ハラキリシニカル (未遂)
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二日目(1)――グラマラス天然
「強いて言うくらいだったら、言わない方がいい。そう思わないか?」
そうは思わない。
世の中、言葉に出さなければ伝わらない事ばかりだ。一言足りずに理解しあえないくらいなら、一言多くて争い合った方が相互理解は進むと思う。
「ほう? 面白い事を言うじゃあないか戯言遣い。君の言葉が多くてよかった事なんて――君の言葉によって理解が進んだことなんて、一度でもあったのかい?」
楽しそうに笑われてしまった。
ただ、それを言われるとぐぅの音も出ない。ぼくの言葉が原因で事態がこんがらがる事はあるかもしれないけど、ぼくの言葉を要因に事態が収束する事なんてなかったから。あるとすればそれは、初めからなみなみと注がれていたコップいっぱいの水が、言葉の一つで溢れ出したというだけの、ただの決壊に過ぎないだろう。
それは何も考えていないヤツが出した提案だとか。
それは全てに怯えていたヤツが考えた奇策だとか。
それは皆に疑われていたヤツが嗤った便乗だとか。
それは歩く事も出来ないヤツが下卑た結果だとか。
結局初めからわかりきっていた事だった。
ぼく達はそれを知っていたのに、敢えて見過ごしていたんだ。
彼女たちに許されていたのは、何もしない事。何も見据えない事。何も為し得ない事。何も考えない事。何も言わない事。
強いて、なんて言葉で飾っても、影響を与えてしまうのには変わりない。それなら、最初から。最初から何も言わない方が建設的で――壊滅的だった。
だけど。
「美しさとは何か。外見の美醜、心の美醜。発言の美醜に発声の美醜。過程の美醜や結果の美醜もあるだろうね。あぁ、戯言遣い。きみの場合は生死の美醜と人生の美醜も含まれるのかな。なんにせよ、美しさを求めるのなら一つだけではダメだ。完璧なる美しさ。完全なる美。それは、今挙げたものだけではなく、全てを内包した美ではなくてはいけない」
そんなものは有り得ない。
何かが優れているのなら、何かが劣っている。
何かが美しいのなら、何かは醜悪だ。
何かが役に立つと言うのなら、何かは何の役にも立たないのだろう。
全てを内包すると言う時点で、皮肉な事に、美しくない。
完成された物には先が無い。向上心が無い物は美しくない。
完璧な物には上が無い。前に進めない物は美しくない。
欠点があるから美点が引き立つ。美点があるから欠点が拡大される。
この二つは切っても切り離せない表裏の関係だ。全てを内包してしまえば、醜悪も内包しなければいけなくなる。
だから。
「この世界には美しいモノと醜いモノしかいない。美しくないモノと醜くないモノは存在しないのさ。美しいモノはどこまでも美しく。醜いモノはどこまでも醜い。欠点程度の物で引き立つ美など、元より美しくなかったのだろうさ。同じように、美しいモノで浮き彫りになった醜さなど、元より醜くはなかった」
欠けでお膳立てされた美は美ではないと。
満ちで照らしだされた醜は醜ではないと。
美しさなど個々人の価値観でしかない。世界観でしかない。だから、それに左右されるものは初めから美しくないのだ。
何者にも、何事にも左右されない美しさ。
曖昧で模糊。基準は誰も知らないし、誰も考えない。無意識の訴える美醜の境界。
「どれほど醜ければ、醜悪で。どれほど美しければ、美麗なのか」
上がいれば醜いのか。下がいれば美しいのか。
目指す場所はハイエンド。どこがゴールでどこがスタートラインなのか。
誰も、知らない。
「
クツクツと笑われる。
ぼくの答えなんてわかりきっているくせに。ぼくが答えない事なんてわかりきっているくせに。ぼくの隣にいる蒼色。僕の後ろにいる紅色。ふたりを考えれば、それは意味の無い問いであると知っているくせに。
だから僕は――
「それは美しい選択だったかい?」
ぼくの目前で楽しそうに笑うこの人が、いつまでも、いつまでも楽しそうに口を歪めていたから。
讃えられた者より、讃えた者の方が。
きっと美しい心をしている。
そもそもぼくらは、なんでこのホテルに来たんだっけ?
