第一艦隊、抜錨せよ (黒助2号)
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プロローグ

 

1

 

「戦闘終了」

「……被害状況の、報告を」

 

鷺宮仁は苦渋が滲んだ口調で報告を促す。

 

「第一艦隊、旗艦小破、随伴艦大破2隻」

「第二艦隊、中破3隻、大破1隻」

 

被害が甚大であるのは見ればわかったが、詳細を報告されると、提督の眉間の皺は更に深くなった。もう何度目の出撃になるだろうか。今度こそ、次こそはと送り出した連合艦隊は敵の最深部に到達することなく、その度に大打撃を受けた。

その上、数か月に渡って備蓄してきた資源資材は先ほどの出撃で尽きかけていた。

 

「提督、これでは、もう……」

 

秘書艦の鳳翔がためらいがちに告げる。

これだけの大失態だ。自分の更迭は免れないだろう。

 

何故だ。何故こうなった?

艦娘を使役できる術者――『提督』としての資質があると知ったときは天に舞い上がる様な気分だった。

深海棲艦に対抗するために陸軍が作り出した『融機強化兵』が敗走し、絶望する人類に希望をもたらした人類を脅かす怪物・深海棲艦に対抗できる唯一無二の存在。

自分が、自分たちが深海棲艦を駆逐し、人類の希望をもたらすのだ。

そう考えると誇らしさで一杯になった。

だが、現実は非常であった。鷺宮の提督としての資質はあまり高くなかったのだ。

軽空母以上の艦を建造することができない落ちこぼれ。軍学校ではいつもそうからかわれ、見下されてきた。だが、それでも腐らずに研鑽を重ねてきた。

資質がないなら指揮能力で補えばよい。艦種の強さだけで勝敗が決定するはずがない。

大事なのは艦隊を運用する能力の有無、そして柔軟性である。

そう信じて今までやってきたというのに――。

 

血走った目でモニターを睨んだ。

こんな筈ではなかった。

理想だった自分と現実の自分の落差。

周囲からの嘲弄と非難と僅かな憐憫。そして、振るわない戦果に対する大本営からの圧力。

提督となって沢山の人たちを守りたかった。だが、自分にはそんな力がないことがどうしようもなく情けなかった。沸々と自分の中からどす黒い何かが沸きあがってきたのを感じた。

 

「進撃だ……ッ」

 

暗く、地を這うような声色で鷺宮は告げる。

 

鳳翔は提督の豹変にはっと息をのんだ。彼が強い使命感を持って提督になったことは知っている。そして、理想の自分と現実の自分のギャップに苦しんできたことも。

中には当然のように艦娘を捨て駒にして戦果をあげる不届き者だっている中で彼はいつも人々を守るために、正しくあろうとして力を尽くしてきた。そんな彼だからこそ、支えたいと願い、鳳翔もまた力を尽くしてきた。

 

「提督、しかし――」

「うるさいッ!」

 

鳳翔の諫言を鷺宮はピシャリと跳ねのけた。

 

「鳳翔、お前たちは人類を守るために生まれた存在なのだろう! だったら務めを果たせ! 奴らを皆殺しにしろ!」

 

鷺宮が喚き、司令部にいた駆逐艦『電』はビクリと竦み上がった。

 

「殲滅だ! たとえ何隻轟沈しようとも奴らを根絶やしに――!」

 

その時鷺宮の視界がグニャリと歪んだ。

責任をとれ。

どこまで無能なんだ。

やはり君には荷が重かったな。

 

非難の言葉が耳元で囁かれているかのように、鷺宮の頭の中で入り交じりジワジワと心を食い荒らしていく。

 

 

「はあ、はあ、はあ、はあ……、ああぁああ……」

 

冷たい汗が頬を伝い、床に落ちる。

動悸がうるさい。息がうまく吸えない。

真っすぐ立っていることが出来なくなり、倒れこむように机にもたれかけた。

 

「提督、大丈夫ですか? お加減が――」

 

鳳翔は鷺宮に駆け寄り手を差し伸べた。その瞬間、鷺宮の中で何かが切れた音した。

 

「うるさい! 触るなあああああッ!」

 

鷺宮の視界は暗転した。

 

2

 

「三番隊、連絡途絶えました!」

「第二分隊、聞こえてないのか! 何故救援に来ない!?」

「五番隊も沈黙! 応答ありません!」

「馬鹿な! あの麒麟児の部隊も壊滅したというのか!?」

「誰か、誰か助けてくれ! 艤装が動かな――グギャ!」

「早く助けてくれ! 死にたくない!!」

「嫌だ……! 離せ、やめろ! やめろ! いやだああああああああああああああああ!!」

 

血と断末魔で彩られた戦場は地獄と呼ぶに相応しい光景だった。

砲声が上がる度に誰かの命が散っていく。ただの水飛沫ですら鉄板の様に固い。

さっきまで隣で祈りの言葉を呟いていたものの頭部が砕け散り、足をやられた者は群がってきた駆逐級に生きたまま食い殺され、仲間の死に動揺した者も一瞬の隙を突かれて魚雷の餌食となる。

 

見知った者であっても、新しく補充されてきた者にも等しく絶望と死が降りかかった。

 

「隊長、司令部からの撤退命令はまだですか!? 」

 

副長を務める羽鳥梟護(はとりきょうご)大尉は声を荒げた。

 

「やっている! だが先程から『戦線を維持せよ』の一点張りだ!」

「司令部は一体何を考えている……ッ」

 

苦々しい口調で毒づきながら、向かってくる敵・深海棲艦をひたすら斬り続けていった。

 

融機強化兵部隊。

彼らは近代兵器による攻撃を一切受け付けない深海棲艦に対抗するため陸軍が作り出したいわばサイボーグ集団である。体の5割以上を義体化した彼らは軍刀や槍といった原始的な武器を携えて砲撃を掻い潜り、近接戦闘に持ち込むことで多大な犠牲を払いながらも、どうにか陸上に侵攻してきた深海棲艦を撃退することに成功した。

 

これで人類に一先ずの安寧が訪れるはずだった。

 

しかし、更なる手柄を欲した政治家たち、そしてその意を受けた大本営はすぐさま生き残った融機強化兵部隊の海上への投入を決定。制海権の奪還を試みた。

陸戦に特化した融機強化兵を海戦に出撃させる。本来の運用法から著しく外れたこの無謀な作戦は実働部隊から猛反対をうけたが、そういった指揮官たちは皆更迭され、作戦は強行された。

 

彼らは研究段階で実用レベルではない艤装――海上移動の為のデバイス――を与えられ、この海戦に挑んだ。その結果――既に部隊の損耗率は4割以上に達しようとしていた。事実上の全滅である。

この大反抗作戦の失敗は誰の目にも明らかであった。

羽鳥は怒りを覚えた。未だに用兵を違えたバカな作戦を良手と妄信してか、ここから打開出来るかもしれない幸運に縋っているのか、本部からの撤退命令はまだ来ない。

撤退命令を出し渋る上層部はこの惨状を見て、未だに「なんとかなる」という幻想にとりつかれているのだろうか。それとも――ここで自分たちを使い潰すつもりか。

兵士は時として死ぬことが仕事である場面もあるだろう。だが、そんなただの足踏みで消耗されてしまっては死んでいった者たちが報われないではないか。

 

『敗北を認めるには勇気がいる。だが、その決断が出来るからこそ、前に進めるんだよ』

 

かつて父が言っていた言葉を思い出し噛みしめていた。

 

せめてここが地上だったなら。艤装を装備しているとはいえ、踏み込みの効かない海上では力を十全に発揮できない。

言っても詮無きことだが、そう思わずにいられない。

左から迫ってくる駆逐艦ロ級、右からは軽巡ヘ級。

艤装を滑らせて駆逐艦ロ級に突っ込んだ。羽鳥を喰らおうとロ級が大口を開けた瞬間――狙いを澄まして反転。下顎から一刀両断して蹴り飛ばす。右から迫ってくる敵にぶつけて、一気に串刺しにした。

黒い血糊がべったりと張り付いた刀を海水で濯ぎ後方へ下がった。

 

「大尉! 下がって全体の状況を把握しろ。リンクを使って部隊に情報を共有させる!」

「はい!」

 

羽鳥の眼に仕込まれたデバイスは本人の意思とは無関係にフレーミングした対象の挙動を分析し、未来予知にも似た高精度な事象予測を可能としている。この部隊で、いや融機強化兵の中でも羽鳥にしか適合しなかったシステムである。その機能をフルに使って戦況を読み取っていく。

 

「状況解析――敵艦座標及びベクトル掌握。戦術データ・リンク。パターン分析。ライブラリより有効な戦術データ参照……1秒後の行動予測データ構築自動更新システム添付…………システム更新完了。やれます!」

「やれ!」

 

部隊全体に蓄積した戦闘データを送る。すかさず隊長の指示が飛んだ。

 

「爆撃を避ける為に接近して叩く! 損傷の激しい者は後方に下がれ! 敵に対しては4人1組で草攻陣を組め。死番は覚悟を決めろよ! 砲撃に対しては羽鳥大尉から送られてくるデータを元に各自対応!」

 

上空を覆う無数の艦上攻撃機と爆撃機。無慈悲に落とされる雷撃。蹂躙されていく仲間たち。

それでも何とかやれているのは隊長の指揮の賜物であろう。

問題はあの航空機。空母さえ潰せれば、僅かに勝機が――

次の瞬間、眼を瞠った。敵艦載機の中に異物が混じっている。

 

「偵察機……!」

 

あの蝙蝠のようなフォルム。間違いない。

敵の狙いは弾着観測射撃……! 何処に!?

 

「隊長、狙われています! 離脱を!」

『応! と、言いてえところだがな! お客さんの相手で手一杯だ!』

 

見ると隊長の方に駆逐艦級の群れが殺到していた。あれでは背中を向けた瞬間に食い殺されてしまう。

 

ならば――!

