍我の返事も待たずに悲鳴と絶叫が飛び出して耳朶を打った。

「っ、おい! どうした! なにがあった!」

『……ぼ、ボス、たす、たすけッッ 』

 声が途切れ、ゴトンという衝撃音があってからは、くぐもった騒音が聞こえてくるのみとなった。

「おい⁉︎ ……おい!」

 ただ事ではない様子に必死に端末に怒鳴りつけるが、それきり応答はない。

 スピーカーからは、ドタバタという騒音と、断続的な遠い花火のような爆音、そして悲鳴しか聞こえない。

「……ヤロウ……!」

 詳細は知れないが、近隣の敵勢力に襲われているに違いない。

 あの赤と青のヒーロー気取りのネット番組が流れてすぐこれだ。

 ……それにしても、早過ぎるのではないか?

 だが、考えている暇はない。

 龍我は道端に停められていたバイクに取り付くと、キー周辺を殴り壊して中身を弄り、瞬く間にエンジンを起動させ飛び乗ると急加速をかけた。

 

 前回放送の山中の地点からは少し離れた場所に、仮面ライダービルドの姿があった。

『さあーて、と。ここからこの角度で……イイね!』

 両手の人差し指と親指で組んだフレームでロケーションを確認したビルドが、どこからともなく手のひらサイズの機械を取り出した。

 続いて片手を翻すと、そこにブルーの小瓶が現れた。

 その小瓶の表面には一眼レフのカメラにも見える刻印が刻まれていた。

 ビルドはそれをひと振りしてキャップをひねると、先の機械の中心の穴に装填した。

 その途端、その機械はビルドの手から勝手に飛び出し、細かく変形すると飛竜の姿になって、小さな翼で羽ばたき滞空した。

『オッケー。カメラの成分もドラゴンの反応も、感度良好!』

 ビルドが、その機械の飛竜に向かって片手を振り側頭部に手を遣りながらひとりごちた。

 やがて調整が済むと、ビルドは辺りを見回して撮影範囲に異物が無いのを確認し、飛竜に向き直って指を三本立てた片手をかざした。

『ハイ、撮影開始三秒前ー、にー、いち……』

 一本ずつ折り曲げた指を、すべて曲げ切る寸前に訝しげに首を傾げたビルドが、五指を広げて振り向いた。

 それは撮影中止の合図。

『いま、何か音が……』

 聴覚センサーに異音を感知したビルドは、その発信源を特定すべくビルドの感知機能をフル稼働させていた。

 それは並みのDテクターのセンサーよりも遥かに強力なセンサーだった。

 兎のように鋭敏で、戦車のように高精度な今のビルドのセンサーは、音を始めとしたありとあらゆる波長を捉え、情報を統合し、三次元的に再構成して内部の装着者の脳裏に開示する。

 それら情報によれば、異音の中には銃声と人の悲鳴が含まれていた。

 距離はおよそ二千数メートル。町の方角だった。

『おいおいおい。こっち方面にDテクターの出動なんてなかったでしょ』

 呻いたビルドは奇妙な形のスマートフォンを取り出すと、手早く操作して情報を表示させた。

『うん。やっぱ無いよなあ。スマッシュの緊急通報も無し。何よ何事よ』

 言いながらスマートフォンをしまい込み駆け出した。

 機械の飛竜もその後を追従して飛翔する。

 やがてたどり着いたのは、居住可能区域に比較的近いゴーストタウンのとある一画だった。

 わざわざ進入禁止区域に住み着きたがる輩がいることは知っている。

 それが、好ましからざる人種であることも。

 だが、おかしい。

『……なんでこんなガス濃度のところに人がいるんだ?』

 戦車由来の環境センサーによる大気成分の数値を読み取ったビルドが、訝しげに首を傾げた。

 それによれば、ここ一帯のネビュラガスの濃度は、人体に対する危険水準から圧倒的に低いとは言え、ゼロでは無かった。

 居住可能区域からの最短距離を鑑みても、往復する時間で具合を悪くする人が出るであろうレベルだった。

 例えどんな角度でドロップアウトしても住み着ける場所でない。

 なんにせよ、正義の味方としては見過ごせない事態ではある。

『やれやれ。どこのバカとバカだよ一体……』

 ぼやくと、ビルドは片手を振って機械の飛竜に指令を出した。

 指令を受諾した機械の飛竜が指示した方角へ飛んでゆくのを見送ったビルドは、目的の方向へ走り出した。

 

 アジトのビルにたどり着いた龍我は、スタンドも立てずにバイクを蹴倒して玄関に駆け込んだ。

 そこは酷く荒れていた。

 元々廃墟だと言うことを差し引いても、最後の見覚えからゴミや瓦礫の配置が大きく変わっていた。

 何より、いつもなら何人かたむろしている仲間の気配が無い。

 遠くから、くぐもった打ち上げ花火のような音が響いてきた。

 なんらかの銃器に違いない。

「クソったれ!」

 銃まで持ち出すようなヤクザとも関わりが無いではなかったが、近隣の連中とてそう手安く入手できるものではない。

 ──そうなると、ますます相手が分からない。シマを奪うにしては、あまりにも過剰な手段だからだ。

 屋内を駆け抜け裏口から飛び出した龍我の前に、黒い人影がふたつ、立ち塞がった。

「なっ⁉︎ 」

 それは、荒くれた生活で喧嘩慣れした龍我をして一瞬の困惑を催す相手だった。

 そいつらが構えていた黒の円筒がくぐもった爆音を立てた途端、肩に、胸に衝撃を受けた龍我の身体が派手に後方へ吹き飛んだ。

 たった今出てきたアジトの裏口に転がり込み、朽ちた木材を背中で砕きながら、もろとも巻き込んで壁に激突した。

「……ってえ……」

 だが、生きてる。

 銃弾の直撃を受けたと言うのに、だ。

 逆さまの状態から、もたもたと足をついて起き上がる。

 見れば、服には穴も開いてなければ出血も無い。

「ゴムスタン弾か⁉︎ 」

 暴徒鎮圧用の武器だ。

 ──だったら、仲間は生きている……!

「っしゃあ!」

 立ち上がった龍我は気勢を上げると、再び裏口から飛び出した。

 今度は遅れは取らない。龍我は両の拳を目の高さに上げたファイトスタイルで敵の攻撃に備える。

 ようやく相手の姿を視認した。

 それはフルフェイスのヘルメットを被った人間に見えた。

 何が判断を曖昧にしたかと言えば、バイザーにあたる部分、顔面が、ヒトの面貌を無視した構造のパネルに覆われている事と、垣間見える関節部分が、全て機械だった事だった。

「ロボットかよ!」

 龍我が吼えたと同時、そのロボットが構えた銃口が火花を放った。

 その銃弾は、龍我の前腕に弾かれて明後日の方角に消えた。

「へっ。もうその手は食わねえよ!」

 犬歯を剥いた龍我の腕が、黒い靄に覆われていた。

 ──それは龍我の人生と共にあったものだった。

「おらあああ!」

 一方のロボットへ飛びかかった龍我の右腕に、黒い靄が密集し、さながら雷雲のように電光を散らせた。

 その謎のオーラを纏った拳を叩きつけた途端、ロボットは粉々に砕け散って吹き飛んだ。

「次ィ! ぼさっとしてんじゃねえノロマッ!」

 もう一方のロボットが放つ銃撃を、半身に纏った黒の靄で跳ね返すと、そのまま体当たりして打ち砕いた。

 ロボットの手足が、首が辺りに散らばる。

 龍我は残骸には目もくれずに、遠くの銃撃音のする方角へ駆け出した。

 

 目的地を見渡せるビルの屋上で。

 編み込みのチンピラが素手でガーディアンを破壊する光景を目撃したナイトローグが、愕然としていた。

 その隣で、ブラッドスタークが腹を抱えて笑い転げている。

『……おい、ブラッドスターク。あれは人間か?』

『多分な! くっはっはっは!』

 辛うじて答えたブラッドスタークだが、再び声にならないほど笑い転げて両足をバタバタさせていた。

 その笑いのツボは良く分からないが、確かにあのチンピラは興味深い存在だった。

『なるほど。あれはいい検体だ。そして、ガーディアンが通じないなら、俺たちが直接捕らえねばならんと言うことか』

 言って立ち上がったナイトローグの眼前に、横から刃が差し込まれて足を止めた。

『……何のつもりだ?』

『まあ慌てんなよ同志』

 パイプが複雑に絡み合ったかのような銃剣を突き出してブラッドスタークが続ける。

『当座の検体は、これまで捕らえた連中で充分だろう。だけどアレだけは別格だ。見れば分かるだろ?』

『だからどうした』

 銃剣の切っ先を指先で押しのける。

 ブラッドスタークも、たいして拘らずに武器を引っ込めた。

『アレを捕らえるために俺を連れてきたんじゃないのか?』

『捕まえるだけだったら、わざわざお前を呼ばずにオレが直接捕まえて連れてくよ。今日はな、アレをお前に見せてやりたかっただけだ』

 ナイトローグの怪訝な問いに、ブラッドスタークは相変わらずの態度で答えながらも、その気配が段々と剣呑さを帯びてくる。

『お前、何を考えている……?』

『いやいや、オレも真剣に話してんだよ。アレはな、オレが責任を持って観察するんだ。ちゃんとした手順があるんだよ。金の卵を産む鶏をシメてどうする、ってハナシだよ。 なあ、これだけは任せてくれよ、同志よ』

 銃剣を肩に担ぎ、拝むように片手を立てて言うブラッドスタークに、ナイトローグはしばし黙考していた。

──なにしろ装備は同格だ。この二人が激突したら、どちらもただでは済まない──

『……わかった。お前に任せる』

 たちまち気配を収束させたブラッドスタークが、上機嫌で口笛のような音を立てた。

『ありがとうよ同志! いやあ、話の分かる上司だと仕事が楽しくて捗るぜ!』

(良く言う……!)

 気安く肩を叩かれるまま、ナイトローグは背筋の冷たさを押し殺していた。

 

 もろガーディアンのパクリみたいなロボットが放つ銃撃を、棒立ちで胸郭で跳ね返しながらビルドは困惑していた。

『うん、まあ、ウツミンの作ったガーディアンだよねコレ』

 銃撃を避けないのは、それが暴徒鎮圧用のゴムスタン弾だと分かっていたからだ。

 これではDテクターにすら傷ひとつ付けられない。

 そして困惑の理由は。

 それが東都政府直轄防衛装置・ガーディアンに酷似していて、それが生身の人間を攫っているからだった。

 遠くの森を、足を生やしたバスみたいな形状の巨大な多脚機械が遠ざかってゆく。

 偽ガーディアン複数体が合体して形成する形態のひとつだ。

 東都ガーディアンのDテクター隊員輸送形態とそっくりだった。

『……どういう事だ? 不法居住者の捕縛って、ガーディアンの仕事だったっけ? そんな訳ないよなあ』

 誰かに尋ねようにも、今のビルドもお忍びの身の上である。通報するわけにもいかない。

『いいや。壊しちゃおう! パチモノが出回るのはウツミンも嫌だろうし!』

 あっけらかんと決心すると、ビルドは未だに無駄な射撃を繰り返す偽ガーディアンの一体に無造作に近寄ると、ぶん殴って粉砕した。

 そしてもう一体にも、胸郭で弾ける銃撃を無視しながらすたすたと歩み寄り、上から拳を振り下ろして叩き潰した。

 そうしてここにいる全ての偽ガーディアンを破壊してしまった。

『さて。じゃああとはあの囚われた人たちを』

 未だ見える距離を歩いている多脚機械を振り向いたその時。

 圧倒的なプレッシャーがビルドに襲いかかった。

 

「おらああああ!」

 銃撃音を頼りにたどり着いたそこにいた、いかにも怪しげな赤と青の斜線の装甲服めがけて龍我は全力で殴りかかった。

 全力だ。生まれついてから身についていた、このネビュラガスとやらを操る力で増幅した腕力を全開で叩きつけた。

 だが、さっきのロボットとは違い、赤青のそいつは派手に吹き飛んだものの、バラバラにはならず、へこみもしなかった。

「テメエが親玉だな! 仲間をどこへやったコラあああ!」

 頑丈な奴は、すなわち親玉である。と龍我は判断した。

 立ち上がった赤青のそいつに向かって、右と左の拳の連撃を繰り返す。

 ところが、今度は吹き飛ばず、赤青のそいつは龍我の猛攻を両腕で捌き、いなして対応している。

 それは、龍我の頭に血を登らせた。

「スカしてんじゃねえぞコラああ!」

『違ぇえよバカ! あっち見ろあっち!』

 その時、赤青のそいつが初めて声を発した。

 左の彼方を指差して。

「ひっかかるかボケェええ!」

 この期に及んで幼いガキのイタズラを繰り出す赤青のそいつに、さらに怒りをたぎらせた龍我の両の拳に、これまでで最大級のネビュラガスが集束する。

 力を溜めるのに一瞬の隙ができるのが欠点だが、この距離、タイミングなら外しはしない。

 赤青のそいつが何やらベルトのバックルを弄っているが、なにをしようと無駄だ。

「死ねえええ!」

 龍我の目の前で甚大な爆発が巻き起こった。

 

「死ねえええ!」

(ええー⁉︎ こいつ、仲間の居場所を知ってそうなヤツを殺しちゃうの⁉︎ バカなの⁉︎ )

 いきなり現れた謎の男のバカっぷりに戦慄しながらも、相手の危険なエネルギー反応に対抗するための策を実行する。

 ベルトの右端に生えたハンドルを数回転させてバックルの機構を作動させ、エネルギーを望む形に導いてゆく。

 それは戦車由来の爆発反応装甲。

 ビルドは形成したエネルギーを前面に放出し、謎の男と同時に両腕を突き出した。

(仰角三十度っ! )

 なんとなく胸中で叫ぶと同時に、巻き起こる甚大な爆発が両者の間で放射状に広がった。

 その衝撃は足元の地面を横一直線に抉り、そこの大木を両断し、大気を震わせ大勢の野鳥が飛び立った。

「……今のを食らって立ってるなんざ、たいした野郎じゃねえか」

  爆煙が晴れた向こうに、無傷の男が現れた。

  両者ともに、激突の瞬間の両腕を突き出して向かい合った状態だった。

『逆にお前は何なんだ。いいから話を聞けこのバカ!』

「バカってなんだ! 人攫いに言われる筋合いはねえよ!」

『だから、逃げられるって!』

 言って、業を煮やしたビルドは右腕を振るって拳の軌跡から黒の砲弾を発射した。

 右方の彼方、遠くを歩き去ってゆく多脚機械の足元に。

 それは多脚機械の足の数本を吹き飛ばした。

「……あ?」

 そちらを振り向いた男が、ようやく多脚機械に気付いたようだった。

『たぶん、アレがあんたの仲間を運んでいる! 早く止めないと……』

 ビルドは指差して訴えるが、その言葉がだんだん尻すぼみになってしまった。

 なぜかと言えば、この忙しい状況に、もう一つ問題が舞い込んできたからだ。

『……え、うそ。今このタイミングで出てくんの……?』

 ビルドが指差す方角、立ち去る多脚機械と入れ違いに、歪な人影がこちらに迫っていたからだ。

 しかも、二体。

『……情報、照合。……今日の放送予定の野良スマッシュじゃん……』

「ああーーー!」

 狼狽えるビルドの横で、男がなぜかこちらを指して素っ頓狂な大声をあげた。

「テメエ! テメエのネット番組のせいでウチらが舐められたんじゃねえかよコラ!」

『ええー⁉︎ 今この姿に気付いたの⁉︎ でも観てくれてありがとう!』

「ふざけんなテメエコラ!」

 掴みかかる男の腕力に、なぜかビルドの腕力でも簡単に振り切れないでいるうちに、二体の野良スマッシュは迫り、多脚機械は遠ざかってゆく。

 



