住めば都とはよく言ったもので (シーシャ)
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1.ソラジマってどこの都道府県なわけ?

 

ある日、私は何故か侵入者としてお縄についてしまった。たぶんこれだけだと意味が分からないのでもうちょい詳しく言おう。昨日まで社会人として普通に働いていたはずが、ベッドで寝て起きたら見知らぬ場所で縄で拘束され、どこぞの原住民の人たちに囲まれて侵入者め、と言われていた。

 

「いや、意味わからんわ」

 

「意味が分からんだと?それはこちらのセリフだ、侵入者め!何が目的だ!」

 

「いやー、目的も何もないんですけど」

 

「惚けたことを言いやがって…!」

 

原住民の兄さん〜おじさんたちがプンスカ怒って槍?みたいなのを向けてきてる。私が先端恐怖症だったら大人気なくドン引きされるぐらい泣き喚いたところだぞコノヤロー。あー、なんか現実味なさすぎて辛い。もしかして夢だろうか、という淡い期待は拘束された時にできたらしい膝の擦り傷の痛みで吹き飛んだ。あーあ、夏だからってTシャツと短パン寝るんじゃなかったな。もっとこう鎧的な服で寝てたら怪我しなかっただろうに…ってそんなの無理だって。あはは……ハァ。

 

「あのですね、私はあなた方に危害を加えたり喧嘩売りに来たんじゃなくてですね。私自身よく分からないうちにここにいたわけでして。つまり、家に帰らせてもらえません?」

 

「……おぬしはどこから来たのだ?」

 

おっ、ようやく話が通じそうな人が来た。犬の頭部みたいな帽子被ってるけど。見た感じ、この中の人たちで一番年齢が高い。族長的な人だろうか。まだ警戒した顔だけど、周りの人たちが武器を下ろしてくれた。

 

「どこからってのは地名の話ですか?都道府県?それとも市町村?」

 

「トドウ、フケン…?それは白々海のどの辺りにあるのだ?」

 

「はい?ハクハク?カイ?」

 

私とこの族長さん、お互いにポカンとした顔になってるんだろう。心底不思議そうな顔つきから、都道府県を知らないなんて意地悪でそんなことを言っているのではないのだろうが、なんか…嫌な予感がミシミシしてきた。顔立ち、体つき、服装が違うだけ…言葉は同じ、とても流暢な日本語。なのに。

 

「……失礼ですが、みなさんは日本の方でいらっしゃる?」

 

「……すまんが、二本とは何に対する数なのだ?」

 

「いえ、本数ではなく国の名前で…ニホン、ニッポン、ジャパン、ヤーパン、ジャポーネ、ハポン…ええと、あっ、やまとのくに、とか………色々、呼び方は……あるんです………けど」

 

指折り数えて知る限りの名前を挙げ連ねても、誰一人として聞いたことがあると声を上げない、顔色も変わらない。ああ、泣きそう。どこだよここ。

 

「そうだ…あの、ここはどこなんですか?」

 

「ここはスカイピアにある雲隠れの村だ」

 

とうとう私は地面に突っ伏してしまった。いや、スカイピアって…雲隠れの村って……聞いたことねえええ!!!

 



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2.帽子のお兄さんとお喋りしてみた

 

 

処遇をどうするかと話し合いをされている間、紐でぐるぐる巻きにされたまま放置プレイされた。あまりに暇すぎたので、見張りのお兄さんとお喋りすることにした。

 

「なんか、結構みなさん目を見て話してくれますよね」

 

「は?何言ってんだ、そりゃ普通のことだろ?」

 

「まあそうなんですけど…なんかこう、目力が強いっていうか?ちょっと気まずいっていうか」

 

「それはあんたに後ろめたさがあるからだろ」

 

素っ気なく言われてちょっと辛い。でも帽子のお兄さんは持ってる槍でブッ刺してこようとかしないし。うん、たぶんいい人なんだろうなぁ。原住民だけど。ガチ原住民だけど。

 

