『ログ・ホライズン』 幻獣記 (Kaisu)
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『ノアウスフィアの開墾』IN北京

原作『ログ・ホライズン』ですが、設定借りて展開完全にオリジナル。


まったく絡まない原作キャラ。
恋愛要素なし。
全力で中国の『エルダー・テイル』コンテンツを設定していくスタイル。
全力で特定スキルをオリジナル解釈で掘り下げるスタイル。

以上お付き合いいただける方はよろしくお願いします。


 空気が綺麗だった。

 雑味の少ない透明で清涼な空気。

 肺いっぱいにこれを吸い込み座ったまま爽やかなる深呼吸をすると、少しは頭がすっきりしたような気がした。

 

 スタートタウン、燕都(イェンドン)。現実世界における北京に相当する場所にある。

 そこには普段の燕都よりも明らかに多い人(?)がいて、見える範囲で自分を含めたほぼ全員が例外なく混乱している様子だった。

 叫ぶ者、泣く者、怒る者、呆然とする者、視線を泳がせる者、自らの体を触る者、力なく膝を抱える者、空を見上げる者、それはもう様々であった。

 

 自分はといえば、布防具の裾から手を突っ込みもっさりと生え揃った体毛を掻き、困惑する頭とは無関係に振るわれる太い狐尾7本のふんわり感を眺め、高いというか尖った鼻に触れ、頭の横からではなく上から聴こえる音に違和感を覚える。

 直感的に開いたメニューをゲーム時のように操作し、プロフィール欄に「索峰(さくほう)」Lv90、吟遊詩人(バード)、狐尾族、という記述を発見して、夢ではないのであろうということを認識するに至った。

 ここはMMORPGの『エルダー・テイル』の世界であると。

 

 

 

 劣化し砕けたアスファルトとところどころの石畳、街路樹は見えずもコンクリートビルの残骸に苔や蔦、道路をぶち抜く竹も幾ばくか。ゲーム上でよく見た背景上の燕都のそれであった。

 

 そんなことを把握するのにおよそ20分。

 

 ディスプレイを前にして突如襲いかかってきた胃袋をシェイクする浮遊感と白と黒の曼荼羅に染まった目眩と、処理が重なり動作が鈍くなった旧式パソコンのカリカリ音を同時に叩きつけてきた『エルダー・テイル』覚醒時の不快な症状は、もうやってこないようだ。

 

 体は獣人のそれで、あまりにも小さな足の裏の面積であったが二足での直立に不足はなく、案外スッと直立できた。歩き出そうとすれば違和感の塊で、思いっきりつんのめりそうになる。

 

 手を見れば存外指は長く爪は短く、人間のそれに近い。

 手の甲が細かく短い毛に覆われていなければ、だが。

 

 四足歩行ならばと思いきや二足歩行以上に腰高への違和感が強烈で、これは素直に立つべきと考えるほかなかった。

 

 狐尾族の二足歩行、感覚としては爪先立ちか竹馬か。

 どうしても重心を下にできない。立つことはできるが、安定して歩けない。

 

「大変そうだな兄ちゃん、か? 尻尾だ尻尾。逆立ってる尻尾を下げて、それでバランス取ればいい」

「あ、どうも」

 

 近くにいた狼牙族の兄ちゃんと思わしき人から言われて尻尾の存在を思い出す。

 ゲームの時はランダムに動くだけだったのだが、もっさもさが7本ということでそれなりの質量である。獣人寄りにアバター設定した自らを恨むことになろうとは。

 

 意識すれば割合簡単であった。数分の格闘の後、舌を回すようにぶおんぶおんと意識して回転させることに成功。

 尻尾に質量があるのでさながら扇風機のごとく風が巻き起こる。見た目にもなかなか豪快で、周囲にちょっとしたどよめきが起きた。

 そんな大道芸をしたかったわけじゃない。改めて尻尾にも意識を残して数歩、ぎこちなさはあるが、重心が安定し転倒しそうな感じは薄れた。

 

 

 

 そろり、そろり、てく、てく、てしてしてし、トットットットッ、タッタッタッタッタッタ。

 自転車に初めて一人で乗れたとき、初めて泳げたとき、形容するならそんなところだろうか。

 一度しっかり歩き出すことができれば、立ち止まる、再び歩き出す、走る、それらが自然に身についた。

 

 小さな感動が沸き起こり、そう、ちょっとばかり調子に乗ったのだ。

 小躍りするように走り幅跳びするつもりで軽く足に力を入れ、跳んだ。

 上に。

 

「あえ!?」

 2メートルぐらい前に着地するつもりで跳んで、前方斜め上方向に高さ2メートルほど、跳べてしまった。

 

 当然加速をつけてそんな高く跳べてしまえば目標着地地点など簡単に飛び越すことになり、加速度的に迫るのは蔦に覆われたコンクリートの壁。

 手がわたわた、尻尾が伸びる。そんなささやかな抵抗で速度が落ちるわけもなく、来るであろう痛みと歯の一本も覚悟を決めカエルみたいにべしゃりと。

 

 いかない。

 いやもっと酷かった。

 

 狐になった体は崩壊気味のコンクリート建築物の壁を破壊し蔦を引きちぎりながら中に転がり込んだ。

 それでいて、痛みは人にタックルを行なった程度でしかなく。

 

「なにがどうなっているんだ、これは」

 跳躍距離6メートル+コンクリート壁を貫通して転がること2メートル。身体被害ほぼなし。HPは1も減らず。

 見た目の変化もさることながら、身体能力がトップアスリートをも上回るなにかに変化している。

 

 

 

 索峰はゲーム外ではしがない輸入企業の現地駐在員である。

 年の10ヶ月以上を中国で過ごし、運動はせいぜい休みの日の朝にご近所付き合いで公園の太極拳にラジオ体操感覚でなんちゃって参加する程度だったのだが。

 硬功夫がいつの間にか身についていたとはとても思えない。驚嘆すべき変化であり、慣れと検証が必要であろう。おちおちスキップもできやしない。

 

 ふと、ゲーム時代に使っていたスキル群のことが気になった。

 タッチパネルでタブを開いていくような操作感覚に、意識の先行により次々と目的のページに向けてのアクセスが行われる。

 それらは全てゲーム内でのUIに則っていたが、求めるページへのレスポンス速度は物理的操作を伴わないぶん目が追いつかなくなるほどの情報表示速度で、また雑多であった。

 

 画面の消去も意思ひとつで行われるため、めまぐるしくウインドウが表示消滅を繰り返す。

 反映が早いことはいいことだが、情報処理に慣れるにはこれも多少の時間を必要とするだろう。

 

 壁を破ったそのままで瓦礫に腰掛けディスプレイと格闘すること数十秒、目的であった習得済みスキルの一覧、普段全く使わないようなスキルも含めた一覧を引っ張り出す。

「これも、ゲームのまま、か」

 

 吟遊詩人(バード)の固有スキル、武器職共通のスキル、狐尾族の種族ボーナスで置き換わった付与術師(エンチャンター)の特技が少し、ゲーム時代に育てた主要特技全てが奥伝以上の習熟度で変化なし。

 

 ほとんどの特技で戦闘禁止区域の注意がポップアップされている。

 なぜか、ゲームであった頃は燕都ほぼ全域で一律スキル使用禁止で黒文字になっていたものがポップアップで注意が出ているだけで白文字表示。使用することは可能な様子。

 

 装備に関心を向ければ、こちらに来る直前のソロで釣りに勤しんでいたときの装備そのまま。所持アイテムも記憶にあるものと同様。

 PK(プレイヤーキル)に遭ってもこちらの懐が痛まない、襲う側に実入りの少ないであろうちょっと上質程度の店売り装備群である。ソロ戦闘力全職中最弱クラスの吟遊詩人が標的にされないためのささやかな自衛手段。

 

 そう、本当に、普段と変わらないゲーム生活であったのだが。

 そういえば、深夜0時の日付が変わるぐらいの時間帯であった気がする。

 今現在、明らかに真昼であるので、これもゲーム内の時刻とほぼ合致するはず。

 ただ、現実世界の時刻が見れたはずの部分は空欄となっているし、ゲーム内時刻表示も不明であった。

 

 

 改めてわからないことだらけ。

 全部がゲーム時代の状態で放り込まれたというわけでもなさそうで、細かなUIに変化が見られる。

 スキルの使用が一応可能でありそうなこともそうならば、そもそもメニューウインドウの開き方なぞ別物。

 情報が足りないというよりも、WindowsからMacに乗り換えたときのような、同じ方向で設計思想の違うものを触っている、小さくとも明確に違うズレが生じている。

 

 どこまで既存の知識が通用するのか、試そうにも一歩踏み出すための不安要素が強すぎる。

 焦っていないわけではないが、闇雲に手を出せるほどには頭が迷走しているわけでもない。それは社会人としてまず状況判断と確認に努めよと培われたものかもしれず、巷に溢れる超常現象を扱うフィクション作品に親しみ過ぎた日本人の性質だったのかもしれず。

 

 頭上からダイレクトチャットへの誘いであったチャイム音が降ってきて、同時にプレイヤー名「崔花翠(さいかすい)」と表示されたウインドウが湧き出て応答のYesNoを迫ってきたのは、そんなときであった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 天変地異が起こったと思った。

 なにかが軋み圧壊するような音と突然椅子の脚が折れたのかのように急な浮遊感が生じ、そのまま落下、したような気がする。

 マンションが崩れでもしたのか、そう思って目を閉じ、浮遊感に身を任せた。

 

 骨が悲鳴を上げた。

 上下に引き吊られ血管がゴム紐のように伸ばされている。

 赤血球すら歪んだ気さえする。

 口から胃が出そうになり、頭蓋骨が内側から膨らみ破裂寸前。

 心臓は強く、ゆっくりと動いた。

 骨がしゅわしゅわと泡を立て大きくなる。

 内臓からの圧痛が皮膚を張り詰めさせ、限界まで膨らませた薄ビニールのように部分的に皮膚細胞が引き攣った。

 

 永遠のようでもあり、僅かな時間でもあったかもしれない。悪夢で目が醒めるように覚醒は急に訪れた。

 

「っはぁっ!?」

 体が酸素を欲した。まるでずっと息を止めていたかのように。

 ひとしきり肺に空気を満たして、体には汗が吹き出していると思ったが肌はサラッとしたものであった。

 少しずつ目眩が収まり目の前の風景に焦点が合ってくる。

 

 

(いや、ちょっと待って)

 

 

 緑色の竜巻のようなファントムと呼ばれる精霊種を傍らに伴った、小さな体格に不相応な巨大な錫杖を持て余している少年を。

 重そうなプレートメイルに身の丈よりも大きなガーディアンシールド2枚持ちで動く砦のような性別不詳の施療神官を。

 防具は毛皮の腰巻と胸当てだけの露出度の高い格好で、体を隠すことに躍起になっている女性武闘家を。

 そして、そのゲーム内においては、珍しくもない格好であった。

 

 女性武闘家を暫時眺めて、自分の格好はどうだったか気になった。

 黄砂色の布製のベスト、青葉色の上っ張り、デニム色のスカートと黒のストッキング、爬虫類系の皮の赤いカバンを肩からかけていた。

 その姿はさっきまで部屋にこもってゲーム内ショッピングに励んでいたプレイヤーキャラのものと相違なく。

 

 カバンの中身はと開いてみて、底が見えなかった。

 適当に右手を突っ込んで最初に指が触ったものを取り出してみると、卓球の玉ほどの黒い玉石を繋げた腕輪。

「〈破壁玄珠環(げんしゅかん)・撥〉だー、これ。うーわー」

 

 見覚えのあるそれは、愛用している秘宝級の投擲武器。

 10発投げ切りだが、時間とともに再使用個数が自動回復する財布に優しいサブウェポン1番手。

 そして、腕輪をつまんでいる指と手が白粉を塗ってもいないのに白かった。

 

「ということは、耳、ああ〜もうっ、やっぱりか!」

 左手を耳に持っていけば、尖った長い耳が帽子の横から突き出している。

 手鏡がないことが惜しまれた。そして、考えたくなかったことがおそらく現実であることを表層で自覚した。

 

「『エルダー・テイル』だ」

 否定したいことではあった。しかし、状況証拠はそれを雄弁に物語っていた。

 

「なんで!? どうなってるのよこれ! ねえ知ってる人どっかいないの!? これ説明してよ! 運営、どっかいるの!? 華南電網公司! 告知なりアナウンスなりしないさいよ!」

 言いたいことはいくらでも出てきた。

 それを溜め込むよりも一通り吐き出した方が自分にとってはあとの精神衛生に良いことも、経験で知っていた。

 

「運営潰してやる! 絶対潰してやる! 大問題なんだからねこんなの!」

 息継ぎついでに視線を上げてみると、同情的で共感的な視線が突き刺さってきた。

 それで、不思議と少し落ち着きが戻ってきた。涙が溢れたまま止まってはくれないのだが。

 

「誰かぁ、誰か説明してよぉ……」

 涙を手で拭った時だった。

 指の動きにつられて、小指に引っかかるように視界にウインドウが引き出されてきた。

 Lv90、「崔花翠(さいかすい)」のプレイヤー名、盗剣士(スワッシュバックラー)と続いて、ギルドマスターの識別アイコン。

 

 以下黒字でオフラインを表現するギルド構成員達の最も上、白字でオンラインを表示している、ギルド内唯一の古参メンバーにして、エルダー・テイル内で最も親しいプレイヤー名を発見して、藁をも縋る思いでその名前を連打し、崔花翠は念話機能を起動させた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 ダイレクトチャットへの誘いを放置し、フレンドリストを左手で起動する。

 崔花翠(さいかすい)の名は確かにオンラインで、それ以外にも何人かオンライン状態であることが確認できた。

 

「はい、索峰(さくほう)です」

「出るの遅い!」

 開口一番、食い気味に叱責が飛んできた。

 

「戸惑ってた、わたわたと。出るの躊躇った」

「どうなってるのよこれ! ねえ今どこ!? 日本にいないわよね!?」

「いや、こっちも聞きたい、それは。あと自分は今燕都(北京)だ、スタートタウンの。リアルだと天津からINしてたが」

 そういえばプレイヤー索峰は現実では内モンゴル自治区東部付近でクエスト納品用の魚を釣っていたはずだ。燕都に強制転移させられている格好になる。

 

「燕都? じゃあ近くにいるのね!」

 念話から聞こえてくる声が少し弾んだものになった。

翠姐(すいねえ)も燕都?」

「たぶん」

「たぶんと言われましても」

「……今確認した、あたしも燕都。大丈夫」

 どこが大丈夫なのだろうか。

 

「ねえ、燕都にいるなら合流してよ。話聞きたいのよ。話せる相手欲しいのよ」

「他のフレンドは確認したか?」

「わかんない。とりあえずリストの上にいたからコールした」

「まだしっかりと調べてはいないと」

「ごめん、索峰の微妙に変な北京語聞いたら、ちょっとまた泣けてきた」

「悪かったなコノヤロウ」

 

 これでも中国駐在直後よりは相当に、雲泥の差と言えるほど北京語の喋りは成長しているのだ。

 少なくとも、就任当初カタコト同然だったものが、一般的中国人から見れば相当に話せる日本人と言える域には、伸びた。

 

 2年近くを中国北京周辺で過ごし、書く読む喋るに概ね不自由しない。それでもネイティブから聞くと違和感はあるという。

 日本時代も『エルダー・テイル』でバリバリ遊んでいたものの、中国駐在期間は近所に友人がいなかったため、唯一の趣味として持ち込んだ『エルダー・テイル』のアカウントを中国サーバーで遊んで余暇を過ごしていた。

 好きこそものの上手なれと言わんばかりに、スラングを含め相当言語力は鍛えられた。喋るか入力するかしないとやっていられないのである。

 

「あー、翠姐? 今横でギルドメンバーとフレンドリスト見てるんだけど、(てん)ちゃんINしてる、たぶん」

「嘘、貂ちゃんも!?」

 

 

 崔花翠の率いるギルド〈翠壁不倒(すいへきふとう)〉は、零細ギルドである。

 そもそもギルドというのもおこがましいレベルではあるが、方向としては新人育成しつつチャットもできればいいな、というスタンスで。

 

 ある程度の見込みが立った新規プレイヤーは、ギルド単位のアクティブプレイヤーの少なさから来る物足りなさから次々巣立っていくのがお約束の踏み台ギルドである。慰留できるほどの魅力があるとは口が裂けても言えないので、来るもの拒まず出るもの追わず。

 

 現在の構成員10人。そのうち2人が念話中で、更に崔花翠と索峰のそれぞれサブアカウントが1名づつで4人。

 さらに5人はレベル30にも満たない上にここ数ヶ月以上最終ログイン日も更新されない、挫折した新規プレイヤーの成れの果てな幽霊構成員。ギルド所属人数の軽微なボーナスのためだけに登録されている。

 

 

 そして最後の1人が「郭貂麟(かくてんりん)」。

 2ヶ月ほど前に崔花翠が右も左もわからない状態の若葉マークの森呪遣い(ドルイド)を言葉巧みにギルドへ勧誘し、以後調教、もとい教育、いやパワーレベリング(強制レベルアップ)に近いことを施されている。

 

「少なくとも自分とは連絡ついて、同じ燕都(イェンドン)にいるってことはわかりましたし、合流より先に貂ちゃんと連絡取ってください」

「先に合流しないの?」

「翠姐はギルマスでしょ。誘ったのも主に面倒見てたのも翠姐でしょ。連絡するならそっちの方が自然」

「でも今は索峰の方が落ち着いてるでしょ?」

 

 落ち着いてなどいない。

 断じて落ち着いてなどいない。

 これでも相当困惑している。

 崔花翠が焦り過ぎていて、それを宥めるためにリソースを使わされているだけだ。

 

「正直、自分も誰かに当たり散らしたい気分で一杯なんですけれど。

 文字チャットなら伏せ字だらけになるような罵詈雑言並べ立てる寸前で社会人の理性がブレーキかけてるだけなので。

 落ち着いてるわけないじゃないですか、こんな状態で。飛ばされて1時間そこそこで落ち着けられたら超人過ぎますよ。

 もうちょっと頭まとめてる時間欲しかった時に翠姐が念話掛けてきて、恐慌に加速つきましたよ、ええ」

 

 混迷とした頭の一部が、苛立って口から溢れ出た。これではやつあたりだ。

 やらかしたと思ったが、それでも口が止まらなかった。

 

「そんな言うことないじゃない」

「じゃあ指示出します。念話切って、貂ちゃんに念話して、どこにいるか聞いてください。

 燕都にいるようなら、3人で合流するようにしましょう。燕都外なら迎えに行く必要があるかもしれません。

 困ったら貂ちゃんにこっちに念話するよう言ってください。こっちも全力で頭冷やします」

 

 返事は聞かず一方的に通話は打ち切った。すぐに再び念話呼び出しの鈴が鳴り、崔花翠と表示されたが無視した。

 

 

 頭は真っ白にはなっていない。錯乱の極みではないにせよ、苛つきも焦りもあり、思考に大きな遅延と混迷が出ているのもまた事実。

 

 相談できる相手が欲しかった。

 しかしフレンドリストを眺めても、多くの知人日本人プレイヤーは日本サーバーのためオンラインでも元々中国サーバーからはわからない。

 中国サーバーにいた日本人プレイヤーの知り合いも、フレンドリストを見る限りではほぼいない。これは彼らを幸運に思うべきなのだろうか。

 

 

「現実世界、どうなってんだろな」

 どのようにして飛ばされてきたのか。

 意識だけだったのか、体ごと失踪したのか、それとも現実世界では一瞬のことで、なにかを達成すればすぐ戻れるのか。

 

 いずれにせよ、来れたからには戻る方法もあるのだろう。

 あるのだろうが、三次元から二次元に滑り込んだようなものなので、来るにせよ帰るにせよどのような過程を経ればこうなるのかさっぱり見当もつかない。

 いくらなんでも中国共産党の新型兵器による人口抑制策というわけでもあるまい。

 

 

 国外の『エルダー・テイル』ではどうだったのか。

 全世界に及ぶ事象であれば、創造神か全能神の存在を崇め奉ることになるかもしれない。

 熱烈な宗教家にとって、ゲーム内の神を崇めることにどんな意義を見い出すことになるか。

 

 スキルがゲーム内と同じと仮定すれば、人間は銃よりも危険な能力を得たことになる。

 個人によるジェノサイドもきっと不可能ではないはずだ。

 自爆テロや銃乱射事件や連続通り魔殺傷事件に近いことならば、発想して実行する勇気があれば、この世界では容易に実現できる。

 もし大神殿による死からの蘇生機能が生きているならば、リスクは非常に小さくなる。キリもないが。

 

 

 そもそも、エルダー・テイルは他プレイヤーへの攻撃による略奪行為(PK)が可能である。

 中国サーバーにおいても、常習的PKで有名なギルドやプレイヤーはいて、嫌われこそすれ違法性はない。

 中国サーバー環境で悪名が拡がると動きにくくなるからと他地域サーバーに遠征してPKを狙う変わり種までいて、逆もまた然りで遠征しに来るプレイヤーもいる。

 

 現実世界でシルクロードと呼ばれた交易路は名前を変えてサーバー横断クエスト群が実装されており、交易系ギルドの大きな収入源のひとつとなっていた。

 山賊行為で隊商を襲ってPKなんてことも比較的よく聞く話で、隊商護衛を求める募集も少なくなかった。

 

 PK行為禁止の交易路もあることにはあるが、PKを受ける可能性のある交易路の方が利益率が高く、時間の拘束が短く設定されていることが殆どであることも拍車をかける。ゲームバランス上仕方のないことではあるが。

 PK行為禁止でかつ高収益を得られる交易路となると、それは対モンスターとの大規模戦闘、レイドコンテンツの括りだ。

 

 

 お国柄が出る、というのだろうか。

 中華大陸における群雄割拠、三国、五大十国、歴史上とにかく国が割れる。

 『エルダー・テイル』においても同様で、領土争いではないものの、大手ギルドの分裂崩壊引き抜き独立内紛対立は日常的な物笑いの種であり死活問題でもあった。

 

 大手ギルド同士のいさかいが血で血を洗う大騒動に発展することも少なくなく、大規模なPvP(対人戦)イベントで決着をつけることに至った話もこれまた少なくない。

 

 

 そんな血の気の多い人たちが中国共産党の支配のない世界に放り出されたら。

 『エルダー・テイル』のルールがどれほど残っているかはわからないが、権力を握る、影響力を得ようとする方向には向かうだろう。

 それが穏便な方法で理性的な手段を伴うとはまるで思えない。

 

 大手ギルドには優秀な戦術眼戦略眼持ちは必ずいる。人海戦術で雑多な情報を集めても処理しきれるはずだ。

 ギルド《翠壁不倒》でできることなど高が知れている。

 もちろんギルマスも自分もそれぞれに知り合いはいるし、巨大ギルド所属の廃人の友人がいないわけではないから、対価を出せばそれなりにまとめられた情報を後から入手することも可能だろう。

 隠しようもない事柄や当たり障りのない情報ならそのうち勝手に広まるだろう。

 

 まずは足元を固めなければ動けない。

 

 念話着信の鈴がまた頭上で鳴った。ポップアップされた画面には「郭貂麟」と表示されていた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 ギルマス崔花翠(さいかすい)さんが燕都(イェンドン)にいてホッとしたことがまずひとつ。

 気にはかけてくれていたベテランの索峰(さくほう)さんも巻き込まれていて、こちらも燕都にいたことで主立った3人がとりあえずは合流できたことは心情的にかなり救われた。

 

 ゲーム開始から比較的日の浅い郭貂麟(かくてんりん)にとって、『エルダー・テイル』で数少ない親しいといえる第1と第2の人物。

 なにか知っていたかもしれないその2人がそれなりに混乱していたことは、幻滅したことではある。

 私も混乱しているので偉そうなことは言えないが。

 

 

 都市間トランスポーターゲートのところで合流したが、その場所はひとつの問題の中心点でもあった。

「ゲート死んでるかー、参ったなこりゃ」

「3人燕都に飛ばされててよかったわね」

「ごもっともです」

 

 石灰岩の石門を思わせるそれの表面には、本来青いラインが明滅していた。

 それがなくなっており、今も何人かが試しているが沈黙したままですぐに直りそうな気配はない。

 誰もそんな技術を持っていないし、どんな理論かもわからない。

 

 

 人が多く話をするにも落ち着けず、南門へ向かって歩きながら街の様子を観察しつつ情報交換となった。

 

「又聞きだが、上海、広州、台湾の位置に該当するゲーム内都市にも飛ばされた人がいるらしい。ゲームやってた時の1番近いスタートタウンに飛ばされたみたいだな。索峰アカウントは日本で作ったキャラだが、日本に飛ばされてないし」

 

 索峰さんは艶のある明るい茶色の毛並みの狐尾族、身長は耳を抜いて170cmほどだろうか。

 どうやら現実世界の顔面や体格がある程度反映されるようだが、だいぶ狐人化が強く、細身で元となる顔は比較的穏やかそうとしか察せない。今は眉間に皺を寄せていて気難しそうである。

 体の幅より大きく広がっている太く長い狐の尻尾がかなりの存在感を主張している。33歳と改めて言っていた。

 

「2人ともなにか食べた? 味ひっどいのよ、なんて表現すればいいのかなあ、あの味」

 翠姐(すいねえ)さんは、白い肌、暗めの金髪、尖った耳はエルフのそれ。

 こちらも痩身で160cm少々といったところの22歳。

 目は釣り上がっており、ゲーム内の時の印象よりややキツい印象を抱いた。

 顔を合わせて少し喋って、いつもの翠姐さんであるとわかってからは違和感が消えている。

 

「クレープ屋さんで引っかかりました、私……」

 合流してすぐに索峰さん評「ちっさ!」と形容された私、郭貂麟はハーフアルヴ15歳。身長は135cmジャスト。

 白胡麻色の明るい肌に、ダークブラウンの髪。現実世界ではもっと背があったのに、キャラメイクを小さく設定していたせいでこの状態。

 視線の高さが全く違い非常に歩きにくく何度もつんのめった。

 まず靴屋に行って厚底ブーツでも探そう、なんて言ってもらったぐらい。

 

 

「自分は豚角煮饅頭でやられた。濡らした竹皮かダンボールだな、ありゃ。もうちょい甘みがあれば不味い餅ぐらいにはなったんだろうが」

「果物は味するみたいよ?」

「嘘つけ、ミックスジュースは不味いミネラルウォーターだった」

「加工してない果物よ。オレンジとかスイカとか」

「境界はどこなんでしょうね……」

 

 転移から5時間ほど、食品市場の生モノはsoldoutか出品取り下げの2択となっており、残ったのは味がしないと思われるものばかりであった。

 散々もいいところではあるが、ゲーム時代は料理にバフ効果が付与されていることもあり、一定の需要はゲーム中では存在し得た。

 誰もかれも手探りの現状で、味のしないバフ料理を食べることは当分ないだろう。

 

 

 トイレ問題も発生していた。

 ゲーム中では存在しなかったことで、現在プレイヤーは尿意や便意を感じるようになり実際に排泄行為は必要になっている。

 シャワーも必要になるかも、とは翠姐さん。

 

 しかしどこにトイレがあるのかで一騒動。

 街を出れば野山や街道が待ち受けるだろう。女子にとっては死活問題。

 男はいいな、と思っていたが、索峰さんは「尻尾が邪魔だ!」と嘆いていた。

 

 

 街を歩いて靴屋探しをしている間に狐尾族は何度も見かけたが、索峰さんほどのボリューミーな狐尾はまだ見ていない。

 日本産の見た目用の買い切り追加課金アバター部位で、ゲーム時代は自由に着脱可能だったそうだが今は外すこともできないという。なにが災いするかわからない。

 

 好奇心に負けて触らせてもらったが、非常に柔らかくふかふかとした毛並みの良いもので、いつまでも触っていたかった。

 狐尾族は幻術で尻尾や耳を隠してヒューマンっぽくできるらしいと翠姐さんが言ったので歩きながら試していた様子だったが、うまくいかないようだ。

 

 

「普通の靴屋あったよ!」

 ゲーム時代はミニマップが使用できて、外部の攻略サイトには大きなギルドの商店は記載されていたが、どちらも今は使えない。

 それでも記憶を頼りにプレイヤー運営の商店に赴いて、さて話してみれば、職人が巻き込まれていなかったとか、職人がいても材料を消費したくないとか状況判断させてほしいとか、断られるのも当然といった状態。

 

 歩いて大地人の靴屋を探すしかなかった。ゲーム内では24時間開店のNPC商店であれば今も普通に開店しているだろうという索峰さんの予想の元で。

 

 

 靴屋の垂れ看板を見つけて覗いてみれば、果たしてちゃんと営業しているこぢんまりとした靴屋さん。

 ゲーム時代は初期〜50レベル帯の脚部防具であったり、アバター向けのグラフィック重視の靴であったり、場所によっては課金防具や課金アバターの購入先となるNPC商店。

 

「おや、高レベルの冒険者がうちみたいなところに何の用だね?」

 出迎えたのは職人然とした老紳士であった。

「ブーツ買いに来たんです。今の身長じゃ歩き辛くて」

「ああ、さっきもおんなじような人が来たね」

 合点がいったとばかりに老紳士は頷いた。

 

 一方、索峰さんは厳しい顔をして腕を組み棚を睨め付けている。

「……ゲーム時代はこんなセリフ言わないぞ。それに品揃えも明らかに多い」

 郭貂麟にとってはごくごく自然に思える会話や品揃えも、『エルダー・テイル』の長期プレイヤーの見方は違うらしい。

 

 

「えっと、(てん)ちゃん何cmだったの? 現実で」

「152cmで、今は135です」

「そりゃまた結構な差じゃなあ」

 街中を歩いて少しは慣れもしたが、歩きにくいにも程があった。

 なにより2人に比べて歩幅が圧倒的に足りない。

 

「足から脛のあたりは横には曲がらない靴の方がいいわね、重心が高くなるから。足の長さを伸ばす感覚の方が近いかしら」

「それならブーツより金属防具寄りじゃな。グリーブの方が適当じゃ」

「重くない? あとこの子森呪遣い(ドルイド)だけど」

「冒険者が重いとはなにを言うかね。すぐに慣れよるわ。特殊能力を求めるなら職業制限やLv制限の引っ掛かりもあろうが、そうではなかろう?」

 

 確かにその通り。

 身体能力が上がっていることは3人それぞれが体感したことで、この靴屋を訪れた理由も郭貂麟の足をどうにかしようという、間に合わせのための装備を求めに来ている。

 

「なら大丈夫じゃ。全職使用可能な防具はいくらでもある。ブーツを求めたいなら、それらしいものもな」

「レベル上限90になってるから、低中レベル帯の装備は徐々に緩和されていたからな」

「その通り」

 一通り品定めを終えたらしい索峰さんが補足説明を入れた。

 

 

 『エルダー・テイル』の歴史は20年近くあり、度重なるアップデートで遊びの幅が広がっていくと同時に、新規プレイヤーが既存のプレイヤーに追いつきやすくするための施策は当然行われている。

 新規プレイヤー向けに、入門には十二分な性能の防具をチュートリアル終了時点で与えることに始まり、職業制限のある防具の撤廃及び汎用武具の性能上昇、安価で高性能な公式テンプレ防具の店売り、レベルアップに必要なEXPのブースト薬などなど。

 

 月額基本料金が必要なゲームとはいえ、金になる最前線コンテンツはハイレベルが基本で、新規プレイヤーにとっては遥か彼方に見えるもの。

 長寿ゲームにおいて時代遅れとなった序盤中盤を一足飛びでは済まない速度で駆け抜けてもらうのは、どこの運営でも同じである。

 あらゆるブーストサービスを駆使して新規キャラクターのLv1からスタートしLv90までいかに早く育て上げられるかのタイムアタックも楽しみ方のひとつですらある。

 

 郭貂麟のLvは81。Lv90の翠姐さんによって半ば強引にLvを上げてもらっており、装備品もスキルの習熟度もLv相応とは言い難い。

 先にLv90に上げて解放できることは解放してから装備を整える予定だった。

 

 

「上げ底ってできるもんなんですか?」

「可能じゃよ、限度はあるが。武闘家が蹴り技の攻撃範囲を伸ばすためにやったり、重りを入れて威力を上げたり」

「そういえば蹴り技のマスクデータにそんなのあったな」

「10cm以上となるとそうそうないがな。義足義手や安全靴の方が近いことになるかもしれん。厚底グリーブの対応できる範囲ではあるから安心することだ。毒湿地のような場所を踏破するために使うようなものになるか。改造費込みで多少値は張るが、いいかね?」

 

 提示された予想額を見て、郭貂麟は少し言葉に詰まった。

 Lv70付近の上等な防具がふた揃いは整えられるだろう店売りとしては破格とも言える額。

 手持ちの金貨はなく銀行残高もあまりない。

 

 

「あー、こっちのオジさんが全部払うから、好きにやっちゃって」

「オジさんじゃねえまだ33だ。ここはギルド資産使うべきだろうが」

「年長者が若い子に払ってあげるもんでしょー」

「ゲームに年齢は関係ない」

「今は関係あります〜。ねえ?」

 

 話を振られても困る。ゲーム内で話をしたとはいえ、ほぼ初対面。

 そして、銀行に預けてある金貨も含めればギリギリ郭貂麟の所持金で払える額でもある。

 

「この中でゲーム内資産1番持ってるのだーれだ?」

 郭貂麟の目は索峰を向く。

 

 

 武器攻撃職である吟遊詩人ではあるが、中後衛型の支援ビルドで装備を組んでいる索峰さんは最前線に飛び込んでいく翠姐さんに比べて武具の消耗度合いが大人しい。

 大規模戦闘にも度々参加して、吟遊詩人(バード)という性質から地味だがとりあえず支援でいて欲しい職柄として重宝されており、食いっぱぐれもしていないようだった。

 そうそういないであろうレベルでの長期プレイヤーであり、『エルダー・テイル』廃人もいいところ。

 

 翠姐さんはオシャレ装備に目がなかったが、索峰さんは完成されたアバターにさらなる資産を投入する性格でもなかった。

 誰が1番資産を溜め込んでいるかとなると、この場の3人の中では索峰さんがぶっちぎりなのは明白であった。

 

 

「あー、はいわかりました、出しますよこれぐらい」

「よっしゃー!」

 翠姐さんがハイタッチを求めてきたので、郭貂麟は手を伸ばした。身長差はやはり如何ともしがたかった。

 

「決まったかね」

 靴屋の店主は手早く郭貂麟の足のサイズを測って一度奥に引っ込むと、金属補強された厚い紅蜥蜴皮製のブーツを持ち出してきた。

 

「期待に沿えそうなのは〈紅蜥蜴厚底鞋(あかとかげブーツ)〉だな。土蜥蜴、青蜥蜴のもあるが、どれにするかね」

「紅蜥蜴で大丈夫です」

「なら、底のかさ増しをする前に足の形に合わせんとな。ちょっと履いてくれ」

 明らかに大きいサイズと思えたが、郭貂麟は言われるがままに厚底靴を履いた。

 

 大地人の職人親父は、慣れた手つきで空中に指を躍らせた。

 すると、どんどん厚底靴が全体的に縮んでいき、135cmの体相応に小さくなった足にほぼ一致した。

 

「種族によって体格も違うのに同じ装備ができるわけね」

 翠姐さんは1人納得している。

 一方、索峰さんは頭の横に手をやったと思えば頭の上に持っていく不思議な動きをしてから、念話だと言って店の外へ出て行った。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 索峰(さくほう)に念話をかけてきたのは、崔花翠(さいかすい)と一緒にレイドコンテンツメンバーとして時々参加させてもらっているギルドの武闘家であった。

「元気してるか、呪わない化け狐」

 念話先からは日本語。安心感すら覚える。

 

「元気な訳ないだろ。その呼び方やめろ、索峰って名前があるんだ一応」

「なら古都のコンダクター」

「冗談やめろ梅石(うめいし)。異名呼び嫌いだって知ってるだろ」

 

 

 『エルダー・テイル』において最もプレイヤー人口の少ない、不人気メイン職業はどれか。

 年1回ぐらいのペースで運営会社が発表する職業別人口分布で毎回最下位争いをすることになるのは、付与術師(エンチャンター)吟遊詩人(バード)である。

 どの国、どの大陸、どの地方でも、割合に差異こそあれ最下位とブービーはほぼ動かない。

 

 どちらも単独行動の性能は非常に低く、また派手さにも乏しく、集団になるほどより能力が光ってくるタイプである。

 それだけに活躍の場はある程度以上のギルドに入らないと楽しめないが、コミュニケーションが苦手であったり他の干渉を是としない人にとっては非常に面倒なメインジョブ。

 索峰の場合、中国では言語の壁が存在するためあまり大人数と関係を持ちたくはなかったので、零細ギルドに留まっていた。

 

 

「それで、何の用事だ? 話してる時間が惜しいのだが」

「まずは、お互いの無事を喜ばないか?」

 

 梅石は中国駐在日本人が集まるギルド外ゲームコミュニティの知り合いでもある。

 年齢は知らないが中国滞在歴では索峰よりもずっと先輩。

 おそらく年上だが、誰にでも砕けた話し方で、軽口もよく言っていた。

 そしてゲームに年齢は関係ない論者。

 

「どこが無事だ、どこが。こっちはあのアバターそのままに、デフォルメしたキツネだぞ。馬鹿でかい尻尾ついて外せねえんだぞ。

 ヒューマンだったよなそっち、羨ましい限りだ。飯も食ったか、あのなんとも形容しがたい詐欺の塊を。味がするだけダンボール肉まんのほうがよっぽどマシだと思ったね」

「いつになく饒舌だな」

「日本語通じるなら口数多くもなるわ」

 いくら北京語に慣れたと言ったところで、索峰の語彙力は生まれ育った日本語が勝る。

 

「イライラしてるのは現状を鑑みて察してくれ」

「落ち着くわけもないよな、コンサートマスターと言えど」

「だからそういう呼び方をやめろ。切るぞ」

「待て待て待て待て、索峰、ウチのギルドに来る気ないか? 崔花翠さんも巻き込まれてることはわかってる。まとめて受け入れてもいい」

 

 

 もともと梅石は崔花翠の知り合いで、出会った時既に梅石は日本人ということを隠していなかった。

 日本人コミュニティに誘われたのも梅石からだ。

 一方的ではあるが、日本時代不人気職ながらハイエンドコンテンツを最前線で爆走していた索峰の名前と姿を梅石は知っていた。

 

 やたら異名呼びで持ち上げたのは、勧誘の腹積もりか。

翠姐(すいねえ)に言え、翠姐に。引き抜き行為はマナー違反だ」

「崔花翠さんに言っても、索峰に任せるって言うだけだろ。あの女傑にリードつけてるのは索峰だからな」

 

 

 ギルド〈翠壁不倒(すいへきふとう)〉では、崔花翠がやりたいことをやる。

 それが唯一絶対のルールで、それ以外は大きな縛りはなかった。

 適当そうに見えて崔花翠はギルド存続に必要なことはやっていた。

 自分は必要な時に呼び出される後詰めである。

 

 最近は郭貂麟の育成に没入し、ギルド共有倉庫に無造作に放り込まれるドロップ素材や装備を選別して不要な分を市場に流すのは自分の仕事だった。

 大した儲けにもならなかったが郭貂麟の装備更新料の足しにはなった。

 

「試したいことがまだいくつもある。半日も経ってない状態で勧誘するほどと梅石が見積もってくれたのはありがたいが、今はノーコメントだ。前提条件が足りん。どんな好待遇を提示されても、今は無理だ」

 まだ『エルダー・テイル』の本領すらも確かめていない。

 その本領は、今のまま超えなくてはいけないことだった。

 

 

「意思が固いことはわかったよ。だが、索峰は貴重な『わかってる』吟遊詩人だ。それは理解しておいた方がいい。

 あれだけ日本で暴れてたんだからわかってんだろ、自分の実力ぐらい。

 全体で何人こっちに来てるかわからないが、プレイヤー全員が飛ばされて来たわけじゃない。その中の不人気職は当然少ないはずだ。

 まして囲い込まれる傾向がある吟遊詩人だ。在野で、ある程度以上の即戦力として数えられる吟遊詩人なんてのは一握りだろうよ。

 極少人数ギルドにいることぐらいすぐわかるし、とりあえず声かけたい優良物件だよ、間違いなく。これは客観的事実だ」

 

「貴重な評価をありがとう梅石」

「真面目に受け取ってないだろ索峰」

「そうでもない。人的価値までは考えが及んでなかったから、そういう見方もあるのかと感心した。ただ、即戦力評価はまだ早い」

「なんでだよ」

「まだこっちの世界で戦闘経験がない。街の外に出てもゲーム画面に切り替わるってわけにはいかないだろうし、迫ってくる獣相手に臆することなく武器を振れるか?

 梅石は実体化したプレイヤー相手に全力で殴りかかることができるか?

 呪文ならともかく、思いっきり武器で殴りつけることには簡単には慣れないだろうと思う。支援寄りの性能って言ったって、吟遊詩人は武器攻撃職だ」

 

 梅石からの返事はなかった。

 前衛肉弾職の武闘家(モンク)である彼には、非常に多く求められる役割であろう。

 殴る蹴る投げるは武闘家における基本の攻撃パターンだ。それらを抜きに武闘家を語ることはできない。

 

 

「突進系の攻撃に体が竦むことがないとは思えない。それに人間やそれよりも大きな他生物からの明確な害意を生で、肌で感じてそれでも冷静に動けた人ってそうそういるもんじゃないだろ。

 密猟者だって、ナイフ持って虎やパンダと格闘するわけじゃない。大概は銃で相手の警戒範囲外からの狙撃か、罠猟だろう」

 

 本当は合流後すぐにでも低レベルモンスター相手に戦闘してみたかったのだが、郭貂麟の身長問題は自分も尻尾に多少の苦労があっただけに最優先で解決しないといけないものだと思えたのだ。

 

「こっちの世界での戦闘経験抜きにしても、強さ評価してるんだよ。単純に強いからな索峰は。ウチのギルド《玉旗艦隊》もそこそこ大きいとは思うが、廃人クラスの頭数が多いことに損はないだろ」

「褒め殺して勧誘できると思ってるならそれは梅石の大きな間違いだ」

「とりあえず知り合いに声かけろ、って言われて、俺がフレンドリスト眺めて真っ先に思いついたのは索峰だった。それに、今だって真面目にしっかり話してくれるとも思ってなかった。予想以上ってぐらい」

「褒め言葉と受け取っておく。楽観できない性格でな。こんな状況じゃ真面目にもなる」

 日本人である、ということで生じた不快な出来事もあったのだ。拙い文章入力やボイスチャットでバレることも少なくなかったが。

 

 たとえゲームの世界でも、異文化圏の人間が目立っていいことはあまりないのだ。

 崔花翠は自分の国籍を知っているが、自分から国籍を明かすことはせず、対外的には作戦会議までは加わらない傭兵気質で通していた。自然とそうなった。

 梅石は、その点では勇気があるし、尊敬できる。

 

 

「ところでだ」

「どうした索峰」

「いま梅石はどこにいるんだ?」

大都(ダァドン)。上海だな」

「……こっちは燕都(イェンドン)。北京にいるんだが、こっちの都市間トランスポートゲート死んでるんだわ。そっちは動いてるのか?」

「動いてない」

「どうやって合流するんだ?」

 

 長い沈黙があった。

 

「……妖精の輪(フェアリーリング)生きてるかな?」

「生きてたとして、行き先計算ツールも無しに飛び込めと? それは博打が過ぎるだろ」

「……すまん、大都にいるもんだと思ってた」

 索峰は相手に聞こえるように意識して思いっきり大きな溜め息をついた。

 

「勧誘の話はなかったことにしよう。そっちのギルマスに言っとけ、まず上海にいるか聞くようにってな。焦り過ぎだ。あと、翠姐も北京にいるから、勧誘するなら無駄だぞ」

「ご忠告痛み入る……」

 声に力がない。梅石はよほどショックであったらしい。

 

「ギルドをまとめられることを祈っているよ。じゃあこれで」

「あー待て待て、勧誘以外で相談したいことあったらまた念話していいか? 多分索峰もわかってるとは思うが、日本人コミュ所属組ほぼ全滅だし、別に話したいことあるかもしれん」

「了解、こんな状況じゃ仕方ない」

 念話はこちらから切った。少し待ったが、再び梅石から念話の呼び出しが来ることはなかった。

 煙草の一本でも吸いたい気分だった。

 しかし索峰というキャラクターに、煙草の持ち合わせはなかった。








原作用語解説的な?


『エルダー・テイル』
アメリカ産の、世界で大ヒットしたMMORPG。
各大陸に大元であるアタルヴァ社から委託を受けた会社がサーバー運営を行なっている。
各管理会社ごとにある程度の自由設定が存在する。
今作品の中国サーバーは華南電網公司が運営。

念話
いわゆるチャット機能。
原作見てる限り、ゲーム時代では1対1のボイスチャット・文章チャットが可能な様子。
集団転移後はおそらく1対1のボイスチャットのみとなる。
メタ読みすると、この手のゲームで軍団チャットやパーティチャットがないとは思えないので、距離に応じたオープン回線やパーティ内(最高6人対象?)でのチャットはおそらくあったのではないかなあ……。

吟遊詩人(バード)
雑に言えばモンハンにおける狩猟笛をもうちょっと攻撃的にした武器攻撃のメインジョブ。
援護歌という常在型バフを使用可能なのが特徴。
遠中近一通りの武器が使えるが、支援能力の方が充実しているためダメージ出力は抑えめになりがち。
特性上大人数同時接続イベントで真価が発揮される。


盗剣士(スワッシュバックラー)
機動力と手数に長けた軽戦士。
ほぼ近接武器しか使用できないが、片手剣・双剣・双盾すらも可能な拡張性に富んだ職。
ターゲットマーカーという追加ダメージを発生させる付与効果を活用するか、近接職としては豊富な状態異常発生能力か、純粋に手数を追求するかで方向性はだいぶ変化する。


森呪遣い(ドルイド)
精霊使い系回復職。
持続型ヒールを得意とし総回復力はメインジョブ中最高。魔法攻撃力もぼちぼち。
反面瞬間的な回復量はおとなしく、魔法攻撃の燃費は劣悪。


付与術師(エンチャンター)
原作主人公シロエのジョブの魔法攻撃職。
攻撃性能は最弱クラスだがバフデバフの能力では全メインジョブ中最高の潜在能力。
ただ地味で扱いは面倒。


エルフ・狼牙族・狐尾族・ハーフアルヴ
プレイヤーキャラを作成する際に選択する基礎となる種族のうちのいくつか。
ステータスの伸びる方向が異なり、種族ごとに別のボーナスが発生する。
特定の種族限定のイベントも。


冒険者
ゲーム内におけるプレイヤーキャラの俗称。
というかそういう種族でもある。
無限と思える寿命に強靭な生命力と身体能力を持つ(という原作設定)

大地人
こちらは多くのモブNPCキャラの俗称であり種族。
プレイヤーに比べ非常に弱い生命力と低い成長率と能力。

都市間トランスポーターゲート
行き先固定の移動用ワープゲート。街に設置されている。


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現況確認

 郭貂麟(かくてんりん)厚底靴(ブーツ)索峰(さくほう)が猛烈に渋い顔をしながら購入し、3人で靴屋を出た頃には日が暮れかかっていた。

 

 黄砂もスモッグもかかっておらず高層ビルの類もなく、城壁に沈んでいく太陽を見て崔花翠(さいかすい)はなんとなくテンションが下がった。

 索峰は夜に向かう時刻でもこの世界の戦闘を試したいようだったが女性陣2人による「夜は危ない」「もう疲れた」「お腹空いた」「初日から野宿は嫌だ」などの反発にたじろぎ、消え入るような声で反論していた。

 それでも女心がわかっていないと責め立てると降伏した。男といえど1人で夜の戦闘区域に出る勇気は奮い起こせなかったようだ。

 

 

 郭貂麟の新しい厚底靴の慣らしも兼ねて、シャワーの使える宿屋を探し歩いた。

 その途中、屋台で饅頭汁を買い求めたが、お湯に味のない月餅といった感じで不味いの一言ではあったが、温かい汁物という点で飲み込みやすく少し気分は和らいだ気がした。

 出店準備中の大地人の飲み物屋台を索峰が見つけ、西瓜ジュースを売るとのことだったので索峰が粘って加工前の西瓜を2玉購入し、体は冷えたが味のある食べ物にもありつくことができた。

 

 

 索峰の尊い犠牲により与えられた〈紅蜥蜴厚底鞋(あかとかげブーツ)〉を履いた郭貂麟の調子は良好で、まだ時々よろけることはあったが、装備している方がかなり楽に歩けると話し索峰を慰めた。

 もっとも、私が見つけたグレード上の下程度と思われる宿屋《燕青大飯店》3部屋分の宿泊料金の支払いを押し付けたので、またすぐ渋い顔になって恨めしそうに目線をくれたが無視した。

 

 そこそこ値が張るだけあって、設備やアメニティは思ったよりも満足できるもの。

 とりあえず一度眠って続きは明日にしよう、と提案したところ、索峰も反対はせず夜は自由行動になった。ただ、燕都(イェンドン)の街の外には勝手に出ないように、とだけ釘は刺した。

 

 それでも索峰は燕都市街を散策して買い物すると言って出て行ったが。

 郭貂麟は部屋で過ごすと言っていて、あたしはそれに賛成。よくわからない場所で女だけで出歩く危険を犯す必要はない。

 宿屋は時間制ゾーン貸し出し扱いなので安全地帯になる。ベッドと布団の質も悪くなく、寝付けない事態にはならなさそうだった。

 

 

 あたしは郭貂麟を自室に誘った。

 あたしは女同士1部屋にするつもりだったが、部屋も余っていて、なによりほぼ初対面の人間と一緒の部屋で寝るのは落ち着かないだろうと、索峰が値段増と葛藤しながら1人1部屋に分けていた。

 

(てん)ちゃん、靴、どうだった?」

 女2人、共に部屋に備え付けの寝間着にサンダルだった。

 郭貂麟にはクッション付きの丸木の椅子を勧めて私はベットに腰掛けた。

 

「おかげさまで。数日もあれば、段差に引っかかることもなくなると思います」

「手や腕は大丈夫だったの?」

「違和感はありますが、あまり問題はなさそうです。咄嗟の時にどうなるかはわかりませんけど」

 

 咄嗟の時にどうなるかがわからないのは、崔花翠というキャラクターも同じだ。

 郭貂麟ほど劇的ではないがいくつか数値をサバ読んで設定していたので、わずかではあったが齟齬はあったのだ。

 

「なんでこうなっちゃったんだろうね。運営はなんとも言わないし」

「ベッドで寝たら現実世界に戻っていた、ってことだと良いんですが」

「最初の夜だから期待はしちゃうわね。でも、白昼夢にしては作り込まれ過ぎてる。来れたからには、帰る方法はあるんだろう、と思う。でも私馬鹿だから。なんにも思いつかない」

 

 見慣れたメニュー画面は指先ひとつで立ち上がる。

 しかしログアウトのボタンがあった場所は空白で、イベント事がアナウンスされるタブは無言を貫き続けている。

 

 

翠姐(すいねえ)さんがいたことは、ホッとしましたよ、私」

「なんかわかるわね。あたしも索峰が一緒に巻き込まれてたのを確認して、思わず念話したもの。声聞いて涙出たもん。気が動転してたから、怒られたけど」

「知り合いが近くにいて良かったのでしょうね。私は靴の件もありますが」

「不運の中で小さな幸運だったかしらね。3人同じ都市でスタートできたんだから。

 別れてたら、もっと悲惨なことになっていたでしょうね。あたしの知り合いも結構巻き込まれてるけど、ここぞで頼れる相手ってそうそういないもの」

 

「私はフレンドほぼ全滅です。交友関係のある人はみんな燕都にはいませんでしたから。頼れる人なんて翠姐さんと、ギリギリ索峰さんだけです。1人でどこかに取り残されていたら、とは考えたくないですね」

「神様がいるなら、幸運に感謝すべきか、この転生を呪うべきか、悩ましいわ」

「食事の味だけで、私は恨み言を言いたくなりますね」

「あれは本当にね……」

 

 果物は食べられる。それだけだ。

 どうやら火を通した時点で味は無くなるようだった。あまり食べないが、生野菜も味はするかもしれない。

 いざ味がしないと思うと、途端に肉料理や揚げ物の味を思い出してしまう。

 中華料理は火と油の芸術だ。それを取り上げられては成り立たない。

 

 

「外と、現実世界と連絡がつけばいいのですが」

「メールも電話も通じず、課金用ページにも繋がらず。現実世界と隔絶されたことは確かと言えるのが悲しいわ」

「現実の私、生きているのかな。家族もどうしているんでしょう。最後になんて話したっけ……」

「あたしは母親に夕食のワンパターンに文句言ったのが最後。父親も仕事第一主義者で夜遅い帰りだし。あんな親でも、離れてみれば心細く感じてるのが、ちょっと予想外だった」

 

 

 22歳のあたしと15歳の郭貂麟。

 冒険心よりも不安の感情が色濃いことは隠さなかった。

 夜でも煌々と照明が灯っていた現実の北京に比べ、ゲームの燕都は明るさで言えば4割がいいところ。

 最初の夜から街を出歩けるほどの勇気は、ない。

 

 ゲーム時代なら攻撃行為は牢屋に強制転移か衛兵が飛んできて粛清していたが、その機構が現在も働いているのかも、わからない。

 いきなり出歩いている索峰は元々日本から中国に単身赴任してきてるような奴だから、メンタリティは例外に属する人間のはずだ。

 それなりに危機察知能力も持ち合わせている。おそらく。

 

 

 爆竹と思われる連続した破裂音が窓から聞こえてきた。距離はそう遠いものではなさそうだった。

 安全地帯とはわかっていてもあくまでシステムを信用したからに過ぎず、どこまでゲーム時代のことを信用していいのか。

 新年の祝いや春節には嫌というほど聞く音も、今はいたずらに警戒心を煽るだけの音だった。郭貂麟は破裂音に対してピクリと肩を震わせている。

 

「私、もう部屋に戻って寝ますね」

「うん、ごめんね、付き合わせちゃって」

「いえ、必要なことだったと思います」

 立ち上がった郭貂麟は、転ばないよう慎重に歩いて出て行った。

 

「あたしも寝ようかな」

 誰に言ったわけでもない。意識してちょっとした暗示をかけないと、眠れないかもしれないと思ったのだ。

 こんなに明日へ不安を感じながら眠ろうとするのは、いつ以来だろう。

 ランプの火を消し毛布に包まったが、やはり頭が冴えてすぐには眠れそうになかった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 疲れていつの間にか眠って、郭貂麟(かくてんりん)はなんとなく目が醒めた。もう陽はかなり高く昇っていた。

 寝ぼけた頭で学校が!と飛び起きて、ベッドから降りたところで体のサイズの差異で盛大に転んだ。

 それで、あの悪夢のような現実がまだ続いていることを認識した。

 

 今は何時だろうと時計を探して部屋を見渡している間に、入り口の扉の下から紙が差し込まれていることに気がついた。

 

【下の食事スペースで朝食しています 索峰(さくほう)

【食事スペースにいます 二度寝するなら念話ちょうだい 崔花翠(さいかすい)

 

 眠気はまだあったが、二度寝するにしても一応顔を見せておくのが礼儀だと思い、手水鉢で顔を洗って髪を撫でつけ、体裁だけ整えて部屋備え付けの上着を着て、食事スペースへ降りていった。

 

 

 大地人(NPC)と思われる客が数名、そして端の方に金色がかった茶色の毛並みを見つけた。

(てん)ちゃんおはよー、ちゃんと眠れた?」

「おはよう、ライチとマンゴーあるよ。味さえ気にしなければお粥もあるけど」

 索峰さんは顔だけこちらに向けたが手はライチの皮剥きに忙しそうだった。既に結構な量の種と皮が横の皿に積まれている。

 翠姐さんは巨大なマンゴーを木匙で掬って食べている。

 

「あ、じゃあ果物貰います。私の分、お代払いましょうか?」

「いらないいらない。たくさんあるから好きに食べなよ」

「お言葉に甘えます。今は何時ぐらいです?」

「んー、お昼過ぎ、13時ぐらいかしら? 機械式の時計がどこにもないのよね」

 ゾッとした。どうやら相当しっかり寝てしまっていたらしい。

 

「えっと、寝坊してごめんなさい……」

「気にしなくていいよ、翠姐(すいねえ)もまともに起きたの1時間前ぐらいだし。

 翠姐にモーニングコールで念話したら気疲れしてるんだ寝させろって怒鳴られて切られた。諦めて貂ちゃんも起きるまでそのまま寝かせておこうと。

 調べたいことはあるけど、昨日の今日でそこまで急ぎの用があるわけじゃないし、果物を確保する余裕も取れたからね」

 

 

「食品市場って、生の食材は売り切れてませんでしたか?」

 昨日の夜、宿に入るまでに、明らかに市場から物が消えていた。

 特に果物類は買いの集中放火を浴びていた。昨晩のスイカも、加工して売りに出る前のものを大地人から買い取るいわば裏技的手法だった。

 

「これもNPC、大地人産だよ。ただ、夜中到着で早朝販売開始予定だった果物。燕都(イェンドン)に売りに来るか出荷する近くの農家は結構いるみたい。まあ、昼前には争奪戦になったからこれは今回限りかもしれない。だから買えるだけ買っておいたけど」

 惰眠を貪っていた間に、また事態は動いていたのだ。

 味のする食料の入手を頭のどこにも考えていなかったことを、郭貂麟は恥じた。

 

 

「それにしても、買う量にも限度があるでしょ?」

「せっかく倉庫の使用期間の余りと使わない金あったんだから使わないと損だろうが」

 なにか、雲行きが怪しい。

 

「えっと、なにかあったんですか?」

「索峰ね、ギルドに貯めてあったお金と手持ちのお金ほとんど全部果物にしたのよ? ライチとマンゴーとスイカ他いろいろ合わせて、倉庫と手持ちすり切りいっぱい」

 

 先日あったイベントで、イベントアイテムを大量に集めることになりそれを貯蔵する必要が出た。

 交換報酬が美味しかったため翠姐さんと索峰さんがやる気を出したせいで交換用以外のアイテムも大量に集まってために個人所有の保管庫では追いつかなくなり、ギルド単位で期間貸しの倉庫を借りてやりくりしていた。

 使用期限はまだ残っていただろうけども。

 

 

「どうしてそんなに買えちゃったんですか」

「城塔登って外の様子見て、隊商や荷馬車を手招きして交渉、門入った直後に丸ごと大人買いした」

「えぇ……」

「向こうも苦労して運んで来た生の果物数日分を全部高速で捌けてニッコリ、こっちは味のするものたっぷり用意できてニッコリ、ついでにまとめ買いで少し安くしてもらってニッコリ、誰も損してないし、街の外にも出ていない」

 

 ギルド資産の管理は、話し合って翠姐さん4に対し索峰さんが6程度の割合になっていたという。

 それを完全に無視して全力で果物購入に使ったらしい。

 

「でね、これ呆れるところなんだけど、あたしが昼に起きる前に、その果物をいろんな商店ギルドに売り歩いたらしくて。もう倉庫の片隅ぶんぐらいしか残ってないのよ」

「なんでまたそんなに極端なことをしたんですか」

「でねでね、これが索峰が使い込むまでに残ってたお金で」

 

 翠姐さんは答えず、代わりにフルーツナイフで巨大なマンゴーの皮に器用に金額を刻んだ。

 決して少なくない額で、郭貂麟がなんとなく覚えている資産額とはそれほど開きはない。

 

「今の資産額、ギルド情報表示ページで確認してみなさい」

 言われるままにその画面を呼び出し、見る。

 翠姐さんが刻んだ資産、金貨8万枚が金貨110万枚ほどに膨れ上がっていた。

 郭貂麟は11万枚の間違いではないかと指で数えていったが、やはり間違いはなかった。

 

「……110万、ですか」

「個人資産も投入したから10倍か11倍かな。まだ投入した分抜いてなくて、もうちょっと日持ちのする果物も自分たちで食べる用に買ったから」

「詐欺よ、これ」

「失礼な、先物取引みたいなもんだ。金貨30万枚ぐらい稼げないかなと思ってたんだが、みんなおっそろしい業突く張りだったから予想以上になっただけ」

「索峰、あなたも相当酷い守銭奴ね」

 

 このゲームにおいて、個人で5万枚の金貨があれば、結構な資産家と言える。

 実質2人で回していたギルドで金貨8万枚の備蓄というのは、かなり溜め込んでいる域と言えるはずだ。

 ただし翠姐さんは自分の資金をギルド口座に放り込んで自分の財布のように扱っていたので実際の評価額は不定だが。

 

「大地人も損をしない良心的な交渉で仕入れて、必要なところに必要なものを、市場価格ちょい安で大量に個別で売り払う。

 何も悪いことはしていない。悪いのは果物の放出を止めて市場価格を瞬間で大暴騰させた商店側だ」

 

 索峰さんはあっけらかんとしたもので、昨日靴の代金と宿泊費に渋面を作っていた時とは大違いだ。

 

 魔法の鞄(マジックバッグ)から取り出された大きなマンゴーと木皿と木匙を受け取り、翠姐さんのナイフを借りてマンゴーを4つに切り分ける。すると索峰さんが皮に一周切れ込みを入れたライチを一掴み皿に流し込んできた。

 起き抜けの1食目からマンゴーというのも変な気分ではあったが、こってりとした甘みは糖分を欲していた体に案外合致したような気がする。

 

「昼になって大地人の流入が増えて果物もかなり市場に流れたから、まだ高いだろうが朝に比べたら大暴落だろうし、値段が再暴騰することもないでしょ。この出し抜く感じ、最高だな」

 

 目の前で上機嫌でライチを食べ続けている狐尾族は、電光石火の大博打に勝ったのだ。

 郭貂麟にとってもまさかの一言で、転生2日目早朝にしていきなり他人の資金ごと勝手にオールインする発想は、飛躍が過ぎるというもの。

 

「もしかして私たちが寝坊するのも計算してました?」

「いや、それは買いかぶり過ぎ。予想してたら翠姐にモーニングコールなんてやってない。

 朝飯確保しようと思って夜に街を出歩いてた時に大地人と話して、夜移動して来る果物輸送隊がいるって聞いて考えついただけ。ゲーム時以上に踏み込んで大地人と会話できて情報交換できるのは、靴屋の店主が実証してくれたおかげだね。

 それに他のギルドが所属メンバーの状態確認に追われてるところを、ギルド〈翠壁不倒(すいへきふとう)〉はあっさり合流もできた。

 大所帯になるほどフットワークが重くなる食料の確保や寝る場所の用意も3人だからそこまで苦労もしなくて、さらに貂ちゃんと翠姐は夜は宿から動かないって言ったから、こっちは気にせず好き放題できた。いろいろ重なった結果だよ」

 

「ね、小賢しいのよ、索峰は」

「小賢しいって域じゃないと思いますが……」

 

 これぐらいはやる、という信頼の一端なのだろうか。

 勝手に自らのお金も使い込まれたというのに、呆れた様子を見せているだけだ。

 それともこれだけのことを小賢しいの一言で済ませる翠姐さんは、これが凄まじいことだと気づいていないのか。

 俗っぽく言うなら「頭おかしい」の域に届くだろうに。

 

「そうそう、とりあえずこの宿2日延長してあるから。その気になったらもっと延長できるけど、状況がどうなるかわからないし。お金はさっき言った通り余裕たっぷり」

 

 礼は述べておくべきだと郭貂麟は思った。

 恥ずかしい話ではあるが、悠々寝坊できたのも索峰さんが手続きしておいてくれたからなのだろう。

 この《燕青大飯店》も、郭貂麟の基準から見れば安い宿ではないのだ。1人であれば選択肢にも入れなかっただろう。

 

「ありがとうございます、なにからなにまで」

「寝床と食事は最優先課題だからね。寝るところが定まれば、少しは頭も動くようになるでしょ」

 

「ねえ索峰、ギルド会館のウチの部屋って使えないの?」

「ギルド会館のウチの割り当てスペースは憩いの場ってこともなかったし拡張の必要もなかったから、家具や設備なにもなしのワンルームで狭い物置同然だ。

 男1人ならそれでもいいが、3人で宿にするには無謀過ぎるな。

 拡張する金はあるが1ヶ月ぐらいはこの宿使ってもこっちの方が安くなりそうだ。それにいつまで燕都(イェンドン)にいられるかもわからん」

 ライチの皮剥きに忙しかった索峰さんの手が止まった。声色が真面目になっている。

 

「確認できているだけで、巻き込まれたプレイヤーは、北京、上海、広州、台北(タイペイ)に相当する都市に分散して飛ばされた。

 都市間トランスポートゲートは動いていないので、中規模都市や中継点への移動も無理。よって中国大陸ではこの4都市にプレイヤーが圧縮されている状態。

 数日は、みんな試しや情報交換で時間が潰れるだろう。その後、なにが起きる?」

 これ見よがしに、索峰さんは皮を剥いたライチを口に運んだ。

 

「味のするものの確保、かしら」

「多分それが第1。何が味を持っているかの調査も含めて、もう始まってるだろうね。しばらくは果物の価格は安定しないんじゃないかな。

 それよりも、中国全土に分散していたプレイヤーを一部とはいえ4都市に押し込めて、その都市の周囲はプレイヤーの胃を支えきれるのだろうか、という疑問がある。

 本来燕都周辺では、肉・穀物の方が入手しやすいはずだったんだ。食物系はある程度現実に沿った素材の割り当てが行われていたから、果物類はもっと南にあったはず。

 台湾や海南島なんか、果物中心だったし。季節感は謎だったけどさ。

 もちろんあのゲンナリする味の謎食品を食べれば生きてはいられると思うけど、我慢できると思う?」

「しばらくは我慢できるかもしれませんが、長くはちょっと厳しいです」

「同意見ね。あれを毎食は頭がおかしくなりそうよ」

 

 水を吸った紙味とでも言うのだろうか。それか豆腐をさらに薄めたような味。

 なんにせよ加工食品は素晴らしい絶望味の均一化を図られており、菜食主義者の真似事でもしなければやっていけない。ただし火も油も使わずに。

 

 

「生肉、生魚、生の根菜、みんな食べられると思う? 自分個人なら、生魚ならものによっては食べられると思うけど」

「無理です」

「ありえない」

 

 生魚も、寿司で食べたことはある。しかしそれも然るべき手段で処理された海の食材であり、ゲーム上の存在であったよくわからない魚を生で食べたいとはとても思えない。

 レンギョを揚げて甘酢餡をかけたものが郭貂麟は好きだったが、それを再現できてもきっとこちらでは味がしないだろう。

 

「しばらくは果物で過ごすとしてだ、なにか革新的な食料事情の改善が行われて、料理に味がつくなら杞憂に終わる話なんだけど、悪い方の想像は話しておくべきだと思う。果物が安定供給されたとしても全員がずっとそれで満足できるとも思えないから」

「その先はなんとなくわかるわ。気持ちが荒むわね、どこかで。喧嘩なんか増えそう。目標があれば我慢する人もいるでしょうけど、その目標をどうやって見つけたらいいのかあたしにはわからない」

 

「短期目標は各々調べたいことを調べればいいけど、規模の大きいギルドは満足に食べさせていくだけでも相当苦労することになると思うよ。

 そもそも都市間の転移ができない以上、合流できるかどうかも怪しい。ギルド合併または空中分解まであるかも。となれば食い詰め者は多く出る。

 逆に、明確な目標を掲げつつメンバーの食事をある程度満足させられることができれば、一大勢力の結成も可能だと思う。

 中小ギルドでメンバーが分散して各都市に配置されていれば、ギルド解散してその都市で有力な勢力の世話になる方がいい場合も多いだろうし、大手でもすぐに支援を行えないならば、抜ける人は出てくるはず。

 物理的距離が生じて転移による高速移動も封じられたから、遠くにいて直接使えないヒラ人員をギルドとして拘束しておく必要もなければ、拘束される方にもメリットがパッと思いつかない。

 しばらくは各都市でのみ人がまとまっていくんじゃないかな。もし都市同士が近ければ合流もあり得ただろうけど、ゲーム時代でも陸路だけで移動するには結構な時間かかる距離だったし」

 

「翠姐さんなら、もし3人別の都市でスタートしていた場合、どうしていました?」

「そうねえ、すぐに合流できなければ、索峰に相談求めながら貂ちゃんと話して指針を決定したかしら。

 しばらくは解散しないと思うけど、すぐに合流できないって分かればそれぞれの引き受け先が見つかった時点でギルド解散はするでしょうね。あんまり先のことは考えられないし、そういうのは索峰の領分だもの」

 

 

 翠姐さんはゲーム時代、良くも悪くも視野が狭かった。

 最低単位の6人パーティならごく一般的なレベルで気配り可能だが、ハーフレイド12人規模の時点で既に怪しく、フルレイド24人以上となると、大局を見極められずなんらかの指示が欲しいという。

 見通しも甘く、パワーレベリングを施してもらう際にもあとあと必要になる素材を途中で捨ててしまって狩り直し、ということは度々あった。

 

 一方で、指示があったり計画を立ててある状態で行なったり局所戦に近い形では集中力が高く、機動力に長けた盗剣士(スワッシュバックラー)の職もあって、非常に独特で捉えにくい動きと火力を両立していた。

 その動きと強化方針は、本人から「真似しちゃダメよ」と釘を刺されたことがあったほどだ。

 とても真似できるものではなかったのだが。

 

 

「そしてだ、別にどれが良いとは言わない。というかこの状況では言えないんだけど、これから先、ギルド《翠壁不倒》が取るべき道は4択。

 1、このギルドを維持して燕都に残る。2、どこかのギルドに所属して燕都に残る。3、ギルドを維持して燕都を出る。4、ギルド解体して完全自由行動。このどれか。どれも一長一短がある」

「勿体ぶらずに言いなさい」

「決めるのは翠姐個人だからね。貂ちゃんも。3人の意見が違って当然だから、結論は持ち越すから即答はしなくていい。いささか性急だとは思うけど、食べながらでいいから聞くだけ聞いて」

「わかりました」

 

 索峰さんは黒い柔らかそうな革の魔法の鞄(マジックバック)から鉛筆と薄いメモ帳を取り出して書き始めた。郭貂麟は木匙でマンゴーを大きく削り取って口に入れた。

 

「まず、不正確な予想だということを念頭に置いておくように。

 第1案、ギルドを維持したまま燕都に残る場合。当座はお金があるから凌げる。情報もそこそこ早く手に入る。設備は充実している。これらはメリット。

 デメリットとして、食料問題の解決の有無に関わらずこれから治安はある程度悪化すると思われる。また食料確保は独力で行う必要がある。

 少人数ゆえに、これから起きることに対して大きな影響力を持てず、PKの標的にされやすい。なんらかの大きな被害を受けても泣き寝入りになることもあると思う。

 第2案の、ギルド解体の後で燕都に残る場合も概ね同じことが言える。ただし、かなり人数が多く大きなコミュニティで初対面の人と関係を構築することになる。その分PKの心配は減りそうではある。

 また、第2案では味のする食べ物の確保という点において、多少楽はできると思うが、最悪味のする食べ物を手に入れてもギルドに徴収されて自分たちは食べられないということもあるかもしれない。

 あと、第2案でギルド解散になったら100万余の金貨は山分けかな。自分や翠姐の元の資産抜いてしばらくの生活費で多少減るとしても1人30万ぐらいは渡せるだろうし、再スタートの相当大きな助けにはなるはずだ」

 

「あれ、金貨100万枚以上稼いだのって索峰さんですよね、私にも山分けでいいんですか?」

「元本は翠姐だし、あぶく銭だからな。山分けでも元の4倍ぐらいだから翠姐もいいでしょ、いや、いいよな?」

「あたしは文句ないわよ、増えてはいるから」

 

