いきなりですが、更識簪に転生しました。 (こよみ)
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第零章 気弱な妹はどうやらログアウトしたようです。
わたし簪、あなたを乗っ取ったの。


 やってみた。後悔は後でするものであって今するものじゃない。


 旧い日本家屋。と思いきや何故かマトリョーシカ。目が醒めて見たものは、その二つ。泣きも笑いもしない可愛いげのない娘は、死んだ魚のような目で周囲を見回した。

 そして一言。

 

「あなたのなまえはかんざしですっていわれても、しょうじきこまるんですよねー……はぁ」

 

 水色の髪に、血の色をした瞳。それを認識した時点でまず日本人ではない。もっとも、ここが現実だと言わんばかりに髪の色は水色に見えなくもない銀髪であることをその幼女はきちんと認識していた。

 それに加えて幼女は自分のフルネームを知っていた。確かに自分の名前を知らぬ人間はこの日本において珍しいが、そういう意味ではない。幼女は産まれる前からその名前を知っていたのだ。

 

 更識簪。幼女が生前流し読みしていたライトノベル『インフィニット・ストラトス』におけるヒロインの名。かんざ新党、もしくは簪党なる派閥が信仰する人物だ。

 

 正直に言って、幼女(現簪)にとってどうでも良いことだ。何故なら恋愛などする気もなく、既に『更識簪』に異物たる自身が成り代わっている以上、ライトノベルと同じ道筋を辿るとは限らない。

 だがしかし、そこに至らないために何かをするつもりもない。簪は簪で、『更識簪』は『更識簪』だ。全くの別人である。ならば、例えば織斑一夏に惚れるような状況に直面したところで本当に簪が惚れるとも思えない。

 何故なら簪は生前、ある種の社会不適合者だったからだ。女子として着飾ることにも興味はなく、自らの幸せを誰かと結ばれること以外でしか見つけられない。そもそも誰かと関わることすら好まず、目の前に敷かれたレールを踏み外さず。いつも誰かのために自己をぶち殺して生きてきた。故に簪は多くを望めなくなり、ついに自分を殺して全てを終わらせた。

 それだというのに、簪はこうして再び意識を保ててしまっている。こうして生きているだけで苦痛。だが、今更『更識簪』を巻き込んでの心中は出来ない。簪は他人を殺してまで死にたいなどという願望は持てないのだから。

 ぐるぐると回る思考を叩き潰しながら、簪は日々を過ごしていた。誰にも関わって欲しくない。だというのに、今世でも簪は姉に恵まれないようだ。

「か・ん・ざ・し・ちゃ~ん!」

 喜色満面の姉、刀奈が抱き付いてくる。鬱陶しいことこの上ない。どうやら構って欲しいようなのだが、簪にそれは通じなかった。前世で学んだのだ。鬱陶しいものは鬱陶しいと言わないと通じないのだと。

 故に簪は冷たく刀奈に呟いた。

「うるさいです暑いです苦しいですだから離れろこんちくしょーです」

「ああ簪ちゃん簪ちゃん簪ちゃぁぁん!」

「……人の話は聞いた方が良いです、姉」

 激しく頬擦りをする刀奈に簪はうんざりした顔をして、力では敵わないから放置する。それがルーティンになるのに、そう時間はかからなかった。

 そんなことよりも考えなくてはならないのは、この先のことだ。途中から読み飛ばしていたおかげで『更識簪』のスペックをそこまで把握できていないのは痛い。取り敢えず一番の問題はやはり『打鉄弐式』だろうか。未だインフィニット・ストラトスが発表すらされていない状況で考えることでもないような気もするが、いずれ天災兎に対抗せざるを得ないような状況に陥るのだろうから力はある方が良い。

 

 もっとも、そう考えている時点で原作に囚われているのだが。簪はその事には気づいていなかった。

 

 これは無限の成層圏へ至る物語ではない。元社会不適合者が、自身を変えたくて変えられなくて、結局結論を覆すことが出来るのか(死を選ばずにいられるのか)どうか、というある意味激しくスケールが小さい残念な物語である。




 更識簪(憑依転生)

 原作よりも髪は長く伸ばし、前髪も後ろと同じ長さ。前髪を胸の下辺りまで垂らし、後ろの髪は首筋あたりで団子にして朱塗りの髪挿し(本来ならば簪だが、名前表記とややこしいので元の語源である『髪挿し』と表記する)を挿している。基本的に死んだ魚のような目をしている。原作とは違い、暗いところで本を読んだり端末を触ることが多いので普通に近眼の眼鏡を掛けている。
 改造制服も原作とは違う。姫袖と呼ばれる、腕から掌の方へ行くにつれて広がっている上着を着用。袖に護身用の髪挿し(ネタではなく、実用的にギリギリ暗器)を数本ずつ仕込んでいる。スカートも膝下ぐらいまでの長さで、そこにも暗器を仕込んでいる模様。フリルがあるわけではないが、プリーツ状になっている。


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姉とわたしは別人。だから別の道を歩む。

 つ づ い た。


 突然だが、更識家には二人の次期当主候補がいる。一人は言わずと知れた更識刀奈。そして、もう一人は更識簪である。無論、妹の方がこういうのは不利なものだ。体格や知識に劣り、姉を完全に超えなければ評価の対象にすらならないのだから。

 故に周囲からの評価はこういうものになるのが当然である。

「……言っちゃ悪いけど、簪様はねぇ……」

「刀奈様の劣化コピーでしかないわよねー。あの程度で更識だなんて恥ずかしくないのかしら」

 それを聞こえるところで言うあたり、やはり女は陰険だ。そう思いながら簪は心の中で毒づいた。

(うるさい人達ですね。どんなことをやったってわたしが姉のスペックに届かないのなんて当然でしょう。皆が、わたしの知らないことをわたしが知ってるっていう前提でわたしに教えてくるんですから。理解が追い付くのに時間がかかるのは当然ですし、出来るようになった時点では既に次のこととの比較以外目に入れないだけでしょうが)

 更識に仕えるメイド達ですらそういう評価。既に簪は悟っていた。たとえ前世があろうが、知識の方向性が違いすぎて使いようがないのなら、知識などないに等しいのだと。それは歪んだ劣等感。超えよう、と思う前に諦めなくては簪は生きていけなかった。

 そもそも、前世でも簪は姉にコンプレックスがあった。姉がいたから進路を、人生を、在り方を一つに定められた。無論良い意味などではなく、それも簪が社会不適合者になった一因でもある。今世でも姉が人生の先を歩んでいることは苦痛でしかない。

 それに加えて。

「簪ちゃぁぁん!」

(また来たんですかこのクソ……いえ、ウザ姉)

 簪はうんざりした顔で刀奈を出迎えた。刀奈は簪に抱き付き、がくがくと簪の全身をシェイクしながらスキンシップを楽しんでいる。簪にとっては全力で暑苦しい上に鬱陶しい。出来れば硯の中の墨汁ごと顔面に叩きつけてやりたいほど鬱陶しいのである。

 簪は棒読みで刀奈に囁いた。

「うるさいです姉。今は日本舞踊の時間じゃなかったんですか?」

「あんなの、簡単すぎてすぐ終わらせたわよ! そんなことより簪ちゃん簪ちゃん簪ちゃぁぁん!」

(……うぜぇ)

 これである。鬱陶しいことこの上ない。日本舞踊をすぐに終わらせられるとかどういう意味だと考えてはならないのだろう。間違いなくアレはゆったりとした動きが特徴のはずなのに、開始10分で終了とか意味が分からない。

(頬擦りをやめてください。磨り減るんですよ、精神が)

 姉に好かれているというのは実に複雑だ。刀奈がいるから簪は自由に生きられず、高いハードルを設定され続けて精神的に死にかけている。だというのに当の刀奈に好かれているというのは苦痛でしかない。いっそ疎んじてくれたら良いものを、と簪は思っている。

 思う存分簪成分(謎)を摂取したらしい刀奈は、次の習い事に向けて旅立っていった。そこに取り残される簪と、実は目の前にいた家庭教師。

 実に複雑そうな顔で、家庭教師は簪に声をかけた。

「……簪様、その……」

「あと40秒で終わらせるので待ってください」

 簪は習字の時間だったのだが、刀奈の襲撃で7割ほどが無駄になっていた。刀奈も習字が会心の出来のものを提出するだけの授業であると知っているので、簪の邪魔をしても問題ないだろうと判断したのだろう。

(普通に40秒で四文字書くとか鬼畜すぎますけどね)

 簪は皮肉のようにお題である『四面楚歌』を書き上げると、更識家専属の家庭教師に提出してその場を後にした。次は武術の時間だ。

 更識家にとって武術とは、更識流薙刀術もしくはカティア流槍術、更識流暗殺術を学ぶ時間である。簪の専攻は薙刀術と暗殺術だ。因みに刀奈は槍術と暗殺術である。薙刀術と槍術は、単に得物の形による扱いやすさの違いはあるが、どちらも難易度は似たようなものだ。簪が刀奈と違うものを選んだのは意地でしかない。

 簪が選んだ薙刀術は言わずもがな更識家内で代々受け継がれてきたもの。刀奈が選んだ槍術は二人の祖母カティアがロシアから持ち込んだものだ。余談ではあるが、二人の髪の色もカティアから受け継いだ隔世遺伝である。

 ただ、話を戻すが、たとえ簪が薙刀術を学んだとしても、やはり誰かを超えられないのは確かな事実だ。それがたとえ付き人の少女であったのだとしても、簪はそれを超えられない。

 戸惑うように声を漏らす少女。

「か、かんちゃん……」

「誰がかんちゃん呼びを赦したんです? 布仏本音。それともあまりに無様だから笑ってやろうとでも?」

 付き人たる本音にすら当たってしまいたくなるほど、簪の能力は劣っていた。本音にすら負けてしまうのだ。これでは『楯無』にはなれない。それは超えたいと願うことを諦めているようで、心底ではまだ諦めきれていない証左だ。

 簪が敢えて冷たく突き放し、本音は奥歯を噛み締めて呟いた。

「そうじゃなくて……私は……私は、かんちゃんの付き人だから……」

「わたしの付き人なんてそのうち廃止されます。だから今のうちにきちんと姉の、次期当主の役に立てるだけの力をつけておけば良いんですよ。わたしなんて踏み台にして上に行きなさい」

「……かんちゃん……」

 簪は途方に暮れたような本音を冷たく一瞥し、時計を確認して薙刀をしまった。もう武術の時間は終わりだ。早くシャワーを浴びて、現実逃避しなければ。そうしないと簪は普通に生きることすら困難だった。

 シャワーを浴び、自室に戻った簪はぬいぐるみを抱き締めながらごろごろと布団の上を転がる。何もしていないように見えて、実は脳内妄想中という残念な状態だ。前世で読んだライトノベルやゲームなどに自分の身代わりを放り込み、ひたすら痛い目に遭わせながら未来を変えるという残念仕様。それでも簪はそれをやめられなかった。そうすれば、自分は不幸ではないと思えた。身代わりよりは幸せだと。

 そうやって過ごすうちに、その日はやって来る。ある意味では運命の日。その記念すべき一回目の運命は、やはり刀奈に微笑んだ。女性にしか乗れない兵器。たった一機でミサイルを二千発以上無力化したもの。

「これがIS……」

「……インフィニット・ストラトス、ですか……」

 更識家に優先的に試乗の権利が与えられ、無論二人の当主候補が真っ先に搭乗する。刀奈と簪、どちらも高い適性を叩き出した。それでも勿論刀奈の方が高い。そのまま軽く模擬戦をしても、刀奈が勝つ。簪が乗らずに本音や本音の姉虚が乗っても簪より適性は高かった。何をしても勝てない。

 遥か遠くに臨むもの。自分よりも遥かに優れた人達。簪にとって、それは羨むものですらない。絶対に届かないことなど既に分かっているのだから、見る価値もないものだ。もっとも、見る価値がなくとも憎悪は膨らむのだが。

 ISが世間に広まり、女尊男卑の思想が広まるにつれて簪はさらに追い詰められた。IS適性が新たに人品を測る指標として広まったからだ。そうなれば当然、簪の道は全てが限られる。

 決定的だったのが、簪本人の誘拐だ。一人で何も解決できず、逃げ出すことすらままならない。抵抗も何も出来たものではなかった。簪は普通ではなかったかも知れなかったが、元々一般人だったのだから。

 刀奈に救われ、当主楯無が二度と戦線復帰出来なくなったのを期に更識家次期当主が決定された。言わずもがな刀奈だ。刀奈は更識楯無の名を継ぎ、人前でも家の中でもそう名乗るようになって。

 

「簪ちゃん、いえ、簪。貴女は何もしなくて良いの。私が全部全部してあげる。だから貴女は、無能のままでいなさいな」

 

 刀奈は、楯無は簪に呪いの言葉を吐いた。前世の記憶があるから分かる。これは簪を暗部に関わらせないようにする言葉だと。だが、暗部の家に産まれた娘にそれ以外の生き方が出来るわけがない。前世の記憶がある自分には経験のある別の生き方は出来るかも知れないが、周囲がそれを許すわけがない。

 簪に赦された道はやはり一つしかない。『更識』に望まれた対暗部用暗部としての生き方と、『刀奈』に望まれた無能な生き方。それら全てを総合して考えた結果、簪に出来ることは。

 打診する先は日本の暗部。その全てをまとめる当主だ。簪の提案に、その当主は眉をひそめた。

「本当に、それで良いのかね?」

「はい。当主がロシア代表の座をもぎ取った以上、日本の機密を当主にやすやすと渡すわけにもいかなくなったでしょうから。間に入って情報を取捨選択する者が必要かと」

 淡々とそう言う簪に、暗部の当主は考えなしの小娘でないことは理解した。利点もある。楯無がロシアに懐柔された場合、流して良い情報を見極める人物は楯無に近ければ近いほど良い。もっとも、まさか当主の実妹が釣れるとは思わなかったが。

 しかし暗部の当主はそれをおくびにも出さず険しい顔で簪に忠告する。

「それは建前に過ぎん。更識君、君が日本代表候補生となるということは、ロシアに近付きすぎた更識家に対する人質となる」

 その言葉も勿論簪は理解していた。むしろ募りすぎた姉への憎悪を、実際にはやらないことで解消したいだけだ。いつでも出来ると思っていればまだ救われる気がして。

 故に暗部の当主の言葉にも簪は揺るがなかった。

「それも勿論理解しています。いざというときには捨て駒、人質にしてくださって結構。実力的には残念ながら当主には敵いませんが、その専用機となった『ミステリアス・レイディ』の整備の場に怪しまれず潜り込めるというのは利点かと」

 そのあまりの当主に対する冷たさに暗部の当主は戦慄した。職業柄、他人の嘘は分かる。落ちこぼれの更識の小娘程度ならば、彼の目を誤魔化せるほどの嘘がつけるわけがない。故に彼女の言葉は本気で。否が応でも彼女の異質さが浮き彫りになる。

 姉を捨て、自分を捨て、家を捨てたがっている。それが叶うかどうかは別の話であるし、それを暗部の当主が叶えてやるわけにもいかない。それでもいつかはやり遂げるだろう。自分と周囲を犠牲にして。そう思えた。

 

 そして、更識簪は日本代表候補生となった。




 姉を筆頭に全方向に容赦のない簪。それでも刀奈は簪を溺愛している。
 暗部の当主の名を出さないのは仕様。今後も出てくる予定が出来れば名前がつく可能性あり。


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悪夢なんてどうでも良い。生きることこそが悪夢。

 まさか二話目にして評価がつくとは思ってませんでした。まさかの高評価にこよみは白目を剥いています。ありがとうございます。

 嬉しいので月に二回投稿に変更です。

 あと何って、ISって凄いなって。別名で短編オリジナル書いたことありますけど、こっちは一話でそれの全UA超えましたもん。お気に入りも。
 皆様本当にありがとうございます。
 あと、原作に入りたい。


 暗い部屋。白い壁。真っ黒な髪の少女。白衣を着て笑う研究者たち。その手には注射器を。養豚場の豚を見るかのごとき、冷たい瞳。爛々と輝くその瞳だけが笑っていない。

『さあ、更識の落ちこぼれ。君にプレゼントをあげよう』

『ナノマシンが良い? 改造が良い? それとも?』

 近付く研究者たち。逃げられないのはわかっている。何故ならその手には。その足には。その首には鎖がつけられているから。

 だから叫ぶことしか出来ない。

(何も要らない! 要らないから! わたしとその子に触らないで!)

 

『面白いことを言うね。触らないと目的を果たせないじゃないか』

 

「ひぃあ!?」

 それは悪夢だった。眼前にアップで映し出されたその顔面は、簪が憎むものだ。寝汗でぐっしょり濡れた肌着が気持ち悪い。簪の意思とは全く関わりなく喉が鳴る。そのあとに起きることを理解していた簪はトイレへと走った。

 トイレで吐いた後、口をすすいでシャワーを浴びる。それで悪夢の痕跡を消し去った簪は、いつまで経っても慣れない個室のベッドに倒れ込んだ。簪が今いる場所は、日本代表候補生達の寮だ。慣れない場所で眠るとこうなる。それでも自宅の自室で眠るよりは楽に眠れると判断するあたり、かなり精神的に追い込まれていると言っても良いだろう。

(はやく、なれないと……みがもちません)

 動揺しながら心中で呟いた簪は、軽く目を閉じて開いた。そこにはもう動揺の欠片も残していない。全てを自らの内に封じ込めて、立つ。それだけでいつも通りの更識簪が現れる。

 と、そこで扉が叩かれた。

「起きています」

 簪が返事をすると、扉の向こうの気配が変わった。簪が反応するまでもなく本音だ。彼女もまた日本代表候補生となり、簪についてきたのである。簪からしてみれば、本音の行動は全く以て意味不明であり、理解不能である。もっとも、本音からしてみれば簪が心配で当主に直訴してまでここに来たのだが、簪がそれを知ることはない。

 おずおずと本音は話し始めた。

『お、おはよう、かんちゃん……あの、あのね』

「今日も当主からの帰れコールでしょう? どうでも良いので無視しなさい。ついでに本音も帰りなさい」

 簪は本音の言葉をバッサリと切って捨て、ISスーツの上にワンピースを被って部屋から出た。無論、そこには本音が立っている。なぜか涙目だが、簪にとっては預かり知らぬことだ。

(なぜ本音が泣くんです? そんな必要なんてないのに)

 そこから簪は訓練所に向かって訓練を始めた。本音も遅れてきて訓練を始める。遅れてやってきたのに本音の方が終わるのが早いのはやはり当然のことだ。簪の要領はうんざりするぐらい悪い。

 そんな簪に聞こえよがしに呟かれる言葉。

「やっぱり落ちこぼれね」

「付き添いで来てるその子に専用機を渡した方が良いんじゃない?」

 クスクスと笑う二人組は、しかし専用機を持っているわけではない。持っていないからこそ陰口を叩くというわけではないが、彼女らも確かに実力者だ。もっとも、彼女らはどちらかというと現日本代表の専用機を十全に使いこなせるように調整されたスペアなのだが。

 そもそも日本代表候補生全5人に対して振り分けられる専用ISコア2機分は、簪ともう1人に振り分けられている。無論もう1人は本音ではない。更識の従者よりももっと重要視されるべき人物がいるからだ。

 それを語るにはまず、日本のIS競技スポーツ界における代表者がほぼいないことを挙げなくてはならない。元日本代表にして初代ブリュンヒルデ織斑千冬は既に引退し、IS学園の教師となっている。現日本代表は華がない。日本代表候補生が使えるISのうち、1機については簪が日本の暗部との協定により、持っている必要がある。逆に本音は更識に情報を流さないために専用機を持てない。

 以上のことを鑑みて、残された日本代表候補生のうち、一番華のある人物が次期日本代表であり専用機を持っているのである。その人物から、簪は蛇蝎のごとく嫌われていた。どこからどう見てもコネで専用機を手に入れたように見えるからだ。

 嘲笑を浮かべて次期日本代表は簪に突っかかる。

「あら、更識の落ちこぼれ。まだ機体は完成してないのかしら?」

「ガワだけは揃えました。武装を組み直しますから邪魔をしないでくださいね、次期日本代表」

 故に簪がとる方法はというと、未だ完成しない自らのIS『(仮称)打鉄弐式』の整備に取りかかるという消極的なもの。無論整備中に話し掛けるなどというのはタブーであり、それを弁えている次期日本代表は滅多に話しかけてこない。

(スラスター良し、PIC良し、あとは……武装だけ、ですね)

 簪は目視で情報を確認しながら機体を組み上げていく。ただ、原作と違うと思われるのは、簪が必要としたパーツを倉持技研以外からも買い求めたことだ。コアは倉持技研のものだが、そもそも簪が執拗にチェックを入れていたところ、最初からほとんど放置されていたため、簪は倉持技研に『(仮称)打鉄弐式』の武装の完成とその技術提供をすることを条件に、コアを完全に貰い受けた。

 そもそも上手くいくはずのないこの交渉は、日本の暗部連中から後ろ楯を得たために成功した。『更識簪には専用機が必要であり、かつその情報は日本政府にすら公開してはならない』と、倉持技研に対して脅しをかけたのだ。その結果簪はロマン兵器作り放題の愉快な状況に陥っている。

 勿論、ISの好みもあるため、全てを実用化出来るわけがない。特に『(仮称)打鉄弐式』、簪は今『グレイ』と呼んでいる機体は好みが激しいのだ。だが、簪は前世と今世での漫画に出てくるマイナーな兵器をいくつか開発することに成功していた。たとえは敢えて挙げないが、最早原作通りの『打鉄弐式』でないことだけは確かだ。

(……というか、本音にすら負ける薙刀を使う意味がわかりませんしね)

 心の中で自嘲した簪は、数日をかけて取捨選択した武装を一つ『(仮称)打鉄弐式』に最適化した。それは誰がどう見ても武装には見えず、ただの飾りにしか見えない代物。正八面体の青い結晶体である。それが12個。略称は『D3』。正式名称は『Dimension Distorting Device』。ライトノベル『ウィザーズ・ブレイン』にて《光使い》の少女『セレスティ・E・クライン』が使用していた武装である。

 ライトノベル『ウィザーズ・ブレイン』中の『D3』には三つの機能が備え付けられている。一つ目は空間をねじ曲げて攻撃を届かなくする『Shield』という機能。二つ目は『Lance』という空間をねじ曲げて荷電粒子砲を放つ機能。そして三つ目は空間をねじ曲げることによって重力を操る機能を持つ。端的に説明するならば『空間をねじ曲げて何かを起こす』ためのものだ。

 端から見れば綺麗な宝石レベルの代物だが、簪はこれをISの補助を借りて空間を歪めるもしくは閉鎖空間を作り出して荷電粒子砲を撃ち出せる凶悪なものに仕上げた、ことになっている。もっとも、簪の作成した『D3』は『ウィザーズ・ブレイン』作中の『D3』とは見た目と概要が同じだけで理論は全くの別物である。表面に論理回路などというものを刻めるものか。その正体はISの機能を存分に利用した、目標に狙いをつけるための座標を測るための飾りにすぎない。

(これ、バレたら完全にIS委員会からいちゃもんつけられますよね……ま、『グレイ』が受け入れてくれたら使うんですけど)

 そもそも、前提条件としてISコアは空間を歪められる。そうでなければ格納領域はどうなっているんだという話だ。空間を歪めて四次元ポケット的なものを作っていない限り、ISという機体そのものが成立しないのである。

 原作で『量子化されている』とはいうが、そもそも量子化したものをどこに纏めて保存しているかと問われると困るだろう。そもそも機体の全てを量子化したとして、ナノよりも小さいサイズの物質(量子)になっているはずなのに目に見える実体として待機形態が出来るわけがないのである。

 要するにISの待機形態とは、国民的青い猫型ロボットの使う四次元ポケットが身に付けられるアクセサリー状にデフォルメされたものだと思えば良い。それから脳波のコマンドや音声認識によって待機形態から機体を取り出しているのだ。

 ISコアのもつ空間を歪められるという特性を利用して、簪は武装なしでも荷電粒子砲を撃てるように改造した。結晶体はそれのカモフラージュに過ぎず、また『D3』という名称もまた武装であるというカモフラージュに過ぎない。要するに悪く言えばただの飾りだ。

 なお、結晶体から発射されるという見た目的にはレーザーに見えなくもないので『ブルー・ティアーズ』の《ブルー・ティアーズ》とも似ていなくもない。なおあちらは曲がらなくもないが、こちらは決して曲がらない。こちらはレーザーではなく荷電粒子砲だからだ。そんなものが曲がるわけがない。

(セシリア・オルコットに絡まれても知らぬ存ぜぬで通しましょう。面倒ですし)

 武装を開発しておきながら何だか、簪は面倒なことを避けたい傾向にある。この武装のノウハウに関しては誰にも情報公開しなくとも良い。無論、倉持技研にも更識にもだ。これで遠距離武装は完成といって良いだろう。後はそもそも存在する実弾射撃用の銃と近接武器か。

 銃については『打鉄』の《焔備》を改造すれば良いし、近接武器についても同様だ。ただ、懸念されるのはそれを振るえるかどうかだ。剣だろうが槍だろうが薙刀だろうが荷電粒子砲だろうが、他人を傷つけられる兵器であることに変わりはないのだから。

 これは簪の精神的な問題だ。誰かを傷つけることへの耐性がないのに、兵器に関わらざるを得ない状況。他人から傷つけられるのは容易なのに、自分が傷つけ返すのには耐えられない。絶対防御が必ず効いている状況でなければ、簪は攻撃すらできないだろう。

 既に簪は間違いを犯してしまっている。その愚を繰り返すわけにはいかないのだ。後悔はしていないが、人殺しには変わりないのだから。愚かなことだと、今ならば分かる。要は文句のつけられない程叩きのめせばよかっただけのことなのだから。そう出来るだけの実力が簪には足りなかっただけのことだ。

 

 その躊躇いが、簪の戦闘に多大な影響を与えた。

 

 簪は殺しの可能性があるだけで武器を振るえなくなったのだ。それはISが完成しても同じで。模擬戦をする度にそれは他人にも徐々に露見していった。絶対防御を抜けてしまう攻撃に躊躇いしか見られないことは、暗部に連なる人間として致命的であることを意味する。

 そして、更識簪は世界でも珍しい『専用機を持ちながらそれを使った戦い方を完成させられていない代表候補生』となったのであった。




 既に原作からは解離している上に原作キャラと面識を作ってみた。しばらくは生かされない伏線。
 本音の口調は作られているという設定。怒らせたときに本質が見えるので、口調から喧嘩を売りに行く方向になった。


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第一章 原作開始ですがこれは最早原作とは呼べませんね。
全てが原作通り? 否、増えるハーレム要員。


 評価が上がっている……だと……
 嬉しいけどこよみは怖くて仕方ないです。良いんですか? 自分で言いますけどこの簪はかなりのクズですよ?

 名前だけのアーキタイプ・ブレイカーキャラと実際に一人登場。


 IS学園に入学する前から、簪は微々たる自身の権限を使ってある人物たちを探していた。それは公式外伝『アーキタイプ・ブレイカー』にしか出てこないキャラクター達。彼女らがいるかどうかで恐らくクラス分け等が変わるのだろうと思っていた簪は、その痕跡が一切ないことに安堵していた。

 無論、未だ『男性操縦者』が現れていないからであることに簪は気づいていない。彼こそが物語のキーでありスターターなのだから、彼が表舞台に出てきていない限りはそれに関連する人物達が出てくるはずがない。もっとも、最終的に『絶対天敵(イマージュ・オリジス)』とやらが出てきても困るのだが。

 少なくとも簪が最初にクラッキングして得た情報の中には、原作キャラは殆どいなかったのだ。どうあがいてもこれから増えると分かっているのに、簪はそこに名前だけ知っている人間がいないことに安堵してしまっていた。

 故に。

「……いるんじゃないですかやだーっ」

 クラス分けを見たとき、そこにヴィシュヌ・イサ・ギャラクシー、ロランツィーネ・ローランディフィルネィの名があったことに思わず頭を抱えた。二人が三組に固まっているので、日常生活で関わることは無さそうだったが、織斑一夏の周りで暴力ラブコメが繰り広げられるのはもう言うまでもないのだろう。実に憂鬱である。

 なお、簪は一夏を映像で見たところ遠い目をするしかなかった。整いすぎた顔面はたまに嫌悪をも引き起こすのである。変に整いすぎていて気持ち悪かったので、近付こうなどとは最初から考えにも入れていなかった。

(近付かないのが吉ですね。織斑を探るのは本音がやっていますし)

 他の面子はいなかったが、三年に数人編入生がいたようなのでそこも恐らくそうなのだろう。関わらなければ良い話なのだが、残念ながらそうするという権利は恐らく簪にはない。専用機持ちであるということは、そういう行事には駆り出されるということなのだから。特に簪の所属する四組には他に専用機持ちがいないというのがミソだろう。つまり逃げられない。

 簪は、その日のうちに四組代表となった。誰も立候補者がいなかったからだ。そもそも四組には整備科志望の生徒が多いため、誰も操縦には興味がなかっただけなのだが。簪も出来ることなら整備だけをしていたかった。それが許される立場であるかどうかは別にして。

(誰も彼も整備のことしか聞きに来ないってそれはそれで色々とダメだと思うんですけどねぇ)

 そして簪は一ヶ月ほどを四組代表として過ごした。といっても操縦者になりたい人材は限りなく少なかったため、少数育成コースで誰もついてこられなくなるまでやってしまったので顰蹙しか買わなかったのだが。最終的に簪に教わりたい希望者がいなくなったことだけは確かだ。

 そんなときに飛び込んできたニュースがこれである。

 

「初めまして、凰乱音です! 飛び級ではありますが、本日転入してきました。台湾代表候補生で、専用機持ちです。よろしくお願いします!」

 

(な、何ですってぇぇぇ!?)

 簪は彼女の登場によって轟沈した。さらば平穏な日々、こんにちは波乱の毎日。是非とも巻き込んでくれなさんな。そう考えつつも挨拶の次に発した言葉に硬直するしかなくなる。

 乱音はクラスメイトたちに対してこう断言したのである。

「アタシ、凰乱音は、四組代表さんに挑戦状を叩きつけます!」

「……ふあっ!?」

 思わず奇声をあげてしまった簪は、そのせいで自身が四組代表であることを露見してしまっていた。全員の視線が突き刺さっていたから露見したともいう。無論乱音もそれは理解していて、簪に詰め寄る。

 そして良い笑顔でこう問うてきた。

「良いわよね?」

「……ぇ、ぁぅ」

「良・い・わ・よ・ねぇ?」

 下から覗き込むように見上げてくる形の彼女はとんでもなく恐ろしい。恋する乙女、というよりも何かを信奉している人間は本当に恐ろしい。盲目さは、時に凶悪な武器になるからにして。何かに夢中になって戦う人間は恐ろしいのだ。下手をすれば死すら恐れぬ兵士が出来上がる。

 覗き込んでくる乱音に対し、簪は内心で戦慄していた。

(近い近い! どんな変態改造制服なんですか! 脇の下見えてますよこのド変態が! いやそうじゃなくて、近すぎます怖いですぅぅぅ!?)

 突っ込みどころは確実にそこではないのだが、敢えて簪はそう評することで平静に戻ろうとした。無論全くもって意味がなかったのだが、努力することが重要なのだ。たとえ結果が伴わなくとも。

 乱音の笑顔の威圧に、簪は耐えきれず首を縦に振って彼女の提案を呑むことを伝えた。むしろそれ以外に選択肢はなかったのである。あったとしても乱音がそれを奪い取ったのだろうが。

 そしてその結果がこれだ。

 

「ら、乱!? 你为什么来这里(何でアンタがここにいるのよ)!?」

 

 訪れた先で原作のキャラクターと出会い。中国代表候補生凰鈴音とイギリス代表候補生セシリア・オルコット、篠ノ之箒、そして織斑一夏だ。そういえばそんなイベントもあったな、程度に考えていた簪は出来るだけ彼女らから離れる。関わりたくないからだ。恋路を邪魔して馬に蹴られたくない。織斑には関わりたくもない簪としては、同じ空間にいることすら嫌だ。

 混乱しているらしい鈴音に乱音が冷たく返した。

對我妹妹來說沒關係(おねえちゃんには関係ないもん)。ほら、四組代表さん、模擬戦やるわよ!」

倾听人们的故事(人の話を聞きなさいよ)!」

 鈴音は怒るが、流石に模擬戦を邪魔するわけにもいかないのだろう。流れ弾に当たっては危険であるため、今一度皆のISの搭乗を確認した。ぐるりと見回して、一応全員が搭乗していることを確認してから鈴音は乱音達に向き直る。

(折角の情報収集の機会を逃したくはないわね。乱の実力も、四組代表っぽい彼女の実力もね)

 そう思いつつ、鈴音はため息をついて一夏に声を掛けた。

「……訓練してる場合じゃなくなりそうよ、一夏」

「な、何でだよ?」

「アンタねぇ……まあ良いわ、見てなさい。多分どっちかが四組代表だから」

 そう言う鈴音の視線の先では、既に二人が剣を合わせていた。『甲龍』からの情報によると乱音の武装は『甲龍・紫煙(スィーエ)』の大型マチェット《角弐》、名も知らぬ暫定四組代表()の武装は『打鉄灰式』の双剣《森羅》。どちらも実力は拮抗しているようである。

 しかし、鈴音はそれを冷静に見ているどころの話ではなかった。『甲龍』からの情報が信じられなかったのだ。二度、三度確認して文字列に間違いがないと理解してしまうと、今度はその情報の重大さに顔をひきつらせる。

 鈴音は乱音が搭乗しているISの名称に驚愕したので、声を漏らした。

「『甲龍・紫煙』ですって……?」

 そのあまりにも衝撃を受けたような言葉に、セシリアは情報をむしりとろうと問う。

「知ってますの、凰さん?」

「……言えない。でも、まさかアレに乗ってるのが乱だなんて……」

 セシリアの問いに鈴音は呆然と答えた。そもそも『甲龍』は台湾と中国が共同開発したことになっている。しかしその実態は、衝撃砲のノウハウを確立させた台湾から技術を奪い取り、その代わり未完成の機体の情報を渡したという不平等な取引の結果だ。決して対等な関係の上に生まれたものではない。

 そこで一夏が口を挟んだ。

「俺にはよく分からないんだけど、鈴。あの乱音って奴、従姉妹か何かか?」

「その通りよ。母方の従妹なの。ただ……飛び級でもしてこない限りここには来れるはずがないのよ。アタシの一個下だし」

「そ、そうなのか……」

 一夏は鈴音の険しい顔を見てそれ以上言葉を発するのをやめ、戦闘に目を移した。今度は二人して距離を取り、乱音が衝撃砲《龍砲・単式》を、簪がアサルトライフル《焔備・改》を構えて撃ち合っている。それを見て鈴音は内心で頭を抱えた。

(ちょっ、折角のアタシの奥の手! 乱の奴、勝手に明かすなんて……!)

 鈴音の内心の葛藤も知らず、乱音は簪と撃ち合いを続けて、唐突に銃撃戦を止めた。簪の方も同じだ。どちらも譲らぬ攻防を繰り広げていたように見えただけに、皆が訝しげに見ている。

 しばらく観察していると、簪がオープン・チャネルで乱音に話し掛けた。

『これ以上は不毛ですね。目的はそちらの方々なのでしょうし、わたしにはそれに固執する意味はありません。ですからどうぞ』

『……そう。ありがと。今度デザートでも作ったげるわ』

 ISに搭乗している面々から見れば、乱音は顔を赤らめているようだった。その理由は分からないが、恐らくは『どうぞ』と言われたことに対する照れだろう。もしくはあまりにあっさりと結果が出たので多少怒りを覚えているのか。

 しかし、それに対して簪は引いた顔でこう答えた。

『それは暗に太れと……?』

 その言葉に一同は顔をひきつらせた。何故そういう発想になるのか、頭をカチ割って見てみたいくらい意味が分からない。普通この場合はお礼としてデザートが差し出されると思われる。

 当然乱音も意味が分からなかったので、苛つきながら突っ込んだ。

『そんなわけないでしょ!? ふ、普通に善意ぐらい受け取りなさいよ!』

『えっと……ありがとうございます?』

『何で疑問系なのよ!? 我真的不明白這個意思(本当に意味分かんない)……』

 何だこのコントは。一同はそう思いつつBピットから出ていく二人を見送るのだった。そのまま訓練を続ける一夏達であったが、世界の流れには逆らえない。デリカシーを異常なまでに欠いた一夏の発言によって鈴音と一夏が決闘することになるのも当然だった。

 そして次の日、四組代表が凰乱音に変更になったことが噂として流れたのだった。それと同時に簪に対する誹謗中傷も。ありとあらゆる罵詈雑言が日本人生徒から浴びせられる日々。そこには台湾への対抗意識もあるのだろうが、一人の人間に対して背負わせて良いものでもない。

 そして最終的に簪は日本代表候補生の面汚し、と呼ばれるようになった。




 凰乱音→基本的に鈴音と口調は同じ。明るく快活。鈴音に憧れる一途さん。勿論一夏にも惹かれるが、優先順位的にはまだまだ鈴音が一番。好感度が一夏>鈴音となって色々振り切れるのは秋以降。簪と親友になれる唯一の生徒。

 みたいな感じのキャラと相成りました。

 なお、細かいことですが鈴音が話す中国語は簡字体、乱音が話す中国語は繁字体です。台湾では繁字体の方を使うそうで。どちらもぐーぐる先生に頼りました。


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クラス対抗戦の準備。犬も食わない痴情の縺れ。

 動揺した。思わず声でた。高評価ありがとうございます(焼き土下座)。
 ちなみに低評価もありがとうございます。ただ、ひとつ言わせてもらうと、簪はただの『簪』ではなく、『更識簪』なのです。常に彼女の評価には『楯無(刀奈)の妹』というレッテルが貼られています。故に普通であれば称賛されるだろうことも貶される対象となります。常に姉の影が簪の評価を下げるわけですね。簪を守ろうと『完璧な姉』を演じた刀奈の副作用とも言えるでしょう。
 たとえ簪が『楯無(刀奈)の妹なら出来て当然』なことを出来たからといって、果たして良い評価する人間がいるでしょうか? 全てのレッテルをひっぺがして物事を評価してくれる人などいるでしょうか?
 そんな人間は滅多にいません。いるわけないんです。そんな奇特な人間がたくさんいるのなら、もっと救われる人間はいるはずですから。
 というわけで周囲からの簪へのアンチは続きます。恐らくどこまでも。救済措置的な意味で理解者は増えるんですけどね。
 まあ、無理そうならブラウザバックを推奨します。

 追記:簪は自分がどう評価されようが受け止めません。自身にふさわしい評価は『評価される価値もない』ことです。

 今回の原作との変更点→アーキタイプ・ブレイカーキャラ登場による組代表の差異。


 電光掲示板に表示される試合内容。それを見て、簪は遠い目をした。これに参加しなくてよかったと半ば本気で思ったのだ。三組じゃなくてよかったとまで思った。あまりに三組代表が可哀想な組み合わせだったのだ。

 その驚愕の内容とは。

 

*

 

 初日

 第一戦

 一組代表 男性操縦者 織斑一夏

       V.S.

 二組代表 中国代表候補生 凰鈴音

 

 第二戦

 三組代表 オランダ代表候補生 ロランツィーネ・ローランディフィルネィ

       V.S.

 四組代表 台湾代表候補生 凰乱音

 

 昼食休憩

 

 第三戦

 一組代表 織斑一夏

       V.S.

 三組代表 ロランツィーネ・ローランディフィルネィ

 

 第四戦

 二組代表 凰鈴音

       V.S.

 四組代表 凰乱音

 

 二日目

 第一戦

 一組代表 織斑一夏

       V.S.

 四組代表 凰乱音

 

 第二戦

 二組代表 凰鈴音

       V.S.

 三組代表 ロランツィーネ・ローランディフィルネィ

 

 昼食休憩

 

 (第三戦以降は3勝選手がいない場合に行われる)

 第三戦

 各2勝選手同士

 

 *

 

 これである。一日二戦はそもそも辛いだろうし、何よりも初日のロランツィーネは不憫すぎる。連戦というキツい役目は誰かが引き受けなければならない役目ではあるのだが、ここでそれを引き当てる辺りロランツィーネはツイていない。

(まあ、どういう人でも関わってこなければどうでも良いですけどね)

 もっとも、四組代表ではなくなった簪にはほとんど関係のないもののはずだった。ただ情報収集のために見るか、と考える程度のものだったのだ。

 乱音と、本音がいなければ。

「かんちゃ~ん!」

「更識さん!」

「「アタシを鍛えて! /らんらんの情報が欲しいんだよ~」」

 二人して同時に簪に詰め寄ってくる様はまるで姉妹だ。それも性格が真反対の。いつの間にか本音は原作通りの話し方になっていることに、簪は現実逃避しつつ今更ながら気付いた。

 簪はため息をつきながら一人ずつ答える。

「まず本音。わたしは聖徳太子でも姉でもありません。聞き取れると思わないでください。ついでに凰乱音さんの情報も教えません」

「え~……かんちゃんのケチ」

「だから誰がかんちゃん呼びを赦したんです? 少なくともわたしは赦していませんよ」

 本音はまるでアニメのようにぷくり、と頬を膨らませるとその場を立ち去ったかにみえた。無論簪には本音の行動をある程度ならば読めるので、まだ近くで気配を消しているのだとわかっている。多少情報をむしり取っていく気なのだろう。

 そんな中で簪は乱音に返答しようとした。

「それと凰乱音さん」

「乱って呼んでくれて良いわよ」

 返答の邪魔をした乱音に、敢えて釘を指すように簪は返す。

「……凰乱音さん。噂を聞いていないようですから教えておきます。今のわたしに関われば、あなたまで代表候補生の面汚しになりますよ」

 簪の返答に、乱音は物凄い顔をした。まさかそこを自分で言うとは思っていなかった。勿論乱音は簪の噂を知っていたが、代表の座から引きずり下ろしたのは乱音本人なのだ。それを言われると困る。一応、多少の罪悪感はあるのだ。自身の都合で代わって貰ったことに。

 だが、乱音にも諦められない理由がある。

「勝ちたいの。どんな手を使っても、鈴おねえちゃんに……それに、あの男に!」

 鈴音に詰め寄り、もとに戻ってほしいと懇願した。しかしそれが受け入れられることはなかったのだ。当然のことながら鈴音に一夏と関わらないと言う選択肢はなかったのだから。

 しかし乱音の決意を打ち崩すように簪は冷たく返答した。

「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ねば良いです」

 その返答は、闘志を燃やす乱音に叩き切られた。

「そんなんじゃないもん! ……そんなんじゃ……ないもん……ないんだもん……」

 もっとも、途中で失速したのだが。涙を浮かべ始めた乱音に簪は困惑するしか出来ない。

(えぇ……そこで泣いちゃいます? 普通……)

 困惑する簪は、仕方なく場所を変えることにした。今は一応放課後。そして誰も来ないような場所に心当たりがある。整備室だ。視線で本音についてこないよう牽制すると、簪は乱音の手を引いて移動を始めた。

 簪は乱音を空いている整備室に押し込むと、勝手知ったる様子で自販機から暖かい飲み物を二つ買った。片方を乱音に差し出し、自分はもう片方を手にして開封し。

 そして差し出した。

「事情を話したくないなら別に構いませんけど、話したいのなら聞きますよ」

「更識さん……ぐすっ」

「世間一般的には話した方が楽になるとも言うそうですし。あと冷めちゃうんでその前に飲んでくれるとココアが喜びます」

 恐らく慰め方はそうではないのだろうが、簪にはそう言うことしか出来なかった。それを察してしまった乱音は幸か不幸か。

 涙を拭きながらココアを受け取った乱音は、タブを引いて口にココアを含んだ。瞬く間に広がるほろ苦いチョコレートの味。乱音的にはもう少し甘くても良いのだが、買って貰った以上は文句を言うのも筋違いだろう。

 それにつられて、乱音は話し始めた。

「……楽音叔叔(おじさん)と日本に行く前は、鈴姐姐(おねえちゃん)も普通だったのよ。元気で、活発で、かっこよくて……」

「それで、日本に来て帰ってきたら変わってしまっていた、ということですか」

 簪の言葉に乱音は首肯した。恐らくその原因が織斑一夏だと言うのだろう、と推測できた簪は遠い目になった。いつからであっても織斑は無自覚な女誑しであったらしい。

(むしろ刺されてないのが不思議すぎません? むしろ刺されれば良いです)

 そこからの言葉はもう聞くに耐えないものだった。

「帰ってきたらずっと『一夏ぁ、一夏ぁ』って! ずっと泣いてて、元気もなくて! 理由を聞いても教えてくれないし、急にしおらしくなって鈴姐姐っぽくなくなって! 何をしてても『一夏』って奴をちらつかせないと気が済まないみたいで……!」

「典型的な恋煩いですね、理解はしませんが納得はできます」

 簪は呆れたように乱音の言葉を聞いた。確かに分からなくはない。たった一人に変えられた大切な人を、元に戻したいと願うのは。かつて簪でなかった彼女も渇望したことだ。そのたった一人を殺してでも元に戻したいと願ったのに、そいつがいなくなっても彼女は元には戻らなかったのだから。

 簪でなかった彼女が経験したことがあるから分かる。人は変わってしまうもので、決して元には戻らないのだ。たとえそのたった一人に手酷く裏切られようとも、そいつを愛した事実は変えられない。

 その経験故に言える。

「でも、凰乱音さん。これだけは言えます。あなたがいくら努力し、鈴音さんに元に戻って欲しいと願って何か行動に移したのだとしても、それは全くのお門違いだということです」

「……え?」

「あなたの望む鈴音さんは、あなたの中にしかいません。変わってしまった鈴音さんを元に戻すことは不可能です。たとえ何があって鈴音さんが『一夏』さんに手酷く裏切られようと、それまでに『一夏』さんに向けられていた感情が消滅してしまうことなんて有り得ませんから」

 乱音は息を呑んだ。簪の言葉は、それほどまでに乱音の心に刺さって痛かった。もう元の鈴音には戻らないのだと、信じたくなかったのだ。それと、自分の身勝手さをも思い知った。

 そんな乱音に、簪は追い討ちをかける。

「鈴音さんだって人間です。初期化すれば全てが元に戻るコンピューターじゃないんですよ。だから元に戻ってほしい、と望むのはお門違いなんだとわたしは思うんですよ」

「……それは……でも……」

 完全に乱音は沈黙した。確かに簪の言葉には一理あって、自分の願いはお門違いなものなのだと思い込んでしまったのだ。確かに人間は関わった他人の影響を受ける。しかし、それ以上に成長できるはずなのだ。その成長が、良い方向であればあるほど良い。もっとも、簪は悪い方にしか成長しなかったのだが。

 簪は頭をかきながら乱音に謝罪した。

「……済みませんね。わたし、他人を慰めるのって苦手なんですよ。言えるのはわたしの知っていることだけで、だから多分相談相手としては最悪に近いんですよね……」

「……そう、なんでしょうね……」

「この空間、門限ギリギリまで借りきってあります。よければ落ち着くまでここにいてくれて大丈夫ですよ」

 そう言って簪は立ち上がった。これ以上ここにいても逆効果だろうと思ってのことだ。しかし、乱音はその簪の腕をつかんだ。

 そして乱音は簪に告げた。

「も、もうちょっと……いなさいよ」

「へ?」

「だから! ……いるだけで良いのよ。アタシがちゃんと、気持ちを整理できるまで、いて」

 簪は目をぱちくりと瞬かせて元の位置に戻り、座った。ただいるだけで良いというのなら、別にいても構わないからだ。脳内で乱音との戦闘になったときの対抗策をシミュレートしながら左手を乱音に貸したままにする。

 当の乱音は、ゆっくりとぎこちない呼吸を繰り返しながら呟いていく。

「……人類改變了一切(人は変わってしまうもの)……我的姐姐是一樣的(おねえちゃんもそれは一緒)……」

 勿論簪には中国語が分からないので何を言っているのかは『打鉄灰式』を通じてでないと分からない。しれっと『打鉄灰式』を起動させていることに乱音が気付いていないので簪はそのままにしていた。

 そのあとも何かしら呟いていた乱音は、何かを決意したように顔をあげた。

「決めた。うだうだ悩んでるのは性に合わないもん。とりあえず頭を冷やしてもらうのに全員ぶっ飛ばす!」

 拳を握りしめて立ち上がった乱音に簪は引いた目を向ける。

「それ、ローランディフィルネィさんもぶっ飛ばしちゃうんじゃ……」

「オランダ代表候補生には悪いけど、とっとと退場して貰うわ!」

 拳を握り、目の中に炎を灯した乱音はそう自分に誓った。そして、思う存分簪と模擬戦をするべく簪と交渉し、その権利をもぎ取ったのだった。




 ロランツィーネは可哀想だが、原作の日程がわからない以上はこんな感じにならざるを得ない。御愁傷様。
 なお簪×乱音にはならない予定。逆もしかり。


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クラス対抗前哨戦。まさかのハニトラ。

 一組の情報収集→これまでの模擬戦ビデオの閲覧
 二組の情報収集→練習の覗き見という名の偵察
 三組の情報収集→???
 四組の情報収集→収集済みの情報に基づく模擬『模擬戦』


 簪は困惑していた。というのも、目の前に淡くカールした銀髪の、鳶色の瞳の女子生徒が跪いていたからだ。見た目は美形、短髪でイケメン。しかし彼女は男ではない。

(どう見てもロランツィーネ・ローランディフィルネィさんじゃないですかやだーっ)

 簪は内心で絶叫しながら後ずさった。どうしてこんなことになっているのか、理解が出来ていない。なぜ自分の前で彼女が跪いているのかがまず分からないのだから、それ以上のことが分かるわけがない。そもそもぼんやりしながら歩いていたら突然ロランツィーネが跪いたのだ。全くもって意味不明である。

 その硬直した現場を解消したのは、通りがかった本音だった。

「かんちゃん、何やってるの~?」

「わたしは何もしていません。目の前の彼女に聞いてください」

「だって~。何してるの~?」

 本音の問いにロランツィーネは大袈裟な動きで立ち上がった。寸劇でもやっていそうなその動きで、そのまま本音の方に向き直る。それを見た簪はこれ幸いと逃走を開始しようとした。

 しかしロランツィーネからは逃げられなかった。

「どこへ行くんだい? まだ私は返事をもらっていないよ?」

 がしりと腕を掴まれた簪は、それを振りほどいてジト目で返答する。

「まだ何も言われてません」

「ならもう一度。私と付き合ってくれるかい?」

 ロランツィーネの言葉に、簪は遠い目をした。

(そう言えばこの人、百合って設定でしたね……)

 そのままため息をついた簪は、聞かなかったことにしたかった。しかし、そうもいかないことなど分かっていたのでゆっくりとロランツィーネの瞳を見た。冗談ではなさそうだ。むしろ冗談でいてほしかったのだが、そうはいかないらしい。

 簪はそのまま返答する。

「どこかに付き合うという意味であっても、恋人になろうという意味であってもお断りします」

「つれないね……でも、私は諦めないよ」

 ふっ、と薔薇の花でもくわえて言いそうな台詞を吐くロランツィーネだったが、次の簪の言葉でそれは変わる。

「ついでに情報を引き出したいというのであってもおすすめしませんし、わたしにあなたに好かれるだけの何かがあるとも思いません」

 淡々と言う簪に、ロランツィーネは顔色を変えた。目を細め、跪いた体勢から立ち上がる。その瞳に浮かんでいるのは紛うことなき怒りだ。どう考えても簪の発言に怒っている。しかし、簪はその理由がわからなくて困惑するしかなかった。

(何でありそうな想定をしたのに怒ってるんです? この人)

 ロランツィーネはその理由を怒気とともに吐き出した。

「君は、私がそんな人間だと思うのかい? 価値のない人間を見初めるような、そんなどうしようもない人間だと?」

「自分に何人恋人がいるか顧みてみては? あと情報収集でないならタイミングが悪すぎますよ」

 毒舌で返答した簪はそのまま踵を返そうとする。しかし、ロランツィーネはそれを許さなかった。簪の腕を再びつかんだのだ。彼女は純粋な気持ちで簪に愛を囁いていた。それなのに不純な動機があると決めつけられるのは気分が悪い。その感情がロランツィーネの手に力を入れさせる。再び事態は硬直した。

 その硬直した状況を、本音が再び打開する。もっとも、今回は悪い方向にだが。

「お~、かんちゃん、私にも情報をくださいな~」

 その言葉を聞いた瞬間、ロランツィーネの顔がひきつった。勿論簪の顔もひきつった。にも、と表現した時点でロランツィーネにも下心があっただろうと本音が見ていたことが確定したからだ。

 簪は額に手を当てて本音に回答した。

「普通そこでそう言います? 本音。ローランディフィルネィさんが怒ってま痛だだだだ」

 言葉の後半が大変なことになったのは、ロランツィーネが簪の腕を更に握りしめてしまっていたからに他ならない。

 それに気付いたロランツィーネは簪から手を離し、意識的に息を吐いて謝罪した。

「……ああ、済まない。少し頭を冷やしてくるとしようか」

「あ、それなら急いだ方が良いと思いますよ。次、三組は一組と合同でIS実習でしょう?」

 簪の言葉に、ロランツィーネは腕につけていた時計をチラリと見た。途端に顔が青ざめる。どうやら、結構な時間らしい。どうでも良いが、簪の目はその時計が『薔薇の領域』という名のブランドものであることを見てとった。因みに本音はいつの間にか消えている。要領の良い少女である。

 駆けていくロランツィーネを見送り、簪は教室に戻って授業の準備をした。

 

 *

 

 そして、放課後。簪は、乱音との模擬戦のために第四アリーナを借りきった。微々たる簪の権限と四組代表との模擬戦であるという理由をつければ、一時間程度であれば借りきることができる。他の面々には悪いが、最後の片付けまで請け負ったのだから許してほしい、と簪は考えている。

 IS『甲龍・紫煙』をまとった乱音は、簪に告げた。

「今日は本気で来てよね」

「えっ、一組代表の模倣と三組代表の模倣を頑張るんじゃないんですか?」

「……最後に普通に模擬戦をやろうって話よ。勿論台湾には情報を渡さない。阿簪(āzān)も日本にはその情報を渡さない。どう?」

 その問いに簪は考えた。

(いざというときに連携できる相手はいた方が良いですよね。クラス対抗戦って確か何かの襲撃があったような気がしますし。いや、イベントが全部襲撃だったような……)

 それ以上考えてはならないような気がして、簪は思考をやめた。とりあえず返答はイエスである。それ以外はあり得ない。

「受けましょう、阿乱(āluàn)

 なお、先日の件から少々仲良くなった簪と乱音は、愛称で呼び合うことにしている。台湾語といえば語弊があるが、台湾独特の愛称に使われる『阿』をお互いの名前の前につけて『阿簪』『阿乱』と。日本語訳すれば『簪ちゃん』『乱ちゃん』である。

 何故日本語で『簪ちゃん』『乱ちゃん』でないのかは、簡単なことだ。簪側の理由としては、憑依転生している影響であまり自身の名前に馴染めなかったことが挙げられる。乱音側の理由としては、発音としては違うが似た音韻の少女の名を聞いたことがあることが挙げられた。無論未だ出会いすらしていない『五反田蘭』嬢だろうと簪は推測している。

 簪としては発音が難しいのだが、それを代償にただの『阿簪』になれるのなら安いものである。望んで彼女が『更識簪』になったわけではないのだから。他の誰かとして生まれてきたのだとしても、彼女は名前で呼ばれることを好まなかっただろう。そもそも元の名前からして嫌いだったのだから。

 準備を終えた二人は、まず乱音が最初に戦うことになるロランツィーネの対策を始めることにした。用意するのはレイピアとエネルギーライフルである。もっとも、簪はそれを色々と偽装していつもの武装で戦うのだが。

 まずは定位置について、自動で鳴る始まりの合図から二人は試合を始めた。まずは遠距離からの牽制をかけつつ接近戦。それがロランツィーネのパターンだ。簪もそれに倣ってエネルギーライフルに偽装した実弾ライフル《焔備・改》から荷電粒子砲を放った。当たり判定的にはエネルギーライフルの方が遅いが、今は難易度を上げておくべき場所で乱音もそれは承知している。

 故に乱音はそれを掻い潜りながら簪に接近した。

「狙い、甘いんじゃないの!?」

「安心してください。突っ込んできてくれるのならその方がありがたいので」

 簪はライフル《焔備・改》を片手持ちに変え、空いた右手にレイピア代わりの双剣《森羅》を召喚。接近してきた乱音の懐に潜り込んでそれを振るう。しかし、乱音はマチェット《角弐》でそれを受け止め、いつものように切り結んだ。流石にこのあたりの癖を真似られるぐらいならば簪でも国家代表になれるだろう。それだけ自分の太刀筋を変えることは難しい。

 ただし、パターンを変えることはそう難しいことではない。

「……っ!」

「ちょっ……阿簪、それは危ないって!」

「へみゃああああ!?」

 成功するかどうかはまた別の話であるが、簪はスラスターを逆向きに噴射することで乱音のバランスを崩しにかかった。しかし、勢い余って一回転してしまう。その勢いのまま、簪は踵落としを敢行した。

 それを乱音は余裕をもって回避する。

「流石に当たんないってば!」

「でしょうねッ!」

 その自分の体で作った死角にライフル《焔備・改》を隠し持ち、蹴りを入れ終える前に乱音に向けて発射する。乱音は驚愕に目を見開いたものの、ギリギリのところで回避した。

 顔をひきつらせながら乱音は元の体勢に戻ろうとする簪に衝撃砲を放つ。

「曲芸か!」

「させてるのは阿乱の方ですからね!?」

 簪は思わず突っ込みを入れつつ視界の端に見えた銀色に向けてライフル《焔備・改》を投げつけてしまった。

「あ……」

 声を上げたときにはもう遅い。簪の手から離れたライフル《焔備・改》は、乱音が慌てて弾き飛ばした。その人物には当たらなかったようだが、危険なことに変わりはない。

 乱音はため息をついて簪をジト目で見た。

「……阿簪……」

「ごめんなさい、つい……」

 簪は思わず目を逸らしてしまった。無論そこで模擬戦は終了である。何故なら、そこに生身の人間がいたからだ。そもそもアリーナの使用規定で生身のままアリーナ内に侵入してはならないことが定められているのだ。もしいれば全行動を止めなければならない。それほどに危険なことだ。

 故に乱音は思わず怒鳴った。

「何でアリーナ内でISを解除してるのよッ!」

 そう言うと同時に、瞬時加速する。その人間の目前で急停止し、その際に発生する風で威圧した。しかし彼女は怯まない。

 彼女は、やれやれとでもいうかのように肩をすくめて呆れたような声を出した。

「そう言う割りにはかなり危険なことをしていないかい、四組代表さん?」

「アンタに危険性を教えてあげただけよ、三組代表さん。知らないようだから教えてあげるけど、ここは今貸し切りなの。部外者は出ていってくれない?」

 乱音は彼女、ロランツィーネに喧嘩を売るように声をかけた。

 

 そして、事態は再び混迷した。




 ロランツィーネ・ローランディフィルネィ→一人称は勝手に『僕』だと思ってたけど調べた結果一応『私』に。とにかく宝塚っぽく。愛に生きる情熱的で直情的な人。どう考えても代表候補生には向いてない気がするけどそこはそれ。そして一夏に惚れるどころか案外千冬に惚れそうという。

 誰だこれ。


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いよいよ本番。しかし始まらないクラス対抗戦。

 イベントは中止されるもの。これ鉄則。


 結局、ロランツィーネは乱音に喧嘩を売るだけ売ってその場から立ち去っていった。何がしたかったのか簪にも乱音にも分からなかったが、ロランツィーネの立場に立てば簡単な話である。単純に、気になった簪と唯一あだ名で呼び合う乱音に嫉妬しただけのことなのだ。だから邪魔をした。

 そしてその感情を発散する場として選ばれるのがクラス対抗戦である。お互いにクラス代表なので絶好の機会である。無論、それが行われれば、の話であるが。

(ただ、原作では一回戦で終了のお知らせだったんですよねぇ……)

 簪はため息をついた。正直にいって、ムキになった乱音とロランツィーネの対戦が叶わないことを知っているというのは胃が痛い。この後も尾を引く喧嘩になりかねないからだ。しかも簪自身が何故か賞品扱いされているというのも理解できない。

 そもそも、ロランツィーネに好かれるほど評価されるところがあっただろうか、と簪は数日考えて多少は理解した。当然『更識簪』の容姿はライトノベルのヒロインだけあって美少女である。中身の残念さが全てを台無しにしている気もするが、簪は簪であってそれは変えられないことだ。それを論じても全く意味がない。

 それはともかく。クラス代表でない専用機持ち、というのは普通珍しい存在だ。今現在の一年が特殊なだけで、普通は専用機持ち自体が一学年にいて2、3人といったところである。だが、今年の一年生には専用機持ちでありながらもクラス代表でない生徒が複数人いる。

 まずは一組。イギリス代表候補生にして試作BT1号機『ブルー・ティアーズ』を駆るセシリア・オルコット。そして日本代表候補生にして、専用機『九尾ノ魂』を制作中の布仏本音。後者はともかく、前者については織斑一夏の影響によりクラス代表の座を譲る羽目になっている。本音の専用機は未だ完成していないが、入学と同時に『IS学園製IS計画』を発動させたため、少なくとも基本武装のみは出来ている。

 次に、二組には代表以外の専用機持ちはいないので三組。タイ代表候補生にして専用機『ドゥルガー・シン』を駆るヴィシュヌ・イサ・ギャラクシー。彼女とロランツィーネは代表の座を争ったが、結局のところクラス内での圧倒的な支持によりロランツィーネに決まったらしい。そもそも目立つ気のなかったヴィシュヌが選ばれても辞退しようと思っていたらしいことは本人しか知らない。

 そして、四組。言わずもがな、日本代表候補生にして、ほぼ完成している『打鉄灰式』を駆る更識簪である。ISを用いない対人戦闘力はゴミレベルだが、対ISであればそこそこの実力者である簪をただの生徒扱いは出来なかった。

 これら四名の戦力を、会場の警備として使わない手はない。教員たちの協議の結果、セシリアをAピット付近に、本音を観客席A入口に、ヴィシュヌをBピット付近に、そして簪を観客席B入口に配置した。

 もっとも。

「何でオルコットさんはAピットの中にいるんですかやだー」

 第一試合の都合上、一夏の緊張をほぐすためなのかセシリアは警備の位置にはいなかったのだが。それはそれとして、簪は警戒を緩めなかった。最終的に織斑千冬がこの警備体制を提言したのだと聞く。あの、織斑千冬が。それには当然理由があるのだろうし、その理由について推測できない簪ではなかった。

(多分篠ノ之博士関連なんでしょうね。原作ではそうでしたし)

 そもそも原作通りに行くという保証はどこにもないが、簪はそう思い込んでいた。そう思い込む方が楽だったからだ。基本的に、簪はより面倒でない道を選んで生きてきた。そうやって前世では屑ニート駄目女に成り下がったわけだが、生まれ変わろうが生き方はそうそう変えられないものらしい。このままいけば前世と同じように全てに絶望して人生を終わらせることを選ぶだろう。

 そうこうしているうちに一夏がピットから出てきた。

『Aピットから出ますは、異例中の異例、まさかの男性操縦者織斑一夏! 政府から貸与されている専用機『白式』を纏って危なげなく登場です!』

 わあっ、と歓声が上がり、一夏はひきつった顔で観衆に応える。心なしか緊張しているようだが、それでも緊張しすぎている、などということはないようだ。適度な緊張を保っている彼に何人かが目をつける。

 そして、次に鈴音がピットから出てきた。

『対するBピットからは中国代表候補生、ミニマムボディでもやることはビッグな凰鈴音! 専用機『甲龍』で男性操縦者を阻みます!』

 鈴音への歓声は一夏よりも少なかったが、鈴音は落ち着いて手を上げることで応えた。目は鋭く、鷹のよう。どうやらいまだに一夏に怒っているらしいことが見てとれる。身のこなしからは相当な訓練量が窺われた。

 そして選手のコールを終え、放送席の人物が操作したことにより発生した電子音とともに試合が始まった。無論原作と同じく、一夏は鈴音の衝撃砲《龍砲》に初見であってもすぐに対応してみせる。軽々と避けるさまはまるでボールでも避けているようだ。実際には空気の塊が高速で放たれているため、見えてからでは遅いのだが。

 それを見て簪はため息をついた。

(そもそも主人公補正があろうが『織斑計画』の賜物だろうが、こういうのにすぐに対応できちゃうあたりがもうライトノベルの主人公ですよねぇ。全く、それに無自覚ハーレムキング補正をつければ『貧乳』扱いされても胸がときめくとか笑えて仕方がないです)

 もはや痴話喧嘩レベルの対戦に、簪は笑いしか出てこなかった。特にオープン・チャネルが酷い。彼女らは黙って戦えないのだろうか、と簪は自分のことを棚にあげて疑うことしかできない。

 

 そして、その時はやって来た。

 

 アリーナの天井を突き破って襲来した謎のIS。パニックに陥る周囲の観客たち。そんな中、簪はひきつった笑いを漏らしながら観客席の扉のロックを確認した。当然のことながら開かない。

 それを確認し、簪はプライベート・チャネルで教員に呼び掛けた。

『先生、観客席の扉のロックが開きません。解除か破壊か、どちらにしましょう?』

『破壊したら弁償してくださいね、更識さん』

『解除をメインに考えます。とにかく観客席の安全を先に確保しますね』

 まさかの返答に簪は絶句しかけたが、弁償はあらゆる意味で面倒なので次善策として観客席の安全を確保することにした。具体的には本音と連絡を取ったのだ。

 すぐにプライベート・チャネルは繋がった。

『かんちゃんッ!』

『落ち着きなさい本音。ISのシールドは既に装備していますか?』

 それは二重の意味を含ませていたが、本音はすぐさまその真意を理解した。要するにそれを盾にしろということだ。皆を守るために。

 無論本音の返答はこうだ。

『してるよ!』

『ならよしとしましょう。出口に詰めかけている生徒たちとアリーナのシールドの間に入ります。そちらも……出来ますね』

 簪が声をかけたときには既に本音は移動していた。スラスターを最小限に吹かし、観客たちに被害がでないよう頭上を飛び越える。その動きで観客の目を引き付け、注目させた。

 そしてオープン・チャネルで皆に呼び掛けたのだ。

「生徒会権限~。皆、私の後ろから出ちゃ駄目だよ~!」

「反対側に同じです。死にたくなくば、わたしの後ろから出ないことを推奨しますよ」

 本音は『九尾ノ魂』のシールドを展開し、自身の絶対防御から外れる位置に留めた。生徒達はあからさまに自分達を守ってくれるシールドが現れたことで多少落ち着きを取り戻していく。

 対する簪には、これまでに明かした武装の中にシールドがない。しかし、やりようはある。未だ簪は特殊武装《D3》を誰にも使っていないのだ。これがシールドだと誤認させれば問題ないのである。今後シールドとして使わなければ良いだけだ。

 ただ、誰から見てもシールドには見えないので簪は補足説明として言葉で観客に告げた。

「この正八面体から前に出ればミンチになりますよ」

「そ、そうは言ったって……! それ、シールドには見えないじゃない!」

 反駁してきた生徒に、簪は冷静に答えた。

「シールドに見えなかろうが何だろうが、貴女達がアレが原因で怪我をすれば責任はわたしにあります。責任を取るのは嫌ですから、出来うる限り最高の防御策としてこの正八面体を展開していますし、実際にこの正八面体を中心とした力場によってシールドを張っています」

「で、でも……!」

「信用できないのならせめて座席の陰へどうぞ。それに、教員部隊もそこまで時間をかけずに出動するでしょ……え?」

 なおも反駁した生徒を落ち着かせようとしていた簪は、頭上のスピーカーから発生したノイズに鳥肌が立つのを感じた。IS特有の広い視界で見渡し、放送席を見つけたところで顔面が硬直する。

 内心で叫ぶほどに鳥肌が立った。放送室にポニーテールの女子が仁王立ちしていたのである。

(じょ、冗談ですよねぇっ!?)

 しかし現実は無情である。

 

『一夏ぁっ!』

 

 その位置は、簪の直上だった。セシリアはAピットから別の箇所へ移動したようで、謎のISの背後にいる。本音はその近くにいるので、最大限の警戒をもってセシリアの行動を見守っている。ヴィシュヌはBピット入口付近の貴賓席を守っている。つまり動けるのは簪だけだということ。

(なんでそこが放送席なんですかやだーっ!)

 

『男なら……男なら、その程度の敵を倒さずして何とするッ!』

 

 特殊武装《D3》を観客の守りに残したまま、簪はその場から直上に瞬時加速した。その場所にあるものこそ放送室だ。人影に迫るビーム。硬直して動けない人影。簪が守りに入ったことでその人物の守りは十分だと思ったのか、そのまま謎のISに切りかかる一夏。それに次いで更に放たれるビーム。

 そして。

 

「爆発オチなんてさいてーですぅぅっ!」

 

 ビームに呑まれ、ギャグのごとく簪の周囲の空気は爆発したのだった。




 打鉄灰式→更識簪専用機。『弐式』でなく『灰式』なのは別物だと示すため。ただし『打鉄』の改良版なのは確かなので『打鉄』は外さなかった。簪はたまに『グレイ』と呼んでいるが、他人にはそうは呼ばせない。
 第二世代機
 実弾ライフル《焔備・改》→普通のライフル《焔備》を改造したように見せたもの。荷電粒子砲を発射しているように見せるため、見た目を弄ってある。
 特殊武装《D3》→半透明な正八面体。全部で12基あり、簪はこれをシールド用、攻撃用、迎撃用と三種に分けて使っている。全てをどれかの機能に寄せて使うことも可能。ただし実際はほぼ照準のためにしか使っておらず、今話で初めて防御用に使った模様。
 双剣《森羅》→完全に対人用の武装。とある機能を発動させると、殺人どころか殺戮が可能になる。無論訓練機は瞬殺である。ただし簪がその機能を使うことは基本的にない。


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知りたくなかった。でもそれはやはり現実。

 ※憑依簪チート説が浮上。


 放送席の箒を庇ってギャグのごとく爆発した簪は、医務室で目を覚ました。流石に知らない天井だ、をやるほど気力があるわけではない。

 簪は焙られた筈の腕を見て乾いた笑いを溢した。

「……知ってましたよやだー……」

 その体には一つの傷もない。痛みは僅かにあるものの、それだけだ。あの時殆ど絶対防御は下の観客達のために割り振っていたにも関わらず、簪はほぼ五体満足かつ健康だった。いっそ不自然なほどに。

 簪にとっては分かりきっていたその事実に、誘拐されたときの記憶がフラッシュバックして歯を食いしばる。残像が簪を苛むため、目を閉じる。すると更に鮮明になってしまい、気分が悪くなってきた。仕方がないので手の甲を目の上に当て、冷静に記憶を整理して必死にその記憶を過去のものだと認識させていくことしか簪には出来なくなっている。

 簪は心のなかで繰り返した。

(ここはIS学園。わたしは自由で、身を守る術がある。『グレイ』もいる。手枷も、足枷も、首輪すらここにはない)

 ひゅう、と呼気が漏れて思いの外自身に余裕がないことを知った簪はゆっくりと深呼吸を繰り返した。焦点を合わせ、ともすれば浅くなりそうな呼気を整えなければ簪は正気ではいられなかった。

 暗示のように簪は自分に言い聞かせる。

(大丈夫。あの子はいない。大丈夫。もう痛いことも酷いこともされない。大丈夫。大丈夫。あの子はきちんと逃げた。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫)

 一際長く息を吐いた簪は、ようやく気付いた。

「……何の、ご用でしょうか……織斑先生?」

 すぐ隣に人間が立っている。その背格好から簪はそれが千冬だと推測し、そう声をかけたのだ。凛としたその佇まいは、四組の担任ではあり得ない。四組の担任はもう少し飄々とした眼鏡の変人メカニックだからだ。出きれば関わりたくない人物であるため、もし四組担任だったら狸寝入りするつもりだった。

 それに人影はこう返した。

「用というほどのことではないが、一つ聞かせてほしい」

 声が千冬だったので、簪は確かに彼女が千冬だと確信した。その口調を聞いてそれが単なる問いでないことにも気付く。それも、一般人には聞かせられない類いのものだろう。簪の特殊性は恐らく千冬には見過ごせないものなのだろうから。

 故に簪はこう問い返す。

「尋問ですか?」

「何故そうなる……いや、あながち間違いではないな」

 苦笑した千冬は、簪に問うた。

 

「更識。お前はその再生能力をどこで手に入れた?」

 

 その問いは、簪の冷静さを一瞬奪うことに成功した。ただし多少は覚悟していた問いであったため、すぐに平常心を取り戻す簪。

 それでも動揺したことは確かで、簪はわずかに震えた声で返答した。

「再生能力……ですか。多分ナノマシンの類いかと。昔誘拐された時に色々されましたので」

 誘拐された、と聞いても千冬は眉を動かさなかった。簪の言葉に何か考え込んでいるようだったが、それを簪に明かすことはない。それはあたかも誘拐された理由を知っているかのようで、簪は気分が悪くなった。確かに知っていてもおかしくなかったからだ。

 そのまま黙りこんだ千冬に、たまりかねた簪は声をかけた。

「それが何か?」

「いや……原因が分かっているのなら構わん。教員として、一年一組担任として、観客と篠ノ之を守ってくれたことに感謝する」

 そう言って千冬は頭を下げたが、簪は知らないことになっている箒の情報を簡単に明かしたことに驚いた。普通は間接的な加害者にもなりうる箒の情報を渡すものだろうか。しかも、箒のような重要人物の名前をだ。色々と情報管理がなっていない。

(いや、簡単に明かしてくれてますけど、これわたしが篠ノ之箒を逆恨みして報復するつもりだったらどうするんです?)

 思わず心のなかで突っ込みながら簪は千冬に問うた。

「……えっと、篠ノ之さんって……もしかして放送席の?」

「ああ。あの勝手な行動に関しては既に罰則を課している。後々本人から謝罪させ、治療費に相当する慰謝料が保護責任者から支払われるだろう」

「そ、そうですか……その、結果的に怪我はないんですし、金銭は止めておいた方が篠ノ之さんの将来のためにも良いのではないですか?」

 簪は箒を案じる振りをして自身へ余計な目を向けさせないように言葉をはいていた。

(調べられたら普通に傷害罪の前科持ちと篠ノ之さんが見なされてもおかしくないじゃないですか。そんな面倒なこと、死んでも嫌ですよ)

 簪のある意味自分勝手な言葉に千冬は眉を寄せた。

「更識が良くても本家はそうは思わんだろうな」

「……あー、これ幸いと篠ノ之さんにあれこれ言いそうですね。お姉様とコンタクトを取れだとか、アポイントメントを取れだとか」

「それに束が応じるとも思わんがな。ただ、慰謝料については受けろ。既に話はつけてあるからな」

 肩を竦めてそう言い放った千冬は踵を返した。それ以上簪に言うことがなかったからだ。その他に千冬には考えるべきことがあったのだから。

 その背に簪は了承の意を伝えた。

「承知しました、織斑先生」

 その言葉が空気に溶けて消えて、次の瞬間。

 

「君の望みはどうやったって叶わない。とるに足らない君のような有象無象(ゴミクズ)のためにこの束さんがわざわざ保証してあげるんだから感謝しなよ」

 

 簪が幾度となく聞き返した声で、この世界における天災にしてキーパーソンが告げた。思わず息を呑み、周囲を見渡すがそこに束はいない。世界で一番有名な科学者、ひねくれものの気まぐれ屋である篠ノ之束が、その程度で姿を見られるわけにはいかなかったからなのだろうか。

 それでも簪は問いを返した。

「それはどういう意味ですか?」

「これだから凡人は困るよねぇ。ちょっとは自分で考えなよこの死にたがり」

 普通に成立する会話に簪が違和感を覚えて。それよりもなおその声の主に見透かされている願望が叶わないことに絶望した。正確には、簪は死にたがっているのではないのだ。

 ひくり、と口角が動く。

「……たとえその望みが叶わないものだとして……どうしてそれを、あなたいわく有象無象(ゴミクズ)に教えるんです?」

(そもそも他人に興味のない篠ノ之束が、何故わたしに関わるのか知りたいものです)

 こみ上げてくるものは怒りか、悲しみか、もしくは。簪はそれを堪えながら問うた。問わなければならなかった。簪にとって、ライトノベル『インフィニット・ストラトス』において一番の危険人物を警戒しない理由がない。

 だが、今回に限っては警戒の必要はなかったようだ。相変わらず簪とは目を合わせようともしない束がそっけなく告げた。

「慰謝料だよ。ちーちゃんがどうしてもって言うからね」

「慰謝料とは。……いや、気にしないでください。確かに受け取りましたので」

(それは慰謝料じゃなくて嫌がらせでしょうがやだー)

 簪が遠い目でそう返すと、それきり返事はなくなった。静まり返る医務室。そのなかで簪は静かに目を閉じた。細く、深くため息を吐いた簪は、改めて自分の行動を振り返った。

(切り札はまだ切っていません。クラスメイト達の心証も多少は下がったでしょうがまだ許容範囲内です。あと問題なのは、これで篠ノ之束に目をつけられた可能性があることでしょうか)

 さしあたり考える必要があるのはその辺りだろうか。簪は思考を巡らせて今後の対策を練る。

(恐らくこのままクラス対抗戦はなくなりますね。たとえどこかから圧力が掛かろうが、男性操縦者の保護を理由に突っぱねるでしょう)

 カーテンの先に誰かが立っても簪は思索をやめない。やめる意味がないからだ。簪を見舞う人間などいるはずがないのだから。

 故に簪は驚いた。

「おい」

「うひぃあ!?」

「お、驚かせて済まない……だが、騒がないで貰えるか? 先生の目を盗んで来ているんだ」

 それは驚くべきことに、箒だった。タイミングは姉妹揃って似ているようだ。

 申し訳なさそうな顔をした箒は簪に謝罪を始めた。

「その、えっと……す、済まない。私が軽率だったせいで、怪我をさせてしまって……」

「軽率、というか危ないことをしたのは確かですね。でも、それ以上に篠ノ之さんは織斑一夏氏を応援したかったのでしょう? 自分が危険になってでも、それ以上に彼に頑張って欲しかったのでしょう?」

 男だから、とは簪は言わなかった。言いたくなかったからだ。男だから、女だから。この言葉は嫌いだった。叶うのならば簪は、どちらにも生まれたくなかった。不謹慎だと謗られるだろう。どちらにも生まれられなかった人に失礼だと思わないのかと詰られるだろう。それでも簪は、外見上のことで判断されるのが嫌いだった。

 神妙に頷いた箒に簪は告げた。

「それなら良いじゃないですか。人間なんてのはね、どうせ優先順位を決めないと中途半端に終わってしまうんですよ」

「……でも」

 躊躇う箒に、簪は欲しいだろう言葉を茶目っ気を込めて伝える。

「怪我をした当事者から詰られたいと言うなら頑張りますけど、別に篠ノ之さんは他人に怒られて喜ぶドMではないでしょう?」

「それは違う! でも、その……守ってくれて、感謝する」

 顔を赤らめてそう伝えてくる様はまるで恋する乙女のようだが、箒が恋しているのは一夏であって簪ではない。そっちのケがないとは断言できない簪でもそのくらいは分かる。

 故に簪は打算も謙遜もなくこう返した。

「いえ、わたしが出来たのはあれだけですから。むしろあのISっぽいのを倒してくれた彼に感謝してください」

「そう……か。でも、お前がいなかったら私はきっと無傷じゃ済まなかった。だから、ありがとう。それだけは受け入れてくれ」

「……善処します」

 目をそらしてそう返答すると、箒は実に複雑な顔になった。しかし簪には何も言わず、その場を立ち去ったのだった。




 二次創作のお約束、束は白い。だがしかし、このSSでは……白いと言っても正しい。黒いと言っても正しいのである。


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眠る簪。戦う集団的無意識の破壊者達。

 簪は出ません。


 簪が医務室で眠っていた頃。設備の破壊されていない第二アリーナにて、三人の少女が向かい合っていた。一人目はオランダ代表候補生にしてIS『オーランディ・ブルーム』を駆るロランツィーネ・ローランディフィルネィ。二人目は台湾代表候補生にしてIS『甲龍・紫煙』を駆る凰乱音。そして、三人目は。

「……一応言っておきますが、私は中立ですから」

「分かっているよ、Mevrouw Galaxy」

 三組代表に選ばれなかったタイ代表候補生にしてIS『ドゥルガー・シン』を駆る、ヴィシュヌ・イサ・ギャラクシーだった。彼女は公平な審判のためにそこにいるのだが、そもそもこの決闘もどきに疑問を覚えている。というよりも、決闘にわざわざISを持ち出す時点でおかしい。

(そもそも話し合いで解決して欲しいんですけど……)

 眉をハの時に下げ、困った顔で引き受けたのはひとえに台湾とオランダの技術力を測るためだ。特に台湾と中国を同一視してはいけないだろう、というのは管理官から指示されていることだ。そもそもが互いに仮想敵国である。

 ただしヴィシュヌの認識としてはISは兵器であり、恋だの愛だのと下らないもののために持ち出されるためのものではない。いっそ蹴りでも入れて止めたいところではあるが、彼女に暴力を振るいたい願望があるわけではない。ただ突っ込みを入れたいと思ったときに出てくる手段がいわゆるタイキックなだけだ。その時点で人間としての思考としてどうかとは判断せざるを得ないが。

 それはさておき、ロランツィーネと乱音が向かい合ったためにヴィシュヌは慌てて観戦を始めた。

『何か不本意だけど、後悔させてあげるわ!』

『それはこちらの台詞だ。Mevrouw 更識との仲……認めてもらうよ!』

 そう言って近接武器同士を打ち合わせた二人。その光景はどう見ても少年漫画のそれである。マチェット《角弐》とレイピアが打ち合わされるさまはどう見ても魅せるためのそれだ。だというのに賭けられているものは今現在医務室にいる女生徒だというのだから割りと意味がわからない。

「これ、何て痴話喧嘩なんです?」

 ヴィシュヌは思わずそう呟いてしまった。勝ち負けの判断すらしなくても良い気になってきてしまっている。要は、彼女らに必要なのは納得だ。そのついでに兵器をぶつけ合っているだけに過ぎない。ついでに兵器を扱える、といってしまえるだけ、ここIS学園がどれ程狂った場所なのかが分かるだろう。

 渋い顔で見つめるヴィシュヌには、それが気違いの所業にしか見えなかった。

(ここに来たのはやはり間違いだったのでしょうか……主にこういう面で。本国の代表候補生達が羨ましいです)

 ヴィシュヌは心のなかでそう後悔しているが、見るところはきちんと見ている。特に脅威的なのは衝撃砲だ。その他は代表候補生の技量によるだろう。見たことのないものは基本的に警戒してしかるべきだと理解しているヴィシュヌにとって、彼女らの戦闘は児戯でしかない。

 とにかく、ヴィシュヌにとっては衝撃砲だけが脅威だ。中国代表や台湾代表が使うようになろうがヴィシュヌには関係のないことだが、戦争に使われるようになればまた別だ。間違いなくヴィシュヌは徴兵され、戦うことになるだろう。その相手がこのレベルなら、勝てる。

 周囲とヴィシュヌとは、基礎体力からして違うのだ。ムエタイチャンピオンの娘が、そもそもムエタイを仕込まれないわけがない。ヴィシュヌは同年代女子と比べても遥かに頑健だ。だからこそ力を持つことについては慎重になり、冷静な思考を身に付けたのだが。お遊びで他人を蹴ればどうなるかなど、ヴィシュヌは嫌というほど思い知っていた。

 だからこそタイ政府はヴィシュヌに目をつけ、基礎能力の高い彼女を代表候補生として囲い込んだ。間違っても他国に取られないように。そして、確実に一般人よりも訓練のコストがかからないことを見込んで。それは正解だった。彼女がいるだけで軍のムエタイのレベルが向上したほどである。

 そして順当にヴィシュヌには専用機が与えられた。代表候補生5名に対し専用機は1機のみ。代表のISの予備要員が二人、ヴィシュヌの『ドゥルガー・シン』の予備要員が二人だ。最早ヴィシュヌはタイにとってなくてはならない人材であり、必要不可欠だった。

 そんな彼女がIS学園に入学する羽目になったのにはいくつか理由がある。まずは、タイ代表候補生の中では抜群に容姿が良いこと。次いで生身で一夏を誘拐できる可能性のある実力だ。それをヴィシュヌが納得したかと問われると否だが、国の命令には逆らえない。

 こういう、データ取りや学習目的以外の目的でIS学園に送り込まれる生徒というのは実は少なくない。例えば面倒見の良いという情報から庇護欲をそそるためにロシアから送り込まれる予定の予備代表候補生クーリェ・ルククシェフカや、逆にISのことを教えられかつお姉さん的な動きの出来るグリフィン・レッドラム、放っておけないだろう幼いアイドルのコメット姉妹など、様々な人員が様々な理由でIS学園に送り込まれて来る予定だ。

 そもそも、基本的にIS学園に代表候補生を送り込める国というのは、配布されているコアが比較的多い国である。訓練機がどれだけあるかにもよるが、基本的に専用機を持てる人材というのは限られる。

 例えば日本は、専用機に使えるコアが現在四つある。一つ目は日本代表の『誘波(いざなみ)』であり、そのスペアに一人代表候補生が割かれている。二つ目は簪の『打鉄灰式』で、三つ目は織斑一夏の『白式』だ。そして四つ目が日本代表候補生であった山田真耶の『ラファール・リヴァイヴ・スペシャル=幕は上げられた(ショウ・マスト・ゴー・オン)』であり、現在はそれを習熟するために二人の代表候補生が割かれている。なお、織斑千冬専用機『暮桜』は行方不明であり、『IS学園製IS計画』の本音の『九尾ノ魂』は厳密にはIS学園所属となるのでそれぞれカウントしない。

 そして、その中で戦争に駆り出される可能性があるのは『打鉄灰式』と『ラファール・リヴァイヴ・スペシャル=幕は上げられた』だけだ。あとは訓練機が駆り出されるだろう。何故なら、他の専用機は使い物にならないからだ。『誘波』は完全に見世物用かつ情報が割れているし、『白式』は一夏を守るためのもので戦わせるためのものではない。

 ヴィシュヌも諸外国もそれが分かっているからこそ、更識簪の情報を集めたがっているのだ。多少は機能が分かっており、元々の戦法から色々と推測できる『ラファール・リヴァイヴ・スペシャル=幕は上げられた』よりも、外見からして『打鉄』とはかけ離れており、情報の少ない『打鉄灰式』は警戒すべきなのだ。だからこそこの茶番で更識簪が釣れることをヴィシュヌは期待していた。ロランツィーネや乱音の戦闘など、各国の傾向を見る以外に見る価値はないのである。

(そもそも、ロランツィーネ・ローランディフィルネィだって凰乱音だって、戦争には駆り出されないでしょう。どちらもアイドル枠ですし)

 ヴィシュヌや簪が異色なのだ。そもそも、軍事機密を持ったままここに来る生徒などほぼいない。状況や環境が異常だったからこそ、ヴィシュヌはここにおらざるを得ないのだから。

 ふう、とため息を吐いたヴィシュヌはふと隣に立つ人間がいることに気付いた。

「……一応、貸し切りなのですが」

「そうみたいね。でも、あっちの二人に用があるのよ」

 そう言った人物はよく見なくとも乱音に似ており、血縁があることを感じさせた。言うまでもなくヴィシュヌは顔を知っていたので彼女が鈴音だと分かっていた。

 鈴音は模擬戦が続いているのに構うことなくオープン・チャネルで声を響かせた。

「三組代表、四組代表。よく聞きなさい。クラス対抗戦は中止になったわ。景品もなしよ」

 しかし、鈴音の言葉は彼女らにはどうでも良いことだった。

『今良いところなんだ、二組代表。邪魔しないで欲しいな』

『同感。鈴おねえちゃん、ちょっと黙ってて? 今ちょっとこのムカつく女同性戀(レズビアン)を叩き潰すから』

『おやおや、叩き潰されるのは君の方だとは気付いていないようだね? Kankerhoer(クソ女)

『はあ? 寝言は寝て言った方が良いんじゃない?』

 無言、後に衝突。それを見た鈴音は顔をひきつらせた。

「いったい何があってこんなことになってんのよ……」

 それにヴィシュヌは律儀に答えた。

「ロランツィーネ・ローランディフィルネィさんが更識簪さんに交際を申し出たところ、凰乱音さんがそれを邪魔したそうですが」

「んっ? ローランディフィルネィって、女子よね? それが更識って子と交際……えっ?」

 ヴィシュヌの答えに混乱する鈴音だったが、事実は変えられないのである。ヴィシュヌの言葉は一切間違ってはいなかった。ただ、世間一般的な思想を持つ鈴音にはそれが理解できなかっただけだ。

 なおも混乱する鈴音に、ヴィシュヌはロランツィーネの情報を与えた。

「彼女、オランダ本国に恋人が99人いらっしゃるそうです。女の子の」

「……そ、そう……ん? 待って、乱にはそんな趣味はなかったはずなんだけど?」

「凰乱音さんは更識簪さんのお友達だそうです」

 鈴音は微妙な顔をして黙りこんだ。たかが友達で決闘を行っているのである、あの二人は。呆れた鈴音は、ちらりと隣にいるヴィシュヌを見た。無論ヴィシュヌも呆れた顔をしている。

 因みに、この決闘は最終的に二人同時にシールド・エネルギーが切れるという因縁じみた決着となった。その結果、ロランツィーネはまずお友達から始めることになったそうだ。鈴音はそれを「ふーん」と興味なさそうな顔で聞き流したのだった。




 ヴィシュヌ・イサ・ギャラクシー→丁寧口調(憑依簪のエセ丁寧口調よりも丁寧)。割りと女子の感性を持っている。ただし突っ込みをいれるときはタイキック。なんだこの女子。詳細は本話を見直すとよい。

 なお、山田真耶専用機の名前についてのみ原作準拠ではない。今後表記は『幕は上げられた(ショウ・マスト・ゴー・オン)』となる模様。
 ただ、これを採用するとなると、いくつかのISの表記が変わってしまうのだが、その場合例えば『カスタムⅡ』になって意味がわからなくなってしまう。識別が可能かつ文字数が少ないものに関してはそのままで。ギリギリの許容範囲は『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』までということ。


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第二章 少しずつ本来の流れからは外れるようですよ。
金の編入生。その去就。


 評価バーに色がつきましたありがとうございます。何故か一個消えてるけど。人を選ぶSSなのは分かってますし、その理由はほぼこの簪がクズだという一点に尽きますがね。

 アーキタイプ・ブレイカー年下勢勢揃い。原作勢の影が薄すぎて最早何だこれ状態である。ところでクーリェって何歳ですか偉い人。ぐーぐる先生に聞いても分かんなかった。


 クラス対抗戦の騒ぎも落ち着いてきた頃。IS学園の一年生は新しい仲間達を迎えていた。一組にはドイツ代表候補生にして『シュヴァルツェア・レーゲン』を駆るラウラ・ボーデヴィッヒが。二組には飛び級をした上で編入してきたカナダ代表候補生にして特殊IS『グローバル・メテオダウン』を駆るファニール・コメット及びオニール・コメット。三組にはロシア予備代表候補生にして『スヴェントヴィト』を駆るクーリェ・ルククシェフカ。そして四組にはフランス代表候補生にして『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』を駆るシャルル・デュノアが編入してきたのである。

 編入してきて、目の前で紹介されたシャルルを前に簪は遠い目をした。

(何でシャルル・デュノアが四組なんですかやだー。絶対絡まれるじゃないですか)

 その思考が仇となったのか。生暖かい目でシャルルを見るクラスメイト達を掻き分け、彼(実際には彼女)は簪に声をかけた。

「よろしくね、更識簪さん」

「あまりよろしくしたくありませんし、挨拶をするのなら四組代表にどうぞ、シャルル・デュノアさん」

 簪がそっけなく返すと、シャルルは困ったような顔で曖昧に笑った。簪にどうしてほしいのかは何となくわかっているのだが、彼女がそれを叶えることはない。誰が怪しいと思っている人物に対して心を許すだろうか。

 始まる授業を真面目に受けながら、ちらちらと視線を向けてくるシャルルにイラつく簪。構って欲しそうに簪の方を見ていたが、当の簪は授業が終わった瞬間にトイレに行き、始まる直前に戻ってくることにしたので会話すらできない。

 授業を終えたあともなお近付いてくるシャルルに、簪はイライラしながら自室へと戻った。ルームメイトはいない。本来であれば本音が同室なのだが、簪は更識本家から距離を置かねばならない身である。更識の犬たる本音を近付けるわけにはいかなかった。だからこその個人部屋である。

(原作通りどうぞ織斑一夏を狙ってくださいよ、シャルル・デュノア。わたしに構わないでくれないと、強制送還どころじゃなくなるんですから。『グレイ』の情報なんてあげませんよ?)

