異世界の侯爵ライフは他人任せ (ぐうたら怪人Z)
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第1話 異世界で侯爵になりました
① 異世界への転生


 村山秀文(むらやま ひでふみ) 享年33歳。

 死因――過労死。

 

 それが、前の世界(・・・・)における私の最期。

 仕事に生き、仕事に捧げた人生だった。

 思い返して、仕事以外の記憶が驚くほどに少ない。

 ……そのような生活を送った結果が、過労死という情けない結果だったのだが。

 親を早くに亡くし、妻子も持たなかったため、死んだ後の心配が無かっただけは幸いだ。

 

 いや、弟には迷惑をかけたか。

 しかしそれなりに生命保険にも入っていたことだし、葬式代に苦労はしなかっただろう。

 それに兄馬鹿かもしれないが、あいつは私に似ずなかなか出来た男だ。

 唯一の肉親であった私が居なくなったところで、彼の人生に影が差すようなことは無いはず。

 

 ――さて。

『前の世界』と言った。

 前の世界がある以上、当然『今の世界』というのもあるわけだ。

 今の世界――つまり、私が現在生きている世界(・・・・・・・・・)

 

 理由は分からない。

 理由なんて無いのかもしれない。

 とにもかくにも、私は“転生”した。

 正確には、以前の人生をしっかりと記憶したまま、新たな生を得た。

 或いは『前世の記憶を持っていると思い込んでいるだけ(・・・・・・・・・)』なのかもしれないが、それにしては思い出が余りに生々しい。

 “転生した”と表現することに問題は無いだろう。

 

 ここからが本題だ。

 私はいったい、“どこに”“何者として”転生したか。

 それは――

 

 

「坊ちゃま、朝でございます」

 

 

 突如、若い女性の声がかかる。

 いつもの声(・・・・・)だ。

 と同時に、部屋が明るくなる。

 カーテンが開かれたのだろう。

 

「――ああ、分かっている」

 

 私はその声へと手短に返す。

 目は覚めていた。

 単に、起きるタイミングを計っていただけだ。

 

「しかし、いい加減“坊ちゃま”は止めてくれ。

 私はもう成年して三年も経つ」

 

「そうでございましたね。

 しかし、(わたくし)にとって坊ちゃまはいつまでも坊ちゃまなのでございます」

 

 非難の視線を送るが、相手も慣れたもの。

 あっさりと流してくれた。

 私としても本気で文句が言いたいわけでは無いので、これでいい。

 

「――うん。

 いい天気だな、今日は」

 

「はい、雲一つない快晴でございます」

 

 窓から外を見る。

 上方には爽やかな青い空、そして下方には石畳の(・・・)街並みが広がっていた。

 朝食の支度でもしているのだろう、街のあちこちから白い煙が上がっている。

 まるでヨーロッパでも思わせる風景だが、今私が居る場所はそこではない。

 そも、ここは地球ですらない(・・・・・・・)

 

 何故そう断言できるか。

 簡単な証拠がある。

 空を見上げてみればいい。

 地球には無い存在(モノ)がある。

 

「このような空には、“銀月”が映えますね」

 

 私の傍らに立つ相手が、丁度良いタイミングで補足してくれた。

 

 銀月。

 その名の通り、銀色に輝く(・・・・・)月。

 地球の月とはその色が全く異なる。

 それだけでは無い。

 この“月”は移動しない。

 昼も夜も、常に天頂に位置する場所に固定されている。

 現代風に言えば、今私が住む“星”の自転と同じ速度で公転しているわけだ。

 しかも。

 この月、自ら発光している(・・・・・・)

 地球では太陽光に照らされることで月は満ち欠けするわけだが、この銀月は太陽がどの位置にあってもその形を変えない。

 いつでも真円を保ち続けている。

 こちらはどういう理屈なのか、私には知る由も無い。

 

 なお、敢えて“銀月”と呼称していることからも分かる通り、普通の“月”もまた存在する。

 こちらも地球での月に比べるとやや大きい形状をしているのだが、“銀月”の異様さに比べれば誤差のようなものだろう。

 

 ……話がそれてしまった。

 この世界の“特徴”については、また追々紹介することとしよう。

 ともかく、この場所は地球ではないということを言いたかったのだ。

 ではどこなのか、と尋ねられても私には答えられない。

 地球ではない異星、異世界なのだろうとしか。

 この世界についてアレコレ調べる程、私の知的探求心は旺盛ではない。

 

 ただ、この“街”の住人ならば誰でも言える答えは持っている。

 ここは“ライナール大陸”南方に位置する“ヴァルファス帝国”の一領、“ウィンシュタット侯爵領”の中心都市“シュタット”である、と。

 それともう一つ、付け加えるならば――

 

「――どうされました、坊ちゃま。

 先程から外をじっと眺めているようですが……」

 

「いや、今日から私がこの街を治める(・・・・・・・・・)のだと考えると、感慨深く思っただけだ」

 

 ここは、“私の街”だということ。

 別に比喩でも何でもない。

 正真正銘、私はこの街の統治者なのだ。

 ……いや、正確には本日“当主”の座を受け継ぎ、街の統治者となるわけだが。

 

 つまり、私は帝国の領主であり、帝国の貴族である。

 そしてここが“侯爵領”である以上、その爵位は侯爵以外にあり得ない。

 最初の本題に対し端的に答えるならば―――私は“地球とは違う異世界”で“帝国の侯爵”となったのだった。

 

「ふふふ。

 坊ちゃま程のお方でも、そのような物思いにふけることがございますか」

 

「そんなにも不思議なことか?」

 

「ウィンシュタット家当主としての執務であれば、今までもしてきたではありませんか」

 

「“代理”の仕事と“正規”の仕事では重みが違う」

 

「そんなものでございますか。

 では(わたくし)もその心意気を汲み、“坊ちゃま”ではなく“当主様”とお呼びした方がよろしいでしょうか?」

 

「……いや、呼び名はそのままでいい。

 長い付き合いの君から今更畏まった名前で呼ばれるのはどうにも違和感がある」

 

 改めて、会話の相手へ向き直る。

 目の前に居るのは、銀糸のようにキメ細かいプラチナヘアを短めに整えた、凛とした雰囲気を持つ少女。

 切れ長の碧い瞳に人形を彷彿とさせる程整った容貌、そして陶器のように滑らかな白い肌を持つ、目も覚めるような美しさの持ち主だ。

 黒と白を主色としたエプロンドレスに、頭にはレース付きのカチューシャ――つまり典型的なメイド服を着ているが、それも当然の話。

 彼女は私付きの侍女なのだから。

 

 侯爵という立場にある以上――昨日までは侯爵嫡男ではあったものの――メイドの一人や二人、所持していて当たり前だろう。

 ヴァルファス帝国では、爵位は上から順に公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵・騎士と定められている。

 侯爵は上から二番目であり、平たく言えば非常に“偉い”身分なのだ。

 実際にはここへ役職の上下なども絡んでくるため、侯爵より権力を持つ伯爵が居たりもするのだがそれはさておく。

 “そういう人物”が登場したときに説明すればいいだろう。

 

 ――そして登場と言えば、今彼女が呼んだ名前“エイル”。

 これこそが“この世界”での名前。

 正式名にはエイル・ウィンシュタット。

 異世界へ新たに産まれて十八年、私が共にしてきた名である。

 

「……どうされました、坊ちゃま。

 私の顔に何かついてでもいますでしょうか?

 先程からずっと眺めているようですが」

 

「いや、単にセシリアの顔に見惚れていただけだ。

 深い意味は無い」

 

 セシリア――今話しているメイドの名である。

 ちょっとした事情があってこの少女に家名は無い。

 まあそんな些末事はさておき、私の言葉にセシリアは軽く一礼すると、

 

「お世辞を賜り光栄です。

 しかし坊ちゃまの美貌に比べれば私などただの凡婦にございます」

 

「……それは何かの皮肉か?」

 

 単に素直な感想を述べただけなのだが、随分な言われようである。

 これで彼女、年齢は私より一つ下――“こちらの世界”の私の肉体年齢より一つ下なのだ。

 それ位の年頃の女性なら、男にこう言われれば顔の一つでも赤くしていいだろうに。

 いや、決して鉄面皮というわけでもないのだが、どうにも感情の揺れ幅が少ないように感じる。

 

 まあ、彼女は“以前の人生”で一度としてお目にかかれたことの無いレベルの美少女だ。

 この上愛嬌まで求めるのは欲張りというものか。

 

「では坊ちゃま、朝食の用意はできております。

 早速お召し物をお着替えいたしましょう」

 

「ああ、そうしよう」

 

 

 



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② 新しい父親と朝食を

 

 

「おはよう、エイル」

 

「おはようございます、父上。

 今日はご加減よろしいのですか?」

 

「ああ、式を執り行うに支障はない」

 

 屋敷の食堂に来てみれば、一人の男性が既に席についていた。

 この老年に差し掛かった彼こそが現在の侯爵であり、私の父親でもあるフェデル・ウィンシュタットだ。

 ここ数年体調を崩しており、一日中寝室に篭っていることも多かった。

 実際、身体はやせ細っているし、顔色も決して芳しくない。

 その体調不良が原因でまだ若い私へ爵位を譲るという話になったわけだが。

 

 なお、朝の食事は父と二人きりですることが多い。

 流石に配膳を行う使用人が出入りはするが、会話に加わってくることは稀である。

 家族水入らずの時間を少しでも作りたいという、父の希望だ。

 ならば他の家族は――という疑問を持たれるかもしれないが、他には居ないのである。

 母は私が産まれてすぐに亡くなった。

 一地方を支配する侯爵であるため縁談がすぐに湧いてきたそうだが、母を深く愛していた父は後妻を迎えなかったそうだ。

 そういうわけで、兄弟もおらず、2人きりの朝食となるわけである。

 

 もっとも、生前――日本で暮らしていた時、私は一人暮らしであった。

 当然食事も独りでとっており、そのことを考えれば話し相手が居てくれる分遥かにマシな状態ともいえる。

 

 そんな説明はさておき、朝食だ。

 一流の上級貴族であるウィンシュタット家は、仕える料理人もまた一流。

 高級ホテルもかくやという程の料理が用意されている。

 “向こう”と“こちら”では技術レベルに(・・・・・・)大きな差がある(・・・・・・・)のだが、それを思わせない美味さだ。

 どの世界でも、名人というのは凡人の斜め上をいくものである。

 

 私がテーブルに並べられた食事を口に運んでいると、

 

「――すまんな、エイルよ」

 

「何がですか?」

 

 突然、父は頭を下げてきた。

 

「爵位の件だ。

 まだ年若いお前にウィンシュタット家当主という重大な責務を課すことになってしまう。

 私がこんな体でさえなければ――」

 

「お気になさらず。

 自分でも承知していたことですので」

 

 やはりというか、予想通りというか、爵位に関することだった。

 この世界の一般で見て、私の年齢である18歳で爵位を継承することは珍しい。

 爵位を持つ親が亡くなった際、その家の当主を引き継ぐと同時に爵位を授与されるケースが多いようだ。

 そして正式に親から爵位を受け継ぐまでは、男爵など、階級の低い爵位を仮に拝領するのが通例となっている。

 親から貰うまで爵位はお預けになることすらある。

 

 私の場合、父の晩年の子であること、父が前述の通り身体が悪いこと、一人息子であり他に爵位を継げる適当な人物がいないこと等の理由が重なり、今の時期に爵位を受け取ることとなった。

 とはいえ、病を患ったのは昨日今日の話では無い。

 こうなるであろうことは前々から予想できていたし、そのための準備も行ってきた。

 父が私を心配する必要は何もないのだ――が。

 

「お前は出来た子だ。

 前々より私に代り領主の仕事をこなしてくれている。

 領民からの評判も良いし、周辺の貴族も高く評価しているようだ。

 何も問題はない、と頭では分かっているのだがな」

 

「心中お察しします。

 しかし大丈夫です、父上。

 私には私を支えてくれる多くの人達がおります。

 それに――恥ずかしい話ですが、本当に厳しくなりましたら父上に泣きつく所存ですので」

 

「……ふ、そう言ってくれるとありがたい」

 

 表面上安心したような素振りをしているが、内心不安がっているのが丸わかりだ。

 だが、それに対して不満は無い。

 いつまで経っても、親というのは子を心配するものなのだ。

 “前の世界”で私に子供はいなかったが(姪はいたが)、そういう話はよく耳にした。

 

 それに、これを“仕事の話”と考えれば私にも実感が湧く。

 入社したての新人に大きな仕事を渡す時は、その新人がどれだけ有能な人物であっても不安は拭いきれないものだ。

 ましてや今回の爵位授与の件、国を会社に置き換えれば新人社員をいきなり部長職へ引き上げるようなもの。

 帝国の規模と侯爵の爵位の高さを考慮すれば、部長どころか役員と呼べるかもしれない。

 そりゃ不安になる。

 不安にならないわけが無い。

 

 そしてこの手の案件に関し、幾ら言葉を尽くしたところで意味は無い。

 実績を上げ、それをもって相手を納得させる以外に道は無いのだ。

 十数年に及ぶ会社生活で、そのことは身に染みてよく分かっている。

 ただ、ある程度は言葉を尽くしておかないとそもそも案件を任せてくれない、ということも注釈しておく。

 

「してエイルよ、今日は式までの時間、どう過ごすつもりだ?」

 

「普段通りです。

 商工ギルド、冒険者ギルド長との打ち合わせ、各種申請の承認作業。

 具体的なスケジュールまでは覚えていませんが、式には間に合うはずです。

 詳細が必要であれば、セシリアを呼びますが?」

 

「いや、それには及ばん。

 しかしこんな日でもいつものように執務をこなすか。

 手を休めてもよいだろうに」

 

「常日頃と違うように過ごした方が、かえって緊張してしまうものですよ」

 

「そんなものかな」

 

「はい」

 

 どちらかといえば、“手持無沙汰だから”という方が正しいが。

 準備は使用人達がこなし、式の運営もとっくに頭へ叩き込んである。

 となれば、私のすることなど何一つ無し。

 ならば、仕事をするべきだろう。

 何せ、私の侯爵就任なぞ、領民には何の関係もないのだから。

 

 経営方針が大きく変わったのであればいざ知らず、上の人間が多少入れ替わったところで、下の人間がなすべきことは大きく変わらない。

 これは“前の世界”でも“今の世界”でも同じだ。

 そして当主業務のほとんどは様々な案件の“承認”である以上、私が休んだだけ領民達の仕事が遅れることになる。

 そう簡単に惰眠を貪るわけにはいかない。

 ……急ぎの案件を片付けている日に部長が無責任にも早退してしまった時の焦り・怒り・悔しさは、今でも覚えている。

 

「あー、ところで先程、セシリアの名が出たが――」

 

 父の露骨な話題転換。

 もっとも、元々他愛ない雑談だ。

 私もすぐに頭を切り替える。

 

「なんでしょう?」

 

「――私はあとどれだけ長生きすれば、孫の顔が見れるのかな?」

 

 ニヤリ、と笑った。

 この人にはこんな茶目っ気もある。

 ムスコである私もそれへ応えないわけにはいかない。

 

「私ももう長くはない。

 できることなら早く――」

 

「そうですね、あと4ヵ月程です」

 

「なにぃ!?」

 

 父の顔が驚愕に歪んだ。

 

「セシリアのお腹が最近膨らんできていることに、気づいていなかったのですか?」

 

「嘘ぉ!?」

 

「嘘です」

 

「ぶっほっ!!」

 

 盛大に噴いた。

 大分オーバーなリアクションだ。

 

「すいません、場を和ませるためのジョークのつもりだったのですが」

 

「い、いや、私の方こそすまん。

 だがな、大真面目な顔してそういう冗談を言うのは止めてくれ。

 寿命が数年縮んだ気がする」

 

「それ程ですか」

 

「それ程だ。

 お前は万事を器用にこなしてくれるが、ジョークのセンスは致命的だな」

 

 ふむ。

 小粋なトークを心掛けたつもりだったのだが。

 父はお気に召さなかったらしい。

 

「あー、それと、だな。

 別にお前を疑うわけでは無いし、これはちょっとした忠告と言うか心配事というか――まあ、なんにしても軽く聞き流してくれていいのだが」

 

 ごほん、と一つ咳払いをしてから父上は続ける。

 

「私はお前がどんな結婚相手を選ぼうと、異を唱えるつもりは無い。

 貴族でもよいし、平民から選んでも――お前がそれを望むのであれば――構いはしない。

 ただな……くれぐれも、お相手は女性で頼むぞ」

 

「それは――ジョークと捉えてよいのでしょうか?」

 

 人のことをジョークセンスが無いと言っておきながら、父のそれも大概だった。

 血は争えない、ということか。

 

 

 



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③ 侯爵(代理)のお仕事

 

 

 

 朝食を終えた私は、セシリアを伴い屋敷の廊下を歩いていた。

 銀髪の少女は背筋をピンと伸ばし、楚々とした様子で歩を進めている。

 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花とはよく言ったものだ。

 その洗練された所作を見れば、男は皆息を飲むことだろう。

 我が姪もこれだけ美しく成長していて欲しいものだ。

 

 そんな彼女へ、私は軽く話しかける。

 

「今日のスケジュールはどうなっている?」

 

「坊ちゃまの承認待ちである案件が16件入っております。

 また、10時より商工ギルドのギルド長と会議、13時よりギリー様と学院について打合せ、15時より冒険者ギルドのギルド長との会議の予定です」

 

「承認案件の書類はどこに?」

 

「執務室に纏めてございます」

 

 私の問いにスラスラ答えるセシリア。

 彼女の頭の中には、執務の予定が数か月先まで記憶されている。

 メイドというより、秘書官と言った方が相応しい。

 スケジュールについて困った時は、セシリアに聞けば大抵なんとかなる。

 流石は侯爵付きメイドというだけあって、ずば抜けた頭脳の持ち主なのだ。

 予定の管理も彼女に丸投げしているので、大分楽をさせて貰っている。

 

「ありがとう。

 いつも助かっている」

 

「過分なお言葉ありがとうございます。

 しかし労いは不要です。

 坊ちゃまのお仕事に比べれば、(わたくし)の業務など些事にございますので」

 

「そんなことは無いだろう」

 

 どうもこの少女は自分のことを過小評価しすぎるきらいがある。

 認識を改めて欲しいとは思うものの、彼女が正しい現実を知った場合、大した仕事をしていない私は蔑まれてしまうかもしれないので、善し悪しだ。

 

 ――ところで。

 今の会話を見て、不思議に思ったことは無いだろうか?

 そう、“時間”だ。

 この世界では、現代社会と同じ時刻制度を使用している。

 これは単なる偶然か?

 あくまで私の推測になってしまうのだが、“違う”。

 偶然ではなく、“何者か”の意図により現代社会と同じ仕様にされたのだ。

 

 証拠は単位系。

 時間だけではなく、長さや重さの単位も現代社会のそれと“同じもの”が使用されている。

 ここまで来れば、決して偶然で片づけることなどできない。

 

 ではその“何者か”とは誰か?

 おそらくだが、私と同じ転生者――現代社会の記憶をもったままこの世界へと生まれ落ちた人物なのではないかと考えている。

 私がココに居る以上、私以外にも地球から転生した者がいると考えた方が自然であり、その“転生した人物”が地球の知識を広めたのだとすれば、この状況にも納得がいく。

 

 ここで“模範的な物語の主人公”であればこの“何者か”を探るべく冒険に出るのかもしれないが、残念、私にそのつもりは一切ない。

 そんな行動に意欲は湧かないし、そんなことをしている暇があったらこの“侯爵生活”を満喫していたい。

 ……まあ敢えて言うなら、その人物は“アメリカ人”ではないだろう。

 使われている単位は(メートル)(グラム)などのSI単位系。

 アメリカの人であれば、インチやポンドあたりを流行らせるのではないか、と考えるわけだ。

 

 もののついでに技術系についても軽く紹介しておこう。

 朝食の場で“技術レベルに差がある”と話したが、この世界の技術は大雑把に中世後期程度の発展具合となっている。

 日本の小説や漫画によくあるヒロイックファンタジー的な世界観、といった方がいっそ分かりやすいだろうか?

 アラフォーに差し迫ったおっさんが何を言うか、という指摘は甘んじて受け止めるが、別におっさんがラノベを読んだっていいじゃないか。

 私が子供の頃から既に、そういう娯楽モノはあったのだから。

 ただ、中世後期と言いつつ、ゼンマイ式の懐中時計が存在していたりと、歪な技術(・・・・)も存在する。

 これを“世界が違うのだから技術発達速度も違って当然”と考えるか、“転生者により現代技術が一部導入されている”と考えるか。

 どちらも有り得そうではあるし、案外両方とも正解なのかもしれない。

 

 ああ、そうそう。

 ヒロイックファンタジーという単語から連想したかもしれないが、この世界に“魔法”は――ある。

 正しく“剣と魔法”の世界というヤツだ。

 地球には存在しなかった(少なくとも私は見たことが無い)“魔法”の存在もまた、前述した技術発達の歪さを助長しているのかもしれない。

 実際、かなり便利な“力”で、私も何かと重宝――

 

「坊ちゃま」

 

「うん?」

 

 セシリアの声に、足を止める。

 

「執務室に到着いたしました」

 

「ああ、そうか」

 

 私の目の前には木製の扉。

 ここを通れば目的の執務室である。

 考え事をしている最中に、到着してしまったらしい。

 “魔法”の説明は、また後にしよう。

 

「何か、お体の具合でも悪いのですか?

 先程から、心ここにあらずといった様子でしたが」

 

「いや、問題ない。

 君の横顔に心を奪われていたんだ」

 

「なるほど、そうでございましたか。

 では前方不注意があってはいけませんので、次回より坊ちゃまの後ろを歩くことにいたします」

 

「…………」

 

 澄ました顔でさらっと流された。

 相変わらず動じない少女である。

 ……単に私が相手にされていないだけなのではないか、という指摘については黙殺させて貰う。

 

 

 

 

 

 

 さて。

 ここで、私の仕事ぶりを軽く見て貰おうか。

 大して面白いものでもないだろうが、我慢して欲しい。

 

「エイル様!?」

 

 “部屋”に入ると、驚きの声が上がった。

 ここは、ウィンシュタット家の応接室。

 豪奢の作りの一室で、中央に大きなテーブルが鎮座し、それを挟む形でソファーが設置されている。

 セシリアの言った“商工ギルドとの会議”を行いに、この部屋を訪れたわけだ。

 

「どうした?

 何かあったのか?」

 

 私の登場に驚いている男性へ、話しかける。

 相手は――未だ目を丸くしたまま――答えてきた。

 

「い、いえ、まさか今日おいで頂けるとは思いませんでしたので。

 その、侯爵位授与式は本日だったかと記憶していたのですが――」

 

「間違いではないが、式まで時間はある。

 そもそも、今日の会議は大分前から予定されていたものだろう」

 

「大事な式かと存じます。

 英気を養っておられても良かったのでは?」

 

「君の仕事を滞らせるのも忍びない」

 

「もったいなきお言葉……」

 

 恭しく一礼をしてくる。

 彼の名はロイド・スターニング。

 既に40歳を越える壮年の男性だ。

 シュタットの商工ギルドで、ギルド長を務めている。

 商工ギルドとは商人や職人を取りまとめている組織であり、その長ということはこの街の流通をほぼ掌握している男ということ。

 きっちりと整えられた髪、一部の隙も無い身だしなみが、“できる男”具合を醸し出している。

 ……そんな人物が、外見はまだまだ若造である私に遜る様は、はたから見れば違和感があるかもしれない。

 

「そもそも、私が今日来ないと考えていたと言うなら、何故君は屋敷へ来たんだ?」

 

「万に一つということもありますし……それに、ここであれば誰にも邪魔されず雑務をこなせます。

 ギルドでは何かと雑音が多いもので」

 

「体よく我が家を作業室として利用しようとしていたわけか」

 

 なかなか太々しい。

 そして一人作業を決め込んでいたところへ私が現れたからこそ、咄嗟に驚いてしまったわけだ。

 納得したところで、私はソファーへ腰かける。

 

「それで、今日は商工会議所の建設について、だったな」

 

「はい。

 詳細は既に提出したかと思いますが――」

 

「ああ、確認している」

 

 私が頷くと同時に、セシリアがその書類をテーブルへ置いた。

 いちいち記述していなかったが、この部屋には彼女も同伴している。

 この屋敷で行動する限り、基本的に私とセシリアは行動を共にしていることがほとんどだ。

 

「おや?

 こちらは私が提出したものとは――」

 

「悪いが内容を適当に纏めさせてもらった。

 ……どうにも、不必要な事項が多く記してある書式なのでな」

 

「昔からの慣例でして、申し訳ありません」

 

「君が謝ることじゃない。

 この形式は国が定めたものなのだから。

 もっとスマートな内容にするよう、上に具申すべきか」

 

「恐縮です。

 そうして頂けると、私共も助かります」

 

 又もや礼をしてから、ロイドは書類を手に取ってそれに目を通しだす。

 

「邪魔なものを排除しただけで、内容は変わっていないはずだ。

 こちらの書類で話をして構わないかな?」

 

「――はい。

 問題ありません」

 

 確認時間は十秒足らず。

 それだけで彼は私の用意した内容に不具合がないことを把握したわけだ。

 流石はギルド長。

 その有能さはこんなところでも発揮されていた。

 

「では始めるとしようか」

 

「はい、まずは――」

 

 

 

 ここからの会議内容については、割愛する。

 物凄く単調な代物だからだ。

 ロイドのした説明に対し、私が2、3質問する――ただ、それだけ。

 

 そんなことでいいのか、と思われるかもしれないが、これには私なりの経験則がある。

 会社員として十余年働いたことで、私は幾つかの教訓を得た。

 その内の一つが、“有能な部下の提言は滅多に退けてはならない”、ということだ。

 

 職場において、基本的に部下の方がより現場を熟知している。

 そんな相手の意見を、現場を知りもしない上司が己の独断で否定してはならない。

 上の人間がやるべき仕事とは、部下の行動へ責任を負うことと、予算を勝ち取ってくることだけなのだ。

 それだけ行えていれば、有能な上司として崇められることになる。

 ……大前提として、その部下が信頼に足るかどうか、しっかり把握しておかねばならないのだが。

 

 これができない上司のせいで、幾人の有望な若手が涙を飲んだか。

 かくいう私も大分苦しめられた。

 提案したプロジェクトを大した理由もなく却下してくれた田上部長、お前がしでかしたことは忘れんからな。

 

 ――さておき、今回の場合は、実に分かりやすい。

 ロイドが優秀な人材であることは、火を見るより明らかだ。

 有能でなければ、こんな立場にはなれない。

 実際、彼が行う説明は理路整然として分かりやすい。

 もっと言ってしまうと、ロイドとの付き合いはもうかれこれ3年以上になるのだが、その間一度も失敗を犯していないのだ。

 信頼する条件は十分以上に満たしている。

 一方で私は、ド素人といって差し支えない。

 侯爵嫡男であるからには一通りの教育を受けているものの、商工ギルドのトップと渡り合える知識などあろうはずもない。

 

 故に、私はうんうんと頷いていればいい。

 それだけで万事滞りなく進む。

 下手な考え休むに似たり、だ。

 

 ――しかし、スケジュール管理は全てセシリアに任せ、いざ仕事となっても首を縦に振っているだけ。

 侯爵というのは何とも楽な仕事である。

 日本であくせく働いている人達にこのことを教えたら、嫉妬に狂ってしまうかもしれない。

 だが自分の行動を改めるつもりは皆無である。

 何の因果か降ってきたこの幸運、存分に堪能させて貰おう。

 

 

 



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④ 商工ギルド長の独白▼

「ふぅ――」

 

 エイルが退室し、ロイドは大きく息を吐いた。

 

(相変わらず、お厳しい)

 

 頭の中でぼやく。

 まさか声にするわけにはいかない。

 ここはウィンシュタット侯爵の屋敷なのだ、どこで誰が聞いているとも限らない。

 

(建設の立地条件にまで言及するとは……)

 

 今回の打合せで一番キツイ指摘だった。

 会議所は利便性等を様々に考慮し、川の程近くに建築する予定だったのだが――

 

(まさか近くで土砂崩れが起きるとはねぇ)

 

 一週間ほど前、建築予定地の程近くの河原で土手が崩れる事件が起きたのだ。

 そして侯爵代理はそのことをしっかりと把握していた。

 当然、ロイドとて考慮していなかったわけではないが、似た条件の場所に建築の前例があったため、このままで行けると判断したのだが……

 そうは問屋が卸さなかった。

 

(まず地盤の調査が急務。

 危険と判断される場合は地盤工事を行うか、別の土地を探すか、と)

 

 エイルから下された命令だ。

 ただでさえ工期が押しているところに、痛い注文を貰ってしまった。

 しかし使用者の安全を盾にされてしまっては、頷く以外にない。

 

(……なんで貴族の坊ちゃんが土木工事の知識まで持っているかね)

 

 ぼやく。

 まあ、相手は仮にも帝都士官学校の首席卒業者だ。

 幅広い知識を身に着ける機会に恵まれていたのだろう。

 

(あー、疲れた)

 

 今日は他にも返答に窮する指摘を幾つか貰ってしまった。

 会議は小一時間程で終わったものの、まるで数時間続けたかのような疲労感だ。

 

(フェデル様の時はもっと楽だったんだがなぁ)

 

 現侯爵であり今は執務から遠ざかっているフェデルは、ここまで厳しい追及はしてこなかった。

 エイルが執務担当となってから、頭を悩ませる機会が大分増えた。

 

(――ただまあ、嫌いというわけでもないんだがね)

 

 寧ろ逆だ。

 エイルのことを、このギルド長は気に入っている。

 

(まずあの見た目(・・・・・)の時点で嫌いになれないってのはあるけれども)

 

 幾度、あの侯爵代理をプライベートでお茶に誘おうとしたことか。

 その度に後々のことを考えて踏みとどまったわけだが。

 相手が大貴族だというのは勿論あるが、それよりも妻にバレた時の方が心配だ。

 エイルの“容姿”はシュタットの住民であれば皆知っている。

 彼は男性だから――なんて言い訳、妻に通用するとは思えない。

 

(ま、勿論顔だけじゃないが)

 

 ロイドにとって、個人への感情とビジネスパートナーとしての感情は別物である。

 しかし彼は商売相手としても、エイルへ好感を持っていた。

 

(今回の件で予算を超過した分は、ウィンシュタット家から無利子で融資する――か)

 

 侯爵代理からの提案だった。

 だからこそ、しっかりと調査をしろ、という論法だ。

 この“自ら言ったことへの責任をしっかりとる”ところが、非常に好ましい。

 

(他の貴族相手じゃこうはいかない)

 

 自分の利益ばかり主張してきて、商売にならないことが多いのだ。

 そもそも商売とはどういうものか理解していない連中すらいる。

 フェデルですら――話の分かる方ではあったが――ここまでの“熱意”は持っていなかった。

 簡単に案件を承認してくれたことも、裏返せば領民の仕事へ関心が薄かったとも捉えられる。

 

(それに、なんだかんだしっかり信用してくれてるみたいだし、な)

 

 エイルの言葉の端々からは、信頼感のようなものが伝わってくるのだ。

 先程指摘された調査の方法にしても、細かい指示はしてこなかった。

 全てロイドに――結果の判断についても――任せる、ということだ。

 ともすれば無責任にも見えるが、

 

(あの人に限って、それは無い)

 

 断言できる。

 

 昔、侯爵から直々に賜った仕事で、部下が大きな失態をしでかしたことがあった。

 ロイドの進退にまで関わるような、でかい失敗だ。

 しかしその損失は、他ならぬエイルによって補填された。

 その案件を承認したのは自分だから、という理由で。

 ロイドへのお咎めも無しだ。

 

(……痺れたね)

 

 生涯この人についていこう、と割と本気で思ってしまった。

 自分の息子にも近い年齢の子供に対して、だ。

 彼の仕事ぶりに、責任感の大きさに、それ程まで感銘を受けたのだった。

 

(加えて、この資料はどうだ)

 

 今日、エイルから渡された資料をもう一度見る。

 膨大だった内容が、実に分かりやすく纏められていた。

 これまで見たことのない図やグラフまで使われているが、これはエイル侯爵代理自ら考案されたものだそうだ。

 

(……私が詳細資料を提出したの、昨日だったはずなんだが)

 

 ロイドの知る限り、エイルは昨日も打合せが2件入り、夕方以降は授与式の前祝いパーティーが開かれていたはずだ。

 それらをこなした後で、この資料を作ったとするなら――

 

(エイル様はいつお休みになられているんだ?)

 

 実際、昼夜働き通しているのではないかと疑いたくなる仕事量だ。

 ワーカーホリックにも程がある。

 

(まったく、平民より働く貴族ってのはどうなんだろうねぇ)

 

 呆れ半分、敬い半分で、ため息を吐く。

 そして、一つ大きく伸びをしてから、

 

(……さてと、期待に応えましょうか!)

 

 ロイドは、エイルの指示を実行すべく、動き始めるのだった。

 

 

 



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⑤ 爵位授与式

 

 時間を一気に飛ばして、時刻は夜になっている。

 授与式の時間だ。

 展開が早すぎる?

 まあ気にしてはいけない。

 私の仕事なんぞ、あれだけ紹介すれば十分だろう。

 

 そして、その式の内容自体もさくっと飛ばす。

 近隣に居を構える付き合いの長い貴族達から有難いお言葉を長々と頂いたわけだが、そんな至極退屈なことを記述しても仕方ない。

 何事も無く爵位は授与された、ということが伝わればそれでいい。

 今日の本題は(・・・・・・)そこではないのだ(・・・・・・・・)

 

 ちなみに、無論のこと我が父もスピーチをしてくれた。

 私のために父が態々用意してくれた内容だ。

 蔑ろにするわけにはいかない。

 しかしそれも私がしっかり記憶しておけばいいだけの話。

 描写の必要は無いだろう。

 

 そんなわけで現在、式は滞りなく終了し、来客を持て成す会食の時間となっていた。

 我がウィンシュタットの屋敷にある最も大きな広間を会場にして、多くの貴族が思い思いに談笑している。

 無事に侯爵となった私がそこで今何をしているかと言えば――

 

「いやいや、実にご立派になられた」

「お美しく成長されましたな」

「エイル卿のような方が後を継ぐとなれば、お父上も安心でしょう」

「どうぞ、これからも良しなに」

 

 私の周りを取り囲む貴族達が、媚びた笑みを浮かべなら捲し立ててくる。

 それに対して私も笑顔を作り、

 

「ええ、こちらこそ。

 父の時分と変わらぬお付き合いの程、どうぞよろしくお願いします」

 

 そんな言葉と共に、一礼。

 さらに軽く談笑した後に彼らと別れ、別グループの貴族のもとへ向かう。

 そちらで行うのも、今と同様の行動。

 

 ――要するに挨拶周りの最中なのである。

 会場ホールに飾り付けられた豪奢にインテリア、お抱えの料理人が用意した豪華な食事。

 そのどちらも堪能する暇なく、私はあちらこちらへ動き回り、式へ集まった貴族達と会話を交わしていた。

 

 現代社会で言えば、接待に近いか。

 会社で営業をしていた時によくやったものだ。

 とはいえ、この挨拶周りは接待よりも遥かに気楽だが。

 何せこの場で最も立場が高いのはこの私なのだから。

 適当に(へりくだ)っておけば、相手は勝手に喜び、笑顔で応じてくれる……少なくとも表面上は。

 

 日本での接待といえば、自分を殺してただひたすら相手にとって耳触りの良い言葉を使い続け。

 例え本気でどうしようもない相手であっても、心の中では罵詈雑言が渦巻いていようとも、それを悟らせない――そんな仕事だ。

 私の場合、顧客に絡み酒をしてくる連中が妙に多かったため、それを適切にあしらうのがやたら面倒だった。

 そんなことを毎日のように続けている日本の会社員からしてみれば、この場はぬるま湯もいいところだろう。

 何せ私は、本来であればこの場で敬語を使う必要すら無い身分なのだ。

 一応は若輩の身であること、今回は自分が祝われる立場であることから、周りを立てているだけに過ぎない。

 前世での同僚のことを想うと、少々心苦しくすらある。

 まあ、これも役得として享受させて貰う。

 

 順調に貴族達との歓談は進んでいた。

 そして私はまた別の貴族の集団へと話しかける。

 

「これはこれはラザード伯。

 ようこそおいで下さいました」

 

「おお、エイル卿ではありませんか。

 そちらから挨拶に来て頂けるとは、光栄ですな」

 

 にこやかに微笑む小太りな中年男。

 式に参加した貴族の中では古株に当たる人物だ。

 伯爵であるため権力も相応に持ち、発言力もそれなりに強い。

 その証拠に彼の周りには数人の太鼓持ち貴族が常時取り巻いている。

 加えて、そういう取り決めでもあるのか、誰も彼もが派手な衣装を身に着けていた。

 貴族というのは概して着飾るものではあるが、それにしても彼らはやり過ぎの感がある。

 

 私と定型の挨拶を交わした後、おもむろにラザード伯は話を振ってきた。

 

「しかし何ですな。

 せっかくの侯爵位授与だというのに、皇帝陛下がいらっしゃらないとは随分と寂しい式ですな」

 

 嫌な笑みを浮かべる伯爵。

 早速来たか。

 

「レンモルド侯爵をご存知ですか?

 あちらもつい先月に授与式を行ったのですがな、いやー、豪華な式でしたぞ。

 わたしは遠縁の筋で参加させて頂いたわけですがね。

 陛下のみならず三公爵家までも勢ぞろいしておりましてな。

 仮にも侯爵の授与ならば、かくありたいものですな」

 

 いけしゃあしゃあと宣うラザード伯。

 

「左様左様」

「この式に参加されている方々は、少々顔ぶれが、ねぇ?」

「言っては何ですが、近隣の地方貴族しかおりませんな」

 

 そこに、取り巻き達も追従する。

 

「ああ、勘違いしないで頂きたい。

 決して――決して、エイル卿を軽んじているわけではありませんぞ?

 ただ、ウィンシュタット家はわたし共を取りまとめる御立場なわけですからな。

 屋台骨がしっかりしていていないと、下の者は不安が募るばかり、ということをご忠告したかった次第でありまして」

 

「申し訳ありません。

 何分、陛下も御多忙なお方。

 上手く式の日取りを調整することができませんでした」

 

 小太り中年の嫌味に、一応は頭を下げておく。

 言いがかりもいいところだが。

 

 ヴァルファス帝国において、爵位の授与は基本的に皇帝の承認が必要だ。

 しかし話へ出したように、陛下はかなりお忙しく、いちいち各貴族の授与に時間を割いていてはスケジュールが回らない。

 そこで親から子への爵位譲渡のような問題が発生しにくい案件の場合、まず先に爵位授与を済ませ、陛下には後日報告へ伺う、という決まりになっている。

 故に、この場へ陛下を招待するのは寧ろルール違反であり、そんな真似しようものなら後ろ指差されること必至なのだ。

 

 では何故、レンモルド侯爵の授与式には皇帝が参加したか、だが。

 端的に言えば、私とレンモルド侯は同じ侯爵の地位であっても立場が違うからだ。

 向こうは帝都にて(まつりごと)へ携わる中央貴族であり、私は帝都から離れた領地を管理する地方貴族。

 中央貴族はその立場上皇帝との繋がりが地方貴族より深く、また距離的にも都合良いため、授与式に陛下が参加することも珍しくない。

 

 ラザード伯も当然、この辺りの事情は把握している。

 知っていてなお、私を侮辱してきたのだ。

 そしてこの態度は、なにも今日に始まったことではない。

 前々からこの男、私を――いや、伯爵たる自分の“上”に立つウィンシュタット侯爵家そのものを疎ましく思っている節があった。

 所謂、政敵という奴か。

 とはいえ、ただ悪口を垂れるだけで、実際に我が家を害するような行動は取ってこなかったため、これまで父も見逃していたのである。

 

 ――と、そんな考えは露にも顔へ出さず、私は殊勝な態度をとり続けた。

 

「ところで聞きましたぞ。

 何でも明後日には帝都へ発たれるのだとか」

 

 それに気をよくしてか、なおもこの中年男は喋りは止まらなかった。

 

「はい、皇帝陛下に爵位授与のご報告を行う予定です」

 

「ははは、まあ陛下をここ招待できなかったのであれば、こちらから出向いてご機嫌をとるしかありませんからな?」

 

 別にご機嫌伺いに行くではなく、これが正規の作法なのである。

 分かっている癖に、この言い草。

 いちいち癪に障る言動をする男だ。

 

「しかしお気を付けくだされ?

 最近は治安は良くなってきたものの、まだまだ世間は平穏には程遠い。

 貴族を狙うならず者共の横行など、よく聞く話ですぞ?」

 

「ええ、そうですね。

 野盗の襲撃を受けぬよう祈るばかりです。

 ――マルベスの森周辺は、特に危ないようですからね」

 

「……っ!?」

 

 ラザード伯の息が詰まった。

 おいおい、ボロを出すのが早すぎるんじゃないのか。

 自分から振ってきた話題だろうに。

 

「32名の弓兵で周囲を包囲し、一斉に矢を投射。

 然る後に54名の歩兵の突撃により従者や護衛を排除。

 私の身柄は一旦確保し、身代金目的を装うため(・・・)犯行声明を届けつつ、適切な場所にて殺害、と。

 しかし幾ら侯爵を襲うためとは言え、こんな若輩1人を殺すのに中隊相当の数を揃えるのはやり過ぎかと思いますね」

 

「は、ハハ、そうですな。

 そんなことになれば、堪ったもんじゃありませんなー……」

 

 中年の顔に、脂ぎった汗がダラダラと流れる。

 見ていて愉快なものではない。

 しかし腹芸が下手だなこの男。

 よくもこの程度で伯爵なんぞ勤めていた(・・・・・)ものだ。

 

「そうです、堪ったものじゃありません。

 ですので、下手人たちの身柄は既に捕縛しております」

 

「はへ?」

 

 何だその鳴き声。

 

「い、いや、その、エイル卿……?

 そ、それはどういうことで――」

 

 未だ理解していない伯爵――理解したくないだけかもしれないが。

 私は大きくため息を吐いてから、

 

お前(・・)の企みはとっくに露見していると言っているんだよ、阿呆が」

 

 口調を変え、ラザードを睨み付けた。

 

 

 



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⑥ 簡易裁判

 

 

 

 私の突然の豹変に、ラザード伯爵は大分たじろいでいた。

 しかしただの“ムカつく相手”ならばともかく、“純然たる敵”へこれ以上敬語を使ってやる義理はない。

 

「一人息子である私が消えれば、“ウィンシュタット侯爵”の席が丸々空くことになる。

 一先ずは父上が継続することになるのだろうが、元々お身体がそう丈夫ではない。

 早々に次の後継者を選ぶ必要があり――まあ、私の親戚筋から選ばれるのだろうが――古くからウィンシュタット家に仕えるお前の意見は強く影響するだろう。

 私を襲った野盗を退治したり、私の亡骸を見つけたり――そんな“功績”があればなおさらだ。

 そこで、自分の息のかかった人物を侯爵の後釜に据える、と。

 随分と陳腐な絵を描いたものだな、ラザード」

 

 私が喋れば喋る程、ラザード伯の顔色が悪くなっていく。

 人間、追い詰められると本当に顔の色が変わるものなんだな。

 しかし、彼が口をつぐむ代わりに、その取り巻き達が騒ぎ出した。

 

「な、なんたる言い草か!」

「如何に侯爵であろうと、許される言動ではありませんぞ!」

「態々式へ足を運んだ客人相手に失礼だとは思わないのですか!?」

 

 次々に飛び出す私への非難のおかげで多少体勢を立て直したか、ラザードが口を開いた。

 

「そ、そうですぞ、言いがかりも甚だしい!!

 祝いの場でそのような戯言を口にするとは、非常識極まりないですな!!」

 

 憤怒の表情で私に食ってかかる。

 言うだけ言った後、仰々しいポーズで周囲を見渡し、

 

「お集りの皆様、歓談を遮ってしまい申し訳ない。

 今のはエイル卿の質の悪い冗談で――?」

 

 ――そこで奴はようやく気付いた。

 会場中の貴族が自分に向ける、冷たい視線を。

 まるで、この“哀れな獲物”がこれからどうなるか、興味深く観察しているかのように。

 

「え――」

 

 誰一人としてこの騒動を不思議に思っていない。

 動揺の欠片も見られない。

 そんな状況を、全く飲み込めていない中年男。

 

 仕方がないから、解説をしてやる。

 

「どこまでも頭の回らない奴だな。

 とうに根回し(・・・)は終わっているんだよ」

 

 この場でラザードを断罪することは、来客者全てが承知済みだ。

 理由も含め、説明を終えている。

 ……無論、本人とその取り巻き共を除いて。

 式が始まる前より手筈は整えておいたのだ。

 

 現代社会において、会議で自分の意見を何としても通したい時、事前に根回しをしておくのは常識である。

 どれだけ素晴らしい企画であろうと、当日いきなり提示したのでは大なり小なり反発が出るものなのだ。

 まあ、敏腕なプレゼンテーターであれば、そんな状況でも上役の承認をもぎ取れてしまうのだが、それはあくまで特例。

 凡人たる私の場合、会議出席者から――特に自分より立場が上で、かつ否定的な意見を述べそうな輩から、予め“Yes”を頂いておくのは欠かせない作業である。

 極論を言わせて貰えば、会議とは議論する場ではなく、決を取る場所と心得るべきだ。

 

 今回は、会社員生活を通じて得た教訓をしっかり活かしたまでのこと。

 ……実のところ、ラザード伯を裁く場をいちいち別に用意するのも面倒だったという理由もあったりするが。

 

「――さて。

 分かるな、ラザード?

 ヴァルファス帝国においてこのケース、内乱罪が適用される。

 お前()は最低でも失脚、通常は断頭台へ上がることになる。

 場合によっては親族にまでその罪は波及する」

 

 すらすらと“判決”を述べる。

 最も、侯爵暗殺など企てればどうなるか、伯爵たるラザードが把握していないわけないのだが。

 ……これだけの罪を軽率に計画しようとするとは、馬鹿な男だ。

 

「そ、そんな、確たる証拠も無しにこんなことは――

 如何にウィンシュタット侯と言えど――」

 

「ラザード、お前は脳ミソの代わりに頭へ泥でも詰まっているのか?

 ここまで場を整えておいて、証拠が無いとでも?」

 

 真っ青中をになった小太り中年が振り絞った抗議を、あっさり棄却する。

 そして懐から一枚の書状を取り出すと――

 

「あ、あ――そ、れ、は――」

 

 ――ラザードの顔が青を通り越して土気色にまで変色していった。

 紙にはラザード伯爵家の“紋章”が刻印されている。

 そればかりか、彼や取り巻き達各員の“血判”まで押されていた。

 

「血判状。

 まさかこんな古風な代物まで用意するとは――余程私が邪魔だったか?」

 

 それ程一般的でないものの、この帝国には血判の文化がある。

 法的効力としては一般的な印やサインとそう変わらないが、書状の内容を決して違えないという覚悟を示すために使われる代物だ。

 つまり連中が不退転の決意で私を蹴落とそうとした、この上ない証拠なのである。

 

 これだけの証拠品を、私が――己の管轄内であれば、国から“裁判権”すら認められているウィンシュタット侯爵が握った。

 さらには式に参加した多くの貴族がそのまま“証人”にもなっている。

 これは即ち、ラザードの懲罰は確定であるということ。

 

「な、なんで、それが……?

 ありえない……ありえない……!

 誰だ――? 誰だぁっ!!?

 血の約定を違えた愚か者はぁっ!!?」

 

「俺ですよ、ラザード卿」

 

「――あ?」

 

 激昂した伯爵の叫びに、答えた者が居た。

 その人物は、“取り巻き”の一人。

 しかし会話にはほとんど参加せず、事態を静観していた男。

 歳の頃は私より4つ程上の、青みがかった黒髪を短く揃えた美青年だ。

 ついでに言えば、けばけばしい服装で統一されたラザード伯一派の中、唯一スマートで上品な身なりをしている。

 お世辞にも品の良くないラザードの取り巻きの中、場違い感すら漂わせる伊達男っぷり。

 

 ラザードがその男の名を叫ぶ。

 

「ブラッドリー男爵!?

 馬鹿な!! 貴様――!? 貴様――!!?」

 

 わなわなと震える中年男。

 

「――血判状(コレ)は、貴様が提案してきたことだろう!!?」

 

「ああ、その通りだな。

 私がそうするように(・・・・・・・)仕向けたんだ」

 

「――――え」

 

 何度繰り返すんだ、このやり取り。

 こいつの驚き顔を見るのも飽きてきた。

 いい加減、この状況は私の手中にあるということを自覚して欲しいものだ。

 

「もともと今回の件は、彼――ブラッドリー卿が知らせてくれたことでね。

 ラザード伯爵に怪しい動き有り、と。

 私の方でも裏が取れたので、そのまま彼に内偵してもらった」

 

 軽い事情説明。

 敢えて口にはしていないが、実のところこの一件、私はほとんど何もしていなかったりする。

 大半を、この“ブラッドリー・ラジィル男爵”が片付けてくれたのだ。

 私への密告に始まり、ラザードと取り巻き達が密会する日程やその内容、全てに事細かな報告があった。

 血判状についても、明確な証拠品が欲しいという私の要望に彼が応えた結果である。

 しかもこれだけやって、ラザード達には自分が裏切る気配を全く感じさせていない。

 

 ――何たる辣腕。

 これ以上ない程に分かりやすい有能さ。

 実際、見るからに“デキる男”のオーラをぷんぷんと発している。

 聞いたところによると帝都士官学校を次席で卒業した経歴の持ち主でもあるらしい。

 

 何故そんな人物が――元々はラザード一派であった人物がここまでしてくれたか、理由は明白だ。

 ラザードの下にいるより、私へ媚びを売った方が利益になると考えたのだろう。

 何でもこの伯爵、これ程の有能な男を小間使い程度にしか使ってこなかったという。

 それは離反したくもなるというものだ。

 

 ――いや本当に愚か者だな、この中年男。

 おかげで私は大分楽ができた。

 昔から気に食わなかった連中を、こうも簡単に排除できていいのか不安に思ってしまう程に。

 

「男爵、正気かっ!?

