ボッチは衰退しました (ビ、ラムドおおおおおおおおお)
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1話
ひどい揺れでした。
昔は綺麗に舗装されていただろう道も、今では見る影もなく荒れ道になっていました。
道に無造作に散らばっている障害物をトレーラーが踏みしめるたびに、衝撃は荷台に座っているわたしにまで伝わってきます。
最悪以外の感想がないほどの乗り心地です。
荷台での旅はわたしが読んでいた小説などでは優雅のものとして書かれていたのですが、それを馬鹿みたいに信じてしまった自分が今では恨めしい。小説などの創作物を当てにしてはいけないと改めて再認識しました。
せっかく花が咲き乱れる街道を旅しているのに、お尻の痛みがひどくては楽しむどころではありません。
「素直に助手席に座っていれば…いや」
呟いてはすぐに否定します。助手席に座るということは、運転席に座っているキャラバン隊長さんとの否応もない会話にさらされることを意味します。人見知りで焦ると空回りするわたしにとって、それは神経を削る時間になるはずです。
心とお尻、削れて嬉しいのは後者でしょう。
ですが、そんなわたしの自分自身の精神を考慮した行動は意味を失ってしまったのです。
そう、今わたしの目の前に座っている「彼」のせいで…
今、体育座りでつまらなさそうに外の景色を見ている彼は途中でトレーラーに乗車してきました。
それはわたしがトレーラーに乗ってから一時間くらい経った時のことです。不自然にトレーラーが止まり、不思議に思ったわたしはキャラバン隊長さんに聞いてみることにしました。
そして、キャラバン隊長さんに同乗者がいると聞かされたわたしの心情は想像するに容易いでしょう。
わたしはその同乗者さんが助手席に座るのを手を合わせて願っていましたが、そんなわたしの願いをどうやら神様は叶えてくれなかったようで、同乗者さんはわたしと同じように助手席に座ろうとせずに、荷台に座ることにしたのです。
わたしはどうせ同乗者さんかキャラバン隊長さんのどちらかと否応もない会話にさらされるのなら、まだ乗り心地の良い助手席を選んだ方がいいと思い、それを実行に移そうとしたのでした。
しかし、よく考えてみるとそのような行動は同乗者さんに失礼だと思い、わたしは大人しく荷台に座っていることにしました。わたし自身がそのような行動をされたらとてもじゃないですが、いい気分にはなれませんからね…
同乗者さんが荷台に座るのはもう変えようのない事実です。ならせめてわたしは同乗者さんが荷台の後ろの方に座っているわたしに気が付かずに、荷台の前の方に座るのを期待しましたが、どうやらそれすらも叶わないようでした。
しかもよりによって同乗者さんはわたしの目の前に座ったのです。
これは流石にわたしも表情を苦いものに変え、露骨に嫌悪の感情を出してしまいました。
顔を顰めているわたしを見た同乗者さんは
「あ、わりぃ…」
と申し訳なさそうに呟いて、その場から立ち上がろうとしたのですが、運悪くトレーラーが動き出してしまい、バランスを崩したのかその場に倒れこんでしまいました。
それをバックミラーで見ていたキャラバン隊長さんは、
「危ないから、運転中は大人しく座っていなさい」
と少し怒りを露わにして同乗者さんに対して注意します。
これに対して同乗者さんは、
「す…しゅいません」
とすこしおびえた様子で答えます。
…噛みましたね。
同乗者さんは噛んでしまったことに羞恥心を覚えているのか、少し頬を染めながら、落ち着かない様子で外の景色を眺め始めました。
とここでわたしは改めてこの同乗者さんを観察してみることにしました。
髪は黒で短髪。寝ぐせが立っていて碌に髪の毛をセットしていないこと分かります。
目は……もうこの世のものとは思えないほど濁っています。例えるなら死んだ魚の目。学生時代の読んだホラー小説の挿絵にあったゾンビにも似ています。死んだ魚のように濁っていて、ゾンビのように腐っている目。一体どんなことをしたらこんな目になるのでしょうか。
顔はあの濁った目を除けば、美形と言っていいでしょう。目を除けば…ですが。