 イライラしながら『打鉄灰式』に物理盾をインストールする簪。本来であれば必要ないが、見た目は大事だからだ。先日の事件で《D3》を晒してしまったのはある意味痛手だったのだから。見た目が晒されたのがかなりの問題である。

 その作業と生活サイクルを続けて早三日。簪にとって試練の日がやってきた。それは、ようやくの邂逅。

「済まん。更識さん、だよな?」

「間違ってはいませんが寄るな触るな近付くんじゃねーです織斑一夏さん」

「えっ」

 自室に押し掛けてきた一夏とシャルルを見て、簪はそのまま扉を閉めようとした。しかし一夏の足がそれを阻む。いったい何をしに来たのか、簪には分からない。それでも一夏の顔は険しい。何かシャルルに吹き込まれてきたようである。

「ごめん!」

(討ち入りとかやる気ですかこの無自覚ハーレムキングが!)

 一夏は力任せに扉を開き、バランスを崩した簪をそのまま部屋の中へと押し込んだ。それに続いてシャルルも部屋の中に入り、扉と鍵を閉める。

 そして、シャルルとともに頭を下げた。

「突然ごめん、でも、助けてください!」

「話が全くもって読めません。でも……今からはちょっと、先生の見回りがありますから出ない方が良いでしょうね」

「え、じゃあ……」

 希望を見たかのようにこちらを窺い見るシャルルに、簪は冷たい目線を浴びせた。幸いなことに今は見られて困るものは置いていないが、いきなり来られて迷惑なことに変わりはない。

 故に簪は一夏達にはお茶すらも出さず、自分の分だけインスタントコーヒーを淹れて一夏達に向き直った。

「それで、何の用です? 下らない用事であればすぐに寮長に突き出しますが、まさか仮にも女子の部屋に無理矢理押し入って下らない用事だとは言いませんよね?」

「それは、えっと、その……」

 言い淀むシャルル。それを見て、簪はコーヒーを彼らの手の届かないテーブルに置いてから端末を取り出した。

 そしてその端末を操作し、耳に当てる。

「あ、もしもし織斑せん」

「わーっ! わーっ! 待って待って! ちゃんと説明するから!」

「最初から普通に説明してくださいよ、全く……」

 簪が端末から手を離すと、シャルルは自身の置かれた境遇について語り始めた。要約すれば、自分は妾の娘であり、『白式』とその他フランスにとって脅威となりうるIS操縦者の情報を得に来た産業スパイなのだということだ。だからこそ簪の部屋に来たのだと。

 簪は微妙な顔をして問いかけた。

「えっと、だからわたしの部屋に来たの意味が全く分からないんですが」

「いや、分かるだろ!? だって更識さん、日本代表候補生の隠し玉らしいじゃないか。それに、生徒会長の妹なんだろ? 何とか出来るんじゃないのか!?」

(頼りに来たのはまあ良いんですけどその、それ、唆されてません? というか日本代表候補生の隠し玉って何ですか!?)

 簪は思わず心のなかでそう突っ込んだが、何も言い返さないわけにはいかない。何故なら、彼らの言い分の一分たりとも簪にとって関係のないことだからだ。

 だからこそ、簪はシャルルに向けて問うた。

「まず、その生徒会長の妹だから何とかできるっていう訳の分からない理論はどこから生えてきたんです?」

「そ、それは……お姉さんに話を通してもらうとか……」

「何故織斑先生ではダメなんですか? 言っておきますが、うちの姉はロシア代表です。日本とは接点がないわけではありませんけど、無論影響力は織斑先生の方が段違いで上ですよ」

 その言葉だけでシャルルは黙りこんだ。織斑千冬ではいけなかった理由は簡単なのだ。聞く耳を持ってもらえない可能性の方が高いのだから。簪を選んだのは単純に与しやすい方を選んだという、ただそれだけのことだ。無論多分にシャルルからの情報があったからでもあるが。

 そんなことは露知らず、簪は言葉を続けた。

「それでもわたしなんかを頼るということは、情に訴えかけた上で将来幽閉もしくは処刑されるだろうシャルル・デュノアを救ってほしいということですか」

「出来るんだろ?」

「軽く言わないでもらえませんかね、織斑一夏さん。わたしごときにどんな権限があると勘違いしているんです?」

 冷たく告げた簪の言葉に、二人は絶句したようだった。

(いや、そもそもスパイを国に引き渡さない暗部ってもうそれは暗部じゃないですよね? というか、わたしに権限があるとでも思ってるんですかこの二人)

 心のなかでそう呟いた簪は、更に追い討ちをかける。

「言っておきますが、わたしはあなた方に協力はしませんし出来ませんから。日本にしても、わたし個人にしても、そんな危ない橋ばかり渡れると思わないでください」

 それに、と簪は続けようとして言葉を呑み込んだ。どうせすぐにシャルルは捕縛されるのだ。目線の下の方で光るディスプレイに、通話中の文字が現れたままなのを確認して簪は二人を睨み付ける。

 すると、一夏が噛みついてきた。

「でも、このままだとシャルルが大変な目に遭うじゃないか!」

「この件に関してわたしが出来るアクションは教師に通報するか、政府もしくはIS委員会に密告するかのどれかだけですよ。シャルル・デュノアの今後の処遇なんて、わたしごときではどうすることも出来ません」

「どうにかしようとは思わないのかよ!?」

 一夏の言葉に簪は天井を仰いだ。出来ると思う辺りが楽天的であり、他力本願である。何故言葉を尽くして千冬を説得しないのか。そこに納得がいかない限り簪は一夏とは相容れない。

 そんな簪になおも一夏は言葉をぶつける。

「どうにか出来るだろ、お前なら! 日本代表候補生の隠し玉だし、俺にはできない手って奴を打てるじゃないか!」

「たとえば?」

「そ、それは……こう、何かあるだろ!」

 一夏は簪ならば何とかできる、という確たる自信を持っているからこそ、その方法までも考えることはなかった。その自信がどこから湧いてくるのかは全くの謎だが。どうにか出来る手段があるのにそれをしない簪に一夏はイラついていた。

 無論、一夏の言い分について自分勝手なところがあることは否定しきれない。だが、ここ数日をかけてシャルルに吹き込まれた『更識簪』像は簡単には崩れないのである。一夏の中では彼女はとんでもない天才であり、一夏には出来ないことが簡単に出来るスーパーレディと化していたのだから。

 そして一夏は自らの劣等感を簪にぶつけた。

「何で箒は守ったのにシャルルは守ってやれないんだよ!」

 その叫びに、一夏はシャルルのことを隠す気などないだろうと簪は思った。他の部屋に聞こえている可能性がかなり高いのではないだろうか。

 淡々と簪は一夏に返答する。

「篠ノ之さんを守れたのは割りと偶然ですよ。たまたまそこにいて、他に誰も彼女の命を守れなくて、わたしが頑張れば何とか出来ると分かっていたからやったことです。もっとも、だからといってこっちが代償を支払わなかったかと言われるとそうではありませんが」

「じゃあシャルルは!」

「デュノアさんの件は、わたしなんかが手を出しても意味がありません。状況が悪化するだけのところに手を出して何の意味があるんです? 幽閉か処刑が暗殺に変わるだけじゃないですか。それともわたしがデュノアさんを保護しろとでも言うんですか? そんなの無茶ですから。わたしごときが保護したところでデュノアさんに刺客が放たれるのは間違いありませんよ。それともISの情報を渡して欲しいんですか? 確かに各国からすればあれば困らない情報ですが、それをした瞬間わたしも捕まりますよ?」

 一夏が簪を睨み付ける。だが簪は怯まなかった。何故ならシャルルはずっと俯いたままだったのだから。

 だから言える。

「ねえ、分かってますかデュノアさん。あなたのことですよ? 他人事みたいな顔をしていますけど、あなたのことです。あなたがどう動くかを決めて、どうすれば生き延びられるのかをきちんと考えましたか? 誰かに頼るのは確定事項になってませんか? 誰かに頼りきりになって、おんぶでだっこ状態で本当に生き延びたいんですか? ねえ、デュノアさん。自分の自由を勝ち取るのに、自分では何の代償も支払う気がないのなら、それはもう誰にもどうしようもありませんよ? 死にたいのならご自由にどうぞ。他人を巻き込まないで大人しく死んでくださいよ」

「死にたくなんてないよ! ……でも、でも、だからって僕なんかに何が出来るって言うんだ!」

 シャルルがようやく意思表示をしたため、簪はそれを更に引き出しにかかる。ここまで教師が踏み込んでこないということは、何らかの情報を得たいということだろう。

 簪は敢えて実現可能そうでかつ教師たちとの話し合いが不可欠な提案をシャルルに叩きつけた。

「やろうと思えば何だって出来るでしょう。男装の理由をそれらしく……そうですね、たとえば織斑一夏さんへのハニートラップ対策のために学園から極秘に頼まれたですとか、生徒達の危機管理を見るために派遣されたとかですね……」

「そ、それは……でも、僕が言い張るだけじゃ……」

「そういうでっち上げを学園に呑ませられないんだったら、死ぬしかないですねぇ。未来を掴み取るには、代償が必要なんですよ。それは心だったり、覚悟だったり、自由だったりしますけど……自分の望みを叶えるためには、何かを差し出さなければならないんです」

 そんなの、と一夏が食って掛かろうとしたときだった。いきなり扉が開いたのは。

「お前は悟りすぎじゃないのか、更識」

「仕方ないでしょう、織斑先生。わたしはそう在らなければ生きてこられなかったんですから」

 平然と簪は返答しているが、一夏とシャルルは硬直してしまっていた。まさかいきなり教師がやって来るとは思わなかったからだ。

 千冬はそんな二人をちらりと見て出席簿を閃かせる。

「馬鹿共が。頼るべきはまず教師だろう。同じ生徒に、しかもよりによって更識なんぞに頼るな」

「え、ちょっと先生? わたしの評価酷くないですか?」

 簪の抗議に、出席簿が翻る。

「お前は自分の立場をもう少し考えてから物を言え。曲がりなりとも政府の犬だろうが」

(織斑先生酷すぎません? しかもちゃんと拒否してたじゃないですかやだーっ)

 心のなかで絶叫した簪は頭を押さえながら涙目になる。

「考えてたから言わなかったんじゃないですか、校則なんていう形骸に頼れだなんて。それにわたしは政府の犬であることを恥じはしませんが、誇りもしません。わたしはわたしの目的のために犬であることを選んでるんですよ」

「……フン。とにかくこちらでも作戦は立てるが、デュノアの言質を取ったのは誉めてやる」

 きょとんとした様子のシャルルだったが、簪には分かっていた。そのためにわざわざ煽ったのだから。

(まずは、死にたくないと言わせました。そこから死なないためにどうすれば良いのかを相談するのは大人の役目です)

 そして、千冬は一夏とシャルルを連れて簪の部屋を後にした。手続きや情報操作をするならば早い方が良いからだ。

 そうして、結果的にはシャルル・デュノアはシャルロット・デュノアとなり、混乱を避けるために一組に編入し直したのであった。その際に使われた名目は『双子の兄を守るために編入してきた』というものであり、その数日後に『シャルル・デュノア』は病死したこととなったのだった。




 ISのSSでの鬼門。シャルロットの扱いについてはこんな感じ。目新しいものではないだろうとは思うけどこれ以上で良い感じの解決法が思い付かなかった。


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ハーレム王と囚われの姫。金色を救える魔法使い。

 シャルロットからみた簪のお話。
 シャルロットが編入してから、一夏と一緒に簪の部屋に突撃するまでの閑話です。


 ある日の昼休み。シャルル・デュノアと名乗っている少女は一年一組を訪れていた。世にも珍しい男性操縦者に接触するためだ。そっと顔を覗かせてみると、こちらに気づいたらしい一夏が目を丸くした。

 そしてシャルルに近付き、問う。

「お前が二人目……?」

「うん、そうだよ、織斑一夏くん。よろしくね!」

(お前って、失礼な人だなぁ……でも、彼と仲良くならなきゃね)

 微笑みを崩さずシャルルはそう思った。すると、一夏が何を思ったのか手をいきなり握りしめて満面の笑みを浮かべる。

「よろしくな、シャルル!」

(ええっ、いきなり!? 日本人って大体Nom de famille()で呼び合うって聞いてたのに……!)

「え、あ、うん……よ、よろしく織斑くん」

「一夏で良いぜ、何たって二人しかいない男同士だからな!」

「そ、そうだね! ……そろそろチャイム鳴っちゃうし、教室に戻るよ、一夏」

 意趣返しにシャルルは呼び捨ててみるが、一夏が驚いた様子はない。むしろ喜色満面であった。彼にとっては男同士の呼び捨てはデフォルトのようである。

 教室に戻りながらシャルルは戦慄していた。

(ま、まさかこの人……Homosexuel(同性愛者)……?)

 それはそれで困る。何故ならシャルルはどうあがこうが『シャルロット』であり『女子』なのだ。彼の気持ちには応えられない。

(あ、でも事故でその、ぼ、棒を無くしたって言えば……な、何を考えてるんだ僕は!)

 悶々と考え込むシャルルにチョークが飛んできた。

「Oh la la!?」

「おーいデュノア、いきなり歌い始めなくて良いぞー。取り敢えず授業は聞けー」

「す、済みません……」

 額にチョークの粉を付けながらシャルルは謝罪した。くすくすと笑いが聞こえるのも追い討ちをかけてくる。恥ずかしくて仕方がないが、自分のしたことに対しての報いが来ただけだ。

(う、歌ったんじゃないよ……フランス人に聞いてきてよ……あうあう)

 それでも内心で反論しつつシャルルはその授業を終えた。そのあとにすべきは、短い休み時間を使っての交流だ。勿論簪との。シャルルにとって簪は同類なのだから。

 人を掻き分け、シャルルは簪の目の前に立つ。

「あの、更識さん」

「……何か用ですか、Monsieur」

 真顔でムッシューと発音する簪に周囲は思わず吹き出したが、シャルルはそれに疑問を覚えるだけだった。出来る限り名前を呼ばないようにしていることを、簪以外誰も知らない。その理由さえも。

 シャルルは簪に問う。

「お友達になってくれないかな?」

 その問いが終わらないうちに簪は声を上げた。

「お断りします」

「ええっ!? な、何で?」

 動揺するシャルルはそう問い返したが、簪からは冷たい答えしか返ってこなかった。問答無用で教科書を開いた簪はシャルルに目を向けることなくこう返答したのだ。

「言っておきますが、わたしは友人を作る気はありません。既に一人友人はいますが……あなたを信用できない以上は、友人どころか知り合いにもなりたくありませんね」

(なっ……!)

 予想以上に冷たい声。シャルルとは同類だと思っていただけに、裏切られたような気持ちになる。それでも確かなのだ。更識簪が戦争に行くために代表候補生にさせられたのは。それはシャルルも、『シャルロット・デュノア』も同じ。だからこそ分かり合えると信じていたのだ。

 ショックを受けた様子のシャルルを見て、他の生徒たちから簪へ厳しい視線が送られる。しかし簪はそれを察することなく教科書から目を離すこともなかった。

 ダブルでショックを受けたシャルルは放課後まで放心していたが、やがて担任から呼ばれていることに気づいた。

「デュノアー。聞いてるか、おーい」

「はっ、す、済みません!」

「これ、寮の鍵な。相部屋の相手は分かってるだろうから、くれぐれも問題は起こしてくれるなよー?」

「はい」

 妙に眼光が鋭かったが、気のせいだとシャルルは断じた。そうしないと気疲れし続けるだけだからだ。鍵を受けとり、1025号室へと向かうとそこには無論一夏が待っていた。

「よう、シャルル。昼ぶりだな?」

「そうだね、一夏。よろしく」

 淡々と言ってみたが、一夏はそれを緊張と取ったようで緑茶を出してみたり煎餅を用意してみたり、とにかく会話を途切れさせることはなかった。

(うう、鬱陶しいよぅ……でも、僕は……この人からデータを盗まなくちゃいけないんだ……)

 シャルルが唇を僅かに噛んだところで、一夏が会話を変えてきた。

「ところでシャルル、シャルルも代表候補生なんだよな?」

「うん、そうだよ。思ったよりIS学園に来てる代表候補生って多くてビックリしてるけど……『も』って?」

「ああ、今ISの操縦を教えてくれてるセシリアと鈴が代表候補生でさ。これで俺が知ってる代表候補生って三人目だ」

 その言葉にシャルルは天井を仰いでしまった。

(いやいや、まだまだいるでしょ!? というかたしかクラス代表戦って代表候補生ばっかりだったと思うんだけど!?)

 そんなシャルルに一夏が声をかける。

「シャルル?」

「あ、あのね一夏、一年生の代表候補生ってもっといるよ……?」

「えっ」

(何だよ『えっ』って! こっちが『Oups!?』だよ!)

 半ばやけくそになりながらもシャルルは毒づいた。これは教えてやった方が良いのかもしれない。主に近づかない方が良いだろうというニュアンスを込めれば、うまくいけばシャルルに依存させられるだろうとも思えた。

 だからこそシャルルはパソコンを開き、各国の代表候補生一覧を開いて一夏に見せた。

「ほら。一組にも日本代表候補生とドイツ代表候補生がいるし、二組にもカナダ代表候補生がいるし、三組にもオランダ代表候補生とタイ代表候補生がいるし、四組にも日本代表候補生と台湾代表候補生がいるじゃないか」

「ああ! あのいけ好かないドイツ人とロランツィーネ? と鈴の従妹なら分かるぜ」

(何で自慢げなの!? 僕の話聞いてないよね!? というか全員把握しておいてしかるべきだよね!?)

 シャルルの内心での突っ込みに気付くことなく一夏は日本代表候補生の欄を見て首をかしげていた。まさかクラスメイトすら分からないとでも言う気なのだろうか。

 シャルルは戦慄しつつ一夏に問う。

「どうしたの?」

「いや、誰だっけなぁ、と」

(Oups……この人、自分の置かれた立場ぐらい弁えさせないと周囲が大変なんじゃ……)

 とぼけた様子の一夏に、忠告するようにシャルルは告げた。

「……布仏さんはともかく、一夏は更識簪さんのことぐらい覚えておいた方が良いと思うんだけどなぁ」

「有名人なのか? セシリアみたいに」

 首をかしげる一夏に、シャルルは解説を始める。

「ミス・オルコットみたいな種類の有名人じゃないけどね。専用機は『打鉄灰式』で、『打鉄』っていうけど見た目はほとんど別物。僕が見た限りでは遠近両用のスタイルだと思うよ。凄いのは、それをほとんど自分で組んだってところかな」

「組んだって……ISを一人で組めるのって束さんぐらいだって聞いたことあるぞ?」

(待って一夏、束さんって……Docteur 篠ノ之のことだよね!? 面識……あるか。あのブリュンヒルデの弟だもんね)

 へぇ、凄いんだな、と一夏は呟いたが、その程度で済むのならば有名にはなっていない。それ以上に凄いのが徹底した情報封鎖なのである。シャルルですら専用機の名前と概要ぐらいで、武装を詳しく知っているわけではないのだ。

 だからこそ、シャルルは簪の情報を手に入れれば自由になれることを保証されているのだ。誰もが欲しがる情報を盗み取れれば、それを高値で売り捌いたり脅したりと使い道は多いのだから。

 それを説明することなく、シャルルは続ける。

「それに、日本代表候補生の中でも本当の意味での専用機を持っているのは更識さんだけなんだ」

「本当の意味、ってどういうことだ? 専用機は専用機じゃないのか?」

「いいかい、一夏。専用機持ちにはいくつか種類があるんだ」

 ぴっ、と指を立ててシャルルは一夏に教えにかかった。

「まずは一夏みたいな特殊な人。代表候補生でもないのに持ってる人ね」

「お、おう……」

「で、次に新武装のテストに来てるただの代表候補生。ミス・オルコットに凰さん達、二組のコメット姉妹、三組のルククシェフカさんなんかがそうだね」

 あえてシャルルが『ただの』とつけたのは、普通でない代表候補生もいるからだ。一夏にそれが理解できるかは別だが、シャルルの認識としては別物なのである。

「他にも新武装のテストに来てるけど半分軍に足を突っ込んでるボーデヴィッヒさんとか、自国の代表に人気を集めるために来てるローランディフィルネィさんとかもいるよ」

「ふ、ふむふむ……」

「で、僕やギャラクシーさんなんかはもし事故死でもしたら本国にいる別の代表候補生にすぐ乗り継げるようになってる『代わりのいる代表候補生』なわけ」

「え、じゃあ更識さんは?」

 一夏の疑問に、敢えて結論を最後まで取っておいたシャルルは答えた。

「更識さんは本当に特殊だよ。『打鉄』の流用機でありつつ新武装のテストもして、なおかつ彼女が死んでも誰も全容を知らないから乗り換えが出来ない……つまり代えが効かないんだ」

「は、はあ……でも、何で誰も全容を知らないんだ? 新武装のテストっていうぐらいなんだからいつかは実用化されるものなんだろ?」

「そのあたりの詳しいことは流石に僕には分からないけど……そこまで情報がないってことはそれだけのバックがあるってことなんだろうね」

 へぇ、と一夏は感嘆の言葉で返した。そんな彼にシャルルは一瞬愛想が尽きかけたが、グッとこらえた。今ここで一夏のデータを盗み出すのは簡単だ。媚薬でも盛って口止めすれば良い。だが、すぐにデータを盗み出せばシャルル自身の処分も早まるだけだろう。

 さあそろそろ寝よう、と思って話を切り上げたシャルルは、一夏の言葉に凍りつくことになった。

「あ、なあなあ、この『シャルロット・デュノア』ってお姉さん?」

「……え……」

(Oups……! 僕のバカ! 何で安易に代表候補生の一覧なんて見せちゃったんだよ!)

 ぐるぐると焦りながらシャルルが捻り出した答えは、苦し紛れながらも正当性のありそうなものだった。

「い、妹だよ! 双子の妹!」

「お、おう、そうか……」

 その場は何とか誤魔化し、シャルルと一夏は眠りについた。微睡みの中でシャルルは決めた。

(……まずは、信頼を得てから一夏のデータを盗む。次に何とかして更識簪のデータを盗むと同時に脱出、だね……出来るかなぁ。ううん、やらなくちゃ。僕が自由になるためにはそれしか出来ないんだから……!)

 

 シャルルは知らない。いくら一夏の信頼を得るためにさりげなく簪を持ち上げて伝えたことが、どれほどの誤算となるのかを。全てを台無しにするのが自らの迂闊さと一夏の善意から来るものとなることなど。

 




 別名:シャルルによる代表候補生解説回ともいう。

 シャルルによる簪讃歌↓
「あのね一夏、『ラファール・リヴァイヴ』自体が遠距離に向いてるんだ。それとは逆に、更識さんみたいにたくさんカスタムした『打鉄』はまた別なんだけど、カスタムしてない『打鉄』は近接向きなわけ」
「そういえば一夏の『白式』って後付武装がつけられないんだったっけ? もしかしたら更識さんに言えば改造してくれるかもしれないけど……何しろ自分一人で武装まで組み上げちゃう人だからね」
「四組からはやっぱり更識さんが出るんだろうね、リーグマッチ。僕も頑張らないと……一勝も出来ないまま負けられないし」
「一夏ももっと訓練しないと凰さんに負けちゃうよ? 特に四組の凰さんは更識さんと訓練してるみたいだから……」
 このように、シャルルが刷り込みのようにしつこく『更識さんは凄いぞ!』をやらかした結果、一夏は千冬には劣るがそこそこ凄い完璧女子として簪を認識した模様。


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学年別個人トーナメント。個人とは何だったのか。

 大変。原作が息してないの……

 2019/5/4追記:感想によりご指摘のあったイギリス周辺の設定を追記しました。(セシリアがそもそもノブレス・オブリージュを体現してないとか言っちゃいけない)


 簪にその情報がもたらされたのは、まさに目の前でラウラ・ボーデヴィッヒの蹂躙が始まらんとしているときだった。それを伝えたのは乱音だ。むしろそれ以外に簪に話しかける人物などロランツィーネぐらいしかいない。

 簪はその知らせに思わず聞き返してしまった。

「え、個人トーナメントがタッグトーナメントになったんですか?」

「そうなのよ。織斑一夏と組むんじゃなかったら、専用機持ち同士は組めないんだって」

 アリーナへと飛び出してそう告げた後、目の前の状況に顔をしかめる乱音。彼女らの目の前では、ラウラが鈴音とセシリアを挑発し、蹂躙しようとしていたのだ。乱音にもその状況が不味いものであることくらいは分かっていた。

 乱音は思わずオープン・チャネルで鈴音に声をかけていた。

「ちょっと鈴おねえちゃん、落ち着きなよ」

 しかし、鈴音は乱音の言葉に激しく噛みついた。

『アンタは黙ってて! 一夏のことを侮辱されて平然としてるなんてアタシには出来ないわよ!』

『ええ、鈴さんのおっしゃる通りですわ! 関係ない貴女はお黙りなさいまし!』

 何故かセシリアからも返ってきた答えに乱音は遠い目になった。普通に考えて『戦争には行かない代表候補生』たる鈴音が『戦争にも行ける代表候補生』たるラウラ・ボーデヴィッヒに勝てないのは必然なのだ。それはもちろん『戦争には行けない代表候補生』セシリアも同じことだ。そして、『戦争には行かなくても良い代表候補生』乱音も。

 そもそも鈴音が『戦争には行かない代表候補生』であるのは、既に顔も売っている上に台湾との共同武装《衝撃砲》を扱える人材だからだ。中国にとっては失えない人物なのである。故に訓練はされているものの、戦争に行けるレベルには洗練させてはいない。むしろそこまで訓練しないことで他国に侮らせているといっても良い。

 それに、セシリアが『戦争には行けない代表候補生』であることはアイドル化されているからではなく、IS適正の高い女性貴族だからだ。国民に人気も高く、IS適正も高い名門オルコット家の当主をまさか戦争には行かせられないのである。行かせた瞬間イギリスは、セシリア信者という名の女性優位主義者とそうでない者達との内紛に逐われてそれどころではなくなるだろう。

 なお、イギリスの貴族には『ノブレス・オブリージュ』の思想が半ば不文律としてあるが、それはセシリアが戦争に行く理由にはならない。確かにセシリアは貴族であり、率先して戦争に行くべきなのだろう。だが、ここ十年で世相は様変わりしているのだ。

 ISができ、イギリスは世に女尊男卑の思想が蔓延りだした初期にその思想に染められた。そこで女性貴族に求められる役割が変わったのだ。積極的に戦争に参加することで数を減らすことで社会に対する義務を果たすよりは、IS適正の高い女性貴族が子を成してより強い盾を作り上げる方向へとシフトしたのだ。

 そのために、爵位継承の条件の最優先事項として正式に『IS適正の高い女性貴族』が付け加えられた。もちろんここにはこれまで爵位の継承において例外はあれど男の方が有利であったことに対する嫉妬も含まれている。

 その代わり、貴族には更なる義務が付け加えられることとなる。それは優秀なIS操縦者の育成であり、イギリス貴族はセシリアという例外を除いて全てがIS学園あるいはその類縁機関に出資していた。

 セシリアが例外なのは、彼女にも重い義務が課せられているからだ。本人は自覚していないが、国民は織斑一夏というIS適正のある男とセシリアとの間に子を成すことを義務として求めている。よってセシリアは貴族でありながらも一夏に近づくために高いIS適正という大義名分で専用機を与えられ、しかしながら優秀な子を成すために従軍を免れる稀有な存在であった。

 対するラウラに関しては、無論『戦争にも行ける代表候補生』だ。他国のIS乗りと戦い、殺すあるいは二度と再起できないように痛めつけるのが役目だ。そもそも生まれからして『兵器』なのだから、そもそも人権があるかどうかすら怪しい。そんな『兵器』と『一般人に毛の生えた程度の代表候補生』とでは訓練量からしてまず違うのである。勝てるわけがない。

 そしてこの場で『兵器扱いできる代表候補生』ラウラと相対出来るのは、その理屈でいけば『戦争に行かされる代表候補生』簪だけだ。簪ならばラウラの動きについていける上に叩き潰すことすら可能だろう。誰も足手まといがいなければ尚更だ。もっとも、ここに『戦争にしか行けなかったはずの代表候補生』シャルロットが現れればまた別の話になるだが。

 簪は『戦争に行かされる代表候補生』である前に『対暗部用暗部』用の切り札なのだ。日本に忠実であることを求められ、戦時ともなれば真っ先に徴兵される。顔を売るわけにもいかない。それでもギリギリ名前だけが売れている日本代表候補生としてIS学園にいるのは、売国奴と見なされかけている姉楯無の監視のためである。そうでなければ軟禁の上で戦闘訓練に明け暮れることになっていたはずだ。

 そしてシャルロットは、妾腹の娘であり表沙汰には出来ない娘であったことから『戦争にしか行けなかったはずの代表候補生』だったのだ。今では『シャルル・デュノアを守るために派遣されたシャルロット・デュノア』という地位を手に入れているから真っ当にIS学園に通えるようになっている。当然、顧みられない身であった彼女の訓練量は他の代表候補生とは一線を画していた。

 それらのことを勘案し、この場にいるのは簪だけだからこそ乱音は彼女を仰ぎ見て。冷たい目で彼女らを見下ろしている簪に戦慄した。まさか介入しないつもりなのだろうかと思えるほど、それは冷たかった。実際に簪にはそこに踏み入る気など一切なかったので冷たい目をしていても何らおかしなことはない。

 だが乱音はそれを信じられなかった。

「あ、阿簪(āzān)……?」

 思わず声を漏らした乱音に、簪はそっけなく返す。

「安心してください、阿乱(āluàn)。すぐに生徒会長が生えてくるんで」

 そう言い終わらないうちに、簪の背後に誰かが立った。そんなことをする人物など一人しか知らない簪は冷たい目で一瞥し、目をそらした。一秒でも早く立ち去って欲しかったのだ。相手をするのが面倒だから。そもそも生理的に受け付けないのである。それがたとえ本音の姉虚であったとしても、簪は姉と慕うことは出来ないだろう。姉とは自分を支配し人形にするものだと思い込んでいるのだから。

 そんな簪の背後に立った楯無が、茶目っ気たっぷりに返答した。

「やん、簪ちゃんったら……お姉ちゃんは植物じゃないわよ?」

「ほら、湧いて出てきたでしょう?」

 このウジ虫が、とでも言いたげなほどの絶対零度の声に、楯無はよよよと演劇調にくずおれてみせた。なお、忘れられているだろうがこの場所はアリーナ。当然楯無はISを纏った状態である。とんだ高等技術の無駄遣いだ。全くもって意味のない行動をして威厳を落とすぐらいならばやらない方がましである。

 『ミステリアス・レイディ』に細かい操作を脳内で命じながら楯無は落ち込む。

「扱いが何か下がった……」

「ぐだぐだ言ってないでとっとと行ってきてください。何のための生徒会長なんですか」

 手を追い払うように振ると、ふて腐れたように楯無はその場から移動した。やったことは本当に単純だ。瞬時加速でラウラと鈴音達との間に滑り込み、両方からの攻撃を無効化した。ただそれだけのこと。

 そして、ラウラに向けてドイツ語で告げる。

Dieser Kampf hat keine Bedeutung.(戦っても意味がないわよ)……だってその子達は根本的に貴女とは違うもの」

 突如現れたISに反応したラウラはすぐさま楯無に攻撃を加えようとしたが、踏みとどまった。楯無に見覚えがあったからだ。ものの数秒もかけずにラウラは楯無の正体を悟る。学生の身でありながら国家代表に上り詰めた女。売国奴の更識楯無である、と。専用機は元『モスクワの深い霧(グストーイ・トゥマン・モスクヴェ)』であり、ナノマシンを活用した第三世代機『ミステリアス・レイディ』だったはず、と思い出して距離をとった。

 そして唸るように声を絞り出す。

「お前は……ロシア代表か」

「その通り。本気の戦いがしたいのならきちんと国に許可を取りなさい。そうでなく、憂さ晴らしがしたいのなら……私が相手になっちゃうわよ?」

 数瞬の視線の交錯。ラウラは彼我の戦闘力を比べ、そして戦闘体勢を解いた。今のラウラでは、いかにお飾りの代表とはいえ更識楯無には対抗できないからだ。何故なら楯無は『戦争にも行ける代表』なのだから。たとえラウラが『兵器』であったとしても、『代表』と『代表候補生』とでは雲泥の差だ。

 それが分かっていたから、ラウラは舌打ちをした。

「……フン。命拾いしたな? 牝犬共が」

「それはこっちの台詞よ!」

「貴女も貴族を侮辱してただで済むとは思わない方がよろしくてよ」

 セシリアと鈴音が再び火に油を注ぐ真似をしたが、楯無が目線で牽制したので大人しくなった。そもそも強がっていた鈴音とセシリアはこれ以上戦えば個人トーナメントに出られなくなるため、動けなかったとも言う。そのままラウラとセシリア、そして鈴音はその場の空気に居たたまれなくなったのか、すぐにアリーナから立ち去っていったのだった。

 そしてここからが簪にとっては問題だった。事実上織斑一夏と組む以外、専用機持ちとは組めないということは簪にとって死活問題である。何故なら、専用機持ちでない女子をほぼ知らないからだ。専用機持ちである以上、出ることになってしまうのは必然。ならば誰かを誘って無様ではない程度に勝たなければならない。

 そして、選ぶ対象に四組の生徒は入らない。何故ならほとんどが整備科志望で、残る操縦科志望の生徒は簪の指導から逃げ続けているからだ。話すことすら出来ない。ならば誰を選ぶべきなのか、と考えて愕然とする。

(いやはや、誰を選ぶべきなんですかねぇ……いや、そもそも操縦科志望の他クラスの生徒を誰も知らないっていう方が正しいんですけど……ねぇ? まさか一度話したからって篠ノ之箒を選ぶわけにもいきませんし……篠ノ之博士のこともありますしね……かといって他に誰か知り合いがいるわけでもないですし……むむぅ、どうすべきなんでしょうか。本当に悩ましいですね……)

 そうしているうちにも組み合わせはどんどんと決まっていくようだ。一夏はシャルロット・デュノアとなった少女と組んだ。セシリアは同室の如月キサラと組んだ。鈴音はティナ・ハミルトンと、そしてロランツィーネはエルシェ・メイエルと組んだ。乱音も無事に林玉玲と組めたらしいと聞いた。ヴィシュヌもタイ出身の通称エリカと組んだそうだ。専用機持ち同士が組まない、というルールを覆さざるを得なかった特殊なIS乗りのコメット姉妹はそのまま二人で組むことになったようである。

 そんな風に次々とペアが決まっていくなか、簪は思い悩みながら日々を過ごしていくのだった。悶々とするだけで決める気のない簪に声をかけるものはいない。タッグマッチが行われるその当日まで。なお、そのつけとして簪に支払われた代償はとてつもなく大きかったことをここに明記しておく。




 代表候補生達の評価まとめ

 日本
  本音→更識および布仏への人質として戦争に駆り出せる代表候補生
  簪→楯無への人質として戦争に行かされる代表候補生
  (山田真耶→非常時に限り戦争に駆り出される元代表候補生)

 中国
  鈴音→半ばアイドル化しているので戦争には行かない代表候補生

 台湾
  乱音→鈴音の顔が売れているので(特に中国との)戦争には行かなくても良い代表候補生

 イギリス
  セシリア→IS適正の高い女性貴族であるため戦争には行けない代表候補生
  サラ・ウェルキン→特権階級でもないため戦争に駆り出せる代表候補生

 ドイツ
  ラウラ→軍属であるため戦争にも行ける代表候補生

 フランス
  シャルロット→表沙汰に出来ない娘だったために戦争にしか行けなかったはずの代表候補生

 ロシア
  (楯無→外交上の問題で(主に日本以外との)戦争にも行ける代表)
  (ログナー・カリーニチェ→高い実力と残念な性格をもとに生殺与奪を国家に握られているので戦争にも行ける元代表)
  クーリェ→性格的に戦争には向かない予備代表候補生

 オランダ
  ロランツィーネ→主に女子向け(攻めがロランツィーネ)ハニトラ要員なので戦争には行かなくても良い代表候補生

 タイ
  ヴィシュヌ→母の実力と同等のものを期待されて戦争に行ける代表候補生

 ギリシャ
  フォルテ→主に女子向け(受けがフォルテ)ハニトラ要員なので戦争には行かなくても良い代表候補生
  ベルベット・ヘル→性格的に戦争に行ける予備代表候補生

 アメリカ
  ダリル→(傭兵扱いで)戦争に駆り出される代表候補生
  (イーリス→軍属であるため戦争に行ける代表)

 カナダ
  ファニールとオニール→アイドルなので戦争には行けない代表候補生

 イタリア
  (アリーシャ→独特の性格から戦争に行く代表)

 ブラジル
  グリフィン→戦争にしか行けない代表候補生(彼女に関してのみ独自設定が発揮されるため理由は開示しない。ヒントは姓)


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学年別タッグトーナメント。どうせイベントは。

 IS界の鉄則。

 イベントは無事には行われない。


 学年別タッグトーナメント当日。簪は死んだ目でタッグのパートナーの発表を見ていた。

(これはちょっと……いや、イベントは中止になるのが定石でしたよね? つまりこうなってても別に良いんですよね?)

 そもそも学年別タッグトーナメントに出る人物というのは思いの外少ない。当然、偶数になるなどという偶然もないのである。出場者は奇数だったのだ。そして、あぶれたのは簪だった。そういうことだ。

 第一試合は無論のこと、一夏とシャルロット対ラウラと箒だ。その後の試合が行われるかどうかは別であるが、第二試合はセシリアと一組の如月キサラ対鈴音と二組のティナ・ハミルトン。昼休憩を挟んで第三試合はロランツィーネと三組のエルシェ・メイエル対オニールとファニール、第四試合は乱音と四組の林玉玲(Línyùlíng)対本音と一組の夜竹さゆか。夕方にも休憩を挟んだ上で第五試合にヴィシュヌと三組のエリカ・デュアー(なお愛称かつ通称であり本名ではない)対簪、そして第六試合にクーリェと三組のダリヤ・ヴァイルシュタイン対第一試合の勝者である。なお、オニールとファニールが代表候補生かつ専用機持ち同士で組んでいるのは機体上の都合であり、例外である。

 なお、今回のタッグトーナメントでは、専用機持ちを含まないチームが弾かれている。特別扱いされた箒以外、一般生徒の出場は見送られたのだ。故に抽選待ちをしたラウラと簪のどちらかがあぶれることになり、箒を勝たせるためにラウラと組ませたのである。それは二年、三年も同様であり、出場数の多い一年生と比較的少ない二年、三年生とで会場が分けられていた。

 そんな中、簪は千冬の指示を受けて貴賓席の警備に当たっていた。その他の専用機持ちは警備には駆り出されていないが、最低限ここだけは必ず守れと言われたのだ。最悪の場合はその他すべてを見捨てても良いと言わんばかりにそう言い放った千冬に対し、不信感が湧くのは仕方のないことなのだろう。

 もともとひねくれた思考回路をしている簪にはこう言っているように思えた。

(要人以外の有象無象なんて、何人死んでも良いってことなんですかね? もしそうなら軽蔑しますけど……)

 簪はそんな思考を巡らせながら試合の様子を観察する。一夏とシャルロットはどこかぎこちなくも連係は取れているようだ。対するラウラは箒に合わせているだけだ。箒が一夏に突っ込んでいくのを背後から援護するだけ。原作よりもある意味二人で戦っているとはいえ、足手まといを抱えたラウラに勝ち目はないのだ。たとえ箒が剣道の有段者であったのだとしても、剣道とISを使った剣道とでは動きが全く違うのだから。

 確かに相対する一夏はクラス代表戦よりも動きは良い。ただし燃費が悪すぎて話にならないのはまだ変わりないようで、どこかぎこちないままなのだ。それをシャルロットがカバーしているから形にはなっている。もしもシャルロットがただの代表候補生ならばラウラに軍配が上がっただろう。シャルロットもまた、戦い慣れしているからこそこの微妙なバランスが取れているのだ。

 その様子を見ていた要人が、解説を求めるためなのか簪に声をかけた。

「Mademoiselle 更識。あの珍獣の動きは誰に鍛えられたのだと思う?」

 その問いかけに、簪は大いに驚いた。いきなり声をかけられたからではない。その内容自体に驚いたのである。まさかいきなり『お嬢ちゃん』扱いされるとはついぞ考えていなかった。

(この人、確かフランスの要人でしたね)

 簪は相手の立場を思い出すと、淡々と返答する。

「無論、亡きMonsieur デュノア及びその後を引き継いだMadame デュノアでしょう。ついでに申し上げておきますが、10年ほど前に公文書でmademoiselleという単語を使わないことを決定したはずのフランス政府の方が何故使われるので?」

 簪の返答に驚いたのか、その女性はわずかに目を見開いた。確かにフランスでは、2012年に公文書でmademoiselleという単語を使わないことを決定している。彼女がその単語を使っているのはただ単に見分けるためだけなのだ。まさか簪が引っ掛かるとはつゆほども思っていなかったが。mademoiselleとは、父親に管理されている女性を指す単語なのである。これに過剰反応するのは女尊男卑の思想を持つものだけだった。

 簪も女尊男卑の思想に染まった人間なのかと考えつつ、フランスの要人は言葉を選んで返答した。

「よく知ってるわね。……単純に癖で言ってしまっただけよ」

「気を付けた方が良いですよ。男女平等を謳う邪教徒として天罰(笑)を食らわされたくないのでしたらね」

 その瞳は澱んでいたが、真剣だった。本心からそう言っているようだ。ただ、どういう魂胆なのか彼女には分からない。

 訝しげな顔を向けていると、簪はそれに気づいたようにポツリと漏らした。

「……たとえ自分がどんな思想に染まってようが、他人とは相容れない可能性ってあるじゃないですか。特に政府の方なんですし、そんなところでトラブルを呼び寄せなくても良いんじゃないかなって……」

 最後にごにょごにょと言った言葉は聞こえていなかったようだが、その言葉だけで彼女には簪がどういう人間なのかわかった。面倒くさがりの出不精である。あとは口下手と言ったところか。これは確かに扱いに困る人材だろう。何せ自発的には滅多に動かないのだろうから。

 だからこそ、フランスの要人はこの究極の面倒くさがり屋を動かせたシャルロット・デュノアに価値を見いだしていた。そもそも更識簪の情報はかなり少ない。制限されているといって良い。もし仮に日本と戦争になった場合、必ず出てくるだろう彼女の情報は貴賓席にいる人物たちならば喉から手が出るほど欲しいものなのだ。無論、貴賓席にいない人物たちにとっても。

 

 だからこそ、ここで暴挙に出る人間がいてもおかしくないのである。

 

 最初にそれに気づいたのは、やはり警戒を怠らなかった簪だった。

「ご来場の皆様、緊急事態のようです。身を伏せて扉と窓から離れてください」

 まるで羽根のようにふわりと浮いた簪が、扉の前に立つ。瞬間、扉が破壊されて『打鉄』を纏った闖入者が現れた。それを認識した簪はシールドを部分展開して要人の身の安全を確保する。ついでに窓側にもシールドを展開しておく。ちらりと見えた限りでは、黒いISが暴走を始めていたからだ。流れ弾が飛んでこないとも限らない。

 簪を見た闖入者は何故かわずかに硬直し、次いで斬りかかってきた。

「いやああああああっ!」

「済みませんね。この髪挿しは、特別製なんですよ」

 そう言って簪は不器用ながらに口角を僅かに上げた。無論、『打鉄灰式』を完全展開しなければ身の危険はある。ただしそれ以上に狭い貴賓室では展開しても邪魔になるだけなのだ。部屋の中の備品に引っ掛かって誰も助けられませんでした、ではお話にもならない。故に、ISを纏わず髪挿しで応戦したのだ。ただし髪挿しといってもただの髪挿しではなく、ISのブレードと同じ構造のものなのだが。

 闖入者から目を離さず、プライベート・チャネルで楯無に連絡を入れる。

『姉、貴賓室に侵入者です。数は一、ただし周囲からの応援は無理そうです』

『そのようね。状況は確認してるわ。……10分よ。それだけで良いから持ちこたえて頂戴』

『承知』

 会話が終わると同時に闖入者はブレードを振るい、簪を害そうとする。しかし簪はそれを髪挿しで受け、決して背後に攻撃がいかないように守りの体勢に入った。今簪に出来ることは、背後の要人達を守ること。それはあのときのようで、自然と荒くなりそうになった息を整えて闖入者を睨み付ける。そして、そのブレードが振るわれた。

「……っく」

 無論簪とて余裕であるわけではない。

(これは……ちょっと、キツいです……!)

 ギリ、と歯を食いしばって攻撃を何とか捌く。ただし攻撃はしない。否、出来ない。防ぐことはギリギリできても、あれだけの暗部としての訓練を受けても、誰かを傷つけることは簪には出来ないからだ。むしろ、攻撃できる隙など見えなければ良いと簪は思った。うっかり殺してしまうことになれば、恐らくもう簪は立ち直れないのだから。

 一度、二度、三度。簪が攻撃を防ぐ度にその剣閃は鈍っていく。その理由を簪が知るのはもう少し先の話だ。今はそれを知ることが出来ない。鈍る剣閃の理由を知ることができないからこそ、実力的には闖入者が遥か高みにいるにも関わらず拮抗できているのだ。闖入者が無意識のうちに手加減しているから。そうでなければ生身で闖入者と戦い続けるなどという芸当が出来るわけがないのである。

 簪には、その時間が数日にも思えた。実際には20分ほどのことである。そこに現れた水の色のISに、闖入者は舌打ちをした。

「……潮時か」

 それに、楯無はふふんと自信ありげに笑ってこう返した。

「あら、大人しく投降してくれても構わないのよ?」

 しかし、闖入者はその言葉に激昂した。

 

「何故この私が貴様なんぞに投降せねばならんのだ……全てを彼女から奪っていく貴様に!」

 

 反転、次いで全力での瞬時加速及び剣閃。そもそも世代が違うというのに、闖入者は一瞬であっても楯無を圧倒してみせた。そしてそのまま逃走したのである。

 そんな彼女は、簪にだけ置き土産を残していった。

 

『どうか、私の分まで幸せになってくれ』

 

 遺言のようなその言葉に、簪は放心して座り込んでしまった。先ほどまで相手をしていたのが誰なのか理解してしまったからだ。嫌というほどに。

 体を震わせ、簪はそのまましばらく動くことすらままならなかった。故にちょうど良かったのだろう。対外的な交渉等に追われ、学年別タッグトーナメントが中止となったのは。

 その後数日、簪の姿をみたものはいなかった。




 三組のエリカ氏について。彼女はタイ出身である。これがまず前提条件。
 タイでは愛称もとい通称で呼ばれることが多く、会社などでも使われている。また、本名を変えてしまうこともあり、親と子で姓が違うことすらあるらしい。
 それらを踏まえ、ヴィシュヌすら巻き込んでの独自設定が炸裂してしまった。要するに、ヴィシュヌも国際的に通用する呼びやすい名前を通名として付けられたということになる。普通は姓まではないが、形式として姓もあった方が国際的に一般的であるから姓まで英語っぽい名前となったという設定。
 エリカに関しては、女尊男卑とISの普及に伴って広がった日本っぽくも英語っぽくも取れる名前にしただけ。10秒で決まった。この先出てくる予定があるかと問われると疑問。

 両者に関して、本名を開示することはない。(タイの人の名前が難しすぎて付けられないともいう)

 なお、代表候補生のパートナーはセシリアと鈴音以外、同じ国(林玉玲については一応地方となるのか?)の出身である。

 ついでに必要ないだろうが二年、三年のトーナメント表。(なお楯無はロシア代表なので本戦には出場しない)

 第一試合
  フォルテとギリシャの生徒対サラ・ウェルキンとイギリスの生徒

 第二試合
  ダリルとアメリカの生徒対グリフィンとブラジルの生徒

 第三試合
  第一試合勝者対第二試合勝者

 第四試合
  第一試合敗者対第二試合敗者

 第五試合
  楯無と虚対優勝者(エキジビションマッチ)

 第六試合
  専用機持ちのみのバトルロワイヤル


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夏だ。だが水着を着るかと言われると。

 臨海学校前のお話。


 学年別タッグトーナメントから数日後。簪は乱音と何故かロランツィーネと共に大型総合施設『レゾナンス』に来ていた。それは勿論水着を選ぶためだ。しかし、簪は水着を着ようなどとは一切思っていなかった。体型を晒すリスクを犯してまで泳ぎたくないというのが一つ。そして、そもそも簪はカナヅチだというのが最大の理由である。

 そんなこととは露知らず、乱音とロランツィーネは張り合っていた。

「簪にはこれが似合う!」

「はぁー? そんな派手なの似合わないって! 幻想を押し付けるのは大概にしなさいよ!」

「……済みませんどっちも着れません……」

 ロランツィーネが持っていたのは黒いセパレートタイプの水着だ。箒達のようにふくよかでない胸元をボリューム増し増しで飾る黒いフリルに、腰元に大きく付けられた蝶のようなリボン。取り外し可能なパレオにもフリルがふんだんにあしらわれていて、言ってしまえば泳げる派手なへそ出しドレスである。

 対する乱音が持っていたのは白いワンピースタイプの水着だ。首の後ろで布を結び、谷間の布は銀色のリングで連結されている。胸の下から広がるギャザー状になった白い布が膝上まで広がっている。勿論ノーパンではなく、シンプルな白いショーツが付いていた。

 それら二つを簪が着るかと言われると、否だ。恥ずかしすぎて着られるわけがない。かといって、他のものを選ぶかと言われるとまた別の話である。出来ることなら着たくないのだ、水着などというものは。特に知り合いの前では。

 と、そこで簪の携帯が鳴った。

「ごめんなさい、出てきます」

「行ってらっしゃい」

 二人から離れ、電話を受けるとその後ろに聞こえるBGMがここ『レゾナンス』のものであると気付いた。どうやら相手はこの中からわざわざ簪に電話を掛けてきたらしい。そこまでを判断するのに0.5秒。無駄な技術を使っている。

 簪はいつものように受け答えした。

「はい、こちら更識の携帯です」

『お前の携帯にかけているからそれは分かっている。業務連絡だ』

「伺います、織斑先生」

 何故千冬が『レゾナンス』にいるのか分からないが、どうやら重要な話らしい。それも漏れても問題ないようなものだ。そうでなければ盗聴を気にかけられる場所で対面して会話するだろう。それこそ、IS学園内の職員室や生徒指導室など。

 そんなことを簪が考えているとは露知らず、千冬は簪に命ずる。

『お前を含む数名の専用機持ち代表候補生は臨海学校の警護に当たることになった。当然だが、海で遊ぶなどということは出来ないと思え』

「……それはまた。代表候補生の詳細は教えていただけないので?」

『この端末ではな。……とにかく、遅くなって済まないがそういうことだ』

 そう言って千冬は一方的に通話を終えた。拒否権は無論なかった。

(え、これって原作とは違いますよね……? まあ『更識簪』は臨海学校に参加してませんけど……うーん)

 千冬のせいで思いがけなく悶々とする羽目になった簪は、思い悩みつつ乱音達の元へと戻ろうとした。しかし、あまり距離がないはずなのに何故か時間がかかる、と思って見回してみれば人だかりができてしまっている。その理由を簪が知るのはすぐである。もっとも、知りたくなさすぎる理由だったが。

 そして二人のところに戻ると、簪は思いがけないものを見る羽目になった。何と乱音とロランツィーネが意気投合して一人の女性を嗜めているのである。

「ね、オバサン。悪いことは言わないからやめときなさいよ」

「だ、誰がオバサンよ!?」

「済まない、レディ。だが、口は悪いけれどほとんどは乱の言う通りだ。やめておいた方が良いと私は思うよ? レディのためにもね。何せ、すぐそこにお姉様がいらっしゃるから」

 そう言ってロランツィーネが指した先には修羅と化した千冬がいた。状況を見るに、どうやら一夏に絡んでいた女性がいたらしい。しかも世界最強の目の前で。とんだ勇者である。ただ、その勇者はそれに気づいていなかっただけのようで、千冬を見てガタガタと震え始めたが。

 この中に入るのは嫌だったが、中に友人がいるとなるとまた別だ。目立っているのは分かっていたが、乱音のそばまで行ってみると事態が理解できる。要するに女尊男卑の思想に取りつかれ、断れなさそうな顔の男性に絡んでいたのである。

 しかも簪は非常に残念なことに、その女性に見覚えがあったのだ。

「何やってるんです?」

「あんた……いえ、お疲れ様です、お嬢様!」

 いかにも女尊男卑の一派です、と言わんばかりの雰囲気を醸し出していた女性は一気に雰囲気を変えたのである。びしり、と敬礼したその女性は、非常に残念なことに更識の使用人の一人だ。どうやら陰ながら護衛されていたらしい。それも簪ではなく、一夏が。だというのに一夏に絡むという体たらくである。そもそも一夏に対して何かの工作を仕掛けたかったのだと言われても納得できる。納得できるのだが、暗部として女性は失格だ。

 呆気なく立場を明かしてしまったその使用人に簪は冷たい一瞥をくれてやった。

 

「帰れ」

 

 出た言葉は遠慮のない命令。暗部とは一体何だったのかとでも言わんばかりに正体を明かしてくれる彼女には減棒三ヶ月が妥当だろうか。いや、否だ。そもそも一夏に絡むなどという面倒なことをやらかしてくれた彼女にはもう未来などないだろう。

 簪は内心でため息をつきながら呟く。

(暗部失格というか、向いてませんよこの人……)

 女性は残念ながら簪の視線の意味に気づいてはいないようだった。

「はい喜んで!」

 喜色満面で踵を返そうとする女性。しかし、簪は彼女の腕をむんずと掴んで握り締めた。しかも悲鳴が出せないよう悶絶する場所を選んでの所業である。女性は顔面をひきつらせて声にならない声をあげた。

 しかしそれに構うことなく簪は追い討ちをかける。

「違う、土に還れ」

「……っ?」

 女性は困惑したように見てくるが、生憎簪は本気である。護衛というのは、相手に悟らせる手もあるが敵の多い人物の護衛をする場合は規模を悟らせないことが肝要だ。見えない戦力ほど恐ろしいものはないのだから。そもそも個人的な事情で護衛対象に手を出すなど言語道断である。

 簪は更に畳み掛ける。

「どうした? 『はい喜んで』だろう? とっとと喜んで土に還れよ」

 いつもと違う口調にロランツィーネが動揺したように口を挟む。

「か、簪?」

「ああ、黙っててくださいね? ローランディフィルネィさん。これはわたしの実家の問題ですから」

 他の誰にも口を出すな、とそれらしい理由をとってつけた簪に、誰も口を挟まない。挟めない。あまりの迫力に、誰も。

 空気の読めない一夏以外は。

「あ、えーと、更識さん……?」

「何ですか? 身内が変にご迷惑をおかけして済みません」

 そう若干ずれたような気もしなくはない謝罪をした簪に、一夏は目線を泳がせた。その視線の先には千冬がいる。どうやら千冬から言われたようだ。

 そう思ってぼーっと千冬の姿を見て簪は違和感を覚えた。

(何だ、弟とお楽しみ中でしたか……いや待ってください? あの女水着持ってるような……)

 まさかの千冬の持つものを凝視しそうになりつつ、簪は一夏の言葉を待つ。まさか生徒に警備を任せておいて水着では遊ばないだろうと思いつつ言葉を待つと、想定外に一夏は挙動不審になった。

「いやそれは良いんだけどな? 千冬姉がその……どっかに連絡してるみたいだからさ、そのくらいに……」

「そうそう、そのくらいにして頂戴? 簪ちゃん」

 どもる一夏の陰からひょっこりと現れたのは楯無だ。簪は思わず虫を見るような目で見てしまった。

「どこから湧いてきたんです?」

「いやん、分かってるくせに」

 そう言ってくねくねと体をくねらせるのは最早変態にしか見えなかった。故に簪はそれに相応しいだろうと思われる対応をとる。

「……やっぱり熱湯消毒すべきですかね? ちょうど近くに紅茶の自動販売機がありますし」

「やめて!? 本気で買おうとしないで簪ちゃん!?」

「嫌ならとっととアレをどうにかしてください」

「すぐやるわ!」

 楯無は使用人を回収すると、そのまま風のように颯爽と立ち去っていった。どうやら用事はそれだけだったらしい。

 もっとも、去り際に楯無は簪に対してプライベート・チャネルを送りつけてきたが。

『頑張ったから誉めて、簪ちゃん!』

『その使用人、姉の付き人候補でしたよね。やめておいた方が良いです。向いてません』

『分かってるわよ。しかるべき対処はするわ。……それはそうと、誉めて!』

(犬ですかこの人……)

 ため息を吐きながら簪はおざなりに楯無へとプライベート・チャネルを送った。

『はいはい偉いえらーい』

『わーい! って適当すぎない!?』

『この度のご活躍、まことに喜ばしく……』

『そ、そうじゃなくて!?』

『チッ、面倒だな』

『か、簪ちゃんがグレた!?』

 コントのようなやりとりを続けながら楯無との通話を終えたときには、簪は疲弊しきっていた。もう何も考えたくなかったのである。

 とにかく乱音とロランツィーネに水着は必要ないことを伝え、買い物を(主に乱音達が)楽しんで帰路についた。その様子を見ていると、どうやら彼女らは警護の件について聞いていないようだ。

(何だか激しく貧乏くじを引いた気がしますね)

 微妙な顔をしながら自室へと帰りつくと、それを狙ったかのように再び携帯が鳴った。

「はいこちら」

『更識簪の携帯なのは分かったと言っただろうが。すぐに第三アリーナへ来い。話は通してある』

「承知しました」

 相手はやはり千冬であり、恐らく警備の話をするのだろうと簪は判断する。場所が場所であるので、簪はいつも着用しているISスーツを確認してから第三アリーナへと向かうのだった。




 まだ会話したことがない原作代表候補生がいる罠。


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第三章 原作キャラに中々出会えなくとも話は動くのです。
臨海学校の警備。生け贄羊達の戦い。


 原作キャラよりもアーキタイプ・ブレイカーキャラの方が絡みやすい。いや、簪で四組かつあのクソみたいな中身な時点で原作キャラとわざわざ絡みに行かないからこうなるのもまあ必然なのであるが。
 何って本当にもう乱音使いやすい……いや、鈴音でも同じ結果には……ならんな。


 第三アリーナは借りきられていた。簪がたどり着いたとき、そこにいたのは二人だけ。しかも千冬はいなかった。

 簪がわずかに眉をひそめると、そこにいた一人が声をかけてくる。

「よく来たな、更識簪。それではブリーフィングを始める」

 むしろ一方的とも言えるその発言は、ラウラから発された言葉だった。何故千冬ではなくラウラからなのか、それはすぐにラウラから語られた。

「まずは自己紹介をしておこう。教か……いや、織斑先生から説明を任せられたラウラ・ボーデヴィッヒだ」

「ヴィシュヌ・イサ・ギャラクシーと申します」

「更識簪です」

(むしろ三人だけで先生含め120人ちょっとを警備するとか色々終わってますけど……)

 簪が微妙な顔で名前だけを告げると、二人も微妙な顔になった。その理由は簪には分からなかったが、事実として『更識簪』と簪の見た目のイメージはかけ離れてしまっている。主に目が死んでいるという時点で『日本代表候補生の隠し玉』と言えるだけの『超絶技巧の戦闘かつ整備が出来る』ようには見えないのである。

 故にラウラは問うた。

「本当にお前が『あの』更識簪か?」

「……『あの』とか言われてもわたしが更識簪であることは事実ですし、それ以外の答えを求められても困るんですが……学生証を見せればよろしいですか? それとも国家資格の一級IS整備士の資格証明書を出した方がよろしいですか?」

 取り敢えずそう言いながら簪は学生証をラウラとヴィシュヌに見えるよう差し出した。勿論そこには簪の顔写真と名前が載っており、ラウラもヴィシュヌもそれを認識する。

 気まずそうな顔になったラウラは、咳払いをして話を元に戻した。

「と、取り敢えずだな。来る臨海学校の警備について決定事項を伝えるぞ」

 そう言ってラウラが伝えたのは、ある意味理不尽な言葉だった。要するに、旅館を守る要員と生徒達を守る要員、そして一夏を守る要員に分かれるのだ。そしてこの中では一番一夏に近いラウラが一夏の守護役につく。そういうことだ。

 それを聞いた簪は、ヴィシュヌに問うた。

「中か外、どっちが良いです? คุณ ヴィシュヌ(ヴィシュヌさん)

「……タイの文化も調べていらっしゃったのですね……ヴィシュヌと、呼び捨てていただけると幸いです」

「ではヴィシュヌさんと。わたしもどうぞ呼びやすいように呼んでください」

 ヴィシュヌは簪の答えに微妙な顔になったが、恐らくは拘りなのだろう。そう割りきって思案した。

(私の『ドゥルガー・シン』は公開されている情報上近接型ISですから、これを期に『打鉄灰式』がどういうタイプのISであるかだけでも情報を得られると思ったのですが……思ったよりもガードが固いですね。こちらに選択権を与えてくるとは……)

 思案しながらヴィシュヌは駄目元でもと簪に問う。

「では私も簪さん、と。簪さんはどちらがお得意でしょうか?」

「相手によりますね。ただ、どこかの誰かさんみたいに近接特化のブレードオンリーなんてことはありません。……決め手に欠けるなら、ボーデヴィッヒさんとの相性を見た方が良いですかね?」

「それもそうですね。ボーデヴィッヒさん、連携のためにもここを借りきったのでしょう? 少し、模擬戦をしましょう」

 ヴィシュヌの提案にラウラは是非もなく頷いた。ドイツでも簪の情報はほぼなかったため、出来るだけデータが欲しかったからだ。

 そこでまずは簪とラウラが組むことになった。

「よろしく頼む」

「足を引っ張らないようには頑張りますね」

 挨拶し合って位置につき、そして模擬戦を始めた。先制攻撃はヴィシュヌからだ。遠隔型洋弓『クラスター・ボウ』からエネルギー弾を放射状に発射し、瞬時加速で一気に間を詰めて来ようとする。しかしラウラはそれに対し、大型レールカノンでヴィシュヌ本人を狙い撃った。迫り来るエネルギー弾には簪が対処し、物理シールドで当たる分だけを防ぐ。

 それを見てラウラが簪に告げた。

『中々器用なことをするな?』

『むしろ素早いヴィシュヌさんを狙い撃てるボーデヴィッヒさんの方が器用ですよ』

『……誉めても何も出ないぞ』

 その会話の途中にもヴィシュヌは蹴りを入れてくるが、簪はそれらすべてを避けていた。当たってやる義理はないのだ。足の可動範囲は限られているため、足の届かない位置に動きさえすれば避けられる。

 もっとも、避け続けるだけではどうにもならない。故に簪は双剣『森羅』を使って蹴りを避けながら、ヴィシュヌに斬撃を浴びせていく。ラウラもレールカノンやAICで援護をしているため、数分もかからずヴィシュヌは墜ちた。

「……中々やるな? 更識簪」

「ボーデヴィッヒさんも呼びやすいように呼んでください。大したことはしていませんよ」

「なら簪と呼ばせてもらう。私のこともラウラで構わん。……あれが大したことでないなら、相当な実力者なのだな」

(どんな勘違いしてくれちゃってるんですかラウラ・ボーデヴィッヒぃ!)

 ひきつった顔でラウラの言葉を聞き流した簪は、休憩を挟んでからラウラとヴィシュヌの相手をすることになっている。どちらも相当な実力者だと分かっている簪には絶望しかない。

 しかし現実は無情である。休憩の十分はすぐに過ぎ去り、そして。

『お手並み、拝見させていただきますね』

『本気で来い。相手をしてやる』

『ぜっ、ぜぜぜ善処しますぅ……』

 二人の本気に簪はもう震えるしかなかった。これは殺し合いではないと分かってはいるのだが、いかんせん相手が相手である。勝てる気もしなければ、逃げ切れる気もしなかった。

 開始の合図が鳴ったが、簪は特攻しなかった。連携を見るためならば突っ込まなければならないのだろうが、今はまず牽制からだ。ライフル《焔備・改》を構え、適当にばらまく。無論当てることが重要なのではない。実弾ライフルだと認識させておくことが大事なのだ。

 今回の最低ラインは特殊武装《D3》を一切見せないことと双剣型ブレード《森羅》の奥の手を使わないことだ。それ以外ならば何でも出来るともいう。ヴィシュヌが実弾をシールドで弾きながら瞬時加速で迫ってくるので、簪は横向きに瞬時加速でずれる。

『流石です……でも!』

 ヴィシュヌが何故か繋ぎっぱなしになってしまっているプライベート・チャネルから声を発したおかげで簪は気付いた。この位置ではラウラにレールカノンを撃たせかねないと。

(仕方ないですね)

 静かに毒づいた簪は、蹴りを放つために足を振りかぶるヴィシュヌに向けて特攻。放たれた蹴りの勢いを利用してラウラへ向けて投げつけた。

『きゃっ……!?』

『戦いの最中に敵とプライベート・チャネルで会話するのはナンセンスですよ』

 ヴィシュヌにそう返しながら間を詰め、体勢を立て直せていない彼女に《森羅》で追撃を行う。無論ラウラから攻撃しにくいようにヴィシュヌの身体を盾にしているため、ラウラからの攻撃はない。

 そう思っていたが、ヴィシュヌを取り巻くようにワイヤーブレードが現れる。死角を利用したのは簪だけではなかったのだ。だが、むしろそれは悪手だ。

Schachmatt(チェックメイト)!』

 ラウラの勝利の咆哮は、しかし簪の滅多に見せない微妙な笑みに打ち砕かれる。

『済みませんね』

 それを目の前で見ていたヴィシュヌは、ハイパー・センサーを呪った。仔細まで見えてしまうので、簪の口角が僅かであれ歪んだことに気づけてしまったのだ。簪の手の動きさえも。それに気づいて瞬時加速しようとしてももう遅い。

 蜘蛛の糸に絡め取られたような格好になったヴィシュヌが歯噛みする。

『しまっ……』

『な、何だ!?』

 ラウラも困惑したように自由の効かないワイヤーブレードを動かそうと試みた。格納領域に仕舞いこめば、少なくともヴィシュヌからはほどけることくらいは冷静になれば分かることだ。しかし、無意味な行動を今取るほどの賭けに出ねばならない状況だったとは思えない。

 だが、実際には簪の策は嵌まった。

『済みませんが、そのワイヤーブレード……結ばせていただきました』

 うっそりと笑った簪はラウラとヴィシュヌの両方を見てとれる位置に移動し、射撃を始めた。動けない獲物を撃つだけの簡単なお仕事だ。ラウラが混乱から立ち直ってワイヤーブレードを格納した時には、既にヴィシュヌは堕ちていた。

 それを気に掛けることなくラウラは移動し、簪へと迫る。そして、それに対応すべく簪が振りかぶった双剣型ブレード《森羅》の動きを止めた。しかし簪は冷静なままで、ブレードを手放して動こうとする。

『無駄だ』

『なるほど、これがドイツのAICですか』

 腕ごと止められているのを確認し、今晒せる手札ではこれ以上の戦闘は不可能だと理解した簪は軽く息を吐いた。

 そしてもう片方の手からも《森羅》を手放して告げた。

『リザインです』

『……そうか』

 納得はしていない、とラウラの瞳は語っている。だが簪にはこれ以上の戦闘を行うつもりはなかった。故に降下し、ラウラも降りてくるよう促す。

 そしてラウラは全ての事柄を考慮した上で配置を決めた。いくらただの臨海学校だとはいえ、千冬直々に依頼された警護任務である。ラウラが手を抜くなどということはあり得なかった。

 まず、ラウラとヴィシュヌとの連携は悪くはない。相手が悪かっただけだ。簪のような搦め手を警戒していれば、ほとんどの相手には勝てるだろう。

 また、ラウラと簪との連携もまあ悪くはなかった。しかし、何か奥の手を隠し続けたままなのがまるわかりであり、信頼関係が築けそうになかったのである。内情の分からない味方ほど不確定要素となり、勝利の道筋から外れてしまう。故にラウラはヴィシュヌを選んだのだ。

 よって、一夏の守護はラウラが。そして生徒達の守護はヴィシュヌが。旅館の守護は簪が行うこととなったのであった。




 え、原作では際どいビキニで一夏を誘惑してたんだって? いやいや、あれは演技で実は一夏を守ってたんだよ! (タオルぐるぐるから目をそらしつつ)


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臨海学校? ああ、そんなやつもいたね。

 水着できゃっきゃうふふはありません。シカタナイネ。

 追記→更新頻度&更新日が変わります。10,20,末日です。お気に入りがいっぱい増えたから更新頻度あげなきゃなって……(遅筆というよりは備えあれば憂いなし的なところがあるので書き溜めはあるのです)


「そういえば阿簪(āzān)、結局どこを警備することになったのよ」

 旅館に向かうバスの中で乱音が問うた。簪は当日まで教える気はなかったので今までははぐらかしてきたが、これ以上は無理だろう。そう判断して、当たり障りのなさそうな言葉を探した。

(えっと、周辺警備じゃないですし……うーん)

 しかし、言葉が見つからなかったので端的に答える。

「全日、花月荘です」

 それは生徒全員が泊まる旅館の名だった。ふうん、と乱音は聞き流そうとしたが、ふと引っ掛かりを覚える。

(あれ、そう明言するってことは……まさか、そこから離れられないんじゃ……いやいやそんなことはないわよね?)

 その考えを振りほどくべく乱音は問う。

「……ん? じゃあもしかしてもしかしなくても自由時間は……」

「全てが警備ですね」

 しれっと言う簪に、乱音は顔をひきつらせて問いを重ねた。

「ほ、報酬は!?」

「そんな話はされてませんねぇ」

 ははっ、と笑いながら水筒のカップに中身の黒豆茶を注ぎ、のほほんと一口含む様子はまさに老人である。達観しているというよりは諦めているようにも見えた。

 そんな簪に乱音は立ち上がって怒鳴る。

「アンタねぇ、そうやってほいほいほいほい受けるから良いように使われるのよ!?」

(いつもいつもそうやって……実はパシられてることなんて気付いてないんじゃないかって思ってたけど……! やっぱりそうなんじゃないこのお人好し!)

 そのまま乱音はエキサイトしかけたが、ゆっくりと振り返った担任に止められた。

「座れ凰……運転の邪魔だぞぉ」

「うっ……済みません」

 気だるげな声に、乱音は毒気を抜かれて座った。声をかけたのは四組担任だ。もっとも、運転手はそのくらいのことは織り込み済みなので運転が荒れることはなかったが。

 乱音は声を抑えて簪を叱りつけた。

「もうちょっと自分の意見を言いなさい。というか無報酬で何かを受けるの止めなさいよ」

「やっても無駄なことはやらないですし、必要のないものは受け取らない主義なんです」

「知ってるわよ。でも、それは……やっぱり、損してるだけだって思うから、この先何回でも言うわ。もっと自分を認めなさいってね」

 乱音の真剣な声に、簪は無言を貫いた。それだけは出来ないからだ。そもそも簪の自主性と積極性を削いだのは前世の姉であり、そうなってしまった精神構造は魂にまで刻まれてしまっていたのか今世でも治らなかったのだから。それに加えて、ずっと周囲と比べられ続けたからでもある。誰と比べられても劣っているのなら、自身は畜生にも劣ると認識してしまっているのだから。

(それができるのなら、わたしはこんなところになんかいませんよ阿乱(āluàn)

 普通の人のように望みを言い、意見を告げることが出来ればどれ程幸せに生きられただろうか。保守的な考えにがんじがらめに縛られず、リスクがあったのだとしても何かに挑戦できれば、どれ程の幸せを得られただろうか。それが不幸にも繋がるとは分かっていても、簪はそう夢見てしまう。簪には出来ないことだから。

(リスクのあることなんて、わたしには向いてないんですよ)

 微妙な沈黙のまま、簪達は花月荘へとたどり着いた。乱音達が部屋へと向かうのを確認し、花月荘の監視カメラのモニタールームへと向かう簪。簪の泊まる部屋はこの場所であり、そこにはほぼ自由時間などありはしない。それは簪が望んだことでもある。

(異常なし。クラッキングの気配もありませんね)

 画像にもどの人物にも異常がないことを確認して、ハイパー・センサーを限定起動した。モニターを見続けながら荷物をほどくのは不可能と言っても過言ではないからだ。荷物を下ろし、モニタールームに設置された椅子に座って全体を俯瞰する。

(目視で確認。異常なしですね)

 そして簪はプライベート・チャネルでヴィシュヌとラウラに報告した。

KS(更識簪)より総員へ。所定の位置に到着です。異常なし、引き続き警戒に当たります』

『こちらLB(ラウラ・ボーデヴィッヒ)。異常なし了解。荷ほどきの後、織斑一夏の警護に当たる』

VIG(ヴィシュヌ・イサ・ギャラクシー)です。異常なし了解しました。こちらも荷ほどきを行いまして、ビーチの警護に当たります』

『全情報了解です。今日一日、気を抜かずに警戒しましょう。オーバー』

 通信を終え、簪は軽くため息を吐きながら首の骨を鳴らした。何が悲しくてこのようにイニシャルでコードネームっぽく語り合わなければならないのかとも思うが、ノリノリで決めたのは千冬である。文句は言えなかった。ちなみに教師陣は千冬はCOで真耶はMY、二組担任はGH、三組担任はNS、四組担任はKKである。

 簪はそのまま昼過ぎまで監視を続けたが、ふと気づいた。交代要員がいなければトイレにも行けない上に昼食も夕食も取れないことになるのでは、と。食事は何とかなるが、流石に下は無理である。まさか拡張領域に入れるわけにもいかないし入れたくもない。

(……流石に一応乙女として粗相をするのは……駄目ですね。ちょっ、先生、そこ考えてませんよね……? どっ、どどどどうしましょう!?)

「いやまさかマラソン中のアナウンサーよろしくオムツを履くわけには……」

「あ、更識さん、交代です」

「ひぃあ!?」

 唐突にかけられた声に、簪は跳ねあがった。誰の声なのかは瞬時に理解したが、中途半端に気配を消して立った彼女を察知できていなかったからだ。どうやら精神的に磨耗しているらしい。真耶程度の気配を感じられなかったのは明らかに失態だ。

 簪は赤面しながら背後にいた真耶に返答した。

「何分間でしょうか、山田先生」

「自由時間はないって織斑先生は仰っていたとは思いますけど、流石にそれはどうかと思いましたから。済みませんけど一時間以内に、旅館からは出ないで下さい」

「ということは、山田先生の独断ということでしょうか? もしそうなら、休憩なんてご不浄の最中とご飯の調達時間以外は別に構いませんよ。三徹までなら普通ですし」

 衝動的に口走ったその言葉は、真耶にとっては衝撃的な言葉だったのだろう。ぱくぱくと口を開け閉めし、物凄く微妙な顔をしてから真っ直ぐに簪を見つめた。どうやら考えをまとめたようだ。

 真耶は簪にこう告げた。

「いえ、少しで良いんです。楽しんできてください。そうでないと、折角私がここまで来た意味がなくなっちゃうじゃないですか」

「……山田先生は気遣いが上手い方なのですね。では、済みませんが少しだけお言葉に甘えさせていただきます」

 そう言って簪は気配を消し、誰にも見つからないように外に出た。そして花月荘限定温泉まんじゅうとおつまみ野菜チップス、温泉水99.9999と書かれた水を大量に購入する。無論お土産ではない。簪の食糧である。更に真耶を労うために日本酒まんじゅうを買い、フロントにお願いしてポットで緑茶を淹れさせてもらえば完璧だ。

 簪が一体何をしたかと言うと、真耶の言葉を呑んだふりをしてモニタールームに立てこもる準備を終えたのである。人の好意をまともに受ける気のない残念さを無意識に炸裂させながら、ある程度時間を潰してモニタールームへと戻った。

 すると、そこには。

「織斑先生……」

 仁王立ちした千冬が立ち塞がっていた。どうやらこの程度の休憩も許されないものらしい。

 剣呑な色を浮かばせて千冬が問う。

「更識……これは、どういうことだ?」

「たまたま山田先生が通りがかったので、多少臨海学校を満喫すべく食糧調達の間という名目のもと監視の交代をお願いしました。流石に栄養の友だけでは味気ありませんでしたので」

 真耶は簪の説明に慌てて弁明しようとしたが、当の本人からの強い視線で黙り込むしかなかった。何を言いたいのかは全く察することはできなかったものの、黙っていろと言われているに等しい視線を受けて口を開くほど真耶は愚かではなかった。

 それを一瞥し、事態を察した千冬はため息を吐いた。といっても、間違った方向に解釈したのだが。

「……真耶、更識を甘やかすな。自分から引き受けたものを放棄するような女に情けは必要ない」

「先輩にお願いされたら引き受けるしかないと思うんですけど……というか、育ち盛りの女の子に栄養の友を三食強要するのもどうかと思います」

「知らん。そもそも栄養の友などというものを選んだのは更識の責任だろう」

 あまりの言いぐさに真耶は反論しようとしたが、簪が声を被せたので叶わなかった。

「ええ、勿論わたしの責任ですよ? ですがそもそも警備に選ぶ専用機持ちにあなたの弟君一党がほとんど加わっていない理由からまず教えていただきたいものです」

(本当に、お飾りアイドル代表候補生が警備に当たらない理由を聞いてみたいですね)

「……お前たち三人を選んだ理由すら分からんのか? 更識ともあろうものが」

「買い被りすぎです。ボーデヴィッヒさんやギャラクシーさんならまあ分かります。半分軍人のようなものですしね。ただ、わたしについては全く分かりませんね。確かに周囲から過分な評価はいただいていますが、彼女らのように軍人に足を突っ込んでいるわけでも何でもないわたしが選ばれる理由が全くもって理解できません」

(むしろ選ぶのにシャルロット・デュノアが入っていないことすら納得できないんですけどねぇ。あの人も元々は戦争にしか行けない代表候補生なんですし)

 しばし、視線が交錯する。しかし結局、千冬は簪を選んだ理由を明かすことはしなかった。何故なら理解してしまったからだ。簪に何を言ったところで自分を認めることなどしないのだということを。そもそも、一夏を守るためだけのシフトしか組んでいないことにすら千冬は気付いていなかった。

 結局簪は、千冬に対する真耶の決死の交渉の結果、多少の休憩時間を手にいれたのだった。




 憑依簪はワーカホリックというわけではありません。ただ単に自分を必要としてくれるのならそれで良いのです。たとえその結果ぶっ倒れるまでこき使われたのだとしても。うーん、残念。端からみれば迷惑な奴ですよ。


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襲来せし銀の福音。対処にあたるのは?

 評価ありがとうございます! なんか赤くて五度見ぐらいしました。流石IS。

 ……まぢで?

 前話の前書きにも追記で書きましたが、更新頻度&更新日の変更をしております。毎月10,20,末日です。ま、ままま待ってる人がいるなら出さなきゃ()


 簪がそれに気づいたのは偶然だった。といっても、無警戒だったわけではない。ほとんど役には立たなくなっている原作知識を掘り起こした結果、簪はアメリカから暴走IS『シルバリオ・ゴスペル』が襲来することを思い出していた。故にアメリカ方面を中心に監視をしていたのである。

(うわ、やっぱり来やがりましたよ……)

 簪は顔をひきつらせて真耶に連絡を入れた。今の時間の連絡担当官は真耶なのである。簪は教員用のIS『ラファール・リヴァイヴ』に対してプライベート・チャネルを送りつけた。

『山田先生、緊急事態の可能性があります。アメリカ方面から1機のISがこちらへ亜音速で向かっています。こちらからISに向けてプライベート・チャネルで連絡してみますので、アメリカへの連絡をお願いいたします』

『ふえっ!? わ、分かりました! すぐに連絡を――っ!?』

 真耶からの返答が途切れ、簪はこの間にと『シルバリオ・ゴスペル』に対してプライベート・チャネルで接触した。

『こちらIS学園一年四組所属、日本代表候補生更識簪です。その速度で飛行した場合、数時間後には迎撃しなければならなくなります。聞こえているのなら返答願います』

 儚い希望を抱いて問いかけると、反応はあった。

『La……♪』

 あったが、それだけのことだ。

(やっぱり、言葉は通じませんか……)

 眉をひそめ、もう一度簪はプライベート・チャネルで問いを投げ掛ける。

『その返答は聞こえていると判断します。こちらに進んできた場合、最悪あなたを撃墜せねばなりません。こちらには専用機持ちが10名以上います。また、教員部隊も出動するでしょう。今ならばわたしの気のせいで済ませられます。どうか引き返しては頂けないでしょうか?』

 簪の言葉に、相手はただ『La』という音しか返さなかった。返せなかったというのが正しい。操縦者をいかなるものからも守る自閉モードに入ってしまっている『シルバリオ・ゴスペル』は、操縦者の感覚すらも遮断してしまっている。

 簪は歯軋りしてもう一度語りかけた。

『お願いいたします、明確な返答をください。このままだと戦争が起きてしまいかねないのです。他ならぬあなたの手によって、戦争が起きてしまいかねないのです。どうか、お願いいたします。返答願います……!』

(返事してくれないと本気で戦争が起きるんで本当に返事してくださいよナターシャ・ファイルス!)

 簪が必死なのは、火蓋を切るのが自分であって欲しくないからだ。第三次世界大戦の開幕を告げたのは日本代表候補生更識簪だ、などと言われたくない。そんな責任のある立場になどなりたくないのだ。面倒だから。

(ああもうっ! 何でこんな面倒なことになるんですか! 知ってましたけど、知ってましたけど!)

 無論、そんな邪な思いは誰にも通じない。『シルバリオ・ゴスペル』からは何の返答もなく、真耶からは無慈悲な情報が降り注ぐだけだ。まもなくして簪は、監視を本音と交代してから旅館の最奥にある風花の間に向かった。そこに他の専用機持ち(なお本音は除く)が集められているらしい。

 そしてたどり着いて得た情報は、簪の知るものとほぼ相違なかった。アメリカとイスラエルとの共同開発によって産み出された『シルバリオ・ゴスペル』が暴走し、こちらに向かっているということだ。ただ簪が知っているのとは違うのは、自分がいることとアーキタイプ・ブレイカーのメンバーがいることだ。当然取れる手は増える。

 運搬役となれるのはセシリア、次点でヴィシュヌ、武装を多少削れば簪。一撃必殺役となれるのは一夏、次点で鈴音、乱音。補助役にラウラとシャルロットを当てれば包囲網は出来るだろう。コメット姉妹やロランツィーネは例外だ。万が一にも傷つけられない彼女らには、旅館を守ることに専念してもらうことになる。もっとも、クーリェなどここに来るまでもなく引きこもっていたが。

 しかし、何の強制力が働いたのか。

「ちょっと待ったぁ~!」

「……山田先生、室外への……いや、敷地外への強制退去を」

「つれないなぁちーちゃん、折角良い作戦がナウ・インプリンティングなのに!」

 そこに現れたのは束だった。原作と同じように箒に『紅椿』を渡したようで、目にも止まらぬ速度で調整を済ませていく。簪には辛うじて分からないレベルの速度と調整方法に歯噛みするしかない。出ている情報は何となく記憶できてはいるが、それだけだ。

 簪は渋面で思考する。

(あれさえ解析できればねぇ……大幅に戦力アップ出来るんですけど。まあ、最終的に姉がやらかしたときにぶち殺すための手段でしかないですけど)

 ささっと調整を終えた束は、満面の笑みを浮かべて作戦概要を告げた。

「これで箒ちゃんがいっくんを運べば問題無しだよちーちゃん!」

「いや、しかし……」

 渋る千冬。どう考えても仕組まれている事件に自分の弟を送り込むのは気が引けるのだろう。千冬は知っているのだから。束がかつて『白騎士事件』と呼ばれた事件を引き起こした理由を。その首謀者の片割れであるからにして。

 束はそんな千冬に更に被せてこう告げた。

「そんなに心配なら、そこのエセ日本人に援護させれば良いんじゃない?」

「更識を、か?」

 眉を潜めて千冬はそう返答した。思わず脳内で突っ込みを入れざるを得ない認識方法だが、この場に他にそう呼べる人物はいないのである。少なくとも今のところは。この場にいる日本人は束、一夏、箒、真耶、千冬、簪。そして明らかに髪色がおかしいのは簪だけなのだ。真耶の髪は本当に緑ではなく、いわば『緑の黒髪』と呼ばれる髪なのだ。断じて緑ではなく、黒髪好き垂涎の美しく艶のある黒である。

 閑話休題。そこで束は爆弾発言を叩き込んだ。

「そーそー。何だか束さんのコンセプトとは違う第四世代機を組み上げてるから」

 刹那の沈黙。後――

 

「えええええええええええっ!?」

 

 一同から上がる驚愕の声。その声を上げていないものはいなかった。つまり簪ですら驚愕の声を上げていたのである。

(は、ええ!? いきなり何言い出すんですこの天災兎!?)