「いやいや、清廉潔白に生きてきた身としては後ろめたさなんてありえないんですけど。…すみません、ちょっと盛りました。でもやましいところなんてないんだけどなぁ」

 

ありがたいことに、今まで警察のお世話になったことないし。私と話すのはもう飽きたかな、と思ったら、沈黙の後に答えてくれた。

 

「……もしかすると、目の色かもな」

 

「目の?色がどうかしました?」

 

「あんたの目の色がヴァースの色なんだよ」

 

「ゔぁーす?なんですかそれ?」

 

「……ヴァースも知らねェか。あー、大地だ。大地の色」

 

「へえ、ここじゃ土ってヴァースって言うんですか。日本じゃこげ茶色って言ってました」

 

「ヘェ」

 

日本語は通じるのに日本のじょうしきは通じないのか。変なの。

 

「で、地面の色がなんなんですか?」

 

「…ここじゃ地面は白色なんだが」

 

「はい?…あっ、らしいですね。じゃあなんだ、大地の色?」

 

「空じゃ大地ってのは希少で価値あるものなんだよ。だからあんたの目の色は特別なんだろうよ」

 

「そういえばみなさん完全に黒い目ですもんねぇ」

 

「完全に黒い?」

 

「いえ、うちの国の人って黒髪黒目がデフォなんですけど、大半が黒目でなく濃い茶色の目でして。グレーの目とかは外国の方の目の色だし、完全な黒目ってのは瞳孔的にもないっていうか」

 

「…よく分からんが、お前の国ではさほど珍しいものではないのか」

 

「むしろみなさんの目の方が珍しいです。クッキリした黒目で目力強くて素敵ですねぇ」

 

「煽てても無駄だぞ」

 

「へ?ああ、いや、おだてとかそんなんでなく!」

 

「ハハッ。面白いな、あんた」

 

笑われた。割と本気なんだけどなぁ。やっぱ不審者の言葉はあんま信じてもらえないのかな。ちょっとため息を漏らしつつ、脱力しつつで私も笑った。

 

「…ドーモ」

 

あっ、話し合い終わったみたいだ。

 



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3.黄金郷について情報交換してみた

 

 

綺麗なお姉さんに体を触られたり、族長さんと話したりして、なんやかんやで居候させてもらえることになった。いや、居候じゃなくて普通に家に帰りたいんだけど。でも日本のこともわからないし、もらった地図なんて全くのイミフだったので諦めて住ませてもらうことにした。あーあ、クビだなこりゃ。親が捜索願出してくれたらいいんだけど。

 

「はー…黄金郷とはまたでっかくきましたねぇ」

 

ここがどこか理解するためにも、と話を聞いたら黄金郷とかの話になった。うわー、一体ここどこー?

 

「ミサオは知ってるのか?オーゴンのこと」

 

「むしろ知らない人はいないんじゃないかな。大昔から装飾品、通貨として使われていたものだし、黄金の輝きを太陽と見立てたり、権力者の象徴とされたりでね。まあ、世界共通認識で黄金は価値の変動がほとんどないものとされてるよ」

 

「へえ…大地とどっちが価値あるものなんだろうな」

 

「黄金じゃない?お金があれば土地は買えるし。…まあ、ここじゃ大地の方が価値があるけどね。…あっ!えーと、黄金って限りがあるのよ。世界中全ての黄金を集めてもこれだけってもう判明してて。だから、そういう限りあるものって空における大地みたいなものなのよ!」

 

「あー、なるほど。ってかなんでそんな必死なんだよ」

 

「いや、なんかこっちの価値観でばっか話してて、みなさんの価値観を否定するような発言だったなら申し訳ないなって…」

 

ごめんねと頭を下げたら、アイサちゃんやカマキリさん、ラキさんたちに笑われた。

 