 貴様を取り立ててやったのは誰だと思っている!?」

 

「感謝はしています、一応ね。

 ただ残念ながら、ウィンシュタット侯が約束した報酬の方が魅力的だったんですよ」

 

 私をおいて、話を始める2人。

 

「しかしまあ、安心して下さい、ラザード卿。

 俺が事前に“密告”しておいたおかげ(・・・)で、エイル卿は我々に温情を下さるそうです。

 今回の件で“あんた達”以外を罰することは無い、とね。

 内乱罪に対するものとしては、これ以上ない程寛大な(・・・)処分を勝ち取れました」

 

「がっ――ばっ――何が、何が“勝ち取れた”だっ!!」

 

 怒りでラザードの形相が偉いことになっている。

 こうなった原因の全てがブラッドリー男爵にあるのだから、その感情は御尤も。

 ただ事の発端――暗殺計画の立案自体は伯爵が行ったことなので、根本的に自業自得だ。

 

 一方でブラッドリーは中年男の怒号など、どこ吹く風。

 にこやかに会話を続ける。

 

「そんなわけなんで、心置きなく罪を償って下さい。

 どんだけあんたが苦しもうと俺は痛くも痒くもないし、あんたの家族だって無事ですから」

 

「こ、こ、こ――こんな、ことを、して――タダで、済むと――!!」

 

「済むも済まないも、もう終わり(・・・)なんですよ、あんたは」

 

「うっ――あ、あ――」

 

 その飄々とした態度が、ラザードへさらに油を注いだ。

 中年伯爵の手が、脚が、わなわなと震えていく。

 

「ふっ――ふ、ふざ、ふざけるなっ――!

 こ、ここで、終わり――?

 こんな、こんなところで、終わる、だと――?」

 

 思い詰めた表情。

 これは――爆発するな。

 

「そんな――そんな――そんなことっ――認められるかぁっ!!」

 

 案の定だった。

 懐からナイフを取り出したラザード伯爵は、私に向けて突進してくる。

 ――なんて分かりやす男。

 

「エイル・ウィンシュタット!! お前も道づ――――ぎっ!!!?」

 

 台詞は最後まで言えなかった。

 奴の身体が“雷”に打たれたからだ。

 私へ飛びかかる姿勢のまま、伯爵は倒れ伏す。

 最後まで締まらない男だった。

 

「ご無事ですか、坊ちゃま」

 

「指先すら触れられていない状況で、無事も何もない」

 

 その雷を放った張本人――“セシリア”が私を気遣ってくる。

 何かあった時のために、最初から彼女を近くに待機させておいたのだ。

 

「――殺してはいないな?」

 

「はい。加減いたしました」

 

「よろしい」

 

 末路が決定されていたとはいえ、正当な手続き無しに――しかも一応は平民であるセシリアが貴族を殺したとあっては、些か事後処理が面倒なのだ。

 一応自分の目でも、ラザードの体が小さく痙攣していることを確認する。

 

 今、何が起こったか。

 端的に言えば、彼女が“魔法”を使い、私を守ってくれたのである。

 ただそれだけのこと、なのだが――

 

 

「――今の、見ましたか」

「――ああ、“詠唱”も“触媒”も無しに、魔法を」

「――しかも、“雷”」

「――ウィンシュタット家が“魔女”を飼っているという噂は本当だったのか」

 

 

 ――周囲が騒めく。

 式へ参席した貴族達は、警備兵によって運ばれていくラザードとその一派から、セシリアへと関心を移したようだ。

 まあ、無理もない。

 彼女の魔法は超一級品だ。

 魔法を少しでも齧ったことのある人間であれば、その異常さは見ただけで分かる。

 そしてヴァルファス帝国の貴族にとって、魔法は必修の嗜み(・・・・・・・・)だ。

 

 この辺りで魔法についての説明もしておきたいところだが、セシリアのそれは常人が扱うものとかけ離れ過ぎている。

 彼女を例にとって解説をするのは、些か不都合だ。

 そのため、ここでの説明は省略させて貰おう。

 セシリアは秘書としてだけでなく、魔法使いとしても卓越した腕を持つ女性なのだということを覚えてくれればそれでいい。

 “天は二物を与えず”という言葉があるが、ことセシリアに関してそれは当て嵌まらないのである。

 

 さてと。

 いつまでもこんな雑事で式を中断させるのもなんだ。

 そろそろ、仕上げていこう。

 

「ブラッドリー男爵」

 

 騒然とする周りを尻目に、私は青髪の青年へと話しかけた。

 

「何でしょうか、エイル卿」

 

「ちょうど今、伯爵の位に空席ができた。

 君、やってみるか(・・・・・・)?」

 

「……は?」

 

 ブラッドリーの瞳が丸くなった。

 彼はこういう顔もできるのか。

 

「確約はできない。

 爵位授与の最終的な決定権は陛下にあるからな。

 ただ、陛下に面会する際、君のことを強く推したいと思っている」

 

 今回のことで、ブラッドリーが非常に優秀な人物であることは十分把握できた。

 こういう人材を手放すのは賢くない。

 ささっと自分の手元へ囲い込んでしまうのが吉だ。

 

 もっとも、伯爵が一人いなくなったからといって、それを補充しなければならないわけではない。

 空席が出来た、というのはあくまで物の例えである。

 しかし、上申しやすいタイミングなのは確かだ。

 

「勿論、伯爵としての務めに支障無いよう、補佐の子爵もこちらで選考しておこう。

 ラザード伯の手垢が付いた部下を直接取り仕切るのは骨だろうからね。

 どうだろうか?」

 

 いきなり“やんちゃ”されても困るので、監視業務も込みの補佐役だが。

 急な話に未だ決断が下せない男爵へ、さらなる一押しを行う。

 

「まあ、厳しいようであれば無理にとまでは――」

 

「い、いや! やりますっ!! やらせて下さい!!」

 

 案を取り下げるポーズをした途端、彼の意思は決まったらしい。

 無理もない。

 ブラッドリー男爵程にもなれば私の意図など見抜いているだろうが、それを差し引いてもこの提案は美味しいはずだ。

 男爵から伯爵への昇格なぞ、そうそうあるモノではない。

 

 気付けば、周りの視線が私達へと集中していた。

 こちら(・・・)は周知していなかったから当然か。

 しかし過去にそうそう例の無い出世劇にも関わらず、反発の声は無かった。

 別に不思議なことではない。

 何せ彼は私の――侯爵の命を救ったのだから。

 私が提案した褒賞へ安易に異を唱えれば、『エイル侯爵の命は伯爵位に見合わない』という宣言をしたことになりかねない。

 その程度読めないようでは、この貴族社会を生きていけないのだ。

 

 こうして私は、無能な反逆者を切り捨て、新たに有能な部下を確保することに成功しつつ、侯爵の授与を完了したのだった。

 一度に色々片付くと気分が良いものだ。

 

 

 

 



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⑦ 男爵の思惑▼

 

(伯爵――?

 片田舎の貧乏貴族な俺が、伯爵だと――?)

 

 皆の注目がエイル侯爵の侍女へと集まる中、ブラッドリー・ラジィルは己の身に起こったことを独り反芻していた。

 よもや、自分が伯爵になってしまうなど、昨日まで思ってもみなかったことだ。

 『確約できない』などと言っていたが、この地域一帯を取りまとめる大貴族ウィンシュタット家が後押しすれば、ブラッドリーの伯爵授与はほぼ間違いのないものだろう。

 

(はは、マジかよ)

 

 空笑いが浮かぶ。

 いきなりの大出世だ。

 己の決断の正しさを、まじまじと実感する。

 

ラザード伯爵(あいつ)を裏切って正解だったな)

 

 改めて、この出世劇を演出したエイル侯爵の姿を見る。

 他の連中は、常人には考えられぬ程高度な魔法を使用した侍女にばかり気を取られているようだが――

 

(本当に恐ろしいのはこの女性(ひと)だ。

 こんな短期間に、式へ集まる全貴族へ根回しを終えているとか――できるか、普通!?)

 

 エイルが侯爵であることを差し引いても、至難な行動であることが想像に難くない。

 誰かが難色を示せば式が怪しくなるかもしれず、最悪ラザード伯爵への密告だって考えられる。

 しかし、彼女はやり通した。

 

(――実際のところ、ラザード卿を片付けるのに俺の手助けなど必要なかったのだろうな)

 

 これだけの手腕を持つ人だ。

 ラザード程度を辞任に追い込むことなど、造作も無かったに違いない。

 ならば何故、彼女は自分を使い、あまつさえ伯爵などという位を渡したのか。

 その“意図”を、彼はしっかり認識していた。

 

(分かっていますよ、エイル卿。

 貴女は駒が欲しいんでしょう。

 自分に従順な駒が)

 

 要はそういうことなのだろう。

 ラザード伯爵という反乱分子を排除した後は、自分に忠実な部下を揃えて権力の地盤を確固たるものにする。

 若き辣腕侯爵は、そう目論んでいるのだろう。

 そして幸いなことに、ブラッドリーはエイルのお眼鏡にかなったらしい。

 

(在り来たりと言えばその通りだが、その行動力の凄まじさよ)

 

 どちらも一日で済ましてしまうとは、恐れ入る他ない。

 ……いや、エイル侯爵はまだまだ先を見据えており、これは“地ならし”の第一歩に過ぎないのかもしれないが。

 

(公爵の座でも狙っているのか――まさか、皇帝ってことも?)

 

 本来、一笑に付すような話だ。

 しかし有り得ない、とは言い切れない。

 それだけの可能性を、ブラッドリーは彼女の中に見出していた。

 

(果たして“女性”が皇帝になるのを頭の固い貴族共が認めるかどうか、だな。

 ……ああいや、エイル卿は一応(・・)男性だったか)

 

 対外的にはそういうこと(・・・・・・)になっている。

 どれほどの人がそれを信じているかは知らないが。

 

(しかし先代のフェデル様も酷なお方だ。

 いくらお家の事情とはいえ、あれ程美麗な“少女”に男としての振る舞いを要求するとは)

 

 帝国貴族の中でも特に格式高い家柄であるが故、なのだろう。

 ヴァルファス帝国では女性への爵位授与も珍しくないが、大昔は男性にのみ爵位の所持が許されていたと聞く。

 そういった事情から、ウィンシュタット家ともなると男が後を継がねば面目が保てない、ということか。

 先代当主のフェデル・ウィンシュタットは聡明かつ公正な人物との話だが、その辺りは如何ともし難かったようだ。

 

(とはいえ、あれで男ってのは無理があるよなぁ)

 

 服装は男性のものではあるし、立ち振る舞いも男として堂に入っている。

 しかし、女としての色気をまるで隠せていない。

 胸こそどうにかして誤魔化しているようだが、その細い腰つきやむちっとしたお尻など、気を抜くとつい目がいってしまう。

 

(そもそも、ラザードがエイル卿を襲おうとした理由も――)

 

 侯爵には権力簒奪のためとだけ報告しているのだが、実は違う。

 ラザード伯爵の本当の目的は、エイル本人だったのだ。

 つまり奴がやろうとしたのは、暗殺ではなく拉致。

 エイル侯爵を失脚させ自分の傀儡に取って変えようとしたのではなく、彼女そのものを己の操り人形に仕立てようと目論んでいた。

 その上で、エイルの肢体を下卑た欲望の捌け口にしようと画策していたのである。

 全く持って、反吐が出る程の下劣っぷりだ。

 

(ちっ、貴族の風上に置けぬ下衆野郎め!)

 

 実のところ、このことがブラッドリーに造反を決意させる最後の決め手となった。

 ただ、侯爵へ正しく報告を行っていない件に関しては、将来己の失点となりかねないが――

 

(どうせラザードの末路は変わらないんだ。

 エイル卿を不快にさせる必要はない)

 

 ――そう判断した。

 余計なお世話だったかもしれない。

 しかし、年頃の女子にとってこのような話は決して愉快なもので無いはずだ。

 

(……ま、それはそれとして、だ)

 

 ふと、ブラッドリーは思う。

 既に他の貴族達との談笑へ戻ったエイル侯爵の後姿に目をやって、

 

(ラザード伯爵へ向けていた、蔑んだ視線。

 一度、俺にもやってくれないだろうか……!)

 

 あの鋭く、他人を見下げた眼差しを思い出しただけで、心がキュンキュンしてしまう。

 心臓を鷲掴みにされたような気分だ。

 自然と身体がひれ伏しそうになった。

 靴を舐めてもいいと思った位だ――いや寧ろ舐めたい。

 生足ならモアグット。

 

(アレを実際に向けられたら、俺は一体どうなってしまうのだろう!?)

 

 これから始まる、彼女の駒としての生活についつい心弾ませてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 ……ブラッドリー・ラジィル。

 有能な男に間違いはないのだが、割とダメな病気持ちでもある。

 

 

 



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⑧ 月と星に照らされた部屋で

 

 

 式は無事終了し、一転して屋敷に静けさが戻った。

 来客は、手配した宿に向かっており、ここにはほとんど残っていない。

 そんな中、私は一人、屋敷の廊下を歩いていた。

 後は明日に備えて就寝するだけ――ではない。

 

 逆だ。

 私にとって、これからが本番。

 この後起きることに比べれば、今までの出来事は全て“雑用”とみなしてもいい位だ。

 正直なところ、ここまで読み飛ばしてくれてもいいとすら思っている。

 ちょっと何言っているか分からないかもしれないが、それ程に今の私は気合いが入っている、ということを理解して頂きたい。

 

 さて。

 風呂はもう済んでいる。

 ――少し脱線するが、帝国では各町に大浴場があり、貴族や金持ちは大抵風呂を個人で所有していたりする、脱線終わり。

 先述の通り、すぐにでも寝れる準備は整えてあるのだ。

 まあ、すぐに汗をかくことになるのだがね!

 

「よし」

 

 はやる気持ちを抑えるため、意図的に声を出す。

 いつの間にか、寝室の前に来ていた。

 鼓動が早くなるが努めて冷静を保ち、その扉をゆっくりと開ける。

 すると――

 

「――お待ちしておりました」

 

 中から、セシリアの声。

 聞こえた方へと目をやってみれば。

 

「ッ!!」

 

 危うく、声が漏れそうになった。

 それ程、衝撃的だったのだ。

 

 セシリアが。

 艶やかな銀髪を持った、可憐な少女が。

 年齢とは不釣り合いに、蠱惑的な肢体を持つ美少女が。

 シーツ一枚を羽織った姿で、私のベッドの上、三つ指をついて出迎えていた。

 

 そう、シーツ一枚。

 他には何も着けていない。

 美しく豊かに育った、胸の双丘も。

 綺麗な曲線を描く、桃のようなお尻も。

 今は、たった一枚の、薄い生地にしか覆われていないのである。

 

 窓から差す月明かりが、セシリアの肢体を照らす。

 その様は、夢か幻かと思う程に、幻想的だった。

 

「坊ちゃま」

 

「な、なんだ?」

 

 急に声をかけられ、少しどもってしまう。

 

「いつまでもそんな場所に立っておらず。

 どうぞ、こちらへ」

 

「あ、ああ」

 

 招かれて、私もベッドへと腰を下ろす。

 セシリアとの距離が、ぐっと近くなる。

 肌が白い――まるで陶磁器の様だ。

 強く抱きしめれば折れてしまうかのような華奢さでありながら、男を欲情させるのに必要な媚肉は十分付いている。

 目の輝きは翡翠を連想させ、その切れ長な瞳に見つめられると心がぐちゃぐちゃに掻きまわされてしまう。

 唇はとても瑞々しく、そして柔らかそうだ。

 銀色の髪は、本物の銀に勝るとも劣らない。

 

 ……ここまで来れば、もう細かい説明は要らないだろう。

 要するに、今日、私は、彼女を、抱く。

 この、モデルが裸足で逃げ出しそうな美貌を持つ少女を。

 今日、私の自由にできるのだ。

 

 この日をずっと待ち望んでいた。

 セシリアと出会った時から、その欲望を抱いていたのかもしれない。

 だってそうだろう。

 こんな美しい女性と常に一緒に居て、下心を持たない男なんているか?

 無理だ。

 少なくとも私には無理だった。

 そして私には、彼女へ命令を下せる権力がある。

 ならばどうするか。

 地位の力を笠に着て、セシリアとそういう関係になるしかないだろう!

 

 最低な男だと、なじりたいなら好きなだけなじるといい!

 私はこの世界で権力に縋り、自由に生きる!

 

「坊ちゃま?」

 

「ん、んん?」

 

 また声を詰まらせてしまった。

 いかんな、私が緊張していることを、彼女に悟られるのはよろしくない。

 男としての沽券に関わる。

 

「ベッドに座られてからまるで微動だにしないのですが……ひょっとして、緊張されておられるのですか?」

 

「そ、そんなわけが無いだろう。

 君の方こそ、どうなんだ?」

 

(わたくし)は、緊張しています。

 今にも心臓が張り裂けそうです」

 

 ほとんど表情を変えず、そう言い切った。

 本心なのか、それとも私の気を和らげるための方便なのか。

 

「……そう、なのか?」

 

「ええ、勿論です。

 ――これが初めて、ですから」

 

「……おぅ」

 

 そうなのか。

 初めてだったのか。

 初めてを私に捧げて良かったのか?

 その辺り私は別に拘っていないのだけれども、そういうことならせっかくなので頂かせて貰おう。

 

 ……気に恐ろしきは侯爵の力、というわけか。

 実のところ――余り思い出したくないが――過去、一度セシリアに誘いをかけたこともあった。

 しかしその時は、素気無く断られてしまったのだ。

 そんな彼女も、侯爵となった私の命令には逆らえなかったと見える。

 まだ経験がないにも関わらず、こうして従わざるをえなかったのだから。

 ――うむ、こうして纏めてみると、かなり最低だな、私は。

 

「それでは、お召し物を」

 

「あ、ああ、頼む」

 

 セシリアの手が私の衣服へと伸びた。

 そのままするすると服を脱がしてくる。

 この辺り、いつもやっていることなので手慣れたものだ。

 ――貴族は、着替えすら手伝って貰って“当たり前”なのである。

 

「……なんだか、気恥ずかしいものがあるな」

 

 何も身に着けていない状態になると、どうにも不安というか、そわそわしてしまう。

 彼女の前に裸を晒すなど、最早日々の習慣にすらなっているというのに。

 

「……そうでございますね」

 

 てっきり『いつものことです』というような返答が来るかと思ったが、意外にもセシリアもまた私に同意した。

 部屋が暗いため今まで気づかなかったのだが、よく見れば彼女の顔は――

 

「少し、赤くなっている、か?」

 

「……ですから。

 緊張をしていると、申し上げたではないですか」

 

 恥じらうように、顔を背けるセシリア。

 ドクンッと胸が高鳴った。

 彼女のこんな表情、初めて見た気がする。

 

「では、次は君の番、だな」

 

「は、はい」

 

 セシリアの声が、震えている。

 顔がさらに赤みを帯びてきた。

 それでも躊躇をすることなく、彼女は纏ったシーツを開けていった。

 数瞬の後、目の前には生まれたままのセシリアが現れ――

 

「い、いかがでしょうか?」

 

「――如何も何も」

 

 芸術品だった。

 素晴らしい、彫刻のような肢体。

 曲面の一つ一つが、男を惹きつけるよう計算されてデザインされたかのよう。

 釣鐘状に整い、見るからにハリのある胸の膨らみ。

 その先端は実に鮮やかに彩られている。

 引き締まったくびれ。

 その下方にある、これまた揉み心地のよさそうなプリっとした臀部。

 

「…………」

 

 ゴクリ、と唾を飲み込む。

 この身体を、今から私の好きにしていい、のか。

 グラビアモデルが裸足で逃げ出してしまいそうな、この身体を。

 

 許されるのか、そんなことが。

 いや、許されるのだ。

 侯爵だから、許されるのだ。

 この権力を使えば、容易く人を意のままにできる。

 

 そして私は、セシリア(ここ)で止まるつもりはない。

 侯爵の地位を利用することで、この国のほとんどの女性を抱くことが可能であり、しかも帝国では一夫多妻制も認められているのだから。

 すなわち、合法的にハーレムを作ることも夢ではないのだ!

 ならば、作るしかあるまい。

 何の因果か“前の人生”では女性にとんと縁のない私だったが――いや、そんな私だったからこそ!

 この世界では、今度の人生では、助兵衛に生きる!!

 欲望に忠実に生きてやる!!

 今日を皮切りに、気に入った女性を手当たり次第に抱く、エロエロな人生を送ってやるのだ!!

 

 ああ、しかし、ハーレムの人数は6,7人くらいがいいか。

 やはり侯爵の妻ともなれば相応の生活を送らせてやらねばならず、ウィンシュタット家の収入できっちりと養えるのは大体それ位の人数だからだ。

 結婚とは相手の人生を背負うもの、その辺りはしっかりしておかねばならない。

 手を出すだけ出してその後放置するなど、男の恥だ。

 

 あと無理やりも良くない。

 ちゃんと相手との合意は取る必要がある。

 金でも宝石でも地位でも、代償に相手が欲しがるものはきちんと用意するつもりだ。

 それでも合意が得られないのであれば、手出ししてはならない。

 嫌がる女性を抱くのは趣味ではない。

 

 そういう意味で、セシリアへ行った行為はかなり反則気味である。

 初めての体験(・・・・・・)はその――どうしても彼女とが良かったので、かなり強引な手を使ってしまったのだ。

 セシリアはウィンシュタット家の侍女なのだから、どうしたって私に従う他ないというのに。

 今後の仕事への支障を考えたのだろう、欲しいものを尋ねても何も答えてくれなかった。

 

 だから今後、彼女が望むようならハーレムから解放しようと思っている。

 勿論、ただ放り出すような真似はしない。

 それこそ、これからの人生仕事せずに暮らせる程度の、纏まったお金は渡すつもりだ。

 生活基盤もセシリアの好きな様に整えるし、就きたい仕事の希望があれば手配する。

 他にも欲するものがあれば権限の及ぶ範囲で準備しよう。

 もし彼女に好きな男性ができたら、その仲を応援したっていい。

 凄く辛いけど!

 泣きそうになるけど!

 まあ、そうならないように全力を尽くすけれどもね!

 

 ――え、早口っぽくなっている?

 そんなことは無い。

 そんなことは無いさ。

 

「坊ちゃま?」

 

「ん、んんっ!?」

 

「どうされました、長いこと硬直していたようですが」

 

「そ、そうだったか?」

 

「はい」

 

 思考を明後日の方向へ巡らせすぎていたらしい。

 こんな肝心の場面で呆けてしまうとは。

 しっかりしろ、私。

 

「あの――やはり、貧相でしょうか?」

 

「は?」

 

 いきなり訳の分からないことを言いだすセシリア。

 

(わたくし)のみすぼらしい体では、坊ちゃまを昂らせることができないのではないか、と」

 

「いやいやいやいや、そんなことは無い! そんなことは無いぞ!?」

 

 彼女は一体何を言っているのか。

 セシリアのスタイルが貧相だというなら、世の女性は全て寸胴体型ということになってしまう。

 

「ですが、坊ちゃまに比べますと――」

 

「そこで何故私と比べる?」

 

 こんなところでジョークを飛ばされても、反応に困る。

 彼女なりに場を和まそうとした結果なのだろうけれど。

 実際、確かに肩の力は抜けた気がする。

 

 と、いうわけで――

 

「――あ」

 

 セシリアが小さく声を漏らす。

 私が、彼女をベッドに押し倒したからだ。

 

 互いの身体と身体が触れ合う。

 柔らかい。

 凄く柔らかい。

 女性特有の甘い香りが鼻孔を満たす。

 

「――セシリア」

 

「――坊ちゃま」

 

 視線を交差させながら、名を呼び合った。

 できれば“エイル”の方を使って欲しかったが。

 まだ彼女にとって、自分は“坊ちゃま”に過ぎない、ということか。

 ……まあ、いずれその認識は変えてやろう。

 

「セシリア――君は私のモノだ」

 

「――あ、んんっ」

 

 有無を言わさず、キスをする。

 セシリアの唇は、滑らかで、暖かかった。

 その勢いのまま彼女へ覆い被さり――

 

 

 

 ――月と星に照らされた部屋の中、二つの影が一つになる。

 

 

 



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⑨ 侍女の思慕▼(挿絵有り)

 

「――んん」

 

 真夜中。

 セシリアは目を覚ました。

 

「――ここは?」

 

 見慣れた部屋。

 何度も目にしたベッド。

 しかし、こんな風に上へ乗ったことは一度も無い。

 ここは、彼女の主人の寝室であった。

 

「――つまり」

 

 横を見る。

 そこには主人が――エイルが横たわっていた。

 

「――夢では、なかったのですね」

 

 安心して、ほうっと息を吐く。

 余りにも幸せな(・・・)体験だったので、もしや夢の中での出来事だったのではないかと疑ってしまったのだ。

 

(ようやく、坊ちゃまに抱いて頂くことができました……)

 

 下腹部には、その“実感”がある。

 自分の主人へと、全てを捧げることができた感覚が。

 

「ああ、エイル様――」

 

 うっとりと、名を呟く。

 セシリアにとって最も大切な人――いや、己の全てと言っても過言でない人物。

 

 セシリアは、孤児であった。

 物心ついた時には親は無く、身よりもなく、行き着く果ては身売りか物乞いか。

 そんな自分を引き取り、高度な教育を施し、“魔法の力”までも与え、ここまで育てて頂いたのが、エイル・ウィンシュタットなのである。

 あまつさえ、どんくさい(・・・・・)自分に侯爵の秘書役という分不相応な地位までも恵んで下さった。

 

 エイルが望むのであれば、どんなことだってやってのける自信がセシリアにはある。

 それが例え初夜であろうと、だ。

 ――訂正。それは寧ろ彼女自身の願望であった。

 

(……まあ、最初は失敗してしまいましたが)

 

 忘れもしない、エイルが成年に達した日。

 僥倖なことに、彼から夜のお誘いを受けたのだ、が――

『男は少し焦らされた方が燃える』等と同僚に吹き込まれ、その通りに実践したらものの見事にふられてしまった。

 なんたる間抜け。

 

(あの時は、目の前が真っ暗になりました……)

 

 件の同僚を、殺してやろうかとすら考えたほどだ。

 しかし、セシリアにも落ち度はあった。

 

(坊ちゃまと、他の下賤な男共との感性を同じに見立ててしまったことこそ、全ての原因。

 浅はかな(わたくし)に罰が下ったのでしょう)

 

 しかし時は巡り、再びチャンスが舞い降りた。

 今度こそ逃すまいと、体調を万全に整えてこの日に臨んだのである。

 

(……嬉しい。

 こんな幸福、(わたくし)が味わっても良いのでしょうか?)

 

 つい先刻まで行われていた“行為”を思い返し、感触を反芻する。

 長年夢見ていたことが、とうとう実現したのだ。

 嬉しすぎて、涙が零れそうになってしまう。

 

「――ん、ん、セシリア」

 

「坊ちゃまっ!?」

 

 突然、エイルが口を開いた。

 何事かと身構えてしまったが――

 

「寝言、ですか」

 

 どうも、目を覚ましたわけでは無い模様。

 うっすら瞳を開けているものの、完全に眠気眼だ。

 

「むにゃむにゃ……」

 

 愛らしい言葉と共に、もぞもぞと身体を動かす。

 その様子をセシリアはじっと眺め――

 

(――なんて、綺麗な人)

 

 ほう、と甘い息を吐いた。

 エイルの美しい容貌、麗しい肢体には、女の自分ですら目を奪われてしまう。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 短く整えられた黒髪は艶やかで、身じろぎに合わせてサラサラと流れる。

 その瞳はまるで黒瑪瑙のように高貴な輝きを放ち。

 肌はキメ細かく、滑らか。

 腰はか細くくびれ、セシリアよりも締まっているように見える。

 それでいてお尻にはむっちりと肉が詰まっており――

 

(柔らかくて、ハリがあって――なんて、いい触り心地でしょう)

 

 無意識に目の前にあるエイルの柔肉を手で触りながら、恍惚に浸るセシリア。

 すべすべで、もっちりで、プリプリだった。

 

「――ん、んんっ」

 

「あら」

 

 起きそうになったので、慌てて手を離す。

 幸い、また寝息を立て始めた。

 

(しかし、実に艶めかしい声でございました)

 

 エイルの声は高く艶があり、ここに関しても十分に女性で通じる。

 総じて、とても“男性”とは思えない身体の持ち主だ。

 つい先ほど、彼によって女にされた(・・・・・)セシリアですら、不意にエイルを少女のように錯覚してしまう程。

 しかもただの女の子ではなく、極上の美少女。

 エイルに比べれば、自分など凡婦に過ぎない――セシリアは本気でそう思っているし、何度か具申したこともあった。

 真剣に受け取ってくれた試しがないが。

 

「エイル様――」

 

 再び、呟く。

 普段は口にしない(・・・・・・・・)、彼の名前。

 

(……この屋敷に居る全員が、坊ちゃまをそう呼ぶものですから)

 

 少しでも、自分は特別な位置にいるのだと思いたかった。

 もう誰も使わない“坊ちゃま”という呼称を敢えて使うことで――使うことを許されていることで――自分がエイルにとって特別な人間なのだと思い込みたかったのだ。

 

(……そうではないことくらい、分かっています)

 

 多少他の使用人と異なる役割に就いているとはいえ、セシリアは所詮ただの侍女。

 一方でエイルはヴァルファス帝国の誇る八侯爵家が一つ、ウィンシュタット家の当主だ。

 釣り合いが取れないどころの騒ぎではない。

 本来、懸想することすらおこがましい。

 

(いずれは、坊ちゃまに相応しい名家のお嬢様と一緒になるのですよね……)

 

 ――おこがましいのだが、そのことについて思いを馳せれば馳せる程、心が苦しくなる。

 胸が張り裂けそうになる。

 

 だから。

 添い遂げることが、不可能であるならば――

 

「どうか――どうか、末永く(わたくし)をお使い下さいませ」

 

 ――せめて、侍女として付き従っていたい。

 そのためなら、彼のどんな要求にも応えてみせる。

 どれだけの努力も厭わない覚悟が、彼女にはあった。

 

「エイル様」

 

 もう一度、主人の名を呟くと。

 セシリアは、静かにエイルへ口づけした。

 

 

 

 ――夜は、静かに更けていく。

 

 

 

 

 

 第1話 完

 

 



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第2話 いざ、帝都へ
① 天馬の馬車


 

 

 侯爵位授与式から2日が経った。

 式の後処理は昨日で完了し、今日からは通常業務に戻――らない。

 寧ろ、ある意味で式よりも重要な仕事が本日から始まるのだ。

 前にも少し触れたが、皇帝陛下との面会である。

 基本的にヴァルファス帝国では爵位授与に皇帝の許可が必要であり、私のように親から子へと継がれる場合であっても事後連絡を欠くことは許されない。

 とはいえ長い式が開かれるわけでも無く、極端に言えば皇帝へ挨拶するだけなのだが。

 

 ただそれだけではあるのだが、このウィンシュタット領の場所に少々問題がある。

 何せここは帝国の“東端”。

 隣国である東部諸国連合との国境沿いに位置するのが我が領地なのだ。

 当然、帝国の中心に鎮座する帝都ヴァルキスとはかなりの距離があり、顔見せに行くだけでも相当な労力となる。

 もし徒歩で行こうとするなら、最低でも2週間は見積もっておく必要のある行程だ。

 まあ、私は侯爵であるが故に、馬車を使わせてもらうが。

 

 そういう訳で、これから楽しい楽しい帝都旅行に出発するわけである。

 ――うん、なかなかに面倒臭い。

 

「坊ちゃま、出立の準備整いました」

 

 そうこうしている内に、銀髪の美少女――私専属の侍女であるセシリアが迎えに来た。

 手には大きな旅行鞄を持っている。

 今日もメイド服をきっちりと着こなし、凛とした佇まいが美しい。

 もっとも、そんな凛々しい彼女を私は好きにしてしまっているのだけれどね!

 

 ……まあ、一昨日は情けない姿を見せた。

 前の世界で人生歩んで三十余年、コチラの世界でも十余年生きてきたというのに、純情な少年のような反応をしてしまった。

 しかし、もう大丈夫。

 セシリアとの体験を経て、私は一つ上の男になったのだ。

 もうあんな無様は曝さない。

 その証拠に――

 

「セシリア」

 

「はい、何でございま――んんっ!?」

 

 ――返事を最後まで言わさず、彼女の唇を奪う。

 

「んんっ――んっ――は、ぅぅぅ――」

 

 セシリアの口内へ強引に舌を割り込ませ。

 

「あ、んんんっ――れろっ――はぅっ――れろっんっ――」

 

 互いの舌を絡ませ合う。

 ……繊細だ。

 とても繊細で、柔らかで、滑らか。

 セシリアの舌は、そんな触感だった。

 

「――は、あっ」

 

 このまま何時までも堪能していたいところだが、今日は時間が無い。

 一旦口を離す。

 

「ふぅ、なかなか良かったぞ。

 君とのキスは最高だな」

 

 嘘偽りない本音だった。

 ただ口づけを交わすだけでこれ程の官能を味わえるとは。

 これまでの人生で経験のないことだった――いやその、セシリア程の美少女とキスをした経験自体、経験が無かったわけだけれども。

 

「さ、そろそろ行こうか。

 余り御者を待たせるわけにもいかない」

 

 余裕をもった態度でセシリアを促し、部屋を出ようとする――が。

 

「…………」

 

 彼女が動かない。

 

「……? どうした、セシリア? そろそろ時間なんじゃないのか?」

 

「…………」

 

「お、おーい、セシリア?」

 

「…………」

 

 フリーズしている。

 微動だにしない。

 視線が空中の一点を見つめたまま固定されている。

 

「せ、セシリアぁっ!?」

 

 

 

 ――動き出すのに、たっぷり10分はかかった。

 私は、そんなに嫌われていたのだろうか――い、いや、そんなはずは、無い、と信じたい。

 

 

 

 

 

 

「……お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」

 

「い、いや、別に大丈夫だ」

 

 場所は既に馬車の中。

 私達は向かい合う形で座っていた。

 仄かに顔を赤らめて、セシリアは先程の弁解を口にする。

 

「ただその、なんだ――い、嫌なら、そう言ってくれていいんだぞ。

 君に無理はさせたく――」

 

「そんなことはございません!!」

 

 途中で遮られた上に思い切り否定された。

 ここまで強い口調を彼女が使うのは実に珍しい。

 

「そ、そう?」

 

「はい!

 何でしたら、いついかなる時でも接吻をお受けいたします!!」

 

「……そ、そうか。

 それなら、いいんだ」

 

 嫌がっていたわけではないと知って、ほっとする。

 ああ、しかし、余り油断してもいけないか。

 犯した“失点”を取り戻すため、必死になっているだけかもしれないのだから。

 セシリアとの付き合いはもう十年以上になるし、大よそ彼女のことは理解しているつもりでいるが、やはり女性の思考を男が把握するのは難しい。

 

 ちなみに、だが。

 広い馬車の中には現在、私とセシリアだけ。

 頑丈な造りで、車内の会話は外の御者には伝わらない。

 だからこそ、こんなちょっと恥ずかしい会話をしているのだ。

 

 それはつまり、この帝都旅行は二人きりで行く、ということでもある。

 これはもう、新婚旅行と言っても過言ではないのではなかろうか――いやすまない、ちょっと気が逸り過ぎた。

 

 ここで、侯爵ともあろう者がこんな少人数で帝都へ行くのか、という疑問を持つかもしれない。

 しかし考えてもみて欲しい。

 今回は皇帝陛下に挨拶するだけなので、身の回りの世話をしてくれる使用人さえいれば不都合はないのだ。

 しかも帝都側で受け入れの用意――宿泊場所や食事等――もしてくれるため、持ち物も最低限でいい。

 加えて、余り大勢でいくと経費が無駄にかさむというのもある。

 最後は若干アレな理由だが、とにかく以上のことから私はセシリアだけを伴った帝都行きを決断したのだ。

 ――彼女と2人だけの旅行もしたかったし。

 

「坊ちゃま、随分と嬉しそうですね」

 

 思考の最中、セシリアが話しかけてきた。

 

「……そうだったか?」

 

「はい、微笑んでいらっしゃいました」

 

 私としたことが、顔に出ていたのか。

 うん、陛下への面会は面倒事だが、セシリアと旅ができることを考えればそう悪いものでもない。

 私は素直にその気持ちを吐露する。

 

「これから数日、私と君で水入らずだからな。

 どうしたって、嬉しい気持ちになるさ」

 

「…………ぴゅう」

 

 なんだセシリアその鳴き声。

 凄く可愛いぞ。

 

「――し、失礼いたしました」

 

「う、うん、まあ、深くは問わない」

 

 恥ずかしさで顔を真っ赤にに女性に対し、アレコレ詮索するのも不作法だろう。

 しかし今のは非常に愛らしかったので、是非またやって欲しい。

 

「あ、坊ちゃま、見て下さい。

 とても良い景色でございますね」

 

「ああ、そうだな」

 

 セシリアが窓の外へ視線を向けた。

 露骨な話題転換。

 だがそこへ敢えて乗る。

 これが大人の気配りというものだ。

 

「なんとも不思議なものです、空を飛ぶ(・・・・)というのは」

 

「……そうか。

 君は天馬の馬車(・・・・・)は初めてだったな」

 

「はい。

 何度か見かけたことはありましたが、実際に乗り込むのは本日が初にございます」

 

 天馬(ペガサス)の馬車。

 この初めて出す単語について、説明しなければなるまい。

 といっても、物自体はそのものズバリだ。

 一対の翼を持ち空を飛ぶことができる馬“ペガサス”に馬車を引かせている、というただそれだけ。

 ペガサスは現代日本でも有名な生物なので、細かい説明は要らないだろう。

 漫画だの小説だのに出てくるペガサスを想像してくれれば、それとほぼ違わない。

 敢えて違いを挙げるとするなら、地球では空想上の存在だったが、ライナール大陸では実際に生息している、ということだろうか。

 

「坊ちゃまは、士官学校へ赴く際に使用しておりましたね」

 

「ああ。

 コレのおかげで帝都まで1日(・・)で到着する。

 便利なものだ」

 

「平民にはなかなか手の出せない代物ではございますが」

 

 天馬の馬車は空を移動でき、しかもペガサスの飛行はちょっとした自動車並みの速度が出る。

 そのため、歩いて2週間はかかる距離の帝都へ、一日で――より正確には10時間程度で到着してしまう。

 下手すると自動車より使い勝手の良い乗り物なのだ。

 

 だが、欠点もある。

 セシリアも触れたように、天馬の馬車は非常に高価なのだ。

 レンタルするだけでも、相当な量の金貨が消えていく。

 ペガサスは帝国内で棲息数が少なくかつ飼育に手間がかかり、その上御者にも専門的な操馬技術が必要になるのが、高コストの理由だ。

 故に、平民ではまず使うことなどできず、貴族であっても普段使いは難しい。

 帝都旅行を少人数で行うのは、この辺りの事情を鑑みた結果でもある。

 

 いずれペガサスを量産し、誰もがこの乗り物を使うことができるようにしたいものだ。

 交通の便が良くなれば、交易が活発になり、経済が発展する。

 

「しかし坊ちゃま、この乗り心地の良さは何なのでしょう?

 ペガサスに牽引されて空を飛ぶわけですから、もっと揺れるものだとばかり考えておりました」

 

 年相応に不思議そうな表情をするセシリア。

 うむ、実に良い質問だ。

 

「ああ、それは――」

 

 ペガサスが、鳥のように揚力を利用して飛行しているのではなく、“魔力”によって浮遊(・・)しているからだ。

 この世界、どんな生物も大なり小なり魔力という力を保有している。

 人はそれを魔法という形で行使するが、ペガサスは自らの飛翔にそれを使用しているのである。

 そしてその“浮かぶ力”は、馬車そのものにも作用する。

 故に、天馬の馬車は快適な乗り心地を提供してくれるのである。

 

「余談だが、専門家はこの現象の解釈として『ペガサスが飛行魔法を使っている』説と『ペガサスは魔力を飛行能力に転用できる』説で争っていたりする」

 

「そこに、議論の必要はあるのでしょうか?」

 

「どれだけ調べても、今のところペガサスが魔法を使う証拠を見つけられていない。

 しかしペガサスも魔法を使用していると仮定した方が、魔法理論の適用範囲が広がる――要は、魔法学者の権威が高まる」

 

「……学者様も苦労なされているのですね」

 

「下らない権威争いだ」

 

 こういうのは現代社会でもあった。

 どこに居ても、人のすることなんて似たようなもの、ということだ。

 

「まあ、この話はここまでにしよう。

 せっかくの旅なんだ、もっと楽しいことを時間を費やさねば」

 

 ここまでにも何も、自分で始めた話ではあるのだが。

 ともあれ、私は窓枠に手を伸ばして戸を閉める。

 

「どうされました、坊ちゃま?

 徐に窓などお閉めになって。

 景色を楽しむのではないのでしょうか?」

 

「ああいや、楽しむのは景色ではないんだ」

 

 馬車にある他の窓も閉めていく。

 採光窓に閉ざしたので、今馬車内の光源は天井に釣らされたランプだけ。

 中から外は見えず、反対に外からも中は見えなくなった。

 ついでにこの馬車は防音もしっかりしているため、音も漏れない。

 ここでナニが起ころうと、御者にすら察知されないわけだ。

 

「あの、坊ちゃま?」

 

「ん? なんだ、セシリア」

 

 返事しながら、彼女のすぐ隣へ腰を下ろす。

 余りにも近くに座ったせいで、肌と肌が触れ合ってしまう。

 

「あのその――坊ちゃま?」

 

「ん? どうした?」

 

 適当に相槌を打ちながら、手をセシリアの太ももに這わせる。

 

「ひゃんっ」

 

 可愛らしい彼女の声。

 私以外、この世界でこの声を聞いた者はいないだろう。

 

 そして太もものすべすべなこと。

 無駄肉が付いているような様子はないのに柔らかく、それでいて弾力もある。

 

「ぼ、坊ちゃま。

 いけません、こんなところで――」

 

「誰も私達のすることに気付きはしないさ」

 

 スカートを捲る。

 色っぽい太ももが露わになっていき――む、グレーのショーツか。

 クールビューティーなセシリアには、なかなか似合っている。

 

「――や、やはり、ダメです。

 こんな――坊ちゃまのお召し物も汚れてしまいます」

 

「セシリア」

 

 少し強い口調で、彼女に告げる。

 

「股を、開くんだ」

 

「……はい」

 

 セシリアは素直に従った。

 太ももと太ももが離れていく。

 その間に手を滑り込ませると、ゆっくりと手をその付け根へ向けて近寄らせた。

 と同時に彼女へ寄りかかり、その美しい首筋へ舌を添わせる。

 

「ああっ! いけません――いけません、坊ちゃまっ――ダメ――――ダ、メ――――♡」

 

 

 



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② 待ち人来る

 さて、色々あってその日の夕刻。

 とうとう帝都へ到着した。

 現在は、都に築かれた巨大な王城――その傍らにある、貴族専用の馬車発着場に居る。

 

「如何でしたか、エイル卿。

 天馬の馬車の乗り心地は」

 

 御者を務めてくれた男性が、最後に挨拶をしにきてくれた。

 

「ああ、抜群の乗り心地だった。

 なあ、セシリア?」

 

「……はい、気持ち、良かったです」

 

 何故か(・・・)彼女は顔を赤く染め、俯きがちに答える。

 いや、実際この御者の操馬技術は大したものだった。

 揺れなどほとんど起こらず、おかげで何の支障もなく車内で色々なこと(・・・・・)ができたのだから。

 

「君の御す馬車は素晴らしかった。

 是非これからも励んでいって欲しい」

 

「勿体なきお言葉」

 

 御者の男と握手を交わす。

 こういう有能な人物は、丁重に扱っていかねばならない。

 

「……ふぉおおお、エイル卿と握手を――握手を――!!」

 

 いや、なんで君まで顔を赤くするんだ?

 

 

 

 発着場を離れた私達は、さっそく城の中へと入る。

 もう日が暮れるまで間が無いため、セシリアとの帝都観光は明日に回すことにした。

 皇帝への挨拶?

 ああ、そういえばあったなそんな案件も。

 

「……立派なお城でございますね」

 

 キョロキョロと周囲を見回しながら呟くセシリア。

 如何に彼女といえど、始めてくる王宮には目を奪われてしまうか。

 

「居城はそこに住む者の権力の象徴だからな。

 皇帝陛下の住まう城ともなれば、それはもう国の威信にかけて最高峰の代物を建てる」

 

 ウィンシュタットの屋敷もなかなか豪勢ではあるのだが、大きさだけなら、ここはその10倍はある。

 歩いている廊下も、下手すれば馬車が通れそうな広さだ。

 陛下の趣向なのか、その造りは豪奢さよりも堅牢さを重視しているように見える。

 

「しかしこれだけ広いと、案内頂く方との合流にも手間取りそうでございますね」

 

「いや、向こうは慣れているだろうし、そんなことは無いだろう」

 

 今は城内を案内してくれる人との待ち合わせ場所へ移動している最中だ。

 無数に部屋があり過ぎて、案内が無ければどこが宿泊部屋なのかも分からない。

 と、そんなところへ――

 

「おやおや、エイル・ウィンシュタットじゃないか」

 

 ――私へ声が投げつけられた。

 なんとも気障ったらしい口調で。

 

「おっと失礼、今は侯爵になったか。

 ハハハ、あんな辺境の貴族に収まるとは、実に君らしいな?」

 

 現われたのは、一人の貴族だった。

 鮮やかな金色のロングヘアを後ろで軽く束ねた、セシリアに比肩しうる美貌の持ち主。

 スラリとしたスタイルで、もし道ですれ違えば振り返らない男などいないだろう。

 いちいち芝居がかったポーズをとっているのだが、外見の美しさと相まって意外と決まっている。

 ……その顔を、皮肉な笑顔で歪めていなければ、だが。

 

「地方貴族は大変だな。

 いちいち陛下へお伺いを立てねばならないのだから。

 しかし君らが来るたびにこの城が田舎臭くなるのは勘弁願いたいもんだ」

 

 そう言うこいつは、中央貴族なのだろう。

 前にも触れたが、ヴァルファス帝国において貴族は大まかに2種類へ分けられる。

 帝都で政治を行う中央貴族と、都から離れた土地を管理する地方貴族だ。

 ただそれだけであれば問題ないのだが、この中央貴族と地方貴族、基本的にえらく仲が悪い。

 中央貴族は地方貴族を都へ来れぬ田舎者と見下し、地方貴族は中央貴族を自分の領地も持たない似非貴族と揶揄するからだ。

 生活基盤が皇帝(帝国)に依存している中央貴族は国に対して高い忠義を持つ一方、自らの土地に生活基盤が依存している地方貴族は極論すれば国より自分の領地が大事。

 このような違いがあるため、どうしても対立は避けられない。

 目の前の貴族は、その関係で私に因縁をふっかけてきたのだろう。

 

「……坊ちゃま」

 

「落ち着け、セシリア」

 

 彼女が動き出そうとするのを手で制す。

 目が据わっていた。

 冷徹に金髪の貴族を睨み付けている。

 怒っているのが雰囲気だけで分かった。

 というか、パチパチと周辺に雷を発生させるのは止めなさい。

 流石に城内で攻撃魔法など使ったら洒落で済まない。

 

 一触即発な彼女を後ろに下がらせると、私はかの貴族の前に立つ。

 

「これはこれは。

 アシュフィールド公子ではありませんか。

 ご壮健のようで何よりでございます。

 色々とご挨拶を交わしたくはありますが、何分当方は今しがた帝都へ来た田舎者。

 積もる話はまた後日にお願いします。

 では、失礼――」

 

 一気にそう捲し立てた。

 そして相手の反論を待たぬまま、その横を通り過ぎる。

 この手の輩は、相手にしないに限る。

 金持ち喧嘩せず、だ。

 

「――流石です、坊ちゃま」

 

 隣を見れば、誇らしげな顔をしているセシリア。

 私が波風立てずにいなしたことを、喜ばしく思ってくれたようだ。

 彼女に格好良いところを見せられたことに関しては、あの貴族に感謝してもいいかもしれない。

 そのまま目的地へ向けて足を急ぐ――と。

 

「そういうつれない反応するなよぉ!!

 ちょっとしたジョークだろぉ!! 付き合ってよぉっ!!

 同じ釜で飯を食った仲じゃないかぁっ!!」

 

 例の貴族が泣きながらしがみ付いてきた。

 いきなりのことで、反応が遅れる。

 

「ええい、急になんだ!

 足にしがみ付くな、足に!!」

 

「あ、コラっ! 僕を足蹴にしたね!?

 ちょ、痛い! ホント痛いって!!

 やめ、やめろぉおおっ!?」

 

 ゲシゲシと蹴りつけるも、ルカ(・・)は離れない。

 この野郎、私の脚をしっかりホールドしてやがる!