服装は白衣を纏っていて、まるで祖父のような恰好をしています。祖父とは何年も会っていないので少し記憶が曖昧ですが…それに唯一違いがあるとしたら、この方の白衣は祖父のと違って新品のように真っ白で皺一つないことでしょうか。白衣の中には絵柄のない青いポロシャツを着ていて、下は茶色の長ズボンを履いてします。こちらも白衣同様、新品のように綺麗です。もしかしたらどちらも本当に新品なのかもしれませんが。
靴はピカピカの黒いドレスシューズを履いていて、靴だけを見るとまるで今から舞踏会にでも参加しようとしているかのように見えます。
そんな風にわたしは目を細めながら、同乗者さんを観察していると、偶然にも同乗者さんと目が合ってしまいました。わたしは急いで目を逸らしましたが、おそらく同乗者さんはわたしと目が合ったことに気づいたことでしょう。
あぁ…恥ずかしい。
赤の他人と目が合ってしまう時ほど気まずく、そして同時に恥ずかしさを覚える瞬間はありません。それも偶然ではなく、わたしが相手をジロジロ見ていたせいなので、余計に恥ずかしく感じます。
わたしは顔を少し赤く染めながら、気まずそうに視線を外へと移します。
そして、わたし同様に同乗者さんも気まずそうに顔を赤く染めていました。
はてな?わたしは兎も角、同乗者さんが恥ずかしがる理由はないはずなのですが…
もしかしてわたしのような美少女と目があったのが恥ずかしかったとか…?自分で言ってて恥ずかしくなりますね。さすがに自惚れすぎです。
わたしがそんなことを考えていると、同乗者さんは突然何故か深呼吸をするとわたしに対して話しかけてきました。
「あ、あの…すまん。俺みたいなやつにジロジロ見られたら、気持ち悪いよな。俺、前の方に行くから」
「いや、あの。ジロジロ見ていたのは、わたしの方なのですが…その、すいません…」
「…え?」
「え?」
これは一体どういうことなのでしょう?
少し混乱してきました。
それに同乗者さんもわたしと同じように困惑しているご様子。
わたしはこの状況を打破するために、自分から話しかけることにします。
「あ、あの。今の会話を聞いて思ったのですが…」
「あ、あぁ…俺も薄々気づき始めたんだが…」
どうやら同乗者さんも気づいたみたいですね。
同乗者さんと目が合い、アイコンタクトを取ると、わたしたちは息を吸い、同時に言葉を発しました。
「「つまりわたしたち(俺たち)は二人ともお互いのことをジロジロと見て観察していた」」
「ということになりますね」
「そうだな…」
…実際に口に出してみると小恥ずかしいですね…。
「あ、あのさ」
同乗者さんにいきなり声をかけられ、わたしはビクビクと震えながら返事をします。
「な、なんでしょう?」
「お互い、この事は忘れることにしないか?」
「そ、そうですね…」
こうして、この一連の出来事はわたしの黒歴史として心の奥に何重にもロックをかけて封印することにしました。もう一生思い出すことはないでしょう。
さらば、わたしの黒歴史。
それから、同乗者さんとは一切の会話をしないまま現在に至ります。
同乗者さんとは乗車してから一回も話していないので(あの一連の出来事はなかったことになってます)、結果的に荷台に座るというわたしの選択は間違っていなかったということになります。わたしの聡明な判断によってわたしは精神衛生を保つことができたのですが、それはそれとしてこのお尻の痛みにはさすがにたまりかねるものがあり、運転席に向かって声をかけます。
深呼吸をひとつ挟んで、
「……あとどのくらいでちゅきますか?」
噛んでしまったのですが、どうやらキャラバン隊長さんは気づかなかったようなので特に言い直さずにおきます。知らない人と話すのはやっぱり苦手ですね。ちなみにキャラバン隊長さんは気づかなかったようですが、どうやら同乗者さんは気づいていたみたいですね。本人は誤魔化しているつもりでしょうけども、気まずそうな顔をしながら外の景色を見ている同乗者さんを見たら、嫌でも気づいてしまいます。しかし、本人が知らんぷりをするというのであれば、わたしも無理に追及する必要はありませんね…自ら墓穴を掘るような真似はしません。
「三、四時間かね。お天道さまが隠れちまわなけりゃね」
隊長さんは、振り向きもせずに答えます。
短くお礼をすると、わたしはこの馬車の上にあるであろう無骨な太陽電池モジュールに思いを馳せます。
このトレーラーは燃料電池と太陽光などを併用する、今ではとても貴重なハイブリッド・カーのはずなのですが、隊長さんの話を聞く限り常用しているエネルギー源は一種類(太陽光)だけなのかもです。