「…お前、変なところで気を使うよな」

 

「相手を思いやるってのはいいことだろ。お前の美点だと思うぜ」

 

「え、そう?うぇっへっへ!」

 

「胸張るほどでもないけどな」

 

「無い胸張るなよ」

 

「おいこら誰だ今貧乳とか言ったやつは!!!…ゴホン。えーと…あっ、そうそう。黄金といえば、私の国も昔は黄金の国って言われてたんですよね」

 

「そうなのか!?」

 

「まさかジャヤって名前か!?」

 

ジャ、まで聞いてドキッとしたけどジャパンじゃなかった。むしろどこにあるの?そのジャヤって…。

 

「いや、そんな呼ばれ方はないはず。てかそんな黄金郷的なのじゃないよ。ちょっと大きな一軒家に金箔を貼り付けてピカピカさせてたとか、金より銀の方が価値あるものとしてたとか、そんなのが原因というか」

 

「そうか…じゃあ違うな…」

 

ガッカリさせてすまんな…。

 

「だから黄金郷ってどんだけすごいんだ、って興味はあります。きっとあちこちピッカピカなんでしょうねぇ…なんか目が痛くなりそうな感じの…」

 

「さすがにんなこたァねえだろ」

 

「お前の考えてる黄金郷ってどんなだよ」

 



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4.女の子と過激派青年との土の話

 

 

「土かあ…腐葉土とか堆肥なら作れるんだけどなぁ」

 

アイサちゃんのリュックに入った土に触って、しみじみと思った。土が宝なのだと言われても、さっっっぱり全く共感できない。空において地面がありがたいものだとは理解できる。理解はできる、が、ありがたみは分からない。それが地上人と空島の人々との違いなのだろう。

 

「それって何?」

 

「土の栄養になるものだよ。植物が育ちやすくなったりするの。でも腐葉土とか生ゴミ処理機の堆肥に直接植物を植えるとか聞いたことないしなぁ…そもそも問題は植物を植える場所がないってのじゃなくて土によって植物を産むってことだし…」

 

「…なんか難しそうだね」

 

私のぼやきの意味が分からなかったのか、アイサちゃんがしかめっ面でぼやき返した。素直で可愛い子だなぁ、とついつい顔が緩んでしまう。

 

「難しいねぇ…。土…どうにか作れないかなぁ…」

 

「そんなの無理だよ。それに、土じゃなくって神の島を取り戻すために戦ってるんだから」

 

「ああうん、シャンディアのみんなはそうなんだけどさ。空島の人たちがね、土の作り方が分かれば島を諦めてもらえないかな、って思って」

 

「……ミサオ、そんなこと考えてたの?」

 

「うん、まあね」

 

大きく口と目を開けて驚き満点の声色でアイサちゃんに言われた。ううん、驚いた顔もめっちゃ可愛い。

 

「空島の人たちは神の島が欲しいんじゃなく、土が欲しいんだよね。でもってシャンディアの人たちは神の島を取り戻そうとしてるわけでしょ?だから代替案があれば向こうだって戦争を好むわけじゃないんだろうし、取り引きするのは有りっちゃ有りなんじゃないかなぁ」

 

「そんなことはどうでもいい。俺たちは島を取り返す、それだけだ」

 

「うひっ!…ワイパーさん」

 

慌ててアイサちゃんのリュックの蓋を閉じる。そのリュックをアイサちゃんがギュッと抱きしめたのを横目に確認して、ワイパーさんに向き直った。急に背後に現れるのは心臓に悪すぎるからやめてほしい。いつか口からポロっと心臓が飛び出そうだ。

 

「お前は誰の味方なんだ」

 

「…私は誰の敵にもなりません。でも、あえていうならお世話になってるみなさんの味方でありたいです」

 

「なら黙って見ていろ。余計なことはするな」

 