 

「あ、あの、坊ちゃま?」

 

 そんな私達を見て、セシリアは唖然としていた。

 さっきまで険悪な態度をとっていた相手がいきなり泣きついてきたのだから、そりゃ訳も分からなくなる。

 

「これは、いったい――?」

 

「……ああ。

 紹介しよう、こいつはルカ・アシュフィールド。

 かの三公爵家の一つ、アシュフィールド家の次男で――」

 

「――エイル・ウィンシュタット侯爵の士官学校時代の寮のルームメイトさ」

 

 ルカが後を継ぐ。

 

「変なことに巻き込んでしまってすまないね、美しいお嬢さん。

 さっきのは久しぶりに会った友人同士のスキンシップってやつさ」

 

「……友人?」

 

「だからそういう反応やめろってぇ!

 不安になるだろぉ!?」

 

 涙目になって抗議してきた。

 だがそんな顔も可愛らしい。

 思わず抱きしめたくなる。

 一方でセシリアはというと怪訝な顔を崩さず、

 

「ルームメイト、でございますか?

 ……あの、失礼ですが、士官学校寮では男女が同じ部屋(・・・・・・・)になることも?」

 

「あー」

 

 そこに疑念を持ったか。

 いや、当然の疑問だ。

 

 ルカ・アシュフィールド。

 美しい青い瞳に整った鼻筋、小さく愛らしい唇。

 整った容貌は、まるで人形のようだ。

 腰まで伸びたプラチナヘアはサラサラと流れ、それだけで男の目を惹くだろう。

 服こそ青のジャケットに白のズボンという“男物”だが――

 サイズが合い過ぎた(・・・・・)ズボンは臀部にぴっちりと張り付き、そのプリっとした蠱惑的なお尻がくっきり見えてしまう。

 一目で――否、よくよく観察したとしても、こいつの性別を当てるのは難しい。

 

「セシリア。

 信じられないかもしれないが――ルカは、男なんだ」

 

「えっ!?」

 

 正しく彼女は“信じられない”という顔をした。

 ルカが苦笑いをしながら私の後を継ぐ。

 

「というか、さっきから公子とか次男とか紹介されてたんだけどねー」

 

「――あ!? も、申し訳ありません!

 (わたくし)、大変な失礼を――!」

 

「いやいや、いいっていいって。

 僕の美しさが、男の枠に収まらないこと位、自分が一番よく分かってるからね♪」

 

 ……一応、その通りではあるのだが。

 自分で言うか、普通?

 

「そんなことより、君がセシリアなのかな?」

 

「え?」

 

「あれ、違った?」

 

「い、いえ、その通りでございます。

 (わたくし)、坊ちゃまの侍女をしております、セシリアと申します。

 どうぞ、よろしくお願い致します。

 ――しかし、どうして私の名前を?」

 

「エイルから耳にタコができる位に話を聞いたからね」

 

 意味ありげにウィンクするルカ。

 おい、変なことを喋ったら承知せんぞ。

 しかしそんな私の想いは奴に伝わらず、そのまま喋り続ける。

 

「うんうん、聞いてた通り、綺麗な子だなぁ。

 僕の横に立って見劣りしない女性なんて、そうそういないよ?」

 

「……は、はぁ」

 

 どう返していいののか分からず、セシリアは答えを濁す。

 このナルシーっぷりを見せられては無理もない。

 ただ一応、ルカ的には最上級に近い誉め言葉――のはずだ。

 

「流石、告白した女の子に悉く“あなたの隣に立ちたくない”と言ってふられたルカ公子だけはあるな」

 

「そゆこと、心の中だけに留めておけよエイルぅっ!」

 

 気取ったポーズがあっという間に崩れた。

 相変わらずの打たれ弱さだ。

 ただ実際、この2人が並んでいるのは滅茶苦茶に絵になるのは間違いなかった。

 美少女が並び立つ光景は、非常に目に優しい。

 

「君は変わっていないなぁ、ルカ」

 

 3年前、士官学校に居た頃のままの姿だ。

 いや、あの時より少し背は高く、お尻周りの肉付きも良くなり――さらに美しく成長している。

 その方向が、女性としての美しさに偏っているのが、こいつの凄い所だ。

 まるで男らしくなっていない。

 

「お前だって大して変わってないだろう。

 ……相変わらず、その……美人、というか」

 

「それは言うな」

 

 学生時代から私は背が余り高くなく、その事実は今になっても変わっていない。

 これで結構気にしているのだ。

 美人だのなんだの、フォローにならぬ。

 適当に褒めとけばいいだろ、という魂胆が透けて見える。

 少し顔を伏せてもじもじしているルカの姿は実に愛くるしいが、そんなことじゃ騙されないからな。

 

 ――と、いかん。

 懐かしい顔に会ってつい忘れかけたが、私達は人を待たせている最中であった。

 

「ルカ、色々話したいのはやまやまだが、案内役と合流しなければならないんだ。

 さっきも言ったが、積もる話は少し待ってくれ」

 

「あ、それなら安心しろ。

 僕がその案内役だから」

 

「……そうなのか?」

 

 だから、こんな良いタイミングで現れたわけか。

 私は得心した顔を作り、

 

「そうか――君、とうとう案内係にまで落ちぶれたのか……」

 

「そんなわけあるか!?

 お前のために買ってでてやったんだよ!!

 友達甲斐の無いやつだなっ!!」

 

「アシュフィールド家の家督争いには負け、帝都で碌な役職にも就けず、お情けで城内案内に任命されたんだな……」

 

「違うよ!? 違うもん!!」

 

 親から爵位を継げるのは一人だけ。

 子供が複数いる場合、他の兄弟は何かしらの手段で食い扶持を稼がなければならないのだ。

 それは、最高位の貴族であるアシュフィールド家でも変わらない。

 家督を継いだ当主が他の親族の面倒を見るケースも多いが、ルカのところはその辺かなり厳しい家系だからな……可哀そうに。

 

「いい加減にしろぉ!!

 そういうんじゃないんだよっ!!」

 

「じゃあ、あの(・・)兄に勝つことができたのか?」

 

「……いや、兄上に勝つっていうのはちょっと」

 

 途端弱気になる。

 大丈夫か、おい。

 

「じゃあ、君は将来どうするつもりなんだ」

 

「そこはほら――エイルー、友達の誼でなんかいい役職ちょうだい♪」

 

「え? 特攻隊長になりたいって?」

 

「そこは将軍位くらい用意しろよ」

 

「ははは、寝言は寝て言え」

 

 いやはや、久々に会ったというのに――いや、久々に会ったからか?――話は弾むものだ。

 しかし、何時までも続ける訳にはいかない。

 周りの目も気になってきた。

 いちいち描写しなかったが、私達はこれまでのやり取りを“城の廊下”で行っている。

 

「ルカ、そろそろ私達の部屋に案内してくれないか?」

 

「分かった――あ、いや、ちょっと待った。

 そういや、宰相がお前に会いたがってたんだった」

 

「……そうなのか?」

 

「そうなのだ」

 

 宰相。

 ヴァルファス帝国における文官の最高官位。

 単純に考えるなら、皇帝に次ぐ権力の持ち主だ。

 そして幸運なことに、私はこの人物と顔見知り(・・・・)だったりする。

 

「ならば、会いに行かない訳にはいかないな」

 

「……そうだなぁ」

 

「なんだ、乗り気じゃないな。

 君だって知らない相手じゃないだろう?」

 

 自分で言い出した癖に。

 

「ああ、うん、そうなんだけどさ。

 ちょっとあの人は――まあ、いいや。

 案内するよ」

 

「……?」

 

 何とも煮え切らない態度であったが。

 先導するルカに続いて、私とセシリアも歩き出した。

 

 

 



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③ 宰相との再会

 

 

「失礼します」

 

 ドアをノックし許可を得てから、宰相の執務室に入る。

 中はかなり広く、ウィンシュタット家の執務室の倍はありそうだ。

 ただ少々薄暗く、かつ書類が辺りに散乱している。

 この部屋の住人は余り几帳面な性格をしていないらしい。

 

「……おお、エイル君ではありませんか!」

 

 入るなり、これまた大きな執務机に座っていた人物が、やや興奮気味に立ち上がった。

 

「ご無沙汰しています、宰相閣下」

 

「壮健そうで何よりです――エイル閣下」

 

 軽く挨拶を交わす――が。

 

「……あの、宰相である貴方に閣下と呼ばれるのは違和感があるのですが」

 

「私もエイル君から閣下呼ばわりされるのは嫌ですね。

 堅苦しすぎます」

 

 帝国では、自分より官位(役職)が上の相手には閣下の敬称を使う習わしがある。

 ただこの敬称、レアケースではあるが爵位が上の相手にも使用するケースがあって。

 こちらの宰相の爵位は伯爵であることから、今の場合は私と彼のどちらも正しい使い方をしているわけだ。

 しかし仮にも帝国最高峰の権力を持つ宰相に閣下呼ばわりされるのは、むず痒いったらない。

 それで抗議をしたわけだが――

 

昔のように(・・・・・)、私のことは“先生”と呼んで下さい。

 私も貴方のことをエイル君と呼びますから」

 

「は、はぁ……?」

 

 ――ちょっとおかしな方向に話を進められてしまった。

 

 宰相クライブ・フォースター伯。

 その有能さから、伯爵という立場ながら宰相にまで上り詰めた天才だ。

 加えて年齢はまだ30手前という異例の若さ。

 少し服装がだらしなかったり、黒髪がぼさぼさだったりするところに目を瞑れば、背は高いし目鼻の筋も通っていて、外見もかなり整っている。

 なかなかの完璧超人っぷりである。

 

 何故こんな人と私が知り合いなのかと言えば、私の家庭教師としてウィンシュタット家に出入りしていた時期があるのだ。

 まだ私が幼少の頃なので、かなり昔の話だが。

 その伝手もあり、士官学校に通うため帝都に住んでいた際にも何かとお世話になっていた。

 現時点で私が持つ最強のコネクションだ。

 ちなみに、ルカも私の縁を伝ってクライブ先生と何度か顔を会わせている。

 

「では改めて。

 久しぶりです、先生」

 

 再度、挨拶を。

 その台詞に満足したのか、先生もにっこり笑って、

 

「はい、お久しぶりです、エイル君。

 前に会ったのは士官学校の卒業式の日でしたから、かれこれ3年ぶりですか」

 

 言いながら、抱き着いてくる。

 この人は、よくよくハグをしてくるのだ。

 それだけ私を可愛がってくれている、ということなのだろうけれど。

 まあ、現代社会でも欧州あたりならこの程度よくあることだ。

 少し恥ずかしい気もあるが、拒む程でもないだろう。

 

「しかししばらく見ないうちに、大きくなりましたね。

 見違えるようです」

 

 抱き着いたまま、クライブ先生が告げる。

 

「そうですか?

 余り変わったようには思えませんが」

 

「いえいえ、ぐっと大人びましたよ。

 凄く綺麗――あ、いや、立派になりました」

 

 そう言われると、悪い気はしない。

 お世辞であっても、褒められるのは嬉しいものだ。

 と、そこで彼はふと思い出したかのように、

 

「あっと、忘れていました。

 侯爵位の授与、おめでとうございます。

 ウィンシュタット領の領主ともなれば執務も大変でしょうけれど、辛いときはいつでも私を頼って下さい」

 

 今度は頬ずりしてきた。

 剃り残された髭がなんかじょりじょりする。

 ――まあ、これ位なら、普通、なのかな?

 

「帝国で一番多忙な人に頼るというのは、少々心苦しいですが……」

 

「そんなこと言わずに!

 エイル君のためなら、何肌だって脱ぎますよ?」

 

「……そこまで仰るなら」

 

 いざという時頼りにさせて貰おう。

 言質はとったので、本当に色々してもらうからな?

 ……そんな腹積もりを知ってから知らずか、先生は無邪気な笑顔を見せた。

 私の腰に手を回しながら、

 

「ところでお父上のフェデル様はご壮健で――」

 

「クライブ・フォースター伯爵!」

 

「おわっ!?」

 

 部屋に声が響く。

 ルカのものだった。

 

「る、ルカ・アシュフィールド殿下!?

 いったい何時からそこにいたのです!?」

 

「最初っからずっといたんだけどなー……いやそれはともかく!

 いつまでエイル侯爵に抱き着いているつもりだ!?」

 

「え? あ、ああ! これは失礼!」

 

 指摘され、私をずっと抱き締めていたことに気付いたらしい。

 先生の腕が離れていく。

 親愛表現はいいが、正直、少々やりすぎた感は否めない。

 しかし――

 

「ルカ、仮にも宰相相手にやっていい口の聞き方じゃないだろう?」

 

 ――まずは公子の態度を窘める。

 確かに家柄では公子であるルカが圧倒的に上だが、クライブ伯爵は最高官位の宰相なのだ。

 ここがかなりプライベートな場であるとはいえ、貴族であるなら礼儀作法を蔑ろにしてはならない――が。

 

「エイルは黙っててくれ!」

 

 私の言葉は聞き入れられなかった

 ……考えてみれば、無理も無い。

 ルカはこれで上昇志向が強いのだ。

 そんな彼の前で、宰相と私が親交深いところを見せれば、心穏やかでなくなるのは当然だった。

 

「とにかく、言われた通りエイルは連れてきたんだ。

 顔見せできたんだから、もういいだろう?

 さ、エイル、そろそろ行こうか」

 

「あ、セシリアちゃんも来ていたんですか!

 いやぁ、懐かしいですねぇ!」

 

「人の話聞けよ、お前!?」

 

 ルカを無視してセシリアに話しかけだすクライブ先生。

 公子も公子だが、先生は先生でいい性格している。

 

「ご無沙汰しております、クライブ様」

 

 一方でセシリアは、先生に向けて一礼していた。

 クライブ宰相はそんな彼女に近寄ると、

 

「魔法の勉強は順調そうですね。

 聞いていますよ、“雷光の魔女”の噂」

 

(わたくし)如きに過分な名です」

 

「何を言いますか!

 私は何人もの生徒の家庭教師を担当しましたが、エイル君と貴女はその中でも群を抜いています。

 貴女への授業を最後まで行えなかったのが、本当に心残りでした。

 幸い、エイル君が後を継いでくれたようですが」

 

 台詞にあった通り、実はクライブ先生にはセシリアにも教鞭を振るっていたのだ。

 最初は私が無理を言って頼んだのだが、彼女の才能が分かるや否や、寧ろ率先して引き受けていた。

 結果として彼女の素質は開花し、今では他に比肩する者すらいない魔法使いへと成長したのである。

 

 ……しかし、余りセシリアに詰め寄るのは止めて貰いたい。

 “その気”があるというのであれば、例え先生であっても容赦する気は無い。

 

 さておき、自分の教え子達に会えた喜びをまるで隠さない宰相は、にこやかな笑顔のまま言葉を続ける。

 

「いやぁ、貴方達のような生徒を受け持てたのは、教師冥利に尽きますよ。

 そうだ! 久しぶりに腕前を見せて下さい――――ルカ殿下」

 

「そこで何故僕だ!?

 エイルやセシリアにやってもらう流れだろ!」

 

 急に話をふられて戸惑うルカ。

 

「いえそこはほら、私が見た中で一番魔法の才能が無かったのが殿下でしたから。

 前に見た時からどの程度上達したのか、確認したかったのです。

 こちらの2人は、私が心配するようなことまるでありませんし」

 

「……はっはっは。

 いい度胸だ、宰相閣下。

 僕を侮辱したこと、後悔させてやる!!」

 

 ルカの目が据わった。

 どうやらやる気らしい。

 私が覚えている限りでも、彼の魔法の腕は正直お粗末な代物だったのだが。

 あそこからどの程度研鑽したのか、興味はある。

 

「見てろよ……」

 

 部屋にある燭台の一つへと歩を進めるルカ。

 ろうそくの炎に手をかざすと、呪文を詠唱し意識を集中させ――

 

「――<灯れ、篝火>」

 

 魔法を行使する。

 見る見るうちに炎がその輝きを増していき、部屋が明るくなっていった。

 現代風に言えば、ちょっとした“電灯”程度の輝きだ。

 

「ほぅ」

「へぇ」

 

 先生と私が、感心したように呟く。

 いや、今ルカが使ったのは基本中の基本な魔法。

 炎の輝きを増すという、極々単純な効果であり、より便利な光源を作る程度の代物に過ぎない。

 しかし、3年前の彼は実用的な魔法自体ほとんど(・・・・)使えなかったのだ。

 それを考えれば、大した進歩である――が。

 ここに、その“事情”を知らぬ者が居た。

 

「……あの、それだけなのでございますか?」

 

「はぅっ!!?」

 

 切れ味のいい無情な一言に、ショックを受けるルカ。

 まあ、セシリアからしてみればこの程度の魔法、児戯もいいところ。

 おそらく彼女の中では、“初歩の魔法”にすら達していない(・・・・・・)

 故に、ついつい口に出してしまったのだろう。

 

「も、申し訳ありません、公子様!

 (わたくし)、酷い失言を――!」

 

「あっはっは、気にしなくていいよ、セシリア。

 大貴族である僕がその程度のことで怒るわけが無いだろう?

 ましてや君のような美女を相手に」

 

 公子は朗らかに笑う。

 だがやはりそれで収まりがついたわけでは無いようで。

 

「ところでセシリア、ちょっと僕に手本を見せてくれないかな?

 宰相やエイルが褒めそやすんだ、大層凄い魔法使いなんだろう?

 それでこの件は手打ちにしよう」

 

 そんな、愚かなことを口にした。

 

「承知いたしました。では――」

 

 真に受けたセシリアは、ルカと“同じ魔法”を行使する。

 すると――

 

「――え」

 

 呆然としたルカの呟き。

 部屋にある全ての(・・・)燭台、ランプが輝きを煌々と増したのだ。

 さながら昼間のような明るさが辺りを包んだ。

 

この程度(・・・・)でよろしゅうございますか?」

 

「あ、はい、よろしゅうございます」

 

 余りのショックにルカの口調が変わっていた。

 そりゃセシリアが“同じようなこと”をしようとすれば、当然こうなる。

 

「あ、あのあの、エイルさんエイルさん」

 

「どうしたんだいルカさん」

 

 ちょっと相手のノリに付き合ってみた。

 

「今この子、詠唱せずに魔法を使いましたよ」

 

「使ったね」

 

「……何でそんなことできるの?」

 

「おいルカ。

 それは、士官学校の卒業生としてまずい質問だぞ」

 

 授業で習ったことを覚えていないのか、こいつ。

 せっかくの機会だ、ここで魔法について説明しておこう。

 

 この世界の魔法、『風を操る』『火を燃え盛らせる』『物を凍らせる』等々、その効果は多岐に渡り、一概に定義を言い現わすことは難しい。

 学者はかなり頭を悩ませているそうだが、ここでは“よくあるライトファンタジー世界の魔法を想像して欲しい”の一言で済ませてしまおう。

 実際、小難しく説明するよりそちらの方が理解しやすはずだ。

 ただ、魔法を使うためには、幾つかの“ルール”がある。

 

 まず1つ目。

 魔法の効果を及ぼす対象を、しっかりと認識すること。

 知覚できない対象に、効果を及ぼすことはできない。

 

 2つ目。

 その魔法を発現させるための“術式”を頭の中で組むこと。

 魔法を行使するにあたって、もっとも難易度が高いのがこの部分だ。

 効果をイメージするというより、数式をひたすら暗算しながらその式を使ってパズルを組み立てる――という感覚が近いかもしれない。

 非常に複雑な思考を要するため、特定の“動作”に結び付けて“術式の組み立て”を実行する場合がほとんど。

 動作しながら覚えることで記憶しやすくなる、という暗記法の応用だ。

 その“動作”こそが、『呪文の詠唱』である。

 この世界で魔法使いを志す者は幼少の頃から、“特定の文言(呪文)を唱える”と“頭の中に対応した術式が浮かび上がる”よう訓練しているのだ。

 ちなみに、複雑な魔法を使用する場合は必要な術式の量が増えるため、必然的に『呪文』が長くなったりする。

 

 3つ目。

 適切な“触媒”が、手元ないし周囲に存在すること。

 これは、少々特殊なルールかもしれない。

 例えば火の魔法を使いたいならば、火に関連する物品が無ければならないのだ。

 そのものずばりで火のついた松明でもいいし、燐でもいいし、なんなら火蜥蜴の牙でもいい。

 最初のに比べ、残り2つは手に入れるのが難しいが。

 この世界の魔法は、無から有を作り出す(・・・・・・・・・)ことができない(・・・・・・・)のである。

 

 そして4つ目。

 魔法の対象が“範囲内”に居ること。

 術者から離れた対象には効果を及ぼさないのだ。

 ではその射程はどれ程なのかと言うと――個人の素質に大きく左右される。

 一般的には10m前後と言われているが、腕のいい魔法使いなら20~30mの射程を持つ。

 なお、セシリアは100mは余裕らしい。

 

 他にも保有する魔力量の大小や、効率的な術式の組み方等、細かいものが無いわけでも無いが、大まかなルールは以上の4つである。

 

「――というわけだ。

 思い出したか?」

 

 一通りの説明を終え、ルカに確認を取る。

 

「あー、確かそうだったようなー。

 でも今の説明とセシリアが詠唱を使わないことと、どう繋がるんだ?」

 

「少しは自分で考えろ。

 つまりだな――」

 

 『詠唱』は“術式を思い出す”ために必要なのである。

 故に、凄まじい記憶力があれば――“術式を思い出す”のに『詠唱』を用いた暗記法を必要としないのであれば。

 理論上、『詠唱』を用いずに魔法を使用することができる。

 つまり、それがセシリアである。

 

 簡単に言ってしまったが、難易度は尋常じゃない。

 侯爵という立場から、今まで数多くの魔法使いと会って来たが、詠唱無しに魔法を使えたのはセシリアだけだ。

 当然、私もそんなことできない。

 どうも彼女は写真記憶の持ち主のようで、術式を“式の集合体”ではなく“一つの構造物”として捉えることが可能、らしい。

 セシリアの話から類推した仮説に過ぎないが。

 

「ほえー、すっごい」

 

「……いや、全然凄さを理解してないだろう」

 

 途中から考えることを放棄していたように感じる。

 まあ、今回はこの辺りで終わりにしよう。

 セシリアが“触媒無しで魔法を使える”理由の解説は、また次回に。

 

 ――あ、そういえば。

 

「すっかり魔法論講義のようになってしまいましたが。

 先生、結局のところ私を呼び出した理由は何なのでしょう?」

 

 まさか本当に私の顔を見たかっただけ、ということはあるまい。

 話を向けられたクライブ伯爵は、はっとした顔をして、

 

「おっと、そうでした。

 素晴らしい解説に聞き惚れてしまっていましたよ。

 実はですね、明日行われる陛下との面会について、エイル君に耳寄りな情報がありまして」

 

「……ほほぅ」

 

 それはなかなか興味深い。

 そこからしばし、私と宰相との密談が始まるのだった。

 

 

 

 



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④ 真夜中の訪問者

 

夜。

 

「――ふぅ」

 

椅子に深く座り、私は一息入れる。

宰相との“密談”もとい明日の陛下面会に向けた“相談”を終え、私は寝室に居た。

流石に王城の客室だけだって、調度品は豪華でベッドも大きい。

一人で寝るには広すぎる位だ。

 

「……やはりセシリアと一緒に寝るべきだったか」

 

少し後悔する。

彼女は今頃、宛がわれた部屋で睡眠をとっていることだろう。

言っては何だが、使用人専用の寝室まで用意されているとは思わなかった。

しかも相当立派な部屋だ。

セシリアも『はい? (わたくし)の部屋でございますか? 坊ちゃまの部屋でなく?』と目を丸くして驚いていた。

それもそのはず、クライブ先生が自分の名を使って手配していたそうな。

宰相直々の命令とあっては、下手な部屋を用意するわけにはいかなかったのだろう。

 

……あの人、本当にセシリアを狙ってないだろうな?

 

「余りそういう素振りは見せていないが――しかしセシリアの美貌に靡かない男などいる訳ないし」

 

腕を組んで悩む。

彼が敵に回った場合、私は如何にして立ち向かえばいいのか。

悶々とした気分になってしまう。

 

「……今からでも呼ぼうかなぁ」

 

セシリアもその気はあったようなのだが。

初の長距離移動で、本人も無自覚の内に相当疲れが溜まっているようだったため、厚意に甘えて今日はしっかり休むよう命じたのだ。

そのおかげで今かなり手持無沙汰になっている。

 

「寝ようか」

 

元現代人の私からすればまだ早い時間なのだが、そうした方がいいだろう。

まさか暇つぶしに王城内を徘徊するわけにもいかない。

 

「……ん?」

 

そう決めたところで、トントンッとドアがノックされた。

ドア越しに返事する。

 

「――誰だ?」

 

「夜分恐れ入ります、エイル卿」

 

帰ってきたのは高い声。

女性のようだ。

 

「何の用だろうか?」

 

「……その、エイル卿のお相手(・・・)をしに参りました。

宰相閣下より依頼がありまして」

 

「おぅ」

 

なんてことだ。

お相手というのはつまりアレでありソレな感じにコレだろう。

クライブ先生、教え子になんてものをよこすんだ。

まったく余計なことをすぐに部屋へ招かなければ。

 

一つ、勘違いしないで貰いたい。

単なる下心からこのような真似をするわけではないのだ。

私の“相手”をするように命じられておきながら、部屋にすら入れて貰えなかったとなれば、彼女の名誉に傷をつけることになる。

故に、ここは何はともあれ部屋へ招き入れるのが正解なのである。

だがこんな夜更けに男女が2人きりで一つの部屋に篭るとなると――“間違い”が起きたとしても、それは仕方ないことだろう、うん。

 

……え? もし自分のストライクゾーンから大きく外れた女性だったらどうするかって?

その時は丁重にお帰り頂くとも!

 

「待っていてくれ、すぐ開ける」

 

「承知しました」

 

よく聞けば、なかなかに可憐な声。

これは正直なところ、かなり期待していいのではなかろうか。

逸る気持ちを抑えつつ、私は鍵を開けドアノブを回す。

目の前に現れたのは――

 

「おお……!」

 

思わず、感嘆の声が漏れてしまう。

 

「……は、初めまして。

よろしく、お願いします」

 

現われたのは、顔を赤らめ伏し目がちにした美少女だった。

年の頃は私と同じくらいだろうか?

精巧なガラス細工のように美しい青い瞳。

筋の通った鼻に花弁のような唇。

髪は鮮やかな金色で、まるで絹糸のようにサラサラと流れている。

程良く整った胸に、くびれた腰つき。

それらを見るからに高価で、しかしくど過ぎないデザインのロングドレスが包んでいる。

気品のある佇まいは、この女性が本当に“そういう目的”でここへ来たのか疑わしくなる程だ。

どこぞの名家のお嬢様、と言われた方が余程しっくりくる。

 

私は唾を飲み込んでから、

 

「とりあえず、中へ」

 

「わ、分かりました」

 

少しおどおどしている――これから何が起こるかを考えれば、当然の態度だ――女性を中へ通した。

彼女の手を引き部屋の中央まで連れてくると、

 

「あの、エイル卿?

やはりその――すぐ、始めますか(・・・・・)?」

 

「そうだな……」

 

向こうは覚悟ができているようだ。

私はじっくりとその美少女の姿を値踏みしてから――

 

「――この阿呆がっ!!」

 

「あいたっ!?」

 

思いっきり頭を引っ叩いた。

 

いきなり(・・・・)何するんだ(・・・・・)!!」

 

「それはこっちの台詞だ!!」

 

抗議する女性を、さらなる大声で黙らせる。

ちなみに彼女の“胸”は、叩いた衝撃で下に落ちていた(・・・・・・・)

 

「こんな夜中に何のつもりだ、ルカ(・・)!!」

 

「あ、やっぱバレてた?」

 

「当たり前だろう!」

 

というか、隠す気無かっただろう。

多少メイクしてはいるものの、顔はそのままなんだから。

そんなわけで、部屋を訪ねてきた女性の正体は女装したルカでした、というオチ。

下に落ちたのは、胸パッドである。

 

「なぁルカよ。

君、とうとう頭がおかしくなったのか?

そんな格好で出歩くとは」

 

「いやだってさ、僕、三公爵家アシュフィールドの公子なわけだし?

そんな超有名人な僕がこんな夜更けに出歩いてたことが知られたら、色々噂がたっちゃうだろ」

 

「かのアシュフィールド家公子のルカ・アシュフィールドが、女装して夜中城内を歩いてる方が、余程スキャンダルだろうが!」

 

下手すれば勘当されかねない。

厳粛なアシュフィールド家が、息子のそんなおふざけを許すとはとても思えん。

 

「えー、でも似合ってると思わないか?

ほらほら、このドレスも特注品なんだぜ」

 

そう言って、スカートの裾を摘まんでくるっと一回転するルカ。

ふわっと浮き上がったスカートの下から覗く、スラリとした生足。

……素直に認めたくはないが、様になっている。

というか、はっきり言って色っぽい。

元々女性にしか見えない男が女装したのだから、そりゃ違和感なんて発生するわけが無いのである。

 

「……似合ってればいいというものでもないだろう」

 

「似合ってるんだからそれでいいじゃん。

僕はこれで世の男共の視線を掻っ攫える自信がある!」

 

その自信は――うん、正しい。

正体を知っている私ですら、ルカの姿に目が惹きつけられてしまうのだから。

自分の美しさに自覚のある美少年って、性質悪いなぁ。

なんだか頭が痛くなってきたが、ルカはというと呆れた顔をして、

 

「だいたいさぁ、お前、人の格好にアレコレ言える身分じゃないだろう?」

 

「私の格好に文句でもあるのか」

 

「文句っていうか――」

 

ルカが、こちらをジロジロと見てくる。

特に脚を凝視しているようだが――何なんだこいつは。

 

「――幾ら自分の部屋だからって、ワイシャツに(・・・・・・)ショーツだけ(・・・・・・)、とかどうかと思う」

 

「別に構わないだろう、それで誰に迷惑をかけるでもなし」

 

彼の言う通り、今の私はシャツを羽織り下着を一枚履いているだけ。

自室に独りでいるときは、余り衣服を着ていたくないのだ。

服からの解放感が好きなのである。

日本に住んでいた時は、それこそ休日はずっとパンツ一丁で過ごしていたのだ。

それに比べればこの格好は大分マシのはず。

 

「確かに迷惑はかけてない――てか、普通に嬉しいんだけど。

……相変わらずすっごい脚線美してるし。

でもちょっと目のやり場に困るんだよなぁ」

 

「何を今更。

寮に住んでた時もずっとこうだったろう?」

 

「……うん。

お前、いつも下着姿でうろついてた。

おかげで僕がどれだけ苦労したか……」

 

大きくため息をつかれた。

しかしそれについては私にも言い分はある。

こいつが、寮の部屋でどれだけ煽情的な(・・・)格好をしていたことか。

ソレを目当てに男子学生がわらわらと集まってきたので、毎回追い払うのが大変だったのだ。

 

「……そいつら、半分くらいはお前目当てだったんだけどね」

 

「ん? 何か言ったか?」

 

「いやぁ、何も?」

 

ブツクサ言うルカを、睨んで黙らせる。

 

「それで。

結局何しに来たんだ、君?」

 

「何しに来たは酷いなぁ。

旧交を温めにきたんじゃないか。

“積もる話はまた後で”って、君が言った台詞だぞ」

 

「態々初日に来なくても」

 

「明日は陛下への挨拶があるからそうそう時間とれないだろ。

明後日にはもう帰るって話だし。

だったら、今日しかないじゃないか」

 

「……それもそうか」

 

言われてみればかなりタイトなスケジュールだった。

もう少し余裕をもって計画を立てるべきだったか。

しかし私が居ないとシュタットの街の業務が滞ってしまうため、なかなか難しいところではある。

 

「なら仕方ない。

積もった話を崩していくことにしよう」

 

「そうこなくっちゃ!

じゃ、立ち話もなんだし座ろうぜ」

 

「ここは私の部屋だ――と突っ込まれたいのか?」

 

そんな言葉など意に介さず、ルカはてくてく部屋を歩いて行く。

そして――椅子ではなく敢えてベッドの上(・・・・・)にぽすんっと可愛らしく腰を下ろした。

 

「…………」

 

またこいつ、あざとい行動をとりおってからに。

 

 



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⑤ 友達が友達でなくなる日(挿絵有り)

 

 ルカ・アシュフィールドと初めて会ったのは、帝立士官学校へ入学した日だった。

 自分の入る寮の部屋で、早々に鉢合わせしたのである。

 

『お前がエイル・ウィンシュタットか?

 僕はルカ。

 ルカ・アシュフィールドだ。

 ルームメイトとしてこれから2年間、よろしくな』

 

 そんな風に挨拶されたと思う。

 だがその時、私はそれどころではなかった。

 何せ、男子寮にとびっきりの金髪美少女が姿を現したのだ。

 しかも自分のことを、私のルームメイトなどと称して。

 

 今だから言ってしまうが、当時は学校側の“賄賂”を疑った位だ。

 その時点で私は侯爵を継ぐことがほぼ確定していたし、若くして宰相となったクライブ伯爵とも深い交流があった。

 便宜を図られる要素は揃っていたのだ。

 

『あー、一応言っといてやるけど、僕は男だから』

 

 その説明を受けて、衝撃が走った。

 こんな綺麗な男が世の中には居るのか、と。

 ルカの歳を考えても、異常と言うしかない。

 しかし私がそれを指摘しても、

 

『えー……お前みたいなのがそんなこと言うの?』

 

 何故か不思議そうな顔をしていたが。

 

 

 

 それから、私とルカの共同生活が始まった。

 

『なーエイルー、ここ教えてー?』

 

 座学が得意でなかった彼は、よくよく勉強を聞きに来たものだ。

 私はといえば、現代社会で勉強をしてきたアドバンテージを十分に生かすことで、優等生として通っていた。

 日本に住んでいた時は実感しなかったが、中世レベルの文化圏からすれば現代知識は相当高度な代物なのだ。

 

 とまあ、それはともかく。

 勉強を教えるのに問題は無かったのだが、その際のねだり方(・・・・)に問題があった。

 

『なーなー、いいだろー?

 教えてよ、エイルー』

 

 よりにもよってルカは、私にしな垂れかかってきたのだ。

 忙しくて渋った時は、間違いなくそれをしてくる。

 

『なーなーなーなー』

 

 それでも私が渋ると、私の身体に手を回してしがみ付いてまで来た。

 男の癖にやたらしなやかな肢体が、ぎゅっと私に押し付けられる。

 正直、堪らなかった。

 実を言うと、これを堪能するために態と断る素振りを見せたことすらあったりする。

 

 

 

 ルカに悩まされたのは、これだけではない。

 

『はー、今日も疲れたよ。

 飯食って休もうか、エイル』

 

 学校が終わり、寮に戻ると大体の生徒は私服になる。

 それ自体は大したことでないのだが、ルカの格好はかなりアレだった。

 例えば、ある日はタンクトップにホットパンツ姿。

 

『うん? この服装が気になる?

 へへ、どうだい、僕の魅力を引き立てるだろ。

 見てみろよ、このスラッとした脚を!』

 

 そう言って、積極的に私へ見せつけてくる。

 むちっと肉がついた、健康的な素足を。

 どうにか平静を保ったが、内心ドキドキしっ放しだった。

 

 他の日には可愛らしい女性物のワンピースだったり、綺麗なドレスだったり、際どい水着を着ていたこともあった。

 さながらファッションショーだ。

 これを見に、寮中の男子生徒が部屋に集まったりもした。

 

 

 

 極め付けが、これだ。

 

『よし、今日は一緒に寝よう!』

 

 夜、私のベッドに上がり込んできた。

 

『偶にはいいじゃないか。

 こうやって一緒に寝ながら語り明かすと言うのも』

 

 全然よろしくない。

 寝間着姿のルカからは、どうしてか良い匂いがした。

 なんとか拒もうとしても、

 

『いいじゃないか、男同士なんだし!』

 

 そう言って、無理やり布団の中へ滑り込んでくる。

 その後のことは余り覚えていない。

 とにかく、自分の理性を維持するのに必死だった。

 

 

 

 ここに至り、どうして私が彼と同部屋になったのか嫌が応にも理解する。

 そりゃ、下手な男子をこんな奴と一緒に生活させられまい。

 遠くないうちに“問題”が発生することが目に見えている。

 しかも、ルカは名門アシュフィールド公爵家の息子なのだ。

 “何か”があれば、学校の存続問題にまで発展しかねない。

 それで白羽の矢が立ったのが、私なのだろう。

 まったく、ルームメイトが私でなければルカはどうなっていたことやら。

 

 

『……あれ? どうしたんだエイル、そんな思い詰めた顔して』

 

 

 きっと、彼にとってトラウマ級な出来事が起きていたに違いない。

 

 

『ど、どうして部屋に鍵閉めた?』

 

 

 私には感謝して貰いたいものだ。

 

 

『なぁ、無言で寄ってくるなよ、怖いぞ』

 

 

『……エイル?』

 

 

『待って、ちょっと待って』

 

 

『僕達、友達だよ、な?』

 

 

『ねぇ、ちょっと――』

 

 

『――と、友達だろぉおおおっ!!!?』

 

 

 

 

 

 

 ……まあ、未遂に終わったのだが。

 

「あの時は本当にどうなるかと思ったよ」

 

「君が毎回変な誘惑をするから悪いんだ」

 

 回想は終わり、場面は王城の寝室へ。

 ちょうど今は、ベッドの上でその話をして盛り上がっている最中だ。

 

「ああ、全て僕が悪い。

 僕が、余りにも美しいから――!」

 

 自分に酔った発言をするルカ。

 綺麗であることは否定しないが。

 

「自覚があるなら、こんな格好しないで欲しいものだ」

 

「はっはっは、美しい者がより美しく着飾るのは義務といっていい。

 とはいえ、並大抵の衣装では僕を引き立てることなどできないけどね」

 

 なんという天狗発言。

 

「確かに、結構なドレスだな。

 よく見ればかなり良い生地を使っている」

 

「お、分かるかい?

 最高級のシルクさ」

 

「ほう」

 

 ドレスを触ってみると、なるほど手触りがまるで違う。

 癖になりそうな感触だ。

 せっかくなのでそのままスカートを捲りあげ、中身を確認する。

 

「ふむ、下着まで女物か」

 

 レースのショーツだ。

 シンプルなデザインながら、丁寧な造りを伺わせる。

 

「……いいんだけどさ。

 あっさりスカートを捲ったね、お前は」

 

「男同士だから問題ないんだろう?」

 

「むぅ」

 

 かつて言われたことをそのまま返すと、ルカは答えに窮したようだ。

 これ幸いと、他の部分(・・・・)もペタペタ触り出す。

 

 太もも。

 贅肉が無く引き締まっている。

 だというのにこの柔らかさは何だ。

 極上の筋肉は柔らかい、とどこかで聞いたことがあるが、それか。

 

 腰。

 細い。

 女性が見たら嫉妬に狂いそうな程、くびれている。

 細さだけなら、或いはセシリアより上かもしれない。

 

 お尻。

 良い形、良い丸みだ。

 弾力も申し分ない。

 顔を埋めてしまいたい欲求に駆られる程である。

 

「あのー、エイル?」

 

「なんだ?」

 

「いや“なんだ?”じゃなくて。

 流石にやりすぎじゃないか?

 ちょっとこそばゆいんだけど」

 

「そうか」

 

 しかし手は止めない――止められない。

 最高級のシルクなんて問題にならない。

 ルカの肉感こそ、正しく癖になる感触だ。

 

「おーい、聞いてるかエイルー?」

 

「……なぁ、ルカ。

 “未遂”で終わったあの日、私が最後に何て言ったか覚えているか?」

 

「へ? うーん、なんだったかな?」

 

 覚えていないようだ。

 ならば教えてやろう。

 

「“次はないぞ(・・・・・)”、と言ったんだよ」

 

「――ひっ!?」

 

 途端、ベッドから立ち上がるルカ。

 後を追う私。

 

「ま、待てエイル!

 話せば――話せば分かる!!」

 

「問答無用!!」

 

 背後から彼に抱き着いた。

 男とは思えない、その華奢な肢体に。

 間髪入れず、胸元に、スカートに、手を滑り込ませる。

 

「うわうわ、うわ!!

 ちょっ! くすぐったい!! くすぐったいって――――んぅっ!?」

 

 色の帯びた声を上げる。

 ほう、どうやらココがよろしいようで。

 

「え、エイル、待って。

 ぼ、僕達、友達同士のはず、だろ。

 こんなこと――」

 

「そうだな、友達だな。

 ……だが、友達とこういうことをしてはいけないルールでもあるのか?」

 

 いや、ルール以前の問題だとは思う。

 思うのだが、今日は止まるつもりはない。

 あの頃の私とは違う。

 前は『初体験はセシリアと』という信念が情欲を上回った。

 しかしセシリアとの初体験を既に終え、男として一つ上に昇った私に、最早隙は無いのだ。

 

 男となんて初めてだけれど、何とかなるだろう。

 私は、私の助兵衛心を信じる!

 

「いやいや、そんなもの信じられても!!

 ストップ!! 手、止めて!! こ、これ以上は怒っちゃうぞ!?」

 

 なおも講義するルカ。

 仕方のない奴だ。

 

「おいルカ、“鏡”を見てみろ」

 

「え?」

 

 都合の良いことに、私とルカの前には姿見が置いてある。

 そこにある鏡には2人の姿が映し出されており――

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「――“アレ”が、嫌がっている顔か?」

 

「あ、う――」

 

 鏡の中のルカは顔を赤く染め――どこかまんざらでも無い(・・・・・・・・)表情をしている。

 まるで、これから起きるであろうことへ期待しているかのように。

 彼が心底拒んでいるわけではない、その証拠だ。

 

「で、でも、僕達は男同士で――――あんっ♡」

 

 またも艶っぽい反応。

 自分の状態を認識したせいか、身体もより“素直”になってきているようだ。

 

「――ルカ」

 

 ダメ押しとばかりに、私は呟く。

 彼の耳元で。

 ねっとりとした声を意識しながら。

 

「どうしてもと言うなら、もっとしっかり拒否すればいいだろう?

 私は体術の実技で一度も君に勝てたことが無いんだ。

 その気になれば、簡単に私を投げ飛ばせるはずじゃないのか?」

 

「……あ」

 

 語った通り、ルカは私より強い(・・)

 体術に限らず戦闘に関連した実技において、私は彼に勝つどころかまともに勝負すらできなかった。

 なのに、ルカは何もしてこない。

 

「どうする?

 決めるのは、君だ。

 調子に乗った私を制裁するか」

 

「……あ、う」

 

「――それとも、このまま続けるか」

 

「…………」

 

 

 

 ――しばしの沈黙の後。

 ルカは、私にその身を委ねる道を選んだ。

 

 

 



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⑥ 公子の野望▼

 

 

 

 ルカがエイルと出会ったのは、士官学校の入学式の日に遡る。

 初めて見た時、心臓が止まりかねない程の衝撃を受けた。

 

(――こ、こんな綺麗な女性(ひと)、見たことがない!)

 

 はっきり言って、ルカは自分の容貌に自信があった。

 下手な女性より綺麗――どころではなく、自分に比肩する容姿を持つ女性なんてこの世にいないんじゃないか、位の認識だ。

 しかしそれが誤りであることを思い知らされた。

 目の前に居る、黒髪の少女によって。

 

 東方の国では、最上級の黒髪のことを緑髪と呼ぶそうだが、彼女のものは正しくそれだ。

 切れ長の瞳は艶やかで、唇の瑞々しさ足るや本当に水が滴り落ちそうな程。

 背は自分よりも高く、それでいて脚も長い。

 公子として生まれたルカは社交界で様々な令嬢を見てきたが、その誰もがこの女性の前では霞んでしまう。

 それ程の美少女だった。

 

 まず疑ったのは、学校からの賄賂だ。

 ルカはアシュフィールド家の次男として産まれている。

 自分をよくしておけば、アシュフィールド家から何らかの見返りが貰えると期待してのことか、と勘ぐった。

 

(ま、そんなわけないか)

 

 ルカの生家の厳粛さは、帝国で知らぬ者はいない

 賄賂など渡した日にはその場で斬り殺されかねないのだ。

 そんなことも分からぬ運営陣ではあるまい。

 そう考え、では何故こんな美女が部屋に来たのか首をひねっていると――

 

(――まさか男だったとは)

 

 すぐに答えが分かった。

 女性は――いや、彼は自分と同類だったのだ。

 ならば、学校側の配慮にも納得いく。

 同類同士、同じ部屋にした方が色々と(・・・)“安全”だし、上手く付き合っていけると考えたのだろう。

 

 だがその企みは、早々に頓挫した。

 ルカが、エイルに惹かれてしまったからだ。

 しかも目当ては身体。

 

(いやだってさぁ。

 平気な顔で下着姿曝してくるんだよ、あいつ)

 

 露出狂の気でもあるのかと勘違いしてしまった。

 あのツルツルの肌や、健康的な太もも、むっちりプリプリのお尻を見て平静としてられる奴は男じゃない。

 毎日のようにそれを見せつけられたルカは、悶々として仕方が無かった。

 その上、

 

(面倒見いいし。

 厳しいとこもあるけどなんだかんだ優しいし。

 料理も上手いし)

 

 一緒に暮らしていくうちに、どんどん明らかになるエイルの魅力。

 外見だけでなく、内面にも惹きつけられ始めたのだった。

 そんなルカが、在学中にエイルへ手を出さなかった理由はただ一つ。

 

(……僕がアシュフィールド家の生まれでなければなぁ)

 

 実家との兼ね合いを考えて――もっといえば、自分の家を恐れていたからだ。

 先述した通り、アシュフィールド家は厳格な家柄。

 学生の身分で不純異性交遊――正確には異性ではなく同性だが――したと知られようものなら家を追い出される、どころではない。

 下手すれば、その場で自害を命じられかねないのだ。

 

(だから、元服を迎えるまで待ったんだけど――)

 

 その結果が、これだった。

 

「うう、痛いよぉ……」

 

 ベッドに転がりながら、泣きごとを言う。

 “どこ”とは明言しないが、ルカは今身体を痛めていた。

 とてもヒリヒリしていた。

 裂けるかと(?)思った。

 

 ちなみに、彼の身体を痛めつけた(?)張本人であるエイル・ウィンシュタットは、すぐ隣でぐっすり寝ている。

 

「くそ、人の気も知らないで……!」

 

 でも寝顔は凄く愛らしかった。

 見ているだけで心が癒されていく程に。

 

「だからと言って、絆されないぞ!」

 

 気合いを入れる。

 この夜、エイルの部屋へ訪れた“本当の目的”を果たすために。

 

(――今日、僕は“男”になる!)

 

 そう、彼はエイルの部屋を訪ね、そのままなし崩しに押し倒してしまおうと考えていたのだ。

 ……先に女にされてしまったが。

 

(ちょっと予定が狂っただけさ!

 それにまあ……嬉しかったのは事実だし)

 

 好きな相手に抱かれることに対し、悪い気はしなかったのである。

 ルカの内面は複雑だった。

 それはそれとして。

 

(ふっふっふ、いざ往かん!)

 

 とりあえず身を起こし、エイルへと這い寄る。

 彼は真っ裸になって寝ていた。

 学生時代とまるで変わっていない。

 

(……まずはキスからだな)

 

 さっき(・・・)何度もしたのだが、それは全て相手主導のもの。

 しかもこう、アレやコレやされてた最中だから、いまいちよく分からないままされていた。

 それではダメだ。

 ルカの方から動いて、エイルの唇を奪いたいのだ。

 これは、プライドの問題である。

 

「で、では――」

 

 少し緊張した面持ちになって、かつてのルームメイトへと顔を近づける。

 

 ――チュッ

 

「……!!」

 

 一瞬触れてから、すぐに離れた。

 

(やばい!

 なんだろう、凄くヤバい!

 癖になりそう、コレ!!)

 

 ただ口を口を合わせただけなのに、えらく刺激的であった。

 頭が蕩けそうになる。

 

(……も、もっとしよう!)

 

 ――チュッチュッチュッチュッチュッ

 

 何度も唇を重ねる。

 凄まじい幸福感。

 これはいったいどういうことだ。

 

(抵抗できない相手にしてるから、なのか?

 僕が、エイルを自由にできるという、この感覚が――!)

 

 最高の気分だった。

 そのままさらに回数を増やしてから、

 

「こ、これ位で勘弁してやろう」

 

 まだ名残惜しいが、今日はこの先があるのだ。

 寧ろここはまだ入り口に過ぎない。

 ルカは、視線をエイルの尻へ移す。

 

「相変わらず、良い尻をしている……!」

 

 寮に居た頃より、さらに成長している気すらする。

 むっちむちで、プリンプリンだった。

 早速手を伸ばして、揉む。

 

「うおおおおお、何だこの肉感……!」

 

 胸に感動が去来する。

 柔らかい。

 柔らかいのに、弾力が凄い。

 揉めば揉んだ分だけ、肉がこちらの手を押し返してくる。

 

(こんなんなら、あの時に手を出しとけばよかった……)

 

 これは、アシュフィールド家を敵に回してでも手に入れる価値がある。

 後悔先に立たず、だ。

 しかし大丈夫。

 ルカにはまだまだ未来がある。

 エイルと共に進む、未来が!

 

「行くぞ!」

 

 再度の気合いと共に、覚悟を決めた。

 今こそ、男になる時!