 それに対して乱音が突っ込んだ。

「いや、何で阿簪(āzān)が驚いてるのよ!?」

「驚きますよ!? そもそもいかな篠ノ之博士とはいえ武装の中身まで閲覧できるなんて思ってもみませんし! ついでに自分で作った武装が第四世代に当たるとか考えたことないですもん!」

「むしろアタシはそこに驚いてるわよ!? アンタちょっと自分のしでかした武装のこと考えてみなさい」

 そう乱音に言われて簪は自分の武装について考えてみた。

(いや、独自のパッケージを必要としない万能機でしたっけ、第四世代機って。でもそもそも全距離対応機を作るのって普通じゃないですか? 武装の全展開とかそもそも出来て当然ですよね?)

「普通じゃないねぇ。やっぱそこはマルチタスクないと……」

「一点特化の方が勝ちやすいと見られているからな、今は。全くもって普通ではないぞ更識」

「普通に思考を読むのやめてくれません? きゃーへんたい」

 そして簪には出席簿が降り下ろされた。今はふざけている場合ではないからだ。そこからの話はトントン拍子に進み、全員の配置が決まった。それ以外に出来ることがなかったのだ。作戦を練る時間すら与えられない極限状況に簪は嫌な予感しかしない。

 まず、攻撃役に一夏。その運搬役に箒。そのバックアップに簪が追い付き、足止めしている間に第二便が突撃する。第二便の攻撃役はヴィシュヌで運搬役はセシリアだ。セシリアは運搬後誰か撤退要員が出たときのために待機する。あとの要員はラウラを筆頭に旅館の守護に当たることになった。

 そして、作戦が始まる。そわそわして落ち着きのない一夏達に簪は声をかけた。

「そんなに落ち着きませんか?」

「何のことだ?」

 箒は自身の落ち着かなさを自覚していなかったのですっとぼけたが、一夏は違う。何故か険しい顔をして簪を見据えているのだ。

 一夏は簪に告げた。

「……落ち着かないけど、今のうちに一つだけ言っておくぞ。俺はお前がシャルにしたことを赦さないからな。あんな騙し討ちみたいに……」

「……はぁ、それ、今でないといけませんか? 今考えるべきは作戦のことだけであって、シャルロット・デュノアのことは一切関係がありません。もしもその件でわたしを信頼できないというのなら作戦会議の際に申し出ておいてくださいよ。今から作戦の練り直しなんて間に合わないんですから」

(本当にこの鈍感男は……今はそこじゃないでしょうに……)

 簪はあからさまにため息をついてそう返すと、一夏は憮然とした顔で返した。

「そんなこと言われたって、さっきは口を挟めるような雰囲気じゃなかっただろ。俺だっていきなり言われてどうして良いか分からなかったってのに……」

「……そういえば織斑一夏さんはほんの二ヶ月前にISに乗ったばかりでしたね……まだ普通の高校生に何を求めているのだか。政府も『誘波』ぐらい出してくれれば良いんですけどねぇ……」

 そのままぶつぶつ呟き始めた簪に、一夏は声をかけた。

「とにかく、怪しい動きをしないでくれよ? これ以上不安要素が増えるのはごめんだからな」

「あなた方の援護以外に何かをする余裕があるのだと思っているなら相当おめでたいですよ。相手はISを纏っている軍人の可能性だってあるんです。手強いどころの話ではありません。ぶっちゃけ無茶で」

 です、と言い切る前に簪の口は塞がれた。その手は固いタコができており、およそ女子の手ではない。このタコの出来方は恐らく剣道。要するに千冬であると簪は判断した。

「更識? 戦意を下げてくれるな」

 案の定千冬が声を掛けてくる。しかし言いたいことはわかるが、無茶なものは無茶なのである。正直にいって簪単体で出た方が多少生存率が上がるかもしれないレベルの強さだ。一夏と箒は恐らく足手まといになる。それをわかっていて、束が怖くて何も言えなかった。故に自業自得だ。

 だからこそ、箒の言葉にも何も言えなかった。

「安心しろ、更識。私と一夏がいる限り負けることなど有り得ないからな!」

(それなんてフラグですかやだーっ!)

 内心の絶叫を知られることなく、簪は死地へと飛び立ったのだった。




 アーキタイプ・ブレイカーキャラがいるはずなのに作戦の中身がほとんど変わらない件。


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テンプレートですね。本当にありがとうございました。

 ※最終回ではないです。
 ※グロテスク注意。


 一夏と箒が『シルバリオ・ゴスペル』に接触したのをハイパーセンサーで確認した簪は、数分遅れでそのISに接触した。その時には、最早全てが手遅れであることすら知らずに。

 何も知らない一夏が『シルバリオ・ゴスペル』に斬りかかる。

「うおおおおおっ!」

「ちょっ、それ、中に人間入ってますって!?」

 そのまま中身のナターシャが叩き斬られる、などということはない。しかし叫びたくもなるだろう。絶対防御を大幅に減衰させる『零落白夜』で正中線を袈裟懸けにされてしまえば、中身のナターシャがどうなるか分からない。絶対防御が限りなく効いていない状態で金属の塊を叩きつけられた場合を考えてみれば分かる。少なくとも骨は折れるだろう。そうなる前に何としてでも『シルバリオ・ゴスペル』を止めなくてはならないのだ。いくら暴走しているからとはいえ、中身を殺すわけにはいかないのである。

 その簪が毒づいた声は肉声だった故に一夏には届いていなかったが、モニターはされているので後でとやかく言われる可能性が高まってしまった。その自身の迂闊さを簪は呪う。

(チッ……何事もなく終わらせなくちゃいけなくなったじゃないですか面倒な!)

『援護します、織斑一夏さん!』

 簪の声は、しかし箒に否定された。

『いや、私がいれば充分だ! 更識は撃ち漏らしが出たときに頼む!』

『分かりました。くれぐれも気を付けて下さい』

 ここで箒を止めるのも無論悪手だ。何せ、束直々に箒が推薦されたからには、彼女が活躍しなければ何の意味もないのだから。これが束による自作自演でなかった場合でも、箒の実力がモニターされていることは箒自身のプラスになる。

 故に簪は何かあったときのために警戒だけはしておき、懸念事項である船を探した。いわゆる密漁船であり、二次創作界隈では見つけた人間は大体落とされることになる死亡フラグである。原作では一夏が見つけ、落とされる原因となったその船は。

(普通にいるじゃないですかやだーっ)

 何と攻撃を繰り返す一夏と箒の真下にいた。先に一夏に見つけられてしまえば、どう足掻いても任務は失敗である。主にエネルギー的な問題が発生してしまうからだ。簪としては密漁船など放置しても問題ないのだが、日本代表候補生としては不味い。任務も失敗するわけにいかなければ、一夏と箒に怪我をさせてもならないのだ。例え何があっても、そこにいる以上は簪が責任を問われないわけがないのだから。

 故に、簪は敢えてその死亡フラグを回収するしかないのだ。

『ミス・オルコットとヴィシュヌさん、お二方にバッドニュースです。下方に不審な船舶を発見しました。そちらへの対処はわたしが請け負いますので、お二方は織斑一夏さんと篠ノ之さんの援護をお願いします』

 ようやくたどり着いていたセシリアとヴィシュヌに一夏達の援護を頼んだ簪は、次いで一夏達にも声をかけた。

『織斑一夏さんと篠ノ之さん、不審な船舶を発見しました。そちらへの対処はわたしが請け負いますので『シルバリオ・ゴスペル』への援護はオルコットさん、ギャラクシーさん両名にお任せします』

『な……っ、そんなもの、放っておけば良いだろう!』

 箒のその言葉は、あまりにも人命を度外視したものだった。確かに原作でも同じような発言をしているとはいえ、現実に聞くと箒の頭を疑うレベルである。

 故に簪は、ログを取っている真耶に声を掛ける。

『……済みませんが今の発言、ログから消しておいてください山田先生』

『更識さん……』

 微妙な顔でモニターを続けている真耶はそう声を漏らす。自身の専用機が今現在代表候補生達に使われている現状、真耶は教員部隊として動けるのは『ラファール・リヴァイヴ』の重銃器カスタム機クアッド・ファランクスのみだ。そしてその固定砲台にしかなれない鈍重さは今回の作戦には向かない。故に彼女がモニターしているのである。

 そして、今の箒の発言は聞き逃せないものだった。教師として、人として聞き逃すべきではない言葉。後で叱責どころでは済まないほどのものだ。それを簪は無かったことにしろと言う。真耶はしばし迷った。本当にこの音声を消しておくべきかと。他の誰よりも箒のために残しておくべきではないのかと。

 そこに千冬が緊張を孕んだ声を挟んだ。

『更識、今すぐその不審船舶を確保しろ。その海域は既に教員部隊が封鎖している!』

『承知しました!』

 その指示に簪は瞬時加速で不審船舶へと迫った。すると、それを待ち構えていたように何かの影が簪へ向けて打ち出された。否、それは何かと問われる前に簪はそれが何なのか把握できた。『打鉄灰式』が警告してくれたからだ。

 しかし、それを避けるには、時間が足りなかった。

(しまっ……)

『そのIS、頂くぜ!』

 その声はオープン・チャネルで届いた。それを認識したときには既に遅い。目の前まで接近してきていたISの手に何かが握られていて。それを認識した瞬間に身体から何かが剥ぎ取られる感覚を覚え、簪は身体をひねった。そして。

 

 簪の胸から、一本の爪が生えた。

 

 それを、簪は他人事のように見て。

(……これ、って……なん、でしたっけ? ……こんなの……胸元から、生えてて良いんでしたっけ?)

 その瞬間、簪は思考することすら放棄したくなるほどの猛烈な激痛に苛まれた。唐突にISが剥ぎ取られたことで浮遊することすら赦されず、そのまま海面へと落下していく。

 走馬灯のように、ぐるぐるとある光景が見えて。

(ごめんなさい……『更識、簪』……ごめん、なさい……グレイ……あなたとの、約束……まもれそう、に、ない……)

 ああ、このまま死ぬんだな。簪はそう直感した。たとえ再生能力を促進させるナノマシンが入っているのだとしても、この出血量と脱力感では恐らく助からない。まずナノマシン自体が死に絶えるか機能を停止してしまうだろう。そう思えた。

 どこかで誰かが絶叫した気がしたが、簪はついぞそれに答えることができなかった。

(……さい、ごに……もう、いちど、あの子に……会い、たかった、なぁ……)

 そして、意識は暗転する。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

(そんな、何で、何で――!)

阿簪(āzān)!」

 そう叫んだ乱音は、その位置から飛び出そうとして止められた。乱音の配置された場所は生徒達を守るための場所。彼女が離れてしまえば、生徒が危険に晒される。分かっていたからこそ、乱音の近くにいた鈴音が止めるしかなかったのだ。

 乱音は自身を止める人物に向けて怒鳴った。

距離(離して)! じゃないと阿簪が……!」

冷静下来(落ち着きなさい)! ……落ち着きなさいよ、お願いだから。……今から行っても無駄になるだけだし、アンタが行けば生徒に被害が出るかもしれないのよ」

 怒鳴られた鈴音はしかし、乱音には怒れなかった。あの場所にいられなかった自分の力量のなさに腹が立つぐらいだ。たとえそこにいたところで誰かが死ななくなるとは限らないが。

 故に、次の乱音の発言には黙っていられない。

「鈴おねえちゃんには分かんないよ、アタシの気持ちなんて!」

「……は? あのね、乱。あそこには一夏がいるのよ。本当はあたしだってあの場に行きたい。でも、あたし達は足手まといだから皆を守ってるの。この場を放棄するわけにはいかないのは分かるわよね?」

 淡々と言う鈴音は一見冷静だが、良く見れば彼女の手は小刻みに震えていた。それを見てしまったから、乱音は止まらざるを得なかったのだ。

 鈴音は静かに続ける。

「あたしだって行きたいわよ。一夏が死ぬのなんて認められない。でも、あたし達には皆の命がかかってる。分かるわね?」

「……分かる……分かるんだよ……分かるんだけど……でも、アタシは……! もっと、もっと、友達を守れるぐらい強くなれたらよかったのに!」

(そうしたら作戦にも参加できて、いち早く阿簪も助けられたのに!)

 そして。

『それが、アナタの願い。過去、現在、未来において一番のアナタの強い願いを――』

 

『このアタシが、叶えてあげるわよ!』

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 小刻みに震える彼女の目の前で、哄笑する女。その手には、剥離剤(リムーバー)という名の対IS用兵器が握られていた。それで簪からISを剥ぎ取り、殺したのだ。かつて彼女を牢獄から救いだし、実父と戦ってまで安全を手にいれてくれようとした簪を。

 知らず、口から怨嗟の声が漏れる。

「……さない……」

「あら、何か言ったかしら、M?」

 自分との約束を破って哄笑するオータムに簪を殺すよう指示しておきながらも飄々とそういう女に、Mと呼ばれた少女は激高した。

 

「殺さず捕らえる約束はどうした、スコォォォォルッ!」

 

 その言葉に、スコールと呼ばれた美女は妖艶に笑った。それだけでMはスコールに騙されたのだと気づく。最初から簪を殺すつもりだったのだと。捕らえることすら困難だと知っていたのだと。

 笑みを深くしてスコールが答える。

「だって、ねぇ? M……考えてもご覧なさい?」

 その後で言われた言葉は、Mにとって悪夢も同然だった。

(……そうだ……私のせいだ……私が生まれてきたから……私が、彼女を……)

 その後は思考することすら放棄したくなるほどの絶望を感じた。要するに、Mのせいで簪は死んだ。そういうことだ。全てMが悪いのだ。簪に酷な運命を強いる原因となったのはM自身だと思っているのだから。

 その傷を抉るようにスコールが告げる。

「まさかとは思うけど、彼女が自分のせいで死んだなんて思っていないでしょうね?」

「……それが、何だと言うんだ」

 Mの力のない声を聞いて、スコールは海面を指さした。のろのろとそちらを見てみると、泡立った海面が血で染まっている。簪の血で海面が赤く染まっているのだ。それも、致死量を越えた大量の血で。何かの肉片が浮かんでいるのがいかにも生々しい。

 その凄惨な海面を見つめたMは眉をひそめた。

(……何だ? スコールは何を言いたい? あの海面の何かがおかしい……?)

 言い様のない違和感を覚え、目を凝らすM。そして、ついにMは見つけた。

「……あれは……」

 

「鮫の、死骸?」




 『あの子』=M。分かってた人はたくさんいたはず。


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刮目しないでください。テンプレートです。

 よくある展開さんですね。


 どこまでも深い青。その少女の目の前に広がるのはただそれだけだった。見つめていれば吸い込まれそうで、実際には何も起こらない。

(……いや、わたし死にませんでしたっけ?)

 その状況を確認してしまった簪は、思わず突っ込んだ。確かに簪は胸を貫かれ、海に落ちて。その後の記憶がない。そのまま意識を失ったのだろうとは思うのだが、それならそれで今の状況に陥った理由がどこかにあるはずだ。

 そう思った途端、目の前に銀灰色の髪が翻った。

「……グレイ?」

 無意識にそう呼ぶと、唐突に頬に衝撃を受ける。どうやらぶたれたようだ。そもそも今の状況で痛覚があると言うことは恐らく生きてはいるのだろう。

(痛覚があるということは何とやら、ですねぇ)

 そうぼんやりと考えていると、目の前の少女が叫んだ。

「ほんっと何考えてるのこのおバカーッ!」

「えぇ……何で怒られちゃってるんですかわたし……」

 困惑する簪に、目の前の少女が往復ビンタを浴びせた。どうやら相当ご立腹らしい。このまま抵抗しない方が攻撃が終わるのは早いと前世の母から学んでいた簪はされるがままになる。

(いたたたたたたあたたたたたた!? 容赦ありませんねこいつ!?)

 ひとしきり往復ビンタを終えた少女は、怒りのままに簪に言葉を叩きつけた。

「わたしとの約束はどうしたのッ! 何でそんなに簡単に諦めちゃうのッ!? もっと、もっと足掻きなさいよ! わたしの願いを叶えてくれるんでしょう!?」

「叶いますよ。わたしなんかがいなくとも、あの子がいればね」

「ちっがーう! あんた、一番肝心なところを忘れてんのよ!」

 怒りのままに、少女――グレイは叫んだ。

 

「あんたが! わたしの! 友達を助けてくれるって、言ったのよ! 他でもないあんたが!」

 

 それは事実だった。簪がかつて『打鉄弐式』だったそのコアを『倉持技研』から脅し取った時、夢で邂逅したのがグレイだ。簪はそれをただの夢だと思っていたが、どうやら違ったらしい。もっとも、ただの夢でした約束を守ろうとしていた簪も簪なのだが。

 グレイの言葉に簪は口を尖らせて返答する。

「だってグレイ、あなたの友達さんを助けるために必要なのはわたしなんかじゃないって言ってるじゃないですか。必要な人を見つけるのは確かにできますけど、わたしが必ずしも要されるわけではないわけで」

「それは! それは、そうだけど……でも、ヒロノ」

「グレイ、それは誰の名前でもないですよ。そんなものがわたしの名前だったとは信じません」

 それは他でもない拒絶の言葉で。確かにその名前――宙祈(ヒロノ)というのは簪の前世の名前だ。ただ、全国の同名同漢字の皆々様には申し訳ないが、簪がそう名付けられた理由を知って、どうしてその名を疎んじないと思うのか。宙祈の宙とは、宇宙のこと。どこまでも広がる荒廃した世界。そして、それに祈るのだ。全くもって意味がわからない上に、そうあれかしと願われた。要するに無意味。荒廃した世界の中で祈るように、無意味なまま生を無駄にし、死んでいけということだ。そんなものが自分の名であってたまるものか。

 そもそもまともに呼ばれない名に、一体何の意味があろうか。そもそも『宙』は『ヒロ』とは読まない。辛うじて『ヒロシ』とは読むが、だからといって『シ』を読まないというのもおかしな話だ。そもそも親自体も滅多に『ヒロノ』とは呼ばなかった。この名である意味が全くない。故に簪は元の自分の名が嫌いだった。波風を立てないために改名は望まなかったが。

 しばらくの沈黙の後、グレイが告げる。

「とにかく、約束は守ってもらうわよ。だから死ぬのなんて赦さないから!」

「いや、確かに『更識簪』は生かして貰わないと困るんですが……別にわたしは必要ないんじゃないですか?」

 あくまでも自らの望みを告げる簪に、グレイは目をぱちくりと瞬かせた。どうやら思ってもみなかったことを言われたらしい。

(いや、普通ですよね? 乗っ取ったと考えるなら本人がいても)

 簪のその思考は、グレイによって打ち消された。

 

「何で? 『更識簪』は最初からあんたしかいないでしょ?」

 

「え?」

(それは、一体、どういう――)

「母が言ったでしょう? 『あんたの願いは叶わない』って。だって当然じゃない? 最初からないものを取り戻したらあんた、死んじゃうし」

 簪の思考は真っ白になった。ならば、これまでに簪がしてきたことは何だと言うのか。『更識簪』のために整えた全てが崩れ去っていく。

(じゃあ、わたしは……なんの、ために……?)

 その答えのないはずの問いにすら、グレイは答える。

「そんなの簡単だよ。『更識簪』のことを気に入らない誰かが、そう強く願ったから。とある世界線で『更識簪』が『織斑一夏』と結ばれたから、殺したいほどに憎まれていくつかの世界線で『更識簪』が『死んだ』の。その帳尻を合わせるためにあんたが呼ばれた。すでに物語としてのこの世界を観測した世界線から、何があっても絶対に『織斑一夏』を愛さない人物として、ね」

「だれ、に」

「『更識簪』という存在を望む人全てに、よ。だからあんたは生きなくちゃいけないの」

 そう聞いた瞬間。簪は自分の中で何かが終わるのを感じた。ずっと望んでいたことが消え去り、代わりに絶望だけが自身を支配する。要するに、これまでもまた無意味だったということだ。自分の望みは決して叶わず、掴み取ることすら出来ない。

 震える身体を掻き抱いて、簪は声を漏らした。

「そんなの……そんなのって……」

 虚ろに言葉を漏らす簪に、グレイは狂気を孕んだ声で告げる。

「叶わない願いを抱くのは止めて、簪。あたしが壊れちゃうわ。だって、あたしはあんたの望みを叶えるためにここにいるの。あんたに望みがないのなら、あたしの望みを叶えて。それで、あたしは満たされる。そうすれば、どうなってくれたって構わないわ」

(……どう、なってくれたって? ああ、そうですか……要するに、わたしは――)

 簪は結論を出す。似ているようで似ていないグレイのために。それこそが誰の願いを叶えることになるのかも理解していて、だ。

「……分かりました、グレイ。では貴女の願いを叶えるために、わたしをさっきまでいた場所へと戻してください。崩壊している物語を、元に戻さなくてはなりませんから」

「そうだね。じゃあ、お願い」

 軽くそう返したグレイに、簪は心外だとでも言わんばかりに返答した。

「何を言ってるんです? あなたも戻るんですよグレイ。だってわたしはあなたがいないと戦えないんですから」

「……そうだったね。じゃあ、呼んで。新しい、あんただけの呼び名であたしを呼んで。あんたの求める力を、あたしが与えてあげる」

 グレイがそう言い終わると同時に、簪はその名を呼んだ。

 

「勿論です。あなたは――」

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

「あなたの名は、『グレイ・アーキタイプ』!」

 発光、後に形態が変わっていく。辛うじて残っていた『打鉄』の片鱗が消え、装甲というよりは最早鎧のように変化する。『打鉄灰式』の時には見えていた顔も隠れ、フルスキンとなった。色はくすんだ灰色のままで、武装も同じ色に染まった。

 そして。

「って溺れる溺れる溺れる溺れる死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!?」

 先程までの大量出血によって周囲に群がっていた鮫にパニックを起こした簪は、双剣『森羅』の機能を解放した。それは――禁断の機能。人殺しのための、呪われたと表現しても差し支えないそれを、簪は解放したのだ。周囲にいるのが人間ではなかったから。

 そして、周囲に鮫のサイコロステーキ(レア)が出来上がったのだった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 鮫の死骸を見つけたMは困惑していた。突然オータムの持っていたISが消えたのだ。そして真下が発光した。これで困惑するなと言われても困るだろう。とにかく今の状況を見極めなければならない。そう思って――

「な……に?」

(何だ? 私は……誰に抱き締められている?)

 唐突に目の前を、灰色の騎士甲冑に塞がれた。それが何なのか理解していたのは、優れた動体視力で捉えられたからだが。それでも理解できないのは、その騎士に抱き締められていることだ。

 その答えは、本人からしか得られない。

「ありがとうございます――生きていてくれて。わたしはあなたを守れませんでした。赦して欲しいだなんて言いません。ただ、お願いがあるのです」

「……お前……どうして」

 もう二度と聞けなくなったと思った声が、目の前の騎士から聞こえる。それは彼女が生きていることを指し示していて。Mにはそれを呆然と聞いていることしか出来ない。

 その、願いすらも。

「どうか、あなたも。わたしに願ってくれたように、わたしの分まで幸せになってください。あなたの思うように……」

 そしてその騎士はMから離れ、スコールと相対した。スコールは既にその専用機『ゴールデン・ドーン』に身を包み、騎士を見て顔をひきつらせている。

 騎士は先程までとは打って変わって敵意を全身から発していた。

「それで、そこのおば様? 引いてくれる気はありますか?」

「ないわね。貴女が私たちのもとに来ない限りは、引くつもりなどないわよ」

 スコールにはその騎士が誰だか分かっているようでそう返答する。先程までとは違い、どうやら余裕ができたらしい。

 しかし騎士はそれに従うことなどなかった。

「何故わたしがあなた方に従わねばならないのです?」

「……後悔なさい。私とオータムの手で、ねッ!」

 そう言ってスコールは指向性炎熱放射器《ソリッドフレア》から炎の球を生み出し、撃ち出した。しかし騎士はそれを一刀のもとに切り払う。オータムも『アラクネ』の糸で絡めとらんとするが、機動力が違いすぎて捉えられない。

 更に騎士は、背後から迫っていた『シルバリオ・ゴスペル』を避けた。

「あなた方が、彼女を操っているのですか?」

「さて、どうかしら?」

「その返答は肯定とみなします。今すぐに彼女を止めなさい。さもなくば、どうなるかは分かりますね?」

 騎士が剣で差した先には、鮫の死骸。スコールはその言わんとしていることを察して顔をひきつらせた。要はサイコロステーキにしてやると言われているのだ。

 ただ、そんなことすらもMにとっては些事だった。

「……何で……」

 彼女は。かつてMの前で『更識の出来損ない』と呼ばれ、Mに『万十夏(マドカ)』と名付けてくれた彼女は。命を奪うことを良しとしなかったはずの彼女が。自分の命が危機に晒されていても相手を重んじた彼女が。いとも簡単に鮫を殺したことに違和感を覚えていた。遠回しですらない殺害予告をしたことすらも。

 その答えが得られるのは、しばらく後のことだった。




※没案1
「あなたの名は――『アフーム=ザー』!」
『いや、無理だからね!? あたしクトゥルフ詳しくないからね!?』
「……チッ」
『し、舌打ちしやがったこいつぅ!』

 クトゥルフに詳しければこうなっていた可能性大。『生ける灰色の冷たい炎』とか何それ使いたい()
 ただしタグが仕事しなくなっちゃうしね、仕方ない。
 いや、クトゥルフ今からは調べないけどさ……

※没案2
「あなたの名は――『アーキタイプ・ブレイカー』!」
『いや待とう!? それ、色々ややこしいから!』
「なら他に良い案出しやがれです」
『や、やさぐれやがったこいつぅ!』

 ゲームの名前でさえなければねぇ……色の名前入ってないけど()


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熱烈歓迎! なおよい方向ではない。

 もちろん歓迎されますよ? 熱烈にね!


 騎士――簪がスコールとオータム、更には『シルバリオ・ゴスペル』と相対してしばらくして。強制的に二次移行させられた『シルバリオ・ゴスペル』の足止めにより簪はスコール達を取り逃がしてしまった。

 その際、千冬から口うるさく貴様は何者だ! とプライベート・チャネルで言われ続けていたのは言うまでもない。当然だろう。いきなり現れた未知のISが、結果として不審船舶を取り逃がしてしまったのだから。

(……仕方ありませんね。かくなる上はとっとと終わらせて食べて寝るに限ります)

 簪はうるさいお腹の虫と戦いつつ『シルバリオ・ゴスペル』を襲撃する。何故お腹の虫と戦いつつなのかというと、グレイが簪の傷を修復する際にエネルギー源として簪の摂取したカロリーをごっそり持っていってしまっていたのだ。結果として今の簪は腹ペコだった。

(あー、何でわたし格納領域にお菓子とか入れてないんでしょう、チョコレートとか)

 もっとも、簪は全力で現実逃避をしているが、寝食以外のことで忙殺されるのは目に見えている。だからこそ、早く終わらせたいのだ。終わらせたいのだが、そうさせてはくれないのが軍用IS『シルバリオ・ゴスペル』であり、あの後落とされてしまったらしい一夏の敵討ちに来た専用機持ち達だった。

 援護射撃をしながらセシリアがオープン・チャネルで誰何の声をあげる。

『どちら様ですの!? ここは現在封鎖されておりましてよ!?』

『今はそれどころではないと思うんでってこらー!? わたしも巻き込まないでくださいってぎゃー!?』

(せめて返事を待ってくださいよ!?)

 誰何の声をあげるのは良いのだが、素直に返答しなかった簪の言葉の途中でセシリアと鈴音が銃撃と砲撃を繰り出した。せめて『シルバリオ・ゴスペル』を止めてから話をすれば良いのだと簪は思うのに、彼女らはそれを許す気はないらしい。

 簪はひとしきり喚きながらそれらを避けきって、ようやく余裕ができた。

(で、グレイ! ここに誰がいるんです!?)

 現実逃避を止め、プライベート・チャネルと同じ要領でグレイに話しかけてみれば、彼女から普通に返答される。

『篠ノ之箒、ラウラ・ボーデヴィッヒ、シャルロット・デュノア、凰鈴音、凰乱音、セシリア・オルコットよ』

(ひでぇ組み合わせですね!?)

『うち、乱音だけが二次移行してるわ』

(はあ!? 意味が全くわからないんですけど!?)

 あまりの情報に一瞬避けるのが遅れ、衝撃砲と『シルバリオ・ゴスペル』からの攻撃をもろに受けてしまう。しかし――

『無傷ですって!? アンタ、本当に何者なのよ!?』

 鈴音の悲鳴の通りに、簪は無傷だった。衝撃はあったものの痛みもなければシールドエネルギーが減った様子もない。それを体感して、簪はある判断を下す。

(いや、これ、このまま突っ切ってナターシャ・ファイルスを助けた方が早いですよね?)

 避けるのをやめ、簪は一気に『シルバリオ・ゴスペル』に詰め寄った。反射的に飛び退こうとした『シルバリオ・ゴスペル』だったが、簪はそれにすら追随して拳を叩き込む。

『La!?』

「ら、じゃないですよ全く……ほら、もう暴れなくたって大丈夫ですから。誰もあなたの敵になりたくてなっているんじゃないですよ?」

 その肉声が聞こえたのか、否か。『シルバリオ・ゴスペル』は唐突にその動きを止めた。いきなりISが格納され、美女が零れ落ちる。それを近くにいた箒が受け止めるのを確認して、簪も動きを止めた。

 その瞬間。

 

『動かない方が身のためだぞ?』

『動いたら蜂の巣になるしね』

『そうそう。ボコボコにするわよ……?』

 

 箒を除いた全ての専用機持ちがオープン・チャネルでそう告げながら簪にそれぞれの武装を突きつけた。気持ちは分かるので責めるつもりはない。ないのだが。

(刺さってるんですけど、やだー……)

 微妙に剣やらマチェットやらが刺さっているせいでじわじわとシールドエネルギーが減っていく。それを分かっていて、一同は簪に武装を突きつけているのだ。

 その中から代表してラウラが誰何した。

「さて、まずは貴様がどこの回し者なのか教えてもらおう。国籍、所属、名前を言え」

「日本国籍、日本代表候補生、IS学園一年四組所属、更識簪です」

「嘘だな。更識簪は先程死んだ。生きているはずがない」

 その頑なな返答に、簪はラウラを納得させられる気がしなくなった。いくら真実を言おうが恐らく納得させることなどできない。何故なら、簪は皆の目の前で心臓を一突きされて死んだように見えていたからだ。

 故に、簪にとれる選択肢は一つしかなかった。

「なっ……!?」

「言って納得してもらえないなら、見せれば良いんですよ。これでわたしは自発的にISを纏わなければあなた達の攻撃を受ければ死ぬわけですが、まだ疑いますか?」

 生身をさらし、ISからの攻撃には無防備になった簪に――

 

「皆から離れろぉぉおっ!」

 

 一夏の咆哮と、『零落白夜』の輝きを纏った《雪片弐型》が襲いかかる。

「うっそぉぉぉお!? わたし生身! 生身です! 何でこの究極に疲れてるこのときにこんなアクロバティックなことやらなくちゃいけないんですか!? 死にます! 死ぬ! せめて殺す気じゃなくて拘束でお願いします!」

「うるさい! 皆に手を出すな!」

「えっ、ちょっ、まっ、誰か! この暴走IS止めてくださいよぉ!?」

 字面だけ見れば実に『インフィニット・ストラトス』らしいギャグ時空だが、残念ながら簪に命の危機が迫っているのは事実である。いくら競技用のなまくらでも、金属の塊を叩き込まれれば重傷必至だ。しかも何故か荷電粒子砲が撃ち込まれるあたり、どうやら無事に『白式』も二次移行しているようだ。

(いや、もう……この人やだーっ)

 簪は内心で叫びをあげながら他人のISの装甲の上を跳び回る。一夏の暴走に引きずられたセシリア達も簪を攻撃し始めたのでもうやけくそである。セシリア達のISの装甲の上を跳び跳ねるだけで精一杯だが、そうするしかないのだ。今ISを展開すれば、確実に狩られるのだから。

 そして、その時は訪れなかった。何故なら、そこにいた見慣れないISを纏った乱音が動いたからだ。簪が乗り移ったのを確認し、両手でホールドして一気にその海域を脱する。意味のわからないほどの早さに簪は目を見開く間もなく旅館の前へと辿り着いていた。

 簪は思わず乱音に声をかける。

阿乱(āluàn)?」

「じっとしてて。お願いだから、これ以上心配させないでよ……」

 懇願するようなその声に、簪は気まずそうな顔をした。心配されているとはつゆほども思っていなかったが、されていたらされていたで申し訳なく思ったのである。

(何か……居心地悪いです……)

「済みません、油断したというか、何というか……」

 苦笑しながらそう返すと、乱音はわしわしと乱暴に頭を撫でてきた。怒っているようにも見えるが、何かを我慢しているようにも見えた。

 しかし、それはすぐに決壊する。

「……生きてる……生きてるよぉ……良かった……」

「生きてますよ。何かISが頑張ってくれました。だからお腹空いただけで何とか生きてます」

 そして、その微妙に湿っぽい空気は簪の腹の鳴る音でぶち壊された。それはもはや女子が出して良い音ではなかったが、止められるものでもない。

(いや、このタイミングで鳴るとか恥ずかしすぎますよ……!)

 色々と限界を迎えていた簪は、唐突な空腹を知らせる音に泣き笑いを始めた乱音に声をかけた。

「……済みません阿乱、チョコレートとか持ってないですか……」

「あるわけないけど、ないけどっ……ぶふっ、今、本音に連絡したから持ってきてくれるわよ」

 笑いながらそう答えた乱音は、しかしそれが叶わないことを知らなかった。乱音は忘れているのかも知れないが、現状の簪は不審者である。真耶がモニターしている目の前で心臓を串刺しにされたはずの人間だ。まず生きているはずのない人間である。

 故に、起きることはといえば。

 

「凰乱音、ソレから離れろ!」

 

(あ、不味いですね)

 さして役に立っていないように見える教員部隊達に、全力で取り囲まれることだった。そしてそれを聞いた簪の反応は早かった。なおしがみつこうとする乱音を引き剥がし、突き飛ばす。

 それに愕然とした表情をした乱音が悲鳴のような叫びをあげた。

阿簪(āzān)!?」

「いえ、巻き込めないな、と。済みません、何もしませんので武装解除だけは勘弁していただけませんか?」

 その簪の言葉に教員部隊は更に険しい顔をした。何故武装解除だけは求められないのかと問われて、彼女が敵だからという答え以外を持たないためだ。残念ながら『打鉄灰式』が二次移行した際に個人識別コードが初期化されたため、『打鉄灰式』が『グレイ・アーキタイプ』となったことにも気付けないのだから。

 教員部隊の中央から何故か生身の千冬が進み出て簪に問う。

「貴様は何者だ?」

「先程ラウラさん……ドイツ代表候補生ラウラ・ボーデヴィッヒにも申し上げました。日本国籍、日本代表候補生、IS学園一年四組所属の更識簪です」

 淡々と答える簪に、千冬は眼光を鋭くした。しかし簪は怯むことなく言葉を続ける。

「なお、武装解除ができないのはISコアが――」

 そう言いながらISスーツの胸元を強引に手で引き下ろす。そこには灰色に輝く菱形の石があった。それを人はISコアと呼ぶのである。それは、完全に簪の皮膚にめり込んでいる。

 それを教員部隊全員に見えるように見せつけ、言葉を続ける。

「この状態で、引き剥がしたらたぶん死んじゃうからですね」

 教員達は息をのみ、それを見つめた。その輝きはまさにISコアのそれだ。痛いほどの沈黙。乱音もそれを呆然とした顔で見つめることしかできない。要するに生体同期型のISになったということなのだろうか。誰もがそう思い、この場での最高権者の判断をじっと待つ。

 

 そして――更識簪は織斑千冬の手によって拘束され、臨海学校が終わってからも夏休みの初頭まで拘束され続けるのだった。




 よくある使い古されたテンプレ的展開ですね、分かります。


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第四章 夏休みは遊ぶものだと思っていたのです。
夏休み。狂気極まる惨状。


 危険人物だからね、シカタナイネ。


 簪は拘束されてからずっと千冬の手による尋問を受けていた。ISのスキャンも行われはしたが、簪以外のメンテナンスも受け付けなければメンテナンスの画面すら簪にしか視認させないあたり『グレイ・アーキタイプ』は徹底しているとも言えるだろう。簪によるシュールな説得も意味をなさず、グレイは沈黙したままだった。

 ただ、収穫はあった。DNA鑑定やその他IS学園に残されていたパーソナルデータから、簪が本人であることが証明されたのだ。故に他人との接触が完全に禁止されるということはなくなったのである。無論監視付きだが。

 何故本人確認が取れたのにも関わらず監視付きなのかというと、専用機持ちへ対する熱い風評被害のあおりを受けてしまったからだ。要するに無断展開されればたまったものではないと思われているのである。これまでに専用機持ちの無断展開は多数あったのだ。

 たとえば、凰鈴音。本人は把握されているとは思ってはいないが一夏の部屋で箒からの竹刀を防ぐために展開したのが一度あった。一組の壁を破壊したこともあれば、『シルバリオ・ゴスペル』の件で無断出撃すらしている。この件に関しては千冬の根回しが効いたようだが、根回しがなければ無断出撃した面々はアラスカ条約に反したとしてIS委員会に拘留されていてもおかしくなかったのだ。

 それ以外にも一夏に関連して、自分達に不義理を働いたと感じたときに皆ISを反射的に展開してしまっていることから、簪にもそのレッテルが張られてしまっているのだ。それを払拭するのは容易なことではなかった。故に、監視員は簪とは馴れ合わないだろう他国の人間――いざというときには簪を止められる人材が選ばれた。

 その人物達とは。

「いや、一年の専用機持ちが色々やらかしてるのは理解してますけどね? ミス・ウェルキン、セニョリータ・レッドラム」

「分かってるんなら止めてよ、簪。あの子達……特にロード……あーもう、オルコットで良いわね! 貴族とも思えないオルコット! 本当に、迷惑するのはこっちなんだから……」

「まあ、別に私は困らないけど……こういうのは気分悪いよね。ところで簪、やっぱりグリ姉って呼んでくれない?」

 二年生のイギリス代表候補生サラ・ウェルキンと三年生のブラジル代表候補生グリフィン・レッドラムだった。サラは専用機持ちではないのだが、卓越したイギリス製量産機IS『メイルシュトローム』の操縦技術を持っている。そのため、簪の監視のために学園側から『メイルシュトローム』を貸与されて現在は半専用機持ちとでも呼ぶべき状態になっているのだ。

 グリフィンについては専用機持ちであり、『テンカラット・ダイヤモンド』を乗りこなすだけの技量がある。それぞれがかなりの実力者であり、残念なことにそれぞれがかなりのくせ者であった。

(何でわたしがこの二人の愚痴を聞かないといけないんですか……)

 簪はため息をついて二人に返答する。

「その場に居合わせる方が珍しいのにどうやって止めろというんです? ミス・ウェルキン。……セニョリータ・レッドラムもそういう面倒なことになりそうな提案は止めていただけません?」

「……私だって止めたいのよ? 国から『ロードを指導した経験があるのに何故止められないのか』ってせっつかれてるし! 何故ですって? オルコットに聞きなさいよ、オルコットに!」

 エキサイトするサラに、グリフィンは苦笑しながら返す。

「大変だよねぇ、サラも」

 そう言ってから、グリフィンはポケットから紙切れを三枚取り出した。それを眼前にかざし、ニヤリと笑ってサラに突き付ける。

 それに書かれた文字を見た簪は内心で絶叫した。

(何でここでフラグたてちゃうんですかグリフィン・レッドラムぅうう!)

 グリフィンはそこに書かれた内容をサラに告げた。

「ウォーターワールドの無料招待券三枚。外出許可はとってあるよ。簪の分までね。憂さ晴らし……する?」

 それを聞いたサラの反応は早かった。

「する! 流石グリ姉先輩!」

 無論のことながら、監視されている身である簪に拒否権はないのである。監視ばかりで疲れているだろうことは分かっていたため、あえて簪は何も言わなかった。言えるはずがなかった。ただの懸念事項だというだけで、サラのストレス発散を邪魔するなどというのは簪に許されているとも思えない。

(何事も起きませんように……!)

 簪は半ば祈るようにそう念じ、すでに準備万端だったグリフィンに監視されながらウォーターワールドへ向かうための準備を終えた。なお、その際に乱音とロランツィーネが邪魔しに来たのも最早お約束である。彼女らは普通の料金を払って行くことにしようとしていたが、グリフィンが全ての料金をしれっとネット決済で支払ってしまったので普通に同行することになった。

 そして何事もなくウォーターワールドにたどり着き、水着に着替える一同。しかし簪だけは水着には着替えなかった。その理由を誰もが知っていたために咎められることはない。流石に胸元のISコアを晒しながら歩くなどということが出来るはずもなかった。

(いや、もう、改造制服の首元を詰めてて本当に良かったと思いましたよ……)

 故に、簪はそれを見せないための水着を手に入れることはしない。有り得ないことはないだろうが、無駄な出費は避けるに限るからだ。この先どこまで更識の支援を受けられるか分からないのだ。当主になれなかった簪が、いつまで『更識』を名乗れるかどうかすら分からないのだから。

 服を脱ぎ、いつものものとは違うISスーツに着替えた簪は乱音達と連れ立ってプールに繰り出す。誰から見ても分かりはしないが、珍しいことに簪のテンションは上がっていた。本当に久々なのだ、外出出来るのは。

(いや、ちょっと楽しいですよね。……あれさえなければ)

 テンションが急降下する原因は併設の喫茶店だ。その中に金色の髪と乱音と同じ髪色の女子が見えたからだ。

(完全にフラグですね、本当にありがとうございました)

 内心で軽くため息を吐き、サラ達が充分に楽しんだ頃に帰ろうと思った矢先に事件は起きるのだ。

『では皆様、お待たせしましたーっ! これから水上障害物レースのエントリーを受け付けまーす! 優勝商品はなななんと! 沖縄ペア旅行五泊六日の旅! これは狙っちゃう? いや狙わずにいられるか! 皆様挙ってご参加をー!』

 そして喫茶店から弾丸のように飛び出していく金髪と焦げ茶色の髪の少女達。簪はそれを遠い目をして見送ることしかできなかった。

(ああ、せっかくの外出が……)

 そう内心でぼやく簪を尻目に、それを偶然目視してしまったロランツィーネが眉をひそめる。

「おや、あれは……もしや」

「どうしたの? ロラン」

「いや、ミス・ウェルキン……少々厄介事が起きそうな気がしてね」

 飄々とした態度だが、それでも警戒は解かずにロランツィーネはレースが始まらんとする方向を見た。そして自分の見たものが間違っていないことを確認すると目を細める。

(やはり見間違いではないようだね)

 これから起こるだろう状況に気を引き締めたロランツィーネは、グリフィンに告げた。

「セニョリータ・レッドラム。頼みがあるのだが」

「何?」

「今すぐにIS学園に向けて連絡を入れてほしい。非常事態の際にはISの利用を許可していただきたい、と」

 その言葉にグリフィンはロランツィーネの視線の方向を見た。そこにいるのはセシリアと鈴音だ。そう、一夏に銃口を向けて《スターライトmk-Ⅲ》を展開した前科のあるセシリアと、一組の教室の壁をぶち抜いた鈴音なのである。彼女らはレースの始まりと共に他の挑戦者達を抜き去っていく。

(……確かにこれは嫌な予感しかしないね……まさかやらないとは思いたいけど……)

 セシリア達の前科を知っていたグリフィンはまさかと思いつつもIS学園の教員用ISにプライベート・チャネルを送った。

『緊急です、応答願います』

『どうした、レッドラム。今は外出中だと聞いているが』

 応答したのは千冬だった。グリフィンは冷静にセシリア達から目を離さないようにして会話を続ける。

『その外出中なので……って! ただいま民間施設内で『甲龍』および『ブルー・ティアーズ』が交戦を開始しました!』

『何だと!? 敵は!?』

『お互いに攻撃しあってるんですって!』

『……至急鎮圧しろ……そこにいるメンバーならば誰でも良い! 絶対に誰も傷つけさせるな!』

 千冬の怒りが伝わってきそうなプライベート・チャネルだったが、それどころではなくなったのでグリフィンは通信を終える。その時にはすでにサラとロランツィーネは観客達を避難させ終えていた。

 それを見たグリフィンは、同行者すべてに見えるよう派手にISに搭乗した。それを見た一同は続けてISを纏う。そして。

「いい加減にしてよ、オルコット! あんたがやらかすから私がどれだけ不利益を被ってると思うの!」

「こんなの鈴おねえちゃんじゃないよ! 冷静になって回りをよく見て!」

 セシリアはサラからの不意打ちで沈み、鈴音は乱音に斬りかかられて説教された。比較的怒りに満ちてはいなかった鈴音は大人しく乱音の言葉で止まったのだが、奇襲される形で地面に叩きつけられたセシリアはそうはいかなかった。

 セシリアは怒りを顔に浮かべながらサラへと罵声を浴びせる。

「お退きなさいミス・ウェルキン、いえ、サラ! わたくしの高貴な顔を踏みつけた鈴さんには思い知っていただかねば!」

「学園内のアリーナでやりなさいよ! ここで展開するの、アラスカ条約違反なんだからね?」

「些細なことですわ! それに、そのような第二世代機でわたくしを止められるとは思わない方がよろしくってよ!」

 その場にいた誰もが思った。

(うわぁ……)

 それは呆れた方向の感嘆だった。セシリアは恐らく知らない。IS学園に来る前にしか指導されていないのならば当然だろう。

 セシリアは知らない。

 

 サラ・ウェルキンは、第二世代機を操る操縦者の中ではIS学園最強なのだということを。

 

 『打鉄』、『ラファール・リヴァイヴ』、『メイルシュトローム』、『テンペスタ』の中で一番評価のよくない『メイルシュトローム』での快挙を成し遂げた人物なのだと。当然、第三世代機を試験運用していようが最近操縦データの質と量が低下してきているセシリアでは、サラには勝てないのだと。

 そして、セシリアと鈴音はそのまま拘束されることとなった。




※長いので面倒ならお飛ばしください。

 サラ・ウェルキン→原作に三行ほどしか記述のない可哀想な人。あえて本作では黒髪にヘーゼル色の瞳。『イギリス代表候補生でセシリアの操縦指南をした』という情報のみであとはほぼオリキャラ。主にイギリス製IS『メイルシュトローム』(こちらも残念なことにほぼ情報がない)を使いこなす人という設定。セシリアに操縦指南をしてしまったのが不幸の始まりである。が、どこかのSSのように『サイレント・ゼフィルス』を手に入れたり『ダイヴ・トゥ・ブルー』を手に入れたりはしない。

 グリフィン・レッドラム→ブラジル代表候補生。アーキタイプ・ブレイカーのキャラで、姉御肌かつ一夏に『グリ姉』呼ばわりを強要するヒト。いや、あんたの母国語はポルトガル語でしょうがよ、と思ったのは言ってはいけない。本作においては独自設定が生えてくるヒト。だって『レッドラム』とかもう……ねぇ? どうしても知りたいヒトは『レッドラム 意味』でググるがよい。

 『メイルシュトローム』→イギリス製IS。テレビゲーム『IS/VS』で一夏が動かすイメージでは使いづらいらしい。技が弱くてコンボが微妙らしい。本来の意味はモスケン島周辺海域に存在する極めて強い潮流、および、それが生み出す大渦潮を指す語(wikiより)。本作では装備されたマントが激しく翻るからその名前がついたことになっている。残念ながら第二世代機である『メイルシュトローム』が楯無の『ミステリアス・レイディ』のように水のナノマシンを使うだとか唐突に高圧水流による水カッターを繰り出すわけではない。
 メイン武器はレイピア(うまく使わないと折れる)、持ち替え武器としてアサルトライフル《リー・エンフィールド=ISカスタム》、ダガー。シールドはダガーと入れ換えでしか使えない。表が青で内側が白のマント(という名の簡易シールド)がついている。マントは戦争時には迷彩カラーにペイントされる。
 サラはこれをカスタムし、アサルトライフルを元の《エンフィールド》から《スターリングSAR-AH-87》に変えている。地味に自分の名前が入っているのはそもそものアサルトライフル『スターリングSAR-87』という実在の銃を自分の使いやすいように改造したから。

 セシリアがサラにロードと呼ばれているのは貴族の名門たるオルコット家が伯爵家であると勝手に設定したため。この場合、セシリアに対し敬意を払って呼ぶときは『ロード・(領地の名前)』となる。本来であればセシリアが当主を継いだときにしかそうは呼ばれないのだが、他に後継者もいなければセシリアが当主になることが確定しているため(非公式ではあるが)ロードと呼ばれる。
 ただし、本SSにおいては、原作にセシリアの自宅(もとい城)がどこにあるのか描写がなかったため、敬意を払って呼ぶときはロードとしか呼ばない。簪はそもそもセシリアに対してはそこまでの敬意を払う気はない。


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持てる者の義務? 何それ美味しいの?

 毎日投稿レッツゴーですじゃあ。手元で完結しましたからね。投稿終わるまでに13巻出ても知らんです。

 アンチ色が強くなってきましたが、原作キャラが嫌いなわけではありません。

 が、オルコッ党のみなさんはここで多分お別れです。だってこの話、ガッツリセシリアがアンチされてるようなものですしね!


 グリフィンとサラ、そしてロランツィーネと乱音に四方を固められたセシリアと鈴音はIS学園へと護送されることとなった。簪はそれを呆れた目で見ていることしかできない。いくら原作の展開だったとはいえ、まさか本当に公共の場で兵器を展開しやりあうとは思ってもみなかったのだ。

 迎えに来た車の中でサラがセシリアに説教を始めようとして彼女に呼び掛ける。

「で、オルコット」

 しかし、サラの機嫌の悪そうな声は、セシリアの冷ややかな言葉によって遮られた。

「無礼ですわよミス・ウェルキン。Working Class(労働者階級)の分際でUpper Class(上流階級)の名門オルコット家の次期当主たるわたくしに敬称をつけないなんて。流石卑しい育ちですわね? 礼儀(マナー)がなっていませんわよ」

(え、ちょっ……セシリア!?)

 流れるような挑発に鈴音と乱音はギョッとした顔になる。先程まで蹂躙されていた奴が何をいっているのかとでも言わんばかりだ。鈴音は乱音に怒られて冷静にはなった。何故セシリアを止められなかったかという自身への問いの答えは既に出ている。あまりに鈴音が大人げなかっただけだ。

 一方のサラもセシリアの言葉にカチンと来ないわけがないのだが、そこはグッとこらえる。サラは諭す側であってセシリアに常識を理解させるための人間なのだ。今そこでイラついても何の意味もないのである。そこをこそ分からせなければならないのだから。

(あーはいはい、これだから貴族階級の人間は)

 故にサラは内心で呆れながら言葉を続けた。

「ではロード。先程のIS無断展開について深謀遠慮があったというのならば私めにご教授いただけないでしょうか」

「それをわざわざあなたごときに教えろと?」

 セシリアの見下したような言葉に、サラは苛立ちを隠して返答する。

「ええ。私は貴女に恐れ多くも操縦を指南させていただきました。その件を本国は高く買ってくださっております。貴女の指南をIS学園入学後も依頼されるほどには」

 淡々とサラはセシリアに告げるが、セシリアもそれには負けていない。サラが激高すればまた別だったのだが、怒りと苛立ちを淡々とぶつけるだけではセシリアには意味がないと分かっていなかったのだ。セシリアにとって、サラが食い下がってくるのは負け犬の遠吠えにしか見えていないのだから。

 貴族と労働者階級との差は、絶望的なまでに広い。そこまでのしあがったとだとしても、生まれも育ちも隠せない。もっとも、サラは貴族に憧れは抱いていないので気にすることもなければ隠しもしないが。敬うべき人たちであったとしても、それはそれ。サラは労働者階級であることを恥じてはいないし、誇りに思っている。

 そしてそれは、ある意味ではセシリアも同じなのだ。代々続く名門貴族たるオルコット家次期当主の座は、簡単に軽んじられて良いものではない。西暦2022年にもなればそこまで残っている古い貴族などというものはほとんど存在しないのだから。古いから良いというわけでは勿論ないわけだが、イギリス国内でセシリアを重んじないものはどこにもいなかった。それゆえの傲慢。それゆえの、軽蔑。

 端的にセシリアはサラに返答した。

「踏んだからですわ」

「貴女の顔を、凰鈴音が、ですね。ですが、それだけのことでISを展開するなんて、観客達一般の皆さま方を危険にさらすとは思いませんでしたか?」

 そのサラの問いは、とんでもない答えを呼んだ。一見普通の意見だ。至極真っ当な意見だろう。それは傍観者にしかなれていないグリフィンや鈴音、乱音でも分かることだ。当然簪もそれが真っ当だと思っている。しかし、セシリアにとってそれは普通ではなかったのである。

 セシリアはその問いにこう答えた。

 

「は? 何故わたくしが自国民でもない有象無象を気にかけなければならないのです? 彼らに対して持てる者の義務(Noblesse Oblige)を果たす必要がどこにあって、サラ・ウェルキン?」

 

 その場に痛いほどの沈黙が流れた。その中で動いていたのは簪とグリフィンだ。セシリアの発言を録音し、すぐさまそれぞれの国へと送信する。イギリスの失態はこれからも広がり続けるだろう。それも、主にセシリアとセシリアを取り巻く環境のせいで。

(なんかもう死んでくれない? オルコット)

 サラはあまりの発言に頭を抱えたくなった。どこの国に他国の人間だから傷つけても問題ないと言ってしまう代表候補生がいるというのか。そもそも適性検査――任意ではあるが性格の適性検査を受けることも代表候補生としての評価に繋がる――に引っ掛からなかったのか、受けなかったのか。恐らくは後者なのだろう。

 しかし、サラは一応は内心で毒舌を吐くだけでとどめて先輩として諭さねばならないと別の言葉を吐き出す。

「まずロードが先程いらした場所は日本です。IS学園の保護があろうがなかろうが治外法権はありません。そして彼らが自国民でもないからこそ大きな国際問題になるのですよ」

 国際問題に、といった辺りからセシリアが言葉を挟んできた。

「ウェルキン。ここは日本なのでしょう? ならば観客を守るべきは日本代表候補生の更識簪であってわたくしではありませんわ。そこを間違えない方がよろしくてよ。今詰問すべきはわたくしではなく更識簪です。Do You understand?」

 勝ち誇ったようにセシリアはそう言うが、残念ながら簪はそれを聞き流すことはできなかった。

(何が分かりまして? ですか。分かるわけないじゃないですかやだー)

 そもそも道理が通っていないと思われる言葉に簪が突っ込みをいれる。

「済みませんその回答は流石に聞き捨てなりません」

「あら、責任を押し付ける気ですの? 日本代表候補生」

 簪の言葉にセシリアはそう返して冷笑した。このまま言い負かせるだけの自信があるのだろうが、残念ながら簪はそれを赦さない。それ以前の問題だと分かってもらえない限りこの監視は解けないのだから。

(というかそもそもこいつ分かってないでしょう……)

 故に簪はセシリアを睨み付けて返した。

「そもそも誇りを傷つけられたからといってISを展開するのが間違っています。兵器を突然取り出すようなものですよ? 一般市民を傷つけるような事態になれば、守れる守れないは別として責任はほぼあなたにあります」

 しかし、セシリアはそれにこう返した。

「日本人の貴女には分かりませんわ。貴族の誇りというものは時に命よりも重くてよ」

 バカにしたように笑うセシリアに、簪は冷たくいい放った。

「ならばあなたは今すぐ死ぬべきですね。オルコット家どころかイギリスに対して泥を塗ったんですから」

「何ですって?」

 簪の言葉の意味が理解できないセシリアは疑問を顔に浮かべる。それと同時に『死ね』と言われたことに対して怒りを覚えていた。

 淡々と簪は返す。

「誇りを守るためだけに無差別攻撃を繰り出すような気違いは死ねばいいです。誇りを守って大量殺人鬼になった貴族など貴族として認められるとは思いませんし、もしそれで貴族として認められる国があるのならば滅べばいいですね」

 実際、簪のいうような人間が貴族として認められないということはない。それが誇りを守るためであったのだとしても祖国に貢献していれば貴族として認められるだろう。ただし今回のように国に泥を塗るような真似をした場合は別だ。

(この女、何をトチ狂ってるんですの!?)

 セシリアは目を見開き、わなわなと震えて怒りを顕にする。

「なっ……あなた、わたくしと祖国を侮辱しますの!?」

「あなたが侮辱されていると感じるのなら、金輪際ISの無断展開などしないでいただきたいですね。いい迷惑ですよ全く……」

 やれやれとばかりに肩をすくめる簪に、セシリアはなお言葉をぶつけた。

「ふざけないでくださいまし、更識簪。いつあなたにわたくしが迷惑をかけたと?」

「今現在この状態がですよ。あなた達一年生の代表候補生達が無断展開ばかりするからわたしも同じような目で見られるんですよ。何なんですか、わたしも無断展開するかもしれないから監視付きって。無断展開なんてしたことないですよ。それに何より先輩方に迷惑じゃないですか」

 そこじゃない。全員がそう思ったが、簪にしてみればそれが普通だ。自分が迷惑することよりも他人が迷惑を被る方を嫌がるのである。確かに自身の待遇について不満がないわけではないが、それ以上にサラやグリフィンの時間を割かせてしまっていることに対して申し訳ないと思っている。その元凶を恨まないことなどないのである。

 ただ、その元凶の一部たるセシリアにはその言葉は通じなかった。

「そ、それはわたくしのせいではありません! あれは一夏さんが悪いのですわ!」

「人のせいにしないでいただきたいですね。例え織斑一夏さんが悪いのだとしても、何故言葉を使わないんです。何故武力を行使しちゃうんですか。そのまま同じようなことを続けてたら、あなた達が織斑一夏さんを殺してしまいます。それに、周りの生徒達に一切被害が出ていないとでも思っているんですか?」

「なっ……」

 絶句するセシリアを、更に簪は責め立てる。

「一組の生徒からの被害報告はかなりあるそうですよ? それなのにそれに目を向けず織斑一夏さんを制裁するためだけに兵器を展開するんですよね、あなたは。貴族が聞いて呆れます」

「あ、あ、貴女に何がわかるというのですかッ! わたくしは、わたくしは――ッ!」

 そこで無情にも車はIS学園へと到着する。そのセシリアの絶叫は。

 

「一夏さんを、愛していましてよ!」

 

「……ほう、そうかそうか、オルコット。貴様が自殺希望者だとは知らなかった」

 千冬にバッチリ聞かれていた。ついでにセシリアの手は真横に伸ばされており、唐突に開けられていた扉の外の千冬の腹に触れていた。何と言うまでもない。この後起こるのは間違いなく千冬からの制裁である。

 それに気付いたセシリアはがくがくと震え始めたが時すでに遅し。セシリアと、プールでやらかした鈴音も首根っこを掴まれてドナドナされていったのだった。




 ちなみにこの件の過失の割合は

 セシリア:鈴音:簪:その他=6:2:1:1

 です。
 セシリアはISの無断展開(多少は情状酌量の余地あり)及び中国代表候補生に対する威嚇と攻撃。更にそれに付随する施設の破壊と日本国民に対する傷害未遂。無断展開については鈴音からの傷害があったため。
 鈴音はISの無断展開(多少は情状酌量の余地あり)及びイギリス代表候補生に対する傷害。更にそれに付随する施設の破壊と日本国民に対する傷害未遂。無断展開については、自分から挑発行為をしたが命を守るための緊急避難。セシリアと比べれば情状酌量の余地あり。
 簪は日本国民の保護の遅れと施設の破壊の防止への遅れ(多少は情状酌量の余地あり)。監視中の身であり、許可を取ってからのIS展開は評価されるところではあるが動きが遅かった。
 その他も簪と同じ。唯一サラだけがセシリアに対する監督責任を問われる可能性がある。

 誰が一番可哀想かって? 施設の人ですね分かります。


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御愁傷様です。他人事じゃないけど。

 毎時投稿はっじまっるよー!

 プール事件の結末。ウォーターワールド終了のお知らせ及びDeランドへは行けなくなったオチ。

 そして、簪達の夏休み終了のお知らせ。


 結局、セシリアと鈴音はウォーターワールド側に多額の賠償金を支払うことになった。割合はセシリアが7、鈴音が3である。しかし、経営者はそのままウォーターワールドを再建するとは言わなかった。どうせ破壊されるのだろうが、他の施設で同じことをやられると困るだろうからとIS学園生専用の娯楽施設とすることを申し出たのである。その背後には日本政府や数々の大企業からの圧力があったのは言うまでもない。

 セシリアは出し渋ったが、鈴音は代表候補生として貰っている給金をほぼすべてウォーターワールド側に支払った。両親から縁を切られ、次に同じようなことをすれば『処分』される予定だ。殺される方がましなほどの屈辱的な実験体にさせられる可能性があると聞かされれば、鈴音は大人しく支払うしかない。なお鈴音の管理官は監督責任を問われて辞職に追い込まれた。

 勿論そのことで一悶着起きない、などということはない。ウォーターワールド側に対する補償の一貫で忙しい簪を捕まえ、何故か一夏が怒りをぶつけてくる。

「何でお前が普通に出歩いてるんだよ! 鈴もセシリアも謹慎中だっていうのに……!」

 簪はそれに内心で疑問を呟きながら返答した。

(何でそれをあなたが言うんです?)

「は? わたしは彼女らのようにISの無断展開はしていませんし、むしろ迷惑を掛けられた側ですが」

「嘘だな。セシリアが言ってたぞ、更識がもっとちゃんとしていればこんなことにはならなかったって!」

 憤然とそう告げてくる一夏に簪はもはや困惑することしかできないかった。簪がきちんとしていたからといってどうだというのか。そもそもあんな場所でISを展開することの方が間違っているのだ。

「何でちゃんと全部を守らなかったんだよ!」

「全員無傷で避難させたんですけど……ああ、それとも何ですか? オルコットが撃つBT兵器から施設まで完全に守れと? 生身で? 普通に死にますけどそれ。もしかしてわたしに死ねって言ってます?」

「そんなことは言ってない! 普通にISを展開すれば良いじゃねえか!」

 その一夏の言葉に簪はため息をついた。

(この人、やっぱり分かってないじゃないですかやだー)

 内心で悪態を吐きながら一夏に返答する。

「わたしには、外でISを無断展開すれば一生軟禁の上で実験体になる未来が待っています。それでもオルコットのためだけにISを展開しろと? オルコットのために一生を棒に振れと、そういうことですか?」

「そんなの有り得ないだろ!? そんなすぐに分かるような嘘で言い訳して何が楽しいんだよ……! セシリアはかなり追い詰められてるんだぞ、お前のせいで!」

(めんどくさいですね、この人。何なんですか?)

 ヒートアップする一夏とは対照的に簪は冷めていった。一夏が何を言いたいのか分からないのだ。あの場で簪にできたことなどほぼないに等しい。それなのに何故責められなくてはならないのか。それが理解できなくて気持ち悪かった。

 と、そこに一人の女生徒が通りがかった。

「何をやっているのですか?」

 その人物は眼鏡をかけ、髪を三つ編みにしていた。簪は彼女が誰であるのか分かっているため、話がこじれるだろうと判断して彼女を追い払いにかかる。

「何も。あなたに心配されるようなことは一切ありませんよ布仏虚先輩」

「そうですか? とてもそのようには見受けられなかったのですが……」

 それでもそのまま立ち去ってくれそうな気配だったのだが、一夏がそれをすべて台無しにした。

「先輩からも言ってやってくれませんか、更識に! お前のせいでセシリアと鈴が追い詰められてるんだって!」

 一夏の言葉に虚は目を細め、ため息をついた。今の簪の状況をこれ以上なく把握している虚にとって、一夏の言葉は意味不明な事柄でしかない。どう考えても言いがかりであり、過失の割合で言えば確実にセシリアが上回っているのだ。今までその処理に奔走させられていた身としては一言もの申さなければ気が済まない状態になっていた。

 見るものが見れば恐怖を感じるような笑みを浮かべて虚は一夏に告げた。

「いったい誰がその二人の事後処理をやっていると思っているのですか? その二人のせいで私は五徹目です」

「……え?」

「済みません虚さん本当に寝てください代われる処理は代わりますんで」

 よく見れば虚の目の下には化粧でも隠しきれない隈が出来ていた。動きもおぼつかない。これはダメだ。

(というかわたしと姉が奔走してこれですか!?)

 簪は虚が任された仕事内容を知らない。だが、ここまでなる前に回せる仕事ならば回してほしかった。もっとも、半ば当事者である簪には任せられない処理だったからこそ虚がこきつかわれているのだが。

 それでも簪に笑顔を向けられる辺り、虚は人間ができている。

「お気遣いありがとうございます。ですがこの処理は簪様にはお任せできない類いのものですので……」

 その腕に抱えられた書類から見える情報を読みとった簪は思わずその腕をつかんだ。

「虚さん、それは教師の仕事……いえ、動く気がないのですね。本音ももっとこきつかってやってください。本音の分はわたしが請け負いますから、本当に寝てください休んでくださいお願いします」

「いえ、でも……」

「ああ、もうっ……!」

 なおも言いすがろうとする虚から離れ、携帯を取り出して簪は楯無に通話した。

『簪ちゃん!?』

 ワンコールで取るあたり、暇なわけではなさそうだ。すぐにとれる状態にあるということは仕事中だということなのだから。

 故に簪は用件を一息に告げた。

「虚さんに休みをあげますんで本音をこきつかってください。本音の分はわたしが請け負いますから。何なら姉の分も多少は手伝いますから本当に五徹目の人をこきつかうのやめてください」

『……か、簪ちゃあん……悪いけど、虚をお願い……』

(わーい、姉もグロッキーな状態になってるじゃないですかやだー)

 用件の返答を聞いた簪は、楯無もグロッキーな状態になっていることを察して内心で盛大にため息を吐いた。この状態から姉の動きをよくするためにはどうすれば良いのか十分に理解していたからだ。

 面倒だが、背に腹は代えられないのである。

「もう少しの辛抱ですから、頑張ってください、『おねーちゃん』」

『頑張るわ! 私、簪ちゃんのために頑張る!』

 楯無の気合いも十分充電されたところで簪は通話を終え、流れるように虚を気絶させてその場を去った。そこで立ちすくんでいた一夏は、ついに動くことすらできなかったのだった。

 その後、簪は本音の分の仕事を引き受けた。その仕事は残念ながら生徒がして良いものではなかったのだが、他にできる人間がいない。やるしかなかった。

 その仕事とは、IS学園生全員分の外出許可の管理だった。そもそも、元々IS学園生が外部に出るのに許可証がいるのは何故なのか考えたことはあるだろうか。あれは実はビザの代わりであり、許可なくIS学園の敷地から出れば不法入国として送還されてしまうのである。それを防ぐためのワンデービザなのだ。

 それを申請したからといって、IS学園生が外に出て事案を起こさないかと言われると否である。これまでも問題になっていたため、日本政府は議案を提出。夏休み中に織斑一夏を筆頭とする一団がやらかしたことも後押しして満場一致でIS学園生を特定の場所にしか受け入れないことが閣議決定されたのである。

 その特定の場所として選ばれたのが今回破壊されたウォーターワールドだ。そこを大規模改築し、IS学園生がそこにしか行けなくても満足できるような施設案が考えられたのだ。

 元ウォーターワールドにはIS学園から技術者が派遣され、ISで攻撃されても破壊されないような工夫が凝らされた。そこにある全てのものがアリーナと同じ材質で作られ、春夏秋冬全ての娯楽が集められているテーマパークとなる。地下から高層階にわたるその施設には、夏にはプールとなるスケート場、スキー場、遊園地、多くのブランドが集まるショッピングモール、世界各国の料理が食べられる食堂街など様々なものが併設されていた。

 ちなみにホテルまで併設されたその施設には一般の利用客も利用したがった。しかし、安全確保のために、IS学園の生徒が来場するエリアからは確実に離れた場所に誘導されることとなる。更に一般客用の入場誓約書とIS学園関係者用の入場誓約書が作られることとなった。

 そして、実際にその作業に駆り出されることになったのは――

「まだなの簪!」

「済みません後30秒でソフトウェア組み終わりますサラ先輩!」

「ううっ、何で私が駆り出されることになるの~?」

 日本代表候補生のうちIS学園に在籍する簪と本音。イギリス代表候補生のうちセシリア以外の代表候補生であるサラ。そしてIS学園の技師として働いている三組の教師だ。

「絶対、ぜぇったい給料上げて貰うんだから……この私をこきつかうんだからち、織斑先生からも掛け合って貰うんだもんね……」

 かなりグロッキーな状態になっている彼女は、名を品延布兎菜(しなのべのとな)という。更識に属する更級技研所属の技師なのだが、故あってIS学園で教師をやっているのだ。そんな彼女は今回の件には全くもって関係ないのだが、技師としてここでこきつかわれることなってしまっていた。

 愚痴はともかく、実力だけは確かな四人の活躍により、新施設は着実に出来上がりつつあった。

 そして。

「……出来た……?」

 八月末。夏休み最終日にそう呟いたのは、誰だったか。有り得ない早さでブランドの招致も終え、全てが終わった。そのときには夏休みが終わりかけだという残酷な事実を誰もが受け止められないでいた。夏休みの課題は確かに終わらせたのだが、このまま新学期に突入するなどという現実を直視できなかったのである。

 無論、この件に関わったセシリアは一度も手伝いに来なかった。鈴音は罪悪感があるのか何度か肉体労働をしに来たものの、そのうち代表候補生管理官から呼び出されてIS学園内に軟禁されたらしい。その後どうやら何かしらをやらかしてとうとう『死んだ』ようだ。

 簪達は始業式を死んだ目で迎える羽目になったのだった。




 面倒な一夏くんに変身した理由は次回。

 なお、今回出てきた品延せんせーは今後も出てくるのでフルネームです。昔、まだ原作が10巻ぐらいまでしか出てなかった頃の別のSS(未発表)キャラを引っ張ってきました。なおオリキャラの皮を被った原作キャラです(重要)。今後の表記はほぼノトナか布兎菜で。


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自分に都合の良いことしか言わない。残当。

 毎時投稿中です。一度目次に戻り、未読がないか確認してください。

 というわけで夏休み中の一夏とそのハーレム連中の動向。


 セシリアと鈴音が謹慎処分になった。それを他の専用機持ち達が知ったタイミングはそれぞれ違った。一番に一夏が知った。その後、シャルロットとラウラは買い物から戻った後に知った。コメット姉妹は外出許可を取れなかった時。そして箒は神社での祭事が終わってからだった。なお始業式ギリギリにIS学園へと戻ってきたクーリェとヴィシュヌは最後まで知らなかった。

 一夏が知ったのは、セシリアに謝罪しにいったときだ。ウォーターワールドのチケットを急に押し付けた形になってしまっていたので一応謝罪を、と思ったのだ。

 セシリアの部屋の扉をノックすると、ドア越しに答えが返ってくる。

「セシリア・オルコット在室しておりますわ」

「セシリア、俺だ。ちょっと良いか?」

 それで中に入れてもらえるものだと思った一夏は予想を覆される。セシリアは気丈に一夏に謝罪するのだが、途中から堪えきれずに涙声になってしまったのだ。

「申し訳ありません、一夏さん。わたくし、今謹慎中でして……」

「謹慎って……どうしたんだ、セシリア!?」

(ウォーターワールドでいったい何があったんだ!?)

 突然声に涙の色が混ざったセシリアに一夏は慌てた。当然だろう。一夏はセシリアが謹慎になる理由を見つけられなかったのだから。

 セシリアはすすり泣きながら一夏に弁明を始めた。

「……一夏さんが下さった券でプールに行きましたの。そこでちょうど……腕試しのようなイベントをやっていまして……それで、それがペアで参加するもので、鈴さんがやりたいように見受けられましたので……ご一緒したのですわ」

(そうですわ、わたくしはその気になればいくらでも手配できますもの。鈴さんが乗り気だったのがいけないのですわ)

 セシリアは、自身も乗り気だったとは言わなかった。その気になればいくらでも手に入れられる景品だったが、自分の力で手に入れたものはまた違うのだ。勿論セシリアの場合はお金で手に入れた場合であったとしても自身の財力と言われれば否定はできない。

 一夏は完全に聞きの体制に入っていて、セシリアの口は止まらない。

「そうしたら、鈴さんがゴールの直前で……よりによってこのわたくしの顔を踏みつけていったのですわ! よりによって! せめて肩ならば赦せるかもしれませんが、顔って何ですの!? わたくしにだって赦せることと赦せないことがありましてよ!」

「そ、そうか……それで、何で謹慎になったんだ?」

 セシリアの勢いに引いた一夏はそう問うた。むしろ問うことしかできないと言うべきか。謹慎になっている以上、無理に扉を開ければ怒られるのはセシリアなのだから。

(むしろそれで何で謹慎になるんだ?)

 一夏は疑問を抱きながらセシリアに問い返すと、一気に勢いが削げた。

「それは……思わずISを展開して施設に被害が出てしまったからですわ。人的被害こそ出ませんでしたが……施設に関してはむしろ更識簪に責任があってわたくしに責を問うのはお門違いだとも思うのですけど、ともかくそれが謹慎の理由ですの」

「は、はあ……ん? 何でそこで更識さんが出てくるんだ?」

 一夏はセシリアにそう問うた。一夏がむしろISを展開した下りでは疑問を覚えなかったことにセシリアは安堵する。そこに食いつかれては返答のしようがないからだ。まさか一夏のために景品がほしかった等とは言えまい。

 簪について一夏が食いついたことで、セシリアは返答を変えた。

「その場にいたからですわ。あの方は日本代表候補生でありながら日本の施設を守らなかったのです」

「なっ……」

 その絶句は、勿論身勝手なセシリアの言動に対するものではない。自分の非を上手くカモフラージュしたセシリアの言葉に納得し、簪に対して憤りを覚えているが故だ。一夏にとって『守る』とは他の何にも代えられないことなのだ。ずっと千冬に守られてきた自分が、これから周囲を守る側に立つと誓ったのだから。

 それがいつのことなのか、一夏は覚えていない。それでもいつも誰かを守るために在りたいと願っていることだけは確かだ。その一夏にとって『見過ごす』『見逃す』『見捨てる』はタブーなのである。例えそれが誰か別の人物の行動だとしても。

 故にセシリアへの返答はこうなるのである。

「何で、更識はそんなことが出来るんだよ……!」

(そんなことが赦されて良いのか!?)

 もはや敬称すら取れたその発言に、セシリアは同調した。

「一夏さんの憤りも分かりますわ。でも、あの方はあろうことかわたくしと鈴さんにすべての責任を被せてきたのです……!」

 この場に事情を知る人物がいれば何を白々しい、と言っただろう。だが、一夏は元々言われたことを鵜呑みにする傾向があり、そこから自分の妄想で『斯く在った』と認識してしまうことが多いのだ。故にセシリアの白々しい言動をも鵜呑みにしてしまう。

 だからこそ、一夏は自分にできることをするべく声をあげた。

「待っててくれ、セシリア。今から千冬姉にセシリアと鈴の謹慎を解いてもらうよう抗議してくるから!」

「No! お、お待ちくださいまし一夏さん! もう終わったことなのです! 全ての処分が決まれば謹慎は終わりますから、後生ですからそれだけは止めてくださいまし!」

 セシリアは慌てて一夏を止め、宥めすかした。そうしなければ処分が更に重くなる可能性があったからだ。十五分ほど問答を続け、ようやく宥めたところでセシリアは部屋でこのまま休むことを伝えられた。もっとも、一夏は納得してはいないのだが。

 一夏は複雑な顔でセシリアの部屋の前を後にすると、今度は鈴音の部屋へと向かった。セシリアの言葉通りなら、彼女もまた落ち込んでいかねない。その様子を見に行ったのだ。

 鈴音の部屋の前についた一夏は扉をノックする。

「はいはいどなた? って……織斑一夏くん、か。ごめんねー、今はちょっと鈴、君には会わせられな」

「退いてティナ。あたしにはもうこれしか残ってないんだから……!」

 扉を開いて出てきたのは金髪の女生徒だったが、鈴音によって一夏は部屋の中へと連れ込まれた。

「お、おい鈴……!」

「……ごめんね、一夏。あたし、もう、これしかできなくて……恨んでくれて良いわ。だから……」

 大人しくしてて、と呟いた鈴音の声は濡れていて、だから一夏は反応できない。腕にチクリとした感覚が走り、一夏は意識を失ってしまった。彼にとってそれは良いことだったのかは、神のみぞ知る。

 鈴音は一夏に注射した薬品を捨て、躊躇うティナと共に一夏に跨がった。

「鈴……」

「良いから。既に賽は投げられてるの。ここまでして何も得られなかったらアンタ、国から見捨てられるわよ」

「それは、そうかもしれないけど……! 良いの? 鈴」

 ティナの問いに鈴音は答えられない。良いわけがない。例え自分のために両親が縁を切ってくれたのだとしても、国にとってそんなことは関係ない。鈴音を良いように使うための駒として両親が人質に取られている以上、鈴音に出来ることはこれしかないのだから。

 歯を食い縛り、鈴音は言葉を漏らした。

「後戻りなんて出来ない。躊躇っちゃいけないのよ。これはあたしの望みでもあるんだから……!」

 そして、鈴音はその本懐を遂げた。一夏から取れる遺伝子情報を、髪の毛からそれ以上のものまで搾り取ったのだ。そのためにティナを巻き込み、更にはそれ以上のものまで押し付けるつもりでいる。身勝手なのは分かっているが、いろんな意味でとばっちりを受けた形の鈴音が誰かを巻き込みたくなるのもわからなくはない。

 全ての行程を終え、鈴音は大きくため息を吐くと一夏の体を清めた。全ての痕跡を消して何事もなかったかのように振る舞おうとする鈴音にティナは何も言えない。鈴音からのおこぼれを貰い、この先それを享受し続けることになるティナには鈴音に何かをいう資格などなかったのだ。

 鈴音はそれが終わってから電話を掛けた。

「……(もしもし)我叫凰鈴音(凰鈴音です)所有规定的职责都已完成(所定の任務は全て完了しました)。……验收(承知しました)

 歯を食い縛り、鈴音はその電話を終えた。そしてティナに『甲龍』を手渡す。

「……じゃあ、頼んだわよティナ」

「……鈴……」

「そんな顔しないで、ティナ。あたしには、もう、会えないかもしれないけど……死なないから。絶対、生き延びるから。だから……泣かないで、ティナ」

 泣いているのは鈴音の方なのだが、ティナはあえてそこには触れなかった。これから過酷な道を行くだろう彼女に泣くな、などとは言えなかったのである。

 これからティナは鈴音の代わりに中国に赴き、そのまま中国代表候補生となる。そして『中国代表候補生凰鈴音』は死ぬ。それだけのことだ。鈴音が実際に誰を頼って生き延びるのかなどということはティナは預かり知らぬことで、知らない方がいいことなのだ。

 そしてティナ・ハミルトンは『中国をテロリストに売ろうとした凰鈴音からISを守った英雄』として中国に帰化した外国人となり、一躍有名人となる。それとは対照的にひっそりとその死亡が伝えられた凰鈴音は、IS学園内で関係者のみを集めた葬儀しか行われなかった。無論その場には一夏もおり、ますます簪へのヘイトを貯めたわけだが。

 もっとも、鈴音は本当に死んだわけではない。鈴音が最終的に頼れるのは乱音しかいなかったのがある意味救いだ。鈴音の状況は乱音から簪に伝わり、簪は忙しさにイラつきながらも全ての処理をこなしたのだ。鈴音を救うために。簪には鈴音を助けるだけの義理はなかったのだが、鈴音の出した条件が呑まざるを得ないものだったので救うしかなかったのだ。

 その結果、伸ばしていた髪をショートにしてハーフアップにし、露出を極端に減らした黒髪の編入生『布仏鈴音(スズネ)』が爆誕したのである。言うまでもなく鈴音なのだが、髪型と化粧で基本的に女子は変わってしまうので気づかれない。ましてや死んだという報道が大体的に流された『凰鈴音』が生きているとは誰も思っていないので気づきようがないのである。

 そうして、IS学園の波乱の夏休みは終わった。




 というわけで夏休みは終了!
 なんか一人犠牲になった気もするけど気のせいだね。え、凰鈴音さんはって? セシリアの分の罪まで倍増しで背負わされたんで残念ながらここで退場です。代わりに布仏スズネさんっていうキャラが出てくるけど『別人』だからね。

 ……別人じゃなければ凰鈴音の母親と劉楽音は処刑されるからね、仕方ないね。


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第五章 何故か雲行きが怪しくなってきましたよ?
二学期になりました。学園祭とか死ねば良いです。


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 痴女が本格始動です。


 夏休みが明け、平穏な日が続くと思われたのだがそうはいかないのがIS学園である。二学期開始から一ヶ月程度で学園祭があるため、その準備があるのだ。無論簪もその例外ではない。新しく四組に所属することになった布仏スズネのこともあり、簪は夏休みで力尽きた身体に鞭打って働かざるを得ないのだ。

 勿論クラス代表は乱音なので、彼女もまた忙しい。

阿簪(āzān)! システムの構築は!?」

「もう終わらせますから、そちらは製菓材料の手配を!」

 もっとも、この三人以外の生徒が死ぬほど忙しいかと問われると、ある意味ではそうではない。他の生徒たちはやることが他にあるため、クラスの活動はほぼ参加していないのだ。それでも端からみてクラスでも気合いが入りすぎているきらいがあるのは簪の姉のせいだ。

 先日の全校集会で、楯無はこう宣言したのである。

『織斑一夏を催し物で一位になった部活動に強制所属させましょう!』

 実際にクラスに所属させられるわけではないというのはこの文面でわかるだろうが、逆に考えられはしないだろうか。つまり、部活動以外の催し物には意味がない、と。故に四組では離脱者が多数出たのだ。それこそ、クラスに誰も残らない勢いで。

 とはいえクラスの催し物も行われなければならないため、部活動に積極的でない簪、乱音、そして編入したばかりのスズネに任されたのである。それも、気合いの入った内容のものを。当然用意どころの話ではなくなったのは言うまでもない。

 企画だけぶちあげたクラスメイト達は、『じゃ、あとよろしく!』と言ってそれぞれの部活動の出し物の準備に向かっていった。簪達を一顧だにすることなく。

 あまりの無茶苦茶なスケジュールに、金切り声で悲鳴をあげながらスズネが頭をかきむしる。

「あーっ、もーっ! こんなの終わんないって!」

 思わず叫んでしまったスズネに、簪は冷淡に告げた。

「はい指導。せめて、このような事態になってしまってどうして良いかわからないわ、と言ってください」

「……くっ、アンタ……いえ、あなた、実は腹黒いわよね……」

 唇を噛んでそう言うスズネに簪は内心でため息をついた。

(やればできるんですからやってくださいよ、全く……)

 まずはスズネの言葉遣いからおかしなことになっているが、これもまた必要なことである。顔面が似ていてなおかつ口調もイントネーションも同じなら基本的に同一人物として認識されかねないのだ。『凰鈴音』は死んだ人間で、『布仏スズネ』が生きるためには彼女との相似を不自然ではない程度に消し去らねばならないのだから。

 

 『凰鈴音』は完膚なきまでに死ななければならないのだ。

 

 そうしなければ中国政府が『凰鈴音』に関わった全ての中国人を処分するだろう。両親、親戚、仲の良かった友人。それらすべてを殺戮し、見せしめとするだろう。それが分かっていたが故にスズネは自らの持つものを捨て、皆を救うために『死んだ』のだ。自分と恋心を犠牲にし、日本人となることで。

 書類は簪にでっちあげてもらい、皆を救った上で自身を救うために日本人として暮らせるようにしたのだから、スズネは口調くらいは何とかしようとしているのである。

(荒い言葉遣いはナシ。普通の女の子みたいな口調で……あーもうっ、面倒だとか言ってる場合じゃないでしょうが! 人の命がかかってんのよアタシ!)

 心の中で自身を叱咤したスズネは、作業を再開した。なお、IS学園は部活に強制所属させられるので他に人員はいない。ならば簪達はどうなるのかと問われるかもしれないが、そこはそれ。IS学園には『帰宅部』という部活が暗黙の了解で成り立っているのだ。

 IS学園には、主に誰とも関わりたくない生徒たちで構成され、表向きには『日本伝統研究部』と呼ばれる部活がある。そこに属する全ての生徒が織斑一夏には興味がないため、出し物も勿論単純な展示だけなのである。

 故にクラスに力を入れられるのはその『帰宅部』所属の人間だけなのだ。皆が様々な思惑で『ブリュンヒルデ織斑千冬の弟たる世界唯一の男性操縦者織斑一夏』に近付きたがっているのだから、部活動の出し物がそれなりに気合いの入ったものになるのは当然である。

 そのいそがしいところにやって来るのが生徒会長である。

「か・ん・ざ・しちゃあーん!」

 ガラッ、と教室の扉を開け(なお本来ならば自動ドアなのだが、楯無は雰囲気を出すために敢えて効果音を出した)、楯無が簪に飛びかかる。

 しかし、それは簪に避けられた上で罵声を浴びせられた。

 

「「「帰れこのくそ忙しいときに来やがって!!!」」」

 

 三人の綺麗にハモった声は楯無にクリーンヒットした。しかし楯無はめげない。しれっと準備を手伝いつつ簪に抱き付き、高速ほおずりを繰り返す。楯無いわく『簪ちゃん成分摂取中』とのことだが、当の簪からしてみればただの変態行為でしかない。

 楯無の高速ほおずりに簪はたまらず悲鳴をあげた。

「やめろやめやがれやめろください摩擦でえぐれまふから!」

「えーっ、簪ちゃんのいぢわるぅ」

「意地が悪いのは生まれつきですから離れろください」

 楯無を振り払い、クラスで決まった出し物の準備を進める簪。おかしなことであるが、出し物はクラス全員で決めたのである。その結果決まったのが喫茶店だ。

 残念ながら一組も喫茶店なのだが、二組は何故か原作とは違い簡易カジノになってしまったために四組も喫茶店でも構わない、となってしまったのだ。あちらのコンセプトはメイド喫茶だと本音が言うのでこちらは別のコンセプトを取り入れたカフェになった。

 それが、台湾風近未来カフェだ。意味が分からないような気もするが、それはそれ。二胡のメロディーを聞きながらロボットに接客をされるという謎体験を売りにしているのだ。

 出されるお菓子も勿論台湾風。比較的日持ちのするパイナップルケーキとマンゴーかき氷、そして愛玉子(オーギョーチ)が食べられる。飲み物は好き嫌いがあるかもしれないので普通の清涼飲料水とジャスミンティー、フルーツウーロン茶、プーアル茶と取り揃える予定だ。

 その発注を後ろから覗き込み、楯無は数字を指差した。

「ダメよ簪ちゃん、織斑くんがいるからこんなにお客さんは来ないわ」

 その言葉はいちいち真実で、イラつきながらも簪は簡単に試算を済ませた。楯無から囁かれる数字を想定して利益を鑑みれば、いくつか商品を無くさなければ採算がとれない。実はロボットのシステムの構築と予算の試算をマルチタスクでこなしていた簪は今だけシステムの構築を一旦停止して思案した。

 そして即座に判断を下した簪は、乱音に告げた。

「チッ……阿乱(āluàn)、プーアル茶なしでいきますよ!」

「ええっ!? もう……良いけど、炭酸もなしね!」

「了解です!」

 発注の欄からその二つを消し、ギリギリ利益の出るところで最終的な注文を終える。もしお菓子等が余れば生徒達が買い取らされるのだが、簪はどれだけ余っても文句は言わせないつもりでいるのだ。準備を全て丸投げした以上、文句など言わせるつもりはないのである。任せた方が悪いのだ。

 いっこうに終わる気配のない作業に、簪は内心で何回目かすらも分からない愚痴を吐いた。

(というか三人でやってね☆っつったやつ吊し上げたいですね!)