羽鳥は敵艦爆機からもたらされる爆撃を避けながら、腰に備えていた手槍を手に取った。

近づいてくる敵を石突きで殴りつけ、眼を凝らし戦場を見渡していく。

 

デバイスから警告のアラートが鳴る。10時方向の敵艦が此方に狙いをつけている。

しかし、羽鳥はその警告を敢えて無視した。

構わない。例え自分が破壊されようとも、今ここで彼を失うわけにはいかない。

 

「ハッ――!」

 

手槍を投げると同時に羽鳥の左腕が弾け飛んだ。

 

「グァ……ッ! ―――、ァガアアッ!」

 

激痛のあまり意識が飛びかけた。左腕の神経・動力をカットし、ダメージコントロールを済ませる。

 

「副長、ご無事ですか!?」

「左腕が飛んだだけだ。大事ない……ッ!」

 

部下から送られてくる通信に返事をしながら血走った眼でターゲットを見据える。

羽鳥の投げた槍は寸分の狂いなくル級に命中し、その胸部には大きな風穴が開いていた。深海棲艦の急所は生物と違わない。間違いなく致命傷だ。左腕を潰した甲斐があったというものだ。

 

だが、

 

ル級は崩れ落ちる前に最期の足掻きと言わんばかりに主砲の狙いをつける。

 

「隊長、逃げ――!」

 

鉄を鉄で締め付けるかの如き砲声――。同時にル級は自壊した。

 

直後、隊長の体は彼に群がっていた深海棲艦ごと四散した。

 

「隊長ッ!!!!」

 

直撃。確認するまでもなく即死だろう。

いくら深海棲艦と戦うため作り出された融機強化兵であろうと、徹甲弾が直撃してはひとたまりもない。

 

「クッ――――!!」

 

『隊長がぁッ!』

『くそったれ! 隊長の仇を――』

『助けてくれ! 戦線がもう――うあああああっ!』

『隊長! 指示を! 隊長!!』

 

隊長という精神的な支柱を失ったことで部隊は恐慌状態に陥っている。

食いしばった歯が軋む。覚悟はしていても仲間の死は慣れるものではない。

だが、今成すべきことは深海棲艦に怒りをぶつけることではない……!

この戦い、負け戦であるという事はもはや動かしようがない。

だが、負けるとしても負け方というものがある。

多くのものを失った。しかし、まだ全てではないのだから。

 

「総員直ちに撤退!」

 

憎悪の泥濘に沈みそうな心を必死に沈め、意識を今やるべきことに意識を集中させた。

 

『副長、しかし大本営からの命令が――』

「命令だ! この撤退命令は一番隊副長、羽鳥梟護の独断であり、隊員には一切の咎がないことを明言しておく! 総員、撤退せよ! 殿は私が務める!」

『りょ、了解』

 

生き残っていた隊員たちは次々と反転し、命令通り撤退していく。そんな中で何人かの部下が羽鳥の元に集ってきた。

 

「防御陣形を組め!」

 

咄嗟に円陣を組んで降り注ぐ弾を弾き、身を守った。

 

「何をしている! 君たちも撤退しろ!」

 

島崎少尉。高井曹長。池戸伍長。栗生伍長。皆、生還率48%の最前線を今まで生き残ってきた歴戦の兵だ。彼らはこの絶望的な状況にも関わらず皆、眼に戦意を滾らせていた。

 

「副長、私たちもお供します」

「…………作戦に参加した時からここが死に場所と決めていた」

「あの化け物どもに我等1番隊の魂を見せつけてやりましょう!」

「我らに敗北は許されないのです! 一緒に戦えとご命令ください、副長!」

 

隊長が殺されて血気に逸った訳ではない。仲間を蹂躙されたことで怒りに支配されているわけでもない。

自分たちこそが人類を守ってきた存在である、という自負。

この場にいる誰もが英雄であることを誇りに思い、そして英雄であることの重みを誰もが正しく理解していた。

単純な話だ。『英雄』が負ければ、守るべき人々が絶望し、恐怖する。そんなことはわかっている。

だが、たとえどんな非難を浴びようとも、羽鳥はあえて命じなければならない。

 

「だめだ。君たちも撤退しろ」

「貴方は我等に生き恥を晒せとおっしゃるのですか!?」

 

島崎の言葉に羽鳥は血が沸騰する程の怒りを覚えた。

 

「生きることが恥な筈ないだろうッ!」

 

両親は深海棲艦の侵攻の際に、羽鳥の前で食い殺された。

辛くも生き延びた自分と弟は深海棲艦に対抗する力を得るために実験的に導入された人体多くの仲間を得る度に、多くの仲間を見送ってきた。

 

そして今日、弟が所属する5番隊は壊滅したという報を聞き、自分はいよいよ独りになってしまった。

もう沢山だ。これ以上は何も失いたくない。

 

「ここで死んで何が残る。もし今日まで戦ってきたことにほんの少しでも誇りがあるのなら、次の機会を待て。生きてさえいれば私たちはまだ戦える」

「しかし、――ッ!!」

 

尚も反駁しようとした島崎の喉元に切先を突きつけた。

 

「命令に従えぬなら今ここで、私が斬る! どちらか選べ!」

 

島崎は目を真っ赤に充血させ、涙を滲ませて、歯を食いしばった。

 

「……死なないでください。隊長亡き今、貴方は我々が再び立ち上がるために必要な人です」

「全力を尽くそう。各々方の武運長久を祈る」

「副長こそ、ご武運を!」

 

死ぬ可能性は低くない。しかし、羽鳥には眼がある。ならば、やってやれないことはない。

 

「無事に帰投出来たら一杯奢らせてください」

「…………、楽しみにしておく」

「あれ? 副長って、下戸じゃ――痛っ」

 

余計な一言を言おうとする栗生を高井が小突いて黙らせる。

 

「…………、野暮な奴め」

 

普段口を開かない池戸にまで突っ込みを入れられ、栗生は口を尖らせた。

そのやり取りを見て、羽鳥は形容しがたい気持ちになるが、少なくとも不快ではなかった。

3時方向、戦艦タ級を旗艦とした水上打撃部隊が前進しながら砲塔を構えた。その場にいた全員にデバイスが弾き出した行動予測を共有させる。

 

「ポイントF地点に島があったな。そこで合流しよう」

「了解」

 

砲声と同時に一斉に散開した。外れた砲弾が着水し、大波を起こす。

羽鳥は波に乗って降下してきた艦爆機をすれ違いざまに幾つか叩き落し、同時に槍を投げた。

投擲した槍はタ級に当たるが、かすり傷程度しか負わず再び羽鳥に狙いを定めた。

 

「やはり硬いな。ならば――!」

 

着水後、低く伏せて敵の砲撃をやり過ごす。好機とばかりにすかさず襲い掛かってきた駆逐艦級を斬り伏せる。だが、直後。飽和攻撃とばかりに艦爆機による爆撃で足を止められてしまった。

挟叉。タ級が狙ってくる。羽鳥は最後の槍を投げた。

至近弾。鉄板のような水飛沫で片目が抉れる。しかし、代償としてタ級の主砲は破壊できた。

息をついている暇はない。生き残った爆撃機が旋回し戻ってくる。

 

「まだだッ!」

 

残った右手で刀を構え、そのまま迫りくる敵重巡洋艦級の群れに突撃した。

絶対零の間合い。これならば喰われる危険性は増すが、深海棲艦が盾になり羽鳥が砲撃、爆撃を受ける心配はない。そして、この間合いこそ羽鳥達融機強化兵が真価を発揮する距離だ。

重巡リ級は味方の砲撃を妨害すまいと下がろうとしたところを、羽鳥はぴったりと張り付いて首を刎ねる。そしてすかさず次に移り同じことを繰り返す。

常に深海棲艦の多いところへ動かなければ、次に飽和攻撃を食らえば一溜りもない。眼についた敵は手当たり次第に斬り捨てていった。

 

――我武者羅にひたすら斬った。

心臓が爆発しそうだ。肺が酸素を求めて暴れ回る。限界を超えた駆動により機動部からの排熱で肉が焼きつきそうだ。

 

だが、それでも――十分に時間は稼げた。

 

潮時だ。次に戦うときは必ず八つ裂きにしてやる、と心の中で復讐を誓って包囲網を破る。

一気にトップスピードに乗った。

 

深海棲艦の艦隊は羽鳥を逃がすまいと砲撃を加えるが、眼の力を最大活用して逃げに徹した羽鳥には当たらない。羽鳥は回避ポイントに素早く回り込んで確実に敵艦隊との距離を広げていった。

既に機銃の射程からは外れた。

追撃してきた駆逐艦級や軽巡級は皆、斬り捨てて合流ポイントへ急ぐ。

 

そうして、敵艦隊を撒いて単独で航行すること約1時間。

 

合流ポイントの座標に近づいたその時だった。

 

彼方で砲声が轟き、合流を指定した座標で巨大な水柱が上がった。

 

妙な胸騒ぎがした。すぐさま艤装を走らせる。眼の望遠を使い、そこで羽鳥が眼にしたものは――――

 

「しま、ざき……?」

 

島崎の首を玩具の様に弄ぶ少女の姿をした異形だった。

 

島崎だけではない。海上に浮遊する階級章。夥しい程の血液が付着した軍服。艤装の残骸。

視覚からもたらされる情報はどれも撤退したはずの部下に関連するものばかりだ。そして奴から漂ってくる死臭。間違いない。この怪物が――私の部下を……ッ!