「…代替案を探すことは、ダメなことですか?誰だって戦争したいわけじゃない。ただ守りたいものを守ろうとするから、衝突しちゃうんでしょ?」

 

「あいつらが奪い、守ろうとしているものこそが俺たちの故郷だ!」

 

「ええ。だから、向こうの方々を…言い方が悪いですけど、穏便に追い出す方法を模索してるんです」

 

「追い出す?この400年、奴らが島を占拠し続けているというのにか?」

 

「ええ、それでも。屁理屈を正論に捻じ曲げてでも、私はあなたたちが無事に故郷に帰れる日が来てほしいと思ってますから」

 

「……ねえ、ミサオも家に帰りたいんだろ?」

 

「もちろん!」

 

「ならあたいたちのことまで考えてないで、ミサオが帰る方法とか考えりゃいいだろ?なんであたいたちのこと、そこまで考えてんのさ?」

 

気遣うように声を上げたアイサちゃんには悪いが、雲に乗っている時点で私はここが異世界だと確信を持っている。家に帰るというなら現れたここに居座って時空が歪むなり何なりするのを待つのが一番確実だろうということも。でもそれはあまりに非現実的すぎて言えない。下手すれば狂人だ。世話になっている彼らへの恩返しというか、暇つぶしというか、そういう不純な動機でこんな考え事をしているだけだ。保身と利己的な考えを胸に口を噤んで、私はアイサちゃんに笑いかけた。

 

「私も、アイサちゃんやワイパーさんたちも、帰りたいのは同じでしょ?ならちゃんと帰れるまで見届けたいじゃない?」

 

「ミサオ……」

 

「やだなぁ、そんな顔しないでよ!ほらほら、可愛い顔でにっこり笑ってよ」

 

「や、やめろよー!」

 

柔らかいもちもちほっぺたを揉んでやると、しょげた顔が消えて機嫌を損ねたような照れた顔になった。本当はそんな顔をしてもらう意味なんてないのに。自分の卑怯な損得勘定に心底嫌気がさす。

 

「………」

 

「あっ、ワイパー…」

 

無言で立ち去ったワイパーさんの背からは、なんだか拒絶するような雰囲気が薄れて見えた。たぶん、私の都合のいい幻覚なんだろうけど。

 



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5.ワイパーさんと空の旅…前

 

 

族長さんたちが外出許可をくれた。なんか、私があまりに常識はずれだからと気遣ってくれたらしい。優しい…。でもって、何かあった時に対処できるから、ということで人選の結果、ワイパーさんが一緒に行ってくれることになった。なんで私を一番警戒してる人を選ぶのか分からないんだけど。なんで?

 

「捕まっていろ」

 

「え、どこに?」

 

「………」

 

「……あっ。あー、ハイ。捕まってます。ハイ」

 

自分の体に、なんて言えないお年頃か。思春期か。なんてツッコミをこのワイパー様にするほど私はバカではない。高い位置にある肩に両手を置いて姿勢良くビシッと立ったら、横からラキさんに注意された。

 

「ミサオ、それじゃあ振り落とされるよ。しっかり捕まりな」

 

「あー、やっぱり肩じゃ不安定か…。んじゃ失礼しまーす」

 

手をワイパーさんの脇から回して腹を抱きしめた。ものすごく…硬いです…。テレビで見るボディビルダーぐらいでしかこんなガッチリとした筋肉持っている人は見たことがない。もちろん触るなんて初めてのことだ。引き締まった体、という言葉が驚くほどピッタリだ。昔ふれあい体験で馬の体に触った時の感覚を思い出した。皮下脂肪のほとんどない筋肉の塊ってこんな感じなんだ、と腕の中の感触に感動した。性的な意味なんて全くない。この間2秒ほどである。脇腹がくすぐったかったのか、ワイパーさんの体が一瞬動いた。私の筋肉に対する感動が伝わったわけではない、と信じたい。

 