「なら第2案の際は大量の資金がそれぞれの手元に残るということもメリットとして確定。同時に、ギルド解体して完全自由行動にする第4案もこのメリットを享受できる。

 第3案のギルドを維持して燕都外へ、というのは、北京や上海といったスタートエリアの都市から出て、神殿及び銀行設備のある中継都市へ移動することを主な目的にしてあとは現地で考える。食料現地調達、野宿はおそらく確定、プレイヤー間での新しい情報は周回遅れになる。

 加えてどんなリスクがあるかすらわからないし、ある程度準備しては行くけど道中でモンスターとの戦闘は避けられない。行ってしまえば、プレイヤーの少ないある種隔絶した環境にはなると思うし、食料問題は自給できれば多分気にしなくても良くはなる。

 ハイリスクローリターンではあるが、燕都や大都では発想すらされないことがある、かもしれない。『エルダー・テイル』の冒険、というところでは第3案が最も性質が強い」

 

 索峰さんは1枚目の筆記を終えると、台紙から剥がし、中空に指を躍らせる。

 すると紙が2枚に増え、複写もされていた。

 そこまで見て、郭貂麟はようやくそれが〈複写台帳〉という、ゲーム内にもあったアイテムだと気づいた。3人で行動するときに、索峰さんが時々使っていたものだ。

 

「第4案、ギルド解体からの完全自由行動。お金を持った状態で再スタートできるのはさっき言った通り。性質としてギルド解体して燕都に残る第2案とかなり近い。相談する人、信用できる人はそれぞれで探すことになる。それぞれが見つけてから解散ってのもひとつではあるけれど。

 もし4案に決まって、身ひとつでそれぞれ自由に動くことになるなら、自分は中国サーバー域にいる理由がなくなるから、日本に戻るつもりだし」

「あら、索峰帰っちゃうの?」

「そりゃ、背負うものがなくなったらゲーム内でまで単身赴任する必要はないし。かといって、日本でなにかやりたいことがあるってわけじゃないから、ただの帰巣本能ではある。

 もし妖精の輪(フェアリーリング)が生きてたら、日本のどこかに転送されるまで連続転移だな」

 

 元いた国に戻りたいという欲求は、当然抱くものだろうと思う。

 現実世界に戻れるのかは分からないのだから、なるべく索峰さんと民族としての価値観を共有している人の多い場所の方が安心もするはずだ。

 

「おおまかにはこんなところかな。あと、補足情報として、2人が寝てる間に得られた基本的な情報。

 まず、街の衛兵システムは生きてる。運営に通報はできないが懲罰房送りもあるし、衛兵も召喚されて粛清もあるよ。どこに一線があるかはわからないけど。

 また、神殿は正常に作動してる。この身ひとつの命ではないという朗報でもあり、同時に、死んでもゲームエンドは不可能という悲報でもある」

「まさか試したんですか?」

「喧嘩を目撃して、衛兵が召喚されたのを見ただけ。懲罰房送りは伝聞情報。

 死に戻りの方は、夜中に神殿でちょっと張り込んで、出てきた人に果物渡して聞いただけ。夜って怖いな、何人も自分から死にに行ってる人がいた。気分のいいものじゃなかったな。

 デメリットは経験値や所持金なんかが減る。ゲームの時と同じ」

 

 一晩でどれだけ動き回ったのであろうかこの狐尾族は。

 行動量が常軌を逸してはいないだろうか。

 

 

「索峰さん、なんていうか、大丈夫ですか?」

「うーん、大丈夫とは言いにくい。なにか目的を持って頭と体動かしていないと、押し潰されそうな気がしたからな。神経質にはなってる。体調管理面で評価するなら、いい傾向ではないね」

「索峰、あんたちゃんと寝た? 夜中相当動いてるわよね」

「あー、寝てません、いや、眠れませんでした、頭がギンッギンでまんじりともせず」

 

 索峰さんに疲れたような様子は見られない。上がった身体能力のせいかもしれない。

 郭貂麟の体は昨晩ちゃんと疲れていたし、精神面でも弱って泣き疲れてどこかで眠気が来たのだろうとは思う。

 だとすれば、索峰さんなりの異常の発露ではあるのか。

 

「今晩はちゃんと寝るようにする」

「そうしなさい。あと、今日も戦闘体験は無しね。明日に延期。まだ夕方じゃないけど、もう街の外に出るには微妙な時間よ。

 どれだけ時間が必要かわからないから、朝から動いた方がいいでしょうし。これはギルマスとしての決定だから。

 今日のところは、索峰が出した4案をどうするか考えるだけにしましょ。街に出るならそれでもいいけど」

 

 

 〈複写台帳〉から2枚目を剥がすと、索峰さんはまたそのメモを2枚に増やした。

「じゃ、このメモは渡しとく。判断材料にはなるでしょ。今日明日で結論は出す必要ないから。4日から6日ぐらいは余裕あるでしょ、多分」

「それでも6日なんですか」

 あまり引き延ばすのもよくないとは郭貂麟にも理解できるが、今日明日というほど近くはないが、6日は遠くはない。

 

「予測半分、残り勘だけど。小規模なPK狙いが出始めるという意味での余裕かな。小規模な集団が現状を把握して、追い剥ぎする覚悟を完了させられるならそのぐらい、と自分に当て嵌めて考えた」

「うわ、なに考えてるのよ索峰。引くわよ」

「その追い剥ぎが成功するかはまた別の問題だけど。一度成功し出したら倫理のタガは外れるだろうから。PKし続けて罪悪感が生じてなにかを病む、となるのはだいぶ先だろうし。

 大きな集団がPKや略奪やり始めたら恐怖政治が起きる可能性は高い。大規模なPKが起きる前に、逃げられるうちに、身の振り方は決めておきたい」

 

 ちょっと後ろ向きな考えのように聞こえた。それでも、異を唱える材料を郭貂麟は持っていない。

 悲観というほどでもないが索峰さんはそれなりに危機感を持っているのだろう。

 

「考え過ぎじゃない? 夜とは言わず、すぐ寝なさい。寝て一度頭リセットさせた方がいいわ。あたしより頭いいんだし、信頼もしてるけど、力が入り過ぎてるのは見ればわかるから」

「考え過ぎってこともないと思います翠姐さん。私は索峰さんの言ってることはあり得ることだと思います。

 私だってそんなに頭は良くありませんが、索峰さんは色々警戒してるんだと思います。たぶん年上であることと、私達が若い女であるということも含めて」

「………………あー、性別は意識してなかったわ」

 索峰さんも、翠姐さんも、バツの悪そうな表情だった。

 

 

 『エルダー・テイル』の性質はMMORPGであり性別比では男性の方がかなり多い。この世界への転移でも、その割合は大きく変化しないはず。

 

 女性蔑視と女性差別は世界的と言っていいもので、男女平等はどこでも叫ばれている。

 中国でもそれは当然存在している。ゲーム時代は年齢が関係なくても、この世界に来て女2人それぞれ年相応の顔になり、やや美人に顔が変化した。

 郭貂麟自身は身長もだいぶ小さくなってより幼く見えるはず。

 

 完全に獣人化した索峰さんのような例は、昨日街を歩いた限りでは多くはないようだ。獣耳程度の変化を起こしている人の方が間違いなく多数派。

 そして、女性蔑視や女性差別を止めるものは、この世界では倫理に頼るしかないだろう。ハラスメント警告を出す運営はいないから。

 

 

「そうかあ、そうだよね、そりゃあ意識するわよね、索峰も。まだまだゲーム気分抜けてないわ、やっぱ馬鹿だあたし。昨日女心わかってないって文句言ったけど、私も男心さっぱりわかってなかったわ」

「ギルドの屋台骨である自覚もあったけどね。守りに入ってるのも否定はできないな。歳も食ってるし」

 苦笑した索峰さんには、肩にほんの少し疲れが見えた気がする。

 

「燕都の街中はまだ安全だと思うよ、ナンパや勧誘を気にさえしなければ。そしてそれらも、ゲーム時代の基準でいけば直接的な害を与えられなければ衛兵は動かないし、周りの誰かが下心なしに助けてくれる保証もない」

 諭すような口調に、翠姐さんは何も言えないようだった。

 

「だからあと4日ぐらいなんだ。ある程度の現状把握を終えて、他人に構う余裕が生まれる人が出てくる。若い女2人で街中を歩いてトラブルが起きない時間はもっと短いだろうね。明日でギリギリじゃないかな」

 半ば脅すような予測ではあったが、郭貂麟にとっては信じてもいいと思う予測だった。

 

 

「うー、なにも言えない。理論武装ですぐには勝てる気がしない……」

 翠姐さんは、悔しさなのか唸り声を上げはじめた。

「翠姐、日用品買いに出るなら、今日中に探しに行った方がいいよ。最悪自分を使いっ走りにして買い物もできるだろうけど、女性小物はわからないから。

 日用品が実装されてるのかも微妙なとこだけど、昨日の靴屋見る限り、たぶん特殊能力のついてない小道具はどこかで普通に売ってるはず」

 

「なら貂ちゃん、一緒に買い物行きましょ」

「あ、じゃあ急いで食べます、あと5分で!」

「唐突だな翠姐、おい」

「貂ちゃんは身なりも寝起きのままだから、それ整えてからね。あ、索峰は寝なさい。ついてきちゃダメ」

「翠姐、ちゃんと話聞いてたか」

「聞いてたわよ。索峰の予想ならまだ今日はセーフでしょ。信じて行動するわ」

「いやいや確かにそりゃそうだけど、ゲームとは違うからね、リスクはもうあるから」

「聞ーきーまーせーんー。ギルマス命令でーす。隙を見せた索峰が悪いー」

 

 翠姐さんが一度決定させてしまうと撤回させることが非常に難しいことを知っている索峰さんは、また渋い顔をして悔しそうに腕を組んでいる。

 戦闘中であれば、非常に聞き分けのいいギルマスなのだが。

 

 にわかに2日目の午後が忙しくなった。

 水気の多いマンゴーをあまり噛まずに飲み下しながら、その有無を言わさない決定ぶりに、郭貂麟はゲーム内と変わらぬ意思決定の豪腕を発揮する翠姐さんらしさを見た気がした。

 人の性質や力関係というものは、そうそう揺らぐものではないらしい。




用語解説的な



魔法の鞄(マジックバッグ)
いわゆる持ち運びできるアイテムボックス。
容量はレアリティによって異なるが基本たっぷり入る。


妖精の輪(フェアリーリング)
ワープゲート。
1ヶ月周期1時間単位で固定乱数で行き先が切り替わる。
かなり数があり、エルダー・テイル他運営の国外範囲に移動できるものも。


燕都(イェンドン)
エルダー・テイル中国サーバーにおけるスタートタウン。
現実世界の北京に相当。


レベル
ゲーム時代のMAXは90。
エンドコンテンツに挑むならLv90になってからがスタートラインの節も。
同じLv90でもやり込み度合いによって強さは大きく差がつく。


衛兵
街を守護するNPC武装兵。
運営の代行者でもありプレイヤーキャラでは太刀打ちできないほどのステータスを持つ。
当作品では特に目立つ出番はない。


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訓練してみる

ここから書いてた時の2話。





 牧歌的とは言えないが燕都(イェンドン(北京))の外は木々が茂り、清々しいと感じられる程度には、朝の日差しで揮発する緑の匂いが鼻腔をくすぐる。

 中国に単身赴任2年目でこの騒動に巻き込まれたが、北京の都市部で過ごすことが多く実家も関西の都市部で、緑が溢れるという環境に身を置くのはいつぶりだろうか。

 まあ……都市部っていっても、中心部から見れば山育ちだとか田舎って言われるレベルの場所だったけれども。

 

 

 おそらく午前8時から9時の間ぐらい、索峰(さくほう)崔花翠(さいかすい)郭貂麟(かくてんりん)の3人は、燕都から少し離れた極低レベルのモンスターゾーンに出向いていた。

 

 『エルダー・テイル』世界への転移4日目、索峰としてはだいぶ時間が掛かった印象のある、戦闘の初体験である。

 『エルダー・テイル』というゲームの根幹を担うコンテンツであり、争いごとが苦手であろうとなかろうと転生している以上は避けられないこと。

 どうしても戦えないという人もいずれは出てくるとは思うが、今は抵抗感があっても拒否はさせられない。女2人を戦わせることに思うところはあるが、火急的な必要性もまた感じていた。

 それらは崔花翠も郭貂麟も考えは同じである。

 

 

 どこにでも顔を出す中衛アタッカー盗剣士(スワッシュバックラー)の崔花翠、後衛寄り中衛で支援タイプの吟遊詩人(バード)の索峰、回復支援タイプ後衛の森呪遣い(ドルイド)な郭貂麟。

 最前列で体を張る職業がおらず、この3人で組む場合は索峰が援護歌スキル2曲を発動し、〈舞い踊るパヴァーヌ〉で移動速度と回避率を上げ〈猛攻のプレリュード〉でスキルの再使用時間を短縮し、ひたすら動き回り逃げ回りながら、3人の中距離攻撃を主体に引き撃ち気味に戦うことになる。

 

「では、索峰、一番手いきます」

 相対しているのは、〈小牙猪〉というLv5のモンスターである。索峰のLvは90で装備も充実している。

 ダメージ計算上は、比較的防御力の薄い索峰であっても〈小牙猪〉の持つ最大の攻撃でもごく稀に1ダメージが入る程度。

 そもそも、ゲーム時代では相手の攻撃が当たらないことの方が多い。

 

「うおぉお獣臭っ。そして怖っ!」

 〈小牙猪〉といっても、秋田犬の成犬ぐらいの大きさはある。

 それでも冒険者の身体能力と援護歌を持ってすれば、避けようとすれば一瞬で距離を取れるし適当な攻撃呪文でも一撃必殺。逃げることなど造作もない。

 それをわざと避けない。ゲーム時代は回避及び命中の数値から自動で被弾または回避が計算されていたが、今はわざと当たることができる。

 

 しかし悲しいかな、小牙猪が懸命に噛み付いている右足は布防具であるにもかかわらず全く痛みを感じない。ちょっと落ち葉が当たったかな程度のもので、痛みですらない。

 実際、噛み続けられているというのにHPは1も減らない。

 

 

 しかし、生物的嫌悪感と、明確に向けられる害意というのもそれはそれ。

 全く痛くないことと、恐怖はまた別である。

 

「怖いし噛まれてもいるけど、痛みすらない。ダメージも入ってない」

「計算式は同じなのかしらね」

 

「もういいよな、ほいっ、っとおぉ!?」

 噛み付かれているのを振りほどくつもりで、右足でボールを蹴るような感じで足を振った。

 小牙猪はそれこそボールのように飛ばされ、遠くの木立に落下してしばらくガサガサやってから遠ざかるような音が聞こえてきた。逃げられたようだ。

 

「索峰さん、今のはちょっと……」

「いや、レベル差の逃走扱いだと思うよ今のは。まさか武器攻撃でもない行動で戦闘終了させられるとは思ってなかったけども」

 郭貂麟がそれこそドン引きに近い様子で肩を竦めた。

 

 

 その後崔花翠と郭貂麟それぞれでも試し、崔花翠は小牙猪を腕を突かせてみたら逆に牙の方が折れてしまった。

 一方で郭貂麟にけしかけた小牙猪は、郭貂麟が向かってくる小牙猪に怯えて木製の杖で追い払おうとしたらそれがヒット、攻撃となり、一撃で撃破になってしまった。

 

 事切れた小牙猪が残したのは、散らばった少額貨幣とドロップアイテムの小さな肉塊と毛皮。

「ご、ごめんなさい……」

 郭貂麟の謝罪は小牙猪へのものだった。モンスターといえども、ゲームで倒した時とはまた感じが違う。

 

「死なせてしまったものは仕方ない。というか慣れていかないとこれからやっていけない。感傷は大事なことだが、引きずらないように」

「索峰、それはちょっと酷くない?」

「事実は事実。冷徹にもなるよ。翠姐(すいねえ)こそ、斧で斬ったときに血が出ることを覚悟した方がいい。出血エフェクトカット機能はどの程度働いてるのかまだわからん」

 

 

 『エルダー・テイル』はR-18Gゲームではない。月額料金制が主なので平均年齢層は20歳以上とやや高めではあったが、グロ描写とは基本縁遠いゲームだった。

 攻撃命中時には出血描写ではなくヒットエフェクトと呼ばれる光に差し替わっており、状態異常として出血は存在したが、その程度とも言える。

 PKが可能で出血描写もないわけではないので、日本では15歳以上推奨のゲームではあったが。

 そして現在、索峰らの体は確かに血が通っている。小牙猪でも、それは同じに思える。

 

 

「鑑定、するまでもないか。意外や意外。ドロップの毛皮が血生臭くないな」

「本当ですね、しかも毛皮の剥いだ面も普通の裏地みたいですし」

 〈小牙猪の毛皮〉のフレーバーテキストは、「牙猪の毛皮。短い毛が生えている」のみ。低レベル帯ではこんなもの。

 燃えるように熱いとか、刺激臭がするとか、そんなフレーバーテキストであれば、素材化した時にまた変わるのだろうか。

 

「貂ちゃん、肉と毛皮、要る?」

「……ありがとうございます、貰います。最初の戦果ですね」

「呪いのアイテムじゃないから気負わないように」

 

 ゲーム時代とは、明らかに違う部分を求められている。

 試行錯誤を繰り返して戦闘にも慣れていくしかない。

 戦えなければ、やっていけない。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 試しのために全力全開の武器を使うのももったいない。

 高価な武具ともなると、修繕費も馬鹿にならない。

 そんなわけで、現在の武器は店売りの安物短斧二刀流。

 

 盗剣士(スワッシュバックラー)のあたしではあるが、短斧、片手斧、トマホーク、斧二刀流というのは、あまり見かけないスタイルである。

 盗剣士の二刀流そのものはポピュラーと呼べるもので、攻撃速度重視のレイピア二刀流、ある程度の攻撃速度と攻撃力を両立させる片手直剣二刀流、攻撃範囲を拡げるシミター系曲刀二刀流、攻撃範囲を犠牲に威力がやや高めな、あたしがメインで使う片手斧二刀流。左右の剣のジャンルが違うこともまた多い。

 

 

 ただし、崔花翠(さいかすい)というキャラクターは、片手斧二刀流の弱点である攻撃範囲を克服している。

「〈トマホークブーメラン〉っ!」

 斧2挺そのものを投げる、という荒技でもって。ランクは最高の〈秘伝〉。

 あたしの所持する唯一の秘伝級スキルで、中国サーバーを見渡してもこのスキルを最大の位階である秘伝まで上げて実践運用している人は両手両足の指があれば足りるだろう、そんな優先度の低いスキルである。

 

 会得、初伝、中伝、奥伝、秘伝、等級が上がるにつれ、必要な出費や要求されるイベントの難度は高くなるが、〈トマホークブーメラン〉のスキルはあまり人気がないに分類されるものだった。

 廃人に体半分突っ込んだ中の上か上の下程度の身でも、上限解放アイテムを欲していると主張して大規模イベントを走れば知り合いに譲って貰えるレベルの価値だったのも幸い。

 

 

「〈ストリートベット〉ぉ!」

 武器を投げてしまえば当然両手は空く。そこを、あたしは投擲武器で埋める。

 索峰(さくほう)から渡された投擲武器のアーミーナイフを一挙に10本。ランクは奥伝。

 10本もどうやって一気に投げるのかとゲーム時代は思ったものだが、使用を選択すればちゃんと体が投げてくれるから驚きである。

 

翠姐(すいねえ)、戻って来てる!」

「うぉわ、こっわあ!」

 〈トマホークブーメラン〉、ブーメランとつくからには、投げれば戻ってくる。

 広範囲の敵を削りながら飛び戻ってきた斧はなかなかの恐怖である。

 しかし手元で減速してスポッと手の中に収まったので、なんとも不思議な感触。

 

 

 太陽は中天をとっくに通り過ぎ夕方が近づいていて、現在相対しているのはLv50そこそこのトロール3体。

 武器はともかく、なにがあるかわからなかったので防具はレベル相応の防御力のもので固めており、ダメージを受けはするが、貂ちゃんの回復力が受けるダメージを上回っている。

 

 しかし、HPが減らないといっても私は苦戦している。

 トロールは2m以上の巨体ではあるが元々移動速度が鈍く、更に索峰が行動速度にデバフをかけているので普段ならただの的でしかない。

 

 理由はひとつ。近接攻撃が当てられない。

 だって怖いもの。

 

「翠姐頑張れ!」

「また転ばせますね、〈ウィロースピリット〉」

 (てん)ちゃんのスキルで足元の草地からツタが伸び、トロール3体の足を絡め取った。

 

 

 あたしの盗剣士ビルドは、一般的に投擲職人に分類されるものである。

 相手から距離を保ち何かを投げて攻撃を行う、いわば引き撃ちを主とする、卑怯者と罵られることもあるそれ。

 

 中距離シューター型吟遊詩人(バード)の索峰と、森呪遣い(ドルイド)の貂ちゃんがパーティにいると、こちらの移動速度が上がり、かつ〈ウィロースピリット〉のような行動速度阻害も与えてくれるので、友人からは「私たちにはしないでね」と言われるような嫌がらせ戦術としてひとつ極みにあった。

 たまには索峰も最前線に立って近接攻撃するし、あたしに至っては最前線と中衛を行ったり来たりしながら攻撃し続ける簡単に真似できないと評された忙しない盗剣士で、直接殴れないと話にならないのだ。

 

 

「ほら、動き止めましたよー」

 3人の中で、意外にも一番最初に近接戦に慣れたのは貂ちゃんだった。

 最初〈小牙猪〉に腰が引けたのはなんだったのかと思うほどアグレッシブに、援護を受けながらもLv67体高150cmほどの〈灌木大蜥蜴〉をしこたま金属杖で殴り、範囲魔法で焼いた。

 曰く「魔法使うの楽しいです!」だそう。殴打行為よりも、魔法の感動が上回ったようだ。

 

「〈ウォーコンダクター〉は感覚変わるからまだ使わないからなー」

 それから遅れること約1時間、索峰も壁を超えた。

 こちらは〈岩大蜥蜴〉の群れを相手に、これまた店売りの安物チューバを掲げ振り回しガインガインと凄まじい音を立てながら〈岩大蜥蜴〉を殴り、最後は範囲音波攻撃で一網打尽にしてみせる余裕まで見せた。

 

 

「自分でこいつらなら倒せるって言い出したんだからちゃんと守れよ翠姐〜」

「索峰の鬼!」

 

 トロールの棍棒やキックは直撃してもダメージは大きくなく、逃げれば簡単に回復が間に合う程度。

 痛みもせいぜい大きなゴムボールを当てられるぐらい。痛みの問題ではないのだが。

 実際、相手の攻撃は見えている。巨体が3体いるのでなかなか視界は通らないが、視界に入ってさえいれば所作から相手がどうしたいかはなんとなくわかる。索峰もたびたび位置情報を教えてくれる。

 

 

 しかし体が竦む。

 痛くないとはいっても振り回される棍棒の風圧と重量感は本物で、はだけたトロールの肌から漂ってくるむさくるしい臭いは生物である実感を、それこそ五感で感じるのだ。

 片手斧のリーチは短く、間合いを取って攻撃はできず、至近距離でないと刃の部分は当たらない。

 

 加えて困ったのが、ゲーム時代は自動で計算されてクリティカルが起きたものが、相手にとっての急所に攻撃を与えないとクリティカルが発生しないようになっていたこと。

 より精緻に攻撃を当てなければいけなくなっていた。

 

 斧の刃で斬っても血ではなくヒットエフェクトだったのは救いだが、わかっていても最後の数歩分を踏み込めず、ダメージ覚悟で斬り伏せるといったことができない。

 攻撃チャンスを逃したとはっきり理解できているだけに余計歯がゆい。

 

「〈クイックアサルト〉、〈デュアルベット〉!」

 突進攻撃で距離を詰め、斧2挺で乱れ斬り。

 しかし心理的躊躇で距離を詰め切れず、いくつかが相手を掠めただけだ。

 

 

 スキル選択及び発動では、根本的な変化が起きていた。

 ディスプレイから指で起動することもできるがそれよりも、念じたり、動作から後追いでスキルを発動することもできた。

 体の反応である程度指向性を持たせられ、たとえば〈クイックアサルト〉であれば、左右どちらかの足を一歩踏み出して念じながら力を込めれば発動できる。

 

 投擲武器を懐から取り出して投げる〈フラッシングドロウ〉では懐に入れた覚えのないアーミーナイフや〈破壁玄珠環(げんしゅかん)・撥〉を念じながら取り出せたし、袖に隠しているつもりで投げられないかなーと試したら、見事〈フラッシングドロウ〉が懐ではなく袖からアーミーナイフを出現させた。

 

 スキル発動条件は相当自由度が高いらしく、貂ちゃんの〈アースクエイク〉による地震攻撃では、金属杖の石突を地面に突き立てるようにして発動したかと思えば、杖上部の打突部分を地面に叩きつけても発動した。武器で能動的に地面に衝撃を与えるのが発動キーらしい。

 索峰の〈レゾナンスビート〉による音響蓄積打撃は特定のモーションに依存せず、念じながら殴りつければ上下左右どんな打撃の打ち込み方でも発動したという。

 

 

「翠姐、そろそろ帰らないと日没なんだけども」

「うるっさいわね! 終わらせるわよ今すぐ! 〈ダンスマカブル〉!」

 ステップ数歩と共に発動させたのは、次の攻撃を1撃のみダメージアップさせる一発もののスキル。

 

「そこからの〈トマホークブーメラン〉ッ!」

 手持ちスキルでは最大威力の攻撃ではない。が、接近せずに当てられる攻撃の中で最大の威力がこれ。

 赤い波形オーラエフェクトで強化状態を表した斧が、続けざまに2本飛んでいく。

 

 

 〈トマホークブーメラン〉のスキルもまたゲーム時代と大きく自由度が変わり、ある程度狙いを決めて溜め、それから武器を投げる動作を行えば、軌道は右から左、左から右の横薙ぎだけに留まらない。

 真正面から真上を通過して背中側から戻らせる、真横から頭上を通過して戻らせるΩのような軌道も可能。

 地形にぶつからない軌道であればいろいろな投げ方が可能になり、かなりの遊びを得たスキルに化けていた。

 逆に、狭い場所だとゲーム時とは異なり使えなかったのだが。

 力を溜める動作の長短(一瞬か数瞬かぐらいの差)で飛距離も多少融通が利き、投げた後に戻ってくる軌道に対して逸れた移動を行えば、半自動追尾で戻ってくるため軌道を曲げられるところも変化である。

 

 

「〈ライトニングステップ〉ッ!」

 足から電光が閃き、右下からアンダースローで投じた斧を追いかけるようにしてダッシュ。

 既に斧はトロール2体を貫通し、45度ほどの角度で空中から戻ってこようとしている。

 

 3体目のトロールを背にするように走り抜け、斧が戻ってくるのを待つ。

 トロールがこちらを振り向いたのと、その肩口から胸を斧が貫通して斧戻って来たのはほぼ同時だった。

「終わりっ!」

 近接攻撃が当てられないといっても、数撃ったなかでは直撃ではないにしても当たったものもある。

 次手1回強バフで強化した私の秘伝攻撃であれば、半端に残ったHPは十分刈り取れた。

 

 

「どうよっ」

「お疲れ様です」

「投げ武器の扱いは、半日で相当手慣れたな。投げ武器は」

「含みがあるわね索峰」

「そりゃあるよ。結局至近距離での斬り合いできてないじゃん」

「いいでしょー、とりあえずはこれで」

「貂ちゃんも接近戦で殴り合いできたのにそれはどうよ」

 そこを突かれると痛い。最年少ができていて、ギルドマスターであるあたしがまだできないのは、居心地が悪い。

 

「索峰さん、まだ最初の日ですし。攻撃はちゃんとできているんですから、ね?」

 そこまで歳は離れていないが、歳下の貂ちゃんにフォローされると自尊心がしくしく痛む。

 

「索峰の鬼教官!」

「なんとでも言え。早く慣れるに越したことはない」

「索峰の薄毛、獣臭、陰険、性悪、白痴」

「ホンットになんとでも言いやがったなオイコラ。あとどこが薄毛だ、モッサモサじゃねえか」

「あ、確かに毛むくじゃらだわ」

「毛むくじゃらって……」

 

 貂ちゃんに遅れを取ったのは悔しい。

 でも索峰には全くそんな気持ちは起きなかった。付き合いはそこそこ長い。

 陽は山並みにかかろうとしていて、急がないと燕都に着くより日没の方が先に来るかもしれなかった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 戦闘訓練は4日目に突入していた。

 2日目の時点で、ゲーム時代と同様に索峰(さくほう)さんが全方位に気を配り指示を出す、ということははっきり無理だと結論付けられた。

 

「ミニマップないし、視界の高低の概念が増えたし、頭の処理が追いつかない。全部コントロールとか無理。いつか慣れるかもだがしばらくは無理」

 

 これが6人パーティであったなら、索峰さんをフリーの援護に専念させることもできたのだろう。3人ではそれもできず。

 索峰さんそのものもこのパーティでは第2位の貴重な火力で、かつ翠姐(すいねえ)さんと息の合ったコンビネーションで、人数以上の破壊力をゲーム時代では見せていた。

 郭貂麟(かくてんりん)の目から見る限りでは、連携習熟度の高さはこの世界に来てからもあまり変化がないようには思える。

 しかし翠姐さんの接近戦嫌いが矯正できておらず、索峰さんがやきもきしているのははっきりわかる。

 

 翠姐さんよりも索峰さんが前衛で楽器武器を振り回していることの方が多いぐらいで、指示を出せない理由のひとつでもあった。本来の索峰さんは弓兵なのだが。

 

 

 

 戦闘訓練3日目、転移より6日、索峰さんと話した時、こんなことを言っていた。

 

吟遊詩人(バード)でよく言われる指揮者やコンサートマスターじゃないんだよね。観測手(スポッター)気質なんだよ、自分は」

「どう違うんですか?」

「指揮者は、ここでこれを使えとか、こうすれば相手はこう来るだろうからこうしようとか、予測と計算を合わせて組み上げて指示を出すもの。観測手は、相手の弱点、ウィークスポットを探して、そこを狙わせるようにするもの」

 

「あまり変わらなくないですか?」

「結構違うと思うけど。指揮者の場合は中長期でも戦闘の組み立てを考えて戦闘全体をコントロールするけど、観測手(スポッター)は、まあ自分が考える観測手だけど、弱点や攻め所を見つけてそこを即座に狙わせるための援護をすることかな。

 あと、全体を見渡して弱点を突いた後に退き時を判断して味方の速やかな離脱を可能にすること。指揮者よりはもっと現場寄りの考えだね」

 

「たとえば、どんなことをしてましたか?」

「そうだな、主戦場を迂回して魔法職や回復職を狙う相手の裏取り勢の監視を行なって裏を取れないようにしたり、逆に、味方が裏を取りにいくときにそっちに注意が向かないように注意引きつけたり鈍足つけて追えないようにしたり」

「支援職してますね」

「翠姐が突っ込む先に〈バトルコンダクト〉置いてヘイト上昇阻止しつつ翠姐に狙わせる的を用意したり、〈ウォーコンダクター〉で高速攻撃と高速離脱を狙わせたりするのが主だけどね。

 こっちの再使用時間気にせず連続で突っ込んだりしてたから、スキル回しが大変だった。時々翠姐追っかけて自分も突撃したり」

 

 

 その後、索峰さんは援護のコツを教えてくれた。

 初めて聞くこともあったし、ゲーム時代に索峰さんが指示したタイミングでのスキル使用の意図の解説になったこともあった。そしていくつかは崔花翠さんを援護するためのコツでもあった。

 

 とはいえ索峰さん流のコツと理論を説明されたからといってすぐに身につくものでもない。

 スキルとして名のあるものではなく、経験に基づく技術だから。

 その場の最適解を導き出せるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだと郭貂麟は思う。

 

 

 

 それとは別に、郭貂麟には悩みが生じ始めていた。

 

 自分の手から魔法が出せるということが楽しすぎた。

 

 自然を操る、すなわち五行を行使することのなんという衝撃。

 落雷で粟立つ肌、炎の熱風、水流がもたらす湿度、氷片の冷気、地より湧き立つ土の匂い、それらが自らの力で意のままに生み出せる素晴らしさ。

 

 『エルダー・テイル』プレイ開始から通算50日ほど、プレイ時間は200時間ほど。

 そのゲーム時代は思ってもみなかった感覚。

 森呪遣い(ドルイド)の遅効性HP回復にやきもきし、エフェクトは派手だが威力がそこまでではない魔法攻撃は、あまり興味を引かないものだった。

 

 つくづくゲームとは違うと痛感する。

 森呪遣いを諦めてもっと爽快感のある職でキャラクターを作り変えようとすら思ったこともあったほどだがとんでもない。翠姐さんにも索峰さんにもないこのスケールの大きさは、体感しないとわからない。

 仙人が厳しい修行の末に会得する秘術の一端がこれならば、使いたがる伝承が多いのも頷ける。

 これは、凄い。

 

 しかしその代償が悩みである。MPの消費が本当に痛い。

 豪快であるがゆえMPもそれ相応に要求され、HP回復をおろそかにもできないので、見境なしに乱発していると装備やスキル習熟度による補助が薄い郭貂麟ではあっという間にMPが枯渇する。

 回復に専念してくれる人がいればもっと楽しそうなのにとも思った。しかし代わりはいない。

 

 

(てん)ちゃん、シャーマンタイプ目指す? それともアブソーバー?」

 そんなことをMP回復の為の休憩で2人に打ち明けると、翠姐さんは面白がった。

 

「なんですか、それ?」

「後方からの魔法攻撃特化で速攻殲滅、回復の仕事を切り捨てるのがシャーマンタイプ。武器攻撃命中時にMP回復系の装備で武器攻撃魔法中心に戦いながらHP回復もするのがアブソーバータイプ、だったわよね索峰?」

「その説明で合ってるよ」

「で、どっちの方が良さそう?」

「聞いた限りでは、シャーマンタイプの方が好きかな、と感じます」

 

 自然現象を意のままに操るところに大いに魅力を感じている。だとすれば好みが近いのはシャーマンだ。

 

「どちらかを目指すとして、難易度に差はありますか?」

「わからないから索峰よろしく」

「こっち振るのかよ。まー、どっちが難しいか、と言われると、ゲームの頃はシャーマンの方が難易度が高かったはず。

 後衛から遠距離魔法で攻撃するからMP回復の手段が乏しいし、広範囲で高威力な魔法が多いはずだからどうしても短期決戦型のビルドになるからね。それに、攻撃範囲が広く威力があるということはそれだけヘイトを稼ぎやすい」

 

「ゲームの頃は、なんですね」

 言葉に固形物を混ぜた、含みのある言い方だった。

 

「アブソーバーはさ、自分でも殴りながら支援魔法や回復魔法使うよね。それって、今の索峰ってキャラクターとほぼ同じでしょ」

「……そういえばそうね、回復はないけど」

 

 言われてみればその通りで、中距離から音波による支援に加え、翠姐さんと肩を並べ時に前線にも出ることがある索峰さんのやっていることは、それに近い。

 

「だから思うところがあってね。ゲーム時代は周りのHPって一覧やログで見れたじゃない。同じエリア内であれば物理的に見えなさそうな場所にいる人でも。でも今は1人のおおまかなHPですら集中しないと見れない上に、視線通らないとわからない。

 たとえば、大柄なトロールやホブゴブリン辺りが間に割って入られただけでだいぶ視界狭まるでしょ。その状態で味方前衛のHPを気にしながら、実際に接近戦して、ってなると、明らかに難しいと思わない?」

 

 索峰さんの現在の戦闘での位置どりは、翠姐さんと郭貂麟の中間地点でやや前寄り。

 2人に前後で挟まれる位置で繋ぎ役で動き回ることが多く、敵を含め全体を見る位置には移動し辛い。

 索峰さんが指示が出せない、と早々に根を上げた理由のひとつだった。

 ベテランの域に達している人が2人分の情報処理を抱えただけでこの始末だから、人数が増えればどうなるかは想像に難くない。

 

「最前線で戦い続ける理由は必ずしもないけど、アブソーバーって回復を周囲に撒きながら前線を維持するコンセプトが元で、両立できないならやる意味はあまりないよね。

 敵に背中を向けるのも危険だし。全員近接攻撃型ってなら、固まって動けば管理は多少楽にはなるけど。回復欲しい時に声上げれば済むし」

「でも、そういう戦闘タイプではないですよね」

「そうなのよねー、あたしも索峰も」

 

 同格のLv90のモンスターを相手に、防御に長けた前衛職である守護戦士(ガーディアン)武闘家(モンク)のように身を張っていては、2人とも長くは戦えない。

 前線を維持するという概念がなく、常に引き回し。相手の攻撃は受けず、流し躱す。

 場合によっては流しすらせず全逃げを行う2人よりもさらにレベルも装備も弱く後衛職の郭貂麟が体を張ることの意味はあまりない。

 

「貂ちゃんがアブソーバー目指すなら、それを前提として動くことはできると思うし応援もする。でもこの3人でやっていくことを考えると、編成上不要ではある。せめて完全な前衛職が1人いれば、意義も多少生まれるけど」

召喚術師(サモナー)ではないですが、召喚生物も使えます、それを前衛職の代わりにできませんか?」

「対人なら、まず召喚生物が集中攻撃されてあっさり撤退しちゃうわ。貂ちゃん自身の能力補強か、緊急避難手段に使う方が、今のところは賢明だと思うわよ」

 

 

 森呪遣い(ドルイド)は、行動を補助してくれる召喚獣を使う人がほとんど。索峰さんの援護歌のように、召喚している間は半永久的に補助効果を受けられる。

 回復能力を伸ばしたり、攻撃補助を行なったり、召喚者を守ってもらったり、人によって好みが分かれる。

 

 それを行使し援護をもらうためには、特定のクエストを経て召喚生物と契約する必要がある。

 パワーレベリングによる養殖を受けた郭貂麟は、召喚生物はチュートリアルの範囲で契約できる種類しかおらずそれも時代遅れな生物しか召喚できない。

 

 

「シャーマンだと、どうなります?」

「シャーマンの方が好みだっけ? 攻撃魔法バシバシ」

「そうです」

「なら目指していいんじゃないと思うわよ、あたしは。好みって大事よ、練習に身が入るから。それに、索峰がいうには、アブソーバー目指すよりはハードル低いでしょ?」

「MP管理に明け暮れることを除けば、ね。メイン12職全体で見ても、要求されるMP管理能力は最高難易度に近いよ。基本は敵から離れて動くことになるから、敵味方を見やすくはあると思う」

 

「パーティの邪魔にはなりませんか?」

 思考放棄ではあるのだが、2人についていけば、新たに関係先を見つけて世話になるよりも安定した暮らしができるのでは、と郭貂麟は思う。

 個人として暮らしていけるゲーム知識が、郭貂麟には致命的に足りない。

 それを理解した上で手を回してくれるのだから、好意に甘えたい。

 

「アブソーバーよりは活かしやすいかな。ただ短期決戦仕様になるから、翠姐が武器攻撃を当てられるようにならないとどうしようもないね」

「うぐぅ」

「じゃ、私シャーマン目指したいです。大魔法楽しいんです」

「焦って育成方針決める必要はないからね。装備整えるところから始めないといけないし。翠姐も自分も魔法職武器は集めてないから融通できない」

 

「買える装備はすぐにでも買えばいいと思うわよ。ただ、その買った装備を更新していけるのは相当先になると思うわ。これはプレイヤー全体に言えることだけど、どこまで組織立った行動ができるか、どこまで戦える人が残るかが未知数だもの。

 レベル90前提の大規模戦闘をプレイヤーが突破できるようになるのはいつになるかしらね。3人だけじゃ、たぶんクエスト起動もできないし」

 すぐにシャーマンの真似事ができるようになる、とは郭貂麟も思っていない。これは長期的目標なのだ。

 

 

「私、頑張りますね!」

「それでやる気が出るなら、なによりね。魔法道具や素材はあたしも索峰も使わないから、優先的に貂ちゃんに回してあげるわ。そうそう、パラメータ未確定の面白い装備かなにか手に入れたら、索峰に見せることね。良いものになるかもしれないから」

「どういうことですか?」

「サブ職がカンスト〈鑑定士〉なのよ、索峰は。あたしの〈破壁玄珠環(げんしゅかん)・撥〉も、索峰の鑑定でいい効果と数値引いたから幻想級に負けない性能になったんだから」

「サブ職が今どこまで機能残ってるかわからんがな。倉庫に未鑑定品残してなかったし」

 

「〈鑑定士〉ってどんな効果なんですか?」

「ステータスや名称未確定の武具とかたまに見かけない? 錆びた謎の剣とか、傷んだ謎の手甲とか。

 それを普通に装備して能力確定させてもいいけど、鑑定士がそれを鑑定すると、いいステータスで確定しやすくなって、更に追加で特殊能力が付与されることがあるんだよ。

 〈魔法級〉の装備品は能力にブレ幅のある装備もあるからね。いい装備欲しいのは皆同じだから、鑑定代行でお金稼ぎもしたよ。〈秘宝級〉の首飾りや腕輪みたいに全職使用可能でかつ能力未確定で所有者未確定のものは結構よく鑑定依頼されたよ。

 もし面白い効果がつけば、再現性の難しい唯一無二な自慢できる装備になる。〈秘宝級〉なら、最低ひとつはなんらかの特殊効果を追加付与できるし」

 サブ職業のことはすっかり忘れていた。郭貂麟のサブ職業は〈薬師(くすし)〉であるが、熟練度は非常に低い。

 

「索峰の装備って大体変な性能よね。武器も防具も、ジャンルも等級もめちゃくちゃだし」

「そりゃまあ、アバターで見た目上書き前提だからな。トライアンドエラー繰り返して自分に合った性能のもの選んだし。作ったとも言えるけど」

「作った、とは?」

「ああ、さっき言った、錆びた謎の剣系の、性能や名称未確定の装備やアイテムをとにかく大量に買い集めたりレイドで拾い集めたりして、ひたすら自家鑑定して逸品探しするんだよ。

 大概は鑑定士の効果があっても平凡だけど、たまにオーバースペックの物が出て、それの性能を更に高める効果がある。適正レベル50そこそこの謎の〈魔法級〉武器がレベル90クラスでも通用する性能になったりするし」

 

「強くないですか? その性能。武器生産職が泣きますよ」

 レベル及び等級の垣根を超えて装備を用意できる、というのは、生産職とはまるで違う方向で装備を生産できることになりはしないか。

 

 郭貂麟の〈薬師〉は生産職で、書いて字のごとく素材アイテムから薬品の生産が可能なサブ職業。同時に自分が使う薬品系アイテムの効果を増加させる効果もあった。生産能力よりも、回復アイテム強化効果を目的に選択している。

 

「いや、ぶっちゃけ趣味の領域。オーバースペックの大当たり品って、未鑑定300個中1個がいいところだったし、小あたりと言えそうなのが20個出れば多い方かな。残りはアイテムレベル相応の平凡な性能になる。

 運任せだし、90レベル用の〈製作級〉の方が強くて欲しい性能に合致しやすい。それにオーバースペックとはいっても本来の性能に噛み合わない能力になることもある。ステータスは高くても魔道書にヘイト集める効果がついても意味ないでしょ?」

 

 それはそうだろうと郭貂麟は思う。

 魔道書を使うのは魔法攻撃職、概ね防御の薄い職である。

 敵が向かって来てくれない方がありがたいし、ヘイト上昇効果が欲しいのは最前列で戦う〈守護戦士〉らの装備だ。

 

「どっちかと言えば、〈魔法級〉〈秘宝級〉の未ロックアイテムに追加効果を付与することがメインかな。それに、カンスト届かせるのに5桁は余裕で鑑定したんじゃないかってぐらい成長の伸びが悪い。結構真面目に育てたのにカンストまで1年近くかかった。

 それに、未鑑定品集めるのも結構な出費で、買って鑑定して使わない良い品売り払って、鑑定代行して、で収支が黒字になったのはかなり後期だし。通算で見れば大赤字もいいところだよ」

 

 

 そういう索峰さんは『エルダー・テイル』の一般基準で見てもかなり重症な廃人であった。

 翠姐さんも廃人と呼べる域ではあるがヘビープレイヤーの域は脱しきれておらず、それこそ年季が違うのだ。

 その重症な廃人をもってして1年というのであれば、星の数ほどもあるだろうサブ職業の中で好きで育成する人も少ないだろう。もっと単純で、育成も楽で、汎用性のあるサブ職業はいくらでもある。

 審美眼・鑑定眼という意味では、数をこなして勉強してようやく得られる地位なのだから必要な経験値が多いのも当然で、これはこれで生産職とのバランスは取れているのかもしれない。

 

 

「……もしかしてですけど、〈花石綱商船〉に卸してました?」

 中国は広く、プレイヤーも多い。

 人海戦術によって各地のコンテンツが踏破されていく中で、アイテム生成乱数の妙により「なにこれ?」というなにかに使えるかもしれない変な性能、尖った性能のアイテムはたびたび発見される。

 

 そんなひと癖もふた癖もある珍品の類を集めて販売するのがプレイヤー経営商店の〈花石綱商船〉。

 癖があるだけに万人受けはしないが、物好きや特殊ビルドの構築者にとって覗いておいて損のない商店だった。

 郭貂麟もレベル上げ過程で世話になっており、最前線コンテンツでは役に立たずとも育成段階で有用な繋ぎの装備は少なからず出品されていたのだ。

 

 たとえば適正レベル80なのに攻撃性能はレベル60相当しかし特殊能力はレベル90相応というアンバランスな武器であったり、レベル50相当の特殊効果しかない防具なのに防御数値と耐性はレベル90でも通用するものであったり、レアと言われる特殊効果のついた低レベル装備であったり。

 

「手早かったから、よく鑑定済みの上物買ってもらってたよ。〈花石綱商船〉はよくお世話になったし、お世話したとも言えるかな」

「もしかしたら索峰さんが売り払った装備買って使ってるかもしれません」

「世界狭いわねー」

 翠姐さんは呆れたようだった。索峰さんは何も言わず、ただ苦笑していた。




用語解説とか




サブ職業
〈吟遊詩人〉や〈森呪遣い〉といった戦闘用メインジョブとは別のカテゴリの職業。
武具生産系のジョブがあれば装備を作ることも可能。
薬師であれば薬品調合が可能であるように、多種多様な職業をつけることができる。
サブ職業は生産職に限られず、貴族・英雄といった名誉職や、忍者・グラディエーター・バーサーカーといったロールプレイング系職業も。



アイテムのレアリティは
〈通常品〉(ノーマルアイテム)〈魔法級〉(マジックアイテム)〈製作級〉(クリエイトアイテム)〈秘宝級〉(アーティファクト)〈幻想級〉(ファンタズマル)
の順で右に行くほど入手難易度が高い。

〈幻想級〉に至っては入手が計算に入らない。アップデートごとに総排出個数が決められているそうな。
希少価値が極めて高いことから、プレイヤーの代名詞となり得るレベル。

〈秘宝級〉は6人パーティで2週間ダンジョンにこもりっぱなしで1個入手できるぐらいだとか。
よくこんな絞り設定のゲームが世界レベルで売れたなオイ。

〈製作級〉以下は現実的に入手可能なラインとなる。



スキル等級
いわゆるスキルレベルと形容されるもの。
〈会得〉<〈初伝〉<〈中伝〉<〈奥伝〉<〈秘伝〉
の順で等級がスキルごとに上がる。

〈秘伝〉級は90レベル時点で上限4スキルまでしか上げられない。
加えて〈秘伝〉段階になにかのスキルをひとつ上げるだけでも莫大な労力と出費を要求される。
そのため実質〈奥伝〉が最高位に近い。〈奥伝〉にするのでも相当苦労するそうだが。

原作においてはやや独立した等級として〈秘伝〉の上に〈口伝〉がある。
当作品では出ないため関係ない。


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颱風強襲

やや短め






 夕刻、気温も下がり、陽が落ちきる前に燕都に帰ろうと早足での移動中。

「すいません、ちょっと待ってください」

 郭貂麟(かくてんりん)が移動を止めた。

 

「どうしたの(てん)ちゃん、どこか痛めた?」

「いえ、なにか聞こえたというか、違和感というか……」

索峰(さくほう)、周囲探査して」

「おう、ちょっとお静かに、〈ディゾナンスソナー〉!」

 

 コーンと青い音の波がチューバから周囲に広がっていく。

 

 ソナーの名の通り周囲の生物を探知する特技だが、壁や障害物の陰にいてもそれを透過して探知する。

 探査範囲はかなり広い。ダンジョン内の敵モンスターの待ち伏せを察知したり、隠し通路を発見したり、斥候用としてデザインされている。

 

 カンカン、カンカンカン、カン。

 

「後ろから向かって来るのが2人、その後ろから更に3人、いや4人か? たぶんプレイヤーだ。近付いてきてる」

 追ってきている、と見るべきだろう。

 

「戦闘準備」

 崔花翠(さいかすい)が低く静かな声で言った。

「6対3だとまず勝ち目ないよ、翠姐(すいねえ)

「逃げるに決まってるでしょ。でもちょっと顔ぐらい見てもいいじゃない。索峰、もう一度探査。貂ちゃんは逃走装備に変更」

 

 そう言いながらも、崔花翠は瞬間火力重視の装備に切り替えている。

 

 索峰は再び〈ディゾナンスソナー〉を撃った。相手に発見されたと気づかれない特技であり、いたずらにヘイトを稼がない良いスキルである。

 

 カンカン、カンカンカンカン。

 やはり、反応は6。

 

 

 雷の音が断続的に聞こえた。空は雨が降るような空ではなく、黒い雲もない。

「戦闘っぽいな。自分たち狙いじゃないのか?」

「索峰、距離はまだある?」

「ある。貂ちゃんのファインプレー」

 相手がこちらに気付いていないにしても、変に巻き込まれる前に戦闘態勢に入れたことは僥倖。

 

「貂ちゃんの面倒お願い。あたしちょっと木登って直接見てみるわ」

 言うが早いか、崔花翠は近くで一番高い木を見つけると、スルスルと登り始めた。

 

 自然と共に生きるエルフを種族とする崔花翠にとって、森や木に対する造詣の深さは全種族の中で群を抜く。また〈ディープウッドスカウト〉という種族ボーナスがあり、偵察眼も優れている。

 

 

「追っ手の方向は?」

「北東!」

 目のあたりを擦っているのが見えた。なんらかの視力補助の目薬を使ったのかもしれない。

 索峰は再び音による探査を行なった。距離は縮まったが、数は変化していない。

 

「索峰、貂ちゃん、見つけた!」

 樹上から声が降ってきて、そちらを見ればもう崔花翠は飛び降りている。

「女の子が追われてる! 助けに行くわよ! たぶん貂ちゃんぐらいの背丈の女の子!」

「はぁ!?」

 声が裏返った。

 

 

「先に行くわよ! 急がないと保ちそうにない!」

「え、ちょっと翠姐さん!?」

 樹を降りたと思ったら再び深い藪に飛び込んでいく。道などあろうはずもない。

 置いて行かれた2人にとっては唖然とするしかない。

 エルフではないのだから、藪の中を疾走なんてことは真似できないのだ。

 

「索峰さん、道案内お願いします、追いましょう!」

 小マップ表示がなくなり、俯瞰した位置から道を選ぶことはできない。

 しかし〈ディゾナンスソナー〉はそれに代わる。隠し通路を見つけることの応用だ。

 

「最短じゃないかもしれないけどゴメンな!」

 再びソナーを使用する。崔花翠は迷いなく道無き道を突っ走っているようで、既にだいぶ離れている。

 〈冒険者〉の移動速度は早い。戦闘を介さずに急げば先回りできるかもしれない。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 枝を掴み、幹を蹴り、藪を払い、一陣の緑風となってあたしは木々を飛び移りながら戦闘と思われる方向へ突き進んでいた。

 びっくりすることに体が勝手に木を走る術を身につけていた。

 なんとなく掴むべき枝や幹がわかり、足の置き場もわかる。

 上昇した身体能力で得た速度をそれほど落とすこともなく、薄ぼんやりとした空中通路のような場所に体を滑り込ませる。

 

 暗い藪を抜け周囲を見回す。

 裏道から大通りに出た格好で、戦闘を行うにはもってこいといった長さと幅のある空間が木立と藪の間に広がっている。

 左に人の集団が見えて、その奥に追われていると思わしき少女がいた。

 

 そちらに走り寄りながら、追っ手側の職業を予想する。

 追われている子に一番近いのは着流しに長刀一振り、おそらく〈侠客(きょうかく)〉。

 その後ろの皮鎧の小剣持ちは〈盗剣士(スワッシュバックラー)〉か〈暗殺者(アサシン)〉か。

 そこからやや後ろに魔法系の職が2名。片方はなにか本を持っている。本持ちは〈道士(タオマンサー)〉のようだ。

 

 こちらにはまだ気づかれていない。

 (てん)ちゃんが追いつけば追われている子の回復は可能だ。

 必要なのはまず後衛への〈暗殺者(アサシン)〉ばりの最強の奇襲、及び注意をこちらに引き付けること。

 

 

 両手に持つ片手斧が青白い軌跡を残す。〈シャープブレイド〉の起動。

 余計にヘイトを稼ぐ代わりに、命中率とクリティカル率を上げる。重い武器扱いの片手斧が軽くなる。

 加えて〈ダンスマカブル〉。次の攻撃の威力を大きく伸ばす。準備は整った。

 

 相手の後衛の背後へ気配を絶って移動する。

 逃げる女の子を嬲るように追っているのか、後ろにはまるで注意が向けられていない。

 次に使う特技は決めてある。しっかり当てられるか。

 

 

 追っ手を挟んで、後ろを見ながら戦っている女の子が最初に気付いた。

 目が合った。怯えたような目だった。更なる追っ手と思ったのかもしれない。

 

 あたしの狙いは、最後尾の〈道士〉ではない布鎧の魔法職。

 

「くらいなさい!〈エンドオブアクト〉!」

 滑るような動きで懐に潜り込むと、とにかく両手の斧を縦横無尽に振り回した。

 びっくりするほどあっさりと、的確な位置に足を踏み込ませていた。

 

 驚愕の表情が貼りついた魔法職の男を見て、不思議なことに笑みが出た。

 

「お仕置きよ」

 目にも止まらぬ速さで振りまくられる2挺斧を、青の軌跡と黄金色の粒子が追随する。その中に、赤いクリティカルエフェクトが混じる。

 

 後衛職への完全で完璧な奇襲の強襲。

 攻撃反応回復が数回あったが手数で貫通させHPを削り切る。

 一言も発させることなく魔法職の男は崩れ落ちた。

 

 

「助けに来たわよっ!」

「なんだぁ!?」

 そのまま〈道士〉も片付けようとしたが、聞き慣れた〈ターキーターゲット〉という言葉が強制的に視線と体を中央に向けさせた。同じ〈盗剣士〉だったようだ。

 奇襲にも関わらず、反応が早い。

 

「遊び止めるぞ! 先に弱ってる方潰せ! 〈アーリースラスト〉!」

 その〈盗剣士〉が出の早い突きでこちらを牽制しながら指示を出す。

 右の脇腹、肝臓の真上辺りに、ターゲットマーカーをつけられた。リーダーでもあるらしい。

 

「〈ヴァイパーストラッシュ〉!」

「〈ユニコーンジャンプ〉!」

 続いてきた曲がる突きは大跳躍で回避、同時に〈盗剣士〉と〈侠客〉2人をまとめて跳び越え、追われていた女の子の前に立つ。

 即座にあたしも侠客にヘイト集中スキルの〈ディスカード〉を投げつけ、ヘイトをこちらへ向けさせる。

 

 

「え? え?」

 事態の急変に、女の子は状況を飲み込めていない。傍に角のある大きな黒馬がいた。

 ほぼ確実に〈召喚術師(サモナー)〉。

 召喚獣ともどもHPは3割も残っていない。まともな攻撃を受けたらそのまま力尽きかねない。

 

「たぶん味方よ! とりあえず向こう逃げて!」

「逃すな! 魔法で片づけろ!」

「え、え、え、ええ?」

 しかし女の子が動かない。頭が真っ白になっているようだ。

 黒馬のほうが聞き分けがよく、襟元を噛んで持ち上げ、連れ去った。

 

 

「あんたらの相手はあたしだ!」

「構うな! ヘイト固定しておけばそれでいい!」

「ちょっと黙ってなさい〈トマホークブーメラン〉!」

 めまぐるしく手が動く。2挺斧が手を離れ相手の盗剣士へ高速で飛んでいく。その軌道は道士をも巻き込む。

 

「〈侠客虎眼〉!」

「〈オーブオブラーヴァ〉!」

 今度は侠客に視線を固定される。更なるヘイト固定技。加えて道士はトマホークブーメランを避けながらあたしではなく女の子の方へ向かって魔法も放っている。武器はまだ戻ってくる途中。

 

 

 バックステップで女の子の前に立ちはだかる。

 HPを犠牲に火球を受けた。エルフは種族ボーナスで魔法攻撃に対する耐性が高い。

 

「熱いじゃないの!」

「おいあんま魔法効かねーぞこいつ!」

「す、すいません!」

「新手の女は武器攻撃で沈める! 元から追ってた方は魔法で撃ち抜け!」

 

 

 判断に迷いがない。どうあっても道士は狙わせないつもりのようだ。

 そして目の前2人を相手取って追撃も防ぐ、というのはほぼ不可能。

 本来のメイン斧を街に置いてきてしまったのが痛い。

 後衛職ならば大技の組み合わせで落とせても、前衛職2人を相手取るには威力が心もとない。

 

 HPもMPも十分残っている。索峰たちが来るまで生き延びる、というのであればまだ色々思いつく。

 しかし、こと護衛となると、単独で取れる策が残り少ない。

 最初に奇襲で撃破したプレイヤーには反応回復が付与されていた。鎧ではなくローブだったので、おそらく私が撃破したのは回復優先型の〈施療神官〉だ。

 回復役が不在になり新手の気配もないので、デバフを付与すれば簡単には解除できないだろう。

 

 

「とにかく逃げて! 援軍来るから!」

 逃げる女の子にパーティ勧誘を飛ばしながら、ひとつ賭けを打った。

 パーティに入ってくれれば、援軍の事実は女の子にはわかる。

 一方で、相手取っている〈侠客〉らには、退く選択も発生させられる。

 

 

「あの〈召喚術師〉だけでも狩るぞ!」

 よろしくない目を引いた。これで相手が短期決戦に舵を切る。

 時間を稼ぎたいこちらには困る。更に選択肢が狭まった。

 

「クイックーー」

「〈レイザーエッジ〉」

 判断が遅れた。女の子を追いかけようと移動特技を使用する前に、喉元に小剣が伸びてきて衝撃を受けた。

 スキル詠唱阻害のデバフ。防御力ダウンも付与された。PK狙いにおいて、これが決まったら次は、

「〈ワールウィンド〉!」

 剣を振り回す強攻撃。一刀流〈盗剣士〉の黄金パターンのひとつ。

 

「〈炎陣輪刀〉!」

 合わせるように炎を宿らせた長剣による連続薙ぎ払い。多少斧でいなしたが一気に4割ほどHPを持っていかれる。

 ここで詠唱阻害が切れる。〈レイザーエッジ〉はこれ単体でのハメ防止のために詠唱阻害効果の時間は再使用規制時間(リキャストタイム)よりかなり短い。

 

 

「〈クイックステップ〉!」

 今度こそ移動系特技で距離を離す。ヘイトを固定されようとも逃げるだけなら可能だ。

 もっともその距離は〈盗剣士〉同士では無いも同然な、ほんの短い距離ではある。

 その距離が大事なのだ。

 

「〈フラッシングドロウ〉!」

 手元の斧を瞬時に飛刀に持ち変える。

 閃光と共に〈製作級〉の使い捨て飛刀が3本〈侠客〉に突き立つ。付与効果は移動速度低下。これで〈侠客〉からは逃げられる。

 しかし〈侠客〉に残っていた反応回復が起動し、僅かばかり与えたダメージは移動速度低下を残して全快に戻る。

 

 

 その隙に〈盗剣士〉は再び肉薄してくる。

「解除はさせねえからな〈オープニングギャンビット〉!」

 突きのモーションから無数に放たれる光るカード。同時に大量のターゲットマーカーが体に貼りつく。

 一撃の重い〈侠客〉から大きな攻撃を受ければHPは保たない。〈盗剣士〉にマーカーを起爆されても厳しい。

 

「全部は貰わないわよ〈フラッシングドロウ〉!」

 ランク奥伝。加えて装備による補正で再使用規制時間は3秒まで短縮されている。

 出は早いがモーションが長い〈オープニングギャンビット〉、その間は動けない。

 

 取り出したのは〈秘宝級〉の〈破壁玄珠環(げんしゅかん)・撥〉。投げるあたしのとっておき。

 腕輪の紐を爪で千切り、卓球玉と同じぐらいの黒い玉を、最大の使用個数10個をまとめて投げつける。

 とっておきではあるが、与えられるダメージはほとんどない。

 大元の効果は使用回数の自動回復と、命中した相手の攻撃反応回復や攻撃反応障壁を消却し、防御力ダウンを与える、コンボの途中で組み込むことを主とした効果。

 

 

「うぉおぉお!?」

 至近距離で7つほどを体に受けた〈盗剣士〉が、ガラスが割れるようなエフェクトと共に弾かれたように後退していく。

 〈侠客〉の方へ飛んだ玄珠は長剣で弾き落とされたが、これもまたズルズルと押し込む。

 

 

 索峰のサブ職業を経て特殊効果が追加付与され、「(ハツ)」が銘に付記されたこの投擲武器の第3の効果、()ね飛ばし。いわゆる強制移動効果。

 当てた方向とは逆方向へ、ゲーム時代は1個あたり5歩分、こちらの世界では1個当てるごとに約3メートルほど移動させる。

 本来は棍棒やハンマーといった重量級の打撃武器系に吹き飛ばしという形で付与されていることが多い効果。

 強制的に相手と距離を離せると同時に、使いようによっては罠に放り込むこともできる。

 距離が離れることで、若干のヘイト減少も起きる。

 

 

「〈マルチプルデッツ〉!」

 まだ動かされている〈盗剣士〉に習熟度奥伝の投擲攻撃による追撃。

 相手に付与されているデバフの効果時間を延長する、投擲武器をメインとする投擲職人にとってはメインとすらもいえるスキルで、卑怯者の誹りを受けるそれ。

 投げつけるのは使い捨て行動速度低下付き飛刀。命中すると命中した武器の効果すらも延長する。

 こちらに向かってくる〈侠客〉にも投げつけ、更に移動速度低下を延長。

 

 

「いい加減にしやがれこの女! 〈砂塵斬尖〉!」

「おおっと」

 〈侠客〉の中距離攻撃が飛んで来たが、やみくもな攻撃に回避低下も無しに当たるあたしではない。

 

 〈シャープブレイド〉を解除し、〈ジャグラー・スタイル〉に切り替える。両腕が薄っすらと赤く発光し始める。

 投擲武器の弾速と命中率の向上と威力にボーナス、投擲系特技の再使用規制時間の短縮を得るが、発動中は一切の白兵武器及び直接攻撃系特技が使用不可能になる。投擲職人専用の起動選択型特技。

 

 こうなれば、引き撃ち万歳。あたしのペース。

 〈マルチプルデッツ〉も連射できるようになり、もう〈盗剣士〉も〈侠客〉も近づけさせない。

 

 

 不意に足元が冷えた。身を捻った。

「〈凍結氷槍〉!」

「くぅあ!」

 足元から大きな氷塊が突き出す。〈道士〉の存在を完全に忘れていた。

 体を捻って背面で受けたので、体の前面に張り付いた追加ダメージのターゲットマーカーの一斉起爆は避けたが、それでもいくつかが起爆し、また一気にHPを削られる。

 もうHPは全体の2割を切った。更に移動速度低下のデバフをあたしも受けた。

 

 いつの間にか追われていた女の子がパーティに加入している。

 そしてまだ生きている。逃げ足は相当なものだ。

 

 〈道士〉へ目を向けるが投擲射程外。

 詠唱時間は必要になるが範囲魔法攻撃が来たら逃げ切れないしHPは尽きるだろう。

 魔法陣を展開させる〈道士〉を睨みつけながら、避けられるかもしれないと淡い望みを抱いて移動する。

 

 万事窮した。

 

 1人でよく耐えた、と言えるだろう。

 あとで索峰(さくほう)に、来るのが遅いと蹴りを入れなければ。

 なんてことを思っていると、角のついた黒馬のようなものが詠唱中の〈道士〉を突き飛ばし踏み潰していった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 移動中に繰り返し音波探査を行なった索峰(さくほう)さんは、逃げているのは〈召喚術師(サモナー)〉か〈森呪遣い(ドルイド)〉だと予想を立てていた。

 〈ディゾナンスソナー〉を何度も使用しているうちに、プレイヤーとそうでないものがなんとなく聞き分けられることに気づいたそう。

 プレイヤーではないものが加勢して戦っている様子から、召喚生物であろうと判断していた。

 

 そして翠姐さんが1人倒したということも、索峰さんは伝えてきた。

翠姐(すいねえ)さん、さすがですね」

「戦闘前ならバフ盛れるから、たぶんバフ重ねて強襲だと思う。防御薄い職業なら1人ぐらい倒せるかもしれない」

 

 問題はその後だ、と索峰さんが続ける。

 森の中の迷路のような獣道を、郭貂麟(かくてんりん)と索峰は走っている。

 ばしばしと枝や葉が当たるのが非常に鬱陶しい。

 

 

「あ、今パーティに1人入りました。名前は……王燁。〈召喚術師〉ですね」

「レベルも90、逃走できてるのも納得いくかな。召喚生物でターゲット分散するし、足止めにはもってこいだ。だけどなあ……」

「どうかしたんですか?」

「追っ手側は4人組が濃厚で、〈召喚術師〉だとしても1人を狙うには数は十分すぎる。

 そもそも逃さないってことも可能なはず。なのに逃げられて、翠姐が間に合っちゃってる。襲い方が下手だなと」

 

 もう陽は沈み、森はかなり暗くなっている。光虫を召喚する〈バグズライト〉による照明の用意は索峰さんに却下された。

 明かりもないので、かなり足元への注意を振り向けながら、仄かに輝いて先導する巨大な狐尾を追いかけている。

 

 

「たぶんもうそろそろ合流。気を引き締めて」

「はい。まず単純ヒールを残りHP低い方にかけて、続けて全体に最強の脈動回復、重複する脈動回復、その後にデバフ解除、ですよね」

「オッケー、HP高い方はこっちで受け持って庇う。手筈通りに」

 目の前が開ける。木立の間にちょっとした広場のようなものがあった。

 

「右、いるね」

「HPは、翠姐さんの方が低いです」

「了解、〈ファイナルストライク〉!」

 索峰さんが一拍立ち止まるとここ数日振り回していたチューバを肩に担ぎ、左足を抱え込むように持ち上げ上体を捻ると、大きく踏み込んで、投げた。

 

「ちょ!?」

 何度か見たことはある吟遊詩人(バード)の数少ない物理遠距離強攻撃。

 威力の代償として装備している武器の耐久度がゼロに落ちゴミ同然となる。

 流星の如く煌めく軌道を残して飛んでいくチューバは翠姐さんを飛び越え長剣を持った戦士に向かっていったが、当たらず手前の地面に落ちて、派手に火花を撒き散らし爆発した。

 

 

「翠姐! こっち!」

 援軍が到着と敵味方に知らせるには、これ以上ないほどの効果があったようだ。

 

「術師の子! 今の味方だから! そっちへ!」

「は、はぃい!」

 翠姐さんは後ろを顧みず一目散に逃げ始め、手招きで召喚術師の子も呼んでいる。

 索峰さんは既に武器を魔法弓に変更し、矢を射かけ始めている。

 

 私は翠姐さんに〈ヒール〉を投じ、〈ガイアビートヒーリング〉の詠唱を始める。

「おーい、兄さんたち、一応数は逆転したけどー? 逃げるなら追わないけど、どうするー?」

 

 郭貂麟は呪文を詠唱しながら、目を集中させ相手のHPを探す。

侠客(きょうかく)〉と〈盗剣士(スワッシュバックラー)〉は残りHP9割ほど、〈道士(タオマンサー)〉は5割といったところか。

 こちらは無傷の私と索峰さん、回復を受けてHP4割の翠姐さん、HP2割5分ほどの〈召喚術師〉の子、それに寄り添う角のある大きな黒馬がHP2割ちょっと。

 

 数の上でも職業編成の上でも、私たちが明確に有利となった。

 私さえ生き延びていれば、こちらはいくらでも持久戦可能。

 回復職のいない向こうは、なりふり構わず攻撃すれば誰か落とせるかもしれないがHPが擦り切れる。

 

 召喚獣を含めこちら全員に〈ガイアビートヒーリング〉の脈動回復を付与完了。

 続けて〈ハートビートヒーリング〉でさらなる脈動回復の追加にかかる。

 

「別にあたしは戦ってもいいわよー? 〈のろまなカタツムリのバラッド〉と〈シュリーカーエコー〉とデッツで徹底的にハメ倒すけどねー!」

 

 

 鈍足効果付与の索峰さんの呪歌〈のろまなカタツムリのバラッド〉、その状態異常を延長する〈マルチプルデッツ〉は悪名高い組み合わせである。

 回復役のいない近接攻撃職には無類の相性を誇り、よほど尖ったビルドでもない限り一方的になる。

 そこに〈森呪遣い〉の呪文詠唱阻害〈シュリーカーエコー〉が重なれば、動いても追いつけないスキルは使えないで、一度パターンに入れば近接攻撃職が何人いようと棒立ち同然。

 

 詰みの手筋が相手にも容易に読める、そんな宣告だった。

 

 

「引くぞ!」

「仕方ない、遊び過ぎたな」

 

 リーダー格と見える相手の〈盗剣士〉決断は早かった。

 殿としてこちらを牽制する構えも見せながら、倒された味方のアイテムを手早く拾って去っていった。

 索峰さんが疑いからか音波探査を行なったが、あまり警戒している様子はなかった。念のためだったのだろう。




用語解説


〈侠客〉(きょうかく)
中国サーバー固有のメイン職業。
原作では存在は確実だが設定までは詰まっていない。
高威力+回転率や手数は悪め、という原作における同ポジションの〈武士〉を参考にした。

〈道士〉(タオマンサー)
同じく中国固有のメイン職業。
これも原作で存在するが設定は煮詰まってない。
これも原作における〈妖術師〉(ソーサラー)を参考に。

〈召喚術師〉(サモナー)
これもメイン職業。
契約した使い魔(とにかくいろいろ)を使役し戦闘を行う。
あとは本編内で説明。


脈動回復
1秒ごとに甲を参照してHPを乙回復させる、効果時間丙秒
といった感じで長い時間で少しづつHPを回復させる効果のことを指す。
〈森呪遣い〉を〈森呪遣い〉たらしめる特性。
時間はかかるが総回復量が多いのが主な特徴。


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少女と獣の長

 星明かりと各々にかけられた脈動回復の光しかない闇の中だが、ひとまず安全と思われる状態になった。

 

索峰(さくほう)、この後どうすればいい?」

「やっぱり考えなしに飛び出したか」

 大きなため息が索峰さんから漏れた。

 

「HPが回復し次第、燕都(イェンドン)までできるだけ急いで撤退、それ以外にない。あの手合いがそうそういるとも思えないが」

「まー、そうよね」

「なら聞くな」

 

「あ、あのっ!」

 まるでいないことのように扱われた〈召喚術師(サモナー)〉の少女が、2人の会話に首を差し込んだ。

「ありがとうです、助かりました、特に斧の人。王燁(おうよう)です」

 

 