 

「掘っていいのは、掘られる覚悟のある奴だけだ!」

 

 どこかで聞いたことがあるような無いような、よく分からない台詞を放ち。

 ルカはエイルへと覆いかぶさる――のだが。

 

「あれ?」

 

 手が掴まれていた。

 掴んだ相手は当然、エイルだ。

 

「……ルカ」

 

 彼の目が、まっすぐこちらを見る。

 どうやら、いつの間にか起きていたらしい。

 まあ、あれだけアレコレしてれば、起きて当然だが。

 

「え、えーと、おはよう、エイル♪」

 

 上目遣い笑顔。

 自ら考案した、一番可愛らしいポーズで誤魔化しを図る。

 しかしエイルは一向に握る力を弱めず。

 

「……どうやらまだヤり足りないようだな」

 

 逆にルカを引きずり倒す。

 どうもまだ寝惚けているようだが――なんだかちょっと目が据わっている。

 そして馬乗り状に跨ってきて、

 

「え!? ちょっと!? こんなはずじゃ!? にゃ、にゃーーーーーーっ!!!?」

 

 

 

 ……ルカ公子の野望が達成される日は、まだ遠い。

 

 

 



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⑦ 皇帝への挨拶

 

 

「儂がぁっ!! ヴァルファス帝国皇帝!!

 ヴァーガード・リューシュ・ヴァルファスであぁるっ!!」

 

 響き渡る大音量。

 耳がキーンとする。

 どんだけ声量でかいだ。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 そして訪れる沈黙。

 その場にいる誰もが、どう反応していいか分からなかった。

 

「なんじゃい、ノリ悪いな」

 

 一人、不服そうにしているのは先の発言の主。

 老人といって差支えの無い、白髪の男性だ。

 確か御年73歳のはず。

 しかしその身体には活力が漲っている。

 皺こそあるものの、その顔は精悍。

 中肉中背の体格に備えられた筋肉には、まるで衰えがみられなかった。

 

 彼こそが誰あろう、我が帝国の皇帝、ヴァーガード・リューシュ・ヴァルファスである。

 ……私が紹介する前に自分で名乗ってしまったが。

 

「あー、陛下?

 御戯れも程々に。

 皆、戸惑ってしまっております」

 

 恐る恐る、という形で発言したのは、陛下の隣に立つ宰相――クライブ先生。

 流石に今日は、いつものぼさぼさ髪ではなくしっかりと頭を整えていた。

 

 ここまで説明すれば現在がどういう状況なのか察しがつくだろう。

 そう、ここは王城のちょうど中央部に設けられた、謁見の間。

 私は今、皇帝陛下に爵位継承の報告をしにきている――はずなのだが、のっけから最初の発言で場が乱されてしまった。

 

「どうにも固っ苦しい空気じゃったから解してやったんじゃわい。

 うむ、エイル卿よ、よくぞ参った」

 

「ご配慮、勿体のうございます。

 本来であれば早期にご報告に参らねばならぬところ、本日まで遅れてしまったこと、平にご容赦ください」

 

 敬礼し、挨拶を述べる。

 一発目からアレだったのでどうなることかと思ったが、それらしくなってきた。

 

「よいよい、気にするな。

 ウィンシュタットからの旅となれば、なかなかに骨が折れたじゃろう」

 

「いえ、天馬の馬車を使いましたので。

 寧ろ、快適な空の旅を堪能できました」

 

「うむうむ、天馬を使ってシュタっと(・・・・・)帝都へ来れたわけじゃな!」

 

 …………。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 再び訪れる沈黙。

 どう対処しろというのだ、この親父ギャグに。

 

「……なんか固いのぅ。

 もう一発いくか?」

 

「お止め下さい陛下。

 いい加減、話を進めて頂けませんかね?」

 

 つまらなそうにする皇帝を宰相が窘める。

 少し苛立っているのか、クライブ先生の語尾に怒気を感じた。

 

「分かった、分ぁかった。

 いやぁ、すまんのぉ、エイル卿。

 日々公務に身を費やしとると、たまにはこうやってゆるーい対応をしてみたくなってのぉ」

 

「……陛下はいつもこうでしょうが」

 

「ん? 何か言ったか、宰相?」

 

「いえ? 何も?」

 

 すっとぼけるクライブ先生。

 なかなか心臓が強い。

 陛下は陛下でこのやり取りをさらっと流し、

 

「しかしなんじゃな、フェデルの奴め、一人しか息子を作らんとは。

 昔のあいつは儂を差し置いて春街の帝王などとよばれておったというのに。

 探せば隠し子の一人や二人おるのではないかな?」

 

 え?

 

「陛下ぁっ!!」

 

「うぉうっ! どうしたんじゃ!?」

 

「ここは! そのようなプライベートのお話をする場ではないかと」

 

「おいおい、声が震えとるぞ。

 何をそんなに怒っとるんじゃ――さては、“あの日”か?」

 

 いや陛下、そんな台詞でドヤ顔されても。

 

「“あの日”でも“この日”でも構いませんから、職務を全うして下さい」

 

「つまらん返しじゃなぁ。

 そこはもっとこう、トークを広げていかんと」

 

「広げません、閉じます」

 

「ぬぅ、芸人根性の無い男め」

 

「宰相なもので」

 

 コント一歩手前のやり取りを繰り広げる陛下と宰相。

 おかしいな、私はいったい何時から“笑ってはいけない皇帝面会24時”に参加してしまったのだろう。

 

 ……これだけ陛下がフランクな態度をとっていると、私と皇帝が顔見知りなのではないかと勘違いされるかもしれないが然に非ず。

 一応、侯爵嫡男という立場上顔を見る機会は何度もあったが、こうして個人で会うのは今日が初めてだ。

 だというのに、この対応。

 凄いな、皇帝になるとこんなフリーダムに振る舞っていいものなのか。

 

「ところでエイル卿よ」

 

「はっ」

 

 急に話をふられた。

 いや、この場は私の挨拶の場であるからして、私と話をするのは正常なことではあるのだが。

 

「そこのヴェイク――ここの出入口を警護しておる近衛兵なんじゃがな。

 今日でちょうど勤続5年になる」

 

「――はい?」

 

 急に何言い出すんだ。

 

「務めとる間、儂の下へ不届き者を近寄らせなかった孝行者よ。

 一つ、お主からも功績を労ってやってくれんかのぅ」

 

「……は、はぁ」

 

 つまり後ろに居る兵士に挨拶しろということか。

 しかしそうなると――

 

「ああ、気にするな。

 儂に背を向けることを許す」

 

 私が逡巡する理由をすぐさま見抜いてくる陛下。

 こういうところ、さり気無いが相当に聡い。

 

「――では、失礼いたします」

 

 一言おいてから、私は後ろを振り返る。

 そこには私同様――いや、私以上に戸惑いの表情を浮かべる2人の兵士がいた。

 中でも右側の兵は特に混乱しているようだ。

 おそらく彼が件の近衛兵ヴェイクなのだろう。

 

 ……予想していたことだが、やはりこれは陛下の思いつきによるものなのか。

 だからといって拒否できるものでもあないが。

 

 私はヴェイクと思しき青年に向かってお辞儀しながら、

 

「本日までのお勤め、ご苦労でした。

 これよりもなお公務に勤しみ、陛下へお守り頂けますよう、宜しくお願いいたします」

 

「じ、自分にそのようなお言葉を頂けるとは!

 光栄であります、エイル卿!!」

 

 ピンと背筋を伸ばし、軍隊式の敬礼をとるヴェイク。

 いきなりこんなことに巻き込まれ、恥じらいでもあるのだろう――彼の顔は赤く染まっていた。

 皇帝の傍仕えというのも、難儀なものである。

 

 ともあれこれで命は果たした――と考えたのだが。

 

「うーむ、ちと形がなっとらんな。

 もう少し深く頭を下げた方が良いぞ」

 

「……そ、そうですか?」

 

 陛下はお気に召さないようだ。

 一応身分上はヴェイクの方が下であり、こういう間柄でそこまで頭を低くするのは貴族として如何なものかと思うが……

 まあ、私はそういう事に抵抗が無いけれども。

 

「――こんな、感じでしょうか?」

 

 ぐっと前屈みになる。

 

「うむ、悪くないが――もう一声!」

 

「分かりました」

 

 指示通り、さらに上半身を曲げる。

 なんだか立位体前屈でもしているみたいだ。

 膝の関節が少し痛い。

 

 しかし何というか、このポーズ思い切り皇帝に尻を突き出している(・・・・・・・・・)のだが、不敬罪になったりしないよな?

 と、そんな心配をしていたところへ――

 

「うむ、ナイスけつ!」

 

「ひゃんっ!?」

 

 ――いつの間にか背後へ忍び寄っていた陛下が、私の尻をパァンッと叩いた。

 えっ!?

 いきなり何すんだ、この爺は!!

 

「なっ――なっ――なっ――なっ――!!」

 

 意味の無い単語が無意識に漏れ出た。

 余りに予想外のことに、口が上手く動かなくなっている。

 

 いかん、落ち着け。

 この場にはクライブ伯爵や幾人もの近衛兵が居る。

 彼等の前で、不様を働くわけには――

 

「……ぶち殺すぞジジイ」

「調子に乗んのもいい加減にして貰いたいものですな、セクハラ野郎!」

「お灸をすえられたいのですか、この色ボケ頭が!!」

 

 ――と、思ったら周りの方がエキサイトしていた。

 宰相もヴェイクを始めとした近衛兵達も、怒りを露わにしている。

 ちなみに一番最初の、静かに殺意を込めた台詞がクライブ先生ものだ。

 ……君達、陛下相手にそんな言葉使っていいのか?

 

「何を言うか!?

 こんな見事なけつが目の前にあったら、拝まずにはいられんじゃろ!!」

 

「そういうことは、然るべき場所で然るべき対価を払ってやって下さいませんかね!!」

 

「バッカ宰相お前、儂は妻一筋50年じゃっつうの!!

 そんなことしたら笑い話で済まんじゃろが!!

 だいたいじゃなぁ――」

 

 ここで陛下はびしっと先程の近衛兵を指さした。

 

「ヴェイク!!

 お主だってエイル卿が挨拶しとる最中、けつをジロジロ見とったろう!!

 本人に気付かれていないと思って、延々と不躾に!!」

 

 え、そうなの?

 

「ななな、何を仰いますか、陛下!!

 自分がそのような失礼極まりない真似をするわけがないでしょう!!」

 

「いいや、やったね!!

 やっておったね!!

 けつをガン見して、そしてズボンから透けて見える下着まで確認しとったじゃろ!!

 エイル卿の黒いパンティーを!!」

 

 え?

 

「いや、エイル卿の下着は黒でなく白ですよ!!

 うっすらぼんやりはっきりと見えましたから!!――――あ」

 

 え?

 

「……騎士ヴェイク。

 後で話があります、逃げないように」

 

「ち、違うのです宰相、これは――!!」

 

「はっはっは、宰相よ、許してやれい。

 ヴェイクめはここ最近女日照りが続いておるらしくての。

 我慢できなくなっちまったんじゃろ――ん?」

 

 陛下が私の方を見て、首を傾げた。

 

「これこれ、エイル卿よ。

 何故にそんな端の方へ移動しとるんじゃ?

 今日の主役はお主なんじゃから、もっと真ん中に来なさい」

 

「いえ、私にはここで十分です」

 

「そんなこと言わんと。

 ほれほれ、もっと近くに。

 お主の立派なけつ――じゃなくて顔を儂によく見せてくれんかのぅ?」

 

「それ以上近づかないで貰えますか」

 

 このホモ野郎が。

 

 いつから謁見の間はハッテン場に姿を変えたんだ。

 もう、私帰っていいかな?

 ダメか?

 この状態でまだ面会続けろとか、罰ゲーム以外の何物でもないんだが?

 

 

 

 



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⑧ 挨拶の続き

 やっぱり帰れなかった。

 宰相のとりなしの下、どうにか体面を整えて挨拶を続行する。

 ……いや今更挨拶がどうとか本気でどうでもよくなってはきているのだが。

 

「ところでエイル卿よ」

 

「なんだホモ――じゃない、なんでしょうか、陛下?」

 

 唐突に口を開いた陛下に返事をする。

 

「そこはかとなく侮蔑されとる気がするのぅ。

 まあいいわい。

 近頃つまらんと思わんか?」

 

「と、仰いますと?」

 

「ヴァルファス帝国が今の領土となって50年。

 あれから一度としてこの国の“形”はほとんど変わっとらん。

 お主はこれをどう思う?」

 

「他国の侵略を防ぎ、身内にも大きな反乱が無い。

 見事な統治かと思います。

 全て陛下の手腕の賜物かと」

 

「教科書のような回答じゃな。

 それ、本気で思っとるか?」

 

「平和に越したことはありません。

 それを維持する陛下へ尊敬の念が尽きないのは確かです」

 

 事実として、陛下がヴァルファス帝国を建国して(・・・・)からこちら、大きな戦争は起きていない。

 その要因の大半を、陛下が担っている。

 諸外国に隙を見せず、問題があれば未然に解決。

 それを50年続けてきたのだ。

 ふざけてはいるがこの皇帝、本気で物凄い人物なのである。

 だが陛下は私の答えに不満らしく。

 

「かぁあああああああっ!!!

 つまらんつまらんつまらん!!

 今から国獲ってきます、程度のことは言えんのか?

 エイル卿、儂がお主くらいの頃合いには、皇帝になっておったのだぞ?」

 

「そうですね」

 

 これは決して、陛下が18歳で皇帝を継承した、という意味ではない。

 

 かつて、帝国は数ある小国の一つだった。

 小国の王に過ぎなかった陛下は、齢15歳で挙兵。

 瞬く間に周囲の国を平定し、18歳の頃に国名をヴァルファス帝国へ改名、皇帝へ収まる。

 進軍はさらに続き、皇帝が20歳を迎えるころ、今の領土が完成した。

 その間、負け戦一度も無し。

 自軍の10倍以上はある敵軍を破ったこともあるらしい。

 戦では常に先頭に立ち、敵国の兵を薙ぎ倒していたとか。

 それだけのことをこなした後、統治も完璧に行っている。

 占領した国へも圧制は敷かず、交通の便を整え、全ての民を平等に扱って性別や種族への差別を廃止した。

 それでいて、先程見せた通り普段は気さく(?)な爺さんだ。

 覇王にして賢王。

 大陸の生きた伝説(リビング・レジェンド)

 ここまでくるともう、チートと言っていい。

 ……いや、たぶん本当にチート(・・・・・・)なんだろう。

 

「それ程に領土が欲しいなら、セルナ将軍にでも頼めばいいではないですか。

 すぐに国の一つや二つ、陥落させますよ」

 

「そーゆうこと言うかお主は!?

 んなことしたら全面戦争が勃発しちまうじゃろが!」

 

「でしょうね」

 

 セルナという将軍は、帝国軍部においてバリバリのタカ派で知られる。

 陛下直々にそんな命令した日には、次の日には大陸中へ宣戦布告しかねない。

 私としても、それは勘弁願いたい。

 

 出鼻を挫かれた皇帝は、ごほんと一つ咳払いしてから声を荒げて凄んでくる。

 

「とにかく、儂が言いたいことは!

 一人前面したいのなら、(ひと)から貰ったもんじゃなく、自分で領土(くに)を手に入れてみぃってことじゃ!

 なんなら手に入れた土地は主にくれてやってもいいぞ」

 

「また無茶を言いますね」

 

 ただここで重要なのは、爵位を認めないとも領を継がせないとも言っていない、ということだ。

 要するに、さっきまでやっていた“おふざけ”の延長のようなもの。

 その証拠に、

 

「……また陛下の戯れか」

「……困った顔を見て楽しんでるんだろう」

 

 謁見の間に配備されている兵達も、真剣に捉えていない。

 

 ――しかし。

 冗談だろうと何だろうと、口にした以上は責任を取って貰おう。

 私はクライブ宰相の方へと軽く目配せした。

 

「陛下、こんな時ではありますが、お伝えしたいことが」

 

「ん? なんじゃい?

 儂は今、エイル卿と話をしているのじゃが?」

 

「それに関係するお話です。

 実は東部諸国連合の一つであり、ウィンシュタット領と国境を同じくする隣国クレアスが、帝国へ“保護”を求めてきておりまして」

 

「……え?」

 

 宰相の言葉に、陛下が怪訝な顔へ。

 

「近年続いた飢饉で国庫が苦しく、是非帝国の一領として迎え入れて頂きたい、と。

 そのようなことが、“ウィンシュタット侯爵を通じて”陳情されまして」

 

「……え?」

 

「ウィンシュタット侯爵は先代のフェデル様の頃よりクレアスとは友好的な関係を築いておりましたので、同じ諸国連合よりも帝国を頼りにしたのでしょう。

 これは、ウィンシュタット侯爵のお手柄ですね」

 

「……え?」

 

 そこまで宰相が続けたところで、私が宣告する。

 

「ところで陛下。

 先程、“手に入れた土地はくれてやる”と口にしましたね?

 つまり、クレアスはウィンシュタット領としても良い、と」

 

「ちょっ――待て。

 言った、確かに言ったしそれを翻すつもりも無いが……

 あの、エイル卿?

 クレアスって、小国とはいえウィンシュタット領と同じ位土地あるんじゃよ?」

 

「ええ、存じております」

 

 ちなみにウィンシュタットの領土は、他貴族へ委譲している土地も合わせると帝国領で上位3つの内に入る面積を誇る。

 

「それ、全部自分のものにしちゃうの?」

 

「陛下から許しを得ましたので」

 

 通常、仮に自分の手柄で領土を獲得したからといって、それを全て自分の物にすることはできない。

 勿論功績は考慮されるが、大部分が国へと献上することとなるのだ。

 

「クレアス、飢饉で大変なんじゃよね?

 ウィンシュタットだけでは、かの国の民を面倒見切れないんじゃないかの?」

 

「丁度今、我が領には民を数か月養えるほどの食糧が蓄えられているのです。

 不思議なことに」

 

「……そうか」

 

 陛下が顔を伏せる。

 諦めたか――と思った次の瞬間、がばっと顔を上げ、

 

「貴様ら儂をたばかったな!?」

 

「先に言いだしたのは陛下ですよね?」

 

「ぬぅ!?」

 

 クライブ宰相のつっこみにより、陛下撃沈。

 

 実のところ、皇帝がここ最近今のようなやり取りをどの貴族にもしている、という話を宰相から教えて貰っていたのだ。

 そこで、前々から請願されていたクレアスの件を、この“おふざけ”に絡めてしまおうと画策したわけで。

 勿論幾つかの見返りは要求されたが、この“褒賞”に比べれば微々たるもの。

 持つべきものは、有能な味方である。

 

「……仕方あるまい。

 このヴァーガード・リューシュ・ヴァルファス、自ら口にしたことを反故にするような真似はせん」

 

「――では」

 

「見事、クレアスを調略した暁には、かの国の処遇をウィンシュタット侯爵に一任するものとする!」

 

 流石皇帝陛下、太っ腹!!

 

「じゃが分かっとると思うが、この計らいによって他の諸侯との間に軋轢が生じるぞ。

 儂はそこまで面倒みんからな」

 

「承知しております」

 

 しっかり指摘してくれる辺り、温情深い。

 実際、皇帝が決定したからといって“はい、そうですか”と全員が全員納得してくれるわけがない。

 幾人かの有力貴族へ袖の下を渡しておく必要があるだろう。

 そんな皮算用をしている間に、皇帝はさらに言葉を続け、

 

「ああ、それと――宰相よ」

 

「なんですか、陛下」

 

「近衛軍の大隊を一つ、ウィンシュタット侯爵預かりにせい」

 

「――え?」

「――は?」

 

 ……今度は、我々が驚く番だった。

 近衛軍といえば皇帝直下の軍隊であり、帝国軍最高の練度を誇る精鋭集団。

 大隊――凡そ1000人程度の部隊とはいえ、そう簡単に渡していいものなのか?

 

 流石のクライブ先生も、仰天したのだろう。

 慌てた口調で陛下へ確認する。

 

「へ、陛下?

 本気ですか、そのような――」

 

「構わん。

 エイル卿の侯爵祝いと心得よ。

 ……まあ、どうせ暇しとる連中じゃ。

 食い扶持が減って、助かるぐらいじゃわい」

 

 そんなわけが無い。

 一般に近衛兵を一人育成するためには、一般兵の10倍以上のコストがかかると言われている。

 それを1000人も手放す――果たして損失はいか程のものか。

 

「エイル卿よ」

 

 頭が動転している間に、皇帝陛下がすぐ近くにまで寄ってきた。

 慌てて敬礼の姿勢を取る。

 

「よいか、クレアスを侮るな。

 領土とは貴族の生命線よ。

 曲がりなりにもそれを手放そうというのだ、国庫が焼け付いた程度(・・)でそんな決断をするとは思えん。

 相応の“事情”があるに相違ない」

 

「――はっ」

 

 成程。

 そのための、近衛大隊か。

 クレアスがどんな真似を――例えば、恭順するフリをしてこちらの寝首を掻こうとしてきても――それを力づくで捻じ伏せられる戦力を賜れたのだ。

 

「そしてもう一つ。

 お主に近衛軍を贈ったのは、何もクレアスの件に対してだけではない」

 

 陛下は続ける。

 

「……備えよ。

 いいか、エイル卿、そう遠くない内に“戦”が起きる。

 我が帝国を殲滅せんとする“敵”が現れるであろう。

 ――その時に、儂が居るとも限らん」

 

 ……皇帝陛下の逝去をきっかけに、それまで燻っていた反帝国の勢力が大陸に台頭してくる、とのお考えか。

 陛下が高齢であることも考えれば、十分現実味のある話だ。

 それ程までに、皇帝の影響力は大きい。

 

「だから、備えよ。

 “敵”がどれほど強大であっても帝国を守り切れるように。

 近衛軍だけでは足りぬ(・・・・・・・・・・)

 さらに強堅な軍を作り上げるのだ。

 何せ、この“敵”は――」

 

 ぐっと顔を寄せてくる。

 私だけに聞こえるような声で、告げた。

 

「――この世界の住人では(・・・・・・・・・)太刀打ちできん」

 

 ……なんだ、バレてたのか。

 

「故に、備えるのだ。

 お主が(・・・)、備えねばならんのだ。

 儂の言いたいことが、分かるか?」

 

 陛下の視線が私に突き刺さる。

 この様子からすると、私に近衛軍を譲るのはこの老人の中では最初から決定事項だったということか。

 いったいいつ私の素性を知ったのか分からないが――まあ、陛下であればどうとでもしたのであろう。

 

 ともあれ、質問されている以上答えねばなるまい。

 

「私としては、“これは汝に関係する話ではない”と言われるのを期待していたのですが」

 

「……なんじゃい、バレとったんか」

 

「確証はありませんでしたが」

 

 経歴が色々と被るし、何より自分で名乗っている(・・・・・・・・・)

 ノーヒントならば厳しいだろうが、私は自分自身という“前例”があることを知っているわけだから。

 

「なになに? じゃあ、お主どの辺りの出よ?」

 

 いきなりフランクになる陛下。

 なんだその、“お前、どこ中よ?”とか聞いてくる学生ノリは。

 

「ニホンという国です。

 陛下には、“倭国”と名乗った方が馴染みがあるかもしれませんが」

 

「ああ! ああ! 日本! 日本ね!

 分かる分かる!!」

 

 え、分かるの?

 貴方が生きてる当時――つまりまあ“地球で暮らしていた当時”という意味だが――日本はまだ無いはずなのに。

 そんなツッコミをする暇もなく、陛下は宰相の方へ振り返って。

 

「クライブ! こいつ、今から将軍!!」

 

「分かりました」

 

 いや、分からん。

 

「何を頷いているのですか、宰相閣下!!

 何の冗談です、陛下!

 私に将軍位など勤まるとでも!?」

 

「分かっとる分かっとる、皆まで言うな。

 お主のとこの人間は、皆揃って最初は謙遜するんじゃ。

 その美徳を否定する気はせんが、時には自己主張することも大事じゃぞ?」

 

「いえ決して謙遜などではなく!

 ……というか陛下、ひょっとして私以外の日本人と面識があるのですか?」

 

 後半は小声で。

 

「あるよ、あるある。

 懐かしいのぅ、島津は優秀な武人じゃった。

 本当に最後の一兵になるまで戦っちまう軍隊なんぞ、儂はアレ以外に知らぬ。

 武田の軍略も凄かった。

 次から次へと繰り出される策に心躍らされたわい。

 ああ、船坂も恐ろしい兵じゃったのう。

 死んでも死んでも蘇るとか、ちょっとしたホラーじゃよ」

 

 遠い目をして語る陛下。

 

「ところで塚原卜伝という男を知っとるか?

 儂のこの傷、そいつにつけられたんじゃが。

 いやぁ、手傷を負ったのなんぞ久方ぶりじゃった」

 

 そう言いながら胸の古傷を見せてくる。

 ……戦ったことあるんかい、あの剣聖と。

 

 というかさっきからビッグネームしか出てこない。

 そんなのと一介のサラリーマンを同列に並べられちゃ困る。

 

「どいつもこいつも頭のねじが一本抜けとるような連中ばかりじゃったが、誰も彼もが優秀な戦士であった。

 一度、部下にしてみたいと思っとったんじゃよ」

 

 その辺りを日本人の代表格として扱われるのは、不服に感じる人が多いと思う。

 どうやら陛下、かなり特殊な方々とばかり出会っていた模様。

 しかも口振りからして、その面子を倒してきているようでもある。

 ……やっぱり凄いな、この人。

 

 しかし異世界で日本人の名を聞けるのは感慨深いが、今は誤解を解くのが先決。

 

「陛下がお会いした方々は日本でも天才と謳われている者達です。

 対して私は何の取柄も無い凡人。

 陛下のご期待には応えられないかと」

 

「むぅ――まあ、そういうことにしておこうか」

 

 一先ず、納得してくれたようである。

 まだ誤った捉え方をされているようなので、おいおい説明が必要かもしれないが。

 

「さて、面白い会話もできたところでそろそろお開きと――なんじゃい?」

 

 そこで気付く。

 いつの間にか私達は兵達に取り囲まれていた。

 しかも全員が武器を構えている。

 随分と剣呑とした空気だ。

 

「おいおい、どうした?

 まさか、エイル卿が儂に何かするとでも思ったのか?」

 

「いえ、陛下がエイル卿の前で服をお脱ぎになられたので。

 これは事案発生かと思い、最悪の場合陛下を刺し違えてでも止める覚悟でありました」

 

 言われてみれば。

 陛下は上半身の古傷を見せるため、上着を脱ぎ捨てていた。

 確かに、客観的に見て危険な構図である。

 

「……お主ら、“近衛”の意味分かっとるんかい!?」

 

 さもありなん。

 変な真似ばかりするから、そうなるのである。

 

 

 

 何はともあれ。

 私は皇帝陛下への挨拶を無事こなしつつ、ついでに隣国の統治権を手に入れ、近衛軍の一部も預かった。

 うむ、豊作豊作。

 

 

 

 第2話 完



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人物紹介
報告書(挿絵追加)


 

 

【挿絵表示】

 

◆エイル・ウィンシュタット

 性別:男 年齢:18歳

 身長:169cm 体重:54kg

 

 Str:C Vit:C Agi:B

 Int:B Pow:B Luc:B

 

 主な保有スキル

 ・分析(N)

 

 脅威度:C

 

 転生者であり、転生元は日本の会社員、村山秀文。

 詳細は解析中だが、業務は営業を行っていたとのこと。

 現在の身分はヴァルファス帝国の貴族ウィンシュタット侯爵。

 能力値(ステータス)はどの項目も平均以上であり士官学校時代の成績も優秀だが、飛び抜けた才覚は見られず、スキルもレアスキルやユニークスキルを持たない。

 また、転生前の経歴も平凡極まりないものである。

 現時点では、転生者であるにも関わらず、凡庸な人物と見做さざるを得ない。

 しかし、人材管理(マネジメント)能力には目を見張るものがあり、人材を当人にとって最適な仕事場へ配置する手腕に優れる。

 或いは他の転生者を管理する役割を担って派遣された可能性もある。

 以上の事実に加え、21世紀の技術知識を保有していることも考慮し、脅威度はCと判定する。

 

 

 

【挿絵表示】

 

◆セシリア

 性別:女 年齢:17歳

 身長:161cm 体重:49kg

 

 Str:D Vit:D  Agi:D

 Int:A Pow:EX Luc:B

 

 主な保有スキル

 ・魔法適性(SR)

 ・完全記憶(R)

 

 脅威度:B

 

 上記エイル・ウィンシュタットの侍女。

 一般人に分類されるが、高確率で“魔女”の力が隔世遺伝しているものと考えられる。

 魔法への適性が異常に高く、一般的に使用されている魔法であれば見ただけで習得が可能。

 しかし“力”はあるものの、まだ“魔女”が使用していた魔法は未習得である。

 転生者エイル・ウィンシュタットの管理下にあることから、将来的に大きな脅威となる可能性が高い。

 脅威度はBと判定する。

 

 

◆ルカ・アシュフィールド

 性別:男 年齢:18歳

 身長:167cm 体重:56kg

 

 Str:B Vit:B Agi:A+

 Int:C Pow:D Luc:D

 

 保有スキル

 ・時流制御(SSR)☆

 

 脅威度:D

 

 ヴァルファス帝国のアシュフィールド公爵家次男であり、転生者レオニダスの孫にあたる。

 その上、彼の母はユニークスキルを保有する血統であり、該当スキルを継承してしまった。

 転生者特有の高い能力値(ステータス)と、SSR相当のユニークスキルを保有するため、戦闘能力が非常に高い。

 但し、あくまで戦術レベルの強さであり、予め対策をとっていれば十分に対応可能と判断する。

 また今のところではあるが、危険思考の持ち主でもない。

 そのため、脅威度はDと判定した。

 

 

◆ヴァーガード・“劉秀”・ヴァルファス

 性別:男 年齢:73歳

 身長:174cm 体重:72kg

 

 Str:A Vit:A Agi:A

 Int:A Pow:A Luc:A

 

 保有スキル

 ・深慮遠謀(SSR)

 他、多数

 

 脅威度:A

 

 説明は不要と思われる。

 現在ライナール大陸で確認されている最強の転生者。

 彼をヴァルファス帝国程度の領土に押し留めていることは我々の誇るべき功績であり、彼を味方に出来なかったことは恥ずべき汚点である。

 老齢となってもその“強さ”は未だ健在。

 彼が衰えるまで帝国を処理することは難しい。

 以降も慎重に監視を続けるものとする。

 脅威度は当然Aである。

 

 

◆“D”

 性別:? 年齢:??

 身長:??? 体重:??

 

 Str:A+ Vit:A+ Agi:A

 Int:B  Pow:A  Luc:E

 

 保有スキル

 ・吸血(R)

 ・変身(SR)

 

 脅威度:A

 

 クレアスで出現を確認した混沌生物。

 高い能力値(ステータス)、強力なスキルを兼ね備えた怪物。

 本来であれば即刻処理に赴かねばならないが、帝国の程近くに棲息していることも鑑み、しらばく監視を続ける。

 

 

◆“勇者”

 性別:男 年齢:16歳

 身長:172cm 体重:75kg

 

 Str:D Vit:C Agi:C

 Int:C Pow:B Luc:A

 

 保有スキル

 ・絆(SSR)☆

 

 脅威度:E

 

 魔王討伐のために召喚された転移者。

 順調に討伐を成功させたため、近く廃棄予定。

 

 

 



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第3話 VS 吸血鬼
① ウィンシュタット領に戻って


 帝都を訪問し、皇帝陛下への挨拶を済ませてから、既に1週間ほど経過した。

 私はといえば、いつも通りの業務に戻り、日々を過ごしていた――わけではなく。

 隣国クレアスとの会見に臨むため、アレやコレやと準備の真っ最中だ。

 向こうから“帝国傘下に加わりたい”と申し出た以上、こちらが圧倒的優位の立場ではあるものの――いや、優位な立場であるからこそ、隙を見せられない。

 我がウィンシュタット領の“完璧さ”を見せつけ、きっちり主導権をこちらが確保するつもりだ。

 

 ここで、クレアスの簡単な説明でもしておこうか。

 かの国は東部諸国連合に所属する、王政を敷いた国である。

 他国からは小王国などと揶揄される程に規模は小さいが、東部諸国連合の国としては平均よりやや大きい程度。

 連合は大陸東部に散在する小国が、大国に対抗するため手を組んだ代物だからだ。

 一つ一つは小さいものの、連合全体としてならば帝国に肩を並べる程の領土を誇る。

 

 ……説明がそれてしまった。

 クレアスの特徴としては、険しい山々の多さが挙げられる。

 戦争の観点でみれば、守りやすく攻められにくい領土と言える。

 だからこそ、かつての帝国による侵略を防ぎきれたのだろう。

 しかしその一方で土地の生産性は低い。

 起伏が多い土地であるため開墾が困難な上、肥沃とは言い難い土地柄もあって作物が育ちにくいという二重苦。

 帝国への防波堤になっているという事情から連合各国の支援もあって、どうにか食いつないでいた――のだが。

 近年、帝国が(というか我がウィンシュタット領が)東部諸国連合に対し宥和政策的姿勢を取り続けてきたため、帝国への恐怖が薄らぎ、支援が打ち切られ始めたのだ。

 そこへ飢饉まで発生したせいで、クレアスの内政は立ちいかなくなってしまったのである。

 

 うん、我が父ながらなかなかえげつないことをする。

 正に真綿で首を絞める行為。

 クレアス側は、まさか父の平和外交がその実、侵略外交の側面も持っていたなど思いもしないことだろう。

 目論見通りいけば労せず国を手に入れられ、目論見が外れても平和は維持できるという、優れた戦略である。

 ……もっとも父上の言動を見るに、彼としては後者が主目的であり、前者の狙いはおまけ程度だったようだが。

 

 さて、ここでそんな“土地の痩せた”国を手に入れて何かメリットがあるのか、と疑問に思うこともあるかもしれない。

 まず帝国にとっては、東部諸国連合の“防波堤”を引き剥がせるという何にもまして大きな成果がある。

 とはいえ、これは私にとって余り有難い話では無い。

 私は戦争なんぞ望んでいないからだ。

 こちとら平和な日本出身。

 戦争なんぞ御免被る。

 

 そして多少意見は違えど、宰相も同じ考え。

 彼もまた、帝国の侵略戦争に否定的な“派閥”に属しているのだ。

 だからこそ、クライブ先生は非戦派であるウィンシュタット家の手にクレアスを収めておいて欲しかったわけである。

 皇帝陛下との面会でのやりとりには、そういった裏事情があった。

 

 では、私にとっての利益とは何か。

 答えは簡単、クレアスの広大な土地が欲しいのだ。

 斜面が多いだの痩せているだの散々けなしてしまったが、実のところそこは余り大きな問題では無い。

 何故なら、ジャガイモやトマトを始めとした、“痩せた土地でも育ちやすい作物”を既に確保しているからだ。

 我がウィンシュタット家が長年かけて作物の研究を進めていた――というわけではなく。

 私の持つ“現代社会の知識”を活かし、商人からそれらの種や苗を買い占めておいたのである。

 なんのかんのと色々役に立つものだ、現代の知識というのは。

 一から研究開発を始めたのでは、それら作物の特徴を把握するのにどれだけの年月が必要か分かったものでは無い。

 

 ……どうにも説明が長くなってしまった。

 まあそれ程重要な話というわけでもないから読み飛ばしてくれても構わない。

 私にとって一番重要なのは――

 

「――と、なんだ?」

 

 廊下からバタバタと慌ただしい足音が聞こえる。

 まっすぐに、今私が居る執務室に向かっているようだ。

 それはどんどん大きくなり、

 

「エイルぅっ!!」

 

 そんな声と共に、ドアが開け放たれた。

 現われたのは長い金髪を後ろで束ねた絶世の美少女――もとい、美少年。

 

「ああ、ルカか。

 ようやく到着したんだな」

 

 帝国三公爵家の公子であり、私の親友(愛人)でもあるルカ・アシュフィールドだった。

 

「うんうん、到着したよ、しましたよー!

 愛しのエイルに早く会いたいと、馬かっ飛ばしたやってきたよぉ!!」

 

 ニコニコの笑顔で迫ってくるルカ。

 男にそんな真似されても嬉しくもなんともないのだが、こいつの場合は話が別だ。

 美麗な少女に近寄られて悪い気になる男なんて存在しない。

 いや、ルカは一応男ではあるけれども。

 

「それにしてもどうした、その上機嫌ぶりは?

 何かいい事でもあったのか?」

 

「どうしたもこうしたも!

 ほれほれ、これ!!」

 

 じゃじゃーん、という効果音が付きそうな勢いで彼が見せつけてみたのは、一つの勲章だ。

 

「見ろよ、これ!! なんだか分かるか!?」

 

「近衛軍大隊長の勲章だな」

 

「そう! それ!!

 僕はとうとう、帝国の誇る最強軍団の大隊長に任命されたのだ!!」

 

 ふんす、と胸を張るルカ。

 彼が公爵家の次男であることを鑑みればそこまで誇れる役職でもないように思うのだが、それは言わぬが華だろう。

 実際、然程高い官位ではないものの、軍部の中ではかなり人気のある職なのだし。

 

「で! で!

 これ、エイルが陛下に推薦してくれたんだろ!?

 宰相から聞いたぞ!!

 ううう、ありがとぅうううっ!!

 これで食いっぱぐれずに済むよぉ!!」

 

 目尻に涙まで溜めて喜んでいる。

 ……アシュフィールド家は成人したら食い扶持は自分で用意せよとの鉄の掟があるそうなのだが、そこまで厳しいのか。

 これ程に感動してくれたのなら、私も推挙した甲斐があったというものだ。

 

「……ま、君が希望していた将軍職を用意はできなかったがな」

 

「もう、クールにそんなこと言ってくれちゃって、この♪

 エイル、愛してるぅううっ!!」

 

 執務机を飛び越え、私に抱き着いてくる。

 うむうむ、愛い奴め。

 しかし飛びついてくるのは止めなさい、危うく椅子ごと倒れそうになったから。

 

「あー、エイルエイルエイルエイルー!」

 

 こちらの事情などお構いなしに、ルカは私の胸へすりすりと頬ずりしだす。

 なんともこそばゆい。

 あと仄かに女性のような甘い匂いを醸し出しているが、まあいつものことなので疑問には思わない。

 生物学的におかしくても、外見にはピッタリ合致しているのだから何の問題も無いだろう。

 

「……ふぅ。

 ああ、堪能した」

 

 しばらくの間そうしてから、ルカは満足げな表情と共に一旦身を離す。

 ……何を堪能したんだろう?

 

「しかしお前も大したもんだなぁ。

 お前が帰ってから、王城ではエイルの噂で持ち切りだったぞ」

 

「そうか?」

 

 まあ、そうだろうな。

 皇帝陛下より直々に、隣国クレアスの統治権と近衛軍大隊を譲り受けたのだ。

 父上の功績とクライブ宰相の思惑に乗っただけとはいえ、事情の知らない人から見れば大それた成果を挙げたように見えるだろう。

 過大評価であるものの、人から良く思われるのは悪くない気分だ。

 自然、笑みを浮かべてしまう。

 

「そうそう、もう会う人会う人皆口を揃えて言ってたぞ。

 “陛下の次の妃(・・・)はエイル・ウィンシュタット卿で決まりか!”って」

 

「おい待て」

 

 一瞬で笑顔が引っ込んだ。

 

「なんだその内容!!

 おかしいだろう!?」

 

「いやだって、陛下が領土と虎の子の軍隊をぽんと渡したんだから。

 こりゃもう“あの2人はそういう仲(・・・・・)なんだな”って思われても仕方ないだろ」

 

「仕方なくないぞ!?」

 

 発想が飛躍し過ぎている。

 褒美をもらったら懇ろの仲を疑われるとかどうなってるんだ。

 

「陛下は!? 陛下は止めなかったのか、その噂を!?」

 

「うーん、2人の関係について質問を受けても、“今はまだそれを語る時ではない”とか言ってたらしいけど」

 

「永遠にこねぇよ、それを語る時なんざ!!」

 

 確信犯か! あのホモジジィ!!

 

「ああ、でもクライブ宰相は必死になって否定してた」

 

「そ、そうか」

 

 先生は常識的に対応してくれたんだな。

 いや、助かった。

 

「……必死過ぎてキモかったけどな」

 

「ん?」

 

「いや、なんでもないなんでもない」

 

 誤魔化すように首を振る。

 何なんだろう?

 

「それと、勿論僕もちゃんと言っておいたからね。

 エイル卿は陛下の期先になんかならない。

 彼は僕のモノだ、と」

 

「それは違う」

 

「え?」

 

 ルカがきょとんとした顔をした。

 だがここははっきりとしておかねば。

 

「私が君のモノなのではない。

 君が私のモノなのだ」

 

「……それ、重要なのか?」

 

「重要だとも」

 

 モノの順序は大事である。

 リバなど認めない。

 

「そうだな、君にはこの際“上下関係”を分からせてやる必要があるようだ」

 

「ど、どうしたエイル?

 凄く悪い顔してるぞ?」

 

 ふっふっふ。

 そうかな?

 そうかもしれないなぁ?

 

「まずは――今回の“お礼”も兼ねて、足でも舐めて貰おうか」

 

「なにぃ!?」

 

 ルカが目を見開いた。

 構わず、私は彼の方へ自分の脚を向けると、

 

「まさか、断りはしないな?

 私は君に大隊長の役職を与えた恩人だぞ?」

 

「あ、ああ、あ――」

 

 狼狽えるルカ。

 ……いや、勿論ジョークだけれども。

 王城で変な噂が立ったことへの腹いせともいう。

 幾らなんでも友人にそんなことをさせる趣味は無い。

 趣味は無いが、面白そうなのでもう少し演じてみる。

 

「さ、舐めやすくしてやろう」

 

 と言って、履いている靴を脱ごうとすると――

 

「待て!」

 

 ――ルカが止めてきた。

 いつの間にか真剣な顔になっている。

 流石に怒らせてしまったようだ。

 一つ謝っておくか――と思ったら。

 

「自分で脱ぐんじゃない。

 僕が脱がす」

 

「何を言ってるんだ君は」

 

 とんでもないことを言いだした。

 彼も冗談に乗ってきた――わけではないようで。

 

「あ、おい、こら、脚にしがみ付くな!

 靴を外そうとするんじゃない!!」

 

「うるさい!!

 お前が言い出したことだろ!?

 吐いた唾は飲み込めないぞこの野郎!!」

 

 本気で私の靴を脱がしにかかってきた。

 逃げようにもがっしり掴まれていて上手く身動きできない。

 やばい、ルカのやつ本気だ。

 まさかこいつがここまで変態だったとは――!

 

「ほら、脱げた!」

 

「あー!?」

 

 そうこうしている内に、私は靴を、ついでに靴下まで脱がされてしまった。

 

「はぁっ、はぁっ――これが、エイルの生足――!」

 

 ルカの息が荒い。

 今にも足にむしゃぶりつきそうだ。

 

「やめろ、本気でやめろ!

 顔をそれ以上近づけるな!

 何処の世界に男の足を舐める公子がいる!?」

 

「ここにいる!!」

 

 目が真剣(マジ)だった。

 ベロを出して、その先端を私の足指に近寄らせていく。

 艶かしいその舌の動きを見ると、少し舐められてみたい気がしないでもないが――いや駄目だ駄目だ!

 こんな場面、誰かに見られたら――

 

 

 「失礼いたします、坊ちゃま。

  クレアスへの対応について、ご確認頂きたいことがございます」

 

 

 ――見られちゃった。

 執務室の扉を開けたのは、私専属の侍女であるセシリア。

 

「…………」

「…………」

 

 ルカと私の身体が硬直する。

 つまりは、公子が私の足を舐める直前の姿勢で固まっているわけなのだが。

 そんな私達を銀髪の少女は食い入るように見つめてから、

 

「――ごゆるりと」

 

 一礼して、去っていった。

 廊下から響く規則正しい足音。

 遠ざかっていくその音を数秒聞いた後――私とルカは同時に駆け出した。

 

「ま、待て待て待ってぇっ!!?」

 

「誤解だ、セシリア!!」

 

 誤解じゃないけど誤解なんだ!!

 

 

 



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② 吸血鬼の花嫁

 色々あったが、誤解(?)は解けた。

 

「失礼な対応をしてしまい、申し訳ありません」

 

「いや、分かってくれたのならいいんだ」

 

 場所は先ほどの執務室。

 もう4、5時間ほどでクレアスの王様御一行が到着する予定だ。

 既に国境砦には到着している頃合いだろうか。

 その後会談を行い、そのまま会食に移行する流れである。

 

「はい、しっかりと理解いたしました。

 (わたくし)、どのような障害が待ち受けていようと坊ちゃまを支える所存です」

 

「はは、心強いな」

 

 何故今になって急に自らの忠誠心をアピールし始めたのかちょっぴり謎だが。

 

「お困りごとがありましたら、何でも仰って下さいませ。

 このセシリア、坊ちゃま達に胎を貸す覚悟もございます」

 

 それは遠回しに私に子供が欲しいと言っているのかな?

 ハハハ、これはプロポーズのタイミングを早めた方が良さそうだ。

 思い切りムードのある場を用意しなければ。

 

 しかしセシリア、言葉は正しく使った方がいいぞ?

 その言い方だと、まるで私とルカがくっついた際にセシリアを偽装結婚相手に使ってもいい、みたいな風に捉えられかねないからな!

 

 ……いかん、誤解が加速している。

 何故こんなことになってしまったのだろう?

 私か? 私が全部悪いのか? 悪いのかもしれないな!

 

「はっはっは、日ごろの行いのせいだな、エイル」

 

「誰のせいだ!?」

 

「お前のせいだろ」

 

「そうだな!!」

 

 ルカに横から突っ込まれるも、反論ができない。

 何というか、色々と先走り過ぎた後悔が今更になって湧いてきた。

 やはりハーレム作りもう少し段階を踏んで行うべきだったか。

 と、悩んでいるところで、一つ気付く。

 

「ん? そういえば、君は何故まだここにいるんだ?」

 

 おそらくルカとあの近衛大隊は然程面識がないはずだし、今後のことを考えればコミュニケーションをとっておいた方がいいと思うのだが。

 

「おいおい、何故いるとは失礼だな。

 僕はエイル侯爵配下近衛特別大隊の大隊長だぞ?

 クレアスとの会談にだって立ち会う義務がある」

 

「いや、今回はクレアス併合に関する政治的な話に終始する予定だから、武官である君に出る義務は特にないはず」

 

「そんなこと言うなよぉ!!

 別に出たって問題ないだろ!?」

 

「まあ問題はないが――やけに粘るな?」

 

 近衛軍大隊長は地方領軍における旅団長(5000人規模の部隊指揮官)クラスの権力を持つとされている。

 系統が違うので領軍の旅団を直接指揮できるわけでは無いのだが。

 その地位を鑑みれば、クレアスとの会談へ出席したいと主張されれば無碍に断るわけにもいかない。

 

 しかし、ルカはそもそもこういう政治話は苦手だったはずなのだが――?

 てっきり今回も適当に言い訳してサボタージュする気だと思っていた。

 そんな私の疑問に、ルカはにやけ笑いをしながら答えてくる。

 

「ほら、クレアスってさ、凄い美人の姫様がいるって話だろ?

 で、今回来る連中の中にその子もいるって聞いたからさ。

 これを機にお知り合いになっておこうと思ってね」

 

「おい」

 

 下心からの提案かい!

 いや、確かに今日訪問に来る一団の中に、クレアス王女の名が含まれてはいる。

 向こうが本気(・・)である証拠として連れてくるのだろう。

 しかし、そんな俗な理由を(まつりごと)の場に持ち込まないで欲しいのだが。

 と、私がつっこみを入れる前に、

 

「ルカ様は、女性に興味がおありだったのですか!?」

 

 超弩級の爆弾が投下された。

 他でもない、セシリアによるものだ。

 

「あるよ!? 普通にあるよ!?

 急に何を言い出すんだい、セシリア!?」

 

「いけません、ルカ様。

 坊ちゃまから浮気するなど――!」

 

 爆弾その2。

 どうしちゃったんだセシリア、今日は絶好調だな。

 おかげで私の思考は混乱しているぞ。

 

「浮気とか違うもん!!

 え、いや、浮気になるの、これ!? どうなのエイル!?」

 

「いや私に聞かれても」

 

 非常に困る。

 頼むから巻き込まないでくれ。

 いやしかし根本が私発端なので、逃げようがないか?

 

「――如何にルカ様が公子であろうと、坊ちゃまを蔑ろにするのであれば」

 

 そうこうしてる内にも、セシリアはかなり真剣な顔でルカを見つめている――睨んでいる、と言ってもいいかもしれない。

 あー、言い訳。

 言い訳を考えなければ。

 

「……セシリア。

 帝国傘下に入るとはいえクレアスの王女ともなれば相応の地位を約束しなければならない。

 そんな相手と上手く婚姻を結ぶことができれば、ルカにも恩恵がある、と。

 そういうことだ」

 

「成程、そのような事情でございましたか。

 (わたくし)、またしても大変な早とちりを。

 ええ、偽装(・・)は大事でございますね」

 

「……うん、分かってくれればいいんだ」

 

 一先ず、彼女の怒り(?)は収まったらしい。

 

「いや、分かってない。

 分かってないと思うし、何も解決していないぞ」

 

 ルカのご指摘御尤も。

 近い内に我々の関係を説明して、色々問題を解消しなければなるまい。

 身から出た錆とはいえ、頭が痛くなってきた。

 

 と、そんなドタバタ劇を繰り広げていると、部屋のドアが大きな音を立てて開かれた。

 現われたのは、ウィンシュタット家が雇う兵の一人だ。

 

「失礼します、エイル卿!!」

 

「まず許しを得てから入室なさい。

 坊ちゃまに失礼でしょう」

 

「こ、これは失礼しました、セシリア殿!」

 

 突然の来訪にセシリアが眉を顰めた。

 しかし、緊迫した兵の顔を見るに、無礼を責めるわけにもいかないようで。

 

「そこまでだ、セシリア。

 ――どうやら緊急事態のようだな?」

 

「は、はい!