「事のあらましを説明するのが面倒くさいからってセリフ一つに任せようとするのはやめようよ、いーちゃん。ちなみに此処に来た理由は僕様ちゃんが貰った招待状に金魚のフンみたいな形で付き添って来た感じだぜ」
「そうか、いつも通りってわけだ」
ひどく簡易的な説明で、それだけにシンプルだ。
ぼく達、というか玖渚はこの蜜梯ホテルに招待された客で、僕はその金魚のフンみたいな付き添い。地の文で言っても特に変わりは無い。むしろ受け入れた分余程惨めになったかもしれない。
「ちなみに招待された理由はなんだっけ?」
「僕様ちゃんが美少女だから」
……いつもなら戯言として聞き流す今更な理由だけど、これが本当なのだから
成程、確かに金魚のフンだ。……ふーん。
「それで、今から何をするんだっけ?」
「夕方の食事、つまり夕食を食べるために食事をするお堂、つまり食堂に直ぐに行く、つまり直行するんだよ」
「つまらないね」
「詰まり過ぎてると思うけど?」
ちなみに食事をするためのお堂だと
しかし何故ぼくは、こんななんでもない時間に今日が二日目である、なんてことを再認したんだっけ?
「これから何か起こるからじゃない?」
「……縁起でもない、とは言い切れないのが嫌だな」
なんというか、経験談で。
食堂にはすでに全員、招待客と招待主が集まっていた。つまり、ぼく達が最後というわけだ。また詰まってしまった。
「こんばんは。お席はあちらとなります」
メイド――なんていうのはあの島にいた彼女らで十分で、玖渚に声を掛けてきたのは執事服の男性。このホテルでぼくと彼だけが男。他は女性という
「いーちゃん?」
「あ、あぁ。すぐに行く」
招待されていない客であるというのに、しっかりと僕の席はあった。
ここに集められた客のコンセプトからして床に這いつくばって犬の様に皿から直接食え、なんて言われることも覚悟していたけど――そういえば一日目も今朝も普通に食事を貰っていた事を思い出す。ふぅ、やれやれ。昨日の晩御飯はなんだったっけな。
促されるまま玖渚の隣の席に座る。うぉ、今日も美味しそうだ。前のご飯は覚えてないけど。
「奥様。全員揃いました」
「全員、揃ったようだね」
執事の人はわざわざ全員に聞こえるような音量で、招待主に声を掛けて。招待主はわざわざそれを言い直す。伝言ゲームを見せつけられているみたいだ。ただしプレイヤーは二人だけ。みたいな。
「みたいというかー、それはただの事実ではー?」
「はい。すみません」
窘められてしまった。
ちぇ。あのセンスは一朝一夕には身に付かないか。
「さて――二日目の食事会を始めようさね。美しき人々よ、グラスを手に取っておくれ」
招待主が演劇でも語るような口調で朗らかに始める。老齢なのに朗明だ。
一応、ぼくは美しき人々ではないけれど、用意されていたグラスを手に取る。玖渚含めて他の招待客は既にグラスを手に取っていて、ぼくが最後だったらしい。恥ずかしい。
「
静かな乾杯。誰も追従しない。
ただ、少しだけ突き出されたグラスが食事を開始する合図となった。
皆、それはもう素晴らしいテーブルマナーを以て食事を始める。音は一切ない。口の音すらない。飲み込む音もない。
美しい食事風景。玖渚ですらその輪に入っているのだから驚嘆だ。あの僕様ちゃん道ベイベーな玖渚が。
「おや、どうしたね。口に合わないものでもあったかい?」
「いえ。僕はいただきますをしてから三十秒ぼーっとしてから食べ始める習慣があるんです」
「へぇ、そりゃあ面白い習慣だ。私も見習おうかね」
そんな、戯言を本気にされても。
ただ、吐いた言葉は消せない。