 身長は上げ底なしの私とほぼ同じぐらい、140cmぐらいだろうか。種族はヒューマンでかなり幼く見える。

 15歳で『エルダー・テイル』をやっている郭貂麟も年齢層分布から見てかなり若い方だが、更に下かもしれない。

 その割にレベルは90で、その防具も性能を意図的に落としている〈翠壁不倒(すいへきふとう)〉の3人よりも明らかに豪華に見える。

 

 なにより、従えている馬の迫力が異様なものだった。

 黒だと思っていたが体毛には青が混じり、濃いめの紺色だ。

 目つきは穏やかだが硬く鋭そうな二本角が背中側に突き出し、がっしりとした肉付きと太く長い足と高い体高の堂々たる体躯。

 たてがみも長く、人間であれば肩と腰と膝の辺りからも雷雲を思わせる黒く輝く毛がたゆたい、毛のない胴体や首は黒い鱗に覆われ、私からはかなり強そうに見える。

 

 

「いいのよ、弱いものイジメは見逃せないもの。そうそう、あたしは崔花翠(さいかすい)、尻尾の大きな狐が索峰、で、こっちの〈森呪遣い(ドルイド)〉が郭貂麟(かくてんりん)ちゃん」

「どうも」

「よろしくです、王燁さん」

 心ここに在らずといった様子の索峰さんがまたなにかを考えている。目線は黒馬に向けられていた。

 

「とりあえず、歩きながら話しましょ。周りの警戒は索峰に任せとけばいいから」

「了解。(てん)ちゃん〈バグズライト〉つけといて」

「わかりました」

 

 私は杖から蛍光虫を呼び出し、明かりとする。

 索峰、郭貂鱗、王燁と召喚獣、崔花翠の順で縦列になり早足で移動し始めた。

 陽は完全に沈み明かりのない森は不気味なほど暗い。

 巨大な召喚獣は、王燁にぴったりと張り付くようにして歩いている。

 

 

「それで、なんで襲われてたのかしら? そもそも、なぜ街の外へ? 仲間はいるの?」

 この場所にいたことは、おそらく燕都(イェンドン・北京)で始動した子だろうという予測は立つ。

 それでも混沌としたあの状況下、街中にいた方が間違いなく安全ではあっただろう。翠姐さんの疑問も最もだった。

 

「仲間は今はいません。家族と『エルダー・テイル』やっていました。父様がアメリカで仕事していて、『エルダー・テイル』を通じて遊んでもらっていました。父様のIN待ち中に、こうなって」

「そういう遊び方あるのね」

「世界タイトルですから、親子のコミュニケーションとして使えなくもないんですかね」

 

 前を向いて歩いていた索峰さんが振り向いた。

「不躾だけど、王燁ちゃん何歳? 相当幼く見えるんだけど」

「えっと、8歳です」

「おぉ、若い」

 

 

 『エルダー・テイル』は基本的に定額課金制である。

 地域の運営によって主たる集金形態は違うが、中国では新規アカウントで100時間無料で遊べて、それ以後は月単位でプレイ料金を要求されるか、制限時間のチケットを買うか。

 生活に合わせいくつかコースはあるが、おおむね月額故に年齢層が高くなりがち。

 郭貂麟自身が最低年齢層とすら言え、年齢一桁はそうそう見かけることはない。もとよりネットに年齢の判別の難しさはあるのだが。

 

 

「王燁ちゃん強いよね、たぶん。その召喚生物もかなり強そうだけど」

角端(かくたん)玲玲(れいれい)って言いますです。この前、父様がプレゼントしてくれました」

「プレゼントってことは、王燁ちゃんのお父さん凄い強運だな。いくら突っ込んだかは知らないけど」

 肩を竦め、呆れとも感嘆とも取れるような仕草を索峰さんがした。

 

「そうなんですか?」

「追加でリアルマネー払ってやる抽選籤で出る中での、総排出数上限のある部類だよ。狙って出るもんじゃない。レアリティで言えば幻想級。大型アプデ前最後の小アプデでやってた籤」

 郭貂麟はなんとなく合点がいった。強そうに見えた、ではなく、強いのだ。

 同時に、少し羨ましくもあった。

 

 

「ということは、装備もかしら?」

「はい、父様が揃えてくれました」

 王燁の装備は、赤魔導師といった感じのローブ一式。

 こちらを向いていた索峰さんが進行方向に顔を戻した。また考え事を始めた様子に見える。

 

「いいお父さんじゃない」

 

 翠姐さんはそう言うが、8歳に本格的なMMORPGを勧める親も、それは教育としてどうかと郭貂麟は思う。

 確かに国境を越えて遊べるゲームではあるのだが。

 

「『エルダー・テイル』はどれぐらい遊んでたの?」

「4ヶ月……ぐらい? 休みの日に母様の許可を貰うか、父様と一緒に遊ぶときだけでした」

 目の前で上を向いていた索峰さんの尻尾の先端が、力なくへなっと折れた。そして顔を再びこちらに向けた。

 

「もしかして、最初からLv90だったりした?」

「キャラは自分で作ったよ? Lvは私がいない間に父様に上げてもらいました」

「だとしたら、王燁ちゃんのお父さんかなり頑張ったみたいだね。たぶん元から相当このゲームやり込んでたと思う」

 

 よっぽど娘と遊びたかったのか、と索峰さんが付け足したのを私は聞き逃さなかった。

 なぜ父親のゲーム歴がわかったのか、索峰さんに小声で問い返した。

 かなりゲーム内資産使いそうな装備でバランス良く固めてる、とこれも小声で返ってきた。

 

 

「話を戻すわね。王燁ちゃんは、なぜ1人で街の外に?」

「えっと、玲玲が、角端を街で召喚して、乗ってみたんです。そうしたら、言うこと聞いてくれなくて、降りれなくて、消せなくて、そのまま街の外に……」

 

 装備も整っていて、レアキャラも召喚していて、見た目は幼く、単独。

 PK行為の知識に疎い私でも狙いやすそうで実入りもありそうな標的に思える。

 索峰さんは襲撃を下手と断じていたが、襲撃する側も少女を襲うことに気後れがあったか、覚悟が決まり切らなかったのかもしれない。

 

「索峰さん、召喚生物が言うことをきかないってことはあるんですか?」

「いーや、契約した後、熟練度、絆って言えばいいのかな、それが深まることによって、出せる命令コマンドが増えることはあっても、根本的に言うことをきかないってことは、ゲーム時代はなかったはず」

「でも、さっき一緒に戦ってなかったかしら」

「命令は聞いてくれなくても、玲玲は、私を守ってくれました」

「召喚を解除できない、契約者の命令には従わない、でも契約者は守ろうとする。なにそれ、どうなってるのよ索峰」

「わからん。全くわからん。ゲームじゃないからあり得るとしか考える他ない。それにさ、直接介入した翠姐、その子と角端に回復かけた貂ちゃんはちょっと警戒緩められてるみたいだけど、さっきから前歩いてて、変なことしたら突くぞ蹴るぞって視線を角端からビシバシ感じる。自分には全く信用がないらしい」

「玲玲駄目だって〜」

 王燁ちゃんの取りなしにも、角端は「ふーんだ」とでも言いたげに鼻を鳴らしただけだった。

 

 

「ねえ王燁ちゃん、今までどうしてたの?」

「どう……とは?」

「寝るところとか、食べ物とか」

「えっと、ギルドホールの私の部屋にいて、アイテムボックスにあった食べ物食べて寝てました。美味しくはなかった……」

「味のことはね……街には出なかったの?」

「えっと、最初にちょっとだけ街には出ました。すぐに怖くなっちゃって、えっと、知ってる人誰もいなくて、えっと、部屋にいたら、玲玲のこと思い出して、召喚したら言うこと聞いてくれなくて」

 

 かなりしどろもどろな答えで、それだけのことを聞き出すのに4〜5分はかけただろうか。

 時系列的には、単独で飛ばされ、見知らぬ世界で怖くなってギルドの自室に閉じこもり、召喚獣を思い出して街中で召喚したら街の外に連れ出され、そこで襲われ、私たちが助けたということになるようだ。

 

 

「索峰」

「決定権放棄。好きにして」

 星空を見上げしばらく迷っていた翠姐さんが、おもむろに索峰さんを呼んだ。

 それを即答で投げ返され、翠姐さんが唸る。

 

「王燁ちゃん、行くあてないならしばらく私達と一緒にいない? ここにいる3人しかいないけど、お金とご飯と寝るところは索峰がなんとかするから」

 振り向くことも、不満を述べることも、肩を竦めることも、尻尾から力を抜くことも、索峰さんは一切反応をしなかった。

 どの辺りからはわからないが、この展開は予想していたのではないだろうか。

 

「それにほら、仲間いないんでしょ? だったら、仲間になってあげる。それにほら、ウチは女の方が多いし。『エルダー・テイル』って男のプレイヤーの方が断然多いんだから、珍しいのよ?」

 男1人女2人ぐらいの組み合わせなら割といるよ、という呟きが索峰さんの方から聞こえて来た。

 

「別にギルドに入れって言ってるわけじゃないの。ただ、なにかと大変だと思うから。聞いてたところだと、あんまり『エルダー・テイル』の細かいことまでは知らないんじゃない?」

 総プレイ時間100時間未満の私が言えたことではないが、『エルダー・テイル』の細かいところへの知識は翠姐さんも怪しいところが多々あるように思える。

 

「利用しようって気はないよ。他意もない。ウチのギルマスは単細胞だから、助けたいだけだ。この世界なりの、自分たちと同等の生活は保証するよ」

 先導しながら顔だけこちらに傾けた索峰さんの言葉は、王燁ちゃんよりも訝しげに翠姐さんを眺めていた角端に向けられていたような気がする。

 

 

「えっと、お邪魔になりませんか?」

「お邪魔になんてならないわよ、気にしない気にしない。小っちゃい子は大人に迷惑かけていいのよ。ね、貂ちゃん」

「私はそこまで小さく……、いや小さいですね……」

 

 歳の話だとわかってはいる。

 でも、この郭貂麟の体は王燁のそれと大差のない大きさなのだ。

 そして早々に迷惑をかけた、というのも否定しようのない事実として残っている。

 

「すぐにギルドに入って、とは言わないわ。会ったばかりだもの。他に信用できる人ができたら、そっちに移ればいいの。あなたが持っているアイテムやお金にも一切手をつけない。事態が安定するまで、仮の居場所にすればいいのよ。安定したら、その時に決めればいいの」

「あの、王燁お金ないですよ」

「お金は心配しなくていいわ。索峰がお金持ちだから。1人増えても誤差よ」

 首を伸ばして王燁ちゃんが索峰さんの様子を伺ったので、私は索峰さんの尻尾を一本軽く引っ張り、返答を促した。

 

「ん? ああ、余裕でしょ。ゲーム時代の基準なら10人でも相当長く暮らせる金額あるから。気にしなくていい」

「ね? お金の方は索峰に任せておけばいいの。日用品や必需品に必要なお金は出してくれるわ。くれなくてもあたしがお金索峰から奪うから」

 

 

 崔花翠さんと索峰さんとを王燁ちゃんの視線が行ったり来たりして、困ったように私を向いたので、笑顔を作って言った。

「私の足装備、すごく厚底でしょ? 現実と身長が違いすぎて、とっても歩きにくかったの。

 これは、こっちの世界に来てから索峰さんに買ってもらったもの。現実世界では、私達3人、面識はなかったけど、ちゃんと生活できてる。私も、王燁ちゃんを歓迎する」

 

 目線が私からも離れ、王燁ちゃんは角端を見上げた。

 角端は小さく頷いた。その目は優しいものに、私には見えた。

 

「えっと、王燁です、お世話になります、これからよろしくお願いします」

 王燁ちゃんは、翠姐さんと索峰さん、それから私に、それぞれ一度、頭を下げた。

 

「うん、ようこそ王燁ちゃん」

「それじゃ、街に戻ったら歓迎会しましょ、ね、索峰いいでしょ!?」

「騒ぎたいだけだよね、それ。味のある豪華な食事ってできないし」

 

 燕都はもう近く、進行方向に城壁と監視塔の明かりが見えていた。

 反撃も別のPKパーティも来ることなく、無事に街に帰り着けそうだった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 角端(かくたん)玲玲(れいれい)はちっとも言うことを聞いてくれない。

 王燁(おうよう)の持つスキル群には、他の召喚生物を介するものはなく、ほぼ玲玲を経由するものしか登録されていない。

 本来であれば、他の召喚獣生物を登録し、行使する余地がある。

 

 いや、あった。

 追加課金籤で父が引き当てたこの「角端」という獣は、神獣麒麟の一種。

 ゲームの生物カテゴリは、空想上の生物を指す幻獣。

 伝説の生物である角端の強さの代償として、角端の召喚中は他のあらゆる召喚生物を呼び出せない。

 角端の玲玲が召喚されたまま召喚を解除できないので、仮に王燁が新しい召喚生物と契約しても使用禁止も同然の状態となっている。

 

 

 そもそも、これは父が強く勧めた育成方針も原因だった。

 父は角端をメインに据えることを強く推奨しており、父知り合いのプレイヤーからも羨望の声を聞き、王燁自身も相当良いものらしいと理解はしていた。

 ゲームの角端の存在を知っていた索峰(さくほう)さんが言うところでは、基礎ステータスも最高ステータスも高く、かつ高い拡張性、言い換えるならカスタマイズ性をも高い次元で持ち合わせた、大当たりに相応しい性能だという。

 

 それもごく最近のアップデートの大当たり枠。

 持っているだけで一目置かれる、年単位月単位で排出数上限が設定される〈幻想級〉位置づけ。

 最前線バリバリの人でも無鍛錬で使えなくもない程度の能力、つまり王燁のような初心者に毛の生えたぐらいの帯域ではチート級。

 中級者でもまだバランスブレイカー級スペック、鍛えれば最前線でも広範囲で最適解になり得る可能性すらある。

 

 ある程度以上やりこんだプレイヤーの現金を狙う部分の上澄みだけを浚ったのだから、そりゃあ生半可じゃない、とは崔花翠(さいかすい)さん。

 一方で、基礎も上限も高い代わり、育成には時間と多額のゲーム内資産が必要になる。

 もちろん全く育成していない状態でも相当に強いが、そこは最上位をターゲットにした追加課金サービス品。育成基準もそれ相応、貴重であったり高価であったりするアイテムを要求される。

 

 『エルダー・テイル』は長い歴史のあるゲームであり、召喚生物は決まった個体を使い続ける傾向にあるため、追加課金タイプの古いキャラクターでもアップデートで育成上限が伸びて環境についていける余地を与えられ、上限が伸びた際にピックアップが行われることも多いそうだ。

 角端もその例に漏れず、初登場の時期は拾ってくれた〈翠壁不倒(すいへきふとう)〉の誰も知らないほど昔に初実装されたキャラクターだという。

 

 

「日本でも、中国サーバーコラボイベントの時に角端のグラフィック見た記憶があるよ」

 玲玲が1番警戒している狐尾族の索峰さんは日本人だそう。

 まさに狐が人になったといった様相で、体よりも大きな明るい茶色の狐尾は、猫じゃらしのような、触ってみたいという衝動を起こさせる人を惑わす尻尾。

 綿と絹の合いの子のようなとても良い感触だった。

 

 逆に玲玲が1番警戒を緩めているように感じるのが、ギルドマスターの崔花翠さん。

 エルフらしいと言えばらしい姿だが武器は2挺斧で、およそエルフのイメージにそぐわない組み合わせ。どこか歴戦の精悍さを感じる。

 

「〈森呪遣い(ドルイド)〉としても、召喚生物を扱う時に言うこときいてくれないと困るんですが、どうなんでしょうね。試しで出した私が召喚した子たちは命令に従順でしたけれど」

 歳が比較的近い郭貂麟(かくてんりん)さんは、ブーツを脱いで背を比べるとほんの数センチ高いだけで、ほとんど同じ背丈だった。

 ハーフアルヴということもあり、ヒューマンの王燁と種族的な差異はあまり感じなかった。

 レベルも装備も4人の中で最も弱く王燁は密かに優越感を得ていた。

 

 

「それにしても面白い生物ね、角端って。街に入ったら小さくなっちゃって。どういう仕組みなのかしら」

「でも、王燁が召喚した時は元の大きさ、街の外の大きさでした」

「自発的に縮んだってこと? 謎生物極まるわね」

「スライムとか、精霊とか、大きさが変化する召喚生物もいたけど、覚えてる限りでは、実体がないか、不定形の生物だったな。しっかり実体がありそうなのに大きさも変化するとは。いや実体あるよな? 自分には触らせてくれないし」

 

 燕都(イェンドン/北京)に戻ってくるや、玲玲は突如として馬から大型犬程度まで体を縮めた。王燁にとっても驚きだった。

 子馬となった角端は巨体ゆえの威圧感を減じて、少しとっつきやすくなった気がする。眼光はいまだ鋭い。

 

 崔花翠さんと郭貂麟さんには少し嫌そうだったがたてがみを撫でることを許した玲玲は、索峰さんが触れようとしたら容赦なく蹴りを入れた。

 小さくなってもパワーは変わらず、軽く数メートル吹っ飛ばされていた。

 主人たる王燁には触っても嫌がる素ぶりは見せていない。でもどこか緊張はしているようだった。

 

 とはいえ、小さくなったことで〈翠壁不倒〉の3人が拠点にしていた宿屋の食堂にも入れたので、不思議ではあっても不便ないことではあった。

 

 

「なに食べるんでしょう、神獣って」

「ゲームでは草食で、葉物野菜や果物なら、特に好き嫌いなく食べてました」

「マンゴー食べるかしら?」

 そう言うと、崔花翠さんは魔法の鞄から身の大きなマンゴーを取り出して、玲玲に差し出した。

 しかし、マンゴーに一瞥こそくれたものの、玲玲は食べようとはしなかった。

 

「森の若草食べてましたよ、お昼は」

「まだ他人の手から食べるまでは許してないのかしらね」

「相当警戒心が高いみたいだな。仕方ないと言えば仕方ないか」

「王燁ちゃんの手からは食べるの?」

 そう言われてみれば、こちらの世界に来てからまだ玲玲に直接食べ物を与えてはいなかった。

 魔法の鞄の中にあったキャベツを出し、葉を何枚か剥いで、玲玲の口元に持っていってみた。

 

 もっしゃ。もしゃ。

 躊躇いなく、玲玲は王燁の手からキャベツを食べた。

 

「おぉ……」

「王燁、ちょっと感動しました」

「王燁ちゃん、そのキャベツ何枚かちょうだってえええ噛むなコラ!」

 索峰さんにキャベツを何枚か渡そうとしたものの、それを横取りするかのように、玲玲はキャベツの葉ごと索峰さんの手に食らいついた。

 

「索峰さん、本当に相性悪いみたいですね」

「ユニコーンの成分も混じってるのかなあ。それとも娘を守る父親のつもりか。それとも狐だからか」

「玲玲がごめんなさい……」

「気にしない、しばらく一緒に戦ってれば態度も軟化するでしょ、たぶん」

 噛まれた手をヒラヒラと振り、索峰さんは笑った。

 

「ま、それはそれとして、私たちも食べましょ」

「味するのはやっぱり果物しかないがな」

 

 料理に味がしないことには王燁も参った。

 それでもギルドの部屋に閉じこもっていた間は、お腹が空けば数少ない味のする果物と味のない料理アイテムで食い繋いでいた。

 それだけに今もあまり期待はしていない。

 

「イチイ、林檎、マンゴー、ライチ、洋梨、グミ、コケモモ、葡萄、西瓜、マンゴスチンかな、今のところあるのは」

 その予想を〈翠壁不倒〉の懐は超えてきた。

 次々取り出される果物で、テーブルに小山ができて甘い匂いが漂ってくる。

 玲玲も無視できず、品定めするような視線を送っている。

 

「ちょっとまって索峰、そんなに色々持ってなかったわよね、あんたいつの間に」

「サブ職の〈鑑定士〉を適当な木に発動したらアイテム名というか、木の名称見えたもんで。イチイとグミとコケモモは自生してたのを練習の合間に採っただけ。

 そんなに量はないし、グミはアクがちょっとキツいし、コケモモは超酸っぱいから。好みは選ぶが食べられないことはない。あとはマンゴー卸すついでに交換しておいた。これもそんなにないけども」

 

「案外食料ピンチだったりするかしら」

「4人で3日までは余裕、その後は、みんなの食べる量次第」

「ダメじゃないの、それ」

 話が変な方向にいっている気がする。

 

 

「果物って自生もしてたんですね」

「季節感が謎なんだよな。果物全般で採れる時期ズレてるはずなんだが」

「よく、知って、ました、ね?」

「半分都市半分山みたいなところで育ったからな。食える木の実はわりかし。山で遊ぶような環境は『エルダー・テイル』に嵌り込んだ原因でもあるが。

 『エルダー・テイル』にこれだけいろいろと野趣味のある果物があるとは思わなかったな」

 

「そんなの見つけたなら言いなさいよ索峰」

「練習に集中してたし。本当に食べられるか微妙だったし。それに、食べ物は街の外に求めないと、そろそろ街中の果物がなくなりそう」

「え、じゃあこれは惜しんで食べるべきじゃないんですか?」

「味さえ気にしなければ飢えることはないから。味のするものの確保に努力はするけれど」

「あたしは味なしはまっぴらゴメンだけどね」

「王燁も、できれば……」

 表現しにくいあの無味無臭の食物は、王燁がギルドの部屋から出ようとした後ろ向きな理由のひとつでもあった。とても耐えていられるものではない。

 

 

 玲玲が、いつまで話しているんだとばかりに、服の裾を食み、軽く引っ張った。やはり果物も食べたいようだ。

「索峰さん、とりあえず、食べません?」

 テーブルの下で行われた動きを知ってか知らずか、郭貂麟さんがありがたい切り出しで流れを戻した。

 

「そうね、さっさと食べ始めましょ」

「玲玲も果物食べたいみたいなんですが、食べさせていいですか?」

 崔花翠さんが木皿とナイフを部屋隅から取り寄せている間に、玲玲の希望を索峰さんに伝えた。

 

「どれだけ角端が食べるのか知らないし、今晩のところは常識的な範囲でなら、かなあ。

 あんまり角端の食べる量が多いなら、根本から食料事情考え直さないといけないから。あとイチイは食べさせない方がいいかも。種に毒あるし。少なくとも現実では」

 しばらく迷うような仕草の後の、玲玲を見ながらの返事だった。

 

「ゲーム的な食べられる量の上限はなかったと思います」

「さすがに無尽蔵の胃袋だと支えきれないな」

「ただ、ゲームでは食べさせなくても支障はありませんでした」

 そう言うと、索峰さんは唸った。

「それが今、消えようとしない現状でどれだけアテになるのか」

 

 

 玲玲が変な状態であることは王燁も理解している。

 言葉を介した意思疎通はできず、かといって完全に制御不能かといえばそうではない。

 大きな謎が生きて王燁の横に佇んでいる。

 

 玲玲は索峰さんを強く警戒しているが、索峰さんも、得体のしれない玲玲を警戒しているよう。

 反目とまではいかずとも互いに理解不足があることも納得するだけの情報がないことも事実。

 王燁も、助けてくれたとはいえ、3人の初対面のプレイヤーを完全には信用できていない。

 

 ギルドマスターが王燁を誘うと決めたから従っている、という空気は、ないわけではない。

 思うところがそれぞれにあるはず。

 

「とりあえずは、あるもので食べたいものを早い者勝ちで確保して食べる感じだから、負けないように頑張ろう。食器の準備終わったみたいだし」

 崔花翠さんが小玉の西瓜にナイフを入れ4等分にしている。郭貂麟さんは既にコケモモをつまみ食いして口をすぼめていた。

 

「索峰、王燁ちゃん、はやくしなさーい」

「はい、お邪魔します」

「よし、王燁ちゃん、〈翠壁不倒〉へようこそ。これより歓迎会を始めます!」

 

 この世界に来て初めて、王燁は人と一緒のテーブルを囲んだ。

 歓迎会というには、皮を剥いていない果物が積まれているだけという大雑把さはあるが、人心地ついた。

 寂しかったのだと王燁はいまになって気付く。小さな催しものだが、人の温度を感じるには十分なものだった。




ようやくタイトルの一部回収。




解説
ハーフアルヴとヒューマンの差。

共にエルダー・テイルで開始時に選べる種族。
ヒューマンは現実における人間モチーフ。
癖のない能力の伸びをして、際立った強みも弱みもない種族。
全プレイヤーの約半数はヒューマンを選択するんだとか。

ハーフアルヴは、絶えた古代種族アルヴの血が隔世遺伝や突然変異のようにして生まれる存在。
見た目はヒューマンと差がないレベル。舌にのみ紋様が出てハーフアルヴと判別可能。
狐尾族×狐尾族のようなブリードでも両親の種族的特徴を全く継承せずに産まれてくることもある様子。
魔法系回復系に強みを持つ。



Q,そもそもアルヴって?
A,本作品においては管轄外です。原作に設定こそあるが正直わからん。


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中国サーバーの姿

ここから書いていたときの3話。
キリいいところで割ったら4分割になりました。



 現実世界からゲーム内に飛ばされて8日目。

 ギルド〈翠壁不倒(すいへきふとう)〉の面々が王燁(おうよう)を連れて燕都(イェンドン/北京)に戻った夜。燕都に押し込まれたプレイヤー数はおおよそ10000〜12000人の間である、という怪情報がプレイヤーの口を賑わせていた。

 野鳥の会方式で地道に数えた奇特な人がいたらしい。7日そこそこでよくぞ集計したものだ。

 

 現実の北京、上海、台湾、広州に相当する4大拠点にそれぞれ飛ばされたプレイヤーの総数はまだわからない。

 仮に情報が実数と大きく離れていないとして、索峰(さくほう)にはどう考えても、燕都のキャパシティはそれを下回っているようにしか思えなかった。

 

 

 4大拠点に及ばずとも、サーバー負担の軽減や同期処理軽減のための分散地として大小の衛星都市は沿岸部を中心に実装されており、同時に国の広さからくる中継地点としてもデザインされ、そちらを主な拠点とするプレイヤーも多い。

 1番近いところでは、天津に相当する場所がそれである。日本におけるアキバとシブヤほどまで密接ではないが、燕都でできることの8割近くは天津でも実現できた。

 燕都はゲーム時代よりも街がかなり広くなっている印象はあるが、中国全土に散らばっていたプレイヤーを、一部とはいえ無理やりかき集めて燕都に押し込んだ異常事態。

 10000人近くの同時接続者を1都市で捌ききるようには、元来設計されていない。

 

 

 プレイヤーの数が目に見えて多いことに加えて、もうひとつ。

 一般NPCに相当する生活者、大地人も爆増していた。おそらく5倍では少ない。

 

 モンスターが出たから倒してくれ、これが必要だから集めてくれ、といったように、設定として人がいる前提で語られることはあってもゲームの常としてほぼ実体は伴わなかった一般大衆が実際に意思を持って生活している。

 最初の夜に果物を積んで燕都に来た隊商も、描写されていなかった部分の本来あるべき人の営み。裏まで気付くことなく、偶然利用した形。

 その大地人(一般NPC)まで考慮すると、ざっと通りを歩いての体感ではあるが、プレイヤー6か7に対して4か3程度の大地人の比率に見えるので燕都の総人口は20000を軽く超えているかもしれない。

 

 

 驚いたことに、ゲーム時代の索峰というキャラクターを記憶していた一般NPCがいた。

 索峰を憶えていたのは、ゲーム時代装備の耐久度を回復させるためのアイテムを時折買っていたNPC武具屋の店員で、特徴的な巨大な狐尾は彼にとっても印象に残るものだったようだ。

 実行できることの幅が大きく変わり索峰としてはまるで別物とも思っていたが、ゲーム時代から直接地続きであると判断できる材料だった。

 探せば生身の人間が操作していた索峰時代のことを覚えているNPCはもっといるのかもしれない。

 

 大地人(一般NPC)生活者たちは、燕都に冒険者(プレイヤー)が突然大量に集まっていることに対して、重大なこととは思っていない。

 索峰を憶えていた店員には「またなにか大きな催しでもあるのか?」と逆質問されたぐらいだった。

 彼らにとっては8日前の変化は、なんらかの理由があって冒険者が燕都に集まっただけという認識であるらしかった。

 

 現時点の材料では、巻き込まれているプレイヤーからしか観測されていない事象ということになる。

 索峰の知りうる現実地球世界の理屈と科学では説明がつきそうもなく、ならば、この剣と魔法と冒険の世界の理屈で考える方が、まだ正解に近いはずだ。

 元の世界に戻ろうと思うなら、8日前の事象を観測したこちら側世界の住人を将来的に見つける必要がある。

 どこをどうやって探せばいいのか皆目見当もつかないが。

 

 そんなことを長期目標として頭の隅にピン留めして一夜明け、4人と1頭で改めて燕都市街を歩き、必要そうと思える日用品と消耗品を買い集めた。

 王燁と角端の融和を図る一方、3日続けての戦闘訓練を過ごしたことの休憩も兼ねてもいる。崔花翠(さいかすい)がPKを行なった、ということに対する様子見もないわけではない。

 冒険者の体に疲れは残っていない。索峰に休みの気分はあまりなく、戦闘訓練で過ごした数日の間に起きた街の変化を探す心持ちでいた。

 

 

 崔花翠率いる一行は、はっきり言って目立った。大変不本意だが。

 男女比率ではやはり男の方が多い『エルダー・テイル』、女3人男1人というのは多少目を惹くようだった。

 先頭をやや暗色だが金髪エルフが進み、背丈の小さい上げ底靴娘がそれに続いて、小さくなったとはいえ角端も召喚されたままで、わかる人には目を剥くような存在。かつ角端の背に横に座る〈召喚術師(サモナー)〉は誰の目にも幼いと見える。

 ギルド〈翠壁不倒〉一行が姫の護衛でもしているかの如く。それを1番後ろから追う索峰自身は巨大な尻尾が7本ある。

 

 

 何度も街を歩いたが、自分と同程度以上の大きな尻尾を持つ者は見なかった。元々この巨大尻尾アバターは日本で購入したものなので、そのせいもあるのかもしれない。

 外すことも隠すこともできず、早くも諦めの境地に達しつつあるこの枯れススキ色の尻尾。操縦はだいぶ慣れてきた。骨が入っているわけではないが、足の指程度には自由に動かせるようになり、意識せずとも尻尾に重心を持っていかれることもなくなった。

 

 自分は気に入っていたが、ゲーム時代は尻尾が横に幅があり過ぎる故にキャラ背後からの視点だと極至近距離が見えなくなるという欠点が存在し、ガチ勢からの人気は低かった。

 追加課金必須ということもあり、先発後発の様々なアバターに埋もれ、日本でも普及していたとは言いがたい代物。

 こちらの世界に移動してからも、横幅があるのですれ違う相手を掠めたり首だけ後ろを向いたら尻尾がブラインドになって視界を塞いだり体ごと振り向けばバットスイングよろしく郭貂麟(かくてんりん)を尻尾で殴打してしまったりと、相変わらず邪魔ではある。

 

 しかし、猫に猫じゃらし、とでも評すべきなのか、崔花翠らを含めて転移してきたプレイヤーたちは男女問わずどうもこの尻尾を触りたくなるらしく、2日目の早朝に100万余の金貨を稼ぐ際の交渉の助けになりもした。

 

 本当になにが災いし幸いするかわからない。

 脂っ気を抜き、なるべくふわふわに保つこと。尻尾の手入れを怠ることはおそらく自分にとって今後不利に働くことなのだろうと予感がある。

 そして角端の身だしなみ用品が欲しいと王燁が立ち寄ったペット用品店で、見つけてしまった。尻尾の手入れに最適な品を。

 

 最初は王燁が角端に使って試していただけだが、手持ち無沙汰だった郭貂麟が索峰の狐尾にあててみたのが、発見であった。

 名を〈天使のブラシ〉。聞き覚えがあった。どんな毛並みも何度か撫でるだけで艶やかに整う、ペット用品。

「索峰の尻尾、ペット用品で綺麗になるのね」

 物凄く傷ついた。我ながらここまでショックを受けるものかと思うほど傷ついた。

 

 しかし悲しいかな、面倒だからとほとんど手入れを行わず煤け始めていた尻尾がみるみる柔らかさを取り戻し、あっという間に美しい山吹色の煌めきを放つようになると、必需品だと思い直す他なかった。

 ブラシを複数本購入しながら、索峰は必ず代替品を見つけることを心に決めた。

 更に心を挫くこととして、尻尾のみならず全身の体毛も簡単に綺麗になると気づいたのは、宿に戻ってからだったが。

 

 

 角端(かくたん)玲玲(れいれい)も、なにが気に障るのか露骨なほど嫌そうな態度を示し、ブラッシングを拒否する構えを見せた。

 それでも王燁にブラッシングされ黒い毛が艶やかにはなり、神々しさは増したのだが。

 

 その様子を見て索峰は思う。

 角端って相当知能が高いのではないかと。

 知能が高いので、同様にプライドもかなり高いのではないかと。

 長く観察したわけではないのだが、そう考えると腑に落ちるところもあるのだ。

 

 喋るボスモンスターは人型でなくても結構思い当たるし、それらが馬鹿だったかと言えばそうではなかった。

 いずれプレイヤーによって撃破される存在であっても、多彩なスキルやギミックをもって立ち塞がってきた。

 

 喋らないから知能が低いか、というのもまた否であろう。

 半年ほど前のイベントで〈漠賢狼(ばくけんろう)〉が群れを率いて内陸部を広範囲に荒らし回ったことがある。

 コミュニケーションを取ることは叶わず、狼の群れが時と場所を選ばず神出鬼没に現れては街や村を荒らし回り、その行動パターンを解析し迎撃及び討伐を可能にするために当時のプレイヤー達は骨を折った。

 

 中国大陸の平野部の広さや海岸線の長さからくる、数でゴリ押してくる防衛戦系のイベントも多く、陵墓からキョンシーらアンデッドがひたすら湧いて出るのを攻略するレイドでは、敵ボスも子分も喋りこそすれ、方向としてはバカゲーのノリが強い稼ぎイベントだった。

 

 

 翻って角端、格というものがあるのならそれこそかなりのもの。

 知能が高くてもなんら不思議なことはない。

 

 肩を並べて戦ったことはまだないが、召喚主の制御のない召喚生物はゲーム時代引き撃ちのいい的であった。

 職業間のゲームバランスを平等に保つ上で、召喚術師本人の性能が3分の2、召喚生物3分の1を合わせて他職種と同程度になるように、おおむねは設定されていたはず。

 

 角端は鍛えれば術師本人と大差ないまでに育つ性能。それでも前衛職か武器攻撃職であれば角端単独であれば1人でも倒せるはずの強さ設定になっていた。

 それが、王燁の命令を聞かず独立行動した挙句に王燁をPKから逃れさせるほどの戦闘を行なっていたのだから、相当に奮戦したはずだ。

 同レベル帯のプレイヤー4人を手こずらせるオート戦闘召喚生物など、聞いたこともない。いくらプレイヤー側の慣れがまだ一定に達していないとしても。

 

 

 それを踏まえても、王燁と角端の関係性に謎は残る。

 命令を受け付けない癖に、王燁を見捨てようとはしない。

 単に王燁を認めないのであれば、もっと露骨に見捨ててもいいはず。

 召喚を解除できなくすることができているなら、そもそも召喚に応じないこともできるのではないかと思う。

 

 背中に乗ることを許しているのも矛盾していそうな点で、気に入らないなら振り落とすことぐらいはできるだろう。しかし王燁を振り落そうとする気配はない。

 王燁に勧められて郭貂麟が角端に乗せて貰おうとしたら激しく暴れ、乗せようとはしなかった。

 あくまで背を許すのは王燁だけであるらしく。

 主人としては認めないが、守りはしようとする。歪な主従関係で、親子の関係のようでもあるような。

 

 

 また、角端の行動について、意味がわからないことはまだある。

 召喚直後に王燁が背に乗ったところ、いきなり燕都の外に連れ出されたこと。

 いきなり連れ出すほどなにかがあったのに、〈翠壁不倒〉の3人と合流してからは大人しく燕都に戻り、再び連れ出そうとはまだしていないこと。

 なにか目的があったと考えるのが自然だが、見当もつかない。

 

 なるべく予想を立てて動きたいと思う索峰にとって、なにを考えているのかわからない角端という不確定要素は、当分の間、悩みのタネになりそうだった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 燕都(イェンドン/北京)の雰囲気も悪くなって来たな〜、というのが崔花翠(さいかすい)から見た印象だった。

 直接害が降りかかって来ているわけでもないし、現状においてなんらかの特段の不便があるわけではないのだが、なんとなーく、トゲのある空気というのはあるものだ。

 それは索峰(さくほう)がまた険しい顔を浮かべ始めていることもあるし、王燁(おうよう)ちゃんが人通りの少ない場所を進む時にどこか怯えて角端のたてがみを握りしめていることからも、漠然とした緊張があることを物語っている気がする。

 

 思えば、比較的平穏であろうという索峰の予想期間はもう過ぎている。

 予想を鵜呑みにするなら、もう大きな荒事が起きてもおかしくないことになる。

 

 

 こういうことに関して、あたしは(にぶ)い。いや(にぶ)いとすら生ぬるいと自覚している。

 だいたい、〈翠壁不倒(すいへきふとう)〉というギルドを自ら結成したのも50人規模のギルド〈羽公〉の空気をあたし自身が乱していたと気づかず、崩壊解散させてしまったことが原因なのだから。

 

 索峰は崩壊した前ギルド〈羽公〉の頃からの付き合いで、拙い北京語で諫言(かんげん)もくれていたのだがまるで真意を理解せず、崩壊直前になるまで原因が自分にあるとは思っていなかった。

 ところが困ったことに、自他共に認めざるを得ないほどに崔花翠というプレイヤーは強かったのだ。内輪にとどまらず〈羽公〉の外ですら勇名が轟くほどに。

 

 ある幸運で入手した〈幻想級〉の武器の強さと、それを起点とした独特で派手な戦闘スタイルもあったが、なによりも武器性能を活かしきる集中力とプレイヤー技量の面で優れていて、スタンドプレーに陥ってもそれなりに通用してしまえて、かつ有名になったことで調子に乗ってしまった。

 そしてあたしは、崩壊した前ギルド内で頓死(とんし)7に対して大活躍3の、そんなピーキーな存在になった。大活躍できた理由もよく理解せずに。

 

 

 大規模戦闘における協調性のない地雷、もしくは敵陣をいいように翻弄する優れたアタッカー。

 ついた二つ名は、「黒颱風(くろたいふう)」。

 暴風の如く2挺斧から繰り出される重い連撃でバッサバサ血路を拓き、土砂降りのようにアイテム投げまくる。甚大な被害を与えるか、明後日に逸れて消えるか。

 活躍できないときはあっさりと死ぬことが多いことは自覚していたので、侮蔑の意味もあったこれは甘んじて受け入れた。

 プレイヤースキルの差異からなぜ皆があたしと同じように活躍できないのか理解できず、あたし基準での無茶で理の通らない要求をかなり投げてしまい、それが「これぐらいできるだろう?」という見下しにとられていた。

 

 

 その中で、索峰はあたしより遥かに長い『エルダー・テイル』のプレイ歴と技量の高さもあって、要求をきっちり遂行できるプレイヤーだった。

 同時に技量からくる説得力でなんとかあたしを制御しようともしていた。

 しかし、索峰が中国赴任になりあたしのいたギルド〈羽公〉に入った時点で、〈羽公〉は既に空中分解寸前で、遅すぎた。

 当時の索峰の語彙力不足と加入時期の遅さはどうにもならず、あえなくギルドは爆散。

 

 その後、事情を完璧には飲み込んでいなかった索峰も半分騙すような感じで呼んで、大きな目標を立てて〈翠壁不倒〉を立ち上げた。

 しかし舞い上がったあたしにギルドマスターとしての管理能力はなく、一緒に〈翠壁不倒〉を立ち上げた〈羽公〉の元メンバーも次々抜けていった。

 4ヶ月も経った頃には、初期立ち上げメンバーで残ったのは索峰だけになり、あたしもギルドへの勧誘に飽き疲れて、維持費を削って駄弁り中心の緩いギルドに舵を取り直した。

 

 

 索峰が〈翠壁不倒〉に残り続けた理由は言葉の壁の問題が大きい。

 あたしはイベント事になると首を突っ込むタイプだったので、あたしはちょっとした交渉役兼通訳にされて、人数が必要な大規模イベントに参加したいときは「崔花翠の知人の物静かな吟遊詩人(バード)」を通していた。

 廃人級の吟遊詩人は絶対数が少なく、あたしも単純に強く、セットで働き口を見つけるのには苦労しなかった。

 そんなことを続けていれば気心も知れるというもので、索峰が言葉に慣れ、二者間の連携と意思疎通が通り始めると、あたしの頓死率もみるみる下がっていった。

 

 その後も〈翠壁不倒〉に多少の人の出入りはありながらも、索峰の間違った北京語に突っ込みを入れながらズルズルと遊んでいるうちに「黒颱風」の名は蔑称の意味が薄れ、強者の二つ名へ変化していた。

 華々しく敵モンスター群を掃討するあたしの手柄の裏に脱線孤立しないよう索峰による攻撃誘導があったが、誘導してもらった方が活躍できるので仕方ない。

 

 

 そのあたしの頭脳担当が悩んでいるのなら、良い兆候ではないだろう。

 こちらの世界に来て長くはないが、索峰が悩んだ後には悪い内容しか出てきていない。

 

「ねー、なに悩んでるのよ。どうせろくでもないことなんでしょうけど」

「ギルドウォーのシステムまだ生きてるっぽいなあと思ってな」

「つまり?」

「人数と財力があってその気になったら、燕都とその周り支配できちゃうよなあ、と」

「それで?」

「特定ギルド所属以外の人への弾圧や武力制圧や施設占領や重税を、たぶん合法的にできちゃうなあ、なんて」

「あ、それはヤバイわ」

 

 

 ギルドウォー。

 ギルド単位で地域領主を決める、対人型合戦コンテンツ。

 中国サーバーにおける一大コンテンツであり、理論上天下統一をも目指すことができる、ある意味中国らしいシステム。

 中華人民共和国の範囲を飛び越え、モンゴル、チベット、カザフスタンら中央アジアの一部までをカバーする華南電網公司社の中国サーバー管理地域は管理範囲からして広すぎて、3Dモデリングを多用する形式である『エルダー・テイル』でその土地に合ったイベントを細かく追加していくことは作業量に無理があった。

 

 華南電網公司社は中国企業であり、営利企業である以上、中国国内優先は仕方のないことである。

 しかしながら、ログイン人数の多い中国沿岸部、金になる層を満足させなければいけないが、かといって中国沿岸部以外を完全にないがしろにしては、もっと上の『エルダー・テイル』を総監督する米国アタルヴァ社に怒られる。

 そんな板挟みに遭い、かといって東~中央アジアの広大な範囲を1社で作れるわけもなく、その過程で生み出されたもの。

 

 

 ギルドウォーの内容は、有り体に言ってしまえば大都市権益の奪い合いである。

 領主の奪い合いに名乗りを挙げ、主に合戦でライバルギルドと戦い、ギルドポイントを貯めることでその都市の所有者となればはかなり強烈な恩恵を受けることができる。

 復活の神殿、ギルドホールの出入り、都市間移動のゲート、市場の手数料、都市の出入り、この辺りに税金をかけることはよくある話。

 

 都市周囲の土地及び村にも影響範囲があり、そこに暮らすNPC(という名目)から税金や貢物を受けることもできる。都市所有ギルドに属しているならば、経験値やドロップアイテムへの追加補正がかかり、施設使用料の減免や免除、NPCの台詞も敬うような形式になる。

 総じて影響力は凄まじく巨大ギルドにとって一種のステータスにもなるので、こぞって地域に覇を唱えることになる。

 圧政を敷きすぎてギルドウォーに興味を持っていなかったプレイヤーにすら反発を買い、抵抗勢力に領主が倒されるなんて例もあれば、真面目に中華統一を目指して実際に中原を制したギルドもある。

 

 

 燕都も例外ではなく、実際にギルドが領主となっていた。

「公式のお願いだったけど、燕都は新規ユーザーの受け皿にもなるからLv90に達していないプレイヤーからは搾取するなって不文律あったじゃない。あれさ、システム上は低レベルの人からも徴収は可能って情報サイトに載ってたんだよね」

「低レベルから搾取設定したら半公認抹殺対象として物理でも名声でも袋叩きになるからほとんど実行されなかったやつね」

 

 今は解散してしまったが、時期のアヤでライバルギルドがいなくなりわざと燕都で低レベルプレイヤーからの搾取を始めて悪役になり、一般層を巻き込んだ大合戦を狙ったギルドウォー特化型巨大戦闘ギルドがあったことを記憶している。

 

「でも今、運営いないから遠慮する必要ないし、4都市にプレイヤーが分散されたから、領主になればかなりのプレイヤーに影響力持てる。噂だと燕都に最低10000人はプレイヤーが集まってるし」

「悪魔の発想ね、あんた」

「思考に余裕ができたら簡単に思いつくことだと思うがな」

「でも多分早いほうでしょ。あたしはギルドウォーが生きてると気づいてもそこまで思考がいかないわ」

「ともあれ、果物の流通を専売制にもできるんじゃないかな、この世界でその気になれば。果物に限った話じゃないけども」

「嫌すぎるわねそれ。文明退化してるじゃないの」

 

「この世界で悪用するにはうってつけ過ぎるんだよ、ギルドウォーシステムは。リセットかかって領主不在になってるのは、たぶん悪い要素なんだろうな」

「争えって言われてるようなものよね」

「最初から領主権を持つどこかのギルドがいれば、とりあえずそこを中心に自治をする道もあっただろうけど」

 

 10000人以上ものプレイヤーがいれば、野心を持ったギルドや頭の冴える人物が混じっていないわけがない。

 そこに、理屈を抜きに力で上に立てるシステムが目の前に転がっているのだ。

 

「あたしが領主になっちゃうのは? 実務索峰に任せて」

「人が足りないし、コネも財力も足りないから諦めて。仮に領主になっても、都市運営を日本人がやってると知れたら簡単に崩壊するな」

「あー、日本人が都市のトップにいたら確かに反感買うでしょうね」

 

 大きな尻尾もそうだが、索峰は所々に日本のアイテムを使用、装備しており、微妙に中国産キャラクターと差異がある。

 それがイコール国籍透視にはならないだろうが、中国にない言い回しをすることもあり、その気になれば日本人であると判断するのは不可能ではないだろう。

 索峰が日本人だと知っている人は〈羽公〉元メンバーを中心に、多くはないが、いる。

 

 

「じゃ、領主にどこかの誰かがなるとして、それまでになにか準備することってあるかしら?」

「財産整理して、いつでも夜逃げできるようにはしておきたい」

 軽い気持ちで投げた問いに、予想外に重い返答だった。

 

「よ、夜逃げ?」

「ギルドウォーはおそらく起きるよ。戦争の渦中にいてどうする。ギルドウォーシステムもどんな仕様変化が起きてるかわからない。

 都市間移動のゲートも死んでて、城壁登ってもバリアみたいなのあって街の外には出られないから、街の出入り口4箇所にPK待ち伏せしておけば、神殿送りで強制送還、プレイヤーを街から出させないようにもできる」

 プレイヤーを街に閉じ込める、というのはゲーム時代になかった発想だ。

 

「一般NPCへも同じことが言えるんじゃないかな。直接的なメリットはまだ思いつかないけども」

「奴隷ってできるのかしら?」

「奴隷制に近いことはできてもおかしくはない、かなあ。倫理観がどこまで維持されるかわからない。ひとつ言えることは女性の立場は多かれ少なかれ落ちるだろう、ってことか。

 ゲームの男女比もそうなら、施政者の根源的体質もあるだろうし。カリスマ持った女傑がどれだけいるかね。逆に数少ない女性プレイヤーが姫扱いで優遇される可能性もあるけども」

 

 多くはいないだろう、とは思う。

 中小ギルドマスタークラスであればトップに立つ女性プレイヤーはいるが、大規模戦闘の指揮官級ともなると、プレイヤーの男女比もあって男性の圧倒的優位だ。

 

 

 そこまで考えて、ふと思い当たった。

「ねえ、女キャラで遊んでた男とか、男キャラで遊んでた女って、今どうなってるのかしら?」

「あ」

 虚を衝かれた、索峰の表情はまさにそれだった。

 してやったり、と密かに腹のなかで笑った。

 

「ゲームキャラ優先で性同一性障害状態になるのか、現実の人格に沿ってコンバートされたのか、それは考えてなかった」

「今までの傾向だと、ゲームキャラが優先して参照されてるんじゃない? どちらかの性別限定装備もあるし、索峰だって狐化凄いし、ゲームキャラの性別になったと考えた方が自然よ」

 現実とゲームで性別の異なるキャラクターを動かす人はどこにでもいる。『エルダー・テイル』でもそれは変わらない。

 

「だとしたら悲劇だな。服はともかく、アバターいじれなくなってるし。この尻尾みたいに」

「外れなくなったんだっけ、その尻尾」

「そう。付け尻尾じゃなくて、実際に尾骨から生えてて、神経も繋がってる気配」

「なおのこと、転移時のキャラ固定準拠っぽいわね。何か姿変える方法あるかしら」

「性別まで変える方法はちょっと思いつかないな。それこそアカウント取り直ししてキャラメイクしないと変えられない部分だし」

「困ったことになりそうね。あたしたちじゃどうしようもないけど」

 

 身内にその該当者がいないので確かめようもないが、解決に動く必要もない。

 薄情かもしれないが、そこまで手を回すほど無駄な労力は費やせない。

 

「それで、夜逃げの準備だっけ? 索峰、なんか余裕ないんじゃない」

「詰みの手筋がおぼろげではあるけど見えちゃったからな。嫌でしょ、抗争に巻き込まれて自由に『遊べ』なくなるのって」

「それはまあ、嫌ね。ギスギスオンラインをまた繰り返したくはないわ」

 

 ましてや生身がある。ログアウトするなりギルドを抜けるなりすれば一時凌ぎや根本的解決に至ったゲーム時代とは違い日々の生活に直結する。

 今の生活が良いとは言わないが、まるで関わりのなかった誰かに指図されるようになるのも業腹だ。

 

 

「誰かが治政か賢政を行う可能性は?」

「可能性で言えばある。が、ほぼ確実に権力争い派閥争いが先に来るのでお察しくださいとしか。その権力争いが終わるという確証もなく。権力争いが終わって、とりあえずひとつにまとまってから、内政でしょ」

 ある程度安定するまで相当時間がかかりそうだと聞いている限りではそう思えた。

 

「中国人の考え方をそこまで詳しくは理解してないけど、杞憂だと思う?」

 そう問われて、あたしは腕を組んだ。

「……杞憂と笑って済ませられるほど反論材料がないわ。凄く、ありえそうな気がする。巻き込まれたくはないわね」

 

 環境に対する発言力は非常に薄弱。

 若い女という時点でひとつ障壁があり、郭貂麟(かくてんりん)と王燁は言うに及ばず。

 発言を重視してもらえるようなバックを育むほどの材料も知己もおらず、そんなしがらみに囚われて動くのも、それはそれで性分に合わない。

 

 

「ただ、夜逃げするって言っても、行くアテもなければ、あたしたちみんな旅に耐えられるのって話もあるんだけど、なにか案あるの?」

「……ノープラン。ごめん。準備は要るってことは伝えたかった」

「呆れたってのはちょっと可哀想かしらね? 備えが必要ってことは認識はしたから。貂ちゃんや王燁ちゃんにはどう伝えるのがいいかしら」

「隠してもしょうがないと思う。こんな予想だから、準備しようでいいと思う。なるべく野宿が辛くないようにはしたい」

「了解よ。準備が無駄にはならないでしょ、多分。夜逃げ関係なく、遠からず街の外に何かを求めて出ることにはなるでしょうから」

 

 この時のあたしの予想は、半分当たって半分達成されなかった。

 そして索峰の夜逃げ予想と準備も、半分外れて半分役に立った。

 予想よりももっと身近に爆弾が紛れていて、事態は索峰の頭の中から飛び出すことになる。








ギルドウォーは地域と都市の制圧戦。
原作において存在する要素だけど設定は詰まっていない。
よってほぼオリジナルな設定を詰めている。


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不遜の幻獣

 太陽が頭上を過ぎて日時計のオブジェが昼過ぎを示した頃。

 廃墟となったビルに巻き付き侵食した巨木を登り屋上階で昼食になった。

 大切な話があると索峰(さくほう)さんが言い、あまり人目につかないところがいいと翠姐(すいねえ)さんが言って、廃墟の屋上となった。

 

 5階建てのビルと思われそこそこに見晴らしはよく、そうそう誰かに見つかることはないだろうと思った。

 登ってから気づいたことだが、郭貂麟(かくてんりん)は頭上にあまり注意を向けていなかった。

 

 巨木登りも冒険者の体では楽なもので、高さからくる恐怖はあれど、非常階段のようにビル側面に食らいついた巨木は出っ張りも枝も幹も多く登るに不自由はしなかった。

 1番困ったのが王燁(おうよう)と角端のコンビで、王燁ちゃんはおっかなびっくり登ってきたものの手のない角端は登るに窮したようだった。

 が、ビルの横穴から1階に入り込むと脆くなっていた天井を突き崩して穴を開け、その穴を跳躍して上の階に登ってくる、誰も予想しなかった荒技で屋上に上がってきた。

 

「こんな方法もありだったんですね」

「脳筋だなあ」

 せっかく先ほど綺麗になった毛並みがコンクリート粉やホコリでまた汚れて、王燁ちゃんに怒られていたが。

 

 

 翠姐さんが魔法の鞄から引っ張り出してきた敷き布を申し訳程度に敷いて、索峰さんが出した果物を齧りながら、索峰さんが言うところの「大切な話」を聞いた。

 ギルドウォーシステムが残っていること、領主不在のこと、それを踏まえた今後のこと、とりあえず必要と思える準備のこと。

 それに対する翠姐さんの意見と〈翠壁不倒(すいへきふとう)〉としての動きの想定。

 

 成人組2人に共通しているのは、燕都に居続けると面倒なことになりそう、燕都にいる限り生活は悪化はしてもすぐに良化はしないだろう、という認識だった。

 私は乏しい知識ながらなんとか話についていったが王燁ちゃんには難し過ぎたようで、時々質問を行っていたがそれでも理解したか怪しいところだった。

 むしろ角端の方がしっかり耳を傾けていたような気がする。

 

 

(てん)ちゃんさ、移動用の召喚生物の笛とか持ってる? 無いなら用意しておきたいけど」

「〈軍馬〉ならありますよ。翠姐さんが入手クエストに連れて行ってくれました」

「翠姐グッジョブ」

「いろんな場所に連れて行くのに必要だったもんね」

 

 〈軍馬〉は中国サーバーにおける、騎乗用生物の中でも最もポピュラーな召喚生物のうちのひとつ。と、以前聞かされた。

 1日の召喚時間は現実時間で8時間、そこまで長時間の連続ログインをすることがなかった私には必要充分な使用時間だった。

 

 

「王燁ちゃんはそういうのなにか持ってる?」

「持っていません。でも、〈ファンタズマルライド〉で代用できます。父様が経験値稼ぎのためにもそうしろと」

「あー、なるほど。なら4人とも大丈夫かな」

「翠姐さんは上級の〈駿馬〉持っていましたけど、索峰さんはなにか持ってるんですか? 見たことない気がしますけど」

「〈赤騎狐(せっきこ)〉だな。走破性と小回りはそこそこ優秀」

「狐さんなの? 見たーい!」

 退屈そうに見えた王燁ちゃんが、目を輝かせた。

 

「見せてくださいよ、索峰さん」

 騎乗用生物の知識も豊富とは言えず、私も興味があった。

 狐に狐の取り合わせに面白さも感じたというのもある。

「見せてあげなさいな。この世界で呼んだらどうなるのかあたしも興味あるし」

 そのひと押しで索峰さんは竹笛を取り出すと、静かにひと旋律吹いた。

 

 

 ビルの屋上階である。どこから出てくるかと辺りを見回すと、階下を何かが駆ける音が聞こえて、先ほど角端がぶち抜いた天井の穴から熾火色の大きな狐がするりと登ってきて、索峰さんの横に腰を落ち着けた。

 体高は低いが大きくも華奢な体は、いかにも軽やかな走りをしそうだった。

 

「触っていいー?」

「好きにしてくれ」

 王燁ちゃんが恐る恐る、といった感じで〈赤騎狐〉を撫で始めた。

 なかなか勇気あるなあと思う。ビビッドな色合いをした気難しそうな狐に郭貂麟はちょっと腰が引けていた。

 

「ねえ貂ちゃん、角端が拗ねてるよ」

 翠姐さんが振った先、角端が誰にも目を合わせずどこか憮然とした感じで景色を見ていた。

 主人を〈赤騎狐〉に取られ拗ねた、という表現が確かに正しそうだった。

 

「案外独占欲強いんですかね」

「そうみたい」

 そんな角端を見てか、〈赤騎狐〉がすいませんといった感じでだらりと前脚を投げ出し頭を地につけたのは果たして偶然だったのだろうか。

 

「それにしても、角端もそうでしたけど、しっかり生き物ですね、この狐も」

「すぐに索峰が乗らないってわかったのか、暇そうね。王燁ちゃんが触るために呼び出されたのもわかってるのかしら」

「さあ……?」

 

 思えば、ゲーム時代に用もないのに〈軍馬〉を呼び出して、結局なにもせずに呼び出し解除したことも何度かある。ちょっとした罪悪感が今更湧いた。

 どことなく面倒そうに〈赤騎狐〉を呼び出していた索峰さんは実際に見て思ったより興味を惹かれたのか、遠慮の壁を取り払い王燁ちゃんと2人で脚を持ち上げたり尻尾を立たせてみたりベタベタと触っている。

 さすがに〈赤騎狐〉の顔は嫌そうに見えた。

 

 

「ねえ索峰と王燁ちゃん、そろそろ話戻していいかしら」

「えーと、どこまで言ったっけか」

「全員の騎乗生物があるか、というところまででした」

「あー、はいはい思い出しました。だったらあとは寝具の問題だけだなとりあえずは。

 なるべく野宿は避けて、燕都(イェンドン/北京)の支配地域外のどこかの村かプレイヤーのいない街で宿取ればいいと思うけど、ゲームシステム上、必ずしもそうもいかないだろうし。寝袋かハンモックか簡易ベッドかそんなのも探さないといけない」

 

「キャンプみたいです!」

「概ね間違ってはいないと思うわよ」

 

 

 体が小さくはなったが、郭貂麟の身体能力は大きく向上し元の人間の肉体に比べると超人と言っていいほどの動きができる。

 それでも行動を繰り返せば気疲れはするし、眠気も来る。

 肉体的疲労に関しては正直あまり感じない。最初の晩の索峰さんを思うとその気になれば無視できるのかもしれないが。

 

 それよりも、MPを一気に大量消費すると虚脱感が辛い。

 胃液を吐き出すような、気力を絞り出されるような感覚に囚われる。

 翠姐さんと索峰さんには一気にMPを使ってもそんな感覚はないらしい。

 ゆっくりMPが減っていくようなペースで特技を使ってもそんな感覚は襲って来ない。理屈がわからない。

 

 翠姐さんには、装備が整ったら絞り出される感じも緩和されるかもしれないと言われた。

 森呪遣い(ドルイド)にとって、もっと言えばシャーマン型にとって、装備が整うことは火力上昇とMP消費の緩和ということになり、大魔法で一気にごそっとMP持っていかれることも減るということで、理論としては成り立つ話ではあった。

 

 

「テントか幕舎かモンゴル式ゲルになるかわからんが、そういうものもひとつ要るかな。調理器具は、まあ、あの味だしいらないかな……」

「小分けにできる袋があればいいでしょうね」

「大きめの水筒と、塩と砂糖と蜂蜜ぐらいは用意したいわ」

 

 塩、砂糖、蜂蜜。

 果物ではないが、調味料もまた、味のするものだった。

 

 野菜に塩を振りかける、ぐらいでは素材それぞれの味があるが、焼いた野菜に塩、となると、焼く段階で炭か謎のゲル状の物体である。

 砂糖は精製過程で加熱していると思うが、なぜか味がする。どのような区別なのか。

 

 果物にも甘みはあるが蜜の甘みはまた別で、蜂蜜も味がするとわかった時に熊さながらに舐めてしまった。それほど味という方向では飢えている。

 塩もまた同様で、果物では絶対に代替にならない塩味は口直しになる。

 喉が渇いたとなると、現状水気の多い果物を摂取するのが味のある水分補給だが、水分補給のために果物を食べるほどの手間と時間をかけられない時もまた多く。

 

 すると飲み物ということになるが、コーヒー紅茶烏龍茶と、口当たりと色は違えど例によって味は安物ミネラルウォーターで均一。

 さすがにそれでは厳しく、郭貂麟はミントを口に含むことでなんとか誤魔化した。微妙な清涼感が加わるのでないよりはマシ程度の風味になる。

 

 

「あとは酒だ」

 お酒も味はしないそうだが酔うことは何故かできていた。酔いは長続きしないそうだが。

「どんなリスクあるかわかりませんから、ほどほどにしておいてくださいね」

「王燁もお酒臭いのイヤ!」

「現実では大酒飲みじゃなかったから大丈夫、多分」

「あ、お酒はギルマス権限で却下させてもらうわ。教育に悪い。それに飲まなくても生きていけるでしょ、こっちでは。あたし飲まないし」

「んな殺生な」

「頭脳担当が酔っ払っている間になにかあったら、自慢じゃないけど対応がどうにもならないのよこっち3人は。よってある程度落ち着いたら解禁。それまでは禁止。飲みたかったら状況を落ち着けること」

「うっそぉ……」

 

 そんなに酔いたいのか、と未成年の身からは不思議にすら思える。

 索峰さんが酔っ払っている間に有事が起きれば、間違いのない対応ができるかは自信ない。王燁ちゃんはなおのこと無理だろう。

 大局を見た上で1番正解を導き出しそうなのは、索峰さんだ。

 

「そうは言いますけど、翠姐さんも、もうちょっとしっかりしてくださいね。仮にもギルマスですから」

「前向きに努力します……」

 油断していた翠姐さんにも水を向けておく。

 

 

 プレイヤー単体での戦闘能力で〈翠壁不倒〉最強は翠姐さんである。

 〈幻想級〉武装の力を借りた机上火力は中国サーバーの〈盗剣士(スワッシュバックラー)〉の平均を大きく上回る。

 索峰さんも〈吟遊詩人(バード)〉の平均を軽く凌駕しているが、支援能力にタスクを振り分けている分、翠姐さんに比べると火力では劣る。

 管理する事柄の多い〈吟遊詩人〉への理解は非常に深く、戦闘やゲームへの知識的な深さでいえば翠姐さんを上回るだろう。

 

 この2人に比べれば、郭貂麟と王燁の戦闘能力はまるで話にならない。

 角端の戦闘能力は全容を見せていないが、王燁本人の戦闘能力は角端の玲玲(れいれい)が言うことを聞かないせいでかなり弱体化している。

 〈召喚術師(サモナー)〉の特技は召喚生物に紐づけられているものがほとんどだという。

 スキル構築を角端に非常に大きく依存しているそうで、それが命令無視の独立行動という断絶を起こし相当な数の死にスキルを発生させたようだ。

 

 

「話だいぶ戻りますけど、騎乗生物じゃなくて、馬車買うのはどうなんですか? 荷物たくさん積めそうですけど」

 燕都(イェンドン)を見て回っていた時に馬車や荷馬車も売っていたのだ。

 安くはなかったが索峰さんなら買えない額でもなさそうだった。

 

「買ってもいいかなとは思った。でもあまり道を外れられないから無しの方向で。道がどれだけ整備されてるのかもよくわからないし、移動速度も落ちる。

 プレイヤーにしろモンスターにしろ、襲撃された時に馬車守るのが面倒くさい。守りにあまり向いてない職しかいないから。後衛に王燁ちゃんも増えたし」

「壁役いないものねえ」

 

 積極的に前に出て行ける能力を持っているのは、実質翠姐さんだけだ。

 もしかしたら角端も前には出られるかもしれない。

 索峰さんも一応武器攻撃職だが、基本的に弓兵であり接近戦にはあまり加わらない。

  その状態で馬車を防御しろ、というのは確かに難しそうだ。

 誰も敵の突撃を正面から食い止める術を持っていない。

 

「改めて考えると、守りにく過ぎますね……」

 防御を考えると私の存在が足を引っ張りそうだった。角端抜きの王燁は連携面でも戦力面でも技術面でも期待できそうにない。

 

「馬車があれば、雨の中でも移動できたでしょうけど」

「そもそも風邪引くんですかね? この体」

「ゲーム時代には疫病って状態異常あったわよ。だから病気そのものはこっちでも存在してると思うわ」

「大雑把なくくりですね、疫病って」

「どこまで病気が細分化されるかなあ、未知のウイルスや細菌は普通に居そうだし。そもそも医者ってどうなんだこの世界。いてもおかしくはないだろうが、どの程度の医療レベルなんだろ」

 

「なるべく病気の元になりそうなことは予防しておいた方がいいのかしら」

「そうなると、果物ばかりというのも栄養偏りますけどね」

「肉のみ魚のみ穀物のみよりはバランス良いでしょ、果物食は」

 

「ねー、テント買いに行かないのー?」

 またしても王燁ちゃんを置いてあまり話が進んでいた。

 皆とうに昼食を終え、腹も落ち着いている。

 昼休みとしてはちょっと長すぎるぐらいの時間が経過していた。

 

「ならキャンプ用品探しに行くかね? あるのか知らんけど」

「そうしましょそうしましょ。無くても布加工して作るぐらいの気概でなきゃ」

「またそれは豪快な……」

 索峰さんが〈赤騎狐〉に乗らない旨を伝えたらしく〈赤騎狐〉はどこか悲しそうに木をするすると降りて街角に消えていった。

 角端もやっと話が終わったかと言わんばかりに体を震わせた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 各々の野宿用寝具を整え調味料を買い揃え燕都(イェンドン)周辺の大雑把な地図を入手した頃には日没となり、また果物の夕食を済ませて早めの就寝になった。

 明日はどこかで1泊する覚悟で南西へ向かうそう。道中自生している果物があれば採集も考えているという。

 

 

 王燁(おうよう)は毛布を被り、父様はあの時ログインしていたのだろうかと考える。

 サンフランシスコで働く父様とはボイスチャットを介して会話しながら遊ぶことが常だった。

 北京は真夜中もいいところだが、サンフランシスコは真昼。たまたま休日が一緒になったのと新規アップデートが重なったので、父様が母様を説得して夜更かしを許可してもらった日だった。

 

 いつも父様は〈妖精の輪(フェアリーリング)〉を駆使して中国大陸にプレイヤーキャラを移動させ、合流が容易になった時点でボイスチャットを入れてくる。

 あの日メールで「ちょっと遅れる」と連絡があり、王燁は先にログインしてボイスチャットの呼び出しを待っていた。

 王燁がギルドの部屋に閉じこもったのも、父様が迎えに来てくれるかもしれないと考えていたのだ。

 しかし、1週間が経過しても父様のプレイヤー名は暗転しており、中国サーバー管理範囲内に不在である、と表示されたままだった。

 

 

 拾ってくれた〈翠壁不倒(すいへきふとう)〉の3人に、もし父様がログインしていたとしてサンフランシスコからこちらに来れるだろうかと夕食時に聞いた。

 

「すぐには無理だろうな。国外のサーバー管区に飛べる〈妖精の輪〉の乱数ってそこまで多くなかったし、今乱数がどうなってるかもわからない。

 計算ソフトも無しに飛び込むのは、1人じゃリスクが高すぎる。どっか変なところに飛んでリスポン固定されて孤立無援に陥ったら最悪だ」

 

「私達でもまだ街からあまり出られていませんから。現状把握が精一杯だと思います。旅行だって地球半周もするならある程度予定立ててからですから」

 

「もし運良く中国サーバーの範囲に飛べたとして、念話で無事を確認できたら良い方だと思うわ。燕都の近くに飛んで来るとも限らないし、そこから1人旅はあたしでも厳しい」

 

「現実的なところで、なんでもいいからアメリカを脱出したい人、もしくは中国に戻りたい人を集めるところから。すぐに国外脱出は難しいと思うよ」

 

 その返事は芳しいものではなかった。

 

 

 こちらから父様を探しに行くのはどうかとも聞いた。

「それはやめた方がいいわよ。仮にアメリカに飛んだとして、お父さんがログインしていたかどうかの確認がこちらから取れないもの。もしかしたら向こうも移動中の可能性がある。

 親としては8歳の娘が自分を探してアメリカに来るとは普通思わない。このゲームの知識も乏しいならより一層。王燁ちゃんの性格はまだよく知らないけど、冒険心と行動力に溢れる子だったかしら?」

「…………いえ」

「だったら、王燁ちゃんは中国内にいる方がいいわ。どうしてもアメリカに行きたいなら、そういう人を集めるしかない。悪いけど、ウチは国外まで王燁ちゃんを護衛する理由はないの。国内ならまだいいけど」

 

 当然といえば当然の宣告だった。

 もし父様がアメリカにいると確証があれば、親子合流のゴールが存在する。

 その確証が持てていないのでは、父様が巻き込まれていない、ゴールそのものが存在しない可能性があるのだ。

 

 仮に父様がこの世界にいるとしても、連絡を取るまででも相当時間がかかるはず。そういう結論だった。

 父様にも会いたいが、それがすぐには実現しないことは確からしい。

 

 それでも、王燁は一晩泣いた。

 淡い望みを改めて他の人の口から難しいと告げられて、理解してしまった。簡単に割り切れるほど心を制御できない。

 泣いたのは、わけがわからず1人が怖かった最初の夜と、家族と離れたと実感した2日目、そして今晩の3回目。

 

 この世界に落ちてから3日目には気持ちが塞ぎ、それからはあまり時間の感覚がなかった。

 そのまま1週間近く誰とも会わず話もせず、ということは初めての経験で、そんなに経っていたのかとすら思う。それだけ衰弱しない体になったとも。

 いないかもしれない人探しに出会ったばかりの人が協力してくれるほど都合のいい話はない。

 国内移動なら協力してくれると、出会ったばかりで言ってくれているだけでも相当な幸運に恵まれている。そのことを噛みしめるのに時間をかけた。

 

 

 アメリカに父を探しに行くというのも、王燁は塞ぎ込んでいた間に密かに期待していた考えではあった。

 しかしこの世界での対プレイヤーファーストコンタクトは、初回から襲撃された。

 運良く助けてくれた人たちにもアメリカ行きの浅慮を咎められ、その意欲も萎えてしまう。

 

 明らかに不安定な状況で頼れそうな人が3人はいかにも心細いが、王燁自身にはツテがない。

 自分で新たに仲間を探してアメリカへ向かうという方向は、絶望的なファーストコンタクトのせいで恐怖がある。

 

 出せる対価も能力もないので、どうしても王燁は養ってもらう立場。

 誰かにお世話になるにしても、今より良い待遇になる保証はどこにもない。

 知り合い皆無なスタートで王燁の人となりを理解しようとしてくれている人たちに巡り合っていることすらも幸運側に寄っているのかもしれない。

 どうすればいいか、判断はつかない。

 

 

 床に寝そべっている玲玲(れいれい)を見る。

 玲玲の耳がピクリと動いたが、目を開けない。

 

「玲玲はなにしたいの?」

 おそらく王燁よりこの世界のことを深く知っている幻獣は、答えない、動かない。

 

「昨日、素直にあの人たちに従ったってことは、玲玲にとって好都合な出来事だったの?」

 

 昨日、王燁を背に乗せたまま猛然と駆け出した時と戦闘中は、鬼気迫るものがあった。

 今日はどこか悠然と構えていて、なにをするのか観察する、もっと言えば見守るような感じすらあった。

 昨日の様子が焦って見えるほどに。

 