 クレアスからの使者が――」

 

 彼の報告は、心を引き締めるに十分な内容だった。

 

 

 

 

 

 

「……災難でしたね、アレン殿下」

 

「お気遣い、痛み入ります、エイル卿」

 

 ウィンシュタット家、応接室。

 私の前には今、老年に差し掛かった男が一人座っていた。

 クレアス国の王アレン・クレアスが、この男性だ。

 無論1対1の対談というわけではなく、後ろにはセシリアに待機して貰っている。

 

 予定していた会談の時間にはまだ大分早い。

 その上、本来の出席者は誰も居ない。

 何故そんな状況でクレアス国王と密談しているのかと言えば、

 

「まさか、魔物に襲撃を受けていたとは思いませんでした」

 

「いえ、お恥ずかしい話でして」

 

 本当に恥ずかしそうに俯くアレン国王。

 仮にも王の身にあるにも関わらず、随分と頭の低い男だ。

 国庫が破たんし自国を身売りせねばならない状況であることを考えれば、その情けなさも致し方ない。

 ……飢饉によって国民が苦しんでいるというのに、この男がでっぷりと太っている(・・・・・・・・・・)ことは気に食わないが。

 

「それで、“お話”とはその魔物に関するものですか?」

 

「ご推察の通りです」

 

 ライナール大陸には、“魔物”が存在する。

 通常の生物とは異なる異常な生態系を持つ生命体や、人類に対して異様なまでに敵対する生命体をそう呼称しているのだ。

 原生の動物との違いがやや曖昧なので、地域によっては動物扱いされている魔物や、魔物扱いされている動物がいたりするが、そこはそれ。

 生物学がそこまで発達していないこの世界で、細かいことを気にしても仕方ない。

 

 今重要なのは、クレアスからきた一団を魔物が襲っていたという事実。

 アレン王に怪我はないものの、護衛が幾人かやられたらしい。

 魔物自体は一団を迎えに行った我がウィンシュタット領の兵士達が追い払ったとのことだが――

 

「つまり貴方達は、魔物に狙われている、ということですね。

 今回の襲撃は偶然ではない、と」

 

「……そこまでお見通しでしたか」

 

 そりゃそんな状況でこういう風に話をされれば誰だって気付くだろう――という考えは、態度に出さない。

 アレン王は一息を入れてから語り出した。

 

「エイル卿は、“吸血鬼(ヴァンパイア)”を御存知でしょうか?」

 

「まあ、一通りの知識程度は」

 

 吸血鬼。

 人の生き血を吸う魔物であり、人と同等以上の高度な知力を持ち、外見は人と酷似する。

 ぶっちゃけて言えば、現代人の想像する“吸血鬼”とほぼ同じような存在だ。

 そして現代人の想像する通りの“強さ”も持つ。

 吸血による他者の支配、蝙蝠等への変身能力、高い身体能力、不老であり寿命が存在しない、等々。

 総じて、危険な魔物として認識されている。

 

「ある夜のことでした。

 私と娘ディアナが夕食後の団欒をしていた際、突如として吸血鬼が現れたのです。

 そして魔物はこう言いました――“その娘を我が妃にする”と」

 

「吸血鬼の花嫁、ですか」

 

 美しい女性が吸血鬼に求愛される、というのはライナール大陸で昔からよく語られる話である。

 どうもこの世界の吸血鬼は、ロマンチストかつ愛に情熱的な連中のようなのだ。

 

「では、後はお決まりのパターンですね」

 

 普通に恋愛行動をとってくれるなら可愛いものだが、十中八九は力づくになるため、悲劇が展開される。

 

「……はい。

 私は娘の引き渡しを拒み、吸血鬼の討伐を試みました。

 しかし――」

 

「相手は予想外に強かったと」

 

「――仰る通りです」

 

 クレアスの国軍をもってして討てないとなれば、相当に規格外れな魔物だ。

 先程吸血鬼は強いと言ったが、それは個人が相手取った場合。

 手練れの騎士で分隊(10人前後の部隊)でも組んでしまえば、討伐はそう難しくない。

 ……正面切って戦えれば、だが。

 そんな私の考えを読み取ってか、アレン王はさらに説明を続けてきた。

 

「吸血鬼一匹だけならば、クレアスの軍でどうにかなったのです。

 しかし奴は、多数の魔物を眷属として従えていました。

 倒しても倒しても減らぬ敵の数に、兵は一人また一人と倒れていき……」

 

「それは厄介な」

 

 先述の通り、吸血鬼は血を吸うことで相手を自分の眷属にし、行動を支配できる。

 その効力は人間だけでなく魔物相手にも通じてしまう。

 眷属の多い吸血鬼と戦う場合、必要な戦力の想定は困難になってくる。

 

 ということはこの吸血鬼、相当の昔から“準備”をしていたということだろう。

 クレアスの姫を奪うため、国を侵略できるだけの戦力を蓄えていたのだ。

 一度に作れる眷属の数はその吸血鬼の“強さ”に比例するため、個体としてみても強力だと推測できる。

 

「エイル卿。

 私は今日、クレアスに皇帝の庇護を頂きたく参るつもりでした。

 この上、恥の上塗りになってしまうのですが――」

 

「その吸血鬼から姫を守って欲しい、と仰るわけですね」

 

「――はい」

 

 苦渋の表情で首肯するアレン王。

 そういう事情もあって、彼は今回、王女をウィンシュタットに連れてきたのだろう。

 

 ……うーむ。

 厄介事を持ってくるのは予想していたのだが、こう来たか。

 彼の言葉が真実であるなら、姫を見捨ててしまえば(・・・・・・・・・・)そんな面倒な魔物と戦う必要は無くなるのだが。

 戦いとなれば、こちらの被害も免れない。

 王女一人の命と、我がウィンシュタットの兵士達、どちらが大切か。

 しかも私はその姫と面会したことすらない。

 アレン王は不満を言うかもしれないが、逆に帝国へ魔物を連れ込んだとして処罰することすら可能だ。

 

 僅かな沈思黙考の末、口を開く。

 

「分かりました。

 吸血鬼の件、ウィンシュタット家が引き受けましょう」

 

「お、おお!! ありがとうございます、エイル卿!!」

 

 私の言葉に、満面の笑顔を浮かべる。

 

 結局私は、吸血鬼と戦う道を選んだ。

 理由は三つある。

 

 一つは、その吸血鬼が姫を攫った後大人しくしているかどうか甚だ疑問である、ということ。

 基本的に連中は人間に対して敵対的な存在なのだ。

 後々再び牙を剥く可能性は高い。

 

 一つは、アレン王へ大きな“貸し”を作れる、ということ。

 今後、クレアスはウィンシュタット領の一部として扱われることになるわけだが、しばらくの内はクレアス国民への王の発言力は大きいだろう。

 そして統治するにあたり、地元民が私に好意的か否かでは大違いなのだ。

 アレン王から協力を引き出す“口実”は、幾らあっても困ることは無い。

 

 そして最後の一つは、ディアナ王女。

 会ったことは無いが、非常に美しくお淑やかなお姫様であると人伝いに聞いている。

 相当な力を持つ吸血鬼が彼女に執着していることが分かった今、その話は私の中で確信となった。

 ――欲しい。

 私のハーレム要員として、物凄く欲しい。

 というか、私個人がクレアス併合に乗り気だった理由の大半がそれである。

 寧ろ最重要事項と言っていい。

 この理由がある以上、ディアナ王女を見捨てるという選択肢は最初から取れないのである。

 

 え? ルカのことを批判した割に、自分も随分と俗?

 いいじゃないか別に。

 それ位役得があっても。

 

 それに、今の私には近衛大隊の精鋭兵達がいる。

 幾らその吸血鬼が魔物の大群を率いていると言っても、蹴散らすのはそう難しいことでないはずだ。

 吸血鬼本体は、ルカ辺りにさくっとやってもらえばいい。

 ……うむ、まあなんとかなるだろう。

 

「ああ、一つお伝えし忘れたことが」

 

 と、私が皮算用しているところへ、アレン王が話しかけてくる。

 

「何でしょうか?」

 

「吸血鬼の“名前”です。

 最初にディアナを奪いに来た際、名乗っていました。

 僅かなりとも、奴のことを探る手掛かりになるやもしれません」

 

 確かに。

 その吸血鬼は強大さから言って大昔から生きながらえている個体である可能性が高い。

 であれば伝承の一つや二つ残っていて不思議ではなく、名前が分かっているなら調査もしやすいだろう。

 

「して、その名前は?」

 

「――“ドラキュラ”。

 奴は自らのことを、“ドラキュラ伯爵”と名乗っていました」

 

「…………へ?」

 

 ドラキュラ?

 え、本当に?

 あのドラキュラ?

 

 ……私は、自分の軽率な決断に、早速後悔を抱き始めるのだった。

 

 

 



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③ 宴の始まり

 アレン王との“密談”を終えて。

 

「吸血鬼かぁ。

 やっぱり“おまけ”付だったんだな、今回の話」

 

「まあ、そういうことだ」

 

 私はルカと雑談を交わしていた。

 場所は、我が屋敷の大広間。

 今夜、クレアス御一行の歓迎パーティーを開く予定だった場所だ。

 

 ……いや、パーティー自体は実のところ開催しているのだが。

 魔物に狙われている非常時いったい何をしているのかと呆れられるかもしれないが、これで貴族は顔を売る商売。

 余り臆病に立ち回り過ぎて、周囲から舐められるわけにもいかないのだ。

 とはいえ、参加者は必要最小限――私やルカを含めヴァルファス帝国側の貴族は数人だけ――とし、警備兵の配置を倍に増やしてはいる。

 

「しっかし『ドラキュラ伯爵』とはね。

 吸血鬼ってのは気障な奴が多いって話だが、こいつは極め付けだな。

 竜の子(ドラキュラ)を名乗るなんて」

 

「……全くだな」

 

 実際は、元々“竜の子(ドラキュラ)”と呼ばれていた王様が、後世の人に吸血鬼として仕立てあげられたのだが。

 しかも呼ばれ始めた理由も、その人の父親が(ドラクル)と言われていたことが所以だったりする。

 魔物を弁護する気は無いが、その名前を理由に中二病扱いは少々可哀そうかもしれない。

 

「んで、そんなことよりもさ。

 噂のお姫様はどこだい?

 さっきから探してるのに、どこにも姿が見えないのだけれど」

 

 私と会話しながらそんなことしてたのかコイツ。

 

「ディアナ王女なら、人前に出る“用意”をしっかり整えてからこちらへ来るそうだ」

 

「ああ、なるほどね」

 

 一国の姫という立場上、下手な格好では姿を現せない。

 何せ私は、元敵国であり、今は身売り先である国の侯爵なのだ。

 一部の隙も無い装いを準備しているのだろう。

 

「――と、噂をすれば」

 

「お! 来たか!」

 

 広間の大扉が開く。

 そこには、一人の女性が立っていた――おまけで、隣にでっぷり太ったアレン王も居たが。

 彼等は真っ直ぐに私の方へ向けて歩を進めてきた。

 

 「おお……」

 

 周囲の人々――主に男が、感嘆の声を自然と漏らしていた。

 私もまた、心の中で喝采を上げる

 

 その女性――ディアナ姫であろう、間違いなく――は、見事に美しかった。

 まずその出で立ちから目を惹かれる。

 黒い長髪を後ろでシニヨンに纏め、大陸東部に伝わる伝統衣装を纏った姿は実にエキゾチック。

 この伝統衣装、はっきり言ってしまえば日本の和服に仕様が非常に似ており、とても“和風”な雰囲気を醸し出している。

 日本人が慣れ親しんだ容姿というと分かりやすいだろうか。

 前を行くアレン王に楚々とした所作で着いてくるのも奥ゆかしさを感じさせ、男心をくすぐる。

 

 そしてまあ、当然のように美人である。

 顔立ちはキリっとした“東洋系”。

 “欧州系”のセシリアやルカとはまたタイプの異なる美形であり、だからこそ前述の“着物”と親和性が非常に高い。

 もし日本で出会ってもそう違和感を感じないだろう。

 ただ赤みがかった瞳の色が、彼女が日本人ではなにことを如実に示していた。

 比較的ゆったりとした衣装であり肌の露出も少ないため、スタイルが分かりにくいのが難点か。

 ……まあ、それは後のお楽しみ(・・・・・・)にとっておこう。

 

「お待たせしてしまい、申し訳ありません」

 

「いえ、私がここに来て、そう時間は経っておりませんよ、陛下」

 

「ははは、お気遣い、感謝いたします」

 

 まずアレン王が深々とお辞儀をして挨拶してきた。

 実は彼もまた和服によく似た衣装を着ているのだが、それはどうでもいい。

 太った中年の容姿に関する説明が必要か?――そんなわけないだろう。

 

「と、申し遅れました。

 後ろに居ますのが私の娘、ディアナ・リーヤ・クレアスです。

 ……さ、ウィンシュタット卿へ挨拶なさい」

 

 そう言って、後ろの女性――やはり王女だった――を促す。

 彼女は優雅な動作で頭を下げてから、ゆっくりと、しかしこちらを待たせ過ぎない歩調で前に出てきた。

 

「…………!」

 

 と、何故かそこで硬直。

 

「…………」

 

 挨拶するでもなく、じろじろと私の顔を見てくる。

 なんだ、どうした?

 疑問に思ってこちらから声をかけようとしたところ、それに先んじて王女が口を開いた。

 

「……あの、貴女がウィンシュタット卿?」

 

「ええ、その通り。

 私がウィンシュタット家現当主、エイル・ウィンシュタットです」

 

 出てきたのは挨拶ではなく質問であったが。

 彼女は私の回答を聞くと、驚いたように目を見開き、

 

「こ、こんなに可愛い子が!?」

 

「おいディアナ!?」

 

 王女の言葉に、アレン王が慌てた声をあげる。

 

「あ、ああ、ごめんなさいお父様。

 まさかこんな子が侯爵だなんて――」

 

「おぉおおぅい!?」

 

「あ、あ、ごめんごめん」

 

 失言を咎めら、大分軽い感じで頭を下げる。

 ……おや? “お淑やか”という触れ込みはどこいった?

 

「いやでもホント、面食らっちゃったんだって。

 あたしてっきり、でっぷりと太ったおっさんが出てくるものとばかり――」

 

「ディアナぁああっ!!

 打合せ!! 打合せの通りに動いてぇっ!!!」

 

 アレン王の目に、ちょっと涙が浮かんでいる。

 ああ、うん、何となく分かってしまったよ。

 こういう子(・・・・・)なわけね。

 とりあえずいつまでも待っているのもアレなので、こちらから挨拶するか。

 

「あー、お初にお目にかかります、ディアナ王女。

 お噂通りの美貌にお目にかかれ、光栄の限りです」

 

「ええ、初めまして、エイル卿。

 美しいだなんだの誉め言葉は聞き飽きてるけど、貴女みたいな綺麗な子に言われるのは新鮮ね」

 

 私の言葉に、にっこりと微笑んで応じてくれた。

 ……口調が場にそぐわぬほどフランクなのは如何なものかと思うのだが。

 アレン王も同意見のようで、

 

「ディアナぁ!! 言葉遣い!! 言葉遣いがおかしいだろう!!」

 

「うっさいわね! もう手遅れなんだからいいでしょ!!」

 

「ええぇぇぇええ――」

 

 あっさりと自分の父親を撃沈させた。

 パワフルなお嬢様のようだ。

 

「ま、今ので分かったと思うけど、あたしってこんな奴だから。

 なんで、貴女もいちいち畏まった言葉遣いしなくて結構よ?」

 

 あっけらかんと言い放つ。

 王女としてあるまじき失礼な言動ではあるが、不思議と悪い気はしない。

 この場に居る他の面々も同じなようで、彼女に呆れる者こそ居れど、怒り出す者は一人も居なかった。

 逆にほとんどが好意的な、親しみやすさを感じ取っている様に見受けられる。

 これは姫のカリスマがなせる業なのか。

 

「……そういうことであれば。

 私としても、普通に喋れる方が助かる」

 

「あら意外。

 口調は結構男っぽいのね」

 

「いや、私は男だぞ?」

 

 いきなり何を言い出すか、このお嬢様は。

 

「男?――ああ、ああ、そういうこと(・・・・・・)

 オーケー、オーケー、理解理解。

 侯爵ともなると、色々苦労があるわけね」

 

 しかもなんだか勝手に納得してる。

 まあ、面倒そうなので――“男らしくない”とはよく指摘される――これ以上の言及はしないが。

 

 そんな少々複雑な心境の私に対し、王女が微笑みかけてきた。

 

「じゃ、改めて。

 これからよろしくね、エイル卿。

 できれば(・・・・)末永くお付き合いしたいものだわ」

 

 すっとこちらに手を差し伸べてくる。

 私はその手を握りながら、

 

「ああ、こちらこそよろしく。

 それと、魔物については心配しなくていい。

 引き受けた以上、私が君の身柄を保証する」

 

「ふふ、期待してるわ」

 

 満面の笑み。

 そういう表情をされると、男としてどうしても心臓の鼓動が早くなってしまう。

 顔が少し熱い。

 ひょっとしたら、赤くなってしまっているかもしれない。

 王女相手なのだから手の甲にキスでもした方が良いのかと一瞬迷ったが、この対応に満足頂けたようだ。

 

「ところで、そっちの子は?」

 

 ひとしきり話をしたところで、今度は彼女、私の後ろに居るルカに興味を持ったらしい。

 

「ああ、こいつは――」

 

「――ルカ・アシュフィールドさ、お姫様」

 

 紹介途中で、口を挟んできた。

 

「アシュフィールド!? まさか、かの三公爵家の!?」

 

 蚊帳の外にいるアレン王が驚きつつも説明台詞を吐いてくれる。

 ルカは朗らかに笑いながらそれへ応えて曰く、

 

「はっはっは、まあその通り。

 僕はそのアシュフィールド家の生まれだよ。

 以後、お見知りおきを」

 

 華麗に一礼するルカ。

 外見の整いっぷりが極まっているため、そういう動作がとてつもなく様になっている。

 そして一連の流れを見るに、どうやらディアナ王女はルカのお眼鏡にかなったらしい。

 かなりの勢いでモーションかけにいっている。

 

「ええ、こちらこそ。

 ルカ殿下――で、いいのかしら?」

 

「ああ、それで構わないよ、ディアナ姫」

 

 ふぁさっと髪をかき上げながら、ルカは頷いた。

 本人、おそらくカッコよく決めてるつもりなんだろうが、外見のせいで美少女がモデルポーズをとっているようにしか見えない。

 

「す、凄いわね、こんな綺麗どころが一度に2人も。

 ……帝国侮りがたし」

 

 姫も同じ感想のようだ。

 2人――と言っているのは、やや離れた場所に控えているセシリアを指してのことだろう。

 会話に参加していない彼女にまで目を付けるとは、なかなか目敏い。

 

「お褒めに預かり光栄の至り。

 でも姫だって相当の美しさだよ。

 ――ま、流石に僕ほどじゃないにしても」

 

「…………あ?」

 

 ピシッと場が固まった。

 ――ルカの悪い癖が出てきたな。

 

「あらあら、殿下?

 いきなり何を言っているのかしら?」

 

「何って――?

 ああ、気にしないでいいよ!

 貴女の容姿が僕に劣っているからといって、それを気にするほど僕は狭量じゃないから!」

 

「――ッ!!」

 

 ディアナ姫のこめかみに青筋が浮かぶ。

 ……質の悪いことに、ルカはこれでも彼女を口説いているつもりなのだ。

 基本、自分の容貌が至上のものだと見做しているのだ、こいつは――まあ、然程間違いではないのだが。

 顔良し家柄良しのルカ公子に、これまで恋人ができなかった理由がよく分かるだろう。

 

「僕を基準にしたら、あらゆる女性が“醜い”ってことになっちゃうからね。

 大丈夫、ディアナ姫の美麗さは他ならぬ僕自身が保証しよう!

 単に、僕の容姿がさらに整ってしまっているだけでね」

 

「――ッ!!

 い、言ってくれるじゃないの……!!」

 

 おお、青筋の数が増えた!

 もう喧嘩売ってるとしか思えない口説き文句(本当か?)に、王女の我慢は限界のようだ。

 ディアナ王女は平静に努めて、ルカへ話しかける。

 

「と、ところで殿下?

 そういえば貴女、ここに居るということは、エイル卿の下で働いてるのかしら?」

 

「うん?

 ああ、僕はエイルが持ってる大隊の隊長で――」

 

「あらあらぁ!?」

 

 にんまりと笑みを浮かべ、大声を出すディアナ王女。

 

「あのアシュフィールド公爵家の!! 御子息様が!!

 侯爵家が持つ軍の、それも大隊風情(・・・・)の隊長なわけ!?」

 

「――ッ!?!?」

 

 今度はルカが目を白黒させる番だった。

 だが彼は彼で、なんとかそれを押し留め、

 

「い、いやぁ、ちょっと誤解させちゃったかな?

 僕が指揮する大隊は、他の軍と違ってだね――」

 

「大隊は大隊でしょ?

 所詮、兵隊1000人程度の部隊じゃない。

 っていうかアシュフィールド家で他に大隊長以下の職に就いてる人、いるの?」

 

「はぅぅうううっ!?」

 

 居ない(断言)。

 まあ、ルカは大勢を率いるより、自分が前に出て戦う方が得意だから……(弁護)

 

「い、言ったな! 言ってしまったな!

 こっちが下手に出てれば、トラウマを抉りまくる失礼極まりない台詞吐きやがって!!」

 

 いや、最初に言い出したのは間違いなくお前なわけだけど。

 

「ああん!?

 何が失礼ってのよ!!

 人の容貌をアレコレ貶しといて!!」

 

「そりゃ君に自信がないからだよ!

 本当に自分が綺麗だと自覚しているなら、何言われても狼狽えないもんさ!

 図星指されたから、怒りだしたんだろ!!」

 

「あたしの美しさは国中が認めてるっつうの!!

 吸血鬼ですらあたしに惚れ込んで求愛してきたんだから!!」

 

「ははは、じゃあ僕がクレアスに行ったら、喝采を浴びてしまうな!!

 その吸血鬼だって、僕に会ったら対象を変えるんじゃないか!?

 ま、軽くお断りしてやるがね!!」

 

「大した自信ね、侯爵に尻尾振ってる能無し殿下が!!

 大隊長の立場にしたって、自分の力で勝ち取ったわけじゃないんじゃない!?」

 

「なななな、なんだとう!?」

 

 ディアナ姫、正解。

 初めて会うというのに、的確にルカの弱点を突いている。

 実は相性良いんじゃなかろうか。

 

 さて、見ていて面白いやりとりではあるが、いい加減止めよう。

 横に居るアレン王の顔が、真っ青を通り越して土気色になりかけている。

 

「そこまでだ、ルカ。

 今回は君が悪い」

 

「え、えー!?」

 

 私の仲裁に、不満そうな顔をするルカ。

 

「ふん、ほら見なさい!

 良かったわー、エイル卿が公正な判断をしてくれる人で。

 どっかの馬鹿殿下に爪の垢を飲ませてあげたいくらい」

 

 そして勝ち誇るディアナ王女。

 分かりやすくルカに見下す視線を送る。

 まあ、気持ちは分かるが。

 

「……うぅぅ、だってエイルってば彼女の容姿見て凄いドキマギしてるみたいだったし……僕の複雑な気持ちを汲んでくれても……」

 

 一方でぶつくさ愚痴を零す公子もいるが、無視。

 男が女に嫉妬するな、みっともない。

 

「いいか、ルカ。

 私達はこれからディアナ王女を守らなければならない。

 護衛対象の機嫌を損ねる真似をしてどうする」

 

「うっ――それは、その」

 

「私は仕事に私情を持ち込む人間が大嫌いだ。

 君が彼女をどう思おうと、任務はしっかりこなして貰うぞ」

 

「わ、分かってるよ」

 

 しゅんとなったルカは、ディアナ姫に向かって頭を下げ、

 

「……すまない。

 なんというか、つい、舞い上がってしまって」

 

「エイル卿に免じて許してあげるわ。

 ……いい百合っぷりも見れたしね」

 

 王女は不問にしてくれるようだ。

 最後のはちょっと意味不明だが。

 

「仲直りは済んだようだな。

 では気を取り直して、パーティーを始めようじゃないか」

 

「――それは無理じゃないか?」

 

「ん?」

 

 何でまた君は水を差すんだ――そうルカに言いかけて、口をつぐむ。

 彼の目は、真剣だった。

 

「……どうした?」

 

「いや、だってさ。

 あんなの(・・・・)が居たら、楽しいパーティーなんて開けないだろ?」

 

「――!?」

 

 ルカの指さすその先。

 いったい何時からそこに居たのか。

 会場の片隅――その天井に、一匹の蝙蝠が留まっていた。

 

『ハハハ、見つけられたか』

 

 “蝙蝠”が喋る(・・)

 低い、男の声だ。

 くぐもっているのだが、妙に耳に残る声色。

 

『もう少し微笑ましいやり取りを見守っていたかったが。

 バレてしまったのなら仕方ない』

 

 言いながら、その“蝙蝠”は天井から離れ――同時に姿を変えていく。

 身体がみるみると膨れ上がり、床に降り立つころには一人の男性へと変貌していた。

 タキシードを纏った、黒髪の美丈夫。

 異様に白い肌(・・・・・・)発達した犬歯(・・・・・・)に目を瞑れば、どこぞの貴公子と言われても納得できる容姿だ。

 

「ごきげんよう、諸君。

 まずは自己紹介からかな?」

 

 男がエレガントな所作で私達を見まわす。

 まるで獲物を見定めているかのように。

 そして一言、告げた。

 

「――ワタシが、ドラキュラだ」

 

 

 



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④ ドラキュラ現る

 

 ドラキュラ伯爵。

 はてさて、彼に対する説明は必要かどうか。

 怪力無双で変幻自在、神出鬼没、様々な獣を操り、天候をも操作する。

 おそらく現代社会において最も有名な、吸血鬼の代表格。

 私の目の前に現れた男は、まさにそのイメージ通りの姿形をしていた。

 

 ――ただ。

 “彼”は元々、ワラキア公ヴラド3世をモデルにして(・・・・・・)、小説家ブラム・ストーカーが作り上げた“創作物”だったはず。

 ではこの男は何者なのか?

 実は私が知らないだけで、本当にドラキュラ伯爵は存在しており、それがこの世界に転生してきた?

 それとも、ドラキュラ伯爵を知る“何者か”が、彼の真似をしているだけ?

 まあ、今考えたところで答えはでない。

 一先ず、この身に迫った問題への対応を優先しよう。

 

「ドラキュラ伯爵」

 

 私は一歩前に出て、そう話しかける。

 

「ようこそ、我がウィンシュタット領へ――と、言いたいところだが。

 私は君に招待状を出した覚え(・・・・・・・・・)もなければ、君からこの会食への参加伺いも貰っていない。

 仮にも伯爵を名乗りながらこの行い、些か礼に失するのではないか?」

 

「――ほう」

 

 ドラキュラが声を漏らす。

 呆れたようにも、感心したようにも取れる声色だ。

 

 危険な魔物相手に何をしているんだという言われてしまうかもしれないが、こちとら一地方を背負った大貴族。

 怯えた顔など、周囲に見せるわけにはいかないのだ。

 そんな虚勢を張った私に対し、男はやはり優雅に一礼しつつ、

 

「これはこれは――失礼した、ウィンシュタット卿。

 しかし、私が正式にパーティーへの参列を希望したとして、キミは受け入れるのかね?」

 

「当然」

 

 私は鷹揚に頷く。

 

「君が客として振る舞うのであれば、相応の持て成しをしよう。

 幸い(・・)、今日は欠席者が多くてね、せっかくの料理を持て余していたところだ。

 飲み物は何がお好みかな?

 オーダーを貰えれば、すぐ用意させよう。

 なんなら、ウィンシュタット家の蔵にある秘蔵の酒を出してやってもいい。

 但し――無論のこと、参加者同士の諍いは禁止だ」

 

「――――フッ」

 

 堪らず――といった調子で、ドラキュラが噴き出した。

 そのまま、背中を震わせて笑い出す。

 

「フ、フ、フ、フハハハハハ!!

 有難い申し出だが、それは困る。

 何せワタシは、そこに居るディアナ姫をもらい受けに来たのだからね――ハハハハハ!!」

 

 ひとしきり笑い続けてから、再度私の方へと向き直る。

 燃えるような赤い瞳が、こちらを見つめてきた。

 

「だが、このワタシを貴族として扱ってくれたことには感謝しよう。

 ワタシを前にして、そこまで堂々たる態度をとれる人間は珍しい」

 

「そうだろうか?」

 

「そうだとも。

 そこのクレアス王など、ワタシが現れるなり腰を抜かし、震え上がることしかできなかった。

 おかげで話をするのに苦労したよ」

 

 やれやれ、というジェスチャーと共にそう語るドラキュラ伯爵。

 チラリと横を見ると、当の本人であるアレン殿下は顔を赤くしていた。

 どうやら本当のようだ。

 

「魔物相手に平然としていられる人間など、そう居ないだろう」

 

「正しく平然と会話をしているキミがそんなことを言っても、説得力に欠けはしないだろうか?」

 

「私には信頼できる部下が居るのでね」

 

 実のところ今この時にも、警備についた兵達が伯爵へと武器を突き付けている。

 彼等の存在が無ければ、こんな余裕ぶって吸血鬼と話などできはしない。

 だがドラキュラは兵士の存在など一切気にかけず、話を続けた。

 

「しかし信頼できる部下ならば、クレアス王にも居ただろう」

 

「だとすれば、彼に足りないのは勇気ではなく部下への信頼だな」

 

「ハハハハ、違いない!」

 

 ドラキュラは愉快そうに笑う。

 逆にクレアス王は不愉快そうに顔を歪めていたが、ここは我慢して貰いたい。

 話の種に使ってしまったのは謝るが、正直その対応は一国の王として如何なものかと思う。

 

「本当に、キミは興味深いヒトだ。

 こんな機会でなければ、こちらからディナーをお誘いしたかもしれないが――――いや」

 

 ふと思いついたように、ドラキュラが提案してきた。

 

「どうだろう、ウィンシュタット卿。

 素直に姫を渡してくれないだろうか?

 さすれば、ワタシは真にアナタの客分として振る舞うことを約束しよう」

 

「なっ!?」

 

 驚きの声をあげたのは、アレン殿下だ。

 無理もない。

 ディアナ王女を差し出せば安全を保障すると、ディアナ姫とは関係の薄い(・・・・・)私に提案してきたのだから。

 臆病風に吹かれてそれを飲んでしまわないか、不安を感じたのだろう。

 しかし私の立場として、その提案は問題外だ。

 

「こちらが承諾できないと分かり切った申し出をされても、困る」

 

「そうだろうか?

 ワタシの脅威はそこのクレアス王から説明を受けたのではないか?

 これまで縁もゆかりもない女性を守るため、一国の軍をもってしても抗しきれない魔物の大群の前に立つことこそ蛮勇だと思うがね」

 

「それは違う」

 

「む?」

 

 私は何も、“ディアナ王女”を守りたいという理由だけでこの男に対峙しているわけではない。

 いや下心も多分にあるが、それはそれとして。

 

「ことはもっと単純な話だよ、ドラキュラ伯爵。

 クレアス王より王女の護衛を承ったのは、私ではなくウィンシュタット家だ。

 であるならば、私個人の事情でそれを白紙にすることはできない」

 

「貴族としての矜持がそれ程大事かね?」

 

「貴族である君がそれを問うか?」

 

「……参ったな」

 

 ドラキュラが大きく息を吐いて頭を振る。

 なんというか、実に人間臭い。

 

「いやはや、キミはどうにも魅力的に過ぎる。

 これ以上話していると、絆されてしまいそうだよ。

 ……或いは、それが狙いなのかな?

 だとすれば、キミの交渉術は大したものだ――その剛毅さも含めてね」

 

「吸血鬼である君に褒められるとは、光栄だな」

 

 とはいえ私の話術を評価して貰えるのは嬉しいものの、流石に過分だ。

 前述の通り、部下が傍に居てくれなかったら、私だって逃げ出している。

 まあ、この伯爵がやたらフレンドリーなので、思っていた以上に話をしやすかった、というのもあるが。

 

「しかしだからこそ、ここで楽しいトークタイムは終了としよう」

 

 ドラキュラが告げた。

 同時に、彼の顔つきが変わる。

 紳士然として表情から“怪物”の貌へと。

 肌がチリつき喉が妙に乾くのは、伯爵の“殺気”のせいなのだろうか。

 単に私が恐怖を抱いているだけかもしれないが。

 

「さて、ここにお集りの諸君。

 ワタシはこれよりクレアス王女ディアナを連れ攫う。

 命の惜しい者は道を開けよ。

 勇気ある者は名乗りを上げると良い。

 先にお相手仕ろう」

 

 気品さえ感じさせる宣戦布告。

 そう来てくれるのなら話が早い。

 部下へ戦闘開始を命じる――よりも前に。

 

「よし、とうとう僕の出番だな!」

 

 ルカが動き出した。

 

「え、アンタ本当に戦うの!?」

 

「当たり前だろう!?」

 

 ディアナ姫のツッコミに応じつつも、彼はドラキュラ伯爵へと進みゆく。

 腰に下げたサーベルを抜き放ち、高らかに口上を述べだす。

 

「やあやあやあ、僕こそは誇り高きアシュフィールド家子息――」

 

「おさがり下さい」

 

「――え?」

 

 が、それは途中で遮られた。

 その一瞬後、幾条もの“雷”が吸血鬼へと降り注いだ。

 

「おおおお!?」

 

 堪らず後ずさるドラキュラ。

 雷を放った張本人へと視線を向けると、軽く目を見開いた。

 

「おやおや、これはまた可憐なお嬢さんだ」

 

「――ウィンシュタット家に仕える、セシリアと申します」

 

 そこには、いつものように凛とした顔つきで佇む、銀髪の侍女が居た。

 彼女の方も準備万端のようで、両腕に魔法で発生させた雷を纏っている。

 

「貴方が坊ちゃまに敵対するというのであれば、ここで排除せざるを得ませんが――よろしいですね?」

 

「よろしいとも。

 それができるものなら」

 

 先程の雷を見ても、ドラキュラには微塵の焦りも見られなかった。

 いや寧ろ、口角を上げて笑みを作り、悦んでいるようにすら見える。

 

「あ、あれ? 僕の見せ場のはずじゃ――?」

 

 隣でルカが寂しそうにしているが、今は無視。

 

「では、参ります」

 

 告げて、セシリアが腕を振った。

 それを合図に、彼女の生んだ稲光が次々とドラキュラへ襲いかかる。

 

「ぬぅううううっ!!?」

 

 如何に吸血鬼といえど、雷は避けられないようだ。

 手を、脚を、胴を、稲妻が貫いていく。

 ドラキュラの肌は焼け焦げ、肉が爆ぜる――が。

 

「ハハハ、凄まじい魔法の使い手だ。

 流石はウィンシュタット卿が信を置くだけある」

 

 全く余裕を崩さない。

 それもそのはず、魔法によって傷つけられた肉体は、まるで逆再生でもしているかのような速さで治っていく。

 セシリアが次弾を準備する間に、完治してしまった。

 

「……それが吸血鬼の再生能力でございますか」

 

「その通り。

 キミはずば抜けた魔法の才を持つようだが、この程度ではワタシを殺すに至らんよ」

 

「では再生する間もなく焼き尽くすまで」

 

 セシリアが出力を上げた(・・・・・・)

 纏う雷が勢いを増す。

 作り上げるは成人一人が中に入れそうな程の雷球。

 その巨大な稲妻を、ドラキュラへ向かって投射した。

 

「おっとぉ!!」

 

 伯爵は身を捻り、なんとか直撃だけかわす。

 だが右腕はかすり、その部分が丸々吹き飛んだ(・・・・・)

 雷の圧倒的な出力に、吸血鬼の持つ強靭な肉体をもってしても耐えられなかったのだ。

 

 ――ついでに言うと、ドラキュラの向こう側にある壁も吹き飛んでいる。

 いや、いいんだけどね、セシリアが全力で戦えばこうなることは分かっていたから。

 修繕工事が大変だな……

 

「部屋の中でソレはやり過ぎではないかな?」

 

「御心配なく、これでも手加減しております」

 

「ハハ、それは恐ろしいことだ」

 

 軽口の応酬をしながらも、2人は手を休めない。

 といっても、現状一方的にセシリアが魔法を放っているわけなのだが。

 雷の弾が、槍が、鞭が、彼女によって作り出され、猛威を振るっていく。

 彼女としては周りに被害が出ないよう、威力を抑えているのだろうが――実際のところ派手に弾幕を飛ばし過ぎて、他の兵達が助太刀できなくなっている。

 

 一方ドラキュラ伯爵はといえば、右に左に飛び回り、どうにか致命傷だけは避けているという状況。

 しかし、致命傷でない傷は瞬く間に癒えてしまう。

 先程焼失した右腕も、いつの間にか生えていた。

 ……魔物であることを考慮しても、異常すぎやしないか、この耐久力。

 やはり弱点を突かなければ(・・・・・・・・・)、倒すことは不可能か?

 

「ど、どうなってんのよコレ……あの子、いったい何者なの!?

 詠唱も触媒も使わないだなんて、聞いたこと無い!!」

 

 戦いを見守るディアナ姫が、震える声で話しかけてきた。

 その質問に答えたのはルカだ。

 

「彼女は特別製なのさ。

 術式を丸暗記してるから詠唱の必要が無く、触媒は――えーと、ほら、なんかこう、天才だから必要ない感じ?」

 

「分かってないなら分かってないって言いなさい」

 

 前言撤回、答えになってなかった。

 ディアナ王女にジト目で睨まれ、ルカはあたふたしている。

 

 さて、いい加減そこについても説明をしておくか。

 前に語った通り、この世界の魔法には“術式”と“触媒”が必須である。

 通常、術式は“詠唱”によって組上げるのだが、セシリアは術式を丸ごと脳内へ記録しているため、それが必要ない――と、ここまでは語ったはずだ。

 問題は、触媒の方。

 何故、彼女は触媒を使わずに済むのかと言えば――実のところ、その認識は根本的に間違っている。

 セシリアは触媒を使っている(・・・・・・・・)のだ。

 

 魔法には、その効果に関連した物品(火魔法であれば火種、水魔法であれば水袋、等)が要る。

 これは絶対条件。

 才能の大小で無視することはできない。

 ならば、雷魔法には雷に関連した触媒が必要になるわけだが――ここで考えてみて欲しい。

 現代日本ならば中学校で教わる知識であるが、雷、つまり電流とは『“電子”の移動』である。

 そして“電子”はこの世のあらゆる物質に含まれていることもまた、現代人であれば常識のはずだ。

 これは逆説的に――この世のあらゆる物質(・・・・・・・・・・)は、雷魔法の触媒(・・・・・・)になり得る(・・・・・)、ということだ。

 この知識をセシリアは活用しているのである。

 勿論、教えたのは私だ。

 

 なお、他の属性についても同様のことが言える。

 例えば、火。

 燃焼とは酸化現象である。

 そして大気の5分の1は、その酸化に必要な酸素なのだ。

 酸素を触媒にすれば、大よそどこででも火魔法を扱える。

 例えば、風。

 この世界の魔法使い達は、風の淀んだ場所――狭い屋内や洞窟の中では風魔法を使えない。

 しかし風を“気体の流動”、もっと言えば“気体を構成する分子の動き”であると捉えれば、そんな制限など取り払える。

 気体分子は常に動き続けているのだから。

 

 別に専門的な話ではない。

 現代社会である程度の勉学に励んだものなら、誰もが知っている知識――常識と言ってすらいいだろう。

 しかしその常識を活用することで、一流の魔法使いにすら不可能な“(見かけ上は)無触媒での魔法行使”が可能になる。

 まあ要するに、ある程度の現代科学を知っている人であれば、誰でもこの世界で超一流の魔法使いになれる、ということなのだが。

 

 私としては、さっさとこの知識を世間に広め、有能な魔法使いを量産したいところなのだが。

 まだ家庭教師だった頃のクライブ宰相に、『革新的過ぎるから内密にしておきなさい』と禁じられてしまったのだ。

 故に、現代科学を応用した魔法技術を使えるのは、私以外ではセシリアだけだったりする。

 

 ――と、膠着状態に入ったことを幸いに説明していたわけだが。

 

「……まずいぞ」

 

 ぽつりと、ルカが呟いた。

 私も同感だ。

 確かに、まずい。

 

 いや、戦況はそう変わっていない。

 攻め手はセシリアであり、ドラキュラは避けの一手だ。

 だが決定的に先程までと違う部分がある。

 いや会場は雷によってズタボロになって、部屋の壁が壁の体をなしていなかったりするが、言及したいのはそこではなく。

 一撃一撃で被るドラキュラの傷が、浅い。

 

「――っ!」

 

 セシリアの顔が、焦りで僅かに歪む。

 彼女もこの状況が分かっている。

 別に、セシリアが魔法の使い過ぎで消耗したわけではない。

 たかがこの程度(・・・・・・・)で尽きてしまう程、彼女の魔力量は浅くないのだ。

 ではどうしてこうなったのかと言えば――経験の差だ。

 セシリアは強大な魔法を行使できるが、戦いを――ここまで強力な敵との戦いを、これまで体験したことが無い。

 その戦闘経験の無さが響き、攻撃の手がどうしても単調になってしまっているのである。

 故に、ドラキュラ伯爵に行動を見切られ始めている。

 少しリズムを変えてやるだけでも大分違うのだが、残念ながらまだセシリアにそんな引き出しは無い。

 

「……そろそろ終了かな?

 いや、楽しかったよ、お嬢さん」

 

 そんな言葉を零して――ドラキュラの身体が消えた(・・・)

 いや、消えたのではない。

 単に目で捕捉できなかった(・・・・・・・・・・)だけだ。

 尋常でない速度で、伯爵が駆け出したのである。

 向かう先は、セシリア!

 

「くっ!?」

 

 彼女が呻く。

 速い!

 しかも上手く攻撃の合間を突かれた!

 迎撃が間に合わない!

 さてはあの男、今まで相当手を抜いていたな!?

 

「なに、苦しませるような真似はしない。

 痛いのは一瞬さ」

 

 ドラキュラの爪が、長く鋭い形へ変貌する。

 その切っ先をセシリアへ振り下ろし――

 

「――むっ」

 

 しかし彼女に届くことは無かった。

 伯爵の腕が、綺麗に切断されていた(・・・・・・・)

 どさり、と傍らに彼の腕が落ちる。

 

「あー、良かった。

 このまま見せ場なく終わったらどうしようかと心配してたんだ」

 

 それを成し遂げた人物――ルカが、軽い口調でそう告げた。

 片手には、先程ドラキュラの腕を斬り落としたサーベルを握っている。

 数瞬前までは私のすぐ近くに居たというのに、今はセシリアを庇うような位置でドラキュラと対峙していた。

 

「選手交代だ。

 アシュフィールド家子息、ルカ・アシュフィールド。

 今度は僕が君のお相手をしてあげよう」

 

 剣を構え、ルカは不敵に笑う。

 伯爵もまた、楽しそうに笑い返した。

 

「……なるほど。

 ウィンシュタット領とは、戦乙女の巣窟であったか」

 

 いや男なんだけどね、目の前のそいつは。

 

 

 



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⑤ 逆転、逆転、また逆転

 

 サーベルをドラキュラへ突き付け、ルカはニヤリと笑う。

 

「ふっふっふ、ここから先は僕の見せ場だ!

 皆、手を出すんじゃないぞ!」

 

 って、おい。

 いきなりそういうことを言うのは止めろ。

 公子がそんなこと口にしたら――

 

 「お、おい、どうする?」

 「え、えーと、どうしよう?」

 

 ――ほら、ルカに加勢しようとしていた兵士達が足を止めてしまっただろうが。

 もう少し自分の発言力というものを考慮して欲しいものだ。

 せっかく頭数はこちらが勝っているのだから、皆で囲ってしまえばいいだろうに。

 

 ……まあ、とはいえ。

 この場に居る兵達がルカの邪魔にならないか(・・・・・・・・)は、怪しいところなのだけれども。

 

「では行くぞ、自称(・・)伯爵。

 僕についてこれるかな?」

 

「ハハハ、未だ爵位を持っていない君に言われてもね」

 

 ――むぅ。

 挑発を挑発で返されたルカは、眉毛をピクっと震わすと、

 

「ぬかせっ!」

 

 掛け声と共に駆け出す。

 

「えっ!? 速っ!?」

 

 驚きの声を上げたのは、ディアナ王女だ。

 確かに、虚を突かれると遠目で見ていても見失いかねない速度。

 彼女の反応も無理はない。

 ドラキュラ伯爵ですら、目を見開いたのだから。

 

「せいやっ!!」

 

「むぅ!!」

 

 右薙ぎの一閃。

 ドラキュラは身を捻ってギリギリで交わす。

 

「まだまだぁっ!!」

 

 追撃の逆袈裟。

 刃は伯爵を捉える、が。

 

「甘い」

 

 相手は意に介さない(・・・・・・)

 己の身体を切り裂かれながら、その鉤爪でルカを狙う。

 

「おわっ!?」

 

 大きく仰け反り、それを交わすルカ。

 上半身が床に付きかねない程の反りっぷり。

 

「やってくれたな!」

 

 そんな無茶な体勢から全身のバネを使って一瞬で体勢を戻し――その勢いでドラキュラを斬りつける。

 

「甘いと言った!」

 

 しかし伯爵は伯爵で開き直っていた。

 ルカの斬撃を対処しないものと決め、お構いなしに攻撃を仕掛ける。

 

「よっ! ほっ! せっ!!」

 

 公子は公子で、空気をつんざくような爪の一撃を紙一重で交わしながら、サーベルを振るっていた。

 傍からは、ドラキュラ伯爵の攻撃を華麗に避けながら一方的に切刻んでいるようにも見える。

 

「ええぇぇえええ――アイツ、あんなに強かったの!?」

 

 そんな光景に王女は仰天し続けていた。

 

「ルカならあれ位はやる。

 士官学校の実戦訓練で、彼に勝てる生徒は一人も居なかった位だ」

 

「へ、へー……人は見かけに依らないのね」

 

 感心したように、ディアナ王女が吐息を漏らす。

 どうやらルカは名誉を多少挽回できたようだ。

 

 しかし、である。

 この状況、実のところセシリアの時と変わっていない。

 結局のところ、ドラキュラ伯爵に対して致命傷を与えられていないのだから。

 ルカのサーベルが刻んだ傷もまた、瞬く間に回復してしまっている。

 まあ、戦闘の経験が豊富な分、彼女より安定感をもって戦えてはいる――っと!?

 

「おわっ!!?」

 

 ルカの肩が切り裂かれる。

 伯爵の爪によって――ではない。

 彼の“血”によって、だ。

 

「ど、どうなってるんだ、それ!?」

 

 公子が戸惑いの声を上げた。

 それも仕方が無いだろう。

 ドラキュラの身体から噴き出た血が、突如“刃”に変われば戸惑いもする。

 ルカは、伯爵の生み出した“血の刃”に斬りつけられたのだ。

 そんな公子の様子を見て、吸血鬼はクツクツと嗤った。

 

「フフフ、普通に(・・・)戦っていたのでは埒が明かないのでね。

 奥の手を一つ切った訳だ」

 

 言う間にも、ドラキュラから流れる血が――おそらくは敢えて(・・・)治癒していない傷から流れる血が、次々と変貌していく。

 右肩の血は剣、左足の血は鎌、脇腹の血は矛。

 他にも無数の武器が生み出される。

 奴の持つ“変化”の力の応用だろうか?

 

 しかもただ武器を作製したわけではない。

 それらの“血製武器”は伯爵が手に取った訳でもないのに宙へ浮かび(・・・・・)

 それぞれがルカへと飛びかかってくる。

 

「反則じゃないか!?」

 

「殺し合いに禁じ手があるとでも?」

 

 初めて、公子が完全に守勢へ回った。

 要するに、逃げ回った。

 “剣”をサーベルで受け、“鎌”は屈んで避け、“矛”はバク転して躱す。

 無論、ドラキュラ伯爵もそれをただ見ているわけではない。

 彼自身もそこへ加わり、ルカを追い立てていく。

 

「うおっ! と! と! と! と! とっ!?」

 

 その連携を驚異的な反射神経でいなすルカ。

 時には真後ろからの攻撃すら回避する彼は、ある意味ドラキュラと同レベルの化け物と言っていい。

 しかしその顔に余裕は全くなく。

 持てる能力をフル稼働して、いつ崩れるかも分からないギリギリの均衡を保っていた。

 

 と、これは流石にまずいな。

 私も悠長に説明している場合ではない。

 即刻手助けせねば最悪の事態に陥りかねない。

 

「い、いや、大丈夫!

 まだまだ全然平気だから!」

 

 そんな私の思考を視線で察知したのか、ルカが慌てて言い訳してきた。

 ……曲芸染みた動きで敵の攻撃をかわしながら話しかけてくるとは、なんて器用な真似を。

 

「そう言うなら、さっさと何とかしろ、ルカ」

 

「わ、分かってるって!

 てりゃぁあああああああああっ!!!」

 

 発破をかけると、ルカの動きがさらに加速する。

 飛んで来る“血製武器”をサーベルで斬り壊し、さらに迫り来るドラキュラを蹴りつけ――反動で、大きく後ろへ跳躍する。

 

「……大したものだな」

 

 伯爵から感嘆の声が漏れた。

 

「ど、どうだ!

 なんとかしたぞ!!」

 

 肩で息をしながらこちらに向けてガッツポーズするルカ。

 確かに凄まじい動きではある。

 ただ、やったことは単に敵から距離をとっただけなのだが。

 ドラキュラもそれを分かってか、悠然と笑みを浮かべる。

 

「仕切り直しか。

 ……そろそろ後ろに控える兵士の助力を請うたらどうかね?