「うん、それなら大丈夫だろう。ワイパー、ボードは久しぶりだからってミサオを落とさないでおくれよ」

 

「そんなヘマするか」

 

「え、待って何それどういうこと?久しぶり?え、私落とされるの?」

 

「黙ってろ」

 

「ハイ」

 

良い子のお口チャックをした私を見てラキさんがにっこりと微笑んだ。

 

「大丈夫。ワイパーならすぐ勘を取り戻すさ。それよりミサオ、あんまり興奮しすぎて落ちないこと。特に雲の境じゃしっかりワイパーにくっついてるんだよ」

 

「え、雲の境って?何そのメルヘンなの?」

 

「最悪白海に落ちてもワイパーが拾ってくれるだろうがね、雲の途切れた所で落ちちまうと青海まで真っ逆さま。まず命はないだろうからね」

 

「体だって細切れになっちゃうよ」

 

「えっ怖…分かった、しっかりくっついてる!離れない離さない絶対に!」

 

「行ってくる」

 

「あ、もう?えっと…いってきまーす」

 

「気をつけて」

 

「いってらっしゃーい」

 

頭にハテナを山ほど飛ばしながら、ワイパーさんの硬いお腹にギュッと抱きついた。

 



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6.ワイパーさんと空の旅…後

 

 

「はくかいって白い海ってことだったんですね…」

 

真下の青い海を見下ろして呆然とした。はるかかなた向こうにある水平線を見て、地球って大きくて丸いんだ、なんて笑えるぐらい普通のコメントしか出てこなかった。雲の上だとは聞いていても、まさか本当に、本当の本当に雲の上だなんて、心の底から信じきれてなかったものだから、この光景は本当に…衝撃的すぎた。ラキさんにとびきり天気がいい日を選んでもらえてなければ、視界が悪い日だったなら、きっと青い海すら見えなくて、私はいつまでもここが雲の上だと信じちゃいなかっただろう。脱力してへたり込んでしまいそうな足と、涙が飛び出てきそうな目を叱咤する。

 

「あはは……うそみたい…」

 

とうとう耐えきれなくなって、涙がどっと溢れ出てきてしまった。雲の上が高いからだけでなく、たぶん自分の置かれたこの非現実さに打ちのめされてだろう、歯の根が合わなくなる。

 

「…うそみたい」

 

地上に行く方法はあると教えられた。でもそんなの、無理じゃない?だってここ、空の上だ。パラシュートなんて使ったことも触ったこともない。そもそも地上に降りたとして、そこが日本だという保証なんてない。帰れない。それだけが事実だ。涙を拭おうとワイパーさんから手を離そうとすると、ワイパーさんにがっしりと両手の手首を掴まれてしまった。驚いて顔を上げると、肩越しに振り返ったワイパーさんがすごい形相と鋭い眼光で私を見下ろしていた。

 

「ーーー今、何をしようとした」

 

「え」

 

「この手を離して、何をしようとした!」

 

ワイパーさんが低い声で怒鳴った。間近だから威圧感がかなりすごい。滝のように飛び出ていた涙まで止まった。

 

「あの、顔を拭こうかと、思って…ぶむっ!?」

 

ワイパーさんに腕を勢いよく引っ張られて、顔面がワイパーさんの羽の飾りに直撃した。結構痛い。ただでさえ低い鼻が潰れてしまいそうだ。

 

「…戻る。捕まっていろ」

 

「ハイ」

 

不機嫌そうにそう言われてしまったら、それ以上何も言えなかった。もしかして、私が飛び降り自殺でもするとでも思ったのだろうか。それを心配して引き止めてくれたんだろうか。だとしたらワイパーさんってめっちゃ優しい人じゃん。傷心した乙女相手に気遣う言葉は出ないようだが、それでも、私が再びしっかりと腹に抱きついたことに気付いていないわけがないのに、私の腕を掴む手が離されないのは、たぶん私に気遣ってくれているからなんだろう。ビュンビュン速度を上げて走っているはずなのに、密着しているからか行きよりも全然怖くない。丸ごと否定したい白い雲の海も、見えない。見たくないものが全部視界に入らない。今は何も考えたくない。だから何も見なくてもいい、何も考えなくてもいいこの状態は、たまらなくありがたかった。