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05 黎明のバディシップ

 迫る二体のスマッシュに対し、男が片手をぶらぶらと振りながら歩き出した。

「なんだよ、スマッシュなんざちょっと脅かしゃ追い払えんじゃねえかよ」

『追い払ってどうすんだバカ! 追い払われたスマッシュが、どこかの民家にたどり着いたら、他の誰かが襲われたら、どう責任を取る⁉︎ 』

 だが男は構わず駆け出した。

「俺の知ったこっちゃねえな!」

 拳を腰溜めに構え、周辺から引き寄せたネビュラガスを拳の周りに集束させてゆく。

「オラどけえええ!」

 男が飛びかかった。

 それに対し一方のスマッシュは。

 全身から無数のトゲを爆発的に生やし男を迎え撃った。

「なっ⁉︎ 」

 吹き飛ばされた男が、駆け込んだのと同じ勢いでごろごろと転がり戻ってきた。

 辛うじて防御が間に合ったのか、刺し傷も出血もない。割と元気な様子で跳ね起きた。

「クソッタレ! なんだありゃ!」

『汚染されたハリネズミが変質したスマッシュだろ。生身で近寄るのはやめた方がいい。……って言うか何で生身でどうにかしようと思ったオマエ』

 親切にも忠告していると言うのに、ビルドを見返す男の顔はまるで他人事のようだった。

「へえ。……あいつら、お前の獲物なんだよな?」

『ああ。だから下がってろよ』

「なら任せた!」

 言うや、男はスマッシュを迂回する方向へ駆け出した。

 どうやら男は二体ともビルドに押し付ける腹積もりらしい。

 元々ビルドの仕事だから、任せてもらうのはいい。

 だが。

『軽率だぞ! おい!』

 叫ぶも、男は聞いた様子も無く走り続ける。

「はっ! ノロマがっ!」

 男は大きく迂回するコースを走っている。

 それは、先ほどの伸ばしたトゲが届かない距離。

 ところが、そのスマッシュは大きく胸を反らすと、勢いよく身を丸める動作で全身のトゲを発射した。

「んな⁉︎ 」

 無数のトゲの斉射が男を大きく吹き飛ばした。

 辛うじて集束したネビュラガスによる防御が間に合ったのか、派手に土砂を蹴散らして転がった男に怪我はなさそうだった。

「クソッタレ! 」

 跳ね起きた男はまた多脚機械から遠ざかっていた。

「テメエ早く何とかしろよ! お前のせいだぞ!」

『言われるまでもないんだよ! あと後半については断固無実を主張する!』

 ようやく突破は無理だと理解したのか、男に言い返したビルドは、ベルトバックルの右端のハンドルを掴みぐるぐると回した。

 ベルトバックルの装置には、二つの小瓶が逆さまに装填されており、それぞれ装甲と同じ赤と青の色をしていた。

 それらの内容物を攪拌し、エネルギーを汲み上げると望む形へと練り上げてゆく。

『目標は攻防自在のハリネズミ! 二体が同時に邪魔をする! 対するは、ウサギであり戦車でもあるこのビルド!』

 すらすらと条件を数え上げ、ビルドは右手の指先でマスクのアンテナをなぞり上げると、その手をパッと開いた。

『勝利の法則は決まった! さあ、実験を始めようか! 』

《ボルテックフィニッシュ、レディ》

 ベルトバックルが認証を求める音声を放つ。

『ゴー!』

 叫ぶや、構築したエネルギーを解放し、ウサギの脚力で以って天高く跳躍する。

 目標は、手前のハリネズミスマッシュ。

 片脚を突き出した飛び蹴りの姿勢で急降下してゆく。

 それもただの落下ではない。

 同時に戦車でもあるビルドは今や自身を砲弾と化している。

 見上げるハリネズミスマッシュも、迎撃のために無数の鋭い針を伸長した。

 だが、たかだかネズミのトゲに、戦車の装甲は貫けやしない。

 ビルドの滑腔砲ばりの威力の蹴り足が、トゲを全て打ち砕いてスマッシュを吹き飛ばした。

 もう一体のハリネズミスマッシュへと。

 反射的にトゲを展開する一方のハリネズミスマッシュだが、悲しいかな、ジレンマは終わらない。

 ビルドのキックの勢いで激突し、互いのトゲが突き刺さったスマッシュは二体同時に大爆発を起こした。

『フッフー! 計算通り! 天才様に拍手!』

 着地姿勢から立ち上がったビルドが、両腕を上げてひとり喝采をあげるが、応える者はこの場にはいなかった。

 特に頓着せず、未だ炎がくすぶる爆発跡に歩み寄る。

 爆発跡には、スマッシュの残骸が残っていた。

 そこに近付いたビルドは、空の小瓶を取り出すと、キャップをスマッシュの残骸に指し向けた。

 すると、スマッシュの残骸から白い霞が湧き上がり、ビルドの持つ小瓶に吸い込まれていった。

 スマッシュの残骸があった場所には、残骸に代わり、二体の小さなハリネズミの死骸が残された。

『当然、採れる成分はハリネズミだよな』

 手の中の小瓶の表面が蠢き、ハリネズミを模した凹凸を形成した。

『さて、さっきの多脚機械は……』

 完成した小瓶を握り込んで先ほどの森の方向を見やると、すでに多脚機械の姿は見えなくなっていた。

『……あれ?』

「オイコラ。テメエがモタモタしてっから逃げられただろうがどうしてくれんだコラ。あぁ?」

 男が、笑顔のような怒りの形相でこちらへ近づいてくる。

『お前こそなにボケっとしてんだよ。今の一連の攻撃中にこそ追いかけろよ。一体なにしてた?』

 言われた男が立ち止まり、その目が泳いだ。

 ビルドがフィンガースナップを打った指先を突きつけた。

『見惚れてたな? この天才の華麗な実験に見惚れてたな?』

「わ、ワケ分かんねえこと言うなバカ! だ、だいたいテメエ何モンだ⁉︎ なぜここにいる! その赤と青いのは何だよ! アイツらの事知ってんのか?」

 血相を変えて喚き始めた男に、ビルドはパンパンを掌を打ち合わせ、宥めるように手を振った。

『俺もお前が何者なのか知りたいし、実は通りすがりでワケ分かってないんだよ。俺もあの多脚機械に用がある。お互いに情報交換と行こう』

 だが男は収まらない。

「ンな悠長なことしてられっかよ! 仲間が攫われたんだぞ!」

『それを黙って見送ったお前の言えたことかよ……』

 つい、呆れ半分にぼやいてしまったが、すぐに続ける。

『お前の仲間についてはしばらくは無事だ。猶予はある』

「何でそんな事が分かんだよ! テメエやっぱ」

『聞けバカ短絡的過ぎんだよバカ!』

 ざわ、と髪を逆立てかけた男の胸倉を掴み上げて引き寄せ、非対称のセンサーアイで男の目を覗き込んだ。

『アイツらが殺すつもりだったなら、この場で全滅させてたはずだ! それをアイツらはわざわざゴムスタン弾を装備していた! 生かして連れてく用事があったからだ! よって、全員当分の間は生かされる。目的は不明。相手も不明。探すには冷静になる必要がある。理解できたか?』

 ひと息に言い切り、胸倉を離して押し返す。

 ──「誘拐」や「警察」といった単語は敢えて伏せた。まずチンピラ同士の喧嘩ではないし、普通の犯罪でもない。下手に通報すれば、この男も狙われるだろうからだ。

 男の怒りは収まりそうに無いようだが、飛びかかってこない程度には自制してくれたようだ。

 正直、煙に巻いたも同然だが、男が短絡的で助かった。ようやく情報を聞き出せる。

『よし。上出来だ。話をしよう』

「ああ。……いや、ちょっと待ってくれ」

 着信音を鳴らすスマートフォンを取り出した男が、こちらに片手を振って数歩離れると通話を開始した。

「なんだよ先生。 ……あっ⁉︎ 」

 通話相手は知己なのか、これまでの遣り取りでは見られなかった素の態度でしゃべっている。

「いや、わりぃ、仲間がちょっとヤバくて、それで……」

 他人の通話を聞くのはマナー違反だろうが、今やウサギでもあり戦車でもあるビルドの聴覚センサーは、離れた位置からでも通話内容を明瞭に聞き取れてしまう。

 どうやらこの男、入院中の母親の見舞いを放ったらかして仲間の窮地を救いに来たらしい。

 それも不義理からではなく、この男らしい直情径行の熱血によってのことらしい。

(……へえ )

 なるほど。見たままのチンピラと言う訳でもなさそうだ。

 やがて平謝りを繰り返して通話を終えた男が、何やら逡巡や葛藤を抱えた表情でスマートフォンを握り立ち尽くしていた。

 その様子を見たビルドは、黙って背を向けると多脚機械が立ち去った方向へ歩き始めた。

「……おい!」

 たいして経たずに男がこちらを追いかけてきた。

「おい、待てよ! アテはあんのか」

『ああ。アレの足跡なり熱源の痕跡なり、追いかける手段はいくらでもある』

 隣に駆け寄ってきた男は見ずに、立ち止まることなく言い返す。

『それより、電話の用事はいいのか?』

「……お前には関係ないだろ」

 ぶっきらぼうに男が言うが、先ほどまでの勢いは無い。

『今のこの姿の俺は、時速百二十キロメートルで走れる。お前はついてこれないだろ』

「ナメんな余裕でついてくわ」

『さっきから脊椎反射でしゃべってんじゃねえよ虫かお前は! 』

 振り返ったビルドが怒鳴りつけた。

 男が、きょとんとして身動きを止める。

『ビルドの感知機能は高性能だ。例えばお前が母親のお見舞いに行ってる間にアレの拠点を突き止められるから、それから合流しても遅くはないだろ』

 自らの側頭部をつついて言うと、男は露骨に狼狽えて目を泳がせた。

「な、なんのハナシだよ」

『ビルドの感知機能は高性能だって言ったろ。聞こえてんだよさっきの通話内容ぜんぶ』

 男は目を白黒させて後退った。

「な、な……」

『だから病院行け。見つけたら連絡すっから』

 しっしと手を振ると、再び前を向いて歩き出す。

「し、信用できっかよ! お前に俺のお袋は関係ねえだろ⁉︎ 」

『お前のためとか言ってないだろ。後で合流したいのは、攫われた連中の顔を俺は知らないからだよ。なにかおかしな話か?』

 横並びにせかせかと歩く男に言い返す。

「俺の仲間とも関係ねえじゃねえか!」

『さっきも言っただろ。俺が用事があるのは、あのロボットと、それを使ってるやつだ。 まあ? 俺は正義のヒーローだし? 攫われた人がそこにいるならついでに救い出したいけど、俺の身体はひとつだしなあ。もしかしたら人質は後回しにするかもしれないなあ』

 歩きながら、肩をすくめて嘯いた。

『あーぁあ。人質の顔を知ってる誰かさんが、後で助けに来てくれないかなあ』

「し、しょうがねえな!」

 男が、足を止めて言い出した。

「ヤツらを見つけたら、連絡しろよ! 用事が済んだら後で行ってやるから! 絶対だぞ!」

 ビルドは胸中でこっそりと胸を撫で下ろした。

『ああ。後でまた会おう』

 肩越しに答えると、ビルドはそこから疾く駆け出した。

 時速百二十キロメートルは伊達ではない。

 男を置き去りに、瞬く間に森の奥へ消えていった。

 

 

 

 

────

 闇の中に、嘲りの色を含んだ含み笑いが漏れ出る。

『ンッンー。イイ流れだ。実にオレ好みのイィーイ流れだ……』

 その声は喜色にまみれ、いまにも小躍りを始めそうなほど盛り上がってゆく。

『っはっはあ! さあ、実験を始めようか!』

 耳障りな赤い哄笑が、どことも知れぬ虚空に流れて消えていった。

 



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第2話 追いつけないランナウェイ
01 灰色のトレッキング


 果物の詰め合わせを買い込んだ龍我は、再び闇医者の廃病院を訪れた。

 地下階へ降りると、特に断ることもせず闇医者のオフィスを迂回する通路を周り、通路の奥の突き当たりにあるエレベーターの前に来ると、壁のパネルのボタンを押した。

 やがて静粛にドアがスライドし、龍我はエレベーターに乗り込んだ。程なくドアが閉じゴンドラが上昇を始める。

 このエレベーターは、この病院が通常稼働していた頃からあったもので、一部の特別な患者・従業員専用の隠しエリアである「中三階」に通じる唯一の出入り口だった。

 「中三階」は二階と三階の間にあり、窓はあるものの、外からは容易には発見しにくい巧妙な位置に設えられていた。それを闇医者がそのまま入院施設として再利用しているのだ。

 やがて「中三階」にたどり着いたエレベーターを降りて、龍我は通路を進み、果物でいっぱいのカゴをぶら下げていつもの病室のドアを開けた。

「よう、調子はどう……」

 室内の光景を見た龍我は、絶句した。

「おう。龍我」

 そこで妙齢の女性が、鉄製のベッドを頭上に持ち上げてバーベルの要領で上げ下げしていたからだった。

 腕や患者衣の襟元から垣間見える肌には隆々とした筋肉が盛り上がっている。

「──な、なにやってんだよ母ちゃん!」

 思わず果物のカゴを放り出して室内に駆け込む。

「おとなしくしてろって、ジジイも言ってただろ!」

「正確には「おとなしくしていた方がいい」と言ったんだ。それは「しなくてもいい」ということだろ」

 素っ気なく、それでもおとなしくベッドを床に下ろした女性・母は、窓際の丸椅子に腰を下ろすと取り出したタバコに火をつけた。

「──で、どうかしたのか。龍我」

 ふー、と白煙を吐き、事も無げに母が問うた。

 龍我は母に歩み寄り、口元に手を伸ばすが、その手を母の指先がやんわりと脇に押し退けた。

「……タバコも。身体に悪いだろ」

「ほざくな小僧。母の心配をしようなんざ十年早い」

 龍我が半眼で言うが、あっさりと一蹴された。

「それよりも、アレ」

 それどころか口元のタバコをぴこぴこ振りながら入り口の惨状を示唆する始末である。

「果物がもったいない。こちらへ持ってこい」

 そこには先ほど龍我がばら撒いた果物とカゴが散らばっていた。

「母ちゃんが無茶してっからだろ……!」

 そちらと母の顔とを見返し、理不尽に煩悶としながらも、龍我は結局入り口に戻って床の果物を拾い集めた。

 龍我が持ってきたカゴからリンゴを取り上げた母は、リンゴを服の裾で拭いながら、脇の棚からナイフを取り出すと皮を剥き始める。

 その間、龍我はおとなしく向かいにパイプ椅子を置いて座っていた。

 螺旋状に舞い落ちる赤い帯の流れを、しばし見送る。

 やがて皮を剥ききった母が、リンゴの一部をナイフで削ぎ切り、それをナイフに乗せたまま龍我に突き出した。

 そのリンゴ片を摘まみ取ると、母はもう一度リンゴを削ぎ切り自分でも一口かじった。

 やがて、龍我がゆっくりと口を開く。

「……なあ、母ちゃん。ここ出てさ、どっかでゆっくり暮らさないか」

「ん。いいんじゃないか」

 あっさりとうなずいた母を、思わず見返した。

「いいのかよ!」

「別に、もう発作は起きてないし。龍我がいいなら、母ちゃんもいいよ」

 もう一切れリンゴを切り出し、事も無げに言う。

 ──母は、自分の意図を、その意味を分かっているのだろうか……?

 喉元まで出かかった言葉をすぐさま飲み込んで、別の話に切り替えた。

「じゃあさ!どこに行く? 温泉のあるところとかさ!」

「そうだねえ……」

 母は、ナイフをサイドテーブルに置き、タバコをつまんで白煙を吐き出した。

 窓の外を眺め遣り。

「まあ、ゆっくり歩きながら探そう。昔みたいなバタバタは、ゴメンだしね」

「うん……」

 母の言う「昔」を思い出し、渋面になってうつむく。

「……ごめんな。龍我」

 ぽつりと呟いた母に、龍我は顔を跳ね上げた。

「母ちゃんは悪くねえよ! アイツらが悪いんじゃねえか!」

 その「昔」の思い出は、忌々しい事ばかりだったから。

「それと、あと、俺が、俺が……」

 そして、突き詰めれば龍我自身が悪いのだと龍我は思っている。

 それが母をこんな窮状に追い込んだのだと。

 胸を焦がす黒い炎に息を詰まらせていると、母がその手を龍我の頭に乗せた。

 それはとても優しくて心地よい感触で。

「そんな風に思い詰めるんじゃないよ。お前のせいじゃないって、母ちゃん何回も言ったろ?」

 母の手が龍我の頭を撫でる。

 すると、あれほど猛っていた龍我の心が落ち着いてきた。

 昔から変わらない。いつもと同じ手触りだった。

「……うん」

「あんたはカッカとしやすいからね。気をつけな。そういう気持ちは身体を壊すから」

「うん」

 それも、昔からずっと繰り返し言われた言葉だ。

 龍我は、かつてと同じく、おとなしく返事を繰り返すしかなかった。

 

 

 謎の多脚機械を追跡していたビルドはいきなり行き詰まっていた。

『いやいや、困ってませんよ? だって俺天才だもの』

 虚空に向かって掌を振って独りごちる。

 緑深い森の中、点々と続く、地面を抉る多脚機械の特徴的な足跡を辿っていたところ、突然その続きを見失ったのだ。

 いや。正確に言えば、足跡は続いている。

 ただし、四方八方に無数の足跡が入り乱れていたのだ。

『なるほど、追跡を撒くために、あの偽ガーディアンが分離して、それぞれ人質を抱えてバラバラに逃げたってか』

 ビルドの高精細な視覚センサーは、地面に穿たれた足跡をひとつひとつ明瞭に見分けてみせる。

 それによれば、この足跡は偽ガーディアンのものだけで、それ以外の、例えば大人の男の靴の跡などは一切無かった。

 つまりは拘束して抱えて移動しているのだろう。

 偽ガーディアンの足跡は、その基本重量に比して一般的な成人男性ひとり分ほど深くめり込んでいた。

 そして、それら足跡が、あちこちへと伸びているのだ。

 その数三十以上。合体して多脚輸送機械を構成するのに必要なガーディアンの数だ。

『だからって、行き先はひとつでしょ。あんなに目立つロボットを置ける場所なんて、政府に知られずにそんなに用意できるもんか』

 だから、無数の足跡の、どれかひとつを辿っていけば済むハナシなのである。

『さて、問題は、どの足跡を追っていくか……』

 両手の人差し指をこめかみに突きつけ、ぐりぐりと捻って呻く。

 自分で言った通り、悩むまでも無くどれを選んでも辿り着く場所は一緒なのだが。

 なぜかビルドは懊悩していた。

『……よし!コレだ!』

 ずびし、とあるひとつの足跡を指さし、その続きを追ってビルドは駆け出した。

 

 

「……ん?」

 病室で、母と果物を頬張っていた龍我が着信音に気付いて顔を上げた。

 果実のひと欠けを口に押し込み、懐から引き抜いたスマートフォンのディスプレイを見ると、そこには「非通知」の文字が表示されていた。

(まさか、仲間を拉致した犯人……⁉︎)

 思わず椅子を蹴って立ち上がるが、そのディスプレイに異変が起きた。

「非通知」の文字がドットノイズにぼやけ、文字入力カーソルに変化すると、龍我の見ている前で異なる言葉を打ち始めたのだ。

 龍我は何も操作していないのに。

「……なんだ?」

 やがてディスプレイに、「仮面ライダービルド」の文字列が現れた。

「ざっけんなッ!」

 思わず着信ボタンに指を滑らせて怒鳴りつけていた。

「テメエか!俺のスマホに変な細工してんのは!」

『イエーイ! 仮面ライダービルドだよ!』

 スピーカーからは、先刻出会った赤と青の装甲服姿、本人曰く言う所の仮面ライダービルドの脳天気な声が聞こえてきた。

「そう言えば、伝え忘れてた俺も俺だけど、テメエ何で俺の番号知ってんだよ!」

『えー? 適当に番号押したら繋がったよ?』

「イミわかんねえよどうやって俺の番号を調べた!」

『はははバカだなあ電話なんだからどこかに繋がるに決まってんじゃん俺天才だよ?』

「……じゃあせめて凡人にもわかるように説明してくれよ本気でわからねえ」

 龍我がぐったりとうずくまった。

『まあどうでもいいじゃん』

「よ く ね え よ !」

『あとリモート操作でお前のスマホに勝手にアドレス登録したのもどうでもいいじゃん。それより、拠点見つけたぞ』

「どっ……ッ……!」

 自称・天才様のアレっぷりに、指摘が追いつかないし、何を言っているのか分からない。

 どうにか意識を保って最後の言葉に噛み付いた。

「……どこだよ」

『いま案内を寄越すから、それについて来な』

 言うと、通話は一方的に切られてしまった。

「おい! 待てコラ! おい!」

 スマートフォンに怒鳴りつけるが、反応があるはずもなく。

 その時、コツコツとガラスを叩く固い音に顔を上げると、そこの窓の外に、何かが羽ばたいて滞空しているのが見えた。

「……?」

 よく見ると、機械の鳥のように見えた。

 いや、ドラゴンか。

 およそ鳩ほどのサイズの飛竜型ロボットが、窓の向こうで顎をしゃくっていた。

「……悪い、母ちゃん、ちょっと行ってくる!」

「おう。行っといで」

 母は細かく問い立てはしない。

 いつも通りの見送りの言葉を背に、龍我は病室を駆け出していった。

 母の、どこか微笑ましげな眼差しには気付かずに。

 