「お腹空いてたわけじゃないんでしょ?」

 玲玲は林檎が好きらしい。

 毎食、索峰(さくほう)さんが出す果物の中から林檎を自分でひとつ抜き取り、齧っていた。

 差し出されるものは王燁以外の手からは食べようとしない。

 

「なんで言うこと聞いてくれないの?」

 

 〈召喚術師(サモナー)〉が〈従者召喚〉の形で喚び出してそれを維持する場合、MPの上限値が削れる形で現出する。

 〈戦技召喚〉で短時間能力を行使する場合はMPを消費する。〈従者召喚〉した生物とリンクしている〈戦技召喚〉を使うと、MP消費量は軽減される。

 

 玲玲の場合は〈従者召喚〉で、きっちり王燁のMP上限値は削られている。

 ゲーム時代と削られた量に差はないが、玲玲単体の戦闘能力はゲーム時代よりも格段に上昇していた。

 

 代償として王燁の持つ角端関連の〈戦技召喚〉は壊滅状態になった。

 その代わりなのか、玲玲が〈戦技召喚〉にカテゴライズされていた特技を自分で勝手に発動させて王燁を守った。

 その際王燁のMPを横取りして消費しながら戦闘を続行していた。

 ただ、ゲーム時代に玲玲を〈従者召喚〉した状態で関連する〈戦技召喚〉を使った時よりも、MPの消費量は更に少なかった。

 

 そうそう長時間は遊べなかったので、最初に父様が用意した装備が汎用構成に寄っていたのも災いしている。

 召喚生物に関係ない特技もあるが、習熟度はほとんど上げていない。

 バフ、デバフ、範囲攻撃、単体攻撃、範囲回復、単体回復、ほぼ全て角端の能力で賄えてしまっていたからだ。

 

「たてがみむしっちゃうよー?」

 

 脅しにも玲玲はピクリともしなかった。

 翻弄しておきながら問いに対しては我関せずを貫く玲玲にちょっと腹が立った。

 ベッド脇で床に座っている玲玲のたてがみに手を伸ばし、本気でいくらか抜いてやろうと掴んで引っ張った。

 

 玲玲の毛根はその態度同様がっちり根を張っていた。

 毛質もしっかりしていて、力を込めて引き抜こうとしたがこちらの手の皮の方が裂けそうだった。

 

 まとめては無理かと、たてがみ数本を指に巻きつけて引っ張った。

 小癪なことに、たてがみも毛根も、強化された王燁の力を上回る強度だった。

 頑として抜けず千切れることもなく、指が痛くなるだけだった。全くもって腹立たしい。

 

 一応、痛いことは痛いのか玲玲もさすがに目を開けたが「なにをしているんだこいつは」とばかりに、一瞥をくれただけだった。

 しばらくたてがみを抜こうと試みたが遂に1本も抜けず、飽きたので王燁は毛布を深く被ることにした。









〈従者召喚〉〈戦技召喚〉の解説

召喚術師(サモナー)固有の能力。
大元のこととして、ゲーム時代の『エルダー・テイル』には召喚獣自体がある程度の自動戦闘AIを搭載されていた。
〈従者召喚〉はお供として半永久的に召喚状態を維持し、ある程度の自動行動で召喚主をサポートさせる。
直接戦闘補助であったり術者や周りに支援効果を撒いたり召喚するモンスターによって方向性は異なる。

〈戦技召喚〉は短時間召喚。
召喚生物が持つスキルを使わせる命令とも言えるもの。
行動後に召喚生物は消えるが、別の召喚生物が既にいても使えるメリットがある。
〈従者召喚〉で召喚済みの召喚生物に関連した〈戦技召喚〉を行なった場合は、召喚と消滅が省かれるぶん要求されるMPは低くなる。

〈ファンタズマルライド〉は幻獣種を〈従者召喚〉中にのみ使用できる召喚術師の騎乗移動スキルである。


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強行開始

角端を人化させる意味をカケラも感じられなかったため、完結まで角端は獣のまま。





 早朝に〈燕青大飯店〉を引き払い、索峰(さくほう)らは街の門のすぐ手前の広場まで歩いた。

 

 燕都(イェンドン/北京)外部の村落や集落で金目のものを大量購入する予定なので、崔花翠(さいかすい)と2人でかなり多めの金貨を分けて持ち出している。もし索峰と崔花翠がどちらかでもPKで大神殿リスポン送りにされた場合、かなりの経済的出血を伴う。

 郭貂麟(かくてんりん)王燁(おうよう)にも、欲しいものがあれば概ね買える程度には金貨を渡している。

 さすがに、プレイヤースキルでも装備性能でも劣る2人に大金を持たせるのはリスクが高すぎた。

 

 PKされると非常に困る上に、予定ルートではどうしても数カ所で気の抜けない高レベルモンスターゾーンを通過するので、全員本気の装備で固めている。

 崔花翠は〈幻想級〉の斧を装備しており、索峰もユニークスキルを付与した〈秘宝級〉装備で全身ガチガチに固めてある。

 2人とも生半可な高レベルゾーンなら単独で切り抜けられるだろう程に。

 

 

 索峰は〈赤騎狐〉呼び出しの竹笛を、崔花翠と郭貂麟は〈駿馬〉〈軍馬〉用の角笛を、王燁は玲玲(れいれい)に〈ファンタズマルライド〉で一足早く騎乗済み。

 王燁を除く3人は騎乗用生物はぶっつけ本番である。本当は練習が必要かと思っていたのだが、王燁が「体が勝手に対応した」というありがたい経験則をもたらしてくれたのだ。

 昨日も王燁は街中に合わせて小さくなった角端(かくたん)に鞍を載せず手綱もつけず、裸馬状態のまま横向きに座っていた。それでも尻を痛めることはなく、時に跨り角端を駆けさせたが乗りこなしていた。

 

 ほとんど同時に召喚笛を吹いたからか、3頭の騎乗用生物がまとまって門の外から駆けつける。その中で〈赤騎狐(せっきこ)〉だけが「ちゃんと乗るんだろうな」と訝しげな視線を索峰に向けてきていた。

 〈赤騎狐〉が背負っている鞍は1人乗りだが、〈駿馬〉は鞍を2人乗りにすることも可能だった。

 もっとも、ゲーム時代の中国サーバーは1人最低1頭の騎乗用生物所持が当たり前だったので、2人乗りはそうそう見るものではなかったが。

 

 

「どう? なんか異常あるかしら?」

「こっちは大丈夫です、多分ですが」

「並ぶと〈赤騎狐〉の体高低いな。乗り心地は特に異常はなさそうだが」

 

 日曜乗馬教室といった感じで、それぞれ思い思いに歩かせて様子を見た。

 ちゃんと手綱を握り鐙をしっかり踏んでいれば、走り出した途端に転げ落ちるなんてことはなさそうだった。

 

「索峰、そろそろ行かない? 早い方がいいんでしょ?」

 数分間試しただろうか、崔花翠から声がかかった。

「それじゃま、行きますか、振り落とされない程度に、なるべく速度出して」

 時刻で言えば午前6時ぐらいだろうか。まだ出歩いている大地人(一般NPC)の数は少なく、プレイヤーは輪をかけて少ない。

 

 索峰は燕都を出た直後と帰りに燕都の周りで待ち伏せされることを最も警戒した。対プレイヤー戦はなにが起きるかわからない。

 ある程度燕都から離れてしまえば、ゲームを下敷きにできるモンスターを相手取ることになる。こちらの方が(くみ)し易いと見ていた。

 

「準備完了です、索峰さん先導お願いしますね」

「おうよ」

 

 先頭及び最後尾は相対的に火力と耐久力のある索峰と崔花翠で受け持ち、その間に郭貂麟と王燁を並走させる。

 引き撃ちの名手である崔花翠は最後尾を任せるのにちょうどいい。

 ルート選びは索峰がしばらくは選ぶ。燕都周辺だけは頭に道を叩き込んであった。

 

「はやく行こー」

 既に角端に乗り慣れている王燁にとって、索峰らの慣らし運転は暇な時間だったようだ。

「じゃあ、出発!」

 崔花翠の号令で、索峰は〈赤騎狐〉の横腹を蹴った。

 

 

 最初は緩やかな坂を下る自転車程度の速度だったが、横腹を蹴り続けることですぐに疾駆に移行する。

 体は難なく上下の揺れに対応し、前しか見えないというほどは没入していない。

 全方位の警戒とまではまだ慣れていないが、後ろで崔花翠と郭貂麟が驚嘆の声を上げているのには気付く余裕がある。

 

「速いな!」

 速度計がついていないので正確なところはわからないが、時速30〜40km/hぐらいは出ているのではないだろうか。体高が低くて地面が近く、上下に視線がブレるので迫力がある。

 南門から出て南西の、現実の中国であれば河北省の石家荘市にあたる街へ向かい、そこから時計周りに北上して村を巡りながら西門から燕都に入る予定を立てている。

 

 

 ご近所の天津、ゲーム表記〈津鎮〉は燕都の人口分散地扱い。

 有り体に言えばコピー都市のため、燕都で出来ることの多くが可能な代わり、索峰が求める新たななにかがある可能性は低かった。

 

 加えて既に津鎮には自主的なプレイヤーの流出が始まっている。

 元来燕都と津鎮の間には運営によって意図的に低レベルゾーンしか設置されていない。

 これら2都市を行き来させて新規や低レベル期のプレイヤーの育成を捗らせる設計で、ドロップアイテムも低レベル帯では有用なものが多く、初級者用育成ゾーンとして有名だった。

 

 そんな場所なので、燕都と津鎮の間の陸路移動はよほどのことがない限り事故は起きない。それはこの世界でも同様だったようで、転移後3日経たずに単独往復を達成したプレイヤーが現れ、対モンスターに関してはほぼ安全に移動できると証明された。

 現実の直線距離だと、北京と天津は名古屋から京都、北京から石家荘には名古屋から東京といったところか。

 

 燕都で地図を漁った感じでは燕都から街道が整備されているようで、地球を1/2スケールで再現している「ハーフガイア・プロジェクト」がこの世界でも生きていると仮定すれば距離はその半分。

 燕都津鎮間であれば名古屋と滋賀の米原ぐらいの距離だろうか。

 強化されたこの身体能力なら、単独往復も不可能ではないだろう。

 

 

 一方で燕都と津鎮の間は、今最もホットなPKの狙い所でもある。

 ルートは確立され、モンスターは弱く、1番最初に開拓された新天地ということで燕都に飽きたプレイヤーの行き来も予想される。

 更に、大多数のプレイヤーにとっては現状唯一と言っていいほどの燕都を出る理由にもなりうる。

 新たなエリアが解放されたと聞けば、たとえそれがプレイヤーにとって既知の場所だとしても行ってみたくはなる。

 

 待ち伏せするなら格好の条件が整っている。

 索峰には、津鎮への移動はハイリスクローリターンに見えた。

 

 そのために選択した石家荘方面。燕都(北京)から見て天津(津鎮)はほぼ真東。石家荘は南西なのでほぼ真逆。

 多少距離はあるが、うまく行けば日没までには、遅くとも道中1泊で着くと踏んでいた。そのぐらいなら、まず耐えられるはず。

 王燁は体力と集中力に不安があるが、この世界での陸路移動がどうなるかわからないので休憩は意識して多めに取ろうと決めていた。

 

 

 それでも燕都を出るときだけは手を緩めるつもりはない。

 全員のやる気と集中力が続く限り、なるべく燕都と津鎮から距離を稼ぎたい。

 

「最低でも1時間は疾駆状態耐えてよ!」

「が、頑張ります」

「ちょ、長くないそれ!」

「モンスターより人の方が怖い! 間違いなく!」

 

 援護歌〈瞑想のノクターン〉で常時MP回復を行いながら、時々〈ディゾナンスソナー〉で索敵を行う。

 行きは待ち伏せよりも、いるかもしれない追っ手の方を注意した。モンスターであれば正面に出ない限り行動速度を低下させれば振り切れる。

 

 警戒を密に10分ほど南へ疾走し、そろそろ西へ向かう大きな別れ道が見えてきてもいい頃か、と頭の中で地図を確認した時だった。

 角端が大きく(いなな)いた。

 

 〈赤騎狐〉がうすぼんやり輝きはじめ、声の主を見ると角端から細く青い光の線が3本伸びて〈赤騎狐〉〈駿馬〉〈軍馬〉を繋いでいた。

 猛然と角端が加速し先頭に出た。それにつられて〈赤騎狐〉も速度を上げている。

 

「王燁ちゃん! これなに!?」

 突然速度が上がり、崔花翠が悲鳴を上げた。

 

「たぶん〈強行軍〉です! 玲玲が勝手にー!」

「どういう特技よ!」

「一定時間自分を含むパーティ内の召喚生物の行動速度アップー! 玲玲止まってー!」

 王燁が必死に角端の手綱を引いている。しかし全く意に介さず、むしろ首を落として更に速度を上げ始めた。それに追従する3頭も更に速度を上げた。

 

「索峰なんとかしなさいよー!」

「考えるからちょっと待ってっておい! 角端そっちじゃねえ! 逆だ!」

 小さな丘を登ると左手に村が見えその横に西へ向かう大きな別れ道があった。地図ではここを曲がって行くはず。

 それを角端は直進し更に南へ向かうルートを選んだ。

 光の線に引っ張られるように〈赤騎狐〉たちもそれを追う。

 

「パーティ解除したら効果切れるんじゃ!?」

「それだ!」

 ほとんど〈軍馬〉の胴体にしがみついている郭貂麟が献策する。

 

 行動速度強化が入ってもともとの全速力の更に上、索峰も体の慣れが許容限界を超え始めているのを感じた。狐尾がバタバタと音を立てている。

「王燁ちゃん、パーティ解除したら即行動速度低下のデバフかける! ダメージ少し入るけどごめん!」

「わかりましたー!」

「翠姐パーティ解除のタイミング合わせて! 貂ちゃんゆっくり5からカウントダウン!」

 王燁も暴走している角端をなんとかしようとして、手綱を体に巻きつけて引っ張り減速を試みている。

 

「カウントいきます、5、4、3、2」

 楽器武器の弓型音叉を背中から外し、角端に狙いをつけてそのまま特技使用欄を開く。

「1!」

 角端のすぐ後ろまで移動させた〈赤騎狐〉の頭を下げさせ、両足で腹を締め付けバランスを取り地面少し上の鐙で踏ん張り立ち上がる。

 

「ゼロ!」

「解除!」

「〈のろまなかたつむりのバラッド〉!」

 解除の声を聞き、即座に特技使用をタップする。

 着弾した相手とその周囲に小ダメージと鈍足効果を与える〈吟遊詩人〉のメイン攻撃スキルのひとつ。

 

 音叉から視覚化された黄色の楽譜の波が飛んでいく。

 〈のろまなかたつむりのバラッド〉は角端をすり抜けた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 崔花翠(さいかすい)は半ばパニックになりながらパーティ解散のボタンを連打していた。

 にも関わらず、全く反応がない。パーティが解除されない。解除できない。

 

索峰(さくほう)、パーティ解除できない! なんで!?」

「嘘だろ!?」

 パーティが解除できなければ、味方に攻撃は当たらない。

 物理攻撃なら当たるが、ダメージも入らなければ追加のデバフも与えられない。ただ当たるだけ。

 

「止まって! ねえ止まってったら! 玲玲(れいれい)! 止まってよ!」

 泣きかけになりながら王燁(おうよう)ちゃんが必死で角端に呼びかけている。

 角端(かくたん)は足を止めない。

 

「召喚解除は!?」

「できませんー!」

「〈軍馬〉も無理ですー!」

「そりゃ降りなきゃ消せないからな!」

 (てん)ちゃんの悲鳴で、〈駿馬〉の召喚笛を取り出して帰還の音を出したが当然反応はない。

 

「飛び降りるか!?」

「無理です!」

「できるわけないでしょ索峰のバカ!」

 悪態を吐き捨てた。速度はどれぐらいだろう、60km/hには達しているだろうか。

 

 飛び降りることは不可能ではない。しかし現実の体なら大怪我確実、死も見える状況。

 こちらの世界で身体能力が向上しているとはいっても怪我をしない保証はないし、なにより勇気は据え置き。

 絶対安全が保証されていたとしても間違いなく尻込みする。

 きっとこれを飛び降りるのは安全の保証がないスカイダイビングかバンジージャンプ。勇気の使いどころは確実にここじゃない。

 

「止まって玲玲(れいれい)〜! ねえ! 言うこと聞いて〜!」

 王燁ちゃんが本格的に泣き出した。

 あたしだって泣きたい。

 なにが起きているというのか。

 

 

 なおも疾走する〈駿馬〉はなにか疑問を持っているのだろうか。

 あたしは疑問よりもバランスを取ることに苦労し始めた。

 向かい風なのか吹き付ける風の抵抗がシャレにならないレベルになっている。

 

「索峰、せめて〈強行軍〉だけでもどうにかならない!?」

 木立が飛ぶ飛ぶ。笹葉型のエルフ耳が風を掴んでうるさい。

 ダメージを受けるわけではないが、ただただやかましい。

 ヘルメットか帽子か耳あてか、耳を覆う何かが欲しい。

 

「〈瞑想のノクターン〉切ってください! 王燁ちゃんのMP無くなれば〈強行軍〉切れるんじゃ!?」

「その手があったか!」

 王燁ちゃんのステータスを凝視する。

 聞いていた通り角端は王燁ちゃんのMPを吸って特技を発動しておりMPは少しずつ減っている。

 この4人の中で貂ちゃんが1番冷静なのかもしれない。

 索峰は即座に援護歌を切った。王燁ちゃんのMPの減りが少し加速した。

 

「で! 索峰どーするの!?」

「知らん!」

「無責任な!」

「わけわかんねえんだよ! 角端が止まるのを待つしかねえんだよ!」

 

 索峰は怒りを隠そうとしていない。これでは考えもまとまらないだろう。

 ここまで大混乱している索峰はゲーム時代を含めても久しぶりに見た。

 その索峰の混乱ぶりを見て、頭の血が下がっていくのを感じる。

 

「貂ちゃん! どっちの方角向かってるかわかる!?」

 最も思考に余裕がありそうな貂ちゃんに、もしかしたら行き先の検討がつくかもしれないと進行方向の問いを投げた。

 こちらの世界の地図はおぼろげにしか覚えていないが、現実世界をベースに都市や街を配置している以上都市があるかはわかるかもしれない。

 

「えーと、えーと、太陽はまだ左後ろで、大きく曲がりもしなかったから、ほぼ真南、かな?」

 貂ちゃんはしばらく空を見上げて、答えた。

 

「えー、えー、真南は……徳州? 索峰、徳州ってなにか街設置されてたっけ?」

「ゲーム時代たぶんなかった! こっちの地図にも特に記載はなかったと思う!」

 

 角端が途中で方向を変える可能性はあるが、沿岸部重視のコンテンツの多さからなにか目的があるとしたら西へ向かう可能性は低いのではないかと思う。

 そうなると徳州の更に南は済南。そこから東へ行けば青島(チンタオ)。どちらの都市も運営によってゲームイベントが実装されていた地域と記憶している。

 

 済南はなにがあるか覚えている。済南そのものよりも、たびたびイベントが開催されるレイドゾーンの泰山の存在として。

「徳州じゃないとしたら、真南は泰山だけど!」

 

 泰山周辺は燕都一帯のギルド戦争の統治範囲から外れ、ギルド戦争のひとつの終着点であった。

 〈封禅の儀〉と呼ばれるギルド戦争の覇者が報酬を得るための神殿がそこにあり、また覇を唱え直すための防衛地点でもある。

 またの名を泰山地獄。泰山の地下に存在するとされる大空洞は、モンスターが湧いたり、ダンジョン化することになったりと、たびたび一般コンテンツとしてもイベントの用地になっている。

 

 ギルド戦争の終着点、ハイエンドコンテンツも集まる場所なので、モンスターの平均レベルもかなり高い。

 あたしや索峰クラスの廃人が6人集まって進めるような難易度設定で、この4人ではその地域を通過するだけでも荷が重すぎる場所。

 

 

「まさか泰山行くつもりじゃないでしょうね!?」

「バルォーン!」

 返事は、明快だった。

 角端は減速してまで首を上げ、角を空に突き上げその先端から電光を煌めかせた。

 そうではない、と否定するような動きと鳴き声とは思えなかった。明らかに喜色が混じった鳴き声だった。

 

「いやいやいやいや、なに考えてんだよマジで!」

 行き先が泰山だと理解した索峰も、遅まきながらパーティがデッドゾーンに突撃し始めていることを理解したようだ。〈赤騎狐〉の腹を蹴って角端に並走しようとしている。

 索峰とは何度も一緒に泰山でのイベントに参加したことがある。深部モンスターの嫌らしいほどの強さも知っているだろう。

 

 

「えっと、翠姐さん、泰山ってどういうところなんですか?」

「超敵が強いところって思っていいわよ。あたしや索峰と同じ以上の戦力集めて進む感じの」

「うわぁ……」

「玲玲、それは無理だよー!」

 

 あたしと索峰の装備は、泰山の戦闘にも耐えうる性能がある。

 しかし戦闘に慣れているとは言えず、泰山の強力モンスターを相手にするには戦闘補助アイテムが致命的に足りない。

 特殊な状態異常回復薬や属性抵抗薬も当然準備していない。対ハイエンド戦用の消耗品は燕都(イェンドン)のアイテムボックスサービスに放り込んだままだ。

 

 

 王燁ちゃんのMPは残り3割を切っている。あと数分もすれば尽きるだろう。そうなれば〈強行軍〉の光の線による牽引も止まるはず。

 そう、思っていた。

 しばらくの後、王燁ちゃんのMPは尽きて〈強行軍〉は終了し光の線も消えたが、相変わらず角端がパーティを牽引している。

 何度かパーティ解除を試み先導を取り替えそうともしたが、パーティは相変わらず解除できない。

 〈駿馬〉を持ってしても角端を追い抜くことはできず、騎乗生物たちは角端を追っていく。追ってしまう。

 

「索峰、打つ手はあるかしら?」

「思いつかん!」

「そこを考えるのが仕事でしょうが」

「もう知らん。泰山ついてからどうやれば大神殿送りにならないか考え始めてる。全滅したらアイテムと金が惜しい」

 我らが頭脳担当は状況を予定に戻すことをもう諦めたらしい。

 次善の策を講じる方が有意義と悟ったようだ。

 

 

「あの! 前! 前!」

 悲鳴のような声で貂ちゃんが前方を指差している。

 蛇行していた道の先に〈小鬼〉と思しき群れがバリケードを組んで道を塞いでいた。角端もさすがに減速し並足で駆けている。

 

「索峰右側頼むわよ! 左はあたしが!」

「矢当たんのかこれ!?」

 どうにかバリケードを迂回するか〈小鬼〉を全滅させるかの2択。

 騎乗で2挺斧は使いにくいが飛刀か〈トマホークブーメラン〉なら打てるか。

 

 その心の準備も、無駄になった。

 角端が再加速して一騎突出し、蜘蛛の巣のような目の細かい円形のアーク放電を角から放出して突撃していく。

 泡を食ったのは〈小鬼〉らの方で、当たったら黒焦げになりそうな紫青の雷撃から逃げ惑い、道の横へ逃れていく。

 

「玲玲危ないって、やめてって、チリチリするから!」

 

 角端の背にしがみついている王燁ちゃんが喚いているが意に介さず、角端はバリケードにタックル。

 たやすく破壊した上で、周囲に雷撃を見舞ってその一部を炎上させる。

 バリケードには縦列で進めば余裕で通れるだけの大穴が空いていた。

 

 それを通り抜ける際に〈小鬼〉が手を出してくることはなかった。ちらと見た彼らのレベルは40そこそこ。相手側から避けてくるレベル差はあった。

 すれ違い様に見た顔は愕然といった様子で、あたしは僅かばかりだが、同情した。




角端の謎行動については、作品完結時には全て、説明と理由付けをできているはず。たぶん。




解説
ハーフガイア・プロジェクト

ゲームフィールド作成のために現実の地球の地形情報を距離スケール2分の1で再現したもの。
「エルダー・テイル」の根幹を担う部分であり、現実の地域とゆるくリンクしているためその土地に応じたイベントが用意される。
営利企業が絡むため地域によってイベントに特色が出るが、それゆえに提供されるコンテンツの量も地域によって大きく偏りがある。
中国であれば太平洋側に面した都市部にイベントが多数あるが内陸部には乏しい。


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ギルマスたちの武装

角端を人化させたところで、獣人枠もマスコット枠も埋まっていることもあり。








 燕都(イェンドン/北京)を出て1時間も経っただろうか。

 最初は〈強行軍〉によるバフの加速に振り回され、馬の背にしがみつくような状態だったが、その速度が続くと存外慣れて、姿勢を正し、景色を楽しむこともできるようになった。

 

 慣れの速度差はあれど、他の3人も徐々に背筋が伸び今では皆腰を鞍に落ち着けている。

 でもちょっと腰が痛い。鞍だけでは衝撃吸収の率が良くないようだ。

 

 〈小鬼〉製のバリケードほど直接的な道の封鎖はなかったが、たびたび大型小型モンスターとエンカウントする。その都度角端が先行しては力づくで道を拓けさせたが、中にはそれでも追ってくるモンスターもいた。

 そちらは翠姐(すいねえ)さんが飛刀で麻痺毒をぶつけ、空飛ぶものは索峰(さくほう)さんが騎射で射落している。2人とも無駄撃ちは少なく器用に命中させている。

 

 

 なんだかんだで割り切っているなと郭貂麟(かくてんりん)は思う。

 取り立ててやることもないので、突然先行しては敵を蹴散らし生傷を受ける角端(かくたん)王燁(おうよう)ちゃんを回復するのがもっぱらの仕事。

 王燁ちゃんのMPが切れても角端の暴走が止まらなかったので、MPを回復させる援護歌〈瞑想のノクターン〉はかけ直され〈翠壁不倒(すいへきふとう)〉組のMPは消費速度よりも回復速度の方が上回っている。

 

 

「飛刀とか、矢とか、2人ともこんな移動中なのによく当たりますね」

「ビックリよ。こいつに当てたいって思いながら投げたら、勝手に当たるもの。命中鍛えた甲斐あったわ。ロックオンしてる感じね。たぶん索峰も同じじゃない?」

「こっちはロックオンって感じじゃないなあ。弓向けて、ある程度狙いつけて、ここで今射れば当たる、って時に射れば当たってる。弓なんて現実では触ったこともないけど、不思議と使えるもんだな」

「というか、改めてその武器を弓って言ったら怒られそうよね。ゲームデザインにケチつける気はないけど、楽器武器としても、楽器?ってなるし」

「何回も助けられてるのにそれ言う?」

 

 

 郭貂麟も何度も見たことがある、索峰さんのメインウェポン。銘を〈音叉響弓・遠〉。

 非常に角張った造形で、握りのところのみ縦、上下の反りは直線的、かつ両端に長い音叉がついている。

 弦はなく、使用時に白い魔力の弦が出現するファンタジーデザイン。

 

 射るたびに綺麗ないい音がするが音叉は楽器ではなく調律の道具である。

 厳密には楽器と言い難い鈴や鐘が楽器武器にカテゴライズされているのも見たことがあるので、非常に縛りが緩いというのは知っているが。

 

 大別するとショートボウの括りに入り、〈暗殺者(アサシン)〉〈守護戦士(ガーディアン)〉でも使用はできるが楽器の属性付き。攻撃がヒットした際に援護歌の効果を数秒間強化するため、性能を100%引き出せるのは〈吟遊詩人(バード)〉という性能設定。

 元は〈秘宝級〉で索峰さん自身の〈鑑定士〉で追加効果の付与が行われ、攻撃範囲と射程が伸びて「遠」がついたという。

 

 

 このようなシステム上は複数職で装備できるものの実質特定職専用武器、というのは比較的よく見かける。

 杖ひとつ取っても、単純回復量を増す回復職向け、魔法攻撃力を上げる魔法攻撃職向け、一定以上のMPを一度に消費する際にのみMP消費を抑える大魔法使い向けと性能は千差万別。

 

 翠姐さんが装備している〈幻想級〉2挺斧は索峰さんとは違った方向で強力なもの。

 銘を〈鉄山黒戦斧〉といい、職業によっては両手で別の武器を持てる『エルダー・テイル』において比較的珍しい2挺持ち固定の手斧。

 50cmほどの緩やかに内に反った木製の柄を持ち幅のある半長円状の片刃。ギラつくような黒い刃で、翠姐さん曰く刃の金属部分が異様に重いとのこと。

 

 最高レアリティの〈幻想級〉を冠するだけあって並々ならぬ性能を持ち、手数を稼げる上に1撃1撃も重い、という短リーチを補って余りある火力特化武器。

 加えて特技〈トマホークブーメラン〉や刃物投擲に強烈な攻撃ボーナスがつくという変わり種で、投げ斧としての側面も持ち合わせている。

 崔花翠(さいかすい)=〈黒颱風(くろたいふう)〉の二つ名を賜った理由のひとつであり、この武器を入手したがために、独自の投擲優先ビルドを組むことにしたという。

 

 

 かくいう私は〈製作級〉の〈翡翠油椰子杖〉というワンドで、これも50cmほどの短いもの。

 ヒーリングワンドに属するもので主に回復量を伸ばす特殊効果があるが、先日志したシャーマン型ビルドには向かない。

 

 王燁ちゃんは〈製作級〉の〈赤珊瑚王笏〉。1mほどの金属杖で上部に赤珊瑚が装飾として刻みつけられている。

 というよりも王燁ちゃんの装備全体が赤珊瑚で統一されている。

 防具は前合わせのローブだが所々に赤珊瑚が煌めき、首飾りや腰巻きもつけているがそれもやはり赤珊瑚が付いている。

 

 王燁ちゃんの父親が用意してくれた入門装備がこれで、同時に王燁ちゃんの持つ最強の戦闘装備。

 セットで装備することで魔法系ステータスボーナスを得られる組み合わせで、翠姐さんによれば一式揃えようとしてもそう簡単には製作できないレベルの性能を持つ装備群という。

 その恩恵を受けているのはもっぱら角端の方というのは悲しいところで、角端から降りれず真っ先に敵モンスターに突撃させられているのは、もう哀れとしか言えない。

 

 

「ひゃああ〜!」

 今もまた進路上に敵が現れて、角端が雷撃と悲鳴を体に纏わせ突進していく。

 数えていないが7度目ぐらいだろうか。翠姐さんが馬腹を蹴ってそれを追う。相手は大きな蛇のようだ。

 

 角端が王燁ちゃんを振り回しながら大蛇の顎を雷撃の槍で突き上げる。大蛇の目から火花が散った。

 そこへ翠姐さんが滑り込むように間合いを詰め、斧で更に喉元を斬り上げる。

 押し潰そうと体を波打たせた大蛇から2頭の馬が跳び退り、下がった頭に索峰さんの矢が連続して突き立つ。

 

「索峰、リピート!」

「いつでも!」

「〈オープニングギャンビット〉!」

「〈リピートノート〉!」

「〈オープニングギャンビット〉!」

 

 数にして15個ほどだろうか、翠姐さんが切っ先を向けた先に大量のカード型ターゲットマーカーが付着する。

 〈盗剣士(スワッシュバックラー)〉の必殺技のひとつであり、本来は再使用規制時間が長いそれを、索峰さんが〈吟遊詩人(バード)〉の特技で再使用規制時間を無視して強制的に再発動させる。

 更に索峰さんは大蛇の目の前を横切って翠姐さんから視線をズラすおまけ付き。大蛇の頭部左側面がカードで埋め尽くされた。

 

「からのおおお〈ブレイクトリガー〉っ!」

 索峰さんを追った蛇の側頭部、ターゲットマーカーに翠姐さんが斧を叩きつける。

 瞬間、爆竹を鳴らしたかの如く猛烈な炸裂音と連鎖爆発が起きた。

 それだけで6割近く残っていた大蛇のHPが一瞬で消え去った。その後もまだ爆発が続いておりどう見てもオーバーキル。

 

「おー、この蛇強そうでしたのに」

「大きい相手こそ当てやすいのよ、これは」

 

 結果としては瞬殺もいいところだが、この大蛇、〈地鋼蛇〉と表示された亡骸はかなり厳ついし、鱗も皮も分厚そう。

 私の攻撃でダメージが入る絵が見えない。口外に出ている牙は、郭貂麟の身長を優に超えている。

 観察もそこそこに、倒したと見るや、角端が休みなど与えないとばかりに大蛇の死体を迂回し駆け出す。〈軍馬〉もそれを追いかけて走っていく。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 森や山や荒原を玲玲(れいれい)の背中や首にしがみついて6時間も駆けただろうか。

 さすがに握力がなくなってきた頃、玲玲は見たことのない城塞都市の前で走りを止めた。

 

 モンスターとの戦闘は少なくとも40回はあったと思う。

 郭貂麟(かくてんりん)さんのHP回復と索峰(さくほう)さんのMP回復があったとはいえ、皆無傷ではない。

 メイン火力として奮戦した崔花翠(さいかすい)さんと、サブ火力兼サポートとして全方位に注意を払い続けた索峰さんは、残った数値以上にげっそりと精根尽き果てたといった感じ。

 最後の1時間ほどは出くわすモンスターの強さもかなり上がっており2人は再使用規制時間のやりくりにも頭を悩ませていた。

 

 

 王燁(おうよう)が疲れていないか、と聞かれれば違う。

 戦闘で疲れた2人に比べ、王燁は心臓が疲れた。

 

 暴走ジェットコースター玲玲(れいれい)が、急加速しては見知らぬ強そうなモンスターに王燁の心の準備を待たず吶喊(とっかん)していかれては心休まることがない。恐怖ですらある。

 玲玲は平気なのだろうが、吼えられ睨まれ威嚇され、そこに真正面から向かいもれなく激突するチキンレース。それがどれほど怖いかちっとも理解してくれようとしない。

 

 更には回復した側からMPを使われ移動中常に気だるさが抜けなかった。

 恐怖はあってもいちいち反応する気も失せ途中から嵐よ過ぎ去れと皆が相対するモンスターを倒すのを待っていた。

 それは討伐か逃走を行う際に王燁が思考を放棄しても許されるほどの安定感があったということでもある。

 

 

「地に足着いても体が揺れてる気がするー」

「ちょっとホッとしますね。安心感というか安定感というか」

 角端(かくたん)に騎乗生物から降りることを許され郭貂麟さんがしゃがんで地面を触っている。

 

「来ちゃったなあ、泰山砦……」

 しみじみとも苦々しげとも違う不思議な表情で、索峰さんが通り過ぎた城門と城壁を見上げなにかを考えている。

 泰山砦は燕都(イェンドン)に比べると小さいなと思う規模だが、城壁は燕都よりも頑丈そうに見える。

 周囲のモンスターが強いということも関係しているのだろうか。砦ということもあってか武装した大地人(一般NPC)が多い。

 

 

「で、角端さんはなぜここにあたしたちを連れて来たのかしら?」

 

 返事は謎の行動だった。

「ひょわ!?」

 玲玲が王燁の襟首を噛んで持ち上げ、崔花翠さんに押し付けるように動かして、降ろした。

 そのついでとばかりに索峰さんをひと睨みすると玲玲は今来た道を駆け戻っていく。

 

「は?」

 

 索峰さんの疑問符はここにいる4人全員の総意だった。

 理由もわからないまま連れて来られて、説明もないまま主人もろとも街放置。

 意味がわからない。

 

「なにがしたいんだあいつは!」

 数秒の沈黙の後、索峰さんは怒鳴りつけるように怒りを口にした。

 王燁ですら意味不明さに困惑と怒りを覚えるぐらいなのだから、誰だって怒りのひとつも湧くだろう。

 

「玲玲がごめんなさい……」

「次会ったとき絶対張り倒す」

「気持ちはわかりますけど、王燁ちゃんもこれは被害者ですよ、ね、索峰さん抑えて抑えて」

「いや、あたしも1発入れないと気が済まないわ。王燁ちゃんには悪いけど。ホントなに考えてるのよ」

「あぅ……」

翠姐(すいねえ)さんまで……」

 

 巻き込んでしまっただけに居心地が悪い。

 その正当な怒りがこちらに向けられた時には返す言葉がない。

 召喚生物を抑えられない王燁の不手際でもあるだけに。

 

「切り替えていきましょう、ね? とりあえずお昼ご飯とかどうですか?」

 そんな空気の悪さを感じてか、郭貂麟さんが話を変えにかかる。

 曇っているが影の小ささから太陽はほぼ真上にあるようだ。

 

「まあ、いいけど。索峰、なにか食べる物ある?」

「あるけど、さすがに食べ歩けるものはないな。切ってない皮剥いてない。どこか腰落ち着けられる場所探さないと。まさか街中にゴミ捨てながら歩くわけにもいかないし」

「じゃあ、街歩いて市場か宿場探しましょうか。燕都(イェンドン)に帰るにしても、今日はもう移動したくないわ……」

「もう疲れたよー」

「私も……。腰と足に違和感が……」

 

 

 非戦闘状態になったのでHPとMPは戦闘状態に比べかなり早い速度で自動回復を始めている。

 それでもMPを吸われ続けて引き起こされた体を覆う倦怠感と体の重さは消えないし、疲れのようなものが残っている。

 崔花翠さんの提案に従って、街の中心部に向かって大通りを歩き、民家や街の人の様子を眺めながら移動した。

 〈冒険者〉が見事に誰もいないにも関わらずどこか落ち着きのない雰囲気を感じた。燕都での細かいトゲのあるような雰囲気とは違い、雨の前のように空気全体が重い。

 

 

「ところで、角端が王燁ちゃんを持ち上げたのって、なんの意味が込められていたと思います? 私には、王燁ちゃんを任せた、って感じに見えましたけど」

「あたしにとっては押し付けられた、とも。ねえ王燁ちゃん、角端との繋がりはまだあるの? それとも、野に帰った?」

 

 言われて特技一覧のタブを開く。

〈従者召喚・角端〉〈戦技召喚・角端〉の文字はまだ残っており、王燁から特技を起動できないことも含めて変化はなにもなかった。

 

「まだ玲玲と王燁は繋がってる」

「じゃ、戻って来るつもりは一応あるんですかね?」

「いつ帰って来るかはわからんがなあ」

「玲玲すぐに戻って来る?」

「んー、そう長く王燁ちゃんから離れるつもりはないんじゃないかしら、勘だけど。

 あれだけ懸命に王燁ちゃんを守っていたのが、たかだか数日一緒にいただけのあたしたちに長い時間子守を任せるとは思えないのよ。索峰はまだ信用されてないみたいだったし」

 

「そういえばまだ睨まれてましたね、索峰さん」

「進んで角端から信用を得ようとは思わんがな。こっちだって信用に値する行動を示されてないんだ」

 今日の暴走行為で散々怖い目に遭わされて、王燁も玲玲への信頼がやや薄まっている。

 

「ちょっと出かけるから王燁を預かってくれ、ってところですかね、翠姐さんの勘を根拠にするなら」

「ちょっと、なことを祈るばかり。普通、いつ帰るか伝えるわよね?」

「言葉通じませんし。今更ですけど」

「そうでなくても身勝手が過ぎるからイライラしてるんでしょうが」

「玲玲が本当にすいません、すいません」

 

 王燁がワガママで言うことを聞かなかった時の母様は、よくこんな不機嫌さだった。

 全てではないが、怒りの一部分がこちらに向けられているのがわかる。

 火種を持ち込んだのがわかっているだけに王燁には謝ることしかできない。不用意な返事をするのはより機嫌を損ねることが多かった。

 

 

 好意で受け入れてくれただろう3人にこの状況の予想と心構えはなかっただろう。

 それらの事情の変化に王燁が出せるものはない。

 王燁は我慢強いと思う。でもみんなが同じ我慢強さではないし理不尽な出来事には我慢の限界が早い。

 悔しさより、申し訳なさが辛い。

 3人の輪に入っていけるほど互いに理解もなく、王燁を理解しても事態の変化になにひとつ影響がない。

 

 全てにおいて、あまりにもなにもなかった。

 お荷物程度のマイナスですらない。もっと重いなにか。

 だからと言って捨てられると、1人で生きていける自信もない。

 玲玲には怒りもある。だが、一行の主導権を握っている玲玲の早い帰りを待ちわびてもいる。

 

「お願いだから、早くしてね」

 誰に聞かせるでもない小さな呟き。

 玲玲が帰ってくるまで、この居心地の悪い空気を、王燁は我慢しないといけない。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 宿を見つけ、蜂蜜をたっぷり溶かした甘い湯を飲んで腹を落ち着かせて、昼食と夕食になる分の果物を分配し、街から出ないことを取り決めて、そのあとは思い切って朝まで丸ごと自由時間にした。

 角端(かくたん)が戻ってこないことには動けず、なにかしなければいけないこともないので、どんぶり勘定のゆるゆる予定の方がいい。

 

 怒りの鎮まらない崔花翠(さいかすい)は昼寝を決め込んで部屋に引きこもり、郭貂麟(かくてんりん)王燁(おうよう)の両手に花に引っ張られるように泰山砦の広くはない城下町を見物した。

 索峰の役割は財布として。

 

 

 歳が若いからなのか、単純に馬が合うのか、王燁と郭貂麟はそれなりに打ち解けているように見えた。

 魔法職と回復職ながらどちらも召喚生物を扱い、かつ郭貂麟は魔法攻撃に主眼を置こうとしており、王燁は角端の能力で強化も回復も担当できると、奇妙な方向性の一致が起きている2人。

 装備面で話が合い、これはどうだあれはどうだと、土地柄か燕都よりも充実している大地人(NPC)武具店で話に花を咲かせている。

 

 あえてその会話には参加せず、金は出す宣言だけして自由意志を尊重した。

 こういうのは装備を考えている間が1番楽しい。

 空いた時間で初日以来になる梅石との念話を行ったが、お互い目新しい話はなかった。

 

 武具店を出た時には、郭貂麟の装備が新調され前のものに比べ3段階ぐらい一気に性能が向上しており、索峰の財布に容赦のないダメージが入ったが必要経費(コラテラルダメージ)ということにする。

 新調しなければ泰山周りでの戦闘には力不足が明らかだった。

 

 王燁の赤珊瑚装備一式も1段階強化された。クリムゾンレッドの鮮やかな色彩を見ていると、そりゃあ現実世界で赤珊瑚の密漁もされるだろうと思う。

 こちらの強化には、索峰の持っていた汎用高レベル素材が結構な量の贄と化した。

 索峰自身の装備はもうゲーム時代にほぼ完成しており、素材を持っていたところで当面使う予定もなかったが。

 

 

 索峰がやったことは特殊矢の購入だった。

 〈火薬炸裂矢〉〈麻痺矢〉〈毒矢〉などオーソドックスなものは消費量が半端ではないし、ハイエンドで使う〈壊毒矢〉〈重撃矢〉〈硫酸爆撃矢〉ら高価な矢でもこまめに補充しないとあっという間に尽きる。

 

 ただでさえいつなにが必要になるかわからない現状。

 〈音叉響弓・遠〉による射撃が戦闘スタイルの第1選択なので生産ではなく購入で済む種類の矢弾は多く備える必要がある。

 ゲーム時代のように足りなくなったら街で買い直してさっさと再出撃、とはいかない。

 

 プレイヤー商店か高レベルの矢調合が可能なサブ職業持ち〈冒険者〉による調合及び製作を伴う矢は店売りのものより更に強力だが、備蓄してある分はほぼ封印することになる。

 身内に強力な矢を生産できるサブ職業持ちはおらず、補給手段も確立されていないので、最悪2度と手に入らない可能性すらある。素材さえあれば半永久的に入手可能だった頃とは違うのだ。

 

 

 店売り品だけでは最大火力が3割ほど落ちる。

 しかし索峰が備蓄してある〈冒険者〉製の矢は固定砲台として撃ち続ければ30分で全て使い切るだろう。よほどの相手でなければ温存しなければいけない。

 そのよほどの相手が散見されるのが泰山の周辺のモンスターゾーンでもあるので頭が痛いのだが。

 もちろん第2選択として近接武器も用意はしてあるし、特技の習熟度も上げてちゃんと扱えはするのだが、どうも干戈を交える接近戦はゲームの頃から肌に合わずプレイヤースキルとして劣る。

 

 矢を補充して今更ながらに気付いたが、ゲームの頃との大きな違いとして、トレード不可と譲渡不可のアイテムの縛りが非常に緩くなっていた。

 

 これはこれで当然なのか、とも思う。

 ごく最近ゲーム内では〈蓮子(ハス)マンドラゴラの実〉を集めるイベントがあったが、このアイテムは譲渡不可だった。

 実を集めて特典アイテムに交換するというもので、イベントの都合上譲渡されては困るのでプレイヤー間の譲渡不可になっていた。しかしシステムメタ的には無理でも現実的には手渡しぐらいできるはず。

 

 そんなシステム上の制約は概ね取り去られたらしく、素材や消耗品をざっと見た限りでは譲渡ができないものは見当たらなくなっていた。

 しかし武具は相変わらず譲渡できるものできないものがきっちり設定され、システムとして生きている。

 

 ものは試しと、譲渡不可の秘宝級〈音叉響弓・遠〉を郭貂麟に持ち去らせようとした。

「ふぐぐぐぐううぐぐぐ」

 結果、索峰の腕から1メートルと離れない位置で、〈音叉響弓・遠〉はピクリとも動かなくなった。

 

「なにこれおもしろーい!」

「謎だなあこれはまた」

「どういう仕組みなんでしょうねー」

「思いっきり吹っ飛ばされても武器を手放さないゲームの謎現象の再現、か?」

「確かにそれは謎ですよね」

 検証と研究に力を割けないが、なんとなく、面白そうなことが隠れていそうなことではあった。

 

 

 武具屋を巡り、工房を覗き、露天商を冷やかし、日用品を買い足し、それなりに目を凝らして〈冒険者〉の姿を探したが、燕都(イェンドン)と違って〈冒険者〉の姿は皆無でまだ誰もここには到達していない様子。

 そのため燕都では品切れ高騰に晒された果実類はまだ豊富に残っており、本来の目的であったうちのひとつは達成され少なくとも食の心配は先延ばしにできた。

 肉や魚を食べたいとも思うが、街が違うならとダメ元で買った串焼きステーキは案の定味がせず欲求を満たすには至らない。

 

 主食となりそうなものは発見した。

 発端は果物を買い込んだ店の向かい正面が落花生や松の実などを売っている店だったこと。

 郭貂麟がひまわりの種を好物としており、索峰が果物の価格交渉している間にそちらに吸い寄せられて、非加熱なら味がするらしいという経験則に基づいて、生のひまわりの種なら味がすることを発見したのだ。

 

 索峰にとっては思考の外もいいところだった。ナッツ類はローストするもの、炒る煮る焼くがどこかの過程に加わるものだと思っていた。

 ひまわりの種が中国では好まれることも知っていたが、市場で見かけるのは炒ってスパイスや塩で味付けしたものだった。

 実際、味がするのは生のひまわりの種だけで、この世界においてはやはり炒ったものは味がしない。落花生も炒るか蒸す過程を挟むのか同様。

 

 

「じゃあ生栗なら大丈夫じゃ?」

「え? 食べるの?」

「え? 食べますよね?」

「え?」

「え?」

「王燁は食べられるよ?」

「え、食べられないの自分だけ?」

 かなり大きなカルチャーショック。栗は焼くなり蒸すなりするものだと思っていた。

 どうもこうも焼き栗である天津甘栗の印象が強すぎたらしい。

 

「火を通してないのが欲しいなら、殻付き胡桃もそうだがね」

 非加熱のものを探していると気付いた店主の親父に言われて『くるみ割り人形』の童話を思い出す。

 くるみ割り人形は、生胡桃を割って食べるためのものだったと。

 

「あー、言われてみりゃ確かにそりゃそうだ。日本でもオニグルミ食べるじゃん。なんで思いつかなかった田舎育ち」

 

 どこに食生活改善の糸口があるかわからない。

 とはいえ、この日の収穫はこの程度。

 他の〈冒険者〉が不在で多少気が楽だが、代わりに同じ境遇である〈冒険者〉による新たな発見にも触れられないということでもあり。

 

 燕都が荒れるにせよまだ利用価値はあると思っているし、この騒動が終われば燕都には戻らなければいけないと思う。できるならこの街にでも逃げ場を用意してから。

 そんなしがらみを考えるよりも、もっと別の流れに自分たちが乗せられていることを角端が連れて来た男によって知る




書いてた時の3話終了。


泰山砦および泰山のもろもろはオリジナル設定。


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幻獣が連れてきた者

 角端(かくたん)が帰らないまま索峰(さくほう)の金で一夜を宿で過ごしたあたしたちが朝食をばと宿階下のフリースペースに降りていくと、大地人の先客らとは離れた場所に、見た目40半ばから50半ばで剃髪した壮年の男が近づきがたい雰囲気を強烈に放ちながら角端を侍らせ静かに茶を飲んでいた。

 

 あたしたち、厳密に言えば索峰の尻尾を見て目的の相手だと察したようで、立ち上がると黙礼し手招きして席に誘う。

 豪放な感じでも気品のある感じでもなく、風格のある所作だった。

 

 

 4人顔を見合わせ、なんだか長話になりそうだなあと共通認識を持ちはしたが、行くしかないな、と索峰が言うので、半ば諦めの境地に早くも辿り着きながらガタゴトと椅子を集めてテーブルを囲んだ。

 

 謎の男の真正面は索峰に座らせる。ギルドマスターではあるが、面倒ごとは頭脳担当に任せるに限る。

「初めまして、でいいですよね」

 代表して最初に話しかけるのはあたしなのだけど。

 

「ええ、それでいいでしょう。こちらからは一方的に貴女(あなた)を、〈黒颱風(くろたいふう)崔花翠(さいかすい)氏を存じておりますが」

「え、あたし知ってるんですか? 憶えないですが」

「ですから、こちらが一方的に知っていると。ああ、無理してかしこまった口調をする必要はありません。私よりも、熟練の冒険者のあなたの歳の方が上でしょうから」

 

 おばさん呼ばわりされたようでカチンと来た。

 どう見ても、目の前の男の歳はあたしより上に見えるのだが。

 

「失礼ですが、お名前と、よろしければご身分をお聞かせ願えますか」

「ああ、まだ名乗っておりませんでした。拙僧、瑞袞(ずいこん)上人(しょうにん)と申します。泰山に住まう者で、恥ずかしながらまだ解脱しておりませんが、仙人の真似事をしております。瑞袞とお呼びください」

 上人、ということは高僧か。なぜ角端によって引き合わされたのかさっぱりわからない。

 

「えーと、あたしがギルマスで、こっちの狐が索峰、全身赤い子が角端の主人、王燁(おうよう)ちゃんで、最後の1人が郭貂麟(かくてんりん)ちゃん」

「はい、王燁様は角端より聞き及んでおります。索峰殿、郭貂麟様ご両名とも、お気遣いないようお願いします」

 

「瑞袞さん、なんであたしを知ってるんですか?」

 ステータスを見ればただの大地人(一般NPC)ではある。

 ゲーム時代の索峰を覚えていたNPCもいたというから、あたしを記憶している人がいてもおかしくはないが、坊主の関係者にそれがいるとは思いもよらなかった。

 

「50年前ぐらいですか、泰山(たいざん)地獄の下層に未踏のエリアが発見され、〈毒蛇龍〉が這い出てきた際、最も早く最下層を踏破され、毒蛇龍を討伐された一団におられましたな。

 それからたびたび中層でご活動されていたようですが、40年ほど前には涌き出でる〈疫鬼(えきき)〉の集団により泰山地獄崩落の危機に陥った際には、これも数多の鬼を切り捨てながら召喚陣への道を切り拓かれたと聞いております」

「おー」

 王燁ちゃんは素直に感嘆している。

 

 

 索峰と(てん)ちゃんは、50年と40年という単語に反応して坊主とあたしを訝しげに見ている。

 そしてあたしにも言われて思い出したことがある。

 毒龍は〈地底瘴魔(しょうま)〉、悪鬼を切り捨てた方は〈疫鬼塞儀(えききさいぎ)〉だ。

 どちらも、ギルド〈翠壁不倒(すいへきふとう)〉結成前、ギルド〈羽公〉に所属して戦っていた時にあっった大規模戦闘(レイド)

 

「索峰、これ、両方あんたが中国来る前にやってたイベントの話よ、たぶん」

「マジか、いつだ」

「うろ覚えだけど現実時間で3、4年ぐらい前だと思う」

「だいぶ前か。でも桁が違う」

「拙僧が一方的ながら存じている〈冒険者〉の方はかなり多いと思います。歴史知識に近いですが」

 偉人扱いか、あたしは。

 

 それにしたって、時間の経過がダイナミックに飛び過ぎやしていないか。

「ゲーム内時間が現実より早く動いていた影響でしょうか?」

「かもね。それだと辻褄合うのかも」

 

 貂ちゃんの指摘で、ヘルプを思い起こす。

 確か、現実時間の1ヶ月で、ゲーム内は1年経過していたはず。

 現実時間の1年でゲーム内が12年進むなら、時間勘定は概ね合うか。

 貂ちゃんや王燁ちゃんは目の前の瑞袞上人と年齢を争うだろうが、あたしと索峰は言われた通り年上ということになるだろう。

 

「索峰は何年ぐらいプレイしてたんだっけ?」

「13、14年いくか? もう数えてない」

「ということはこっちじゃ150歳近い?」

「うへ」

「狐のおじいちゃんだー」

 

 苦々しげな索峰の表情は、こちらの世界で何度見ただろうか。

 狐化著しいが、そろそろ細かな表情の変化も判別できるようになってきた。

 

 

「ふむ、尻尾7本の狐尾族、相当な研鑽を積まれているようですな。泰山の狐仙の試練に御用でも?」

「いえ、そういうわけでは。角端に連れてこられただけで」

 

 狐尾族は尻尾の多さが実力と霊格のバロメーターという。

 尻尾が多ければ多いほど格が高い。索峰の7本というのは狐尾族としてはかなり上だろう。

 それとも、中国サーバーの吟遊詩人(バード)上位10指に数えられるだろう実力を持つ索峰でもまだ7本と考えるべきなのか。

 

「なぜか尻尾や耳隠せないので邪魔ですけども。隠し方分かります?」

「それはお力になれませんな」

「残念」

「隠す必要ないじゃないですか」

 あたしも貂ちゃんの意見に賛成だ。せっかくのふわふわ、もったいない。

 

「さて、そろそろ本題に入りましょうか」

「あ、ちょっと待ってください、朝飯まだでして」

「お食事しながらで構いません。おそらく長話になるでしょうから」

「ではちょっと失礼して」

 

 取り出したスイカとメロンを索峰が手早く切り分けて5枚の皿に盛った。

 寝起きということもあって、水気の多いこれらは胃に優しい。他に食べたい果物があればリクエストだ。

 瑞袞上人にも押し付けるようにスイカとメロンの皿を回し、王燁ちゃんは角端にリンゴを齧らせた。

 

 

「まず、拙僧がご説明いたしましょう、なぜこの場を設けたか。なぜ角端が拙僧と一緒だったのか」

 角端の暴走が、あたしたちにとっての大きな謎だ。角端が暴走しなければこの街には来ていない。

 

「最初から脱線しますが、皆様は、角端について、どの程度理解しておられますでしょうか。戦闘能力ではなく、伝承や生物としての角端です」

瑞獣四霊(ずいじゅうしれい)の聖獣、鳳凰(ほうおう)霊亀(れいき)応竜(おうりゅう)と並ぶ麒麟(きりん)の一種、ってところかしら」

「黒い麒麟が角端(かくたん)で、赤いのが炎駒(えんく)、白いのが索冥(さくめい)、青いのが聳弧(しょうこ)って父様から聞きました」

 

「ふむ、では根の方からお話しするべきですね。立ち位置としてはお二方の説明で合っています。付け加えるとすれば、麒麟は毛のある獣の長としての立場もあります。賢明なる為政者の出現と共に現れ、麒麟という種そのものも頭脳に優れ人語を解し気性は穏やか。

 強大な力を持つが殺生を嫌い、虫を踏まず、草を折らず、仁徳の顕現ともされる。概ね正の妖異ですから、召喚獣として使役できるとも言えますでしょう」

 

 そう言うと、瑞袞上人は傍に置いていた竹紐の編みカバンから鮮やかな羽根を取り出した。

 よく見ると羽根飾りで、うっすらと五色の魔力光が湛えられている。

 

「魔法道具の〈応鳳霊麟徽(おうほうれいきき)〉です。鳳凰の羽根を加工したものでこれを王燁様に。四霊の聖獣を従える者が泰山を登った時、お渡しすることになっています。

 今回は角端が単独で登ってきたもので大層驚きましたが。効果は、角端召喚中に敵愾心(てきがいしん)の煽りを抑え、気の流出を大きく減らします」

「ありがとうございます、頂きます」

 

敵愾心(ヘイト)の煽りを抑えるのはわかりますが、気の流出とは?」

「〈冒険者〉風に言いますと、MP消費が減りますな」

「なるほど、魔法職には良い効果。王燁ちゃんが角端に大量にMP吸われるのも多少マシになるかね」

 

 

 王燁ちゃんに〈応鳳霊麟徽〉を渡すと、ふぅー、と、瑞袞上人が大きく息を吐いた。

「泰山仙境の秘宝のひとつですから、渡すまでに盗まれでもしたら、拙僧、崖から飛び降りねばならぬところでした。角端自らが持ち出せと指示しなければ仙境の外に持って出ることはなかったでしょう。

 拙僧にとっての最大の用件は終わりました。あなた方にとっての重要事はここから先でしょうが」

 配膳はされたが全く手をつけていなかったメロンに、瑞袞上人は手をつけ始めた。

 

「先ほど麒麟は賢明なる為政者の出現と共に現れると申しました。そしてこの地は泰山で、〈封禅(ほうぜん)の儀〉を執り行う地。そして玉座は現在空位です。〈封禅の儀〉の機構を起動させればすぐに王として名乗りを挙げることができましょう」

 索峰が燕都(イェンドン/北京)で言っていたことが、改めて提示された。

 

「つまり、賢明なる為政者がいるから〈封禅の儀〉を行え、という勧めですか?」

「郭貂麟様、そうではないのです。本来、麒麟とは戦乱の世に現れてはならぬのです。諸侯が競って覇を唱えんとしていたのに、なぜ王燁様の元に現れたのでしょう」

「抽選籤ですから、いつでも出る可能性はあって、不思議ではないと思いますけど」

「いえ、60年ほど、麒麟とその系列種に目撃記録はありません。以前の目撃記録でも1年ほどで姿を見なくなった、とあります」

 

 60年、現実時間でざっと5年間。

 角端はレアリティが〈幻想級〉の位置付けであった上に、人を選ぶ追加課金要素で排出期間も制限されていた。5年間排出されなくても不思議ではない、のかもしれない。

 盗剣士(スワッシュバックラー)に関係ないので実際どうだったのか知らない。

 

「翠姐、ギルドウォーシステムっていつ頃導入されたかわかる?」

「んー、あたしが始めた頃に試験導入だった気がするから、5年ぐらい前じゃない……あ」

 麒麟が姿を見せなくなった期間と一致する。

 

 

 偶然と片付けることもできるが、連鎖的に記憶が蘇る。

 王燁ちゃんの父親が引いたであろう《ノウアスフィアの開墾》大型アップデート適用前最後の課金抽選籤だった「特級麒麟種復刻召喚獣籤」の特賞として、真正の麒麟種復刻で外部コミュニティは盛り上がっていた。

 

 その前の麒麟排出がいつだったかは知らない。この手の籤で目玉として設定された、鍛えればバランスブレイカーにすらに至りかねない本物は中国サーバー管理区域全体で総個数が決められている。

 その本物を所持したアカウントが削除されたり、長期間ログインもせず放置されたり、ログインしつつも使用実績がなかったりした数が合計して一定に達すると、また課金籤に登場させる形がとられている。

 

 大抵は外見を使いまわした優秀な下位互換排出で当たりと満足するものだ。それとて強化上限は100%と90%程度の差でしかない。

 明確な差としては、エフェクトが派手になり経験値ブーストやアイテムドロップ率アップといった直接戦闘には関係のない効果が付与されていることか。

 

 

「ギルドウォーシステムを実装したために、麒麟を排出させなかった、という理屈は成り立つかしら?」

「可能性としてはありうるが、確かめようがないな。運営のみぞ知る」

 

 世が戦乱に染まり、世が乱れるから、安泰を好む麒麟は籤にも出さない。

 瑞袞上人を信じるなら仮組みながら辻褄は合う。

 辻褄が合うだけで、実証の術がない。本筋から外れた話でもある。

 

「角端が現れた理由、ね……」

「王燁を守ってくれるため?」

「それも間違ってはいないと思いますが、瑞袞さんの欲しい答えじゃないでしょうね」

 

 この世界においての情報が足りない。ゆえになにが正しいのか判断もできない。

 巻き込まれた側の気持ちとしては、王燁ちゃんの元に排出されたことも、この世界変容を思うとなにか理由があるのかもしれないという気にもなる。

 

「お手上げです。こちらも角端がなぜ王燁ちゃんのところに現れたか、説明できません」

「残念です。経過観察、というところになりますか。いずれ理由が説明できるようになれば、お教えいただきましょう」

「申し訳ない」

 索峰と瑞袞上人が同時にスイカにかじりついた。あまりにも同時だったので、ちょっと笑えた。

 

 

「これは私どもがお聞きしたいのですが、なぜ〈冒険者〉による泰山や光山(こうざん)らの封禅が一斉に解かれ空位となっても、誰も動かないのでしょうか。拙僧らは泰山を管理する者。ここしばらく泰山に拠る〈冒険者〉が皆無となったのもなにか関係があるのではないか、と愚考するのですが」

 スイカで喉を潤した瑞袞上人が、再び切り出した。

 

 明確に異変を察知した〈大地人〉に会うのも初めてである。

 瑞袞上人に現在の状態を説明はできるが、原理を含めてなにが起きたとは言いにくい。

 

 瑞袞上人はきっと、泰山におけるギルドウォーの管理を司る立場の人だ。

 コンテンツの性質上、終わりがなく、また時間の区切りもない。常に争っているのが当然、日常の一部とさえ言えるだろう。

 それが全くの無係争、そもそも人もいないとなればなにかあったと察しもするか。

 回答任せた、と顔に書いて索峰にばしばし目線を送る。

 

 

「どこまでご存知かはわかりませんし、自分らも全ての理由と原因を知っているわけではないので、全ての疑問の解決にはならないかもしれませんが、お答えします」

 顔に書いた意図を、索峰はしっかり読み取ったようだ。

 

「10日ほど前、理由はわかりませんが、全土に散らばっていた冒険者は沿岸部のいくつかの都市に分散して飛ばされました。おそらく泰山にいた冒険者もです。加えて都市間移動のゲートが原因不明の停止で都市間の移動が物理移動となり、妖精の輪による移動も補助計算ツールが使えなくなり、目的地へ高速で向かうことが非常に困難になりました。

 冒険者が一斉に集められ、長距離都市間移動も出来なくなった結果、冒険者による商店も仕入れや販路に混乱が生じて食料供給に問題も起き、そちらの確保にも一定以上の力を注ぎ込む必要が出ています。

 一斉にいくつかの都市へ飛ばされた結果、知り合いと別々の都市に飛ばされた者もいますし、そもそも行方が全くわからなくなった者のほうが多いようです。

 ギルドの長や幹部が行方不明になったところもあるでしょうし、安否確認と組織再編と食料確保、必要なら都市間遠征で合流を目指すといった事象が積み重なり、燕都(イェンドン)では混乱模様でした。

 いずれなんらかの形で混乱は収まるとは思いますが、自分たちが燕都を出た時点では近隣に気を向けるまではできても、軽い遠征になる泰山に気を回す余裕はまだ無かったように見えました。

 封禅が解かれた理由と原因は、強制転移によってなにか影響があったのではという推測しかできません」

 

 突然丸投げされたのに、よくもいろいろと喋れるものだ。

 謎の転送と都市間移動ゲート停止によって混乱は起きているが些事である、そう言いたげな回答だった。

 些事には程遠いと思うのだが索峰にはなにか考えがあるようだ。

 

「概ね把握しました。ありがとうございます。まるで大災害で強制的に休戦したような状態ですな」

 索峰の説明で全てを納得した表情ではない。しかしそれに聞き返すこともなかった。

 単純に索峰が喋りまくって要点を絞らせなかったからかもしれないが。

 

「ギルド間の対立をしている余裕もなく、皆が各々で内政しなければいけなくなっているので、大災害という表現も間違いではないでしょう。元々ギルド間の対立に興味がなく人数も少ないウチのような集団が最も早い段階で立ち直って金を稼ごうとしている、というのは皮肉かもしれません」

「いえ、立ち直りが早いことはいいことでしょう。組織が大きくなればそれだけ有事の際の重しも増えますし、被害を受ける可能性も高まるでしょうから」

 

「〈封禅の儀〉に余力を出せるまでに立ち直る集団がどれほどいるか。先に言った通り冒険者はバラバラに飛ばされましたので、大きなギルドでも主要メンバーが方々に散っている可能性があり、一概にどこがすぐに立ち直りそうとは言いにくいのです。もしかしたら街単位で全くの新興集団が立ち上がるかもしれません」

「どんな形にせよ、なるべく早く立ち直って欲しいものです。拙僧らのように常日頃からモンスターの脅威と隣り合わせに暮らしている者は、冒険者に活躍して貰わねばなかなか安心できませんから。泰山地獄は淀みのようなもので、いつまたモンスターの大発生が起きるか」

 

 

 〈冒険者〉は全くまとまらないかもしれない。

 燕都で崔花翠が感じた空気は、自治に動こうとする流れにはなっていなかった。それどころではなかった、というのも正しい。

 大きな方針も打ち出されておらず、不満と不安は方々で蓄積していたので大きな衝突が起きることは避けられないだろう。もしかしたら既に起きているかもしれない。

 

 索峰がおそらく意図的に全く触れなかった戦闘の変化も、間違いなく今後に影響する。

 PC上での俯瞰視点でマウスとキーボード操作で行う戦闘から、全身で操作する一人称視点戦闘に変化したのだ。

 触覚も嗅覚も痛覚も実装され、得られる情報も要求される技術もまるで別物になった。

 ゲームだったころの技術が完全に役立たなくなったわけではないが、装備やレベルによるゴリ押しが通じない。高いレベルのモンスターゾーンでは影響は顕著に現れるだろう。

 ゲームでは数時間単位で集中を持続できたものが、こちらで同じパフォーマンスを発揮できるとは思えない。

 

 試しの戦闘でも慣れていないとはいえ混乱で頭が真っ白になった時もあった。

 角端に引きずられて無理やり戦闘させられた時も、スムーズに攻撃を繋げられない場面は数多くあった。

 なにを思って索峰が情報を選んで出しているのか、まだ理解できない。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「それでなぜ角端(かくたん)瑞袞(ずいこん)さんと一緒に? 泰山(たいざん)に連れてこられた理由も私はわかっていませんが」

 話がひと段落つき翠姐(すいねえ)さんも索峰(さくほう)さんも考えをまとめていると見えたので、郭貂麟(かくてんりん)は思い切って切り出してみた。

 

 最初に脱線したまま、答えられていない。

 

「ああ、まだ言っていませんでしたね。ご承知の通り、泰山の頂には〈封禅の儀〉の神殿があります。そこは仙境と呼ばれる場所で、拙僧共が静かに暮らしている場所でもあり、角端ほどの格はないですが聖獣が住まう場所でもあります。

 聖獣の言葉を解する者もおりますし意思疎通が可能です。燕都(イェンドン/北京)からは最も近い仙境ですから、泰山を選んだようです」

 泰山を選んだ理由はわかった。しかし説明が不十分だ。

 

「〈応鳳霊麟徽(おうほうれいきき)〉でしたっけ。あれって泰山でしか手に入らないものですか? 貴重そうなものに聞こえましたが」

「貴重と言えば貴重ですが、鳳凰は西方の崑崙山(こんろんさん)に棲んでいますし、麒麟ほど神出鬼没というわけではないようです。

 おそらく〈冒険者〉の中にも、鳳凰を見かけた、あるいはその羽根や卵を手に入れたことのある者はそれなりにいると思いますよ。〈応鳳霊麟徽〉も、南方の光山や別の〈封禅の儀〉が可能な山でも同じものが入手できるはずです」

 

「では、なぜ角端を連れた人にそれを渡すんでしょう?」

「鳳凰、応竜、麒麟、霊亀、どの瑞獣を連れていても良いのですがね。なぜと申されますと、拙僧がこの世に生を受ける前からの決まりですからなあ。これはなんともわかりませんな。神に近しい存在ですので制御するために特製の手綱が必要という解釈でも、不思議とは思いませんな」

 

 基盤は『エルダー・テイル』を踏襲しているのだから、運営がそう設定していたと考えるべきことなのかもしれない。

 

「角端の言葉がわかる人がいるんでしたよね。じゃあ、瑞袞さんではなくて角端の言葉がわかる人が来るか、もしくは一緒に来たら良かったんじゃないですか?」

「仙境でしか生きられない、生きようとしない者も多いですし、そもそも、悟りを開き俗世の事情に無頓着な者が多いのです。

 拙僧は仙境に暮らしてはおりますが、最初に申した通り解脱しておらず俗世に関わることを許されている身で、それなりに世間の事情に明るいということもあります。

 今回に限らず、何度か山を降り〈冒険者〉の方に助力を願ったこともあります。そのひとつと考えていただいて構いません。今回は異常事態につき、情報収集も兼ねておりますが」

 

 角端が泰山へ急いだ理由がまだわからない。

 王燁(おうよう)ちゃんを安心させるため以外にも理由はあるのだろうか。

 

「じゃあ、仙境って場所まで行けば玲玲(れいれい)とお話できるの?」

 その王燁ちゃんが話題に食いついた。

「はい。通訳を介しますが可能です」

「行ってみたーい!」

 満面の笑みを浮かべ煌々とした光を湛えた視線が索峰さんと翠姐さんに突き刺さった。

 あまりに純真な視線に、2人が顔を反らすほどに。

 

「……瑞袞さん、戦闘を避けて仙境まで行けます?」

「無理ですな。仙境そのものは安全ですが、普段の下山は〈冒険者〉の護衛で移動しておりましたし。登山時は拙僧専用の帰還の宝具があります。今回の下山は角端が拙僧を口に咥えて猛然と岩肌を駆け下りまして。生きた心地がしませんでしたな、あれは」

「お、お疲れ様です」

 

「角端お前、意地でも王燁ちゃん以外背中に載せないのな」

 当然、といった感じで角端は首を持ち上げた後に頷いた。

 大の大人が口にぶら下げられて移動する絵面を想像して、私は吹き出しそうになった。

 

 

「帰還の宝具でまとめて移動ができたりしないかしら」

「しませんな」

「ですよねえ」

「……仙境行けないの?」

 急速に王燁ちゃんの顔が曇っていく。すぐ感情が顔に出るのは8歳という年相応なのかもしれない。

 

「ちょっと相談する時間ちょうだい」

 翠姐さんが索峰さんの尻尾を1本掴んで席を立った。

 

「仙境へ行く道って、どんなところなんですか? 角端が行けるなら登れると思いますが」

「角端が規格外なのですよ郭貂麟様。角端にとっては泰山の獣程度はほぼ全て格下。向こうにとって争うには無益な相手なのです。角端単独の登山なら、どうぞお進みくださいでほとんど戦いにすらならぬでしょう。

 拙僧が角端と下山する時も、まあ似たようなものでした。山に住まうモンスターも生半可な〈冒険者〉では簡単に返り討ちになる猛者の筈なのですが」

 

「角端ってなんでこんなに強いのでしょう? 王燁ちゃんに使役されているなら、能力に制限がかかりませんか? 私が考える召喚生物の枠組みに照らして考えるとあまりにも強いと思うのですが」

「仙境にも登山道にも召喚獣として使役できるモンスターがいると聞きます。しかし王燁様と角端の契約に詳しくありませんので、角端の強さの理由はわかりませんな。仙境で直接お聞きになれば解決するかもしれません」