「……いただきます」
ここから三十秒、待たなければいけなくなった。口は災いの元である。
食事は大変美味しかった。どこがどう美味しかったなど僕の口では筆舌に尽くし難い。美味しいは味が美しいと書く。だからなんだって話なんだけど。
美味しい物を食べると心が満たされる。今の僕は腹が満たされているので、心も満たされたと考えるべきだろう。それならばあれは美味しい物だったと言う事になる。
ダメだ、これだと無理矢理に食べさせられた岩石でも美味しい物になってしまう。もしくは本当に美味しい可能性もある。
「どれほど美味しくてもー、無理矢理な時点で全部不味いと思いますよー?」
「はい。すみません」
諭されてしまった。
ところで何故ぼくは、この人の対面に座っているのだろうか。はて。今まで玖渚と楽しい楽しい食事会に興じていたはずなのに。
「玖渚さんがもうお腹いっぱいと言って部屋に戻られてー、それを皮切りに自室へ戻って行ったみなさん達の中でー、わたしとあなただけがー、最後に残ったからだと思いますよー?」
「はい。おっしゃる通りで」
「別にー、そんなにー、畏まらなくてもいいと思いますよー?」
「あ、そう? このノリ続けるの面倒だったんだよね」
「砕けすぎはー、良くないと思いますよー?」
「はい。申し訳ございません」
怒られてしまった。
さて、先程からデータ資源の無駄遣いと揶揄されんばかりの問答をぼくと交わしているこの人は、誰だったかな。
「私の名前はー、
「疑問符つけないのか」
「別にー、それ、キャラ付じゃないんでー」
さいですか。
しかし、名前に鞭を入れるとか、親の気がしれない。思わずウォホポーッ! とでも言ってしまいそうなスタイルなだけに冗談が過ぎるぞ!
「玉鞭さんも招待客なんですよね。理由は……聞かなくてもわかりますけど」
「そうですかー? 一応言っておくと、美しいから、だそうですよー?」
うん。
言わないだろうと思って聞かなかったのに、言うのかよ。
そう、玉鞭さんも玖渚と同じ、美しいからこのホテルに招聘されている。ちなみに玖渚は美少女だから。玉鞭さんは美女だから、だ。十人が十人美女と呼ぶだろうその肢体はグラマラスにして余計な肉の無い、モデルや美術品すらも越えてしまう完璧な肉体。黄金比はこの人の身体から取り出したのではないかと思うくらい、美しい。
そして天然だ。ここ、重要。自分が美しい事に欠片も気付いていない、天然キャラだ。ぐへへ。ぼくは巨乳ツンデレ美少女が好きだけど、グラマラス天然が嫌いなワケじゃない。
「胸は大きくないですけどー、新留さんはツンデレ美少女なのではー?」
「……デレ?」
ツンデレとはデレがあって初めて成立するものだ。あの子にはデレがない。ツンオンリー。ツンオンリーはもう嫌いって事だ。どこかの語り部が言っていた気がする。
「あれ、新留ちゃんって苗字はなんでしたっけ」
「新留が苗字ですよー? 名前は鰐江。
「そこは疑問符つくのかよ」
「他人の事ですからー」
そういう基準なのか。
しかし、鰐江。あんな可愛らしい子に、鰐江。親の顔が見て見たい。さぞかしアリゲーターな顔をしていることだろう。クロコダイってるのかもしれないし、ガビアってる可能性もあるな。ラコスってる可能性は……無い。やめておこう。色々な場所に抵触する。
「ちなみに残りの招待客はー、
「はい。すみません」
勝手についてきて。
しかし……アンディ・メアリーって。両親は余程西洋かぶれだったと思われる……苗字を造った段階からなので、かなり遡りそうだけど。
ところであの招待主のお婆さんはなんて名前なんだろう?