 病院の玄関から飛び出すと、そこに先ほどの飛竜型ロボットが舞い降りてきた。

 しばし龍我の頭上で旋回すると、一方へと飛び立った。

「ついて来い、ってか」

 道路へ駆け出し、その後を追う。

 龍我自身に自覚は無かったが、その飛竜型ロボットは、通行人の視線の死角である高空を飛翔しており、かつ龍我を置き去りにしない程度の速度を保っていた。

 おかげで通行人の誰ひとり飛竜型ロボットに気付く者はおらず、龍我も憚ることなく移動できている。

 やがて、オフィスビルが集まる区域の、路地裏のとある一画に飛竜型ロボットは舞い降り、電柱の上に着地した。

 ここに来るまで結構な距離を走ったはずだが、荒く息を吐く龍我にそれほどの消耗は見られない。

「……どこだよここ……」

 訝しげに周囲の近代的なビルを見回す龍我の肩を、背後から何かがちょいちょいとつついた。

「っ⁉︎ 」

 素早くファイティングポーズを取って振り返ると、そこにはどこかヨレヨレした感じの男が立っていた。

「よう! 」

 快活に手を振るその男に、龍我は見覚えがあった。

「ああー! 佐藤太郎!」

 思わず指差して絶叫する。

 なぜかその男が肩をコケさせた。

「超人気ビューチューバーの! ツナ義ーズの! ええー! 」

 満面の笑顔で叫んだ龍我は、あたふたと懐をあちこちまさぐり。

「やべ、なにもねえ! あ、あの、このシャツのここんとこに、サインを」

「いっぺん待って黙りこくれバカ」

 慌ててシャツの裾を引っ張って広げる龍我に、その佐藤太郎と思しき男は冷たく吐き捨てた。

「俺は佐藤太郎さんじゃねえ。よく似てるって言われるけど別人だよ」

「……え? 」

 龍我はきょとん、とその顔を見直した。

「……いやー、え、でも、そっくりってか、瓜二つだし、……えぇ? 」

 しげしげと顔を眺め回す龍我の前で、その男は深々と溜め息を吐いた。

「あーもー」

 言うと男は、やおら体勢を斜めに構えて、摘んだ右手で頭上を斜めになぞり上げると、その手をパッと広げて見せた。

「ああー! さっきの赤青のやつ! 」

 それは、先刻の仮面ライダービルドを名乗る装甲服の、決めポーズだった。

「なんでこのタイミングで芸能人が出てくると思ったんだよ。俺だって分かれ」

「フルフェイスのメットかぶってて分かるかボケ!」

 心底忌々しそうに呻く男に、龍我は遠慮なく怒鳴りつけた。

「ややこしい顔しやがって、なんであの赤青の格好じゃねえんだよ」

「目立つからに決まってんでしょうが。たまには頭使いなさいよ」

 男は完全にアホを見下すような呆れ顔で言った。

「てっめ……」

 度重なるフラストレーションに、つい龍我は右拳でジャブを放っていた。

 それは半分ツッコミのつもりではあったが。

 しかし、男は避ける素振りすらせず龍我の拳を待ち受け、左顔面でそれを受け止めた。

「っっってえええ⁉︎ 」

 ところが、拳を抱えて無様に転げ回ったのは龍我の方だった

「な、なんだテメエの顔⁉︎ 鉄か何かでできてんのか⁉︎ 」

 小揺るぎもしなかった男が、ニヤリと笑い。

「見たかよ俺の発・明・品! 今の俺は戦車並みに硬いぜ?」

 懐から青い小瓶を取り出すと、目の高さに振って見せた。

「それと、やっぱりネビュラガスの無い所だと、あの能力は使えないらしいな」

 男が差し出した右手を打ち払って、龍我は立ち上がった。

「だから何だよ。ガス無しでも普通の人間なら一発で病院に送れるぜ?」

「あのロボットはどうだ? あれも病院に送れるか? 」

「ロボットが行くのはスクラップ場だろ。……まあ、キツイな」

 男の問いに、やや言いづらそうに答える。

 そうだ。仲間を助けるためにここまで来たが、ここは龍我にとってアウェイだった。

「だからってナメんなよ? 俺の仲間は、俺が助けるからな!」

「ああ。その意気だ。……ところでお前、ゴリラとパンダ、どっちが好きだ?」

「は? 」

 唐突な問いに、首を傾げる。

「……まあ、パンダかな」

「可愛い趣味してんな」

 薄く笑って言った男が、別に取り出した白い小瓶を放ってきた。

 思わず受け取ったそれは、まるで真珠のように真っ白で、胴の部分がパンダの顔のような形状をしていた

「……なんだこれ」

「お守りだ。俺の発明品。今だけ貸してやる。行くぞ」

 言って男が歩き出した。

 ところが、数歩歩いたところで唐突に立ち止まると、再びこちらを振り向いた。

「なんだよ」

「あと、俺は仮面ライダービルド・桐生 戦兎だ。よろしくな!」

「……おう」

 正直、男の素性などどうでも良かったから、龍我は生返事を返して、男・桐生戦兎が差し出した握手の形の手も無視した。

「なんだよ、名前くらい教えろよ万丈 龍我」

「知ってんじゃねえかよ!」

 だが結局龍我は思わずその手を打ち払っていた。

 



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02 薄氷のプレモニション

 遠くから響いてくる、廊下を打つ幾重もの打突音に、闇医者の老爺はゆっくりと顔を上げた。

 それは、この廃病院にあっても異常な音。

 いかにも足音めいたリズムだが、規則正し過ぎてまるで人のものとは思えない。

「……ふん」

 それが何者かは知らないが、どうせロクでもない連中だろうことは間違いない。

 裏稼業をしていれば、いずれどこかで「そういう連中」に出くわすだろうと思ってはいた。

 だから老爺は革張りの椅子に深く腰掛けたまま、それを待ち受けた。

 やがて老爺のオフィスに現れたのは、鋭角のメガネをかけ白衣を纏った痩せた男と、それを先頭に付き従うロボット兵の群れだった。

 なるほど足音が固い訳だ。

 それらは東都政府直轄防衛装置「ガーディアン」に酷似していたが、微妙に仕様が異なることを、老爺は見た瞬間に看破していた。

 何しろ本物のガーディアンになど、ここに来る用事がない。

「こんにちワ……」

 先頭の薄笑いを浮かべた白衣の男が、メガネのブリッジを指先で押し上げながら言った。

 不気味は不気味だが、どこか覇気に欠ける声と態度だった。

「……こんな寂れた病院に何の用だ。ウチじゃロボットなんか診てねえし、脳の病気なら他所へ行け」

 老爺は素っ気なく返した。

「ここであの母子を預かっているのは分かってるンだヨ。おとなしく渡してもらおうカ」

 メガネの男は、老爺の言葉を無視してどこか奇妙なイントネーションで言った。

 ──やはり龍我とその母が目的か。

 胸中で嘆息した老爺は、白衣の男を観察した。

 まるで人との対話に慣れていないかのような言動。人の事は言えないが、よほど偏屈な人物だろう事は見て取れた。

 要は、成長の無いまま歳だけ取った、幼稚な人間。

 メガネの男をそのように見なした老爺は、嘲るように吐き捨てた。

「ガキの遣いもできねえボンクラが! 帰ってオフクロのチチでもしゃぶってやがれ!」

 一息に吼えた老爺が、デスクの下のスイッチを押し込んだ。

 同時に天井のダクトからドス黒い煙が吹き出して部屋中に充満してゆく。

 ──コイツらは、たいした連中じゃねえ!

 龍我の母に用があるなら、勝手に家捜しでもすればいいだけだ。

 確かに「中三階」は分かりにくい構造だが、別に魔法で隠れている訳でもないのだから、外壁伝いに探せば簡単に見つけられる。あのロボットならそれができるはずだ。

 それをせずに、わざわざこの老いぼれに断りを入れに来たのは、リーダーである男がその考えに及ばない低能である事と、このロボット共が指示なしでは何もできないポンコツだからだ。

 ──だったら、この場でオレもろともガスでオダブツにしてやる!

 いま室内に吹き出しているのは、切り札として溜め込んでおいたネビュラガスだ。

 密室にこれだけ充満させれば、常人ならたいして経たずに重態に陥り、やがて死に至る。

 後に残るのは木偶人形だけだ。

 ところが、白衣の男は不気味にメガネを光らせ、口の端を歪に吊り上げて嘲笑を吐いた。

「アハッ! アヒッ、ヒッ、クヒッ!」

 煙にむせているのとは違う、引きつった笑い声で肩を震わせている。

「セッカチなジジイだなあ! 折角カネだって持ってきたのにさア!」

「……な、に⁉︎ 」

 白衣の男は充満したネビュラガスの中でも何ら痛痒無く哄笑していたのだ。

 それを証明するかのように、白衣の男は老爺の前で大きく胸を膨らませ、深呼吸して見せた。

「あいにくと、呼吸には困らない身体でネェ! 逝くならジジイてめえ独りで逝きナ! ィヒャハハ!」

 裏返った声で哄笑する男に、老爺はひとつ失念していた事に気付いた。

 ──なるほど、自分の力を誇示したがるガキ、だったかよ!

 だから、わざわざこの老いぼれに断りを入れに来たか。

(クソッタレが! )

 だが、事の異常は上階にも伝わっているはず。

 今のうちに龍我の母が逃げてくれれば、この老いぼれの命も無駄ではない。

(逃げてくれよ! )

 喉と肺を蝕む激痛に呻きながら、祈る。

 その時、オフィスの脇のドアが派手に吹き飛んだ。

 それは、メガネ男の後ろにいた偽ガーディアン数体を巻き込んで反対側の壁に突き刺さった。

「な、なんだあ⁉︎ 」

 狼狽したメガネの男がそちらを振り向く。

 たった今ドアを失ったドア枠を、患者衣を纏った女性がくぐって現れた。

「バカヤロウ! なんで逃げねえ!」

 老爺が絶叫した。

 のそりと現れた龍我の母は、室内を悠然と見回して握り合わせた拳を鳴らした。

「なんだ。ガスなんか撒くから、私への出撃要請かと思ったぞ」

 言いながら、そこにいた偽ガーディアン数体をまとめて殴り飛ばして粉砕した。

 龍我の母の両拳の周囲に、ネビュラガスが集積して渦を巻いている。

「それに、飛んで火に入るゴミ掃除とは好都合だしな」

 老爺を振り向いた龍我の母は、薄く、寂しげな笑みを浮かべて片目を瞑った。

(お前、やっぱり長くねえのか──!)

 龍我の母の意図を察知した老爺は歯噛みした。

 ──彼女は、龍我に累が及ばないよう、ここでこいつらを片付けるつもりだ!

「ケヒヒッ!」

 引きつった嘲笑を上げて、白衣の男がメガネのブリッジを押し上げた。

「ヘヒッ! モルモット風情がァ、ほざくんじゃなあいッ!」

 絶叫し、片腕を派手に振り回す。

「ボンクラだのゴミだの、オマエら凡俗がァ、天才に向かっ」

 構わず龍我の母がメガネ男を殴り飛ばした。

 

 

 戦兎が追跡の成果として龍我を導いたのは、コンクリートで整備された大型河川に繋がる水路のひとつだった。

 都市の地下に網目のように張り巡らされた水路は、地上の経路を無視してあらゆる場所に出入りできる。

「例えば、秘密のアジトとかな。 もちろん、基本的に関係者以外立ち入り禁止だけどな」

「この奥に、ウチのヤツらを拉致ったヤツがいんのか?」

 水の流れを挟む足場をせかせかと歩く。

 円形の通路には等間隔に蛍光灯が灯されており、多少薄暗くとも移動に支障は無い。

「ところで、パンダって熊の一種なの、知ってるか?」

「え? そうなのか?」

 唐突な戦兎の話に、龍我が心底意外そうな顔をした。

「いやいや、あんなに可愛いのに、アレが熊と同じワケねえだろ」

「哺乳綱・ネコ目・クマ科の動物だよ」

「は? なんでネコが出てくんだよ」

「もしもパンダを真っ黒にしたらどうなるか、想像してご覧よ」

 龍我の疑問を無視して、続きを振る。

 龍我は深く追求すること無く、首を傾げて想像にふけった。

 しばらく二人の足音だけが響く。

「……ほぼクマじゃん」

「だろ? 大人のジャイアントパンダを怒らせたら、人間なんか一発よ」

 カギ爪のように五指を曲げた片手を振るいながら言う。

「へえ〜……あんなに可愛いのになあ……」

 うんうんと、龍我が心底感心したようにうなずく。

 と、そこではたと気付いたように顔を上げた。

「なんでパンダのハナシになってんだよ!」

「さっきお前に貸したボトル」

 後ろで怒鳴る龍我に振り返りもせず、歩く戦兎は片手の指先を振って。

「あ? 」

 言われた龍我は懐から先ほど受け取った白い小瓶を取り出した。

「そう言や、これ何なんだよ」

「それが俺の発明品のひとつ! 「フルボトル」って言ってな」

 やおら立ち止まって振り返った戦兎が、自らも青い小瓶を大仰に振って見せた。

 もの凄く自慢げな笑顔で。

 小瓶の中身がカタカタと小気味良い音を立てた。

「俺が持ってるコレには、「戦車」の成分が入ってる! フルボトルは、触れている間に限り、持ち主に中の成分の意味を付与する効果があるんだ! 」

 それが、龍我の拳を鉄板のように跳ね返した現象の答え。

 戦兎の表皮を戦車の装甲のごとき堅牢に変化させたのだ。

「で、お前に貸したそれは「パンダフルボトル」って言って、「パンダ」の成分が封入されている」

「へぇ〜……」

 言われて、龍我がしげしげと白い小瓶・パンダフルボトルを見回す。

「……で? 」

「さっきのお前の質問に答えてんだよ。なぜパンダの話をしたか言うと、お前がパンダフルボトルを使えるようにする為だ」

 言って、振り返った戦兎が再び歩き出す。

「フルボトルの中のトランジェルソリッドの精製にはネビュラガスを利用している。ネビュラガスには人の精神と干渉する性質があってな、意味を付与してエネルギーに指向性を持たされたネビュラガスは、持ち主の認識と相互干渉して封入された成分のあらゆる意味を再現するんだ。で、」

 途中でふと振り返ると、何故か龍我が立ったまま白眼を向いて泡を吹き始めていたので、戦兎は一旦言葉を切った。

「……まあ、要は、ネビュラガスが無い環境でも、お前ならそれを使えば、パンダぎみの腕力を発揮できる、と言うことだ」

「…………お、おお」

 ようやく意識を取り戻した龍我が辛うじてうなずいた。

 それは龍我にはまるで理解できない魔法めいた話だったが、殴りつけた戦兎の顔面が鉄のような感触だったのも事実。

 龍我は試しにその手の白い小瓶・パンダフルボトルを軽く振ってみた。

 すると、シャカシャカと小気味の良い音が鳴り。

 ほんのりと、微かにネビュラガスの気配を感じた。

 両腕に、いつもと違う力がみなぎってくる気がした。

「……にしても、そのイキッたナリで可愛いパンダちゃんが好きかー」

「うるせえよ!」

 思わず殴りつけたコンクリートの壁が粉々に砕け散った。

「うわ⁉︎ 」

 当の龍我が驚いて飛び退いた。

 その拍子に足場を踏み外し、そこの水路に落ちてしまう。

「うわああ⁉︎ 」

 辛うじて転倒こそ免れたが、水路は膝ほどの深さがあり、龍我はひどく狼狽してざぶざぶと反対側の通路までつまずいていった。

 戦兎の仮借ない爆笑が轟いた。

「っはっは! 凄い効果だな龍我! 「パンダは水遊びが好き」ってところまで再現したのか? 」

「うるせえよ!」

 赤面した龍我が水路の水を蹴散らすが、戦兎はそそくさと退避してしまう。

「テメエのびっくりドッキリの発明品のせいじゃねえか!」

「んん〜流石は俺の、発・明・品!」

「言ってろ!」

 戦兎が差し出した掌を打ち払って、龍我は自力で通路に這い上がった。

 

「お前のそのネビュラガスを操るのは、お前の仲間にもできるやついるのか?」

「あ?」

 通路は長く、二人は未だ変わり映えしないコンクリートの水路の中にいた。

「いんや。俺だけだ」

 通路を歩きながら、龍我がぶっきらぼうに答える。

「あいつらは、町のやつらみたいにガスのある場所にいて具合が悪くなったりしないやつらだ。他に行き場所が無いから、ガスのある地域にタムロしてんだよ」

「ふーん」

 それからしばらく二人分の足音だけが響く。

「って、何で俺の話させてんだよ!」

「キレるの遅くない⁉︎ バカなの⁉︎ 」

 龍我のパンダのごときパンチを戦兎がひょいひょいと避ける。

「お前の話も聞かせろよ! 不公平だろうが!」

「え? なに? 天才の俺に興味津々?」

「うるせえ! 吐け! 俺と同じだけ吐けこの!」

「ははは分かったわかったしょーがないなー」

 拳の連撃をくぐり抜けて間合いを広げた戦兎が、くるりと振り返って大仰に両腕を広げた。

「俺は、天才科学者・桐生 戦兎!」

「他にっ!」

 龍我が一喝した。

「えー? 好きなものは、ウサギと戦車! 仕事場の裏庭のケージでウサギ飼っててな。みんな可愛いぞ! あと俺記憶喪失でさ、一年前以前の記憶が無いんだ」

「……は?」

 龍我があんぐりと口を開けた。

「……じゃあ、お前の名前と、その、科学者の頭は?」

 それは、記憶喪失でありながら、なぜ名前を自称し、発明品を開発できる知識があるのか、という疑問。

「さあ? 科学者としての知識はぼんやり残ってたな。名前は、身元引き受け人が付けてくれた」

 龍我が訝しげに、前を歩く戦兎の横顔をしげしげと覗き込む。

「……なあ、やっぱお前、佐藤太郎なんじゃねえ? 佐藤太郎もだいぶ前から動画更新してねえし」

「身内にも、佐藤太郎のファンがいてさ、同じこと言われたことあるけど」

 戦兎は歩調を変えずに、苦笑顔だけを振り向けて。

「科学の知識の出所が説明できないだろ」

「めっちゃ勉強したとか」

「本当に佐藤太郎のファンかお前」

 呆れた溜め息を吐いて戦兎は前を向き。

「俺もツナ義ーズの動画見たことあるけど、佐藤太郎にこういうのは無理だろ」

 取り出した青い小瓶・戦車の成分を封入したタンクフルボトルを振って言った。

「そりゃまあ、その通りだけど」

 それでも龍我は怪訝な顔で首を傾げていたが、結局戦兎を追って歩き出した。

 