 

「この物の怪がああああああああああああああッ!!!」

 

灼熱の様な怒りが羽鳥を塗りつぶし、精悍な顔は憎しみで醜く歪んだ。

 

 

「オ母サンガ私ヲ殺シテオ父サンガ私ヲ食ベテイル♪」

 

異形の歌声はセイレーンの様に美しく、精神が汚染されそうな程、おぞましい。

データベースにアクセスしても該当するデータはない。戦艦級の新種。それも上級種とされる人型。その上先の戦闘でラジエイターは焼き付き、駆動系に齟齬が生じている。勝てる見込みなど殆どない。

 

だが、それがどうしたというのだ。

 

少女型の深海棲艦もそれに応える様この世のものとは思えないほどの蠱惑的で邪悪な笑みを浮かべた。そして、

 

「兄弟タチハテーブルノ下デ私ノ骨を拾イ冷タイ大理石ノ下ニ埋メタノ♪」

 

少女を象った異形に喉が裂けんばかりの咆哮をあげて突撃する。

戦術も戦略も、何もない。砲撃・雷撃は眼が算出した回避ルートに入り避けていたが、それは『見えたから当たらないように動いた』程度のもので戦術的とは言い難い。

憎悪に塗れた理性なき突撃。

 

「アッハ♪ アハハハハハハハハハハハハハハハハッハハハハハハハ♪」

 

戦艦級の少女はそれを楽しむかのように狂笑をあげた。

放たれた爆撃機が曇天の空を覆う。逃げ場のない絨毯爆撃に羽鳥は成す術もなく飲み込んでいった。

 

3

 

鷹津光一に一報がもたらされたのはある日の夕方のことであった。

 

「ヘイ、提督ゥ! 素敵なウーマンからテレフォンダヨー! ラヴコールは許さないからネー!」

「馬鹿なこと言っていないで早く回せ」

 

太陽のような眩しい笑顔を向けてくる恋人の一人――金剛から電話を取り次がれ、鷹津は受話器を取った。

 

「もしもし、あの……鷹津少将……」

「鳳翔さん?」

 

電話口の鳳翔の声は酷く動転していた。鷹津には落ち着いた彼女がここまで心を揺さぶられる原因に一つ心当たりがあった。

 

「先輩――いえ、鷺宮大佐に何かあったのですが?」

 

鳳翔は震える声で鷺宮の現状を語り始めた。

遠征で本来受け取るはずの資源資材を態と減らされていたこと。

思うように上がらない戦果。大本営からの圧力。

そして、彼がおかしくなる直前の様子も。

 

『お願いです鷹津少将。あの人は貴方を待っています』

 

窓の外を見た。強烈な陽光が海上に降り注ぎ、水平線の彼方が陽炎で揺らめいている。

 

「……わかりました。一週間以内に任務を終わらせてそちらへ向かいます」

 

受話器を置き、思案する。

鷹津にはあの鷺宮が豹変したことに驚きを隠せなかった。鷺宮は士官学校の先輩だ。

提督としての力は決して強くない。しかし、それを補って余りある程の確かな戦略眼と高潔理想を持つ人だった。かつて愚かにも自身の才に溺れ、傲慢だった自分は人を守るという崇高な精神を、自分はあの人から教わった。

 

そんなあの人を何がこうなるまで追い詰めたというのだ?

 

鷹津は思いを巡らせるも、すぐに頭を振って気を取り直した。

 

「金剛」

「イエース! 繋がってるヨー!」

「流石。いい女だよ、お前は」

 

互いにサムズアップしてから格納庫に内線の繋がっている受話器を受け取った。

 

「あー、もしもしもしもし~。こちら執務室提督。第一艦隊旗艦、聞こえるか?」

『どうしたの?』

 

航空母艦の艦娘。『加賀』。この鎮守府における最高の練度を誇る空母の艦娘であり、彼女もまた、鷹津の恋人の一人でもある。

 

「出撃前にすまんな。私は至急済ませにゃいかん用事が出来た。ついては1週間以内にこの海域の敵主力を破砕してもらいたい。出来るか?」

「鎧袖一触よ。心配いらないわ」

 

大本営が指定した期間は2週間。通常の約4倍の時間である。

つまり該当海域の最深部にはそれだけ強力な深海棲艦が巣食っているということだ

当然鷹津も無理な頼みだということは承知している。しかしまるで他愛もない頼みを引き受けるように通信機越しに聞こえる声はいつも通り清ましている。鷹津はそれを彼女らしいと微笑ましい気持ちになった。

 

『艦隊の頭脳と呼ばれる私がいれば問題ありません』

『気合! 入れて! いきます!』

『はい、榛名は大丈夫です』

 

加賀に続いて金剛型戦艦・霧島、比叡、榛名も闘志を露わにする。

 

『慢心してはダメ。索敵と先制は大事にしないと』

 

前のめりになる彼女たちを窘めるのは金剛に並ぶ最古参にして加賀と双璧を成す空母艦娘・赤城である。鷹津は内線越しでも加賀が赤城と頷き合ったのが分かった。

彼女たちなら大丈夫だと確信する。

 

「臨める兵、闘う者、皆陣列きて、前に在り……救急如律令!」

 

鷹津は呪符を取り出して祝詞を唱えた。途端、呪符は発光し『妖精』と呼ばれる疑似生命体に変化して彼女たちに弾避けの加護を与える。

前線に出れない自分が出来ることは、彼女たちの術を用いて彼女たちをバックアップすることぐらいだ。あとは彼女たちの持ち帰ってくる戦果を待つだけ。

人事付尽くして天命を待つ。果報は寝て待て。

先人の教えは偉大であると感じ入った鷹津であった。

 

「一航戦、出撃します」

 

最新式の艤装で武装した現代風にアレンジした魔除けの礼装で身を包んだ戦乙女たちは意気揚々と出撃する。そして――――大本営に海域の制圧の一報が齎されたのは、4日後の夕方であった。

 



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第1話

1

 

曇天の空から降り落ちる雨は地を、木を、屋根を不規則に叩いていた。静櫃であるが、静寂ではない。

静かにテンポよく歌っているかのような雨音は彼女の心をひどく安らげた。

雨が止んだ。

雲の切れ間からは太陽が顔を出し、光の乱反射が虹を作り出す。

 

少女はその風景にしばし心を奪われていたが、やがて安息の時に別れを告げるように憂いを帯びた笑みをひとつ浮かべた。そして、自身が着任する鎮守俯の敷地内へと入っていった。

 

2

 

いつかの時代。遠い彼方の地にて……。

10年ほど前。人類は海より現れた天敵を前に存亡の危機に立たされた。

天敵の名は『深海棲艦』

その怪物は唐突に現れ、殺し、喰らい、増えて人類を蹂躙していった。彼らに言葉は通じず、幾度としてコンタクトを図るもすべて徒労に終わった。

 

神霊。怨霊。物の怪。

その者たちの正体は未だ憶測が飛び交っているが、真実は定かではない。

撃退しても標本となる躯すら残さず消滅する深海棲艦を研究するのは困難を極めたのだ。

 

ただ、はっきりしていたのは明確な害意を以って人類に敵対していることだけ。

 

奴らに抗う術はただ一つ――徹底抗戦。だが、彼我の戦力差は圧倒的であった。

近代兵器によるダメージを受け付けない怪物どもは次々と制海権を奪い、揚陸して蹂躙の限りを尽くしていく。

凄地となった地は人間だけではなく、ありとあらゆる生命の死骸で溢れかえることとなった。

 

数多の犠牲を払い。禁忌を犯し。海を血に染めて。

 

少しずつ。だが確実に人類は滅びへの道を辿っていた。

 

だが、ある時転機が訪れる。

 

かつて海底へと沈んだ昔日の軍艦。

その付喪神にして、人類の守護者と定義付けられた存在――『艦娘』。

深海棲艦に唯一対抗できる存在である彼女たち登場で戦局は劇的に好転した。

あの大規模反抗作戦における大敗後、凋落の一途を辿っていた融機強化兵に変わる戦力を求めていた大本営はこの科学とオカルトが入り混じった得体の知れない存在を迎合した。その後、艦娘達は制海権の一部を奪還。その上劣勢に陥った戦局を五分に押し返すといった快挙を成し遂げて、本日に至る。

 

そして、このクレ鎮守府は数多ある深海棲艦に対抗する拠点の一つである。

 

鎮守府の執務室に通された時雨は唖然とした。

山の様に積まれた段ボール箱。書類で埋もれた執務机。脱ぎ散らかされた服。

台風でもきたのだろうか。少女のその部屋の惨状について考えるのをやめた。

その部屋の主は無精ひげを蓄えて寝ぐせのついた頭を掻きむしりながら時雨に向き合った。

 

「呉鎮守俯へようこそ。俺がここの提督を勤める鷹津光一。貴艦の着任を歓迎する」

「僕は白露型二番艦『時雨』。これからよろしくね」

 

時雨の敬礼に対して鷹津は軍帽を被り直して敬礼を返す。

 

「音に聞こえた幸運艦。我が艦隊に迎えられて光栄だ」

「力になれるかどうかはわからないけどね」

 

握手をかわそうとする。しかし、両者はドタドタドタと、隠す気のない足跡と共に近づいてくる何かの気配を感じ取りぴたりと動きを止めた。

 

「ぽーい!」

 

リボンで結われた亜麻色のアンシンメトリーな髪をはためかせ一人の少女が時雨にじゃれついた。初対面の女の子に好意を前面に押し出され時雨は酷く戸惑ったが、同時に酷く懐かしい郷愁に駆られた。

 

ぼくはこの子を知っている。

 

直感で悟ると、自然と彼女の名前が脳裏に浮かんできた。

 

「君は、……もしかして夕立? 君もこの艦隊に?」

「ぽ~い♪」

 

白露型駆逐艦の4番艦――つまり時雨の妹にあたる『夕立』である。

記憶こそ曖昧であるが、夕立の存在は時雨に大きな安心感を与えた。

或いはこの感情は艦娘として『白露型』への帰属意識の為だろうか。

定かではないが、時雨はこの再会を素直に嬉しく思った。

 

「また君に会えて嬉しいよ」

「夕立もまた会えて嬉しいっぽい」

 

そのやり取りに割ってはいる様に鷹津はパン、と手を鳴らした。

 

「さて、姉妹同士積もる話もあるだろう。だが、まずは大切なことを確認させてくれ」

 

鷹津の真剣な顔つきに時雨は姿勢をただした。

 

「時雨、君のパンツは何色だ?」

「………………………………、え?」

 

キミノパンツハナニイロダ

 

質問の意味が全く理解できない。

それどころか言葉の意図するところが読めない。何かの暗号だろうか。

グルグルと思考を回していた次の瞬間、執務室の扉が勢いよく開け放たれ――ボン!――という砲声と共に鷹津の体は宙を舞った。

 

「て、敵襲!?」

「心配ないっぽい」

 

反射的に身構えるが、隣にいる夕立は平然としている。

 

「Hey、提督ゥ! Sexual HarassmentはNo! って前にも言ったはずだヨー!」

 

登場したのは現代風に改造した巫女服に身を包んだ女性ボロ雑巾になった提督に笑いかけた。

 

「えっと……、提督、死んじゃったんじゃないかな?」

「大丈夫。いつものことっぽい!」

 