「
「名前に黒を入れる親の神経が知りたいですね」
「略すと原黒ですしねー」
……さぞかし、幼少期は虐められた事だろう。ご老体は労わろう。
いや、再婚して原場になった可能性もあるか。むしろ原田や原島みたいな原の付く名字でわざわざ子供に黒なんて文字は付けないだろう。うん。親の正気を疑うのはよくない。
「以上でー、このホテルにいる人間の再認は終了ですねー?」
「いや、まだですね。執事の人。名前知らないです」
「私も知らないのでー、以上ですねー」
知らねえのかよ。
いや、執事の名前を知っている方が珍しいかもしれないけどさ。けどけどさ。
「それでは私はこの辺りで失礼しますねー?
「え?」
……どういう事だろう。
別に、完全に外界から遮断されたどこぞの島で殺人事件があったとか、そういう事は無いはずなのに。
玉鞭さんは、それはもう美しい笑顔でぼくに笑いかけると、そのまま去って行ってしまった。
「……ま、いいか」
何も起こらなければいいんだから。あと、ぼくは探偵じゃないし。
何も起こらなければ、探偵の真似事なんてことをしなくても済むし。
彼女たちにはどうせ、何をする気も無いんだから。
「…………あれ、なんでぼくそんなことを知っているんだっけ」
人のいない廊下では、誰も疑問に答えてくれなかった。
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二日目(2)――愚かな提案
最後は間違えたけど、過程が正しかったからいいよね。
「部屋替えを、してみませんかー?」
深夜0時。
「部屋替え、ですか」
それは家具やインテリアを変える、みたいな。
「家具とインテリアはほとんど同じ意味ですしー、それは模様替えではー?」
「はい。つまらないギャグですみません」
「私の部屋とー、お二人の部屋をー、交換してみませんかー? というお誘いですー」
ちら、と玖渚を見る。興味なし、と言った様子。
さて、部屋を交換する事のメリット、デメリットを……考えるまでも無かった。二日目、ようやくこのホテルにも慣れてきた所だけど……。
「いいですよ」
「わーい」
うん。何もデメリットが無い。強いて言えば荷物を運ぶのが面倒くさい、くらいだけど、何も起きない、何の変化も無いこのホテルでの生活に彩りを持たせるためにはそれくらいの事があっても問題ないのだ。自発的に動かなければ、此処では何も起きない。
「友」
「ん。それじゃ、いーちゃん。これと、これと、これもって」
「はいよ」
……訂正。玖渚の荷物である、やたらめったら重いノートPCを持たなければならない事は、明確なデメリットだったかもしれない。
「私が持ちますよー?」
「え」
ひょい、と。
玉鞭さんはノートPCの入ったバッグを持ち上げる。身長が高いのも確かに或るのだろうけど、随分と力持ちだ。こういう所も含めて玖渚と対照的だな。対外に友好的な所とか。
「……っていうか、女性に荷物を持ってもらうって……」
かっこ悪。
部屋替えは恙無く終了した。何か忘れ物があったとか、何かメッセージが残されていた、なんてこともなく。何の意味があったのかと問われれば、多分何の意味も無かったのだろう。ふと思いついて、なんとなく提案した。それをぼく達もなんとなく受け入れた。
それだけ。
ちなみに各部屋、例え泊まる人間が一人でもベッドは二つあるらしく、そこも何も問題なかった。
「それじゃ、ぼくは寝るから」
「うん。おやすみ、いーちゃん」
玖渚と違って僕は夜に眠る。昼間は何もなかったけど、昼寝をしていないので眠いのだ。単純なサイクルの問題。
玖渚は折り畳み式のタッチキーボードなんてものを持ってきていて、キーを叩く音のしないそれを使っている。ぼくへの配慮だとしたら、感無量である。嬉し過ぎて涙が出そうだ。出ないけど。
とりとめのない思考を脳裏で弄びながら、ぼくの意識は深い闇の中へと落ちて行った。
爆音が響いた。一気に、闇の中から引きずり出される。
「友、」
「僕様ちゃんは大丈夫。音は部屋の外からみたいだね」
爆音から機械類を連想し、無いとわかっていながらも玖渚の方を見れば、そこには顔を顰めて耳を塞ぐ姿。ぼくは毛布を被っていたから軽減されたけど、余程うるさかったのだろう。
「マイクが爆音拾って、それが直接イヤホンからさー」
「それは痛い。ところで、なんでマイクなんか使ってたんだ?」
「いーちゃんの寝息拾うためだけど?」
……いや、別にいいけどさ。
いいけどさ!