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03 埒外のギャンビット

 あれからさらに水路の奥へ進み、途中で壁面に穿たれた整備用と思われる鉄扉をくぐり、下層へ下る螺旋階段を降りては、戦兎の導くままあちこちへと歩き回ることしばし。

「止まれ」

 戦兎がかざした片手に、龍我も足を止めた。

 辺りは相変わらずコンクリートに囲まれており、パイプが縦横に這い回っている。

 少し先に突き当たりがあり、左右へ分岐する通路が見える。

「どうした?」

 龍我の問いには答えず、戦兎は奇妙な形状のスマートフォンを取り出した。

 そのスマートフォンから、バイブレーション機能による振動音がわずかに聞こえる。

「……先行させてたドローンからの合図だ」

「何だよドローンて」

「さっきお前を案内させたドラゴンだよ。見てみ」

 差し出されたスマートフォンのディスプレイには、どこか高みから見下ろす構図でコンクリートに囲まれた部屋が映し出されいた。

 そこには様々な用途不明の機械が並び、チューブやパイプが縦横無尽に張り巡らされ、そこを行き来する防疫服らしき仰々しいものを纏った人間が数人見えた。

「こいつらが、仲間を攫ったやつらか?」

「ああ。ロボットの足跡も続いてたし、ここにある機械はどれもロクなモンじゃない」

 言いながらディスプレイに指先を滑らせると、地図めいた画像が現れた。

「ドラゴンはそこを曲がってすぐのエリアの手前からこれを見下ろしてる。ここからこっちの方にも空間があって、そちらに大勢の人のまとまった反応がある。これがお前の仲間たちだろ」

 ディスプレイを示しながら、目的地の状況と経路を説明する。

「俺がこれから撹乱するから、お前はその隙に仲間を連れて逃げろ」

「「かくらん」って何だ?」

 若干肩をコケさせた戦兎は、咳払いしてから言い直した。

「……混乱させるんだよ。とにかく、奴らにはまともに周囲を分からなくするから、お前は安心してここからこう壁沿いに走れ。絶対に気付かれないから。分かったな」

「お前はどうすんだよ」

「ここの奴らに用があるっつったろ。俺には構わなくていいから、お前は仲間を見つけたらそのまま逃げろ。それで、この協力関係も終わりだ」

「……そっか、わかった」

 スマートフォンから顔を上げた龍我は、鼻の下をこすり、妙に神妙な顔で戦兎を見返した。

「なんか、世話んなったな」

「正義の味方なもんで」

 戦兎は薄く笑んで、何でもないようにヒラヒラと片手を振った

「それに、まだ終わってねえぞ。逃げる時にドジ踏んだらフイになるんだからな」

「そうだな。じゃ、行くぜ!」

「いや待て」

 走り出しかけた龍我の襟首を戦兎が掴み止めた。

「っっ⁉︎ ……なんだよ!」

「俺の準備が整ってないんだよ! ちょっと待ってろ」

 言うと戦兎は通路の真ん中辺りに立ち。

「……おい、そこ危ない。もう三歩離れて」

「なんなんだよおい」

 怪訝な顔のまま、それでも龍我が律儀に三歩数えて後退した。

「ぃよし。それじゃあ」

 言って、戦兎が何やら機械を取り出した。

 赤いクランクレバーに金属色の円筒部、二箇所の装填口めいたへこみ。

 それらをまとめ上げた、小犬ほどの大きさの、黒い機械だった。

 戦兎がそれを自らの腹にあてがうと、機械の端から黄色の帯が飛び出し、戦兎の腹を迅速に一周して機械の反対端に組みついて結束すると、機械をバックルとした大きなベルトとなった。

 続いて戦兎は、小瓶──フルボトルをそれぞれの手に一本ずつ、計二本取り出した。

 一方は赤いフルボトル。胴の表面にウサギの形の刻印があるラビットフルボトル。

 もう一方は、青いフルボトル。先ほど見せた戦車の成分が込められたタンクフルボトルだ。

 戦兎は、それらフルボトルを手首のスナップで小刻みに振り始める。

「フルボトルの中身のトランジェルソリッドは、良く振ることで刺激を受けて活性化し、体積と効果を増幅させる」

 振っていた手を止めると、それぞれの親指でフルボトルのキャップをひねった。

「単体でも中身の成分と工夫次第で如何様にも便利な効果を発揮できるが、俺はそれを、異なる二種類の要素を掛け合わせて、更なる効果を発現する方法を発明した!」

 言うと、左手の赤いフルボトルをベルトの右側のスロットに、右手の青いフルボトルを左側のスロットに、それぞれ逆さに装填した。

《ラビット!》

《タンク!》

 ベルトが、装填されたフルボトルを認証し、それぞれの名を読み上げる。

「これが俺の発明品の最高傑作! ビルドシステムの根幹たる「ビルドドライバー」だ!」

 バックルの右端に突き出たクランク・「ボルテックレバー」を掴むと、それをぐるぐると回し始める。

 連動してベルト各部の歯車が回転し、その機構が装填された二本のフルボトルからトランジェルソリッドを抽出して内部で混ぜ合わせて攪拌し、二種の成分を新たなひとつの成分としてその組成を融合してゆく。

 やがて解放すべき成分の準備が完了し、ベルト正面から半透明のチューブが伸びてゆく。

 それは迅速に戦兎の周囲の幅二メートル・前後三メートルの四角に走り回って仕切ると、四隅から縦に伸び上がり、前後で網目のように這い回って壁を形成した。

 その範囲は、ちょうど龍我が三歩退いた程度。それでも龍我は足元を走るチューブからさらに一歩足を引いた。

 ベルトから、そのチューブの中を一方は赤、もう一方は青の液状物質が流れてゆく。

 前のフレームには、かつて見たビルドの左側頭部・右上半身・左足が。

 後ろのフレームにはビルドの右側頭部・左上半身・右足が、それぞれ形成された。

 その様はまるでプラモデルのランナー状態のよう。

 これがビルドの装甲服を構築する高速ファクトリー「スナップライドビルダー」。

《Are you Ready!》

 前後のフレームの形成完了と同時に、ベルトが認証を求める音声を発した。

 続いて戦兎は両手を前に突き出した。

 交差した右手の指先は上を、左手の指先は下を向き。

 それは、ベルトにも刻まれている歯車めいたマークに似ていた。

「変身!」

 気合いを入れて叫び、両腕を左右に振り払うや否や、前後のフレームのビルドの各半身が戦兎を勢い良く挟み込んだ。

 その瞬間は痛そうで、龍我は一瞬ぎょっとしたが、そのビルドの半身は本人に激突することなく中央で一体化を果たしていた。

 戦兎のいた場所に、代わってあの赤・青・黒の装甲服姿が現れていた。

 マスクの目にあたる位置には、巨大な複眼めいたパーツが貼り付き、右は青い戦車を、左は赤いウサギの横顔を模した形状をしていた。

 それぞれ主砲が、耳が、兜の立物のごとく突き立っている。

 装甲服の完成と同時に、周囲を取り囲んでいたスナップライドビルダーが逆戻りするように消えてゆく。

『仮面ライダービルド!』

 やおら斜めに構えてフレミングの右手を振ったビルドが名乗りを上げた。

『ウサギと戦車、ベストマッチのこの組み合わせに限り、今のビルドはウサギであってウサギでなく、戦車でもあって戦車でもない! ウサギと戦車を混合した新たな概念だ! すなわち、新たな概念には新たな名前が必要だ!』

 くるりっ、と振り向いて、唖然としている龍我に向かって指をさし。

『名付けて「鋼のムーンサルト」! イエーイ!』

 戦車の主砲のアンテナをなぞり上げて、パッと片手を広げた。

 そんな、ひとり喝采を上げるビルドを、龍我がなんとも温い、哀れむような眼差しで見返していた。

「……あー、と、……もう行っていいか?」

『ぐずぐずすんなとっとと行けー!』

「おま……⁉︎ 」

 両の拳を振り上げて怒鳴るビルドに、龍我は理不尽に呻きながら走り出した。

 

 ボルテックレバーを回してエネルギーを増幅し、ビルドが何かを投擲するように片手を振るった。

 するとたちまちその地下施設に突如として白煙が爆発的に広がり、防疫服を纏った作業員たちが泡を食ったように騒ぎ出した。

 その中をビルドが悠々と進むが、作業員の誰一人としてそれを気に留める者はいない。

 これは今のビルドのベストマッチ「鋼のムーンサルト」による効果のひとつ。

 戦車由来の「スモークディスチャージャー」による煙幕は、あらゆる波長を阻害する。

 重ねてユキウサギ由来の「白い体毛で雪に紛れるカモフラージュ効果」によって、ビルドの体表は煙幕と同色に変化して景色に紛れている。

 加えて敵に発見されないよう声帯を退化させたノウサギのごとく、自ら発する音を無効化している。

 これらの効果を融合し、同時に発現させるのが、このビルドシステムの妙味である。

 なお、現実のスモークディスチャージャーは自身の視界も遮るが、「カモフラージュ効果によって潜んでいるウサギ」は敵を捕捉する事ができる。

 ビルドシステムは、これらの矛盾する現象に対して「都合の良い要素を優先して顕現させ不利な要素をスポイルする」という既存物理を超越した現象を起こす事ができるのだ。

 その擬似完全迷彩の機能を利用して施設を堂々と横切ったビルドは、そこにいた作業員の首筋を手刀で打ち昏倒させた。

 一瞬の呻き声も、倒れた音も他の作業員の耳には届かない。

 倒れた作業員はそのままに、ビルドは付近にいる作業員から順番に次々と昏倒させていった。

 やがて、ここの従業員と思しき人間は全て沈黙した。

 ふと壁際を見遣ると、龍我が屈んだ姿勢で壁に手を付きながら素早く移動してゆく。

 予定通りの経路を進んでいる事を確認して、ビルドは施設内部を見渡した。

 戦兎曰く「ロクでもない機械」の数々が立ち並んでいる、禍々しい空間だ。

 その中でも、最も巨大な箱型の什器に歩み寄る。

 どのくらい巨大かと言えば、例えば人ひとりがゆったりと横たわれるほどの大きさ。

 稼働中のランプが灯るその機械の、透明なガラス部分を覗き込む。

 そこからは機械の中の様子が見え、謎の液体に半分ほど浸された、機械とも生物ともつかない表皮と色と、奇妙な丸みを帯びた人間大の物体が横たわっていた。

 ──スマッシュ。

 時々、街中に突然現れては、通り魔的に人々を襲い傷つけるモンスター。

 文献によれば、スカイウォールが出現してからしばらく後に現れたらしい。

 ビルドが山中で駆除している「野良スマッシュ」との違いは、地域に充満したガスで野生動物が自然発生的に変質した野良スマッシュは元の動物の体躯に近い形状であるのに対し、街に現れるスマッシュは姿形が非常に人間に近いことだ。

 例えば、ここに寝ている個体のように。

 その理由は、野生動物とは異なる、非常に人間に近い形状の生物──要は人間をベースにしているからだ。

 ──龍我には言わなかったが、龍我の仲間を攫った理由については最初から見当はついていた。戦兎が一年前からビルドとして活動していた目的は、まさにこのスマッシュの脅威から人々を守るためだったからだ。

 それと、これまでにかかった時間からして、恐らく一人くらいはスマッシュへの改造が進められるだろうことも。

 そう。現在街に出現する人型のスマッシュは、ほぼ例外無く人間がベースであり、ネビュラガスが及ばない居住区域にあって人型のスマッシュを生み出す為には、「誰かが人為的に人を改造する」しか方法がない。

 つまりは、この施設のように。

 このような施設を作り出し、運営している黒幕のようにだ。

「そいつが何者なのか、分かればいいんだけどねえ」

 溜め息交じりにぼやくように吐き捨てる。

 このような施設を発見するのは、これが初めてではない。

 その時も、施設内のコンピュータなどは完全独立型で、黒幕に至る手掛かりは得られなかった。

 恐らく、ここも同様だろう。

「ま、一応見てみるか。こいつを元に戻してからな!」

 言ってボルテックレバーを握り締めた。

《空気清浄器!》

『え?』

 向こうから、身に覚えのない認証音声が聞こえたと同時、施設内を強力な旋風が吹き抜け、ビルドのスモークディスチャージャーによる煙幕を吹き払ってしまった。

『なんだ⁉︎ 』

 それは、この場所にあってはそれなりに異常な現象だった。

 必要最低限の空調設備を備えているとは言え、限定された空間で空気を攪拌したところで煙幕が消滅するはずがない。ただ煙が室内を循環するだけだ。

 それこそ煙を集めてフィルターに通しでもしない限り煙幕は消えはしない。

 ところがいま室内を蹂躙している風は、煙幕自体に干渉し、片端から中和しているのだ。

 ──ネビュラガスで創られた物質を変質できるのは、同じくネビュラガスで創られたものだけだ!

 戦兎は少なからず戦慄していた。

 野良スマッシュの能力で対抗されたことは何度もあるが、「ネビュラガスを活用する敵」と出会うのは、これが初めてだ。

 認証する電子音声が「空気清浄器」と唱えていた。

 つまりはビルド以外にもネビュラガスの成分を操る敵がいると言うことだ。

 やがて煙幕が消え失せたこの施設の入り口に、奇妙な銃器を構える人影を発見した。

『……?』

 それは、Dテクターとは明らかに異なる系譜のパワードスーツに見えた。

 なぜガーディアンのような「ロボット」ではなく「パワードスーツを着た何者か」と断定したのかと言えば、その佇まいと挙動が非常に人間臭かったから。

 各部を覆う、チューブを巻きつけたかのような装甲。

 顔面を覆うコウモリめいたイエローのバイザー。

 鋭角に尖ったシルエットと相まって非常に禍々しい異様。

 そいつが、謎の銃器から、まるで弾倉のように挿さっていたフルボトルを引き抜いた。

 その銃器が、そいつのドライバーなのだろう。

 スロットはその一箇所しか見当たらない。

(……バイナリー・コンプレックスじゃない!)

 どういう仕組みかは、大天才にはぼんやりと見当はつくが、とにかくこの敵は、パワードスーツに付与した「コウモリ」の成分と、それとは別に任意のフルボトルの成分を操れるらしい。

 一度に、一種のフルボトルしか扱えないらしい。

 そこまで看破したビルドは手を打って身構えた。

(良かった! 敵の開発者は俺ほどの天才じゃない! )

 勝手に失礼な想像で意気を上げたその瞬間。

 全ての照明が落ち、辺りが完全な闇に閉ざされた。

 



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04 無明のスタンドオフ

 煙で視界が利かない中、謎の施設を手探りで壁沿いに駆け抜け、ビルドが撒いた煙幕の範囲を抜け出た龍我は予定通り反対側の通路に駆け込んだ。

(あとは、そこを曲がれば──)

 勢いのまま角に飛び込むと、そこに見覚えのある人影がタムロしていたのに気付いて慌てて立ち止まった。

「げぇっ⁉︎ 」

 戦兎も一言も言わなかったため、龍我は完全に失念していた。

 戦兎のドローンの映像には、仲間を攫ったロボットの姿は無かった。

 攫った本人なのだから、当然この施設のどこかにいるはずだった存在。

(──あの野郎!)

 拳を構えた龍我の前で、十数体のロボット・偽ガーディアンが立ち上がり、ぞくぞくと銃口をこちらに向けた。

(やっべ⁉︎ )

 ここはネビュラガスが無い地域だ。いつものようにガスを防御力に変換することはできない。

 だが、その手に握っていた白い小瓶を見て思い出す。

 十数の機関銃が一斉に連射された。

「うおおおお!」

 白い小瓶・パンダフルボトルを乱暴に振って、両腕を交差させて身構える。

「あだだだだ⁉︎ 」

 衝撃に身構えた全身に無数の銃弾が跳ね回り、尋常でない激痛に襲われる。

 だが。

「効かねえ!」

 大きく吼えて腕を振り払うと、偽ガーディアンの群れに飛び込んでいった。

「おらああ!」

 龍我の拳が偽ガーディアンを粉々に吹き飛ばす。

 拳の軌跡がパンダの爪跡のごとき五本の閃光と化し、目の前の偽ガーディアン数体をまとめてバラバラに引き裂いた。

 銃撃を掻い潜る龍我の拳が唸るたび、偽ガーディアンが粉微塵になって吹き飛ばされてゆく。

「うらあああ!」

 跳躍し、最後の一体を真上から叩き潰した。

「っしゃあ! お前ら!助けに来たぞ!」

 拳を振り払い、大きく吼えた龍我は、散らばったロボットの部品を踏み越えて通路の先へ駆け込んでいった。

「ボス? ……ボスー!」

「こっちです!ボス!」

 通路の奥、鉄格子で仕切られた一画に押し込められていたチーム「クローズ」の仲間たちが騒ぎ出した。

「おまえら! 良かった! ……ちょっとどいてろ」

 鉄格子にしがみつく仲間を下がらせ、パンダフルボトルを一振りした龍我がその腕で格子をまとめてなぎ払った。

 殴りつけた腕を境に次々と格子が「く」の字に折れて、ちぎれた端から吹き飛ばされてゆく

「うおおおお⁉︎ 」

 どよめきを上げる仲間たち。

「やっぱ流石だぜボス!」

「いいから出ろ! 急げ!」

 続々と這い出てゆく仲間を、引っ張り出し背を叩いて追い立てる。

「ボス!出口はどっちですかい⁉︎ 」

「バカやろコッチだ!」

 その時、通路の照明が消滅した。

 たちまち暗闇に閉ざされ、男たちが泡を食って狼狽える。

「うわああ⁉︎ 見えない⁉︎ 逃げられねえ⁉︎ 」

「慌てんな! 見ろ! 向こうに灯りがついている! 」

 停電か何かは知らないが、これから向かう予定だった方向の通路の先のエリアは灯りが消えていなかった。

「あの先だ! 走れ!」

 

 

 突然の暗転にも、ビルドのセンサーは即座に対応した。

 今のベストマッチ「鋼のムーンサルト」ならば、戦車由来の暗視装置とウサギの夜目を融合した視力で、例え暗闇でも問題なく目標を捉えることができる。

 超音波で周囲を認識するコウモリの能力を持つであろう敵とは、互角のはず。

 だが、不意の暗転に対して、肝心の戦兎自身の意識は一瞬の隙が生じてしまった。

『いってぇ⁉︎ 』

 真正面から宙を一直線に飛翔してきたコウモリのパワードスーツが顔面に一撃を加えていったのだ。

 無様に仰け反って後転したビルドは素早く起き上がり、続く攻撃を警戒して真後ろを振り返る。

 ところが、そちらには何者の姿も無かった。

『あれ?』

 だが、続く衝撃は真上から襲いかかった。

 頭上からの打撃に、顔面から床に激突する。

『くっそ! コウモリだもんなあ!』

 それほど高くはない真上の天井に、逆さにぶら下がっていたのだろう。

 しかも、そこからはただの飛翔ではなく、いかにもコウモリらしい小刻みなジグザグ機動で旋回して戦兎の意識を欺く。

 加えて、ウサギは夜目が利くが、視力は良くはない。

 ビルドは戦車由来の索敵能力で、飛び回るコウモリのパワードスーツを狙って拳や蹴りから砲撃を発射する。

 だが、敵の凄まじい戦闘機動にはかすりもしない。空を切った砲弾は、無為に壁を粉砕してゆく。

 それどころか、砲撃の合間を的確に縫っては迅速に接近してビルドの頭に一撃を入れていくのだ。

『くっそ⁉︎ なんであいつの攻撃ばかり⁉︎ ……あ!』

 ふと気付いたビルドは、右の青いセンサーアイを片手で塞いだ。

『やっべ⁉︎ コウモリは赤外線見えるじゃん⁉︎ 』

 今のビルドの暗視能力のうち、戦車由来の暗視装置は「赤外線暗視装置」をイメージしていた。

 そしてコウモリの一種の「吸血コウモリ」には赤外線を感知できる能力があると言う。

 暗闇にあっては、こちらが一方的に居場所を晒しているも同然だった。

『「アクティブ」はダメダメ! 「パッシブ」に切り替え!』

 慌ててベルトのボルテックレバーをひと回しして取り込んだトランジェルソリッドのエネルギーの組成を変更し、センサーアイに付与された「赤外線センサー」の意味を「パッシブセンサー」に書き替えた。