そう考えてみると途端に不安になってきました。
無料で同席させてもらっている以上、文句など言える筋合いではないのですが。
時速八キロほどの速度でのろのろと進んでいるこのトレーラーは果たして無事にわたしの故郷に着くことができるのか。
「あと四時間…」
考えるだけでお尻が痛くなってきます。
わたしはとうとうお尻の痛みに我慢できなくなり、腰を持ち上げるのですが、
「さっきも言ったが、立たないほうがいい。それで落ちたヤツもいるから。ちなみにそいつタイヤに巻き込まれてゆっくり死んだけども」
即、元の位置に戻ります。
死ぬのは嫌ですが、それでもお尻が痛いのは事実。
わたしはせめて気を紛らわせようと、路肩の無効に生えている花々を眺めます。
視界一面に広がるのは黄色い菜の花。
油の材料になったり、漬物になったりと色々便利な植物なのですが、近づくとアブラムシがびっしりついてたりして、昔のようにあの中に飛び込みたいとは思えなくなってしまいました。乙女心というのは劣化するものです。今ちょうど、わたしがこの荷台の旅に辟易しているのと同じように。
ぼんやりと外の景色を眺めていると、花畑からぴょこんと頭を出したものたちがいました。
「…………」
目があいました。
一秒くらいでしょうか。わたしを見てから、別の方を向いたかと思うと逃げるように頭を引っ込めてしまいます。
「…まぁ」
“彼ら”を見たのは、子供の頃以来になります。
あまりにも唐突で、一瞬の出来事でしたが、見間違えるはずもありません。
一目見たら忘れられない姿をしています。
持続するお尻の痛みも忘れて、わたしは笑っていました。
「こんなところにも住んでいるんだ」
生息可能なありとあらゆる地域に住んでいると目されながらも、滅多に人前には姿を見せない彼らです。その不意の遭遇は、わたしには幸運の兆しのように映りました。
彼らとは友好的につきあっていかねばなりませんね。
そんなことを考えていると、同乗者さんがわたしの顔を神妙な面持ちで見つめていました。
驚いているような、戸惑っているような顔です。
一体何が同乗者さんにそんな顔をさせるのでしょう?
同乗者さんは唇を震えさせながら、わたしに問いかけました。
「おまえにも…見えたのか?」
「はい?」
見えた?とは一体なんのことでしょう?
外一面に広がる菜の花のことを言っているのでしょうか?それとも今空を飛んでいる鳥のことを指しているのでしょうか?
それとも…
「妖精だよ…妖精」
なんと同乗者さんにも“彼ら”が見えていたようです。
「妖精さんですか?見ましたけど。…確かに“彼ら”が姿を見せるのは珍しいですが、そこまで動揺する人も珍しいですね。子供の頃結構頻繁的に見かけましたけど?」
「いや、そういうわけじゃなくてな。ただ、子供じゃないのに妖精が見える人なんて珍しいなと思っただけだ。俺の周りの人はあまり妖精と接触がないみたいだし」
「周りの人ということは、同乗者さん自身は頻繁に“彼ら”と接触していることなりますけど」
「まぁ…そうだな。職業柄的に必然的に“彼ら”と接触することになるからな」
職業柄的に妖精さんたちと頻繁に接触するということはつまり…
「同乗者さんは“調停官”なんですか?」
同乗者さんの「同乗者さんってなんだよ…」って言葉を無視してわたしは問いかけます。
「ん?あぁ、そうだけど」
なんということでしょう。
まさか同乗者さんもわたしと同じ調停官だったとは…こんな偶然が在っていいのでしょうか。
わたしの場合は正確に言うとまだ調停官ではないわけですが…
「奇遇ですね。実はわたしも調停官なんですよ」
「ほんとか!?」
同乗者さんは目を見開いて驚くと、身を前に乗り出してわたしに迫ってきました。
顔が近いです…
さすがに鼻と鼻当たるような距離ではありませんが、精々顔と顔の間が10㎝くらい離れているだけだとしても恋人など生涯に一人もいたこともないようなわたしには少々刺激が強すぎました。
顔を少し朱色に染めたわたしはサッと同乗者さんから目を逸らしながら口を動かします。
「は、はい…まだ駆け出しですけど…」
同乗者さんはわたしが顔を赤く染めながら目を逸らしているのに気づくと気まずそうに元に位置に戻ります。
同乗者さんは少し顔を赤く染めながら、申し訳なさそうにお詫びの言葉を述べます。