 

 使役できる召喚獣がいる、というところが郭貂麟の欲を刺激した。

森呪遣い(ドルイド)の従者にできるモンスターもいますか?」

「ほう、森呪遣いでしたか。ええ、おりますよ」

 

 召喚術師(サモナー)と同じように、森呪遣いも戦闘補助に召喚生物を使える。

 しかし郭貂麟にはまだ戦闘に耐えうる召喚生物を従えていない。高レベルゾーン産の召喚生物なら、満足のいく強力な助っ人を契約できるだろう。

 

「翠姐さん、索峰さん! 仙境行きましょう! 私も召喚生物欲しいです!」

 翠姐さんはぎょっとした表情でこちらを見て、更に、勝ち誇ったように索峰さんの肩を1回叩いて笑い出した。

 一方で索峰さんは吐き気を催したかのように顔を歪めて席に戻って来た。

 

 

「いやー、(てん)ちゃんありがとー。あたし仙境行き賛成で索峰は反対だったんだけどね、貂ちゃんが行きたいって言ってくれたから、多数決ってことで行く方に押し切っちゃった。やったね王燁ちゃん」

「やったー! いえい!」

「いえーい!」

「…………燕都(イェンドン/北京)いつ帰れるんだよこれ」

 呪詛のようにぶつぶつとなにかを呟く索峰さんに、瑞袞上人はかける言葉が出てこないようだった。

 

「瑞袞さん、この泰山砦から仙境って時間でどれぐらいかかります?」

「〈冒険者〉の方々の強さにもよりますが、概ね日の出と共に出れば、夕暮れになる前に楽に着くかと思いますよ。道案内は角端がするでしょうから」

 

「じゃあ今日これからすぐ出れば、急げば日没に間に合うかしら」

「人数と戦力的に安全策選んで登ることになるんだから、時間見積もり長く取った方がいいよ。だから今日は無理。なんだかんだ陽が高くなってるしまだ聞きたいこともある」

 

「えー、行かないのー?」

「王燁ちゃん、さすがにここは引かないから。超強力モンスターに怯えながら野宿したくないから今日は諦めて」

「……はーい」

 ふと周りを見回せばフリースペースの客は入れ替わり人数もかなり減っていた。

 窓から見える空はもう眩しい。朝食としていたスイカもメロンも皆とっくに食べ終えている。

 

 

「角端が現れたって出来事の優先度、事件性はどれほどのものでしょう? 王燁ちゃんから聞いた話では、王燁ちゃんのところに角端が現れたのはこっちの基準ではもう5ヶ月ぐらい前になるみたいですが、ご存知ではなかった?」

「角端が仙境に登って来るまで我々は存じておりませんでした。大きな集団ではありませんから。もしかしたら、独自で角端が現れたことを掴んでいる大地人はいるかもしれませんが。角端が目撃された、出現した、ということへの関心度は、広まれば相当なものではあると思いますよ」

 

 王燁父が角端をプレゼントしたのは現実時間で半月ほど前だったという。

 王燁ちゃんのログイン頻度もそう高くはなかったと聞いているので、知らなくても不思議ではないか。

 私も課金籤の内容に興味がなく誰かによって角端が排出されたなど気にも留めていなかった。

 

「戦乱の世に角端が現れた。このことの意味はなにかありますか? なぜ王燁ちゃんのところに現れたかは別にして」

「凶兆ですな。本来現れてはいけないものが姿を見せたのですから」

 

 麒麟の排出が凶兆ならこれ以上の悪い出来事はない。

 郭貂麟にとっては、空が落ちた、天地がひっくり返った、そんな神話を思わせる域だ。

 

「実際に大混乱になっていることを思うと、確かに凶事の予兆だったということになるな。結果論だが」

「これだけで済めばまだ良いのですがね。以前麒麟が姿を見せた後には何十年も〈冒険者〉同士が争い、悪く言えば内輪揉めしている状態が続いているのですから。

 もちろん、重大な局面では派閥の垣根を超えてひとつの目的へ向けて協力されていたこともありましたが」

 

「耳に痛い話だわ……」

 長く中国サーバー管轄区域で『エルダー・テイル』を遊んでいた翠姐さんは思うところが多いらしい。

 

「大神殿って仙境にもあるかしら? もしくはそれに準ずる施設か場所通って仙境に行くかしら」

「山の別の場所にはそのような場所はいくつかありますが、仙境にはありませんな。〈冒険者〉が死からの復活が行われる場所もだいぶ深くですから、よほど潜らない限りは到達することはないでしょう」

「索峰、この街に大神殿は?」

「あった。大ってほどじゃなかったが」

「じゃあ、神殿送りでも燕都まで送還されることはないのね。ならだいぶ気持ちが楽になるわ」

 

 

 死からの復活。

 冒険者であれば、大神殿による経験値減少ペナルティ付きの蘇生。既にこの世界でもその機構が生きていることは索峰さんが確認している。

 森呪遣いの使える特技の中にも大神殿送りになる前なら蘇生可能なものがある。

 数多の支配者が欲した能力であり、この世界では死による人生の終わり、ゲームエンドを迎えられない残酷な呪いでもある。

 

 

「瑞袞さん。死がない、死んでも蘇るって、仙人になろうとしている人からすると、どう思う、どう見えるんですか?」

 この世界の宗教がなにかはわからない。

 それでも、仙人へと至った人と暮らしそれに成ろうとしている者には羨ましいものに見えるのか、それとも別のなにかに見えるのか。

 

「そうですなあ、拙僧の個人意見として言うならば、危ういものに見えますかな。冒険者が長寿で不死でもあることは承知していますが、それなのに死に急いでいるようにも見えるのです。

 我々大地人は死すればそれで終わりですが、冒険者の皆様は往往にして自らを含む死体で道を舗装しながら進まれる。

 必要な犠牲もあるでしょうが、無駄な犠牲も多く、それを殆どの冒険者が無駄と思っていないところに最も危うさを感じますな。

 不死ゆえに死を恐れず、呪術妖術を用いて、ただ目的へ邁進する巨大な集団。喫菜事魔(きっさいじま)の狂信者のようですよ。たとえこれが世界の仕組みで、内側で複雑なことが起きているとしても」






用語解説

大神殿
戦闘で全滅した場合、または戦闘不能からの蘇生が間に合わなかった場合に強制的に送られる場所。
要は死亡した際のリスポーン地点。だいたい街中に存在する。
ゲーム時代は経験値の数%を失って蘇生されるが武具の損耗も激しくなる。
プレイヤーがこの世界に飛ばされて来てからは、上記に加えて現世の記憶を僅かに失うデメリットが追加されている。(当作品の時系列だとまだ気付かれていない)



喫菜事魔
マニ教のこと。

北宋時代に宗教指導者「方臘」によって大規模な叛乱が起き、江南(長江南岸地域一帯、ざっくり言えば現在の上海より南付近広範囲)を占拠した。
最終的に北宋軍により信徒数十万人をジェノサイドされて叛乱は鎮圧された。


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呪わぬ化け狐の奮戦

用語解説

敵愾心/ヘイト(値)
ゲーム用語でターゲット集中効果の意味(主に)
次に誰に攻撃するかを内部で判定されるために使われる処理。
大きなダメージを出す技や復活技や回復技を使うとこの数値を大きく稼ぐのは現実のゲームにおいても割と多い。
ヘイト固定、となると仕掛けた相手が特定の相手にしか攻撃行動を起こせなくなる。
ポケモンなら「ちょうはつ」がそれ。

バフ
上昇効果の総称
「つるぎのまい」がそれ。

デバフ
低下効果の総称
「にらみつける」はこれ。

エンカウント
遭遇のこと
「あ!やせいの〇〇がとびだしてきた!」ということ。



 瑞袞上人(ずいこんしょうにん)との会談から一夜明けた朝、王燁(おうよう)たちは眠い目を擦りながら、まだ住民もまばらな泰山砦を出発した。

 〈封禅の儀〉によって燕都を含む中原北東部の支配を宣言できる泰山仙境へ登山を行う。

 もっともギルドとしての人数が足りず〈封禅の儀〉の起動ができないはずなので、仙境に行く理由はみんなの知的探究心と少しばかりの欲だ。

 

 

 玲玲(れいれい)は会談後また王燁の警護に戻った。やはりというか崔花翠(さいかすい)さんに王燁を差し出したのは短時間預かりのつもりだったようだ。

 泰山の麓までは〈駿馬(しゅんめ)〉や〈軍馬〉ら騎乗生物でも移動することができたが、山岳地帯となり足元が不安定になったので徒歩に切り替え。

 

 そこで問題が起きたのが郭貂麟(かくてんりん)さんで、石段とはいえお世辞にも足場が良いとは言えない登山道に高底の《紅蜥蜴厚底鞋(あかトカゲブーツ)》は相性が悪いらしく、何度も足を段差にひっかけバランスを崩すこと多く転倒も数回。

 見かねて玲玲(れいれい)の背に乗せてあげようとするとやはり玲玲が拒否し、唯一悪路走破性が高い〈赤騎狐〉を索峰(さくほう)さんが再度召喚、郭貂麟さんに貸して一応の解決を見た。

 

 しかし登りの悪路のために〈赤騎狐〉も不規則な動きをするため、郭貂麟さんはなかなか安心できていない様子。

 王燁も最初こそ玲玲に騎乗していたが、登り悪路の不規則な動きに、敵を見つけるやまたしても突然駆け出す玲玲に肝が冷え切って、自分の足で歩くことの方がまだ安心できると徒歩登山を選んだ。

 

 

 瑞袞上人に貰った〈応鳳霊麟徽(おうほうれいきき)〉の効果は、想像を超えて強烈なものだった。

 敵モンスターの逃げっぷりは凄まじく、遭遇率が一昨日に比べて極端に下がっている。

 向こうがこちらを発見しても敵愾心(ヘイト)を煽らないのか遠巻きにして襲って来ず、時折進路を塞ぐような場所に出現しても玲玲が向かっていくと慌てて飛び退き離れていく。

 

 角端の威光が目に見えている。

 出てくるモンスターもレベル85を軽く突破しており、レベル90以上すら見かけたのだが。

 これはもう敵愾心の煽りを抑えるというレベルではなく戦闘回避の域。エンカウント率そのものが下がっている。

 そのため登山もすこぶる快調で、今のところ戦闘は1度だけで山の5合目ほどまで登って来ている。

 

 その1度の戦闘も、4合目の山門を守護する熊で、強制エンカウントだろうと思われるもの。

 戦闘後の崔花翠(さいかすい)さんに「体力バカ」と評された鈍重な熊は、崔花翠さんと索峰さんと玲玲によりいとも簡単に撃破された。

 もともと鈍重だったものが行動遅延系デバフを受けては、袋叩きも同然の状態に。

 

 〈応鳳霊麟徽〉のMP消費軽減効果の実態もここで明らかになった。

 当然のように王燁の言うことを聞かず勝手にMPを吸い取って暴れ回る玲玲だったが、一度に吸われる量がおそらく3割近く減った。

 最終的に王燁の最大MPの8割近くを短時間で断続的に持って行かれたにもかかわらず、あの無気力系脱力感と軽い頭痛は襲って来なかった。精神的疲労も1戦終えて飲み物休憩すればリフレッシュするぐらい。

 一気にMP0になるまで使われることにはならなかったが、随分と体が楽だ。玲玲も心なしか気楽そうに見える。

 

 

「こんなにサクサク登れるなら、昨日登っても良かったんじゃない?」

 時刻にして、まだ午前9時頃だろうか。

 〈封禅の儀〉を行う祭壇は山頂だが、仙境は9合目から別ルートだと瑞袞上人は言っていた。

 強化された冒険者の身体能力と戦闘回避による登山専念でぐいぐい進めるので、昼前には着くのではないかと王燁は思う。

 

「〈応鳳霊麟徽〉がここまで強力とはわかりませんでしたし、仕方ないんじゃないですか」

「嬉しい誤算かな。さすがにそろそろ戦いになる相手も通常エンカウントするだろうけども」

「山の上か地底の方が強いって言ってたもんね」

「レベル90超えてるモンスターも見かけてるのに、全て逃げていくってのも謎ではあるけど。玲玲って扱いの上ではレベル90のはずだし」

 

 

 召喚生物は召喚術師(サモナー)のレベルに準じる。王燁はレベル90なので玲玲もレベル90。

 彼我(ひが)のレベル差があるほど格下モンスターが逃げ出しやすくなる。格下相手にはダメージや特殊効果が発動しやすくなる特技も多い。

 逆に王燁たちの方が格下ならば相手が逃げる理由はないはずなのだが、玲玲がちょっと戦意を見せるとレベルが格上でも関係なく逃げていくのだ。

 

 

「不思議だね、玲玲」

「案内役としては便利ね」

「経験値としては不味いが」

 

 崔花翠さんがサクサクと表現した登山速度は、玲玲の戦闘回避だけではなく道案内も多大に貢献している。

 明らかにここは正規ルートじゃないところにも時々進んでいくのだが、気付けばかなり進んでいる状態になることも多かった。

 

「うーん、地図っていったい……。ゲームじゃなくなったから当然かもしれないけどさあ」

 索峰さんは瑞袞上人から仙境への簡素な地図を受け取っていた。しかし玲玲の脱線いけいけルートの前には全く役に立っていないようだ。

 

「でも、早いです」

「だから釈然としないというか」

 予定通り進まないと気分が良くない人なのかな、と、ここ数日一緒にいて思う。玲玲の行いからくる正当な疑念もあるだろうけれど。

 

 結局、9合目の守護獣がいる門に来るまでに通常の遭遇戦は3度。

 どれもLv95と表示されたモンスターだったが、引き回しが上手く機能して乱戦にはならず、王燁が武器を振って殴りかからなければならない場面も発生せず、素人目に見ても危なげのない戦闘だった。

 相手も弱くはないと索峰さんは言っていたがそうは見えなかった。淡々と処理された感じが強い。

 本当にこの人たちは王燁と同じ日にこの世界に来たのだろうかと思うほどに。

 

 

「これは……、どうしましょう……」

「うーん、乱戦になるなあ、どう見ても……」

 眼前には、9合目へ至る登山道を塞ぐ巨大な石壁と門扉。

 その門を守るように、翼の生えた虎が3頭寝転がっている。

 表示レベルは91と93と95。名前を〈挿翅虎(そうしこ)〉。

 

「角端、勝手に先走るなよ。なにかあのモンスターの情報持ってる人?」

 誰も答えない。

「つまり、初見で格上を3頭倒せと。最初は情報取集に徹するのもアリだと思うけど?」

「これ、戦闘に入ったら逃げられないパターンでしょ。4合目の熊の時みたいに。ここまで来てリスポンで街まで戻されるのは嫌よ」

 

 4合目の戦闘時、門扉から周辺に結界のようなものが立ち上がり逃げ道を塞いだ。

 幸い1頭だけでいくらでも引き撃ちを続けられたの、問題にならなかった。

 

 門の前は傾斜はあるが見通しのいい広場だ。サッカーコートぐらいはあるだろうか。

 戦闘エリアとしては狭いとも広いとも言えない。

 門の左は崖、右は岩山。回り込めそうな場所はない。

 岩山を登って高台から撃ち下ろすことも考えたが、相手に翼があるのでこちらの足場を悪くするだけで意味はなさそう。

 

 

「ストロングポイントは角端がやたら強いこと。ウィークポイントは踏ん張り役のタンクがいないこと。数的有利だが、戦闘力で食い下がれるのは翠姐と角端と自分のみで、みんな真正面からの殴り合いには向いていない、と」

 

 玲玲の戦い方は索峰さん評では前線型殴りヒーラーに近いという。

 防御はそれほどでもないがHPの基礎値が高く、行動速度と範囲魔法攻撃に優れ、同時にHPの回復も可能、と多芸で高次元にまとまっている。

 その代わり戦闘時にはやや注意を集めやすい。

 

 レベル90の冒険者4人を相手に相当の時間を稼げる、召喚獣の等級である〈ミニオン〉ランクでは破格の強さだったが、崔花翠さんの介入が遅れればおそらく撃破されただろう戦闘力でもある。

 王燁による制御が効いていないので、回復してくれるかは玲玲の機嫌ひとつなのもヒーラーとしての計算を難しくしている。

 瑞袞上人は角端を温厚と言っていたが、これまでの行動はそれを肯定しない。かなり好戦的な性格をしていて相当の攻めたがり。

 

 

「王燁ちゃんの時と同じで1番弱い虎を速攻強襲して落として、あとはじっくりやるしかないんじゃない? 集中力が続くのを祈って」

「まー、取れる手段はやっぱりそんなもんか。問題は、最初の虎落とすまで誰が残り2頭のヘイト持つか。

 翠姐(すいねえ)は火力的に虎落としに行ってもらわないといけないし。王燁ちゃんは最悪隅っこでじっとしてれば狙われることはないだろうけど」

 じぃっと索峰さんが玲玲を見た。ふんっと玲玲は首を逸らした。

 

「玲玲、嫌なの?」

 苛立たしげに前足の蹄で地面を軽く蹴った。汚れ役などやるものかという強い意思を感じる。

 

「はい、索峰で決定ね」

「知ってた。角端、せめて1頭目倒すときに火力集中はしてくれよ? 翠姐の火力補助捨ててこっちがヘイト引くんだから」

「それは王燁が頑張る」

 玲玲のたてがみを掴んで、宣言した。

 

「できるの?」

「王燁も攻撃するから。なにもしないのは嫌。王燁が一緒に攻撃すれば、玲玲も一緒に攻撃してくれると思う」

 怖さはある。でも迷惑をかけるのも嫌。

 玲玲が勝手なことをするのなら、守ってくれることを利用して、王燁も玲玲を困らせるようなことをすれば少しは制御できるかもしれない。

 度胸はもう玲玲に散々鍛えられた。

 

「言うこと聞かない玲玲が悪いんだからね」

 王燁が使える特技は多くない。それは選択肢を迷わずに済むということでもある。

 玲玲を経由してできることは多いが、多すぎるほど。

 

 

「無理は絶対しないように。迷ったら逃げ最優先で。王燁ちゃんが戦闘不能になったら角端が消える可能性が高い。そうなるとほぼ負ける」

「あと(てん)ちゃんも倒れたら蘇生できないから、仙境行きたいなら生き延びること。あたしと索峰は戦闘不能になってもあとで起こせばいいだけ。

 きっちり1頭目倒して、角端とあたしたちのどっちかが生きてれば蘇生の時間は稼げるわ」

「攻撃して、避ける、逃げる。わかった」

「心します」

 2人で頷く。崔花翠さんが頭をぽんぽんと軽く叩いた。

 

 

「索峰、強い方2頭相手にどれぐらい引きつけたまま耐えられそう?」

 

 崔花翠さんが纏う空気が鋭いものになった。

 

「1分は耐えられるはず。1分半はヘイトが微妙だと思う。2分はほぼ確実にこっちのHPが尽きる」

「1分半死ぬ気で引き寄せなさい。それまでに必ず倒すわ」

「オーケー、やってやろう。絶対止めてやる」

 

 ぶわりと索峰さんの尻尾の毛が一度大きく波打ち膨らんだ。

「入る前にバフ盛って入場、索峰が最初ヘイト稼いでから崖側に離れて、1番弱い虎をあたしが〈ターキーターゲット〉でこっち向かせて岩山の方へ誘導。みんなでボコボコにする。いいわね」

「はい」

 玲玲が高らかに嘶き、攻撃強化バフをかけ始めた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 この世界に来て約10日。初めての鉄火場と呼べる戦闘になるかもしれないと索峰は思った。

 回復役の補助はなく。全体バフ以上の支援も得られず。引きつけた後も更に戦闘は続くのでMPもなるべく温存。

 かといって出し惜しみしていられるほどの余裕は見込めない。

 当分死蔵する予定だった〈冒険者〉製の消耗品を全力で消費していかなければいけない最大2分間。

 

 たとえ全滅しても復活するということはわかっている。

 わかっているが4人ともまだこの世界での死の経験はない。

 この世界で死んだ時、人間の内面になにが起きるかはわからない。

 最悪2度と戦闘に赴けなくなる精神状態になるかもしれない。

 皆若く、性別も違う。死の影響なんて予測などできるものか。

 

 それは索峰(さくほう)自身にも言えることで、この世界で死を迎えたあと自分にはどんな変化が訪れるか。

 みんないずれ一度この世界での死は経験しておく必要はあるだろうが、今ではないし、死なない方が良いに決まっている。

 多少の戦闘経験を積んで慣れ、恐怖感は薄れてはいる。それでも仲間と一緒に戦ってのことだ。

 単独で格上と戦うことはこれが最初。

 武者震いと恐怖が混じって、全身の毛がざわざわしている。

 

 

 崔花翠(さいかすい)の集中力が羨ましい。

 至近距離に踏み込めない病は既に克服しもうゲームだった頃と大差ない没入感だという。

 そこまでの境地にはまだ入っていけない。余計な考えがどこかで混じる。

 

「やるぞ」

 鏑矢(かぶらや)を1本取り出して呪歌を呟き、〈音叉響弓・遠〉で高く射出する。着弾を待たず駆け出した。

 ぶぉおと音を立てて飛んでいく鏑矢は冒険者製の〈録歌鳴矢(カナリヤ)〉。

 発射時に対象の特技分のMPを消費し着弾地点で呪歌を発動させる。

 着弾地点というのがミソで、矢ゆえに弓によっては本来の呪歌よりも遠い場所から攻撃できる。

 加えて変容後のこの世界では矢の軌道を山なりにすることで僅かながら呪歌の遅延発動が可能。

 二の矢はもう準備済みでこれも〈録歌鳴矢〉。込める呪歌は別のもの。

 

 

「さー、かかって来いや!」

 山なりに射った最初の〈録歌鳴矢〉が3頭の中央に落下、同時に地面から水色の波紋のような呪歌が放たれる。

 矢に込めたのは〈月照らす人魚のララバイ〉。

 小ダメージと睡眠効果のある呪歌だが、即効性はなくしばらく後に相手を眠りに誘う。

 

「さて、状態異常耐性はあるかね……」

 間髪入れず二の矢を放つ。ほぼ地面と水平に射って着弾もすぐ。〈夢見る小熊のトロイメライ〉を込めた。

 相手を確率で陶酔状態に陥らせ、行動不能状態でこちらに引き寄せる。ダメージで解除されるので追撃厳禁。

 

 

「レベル93陶酔!」

 (てん)ちゃんが判定結果を叫ぶ。1頭だけか。再使用規制時間がやや長いのでトロイメライは連発できない。

 だから次なる矢を出す。これも冒険者製の〈重撃瓢箪(ひょうたん)矢〉。

 短射程の単体ダメージだが当たれば火属性の高いダメージと高ヘイトを稼ぐ。

 

 狙いはレベル95個体で、瓢箪矢三連射。陶酔しているレベル93個体は放置していいし、レベル90個体はヘイトを稼ぎ過ぎると崔花翠が〈ターキーターゲット〉で寄せた後に分断できなくなる。

 外れなく瓢箪矢を被弾した〈挿翅虎(そうしこ)〉のレベル95と陶酔しなかったレベル90が翼を打って跳躍する。距離があるので避けることは容易。

 

「〈ターキーターゲット〉!」

 翠姐がここで介入。レベル90個体の目を強制的にズラさせる。

 

 背走して残りの3人と逆方向に、崖側へ逃げながら距離があるうちに高威力矢の連射。

 何本か外れたが勿体ないと考えていられない。もうすぐレベル93個体の陶酔が切れる。

 

「いや、もうこっちから切るか」

 レベル95個体に牽制で更に数矢、怯ませてから、再度の〈重撃瓢箪矢〉を陶酔した〈挿翅虎(そうしこ)〉の顔面に撃ち込んだ。

 陶酔が解除される。ここからが厳しい。

 

「〈のろまなカタツムリのバラッド〉!」

 吟遊詩人十八番の行動遅延呪歌を叩き込む。これがないと弓で近距離戦は無謀だ。

 続けざまに飛びかかってきた2頭を掠めて隙間を逃げる。

 スリップダメージ(かすめただけ)なのにHP1割は削られた。

 しかも目論見が外れる。行動遅延は確かに入ったが相手の速度に大差がない。

 行動遅延の効果が限りなく薄い。

 

「(翼あるから当然っちゃあ当然かね)」

 ならばと第2案の〈鋼大蜘蛛(はがねおおぐも)糸矢〉、2本1対の冒険者製粘着ワイヤーアロー。

 これも移動阻害効果のついた矢で、翼や足を粘着ワイヤーで絡めて移動能力を一時阻害する。空中の敵に当てれば小型モンスターであれば撃墜も可能。対人でも便利な矢。

 範囲攻撃に近いのである程度当たりをつけて乱れ撃ち。それだけで結構なハイエンドコンテンツ素材が飛んでいく。

 

 振り向き際に〈挿翅虎〉1頭は絡め取った、しかしもう1頭が視界から消えている。

 スパーク音を伴った風切り音。見えていないが接近している。

 

「〈エレガントアクト〉!」

 乾燥した7本の尻尾がぞわっと帯電した瞬間に横っ跳びして矢をノータイムで置き撃ち。

 同時に〈挿翅虎〉が雷撃を纏った翼ですれ違っていく。

 矢は外した。崖下から出てきたようだ。

 

 再びスパーク音、糸を絡めた方だ。既に口元に電撃を溜めている。

 予備動作を見逃した。攻撃キャンセルは間に合わない。

 魔法の鞄から札を取り出す。〈挿翅虎〉が溜めた電撃を地面に吐き出す。面の範囲攻撃、避けられない。

 

「ぐっ」

 取り出した札が瞬時に焼き尽き、周囲を吐き出された電撃が胸の高さまで埋めた。痺れが足から尻尾に抜けていく。

 短時間雷属性の攻撃を和らげる〈雷滅護符〉の軽減率は60%、それでも3割HPを持って行かれた。これは何発も受けていられない。

 

 

 もう1頭をまた見失った。視界が狭い。

 トロイメライのウェイトタイム逆算で、もう40秒ほどは経ったか。

 〈ディゾナンスソナー〉を即時発動。音のドームが広がっていく。

 前、と、上。レベル90個体は遠い。

 

 思考は止まっていないが判断力がいっぱいいっぱい、もうきっちり狙いをつける余裕がない。

 そして飛び回っている方のヘイトも稼ぎ続けないといけない。

 

 呪歌を捨てる。〈ハープボウ・スタイル〉を起動した。

 階級は鍛えに鍛え最上位の秘伝。

 効果はターゲットできる射程内モンスターへの矢必中、及び攻撃命中ごとに援護歌の効力が数秒間上昇、同時に呪歌は使用不可になる。

 

「上に毒矢……じゃない!」

 先ほど電撃を吐いたレベル95個体に毒矢を連射、更に落ちないように注意しながら崖ギリギリに近づく。

 レベル95の〈挿翅虎〉はまた口元に電撃を溜め始めている。

 

 想定できていた行動のひとつ。

 通常販売されている〈爆竹矢〉を果断なく3本射かける。

 そして、上から降って来た〈挿翅虎〉を見上げ身をかわす。

 

 連続した甲高い炸裂音がレベル95の〈挿翅虎〉を怯ませて電撃チャージを中断させる。

 崖ギリギリに立っていたことで自分を狙って急降下して来た〈挿翅虎〉はそのまま山肌を落下していく。

 

 最初に〈録歌鳴矢〉で当てた、奥伝〈月照らす人魚のララバイ〉。

 プラス3レベルの相手は睡眠状態まで約55秒。レベル93個体は空中で眠って墜落した。

 鈍い衝撃音が崖下から聞こえる。相当な高さから落ちていったが死にはしないだろうし、落下ダメージで目覚めただろうが、10秒ほどは意識から外せるはず。

 

 幸い飛翔攻撃主体で攻めて来ているレベル93個体の攻撃間隔は今のところ長めだ。1分経過で残りHP6割なら及第点。

 

 〈月照らす人魚のララバイ〉の対象レベルプラス5は約1分10秒後に10秒だけ睡眠。

 もうすぐにでも寝始めるがレベル差があると効果時間が短い。

 

 だが十分。

 〈音叉響弓・遠〉から〈鉄叫ハープ〉に持ち替える。秘宝級で、一応弓。

 もはや大弓や長弓を通り越してバリスタや床机(しょうぎ)弩に近いサイズで、実際に移動速度にマイナス補正がかかる固定砲台タイプの楽器属性の弓。

 

 そして、弓としては索峰は考えていない。

 電撃チャージを中断させたレベル95の〈挿翅虎〉が寝始める。まだ崖側から翼を打つ音は聞こえていない。

 柄を握って腰を落として自分を軸にジャイアントスイングで2回転、〈ファイナルストライク〉の起動、そのまま勢いを殺さず投げ飛ばす。

 

 

 崔花翠が〈トマホークブーメラン〉で武器を投げるように、索峰も専用の投擲武器を用意している。

 巨大弓としての性能も悪くはないが、これは弓として使うものではなく、〈ハープボウ・スタイル〉で投げるためだけに用意している武器。

 1発投げ切りで再度これを投げるには高額な修理となるが、睡眠状態への初撃ダメージボーナスを活かす最大限の一撃。

 

 めこりと重量のあるハープが〈挿翅虎〉に食い込み爆裂する。

 HPの減少を確認せず再度〈音叉響弓・遠〉に持ち直し〈ディゾナンスソナー〉を再発動。

 崖下に追い落とした〈挿翅虎〉はもう戦闘フィールドに戻りつつある。次の狙いはそちらだ。

 

 〈ハープボウ・スタイル〉は継続中。直接見えていないがソナーの効果時間は継続中で位置を把握中、ならば直接見えずともターゲットにできる。

 まだ飛んでいるはず。〈鋼大蜘蛛糸矢〉を崖下方向に再び4連射し、意識から外す。

 必中状態を維持しているので、見なくても再度撃墜して崖下に転落することになる。

 

 爆煙の向こうに1頭が、もういない。

 だがソナーの効果で上に飛んだことはわかっている。持ちうる瞬間最大火力に近い一撃を与えた後だ。確実に自分を狙ってくる。

 

 地面に影、吠え声、スパーク音、帯電した〈挿翅虎〉が滑空してくる。

 〈エレガントアクト〉で緊急回避かつ矢の置き土産、視界の端に姿を捉え続けた。

 振り向きながら着地して即座に飛びかかりが来る、見えている。避けたが電撃が体を痺れさせた。

 

 

 〈挿翅虎〉が前足に電撃チャージしている。見えているが足が痺れている。動けない。〈エレガントアクト〉は再使用規制中で避けられない。

 振りかぶられた、間に合え〈ディゾナンススクリーム〉と〈雷滅護符〉。

 耳障りな高音量の金切り音、使ったこっちも不快だが攻撃阻害には至らない。2枚目の〈雷滅護符〉は使えた。

 

「ごぉお!」

 威力は軽減したが電撃お手の直撃を貰って地面を転がる。

 HPは2割切った。もう掠められても落ちる。

 

 崖下の方の〈挿翅虎〉が今どうなっているかわからない。もう復帰してきてもいいはず。

 

「俯瞰視点寄越せっ」

 

 1人では情報が足りない。

 目と耳をフルに働かせているがどうしても1人だと注意が逸れる。

 視野が広がっていかない。

 

 頭が要求した情報に体が追いついていない。

 もう1分20秒は経った。あと10秒は確実に捻出できる。そこから引き延ばせるか。

 

 立ち上がりかけたとき、電撃お手をもらった方向とは別の方向から吠え声がする。

 そちらを確認しようとして、射竦められたように寒気がする。

 意思に反して首を捻られる。レベル95個体にヘイトを固定された。

 

「〈カーテンドロップス〉ッ」

 薄絹のカーテンエフェクトが自分を覆う。

 ヘイト固定状態を解除し、更に今まで稼いだヘイトを極端に下げるが、自分に引き寄せておかねばならない状態では諸刃の剣。

 ヘイト固定を解除しつつ距離を取りもう1頭を探し、必中の〈重撃瓢箪矢〉をヘイト固定しようとした〈挿翅虎〉に連射しヘイトを稼ぎ直す。

 

 秘伝〈ハープボウ・スタイル〉の矢必中効果がここにきて効く。目線を完全に切ったまま狙いを放棄して当てられるのだから。

 比較的オーソドックスな特技ながら秘伝にならないと矢必中にはならないため、日本でプレイしていた頃にあっちこっちで頭を下げて、大規模戦闘にも入り浸って秘伝の巻物を入手し鍛えた。

 索峰の戦闘スタイルの根幹を担う部分である。

 

 中国に転勤になってからは言われなくなったが、呪歌を放棄し援護歌と支援特技と弓矢を駆使して戦う姿から、日本時代の二つ名は「化け狐なのに呪わない」。

 

 

 緑色のオーラが索峰の体をぼんやり包み、ほんの僅かにHPが回復した。

 距離は結構あるので、おそらく貂ちゃんの森呪遣い(ドルイド)専用の全体脈動回復。

 もしダメージを受けないままやり過ごせれば、索峰のHPは全体の5割程度まで戻る。そんな悠長に待っていられるわけもない。

 

 もう1頭をようやく見つけた。

 音叉弓の射程おそらくギリギリ範囲内、こちらは向いていない。稼いだヘイトが〈カーテンドロップス〉で減ってほかの3人の方にターゲットが向いたか。

 レベル95個体の攻撃をいなし、レベル93個体のヘイトを稼ぐ。同時にやらなければいけなくなった。

 

「くそがっ!」

 目線は切ったままレベル95個体に近寄る。賭けだ。悪い出目を引いたら即死。

 音叉弓にはできれば使いたくなかった最高級品の矢を番える。

 

 

 〈烈光矢結晶〉。ハイレベルエンドコンテンツのセミレア汎用素材から精製される結晶加工の矢。飛距離による威力減衰がなく、無属性ながら相手の防御力を割合減算して強烈な貫通ダメージを与える追加効果。

 〈ハープボウ・スタイル〉で必中といっても、射出後にターゲットが大きく移動し矢の本来の射程を超えることもままあり、それを矢が追尾するので飛距離限界による非常に大きな威力減衰が起きる。

 それを無視しつつ大きなダメージを与えられるこれは、使い方によっては射程の拡張とも似る。

 絶対にこちらに向き直させるために必要な〈烈光矢結晶〉の本数がわからない、もったいない。

 かといって、使わなければ射程外に逃げられ有効打を与えられなくなる。

 

 

「くそがぁ!」

 〈烈光矢結晶〉5本、間を置かず連射した。

 5筋の流星のような矢が続けざまにレベル93の〈挿翅虎〉へ飛んでいく。着弾は確認している余裕はない。

 

 背中のすぐ後ろでレベル95の〈挿翅虎〉がなにか攻撃行動を起こそうとしている唸り声と翼を動かす音が聞こえている。荒い息が狐の尻尾を撫でるのも感じ取れる。

 電撃音がする。口、ではない。前足、ではない。翼、胴、これも違う。

 どこからだ。前足を持ち上げて〈挿翅虎〉の頭が高く持ち上がり、釣られて索峰の視線が上へ向く。

 

 索峰と〈挿翅虎〉の上を小さな雷雲が覆っている。

 全身の毛がふわりと持ち上がりチリチリする。

 まだ見ていない大技の気配。〈挿翅虎〉の眼前は当たる、どこに逃れるのが正解だ。どこに雷が落ちる。

 〈挿翅虎〉自身に落として拡散か、直接索峰を狙うか、地面に複数落とすランダムか。

 

 ヘイト稼いだ上で近寄ったのだ、近距離強攻撃に張る。

 目線を切って全力で斜め方向に走って距離を取りつつ、正面から逃れる。が、雷雲の下からは逃れられていない。

 直後、腹の底を震わせる轟音と全身の毛を駆け抜ける軽い痺れと閃光。

 

 こちらのHPと状態異常共に変化なし。第1撃は当たっていない。

 ここで索峰はレベル95個体の方へ振り向いた。

 

 蛍のような無数の雷球が〈挿翅虎〉の周りに浮いている。

 類似の行動はゲーム時代何度も見た。対象複数の半誘導連続間接攻撃の待機モーション。

 その全てが、索峰を狙っている。

 

 それを全て捌ききる術を索峰は持っていない。

 詰んだ。

 HPが豊富に残っていればアイテムブーストで凌げただろうが、残余2割のHPでは確実に削り切られてダウンする。

 あとはダウンへの時間を何秒引き伸ばし、影響を残せるかの撤退戦。

 

 

「やれるだけ耐えてやるぞ虎。〈金獣骨灰(こっぱい)〉」

 匂い袋の紐を引いて開封し灰を体にかけた。緑色のオーラが霧散し一気にHPが5割弱まで戻る。

 自身に付与された脈動回復や攻撃反応回復といった、将来受けられるであろう回復効果を強制的に解除し回復するはずのHPを前借りする。

 その代わり1分間回復効果全般を受けられず、30秒後に前借りしたHPと同じ量が失われるが、その際HP1は残る。

 

 どうしても緊急でHPが必要になったときに戦線離脱を覚悟して使うことがほとんどの消耗品。HPが1残ることを逆に利用する場合もあるが、高難度。

 

 3枚目の〈雷滅護符〉が焼け落ちるのとほぼ同時に、〈挿翅虎〉が身をよじって雷球を散弾のように撒き散らした。

 避け切ることは最初から考えていない。

 弾幕が薄いところに体を投げ、いくつかの被弾を許容して壁を破る。HP残り3割。

 

〈挿翅虎〉の周りに残っている雷球の数は半減しているが、体を翻した〈挿翅虎〉は続けざまに第2波を放った。

 体が痺れている。〈エレガントアクト〉で無理やり跳躍、また被弾しながら矢を射返す。ギリギリHPが残った。

 

 しかし、そこまで。

 空からレベル93個体が体に電撃を纏って降ってきた。

 スキル動作の硬直中で手立てはもうない。翼の一撃によって、索峰は意識を失った。



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泰山仙境

 援護歌がぷっつり途切れたことで、索峰(さくほう)が倒れたことがわかった。援護歌は戦闘可能な限り永続だ。

 3人と1頭で集中攻撃を与えている〈挿翅虎(そうしこ)〉レベル90は、既に虫の息。

 

「みんな、索峰倒れたから注意! (てん)ちゃんは索峰蘇生の準備しながら残り2頭の様子見てて! 王燁(おうよう)ちゃんと角端(かくたん)はダメージ上げて!」

 

 空を飛ぶ虎、それを飛ばさないようにすることに失敗し、思ったより攻撃時間を削られた。

 腹や首や鼻といった弱点に攻撃が当たらないとクリティカルが出なくなっていることも火力低下を招いた。

 索峰をさっさと蘇生しないと、時間経過で大神殿送りになる。そうなると戦闘継続そのものが辛くなる。

 

 

「このヘタレ虎がっ!」

 また〈挿翅虎〉が高空で油を売っている。

 

 〈ジャグラースタイル〉での飛刀使用と〈トマホークブームラン〉による武器そのものの投擲によって空中に逃れられても攻撃手段は残されているが、飛刀はあくまで補助火力で〈トマホークブームラン〉は連発が利かない。直接斬りつけてこその武器攻撃職。

 飛行可能なモンスターを飛ばさせず常に地面に縫い付ける技術と手段は索峰が得意としていて担当していたこと。歯がゆい。

 

 もうひとつ困ったこととして、角端の主攻属性だった雷は〈挿翅虎〉も雷を操るだけあってまるで効いていない様子。

 結果角端は〈挿翅虎〉が空中にいると手が出せず、降りて来るまではほとんど1人でダメージを稼がなくてはいけない。

 逆に、角端が受ける〈挿翅虎〉の雷攻撃もほとんど通っていないようで、タンク役()としてはかなり信頼が置けるのは嬉しい誤算。

 

 HPを凝視していて、貂ちゃんの攻撃呪文〈フリージングライナー〉がレベル差装備差の割にかなりダメージを与えている。そのため冷気の属性が弱点らしいことはわかったが、冷気属性なんて使えない。

 援護歌〈虹のアラベスク〉で冷気属性付与が欲しい。そうすればあたしの攻撃も角端の物理攻撃もかなり強くなる。

 

「残り2頭こっち見てます!」

 索峰のダウン体が持っていたヘイトが尽きたか。

 相手が3頭になると、この世界の乱戦の経験値が足りないから厳しい。

 

 

 なにを最優先で行うべきか。どう動けば後に繋げるか。なにが必要か。

「貂ちゃん迂回して索峰蘇生しに行って!」

 索峰を叩き起こしてターゲット分散、かつ弱ってる〈挿翅虎〉を撃墜してもらって、援護歌の吹き直しも要る。

 蘇生さえできれば、中距離アタッカーはすぐには再ダウンしないはず。

 

「王燁ちゃん、角端で索峰の方にいた虎のタゲ取れない!? 蘇生終わるまででいいから!」

「やってみます!」

 索峰の方へ王燁ちゃんが走っていく。護衛対象が攻め込もうとするので、角端もそれを追いかけ前に出る。

 

 角端に雷が通らないと言っても、後衛職の王燁ちゃんは電撃や強物理攻撃を受けたら致命傷になるので騎乗はしていない。

 〈応鳳霊麟徽(おうほうれいきき)〉がよほど強力なのか、それとも隣の角端の威圧感が凄いのか、王燁ちゃんは明らかにターゲット率が低い。

 

 貂ちゃんの蘇生魔法は詠唱に時間がかかりヘイトの稼ぎ率も高い。

 索峰を蘇生できさえすれば、〈カーテンドロップス〉ですぐヘイトを下げてくれるだろうが、それまでは3頭の〈挿翅虎〉を貂ちゃんと索峰に近寄らせてはいけない。

 角端も察したのか、なにやら大きなモーションでバフをかけ〈挿翅虎〉の懐へ猛進して行く。

 王燁ちゃんも杖から赤い光弾を飛ばして援護している。

 

 

 あたしが見るべきは、虫の息まで追い込んだ〈挿翅虎〉。間違っても王燁ちゃんや貂ちゃんを狙わせてはいけない。

 ヘイト稼ぎ能力の高い飛刀〈紅刃孔雀(あかばクジャク)〉。

 赤い羽根がついた飛刀で射程は短いがキラキラエフェクトで空中に尾を残すのでやたら目立つ。

 飛刀といいつつ飛ぶ速度も遅く、新体操のリボンのようだと数値以上に視覚効果でも目を引くため魅せプレイにもよく用いられる。

 

 未だ空を飛び様子を伺っているヘタレた〈挿翅虎〉に向けて3本投げた。

 3筋のラインはどれも当てることはできなかったが、注意を惹くには十分な効果であたしへの攻撃を決めたようだ。

 

「はやく来なさいよ」

 〈ピンポイント〉を発動。武器攻撃の威力上昇。次に使う特技も決めた。

 翼を一打ち、電撃を翼に纏わせ〈挿翅虎〉が突撃してくる。

 

 待つ。避けない。タイミングだ。この空中滑空突撃も何度も見た。ゲームでよくやったことの再現。

 どのタイミングなら刺し違えずに済むか、体で覚えているはずだ。

 

「見切った!」

 その場で跳躍、空中で体を横に倒し〈鉄山黒戦斧〉と回転。

 車のボンネットを転がり上がるように〈挿翅虎〉の顔面を無敵時間でやり過ごしながらすれ違いざまに〈挿翅虎〉の上を取り、回転の勢いで背骨に沿って切り進む。

 

 連続でクリティカルが出た。背骨も弱点か。

 使用したスキルは〈ラウンドウィンドミル〉。

 跳躍の出始めに一瞬無敵時間がありそれで上を取った。

 攻撃命中時にヒットストップが相手にかかり、無敵時間が延長される。

 

 足を折るように〈挿翅虎〉が胴体着陸。こちらも回転受け身で着地し地面を転がる。

 こういう無茶な挙動も、スキルが発動さえすればきっちり受け身までできる。現実の体ならこうはいかない。

 5、6回は当てた感触がある。反撃が来るかと思ったが〈挿翅虎〉は動かない。

 

 HPを凝視すると事切れていた。残り少しのHPを削り落としたようだ。

「しゃぁ!」

 〈挿翅虎〉の中でも1番弱い相手だが、まず1頭撃破。索峰が倒れたことまで含めても想定の範囲内。

 

 一仕事終えた感が強く気が緩む。

 まだ終わっていないが、緩んでしまったから止められない。

 没入していた集中の糸が切れた。ゲーム時代よりもはるかに精神疲労が重い。

 時間の制約に追われることが有形無形のプレッシャーとなっていた。

 

 

 集中力の再起動を早めることにする。具体的には状況確認。

 残りの〈挿翅虎〉は2頭、今のところ王燁角端コンビはうまく注意を惹きつけている。

 索峰が相当集中攻撃したのかレベル95個体のHPはほぼ半減している。

 レベル93個体は1割弱削れているのみで、無傷と言っていいだろう。

 

 あたし自身はどうだろう。

 残HP7割で徐々に回復継続中、残MP3割ちょっと、大技にカテゴライズできるスキルはことごとく再使用規制時間中。全力で叩き潰す必要があったから仕方ない。

 王燁ちゃんのHPは微減でほぼ無傷だがMPはあたしと同程度、角端はHP6割。貂ちゃんはHP8割のMP5割。

 倒れている索峰はHP0ながらMPを7割強近くも残している。ダメージレースの割合がMP消費より矢攻撃による比重が大きいとはいえ、小憎たらしい。

 次の目標はレベル95個体を先に削り切ることか。

 

 

「蘇生準備できました!」

「詠唱開始! 蘇生後HP回復に全力で!」

 貂ちゃんの蘇生特技〈ネイチャーリバイブ〉の詠唱時間は熟練度がまだ低く20秒もかかりHP30%での復活。更に詠唱中は完全に無防備となる。扱い辛さは否めない。

 

 一息大きく吸って〈クイックステップ〉で急加速、戦線に復帰する。

 20秒。MPを惜しまず使ってでも、索峰が戦線復帰まで粘れば、勝利はほぼ確定する。

 

 HP回復に比べMP回復手段に乏しいエルダーテイルにおいて、援護歌〈瞑想のノクターン〉のMP回復効果を〈音叉響弓・遠〉で強化するとパーティ全体のMP管理にかかる負担がぐぐっと下がる。

 

「王燁ちゃん近い方1頭に集中! 片方タゲ引き継ぐ〈ターキーターゲット〉ッ!」

「はいっ!」

 

 角端が〈挿翅虎〉2頭と目まぐるしく跳ね蹴りあって注意を引いていたところからヘイト操作で1頭引き剥がす。

 担当が1頭になれば、被ダメージの低い角端は容易に仕事を全うできるだろう。

 そして、あたしが引いたのはレベル95個体。引きの強さに笑ってしまいそうだ。

 

 

 使える特技は小技ばかり。〈トマホークブーメラン〉は使えるが1対1では不向き。投げナイフ程度ではヘイトの稼ぎが甘くなる。

 接近して切り結ぶことが最上最善。もう予行演習は済んでいる。

 かかとに力を入れて移動技の〈クイックアサルト〉を起動し間合いを詰めて、頬袋に貯められた電撃のモーションを攻撃阻害効果つきも〈レイザーエッジ〉で発動キャンセル。下がらず、なおも前へ。

 

 レベルは高いが大規模戦闘のボスほど強くはない。

 大技もあたしの基準からすれば常識的な範囲に収まる。

 

 戦闘難易度を上げている要因は、ひとえに人数不足とマンパワーの弱さ。

 もし一般的なレベル90冒険者が6人集まっていれば、まず苦労はしなかっただろう。

 あってないような援護呪文だけで接近戦を演じられるのもその証拠。

 範囲攻撃はそう多くなく、物理攻撃の命中率も回避率に長けた盗剣士(スワッシュバックラー)からすると高くはない。

 

 〈挿翅虎〉のストロングポイントは飛行能力と電撃による麻痺と行動阻害。

 行動間隔はやや長く一撃のダメージが大きいタイプで、それも雷の属性ダメージに大きく依存する。

 3頭いるから厄介なだけで1頭単位では空を飛ぶのが鬱陶しいだけ。体格も動物園で見たアジア虎を一回り太らせて翼を生やした程度でしかない。

 ゲーム時代の「エルダー・テイル」ではもっと大きな敵はザラにいて、こちらの世界に来てからも体格だけなら既に〈挿翅虎〉よりも4回り以上大きな雑魚を撃破済みだ。

 

 恐怖がないわけでもないが、この程度の大きさ、と思うぐらいには感覚が麻痺しつつある。

 角端の玲玲(れいれい)の方が体高では上回っていることもあるし。

 

 動きが遅く見えるというほどではないが、明確な自覚としてPKを行った最初の対人戦より広く視野がとれる。

 そして案外、動きが読めるのだ。ゲーム時代似たタイプの攻撃パターンを持つモンスターと戦ったことがあったのかも。

 おそらく時間経過で定期的に放つタイプの強攻撃は持っていない。目の前の動きから次を予測するだけで済む。

 

 

 レベル90個体でなんとなく理解したことだが、この虎の本領は中衛殺し。

 中距離以遠の距離を取ると選択肢が増えるようだが、至近距離を維持している限りではスパークによる削りダメージこそあるが強攻撃に乏しい。

 翼も虎が自ら距離を取るためのもの。飛ばせさえしなければ一方的にダメージを与えることも難しくはない。

 3頭いて互いに襲撃者の背中を狙い合ってこそ面倒なのだ。

 

「蘇生できました!」

 ほら1対1なら20秒なんて簡単に捻出できる。接近戦では〈ヴァイパーストラッシュ〉の命中低下付与が殊更にモノを言う。

 

「貂ちゃん全体回復唱えながら逃げて! 索峰! 貂ちゃんのヘイト落として自力でHP戻しなさい! 王燁ちゃんあとちょっと頑張って!」

 HPであれば回復に徹すれば個人でもかなり回復できる。MPに比べればよっぽど気軽に戻るのだ。

 ましてあたしや索峰の持っているHP回復の消耗品は、貂ちゃんの下手な回復特技よりも強力だ。

 

「アラベスクで氷寄越しなさい!」

「まだ回復中だっ!」

 ダウン中の景色はどう見えていたのであろうか。立ち直りが早い。

 ちらと索峰を見やる。もうHPが8割近辺まで戻っている。

 

「エチュード切ってアラベスク早く!」

「〈アンプロンプチュ〉!」

 

 索峰が唱えたのは援護歌の高速切り換えスキル。

 同時に2曲しか使用できない自動半永続バフである援護歌は、本来は切り換えるのに多少の切り替え時間を必要とする。それをMPを多めに消費して即交換する。

 攻撃速度と命中アップ〈剣速のエチュード〉とMP自動回復〈瞑想のノクターン〉の2曲から、エチュードを属性選択付与の〈虹のアラベスク〉で冷気付与に変え、回転率より単純な火力バフへ。

 

 

「索峰はそっちスイッチして王燁ちゃん撤退フォローしながらあたし援護3割! 貂ちゃんは王燁ちゃん回復してからあたしの方に攻撃呪文!」

 指示を飛ばしたそばから返事の援護矢が返ってくる。

 炸裂音がして〈挿翅虎〉が怯む。本当に小憎たらしい。〈挿翅虎〉の鼻にクリティカル2連撃の〈デュアルベット〉を叩き込んで援護に報いる。

 

 的確な位置に攻撃を強打できればクリティカルが出るということで、確率でクリティカルが出るゲーム時代よりも技術でクリティカルが出せる分、弱点部位に当てられるなら連続してクリティカルが出しやすくなった気がする。

 〈虹のアラベスク〉で弱点属性の冷気が付与されこの2連撃のみでレベル95個体のHPが1割も削れた。

 

 

 索峰が戦線復帰し、ズルズルと2頭の〈挿翅虎〉の距離が広げられていく。

 またしても索峰と残り全員の分断戦闘になった。この時点でもう終わりが見えた。

 2対1で、要求を超えて2分耐えられた索峰が1対1でこの程度の相手で再度ダウンすることはないしヘイトを稼ぎ損ねてこちらに乱入されることもないだろう。

 

「これでっ! 終わり!」

 4対1で数的優位に立って角端に壁役を任せ、〈アーリースラスト〉でチクチク付与したターゲットマーカーを〈ストリート・ベット〉で投げナイフを乱れ投げして一斉起爆しフィニッシュ。

 続けざまのマーカー炸裂にビクガクと痙攣を起こしながらレベル95の〈挿翅虎〉も事切れた。

 

 あとは消化試合だ。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 2頭の〈挿翅虎(そうしこ)〉を撃破し4と1対1になった戦闘は、疲労と万が一の事故を考慮しての安全策を採用しゆったりペースで戦闘を継続。

 特に王燁(おうよう)ちゃんが角端(かくたん)任せにせず自身も積極的に戦闘を行ったためか、索峰(さくほう)さんが戦闘復帰した辺りで著しく集中力を失い動きが鈍った。

 

 翠姐(すいねえ)さんはあっさりそれを見抜いたらしく、即刻王燁ちゃんと角端が受け持っていた〈挿翅虎〉を索峰さんに受け渡し王燁ちゃんを戦闘から離脱させた。

 

 角端は離脱を補助したまま王燁ちゃんを守るのかと思いきや、王燁ちゃんのヘイト値がしっかり下がったと見るや翠姐さん側の戦闘に復帰し戦闘を継続。2頭目撃破までは奮戦した。

 

 しかしそこで王燁ちゃんのMPが空になったため3頭目との戦闘には参加せず、王燁ちゃんを背中に乗せて距離を取り広範囲攻撃の範囲から逃れている。

 結果、郭貂麟(かくてんりん)崔花翠(さいかすい)と索峰のギルド〈翠壁不倒〉メンバーでレベル93個体を相手にすることになった。

 

 もっとも、少々攻撃を行った段階で翠姐さんの〈オープニングギャンビット〉が再使用規制を終えたため即時再発動で追加ダメージマーカーを大量付与。

 それを比較的多くMPを残していた索峰さんが〈リピートノート〉で強制再発動、まだMPに余裕があったので更にリピートして合計3回の〈オープニングギャンビット〉。翠姐さんと索峰さんがよくやる連携攻撃パターンに嵌め込まれた。

 

 〈挿翅虎〉は追加ダメージ予約を全身に浴び、これまた再使用規制明けの〈ブレイクトリガー〉によるまとめて起爆で8割ほど残っていたHPを一瞬で2割に満たないHPまで下げられる大打撃。

 

 その後も最終戦ということで残ったMPを大技で遠慮なく消費していく索峰さんと、大技の再使用規制時間が一周して使用規制が解除された翠姐さんがそれぞれ猛然と3頭目の〈挿翅虎〉を削り落としたので蚊帳の外に置かれていたような気はした。

 郭貂麟自身もMP残2割を割っている

 大体のHP継続回復特技は付与したか再使用規制中で3頭目に挑みかかったのだから、回復職としては攻撃に参加せず戦況を見守るだけでも保険として仕事しているのだけれど。

 

 

「主目標3頭撃破、周囲警戒!」

「前後左右上空敵影ありません!」

「崖下と岩山裏!」

「〈ディゾナンスソナー〉! ……反応なし!」

「戦闘終了! よしみんなお疲れ!」

 翠姐さんが締めて、ぐにゃあと索峰さんが膝から崩れ落ちた。

 

「死ぬ。いやさっき1回死んだ。なんだよこの酷使はふざけんな。無茶苦茶消耗品使ったぞ」

「過ぎたことをぐちぐちと小さいわね。それに休むのは早いわよ。仙境行ってから好きなだけ休みなさい。少なくとも一晩は仙境で過ごすんだから。

 ほら見なさい、王燁ちゃんがはやく行きたいって門の前で手振ってるわよ」

「人の苦労も知らないで……」

 

「角端に聞きたいことあるんでしょ、鬱憤はそっちに回しなさいな。今日はお酒飲んでもいいから」

「味しないけどなぁ!」

「立ち直りが早くてなによりです。〈キュアブルーム〉」

「あー、いい匂い。ちょっと元気出た」

 

 〈キュアブルーム〉は状態異常やステータス異常を治すディスペル系の呪文で、清涼感のある花の香りがする。

 すぐに香りは消えるが、部屋の中で使うとカビ臭さや埃っぽさがさっぱりするので私は空気清浄の効果もあるのではないかと疑っている。

 

 

「早くいこー!」

 小休憩を先に取っていた形になる王燁ちゃんは、早くも元気を取り戻していた。

「呼んでますよ、索峰さん」

「はいはい」

 膝に手を当てぐわぁと索峰さんは腹筋で起き上がった。

 

 王燁ちゃんの手により仙境への門は開け放たれていて、わくわくと擬音が聞こえてくるようだ。

 門を通り過ぎ、岩山の裂け目に作られた道をしばらく登ると尾根を越えた。

 

 

「うわぁ」

「おおー」

 視界が開け、尾根から見下ろした急峻な岩の斜面に点在する東屋と、桃李と思われる果樹と松系の針葉樹。

 北側に出たのか山陰になっており霞みがかっている。なんとも幽玄で厳かな場所だ。

 

 人の姿は見えず、姿が見えるのは豆狐が数匹。東屋で丸くなっている。

 時折風に乗って甘い匂いがする。花の匂いなのか果実の匂いなのかは定かではないが。

 

「着いたら瑞袞(ずいこん)さん呼べばいいんでしたよね?」

「門通って、道なりに進んで最初の建物に鈴があるから鳴らせば迎えに出るって言ってたわね」

「じゃああれかな」

 

 索峰さんが指差した先に石碑と小さな社があった。

 賽銭箱があり、その上に手で振る飾り鈴が置いてある。

 王燁ちゃんがそれを振りしばらく待つと瑞袞上人が社の奥から現れた。

 

「ようこそいらっしゃいました。無事登頂されたようでなによりです」

「まあ、無事よね。概ね」

「そうだな。よくあると言えるレベルだろ」

 索峰さんのワンダウンのことを言っているのだろうが、瑞袞上人にはなんのことかわからなかったようだ。

 

 

「さて、封禅の儀もなく、地域に覇を唱える者もなく、いつになく静かな仙境ですが、ご用命は?」

「仙境案内と宿的な腰落ち着けられるところの斡旋かしら。角端の通訳できる人も紹介してほしいし。とりあえずはそんなところよね?」

「そんなところだろ」

「承りました。仙境案内は致しますが泰山仙境に宿はございませんな。冒険者向けにはこういう社がところどころにありますので、勝手に使っていただければ。

 今は冒険者がおりませんしどこでも空いているかと。掃除と炊事はご自分でお願いいたします」

 

「あの桃って甘いの? 食べていいのー?」

「あまり陽の当たらない桃李ですし、酸味はないと思いますが、硬いかと。探せば甘い桃もあるやもしれません。

 我々はあまり食べませんので。梅もございます、梅も桃もご自由に。年中実をつけますし」

「梅はいらなーい」

 

 

「広さの割に人少ないんですね」

 尾根から見えた範囲では、結構な長さの斜面で、そこそこに建造物は見えていた。

 

「上から見るとそうでしょうな。洞窟や、斜面の窪みで生活している者が多いですし、賑やかであったり、暖かい場所でもありません。

 封禅の儀に使用する祭壇近くで暮らしている者もいますし、修業中の者や、人との関わりを断っている者も多くいます。不要不急の物事でなければ、そっとしておいてください」

「なるほど」

 上から見下ろしても洞窟の入り口を見分けることは難しいだろう。ただでさえ霞がかかっている。

 

「そうそう、角端ですがね、この斜面を直接登って来たのですよね。飛んで来る者は時折おりますが、人にせよ獣人にせよ、上からしかこちら側に来れる道はないのですが」

「うっそぉ、こんなところ登ったの?」

 

 急峻な岩の斜面とは表現したが、断崖絶壁をちょっぴりマイルドにした程度の斜面である。

 見える道もところどころに柵はあるものの概ね岩肌を削って作られたものだ。

 冒険者の身体能力があるとしても、挑戦したいとはあまり思えない。

 

「ちなみに、下るときもこの斜面でして」

「それは……、生きた心地しなかったでしょうね……」

 口に咥えられて岩肌を降りたと昨日言っていた。

 こう地形を見た後だとなおのこと真似したくない。瑞袞上人はどこか苦々しげに角端を見ていた。

 

 

「あとでご要望に応じてご案内しようと思いますが、泰山仙境のことを少しご説明させて頂きます。

 宿はない、と言いはしたものの、宿代わりに使える建物があることはご説明致しました。山頂を経由してぐるっと回るか、斜面沿いの道を進んで南側斜面に出れば、それらの社はございます。一応北側にもございますが。

 また、南側斜面では催事のたびに冒険者の出店がありました。概ね南側は冒険者、北側は我々の、という住み分けは一応されておりました。

 そしてここから一際高い峰に向かいますと、封禅の儀の祭壇がある山頂です」

 

「あんまりやることないのね」

「景勝地かつ戦略的拠点、元々は我々が細々と暮らしていた場所でもありますし。これでも賑やかになった方ですよ。社の多くも冒険者が必要と感じて要望し、出資されて建てたものです」

 

 この辺は運営の過去のアップデートかイベントで追加されたことのようだ。

 世界遺産の泰山をモチーフにした影響もあるのかもしれない。

 

 

「召喚生物の契約場所はどこですか?」

 郭貂麟個人では仙境まで登山した理由の第1がこれ。

 戦闘を何度か経験してなんらかの戦闘補助を行う召喚生物がいた方が安定するだろうとより強く思った。

 ゲーム時代と同じ感覚なら、王燁ちゃんと角端のようなスロットを独占させた方が強い場合もあるとはいえ、メインが決まるまではとりあえず契約のスロットは対応バリエーションを増やして埋めておくべき。

 

「南側斜面を少し降りたところに人馴れした温厚なモンスターがおります。コミュニケーションを取り、仲良くなるか、力を認めさせれば、契約に至るでしょう。

 封禅の祭壇があるエリアを除く仙境全域が非戦闘エリアで、ときどき南側斜面下以外でも、好奇心旺盛なモンスターが山を登って来ていることもあります」

 レアエンカウントもする、ということなのだろうか。

 

「ねえ索峰、食料どれぐらい持って来てる? 現地調達しない前提で何日保つ?」

「昨日結構買っといたから、馬鹿食いしなけりゃ5日は余裕。多少我慢して7日」

「じゃ、とりあえず2泊を予定して、改めて伸ばすか決めましょうか。ちょっとのんびりしましょ。死んだら麓の街で復活だから、死なないように」

「はーい」

「わかりました」

 

 返事はしなかったが索峰さんが露骨なまでにホッとしている。

 気疲れもあったのだろう。羽根を休めるいい機会かもしれない。

 陽もまだ高く、仙境を見学して回る時間はまだたっぷりありそうだった。




書いていたときの4話終了。
次から書いていたときの5話、かつ全体の4割を占める長い最終話。


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夜と朝と

書いていたときの5話開始。6話構成。
キリいいところで切れなかった結果、全体として異様に長い。


 泰山仙境に王燁(おうよう)たちが到達して、その夜遅く。

 

 本当なら皆で仙境散策でもして夜は瑞袞(ずいこん)さんとご飯でも食べようという話だった。

 とりあえずの仮宿として南向きの斜面にあった社に荷物を広げ、一服して自由時間と解散したところ、夕方の集合時刻になっても索峰(さくほう)さんが現れなかった。

 

 様子を見に行けば索峰さんはブラッシングしようとしていたらしい自分の尻尾を枕に、〈天使のブラシ〉を片手に握ったまま潰れたように眠りに落ちていた。

 それなりに起こす努力はしたもののどうもにもこうにも起きる気配がなく、息はあるのでそのうち起きるだろうと諦め索峰さん抜きで仙境散策になった。

 

 郭貂麟(かくてんりん)さんも崔花翠(さいかすい)さんも、それぞれ「緊張の糸が弾けた」「電池切れ」と理解を示していた。

 どうやら我慢と気力の上限を山門の戦闘で振り切ったらしい。

 

 

 聞けば王燁と出会う前から精力的に動き負担もかかっていたらしく、蓄積疲労で今の今まで破綻しなかったことの方が不思議とは崔花翠さんの評価。

 1回HPを尽きさせていることも影響しているかもしれないと言っていたし、このフリーズ寝落ちではいつ起きるかわからないとも。

 

 頭か体かどちらが原因かはわからないが、王燁や玲玲(れいれい)も索峰さんに相当余計な気を使わせていただろうとは想像できる。

 対冒険者には物理的距離で、対モンスターには環境で隔絶したこの場所は、社会からも離れた安全地帯。

 雲の上、浮き世の仙境である。

 

 身を休めるという点で今この地域はこれ以上ないほどに静かで平穏。封禅の儀を行う祭壇があるのでそのうち騒ぎが起きそうだがこのあとすぐにというわけでもない。

 冒険者狩りに遭って救われた身としても、冒険者からの襲撃に当面怯えないで済む事実だけでもそれなりに安心する。

 

 索峰さんの電源が落ちるのも当然なのかもしれない。安心と平穏を担保するものがここにはとても多い。

 なるべく早く再起動してくれるといいなあとは思うけれど。

 即物的には、索峰さんが食料の大部分を持ち歩いていて手元には今晩を含めて2食分しかないということもあり。

 

 物事を進めようとすると索峰さんがいないことには手間が増すばかり。

 崔花翠さんが物事を推し進めるのも〈翠壁不倒〉というギルドの色のひとつではあるのだろうが、変容した『エルダー・テイル』世界の現在のパーティで実権を握り屋台骨も担っているのは間違いなく索峰さん。

 

 

 崔花翠さんもお飾り団長というわけではなく、行き先を決めるリーダーではある。

 でも戦闘以外の実務ではどうなんだろうと思う。

 段取りを裏で動かしたり、なにかの検証をしたり、といったことには不向きに見えるのだ。

 先頭を突っ走る側とでもいうのか。

 

 

 郭貂麟さんは立場がふわっとしている。

 王燁ほど大事に配慮をされているわけではないが、発言権を持ちつつもどこか守護されている立場は変わらない。

 あまり意見を表明することはなく、王燁以上に、パーティ内で最も空気に流されているといえる人。

 大人2人が決めることに対して反発もせず、長旅にも文句を言わず、かといって戦闘を苦手にはしておらず。

 騒乱の種を持ち込んだ王燁と玲玲にトゲのある対応をすることもない。この状況を面白がっている雰囲気すらある。

 不思議といえば、不思議な人だ。

 

 

「王燁ちゃん、ちょっといい? もう寝てるかな?」

「まだ起きてるよ」

 引き戸をノックして現れたのはその郭貂麟さんだった。

 一瞬警戒して耳を立てた玲玲も一瞥しただけですぐに警戒を解いた。

 

「ごめんね夜中に」

「いえ、まだ眠くないです」

「ひまわりの種食べる? もう歯磨いたかな」

「まだです。貰います」

 魔法の鞄から引っ張り出された袋はひと抱えもあった。

 

「買っていた時も言ってたけど、好きなんですよね、ひまわりの種」

「うん、なかなかやめられないの。親にはあんまりいい顔されなかったけど。ここには誰も文句言う人もいないし、見つけた時は嬉しかったな。つい沢山買ってもらっちゃった」

 郭貂麟さんは慣れた手つきで簡単にピッピッと殻を剥いて口に運んでいる。

 

 王燁も食べたことがあるのでなんということもないが、郭貂麟さんほど殻剥きは早くない。

 しばらく、黙々と2人でひまわりの種を食べ続けた。

 

 

「えっと、なんで郭貂麟さんは王燁の部屋に来たんですか?」

「ああごめんね、つい夢中になってた」

 ころころと郭貂麟さんは笑う。

 

「えーとね、山門で〈挿翅虎〉と戦ったでしょ。あの時、角端(かくたん)、玲玲に任せきりじゃなくて王燁ちゃんも武器で接近戦したでしょ。大丈夫だったのかなって」

「大丈夫……?」

「怖くなかったのかな、って。翠姐(すいねえ)さん、実は接近戦できるまで結構時間かかったから」

 

 ちょっと意外な話だった。崔花翠さんには真っ先に突撃していく印象しかなかったから。

 

「怖さ、は、ある、かな。ただ、思っていたよりは怖くなかった、です」

 仙境入口での戦闘も、意識を振り向けられ過ぎて崔花翠さんが攻撃チャンスを逃していたのではないかと感じるぐらいには過保護な注意と支援をもらっていたとは思う。

 

「強いね」

「玲玲が強い防御力強化かけてくれてたし、移動中の、背中に乗っていた時の、勝手に攻撃を仕掛けにいく時よりは、心の準備できましたし、あれで接近戦の雰囲気に慣れた、というのも、あるかも、です」

「あれは辛かったと思う。うん」

 

 2人で玲玲に視線を向ける。

 我関さず、と玲玲は板張りの床に座っているだけだ。

 

「でも、人間相手、だと、どうなるかわかりません。王燁は、そっちの方が、今は怖いです」

「私も戦いたくない」

 

 この世界での最初の戦闘で遭遇したPK(プレイヤーキラー)行為。

 あまり思い出したくはないが、王燁の記憶にしっかり残ってしまっている。

 助けられて、なおかつ勝ったので、嫌な思い出ではあっても人を見て恐怖を覚えるまでになることはなかった。

 

「玲玲が頑張ってくれただけで、王燁はなにもできませんでした。逃げようとしたんですけど、追いかけられて、逃げきれなくて、追ってくる人はみんな顔が怖かったのに、笑ってて」

「ひっどい」

 

 ニヤニヤではない。怖さのある笑顔だった。

 明らかに王燁を下に見ていて、蟻でも潰すような感じが伝わってきた。

 それがあったからなのか玲玲の怒りっぷりもかなりのものだった。

 しばらく一緒に過ごして、あの時は相当な憤激だったと、ようやくわかったのだ。

 

「怖いのもそうですけど、なにも考えられなかったんです。もし、ちゃんと考えて動けていたら、って思ってしまって」

 悪いものに当たったということは自覚している。それでも後悔は残る。

 

「んー、無理。それはさすがに。無理なことを考えても仕方ないと思う」

 バッサリと切り落とされた。

 

「な、んで?」

「1人でいるところを複数プレイヤーに襲われたらまず逃げられないし。1対4とか5なら、翠姐さんや索峰さんでも相当キツイか、無理だよ。

 私もゲーム時代何回もPKに遭ったけど、襲ってくる側は『これなら勝てる』って見込みがあって襲ってくるから。襲われたその時点でだいぶ不利だから。

 もしちゃんと考えられたとしても、こちらが繰り出せるコマンド数と時間が足りないの。もしそんな人数差で返り討ちにできるなら、それはただの化け物か、襲う側が戦力を見誤っただけ。

 敗因をあとから考えたところでやっぱりどうにもならなかったってのがほとんど。1人と相討ち取れたらいいぐらいだと思う。女の子襲う男の集団ってのは腹立つけど」

 

「そんなもの、なんですか」

「こっちで私が直接PKに遭ったわけじゃないから、説得力に欠けるかもしれない。でも、そんなもの。

 理不尽なものと考えて、PKにそもそも狙われないようにどうするかを考える方がよっぽどいい。

 結果論だけど、あのPKで王燁ちゃんがちゃんと戦いに関して考えられる状態だったとしても、王燁ちゃんたちのHPがちょっと多く残った状態で私たちが助けに入るだけで、結果は変わらない。私たちが助けに入らなかった場合も結局キルされると思う」

 

「女の子は夜道を1人で歩くな、ってこと? こっちの世界でも」

「そういうこと。男も例外じゃなくなったけれど。殺しても罰則がなくて、殺されても完全には死ねないという違いはあるから現実より更にバイオレンスかもね。1人歩きが危ないのは夜道に限らないし」

 

 王燁は玲玲に目をくれた。

 王燁が戦闘可能エリアに出たのは玲玲に連れ出されたせいだ。

 その意図はまだわからないが、浅い判断だったのかもしれない。

 