夕立の言う通りミディアムレアになっていた提督は勢いよく起き上がってきた。

 

「金剛……! 痛いじゃないか。俺が死んだらお前は未亡人になってしまうんだぞ!」

 

金剛と呼ばれた女性は両サイドでお団子状に結った長い髪を靡かせながらクルっとターンしたと思えば鷹津の顔を覗き込み笑った。頭に一本立っているアホ毛が犬の尻尾の様にピコピコと左右に揺れているような気がする。

 

「No problem! メイドイン工厰班の安全な弾ネ♪」

 

女性は時雨に視線を移したかと思えば、すぐさま微笑みながら手を差し出した。

 

「HEY! New face! ワタシは英国生まれの帰国子女戦艦『金剛』デース! ナイストゥミートゥ!」

 

テンションの高い口調も相まって美しさの中に可愛らしさを感じさせる金剛に戸惑いつつも時雨は差し出された手を握る。

 

「よ、よろしく。ぼくは駆逐艦『時雨』」

「Oh! 噂になってた呉のラッキーシップ! テートクも喜んでたネ。ヨロシクオネガイシマース」

 

人なつっこい笑顔を崩さないまま手渡された物騒な代物を見て時雨は酷く驚いた。

 

「……えっと…………これ、なに?」

 

金剛から手渡されたのは薬莢が赤くペイントしてある小口径用の弾薬。

装填を担当する疑似生命体――妖精ははりきって敬礼した。

 

「提督さんへのお仕置き用の弾っぽい。夕立も持ってるよ」

「提督のセクハラにミーツしたら眉間にStrike! するんだヨー」

「ええ……?」

「まったくお前達は上官への敬意が足りん! 榛名を見習ってもっと慎ましくだな――」

「ワタシのバストにタッチしながらじゃ説得力nothingデース」

「目の前に素晴らしいおっぱいがあれば揉まないのは寧ろ失礼――」

 

ガシャン!と金剛の機銃の装填音が鷹津の戯れ言を遮った。

 

「ダーリン、お仕置きダッチャ」

 

金剛は天使のような微笑みを浮かべながら鷹津に銃口を押し当てる。

 

「こ、金剛待ってくれ!ゼロ距離は流石に――」

「fireッ!」

 

艤装から放たれる機銃の一斉掃射。

モロに喰らった鷹津はたまらずのたうち回るが金剛の追撃の手は収まらない。

 

「ユウダチ、シグレを案内してあげてヨ」

「ぽーい!」

「痛い痛い痛い! 夕立、時雨ヘルプミー!」

 

助けを求める鷹津に時雨は助けるべきか、困惑する。そんな彼女の考えをぶったぎるように夕立は時雨の背中を押して執務室から退出した。

 

「ほ、本当に大丈夫なのかい、あれ!?

「大丈夫。死にはしないっぽい」

 

夕立は無情にそう告げるとドアを閉める。ドア越しに鷹津の悲痛な叫びが響き渡った。

 

2

 

「まったく、テートクは変態デース」

「な、何を今更」

 

その返答が気に入らなかった金剛はぷんすか、と頬を膨らましながらそっぽを向いた。可愛い。

金剛は基本おおらかだ。鷹津が金剛の他に恋人を作る――俗にいう浮気も――許容している。

曰く「テートクはカッコイイから他の娘のLOVEも大事にしてあげないとネー」ということらしい。天使か。

ただし、ルールは設けている。他の艦娘が自分に好意を持った場合はそれを受け入れてもいいが、鷹津から恋人としている艦娘以外に手を出すことは禁止している。

もし、そのルールを破った場合、先程のような砲撃&銃撃をお見舞いされる。

その弾――『お仕置き君3号(特許出願中)』の匙加減は絶妙で、見た目派手に吹っ飛ぶが、大怪我どころか気絶しない程度の痛みを与えるという特別製。

工廠勤務の明石と夕張の自信作だそうな。

 

とはいっても自分もそのルールをわかって、そして近くに金剛がいることも知っていて、あえて時雨にセクハラを働いたのだが。

 

我ながら子供染みているとは思うが、嫉妬されるのは気分がいい。基本自分に対して恋愛感情を隠さず示してくれる金剛ではあるが、やはりそれでも自分が愛されているという実感は欲しいものだ。

 

だが、少し意地悪をし過ぎたかな、と自省する。立ち上がり此方をむこうとしない金剛を強く抱きしめた。

 

「……そんなことしたって誤魔化されないヨ」

「ごめん。色んな表情をみせてくれるのが嬉しくて、ついやり過ぎてしまったんだ」

 

金剛は俯いたまま俯いたまま何も言わない。鷹津は金剛をより一層強く抱き寄せた。

 

「機嫌を直してくれよ。金剛に嫌われたら、俺は生きていけない」

「テートクゥ……」

 

交わる視線。高鳴る鼓動。金剛は鷹津に何かをせがむように眼を閉じて顎を突き出した。

察した鷹津もまた金剛に唇を寄せていく。触れ合う直前――執務室の扉が叩かれた。

 

弾き飛ばされた鷹津は本棚にぶつかり眼を回す。テンパっている金剛はそんなことに気を回す余裕はなく、慌てて「ドウゾー」と返した。

 

入室してきたのは銀髪を緑のリボンでサイドテールに結った少女だった。

彼女の眼光は勝気な性格を如実に表している。

執務室内を見回し、どういう状況だったのか悟った少女は嘲るように鼻で笑った。

 

「昼間っからサカってるじゃないわよこのクズ」

「Hey! カスミン、テートクにそんな言い方――」

「うっさい色ボケ戦艦!」

「What!?」

「まぁまぁまぁ。二人とも落ち着け。喧嘩をするんじゃない」

 

金剛に喧嘩を売った彼女名は朝潮型駆逐艦『霞』。

前提督の頃からの古株であり、駆逐艦では随一の練度を誇る猛者である。

 

「演習の報告書よ」

「あいよ、ご苦労さん。間宮さんの所で特性アイスを頼んであるから皆で食べなさ――」

「結構よ」

 

やや食い気味に切られ、鷹津も思わず言葉に詰まった。

 

「霞ちゃんよ。俺もこの鎮守府に着任してもう2週間になることだし、そろそろ少し腹を割って話をしないかなー、なんて……」

「自分の仕事はするわ。何か不満はあるかしら? それともあんたたち人間に何か期待しろっていうの?」

「前提督が君たちに何をしたかは鳳翔さんや本人から概ね聞いて把握している。しかし、あれには訳があったんだ。頼むよ、話だけでも――」

「失礼します」

 

話をするのも厭わしいと言わんばかりに剣呑な表情を浮かべ、形だけの敬礼をして霞は執務室から退出していった。

鷹津は肩を落とし、金剛は天を仰いだ。

 

「取り付く島nothingデスネ」

「信頼していた上官に『死んでこい』なんて命じられたんだ。裏切られた気持ちでいっぱいだろうよ」

 

時雨の経歴が書かれた書類に目を通し、やれやれとため息をついた。

 

「まだまだ問題が山積みデスネー」

「ああ。けど、めげるわけにはいかない」

 

自分はあの人から任されたのだ。ならばやり遂げる。どんな困難にも立ち向かって見せる。

 

「力を貸してくれるか、金剛――いてっ」

 

不意にデコピンをもらってしまい目を丸くした。割と真剣に言ったのだが、何か彼女の機嫌を損ねるようなことを言っただろうか。

 

「……テートクはまだまだワタシのこと分かってナイネ」

「というと?」

「テートクの思う様にすればいいヨ。ワタシはそれをフルパワーでアシストするだけネ」

「もし俺が間違ったらどうする?」

「その時は二人でカガにsermon されまショ」

「……バカだな、お前は」

「No problem! バカであることを選んだのはワタシだから平気ヨ」

 

暗澹たる気持ちが随分軽くなった気がする。辛いときはいつもこの笑顔が傍にあった。

俺は一体どれだけこの笑顔に救われるのだろうか。彼女にとっては何でもないようなことなのだろうが、それがどうしようもないくらい愛おしい。

ならば、自分は無邪気に慕ってくれる彼女を――彼女たちを裏切ることは絶対にできない。

 

鷹津は改めて自分の心に誓った。

 

 



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第2話

第2話

 

1

 

居酒屋『鳳翔』。

前提督鷺宮の秘書艦『鳳翔』が艦娘の福利厚生の充実を図るため立案し、鷹津が許可したこの店は美味しい料理と数多くの酒。そして女将を務めるのは前線を退いた艦娘『鳳翔』。

この店は出される料理が絶品なのは言わずもがな、彼女の穏やかな気性も相まって早くも鎮守府内で人気を博していた。

 

「ああ~、しんどい。辛い。何もしたくない……」

 

誰もが笑顔で過ごす憩いの空間で鷹津はただ1人、やつれた顔でカウンターに突っ伏していた。そのくたびれ様は金剛に対して格好つけていた人物と同一人物だとは思えないほどである。

 

「お疲れ様です、提督」

 

そんな労りの声と共に鷹津の前にキンキンに冷えた特大ジョッキが差し出される。

 

「うひょう♪ アザーッス鳳翔さん!」

 

言うや否や大ジョッキをゴクゴクと喉を鳴らして一気に飲み干した。

 

「カァーッ! 染みわたるぅ!」

 

豪快にビールひげを拭うや否やお通しに出した鳥皮ポン酢を頬張る鷹津に鳳翔は微笑ましい気持ちになった。

 

「流石鳳翔さんまた腕を上げましたね! これ、サイコーっす!」

「ふふっ、喜んで頂けて良かったです。もう一杯いかがですか?」

「いや、もうすぐ加賀さんが来るはずなので、あとはそれから――っと噂をすれば」

 

小料理亭の扉が開き声をかけようとして目を見張った。

美しい。

艦娘としての装束である道着ではなく、珍しく私服だ。白いコートの下には黒いタートルネックシャツと青いスカート。全体的に華美になりすぎないシックなコーディネートは冷静で真面目な加賀にこれ以上ないほど似合っている。薄化粧を施された素朴ながら清楚な顔は口紅の赤をより一層と引き立てられ、不思議な色香を醸し出していた。

 

「遅れてしまい申し訳ありません」

「あ、いや……」

「似合い、ませんか……?」

 

鷹津の煮え切らない返事に、加賀はわずかに動揺した面持ちで鷹津を見上げた。滅多に感情を表に出さない彼女にしては極めて稀な事である。鷹津からしたら思わぬ不意討ちをまともに受けて動揺しただけなのだが、言葉にせずに理解してもらおうなど、甘えに過ぎない。

誰もが誤解なく簡単に分かり合えるのであれば、どれだけの悲劇が防げるのであろうか。

 

「……似合うな。すごくいい」

「……か、からかわないでください」

 

薄く塗られたファンデーション越しにでもわかる程顔を赤くして照れる加賀。

何故だろうか。普段クールな人が照れると最高に可愛い。押し倒したくなる。

 

「いや、本心さ。加賀さんのイメージぴったりだ」

 

爛れた本音は紳士という仮面で隠す。分かり合えることは確かに素晴らしい。

だが、分かり合えないこともそれと同じくらい素晴らしいのだ。

 

「こ、これは二航戦の子たちが……『提督とのデートだから』と言って無理やり」

 

飛龍・蒼龍グッジョブ!