「あ、いや。すまん。調停官なんて俺以外で一人しか見たことなかったからつい興奮しちまって…」
「あ、いえ。こちらも気にしていないので…」
それからわたしたち二人の間には気まずい沈黙が流れます。
同乗者さんは少し深呼吸をしてから、わたしに話しかけました。
「…そっちはどういう経緯で調停官になんてなろうとしたんだ?」
「調停官になろうとした経緯ですか?そうですね。わたし実は今年『学舎』を卒業したんです。卒業後特にやることもないので、調停官である祖父の手伝いでもしようかと。」
「なるほどな…ん?お前も『学舎』を卒業したのか?奇遇だな。実は俺も『学舎』を去年卒業したんだ」
なるほど同乗者さんも『学舎』を卒業したのですね…ってこれは流石にあり得ません。
同じ調停官でしかも同じ『学舎』を卒業したとなると…
あまりにも非現実的な偶然に疑問を思ったわたしは思い切って聞いてみることにしました。
「あの疑っているわけではないのですが、わたしは一度も同乗者さんを『学舎』で見かけたことがないのですが…」
「そりゃそうだろ。だって俺ぼっちだったし。あとそれにそんなこと言ったら、俺もお前を『学舎』で見かけたことないぞ?」
「え?いやそれはですね…わたしもあまり人付き合いが得意なほうではないというか…『学舎』では大人しかった方というか…」
「そうか…お前もか…」
同乗者さんはまるでわたしに同情しているかのように哀れみの籠った目でわたしを見つめます。
そんな目で見つめられても困るのですが…
「言っておきますけど、わたしにはちゃんとした友人達がいましたよ。ただ知らない人と話すのが苦手ってだけでして…」
弁解するようにわたしは同乗者さんに言い返します。
「ふっ。なら俺の勝ちだな。お前は俺と同じコミュ障だったようだが、俺には友達はおろか親しい生徒一人いなかった」
…この人は一体キメ顔で何を言っているのでしょうか。
「一体何をあなたは競っているんですか?普通に考えたら友人のいるわたしの方が勝ち組ですよね…。あと勝手にわたしをコミュ障にしないでください。わたしはコミュ障じゃなくて人見知りなだけです」
わたしは少し怒りを露わにして言い返します。こんなに取り乱してしまうなんて、わたしらしくないですね…。
「お、おう…すまん…」
同乗者さんはすこし驚いているのか、目を見開いたまま言葉を発します。
「…いえ。こちらこそ取り乱してしまってすいません。それで、同乗者さんはどうして調停官になろうとしたんですか?」
同乗者さんはわたしの質問に対して少し驚いたような顔をすると、少し気まずそうな顔をします。
「言っていいのか?普通に下らない理由なんだが…」
「それでも結構ですよ。わたしだけ言わされたのは不公平だと思うのですが…」
「お、おう。俺が調停官になろうとした理由か…簡単に言えば人と関わりたくなかっただけなんだがな。実は専業主婦が良かったんだが、それはさすがに現実的に無理だと思い知った。俺と結婚してくれるような収入が安定した女性なんているわけないしな。それで一人でもできる簡単な職業はないかと調べていたら調停官にたどり着いた」
「…」
「一人でもできる仕事なら自営業とかがあるが、面倒だし調停官の方が楽かなと思ってな」
「…なるほど」
「幻滅したか?ふざけた理由だったろ?」
「いえ…特に」
「?そうか?普通これ聞いたら「なんだこいつ。頭おかしいんじゃねぇの?」とか言ってもいいレベルなんだが。変わってるな」
いえ。ただわたしも楽をしようとこの仕事を選んだので、人のことが言えないだけです。
本当は「この人大丈夫かな」とか思ってしまいました…
これ以上追及されるとわたしの本当の志望理由がバレてしまいそうなので、話を逸らすことにします。
「同乗者さんは卒業したのが去年でしたよね?」
「おう」
「卒業してからの一年間は調停官として働いていたのですか?」
「そういうことになるな」
「ならなぜ今頃こんなところでトレーラーに乗っているのですか?」
「あ、それはだな。俺の担当していた村があるんだが、それがすげぇ小さい村で住人は百人にも満たなかったんだけど、ある日その村の長が大きな村に移り住もうって言いだして、俺もそれについていくことになったんだ。でもその新しい村にはもう調停官が一人いたらしくてな。国連の規定で調停官は一つの街のつき一人だからなぁ…」