「あと、あくまでゲーム準拠だから男女に生物としての力の差がないことは救いかもね」

「えっと、どういうこと、です?」

「ゲームじゃなければ、不意打ちで1人は倒したが屈強な男3人対、女の子2人に若い女性1人に大人の男1人と痛めつけられた大型犬。向こうは殺しも辞さないやる気。どっちが有利か、なんて明らかだもん」

 言われてみれば、現実であれば助けが入ってもなかなか難しい状況だったかもしれない。

 

「ところがこっちの世界では、あくまでレベルと装備と職業と個人の技量のみが強さ。そこに男女差はなくて究極的にはステータス次第。そこに、PKにおける明確な有利不利を提示できたから、消耗戦を嫌って相手が逃げたでしょ」

 

 襲ってきた4人組のうち、残っていたのは盗剣士(スワッシュバックラー)侠客(きょうかく)道士(タオマンサー)だった。

 対するこちらは、ボロボロになった召喚術師(サモナー)と召喚生物に盗剣士、無傷の吟遊詩人(バード)森呪遣い(ドルイド)

 レベルによる差はほぼなかった。そして吟遊詩人と森呪遣いは一般的に支援職とされ攻撃能力は大変低いと見られがち。

 

「こっちには回復職がいるけど、相手もアイテムを使ってHPを回復して速攻でボロボロの2人を倒せば勝ち目がないわけじゃない。

 でもPKの基本である『楽して大きく稼ぎたい』という多くの場合の前提には反する。

 更にこっちが消耗戦が可能な構えを見せた。消耗戦になったら長期的なHPMP回復のできる森呪遣いと吟遊詩人に勝てる組み合わせはそうない。

 そして、PK仕掛けて削り合いの消耗戦になったらなんのためにプレイヤーを襲っているのかわからなくなる。損得勘定ができるならあれ以上はまず戦わないよね。面白いよね基準の差って」

 

「いろいろ、考えてる」

「趣味だったゲームがライフワークになっちゃったから、ちょっと真面目に考察したの。私は強くはないけど、いつまでも翠姐さんや索峰さんに戦闘を頼りきりにできない。

 だけど現実だったら、奇襲で1人倒した時点で相手が仲間の治療優先するかもしれないし、誰か逃げれば通報もできる。細かく対比させる意味はあまりないかもしれない」

 

「それもそうかもです」

 人に襲われた、という経験は、ちょっと得難いものかもしれないと思えてきた。

 嫌な記憶なので積極的に思い出そうという気はないが、ちょっとは楽に向き合えそうな気もする。

 

「それに、こっちの世界に来てから目指すべき森呪遣いの方向も定まったし、そのためにもっと戦闘慣れしないといけなくなったから」

 不思議な人だなと思っていたが、アグレッシブな面も持っているようだ。

 

 

「元の世界に戻りたいとは、思わないの?」

「すぐには戻らなくていいかなって思ってる。ご飯のこととかトイレのこととか不満はあるけど、あんまり居心地のいい家じゃなかったし。ゲームやってないで勉強しろってうるさく言われないし」

「宿題やらなくていいもんね」

 

 ひとしきり2人で笑った。

 

「王燁ちゃんは、帰りたいんだよね?」

「はい」

 

 王燁は、帰りたい。勉強は嫌だが、帰りたいと思う。

 友達とも遊びたいし、誕生日も近かったし、母様も父様も大好きだし、『エルダー・テイル』以外にも楽しみはいっぱいあった。

 

「帰る方法の発見は飛ばされてきた人間全員にとっての宿題だよね。帰りたくないって人もいると思うけど」

「王燁は勉強の成績良かったです。でも、これは……」

「成績ってレベルの問題じゃないからね……。物語としての結末なら帰る手段の発見は物語のシメだけど、MMO型のネットゲームに、ゲームクリア、結末はあるのかってね。

 ずっとサービスを続ける必要があるんだからストーリーの終わりは創られていない」

 

 魔王を倒せば世界は解放されるなんてわかりやすい目標があるゲームではない。その程度の大ボスはあちこちの場所にいる。

 メインストーリーは存在しない。どのクエストを達成すれば元の世界に戻れるのか予想もできない。ゲームの時点で星の数ほどクエストとミニストーリーが存在した。

 そもそもクエストクリアで元の世界に戻る道を辿れる保証もない。全く違うアプローチが必要かもしれないのだ。

 

「運営出てこーい、って言いたいけど、運営がいる気配もなく」

「探せば、社員がいる、かも?」

「いるとは思うけど、社員プレイヤーだってバレたら、どんな目に遭うか。正体明かしても得がないでしょ。解決策知らなかったら、なおのことね」

 

「公式プレイヤーなら、どう?」

 

 対外PR用に職業『エルダー・テイル』プレイヤーも結構いると聞いている。

 直接運営には関わっていないが繋がりはある、はず。

 

「もし巻き込まれてたら社員より悲惨な目に遭ってるんじゃない? 怒りを向ける先としてちょうどいいし。格好の的すぎるぐらい。

 事情を知っていても地獄知らなくても地獄。私なら吊るし上げられる前に全力で逃げる」

 

 郭貂麟さんはひまわりの種をつまむ手を止め、頭を掻いた。

 

「それに、もし巻き込まれた社員や公式プレイヤーがいて原因を知ってたらもう情報が拡がってるんじゃない? 仙境に来る前どころか王燁ちゃんと出会う前に」

「どうして?」

「誰でも知りたいでしょ、どうしてこうなったか」

「それは、確かに」

 

 1番大きな可能性は大型アップデートの《ノアウスフィアの開墾》だが、どうすればゲームの中に送り込まれることになるのか。

 

 一際大きな風が建物を揺らし、ピクリと玲玲が反応したがそれだけでなにもしない。

 山の上だからか時折強風が吹く。ちょっと怖い。

 

「こうなった原因と解決法、どちらか片方でも今1番大事な情報で、運営側で事情を知っててそれで巻き込まれてるなら、隠す理由はないんじゃない。

 公式プレイヤーなんて自分が1番危ない立場。暴力的に聞き出そうとする人もいるでしょ、この状態じゃ。

 念話は生きてるし、仮に明確な原因がわかったら人づてに一瞬で広まると思うよ。でも燕都を出た時点で有力な噂はなにもなかった。

 燕都だって大きなホームタウンだったし、そういう運営側の人が巻き込まれてたら最初に飛ばされた時に混じってたはず。

 特に公式プレイヤーが巻き込まれていれば必ずどこかで目撃されたはず。公式プレイヤーだって社員アカウントの1人2人は知ってると思う」

 

 息継ぎついでに郭貂麟さんは水筒の水を飲んだ。ほのかにレモングラスの匂いがした。

 

「解決法がわかっていて、それのために人数が必要なら、難易度が高くても協力者はいくらでも出てくる。そうなると隠してなんかいられない。

 巻き込まれながらわざと隠しているなら、相当根深い問題でかつ相当な勇気。こんなご飯で我慢しなきゃいけないんだから。これじゃ我慢だってそんなには続かないよ」

 王燁は殻を剥いたひまわりの種をひとつまみ口に入れた。

 味はするがずっとこれでいいとはとても思えない。刑務所だってもうちょっとマシなご飯が出るだろう。

 熱々で濃い味付けの料理がもう恋しくなっている。

 

「だから、運営側の人間が巻き込まれていたとしても私は原因も解決する方法もわかってないことを予想する。希望もなにもないけど」

 ため息が2人揃って出た。

燕都(イェンドン/北京)にいた時に索峰さんが言ってたんだけど、衣食足りて礼節を知る、って日本のことわざがあるんだって」

「どんな意味?」

「もとは中国のことわざらしいけど、日本版だと、食事や衣服が整ってお腹が膨れてちゃんとした服を着て、それからようやく心にゆとりができて、礼儀正しく、節度が生まれるんだって。でも今は衣服はあるけど食事は微妙でしょ。だから節度は生まれなくて、燕都は荒れるって言ってたの」

 

「美味しい料理お腹いっぱい食べて満腹になったら、嬉しいしほっとする。わかる気がします」

「果物でも見た目だけのマズイ謎の物体でもお腹は膨れるけど、物足りないもんね。なるほどなーって思った」

 

 作ろうとして作れる料理のようなものは、せいぜい皮を剥いて切り分けた果物を適当な器に色々入れただけのフルーツ盛りが限界。あまりにも悲しい。

 

 

 衣服はあると郭貂麟さんは言っていたが王燁としては疑問符がつく。

 確かに燕都で下着を含めていろいろ買えたし、今着ているのも寝間着だ。

 ただ質は良くない。現実世界で使っていたものよりも悪い。

 

 服の体裁はどれも保っているが、肌触りは悪くフィット感も薄いし、サイズも若干大きく吸湿性や通気性も良くない。

 服の質だけを優先すると、手持ちの中ではインナー付きの〈赤珊瑚〉シリーズのローブが1番良好という悲しみ。装飾がゴツゴツするので楽な格好とするにはまるで向かないけれど。

 

「さってと、思ったより元気そうだったし、長居しちゃったし、私はそろそろ部屋戻るね」

「はい、おやすみなさい、郭貂麟さん」

「うん、おやすみ王燁ちゃん、玲玲もおやすみ」

 

 食べ散らかしたひまわりの種の殻を手で掃き集め、ひらひらと手を振って玲玲にも就寝の挨拶をして郭貂麟は去っていったが、玲玲はなにも反応しなかった。

 

「もうちょっと愛想よくしたら?」

 王燁は玲玲に話しかけたが、返事は返ってこなかった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 明かり取りから差し込む曙光。

 吹き込む湿気を帯びた冷涼な隙間風。

 尻尾と顔の毛を糊付けしたヨダレ。

 軋む腰と背骨。

 握りしめたブラシ。

 筋肉が固まった手。

 なぜか索峰(さくほう)を囲う小さな狐の群れ。

 

「ぬぉ!?」

 飛び起きた。

 

「今何時だ!?」

 突然バキバキグキグキと全身から変な音を出しながらと動いた索峰を見て、蜘蛛の子を散らすようにわたわたと小狐が扉の隙間から逃げていった。

 

 まぶたの目ヤニがぶ厚い。涙の跡もある。

「なんだったんだ」

 小狐が戻ってくる様子はない。

 

 

「いま何時だ……?」

 目を擦りながら窓の雨戸を上げる。

 陽は低く気温も上がっていない。しっとりとした風が索峰の顔を過ぎていった。

 正確な時刻は不明だがそれなりに朝早いようだ。

 体内時計の起床アラームが間違っていないならAM6時過ぎ。

 

「寝落ちてこの時間かよ、マジかよ」

 自由時間で解散し仮宿の(やしろ)に入ったのはまだ夕方にもなっていなかったはず。感覚的には14時ぐらい。

 そこで軽く荷物整理を行い、枯れすすき色の尻尾を1本ブラッシングしたところまで覚えている。

 

「あいつら起こさなかったのか」

 頭を掻く。後頭部から生える狐耳に指が触れる。まだ、慣れない。

 

 〈魔法の鞄(マジックバック)〉から水筒を出して水を飲んだ。ヌルい。美味くもない。

 コーヒーでも紅茶でも烏龍茶でも玉露でも緑茶でも、なんでもいいから切実にカフェイン飲料が欲しい

 

 

 はて寝落ちするほどそんなに疲れていたのだろうかと考える。

「いやまあ、考えるまでもないか」

 すぐに考えを打ち消した。

 

 泰山麓の泰山砦に着くだけで数十の戦闘、登って来てから大きな戦闘2度。

 それ以前にも戦闘外で心労も多数。困ったことに思い当たる節が多すぎる。

 蘇生呪文での蘇生ペナルティはおそらくない。

 あれを短時間に蘇生して死んでを繰り返したら体に悪そうだなとは思うが。

 

 顔を洗って、やることもないので朝の散歩と洒落込んだ。涼やかな風がほどほどに眠気を醒ましてくれる。

 それでも眠気がまだ残るあたり疲労は根深いのかもしれない。

 布団も敷かずに自分を寝具に変な寝方をしたからかもしれないが。

 

 歩いているとちょっとした台のような岩を見つけたのでそこで朝食を摂ることにした。

 〈魔法の鞄〉から水筒と2Lペットボトル3本分ほどの大きさのひんやりした(かめ)を取り出す。

 口が広く蓋が固定できるだけのただの陶器の甕だが索峰はこれを重宝していた。

 

「冷えてる冷えてる、と」

 入っているのは皮を切り外して一口大にカットした西瓜と霜を生やした鉄片。

 

 

 鉄片は〈永年凍鉄〉という。燕都(イェンドン)以北で長城沿いに毎冬の定期イベントで襲来するモンスターとの防衛戦で手に入る素材。

 ハイエンド素材のひとつで、日本語であれば「零下を保つ鉄の欠片」なるフレーバーテキストを持つ。武具や矢に使用すると冷気系の属性に相性が良い。

 

 この世界に来てから行ったアイテム整理中にアイテムボックスの片隅に転がっていたのを発見したもの。

 鉄なら危険な成分でもないし、保冷剤として使えるんじゃないかと氷代わりに使ってみたところ期待通りの働きをしてくれている。

 

 難点として、ドライアイスほどではないにせよ保冷能力は零下を結構下回っているらしく、長時間甕の中に放置すると果物を凍らせてしまうのが疵ではある。

 それを避けるために〈永年凍鉄〉を布に包んだり底に敷いて板で上げ底して物理的に距離を取ったりといろいろ試しているが冷え方にムラがあるので満足はいっていない。

 ともあれ便利ではあるので一応他の3人にも渡しているが、体を冷ましたがらない女性の感覚か皆使う気はない様子。

 

 

「あー、まっずぅ」

 前にこの甕に鉄片を仕込んだのが泰山登山に出発する前、時間にして24時間ほど前。

 寝落ちする前に水分補給のつもりで少々つまんでかき混ぜたが、その後は15時間ほど魔法の鞄から出した状態で放置され、朝に社を出るとき戻したばかり。

 

 〈魔法の鞄〉の中では劣化も時間経過の変化もないが、この甕は部屋に出しっぱなしになっていた。

 その結果、分量中ほどから下の西瓜は見事凍りついていた。

 

 凍りついているといっても剥がせないわけではないのだが。

 身体能力の向上はこういう場合でも実感できる。もっともこの場合は凍った西瓜を砕くと言った方が近いが。

 

 パギッ。

 ガツガツと凍った西瓜を掘り下げてつい力が入った。甕にヒビが入った。

 

「おぉう……」

 所詮、陶器の甕。冒険者になる前の元の人間の力でも割れる程度の強度。無理をすれば当然の成り行き。

 同型の空の甕はまだあるが、割ったのはこれが初めて。

 

 手を合わせ、なお力を込めて甕を完全に割り、凍った中身を剥き出した。

 〈永年凍鉄〉を剥がし、凍った西瓜の塊を適当に砕いて別の甕に入れ、甕の破片を片付け、改めて朝食。

 もはやかき氷と化した西瓜。もともと涼を求める果物だけあって物凄い勢いで体が冷え切っていく。失敗だ。

 

「やっぱり食べる前にしばらく漬けてばーっと冷やした方がいいか」

 

 結局完食は諦め、他の甕に凍った西瓜を移し替え、マンゴーで腹を満たす。

 適度に冷えた果物を食べる方法の開拓にはまだ検討すべきことが多そうである。

 魔法系の特技も使えないことはない吟遊詩人(バード)だが、冷却に使えそうな特技はない。

 魔法を使えても今ひとつ融通が利かないものだと思う。

 

 

 そういえば寝落ちの前に尻尾の手入れしようとしていたなと尻尾を見る。

 散々雷撃を受けたからかところどころ毛が縮れていてボサついている。

 

 まだ朝日は低くみんなを起こしに行くほどではない。

 〈天使のブラシ〉を尻尾にあて丹念にブラッシングしていく。この行為にもすっかり慣れてしまった。

 みるみる毛先が整い縮れ毛が直毛になりワックスでもつけたように艶やかになる過程は、何度見ても不思議。

 10回もブラッシングすればピカピカになるとはいえ7本も尻尾があるので、そこそこに時間がかかるのが面倒。

 

 なぜ7本設定にしたのかと過去の自分が恨めしい。

 見た目重視と理由がわかっているだけになお恨めしい。

 気に入っていたのも事実だけに殊更に恨めしい。

 

 

「ん、ん?」

 狐尾7本の仕上がりに満足し顔を上げると、先ほど寝起きに自分を囲んでいた小さな狐が1匹。

 薄いオレンジ、日本風には淡い蜜柑色といった感じの色合いで、尻尾と耳の先が黒い。30cmはないだろう手に乗るサイズの豆狐。

 

 じいーっと、〈天使のブラシ〉を見上げている。

 〈天使のブラシ〉を頭上に翳したりうにょんうにょんと動かしてみると、首がそれを追う。

 

「ふむ」

 座ったまま膝を軽く叩いて膝の上を促してみると素直にぴょこりと乗ってきた。

 〈天使のブラシ〉に興味を示していたので、なんとなくでブラッシング。

 

「みー」

 途端、でろーんと豆狐が弛緩してだらけた声を出した。気持ちいいらしい。

 

「痒いところはございませんかー」

 言葉を理解しているのか偶然か、背を磨き上げたところで豆狐が膝の上で転がり腹を向けた。まるで子犬のようだ。

 腹を見せる行為は服従のポーズというが少々ちょろすぎやしないかと豆狐の顎の下をブラッシングしながら思う。

 仙境だから人馴れしているのか、はたまた索峰が狐尾族だからか。

 

 表示は〈霊芝狐(れいしこ)〉でモンスターに準じたもの。

 非戦闘エリアに出現しているのでおそらく危険はないと思ってはいるのだが、エキノコックス持ってないよな、と少々怖くはある。

 こちらも狐だけに。

 

「みー」

「みー」

「みーみー」

 いつの間にか〈霊芝狐〉が周りに増えていた。揃いも揃って気配がほとんどない。

 

 最初に膝の上にいた〈霊芝狐〉がブラッシングを終えぷるっとひと震えし膝の上を辞した途端、次は俺、いや私と言わんばかりに膝の上を奪い合い猫パンチならぬ狐パンチの応酬になった。

 いるのは最初の〈霊芝狐〉を除いて5匹。

 

「全員磨いてやるから並べお前ら」

 群がる〈霊芝狐〉を摘み上げ1度膝の上を空にしてから改めて1匹誘いこみブラッシングを開始した。

 

 すると最初にブラッシングを終えた〈霊芝狐〉が色のついた小石をくわえて戻ってきて、代金のつもりか索峰のすぐそばに置いて、取り巻きから一周離れたところで石畳に腹をつけてだらりとのびた。

 小石は〈雲鋼玉〉と表示されている。

 

 2匹目は白い〈石英結晶〉を持ってきて、3匹目は〈陽桃種〉、4匹目はその名と同じキノコである〈霊芝〉。

 

 そして5匹目をブラッシングし終えた時には、新たな〈霊芝狐〉が当然のように順番を待っていた。

 たらり、と索峰の背を汗がつたった。








用語解説というか豆知識
霊芝
薬用になるキノコ。別名万年茸。
このキノコ自体は硬く食用に適さないがエキスに薬効。
中国では昔から重用されている。
つーか2000年近く前の世界最古の薬草本にも載ってる。


玉露ってカフェイン量がコーヒーの2.5倍ぐらいあるそうで。
翼を授ける飲料(日本版)比では1.4倍ぐらい。
玉露に含まれるタンニンがカフェインの吸収を緩やかにするそうなので、コーヒーや翼を授ける飲料ほど眠気解消に直撃はしないようですが。
コーヒー嫌いならご一考。基本いい値段しますけども。


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幻獣問答

角端謎行動種明かし話。
キリのいいところが見つからなかった結果、画面黒く、一文長く、全体も長い三段構え。







「呼ばれて来てみれば、なにやってんの」

「猫の集会ですか、これ?」

 

 念話を介して索峰(さくほう)からヘルプコールが届き、場所を聞けば非戦闘エリア内で、なにを助けが必要なのかと思いはしたものの、行ってみると面白いことになっていた。

 そう広くはない石畳の道と索峰の座る岩の背後の岩壁を埋め尽くすが如く小さな狐が群れなして索峰を取り囲んでいた。

 ほのぼのとしつつもなんとも異様な光景に、念話で助けを求めつつもなぜ助けがいるのかを言わなかった理由がわからなくもない。誰かに見せたくなるのも頷ける。

 

「いや助かった翠姐(すいねえ)(てん)ちゃん、止めどきが見つからなかった」

「写真撮れないのが残念ね」

 女2人に救い出された格好の索峰は腕をぐるぐる回していた。

 残された狐たちが名残惜しそうにしているはたぶん錯覚ではない。

 

「どれぐらいやってたんですか?」

「2時間はやってたんじゃないかなあ。どんどん増えるし。どこにあんなにいたのやら……」

 じゃらじゃらと積み上がって小山になっている鉱物や種子やなにかの実を索峰は大事そうに〈魔法の鞄(マジックバック)〉に片付け別れを告げた。

 

 

 しかし索峰が歩き出すとハーメルンの笛吹き男よろしくぞろぞろと小さな狐もついてくる。

 岩壁や石畳に残った小狐もいたが、ついてきているだけでも50匹以上はいるだろうか。

 さすがに索峰も手を振って散るように促したが聞きやしない。

 

「懐かれたわねー」

「いやもうさすがに勘弁して欲しいんだけど」

 結局狐たちは宿の社の前までついて来て、眠い目を擦っていた王燁(おうよう)ちゃんの眠気をぎょっと醒まさせ、角端(かくたん)が威圧してようやく散った。

 なにげに角端が索峰を助けたのは初めて見た気がする。

 

 

「寝落ちて申し訳ない」

「いいんじゃないですか、別に。差し迫った脅威があるわけじゃないですし」

「まー、索峰も人間だったってことでしょ。狐だけど。ちゃんと休みなさいよ。一応起こそうとしたんだけど、覚えてる?」

「すまん、全く記憶にない」

「それはまた見事な寝落ちね。戦闘で力尽きたのは影響したかしら?」

「たぶんそれはない、と思う。疲れただけ。あといろいろ静か過ぎて」

燕都(イェンドン)や麓の街に比べたら、そうですねえ」

「ならいいわ」

 

 蘇生の後遺症があるとないでは大きな違いだ。

 純粋な疲れから来たものなら自己管理を徹底すれば済む。

 

 時間だけは目的を見失うほどにある。

 

 

「あー、そうそう、角端の通訳してくれる人の手配だけど、お昼過ぎにお願いしたから。索峰いつ起きてくるかわかんなかったし」

「すまん」

「ま、それぐらいはね。起きてこなかったらどうやって起こそうかって話してたけど」

「くわばらくわばら」

 水ぶっかける、熱湯をかける、鼻と口を塞ぐ、関節を極める、角端に蹴らせる、といった案が出ていたので索峰は命拾いしたかもしれない。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 陽は中天に差し掛かろうという時刻。

 

「皆様お揃いですな」

瑞袞(ずいこん)さん、この度はお世話になっております」

「いえ、こちらにとっても神獣と話す機会なぞ一生に一度も無いであろう貴重な機会ですから。立ち会わせていただけてありがとうございます。きっと黄泉での自慢話になるでしょう」

 

 瑞袞さんの物腰穏やか低姿勢は変わらない。

 今回違うのは、その横にもう1人いることだ。

 

「それで、お隣の方が、角端の通訳をしてくれる方ですね?」

「はい、項樊(こうはん)と言います。自己紹介を」

 

「お引き合わせいただきました、項樊と申します。

 師に預けられ、師によって教えられ、神獣との意思疎通が可能になりました。

 今、角端の主殿がつけておられる〈応鳳霊麟徽(おうほうれいきき)〉は本来私が管理しているものです。

 泰山において、このような会合や先立って登ってきた角端の意図や神託を言葉にするために、世代を超えて神獣と対話できる者が育成されております」

 

 大柄な瑞袞さんに比べると肌に張りがあって若く細身の男性。

 見た感じでは20代後半から30代半ばといったところか。

 こちらも剃髪しているので髪からは年齢が伺えない。

 

「気の遠くなるような話ね」

 現実世界で1ヶ月がこちらの1年。こう思うと世代を跨ぐ必要もあるのだろう。

「それが仕事、使命です。お気になさらず。一度もその役目を果たすこともなく逝った先達もおりますし、若くしてこの機会に恵まれた私はむしろ幸運かもしれませんから」

 

 

 相当長く角端は排出されず、応竜、鳳凰、霊亀、麒麟ら瑞獣に限っても、排出されればアリバイ作りのために公式サイトに排出の報がプレイヤー名を一部隠して載せられたほど出なかった。

 

 中華全土を見回せばいわゆる神獣の種類は多く、純正の神獣を扱う有名なプレイヤーもいることはいた。

 それでも十全に使いこなすには召喚術師(サモナー)でなければいけないし、次点の森呪遣い(ドルイド)を加えても全プレイヤーの15%未満という就職人数の問題がある。

 その中で追加で金を出して召喚生物を求める人はどれほどだろう。

 さらにそこから純正の神獣を所持し泰山へ赴く人は、きっとひとつまみ。

 

 多少時間をかければ一芸二芸に秀でた召喚生物は割合容易に契約できるし、角端ほどの全知全能な万能型まではいかずとも、それなりに手間と時間をかければ最上級難易度に挑める召喚生物は入手できるようにゲームデザインで設定されている。

 パーティで喜ばれる戦闘ビルド構築とは、全てが平均的よりもなにか尖って強力な部分がある方が喜ばれる。

 なにをしても強いという称号は、装備やプレイヤースキルが整ってからあとになってついてくるもので、最初からそれを目指すものではないと崔花翠(さいかすい)は思う。

 

 

「頭が下がります」

 貂ちゃんが頭を下げ、釣られるように王燁ちゃんも頭を下げた。

 

「いえいえ、頭を上げてください。そんな偉いものではありません。それに角端の方が待ちくたびれているようですから本題に入りましょう。

 私はただ通訳をするだけで、司会進行は致しませんので、どうぞ、心ゆくまでお話しください。少なくとも、人間側からの言葉は、私を通さなくても角端は理解していますから」

「拙僧も隅で聞いておるだけです。項樊も拙僧も意見を求められれば答えますが、こちらからなにか言うことはありません」

 

 そう言うと瑞袞さんは窓際の陽の当たる場所まで移動し座った。

 項樊さんは角端の隣に移動した。

 

 

「じゃあ、司会進行はとりあえず索峰ね」

「そんなことだろうと思ってはいたが。言いたいことはいくつもあるが、まずは王燁ちゃんか角端に手番回しておくべきだろうな」

 すっと、項樊さんが手を上げた。角端が何事かもごもごと口を動かしている。

 

『まずは、(われ)が言わせてもらいたい』

「王燁ちゃん、いい?」

「いいよ、玲玲(れいれい)

 角端が何を言うか、一同固唾を飲んで見守った。

 

『我が主人、王燁に、心からの忠誠を。いついかなる時であろうとも、求めに応じて貴女を守護いたします。なんなりとご下命を』

 角端から発せられたのは臣下の誓い。

 

『そして、まず謝罪したい。

 我の力が足りず、また、我が冒険者の悪意を侮ったがために主人を窮地に追いやってしまった。

 あの日、我はまず主人を安全な場所へと焦っていたと、今では言える。

 あの街は人の(おり)の深い陰の気が溜まり始めていた。

 我にはどうすることもできず、あの街にいては、早晩主人が不幸に見舞われる強い確信があった。

 しかし主人より呼ばれなければ我は活動できず、歯がゆい思いも持っていた。

 そのため呼び出されて即座に行動に移したが、主と意思疎通を図ることもできず初動も遅く力も足りなかった。

 窮地に陥った際に見ず知らずの主人を救援してもらったことには深く感謝している』

「そんな、気にしてないよ、玲玲」

 

『崔花翠嬢、危ない橋を渡っていただいて本当に助かった。特に深くお礼申し上げる』

「戦闘の気配察知したのは貂ちゃんだし、それがなければ救援には行かなかったと思うけど」

『それでも相当に勇気のいることだったと思う』

 

 角端は首を下げて頭を垂れた。

 

『また、あの救援の後も主人を放り出さずに仲間として迎え入れ精神的に補助してもらったことにも、強い感謝を。

 幼い主人にはあの戦いは相当な恐怖体験であったと思うが、それによる悪影響を薄め混乱を鎮めた。

 これは、あの時点で意思疎通ができなかった我には不可能なことだ。

 今、主人が明るく振舞えていることはお三方のお陰であろう。非常に大きなことだと思っている』

 

「うん、そうだね。崔花翠さん、郭貂麟(かくてんりん)さん、索峰さん、ありがとう」

「いいのいいの。当然のことよね、索峰」

 

 最終決定こそあたしがしたが、金銭面での王燁ちゃん受け入れ負担はおおむね索峰が負っている。

 あの時即時で受け入れを決めることができたのは、索峰が直前に稼ぎ出した法外なギルド財力が余裕として存在したことはまぎれもない事実。

 

「打算がなかったわけじゃないが。年長者の責務だな、あれは。こんな不安定な世界で放り出したら男も廃るってもんで」

「お世話になってます……」

「気にしない気にしない」

 

 

「でも、感謝している割に、角端は索峰さんに当たり強くないですか?」

 貂ちゃんが突っ込んだ。

 あたしも聞こうとしていたことで、角端は索峰にだけ明らかに態度が硬い。

 

『主人の援助には感謝している。だが索峰という狐尾族は隠している牙がまだ見えていない。見せようともしていない。意図的に力を落としているのが不気味に過ぎる。深いところで見下しているように思え、信頼には遠い』

「だ、そうですが?」

「んー、隠しているっちゃ隠しているかなあ。半分意図的にもう半分は止むに止まれず」

 なんとも歯切れが悪い。

 

『野狐程度に風格を隠しきれるものではないと知れ。佇まいからして戦歴も相当長かろう。それにしては、今のお前は弱すぎる』

「あたしと一緒に中国サーバーでも相当いろいろな大規模戦闘に大手ギルド傭兵で参加したわよ? 日本でも相当やってたのも知ってるわよ? 吟遊詩人(バード)としての索峰は、もとから中国サーバーで上から数えた方が早いと思うけど」

 

 

 イベントごとで大規模戦闘に参加する際、あたしと索峰はよくトップギルドに傭兵タッグとしての参加を打診したものだ。

 打診するのはあたしだが、付属品としてついてくる索峰の大規模戦闘特化型廃人級吟遊詩人という希少価値の方が喜ばれていた気がする。おかげで寄生先は見つけやすかったけど。

 傭兵としてではなく本採用としての勧誘話は多く、あたし以上に引く手数多だろう索峰に至ってはギルド移動は受け付けないとプロフィールコメントの時点で勧誘拒否の姿勢を表明していたほど。

 

 

『借り物の力というべきか羊に化けているというべきか。内在する(はく)の強さに見合ったものを全く身につけていない。その理由を明かせと言っている』

 

 角端には、索峰のなにが見えているのか。

 しれっととんでもないものを見ている。(はく)って魂だ。

 

「今更隠すことでもないのかな。手抜いてるわけじゃないんだけど。見抜かれるもんかね、これ」

『早くしろ』

 

 魔法の鞄(マジックバッグ)に肘まで突っ込み、索峰はアイテムを、正確には武具を取り出し始めた。

 〈しろたへの玉響〉〈古松弓・天橋立(あまのはしだて)〉〈湖笛仙の鉄笛〉〈夜笛・混江播磨(こんこうはりま)〉〈狐惑(こわく)のお札〉〈月銀・鏡写〉、出てくる出てくる〈幻想級〉の冠がついた見たこともないアイテム群。

 取り出されたものは付き合いの長いあたしでもかなり驚くものだった。

 

「ちょっと待ってください索峰さん、いったいどれぐらいあるんですかそれ」

「〈幻想級〉は36個。〈秘宝級〉まで合わせたら100は超えるな。古くて型落ちになってるものもあるから全部は持ち歩いてないが。実際にこの世界で使ったことはないし、長く封印してたから最適な動きがすぐできるかも怪しいところではある」

 

 あっけらかんに言うが、〈幻想級〉36個は相当な量。並大抵の努力で集まる数ではない。

 24人パーティ規模の大規模戦闘(フルレイド)を週単位で長時間周回し続けてようやく数個出るものをそんな気軽にぽこぽこ出してきてもらっても反応に困る。

 

「いや、確かに索峰が日本で相当に長くやってたのは知ってたけど、使いなさいよそれ。その気になれば全身〈幻想級〉で固めてもうちょっと楽になったでしょ」

 

 あたしが持っている〈幻想級〉は〈鉄山黒戦斧〉のみ。

 これ1本のためにプレイスタイルを構築したほどだ。

 〈幻想級〉は、入手難易度に比例してそれだけ強い。

 

『やはりか、狐』

「日本人ってことは言ってただろ、持ってる〈幻想級〉全部日本のなんだよ。日本で使うぶんにはいいんだが、中国で使うと一発で国籍透視されるし、全身〈幻想級〉なんて注目されるだけでいいことがない。

 日本ではバリバリの戦闘ギルドにいて大規模戦闘に浸かってたが、吹き専援護専させられることも多かったし、こういう少人数パーティでは役に立たないフルレイド(対象24人以上)用の広範囲支援特化〈幻想級〉もあるしで。

 中国では言葉の壁もあってのんびりやりたかったからな。こっちでは封印のつもりだった。

 そもそも中国サーバーに持ち込んだは良いが、文字化けやエラー吐いたものまであったから全部は使えなかったぞ」

 

 言い訳だ。

 

「悪いですけど、私は角端と同意見です。この状況下では正直いい気はしないですね。目立ちたくないということを差し引いても」

「貂ちゃんの言う通りだと思うわよ。弁明が足りない」

 索峰が頭を掻きむしって天井を見上げた。

 

「理論上の最強装備とお気に入り装備は違うし、同様にその場その場でも最適解は違うことはさすがに分かるな?

 燕都(イェンドン/北京)発の時点では全身〈幻想級〉は間違いだ。最速で影響範囲外に出るために注目集める理由はない。珍し過ぎて示威行為になるかも怪しい」

『理屈はそうだな。燕都を抜けるときには枷になったかもしれん。登山時に使わなかった理由にはならないと思うが』

「そっちは、潰れ役やることになるから修理コストが高いものはなるべく使いたくはない、ということで許してもらえないだろうか。選択肢に入っていなかったことも確かではあるが」

 

 HPが尽きて蘇生も叶わず大神殿送りになると装備の耐久度は通常使用に比べて大きく削られる。

 鍛治系のサブ職業持ちがいれば比較的容易に修復できるが、それはいない。気持ちはわからないでもない。

 

「あの、そんなに悪いこと? 索峰さんはしっかりやってた、よ?」

 剣呑な雰囲気に、おずおずと王燁ちゃんが助け舟を出す。

 

「気持ちの問題ですから、これ」

「じゃ聞くわよ索峰。その〈幻想級〉使っていれば、こちらの世界でなにか結果が変わったかしら」

 手を抜いていたのか、そこは聞いておきたい。

 索峰はひたいに指をあて、少し考える仕草をした。

 

「いや、大きくは結果が変化しないはず。試しで〈幻想級〉使うにもこれだけ数があると全部は難しい。

 燕都周りでは注目集めるだけでむしろ悪影響って思うし、PK受けて損耗も怖いし。

 燕都から泰山砦の間は角端の件でそれどころじゃないが、若干戦闘が楽になったかもしれないぐらい。

 泰山砦からここまでは中腹の熊戦で多少討伐速度は上がったかもれない。

 飛ぶ虎3頭は事前情報なしでは〈幻想級〉使っててもどっちみち死ぬ。大差なし。武器はともかくあの状況で防具までは切り替えられん」

 

「全力は出してたと言えますか」

「カタログスペックで多少劣ってたのは認めるが、行動として手を抜いたつもりは一切ない。それは信じて欲しい」

 索峰が頭を下げた。

 狐尾も力なく後ろに垂れている。

 

「ならいいです。今のところは」

「これから人目につかないところではちゃんと使いなさいよ」

 

「修理しやすいのだけで勘弁。というかな、この際言っておくが〈幻想級〉に夢見すぎだ。強いのは確かだが性能尖ってピーキーなんだぞ。翠姐の〈鉄山黒戦斧〉だってそうだろ、投げ物超強化。汎用性だけで採点したら音叉弓上回る汎用武器は手持ちにない。

 たとえば〈湖笛仙の鉄笛〉のメイン効果は淡水系モンスター戦闘時に特攻を付与する援護歌を使えるようになる笛で、〈夜笛・混江播磨〉は同様に海洋系モンスター対防御付与、かつ夜だと効果更に増。

 どっちも物理攻撃じゃなくて呪歌攻撃側かつ支援に振られてる。使い所間違えなきゃ強力だがそうそう出番ないって」

 

 一息に捲し立てると索峰は大きく息を吸い、魔法の鞄から飲料を出してごくごくと何度も喉を鳴らした。

 

 

「じゃあ、この〈しろたへの玉響〉ってどんな服装備なんです?」

「援護歌2曲発動中と同等のMP上限とHP上限15%を失いつつ援護歌使用不可になる代わりに呪歌の威力大幅上昇。

 HPMPを減らした上で援護歌も使えない状態でMP使ってヘイトも稼ぎやすい呪歌を使えという呪歌砲台用。主に本職の魔法攻撃職が足りない時に使う」

 

「それはまた、なんというか」

「使わない理由がわかりやすいだろ。このパーティから中衛削って完全後衛3人目はいくらなんでも多過ぎる。そりゃあ少人数パーティで有効な装備もあるにはあるが」

 

 そこまで言って、索峰が視線を角端に戻した。

 

「話逸れてるぞ。角端は説明これで納得できたか。信頼しろとは言わないから。自分としてもあれだけ険のある対応されてはいそうですかは無理だ」

『納得しよう。信に値するかの判断は、お互いこの会合が終わってからでも遅くはないだろう』

「そうだな。この話題はここで折り合いだ。次行こう。誰かある?」

「では、私いいですか」

 貂ちゃんが小さく手を挙げた。

 索峰が目線で王燁ちゃんに確認を取ると小さく頷いて了承。手番が変わった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 郭貂麟(かくてんりん)にとって、角端(かくたん)の存在は畏怖の対象であり謎そのものである。

 

 森呪遣い(ドルイド)として、喋る召喚生物や明確に意思をもっている召喚生物は、受け入れがたい不思議な存在ではない。

 上位妖精種を使役すれば特技発動時に効果音としてランダムに喋るという話は聞いていたし、〈幻想級〉〈秘宝級〉のアイテムにも喋りかけてくるものがあると聞いたことがある。

 

 ゲーム時代、精霊の宿った杖を使う施療神官が攻撃を受けて、それに反応するオートカウンターとして精霊が反撃して、その度になにかしらの言語サウンドが出ていたことを動画で見たことがある。

 オプション設定でそのような喋るコマンドのオンオフが切り替えられるチェックがあったことも覚えている。

 

 ゲームでは仕様だったが今この世界であればかえって納得できる事象だ。

 意思を持って動くことは、不思議ではない。

 

 

「では、角端さん。私の見た限りでは、あなたはいち召喚生物の枠を大きく逸脱しているように見えます。

 たとえば燕都(イェンドン)から移動する際の〈強行軍〉やパーティの騎乗生物行動固定。契約主の了承を得ずに長時間放置して離れる。そもそも召喚解除に応じない、召喚獣にしてはやたら強い、など。

 そんなに付き合いは長くないですが信じがたい行動は枚挙に暇がありません。

 あなたはいったいなんなのですか。どのような仕組みがあってあのような動きができているのかを聞きたいです」

 

 角端は、ちょっと考える仕草をしたような気がする。翠姐(すいねえ)さんは静観の構え。

 

『〈幻獣憑依〉という特技はわかるか?』

「知らないです」

「あたしも。索峰(さくほう)、説明」

「こっち振るのか。えーと、召喚術師(サモナー)の人側が召喚した生物に乗り移って、直接細かい操作をできるようにする特技だったか?」

『それだ。(われ)には、それが常時発動している』

 

 背景が見えてこない。

 王燁(おうよう)ちゃんも翠姐さんも訳した項樊(こうはん)さんも、特技の説明を行なった索峰さんすらもクエスチョンマーク。

『ゆえに、我には意思が強く宿っている。ひとつの体にふたつの精神が宿ることがあるのだから、当然だ』

 なにが当然なのかさっぱりわからない。

 

『我が召喚されてそれが戦闘中であって明確な指示があればそれに従うが、それ以外の時間は、我の考えで召喚主にとって必要であろう行動を行なっている。

 〈幻獣憑依〉は我々召喚獣の行動全てを召喚主が行うことができ、決して召喚術師ではできないことも実現できるであろう。

 一方で〈幻獣憑依〉を発動した術者は、抜け殻となり棒立ちになるのか?

 そうではなく、我々の精神が入れ替わって人の身を操作して術者の体を守り難を逃れるのだ。

 ただ〈幻獣憑依〉そのものは精神を入れ替えるという大きな術であり、新たな体に魂が定着し、体を動かせるようになるまで時間がかかる。体の造りそのものが違うのだから当然だな。

 しかし我の場合は術者との強い結びつきが強固であればあるほど、他の生物が介在する余地がなければないほどに〈幻獣憑依〉の効力は高まり、魂の入れ替えが容易になる。体への定着も早くなりごくごく僅かな時間での頻繁な入れ替えすらも可能になる』

 

「わかったようなわからないような……」

「ぜんぜんわかんなーい!」

 翠姐さんが首を捻っている。私も同じ感想だ。王燁ちゃんはついてこれていない。

 角端が〈幻獣憑依〉に高い適性を持っていることは理解したが、それが異常行動にどう繋がるのかわからない。

 

 

「角端よ、お前は召喚生物が他に契約されていないほど強くなるよな? 〈幻獣憑依〉に限らず」

『そうだ。我の力を最も強く引き出すのであれば、我以外は不要だ』

「それで、王燁ちゃんは角端以外に契約してないよね」

「うん。玲玲(れいれい)だけ」

 電波なことを発する角端の謎論理の中で、なにか索峰さんが掴みかけていた。

 

「たぶん原因それだわ。細かい理屈わからんけどたぶんな」

「1人で納得してないで説明しなさいよ」

 

「角端単独契約だと、ゲーム的に言うならステータス面だけじゃなくて自律行動AIの思考まで強化されるんだよ、たぶん。

 〈幻獣憑依〉はデフォルト発動枠で、詠唱不要かつ憑依へのタイムラグが極端に減る。手慣れたプレイヤーなら、角端と術者本体の2体同時操作に近いことができる」

 

「えっと、〈幻獣憑依〉が瞬時だと、どういうことができるんです? それとAIがどんな関係が」

 ゲームシステムの話になってもまだ索峰さんの言わんとしていることが掴めない。

 

「〈幻獣憑依〉で使用キャラの高速入れ替えが可能なら、召喚術師の方がターゲット決めて長めの詠唱してる間に角端で移動して自分で操作して味方の回復とかヘイト引いたりとか、角端で威力偵察しながら地形見て即キャラ変更、召喚術師側からは見えない位置にいる敵に召喚術師の呪文撃ち込んだりとか。その逆も然り。本来そういう風に使う設計と見た」

「うわつっよ」

 

「でも2キャラ分動かす訳だから要求される操作難易度が跳ね上がる。できない人だったいるはず。AIの強化はそのための救済措置なんだろう。

 本来?の2キャラ操作ができなくてもそれに近い働きができるように単独で戦わせても強いステータスと頭のいいAI思考が与えられている。大当たりにふさわしい性能だと思う。

 AI性能の高さと、動かすキャラの強さや操作性でいくらでもレアリティ変えられそうでもあるし」

 

 2キャラ操作ができれば強いことは想像できる。

 それができない人が引いた時のための救済措置にAIが絡んでいるという想像が提示されたことも、ギリギリ理解できなくもない。

 

 

「あの、理屈はそれでいいかもしれませんが、それで角端が異常行動してる理由は?」

 問題はここだ。

 いくらゲームシステムで理解が及んだとしても、こちらで説明できなければ。

 

「そもそも異常行動ってわけでもなさそうだがな。悪く言うならAIの暴走。良く言うなら頭のいいロボットに意識が芽生えたということになるな。謎は残るが」

「あー、あー、あー、そういうこと」

 翠姐さんが破顔した。

 

『我は意図をもって行動しているつもりだがな』

 角端は索峰さんの説明に少し不満そうだ。

 

 それでも郭貂麟には、すとん、と落ちた。

 AI=角端の思考能力であり、レアリティ最高の〈幻想級〉相当の角端は、ゲーム時代自律行動レベルは最上級に近い設定。そこに意識が芽生えた。

 ゲームの設定を考えると意識が芽生えたというのも語弊があるかもしれない。

 仮想が現実になったのだから、データ上の生物だった彼らも、意識を、魂を持っていて当然。

 

 高度な戦闘AIレベルは、理性と判断力と思考力の高さに反映されたのだ。

 単独契約のボーナス補正も王燁ちゃんが角端以外と契約していなかったことで強く反映されているのだろう。

 

 

「あれ?」

 ふと、気づく。

 

「〈幻獣憑依〉常時発動で入れ替わりにタイムラグ無しなら、通訳するまでもなく王燁ちゃんと角端の中身入れ替わって喋ればいいんじゃないですか?」

「あ」

 気まずい感じの沈黙が流れた。

 

「それは……そうだよね玲玲(れいれい)

 今まで通訳しかしていなかった項樊さんが顔面蒼白になっている。

 存在理由崩壊の危機なのだからそれは当然のことかもしれない。

 

 すると角端がなにかモゴモゴと項樊さんに耳打ちした。

『主人に負担がかかることになるから、他に手段があるならその方がいい。頻繁な魂の入れ替えは無駄に疲労を増すだけだ』

 律儀にも役割を果たし通訳を続けた項樊さんは明らかにホッとしている。

 

 

『〈幻獣憑依〉が常時発動していると言ったな。しかし我はあくまで従者であり、我からは魂の入れ替えを発動できない』

「ゲームシステムを鑑みると、勝手に入れ替えされたら困るわよね。そもそも〈幻獣憑依〉自体を王燁ちゃんも把握してなかったみたいだし」

「〈幻獣憑依〉はわかるよ? でも、玲玲(れいれい)が言うまで使うことは考えてもなかったなー」

「なら知らなかったも同然よね」

 

 無知と評するのはさすがに酷だろう。

 〈幻獣憑依〉で入れ替わって喋らせる発想の時点で大概に飛躍している。

 王燁ちゃんの父親が近くにいればまた違ったのかもしれない。

 

 

「人型はしてないが5人目のプレイヤーというぐらいのつもりでいいのかもな。実際のところ」

「人型じゃないってなら索峰も大概だけど」

「もういいってそれは。んじゃついでに角端に聞くけど、燕都(イェンドン/北京)出て勝手に行き先変えたのはなんだったんだよ、あれ。話しぶりと今までの行動から多少想像できるけど」

 王燁ちゃんのためにという行動理念が常に先に来ているから、謎だった行動の裏が見え始めている。

 

『なるべく早く直接言葉で意思疎通を図れるようにしたかったのだ。そして燕都から最も近く我々の言葉を変換できる者がいるのは、この山であった』

「一刻も早く会話したかったと?」

『第1の理由はそうなる。そこの狐が早々に街の外に出る理由を作ってくれたのは我としては非常に都合が良かった。最初は我の意図を汲み取ってくれたのかと思ったほどに。勘違いだったが』

 先ほど一応の折り合いがついたものの、まだ角端と索峰さんの間にはトゲが残っているようだ。

 

『第2に、いかに冒険者が魔力運用に長けていようとも、神獣を御するにはあまりにも主人の力量が見合っていなかったこと。

 救援を受けた最初の戦いもそう。北の街から出てこの山の麓の街までの移動もそう。我が要求する負荷に対し、主人の体は応えられていなかった』

 

 郭貂麟は泰山砦に到着した時のことを思い出した。

 索峰さんも翠姐さんも当然の戦闘疲れを滲ませていたが、王燁ちゃんはMP酔いとでも言うのか、MPを一気に抜かれ続けての脱力と衰弱を起こしていた。

 その感覚は戦闘訓練の際に郭貂麟にもあった。

 

 

『我々が神獣と崇められるのはそれに見合った強い力を持っているためであり、本来何者かの下に属する必要がないほど強い生物であるということ。

 我は、地を歩む毛のある生物の長たる格を持つ。ゆえにただの馬や狐程度を従わせることなど造作もない。ああも簡単に指揮権を奪えたことは、躾が足りん』

「泰山砦までの〈赤騎狐〉の勝手な追従の原因はそれか。はた迷惑な」

 

 馬2頭と大型の狐1匹。確かに毛のある獣だ。

 燕都の廃墟の屋上で話していた時にも、索峰さんの〈赤騎狐〉は平伏するような遠慮するような恐縮するような微妙な動きを見せていた。

 

『そもそも冒険者や大地に住まう人が扱う召喚術式の不備もあり、喚び出す生物らの真の力を引き出すことはできていないがな。

 それでも要求される負荷を軽減する道具はなにか持っているものだが、神と崇められるような力の強い者が要求する負荷というものは尋常ではない。

 古来よりただの道具ではなく特別な祭具神具によって神を鎮めようとするように、我々を御するためには並ではさほど意味がない』

 

 角端は王燁ちゃんの襟元につけられた五色の光を湛える羽根飾りを見た。

 

「それで、〈応鳳霊麟徽(おうほうれいきき)〉か」

『神を鎮める役割は神官か祈祷師か仙人がやるものだ。

 同時に彼らは神の言葉や神のお告げを得ようとする研究者でもある。

 それらが作る専用の祭具は、主人にかかる負荷を和らげるには役に立つ。

 いざ神に等しいものが降りた時に、望んだ結果を得られる前に耐えられなかったでは話にもなるまい』

 

「言われてるわよ、瑞袞(ずいこん)さん、項樊さん」

「我々泰山の者は封禅の祭壇を守る者。もっとも時の権力者に付き随う特異な力をもった獣も伝承によく出てきますから、それらを暴れさせないための術も研究しているというわけで」

 突然水を向けられた瑞袞さんは、少し焦っていた。

 

「ということは、第2の理由は王燁ちゃんの負荷を軽減するためと〈応鳳霊麟徽〉を入手するため、ですか」

『そうなる。主人にかかる負荷を抑えられればそれでよく、必ずしも〈応鳳霊麟徽〉である必要はなかったのだが。

 そこの狐が持っていたもののように、我を制御するに足る充実した数の宝具があれば、第2の理由で行動を起こす必要はなかっただろう』

「王燁ちゃんの赤珊瑚装備一式も強化はしたが背伸びした汎用型に留まるからな。プレイヤーメイン操作で、親子で遊ぶぐらいのエンジョイプレイには不自由しないと思うが、角端が主軸で運用するには不満不足も出るか」

 

 赤珊瑚装備は血のように紅くも五星紅旗よりはやや暗色寄りの落ち着いた色合いの前合わせの服。

 袖口や首元といった体との境界を一際鮮やかな赤珊瑚が飾っている。

 インナー素材も郭貂麟が持つどれよりも質が良く柔らかそうだ。

 

 

「第3の理由はあるのか?」

『第1の理由と被る部分もあるのだがまだある。

 なるべく世の乱れが酷くなる前に、行動を起こしたかったことだ。

 生きるのに精一杯になってしがらみも増えればこのような遠出も難しくなるかもしれない。そうなると主人にとっては不利でしかない』

「しばらくは内に内にってなるでしょうからね。王燁ちゃんの歳と知人の少なさも不利な条件だし」

 

 どこをどう見ても幼い顔立ちと体型、孤立無縁の交友関係、少ない人生経験。

 ゲームに詳しいとは言えない情報弱者。

 王燁ちゃんが1人で生きていこうとするならば、かなりのハードモードが予想される。

 保護者の角端にとっては街中は安心できる場所ではなかったのだろう。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「はい! 索峰(さくほう)さん!」

 ピッと、王燁(おうよう)は教師にするように手を挙げた。

 

「どうぞ」

「ねえ玲玲(れいれい)、なんで王燁は特技使えないの? なんで召喚解除できないの?」

 

 玲玲を召喚してからずっと王燁側の特技はほぼ全てグレーアウト。指示しての使用はできない。

 戦闘用に該当する主戦特技(スキル)ほぼ全てが角端経由スキルで埋まっているため、特技(スキル)全滅に近い。

 従者召喚も解除できず、システムとしてMP上限を定量削って存在を維持させているために王燁のMPがゼロになったとしても召喚は維持される。されてしまう。

 

『それは〈幻獣憑依〉が関係している』

「またそれ?」

 崔花翠(さいかすい)さんが呆れている。

 

「教えて、玲玲。なんで?」

 もし難しくなっても索峰さんが玲玲の説明を噛み砕いてくれると期待して続きを促した。

 

『先ほど言ったように、(われ)は主人と主従の召喚契約だけではなく〈幻獣憑依〉でも繋がっている。

 この〈幻獣憑依〉による繋がりは本来魂の入れ替えだが、常時発動の我と主人においては、厳密には入れ替えではなく魂の融合させ体をシェアし合う形を取る。

 血の繋がりよりも深いところでの結合であり、他生物の影響がないほど結びつきが強く、魂の融合の度合いも大きくなる。

 より魂が一体化することによって〈幻獣憑依〉への親和性が上がり、別の体でもすぐ動けるようになる』

 

「テレビ1台に対して、別会社のゲーム機2機種か両方を互換するゲーム機1台か、どっちの方がソフトの切り替えが楽か、みたいな話か」

「後者ですね、間違いなく」

 解釈が雑、と思ったが、玲玲の説明より索峰さんの方がわかりやすくなった気がする。まだついていける。

 

「玲玲、続き」

『魂の融合が深まれば別の体でも動きやすくなると同時に、我は主人との連結部分が増え 魔力をロスなく融通しやすくなり、力を奮いやすくなる』

「王燁ちゃんのMPをより効率的に吸えるし大技も使えるようになると」

 

『魂を融合させ相互魔力移動と意識の交換の効率化を図るわけだが、互いの体への魂の定着が進むことは選択可能な権限が増えることでもある。

 それは主たる体の操作に留まらない。従の肉体に対しても影響を持てる。それには特技の個別使用制限や召喚解除無効も含まれる』

「な、なんで?」

 なぜそんなに深刻な制限が玲玲側からかけられるのか。意味がわからない。

 

『術者の無駄撃ち、召喚生物が勝手に術者の魔力を使わないようにするためだ』

「わかんないよー」

 

「ゲーム時代の名残(なご)りだろうな。味方がHP削ってステータスを強化する特技使っているところにAI判断でHPが減ってるからって勝手に回復しても迷惑。

 MP温存しておきたい時に勝手に大技連発されても困るし、召喚術者側に召喚解除のトリガーがあるから〈幻獣憑依〉で角端操作中にAI術者が勝手に召喚解除してもいけない。

 安全装置と言えるものかもしれない。なんで王燁ちゃんじゃなくて角端が制限してるかは謎だが」

「えー」

 理屈はそうかもしれないが、迷惑な機能だと王燁は思う。

 

「じゃあなんで使わせてくれないの!」

『戦技召喚や我固有の特技は術者の魔力を使用するが、本来、主従の契約をしなければ角端という生物が自らの体許す限り自由に使える術や技だ。我の制御下にあって不思議はないだろう?

 主人が我の特技を我以上に使いこなせるだろうか』

 

「それは至極ごもっともな意見ですね……」

「魂持ってちゃんと考えられる頭が入ってるなら、当然本家の方が扱い慣れてるから召喚者に命令されるまでもない、か。オート戦闘で全くスキルを使わないってのもそれはそれでダメだし」

 頼みの索峰さんも反論材料がないらしい。

 

『もともと我のものだった特技に使用制限をかけて、召喚解除に応じるつもりも当分ないが、召喚術師(サモナー)個人で完結する特技には制限をかけたつもりはない。

 戦闘中に主人からどうして欲しいという指示があれば今後はなるべく応じるよう努めよう』

 

 索峰さんは訝しげ。

 王燁としてもあまり良い印象には取れなかった。

 

 

森呪遣い(ドルイド)と補助の召喚生物の場合、使い込んでいくと効果が拡張されていくんですけど、召喚術師の場合もそうなんですか?」

「同じだと思うよ?」

 

 召喚術師も、契約直後と何度も召喚を行なって共闘を繰り返しアイテムも使って育成した後を比較すれば、行える指示に大きな差が出る。

 召喚時のステータスも上昇し、召喚獣を経由する特技によるMP消費も減る等のボーナスは多い。

 

「じゃ、角端と王燁ちゃんの場合は? どれぐらい伸び代あるの?」

『我の感覚で言うなら、相当な改善の余地がある』

「王燁もそう思う……」

 

 守護してくれるのはいいが、ぎこちなさはおそらく誰の目にも明らか。

 玲玲を経由する特技を使えないこともその表れとしてわかりやすい。わかりやすすぎるほど。

 

 

「私は、そんなに改善の余地があるのにあんなに独立して強いことに驚きです。まだ強くなるんですか」

「独立行動してるから強い、ってことはあるかもしれないとは思うわよ」

 背中を少し後ろに倒し郭貂麟(かくてんりん)さんが玲玲を見上げた。

 

「連携技ってのがあるんですけど、王燁はまだ未開放です。それにゲームのプレイ時間そのものもそう長くはありませんでしたから」

『先ほど言ったように主人と我は融合体のようなものだ。(こな)れて魂の連結が深まればチャンネルが増えて拒否反応が減る。

 術者の魔力消費を抑える道具にもいろいろあるが、〈応鳳霊麟徽(おうほうれいきき)〉を経由した場合は人の生み出す魔力を我が扱いやすい魔力に変換してくれる。

 我の体内で変換してロスされる分が減るのだから、我も主人から採取する魔力量が少なくても術を発動できる。

 森呪遣い(ドルイド)も原理は同じだろう。主と従が魔力の使い使われを繰り返すうちに、自然と双方の関係にとって最も効率の良い形に変化するものだ。

 郭貂麟嬢はハーフアルヴであろう? 先天的に魔力への対応幅が広い種族だ。召喚生物にとって合わせやすく進歩は早いだろうな』

 

(てん)ちゃんを急かせる気はないけど、召喚生物を利用するつもりがあるなら、主戦を決めるのは早い方がいいのは事実よね」

「装備の充実まで考えるとゲームだった時よりも進歩は遅いだろうがな。なにぶん、大規模なプレイヤーコミュニティは吹っ飛んだ」

 

 

 再び手を挙げ、王燁は発言権を取った。

「あの、ここに来るまでの玲玲のことはわかった。じゃあ、この後、会議が終わったあと、玲玲はどうしたいの?」

 

 生活の中心には索峰さんがいるが、ここまでの行動の中心には玲玲がいる。

 索峰さんが立てた予定を大きくねじ曲げてまで、今がある。

 

 長距離移動で召喚生物を使えばそれを勝手に従わせることもできる。

 歩けばいいが、中華のフィールドコンテンツは移動用の生物がある前提で設計されている気配すらある。

 

「〈幻獣憑依〉で入れ替わればお話する方法もあるし、王燁がやりたいことがあればそれに協力してくれるだろうけど、いま、王燁にやりたいことはないの。

 だから崔花翠さんたちと一緒にいさせてもらおうと思ってるけど、崔花翠さんたちの選んだ行動で玲玲が危険だと思ったら、反対して邪魔しちゃいそう」

 

 

 王燁と玲玲は一枚板ではない。

 主人と従者の立場でこそあるが、力関係の逆転すら起き、さらにパーティ全体へも強い影響力がある。

 王燁がギルド〈翠壁不倒(すいへきふとう)〉の行動に賛同したとしても、玲玲がそれを妨害しひっくり返すことすらできるだろう。

 

 3人がゲストである王燁を守ってくれている理由が善意である以上、不興を買い過ぎると切り捨てられる可能性すらある。

 それは、困るし避けたい。

 恩も返したいし、どこにいっても立場が弱くなることは年齢でも能力でも明らかなのだ。

 

 

『希望を言わせてもらうなら、主人は当分の間、燕都(イェンドン/北京)には近づけさせたくない』

「大胆なこと言い出したわね。理由は?」

『まず冒険者からの襲撃の可能性の高さ。我が存在が目を惹いてしまうこともあるが、冒険者からの襲撃は刺激が強すぎる』

「あー」

 それはなあ、しょうがないよねえ、と大人2人がボヤいた。

 

『第2に、燕都は係争地もしくは紛争地になる可能性が非常に高いこと。もうなっているかもしれない。

 その結果、主人がどんな不利益を被るか、想像がつかない。人の悪意はとめどない。あまり主人を冒険者の多いところには置きたくない』

「さっきも似たようなこと言ってましたね。そんなに良くないですか?」

『主人だけでなく、全員に戻らないことを推奨したいほどだ。少なくとも根拠地を燕都に置くことには強く反対する。何事か悪い事柄に巻き込まれること必定だ』

 

「断言ね。索峰、どう思う?」

「王燁ちゃんを燕都にいさせたくない、ってのは理解できる範囲かな。

 PK襲う側としてパーティ単位で見るとこの4人の戦力は弱い。バランスが悪いとも言えるが。

 膠着状態や長期戦には強いけど、襲撃受けた際の初動の防御力が著しく弱い。

 具体的には、翠姐(すいねえ)と自分が同時に行動停止系の足止め受けたら詰む。ヘイト固定されても詰む。速攻どっちかが落とされてもダメ」

「え、えっと、玲玲いるよ……?」

 そこまでこのパーティは弱いのだろうかと、王燁は思う。

 

「モンスター相手ならそう弱くないんだけどね。火力が翠姐と自分の2人に集中してるでしょ、それがダメージ出せない状態になると押し返せなくなる。

 そもそもPKは襲撃する側が有利だから、体張る職業いないことがわかれば火力職止めればじっくり料理できるからね」

「PKの常套手段、不意打ち暗殺者(アサシン)なんて来られたらどうしようもないわよね。全員防御装甲薄いし誰かしら欠けるわ。単純な耐久力だけなら角端が1番強いぐらいじゃないの?」

 

 魔道士系ローブの王燁と郭貂麟さん、ハイランクの防具ではあるものの避けること前提の布鎧の崔花翠さんと索峰さん。

 皮鎧や鎖帷子すらいない。

 

「話戻すぞ。燕都に行くなと言われてもな、もともとの予定では燕都に戻る前提の外出なんだ。こっち3人は資産を結構残してきてる。最低1度は戻らないと困るんだ」

「ですね。私もアイテム全部持ち出した訳でもないですし、それを放置するのはちょっと」

『仕方ないか』

「勝手に予定変えた玲玲が悪いよ」

 王燁は軽く玲玲を叩いて、めっ、した。

 

 その一方、崔花翠さんだけが眉間を寄せていた。

「今だから言っとくけど、根拠地を燕都に置かないのは、あたしは賛成」

「その心は?」

「女の勘」

「無下にはしないけど、それはちょっと」

『馬鹿にできるものではないと思うがな』

「角端がそれを言うかね。お前幻獣とはいえ男だろ」

 何度見たかわからない、索峰さんの困り顔。

 

「最低1度は戻る必要があるのはあたしも肯定する。残すには惜しいものが結構あるし。

 ただ、燕都がいい雰囲気じゃないのも認める。女所帯であそこに居たいとはあんまり思えない。いい街ではあると思うけど、住みたいとは違う」

「全てのギルドが大都市に本拠地置いていたわけじゃないですからね。本拠地を置ける街って、燕都ほど大規模じゃなくてもありましたし」

 

「話の腰折って悪いんだけど、(てん)ちゃんは割と翠姐寄り? 燕都じゃない方がいい派?」

「元々《翠壁不倒》は燕都のギルドでしたから、燕都でも構わないとは思いますが。かといって燕都に本拠を置かなければいけない理由も無かったんじゃないかなあ、とも思いまして。

 ギルドホール機能やギルド効果ほとんど使いませんでしたし、本拠を別の街に構えても、大きな不利益は無いのではないかと。五分五分ぐらいですかね」

「てことは角端入れて5人中の2.5人分が燕都やめておこうって意見になるけど、索峰どうよこれ」

 崔花翠さんの目が、王燁を一瞥したあと、索峰さんへ向かった。

 

「2.5人分だとしたら、もう白旗だな」

『どういうことだ』

「ギルドの財布は自分寄りだが議決権はギルマスの翠姐が持ってるってこと。翠姐を説き伏せられなきゃ半々では自分が折れる。立場の違いの問題。

 王燁ちゃんが強硬に燕都に本拠を構えることを主張したら角端が折れるかもしれないけども」

 

「王燁そんなことしない」

 

 玲玲の機嫌を今は損ねられない。

 それに絶対に燕都がいいと主張する理由も王燁にはない。

 父様と遊ぶために設備が揃った燕都が好都合だっただけで、街そのものに思い入れがあるわけではない。

 

「翠姐と角端が燕都反対、貂ちゃんがどちらでもいい派、王燁ちゃんは角端に従う形。5の4が燕都じゃなくてもいいという意見をなんらかの形で持ってる」

『あとは狐、お前だけだが白旗か』

「そういうこと。全員を説得できる燕都残留の理由を提示できない。自分の考えは貂ちゃんと大差なくてな。

 究極的に、金持ってるのはプレイヤーだから財務的に燕都出るのは不利かなとは思うが、燕都に本拠を置かなくてもそこまで大きな不利益があるとも思えなくてな」

「そうよね。お金引き出すだけならそれこそ泰山砦でもできたし、神殿も道具屋も一通りあったし。あくまで前衛基地だから硬派なところはあったけどその気になれば本拠地として使えなくもない」

 

「その気になれば、なんですね」

「冒険者がいなくなったせいかギスついてたのがどうもねー。それに燕都から近いし封禅の祭壇も近くにあるし、なにか起きそうだからパスね」

 

 角端の先導があったとはいえ、燕都から泰山砦まで移動に一晩かかっていない。

 確かに近くと言える距離なのかもしれない。

 

「すぐに本拠地を決める必要はないですよ、ね?」

「燕都から荷物や資産引き上げてからで十分だと思うよ」

「あたしとしてはもうちょい南下したいわ」

「でも、南下し過ぎると今度は上海組がいるぞ」

「そのうち考えるわよ、それは」

 いつの間にか陽は傾き、外はもう暗くなり始めていた。




理屈こねこね。


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輝きを纏って

 泰山(たいざん)仙境で迎える5度目の朝。

 ゲームに転移してからの通算ではもう16日目だ。いい加減果物にも飽きてきた気がする。

 

 合議の最後の議題は、燕都(イェンドン/北京)への戻り方と、そのあとどうするかだった。

 

 角端(かくたん)王燁(おうよう)ちゃんを連れての燕都同行を拒否したのが問題になったが、崔花翠(さいかすい)立案の、王燁角端ペアを安全な泰山に残して〈翠壁不倒(すいへきふとう)〉組のみ下山、全速力で燕都に戻り荷物回収しつつ燕都で一泊、早朝出発で泰山砦まで戻って王燁ちゃんに連絡して下山してもらい合流の形で最終的にまとまった。

 泰山砦までは帰還呪文が使えるので、下山に危険がないことが前提として存在する。

 

 同時にいつそれを行うかということも議題になった。

 できるだけ早く行いたいことではあるものの、泰山に登った理由のひとつである郭貂麟(かくてんりん)の召喚生物契約がまだ終わっていない。

 昨日を丸ごと会議に費やしたので探す時間は無かったという当たり前な話。

 

 なので郭貂麟には期限を追加で5日と切って、もしそれまでに納得のいく召喚生物を契約できなければ今回は見送るということになった。

 5日で切った理由は、持ち込んだ食料の限界日数。

 多少は泰山仙境で自給できているとは言っても、バリエーションには限りがあって、5日かけて決まらないのであれば縁が無かったと納得してもらうことにした。

 プレッシャーにはなると思うが仕方ないのだ。

 

 

 索峰は女性陣が召喚生物を探していた3日間を、寝る2割散歩1割〈鑑定士〉をフル活用しながら食べられる木の実採集4割〈幻想級〉武具の試運転3割で過ごしていた。

 

 木の実採集の途中には、泰山仙境の住人3人から養蜂作業の手伝いを依頼された。

 養蜂対象は蜂型モンスターではなく、現実世界でもよく見る蜜蜂だった。

 ゲーム時代に表記されることはなかったが、こういうものもちゃんと生態系として存在していると勉強になった。

 常識的に、果樹に能動的に受粉させる手段がないと大量の収穫までは見込めまい。

 これも考えてみればあって当然の営みだ。仙境でなぜそれをやっているのか理由はわからないが。

 

 

 索峰が声をかけられた理由は、巣を開ける際に楽ができるから。

 もっと言えば吟遊詩人 (バード)や〈付与術師(エンチャンター)は広範囲に及ぶ睡眠魔法が使えるからとのこと。

 

 仙境からやや降りた東向きの斜面にナツメと(すもも)の群生地があり、その樹々の間に養蜂箱が設置されていた。

 煙で燻して蜜蜂をおとなしくさせた上で巣箱を含めた周辺地域に睡眠魔法を、吟遊詩人の場合は〈月照らす人魚のララバイ〉を、丹念に丹念にばら撒いて蜜蜂を完全に沈黙させた。

 呪歌は煙と違って音波なので巣の中まで簡単に効果を通すことができるのは利点なのだとか。

 

 呪歌を使うたびに蜜蜂の羽音と警告音が鎮まっていくのも面白かった。巣の内外のあちこちで無警戒に寝落ちている蜜蜂を見るのは、なんとも不思議な気分。

 依頼者たちは蜜蜂が寝静まったその隙に慣れた手つきで巣箱から巣板を引っこ抜いて、巣板について眠った蜜蜂を振り落として回収。蜜蓋を削ぎ落として遠心分離機に入れ採蜜していった。

 巣枠型の蜂の巣箱と遠心分離機を使うあたりこの蜜蜂はセイヨウミツバチ系なのだろうか。

 

 索峰の仕事はその間ひたすら作業中の巣箱を巡って〈月照らす人魚のララバイ〉を連発して蜜蜂を沈黙させ続けることである。

 どうしても巣板を出すときに起きる蜜蜂はいるのだ。

 

 おおよそ2時間後、依頼者3人は予定されていた範囲の巣箱を開き採蜜は完了された。

 退避後、蜜蜂の起床ラッパとなる状態異常解除促進の〈毒抜きのタランテラ〉をばら撒いて依頼完了。

 

 依頼(クエスト)という括りでは、この世界に来て、初めて達成したことになる。

 〈毒抜きのタランテラ〉は冒険者(プレイヤー)用の援護歌で蜜蜂に効果があるのか疑問はあったのだが、使用し始めた途端に羽音がうるさくなったので効果があったらしい。

 モンスターと蜜蜂と冒険者の援護歌の効力の境界線はどこにあるのか謎が深まった気がする。

 その後不純物の濾しとり作業を手伝い、報酬として採れたての蜂蜜と削り取られた貯蜜層をいくらか頂いた。

 

 

 濾過しただけと削っただけ。加熱もしておらず加工もしておらずちゃんと味がする。

 過剰なほどの甘みは以前燕都(イェンドン)で入手した蜂蜜とはまた違う風味で少し粘り気が強かった。

 

 夕飯どきにもらった貯蜜層を女性陣に出してみるとあっという間に食べ尽くされ激賞された。

 特に王燁ちゃんは一際強い衝撃を受けたようで、せびられて索峰は自分の分をそのまま王燁ちゃんに回すことになった。

 狐尾族の全身の長い毛は蜜蜂の針を容易に通さず、呪歌もあって一切刺されていない。

 また、があれば養蜂手伝いの依頼は積極的に受けていくべきかもしれない。

 蜂蜜はまだ隠しているのでそちらはこっそり賞味することを決定。

 

 

 そんな感じで仙境5日目となったこの日も、ほどほどにのんびりと、惰眠を貪れるのはいいことだなあとしみじみ思いながら、とっぷりと二度寝三度寝に浸って寝坊した。

 なんだかんだで相当な疲れが蓄積されていたらしい。

 体力充電するつもりでいた泰山5日目の昼前、ギルドマスター(崔花翠)からの念話が索峰の静穏を乱した。

 