 キミ一人に、ワタシの相手は荷が重かろう」

 

「冗談言っちゃ困るな。

 お前の相手なんて、僕一人でお釣りが来るさ!」

 

 いや、さっきはかなり厳しかっただろう。

 思わずそう突っ込みたくなるのを、ぐっと堪える。

 何故なら――ルカにはまだ、切り札が残っている(・・・・・・・・・)からだ。

 

「ドラキュラ。

 光栄に思いたまえ――君に、僕の“魔法”をご披露してあげよう」

 

「ほう?

 それは興味深いな。

 見せてみたまえ」

 

 自分の優位に絶対的な自信があるのだろう。

 ドラキュラはルカが魔法を行使するのを妨げるつもりが無いようだった。

 ……ぬかったな、伯爵。

 その油断は、致命的だぞ。

 

 一方でルカはサーベルを高く掲げ、

 

「――<覚醒せよ、我が魂(ウェイク・アップ)>!」

 

 彼がほぼ唯一まともに扱える――そして誰よりもその扱いに熟達した“魔法”が発動する。

 途端、ルカの身体を黄金色の炎が取り巻いた。

 正確には炎のように見える力の波動――謂わば“オーラ”を身に纏ったのだ。

 

「……お待たせしたね。

 ここからは、本気モードだ」

 

「言うではないか、アシュフィールド公子。

 なかなか派手(・・)な姿になったが――どの程度のものか、拝見させて貰おう」

 

「お望みどおりに!」

 

 ルカがそう宣言した次の瞬間。

 ドラキュラの身体が両断された(・・・・・)

 

「……え?」

 

 呆気にとられたような呟きが、伯爵自身の口から零れる。

 なんてことはない。

 公子が手に持ったサーベルでドラキュラを斬ったのだ。

 ただそのスピードが、パワーが、これまでより格段に高まった(・・・・・・・)だけで。

 

「なんだ、今のは……?」

 

 斬られて崩れ落ちそうになる半身を腕で掴み、無理やり接合させる伯爵。

 その表情には、これまで浮かばなかった緊張の色が浮かんでいた。

 

「おいおい、ドラキュラ。

 いったい何を焦っているんだ?

 端正な顔が台無しだぞ」

 

 その様を見て、ニヤリと笑うルカ。

 実にドヤっとした顔である。

 これ以上ない程、イイ気になっているようだ。

 

 そんな彼を見て、不意に王女が声を零す。

 

「……ねえ、エイル卿。

 これってもしかして――」

 

「ご想像の通り。

 あれがヴァルファス帝国が誇る“身体強化魔法”だ」

 

 その疑問へ、端的に答えた。

 

 ルカが今使用したのは、“強化魔法”の一種。

 魔法には触媒が必要であり、それが大きな束縛になっていることはこれまで散々説明した通りである。

 しかし、この世界の人々も馬鹿ではない。

 課題解決のため、様々な手法が模索されてきた。

 その一つの“答え”として、ヴァルファス帝国が行き着いた終着点がコレなのである。

 効果は己の身体能力各種を飛躍的に高める、というもの。

 そしてその効能故に、必要な触媒は“自分の肉体”のみ。

 成果が大きく、それでいて触媒を携帯する必要が無い――というか、常に有るものを触媒としているため、利便性も極めて高い。

 一挙両得な魔法であり、士官学校では必修となっている。

 

 そして。

 ただでさえ常人の域を越えた身体能力を誇るルカが、そんな能力向上(ステータスアップ)を受ければどうなるか。

 しかも彼は、“身体強化魔法”に関してのみ特異的に才能を発揮するのだ。

 この魔法の扱いに関して、公子の右に出るものは帝国全土を見渡してもそうそういない。

 

 ――結果、超人的な戦士が完成される。

 

「さて吸血鬼、覚悟はいいな?

 遊び一切なしに終わらせるぞ」

 

「ぐっ!?」

 

 ドラキュラが怯む(・・)

 ルカから距離を置こうと後方へ跳ぶが、

 

「遅い遅い!」

 

 当然、見逃すはずがない。

 金色のオーラを纏ったルカは、後ずさる伯爵を追い越して(・・・・・)さらに後方へ回り込み。

 持ったサーベルで彼を切り裂いていく。

 

「ぐ、ぬぅううううっ!!?」

 

 響く、ドラキュラの苦悶の声。

 再生が追いつかない(・・・・・・)

 斬られた傷が治癒しきる前に、次の傷が刻まれる。

 自慢の鉤爪は、とうに斬り飛ばされた。

 血の武器で反撃を試みても、それごと(・・・・)切刻まれる始末。

 ついには――

 

「ふっふっふ、いいザマ(・・)になったじゃないか、吸血鬼。

 魔物風情にはこっちの方が相応しい」

 

 ――不敵な笑顔を作るルカ。

 その手は、上半身だけになった(・・・・・・・・・)ドラキュラの頭を掴んでいた。

 下半身の方はどうしたかと言えば、八つ裂き――という言葉が生温い感じる程に、細切れになっている。

 傷の治る速度も目に見えて遅くなっていた。

 幾度にも振られた公子の刃が、とうとう吸血鬼の再生能力を上回ったのだ。

 ……これで、決着がついたのだろうか?

 

「く、ふ。

 フフ、ハハハハ」

 

 と、そう思ったのもつかの間。

 胸から上しか残っていない伯爵が、喋り出した(・・・・・)

 おいおい、そんな状態でまだ生きているのか?

 そう思ったのはルカも同じのようで、

 

「うわ、まだ生きてる!?」

 

 私と同じ感想を口にした。

 その反応に満足したか、ドラキュラはこんな状況だというのに笑みを浮かべる。

 

「ハハ、見事。

 本当に――見事だ。

 人の身でここまでの強さを身につけるとは、なかなかこの世界は(・・・・・)侮れん」

 

「……随分と余裕が残ってるじゃないか。

 まさかここから逆転できるとでも思っているのか?」

 

「いや――まともな勝負でキミに勝つことは困難だろう。

 それはよく分かったとも。

 キミはワタシよりも強い」

 

「なら――」

 

「だからもう一つ(・・・・)、奥の手を見せることにした」

 

 言うや否や、床に散らばったドラキュラの“血”が、“肉片”が、蠢動しだす。

 質量保存の法則など完全に無視して、小さな欠片だった(・・・)それらは急速に膨張していった。

 

「な、なんだ? なんだ?」

 

 予想外の光景に狼狽えるルカ。

 別に彼だけではない。

 この部屋にいる誰もが――ドラキュラ伯爵を除いて――何が起きようとしているのか、把握できなかった。

 

 そうしている内にも“欠片”達は蠢き続ける。

 各々が人と同じ、いやそれ以上の大きさにまで成長すると、今度は形が変わってゆく。

 最終的に――

 

「――魔物?」

 

 誰かが呟く。

 全く持って同感だ。

 散らばっていた血肉は、一つは巨大な犬へ、一つは悍ましい虎へ、一つは恐ろしい鬼へ――他にも様々な形状の魔物へと変貌していた。

 共通しているのは、どいつもこいつも剥き出しの肉と血が混じり合ったような、なんとも気味の悪い“肉体”をしているということか。

 

「――ふんっ、何をするかと思えば」

 

 無数の魔物達を前にして、ルカが鼻を鳴らした。

 

「確かに大した“手品”だけどね。

 こいつら、どう見たってお前より弱い(・・)じゃないか。

 今更“雑魚”を増やしたところで、何が変わるというんだ?」

 

「――ふむ、本当にそう思うかね?」

 

 ドラキュラもまた、動じた様子はない。

 

「当たり前だろ。

 まさか、こんな連中相手にまで僕が一人で戦ってやるとでも?

 これまで1対1で戦ってやったのは、お前が大将首だからさ」

 

「なるほど。

 この程度の魔物、兵士達で十分対処できると言いたいわけだ」

 

「分かってるじゃないか」

 

 まあ確かに。

 部屋の中にも外にもウィンシュタット家の兵が待機しているし、セシリアだっている。

 ルカの言う通り、こんなことで状況はひっくり返らな――――あ、いや。

 

 ……まずい。

 これはかなりまずい!

 

「ドラキュラ伯爵!!」

 

 声を張り上げた。

 私の挙動にルカが怪訝な顔をするが、説明する暇はない。

 

「貴様――貴様まさか――!!」

 

「フハハ、気付いたか!

 やはりキミは気づいたのか、ウィンシュタット卿!

 美麗な侍女も可憐な騎士もワタシを十分愉しませてくれたが、やはりキミは格別だな!!」

 

 高笑いするドラキュラ。

 五月蠅い、少し黙れ。

 ふざけるなよ、この野郎。

 

「――貴様、この街に魔物を放ったな!!?」

 

「そう! 御明察だ!!」

 

 私の想像を、吸血鬼は嬉々として肯定してきた。

 

 

 

 

 



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⑥ ドラキュラの提案

「な、にっ!!?」

 

 ドラキュラの言葉に、ルカの顔が強張る。

 この場に居合わせる他の人々も同様だ。

 

 すぐに気づいて然るべきだった。

 どういう仕組みか知らないが、ドラキュラ伯爵は自らの血肉から魔物を生み出せる。

 そして、奴は誰に気付かれることもなく、ウィンシュタットの屋敷に潜入してみせた。

 ならばここに来るまでの道中で――つまりは街中で、魔物を造っていてもおかしくはない。

 

「ウィンシュタット卿。

 キミが考えた通り、この街の至る所へ魔物を配置している。

 ワタシが合図を送れば、一斉に動き出す手筈だ。

 そうなればどうなるか――説明する必要はあるまい?」

 

「卑怯な真似を!」

 

 激昂したのはルカだ。

 

「僕がお前の生殺与奪を握っていること、忘れたわけじゃないだろうな!?

 魔物が動き出す前に、殺すことだってできるんだぞ!!」

 

「……本当に、殺し切れるかな?」

 

「なに!?」

 

「確かに、キミはワタシよりも強い。

 このまま戦えば、いずれは(・・・・)殺されることになるだろう。

 しかし、それにどれだけ時間がかかる?

 ここまでされても、ワタシは死なないのだ――どこまで分割(・・・・・・)すれば死ぬか、キミとて分かるまい。

 そしてワタシが死ぬまでの間に、どれだけの無辜な民の命が失われるかも、想像がつかぬだろう?」

 

「……くそっ!」

 

 悪態をついて、しかしルカはドラキュラに手をかけられなかった。

 例えハッタリだったとしても、こんなことを言われてはどうにもならない。

 だいたい、この吸血鬼を倒したとして、生み出された魔物が消えるとも限らないのだ。

 

 私は大きく息をして心を落ち着かせてから、口を開いた。

 

「……随分と、酷い手を打ってきたものだな、伯爵。

 無関係な市民を人質にするとは。

 貴族の名が泣くぞ」

 

 ドラキュラを睨み付ける。

 すると意外なことに、バツの悪そうな顔をして、

 

「……まあ、そうだ。

 ワタシとしても、余り本意ではない。

 これはあくまで保険として用意していた策でね。

 ……キミ達は、強すぎたな」

 

 殊勝なことを言ってくれるが、それで許されるわけでもない。

 しかし、状況は如何ともしがたく。

 

「街の人々の命が惜しければ、ディアナ王女を渡せ――ということか?」

 

「――違う」

 

 意外なことに、ドラキュラは首を横に振った。

 ……いや、別に意外という程でもないか。

 私の予想が正しければ、奴の本当の目的は――

 

「ウィンシュタット卿。

 先程も言った通り、このやり方はワタシにとっても許容し難いものなのだ。

 できることなら使いたくない。

 故に、一つ提案をしたい」

 

「何だろうか」

 

「仕切り直し、だ」

 

 そうきたか。

 伯爵は続ける。

 

「キミはワタシを見逃す。

 代わりにワタシはこの街の民を見逃す。

 そういう提案さ」

 

「……なるほど」

 

 悪い条件ではない。

 ここに至るまで、こちら側は大したコストを支払ったわけでもないのだから。

 あとは、ドラキュラを信用できるかどうか(・・・・・・・・・)

 奴が逃げおおせた後、街中で魔物が暴れ始めでもしたら目も当てられない。

 

 さて、どうしたものだろう。

 しばし黙考の後、決断する。

 

「デュライン砦」

 

「ん?」

 

「この町より東方にある、ヴァルファスとクレアスの国境に建てられた砦だ。

 そこを、決戦の舞台としたい」

 

「……ほう」

 

 私は、伯爵の提案に乗ることにした。

 理由は大まかに三つある。

 一つ目は、これまでの会話でこの吸血鬼にはある程度の“良識”が期待できそうだ、ということ。

 もっと“汚い手”を使おうと思えば使えただろうに、奴はそれをしなかった。

 二つ目に、陛下より賜った近衛大隊の存在。

 仮に魔物が街で暴れたとしても、近衛大隊を緊急出動させれば被害は最小限に抑えられるだろう、という目算である。

 最後の一つは――まあ、勘だ。

 

「いいだろう。

 その砦は目にしたことがある。

 そこでなら、無関係な民を巻き込む心配は無い――ワタシとキミとの決着には、確かに相応しい場所だ。

 しかし、戦いの刻限は夜間とさせて貰おう。

 間が空き過ぎるのも興が削げるということもあるし――2日後の夜、開戦といこうではないか」

 

 ……2日後か。

 急げば、どうにか準備を整えられるはず。

 

「分かった。

 戦いは、深夜零時開始で構わないな?」

 

「日の出まで6時間(・・・)か。

 ……まあ、フェアな時間帯ではある」

 

 不服そうな感情を隠しきれていないものの、ともあれ伯爵は了解してくれた。

 

「こちらは軍を動員する。

 まさか異論はないだろう?」

 

「無論だとも。

 ワタシはワタシで、魔物を率いるのだからね」

 

 クレアス軍では対処できなかった魔物の大群か。

 まあ、総力戦は望むところだ。

 

「それともう一つ、条件を付け加えたいのだが」

 

「……なんだ?」

 

 ドラキュラのさらなる提言。

 一応、聞いておくことにする。

 

「この戦いの勝者が得る、褒賞だ」

 

「ディアナ王女の身柄では?」

 

「それは互いの勝利条件(・・・・)だろう。

 姫を攫えばワタシの勝ち。

 守り切れればキミの勝ち。

 せっかくの決闘なのだ、互いに賞与を出し合おうではないか」

 

 ……また、面倒なことを。

 却下してもいいが、伯爵が何をベットするのか、気にはならないと言えば嘘になる。

 

「私が勝った場合、君は何をくれるつもりなんだ?」

 

「ウィンシュタット卿へ絶対の忠誠を誓おうではないか。

 キミはこの上なく強力な吸血鬼を(しもべ)にすることができる。

 もっとも、戦いでワタシが死んでしまった場合はどうにもならないがね」

 

 ふむ、ドラキュラを部下にできるのか。

 それは少し浪漫があるな――本当に忠実な部下になってくれるかどうか、怪しいところだが。

 

「私が負けた場合、何を求める?」

 

「ウィンシュタット卿、キミ自身(・・・・)だ」

 

 ――は?

 

「キミが勝った時と逆さ。

 ワタシが勝ったなら、キミは永遠にワタシのモノになるのだ」

 

「……えーと」

 

 随分と買い被られたものだ。

 私を手元に置いてどうするつもりなのだろう。

 話し相手でも欲しいのか?

 案外寂しい男だったりするのだろうか、ドラキュラ伯爵は。

 

 吸血鬼の下僕になるというのは、ぞっとした話では無い――のだが。

 自分に少しでも執着させれば、僅かにでもドラキュラの手が緩む可能性が無きにしも非ず。

 負ければどっちみち碌な目に遭わないのだ、これを利用しない手はない、ように思える。

 

「……まあ、いいだろう。

 但し、私が死んだなら反故だぞ」

 

「構わんよ、こちらとて条件は同じなのだから。

 同族にするという手もあるが、あれはどうにも味気ないし――キミの名誉をそこまで穢すつもりもない。

 安心したまえ」

 

「それはどうも」

 

 死んだ後に何をされようがそれこそ知ったことではないが、気を配って貰えるに越したことは無い。

 何にせよ、互いの合意が取れた以上、これにて交渉は終わりか。

 

「ルカ、聞いての通りだ。

 伯爵を解放してやれ」

 

「し、しかしだな――」

 

「大丈夫だ。

 責任は私がとる」

 

「…………」

 

 不承不承といった顔をして、ルカはドラキュラを掴んでいた手を離した。

 自由になった吸血鬼は己の身体を完全に再生させると、私に対して一礼してくる。

 

「提案に応じてくれてありがとう、ウィンシュタット卿。

 魔物はすぐに退去させよう。

 ――明後日の夜を楽しみにしているよ」

 

 ニコリと微笑んでから、現れた時と同じ“蝙蝠”へと変化した。

 そのまま、夜の闇へと消えていく。

 

「……いいのか、エイル」

 

 心配そうにこちらを見つめるルカ。

 彼を安心させるため、私は鷹揚に頷いて、

 

「問題ない。

 アレは所詮口約束に過ぎないし――それに、賭かっているのは私の身柄だけだ。

 いざとなってもウィンシュタットへの被害自体は大して出ないだろう」

 

「いや僕は正しくお前の身の危険を案じているんだけれど。

 最後の方、あいつ確実に色目使ってたぞ」

 

「だとすれば変わった趣味の吸血鬼だな。

 いや、吸血鬼だから趣味が変わっているのか?

 まあどちらにせよ――勝てばいいんだ、勝てば」

 

「……そう、か。

 そうだな!

 フフ、今度こそ僕の剣で、あの怪物を仕留めてみせよう!」

 

 彼の顔に笑顔が戻る。

 うん、可愛い。

 こいつはこういう表情をしていた方が見ている方としても有難い。

 

 ――と、そういえば。

 

「ディアナ王女が目的と言っていた割に、ドラキュラ伯爵は君にほとんど話しかけなかったな?」

 

「うっ!?」

 

 話を振られた王女は、痛いところを突かれたかのような呻きを漏らす。

 なんだその反応は。

 

「あー、エイル?

 その辺、指摘するのは酷ってもんじゃないかなぁ?」

 

「ん? 思い当たる理由があるのか?」

 

 尋ねると公子は肩を竦めて、

 

「ほら、あの吸血鬼はお前やセシリア、そして僕という帝国を代表する美少女(・・・)と立て続けに相まみえたわけで、さ。

 それに比べちゃうと、ディアナ姫は――」

 

「かっちーん!!」

 

 変な声を上げるディアナ王女。

 

「え? え? どういうこと? どういうこと? アンタ、いったい何を言いたいのかしら?」

 

「いや、他意は無いんだ。

 うん、姫は本当に綺麗だと思う。

 ただなんというか、相手が悪かったというか――ね?」

 

「ほ、ほほぉおう?」

 

 姫の眉間に青筋が浮かび上がった。

 首をギギギと動かし、怖い笑みを私の方へ向けると、

 

「ねぇ、エイル卿♪

 この公子、熨斗つけて吸血鬼に差し出したらどうかしら♪

 ご自分の美しさにたいそう自信がおありのようだし、あっちも満足してくれるんじゃない♪」

 

「お、おやおやぁ?

 自分が助かるために他人を犠牲にするつもりかい?

 流石、田舎の小国出身の姫だ、器量が違うなぁ」

 

「あ”!?」

 

「お”!?」

 

 二人が、再び火花を散らす。

 おいおい。

 

「いい加減にしろ。

 というかルカ、君は本当に口を慎め。

 さっきも注意したばかりだろう」

 

「えー、今回はかなり下手に出たつもりだったのにー」

 

 あれでか。

 こいつ、こんな言動しといて女性からモテたいとか本気で思っているのだから質が悪い。

 

 ……まあ、私としてもセシリアの美貌の前には、流石のディアナ王女も分が悪いかとは内心思っていたりもする。

 絶対に口には出さないがね!

 

「とにかく!

 再戦まで間がない。

 ドラキュラ伯爵は、手持ちの戦力を全て注ぎ込んでくるだろう。

 早速、対策会議を開く。

 セシリア、関係者に連絡を頼む。

 ルカ、君は近衛大隊を招集しろ。

 ディアナ王女は一段落着くまで待機していて貰いたい」

 

 他、部屋に来ている各人へも指示を飛ばす。

 準備に費やせる猶予は2日だけ。

 ――忙しい2日間になりそうだ。

 

 

 



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⑦ 男爵の妄想▼

 

 

 唐突だが。

 ブラッドリー・ラジィル男爵は、困惑していた。

 

「……吸血鬼と、ですか?」

 

「ああ、戦うことになった。

 君には軍を指揮して貰いたい」

 

 ここはウィンシュタット家の執務室。

 部屋にはブラッドリーの他に、彼の上役である侯爵――エイル・ウィンシュタットしか居ない。

 そして当の侯爵は、椅子に深く腰掛けながらそんなことを言ってきたのである。

 

 本来であれば、未だ男爵の身であり、かつ齢二十を越えたばかりの若輩である自分が侯爵の所有する軍を指揮するなどまず有り得ない話だ。

 しかも相手は万民に害なす魔物、吸血鬼。

 青年は今、実に栄誉ある提案を持ち掛けられている。

 断る理由は無い、はずなのだが。

 

「いえその、エイル卿の指示であるならば異論はありませんが――」

 

「何か言いたいことがあるようだな」

 

 美しい双眸を少し細め、こちらを見つめるエイル侯爵。

 その視線に若干の“圧”を感じつつも、ブラッドリーは答えた。

 

「……失礼ながら、戦う道理がありません。

 その吸血鬼の目的はクレアスの王女であり、俺達とは無関係です。

 クレアスが帝国に下る条件は経済支援のみだったはず」

 

「放っておくわけにもいかない。

 今後クレアスは我が領土となる。

 あんな怪物に領内への居住を許すなんて、ぞっとしないだろう?」

 

 正論である。

 魔物を放置しておけば、いずれ第二第三の犠牲者が出るのは自明の理。

 故に、その吸血鬼を討つこと自体には反論の余地がない。

 ただ――

 

「ええ、討伐は必要です。

 ただ、クレアスにはさらなる見返り(・・・・・・・)を請求しても罰は当たらないのではないかと」

 

 ――他国が抱えている問題を、無償で(・・・)解決することに抵抗を覚えているのだった。

 罰が当たらないどころか、クレアスは相応の謝礼をもってこちらへ依頼してくるのが筋である。

 しかし、まだ若き麗しの侯爵はブラッドリーの提案を軽く流す。

 

「勿論その通りだ。

 しかし今後の統治を考えれば、貸しを作っておくのも手だと思わないか?

 それに――吸血鬼の目的が本当に(・・・)王女だとも限らない」

 

「と、仰いますと?」

 

「一つ、クレアスが帝国へ併合される直前に(・・・)吸血鬼騒動が起きた。

 二つ、さらに、王と王女はこの街(シュタット)へ来る途中でも吸血鬼に襲われ、しかしこちらの迎えが間に合い人的被害は無かった(・・・・・・・・・)

 三つ、昨晩の会合中に吸血鬼が現れたが、奴は王女を狙う素振りを見せなかった(・・・・・・)

 少しばかり、偶然が重なり過ぎてはいないか?」

 

「……まさか、吸血鬼は」

 

「そう、クレアスの“誰か”と組んでいるんじゃないか、と私は考えているわけだ」

 

「となれば、奴の狙いは――――ウィンシュタット?」

 

「その可能性もある、ということだ。

 “誰かさん”と共謀して、な。

 だとすれば、野放しにするとクレアスに“都合のいい偶然”がまた発生するかもしれない。

 しかも、おそらくは我々(ウィンシュタット)にとっては実に“不都合な偶然”が」

 

「……そこまでお考えだったとは」

 

 驚嘆するほか無かった。

 侯爵は、情に流されてこのような判断に至ったと思い込んでいたのだが、とんでもなかった。

 様々な可能性を考慮し、最適な行動をとっているだけなのだ。

 しかもこの口振りから察するに、エイル卿はその“誰か”を既に特定しているように見える。

 流石、見込んだ通りのキレモノっぷりである。

 ブラッドリーは感心の吐息を吐きながら、心中で独りごちる。

 

(ああ、エイル卿――今日も相変わらず実にお綺麗だ)

 

 ……あれ?

 

(まつ毛が整い方からして既に芸術的。

 短く切り揃えたあの黒髪の艶やかさ、そしてサラサラ感は、一度でいいから撫でてみたい。

 パッチリとした切れ長の瞳に見つめられるだけで鼓動が早くなってしまう。

 薄い唇は実に瑞々しい――きっとプディングのような柔らかさなのだろう。

 加えてあのムチっとした太ももはどうだ?

 エイル卿は男だ、などと主張する愚かな輩もいるが、この太ももを見てもそれを貫き通せるか?

 この色気、男なんぞに出せてたまるものか)

 

 この男、真面目な会話しながらこんなこと考えていたらしい。

 

(その太ももをくっきりと浮かび上がらせるズボンのチョイスがまた秀逸!

 なんでも帝都の著名なデザイナーが作った、動きやすさを重視したボトムとのことだが――素晴らしい職人もいたものだ!

 最大限の謝辞を送りたい!

 なんなら資金援助したっていい!

 しかしこのズボン、履くのはそうそう容易いことではないぞ。

 何せ自分の下半身にピッチリと張り付きすぎて、そのスタイルをモロに見せてしまうわけだからな。

 エイル卿の脚線美あってこそだろう。

 ……まさか彼女は自らの艶やかさを見せつけようとしているのだろうか?

 寧ろ、俺は誘われている!!?)

 

 そんなわけない。

 ブラッドリーの内心を知る由も無く、エイル侯爵は話を続けた。

 

「引き受けて貰えて嬉しいよ。

 それと君に預ける軍についてなのだが――ウィンシュタットの私兵ではなく、近衛隊を率いて欲しい。

 クレアスが信用できない以上、我が領の兵達にはかの国の動きに対応して貰いたいのでね」

 

「……は?」

 

 反射的に目を丸くしてしまった。

 

「近衛隊と申しますと、先日エイル卿が皇帝陛下より賜れた、あの近衛大隊ですか?」

 

「ああ、そうだ」

 

「その部隊は、ルカ・アシュフィールド公子が隊長を務めていると聞きましたが」

 

「ルカ公子には別にやって欲しいことがある。

 ……大きな声で言えないが、彼は軍を指揮するより、個人で立ち回って貰った方が戦果を挙げてくれるからな。

 ブラッドリー卿も、ルカ公子の腕前について聞いているのではないか?」

 

「まあ、多少は」

 

 帝都の士官学校にて、他を寄せ付けぬ剣腕の持ち主がいる――という噂は聞いていた。

 それがあの(・・)アシュフィールド家の子息とあっては、眉唾として一笑に付すわけにはいかない。

 エイル卿の言う通り、将として動いて貰うよりも戦士として戦って貰った方が適切ではあるだろう。

 ……仮にも“公子”に対してそんな真似、余程の豪胆さがなければできないが。

 

(ルカ・アシュフィールド公子か。

 士官学校にて、エイル卿と男子人気を二分した、愛くるしい少女という話だな)

 

 しかしブラッドリーはまたしても会話と余り関係ないことを思い浮かべていた。

 

(彼女――いや、便宜上は“彼”と呼んでおくか――彼もまた時代の被害者なのだな。

 エイル卿と並び立つ程の美貌を持つというのに、男として振る舞わざるえなくなっている。

 二人は親友と聞くが、やはり同じ境遇に立つ者同士、通ずるものがあったのだろう)

 

 頓珍漢な感想なのだが、生憎と心の声なため誰もつっこみを入れられない。

 しかも顔はずっと真面目な表情のままなのだ。

 ブラッドリーは胸中をおくびにも出さず、エイルへと返事をする。

 

「承知しました。

 俺如きに近衛大隊の指揮など十分に務められるかどうかは保証しかねますが、全力を持って臨ませて頂きます」

 

「頼む。

 ……気休めにもならないだろうが、君ならきっと大丈夫だ。

 知っての通り近衛兵達は癖が強い(・・・・)からな、ブラッドリー卿でなければ早々指揮は執れないだろう。

 下世話な話だが、ここで成果を出してくれれば、君の伯爵授与もより円滑に進められる」

 

「そ、その話、本当に進言して下さったのですか!?」

 

「当然だ。

 先日、陛下へ面会した際にしっかりと伝えてある」

 

「ありがとうございます!!」

 

 歓喜に震える。

 正直なところ、伯爵位の件はなぁなぁで済まされるのではないかと覚悟していたのだ。

 エイル侯爵の義理堅さに感涙すら流れそうだった。

 

(しかし、エイル卿は少々皇帝陛下と親密すぎではないだろうか?

 近衛大隊を与えるというのも、普通はまず有り得ぬ話だ。

 ――まさか。

 まさか、陛下とエイル卿は、そういう仲(・・・・・)なのか!?)

 

 ブラッドリーの脳内に(大分失礼な)妄想が広がっていった。

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

※以下、脳内イメージにつき会話だけの描写となります。

 

皇帝「くっくっく、何度見ても良いものだのぅ、エイル卿。

   普段の男装姿もオツなものだが、やはり女として着飾った格好に勝るものでは無いわ。

   その少々小ぶりながらも美しいおっぱい(ブラッドリーの想像)、隠すには勿体ない」

 

エイル「ご勘弁下さい、陛下。

    こんな姿を見られては、私が女であることが皆にバレてしまいます」

 

皇帝「難儀なものよ、それ程までに侯爵の座へ固執するか。

   望めば今すぐにでも儂の側室にしてやるというのに」

 

エイル「代々続くウィンシュタット家の血筋を絶やす訳には――」

 

皇帝「まあ良い。考えてもみれば、お主を女の姿にして他の男が目を愉しむというのも面白くない。

   だがな、儂の前では女の――いや、雌の姿を晒してもらうぞ?」

 

エイル「あ、ああ、いけません、陛下!

    そこは、そこは――!!」

 

皇帝「いいではないか、いいではないか!」

 

エイル(雌)「あーーれーーーーー♡」

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 妄想、終わり。

 

(ふん、はー! ふん、はー! ふん、はー!)

 

 本人達に知られれば侮辱罪で極刑に処されても文句言えない想像をして、ブラッドリーの鼻息は大分荒くなっていた。

 エイル侯爵(本人)が不思議そうな顔をして尋ねてくる。

 

「……?

 どうした、ブラッドリー卿。

 どうも顔色がおかしいようだが?」

 

「い、いえ、どうもしておりません!

 ……時にエイル卿。

 陛下との面会は、よく行っているのでしょうか?」

 

「いや、正式な面会という意味では今回が初めてだ。

 陛下とは、そう太く繋がっているわけでは無い。

 そういうコネクションを私に期待しているなら、すまないが諦めてくれ」

 

「陛下と“つながる”!?」

 

 つい大声を出してしまうブラッドリー。

 思いがけぬ反応に、侯爵がたじろぐ。

 

「そ、そこ驚くところなのか?

 そもそも、私と陛下は繋がっていない、という話だぞ?」

 

「あ、ああ、陛下とエイル卿は繋がったことが無い(・・・・・・・・・)、と。

 安心いたしました」

 

「何に?」

 

 ナニにだろう?

 訝しむエイルに対しブラッドリーは咳払いを一つ挟んでから、、

 

「と、とにかく。

 近衛隊指揮の件、確かに拝命しました。

 一命にかえましても、必ずや吸血鬼の首をとってきてみせましょう」

 

「う、うん、宜しく頼む」

 

 多少怪しまれている感じもするが、どうにか誤魔化せたようだ。

 ブラッドリーは気分を一新させると、毅然とした態度で一礼してみせた。

 

「吸血鬼との戦いは明日の夜でしたね。

 時間はありませんので、早速近衛隊の兵達と顔を会わせておこうと思います。

 互いに面識があった方が、何かと指示を飛ばしやすいので」

 

「ああ、その辺りの判断は君に任せる。

 気負わせるつもりもないが、しっかりやってくれると有難い――何せ、王女が攫われれば、つまり吸血鬼との勝負に負ければ、私の身柄も奴に引き渡すという約束なのでね」

 

「え?」

 

 エイル侯爵が、笑顔でかなりとんでもない発言をしてきた。

 

「身柄を引き渡す?

 何故、そんな約定を?」

 

「シュタットの民を人質に取られ、仕方なく、な。

 まあ、“ウィンシュタットの領を頂く”としてしまうと余りに露骨過ぎるが故に、私の身柄の要求へ文面を変えたのだろう。

 だがこれは一方的に不利な条件という訳でもない。

 敵が私に多少なりとも執着しているのであれば、逆にそこを突いて相手の手を緩めさせることも――ブラッドリー卿、聞いているか?」

 

 勿論、聞いていなかった。

 

(この戦いに負ければ、エイル卿が吸血鬼のものに、だと?

 まさか吸血鬼の狙いは彼女の肢体だったのか!!!!)

 

 激しい怒りと共に、ブラッドリーの脳内で再度妄想が展開していった。

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

※以下、またしても脳内イメージにつき会話だけの描写となります。

 

吸血鬼(ブラッドリーの想像)「ぐぇ、へっへっへ。ようやくオレのモノになったなぁ、エイルぅ」

 

エイル「くっ、近寄るな、化け物!」

 

吸血鬼「そんなツンケンするなよ、エイルちゃん。

    オマエはもう、オレに逆らうことはできないんだぜ?」

 

エイル「あ、ああ――!?

    止めろ! そんな! 服を破くだなんて――!?」

 

吸血鬼「思った通り、イイ身体してんじゃねぇか!!

    コレをオレの好きにしていいと思うと――へへへ、涎が止まらねぇ!」

 

エイル「げ、下衆め!

    身体はオマエの手に下ろうとも、心までは決して屈さんぞ!」

 

吸血鬼「その気丈さ、いつまで持つかなぁ!?

    ひゃはははは、天国(エルシエロ)へ旅立たせてやるぜ!!」

 

エイル(昇天)「あ!? あはぁああああああああん♡」

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

「ぬがぁあああああああああああっ!!!!!

 許せん!!!!!」

 

「どうしたんだブラッドリー卿!?

 いや、私のことを心配してくれるのは嬉しいが、ちょっと激昂し過ぎだろう!?」

 

 自分で勝手にやった脳内妄想に、勝手に怒り出すブラッドリー。

 情緒不安定にもほどがある。

 

(おのれ吸血鬼!!

 最低のクソ野郎め!!)

 

 いや今のところ、最低なのは彼の方なのだが。

 

(あのエイル卿の肢体にむしゃぶりつこうというのか!!

 むっちりとした太ももに!!

 艶やかな曲線を描くお尻に!!

 そして未だ見ぬ胸の膨らみに!!

 ああああああああああああ!! なんてことだ!!

 くっそ羨まし――じゃなかった、けしからんことを企みやがって!!

 こうなれば俺自らの手でけちょんけちょんのギッタギタに――――――あ?)

 

 そこで彼の動きが止まった。

 妙に冷静な顔になって、エイル侯爵の方に向き直り、

 

「エイル卿」

 

「こ、今度は何だ?」

 

「唐突ですが、急ぎの用がありますので俺はここで失礼します」

 

「え?――あ、ああ、分かった」

 

「では」

 

 短いやり取りの後、踵を返し退室するブラッドリー。

 ……あのままその場に留まれば、我が身の“不様”を晒すところだったのだ。

 かといって、それを避けるため前屈み(・・・)の姿勢をとったならば、それはそれでエイル卿に対して失礼極まりない。

 ブラッドリーは、すぐに立ち去る以外に取る手が無かったのである。

 

(やらねばならないことは多く、それに割ける時間は少ない。

 だがまずは――)

 

 彼は気を鎮めるため、“一人きりになれる場所”を目指すのであった。

 ……大丈夫なのか、この男。

 

 何はともあれ。

 エイルの脅威となる存在は意外と身近にいるのかもしれない。

 

 

 



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⑧ 王女との一夜(前)

 

 

 慌ただしい一日が終わった。

 昨夜のドラキュラ伯爵襲来からこっち、ほぼ丸一日不眠不休で働いていたのだ。

 あちらに指示を出しこちらに指示を出し、ついでに色々承認もし。

 それらがようやく一段落し、自由時間と相成ったわけである。

 

 ちなみに、セシリアには色々と準備があるため先にデュライン砦へ入って貰っている。

 つまり、私はこの夜一人。

 明日は命を懸けた決戦だというのに、今日は寂しい夜を迎えてしまう――わけではない。

 

「ふっふっふっふ」

 

 思わず含み笑いが漏れる。

 今、私は屋敷の廊下を歩いていた。

 向かう先は“ディアナ王女の居る客室”だ。

 

 ブラッドリー卿も言ってたが、やはり吸血鬼退治を一方的に押し付けられて、はいそうですかで終わらせるのは流石に勿体ない。

 ここは一つ、報酬の“前払い”を頂いても罰は当たらないと思う訳で。

 そんなわけで、王女の部屋の前までやってきたわけである。

 夕飯をとってからまだ間がない。

 この時間ならまだ彼女も起きているはず。

 そう考えて、私はドアをノックする。

 

「はーい、どちら様?」

 

 すぐに王女の返事が来る。

 予想通り、まだ就寝には至っていないようだ。

 

「エイル・ウィンシュタットだよ、ディアナ王女」

 

「ああ、エイル卿?

 何の用かしら?」

 

「明日のことで話があってな。

 ……入ってもいいだろうか」

 

「うん、構わないわ。

 ちょっと待っててね」

 

 扉に近づく足音が部屋の中から聞こえてくる。

 少しして、ドアの鍵がかちゃりと開いた。

 

「こんばんは」

 

「ああ、こんばんは」

 

 扉が開いて出てきたのは、やはりというか当然というか、ディアナ王女。

 部屋着だからか、昨夜のパーティーで見たよりも大分シンプルな形の着物姿だ。

 シンプルというだけで生地は高級そうではあるが。

 ついでに言うと、薄着なせいで王女の肢体のラインが割と見て取れたりもする。

 ……どことは明言しないが、なかなか程良い感じな大きさだ。

 

「まさか立ち話するわけじゃないんでしょ?

 さ、入って入って」

 

「ではお言葉に甘えて」

 

 私が入り口をくぐろうとすると、ディアナ王女が手を握ってきた。

 そのまま彼女が主導する形で部屋の中へ入っていく。

 ……結構簡単にボディタッチを許すんだな。

 確かにフランクな女性のように見えたが、王女なのだからもう少しガードは固いと思ったのだが。

 

「さささ、座って座って」

 

「あ、ああ」

 

 半ば強引に促されるまま、腰を下ろす。

 ――ベッドの上に。

 

 ……おや?

 なんだか凄く自然な流れでベッドに座っているんだが、これはどういうことだろう?

 王女もまた、私のすぐ隣に腰を下ろしている。

 つまり私と彼女は今、一つのベッドの上に居るわけで。

 …………いいのか? 相手、仮にも王女なんだぞ?

 

「えーと、それで、なんの話?」

 

 ぐいっと私の方へ顔を近づけながら、ディアナ王女が聞いてくる。

 近いな。

 とても近い。

 私の方から寄っていけば、触れ合えてしまうではないか。

 内心のドギマギを抑えつつ、会話を続ける。

 

「まあ、そんな大層な話じゃない。

 明日の“戦い”についてだ」

 

「あー、やっぱり」

 

 すぐに納得してくれた。

 彼女からしてみれば、現状で私と話をする内容なんてそれ位しかないだろうけれども。

 

「単刀直入に言おう。

 ディアナ王女、明日は君にもデュライン砦へ来て貰いたい。

 王女である君が最前線に」

 

「うん、いいわよ」

 

「出るというのは納得いかないかもしれないが、安全策は十分に講じて――――って、いいの?」

 

 話の途中だというのにスパっと返答が来てしまった。

 王女であり、かつ吸血鬼のターゲットでもある彼女に砦へ向かわせるには、色々と説得が必要かと思っていたのだが。

 しかしディアナは軽く頷いて、

 

「貴女が必要だと判断したんでしょ?

 なら、あたしがそれを拒むわけにはいかないわよ。

 ……そもそも、根本的にあたしがこの騒動の原因なわけだしね。

 後ろに放っておかないでくれて、感謝したいくらい」

 

「……そうか」

 

 この子はこの子で、覚悟を決めているようだ。

 実に好ましい。

 もっとも、その覚悟が無駄に終わるよう、我々は全力を尽くすわけだが。

 

「で、あたしは砦で何をすればいいの?」

 

「囮だ。

 目標はここに居ると、吸血鬼にアピールして欲しい」

 

 今更取り繕うこともないだろうと考え、はっきり言ってしまう。

 

 ドラキュラ伯爵は魔物大群を引き連れてくるだろう。

 大してこちらの主力は、近衛兵1000人のみ。

 質はともかくとして、数の面では劣勢と見て間違いない。

 となると、なるべく敵には密集してくれた方が対処しやすい、らしい(ブラッドリー男爵談)。

 ディアナ王女には、そのための餌になって欲しいのである。

 

「ふーん?

 オッケー、任せて。

 きっちり吸血鬼共の注意を集めてやるわ」

 

「といっても、姿を見せるのは開戦前だけでいい。

 魔物が君めがけて攻めてきさえすれば、後はこちらで対処しよう」

 

 対処するのは私ではなくルカやブラッドリー男爵だが。

 さらに言えば、魔物が王女を狙って動いてくれるかどうかの保証は無いため、彼女の働きは無為に終わる可能性も高い。

 だがそれでも、彼女には砦に居て貰わなければならない。

 何故か?

 

 ディアナ王女には語っていない本音。

 正直なところ、私はクレアスを信用していない。

 もっとはっきり言えば、この動乱はクレアスとドラキュラ伯爵が共謀して起こしたものだと思っている。

 だからこそ、あの国の連中に“変な動き”をさせないため、王女を囲っておきたいのである。

 要するに、クレアス側への“人質”だ。

 ……まったくもって、本人にはとても言えた話では無い。

 

「貴女は?」

 

「ん?」

 

 唐突に、王女が尋ねてきた。

 

「貴女はどうするつもり?」

 

「どうするも何も――戦いは信頼できる部下達に任せてある。

 それに恥ずかしい話だが、戦闘は余り得意じゃないんだ。

 私が現場でできることなんて、たかが知れている」

 

「じゃあ――」

 

「ああ、だからせいぜい見物するくらいしかやることは無いな。

 戦いの前に兵達へ激励を飛ばす程度のことはするけれども」

 

「――え? アンタ、まさか戦場に出る気なの?」

 

 何故かディアナ王女は訝し気な顔をした。

 私は頭を振って、

 

「いや、戦場には出ないさ。

 せいぜい、砦に引きこもらせて貰う」

 

「別に砦へ来る必要もないでしょう?

 この街で戦果の報告を待ってればいいじゃない」

 

「……ディアナ王女」

 

 どうも、彼女は思い違いをしているようだ。

 

「吸血鬼との戦いは、私の独断なんだ。

 自分の都合で兵達を動かしておいて、当人は街でぬくぬくと過ごす――なんてわけにはいかない。

 それは責任放棄だ――少なくとも、私はそう考えている。

 あとまあ、一応はあの吸血鬼との“賭け”の件もあるしな」

 

 加えて、今回は近衛大隊の初陣でもある。

 下手を打って近衛兵達に舐めてかかられては、今後の活動に支障をきたすかもしれない。

 様々な理由により、私が後方で待機するわけにはいかないのだ。

 

「…………」

 

 一方、私の話を一通り聞いた王女は呆然としていた。

 何かあったのかと不思議に思っていると、居住まいを正し始める。

 

「エイル卿」

 

 そして畏まった声で、話しかけてきた。

 

「この度の救援、誠にありがとうございました。

 仮にも敵国に対し救いの手を伸ばす行為、本来であれば足蹴にされてもおかしくなかったでしょう。

 貴女程の“高貴さ(ノブレス・オブリージュ)”を持つ貴族を私は知りません。

 この地を治める領主が、貴女のような方で本当に良かった」

 

 深々とお辞儀をしてくる。

 その佇まいは正しく王女の風格を纏っていた。

 ……突然どうしたのだろうか?

 

 依然、変わらぬ態度で言葉を続ける。

 

「事ここに至り、クレアスは――少なくとも私は、貴女に対して誠心誠意をもって援助させて頂きます。

 私にできることであれば、どんなことであっても仰って下さい。

 必ずや実行し、貴女のお力になりましょう」

 

「急にそんなことを言われても――――ん?」

 

 今。

 なんでもするって――

 

「言ったわよ」

 

「おわ!?」

 

 いきなり元に戻らないで欲しい。

 あと人の思考を読むような真似は止めて欲しい。

 ちょっと心臓に悪いぞ。

 

「さっきのはまあ、おふざけが過ぎたかもしれないけど。

 エイル卿が望むなら何でも受け入れるっていうのは、本気の話よ。

 貴女がこの話を受けた時から、覚悟は決めてたし」

 

 軽い口調で重い話をしてくれる。

 とりあえず私は聞き返してみた。

 

「どんなことでも?」

 

「うん、どんなことでも」

 

 彼女がさらに近寄ってくる。

 最早ディアナ王女な私のすぐ隣。

 互いに脚が触れ合ってしまっている距離。

 ちょっとアレな言い方をすれば、ベッドの上で接触している状況である。

 

「…………」

 

 これは、アレか。

 アレなのか。

 これまでの人生経験を鑑みて言わせて貰えば。

 

 ――この女、ヤれる!

 

「んっ――」

 

 そう判断した次の瞬間、私はディアナ王女に口づけをしていた。

 

 

 



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⑨ 王女との一夜(後)(挿絵有り)

 

「…………」

「…………」

 

 口と口が触れ合ったまま、数秒。

 ディアナに拒む様子は一切なく、この行為を受け入れている。

 唇に、とても柔らかくて暖かい感触が広がった。

 

 ……そして私は、ゆっくりと彼女から離れる。

 

「良かったのか?」

 

「なんでもするって言ったでしょ」

 

 今更な私の質問に、にこやかな笑顔で答える王女。

 なんというか、凄く魅力的な表情だった。

 思わず、このまま押し倒したくなる程に。

 彼女はその笑顔のままに言葉を紡ぐ。

 

「で、どうするの?

 “続き”、する?」

 

「……王女がそんな積極的でいいのだろうか?」

 

「始めたのは貴女じゃない。

 それに――あたしの身体で、ヴァルファス帝国の力が借りれるなら、安いもんだわ。

 あ、でも勘違いしないでね。

 そういう理由があったとしても、気に入った相手でなければ、こんなことしないんだから」

 

 言いながら、ディアナ王女は顔を赤くする。

 むう、そういう反応をされると――嫌が応にも、その気になってしまうではないか。

 いや、元から“そのつもり”でここに来たわけではあるが。

 多少の打算こそあれ、彼女が私に好意を抱いてくれているのは事実らしい。

 

「――ディアナ王女」

 

「こういう時に、王女は止めなさいよ。

 雰囲気、台無しよ?」

 

「それは失礼。

 では、ディアナ――」

 

「エイル――」

 

 彼女もまた、私を呼び捨てにした。

 まるで恋人同士のようだ。

 そして互いに抱き合い、まるで恋人のようにキスを交わした。

 

「――んっ」

 

 ディアナの甘い吐息が頬をくすぐる。

 私はそのまま舌を伸ばし、彼女の口の中に挿し入れる。

 

「――んっ――ん、んんっ――ふぅっ――ん、ん――」

 

 2人のベロを絡み合う。

 繊細な舌触り。

 目の前には美しい双眸。

 腕には華奢な肢体の感覚。

 感覚の全てで、ディアナを堪能する。

 

「――ん、ふ」

 

 再び、口を離す。

 彼女の瞳は、艶やかに潤んでいた。

 

「――意外に、手慣れてるのね。

 “こういうの”、結構好きだったりする?」

 

「嫌いな奴なんて居ないだろう」

 

 真っ当な男性であれば、彼女を抱くことに嫌悪感を示しはしない。

 ……いや、“以前の人生”の私であったなら、こんな美人を抱くことに怖気づいてしまったかもしれないが。

 

「君の方こそどうなんだ?

 実は経験があったりするのか?」

 

「失礼ね、流石にあたしは初めてよ。

 ――ま、こういうことに興味が無かったわけじゃないんだけど」

 

「それもそうか」

 

 私のように、気に入った相手へ片っ端から手を出すような真似、したくてもできないだろう。

 いや、あくまで私の主観だが、そもそもディアナの貞操観念は決して低くはないようにも見える。

 私相手だからこそ、彼女は身体を許してくれたのではないか、と。

 男の身勝手な妄想と言われればそれまでだけれども。

 ……うん、今考える事でもないな。

 

 さくっと頭を切り替え。

 本格的にディアナを抱くため、私はささっと上着を脱ぎだした――ところで。

 

「待って待って。

 あたしが脱がしてあげる」

 

「え?」

 

 王女から待ったがかかる。

 おやおや、王女様がそんなことまでしてくれるのか。

 せっかくの申し出だ、断る理由もない。

 

「ではお言葉に甘えて」

 

「うんうん、お姉さんに任せなさい」

 

「……お姉さん?」

 

 確かに、聞いたところによれば彼女の方が1つ年上だけれども。

 

「あ、なんならお姉さまでもいいわよ」

 

「――ど、どうしたんだ、いきなり?」

 

 最初からフランクな女性ではあったが、馴れ馴れし過ぎやしないだろうか?