「それより、いいの? 外。確認しに行かなくて」
忘れてた。
廊下の方にはバタバタと人が集まってくる音。よかった、この部屋を残して他全てが爆発四散したとかではないらしい。
部屋のドアを、そーっと開ける。
美幼女と目が合った。
「……変態?」
第一声は罵声だった。
寝巻の幼女。ウホー! 最高だぜ! なんて事を言っている場合じゃないのは、流石のぼくでもわかる。先程からガンガンと扉を叩く音と、玖渚さん、玖渚さん!? という必死な声が……うん?
扉から完全に出て、その声の方を見る。あー、確か、アンディーメアリー……じゃない、庵泥目在さん、だっけ。彼女が、彼女の目の前にある扉をガンガン叩いているのだ。
「あのー……アイツに何か用ですか?」
「何か用って……えっ」
まるで、幽霊でも見たかのような。
ぼくの存在に心底引いているかのような声を出す目在さん。何、ぼく、寝癖酷い?
「あ、えっと……確か、玖渚さんの付き人さん……何故牛笞さんの部屋に?」
「変態だからです」
違う。でも、新留ちゃんがぼくを変態呼ばわりした意味が分かった。
時刻は深夜。執事さんとぼくしか男がいない状況で、一人でいるだろう女性の部屋からぼくが顔を出したのだ。うん。まぁ、うん。
しかし新留ちゃんは耳年増だなぁ。
「寝る前に、玉鞭さんから提案があって。部屋を交換したんです。玖渚ならこっちの部屋にいますよ」
「そう、なんですか。あ、じゃあ、この部屋にいるのは……」
「はい。玉鞭さんです」
それを聞いて、またさっと顔を蒼褪めさせる目在さん。二人の反応を見るに、先程の爆音はこの部屋……今玉鞭さんがいる部屋から響いたのだろう。
そして、部屋の鍵もかかっていると。
「……こうなったら、仕方ありません。ぶち破ります。付き人さん、手伝ってください」
「はい」
まぁ、そうなるよな。
幸いにして部屋はまだ余裕があることを確認済みなので、扉の使えなくなるだろうこの部屋は破棄すればいいし。
「せーので行きますよ」
せーの、と。
特にタイミングがずれると言う事も無く、ぼくと目在さんのタックルは扉に命中した。
敢え無く弾かれたが。
「も、もう一回……」
「申し訳ありません、遅れました。合鍵を持ってきましたので、どうぞ、お下がりください」
「あ、執事さん」
このホテルにいるもう一人の男性こと、執事さん。名前は知らない。
迅速な対応でこの部屋の合鍵を持ってきてくれたらしい。ちなみに部屋は全てカードキーなので、鍵穴の形が先程のタックルで変形した、なんて心配も無い。
ピ、と音がして、鍵が開いた。
執事さんが扉を開ける。
「――これは」
さ、と執事さんの腕が部屋の中を隠すように伸ばされた。意味を察して、目在さんが新留ちゃんを庇うように抱え込む。
「ぼくは大丈夫です」
その腕を掻い潜って、
現場。
そう。
何も起きないはずのホテルで。
玉鞭さんは、死んでいた。
お腹の爆ぜた……まるで人形の腹部を裂いて、中の綿を引き摺り出したかのような、凄惨な光景と共に。
玉鞭さんが死んでいると聞いて、招待主である腹場さんはすぐに警察に連絡した。正確に言えば執事さんに連絡しろ、という命を出し、執事さんが連絡したのだけど。
しかし、警察が来るのにあと三日はかかるという。何故か。