 

「……ワイパーさん、ありがとうございます」

 

「………」

 

また涙腺が緩くなった私の鼻声での感謝に、ワイパーさんは何も言ってはくれなかった。けれど私の両手を掴んだ熱い手に、少し痛いぐらい力が入った。

 



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7.酔っぱらいに付き合ってくれるとか優しいなぁ

 

 

ああ、なんだかとってもふわふわしてる。気持ちがよくって、お腹があったかい。なんかよく分かんないけど、今とっても楽しい。

 

「うひぇひぇ…」

 

「お、おい、ミサオ。飲み過ぎなんじゃないか?」

 

下の方から声が聞こえて、見下ろすとアイサちゃんがこっちを見ていた。ああ、可愛いなあ。

 

「私ねぇ、可愛い妹が欲しかったのよー」

 

「は?」

 

「アイサちゃんのこと、妹に欲しい!」

 

「いや、それはちょっと…」

 

「えええ?いいじゃん妹になってよー!でー、ラキさんがお姉ちゃんでー、カマキリさんがお兄ちゃんでー…」

 

「ミサオ…そろそろ寝なよ…」

 

「やだ!まだ飲むの!」

 

「もうダメだってば!この酔っ払い!」

 

「アイサ。ミサオと何してるの?」

 

「あっ、ラキ!ミサオが酔っ払ってるくせにまだ飲もうとするんだ」

 

「ぜんっぜん酔っ払ってないよぉー!ちょっとポカポカするだけだもん!」

 

「それを酔ってるっていうんだ!」

 

「意地悪しないでよううぅ…」

 

「ラキぃ…」

 

「ふふっ。ほらミサオ、あんまりアイサを困らせないで。寝るまで側にいてあげるから寝床に行こう」

 

「えええ」

 

「さあ立って。っと…あんたもうフラフラじゃないか。あ、カマキリ!ちょうどいいところに」

 

「どうした?」

 

「ミサオを寝床に連れて行くんだけど、ちょっと手伝ってよ」

 

「ああ、いいぜ。おいミサオ、まっすぐ立て」

 

「えええ」

 

「えーじゃない。もうっ、手がかかるんだから」

 

「いいじゃねえか。沈んだ顔をしているよりマシだろ」

 

「…そうだね。…なんだい?アイサ」

 

「ミサオがね、あたいを妹にして、ラキを姉ちゃんにして、カマキリを兄ちゃんにしたいんだって」

 

「あははっ!なんだいそりゃあ!」

 

「こんな手のかかる妹なんざいらねえよ」

 

みんなが近くで話してるのに、やけに遠く聞こえる。ふわふわするし。あー、ここが雲の上だからだ…。

 

「えええ…そんなこと言わないでくださいよぉ…」

 

「ひひっ!あたいも、こんなめんどくさい姉ちゃんなんていらないよーっだ!」

 

「アイサちゃんまでひどい…」

 

「あんたなんて友達で十分さ」

 

「あたいも。友達ならいいよ」

 

ともだち…!