 これではまるで同性同士(・・・・)でやり取りしてるようだ。

 ……まあ、これから行うことを考えれば、これ位親身な接し方をしてくれた方が緊張はしなくて済むか。

 

「ふーん、ふふーん♪」

 

 鼻歌を口ずさみながら、テキパキ服を脱がしてくれるディアナ。

 自分で了承しておいてなんだが、なかなか恥ずかしいな、コレ。

 

「はーい、次は手をあげましょうねー♪」

 

 ……君は私のお母さんか。

 何はともあれ、私の“支度”が済んだところで――

 

「あ、やっぱりちっちゃい」

 

「ぐはぁっ!?」

 

 ――クリティカルヒットが飛んできた。

 

 いきなりか!?

 いきなりそんなこと言うのか!?

 ていうか、にこやかな顔して言う台詞じゃないだろ、それ!!

 

 身体が崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、ついでに表情が引き攣るのもなんとか堪え、反論する。

 

「ふ、普通サイズぐらいはあるわぁ!」

 

 はず。

 たぶん。

 

「えー、流石にソレで普通ってのは無理があるんじゃない?

 あたしも別に色々見たことがあるわけじゃないけど、ぶっちゃけ貴女ぺったんこじゃないの」

 

「ぺぺぺぺ、ぺったんこぉ!!?」

 

 屈辱!!

 これ以上ない程に侮辱された!!!

 ぺったんこって!!

 “短い”とか“細い”とか以前の形容詞!!

 ここまで酷い侮蔑の言葉ってあるのか!!?

 さっきまでの良いムードはいったいなんだったんだ!!

 

「あ、ごめんね、傷ついちゃった?

 別に貶してるわけじゃないのよ?

 ほら、確かに貴女のはちっちゃいけど、色は綺麗だし」

 

「そんなとって付けたような慰め、いらんわ!!」

 

 なんだ、色が綺麗って!?

 お世辞にしたってもっといい言葉があるだろう!?

 

「くっそ! 頭来た!!

 無茶苦茶にしてやる!!」

 

 初めてと聞いたからなるべく丁寧にリードしようとか思っていたが、そんな気持ちは霧散した。

 泣いて謝っても許してやらないからな!?

 

「ごめんごめん、そんな怒らないで――って、きゃっ!?」

 

 未だ私の怒りを理解していないディアナを無理やりベッドに引きずり倒した。

 勢いで上着をはだくと、美しい2つの丘とご対面する。

 その内の一つをがっしと掴み、彼女の上にのしかかった。

 

「……エイル」

 

「んん?」

 

 この状況に至り、流石にディアナも不安そうな表情を浮かべだす。

 

「お、お姉さん、ちゃんと優しくして欲しいなーって♪」

 

「……今更遅い!!」

 

「きゃー!?」

 

 可愛らしく悲鳴を上げる彼女へと、私は襲いかかった!

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 その後、色々あって。

 

「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ーーー!!!

 アンタ、男じゃないのーーーー!!!!」

 

 現在、ベッドの上でディアナがわんわんと喚いていた。

 私はと言うと、泣きじゃくる彼女への対処法が分からず途方に暮れている。

 

「女の子だと思ったのに!!

 綺麗な女の子と禁断の花園を駆け抜けられると思ったのに!!

 男なら男ってちゃんと言いなさいよー!!」

 

「しっかりと言っただろう、最初に」

 

「その顔で男って言われても信じられないわよ!!」

 

「どうしろと言うんだ……」

 

 気が動転しているせいか、会話に脈絡が無い。

 こうなるともうお手上げだ。

 もう白旗を上げたくなるが、このままでは収集がつかないので、もうしばし様子を見守ってみる。

 

「うううう……あー、どうしよ。

 こんなとこで“初めて”が無くなっちゃうだなんて……」

 

 時間経過で多少クールダウンしたのか、喚き散らすのは止めたようだ。

 その代わり、今度は思い切り落ち込みだした。

 

「深刻そうにしているけれど、君、終始ノリノリだったじゃないか」

 

「や、それはまあその――案外、悪くなかったというか」

 

 そっぽ向いて、そう零すディアナ。

 だったら別にいいじゃないか、とまでは流石に言い出せないけれども。

 

「あーあ、麗しき百合園の入り口がとうとうあたしの目の前に現れたと思ったのに……」

 

 意味の分からない言葉がぶつぶつと呟かれる。

 ……そっちの“気”があったのか、この王女。

 だからといって、私を女だと勘違いするのは如何なものか。

 ちょっと思考を暴走させ過ぎである。

 おかげで良い思いもできたわけだが。

 

「……あっ」

 

 しばらく愚痴を垂れ流した後、はっとした様子でディアナは顔を上げた。

 

「そういえば、アシュフィールド家の子も“公子”って呼ばれてたような……?

 ま、まさかアイツも!?」

 

「ああ、ルカは男だぞ」

 

「うっそーー!

 どうなってんのよ帝国は!?

 全人類男の娘化計画とか遂行してるんじゃないでしょうね!!」

 

「なんだその計画」

 

「あたしが知るわけ無いでしょ!?」

 

「――理不尽な」

 

 とはいえ、口調から大分落ち着いてきたことが見て取れる。

 ディアナはパンパンっと自ら頬を叩くと、

 

「うん、もういいわ、もう大丈夫。

 過ぎたことを悔やんでも仕方ないし。

 帝国の変な生態系にも、文句は言いませんとも。

 取り返しのつかないことにはなっちゃったけど――」

 

 ここで意味ありげに私を見つめる。

 

「――まさかエイル。

 貴方、人の純潔を奪っておいて責任を取らない――なんてことはしないでしょうね?」

 

「そんなわけ無いだろう。

 男としての責任はしっかり果たすつもりだ」

 

「大変よろしい」

 

 彼女は鷹揚に頷いてから、

 

「ディアナ・ウィンシュタット――か。

 ……うん、まあまあ良い響きなんじゃない?」

 

 満足げに微笑みながら、そう呟く。

 その顔は、やはり魅力的なのだった――が。

 

「……むぅ」

 

 こっそりため息をつく。

 

 困ったな。

 当人はしっかり“その気”のようだが、第一夫人の座はセシリアのものと決めているのだ(本人未承認)。

 なんとか――なんとかせねば。

 

「あ、ところでエイル。

 貴方に付いてた銀髪のメイドまで男だったりは――」

 

「安心しろ、セシリアは女性だ」

 

「よ、よかったー!!

 ……話変わるんだけど、あたしが夫人となった暁には、あの子を専属のお付きにして欲しいかなー、なんて。

 いや別にやましいことなんて全然全く考えてないんだけどね?

 もうめっちゃくちゃ大事にするし。

 寧ろあたしが面倒を見てしまいたいくらいに」

 

「…………」

 

 ――なんとかせねば。

 

 

 

 



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⑩ ドラキュラの侵攻▼

 

 

 デュライン砦。

 ヴァルファス帝国とクレアス王国との国境――その山間に造られた巨大かつ堅牢な砦である。

 攻めるに難く、守るに易い、理想的な立地といえる。

 

「もっともそれは、人の軍隊であれば、だ」

 

 そう呟くは、血色の悪い白い肌と口元から覗かせる鋭い犬歯が特徴的な一人の男性。

 即ち、ドラキュラ伯爵。

 

「多くの魔物にとって山の斜面や草木の障害など有ってなきがごとし。

 フフ、これは失策ではないかな、ウィンシュタット卿?」

 

 ニヤリとほくそ笑む。

 その顔は、己の有利を確信していた。

 

「とはいえ――仮に想定通り地の利が働いたとしても、我が“軍隊”に抗すのは難しいと思うがね」

 

 そう言って、伯爵は周囲を見回す。

 そこには――木々の狭間に、岩の陰に、空の暗闇に――多くの魔物達が蠢いていた。

 ドラキュラの血から生み出された――かつて彼が取り込んだ(・・・・・)存在。

 そんな化け物どもがずらりと並び、砦を囲むように配置されている。

 ざっとその数、一万は下らない(・・・・・・・)

 

「対するは――ふむ、少々物足りないな」

 

 遠く、デュライン砦を観察する。

 人外の瞳は、彼我の距離も、闇夜の妨げも無視して、鮮明に“敵影”を捕らえた。

 

「数は千程度、一個大隊といったところか。

 見たところ練度は悪く無いし装備もなかなかの上物だが――数不足は如何ともしがたい」

 

 大規模な戦闘において、数はそのまま力となる。

 個の武力など、このような場ではさして影響力は無いのだ。

 

「しかも、騎兵が一人もいないとは」

 

 単純な移動速度という点において、魔物は人よりも優れている。

 人はただの獣にすら徒競走で勝てないのだから。

 故に、機動力のある騎士隊を用意しておくことは必須である。

 山に挟まれた土地とはいえ、打って出ることを想定してか砦周りは地ならしされ広い平地となっている。

 馬は十分に活用できることだろう。

 ……だというのに、騎馬の姿はどこにも見えなかった。

 

「ふぅむ、まさかとは思うが、ワタシは甘く見られているのかな?」

 

 肩を竦める。

 軽い失望感。

 好敵手と巡り会えたと思ったが、自分の過大評価だったのだろうか?

 

「それとも、ウィンシュタット卿は戦がお得意で無かったか」

 

 考えても詮無きことだ。

 自分がかの侯爵を気に入ってしまったのも事実。

 労無く身柄が手に入るのであれば、それに越したことも無い。

 

「……さて、そろそろ刻限だ」

 

 約束の午前零時が近づいていた。

 戦いまであと僅か。

 

「姫が砦に居ることも先刻確認済み。

 となれば――つまらないが、このまま突貫するが最善か」

 

 まあ、伯爵が率いる魔物達には複雑な作戦行動など期待できないため、元より取れる手は少ない。

 

「いずれ知恵ある魔物も配下に加えたいところだな」

 

 今後の課題を口にしてから、ドラキュラは軽く手を上げる。

 その腕を振り下ろしつつ、叫んだ。

 

「――“征け”!!」

 

 その号令を合図として。

 万の大群が、一斉に砦へと殺到する。

 

 

 

 

 

 

 地を駆ける。

 空を滑空する。

 戦場へと馳せ参じる。

 伯爵はこの戦い、悠然と見物するつもりは毛頭なかった。

 己自身も出向き、一気に勝敗を決すつもりだ。

 

 

「来たぞぉっ!!」

 

 

 遠くから、物見の声。

 自分達の存在に気付いたようだ。

 まだ砦とは距離がある。

 有能な見張りが置かれていたらしい。

 

「……むっ」

 

 小さく声を漏らす。

 砦のあちらこちらに、光が灯された。

 ただの光では無い、砦周辺をくまなく照らし出す程に強力な光だ。

 例えるなら『スポットライト』のような輝き。

 松明やランプによるものではないだろう。

 おそらく、魔法による照明だ。

 

「ひょっとして、あの侍女かな?」

 

 先日自分と対峙したメイドの姿が胸中に浮かぶ。

 あれ程強力な魔法の使い手であれば、この所業もやってのけるだろう。

 

「どちらにせよ、これで闇夜による自軍の有利は無くなったか」

 

 魔物のほとんどが、闇の中でも物を見通せるのである。

 しかし、コレに関しては当然対策してくるものと想定していた。

 闇夜に乗じての不意打ちなど、毛頭考えていない。

 

「正面から、叩き潰してあげよう」

 

 そう宣言して、速度を上げる。

 デュライン砦はもう目の先だ。

 敵軍からも、魔物の姿は既にはっきりと見えていることだろう。

 その証拠に待ち構える兵達は皆武器を構えている。

 

「……我が軍の“数”を見て誰も怯まないか。

 その忠誠心、見事だ。

 ――同情を禁じ得ないよ」

 

 下手をすれば、一気に砦まで打ち壊しかねない程の勢いで魔物達は進軍している。

 果たして彼らは、こちらの初撃に耐えられるのだろうか?

 そんな、余計な心配まで湧いてくる。

 

「……む?」

 

 その時、あることに気付いた。

 砦の前を固める兵達が、皆一様に同じ姿勢をとっていた。

 全員が、武器を高く掲げている(・・・・・・・・・・)のだ。

 

「あれは――?」

 

 胸騒ぎがする。

 アレと同じモノを、伯爵はつい最近目にしていた。

 

「いや、まさか」

 

 頭を振って不安を払拭する。

 そんなわけが無い。

 アレは、一端の兵ができる芸当ではない。

 かの公子だからこそ行えた(わざ)のはずだ。

 いや仮に可能だとしても、あの魔法を使える兵をこれだけ集めるなど――

 

 ……果たして。

 伯爵の予感は的中する。

 ウィンシュタットの兵達は、異口同音に“ある言葉”を叫んだのだ。

 

「「「――<覚醒せよ、我が魂(ウェイク・アップ)>!!!!」」」

 

 千人の兵全て(・・・・・・)が、淡い光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

「…………嘘だろう?」

 

 目前で広がる光景に、ドラキュラは絶句していた。

 蹴散らされている。

 蹴散らされている。

 万に届く魔物の大群が、千人程度の人の部隊に。

 

 

 

 ある兵士が、大剣で魔物を一刀両断した。

 返す刀で、もう一匹も斬り伏せる。

 

 ある兵士が、槍で魔物の腹を貫いた。

 そのまま突進し、並み居る怪物共を吹き飛ばしていく。

 

 ある兵士が、斧を投げた。

 回転する刃が空を飛ぶ魔物達を次々に撃墜する。

 

 ある兵士にいたっては、武器すら使っていなかった。

 拳で魔物を砕き、足刀で魔物を切り裂き、後ろから近寄った魔物は背負って投げた。

 

 

 

「ハハ、ハハハ」

 

 思わず渇いた笑いが零れる。

 何だこれは。

 どうなっているんだ。

 一人一人の兵士が、魔物を数匹分に匹敵する戦力を有していた。

 

 逆だ。

 逆のはずだ。

 本来、魔物は幾人もの兵士に立ち向かわれる存在なのだ。

 幾匹もの魔物が一人の兵士に挑む状況など、完全に立場が入れ替わっている。

 

「……超人兵団」

 

 ある単語が声に出る。

 そういえば、聞いたことがあった。

 ヴァルファス帝国の軍は超人の集団である、と。

 一騎当千の強者共が、軍を成して襲ってくるのだと。

 

「尾ひれのついた話だとばかり思っていたが……」

 

 こうなると信じざるを得ない。

 噂は真実だったのだ。

 ヴァルファス帝国は、“超人”のみで形成された軍隊を保有している!

 

「よくクレアスはこんな軍隊と戦えていたものだ……」

 

 そんな考えまで頭に過ぎってしまう。

 戦いを傍観している間にも、じわじわとだが確実に魔物の数は減っていく。

 

 当然だ。

 ウィンシュタットの兵士達は、個々の武力で魔物を凌駕しながら、その上仲間達と連携をとって戦いに臨んでいた。

 騎馬が用意されていなかったのもこうなれば頷ける。

 馬より速く走れる人間(・・・・・・・・・・)に馬は必要ない。

 自分の足で駆けた方が、より精密に陣を調整できるのだから。

 

 一方、魔物には互いに協力し合うという意識は無い。

 ただただ正面からぶつかるのみだ。

 ……魔物達が勝てる道理等無かった。

 

「いや――負ける、のか? ワタシが?」

 

 敗北。

 その二文字を嫌が応にも意識する。

 数多の魔物を率いるドラキュラ伯爵が、人に負ける。

 近代兵器で武装した軍隊ではなく、原始的な武器しか持たぬ戦士達に。

 だが、ウィンシュタットの兵が己の軍に勝っているのは最早疑いようもなかった。

 

「ハ、ハハハ、ハハ――」

 

 呆然としたまま、笑いだす伯爵。

 先程まで力強く大地を駆けていた脚は止まり、腕は力なく垂れる。

 俯き、瞳を静かに閉じると――

 

「――素晴らしい!!」

 

 その言葉と共に、見開いた。

 いつの間にか、手は力強く握られている。

 

「これだ!!

 これでこそだ!!

 このような相手こそ、我が敵に相応しい!!!」

 

 諦観?

 否、己に訪れる感情は歓喜である。

 伯爵は久方ぶりに出会えた強敵を前にして、自分でも不思議に思う程の高揚感を得ていた。

 

「挑戦者の立場になるなど、果たしていつ以来だ!?

 ヴァン・ヘルシングに敗れた時――いや、オスマン帝国との戦争かな!?

 いや全く、大したものだ、ウィンシュタット卿!」

 

 高らかに笑う。

 おそらくは侯爵がいるのであろう砦を睨み付け、

 

「強いのは君だ。

 だが――勝利は、私が頂く」

 

 自らの腕を傷つける。

 皮膚から血が滴り落ち――その血が、新たな魔物へ変貌した。

 骨だけで組上げられた“馬”、スケルトンホースだ。

 伯爵は声無く(いなな)く馬へと跨ると、同じ血で作り上げた『馬上槍』を構え、

 

「いざ、往かん!!」

 

 馬の魔物へ指示を飛ばし、矢のような速度で駆けだした。

 狙いは、砦の中枢。

 他には目もくれず、目的の場所へと一直線に向かっていく。

 

「おおおおおおっ!!!!」

 

 自然、雄叫びが上がる。

 人と魔物が戦う中を、一騎は走り抜けた。

 無論、ただで通してくれるはずが無い。

 吸血鬼の存在に気付いた兵士達が、次々と伯爵へ肉薄していくる。

 

「ぬぅんっ!!」

 

 ドラキュラは馬上槍を操り、彼等を退けていった。

 迎撃が間に合わぬのなら、馬の高速機動で回避する。

 さしもの超人兵達も、魔物でも最上位の速度を誇るスケルトンホースには追い付けないようだ。

 さらには魔物達を使って道を無理やりこじ開けさせる。

 持てる全てを使い、伯爵は砦へと突貫した。

 

 ――しかし。

 

「むっ!?」

 

 突如、真横から強力な一撃。

 槍で受け止めるも、危うく衝撃で身が崩れそうになる。

 どうにかバランスを保ち、襲い来た相手を見やれば――

 

「お前がドラキュラだな?

 我が名はブラッドリー・ラジィル男爵!

 我が主エイル侯爵のため、貴様を討たせて貰う!」

 

 ――青年が一人、こちらを睨み付けていた。

 得物はこちらと同じ、馬上槍。

 その身に“光”を纏っていることから、彼もまた魔法によって強化されているのだろう。

 

 だがこの青年に関して特筆すべきはそこではない。

 彼は“馬”に乗っているのだ。

 馬上槍を持っているのだから当たり前といえばそうなのだが、騎馬の居ないこの戦場では異質に映る。

 その上、彼の乗馬はただ馬では無いのだ。

 

「……正気か?」

 

 今宵、幾度目になるか分からぬ驚きの声。

 ウィンシュタット軍の“非常識さ”は痛い程理解したつもりだったが、まだ足りなかったようだ。

 ブラッドリーと名乗ったこの青年が乗っているのは、“双角馬バイコーン”だったのである。

 

 バイコーン。

 二つの角を持つ馬をそう呼ぶ。

 地上を“時速数百km”で走破する怪物馬だ。

 学術上は“動物”であるのだが、性格は獰猛であり、しかも肉食なため、基本的に魔物扱いされている生物だ。

 当然のことながら、乗馬用になど使えない。

 上に乗ろうものなら、たちまち喰い殺されてしまうだろう。

 

 ――そんな曰くつきの“(魔物)”を、彼は乗りこなしていた。

 

「ハハハハっ!!

 我が愛馬に恐れをなしたか、ドラキュラ!?」

 

 こちらの沈黙を見て、目の前の騎兵――ブラッドリー男爵は嘲笑した。

 そうまでされて、黙っているわけにはいかない。

 

「ふっ、まさか!

 そのような“扱い辛い馬”に乗るキミの酔狂っぷりに、呆れていたのだよ!」

 

「酔狂? 違うね!

 これ程の兵達を率いるには、相応の気概が必要なのさ!!」

 

「……ほほう。

 愚かだな、自らそんなことを宣うとは」

 

 なるほど、確かに大した覇気を放っている。

 その“凄み”だけなら、先日相対した公子や侍女を超えていた。

 いや、実力の方も伯仲しているのだろう。

 バイコーンを乗りこなすだけでなく、長さ3mを超える巨大な馬上槍を片手で軽々と扱っているのだから。

 

「……全く、良い駒を揃えているものだ」

 

 思わず零してしまう。

 無論、誰にも聞こえぬように、だが。

 

「さて、態々大将首が自ら御足労願えたとは僥倖だ。

 名乗りまで上げておいて、よもや逃げることなどあるまいね?」

 

「ありえないな。

 お前の方こそ、臆病風吹かせて敵前逃亡などしてくれるなよ」

 

「それこそありえない。

 こちらにもプライドというものがある」

 

 舌戦を行いつつも、互いに槍を構える。

 周囲には兵士も魔物も入り乱れていたが――それぞれの将の意向を慮ってのことだろう、この一騎討ちを邪魔しようとするものは誰もいなかった。

 

 

 巨大な槍同士がぶつかり合う音が戦場に響く。

 2匹の怪馬が人外の軌道を描き戦場を疾走する。

 そんな二騎に呼応するかのように戦いは苛烈さを増した。

 

 ――終わる気配はまだ、無い。

 

 

 



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⑪ 公子の戦い▼

 砦の“外”で行われる戦いは――戦争と言い換えても良い規模のそれは――依然と続いていた。

 人と魔物が交じり合い、激戦が繰り広げられている。

 ひと際目を惹くのは、骨でできた馬に乗った吸血鬼と、二本角の馬に乗った騎士との戦いだ。

 戦場を所狭しと駆け巡りながら、火花を散らしている。

 

「……名乗るだけじゃあった。

 “ワタシ”相手にあれだけやるとは、なかなかの腕だ――ブラッドリー男爵」

 

 そんな2人を見やりながらそう呟くは“ドラキュラ伯爵”。

 そう、ドラキュラだ。

 ブラッドリー男爵と切り結んでいる吸血鬼に瓜二つな男が、砦の屋根の上に立っていた。

 

「だがすまないね、ワタシとしても優先順位を変えるわけにはいかないのだ。

 キミ達はしばらくその『人形』相手に踊っていてくれたまえ」

 

 多少の申し訳なさを滲ませた表情を作り、軽く肩を竦める伯爵。

 つまりこういうことだ。

 ドラキュラ伯爵は、自らの血から魔物を生み出す力を応用して、『自分と全く同じ外見の魔物』を作り出していた。

 ブラッドリー率いる近衛大隊が戦っているのは、偽物なわけである。

 

「さて、ではこの間に目的を遂げさせて貰おうか」

 

 そう言うと、ドラキュラはデュライン砦の中庭へと降り立った。

 そのまま、落ち着いた足取りで砦の本棟である建物へ向かっていく。

 ちょうど、自分が待ち構えている(・・・・・・・・・・)方へと。

 

「やぁ、ドラキュラくん」

 

「!?」

 

 十分に近づいてきたので、声をかけた。

 驚愕に満ちた“奴”の顔を見るに、“自分”がここにいることは予想できていなかったようだ。

 ドラキュラが叫ぶ。

 

「ルカ公子!?

 馬鹿な!! 何故ここに!!?」

 

「お前の考えていることなんて、全部お見通しってわけさ。

 ま、所詮は魔物の浅知恵ってやつだね」

 

 澄ました顔でそう答えると、“ルカ・アシュフィールド”は軽く髪をかき上げた。

 シルクのように滑らかなブロンズヘアが、その仕草に合わせてゆったりと波打った。

 

(本当にエイルの読み通りになったな)

 

 そして内心で舌を巻いた。

 エイルから話を振られた時には、いくら何でも用心に過ぎると思っていたのだが、こうもズバリ当たってしまうとは。

 さらに彼は“パーティー会場に現れた吸血鬼も偽物”と断じていた。

 だからこそ民衆を人質に取られた際、素直にドラキュラの提案に乗ったのだと。

 

(……この分だと、それも当たりだったのかも)

 

 よくよく頭の回る友人だった。

 味方にしてこれ程頼りになる奴はそう居ない。

 

「ま、そういう訳でチェックメイトさ、吸血鬼。

 色々策を弄してくれたけど、最後に勝つのは僕達だったわけだ」

 

「チェックメイト?

 ハハハ、それはどうかな」

 

 未だ不敵な笑いを浮かべるドラキュラ。

 この状況に至ってなお、余裕が崩れていない。

 

「諦めが悪いな――って何だそれ!?」

 

 吸血鬼の身体が膨れ上がる。

 ……いや、違う。

 膨れたように見えただけだ。

 

「まだ魔物を生み出せるのか!?」

 

 ドラキュラは、またもや魔物を“生産”し始めたのである。

 1匹2匹という単位ではない。

 数十――いや、数百――下手をすれば、千――?

 

「……マジ?」

 

 瞬く間に、中庭は魔物で埋め尽くされた。

 吸血鬼の血肉で組み立てられた、おぞましい形状の化け物が目の前でひしめき合っている。

 一万に及ぶ(むれ)を引き連れながら、まだこれだけの数を揃えられるとは。

 

(まさか無限に湧き続けるってことはないよな?)

 

 そんな嫌な考えまで思い浮かんでしまう。

 対して、吸血鬼は優し気に微笑んできた。

 

「――公子。

 キミの強さは嫌という程理解している。

 まともに正面から戦ってどうにかできるとは思っていないよ。

 だから、こうして“対策”を用意していたわけだ」

 

 吸血鬼の笑みが深くなる。

 口元には、尖った牙が顔を覗かせていた。

 

「先程驚いたのはね。

 まさかキミがこんな“都合の良い場所”に居てくれるとは思わなかったからさ。

 キミはディアナ王女かエイル侯爵の傍に控えているものとばかり考えていた」

 

 両手を軽く広げ、困ったようなポーズをとる。

 

「狭い場所で迎え撃たれると、“数で押す戦略”が使いにくくなってしまうのでね――どうしたものか、頭を悩ませていたんだ。

 だが、キミがここで待ち構えてくれていたのなら、その必要は無かったな。

 これだけ開けた場所でならば、存分に数の暴力がその効果を発揮してくれる」

 

 こちらの戦意を挫くためだろう。

 やたらと丁寧に解説してくれる。

 ルカは大きく息を吐くと、

 

「……それで?」

 

「む」

 

 こちらの表情に何かを察したのか、ドラキュラが笑みを消した。

 そんな彼へ、ルカは語りかけた。

 今度はこちらが不敵な笑みを浮かべる番だ。

 

安心したよ(・・・・・)

 満を持して披露してきた策が、こんな力業だったとはね。

 これなら、なんの問題ない」

 

「ハッタリ――ではないのだろうな。

 信じがたいが、君は我々に抗し切る“策”を持っているというのか?」

 

「策? そんなものないさ。

 いや、必要ない――と言った方が正しいかな。

 ふふん、どうせならその倍は魔物を用意すべきだったね。

 この程度(・・・・)で、僕に勝つことなどできない」

 

「……言ってくれたな、公子」

 

 吸血鬼の瞳が鋭く光る。

 先日の邂逅では見せなかった、“本気の目”だ。

 

「そこまで言うならば見せて貰おう。

 千の大群を問題にしないという、君の強さを!」

 

「言われなくとも見せてやるさ!」

 

 目の前に蠢く怪物達が一斉に殺気だつ。

 しかしその膨大な殺意を、ルカは一顧だにしなかった。

 

(この“場所”が有利なのは、お前だけじゃないんだよ)

 

 胸中で囁く。

 今の状況はルカにとっても望ましい代物であったのだ。

 中庭の広さ、ではない。

 地形でもない。

 ルカ以外に仲間が一人もいない(・・・・・・・・・)という、この状況だ。

 ここでなら、“アレ”が使える。

 

(例え親友相手であっても、見せられない技(・・・・・・・)があるのさ)

 

 アシュフィールド家の秘奥。

 血統によって受け継がれる、その血に連なる者にのみ許された御業。

 門外不出であり、余人に見せる事を固く禁じられた絶技。

 

「……行くぞ」

 

 ぽつりと呟き、瞳を閉じて神経を集中。

 手で素早く印を組み、記憶の海から“術式”を浮かび上がらせる。

 そして、“呪文”と共に式を完成させ、そこへ魔力を走らせた!

 

「――<鎮まれ、我が世界(クロック・アップ)>」

 

 途端、視界から色が消える。

 音が消える。

 動きも消えた(・・・・・・)

 

 ルカの目に映るのは、何もかもが“止まった”世界。

 即ち――今、彼は時を止めた(・・・・・)

 

(正確に言うと、時が止まったのと錯覚できる程、自分の時流を加速させてるってことらしいけど)

 

 実のところ詳しいことはルカも分かっていない。

 ただ、この静止した“時”の中、自分だけが自由に動くことができる、ということは理解している。

 

「僕がコレを使うと決心した時点で、お前は負けてたのさ、ドラキュラ」

 

 最早聞く者のいない台詞を零し、ルカはサーベルを抜く。

 たった一人によって行われる、“一方的な虐殺”の幕が開ける。

 

 

 

 

 

「――――あ?」

 

 ドラキュラが遺したのは、ただその一言のみであった。

 それはそうだ。

 正真正銘、再生など不可能な程に身体を微塵に斬ったのだから。

 本来であれば、声を出すことすら不可能な状態のはずなのだが、

 

(時間止めてると、斬っても刺してもピクリとも動かないんだよなー)

 

 例え粉々になるまで切刻んだとしても、魔法を解除するまでは原型を保っている、というわけだ。

 しかし、一度動き出してしまえばその崩壊を妨げることはできない。

 吸血鬼は――お供の魔物も含めて――正真正銘五体がバラバラになりながら崩れていく。

 

「ふぅ、終わった終わった!」

 

 全て見届けてから、一つ大きく伸びをする。

 戦いの時間は実質1秒にも満たないのだが、その中でルカは千匹の魔物を斬っているのだ。

 それは疲れもする。

 

「しかし、最後は呆気なかったなぁ」

 

 “時流操作”の魔法を使った以上、そうなるのは仕方ない。

 この技の前に、敵は抵抗することすらできないのだから。

 

「――ああいや、まあ、一部例外は居るんだけども」

 

 唐突にルカの脳内へその“例外”な人達の顔がフラッシュバックしたため、慌てて頭を振る。

 

「……あ、れ?」

 

 その勢いで、脚がもつれてしまった。

 倒れないよう踏ん張ろうとするが力が入らず、その場に尻もちをついてしまう。

 同時に、彼の身体に猛烈な疲労が襲ってくる。

 

「あー、早速反動が来たかー」

 

 ルカはその現象を諦観と共に受け入れた。

 時流操作魔法は、行使と維持に莫大な魔力と集中力を要する。

 絶大な効果を生むためには、絶大な代償が不可欠なのだ。

 その結果、この魔法を使うとルカは一両日近く強制的に睡眠状態へ入ってしまう。

 無論、寝ている間は完全に無防備となってしまい――それもあって、時流操作魔法はなかなか使いどころに困る代物でもあるのだった。

 

「目が覚めたら、ふかふかのベッドへ運ばれていることを所望する。

 エイルが添い寝したりしてくれてれば完璧」

 

 瞼が重くなる中、そんな無茶を口にした。

 いや、自分はこの戦い一番の功労者なわけで、それ位の恩恵は受けてもいいのでなかろうか。

 

「魔物の死体に囲まれて寝る、てのはぞっとしないけれども――ん?」

 

 最後に自らの戦果を確認しようとして、あることに気付く。

 ドラキュラの(・・・・・・)死体が無い(・・・・・)

 通常、吸血鬼は死ねば灰となるのだが、その痕跡がどこにも無かった。

 

「まさか――」

 

 その事実から導き出せる結論は一つ。

 

「――こいつも“人形”だったのかよ!?」

 

 ドラキュラが作り出した偽物は2匹居たのだ。

 一匹は砦の外で近衛軍と戦っており。

 もう一匹はたった今ルカによって倒された。

 

「ど、どんだけ用心深いんだ、あの野郎」

 

 つまりルカもまた、吸血鬼の陽動に引っかかってしまったというわけである。

 本物はどこに居るのか?

 戦場を遠くから眺めているのか、それとも既に砦内へ侵入しているのか。

 

「……後者、だよなぁ、絶対」

 

 前者は、余りにも希望的観測に過ぎる。

 早くこの事を伝えなければならない、のだが。

 

「あ、ダメだ、無理、眠い、寝る」

 

 ルカの身体は、もうピクリとも動かなかった。

 強烈な眠気が意識を刈り取りにきている。

 

「……すまん、エイル。

 後、任せた……」

 

 最後に親友へのメッセージを口にして。

 ルカは眠りにつくのだった。

 ……こんな事態だと言うのに、その寝顔は非常に可愛らしかった。

 

 

 



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⑫ 愚かな王様

 

 さて、外では現在、我が軍とドラキュラ伯爵との戦闘の真っ最中。

 私はと言えば、砦の中でゆっくりと状況を観戦中――とはいかなかった。

 何故ならば――

 

「それで、お話とはなんですか、アレン王?」

 

「……もう少々お待ち下さい。

 余人に聞かれるわけには参りませんので」

 

 ――クレアスの王、アレンに連れられ、廊下を歩いているのだった。

 共に付いてきているのは、クレアスの兵士数人だけ。

 なんでも秘密裏に話したい事があるとのことだ。

 

 ……こんな状況で侯爵である私を一人連れ出す理由。

 なんとなく想像はつくが、付き合ってやることにする。

 虎穴に入らずんば虎子を得ずとも言うし。

 

 そんなことを考えながら、歩を進めていく。

 何時の間にやら、大分砦の“外れ”に来ている。

 戦いの場から最も離れた所だ。

 

「……そろそろいいでしょう」

 

 アレンの足が止まる。

 どうやら、“お話”をする状況が整ったようだ。

 

「では聞かせて頂きましょうか。

 いったい、何の御用命で?」

 

「ええ、すぐにお伝えしますよ」

 

 言って、クレアス王は軽く片手を上げる。

 それを合図に、周りの兵士達が一斉に私へと剣を向けてきた。

 

「……これは一体何の真似です?」

 

「ふん、まだ気づかんのか」

 

 彼の口調が変わる。

 こちらを見る目も、険しいものへと変貌していた。

 

「と、言いますと?」

 

 敢えてすっ呆けた答えを口にする。

 実のところ色々察しはついているのだが、しばし分かっていない風を装うことにしよう。

 

「随分と察しが悪いな、ウィンシュタット侯爵。

 貴方の身柄をあの吸血鬼に引き渡すつもりなのだよ。

 それでこの戦いは“我々”の勝利だからな」

 

 アレンは私の小芝居に気付いていないようで、私を見下げながらそう言った。

 ――やはり、そうだったか。

 

「つまり、貴方はドラキュラと名乗る吸血鬼と通じ合っていたわけですか」

 

「今頃気付いたのかね?

 そうとも、あの吸血鬼は私の“協力者”だ」

 

「では最初からウィンシュタットの領土が目当てだった?」

 

「如何にも。

 我が国の窮乏に頭を悩ませていた時、奴の方から声をかけてきてね。

 『帝国の肥沃な大地を手に入れれば、この危機も乗り越えられよう』と」

 

 面白い位に情報を喋ってくれるアレン。

 ここまで無能だといっそ清々しい。

 というか、よく魔物の誘いなんて受ける気になったものだ。

 実は大物なのか、底抜けの馬鹿なのか。

 せっかくだからもう少し色々聞いてみよう。

 

「吸血鬼への“見返り”は何です?

 まさか、無報酬で魔物が人間に力を貸すわけはないでしょう」

 

「それは最初に言った通り――我が娘、ディアナだ。

 どこを気に入ったのか知らんが、あの吸血鬼は我が娘に随分とご執心でね。

 私もこれ幸いと誘いに乗ったというわけだよ」

 

「ディアナ王女を――自分の娘を、魔物へ捧げるおつもりか」

 

「国が救えるなら安いものだ。

 あいつもクレアスのためになるなら、喜んで身を捧げるだろうさ」

 

 なるほど。

 馬鹿の方だったようだ。

 

「クレアスでは吸血鬼との戦いで兵士達に犠牲者が出たとも聞いていますが」

 

「パフォーマンスだよ。

 私が吸血鬼と通じていると、帝国の連中に勘付かれるわけにはいかんからな。

 必要な犠牲、という奴だ」

 

 凄いな、幾ら自分の優位を確信しているとはいえ、ここまでペラペラ喋るのか。

 そりゃこんなのがトップに居れば、クレアスが貧困にあえぐのも無理はない。

 

「国を守るためなら、娘を犠牲にしても、兵士を無為に死なせても問題ないと」

 

「当たり前だろう?

 王である私の判断以上に重要なもの等ありはしない。

 ま、所詮侯爵に過ぎない君には分からんかもしれないがね」

 

 分かりたくもない。

 

「王女とは短く会話したのみですが、彼女は本当に民のことを想っているようでしたよ。

 そんな彼女を生贄にして、心は痛まないのですか」

 

「それは良かった。

 それだけ大事に考えているのなら、なおさらアレ(・・)も自分を犠牲にすることに躊躇いはないだろう。

 父として、その意思は尊重しなければ」

 

 The・クズ。

 我が父はこんなのとよく長年平穏に付き合いを続けたものだ。

 さっさと刈り取ってしまえばよかったのに。

 

「そもそも、国が貧窮している割に随分と貴方は肥えていますね(・・・・・・・)

 民が飢えている最中、自分だけは好き放題食い散らかしているようで」

 

「……随分とどうでもいいことに食いつくねぇ。

 私一人が節制したところで国庫への影響などたかが知れているだろう。

 こういう時こそ、王は健やかたるべし、だ」

 

 そのでっぷりと太った腹はどう見ても健康的ではないが。

 私の冷たい視線にアレンは少しも動じず、言葉を続ける。

 

「さ、もういいだろう。

 せめてもの手向けとして会話に付き合ってやったが、いい加減終わりだ。

 君があの吸血鬼にどう扱われるのか知ったことではないが――せめて楽に死ねるよう祈っているよ。

 ……拘束しろ」

 

 最後の一言は、周りの兵士に向かってのもの。

 しかし――

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 ――その言葉に従う者はいなかった。

 

「どうした?

 早くこの若造を拘束しろと言っておるんだ」

 

 訝し気にしながら、再度命令するアレン。

 だが、やはり誰も動かない。

 

「おい、お前達――――え?」

 

 そこで、ようやくクレアス王は周囲を見渡した(・・・・・・・)

 この男、今まで周りに居る兵士のことなど一顧だにしていなかったのである。

 

「な、何をしている?

 何故――何故、私に剣を向けている(・・・・・・・・・)のだ!?」

 

 ようやく、その事実に気付いたらしい。

 アレンが連れていた兵達は皆、自らが仕える筈の王へとその切っ先を構えている。

 実のところ、会話の途中から既にこんな状況だったのだが、お間抜けなアレンはまるで気付いていなかったようだ。

 

「ようやく現状が理解できたか、愚かな王様」

 

「っ!? ウィンシュタット侯爵、お、お前の差し金か!!」

 

 私の言葉に、アレンが目を見開く。

 その仰天ぶりに、若干溜飲が下がった。

 

「差し金? まさか。

 私は何もしてはいない。

 ただ――クレアスのことを真剣に考える、極めて真っ当な(・・・・)兵士が貴方の護衛に付くよう、手配しただけでね」

 

「なっ!?」

 

 半分嘘。

 今の会話に反感を抱きそうな兵士は、ここに居る半数くらいだ。

 残りは“私に寝返るよう”色々な手段で(・・・・・・)根回しした者達である。

 ……アレンがこれ程までに愚図であったなら、要らぬ手配だったかもしれないが。

 

「王のお考えはよく分かりました」

「我々はおろか、姫様の命まで軽んじていたとは」

「どうやら貴方が居てはクレアスに未来はないようだ」

「知っていますか? ウィンシュタット卿はこの短い間に、帝国までの道中で死んだ兵達の弔いもしておられたのですよ」

「ウィンシュタット卿の方が余程クレアスのことを案じておられる」

 

 矢継ぎ早に放たれる兵の言葉。

 自分の脚本通りに物事が運ぶのは、実に気分の良いものだ。

 私もこの流れに便乗させて貰う。

 

「ただ“王である”という事実だけで、民が自分に従うなどと本気で思っていたのか?

 我が身可愛さを優先して後先考えず責任すら取れぬ輩に――貴族の責務(ノブレス・オブリージュ)を果たさぬ輩に、人心がついてくる訳が無いだろう」

 

「う、う……!」

 

 クレアスの王がたじろぐ。

 眼球が揺れ、視点が定まっていない。

 実に情けない姿だ。

 だいたい、こいつは私が一人で付いてきたという事実に何の疑問も抱かなかったのだろうか。

 少しでも頭を巡らせれば、護衛を隠れさせているだの、部下が懐柔されているだの、幾らでも考え付くだろうに。

 クレアスの王はそれでもどうにか声を絞り出し、

 

「お、お前達――王である私にこんなことをしてタダで済むと――」

 

「君はもう王では無い。

 クレアスが帝国傘下につくことを承認したのは、他ならぬ君だろう?」

 

「あ、う……」

 

 ツッコミに、アレンはあっさり口をつぐむ。

 

 うーむ。

 本気で阿保なのか。

 少々不安になってきた。

 この期に及んでそんな台詞が口から出るとは、まるで状況を認識できていないとは。

 ひょっとして、部下がどうして離反したのか理解していないのではないか、この男。

 そういう風に演じているだけかもしれないけれども――というか、そう信じたい。

 どちらにせよ、これ以上“茶番”に付き合う必要は無いな。

 

「アレン、君はもう終わりだ。

 クレアスの兵士諸君、彼を拘束してくれないか」

 

「「「はっ!」」」

 

 私の言葉へ兵士達は敬礼で返してくれた。

 俊敏な動きで彼等は本来の主を捕縛する。

 

「――ぐへっ!?

 が、ま、待て、そんな――いぎぎぎぎぎぎっ!!?」

 

 少々以上に“手荒く”扱っているのは、目を瞑ってやろう。

 兵士達とて、先程の奴の言動には腸煮えくり返っているだろうから。

 

「……さて」

 

 そんな彼らをしり目に、油断なく周囲を探る。

 そろそろ現れても(・・・・)おかしくないと思うのだが。

 何のことかと言えば、当然ドラキュラ伯爵だ。

 

 彼にとって、クレアス王は最重要人物である。

 となれば当然の帰結として、彼の身に危険が及ぶ際には姿を見せなければならない。

 ――と、思っていたのだけれど。

 

「ウィンシュタット卿、この男はどこへ運びますか?」

 

「……そうだな。

 ここを左に行った先に丁度いい空き部屋がある。

 そこで拘留しておいてくれ」

 

「承知しました」

 

 兵士へと指示を飛ばす。

 それに従い、彼等はアレンを連行していった。

 時折、王の足や背中を蹴飛ばしながら。

 本当に人望が無いな、あの男。

 まあ、それはそれとして。

 

「……むむむ」

 

 内心、私は焦りまくっていた。

 ドラキュラはまだ来ない。

 これはまずい。

 私の予想が正しければ、ドラキュラは必ずこの場に出現する(・・・・・・・・・・)はずだったのに。

 

「――まさか」

 

 先程から積もっていた不安が、的中してしまったということか。

 つまるところ、私は“予想”を外してしまったらしい。

 どうも私は、アレン王を過大評価(・・・・)していたようだ。

 まさか――ここまで“無価値な”男だったとは!

 

「くそっ」

 

 大ポカをやらかした。

 そうとなれば、急がなければならない。

 行先は無論、ディアナ王女の所だ。

 

「ここは任せた!」

 

「は、はい?」

 

 近くに居た兵士にそう告げると、私は駆け出す。

 正直言って、状況は芳しくない。

 

 



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⑬ 他人任せ、やめました

 

 

「遅かったじゃないか、ウィンシュタット卿」

 

 部屋に入った私にかけられたのは、その一言だった。

 ここはディアナ王女が待機している部屋。

 しかし、聞こえた声は彼女のものでは無い。

 

「……ドラキュラ伯爵」

 

「いざ勢い込んでやってきたはいいものの、生憎キミは居なかったものでね。

 先に始めさせて貰ったよ(・・・・・・・・・)

 

「――!!」

 

 息を飲む。

 部屋の端――その壁際に、“銀髪の少女”が一人倒れていた。

 セシリアだ。

 私が知る限り、帝国でも最強クラスの魔法使いである彼女が、床に身体を横たえている。

 そしてその傍らには――

 

「エイルっ!」

 

 ――ディアナ姫の姿。

 悲痛な顔で、私の名を叫んでいる。

 

「安心したまえ、キミの侍女はまだ生きている。

 ――手当が遅くなれば、どうなるか分からんがね」

 

「……そうか」

 

 ドラキュラの言葉に、身体の緊張が僅かに解れる。

 確かに、セシリアの胸がかすかに上下に動いていた。

 最悪の事態だけは、どうにか避けられたか。

 

「さて、それでどうするのかな?

 ワタシはもうチェックメイト寸前だ。

 できれば降伏して貰えると有難い。

 これ以上手荒な真似もしたく無いのでね」

 

「何を馬鹿なことを」

 

 言って、身構える。

 といっても碌に武器も持っていないので、すぐ動き出せるよう足を軽く開いた程度だが。

 

「ワタシと戦うつもり、か。

 それは極めて愚かな行為だぞ?」

 

 呆れたような声でドラキュラが告げる。

 

「考えてもみたまえ。

 今、ここにキミが頼りにしている手駒は居ない。

 身一つでワタシに挑まねばならないわけだ。

 聡明なキミが、この状況を理解できていないとは思えないのだが、ね」

 

「――かもしれないな」

 

 短く、しかし強く否定の意思を込めて返事する。

 そんな私を見てドラキュラは頭を振った。

 

「ウィンシュタット卿。

 ワタシはキミを高く買っている。

 素直に敗北を受け入れるのであれば――ある程度はキミに配慮した(・・・・)形で終戦させてもいいと思っているのだよ?」

 

 確かに。

 理由は定かではないがこの吸血鬼、私に対してかなり好意的だ。

 交渉次第で、そう悪くない落としどころに帰結させることも可能だろう。

 しかし――

 

「――断る。

 気遣いは有難いが、徹底抗戦だ」

 

 倒れたセシリアの姿を僅かに見てから、そう断言する。

 今の私を突き動かしているのは、ウィンシュタット家の誇りだとか、ディアナ王女との約束だとか、そういうものではない。

 ただただ、“あの子”に手を出した輩が許せないのだ。

 

「……あの侍女か。

 彼女がキミの特別な人であることは察しがついていた。

 だからこそ殺さずにいたのだが――キミにとってはそれでも許しがたい行為だったのだな」

 

「よく分かっているじゃないか」

 

 ならば問答が無意味であることも分かるだろう?

 ……伯爵は言外の意図を読み取ってくれたようで、そこで交渉は終了した。

 

「では始めようか、ウィンシュタット卿。

 せいぜい、抗ってみたまえ」

 

 そう宣言して、吸血鬼が迫る。

 手には何時作ったか、血の長剣が握られていた。

 

 ……ああは言ってくれたものの、悪いが私に抗うつもりはない。

 ドラキュラ伯爵、お前はただ順当に負ける(・・・・・・)のだ。

 

「ふっ!」

 

 小さく息を吐いて、懐に準備していた“小袋”を放つ。

 放物線を描いてドラキュラへと投げられたその袋は、あっさりと長剣で迎撃され――

 

「――んむぅっ!!?」

 

 途端、ドラキュラが苦しみだした。

 そりゃ苦しかろう。

 小袋には、“大蒜(ニンニク)の粉末”を詰めていたのだから。

 

「こ、こんな、小細工を――っ!?」

 

 小細工とか言う割に、大層なもがきっぷりだ。

 余程堪えているように見える。

 相手の動きが止まったのを見計らって、準備していた物をもう一つ、懐から取り出した。

 銀色の光を放つ(・・・・・・・)ソレを、思い切り振りかぶって投げつける。

 

「――――な」

 

 “ソレ”に付けた細い鎖が、上手い具合に伯爵に絡まってくれた。

 伯爵は一瞬、呆けた顔をしてから、

 

「ぎゃぁああああああああああああっ!!!?!!!!?」

 

 絶叫を上げた。

 大蒜を浴びた際の比ではない。

 まるで断末魔のような叫びだ。

 

「な、何故っ!? 何故っ!? 何故、ここにこんなもの(・・・・・)がっ!!?」

 

「そんなに不思議な物か?

 君にとって見慣れたはずの物だろう――その十字架(・・・)は」

 

 そう。

 私が奴に投げつけたのは、ドラキュラのもう一つの弱点である聖印――十字架だった。

 ついでに言うと、銀製だ。

 

「馬、鹿な――コレが、この世界にあるはずがない!!

 この世界には――この世界の聖印(・・・・・・・)は、コレではないのに!!」

 

「そうだな。

 準備するのに少々手間がかかったよ」

 

 伯爵の言う通り。

 ライナール大陸における教会の聖印は十字架ではない。

 この2日間で、鍛冶屋に作らせたのだ。

 まあ、形状自体はシンプルなものであるし、製造はそう難しいものではなかった。

 

「そ、んな――」

 

 私の言葉に、ドラキュラは愕然としている。

 

「ウィンシュタット卿――キミは――キミは――」

 

 震える唇で言葉を紡ぐ。

 

「キミは――――地球人だったのか(・・・・・・・・)?」

 

「ああ、そうだ。

 気付くのが遅すぎたな」

 

 言って、私は奴に向かって駆けた。

 走りながら銀製の“杭”を懐より取り出す。

 こちらも、事前に用意していた物だ。

 

「終わりだ」

 

 その言葉と共に、身動きが取れないドラキュラの胸へと“杭”を打ち込んだ。

 

「がっ!!?」

 

 思いの外あっさりと、杭は伯爵に突き刺さる。

 何か反撃があるか、と身構えるが――

 

「――あ、あ、あ、あぁあああああああっ!!!?」

 

 然したる抵抗は無く。

 ドラキュラ伯爵は――身につけていた衣服も含めて――灰へと還っていった。

 後にはそれ以外なにも残らない。

 

「……ふぅ」

 

 溜め込んでいた息を吐く。

 周囲を見渡しても、何か起こる気配はない。

 戦いは私の勝利に終わったようだ。

 

 うん、成功したようで何より。

 自分の弱点を知られていない、弱点となる物を用意できない、と高を括ったのが彼の敗因だ。

 自らと同じく地球から来た者が居るかもしれない、と想定できなかったわけである。

 

 いや、同じ地球から来た人物であっても皇帝(劉秀)は時代が古すぎて、こうは対処できなかっただろうけれども。

 もっとも、あの人は普通に真正面からドラキュラを倒せてしまいそうではある。

 それはさておき。

 

「エイル!!」

 

 事の顛末を見届けたディアナが駆け寄ってきた。

 

「もうっ! アイツの弱点知ってたんならそう言っといてよ!