脳裏でテヘペロ☆ と舌を出す二航戦の二人組に今度特別ボーナスを出そう。

悦に入っている鷹津を余所に加賀は鞄の中からA4サイズの茶封筒を取り出すとそれを鷹津に渡した。

 

「例の件の報告書です。遅くなってしまい申し訳ありません」

「おぅ、ご苦労さん。鳳翔さん、貴女もこちらへ」

「それは?」

「鷺宮先輩から引き継いだ帳簿と大本営から渡された帳簿で計算の合わない部分があったんです。加賀さんにはその内偵を頼んでいたんですよ」

 

補給部隊が運んでくる資源資材と鎮守府が受け取った資源資材。

必要な補給物資を大本営に要請していたにも関わらず、必要量の7割程度しか支給されてなかった。理由は戦線の激化による物資不足と要請物資と鷺宮の戦果が釣り合わないことだという。一見、もっともらしい理由ではあるが、少し待ってほしい。

鷺宮は軽空母、軽巡洋艦、駆逐艦しか配備できない言ってしまえば貧弱な編成で数多くの提督が攻略に失敗した『魔の海域』と呼ばれる『沖ノ島』周辺の戦線を維持してきたのだ。これは十分な戦果だと言えるのではないだろうか。そもそも戦力の的確な補充なしに『攻勢にでろ』などと宣ったとしたら、そいつは相当な愚物だ。

更にこの書類には鷺宮が必要と判断した量の補給物資を輸送部隊が受け取ったと記されている。

 

「おかしいと思って調べてみたら案の定だ。こいつら資源を横流しして不当に利益を得ていやがった」

「すでに監査部に告発してあります。彼らは数日以内に関係者は軍法会議にかけられるでしょう」

 

軍規によれば軍の物資を横領した者は銃殺となっている。

それを知っている鳳翔は沈痛な表情を浮かべた。加賀はそんな彼女を気遣う様にそっと肩に手を添える。

 

「鳳翔さんが気に病む必要はありません。先輩がこいつらの横領に気付いていなかったとも思えません。こんなご時世です。彼らの生活を慮ったんでしょう」

 

無論、軍人として厳格に処断しなかった鷺宮に非がなかったとは言わない。彼は優先すべきことを誤った。この鎮守府を預かる『提督』であるならば、彼らを厳粛に処罰し、健全な艦隊運営を行うべきである。その責めを負うべきであろう。だが、

 

「先輩の優しさに付け込んだこいつらに同情の余地などない。自分の愚かさを後悔しながら死んでいけばいい」

 

鷹津は鷺宮ではない。自分は彼ほど優しくなれない。

鷹津光一は艦隊を預かる提督であり、人類生存の為に全身全霊を尽くすと誓った身である。

その妨げになるのなら、たとえ味方であっても容赦は出来ない。

 

切り替えるように鷹津は艦隊資料を手に取り微笑した。

 

「それにしても見事ですね。戦艦、正規空母こそいないものの、この鎮守府の生え抜きの艦娘達はどの子も練度が高い」

 

それは鷺宮が提督としては3流であったとしても参謀としては間違いなく一級品であったという証左であろう。

 

「艦隊の調子はいかがですか?」

「ん~……、正直良いとは言えません。彼女たちの信頼を勝ち得るにはもう少し時間が必要かもしれませんね」

 

鷹津は加賀の問いにそう答えると枝豆を口に運んだ。

生え抜きの艦娘にとっては鷹津光一という男、及び彼と一緒にこの鎮守府に配属された艦娘達は艦隊に入り込んだ異物という扱いである。

警戒。不信。拒絶。遠巻きに送られる視線にはそれらが入り混じっている。無論、鷹津はそれを咎める気は毛頭ないが、いつまでもそのままでは困る。艦隊戦という命のやり取りが行われる場において、互いへの不信感は遅効性の毒となりえる。気づいたら内側から崩れて致命傷になっていた等冗談ではない。

唯一の救いは鷺宮の秘書艦であった鳳翔が鷹津達に好意的であるということであるが、それでも現状を打開するにはもう一押しほしいところだ。

 

「ま、気長にやっていくさ」

「くれぐれもご無理をなさらないでください。貴方に倒れられては私たちも困ります」

「心配してくれてるのか?」

「…………まあ……、私も認めてはいますから」

「加賀さんがデレたー!」

 

大はしゃぎする鷹津の隣で顔を真っ赤にした加賀は冷酒を一杯呷った。

そんな二人のやり取りを微笑ましい気持ちで見守っていた鳳翔はふと2週間前のことをことを思い出していた。

 

2

 

大本営より下された任務を終えた鷹津はその日のうちに軍病院に入院中の鷺宮の見舞いに赴いた。鷺宮が入院しているという軍病院の一室を訪れた鷹津をまず出迎えたのは鷺宮の主席秘書艦である軽空母『鳳翔』だった。

 

「鷹津提督、お待ちしておりました」

「鳳翔さん、お久しぶりです。先輩の容態は……?」

「お医者様が言うには統合失調症とのことです。……ここのところ心身共に無理をなさっていましたから」

 

いつも穏やかで感情的になるところなど見たことのない鳳翔が苦渋に満ちた表情を浮かべた。それだけで鷹津には彼女たちの胸中を察して余りあった。

 

「あの人はずっと貴方を待っていました」

 

個室からは無聊の慰みにと植えられたあたり一帯を覆う花畑が一望できる。しかし、今はカーテンに覆われ一切見ることが出来ない。眠っている鷺宮を伺う。

青白い顔色。痩せこけた頬。濃く浮かび上がっている目の下の隈。

いったい今日までどれほどの苦労を背負い込んでいたのだろうか。

 

「提督。鷹津少将がお見えです」

 

鳳翔が優しく呼びかけると鷺宮は眼を開き、ゆっくりと起き上がった。

 

「やぁ、鷹津。よく来てくれたね……」

「話は鳳翔さんから聞きました。大変でしたね」

「聞かれてしまったか。いやぁ僕なりに頑張ったんだけど、力及ばず。ははは……情けない。才能の壁は厚かった」

 

鷺宮は努めて明るく笑っていたが、やがて俯き肩をワナワナと震わせた。

 

「悔しいよ……。本当に悔しい……」

「……先輩、貴方は自分が焼き切れるまで頑張ったんです。だから今は少し休みましょう」

「そうだよ。精一杯やった……。でも、全然駄目で……僕が愚図だったから、……皆を一杯傷つけて……鳳翔にも、みんなにも酷いことを……」 

 

鷺宮の目から大粒の涙がとめどなく流れてくるのを鷹津は見た。

 

「提督、誰も貴方を責めたりしていません。今はそれよりも体を治すことを最優先に――」

「いや。もう駄目だ……」

 

虚ろな視線は宙を彷徨い、鳳翔を通り過ぎて鷹津に向いた。

 

「わかっているんだ。僕は鷹津の様な素晴らしい『提督』にはなれない。」

 

そんなことはない、という言葉を鷹津はかろうじて飲み込んだ。

才能をいう壁に抗い続けてきた鷺宮がどれほどの葛藤と覚悟を経てそう言ったのかわからないほど愚かではないつもりだ。

 

「君に頼みがある。大事なことだ」

「……聞きましょう」

 

鷺宮が言葉を発するまで時間がかかった。それはまるで何かを重大な決断するかのような長い長い間だった。

 

「……頼む。君が彼女たちを引き取ってくれ」

 

鷺宮が発した言葉に鳳翔は思わず彼を見た。嘘であってほしい。そう願いすらしたが、鷺宮の表情を見て彼が真剣であることを悟った。

 

「知っているだろう。我々『提督』の中には艦娘を消耗品程度にしか見ていない奴らがいることを……」

 

実際には多く『提督』は有用だが得体のしれない艦娘を恐れ『兵器』としてしか扱わない。自分たちのような親艦娘派は未だに少数だ。そして、マイノリティはいつだって弾圧される。

幸いにも鷹津は提督としての能力に恵まれていた上、非常に性格が悪い。そういった妨害を躱した上に戦果を重ねることで自身の足元を固めてきた。

だが、鷺宮は違う。

彼はいつだってそうだ。どんな汚いものの中からも美徳を見いだそうとする。こんな状態になってまで決して人のことを悪く言おうとしない。だが、今回はそれが裏目に出た。

その優しさが彼を蝕んだのだ。

 

だからこそ、鷺宮は鷹津に後を託そうとしている。だが、

 

「いいのですか? 艦娘との契約を俺に譲ってしまえば、貴方は二度と『提督』として復帰出来なくなります」

 

艦娘との縁は一度切ってしまえば再び結び直すことは出来ない。

今まで苦楽を共にしてきた彼女たちを放逐することを彼が後悔しないとは到底思えない。

 

「僕は彼女たちの信頼に背いてしまった」

「違います! 提督、それは――」

「何も違わないさ。どれだけ追い詰められていようと僕は彼女たちを死に追いやるような命令を出してはいけなかったんだ」

 

一度失った信頼を取り戻すには莫大な時間を要する。しかし、鷺宮にはその時間は残されていない。遠からず艦隊は解体され、部下だった艦娘達は別の鎮守府へと配属されるだろう。