それはそれは…同乗者さんも運がないですね。
「災難でしたね。あ、その調停官がさっき言ってた一人だけ会ったっていう調停官ですか?」
「おっ、そうだな。それで俺は晴れて無職になったわけなんだが」
「あらまぁ…」
「俺のことを哀れに思ったのかその村の調停官が俺をほかの村に派遣しようって言いだして国連の上層部に掛け合ってくれてな。新しい村に配属されることになったんだ。で、その村に移動するために俺はこのトレーラーに乗っているわけなんだが」
「よかったじゃないですか。それでその同乗者さんが配属されるという村の名前って分かりますか?」
「ん?なんだっけな…?村じゃなくて正確には里なんだが。く…。うーん、思い出せないな。荷台にある荷物の中にメモ帳が入ってるから、その中に書いておいたはずなんだが。今確認するのは危ないな…」
「里ですか…今から行くわたしの故郷も里なんですけどね。クスノキの里と言うのですが」
同乗者さんは手を顎に当てながら、うーんと唸ります。
「クスノキの里か…たしか俺の担当するはずの村もそんな感じの名前だった気がするんだが…」
「それは流石にあり得ないと思いますけど」
「そうだよな。さすがに職業と母校と就職先全てが同じなんてことはないよな…」
…沈黙が流れます。
今までのこともあるので完全には否定できないのでしょう。
いくら勢力が落ちたといっても国連から派遣されたのですから、間違いがあっていいはずがありません。
たぶん…
それから同乗者さんとは適当に雑談をしていました。
『学舎』時代の話などで盛り上がっていると、いつの間にか荷台に伝わっていた振動がぴたりと止まります。
おそらくクスノキの里に入ったのでしょう。さすがに人の住んでいる土地は、地面がならされています。
「うーん。長時間話していたせいで、結構疲れましたね…」
腕を上にあげてわたしはゆっくりと伸びをします。
「そうだな。俺もこんなに他人と話したのは久しぶりだ」
そう言って同乗者さんもわたし同様に伸びをします。
外を見ると今このトレーラーは民家の合間を通っているようです。
手を伸ばせば届く距離に民家の柵があったりなど、この巨大なトレーラーが通るには里の住宅街を貫くメインストリートもいささか狭いようです。
この住宅街は民家が寄り添うように建っていて、民家に上につけられているブリキの煙突がもくもくと煙を出しているのを見るとおそらくは調理中なのでしょう。
人の住んでいる家は、ペンキで色鮮やかなパステル調に塗られています。
築数百年もある老朽物件も少なくはなく、酸性雨などによって崩壊した外壁は塗装なしではとても見られたものではありません。
こうしたパステル・ハウスは今の時代、人々にとって原風景とも言える文化になっています。
目の前に広がる風景は徐々に思い出しつつある幼少期の記憶と面白いくらいに一致していきます。
里で唯一、ピンク色に塗りたくられた民家。
絵本やゲーム目当てで問い詰めていた公民館。
ふんわりとした乳白色の家は、お菓子作りが趣味のおばあさんが住んでいて、子供が材料を持って訪ねていくといろいろと作ってくれるのです。
丁寧な運転で進むトレーラーが向かう先は、広場です。
広場は建物のいくつかを潰して作った円形の更地です。そちらに目線を転じると、大勢の人がすでに待機しているのが見えました。
「わあ」
途端に恥ずかしくなったわたしは、首を引っ込めます。
広場の様子を目を輝かせながら、興味深そうに見つめていた同乗者さんはわたしの行動に疑問を思ったのか、問いかけます。
「ん?どうしたんだ?急に」
「いえ…なんでも」
同乗者さんには誤魔化しましたが、実はわたし、昔の知り合いと再会することに、異様な羞恥を感じているのです。ただでさえ大勢の前で話すのは大の苦手です。個別に、できたら個別にご挨拶をすませたい…。しかしキャラバンは人々の注目を浴び続け、里の広間まで進み、そして停車してしまいます。
わたしは大衆の目から逃れるために、荷下ろしをするであろう後部ステップから見えない場所に体育座りをして顔を低めました。ほとぼりが冷めるまで、ここにいることにしましょう。
「さっきから一体なにをしてるんだ?」
わたしを追いかけてきた同乗者さんは困惑しながら、わたしに問いかけます。
「なんでもないですから、放っておいてください」
「いや、そういうわけにも…」