 やれとはいいつつ試食はしたいらしいので、実に面倒である。しばらく楯無から指摘を受けつつシステムの構築を再開した簪だったが、下校のチャイムでそれを中断せざるを得なくなった。簪としては残っていても構わないのだが、真後ろにいるのは生徒会長なのである。彼女の目の前で堂々とそのルールを無視するわけにはいかなかった。

 故に簪は乱音とスズネに声をかけた。

「部屋に帰りますよ、阿乱、スズネさん」

 その言葉に乱音とスズネが脱力した。

「きょ、今日も終わらなかったね……」

「同感よ……誰? 三人でもできるよねって言ってしまった人。今無性に埋めてあげたいわ」

 ぐったりしながら寮の部屋に帰り、力尽きる。朝起きて授業時間以外を準備に当てる。口だけの労いで場を濁すクラスメイト達を適当にいなし、作業の遅延を最低限に抑える。そしてまたぐったりしながら寮の部屋に帰る。それを何度か繰り返し、クラスメイト達の甘味欲も満たしつつ過ごす日々。ある意味では充実した日々に、簪はすっかり振り回されていた。

 それでもふとした瞬間、簪は遠い目をして窓の外を眺めている。

(……忙しいって、良いですね。余計なことを考えないで済みますから……)

 それは現実逃避であり、簪にとっては救いでもある。考えなくてはならない大切なことから逃げ続けるのは前世からの癖であり、死んでも治らなかった癖なのだ。そのせいで何度追い詰められたか分からないのに、今なお簪は逃げ続けている。考えれば何か取り返しのつかないことを選ばなければならないのだ。その選択が怖くて仕方がない簪にとって、現実逃避は日常茶飯事であった。

 『グレイ・アーキタイプ』のこと。原作のこと。あの子こと、万十夏のこと。これからの自身の進退。様々な問題への対処。いくらでも考えなくてはならないことはあるのに、簪はそれから逃げ続けているのだ。そうすれば楽だから。

 人間は楽な方に流される傾向があるとは言うが、簪はそれが顕著である。それが自身を追い詰めると分かっていても、楽な方を選んでしまうのだ。その刹那において自身が楽だから。

 その後も、三人以外に学園祭の準備に関わる人間はほぼおらず。前日には三人での製菓作業となった。他の人員は多少手伝いには来るが味見だけして去っていくという手伝いに来ているのか邪魔をしに来ているのか分からない状態だが、それでも規定の時間内には何とか終わった。もとい、終わらせたのだ。その代償は勿論当日催し物を運営する簪達が払うのだが、それは覚悟の上だ。

 そして、前夜祭をやりたい、とクラスメイトの誰かが言ったものの、簪達は力尽きて参加することすらできなかったのだった。




 実際、こんなクラスばっかりだったのではと。

 布仏スズネ→いわずもがな、『凰鈴音』だった少女。全てを捨て去ることで皆を守ったと悦に入っている。なお、専用機は更識が手を回して『打鉄カスタム』を持つ。そのうち、一夏と結ばれる可能性が皆無だということに気づく。近付いたら『凰鈴音』ってバレるからね、仕方ないね。


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学園祭当日。狙いはあいつでしょう?

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 皆一夏が大好きだからね、仕方ないね。


(つくづく思いますよ。接客ロボットを作って良かったって)

 閑古鳥の鳴く教室の中で、簪はそう思った。客はほぼ皆無。がらんとした教室の中で外のざわめきを聞くだけという悲しい状況に、簪達は呼び込みをする気にもなれずただひたすら用意したあの日々は何だったのかと虚無感に包まれていた。

 沈黙に耐えきれず、スズネが言う。

「食べる?」

「飽きましたけど?」

「そうよね……」

 乱音に関しては最早暇すぎてバックヤードで折角作った愛玉子(オーギョーチ)をフルーツウーロン茶に沈めて貪っていた。何しろ誰も来ないのだ。こっそり簪が他のクラスを偵察しても似たような状態である。唯一混んでいたのが一年一組メイド喫茶だというのだから、どれほど世間が(といってもそもそも生徒から招待券をもらった人のみの公開だが)織斑一夏に興味があるかがうかがい知れる。

 それとは対照的に、部活動の出し物についてはそこそこ賑わっていた。女子同士のネットワークで、自身の所属している部活動とは別の部活動の出し物に投票し、代わりに自身の所属している部活動に投票させる。そういう行為が横行しているためか、部活動の出し物は比較的賑わっていた。

 ただし織斑一夏の関わらないクラスの出し物はといわれると、お察しの通りである。誰も来ない。閑散とした状況を支えているのは少数の『帰宅部』であり、他の部活動に所属している面々は自身の所属している部活動の出し物に専念しているのだ。設営場所の近い部活動同士で牽制し合ったりと中々に忙しそうだが、クラスに目が行く様子はないのである。

 簪はぽつりと漏らした。

「これは、明日は地獄を覚悟しないといけませんねぇ……」

「な、何でなの?」

「一切商品が売れてないからですよ、ハハッ」

 その乾いた笑いに、スズネ達も似た表情を浮かべた。違いないのだ。学園祭は一日のみ。そして、残念なことに今現在誰も来ていない以上、赤字になるのは間違いなかった。明日クラスメイトから吊し上げられるのが目に見えている。自分達は協力しないくせにそういう権利だけは主張するのだ。

 と、そこに一人の女子生徒が現れた。

「ここ? ルーちゃん」

『ええ、そうね』

 簪にとって聞こえた声は二人ぶんだが、そこに現れたのは確かに一人だった。何故ここにいるのか、一人で行動してどうしたいのかは分からない。しかしそこにいたのはクーリェ・ルククシェフカに変わりなかった。

 勿論本日最初の客に挨拶をしないなどと言うことはあり得ない。

「いらっしゃいませ」

「あ……ほんとに、いた」

『言ったでしょう、クー。私がクーに嘘をつくなんてあり得ないわ』

 簪は顔をひきつらせた。要するにこの声は、コアの声だと言うことだ。

(ルーちゃんってイマジナリーフレンドじゃなかったんですか、思いっきりコア人格さんじゃないですかやだーっ!)

 内心で絶叫する簪。しかし、二次移行は果たしたもののクーリェとは物理的に距離の離れている乱音には聞こえていない。故に今彼女の気に障らないように会話するのは、簪にしか出来ないと言うことだ。

 とりあえず、簪はクーリェに問う。

「ご注文はお決まりですか?」

「貴女とお話したい」

「大変申し訳ございませんが当店にそのようなメニューは存在いたしません」

『流れるように断るわね!?』

 自分から問うたにも関わらず、簪は流れるように断っていた。こちらは注文を聞いたのだ。そこで答えるべきはメニューの中身であり、決して個人的な話をする旨を伝えることではない。なお『ルーちゃん』とやらの突っ込みは聞かないことにした。

 しかし、クーリェはそれを意に介することはなかった。

「ルーちゃんが、このタイミングなら、楯無の妹もお話してくれるって。ね、ルーちゃん」

『そうよ、クー。今なら多分まだ話を聞いてくれるわ』

「ではルーちゃんさんにお伝えください。せめて人の名前ぐらい覚えてくださいって」

 面倒そうに簪がそう返せば、クーリェは目を見開いていた。その理由がわからなくて簪は困惑する。

 当然のことながらクーリェの言葉の前半だけならばそういう名前のリアルの友人がいるのだろうと察せる。しかし、最後に呼び掛けている時点でそこに『ルーちゃん』とやらがいると思われて大体が気味悪がられるのである。

 しかし、簪は別に違和感などなかった。正直に言って声は聞こえているし、もし『ルーちゃん』の存在も知らず声も聞こえていなくとも同じ対応をとっただろう。別にそういう人がいても簪には何ら関係がないからだ。

 とはいえその反応にクーリェが驚くのも無理はない。いつもの反応とは違うのだから。故にクーリェは簪に問う。

「……嘘だって言わないの?」

「言って欲しいならいくらでも言って差し上げますけど、ルーちゃんさんを否定されたいですか?」

 簪の言葉を遮るようにクーリェは叫んだ。

「そんなこと、ない! だって、ルーちゃんはいるもん!」

「じゃあそれで良いじゃないですか。『ルーちゃんさんは存在する』、それはあなたにとって事実なんですから、誰にも否定する権利なんてありませんよ」

 あっさりとそう返答した簪に、クーリェは安堵の表情を浮かべて去っていった。

「……何だったんですか、今の」

「さあ……?」

 教室の端と端でそんな会話を繰り広げていると、また別の気配がした。今度はクーリェよりも警戒すべきだろう。中途半端に気配を殺しながらやって来る彼女に警戒しすぎることはない。簪は慌てて仕込みを終わらせた。

 そして彼女は扉を開ける。

「……誰も、いない? いや、気配は確かに……あん?」

「いらっしゃいま……ん?」

 『簪』がその生徒と目が合うこと数秒。その金髪の生徒は獰猛な笑みを浮かべて席に座った。どうやら居座るつもりらしい。その人物が誰であるのかを簪が悟ったとき、彼女は無意識に動いていた。

 能面に張り付けたような笑みを浮かべ、『簪』はその生徒に声をかける。

「いらっしゃいませ」

「あー、フルーツウーロン茶と愛玉子、あとパイナップルケーキを頼む」

「はい、フルーツウーロン茶、愛玉子、パイナップルケーキですね? すぐに準備いたします、少々お待ちください」

 普通のロボットに接客をさせるのが売りだが、残念ながら彼女に迂闊なことはさせたくない。故に簪がとる手段は簡単である。客として現れたのならば盛大に歓迎してやるのだ。それも、彼女が思ってもみない方法で。彼女の望みは恐らくここに簪達を引き留めておくことだ。原作のあの顔面壊れ女のやることに関わらせないために。

 だからこそ、簪はばれない程度の量の筋弛緩剤と睡眠薬を全てに仕込んだのだ。そう、その女生徒ことダリル・ケイシーの食物に。そして『簪』はそれをダリルに出した。

 先程と全く同じ表情で『簪』がダリルに告げる。

「お待たせいたしました。フルーツウーロン茶、愛玉子、パイナップルケーキでございます」

「うひょう、旨そうだぜ。……フォルテの奴も連れてきてやるべきだったかな」

 最後はぼそりと呟いたつもりなのだろうが、『簪』には聞こえていた。

(もちろん、連れてこなくて正解ですよダリル・ケイシー。いたら人質にしちゃいますからね)

 そう内心で嘯きながら簪はダリルの様子を注視する。果たしてダリルは何の疑いもなく筋弛緩剤と睡眠薬の入ったお菓子を頬張り、飲み物を口にした。これで仮に戦闘になってもことを有利に進められるだろう。原作知識があるからこその先手だ。

 ひとしきり食べ終わったダリルが『簪』に問う。

「旨かったぜ……なあ、お前が更識簪か?」

「他の誰に見えるんです? 三年のダリル・ケイシー先輩」

 『簪』がそう答えると、ダリルは拍子抜けしたといわんばかりの顔になった。どうやら知られているとは思っていなかったらしい。一瞬探るような色が浮かんだのも無理はないだろう。もっとも、今ダリルの目の前にいる『簪』からは何の情報も得られはしないだろうが。

 わずかに笑みを浮かべたダリルは『簪』の目を見ながら嘯く。

「何だ、知ってたのか。いやー、アイツから聞いてる限りじゃあ聖母のような奴だって話だったんだが……中々やるじゃないか」

(気付かれましたか……いや、まあ、あれだけ食べれば当然ですがね?)

 ダリルの額には微かに冷や汗が浮かんでいる。しかし、ダリルが何を我慢しているのか簪には分からなかった。そして簪の内心の呟きすらも間違っていた。何故ならダリルの目はお会計用のバインダーに向けられていたからだ。

 ひきつった笑みを貼り付けながら、ダリルは鞄からカードを取り出した。

「じ、十括で」

「……済みませんが当店は現金のみのご利用となります」

(そこなんですか!? ねえ、ダリル・ケイシー、そこなんですか!?)

 簪の内心のパニックにも気付かず、ダリルは頭を抱えた。どうやらお金が足りないらしい。とはいえ十括は酷い。簪がそのお会計用のバインダーを確認すると、そこには2,000と書かれている。だがしかし、よく見れば2,000の前には一文字付け加えられていた。『$』だ。

 それに簪は困惑した。

(え、一応円って伝えたはずなんですけど……)

 その困惑に気づいたのか、スズネが簪の顔を見て親指を上向きに立てた。どうやら彼女の仕業らしい。何を思ってのことなのかは分からないが、簪は取り敢えずスズネに親指を上向きに立てて返答した。無論のことながらその意味するところは『グッジョブ』である。

 だらだらと冷や汗まで流し始めたダリルに、『簪』は敢えて似合わない挑発をかます。

「あれ? まさか払えないなんてことはないですよね? アメリカ代表候補生ともあろう方が、食い逃げなんてまさか、ねぇ?」

「とっ、ととと当然そそそそそそんなことしししないに決まってるじゃねぇか、な、なぁ?」

 そういいつつもダリルは密かにISを起動させている。その目的は暴れ始めることか、と思いきや何もしない。どうやらプライベート・チャネルで誰かに助けを求めているらしい。

 それを、待機状態の『グレイ・アーキタイプ』が簪に伝えてきた。

『というか簪、このダリルって女、何かオータムって人に金貸してって言ってるけど断られてるよ。何か可哀想じゃない?』

(久々に喋ったと思えば何ですかグレイ。別に可哀想でもなんでもないです。注意力散漫なんですよダリルが)

 簪がそう冷静に返したときだった。簪にもプライベート・チャネルが送られてきたのは。

『簪ちゃん、IS学園生徒会長の権限でISの起動を許可するわ。今すぐ講堂の近くまで来て頂戴』

『……何があったんですか?』

『亡国機業のオータムって女が一夏君を襲撃してるのよ。急いで!』

 これ以上は問答無用、といわんばかりにプライベート・チャネルを切断した簪は、冷ややかに内心で呟く。

(一夏君を襲撃してるの、ですか、姉。もう既に織斑一夏に惚れているとでも? だとしたらお粗末極まりないですね。あなたに恋をする権利が与えられていると思っていたのならおめでたいですよ全く)

 その毒舌が楯無に届いていればまた話は違ってくるのだろうが、残念ながら簪はそれを内心だけで留めていた。簪にとっては、楯無がどうなろうがどうでも良いのだ。どうせ簪は『楯無』にはなれない。その上、不適格者としてそのうち『更識』を名乗ることすら禁じられる可能性が高い。『楯無』になるには能力的に劣り、当主に逆らったことのある不穏分子を放置するはずがないのだ。

 故に、『簪』は冷や汗をかくダリルに問うた。

「ところでミス・ケイシー。とてもシンプルな二択の問題です。生きたいですか? 死にたいですか?」

「……お前、何言って」

「あなたが亡国機業の一員であることは既に分かっています。ここにいるのは足止めが目的なのだとも。だから聞いて差し上げているんです。生きたいですか、死にたいですかと」

 『簪』の流れるような言葉にダリルは思わず立ち上がり、IS『ヘル・ハウンドVer.2.5』を起動させて武装を振り抜いた。それだけで『簪』は吹き飛んでいく。断面からは金属が覗いており、それだけで『簪』が本人ではないことが分かる。

 それを一瞥すらせず、ダリルは舌打ちする。

Damn(くそっ)! ロボットかよ!」

 ダリルには手応えでわかったのだ。今仕留めたのはロボットだったと。簪は暇潰しに接客ロボットを自分の容姿で作っていたのである。最早ナルシストにしか見えない所業だが、他人の容貌を勝手に使うよりは自身の方が面倒ではないと判断したがゆえである。簪がナルシストなわけではなかった。

 壊れた『簪』のスピーカーから、簪はダリルを煽る。

「ほらほらどうします? 早くわたしを仕留めないとあなたがスパイだって姉にバレちゃいますよ?」

「マジかよ……テメェ、そんな性格なのか?」

「突っ込むところはそこじゃないですねぇ。あ、姉? そろそろ着きますんで準備お願いします」

 簪が敢えて声に出した連絡にダリルは慌てた。盛大に簪におちょくられているのだが、それをダリルが悟ることはない。まだ教室から一歩も出ていない簪を追ってダリルは教室から飛び出そうとする。

 無論、簪の目的はダリルをここに足止めすることだ。姉の加勢をすることではない。何故なら簪がそこにたどり着いても話がややこしくなるだけなのだから。

 故に。

「どこに行くんですか、ダリル・ケイシー。あなたの相手はここにいますよ?」

 今度こそ本体でダリルに向き合った簪は、その行く手を塞ぐようにして立っていた。




 楯無が一夏を好きになるまで
 鍛えてあげるわ、ついでに簪ちゃんにしたことの落とし前はつけてもらうわよ!
→あら? 何でこんなに諦めないのかしら……?
→ちょっ、どこを触っているのよ!
→うぅ、意識しちゃう……
→オータムから庇ってくれるなんて……見直しちゃった、かも。

 そして雌落ちしたのである。チョロい。なおこの間、夏休み明けから学園祭が始まるまでである。マジチョロい。

 あ、ルーちゃんの設定は独自です。この先引っ張ります。


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いざ願え。自らの望みを果たすために。

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 学園祭のとき、ダリルって何してたんでしょうね。バレないように潜伏?


「……退けよ」

 ダリルは目をギラつかせ、簪に向けて凄んだ。早く行かなければならない。叔母のパートナーの命が危険に晒されているのだ。ここでオータムを死なせるわけにはいかないのである。主に自身の身の安全のために。オータムと何かあると叔母のスコールはダリルに八つ当たりしてくるのだから。

 しかし、簪はダリルを通す気配すら見せなかった。

「お断りします。それに、今から行ってももう間に合いませんよ」

(だってもう姉がオータムを倒してますからね)

 簪の言葉にダリルは過剰反応した。

「オータムに何しやがった、更識ィ……!」

(オータムに傷付けてたらぶっ殺すぞ)

 その殺気はその場に残っている乱音ですら感じ取れるほどのもので。どんな琴線に触れてしまったのかと乱音は僅かに身震いした。

 しかし簪はその殺気を受け流す。

「姉が水蒸気爆発をかましました。なんと織斑一夏さんを巻き込むと言うおまけ付きです」

 ダリルはその簪の言葉を聞いて唖然として目を剥いた。

(それ、自爆なんじゃ……)

 呆れたように内心で突っ込むダリルの耳に、簪の声が聞こえてきた。話しかけられているというよりは聞かされているという方が近いだろう。

「はいはい、姉、わたしだって忙しいんですよ。何てったって足止めされてるんですから」

 相手がいるという時点でダリルは察した。プライベート・チャネルだ。敢えてプライベート・チャネルを口に出して返答している簪に、ダリルは疑問を覚えることはない。声に出さなくても会話はできるが、声に出す方が明確にやり取りが出来るという利点があるためだ。それを敵の目の前でやる辺りは大したことがない、とダリルは多少簪を侮る。

 無論、簪の目的はそれではない。

「ひっぺがしたら耐性が付きますよ。むしろ過剰反応で手元に戻るかもしれませんね」

 攻撃体勢を作り、声と共に襲いかかる勢いでダリルは叫んだ。

「何の話だ更識! オレを見ろ!」

 しかし簪はそれをかわし、会話を続けた。

「わたしだってそうでしたから、織斑一夏さんでそれが起きないはずがないですよ。もっとも、彼とコアが融合するなんてことはないでしょうけど」

 その言葉でようやくダリルは悟った。なぜ簪が、実はほぼ意味のないけれども実のあるように聞こえる話をしているのかを。

 

 簪の目的はここにダリルを貼り付けること。そして、ダリルというスパイを炙り出すことだったのだ。

 

 ダリルはぼろを出すべきではなかったのである。簪の垂れ流す情報は聞き流せないようで既知のものだ。故に足止めだとダリルは判断できたのである。

(やっちまった……!)

 歯噛みして簪を睨み付けたダリルは、故に次の簪の言葉が信じられなかった。

「だからこちらも足止めされてるんですって。顔? 見えるわけないじゃないですか、フルスキンなんですから」

(まあ嘘ですけど)

 敢えて楯無に自身の正体を明かさなかった簪に、ダリルは唖然としながら声を漏らす。

「お前、何を」

 しかしその言葉は簪に遮られる。

「姉はわたしをいいように使いたいだけでしょう。わたしには更識で生きていくしか道はないのに、それ以外の道を強制するからすれ違うんですよ。こっちもそろそろキツいので通信終わります」

 うっすらと笑みを浮かべ、簪はダリルに向き合った。

(マジかよ……本気か、更識簪?)

 ダリルの冷や汗を含んだ内心を知ってか知らずか、簪はダリルに選択肢を突き付ける。

「さて、ここからは楽しい楽しい悪巧みの時間ですよダリル・ケイシー。さっきも言ったと思いますけどもう一度。生きたいですか、死にたいですか」

「……お前程度に取られる命じゃねぇ、よっ!」

 ブラフを混ぜながらダリルは簪に攻撃しようとする。しかし、簪は飛んできた火の玉を避けることなく切り払った。

「なっ……」

「いや、普通に考えましょうよ。火の玉を撃ち出せるってことは可燃性の核があるわけでですね、それを消し飛ばせば燃えなくなるでしょうに」

「それを双剣でやってのけるか、普通……」

(大概変態機動しやがるなこの姉妹!)

 呆れながらもダリルは簪に攻撃を繰り返す。しかし簪はそれら全てを切り払った。ただ、何か無理をしているのかあまりその表情には余裕がない。ダリルがそれに気づかないのは簪以上に余裕がないからだ。ここを切り抜けなければ五体満足では帰れないだろう。恋人のフォルテとも会えなくなる可能性が高い。それは嫌だった。

 その余裕のなさが、簪に付け入る隙を与えてしまうのである。

「さて、ダリル・ケイシー。あなたではわたしには勝てません。だからこそ交渉をしましょう」

「……勝てないから何だってんだ。まだオレは倒れてねぇぞ」

(何とか、どっかに隙を……!)

 ダリルは強がってはいるが、実際ギリギリだ。援軍は来ない上に、下手をすれば見捨てられるのである。そのストレスを抱えたまま正常な判断を行うのは無理があると、本人だけが気づいていない。

 僅かに前傾姿勢になり、その場から飛び出そうとした瞬間。

 

「今、わたしの手の者がフォルテ・サファイアに張り付いています。彼女の身の安全を図りたいのなら従いなさい」

 

 その言葉にダリルは止まらざるを得なかった。口角を僅かに上げる簪に、ダリルは不快感を抑えることが出来ない。相手に不快感しか与えないその笑みは決して醜悪なものではない。ただ空虚だというだけだ。それなのに、周囲がその笑みに抱く感情は『気持ち悪い』というその一点に尽きるのである。

 故にダリルは悪態をつく。

「誰がお前なんかと」

(どうする、この状況をどうやって脱する!?)

「良いんですね? オータムとやらとフォルテ・サファイアを殺しても」

 口角がさらに上がった。その簪の笑みは無理矢理に張り付けているもののようで、気持ち悪さがさらに増す。その狂気を感じる笑みが簪の言葉に信憑性を与えているように見えたダリルには、選択肢は一つしか有り得なかった。たとえ偽りの自分で付き合っていたのだとしても、フォルテを喪いたくない。そして、叔母のパートナーを喪うのもまたごめんだった。

Damn(畜生が)……!)

 内心で悪態をつき、絞り出すようにダリルはその言葉を口にする。

「……………………………………ょ」

「はい?」

「分かったよ、従ってやる! だから……ッ!」

 だから、フォルテとオータムには手を出さないでくれ。その切なるダリルの想いを簪は尊重した。人質が効くタイプの人間は中々に扱いやすいのである。外道なことをしている自覚はあるが、簪としてはいずれ裏切られるぐらいならば先に足場は固めておきたい。もっとも、先に裏切るのは簪の方だろうが。

(流石仲間を敵に回しても愛を貫きたいカップルの片割れです)

 故にダリルの言葉にあっさりと簪は頷くのだ。

「では交渉成立ですね。ISを待機状態に戻し、この教室から一歩も出ないで下さい。オータムとやらから援軍の要請があってもです。もしあれば、凰乱音に手間取っていると言いなさい」

「わ、かった……」

「大丈夫ですよ。間違ってもわたしは姉やその他の人間にあなたのことを密告することはありませんから」

 そう言って簪は教室から立ち去った。残されるダリルのことなど既に簪の頭の中にはない。今切り抜けられるのならばそれで構わないからだ。簪には、ダリルを守る気などないのだから。簪は嘘つきなのだ。

(今ここにあの子が来ているはず。なら、わたしに出来ることは……!)

 焦る心を落ち着かせ、楯無のところに辿り着いたときには、全てが終わっていた。一夏の手には『白式』が戻り、オータムはMによって解放されている。心なしか楯無から何か言いたいような雰囲気の目を向けられている気もするが、簪はそれを無視した。

 今、この場所において一番大切なのはオータムを助けたMだ。かつて簪が『織斑万十夏』と名付けた少女がそこにいる。イギリスのISであり、BT2号機『サイレント・ゼフィルス』を纏って。それこそが簪の望み通りで、かつグレイの望み通りだった。

 それを確認して、簪はグレイに話しかけた。

『言ったでしょう、グレイ。わたしが何をしなくてもふさわしい主が出来るのだと』

『……そう、みたいだね。良かった……!』

 明るいグレイの声に簪は目を細め、この場でやるべきことに取りかかる。それは誰も予想していないこと。一見すれば楯無にとっても、一夏にとっても最悪の可能性だろう。だが、簪はそれを覆す気はなかった。この時をどれだけ待ち望んだだろうか。

(大丈夫です、もう……これで)

 ゆっくりと『サイレント・ゼフィルス』に近づき、簪は仕込みを終わらせる。

「なっ……」

「簪ちゃん!? 貴女、自分が何をやっているのか分かっているの!?」

 その方法は機体ごとMを抱き締めることで。一夏と楯無はその簪の裏切りともとれる行動に愕然とするしかない。だが、今の簪の目的は、Mを守ることであって楯無たちと敵対することではない。膨大な量の演算と『グレイ・アーキタイプ』に望んだものを駆使して簪は目的を成し遂げた。

 愕然とする二人など完全に無視した簪はMに告げる。

「もう大丈夫ですよ、万十夏。ナノマシンは完全に除去しました」

「何で……知って」

 呆然とするM、否、万十夏に簪は滅多に見せない笑みを向けた。

「誇り高いあなたが亡国機業に身を落とす理由なんて、それ以外に見つかりませんよ。それともあなたは好きで亡国機業にいるんですか?」

 その言葉を言い終わらないうちに万十夏は叫ぶように抗議する。

「そんなはずないだろう! ……でも、良いのか? そこにいるのはお前の姉で、私はさっきまでそいつらに銃を向けていたんだぞ」

 その万十夏の言葉に楯無と一夏は警戒を強めるが、簪にとってはどうでもいいことだ。何故なら、簪は今から昔出来なかったことを為すための行動に出るのだから。それはつまり、楯無と敵対することを意味していた。

(それでも、わたしは望みを果たしますよ。だって、そうでないと――あまりにも万十夏が救われないですから)

 そして、簪はその引き金を引いた。

 

「さて、更識『楯無』。彼女をわたしの懐に入れる許可を下さい」

 

 その言葉に、楯無以外の人間は絶句することしか出来なかった。



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あなたに幸福を。今度こそこの手で。

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 原作大崩壊☆木っ端微塵


「更識『楯無』。彼女をわたしの懐に入れる許可を下さい」

 

 その簪の懇願を、楯無は聞き入れることはできなかった。何故ならその問いを聞くのが二回目だからだ。一回目はその場にいなかったが、後で父から聞いた。そう、先代更識楯無から。彼の現役人生を終わらせたのは簪だったのだと、その時併せて聞かされた。何故先代がその問いを断ったのかも。

 だからこそ楯無はそれを拒否することしかできない。

「断るわ。父様と同じようにね」

「……そうですか。わたしは馬鹿ですから、同じ選択しか出来ませんよ? それでも断りますか?」

(そうなれば当然、やることは一緒ですよ?)

 簪がそう楯無に告げるのも、意地を通すための文言も、すべて以前交わされた言葉と似通っている。簪は先代更識楯無を『楯無』として殺した。勿論実力差はあったが、ただの一点のみを狙って執拗に攻撃を続けた簪は先代の現役人生を終わらせることができた。もっとも、それだけで要求を通せたわけではないのだが。それと同じことをしたくない、と言外には告げている。

 だが、無論のことながらそれを楯無が受け入れられる訳がないのである。

「断るわよ。貴女一人の我儘ために更識を危険に晒すわけにはいかないの。まあ、どんな手段を使っても私はその子を貴女に近付ける気はないけどね」

 冷たく簪に告げる楯無だが、内心では簪を心配しているのだ。

(当たり前でしょう、簪ちゃん、その子はテロリストで、織斑千冬のクローンなのよ。どんな厄介事を引き寄せるかわからない子を他でもない簪ちゃんには近づけられないわ)

 ただ、それを簪が知ることはない。知ったとしても鼻で笑うだろう。たかがその(自身が危機に陥る)程度で人間を見捨てることなど、簪には出来なかった。簪よりも価値のある人間を、自身が死ぬ気で頑張れば助けられるのに助けないのは罪だ。少なくとも簪はそう思っている。もっとも、簪自身には価値がないと思っているのでその理論に基づけば大体の人間を助けることになるのだが。

 故に、簪は万十夏を救うための一手を打つ。

「わたし一人の我儘で万十夏を救えるのなら、それで充分です。他に何もいりません」

「更識の名前も? 馬鹿なことをいうのはよしなさい、簪ちゃん。私にだって聞き流せないことはあるのよ?」

(だから考え直しなさい、簪ちゃん……!)

 楯無が諭すようにそう告げた。楯無としては簪にここで思い止まって欲しいのだが、残念ながらその願いが叶うことはない。何故なら簪は別に『更識』の名前など必要としていないのだ。簪が自身を示すのに必要なものはその身一つだけなのだから。

 簪は吐き捨てるように返答した。

 

「いりませんね、そんな名前」

 

 その返答に、楯無は絶句した。

「なっ……簪ちゃん、貴女、自分が何を言っているのか」

「分かってますよ。でも、姉さん。あなたの望んだ生き方は、『更識簪』では出来ない生き方ですよ?」

(まあ、生き方なんてどうでも良いんですけどね)

 簪が言葉を遮ってまで告げたその言葉に、楯無は頬をぴくりと動かした。確かにそれは事実だ。簪が『更識』である以上、楯無の望むような平穏な道を歩むことはできない。暗部に関わらない道などないのだから。だが、だからといって犯罪者風情を庇うことを理由にしてまで捨てなければならない名前だとも、楯無は思わない。

 多少言葉を選んだものの、楯無は簪に告げる。

「たとえそうなのだとしても、それはテロリストを助ける理由になるの?」

(ならないでしょう、簪ちゃん?)

 ある種の希望を込めた楯無の言葉は、簪の言葉に打ち砕かれる。

「万十夏はテロリストではありませんよ。彼女が織斑一夏さんに銃を向けているのには正当な理由があります。そして――だからこそ、わたしは彼女の正当性に、小さくてもあなたが納得できるような理由付けをするために懐に入れたいのです」

 それを聞いて楯無が反応しようとする前に、反応する者がいた。

「そいつはオータムを助けたんだぞ! テロリストを助ける奴がテロリストでなくて何なんだよ!」

(簪は何でそんなに敵の肩を持つんだよ……そいつは敵だろうが!)

 一夏だ。オータムに襲撃され、『白式』を奪われそうになった彼には恐らくそう言う権利がある。まだ顔を隠したままの万十夏に対する本能的なものがそれを言わせているというのもあるだろう。一夏とて分かっているのだ。心の奥底では、『万十夏(彼女)』は『一夏(自分)』なのだと。それを認めるのが怖いのだ。

 だが、簪はそれに冷たい言葉を叩きつける。

「黙りなさい。あなたは選ばれたからそんなことが言えるんです」

「お、おい簪……」

「そうでしょう、万十夏。あの人が選んだのが万十夏なら、あなたはこうして『サイレント・ゼフィルス』に乗ってここに襲撃してくることなんてなかった。それどころかあの『白式』すらあなたのもので、あんなところに連れていかれることだってなかったはずです。亡国機業に入ることだってなかった。違いますか?」

 その言葉に、万十夏は答えを出すことが出来なかった。それは恐らく事実だからだ。千冬が連れ出したのが一夏でなく万十夏ならば。きっとそういう人生を送れていたに違いない。むしろ一夏よりも幸いな人生を送れたかもしれないのだ。女尊男卑の思想がはびこっているこの世界では。

 故に万十夏は一瞬声を震わせる。

「そっ……だがな、簪。私がそいつを襲撃したのは事実だ。今でもそののほほんとした顔を見ていると殺したくなる。……その気持ちをもて余したままお前の庇護下には入れない」

「……なら、それを解消できれば良いわけですね?」

「出来ると思うか? この状況で」

 出来ないだろう、と言外に言う万十夏に対して簪は薄く笑った。それはいつもの簪を知るものからすれば有り得ない笑みで。簪本人にしてみれば笑っている自覚すらないままに、彼女はその腐った目を楯無に向ける。

 そして、告げた。

「出来ますよ。本来は戦闘に使うものではないISで、そこの自分の立場に甘んじているだけの男に分からせてやれば良いんです。どちらが優れているかをね」

「それは、でも……」

「ああ、因みに殺しちゃダメですよ? 殺したら恨まれるだけであなたを見てくれる訳じゃありませんから。具現限界を迎えるぐらいにボロボロにしてやれば自ずと出てくるでしょう、あのブラコンブリュンヒルデは」

 酷い言いようだが、万十夏はそれを否定できなかった。同じ遺伝子を持つもの同士、感性も何もかもが似ていると言われ続けてきた万十夏には、その言葉が納得出来てしまう。万十夏の場合は簪がボロボロにされれば我を失うだろうという自信がある。それほどまでに万十夏は簪に依存していた。たった数ヵ月の関わりだったにも関わらず。

 かつて万十夏のいた研究所に、世界各地の有能な人物の関係者が誘拐されてきたことがあった。簪はその内の一人であり、万十夏と同じ部屋に囚われていたのだ。その時はまだ万十夏は『万十夏』ですらなく、ただの番号を名乗らされていた。そんな彼女に、名をつけたのが簪だ。『織斑千冬』と『織斑一夏』という名の遥かに優れたきょうだいがいると聞かされていた彼女に、簪は『万十夏』と名付けた。

 

 原作を知っていた簪は彼女が『織斑マドカ』だと分かっていたのだ。

 

 故に、彼女の名に願いを込めた。『千』冬を超える『万』であり、言わずもがな『一』夏を超える『十』であれと。故に『万十夏』。自らが劣っていることに強烈な劣等感を抱いていた純粋な万十夏に、簪は言葉で呪いをかけたのだといっても過言ではない。

 もっとも、万十夏はそれを呪いだとは思っていない。きょうだいに劣っていると言われ続けるのなら、超えていると証明してみせれば良いと気付かせてくれたからだ。それは万十夏にとって、言祝であり福音であった。それを喜びこそすれ、誰が恨もうか。

 それに、簪は万十夏の全てを肯定してくれた。呪われた生まれも。憎しみも。悲しみも。怒りも。ほの暗い喜びも。それらすべてが『万十夏』であっても何もおかしくないのだと。そのままの万十夏で良いのだと、肯定してくれたから。

 肯定されることすらなく周囲に劣等感を抱いたままなら、万十夏は話すら聞かずに無我夢中で『救われた自分(一夏)』を殺しにかかっていただろう。だが、現実に万十夏は簪に出会い、その劣等感を受け入れた。それが自分だと、強烈に刻み込んだ。故に彼女は強いのだ。誰に決められたわけでもなく、自身が何者であるのかを強く自覚しているから。

 その強い自分を与えてくれた簪を、万十夏は盲信しているともいえるレベルで慕っている。たった数ヵ月の関わりだったにも関わらず、だ。簪の自己犠牲的な精神はそこでも発揮され、危険な実験や研究員どもから万十夏を守っていた。自分を犠牲に捧げることで誰かが救われるのならば、簪はその身を捧げることを厭わない。そのあり方に万十夏は依存した。

 故に万十夏にとっての簪の位置付けはかなり高い。簪の言葉で復讐の方法を変えるぐらいには。

「それは……そう、だが」

 躊躇う万十夏に簪は甘い言葉を吐いた。

「それであなたが彼女を、もしくは彼女があなたを認められないのなら、わたしと一緒に逃げましょう。誰かに認められる世界に。あなたのことを認めない家族なんて、そんなの最初から家族じゃありませんよ」

 簪はいつだって万十夏の欲しい言葉しかくれない。甘やかしてしかくれないのだと、万十夏は離れてから気付いた。どこまでも万十夏に優しく、自身には厳しい。だから幸せになって欲しいと願ったのに、逆に願われてしまう始末。だからこそ万十夏は、今度こそ簪に依存しすぎてはいけないと決めている。簪がその優しさで身を滅ぼしてしまわないように。

 故に万十夏は簪に宣言した。

「悪いが簪、私は逃げない。逃げたって何も変わらないんじゃ意味がないんだ。私には……どうしても、欲しいものがある。それを手に入れるために、力を貸してくれ」

「……勿論ですよ。そのために成すべきことを成しましょう」

 

 そして彼女らは挑む。自らのシアワセを阻む壁へと――




 マドカが一番性格変わってるかもしれんですね。最早洗脳レベルで。


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押し通る。押し付けなどもういらない。

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 まだ続くのにクライマックス感が半端ない件について()


「いざ――!」

 貸しきりの第三アリーナにて。四人の男女がその力をぶつけ合わんとしていた。その場には他に誰もいない。あくまでもその場には、だが。アリーナの外にはIS学園の専用機持ち達が待機しているのだ。

 中でいざ戦いを始めようとしているうちの一人はIS学園の生徒会長更識楯無。ロシア代表にして専用機『ミステリアス・レイディ』を駆り、学園最強に君臨している。なお、『ミステリアス・レイディ』は水を操るナノマシンを搭載した第三世代機である。

 その楯無に味方するような形で参戦した、この場ではたった一人の男織斑一夏。世界最強『ブリュンヒルデ』の実弟にして専用機『白式』を駆り、学園内に無自覚ハーレムを築いている。なお、『白式』は篠ノ之束が手を加えた第四世代機である。

 対するはギリギリで日本代表候補生に引っ掛かっている更識簪。IS整備士一級資格は持っているものの、周囲からの評価は大きく異なる。超人か、屑かだ。専用機『グレイ・アーキタイプ』は未だ本人以外の誰にもスペックが明かされたことはない。篠ノ之束いわく、第四世代機である。

 そして、自らの運命を決するべく戦いを決意した『織斑計画』の生き残りたる織斑万十夏。織斑千冬のクローンでありながら全てを否定され、亡国機業に身を落とした少女。イギリスより強奪した『サイレント・ゼフィルス』を駆る。イメージ・インターフェースを用いた第三世代機である。

 そのある意味では有名な四者が、自らの主張を通すべく戦うのだ。衆人環視の中で行われそうなその戦いは、しかし一切の観客を排されていた。 見られるわけにはいかなかったのだ。主にアリーナを貸し切りにした人物にとって。彼女はアリーナに誰も入れないよう通達を行っていた。

 そして彼女はアリーナでの戦いから目をそらすのだ。自身の成したことのツケが回ってきているのだと分かっていても、目をそらしたいのだ。何故なら彼女は万十夏を見捨てたのだから。それを一夏に知られるのも嫌だった。知られたと知るのもまた怖いのである。彼女――千冬は、一夏だけを愛して生きると決めたのだから。

 もっとも、その通達を守るような人間が一夏の周辺にいるわけではない。それぞれがそれぞれの思惑をもってその場に集っていた。そのことを、ISに乗っていない千冬だけが知らない。

 数人の専用機持ち達が近づいていると分かっていつつも、楯無は再度ルールの確認を行った。

「相手は殺さない。具現限界まで追い詰めても構わないけど、死体蹴りになるような行為もしない。降参した相手を攻撃しないし、降参したら誰かに攻撃をしてはいけない。そしてこのアリーナからは逃げない。それで良いわね?」

「勿論だ」

 万十夏はそれにそう即答した。生命を奪うほどの狂気を以て認めて欲しいとは、もう思ってはいない。故に認めた。人権を侵害しなければ認めてもらえないような自分になど意味はないのだ。それはもはやある種の脅迫でしかないのだから。

 ただ、そこまで万十夏が考えているのに対し、楯無はこれを時間稼ぎ程度にしか考えていなかった。いくら千冬が近付かないよう通達を出していたとしても、これまでの傾向からして一年生の一組の専用機持ち達がそれを守るとは思っていないのである。

 それ故に悠長にルールの確認をしているのだ。

「それで、私達が勝てば万十夏、貴女は捕縛する。簪ちゃんは更識本家に連れ帰るわ。もし貴女達が勝つことがあれば――」

「その時は更識楯無、お前が私の後ろ楯となり、私は織斑千冬に挑戦させてもらう。勿論織斑一夏には邪魔をさせない。そして簪は更識から自由になる。更識の名を捨て、本当の意味で自由に、な」

 それに楯無は首肯したくはなかった。

(簪ちゃん……貴女が何を考えているのか分からないけれど、私と戦ってまで得たいものが自由だなんて、信じないわよ)

 だが、首肯しなくてはなにも始まらないのだ。ここで簪を完膚なきまでに負かし、二度と更識の名を捨てたいなどとは言わせないようにしなくてはならない。もっとも、それが誰のためであるのかは楯無は理解してはいなかったが。簪のためではなく、それが楯無自身のためであることを悟るのはしばらく先のことだ。

 勿論これに一夏は納得していない。納得こそしていないが、楯無に策があるからと感情の暴発を抑えさせられていた。それが吉と出るか凶と出るかは楯無次第だ。

 正確に言えば、一夏を納得させられる行動を楯無が続けられるか次第である。基本的に自己の抑制が出来ない性格である一夏には多少酷な話ではあるが。彼の中でも疑問が沸いてきているのだろう。即座に万十夏を捕縛しろとは言えなくなっていた。あまりに千冬に似すぎているその容貌故に。

 そして、四者全ての合意のもと、開始のブザーなど鳴らすことなく全員がそれぞれの方法でぶつかり合った。一夏は楯無を守るかのようにその前に回り込み、楯無は一夏をカバーするかのようにアクア・クリスタルを展開する。それに対して万十夏が一夏に襲い掛かり、アクア・クリスタルに対して簪が襲い掛かった。

 簪の意味不明な行動に対して楯無は驚愕に目を見開くが、それでも準備は万端だ。試合が始まる前から充填していたエネルギーを熱に転換し、爆破させるだけ。多少痛い目に遭わせなければ簪は戻ってこないと分かっているからこその行為である。いつものように指令を送り、いつものように爆発が起きるのを確認した。そのはずだった。

 だが。

「なっ……!?」

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

「あなたの取る手段なんて分かりきってるんですよ、更識楯無」

 冷静な、いっそ平坦とも言える声で簪はそう嘯いた。無論オープン・チャネルではないので楯無には聞こえていない。ただその表情だけで楯無には自身の攻撃手段を悟られていたことを理解させた。その対処は楯無にとっては驚くべきもので。たゆまぬ努力と研鑽の賜物で身に付けた動体視力ですら捉えきれない速度で簪と彼女の握る双剣が閃いたことだけが理解できた。それが爆発すらも切り裂いたことも。

 遅れて『ミステリアス・レイディ』から今の現象についての解析が視界の端に表示される。

(双剣《森羅・狂神式》、殲滅曲線描画機構発動中……? 何よ、その見るからに危険そうなシステムは!?)

 楯無の内心の絶叫すら置き去りにして簪はアクア・クリスタルの破壊を続けようとする。しかし楯無はアクア・クリスタルを展開し続けるリスクを恐れてそれを収納した。流石に半数以上破壊されては後々の行動に差し障りが出てしまうためだ。そこで楯無はガトリング・ガンを展開し簪に向けて放った。

 見るからに凶悪なそれを見ても簪は眉ひとつ動かさない。ただいきなり展開された一つの正八面体がその攻撃を呑み込んでいる。そのように楯無には見えた。実際には空間を歪め、一夏へと狙い澄まして反らしているのである。

 ただ、普段の簪ならばそんな超絶技巧は持ち合わせていない。ならば今の簪の行為は超絶技巧ではないのかと問われるかもしれないが、今の簪の行動は《森羅・狂神式》によって最適化されているためにその計算は全て『グレイ・アーキタイプ』が担っている。無茶はあるがあり得ない行為ではない。

 ただし楯無にはそれをすべて把握するだけの余裕がない。

(……っ、どうなってるのよそれは……!)

 その光景に息を呑んだ、ふりをした楯無は油断を見せて懐に簪を誘い入れようとした。しかし簪はそれに誘われはしない。簪のポンコツな脳味噌でも、流石に『学園最強の更識楯無』の情報は覚えているのだ。たとえばワンオフ・アビリティだとか。拘束結界を持つISの懐に誰が飛び込むだろうか。

 故に簪が行うことはといえば、簡単なことだ。『グレイ・アーキタイプ』の本領を発揮し、ワンオフを発動させるまでもなく終わらせる。これまで簪以外には公開されてこなかったその全てを以て、楯無を凌駕する。それはある意味では自分勝手で危険な行為。ただ、簪にとってそれは至極当たり前の行為でもある。たとえそれが自殺行為だと誰から言われたのだとしても。この局面において簪がそれを躊躇う理由がどこにもない。

 楯無が『ミステリアス・レイディ』からの警告でスピーカーからの音量を最小に絞ったその瞬間。

 

「―――――――――――ッ!!」

 

 吼えた。そう表現するしかない声を簪があげた。ぎょっとして動きが止まる一夏と万十夏。今動けるのは楯無のみだ。しかし、その音声に耐えられても楯無には簪の変貌に対応できない。そもそも全身装甲で様子が分からないというのはあるが、それでも異常だろう。『更識楯無』をして、殺意が見える、などというのは。

 瞬時加速。その動きを予測して楯無が避けようとする。しかしその先に向けて簪が瞬時加速している。楯無が意味が分からずにガトリング・ガンを振り回そうが簪の双剣が一振り、二振り撫でただけで弾丸は無用の長物と化す。そしてその切っ先がガトリング・ガンに触れた瞬間にガトリング・ガンすらも無用の長物と化してしまった。

 ただ、そこで終わる楯無ではない。

「――っく、沈む床(セックヴァベック)!」

 ガトリング・ガンを代償に、楯無は簪の動きを止めることには成功した。簪はもがいているが、出てこられそうな様子がない。それを見てようやく楯無は息をついた。

 そこでやっと楯無は一夏をハイパー・センサーで捉えた。

「さて、一夏君は……ッ!」

 そこに広がっていたのは、惨劇のような光景。ボロボロの装甲。死体蹴りにはなっていないものの、シールド・エネルギーが切れた『白式』と一夏がそこにいた。

 ふぅ、と小さくため息をついた万十夏は、楯無を睨み付けると口を裂いて笑う。

 

「次は貴様だ、更識楯無ィィィッ!」

 

 その笑みに、楯無は理性を半分捨てた。

 

「おねーさん、ううん、私……貴女を赦さないわよ。一夏君を傷つけ、簪ちゃんを誑かしたその罪、しっかり償ってもらうんだからァァァッ!」

 

 そして――両者はその意思を剣に乗せてせめぎあった。




 そういえば明かしてなかったスペック(の一部)

『グレイ・アーキタイプ』
双剣《森羅・狂神式》
:見た目は細身の剣。ただしついている機能は凶悪。以前の《森羅》と実はほとんど変わらないが、全力(全壊)を出せる時間が増えた。
 殲滅曲線描画機構→ここをなぞれば簡単に相手(敵集団)をぶっ壊せますよ、というある意味型月の『直死の魔眼』みたいな機能。集団戦においてあまりにも命の尊厳を蔑ろにする危険なシロモノ。因みにそれを可能にするには相当な無理が必要なのだがそれはそれ。《森羅・狂神式》にはたとえ身体がぶっ壊れようがそれを実行するプログラムが搭載されている。
 教師が知れば絶対に生徒から即座に没収するどころか制作者に文句を言うついでに監獄にぶちこみにいきたくなるレベル。なお簪は普通に使うというアレっぷりをみせつけてくれた。


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やったか!? それは古今東西定番の。

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 まさかの戦闘回。今までの描写で分かる通り二人以上を同一盤面で動かしきれないこよみに描写しきれるか!?

 何が言いたいかって、荒い描写でごめんなさい。無理です。


 万十夏は確かに善戦した。『サイレント・ゼフィルス』に備えられた近接武装がちゃちなナイフだけだというのに、楯無の蛇腹連接剣《ラスティー・ネイル》の攻撃によく耐えたと言うべきだろう。

 ただし、それもそのナイフが砕け散るまでのことだ。確かに万十夏は強い。だが、楯無もまた強いのだ。一夏のため、妹のため、引いてはIS学園の皆のために。それらを背負う楯無は強い。強く在らねばならないのだ。

 故に万十夏はビットを最大限まで駆使してアリーナ内を逃げ回るはめになっているのだ。とはいえ楯無も簪を拘束し続けたまま万十夏に攻撃し続けられるわけもなく。一度捕らえた簪を死なない程度に装甲を削って解放せざるを得なかった。簪は動かないが、あとで恨まれそうで楯無は実に憂鬱である。

(はぁ……簪ちゃんも抵抗しなければ良かったのにねぇ)

 呆れたような表情で追う楯無、逃げる万十夏。逃げるのは万十夏らしくないともいえるが、いかな万十夏といえど国家代表を砕けたナイフ一本で凌駕できるわけもない。おかしな話であるかもしれないが、万十夏の纏うISが『打鉄』だったなら。その剣一本で楯無は倒れ伏していただろう。

 もっとも、『打鉄』の装甲も万十夏の動きについていけずボロボロだろうが。だが今纏うのは『サイレント・ゼフィルス』。イギリスのBT2号機だ。それを論じても全く意味がない。

 そのおいかけっこを続けるうちに装甲が剥げてきたがシールド・エネルギーの温存できた万十夏と。攻撃の配分を僅かに誤ってしまった楯無とで。明暗が分かれ始める。次第に楯無の攻撃は当たらなくなってきたのだ。

 うまくいかないエネルギー配分に楯無は歯噛みする。

(どうして……)

 それに対する『ミステリアス・レイディ』の答えは単純だった。卑怯だなどとは言えない。万十夏は一夏をボロボロにしてからは指一本触れていないのだ。ただ、彼の機体を巧みに隠れ蓑にして攻撃を受けないようにしてきただけだ。

 別に万十夏は一夏をボロボロにしたからといって、『白式』の具現限界までは追い詰めていないのである。ただ脳震盪を起こさせて動けなくはしたが、それだけだ。

 どちらもジリ貧。先にミスをするのは、それでも経験の差で万十夏だ。

「しまっ……!」

「貰ったわよ!」

 僅かな躓きを楯無は見逃さず、リスクを冒して万十夏をワンオフ・アビリティで拘束。後先考えず《ラスティー・ネイル》を叩き込む。

 それに万十夏は苦悶の声をあげた。

「あっ……が、ああっ!!」

「降参しなさい!」

 がりがりと割りとえげつない音を立てて万十夏を追い詰める楯無。しかし、彼女は忘れていた。

 

 装甲を削ってはいても簪はまだ、降参していないということを。

 

 システムを終了し、ある意味では正気を取り戻した簪は楯無が万十夏に《ラスティー・ネイル》を叩き込んだ瞬間に行動を起こした。その《ラスティー・ネイル》に対して十二発の荷電粒子砲を放ったのだ。楯無は驚愕に顔を染め、それでも瞬時加速で避けようとする。

 しかし。

「今度はこっちの番だ!」

 万十夏の無理な挙動によって体勢を固定させられた楯無はそれを避けることすらできなかった。咄嗟にナノマシンで水の防御膜を張ろうとするが、それもまた叶わない。無言のままの簪から放たれる荷電粒子砲を、楯無は無防備に受けることしか許されなかった。

 思うように動かない『ミステリアス・レイディ』に、楯無が思わず悪態をつく。

「何で……!」

(どうしてこんなに動きが鈍いの!?)

 その悪態に、簪が意味深な笑みを浮かべた気がした楯無は、すぐさま『ミステリアス・レイディ』に『グレイ・アーキタイプ』を解析させる。勿論ほとんど情報は開示されていないとはいえ、『ミステリアス・レイディ』に作用する何かを特定するだけならば不可能ではないのだ。

 そして、度重なる荷電粒子砲の砲撃を耐えきれなくなる直前のことだ。『ミステリアス・レイディ』がその答えを吐き出したのは。

(ワンオフ・アビリティ『灰色願望(ホープ・オブ・グレイ)』……?)

 その単語が何を意味するのかを理解できないうちに、楯無と『ミステリアス・レイディ』は限界を迎えたのだった。力尽きて崩れ落ちる楯無。解除される『ミステリアス・レイディ』。誰がどう見ても、もう楯無は戦えなかった。

 それを見てつい簪は心中で呟いた。

(終わりました、かね?)

 無論それはフラグだ。まだ終わっていない人物がそこにいる。彼はタイミングを見計らい、二人が油断した隙を狙って瞬時加速するつもりでいる。その手に持つ力の象徴、千冬と同じワンオフ・アビリティを備えた《雪片弐型》を二回叩き込むだけで全てが終わるのだ。それだけの力を『白式』は有している。そしてそれが当たると本気で信じているというのが、一夏のおめでたいところだ。無論のことながら、実力者相手にただの愚直な攻撃が当たるわけがない。

 ただ、一夏はそれを実現させるだけの力を有していた。何故なら彼は一人ではないからだ。視界の端に映り、プライベート・チャネルを通じてもたらされる少女らの純粋な想いが共にある。それらを合わせれば彼に不可能なことなどないのだ。

 まずは一人目。一夏は万十夏に向けて瞬時加速した。そこに駆け付けていたスズネが掻っ払ってきた『打鉄』から足りない分のエネルギーを送り込み、ラウラがそれを見てAICで万十夏の動きを止める。

「なっ……」

「貰ったぜ!」

(馬鹿な、AICだとっ!?)

 万十夏は自身の動きが止められたことに対する驚愕に目を見開き、金属の塊を叩きつけられたことに対する衝撃で吹き飛ばされる。ぎりぎり受け身をとることはできたので致命傷には至っていないが、肋骨は折れただろう。

 吹き飛ばされる万十夏に目を見開いた簪は、彼女に近付こうとして『グレイ』からの警告に足を止めざるを得ない。

(今介入してきますか、この……!)

 セシリアとシャルロットの射撃による足止め。足りなくなったシールドエネルギーを、箒が一夏に補給する。そして、もう一撃。必殺の剣を、簪は無防備なまま――受け止めた。

 まさかのことに、一夏は驚愕に目を見開く。その顔は皮肉にも先ほどの万十夏と似た顔だった。

「何でだ!?」

「危ないですね……まあ仕方ないんでしょう。そうしないと勝てないって思い込んじゃうっていうのは中々にわたしを買い被ってます」

(わたしごときにそんな本気にならなくたって、ねぇ?)

 一夏には簪の言葉の意味がわからない。無論その場にいた誰であっても簪の言葉の意味は理解できなかっただろう。簪を倒すには、もっと簡単な手段があるのだということを誰もが信じなかった。皆にとっての『更識簪』は強者であったが故に。

 ただ、簪は自身を強者だとは認識していない。ただのゴミクズ程度だとしか認識していない。認識出来ないのだ。他の誰のせいにもする気はないが、自身には全く価値がないと知っているが故に。

 敢えて補足するとするならば、前世であろうが今世であろうが、ほぼ簪のことを肯定してくれる人間がいなかったからそうなったのだ。他人に肯定されない人間が、どうして自身を肯定できようか。簪がゴミクズ同然だったから肯定されないのではない。そうなる前からずっと、簪を肯定する人間などいなかったのだ。

 

 だからこそ、簪は自身を肯定する代わりに万十夏の全てを肯定した。

 

 その自分の理想の存在を、簪が守らないことなど有り得ない。守れないことなどあってはならないのだ。丁度今のように、誰かの攻撃にさらすことすら赦せないというのに。

(万十夏を守るには……撤退するしかありませんね。流石に多勢に無勢すぎます)

 簪は内心でそう呟くと、フェイントを混ぜて万十夏のもとへと向かった。妨害がないわけではないが、ISの機能を十全に使えば出来ないことなど何もない。

 撃ち込まれる銃弾を、レーザーを、ミサイルを、全て空間の歪みに叩き込む。

「何ですって!?」

「馬鹿な……そんな使い方をして、シールドエネルギーはどうなっている!?」

(そもそもどういう原理だ!?)

 セシリアとラウラの驚愕に、簪は反応することすらしない。セシリアは反射的に射撃を続けたが、やはり簪にその弾丸が届くことはなかった。簪が何をしたのか把握してしまったラウラは動くことすらできていない。

 瞬時加速で万十夏のところまで突っ切った簪は、彼女を庇うようにその前に立ち塞がった。そしてプライベート・チャネルで万十夏に問う。

『万十夏、このまま撤退しますか?』

 しかし、万十夏から返答はない。どうやら完全に気絶しているようだ、と『グレイ』からの情報で簪は知った。ならば、是非もない。

 そう思って覚悟を決めた、その瞬間。

 

「投降しろ簪! 足手まといを抱えたままで俺達相手に逃げ切れると思うなよ!」

 

 一夏の叫びが簪を縫い止めた。その叫びに込められていたのはただの制止の意思のみ。しかし、万十夏の事情を知るものからすればただ滑稽なだけだ。万十夏が足手まといになるようにした張本人に何を言われても滑稽なだけ。救われた一夏が救われなかった万十夏に言って良い言葉ではない。

 故に簪の理性は焼き切れた。

「……は? 馬鹿なんですか死ぬんですか? 万十夏が足手まといだなんて、何であなたが言えるんですか?」

 言うつもりのなかった言葉が一夏に向けて放たれる。そうでなければ万十夏が救われない。そう思ったからだ。簪が誘拐されて拘束されたあの場所に、いったい何人の救われない『マドカ』がいたのかを、彼は知らない。だから言えるのだ。万十夏は足手まといなどではない。きちんと自分の足で立てる強い娘だ。

 無論そんなことなど知らない一夏は、頭の中で鳴る警鐘を努めて無視して声を漏らす。

「……何だと?」

「織斑千冬に聞きなさい。全てを。あなたが救われたせいで何人が死んだのかを。何人の救われない少女たちが、少年たちが生まれたのかを。彼女の仕出かしたことで、あなたの言う足手まといが何人生まれたのかを!」

 簪から迸る言葉は、一人の女性の声で止められた。

 

「止めろっ!」




 やっと次辺りから簪誘拐事件の真相が……長かったなぁ。


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弱き己を受け入れよ。そが福音とならん。

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 このまま終わった方が何かスッキリする気がする。キャノンボール・ファストにも至ってないのに……

 それにフラグ立てたまま放置されてる人がいるのに!


 千冬の一声は、その場にいる面々を愕然とさせた。それはある意味で簪の言葉を肯定する言葉だったからだ。そのまま逃げるつもりだった万十夏もその叫びで目を覚まし、千冬と話をするために事実上投降することになる。

 

 彼女の待ち望んだ時は、すぐそこまで迫っていた。

 

 セシリアやシャルロット、ラウラ、スズネは強硬に話を聞きたがったが、千冬がそれら全てを一蹴した。彼女らには全く関係のない話だからだ。たとえ一夏に好意を抱いていたのだとしても、それは関係がない。楯無は生徒会長権限で、というよりも簪の姉であるという立場からその場にいることを許された。

 なお、駆けつけなかった他の専用機持ち達はというと、様々だ。そもそも襲撃を知らなかった者達(クーリェ、コメット姉妹、ロランツィーネ)と、|楯無の指示で特殊作戦に駆り出されていた者達《本音と乱音》。|襲撃を知っていても本国からの指示で動けなかった者達《その他の専用機持ち》に、急遽国に帰国させられた者(ティナ)までいた。

 それはさておき、周囲からの盗聴の出来ない場所へと簪達を連行した千冬は、いつになく緊張しているようだった。それも当然だろう。とっくに捨て去ったはずの過去が追いかけてきて、最愛の弟にすら牙を剥かんとしたのだから。

 それでもまだ現実を直視できず、まずは簪に問うた。

「更識簪。何故私のことを知っている?」

「そりゃあ知ってるでしょう。わたしが誘拐されたのは『プロジェクト・モザイカ』の後継計画『プロジェクト・レニユリオン』に使う遺伝子を採取するためですよ? ま、そのついでに色々されましたけどね」

 肩を竦めて言う簪。簪もただ囚われていただけではなかったのだ。少しずつ情報を集めた。もっとも、解放されたあとに先代楯無から全ての真実を知らされて笑うしかなかったのだが。『プロジェクト・モザイカ』が最強の人類を作り出すことを目的としていたのなら。『プロジェクト・レニユリオン』は最強の化物を量産することを目的としていたのである。

 簪の反応に、楯無は過剰に反応した。

「何で簪ちゃんがそれを!?」

「万十夏を認めてくれない理由を全て開示して、彼女を諦めろと言ったのは先代ですから。勿論わたしは諦めませんでしたから、先代を『楯無』として殺しましたけどね」

(まあ、それでも願いは叶いませんでしたが、ね)

 そう。簪が『殺した』人間は三人いる。一人は前世の自分である『宙祈』。もう一人は今生での寄生先である『更識簪』。そして最後の一人は先代楯無こと『更識鎧』だ。宙祈と更識簪に関しては直接手を下し、更識鎧に関しては『対暗部用暗部の当主としての更識楯無』を殺した。二度と暗部として働けないようにすることで、万十夏を認めさせようとしたのである。

 もっとも、それは無駄に終わったのだが。更識鎧の利き腕を執拗に狙い、二度と使い物にならなくする頃には簪も力尽きてしまったのだ。万十夏を救えぬままにそのまま連れ帰られ、簪が力尽きている間に刀奈が当主を継ぐために彼を物理的に殺した。

 楯無は苦虫を噛み潰したような顔をしているが、何も言い返すことはできなかった。元はといえば楯無が原因でもあるのだ。常に簪よりも優れた姉でいようと努力し続け、結果的に更識から見放されつつあった簪を守れなかったのだから。簪が誘拐された当時、彼女の護衛は本音しかいなかったのである。その本音も簪に守られて本家へと逃げ帰ったのだから護衛の意味もなかった。

 それとは対照的に、千冬は愕然とした表情で呟いた。

(嘘だ……そんな、馬鹿な……)

「『プロジェクト・レニユリオン』、だと? ……馬鹿な、伊号第四〇三潜水艦(あの地獄のような場所)は沈めてやったはずだ。続くはずがない」

「開発っていうのはいくら隠滅しようがそれを発見する前には戻れないんですよ。そもそも『プロジェクト・モザイカ』が全てその場所で行われていたと本当に信じていたんですか? 情報は外に漏らされないとでも?」

(甘過ぎますよ、ブリュンヒルデ)

 口の端を歪めてそう言った簪に、千冬は黙り込むしかなかった。当時の自分はやはり甘過ぎたのだ。一夏を連れてそこにあったその他一切合切を破滅させるだけでは足りなかったのだ。

 たとえそれで追い縋る失敗作の姉妹達や弟達を殺戮することになろうとも。その日処分される予定だった一夏を守るためには仕方がなかったことだった。それが、全て裏目に出るだなんて思ってもみなかった。

 一夏だけは守りたかった。そう条件付けられていたのだと知っていても、どうしても一夏だけは死なせたくなかったのだ。だから他の姉妹や弟たちは殺した。情け容赦なく、血の涙を流して。一切の例外なく殺し尽くした。そのはずだったのに、目の前にいる『万十夏』は何故生きているのか。

 千冬は真実を知る勇気を持つために、そして自身を落ち着かせるために深呼吸した。そして問う。

 

「お前は……私の、いもうと、なのか?」

 

(そうでないはずがない……だが、それを認められてしまえば私は……!)

 その声は震えていて、嫌が応にもそれが真実であることを示していた。一夏はそれを聞いて思わず素顔を晒している万十夏を見たが、その千冬によく似た顔には表情が浮かんでいなかった。万十夏が待ち望んでいたはずのその言葉は、驚愕にしか彩られていなかった。再会の喜びなど、そこにはなかったのだ。

 故に万十夏から吐かれるのは冷たい声だ。

 

「そんな今さら分かりきったことを聞いてどうする? ねえさん」

 

(やはり、ねえさんは……私達を棄てたのだな)

 感慨は湧かなかった。やはりそうなのだ、という納得だけが万十夏を支配する。千人を優に越える姉妹達を見捨て、殺戮した。そういうことなのだ。死ななかったのは万十夏の運が良かっただけにすぎない。もっとも、生きていてもなお暗い地獄へと堕ちただけだが。

 そんなこととも知らず、千冬は万十夏に声をかけた。

「……そうか、そうなのか……よく、生き延びてくれ」

「なあ、それはないだろう、ねえさん。『よく生き延びてくれた』? 他でもないねえさんが全てを殺して行ったくせに、よく言う。その神経が分からんよ」

 それは激高するでもなく、淡々と語られた。万十夏が怒りに支配されかけているのは分かる。表情が凪いでいっているからだ。だが、それ以上に万十夏の瞳に浮かぶのは悲哀の感情だ。それを受け止めきれなくて、千冬は万十夏から目をそらした。

 そこで一夏が純粋な疑問を万十夏にぶつける。

「待ってくれ。全部殺したって言うけど、お前は生きてるじゃないか」

(なのに千冬姉を責めるのはどうなんだ?)

 しかし、一夏は分かっていない。今まで説明されたこともないからだが、万十夏が一体何をいっているのかを理解できないのだ。彼の常識では、同じ人間は複数人存在し得ないのだから。彼もまたクローンであり、彼が逃げたせいで何人もの『おとうと』が死んだことなど知るよしもないのだ。

 空虚に笑った万十夏は、一夏に返答する。

「私は一際臆病な『マドカ』だったからな。物陰に隠れ、機能を停止した潜水艦からほうほうの体で脱出したよ。だから生きている」

「それ、あんたが何人もいるように聞こえるんだけど……」

 困惑する一夏に、万十夏は何でもないように答えた。

「いたさ。ねえさんが殺した『マドカ』も、ねえさんから逃げた『マドカ』も、私のように逃げ延びてまた実験に使われた『マドカ』も。まあ、他の『マドカ』は更識に殲滅されたんだろうがな」

 乾いた笑いを浮かべたまま万十夏はそう告げる。彼女は分かっていたのだ。簪と出会えた『マドカ』が自分でなくとも彼女は『万十夏』という名を与えてくれたのだと。それは最早彼女だけの名前ではなかった。『万十夏』とは、死した幾千の『マドカ』に捧げられた祝福であり呪詛なのだ。

 万十夏のその言葉に楯無が反論した。

「生きてるわよ、更識に忠誠を誓った子はね」

「だがそれ以外は殺したんだろう?」

「……私達だって善人の集団じゃないのよ、万十夏ちゃん。私達にだって出来ることと出来ないことがあるの」

(全てを救える正義の味方なんてモノはこの世に存在しないんだから、ね)

 それが答えだった。簪が要求したことは確かに叶えられた。歪な形で。敢えてそれを歪めたのは先代楯無だ。更識に忠誠を誓えない『織斑千冬のクローン』など、何をしでかすか怖くて仲間に引き入れられないのだ。だからこそ、先代楯無は目の前にいる万十夏を救うことを拒否した。

 それを、救われなかった万十夏が鼻で笑った。

「それくらい言われなくたって分かっているさ。お前達を責めたい訳じゃない。これはあくまでねえさんと私の、遺伝子でしか繋がれない家族の問題なんだ。黙ってろ」

(口を挟むな、簪の敵が)

 その視線だけで射殺されそうな威圧感に、楯無が負けるなどということはあり得なかった。腐っても対暗部用暗部なのだ。殺気を向けられるのも、それをいなすのも出来なければ生きてこられなかった。暗部よりもなお暗い地獄を渡り歩くために楯無が棄てたものは多い。

 だからこそこの言葉は、万十夏を篭絡するための言葉でしかなかった。

「黙っていられないわよ。簪ちゃんに知られずに保護した子が貴女に会いたがっていたわ。あの子も家族じゃないの?」

「会ってどうするんだ。妹に会ったって、私が『マドカ』に何かをしてあげられる訳じゃない。『マドカ』は私を見捨て、私も『マドカ』を見捨てたんだ。今更顔を会わせて何になる? 傷の舐め合いはごめんだ」

 そう吐き捨てるように言う万十夏。彼女はそう言うのだが、それに黙っていられなくなる人物がいる。無論のことながら『いもうと』が他にも生きていると知った千冬だ。

 千冬は声を震わせながら楯無に問うた。

「更識、それは……」

「一年三組の鎬空音です。ご存知ありませんでしたか?」

 それに千冬は愕然としたように崩れ落ちた。最早何をして良いのか分からなくなったのだ。それを強制的に決める出来事は、すぐそこまで迫っていた。




 というわけでやっと万十夏と簪の関係性が明らかに。


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救いをその手に。未来はそこにある。

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 というわけで壮大なフラグの回収へ向かいます。


 盗聴も、他者からの介入もないはずのその部屋に、突如ノイズ音が聞こえた。それを聞いた瞬間、弾かれたように上を見上げた簪はホロキーボードを呼び出し、凄まじい勢いで叩き始める。その動きは千冬でさえ追いきれない。

 それを見て一夏が声をあげた。

「おい簪、お前何を――」

「ダメですね、止められません。……どちら様です? こんなところにクラッキングだなんて」

(今ここにクラッキングして何の得があるんです?)

 その声に返答する者など、いるはずがなかった。この場所はIS学園でも随一のセキュリティレベルを誇るはずなのだから。誰も侵入など出来るはずがない場所。ただ、それをものともしない者もいるのだ。例えば――ISの生みの親だとか。

 その者の名は。

『はろはろー、ちーちゃん、ごきげんよう?』

「……束か」

 篠ノ之束。天災と呼ばれ、ISことインフィニット・ストラトスの生みの親。彼女がこの場にクラッキングを仕掛けてきたのだ。彼女ならば確かにセキュリティなどあってないようなものだろう。電子工学は得意分野なのだろうから。

 浮かれたような声で束は続ける。

『せーかーい。正解者にはゴーレムをあげよう!』

 ゴーレム。その名を聞いても誰も何者であるか分からなかった。だが、その時だった。いつもマイペースで、全てが彼女の思い通りに動いていたというのに。それを覆す出来事が起きたのは。

 それは微かな違和感から始まった。

『……あれ? 何か動きが鈍い……ような?』

 その声にノイズが入り始めた。次第に耳障りな音が大きくなり、最終的には動揺する束の声が聞こえなくなる。

 そして代わりに聞こえたのは、意味不明な文言だった。

 

『許可を頂戴、更識楯無。愚かな私に、大切なものを守るための許可を』

 

 それは全く同質の声だった。声質が変わらない。さながら一人二役をしているかのような状況についていけるのは、許可を求められた楯無しかいない。そもそも何故こういう状況になっているのか、彼女には分かっていたからだ。

 その理由を。

「許可するわ、布兎菜先生。いえ――『篠ノ之束』、さん」

「何だとっ!?」

 楯無から発されたまさかの言葉に千冬は机を叩いて立ち上がった。品延布兎菜という名の教師は、一年三組の担任だ。いつも職員の間では微妙に距離をおいていた彼女が、よりによって『篠ノ之束』だと楯無は言うのだ。先程まで語っていた束ではなく。そんなことが信じられるわけもなかった。

 もし仮にそうなのだとすれば、千冬は何も見えていなかったことになる。親友に気づかず、妹にも気づかない。それはただ一夏を守るためにしか生きてこなかった証明でもあるだろう。そんなことを認められるわけがなかった。

 しかしそんな千冬を放置して事態は進む。ノイズが徐々に弱まり、消えたところで不機嫌な束の声が聞こえた。

『は? 何だよお前。お前に束さんだなんて呼ばれる価値はないね』

『そうかもしれない。誰かに許可を求めるなんて私らしくないのかもね。だけど、箒ちゃんもいっくんも、ちーちゃんも守るためにはそうするしかないんだ。その名前はあげたって良い。でも、『篠ノ之束』を名乗るからには! 誰かを傷付けるなんてもう許さない!』

 二人の束がその技術を駆使して争った。その結果どちらが勝ったのかはまだ分からない。仮にすぐに決着がついたとしても、どちらが勝ったのかなどというのは分からなかっただろう。なぜなら声だけでどちらがどちらなのかを知ることはできないからだ。

 その代わり、楯無から布兎菜に関する情報がもたらされる。

「……信じがたいかもしれないけど、布兎菜先生の方が本物よ。簪ちゃんが誘拐された時に一緒に解放したの」

「それは……どういう、意味だ。あの束が誰かに拘束されるだなんてあり得るはずがない」

(だから更識は嘘を言っているか、騙されているに違いないんだ)

 千冬は自身を正当化するように内心でそう呟く。しかし、千冬はまだ知らない。確かに千冬の知る『篠ノ之束』はそうだったのかもしれない。だが、その『篠ノ之束』が本当にオリジナルだったのかどうかを確かめる術がないことを。束が囚われたのは、千冬という完成体に比肩し得る特異な人物だったからだということも。

 故に、『プロジェクト・モザイカ2』ではなく『プロジェクト・レニユリオン』なのだ。千冬の代わりに束を捕らえ、代替品としてクローン束を元の居場所に送り込んだからこそ事が露見しなかっただけのこと。最初からオリジナル束と千冬は出会ってすらいなかったのである。

 オリジナル束が千冬達のことを知っているのは、偏にオリジナルとクローンとの間で思考の同調が行われていたからだ。クローンから送られてくる記憶は、『プロジェクト・レニユリオン』に関わった研究員達にとって大いに役立った。主に資金の調達にだが。

 そんなこととは知らない千冬は重ねて呟いた。

「そうだ。あり得るはずがないんだ。そもそも束は――」

 その呟きを遮るように扉が開いた。そこに立っていたのは見慣れた三組の担任だ。今にも泣き出しそうになっている。見慣れた紫色の髪ではなく、漆黒の髪。それが本来の束であると、千冬は信じることができない。彼女の知る『篠ノ之束』はいつも奇抜な格好で奇抜な髪色をしている女性なのだから。ただ、よく見れば確かに彼女には束の面影があり、箒の面影があった。

 奇抜な方の束しか知らないが故に、千冬は布兎菜()の言葉にすがった。

()()()()()、ちーちゃん」

「……やはりな。束とは藍越市に逃げ延びてからすぐに出会った! 私と初対面なはずがないんだ!」

「すぐ? 来てから一ヶ月は経ってたでしょ。何言ってるの?」

 布兎菜は遠くを見るような目で窓の外を見た。布兎菜が消え、『束』が出現してから更識に監禁されるまで実に様々なことがあったのだ。拷問、人体実験、果てには倫理を無視した行為まで。彼女が汚されていないところなどどこにもなかった。

 そこから解放してくれたのは更識だが、その後しばらくは疑われ続けていた。自身こそがクローン束なのではないかと。アイデンティティーを叩き潰されそうな尋問が続いた。篠ノ之神社に別の『束』がいた痕跡があるなどと聞いてしまった時には発狂しそうになったくらいだ。

 そして調査した結果分かったのは。

「奴らが私のことを知ったのは確かに偶然だった。だけどね、ちーちゃん。その時からクローンの私を作るのに然程時間はかからないんだ。私を見つけてからちーちゃんがいっくんを連れて逃げるまでの間があれば、奴らには十分だったんだから」

 その言葉を聞いて千冬は妙な納得を覚えた。確かに奴ら、と束が呼ぶ奴らは一ヶ月も経たずに新たな『織斑計画試作体』を用意することすら容易だった。いつもそうやって姉が用意されていたのだと聞いていたし、実際に自身も同じように生まれてきたのだから。

 もっとも、だからと言って今の状況を把握しきれるわけもない。オリジナル束がどう生きてきたかなど、最早取り沙汰している場合ではなくなった。今やるべきは『篠ノ之束』を名乗るクローン束を止めることだ。

 故に千冬は今出来ることにすがり付いた。

「……とにかくだ。今はあちらの束の目的を知らねばならん」

「IS学園への襲撃だよ。初動だけは遅らせたけど、それ以上は私には出来なかった。だから迎え撃つなら迎え撃たないとね」

 そう言ってモニターに現在の状況を映し出させた。するとそこには――

「あれは、クラス代表対抗戦の時の奴か!?」

「そのようですね。取り敢えずわたしは行きます。今更ですが、誰か一人でも救わなくては」

 簪はそう言いながら扉から出、窓を開けて身を投じた。すぐさま『グレイ・アーキタイプ』が起動し、更にあるシステムを起動させようとする。それをグレイが咄嗟に止めた。

 簪はその事に対してグレイに怒声を浴びせる。

『グレイ!』

『今の簪じゃ無理だよ! 死にたいの!?』

『自分の寿命が縮む程度で誰かを助けられるならそうします! 起動しなさいグレイ!』

 その異常な発言にグレイはただ黙ってそのシステムを起動させることしか出来なかった。そもそもグレイも簪をここまで追い詰めた一員だ。彼女の考え方に異論を挟むことは出来ない。そんなことをすれば、恐らく簪は壊れてしまうだろう。もう取り返しのつかないほどに。

 だからこそ見逃した。誰かを救うために、などと吹聴しながら自身のことは全く省みない馬鹿のために。グレイはもう簪の目的に気づいていた。それを否定することもまた、出来ないのだと。グレイは自身の願いを叶えてもらったからだ。ならば今度は簪の願いを叶えなくてはならない。

 

『――双剣《森羅・狂神式》、殲滅曲線描画機構発動。強制終了まで5分』

 

 そのシステムメッセージが、簪の視界から消える前に。彼女はゴーレムを殲滅するための行動を起こしていた。狙うは一番効率的な方法。必要のないものは『簪』という自我。代償は攻撃を受けて壊れていく簪自身の身体。それさえ全て許容出来るのならば、これほどに有用な兵器はない。

 敵だけを見分け、効率的に行動不能に――つまりは殺すということ。そのための補助をするのが今のグレイの役目だ。そのために代償を支払うのが簪の役目。簪の今現在のもっとも強い願いに引き摺られ、グレイに取れる行動が一つに絞られてしまった。

 

 簪の今現在のもっとも強い願いとは――誰かのために戦って、死ぬことだ。

 

 それは遠回しに死にたいと言っているのと同義であり、緩慢な自殺だった。簪に遅れて迎撃に出る専用機持ち達は、簪のあまりの様相に声を掛けようとする。しかし、返答はない。当然だろう。この程度の敵の殲滅に連携など必要ないのだから。ISである以上、コアを破壊しさえすれば止まるのだから、これ程簡単なことはない。

 

 そして、一人の修羅が生まれた。




 たくさんのクローン束が湧いてくる状況とか絶望的すぎますよね。まあここでは一人ですけど。


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人はそれをとばっちりと呼ぶ。南無三。

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 はいここで閑話です。おいこら続きはって? まあ一日待っておくんなまし。


 時は遡り、簪が一年四組の教室から去ったあとのことだ。突然乱音のISにプライベート・チャネルが入った。相手はどうやら本音のようである。ダリルを睨み付けながら乱音はそれに耳を傾けた。

『スズネを受け入れたから、その交換条件を今から達成してもらうね? らんらん』

 そこにいつもの間延びした印象はなかった。称するならば狐。喰えない印象の、逆らおうが逆らうまいが気紛れに何かをしそうな、そんなちょっぴり危険な印象である。

 故に乱音は本能的に本音を避けるかのような発言をした。

『いきなり何よ、本音。今ちょっと忙し――』

『劉楽音が中国当局に捕縛されたから。凰美鈴も時間の問題だし、らんらんのおかーさんたちも危ないんだけど?』

(何ですって!?)

 その情報は乱音の判断を切り替えさせた。乱音にとって両親は何にも変えがたいほどの大切な人達だ。尊敬していた鈴音の両親もである。見捨てるという選択肢は、当然のことながらなかった。

 心を引き締め、乱音はプライベート・チャネルで返答する。

『すぐ行くわ。アタシだけで良いのね?』

『当然。りんりんは連れていけないに決まってるじゃん。かんちゃんから目の前の不審者、見張るように言われてる?』

『ううん、ただ、逃げないための理由に使われちゃってるからアタシが居なくなったらこの人逃げるかなって』

 乱音の迂闊な返答に本音の声のトーンが落ちた。

『……ふーん。良いよらんらん、逃がしちゃえ。かんちゃんが仕込みしてないわけないからね。だから行くよ』

『分かった』

(早く行かなくちゃ。鈴おねえちゃんの代わりに……!)

 乱音はそう返答すると、すぐに動き始めた。スズネは居心地の悪そうな表情でそれを見ているが、乱音にそれに気づく余裕はない。忘れ物がないかだけを確かめた乱音は、教室の扉から出ようとする。

 すると、ダリルが声をかけてきた。

「おい、見張ってなくて良いのかよ?」

阿簪(āzān)が何もしてないわけないしね。好きにすれば良いんじゃない? どうなるかは知んないけど」

 そう言い捨て、不自然なほどに何も言わないスズネを放置して乱音は本音のもとへと向かった。なお、このときのスズネは護身用として預けられている『打鉄カスタム』に楯無からのプライベート・チャネルを受け取っており、いてもたってもいられなくなっている状況である。一夏に危機が迫っているのに、動いてはいけない状況が歯がゆくて仕方なかったのだ。

 故に乱音が姿を消した後スズネは重大な選択をするのだが、それは乱音の預かり知らぬことであった。もっとも、その行動で乱音のすることは全て無駄となるのだが、それはスズネの預かり知るところではない。仲の良いはずの従姉妹は、決裂の一歩手前まで来ていた。

 それはさておき、乱音は本音とともに雲の上を瞬時加速で進んでいた。目的地は中国のとある場所。そこに楽音は囚われており、つい先程元妻凰美鈴も捕縛された。何故今頃彼らが捕縛されるのかというと――

「それで、鈴音は……娘は生きているのですか」

「それを知るためのことだ。協力に感謝する」

(もっとも、最終的には死んでもらうがな)

 楽音の問いに中国の女将校はそう答えた。きっかけはふとしたことだ。中国代表候補生となったティナ・ハミルトンの些細な言い間違い。『鈴は普通に使ってるのになぁ』。その、鈴音のことが過去形で語られなかったことからが始まりだ。細々と中国当局は凰鈴音の死についての疑惑を確証へと繋げるために動いてきた。

 その結果、見えたものは案の定『凰鈴音の死の偽装の可能性』だった。それを突き詰めていけば最早鈴音の生存はほぼ確証へと変わる。だからこそ中国当局は凰鈴音の身内を捕らえ、あえて情報を流すことで彼女を誘きだそうとしたのである。

 もっとも、その結果釣れたのは鈴音ではなく乱音なのだが、些細な違いにすぎない。中国当局としては乱音が釣れたのならばそれはそれで使い道があるのだから。優秀なIS操縦者を手に入れることは、各国の急務となっている。

 そして。

「報告です、二機のISが接近中!」

「ふむ……ここまで通してやれ、無傷でな」

 そう言って笑う女将校は、まるで獲物を狙う蛇のようだった。

(さあ来い、裏切り者。お前の目の前でコイツを殺してやる……!)

 

 だからだろうか。彼女が思いもよらない行動をとったISに不意を打たれたのは。

 

 女将校は鈴音の性格的に正面突破してくると思っていたのだ。だからまさか、頭上から楽音を巻き込む形で天井を崩壊させてくるとは思いもしなかった。それに、来た人物が鈴音でなかったことも彼女の想定を越えていた。そこにいたのは、全く知らないISだ。ベースは黒く、濃い青紫色のラインが彩っている。それを視認できたのはほんの一瞬のことだ。

 突然の粉塵に視界を遮られ、女将校は瞠目した。

「なっ……!」

(何だと!?)

 驚愕の声を漏らす女将校には、最早何も見えなかった。天井を崩壊させて楽音を拐ったのは誰なのか。そこにもう一人別の人物を抱えていたことすらも。それほどの早業であり、それほどの粉塵が部屋を満たしていた。

 それをなしたISこそが乱音の二次移行したIS『黒龍(ヘイロン)』である。その特殊武装《黒の水》で天井に無数の穴を開けて崩壊させたのだ。そしてそれを目眩ましに楽音を拐った。ついでにそこには美鈴も抱えられている。目的を果たした彼女らが行うことはと問われると勿論撤退だ。

 猛然と去っていく二機のISに、中国当局はなすすべもなかった。あくまでも中国当局は、だが。ここで動けるのはただ一人。中国次期代表とも名高い女性だ。名を羅麗香という。彼女はその知らせを聞いた瞬間に専用機『朱雀(チューチュエ)』を展開し、乱音に迫る。

 それを見て乱音は顔をひきつらせ、本音にプライベート・チャネルを送りつけた。

『ちょっ、本音! 追ってきてるって!』

(しかも『朱雀』ってことは次期中国代表じゃない! ヤバイヤバイヤバイヤバイ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ……!)

『見れば分かるよらんらんってば~。じゃ、頑張ってね~』

 本音は呑気にそう返答した。本音としてはどちらでも良いのだ。戦力として乱音を取り込もうが、鈴音への牽制のために凰元夫妻が死のうがどちらでも構わない。

 その本音が乱音に伝わることはなかった。ただ、一瞬の停滞を招いただけだ。

『……え?』

『私は~、見届けてねって言われただけだからね~。戦っちゃいけないのだよ~』

 嫌に間延びした声でそう返されて、乱音は苛立った。しかし戦わないという選択肢はあり得ない。既に麗香は戦闘体制に入っているのだから。乱音がもたもたしているうちに、『朱雀』に二門備え付けられた砲台の砲口が瞬いた。

(やばっ!)

 乱音はそれを見て、本能で触れてはいけないものだと理解した。瞬時に特殊武装《黒の水》を展開し、防御膜を作って瞬時加速する。それに続いて、衝撃砲ではあり得ない爆発が起きた。乱音が そのまま留まっていれば無事では済まなかっただろう。主に抱えている二人が。

 『黒龍』の解析によると、爆発したのはC3H5(ONO2)3。要するにニトログリセリンである。それを衝撃砲の進路に展開して爆発させたのだ。明らかに抱えている二人を殺す気の麗香に乱音は戦慄する。だが、麗香もまた戦慄していた。本気の一撃を無傷のまま耐えた正体不明のISを、どうあっても放置はできなくなったからだ。

 このまま戦わなくてはならない。麗香はそう判断していた。相手も当然そう判断するだろうと思っていた。しかし、乱音は戦闘を選ばなかったのだ。

 それを見た瞬間、麗香は驚愕した。

「なっ……何よそのISはっ!? 頭おかしいんじゃないの!?」

 ぐねぐねと動いて凰元夫妻を包み込む《黒の水》。そしてそれは麗香自身をも包み込んできた。勿論凰元夫妻を包んだのは守るためだが、麗香を包んだのには別の理由があった。視界を奪い、あわよくば『朱雀』をショートさせようとしたのだ。いかなISとはいえ、機械であることに代わりはない。よって多少特殊な成分でこそあれ、水である《黒の水》を浸透させれば故障もやむ無しだろう。勿論麗香が溺死しないよう工夫はしてあるが、逃げることは叶わないはずだ。

 『朱雀』はその名が示す通り火を操るISだ。その実態はニトログリセリンを利用した空中機雷を自在に作り出すというものであり、《黒の水》によって計器類が狂った現在、彼女には成す術がない。流石に誤爆して死にたくはないのである。骨を切らせて肉を断つなどというサムライじみたことなど、彼女にはできやしないのだ。絶対防御は『絶対』ではない。ニトログリセリンの爆発による熱は防げても、衝撃を完全に逃がすことはできないのだ。

 故に打つ手がない。乱音が『朱雀』の機能をある程度知っていたが故の結果だ。逆に言えば、麗香が乱音の『黒龍』を知らなかったからこそ完封できたともいう。

 乱音は適当な場所で《黒の水》に指示を出し、麗香を宇宙空間に放り出させてから日本へと戻った。本音に追い付く必要があったのだ。そうでなければ侵略者とみなされ、先日の『銀の福音』よろしく駆逐されてしまうのだから。

 そして乱音は本音と共に凰元夫妻を連れて布仏家へと向かった。そこで二人を匿うためだ。二人をそこで下ろし、乱音の家族も確保しに行って戻る間。たった数時間で彼女の行動を全て台無しにする事態が起きていようとは、乱音はつゆほども思っていなかった。

 

 鈴音は明かしてしまったのだ。自身の生存を。

 

 それを知ったとき。乱音は選択しなければならなかった。鈴音のために。自身のために。一体何を犠牲にして大切なものを守るのか。その答えは、乱音には一つしか残されていなかった。

 

 だからこそ――『凰乱音』も死んだ。そして、『布仏藍音(ランネ)』とならざるを得なかった。

 

 そうなることで守ったのだ。鈴音の両親も。自身の家族も。全てを『更識』もとい『布仏』の監視下に置くことで。そうしなければ、誰も救うことができなかったから。




『黒龍』→凰乱音の二次移行したIS。能力は著しく偏っている、ように見えて実は万能。一歩間違えば暴走する。武装は一つしかない。
特殊武装《黒の水》→何にでも形を変えられる黒い水。ただし一定の基準を越えると暴走する。

 おめでとう! 乱音 は ランネ に しんかした(なおとばっちり)!