 その間も、コウモリのパワードスーツの攻撃は続いていたが、センサーを切り替えた途端に頭部への攻撃は激減した。

『あーもー大天才一生の不覚!』

 ぼやきながらも、敵を追って跳躍し、壁を、天井を蹴ってコウモリのパワードスーツに追いすがる。

 だが、跳躍では飛翔する戦闘機動には及ばない。

 空中で飛びかかったところを、ひらりと木の葉のようき躱されて、背中から蹴り落とされてしまった。

『なんのッ!』

 辛うじて身を翻し、片膝のヒーロー着地を決めた。

『あいたたた⁉︎ 』

 なお、ヒーロー着地は身体に悪いと評判である。

 それにしても、この閉塞された暗所という舞台では、あのコウモリのパワードスーツ相手にはいかにも分が悪い。

 次の突撃を寸での所で回避しつつ、ビルドはベルトのボルテックレバーを数回回してエネルギーを汲み上げると、再びスモークディスチャージャーに変換して煙幕を放った。

《空気清浄器!》

 敵も、即座にフルボトルを銃器に装填して対応する。

 だが今のこの煙幕の目的は、目眩しではなく、時間稼ぎである。

『それならコイツの出番だ!』

 叫んでビルドは白いフルボトルを取り出した。

 胴の表面にはハリネズミを模した刻印が刻まれている。

 引き抜いたラビットフルボトルの代わりに、そのハリネズミフルボトルを装填し、ボルテックレバーをぐるぐる回す。

《ハリネズミ!》

 撒き散らした煙幕を、コウモリのパワードスーツが中和している隙にスナップライドビルダーを展開し、前面のフレームに新たな白いハーフボディを形成した。

『ビルドアップ!』

 叫び、新たなハーフボディが合体するのと、コウモリのパワードスーツが突撃してくるのは同時だった。

 激突。

 だがビルドはこれまでと異なり、衝撃を受けてなお倒れずにそこに立っていた。

『「ヘッジホッグタンク」! さっきまでとは一味違うぞ!』

 先ほどまで赤色だった部位が白色に変わり、右拳を覆う白い凶悪なトゲ付き鉄球を叩いてビルドは身構えた。

『……』

 跳ね返されたコウモリのパワードスーツが起き上がると、訝しげに首を傾げ、再び高速の跳躍で飛びかかってきた。

 半身を変更したため、今のビルドはウサギ由来の夜目を失っている。それにより索敵能力が減少しており、コウモリの突撃を目で追えた訳ではない。

 だが、見えないのならば、跳ね返せばいいだけのことである。

『はっ!』

 激突の瞬間、ビルドの全身から鋭利な長い棘が無数に、爆発的な勢いで伸長したのだ。

『ッ⁉︎ 』

 無数の棘に自らの勢いで激突したコウモリのパワードスーツが、弾き返されて机を、棚を蹴散らしながら吹き飛んでいった。

 このトゲは、動物の体毛が硬質化したものなどでは無く、ビルドシステムによって戦車と融合した今は、トゲの一本一本が戦車の装甲と同じ堅牢さを持っている。

 それらが無数に寄り集まった鋼の槍衾だ。生半に突破できるものではない。

『だけど、ハリネズミは特に素早くないし、防衛向きの組み合わせだから、ベストマッチとは言えないんだよなー』

 若干ぼやくように言うが、別に自信を損なっている訳ではない。

『だけど、お前に対抗するには有効だ!行くぞ!』

 叫ぶや、ビルドの体表から生えている無数のトゲが、砲弾の勢いで発射された。

『ッ⁉︎ 』

 さしものコウモリのパワードスーツも一瞬狼狽の色を見せた。

 なにしろ腕ほどの長さの、戦車装甲ほどの硬さの、トゲと言うより最早「槍」と呼ぶべき代物が、無数に飛んできたのだ、

 言わば槍の散弾。いかなコウモリでも避けきれるものではない。

 どうにか宙で身を翻し、あるいは銃器で打ち払って躱そうとするが、数発のトゲが命中して吹き飛んでいった。

 他方へ飛んでいったトゲは、施設の壁と言わず天井と言わず、全方位を貫き半分以上深々と突き刺さった。

『まだまだこんなもんじゃないぞ!』

 ボルテックレバーをひと回してすると、再び無数のトゲを展開した。

 そして駆け出し、わずかに跳ねると、全身から生えたトゲが蠢き始めた。

 全てのトゲが、ビルドの体表を滑るように縦方向に移動し始めたのだ。

 今のビルドは戦車であると同時にハリネズミでもある。

 ビルドは全身を無限軌道と化して、体表のトゲを回転させたのだ。

 腹這いに着地したビルドは、全身のトゲの無限軌道を回転させて床板を抉りながら高速で疾走してゆく。

『ッ⁉︎ 』

 喫驚し狼狽えたコウモリのパワードスーツがすぐさま飛翔してそれを躱した。

『無駄だ!』

 ビルドがそのままの方向に疾走しながらトゲの一部を後方に斉射した。

 それらは飛翔するコウモリを追って次々と壁に、天井に突き刺さる。

 ビルドはそのまま壁に突撃すると、トゲが壁に喰らい付き、なんと壁を駆け上がり始めた。

 さらに天井にまでトゲを刺しながら疾走し、飛翔するコウモリのパワードスーツに追いすがる。

『待てコラー!』

 空中機動で躱されても、すぐに無数のトゲを斉射して行き先を牽制して追い詰める。

『ッ!』

 数発のトゲを食らいながらも、コウモリのパワードスーツは空中で身をよじると銃器を突きつけ、光弾を発射した。

『え?』

 ビルドは狼狽えた。

 相手の銃器がこちらを捉えているかどうかは、すぐに分かる。

 ところが今発射された光弾は、ビルドとは関係の無い方向に飛んだのだ。

「ぎゃっ⁉︎ 」

 悲鳴はすぐに聞こえた。

『何⁉︎ 』

 コウモリのパワードスーツの銃弾は、ビルドが昏倒させたここの作業員のひとりを撃ち抜いたのだ。

 天井に逆さに着地したコウモリのパワードスーツが、再び別の方角に銃を突きつけた。

 空いた片手で出入り口を指し示して。

 その意味は、すぐに分かった。

(あいつ、自分の手下を人質にして、俺に出て行け、と……⁉︎ )

 その銃口は、別の倒れている作業員を狙っている。

 確かにここは、人々に害を成すスマッシュを、無関係の人を改造して生み出して放逐する、間違いなく悪質な反社会的組織だ。

 だがビルドは、スマッシュの被害を食い止め、被験者からネビュラガスを取り除いて救う事を使命としていても、悪の組織の構成員を殲滅する事はその目的に入っていない。

『しょうがないな……』

 何かしようものなら、奴は作業員を躊躇いなく撃ち殺すだろう。

 ビルドは、コウモリのパワードスーツから目を離さず、トゲの無限軌道を後転させてその施設から後ろ向きに離脱していった。

 コウモリのパワードスーツは微動だにせず、こちらを追うそぶりも見せずに黙って見送っていた。

 ここは、このまま出ていくしかない。

 それにしても。と、仮面の下で戦兎は訝しんだ。

(……もっと早く俺たちを妨害すればいいものを、なぜあのコウモリはこのタイミングで現れた……? )

 

 

 コンクリートで整備された大型河川の脇の水路から、捕らえられていた「クローズ」の男たちが這々の体で駆け出してきた。

「行けー! とりあえず、バラバラに逃げてどっか隠れてろ! しばらく「クローズ」は休業だ! 行けー!」

 最後に水路から駆け出してきた龍我が、腕を振り回しながら叫んだ。

「ボス! 世話ンなりました!」

「また呼んでくださいよボスー!」

 仲間たちは、めいめい惜しみながらもあちこちへと散らばっていった。

「…………」

 彼らの背を見送り、龍我は腰に手を当てて溜め息を吐いた。

 ナワバリとスカイロードと闇ブローカー稼業は惜しくはないが、仲間たちと生きてきた思い出はある。

 しばし、その終焉を噛み締めて、龍我も駆け出した。

 母が待っている病院へと。

「──っ⁉︎ 」

 突然、鳴り出した懐のスマートフォンの振動に足を止めた。

 慌ててスマートフォンを取り出すと、ディスプレイには「非通知」の文字。

 捕らわれた仲間を助けた以上、拉致犯になど用は無いし、闇ブローカーとして非通知着信など珍しいものではない。

 特に気にせず龍我は着信ボタンに指先を滑らせて耳に当てた。

 誰だか知らないが、闇ブローカーの休業は知らせてやらねばなるまい。

「誰だ?」

『万丈龍我』

 スピーカーからは、濁った合成音声が聞こえた。

『──貴様の母親を預かっている。指定の場所へ、一人で来い』

 



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第3話 境界線上のアリア
01 猟犬のバロウズ


「おい!じじい!」

 廃病院の地下オフィスに駆け込んだ龍我が見たものは、吹き飛んだドアと、ズタズタに引き裂かれた室内。

 それと、いつものデスクの床で、変わり果てた姿で事切れている闇医者の老爺の姿だった。

「……っ⁉︎ 」

 苦悶の表情のまま、椅子に、棚に腕をかけ崩折れたように倒れていた。

 ドラマなどでしか見た事のないことだが、老爺の見開いた瞼を閉じてやろうと顔を手で撫でるが、うまく閉じることができない。

「……悪ぃ、じじい」

 中途半端な表情になってしまった老爺に手を合わせて瞑目し、龍我は立ち上がった。

 オフィスを出て通路を回り込み、奥のエレベーターで中三階へ向かう。

 いつもの母の病室に駆け込むが、こちらももぬけの殻だった。

「……クソッ!」

 どうやら、謎の電話の主が言ったことは本当らしい。

「本当に母ちゃんを攫いやがったのかよ……!」

 怒りと焦燥に唇を噛んだ龍我は、身を翻すと廃病院の外へ駆け出した。

 辺りを見回し、たまたま停めてあったバイクを見つけて駆け寄ると、再びキー周辺を強引に細工してまたがり、急発進させた。

 

 

『どういう事だスターク!』

 ブラッドスタークのヘッドギアに内蔵されたAIが通信の音量を自動調節してくれるため、その怒声に頭を痛める事は無かった。

『奴ら、ノーマークで研究施設にまで入り込んだ上、検体を全て逃してしまったぞ! 貴様なにをやっていた!』

『オーケイ、同志よ。そんなにがならなくても聞こえてるよぉ』

 自身のセーフハウスのソファでくつろいだ姿勢の赤い装甲服姿・ブラッドスタークが片手をハエでも払うかのように振りながら応えた。

 その仕草を見せるべき相手がいないにも関わらず。

『易々と侵入を許したのは、警備の不備だろう? あるいは、あの「仮面ライダービルド」さんとやらの装備が一枚上手だったか』

『そんな事を言っているんじゃない!』

 通信の相手──ナイトローグの怒り狂いようはここ最近でもなかなかお目にかからないレベルだ。

(……これだからコイツは面白い!)

 ブラッドスタークは胸中でほくそ笑んだ。

『貴様が見ると言った、あのネビュラガスを操る検体を、誘き出して捕らえる手筈だったんじゃないのか! なぜあの場にいない! 貴様いまどこにいる!』

『落ち着けよぉ同志よ。ウソなんか吐いちゃあいないし、すべては予定通りだ』

『なんだと⁉︎ 』

『これからアイツを本格的に誘き出すんだよ。その下準備をしていたのさ』

 ブラッドスタークはこめかみに手を遣りながら、ソファからのっそりと起き上がった。

『フォアグラって知ってるだろ? アヒルとかガチョウに餌をたくさん与えて肥大させた肝臓の御馳走だ。アイツも同じだよ。じっくりエサを与えてやる必要があるのさ』

『知っている。強制給餌器でわざと脂肪肝を患わせて、場合によっては工程の途中で死ぬ鳥がいる事もな』

 ブラッドスタークは大笑いした。

『っはっはあ! そりゃ偏見だぜ同志よ! ガヴァージュに寄らない、渡りを待った鳥のフォアグラは、そりゃあ美味いもんだぜ?』

 嘘を吐け、と小さく呟く声が聞こえたが、ブラッドスタークは聞き流した。

『それとスターク。工程の途中で死ぬ事がある点については否定しないんだな』

 改めてナイトローグの声が皮肉混じりに付け加えてくるが。

『だから手厚く観察するっていうハナシじゃねえか』

 そんな皮肉もさらりと躱す。

『そんな事より同志、逃げ出した検体についてはマーキングしてあるから、あとでいつでも攫いに行けるから後にしてくれ。一体くらいスマッシュできてるんだろう? それ連れてこっちに来い。第五研究所だ』

『……また貴様勝手な事を』

『頼んだぜ』

 ナイトローグの呻きは聞かず、一方的に通信を切った。

『さあてお立会い……』

 勢いをつけて立ち上がったブラッドスタークは、先ほどから感知している動体センサーの反応を見ながら含み笑いを漏らした。

 

 

 謎の電話の主に指定された場所へと向かう国道を、龍我が跨ったバイクが駆け抜けてゆく。

 辺りは閑散としており、対向車も無い。

 時間が経つにつれ、木々や土地の起伏が増え、やがて緑深い山々と、その向こうを左右の果てまで遮るスカイウォールが薄っすらと見えてきた。

 あまり気にしていないが、とっくに居住禁止区域である。

 やがてたどり着いた山のふもと、閑散としたゴーストタウンの一画、倉庫街の奥の、それと思しき施設の敷地に進入し、乗ってきたバイクを適当に蹴転がしてビルの入り口へ向かう。

 大きなガラスドアの向こうは、コンクリートが剥き出しのがらんどうだった。

 当時新築直後だったのか、出て行った後なのかは知らないが、そこは空っぽのビルのようだった。

「おい!」

 話が間違いでなければ、ここが指定の場所のはずである。

「来てやったぞ! 母ちゃんを返せ!」

 龍我は声を張り上げた。

『よく来たな。万丈龍我』

 その中年男性のような合成音声は、背後から聞こえてきた。

 ファイティングポーズを取って振り返ると、血のように赤い装甲服を纏った何者かが、今しがた龍我が入ってきたのと同じガラスドアを開けて入ってきたところだった。

「てめえか……」

 桐生戦兎のせいで、なぜか初対面の存在が自分の名前を知ってる事についてはどうでも良くなった。

 だが、間違いない。この胡散臭い声。

 こいつが母を攫った奴だ。

「うらあ!」

 何も聞かず、龍我はいきなり殴りかかった。

 あの赤い装甲服に拳が効くのかとか、ここにはネビュラガスが無いとか考えもしない。完全に頭に血を上らせていた。

 ところが赤い装甲服姿は、特に慌てもせずひょいひょいと龍我の拳を躱し、最後のストレートに対して体を半身に逸らして避けると、体勢が伸びた龍我の胸板を片手で押し遣り呆気なく転倒させてしまった。

『いいぞお! 元気がいいのは結構な事だ! だが、物事には順序ってものがあってなあ』

「てめ……⁉︎ 」

 激昂して立ち上がりかけた龍我の胸元に、赤い装甲服姿が何やら板状のものを放り投げてきた。

『こういう場合は、まずは「人質は無事か」って聞くもんだろ』

 思わず受け取ったそれは、タブレットPCだった。

 ディスプレイに、どこかの屋内と思しき景色が映し出されており、その中央のガラスで仕切られた小部屋に、ベッドごとベルトで縛られている母の姿が見えた。

「母ちゃん⁉︎ 」

 声が届くはずもないが、叫ぶ。

 画面の母は身動きせず、瞳を閉じてぐったりしているようだった。

「母ちゃんを離しやがれ!」

 素早く立ち上がると、タブレットをコンクリートの床に叩きつけて再び拳を構えた。

『いいだろう! オレに勝てたらな!』

 鷹揚にうなずいた赤い装甲服姿が、取り出した奇妙な銃器の銃身の下端に、見覚えのある小瓶を弾倉のように装填すると、床に向けて引き金を引いた。

 射撃を警戒して身を竦めた龍我をよそに、しかし銃口から放たれたのは、弾丸ではなく、ドス黒い煙だった。

 大量の黒煙が、たちまちフロアに充満してゆく。

「……これは……ネビュラガス?」

 馴染みのある感覚に、訝しげに辺りを見回す。

『見せてみろ!お前の力を! さあ、母親の命が賭かっているぞ!』

 どこへともなく謎の銃器を仕舞い込んだ赤い装甲服姿が、両腕を広げて龍我を挑発する。

 どういうつもりか分からないが、龍我は腕をひと振りしていつものようにネビュラガスに干渉して自らに引き寄せ始めた。

「……っ!」

 それは、あまりにも馴染み過ぎて、念じるとか気合を入れるとか等の準備すら必要としない動作。

 瞬時にフロア中のネビュラガスを搔き集めると、全身に纏わせ、全開の攻撃力に変換した。

「シネやコラあああああ!」

 蹴り足で床が砕けるほどの勢いで跳躍し、拳を振りかぶって赤い装甲服に襲いかかった。

『おお!』

 赤い装甲服姿が即座に交差させた腕にネビュラガスを纏わせた拳を叩きつける。

 拳を受け止めた赤い装甲服姿が、その体勢のまま床を擦り削りながら後退してゆく。

 その勢いは凄まじく、それは背後の壁を背中で砕いて隣のフロアまで吹き飛ばされていった。

「立てやコラああ!」

 龍我はそれを追ってのしのしと歩み、壁に空いた穴をくぐり瓦礫を踏み越えて赤い装甲服姿に迫る。

『……っはっはっは! いいぞ! これはいい!』

 だが、隣のフロアの向かいの壁際の、砕けた建材の山の中からはそんな哄笑が聞こえてきた。

 瓦礫を押しのけて、赤い装甲服姿が何の痛痒もなく起き上がってくる。

 ところが、良く見れば赤い装甲服の、龍我の拳を直接受けた両前腕部の、チューブが絡みついたような装甲がひしゃげていた。

『さあ、もっと打ち込んでこい! お前の力はそんなもんじゃないだろう⁉︎ 』

「余裕コイてろよテメエ! そのツラも腕みたいにしてやっからな!」

 両の拳を打ち合わせて再び躍り掛かってゆく。

 左右の攻撃を、赤い装甲服姿が今度はそれぞれの腕で捌き、弾き、龍我の側面に回り込んで脇腹を狙い殴りつける。

 それに対し龍我は腰を落とし胴にネビュラガスのエネルギーを集中させて受け止めた。

 痛いは痛いが、ダメージは完全に抑えた。

 それどころか、敵の拳を大きく跳ね返してすらいる。

 そのまま龍我は踏み込みの要領で赤い装甲服姿に体当たりして押し返した。

「おらあ!」

 相手を押し返したところで素早く身を翻し、後ろ蹴りをその胸郭に叩きつけた。

『おお!』

 それでも、どこか嬉しそうな喫驚の声を上げて赤い装甲服姿が数歩後退した。

 だが龍我は頓着せず、それを追って身を沈めた踏み込みで迫るとその場で跳躍。宙で身を翻した回し蹴りが、毒々しいグリーンのバイザーを嵌めた頭を捉え、激しく蹴り飛ばした。