「索峰、午後から戦闘訓練するからそのつもりでいてね」

「んー、了解」

「3対1だからね。索峰にあたしと(てん)ちゃんと角端で当たるから」

「は?」

 

 微妙に残っていた眠気が吹き飛んだ。

 暇なのだろうかと生返事で了承したのが間違いだった。

 なぜそうなったのか。

 

翠姐(すいねえ)、説明を求める」

「あたしと貂ちゃんと角端は武器と特技のみ、索峰は幻想級や消耗品含むアイテム全部使用可能で」

「いやそういうことじゃなくて」

「索峰の全力がどんなものなのか試してみたくて。いいハンデでしょ、たぶん」

「修理とか補充の話したよな」

「1戦ぐらいいいでしょ別に。それに、これって幻想級隠した索峰が原因だからね。

 この2日ぐらい索峰が幻想級の試運転したことは知ってるし。実際どうなのか見てみたいと思ったわけだし。拒否権無いわよ、これ」

 王燁ちゃんは演習メンバーに入っていない。残り3人は幻想級隠しで嫌悪感を持たれたメンツだ。

 

「王燁ちゃんはどうなんだ。参加しないのか」

「角端にMP供給だけよ。王燁ちゃん本人は反対だったけど、角端の強い要望で折れた」

「そうかい」

 

 またも主従関係の逆転現象。

 忠誠を誓っていたくせに、相変わらずのじゃじゃ馬ぶりである。

 王燁ちゃんの申し訳なさそうな顔が見えるようだ。

 

「わかった。開始は何時ぐらいだ?」

「昼ご飯食べて一服した後ぐらい、現実時間の13時ぐらい」

「そっちのアイテム不使用以外になにか条件あるか?」

「仲間内でデスペナ付けてもあれだし、あたしと貂ちゃんと索峰はHP残り3割以下で戦闘不能扱いで、瞬間的ならそれ下回っても大丈夫。

 HP判定は王燁ちゃんだからブレるかも。角端にはデスペナ無いからHP0以下まで削っていいって」

「デスペナ付けたくないのはわかるが、案外条件キツイな」

 

 単発高火力で削ることが難しい。HP3割までは削れるがデスペナはつけられないのだ。

 そして索峰にも崔花翠にもほとんど一瞬でプレイヤーのHPを5割以上削れる方法がある。

 3対1であり、事故で大技が被る可能性もあるだろう。索峰の防具だと3人分の火力が直撃すればかなりサックリとHPは削れ落ちる。

 

「翠姐の投擲物あり?」

「3対1なら酷かな、って思ったから使わないつもりだったけど、使っていいのかしら?」

「投げナイフ系のみ可でいい」

「吹いたわね」

「翠姐から投擲物抜いたらかえって予想立てにくい」

「あっそ。あとデッツ(行動阻害延長)嵌めはしないわ。勝つのが目的じゃないし。実験するまでもないし」

「それは助かる」

 

 行動遅延に加え移動阻害をひたすら当てられ続ければ、1対1でも辛いのに3対1では被弾即詰みもいいところ。

 崔花翠の技術をもって投擲武器で隙を伺うのであれば、全ては避けきれないだろう。

 

「目的に貂ちゃんに実践経験積ませるのと角端の観察もあるのよ。貂ちゃんには言ってないけど角端は察してるとは思う」

「乗ってきてる時点で、角端の自分への警戒度はそれ以上ってことなんだろう」

 郭貂麟を速攻で落とすな、角端はできれば狙え、と言っているようなものだ。

 八百長とまではいかないがなかなか条件が多い。

 

「事前バフはありか?」

「使うものによるわね。援護歌とスタイル起動系ならいいかなって思うけど。こっちもスタイル起動使うかもだけど」

「了解」

「他に質問は?」

「ない」

「じゃ、昼過ぎに瑞袞(ずいこん)さんの(やしろ)前で合流で」

 

 ツーツー、と電話が切れた幻聴がした。

 窓の外を見た。だいぶ陽は高い。猶予は3時間あるだろうか。

 

 

 正直なところ勝ち目はかなり薄い。

 崔花翠との1対1のタイマン戦は何度もやったことがあるが勝率は1割を割る。懐に入られるとイコール敗北でほぼ間違いない。勝った内容は動きを読み切って近づかれる前に削り切ったのが全て。

 

 こちらも近接武器を装備して殴り合ったこともあるが、絶望的に習熟度とメイン職業の対人戦闘適性の差があった。

 勝てないまでも達成目標を定めそれを行う装備を組むべきだ。加えて幻想級武具を使わなければ納得もされない。

 

 索峰の戦闘スタイルは、長射程と多い手数に高価な矢を組み合わせて火力を出しつつ、かつ狐尾族の種族ボーナスによって一部の特技が付与術師(エンチャンター)のものに置き換わったことで使えるようになった非常に多彩な支援バフのばら撒き。

 2職ともに味方強化もしくは敵弱体化に優れたメイン職業であり、大人数で行う大規模戦闘(レイド)に相性が良い。

 今回のような1対多に対しては、単独(ソロ)戦闘力がぶっちぎり最下位の付与術師と、同ドベ2争いの吟遊詩人の組み合わせだけに相性が悪い。

 〈挿翅虎〉戦なぞ、プレイヤースキルがどうあろうと事前情報無しのソロ戦闘の時点でかなり無茶がある。

 

 

 狐尾族で付与術師のスキル派生テーブルを引いた場合、日本の攻略サイトではキャラ作り直しでリセットが安定。少なくとも推奨はされない組み合わせ。

 種族で狐尾族を選びメインジョブで付与術師を選択するそれそのものの組み合わせ自体は良好な部類だが、スキルが置き換わるサブ派生となると扱える付与術師の特技の数が減るせいで対応力が落ちるため死にスキルとなりやすく、ソロ活動にも向かない。

 

 索峰は吟遊詩人で相当な期間遊んでいたところに大型アップデートで種族特性が追加されたため後付けで付与術師派生を引いてしまったケース。

 かといって散々金を突っ込んだキャラだけにリセットするには惜しくそのまま遊び続けた索峰は、狐尾族吟遊詩人+付与術師の組み合わせを追究してソロ活動を投げ捨てた大規模戦闘特化型となった。

 

 日本のプレイヤー人口ワースト1、2の、逆張りになる組み合わせは、プレイヤー人口全メインジョブワースト2位、全体の5%台の吟遊詩人を選択し、そこから選べるベースの8種族で狐尾族になり、さらにスキル派生のメイン11職の抽選。

 索峰と同じ種族と職業派生の組み合わせは、単純計算で日本の総プレイヤーの0.00064%程度である。希少もいいところ。

 

 

 逆張りする変わり者呼ばわりもされたが狙ってやったわけではない。

 大元のアタルヴァ社のせいだと、何回訂正したかわからない。

 大規模戦闘におけるポテンシャルは確かに高いが、わざわざ狙って育成するほど面白くはない。

 純粋に狐尾族以外で吟遊詩人か付与術師で育成する方がわかりやすい。

 改めて同じ条件で育て直せと言われたら断固拒否する、そのぐらいには苦行の道。

 

 そんな極めて不向きな単独戦闘を行いながら善戦するための作戦となると、速攻で1番装甲が薄い郭貂麟を落としたいところだがそれは止められている。

 ヒーラーが長生きするとそれだけ戦闘が長引く。角端も回復行動ができるのでなお固い。

 

 一方で崔花翠による速攻もおそらくない。

 速攻を仕掛けて自分を倒してしまっては勝ちはすれども目的を達しはしないだろう。

 

「角端と長くやりあうために雷耐性は意識するとして、さて、どう組むか」

 魔法の鞄(マジックバッグ)から、主要な装備を取り出し並べ、作戦を組み立てていくことにする。

 惜しいが、採算もある程度は諦めるしかないだろう。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 索峰(さくほう)という狐尾族は、玲玲(れいれい)という名を賜った角端(かくたん)にしこりを残し続けていた。

 いつから玲玲がそれを自覚したかと問われれば、燕都(イェンドン/北京)を出て泰山へ向かう途中のこと。

 

 そのしこり、違和感と言えるそれは「索峰という冒険者はもっとできるのではないか?」ということだ。

 完成された精鋭たる技量を持っているとは評価できるし、実力で見るならばなんら不足はない。

 だが、別の一面があるのではないかという疑念は拭い去れなかった。

 

 果たして、それは正しかった。

 生半可な戦歴では到底集めることができないであろう見るからに強力な宝具や祭具を、狐尾族は隠し持っていた。

 

 

 離れた場所からこちらに視線をくれる狐の枯れススキ色をしていた毛並みはうっすらと光の粒子を発し、木弓を携える静かな佇まいは威圧感と神々しささえ漂わせている。

 それでも、まだ浅い。

 横にいる崔花翠(さいかすい)というエルフ族の方が、集中が深い。

 

 

「それじゃ、いくよ。えいっ!」

 我が主人、王燁(おうよう)が一握りほどの石を高く投げた。

 人間の足で50歩の距離を置き、石が地面に落ちた時が戦闘開始の合図。

 

 小石が地面で跳ねた。

 その瞬間に狐尾族の纏う雰囲気が一変する。猛禽のような眼差しがこちらを向いていた。

 次の瞬間、それぞれに1本、合わせて3本の矢が飛んできた。連射ではなく1度に3矢。

 (われ)と斧のエルフは額、森呪遣い(ドルイド)は腿。

 我は首をひねって避け、エルフは横へ避け、森呪遣いにはそのまま腿を掠めた。

 完全に狙ってやってのことか。

 

 彼我の距離は人の足で50歩。我にとっては8歩といったところ。

 遠くではないが、まだ弓の間合い。

 

「〈ハープボウ・スタイル〉使ってるみたいね」

 

 あの狐尾族が主戦としているスタイル。

 対モンスターには必中と聞くが、対人及び我ら召喚生物には命中上昇のみという。

 接近させる気がないのか、再び3矢、それを7連続。一息二息で射ってきた。

 21矢、明らかに1人で射れる弾幕ではない。

 

「はぁ!?」

 

 それらは全て我と斧のエルフに向けられていた。

 1矢であれば避けられようものも、上級弓兵に伍する命中精度を持つ者がこれだけ射ればその全ては避けられない。

 避けるか弾くか、それでも半数は貰ったか。

 

「あ、痛くないこれあんまり! (てん)ちゃん脈動回復!」

「〈セコイヤヒール〉!」

 

 効果の低い継続式回復。狐尾族の放った矢は数こそ多いが、数撃つために威力を犠牲にしたか。

 同じことを思ったらしいエルフが被弾を覚悟して前に出かけたところ、ばちこんと衝撃音がしてたたらを踏ませられていた。読まれて手痛い一撃を貰ったようだ。

 反撃とばかりにナイフを投げ返しているが、悲しいかな命中精度に差がありすぎて簡単に避けられている。

 

 

 エルフの間合いは斧を使う割に遠くから戦えるが、まだ当てられる距離ではない。

 森呪遣いも魔法の射程内ではあるが、同じことだ。

 この距離で牽制の中距離攻撃は無意味。弓兵の間合いの内側に入らなければ。

 

 我がやるべきであろう。

 主人の魔力を吸い、四肢に雷撃を走らせ、加速、突進。〈雷電石火〉。

 

「突進とか舐めてんのか」

 

 で、あろうな。もう見せた動きだ。

 長距離であれば方向修正が利くが8歩ではほぼ直線行動。避けられるであろうことは織り込み済み。

 避けたついでに射かけてくるであろうことも知っている。

 であるからして、通過後に遅延発動で狐尾がいた辺りの左右周辺に雷を落とす。

 

「適当予測で当たるかっ!」

 そうか、こちらに射かけずそれも避けたか。

「もらったあああああ!」

 だが連続回避後までは無理であろう?

 

翠姐(すいねえ)わかりやすすぎ」

「あ」

 次の瞬間、エルフはハリネズミにされていた。完全に待ち構えられていたようだ。

 

「でもさすがに私には対応できませんよねー!?」

「げっふ」

 狐は地面を割って出てきた木の根に打ち据えられた。

 回避回避連続攻撃、まで隙を作らせば、さすがに届かせることができるようだ。

 

 

 もちろんそこで止まることもない。まだ体力は皆残されている。

 〈雷電石火〉を終え転進。二角に電撃を溜め振り下ろし、広範囲放電を放つ。

 〈方陣放電〉、技術どうこうで避けられるものではない。

 

「効かねえよ!」

 輝く毛並みを焦がされながら、狐の弓兵は怯むことなくこちらに向かってきた。

 実際、ほとんどダメージを与えられていない。

 

「主攻属性が雷だっつーことは知ってるからな」

 

 特技の硬直中、電撃の海の中から何本もの矢が飛び出し、全て我の身体に突き立った。

 笑うような表情が癪に障る。

 

 だいぶ耐性を上げているようだがダメージは通っている。

 無効化するまでの準備はできていなかったらしい。

 ならばやりようはある。耐性をも貫通する高火力で焼けばいい。

 

 主人には謝らねばならないだろう。

 宝具を介してなお強烈にMPを削る、黒い稲光。

 

「貂ちゃん離れて! なんかやばい!」

 よく勘の働く女だ。

 予備動作は長いが、味方すら巻き込む広範囲極大ダメージ。

 我の扱える特技において単純なダメージだけなら最大威力である〈星砕黒雷〉。

 

 巻き込まないのは主人のみ。

 もっとも、主人の実力と戦闘継続を考えると最大威力は出せないが。

 あの狐が逃げられる距離では攻撃範囲内だ。

 

「翠姐もっと退がれ!」

 敵を(おもんばか)る余裕があるとは見上げたものだ。

 防御を重ねる余裕ぐらいはあるだろう。耐えてみるがいい。

 

 ヘラジカのツノの如く黒雷を展開しそれを振り上げ、螺旋状に纏めた極太雷撃を指定範囲に降らせる。

 地面に触れた後に拡散し一帯に付随ダメージ。大地を砕く衝撃に地を走る黒雷。

 〈道士(タオマンサー)〉の立場をも奪う大攻撃は、加減したこれでも〈召喚術師(サモナー)〉の尺度から外れている。

 

 

 で、あるのに。

「角端お前、HP3割残す制限忘れてないよな」

 主人と同級同格であれば、直撃すれば一撃で蒸発させることができるであろう威力があるはず。

 土の地面は広い範囲で真っ黒に焦げつき、中心部では地割れすら入っている。

 それでも索峰という狐尾族は最大HPの3割しか削れていない。

 最大に近い火力を出してこれでは、焼き切ることは難しいようだ。

 

 それぐらいしてくれねば、戦いに誘った甲斐もない。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 高い雷耐性を持つ〈幻想級〉防具〈武甕雷(タケミカヅチ)御史(ぎょし)〉。

 同じく〈幻想級〉の武器〈古松弓・天橋立〉。

 さらにアクセサリーに〈幻想級〉の〈月銀・鏡写〉。

 

 角端(かくたん)対策の防具と、索峰(さくほう)が日本で主力の一角として使っていた武器とアクセサリーの組み合わせ。

 〈古松弓・天橋立〉は、ある短い時間にこの弓による攻撃を10連続ヒットさせると11回目以降の与ダメージが的を外すまで激増する。

 当て続けることが前提の武器であり、固定砲台として当て続けることで継続火力に貢献する。

 しかしそんな一方的に当て続けることができる状況はそう多くなく、10回も短時間で連続ヒットさせ続ければ否が応でも自分へのヘイトが溜まり(攻撃が集中して)逃げを打つ必要が出てくる。

 

 

 それを解決するのが〈月銀・鏡写〉。

 狼牙族・狐尾族・猫人族限定装備で、効果は使用中体毛が輝くエフェクトがつくことに加え武器が3本に増える。

 しかも増えた2本は自分で操作する必要がなく元となった武器を鏡写しでなぞる。

 実質的に手数が3倍になる。敵愾心(ヘイト)の煽りは相応に上がるが。

 

 いかな〈幻想級〉といえど、手数3倍で簡単に火力3倍になるようでは壊れ性能(バランスブレイカー)にもほどがある。

 使用時は火力減算がかかり、武器1つあたり元の45%、フルヒットで合計135%で収まっている。

 

 それでも単純な火力補強としては破格の性能。

 更なる代償として、近接武器で使用すれば耐久値を3倍消費するし、弓であれば矢を3倍消費する。

 近接武器では空振りで耐久値を消耗しないが、弓であれば矢を当てようが外そうが矢の消費量は3倍で変わらない。

 3本同時発射でも命中判定は別個に存在し、1本でも外すか防がれれば元の火力より落ちる。

 

 

 そこで組み合わせになる。

 短時間10連続ヒットで威力激増の〈古松弓・天橋立〉、矢を相応に消費するが手数3倍の〈月銀・鏡写〉、対モンスター必中で対人対召喚生物でも飛躍的に命中率を伸ばす〈ハープボウ・スタイル〉の最高位秘伝等級。

 

 弾幕を張ること容易く、火力は高く。

 矢の消費速度に目を瞑れば〈古松弓・天橋立〉の特性を限界以上に引き出してやれる組み合わせ。

 矢を連射する特技ひとつで簡単に条件を満たすことすらできる。

 

 矢の損耗速度が尋常ではなくなるが、アイテム面でのバックアップがあれば火力を出しにくく吹き専援護専呼ばわりされやすい〈吟遊詩人(バード)〉が、武器攻撃職であることを証明できる。

 

 消耗品への補給が容易だった日本時代にはこの組み合わせで援護歌と特殊矢による支援と火力を高い次元で両立。

 貴重な「最前線でも戦える吟遊詩人」として大規模戦闘へ食い込ませ、索峰に「化け狐なのに呪わない」の異名を与えた。

 

 

 ゲームだった時にも長く連れ親しんだ相棒である。

 ほとんどぶっつけ本番に近い起用だが、驚くほど手に馴染む。

 未だ完全な操作が怪しい狐の尻尾よりも取り回しに苦がない。

 

 〈音叉響弓・遠〉に連なる装備群もひとつの到達点ではある。

 今現在のこれは、もっと高いところにある到達点。

 隠していた顔と言えるもののうちひとつであり、支援よりも個人火力に寄せた装備。

 

 

「雷耐性上げて更に護符使って1発で3割削られる? なんつーアホな火力だよ」

 

 雷系に対する抵抗力を極端に高い数値で加算する〈武甕雷の御史〉。かけることの雷系ダメージ60%カットの〈雷滅護符〉。

 直撃させられたとはいえ、消耗品の護符を使ってまで3割削られたのだ。護符がなければそのままHPが3割以下に落ちて戦闘演習が終了していた。

 防具のブーストもなければ、一撃でHPがゼロにまで落ちていたかもしれない。

 〈雷滅護符〉も決して安いアイテムではないのだが。

 

 小憎たらしいのが郭貂鱗(かくてんりん)で、逃げつつ〈ウィロースピリット〉でこっちの足を絡め移動阻害。

 的確に角端(かくたん)をサポートしたせいで直撃を耐えるしかなくなった。

 

 ただ、あまりにも大規模な攻撃過ぎて攻撃範囲から退いた崔花翠(さいかすい)と郭貂鱗は開始時よりも距離があり、角端は開始時より近い。

 そう長くはないが、邪魔が入らず角端と戦える状態。

 

 

 (てん)ちゃんの修行も兼ねてとか、幻想級武具を使っての本気を見せろとか、思惑はそれぞれにある。

 索峰が設定した達成目標は、角端のHPを削り切って強制送還し召喚解除。

 

 いろいろと予定を狂わせてくれたお礼参りもしなければいけないし、高い鼻っ柱も一度はへし折らないといけない。

 王燁(おうよう)ちゃんが主従の立場を逆転させられている現状への打破もある。

 

 話を聞く限り、王燁ちゃんは召喚を自力で解除できないが、角端も自力で召喚されることはできない。

 あくまでも王燁ちゃんが喚び出さないと表にはいられない。

 そこまで王燁ちゃんが考えて角端のHPを削り切っていいと言ったかはわからないが、あと2人のダメージ計算して寸止めするよりは、よほど楽。

 だから、角端を撃破するまでは出し惜しみをするつもりはなかった。

 

 

 あくまで寄らせないように牽制しつつ、角端撃破に全力を尽くす。それが目標。

 ターゲットを角端に固定し、新たな矢〈重衝矢〉を選んだ。

 〈月銀・鏡写〉の火力減算には、抜け道と言えるものがいくつかある。その抜け道のひとつ。

 

「悪く思うなよ」

 〈重衝矢〉の先端は平たく大きく、分銅のような形状をしている。そして重い。

 3矢、全てが角端に当たる。ドドド、と、大きな衝撃音がしたが、威力はそこまでではない。

 当たったことが重要で、〈重衝矢〉には命中時にのけぞり効果があり1秒に満たない時間だが操作不能のウエイトタイムを付与する。

 それが3回分、3秒弱ほど相手を動かせなくする。当てどころが良ければ効果が伸びる。

 ダメージ効果ではないので素の性能が重複する。

 

 3秒あれば第2射が間に合う。動けない的であればどこでも狙える。

 

「〈ヘッドブレイクシュート〉!」

 頭撃ち。これをちゃんと頭に命中させるとめまいによる操作不能を延長するスタン効果を更に付与、の3乗。

 矢効果も延長、矢は3倍消費するがMP消費は特技1回分なのも非常に大きな強み。

 

「〈ハートブレイクシュート〉!」

 心臓撃ち。同様に胸部に命中で別計算のスタン効果、これも3乗の〈重衝矢〉も3本。

 〈重衝矢〉には最大ウエイトタイム上限やのけぞり効果発動に個体サイズの限界があるが、角端はサイズ限界には遠い。

 

 仮にスタンやウエイトタイムに抵抗があっても無効がなければ最低5秒は角端も動けない。

 これは戦闘において致命的に長い。

 加えて、短時間に9矢連続で当てている。〈古松弓・天橋立〉の火力ボーナスが次手から加わる。

 

 ちらと崔花翠を視界に入れる。まだ1手角端に打てる。矢を高威力のものに切り替えた。

 

「〈ラピッドショット〉!」

 武器攻撃職用弓汎用特技、矢の6連続速射。めまぐるしく手が回る。

 火力を求める射撃型〈暗殺者(アサシン)〉で採用されることが多いが、索峰も主戦技として利用している。

 さらに〈月銀・鏡写〉の効果で3倍、18本もの矢を放つ。もはや弓というカテゴリを破壊する人力ガトリング。

 6連射だけあってややばかり拘束時間が長いが威力は並々ならず、全てが角端の頭から首に吸い込まれ、これだけでHPが目に見えて削れた。

 

 一瞬影が視界を通り過ぎた。

 真上から斧が降ってきて索峰の頭頂部と肩に痺れるような痛みが走った。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 距離はあった。

 だが索峰(さくほう)が位置を動かず連射する特技を使ったのを見て、思いっきり空に〈鉄山黒戦斧〉を投擲した。

 山なりの軌道を描いて、空から秘伝スキルが襲いかかる。

 避ける余裕は与えず2挺の黒い斧は索峰を割りにかかり、片膝をつかせすらした。斧の片方はクリティカルも出ていた。

 

「不用心よ!」

翠姐(すいねえ)も顔面食らわせただろうが!」

 

 被弾直後戻ってくる斧を目で追った索峰に(てん)ちゃんがまたしても足元から木の根による痛打を浴びせていた。

 相手被弾直後は追撃チャンスとは教えた覚えがあるが、なかなかどうして絶妙なタイミングで差し込んでいる。

 

 落雷の衝撃音。角端(かくたん)がなにか自己強化を使ったらしい。

 黒いたてがみが膨らみ、目が黒からエメラルド色に変化し輝きだした。

 

 索峰がまた分銅付きの矢を射ったが意に介した様子がない。耐性をつけたらしい。

 それを見て取った索峰はいきなり明後日の方向を向いた。

 

「貂ちゃん!」

「え」

「〈スリーバーストショット〉!」

 注意を飛ばしたが遅かった。

 9本の矢が貂ちゃんに向かって飛び、急角度で曲がった。

 

「ちょ、あたし!?」

 心の準備をしていなかった。顔付近に来た2本叩き落とすのがやっと、5本受けた。2本は外れた。

 顔を完全に横に向けながらこっちをロックオンするとは、カマキリみたいなやつ。

 スキル発動後の隙を衝くべく、緑の残光を残して角端が索峰に突撃していく。

 接近戦を仕掛けるつもりに見える。その方が索峰も嫌だろう。

 

 

 前衛を買って出てくれているのだから、存分に角端を盾にさせてもらう。

 角端は眼前にアーク放電を発し、当たらば痛いであろうことは容易に想像できるそれが、索峰を捉えた。

 いや、捉えたが、索峰は朧となって消え角端はすり抜けた。

 

「んなっ!?」

 索峰の回避技能は、それなりに長く一緒にやっていただけによく知っている。

 あらかじめ当たらない位置に移動することでなるべく攻撃を避け、どうしようもない攻撃には消耗品を惜しまず使って耐える。

 これがあたしの知る索峰の回避のほぼ全て。

 

 攻撃が当たる直前に消えて無くなる、という動きは見たことがない。

 角端が通り過ぎた後には全く同じ場所に索峰が立っていて、貂ちゃんに矢を射かけていた。

 

 改めて索峰の姿を認めた角端が、放電もそのままにUターンして戻ってきた。

 確かに索峰はそこにいる。角端を盾に追いかけたあたしも、すぐ斧が届く距離にいる。

 

「〈朱髯烈公(しゅぜんれっこう)〉!」

 斧(まさかり)専用の特技。朱の輝きを武器に宿し大地を割る豪傑の振り下ろし。

 一撃の威力に優れ、直接当たらずとも衝撃波が範囲攻撃となる。

 

 逃げ場はない、はず。

 完全に当たるタイミングだったはずだ。

 しかし索峰はまた朧と消え、叩きつけた2挺の斧と衝撃波は索峰にダメージを与えた様子がない。

 

「どこ行った!?」

 Uターンして戻ってきた角端も虚しくなにもない空間を突く。

 

「まだいるんだなこれが」

「うぉわ!?」

 

 本当に目と鼻の先に、索峰が出現した。

 既に攻撃態勢を取っていて弓を引き絞っていた。背筋に戦慄が走る。

 

「〈ラピッドショット〉」

「〈ブレードオペラ〉!」

 超至近距離での弓矢と短斧。

 あたしは乱れ切りを選択、奇しくも、索峰も手数技。

 

「おりゃあああああああああ!」

 3張の弓から放たれる矢をことごとく撃ち落とす格好になった。

 前には進めないが、ダメージも受けていない。

 

 驚愕している索峰。そして索峰の攻め手をあたしが引き受けているということは。

 

「ぐがっふ」

 2度の空振りを経てようやく角端がクリーンヒットを決め蹄にかけて轢き倒す。

 索峰のHPが半分を割った。

 

「〈フレイミングケージ〉!」

 そこに貂ちゃんが追撃の炎魔法。炎の檻がダメージエリアを作り出して索峰の逃げ場を塞ぎ、継続ダメージを与える。

 その炎の檻の中から矢が飛び出して角端を穿つ。

 逃げる手段はないが、炎の檻に突入すればこちらにもダメージがある。

 

 

 いや、今有利なのはあたしたちだ。ここで押し込めば勝負は決まる。

 

「いっくわよおおおお〈エンドオブアクト〉!」

 

 盗剣士(スワッシュバックラー)最大の大技のひとつ。

 〈ブレードオペラ〉よりさらに多い斬撃を繰り出す長時間技。結構な移動を伴うため炎の檻のダメージは受けてしまうが気にしない。

 

 中にいる索峰を切り刻まんと炎の壁を振り払い、手応えは、ない。

「またぁ!?」

「いーや、無理やり炎の壁突破して裏にいただけだ」

 ぶすぶすと毛を焦がした索峰が、炎をブラインドにして、裏にいた。

 

「んで、視界確保ありがとよ」

 ぞっっとするような数の矢が、索峰の手に握られていた。

 

「〈七星矢連弩〉」

 散弾のように多数の矢が放たれたがなおも索峰の手が動き続け、それを一瞬で3連射。

 

「でも、終わりね」

 索峰が射終えた直後にあたしの〈エンドオブアクト〉が索峰をくまなく斬り刻んだ。

 

 後ろで爆竹をもっと重厚感のある破裂音にしたような連続した炸裂音が鳴りまくった。

 

 勢い余ってあたしは索峰のHPをゼロにしてしまった。



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後始末

 いろんな意味で大きな被害を受けた索峰(さくほう)さんは、なかなかの激怒っぷりだった。

 

 消耗品は矢を中心に在庫をかなり減らし、お気に入りの〈幻想級〉武具は戦闘に敗北したことで耐久値を大きく減らされた。

 なんのための演習だと、翠姐(すいねえ)さんはこってり絞られた。翠姐さん自身が失態を自覚しているために言い返せないようだった。

 

 幸い蘇生が間に合って、泰山仙境から索峰さんが泰山砦まで強制送還されなかったことだけが救い。たぶん。

 

 

 索峰さんが倒れる前、文字通り置き土産として、迫る翠姐さんを無視して角端(かくたん)にあらん限りの猛攻を仕掛けHPを削り切った。

 索峰さん曰く、〈フレイミングケージ〉を突破した時点でHPは3割を切っていたそうだ。そこに近接職必殺技カテゴリの猛攻を無防備で受ければ、結果は見えている。

 

 索峰さんが自分のHPを自覚してなお戦闘を継続しているのだから、自業自得の面も多分にある。

 それに気付かずトドメを刺した翠姐さんも大きな失策ではあるのだが。

 

 酷なことかもしれないが、静止が遅れた王燁(おうよう)ちゃんにも責任はある。

 あるのだが、索峰さんも翠姐さんも、それを咎める気はないようだった。審判として、あまり期待はしていなかったのだろう。

 

 そうでなくとも、角端が〈応鳳霊麟徽(おうほうれいきき)〉があってなお容赦なく王燁ちゃんのMPを大量消費したせいで、途中から魔力酔いでグロッキーになっていたのだ。

 よって審判としての責務は果たせる状態になかったと結論付けられている。

 角端は本当にろくなことをしない。戦闘中は誰も気付いていなかったが。

 

 

 私、郭貂麟(かくてんりん)自身は、索峰さんからだいぶ手心を加えられていたな、と思うほかなかった。

 急所は狙ってこない、射程武器であるのにそもそもこちらへあまり攻撃をして来ないと不完全燃焼の感は否めない。

 あまりに自由に攻撃ができる状態が長くタイミング取りや狙いもつけ放題と、郭貂麟が知っている索峰さんからは外れた印象。

 

 実質的に〈フレイミングケージ〉が決勝打になったとはいえ、ヒーラーとしての〈森呪遣い(ドルイド)〉で見ると、角端や翠姐さんの回復を疎かにして索峰さんに角端を撃破されてしまった。

 瞬間回復量は回復3職の中で最も低く、瞬間大火力に対しては相性が悪いが、意識が攻撃に寄りすぎたのはまぎれもない事実。

 もし適切に回復と攻撃を配分できていれば、角端を守り切れたかもしれない。

 索峰さんの目的が角端撃破であったあたり、適切に配分できていてもなお角端は撃破された気もするが。

 

 

 攻撃の差し込みと妨害のタイミングについては索峰さん本人からお褒めの言葉をもらいそれはそれで嬉しかったのだが、同時に手心を加えることができる隔絶した強さの差も、感じさせられた。

 

 そもそもこの世界上で、装備の質も含め、現在の索峰さんと同レベルの実力まで届くのかと思うほどに。

 持ち込んだ蓄積の年輪があまりにも違う。ハードルを落として翠姐さんのレベルまで至れるかとしても遠い。

 

 

「ていうか索峰、容赦せずに急所狙ってきてたけど、人にあれだけ矢射るのって抵抗とか恐怖ないの。それに最後にあたしを完全に無視して角端に矢叩き込んだわよね。攻撃受けそうならなにかしら反応しない?」

「…………そういや全く意識してなかった。狙いつけるとき、視界が結構狭まる感じもあってな」

 

 意識してないで済ませられるあたり、相当振り切れた肝の太さだと思う。

 

「山門で1回死んで、『あー、こんなもんか』と。矢が当たって矢が残るわけでもないし、血が出るわけでもなくエフェクトだし、大して痛くもないし」

「死生観が緩くなりすぎてませんか」

 

 人は1回死んだだけでこうまで割り切れるものなのだろうか。

 

「そうは言っても、矢が飛んでくるとかなり怖かったんだけど。特に顔狙い」

「そうですね。まとまった数の矢が狙いよく飛んでくると、かなり威圧感が」

 

 郭貂麟に急所狙いはされなかったし、それほど攻撃があったわけでもない。

 それでも、明確に害意をもった凶器が飛来すると怯むものがある。

 魔法による攻撃に怯みが起きないわけではないが、私個人の感覚では、実体のない魔法によるものの方が恐怖が薄い。

 

「心臓狙いより顔面狙いの方が心理的な怯みとアドバンテージ取れると」

「すぐそういう発想するのが怖いわ」

「一種のゲーム脳なんですかね」

「否定はしない」

 

 

 その後も、索峰さんは使用した幻想級武具のネタばらしをしてくれた。

 

 ちょっと聞いたことのない数値で電撃系への耐性と効果を上昇させる衣、10連続ヒットで与えるダメージが跳ね上がる弓、毛並みを輝かせて手数を3倍にする腕輪、4秒間の透明化無敵を3度まで使用できる、使い減りしない幻想級の〈狐惑(こわく)のお札〉。

 

 索峰さんによると、〈月銀・鏡写〉で手数が増え、矢1本あたりの攻撃力は下がっても矢の効果で追加の固定ダメージを与える部分には火力減算が起きないという。

 固定ダメージを与えるぶんには、純粋にダメージ3倍に近く、数百数千万の破格のHPを持つレイドボス級ではあまり役に立たずとも、高くても1万そこそこのHPである対人では非常に優秀なダメージソースになるのだとか。

 

 加えて、自身のATKの3%の固定ダメージを与えるという矢を選択、足すことに7本同時射出する〈七星矢連弩〉スキルを使用した上で、それを手数3倍化。

 更にそれをごく短時間で3回繰り返し、実に63本分の固定ダメージを一瞬で角端に叩き込み、角端に残った5割弱のHPを防御バフもろとも蒸発させるに至る。

 

 〈七星矢連弩〉は〈七星矢〉という特技の発展系で、索峰さんは中国サーバーに来てから習得し、奥伝まで伸ばしたそう。

 日本サーバーには存在しないスキルらしく、1度発動すると追加入力で更に2回までは再使用規制時間がほぼ生じないまま連続発動が可能なのだとか。

 あくまで手数を出せるだけでスキル単体の威力は〈七星矢〉よりも低く、同様に射程も長くないそうだが、最高21本の矢をごく短時間にバラ撒けるだけでも特殊効果つきの矢を使う弓兵には便利という。その代わり近距離で射たねば真価は発揮されない。

 

 

 中国に存在しなかった〈幻想級〉装備との組み合わせの結果ではあるが、一瞬で63本の弾幕とそれを全て思い通りに当てられるステータスの融合は凄まじい相性の良さだろうと、『エルダー・テイル』のダメージ計算式に疎かった私にも、理解が届く。

 

 使用を敬遠した訳も、ここまで解説されるとさすがにわかる。

 最後の角端に向けたものだけでも63本の特殊矢の消費。

 5分とかからなかった戦闘時間で消費した矢の数、本人申告で300本強。

 ほとんど1秒に1本以上撃ち続けていたペース。なんという人力連弩。

 

 弓系武器にはそこまで詳しくはないものの、異常な速度の消費であることはわかる。

 手数に優れるレイピア二刀流〈盗剣士(スワッシュバックラー)〉でも、そうそう出せるペースではない。

 1回の攻撃行動で当たり前のように矢を10本20本と消費しているようでは、やりくりのことを考えもするだろう。

 確かに強力無比な組み合わせだろうが、コストパフォーマンスが悪すぎる。短期決戦用にもほどがある。

 

 

「索峰さんって、どの部分を優先して伸ばしてるんですか? 装備構築を見て察しはつきますけど」

「弓なら命中最優先、次点で攻撃の回転速度と特技の再使用規制時間(リキャスト)短縮だな」

「ああ、やっぱり……」

 

 数を当てる、ということに重点を置いているのだろう。

 多数の矢を撃てるスキルを回転させ通常以上に火力を出すのだ。

 矢の消耗が激しい戦闘スタイルなのだから、攻撃を外しているようでは火力貧弱かつ金欠一直線。

 素の攻撃力を追求しなくても良いのは、長いプレイ時間による装備強化やステータス底上げがあるから。

 贅沢な使い方だな、と思う。

 

「索峰、もしかしてやりくり度外視の超全力なら、山門の〈挿翅虎〉2頭倒せてたりした?」

「事前情報なしで2頭は無理ゲー。2頭のうち1頭なら倒せたかもしれん。でも満身創痍は避けられなかったと思うぞ、再使用規制時間でもHPでもMPでも。情報ある今なら、継戦能力とコスパ無視してなら2頭倒せるだろうな」

「3頭全部相手なら」

「情報あったうえで、アイテム装備フル投入かつ同士討ち上等の超長期戦チキン戦法でワンチャン、それ以上は勝ち目ないない」

 

 僅かでも勝ち目が残るだけ相当なものではないだろうか。それをやりそうな気すらする。

 集中力とその深さ、オンオフの切り替わりの強さは翠姐さんの方が上だが、集中状態の持続力では索峰さんの方が上だろう。そのせいで仙境到着当日に糸が切れている。

 

 

「ひょわぁ!?」

 王燁ちゃんの悲鳴。

 

 3人揃って殺気立ちそちらを見やれば、〈霊芝狐(れいしこ)〉の群れに王燁ちゃんが取り囲まれているという、既視感のある光景がそこにあった。

 

 角端に暴虐的にMPを吸われ、翠姐さんと2人、戦闘後に気づいた時には船酔いのような重く溶けた様子で地面にへたりこむ王燁ちゃんがあり、大いに焦った。

 しばらく休ませてと言うので、風の通る場所まで翠姐さんが運び、回復を待っていた。

 

 以前索峰さんが取り囲まれていた時と違うのは、ここが戦闘エリアであること。〈霊芝狐〉も攻撃能力を発揮できる場所。外敵なのである。

 

 が、杞憂だった。

 ノンアクティブ、〈霊芝狐〉は非戦闘状態であった。

 

「な、なになになに!?」

 〈霊芝狐〉たちはフンフンと王燁ちゃんの匂いを確かめるのみで、敵性モンスターではないらしいことがわかるのみ。

 

 

「う、うん?」

「なにが起きてんだこれ」

 

 HPを索峰さんによってゼロにさせられた角端は強制召喚解除されており、今は表にいない。

 一通り王燁ちゃんの匂いを嗅ぎ終えたのか、〈霊芝狐〉ご一行は今度は索峰さんを取り囲む。

 その流れに私と翠姐さんも飲み込まれた。どこから湧いて出たのか、50匹はくだらない。

 

「イベント……なの?」

 軸の定まらない足取りで、王燁ちゃんも〈霊芝狐〉の輪の中に入ってきた。

 

「王燁ちゃん大丈夫?」

「あんまり……」

 そう言う王燁ちゃんの顔色は血の気が失せたままで、唇は紫色だった。

 

「角端はまだ出さない方がいいと思うわ。あと楽な姿勢しなさい。横になっててもいいから」

「そうします……」

 

 言うが早いか、王燁ちゃんは敷き布の上で仰向けになり、目元を覆った。

 近くにいた何匹かの〈霊芝狐〉は、心配そうなというよりも興味があるのか、そちらに目を向けていた。

 この微妙にざわざわした状態で休まるのだろうか。

 

「実際、なにが原因なの、これ」

「ブラッシングしただけ、なんだが、その前にも宿の中に出現したんだよな」

項樊(こうはん)さんは、そうそう見ない種類、とは言ってましたけどね。狐尾族がいると出現しやすいとも」

 狐尾族に親近感でも覚えるのだろうか。

 

 

 〈霊芝狐〉の出現率はレアエンカウントに属するらしい。とてもそうは思えないのだが。

 大群になることもなく、多くても家族単位、5匹で出れば多いのだとか。

 そうなると50匹を超えるこの数は異様だが、よくよく見ると全体がひとかたまりではなく、ヒビとでもいうのか、それぞれの塊ごとにわずかばかりの距離はある。

 さらに細かく観察すると微妙に毛の長さや色合いが異なっている。

 

 郭貂麟の近くにいる〈霊芝狐〉に手を伸ばしてみても逃げることはせず、大人しく撫でられている。

 敵意はないらしい。むしろ友好的。

 

 

「王燁ちゃんの言ってたみたいに、イベントっぽいわね、なにかでイベント発生条件満たしたのかしら」

「だとしたら、どんなイベントだよこれ。大量発生系?」

 30cmに満たない子猫のようなサイズではあるものの、こうワラワラと出てくると、ちょっと気圧される。

 

「あれ?」

 索峰さんを中心に広がる茶色の〈霊芝狐〉の群れの端の方に、体格と色合いが違うものが1匹混じっていた。

 

「〈明星白貂(みょうじょうびゃくてん)〉?」

 

 〈霊芝狐〉が明るい茶色なら、純白にほんのり僅かな赤が混じっている色合い。

 金眼で耳は突き出ておらず、丸い頭で、細長い体。

 サイズは〈霊芝狐〉よりひとまわり大きい。というか長い。

 

「キツネじゃなくてイタチ? いや、オコジョか? わかんねー」

「フェレットよ、索峰」

 

 なぜ狐の集まりにフェレットがいるのか。

 〈霊芝狐〉の平均レベルは概ね40。

 〈明星白貂(みょうじょうフェレット)〉は突出して高いレベル81。

 かといって集団のボスでもなさそう。

 

「あの〈明星白貂〉、ちょっと手懐けてみます」

 項樊さんいわく〈霊芝狐〉は使役可能なモンスターであり、索峰さんへの懐きっぷりを見ていると納得のいく様子。

 それらに混じっていて、こちらに対して敵意がないのであれば、〈森呪遣い(ドルイド)〉の契約生物にできるのではないか?

 

 数日をかけて仙境から行ける範囲の戦闘エリアを翠姐さんと2人で探した中で〈明星白貂〉は出会っていない。

 レアエンカウントらしい〈霊芝狐〉に混じって1匹だけなので〈明星白貂〉も珍しいのではないかという目論みもある。

 珍しいと形容できるものは、概ね強いか特殊技能かユニーク能力かに繋げられる。

 

 素のレベルも魅力的で、郭貂麟の現在のレベル83とほぼ同じ。

 この世界に来て10日と経っていないが、ゲーム時代では選択肢に入らなかったレベル帯のモンスターゾーンに連れてこられた影響で、あっさりと2つレベルアップしている。

 

 

 姿勢を低くし〈霊芝狐〉の間をかき分けかき分け、さてどんなことをすれば〈明星白貂〉の興味を惹けるのだろうと思案する。

 ひまわりの種に思い当たった。ハムスターのように食べるだろうか。

 手の届く距離まで近づいたが、逃げそうな素ぶりはない。

 ひまわりの種を一握り出して、目の前に持っていった。

 なんだこれ、といった感じで、匂いを嗅いでいるがそれだけ。アプローチを間違えたらしい。

 

「イタチ系って完全に肉食じゃなかったかしら」

 そんなことを翠姐さんが言う。

 

「肉、肉……」

 肉と聞いて思い出したのが、〈小牙猪〉のドロップアイテムの肉塊。

 こちらの世界で最初に倒したモンスターのドロップ品で、記念のような戒めのようなで、毛皮と共になんとなく持ち続けてはいたものの、捨てるにもちょっとだが使い道もなくて扱いに困っていた骨つきの腿肉。

 〈魔法の鞄(マジックバッグ)〉に入れたままなら劣化しないので、ドロップ直後の状態と同一で高品質。悪く言えば、嗅ぎ慣れない匂いがする。

 

 

 取り出して、ぷらぷらと〈明星白貂〉の前で揺らしてみる。それはもう食いつきようが半端なかった。

 手ずから食べることはしなかったものの、目の前に置くやすぐさまかぶりつき、堪能し始めた。

 

「おお」

 清々しいとすら思えるほどに一心不乱に肉に食らいついている。

 これが釣り針であったならきっと簡単に釣り上げられるだろうほどに。

 

 

「うぉわあ!?」

 

 索峰さんが突然〈霊芝狐〉に飛びかかられていた。

 HPは1も減少していない。ただ、次々と他の〈霊芝狐〉が続いている。

 お目当ては左手のなにからしい。

 みるみる〈霊芝狐〉が減っていく。というよりも、左手のなにかに吸い込まれていく。

 

 最後に、しゅらぼん、と変な音を出して、そこらじゅうにいた〈霊芝狐〉は1匹もいなくなった。

 索峰さんの左手にはなにか紙が握られている。

 

 

「みんないなくなっちゃった……」

 泡食った索峰さんの声に飛び起きた王燁ちゃんが、周囲を見回して呆然としている。

 

「えっと、なにごと?」

「わからん。わからんが、腰のベルトに挿してた〈狐惑(こわく)のお札〉が気になってるみたいだったから外したら、飛びかかられた」

「……名前違いません?」

 

 索峰さんはさきほど〈狐惑のお札〉と言った。

 しかしこっちから見るそれは〈狐惑(こわく)霊符(れいふ)〉になっている。

 

「……おい、〈狐惑のお札〉どこ行った」

 アイテムウィンドウを開いているのか、右手が空中をスライドしている。

 ひとしきり動かした後、索峰さんの目線は右手の先と左手を行き来した。

 

「意味が全くわからんが、〈狐惑のお札〉が〈狐惑の霊符〉に変化したらしい。あと起動アイテムだったのがアバターアイテムに変わってて、常在効果(パッシブ)に弱い状態異常回復速度上昇のボーナスが新たに発生した」

「えぇ、幻想級強化なんて索峰ずるいわよ」

「いやそもそもこれ強化か? こんなイベント強化、中国サーバーにあるわけない、日本産だぞ元は」

 

 クエスチョンマークが索峰さんの頭に見えるよう。

 『エルダー・テイル』に対する造詣が深く、ゲームで説明できるところに結論を求めているのかもしれない。

 

 

「使ってみないの?」

「そうですよ、呪いの品でもなさそうですし、使ってみればいいんです」

 王燁ちゃんの疑問はもっとも。カタログスペックで語れる事態でもないだろう。

 

「アバターアイテムになったのが怖いんだが。この尻尾アバターアイテムだったのが、今外せねーんだぞ。つーか起動効果どうなるんだこれ」

「いいからさっさとやりなさい」

 呆れたような急かすような翠姐さんの声で、渋々と索峰さんは〈狐惑の霊符〉を装備した。

 

「ぐごっだだだだだだケツケツ背骨背骨背骨首首首」

 瞬間、奇声と共に索峰さんが腰を抑えて悶絶し、仰向けに倒れた。

 

「ちょ、(てん)ちゃんヒールヒール!」

 言われてHPゲージを見る。索峰さんのHPとMPがガリガリと削れていっている。

 

「〈リーフヒール〉! 〈ガイアビートヒーリング〉!」

「索峰口開けなさい回復薬!」

「んぐぐぐぐ」

 

 こぼすことを厭わず、翠姐さんが回復薬を数本一気に流し込んでいる。

 痛みなのか呼吸困難なのかはっきりしないが、索峰さんは目を白黒させながら体を海老反りにしていた。

 

「溺れる! おぼれるー!」

 腕をバンバン地面に打ち付けてタップし出したのを見てか、王燁ちゃんが翠姐さんを突き飛ばした。

 それで余裕ができたのか、索峰さんは少し回復薬を噴き戻し、肘をついて体の上下を入れ替えて激しく咳き込んだ。

 

「ぢっぞぐずる」

 絞り出した声がそれだった。

 

「あ、HP減少止まってる」

 しばらく索峰さんの嗚咽と咳が続いた。

 酸素が足りないのかゼェヒュウと音をさせながら深呼吸を繰り返し、そのたびに大きな尻尾が上下した。

 

 

 郭貂麟の足に小さな衝撃があった。

 見下ろすと〈明星白貂〉が与えた肉を食い終えたらしく、もっとくれとせがむように〈紅蜥蜴厚底鞋(あかとかげあつぞこぐつ)〉の側面を前足で叩き、気づいたと見るや、背中を弓反りにしながら何回も跳ねた。

 ご機嫌をとる事に成功していたらしい。

 

 息も絶え絶えで激しく咳を続けている索峰さんには悪いが、〈明星白貂〉と契約するチャンスが到来していた。

「ね、私に力、貸してくれない? またお肉あげるから」

「クックッ」

 腰を落とした郭貂麟の右足から〈明星白貂〉は膝の上まで登ってきた。

 了承、のようだ。

 

 右手でウィンドウを開き、召喚契約の欄を開く。

 左手の人差し指に黄色い光が灯りそれを〈明星白貂〉に近づけた。

 前足2本で〈明星白貂〉は光に触れた。

 

「契約成立、よろしくね」

 喜びの舞とばかりに〈明星白貂〉は膝の上で1度また跳ねた。

 

 若干、郭貂麟のMPの上限が減っていた。

 角端と同様に従者召喚状態に伴うものだが、思っていたよりは幅が小さい。あまり維持コストを要求しないモンスターだったらしい。

 索峰さんには翠姐さんがついて背中をさすっているので〈明星白貂〉の召喚時付与効果を確認する。

 

 

 ゲームであった頃、戦闘に引き連れていられる召喚生物には、大別して3つの区分があった。

 妖精や精霊など不定形生物が主に属している、回復やバフを行う支援型。

 狼や猪ら、実在するタイプの獣類が主に属している、術者と共に戦う戦闘補助型。

 ゴーレム系やドラゴン系といった、幻想系実体生物が主に属している、術者からもある程度独立して戦う自律行動型、このいずれか。

 

 もっとも、直接戦闘を行える精霊種や、補助しかしないカーバンクルといった幻想系もいるので、あくまで傾向に過ぎない。

 

 その点、王燁ちゃんの角端は幻想系生物で自律行動型の典型。

 ただ、支援及び戦闘補助の分野でもそれらに特化した召喚生物に比肩か超えるまで性能まで伸ばすことができるところに最高レアの恐ろしさがある。

 ほとんど真価を発揮できておらず、逆に振り回されているけれども。

 

 

 さて〈明星白貂〉、奇しくも、郭貂麟(かくてんりん)と同じ「貂」の文字を持つ召喚生物。

 実在の生物準拠なので高確率で戦闘補助型。私が目指すものはダメージ出力の高い攻撃型森呪遣い。

 火力補助か、守護してくれるタイプなら理想的。せいぜい肘から先ぐらいの大きさなので守護能力があるとは思い難いが。

 

「わぁ、支援型だったの君」

 

 開いたウィンドウから目を離し、膝から降りた〈明星白貂〉を見た。

 肉をくれとばかりに食べ終わった骨つき肉の残骸を咥えていた。

 

「そういう約束だったね」

 

 〈小牙猪〉の肉はもうないが、肉系アイテムはまだいくつか残っている。

 〈岩鳥〉の肉を与えて、それに食らいつくのを見てから〈明星白貂〉の性能表示画面に目を戻した。

 

「う、うーん?」

 

 1番行動確率の高い行動に、複数回のダメージ軽減付与とあった。

 行動確率は少ないが、ダメージ遮断付与も持っている。

 

「良縁、か、な?」

 

 支援型ではあるものの、付与効果がかなり戦闘補助型寄り。

 状態異常の回復も火力増強もないが、攻撃ダメージそのものを割合でカットする方向で防御力を高めてくれるタイプ。

 攻撃に当たらない自信があったり、味方冒険者が防御を担当するなら優先度が低い付与効果ではあるが、前衛職ゼロでまるで守備に向かない陣容、私自らも火力を出して相応に敵愾心を集めるであろう今後の予定。

 それを補強できる付与効果持ちは、満点回答ではないかもしれないが、及第点には届いている。

 

 加えて、好きになれそうな姿もしている。

 一心不乱に肉にかじりついている様子はどこか愛らしい。

 鳥の小骨は邪魔じゃないのかとは思うが、お構いなしらしい。

 満足してくれるなら、とりあえずはそれでいい。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 いまだ膝をついたまま上を向けない索峰(さくほう)さんの、力なく垂れた大きな狐尾に異変が起きていた。

 いなくなったと思っていた〈霊芝狐(れいしこ)〉が、尻尾の中から顔を突き出していた。

 それも何匹も。

 

「索峰、さん? 尻尾、気づいてる?」

「もぞもぞしてるのは、わかる」

「狐ちゃんたち、尻尾にいるよ?」

「なんだ、そりゃ……」

「触っていい?」

「好きにして、もうちょい無理……」

 そういったそばから、索峰さんはまた咳き込んだ。

 

 おそるおそる、王燁(おうよう)は明るい茶色の狐尾に入り込んでいる〈霊芝狐〉に手で触れた。

 そして首元を掴み、そのままずるっと抜き出した。

 少し暴れられて、唐突に、しゅらぼんと、煙となって消えた。

 

「わっ」

「えーと、索峰、王燁ちゃんがいま1匹索峰の尻尾から〈霊芝狐〉抜き取ったんだけど、消えたわ」

「みんなで抜きまくって。多少手荒でいいから」

 

 そう言われたので、王燁は索峰さんの尻尾に両手を突っ込み、片っ端から〈霊芝狐〉を掴んでは出し、掴んでは出しを繰り返した。

 崔花翠(さいかすい)さんはもっと手荒で、掴み即投げ抜き。

 どちらにせよ、〈霊芝狐〉たちは索峰さんから離れると簡単に煙となって消えた。

 

 〈霊芝狐〉たちも捕まり続けているのを察したか、なかなか捕まらなくなってきた。

 モグラ叩きのようなことになってきた。崔花翠さんは面白くなってきたのか指と手の動きが一層激しくなった。

 

「79、80、81、82、83、84」

 郭貂麟(かくてんりん)さんは、掴み出された〈霊芝狐〉をカウントしている。

「99、100、101」

「いやこれ、キリないでしょたぶん」

 108のカウントまで達した時、崔花翠さんは一際高く〈霊芝狐〉を放り投げた。

 それも着地を待つことなく煙になった。

 

「王燁もそう思うー」

 たくさん集まっていたのは覚えているが100匹はいなかったと王燁は思う。

 それに100匹も入れるほど索峰さんの尻尾は大きくない。

 その尻尾を見れば、手を突っ込んでかき回されたせいでだいぶボサボサになっていた。

 

 

 ようやく、索峰さんが普通に座った。自分でも〈霊芝狐〉を掴み出している。

 王燁の時と違って索峰さんが掴み出した〈霊芝狐〉は大人しくしており消えもしなかった。

 鼻先から尻尾先まで30センチあるかないか。本当に小さい。

 

「全員出てこい!」

 索峰さんはおもむろに首をひねり、尻尾に向けて命令した。

 にょろりと、2匹の〈霊芝狐〉が尻尾から出てきた。索峰さんに捕まったままの〈霊芝狐〉を含め3体。

 

「あれ、これだけ?」

「あれー?」

 あれだけいた数はなんだったのだろう。2人がかりで抜き取りをしていた時はもっと多かったような気がした。

「うーん?」

 索峰さんは尻尾を振り始めたが、もう残っていないらしい。

「3匹か、やっぱり」

 

「〈狐惑(こわく)霊符(れいふ)〉どうなったんです?」

「あー、そういえば」

 そう言ってまたごそごそやり出した索峰さんが取り出したのは、真っ黒ななにかだった。

 

「〈狐惑の霊符(使用済)〉って……、ただの燃えカスだなこりゃ」

 

 呪符だったそれは燃え尽き、取り出したそばから風に煽られどんどん崩れている。

 索峰さんが一握りすると、ただの黒い灰になって風に乗って飛んでいった。

 

「消えないね、〈霊芝狐〉」

「特技になって登録されてるな。〈狐惑のお札〉の効果。そして若干のステータスボーナスと……」

「ステータスボーナス自体は、購入アバターアイテムにはありがちな効果よね」

「あれか? 一定数納品か一定数討伐のイベント扱いかこれ?」

「それなら結果3匹還元っていうのも一応説明つくかしら」

 

 王燁にはさっぱりな話。説明を求めたいとも思わなかった。

 

「とりあえず全員消えろ〈霊芝狐〉」

 

 索峰さんの命令ひとつ、しゅぼぼんと、あっさり〈霊芝狐〉たちは煙になった。

 そのまま自らの尻尾をまさぐり、中にいないことを確認した。

 

「出てこい〈霊芝狐〉」

 そう言った途端、索峰さんは大きく身震いして毛を一瞬だけ逆立てた。

 〈霊芝狐〉がまた索峰さんの尻尾から出てきた。やはり3匹。

 

「消せる?みたいですね、一応」

「正直助かる。あー、しばらく出したままにするから」

 

 1番近くにいた〈霊芝狐〉を王燁は手招きで呼び寄せて腕に抱いた。

 大きな体ではない王燁でも、腕の中の収まる小ささ。

 今度は消えず、大人しく腕の中に収まった。腹を撫でてやると気持ちよさそうな仕草をした。

 

 玲玲(れいれい)もこれぐらい可愛げがあればなと思う。

 大きいし、気難しいし、気性も荒い。

 強いのはわかるが、もうちょっと力関係を王燁に寄せたい。

 その方法は今のところ思いつかない。

 玲玲を再び召喚する前に、なにかひとつでも考えておきたい。

 

 

 ふと目を郭貂麟さんの方に向けると、〈霊芝狐〉となにか別の白い生物が睨み合っていた。

「あ、さっきの〈霊芝狐〉の群れの中に混じってて、索峰さんが悶絶してる間に契約できた子だよ。〈明星白貂(みょうじょうフェレット)〉だって」

 

 〈明星白貂〉は郭貂麟さんの膝の上でここは譲らないとばかりにガンを飛ばしていた。

 これぐらいなら玲玲に比べると可愛いものだ。

 

「名前つけないの?」

「うーん、まだ考えてない。そのうち」

「ふーん」

 玲玲には、語感でなんとなく名付けた覚えがある。

 

 

「そうそう、(てん)ちゃんたちと3人で狩ってて思ったことでさ、索峰に言っておかないといけないことがあったのよ」

「どうした」

「あたしら、野宿無理よ。キャンプ感覚でいたけど、道具とか技術より見張りの頭数がいないのよ」

「ん……?」

 崔花翠さんはなにを言おうとしているのだろう。

 

「ちょっと泰山迷宮潜ったんだけどさ、休憩する時に完全な安全地帯じゃないとモンスターに結構襲われるのよ。で、そうじゃない場合、あたしと貂ちゃんで見張り番交代でやったんだけどさ、まー、気が休まらないの」

 それがどう野宿ができないに繋がるのだろう。

 王燁も一通り寝やすそうなキャンプ用寝具は用意していたのだが。

 

「これ、夜は寝ないとまずいでしょ、で、外で寝るなら、モンスター警戒で、誰かしら夜通しか交代で見張りすることになるでしょ? 索峰は大丈夫そうだけど、乙女に夜更かしは禁物だし」

「おい」

「それは冗談としてもね、まず王燁ちゃんはさすがに見張りさせるわけにはいかないでしょ。角端は知らないけど。

 残りはあたしと貂ちゃんだけど、貂ちゃんも年齢面でどうかってあたしは思うしあたしと索峰だけでは回らないと思うのよ。

 たまに1泊2泊ならどうにかなると思うけど、何回も何回もってなるとあたしはゴメンだわ。荒みそう」

 

 何も言わず、索峰さんは腕を組み、首をやや後ろに倒して視線を上にやった。

 

「王燁もやるよ? 玲玲もいるから大丈夫」

「悪いけど、8歳の子供はちゃんと寝なさい。現実にしてもこの世界にしてもそれも大事なことだから。夜仕事するには幼すぎるわ」

「身体能力はこっちの世界に来てから伸びてますし、肉体的には実現可能かもしれませんが、精神では年相応ですからね、みんな」

「うー」

 

 体が疲れることに対しては、王燁も自然回復で疲れが抜けるのが早いと思っていた。

 疲労困憊、足が棒、というところから1時間もあれば自由に全力疾走できるまで戻せるのだから。

 そもそも回復魔法や回復アイテムですら体の疲れは回復する。

 体の回復だけ考えるなら寝る必要はほとんどない。玲玲も回復魔法を使えるのでかけてもらえば済む話。

 

 

 ではなぜ寝ることが必要になるのか。

 暗くなれば眠くなる、染み付いた体質もそう。それよりも頭のリセットだと王燁は思う。

 その重要性はつい最近索峰さんが身をもって証明していた。

 あの時王燁は、起きる気配のなかった索峰さんの頰を思いっきりつねったが不気味なほどに反応がなかった。

 人(?)がここまで熟睡できるものなのかと思うほどに。

 

 魔力酔いなのかMP酔いなのか、あの悪心も回復魔法をかけるだけでは治らないもの。

 この世界で王燁が最も実感している疲れの原因でもある。精神力が搾られるとでもいうのだろうか。

 

 

「言われりゃそうだな。王燁ちゃんにしろ貂ちゃんにしろ、夕食後から夜明けまで8時間ぐらいか、1人で見張りだけして起きてろは無理だろうな」

 ウンウンと、強く頷いて肯定する。

 

「いや、それはあたしも無理よ。あたしもゲーム時代大概だったけど、十何時間でもぶっ通しでいける索峰の基準はおかしいから。

 今だからいうけど、深夜まで付き合って眠って昼ログインしたら休みだからって寝ずにインし続けてて、とか頭おかしいから。こっちの世界でもその傾向抜けてないし」

 

「夜中の見張りに徹するなら、2時間でも相当怪しいと思いますよ、私は……」

「2時間は、王燁無理……」

「うーむ」

 腕を組んだまま唸る索峰さん。

 

「見張りが必要なのは夜中なんだから、余計に神経使うでしょうね。暇でもあるでしょうし」

 夜間の見張りとはなにをすべきかも怪しい。

 

翠姐(すいねえ)の言う通りだな。今後、本当に非常時以外は、村なり街なりで宿確保しながら余裕持って移動する、でいいよな?」

「その方針でよろしく。シャワーも浴びたいし。シャワーセット作れないこともないだろうけど落ち着かないし」

「そっちが本命か。風呂の話は否定はしないが」

 

 この体でも汗はかく。

 崔花翠さんが試したことだが、洗濯することでも衣服の耐久度は大きく回復していた。

 衣服が汚れたり汗を吸ったりしても耐久度に応じて綺麗になるので、着続けてもあまり影響がない点では楽。

 特定のアイテムを使って着たままでも耐久度を回復させることができる方法もある。

 ゲームになかったこととして、〈天使のブラシ〉でブラシをかけることでも、わずかではあるが服の耐久値が回復したと索峰さんが言っていた。

 

 

「それにしても、貂ちゃんは予想通りとしても、索峰までペット手に入れるなんてね。あたしだけ仲間はずれ」

「玲玲はペットかなあ?」

 玲玲はペットというにはあまりにも大きく、不遜。

 

「こっちは不本意な入手もいいとこだが」

「可愛いじゃないですか。交渉の助けになると思いますよ、その尻尾と合わせて」

 触りたくなる尻尾と、小動物。

 和ませ力はかなりありそう。

 

「正直、これ以上食い扶持持ってかれるのは困るんだが。アバターだから非戦闘の存在だし、たぶん」

「質量はあるんだから、躾したらなにかできるんじゃない?」

「芸でも仕込んだらどうですか。自分で食事代稼がせるつもりで」

 

 小狐3匹なにか芸ができれば、微笑ましい見世物になりそうだと思う。

 

「戦闘面で役立って欲しいんだがな」

 肩を竦めてみせた索峰さんは、傍にいた1匹を手に乗せ、しげしげと観察を始めた。



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星辰明るくも先見えぬ夜

黒い、長い、再び。


 索峰(さくほう)角端(かくたん)がほとんど相討ちになって決着した戦いから一夜明け、(てん)ちゃんが〈明星白貂(みょうじょうフェレット)〉を契約したことで目的を達して、泰山仙境に滞在する理由がなくなった。

 

 泰山仙境を去る前に、封禅の祭壇を観光したいという貂ちゃんの提案を受け入れ1泊追加を決定。

 再度召喚され王燁(おうよう)ちゃんの可愛いお叱りと索峰のねちっこい嫌味を受けた角端と、ガイド兼通訳兼お目付け役の項樊(こうはん)さんを加え、崔花翠率いる一行は9合目の泰山仙境から山頂へ至る登山道を進む。

 

 

 敵モンスターはいることにはいるのだが、またしても角端の威圧がモノを言ってフリーパスも同然。エンカウント率低下のパッシブスキルが便利すぎる。

 もともと険しいだけでそれほどの距離がなかった山頂への登山道、すいすいと進んでいける。のは冒険者側だけで、身体能力に劣る大地人の項樊さんは肩で息をしながら角端の通訳のためについて来ていた。

 これでもだいぶ遅く移動していた方なのだが。

 

 疲労困憊の項樊さんを尻目に息ひとつ乱していない冒険者たちの前に現れたのは、祭壇というにはあまりにも奇妙な建造物だった。

 鉄の枠にぶら下げられている大きな銅鑼と、大きな鐘つき堂、その脇の池は理解の及ぶ範囲。

 それより異様なのは、灰色の鉄骨の塔と巨大なスピーカーと白い球形のXバンドレーダー。

 メカメカしいというのか、近代的というのか、神秘的な雰囲気のあった泰山では不釣り合いとすら思える建造物。

 

 

 このような現代社会的な建造物は、『エルダー・テイル』にもないわけではない。

 ただ、それらのほとんどは朽ち果ててかけている姿。

 ここにある、傾いてもおらず折れてもおらず目立った損傷のない、元いた世界の面影を極めて強く残す建造物はこれが初めてだ。

 

「電波塔だな……」

「わーお……」

「冒険者の方々が保全に協力してくれるおかげですよ。保全する技術こそありますが、それに必要な材料や素材は冒険者に納品して頂かないといけません。繊細なんですよ、これでも。ちゃんとした保全が為されていて初めて、全土に轟く覇の号令がかけられるのです」

 

 

 ギルドウォーによる王権の確定。

 それを維持するためには、ギルド間の争いに勝ち続けるだけではなく、それなりの維持コストを要求される。

 その維持コストは、覇を唱え対象地域から富を吸い上げることができるための必要経費。

 齎される富と効能と名誉は極めて優れてはいるが、ギルド間戦闘に勝ち続ける財力も必要になる以上、維持コストもバカにならない。

 それが払えなくなれば空位となり再度の覇権争いが起きる。ギルドウォーシステムとは概ねそういうものだ。

 

 崔花翠(さいかすい)も、所属していたギルドが一地域の支配を確立し、その維持コスト捻出に駆り出されたことがあるのでシステムそのものはよく知っている。

 少人数で封禅が行えないのもそのような制約があるからだ。

 まさか、こんな鉄の塔の姿をしているとは夢にも思っていなかったが。

 

 

「今でも使えるんですか?」

「ええ。生きています。条件さえ揃えば、封禅の儀も行えますし全土への通達もできますし、大陸外への念話も可能です」

「ちょっと、最後なんて言いました!?」

 建造物を見上げ、意味深長な表情を浮かべていた索峰が血相を変えていた。

 

「条件が揃えば大陸外への念話も可能だと。ここ数十年、両手の指で数えられるほどしか使われておりませんが」

 

 

 わざわざゲーム内で大仰なことをして国外念話をせずとも、メールや無料通話がある時代。

 『エルダー・テイル』を介する必要なく、いくらでも部屋の中から世界に繋がれる。

 そもそも中国内で争うコンテンツにその機能があったとして、国外に連絡する意味はない。

 

 索峰にとっては国外念話機能は重要だろう。

 サーバーを跨いだ念話機能はもともと搭載されておらず、外部連絡手段を失っている現在。発見されたというべきなのか、おそらく数は少ないだろう日本との連絡手段なのだ。

 直線距離なら、北京から海南(ハイナン)島や上海香港よりは韓国の首都ソウルや日本の首都東京の方が近い。

 しかし日中韓どれも運営会社が違う。サーバーが違う。

 ゲームではなくなった今も念話は律儀にも中国サーバー管轄内にしか通じない。

 

 

「そんなに日本に連絡したいの?」

「違う日本はどうでもいい。王燁ちゃんのお父さんと連絡取れる可能性がある。向こうも巻き込まれていたら」

「え」

「あ」

 

 その通りだ。

 現実世界は無理でも、この世界の中にいるならば、通話ができるかもしれない。

 

「項樊さん、国外へ念話する場合の条件教えて」

「送り手と受け手が互いにフレンドリストに登録しているか、同一ギルドに所属していることです。起動と通話でそれぞれ別にお金を頂きます。祭壇占有条件を満たさずに使用するので、高額ですが」

「いくらだ」

 

 項樊さんが地面に金額を記した。

 一見して法外に高いと思うほどの額が、起動と通話それぞれに記されている。

 

「時間は?」

「一度繋げば、アクシデントが起きない限りはずっと話せますよ」

「索峰さん、お金、ありますよね。安くはないですけど、これなら」

「幸か不幸か、手持ちにあるな。暴騰売りの利益だいぶ吐くことにはなるが、チャレンジ料はある」

「〈翠壁不倒(すいへきふとう)〉の財布の管理割合、索峰6、あたし3、貂ちゃん1にしたわね、この前」

「せっかくのあぶく銭、使わない選択肢あるか? こっちの持ち分で全額賄えるから、なんなら全部出すぞ」

「索峰6のうち4、あたし3のうち2で、これで出す割合は平等。供与でいいわよね」

「無償供与でいい」

 身内の金額交渉はまとまった。あとは、王燁ちゃんの確認だ。

 

 

「角端、ちょっと黙っててね。索峰も黙ってて」

 

 気付いたのは索峰だ。

 この件で最も資産にダメージが入るのも索峰だ。

 おそらく最も乗り気なのも索峰だ。

 

 それでも、ギルドマスターはあたしだ。

 

「王燁ちゃん、どこまでわかってる?」

「えっと、父様と、話せるかもしれない、って、こと?」

「そう。その通り。王燁ちゃんのお父さんと、念話できるかもしれない。

 王燁ちゃんはまだ〈翠壁不倒〉には加入してなくて、お父さんと同じギルドって聞いてるから、第1条件はクリア。第2条件の通話料は、こっちが全額持つ。借金じゃなくてプレゼント」

 

 角端がなにか言いたげに頭とたてがみを動かしたが、まだ終わっていないと睨んで制した。

 まだ触れていない事柄がある。

 

「いい、の?」

「いい。だけど、もし念話が繋がらなかった場合、王燁ちゃんのお父さんはこの転移に巻き込まれていない可能性が極めて高くなる」

 

 

 王燁ちゃんの話では、先にログインして待っているように、と言われていた最中での転移。

 よって、王燁ちゃんのお父さんが巻き込まれていた場合、娘も巻き込まれているとほぼ確実に理解している。

 

 もしお父さんが国外でこれと同様の事態に巻き込まれているのであれば、なんらかの形で娘の安否は確かめようとするだろう。

 国外からゲームを通じて娘とレクリエーションを行うほどの父親であるならば、なおのこと。

 そこへ娘からの念話コールが来れば、なにをしていようがまず間違いなく念話に出る。寝てようが戦闘中だろうが出るだろう。

 

 もし念話に出ない、または通じないというのであれば、巻き込まれていない可能性が高くなる。

 中国サーバーの巻き込まれていないだろうフレンドに念話をかけて実験できればいいのだが、挑戦の時点で必要な金額がやたら高い。

 1回ならば許容できても、2回となると零細ギルドとして今後のことを思うと厳しいものがある。

 

 

「王燁ちゃんのお父さんが巻き込まれていなければ、当分家族に会えないことは確定する。年単位になるかも。

 失敗すれば希望をひとつ奪うことになるから、これは先に心の準備をするべきこと。

 逆に、成功してお父さんが巻き込まれていることが確定すればお父さんとの再会までの時間も早くなる、と思う」

 

 再会が早くなるかは疑問がある。励みにはなるだろうが。

 わざわざ声に出して指摘するほどのことではないけれど。

 

「今すぐ決める必要はない、けど、考える時間もあまり長くはあげられない。理由は単純。すぐに結論が出ない話に大金は出せない。慈善だけどそれで済ますには惜しすぎる大金。

 今後のことを私欲で考えるなら、使わずに残しておいた方がいい。でも必要な出費かもしれないと索峰は判断してた」

 

 全体の決定権はあたしにある。

 しかし財布の過半数以上を索峰が握っている。金が絡む以上は、索峰の判断は無視できない。

 

「さて、いつまで判断待つことにしようかな?」

「明日には泰山下りる予定でしたよね?」

 現時刻は、体感で14時。

 

「お父さんのアメリカの赴任先どこ?」

「サンフランシスコ、って」

「あ、ごめん場所わかんないわ、時差どれぐらいだろう」

「西海岸だろ? 半日ちょい長いぐらいだったような。13、14時間ぐらいか?」

 さすがは国外単身赴任者、国は違えど役に立つものだ。

 

「じゃあ、お父さんがまだ北米にいるとして、時差が生きてるなら向こうは深夜ですね」

 項樊さんが、おそるおそる手を挙げた。

「あの、角端様が王燁様に言いたいことがあるようで」

「なに、玲玲(れいれい)?」

『迷う必要はない、やればいい。どのような結果になろうとも、父君とすぐに会えるわけではない。その間は(われ)が父君の代わりとなろう』

「こんな暴走親父は頼れねーよ」

 反射的に混ぜっかえした索峰が蹴飛ばされて10メートルほど派手に転がった。

 

 

「えと、え、と、お願いします。父様と話させてください」

 しかし、それで王燁ちゃんの決意が固まった。

「こっちの気が変わるかもしれないんだから、決断早いのはいいことよ。やるんだって、項樊さん」

「かしこまりました。すぐに起動させましょうか?」

「いやすまん、金出す身としてひとつ念を押したい。夜まで待って、時差を向こうの朝か昼に合わせたい。

 万が一、念話コールで起きてくれなかったら不幸過ぎる。あと、王燁ちゃん経由で向こうに聞かせたいことを少々まとめたい」

 

 確実性と情報アドバンテージを取りにいきたいらしい索峰。

 スポンサーとして、当然の要求かもしれない。

 あたし自身、この世界に来てからの短期間で索峰の念話モーニングコールを無視して二度寝三度寝した憶えもあるので、時間帯をずらすのも理解できる。

 

「あ、項樊さん、念話って1対1だけですか? この設備なら多対1とか多対多はできませんか?」

「多がこちら、1が向こうなら可能ですね。多対多は、向こうも適切な施設がないと」

「できるんですね」

「多といっても、ひとつのマイクにみんなで喋りかけることになりますが」

「十分でしょ」

 

 脳から脳の伝達、原理的には本来他人が介在する余地のないダイレクトチャットに割り込むようなものなのだ。グループチャット化できるなら十分と思う。

 案外、いろいろできるようだ。

 

 

 一応、この場所は戦闘エリアではある。モンスターの出現率が非常に低いだけ。

 モンスター避けになる角端がいるのであまり心配はしていないが、警戒を完全に解くことはできない。

 索峰が夜を指定したので、もしかしたら、初の野宿はこの電波塔でやることになるかもしれない。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 半月より少し欠けた月が昇った夜空を、玲玲(れいれい)の名を賜った角端は見上げていた。

 雲はぽつぽつとあるのみ。月に負けじと明るい星がいくつか輝いている。

 

 一度泰山仙境に降りて全員でしっかりとした昼寝を決め、再登頂。

 寒いぐらいの涼風が闇と岩肌の隙間をなぞっている。

 こちらの時刻は遅くても一向に構わないと狐が言っていたので、皆なるべく眠気を飛ばしていた。

 

 祭壇と呼ばれた奇怪な建造物には部屋がふたつ。玄関口と設備室。

 雑多な機械と椅子がいくつかあるだけで、宿にできるほどの広さはない。

 祭壇の横に男女別で幕舎を2つ設営し、モンスターが周囲に出ようと臨戦態勢にならないように、狐が敵愾心を下げる特技を全員にかけ、念には念を入れて敵愾心上昇を抑えつける援護歌まで使用して、主人と大地人1人と(われ)で奥の設備室に入った。

 

 

王燁(おうよう)様はこれを持って、念話をしたい相手を強く念じてください」

「はい」

 主人が念じると、ぼうっ、と、計器が光りだし、鈴の音が鳴り始めた。

 

(よう)!? 燁か!?〉

 鈴の音が2度目に入ったところで、反応が出た。

 驚天動地といった様子。無理もないか。

 

「繋がりましたね」

「父様! 燁です!」

〈燁もか、そうか、そうか……やはり、来てしまっていたか。ずっと、繋がらなかったんだ、今、アメリカにいるのか〉

 機械から聞こえてきている声は、早くも涙声になっている。

 

「まだ中国サーバーだよ。泰山で、国の外に連絡する方法見つけたの」

〈そんな方法があったのか。よく見つけたな、偉いぞ、燁。それと、物音がするが、近くに誰かいるのか?〉

 主人が我と、大地人を見上げた。我と大地人は互いに見合い、我が譲った。

 

項樊(こうはん)と申します、泰山の祭壇を管理している者で、念話を繋げている者です。また、横に王燁(おうよう)様の召喚獣の角端(かくたん)様がおりまして、そちらの通訳もしております」

〈娘に手を出してないだろうな〉

「私は大地人ですので、なにかしようものなら角端様に塵にされます」

〈そうか、疑ってすまない。角端もいるんだな?〉

「いるよ、強いけど、言うこと聞いてくれないから、すっごくすっごく、すっごく、大変だけど」

 

 大変不本意である。

 喉を鳴らして、蹄で床を叩き、存在は示しておく。

 

〈頑張れ。角端は強いから、助けになるはずだ〉

「えっと、父様、それでねそれでね、角端もそうだけど、ここまで助けてくれた人たちがいるの。食べ物もらって、護衛してもらって、この念話にお金かかってるけど、お金も出してくれたの。呼ぶね」

 

 大地人が部屋を出て3人を呼びすぐに部屋に戻ってきた。

 この人数では部屋が少し窮屈に感じる。幅を取る我と狐がいるために、余計に。

 

「ハロー、でいいのかしら。王燁ちゃんのお父さん。プレイヤーネームで失礼するわ。〈翠壁不倒(すいへきふとう)〉ギルマスの崔花翠(さいかすい)と申します。縁あって王燁ちゃんと行動してるわ」

〈女性ギルマスか、いや失礼、王凌清(おうりょうせい)と言う。娘が世話になっている。申し訳ないがどうしてそうなったのか、説明して貰えないだろうか〉

「それはいいけど、先に同行者あと2人紹介させて。ウチのギルメンで王燁ちゃんと合流した時から一緒にいるのよ。紹介しとかないと説明にさし障るから」

〈わかった〉

 斧のエルフが、集音器の前を譲った。

 

郭貂麟(かくてんりん)と申します。王燁ちゃんとは仲良くさせてもらってます」

〈ああ、こっちの世界で友達もできたのか、すまない、王燁をよろしく頼む〉

 

 若い娘の声だったからか、大きな安堵を感じる返事だった。

 

「副ギルマスの索峰(さくほう)だ。よろしく。もっとも、こっちの世界で生きてるギルドメンバーはこの3人だけだが」

「索峰さん、日本人なんだって」

 主人の補足説明を聞いて狐が強張った顔をした。

 

〈変な北京語はそれか。娘に手を出していないだろうな、変なことされてないな、燁〉

 狐の強張りの危惧そのままに、機械が発する声色が硬くなった。

 

「優しい人だよ? 強いし、ふわふわだし、大丈夫」

 主人の抽象的な説明は、父から狐への心証を損ねているだけだろう。狐は苦笑いしている。

 

「あー、王凌清さん、王燁ちゃんには、行動を共にする限り、平等に食べ物分配するよ、味のするやつ。吟遊詩人(バード)だが、ちゃんと王燁ちゃんも守るよ」

 言葉が句切れ句切れなのは何故だろう。

 

〈絶対だな〉

「目の届く範囲では」

〈娘に変なことするんじゃないぞ〉

「そんなことしたらギルマスと角端に殺される」

 

 そのまま狐は主人も交えてこの状況に至るまでの説明を一通り述べた。

 その過程で狐は主人の父の信頼を多少稼いだようだ。

 

〈すぐに迎えに行きたいところなんだが、サンフランシスコもいろいろ起きてるんだ〉

「わかるわよ。中国サーバーも似たようなものだと思うから。今はどこでも同じでしょう」

〈燁、その人たち、信用できるか?〉

「うん」

 

 主人の回答は即答だった。

 訝しみ、探りを入れ、裏を読むには、主人が成熟していない。

 

〈そうか。なら信じるしかないか。ギルドマスター崔花翠、様でいいか? すまないが、まだ娘を預かっておいてくれないか。もしかしたら長期間になるかもしれない。礼はする〉

「零細ギルドだから確たる保証はできないけど、娘さんお預かりするわ。悪いようにはしないし、させない」

〈よろしく、お願いする。ほら、燁も〉

「はい父様。崔花翠さん、郭貂麟さん、索峰さん。改めて、よろしくお願いします」

「よろしくね、王燁ちゃん、角端も」

 エルフも狐も、今更かしこまる必要ないのにと言いたげな表情だったが、大きく頷いた。

 

 

〈ふと思ったのだが、君たちにアメリカまで、サンフランシスコまで来てもらうことは可能だろうか? 私の知り合いがいろんな街に飛ばされて、仲間集めにも苦労しそうなんだ〉

 

 娘も娘なら、父も父か。同じことを考えている。

 

「それは無理だ。そこまでする義理はないし、まずこっち、男1、女3、歳も自分以外いってない。中国サーバーならいざ知らず、国外に出られるほど戦力はないしまだ情報もほとんどないだろう?