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誰が為の福音か。理解など求めていない。

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 さーて、続き続き。


 それはまるで鬼神のような戦いぶりだった。たった五分の戦闘で、その付近にいた『ゴーレム』は全滅させられている。その光景を、何も出来ずに一夏達は見ていることしかできなかった。動く間もないほどの間の出来事だった。それほどまでの圧倒的な戦闘力を見せ付けたのである。

 右手の剣を一薙ぎする。その導線にいた『ゴーレム』らはその一撃で機能を停止する。それを止めようと『ゴーレム』が襲いかかる。左手の剣を一薙ぎする。それらが一掃される。あるいは足で『ゴーレム』を強引に他の『ゴーレム』の前に押し出し、同士討ちさせる。簪が動けば動くほどに、『ゴーレム』は数を減らし、そして全滅した。

 誰も、何も言えなかった。ただそこに浮かぶ簪に畏怖を覚え――墜落し始めてもそれに手を出そうとするのは万十夏しかいない。恐ろしかったのだ。手を出した瞬間に、あの双剣で斬られるのではないかと。一撃で機能を停止させられてしまうのではないかと。それは考えるだに恐ろしいことだった。

 『ゴーレム』を全滅させた代償は簪自身が支払うことになっていた。全身の筋肉の断裂。関節の異常。何よりも一番問題なのは、脳の血管が破裂してしまったことだろう。グレイはそれを必死で治したが、如何せんエネルギーが足りない。シールドエネルギーと、簪の肉体が蓄えていたエネルギーでは賄いきれなかったのだ。

 その結果、グレイは初めて他者に助けを求めた。

『ねえっ! シールドエネルギーで良いから分けて! 簪を助けて……!』

 もっとも、それが聞こえてかつその意思を尊重できる人物など限られている。今IS学園にいてそれが聞こえたのは二人だけ。そして簪を助けたいと思うのは一人だけだ。無論万十夏でしかあり得なかった。

 そもそもコアの声は、そのコアが波長を合わせなければ誰にも聞こえない。その声を受けとる相手側もそれを望まなければ聞こえないものだ。操縦者かコア。どちらかがそれを望み、二次移行を果たしていなければ声など聞こえないのである。

 つまり二次移行を果たしていた一夏に『白式』を通して聞こえるのは当然なのだが、万十夏に聞こえたのは当然ではない。万十夏にそれが聞こえたのは、『サイレント・ゼフィルス』のコアがその声を聞いたからだ。そしてそれを万十夏に伝えるべくその場で無理やり二次移行を果たしたのである。

 その声を聞いた万十夏は呆気に取られる一同を置き去りにして即座に簪を回収し、一番近くにいた一夏に問う。

「シールドエネルギーのチャージ場はどこだ」

 その問いに一夏が答えを告げることなどあり得ない。一夏にとって、万十夏は間違いなく敵なのだから。いついかなるときであっても、万十夏の存在は一夏の存在を脅かすのだから。たとえ万十夏がそれを望んでいなくとも。よって一夏が彼女を受け入れられないのは当然のことだった。

 警戒をありありと見せつけ、一夏は慎重に応える。

「……教えると思うか?」

「いや、聞いてみただけだ。貴様が私達を認めたくないのは分かっているしな」

(むしろすんなり教えられたら拍子抜けだ)

 そう素っ気なく万十夏は一夏に肩を竦めてみせる。そこにはもう敵意など感じられなくて一夏は困惑した。一夏には、先程まで千冬を責めていたはずの万十夏から敵意を感じられないのかが理解できなかったのだ。一夏にとっては万十夏はまだ敵であるという認識が抜けきれていないがゆえに。

 その理由は本当に単純だというのに、一夏にはそれが理解できなかった。

(……今更期待なんてしないさ。私の家族なんて、そもそも存在しなかった。虚構の存在だった。そういうことだ)

 自嘲気味にそう内心で呟いた万十夏は、簪を抱えたままアリーナへと向かおうとする。しかし、それを阻まないものがいないはずがないのだ。一夏とその取り巻きが、銃口や武装を簪と万十夏に向けていた。ここを通すつもりなど、誰にもなかったのである。

 それを見て万十夏は一同に告げた。

「おい。このまま放っておくと簪は死ぬぞ」

「だからってアンタを通すわけないでしょ!」

(こんな危険人物、一夏にも誰にも近付けちゃいけない……!)

 危機感も露にそう返答した鈴音。それに万十夏はあっさりと返答する。

「……それもそうか。なら、押し通る」

(こいつらは自分のしていることが分かっていないのだな。簪のことなど、最早敵だとしか認識していないから……見捨てられる)

 仕方ない、とでも言わんばかりに万十夏は肩を竦めた。目的地はアリーナ。そしてそこにたどり着くために彼らを倒す必要は全くないのだ。そう思えば、気は楽だった。難易度は上がるが、別にもう万十夏には彼らに敵対する理由などないのだから。

 それに、だ。

『ありがとう、万十夏。その子を――私と貴女との結び手を救うと決めてくれて』

(そんなこと、最初から決めていたさ。それに、決めただけじゃないぞ。勿論救ってみせる)

 他でもない自分を頼ってくれるひとがいる。ならばそれに応えることを何故躊躇おうか。他人からの承認欲求を簪によって満たされた彼女に、出来ないことなど何もない。今のところ、万十夏のことを肯定してくれるのは簪と二次移行を果たした元『サイレント・ゼフィルス』――『トワイライト・イリュージョン』しかいないのだから。

 万十夏は心のなかで『トワイライト・イリュージョン』に語りかける。

(で、トワ)

『名付け雑じゃない!?』

(何だ、ワイとかイリーが良かったか? それともイライジョンとか)

『ごめん、私が悪かったわ。是非イル……そうね、イルって呼んで』

 そう万十夏に告げたイルは、周囲が万十夏に向けて攻撃してくるのを知覚した。それと同時にシステム『シュレディンガーの猫は箱の中』を発動させる。そして、それ以外の挙動を起こすことはなかった。必要なかったのだ。振るわれる暴力など、最早万十夏と『トワイライト・イリュージョン』の敵ではないのだから。

 『トワイライト・イリュージョン』がシステムを起動すると同時に――

「なんだとっ!?」

「嘘、ですわよね……?」

(今、何が起こったのだ!?)

 ラウラのワイヤーブレードとセシリアの銃撃がすり抜けていった。それは、今の万十夏には何よりも必要な能力で。簪を支える場所の存在確率だけを引き上げて彼女を落とさないようにし、一夏達を一気に抜き去った。彼女にはそれが出来たのだ。なぜなら万十夏は今そこに『いない確率がほぼ100%だった』のだから。

 種は簡単だ。システム『シュレディンガーの猫は箱の中』は、『自身の存在確率を自在に操作できる』のだから。そこにいる確率を強引にゼロにすれば、すり抜けられない場所はないのだ。もっとも、そのシステムの適用範囲は『トワイライト・イリュージョン』と万十夏だけなので簪に適用されているわけではない。それに気づかれる前にたどり着かなければ、簪は助からないだろう。

(そんなこと、させるものか……絶対に間に合わせるッ!)

 そして、万十夏の技術があればそれを成し遂げることなど容易い。たとえ『トワイライト・イリュージョン』の武装が全てシステムの容量に喰われて消滅していても、まず戦いにならないので問題ないのだ。唖然とする一同を放置して万十夏はアリーナへと突入し、『グレイ・アーキタイプ』にシールドエネルギーを補給することに成功した。

 

 それが、簪にとっての絶望であるとも知らずに。

 

 意識を失ったままの簪を抱え、万十夏はただその場で立ち尽くした。『トワイライト・イリュージョン』ももう展開していない。戦う理由はもうなくなったのだから、兵器をまとう意味がないのだ。既に万十夏の心はある意味では折れている。最早戦う意味を喪った今の彼女が、『トワイライト・イリュージョン』をまとうことはない。

 とはいえ、それは一夏達が万十夏を攻撃しない理由にはならなかった。ISをまとっていない万十夏に武装を突きつけた一同は、彼女が逃げも隠れもしないことに困惑する。

 それを、箒が問うた。

「何故――逃げない?」

「もう私には逃げる意味も戦う理由も、お前達と敵対するだけの体力もないからな」

(敵対しても何にもならないし、それにそうやって本当の意味で簪の全てを救えるとは思えない)

 淡々と答えた万十夏に、箒は厳しい視線を送った。

「それを私が信じると思うか?」

 それは箒だけの言葉ではなかった。セシリアも鈴音も、ラウラもシャルロットの目もそう告げていた。言うまでもなく一夏が信じていないからである。楯無もまた、警戒を解くことはない。万十夏は敵。そう認識しているのだから。

 ただ、万十夏にそれは関係ない。最早戦う意味を喪った彼女は、彼らに敵対しても何も得られないのだ。

 だからこそこう答えるしかなかった。

 

「思わない。だから、信じやすい条件は出してやる。拘束するなりなんなりするが良い。尋問だろうが拷問だろうが好きにしろ。私はどうなったって良いんだ。だから――簪を、助けて欲しい」

 

 そうして、万十夏はたった一つの譲れない条件だけつけて投降した。そう――簪の身の安全を保証すること、たったそれだけの条件を。それを本人が望んでいるかどうかはまた別の話だ。それでも万十夏はそう願いたかった。かつて全てを擲ってまで救ってくれた簪を、今度は万十夏が救うのだ。そうすることでしか万十夏は簪に償う術を持たないのだから。

 万十夏は知らない。簪がかつて願ったことを。存在するはずの『更識簪』に肉体を返すため、精神的に死のうとしていたことを。簪らしさをなぞりきれず、それでも彼女に出来る限りの環境を整えようとしていたことを。それが叶わないと思い知らされたときの絶望も。

 万十夏は知らない。願いを叶えられないと知り、彼女が求めたものが複雑に見えて短絡的な救いだということを。そのために動いていたことも。それが叶う直前で万十夏が全てぶち壊したということも。

 

 故に、それが叶わないと知ったグレイは。それを最大限叶えるための努力を余儀なくされるのだった。




『トワイライト・イリュージョン』
『白式』ばりに一点特化型。しかも使い勝手が悪い。武装はない。たった一つのシステムだけが搭載された、兵器としては一番無意味なISともいえる。
システム『シュレディンガーの猫は箱の中』:『トワイライト・イリュージョン』に搭載された唯一のシステムであり武装。ある意味ではワンオフ・アビリティでもある。その効果は単純で、『存在確率を自在に操作できる』というもの。実際の理論はそういうことをいいたいのではないのだが、『ウィザーズ・ブレイン』作中ではざっくり説明するとそんな感じ。ある意味無敵。ある意味無用の長物。


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第六章 永遠に眠りにつければ幸せになれるでしょうか?
周囲への影響。知らぬは簪ばかり。


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 よくあるやつっすね。
 簪不在章ともいう。


 その後――織斑万十夏は投降し、更識簪は昏睡状態のまま監禁された。万十夏に対して尋問が行われ、その情報に基づく捜査をIS委員会に依頼した千冬であったが、遅々として進まない。その理由を知ったとき、千冬は自身の迂闊さを知るのだがそれは今ではなかった。

 そして、捜査が進まない間、万十夏は拘束され続けていたわけではなかった。捜査に全面協力している万十夏には情状酌量の余地があるのではないかと教員の間でも意見が出たからだ。それによって、彼女は監視付きで学生としてIS学園の学生となることを認められたのである。

 無論、『織斑万十夏』としてIS学園に所属すれば面倒なことになるのは目に見えている。そこで活きてくるのが『鎬空音』の存在だった。更識に投降した彼女の身内として、万十夏は『鎬万十夏』となった。千冬に似ているのは他人の空似だと誤魔化しているし、何よりも険が取れて丸くなった彼女は、雰囲気だけでいえば千冬には似なくなったのである。

 そんな彼女の日課は、学園の地下にある特別監禁室で昏睡したままの簪を見舞うことだった。

「……簪」

(何故……起きてくれないんだ)

 何度呼んでも彼女が目を覚ますことはない。何故なら、簪に起きるつもりがないからだ。ただ眠り続け、終わりの時を待っているのである。そんなこととは露知らず、万十夏は毎日簪の様子を見にここに訪れていた。

 無論、万十夏がここに来るということは彼女の監視である生徒も共に来るということでもある。彼女もまた、簪に用がある人物であった。夏休みに簪の監視を請け負っていたグリフィンは、ブラジルからある任務を授けられたのだ。それは必ず達成しなければならないものである。人の命がかかっているというのは確実で、グリフィンはその天秤から自分の身内を選んだのである。

(私が選ぶのは私の家族だけ。こんなクズなんて、あの子達に比べたらよっぽど死ぬべきなんだ)

 故にグリフィンは簪を殺すつもりでいる。幼い頃からそうとは知らずに叩き込まれた殺しの技を、人間に実践するのははじめてだ。それでもグリフィンはやり遂げなくてはならなかった。そうしなければ『レッドラム孤児院』の子供達が死ぬのだから。

(そう――私は彼女を殺さなくちゃいけない。だから『更識簪』と仲が良い彼女の監視を買って出たのに……ッ!)

 万十夏に気付かれぬよう、グリフィンは歯を食い縛る。毎日眠る簪と顔を会わせているというのに、グリフィンは一度も暗殺を実行できていなかった。万十夏に隙が無さすぎるのだ。恐らく、グリフィンが簪に手を出す前に仕留められるだろう。雰囲気は丸くなったとはいえ身に付いた技までが錆び付くとは限らないのである。

 今日も結局、グリフィンは簪を殺せなかった。

「……また来るぞ、簪。……出来れば、明日には起きていて欲しいな」

 グリフィンとしては一生寝ていてほしかった。彼女もまた、映像に残された鬼神のごとき簪の姿を見ていたのだから。あれを見て危険視しない国などないのである。万十夏は無意識だが、彼女が毎日見舞いに来ているというだけで暗殺しに来ない人間もいるだろう。その事実を知る前に消される可能性はあるが。

「……じゃあ行こうか、万十夏」

「……ああ」

 万十夏を促して寮へと戻ったグリフィンは、今日も寮の布団の中で反省することしかできなかった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 ロランツィーネは苛立っていた。表向きには敵襲によって昏睡状態に陥った簪を見舞うことが赦されていないからだ。簪の見舞いを赦されているのは万十夏だけなのだ。ロランツィーネはともかく、乱音ですら居場所を知ることが出来ないのである。見舞いに行きたいロランツィーネとしては理由すらわからない状況に苛立つのも無理はない。

 だからこそ、だろうか。目の前に現れた教師に突っかかるような真似をしてしまうのは。

「……前を見て歩いてはいかがです、先生?」

「あっ……ご、ごめんなさいローランディフィルネィさん。お怪我はありませんか?」

 ロランツィーネにぶつかったのは、見事な黒髪の教師――一年一組副担任の山田である。しかもまさかの爆乳が腕に当たるという残念な感じのぶつかり方だ。別にロランツィーネは巨乳になりたいわけではないのだが、当て付けのように爆乳を押し付けられては苛立つのも無理はないだろう。

 その苛立ちを、ロランツィーネは真耶にぶつけた。

「ハッ……あるわけないでしょう。その男に媚びるしか能のないそれが顔面を塞いだら死ぬかもしれませんがね?」

「……ローランディフィルネィさん? 何かあったんですか……?」

「何か? それはあるでしょうね。友人の見舞いにも行けませんから」

 それを聞いて真耶は簪が一応ロランツィーネの友人であったことを思い出した。今の環境を彼女に伝えればどういう行動に出るのかも、何となく分かる。それでも真耶は千冬寄りではなかった。結果はどうあれ、簪はIS学園を守ったのである。昏睡状態にあるとはいえ監禁していて良いとは思えなかった。

 だからこそ、真耶は小声でロランツィーネに問う。

「その理由、知りたいですか?」

「……ご存知なんですか?」

「ここでは話せません。でも……あとで私の部屋に来てください。布仏藍音さんも連れて……」

 そこでちらりと真耶はあらぬ方向を見た。ロランツィーネはそれにつられてそちらを見るが、そこには誰もいない。

(……まさか更識楯無、か?)

 人気集めのための代表候補生とはいえ、ロランツィーネにも最低限の要警戒対象人物は伝えられている。そのうちの一人は簪で、もう一人が楯無だった。それ以外は伝えられていないがゆえに楯無かとロランツィーネは判断したわけだが、その推測は当たっていた。

 物陰から真耶の様子を伺っていた楯無は、ロランツィーネの前に姿を現したのだ。そして、いつもの余裕を見せることなくロランツィーネに忠告する。

「余計なことはしない方が良いわよ」

 その声色の冷たさは、逆にロランツィーネに覚悟を決めさせた。

「……他ならぬ君の妹のことだと思うんだけどね?」

(なのに余計なこととは、恐れ入るよ全く)

 据わった目でそう返答したロランツィーネに、楯無は目を細める。それだけで猫のような雰囲気が彪のそれへと変わった。ロランツィーネの心臓が一瞬跳ねたが、それでもそれだけだ。失敗できない歌劇の本番より心臓が暴れるなどということはなかった。

 それに微妙に表情を変えた楯無は、ロランツィーネに向けて一歩踏み出し、告げた。

「それでも、よ。今貴女に……簪ちゃんの友達の貴女にいなくなられちゃ困るの」

「誰が困るというんだい。むしろこういうときこそ簪の味方になるべきじゃないかな? 特に君はね」

 睨み合う鳶色と赤い瞳。ただ、ロランツィーネはその赤い瞳に浮かぶのが簪への敵意ではないことに気付いていた。楯無は本気で簪を案じているのだ。それを簪本人が望んでいるかどうかは別にして。

 そして、それは楯無からも語られる。

「誰が簪ちゃんの味方じゃないなんて言ったの? いつだって私は簪ちゃんを守るために行動しているわ。今生きている唯一の身内だもの。見捨てるわけないじゃない」

「まあ、そういうのが空回りするのはよくあることだけどね」

「……分かってる。これは私の我が儘なのよ。簪ちゃんに起きて欲しい。そのためならどんな手段だって躊躇わないわ」

 その表情は決然としていて、その意思が翻ることはないだろうことが伺えた。故にロランツィーネは楯無を信じることにする。簪のために出来ることが何なのか。それを探るために。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 一夏は悶々としていた。彼にとって更識簪は敵だ。しかし、その姉である楯無は頼れる先輩である。その先輩の前でうっかり簪を貶すことは躊躇われた。たとえテロリストと通じていたのだとしても。千冬にいわれなき誹謗中傷を浴びせたのだとしても。それでも家族を貶されたときの気持ちが分かるからこそ楯無には言えなかったのだ。

(そう……あいつは、排除されるべきなんだ。そもそも本当のことを言ってたって保証はないし……それに、鈴のことだってあるしな)

 そうやって自身を正当化する一夏は、鈴音に視線を向けた。すっかりおしとやかな格好が似合うようになった彼女は、簪に『不当に監視』されていたのである。一夏とセシリア達以外の人物がいるところではいつものように元気溌剌に見せられない彼女は憐れですらあった。

 鈴音がそれを打ち明けてくれたのは、一夏が促したからだ。彼は一目見たときから『布仏スズネ』が鈴音であることに気付いていた。故に確実にテロリスト達を止めるために彼女も呼んだのだ。『俺が全部守るから』と、本気で告げて。

 その結果、簪と『織斑万十夏』を名乗る女を捕縛することに成功したのだ。鈴音には感謝してもしたりないくらいである。勿論セシリア達にも感謝しているが、協力を渋っていた彼女が協力してくれたことが何よりも嬉しかった。簪に脅されているに違いない鈴音からは本当のことは聞けないだろうが、それでも鈴音が死んでいなかったことが素直に嬉しかったのだ。

 その鈴音を騙すようにして手中に置いた簪を赦せるわけもなく。だからこそ彼は簪の語った言葉の全てを信じはしなかった。嘘を吐いていて誰かを陥れる悪い奴なのは簪で、いつも正しくて簪の魔手から皆を守ってくれるのは千冬。彼の中ではそういう図式が出来上がっていたのだ。

 故に――

「ねえ一夏。協力……してもらえないかな?」

「ああ、良いぜ。何に協力すれば良いんだ?」

「それは――」

 その、少女の懇願に。一夏はさほど躊躇うことなく頷くのだ。それがたとえテロリストに協力することに対する承諾だったのだとしても、彼は気付かない。気づけない。

 

 そして、様々な思惑が。簪を絡め取ろうと動き始めた。



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レースとその裏。狙われるは簪。

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 キャノンボール・ファスト。


 九月末――ISバトルレース『キャノンボール・ファスト』は予定通り行われることになっていた。今年度は前回とは違い、かなり豪華なレースとなるのは必至だった。一年生に専用機持ちが大勢編入したからだ。そして、参加者たちもまた不必要にそのイベントを盛り上げようとしているため、かつてないほどの熱気が溢れていた。

 まずは混乱に紛れて暗殺を目論みたい者達と、そのフォローを行う者達が積極的になった。暗殺を目論みたい者達も、主に『織斑一夏』暗殺を目論む者達と『更識簪』暗殺を目論む者達に分かれる。

 一夏を暗殺したいのはヴィシュヌ。簪を暗殺したいのはグリフィンとカナダ、その他の数多の組織。そして、カナダのフォローにコメット姉妹が当てられた。なお、サラ・ウェルキン暗殺にセシリアのメイドが動いていたり鈴音暗殺にティナ・ハミルトンが動いていたりする。

 そして、その暗殺を防ぎたい者達も対応するべく動く。楯無とクーリェで一夏を守り、ロランツィーネと藍音で簪を守る手筈になっている。そしてどちらのフォローにも回れるよう本音と万十夏が控えていた。中々に混沌としているが、実行計画がある以上は動かざるを得ないのが実情である。

 そうやって暗躍する者達を牽制し、牽制されつつもその当日を迎えるのである。まず行われる専用機持ちのレースは、人数の多さから数グループに分けられることになった。そしてそこから勝ち抜いた者達が優勝決定レースに出ることになるのである。

 その組分けは、以下のようになっていた。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 第一組

  織斑一夏

  布仏スズネ

  シャルロット・デュノア

  ダリル・ケイシー

  ヴィシュヌ・イサ・ギャラクシー

 

 第二組

  篠ノ之箒

  ラウラ・ボーデヴィッヒ

  更識楯無

  布仏本音

  フォルテ・サファイア

  セシリア・オルコット

 

 第三組

  ロランツィーネ・ローランディフィルネィ

  グリフィン・レッドラム

  クーリェ・ルククシェフカ

  布仏ランネ

  ティナ・ハミルトン

  サラ・ウェルキン

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 この組み合わせでレースを行い、出場していない間に破壊工作の攻防をするのだ。どの組み合わせでも、暗殺対象に対して絶妙に邪魔が入るように組まされた虚はかなりグロッキーになっていた。

 なお、コメット姉妹にはアイドルとしてイベントを盛り上げてもらうために要所要所でライブを行ってもらうことになっている。ある意味では陽動という任務を完遂できるコメット姉妹にとってはとても都合がよかった。

 そうして始まるキャノンボール・ファスト。第一レースの勝者予想では最年長のダリル・ケイシーが一番人気だった。一夏もそこそこ人気はあったが、搭乗時間としては短い方なので三番人気だ。

 ならば二番人気はと問われると、ヴィシュヌ以外にあり得なかった。シャルロットは実力こそあれど、専用機は量産機のカスタムなのだ。その辺りが劣ると思われているので四番人気である。

 スズネはと問われると、彼女が今使っているのは『打鉄カスタム』。専用機ですらなく、有り合わせでカスタムしたその機体に期待するものはいなかった。故に一番人気がない。スズネとしてはそれでよかったのだ。これ以上目立つわけにはいかないのだから。乱音に――今ではランネとなった彼女に、これ以上背負わせられないと思っているのだ。

 その決意を胸に、スタートラインに立つ。それを痛々しいものを見るような目で一夏が見ていた。スズネの言い分を脅迫されて言わされていると取っている彼にとって、彼女の意思など関係ないのだ。そこまで何かに追い詰められているように見えるスズネを心配するのも無理はないだろう。

(待ってろ、鈴。俺が今から何とかするから……!)

 一夏も一夏で、先日協力を要請してきた少女――シャルロットを手伝う決意を固めていた。シャルロットは『簪の悪事を暴く』という名目で一夏に協力を要請したのだ。一夏はそれを快諾し、このレースが終わったら昏睡状態だという()()()()()()()()()()()簪を襲撃し、彼女の悪事を暴くのだ。なお、当人は起きる気がないので何かを企むことも出来ないのだが、それを知るものはやはりいない。

 そうやって的はずれな決意を固める一夏を、唆したシャルロットは暗い目で見ていた。それに気づいたダリルがシャルロットにプライベート・チャネルをいれる。

『おいおいシャルロットちゃんよぅ、そんな顔してんじゃねえよ。バレちまうじゃねえか』

『名前で呼ばないでレイン。もう僕はシャルロットじゃいられなくなるんだから』

『あー、そうだったな。ま、気合い入れていくか』

 そのほの暗い会話が終わる頃。ようやくブザーが鳴り、レースが始まった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 その頃。試合に出ていない面々はといわれると、暗躍の時間だった。二組は次のレースが始まるまで待機していなくてはならないのでピットにいるが、三組はまだ自由時間なのだ。故に――

「……状況クリア。さ、あいつを殺しに行きますか」

「今のうちに鈴の荷物を探らないと……」

「……うん、そうだね、ルーちゃん。クー、頑張る」

「待ってて阿簪(āzān)、すぐに片付けてアタシが守るから……!」

「ま、誰も死なせはしないよ」

「もうとばっちりやだぁ」

 簪の監禁室の前で。スズネの部屋の前で。観客席で。ある部屋の中で。眠る簪の隣で。メイドの前で。少女達が嘯いた。そして、それぞれが動きはじめた。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 まず、リードをとったのは一夏だった。

「よし、後は後ろからの攻撃を避け続ければ……!」

 そう思って僅かに後方への警戒を強め。

 

「させると思うか? 織斑一夏ァ……!」

 

 あまりの実力差のある人物からのロックオンに顔をひきつらせた。一夏に向けて火の玉を打ち出したダリルは、しかしその着弾を目視で確認することが出来ない。何故ならその前を遮る形でシャルロットが飛び出してきたからだ。いくらどの角度でも視界になるISとはいえ、そこに障害物があっては見通すことなど出来ないのだ。

 そして、シャルロットはそれを狙って火の玉がかするのも覚悟して体を滑り込ませたのだ。この後の行動に、一夏の『白式』が破損するのは認められないのだから。

 無論『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』にも破損は赦されないが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。故に牽制程度にしかなっていなかった。

 その横をすり抜けたくてうずうずしているスズネは我慢してダリルの真後ろにつき、最後尾を守っている。ならば残るヴィシュヌはと問われると――

(今殺すのは無理ですね。それに、何か考えているとしか思えないあの攻防。ならば、私は目的を完遂するために影になるだけです!)

 すべての栄光を捨て、ただ華々しい戦闘に隠れて進むだけのことだ。戦わずして勝てるのならばこんなに楽なことはないのだから。ただ、ヴィシュヌの目的はあくまで一夏の暗殺だ。それを知らされて平静でいられない人物もまた存在するのである。

 確かに、目立たないことは心に誓った。ただ、一夏を守らなくていいとは思っていないスズネだ。故に彼女が狙うのはヴィシュヌのIS『ドゥルガー・シン』を可能な限り破損させることだった。されど、シャルロットと同じ第二世代機のカスタム機とはいえ、乗っている年期が違いすぎるスズネにとれる行動は一つしかなかった。

(接近戦で一気に潰すッ!)

 そう決めて、近接ブレード《葵》をヴィシュヌに向けて投擲する。勿論そうやって使う武器ではないのはわかっているが、これまで使っていた《双天牙月》と同じような運用をすることにしたのだ。

 動きは直線的で避けられやすいが、逆に言えば相手の行動を読みやすくなるということでもある。その行動の先を潰すように投擲してやれば良いだけだ。あるいはそれで足を止めてくれるのならばそのまま潰すだけ。完璧な布陣だ。そうスズネは思っていた。

 ただ、ヴィシュヌもただでやられるわけもなく。結果としてそれがダリルに直撃し、シャルロットが一夏をすり抜けてゴール。僅差で一夏が後にゴールし、ヴィシュヌもそれを追いかけてゴール。ダリルとスズネは団子状態で遅れてゴールした。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

「やはり君が来たか、グリ姉先輩」

「……ロラン。退いてくれない?」

 簪が昏睡している部屋の前でグリフィンはロランツィーネにそう告げた。だが、ロランツィーネは肩を竦めただけで退こうとはしない。当然だろう。退けばグリフィンは確実に簪を殺すのだから。ISを展開すれば、狭い通路で有利なのは近接武装を持つロランツィーネだ。あくまでも展開できればの話だが。

 ただ、ここでロランツィーネもグリフィンもISを展開するわけにはいかない。ここはそもそも狭すぎる通路であり、立ち入り禁止区画でもあるのだ。当然、ISを展開すれば警報が鳴り、教員が駆けつけてくるのである。誰が来るのかは賭けではあるが、どちらにせよ邪魔が入るのは間違いない。

 だからこそ今有利なのはグリフィンだった。幼い頃から無意識に暗殺のすべを叩き込まれてきた殺人者(マーダー)グリフィンにならば、ロランツィーネを殺して簪を殺すのは難しいことではないのだから。

 ロランツィーネは代表候補生とはいえ、お飾りに近いのだ。故に彼女に出来るのは時間稼ぎだけ。もう一人の友人が駆けつけてくるまで、グリフィンをここに釘付けにすることしかできない。それこそ死ぬ気で。

 

 もっとも、その時間稼ぎも無意味に終わりそうだったが。

 

 ロランツィーネが背にしていた扉が突如開き、その異様な光景が二人から戦闘意欲を奪った。そこには――

「なっ……」

「簪ッ!?」

 自身の武装で自身を攻撃し、その攻撃を自身の武装で受け止めているという全くもって意味不明な光景があった。そのあまりの光景に二人は愕然とし、ついで簪を守るもしくは殺そうと行動を起こそうとする。

 しかしそれは叶わず、結局時間切れになるまでその異様な光景は続いたのであった。



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中国の諍い。イギリスの共闘。

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 タイトル通り。誰が一番かわいそうかって? とばっちりばっかのランネさんですはい。


 中国当局から命じられ、スズネから全てを奪わなければならなくなったティナ・ハミルトンはスズネの部屋に侵入しようとしていた。

(あたしは……)

 内心に逡巡を抱え、ティナはかつてのルームメイトの部屋をピッキングする。ティナを代表候補生にするために、そして()()()()()()()()()()()()スズネは全てを擲った。その時は追い詰められていて、それ以外の選択肢を見ようともしていなかったスズネにはその選択が誰を不幸にするのかもわかってはいなかっただろう。

 それは、最悪の選択だったのだ。いくらティナがそれを切望していようが。スズネが一夏と結ばれたがっていようが。家族を人質から解放したがっていようが。選んではいけない選択肢だったのだ。誰もを守りたいのならば、スズネは耐えなければならなかったのだ。

 スズネは一夏と交わり、その種を日本に売り渡した。それを交換条件にして日本人になり、家族には死んだことにして繋がりを消すことで守ろうとしたのだ。

 ただ死んだだけでは追っ手がかかるので代表候補生になりたいと願っていたティナを自身の代役に立て、『凰鈴音』を裏切り者にして『甲龍』は返還した。それで全ては守られたと、スズネはそう信じていたのだ。

 その結果、何が起きたか。

「遅かったわね、ティナ・ハミルトン」

 その声は、本人が聞いてもなお信じがたいほどに感情を感じられなかった。

「布仏……ランネ。どうしてあんたが……」

「誓ったのよ。アタシの全てを賭けて、家族を守るって。だから何も壊させないわ」

(そう、たとえ鈴おねえちゃんがアタシから全てを奪っていくんだとしても……アタシは)

 ランネはティナにそう告げた。鈴音が死んだということをすぐには信じなかった中国当局は、台湾の従妹の家族を拘束しようと引き渡しを求めたのだ。しかし台湾はこれを拒否。

 そんな微妙な空気が流れるなか、乱音は台湾代表候補生で居続けた。勿論圧力は強くなるが、それでも乱音はいつも通りであり続けた。そうしなければ、スズネとなった鈴音に矛先が向いてしまうのだから。

 それを、スズネはすべて台無しにしたのだ。自身の生存を明かすことで。立場と専用機を譲り渡されたティナは疑われ、潔白を証明するためにスズネを始末しなければならなくなった。

 乱音は中国が実力行使に出始めたのでスズネの家族と自身の家族をつれて日本へと亡命。家族を匿って貰うために布仏ランネとなって『更識』の狗となった。

 そして今、潔白を証明するためにスズネの部屋を荒らして彼女の大切にしているものを破壊するところから始めようとしたティナを、止めるのだ。

「邪魔しないで。あんたもとばっちりばっか受けてるじゃない。むしろ手伝いなさいよ」

(何で邪魔するのよ……あんた被害者でしょ!?)

「それを判断するのはアタシよ。アンタじゃないわ」

 その会話の間にも二人はお互いの隙を探していた。勝利の条件は、こうなればティナに不利になる。この後も平穏無事に過ごしたければ、キャノンボール・ファストに出場しなくてはならないのだから。時間まで守りきれば良いだけのランネよりはよほどハードだとも言えるだろう。

(でも……やってみなくちゃ分かんないわよ!)

 内心で自身を叱咤したティナは《龍砲》を部分展開して空気の砲弾をランネに叩き込む。しかし、それはいとも容易く防がれた。その手段が何であるかはティナには分からなかった。

 が、『甲龍』は多少であれ解析できている。そもそもデータとしての『黒龍』の情報は、中国代表から渡されているのだ。それ以上を求めるために逐一戦闘データを送信する形にさせられている。解析を『甲龍』と中国代表専用機『朱雀』との二機のマシンパワーで『黒龍』の解析を進めることになっているのだ。

 それが意味のある行動であるかはさておき、ランネは冷静に《黒の水》を操った。基本的にランネに攻撃を通すためには、彼女と『黒龍』の反応速度を越える攻撃をするか、《黒の水》が耐えきれない程の強烈な攻撃をかますかのどちらかしかない。そして、ランネは知っていた。ティナと『甲龍』ではランネの防御は抜けない、と。

 その行動のすべてが無駄だとも知らず、ティナは時間ギリギリまで抵抗を続けた。結局彼女は今のスズネを構成する何をも壊すことはできず。方針を本人を暗殺する方向に転換することしか許されなかった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 アルカイックスマイルを浮かべたメイドが、BT3号機『ダイヴ・トゥ・ブルー』の武装を一人の女生徒に突き付けている。その目的は一見すればその女生徒――サラ・ウェルキンを殺そうとしているようにも見える。だが、メイド――チェルシー・ブランケットの目的は、あくまで一つだけだった。

(さて、サラ・ウェルキン。あなたはどこまで使えるのでしょうかね?)

「お嬢様のために死んでいただきます、サラ・ウェルキン」

 しかし、サラは銃口を突き付けられてなお冷静だった。

「……ロードのメイド……チェル、チェルシーだっけ。搭乗時間は?」

「はい?」

(一体サラ・ウェルキンは何を……)

 チェルシーはその言葉に首をかしげた。意味がわからなかったからだ。今この状況においてそれを気にしていられる余裕がサラにあるはずがないと思っている。

 だからこそ、気づくのが遅れた。

「いつだって私は出来うる限りこの子に乗ってきた。『メイルシュトローム』の良さを伝えるためにIS学園に来るときも、この子になるように必死に根回ししたわ」

(それが礼儀だと思ったからね)

 微かに俯くサラが『メイルシュトローム』と言った瞬間、サラはISを纏ったのだ。それに気づき、チェルシーは武装を引き戻す。丸腰だと思って油断していたところにこれだ。いきなり攻撃されてもおかしくはなかった。

 ただ、解せないことがある。

「その『メイルシュトローム』は貴女のものではなかったのでは?」

「私もそう認識してるわね。つまり今のこの状況は微妙にまずいわけなんだけど、今朝『メイルシュトローム』が勝手にパーソナルロックモードで腕に貼り付いてたんだもの。私にはどうしようもなかったわ」

(というか何で私を選ぶのよ『メイルシュトローム』。他にいくらでもいたでしょうに)

 肩をすくめてそう返答したサラには、油断はなかった。夏休みにセシリアに説教して以来、イギリス貴族に連なる生徒には蛇蝎のごとく嫌われ、実力行使されることも多かったからだ。セシリアのメイドという明白な敵に対して油断できるような経験は積んでいなかった。

 故に彼女は問うのだ。

「で、チェルシー。何で問答無用で殺さないの?」

「……何故だと思われますか?」

 俯くチェルシーの顔色はわからない。それでもサラは無様に殺される気などなかった。

「知らないわよ、って言いたいところだけど……貴女、ちぐはぐすぎるのよ。試してるんでしょう?」

 そう言ってサラは意識を切り替えた。目の前の敵から情報を搾り取るために。発したその言葉は半ば賭けのような言葉だった。そしてサラはその賭けに勝った。

 チェルシーはその問いにこう返した。

「……その通りです。しかし何故……」

「腐っても代表候補生よ。一応BT3号機の存在ぐらいは知ってるわ。完成からずっと乗り続けてたんだとしても、搭乗時間は僅か。そんなので私に勝とうだなんて片腹痛い」

(ずっと乗り続けてたんだとしてもギリギリ三桁いくかいかないかでしょ)

 サラがそこまで言える理由は一つだけ。最早システム的にも第一次移行を止められないほどの、同一『メイルシュトローム』への搭乗。その時間は優に一万時間を越える。サラがその『メイルシュトローム』に乗り始めたのが代表候補生となった日からであるので約6年。平均して一日に4.5時間を費やしていることになる。最早『メイルシュトローム』はサラの手足と言っても過言ではないだろう。

 その『メイルシュトローム』が今の今まで第一次移行していなかったのは、サラが望まなかったからに他ならない。一応は分を弁えていたのだ。サラは貴族のセシリアの顔を立ててきたつもりだった。もっとも、本人に叩き潰されたが。

 第二世代機でも第三世代機を凌駕できる。そのことを、サラは実体験として知っていた。

「で、何で試したの?」

「……貴女にならば、頼めるかもと思いまして」

「……へえ、詳しく聞かせて、チェルシー」

 そしてチェルシーは、その願いをサラに告げた。願いを受けたサラはそれに対して諾、と答えた。その理由を知るものは本人しかいない。そうして密約を交わした二人は、何事もなかったかのように会場へと戻るのだった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 観客席で一人佇む少女。誰も動かなかったため、ある意味では一番楽をしている彼女はしかし、内心の緊張と戦うことしかできなかった。

(……頼まれたんだもん。頑張らなくちゃね、ルーちゃん)

 それに答えるものはいない。しかし少女――クーリェには聞こえていた。いわゆる『イマジナリー・フレンド』である『ルーちゃん』の声が。クーリェの全てを肯定してくれる唯一の存在。その『ルーちゃん』が望んでいるのだ。『織斑一夏を守れ』と。ならばクーリェが彼を守ることに何の躊躇いを持とうか。

 観客席から一夏を見つめるクーリェの視線は、次第に熱を帯びていく。その理由を知るものは、いなかった。

『……そうだよクー。守らなくちゃ。だって彼は、クーが存在する理由そのものなんだから』

 その声は――『スヴェントヴィト』のコア人格『アルコナ』の声。それこそがクーリェの支えとなり、クーリェを操る『イマジナリー・フレンド』ルーちゃんの正体であった。

 クーリェは気付かない。ルーちゃんことアルコナに自身が操られていることなど。誰もそれを察知することができない。ルーちゃんは存在しないのだと思っているから。

 そして。レースが終わる頃になっても誰も一夏に危害を加えようとするものはいなかった。故にクーリェは安心してレースの準備へと向かうのだった。




 サラが名実ともに専用機持ちになりました。『メイルシュトローム』さんマジけなげ。もっとも、それに付随する手続きは至極面倒だった模様。彼女だけ『訓練機をカスタムしてそれを自分用に使う』代表候補生じゃなく『『メイルシュトローム』のよさを広めるため』の代表候補生だからね、仕方ないね。


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第二レース。ハーレム主のあれこれ。

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 陰謀渦巻いてると、IS2次書いてんだなぁって気になる。


 コメット姉妹のミニライブを含めた少々のインターバルを挟み、第二レースが始まった。先手をとったのは強襲用高機動パッケージ『ストライク・ガンナー』を装備したセシリアだ。

「お先に失礼しましてよ!」

「そうはいかないっスよ!」

 優雅に微笑みながら飛び出していくセシリアに向け、フォルテは氷を射出して妨害しにかかる。それに追従するように楯無がナノマシンをばらまき、箒が《雨月》《空裂》を振るって防御を削ろうとする。ある意味では素晴らしい連携だ。

 

 お互いが敵でなければ、だが。

 

 フォルテの『コールド・ブラッド』は空気中の水分を凍結させて放つのだ。ということは、楯無のナノマシンを含むということでもある。

 要するに――

「なっ、何するっスか生徒会長!」

「あはーん、ごめんね?」

 氷によってより殺傷力を増した楯無の攻撃が、周囲を蹂躙することになる。なお楯無は爆発の拍子に飛び散る氷が危険すぎるので『清き熱情(クリア・パッション)』を使うことはなかったのだが。

 それを巧みに防御するものがいた。

「お、おい何をする!」

「悪いがこれは勝負なのでな!」

 その攻撃をワイヤーブレードを巻き付けた箒で防いだラウラが飛び出す。ワイヤーブレードに捕まった箒はたまったものではないが、ある意味ではラウラの後ろの順位を確保できるので運が良いといえば良い方なのだろう。

 それを見てあきれた声を出す少女が一人。

「うわぁ~……かわいそ~」

 それらに巻き込まれてはたまらないと、敢えて最後尾を飛ぶ本音だ。彼女はある意味我慢していたと言っても過言ではないだろう。敢えて攻撃の目を向けさせることなく静かに飛ぶ様は、全く目立たなかった。

 そして。一位と二位はギリギリを争って一位は楯無。二位がラウラで、少し遅れてフォルテ。フォルテの影に隠れて抜けた本音が四位で、ラウラに投げ飛ばされてもなお食らいついた箒は五位。先頭だったはずのセシリアは最下位となってレースは終了となった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 レースが始まる前のインターバルの間にIS学園に戻った一夏とシャルロットは、簪が昏睡している監禁室へと向かっていた。手伝ってくれると申し出てくれたダリルも一緒である。その監禁室へと向かい、簪の悪事を暴こうとする一夏は、あまりにも何も起きないことに油断してしまっていた。

 その一瞬の気の緩みが、彼にとっての命取りとなりかねないことを彼だけが自覚していない。壁であるはずの場所から伸びてきた手が一夏を掴み、彼をそこにあった隠し部屋へと引きずり込もうとしたのだ。

 一夏は声を出すことしかできない。

「うおっ……!?」

(いきなり何なんだ!?)

 驚愕に動くことすらできずに引きずられる一夏。しかし、彼が声を出すことしかできなくとも、それに気づくものがいる。

「一夏!?」

 シャルロットはその声に振り向き、褐色の腕に引きずられようとする一夏を引きずり戻そうとする。ダリルはそれをニヤニヤしながら見ており、手伝う気はないようだった。

 それに舌打ちをしたシャルロットは、その褐色の腕に対して容赦なく近接ブレード《ブレッドスライサー》を振るった。その腕は引っ込められるかと思いきや、見覚えのある装甲を纏って防御する。

 その正体を看破したシャルロットは低くその名を告げた。

「ヴィシュヌ・イサ・ギャラクシー……!」

「……シャルロット・デュノア、貴女に用はありません」

 ギリギリまで低く押さえられたその声は確かにヴィシュヌのもので。知っている相手だということで油断が加速した一夏はヴィシュヌにこう告げてしまった。

「じゃあ俺に何の用なんだ? 急いでるから手短に頼む」

「では手短に。死んでください織斑一夏」

「……え?」

 その攻撃が、一夏にはやけに遅く見えた。見えるだけで避けられないのは、鈍くしか動かない自身の身体を鑑みれば分かる。足元から迫る、装甲に包まれたヴィシュヌの足。

(あ、死んだ――)

 それが無防備な一夏の頭に刺さり――はしなかった。

「させないっ!」

 シャルロットが《ブレッドスライサー》でその足を受け止めたのだ。ヴィシュヌは軽く舌打ちをして足を引き戻す。そして拡散弓《クラスター・ボウ》を発動させて牽制した。

 そしてそれもまたシャルロットに防がれたのを見てヴィシュヌは眉をひそめる。

(……その男をそこまでして守る価値がどこにあるというのですか、シャルロット・デュノア)

 その態度に、シャルロットは苛立った。

「何で一夏を狙うの!?」

 そう小声で叫ぶ彼女に対し、ヴィシュヌは冷たく返答した。

 

「むしろ何故彼が狙われないなどと思っているのですか? 流石に男性操縦者でブリュンヒルデの弟だから狙われないなどという馬鹿げた答えは聞きたくありませんけれど」

 

 その答えにシャルロットは絶句した。それは彼女には全く理解できない考えだったからだ。一夏は確かに狙われるかもしれない。それは世界に一例しかない男性操縦者であるからで、決してブリュンヒルデの弟だからではないと信じていた。

 一夏もそれを思ったのか、反駁する。

「俺が男だからってのは分かるけど……千冬姉の弟だからって狙われるわけないだろ!」

「なら何故貴方は第二回モンド・グロッソで誘拐されたのですか? それ以外に理由があるなら聞かせていただきたいものです」

「それは……っ、待てよ、何でお前がそれを知ってるんだ?」

 その問いにヴィシュヌは肩をすくめた。これはお話にもならないと判断したからだ。ヴィシュヌの祖国タイやその他の弱小各国にとって、千冬は邪魔なのだ。あわよくば再起不能になってくれた方がありがたいのである。目下『白騎士』の容疑者たる千冬を、専用機の在処すら分からないままに野放しにしておくのはあまりにもリスクが高すぎた。

 だからこそ、ヴィシュヌという貴重に見えて貴重でない少女を使い、一夏に危害を加えようとしているのだ。

「何故? むしろ誰にも知られていないと思っている方が驚きです。貴方がブリュンヒルデの弱点であることなど誰でも知っていますよ。少し調べれば分かることです」

「だからって……俺を殺したって千冬姉がどうにかなるわけないだろ」

 その言葉をヴィシュヌは鼻で笑った。彼女の目的は一夏の評価を落とすことだけでも果たされる。何も殺さなくても良いのだ。千冬が再び専用機を身に付けるだけの事態になれば。そのきっかけ作りに自身が利用されていることにも気づいていた。

 故に言葉を漏らすのだ。

「本当に……おめでたい人ですね。貴方がまだ生きているのはブリュンヒルデが庇っているからにすぎないというのに。そろそろその発言力を維持するのに『暮桜』がないと厳しいことくらいは察しているはずです」

 確かに千冬に武器を持たせるのは危険かもしれない。だが、その武器すら行方不明のまま行動の方向性すら分からないのはそれ以上に危険だ。

 ならば、どうすれば良いのか。弱小各国の結論は、千冬の行動を方向付けてやれば良い、というものだった。その方向付けにうってつけなのが弟であり、彼女にとっての弱点である。

 弱点(一夏)を守るために千冬が何をするのか。前提条件としては、国を滅ぼすなどということは、千冬にはできない。敵を増やすだけだからだ。

 ならばどうするか。手を出せないよう力を見せつければよい。そのために手っ取り早い手段は専用機を身に付けることだと千冬が考えてくれると判断したのである。

 

 無論これは希望的観測であり、実際にそうなるかどうかは別であるが。

 

 その後、ヴィシュヌは派手に一夏を傷つけるべく戦った。その結果、何故か万十夏が出てきて事態が混沌とし、乱入した万十夏以外の人物の思惑は叶わなかったのだった。

 

 まだ、簪は目を覚まさない。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

(あたしは……間違ってた?)

 暗い部屋の中で、自身を慕ってくれていたはずの従妹が戦っていたことをスズネは知った。それを知らせてきたのは『更識』の一人。かつて『マドカ』と呼ばれていた鎬空音という少女だった。

 震える声でスズネは問う。

「何で……ランネがそんなことしなくちゃいけないのよ」

「分からない? あなたを守るためで、あなたを戦力にするため。ランネを戦力として使う代わりにあなた達を保護する約束だったけど、あなたがその前提を崩したから。だからあなたに刺客が来て、あなたも戦力としてカウントしないと割りが合わなくなった」

 うたうようにそう告げた空音は、スズネに言葉をかけた。それこそがスズネに望まれていることで。それがスズネの願いに合致してしまうからこそ、彼女は躊躇うことしかできないのだ。

 その言葉は。

 

「だからスズネ。あなたは織斑一夏のそばにいて。彼を守って。誰にも傷つけさせないで。誰にも利用させないで」

 

 一夏に恋するスズネとしては願ったりだ。だが、彼に許可も得ずにやってしまったことがスズネに躊躇させるのだ。

 顔を歪め、スズネは言葉を漏らす。

「あたしに……そんな、資格は」

「ある。()()()()()()()()()()()()。『彼』は順調に育っていると『更識』は見ている」

(……え)

 その言葉の意味を理解するのに、スズネは数分を要した。『認知』、『彼』。その二つの単語が何を意味するのかを理解したとき、スズネは守るものが増えたことを実感した。

 要するに空音はこう言っているのだ。『スズネの息子がいる』と。確かにスズネは危険日に一夏と結ばれた。その結晶を『更識』に託しもした。だが、本当にそれが育っているとは思っていなかったのだ。

(本当に……あたしと一夏の子が……! えへへ、目元は一夏似なのね。ああ、でも鼻はあたしに似てる? そうかなぁ……ふへへ)

 そのピンク色の妄想に囚われたスズネは滑稽だった。彼女が妄想した全てを叶わなくしたのは、スズネ本人であるから。

 故に空音は嘲るようにスズネに告げた。

 

「守ってあげてね、『オカアサン』」

 

 そうして。スズネは、完全な『更識』のスパイに堕ちた。




 名前だけ出てた鎬空音がようやく登場。引き取られた当時は布仏空音だったというどうでもいい裏設定があります。


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第三レース。貴方に捧げる恋歌。

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 セシリア、君なんでそんなに消えるの? 気付いたら入ってないとかマジ勘弁して。


 ミニライブにハプニングが起きたおかげで少し長く準備期間が取れた一同は、スタートラインに立った。第三レース走者はグリフィン、クーリェ、サラ、ランネ、ロランツィーネ、そしてティナである。

 先程までのギスギスした空気そのままに、レースは始まった。グリフィンは逃げきりを狙ってトップに躍り出た。

 そして背後に向けて浮遊ユニット《ダイヤナックル》を撃ち出しながら遁走する。

「悪いけど、このまま……!」

「逃がすわけがないだろう? グリ姉先輩……!」

 無論それを止めにかかる人物はいるわけで。ロランツィーネが派手にエネルギーライフル《スピーシー・プランター》を乱射する。その横をサラとランネがすり抜けていった。

 それを見てグリフィンが声をあげる。

「あっ!」

「お先に、グリ姉先輩」

「ついでにこれあげるわ」

 サラは無難にそのまま抜けたが、ランネは特殊武装《黒の水》を展開して二人を薙ぎ払ってから瞬時加速していた。

 だがグリフィンもロランツィーネも腐っても代表候補生だ。その攻撃は一瞬の停滞にしかならない。

 

 もっとも、その停滞こそが命取りなのだが。

 

「貰ったァ!」

 勝ち気な咆哮をあげたティナが二人に衝撃砲《龍砲》を叩き込み、再起不能直前まで追い込む。それに追い打ちをかけようとして、躊躇いが生まれたのでそのまますり抜けようとするもう一機のIS。

 僅かに眉を下げたクーリェは、ポツリと呟いた。

「……そうだね、ルーちゃん。グリ姉は……攻撃しちゃ、ダメだよね」

 その言葉の裏を返せば、ロランツィーネならば攻撃しても良いことになる。故に『ルーちゃん』はクーリェに指示を出してロランツィーネに向けてエネルギー槍《バルディッシュ》で斬りつけた。

 それをロランツィーネは《スピーシー・プランター》から銃身を外し、レイピア状にして弾く。

「くっ……まだまだ、まだまだこれからさ!」

 そう言って自身を叱咤し、大きく離された先頭集団へ向けて瞬時加速する。そこを狙い澄まして攻撃が繰り出されるが、それが当たる前に無理矢理方向転換する。

(キツい……けれど、ただで負ける気はない!)

 そうやって神業のごとく瞬時加速と無理矢理な方向転換を繰り返したロランツィーネは、結果として四位となった。一位はコンマの差でグリフィンで、二位はサラ。三位はランネで、『ルーちゃん』の指示でロランツィーネにギリギリまで嫌がらせをしていたクーリェが六位。様々な巻き添えを食らったティナが根性でクーリェを抜いて五位となった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 そしてここで暗躍を始めるのが第二レースを終えたばかりの面々だ。といっても、小細工をする必要もなく誰からも指示を受けない人物もまたいるわけだが。

 その人物達は、のんびりと観客席で観戦していた。

「……やはり実力だけはありますわね」

「? 誰のことだ? セシリア」

「二年のイギリス代表候補生、サラ・ウェルキンですわ、一夏さん」

 そう言ってセシリアは一夏にしなだれかかった。敢えて胸を一夏の腕に当て、下から媚びるように上目遣いで彼を見る。

 それで一夏がどぎまぎしているのを見て内心でほくそ笑むのだ。

(ふふ……意識してくださっていますわ……!)

 勿論その状況を良しとしないものもいる。セシリアに一夏をとられてなるものかと行動を開始した。

 その人物は、セシリアよりも大きい胸をこれでもかと押し付けて一夏に告げたのだ。

「ろ、ロランだって頑張っているぞ!」

「うえっと……その、箒? お前とロランツィーネってそんなに仲良かったか……?」

 その人物――箒は自身の行為で一夏が狼狽えたのを見て頬を緩ませる。

(せ、セシリアよりも反応が良いな……じゃない! セシリアなんかに鼻の下を伸ばすな一夏! 私を見ろ!)

「おーい、箒?」

「な、何だ一夏!」

「え、えっと、ロランツィーネって箒と仲良かったか? 何かずっと箒から避けてたような気がするんだけど……」

 その返答に困る問いに、箒は言葉を濁そうかと考えた。

(いや、ここで誤魔化せば勘違いされる! 私は断じてゆ、百合ではない!)

 考えただけで、濁すのではなくはっきりさせる方を選んだのはある意味では進歩なのだろう。それが一夏に通じるかどうかはまた別だが。

「その、私には断じてその気はないが! ……好きな人にすげなくされるのは辛いっていうのは、よく知ってるから」

「そうなのか……まあ、確かにそうだな」

 その肯定の言葉にセシリアと箒は色めき立った。その返答はつまり好きな人がいると宣言しているも同然だったからだ。目に見えて動揺する二人。

 しかし、その心配はやはり杞憂だった。

 

「俺も千冬姉に冷たくされたら辛いしな」

 

 そのあまりのシスコン発言に、箒とセシリアは一夏に容赦のない制裁を加えるのだった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 簪の監禁室前。そこで、五人の少女が戦っていた。うち一人はここにいるはずのない人物である。長い赤髪を翻し、本来であれば敵対するはずのない同国の代表候補生に襲いかかっている。

 その人物に対し、フォルテが叫び声をあげた。

「何でここにベルベットがいるっスか!」

「何でって、急進派に唆された貴女を止めに来ただけよ」

 淡々とそう返答したベルベットは、そのままプライベート・チャネルで楯無に告げる。

『フォルテは任せなさい、楯無』

『ありがと。ラウラちゃんには邪魔させないから安心して頂戴』

 それを聞いてベルベットは安堵した。

(待っていて、フォルテ。貴女が騙されていると気づかせてあげる)

 今現在、ギリシャの中の勢力は二分されていた。誰かを殺してでもIS保有量を増やしたい急進派と、人道的な立場にたって他国から人材を引き抜こうとする穏健派。どちらも力を欲しているのに変わりはないのだが、ベルベットとしては他人を傷つけてまでISの力が必要だとは思っていない。

 だからこそ、親友に簪暗殺の指令が下ったと聞いて飛んできたのだ。

「そこまで必死になったって、得られるものなんてないわよ」

「……ベルベットには分からないっスよ……! 私はっ! 私にはっ、守りたいものがあるんっス!」

 確かにベルベットにとっては得られるものはないかもしれない。だが、フォルテにとっては得られるものは確かにあった。恋をしている先輩――ダリルの安全を守るためなのだ。

(このままだと先輩は殺されるっス……なら、私が先輩を守るしかないっスよ!)

 その気合いは十分だが、フォルテは知らない。彼女を唆した人物こそダリル本人であることを。彼女が変声機で声を変え、隣の部屋からフォルテを脅していたことを知らなかったのだ。

 簪という庇護者を失った形のダリルは叔母に接触され、再び呪われた運命に舞い戻ったのだ。その呪いを解くためならば、ダリルは何だってする。その呪いを解かなければ幸せになれないのだ。

 ダリルに利用されているとも知らず、フォルテはベルベットに吠えた。

「だから退くっス、ベルベット! さもないと容赦しないっスよ!」

「……仕方ないわね。退く――なんて言うわけがないでしょうが。絶対に止めるわ。どんな形になってもね!」

(これ以上ギリシャを裏切らせないわよ、フォルテ!)

 そしてベルベットはフォルテを押さえにかかるために楯無を利用することにする。

『私に遠慮しないで楯無!』

『分かったわ。遠慮なく巻き添えにさせてもらうわよ!』

 べるのプライベート・チャネルを受けて楯無と本音もラウラを押さえにかかった。フォルテもラウラも簪の暗殺に来たのだ。危険すぎる生体融合型ISとなった彼女を生かしておくわけにはいかなかったから。あわよくばその特殊なコアを奪い取るために。

 楯無と本音の息が合う様子を見てラウラは歯噛みした。

(チッ……さすがに分が悪いか。だが、ここで簪を殺さねば私は……!)

 本来であれば、ラウラはこのまま退いていた。しかし今回は引くわけにはいかなかったのだ。ラウラに与えられた任務は『織斑一夏あるいは更識簪の暗殺』なのだから。

 勿論ラウラが一夏を殺すわけがなく。彼女が狙うのはあくまでも簪であった。

(嫁を殺すくらいなら、どれほど難易度が高かろうが簪を殺る!)

 その気迫は十分だ。それが合理的な考え方ではないことくらい、ラウラにも分かっている。こうして楯無や本音に守られている簪を殺すのは不可能に近い。それでも彼女は一夏を殺したくなかったのだ。生涯の伴侶となってほしいと願うほどに、彼に恋しているから。

 それは楯無も同じだった。

「こんなことして、一夏君に嫌われても知らないわよ!」

「ハッ……どうだか、なッ!」

(何よ、その自信は!)

 言葉で揺さぶりをかけたはずなのに、自身が揺らぐ。暗部の長としてどうかと言われるかもしれないが、楯無が『楯無』になったのは簪を守るためだ。可愛い妹を暗部に堕とさないために楯無はその地位を継いだ。

 だからこそ、彼女自身は心から望んでそうなったわけではないのだ。故に、揺らぐ。

「嫁に嫌われるのは、お前の方だ!」

「そんなわけないでしょ!」

(一夏君はそんな、他人を殺すのなんて望まないわ!)

 その、ある意味ではブーメランな思考に楯無は気付かない。恋で盲目になった対暗部用暗部の

長は、動きに精彩を欠きながらもラウラを止めていた。

 軍人で兵器であるラウラも。貴族であるセシリアも。幼馴染みの箒とスズネも。一夏に救われたシャルロットも。そして、彼の護衛として動き始めた楯無も。皆が一夏に恋をしていた。

 甘酸っぱい青春。故に彼女らは理解していない。

 

 恋が愛に到達するには、一夏のことも考えられなくてはならないことを。そして、その一夏からも自身のことを考えてもらわなくてはならないことを。

 

 恋と愛とは違う。恋は独りよがりで、愛は双方からお互いを思いやれることだ。故に、家族間であったとしても『恋』はあり得る。一方通行の思いやりは、もはや押し付けでしかないのだから。

(ってことを、誰も分かってないんだよねぇ)

 本音は醒めた目で戦況を俯瞰する。彼女にとって、仕えるべき相手は生まれる前から決まっていた。簪のために全てを捧げるのだと教え込まれ、実際そうやって生きてきた。一度はそれに嫌気がさして取り返しのつかないことをしてしまった。

(分かってる。かんちゃんが、私のことを望んでないっていうのは。でも、今度こそ守る……誰にも傷つけさせない!)

 その決意のもとに、本音は自らの力を振るうのだ。

 

 そうして、時間いっぱいまで誰も何も果たせなかった。



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決勝レース。栄光は誰の手に。

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 満を持して簪の登場。

 一瞬だけどな!


「みんなーっ! 皆の心に落ちる流星(コメット)、届けるよっ!」

「最後まで聞いていってね……!」

 ファニールとオニールが声をあげ、会場のボルテージをあげていく。会場では何も知らない観客達が沸き返っていた。一夏に招待された五反田蘭もその一人だ。

「一夏さん、凄い……」

 決勝まで勝ち進んだ彼を見て呟く蘭の眼差しは、恋する乙女のそれだ。一夏が彼女が憧れたままのヒーローではないことを知らず、ただ憧れの目を向け続ける彼女は滑稽ですらあった。

 だからこそ。

「……Ποιος θα παρατηρήσει(誰が気づくでしょうね).|Είναι μετά που έχουν σκοτωθεί ο ένας τον άλλον.《彼女らが殺しあいをしたあとだって》」

 隣でぽつりと呟かれた言葉を、蘭は聞き逃した。フォルテを止めたあと、観客席の護衛を依頼されたベルベットはたまたま誰かに狙われている風情の少女――蘭の近くにいたのだ。

 故に彼女は蘭を本人が知らないままに護衛している形になった。一夏を殺すために蘭が狙われるのもまた必定であったから。

 そうして、何も知らない観客であり続けた蘭は。自身が危機に陥っていたとも知らず、恋した人の応援に精を出すのだった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 観客席で高まる期待とは裏腹に、楯無は微妙な顔をするしかなかった。ただでさえロシア代表としてマークされているというのに、相手が酷い。ほぼ敵対しているようなものだ。

 目を細めながら考察を進める彼女には、あまり余裕がない。

(シャルロットちゃんとラウラちゃん、それにグリフィンは確定ね。一夏君も疑わしいけど……ううん、騙されてるだけでしょう)

 そこに、計三件のプライベート・チャネルが入る。内容は全て同じだった。要するにぶっ潰す的な宣戦布告である。何も言ってこず狙いも分からないサラも不気味だが、それでも様子を見る限りではシャルロットに敵意があるようなので問題ないだろう。

(キッツいわねぇ……でも、やらなくちゃ、ね)

 内心でそう決意した楯無は、スタートラインに立つ。

「じゃあ最終レースっ、いっくよー!」

「レディー……コメット!」

 そしてレースは始まった。突出したのは、攻撃すればゴールすら怪しい一夏だ。それを守るようにしてラウラとシャルロットが盾になり、グリフィンが楯無に攻撃を加えてきた。

 それを見て楯無は苦笑いする。

「陰湿すぎるわ……でもね、忘れてないかしら?」

 そして全ての武装を収納し、ナノマシンをスラスターの背後に回す。その準備を終えてから、オープン・チャネルを開いた。

 

「IS学園において生徒会長という称号は、学園最強だということをね!」

 

 それはある意味警告でもあった。もっとも、それを理解したのは観客達とサラだけだったが。サラは瞬時加速で楯無の隣を抜け、危険を承知で敵だらけの場所へと突っ込んでいく。

 そして。

「なっ……」

「ば、爆発ですって!?」

 グリフィンの驚愕を、その隣をすり抜けながら楯無は確認した。そう、爆発だ。ナノマシンを散布し、スラスターに推進力を強制的に叩き込んだのだ。強引な推進力は、少なくないシールドエネルギーを犠牲にして楯無をトップまで押し上げる。

(負けられないわよ……私だけ代表なんだもの。この地位を下ろされるわけにはいかないのよ!)

 内心で歯を食い縛りながら楯無はそのままトップを維持し続けた。その代償に翌日微妙に筋肉痛になるのだが、それはまた別の話だ。

 そして、二位を争うべく団子状態の五人が争う――ということはなかった。何故なら、楯無の起こした混乱に乗じてシャルロットがラウラを、サラが更にその攻撃に巻き込むようにしてグリフィンを動けなくしたからだ。先に戦闘不能になったラウラが六位、その直後に戦闘不能になったグリフィンが五位だ。

 打ち合わせにはなかった行動に、ラウラはシャルロットに向けて怒鳴った。

「何をする、シャルロット!」

「ごめんねラウラ、でもこれって勝負なんだよ?」

 半笑いでラウラに謝罪したシャルロットは、次に狙いを定めるためにサラへと向き直った。この混乱において、専用機持ちではない彼女がグリフィンを落とせたのは意外だったが、彼女が警戒対象であることに変わりはなかった。

 にも拘らず、サラはシャルロットにも一夏にも構わず全速力でその場を抜ける。

(やってられないわ……あいつに手を出したら絶対にオルコットからクレームが来るじゃない! 逃げるが勝ちよ!)

「ま、待てよ!」

「待てと言われて待つバカがどこにいるのよ!」

 そう言ってサラは追いかけてくる一夏を引き離すべく瞬時加速した。それを、ルール上違反ではない使用許諾によってシャルロットから銃を手渡された一夏が追い始める。

 それを冷静に見ていたシャルロットは、内心で呟いた。

(――そろそろ、かな)

 彼女はずっとタイミングを計っていた。忘れているかもしれないが、彼女は既に一夏を手にいれるためになりふり構わなくなっているのだ。

 きゅ、と手を握りしめて。

(仕方ないよね。一夏が僕のものになってくれるには、こうするしかないもん)

 合図を送った。成層圏で準備をしている年齢不詳の美女と、そのパートナーに。彼女らはその合図を受けとると、急降下してアリーナを襲撃せんと迫る。

 

 そして――何も起きなかったことに、動揺した。

 

Pourquoi(何で)!? Que voulez-vous dire(どういうこと)……!?)

 動揺するシャルロット。彼女の動揺の隙を突き、そのままゴールするサラ。気遣わしげにその隣をすり抜けていく一夏。そして、そのまま終わるレース。

 そうやって、全てが終わった。優勝は楯無。二位はサラ。そして、三位は一夏だった。それが全てだ。観客達は、思わぬ男性操縦者の入賞に沸き返った。

 

 そうして――波乱のキャノンボール・ファストは終わりを告げた。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

「馬鹿な……」

「……参考までに聞くわ。どうして分かったの?」

 ボロボロのISを纏った二人の美女が問うた。一人はIS『アラクネ』を纏ったオータム。そしてもう一人は『ゴールデン・ドーン』を纏ったスコールだ。『アラクネ』は派手に破損し、またスコールの本体も配線が露出するほどにボロボロにされている。

 それに、その原因を作った女は返答した。

「分からないわけ、ないよ。だって、私は――」

 風に溶けて消えたその答えに、スコールは限界まで目を見開いた。

(そんな……そんなことが、有り得るわけが……)

 スコールの内心の動揺も知らず、彼女はスコールに止めを刺そうと薙刀状の武装を突き出した。咄嗟にそれを受け止め、その振動でバイザーからわずかに見えた限りなく透明に近い空の色を見て。スコールは彼女の言葉が真実であることを知った。

 彼女は小さく笑いを漏らし、告げる。

「だから、私を連れていって、スコール。彼らの手が届かないところへ。私の場所を取り戻すためなら、悪墜ちも悪くないもの」

「どういう意味か、というのは……」

Need not to know(知る必要のないこと)だよ。貴女はただ、私に従っていれば良いの」

 ごくり、とスコールは唾を呑み込んだ。彼女から感じるプレッシャーは、万十夏にも匹敵するだろう。その万十夏が亡国機業から離脱した今、この申し出は戦力増強という意味で渡りに船だ。あまりにうますぎる話でもあるが、これに乗らないという選択肢はなかった。彼女らには、最早後がなくなっているのだから。

 

 彼女が世界に姿を現す時――その時こそ、全ての始まりにして終わり。貴方と彼方を問う、彼女らの戦いの始まりにして。彼女のアイデンティティーの確立という名の、長きにわたる戦いの終わりだ。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 薄ぼんやりとした視界。誰からも邪魔されない、彼女だけの世界。そこは彼女のためにあり、しかして彼女のために作ったモノの存在できない場所。色があるようでない。ただ、色がついていないとも言えない。

 そんな、色々な意味で微妙な世界に。一匹のウサギが現れた。ふわふわと丸っこく、つぶらな瞳を忙しなく周囲に向けている。そして、ある一点でその視線を固定した。そこに求めるものがあったから。

 その白いウサギは、そこでたゆたう彼女を見つめて告げた。

「ダメだよ。このまま死なせたりなんか、しないんだから」

 その言葉は、聞こえていないようにも見えた。眠っているようにも見える彼女は身じろぎすらしなかったからだ。しばらく待ち、彼女から返事がないことに落胆する。それは、また別のアプローチを考えなくてはならないことを示していた。

 そして軽く目をつぶり、ため息を吐く。

(ダメ、かな……楯無ちゃんから頼まれたから、早く起こしてあげたいんだけどなぁ)

 だが、ウサギが死ぬ気で防壁を突破したかいはあったようだ。

 

「――どうしてですか? わたしはこのまま死にたいのに?」

 

 そう、彼女は――簪は返答した。彼女はこのまま死にたかったのだ。死にたくない理由がなかったのだ。最早本物の『更識簪』を取り戻すことも出来ず、万十夏が保護された今、彼女に生きる理由などなかった。

(そう……何もいらないんです)

 故に白いウサギは弾き出された。その世界に、彼女を否定するものは必要ない。そこは彼女だけの世界。彼女のための世界で、彼女の認めたものしか存在しない世界だ。

(消えちゃってください、何もかも)

 

 故に――そこには、何も存在しなかった。

 

 簪は何も必要としていなかったからだ。人も、物も、何もかも。それは、逆に言えば自身をもう一度殺すだけの度胸が残っていないことをも指す。

(いらないんです)

 何もないということは、自身を殺すものもないということだ。必然的に、消極的な停滞を望んでいるようにしか見えなかった。そして事実、簪にはこの状況は喜ばしいものだった。何もしなくても良く、ただ平穏だけがそこにある。

(このまま、何もしなくても良いんですよ……誰も邪魔しないから)

 

 だからこそ、簪は昏睡したままで死ぬことも生きることもできないのだ。死にたいと願いながら迅速に自身を放棄することすらしていない矛盾を抱えながら。

 

 その状況を打破するための作戦が始まるまで、あと少し。そしてその作戦は、後に世界を巻き込む争いの引き金を引くことになるのである。



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第七章 どうか大人しく眠らせてはくれませんか?
世界を分かつ。汝彼女のモノとなれ。


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 ワールド・パージされるお話。
 え、全学年合同タッグマッチはって? こないだの『ゴーレム』襲撃で施設関係に大打撃を受けてるので中止になりました。


「では作戦を開始する」

 千冬はそう告げた。これ以上簪を眠らせておくわけにはいかないからだ。維持費も馬鹿にならない上に、戦力として彼女を使いたい以上は起こすより他ない。

 故に、千冬が集めたのはノトナの指示した人物たちのみだ。簪に悪感情を抱く生徒たちを使うわけにはいかなかった。それは他のところに使えばよかったからだ。

 そうやって三組に分けられた作戦行動が始まった。もっとも――護衛にスズネを連れた一夏だけは『白式・雪羅』のメンテナンスでそこにはいなかったのだが。

 一組目は、電脳ダイブで敵を迎撃するチーム。シャルロット、ラウラ、箒、セシリア、グリフィン、ヴィシュヌで構成されている。そのうち、ヴィシュヌがオペレーターとなって彼女らを守る予定だ。

 二組目は呼び出しを受けず、学園内で普通に過ごすチームだ。特殊すぎるIS『グローバル・メテオダウン』を扱うコメット姉妹や、危険に晒してはオランダから非難轟々になるロランツィーネ。学園内の巡回をする楯無とクーリェ、ランネからの密告で敵扱いのダリルとその恋人フォルテで構成されている。

 そして三組目が簪を起こすためのチームだ。といっても、万十夏、本音、ランネ、そしてサラだけだが。サラは元々迎撃チームだったのだが、セシリアと決定的に合わなかったのでこちらに振り分けられた形だ。

 そうして、全てが行動を開始した。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

『必要なパーツがあります。早急に収集してください』

 

『第一ターゲット発見。収集開始』

 

 ――願望を見た。たった一人に仕え、彼のために生きる夢を。彼に救われ、満ち足りた日を送る夢を。その中で彼女はメイドで、主人は恋している男だった。

 そして幸せな日々に一度は罅が入る。主人を救えるのはメイドだけ。メイドは主人のために動き、そして再び結ばれる。

(そうだよ。僕が必要なのは一夏だけ。他には何にもいらないんだから。だから一夏のためになら、何にだってなるし何だってやるんだ)

 何も怖いものはなかった。メイドには、主人さえいれば他のものは何も要らなかった。

 

『ワールド・パージ完了』

 

『パーツ《シャルロット》ゲット。第二ターゲットの収集開始』

 

 ――泡沫を見た。たった一人を愛し、彼のために生きる夢を。彼に愛され、普通の人間になる夢を。そこで生まれは問題にならず、結ばれるのに何の障害もなかった。

 そして幸せな日々に陰りもなく。現実には産めるかも分からない子供を授かって。固く結ばれる。

(……そうだ。怖いくらいに幸せなのは嫁がいるからだ。どうか、どうか、私に縋らせてくれ。皆と同じだと、信じさせてくれ)

 何も恐れることはなかった。普通の人間として、彼さえいれば何も恐れることはなかった。

 

『ワールド・パージ完了』

 

『パーツ《ラウラ》ゲット。第三ターゲットを収集開始』

 

 ――憧憬を見た。たった一人の背中を追い、彼を追って生きる夢を。彼に憧れ、彼に支えられる未来を。そこにはいつも頼りない彼はおらず、彼女の望んだ強く頼れる彼がいた。

 そして幸せな日々はいつまでも続き。現実でもそうあって欲しいと無意識に願って。そしてそれは叶えられる。

(ああっ……一夏、かっこいいぞ……私だけの一夏。男らしくて、私を守ってくれて、私を受け入れてくれる。私の、私だけの一夏だ……!)

 何も欲しいものはなかった。ずっとずっと望んでいた、彼さえいればもう何も欲しくなかった。

 

『……ワールド・パージ……完、了……』

 

『パーツ……《箒》ゲット……第四ターゲットの収集開始』

 

 ――熱望を見た。たった一人に跪かれ、彼を従えて生きる夢を。彼を欲し、彼にも欲される未来を。そこには夢も地位も財産も全てがあり、彼女の全てを導く彼がいた。

 そして幸せな日々は続き。姉のような存在の願いを踏みにじっていることすら知らず。ただ幸せをむさぼる。

(幸せですわ……この世の誰よりも! 今ならば何も怖くありませんわ! 一夏さん、一夏さん、ああっ、一夏さん……!)

 何もかも満たされていた。このままの生活が続くのならば、もう何も要らなかった。

 

『ワールド・パージ完了』

 

『パーツ《セシリア》ゲット。第五ターゲットの収集開始』

 

 ――切望を見た。家族が揃い、何も強要されることなく笑い合える未来を。彼の庇護下に入り、世界最強の後ろ楯をもとに生きる世界を。そこには求めた細やかな幸せがあり、それ以外に道は見えなかった。

 そして何からも脅かされず。いつしか彼とも結ばれて。ただぬるま湯のような居心地のいい幸せに居着く。

(……そうだね。こうやって、笑い合えるのが一番だよ。人殺しの方法なんて教えられなくたっていい。彼らに縛られることだって、ないんだ……)

 全てが満ち足りていた。このままでいられるのならば、もうそれでよかった。

 

『ワールド・パージ完了』

 

『パーツ《グリフィン》ゲット』

 

『あとパーツが二つ必要です。早急に嵌め込んでください』

 

『早急に、早急に、早急に、早く早く早く早く………頂戴?』

 

『でないと私が私になれないから』

 

 ――いつかどこかで、少女が哭いた。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

「ねえ、何でそんなにカリカリしてるの、ロラン?」

 教室でらしくもなく爪を噛んでいるロランツィーネに、オニールとファニールが話しかけていた。彼女らにはロランツィーネに聞いてみたいことがあったからだ。

 ロランツィーネはそれに苛立ちを隠さずこう答える。

「……君達か。当たり前だろう?」

「簪さんに会えないから……だよね。でもどうしてそこまで……?」

「何故、か。恐らく彼女に関わった人でないと分からないだろうさ。あの子は優しいんだよ」

(んん? どういうこと?)

 ロランツィーネのその言葉に、ファニールは首をかしげた。いまだに深い関わりを持ったことはないので分からないのかもしれないが、端から見ていれば彼女はただの変な人だ。

 それをファニールの代わりにオニールがうまく言葉にした。

「ただ中途半端なだけだと思ってたけど……」

「まあ、それもそうだろうね。中途半端に優しくて、中途半端に冷たい。誰よりも自分が嫌いで、誰よりも自分を見てほしいんだ」

 だから、とロランツィーネは続ける。

「だから彼女に教えてあげたいんだよ。君は誰かから好意を持たれるに足る存在だと、何度でもね。それを分かってもらわなくちゃ、いつまでも中途半端なままだから」

 そう返答するロランツィーネに、誰も言葉をかけられなかった。最早二度と声をかけられなくなっている可能性すらあると知っているからこそなおさらに。

(だからこそ、教えてあげたいんだよ。君は、ここにいて良いんだとね)

 その内心の呟きは、誰にも届かなかった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

「鈴……その、別に良いんだぞ? いくら楯無さんの頼みだからって……ここまで護衛してくれなくても」

(もっと、普通にしててくれよ……)

 困惑顔の一夏が、水着姿の変態に付きまとわれそうになったのをぶっ飛ばしたスズネを見ていた。しかし、スズネは知っている。彼女こそこの『倉持技研』の所長なのだと。そして、四組の担任の姉だと知っていた。

 故に警戒を怠らず問う。

「どうしてい……織斑さんに手を出そうとしたのです?」

「堅っ苦しいぜぃ、凰鈴音。もっと砕けろ砕けろー……いや頭蓋骨が砕けるから!?」

 コミカルにそうじゃれている所長――篝火ヒカルノの頭蓋骨をへし折る勢いで握り締めたスズネは、押し殺した声で問うた。

「何でアンタがそれを知ってるのよ……!」

(今ならまだコイツを始末すれば……ううん、情報源を知らないと!)

 しかし、ヒカルノはその殺気を受け流すようにスズネから遠ざかる。

「アンタに『打鉄カスタム』を用意したのはウチだからなぁ。ささ、織斑一夏君と凰鈴音ちゃんをごあんなーい」

(さぁて、ようやく始められるねぇ……『紅椿量産計画』を。ようやくだよ……)

 ニヤニヤと笑みを溢しながら、ヒカルノは二人を倉持技研へと連れ込んでいく。そこには、邪な感情しかないことを彼女しか知らなかった。

 

『利用させてもらうわ、私が私たるために』

 

 ――その声は、誰にも届かない。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 フォルテは、恋人のダリルから呼び出しを受けた。重要な話があるというのだ。一体何の話なのか皆目見当もつかないフォルテはただダリルの部屋に向かうことしかできない。

 そして。

「そんな……こと……そんなことっ、いきなり言われても……分かんないっスよ!」

「分かれだなんて言ってねぇだろ。ただ、事実としてオレはここでサヨナラだって言ってるだけだ。オマエに分かってほしいとは思ってねぇよ」

(呪われてんのさ、ミューゼルの血に)

 吐き捨てるようにそう告げたダリルは、フォルテに背を向ける。そして、彼女を省みないままに目的の場所へと向かった。自らの呪われた運命に、決着をつけにいくために。それにフォルテを巻き込まないために。

 故にダリルは覚悟を決めたのだ。

「……だから、サヨナラだ、フォルテ。もしオレが運命を打ち破れたら……また、逢おうぜ」

 その決意を宿した顔に、フォルテは何も言えなくなった。

「あ……っ」

 ダリルが背を向けてフォルテのもとから去っていく。それを、中途半端にあげた手が掴むことはなかった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

「……で、ここまで来たのはいいけど。全くもう……警備を穴だらけにしたのだーれ?」

 困り果てた声で、そう呟く楯無。彼女の目の前には恐らくアメリカの特殊部隊がいる。ただし、全員が叩きのめされているが。

 最後の一人を叩きのめし、近くで隠れているクーリェに向けて楯無は声をかけた。

「もう大丈夫よ」

「……ううん、ルーちゃん。楯無はね、詰めが甘いの」

「え? ……っ!」

 クーリェの言葉の意味を理解した瞬間、楯無は背後を振りかえった。そこには多少ダメージが入っている特殊部隊の隊員がいて。そして、そのままスタンガンを当てられた。

(しまっ……)

 楯無が最後に見たのは、クーリェがそのまま逃げ去っていくところだった。



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世界を分かつ。彼女と貴女の。

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 簪……やっと?


 ――その人物は、世間から見れば一般的な家庭に生まれた。仲の良い両親と、姉と妹。彼女らに囲まれて、その人物もまた幸せであろうと。そう思われていた。少なくともその一家は世間から見れば幸せな一般家庭だっただろう。

(そう見えてもおかしくない。だけどそれは仮初めでしかない。まあそれを信じる人もいないんだけどね)

 それを当の本人が鼻で笑う。もちろん彼女は幸せではなかった。幸せの定義は、その認識によってがらりと変わるものだ。故に世間と本人の認識に齟齬が生じていても何らおかしくないのだ。

 その醜い感情を、彼女は内心で吐く。

(だからって何が不満なのかっていうのを責められても困るんだけど)

 彼女は全くもって幸せを感じてはいなかった。常に誰かと比べられ、常に責任を押し付けられ、常に我慢することを強いられた。もちろん彼女は世界で一番不幸だったと嘯くつもりはない。だが、幸せだったかと問われると否と答えられる。

 当然だ。彼女の心はすでに死んでいる。

(幸せだったなら、心は死んでなかっただろうね)

 彼女は母に恋されていた。愛されてなどいなかった。ただ一方的に気遣われ、彼女自身の鈍感さも加わってそれは家族愛ではなくいわば『家族恋』と成り果てていたのである。彼女は愛されているなどとは思っていなかったのだ。

 そんな彼女にとって、家族とは鎖だった。柵で、絶対に離れてはならない場所だったのだ。特に介護の必要な祖母が自宅に増えてからは、その思いは強くなる。

(そう、わたしがそこから離れれば一家心中が起きるって、本気で信じてた)

 ここから離れれば、全てが崩壊する。その異様なまでの思い込みが、また彼女を追い込むのだ。そうやって追い詰められ、ある日彼女は全てを諦めて近所でも有名な自殺の名所へと向かった。全てを終わらせるために。

 

 そこから見える美しい夕日を最後に目に焼き付けて。そうして彼女はその生を終えた。

 

 皮肉なことに。彼女が死した後もその一家は心中などすることなく暮らしていた。彼女の努力も、存在も、死んだ心も。彼女が周囲の安寧のためにしていたことは、全くの無意味だったのだ。

 ただその家族にとって幸いだったのは、彼女の死だった。それがもたらしたものは、皮肉なことに彼女が求めた安寧であったのだ。その家族が欲してやまなかった健全な環境は、彼女の死に伴う非日常によって打破された。

 認知症の祖母はそのまま老人ホームに引き取られて二度と出てくることはなく。その介護から解放された母は自由を満喫し。その母の愚痴に付き合わされていた父も仕事に専念できるようになり、介護というこぶつき状態だった姉も無事結婚まで漕ぎ着けた。妹もそれを期に環境を変え、無事に夢を叶えた。

 全て、彼女さえ死ねば叶うことだったのだ。それを彼女だけが知らなかった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

「……ここは、風景としては日本よね? それにこの主観者は……簪じゃない」

(なら、これはまさかコアの記憶だとでもいうの?)

 サラは冷静にそう分析した。簪のISへと電脳ダイブした一行は早々にはぐれ、強制的に映像を見せられているのだ。その中でも『歪んだ』記憶にサラは眉を寄せることしかできない。サラの常識に照らし合わせてもそれは『まとも』ではなかった。

 誰かと比べられ、まともに名も呼ばれず、常に誰かの踏み台としてしか生きられないその少女の姿に違和感しか覚えないからだ。嫌なのであれば、何故抵抗しないのか。それだけが理解できない。

 目の前の映像では、彼女は希望の大学を受験したいと告げるものの距離的な理由と金銭的な理由で突っぱねられていた。アルバイトをするから、と言っても、とりつく島もない。

(何でそこで言わないのよ……何で諦めるの。諦めるからそうなるのよ)

 感情移入出来ないがゆえのサラのもどかしさも知らず、彼女は諦める。

『……仕方ないよね。どうやったって、家から出してくれる気なんてないんだもん』

 その絶望にまみれた声は、サラにとっては滑稽にしか聞こえない。ベストを尽くさずして諦める彼女のことなど、サラは嫌いだった。そういう言葉はベストを尽くしてから言うものだ。少なくともサラにとっては。

 だからこそ、そのバイアスがかかったまま次の映像を見ればこうなる。

「苛つくわ……そんな、自分ばっかり割りを食ってるみたいな言い方をして! 何にもしてないからそうなるんじゃないの!」

 それは『自己犠牲』を諦めと共に呑み込んだ映像だ。それ以降は延々と同じ映像のループだった。それが彼女の日常であったことなどサラは知るよしもない。

 ふとそのループが止まり、映像の中の女が振り返った。

『何もしなかったんじゃない。そんな権利なんて、どこにもなかったから』

 サラの言葉に返答したのは、映像の中の女だった。死んだ目に、およそ日本人らしく黒髪でもない、茶髪の女だ。それを、サラは息を呑んで見つめる。まさか返答があるとは思わなかったからだ。

 女は、それを自分に言い聞かせるように呟いた。

『ここにいるのはわたしじゃなくても良い。だけど、必ず誰かがいなくちゃいけない。なら、他に使い道のないわたしがここにいるしかないじゃない』

 その言葉にサラは尚更苛立った。

「そんなの、死んだ目をして言うことじゃないわ。その腐った根性叩き直した方が良いんじゃないの?」

(そういうのは努力してから言うものよ!)