キュコキュコというクランクを回す金属音とともに、荷台の側面が下がっていきました。
物資を受け取とるために集まっていた民衆の視線は、体育座りで登場したわたしとバランスを崩して荷台から落ちてしまった同乗者さんに一斉に突き刺さりました。
どうやらこのトレーラーは後方だけではなく側面も開くタイプのものだったようです。
大衆の中にはいくつか見覚えのある顔もあります。その中の一人の中年女性が、訝しげに唸ります。こちらが向こうを記憶しているように、向こうもこちらをー
「あんた確か?」
わたしは膝頭に、静かに顔を伏せました。
ゆっくりと砂のついた顔を「あいたた」と言いながら上げた同乗者さんは、この状況に盛大に困惑しているようでした。
広場で一生分の恥をかいたわたしは、疲労しきった心身を引きずるようにして、自宅のドアに手を…かけませんでした。
振り向かないで、わたしは今自分の背後にいる人物に声をかけます。
「あの…なぜわたしについてくるのでしょうか?」
わたしの背後にいる人物は気まずそうに答えます。
「いや…さっきメモ帳確認したんが、俺の担当する村、クスノキの里だったわ」
「…」
もうかける言葉もないです。
わたしは同乗者さんを無視するように無言で家の扉を開けました。
「ただいま戻りました。…おじいさん?」
「おい、なんで無視するんだy…おじいさん?」
薄暗い家の奥から、記憶と変わりない白衣姿の祖父が猟銃を手に出てきました。
ずかずかとこちらに歩いてくる様子は老いをまったく感じさせません。
「おお、やっと戻ったのか」
老人にしては大柄な祖父は、女としてかなり高い位置にあるわたしの頭に手を置きました。
「ふむ、縦方向に育っとる」
「…年月が経ちましたから」
この数年でわたしの身長はこれ以上はちょっと困るくらいにまで伸びました。
「血色も良し。人参は?」
「…嫌いなままです」
祖父はふんと鼻をならし、
「なんだ、中身は成長はしとらんのか?」
「してると思います…たぶん」
「ま、入りなさい。ちょうど食事にしようと思っていてな」
「え?これから狩りを?」
手にした猟銃を見て尋ねます。
「こんな遅くから行くわけないだろう。これはちょっと改造して攻撃力を上げていたけだ…」
「キャラバンに同乗してきたのかね?」
「はい」
「そちらの君もかね?」
祖父はわたしの後ろにいる同乗者さんに声をかけます。
少しキョドリながらも同乗者さんは答えます。
「え、あ、はい」
「ああ、それとおじいさん。聞いていると思いますけど、わたしもおじいさんと同じ調停官をすることなってですね…実はわたしの後ろにいる同乗者さんも…」
「二人とも入りたまえ。うまいクレソンがあるぞ。フライにもパンにも合う」
わたしの発言は、祖父の耳を無慈悲に通過していました。わたしのことは兎も角、同乗者さんの件は一大事だと思うのですが…
野菜と干し肉のスープ、揚げ魚・野菜・ピクルスといった各種の具材、それらを挟むための切り目入り丸パンを入れたバスケットが、食卓に並んでいます。
すべて祖父が用意したものです。
祖父は長年ひとり暮らしをしているので、料理は達者なのです。
丸焼きだとか燻製肉だとかの大味な料理を好むのですが、ときおり、繊細な味わいのスープを作ってくれます。ン年ぶりの懐かしい匂い。
ピクルス多めの、自分好みのサンドイッチをせっせと組み立てながら、対面に座った祖父と話します。
「そうか、学校制度もとうとう終わりか」
「ええ、お別れ会に関係者の方がたくさん来てくれて…びっくりしました」
「そんなもんだ。うちのところも畳むときは関係各位が集まって…なんだ、店を開く癖は直らずじまいか?」
わたしの前に組み立てたサンドイッチが五つ並んでいます。
「食べながら作るのは落ち着かないので…いけませんか?」
「いや、構わないがね」
こういうのを作り出すと、つい夢中になってしまうのです。
友人は内職癖、家族は開店癖、と呼ぶ、わたしの手癖です。
「そんな食えるのかね?」
「いえ、無理です。流石に」
悪びれずに言います。
「アホ。隣にいる彼にあげたらどうだ?どうやらまだ一つも食べていないみたいだからな」
ここでわたしは右側に座っている同乗者さんに目を向けます。
同乗者さんは何も手を付けていない様子で、ただ気まずそうな顔をしながら座っているだけです。