 本気で心配したんだからね!?」

 

「上手く対処できるとも限らなかったのでね」

 

「もうっ!!」

 

 王女の言葉に、肩を竦めながら答えた。

 感極まって瞳に涙を溜める彼女は、勢いそのままに抱き着いてくる。

 

「――あら?」

 

 しかし私はそれをするりとかわし、一路セシリアの下へ。

 簡単ではあるが状態を確認すると、傷はほとんど見当たらない。

 単に眠らされているだけのようだ。

 その事実が分かり、ほっと胸を撫で下ろす。

 

「ちょ、ちょっとちょっとぉ!!

 その子が大事なのは分かるけど、ここはヒロインであるアタシと抱擁する場面でしょうが!?」

 

 頬を膨らませ、ぷんすかという擬音でも発しそうなディアナだ。

 先程と異なり、迫力ある歩調でこちらに近づいてくる――が。

 

「止まれっ!」

 

「えっ」

 

 鋭い口調でそう命じる。

 

「ど、どうしたのよ、エイル。

 怖い顔しちゃって」

 

 動揺する王女に、私は話かけた。

 

「ドラキュラ伯爵は強力なモンスターだが、一方で弱点が多い事でも有名だ。

 先程の大蒜や十字架がその一例だな」

 

「きゅ、急に講釈?

 意味分かんないんだけど……」

 

 戸惑うディアナだが、私は語りを止めない。

 

「その弱点の一つに『招かれない家には入れない』というものがある。

 当たり前の話だが、私はドラキュラ伯爵に招待状なんぞ送った覚えはない。

 奴と対面したのは、屋敷の中(・・・・)での遭遇が初めてだ」

 

 そこですっと目を細める。

 

「ところでディアナ。

 君達一行が我が屋敷に来た際、うちの執事が出迎えたそうだな。

 その際、『どうぞお入り下さい』くらいのことは言われたんじゃないか?」

 

「そ、そうだけど……それが何だっていうの」

 

「何でもない。

 ただの確認だ。

 まあ、その弱点を抜きに考えたとしても、あの日の吸血鬼の行動は異常だった。

 警備を掻い潜り、最も厳重に警戒していた会場へとまんまと侵入したのだから。

 言っておくが、ウィンシュタットの兵士に魔物を素通りさせるような盆暗は一人としていないぞ。

 そして、それ程の侵入能力があるにも関わらず、今回は態々二重三重に陽動など用意し、兵士が出払ったタイミングを見計らってから現れた。

 どうにもおかしいと思わないか?」

 

「えと、その――何か、都合つかなかったんじゃない?」

 

「そう、都合がつかなかった。

 ウィンシュタットの屋敷は内部構造や警備の配置を把握できていたのに対し、このデュライン砦ではそれができなかったからだ。

 あの日、ドラキュラを――いや、ドラキュラを模した“人形”を、会場に誘導した(・・・・)者がいる」

 

 ディアナの様子を伺うが、彼女に変化はない。

 

「私は最初、アレン王がそうだと思っていた。

 だが考えてもみればあの日、彼には護衛としてウィンシュタットの兵を四六時中張り付けていたな。

 とすれば、ドラキュラへ連絡を行う機会は無かった筈だ。

 しかし――ディアナ、キミは違う。

 衣装の準備をすると言われれば、如何に護衛とはいえ兵士達は君から離れざるを得ない。

 自由に動ける時間も多かったことだろう」

 

 一度息をついてから、さらに続ける。

 

「他にもある。

 あの吸血鬼は、いくら何でもクレアスに肩入れし過ぎだ。

 国を救う見返りに王女を貰う?

 なんだそれは。

 あれ程の力があるなら、力づくで奪えばいいだろう。

 クレアスという国に、随分と思い入れがあるようだな」

 

「……何が言いたいの、エイル?」

 

「茶番はここまでだと、言っているんだよ」

 

 挙げていないが、他にも“決定的な理由”がある。

 それを今明かす訳にはいかないが。

 

 私は探偵よろしく、人差し指を彼女に突き付け宣言する。

 

「ディアナ・リーヤ・クレアス。

 君が――ドラキュラ伯爵だ」

 

 ……正直なところ。

 足掻かれると思っていた。

 今の話は、別に理路整然と組み立てたわけでは無いし、明確な証拠を提示したわけでも無い。

 細かい疑念をかき集めた推測に過ぎない。

 とぼけられれば、追及は難しい。

 だがディアナ王女は――

 

「……ふふっ」

 

 ――私の推理に対し、ただ“不敵な笑み”を浮かべるのみ。

 それはつまり――否定するつもりはない、ということなのだろう。

 

 私はとうとう、本物の(・・・)ドラキュラ伯爵と対面できたわけだ。

 

 

 



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⑭ バケノカワガ、ハガレル(前)▼

 

 

 ディアナ・リーヤ・クレアス。

 クレアス王国の王女として生を受けた少女。

 自分が“化け物”であることをいつ自覚したのかと問われれば、それはこの世に産まれ落ちてすぐである。

 この世界で物心がつくよりも早く、彼女は自分がドラキュラという名の吸血鬼であることを認識していた。

 

 しかし。

 ならばディアナは王女ではなく吸血鬼なのか、と問われれば答えは否。

 彼女は間違いなくクレアス王女である。

 そう自分を定義している。

 

(ま、実のところドラキュラだった頃(前世)の記憶がなんか曖昧なのよね)

 

 前述の通り、自分が吸血鬼ドラキュラであることははっきりと自覚している。

 しかし、ではドラキュラがどのような怪物であったかを、正確に思い出せないのだ。

 ドラキュラとしての能力や、“地球”で行ってきたことの断片的な記憶は明確に覚えているものの、“ドラキュラとしての人生”を完全な形で復元できないのである。

 生前は“男性”であったにも関わらず、現世では“女性”であることも、不具合を助長しているのかもしれなかった。

 

 ただ、そんな彼女にも明確に生前から(・・・・)継ぐ“遺志”がある。

 

(――自分の国を、守る。

 例えどんな手を使っても(・・・・・・・・・)

 

 ディアナは産まれた時から、その考えに執着していた。

 いや、彼女が王女である以上、持って然るべき感情ではあるのだが。

 それでも、幼少の(みぎり)より、国のため人が死ぬことに何の痛痒も感じていなかったことについては、異常という他ないだろう。

 だからこそ、今回このような“暴挙”に踏み切ったのだ。

 大規模な飢饉に見舞われたクレアスを救うには、帝国の資本を奪うより他ない。

 ……帝国の傘下に甘んじるという道は、“苛烈な遺志”によって到底許容できなかったのである。

 

(ま、これもドラキュラというより“ヴラド”の感情が基礎になってるわけだけど)

 

 やはりディアナに対して、ドラキュラであった頃合いの人生が与える影響は薄い。

 流石に吸血鬼の特徴である吸血欲求はあるのだが。

 もっとも、本人がまるで気にしていない以上、深堀のできる話では無い。

 

(どうでもいいことよ、うん)

 

 さくっと思考を終わらせ、意識を目の前に切り替える。

 正面にいる黒髪の美少女――否、美少年であるエイル・ウィンシュタット侯爵が鋭い視線を浴びせてくる。

 対して自分は、ワザとらしく肩を竦めた。

 

「あー、まさかバレちゃってたとはねー」

 

 この世界で吸血鬼ドラキュラのことを知る人物が居るとは、完全に想定外だった。

 それがまさか、“敵”の総大将であるエイル侯爵だったなんて、不運にもほどがある。

 

(いや、ドラキュラのこと知ってたとして、それだけでアタシが吸血鬼だって見破れるもんなの?)

 

 加えて、彼が神懸り的な――としか言いようが無い――推理力の持ち主だったというのも不運に拍車をかけた。

 

(さすがはアタシが見込んだ男ってとこかしら)

 

 彼に目を付けたのは、やはり間違っていなかったらしい。

 これ程の人物、なんとしてでも自分の下に置いておきたい。

 

(とはいえ洗脳して傀儡にしちゃうと、ちょっと知能レベルが下がっちゃうのが難なのよねー。

 どっちみちウィンシュタットを貰うにはエイルが必要なんだから、仕方ないけど)

 

 そう結論付けて、笑みを深くする。

 今のディアナに“追い詰められている”という感覚は無い。

 当然だ。

 化け物である自分が、ただの人間(・・・・・)に負けるわけが無いのだから。

 いや、エイル侯爵は只人ではないが、それでも彼女にとってみれば一般人とそう変わらない。

 “弱点が知られている”という状況を加味しても、である。

 

「ディアナ――いや、ドラキュラ伯爵と呼んだ方がいいのか?

 望むならヴラド公でもいいが」

 

 と、そんな風に思考を巡らせていたディアナに先んじて、エイルが話しかけてくる。

 

「別にディアナで構わないわ。

 今更呼び方変えるのも面倒でしょ?」

 

 軽く答える。

 この世界に生を受けて十八年、ずっと呼ばれ続けていた名だ、愛着もある。

 今更ドラキュラ呼ばわりされても――その前身であるヴラドという名称も含め――どうもしっくり来ない。

 

「アナタこそ、どうなのよ?」

 

「私? 私が何だと言うんだ?」

 

 ディアナの呼びかけに、エイルが応える。

 

「とぼけちゃってもう。

 アナタは“地球”で何者だったのかって聞いてるの。

 まさか、ヴァン・ヘルシングだなんて言わないわよね?」

 

 仇敵が姿を変えて目の前に現われていた、なんて不幸にも程がある。

 話としてもデキ過ぎ(・・・・)だ。

 とはいえ、それなら自分がここまで手こずるのも納得ではあるのだが。

 しかし、エイルは首を横に振り、

 

「それこそ、“まさか”だ。

 私はそんな高名な人物ではない。

 ただの平凡な日本人会社員(ジャパニーズ・ビジネスマン)さ」

 

「あっそ。

 ……言う気は無いわけね」

 

 彼の台詞を、ディアナは“回答する意思無し”と受け取った。

 当然だ。

 ここまで“やれる”人間が、無名の凡人なわけが無い。

 これから戦う敵に、与える情報等何もない、というわけだろう。

 

(それならそれで構わないわ)

 

 所詮は興味本位の質問に過ぎない。

 聞けたところで、大した価値など無いだろう。

 

 目を細めて相手を改めて観察する。

 エイル侯爵は相変わらず臨戦態勢。

 やはり戦いは避けられないようだ、が。

 

「無駄だろうけど一応、降伏勧告しとくわよ。

 あの“人形”を倒して調子づいてるのかもしれないけど、アタシがアレより弱いなんて思ってないわよね?」

 

 生前のイメージを可能な限り再現した、半自律的に動く人形。

 ドラキュラの“力”を使って生み出したそれこそが、砦を襲った“ドラキュラ伯爵達”の正体である。

 先程エイルが倒した“人形”は、中でも製作に力を込めた代物ではあったのだが――それでも偽物は偽物。

 本物であるディアナの力には遠く及ばない。

 

「アナタの切り札はさっき全部使っちゃったみたいだし。

 今負けを認めてくれれば――とりあえず、痛い思いだけはしなくて済むわよ?」

 

「……いいや」

 

 半ば予想していたことではあるが、侯爵は首を縦に振らなかった。

 

「やっぱ頑固ねー。

 言っとくけど、一回身体を許した程度で温情とかかけてあげるつもりないから」

 

「その必要は無い。

 どうせ――」

 

 言いながら、彼はゆっくりと歩き出す。

 すぐ側にある窓際へと――厚いカーテンで閉ざされた窓へと向かって。

 

「――どうせ(・・・)私が勝つ(・・・・)

 

 そして、窓に備わった“紐”を強く引く。

 連動し、全ての窓のカーテンが開いた。

 

「……え?」

 

 ディアナの口から、思わず声が零れる。

 窓の向こう。

 そこには――

 

「――な、なんで!?

 なんで、陽が昇ってるのよ(・・・・・・・・)!!?」

 

 有り得ない光景に、絶叫。

 山間から、太陽が顔を覗かせていたのだ。

 まだ、日の出には時間があったはずなのに。

 

「簡単な話だ。

 時計の針を1時間ばかり遅らせておいた(・・・・・・・)のさ。

 屋敷のものも、この砦に設置されているものも、全て。

 気づかれないよう、少しずつな」

 

 淡々と語り出すエイル。

 

「そ、んな!?

 だって、兵士達は時間通りに動いて――」

 

「“約束”の1時間後を開戦時間として伝えていただけだ」

 

「あ、アタシが気づいてたら、奇襲をかけられて――」

 

「敵が“約束を違える”ことも考慮し、準備だけは怠らないよう指示していた」

 

「……な、なんつー」

 

 用意周到過ぎる。

 どれだけ策を巡らせていたのだ、この男は。

 

「んん?

 ということは、アタシがドラキュラだって最初から疑ってたってこと?」

 

「いや?

 クレアスとドラキュラが繋がっていることは疑っていたが、当初は君がドラキュラだなんて考えもしていなかったさ。

 ただ、“クレアスの誰かがドラキュラである”可能性を考慮して、手を打っていただけだとも。

 どうせ大した労力でも無い」

 

 すらすら喋るエイル。

 

「まあ、立場上あれこれ動かなければならないクレアス兵達には仕掛けられなかったので、実質騙せたのは君とアレン王だけだったんだがね。

 アレン王がドラキュラでないことが確定したから、君がそうだと分かったわけだ」

 

「あ、呆れた……」

 

 要するに、かかるかも分からない罠を自分の推理(思い込み)だけでせっせと設置していたわけか。

 それも、穴だらけの罠を。

 自分が懐中時計でも持っていたら途中で気付いていただろうし、あの“人形”が完全に自律していれば何の意味も為さない。

 これを行き当たりばったりと捉えるか、鋭い読みと捉えるか、評価は分かれるところであるが――

 

(――引っかかっちゃった以上、認めるしかないわよね)

 

 故に、深くは突っ込まないことにした。

 代わりに、にっこりと笑みを浮かべる。

 

「色々あるけど、ま、お見事と言っておくわよ。

 吸血鬼の弱点である“日の光”をこう利用してくるだなんてね。

 ―――でも、ごめんねエイル。

 せっかくのお持て成しなんだけど、アタシにはソレ、効かないの」

 

 言って、窓から差す光の中を悠然と歩く。

 “人”として転生したためか、ディアナはドラキュラとしての弱点をほぼ(・・)克服している。

 ……流石に“効かない”は嘘だが、弱点を突かれても多少能力(パラメータ)が低下する程度で済むのだ。

 先程エイルは、“ドラキュラは招かれなければ家に入れない”ことをディアナへ嫌疑をかけた理由にしていたが、それは彼の読み違いである。

 

(……あの“人形”達は、思いっきり弱点を受け継いじゃってるんだけどね。

 ドラキュラ(前のアタシ)をモデルに造ったせいかしら?)

 

 何はともあれ、ここに優勢は決した。

 エイルに残された最後の策がこの程度であったならば、最早憂慮すべき事項も無い。

 日光によって多少“動きにくさ”を感じるものの、たった一人の人間と戦うには十分過ぎる――お釣りが来る位だ。

 

「じゃあね、エイル。

 これで終わりよ」

 

「ああ、そうだな、終わりだ。

 ――<刺し貫け、雷槍(ジャベリン)>」

 

 唐突に紡がれる“呪文”。

 次の瞬間、ディアナの身体を一筋の稲妻(・・・・・)が貫いた。

 

 



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⑮ バケノガワガ、ハガレル(後)▼

 

 

「――あ? え?」

 

 余りに不意を突かれた攻撃に、まともな対応ができない。

 一瞬何をされたかも分からず、遅れて全身に痛みが走った。

 

「う、ぐっ!?」

 

 電流で身体が硬直し、倒れそうになる――のを、どうにか堪えた。

 そして今さっき仕掛けてきた相手を睨みつけ、頭を巡らせる。

 

「――ま、魔法!?

 アンタ、魔法使えたの!?」

 

「そりゃ使えるさ。

 セシリアに魔法を(・・・・・・・・)教えたのは私(・・・・・・)なのだから(・・・・・)

 ――<刺し貫け、雷槍(ジャベリン)>」

 

 質問への返答と同時に、電撃が走る。

 雷光が太ももに突き刺さると、そこを起点に全身へ痺れが回ってきた。

 

(き、聞いてないわよ、こんなの!?)

 

 完全に、無力な相手だと思い込んでいた。

 有能な部下に守られているだけの男だと、信じきっていた。

 

(今までずっと隠してきたっていうの!?)

 

 しかし考えてもみれば。

 公子という身分のルカがあれだけの武術を身につけていたのである。

 侯爵であるエイルもまた、相応の戦闘訓練を受けていたとしてもおかしくは無い。

 

(まさか最後の最後で正攻法な強さを見せつけてくるなんてね!)

 

 だが、それならいっそ好都合だ。

 多少は抵抗してくれた方が、“やりがい”がある。

 

 ……ちなみに。

 

「――って、痛っ!?

 痛ッ――痛い!?

 ちょっと、考え事してる最中に攻撃してこないでくれる!?」

 

 当然と言えば当然だがこうしている間にもエイルは雷撃を繰り出していた。

 

「戦っている最中に考え事している奴が悪い」

 

 御尤もな指摘だ。

 とはいえ、ディアナとて警戒を怠っていたわけでは無い。

 慎重に侯爵の出方を伺って、それでもなお避けられなかった(・・・・・・・・)のだ。

 

(……セシリアって子より、魔法の精度が高い)

 

 冷静にそう分析する。

 

(あのメイドの魔法なら、幾らでもよけられる自信があったんだけど)

 

 勿論、雷を見て回避するなんて芸当、如何にディアナとて不可能だ。

 しかし、その雷を操っているのは所詮人間である。

 その視線や仕草から、魔法を撃つタイミングや目標としている地点を読むのはそう難しいことではない。

 

(だっていうのに、コイツは!)

 

 とにもかくにも、精密性が段違いだった。

 こちらの動きを読み、正確に当ててくる。

 加えて、タイミングの“外し方”も上手い。

 

(呪文を唱えてる分、魔法が来る瞬間は分かりやすい筈なのに――対応しにくい!)

 

 セシリアの師である、という言葉もあながち法螺ではないようだ。

 しかし、納得いかない事柄もある。

 

「ねぇ! アンタ侯爵でしょ!?

 なんでこんなに戦い慣れしてんのよ!」

 

「ヴァルファス帝国の貴族は、士官学校への就学が義務付けられている。

 そこで戦い方のイロハを徹底的に学ばされるんだ」

 

「え、ひょっとして帝国の貴族って皆こうなの?」

 

「“力なき者は貴族に非ず”――我が国の標語だ、覚えておけ」

 

「うっそー!?」

 

 会話しながらも、エイルは手を緩めてない。

 幾条もの雷がディアナに襲いかかっていた。

 しかし、彼女もやられっ放しではいない。

 

「……そういう真似もできるのか」

 

「そりゃ勿論。

 なんたって、ドラキュラですから♪」

 

 にんまりと嗤う。

 彼女の周りには、雷で形作られた“結界”が現れていた。

 無論、ドラキュラの“自然現象を操作する力”によって生み出した代物である。

 雷には雷という訳だ。

 先程からエイルの攻撃は、全てこの“結界”によって防がれていた。

 

「バカの一つ覚えみたいに電撃ばっか使われてもねー。

 幾らでも対抗策は取れるってわけよ」

 

 まあ、この結界ではセシリアの魔法は防げなかっただろうけれども。

 あの侍女が操る雷は、恐ろしいことにドラキュラである自分が操れる限界量を超えていたのだ。

 それに比較してしまうと、エイルの魔法は豆鉄砲のようなもの――

 

「<叩き砕け、雷斧(トマホーク)>」

 

「――へ?」

 

 眼前に現れたるは、巨大な雷塊(・・・・・)

 <刺し貫け、雷槍(ジャベリン)>とかいう魔法とは――いや、自分の張った“結界”と比べても、なお圧倒的な容量の稲妻。

 ソレが、ディアナに向かって迫ってきた。

 

「あぁぁあああああああああっ!!?」

 

 この世界に産まれて初めて、本気の悲鳴を上げた。

 

(――あ、コレ、やばい)

 

 叩きつけられた稲妻の奔流によって、“結界”は吹き散らされた。

 ディアナも無事では済まない。

 視界が白く染まる。

 肌が、肉が、骨が、雷によって焼かれていく。

 激痛が脳を駆け回った。

 はっきり言って、死ぬほど(・・・・)痛かった(・・・・)

 いや、死なないけれども。

 

「……この魔法でもその程度しか傷を負わないのか。

 呆れたタフネスだな」

 

 まさに呆れた顔で、エイルが言ってくる。

 

「いやいや、普通に大怪我したわよ!?

 アタシがドラキュラじゃなかったら確実に死んでるからね!?」

 

 と言っても、怪我自体はすぐに完治するのだ――が。

 

(今のを何回も食らったら危ない、かも)

 

 ドラキュラとて本当に(・・・)無限に回復ができるわけでは無い。

 僅かずつではあるが、ダメージは蓄積されていくのだ。

 特に、魔力を伴った攻撃は案外効く(・・)

 

(まあでも、あのでっかい雷は普通に避けられそう)

 

 <叩き砕け、雷斧(トマホーク)>で発生する雷塊は、移動速度が然程早くなかった。

 それこそ、“目で見て回避できる”レベルだ。

 威力こそ<刺し貫け、雷槍(ジャベリン)>を大きく引き離すが、命中率は大幅に低下していると見ていい。

 

(要するに、ちっちゃい雷撃がジャブで、でかい雷の塊がストレートなわけね)

 

 <刺し貫け、雷槍(ジャベリン)>で牽制し、<叩き砕け、雷斧(トマホーク)>で止めを刺す――というのが、あの侯爵の必勝戦法なのだろう。

 いや、普通の人間レベルでは、<刺し貫け、雷槍(ジャベリン)>だけで十分死ねるし、<叩き砕け、雷斧(トマホーク)>を避けることも困難だが。

 

(だけど、そうと分かれば答えは簡単!)

 

 ディアナは、<刺し貫け、雷槍(ジャベリン)>を無視することに決めた。

 “チクチク刺さってうざったい”から防いだものの、根本的にあの魔法で自分は大したダメージを受けない。

 危険なのは、<叩き砕け、雷斧(トマホーク)>だけだ。

 

(巨大な雷にだけ注意して、一気に距離を詰める!)

 

 “結界”は作らない。

 アレの維持に意識を割くと、動きが鈍ってしまう。

 

(なんか、結局やってることが“人形”と変わらない気がするけど!!)

 

 デジャブを感じるが、細かいことを気にしてはいけない。

 そもそも、エイルの戦法があの侍女(セシリア)に相似している関係上、対策が同じになっても仕方ないのだ。

 比喩でなく超人的な脚力で、エイルへと肉薄していくディアナ。

 

「<刺し貫け、雷槍(ジャベリン)全弾掃射(フルファイア)>」

 

 一つの呪文で、複数の雷光が発生。

 こちらの動きを見て、(エイル)も新たな技を見せてきたようだ――が、ディアナの脚を止めるには至らない。

 体のあちこちに被雷するも、絶大な耐久力と回復力にものを言わせ突破する。

 

「これで!」

 

 腕を振りかぶる。

 手の中には、血で作り上げた“刃”が一つ。

 後はこれをエイル侯爵へ突き立てれば終了だ。

 と、そう思っていたのに(・・・・・・・・・)

 

「<覚醒せよ、我が魂(ウェイクアップ)

 

 ここ数日で、幾度となく聞いた呪文(フレーズ)だった。

 それが耳に入る度に計画は狂い、ディアナの頭を悩ませることになった、その単語。

 今回もそれは変わることなく、

 

「……アンタ、それも使えたの?」

 

「一兵卒でも使える魔法を、私が使えないとでも?」

 

 涼しい顔でそう答えるエイル――その両手で、“刃”を挟み込みながら。

 その身には蒼色の炎を纏っていた。

 

「……真剣白刃取りってやつ?

 日本人(ジャパニーズ)は皆それ使えるのかしら」

 

 顔が勝手に渇いた笑みを浮かべていた。

 吸血鬼の膂力で振るった剣を只の人間が素手で受け止めたのだ。

 もう笑うしかない。

 

「まさか」

 

 短い返答。

 同時に“刃”が強引に捻られ、ディアナの手から離れる。

 

「くっ!」

 

 すぐ新たな“刃”を作るが、それを使うより先にエイルが眼前へ迫る。

 

「ついでだ。

 日本の妙技を味わっていけ」

 

 襟元と袖を掴まれ、そのまま流れるような動作で足を払われて腰を浮かされる。

 綺麗な形で投げ飛ばされた。

 それが“柔道”の“背負い投げ”であるという知識はあったが、だからといってどうなるものでもない。

 

「ぐっ!?」

 

 床に叩き落された衝撃で、肺から空気が締め出された。

 さらに追撃で蹴り飛ばされ、床を転がりまわる。

 そして、

 

「<叩き砕け、雷斧(トマホーク)>」

 

「うあぁあああああああああっ!!!!?」

 

 極大の雷球が直撃する。

 感電した身体が、ガクガクと痙攣を起こした。

 

(……まずい、負ける)

 

 完全に敵のペースで戦いが推移している。

 何もかも相手の掌で転がされている気分だ。

 

 見たところ、エイル侯爵は吸血鬼を圧倒できる程の絶大な戦闘力を持っているわけでは決してない。

 精度はともかくとして、単純な魔法の威力や展開速度はセシリアに劣る。

 ルカ公子に比べれば、動きのキレも鈍い。

 総合的に見ても、ディアナと正面から戦える程には強くないはずだった(・・・)のだ。

 

(――くそ、この“光”が無ければ!)

 

 些末事とすらみなした事項が、ここで効いてきた。

 日光によって能力が制限されたことで、両者の力関係を肉薄させている。

 その上、相手はこちらの行動も逐一見切ってきていた。

 ドラキュラの特性を把握されているが故か、それともディアナ・リーヤ・クレアスの人間性を把握されているためか。

 

(こいつの戦術眼おかしすぎない!?)

 

 まるで未来予測でもしているかのようだ。

 いや、本当にそのような力を持っていたとしても不思議では無いのだが。

 

(どちらにせよ、ここでこれ以上戦うのは得策じゃないわ)

 

 良く言えば戦術的撤退。

 悪く言えば敵前逃亡。

 ここまで戦況を支配されたなら、仕切り直しが必要だ。

 まだ勝機が無くなったわけではないが――そんな思い込みこそが、侯爵の撒いた最後の罠かもしれない。

 ディアナは大きく跳躍し、エイルとの距離を離す。

 

「逃げるのか?」

 

「逃げるわよ。

 この場ではアンタに勝てそうに無いし。

 でもまぁ、そう遠くないうちに帰ってくるわ。

 それまで首を洗って待ってなさい」

 

 自分で言ってて負け犬臭いと思わないでもない台詞を吐く。

 実際負け犬なのは事実なので仕方ないが。

 

「またね、エイル」

 

 挨拶もそこそこに、腕を振るって窓を壊し、そこから身を投げ出す。

 一瞬浮遊感に包まれるが、すぐ落下はする。

 背中から蝙蝠の羽を生やしたからだ。

 高速で飛行しながらちらりと後ろを見れば、窓にはエイルの姿。

 

(……これだけ離れれば、もう魔法は届かない)

 

 この世界の魔法は射程が短い。

 エイルもその例外ではなく、魔力量からしても精々が20メートルといったところか。

 そういう意味で、あの部屋は本当に良く設定された戦場であった。

 

(ある程度距離を置いて戦える程度には広くて、魔法が届かない場所が無い程度には狭かったものね。

 ほんっと、抜け目がない)

 

 何から何まで状況が整えられていたわけだ。

 全く持ってぞっとしない。

 あの男に“準備させる時間”を与えるのは危険だと、心底実感できた。

 

(癪だけど、“次”は奇襲で勝負をかけるしか――――!?)

 

 ぞくり、とした感触。

 背筋に冷たい汗が流れた。

 

「何っ!?」

 

 慌てて振り向いた。

 砦は既に遥か遠く。

 しかし人を凌駕した視力で、エイル侯爵の姿を把握する。

 こちらに向けて“杭”をかざした、彼の姿を。

 

(――あ)

 

 ふと、思いついた。

 魔法の射程は、確かに短い。

 だが、“魔法を使った攻撃”を遠くに届かせる方法はある(・・)

 例えば、強化魔法。

 射った矢の推力を強化すれば、その矢は通常より遥か先の敵を射貫く。

 

 何故、そんなことが今、頭に浮かんだのか。

 それはきっと、彼が“それ”をしようとしているからだ。

 

(アレは、“杭”じゃなかった……!?)

 

 不思議には思っていたのだ。

 これだけドラキュラ対策を忠実に実行していたエイル侯爵が、何故“杭”だけ金属製にしていたのか。

 吸血鬼の伝承を考えれば、当然“木製の杭”を用意すべきなのに。

 ミス――ではない。

 彼は絶対に、そんな失敗をしない。

 だとすればアレは最初から“杭”として準備されたものでは無いのだ。

 ならば、アレは何なのか。

 

(……“弾丸”)

 

 漠然と、そんな単語が浮かんだ。。

 そして次の瞬間、それは確信に変わる。

 エイル侯爵の口が、“呪文”を紡いだのだ。

 

 

 ――<撃ち穿て、電磁魔弾(レールガン)

 

 

 彼の前方に、高電圧の稲妻が2本のレール(・・・)状に出現する。

 その中央へ“銀色の弾丸”がセットされた。

 

「そ、んな――そんな、技まで――!?」

 

 それは、近代科学によって原理確立された技術。

 強力な電磁誘導によって物体を超加速させる、最新の軍事兵器。

 そんな代物が、異世界の魔法によって再現されていた(・・・・・・・)

 

「あ、ははは」

 

 エイルの姿を見ながら、笑う。

 ここは空。

 身を隠す障害物など無い。

 回避は――もう、無理だ。

 

(……ディアナ・ウィンシュタット、か。

 そういうのも、悪く無かったかもね)

 

 白熱した弾丸が超高速で飛来するのを感じながら。

 最期に彼女は、浅はかな夢を想った。

 

 

 

 



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⑯ 決着、或いは自己紹介

 

 

「――――っていう夢を見たのよ」

 

「ほうほう」

 

 ベッドに寝る“ディアナ”の言葉に、私は返事をする。

 

「いやー、まいったまいった。

 アタシはドラキュラなんかになってるし、エイルは馬鹿みたいに強いし。

 そんなわけ、無いのにねぇ?」

 

「そうだなぁ」

 

 適当に相槌。

 すると彼女は上目遣いになって、

 

「と、そう言う訳だから、この拘束外してくんない?」

 

「駄目」

 

 にこっと笑いながら応対する。

 

 今、ディアナ・リーヤ・クレアスは“地下牢”に備え付けてあるベッドの上で拘束されていた。

 縄などと生易しいものでなく、鎖を使って締め付けている。

 

「…………」

「…………」

 

 お互い、笑顔で見つめ合う。

 しばししてから、

 

「っていうかね!

 アレ、無効試合でしょ!?

 レールガンて何よ、レールガンて!!

 ファンタジーの世界に現代兵器持ち込むなっての!!」

 

「別に持ち込んだ訳じゃないだろう。

 魔法を使って原理を再現しただけで」

 

 そもそもレールガンはまだ実戦配備されていなかった――ような気がする。

 科学では解決が難しい技術的課題を魔法でクリアした訳だ。

 もっとも、あれはあれで使用が面倒な技でもあるのだが。

 術式がやたらと複雑だったり、高出力を確保するため魔力の消費も激しい。

 使う“弾丸”も特注品で、なかなかお高い(・・・)代物だ。

 

 と、それはそれとして。

 

「だいたいね、アンタちょっと強すぎない!?

 何が『他人任せ』よ! アンタ一人で十分じゃない!!

『もうアイツ一人でいいんじゃないかな』状態じゃない!!」

 

「君は何を言っているんだ」

 

 ディアナの言い分がよく分からない領域に達していた。

 ドラキュラだからって好き放題言い過ぎだろう。

 負けたショックで頭でもおかしくなったか?

 

「そもそも、あの戦いは私だけではどうにもできなかっただろう。

 魔物の大群は軍でなければ対処できないし、人形だって一人では処理を持て余す」

 

「ふん、口では何とでも言えるものね!

 オレTueeeee!できてさぞかし気分良かったんじゃないの!?」

 

「あのな……」

 

 大きくため息をつく。

 そのタイミングで、彼女の方も喚くのを止め、

 

「……それで」

 

「ん?」

 

 一転、神妙な顔をして見つめてくる。

 

「それで、どうしてアタシを殺さなかったの?

 “アレ”に当たってれば、流石に死んでたと思うわよ?」

 

「……ふむ」

 

 まあ、なんだ。

 結局私は、<撃ち穿て、電磁魔弾(レールガン)>で彼女を撃たなかった。

 頭部付近に掠めさせた(・・・・・)だけだ。

 

「あれだけの再生能力を持っているにも関わらず、脳震盪が起きるものなんだな」

 

「話を逸らさないで」

 

 先程まで散々意味不明なことを叫んでいた奴に言われたくないのだが。

 

「結局のところ、君はウィンシュタットの人間を一人も殺していない。

 そういう答えでは不満か?」

 

 殺されていないから、殺さない。

 実に単純な話である。

 

「……結果論よ。

 アタシが手加減してたわけじゃないこと、分かってるでしょ?」

 

「だがセシリアを殺さなかったのはワザとだろう?」

 

「アンタとの交渉に使えると思ったからね。

 結局、なし崩しに戦うことになっちゃったけど」

 

 ディアナは肩を竦め――ようとして、縛られているため大して動けなかった。

 今度はこちらが彼女をじっと見つめ、

 

「君は――もっと狡く(・・)立ち回れば私達を簡単にやり込めることができた筈だ。

 しかし、やらなかった」

 

 高い戦闘力を誇る“人形”、何処にでも出現させることのできる“魔物”。

 態々真っ向勝負などせず、これらを暗躍させれば対抗は難しかっただろう。

 初めて会った日にやられたように、住民を人質に取られてしまえばどうにもならない。

 勿論、正面から戦っても負けるはずが無い、という驕りもあったと思うが。

 

「……つまるところ、情けをかけられたってことかしら。

 あーあ、ドラキュラも堕ちたもんねー」

 

 ディアナがやれやれと頭を振――ろうとして、やはり縛られているので動けていなかった。

 とはいえ、口で言う程には悔しがっているようにも見えない。

 

「ま、いいわ。

 アタシの日頃の行いが良かったせい――ってことで納得してあげる」

 

「どうして上から目線なんだ」

 

 存外、図太い女である。

 これはドラキュラの性格が反映されたのか、クレアスでの生活で培ったのか、どちらなのだろうか?

 ……と、そういえば気になっていたことがあるんだった。

 

「結局君は“何者”なんだ?

 ディアナなのか、ドラキュラなのか」

 

「言わなかったっけ?

 アタシはディアナよ。

 ドラキュラの記憶と力を持ってるってだけ」

 

 なるほど。

 そのように自分を認識しているわけか。

 

「しかしドラキュラという割に、現代知識をしっかり持っているようだが」

 

 ドラキュラがいつ活動していたか具体的な年代は定かでないが、流石にレールガンの概念はまだ無かった時代なのではなかろうか。

 しかも妙なネットスラングも喋っていたし。

 

「それは――アタシもちょっと分からないのよねぇ。

 ヴァン・ヘルシングに退治された記憶はあるんだけど、どうもその後も生きていたような?

 トランシルヴァニアだけじゃなくて、世界のあっちこっちに行ったような?」

 

「むむむ」

 

 ヘルシングに倒された後もドラキュラは生きており――或いは復活し、世界中を旅行でもしたのだろうか?

 

「まさか、日本に来たこともある?」

 

「日本――日本、ね。

 何故かしら、鞭でやたら叩かれたとか、ロンドンでナチス残党と戦ったとか、変な思い出が浮かんでくるわ」

 

「どうして日本でロンドンなんだ」

 

「アタシもさっぱり。

 後、宝具とか倍率とか修正とかいう単語が妙に頭でざわつくのよねー」

 

「訳が分からんな」

 

「うん」

 

 しかし、ちょっとした仮説は浮かんできた。

 

「思うに、君の“ドラキュラとしての記憶”は、世界中で作られた“ドラキュラの物語”が統合されてできたものなのではなかろうか」

 

「訳が分からないとか言った割に、やたら具体的な仮説ね」

 

「やはり違うか」

 

「ううん――根拠なんて無いけど、割と合ってるような気もする。

 自分の中でなんだかしっくりくるような感じ。

 だからどうしたって話でもあるけど」

 

「まあ、そうだな」

 

 単に好奇心から尋ねたことだ。

 聞いてどうなるものでもない。

 

「アタシの方からも、一つ、いい?」

 

「うん?」

 

 ディアナからの質問。

 立場上答える義務も義理も無いが――まあ、雑談程度ならよいだろう。

 

「アンタってさ、要するに“何者”なのよ」

 

「言った通りだよ。

 前世での名前は村山秀文。

 日本に住んでいた、平凡なサラリーマンだ」

 

「平凡なサラリーマン、か。

 世界を牛耳る大企業の重役ってオチじゃないでしょうね?」

 

「そんな奴を平凡とは言わない。

 どこにでもあるような普通の中小企業で、大した役職にも就けずにさっさと過労死したのさ」

 

「……ふーん。

 ま、そういうこともあるかもしれないわね。

 でも――まだ、何か隠しているんじゃない?」

 

「そんなことは無い」

 

 しかし彼女は納得しない。

 ふん、と一つ鼻息を鳴らしてから、

 

「そう、言うつもりが無いのならいいわ。

 アンタの“隠し事”、アタシが言い当ててあげる(・・・・・・・・)

 

 不敵な笑みを浮かべてそう言い切った。

 何を言い出すつもりだ?――と疑問に頭を巡らせる時間も無く、ディアナは続ける。

 

「エイル――アナタ、現実が見えてないでしょ」

 

「現実が見えてない!?」

 

 いきなり酷い中傷だ!!

 

「あ、ごめん、言い間違えた。

 この世界を正常に(・・・)認識できてない、て言いたかったのよ」

 

 …………。

 

「認識できない、も間違いかな。

 認識し過ぎてる(・・・・)が正しいのかも」

 

「……どうして、そう思うんだ?」

 

「アナタやセシリアが使ってた魔法。

 あの術式は、エイルが造ったってことでいいのよね?」

 

 質問に質問で返された。

 腹を立てる程のことでも無いので、素直に答える。

 

「まあ、そうだ」

 

「やっぱり。

 で、あの魔法の触媒には――多分だけど、物質を構成している“電子”を使ってるのよね」

 

「……よく分かったな」

 

「現代を生きてきた吸血鬼を舐めないでくれる?」

 

 どやっとした顔で笑うディアナ。

 なんだか無性にイラっとくる表情である。

 ……まあ確かに、魔法の仕組みと現代科学の知識を持っていれば、十分推定できる範囲ではあるのだろうが。

 

「ここまで言えばアタシが何言いたいか分かってると思うんだけど――ぶっちゃけちゃうと、“触媒に電子を使う”なんて、普通の人間にはできないのよね。

 そりゃ、現代社会で生きてれば、全ての物質は分子で構成されていて、分子は陽子と中性子と電子でできている、ていう知識は得られるでしょうよ。

 でも人間の感覚器官で、物質に含まれる電子を“認識”することは不可能よ。

 知識として知っていることと、実際に実感していることは根本的に違うの。

 そして魔法の触媒には、そこに存在すると“認識”できている物しか利用できない」

 

 最後の一文は、魔法の基礎知識レベルのお話である。

 

「でもエイルが電子を触媒にしていることは間違いないわけで。

 つまるところ要するに、アンタの目は物質が――いえ、この世界が“素粒子の集合体”だと認識できちゃうってことね。

 この力、<ラプラスの瞳>とでも名付けてあげようかしら。

 どう、この推理、間違ってる?」

 

「いや――当たってる」

 

 提案された名称はともかくとして、その仮説が事実であることを素直に認める。

 

 別に隠そうとしていたわけではない。

 言ったところで誰も信じないから省いただけで。

 実は素粒子を目で見える、と言って信じる人間がどこに居るというのか。

 ……それを隠したというのだろうけれども。

 

「…………マジかー」

 

 と、私が肯定したところで、ディアナが頭を抱え――ようとして、やはり縛られているので動けていない。

 

「どうした?」

 

「いえ、そうなんじゃないかと推理したはいいけど、半信半疑だったのよね。

 高性能なマジックアイテムを持ってるって方が余程信憑性有りそうだったし」

 

 呆れた顔でそんなことを言われた。

 

「それ程の性能持っておきながら、平々凡々な生活してたって理由も納得いくわ。

 いや寧ろよく平凡に生きられたわね、あっちの世界で。

 会社員ってことは、少なくとも20年以上は生きられたんでしょ?

 素粒子の世界を()えるだなんて、下手すりゃ脳が焼き切れてもおかしくないわ。

 完璧に人のスペック超えてるもの。

 よしんば頭がおかしくならなかったとしても、そんな人間はあの社会じゃ狂人扱いよ」

 

「……まあ、そうなりかけた(・・・・・・・)ことはあった」

 

「よくなりかけただけで済んだわね」

 

「別に何もかも全てが素粒子として認識してしまう訳じゃないんだ。

 中には普通に(・・・)認識できる人もいたし、物質として認識できる場所もあった。

 あと、周囲の人にも恵まれたように思う」

 

 学生の頃も社会人になってからも、なんやかんやと世話をしてくれる人が多かった。

 それでも身体の方が耐えられず、早死にしてしまったわけだが。

 

「じゃあ、今もアタシのことは素粒子として見えてるわけなの?」

 

「いや、そんなことは無い。

 この世界に来てから、“そういうの”はほとんど見えなくなった。

 だから、君の姿もはっきりと――という表現が適切かは分からないが、とにかくちゃんと把握できている」

 

 そうでなければ、抱いたりしない。

 ……いや、やはりこう、“変な存在(モノ)”が見えていては、欲情もしにくくてですね。

 

「ふーん……この世界は地球に比べて魔力が多いからかもね。

 アンタの目の能力を、魔力が阻害してくれてるってのは有り得そうだわ」

 

「かもしれないな」

 

 そう考えると、向こうで普通に認識できた人達は、高い魔力保有者だったのかもしれない。

 こちらに来ることがあれば、私を遥かに超える魔法使いになれたことだろう。

 

「でも自分のことは良く見えてないんでしょ?」

 

「確かにそうだが――そこまで分かってしまうものか」

 

 ディアナのいう通り、私は私自身を形成する素粒子を、未だに()えてしまっている。

 より正確には、自分の身体と身につけている物が、粒としてしか認識できない。

 だからこそ、魔法の触媒として使える訳でもあるが。

 

「触媒に関してもそうなんだけど……アンタって自分の容貌に関する認識がかなり怪しいとこあったから」

 

「むむ、おかしな言動をとってしまっていたと?

 気を付けなればならないな」

 

 地球に居た頃から通して、私は私の顔をしっかり把握できていない。

 周りからの評価を聞くに、かなり整っている方だと思っていたのだが――そこからして間違っていたとか?

 

「ああ、いや、まあ、特に問題はないと思うわよ。

 今のままでも大丈夫なんじゃない?

 ……そっちの方が面白そうだし」

 

「ん?」

 

 何故かはぐらかされてしまった。

 

「あ、そういえばあのメイドの子も同じ魔法使ってたけど――彼女もアンタと同じ<ラプラスの瞳>の持ち主なの?」

 

 推してくるな、その名前。

 こちらで何か名付けていた訳でも無いから、それでも構わないけれど。

 

「セシリアは私と違う。

 よくは分かっていないのだが、この世界には認識していない物質(・・・・・・・・・)を触媒として扱える“体質”の人がいるらしい。

 彼女がそれだ。

 だいたい、君だって触媒なんて使わずに自然現象を操れるんだろう?」

 

「アタシのは吸血鬼の特殊能力で――あー、でも案外似たようなものなのかしらね」

 

 限られた血族しか使えない魔法がある、というのもこの世界の共通認識だ。

 そういう一族も、セシリアのように触媒となりうる物質を認識せずに魔法を発動させている、と私は考えている。

 例えばだが、時流を操ったり(・・・・・・・)精神を操ったり(・・・・・・・)するような魔法使いもこの世界にはいるのでなかろうか。

 

 と、ここで一つ間が空いた。

 少し経ってから、改まってディアナが口を開く。

 

「話それちゃったけど。

 結局、アタシをどうするつもり?

 まさかクレアスに返してくれる――訳ないわよね」

 

「今後の処遇を話す前に、一つ確認したい。

 君――負けたら私のモノになるって、言ったよな?」

 

「え?」

 

 ディアナの動きが止まった。

 直後、ワザとらしく首を傾げながら、

 

「あ、あら? そんなこと言ったかしら?」

 

「言った。

 確かに言った」

 

 会場で、ドラキュラが――正確にはドラキュラを模した“人形”がそう言い放った。

 

「あー、いやー、うん、でもその発言って、“人形”がしたことだし?」

 

「君の分身みたいなものなんだろう。

 ならば、その責任の所在は君にある」

 

「え、えっと、ちょっと待って。

 まさかアナタ、ひょっとして――」

 

「くっくっくっく」

 

 怯える彼女に対し、私は含みを持たせた笑みを浮かべる。

 

「ひょっとして、とてつもなくエッチなこと考えてる?」

 

「――その通りだ!」

 

 力強く断言する。

「え? 本気? アタシ、ドラキュラ伯爵なんだけど?

 化け物を抱けちゃうの?

 いつ牙剥かれるか分からないのよ?」

 

「殺す云々言うなら、別に人間なんてナイフ一本ありゃ殺せるしなぁ。

 君が吸血鬼だからという理由だけで命の心配をする必要は無いだろう。

 それに何より――」

 

 縛られたままのディアナに手を伸ばす。

 その程よく膨らんだ胸を、両手で覆い包んだ。

 

「――この肢体を自由にできる、というのは魅力的だ」

 

 ゆっくりと揉み、その柔らかな、それでいて弾力のある感触を楽しんだ。

 うむ、いい塩梅だ。

 これを手放してしまうというのは、余りに惜しい。

 

 いちいち描写しなかったが、“黒髪の美少女が鎖で縛られている”という姿も、先程から私の欲情を刺激していた。

 はっきり言って、とてもエロい。

 

「ん、んっ――ちょ、ちょっと!

 手つき! 手つきが凄くいやらしい!!

 ん、あ、うっ――変なとこ摘ままないでよ!?」

 

「ふふふふふ、君はこれから先、私の肉奴隷として生きていくのだ」

 

 表向きの待遇としては、クレアス王女の身柄を私が預かる、という形にするけれども。

 実質的にはその身体を好き放題堪能してやる所存である。

 

「作品の年齢制限をまるで考慮してない台詞!?

 あ、んぅっ! い、いい加減胸揉むのやめなさいって!!」

 

 言われたので、一先ず手を止める。

 体勢そのまま、ディアナの瞳をじっと見つめながら、囁いた。

 

「私のモノになるのは嫌か?」

 

「……そういうこと、真顔で聞く?

 まあ――――嫌じゃないけど」

 

 そっぽ向いて、そう呟いた。

 

「なんだ、君もノリノリなんじゃないか」

 

「負けたから仕方なくよ、仕方なく!!

 貴族として約束を違えるわけにはいかないし!?

 我が儘言って、クレアスに迷惑かけたら元も子も無いからね!!」

 

 顔を真っ赤に染めながら、彼女が喚く。

 本心丸わかりである。

 

 ちなみに、ここで拒まれたとしてもクレアスをどうこうするつもりは毛頭ないが、空気を読んで口には出さない。

 あの国は、アレン王を傀儡に据えてしっかり管理してくれよう。

 

「あと、色々やっちゃったわけだからどんな扱いされても文句言わないけど。

 その――できれば、アタシのこと好きになってくれると、嬉しい、かな?」

 

 ディアナが少し不安そうな表情で、そう言ってくる。

 その顔にドラキュラ伯爵の片鱗はまるでなく。

 歳相応の少女のそれであった。

 

 ……可愛い。

 ちょっと、いやかなり、胸がドキドキしてきた。

 彼女に会ってから、今一番、そそられて(・・・・・)いるかもしれない。

 

 なので。

 私はそんな彼女の唇にそっと口づけする。

 

「んっ――え、エイル?」

 

 戸惑うディアナだが、有無を言わさずその上に覆い被さっていく。

 

「ちょ、ちょっと! ココでするつもりなの!?

 できればちゃんとしたベッドの上で――――あっ、あぅっ!?

 せ、せめて鎖を外し――――あ、あ、あ、あ、あぁあああっ!!?」

 

 

 

 

 

 ……こうして。

 私のハーレムに新たなメンバーが加わったのだった。

 

 

 

 

 第3話 完



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