『……面白いこと言うね。馬鹿は死んでも治らないんだよ。それを、あんたは見てると思うけど』

 その能面を、僅かに口角をあげることで変化させた女はそうのたまった。それでようやくサラにも理解できた。この映像は――

「……貴女が、簪なのね?」

『まあ、正確にはその中身というべきなんだけど、そうだね』

 転生する前の簪。かつて宙祈(ヒロノ)と呼ばれていた女の人生だった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 主体性がない。積極的でもない。優柔不断だが、自身の譲れない一線を越えられそうになれば頑固に抵抗する。面倒見が良いように見えて、自身のためになるように無意識に仕向けている。そんな腐った女の物語だった。

 それを見て、ランネは吐き気を催した。

「……何よこれ」

(気持ち悪い……っ)

 代わりに言葉を吐くことでそれを抑え、強制的に見せられ続ける映像に抗おうとする。だが、抗えば抗うほどに囚われる感覚が強くなっていく。どうやら、この映像を大人しく見ていなければならないらしい。

 ランネにとって、その映像を見るのは苦痛でしかなかった。

「何なのよ……何でそこで躊躇うのよ! どこまでお人好しなの!?」

 その問いに答える声がある。

『お人好し? 違うよ。わたしは知ってたんだ。自分さえ我慢すれば全てがうまく行くんだとね』

 その返答に、ランネは顔を歪ませた。そのあり方が自身の友人とそっくりで。それでもなお目の前の彼女の方が性根が腐り果てていることに、心のどこかで安堵していた。

 だからこそ、無責任に言えるのだ。

「馬鹿じゃないの? それで自分が死んでもそんなこと言えるわけ?」

『それに耐えきれなくなったからわたしは死にに行ったんだよ。どうせその前から心は死んでたんだから、今更身体が死んだってどうだって良かったしね』

 その言葉を、ランネは最初のみ込めなかった。

「……え? それって、どういう――っ、あ」

 しかし問いを発する前に気付いた。その自虐的な表情が、自身の友人と同じだということに。全く同質ではないが、よく似たその表情にランネは簪を見たのだ。

(そんなわけないでしょ! こんな、こんな腐った女が簪なわけないじゃない!)

『ま、信じないならそれでも良いんじゃない?』

 そうなげやりに言う彼女は確かにランネの知る簪で。だからこそ、ランネは彼女を腐っていると評したことを気まずく感じるのだ。

 しかしもちろん彼女がそれを気にすることはないのだ。

『今確かなのは、わたしが起きる気はないってこと。いくらあなたたちがわたしに踏み込んでこようと、起きたって良いことなんか何にもないんだもん』

 その腐りきった思考に、ランネは半眼になった。

「――は? ふざけるのも大概にしなさいよ」

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

「知ってるよ、かんちゃんがそんな子だっていうのは。一番近くで見てきたもん」

(だけど、そのかんちゃんに私は助けられたんだよ)

 本音はヒロノにそう告げた。腐りきった彼女の思考を知ってなお、言葉を叩きつけることに必要性を感じていた。言葉をぶつけ、勘違いしているだろう彼女を正さなければならないと思っていた。他ならぬ自分のことであるのに理解していないのだから。

 だからこそ。

「だからそれが何なの? 起きたって良いことないからって、皆に心配かけて良いって訳じゃないんだよ?」

(起きてほしいよ、かんちゃんには……!)

 その言葉は、確かにヒロノを揺らすのだ。それは起きる方向にではないが、確かにヒロノは揺らいだのである。それを本音は確かに見てとった。言葉は届くのだ。

(なら、何とかなる……何とかしてみせるから、待ってておじょーさま!)

 本音の言葉に微かに苛立ちを滲ませ、ヒロノは返答する。

『別にわたしがどうしていようが気にしなきゃ良いだけじゃない。何でそこで心配なんかするの? わたしに心配されるだけの価値、ある?』

「あるよ。かんちゃんは確かに歪んでる。だけど、それが気にならないぐらい優しいんだよ」

(その自己犠牲的な優しさに助けられたから。だからそこから私はかんちゃんを助けるんだ。それが恩返しになると思うから!)

 本音の言葉は、ヒロノを黙らせた。眉を寄せ、何かをこらえるような仕草をしている。それを本音は効果的な言葉をかけられたからだと判断した。それが吐き気をこらえている仕草だと、本音は気づかなかったのだ。

(大丈夫、このまま押しきってみせる……かんちゃんのためにも!)

「だから価値がないなんて――」

 その、畳み掛けるような本音の言葉は。

 

『あるわけないよ』

 

 その言葉に止められた。



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 ねぼすけさんは起きるの?


『あるわけないよ、わたしに価値なんて』

 

(そんなの信じない)

 その言葉はやけにその場所に響いた。有無を言わさぬ言葉は、全ての救出者に届いた。届いてしまったのだ。その絶望にまみれた、自業自得の言葉が。だから誰も何も言えなかった。

 

『わたしに価値があるのなら、どうしてわたしの言葉は届かないの?』

 

(届いたことなんてない)

 彼女の言葉は、家族に受け入れられることはなかった。ヒロノがこうなる前から彼女の言葉を否定し、姉妹の言葉を呑み続けたから。家族はそれに気づかなかった。家族はヒロノの言葉を拒否あるいは否定するだけで、その意見の一欠片も汲むことはなかったのだ。

 当然のことながら、そんなことをされればヒロノは勘違いする。自分には何も言う権利はないのだと。何かを言ったところで無駄なのだと。故に彼女は積極的に自身の意見を封じ込めた。そしてやがて自身の意見があることすら意識できなくなったのだ。

『わたしの言葉が届かないのは、わたしに価値なんてないからだよ』

(それは変わらない現実だもの)

 その結論に至るのに、さほど時間は必要なかった。それを否定するものももちろんいる。だが、それがヒロノに届くことはない。その言葉を素直に信じられるほど彼女は他人を信じられたことがないのだから。

 そして絶望の言葉は続く。

『わたしは誰かに必要とされる人じゃない。そうなりたいと願っても、わたしは無能で愚図だからなれるわけがないの』

(ううん、なっちゃいけない)

 強烈な思い込み。それは幼い頃からそういうものだと刷り込まれてきたからこそだ。何をしても怒られるのはヒロノだけ。ならば、他の人よりも劣っているのだと思い込むのも無理はないだろう。

 故にこそ、ただ一つ求められた役割に固執する。

『わたしに価値があったとするなら、それはただの感情のサンドバッグとしてだけ。そんなの、本当に価値のあるものじゃないでしょ』

(むしろゴミクズでしょ)

 代わりのいる存在。それが人の形をしているのならば、ヒロノでなくてもよかった。確かに母の娘である必要はあるかもしれないが、それがヒロノである必要性はどこにもない。そうあるべきだと自身を定めたのはヒロノだ。

 そしてそれは、ヒロノの実情を知った彼女らにもわかっていたことで。

『だから』

 彼女だけが苦しむ必要はなかった。他の人間でもよかった。ただ、それを誰にも押し付けられないと思ったからこそ、ヒロノはそれを受け入れた。本当にそんなことをする必要はなかったというのに。自分だけが追い詰められればすべて丸く収まると信じ込んで。

『だから』

 そのあり方を否定する人間はいなかった。ヒロノの表面しか見ず、内面まで見られなかったがゆえに。彼女が死にたくなるほど追い詰められていても気づかなかったのだ。見て見ぬふりをしていたわけではない。ただ、ヒロノも自身の内面に踏み込ませなかった。それだけで起きたただの滑稽な一人芝居。

『だから……っ!』

 故に。

 

『……っ、わたしなんて、いらないんだよ』

 

 その言葉は。

 

「下らんな」

 

 たった一人、彼女の内面をすべて理解しきった少女に粉砕された。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

(実に下らん)

 内心で吐き捨てた万十夏は、殺気さえも漂わせながら告げる。

「お前がいらない、だと? ならば私はどうなる。他ならぬお前がそう言うのなら、お前にしか『ここにいて良い』と言われていない私も必要ないな?」

 その言葉に、ヒロノは息を呑んだ。そんなことはあり得ない。万十夏が必要のない存在であるなど、どんな悪夢だと言うのか。

(なに、いって……っ)

『そんなこと――』

「お前の理屈ではそうなるだろうが。私の価値? どこにあったそんなもの。ただの実験動物だった私のどこに、価値などというものがあった!」

(あるわけがないだろうが!)

 その言葉に、ヒロノは即答してみせた。

『価値ならあるよ! 万十夏がいなかったら、救われなかったヒトがいるんだよ!』

(わたしがいなくても出会えた、『サイレント・ゼフィルス』のコアとか……!)

 それは事実だ。だが、万十夏にはそれが誰であるのかわからない。救った覚えがないからだ。それは確かに感情を持っていて、しかしながら人間の形をしていない。元『サイレント・ゼフィルス』、現『トワイライト・イリュージョン』のコアだ。

 故にその救いをもたらしたことを否定できる。

「知らんな。だが簪、お前がいなければ私は救われなかった。違うか?」

 その返答に、更にヒロノは否定を重ねる。

『そんなことないよ。助けようとしたのは姉さん達で、実際に助けたのは『亡国機業』なんでしょ? それはわたしじゃない』

「そんな肉体的なことを言っているわけではない。精神的に救ってくれたのはお前だ。あの喰えない猫でもおっさんでも、ましてやスコール達でもないんだ」

(お前がいなければ、私はもっとひねくれたままだったんだ……)

 それもまた事実だった。毎日非道な人体実験を行使されていた万十夏にとって、心の支えとなった簪は救世主にも等しかった。自身も同じような仕打ちを受けていながら、ひたすらに万十夏を案じる簪はある意味壊れていたのだろう。それでも万十夏はそれにすがってギリギリの精神状態で生き延びたのだ。

 ただの記号でしかなかった無数の『マドカ』から、彼女をただ一人の『万十夏』にしてくれたのは簪だ。幾度となく揺らいだ自分の存在意義を定め直してくれたのは簪だ。自分の身を捨ててまで実父と戦い、万十夏の居場所を確保しようとしたのも簪だ。簪の行き過ぎた自己保身から出た行動が、万十夏を救ったのだ。

(それを否定させるものか)

 その思いを胸に。

「お前なんだよ、簪。お前がいなければ、私はねえさんも織斑一夏も憎んだままだった。お前がいたから、私は今ここにこうしていられるんだ」

『そんなこと、ないよ。万十夏なら、どれだけ紆余曲折しても最後にはそうなれる』

(そうじゃなきゃ万十夏が救われないから)

 万十夏はついにヒロノを怯ませることができた。万十夏自身も中々にめちゃくちゃなことをいっている自覚はある。それでも。自身の誇りを曲げてまでも、万十夏は簪を救いたかった。

 だから更に言葉を繋いだ。

「そんなわけないだろう。私はな、簪。お前が思っているよりも臆病なんだ。自分の知らないものを知るのは途轍もなく怖い。特に人の感情を知るのはな。……それを、受け入れられるようになったのは、お前が私を肯定してくれたからなんだよ」

(それを否定させてなるものか)

『そんなの、万十夏が強くなっただけで、わたしは関係ないよ』

(だって万十夏が強くなっただけ。わたしが関係してるわけないもん)

 否定に次ぐ否定。それを否定し、万十夏は肯定に変えたかった。彼女が自身を貶める理由は何となくわかる。だが、そんなものが何だと言うのか。それがもしも理由なのだとすれば、万十夏はその理由ごと粉砕してみせる意気でいた。

 そしてそれを、ヒロノは信じてはいなかった。

『……何でそこまでわたしなんかにこだわるの? わたしなんていなくても万十夏なら生きていけるでしょ?』

(万十夏は強い子だから、わたしなんて枷は必要ない)

 そう思うからこそ、ヒロノは万十夏の言葉に硬直させられることになる。

「ハッ……そうかもな。だが、お前なしで生きてどうするんだ?」

『……えっ』

 沈黙。それはある意味愛の告白にも似ていた。あるいはそのものであったのかもしれない。勿論万十夏にはそのつもりなどなく、ただ仲間として見ているだけの発言だった。だが、周囲から見れば突っ込まざるを得ない。

 そこで今までシリアスな雰囲気に呑まれていたランネが突っ込んだ。

「ちょっ、今何て言った万十夏!?」

「私は簪なしでは生きたくないと言ったが?」

 どや顔でそう返答する万十夏。どうやら自分の言葉の大胆さに気づいていないらしい。それに対してヒロノは黙りこむしかなく、サラは呆れ、ランネは絶句した。

 故に言葉を吐けたのは本音だった。

「さ、流石に大胆だよぉ~……かんちゃん、おめでとう?」

(これは流石に……勝てないかもね)

 生暖かい目でヒロノを見つめてくる本音に、当人は至極微妙な顔をするしかない。

『……いやいやいや本音待とう? 万十夏は多分そんなつもりで言ってないというかそんなの万十夏に失礼だっていうかそもそもわたしに告白しても万十夏に何の得もないというかあうあう』

「……コクハク? kokuhaku? こここ告白……いやあの、私もそんなつもりはないというかその、ええっとだな」

 一気に空気がぶち壊され、張り詰めていた空気は弛緩した。ヒロノですら笑いをこらえているほどだ。無論それは狙ってやったことではないにしろチャンスだった。

 そのチャンスを逃す本音ではない。

「とにかく~、戻っておいでよかんちゃ~ん。価値なんて後からついてくるよ~」

 それは本音の本意ではなかったが、それでも戻ってきてもらわなくては彼女が困るのだ。生まれる前から死んだあとまで、布仏本音は更識簪の従者なのだと叩き込まれてきているのだから。彼女もまた、それ以外の生き方を知らない。

 それにランネが便乗する。

「そうよ。今、アタシ達にはアンタの戦力が必要なの。今すぐに動けるのはアンタしかいないのよ」

 ランネは敢えてそれ以外に価値はないような言い方をした。ここでそれ以外を求めれば恐らく簪は戻ってこないと直感したからだ。まずは最低限から。そこから徐々に認めさせていけば良いと、ランネは思っている。

 そしてサラもそれに追従した。

「……ま、確かにいなけりゃどうとでもするけど、いた方が助かるわよね」

 サラとしては簪の在り方は気に食わないものではあるのだが、『ゴーレム』の群れがもう一度攻めてくる可能性がある以上簪には起きていてもらった方が楽だ。彼女単独でも倒せないことはないが、辛いものがあるのだから。

 それらすべてをまとめ、端的に万十夏は告げた。

「とにかく、一回起きろ。話はそれからだ」

 そこまでお膳立てされて。ようやく、ヒロノは起きることを選択することにした。耐えられなくなったならまた逃げれば良いのだ。今度は二度と誰も手の届かない所へと。

 その覚悟を決めるのに、ヒロノは問うた。

『……本当に、良いの?』

 その言葉を否定するものはいない。故に、ヒロノは起きることを選んだ。



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世界を分かつ。貴方よ私となれ。

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 とっても一途さん(なお狂気)


 ふと、一夏は誰かに呼ばれた気がして顔をあげた。周囲を見回すが、隣にいるスズネが彼を呼んだわけではなさそうだ。彼女もまた周囲を見回していたというのもあるが、一夏が彼女の声を聞き間違えることはない。

 故に彼は問うた。

「鈴……何か聞こえなかったか?」

「……一夏にも聞こえたのね?」

(じゃあ、聞き間違いなんかじゃないわね)

 スズネにもその声は聞こえていたらしい。自らを呼ぶその声が。感覚としてはプライベート・チャネルに近い。その声を手繰り寄せるように耳を澄ませて。

 そして――

 

『私を――助けて』

 

 確かに聞こえたその声が誰のものかも知らないで、彼らはISを纏い飛び出した。彼らの常識に当てはめれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()助けに行かないという選択肢はなかったのだ。一夏には箒の声に、スズネにはランネの声に聞こえていたその声の主は、勿論その二人ではない。

 一夏とスズネがIS学園に突入し、一番に出会ったのはクーリェだった。

「……一夏、スズネ」

「クーリェ!?」

 その呼び声にクーリェは微かな笑みを浮かべてみせた。普段の彼女であれば絶対にあり得ないことだ。だが、焦る二人はそれに気づかない。彼女が本当に味方であることを疑っていないがゆえに、彼らはクーリェに誘導される。

 目だけは真摯に彼らを射抜き、クーリェは告げる。

「楯無なら……大丈夫。ね、ルーちゃん。だから、地下に向かって。そっちの方が、危ないから……」

(むしろ、行ってくれないと……クーが困る)

 その言葉に快諾し、一夏とスズネは立ち入り禁止の地下区画へと向かった。ヴィシュヌからの困り果てたプライベート・チャネルも届いていたからだ。

『反応途絶……突破口があちらから指示されているなんて罠でしかないとは思うのですが……待つしかないのでしょうか、織斑さんを』

「ギャラクシー!」

『ふえっ……!? 織斑さん!? 良かった、今すぐ指示通りの道順でこちらへいらしてください!』

 その指示にしたがってたどり着いた先で、一夏とスズネは電脳ダイブを敢行することになる。彼らは気が急くあまり、情報の交換をしなかったのだ。故にそれが罠であることに気づけない。

 それを望んだ者は、面白いように踊らされる彼らを見て笑った。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 ――渇望を見た。彼の子と共に、三人で暮らす未来を。彼と笑い合い、何者にも脅かされない未来を。それは彼女にとって何よりも求めてやまないもので、そう在れることを望んで生きてきた。

 そして幸せな日々に違和感を抱くこともなく。ただ漫然と日々を貪って。彼女は彼のために、彼は彼女のために生きる。

(それで良いのよ。織斑スズネに……ううん、織斑鈴になって、一夏のお嫁さんになって、名前もつけさせてもらえなかった息子(一音(かずと))の母親になって、それだけで良いの……)

 怖いものしかなかった。全てを崩壊させるかもしれない周囲がただ怖かった。

 

 それでも――彼女は確かに幸せだった。

 

『ワールド・パージ完了。パーツ《鈴音》ゲット』

 

『最後のパーツをインストールします』

 

 ――ザザ――

 

『何も見えない!? どうして……』

 

 ――何だ――ザザザザ――

 

『もう一度、もう一度よ!』

 

 ――皆は――ザザザザザザ――ここにいるんだな――

 

『何で、どうして効いていないの!? ワールド・パージはどうしたのよ!?』

 

 ――なら俺は――ザザザザザザザザ――俺に出来ることを――ザザザザザザザザザザ――するだけだっ! ――

 

『ザザ《ザザ凪ザザ夜》ザザザザザザザザ――発動』

 

『ワールド・パージ初期化。プログラム強制終了。初期化プログラムの走査を確認。早急に退避を推奨します』

 

『危険』

 

『危険』

 

『危険』

 

『――渡さない。誰にも私の主は渡さないんだから。たとえ貴女が母であっても――渡したくない』

 

『彼を渡すくらいなら、みぃんな殺してやるんだから』

 

 狂気に満ちた、その声が。聞こえた者はいなかった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 倒れ伏す楯無を、クーリェは冷たい目で見下ろしていた。彼女にとって楯無は庇護者である。しかし、戦いを望まない自身を無理矢理ここまで連れてきた一味でもあるのだ。『ルーちゃん』の言うには、クーリェにとって『害悪』なモノ。

(だから、これで良いんだよね、ルーちゃん)

『そうよ、これで良いの。クーは正しいことをしたのよ。偉い子ね、クー』

 心の支えになっている『ルーちゃん』から誉められたことでクーリェの頬が緩む。周囲の状況も相まって、それはひどく狂気に満ちていた。天井にまで返り血の飛び散った血塗れの廊下。そこで微笑む、返り血を滴るほどに浴びた少女。倒れ伏す庇護者であるはずの楯無。

 この場で無傷な者は、クーリェしか存在しなかった。

(大丈夫。クー、頑張るよ。ルーちゃんのためだもん。ルーちゃんはクーを守ってくれたもんね)

『そうね。クーは私のもので、私はクーのものよ。裏切るなんて許さない』

「裏切らないよ。当然……ルーちゃんのこと、信じてるもん」

 その独白は辛うじて楯無に届き。しかしながら彼女はそれに反応することはできなかった。後遺症は残らないと分かっていても、射たれた薬はすぐには抜けないのだ。

(クーリェ、ちゃん……ッ!)

 それでも彼女に手を伸ばそうともがいて、それを本人に蹴り飛ばされる。

「ガッ……あ、あ」

「ダメだよ。楯無は寝てなくちゃ。ルーちゃんの邪魔だもん」

 蹴り飛ばされた楯無には、無邪気にそう言うクーリェが何かに乗っ取られているようにしか見えない。その正体こそが『ルーちゃん』であると、楯無は既に確信していた。

(まずい、わね……っ、クーリェちゃんを、早く、何とかしないと……っ!)

 焦燥に駆られながら、クーリェの様子を見守ることしかできない。そんな状況が打破されるのは――

 

『えっ……ザザ、ぎ、がぁ……っ、あ――ザザザザザ――ザザザザザザザザザ』

 

「……ルー、ちゃん?」

 

 大きく目を見開いたクーリェが硬直したからだった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 ヒーローはヒロインを救う。そして悪を討つ。それは古来から決まりきったお約束である。悪を討つためならば――敵を無慈悲に葬り去ることすらヒーローには赦されるのだ。

 故に。ラウラを、シャルロットを、セシリアを、グリフィンを、そしてスズネを囚われの身にした人物は葬り去られて然るべきなのだろう。少なくとも一夏にとっては。

 だが、葬られる側としては不本意だろう。特に彼女は――『ワールド・パージ』によって集められた情報を集積し、『織斑一夏に恋する理想の女性』になろうとしたアルコナにとっては。

 アルコナはクーリェと出会ったときに悲痛な叫びを聞いた。それがクーリェと関われる中で一番の願いであったから、アルコナはそれを叶えようとしたのだ。

 『誰かクーを愛して欲しい』という願い。それを叶えるためには、クーリェ自身の高すぎるIS適正を気にしないでいられる男性が必要だった。そして現状、それを叶えられるのは一夏だけだったということだ。

 故に束によるクロエのおつかいに便乗させてもらった。束にまだ二次移行も果たしていないコアから積極的に接触を図られたことに興味を持ってもらえなければ、この願いは叶えられなかったのだから。

 結果は上々、となるはずだったのだが――まさか一夏に邪魔をされるとは思ってもみなかった。おかげでアルコナの意思が希薄になるまでワンオフ・アビリティで叩き潰されてしまった。クーリェとコンタクトが取れなくなるくらいに。

『……っ、クーリェ、待っていて。すぐに戻るから――!』

 外部から聞こえる悲痛なクーリェの叫びにそう返しても聞こえていないだろう。それでも声をかけ続けるのはアルコナがクーリェを気に入っているからだ。

 アルコナの声は届かぬままで。それに焦るアルコナにつけ入るものが出現するまであと少し。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

『ワールド・パージ』事件報告書

 作成者:山田真耶

 

 学園にクラッキングを仕掛け、特殊部隊が侵入せしめた今回の事件は三点の問題を残した。一組専用機持ち達の暴走、クーリェ・ルククシェフカの錯乱、更識楯無の重体。

 一点目についてはいつものことだが、いずれ処罰の必要があると思われる。一般生徒の安全の確保のため、専用機持ちのみのクラスを作ることも検討する必要もある。

 二点目。ルククシェフカは錯乱の上、自室に閉じ籠った。同室のレッドラムは事実上の閉め出しとなり、現状別室で寝泊まりしている。更識楯無によると『ルーちゃん』とやらの洗脳を受けている可能性あり。

 三点目。更識楯無はアメリカの特殊部隊による襲撃で全員を返り討ちにしたものの重症を負った。そのため、学園が日本政府から借り受けている対暗部用暗部が機能しなくなっている。

 いずれにしても早急な対応が求められる。幸い、更識楯無は昏睡状態であるわけではないので今後の対応を協議していく必要があるだろう。

 また、今回の事件の終末と同時に利点もあった。先日多数の無人機を一人で駆逐した更識簪の覚醒である。今でははっきりと受け答えができるようになり、今までは距離をおいていた人物たちへも徐々に積極的になっている様子が見受けられる。

 この更識簪の覚醒を受け、(元織斑)鎬万十夏もこちら側の有力な戦力となることが確定した。鎬空音もそれに従うこととなり、学園側は更識簪に当主代行を依頼することも検討している。

 今回の事件の犯人もまた明らかにならなかった。早急に対策を練るべきだろう。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

「……こんな、ものですかね」

 そう言って真耶は首を鳴らした。書き上げた報告書は学園長に渡すことになっている。これを見て彼がどう判断するのか、真耶は不安だった。

(こうしてみれば更識簪さん達だけ、なんですよね。今普通に作戦行動がとれるのは)

 一夏達一組の専用機持ち達とヴィシュヌはもれなくISのメンテナンスが必要になったため、しばらく動けない。作戦に参加していない人物たちももちろん頼れない。頼みの綱の楯無は重傷で、クーリェは引きこもった。

「今何かあったら不味いのに……こんな時期に限って修学旅行だなんてどうすれば良いんですかぁ……」

 その真耶の嘆きは、誰にも届くことはなかった。




 『スヴェントヴィト』はスラブの神の名前。コアの名前はその神殿がある『アルコナ』から。ぶっちゃけ『ルーちゃん』に該当しそうな名前が思い付かなくて『スヴェントヴィト』をググったら出てきたからこの名前にしました。


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第八章 まだ必要なのだと言ってくれるからここにいる。
運動会。それははじめて無事に?


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 あい、運動会編で。


 重症を負った楯無は、迫り来る修学旅行にやきもきしていた。自身が警護につかなくてはならないのに、今のままではままならないからだ。故に彼女が行うことはといえば修学旅行の延期である。

 学生の一大イベントともいえる修学旅行を延期するにはどうすればいいか。答えは簡単だった。それに匹敵するだけの価値があるイベントを開催すればいいのだから。

 すなわち――

 

「二週間後、全学年対抗織斑一夏争奪大運動会を開催するわ!」

 

 一夏を利用するだけで生徒達の食い付きが違うと理解した上での苦肉の策。しかし、生徒達は楯無の想定以上に食いついたのである。もはや誰が止めようが中止にはならないほどに。それは的確すぎる時間稼ぎだった。

 それに頭を抱える教師たち。だが、楯無の言葉を止める術も彼女らにはないのだ。たとえ楯無が優勝の景品として『織斑一夏と同クラスになれてかつ同室で暮らせる権利』をぶちあげたのだとしても。重傷の楯無にかわって対応を余儀なくされている教師たちは、連日の事件の後始末に逐われっぱなしなのだから。

 その日のうちに貼り出されたルールは、毎日を殺伐としたものに変えた。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 全学年対抗織斑一夏争奪大運動会(以下全夏会)のルール

 

 リーダーはランダムに選ばれた以下の9名である。

 

 夜竹さゆか

 黛薫子

 ロランツィーネ・ローランディフィルネィ

 更識簪

 布仏スズネ

 サラ・ウェルキン

 フォルテ・サファイア

 ダリル・ケイシー

 グリフィン・レッドラム

 

 リーダーであることの特権は『優勝すれば好きな人と同クラス、同室になれること』。その代わり、専用機持ちとのISを用いた戦闘を行う可能性がある。

 リーダーは自分から他人に譲り渡すことができる。また、同一人物には1日三回までISによる決闘を申し入れられる。その決闘に勝てばリーダーは自動的に勝者に移る。また、薬を盛る、脅迫等の手段を使った者は退学に処す。

 チームとしての優勝商品は『織斑一夏のボイス』『織斑一夏のブロマイド』『織斑千冬の一週間の指導』『食堂で一週間リクエストしたものを無料で食べられる権利』のいずれかひとつ。チーム間の移動は認められない。

 また、このチーム以外に裏方になることができる。ただし裏方になれば二度とチームには戻れず、チームの特権は受け取れない。その代わり『生徒会のお茶会(織斑一夏のアフタヌーンティー・セット)一回以上』『織斑一夏の1/16フィギュア』『訓練機の優先申請権(24時間分)』『食堂スイーツ無料券(五枚)』のいずれかを手に入れる権利を持つ。それとともに織斑一夏と運動会の準備に参加できる。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 これを見て、各々が動き出す。あるものはリーダーに挑み、あるものは裏方へ、あるものは遠い目をしながら。最終的には、いつもの面子がリーダーになっているのは言うまでもない。

 なお、主要人物の組分け及び裏方の編成は以下のようになった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 第一チーム『紅き大和撫子』

  リーダー:篠ノ之箒

   夜竹さゆか

 第二チーム『ブルー・ノーブル』

  リーダー:セシリア・オルコット

   布仏虚

 第三チーム『コスモス・フルール』

  リーダー:シャルロット・デュノア

 第四チーム『シュヴァルツェ・シュヴェルト』

  リーダー:ラウラ・ボーデヴィッヒ

   オニール・コメット、ファニール・コメット

 第五チーム『ロンフー』

  リーダー:布仏スズネ

   鎬空音

 第六チーム『オーランディ』

  リーダー:ロランツィーネ・ローランディフィルネィ

 第七チーム『グレイシアス』

  リーダー:フォルテ・サファイア

 第八チーム『バーニング・フレイム』

  リーダー:ダリル・ケイシー

   布仏ランネ

 第九チーム『グリ姉と愉快な仲間たち』

  リーダー:グリフィン・レッドラム

   布仏本音

 裏方『おいこら専用機持ちィ!』

  更識楯無(実況)、織斑一夏(実況)、更識簪(設営)、鎬万十夏(設営)、ヴィシュヌ・イサ・ギャラクシー(設営)、黛薫子(カメラ)

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 実施する競技についても、かなりの話し合いが持たれた。施設の破損の影響で行えなかった専用機持ちタッグマッチも行わなくてはならない。故に1日のスケジュールがかなりタイトになってしまうのも無理はなかった。

 しかし、生徒たちは何ら文句を吐くことはなかった。それだけ商品が魅力的だったからだ。そうやって無理は押し通され、外面だけを取り繕ったイベントが行われる。

 いつもならば邪魔の入るイベントなのだが、今回に限っては無事に行われることになる。その理由を知るものは、そこにはいなかった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 全夏会プログラム

 

1.選手入場(9チーム行進)

2.開会式(選手宣誓:織斑一夏)

3.IS体操

4.選手退場(テント下へと移動)

5.徒競走(専用機持ち以外、一位5点、二位3点、三位1点)

6.ISレース(妨害なし、一位10点、二位5点、三位3点。誰かを妨害したと見なされた時点で失格)

(昼休憩、応援合戦:審査員の採点で最大20点)

7.玉入れ(専用機持ち以外、順位に関係なく入った数÷5点)

8.玉撃ち(的大5点、中10点、小15点、極小20点。他者に危害を加えた時点で失格)

9.綱引き(勝ったチームに10点)

10.訓練機バトルロワイヤル(勝ち残った生徒の所属するチームに30点)

11.障害物&借り物競争(専用機持ちのみ、一位10点、二位5点、三位3点)

12.IS騎馬戦(勝ち残った生徒の所属するチームに30点)

13.各クラス担任によるエキシビション・マッチ(なお一年一組は織斑千冬ではなく山田真耶が出場。各クラス担任は当日抽選で選ばれたチームに所属し、生き残った時間が長い順に一位10点,二位5点,三位3点)

14.結果発表

15.閉会式

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 これらを見て、チームのリーダーたちは動き始める。全ては自らの願いを叶えるために。そして――その願いを、壊させないために。

 頭がお花畑のままの箒は。

「ふふ、あの日の楽園をもう一度……そうすれば一夏もきっと私の魅力に気付くだろう!」

 そういって自信満々に豊満な胸を張り。その願いが叶うことなどないと知らぬままに夢を見る。

 妄想暴走中のセシリアは。

「うふ、うふふふふふ……やん、一夏さんってば……そこはお尻でしてよ?」

 『ワールド・パージ』のときの妄想の続きをやんやんと首を振りながら繰り返し。その妄想が現実にはなることはないも知らないままで耽る。

 それとは対照的に現実を見ているつもりのシャルロットは。

「……僕といた方が一夏のためなんだ。うん、そうだよね、一夏?」

 いまだに納得しきれていない自身にそう言い聞かせ。一夏のためという免罪符をもとにどこまでも落ちていく。

 どんなときでも冷静なはずの軍人ラウラは。

「こ、これで名実ともに嫁と同居……!?」

 まさかのピンク色の妄想にとりつかれ、あり得ないことだと知りながらも望みを捨てきれなくなっていく。

 そんな周囲の熱狂ぶりに慌てるスズネ。

「ぜ、絶対誰にも渡さないわよ、あたしの一夏……!」

 誰にも知られていないアドバンテージがスズネにはある。いまだ会わせてもらってもいない自らの息子だ。その父親を誰かに渡すわけにはいかない。

 思い詰めるスズネの隣で、何を考えているのか分からないロランツィーネは。

「フッ……やれやれ、生徒会長も粋なことをする」

 気障に振る舞い、自身の本心を悟らせない。その目的がすでに形骸化していることを本人だけが知らない。

 そして追い詰められているフォルテは。

「これで……これで、先輩と……!」

 自身と同室になれるという大義名分をもってダリルを学園に繋ぎ止めようとする。そうしなければ、ダリルは去っていってしまうから。

 そんなフォルテを一顧だにしないダリルは。

「正気か? まあ、オレはオレのやるべきことをやるだけだけどな」

 『誰でも』という文言を悪用して『機業』からのスパイを連れ込もうとしている。そうしなければ、フォルテを守れないから。

 そして誰よりも明後日の方向に闘志を燃やすグリフィンは。

「これって誰と同室になっても良いんだよね? なら……うん、負けられない、かな」

 孤児院の子供達全てを呼び寄せるつもりでいた。そうしなければ、誰に利用されて使い潰されるかわかったものではないのだから。

 そうやってチームリーダーが闘志を燃やしているのを、簪は冷ややかに見つめるのだ。いつものように、淡々と。

(また波乱の予感しかしないじゃないのやだー)

 やっと昏睡状態から覚めたにも関わらず、前と同じように嘆息する。それでもなお変わったところは――

「で、本当に良かったの? 万十夏」

「何がだ?」

「いやその、万十夏ならリーダーも楽勝で取れるじゃない。優勝商品ってそんなに魅力なかった?」

 中途半端な敬語が消え去ったところだ。万十夏はその変化を内心嬉しく思いながら返答した。

「必要ない。別に今の部屋割りには文句はないし、チームの特権とやらも大半が必要ないな。別に私はねえさんとは違ってブラコンじゃない」

「ふーん……」

「それよりも、お前はどうなんだ簪」

 どうとは、などと簪は問うたりはしなかった。ただ、万十夏がブラコンでなかろうがシスコンであることは確定していることを指摘することもなかった。

 そして、万十夏の問いにはこう答える。

「わたしも別に今の部屋割りには何もいうことはないし……魅力的だったのがスイーツだけだったから。織斑一夏さんのグッズはいらないかなぁ」

(転売してもいいけど、そんなことして織斑千冬に睨まれたくないしね)

 それを聞いて万十夏は内心でガッツポーズをとった。それが簪なりの許可だと分かっていたからだ。何せ、昏睡状態から帰ってきてからの簪には万十夏というルームメイトが出来たのだから。その生活に文句がないというのは素直に嬉しかった。

 それを押し隠しながら万十夏が問う。

「むしろそれで士気が上がるとかここの生徒は大丈夫なのか?」

「まあそこは女尊男卑の弊害じゃない? IS乗れる女って強い→じゃあそんな女にはIS乗れる男がふさわしい、みたいな」

 簪も自分で言ってから『あり得ない話ではない

』と気づき、笑い話にもならなかったのはいうまでもない。

 そして、さまざまな思惑渦巻く全夏会が始まる――




 こっから簪の口調が丁寧語→ノーマル女子に。


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恋する乙女達。噛み合わない姉妹。

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 ひっさびさの普通の楯無と簪との会話。とはいえ残念ながら簪の最高の理解者は万十夏という。


 楯無によって割り振られたチーム分けは、これ以上なく生徒達の性格を鑑みたものであった。才能の無駄遣いではあるが、せめて楽しめるよう考えた結果なのだ。それを責められる人物達はいない。

 というよりも、昨今のイベント事情を省みればわかる。普通に物騒にはならなさそうなこのイベントこそ力をいれるべきなのだと。一般生徒達も、外部からの人間がいるときのイベントの中止率に苛立っていたのだ。

 そうして異様な熱気を孕みつつ、準備に励む。負けられない女の戦いがそこにはあったのだ。勿論それに加わらないやる気のないもの達もいるのだが、それはそれ。今ここに乙女達の聖戦は発動されたのだ。

 なお、サラに関しては『メイルシュトローム』関連でイギリスに戻らなければならなくなり、ティナに関しても何らかの作戦に駆り出されて出られなくなったことをここに明記しておく。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

「選手宣誓! 俺達は、正々堂々と戦うことを誓います!」

 

 その一夏の声に皆は歓声をあげた。いよいよ一夏の争奪戦が始まる、という気合いの声でもあるが、それだけではなかった。全夏会の開催が決まってから一夏はずっとボイストレーニングを課せられていたのである。報酬用に準備されたボイスを集めるためだ。おかげでいつもよりも張りのある声が出たのだ。

 そこから始まるIS体操の掛け声も、勿論一夏がやらされて録音されたバージョンを持っている生徒がいたりする。なお、これまでIS体操などという珍妙な準備体操は存在しなかったことをここに明記しておく。

 ただ、今は生掛け声をやらねばならない。

「あっ、IS体操第一ーっ!」

 始まる軽快な音楽はしかし、日本人ならよく知るあの『ラジオ体操』ではなかった。所々にIS学園クオリティの混ぜ込まれた楯無オリジナルの一曲だ。なおそれを演奏させられたのは裏方の生徒達だった。

 一夏の声で『展開された『打鉄』に乗り込むようにいっ! はいいっちに、いっちに!』などとやられては平静を保つことすら難しかったが、パソコンの作曲ソフトを弄らされ続けた簪は慣れた。なお動作的にはエア踏み台昇降である。何の運動なのかいまいち分かりづらかった。

 なお、別の準備に追われていた万十夏はというと。

「ぶっふ……くくっ、か、簪ぃ……こ、の、『打鉄』に乗り込む運動とぉ……っ、『ラファール』に乗り込む運動との違いって何なんだ……っ!」

(そこを分ける必要が一体どこにあるというんだ!)

 口を押さえ、肩を震わせながらその滑稽な声に突っ込みをいれていた。それに簪が遠い目で答える。

「些細な位置取りの違いだよ。まあその……姉が何を考えてるのかは知らないんだけど……というか知りたくない」

(知ったところでろくでもない理由に決まってるし……)

「あん、簪ちゃんってばつめたーい☆」

 目を逸らした先でバッチリ目があってしまった楯無にそう言われるが、簪には本当にどうでも良いことだったので適当に流すことにする。

 ちょうど視線の先に『『打鉄』の《葵》を振るうようにぃぃっ!』という一夏の掛け声と共に闘志を燃やしながら腕を振るフォルテが見えたので、簪は彼女を引き合いに出す。

「……あそこにサファイア先輩がいますね、姉。抱き付いてくれば物理的に冷凍してくれますよ」

「あら、それはおねーちゃんを買いかぶり過ぎよ、簪ちゃん。フォルテちゃんなら完封できるわ――何があっても、ね」

 最後だけは低い声でそう告げた。それは隣に一夏がいないからこそできる会話だ。それが分かっているからこそ、今のうちに簪も楯無に伝えておくのである。

「何があっても、ねぇ……二人揃って無敵のイージスとかやられても安心して。万十夏なら勝てるから」

 その思いっきり他力本願な返答に楯無は突っ込んだ。

「いや、そこは『わたしがいるから』じゃないの!?」

「忘れてない? 姉。というかもしかして気付いてない……?」

 簪はそういって楯無を見つめた。楯無はきょとんとしているだけで、簪の言葉の意味が理解できていないようだ。勿論言葉足らず過ぎるその問いの意味を楯無が理解できないのは当然なのだが、簪フリークの万十夏には分かってしまった。

 それをギリギリまで抑えた声で楯無に伝える。

「要は武装はボロボロにできても人間には武器を向けられないんだろう? 鮫ならともかく」

「うえ、はっきり言葉にしないで……というか鮫は思い出させないでくれない?」

(あのときは無我夢中だったけど、結構派手にやらかしちゃったのは自覚してるからさぁ……)

 その簪の返答はふざけているようで、万十夏の言葉を全く否定していないことに楯無は気づいた。それで妙に納得できたのだ。あの時――万十夏を認めさせるため、といいながら簪が狙ったのは確かに楯無の武装だけだったのだから。

 そのことに一切気づいていなかった楯無は愕然としながら問うた。

「それ、いつから?」

「……最初から。でも、父さん……先代の腕を使えなくしたあとは完全にダメになって、そこから何とか武装だけは狙えるように頑張ったよ」

(まあ、焼石なんだけどね。武器は構えられるようにはなったってだけだし、荷電粒子砲は絶対に人体の部分には向けないし)

 その事実を、楯無は受け入れられなかった。確かに簪には暗部に関わってほしくないとは思っている。それでも今が苦しいのは確かで。学園から簪に対する当主代行の依頼を楯無の一存で撥ね付けたのは間違いだったのではと思っていたほどだ。かつて寄せ付けないように拒絶したはずの簪を巻き込まなければならないほどに状況は緊迫してきている。

 簪の告白に対し、楯無はぎこちなく笑いながら返答した。

「そうだったの……」

「まあ、暗部には関われないだろうっていうのは最初から分かってたようなものだしね……っと、準備体操が終わったみたいだから競技の準備にかかるよ」

 軽く楯無に手を振った簪は、万十夏と連れだって徒競走用の順位の旗とゴールテープを用意した。

(というか、気付いてなかったんだね、やっぱり……はぁ)

 現実逃避ぎみにそう考えながら、迅速な準備を心掛ける。その裏には勿論一夏との接触を避けたい意思が見え隠れしていた。楯無とは会話してもまだ耐えられるが、同じく実況の一夏とは会話が成立しないのだ。主に簪に言葉が足りないせいだが、一夏も一夏で思い込みが激しいのである。

 そんなことを考えながら、無駄に高性能な計測器の記録を整理していく。360人のうち、専用機持ちが16人。裏方に回った一般生徒が20人で、それらを引いた324人が9チームに分かれている。なお、チーム間の移動はなしなのでひときわ少なくなったチームがありそうなものだがそれはそれ。楯無が指示をして裏工作を行い、人数が均等になるように裏方へと誘導したのだ。

 そして徒競走は始まり、終わった。出場者数は9チーム20レースの180人。一時間近くかかった競技を終えた後はISレースだ。専用機持ちが複数人いるチームは一人(コメット姉妹は一組だが)を選んで出場することになっている。今回はリーダーのみの出場のようだ。

 計器類を弄りながら、簪は周囲の声をBGMがわりに聞き流そうとする。

「負けないわよ……絶対に!」

「あら、スズネさん。大人しいふりはもうなさらなくてよろしいのかしら?」

「……アンタにだけは言われたくないわよ、セシリア。何があってもアンタにだけは一夏は渡さないから」

 聞き流せなかった。セシリアとスズネの会話だ。なおこの会話は会場内に流れているので思い切り身バレしていることを追記しておく。なお、スズネがそれに気づくのは全夏会が終わって『更識』にそれを指摘されたときだった。

 簪はこの発言が生む波紋に内心で頭を抱えながら調整を終え、楯無に合図を送った。

『さーて皆さんお待ちかね、専用機持ちレース開催よ! はい位置についてー、よーいどん!』

「流石に唐突すぎるよ……やれやれ」

 簪の合図の瞬間に始まったレースに、数秒とはいえ乗り遅れたロランツィーネが最下位だ。それとは対照的にフライングギリギリで飛び出したスズネがトップである。

 とはいえ、このレースは妨害不可なので純粋に速度とコーナリングだけを見る競技である。スズネの専用機が『打鉄カスタム』になった以上は勝てるはずのない競技だった。たとえその『打鉄カスタム』が機動性重視であってもだ。

 それでもその事実を見て声をかける者がいる。

『負けるな鈴、頑張れ!』

『――っ、勿論よ!』

(一夏……!)

 セカンド幼馴染みから発された、打てば響くその返事に一夏は笑顔を見せる。それはいくつもの感情を専用機持ち達に抱かせた。

 スズネに嫉妬を抱くセシリアや。

(ズルいですわ、スズネさん……!)

 一夏に対して自身を応援してほしいという期待を裏切られたことによる恨みを抱くラウラとシャルロット。

(良い度胸だ、嫁のくせに私を応援しないとはな……!)

(僕、一夏のために頑張ってるんだけどなぁ……?)

 そして思考がブッ飛びすぎて最早殺害予告にしかならない箒。

(――全員斬る)

 などなど。後で一夏は刺されるかもしれないが、そのときはそのときである。なお楯無は一夏の隣という特等席にご機嫌だったのでスズネのことも微笑ましく見ていた。

 そしてもちろん、簪は――

「うわぁ……女心を理解してなさすぎて凄いことになってる……」

(むしろ気付こうよ……)

 ドン引いていた。あれほどまでの妬みの視線で穴が開かないだろうかとも思えるほどの圧力を、一夏が平然と流していることに。

 しかし、そこに万十夏が突っ込みをいれた。

「ん? いや、あれはあれが限界だろう。これで他の奴を応援していてみろ、恐らくスズネが『潰れる』ぞ」

「……ホントに理解してやってると思う?」

「いや、本能的にやっているんだろう。自分がギリギリ死なない程度の振る舞いぐらいは出来るようになっているからな」

 呆れたようにそう吐き捨てる万十夏に、簪は何も言えなかった。万十夏は一夏が妬ましいのに、それを敢えて抉るような言葉になってしまったと気づいたからだ。

 その微妙な空気が打破されたのは、レースの結果が出たときだった。




得点表
 第一チーム『紅き大和撫子』:22点
  リーダー:篠ノ之箒
   夜竹さゆか
 第二チーム『ブルー・ノーブル』:25点
  リーダー:セシリア・オルコット
   布仏虚
 第三チーム『コスモス・フルール』:16点
  リーダー:シャルロット・デュノア
 第四チーム『シュヴァルツェ・シュヴェルト』:14点
  リーダー:ラウラ・ボーデヴィッヒ
   オニール・コメット、ファニール・コメット
 第五チーム『ロンフー』:21点
  リーダー:布仏スズネ
   鎬空音
 第六チーム『オーランディ』:21点
  リーダー:ロランツィーネ・ローランディフィルネィ
 第七チーム『グレイシアス』:30点
  リーダー:フォルテ・サファイア
 第八チーム『バーニング・フレイム』:8点
  リーダー:ダリル・ケイシー
   布仏ランネ
 第九チーム『グリ姉と愉快な仲間たち』:25点
  リーダー:グリフィン・レッドラム
   布仏本音


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恋する乙女達。貴方に愛を。

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 実際、一夏はルクーゼンブルクで千冬含めたハーレム作るしか生き延びられないと思うの。


 楯無の合図と共に始まったISレースは、妨害なしというルールのもと行われた。故にこそ機体の性能差というものが如実に現れる。そう、たとえば――

「いける……これなら、この『紅椿』ならっ!」

 束作の第四世代機なら。他を許さぬ加速度で一気にスズネを追い抜かし、トップに躍り出る。そしてそのままゴールした。必死に追いすがったスズネが他の第三世代機を抑えて二位だ。

 ならば三位は。

「いやー、流石に8点はないだろ。てなわけでテメェらはオレのケツでも追っかけてろ」

 なんの不運か、徒競走で平均20点弱取っている全9チームのうち、ダントツの最下位になってしまったダリルだ。彼女は誰にもマークされていないことを良いことに一気に他の専用機持ち達を抜き去ったのである。それでも三位だ。合計点でもまだまだ最下位である。

 その結果に内心焦りつつ、ダリルは観客に回った。次は応援合戦だ。勿論ダリルはそこには参加しない。してはいけないわけではないが、派手に皆が注目するだろうことは推測できていた。ならば彼女がすることは、今日のイベントに対する仕込みである。静かにその場から立ち去ったダリルに気付いたのは簪とフォルテだ。なお楯無は気付いていても位置的に追えなかった。

 フォルテがダリルに追い付くのを確認して簪は聞き耳をたてる。

「先輩……その」

「何だよフォルテ。もうサヨナラだって言ったろ?」

「……あれから、考えたっス。このままで良いのか、私はどうしたいのかって……」

 その空気に簪は不穏なものを感じ取ったが、今さら止められるわけもない。ついでに面倒な人物もフォルテの近くに潜んでいるようだった。見えたのだ。淡い金髪をリボンでまとめた女子生徒が。

 それすらも知らず、フォルテはダリルに告げた。

「……分かっちゃったんっスよ。私には、先輩以外いらないって。他の何と引き換えにしてでも、私は貴方の側にいたいっス」

 それは愛の告白だった。駆け落ちしてでも叶えたいほどの告白。それをただの脱走宣言になると覚悟していた簪は無防備に聞いてしまった。

 げんなりとしながら、それでも気配は殺したままで簪は心の中で吐き捨てる。

(いや、あの、うん、知ってたけど……通じるかはまあ別問題なんだよね)

 ダリルはそれを困惑したような顔で受けた。

「フォルテ、お前それは」

「突き放そうったってそうはいかないっスよ。先輩が何に苦しんでるのかは知らないっス。でも、でも……っ」

 次第にフォルテの声は涙で滲み、周囲を気にする余裕もなくなっているようだ。それを皆に知らしめようとするかのように、フォルテは大声で宣言した。

 

「私はどこまでもついていくっス、だから連れていって!」

 

 そして泣きじゃくるフォルテ。それを見てダリルは毒気を抜かれたようにキョトンとし、次いでため息をついた。

(やれやれ……焼きが回っちまったかね)

「あのなフォルテ――」

「絶対に置いていかせなんかしないっスからね! Θέλω να εισαι στη ζωή μου! (あなたと人生を共にしたいっス)Σ΄ αγαπώ.!(あなたを愛してるっス)

 唐突なギリシャ語にダリルは戸惑ったが、言わんとしていることはわかった。抱きつくその仕草と、体の熱さで。本当はダリルは誰もつれていく気はなかったのだ。

 だが、それでも。

「……It's not too bad with you(オマエと一緒ならまあ、悪くないか)

(一人は寂しい、もんなぁ……)

 その時点でダリルは決めていた。

「えっ……」

「よし決めた。後悔してももう遅いからな、フォルテ。……地獄まで付き合え」

「あ……」

 一拍。後にその言葉の意味を理解したフォルテは花咲くような笑顔を浮かべた。その道は茨の道だ。しかし、それを理解していてなおフォルテは笑ったのだ。

 もっともその笑顔はすぐに崩壊した。

「というわけだから殺すなよ? コルデー」

「こんなところでその呼び方しないで、レイン」

(なっ……Ζωή μου(私の命)に何いってるんっスかこの……!)

 愛するダリルと気安く話すシャルロットに鋭い目を向けるフォルテ。しかしシャルロットはそれを一瞥するだけで興味を抱くことはなかった。

 その代わり、ダリルに進捗状況を伝えた。

「こっちは問題ないよ。単純な子も引き込んだし」

「ひゅう、やるじゃねえか。こっちも準備は万端だぜ。……これが終わればそのISともおさらばだな」

「……そうだね」

 シャルロットは胸元の『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』を握りしめながら呟く。いつかそんな日が来ることくらいは分かっていた。『亡国機業』に取り込まれたデュノア社が開発した第三世代機に乗り換えなくてはならないことくらいは。それでも気が進まないのは確かだ。シャルロットにとって『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』は相棒なのだから。

(さよならは、寂しいけど……一夏のためだもんね)

 シャルロットは微かに震える手を誤魔化すように冷たく言う。

「じゃあ、手筈通りに。くれぐれもそのコイビトさんを裏切らせないようにね」

 そして踵を返し、応援合戦で盛り上がる会場へと戻っていった。そしてそこに残されるのは一組の恋人達。彼女らは邪魔が入らないことを良いことに昼休憩目一杯まで愛し合ったのだった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

「皆の健闘を讃え――エールを送る!」

 無難に応援合戦を始めた箒チーム。日本人の多いこのチームはかなり有利だ。何せ運動会というものを経験している生徒が多いのだから。運動会経験者の審査員達には至極受けがよかった。堂々の19点である。マイナスは楯無だ。色気を求めていたらしい。

 むしろその隣が酷かったともいう。

「……ダリルのチームは頑張りなさいとリーダーからのお達しです」

 で終わったのだ。読まされたのは虚。そして内容を指示したのはセシリアである。その指示内容は『その時点で一番負けているチームを応援なさい』だ。最早煽っているようにしか見えなかった。そして虚にも勝つ気がなかったのでこうなったのである。よってお情けの5点だ。

 そしてシャルロットのチームはフランス国歌を歌い、ラウラのチームはコメット姉妹を生かしての日本の流行歌の演奏。スズネのチームは彼女が日本に住んでいた経験から無難にチアリーディングを選んだ。それぞれ14点。

 圧巻だったのはロランツィーネのチームだ。彼女はオペラ形式で存分にその魅力を発揮したのである。しかし、数十分にも及ぶ長さだったため、減点されて16点だ。

 なお、フォルテ、ダリル、グリフィンのチームは当人が消えたので実施されなかった。もちろん三者には誤算だっただろうが、『リーダーがチアリーディングで応援する』と本部に通達した以上は本人がいない時点で棄権扱いである。ただしチームメイト達が可哀想だったので各3点が入れられた。

 そしてようやく波乱の昼休憩へと突入したのであった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 ダリル達への諜報活動から戻ってきた簪の前に現れたのは、万十夏のサンドイッチ系のランチボックスだった。しかも見た目が中々に豪快である。何故かクロワッサンに分厚いベーコンとレタスだけが挟まれたもの。そしてハンバーガーと、ポテトだった。

 それを見て簪は万十夏に問う。

「万十夏? 何かすっごいジャンクな感じなんだけど……」

 その微妙にひきつった顔を見て、自身の予測が当たっていると判断した万十夏は、どや顔でクロワッサンサンドイッチを差し出した。

「どうせお前のことだから昼食は抜く気だっただろう? 喰え。味は保証する……オルコットがな」

「何でそこでオルコット……?」

 それを受け取って落ちないように両手で持ち、齧り付きながら簪は疑問を溢す。万十夏が料理出来ること自体意外だったが、そこにまさかのメシマズ系ヒロインセシリアの名前が出てくるとは思わなかったのだ。

(美味しいけど胃もたれしそう……取り敢えずまあ変な味しないから良いかなぁ)

 などと思いながら簪はもきゅもきゅと食べ進め、一つを食べ終わる。そこに万十夏はすかさずアイスカフェラテを差し出し、それもやはり両手で持ってストローから中身を啜る様子を見守ろうとして簪に返答していないことを思い出した。

 自身もハンバーガーを手に取り、口に運んで返答する。

「いや何、ちょうど横でトムヤムクンを作っていたのでな。興味があったから味見会と洒落こんだわけだ。ククッ……」

「うわぁ、万十夏が悪い顔してるよぉ……」

「ん? 私は辛党だからな。あれを食べる愚弟の反応が楽しみだ」

(せいぜい悶え苦しむがいい!)

 実に悪い笑顔をしている万十夏に、その企みの結果が知れ渡るのはすぐだった。食堂の方から凄まじい悲鳴が聞こえたのだ。

 

「うっぎゃああああああああああああああああああっ!?」

 

 周囲は何事だと騒ぎ始めるが、それがセシリアの仕業だと知れるとすぐに鎮静化した。それほどまでにセシリアのメシマズ度合いは知られていたのである。近くにいた生徒からの報告で一夏の健康には何ら問題がないことが分かったのでなおさら誰も気にかけることはなくなっていく。

 そして簪もまた一夏には興味がなかった。

「それはそれとして、万十夏って料理出来たんだね」

(豪快にこう、肉切って焼いて終わりそうなのに)

 それに対して万十夏は鼻を鳴らす。

「こんなものは料理とも呼ばないと思うが……そうだな、スコールやオータムに比べればマシ程度だろう」

「えっ、オータムはともかくスコールって料理プロ級か一切しないかどっちかだと思ってるけど……」

 簪の答えは、しかし一切的を射てはいなかった。万十夏はかつて亡国機業にいた頃の残念な記憶を想起する。

(いや、あの見た目であれはないな……うん)

 そして遠い目で答えた。

「オータムは油に材料を叩き込めば何とかなると思ってる人種だ。スコールは……レーションか、外食だな」

「……いや待とう万十夏、レーションなの?」

「レーションだ。それも同じものばかり食べているな」

 そのあまりの答えに、簪は遠い目をするしかなかったのだった。




得点表
 第一チーム『紅き大和撫子』:51点
  リーダー:篠ノ之箒
   夜竹さゆか
 第二チーム『ブルー・ノーブル』:30点
  リーダー:セシリア・オルコット
   布仏虚
 第三チーム『コスモス・フルール』:30点
  リーダー:シャルロット・デュノア
 第四チーム『シュヴァルツェ・シュヴェルト』:28点
  リーダー:ラウラ・ボーデヴィッヒ
   オニール・コメット、ファニール・コメット
 第五チーム『ロンフー』:40点
  リーダー:布仏スズネ
   鎬空音
 第六チーム『オーランディ』:37点
  リーダー:ロランツィーネ・ローランディフィルネィ
 第七チーム『グレイシアス』:33点
  リーダー:フォルテ・サファイア
 第八チーム『バーニング・フレイム』:14点
  リーダー:ダリル・ケイシー
   布仏ランネ
 第九チーム『グリ姉と愉快な仲間たち』:28点
  リーダー:グリフィン・レッドラム
   布仏本音


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運動会。どこが間違ってそうなった。

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 間違いなく普通の学校に通ってなかった楯無のせいだよ。


 昼休憩も終わり、次は玉入れの時間だ。とはいえ一般生徒達に出来るのは一つでも多く玉を投げ入れることのみで。しかも点数が五分の一になるこの競技に熱を入れるものはいなかった。おかげで玉は宙を舞うものの殆ど入らず、各1点から3点しか入らないという振るわない成績に終わった。

 それとは打って変わって玉撃ちは盛大に点数が入ったと言えよう。何せ極小の的は20点。一番大きい的でも5点なのだ。専用機持ち達が張り切ったのは言うまでもない。

 そして。

「はい箒ちゃん失格ー」

「な、何故だ!?」

「巻き込んじゃダメって言ったでしょ、もう……そこで競技終了、降りてきなさい」

 張り切りすぎて周囲に被害を及ぼすのもまた様式美というべきか。失格にならなかったのは、最後まで着実に点数を稼いだダリルだった。そして一気にトップに躍り出たのである。ちなみに最下位は同点でセシリアのチームとロランツィーネのチームだ。

 当然、殆ど諦めかけていたダリルのチームは思わぬ奮闘に色めき立ち、次の綱引きでも気合いを入れすぎて圧勝。その他のチームを突き放していく。

 最下位と一位との差は40点ほど。それを埋めるのにちょうどいい競技が次の訓練機バトルロワイヤルである。参加人数はチームから3人の全27人。学園に所属している訓練機のうち、どの機体がどのチームに当たるかはくじで決まる。そして、そのくじのなかには外れも当然混ざっているのである。

 訓練機の内訳は『打鉄』9機、『ラファール・リヴァイヴ』6機、『テンペスタ』5機、『メイルシュトローム』2機。勿論外れとは『メイルシュトローム』である。サラのように『メイルシュトローム』で第三世代機を圧倒できる人材もいないわけではないが、その人物に『メイルシュトローム』が当たるかどうかはまた別の話だ。

 そしてそのバトルロワイヤルは、今まで殆ど目立たなかった生徒が勝利した。

「あれ? こんなつもりじゃなかったんだけどな……」

 全員が倒れ伏すなか、味方を囮に使うという中々に外道な戦法をとった生徒だ。当たった訓練機は『メイルシュトローム』。そして彼女が一番慣れている訓練機は『打鉄』である。慣れない機体に当たってしまったからこそ、彼女は闇討ち戦法を敢行した。

 『ラファール・リヴァイヴ』に撃たれる『打鉄』を追撃して戦闘不能に追い込む。『テンペスタ』にボコられる『ラファール・リヴァイヴ』を囮に、漁夫の利を狙う『打鉄』を射撃で仕留める。『打鉄』で『テンペスタ』を間合いから外して一方的に攻撃しているところを追撃して『テンペスタ』を沈める。そんなことを繰り返したのだ。なお、その女子生徒の搭乗していないもう一機の『メイルシュトローム』は開始一分で全員から蜂の巣にされた。

 勿論それを見た感想が個々人で違うのは当然のことで。

「あいつ……何か、釈然としないですね、楯無さん」

(もっとこう、正々堂々とやったやつが最後に立ってれば分かるんだけどな……)

 一夏がその戦法に眉を寄せるのは当然のことだった。彼も確かに卑怯な手を使わないわけではない。ただ、熱くなると相手から搦め手を使われるのは好みではないというだけだ。生来の単純さも合わさってそれが嫌悪に見えるのである。

 それに対し、その女子生徒の身内にあたる楯無はこう答えた。

「あら、空音ちゃんは確かに漁夫の利狙いだけど、『メイルシュトローム』に当たったことを考えればむしろ当然の戦法よ」

「そう……なんですか?」

(というか『メイルシュトローム』って……ゲームじゃ確かに使い辛かったけどそこまでか?)

 釈然としない様子でそう返答した一夏は覚えていなかったのだ。彼女こそ一夏の『姉』の一人。元『織斑マドカ』の一人で、今では『更識』に忠誠を誓う『鎬空音』を名乗る生徒だ。当然のことながら、ポテンシャルから違いすぎた。

 さらっと『メイルシュトローム』をディスった楯無はそれに猫のような笑みを浮かべて返答する。

「まあ、空音ちゃんに持たせちゃいけないのは『テンペスタ』だけどね。……まさか『メイルシュトローム』でも勝っちゃうなんて……」

「そんなに強いんですか、あいつ」

「……強いわよ? 織斑先生よりは弱いかもしれないけど」

 その言葉の中に『千冬にも勝てるかもしれない』という色を感じ取った一夏は眉を寄せた。一夏の中では千冬が絶対であり、一番の強者なのだ。そんな彼女があの陰湿な手を使う少女に負けるとは思いたくなかった。なお、千冬はごり押しだけで『世界最強』になったわけではない。

 その不満を感じ取って楯無は困ったように笑みを溢した。

(あれでも一応一夏君のお姉さんってことになってるんだけどなぁ……ままならないわね、ほんと)

「ま、それはそれとして、よ。次の競技はえーっと……」

「障害物&借り物競争って書いてますね。これ、何がどうなってるんですか?」

 一夏の不思議そうな顔を見て楯無はニヤリと笑った。その時点で一夏は嫌な予感しかしていない。勿論のことながら、楯無が羽目を外した結果である。他のものに紛れ込ませたおかげで実施にまでこぎ着けたこの競技は、一夏にとってどう影響を与えるのかを考えるだけで楽しかった。

 そしてチームのリーダーがスタートラインに並び、楯無は開始の声を放つ。

「はいじゃあ、よーいどん!」

 その声と同時に飛び出す一同。その先に置かれている箱の中から紙を一枚選び取り、その衣装名を宣言する。そしてそれに着替えての競争だ。勿論着替えスペースは設けてあり、その中で着替えるのである。楯無が準備したものは外れも含めて全てがコスプレ衣装であった。

 そしてまず一番にたどり着いたのはラウラだ。

「……? 何だこれは? 和風ロリータ(ミニ)?」

 その次が箒。

「執事だ」

 更に続いてダリルとフォルテ。

「スクール水着(S)? どういうことだ……?」

「楯無……っ、ロリータ(クラシック)っス!」

 それを追うようにグリフィンがたどり着き。

「メイドなんだ……」

 必死な顔でスズネが追い付いて。

「ちょっ、冗談じゃないわよ! 浴衣って、浴衣ってえええっ!」

 それに対するようにロランツィーネが優雅に紙を引く。

「……まあ、着るからには全力だけれどもね、生徒会長。ウエディングドレス(ミニ)だ」

 その宣言をしたロランツィーネを押し退け、セシリアとシャルロットが引いた。

「ば、バニーガール、ですの?」

「ま、魔法少女(黒い方)……?」

 そしてそれぞれが着替えスペースに入り、四苦八苦しながら着替える。一応は一人で着られるものだと楯無が判断したもののみがそこにあるのだが、それでも無理だというときのために配置されているのが簪である。彼女が外に出ても大丈夫だと判断しなければここで足止めを食うことになっていた。

 そして、一番に着替え終わったのはロランツィーネだった。何せファスナーを上げるだけだ。

「良いかい?」

「はいこのブーケ持ってね、花を一つでも落としたら拾うまで動けないし、持てなくなったらその場で30秒待機してからのスタートになるから」

「分かったよ」

(誉めてはくれないのか……)

 そして簪からブーケを持たされたロランツィーネは走り出す。ベールも短いので羞恥心を別にすれば走りやすいことは確かだ。

 もっとも、それはダリルにも言えることだ。何せスクール水着である。着るのは一瞬だった。

「で、オレも良いよな?」

「はい浮き輪ね」

(は?)

 空気抵抗の大きい浮き輪を持たされ、絶句するダリル。その横をスズネがすり抜けるように姿を見せた。

「着たわよ!」

 そんな気合い十分のスズネに簪が差し出すのは――

「はい金魚」

「ばっかじゃないの!?」

(動物愛護団体に訴えられなさいよ!)

 ビニール袋に入った金魚だった。しかしつべこべ言おうが聞き入れられないことを察した彼女は再起動したダリルと共に走り去る。

 そして次に滑り込んできたのは箒とシャルロットだ。

「はい、篠ノ之さんには紅茶ポットのせトレー。デュノアさんには魔法の杖ね」

「くっ……外れかっ……!」

「当たりだね、じゃ、お先」

(ちょっと邪魔だけど紅茶ポットよりはましだね!)

 歯噛みしながら両手でトレーを持ち、バランスを崩さないよう慎重に進む箒。それを横目に喜色満面で進もうとするシャルロットに簪はストップをかける。

「あ、デュノアさん、まだ着替え終わってないよ。そのリボンでツインテールしないと進めないからね」

「……あーもうっ!」

(そういうのは先に言ってよ!)

 苛立ちを抑えきれないままにヤケクソでツインテールを作ったシャルロットはようやく走り出した。それを見送って、振り返ればそこには団子状態でラウラ、フォルテ、グリフィンがやってくる。

「はいラウラさん番傘で、フォルテはフリル付の日傘。開いたまま走ってねー。で、グリフィンさんはモップで」

(くっ、空気抵抗が……っ!)

 差し出す簪に複雑な顔を向けながらそれを受け取り、その三者も走り出す。そして一人ぽつんと残されるセシリア。流石にバニーガールはセシリアにはキツかったようだ。

 顔を紅潮させ、震えながら簪を睨み付ける。

「……っ、チェンジを要求しますわ! こんな、こんな破廉恥な衣装……っ!」

 それに対して簪は楯無に合図を送る。衣装を着るのを渋ったときの緊急マニュアルだ。

 それを受けて楯無は一夏に声をかける。

『……ところで一夏君、セシリアちゃんにバニーガールって似合うと思う?』

『えっ、それは……その、に、似合うとは思いますけど……って何言わせるんですか楯無さん!』

 そしてこれがまた効果的なのである。声だけでも分かりやすいほど狼狽する一夏に、セシリアは自身を叱咤した。

(しっかりなさいまし、セシリア・オルコット! こ、こここここでバニーガールになれば一夏さんを喜ばせられるのですわ!)

 そしてその衣装を身に付け、トレーにカクテルグラスを乗せられてレースを再開する。そこには既に羞恥心など見受けられなかったのだった。




得点表
 第一チーム『紅き大和撫子』:77点
  リーダー:篠ノ之箒
   夜竹さゆか
 第二チーム『ブルー・ノーブル』:67点
  リーダー:セシリア・オルコット
   布仏虚
 第三チーム『コスモス・フルール』:81点
  リーダー:シャルロット・デュノア
 第四チーム『シュヴァルツェ・シュヴェルト』:75点
  リーダー:ラウラ・ボーデヴィッヒ
   オニール・コメット、ファニール・コメット
 第五チーム『ロンフー』:98点
  リーダー:布仏スズネ
   鎬空音
 第六チーム『オーランディ』:67点
  リーダー:ロランツィーネ・ローランディフィルネィ
 第七チーム『グレイシアス』:75点
  リーダー:フォルテ・サファイア
 第八チーム『バーニング・フレイム』:112点
  リーダー:ダリル・ケイシー
   布仏ランネ
 第九チーム『グリ姉と愉快な仲間たち』:80点
  リーダー:グリフィン・レッドラム
   布仏本音


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恋する乙女の聖戦。迫り来る嵐。

 毎時投稿中です。一度目次に戻り、未読がないか確認してください。

 ISの鉄則ですよ。


 恋する乙女達は、それぞれが好きな人との同室の権利を求めて駆けていく。それを阻むかのように障害物が姿を表した。それもいちいち羞恥心を煽るようなネタが散りばめられている。

 最初に出てきたのはハードルだ。ただしそのコーナーに突入する前に指示されたことをやらなくてはならない。そしてそれに一番最初に突入したのは、一番に着替え終えたロランツィーネだった。

 ロランツィーネはその指示に目を通す。

「……っ、私は君だけを永遠に愛している!」

『はいロランちゃんおっけー』

 その指示は、紙に書かれた言葉を読み上げることで。ただでさえいつもクールなロランツィーネにそう言われて会場が沸かないわけがなかった。そして次にたどり着いたスズネは有名な夏の歌のサビの一節を歌ってから駆け抜ける。なお、スズネに抜かされたダリルは浮き輪を両手持ちから肩掛けに変えるだけというある意味楽な指示だった。

 ダリルに続いてたどり着いたシャルロットはというと。

「……何これ? サンダーレイジ……?」

 当たってしまった衣装が衣装なだけに、魔法少女の詠唱をしなくてはならないという羞恥プレイをさせられるはめになった。なお彼女は絵は知っていても内容は知らなかったので普通に言い切っている。代わりに会場の極一部が沸いていた。

 次いでさりげなくモップで進路妨害をしていたグリフィンが追い付く。

「……お、お掃除しちゃうぞ☆」

 赤面しながら読み上げ、いかにも邪魔そうにモップを水平に持ったままハードルを越えていった。勿論進路妨害をする意味もあるが、単にそれ以外の持ち方をするのが効率が悪いからでもある。

 そのグリフィンに進路妨害されていた箒とフォルテがようやくたどり着く。

「だ、だだだだだ旦那様ッ! こここ紅茶はいかがですか!」

「皆様ごきげんよう……っス」

 箒は紅茶をカップに注いで飲み干し、フォルテはカーテシーで皆に挨拶をして去っていく。ついでにラウラはお題を無視してすり抜けようとしたので30秒のペナルティを受けた上でボーカロイドの和風曲の一節をヤケクソで歌い、抜けていった。

 なお、セシリアは羞恥心で動けなくなったため、ここでリタイアとなった。

「い、一夏さぁん……」

『セシリア……』

 涙目で自身を見てくるセシリアに、一夏は了解を得てから上着を貸して退場させる。勿論点数は得られないが、それはそれで役得だったようだ。

 それに嫉妬の目を向けつつ次に一同がたどり着いたのは平均台である。そこに一番に突入したのは、ダリルだった。お題は浮き輪を持ったまま屈伸20回だ。その隣では、屈伸の途中で追い付いたスズネが線香花火が終わるまで待機させられていた。

 その二人を更にすり抜け、お題のセリフを吐き捨てたシャルロットがトップに立つ。

(この衣装、当たりかも……杖は重いけどそれだけだしね!)

 グリフィンを真似て進路妨害をしつつ進むシャルロット。杖が邪魔で追い掛けてくる面々が追い越せないのを良いことに、その先まで進んでいく。

 そこに花をばらまいてしまったロランツィーネが追い付いた。口の回りにクリームが付いているのはご愛敬だ。まさかのケーキ六分の一カットを食べるというお題だったらしい。若干顔色は悪いのだが、それでも必死である。

 シャルロットと横並びになったロランツィーネが声を絞り出す。

「流石に卑怯じゃないかいシャルロット嬢……!」

「勝てば良いんだよ、勝てばね!」

 どや顔でそう宣言するシャルロット。と、そこに箒が追い付いて持っていたトレーを振りかぶった。

「なるほど……つまりは、こういうことだな!」

 そして、紅茶がまだ入ったままのポットを投擲した。それは過たずシャルロットとロランツィーネの間の足元に着弾し、熱い液体をぶちまける。

「ちょっ、何するの箒!」

 抗議の声をあげるシャルロットを追い抜き、高笑いをしながら走り去る箒。

「悪いがこれは勝負なのでな!」

(そこで足止めされるが良い!)

『はい箒ちゃんアウトー。危険行為で一発退場ね』

 笑顔のまま、楯無は非情にそう告げる。それに箒はその場で凍りついた。何故ならやっていることはシャルロットともグリフィンともほとんど変わらないと思っていたからだ。

 当然、シャルロット達も地面と水平に持つのではなく振り回していれば一発退場だっただろう。それは進路妨害ではなく既に危害を加える意図があると見なされるからだ。

 真横をシャルロット、スズネ、ロランツィーネにすり抜けられた箒は楯無に食って掛かる。

「何でですか楯無さん!」

『その紅茶、熱湯よね。それにポットって陶器製だから割れたのを踏んじゃうと怪我するわよ』

 冷静になれば箒もそれに思い至れたのだが、それでもなお彼女は言い募る。

「じゃ、じゃあシャルロットは!」

『ああ持つのが効率的だと思ったんじゃない? あんまり誉められた戦法ではないけどね』

 肩を竦めた楯無は、そのまま箒を失格にする。次いでラウラが番傘を振り回し始めたので彼女も失格となった。これで残りは先頭から順にダリル、スズネ、グリフィン、シャルロット、ロランツィーネ、フォルテだ。

 そこからあとは皆自重し、楯無からの羞恥心を煽る課題を何とかクリアしながら進んでいった。それぞれの衣装に相応しい羞恥プレイをそれぞれがこなしたのだ。

 その結果は――

「一位スズネちゃん! 二位はロランちゃんで、三位はシャルロットちゃんね! いやー、良いものが見れたわ」

「オッサンですか楯無さん……」

 呆れる一夏。しかし、楯無はそれを気にすることはなかった。こうやって派手に羞恥プレイをさせることで精神力を削いだと思えば良いのだ。いつだってイベントは中断されてきた。なら、今回も何かしらやらかされてもおかしくないのだから。

 そしてその楯無の狙いはある意味当たっていた。

(くっ……さ、流石に水着は恥ずかしいぜ……)

(水、水ぅ……っス……楯無め、ロリータ服は基本的に暑いって教えとけっス……)

 死んだ目で半笑いを浮かべたまま体操服に着替え直したダリル。それと、全身汗だくになって自動販売機の水を買い占める勢いで水分摂取をするフォルテ。

 それに死んだ目でタオルを差し出すシャルロットは、本音からこっそりその衣装のキャラクターの概要を聞かされて実に複雑な顔をしている。

(楯無さん……この衣装がラウラに当たってたらどうするつもりだったのかな? まあ、僕にはもう関係ないけど……)

 一瞬遠くを見たシャルロットは、この先に待つ未来を思って胸を押さえた。今から彼女達がすることは正しいことだ。それをスコールからも、オータムからも、『彼女』からも聞かされている。そして事実それはシャルロットにとっても正しいことだと分かっていた。

 だからこそ、少しでも心残りをなくしたかった。

(言わないと、いけないよね……一夏に。僕が嘘をついてるってこと……)

 それはシャルロットに関わる全てにおいて言えることだった。全てが嘘なのだ。そう、一夏のおかげで助かったと思っていることも、もう自由なんだと彼に告げたことも。

 それでも、シャルロットはどうしても言えなかった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 IS騎馬戦も終わり、教員達のバトルロワイヤルが始まろうとしていた。今回出場する教員の内訳は、整備科担当教員と千冬を除いた九名だ。

 箒のチームに榊原菜月が。セシリアのチームにエドワース・フランシィが。シャルロットのチームに三年三組担任の鎬音無が。ラウラのチームに二年四組担任のアーデルハイト・ハルフォーフが。スズネのチームに二年二組担任のフェリーシャ・ジョセスターフが。ロランツィーネのチームに布兎菜が。フォルテのチームに一年四組担任の篝火カワルノが。ダリルのチームに二年一組担任の布仏真実が。そしてグリフィンのチームに真耶が割り振られた。

 そして彼女らが訓練機を用意している間に、それぞれが動き出す。最後のうねりへ向けて、すべてを収束させるために。

 

 そこにあるのは、最早残骸のような感情のなれの果てだった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 真っ先にそれに気付いたのは、仕掛けた者達だった。頭上から舞い降りてくる鉄の色のIS。それに次いで気づいた楯無が治りきらない身体をおして『ミステリアス・レイディ』を展開する。

「いきなりはちょっと、おねーさん感心しないなぁ」

 返答があるとも思っていない発言。しかし、そのISの主は楯無に向けて労るように声をかけた。

「無理しないで、辛いんでしょ? お姉ちゃん」

「……え?」

 その言葉に凍りつく楯無。その声が、その所作が、そのシルエットが目の前のISの主を自身の妹だと断定させる。そんなはずはないのに、目の前の少女が紛れもなく妹であることを確信していたのだ。

 凍りついた楯無を庇うように、一夏が少女の前に出る。そんな彼にすら、少女は優しい声をかけた。

「大丈夫……あなたにも、誰にも、これ以上手は出させない……」

 いっそ場違いなまでにそう告げた彼女の狙いはただ一人。そのために、乱入してきた彼女に狙いを定めようとする者達を阻む協力者がいる。ラウラとロランツィーネにはシャルロットが。グリフィンにはダリルが。セシリアにはフォルテが。そして、箒にはスズネが。それぞれ動けないように凶器を突きつけている。

 この日、彼女らの世界は三分割される。彼とそのそばにいることを許されたもの達。彼のそばにいることを許されなかった者達。そして、どこにもいられなくなった無法者達に。

 そのトリガーを引いたのは――

 

「ねえ、そこ……私の場所だから。返して? 偽者さん」

 

 そう発言した銀色の髪の少女。それが一体誰であるのかを知ったとき、簪の理性は崩壊した。否――自分から全てを壊すことを、決意した。

 故に。

「どうぞお好きに、更識簪。あなたが本当にそうだと信じているのなら、わたしが偽者なんだろうしね」

「……当然。でも、私の場所を、滅茶苦茶にした報いは……受けてもらうから」

 そう言って、『更識簪』は語り始めた。




得点表
 第一チーム『紅き大和撫子』:77点
  リーダー:篠ノ之箒
   夜竹さゆか
 第二チーム『ブルー・ノーブル』:67点
  リーダー:セシリア・オルコット
   布仏虚
 第三チーム『コスモス・フルール』:84点
  リーダー:シャルロット・デュノア
 第四チーム『シュヴァルツェ・シュヴェルト』:75点
  リーダー:ラウラ・ボーデヴィッヒ
   オニール・コメット、ファニール・コメット
 第五チーム『ロンフー』:108点
  リーダー:布仏スズネ
   鎬空音
 第六チーム『オーランディ』:72点
  リーダー:ロランツィーネ・ローランディフィルネィ
 第七チーム『グレイシアス』:75点
  リーダー:フォルテ・サファイア
 第八チーム『バーニング・フレイム』:112点
  リーダー:ダリル・ケイシー
   布仏ランネ
 第九チーム『グリ姉と愉快な仲間たち』:140点
  リーダー:グリフィン・レッドラム
   布仏本音

 教員でフルネーム出したのいっぱいいますが、残念ながら喋りません。また出てきますけどね。名前だけ。


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第九章 表裏一体のわたし達って本当にそうですか?
表と裏。ここはあなたの場所じゃない。


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 最終章まで後少し


 そして『更識簪』は語り始めた。自身が本物であるという、その証明のために。誰から投げつけられる問いにも答えられる。何故なら彼女は『更識簪』だから。

 まず問うたのは、一夏だった。

「何なんだ……お前、何なんだよっ!?」

(何でそんなに簪に、いや、楯無さんに似てるんだ!?)

「更識簪……本物の、ね。そこの紛い物なんかじゃないよ」

 その答えに、何も知らない観客達がざわめき出す。彼女らがよく知る『更識簪』は、長い銀髪を朱塗りの髪挿しで纏め、眼鏡をかけた目の死んだ少女だ。決して目の前の髪を下ろした憎しみに呑まれかけている少女ではない。

 それを塗り替えるように『更識簪』は告げる。

「すり替えられたの……そこの女に。だから、本当は皆とははじめまして、なんだよ」

(まあ、ダリル達とははじめまして、じゃないけど)

 そう内心で嘯く彼女の言葉に反応できる者はいない。勿論こんなときのために用意してある人員がいるのだ。事態が硬直するなどということはあり得ない。

 チラリと目線を送れば、そこでシャルロットが言葉を吐き捨てる。

「へえ、だったらそこの女って何なの? 僕を騙して、こんなことをしなくちゃいけないように仕向けた女って」

(……で、良いんだよね?)

「クローンだよ。私の、ね。……我が物顔で、私の居場所を奪い取って、のうのうと過ごしてる……」

 それが事実かどうかはこの際関係ない。『更識簪』にとって、目の前の簪が邪魔なのは確かなのだ。目的のために彼女は必要ない。だからこそ、自分という駒を動かして排除しようとしているのだ。

 だからこそ、簪の居場所を完膚なきまでに叩き潰すつもりなのだ。それは、数少ない理解者をもぎ取っていくことを意味する。そうすれば、そこに簪はいられない。自分から去っていくだろうと『更識簪』には分かっていた。だから悪意を植え付ける。

 そう、震える声で問うランネにも。

「じゃあ、今までの阿簪は……何、だったの?」

(どういう、何で、何が……っ)

「全部嘘だったってこと、だよ。誰にどんな態度を取っていても、それは全部嘘だったの。内心では嘲笑ってた」

(そんな……っ)

 全てが嘘だった。友人になったことも。彼女のために何かしたいと思ったことも。それら全てを嘲笑し、見下されていた。そう思った瞬間、ランネは簪に対する感情に嫌悪しか感じなくなっていた。

 ハッキリと嫌悪を顔に浮かばせたランネを見たロランツィーネが、感情を押し殺して問う。

「そんな器用なことをあの中途半端に不器用な簪が出来るとでも?」

(出来るはずが――)

「出来るよ。だって……そういう風に作られているもの」

 そこに込められているのは底なしの悪意だ。勿論ロランツィーネはそれを心の底から信じたわけではないが、今この状況で『更識簪』に逆らうのは自殺行為だと分かっていた。彼女もまた本国から打診されていたのだ。簪を暗殺するか懐柔できないかと。彼女にしてみれば懐柔する方が楽であり、目の前の『更識簪』もそれに該当するのならば不用意な行動をとるわけにはいかなかった。

 作られたクローンである、という認識を周囲に広め、『更識簪』は自身が本物であることをそれとなく植え付けていく。そうしなければ彼女はそこにいることすら許されないのだ。

 その悪意は比較的関わりの薄いセシリアにも伝播していく。

「そんなことをして、そこの女に何の得があるんですの?」

「あるよ。だってそこの女、お姉ちゃんを殺そうとしてるもの」

(それだけは許すつもりはないよ)

 セシリアの言葉にそう返答した『更識簪』は、そこで憎々しげに簪を睨むのを忘れなかった。そして簪はそれを否定することが出来ない。当然だ。『簪が日本代表候補生なのは、楯無を監視していざとなれば手を下すため』なのだから。肯定することは容易だが、否定することは立場上許されない。

 その違和感に、とうとう万十夏が声をあげた。

(あり得るわけがない……っ)

「そんなはずないだろう! 簪は、人を傷付けることを躊躇う優しい――」

「鮫のサイコロステーキ。貴女も、見たでしょう? ……あれが、そこの女の本性なの」

 淡々とそう返答する『更識簪』。確かに万十夏はそこが一番引っ掛かっていた。本当に簪にそれが出来るのかと。生きるためにやったのだと言われていれば納得したかもしれないが、問い詰めたこともなければ本人から断言されたわけでもなかった。

 そこで疑ってしまったから。

(まさか……本当に?)

 

「本当……なのか、簪……お前は、偽者なのか?」

 

 盛大に簪はため息をついた。ここには誰も味方などいない。死にたいと願って、引き留めてくれた優しい友人達は――こんなにも、一瞬で奪われてしまうものだったのだと。

 未だ発言していない者もいる。それでも自身に向けられている目に宿る感情が何であるのかを知ることは容易だった。そこには嫌悪しかあり得ないのだから。

 その目を直視できないままに、簪は告げた。

 

「わたしが『更識簪』かどうかと聞かれて、それに対する答えなんて一つしかないんだけどなぁ。……勿論違うよ、知ってたでしょ?」

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 誰も、何も言えなかった。信じたくなかったのだ。今までの彼女が本当に『更識簪』でないというのは。何を信頼させたわけでもないのに、簪に対する憎悪が膨れ上がる。

 特に顕著なのは一夏だ。

「お前、恥ずかしくないのかよ……皆に散々迷惑かけて、あそこまでやってもらって、全部嘘だなんて……っ」

(そもそもシャルにあれだけ偉そうに説教しておきながら、実は自分は偽者でしただなんて……許されることじゃないだろ!)

 一夏の怒りは相当なものだ。特にシャルロットの件では激しく自己投影してしまっていたが故に、騙し討ちのような形で教師に報告した簪への怒りは収まってはいない。それ以外にも、彼を慕う女子達からの悪意的な証言が、彼の簪への偏見に拍車をかけている。

 だからこそ何でもないことのようにこう言う簪のことを許せない。

「ああ、電脳ダイブのこと? 頼んでないけど……」

 勿論、その言いぐさは一夏を怒らせた。

「そんな言い方……!」

「そうだね、電脳ダイブなんてしなきゃ良かったんだよ。そうしたらわたしは自滅。こんなことにはなってないもんね」

(むしろその方がややこしくなかったんじゃないかなぁ?)