 赤い装甲服が頭から床に叩きつけられ、跳ね上がってきりきりと回転しながら再び先刻の瓦礫の山に飛び込んだ。

『っはっはあ! いいぞ! ハザードレドル6.3! 生身でコレか! たいしたモンだ!』

「うるせえ!」

 今度は即座に跳ね起きてきた赤い装甲服姿に向かい、龍我が吐き捨てて迫る。

 見れば、蹴りつけた胸郭も、マスクも、大きくへこみ、砕け、激しく損傷している。

 余裕有りげな態度など、どうせハッタリに違いない。

「こちとらやっと親子で穏やかに暮らせるかって所なんだ! くだらねえ邪魔してんじゃねえよ!」

 僅かにステップを踏んで体勢を横に整えながら、瞬時に赤い装甲服姿の懐にまで迫る。

 引き絞った拳には、より強力なエネルギーが集中している。

「邪魔するってんなら、テメエみてえな」

『合格だ! 合格だから、さあ、実験を始めようか!』

 龍我の言葉を無視した赤い装甲服姿の、どこかで聞いた覚えのある叫びを聞いた瞬間、脇腹に激痛が走った。

「っなっ⁉︎ 」

 衝撃につんのめった龍我が脇腹を見下ろすと、そこには赤いチューブが突き刺さっていた。

「……て、っめ……⁉︎ 」

 見れば、その赤いチューブが伸びた先は床を這い、大きく弧を描いて迂回し、目の前の赤い装甲服に続いていた。

『まあ注意力とか危機察知能力とか、そういう細かい事は求めねえよ。用があるのは、そこじゃないしな』

 いけしゃあしゃあと、分からない事を宣う赤い装甲服姿を睨み返した龍我は、まずは刺さったチューブを抜こうとした。

 ところが、刺さった箇所から体内に不快な冷たさが流れ込むのを感じると、身体が動かなくなり、意思に反して膝が勝手に落ちた。

 なんらかの毒だろう。

「く……そ……」

 それなら遠距離からぶつけてやろうと、エネルギーを纏め上げようとするが、意識を保つのも困難になり、集中が途切れる端からネビュラガスが抜け出てゆくのが分かる。

「……っ!」

 いつの間にかコンクリートの床が眼前に迫り。

 龍我は意識を失った。

 

 

 万丈龍我の移動の痕跡を追う事はそんなに難しくなかった。

 長距離を移動する度にいちいち盗んだバイクで走り出すのはどうかと思うが、まあこの時代に生きるアウトローゆえ致し方無いと言うか。

 辿り着いた廃病院の寂れた屋内に踏み入り、戦兎は嘆息した。

 建築構造的に、二階と三階の間くらいに不自然なスペースがある事は、建物の外観を一目見ただけで分かっていた。

 隠すと言う事は、なんらかの理由でのシークレットスペースと言う事なのだろう。つまり、専用の出入り口がどこか別にあるはず。

 一階フロアをひと回り歩いて間取りを観察した戦兎は、迷わず地下階へと降りていった。

 なぜなら、ざっと目算してみたところ、一階から乗れるエレベーターとは別に「巧妙に隠された、エレベーター一本分の空白のスペース」を見つけたからだ。

 地下階に降りた戦兎は、僅かながら驚いた。

 そこには、思っていたよりも高水準な医療設備が整っていたからだ。

 そんな非合法病院の診察室を巡廻しているうちに、他とは装いの異なる部屋を見つけた。

 と言うより、唯一ドアが吹き飛ばされていたのだ。

 中を覗くと、そこは凄惨な有り様だった。

 重厚な調度類などからいわゆる「院長室」にあたるのだろうが、そこはまるで手榴弾でも爆発させたかのように壁や床や調度類がズタズタに破壊されていた。

 だが、実際には爆弾の仕業ではないだろう。

 見上げた天井だけが無傷だったから。

 室内に入り周囲を検分する。

 ふと奥のデスクの脇から投げ出された人の足を見つけて、戦兎は駆け寄った。

 そこには、白衣を纏い、片目に眼帯を巻いた小太りの老爺が苦悶の表情で事切れていた。

「……」

 軽く手を合わせて瞑目すると、老爺の遺体を観察する。

 まず、苦悶の表情にしては、見えている目の瞼の位置がおかしかった。

 十中八九、先にここを訪れた龍我が、老爺の瞼を閉じてやろうとして上手くできなかったのだろう。

 戦兎は代わって老爺の瞼を閉ざした。

(……外傷が無いな。死因は……ネビュラガスか?)

 鼻をかすめた、微かなネビュラガスの気配に確信する。

 侵入者がいても老爺自身がここから移動しなかった事から、恐らく老爺自身が隠し持っていたネビュラガスを、自分の意思で散布したのだと戦兎は推理した。

 デスクの天板の裏を手で探ると、不自然に後付けされたスイッチの感触があった。

 続いて戦兎は老爺から離れ、床や壁を引き裂く傷跡に顔を寄せた。

 別のドアが壁に突き刺さっているのは置いておいて、壁の亀裂にボールペンを差し込んで抉ってみる。

 すると、亀裂の中から小さな金属片が現れた。

「……」

 へし折れた小さな欠片だが、間違いない。

「……ガーディアンの部品だ」

 龍我の仲間を攫った偽ガーディアンが、ここにも現れたのだ。

 そして、老爺の行動から、侵入者の中には、偽ガーディアンを引き連れた生身の人間がいたという事になる。ガーディアンをネビュラガスに巻いても害はない。

 一連の情報から、やはり龍我ひとりが狙われているという事になる。

 先の龍我の仲間の救出劇でも、結局攫った連中の脱出を許し、そしてほぼ同時刻にここが襲撃されている。

 龍我の母が入院していた、ここが。

「生身でネビュラガスを操るとか、いったい何者なんだアイツは……」

 そして、それが龍我が狙われる理由でもあるのだろう。

 だから戦兎は、救出劇の後も龍我を追跡した。

 摘んでいた部品を放り捨て、戦兎は再び老爺の元へ近付いた。

 先ほどから気になっていたのだが、老爺の今際のきわの体勢がどうもおかしい。

 まるで苦悶にもがき、椅子からずり落ちて思わず右手は棚の手すりに、左手はデスクの引き出しにしがみついたように見えるが、呼吸困難で苦しむ場合は喉や胸を押さえるものだろう。

 それが、なぜ?

「……」

 戦兎はそっと老爺の手を下ろさせ、その引き出しを引き開けた。

 



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02 迫撃のボーリングコア

 広大なコンクリートに包まれた無機質な空間。

 様々な研究設備に囲まれた部屋の中央に、ひときわ巨大な培養プールが設置されていた。

 ガラス越しに見える内部には、人影がひとり。

 呼吸器のマスクを嵌められて、苦悶に身を捩り、くぐもった声で叫び必死の形相で抜け出そうともがいているが、腕脚が拘束されておりそれも叶わない。

『あんまり体力を消耗するな。これからがキツくなるぞ?』

 その培養プールの中身──万丈龍我の顔を覗き込み、ブラッドスタークがからかうように言った。

 そのマスクや胸郭は、傷一つ無い元の状態に戻っていた。

 傍らにはナイトローグもいる。

『おい。なぜ眠らせておかない? こいつの腕力なら簡単に破られるんじゃないか?』

『その為に拘束衣を着させてんだろうがよ』

 ナイトローグの疑問に答えた通り、培養プールの中の龍我は、首から下を黒いチューブが絡みついたような装甲服に覆われていた。

 ただし、各関節は動かないようロックされている。

 その上で、両腕と両脚を巨大な金属の枷で台座に固定されているのだ。

『なにしろ「究極の生命」に至る大きなヒントにしてカギかもしれない奴だ。オレだって慎重にやってるんだぜえ?』

 培養プールの天板に肘を乗せ、種明かしでもするかのように両手を広げてみせる。

『よし。始めろ』

 培養プールから離れたブラッドスタークが、研究員達に振り返り指示を出した。

『さっき説明した通り、いつもと工程が違うから気をつけろよ……ん?』

『む』

 その時、ブラッドスタークとナイトローグが同時に顔を上げた。

 動体センサーに異常な反応を感知したからだ。

『……ほう。早いな』

 ナイトローグがブラッドスタークの呟きを問い糺そうと振り向いた瞬間。

『ここかー!』

 そんな声と共に、天井を粉砕して何者かが飛び込んできた。

 飛び散るコンクリートの瓦礫のただ中に着地した、赤と青の装甲服──仮面ライダービルドが素早く立ち上がって斜めに構え、フレミングの右手を横にかざした。

『仮面ライダービルド参上! 見たかビルド式・アナウサギの穴掘り徹甲弾の威力! さあ、ペシャンコになりたい悪党はどいつだ!お前かお前か!』

 一息に叫んで二人をビシビシ、と指差すビルドに、なぜかナイトローグが頭痛でも堪えるように片手で額を押さえた。

『人聞きの悪いことを言うなあ仮面ライダービルド殿』

 特に衝撃を受ける訳でもなく、柔軟にノリに合わせて見せたブラッドスタークが、右手を背後に、左手を腹のあたりに回して慇懃に一礼をした。

『オレはブラッドスターク。ここの幹部のひとりでな。ともあれ、セオリーに倣うなら、まずは歓迎の印を受けてもらおうか』

 鷹揚に戯けたブラッドスタークが、肩越しに指を振ってナイトローグに促した。

 やれやれ、と頭を振ったナイトローグは、そこにあったノートパソコンのエンターキーを叩いた。

 すると、ビルドの傍らにあったドアがスライドして開き、奥から奇妙な人影が飛び出してきてビルドに襲いかかった。

『うわ⁉︎ 』

 咄嗟にそいつを受け止めるが、体勢を崩されたビルドは背後の壁まで押しやられ背中から激突してしまう。

『こいつは……!』

 よく見直せば、それは人造スマッシュだった。

 それも、先刻龍我の仲間の救出に侵入した謎の施設にいたものだ。

『さて、まずはアイツを追い出すか』

 言いながらナイトローグが一歩踏み出そうとしたが、ヘッドギアのインジケーターに現れた着信のサインを見て足を止めた。

 発信者アイコンには「ミゼルクロウラ」と表示されている。

 ──こんな時に⁉︎

『そう言やお前、このあと予定があったんじゃないか?』

 振り返ったブラッドスタークが、顎をしゃくって言った。

 確かにその通りだ。元々、ブラッドスタークに要求されたスマッシュをここに搬送した足でそのまま次の場所へ移動する予定だったのだ。

『行けよ。ここはオレがなんとかするからよ』

 ブラッドスタークとビルドとを見返して、しばし煩悶とした様子を見せたナイトローグは、結局踵を返した。

『……頼んだぞ』

『あいよ』

 立ち去るナイトローグに、ブラッドスタークが気怠そうに後ろ手を振って見送った。

 ──だから、ブラックスタークがほくそ笑むように小さく肩を揺するのを、ナイトローグは見ることができなかった。

 

『こなくそー!』

 気勢を上げたビルドがスマッシュを押し返した。

 なぜかスマッシュの両腕の、こちらを挟み込む腕力が尋常では無かった。

 自身の両腕に纏わせたエネルギーの力場に無限軌道の意味を付与して後進方向に高速回転させ、強引に拘束を振りほどいたのだ。

 そのまま突き飛ばして間合いを広げる。

 先ほど対応してきた謎の赤い装甲服姿──ブラッドスタークとやらは、巨大な装置に上体を乗せ頬杖をついてこちらを眺めるだけで、参戦してくる気配が無い。

 ──隣にいたはずのコウモリのパワードスーツは退出してしまったようだ。いずれにしても今は追いかけられない。

 その赤い装甲服はパッと見た感じ、Dテクターと似たような、倍力機構を内蔵したアンダーウエアに装甲を被せたパワードスーツに見える事から、戦闘の為の装備である事は間違いない。

 それなのに外敵の排除に加わらないのはなぜなのか。

 大方、このスマッシュと対戦させてこちらの力量を計ろうと言うのだろうが。

『そんなに見たいなら、俺のチャンネル登録でもしてろ!』

 叫んだビルドは、まずスマッシュめがけて拳を振るい、その軌跡から砲弾を打ち出すと、続く回し蹴りからブラッドスタークを狙って砲弾を発射した。

『おいおい、余所見してんじゃねえよ』

 即座に上体を起こしたブラッドスタークが、片手で砲弾を殴りつけて粉砕した。

 そしてまた何事も無かったように頬杖の姿勢に戻った。

 どうやら本当に手出しする気は無いらしい。

(それなら好都合だ!)

 もっとも、本当に最後まで手を出さないかはわからない。

 ウサギが耳だけ向きを変えて周囲を警戒するように、ビルドはブラッドスタークへの注意を一部残しながら、目の前のスマッシュに向き直った。

 ところが、今のわずかにブラッドスタークへ意識を向けていた隙に、スマッシュがこちらへ襲いかかってきていた。

『鈍重そうな割に早い!』

 スマッシュが両腕を大きく広げてこちらを抱きすくめる体勢なのに対し、ビルドは即座に後方へ跳躍して逃れた。

 着地したビルドの前で、スマッシュが勢い余って捕まえた事務机が、その腕の中でグシャグシャに縮壊した。

 スマッシュの腕力としては珍しい威力では無いが、ネビュラガスによって変質したスマッシュは、何らかの生物やマテリアルの意味を宿して顕れる事が多い。

 先ほどから、殴るでもなく飛び道具を撃つでもなく、執拗にこちらを捕まえようとして、挙げ句に今の机のように破壊する習性が見られる事から、こいつが付与された意味にはだいたい見当がつく。

『プレス機……「プレススマッシュ」だな!』

 そこまで瞬時に考えたビルドは適当に──ぞんざいに命名した。

 だが警戒は怠らない。

 なぜなら、プレス機とひと口に言っても、大きなものは自動車などを圧縮するスクラップ工場のようなものも存在する。戦車と言えど完全な耐性があるとは言い切れない。

 だから、迂闊には近寄れない。

 どうすれば良いか……。

『遠くから攻撃しよう!』

 あっさりとシンプルに見切ったビルドは、ベルトのボルテックレバーを数回回してエネルギー汲み上げると、右拳、左拳、右脚の蹴り上げから翻って左回し蹴りと体術のコンビネーションで砲弾を立て続けに放った。

 ところが、プレススマッシュは両腕を大きく広げて待ち受けると、全ての砲弾を抱きとめて、そのまま抱き潰してしまった。

 甚大な爆発が起こるが、スマッシュには痛痒を感じた様子すら無い。

『はあー⁉︎ 砲弾白刃取りだとう⁉︎ 』

 どこか得意げに両腕を開け閉めするプレススマッシュに、ビルドは大きく仰け反ってから地団駄を踏んだ。

『やっぱ直接叩き込むしかないかー』

 ビルドから放射して離れたエネルギーには、当然本体からの接続を離れては恒常性が無い。

 プレススマッシュの圧縮力場がエネルギー砲弾を上回っている以上、エネルギーの発振源であるビルド自身が直接接触でボルテックフィニッシュを打ち込まなければ、相殺されてしまうだろう。

 ざっとそこまで分析した所で、プレススマッシュが両腕を大きく広げた。

 それから力を込めるように身を僅かに縮めると、体勢を広げると同時に放射された力場が、左右に巨大な壁となって現れた。

『んな⁉︎ 』

 仰天したビルドはさらに後方へ跳んだ。

(飛び道具は無くとも、プレス機の力場を広げる事はできたか!)