配属先の提督が人道的であればいい。しかし、そのような人物など本当に一握りしかいないという事を鷹津も鷺宮もよく知っている。

 

「僕の指揮下ではその力を十分に発揮できなかったけど彼女たちはみんな出来る娘ばかりだよ。君なら彼女たちの能力を、彼女たちが人間として生きられる場所を作れると」

「本当にいいんですね……」

 

目を閉じて彼女たちと築いてきた思い出を反芻する。

隼鷹と飲み比べをして二人して二日酔いでダウンしたこと。

その醜態を見た霞にこっぴどく怒られたこと。

こんな不甲斐ない自分をいつだって近くで優しく、そして強く支えてくれた鳳翔。

 

霞、君に謝ることが出来なかったことが心残りではあるが……。

 

彼女たちが自分を許してくれなくても、せめて人間らしく生きていてほしい。

信頼できる人間に彼女たちを託す。

提督として不甲斐ない結果に終わった自分ができる唯一のこと。

 

「後悔をしないわけない。僕はこれから先、ずっとこの選択を悔やみ続けるだろう。だけど、それでも、これが僕にできる最後の仕事だ」

 

鷹津は逡巡した。

寄せられる信頼が重い。鷺宮は自分を買いかぶりすぎている。『鷹津光一』という男は彼が言うほど大した男ではない。

艦娘を使役する術者を養成する提督養成。その中にいたのは高い能力と人間性が反比例したクズばかり。どいつもこいつも選民意識と英雄願望に凝り固まり自分の手柄のことしか頭にない。そしてその中でも百年に一人の天才と持て囃されたとびきりのクズが鷹津光一だった。

鷺宮仁に出会わなければ、他の提督と同じように艦娘を道具や兵器としてしか見做さない唾棄すべき存在に成り下がっていただろう。

鷹津は鷺宮の優しさが好きだ。だが、同時にそんな彼の優しさに劣等感を覚えている。世間では天才などと持ち上げられているが、自分ひとりが優れているだけの自分と、他者の心に影響を与えその心を変えていく鷺宮と一体人はどちらを求めるだろうか。はっきり言って彼の艦隊を預かる自信がない。しかし、――

 

鷹津は固く拳を握った。

 

しかし、この人が安心して休むためには、鷹津光一は大丈夫であらねばならないのだ。

 

「先輩、あとは任せてください。貴方の意思は俺が引き継ぎます」

「……ありがとう。鳳翔、君も鷹津と一緒に行くんだ」

「そんな……! 私は最後まで提督にお供します」

「君が抜けたら誰が橋渡しになるんだい」

 

今まで鷺宮艦隊は軽空母鳳翔と駆逐艦霞が艦娘達のまとめ役を担ってきた。だが、今回の件で裏切られたと感じた霞は間違いなく鷹津に反発するだろう。

事実あの事件以降霞は同じ艦娘の鳳翔とすら目を合わせようとしない。鷺宮が不信感を植え付けてしまった所為だ。

鷹津が彼女たちの信頼を勝ち取るまで、旧鷺宮艦隊の面々をまとめ上げられるのは同じ艦娘であり、他艦娘達からの信任の厚い鳳翔しかいない。

 

「こんなこと、君にしか頼めない」

 

鳳翔は辛そうに瞑目した。震える細い手と唇からは彼女の悲しみが伝わってくるようだ。

鷹津は何か言おうとしたが、自分の出る幕ではないことを悟り飲み込んだ。

静寂はほんの少し。やがて鳳翔は意を決したかのように口を開いた。

 

「貴方はずるい人ですね。そう言われてしまったら私は断れないではありませんか」

「……すまない」

「許してあげません」

 

鷺宮は瞼をぎゅっと閉じた。

しかし、誰よりも近しい鳳翔に言われると辛かった。

 

鳳翔は唇を引き結んで鷺宮に近づいた。いくら温厚な彼女といえども、きっと愛想をつかしたに違いない。

胸が張り裂けそうなほど痛い。腹の底から何か嫌なものが込み上げてくる。

覚悟はしていたつもりだ……。

 

それが彼女たちを裏切った自分への罰なら受けるほかない。

だが、次の瞬間にかけられた言葉は鷺宮の予想もしていなかったものだった。

 

「すべてが終わって平和になったら、2人で小さなお店を開きましょう」

「…………え?」

 

呆然としながら鳳翔を見あげると彼女は優しく微笑んでいた。

 

「一緒に船旅でもしながらいい土地を探して、メニューも色々考えなくてはいけませんね。店の内装も話し合って……。ふふっ、今から楽しみです」

「待って、僕はもう――」

「まさか私たちの前からいなくなるなんて言いませんよね」

 

穏やかな、しかし断固とした口調で図星をつかれ、思わず目を逸らした。

バチン、と鳳翔が鷺宮の両頬を叩く。心理的空白から強制的に引き戻され、鳳翔が至近距離から自分を真っすぐに見据えていた。

 

「そんなことをしたら私は貴方を絶対に許しませんよ」

「けど、だけど……」

「貴方はあの時私たちは『人類の守護者』だと言いましたよね」

「違う! それは――! それは…………」

 

弁解の言葉など言えるはずもなかった。

霞が大破し、轟沈のリスクが高いにも関わらず進撃を命じたあの時。確かに鷺宮はそう言い放った。頭に血が上っていたとはいえ、自分はなんということを言ってしまったのだろう。罪悪感で胸が食い破られそうな程痛い。

鳳翔は穏やかに言葉を続けた。

 

「その通りです。私たちは深海棲艦を倒すために生まれ、提督を愛するように作られています」

 

艦娘は提督を愛するように出来ている。

友愛。親愛。慈愛。情愛。

それは艦娘ごとに違う種類で現れるがそれは全ての艦娘に備わっている。『愛』とは一見耳当たりの良い言葉ではあるが、それは裏切り防止の精神的なブロックという負の側面がある。自分自身の心が操作されたものである、という恐怖は想像しただけでも筆舌に尽くしがたいだろう。

だが、それでも――

 

「ですが、貴方を想うこの心だけは、私自身のものです」

 

鳳翔はその恐怖を知っても尚、この気持ちが自分のものであると宣言する。

堂々と宣言するその姿は威厳と慈愛に満ち溢れていた。

 

艦娘にも心がある。

鳳翔にとってこの気持ちが作られたか、どうかなど関係ない。

自分が鷺宮仁という男を愛おしく思った。それは自分自身から湧き出た感情だと確信していた。

 

鷺宮の目から涙が溢れた。

どうして君たちはそんなに強く、優しいんだ。

こんな弱くて情けない自分が彼女たちの近くにいてはいけない。いけないはずなのに――

 

「僕では君を不幸にするだけだ」

「貴方に捨てられたらそれこそ私は不幸ですよ」

 

何故想うことをやめられないのだろう。

 

「たとえ縁は切れても、私は貴方の艦娘です」

 

体を二つに折って鷺宮はただ泣いた。涙と一緒にこの暗澹たる感情が洗い流されていくようだった。救われた。不甲斐ない自分に過分な言葉をくれた彼女の為にも強くなりたい。心からそう願った。

 

いつか言おう。君に出会えて良かった。

僕もずっと君を愛している、と。

 

 



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第3話

1

 

沖ノ島海域。

西南諸島海域の最奥に確認されている大規模凄地。魔の海域と悪名高いその地は多くの提督たちが挑んでは弾き返されてきた。

 

「本作戦の目的は沖ノ島に巣くう敵戦力の撃滅にある。

データによると敵艦隊の戦力は雷巡、軽巡を中心とした水雷戦隊が哨戒にあたっており、本拠地とされるポイントには戦艦ル級を多数擁する水上打撃部隊が待ち受けている。ということで大淀、間違いはないか?」

「情報ではそうなっています。ただ、――」

 

海域地図を一瞥した大淀の表情が少し曇った。

 

「データが少ないため、情報の信憑性は定かではありませんが……」

「まぁ、無理もないか……」

 

鷹津は特に落胆する様子もなく頷いた。

これまで沖ノ島海域の最深部に待ち受ける敵主力に邂逅したのは鷺宮が要していた水雷戦隊がほんの数度だけ。

そして例外なく手痛い損害を受けて敗走を余儀なくされている。

分母が少ない以上、この情報の信憑性を問うのはナンセンスだということは理解している。それに個人的な心情として鷺宮の残したデータを元にこの海域を攻略したかった。

 

「これを破るには空母機動部隊が制空権を掌握し、爆撃、雷撃による飽和攻撃を行うのがベストだと考える」

「けどよ、前衛の水雷戦隊がウザくて奥に着く前にガス欠になっちまうぜ。それはどうするんだよ?」

 

ガラの悪い口調でそう言ったのは重巡洋艦の艦娘であり、この鎮守府の対空番長と渾名される『摩耶』である。鷹津は摩耶の質問に「ふむ」と呟いた。

 

「摩耶の言うとおり普通のやり方では本命に辿り着く前に多数の艦載機を消耗してしまうだろう。そこで、もう少し作戦を詰めてみた」

 

鷹津が目配せをすると同時に金剛が装置のスイッチを入れる。すると空中に海図と共に各艦の配置と戦略をシミュレートしたホログラムが写し出された。

 

「まず敵前衛の水雷戦隊に対してこちらも水雷戦隊で対抗。それと同時に潜水艦たちによる通商破壊作戦を実施する。可能なら資材の強奪も許可しよう」

「私掠船じゃねえか!」

「深海凄艦相手なら問題にならない。国際法の制限がつかないってのはやり易くていいねえ」

「Wow! テートク問題発言ネ!」

「おっとぉ、お母ちゃんには内緒だよ」

 

金剛から釘を刺された鷹津は咳払いをして、ブリーフィングを再開した。

 

「目的は敵の戦力を削ぎつつ、兵站を圧迫すること。そうすることで倒せなくても敵戦力はジワジワと削れるはずだ」

 

「そんなに上手くことが運ぶかしらね?」

 

多分に避難がましい声で言われ霞かと思ったが、視線の先には予想していた人物はいなかった。代わりにいたのは綾波型駆逐艦8番艦『曙』。

霞とは経緯が違うが、まだ彼女が艦だった時代に理不尽晒され続け、上に立つものに根深い不信感を持つこの少女は敵意を隠そうともしていない。横で同型艦の『潮』が慌てながらなだめようとするが、曙は睨み続けていた。