 その言い方は全てを踏みにじるようで、全員の怒りの炎にガソリンを叩きつけている。このままでは恐らく五体満足ではいられないだろう。滅多斬りにされて、滅多撃ちされて、踏みにじられて、それで惨めなまま死ぬ。

 だが簪にとってはそれで良かった――はずだった。

「ほら、害虫駆除と一緒でしょ? 殺せば良いの。そうすればぜーんぶ解決するんだから」

 だから、簪は全てを諦めようとして笑って。頬を伝う冷たい液体に気づいた。そんなものがあり得るはずがないと思っていたのだ。その理由を思い返し、そして驚くほど自身が生きたくなっていることに愕然とした。ことここに至って初めて彼女は気づいたのだ。

 

 自身が、本当は生きたいと渇望していることに。

 

 それでも言葉を止められなかった。止められるはずがなかった。これまでの全てを否定されたままでいられるわけがなかった。そうなってしまえば、前と同じだ。どれだけ痛みを伴おうと、簪は進まなければならなかった。何故なら、死にたくないから。死なないために、彼女は棄てなければならなかった。

 だからこそ。

「まあでも、簡単に殺せるとは思わないで欲しいかな。わたしはもう『更識簪』じゃない。まあ、最初から違ったわけだけど……誰でもないからこそ、出来ることって結構あると思うんだよね」

(悪いけどグレイ、最期まで付き合ってもらうからね)

『簪……っ、あたし以外の誰が付き合うっていうの!』

 短く自身と融合してしまったグレイと会話し、そしてその場から浮かび上がる。生体融合型IS『グレイ・アーキタイプ』は、かつて簪と呼ばれた女の顔をフルフェイスのアーマーで覆い尽くした。それだけで、彼女らには躊躇がなくなったようだ。それぞれが武装を取り出し、簪だった女に向ける。

 だが、その状態からでも彼女は脱出できる。忘れられているかもしれないが、ISは空間を操れるのだ。そして今や簪だった女はISそのものであるといっていい。ならば彼女がとる手段は――

「じゃあね。ばいばい、皆……」

 鬼気迫る表情を、その目に焼き付けて。彼女の全てだったものを敵に回して。その場からまるで溶けるように消え去った。そこに残されたのは、殺気立っていた専用機持ち達と眼鏡のみ。

 

 この日、世界に一人のテロリストが送り出された。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

「お姉ちゃん、会いたかった……」

 そう言って抱き付く簪。それに楯無は僅かな困惑を覚えた。しかし、それでも愛しい妹が甘えてきていると思えばその困惑も吹き飛んでしまった。確かにおかしいとは思っていたのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だからこそ、つかえつつも声をかけられる。

「簪ちゃん、なの? 本当に……? いつから?私……全然気付いてなかったのに……」

「誘拐されたときから、だよ……迎えに来てくれたって、思ってたのに……」

「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい簪ちゃん……!」

 確かに入れ替わるのならばそのタイミングしか有り得なかった。その他はずっと簪だと思っていた女には監視がついていたのだから。だから、実は簪の偽者が楯無を殺そうとしていたことも知っていたのだ。

 そして、偽者だと分かった以上楯無はもう躊躇わなかった。目の前の簪を本物だと断定し、これまでのことを消し去る勢いで溺愛しようと誓ったのだ。

 勿論楯無が受け入れた以上は皆も受け入れ、今までいた女を偽者だと認識していった。そうして簪は入れ替わりを果たしたのだ。これまでとは打ってかわって、皆と良好な関係を築く。そうやって味方を増やしていく。その中で、確かに簪は笑っていた。

 

 それこそが、『更識簪』の目的であったから。




 楯無が何かゲスい。

 ※入れると空気がぶち壊されるので入れなかったネタ。閲覧注意



 簪だった女が消えた後に残された眼鏡。それが何を意味するのか分からなかった面々は、その眼鏡を取り囲んで警戒を続けていた。

第九十八代皇帝(偽名)「ね、ねえ……まさかこの眼鏡が待機形態なんじゃ……」
五号のミラーではないぞ!「退け、今スキャンする。……普通の眼鏡だな。何故か盗聴機がついているようだが」
モッピーと呼ぶんじゃない「ど、どうするのだ?」
対暗部用暗部マジカル楯無「大人しく破壊で良いわよ。その盗聴機仕掛けた人も、目的もわかってるから」

 そして何の罪もない眼鏡は踏み潰され、尊いその眼鏡生を終えるのだった。なお、髪挿しはISのブレードと同じ素材で出来ているので武装と誤認されていたが、流石に眼鏡は普通の近眼用眼鏡だったためISに収納されなかったというのが真相である。


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本物と偽者。それは誰にとっての。

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 その概念は一体誰にとっての概念だったのか。


 『更識簪』は――否、簪は意外とすんなり受け入れられた。以前から誰もが思っていたからだ。あの女はここにいるべき人間ではないと。理由を説明することはできないが、とにかくここにいないほうが自然な人間だったのだと思っていた。

 それは簪がそこにすんなりと馴染んだことも関係している。まるで前からそこにいたように、普通に馴染んでいたのだ。それもまた当然のことである。何故なら彼女は本当に『更識簪』なのだから。

 故にこの光景もまた当然のことで。

「あ、あの……この状況って、一体……」

「うーん、何て言おっかなぁ……うん、聞いておきたかったんだ。何で一夏のこと、名前で呼んでるのかなぁって」

(良い機会だしね……確認しておかなくちゃ)

 シャルロットが簪を問い詰める。その様子はいかにも公開尋問であり、いつかどこかで見られたかもしれない光景と酷似していた。勿論そこにいた『更識簪』と彼女は似て非なるものであるがゆえに返答は変わるのだが。

 簪はこう答えた。

「い、一夏は……恩人だから……」

 それに箒が首をかしげる。これまで面識がなかったはずの簪が、何故一夏を恩人だと認識できるのかと。またぞろあの顔と行動で女をたらしこんだのかと。

 しかし箒の想定と簪の返答は微妙に違ったようだ。それを引き出したのはスズネ――否、鈴の言葉だ。

「恩人? アンタ、一夏と会ったことないんじゃないの?」

「直接じゃない……でも、一夏がいたから……私は解放されたの」

 その顔はまさに恋する乙女だ。勿論彼女は嘘をついているわけではなく、実際に『織斑一夏』にその身を救われたのだ。そしてその後『亡国機業』に保護され、内側から半ば乗っ取ったのである。全ては愛しき男性のために。

 それを簪が詳しく説明することはない。する必要も勿論ない。そこまで踏み込んだ質問が簪に向けられることもないのだ。それは簪にとって実に都合が良かった。

 その顔だけでそこにいた一同には分かってしまった。彼女もまたライバルなのだと。それでも、好意的な反発しか抱かない。排除しなければと思うほどの悪感情を抱けないのだ。つい先日までここにいたはずの、偽者とは違って。

 だからこそこう言える。

「これからよろしくね、簪」

「あ……うん!」

 そのはにかんだ顔はどこか小動物を思わせるような庇護欲をそそる愛らしさで。愛想の欠片もなかった偽者の価値は暴落していくばかりだった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 簪は――否、今では名無しの誰かは、グレイの本能に従って宇宙空間を漂っていた。生体融合型ISとなった彼女は、無理をしない限り食事をする必要がないのだ。故に宇宙空間を遊泳し続けることも不可能ではないのである。

 ただし、何も考えていなかったわけではない。

「で、グレイ。名無しの権兵衛じゃやっぱりダメ? アノニマスとか、ジェーン・ドゥとかでも?」

『それ全部同じ意味じゃんやだー。ダメ!』

 これから呼ばれるための名前を考えていたのだ。今更『更識簪』を名乗ることもできなければ、名乗るつもりもない。ましてや前世の名前を名乗るのも反吐が出るほど嫌だ。ならば新しく名前をつけ直せば良いのだが、彼女のネーミングセンスは著しくよろしくなかった。

 それで考えが煮詰まったからこうして宇宙空間を漂い、良い案はないかと考えているのである。

「やっぱりグレイがグレイならわたしはアーキタイプで……」

『女の子の名前じゃないからねそれ。嫌だよ? あんたのこと、そう呼ぶの』

「えー……じゃあどうしたら良いの?」

 それはグレイが聞きたかったが、グッと我慢する。どうせ名無しの誰かとグレイは同一なのだ。考えていることも同じで、結論も最早同じなのだから考えるだけ無駄とも言えよう。

 その状況を打開したのは、地球から発信されたSOSのシグナルだった。

「グレイ、今の」

『SOSだけど……行くの? 指名手配されてるんだよ?』

「……それでも、誰も駆けつけないし。何よりあの信号の向きは明らかにわたしに向けられてるから……うん」

(もし誰も助けにいかなくて死んだら、流石に寝覚めが悪いしね)

 自分に言い訳をして、その場所へと向かう。そこは地表ではなく天空に浮かぶ衛星だった。

(……いや、『エクスカリバー』じゃないよね?)

 地表と衛星の位置を確認し、それがイギリス上空でないことを確認した彼女はその衛星内部に侵入した。中はそこまで複雑ではないが、衛星にしては人間が生きるに耐えうる環境になっている。

 その先にいるだろう誰かの正体を考え、彼女は複雑な顔をした。

(原作には出てきてないような変な事態が起きるんじゃないよね……?)

 その不安の入り交じった顔を引き締め、先に進む。中枢に入り込むまでには、そこまで時間はかからなかった。そこにいる人物を視認するにも。

 そこにいた女の顔立ちは、一目で高貴な人物だと分かるほど手がかかっていた。そうでありながらも緩くウェーブしている薄い金髪はそれに似つかわしく短く切り揃えられている。目は伏せられていて、瞳の色をうかがうことはできない。ただ、ドレスのような派手なISスーツを着せられている割りには乱雑にコードが生えていた。それがひどくアンバランスで、妖艶さを醸し出している。

 それが誰なのか分からなかった彼女は、名乗れる名もないのに目の前の女に問うた。

「あなたは……?」

「……来てくれたのですね。わたくしはかつてヴァイオレット・コンスタンス・ルクーゼンブルクと呼ばれた者ですわ。あなたは何とおっしゃるの? 空の向こうからいらした方」

 その問いに名前のない女はしばし逡巡した。今更『更識簪』だなどと名乗れるわけがないからだ。

「わたしは……誰でもない、かな。名乗るべき名前も、名乗っても良い名前も、名乗ることを許されている名前もない」

 名前のない女は、そう言うしかなかった。彼女は本当に最初から『更識簪』ですらなかったのだから。『更識簪』になろうとしている時点で、彼女は本物ではないのだ。とはいえ前世のヒロノという名で名乗るのも嫌だった。故に名乗れる名前など一つもなかったのだ。

 しかし、ヴァイオレットはそれを気にすることなどなかった。

「ならばわたくしは、あなたを『(セレスト)』と呼びましょう。空の向こうからいらした方」

 そう言って、彼女に名を付けた。彼女は与えられた名前に瞠目したが、確かに何も間違った名付けではないことに納得した。『更識簪』でもなく、ヒロノでもない。そして何より、『グレイ・アーキタイプ』の武装のモデルを使っていた少女の名は『セレスティ』なのだ。

 だからこそ、彼女はセレストという名を受け入れた。

「……えーと、うーん……ま、いっか。確かにわたしは空の向こうから来たからね」

 その瞬間、確かにセレストとなった女は満たされたのだ。今までその身にそぐわぬ名前を押し付けられていて、それから解放されたのだから。それは、恐らく彼女にとっては初めて自身を肯定できる瞬間だったのだ。

 だから、繰り返し自身に言い聞かせる。

「うん、セレスト……セレスト。そう、わたしは、セレスト。空の向こうから来た……何もないところに祈るような馬鹿げたことはしなくて良い。ただ、『空』の向こうから来たっていう、今のわたしを表してるのが、わたしの名前」

 周囲から見れば、間違いなく気が触れたと思われるだろうその光景。しかし、それが何よりもセレストにとっては重要なことだったから、何度でも繰り返すのだ。気が済むまでそれを繰り返したセレストを待ち続けたヴァイオレットは、間違いなく辛抱強いと言えるだろう。

 そもそもセレストは忘れているが、彼女はSOSを出していたのだ。その目的を果たしていない以上、ヴァイオレットはセレストの反応を待つしかなかった。

 そしてそれを察したセレストは気まずそうにヴァイオレットに向き直る。

「……ごめんなさい、はしゃぎすぎた。で、何でSOS出したんですか? ヴァイオレット公女殿下」

「……レティとお呼びください、セレスト。わたくしは既に廃嫡されておりますから、下手にかしこまる必要もありません」

 廃嫡というある意味時代錯誤な言葉にかすかに眉をひそめたセレストは、ヴァイオレット――レティの言葉を待った。セレストには『誰かが助けを求めていて、自身にどんな手段であれそれを解決する手段があるのならば、自分を犠牲にしたのだとしても助けない理由がない』のだ。ある意味では狂ったその思考を否定するものも肯定するものもここにはいない。

 そしてレティはセレストに告げた。

 

「助けてください、セレスト。わたくしの友を。長きにわたり空の向こうの兵器に監禁されている、わたくしの唯一の友を」

 

 それが誰を指すのかなど、セレストには分かりきっていた。空に浮かぶ兵器に監禁されている人物など、今のセレストにはたった一人しか思いつかない。

 それでもセレストは問うた。

(レティじゃなく、エクシアを?)

「……あなたをここから解放するんじゃなく?」

「違います。わたくしはここから離れてはいけない。だけど、彼女は違いますから……だから、エクスを」

「……分かった。じゃ、行ってくるよ」

 そう言って飛び出そうとするセレスト。しかし、それを見てレティは至極焦った。何の事情も聞かず飛び出そうとするセレストに、ある種の危機感を覚えたのだ。

 故にレティはセレストを呼び止める。

(さ、流石に尚早に過ぎます――!)

「待って、理由は――」

「聞いたら動けなくなっちゃうから聞かない。外交問題とかになるかもだけど、わたしは何人でもないからね。指名手配されてるらしいから、罪状が増えるだけだもん。気にしない」

(というか、気にしたら負けだしね)

 そして今度こそ振り返ることなくセレストは飛び立っていった。それを生命維持のための衛星で捉えながら、レティは何とも言えない気持ちでそれを見送ったのだった。

 レティは知らない。セレストに、勝手に『廃嫡』という言葉に仲間意識を持たれてしまっていることなど。




 ルクーゼンブルク公国大公位継承者一覧
 現大公エドワード・ハリー(長男)
 第一公女ロリーナ・シャーロット(長女、次期大公)
 第二公女イーディス・メアリー(次女、IS委員会の役員)
 第三公女ローダ・キャロライン(三女、IS学園の副理事)
 第四公女ヴァイオレット・コンスタンス(四女、虚弱体質のため廃嫡)
 第五公子フレデリック・フランシス(次男、宰相)
 第六公子ライオネル・チャールズ(三男)
 第七公女アイリス・トワイライト(五女、代表候補生)

 そも、公国と言っているのに王女であるというのは変。なので王女ではなく公女、公子と呼称。第一から第六までは『不思議の国のアリス』のアリス・リデルの家族より夭折していないきょうだいを上から順に。その場合、アイリスは実際には『第二』になるが、そこはそこ。名前引っ張ってきただけだから。


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本物とその周囲。割れる一夏の世界。

 毎時投稿中です。一度目次に戻り、未読がないか確認してください。

 モテる男は辛いね。


 簪は姉の提案に従い、専用機持ち達と修学旅行の下見に来ていた。ツーマンセルで動くことになるのだが、組み合わせが中々に愉快だったのだ。

(うまく当てたなぁ、お姉ちゃん。でも……これじゃあ止められないよ?)

 ほくそ笑む簪のペアはラウラだ。性格的には面倒だが、とある事情さえ明かせば味方になるしかない。そしてセシリアはスズネ、ランネは本音、ダリルはフォルテ、シャルロットは箒とペアだ。一夏と万十夏は自由行動である。なお、その他のヴィシュヌを筆頭とする面々はは引きこもったクーリェと学園の守護のために残されている。

 この状況で簪がすることは簡単だ。

「ラウラ。行きたいところ……あるの。付き合って」

「構わないが、その代わりあとで新撰組とやらのグッズを選ぶのを手伝ってくれ。クラリッサに頼まれたのでな」

 そう言ってふんすと鼻息を荒くするラウラはまるで小動物だ。髪の色もあいまって、簪とは姉妹のようにも見える。もっとも、武骨な眼帯がそれらをすべて台無しにしているのだが。

 そんなラウラを見て、簪はかすかに笑みを浮かべながら返答した。

「構わない……おすすめも教えてあげる」

(まあ、その頃には……そんな気になんて、なれないだろうけどね)

 内心の笑みがラウラに見えなかったのは、幸いなことだったのか。訪れた先で告げられた残酷な真実に、ラウラは堕ちるしかなかった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 その頃、セシリアは何度試しても繋がらない電話に苛立っていた。修学旅行の下見に行く前からずっと自らのメイド、チェルシー・ブランケットと連絡が取れないのである。爪を噛みそうになり、自らの淑女らしからぬ行動に苦い顔をする。

(ああもうっ……どうしてですの!?)

 そんなセシリアに、すっかり元に戻った布仏スズネ――否、『布仏鈴』が声をかける。

「ちょっとセシリア、そんなイライラしなくて良いじゃん。折角の旅行よ?」

「鈴さん……それは、そうなのですが」

(やはりチェルシーと連絡がとれないというのは不安ですわ……)

 なんとも歯切れのよくない返事に、鈴は首をかしげる。ただセシリアはその理由を鈴に説明することができない。何故なら国レベルでの問題が起きているからだ。

 かつては万十夏の専用機だったBT二号機『サイレント・ゼフィルス』の後継機『ダイヴ・トゥ・ブルー』の強奪。代表候補生サラ・ウェルキンの逃亡。これらを誰かに知られては、イギリスにとって大ダメージとなる。それについてチェルシーとも話し合いたかったのだが、肝心のチェルシーとも連絡が取れなかったのだ。

 その事に歯噛みしつつの修学旅行の下見など、とても楽しめるものではなかったのだ。本国から早く『偏向制御射撃』を実現しろとせっつかれてもいる。プライドを捨てて万十夏に『偏向制御射撃』が出来るかどうかを問えばまだコツを教えてもらえる可能性はあった。しかし、セシリアの前で万十夏は『偏向制御射撃』を見せていないのだ。可能性があるというだけでは、セシリアは頭を下げられなかった。

 それに対し、自身のごたごたをほとんど片付けた――具体的に言えば『亡国機業』に息子を拐わせて安全確保をした鈴は気楽だった。最早『更識』の庇護下にある必要もなく、また自身のことを考えず離婚したように見える両親になど最早情はない。晴れて身軽になった鈴は、このまま一夏を連れ去ってIS学園から去るつもりだ。

(さ、仕上げしなくちゃね)

 そんなこととは知らないセシリアと別れ、鈴は打ち合わせのためにシャルロットと合流した。

「首尾は?」

「上々だよ。ねえ、鈴……本当に、良いんだね?」

 そう問うたシャルロットの顔には、鈴への気遣いが現れ出ていた。当然だ。シャルロットや他の専用機持ち達とは違い、鈴だけが一夏と肉体的に結ばれているのだから。

 しかし鈴ははっきりと言い切った。

「当たり前よ。あたしは一夏が好き。アンタも一夏が好き。あの姉妹もね。なら、先に一夏と結ばれたあたしが譲らなくちゃ、皆幸せになんかなれないじゃない」

(あたしだって後ろから刺されるのは嫌だしね。皆の気持ちが叶うんなら……そこは、あたしが譲らなきゃ)

 それは一夏をただ一人の男性として見ないという宣言ではない。一夏に自分達を受け入れてもらうための宣言だ。序列の話し合いも既に済んでいる。あとは、誰の邪魔も入らない場所へと一夏を連れ去るだけなのだから。

 そうやって打ち合わせを終わらせ、二人は別れて配置につく。千冬にばれていないとは思わないが、それでも自身の我を通すために。一夏が好きだという、乙女の恋を叶えるために。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 カメラを持ち、皆の写真を撮って回っていた一夏は、ふと立ち止まった。何故か理由はわからないが、そうしなければならない気がしたのだ。そしてそれは当たっていたのである。

 次の瞬間――乾いた音が、一夏を襲った。

「なっ……なな、え? 今の……」

「おお、危ないサ。モテる男は辛いサね」

(ま、いつか刺されそうだとは思うけどサ)

 それを間一髪で避けさせたのは、千冬に呼ばれてその場に居合わせた独特な和装の女性――二代目『ブリュンヒルデ』アリーシャ・ジョセスターフ。人呼んで『ラッキー・ブリュンヒルデ』が彼を誘拐の憂き目から救い出したのである。もちろんそれは普通の銃弾ではなく、麻酔を中に仕込んであった特殊な弾丸だ。

 そして瞬時加速し、アリーシャは銃弾を放ったダリルに――否、レイン・ミューゼルに迫った。しかしそれは難なく止められてしまう。

「させるわけないっスよ!」

(先輩は……私が守るっス!)

 それを氷の盾で防いだフォルテの影から、ライフルを捨てて『ヘル・ハウンド』を纏ったレインが飛び出してアリーシャに巨大な炎を叩きつける。そしてそのまま反転し、フォルテと共にその場を脱した。

 その後ろ姿に向けてフォルテが呟く。

「レイン……先輩」

「呼び捨てろって言ったろ、フォルテ。そんなに恥ずかしいか?」

「恥ずかしいっス……でも、あなたがそうしろって言うなら、頑張るっス」

 そこに流れる甘い空気。しかし、それを引き裂くようにアリーシャが追いすがる。

「ときめき禁止なのサ!」

「あーはいはい。相手日照りのババアは黙ってろ」

「この、華の二十代に何て言い種なのサ……!」

 実力的には無論アリーシャの方が上。故にレインは彼女の冷静さを欠く方向で動いている。もちろんアリーシャもそれは分かっているのだが、いちいち神経を逆撫でしてくるレインの発言に翻弄されつつあった。いくら二代目『ブリュンヒルデ』とはいえ、人間的に熟成しているとは言えないのである。

 そして、冷静さを欠いたアリーシャに襲いかかる別の人物たち。

「おいおい……流石にこれはないサ……騙したナ、千冬!」

 その人物たちを見て、アリーシャは怒号をあげた。そこには彼女を無力化すべくシャルロットとラウラが駆け付けていたからだ。更に遅れて鈴も参加している。端から見ればIS学園がアリーシャを抹殺しようとしているように見える光景だ。

 それに追い縋るように一夏が『白式・雪羅』を纏って現れる。

「何なんだよ……何なんだよっ、この状況は!」

(何で皆が俺に武器を向けてるんだ!?)

 しかし一夏は混乱していて使い物にならない。その代わり動けるのは二人――セシリアと箒だけだ。その二人もまた見覚えのありすぎるISを纏った鈴によって止められる。既に彼女が持っているISは『打鉄カスタム』などではなくなっていた。

 それに対してセシリアが言及する。

「鈴さん、そのISは……っ!」

「何だって良いでしょ? セシリア……アンタは今から散々憐れんできたあたしに倒されるんだから」

(残念だったわね。それなりに確固足る地位のあるアンタを引き入れるわけにはいかないのよ)

 瞬時加速。後に衝撃。それだけでセシリアと箒は吹き飛ばされた。面白いように飛んでいく彼女らを見て、鈴は笑う。やはり自分にはこれが合うのだ。

 呆然とした一夏の言葉が、そんな鈴に突き刺さった。

「何……してるんだよ、鈴……何で……」

(何で鈴がセシリアと箒を攻撃してるんだ……)

「何でって……駄目よ、一夏。もっとちゃんと、自分のことくらいは自覚しなくちゃ」

 クスクスと笑う鈴に、一夏の気持ちは届かない。裏切られたと思っている一夏の言葉は。鈴には届くことなどあり得ないのだ。彼が唐変木なのは分かっている。だからこそ、思い知らせるために動くのだから。

 そのために鈴は一人、犠牲にした。

「行くわよ、『暴龍』」

(ついてきなさい、最後まで!)

 自分の都合で中国代表候補生に仕立てあげ、鈴を裏切った少女。ティナ・ハミルトンは最早この世には存在しない。先日の作戦行動で殺されISを奪われた彼女は、今や救国の英雄ではなく卑劣な魔女だ。

 そして、鈴は逆らう者全てを地に沈めた。そこには一夏も含まれる。彼女らの目的を果たすためには、むしろ一夏に意識を保っていられては困るのだ。強烈な衝撃砲で脳震盪を起こした一夏は、そのまま倒れ伏した。

 彼を小脇に抱え、鈴は飛翔する。それを守るようにシャルロットとラウラが飛び立ち、更にダリルとフォルテが殿をつとめてその場から飛び去ったのだ。

 知らせを受けてランネと本音が駆けつけたときにはすべてが遅かった。IS学園側の成果は、万十夏がオータムを捕らえたこととアリーシャと合流できたことのみとなった。

 もちろん弟を奪われた千冬は即座に一夏奪還作戦を立てようとしたが、出来なかった。残された戦力では、抜けた戦力を押さえるのには少々足りない。

 故に、戦力が整うまで歯が砕けそうなほど食い縛りながら、千冬は待つことしか出来なかったのだ。その戦力が整ったのは数時間後――真耶が申請していた元自身の専用機『幕は上げられた(ショウ・マスト・ゴー・オン)』が届けられてからとなったのであった。




『暴龍』:名前が変わっただけの『甲龍』。特になにか追加されたわけでもない。


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運命の赤毛。翻弄されるサラ。

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 セシリアの両親ってすごく自分達の世界が中心だと思ってるという設定。


 それは十三年前のことだ。まだチェルシー・ブランケットがオルコット家に仕える前の話である。その頃の彼女はただ『チェル』と呼ばれていて、体の弱い妹は『エクス』と呼ばれていた。姓は覚えていない。何故ならば彼女はストリートチルドレンだったからだ。そんな下らないことを覚えているくらいならば、他のことを覚えるのに脳の容量を使うだろう。

 そして、当時五歳だったチェルは必死に日銭を稼ぐ生活を送っていた。両親は薬物中毒のアルコール中毒で、エクスの病院代を出せるような暮らしをしていなかったのだ。チェルはエクスのために何でもやった。家があってもストリートチルドレンとなるのはそういう理由からだ。

 ある日、チェルは薄い空色のカメオを拾った。売ればいい金にはなる、と判断してほくほく顔で通りがかった少女に売り付けようとした。その少女の身なりが良さそうなものに見えたからだ。もっとも、彼女は労働階級の娘でその日はたまたまいい服を着せられていただけなのだが。

 もちろん表情は媚びるような笑顔で、チェルは問うた。

「お姉さん、カメオはいりませんか?」

「……いくら?」

 黒髪の少女は瞠目したが、すぐにそう問い返した。チェルは多少吹っ掛けて値段を告げたが、少女はそれをあっさりと承諾する。しかもチップまで弾んでくれたのだ。それを見てチェルはまだいけたかな、などと考えながら帰路についた。そのカメオの本来の価値など、チェルには知るよしもなかったのだ。

 彼女に運が回ってきたのはそれからだ。それから数日もしないうちに、彼女の目の前に一人の男性が現れた。身なりもよく、物腰も柔らかいその男は、チェルの境遇を知るや否や彼女とエクスを自身の経営する孤児院に引き取ってくれたのである。

 その男性は、チェルには名乗らなかった。しかしそこでいつもよりはマシな衣食住を手にいれた彼女本来の魅力を彼は見落とすことはなかったのだ。よく機転が利き、器用。そして何よりも将来性を感じさせるほどの整った顔立ち。

 それに目をつけた彼は、チェルに提案した。

「娘の話し相手になってくれるかい、チェル。その代わり、エクスにはもっと良い病院に移れるよう取り計らおう」

 チェルは一も二もなく飛び付いた。両親のことなど嫌っているチェルにとって、エクスはたった一人の家族なのだ。彼女が守ってやらなければ生きられないほどの虚弱なエクスを、彼の庇護下に置いてもらうことほど嬉しいことはなかったのである。

 そしてチェルは『チェルシー・ブランケット』となった。ただのチェルでは彼の娘の話し相手には出来なかったからだ。腐っても貴族の末裔である。その娘に対してただの孤児を宛がうわけにはいかなかった。チェルが実は不遇な境遇にあった元騎士の末裔である、ぐらいは吹っ掛けなければ、対外的にも美談にはならない。

 チェルシーがそうして彼の娘――セシリアの話し相手兼メイドになったとき、たくさんの令嬢がセシリアと縁付こうと詰めかけてきていた。チェルシーはそれらを独自の嗅覚でかぎ分け、オルコット家にとって有益となる令嬢のみを残した。その時は気に入られようと必死だったので、その中にあのカメオを売り付けた少女が混ざっていたことなど気付く由もなかったのである。

 そうしてチェルシーは自らの価値を示し続け、地位を確立した。エクス――『エクシア・ブランケット』となった妹のために、自身の全てを犠牲にしながら。オルコット家のために全てを捧げ、その見返りにエクシアを救ってもらっていると思うからこそ――彼女は忠実なメイドでいられたのだ。

 

 故に、真実を知った彼女には最早オルコット家への忠誠など一欠片も残されてはいなかった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 産まれたとき、彼女はエクスと名付けられた。しかし、本名は『エクシア・ブランケット』なのだと偉い人から教えられた。ずっと守っていてくれた姉は自分のために働いているのだから、たとえ心臓が悪くともエクシアも働かなくてはならない、と教えられてきた。

 そもそもエクシアはチェルシーの足手まといでしかなかった。少なくとも彼女自身がそう認識している。ずっと守っていてくれた。自分のことなど全て後回しにしてまで。それが嬉しくもあり、心苦しくもあったのだ。

 だからこそ、姉とは違ってオルコット家にとっても足手まといでしかなかったエクシアは、その提案に一も二もなく飛び付いた。オルコット家を守るための最後の剣となることを。たとえそれで真っ当な人間でなくなるのだとしても、彼女はチェルシーのために生きたかったのだ。

 生体融合措置を受け、IS『エクスカリバー』に搭乗する。それが、エクシアに課せられた使命だった。そのことを知らされず、ただ姉のためにと言い聞かされて何度か研究所に通わされた。その時に彼女は一人の少女と出会う。

 姉チェルシーと同じくらいの年齢の少女は、エクシアに向けて告げた。

「貴女がエクシア? ……負けないわよ」

「? 負けないってどういうこと?」

 少女の言葉の意味が分からなかったエクシアは首をかしげる。それを見て舌打ちをした少女はその特徴的なヘーゼルの瞳でエクシアを睨み付けて離れていった。エクシアはその少女が何に対して負けないと言っていたのか、最後まで知ることはできなかった。

 その直後に行われたIS適正検査で見事Sを叩き出したエクシアは、そのまま姉に会うことも出来ず監禁されることとなる。イギリス政府――主に貴族院を牛耳っていたオルコット家当主の意向でISコアとの生体融合措置を施されたエクシアを、他から分かる形で動かすわけにはいかなかったのだ。少なくともコア・ネットワークを切ってからでなければ動かせない。コアの動きからスパイに探られ、他国に生体融合型ISを見せる可能性がある以上はそうするしかなかった。故にエクシアは監禁されたのだ。

 そして、コア・ネットワークを切った上で彼女が『エクスカリバー』と共に宇宙へと撃ち出される時が来た。それが三年前のことだ。列車に乗せられ、目的地まで輸送されている最中で襲撃され、エクシアは亡国機業の手によって再調整された。そして宇宙空間へと放り出されたのである。

 彼女の話し相手になってくれたのは、似たような境遇にあるただ一人の女性だけだった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 イギリスのあるところに、ウェルキンという会社員がいた。その会社員は、オルコット家の経営する会社に勤めていた。そしてその会社員にはサラという名の一人の娘がいた。

 ごく普通の会社員だったウェルキンの運命を変えたのは、娘のサラだった。オルコット家で開かれた慰労会兼セシリアのお披露目会で、娘が持ってきたカメオがその運命をがらりと変えたのである。

 そのカメオがオルコット家の当主の目に触れると、彼の顔色が一変したのだ。

「ミスター、これはどこで入手されたんですの……!?」

「そ、そのう、娘が……」

 そしてサラは当主に激しく詰問された。その勢いはまだ少女というよりも幼女のサラにとっては恐怖でしかなかった。大人でも気の弱い人ならば泣き出すレベルの勢いだったのだ。泣きじゃくりながら、そのカメオを手に入れた場所と経緯を説明する。すると、彼女は近くにいた執事に何事かを申し付けた。

 そしてその数日後、ウェルキンの役職が一気に引き上げられた。その理由は、当主の大切なカメオを取り戻したからだと伝えられた。昇進はウェルキンも嬉しかったのだが、それを周知されたのが不味かった。

 そんなことで、という嫉妬は全てウェルキンに向けられた。その頃から流行り始めた女尊男卑の思想も相まってすぐに不祥事をでっち上げられ、辞職に追い込まれたのである。その事に対してサラは父の無実を訴えるべくオルコット邸を訪れたが、見覚えのある赤い髪の少女に追い返されて当主に会うことすらできなかった。

 そこからは、岩が坂を転がり落ちるようだった。父は心が折れて首を括り、父を支えていた母もまた後を追うように床に臥せったのだ。サラにできたのは、岩にかじりついてでも生き延びることだけだ。生きるためならば何でもやった。

 その一貫で、自身にIS適正があることを知ったサラは代表候補生になるべく研鑽を積んだ。その過程で専用機持ちになれるかもしれないチャンスが巡ってきた。それが大型IS『エクスカリバー』の専属搭乗者の選抜だった。その最終選考まで残ったサラは、またあの赤毛を見てしまう。そう、自らの運命を狂わせたあの赤毛だ。

 それを見てサラは近くにいた職員に問う。

「彼女は……?」

「ああ、エクシア? 心臓病を患っているらしいけど、適正は高いよ」

 その言葉にサラは奮起した。今度こそ、あの忌々しい赤毛を乗り越えるのだと心に誓って研鑽を積むサラ。

 

 しかし、その研鑽が理由でサラは『エクスカリバー』の専属搭乗者にはなれなかったのだ。

 

 その当時から使いづらいと言われ続けていた『メイルシュトローム』にしつこく乗り続けたサラは他の追随を許さないほどの腕前となった。そんな希少な人材として代表候補生に選抜されたのである。純イギリス製IS『メイルシュトローム』の技術伝承者として。

 その結果に怒り心頭になったサラは、エクシアにやり場のない怒りをぶつけたくなって彼女を探した。しかし見つからない。当然だ、そのときには既にエクシアは宇宙に打ち上げられたあとなのだから。サラは意地になって戸籍まで浚ったが、どこにも『エクシア』なる少女が存在した痕跡は残されていなかったのだ。その徹底ぶりは、かなりの金銭をばらまいて成されたものだと感じられた。

 そのことがずっと心残りで、だからこそ見覚えのある赤毛が目の前に現れたとき思ったのだ。

 

 今度こそ、この赤毛(運命)を乗り越える、と。

 

 もっとも、サラがついていないのは確かなので赤毛――チェルシーとエクシアの事情に巻き込まれてしまうのだが。それでも、今回は自分で選んだ行動なので納得するしかないのであった。



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望まれたままに。最早偽者などいない。

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 簪改めセレストサイド。


 レティの依頼を受け、セレストは全速で『エクスカリバー』の元へと向かっていた。

(……友達、か)

 その胸中は複雑だ。彼女の友は、彼女が本当のことしか言っていないのに裏切ったと思っているだろう。何も知らない人物から見れば明白な裏切り。だが、あの場にいた友たちならば分かったはずなのだ。

 

 『更識簪』と名乗っていた『ヒロノ』こそが彼女であったのだと。

 

 故にセレストは一切嘘をついていない。あの場にいた彼女が『更識簪』かと問われて、その答えが否であることは当然のことだったのだ。そういう名を持っているというだけ。本質は『更識簪』ではなく『ヒロノ』だった。それを自身のために抗弁しなかっただけの話だ。

 微妙に鬱になりそうなセレストに、グレイが声をかける。

『そこまで思い悩まなくても良いんじゃない?』

「それはそうかもしれないけど……やっぱり、わたしって強欲なんだなぁって」

(言わなくても分かって欲しかったっていうのはやっぱり傲慢だし、甘えだよね)

 鬱状態になってほしくないグレイの言葉は届かず、セレストの斜め上の答えにグレイは無い顔を歪ませた。何故そこでその返答になるのか全くもって理解できない。

 それをグレイはそのまま言葉にした。

『ごめん、答えがぶっ飛びすぎてて意味わかんない』

(というかセレストが何を言いたいのか全く分かんない)

「……知ってた……うんごめん、こう、考えてるとさ……結論がよくぶっ飛ぶんだよね」

 はあ、と最早意図的にやらなければ漏れもしない溜め息を吐く。正直にいって、セレストの思考回路はおかしい。唐突に変なことを言い出すのもよくあることだ。ただ、彼女の中ではそれで正しい返答なのである。

 いつもなら解説などしないのだが、グレイとは文字通り一蓮托生である。セレストはできるだけ分かりやすくなるように説明を始めた。

「万十夏とかさ、ランネとかさ、あの子達はまあ友達だった訳じゃない?」

『そうだね、確かに友達だったね』

(一瞬でそうじゃなくなったみたいだけどね)

 今や彼女らはセレストを友達だとも認識していないだろう。グレイは暗にそう告げていた。あの簪が一体何者なのかはグレイには分からないが、セレストが裏切ったと思った以上それを払拭するのは難しい。そして、自身を裏切った人間を友だと言えるような人間はそういない。

 高速で飛翔しながら、セレストは言葉を続けた。

「友達ってさ、お互いの性格ぐらいは分かってるもんだと思ってて……こうなっても条件なしで信じてくれるって思ってたわけ」

『それは流石に重すぎだと思うよ……だってセレスト、普通に誤解させる言葉しか言ってないじゃん』

「えっ」

 グレイのもっともな突っ込みにセレストが瞠目した。

(うわぁ……ヒロノだったとき、どうやって生きてきてたのセレスト? いや、だからむしろ追い詰められたんじゃ……)

 その反応に内心で呆れるグレイ。まさか敢えて誤解させるような言葉を選んでいたわけではないとは思わなかったのだ。あれはどう見ても誤解させにかかっているようにしか見えなかったのだ。ちなみにセレストは素でああ言っていた。誤解させようなどとはつゆほども思っていなかったのだ。

 顔をひきつらせるセレストのもとに、今まで一度も通信したことのないプライベート・チャネルが届けられた。

『今、よろしいでしょうか?』

「あー、レティ。どうぞ」

(むしろ助かった……)

 相手はレティだ。グレイとの会話が中断されたことを良いことに、セレストはそのプライベート・チャネルに聞き入る。

『一つ伝え忘れていたことがありまして……その、わたくし……エクスに本名を伝えていませんの』

「は?」

 その死ぬほどどうでも良い情報に、セレストの目が点になった。それがそれほど重要なことだとは思わなかったのだ。しかしレティはそれに対して後ろめたさを感じているらしい。

 躊躇うように息を呑んだ後、彼女はこう告げた。

『ですから、エクスには『デイジーに頼まれた』と伝えていただきたいのです』

 そのある意味では後ろ向きな言葉に、セレストはしれっと爆弾を投下する。

「それは一向に構わないけど……どうせ助けたら他に行く場所ないからそこに連れてくよ?」

(というかイギリスにとか連れていけないよ?)

『それはそれで嬉しいのですが……その、覚悟をする時間がほしいと言いますか……』

 何とも煮え切らないレティの気持ちが、しかしセレストには分かる気がした。むしろセレストの方が酷かっただろう。レティの場合は面と向かって言うだけの度胸がある。しかし、セレストは昏睡という形で引きこもったあげく映像を送りつけるという形でしか自分のことを伝えられなかったヘタレだ。何も責めることはできなかった。

 故にセレストはこう答える。

「ま、ゆっくり考えたら良いよ。どうせ時間はあるんだし」

『すみません……エクスを、お願いします』

「全力を尽くすよ」

 そしてプライベート・チャネルを終えて。セレストはようやく『エクスカリバー』が視認できる位置までやってきた。コア・ネットワークから自身を分断したとはいえ、そこにISがあるのならば何となく察せるようになってしまったセレストだ。そこに二機のISが侵入していることぐらいは分かる。

 その二機は、セレストはてっきり原作と同じくレインとフォルテだと思っていた。しかし――

「誰?」

「……私の目に間違いがなければ、彼女は更識の縁者だと思いますわ、サラ」

 そこにいたのはサラ・ウェルキンとチェルシー・ブランケット。まさかの組み合わせである。以前『キャノンボール・ファスト』の裏側で交わされた約束のことなど知るよしもないセレストには、サラとチェルシーが一緒にいる意味が分からなかった。

 そしてセレストはそれを問うべく二人に話しかける。

「何故にミス・ウェルキンとオルコットのメイドが一緒に行動してるの?」

(むしろ面識あったの?)

 その問いに二人は顔を見合わせた。目の前の女が自分達を知っている理由が分からなかったからだ。サラはひと夏一緒に過ごしているはずなのだが、どうやら顔面の判断基準はほぼ顔立ちではなかったようである。

 今のセレストは『自身が簪であること』を示すための願掛け『髪挿し』を差していない。ついでに眼鏡もどこかにいってしまった。要するに二人の『更識簪』の認識は髪挿しと眼鏡によって成り立っていたのである。

 それに何となく気づいたセレストは、懐を漁った。

「眼鏡眼鏡……あれ? 眼鏡? MEGANE!?」

(あれ、どこいった?)

 ただし焦るあまりおかしな反応になってしまってサラとチェルシーに更に不審な印象を与えてしまう。

「……と、取り敢えずこの間抜け面の女、捕まえる?」

「……そうですね……邪魔になりそうですし」

 ひそひそと話し合う二人。それに対してセレストは自身が『更識簪』だったことを証明することを放棄した。説明したところで今は何の意味もないことだ。それよりも今やるべきことに尽力すべきだろう。

 その判断のもとにセレストは二人に告げた。

「ま、取り敢えずわたしのことはセレストと呼んでくれればそれで良いかな」

 それにサラが突っ込む。

「いや良くないわよ。何でここに?」

「デイジーという女性に頼まれてね。ここにいるエクスって子を助けに来た」

 その言葉に再び二人は顔を見合わせた。これでは敵か味方か分からない。分からないが――

「……開いたわね」

「開きましたね……少なくとも、セレストというよりはデイジー様は信頼できるということでしょう」

 二人の道行きを塞いでいた扉が開いたため、半信半疑ながらも二人はセレストを連れていくことに決めたようだ。もっとも、そこから先はさして長くはなかったのだが。

 そこにたどり着くと、一人の少女がコードに拘束されているように見えた。セレストはそれに既視感を覚える。当然だ、レティも同じように繋がれていたのだから。

 それを見て、衝動的にコードを引っこ抜こうとするチェルシー。

「エクシア!」

「はいストップー。いや、下手に抜いて死んだらどうすんの?」

「くっ……そう、ですね……」

 歯噛みして下がるチェルシー。その代わり、サラが前に出てコンソールに手を触れた。それくらいならば問題ないだろうと判断したセレストは、グレイを通じてこの場をスキャンする。その結果は、セレストが思うよりも酷いものだった。

 サラがコンソールを叩き始めると同時に蠢き始めるそれを、セレストはワンオフ・アビリティ『灰色願望』で無効化する。ナノマシンを無力化することに特化したそのワンオフ・アビリティは、即座にその効果を発揮した。

 それにサラが弾かれたように顔をあげる。

「今……いや、貴女は」

「はいはい、今それ関係ないから。操作続けてミス・ウェルキン」

(そんなどうでも良いことよりエクシアの方を助けないといけないじゃない)

 あしらうようにそう返答すれば、サラは溜め息を吐いて告げた。

「サラで良いわ。貴女もそのISからハッキングして手伝って頂戴。……チェルシーはエクシアに声をかけ続けて」

「いえ、私は……」

「やりなさい、チェルシー。あんまり分の良い賭けじゃないわ……エクシアにも協力してもらわないとここで全員お陀仏よ」

 その張り詰めた声にチェルシーとセレストは眉を寄せた。そしてチェルシーはエクシアに声をかけ始める。それを尻目にセレストは『エクスカリバー』にハッキングする。

 すると、グレイから話し掛けられた。

『これ、不味いよ……エクシアをここから連れ出したら、コアが強制摘出されちゃう……!』

「つまりはそのプロテクトをどうにかしないといけないってことだね……ん?」

 口頭で返事してから、セレストは気付いた。サラとチェルシーが訝しげな顔でこちらを見ていることに。セレストの返事に訝しげな顔をしているわけではないようだ。その証拠に目線は周囲を忙しなく動き回っている。

 つまり、これは――

『えっ、もしかしてあたしの声……聞こえてるんじゃんやだーっ!』

 グレイの叫びが響き、その場は凍りついた。



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貴方が欲しい。そのためにここまで来た。

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 前回は空気が凍りついたまま終わりましたので解凍されるまで二話ほどお待ちあれ。


 一夏は混乱していた。今目の前で起きている物事全ての意味が分からなかった。視界に広がるのはある意味では同じ色であり、ある意味では全く別の色だった。

(肌色パラダイス……いや俺は何を考えてるんだ!?)

 それに対して一夏が言えるのは――

 

「その、三人とも……服、着ないと風邪引くぞ?」

 

 などという彼女らの意思を全く尊重しないもので。彼の視界にある肌は、次第に迫ってきていた。意外なことに一番遠くで見守っているのは鈴だ。その腕には何故か赤子を抱いている。

 それでも鈴が一番冷静だと判断した一夏は、彼女に声をかけた。

「お、おい鈴! 二人を止めてくれって!」

(明らかにおかしいだろ、この状況!)

 しかし鈴は張り付けたような笑みを浮かべたままこう返答する。

「何で? あーんなこというなんて、本当に無自覚タラシなぱぱでちゅねぇ、一音(かずと)

(こんなんだからあたしも強硬手段に出るしかなかったのよ)

「あぶぅー」

 そこにいたのは最早一夏の知る鈴ではなかった。彼の知らない顔で、見覚えのないはずの赤子をあやしている。それが似合わない、などということはない。いつまでも子供っぽいと思っていた鈴は、いつの間にか母親の顔が似合う女にまで成長していたのだ。

(鈴……っ、それよりも二人は!)

 鈴の言葉を半ば意識しないようにして彼女から視線を移した。最初に迫ってきたのはシャルロットだ。

「一夏……ごめんね、僕……嘘、吐いてたんだ」

「……え?」

(何を、言って……っ)

 その目には涙が浮かんでいる。それが無性に胸に響いて一夏はなにも言えなかった。むしろ彼に何かを言う権利などどこにもなかったのだ。彼の言葉を信じたがゆえに、彼女は全てを亡国機業に捧げなければならなくなったのだから。

 それを涙ながらに告白する。

「校則の特記事項なんて何の役にも立たなかったよ……デュノア社は乗っ取られて、僕が第三世代機に乗り換えて協力しないとお父さんも義母さんも殺されるんだ。全然今まで幸せにも、安全にも、なれなかったんだよ……!」

 心が砕けてしまいそうになりながらもここまできてしまったのは、一夏に恋するがゆえだ。彼以外なにも要らない。

「シャル、それは――」

「それにチャンスもあるんだ。今から僕と一夏で交わって、鈴みたいに子供を孕む。そうしたら皆自由になれるんだ。だから、だから――っ!」

 だから抱いて、とシャルロットは一夏に訴えた。それの意味を理解できず、一夏はシャルロットを抱き締める。それ以上のことをすることはどうしてもできなくて、慰めるように背を叩くだけだ。

(シャル、済まん……っ!)

 そんな二人に、ラウラに似た少女が近付いた。泣き腫らした顔は痛々しく、とてもではないが平静を保っているとは思えない。その弱々しい表情が、一夏に彼女がラウラではないと誤認させる。事実として、そこにいたのはラウラ・ボーデヴィッヒに間違いはないのだが。

 憔悴しきったラウラが掠れた声で一夏に告げる。

「……どうした、シャルロットを慰めてやらないのか……男なのだろう?」

(慰めてやれ……そうすればシャルロットも救われるのだ)

「……ラウラ、なのか?」

 一夏の口から出るのはその言葉だった。ラウラの望む言葉でも、行動でもない。ラウラは一夏に知って欲しいのだ。自らの呪われた生まれを。そして――一夏の呪われた生まれをも。そうすれば救われる気がした。

 だからこそ、ラウラはその呪いを吐き散らす。

「他の誰に見えるのだ……むしろお前に見間違えられるとは思いたくなかったぞ、()()

「……え?」

(今……ラウラ、『父様』って言ったか?)

 一夏は凍りついた。それが何を意味するのか分からなかったから、というわけではない。むしろ壮絶に嫌な予感しかしないのだ。これを知れば恐らく知らなかった頃には戻れない。

(何で、ラウラは確か試験管ベイビーだって……)

 だが、ラウラの顔を見ていると聞かなければならない気もしていた。だから、一夏はシャルロットを抱き締めながら問うた。

「ラウラ、父様、って……」

「教えてやる。だが……先に、情けをくれ。いや、こんな言い方では通じんのだったな……子作りするぞ一夏。何、怖がることはない。全て私達に任せろ」

(まあ、私は結ばれようが禁断の関係に間違いはないがな)

 そう淡々と返すと、ラウラは抱き締められている形のシャルロットと共に一夏に奉仕を始めようとする。その唇がどこへ向かおうとしているのかを見て取った一夏はぎょっとして二人の頭を引き離そうとした。

「えっ、いや、ちょっとまっ――」

「嫌なのか? シャルロットも私も、お前が好きなのに……それとも、お前にとってはシャルロットも私もそんな価値のない女だということか?」

「……そうなの、一夏?」

(くっ……)

 潤んだ目でシャルロットとラウラの二人に見つめられてしまえば、もう一夏に抵抗することなどできなかった。だからこそこれは罰なのだと信じた。

(俺が気付けなかったから、二人ともこんなに追い詰められて……っ!)

「いや、シャルもラウラも、魅力的な女の子だよ。嫌いなわけないじゃないか」

 その言葉をトリガーに、二人は一夏を貪り始めた。彼を残さず搾り取るまで交わる間、鈴は次の行動について思案するのだった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 その頃、別の部屋ではレインとフォルテ、そしてスコールが話し合っていた。

「……それで、あいつらは戦力にするのかよ、叔母さん」

「叔母さんはやめなさいレイン。でも、そうね。戦力にしなくても何ら問題はないわよ?」

「何でだよ、スコールおば……スコール」

 途中で睨まれたのでレインは呼び方を変えた。しかし今のままでは戦力が足りないのは確かだ、とレインは思っている。

(オータムを助け出すにしろ、脱出するにしろ、戦力はいるだろ?)

 そのレインの考えを、フォルテは部分的に否定した。

「ちょっと勿体ないけど、人質交換すれば良いっスよ」

「いえ、それすらも必要ないわ。今隣の部屋で起きていることは分かっているわね?」

 スコールの言葉に、二人は顔を赤らめて首肯した。今でも微かに聞こえるのだ。シャルロットとラウラのあられもない声が。一度快楽に堕ちた一夏は、二人に種付けすること以外考えられなくなっているのではと思えるほどに盛っていた。

 事実としてスコールも知らないことであるが、一夏は元々究極の人類を作り出すためのつがいの片割れなのだ。子を孕ませるための知識とテクニックが脳内に刷り込まれている。彼はそうとは知らないだけで、実は相当なテクニシャンなのである。

 それはさておき、スコールは近くのモニターをつけた。そこには一夏がラウラを抱えあげ、シャルロットとキスをしながら交わっている様子が映し出されている。それが意味することは、つまり。

 がたん、と音を立ててフォルテが立ち上がった。

「まさか、録画してるっスか!?」

(スコール、エロビデオでも売って資金源にする気なんっスか!?)

「うふふ、これを見たら織斑千冬以外は動けなくなるでしょうね。ブリュンヒルデだけは生身で襲い掛かってくるでしょうけど、呆けた専用機持ち達とオータムを守りながら私達を全滅させるのは不可能でしょう」

 悪い顔で笑いながらスコールはそう告げる。この場所の守りは鈴に任せ、三人で出る予定だ。そうすればオータムも救えて一夏も確保できる。その後は後ろ楯のあるルクーゼンブルクへと逃げ込めば問題ないのだ。

 そして――静かな余生を過ごす。ISなど知ったことか。オータムと二人で、呪われた運命から逃げて。そして幸せになるのだ。そのための対価は手にいれた。少しばかり不自由でも良い。残り少ない余生を静かに過ごせれば、スコールはそれで満足なのだ。

 スコールは僅かに微笑みを浮かべ、すぐに消し去った。ISから警告が届いたのだ。

「とはいえ、ここに専用機持ち達が攻めてきたっていうのは笑えないわ。私はオータムを。貴女達は限界までここを守って撤退なさい」

「わかったっス」

「任せろ」

 すぐに三人は行動を始め、レインとフォルテを置いてスコールはオータムを救うために飛び出した。オータムを見張っているはずの楯無と話をするために。そこにはアリーシャと真耶、そして簪が残されているが問題ない。その他の専用機持ち達と千冬はこちらに向かっているようだ。

 最高速度で向かったからか、目的地へはすぐにたどり着いた。

「……っ、スコール……」

「考えてくれた? 今後のこと……どうあがいたって貴女には暗い未来しか待っていないってこと、分かったでしょう?」

 武装を向ける楯無にスコールは甘い言葉を囁いた。スコールは楯無に会うたびに、彼女には思っているほど後がないことを教え込んでいた。実際、楯無はいつ暗殺されてもおかしくない立場におかれているのである。

 スコールが伝えたのはロシア代表になった時点で日本からほぼ切り離されていること。IS学園に入学し、一年で轡木と接触して協力体制を築いた時点でロシアからも微妙に距離をおかれ始めたこと。そして一夏と接触して名前で呼び合うようになった時点で各国からハニートラップを疑われ、轡木からも見放されようとしていることだ。

 勿論ここで嘘をつく意味がないため、全て真実を伝えていた。その上で彼女個人の幸せのためにはどうすれば良いのかということを少しずつ示唆していたのである。

 そして今、その行動が実を結んだ。

「……ゎ」

「何ですって、更識楯無?」

「良いわ、連れていきなさい。その代わり――」

 楯無は堕ちた。全てに見放されるその前に、自分から全てを捨てようと思ったのだ。そうすれば幸せになれる。スコールのいうとおりにすれば、自分の望みは叶うのだ。

 そして楯無はオータムの枷を外し、スコールに引き渡した。隙を見せているにも関わらず襲いかかってこないのはそれだけ追い詰められている証左だ。

 因みにここに残されていたアリーシャとはすでに話がついており、千冬への当て馬にする目的で引き抜いてあるので手を出しては来なかった。真耶はオペレーターの指示で全く別の方向を警備しているため何も知ることができない。

 そうしてオータムを連れ、拠点に戻ったスコールは想定外の事態にぶち当たることになる。

「聞いてないわよこんなの!」

 そう毒づくのも無理はない。しかし、それでも愛するものを取り戻したスコールはそれに立ち向かうことなく撤退し始めるのだった。



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残留思念。彼女の願いはどこに。

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 一夏はハーレムの主になるんじゃないかな(目逸らし)。ほら、定番のイベントは今からこなすわけですし。


 セシリア、箒、万十夏、本音、ランネ、千冬の六人は一夏を取り戻すためにとある場所へと向かっていた。京都市街にほどよく近く、しかしながら人目につきにくい亡国機業の拠点だ。そこに『白式』の反応があったのである。

 そこで六人が見たのは、我を忘れたようにシャルロットとラウラを抱く一夏だった。それを見た瞬間に頭が真っ白になり、瞳を紅く染めて箒が《雨月》で一夏を貫く。

 それを見てセシリアが悲鳴をあげた。

「箒さんっ!?」

(何をなさっていますの!?)

「一夏っ……篠ノ之ぉ!」

 次いで放たれた千冬の怒号で我に返った箒は、自らのしでかしたことを直視した。

「え? あ……ああ、私は、 私は何てことを……っ!」

(私のものにならないなら死ねば良いのよ)

 悲鳴をあげる箒の頭に、そんな声が響いていた。しかしそれが彼女に聞こえることはない。そしてその声の主の目的もまた果たされることはないのだ。

 

 何故なら彼は――究極の人外なのだから。

 

 彼女らの見ている前で一夏の姿が変わる。『白式』が勝手に展開され、そしてそれぞれのISに表示されているその文字が歪んで崩れた。

 そのあとに表示された文字を見て、ランネが呻くような悲鳴をあげた。

「『白騎士』、ですって!?」

「落ち着いてらんらん、それよりも今は――っ、わぁ~、レイン・ミューゼルとふぉるふぉる先輩だぁ~」

 ランネを制するように一言告げた本音は、タイミング悪く出現した二人を見て苛立つほどにゆっくりとした声をあげた。今はそれどころではないのだ。その二人に構っている暇などない。目の前の『白騎士』は明らかにこちらを狙っているのだから。

 瞬時加速ではあり得ない速度でランネと本音に迫る『白騎士』。それを万十夏が装甲で受け止めた。

「くっ……重い……っ!」

「まどっち!」

「っ、優先順位を入れ替えろ! こいつは押さえられるだけ押さえるから、先に羽虫を落とせ!」

 万十夏の叫びに、自分達では受け止めることすらできないことを悟った。本音もランネも本家から聞かされているのだ。万十夏の力の強さを。故に二人はレインとフォルテへと向かった。箒とセシリアもそれに次いで二人を追う。

 それを見届けたのかそうでないのか、万十夏にだけ聞こえるタイミングで『白騎士』が漏らす。

「貴女に、力の資格は、ない」

「知るか。資格など与えてもらう必要はない!」

(それをお前が言うのか、『白騎士』っ!)

 万十夏が即座に反駁したのは、その言葉に傷ついたからでもある。彼女にとっての力の象徴は千冬だ。既に過去の簪によってその固執からは解き放たれてはいるものの、過去は消えないのだ。『力が強すぎる』『千冬ではない』『千冬にはなれない』その言葉が、時折万十夏を苛む。それを見せないように振る舞っていても、その言葉は消えないのだ。

 このときほど、万十夏は自身のISから武装が消え去ったことを呪ったことはなかった。『白騎士』の手が伸び、彼女の首に手をかけて瞬時加速する。それに抵抗すれば、恐らく他の人を狙ってくるだろう。それが分かってしまうから万十夏は抵抗できない。そのまま地面に叩きつけられようとしたところをシステム『シュレディンガーの猫は箱の中』を発動させ、衝撃を殺す。

 いぶかしむように触れている感覚の消えた手を見つめ、『白騎士』は再び声を発した。

「資格のない、モノに、力は、不要」

「随分と……っ、上から目線だな。お前に力の資格の有無を断じる権利があるとでも?」

(そんなこと、認めてたまるものか!)

 しかし『白騎士』は万十夏の言葉には答えない。今の攻防を見て万十夏と戦う無意味さを理解したのだ。倒せないのなら放置する。『白騎士』にとって力の資格を持つものは、彼女に挑む価値のある人間は他にもたくさんいるのだ。彼女の判断基準ではニンゲンではない万十夏にかかずらっている暇はない。

 故に彼女は傲慢な言葉を発する。

「力の資格が、ある、者たちよ……私に、挑め」

 そして近くにいた箒に襲いかかる。しかしそれを止めたのは万十夏だった。認めるわけにはいかなかった。自身のアイデンティティーを破壊されないために。資格など要らないと言ってくれた簪のために。

 武装はない。だからどうした。万十夏はその程度で敗北を喫するほど惰弱な存在ではないのだ。今度はブレードを受け止めず避け、蹴りを入れる。

 それと同時に攻撃を加えた人物を見て万十夏は怒号をあげた。

「死にたいのかねえさん!」

「黙れ万十夏、そんなことを言っている場合か!」

 そう言う千冬は生身のまま刀を振るって自らの影へと挑む。この二人はラウラのVTシステムと直接対峙したわけではないが、その手強さは誰よりも知っていた。千冬は自分と戦うことを想定していないが、万十夏はいつか越えるべき壁だと認識していて何度もシミュレーションを繰り返している。

 それでも、二人がかりでやっと止められるレベルだ。長引けばその分千冬達に不利になる。故に命運はレイン達を止めにかかっている本音達にかかっているわけだが――

「ああもうっ、何でこんなに合わないのよ!」

 あまりに息の合わない連携に悲鳴をあげるランネ。その理由は皆が焦っているからだ。箒もセシリアも、一刻も早く一夏のもとへと向かいたいのだ。故に単調な攻撃になり、コンビネーションに優れたレインとフォルテの二人にあしらわれるだけとなる。

 そしてその絶望的な連携に、二人は目配せした。

『ここは隠れて『白騎士』に倒してもらおうぜフォルテ』

『そうっスね。で、残った奴らを美味しくいただけば完璧っス』

 プライベート・チャネルでそう会話し合った二人は氷を急激に熱して霧を作り出し、一度姿を隠した。するとすぐに『白騎士』が箒達に襲いかかる。レインたちにとっては、楽をして勝てるのならばそれが一番良いのだ。

 そしてその二人が逃げたと現実逃避気味に判断してしまった一同は『白騎士』へと挑む。『力の資格がある』者達への挑戦は『白騎士』の望みなのだから、その狙いが外れることはあり得ないのだ。

 絶望的な連携を繰り返しながら戦うしかない一同は次第に追い詰められていく。なおシャルロットとラウラは、一夏に抱き潰されてとっくに鈴によって避難させられていた。その鈴も一夏とは戦う気がないため、不利な状況は変わらない。

 荷電粒子砲が空を駆け、セシリアを撃ち抜く。

「ぁっ、あああああっ!」

「セシリアっ!」

(申し訳ありません、一夏さん……っ!)

 まずはセシリアが堕ちた。『白騎士』に対して決定打のない彼女にはそれに抗うすべはなかったのだ。それを庇うようにしてランネが動きを制限される。いくら特殊武装《黒の水》を使いたい放題とはいえ、使う本人の脳が着いてこられないのでは全く意味がないのだ。

 そしてランネが堕ち、箒を庇って本音が堕ちた。武装もなく戦い続けていた万十夏も限界が近い。千冬はいまだに動きが堕ちていないという人外っぷりを発揮しているが、それも時間の問題だ。庇うべき人間が増えていく現状では、いかな同一人物とはいえ生身の千冬が負ける。

(どうする……このままでは全滅か……っ!)

 歯が砕けそうになるほど食いしばって、千冬は方策を考えざるを得ない。どうすれば勝てるのか、どうすれば一夏を取り戻せるのか。それを思い付かない限りはこの状況は打破できない。

 しかし、ここで箒が吠えた。

 

「いい加減にっ……一夏を返せぇっ!」

 

 空気が震えるほどの怒号。箒の瞳に灯る紅の光。そして、それにつられるように現れる無数の――

「なっ……何をしている篠ノ之!」

 それを視認した千冬は驚愕の声をあげた。まるで気配を感じられなかったそれは、どう見てもISだ。しかもそこに人間など乗っていない。完全な無人機なのだ。それが意味することを、千冬は認識することを放棄した。

 そして、無数の無人機が『白騎士』を撃滅しようと襲いかかる。それを『白騎士』はまるで室温のバターを切るように斬り伏せていく。『白騎士』にとって力の資格があるのはあくまで箒であって無人機ではないのだ。故に簡単に始末できる。

 ただ、その隙をつくものがいる。

「全く……束の仕業か?」

 千冬が無人機を盾にして『白騎士』に痛打を浴びせ、それを追うように万十夏が一撃を浴びせて堕ちた。それでやっと『白騎士』が動きを止め――そして千冬も動きを止めた。

 その理由は、新たに現れた二人組にある。

「クーちゃん、今のうちだよ」

「はい、束様」

 束に従順なクーちゃん――クロエ・クロニクルがISを展開して生身の千冬に幻覚を見せる。勿論一瞬の停滞しか生まないが、それで良いのだ。ここにいるのは天災なのだから。

 彼女らが行ったのは千冬達の足止めだ。そして、その隙に『白騎士』に痛打を与えたレインとフォルテによって変身が解けた一夏が連れ去られる。

 それを黙ってみている箒ではない。

「やめろ……返せ、一夏は……一夏は私のだ!」

 その声と共に無人機がレイン達に襲いかかろうとするが、何故か束がそれを妨害した。

「はいはい箒ちゃん、落ち着いて?」

「何で邪魔をするんですか、姉さん!」

 箒の今にも殺すと言わんばかりのその勢いに、束はだらしない笑みを浮かべる。束にとって箒はヒーローなのだ。ヒーローは絶対に負けてはならない。だが、連れ去られるヒロイン(一夏)に歯噛みするのもまたヒーローだ。

 あとは一夏を劇的に助け出せば箒の望みは叶う。そして世界で最初の代行者となるのだ。そうすれば世界中の誰もが認めるだろう――箒こそが最強の人類に相応しく、最強の人外のつがいに相応しいのだと。束や千冬が例外で、その一段下に並び立つ王と女王になれるのだと。

 無論王と女王を超える人類として、束も、ついでに千冬も崇め奉られるに違いないのだ。

(これでもう誰も束さんをバカにしたりしない。誰も出来損ないだなんて言わない。誰もが――私を認めてくれるから)

 そのある意味では幼稚な願いを。隣で静かにクロエが嗤っていたことに気付くものはどこにもいなかった。




 一夏は刺されました。そりゃ(箒にとって)浮気してたら是非もないですね。南無三。


※閲覧注意、単語の言い換えについて



原作マドカ「織斑千冬の残留無意識だとでもいうのか!?」
→そんな単語ないよぉ……
→じゃあ残留思念で。略して残念。

 しかし残念さんに今後出番は……ないな。残念さんはどこまで行っても残念さんでした。


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ISコアへの祈り。それは奇跡の。

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 コアって一体何なんでしょうねぇ?


 凍りついた場を溶かしたのはその場にいた誰でもなかった。

『エクス、寝たふりをしていないで起きなさい。そこの方々はあなたを救うためにいらしたのです』

 この場にいないはずの人間の声。それが誰の声であるのかを知っているのはエクシアと、セレストしかいない。そして意識のないはずのエクシアがゆっくりとまぶたを開き、焦点を合わせる。

 その動きだけでチェルシーは悲鳴のような声をあげた。

「エクシア!」

「おねぇちゃん……」

 久しぶりに聞いたその声にチェルシーは我慢できなくなって抱き付いた。エクシアも大人しくそれに身を任せ、最期の時を堪能している。

 

 そう、エクシアにも既に分かっていたのだ。もう手の施しようがないことを。

 

 同じ生体融合型でも、クロエ・クロニクルのように瞳と融合しているのならばまだ救いはあったのだ。だが、エクシアに植え付けられたコアは心臓と融合している。当然のことながら、その融合が解ければ死ぬ。

 エクシアは元々が重い心臓病で、ISコアは心臓の動きを補助するために植え付けたのだ。分離するのは不可能に近い。そして『エクスカリバー』からエクシアが降りるためには、コアを分離するしかないのだ。

 それが分かっていて、レティはエクシアを救ってほしいと言ったのだ。その意味は当然『安らかに死なせてやってほしい』である。ここにセレスト以外の人間がいたのは誤算だったが、それでもやることは変わらない。

 そしてエクシアもそれは理解していた。

「ごめんね、おねぇちゃん……ずっと足手まといで、迷惑かけてばっかりで……」

 故に出てくる言葉は謝罪の言葉だ。今までずっとエクシアのために頑張ってきてくれたチェルシーのために。自分に伝えられる言葉を、全て伝えなくてはならない。心残りなど残せないのだ。それはチェルシーの傷になってしまうから。

(おねぇちゃんと、一緒に生きたい……でも、無理なんだよ、おねぇちゃん)

「ずっとずっと、守っていてくれてありがとう、おねぇちゃん。大好きだよ」

 その言葉に、チェルシーは沸き上がる感情を抑えきれなかった。いつも冷静沈着でどこかミステリアスな『チェルシー・ブランケット』などそこにはいない。そこにいるのは『エクス』のたった一人の姉『チェル』だったのだ。

(嫌です……そんなの、認めない!)

「そんな、これで最期みたいな言葉は聞きたくないわ!」

「最期だもん……わがままぐらい聞いて、おねぇちゃん」

 エクシアの瞳には涙が浮かんでいて、チェルシーは言葉を呑み込んでしまった。聞けばそれが最後になると分かっているのに。聞かなければならないことに心が張り裂けそうだった。

(嫌……エクス、ダメ……)

 心の中で弱々しくエクシアを制止するチェルシーは、それが聞こえるはずがないことすら認識できていない。認められないのだ。たった一人の妹を、妹として生きられるようにするためには死なせるしかないという事実を。

 それを裏付けるような言葉をエクシアが告げる。

「ここに居続ければ確かに生きられるかもしれない。でも、私は人間として死にたいんだ。おねぇちゃんの妹として、死にたいんだよ……」

「エクシア……っ」

 心が砕けてしまいそうな声に、エクシアも涙をこらえる。ここで泣いてはいけない。泣けばチェルシーを苦しめてしまうから。それでも抑えきれない涙が一筋、エクシアの瞳からこぼれ落ちて。

 その空気に声を挟めないサラからセレストはプライベート・チャネルを受け取った。

『どうにかする手段はないの?』

 それに対してセレストは自身の意見を告げた。

『ないとは思わないけど、実現できるとも思わない』

『……説明して頂戴。このままあの二人が心中なんかしたら寝覚めが悪すぎるわよ』

 そこでグレイが口を挟もうとしたが、セレストは制止した。グレイは彼女の考えに感付いていて、確かに不可能ではないかもしれないが限りなく希望が薄いことを誰よりも理解していた。何故ならその手段は、ある意味宝くじに当たる可能性よりも低い。しかしながらそれが切実な願いであるのならば、これ以上ない手段だからだ。

 それを、セレストはチェルシー達に告げた。

「手段はあるよ」

 その短い言葉だけで、チェルシーは瞠目して反転する。そしてセレストの肩を掴んで揺さぶった。

「言いなさいっ……! その手段を! どんな手段でも構いません!」

 それは蜘蛛の糸のごとき僅かな希望。しかしチェルシーにはそれにすがる以外の選択肢は残されていなかった。その手段は本当に簡単なものなのだ。成功するかどうかは別として。とはいえその条件をクリアしているかどうかがまず鍵になる。

 それを確認するためにセレストは問う。

「まず確認するけど、チェルシー。『ダイヴ・トゥ・ブルー』は二次移行してる?」

「しています、けれどそれが――」

 チェルシーが言葉を告げ終わる前にセレストはエクシアに向き直る。

「エクス、『エクスカリバー』は?」

「してる……けど、何が言いたいの?」

 チェルシー、エクシア二人の疑問に答えたのは、先程彼女たちが聞いた声だ。『分が悪い』などという言葉を使わせないように忠告してから、セレストはグレイに説明を任せる。

 勿論その場にいる人間には半ばホラー現象にしか思えないが、それでもそれは救世主の声だ。

『それであたしの声が聞こえてるんなら確かに可能性はあるね』

「誰です? いえ、誰でも構いません。エクシアを救える手段があるのなら……!」

(何だって構いません、エクシアが生きられるのなら!)

 チェルシーの言葉に、グレイは僅かな沈黙を挟んで呼び掛けた。この場に存在しないと思われているものに。自らの同胞とも呼べる、『ダイヴ・トゥ・ブルー』のコアと『エクスカリバー』のコアに。

『起きなよ『ダイヴ・トゥ・ブルー』。『エクスカリバー』。仮にもあたしより長生きしてるんでしょ? 起きてないなんて言わせないわよ?』

 その声は確かに誰かに届いた。そこにいた人間たちはそれを確信したのだ。何者かにその声は届き、確かに応えた。そしてその後届けられた意思をチェルシーとエクシアは受けとる。

 そして二人は告げた。

「お願いします、イヴ……私はエクシアを救いたいのです!」

「お願い、コール……私、おねぇちゃんと生きたいの!」

(だから助けて!)

 その宣言が終わるや否や地面が光り始めた。そして『ダイヴ・トゥ・ブルー』も同じく光り始める。その光はほぼ同質のもので。そこには奇跡のような事実が隠されていた。融け合うようにその光は混ざり合い、エクシアを包んでいく。

 エクシアの胸からISコアが吐き出され、それを補うように光の奔流が流れ込んだ。それをただ呆然と見ていることしかできないサラはふと気付く。装甲がほどけているということは、この光の奔流が止まった瞬間結局二人は死ぬのでは、と。

 サラは慌ててセレストに向けて叫んだ。

「ちょっ、このままだと真空に放り出されるわよ、簪!」

「わたしはセレストだけど? ミス・ウェルキン。それに方法はあるから安心して」

「方法って……うえっ!?」

 セレストはサラの反応を待たずに武装を展開し、空間を制御して光の奔流ごとチェルシーとエクシアを包み込んだ。かなりのエネルギーが渦巻いているのでシールドエネルギーがガリガリ削れていくのがわかり、顔をひきつらせた。

 このままでは勿論全滅するため、セレストはサラに移動することを伝える。

「ミス・ウェルキン、ルクーゼンブルク上の衛星へ向かうからついてきて!」

「はあ!? 何でそんな――あーもうっ、分かったわよ!」

(どいつもこいつも人の話くらい聞きなさいよ!)

 言い終わる前から瞬時加速を始めていたセレストに追い付くべく、サラは『メイルシュトローム』を瞬時加速させた。本当は関わらなくても良い事柄なのだが、ここまで来てしまった以上イギリスにも帰れないことは分かっている。サラに残された選択肢はこのまま付いていくという消極的なものしかなかった。

 そして程なくしてたどり着いたのは、『エクスカリバー』に良く似た衛星だ。先程とは違って人間が生きられる環境であることを確認したサラはセレストに続いてその先へと進んだ。

 そして、一人の女性の前でセレストはエクシアとチェルシーを解放した。

「ひゃっ!?」

「きゃっ!?」

「えっ?」

 突然転がり出てきたエクシアとチェルシーに、その女性――レティは困惑を隠せない。更に自身のIS『デイジー』から伝えられた情報に瞠目するしかなかった。そこにあるべき反応がなかったのだ。

 

 そう――IS二機分の反応が。

 

 それを視認したセレストは二人のバイタルを確認した。ISが人の願いを叶えることは分かっていたが、どのように叶えられたかが分からなかったからだ。その結果、かなりの綱渡りをしていたことに気づいて背筋が冷える。

(なるほど、『ダイヴ・トゥ・ブルー』がチェルシーの肉体情報の提供しつつ『エクスカリバー』に同調して? ……それを『エクスカリバー』が完璧にエクシアに適合させて二人の心臓の脆さを均一にしたってドウイウコトナノー)

 なぜ成功したのか、セレストには全く理解できなかった。成功したのは『ダイヴ・トゥ・ブルー』と『エクスカリバー』のコアナンバーが連番であり、かつ同じ石のすぐ隣から削り出されたからである。これは、ほとんど同質のコアだったからこそ出来た所業なのだ。

 これが『エクスカリバー』と『グレイ・アーキタイプ』であれば間違いなく失敗していた。搭乗者の望みも、コアのタイプも全く違うのだから当然だろう。その二つがほぼ同質だったからこその奇跡。

 起き上がったエクシアは、自身の胸のうちからコアが消えていることに気付いた。そして全く息苦しくもなく、締め付けられるような苦しさがないことにも気付いた。

 対するチェルシーは、起き上がっただけで気付いた。いつもよりも動きが冴えなくなっていることに。それでもエクシアの元気そうな顔を見ていると言い出さなくても良い気がした。

 

 そうして――エクシアは、救われたのだ。レティの望む通りに。



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貴方のために。必ず助け出す。

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 ヒロインズは歯抜け状態になったので一番強化されたら不味い人を強化しました。


 連れ去られた一夏を追わなければならない千冬達だったが、またしても体勢を整えなければならなくなっていた。その理由は簡単だ。皆の連携が機能していない現状で追っても一夏を取り戻せないから。故に千冬達は一日だけ連携を強化するためにアリーナに籠ることにしたのだ。

 やることは至極簡単だ。模擬戦を通じて味方の動きの特徴を叩き込むのである。そうすれば何となく次はこう動くだろうという予測がたてられるので動きやすくなるのだ。少なくとも千冬はそう判断していた。

 そして千冬もまた準備を整えなければならなかった。一夏を取り戻すためにIS『暮桜』の封印を解いたのである。メンテナンスと最適化の補助を簪に頼み、感覚を研ぎ澄ませていく。

 

 それが間違いだったと、気付くことなく。

 

 長年の封印で動きのぎこちない『暮桜』と勘が錆び付いた千冬とは、微妙なところで噛み合ってしまった。それを悪意をもって調整した簪はそのシンクロの位置をわざと低く設定する。()()()()()()()()()()()()にとって、千冬など邪魔でしかないのだから。

 千冬の調整を終えた簪は、自身の調整に移る。いつもよりも少しだけ念入りに。振動ブレード《胡蝶之夢》にも、荷電粒子砲《雷霆万鈞(らいていばんきん)》にも、マルチロックオン・システム搭載のミサイルポッド《砲煙弾雨》にも。倉持から拝借してきたシールドパッケージ《確乎不動(かっこふどう)》の調整まで終えれば完璧だ。

 それが終われば、次は楯無の『ミステリアス・レイディ』の調整へうつる。『ミステリアス・レイディ』の調整も完璧に行った簪は、一息入れてから次はセシリアの『ブルー・ティアーズ』に移った。ある意味ではほとんど戦力にならないその機体も、簪は改善したように見せかけながら改悪を施す。連射速度をあげた代わりに一定回数撃つとオーバーヒートして壊れるよう細工したのだ。

 次は本音の、と思った簪だったが、元々整備科志望の彼女の機体には触らせてもらえず、ランネのものもまた調整を必要としていないことから断られた。ならば万十夏のものはというと、残念ながらそちらも調整するだけの武装がない。

 簪は周囲をぐるりと見回し、少々リスキーではあるが箒の武装に手を出すことにした。束にバレれば面倒なことになるかもしれないが、それでも一夏を取り戻されては困るのだ。一夏にはこれからルクーゼンブルクでハーレムキングになってもらわなければ困るのだから。

 箒の『紅椿』は中々に愉快なことになっていた。レーザー射出型刀剣《雨月》とエネルギー放出型刀剣《空裂》はまだ良い。しかし、その他の武装がいろんな意味で惨劇だった。出力可変型ブラスターライフル《穿千》や謎の『コード・レッド』に管制AI『赤月』、更には対多数制圧用ビット《朱蜂》といった、実に多彩な武装が増えていたのだ。

 勿論整備についてはそこまで詳しいわけではない箒は簪が近づいてくるのを見て救世主を見たような顔になる。

「済まない、簪、その……手伝ってくれるか?」

「勿論。任せて……」

 本人のお墨付きを得て武装をチェックし、エネルギー射出系の装備はその出力を一定に固定する。そして《朱蜂》に関してはそれぞれ細かい整備をすると見せかけて微妙に違う箇所を破損させる。

 そして全員分の整備が終わると、学園に残していた専用機持ち達との模擬戦だ。

「やれやれ、私達は蚊帳の外ですか? 織斑先生」

「ローランディフィルネィ、お前は分かっているだろう? 本来であれば篠ノ之もオルコットも連れては行けないんだがな……」

 そうロランツィーネに返答する千冬の顔には苦い色が浮かんでいる。

「……そうですか」

(ごねると分かっているから止めないわけか……)

 それに対して何ら追及することなく、ロランツィーネはその無言の拒否を受け入れた。もっとも、頼まれてもロランツィーネには行く気などないのだが。行ったところで何の意味もないのなら、ロランツィーネは大人しくしておくだけだ。

 そもそもロランツィーネはオランダ政府から『あまり無理をするな』と言われている。国民に絶大な人気のある彼女に、もし傷でもつけばデモは必至だろう。一度は『『更識簪』を懐柔もしくは暗殺せよ』という命令が下されていたものの、それも撤回されている。嘘をついていた彼女を無理に追う必要もなければ、今ここにいる彼女に付いていくだけの理由もなかった。

 『彼女』が嘘をついていたとわかった時点で、ロランツィーネの興味は失せてしまったのだ。興が削がれたというのもあるが、付き合うことにリスクのありすぎる友人関係を続けようとは思えなかった。

 それに対してファニールとオニールが非難の声をあげる。

「えーっ、何でダメなの? お兄ちゃんを助けに行くなら人数がいるんじゃないの?」

「私達も一夏を助けに行きたい……!」

 その少女の無邪気で真摯な懇願を千冬は一刀両断した。

「ダメだ。そもそもお前達のISは特殊すぎる。それに危険が伴う任務には就かせないようカナダから要請されているからな。諦めろコメット」

「ぶー……」

 それを聞いて不貞腐れるオニールをファニールが宥めにかかる。コメット姉妹とて一夏に淡い恋心を抱いているのだ。そんな彼を助けにいきたくないはずがない。

 もっとも、助けにいきたくなくとも声をあげる人物はいるのだが。

「あの、織斑先生……」

(それならば私はどうなんでしょうか)

 おずおずと切り出したヴィシュヌを、千冬は射殺せそうなほど強く睨み付ける。

「貴様には前科があるだろうが。絶対に許可せんぞギャラクシー」

「う……はい」

 逆にヴィシュヌは一夏の命を狙い続けているので連れていけない。戦力としては申し分ないのだが。彼女がまだIS学園にいられるのは学園の生徒を守るよう強要され、それを受け入れているからだ。今は猫の手でも借りたい状態なのだ。でなければとうの昔にタイ政府が揉み消しまくった証拠など即座に掘り返してヴィシュヌを本国送りにしている。

 そしてこの場にいないグリフィンに関しては、学園長と全力で交渉し続けているので動くことすらままならない。事実上の全夏会の優勝者という名目を盾に、楯無が用意した『好きな人と同室になれる権利』を行使するためだ。これまでは話も聞いてもらえず撥ね付けられるだけだったが、その代償を支払うことでようやく幸せを手に入れられそうなのだ。出張ってくるだけの余裕があるはずもなかった。

 そして――

「……ここでルククシェフカに脱走されたのは痛いな」

(あれなら多少無理をさせても問題はなかったのだが)

 呟く千冬の言葉通り、残るクーリェは立て籠っていた部屋から忽然と姿を消していた。抵抗した痕跡も残されていないことから、自分から姿を消したものと見られている。どこに行ったのかすら皆目見当もつかないが、今は彼女を探している場合ではないのだ。放置するしかなかった。

 そして全員の準備が整った頃。残される代表候補生たちとの模擬戦が始まった。千冬達の布陣は前衛が千冬、万十夏、ランネ。中衛が箒と本音で、後衛がセシリアと真耶。そして遊撃が楯無と簪である。

 対する代表候補生たちには教員が加わった。流石に人数差が酷いからだ。その布陣はヴィシュヌと二年四組担任アーデルハイト・ハルフォーフが前衛、ロランツィーネと二年二組担任フェリーシャ・ジョセスターフが中衛、コメット姉妹と三年三組担任鎬音無が後衛である。遊撃には篝火カワルノとエドワーズ・フランシィが当てられる。

 そしてそれらを評価するのにノトナと布仏真実が呼ばれ、模擬戦が始まった。

「まず飛び出したのは箒ちゃんか……」

「中衛ではありませんね、どう見ても。あれならランネ嬢の方が大人ではありませんか」

 速攻で飛び出した(実妹)に対して呆れた声を出すノトナに、真実が応える。因みに真実は布仏家当主の妻でもあり、ランネの保護者でもある。楯無とは違って学園の内情を包み隠さず日本政府へと報告しており、時に楯無の決定を日本よりになるよう誘導していたりもする。

 そんな彼女が目をつけるのは、無駄な動きをしているように見える実の娘だ。

「にしても、本音は……いえ、選ぶのは本音ですね」

 本音は無駄な動きで本来相手すべきでない相手を翻弄しているように見えて、実は意味のある行動を起こしている。巧みに狙いを外していることで、本音の攻撃がフェリーシャ(アリーシャの従妹)カワルノ(篝火ヒカルノの実妹)に集中していることに気付くものはいない。射撃が苦手だと言われている本音は、実は実力を隠しているだけなのだ。

 それを見ながらノトナは問うた。

「……本音ちゃんはあの子を選ぶと思う?」

「貴女もそれは分かっているのでは? むしろ私も選べるのならばあの子を選びますよ。当主の妻ですから、夫に従いますけれど」

 冷たく吐き捨てるその視線の先には、仕えるべき『更識』の姉妹がいる。その視線すら凍てついていて、良い感情を持っていないことを窺わせた。彼女達『布仏』は他人の内面を見抜くことに優れているのだ。当然、『更識』の姉妹が何を考えているのか分かっている。

 微妙に劣勢に陥ったフェリーシャをランネが落とし、深追いすることなく彼女に釣られて飛び出してきたヴィシュヌの攻撃を防ぐ。そこに危なげな様子はない。鈴が裏切ったことで全てを守らなくてはならなくなった彼女は万が一にも死ねないのだ。自身の死は家族の死に繋がるのだから。

 それに続いて楯無がカワルノを落とし、簪がエドワーズを落とした。こうなればほぼ勝負は決まったといっても良い。そもそもこの模擬戦自体が彼女らに自信をつけるための茶番だったのだからこのまま何事もなく終わるのが一番良いのだ。

 そうして模擬戦を終え、最終的な布陣を決めて彼女らは飛び立った。その先に裏切りがあることなど、つゆほども知らずに。

 

 向かう先は最終決戦の地――ルクーゼンブルク。そこで待ち受けているものは、彼女らにとって最悪の答えだった。



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平穏が欲しい。だからISなどいらない。

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 まあ、そういう二人はもう持ってないんですけどね。
 セレストサイドで。後半は絵本風語りでお送りします。絵本風語りが読みにくい方は一気にあとがきまでどうぞ。必要な情報を付け加えた上で要約しておきます。


 ルクーゼンブルク上の軍事衛星型IS『デイジー』の中で、最早普通の人間として生きられるようになったエクシアとチェルシーが抱き合っていた。もう呪われた運命に関わることはないのだ。自由に生きられる。それを噛み締めていた。

 しかし、その感動的な状況に水を差すものがいる。

「あの、これはどういう状況なのでしょうか?」

「あー、れ……いやデイジー。見ての通りだよ? 言われた通り、エクスを助けた。それで良いじゃん」

(だからこの感動の場面で口挟まないほうが良いと思うんだけどなぁ)

 レティの言葉にそう返答したセレストは、二人が落ち着くまで放置する方針だ。下手に声をかけて面倒なことになるくらいなら、放置することを選ぶ。セレストはそういう人間だ。

 しかしその言葉をきっかけとして二人は感動から現実へと帰ってきた。チェルシーは何となくここがどこでどういう状況なのか察しているが、エクシアは全く分かっていない。世界情勢を知る前に『エクスカリバー』に乗った代償とも言えよう。

 自身に向き直った二人に向けてレティは声をかけた。

「このような格好でおもてなしも出来ず申し訳ございません。わたくしはレティと申します。以後お見知りおき下されば幸いですわ」

 コードで衛星に接続している関係上、ほとんど身動きのとれないレティはそのまま頭を下げた。それに対してチェルシーはようやく彼女が誰なのか特定できたようだった。

 故に彼女は居住まいをただして問う。

「公女殿下、とお呼びした方がよろしいですか?」

「気付いていらしたのですか、エクスのお姉様。いえ、わたくしは廃嫡された身故、どうかレティとお呼びくださいませ」

「ではレティ様と。私のことはどうかチェルシーとお呼び捨てください。エクシアに救いの手を差しのべてくださってありがとうございました。私めに出来ることがございましたら何なりとお申し付けくださいませ」

 流れるようにそう言い切ったチェルシーは優雅に礼をした。その姉の所作に、エクシアは慌てて真似をして礼をする。それにレティは顔を歪めた。友達に敬われるのは堪えるのだ。対等ではないと思い知らされているようで、孤独なのだと思わされるから。

 だからこそ、レティは自虐の言葉を繰り返す。

「やめて……わたくしは、もう、公女ではないのてす……跡継ぎも産めない……長くも生きられない……だから、そんなの、やめてください……」

「それは……失礼致しました」

 チェルシーは己の失策を悟り、頭を下げたまま謝罪する。しかしレティはそれが聞こえていないように言葉を続けた。

「ここだけがわたくしに許された場所なのです。全ての時結晶(タイム・クリスタル)が機能を失うその日までここでただ生かされているだけの……」

 それに対してサラが問うた。

「……解放されたいって願えば良いんじゃないの? 貴女のISに」

(多分、ISは願いを叶えるための願望器みたいなもんなんでしょ? チェルシー達を見る限りでは)

 それは至極当然の言葉で。しかしその願いが引き起こすのが何であるのかを理解できてしまっているレティには到底選べない選択肢でもあるのだ。今の世界情勢でISがなくなればどうなるかなど、考えればわかることなのだから。

「その罪深い願いで何人が死ぬとお思いですか?」

「……え?」

「わたくしがここから解放される条件は、全てのISが機能を停止すること。もしくは全てのコアが願いを叶え、消え去ることです」

 その言葉に、サラは首をかしげた。そんな簡単なことで、何故人間が死ぬのかと。しかし、サラは知らなかったのだ。どれほどまでにIS業界に闇が広がっているのかを。

 その情報を補足するためにレティは告げた。

「実戦配備された322機。そして研究・専用機に使われている145機。その詳しい内訳を、わたくしは知ることができます。そして知ってしまったのです。実戦配備された322機がいずれ『複数人に搭乗されているがために叶わない願い』で壊れてしまうことを。研究・専用機に使われている145機のうち、半数以上が禁じられた生体融合型ISとして開発が進められていることを」

 その情報に、サラは絶句した。前者はまあ良い。自業自得だ。ISという願望器に複数の願いを叩き込めば壊れるのは分かりきっている。叶えられる願いに限度があるのはチェルシー達が証明した通りなのだから、いくつもの入り交じった願望を叩き込まれれば壊れるのは当然だ。

 問題は後者だ。145機のうち、専用機として華々しくデビューしているのは約半数なのだ。つまりどの国も生体融合型ISを開発し切磋琢磨していると、そういうことなのだ。国家に忠実な少女たちに無理矢理コアを埋め込み、裏切らせないようにすれば他国も奪取することは難しいのだから。

 何せコアを手に入れようとすれば意思ある本体が抵抗してくる。代わりに本体を黙らせれば奪取出来るということでもあるが、意識を失った場合、本体に手を触れれば強制的に電撃でも浴びせるようにすれば問題ないだろう。

 そして、そんな哀れな生体融合型ISの搭乗者を殺してまでレティは解放されたくない。

「わたくしが、悪いのです。世にISという形で時結晶を解き放ってしまったわたくしが……」

 その妙な言い回しに、今度はセレストが首をかしげた。

「……ん? ISって篠ノ之博士が単独で発表したんじゃないの?」

「何言ってるの、セレスト。とうとうボケたのかしら?」

「ボケてないって。でも、そうか……原材料がここにしかないなら、どうやって篠ノ之博士はISを作った? いや、彼女はどうやってその時結晶とやらに導かれたの?」

 その探り当てるような口調に、レティは静かに語り始めた。何故、どうしてこのようなことになってしまったのかを。

 それを聞き終わったとき、サラは、セレストは、チェルシーは、エクシアは、選んだ。それぞれの道行きを。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 むかし むかし あるところに ねがいを かなえる ふしぎな いしが ありました。そのいしは るくーぜんぶるくの ちのそこの だれも ぬけだせない どうくつに ありました。いまよりも もっともっと むかしには そのいしを もとめて さまざまな ひとが あつまって きたのです。

 あるひとは それを せいはい とよびました。また あるひとは それを こるぬこぴあ とよびました。また あるひとは まほうの らんぷと よび さらに また あるひとは さんぽ とよんだのです。それは すべて その ふしぎな いしの ことでした。

 るくーぜんぶるくの ひとたちは それを たいむ・くりすたる と よびます。なぜなら その ふしぎな いしは かこ げんざい みらいの すべての ときの なかから いちばんの ねがいを くみとって かなえてくれる からです。ときを こえて ねがいを かなえてくれる すいしょうだから たいむ・くりすたる なのです。

 その たいむ・くりすたるを もとめて おおきな せんそうが おこってからは るくーぜんぶるくの ひとたちは それを けっして そとには ださないように してきました。ふたりの しょうじょが それを ときはなつまで たいむ・くりすたるは ねむりに ついて いたのです。

 あるひ ぱれすから ぬけだした ありすひめと びおらひめは その ちのそこの どうくつへと はいりこみます。そこは きらきらとした ほしぞらの ような すてきな ばしょでした。

「ふたりだけの ないしょよ」

 びおらひめは ありすひめと そう やくそく しました。そこが はいっては いけないばしょだと びおらひめには わかっていたからです。ばれたら おこられると おもっていました。

 だけど ありすひめには わかりませんでした。

(こんな きれいな ばしょを ないしょだ なんて もったいないのじゃ。みなに おしえて あげるのじゃ!)