それも仕方がないでしょう。赤の他人の家で食事を取るなんて、わたしだったら気絶するレベルの気まずさです。
わたしがそのまま何もせずにボーッと同乗者さんを見つめていると、痺れを切らしたのか祖父が疑問を投げてきました。
「何ボーっとしてどうしたんだね?早く彼に渡さんかい」
「え、あ…はい」
わたしは目の前に組み立ててあるサンドイッチを一つ手に取ると、恐る恐る同乗者さんへと差し出します。
「どうぞ…」
同乗者さんはしばらく差し出されたサンドイッチを見つめていましたが、すぐにサンドイッチをわたしの手から取ります。
「あ、ありがとうございます…」
同乗者さんはトラックに乗っていた時とはまるで別人のように敬語を使い始めました。そして彼はちらりと祖父を見た後、サンドイッチを受け取る際にわたしに軽く会釈すると手に取ったサンドイッチをゆっくりと口元に運んでいき、頬張ります。
同乗者さんはゆっくりと咀嚼しごくりと飲み込んだ後、スープをスプーンで掬うと一息にスーッと飲みます。
「お、美味しいです…」
祖父はわたしには見せないような穏やかな笑みを浮かべると
「それは良かった。確か孫より一歳年上だったかね?まだまだ若いんだから、遠慮せずに食べなさい」
「あ、はい。では、そうさせて戴きます…」
そこでわたしは祖父が同乗者さんの年齢を知っていることに気づきました。なぜ祖父が?と疑問に思ったわたしは質問しようとするのですが、その前に祖父が話し始めてしまいます。
「それにしてもおまえは、丈は伸びたが、相変わらず弱々しい生き物のままだな」
「文明人と言ってください」
「元だ。元。文明なんてもうほとんど残っとらん」
「そういえば太陽光発電のトレーラーってはじめて乗りました」
「あれな。速度も馬力もないし、壊れたらもう直せんだろうな」
「幸い、止まらずに戻ってこれました」
「キャラバンの連中はいい玩具をたくさん持ってる。おまえもあっちに就職したら良かったんだ。楽しそうだ」
「あ、いえ…肉体労働は無理ですし」
祖父は思い出したように表情を改めます。
「本当にうちで働くのかね?べつに無理に継がなくてもいい仕事だが」
「そのつもりです。せっかく学位まで取ったわけですし、事務所だって維持してるじゃないですか。そういう公式に認められた居場所があるのはいいと思うんですよ」
「物好きなやつだな。よりによって調停官とは」
「わたし向きの仕事だと思うんですよ」
「ほう、理由は?」
わたしはちらりと無言で食事をとっている同乗者さんを一瞬だけ見ると、すぐ祖父の方に目線を戻します。
「…畑仕事より楽かなーと」
ガタッと音が鳴ったと思うと、同乗者さんが咳き込んでいました。わたしは少しだけ羞恥心を抱きながらも、同乗者さんを無視して祖父との会話を続けます。
「そんな理由でか?」
さすがに祖父が呆れた声で言い、彼も呆れてるだろう?と付け加えて、咳き込んでいる同乗者さんに目線を向けます。
「大丈夫かね?」
同乗者さんは少し息を荒げながらも、返事をします。
「こほっこほっ…ふぅ…す、すみません。大丈夫です」
祖父はこくりと頷くと、わたしに呆れたような目線を向けます。
わたしは祖父の目線に対してきりりとした目線を向けて朗々と告げてやります。
「わたしの身体が弱いことはおじいさんもご存知でしょう」
「いや、おまえは今楽をしたいからと言ったぞ」
「…い、いや、こんな時代ですから、農学や畜産の実習が基礎教育課程に含まれるわけですが…あれはとても辛くてですね。それに対し、調停官は老人にもまっとうできる仕事なわけですから肉体的にはなんら問題ないと思いまして」
肉親相手だとまったく緊張しないで話せます。しかし、同乗者さんがいるのでいつものテンションというわけにもいきませんが。
「…孫娘が変な性格になって戻ってきた」
「まぁ…」
「だいたいおまえは身体が弱いのではなく、単に気力に乏しいだけだ」
「はぁ」
「楽ばかりしてると、年を取ってからふんばりがきかなくなるぞ」
「はぁ」
「…まぁ、ひと月過ぎてもそう思っていられるんだったら大物だな」
「きつい仕事なんでしょうか?」
そういいながら同乗者さんに目線を向けます。
たしか彼は一年間ほど調停官をやっていたはずです。認めたくはないのですが、わたしとほんの少しばかりですが似ている感性を持っている彼が一年間続けることが出来たのですから、わたしにも出来るのが必然的ではないでしょうか?