 目の前で閉じ合わされ、棚や柱や謎の機械を縦にペシャンコにする光景に思わず舌を巻く。

 しかも、刮目すべきはその速さだ。

 プレス機の力場を閉じ合わせる速度が、まるで人が両掌を叩くのと大差ない速さだったのだ。

(力場自体に質量がある訳じゃ無いしなー)

 力場に限っては慣性の法則は都合良く無視できる。

 閉塞してからプレス機の力場を蹴り壊した所で、再び同様に力場を再展開されるだけだ。

 やはり本体を直接叩くしかない。

『それも、プレスされるより速くだ!』

 警戒に低くしていた体勢を起こしたビルドが、何やら誇らしげに両腕を上げるプレススマッシュへ指先を突きつける。

『目標は、迅速に閉じるプレスマシーン! 対するは、敏捷なウサギでもあり無限軌道がイカす戦車でもあるこのビルド!』

 すらすらと条件を数え上げ、ビルドは右手の指先でマスクのアンテナをなぞり上げると、その手をパッと開いた。

『勝利の法則は決まった! さあ、実験を始めようか! 』

 言いながら、ベルトのボルテックレバーをグルグルと回す。

 それも、これまでより念入りに、長く機構を回転させて膨大なエネルギーを汲み上げる。

 それによってボルテックチャージャーが凄まじい輝きを放ち始めた。

《ボルテックフィニッシュ、レディ》

 臨界に達したベルトバックルが、認証を求める音声を放つ。

『ゴー!』

 叫ぶや、構築したエネルギーを解放し、ウサギの脚力であると同時に砲撃の勢いで以って跳躍する。

 それも、上方ではなく正面、プレススマッシュ目掛けてだ。

『ーーーーッ!』

 奇声を上げたプレススマッシュが再び左右に巨大なプレス機の力場を展開する。

 水平に跳躍するビルドは既にその範囲の中程にあった。

 退くはおろか、スマッシュに触れるより先にプレス機の力場がビルドを挟み込むだろう。

 飛翔するビルドは宙で身を翻し、片足を突き出して蹴りの姿勢に移行する。

 だがそのビルドを、プレス機の力場が勢い良く挟み込んだ。

『っぐっ⁉︎ 』

 一瞬苦鳴を漏らすが、その勢いは止まらない。

 ビルドを包む力場が、前から後ろへと高速回転を始めたのだ。

 即ち、戦車由来の無限軌道の働きに、アナウサギの穴掘りの意味を加えた今のビルドは、その身を圧迫する何もかもを掘り進む徹甲ウサギ砲弾戦車とも言うべき、意味の化合物。

 接触するエネルギー同士が反発し火花を散らす中を、一度は失速したビルドの身体が再び加速してプレススマッシュに迫る。

『うおおお!』

 強まる圧力に、肩が軋み、腕脚が捩れる。

『……っ、なんの!アナウサギは狭いところが大好きだ!』

 それでも身に纏う力場は無限軌道とアナウサギの前足のごとく両側のプレスフィールドを掻いてビルドの身体を前進させる。

『おおおお!』

 そして、プレスフィールドを突破したビルドの蹴り足が、プレススマッシュを貫いていった。

『おおおおっしゃああ!』

 床を擦り削りながら着地したビルドの背後で、脱力し膝から崩折れたプレススマッシュが断末魔の爆発を起こした。

『それっ』

 すかさずビルドが取り出した空のボトルを倒れたスマッシュに差し向ける。

 スマッシュの身体から、白い靄が立ち昇り、エンプティボトルへと吸い込まれていった。

 あとに残ったのは、下着姿の見知らぬ青年。偏見は良くないことだが、斬新なヘアスタイルからして、龍我の仲間で間違いないだろう。

『どうだ!』

 立ち上がったビルドが、変わらず機械に頬杖をついているブラッドスタークを振り返った。

 正直、潰される寸前だったダメージは決して小さくないが、まだ目的は果たされていないのだ。

 ぱた、ぱた、と気の無い拍手を繰り出してブラッドスタークが起き上がった。

『はっはあ!お見事だ、仮面ライダービルド殿』

 鷹揚に、どこか戯けた調子でブラッドスタークが機械をのっそりと回り込んできた。

『だが、ずいぶんお疲れのようじゃないか。一度、お家に帰って休まなくていいのかね?』

 痛いとこを突かれるが、ビルドはおくびにも出さずに肩をすくめた。

『いやあ別に。そちらにお世話ンなってるウチの悪ガキを返してくれたら、すぐにでもお暇するんでさ』

 言いながら、ビルドは腰を落として臨戦体勢を取った。

 だが、巨大な箱型機械の天面をピアノのように指先でつついていたブラッドスタークは、ビルドの気配を無視して鷹揚に両手を打って広げた。

『そうかい。じゃあおもてなしも済んだから、お客様を返して差し上げようじゃないかね』

『……なに?』

 訝しんだビルドは、同時にある事に気がついた。

(──あんなにいた作業員がいない? )

 今この施設には、自分とブラッドスタークしかいなくなっていたのだ。

『そら、預かっていたオトモダチだ。連れて帰りな。──連れてけるものならな!』

 同時に天板が開放されたその巨大な機械の中から、蒸気のような白煙と共に、何かが起き上がり、這い出てきた。

『──な──⁉︎ 』

 こっそりとくっつけておいた発信機が、その巨大なカプセルの中にある事は分かっていた。

 つまり、そこから出てくるのは、万丈龍我であるべきなのに──!

『ーーーーーッッ!!!』

 雷鳴のごとき咆哮を上げるは、牙の並ぶ巨大な顎門。

 床を踏み抜きカプセルの蓋を掴むは、節くれだった指から伸びる鋭利な鉤爪。

 全身を金属塊のごとき無数の鱗に包まれ、面長な頭部の頂からは、一対の長大な捩じくれた角。

 スマッシュにしてもかけ離れた禍々しい異形が、そこに現れたのだ。

『おお! ずいぶんと気に入ってくれたみたいだな! 想像以上だ!』

 そのモンスターの後ろでブラッドスタークがやや興奮気味に哄笑をあげた。

『それじゃあ、あとは保護者に任せるぜ。チャオ!』

『ま、待て!』

 気軽に指先を振って背を向けるブラッドスタークに思わず呼びかけるが、赤い装甲服は頓着せずに悠々と施設から出て行ってしまった。

 すぐにでも追いかけたかったが、目の前の異形の獰猛な気配がそれを阻んでいた。

 どういう訳か、こちらを完全に敵と見なしている。

(どういう訳も何も、あのヤロウこいつの視界に入らないようにしてたしな!)

 目に映る生き物に無差別に襲いかかるのがスマッシュだ。

 だが、こいつはただのスマッシュではない。

『龍我……』

 無駄だとは思うが、呼びかけてみる。

『ーーーーッッ!』

 無駄だった。「龍我」の「う」の辺りで咆哮に遮られた。

『うんまあ、いつものようにブチ食らわして元に戻してやるだけだけどよ……』

 戦闘態勢に身構えながらも、ビルドは、戦兎は戦慄していた。

(あれほどのネビュラガスを操るコイツがスマッシュに変質したら、どんだけ強くなっちまうんだ……? )



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03 龍兎のアンタゴニズム・1

 さて、目の前のそいつ──万丈龍我が変質したそのスマッシュを、なんと呼ぶべきか。

 その体に顕れた要素は非常に生物的で、マテリアル由来ではあり得ない。

 だが、その特徴は地球上のどの生物にも該当しないのだ。

 つまりは、幻想種。

 ネビュラガスは、人の精神と相互に干渉する性質を持つ。その結果、野良でも、かつての大勢の人々の記憶の集積からスマッシュが発現する事もある。

 スカイウォールで壊滅した博物館や映画館などから、展示物や造形物を模したスマッシュが現れたこともあった。

 ここの人造スマッシュ製造のプロセスがどんなものかは知らないが、龍我ほどの素質なら、外から要素を付与せずとも、自らのイメージで変質するくらいはあり得そうだ。

『……となると、一番イメージに近いのは、ドラゴンか……?』

 まさしく、名を体に表してしまったような、鋭角のシルエットを持つ巨大トカゲのようなモンスターを、戦兎はそう評した。

 すなわち、ドラゴンスマッシュ。

『アイツ、強さに拘ってたもんなあ』

 最後に見た時も、シャツに龍の意匠があった。

『まあいいや。いま天才様が元に戻してやるからな!』

 言うや、身を翻したビルドは、目の前のスマッシュではなく、傍らの床で昏倒している元プレススマッシュだった男に飛びつくと、胸倉を掴み上げて後方に投げ飛ばした。

 これからの戦闘において巻き込む危険があるからだ。

 ぶん投げられた衝撃で目を覚まして逃げてくれれば良し。さもなくとも、ここからは一歩も通しはしない。

『いくぞ龍我!』

 振り返って叫んだ瞬間にビルドが殴り飛ばされた。

 瞬時に間合いを詰めたドラゴンスマッシュの拳がビルドの胸郭を殴りつけたのだ。

『っがっ⁉︎ 』

 後ろのドア枠の壁を背中で砕き、通路の床に激突して転がる。

 激しく転がっていったそこは、ちょうどさっき投げ飛ばした男が倒れている隣だった。

『……いや待て、なんなんだよその速さ理不尽だろ……』

 衝撃に呻きながらも、ようやく身を起こしたビルドはまず隣で眠る男に這い寄り、その頰を叩いた。

『おい!起きろ!死ぬぞ!』

「ん……」

 ようやく覚醒した男は、ビルドの仮面を見てぎょっとしたようだが、それほど取り乱さなかった。

 きっと「ビルドチャンネル」の視聴者だろう。訓練された良い視聴者である。

『よし! あれを見ろ!』

「……ひッ!」

 ビルドが指差した方を素直に見た男は、ドラゴンスマッシュの異様に悲鳴を上げた。

『ヤバい。分かるな? あっちに逃げろ!』

 簡潔に言って、襟を掴み上げて立たせると、後ろを向けて尻を叩いてやった。

「っひぃーーー!」

 素直に逃げていった男に背を向け、ドラゴンスマッシュに向き直る。

『よぉしこれで心置き無く戦える……』

 言いかけた時にはもうドラゴンスマッシュが一足飛びで目前に肉迫していた。

『だから速いって⁉︎ 』

 辛うじて両腕のブロックは間に合ったが、殴り飛ばされたビルドの体はコンクリートの壁を二枚ほど砕いて吹き飛んだ。

 三枚目の壁に半分ほど突き刺さってようやく止まったビルドは、あまりの衝撃にふらつく頭をもたもたと押さえた。

『〜〜っ、衝撃吸収システムもそろそろ限界だぞこれ』

 レッドアラートをがなり立てるヘッドギアの中で呻く。

 ビルドドライバーによって付与された戦車の意味云々はさて置いても、パワードスーツとしての限界というものもある。中身は生身の人間なのだ。

 その時、足首を掴まれる感触を感じるや否や、壁から引き抜かれたビルドの身体は宙を舞った。

 追いついてきたドラゴンスマッシュがビルドの足を掴み上げていたのだ。

『ちょ、まっ』

 そしてその勢いのまま反対側の床に叩きつけられる。

 さらに反対側、たった今ビルドがめり込んでいた壁を、まるでビルド自体を棍棒のように使って殴りつけて粉砕すると、さらにビルドの身体を振り回して投げ捨てた。

『〜〜〜ッ⁉︎ 』

 床板を抉り転がってゆく。

 数々の激しい衝撃の連続に声も出ない。

 辛うじてベルトに震える片手を伸ばし、ボルテックレバーを回すと、スモークディスチャージャーを発現させて煙幕を撒き散らした。

 そして仰向けに倒れたまま、体表面の力場を無限軌道のように回転させて、寝たまま滑るように移動する。

 なお、天敵を警戒するノウサギの如き隠密性で、ほぼ無音で瓦礫を乗り越えてゆく。

 その一瞬後、さっきまでビルドが倒れていた位置を殴りつける音が聞こえてきたが、それきりこちらに接近してくる気配はない。

 どうやら、煙幕で一時的にこちらを見失わせる事が出来たようだ。

 煙幕に囲まれたまま物陰に転がり込み、壁に背を預けて座り直すと、ヘッドギア内のインターフェースを起動させ、視線入力と指先のジェスチャーで操作してシステムの損害制御を開始する。

 なにしろ、これほど凶暴なスマッシュと出会ったのは初めてだ。これだけのダメージを負ったこともこれが初めてであり、よく原形を留めていたものだと我ながら感心してしまう。

『さすが俺様天才だ。コンクリ壁三枚抜きとか想定以上だよチクショウああ痛えテストの手間が省けたわ』

 毒吐きながら忙しなく視線と指先を動かして、パワードスーツ内部の断線したエネルギー伝達経路や倍力機構のバランサのバイパスを形成し、カット、再接続、再試行を繰り返してゆく。

『ビルドマトリクスに支障無し。ギア損耗率二十三パーセント、擬似筋繊維、仮想装甲共に戦闘機動の継続に支障無し』

 パン、と手のひらを打ち合わせてインターフェースの操作を終了する。

『俺の元気は三割損耗。龍我の笑顔はプライスレス、ってか。ーーちゃんと笑えるんだろうなアイツ』

 ぼやくように言ってビルドは投げ出した足を折り曲げてあぐらの姿勢で座り直した。

『さあて、柔軟に行こうじゃないか。今の手持ちのフルボトルであのアホを黙らせる方法は……と』

 スライド展開したベルト両サイドのケースから、中のフルボトルを全て掴み出して掌に並べる。

「ハリネズミ」「ゴリラ」「コミック」「掃除機」「忍者」「影武者」「消防車」「バイク」等々……。

 それらを見下ろし、黙して考える。

 ただただ、考える。

 思考を自由に。目的の解へと辿り着く方程式を求めて編んでは放棄する事を繰り返す。

『……あー。そう言や幻さんにDテクターの強化をしつこく催促されてたっけなーどーしよーかなアレ』

 ドラゴンスマッシュへの対抗策を考えながら、ふと関係ない妄想を始める。

 天才ならではの戦兎のクセだ。

『だって絶対ロクな事に使わないし。まあその為の対処も用意してあるけどでも渡していいものかどうか……』

 そして対抗策を考えながら別の選択肢に煩悶として首をひねる。

『……………………』

 遠くから、コンクリートを破砕する音が響いてくる。

 視野に二重映しにされているレティクルが振動を検知して揺れるが、戦兎はろくに見ていない。

 ごちゃ、といくつかのフルボトルを持ったままの両手を打ち合わせた。

『いいや! いざとなったら消しちゃおう!』

 快活に、あっけらかんとそう言うと、掌のフルボトルをベルトのケースに戻してゆく。

 何がどうしてそうなったのか。思考の経路も文脈も、戦兎は一切自覚していないし、気にしていない。

『よーしよし、「気合いと根性」と「天才的頭脳」のバイナリー・コンプレックスの真骨頂、見せちゃうよー!』

 はしゃぐように言い、だが足裏の力場を無限軌道のように回転させながら、ビルドは滑るように静粛にドラゴンスマッシュの方へ迫っていった。

 