 治安も謎、海路も空路もない。旅自体も不慣れだ。そんな状態で、いつそっちに着くかわからない旅に娘を出したいか?」

 当然、狐の返事も同じだった。

 

〈すまない、君が正しい。忘れてくれ。こちらで努力する〉

「広いけど、中国サーバー範囲内であれば送迎するわよ。陸路で行ける場所なら」

〈なるべく迎えに行きたいが、その時はまた世話になるかもしれない〉

 

 

 再び狐が会話の舵を取り、質問と確認事項をいくつか投げた。

 便宜上の問題で、主人をギルド〈翠壁不倒〉に加入させていいか。

 戦力として、我の育成方針、優先項目、主人自身の育成も、必要に応じて主人と話しながら決めていいか。

 我に対する扱いをどうするか。

 父親から見た、娘の性格や特徴、得手と不得手、好き嫌い。

 父からこちら側に確認したいこと、要望。

 

「ありがとうございました。参考にさせて頂きます」

 ギルドの人員として登録すれば色々と話を通しやすくなる。

 移動と戦闘なら助けになるが、主人の衣食住までは我も庇護できない。

 

 ただ、我が思うに、4人の中で主人が最も赤裸々に情報を明かされてしまった。

 それによって融通は利くようになるのであろうが、そこまで信用してしまっていいのか。迂闊な父により、主人の真名も知られた。

 知られてしまった以上、悔やんでもどうしようもないのだが。呼び方が変わることもないだろうし。

 

 

「さ、そろそろ王燁ちゃんとお父さんだけにしてあげましょう。索峰が親子の時間にお邪魔し過ぎたわ」

「そりゃないだろう」

〈私も、今後のために必要なことだったと思うが〉

「経緯とか確認とか、索峰出しゃばり過ぎなのよ。ああいうのは王燁ちゃんが全部やるぐらいで良かったのよ」

 実務を回している者にそれは少し酷ではなかろうか、と思うが助け船を出す努力をする理由はない。

 

「ではお邪魔虫はお先に退散します。な、角端」

 

 我もか。

 

「なに自分だけ居座る気でいたんだ。お前いたら項樊さんも残るから意味ないだろ。人並み以上に頭も良いし。聞かせたくないことのひとつやふたつあるだろ」

 

 納得。主人に一度額を寄せてから、狐の後を追う。

 

(てん)ちゃんも、もう寝ていいわよ。見張りはあたしと索峰でやるから。すぐ寝れるかわかんないけど」

「そうですか? じゃ寝ます。昼寝の眠りが浅かったので微妙に眠気が……」

 喋る出番はほとんどなく、ただ話を聞いているだけだったのだ。若い森呪遣い(ドルイド)には眠かろう。

 

「それでは、王凌清さん、王燁ちゃん、念話の時間制限は無いので心ゆくまで。かけ直しはNGよ」

「はーい」

〈心遣い感謝する〉

 最後にエルフが部屋の扉を閉めて、大地人と一緒に出て来た。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 祭壇の外に出ると雲がだいぶ晴れており、見える星の数も増えていた。

「さて、項樊さんにはまだ通訳やってもらうことになるけど、ここから大人のお話よ。角端に聞きたいことがいくつか」

 我と主人を離してまでなにを聞こうというのか。

「一応周辺警戒しながら話すことになるが、角端はMP消費するの禁止。王燁ちゃんの邪魔したくなければな」

『承知した』

 我が力を振るうとまだ主人の負担になる。あの時間を邪魔してはいけない。

 

 

「まず自分からいこうか。実際どうだった? お前が見たがった、索峰という冒険者の本気」

『本気ではあっただろうが、あれが奥の手の全てではないだろう?』

「昨日使った幻想級は36のうち4つだからな。それでも〈古松弓・天橋立〉と〈銀曜・鏡写〉の組み合わせは、1番目か2番目に攻撃的な奥の手だよ。それ以外は支援側に寄ったり長期戦見据えた構成だったり完全に吹き専型だったり」

 

 固定ダメージを尋常ならざる速度で叩きつける、防御を半ば無視した瞬間的な高火力。

 モンスターと相対する時よりも、冒険者同士の争いの方が活きるであろう形。それにしっかり嵌められた。

 

 あの尋常ではない攻撃回数は、一定回数のダメージを軽減する防御術式や一定回数の攻撃ダメージを無効化して受けるはずだったダメージをそのまま回復する吸収型反応回復に対して無類の相性の良さを発揮するだろう。

 あれを耐えるには、時間式防御か、耐性そのものを高めるしかない。

 

『まだ隠す、というのは語弊があるな?』

「自分でメインアタッカーもしなきゃいけないのに支援型になるわけにもいかないし、〈挿翅虎〉戦でも、味方の人数いる前提の長期戦用の装備を単独戦で採用してどうすると。

 天橋立銀曜セットは対人か情報が揃ってある程度動きが読み切れる状態で使ってこその組み合わせ。

 〈吟遊詩人(バード)〉は補助寄りだから、持ってる〈幻想級〉はそっちの方が多いし。

 かといって〈音叉響弓・遠〉中心のベター型だと本気って言われない。隠してるではなく、適切な状況に合致しないから使えない、が正しい」

『懐が広いと見るべきか』

 

 狐の潜在能力は全対応可能の支援型という面で我に似ている。

 我とて、本気は出していないと言える状態にある。主従の契約により、これでも力は制限されているのだ。

 主人との契約を解除し1頭の角端となれば、たったそれだけで本当の力を出せる。

 我に主人の制約があるように、狐にも場面の制約があるだけの話だったのだ。

 

 同行者として狐の底流もある程度推し量ることができている。

 今となっては、独り立ちした高い次元で完成されている戦力、と評することができる。

 

 

「じゃ、次あたし。〈翠壁不倒〉の3人は1回は燕都(イェンドン)に戻らなきゃいけない。その間、王燁ちゃんどうするかって話するつもりだったんだけど」

『主人と我も、戻らなければいけない理由が出来てしまったな』

 

 今も続いているであろう、父娘の会談。

 その前に、狐が主人の父である王凌清と話して確認事項を交換しあった時に、父側から提案があったのだ。

 

 

 王凌清が燕都に残しているものの中で、主人でも持ち出せる資産を回収して使って欲しいと切り出された。

 王凌清が中国サーバーに辿り着くまで時間を要するのと、使われないまま放置しておくぐらいなら、娘の乏しい資産を少しでも充実させてやりたい親心。

 

 ただ、ギルドの根拠地を燕都に設置しており取り出すにも燕都でなければいけない。

 渡せるものの中には、未ロックの〈秘宝級〉アイテムや、それに準じる素材もあるというので、取りに行かないことを勧めるには分が悪い。

 主人の強化は急務であるし、先立つものはいくらあってもいい。

 本来なら1泊程度で燕都に戻る予定を、我が強引に泰山まで連れて来たこともあり、遠征の準備が整っていたとは言い難い。

 ここで燕都帰還を強硬に反対しても、主人にとって益にはならないだろう。

 

 

『燕都に戻ることには肯定するが、あまり長居は勧められんぞ』

「燕都での用事って、アイテム総ざらいと金品コンバート、どれぐらい時間かかるかしらね?」

「翠壁と、王凌清さんの財産はギルド会館経由で回収すれば済むが、〈魔法の鞄〉の1番大きいものを使うとしても個人のアイテム全回収は無理だろうな。

 自分の場合、装備品が相当な容量取るはずだから持ち出すアイテム厳選も必須。そもそも燕都到着時刻がいつになるか全く読めないから、燕都で最低1泊はすると考えた方がいいだろうな」

 

「午前早めの到着だとしても、すぐには終わらないわよね?」

「無理だろ。アイテム換金の手間もある」

「燕都で1泊しないつもりで全速力で用事終わらせたとしても、夕方発。野宿待ったなしね」

「残念ながら、朝着こうと思ったら前日も野宿だぞ、たぶん」

「ならやっぱり1泊いるわね。燕都出た後にどこ行くかも決めてないし」

 宿の情報があるとすれば泰山麓の砦街だが、中継点とするには燕都から距離があり過ぎる。

 

『燕都に戻る際に道中の村落か荘に寄って宿の渡りをつけるべきだな。使わぬ可能性があるにしても、身を隠す場所になるかもしれん』

 余計な時間を使うことになるかもしれないが、行き当たりばったりで宿を求めるよりはマシだろう。

 

 主人や郭貂麟嬢のことを考え野宿は避けようと考えていると、再度召喚された後に主人が言っていた。

 身体能力に優れた冒険者といえど、主人の幼さは我としても不安を感じる。

 その認識がパーティ主幹2名の共通認識でもあり、無理をさせたくないという方針があるのなら、我も反対する理由はない。

 

 

「なるべく早い方がいい、ということではあるけど、急ぐ必要はないわよね?」

「そうだが、渡りをつけることも最初の目的のひとつだったんだよな、燕都出た時点では……」

『予定を大幅に変更させたことは、謝罪する。こちらの事情も理解はしてくれていると思うが』

「それは、な」

 狐には恨み言のひとつやふたつ言う権利はあるだろう。

 

「1泊する前提なら燕都で決めてもいいんだけど、燕都出てからどこ行くかもある程度は決めておきたいところなんだよな。南行くってだけしか方針ないし。さっさと往復して泰山砦で方針立て直しでもいいが、詳しい情報があるのは燕都」

 

『内陸か海側か、どちらへ向かうかでも変わるな。海側へ行けば開発された都市の数が多くなり人も多い。宿探しも楽だろう。

 その代わり、大都(ダァドン/上海)の冒険者による北上とかち合う可能性は高く、モンスターの種類もやや豊富。また、海辺の都市間で大地人派閥もある。

 内陸へ向かえば人は減り村落や都市も減る。宿探しには苦労するかもしれないがモンスターもまばらにはなるだろう。移動に関してはどちらが楽とは言いがたいな』

 

 地を疾る獣の最上位種たる我、このぐらいのことは知っている。

 

「イベント追加の傾向のせいね。海側優先してたもんねえ」

「つーか翠姐(すいねえ)、南行ってなにしたいんだ?」

 それはそうだ。エルフからは漫然とした南下宣言しか聞いていない。

 

「北京から北行っても、なんにもないじゃない。長城はあるけどその先はモンゴルだし、それは遠いかなって」

「気持ちはわからなくもないけどな。ハーフガイアプロジェクトで距離半分としても、現実世界なら渤海の縦幅ぐらいの大移動を1日でしてるからな。疲労困憊もいいところになったけどさ」

 我を責めているのか、それとも行けなくはないと言いたいのか。

 

「まー、いいじゃない。目的は探すものじゃない、MMOって。なんなら燕都じゃない場所に腰を落ち着けるってことも目的でしょ。索峰は頭硬すぎるのよ」

「翠姐は軟らかすぎだと思うがな」

『硬軟を2人が持っているのならば、それはバランスが良いということではないのか』

 

 主人を守る観点では狐の緻密さは向いている。必要な情報が揃えば相当なところまで先も広く読むだろう。

 掌握した範疇を大きく超えるイレギュラーが起きたり物事が前提から崩壊したりという事態に直面すると立ち直りは遅そうだが。思慮はそこそこに深いが、それだけ遅くなる。

 比較して、斧のエルフは思考回路がかなりさっぱりしている。気持ちよく斬れればそれでいいというような力戦型の相がある。不意に強いのはこちらだろう。

 遠方を望みがちな者と、近視眼の者。自覚しているのであれば噛み合わせは悪くない。

 

 

「上海勢考えると、とりあえず西安(シーアン)の方に向かうべきかしらね。言っちゃ悪いけど、上海勢はガラ悪めだし」

 西安は泰山からかなり西。内陸部の都市。皇陵都と言ったか。割合大きな都市のはずだ。

 

「燕都は初心者向けの面もあったし、上海の方が高難度のイベントは多いから、気が立ってる人多いのよね」

「最前線ギルドが集まれば火花散らすのは当然だろ」

『訳知り顔だな。いや、保有財を考えると経験があって当然か』

「日本にいた時は〈吟遊詩人(バード)〉では最上位ランカー級だったからな。コンテンツ最前線でもバリバリ戦える不人気職ってこともあって、そういう話に無関係ではなかったな。戦績でならこっち来る前の〈吟遊詩人〉日本トップ30には入ってたと思う」

 

「〈吟遊詩人〉としての腕なら、索峰は中国サーバーでも上から数えた方が早いわよ、既に」

「そうか?」

「大手に索峰連れてった後にそう言われたわよ、何回も。また連れてこいともね」

 

 1人で集められるとは到底思えない〈幻想級〉の武具や財物を多数保有している狐だ。

 相応に強力な集団に所属はしていなければ集まらないだろう。

 

「今、この世界来てから10日ちょいよね? さすがに西安先回りされてないわよね?」

「ないだろ。燕都から近くて、重要地点の泰山ですらプレイヤー皆無だ」

「なら燕都経由して西安をとりあえず目的地にしとくわ。さらに南下するかは西安着いてから考えるってことで」

「王凌清さんにも、王燁ちゃんに世界見せてやれって言われてるし、な」

 

 

 王凌清が父親として、娘の扱いで願ったこと。

 せっかく優れた身体を得たのだから、街にいるよりいろんな場所に連れ出して体験させてやってくれ、是非に、と要望された。

 元の世界に戻ることになっても、異なる文化圏で、見て、触れて、苦労して、なにかを成すことは必ずいい経験になると。

 学にはならないかもしれないが、人としての厚みが増すはずだと。

 

「早く終われば仙境まで戻るつもりだったけど、もう諦めたほうがいいわよね」

「そうだな。寝るか」

「索峰、あんたは見張りね」

「まあ、そう来ると思ったよ。ヘイト全力低下状態でモンスターはどういう反応見せるのか知りたいし、今晩はやるよ。角端もいるから、そうそう近づいてもこないと思うが」

 

 上や横に並ぶもの数少ない獣の長である。小物は避けて通る。

 逆に負けん気の強い大物を呼び寄せることもないわけではないが。

 

「角端、モンスター避けみたいな結界展開できたりしない?」

『可能ではある、が、まだ主人が保たぬ。もっと位階を上げねば』

「まだまだ熟練度不足ってことね。いつか使えるように頑張ってもらいましょ。そうしたら野宿もだいぶ楽になりそうだし、行動範囲も広くなる」

『崔花翠嬢や狐は、できぬのか?』

「あたしは無理」

「自分1人なら装備の工夫で対モンスターステルスに近いことはできる。パーティ単位となると、現状のヘイト上昇率を抑える援護歌と、上がったヘイトを個人単位で下げる特技があるぐらいだな。つまり、もうやってる」

 

 2人とも術師ではないので聞いたところで元より期待薄だ。

 あるなら先にやっていただろう。

 

「無理して野宿する必要はないけどさ、ある程度技術は確立しておきたいのよね。今回みたいなことが起きるかもしれないし」

「食い物と住処、寝床に問題抱えていては、おいおいつらくなってくるのは目に見えてるからな。腰据えて問題に取り組める状態にしたいとこだが」

「その目処も立たないのよね」

 

 このような嘆きを彼らから何度聞いただろう。それほどに余裕がない。

 泰山に連れてきてしまったことが、他の冒険者から得られる情報や発見を遮断したこともあり、道を開拓させるがごとく知恵を絞らせている。

 我が大きな原因でもあるため、慰めることもできない。

 

「あー、もう寝るっ。眠いっ! お先っ」

 唐突に宣言して去っていく。気まぐれとはおそらく違う。単純に眠かったのだろう。

「翠姐おやすみー。いいよ項樊さんも角端も寝て。いや王燁ちゃんのために起きる必要あるかなもしかしたら」

 

 

 ひとつ、狐に聞いておきたいことがあった。

『狐、あの鉄の塔を見て、なにを思った。なにか不穏な気配を感じたのだが』

「おう、よく見てたな」

 ちょっと驚くような表情を狐はした。

 

 狐が、この鉄の塔を見て閃いたような表情を一瞬だけ浮かべて、その後になにかを考え始めたのを、我は見ていた。

 その直後に大陸を跨ぐ念話の存在が明らかになり、すぐに表情を変えていたが。

 

『狐を警戒していた我だけが気付いたことだと思うぞ』

「項樊さんの前で言っていいものか、って考えでもあるんだがな。この祭壇ぶっ壊したら、もしかしたら後々の憂いが取り去れるんじゃないかと」

「やめてくださいよそんなこと!」

 通訳を放棄して、項樊は狐に詰め寄った。

 

「いや、やらないって。やらないけどさ、祭壇壊したら、地域支配の封禅の儀を行えなくなるでしょ。ギルドウォーシステムを成立させないことができるんじゃないかと思ってな。

 電波塔だし、角端が自分に落とした極大雷撃クラスの一撃があれば内部部品もろとも復旧が相当難しいところまで破壊できそうだし、なんなら自分1人でも手当たり次第に機械壊してみるのもありやもな、と」

 

 多少予想はしていたが、派手に物騒なことを考えていたようだ。

 

「いや、本当にやめてください。そんなことをされたら、我々の存在意義がなくなってしまう」

「完全破壊すると修理再建は難しいということになるんですかね? これはいいことを聞いたかもしれない」

 

 項樊が戦慄している。

 どのように維持されてきたかはわからぬが、この世界には稀な技術が使われているのだろうことは建造物の特異さから一目瞭然。

 

「ここまで言っちゃったから、ねえ。項樊さん、教えてくださいよ。余計な修理したくなければ」

 

 なんという投げやりで雑な脅迫。なにを聞きたいのか。

 余計なことを狐に聞いてしまったようだ。

 それにしても、ここまで豹変するような者であったろうか?

 

「あの、角端様、この方を止めて頂けますか」

「角端が自分を抹殺するより、でかい攻撃何発か祭壇に叩き込む方が先だよ。屋根の上のランプまだ灯ってるし、王燁ちゃんもまだ中にいるっぽいね。角端が制止するにしても、祭壇に寄っていけば角端の雷撃も誤爆しちゃうかも」

 主人すら材料にするか、この狐。

 

 小憎たらしいことに、〈武甕雷(タケミカヅチ)御史(ぎょし)〉を装備したままで、確かに倒すのに多少時間はかかるだろう。

 計算かこの場の思いつきか知らぬが、よく回る頭だ。

 縋るような目で項樊が我を見たが、粛正に時間がかかること、話がどうなろうと衝動で動く者ではない、そこそこに口も固いだろう、と言ってやるしか手立てがない。

 

『なにを聞きたい、狐』

「項樊さん、確認したいのは2点。ひとつ、封禅の儀が行われておらず、地域の主が決まっていない状態で祭壇を破壊した場合、なにができなくなるか。ふたつ、封禅の儀が行われて、地域の主がいる状態で破壊した場合、どうなるのか」

「どちらにせよ破壊する選択肢じゃないですか!」

 

「明日明後日には泰山出ますし、すぐに戻ることもないと思いますが、破壊して去るということはしませんよ。

 予防もしくは対症療法として、可能性として知っておきたいだけです。それに、自分がパッと思いつくぐらいですし、似たようなことを思いつく人はいると思うんですよ。

 封禅の儀行ってから祭壇破壊すれば代替わりできなくなるから独裁可能じゃないのと。この祭壇を見て考える人は、少なくないんじゃないかな。考えの浅い人が相談なしにやりかねないところもあり」

 方法は褒められたものではないが、狐なりの思慮はあったようだ。

 

 

 どういう頭の構成をしているのか、狐の性根の底部を相当掴んだ気がする。

 目の前の物事を考えるより、広く遠く物事を考えがちなのは確定した事項。

 余計なところまで気が回って苦労する一方で、肝の据わったところと小さいところが混在している。

 

 中距離以遠の戦闘を得意としているのは、元からの気質かあとから身についたものか判断はつかない。

 特化技能も持っており、幕僚や|領袖〈りょうしゅう〉といった職につけるにはいてもいい素材。

 遠くを見るだけに、ひとつの手段に固執せず常に複数の角度から探り手を入れるので、着地点をどこに設定しているのかが大変読みにくい。

 使われる立場にいるのは、適当ではあるだろう。

 人としての器は小さくはないだろうが、|歪〈いびつ〉でねじくれている。

 

 

「で、改めて。封禅の儀が行われておらず、地域の主が決まっていない状態で祭壇を破壊した場合、なにができなくなるか。ふたつ、封禅の儀が行われて、地域の主がいる状態で破壊した場合どうなるのか、教えてくださいよ」

 項樊から目配せがあったので、いつでも凶行を制止できるように、準備だけはしておく。

 

「……気乗りはしませんが、過去に例はありましたので、どちらも回答できます。

 まず、地域の盟主が不在で祭壇を破壊した場合、封禅の儀、全土への通達、超遠距離通話、それら祭壇で得られる権能が使用不可になります、

 地域の盟主が既にいた場合、盟主から見て敵対勢力の冒険者の方が破壊に成功した場合、盟主不在扱いとなり、恩恵やその他権能が停止されます」

 

「どちらにせよギルドウォーシステム自体は祭壇破壊で一時停止は可能。過去に破壊例があるってことは復旧もやっぱり可能と。具体的にはどれぐらいで復旧できますか?」

「6ヶ月以上はかかりますが、完全再建となっても1年はかからないかと」

「ゲーム時間だと半月から1ヶ月か。こっち時間ではそれなりに長いから、やっぱり祭壇破壊は有効な手ではある。今すぐにやる意味はさほどないだろうけども」

 

 凶行、と定義づけていいのか、この話の流れ次第では、やはり祭壇破壊に及ぶことも頭の中にあったのだろう。

 きっかけは我の余計な詮索ではあったが、適当にはぐらかすこともできたはず。

 我を横に置いたまま項樊を問い詰める理由はわからない。情報を聞き出すだけなら我は不要だろうに。

 信頼を我に取り付けるためのものか、我を一枚噛ませることでなにか利益があるのか。

 

 

「仮に、封禅の儀をどこかの団体が行なって地域支配を宣言したとして、どうすれば祭壇破壊を伴わずに地域支配を停止もしくは解除できるんでしょうか?」

「封禅した団体が指定した君主を、ギルドウォーシステムの範囲内で他の団体が直接撃破するか、定期ポイント獲得戦で封禅した団体を上回り、この祭壇を占領することです。

 ポイントを規定量集め、戦闘エリアを泰山山頂を含む範囲に指定し、祭壇破壊による停止を成功させた場合、地域支配は解除できます。ただし祭壇攻撃を選択した団体に所属して攻撃に失敗した場合、しばらくギルドウォー戦に参加できません」

「祭壇破壊はちゃぶ台返しの一手でもある代わりにペナルティもあると。クーデターか王宮襲撃みたいなもんだから、失敗したら一族郎党粛清扱いも当然か」

 

 

 唐突に、狐が視線を上方へ持ち上げた。

「お、ランプ消えてるぞ。王燁ちゃんも通話終わったっぽいな。ならそろそろ切り上げるか。ぼちぼち有意義な話でした。ありがとう項樊さん。祭壇にはなにもせずに帰りますよ」

 

 必要なことは聞き終えたのか、狐は唐突に話を打ち切った。

 あからさまに安心した表情をしながら項樊は肩の力を抜いた。簡単に表情を崩すあたりまだまだ若く未熟。

 

 狐にとって、満足のいく内容だったのだろうか。

 真意を全て喋ってはいないだろう、とは、思う。

 なんらかの意図は感じるものの、言動に一貫性が見られない。

 

 

「そういえば、索峰殿は既に狐仙(こせん)認定は受けておられるのですか? 泰山を訪れる狐尾族の戦士や術師はよく口にしておりましたが、索峰殿は興味無さげな様子でしたので、ふと」

「あれですか、狐尾族限定で挑める〈東嶽娘娘(とうがくにゃんにゃん)難科挙〉の高難度クエスト」

「それです」

「以前にやってみろと存在を教えてくれた梅石という人がいまして、全て達成しました。それがなにか?」

「ははは、相当な数の狐尾族が一敗地に(まみ)れる試練を修了されておられるのでしたら、立派な狐仙ですよ。もう信仰される側ですな」

 

 搦め手だけを大量に用意しておいて自分が餌になる性根の捩じくれた野狐かと思えば、存外に位が高い。

 武具や言動を見るに、修めている仙術は月華側、陰属性寄りだろうか。

 

「狐仙ってそんなもんなんですか?」

「狐ではあっても仙人ですから。我々にとって、仙、の号は神に近い」

 索峰という狐尾族が狐仙であるならば五大仙で、瑞袞のいう通り、信仰を集める側。

 財をもたらし、福を呼ぶ。狐仙であれば、人を飢えから救う。なるほど思い当たる節がある。

 冒険者の職業には〈道士(タオマンサー)〉があるが、あれは仙人になるための修行の身である。

 

「柄じゃないな、いつの間にか神の真似事になってたとは」

「索峰殿はそうかもしれません。とはいえ頭のどこかには留めておかれるべきかと。狐仙というものはそういうものだと」

 

 

 いまこそ七尾であり、獣としての位は我の方がまだ上ではあるが、九尾になれば我に近い瑞獣の域にも至る。

 霊力を持つ獣として見た場合、既に相当高い位置に到達している。

 150歳に達する程度であるという話であるから、天空には通じず地狐ではあろう。

 もっとも、天狐空狐に至るより、九尾の化け狐になる方が早いかもしれぬが。

 半ば以上に幻獣の側へ在りようを傾かせている、その神格の高さには気づいていないようだが、これは言わない方がいいのだろうな。

 角の立つ対応は収めてもいいが、警戒を解くにはまだ遠い。懸念材料が増えた気すらする。

 

 

「狐仙であることは、ひけらかすものでもないだろうとは思いますが」

「目立つ角端様もおられますし、索峰殿のいささか豊か過ぎるようにも見える尻尾は霊力の誇示にもなるでしょう。詳しい者には悟られることもあるかと。

 仙人、神獣といった存在はそこにいるだけで注目を集める存在です。少なくとも大地人においては」

「徹底して隠し通すべきだなこりゃ」

 

 

 正体不明意図不明の威圧感を伴っていた雑な圧迫交渉のときの空気はもう纏っていない。

 主人以外に利用されるのは我も御免だ。我が動くことで主人に益があるなら考える余地もあるが。

 自由を好しとする〈冒険者〉である狐も、祭り上げられたくはないのだろう。

 

 惑わし、誑かし、化かし、そして気まぐれ、狐尾族はそんな種族。

 掴み所のない性格をしているわけではない。性根はひねくれ者の苦労人と、狐尾族としての索峰の実体はわかりやすくはある。

 それにしては、見えて触れて掴めるのに、なにを触っているのかよくわからない、そんな印象が拭えない。

 疑念を持って観察すると、どうも深井戸の底を覗くがごとく。

 

 力量はあろうが、英雄や傑物ではなく、魍魎(もうりょう)寄り。

 主人を含む一行の手綱を握っているのがこれだと思うと、不安が先に来るのは我の穿ちすぎではないだろう。




星辰−せいしん
星、星座





ログホラ自体には関係ない索峰周りの用語解説的な話


天狐
霊力を得た狐のこと。
中国では主に1000年以上生きた狐を指し、日本では霊力を得た狐の最上位。
神に等しい存在。

空狐
天狐より格の低い霊力持ちの狐。
だいたい500年以上生きた狐。1000年以上とも。
ここより上は善寄り。
もはや肉体を持たず精霊としての在りようになる。

地狐
狐狐より更に進んだ狐。
100歳〜500歳の狐を指す。
索峰の現在の位置はこれ。

気狐
修行等で野狐より進んだ能力を持つ。

野狐(やこ)
野良の狐、および狐仙となるために修業中の狐を指す。
狐憑きと呼ばれるものは概ねこいつと気狐が起こしてると言えるはず。



霊狐
呪術者や陰陽師等が使役する飯綱(イヅナ)管狐(くだぎつね)の分類的総称。
当作品における索峰の霊芝狐はここに分類される。

狐仙
仙狐ともいう。
雑に言えば化け狐。
泰山において狐が仙術を学ぶ試験の逸話が実際にあったりする。
これに合格できないようでは野狐。

月華
月の力。
霊力を持った狐は太陽(日精)から力を得て変幻や仙術を獲得するそうな。


わりと日本と中国の伝承をミックスしてる。


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幻獣、姫

『ログ・ホライズン』幻獣記
最終話+ほぼ等量のあとがき。


「お世話になりました!」

「いろいろとありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそ、貴重な機会を頂きました。皆様ご壮健でありますよう」

「またお越しになってください」

 

 4人と1頭が足どり軽く山を下っていく。あっという間に山の起伏に隠れて見えなくなった。

 

 泰山仙境を訪れる〈冒険者〉にしては珍しいほどいろいろと話をしたものだ。

 瑞袞(ずいこん)項樊(こうはん)、それぞれが知る冒険者像からは著しく離れた、よく喋る者たち。

 

 冒険者は、もっと淡々と用事を済ませ、淡々と依頼を消化し、強いモンスターが出たと知ったら大挙して襲いかかる存在。

 冒険者同士ではよく話すが、我々とは必要最低限しか話しかけてこなかったものだ。

 

角端(かくたん)が来た時点で非日常ですけどもね、瑞袞先輩。口ではまた来るように言いましたが、正直二度と来るなっていう」

「辛辣だな?」

「気まぐれ神獣の角端は言うに及ばず。索峰っていう狐仙(こせん)も、あんな突破させる気ないだろって難物試練を突破するだけあって大概に頭おかしい。角端と狐仙、気まぐれな強者が2人で牽制し合ってて悪夢が見れました。間で通訳する身にもなれってもんだ」

 

 

 狐仙の認定を受けるための依頼(クエスト)、〈東嶽娘娘(とうがくにゃんにゃん)難科挙〉は狐尾族限定のもの。

 気の遠くなるような膨大なアイテム納品を経てようやく1回の挑戦権が得られる。受験料の時点で軽い気持ちでの参加お断りの高難度。

 

 受験料のとなる納品までは周囲の協力が得られるが、本試練は単独参加が必須であり仲間の協力は得られない。

 内容も、個人で討伐しに行くには荷が重いと言われるボス級6種7頭と、弱くはない取り巻きを補給なしの連戦でことごとく平らげるボスラッシュ形式、しかも時間制限あり。

 ご丁寧に1体撃破ごとに試験官たる東嶽娘娘が受験者の強化効果(バフ)を解除するという嫌がらせへの念の入れよう。

 

 トドメと言わんばかりに、どのボスがどの順で来るかは参加しないとわからず、5体撃破した後に出て来る6種目は2頭同時であり取り巻きも2倍。

 残り時間に追われ、矢尽き剣折れ魔法の源たる(はく)すら少なかろう状態で相対するこれは、心をへし折るに十分足りる。

 

 救済措置としては、取り巻きを撃破すれば蘇生はされないこと。

 とはいえトータルでの時間制限もあるのでのんびりと取り巻き掃除はしていられない。

 

 

 狐尾族の種族特性も試練難易度を上げる一因となる。

 元来狐尾族は魔力への適性が高く、道士(タオマンサー)森呪遣い(ドルイド)付与術師(エンチャンター)といった、単独で戦うにはやや不向きな後衛職に向く。

 

 かくして〈東嶽娘娘深科挙〉の成功率は5%に満たないという。

 ゆえに狐尾族の〈冒険者〉において、狐仙の号は仙君の証であると同時に強者の号である。

 これをもって狐尾族は極めたとする者もいて、狐仙になった後に行方知れずになる例も多い。

 また狐仙となっても繰り返し受験し達成する者もいる。

 

 成否を問わず、挑戦した者から瑞袞がよく聞く感想は「これ考えたやつ殴りたい」。

 挑戦権の難易度から再受験に及び腰になる者が多く、その難易度を先行者から聞いた他の狐仙志望の狐尾族が絶望するとも聞く。

 どのようにして達成したのか、聞いてみたいものだ。

 

 

「〈霊芝狐(れいしこ)〉につきまとわれていたのはそういうことか。合点がいくな」

「野狐が狐仙に弟子入り希望、もしくは庇護を求めたか。どこにあれだけ潜んでいたのやら」

 

 項樊が聞いたところによると宿にした廟にまで入って来たという。

 〈霊芝狐〉は害のない種で、要求を満たせば珍しい恵みを齎すがそもそもあまり人前に出てこない。

 

 〈東嶽娘娘深科挙〉他、泰山における幾つかの高難度試練受験への裏口受験票となる物を持って来ることもあり血眼になって探す者もいたものだ。

 それで本試練が楽になるわけではないのだが、前提となる部分を省略できるのは魅力的であったらしい。

 

「いい経験には、確かになりましたけどね、。あんな胃の痛いことなら何回もはごめんです。角端の幼い主人にしろ、狐仙の上司の女にしろ、手綱はしっかり握っておいてもらいたいもんです。どちらも御せているとは言えなさそうですが」

「おかげで色々喋ってくれたからいいではないか。冒険者に国家転覆級の政変が起きていることと、角端の出現は、皆に周知する必要がある」

「そこそこに情報くれましたけど、神殿のこと教えちゃいましたから等価にはならないんじゃないです? さっさと騒動が収まればいいですけども、冒険者はアクの強い奴多いからなあ。角端は明らかな凶兆だ、考えたくない」

 

 冒険者に降りかかった危機がすぐに収まると思えないことは彼らも予想しており、詳細は語らずとも、面倒事が起きたことは隠していなかった。

 腹を割って話すほどの信頼関係を築けなかったことは残念だがいろいろと重大情報を漏らしてくれているので、いずれ勝手にわかることもあるだろう。

 

「〈霊芝狐〉の大量出現も不思議な話ではあるんですが、山頂近くで〈明星白貂(みょうじょうフェレット)〉を女の森呪遣いが捕まえたって、昨晩神殿行く途中に話してくれましたよ。〈霊芝狐〉の群れに紛れてたって言ってたんですけど、〈明星白貂〉って深層が生息域っすよね?」

「そうだな。山頂付近で見られたことはなかったはずだ。日の光を浴びず育つから白い」

 

 貂の類は泰山全域で見られるが、一生を深地で過ごすと言われる〈明星白貂〉はアルビノ種に近い進化を遂げたという。体毛が白くなったことで逆に暗所で目立つようになったため個体数は少ないようだが。

 それでも猛者の多い深層環境に適応した生物。小さな姿ながら底力はあり、地脈に近いところで育つからか魔力も強い。

 しかしながら、山頂付近、もっと言えば地表付近で目撃されたことはなかったはずだ。

 

「また奥の方で変なこと起きてなきゃいいですけども」

 

 泰山の地下にある洞窟は広くさながら蟻の巣。数十年単位で〈冒険者〉らによって探索が行われているものの全容が見えていない。

 天然部分と古代の文明による手が加わった部分が広大な洞窟内で混在しており、防衛機構として遺された召喚機構が生きていたとか、深部で永い休眠に入っていた古代生物の巣を掘り当ててしまったとか、未発見であった部屋を掘り当てた際に機構を壊し封印を解いてしまったとか、それらに対処した結果、副次的に地下水脈を刺激したり地底湖の底が抜けて地形が変わっただとか、なにか異変が起きた事例に事欠かない。

 

 召喚機構から生み出された生物が逃げ延びて野生化したと思わしき例もある。

 かつての文明人たちはこの地下になにを置いたのだろうか。

 

「大型獣が縄張りを移動したぐらいなら可愛いものだが」

「それでわざわざ地表まで来ます? 一匹だけだったみたいですし、好奇心旺盛だったか道に迷ったかのほうが確率は高そうですが。楽観はしませんが、かといって深部調査に送り出す〈冒険者〉がいないですから。なにか起きてても備える以外ないですけども」

 

 泰山仙境に住まう仙人や修験者では調査に赴けるほどの戦闘力がない。人数もそう多くない。

 瑞袞にできることと言えば、調査令の発布と地表の観測のみ。

 頼みの調査令は受ける冒険者がいないのでいつ受諾されるかわからない。

 

「依頼すればよかったか、角端と愉快な仲間たちに」

「受けたとは思えんな。早めに燕都に帰りたがっていた」

「でしょうね」

「依頼を受ける者に強さ以外の条件はつけたくはないが、あまり探らせたくはない相手でもあったな」

「ああ、そっちの理由でも不適格な人選になりますか」

 

 何事もなければそれでいいのだが。

 もしなにかが起きていた場合、いろいろと含むところのあった彼らでは正しい調査結果を明かしてくれるか怪しい。

 角端がいることも不利な材料になる。角端の存在が他のモンスターを遠ざけ、もしなんらかの大量発生ケースであっても間違った調査結果を持ち帰る恐れがある。

 

 

「なにが起きているにせよ我々がやれることは多くない。残念ながら」

「歯痒いこった、まったく」

 

 瑞袞としてはギルドウォーによる〈冒険者〉同士の潰し合いはあまり良いものとは思っていなかった。

 しかし泰山に活気があったことも事実であり、常駐していた〈冒険者〉らによって広義で獣害と呼べるものが全て鎮圧されてきたことには感謝がある。

 

 静かなことは良いことだが、そのせいで安心はできない二律背反。

 なにか異変が起きているのであれば、それが大事にならず潜伏しておいてくれと〈大地人〉の神殿管理者として祈るばかり。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「いいところでしたね、泰山」

「そうか?」

 

 見晴らしよく、静かで、涼しくて。

 現実世界で人気の観光地となり、昔の人が大事な場所として祀った意味も、郭貂麟(かくてんりん)はなんとなく理解できた気がしていた。

 

 泰山仙境からサクサク下山で泰山砦、索峰(さくほう)さんの号令一下に果物を買い足し、そのまま出発。

 目標地点は燕都(イェンドン)方向、どこかの村落。できることなら燕都からダッシュで駆けこめる距離の。

 

 それにしても。

「行きに比べて、モンスターが出てこないような?」

「〈応鳳霊麟徽(おうほうれいきき)〉あるからじゃないの?」

「ああ、そういえば」

 モンスターとの遭遇率を下げる〈応鳳霊麟徽〉は行きにはなかったな、と思い出す。

 

 すると王燁ちゃんが手を挙げ、停止を促した。

『祭具の効果もあるだろうが、同じ道を戻っているからな。(われ)がしばらく前に通ったのだ、まだ気配は残る』

「うぉ」

 

 王燁ちゃんと角端(かくたん)以外の全員が、目を剥いた。

 少女の声から聞きなれない硬い口調、少し行き過ぎて止まった王燁(おうよう)ちゃんのきょとんとした表情はどちらのものか。

 

「幻獣憑依の入れ替え使うようにしたのか」

『喋るのに楽だからな』

 それはそうだが、先に一言ぐらい欲しかった気もする。

 

「それじゃ、王燁ちゃん、いま角端の四足で走ってるってこと? 転ばない?」

『いや、完全停止してから入れ替わった』

 

 角端の自己主張の強さを見ていると、主従の関係とはなんなのか何度でも疑問が湧いてくる。

 反省の色が相変わらず見えない。改善するのだろうか。

 

「どうやって交代打診したんだ?」

『ちょっとばかり合図を決めてな。主人の足先に軽く電撃をな。パチパチといったぐらいだが』

 それはそれで器用なことをしている。

 

「ネタスキルのはずだったんだけどなあ。結構やれること多いんだな」

『我の特異性もあるがな。幻獣憑依の等級を冒険者の策定した基準に当て嵌めれば、秘伝よりも上ではないかと思う』

「幻獣憑依に名前借りただけで、別スキルみたいなものよね。Ex幻獣憑依と言えるかしら」

「固有スキルじゃないですか? 角端入手で解放される要素ですし、CPUの敵が使うスキルと冒険者の使う同名スキルで性質自体が違うことってそれなりにありましたし」

「自動発動って言ってたからそういうことになるのか。冒険者が発動してる幻獣憑依じゃなくて、角端が自前で持ってる幻獣憑依を王燁ちゃんも入手時点からアクティブに使えるようになる、と」

 

 ここまで角端が賢いと、システム上ではできなかった悪用(なのか?)も、できそうな感じ。角端が、だけれども。

 

「角端よ、さっき言ってた〈応鳳霊麟徽〉とは違う方のモンスター避け。気配が残るとは?」

『知っての通り、我は生態系において限りなく最上位に位置する。足跡、魔力行使の残滓、そういった生物強者の痕跡に対して本能で警戒されるというだけのこと。

 貴様らとて、新しい巨大な足跡や大群の通った跡があれば警戒ぐらいはするであろう? 泰山砦付近に入るまでは幾度も戦闘しているのだ、気配は濃く残る』

「なるほど」

「ねぇ、そろそろ、いかない?」

 

 意識を取り返した王燁ちゃんの一声で、3人顔を見合わせ、各々の騎乗生物に蹴りを入れる。

 変化が見た目に現れず、奇妙な感覚だけが残る。

 

 

 〈応鳳霊麟徽〉の敵愾心上昇軽減という実質エンカウント率低下効果と、残留しているらしい角端の気配によって、泰山周辺だけで数十あった行きの戦闘がまさかの帰りゼロ。

 拍子抜けするほどにあっさりと泰山の範囲を抜けた。

 

「ねえ索峰、これたぶん燕都まで宿なしで行けるわよね? 対人が無ければだけど」

 行程としてはまだ半分も来ていない。しかし行きの6割7割の時間を占めた泰山周辺は既に抜けた後。

 時刻も昼にはまだ時間があるはず。雲が厚いため陽は見えないが体感10時過ぎ。

 

「雲暗めで風もあるから雨降りそうな気がするな。速度上げて降られる前に燕都に突っ走るか、雨宿りも兼ねて早めにどこかに寄るか、どっちがいい」

「〈強行軍〉使ってもらってそのまま行くわよ。間に合う。たぶん。補助防具もあるし、角端の言う通りならモンスターにも遭遇しにくいはず。それにあの速度なら、PKいても気付いて迎撃態勢とる前に行き過ぎるでしょ」

 

 風はあるが、湿気のある重い風ではない。まだ余裕はあるはず。

 相手がプレイヤーであるなら、この天気は好都合ではないかとも思う。

 

「雨降ったら雨降ったで、既に外にいる人の動きは鈍りそうですし、普通撤収じゃないです? それに朝から徐々に雲が厚くなってますし。明らかに雨降りそうな空模様で遠出したがる人もあんまりいないと思います」

 

 仮にプレイヤーキラーがいるとしても、この世界に来たばかりで雨にも動じずに獲物を待ち続ける刺客さながらの根性が据わっている人は、存在を疑う。

 狙う相手もプレイヤーなのだから、獲物自体の数も減るだろうし。

 

「なので、燕都急行に賛成で」

「王燁はどっちでもー」

「2票燕都急行賛成が出てて王燁ちゃんが0.5票で過半数以上に到達。よって急行決定だな。反対票入れたいけど1人じゃ意味が」

「あれ、索峰反対だったの?」

「帰る途中にどっか村落寄ることも目的のひとつにしてたからな。行きもだけど」

 

 反対を強硬に主張しないあたり索峰さんの諦めは早いというか折れやすいというか。

 強硬に反対することはあるのだろうか。今度翠姐(すいねえ)さんに聞いてみようと思う

 

 王燁(おうよう)ちゃんと角端(かくたん)による召喚生物速度強化の〈強行軍〉と、索峰さんによる微弱なMP自動回復の援護歌〈瞑想のノクターン〉に、敏捷性アップの援護歌〈舞い踊るパヴァーヌ〉の3点重ね掛け。

 好意的にスキルを発動し、組み合わせたせいか、行きよりも走る速度が上がっている気がする。

 

 〈応鳳霊麟徽〉によるMP消費軽減とMP自動回復により〈強行軍〉の発動時間は飛躍的に伸び、王燁ちゃんのMPが2割を切ったあたりで1度下馬しておやつ程度の軽食休憩。

 泰山周辺ですら遭遇しなかったモンスターは昼食時点で直接的にはエンカウントせず、遠目や横目に発見したのみで、ちょっかいをかけられることはなかった。

 

 空模様は雲の色が更に黒く、ちょっと風が重くなっており、そろそろ余裕がなさそう。

 王燁ちゃんのMPが7割程度まで回復したところで休憩切り上げ再出発。

 角端いわく、何事もなければ休憩なしで燕都(イェンドン)まで行けるだろうとのこと。

 

 再出発直後、道の燕都側からダッシュで移動中の冒険者パーティの背中を発見し警戒度を上げ、しばらく距離を置いて追走してみたが敵意が無かったので、挨拶ひとつ残して追い抜いた。

 追い抜きをかける際、索峰(さくほう)さんと角端はちょっと怖いぐらいに警戒していたが。

 

 燕都に近づくにつれ、冒険者を見かける数が増えたものの、皆一様に燕都へ帰ることを優先している様子。

 冒険者を発見するたびに索峰さんと角端がすすき色と黒の毛を逆立てて警戒していて、疲れないのかと思う。

 

 それにしても、男衆の警戒度合いとは裏腹に、遭遇した冒険者たちからの私たちへの警戒がゆるい。

 〈強行軍〉の都合で角端に乗った王燁ちゃんが先頭を走っているからだろうか。

 荒事をしそうにない少女が先頭を走る女中心パーティ。脅威度は低いと見られるだろうと思う。

 

 徐々に大きくなる燕都の城壁。

 故郷と呼べるほど長くいたわけでもなく、見慣れた景色でもないのに、帰ってきたと郷愁に駆られるのはなぜだろう。

 雨が強くなってきた。あまりしんみりとしている余裕はなさそうだ。
















 長いお付き合いありがとうございました。
 『ログ・ホライズン』幻獣記、完結です。

 以降は、書き終えた段階での(←重要)
 『ログ・ホライズン』幻獣記、の反省点と裏事情と妄想を語るあとがきのようなもの。
 本編で補完しきれない設定を含みます。



***


 なんというか「俺たちの戦いはこれからだ!」な終わり方ですが、これでも終わり方としてはほぼほぼ予定通りです。
 燕都→泰山、で終わるつもりだったので、自分が書きたかったことは概ね消化しました。
 終わり方を決めて書き始めるタイプで、構想段階で、王燁と王燁父を会話させる、というところに最終到達目標を設定していました。
 締めの山場としては弱いのは自覚してます。
 あと、各話タイトル考えるのが思った以上に苦痛だった。



***


 書いていて、第1にして最大の反省は、郭貂麟のキャラ、個性が薄いこと。
 掘り下げも浅く、正直なところ、20万字近く書いておきながら今ひとつ作者がキャラを掴みきれておらず、書いている最中にも、郭貂麟が勝手に動いて話を作った、という場面に出くわさなかった。
 結局、書き終えるまで目立つ活躍の機会も与えてやれず、あえて何箇所か、郭貂麟がちょっと活躍する場面を挿入したレベル。
 厚底靴属性が途中で掘り下げ限界になった感があり、途中でひまわりの種好き属性を付与して味付けすることに。
 明星白貂を出した時点で、作者的には完結が見えていたので、ほぼ死に設定でも強化イベントのひとつぐらい入れてやらねばという親心。
 ハーフアルヴに設定したものの、ほぼそれを活かせていないこともあり。

 裏設定として、主要4人1頭のうち、単純な地頭では、角端≧索峰>>郭貂麟>>>(物事を深く考える壁)>>崔花翠>>>王燁、ぐらいで、結構頭いいキャラです。
 「エルダー・テイル」の知識が足りないため、「エルダー・テイル」に基づく事象への理解力で索峰に負けます。

 初期キャラとして登場していますが、役割としては、索峰に次ぐ説明担当。
 ベテランプレイヤー頭良い枠兼狂言回しとして索峰がいますが、それに全部説明させるのはバランスが悪いのと、索峰の出番が爆増してしまうため分散させる目的もあります。
 同時に、多少なりとも話についていけるキャラは必要だった。

 女の子にした理由は、ギルマスの崔花翠が女性で、後で角端と王燁が出ることを確定事項として書き始めたため、同性で歳が近いほうが扱いやすそうだと見たからです。
 また、王燁と比較的歳の近い少女を配することによって、初対面で警戒MAXな角端からの警戒度を緩める存在という役割もあります。
 索峰と崔花翠がともに成人しているため、そのままだと王燁角端コンビに接点が遠い感じが。



***



 第2の目立つ反省、梅石の存在と扱い。
 最序盤でセリフ出す癖にその後は空気。
 作者的には、上海に飛ばされたプレイヤーが味のする料理の作り方を発見して、索峰に念話を飛ばして翠壁組の食事事情解決、と見込んでいたものの、そこまで書かないまま終わってしまった。
 
 大きな原因として、完結時点で、作中時間はゲームに転生してから18日しか経っていない超スローペースになってしまったこと。
 日数管理もやっており、書いていたときの5話構成では、

1日目昼12時転移
2日目郭貂麟寝坊
3日目なし

4日目戦闘訓練開始
5日目なし
6日目郭貂麟の目指す方向性の会話
7日目王燁と角端追加

8日目キャンプ用品購入
9日目燕都出発、不本意な泰山砦入り

10日目瑞袞と会食
11日目泰山登山、索峰1ダウン

12日目訳者を交えた角端との会話
13日目なし
14日目なし
15日目なし
16日目索峰討伐、角端撃破
17日目神殿通話
18日目燕都へ戻る

 と、何日か描写外の日があるのにこの遅さ。
 原作だと、シロエたちはにゃん太と合流しセララを救助完遂したかどうかぐらいのタイミング。
 実のところ、とんでもないスピードで旅行動していたことになります。
 この行動のスピード感の原因は、中国サーバーの世界観というか、原作カナミゴーイーストやクラスティタイクーンロードあたりで出てきているやや殺伐とした中国設定を基に。
 楽浪狼騎兵のギルドが見切りつけるレベルには荒れたってことで、アメリカでも1ヶ月で暴動で。
 燕都に対し、索峰は女性陣を荒事に巻き込ませたくないから見切りをつけており、崔花翠は闇夜の裏路地的な感覚を直感的に得て見切りをつけています。

 梅石の存在自体は、索峰のキャラ付けと世界観の説明上、ほぼ必須と言えるのですが、もうちょっとどうにかしたかった感はあります。


***



 細かい反省として、恋愛要素の排除のためにも、意識して索峰の活躍を削ったのですが、それでもまだ出番が多くなったのはちょっと気になったところ。
 男1女3に獣(オス)1で、角端の個別パートが最終盤まで予定していなかったため、ともすればハーレム展開になるのを、全力で避けかつフラグ折りにいくことに。

 感覚として、一応主人公は索峰、ライバル角端、ヒロインの崔花翠と郭貂麟、マスコット枠で王燁、といった感じ。ただ、明確に主人公主人公とはさせていません。
 完全に獣人化させた理由も、イケメン設定とかそういうものを読者の想像の中からも排除しにかかった結果。あくまで保護者の立場を崩させないように。
 PK相手には途中加勢で戦闘せず、雑魚狩りでは勝つが、挿翅虎に倒され、角端と相討ちという、大一番で勝たせないのも、バランスの問題。
 索峰の主戦場はバトルではなく説明と地の文です。

 ちなみに、狐仙の試験のくだり、元ネタとして、泰山で東嶽娘娘が狐に試験を課し、合格すれば狐仙、というものがちゃんとあります。
 泰山がイベント用地で、かつ索峰が強キャラであると説得力を持たせる意味があるのと、華南電網公司が伝承になぞらえたイベント配置をしているという説得力を増す要素として配しています。
 ただ明かすのが遅い。そしてあとがきで明かさないと絶対誰も気づかない起源。
 狐仙索峰は、幻獣記のタイトルにおいて、実は最初から登場していた、隠れた方の幻獣担当でもあります。




***




 崔花翠の話。

 コンセプトは水滸伝の李逵。もしくは李鉄牛。
 水滸伝における、二挺斧でバッサバッサ切りまくるむちゃくちゃ強い野生児系サイコパスおバカ。カナヅチ。水滸伝のバーサーカー。
 崔花翠の異名、「黒颱風(くろたいふう)」も、李逵の異名である「黒旋風(こくせんぷう)」からひねってます。
 その他、崔花翠に限らず、ところどころで水滸伝モチーフを忍び込ませています。

 バトルスタイルは二刀流兼投擲職人のハイブリット。
 投擲職人の方の要素を後半あまり出せなかったことは反省点。なお原典である李逵には投げ武器要素はない。
 攻撃範囲こそ狭いものの、豊富な手数と高いダメージ出力を誇り、討伐速度が速いことで範囲面のハンデをカバーする。
 投擲武器で多数の雑魚敵を自分に集めてから武器攻撃で一掃するのは常套手段。
 索峰が弓で遠くからもかき集めて引き連れたものを、横入りして即死判定持ちの攻撃で根こそぎ倒すことも連携としてよくやるパターン。

 崔花翠の行動は、理屈こねずに無理やり場面を変更させる力と強引さ。
 意識して索峰と対照的にしています。このことは作中でも何度か言及されていますが。
 頭良いことを索峰と交換してもいい、と思われる方もいるかもしれませんが、モチーフが短気直情型ということがひとつ、またチェスや将棋や囲碁等、長期予測が必要な盤面において(一緒くたにする気はありませんが)脳科学的に女性がやや不向きという話も加味しています。
 原作で意識されているか不明ですが、円卓の戦闘系廃人級ギルマス(=指揮官級、マリエールは巻き込まれた側につき除外)みんな男ですし。
 DDDのリーゼや高山三佐みたいな指揮可能な要職立場もいるっちゃいるけど。

 あと、14万字ぐらいまでは名前が「崔花翠姐」だった。
 索峰の呼び方が「翠姐」なので、不要な要素としてプレイヤー名自体から「姐」はとった。




***




 角端と王燁の話。

 王燁=振り回され系マスコット、角端=謎行動。
 このコンセプトは初期から決めていた。同時に、角端の謎に迫ることも作品の大きな流れとして組み込むことに。
 とりあえず角端に暴れさせるだけ暴れさせて、理由と理屈は説明パート書いてる途中に考え、矛盾起きそうなところをあとから微修正し、場面描写の追加もした。

 角端の謎行動については全部回収し切ったと思う。たぶん。
 この辺は原作のKRとガーネットの関係性から着想を得ている。Ex幻獣憑依については、理屈こねつつ中国サーバーの課金品独自路線ということに。
 サイズの変化も、安易な人化に逃げないためのこと。人化させる理屈とメカニズムの方が、こじつけるのが難しい。意義も感じられなかった。
 正直、人化させずそのまま喋らせる方が理屈の紐付けも楽だった。

 角端がゲーム時より強くなっていることへの回答は、郭貂麟の考察に加え、作中時間において日本でもまだ判明していない、フレーバーテキストの補正も加わっての強さです。
 〈気高き獣の長、召喚されてなお比類なき力を保つ純血麒麟種〉的なフレーバーテキストが角端についてます。
 王燁が気づいていない(忘れている)のと、他人から角端のフレーバーテキストが見れないのと、発想がなく検証不足のため、本編中では語られることがありません。
 単独契約補正+最上級設定の戦闘AIの転生コンバートによる良い頭脳+フレーバーテキストの盛られた設定=召喚獣として常識外れの強さに。
 仮に、王燁が召喚術師と相性のいい全身ガチガチ幻想級装備をして、熟練度も上がっていた場合、王燁を襲ったPK4人は、この世界では、王燁がなにもしなくても角端が単独で全て撃退できるぐらいです。

 また、郭貂麟と王燁が、MP大量消費による脱力感を感じる、またはそれによって行動不能になる描写は、原作におけるルンデルハウスが冒険者化する際にシロエが使用したマナチャネリングの際の描写や、マリエールが辻ヒール作戦でMP枯渇を繰り返して頭痛を起こした描写を参考に。
 これも作品内時間軸でまだ原理解明に至っていない事象。対策自体は当作中でもされていますが。

 王燁にとって角端の容赦ないMP強奪は、MPダメージ攻撃を受けることとほぼ同義。身体能力が上がったとはいえ元が8歳なので、苦痛耐性が弱く被害が大きい。



***



 索峰は、上でも述べた通り、作品内では潰れ役。
 戦闘スタイルでもっとも慣れているのは、援護歌特化ビルド+長弓。
 視野とバリエーションの広い支援特技のフル回転ばら撒きと、矢換装による状態異常付与またはダメージディーラーまで同時にこなすかつ、生存性も高い超一流の変態技能持ち吟遊詩人。

 方向として、中〜大規模戦闘向きの装備と特技群で、長期戦になればなるほど、味方の人数が多ければ多いほど影響が強くなる。
 中国サーバーにおいては、命中率を高め、長射程の音叉弓で、オールレンジからガンガン攻撃をぶち当てながらMP回復援護歌を音叉弓で強化して、高い生存性でそれを維持、とすることで、全体のMP総量を跳ね上げると同時に自身の支援特技のばら撒きも可能になる相乗効果。
 よって、作中の短期戦では持ち味が出ない。
 燕都→泰山砦の移動中では、戦闘描写をほぼカットしたものの、泰山砦近くで連戦しまくっていた際、索峰のバトルスタイルは、実は物凄く輝いていた。

 PK4人がかりで倒せなかった角端(PK受けた時より王燁の装備強化で相対的に強くなった)を、3対1の劣勢で撃破できる技量といえばヤバさは伝わるだろうか。
 もちろん、角端が、崔花翠や郭貂麟と協力する気ゼロだったこともあるが。
 ほぼ相討ちではあるものの、あれでも一応上げイベント。間接的に、崔花翠の力量の説得力を上げるイベントでもある。
 索峰と崔花翠の1対1では、崔花翠がほぼ一方的に相性勝ちする立ち位置。アンブッシュありなら索峰優勢。


 なお、索峰は中国サーバーに2年ほどしかいないものの、中国サーバー外部コミュニティにおいては、大規模戦闘に大きな影響を与えるレベルの非常に腕の良い吟遊詩人としての評価が既に固まっている。
 崔花翠が遠慮なく強いギルドの傭兵枠にセットで滑り込むため、多くない優秀な吟遊詩人としての技量と、崔花翠の(地雷としての側面も込みで)知名度に引きずられた形。索峰が大規模戦闘の方が向いているせいもある。
 ただ、中国語コミュニティでの話なので、自身への能力的注目に全く気づいておらず、物静かな一般吟遊詩人のつもりである。

 大規模戦闘における〈吟遊詩人〉は、援護歌を維持し続けて、かつ近くの仲間に支援バフをかけられれば上等レベル(原作の基準)。
 それを吟遊詩人+付与術師の幅広い支援バフでこなした上で火力まで出せるので、評価は勝手に上がる。
 索峰構築の特化ビルドは、安定するまでの道のりが長すぎて、かつ、極めても地味で、玄人好みの有用性はあるが、面白みはない、に属する。
 よって「到達点が地味・ソロ戦闘力皆無・それによる育成長期化・要求装備高級・ランニングコスト高い・要求技量高い」の育成心折スタイル。理論上強いが、育成面倒で真似するほど費用対効果は良くない。


 初日時点で梅石が、在野の人材として真っ先に勧誘をかけた理由でもある。
 転生2日目早朝で果物を大量売り払い大儲けに成功したのは、本人の預り知らない知名度も理由に含まれる。
 5話「中国サーバーの姿」で、移動中の翠壁不倒一行が目立ったのも、奇妙な取り合わせとは別に、「ああ、あいつらも巻き込まれたのか」という、崔花翠と索峰の知名度が多少影響している。


 書き終えてから思ったが、索峰に日本人設定は不要だったのではないかと思う。



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 なぜわざわざ、原作キャラ完全無視してさらに日本ですらない独自路線突っ走ったのか。
 原作を邪魔しない話を書きたかったのがひとつ、構想段階で、◯◯スゲー系にはしたくなかったこともひとつ。
 原作キャラ崩壊が怖いが、全キャラオリジナルならその心配なし、日本でやるとどうしても原作キャラ要素混じってきそう、なら中国でいいじゃん、の短絡的思考。
 燕都(イェンドン)と泰山を利用した理由も、原作で存在示唆されてはいるものの、扱われていないから。上海、大都(ダァドン)だと多少原作でなにがあったか言及されていて、自分が書く際の自由度が落ちそうだったためパス。

 原作のキャラや土地や関係性といった要素を切り捨てて独自路線に走ることを決めたため、世界観説明を原作に任すことはせず、原作未読でも読めるように書こうと務めました。
 結果としては、作者本人的には目論見は失敗。原作既読である必要はないが原作知識を多少必要とするぐらいの出来になった感があり、消化不良。
 原作知識なしで当作品を読み切って普通に把握された方がおられたら、読解力が凄いかと思います。
 実際、事前知識無しで読み進められるのだろうか、これは……?
 
 説明や設定突っ込みたがるところは癖。
 その人物から見て知りえない情報を、既知の情報として混同させることには非常に気を使ってはいる。
 文字密度平均50近いことの戦犯は村上龍と北方謙三。文字びっしりがまるで苦にならない性分のせい。
 正直、ネット小説の空行空けに違和感レベル。幻獣記書いてた時には場面切り替え時以外空行がない。
 自分が作品内に入れた空行にも違和感たっぷりです。
 そのため、基本軽く読み進められるものではなくなっています。


 また、全体として話の起伏に乏しいのも問題。
 起承転結の、起があって、承を完結までずっと続けてる感じ。
 話に引き込むインパクトは、作者から見ると相当薄味に見える。谷間は水たまりより浅く、山場は天保山ばりに低く。読者から見るとどうだったのだろうか。
 内輪で話が進んでることなので仕方ない面もあるが、起伏を作ろうにも、あまり要因を作れず。作者自身、感情を露わにする系の場面を組み立て、描写することが苦手という面もあり。
 展開としての予想外を提供することはおそらくできていない。
 たぶん、嵌る人には徹底的に嵌る内容ではないかと感じるが、万人受けはしないはず。


 作品で書き残したネタはまだいくつかあるものの、続きは、たぶん書かないかと。
 筆遅く、同時並行できる人でもないので。


 評価、批評ございましたらご存分に。
 褒められても叩かれても、正当なものであれば小躍りすると思います。



 長いお付き合い大変ありがとうございました。
 重ねてお礼申し上げます。




2019/1/10追記
改修完了。
原作の用語や備考的なものを多数追加。多少説得力を増せただろうか?

改行を積極的に加えて、「、」を大量に消去。
文字密度が48ぐらいから39ぐらいまで下落。
……あんまり変わらんな?


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