 

「ともだち……友達!?やったー!友達だー!わーい!」

 

「ミサオ!暴れんじゃねェ!」

 

「カマキリさんも友達だ!やったー!」

 

「俺そんなこと一言も言ってねえぞ!?」

 

「あんたはミサオと友達じゃ嫌なのかい?カマキリ」

 

「嫌なんですかああああ!?」

 

「うげっ。そんな顔で迫ってくんなよ」

 

「乙女に向かってなんて言いかたするんですかもおおお」

 

「はいはい、着いたよミサオ。さっさと寝な」

 

「カマキリさんも友達じゃないと嫌ですよおお」

 

「あー分かった分かった、友達な友達。さっさと寝ろ!」

 

「よかったね、ミサオ」

 

「うひぇひぇ!友達できた…幸せ……」

 



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8.ご先祖様の約束なんだって

 

ワイパーさんが武器を振ってるのが見えたから、見学しようと思って近付いてみた。途中で気付かれて無言のまま睨まれたから、この辺ぐらいまでなら近付いてもいいんだな、と判断する。どこもかしこもこころなしかふんわりしている雲の上に座って、ぶんぶん武器を振って軽やかに鋭く動くワイパーさんを眺めた。今日はみんないないんだな。ワイパーさんが一人でいるってなんか珍しい。

 

「みなさんは故郷だからあの島を取り返したいんですよね?」

 

「ーーーああ」

 

答えてくれないだろうな、と思ったのに、ワイパーさんは律儀に返してくれた。この人、結構真面目な人だ。

 

「あの島はどんな島なんですか?あまりよく分かっていなくって」

 

「…どういう意味だ?」

 

「例えば、ご先祖さんのお墓があるとか財産があるとか。移住したんじゃなくて、追い出される形で出てしまったなら、きっとご先祖さんたちの大切な思い出もあるだろうなって思って」

 

地面ってのが貴重なことは分かったけど、別にそれなら雲の上をやめて地上に行けばいいんじゃないか、と思う。それなのに固執してるってことは、つまり、何か大切なものがあるってことなんじゃないかなぁ。

 

「それを聞いてどうする」

 

「みなさんが故郷を取り戻したい気持ちを、上辺だけでなくもっとちゃんと知りたいと思って。…あ、部外者に言えないなら全然いいですよ!?」

 

「………シャンドラの灯だ」

 

「へ?」

 

ワイパーさんが語ったのは、昔々の先祖の話。それはある船長との約束の物語。突然の出来事に引き裂かれた二人の、そして故郷を奪われたことで約束を果たせなかったという、そんな物語だった。先祖代々の墓があるとか、そんな理由かなと思っていた私には、とんでもなくて…どうしても果たしてあげたい約束の物語がそこにはあって。気がつけば、涙が止まらなくなっていた。

 

「ぞ…ぞゔだっだんでずが……っ!ガルガラざん…っ…ノーランドざんにっ…約束……!ゔぅ…っ!」

 

「俺たちは必ずアッパーヤードを取り戻す。そして、大戦士カルガラの無念を…シャンドラの灯をともす!」

 

「ばい…っ!はい、絶対に…、絶対、絶対にっ、カルガラさんとノーランドさんの約束を、果たしましょうね…!」

 

ワイパーさんたちが命をかけてでも、と戦いを挑む理由がよくわかった。そりゃそうだよ。カルガラさんにできなかった約束を、せめて子孫がと願うことは何もおかしなことじゃない。ロマンだ。

 

「チッ…泣くんじゃねえ!」

 

「!…ずびっ…ゔ…ぅゔ…っ!ぅあい…!ぶふっ!」

 

「顔拭け!」

 

「…ん!」

 

投げつけられたタオルで顔を拭いたけど、後から後から涙と鼻水が出てきて止まらなかった。

 



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9.戦いが終わって平和になったらしいけど…

 

 

「………漫画の子だ…」

 

「…どうした?」

 

「………ワイパーさん…どうしよう。私…帰れない」

 

「どういうことだ」

 

「私…私……っ!」

 

「ミサオ、こっちに来い」

 

「………」

 

「いや、もっと近くだ。…もっとだ」

 

もう体がくっついてしまう、という距離にまでなって、ワイパーさんが手を持ち上げて私の頭を引っ張った。

 

「ワイパーさ、んぶっ」

 

「これなら周りに聞こえん。話せ」

 