それに調停官の資格を取る際、これらの仕事について下調べをしたところ、結果として農作業などと比べるととても楽な内容であることを突き止めたのです。
そんな疑問に、祖父は一言で応じます。
「人による」
首をかしげます。そんなに過酷な労働課目があったでしょうか?
「まあ一度“彼ら”に振り回されてみるんだな、だめ孫よ」
「ひどいおっしゃりよう…」
「まあとりあえずだ。明日は事務所まで来なさい。おまえと…そして彼のための場所を作らんとな」
彼…それはつまり同乗者さんを指しています。
「え?それってつまり…」
「事情は知っておる。詳しい説明は明日だ。今日はもう遅い。彼もおまえも早く寝なさい」
「わたしたちの家に泊まるんですか?」
「それ以外彼にどこに泊まれというんだ?」
「そ、それはそうですが…」
「安心したまえ。国連から送られてきた経歴書を見る限り彼は信用にする足りる人物のようだ」
「いや、そういうことじゃなくてですね…」
「ならどうしたというんだ」
「いえ…何も…」
「そうか。それじゃ、二人とも早く寝たまえ。孫よ、彼を客室に案内してあげたまえ」
「分かりました…」
え?え?と困惑しているご様子の同乗者さんに「ついてきてください」と告げます。
「お、おう…」
と戸惑いながらも荷物を持つと階段を上るわたしについてきます。
適当に使われてなさそうな部屋を見つけると、扉の前に止まります。
「こちらが同乗者さんの部屋になります」
「おう、ありがとな」
「いえいえ、祖父に頼まれてやっていることですから…」
「おまえの祖父か…とても親しみのある良い人だと俺は思ったぞ」
「そんなことはないですよ。放任主義ですし、基本的に自分勝手な人です」
子供の頃は散々な目に遭いました…
「へー、そうは見えなかったけどな」
「今現在無理やり特に理由も述べずに強制的に同乗者さんを他人の家に泊めさせようとしているのにですか?」
「あっ…」
同乗者さんははっとしたような顔になります。
「まぁいいです。明日は早いようですし早く寝ましょうか」
「そうだな。今日は長旅で疲れたし、早めに寝ないと寝坊しそうだわ。ってなわけで俺はもう寝るから」
「お風呂には入らないのですか?わたしはお風呂に入ってから寝る予定ですけど…」
「あぁ、迷惑でないなら俺は朝に入るつもりだが…薪燃やすのにも時間かかりそうだしな」
「それなら大丈夫です。祖父もいつもは朝に。わたしは夜と朝の二回入ってますから。それではおやすみなさい」
同乗者さんは「やっぱり女子だからお風呂に入る回数は多いのか…」と呟いたあとに
「おう、おやすみ」
と返事を返してくれました。
彼が部屋に入るのを見届けるとわたしはその場を立ち去り、荷物を部屋に運び込みます。
そしてわたしは今日一日で疲れたのか、普段ではしないが、シーツをまだかぶせていない埃だらけのベッドの上に体を放り投げて、寝そべります。
結局、同乗者さんがわたしと同じ調停官だという件は分からず終いでしたね…
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