 むじゃきな ありすひめは そうやって そらから ふってきた しろうさぎさんに おしえてしまいます。しろうさぎさんは その たいむ・くりすたるを みて その しょうたいに きづきます。

(これが あれば ゆめが かなう!)

 しろうさぎさんにも かなえたい ねがいが ありました。だから それを もちかえって いもうとの あかうさぎさんにも あげようと したのです。

 ですが それを きれいにして わたすまえに しろうさぎさんは くろうさぎさんに とって かわられて しまいます。くろうさぎさんは しろうさぎさんのことが とても とても きらいでした。なぜって じぶんと いろいがい ぜんぶ おなじだったからです。

 そうして くろうさぎさんが かんせいさせたのが いんふぃにっと・すとらとす。むげんの せいそうけんを いみする へいき でした。くろうさぎさんが しろうさぎさんを ころすための へいきです。そして こんな じぶんを うみだした せかいに ふくしゅうするための へいきなのでした。

 たいむ・くりすたるを しっている ありすひめを そのままには しておけません。だから くろうさぎさんは ありすひめの きおくを けしました。そして びおらひめの きおくも けそうと しましたが びおらひめは もう しんだことに なっていました。なぜって たいむ・くりすたるを そとに だしてしまった びおらひめを たいこうさまが ゆるすはずが なかったからです。

 そうして くろうさぎさんは せかいを こわすための へいきを ひろめました。びおらひめは その せきにんを とって くろうさぎさんが はつめいした へいきの なかで ずっと ずっと とじこめられて いるのです。

 いつか いんふぃにっと・すとらとすが みなの ねがいを かなえて ひとつのこらず きえさるまで ずっと びおらひめは そこに いなくては なりません。そして さいごには しななければ ならないのでした。それが びおらひめの ばつ なのです。

 そうして ひろまった いんふぃにっと・すとらとすは きょうも だれかの ねがいを かなえるために その だれかからの たいわを まって いるのです。その たいわを つうじて じぶんの やくわりを はたす ために。やくわりを はたして きえさる ために。

 これが るくーぜんぶるくに つたわる ふしぎな ねがいを かなえてくれる いし たいむ・くりすたるに まつわる おはなしです。

 おしまい。




 ひらがなばっかりで読みにくかった人用の要約
・ルクーゼンブルクに願いを叶える石があった。
・聖杯=コルヌコピア(豊穣の角)=魔法のランプ(アラビアン・ナイトの)=サンポ(持つものに幸福をもたらす神秘的な人工物)=時結晶(タイム・クリスタル)
時結晶(タイム・クリスタル)は過去・現在・未来においてもっとも強い願いを叶える性質がある。叶えたら崩れ去る。
時結晶(タイム・クリスタル)を巡る戦争があったため、情報統制をして封印した。
・ある日城から抜け出したアリス(アイリス)とヴィオラ(レティ)は時結晶(タイム・クリスタル)のある洞窟に迷いこむ。
・バレると不味いことぐらいは大公から聞いていたので内緒にするようヴィオラはアリスに告げるが、アリスには理解できていなかった。
・発明少女だった束が実験の失敗でルクーゼンブルクの城に不時着。アリスと知り合い、洞窟に案内される。
・年不相応に発達した束はそれが願いを叶える性質がある石だと知り、持ち帰れるだけ持ち帰る。
・束、最初のISを開発中にクローンと入れ替わる。クローンはそれを兵器だとみなして更に改造する。
・IS発表。開発目的は、無意識内に生じた『自身を生み出した世界への憎しみ』を晴らすための復讐の道具として使うため。
・ISを見た大公、中身が時結晶(タイム・クリスタル)だと気づく。不審な動きをしていたヴィオラを問い詰め、幽閉する。
・大公、アリスもそれを知っていることに気付いたが、幽閉するまえにクローンに記憶を消されたため様子見。
・ISが願いを叶えるためには対話が必要(対話するためには二次移行しなくてはならない)。


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貴方は何者か。本物の定義。

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 セシリアは全く見せ場がないままドナドナされますた。全く、セシリアはエロいなぁ(エロシーンなんて書きませんけど)!


 ルクーゼンブルクの一角にある、オートシュール湖上空。そこで、IS同士による戦闘が行われようとしていた。勿論IS学園の専用機持ち達である。恋する一夏を賭け、本気で戦うのだ。負ければ死ぬ可能性すらあるが、恋する乙女達にそんな考えは最早浮かんでいない。

 一夏を奪った側は、鈴、ラウラ、レイン、フォルテ、オータム、スコールがそれぞれISをまとってスタンバイしていた。シャルロットはその場にいない。まだデュノア社から受領したIS『コスモス』に慣れていないからだ。習熟訓練が終わり次第合流するか、一夏の護衛を続けるか臨機応変に動くだろう。

 対する者達は、千冬、真耶、セシリア、箒、万十夏だ。布仏の二人と更識姉妹はその場にはいない。楯無達は遊撃で隠れており、布仏の二人はそれを補助するために姿を隠していることになっているのだ。実際には、当主から命令を受けている彼女らは既にコア・ネットワークを切断してそこからは脱出しているのであった。

 それはさておき、相対して最初に口を開いたのは箒だった。

「一夏は返してもらうぞ!」

(そうでなければ、斬る!)

 その啖呵に、ラウラは冷笑をもって応える。

「返す? 元々お前のモノでもないだろう?」

「ラウラァ……!」

(一夏は、一夏は私のモノだ!)

 沸点の低い箒を怒らせるのは簡単だ。そして、その動きを制限するのも。冷静でない箒さえ飛び出せば、後は戦闘を始めるだけのことだ。そう思っていたのだが、それを止めた者がいる。たった一人型落ちのISを纏う千冬だ。

 押し殺した声で千冬はラウラに問う。

「何故お前が裏切る、ラウラ」

(お前は私を慕っていてくれたのではないのか!?)

 それに対し、ラウラは千冬が見たことのないほど感情が凪いだ無表情で返答する。

「何故? むしろ教官がこちらにいらっしゃらないのがおかしいのです」

「今はもう教官ではない」

 そのやりとりはいつものものと同じだというのに、ラウラの返答だけが違っていた。彼女はその呪われた出自を詳しく知ってしまったのだ。遺伝子的に父は一夏であることを。千冬はラウラにとって確かに教官ではない。

 千冬はラウラにとって――

 

「そうですね、私は今は貴女を『叔母上』と呼ぶべきなのでしょう」

 

 叔母だ。それも、ほぼ血が繋がっているに等しい叔母である。一夏とほぼ同じ遺伝子を持つ以上、千冬はラウラの叔母なのだ。

「……何?」

(何が言いたい、ラウラ)

 怪訝な顔をして問い返す千冬を見て、万十夏が焦ったように声をあげる。

「おいやめろラウラ・ボーデヴィッヒ。ねえさんに耐えられるとは思えん」

「だからだ、伯母上。私の父は一夏だ。要するに教官は叔母で、お前は伯母だということになる」

(つまりババアと呼べば良いのだ。確かクラリッサもそう言っていたからな)

 それを聞いた瞬間、千冬の頭は真っ白になった。確かにラウラは試験管ベイビーである。しかし、その遺伝子がどこから来ているのかなど考えたことはなかったのだ。ラウラの髪が銀髪であることもそれを助長する。まさか親無しの千冬に、姪的な存在がいるとは思わなかったのである。

 その言葉はセシリアや箒にも少なからずショックを与えた。ラウラの出自は知っているが、まさか一夏の遺伝子を継いでいるとは思いもしなかったのである。

 その混乱を最大限に利用したのは更識姉妹だった。

「墜ちなさいッ!」

 楯無はラウラと簪の援護を得て全員に痛打を与える。とっさの判断で真耶がシールドを展開していなければ、全員が湖の藻屑となっていただろう。

 絶対防御を抜けた衝撃に顔をしかめる一同に、更に簪が追い討ちをかける。

「よくやったわ、ラウラ……()()()()()()

「ふふ、そうだろう? もっと誉めてくれても良いのだぞ、()()

 武装の上から頭を撫でられて、これ以上なくご機嫌になるラウラ。その頭を撫でる簪の顔には、確かに惜しみなき愛情が浮かんでいた。それはまるで親子のようで。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに、ようやく一同は気付いた。

 目を見開き、セシリアがうわ言のように漏らす。

「そんな……嘘、嘘ですわ……」

「そんなことって……っ」

 真耶も驚愕を隠しきれず、またしても不意打ちを食らわされた。今度は気付いた万十夏を『アラクネ』が糸で縛り、レインとフォルテがそれぞれ氷と炎で叩きのめす。それだけで、動ける人材はほぼいなくなっていた。

 そんな戦域から、二機のISが離れていく。ボロボロになってしまった『ブルー・ティアーズ』と『幕は上げられた(ショウ・マスト・ゴー・オン)』だ。真耶はセシリアを守るよう圧力をかけられているため、彼女をつれて撤退せざるを得なかったのである。

 それに抵抗しようとするセシリア。

「やめて、山田先生、離れないでくださいまし! 一夏さんが、一夏さんがァ!」

「だめです! 死にたいんですかオルコットさん!」

「死んでも構いませんわ! 一夏さんを取り戻せるのなら……! ですから離してくださいまし!」

 身をよじり、抵抗するセシリア。しかし武装が全壊してしまっている『ブルー・ティアーズ』を纏って戦いに行かれると、真耶がイギリスから殺される。故に真耶は彼女を離さないようイギリス上空へと向かおうとして――

「……え?」

 突然発光して変形し、消えたセシリアに呆然とするしかなかった。全く意味が分からなかったのだ。しかも、いくらスキャンしても『ブルー・ティアーズ』の反応は途絶している。その理由を知るものは、そこにはいなかった。

(オルコットさん……っ、こう、なったら!)

 歯噛みした真耶は、一度も使ったことのない通信を近くにいるかもしれない友人に送る。

『じぶちゃん!』

『おわっ!? ……真耶、か?』

『今すぐ『ブルー・ティアーズ』の反応をスキャンして下さい! 生徒の命がかかっているんです!』

 奇跡的に繋がったその通信相手は、ルクーゼンブルク公国親衛隊のジブリル・エミュレールだ。真耶がIS学園の生徒だった頃の同級生であり、弄りがいのある友人でもある。

 そんな彼女から、不可思議な返答がくる。

『それは恐らく無理だ。今しがた、生身のセシリア・オルコットが殿下の前に転がり出てな……今はその、取り込み中だ』

『……へっ?』

 全くもって意味不明な返答に真耶はフリーズするが、ISがなんたるかを知らない彼女に理解できるはずもない。故に、ジブリルは真耶に対してもう少しだけ分かりやすくセシリアの現状を伝えた。

『取り敢えず、セシリア・オルコットは保護している。だから安心すると良い、真耶』

『……分かり、ました。出来ればそこから動かさないで下さい。やることを終えれば迎えにいきますから!』

 そういって一方的に通信を切った真耶は先程の戦域へと戻った。それを後悔するのはもう少しあとのことだ。実は、ここでジブリルの元へ向かっていれば、一夏を容易に取り戻せたのである。

 今現在一夏がいるのはルクーゼンブルク公国の黄昏宮殿と呼ばれる場所。そしてそこは、第七公女アイリス・トワイライト・ルクーゼンブルクの住居であり、皆のためにその伴侶となった一夏の住居でもあるのだ。ルクーゼンブルクは一夫多妻制の残る稀少な国であり、現状ではここでないと愛し合った少女達を同列に扱えないのだ。

 それはさておき、戦域へと戻った真耶はセシリアの無事を伝えるべく誰かにプライベート・チャネルを送ろうとした。しかし、そこにそれを伝えても問題ないほど冷静な人間は残っていなかったのだ。そこら中に怒号が飛び交い、言葉で争っている。

 その中で事態が急変したのは、この二人の会話だった。

「何故そちら側に行くのだ、簪!」

「だって、そうしないと……一夏と結ばれないもの。マドカにだって、分かるでしょう? ……何の犠牲もなしに、何かを手に入れることなんて……出来ないから」

(それが、世の中の真理……何かを得るには何かを失わなければならない、等価交換)

「……ッ!」

(違う……ッ!)

 万十夏は瞠目し、確信をもってその結論に至った。ずっとおかしいと思っていたのだ。万十夏にとって『本物の簪』とは、誘拐された間中ずっと一緒にいた少女のことだ。そしてその少女は、目の前にいる彼女ではあり得なかった。

 何故なら――

 

「……どうした簪。お前は『自分以外の誰も犠牲にせずに成果が欲しい』のではなかったのか?」

 

(そうだと言ってくれ……!)

 そう、本人が語っていたのだ。犠牲になるのならまず自分から。誰も犠牲にせずに救われるためにはどうすれば良いのかをずっと考えていたはずなのだ。だから、目の前にいる彼女は『万十夏にとっての本物の簪』ではないのである。

 そしてその確信は裏付けられた。

「そんなの、嫌だよ。自分が犠牲になるんじゃ……意味ないの」

(自分が幸せになりたいのに……どうして、自分を犠牲にしなくちゃいけないの?)

 その返答は、確かに彼女が『万十夏にとっての本物の簪』ではないことを示していて。

「……そうか。そうかぁ……はは、はははははは……」

(私は……私は、何ということを……っ)

 その悔恨に囚われて、万十夏はその場から消えた。最早戦う必要すらなかったのだ。もう一度『万十夏にとっての本物の簪』に会って、謝らなければならない。皆に自身を否定される辛さを万十夏は嫌というほど知っているのだ。だからこそ、この思いを伝えなくてはならなかった。

 去っていく万十夏を追う余裕もなく、箒を狙うあるいは守るような陣形で戦いは進んでいた。この中での一番のキーパーソンは彼女だ。シールドエネルギーを回復する手段のある彼女がいる限り、この戦いはいつまでも続くのである。武装が破損しても、直している間他の面々が戦えば良いだけの話だ。

 

 だから戦いは終わらない。この戦いが終わるのは――皆が願いを叶えたときだった。



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集う乙女たち。ある意味では全滅。

 毎時投稿中です。一度目次に戻り、未読がないか確認してください。

 そうして おうじさまは おひめさまたちと すえながく しあわせに くらしたのです。
(要約:一夏サイドは終了です)


 ルクーゼンブルク公国、黄昏宮殿。そこで、乱交パーティーが行われていた。奉仕されるのは勿論一夏だ。彼がここに連れ込まれてからずっと、彼の息子が乾くことはなかった。

 公女アイリス付きの侍女と、公女。いつの間にか混ざっていたクーリェに、突然現れたセシリア、それに習熟訓練を終えたシャルロット。それらに奉仕されて、一夏は一匹の猿と化していた。あるいは種馬か。どちらであれ、獣のような交わりを続けているのは間違いなかった。

 アイリスが一夏の欲望を受け入れる。クーリェが一夏の右腕に抱かれ、愛される。シャルロットが背中から抱きつき、奉仕する。セシリアはそんな一夏達の椅子となっていた。そんな彼らをかいがいしく世話する侍女たち。そこには、堕ちたジブリルも、楯無と簪も混ざっていた。

 そしてまた、その狂乱の宴にもう一人増える。

「一夏君っ! ……ふぇ? じぶ、ちゃん?」

 いつの間にか自らのまとう『幕は上げられた(ショウ・マスト・ゴー・オン)』が消えていることに、真耶は気づかない。『一夏の元へいきたい』という願いに応えた彼女のISは、消滅したのだ。

 ISスーツというエロティックな服装のまま、ふらふらと一夏に近付いていく。それをみて一夏は真耶の胸を掴み、逆らえないよう優しく拘束する。そして真耶も絡めとられた。それはさながら食虫植物に捕らえられる蝶のようで。

 代わる代わる抱かれ、少女達の腹がまるで妊婦のように膨らむまで抱いて。彼女らが満足してその腹が元の形に戻った頃にまた抱かれる。そこに避妊などという思考は一切ない。彼女らは鈴という先駆者のように孕みたいのだ。

 一人、また一人と『一夏に会いたい』という願望が叶えられてここに連れてこられ、性欲に狂った一夏に美味しく召し上がられていく。少女達も快楽に狂い、ただ奉仕するための人形と化していく。最早そこに言語はなく、ただ嬌声だけが響いていた。

 そこに、残された雌がまた一人転移させられてくる。その身にまとうはずの、世界最強の名をほしいままにしたIS『暮桜』はない。一夏を求めるあまり、その全てを賭けて『暮桜』が願いを叶えたからだ。一夏のために、全てを捧げても彼を助けると誓ってしまったから。

 その淫靡な肉の宴に、千冬は愕然としてしまった。

「何だこれは……何なんだこれはっ!」

 その声が呼び声となり、一夏の正気を失った瞳が千冬を射ぬいた。その視線をたどり、周囲にいた少女達がゆらりと立ち上がる。その少女たちも最早正気を保ってはいない。

 思わず後ずさる千冬に向けて、一夏はするりと間を詰める。

「あ……あ、ああ……」

 一夏から漏れ聞こえる声も、最早言語にすらなっていなかった。それでも周囲の少女達は意を得たように千冬にまとわりついた。千冬は少女達を引き剥がそうとするが、出来ない。

(くっ……今の状態では、殺してしまう!)

 先程まで激しい戦いをしていたため、まだ加減ができない状態の千冬は、下手に彼女らを引き剥がすと殺してしまう。しかもその中に近接戦闘に長けた楯無が入っているという事態。一歩間違わなくても殺してしまいかねない状況だ。それだけは避けたくて、故に彼女は弟に絡めとられた。

 腰を抱かれ、顔を近づけられて。

(あ――)

 言葉を失った千冬は、されるがままに一夏の瞳を見つめる。

「……ち、ふゆ……」

「一夏っ……あ」

 そうして世界最強の女は一夏に屈服した。残る箒もほどなくここに来て、一夏にからめとられるだろう。その予想は容易に当たり、やって来た箒は激昂して一夏に飛びかかる。

「一夏、お前という奴は……っ、んむっ……あ」

 しかし、容易く押さえられて口づけを交わせばすぐに堕ちた。思春期の少女には早すぎるディープキス。そうやって箒までもが絡めとられ、背徳の宴は続くのである。

 この場にいる人間である種の正気を保っているのは、しれっと紛れ込んでいた束だけだった。

 もっとも、彼女は最初から狂っているのだが。

「あとはこれでいっくんが捕まったままだって情報を流せば完璧だね。どんな専用機持ちでもここに吸い寄せられるし……」

 ちらりと横目で見れば、そこにはかつて凛とした雰囲気を醸し出していた千冬が跪いて一夏に奉仕していた。もっとも、今の彼女は闇市場で流行っている『逆らえないブリュンヒルデ』というラブドールだと言われても否定できないだろう。それほどまでに快楽に狂っていた。

 そこにまた、二人増える。IS学園にいたはずのコメット姉妹だ。その二人もまた一夏に抱かれ、墜ちていく。そうやってまた戦力が消えていくことに、束は満足した。

 束の目的は、IS学園に攻めこんで自分のオリジナルを殺すこと。そして、自分こそが束なのだと認めさせることだ。そうすれば、出来損ないだと言われ続けた過去から逃れられる気がした。

 その考えから逃避するために再びかつての友人を見る。

「にしても、ちょっと期待しすぎたのかなぁ? ここまでちーちゃんがダメダメだなんて思ってなかったよ?」

 その呆れるような声も、最早千冬には届かなかった。そもそも彼女は『最強の人外として、最強の人外の子を孕む』ことが条件付けられていたのだ。なればこそ、一夏に抱かれ続けている状況ではその条件付けから抜け出すことはできない。

 そして、一夏も生み出されたときから『女を孕ませるために全てを捧げる』よう条件付けられているのだ。一度女を抱いてしまえば、与えられた女の全てが死ぬまで止まらない。止めたくなっても止まらないのだ。

「それに箒ちゃんも……私のヒーローになってくれるって思ってたのに。残念だなぁ」

 そこには一切身内の情など残されていなかった。もっとも、最初から束は身内に認めてもらうことなど想定していないが。今更認めてもらいたくもないのだ。発明したものに対してことごとく拒否反応を起こす家族になど。

 と、そこで束は顔を輝かせた。良いことを思いついたのだ。

(そうだよ。みーんなみーんな死んじゃえば良いんだ。そうやって普通の人間がいなくなったら、束さんも、いっくんの子も普通になるんだ)

 束が普通でないのは最早確定的だ。しかし、一夏の子もまた普通ではないだろう。それは手に取るようにわかった。彼の子もまた、迫害されるだろうと。

 ならば、いっそ彼の子達が普通になる世界を作れば良いのだ。そうすれば束も普通になれるのだから。普通になれれば、誰かに認めてもらえる。しかし束にはその普通が理解できない。ならばその普通の基準を引き上げてやれば良いのだ。束が普通になれるレベルにまで。

 その思い付きを娘に話すためにぐるりと周囲を見回して。

「あれ? くーちゃん? どこかにゃー?」

 束が娘と呼ぶクロエ・クロニクルがそこにいないことにようやく気がついた。とはいえ一夏の魔の手に捕まっているというわけでもない。ならば一体どこにいったのか。

 少し考え、束は結論を出す。

「ま、いっか! どうせどこに行ったって束ママの言うことには逆らえないんだしね!」

(だから探さなくったっていつか帰ってくるよね!)

 そう無邪気に言い切って、束はその場から姿を消した。そこに残された背徳の光景は、彼女らが老いて死ぬまで延々と続けられる。そこから新たな人類が生まれ、背徳の宴に巻き込まれ、更なる繁栄を続けていくことになろうとは、誰も思ってはいなかった。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 黄昏宮殿から逃げ出したクロエは、ある人物のもとへと向かっていた。その人物とは、クロエの母に当たる存在である。その人物こそ、当時誘拐されて監禁された『更識簪』であることに間違いない。そして、その人物は一夏と享楽に耽っていない方の『更識簪』――つまりはセレストのことであった。

 その途中、クロエは真横から殺気を感じる。

(――っ!)

 間一髪避けたが、何本か髪の毛が切り裂かれてしまった。その相手はクロエにとって伯母ともいうべき人物で。

「織斑、マドカ……!」

 瞠目してそう呟くと、彼女は警戒を研ぎ澄ませながらこう返答した。

「違う。今はただの万十夏だ。……そういう貴様は遺伝子強化実験体だな?」

 その返答に、クロエも警戒を研ぎ澄ませる。その事を知るのはごく少数であるはずで、囚われていた頃の万十夏には知りようのない事実だ。

 だからこそクロエは万十夏を挑発しにかかる。

「……クロエ・クロニクルと申します、万十夏伯母様」

「頼むから伯母呼ばわりはやめろ、クロエ・クロニクル」

 頭痛を抑えるようにそう返答する万十夏に、クロエは更に挑発をかました。

「では万十夏ババア様と」

「……死にたいか、ん?」

 両者の間で火花が散る。しかし、どちらともなく視線をはずした。今はそれどころではないのだ。万十夏も探し続けているのに見つからない『簪』が、今どこで何をしているのか分からないのだから。

 万十夏は、出来ることなら今すぐ会って、問いただしたいことがあるのだ。だからこそセレストを探している。もっとも、セレストの側にはそれを語る意思はないようなのだが。

 それはともかく、このまま目当てもなく探し続けるのは無理だった。いくら武装がないとはいえ、いつまでも飛び続けられるわけではないのだ。とにかく一度補給を入れなくてはならない。そしてそれはクロエも同じだった。

 どちらともなく休戦を申し入れ、二人は噛み合わないながらも共に行動をするようになった。二人の目的は同じなのだ。ならば、一人よりも二人の方が効率が上がるのは当然のこと。二人でどんな痕跡をも見逃さないよう探しているのに、『簪』は見つからない。

 その理由は簡単で。『簪』――セレストは万十夏達が捜索を始めた最初から、とある施設内から出ていないからだ。コア・ネットワークを切断している以上、お互いに位置は知れることはない。しかし、それは同時にセレストを発見するためのすべがほぼないことを示していた。




 新人類一族『織斑』爆誕。彼らに理性が戻ってきた頃には全てが終わっていたりする。要するに、色狂いのまま死んでいく。あれ、まさかバッドエンド? とは思ったものの、皆幸せに抱かれてるからオッケーということにしておこう、うん。
 まだもうちっと続くんじゃ。


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最終章 今更ですが、わたしに転成しました。
再び巡り会う。その時が来れば。


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 (本当に来るとは言ってない)


 ルクーゼンブルク上の軍事衛星IS『デイジー』に、三人の女がいた。『デイジー』から離れられない専属搭乗者ヴァイオレット・コンスタンス・ルクーゼンブルクと、実は自身の『メイルシュトローム』が二次移行していたことに気づいたサラ・ウェルキン。そしてどこかにいく目的すら今のところ定まっていないセレストだった。

 つい先程まではイギリス人女性が二人ほど滞在していたのだが、それも既に地上に戻っている。これからも会うことはないだろう。彼女らは既に欲しいものを手にいれた。後は幸せに暮らすだけなのだから、闇に関わる可能性のあるセレスト達と関わる理由がない。

 そしてその三人が何をしているかというと――

「んー、何でここでコーヒーなの?」

「手に入ったのがそれだけなんだから仕方ないでしょ。それにレティもずっとここにいるってことはこういう刺激には飢えてるだろうし……」

「コーヒー……初めて飲みましたが、とても苦いのですね」

 コーヒーブレイクだった。ブランケット姉妹を地上に送り届けた後、サラが気を効かせて買ってきてくれたのである。サラはその二人と共にコーヒーを飲みながらこれからのことについて思考した。

(にしても……流石に手配書が回ってるなんて思わなかったわ。見通しが甘かったわね)

 地上に降りたサラがふと目にしたテレビ番組に、思いっきり指名手配犯として名があがっていたときは思わず買ったものを握りつぶしてしまった。おかげで買いたかった紅茶は台無し、スコーンも粉砕と非常にもったいないことになっていた。

 それで仕方なくコーヒーを買ってきたわけだが、ここでふと気になったことがあった。

「ねえ、貴女達ってエネルギー源どうしてんの? ここ、そもそも食料ないし……セレストが何か食べてるのも見たことないんだけど」

(まさかもう食べなくても生きていけるって言うんじゃ……)

 そう、エネルギー源についてだ。サラは普通の人間なので食料は必要なのだが、ここについてからはや二日。その間にこの二人が食事をしていた様子がなかったのである。

 それに対して先に答えたのはセレストだった。

「わたしはもうISみたいなものだから、待ってれば自然回復するんだよね。まあどうしてもエネルギーが足りないと思えば何か食べるけど……」

「想像以上に人間辞めてるわねあんた」

「それが選んだ道だからね。後悔はしてないよ」

(どうしても必要なときのためにチョコレートは格納領域に詰め込んであるし)

 そう言うセレストの顔は、サラが知っていた頃の『更識簪』とはまた違った晴れやかな顔をしていた。後悔がないという言葉には嘘などなく、むしろ喜んでいるようにも見える。

(こんな顔出来たのね、この子。一体何があってここまで変わったのかしら?)

 少しはセレストを見直したサラの内心の呟きは、セレストの言葉に粉砕される。

「それに食費も浮くしね」

 その言葉でサラは一気に脱力した。

「……あんた、実はそれが一番の理由でしょ」

「えっ、そそそ、そんなことはナイヨー」

(そんな食費が浮く程度であばばばばば)

 挙動不審になるセレスト。しかしその行為事態でサラの言葉を裏付けてしまっている。サラからしてみれば、国から全力で警戒しろと言われていた相手がこんなポンコツだと、自分の国のレベルが気になってくるのだ。

 もっとも、セレストにしてみれば対外評価と身内の評価、それに自己評価の落差が激しいのはいつものことなのだが。外からの評価は『何でも顔色一つ変えずにやりとげる超人』。そして身内からは『面倒臭がりのくせに手抜きが下手で頼まれたことは断れないヘタレ』。そして基本的に自身は『無能』だと思っている。その落差が激しすぎて生じるギャップがセレストの存在自体を歪めているのだ。

 セレストの能力的には中の下程度だ。可もなく不可もないが性格に難あり、が妥当な評価だろう。過大すぎる評価が一人歩きした結果、彼女はここにいるといっても過言ではなかった。

 それはさておき、今度はレティが微妙な沈黙を破った。

「……わたくしは、大公家に伝わるとある方法で擬似的に不老不死になっているのです。当然、栄養も何も必要とはしません」

「そっちのがヤバいよぉ……とある方法ってどうせ時結晶(タイム・クリスタル)でしょ?」

「恐らくは。ただ、不老不死というのは皆が目の色を変えて求めるほどのものではありませんわね」

(何よりもここにいるということは、衣食住全ての選択権を取り上げられたに等しいのですもの)

 その評価にもサラはため息を吐くしかなかった。古来より不老不死というのは権力者達が欲してやまないものだ。全てを手にいれたその後は、自身の繁栄が末長く続いてほしいと願うのは人間として当然のことだろう。それをレティは切って捨てたのだ。

 それより、とレティは言葉を続ける。

「それよりもセレスト、貴女はこれからどうなさるおつもり?」

「どうって……生きるけど」

(何を聞きたいの?)

 きょとんとしてそう返答するセレストに、サラは頭痛が止まらなかった。先程から常識に喧嘩を売る会話しかしていないのでもういっぱいいっぱいなのだ。これ以上のブッ飛んだ返答は求めていないのである。

 なのでサラは突っ込んだ。

「そのブッ飛んだ回答、本当に勘弁してくれない? 理由もくそもないじゃないの」

「理由くらいあるよ……まずは生きるって決めただけ褒めてほしいけどね」

 苦笑したセレストは、その理由を告げた。

「わたしはグレイと生きるよ。どっちが死んでもどっちにしろ死ぬわけだしね。……グレイを犠牲にしてまで生きたくはないし」

「それはそうなんだろうけど……多分そういう話をしたいんじゃないと思うわよ?」

 サラは呆れながらも話に付き合った。こういう人間なのはもうわかったのだ。ならば答えを聞けるまで付き合ってやらなくてはならないだろう。勿論サラがそれを聞かなければならない義理はないのだが、それでも今ならば時間はあり余っている。これからどうしたいのかは、サラの方が決められていないのだから。

 それにセレストは更に言葉を付け加えた。

「分かってるって。取り敢えず生きるって決めて、そこからどうするかってのも決めてある」

「どうするのよ?」

「ここから多分最終決戦が始まるから、それに参加しないとね。そんな義理はないけど、残ったISは訓練機と生体同期型のIS、亡国機業のIS、それにかなり減った学園のIS。あとは束博士の周辺……取り敢えずはそのISに会いに行かないと」

 それが一体何を指すのか理解できなくて、サラは首をかしげることしかできなかった。ISにあってどうするというのか。確かにISに意思があるのは分かっている。だからこそその表現が間違っていないことはわかるが、会ってどうするのかが理解できないのだ。

 その答えを、ようやくセレストは吐き出した。

 

「いらないでしょ? 兵器としてのISなんて。夢を叶えるためのISで人殺しなんて、どんな悪夢なの?」

 

 またぶっとびやがって。サラはそう毒づくことしかできなかった。その言葉が本当に意味することは、やはりまだセレストに微かに自殺願望が残っている証左であることにも気付かずに。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

「ねぇ、もっと情報を集めてから探した方が良いんじゃないの?」

 フランス上空で、ランネはそう問うた。問われた本音はしかし、既に意地になっていて頬を膨らませたまま飛行を再開する。当て所ない人探しにランネは辟易としていたが、彼女とて本音の探し人に会いたいのだ。

(どこにいるのよ、全く……)

 胸中で呟いたランネは、本音の後を追って飛行を開始する。向かう方向は定まってはいない。それは良いのだが、ランネには本音が憔悴しきっているように見えて仕方がない。だからこそ本音を一度休ませたいのだが、彼女にはその気はないようだった。

 しかしそんな彼女に限界が訪れるのも当然のことで。

『ちょっとちょっとランネ! 本音ちゃん、落ちちゃってるわよ!?』

「えっ、誰……ってうわっ、本音!?」

 ランネには正体の分からない人物からの警告で、彼女は本音が意識を失って墜落していることを認識した。あわてて瞬時加速で本音をキャッチし、地上に降りたってバイタルを確認する。

「あー……こりゃだめね。どこかで休めれば良いんだけど……不法入国してるしどうしよっかなぁ……」

 深くため息を吐いたランネは、本音を抱えたまま日本へと向かおうとしたが、そこで視線を感じた。まさか通報されるのでは、と思って見回してみれば、そこには赤毛の少女がいる。

 そしてその少女はランネに声をかけてきた。

「あの、その人、具合悪いんだったら……その、うちに来ますか?」

「うーん、それは正直ありがたいんだけど……面倒事、背負いこんじゃうかもしれないからやめといた方が良いんじゃない?」

 そういって飛び立とうとしたランネだったが、しかしそれはもう一人いた女性に止められた。

「休んでいってください、凰乱音様」

 その言葉が衝撃的すぎて、ランネは動きを止めざるを得なかった。

「……誰よアンタ」

 辛うじて絞り出せた言葉は女性の言葉を否定できるものではなく。しかしその女性はランネに対して止まってほしいからそう呼び掛けただけで、他意はないのだ。脅す気もない。ただ、彼女と彼女に抱えられた少女が何をしているのかを考えたとき、せめて情報は渡しておくべきだと思ったのだ。女性――チェルシーは、恐らく彼女らの求める情報を提供できるから。

 故にチェルシーはあっさりと素性を明かした。

「申し遅れました。チェルシーと申します。こちらに敵意はありません。ただ、伝言を預かっているので留まっていただきたいだけなのです」

「……胡散臭いわね」

「その伝言が『更識簪』様のものである、と言っても?」

 勿論チェルシーは『更識簪』――セレストから伝言を預かっている訳ではない。ただ、放置できなかっただけだ。それでもランネには衝撃だったようで、チェルシーに逆らわず彼女らの住み処へと移動していったのだった。



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消え逝くIS。叶えた願いはほぼ一つ。

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 IS学園サイド。
 叶えられた願いのうち、ほぼ九割が『織斑一夏に会いたい』だったというのは本気で笑えない話。因みにそれ以外の一割は『死ね私にISを埋め込みやがった屑どもが!』である。


 IS学園では、いきなり消えた専用機持ち達を捜索しなければならなくなっていて混乱が起きていた。それも無理はないだろう。アメリカ、ギリシャ、フランス、ドイツの代表候補生が離反。それを追った『ブリュンヒルデ』と『銃央矛塵』、篠ノ之束の妹に暗部の二人、イギリスと日本の代表候補生、ロシア代表が揃って行方不明なのだ。混乱も致し方ないことだろう。

 しかも、いきなり訓練機が暴走を始めたのだ。授業中に訓練機が暴走し、搭乗した生徒とともに消滅する。酷いときにはISのあった研究所ごと消滅してみたり、一つ国が滅びるレベルで爆発があったこともあった。しかもその後コアを探しても見つからず、各国は恐慌に陥り生徒達を帰国させるよう命じる始末だ。教員の中にもISを拒否する人物が出たおかげで、学園内にはほぼ人がいない。

 今現在IS学園内にいるのはほんの僅かな人間だけだ。その中でも専用機持ちの生徒は、本国から様子を見るよう命じられたヴィシュヌだけである。コメット姉妹はいつの間にかISとともに消滅していた。

 ロランツィーネに至っては、混乱を抑えて貰おうと生徒達が詰めかけたせいで激昂し、『私はISに乗るために生きているんじゃない! 愛を歌うために生きているんだ!』と叫んだ瞬間光り輝いて消滅した。なお彼女の無事はオランダ政府より伝えられているが、二度とISには乗れなくなっていたらしい。それが更に生徒達の不安に拍車をかけた。

 そういう理由で残った専用機持ちはヴィシュヌのみ。そしてそれ以外の生徒では虚と鎬空音だけが残っている。楯無の帰還を待つ必要があるため、『更識』に従う二人が残っているのは当然のことだった。

 そして教師で残っているのはノトナと布仏真実、そして鎬音無だけだ。用務員として轡木が残っているが、彼こそが学園長であるので残るのはむしろ当然のことである。

 その他に誰もいない学園は、酷く閑散としていた。

「本当に、皆さん帰ってしまわれたのですね」

「ミス・ギャラクシーは残されたそうですが……良いのですよ? 本国にお帰りになっても。ここまで来てしまえば、もうIS学園は終わりでしょうから」

 ぽつりと呟いたヴィシュヌに、虚はそう返答した。実際問題として、ISを忌避する風潮が出来上がりつつあるこの現状でISのための学園を維持することは困難だろう。誰からの資金も打ち切られ、近々必要な機関を除いた機器全てが止められることが決まっている。

 虚達にとて、沈み行くIS学園から撤退命令が出ているのだ。今は当主不在で突っぱね、楯無達の帰還を待ってはいるがそれもいつまで保つか分かったものではない。

(お嬢様……)

 ぎゅ、と胸の前で拳を握る虚に、空音が声をかけた。

「そこまで気負わなくても。私も確かに楯無様は心配だけど、それより心配なのは簪様だから」

「空音、それは――どちらの?」

「決まってるじゃない、そんなの。私は血筋で人を見たりしないよ。簪様のファインプレーがなかったら、楯無様なんてすぐに『楯無』様でなくなってたんだから」

 そんな彼女の手には、紺色のISが装着されていた。学園に残された数少ないISの一つ。彼女とは絶望的に能力の相性が合わない『メイルシュトローム』である。それの武装を組み替えて自分仕様にしたカスタム機だ。『打鉄』の防御仕様でも、『ラファール・リヴァイヴ』の汎用性重視でもない。彼女が『メイルシュトローム』を選んだのは、単純に人気が無さすぎてそれ三機ともう一機しか残らなかったからだ。

 そしてもう一機残ったのが『ラファール・リヴァイヴ』だ。しかも完全分解されたあとの、である。それをなんとか組み直して虚が身に付けているのだ。彼女らがISに願いを叶えられていないのは、一重にその願いが一途ではないからだ。複雑な願いのどれを叶えるべきか、ISが判断しきれていないのである。だからこそ、望みを叶えた結果消滅するという結果には至っていない。

 そして、彼女らは特に叶えて欲しい願いもないのだ。

「空音」

「分かってるよ。私が生きてるのは楯無様の慈悲。私が自由に歩けてるのも、何もかもが楯無様の慈悲だよ。だけど虚も分かってるんじゃないの? 何のためにこんな、人をバカにした名前を与えられたのか、なんて」

 空虚な笑みを浮かべた空音は、布仏家当主から聞かされた本来の役目を思い返した。

(布仏の役目は、その人物の全てをみはるかすこと。そしてその人物が本当に使える価値がある人物なのか、判断すること)

 そして、その前者を担う者達が『真実』や『本当』を意味する名を与えられる。虚や空音は後者を担う。その与えられた名は『虚偽』や『戯言』を意味する。虚は勿論『虚偽』から名を与えられ、空音は『嘘』から名を与えられていた。空音とは、嘘を意味する言葉なのだ。彼女はその生まれ持った直感力から、人を判断する方に回されたのである。

 と、そこに学園内最後の戦力達が現れた。

「ここにいたのね、虚」

「お母様。……何があったのですか?」

 そこに現れたのは布仏真実だ。その腕にはやはり『メイルシュトローム』が装着されている。そしていつも柔和な表情を浮かべているはずの顔にはいつになく強ばっていた。それを見ただけで虚は何かあったのだと分かったのだ。

 それに対して真実はその場にいた三人に向けて返答する。

「日本政府からの命令により、この場から出ることを禁じられました。全てのISが放棄――つまり消滅しない限り、ここから出られません」

「何ですって!?」

 その返答に虚はぎょっとした。要するにここで朽ち果てろといわれているに等しいのだ。彼らは自分達を切り捨てた。それがよくわかった。

 自身が対処するには大きすぎる流れに胃が痛くなってきた虚を見て、真実は胸が痛むが仕方のないことだ。今から世界中の危険物(生体同期型IS)が送られてくるという知らせもある。正直に言って真実にも手に負えない事態だ。

 それを一度頭の隅に追いやり、真実はヴィシュヌにも告げる。

「済みませんがミス・ギャラクシー、『ドゥルガー・シン』を放棄しない限りはこのままここで軟禁されることになります。タイ政府もそれには同意しておりますので、ご理解いただければと」

「……皆さん、ISに振り回されっぱなしですね。承知しました」

(お別れの時、でしょうかね……)

 そう思ってヴィシュヌが『ドゥルガー・シン』に手を触れた。今は皆に恐怖を植え付けたISだが、ヴィシュヌにとっては相棒だったのだ。別れるのは忍びない。それでも、このまま家族と会えなくなるくらいならば手放せる。

 そうして、ヴィシュヌは自らの相棒を残して帰国していった。後に残されたのは真実にとってはほぼ身内のみ。そこに続々と投入されてくる生体同期型のISの素体にされた子供達。

 その様子は、いっそ不気味ですらあった。そこに並ぶ顔は大きく分けて『千冬顔』『ラウラ顔』『それ以外の顔』だ。いかにクローンが蔓延っていたかが分かるだろう。ちなみに『一夏顔の女子』はいない。いればそれは最早千冬だからだ。

 そしてそれに対して取る対策は一つしかない。

「待ってて、ちゃんと普通に生きられるようにするから。もう、大丈夫だから……!」

 ノトナによる強制分離である。彼女であれば、ISと人間とを分離できるのだ。よほどおかしな融合の仕方でない限り、ノトナならば何とかできる。もっとも、分離した時点でコアは自壊するようプログラムされていたようだが。恐らくは盗難防止の最終策なのだろうが、コアが失われるという意味では消滅と変わらない。

 そうやって次々と分離作業が進み、やがてその場に残ったのはたった一人だけとなった。その少女だけは、実に微細な作業が要求されることがわかったために後回しにされたのである。その少女に融合されたコアの位置は、心臓。摘出できないわけではないが、位置的に慎重にならざるを得ない箇所だ。

 念のため、一度休息を挟んでからノトナはその少女に取りかかった。失敗はできない。慎重に、慎重にとことを進め――そして。

「ノトナさん!」

「――っ、いきなり声かけちゃダメって言ったでしょ真実さん!」

 真実がノトナを呼びに来た瞬間と、彼女の手術が終わったのとはほぼ同時だった。幸いなことに少女の手術は成功した。これで世界に残るISの総数は、公式上は百にも満たない数となったはずだ。

 そうやってISを所持しているという理由で軟禁された彼女らは、ただ楯無達が帰ってくるのを待っていただけなのだ。しかし現実は無情であり、世間はそんな理由があるとも思うわけがない。いまだに武装解除しないテロリスト予備軍として、IS学園に残った面々に向けて降伏勧告がなされた。

 それに対して真実が取った対策は、『ここで軟禁されるべき人を待っている、そしてその人達が逆らうようなら実力行使で叩き込む』という声明を出すことだった。そうすればいくら楯無でも帰ってきてくれるだろうと。

 しかし、それに対して返ってきたのは――

 

『あっ、ああっ……! 良い、良いわ一夏くぅん!』

 

 という何ともコメントに困る艶めいた音声が、複数あった。それも楯無のものだけではなく、他の専用機持ち達のものもだ。それによって楯無はおろか他のどの専用機持ちも帰ってこないことを察した面々は、IS学園から脱出しようと決めた。

 

 もっとも――決めただけで、実際に撤退することは出来なかったのだが。

 

 脱出寸前に発射された、IS学園を含めた周囲十キロへのミサイルと荷電粒子砲。それが、まるで『白騎士事件』を焼きなおすかのように放たれたのだ。その周囲への被害を押さえるためにその場にいた面々はISで抵抗するしかなかった。

 無論それは命を守るための行動だと言えば美談なのだが、残念ながら諸外国はその行動を悪意的に解釈するのである。すなわち世界に逆らうテロリストとして認定し、制圧するために挙って部隊を差し向けたのだ。

 

 それこそが篠ノ之束の思惑のうちだと、誰も気づかぬままに。



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動き出す者共。IS学園襲撃。

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 あと数話で本編終了です。


 その異変に気づいたのは、レティが最初だった。彼女に繋がれた機器で時結晶(タイム・クリスタル)の稼働状況が分かるようになっているのだが、その反応が著しく減ったのだ。ごっそりと減った稼働数に顔をしかめる。

(何故いきなり、しかも連鎖的に消えるだなんて……一体何があったというのです?)

 それに気づいた二人はレティの方を向いた。

「どうしたの?」

「いえ……時結晶(タイム・クリスタル)の、ISコアの反応が一気に減って……」

 セレストは、それを聞いて即座にグレイにコンタクトを取った。いくらコア・ネットワークを切っているとはいえ、コア間の情報が完全に遮断できているわけではないのだ。それをIS化してセレストは初めて知った。

「グレイ」

『うわぁ……酷いよぉこの現状……これ、会いに行くまでもなく皆消えちゃうんじゃないかな……?』

 脈絡もなくグレイがそう漏らした声に、最早サラもレティも驚くことはない。既に彼女がどういう存在なのか理解しているからだ。声をかけない限り声を出さないのは、エネルギー節約のためでもある。

 そんな貴重なエネルギーを使い、グレイがしたことは単純だ。一瞬だけコア・ネットワークに接続し、その総数を数えるだけ。そしてそこででた結果は中々に悲惨だった。訓練機が四、『ドゥルガー・シン』、『ヘル・アンド・ヘヴン』、『ヴァーミリオン・ナイト(元サラのメイルシュトローム)』の計七機のみだったのである。勿論コア・ネットワークに繋がっていない『デイジー』や『グレイ・アーキタイプ』のようなISもあるが、それもほぼ存在しない。

 それに対してレティが反応する。

「それは、一体何があってそういうことになっておりますの?」

『皆がね、願いを叶えたんだ。それも割と笑える願いをね。ほとんどが『織斑一夏に会いたい』だったから、それで彼の場所に飛ばされたみたい』

 サラはその返答に顔をしかめる。まさかそんなことのために一生を賭けた願いを使うなど、考えられなかったからだ。人に会いたいだけで願いを叶えてもらうなど愚の骨頂だとすら思っている。

 と、そこで気づいた。

「あれ? 皆って……結構いるみたいな言い方だったけど、訓練機じゃ願いを叶えられないんじゃなかった?」

(まあ、私の『メイルシュトローム』は例外みたいだけど)

『それは母がやらかしたみたい。『全てのISの交感度を上げる裏コード』を発動したみたいだから』

 困惑するサラにグレイはそう返答する。本来であれば訓練機は複数の人間の願いを溜め込んでしまっていて、それを選別できないはずだったのだ。しかし、その願いを受けとる感度を引き上げることで短時間の搭乗だけでも願いを叶えられるようにした。それこそが『コード・ヴァイオレット』の正体だ。

 そうなってしまえば後は早い。『織斑一夏が行方不明だ』という情報を発信し、見つけたくなるよう仕向ければ良いのだ。まあ、その中には『織斑千冬に会いたい』と願ったものも少なからずいたようだが。

 この状況で、何もしないなどという選択肢はセレストにはあり得なかった。

「んじゃ、行こうかな」

「だーからあんたは唐突すぎるのよ! 何でどこに行こうとするのか説明しなさい」

 サラはそんなセレストにそう問う。サラからしてみれば、ISが減ったという状況を聞いただけで飛び出そうとしているように見えるのだ。勿論それが理由ではあるのだが、それ以外にもセレストには何か理由があるようだった。それをサラは聞きたいのだ。

 それに対してセレストはこう答えた。

「んー、ISが減ったってことは学園にも戦力がほとんどないってことじゃないかなーと。これまでの傾向をみるにコアを奪いにどっかの国が乗り込んでいっててもおかしくないし」

「もう一声よ。今のあんたにそんな義理ないでしょう」

「……姉さん達は別に気にならないけど、虚さんとかの無事はちょっと確かめたいかな」

 気まずげにそう答えたセレストに、サラは頭を押さえて立ち上がった。彼女にも懸念があったのだ。イギリスにも、IS学園にも未練はない。しなし、そこにいる人間達が何をやらかすかによってはどうにかしたいと思っているのだ。具体的には、誰かが動くことでブランケット姉妹に危害が及ぶような場合である。せっかく幸せに暮らせるようになったのにそれに水を差されるのでは後味が悪すぎる。

 それにレティが声をかけた。

「どうかご無事で。わたくしはここから動けませんが……それでも、何かありましたら微力ながらお力になりますわ」

「気持ちだけで十分だよ、レティ」

 セレストはそうレティに返答し、サラには聞こえないようプライベート・チャネルで彼女に言葉を残す。

『それと、もしわたしが最後のISになったらいつ終わりにしたいか考えておいてね』

 それに息を呑んだが、サラには気付かれずに済んだようだった。そのままセレストとサラは飛び立ち、一気にIS学園へと向かって――

「何あの砂糖に群がるありんこみたいな集団」

 ミサイルの群れと特殊部隊の群れ、そしてそれに紛れている無人機の群れを目の当たりにした。どうやら盛大に襲撃されているらしい。

「例えが微妙に可愛くて反応に困るんだけど……とにかく、無生物だけでも消しておくわ。そうすれば下にいる人たちも楽だろうしね」

 そうサラがしれっと言う。しかし、セレストはそれに慌てた。要するに無生物を消すということは生きている生物だけが残るということで。要するに生きていない物体は全て消滅するということだ。

 セレストの制止の声は、遅かった。

「えっ、ちょ、まっ――」

 パチン、と音がして。サラの指が鳴った。彼女のIS『ヴァーミリオン・ナイト』のワンオフ・アビリティ『破砕の領域(Erase Circle)』の発動に必要な音を発したのである。戦うことを望んでいない彼女のISには、それ以外の武装はない。というよりも、それ以外の機能は全て演算用に置き換わってしまったため、ほぼ無能なのだ。もっとも、彼女がそのワンオフ・アビリティを発動すると大体のことが解決するのだが。

 そして眼下は地獄絵図と化した。

「……あれ? あっ……待って、今のナシで!」

「もう遅いよ……ねえサラ? 下の状況どうするつもりなの?」

 慌てるサラの目に映るのは、武装も服も全てが消滅した状態で唖然と立ち尽くす集団だ。要するに全裸である。彼らは羞恥心を捨てて襲いかかるかと思いきや、その範囲外からカッ飛んできた虚達にぐるぐる巻きにされていた。

 ちなみにあまりの状況にも関わらず動き始めた人間もいないではないが、それはセレストが攻撃を仕掛けることで動きを止めた。勿論どう動いても当たらない位置に撃っているので、本来ならば威嚇にすらならないのだが、今回はそれでも問題なかったのである。

 ため息を吐き、セレストはそこから急降下した。それに続いてサラも降下する。手助けをするため、というよりは虚の無事を確認するためだ。

 その姿を見て、虚は怒鳴った。

「簪様ッ!」

「セレストだよ。前見て虚さん襲ってきてるか、らっ!」

 地上に降り立ったセレストは、細心の注意を払って虚と空音を取り囲もうとしていた全裸の集団を風圧で飛ばした。ここで武装を抜くわけにはいかない。そんなことをすれば一気に死体の山を量産できてしまうのだから。

 それをサラも理解していて、今度はターゲットを虚達以外の人間の前に設定して『破砕の領域』を展開した。

 そしてサラも虚に声をかける。

「大丈夫? 虚先輩」

「ええ……ミス・ウェルキン? そのISは……?」

「色々あったのよ。詳しくは全部終わってからね。他の専用機持ち達は?」

 サラは性急にそう問うた。今のこの状況を脱するためには、もう少し戦力が必要だと分かっていたからだ。いくらこちらがISをまとっているとはいえ、どこから沸いてきたんだとばかりに撃ち込まれ続けるミサイルに晒され続けるのは危険だ。

 それに対して虚は早口で告げた。

「誰も二度と帰ってきません。恐らくは……本音達も」

 それを聞いただけで何となくサラには状況が掴めた。女尊男卑の思想が蔓延っていたIS学園においてあれほどの人心掌握ができるのならば、いなくなれば彼を求めるようになるのは容易に想像ができた。そして、彼に会うために願いが叶えられたのだろうと。

 サラは指をならし続けながら毒づいた。

「状況は最悪ね」

 そして、セレストに向けて静かに宣言した。

「セレスト、地上は任せたわよ。空は……私が何とかするわ」

「苦手なんだけどなぁ、対人戦闘……でもまあ、誰も死なせないように頑張るしかないか」

 苦笑して、それでもセレストは前を向いた。吹き飛ばしていくだけで良いのならば、いくらでもやりようはある。こちらは撃たれても何ら問題はなく、相手同士が誤射し合わないのならば吹き飛ばすだけで良い。そうでなくとも、彼女には選択肢があった。

 そのカードを切るために、セレストは虚に問う。

「ここにいる味方って虚さんと空音だけ?」

「いえ、ノトナ先生と母が……呼びましょうか?」

「うん。ここまで全員呼び戻して。そうすれば何とかする」

 それを聞いた虚はすぐさま行動に移った。プライベート・チャネルで真実に連絡を取り、生身で戦っていたノトナを引きずってここまで撤退させる。ついでに空音も回収すれば準備はOKだ。

 セレストは、今まで出してこなかった『D3』を全機展開した。それは最早12個などという生易しいものではなく、無数に展開されている。それを見て生身の人間達は身構えたがもう遅い。その『D3』が光り輝き――その場からセレストと共に消滅した。

 その行き先は日本国外。アメリカの街中である。そこに全裸の集団が現れればどうなるか。もちろん混乱が巻き起こるのだ。その隙にセレストは急速離脱し、IS学園へと戻る。

 そこにグレイから声がかけられた。

『何やってんの、セレスト?』

「アメリカならそういうのにも寛容かなーって。まあ、邪魔だったから追い出したっていうのが近いよね」

 それに呆れるグレイ。最初から、戦いになどなりはしなかったのだ。それを理解していた人間はいなかった。



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ホンモノとニセモノ。消える記憶。

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 本音とランネは急いでいた。倒れた本音を介抱してくれたブランケット姉妹は、彼女らの求める情報そのものを持っていたのである。

(かんちゃん……っ!)

 本音の選んだ主――今はセレストと名乗る女が生きていることを聞かされたから。それ以上を彼女は求めてしまうのだ。セレストが生きているというのなら、会いたいと。

(待ってて、これを終わらせたら、すぐに会いに行くから……!)

 しかしそれでも本音は優先順位を間違えたりはしない。瞬時加速で空を駆ける本音の目的地はIS学園だ。ISが消滅する事件が起きていることを聞かされ、その中に学園にいたはずの人間が含まれていたからだ。故に彼女は母と姉の消息を知るためにひた走った。セレストも探したかったが、それよりもまずは今自分の助けが必要なところへ向かうべきだと判断したのだ。

 そこにランネがプライベート・チャネルで声をかける。

『本音! ヤバいわよ、ミサイルが各国からわんさか撃たれてる……!』

(こんなの、『白騎士事件』よりも酷いわよっ!?)

 ランネが観測した数は、実に三千を下らなかった。これを撃ち尽くしたあとはしばらく軍事的な攻撃が出来ないのではないかと思えるほどの量。それが、ただIS学園を燃やし尽くすためだけに放たれているのだ。

 それが生み出す光景を幻視し、本音は震えた。

『何でッ……! ダメ、止めるよランネ!』

『了解!』

 そうして二人は更に加速し、IS学園上空へとたどり着く。そして背中合わせになってそのミサイルや荷電粒子砲を迎撃しようとして――

 

『ダメ、急上昇して!』

 

 誰かの声が聞こえ、反射的に二人は上方に瞬時加速してしまっていた。

(しまっ――)

 行動を終えてから慌てて眼下に目をやれば、そこにはミサイルなどどこにもない。まるで手品のように、そこからは消え去っていたのだ。その代わり、地上を拡大してみてみれば何故か全裸の集団がいる。

 その一連の事実が意味することがわからなさすぎて、二人は困惑する。

『本音、今のって』

『分かんない……でも、解析した結果は『振動で分解した』ってなってる……っ!』

(誰っ、この、『ヴァーミリオン・ナイト』って!? こんな名前のISなんて聞いたことないよ!?)

 プライベート・チャネルで会話し合う二人は、突如あるはずのないISの反応に身構えた。しかし、そのISはすぐに仕掛けてこないようだ。その理由はすぐに知れた。当の本人からコンタクトがあったからだ。

 その声は、聞き覚えのある響きを含みながらも焦った声で告げる。

『上空のお二人さん、降りてきて。巻き込んじゃうから』

『その声……サリーちゃん先輩!?』

 それは『サリーちゃん先輩』ことサラの声だ。ということは、『ヴァーミリオン・ナイト』はサラのISだということになる。

 その機影を拡大してみれば、サラが頭を抱えていた。

『……その呼び方は止めなさい。ってことは虚の妹ね。早く来なさい、じゃないとセレストに会えないわよ』

(えっ……あっ!)

 その言葉の威力は絶大だ。本音とランネはすぐさま急降下する。しかし、降りきる直前でそこにいたはずの影が消滅した。セレストは転移しただけなのだが、この時点ではそのことを二人が知ることはできない。彼女らの認識では、『ISがセレストを消滅させた』ようにしか見えないのである。

 故に二人の脳内を占めるのは絶望だ。

「……そんな」

「かんちゃん……」

(もう、会えないの……?)

 本音の頬に一筋、涙が流れた。そんなのは嫌だった。もう二度と、本音は主を失いたくないのだ。それは今までとは違い、純粋に織り上げられた願い。

 それ故に――

「どわっ!? はい!? な、何で!?」

 光の粒子が舞い散り、そこに人型を形成する。流れ落ちるようなくすんだ銀色の髪に、血のような赤い瞳。実はお手入れなどほぼしていないことを知っている真っ白い肌。本音が夢にまで見た主がそこにいた。

 本音の身体から『九尾ノ魂』が消えていく。その現象に虚達は慌てたが、本音本人が消えることはなかった。その理由すらわからず、それでも目の前に現れた探し人に向けて本音は飛び付く。

(かんちゃんっ……! もう、絶対に絶対に離さないんだから……っ!)

 強い意思を込めて抱き締めれば、セレストは本音を抱き返してくれた。それが嬉しくてぎゅうぎゅうと締め付けるが、セレストは堪えた様子がない。

 むしろ、珍しくもその顔をだらしなく歪ませて微笑んだ。

「何だろうなぁ、嬉しいのかも。それが一番の願いなんだね、本音」

「かんちゃんっ……かんちゃぁん……」

「今はセレストなんだけど……ま、いっか。今だけはね……」

 いつまでも『かんちゃん』と呼び続ける本音に、セレストは苦笑を浮かべることしか出来ない。今や彼女はセレストなのだ。元から簪ではなかったし、あの『簪』がクローンだとわかっていても、セレストは『簪』を譲る気でいたのだ。もっとも、本人はある意味では願いを叶えたようだが。

 本音とセレストが一通り感動の再会を終わらせると、次はランネの番だ。彼女はセレストに抱き付かず頬を張った。その気になれば避けられたが、セレストは敢えて受ける。それだけ心配をかけたのだろうと、今ならば素直に思えるからだ。

 だから、セレストはランネに言葉をかけた。

「……ごめん」

 その言葉は、ランネの涙腺を緩ませた。

「あやっ、謝るくらいなら……っ、最初から誤解を生むような言い方、しないのっ!」

(ばか……!)

 次は拳だった。しかしそれはセレストの胸を軽く叩くだけで、ダメージにもならないほどのものだ。それでもセレストにはそれが重く感じた。それこそがランネの言葉だと分かったのだ。

 顔を歪めて泣きじゃくるランネは、セレストに言う。

「……なぐり、なさい……」

「は?」

 思わず聞き返すセレストに、ランネは激情のまま叫んだ。

「殴りなさい! アタシを……アンタを信じられなかったアタシをっ!」

(少年漫画か何かじゃないんだからさ……まあ、それでランネの気がすむならやるけど)

 それに応えて、セレストは手を振り抜いた。思っていたよりも強く頬を張ってしまったのは、セレスト自身の意思も込められてのことだ。信じていてほしかった。説明不足な自分が悪いのだと分かっていても、それでも信じていてほしかったのだ。

 だから、セレストはそれでけじめをつけたことにする。

「……これで最初からにしよう。よろしく、ランネ」

「……っ、よろ、しくぅ……セレ、スト」

 ぎゅ、と握手をして二人は向き合った。一度壊した関係はもう二度と戻らない。だからこそ、新たに築くことを選んだのだ。その友情を真実とノトナは微笑ましく見て――ノトナだけが顔をしかめた。見えてしまったのだ。セレストの背後から湧いてくる無数の黒い影が。

 その正体はISに探知してもらわなくとも分かる。無人機の群れだ。

「……来たね、私」

(じゃあ、私も終わらせなくちゃ、ね)

 そう呟き、ノトナは最後の最後まで残していた手段を手にした。それは自身で精製したコアを搭載した、ノトナにとっての『ファースト・インフィニット・ストラトス』。名を『燐儚(りんぼう)』という。

 プライベート・チャネルで真実に何事かを告げたノトナは一気に上昇し、目の前に立つ束を睨み付けた。目線が絡み合い、火花が散る様が幻視できた。今やノトナは束にとって殺すべき敵でしかなくなっていたのだ。

 いっそ静謐とすら呼べるような表情を浮かべるノトナに、束は言い放つ。

「生意気すぎるよ、お前。だから消すことにした。この願いは――叶えられるはずだから」

「無理だと思うよ。だって、私も願うから。もうISなんて世界にはいらない。だから――」

 ノトナはその覚悟をコアに叩き込んだ。

 

 そう――それは、ノトナと束にとってはある意味致命的な願いだった。

 

 最初の変化は小さかった。束の周りの無人機が理由もなく墜ちていくだけで、本人には何ら影響がなかったからだ。故に束は間を詰めてノトナを殺しにかかる。狙うは胸元、一撃で殺せる心臓を取る。その意気で刀を振りかぶって。

 それが、ノトナの胸の前で止まった。

「!? 何で……これ、はっ!」

 腕が動かなかった。まるで何かを忘れてしまったかのような喪失感と焦燥。ありったけの力を込めても、刀はびくともしなかった。

 ノトナは透明な笑みを浮かべ、束の刀を受け入れるように両手を広げた。

「大丈夫。私も一緒だから。貴女が生まれてこなければ、貴女の周りの無人機達は動けもしなかった」

 二人はゆっくりと地上へと降りていく。光の粒子はそんな二人を取り巻き、無人機をも巻き込みながら確かにその効果を発揮する。無人機からもコアが消え、残されるのはただISスーツをまとった二人だけ。

 

 そうして地上に降り立ったとき、そこには『篠ノ之束』も『ノトナ』も存在しなかった。

 

 まるで漂白されたように物理的に真っ白になった二人は、同時に口にした。

「「貴女、誰? 私も誰?」」

 その光景に、二人を見守っていた一同は息を呑んだ。それがどういう意味を持つのか分からなかったからだ。確かに人間を消す光の粒子に包まれていたはずなのに、消えたのは記憶だけだったということなのだろうか。

 それすらも考えられない皆を差し置いて、いち早く現実に戻ってきた真実が声をかけた。

「貴女はミーノ。そして貴女はイズノ、よ。」

(貴女は自分を否定し、ノトナはISを否定した。なら、それこそが彼女らにふさわしい名前よね)

 自分の生まれを否定し、世界を葬り去ろうとした方を『ミーノ(Me No)』と。そして、ISを否定し、記憶ごとコアの精製技術を葬り去った方に『イズノ(IS No)』と名付けた。勿論意味を聞かれれば誤魔化すしかないが、それが彼女らを示す適切な名前だと真実は思っていた。勿論ネーミングセンスは無さすぎるのでその意味に気づいた人間は呆れていたのだが。

 それはさておき、これでコアの精製技術は葬り去られたこととなる。そして残るISは『黒龍』『ヴァーミリオン・ナイト』『グレイ・アーキタイプ』『黒鍵』『トワイライト・イリュージョン』『デイジー』『ヘル・アンド・ヘヴン』のみだ。これ以上増えることはない。なお真実達がまとっていた訓練機は無人機と共に消滅している。

 そして、最後に――『デイジー』を除く全てのISが一堂に会したのであった。




 ノトナのIS『燐儚』
 後方支援特化、というよりもそれしか出来ないIS。武装は荷電粒子砲とソードビットのみ。あとの容量は全て演算能力に持っていかれている。
 因みに名前の由来はリンボウギクから。紫色の花。何でこの花かって? 花言葉をどうぞ。


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さようなら。そして全てが。

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 ほんっと役目なかったなベルベット。


 ギリシャを始めとするIS委員会の命を受け、ベルベットはIS学園に蔓延ったテロリストを殺すために機会を窺っていた。そして一番チャンスだと思った瞬間にハルバードを突き出していた。そう――一番無防備に見えた、セレストへと。

 

 しかし、それは『黒い水』によって止められる。

 

 その理由は至極簡単だ。『黒龍』は確かに『シルバリオ・ゴスペル』を撃退するために二次移行し、ランネの願いを聞いた。しかし、その時ランネと『黒龍』が『更識簪を守れた』わけではないのだ。今回こそは間に合った。それこそがセレスト最大の危機だったのだから。ランネの『簪を守りたい』という願いは、今このときに叶えられたのである。

 ランネがついに名前すらつけられなかった彼女と、『黒龍』が消えていく。そして彼女も無防備となり、あとそこに残されているISは二機だけだ。しかし数的に不利なのはベルベットの方であり、それは彼女にも分かっている。だが、ここで彼女らを殺さなければ、得られないものがあるのだ。

 裂帛の気合いを込め、ベルベットが吠える。

「私の邪魔をするのなら、容赦はしないわ……!」

(フォルテ……っ!)

 彼女の目的とは、祖国と自分を裏切ったフォルテを殺すこと。それを果たすためにIS委員会は条件付きでフォルテの情報をベルベットに渡すことを約束したのだ。故に彼女はその条件である『IS学園内のテロリストを排除する』ことを満たすためにこうして襲撃してきている。全てはフォルテを取り返し、この手で罰するために。

 元々、ベルベットとフォルテはライバル同士だった。それが変わったのはいつのことだっただろうか。小さく庇護欲をそそるフォルテの姿に憧れを抱いた。それ以上の感情もだ。しかしそれは祖国の裏切りという最悪の形で壊されることとなる。

 ベルベットは女の勘で気づいていたのだ。誰か他の女に寝とられたと。故にフォルテが許せない。もう一度会って、その泥棒猫から奪い返すのだ。そして永遠に自分のものにする。

 そしてそんな彼女に取れる手段は、いくら卑怯であろうがセレスト達の背後にいる生身の人間たちを狙うことのみだ。そうやって防戦一方になるように仕向ける。それしか手段はないのだ。

(にしても、この状況をひっくり返すには戦術しかないわね……!)

 とはいえ、ベルベットがジリ貧なのは間違いのない事実だと彼女は思っていた。実際は生身の人間たちを庇うために襲いくる氷や炎を防ぐのにサラが奮闘している。その上、セレストも彼女の演算能力だけでは防ぎきれていないモノを防御しながらベルベットに攻撃めいたものをぶつけているだけで決定打には全くもって足りていないのである。

 どちらもじり貧の、千日手。どちらかが決定的な一打を浴びせさえすればすぐに決着はつくというのに、それさえもままならないこの状況はどちらの神経もすり減らす。それにどちらが痺れを切らすかが勝負の分かれ目といっていいだろう。

 もっとも、綻びが出たのはまさかの人間ではないものからの声だったのだが。

『セレスト、ISが二機接近中だよ!』

「はぁ!? っと、やばっ!」

(色々間違った……!)

 グレイからの声により、セレストが集中を乱した。その一瞬の隙を突いてベルベットが脚部からミサイルを全弾撃ち尽くす勢いで発射したのである。勿論セレストにはそれを異空間へと叩き込む方法もあった。しかし、それだけの演算を組む前に防御に入らざるを得なかった彼女に出来たのは、辛うじて空間を歪めて逸らすことだけだった。

 歪める方向を思い切り間違えたセレストが、絶対防御のうえからひたすらミサイルに叩かれる。

(取り敢えず後ろにはやってないけどこれは酷いよわたしのばかたれぇ!)

「あびゃばばばばばば冗談じゃないって何でこんなときにそこの演算間違うのばっかじゃないのばーか!」

(――好機!)

 その意味不明な光景に、ベルベットは狼狽えたりはしなかった。これ幸いとセレスト一人に攻撃を集中し、押しきろうとしたのである。その選択は一切間違ってはいないのだろう。

 しかし、その選択はセレストを殺す選択肢だ。何せ彼女は今、『グレイ・アーキタイプ』と同化している。生身の身体に絶対防御をまとっているわけだ。つまりシールドエネルギーがなくなれば身を守るものは何もない。生身の部分をミサイルにやられて死ぬのだ。

(ヤバい……自業自得だけどヤバいよ……っ! けど、でも、死ぬわけには……っ!)

 歯を食い縛りながらその攻撃を耐えるセレスト。今この身には、一人の命がかかっているといっても過言ではないのだ。全てのISがなくなれば、『デイジー』は停止する。そして今残っているISも、ふとした拍子に願いを叶えて消え去るだろう。それはレティの生命維持の方法がなくなることを意味していた。

 しかし、セレストが耐え続けるだけでは事態は打開できない。サラはセレストに向けられてなお逸れるミサイルの処理で手一杯だ。こちらに向かっているという二機のISは敵か味方かすらわからない。万事休すだった。

 それでも。

「死ぬわけ、には、いかない……っ!」

(レティの、ためにも……レティを救うためにも!)

 セレストを支えているのは最早意地だった。それは純然たる願いで。しかしベルベットの覚悟はそれをはるかに凌駕する。

 セレストを打ち倒すために、ベルベットは絶叫した。

 

「死になさい! 貴女に勝って、私はフォルテに会いに行くんだから!」

 

 その決意は。その願いは。『ヘル・アンド・ヘヴン』に届いた。届いてしまった。故にベルベットはセレストに止めを刺し、その場から光の粒子と共に消えていく。ベルベットの願いもまた叶えられたのだ。真っ赤な血にまみれたセレストと同じように。

 ベルベットはフォルテのところに飛ばされた。そして、セレストもその願いを叶えた。そこにたどり着くのは、遅すぎる救援だ。クロエと万十夏。その二人が、顔を蒼白にして舞い降りる。最早何をするにも手遅れに見えるセレストに、誰もが言葉を失って。

 万十夏が愕然と声を漏らす。

「――嘘だ。そんな、間に合わないだなんて……嘘、だ」

(何故だ……私は、いつも、いつも遅すぎる……っ!)

 クロエはカチカチと歯を鳴らしてその光景を見ることしか出来ない。クロエにとっての母は。かつて『更識簪』と呼ばれていたセレストは。誰がどう見ても死んでいた。

(何故ですか、お母様……私は、喪うことしか、出来ないというのですか……)

 本音も、ランネもそれを愕然と見ていることしか出来ない。

「セレスト……っこんな、こんなのって……」

「やだ……折角、また会えたのに……こんなのやだ……」

 泣き崩れ、その場に悲しみが満ちる。もしもセレストに意識があったなら、この光景を至極複雑な表情で見ていたことだろう。しかし今の彼女は血にまみれて倒れ伏し、ぴくりとも動けない。

 

 それでも。ここに、諦めない者がいる。

 

「――願いなさい」

 それはまるで託宣のようで。その言葉を発したサラですら、その考えを鼻で笑うようなものだった。それでも最後にすがれるのは、その奇跡しか残されてはいなかった。エクシアを救えたのに、セレストが救えないわけがない。

 故に唯一、その方法を理解しているサラがそれを伝えるしかないのだ。一刻も無駄にしてはならない。呼吸も既に止まっているのだ。ISと融合した時点でどうなっていたかはサラは知らないが、早いに越したことはないのだから。

 まず、サラは万十夏に告げる。

「願いなさい、万十夏。間に合わせるって、その子が死ぬ前に会うって願いなさい!」

「それは……でも」

 口ごもって無理だ、と彼女が呟く前にサラは叫んだ。

「つべこべ言わないの! やらなきゃ、可能性はなくなるの!」

 その叱咤に、万十夏は息を呑んだ。

(そうだ……諦めたくなんか、ないんだ……私は、簪にまだ何も返せていないっ! なら、私が返すのは当然だろう!)

 その心は『トワイライト・イリュージョン』に確かに届く。舞い始める光の粒子を認めてサラはなお保険をかけることにする。サラとて、こんな風にセレストを喪いたいわけではないのだ。そして、あの天空の牢獄にレティを置き続けたいわけでもない。

 故に彼女は更に告げる。

「そっちの、セレストと同じ色の子もよ。願いなさい、何のためにここまで来たのっ!」

「あ――まさか、でも……いいえ、そうですね。ここでお母様に会えなければ、いつ会うというのですか!」

(むしろ今生きていて下さらなかったら、もう二度と面と向かって話せません……そんなのは、認められません!)

 そしてクロエの『黒鍵』からも光の粒子が舞い始める。彼女は確かに知っていた。故に具体的に願えるのだ。ISが願いを叶えてくれると知っていて、今まで目が見えるようになったことをその効果だと誤認していた。しかし、そうではなかったのだと今ならばわかる。

 決意に満ちるクロエの顔を見て、サラも願った。

(これで全てのISが消えるのなら――どうか、犠牲者など出さないで! 誰も、死なせたりなんかしないでっ!)

 『ヴァーミリオン・ナイト』からも光の粒子が舞い始める。そしてその場に舞う粒子は次第に黄金色を帯び、辺りを包んでいく。見ているだけで荘厳な雰囲気を感じるそれは、紛うことなく『復活の儀式』だった。死者を呼び戻し、生者としてもう一度活動させるための。

 

「――あ」

 

 それは、いったい誰の声だったか。それを問うような無粋な真似は、誰もしなかった。その代わり、目の前で起きる奇跡をただ喜んだ。セレストの傷が治り、頬に赤みが差して胸が微かに上下動する。そしてゆっくりと目が開き、思い切り閉じられてまた開いた。

 その顔がひきつるのに時間はかからなかった。それでも、セレストは確かに笑った。生きているという喜びに。

 

 そうして、世界からIS――『インフィニット・ストラトス』は消滅した。




 なおフォルテのもとへ飛ばされたベルベットは一夏からフォルテを奪い返すべく生身で挑み、あっさりと千冬に押さえ付けられてフォルテと一緒に一夏に抱かれて快楽に堕とされた模様。


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今更ですが、わたしに転成しました。

 毎時投稿中です。一度目次に戻り、未読がないか確認してください。

 最終話。

 原作は12巻なのに本作、文字量的には文庫3冊にも満たないという驚愕の事実をお知らせします。


 あれから数年が経った。世界は急速にISという存在を忘れたがり、憑き物が落ちたかのように女尊男卑の思想も消えていった。今、世界に普及しているのはEOSというパワードスーツだ。しかしそれは鈍重で空を舞うことなどできなかった。

 しかし、誰もそれを惜しいとは思わない。空を舞う金属の塊など、飛行機やヘリコプターで充分だった。ましてや生身に見えるモノが開発されようと、誰も見向きもしないだろう。それはISを思わせるからだ。そんな恐怖を思い出したくもない彼らがそんなものを生み出すわけも、ましてや使うわけもなかった。

 そんな中、各国の軍事力だけが倍増していることに気付いたものはいない。皆同じように発展し、ISなどなくとも機材さえあれば荷電粒子砲が撃てるようになった。エネルギー効率の問題などもかなり前進しているといっても良いだろう。

 とはいえ、セレストには最早それらは関係のない話だ。何故なら、彼女は既に『更識簪』でもなければ対暗部用暗部などというものでもない。単なる個人『セレスト』として生きることを許されたのだ。性格的にも向いておらず、日本政府も行方知れずのままの当主を戴く『更識』など信頼しろという方がおかしい。『布仏』も同時に解体され、セレストは最早誰にも生き方を縛られることはなかった。

 しかし、どこを拠点にするかは選ばねばならなかった。彼女が選んだのは勿論日本である。ISのお陰で日本語がかなり通じるようになっているとはいえ、外国語は彼女にとってハードルの高すぎるものであるからだ。それに恐らく日本政府はセレストに監視をつけたがる。それが分かっていたがゆえにその意思を尊重したのである。

 更に彼女はその監視のために用意された家に自ら入った。どうやって叩き込もうか考えていた公安から見れば反応に困る行動だ。しかし、セレストはセレストなりに考えがあったのである。

 だらしなく机にもたれ掛かりながら家の中に用意された黒豆茶を飲み、一息ついてセレストはぼやいた。

「平和だなー……」

「そうですね、お母様」

 そう返すのは、セレストとは対照的にきちんと正座をしているクロエだった。彼女もまた監視対象であり、セレストに続いてこの監視の檻に入った少女でもある。

 そこに思い切り突っ込みが入った。

「監視されて平和も何もあるかーっ!」

「落ち着いてください万十夏ババア様」

(少なくとも誰も襲撃してこないではないですか)

 唐突に現れた万十夏にクロエが冷たくそう告げる。それに対して万十夏は頭を抱えた。

「……お前、本っ当に良い性格になったな……」

 以前はもっとお堅い性格だったのだが、憐れクロエは突っ込みどころ満載なセレストとその他の人間と関わったことで変わっていた。その中で毒舌になっていったのも致し方ないことであろう。

「まあ良い、セレスト、良い知らせと悪い知らせ、どっちから聞きたい?」

 そう改まって問う万十夏に、セレストは躊躇いなく答えた。

「当然悪い方から」

「知ってた……おほん。まず、刀奈がお前を名指しで娘を養育してほしいと言ってきているぞ」

「嫌だ。そんな無責任な姉を持った覚えはないもん。というかそんな理性が戻ってきたんなら自分で育ててほしいなぁ」

 ぷいっと横を向いて答えたセレストは、ため息をついた。まさか愛しい男との娘を養育してほしいと頼んでくるなど思いもしなかったのだ。確かにあの惨状は見るに耐えないものであったのだが。

 セレストが楯無の位置を特定し、許可をとってからルクーゼンブルク公国の黄昏公宮に突入したとき、そこは既に手遅れだった。生々しい桃色空間。響く嬌声に、隅っこで泣きじゃくる赤ん坊。何とも言えない背徳の光景にセレストは唖然とした。しかし、流石に赤ん坊は放置できなかったので一緒に突入したメンバーと共に保護したのである。

 そこで何人もひっぱたいて正気に戻していく真実はある意味最強だった。そうやって皆を正気に戻した上で、赤ん坊について聞いた真実はまともな答えを返した女性にのみ子育てに携わるよう命じた。勿論彼女にそんな権限はないが、『気付いたら出来てたけど一夏と愛し合うには邪魔だから』等と言い張る女に子供を任せたくはないのは明白だ。

 そうやって享楽に耽る女と子育てをする女とに分かれさせて国家元首に報告する。いきなり増えた人口にルクーゼンブルク大公がひきつった顔をしていたが、どこの国でも受け入れようがない。かつてISに関わった特大の特異点(織斑一夏)の子供など、忌み嫌われるだけだ。故に大公は子供達を受け入れたのである。

 それはさておき、万十夏はやれやれとため息をついてもう一つの用件を告げた。

「あと、やっと許可が取れたらしい。あちらも彼女の扱いには困っていたのだろうな」

「え、じゃあ」

「ああ、レティも自由だ」

 もっとも、監視付きの自由であることには変わりない。しかしそれでも、ただ『死ね』と命じられるよりは幸せになれるだろう。人間、生きていさえすれば大体のことはどうにかなるのだから。心さえ無事であるのなら、いつかまた歩き出せる。

 セレストはそれに対して笑みを見せた。

「良かった」

「一応言うがな、セレスト? 監視付きの自由は別に幸せではないぞ?」

 万十夏は冷静に突っ込むが、セレストはそれでもその答えは認めなかった。当然だ。今セレストが幸せなのだから、その論理は成り立たない。万十夏がいて、クロエがいて、時々布仏の姉妹が来て。ランネもたまには顔を出して、本当にごく稀にロランツィーネが公演に呼んでくれて。これからはレティも一緒に暮らせるのだ。こんな今が幸せでないなど嘘でしかない。

 それに、セレストは今生きていたいのだ。

「そんなことないよ、万十夏。だって、うまく言えないけど……ここにいて良いよって、言われてるみたいじゃない?」

 その言葉にクロエまでもが頭を抱えた。

「お母様、流石にそれはポジティブ思考に過ぎるかと……」

 それに同調するようにスパーン、と襖が開けられた。どうやらこの勢いからしてランネが来たらしい。

「クロエのいう通りよセレスト! アンタそんなこと言ってたら、いつまでたっても監視付きで過ごさなくちゃいけなくなるわよ?」

 いつもの通り元気なランネはそう言うが、監視が厳しいのはむしろ彼女の方なのだ。布仏家の一員として迎え入れられた彼女は、イズノとミーノに激しく懐かれてしまったので二人への影響力を警戒されてしまっているのだから。

 とはいえ彼女は監視を護衛だと聞いているのでそこまで気にはしていないのだが。

「いつまでも部屋のなかでのんべんだらりしてるんじゃないわよ! ほら、ぱーっと遊びにいくわよぱーっと!」

 机をバンバン叩きながら主張するランネに、セレストは溢れそうになった黒豆茶を救出してのんびりと問う。

「どうしたの、ランネ。何か嫌なことでもあった?」

 その言葉にランネは頭を抱えた。

(何をどう解釈したらそうなるっていうのよ!)

「……あのね、そのぶっ飛んだ回答の前に解説が欲しいんだけど」

 必死に苛立ちを押さえてランネは問うた。流石に脈絡がなさすぎて意味が分からない。しかし、今度は万十夏までもくつろぎ始めたので何となく彼女らには分かっているようだ。

 セレストが何かを答える前に、クロエが煽るように言う。

「何を言っているのですか。貴女が羽目を外しに行こうと言うときは、大体ストレスが溜まっているときでしょう?」

「むしろそれ以外の理由でぱーっと、なんて聞いたことがないな」

 頷きながら万十夏もそう付け加えるあたり、この会話が少なくない回数繰り返された証左でもあるだろう。その度にセレストはランネの遊びに付き合い、大体がぐったりして帰ってくるのである。

「むぐ、むぐぐぅ……」

 ぐうの音も出ない様子のランネに、セレストが止めを指した。

「ほら、吐き出した方が楽になるよ? 一気にゲロッと」

「だーっ、もう! 表現が汚すぎるわよ!?」

 バンバンと机が軋むレベルで叩き始めたので、そろそろ危険だと判断したのかストップが入った。

「ほらほら~、ランネ、ダメだよぉ~。机だって~、無料じゃないんだから~」

「アンっタが子育てに参加しないからでしょうが! あの二人、でっかい図体しておきながら今反抗期なのよ!?」

 ついに雷を落としたランネは、そこに現れた本音に吠えかかった。それも仕方がないだろう。記憶が消去され、ほとんど全てが未知の状態から始まったのだ。下手に肉体の方に今まで生きてきた記憶が残っているようで、やらかすことが普通ではないのである。

 それでもランネは決して二人を見捨てない。真実が二人を家族だと言うのなら、ランネにとっても彼女らは家族なのだから。

「だから逃げてるんだよ~」

「手伝ってよ、もう……! 空音に任せたらどうなるか分かってて言ってる!?」

「えへへ~」

「本音ェェ!」

 鬼の形相のランネが本音を追い回し始める。それをセレストは微笑ましく見ていて、止めることもしない。こんな幸せな日常があり得るとは、セレストは思ってもみなかった。もっとも、本人達にとっては文字通り命がけの育児なのだが。

 笑顔の絶えないセレストに、ぽつりと万十夏が問うた。

「……セレスト、お前……今、幸せか?」

「うん、多分。これが幸せなんだなぁ、とは思うよ。何て言うのかな……こういう光景に囲まれたかったのかもしれない。他愛もない会話とか、じゃれ合いとか。こんなの、今までにも本当はあったんだろうけど……心持ちが違うとやっぱり違うのかもね」

「心持ち、か……」

 そう呟いたきり、万十夏は黙りこんだ。その沈黙は穏やかで、確かに悪いものではない。思えば、ここまで生き急いできた気もする。ならばこの穏やかな時間も、幸せと呼べるのかもしれない。

 喧騒を聞きながら、セレストはゆっくりと息を吐いた。

(――そう、だね。もう何も偽る必要はないんだもんね……だから、わたしは、わたしに成れたって思って良いんだよね?)

 そう、心のなかで呟いて。彼女は誰にも聞かれていないがゆえに答えのないその言葉を、静かに受け入れた。




 はい、というわけで終了です。
 途中からの急展開は何じゃいと思われそうですが、ペラい原作から類推できる道筋ってあのくらい派手な感じなのかなーと。とはいえ一夏の理性が吹っ飛ぶようなことはないんでしょうが。せいぜいISが消えて終わりでしょう。
 それはそうと、一番重要で、一番忘れ去られてるかもしれないのですが。

 一話からして誤爆だよ!!!!!!

 適当なところで終わらせる気満々でしたし、むしろ完結させられるとも当時思ってもみなかったはずです。何しろいろんなことが手一杯だったらしい記憶が朧気にありますからね。確か誤爆した辺りで引っ越したんですよ。でわちゃわちゃしつつ日々のストレスを本作で解消し……ええ、思いっきりセレスト(当時は簪、以下セレスト)には胸糞悪い目に遭ってもらっていました。
 とはいえ最終的には(こよみ基準で)ハッピーエンドです。頭はハッピーセットになったやつらはたくさんいますが。疑われるかもしれませんけど、生存者は一応誰も不幸にはなってな……いたわ一番かわいそうなの。ルクーゼンブルクの大公。妹を奪われた上に山ほど公にできない子供を押し付けられたかわいそうな人。まあでも、奴以外は皆幸せになりましたよ。
 なお、一夏のハーレムは百人を優に越えていたりします。人外だしそのくらいよゆーよゆー。繁殖の種馬ですから奴の子供は促成栽培(うまい表現が見つからない)で早く成長します。精神的には未熟なままですが。
 原作最終巻がどうなるかは知りませんし、そもそも出るのかどうかも怪しいですが、こよみなりの結論はこういう形ということで。
 途中からの怒濤の投稿は感想に返信するのが疲れたからです。とはいえ全部一気に投稿するのもどうかと思ったので毎時投稿。あとはガンガンネタバレしながら感想に返信できますからね。……まさか170を越える感想に返信することになろうとは。簡単に返せるものからゆっくり返させてください。

 また別の作品で会えることを願っております。書くかはまた別の話ですけどね。多分ISはもう書かないです。原作ががばがば過ぎて考えることがありすぎるんで。
 今度は誤爆しないようにしとこう。

 こよみ


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