薬独特の匂いがする。真横にワイパーさんの顔があるのが分かる。なんならもう耳と耳がくっついてるし、私の首の下には包帯が巻かれた肩がある。怪我人の上に半ばのしかかるような状態なのに、横目で見るとワイパーさんは顔色ひとつ変わってない。空気を読んで空島の女の子がにっこり微笑んで離れてくれた。ああ、ここは優しい人ばっかりだ。

 

「……私の故郷は、日本って国なんです。でも、この世界には日本がないんです。だから、私…」

 

「絶対に、ないのか」

 

「絶対にありません。だって世界地図が違うし、あの海賊の子たちも……」

 

海賊の子たちに直接は聞いていない。だけど聞くまでもなくもうとっくに分かってた。たぶん日本一有名な漫画で、よく利用するコンビニなんかでもコラボしてて、テレビのCMでだって見たことがある。その漫画の主人公なんだ。だって腕伸びたし。トナカイが喋って二足歩行してるし。あのキャラ、見たことある。漫画は読んだことないけど、本屋で、コンビニで、CMで…あちこちであの子たちのイラストを見た。

 

「私、もう、帰れないです…!」

 

涙が止まらない。こんなこと、先祖代々の望みであった故郷をやっと取り戻せた人に向かって言うような話じゃない。ましてや相手は病人なのに。だけど、もう耐えきれなかった。そんな風に自分のことばかり考えてしまう自分が、何よりも嫌だった。

 

「…この怪我が治る頃には全てが片付くだろう。だからそれまで待て」

 

「え…」

 

「今度は俺もお前と探してやる。お前が帰る方法を」

 

ワイパーさんの声に、いつものピリピリするような覇気がない。初めて聞く穏やかな声で、ワイパーさんはそう言った。ワイパーさんが喋る振動と心臓の鼓動が体を通して伝わる。それがまるで精神安定剤のように私に染み渡って、だんだんと激情がおさまっていった。

 

「…私の故郷、ないんです。家族ももういなくて…」

 

「なら帰ることができる日まで、ここにいろ。カマキリが兄で、ラキが姉、アイサを妹にするんだろう?」

 

「…嫌だって断られちゃいましたよ……」

 

「なら俺が家族になってやる」

 

ワイパーさんは以前酒を飲んだ時の酔っ払いの戯言を、今でも覚えてくれていた。私の頭に回された手が、ゆるりゆるりと撫でてくる。あまりに優しいその手に、思い切り縋り付いて泣き喚いてしまいたかった。

 

「お前が無事帰ることができるまで、俺たちがお前の身縒木だ」

 

「みよりぎ…」

 

「ああ。だからもう、泣くな」

 

「うう…っ!泣いたって仕方ないじゃないですか…!嬉しいんだから…っ」

 

「…そうかよ」

 

「一生帰れないかもしれないんですよ…」

 

「ああ」

 

「私、全然役に立ちませんよ」

 

「知ってる」

 

「……見捨てないでくださいよ」

 

「誰がそんなことするか」

 

頭を撫でていた手で顔をぐっと引き寄せられた。ごちっとワイパーさんと頭がぶつかる。なんとまあ、女の子の慰め方がすごく下手くそな人だ。でもその気持ちが嬉しくて、嬉しくてたまらない。あと結構恥ずかしい。顔が熱を持ってきた。

 

「……ワイパーさんかっこいい。惚れます」

 

「黙ってろ」

 

「ハイ」

 

いつかのように良い子のお口チャックをして、ワイパーさんの傷に気遣いながらそっと体に腕を回した。するとワイパーさんが無言のまま、もう片方の手で私の手を掴んできて、体がもっと密着した。くっついた所から、じわじわと暖かな体温が移ってくる。中途半端な体勢の辛さなんて苦にならなかった。冷たい悲しさが、じんわりと解けて消えていくようだった。ああ、私って、すごく恵まれている。

 



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