 煙幕によって視界をほぼ完全に遮られたドラゴンスマッシュが、獰猛な唸り声を上げながら腕を振り回している。

 基本的にスマッシュの行動原理は暴力衝動の権化……と言うよりは付与された意味の無軌道な発現であり、動くものが無くとも意味を発揮して結果的に周囲を破壊する。

 特に視界を遮られた今は、この謎の地下施設のコンクリートで構成された部屋の壁を、柱を、腕が通過するついでに破砕し続けていた。

 禍々しい異形が、雷鳴のような咆哮をあげた。

『……だけどなんか、辛そうな声なんだよな』

 ドラゴンスマッシュが空けた壁の穴からその光景を覗きながらビルドが呟いた。

『すぐに解放してやるからな。システム、リミッター三号、二号カット』

《ラジャー。サード、セカンド、レディ》

 ベルトが応答し、機構が準備状態に移行する。

 それはネビュラガスと相互干渉する脳波レベルの深度と強度のリミッター。

 ネビュラガスがヒトの思考で変化・変質するとは言っても、例えば「念じれば即時」とは行かないし、毒性も無視できない。

 フルボトルとして指向性を持たされたネビュラガスも、干渉するヒトの思考を逆に干渉しようとする働きがある。

 その干渉を緩衝し、あるいは距離を埋めるのがフルボトル及びビルドドライバーの役目だ。

 普段はフルボトルに密閉され(若干の干渉波の漏洩は仕様)、ドライバーがトランジェルソリッドを抽出する際も同様に密閉されたチューブを移動する。

 ただし、戦兎が提唱する「バイナリー・コンプレックス」を機能させる為には、装着者からネビュラガスへの思考の干渉が不可欠だ。

 だがそれは同時にネビュラガスから汚染される事を意味する。

 そこを都合よく調整して一方通行にする機構が複数のフィルターでありリミッターだ。

 そのリミッターを解除すると言う事は、装着者である戦兎がネビュラガスの毒性に曝されると言う事。

『だけどまー大サービスだ! 限定解除、三十秒!ゴー!』

《リミッターカット、スタート》

 ボルテックレバーを掴み、勢いよくグルグル回した。

 同期して高速回転するボルテックチャージャーが激しい輝きを放ち始める。

『うおおお!』

 叫んだビルドが、壁の穴を飛び越えて室内に突入する。

 だがそこにはまだ先刻のスモークディスチャージャーによる煙幕が充満しており、ビルドの絶叫も足音もドラゴンスマッシュには聞こえない。

 その時、駆けるビルドの体表から赤と青の輝きが迸った。

 その輝きは室内の煙幕に触れた端から侵食するように色を変え、たちまち部屋中の煙幕を塗り替えてしまう。

 ──もっとも、その変化はセンサーアイを通した戦兎にしか認識できない変化だが。

『よっし準備完了だ!行け!』

 叫ぶビルドが、カギ爪のように広げた両掌を交差させるように振ると、室内の煙幕に実際に変化が起きた。

『ーーッ⁉︎ 』

 周囲の変化に気付いたドラゴンスマッシュが怪訝に見回す。

 だがスマッシュの理解も待たずに変化は進行し、煙幕が無数に渦を描くと、それぞれ煙が密集し、直径十五センチメートルほどの紡錘形の物体へと形を成した。

 すなわち、「戦車の砲弾」。

 全て、尖った先端をドラゴンスマッシュへ向けている。

 それらが形を成した端から末尾の爆発に圧され、ドラゴンスマッシュへと殺到していった。

『ーーーーッッ⁉︎ 』

 立て続けに巻き起こる無数の爆音とスマッシュの絶叫。

 ドラゴンスマッシュは苦悶に身をよじるが、砲弾は今も部屋中に発生しては発射を続けている。爆発音は途切れることなく室内とドラゴンスマッシュを蹂躙する。

『ーーーーッ!』

 大きく吼えたドラゴンスマッシュが、両腕を振り砲弾のいくつかを薙ぎ打ち払う。

 だが無駄だ。砲弾は無数に射出されており、頭を胴を、背を腹を手足を、身体中を攻撃している。防ぎきれるものではない。

『ーーーーッッ⁉︎ 』

 それどころか、打ち払われたはずの砲弾が再びドラゴンスマッシュに殺到してきた。

 床に散らばった砲弾は、四つの突起を生やすと、それらを手足として器用に着地するや否や、跳ねるようにして自ら移動し、スマッシュへ襲いかかってゆくのだ。

 部屋中に生成されたこれらは、ビルドのベストマッチ「鋼のムーンサルト」によって構成された「煙幕であり、砲弾であり、ウサギでもあるもの」。

 それら「ウサギ弾」が間断なくドラゴンスマッシュを襲い爆発で圧し包む。

『ーーーーッッ⁉︎ 』

 ところが、煙幕に変質させたネビュラガスを砲弾に変換し続けているため、室内の煙幕の密度が急激に下がっている。

 薄くなった煙幕と、飛び交う砲弾と爆煙の向こうから、ドラゴンスマッシュと目が合った。

『ーーーーッ!』

 吼えたドラゴンスマッシュが、ビルドめがけて飛びかかろうとする。

 そのスピードは先ほど何度も味わった。

『だから、お前にゃまともに走らせねえよ』

 言ってボルテックレバーを回すと、こちらを向いたドラゴンスマッシュが突然、脈絡無く前のめりに転倒した。

 そのまま部屋の奥へとスライドしてゆく。

 室内の床付近にたゆたう煙幕を、無限軌道に変化させ、地を走破すべき無限軌道を、逆にベルトコンベアとして利用したのだ。

『ーーーーッッ⁉︎ 』

 スマッシュの知性では、自分の身に何が起きているのかなど分かるまい。

 そして無限軌道は戦車の足とも言える。

 それは、今に限っては同時に「ウサギの足」でもあるのだ。

 突如、ドラゴンスマッシュの体躯が跳ねた。

『ーーーーッッ⁉︎ 』

 無限軌道が、ウサギの脚力で以ってスマッシュを蹴り上げたのだ。

 そこに殺到する無数の砲弾。

『ーーーーッッ⁉︎ 』

 そして床に落ちてはまた蹴り上げられる。

 こうなっては、高い身体能力になど意味は無い。

 最早、自由に身動きが取れないドラゴンスマッシュに打つ手は無い。

『そーら、万丈龍我。キッツいの行くからガンバれよ!』

 いつもの調子で呼びかけたビルドが、三度ボルテックレバーを回すと、ボルテックチャージャーが、ビルドの身体が、部屋中のネビュラガスが赤と青の輝きを放ち始める。

『敵は身体能に優れた厨二臭いドラゴン戦士。対するは、本気を出した大っ天っ才の戦車にしてウサギでもあるこのビルド!』

《ボルテックフィニッシュ、レディ》

『勝利の法則は決まった!いやマジで! ゴー!』

 ベルトの認証に応え、ビルドが高く飛び上がる。

 部屋中を飛び回るウサギ砲弾の全ての先端がスマッシュを向く。

 輝く煙幕が無数のブラインドのように無限軌道を描き出し、空中のビルドとドラゴンスマッシュを結びつけた。

『うおおお!』

 そして蹴り足の体勢に移行したビルドが、自ら砲弾の勢いで射出された。

 そのビルドの身体を空中の無限軌道が回転して押し出しさらに加速させる。

 部屋中の砲弾も、全てが同時に発射された。

『おおおおお!』

『ーーーーッ⁉︎ 』

 不安定な空中にあって、まともに防御も受け身もできないドラゴンスマッシュを、赤と青の流星が貫き、壁を、天井を、全てを吹き飛ばす甚大な爆発が巻き起こった。



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04 龍兎のアンタゴニズム・2

『っっ! はあっ!』

 着地したところで膝を、両手を床につき、荒い呼吸に喘ぐ。

 リミッターを限定解除した上でエネルギーを全開にした負荷は甚大だった。

 観測者として、一連の現象を認識し続けた戦兎の脳にはかつてないほどの負荷がかかり、マスクの下でも鼻腔から何かが垂れてきたのが分かる。

 パワードスーツ自体にも甚大な負荷がかかり、辛うじて物質化を維持しているが、全身各所にスパークが迸り、耐用限界を訴えている。

『……だけっ、どっ、……もうひと仕事……!』

 呻くビルドはゴソゴソと空のボトルを二本取り出すと、のそのそと振り返り、瓦礫の向こうに倒れるドラゴンスマッシュにキャップを差し向けた。

 ドラゴンスマッシュの身体から白い靄が立ち昇り、それらはたちまちビルドの握るエンプティボトルに吸い込まれてゆく。

 そのネビュラガスは凄まじい量だった。

 普通のスマッシュであればとっくに吸い込みきっているところを、未だにドラゴンスマッシュの身体からはガスが吹き出し続けている。

 戦兎はそれを見越してエンプティボトルを二本用意したのだ。

『……ぃよし』

 呟いて、変換されたトランジェルソリッドで満杯になったボトル二本のキャップをひねる。

 二本のボトルの胴の表面が蠢き、それは深い蒼に変色すると、それぞれ全く同じ龍の頭部を模した凹凸へと変化した。

『ドラゴンの成分、か。アホの成分が出てきたらどうしようかと思った』

 それでも軽口を叩きながらビルドはゆっくりと立ち上がった。

《タイム・アウト。システムデフォルト。セイフティ作動》

 ベルトの音声が告げると、スロットからラビットフルボトルとタンクフルボトルが勝手に弾き出された。

 パワードスーツが搔き消え、変身が解除された戦兎が宙に跳ね上がった二本のフルボトルを掴み取った。

「久しぶりにカラになるまで使ったなー」

 宙に摘み上げた、ほぼ空のラビットフルボトルを覗き込んで軽く振る。

 厳密には残量はゼロではなく、ほんの僅かだけ残ったトランジェルソリッドが軽い音を立てて踊った。

 これもビルドドライバーの安全装置で、装填されたフルボトルの中身が決してゼロにならないように設計されている。

「あ。忘れてた」

 ずず、と鼻をすすり、片袖で鼻を拭う。

 拭き取った袖には血がべったりと付いていた。

「あぁあぁ、やっちゃった」

 反対側の袖口でも顔を拭いながらポケットのハンカチを探る。

 ようやく取り出したハンカチで鼻の下を押さえながら、戦兎は瓦礫を踏み越えてそこに倒れているものに近付いた。

 それは、目を閉じてこそいるが、昏倒している万丈龍我に見えた。

 ところが、顔や両手など、露出した皮膚に部分的に白く硬質化した箇所がある。

 ──まるで、ドラゴンのウロコのように。

 着衣のあちこちにも、不自然な突起が見て取れる。

「さて。俺の目算だと、お前にはフルボトルにして三本ぶんのネビュラガスの受容容量があるはずだ」

 ハンカチを下ろし、代わりに両手にひとつずつ、別のフルボトルを取り出した。

 一方は深い琥珀色。ボトルの表面には日本の武者の兜のような刻印がある。

 もう一方は、ドス黒いもので満たされていた。それはトランジェルソリッドとも異なる物質に見え、かつ、ボトルの表面には何の刻印もない、つるりとした異形のボトルだった。

「普通じゃ考えられないんだけどな。まあ、その頑丈な頭蓋の中に脳ミソの代わりにガスが詰まってるとしたら、その異常な能力も、お前がアホなのも合点が行くよ」

 黒い方のフルボトルを見つめて、改めて龍我を見下ろす。

「何しろ前例が無いし、サンプルも一個しか無いからぶっつけで試行錯誤するしかない。いまネビュラガスを全て抜かなかったのは、もし全部抜ききると、ガスと共に生きてきたお前の体組織が死ぬんじゃないかと考えたからだ。だから、適量を残しとく必要があったワケだが、それでスマッシュになりっぱなしでも、遠からず死ぬ」

 戦兎は、まるで龍我が聞こえているかのように語り続ける。

「今のお前には、生存に必要な最低限度のネビュラガスが残されている。それが同時にお前をまだ半分ほどスマッシュ化させてもいる。今の状態のお前をいつものようにビルドでブレイクしちまうと死んじゃうから、お前を生還させる為に、さっき思いついた別の手を使う。起きろ」

 そして、まるで聞こえていたかのように倒れている龍我の目が開いた。

 禍々しい、赤い輝きを放ちながら。

『……ッッ!』

 その龍我が飛び起きて、戦兎と向かい合った。

 前のめりの体勢で歯を剥き、カギ爪のように曲げた五指をかざして唸りをあげる。

 それはまるで先ほどまでのドラゴンスマッシュそのままの様相だった。

「お前、まだやる事があんだろ。生きるんだろ? 俺もお前に用がある。……俺に賭けろ龍我! お前を元に戻してやる! 俺様の笑っちゃう天才っぷりを見せてやるから、かかって来い!」

『ーーーーッ!』

 龍我が、咆哮を上げた。

 

 戦兎は素早くビルドドライバーにその手のフルボトルを装填した。

 左手の琥珀色のフルボトルを、右側のスロットに。

《影武者!》

 続いて右手の漆黒のフルボトルを左側のスロットに。

 だが、なぜかビルドドライバーは二本目のフルボトルについては何も言わなかった。

「幻さんには言わなかった、Dテクターの強化案だ! 研究所のみんなにはナイショだよ!」

 とぼけた笑顔で嘯くと、ベルトのボルテックレバーを掴み、ぐるぐると回した。

 そのシークエンスは、これまでとは異なるものだった。

 エネルギーを組み上げたベルトが正面から透明のチューブを伸ばして縦横に絡まり、高速ファクトリー「スナップライドビルダー」を形成して、飛びかかってきた龍我を弾き返した。

 だが、その前後のランナーに形成された装甲は、前側も後ろ側も共に琥珀色だった。

《Are you ready?》

「変身!」

 前方に交差させた両腕を左右に振り払うと同時に、前後の装甲が戦兎を挟み込み重なり合う。

 そこに、全身琥珀色のビルドが現れた。

 が。

 パシ! と電気が弾けるような音と共に、ビルドの半身が弾け飛んだ。

 いや、右半面、左上半身、右足の装甲部分の色が漆黒に変化したのだ。

 そのセンサーアイは、左は斜めに張り出した武者の兜の額飾りと吹き返しを模しているが、右側は卵型の、特徴の無いただの楕円形になっており、アンテナ状の突起が一切無い。

『〜〜〜〜っ⁉︎ 効くー!』

 そのビルドが、両手で色が変化した右半面を、左の脇腹を押さえて身悶えする。

 ただし、再び飛びかかってきた龍我の攻撃は、身を翻してきっちり躱した。

『だけど、想定通りだ! 純度百パーセントのネビュラガスをエネルギーとして利用しつつ、その毒性を「影武者」の要素に文字通り肩代わりさせてるんだ! どうよ!この俺様の発・明・品ってハナシ聞けバカ!』

 野獣のように殴りかかってきた龍我の拳を、ビルドは片手でハエでも追うように打ち払った。

『ッッ⁉︎ 』

 それほど強力な反撃に見えなかったにも関わらず、龍我は困惑するように呻いて後退した。

 その打ち払われた手の、スマッシュとして変質していたウロコの一部が消えていたのだ。

『分かったか? ネビュラガスでジカにお前を殴りつけ、変質したところを部分的にブレイクしつつ、お前は俺のネビュラガスを補充する。いずれお前は元の人間に戻るって寸法だ!』

 最後まで聞かずに襲いかかってきた龍我の、脇をすり抜けて躱しつつ、その脇腹を殴りつけて身を翻した。

『ーーッッ!』

『まあ分かんなくてもいいや! さあ、好きなだけ暴れてみろよ! 止めてやるから!』

『ーーーーッ!』

 上に向けた指先でクイクイと招くビルドに、龍我は咆哮を上げて飛びかかっていった。

 

 レッドアラートをがなり立てるヘッドギアの中で、戦兎は半笑いを浮かべつつ歯をくいしばっていた。

(そりゃそーだ。毒浴びながら戦ってんだからな!)

 今こうしている間も、ネビュラガスが「影武者」の意味を付与された仮装装甲を内側から蝕み続けている。

 供給過多のエネルギーが、仮装装甲や擬似筋繊維、あるいは伝達経路そのものを焼いている。

 その異常に、システムが稼働停止をずっと訴え続けているのだ。

『うるさい! 強制実行! 強制実行だ!』

 そのシステムの制御に、加熱するアンダーウェアに、戦兎の消耗がより深く蝕まれている。

 その上、「影武者フルボトル」の中には、肉弾戦に付与すべき有利な意味がほとんど無い。

 だから、採取はしても、戦兎の提唱する「バイナリー・コンプレックス」には含まれないフルボトルだった。

 だが、龍我を巡る一連の事態の流れに気付き、途中で回収してきたのだ。──こういう使い道を想定して。

 今のこのビルド──否。今のこれはビルドにあらず。

 Dテクターの発展型改良案。名付けてPD(フィジカル・デコイ)テクター。

 このPDテクターで龍我に対抗し得るものは、パワードスーツのシステムに内蔵された徒手格闘の基礎プログラムによる補助だけだ。それに、着用者である戦兎自身の戦闘の経験値を加えてどうにか戦っている状態だ。

 その上、今の龍我が理性を失い、ネビュラガスの大半を奪われてパワーダウンしているからこそ、どっこいのいい勝負になっている。

 結局はほぼ同格程度なので、やはり油断はできない。

 龍我の蹴りを右足で受け止める。

 そこはネビュラガスに侵食された装甲部分であり、弾かれたのは龍我の方だった。

 キリキリ舞いする龍我の片足から、変質していた皮膚がぽろぽろと剥がれ落ちてゆく。

 だが、PDテクターもその内部では自壊を続けていて、ふらつく体勢を支えきれない。

 腕が、足が重い。

 スーツの倍力機構が、エネルギー経路が部分的に焼き切れているのだ。

『さあコラ! まだまだだぞ!』

 それでも戦兎は明るく叫んで、鈍い身体を引きずって飛びかかっていった。

 

「──ま、待った! まいった! 」

 あれからしばらく。不恰好な殴り合いが続いてやがて。

 コンクリートの床に転がされた龍我が、拳を握って迫るビルドに対して両手を振って喚いた。

「降参! こうさんだから! やめ!」

『──龍我……?』

 龍我をまたいで、震える拳を振り上げたビルド・PDテクターが怪訝に身動きを止めた。

 その龍我の瞳は、充血こそしているものの、通常の色を取り戻していた。

「さっきから痛えんだよお前⁉︎ もう大丈夫だからいいだろ⁉︎ 」

 元の、万丈龍我だった。

『……ははっ』

 喜色を浮かべたビルドは、屈み込んで龍我の胸倉を掴んだ。

『良かったー龍我ー!』

「……な、なんだよ……」

 ビルドの、戦兎の心底嬉しそうな絶叫に、龍我の返す言葉にもいつもの棘が無い。

「……まあ、その、また世話んなっ」

『でもまだだー!』

 ところが突如、ビルドが掴んでいた龍我のシャツを引き裂いた。

「うわー! なにすんだおまえー!」

『うるせー! まだ変質化した箇所が残ってんだよ! 背中出せ背中!』

「ぎゃー⁉︎ ぎゃー⁉︎ 」

 転がした龍我の背中に、ネビュラガスを纏った張り手を何度も叩きつけ、変質化したウロコが飛び散るたびに龍我の悲鳴が上がる。

「痛え⁉︎ いてえよ⁉︎ 」

『大の男が喚いてんじゃねえ! 大人しくしやがれ!』

 ばしばしと全身を丹念に叩かれ続け、やがて龍我が動かなくなった。

 ぷすぷすと煙が上がってすらいる。

『……よし。還元作業は成功だ! 天才様に拍手!』

「……おぼえてろよテメエぜってえあとでまとめてかえすからな……」

 ピクピクとゴキブリの断末魔のように痙攣する龍我の脇で、ビルドがフルボトルを引き抜き変身を解除した。

 その引き抜いたフルボトルを、戦兎はさりげなくポケットにしまい込んだ。

「なあに気にすんなよ正義の味方として当然の事をしたまでだ!」

「クソったれ、本気で「正義」とやらに虫酸が走ったぜ」

 龍我が、のろのろと上体を起こしてぼやく。

「……ところで、どうしてお前がここにいるんだよ? いや、助けてもらったのはありがてえけどよ」

 がしがしと頭を掻く龍我の、ズボンのポケットを戦兎が黙って指差した。片手で自分の尻を叩きながら。

「……?」

 龍我が身を捩って自分の尻ポケットを探ると、そこから見覚えのない丸い物体が出てきた。

 コインほどの大きさの、黒いプラスチックに見えるが、用途が読めない。

「発信機だ」

「……っ⁉︎」

 龍我は思わずそのプラスチックを摘み潰した。

「ヤツラのな。……ちなみに俺が仕掛けたのはコッチだ」

 しれっと、破いた龍我のシャツの裾の裏から別の小さい部品を取り出した戦兎に、龍我がプラスチック片を投げつけた。

 だがそれは戦兎が翻したシャツの切れ端に呆気なく打ち払われた。

「オマエラほんっとそういうの好きだなおい!」

「おいおい人聞きの悪いこと言うなよ。俺のは正義の行いで、ヤツラは悪者だからな?」

「……なんか大差ねえように聞こえんのは気のせいか……?」

 悪びれない戦兎に、龍我がぐったりと呻いた。

「まあいいや。助けてくれてありがとよ。こっちはまだやる事があるから、じゃあな」

 言って、立ち上がろうとした龍我の、額を戦兎の指先が軽く突いた。

 それだけなのに、なぜか龍我が再び寝転がされてしまう。

「なにすんだよ!」

「落ち着けよ。事態はもう、お前ひとりの手に余るところまで来ている」

「あ?」

 とりあえず座る姿勢に変えた龍我が怪訝に聞き返した。

「なんだよ、ウチの家庭の事情なんざ、お前には関係ないだろ?」

「さっきみたいにガス突っ込まれて変質して暴れたりしなけりゃな」

 相変わらず食えない薄笑いを浮かべた戦兎が龍我を見下ろして語る。

 だが、その瞳は笑っていない。

「その度にこの俺様が命懸けでお前を止めるより先に、それを回避する手がいっぱいあるんだよ。とりあえずお前、俺と一緒に来い。またさっきみたいな化け物になって、野垂れ死にしたくなかったら」

 差し出された手を、戦兎を、龍我は睨み返した。

「……そんな暇はねえよ。母ちゃんを攫われてんだ。早く助けに行かないといけねえんだよ!」

「探すアテがあるのか? この建物には他に誰もいないぞ。疑うなら、一緒に再確認してもいい」

「……っ⁉︎ 」

 龍我が唇の端を噛んで俯いた。

「……ありゃ嘘だったのかよ……⁉︎ 」

「ここの入り口に、壊れたタブレットが落ちてたけど、映像越しなら場所はどうにでもなるだろ」

 目を見開いた龍我がコンクリートの床を殴りつけた。

「ちくしょう! なんだってんだよ! 俺がなんかしたか⁉︎ ああ⁉︎ 」

「それこそ、癇癪を起こしてるヒマがあるかってんだ」

 戦兎が、差し出した掌をなおもひらひらと振りながら平淡に続ける。

「まず確実に敵はお前にまた接触してくる。なんらかの手を使ってお前が出てくるように仕向けてくる。そして、お前ひとりでノコノコ出て行っても、今のこの二の舞になる事は分かるよな」

 再び睨み返してくる龍我の眼光にも、戦兎の顔色は微動だにしない。

「俺と一緒に来れば、ただの二の舞にはさせない。なんなら、より効果的に事態をこちら側に引き寄せられる。なにせ正義の味方で大天才だからな。前にも言ったがただの善意じゃない。俺もお前に用がある。お前も俺を利用しろ。──だから、俺と来い」

 それは、龍我にはあまり見た覚えの無い表情だった。

 ──真摯な眼差し。

 チンピラとの抗争に明け暮れた生活の中で、そんな目をした人間は、闇医者の老爺と、母親だけ──

 思わず伸ばしかけていた自分の手を、驚いたように自覚した龍我は、再びその手を伸ばして戦兎の手を握った。

「──よし!」

 気勢を上げて戦兎が龍我を引っ張り上げて立ち上がらせた。

「……言っとくけど、お前を完全に信用したワケじゃねえからな」

「利用しろって言った」

 どこか拗ねたように言う龍我にも、戦兎の食えない笑顔は変わらない。

「……まあお前ごときバカ丸出しなアホに出し抜かれる俺様じゃねえけどな!」

「やっぱムカつくわお前!」

 叫んだ龍我が握った手を振り払うが、なぜか戦兎の手は外れない。巧妙に力を打ち消す方向に関節を捻られて手が離せない。

「てめ、離せコノ!」

「はっはっは、はいはい仲良しの握手〜」

「ざっけんなテメエ気持ち悪い!」

 しばらくそうして遊ばれた末、やがて手を離された龍我はだが転ぶ事なく体勢を立て直した。

「お前! 俺なんかに関わって、せいぜい後悔すんなよ!」

 ほぼ負け惜しみのように龍我が吠えるが、戦兎の薄ら笑いは揺るがない。

「生憎と、天才様は後悔するヒマなんか無いくらい忙しくてな。──行くぜ。ついてきな」

 あごをしゃくって振り返る戦兎に、龍我は──自分がなぜか安心している事に困惑しながら──出口に向かう戦兎を追って歩き出した。



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