 

「君の言うことは最もだ。この作戦は言うは易いが、行うのは難しい。

この作戦は万事抜かりなく運ぶことが大前提となる。どれか一つでも失敗すればこの作戦は成立しない。これを完遂させるには辛抱がいる」

「できるっていうの……?」

「勿論。その為にこの2週間準備を重ねてきた。既にちと、ちよの偵察で敵のシーレーンは把握済み。潜水艦の練度もバッチリ。新兵器九三式酸素魚雷も四連装発射菅も充実している。お前たち水雷戦隊は言わずもがな、潜水艦の練度も問題ない。伊達にオリョクルしてないぜ☆ なぁ、みんな!」

 

「…………おー」

 

伊58、伊168、伊8、伊19の潜水艦の艦娘4名は死んだ目をして同意した。

 

オリョール海での通商破壊作戦ーー通称オリョクルは潜水艦で行うのが最も効率的だ。何故ならあの海域を跋扈する敵補給部隊は対空兵装満載ではあるが、爆雷を積んでいないことが殆どだからだ。

故に鷹津は着任以来オリョクルを潜水艦のみで行うよう指示を出している。

 

来る日も来る日もオリョクルオリョクル。

寝ても覚めてもひたすらオリョクル。

オリョクルがオリョクルでオリョクルをオリョクルにオリョクルした。

 

ブラックな任務をこなし続けた結果、潜水艦たちの練度は鷺宮から引き継いだ艦娘の中で霞、鳳翔に次ぐレベルとなっている。

今や最初の無邪気さは鳴りを潜め、眠りながら魚雷を撃ち、補給艦を狩ることのできる素晴らしいアサシンへと成長を遂げた。提督マンモスうれピー。

 

しかし、

死んだ魚の様な目をした潜水艦たちを見渡して思う。

このように士気が低くては作戦の失敗は必至。そこで鷹津は魔法の言葉を唱えることにした。

 

「この任務を無事遂行できたら貴艦らには2週間の休暇。そして武勲艦には特別ボーナスを授与しよう。ゆっくり羽を伸ばしてくると良い」

 

「やってやるでち!」

「わお! いいじゃない!」

「はっちゃん、頑張りますね!」

「テイトク大好きなのね!」

「ははは! 愛の告白ならいつでもウェルカムだよ」

 

「ないでち」

「ないわね」

「ない、ですね」

「ありえないのね」

 

うん。やっぱりオリョクルの恨みは根深いようだ。信賞必罰は大事。超大事。

 

「因みに提督は知らないようですが、あの子達の合言葉は『くたばれ、クソ提督』だそうです。…………、提督泣いているのかしら?」

「泣いていない。これは心の汗だ……」

「そう。ならいいのだけど」

 

その情報必要なのだろうか? 心なしか加賀さんの声が冷たい。

でも提督泣かない。男の子だもん。

 

「大破した艦が出た部隊は即撤退しろよ。絶対にだ。安全第一!」

「もし誰かが犠牲にならなきゃ作戦を完遂できない状況になれば、あんたはどうするの……?」

 

曙の質問に誰もが息を飲んだ。

彼女の疑問は会議室にいた艦娘達の誰もが気にしていたことである。

視線は一斉に鷹津に集まり、彼の次の言葉を待った。

 

「生きて帰ってきさえすれば、また代わりの作戦を立ててやる。死なない限りは俺たちに負けはない」

 

一切気負うことなく鷹津は答える。気楽な様相ではあったが、その眼には強い決意の光が灯っていた。

 

「失敗がかさめば、……あんたも批判に晒されるわよ?」

 

理不尽な叱責を受け続けた艦歴からか、鷺宮への複雑な心境からか曙の言葉は何処か歯切れが悪かった。その言葉は嫌っている筈の俺を心配しているようにも聞こえる。

酷く不器用だが、優しい子なんだろうな……。

思わず笑みが浮かんだ。

 

「それがどうした?

上層部からお前らを守るのも上司の仕事だ。けど、出来るだけそうならないよう頑張ってくれ」

 

軽い調子で言う鷹津に対して曙はしばらく品定めするように視線を外さずにいたが、やがて力を抜くように息をはいた。

 

「いいわ。あんたの作戦、乗ってあげる。けど勘違いしないでよね。あくまでいい作戦だと思っただけで、あんたを信用したわけじゃないんだからね、このクソ提督!」

「おお、ツンデレか! 三次元では初めて見た!」

「ご主人様、ぼのたんはベジータ系女子なんですよ」

「うっさい漣!」

「よーし、曙もデレたところで――」

「デレてない!」

「現時刻をもって作戦名『あ号艦隊大☆決☆戦!』を開始する!」

「提督、ネーミングで台無しです」

「気にするな。俺は気にしていない!」

「少しは気にしなさいよ、このクソ提督――――――ッ!!!!」

 

2

 

出撃前のドッグは慌ただしい。

次から次へと工廠から運び出されてくる整備済みの艤装。それを妖精たちがクレーンを操作し、出撃前の艦娘達に装備させていく。着々と整う準備を余所に霞は思案に暮れていた。

 

鷹津光一……

 

霞は心中で鷺宮に代わり新しく着任した提督の名を反芻する。

 

反吐が出る……!

 

眉間に深い皺が入り、険しい表情はさらに苛烈さを増した。

 

彼の言葉はどれも耳触りが良い。だがそれ故に虫酸が走る。

その在り方はかつての鷺宮と重なるのだ。

追い詰められた時こそ醜い本性が顔を出す。都合の良いことばかり並べたてる輩は信用ならない。

 

だから私はあんたみたいに綺麗事ばかりの奴の言うことなんて信じない。信じてたまるものか。

 

だが、

深呼吸して荒れた気を落ち着ける。

現実問題として、沖ノ島海域を奪還は最優先事項だ。そして、そのためには鷹津の指揮下に入らなければ作戦目的の達成は難しいことも、業腹だが理解はしていた。

 

いいわ。あんたの作戦に乗ってあげる。だけど、私はあんたを認めたわけじゃない。

認めない……。絶対に認めないから……。

 

作戦目的は兵站の圧迫。手段は通商破壊による資材資源の破壊及び強奪。

それを果たすために、一先ず私情を棚に上げた。

 

「第二水雷戦隊、臨時旗艦『霞』! 抜錨よ。着いてらっしゃい!」

 

霞は勇ましく宣言して、艤装を走らせた。

続く大淀、初霜、そしてその脇を固める曙、潮の第七駆逐隊から編成された古参揃いの精鋭たちも大海原へと飛び出していく。

 

彼女の背後に黒い靄がまとわりついていることにこの時点で誰も気づいていなかった。

 

 



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第4話

 

 

1

 

「敵艦を発見なの。距離500。護衛の駆逐艦が4隻なのね」

「聴音、確認、しました。敵は音波を、出しています」

「海上を移動しながらパッシブソナーを打つなんて提督の言った通り対潜はお粗末でち」

 

移動しながら音波を放つと艤装の推進音が邪魔になり、正確な聴音は不可能だということは鷹津に嫌というほどさせられた対潜演習の際に学習済みだ。伊168はこうして平静を保っていられるのは鷹津のおかげではあるが、素直に感謝できない複雑な心境であった。

 

「まずは駆逐艦を排除するわ。全艦魚雷装填」

 

伊168――イムヤ達はギリギリの深度まで浮上し敵の動静を確かめ各自狙いを定めた。

そして――

 

「発射」

 

一斉に発射される魚雷は約45ノットの速度で真っすぐ敵艦へ向かっていく。敵駆逐艦はやっとイムヤたちの存在に気付き回避運動を取ろうとするが、既に後の祭りであった。

 

くぐもった轟音が海中に反響する。同時に伝わってくる振動。イムヤ達の意思に従い艤装を動かしている妖精たちは火を噴き上げながら沈んでいく敵艦を潜望鏡越しに見た。

 

敵駆逐艦の3隻は轟沈し、爆炎を上げて1隻は中破していた。

 

「追撃するわ」

 

逃げようと反転する補給艦にイクが再び魚雷を叩きこむ。魚雷は敵に吸い寄せられるように命中し、生き残った敵艦達も護衛の駆逐艦と同じ運命を辿った。

 

「楽勝なのね♪」

「油断しちゃ駄目でち」

「そうです。帰投するまでが、作戦ですよ」

 

沖ノ島海域背後に存在するシーレーンで通商破壊を開始してから3日が過ぎようとしていた。イムヤを旗艦とする潜水艦隊の活躍は目覚ましく、その高い練度に相応しい戦果を

着実に積み重ねていった。

鷹津の読みではそろそろ兵站が苦しくなってきているはずだが、敵艦隊に未だ目立った変化は見られない。

攻めに転ずるタイミングは重要だ。

叩き潰すときは一気呵成にいなければ、みすみす敵に回復の暇を与えてしまうことになる。

鷹津はこの3日間焦れる心を抑え、機が熟するのをひたすらに待っていた。

 

「HEY提督ゥー! 伊164から入電ダヨー!」

「きたか!」

 

椅子から跳ねるように立ち上がり金剛からひったくるように通信機を受け取った。

 

『通商破壊部隊旗艦伊164より鷹津提督へ。我が艦隊は敵補給艦破壊に成功。補給のため帰投中に敵水雷戦隊と遭遇。現在交戦中』

「敵の装備はわかるか?」

『ソナー及び爆雷』

「よし」

 

鷹津は敵が自分の術中にはまったと確信した。

彼女たち潜水艦には狩人であると同時に餌だ。

敵が馬鹿でないのであれば、此方の意図が通商破壊にあると直ぐに判るであろう。であれば直ぐに潜水艦を狩るためにソナーと爆雷を装備した水雷戦隊が出てくるはずだ。

 

「それでは作戦を次のフェーズへと移行する」

 

加賀が手早く潜水艦部隊の作戦海域で活動していた空母機動部隊へ通信を繋いだ。

 

「空母機動部隊旗艦龍驤、準備はいいですか?」

『いつでもいけるで!』

「では、予定通りにお願いします」

 

潜水艦の作戦海域の近辺で紹介していた龍驤率いる軽空母で構成した空母機動部隊は一斉に艤装を展開した。

 

「さぁ、仕切るで! 攻撃隊発進!」

 

陰陽道の印を結ぶと同時に顕れ、一斉に飛び立つ艦載機。妖精の駆る九七式艦上攻撃機、九九式艦上爆撃機、そして白い零戦の異名を持つ零戦21型は編隊を組んで潜水艦を狙っている敵水雷戦隊を捕捉した。

そして瞬く間に壊滅させていった。

 

 

「潜水艦隊、旗艦伊168より入電です。『物資ヲ回収後、帰投スル』とのことです」

「了解。無事の帰還を祈る」

 

秘書艦の加賀は慣れた様子でモールス信号を打ち込むと鷹津に向き直った。

 

「それにしてもわかりません。沖ノ島海域を奪還することは大本営の……、いえ鷺宮前提督の悲願ではありますが、こんなにも早く動く必要があったのかしら?」

「それはワタシも聞きたいデース。この鎮守府に着任してまだ2週間ネ。沖ノ島をリゲインするなんてハードワークなら、もっと物資が欲しいところネ」

「まあ、普通ならそうだが、そうはいかない理由がある」

 

そういって鷹津は一枚の書類を金剛、加賀に見せた。

 

「Oh……、これは……」

 

書類に記載されていたのは提督付護衛武官として近々着任する予定の士官の情報であった。

 

「表向きは鎮守府内の治安維持と兵站の管理を補助するって体だが、本当の目的は」

「監視、でしょうね」

「そのとーり。大本営のジジイ共はよっぽど俺に隠しておきたいことがあるんだろうよ」

「そう思われるならもう少し大人しくされては如何ですか?」

「能力の高い人間を煙たがる組織なんて歴史的に見ても碌なモンじゃねーよ」

「自分で言いますか」

「ケド、それならわかるネ。沖ノ島周辺に眠っているマテリアルはここで押さえないとノーネ」

 

兵站を抑えられるということは、艦隊の生殺与奪を大本営に握られるということだ。

その前に何としても、自力で資源集回収を行えるようにしなくてはならない。

 

「見てろぉ、あの狸ジジイ共め……。そう簡単に俺のキャンタマ握れると思うなよ」

 

そういって鷹津は不敵に笑った。その直後のことであった。

警報がけたたましく執務室に響いた。

 

3

 

羅針盤。

陰陽道における方違えをベースに風水、八卦、道教などありとあらゆるものをミックスして出来上がった闇鍋ごった煮術理である。妖精が管理する羅針盤の針は現状で最も幸運な方角を示す。数で圧倒的に劣っている人類及び艦娘はこの羅針盤の指し示す方向に従うことで被害を最小限に留めているといっても過言ではない。

そして羅針盤の進路に逆らった者は――

 

 

 

作戦の進捗は極めて順調だった。

敵・水雷戦隊は霞たちにとって全く問題にならない。当然だろう。

今まで霞たち元・鷺宮艦隊の艦娘達は彼の指揮の元、重巡洋艦や戦艦といった明らかに格上の敵主力部隊を相手に劣勢ながらも戦えていたのだ。

そして実戦経験は練度に直結する。

鷺宮艦隊の戦果が揮わなかったのは鷺宮自身に戦艦、重巡洋艦の艦娘を建造する力がなかったことに尽きるだろう。

当然だ、と霞は歯噛みした。

他の提督と同じ条件であれば、鷺宮が負けるはずがない。なかったのだ。

悪いのは鷺宮のことを理解せず、彼が潰れてしまうその時まで助けなかった者たち、そして助けられなかった者も同罪だ。

だが、誰もがそれを忘れてしまっている。確かに新提督が鷹津に変わったことで鎮守府の運営は飛躍的に改善したことは認める。兵站を気にせず出撃できるというのは前線に赴く艦娘としてはそれだけで有難いことだ。鷺宮艦隊時代からの古参、そして姉妹艦ですら鷹津を迎合している現状だ。鷺宮のことを忘れて、まるで最初からいなかったかのように……。

鷺宮のことを忘れられない霞からすれば今の鷹津艦隊は居心地がいいからこそ、居心地が悪い。

故に麾下の艦娘達が鷹津を褒め、認めるような発言をする度に、霞の心は荒波のように乱れた。

遂行中の作戦が鷹津の手のひらでコロコロと転がされている実感が不快感に拍車をかけていた。

 

偵察機を放ち周辺の警戒をしていた大淀の電探に通信が入った。

 

「敵艦隊発見。北西に500。戦艦3、駆逐艦1。いずれも損害甚大」

 

龍驤達軽空母部隊に追い立てられた生き残りだろう。これは好機だ。

駆逐艦・軽巡洋艦が戦艦1隻に対抗する為には最低でも1部隊分の戦力が必要とされる。

それだけ戦艦の戦力は圧倒的なのだ。砲撃の射程。他の追随を許さない破壊力。生半可な砲撃をものともしない堅牢な装甲。速力が遅いという難点こそあるものの、それを補って余りあるその戦力は空母と並ぶ海上戦の主役と謳われるに相応しい。

だが、弱っている今なら

大淀、初霜、曙、潮は霞の指示に従い各々艤装を展開。輪形を陣形陣から単縦陣へと移行した。

 

「右砲線、右40度」

 

視認した艦隊は大淀からの報告通りどれもボロボロで航行するのがやっとという状態だ。妖精の補助の元、主砲の照準を敵艦隊に合わせた。

 

「撃ち方、始め!」

 

号令と共に激しい砲声が海上に響いた。霞達第二水雷戦隊の存在に気付いていなかった敵・艦隊達は初撃で護衛の駆逐艦を沈められ恐慌状態に陥った。反射的に応射するものの統率のとれていない砲撃は第二水雷戦隊にかすりもしない。

 

「沈みなさい!」

 

霞の砲撃が反転しかけていた戦艦の動力部に命中した。煙を噴き上げ水底へ沈んでいく見方を横目に残りの二隻は遁走していった。

 

「追撃するわ。着いてきなさい!」

「待ちなさいよ!」

 

ボロボロになった敵艦隊を追おうとした霞を止めたのは曙だった。

 

「この先に進めば羅針盤の進路から外れることになるわ」

「こんな絶好の機会を黙って見逃すっていうの?」

「燃料弾薬を消耗している以上、深追いは避けるべきだと言ってるのよ」

 

羅針盤に視線を落として少し考えた。羅針盤の妖精は相変わらず鎮守府の方向に針を向けている。

確かに霞たち第二水雷戦隊は主任務であった通商破壊作戦を終えて帰投中である。しかし、消耗しているかといればそうでもない。隊の損害はないに等しいし、残りの燃料及び弾薬もまだ半分以上残っている。今回の様な帰投中の遭遇戦を警戒してのことであったが、その判断は正しかったと言える。

それ以上に水雷戦隊一部隊のリスクと引き換えに戦艦を2隻も沈められるのであれば――

 

「例え罠だったとしても、この好機を逃す手はないわ。着いてきたい子だけ私についてきなさい」

 

厳しい表情を崩さないまま霞は羅針盤を曙に押し付けるとすぐさま反転し、振り返ることなく最大船速で戦艦を追った。

 

「ど、どうするの曙ちゃん……」

 

不安そうにこちらを伺う潮の言葉を受けて曙は少し黙考した。

水雷戦隊の船速であればあの二隻に追いつくことは簡単だ。そして恐らく沈めることも。

懸念があるとすれば羅針盤の指す進路を外れること。

 

『羅針盤には逆らうな』というのは前提督である鷺宮が徹底した方針であり、現提督である鷹津も口にしていた言葉だ。

羅針盤は時に理不尽で不条理だ。本来正しい方角を示すはずの羅針盤が正しい道筋を示さなかった所為で無為に終わった出撃がどれほどあったことか。

 

こんなものがなければ、鷺宮(クソ提督)もあそこまで自分を追い詰めることはなかったでしょうね……。

 

「私は霞を追うわ」

「私も行きます。仲間を放っておけません」

「そうですね。」

「で、でも羅針盤は……」

「分かってる。でも放ってはおけないでしょ。潮と初霜は上空の警戒をお願い。大淀さん、偵察機を。索敵をしながら慎重に進みます。まずいと判断したらすぐに戻る。いいわね」

「う、うん」

「了解です。鷹津提督にも通信を送っておきます」

「お願いします」

 

3

 

我、戦艦ト交戦ス。敵方ノ損害大ナリ。旗艦『霞』追撃ノ為、第二水雷戦隊ヨリ離脱。追撃ス。駆逐艦『曙』率イル第二水雷戦隊ハ現時刻より駆逐艦『霞』ノ支援にアタル。

 

「馬鹿かッ!? すぐに戻るように伝えろッ」

「駄目です。通信途絶しています」

「カーッ!!」

 

鷹津は無造作に頭を掻きむしった。

一見、敗走後の撤退に見えるだろう。そして、敵の目的が敗走を装いながらの後退だったとしたら彼女たちの命が危ない。

当て水量がすぎるのかもしれない。だが、彼女たちは羅針盤を無視している以上、必ずその先にはとびきりの災厄が待ち受けている。だとすればこの当て水量はかなり実現性が高い。

 

「ええい、すぐに戦艦を中心とした救援部隊を編成! 第二水雷戦隊の支援に当たらせろ」

「ケド、カスミン達の向かったゾーンに到着するまで少し時間がかかるネ」

 

最後に大淀達から通信のあった座標からこの鎮守府までの距離は高速戦艦である金剛型のスピードを以てしても少々時間がかかりすぎる。そして比叡を旗艦とした榛名、霧島たち高速戦艦はこの沖ノ島海域を攻略する為に温存していた切り札だ。もし、この救援が間に合わなかったら、その切り札は敵の待ち伏せを受ける形となるだろう。そうなれば比叡達とはいえ決して無傷では済まない。合理的な判断をするならば、命令を無視した第二水雷戦隊は見捨てるべきだろう。

命令違反を犯した水雷戦隊一部隊か、切り札である戦艦達かを天秤にかける。

見捨てるべきか、助けるべきか。

 

「くそったれめッ!」

 

鷹津光一は迷わなかった。

 

 



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