それはこの蜜梯ホテルが東北二つの吊り橋でしか来られないという、ミステリーマニア垂涎モノの立地をしていて且つ、それが両方落とされているという事と、先日発生した大型台風が例年とは異なる進路で以てこのホテルに突撃するように近づいてきている事の二点が理由として挙げられる。
このある種出来過ぎた状況に眉間を抑えながらも、一応理由を聞く。
台風が過ぎ去るのに三日必要。ですよね。
吊り橋は故意だとしても、天災までもがこのホテルを”そういう状況”に仕立て上げようとしている様な気がして、頭が痛くなった。
さて、場面を現場へと戻そう。
元僕達の部屋であるその場所の、窓際の椅子。お洒落な編み椅子であったそれは、酸化して黒くなった血液に染まっている。窓を左に、出口側を右に、つまり入って右側を向いたまま項垂れるようにして亡くなっていた玉鞭さんの遺体は、腹が破かれ、中の臓物が全て掻き出された状態で鎮座していた。
それ以外の部位に外傷なし。ぼく達が聞いた爆音が死因であるのなら、今見た通り、体内で爆発物が爆発し、即死。そう見るべきだろう。
「友、人体が気付かずに飲み込めるほどの大きさ、且つ腹を破くレベルの爆発物って」
「飲み込める大きさは作れるかもしれないけど、気付かないのは無理だと思うよー? で、お腹だけを破くってのも無理。胃って案外高いとこにあるから、まず裂けるのはお腹じゃなくて胸か喉だろうね。少なくとも臓器が一つも潰れてないんだから、爆発物でー、って事はないんじゃないかなー?」
「……だよな。そもそもそんなもの飲み込まないだろうし」
いくらあの人でも。
だからやはり、玉鞭さんは腹を切り裂かれ、臓物を掻き出されて死亡し、犯人がなんらかの爆発物をこの部屋で爆発させ、ぼく達にこの殺人を気付かせた、って所か。
でも、なんのために?
「いーちゃんは寝てたからわかんないだろうけど、結構な爆発音だったよ。爆竹みたいな破裂音じゃなくて、爆発音」
「毛布の中にいたぼくに聞こえたんだから、相当なのはわかるけど……そんなもの、ぼく達の部屋にあったか?」
「んー、機械類が隠されてたら僕様ちゃんが気付かない筈ないんだよねぇ」
そう。
ぼくらと玉鞭さんは、部屋を交換しているのだ。
だからその爆発物は元から部屋に無ければおかしい。そうでなければ、玉鞭さんが持ち込んだことになってしまう。
そしてもう一つ。
「……爆発痕も、ないんだよな」
何かが爆発したのは確実なのに、その痕跡が一切見当たらない。
この部屋に於いて破裂しているものは玉鞭さんの腹だけで、まるでそれが爆発物によるものである、という主張をしたかったためだけの爆音だったのでは、と邪推する程に、なにもなかった。
「わからないことだらけだな……」
玉鞭さんが狙われた理由。彼女の死因。現場の不可解。
一応いつぞやの島やいつぞやの学校での経験を踏まえて”無くなっているモノ”も探してみたけど、それも見つからなかった。
部屋はカードキー式で、カギは閉まっていた。合鍵は執事さんの持ってきたものだけ。窓も閉まっていて、部屋に隠し扉も無し。まぁ、下手人が執事さんでない限り、密室だ。
部屋は荒らされておらず、物色された気配も無い。荷物に関しては全てを知っているわけではないので何とも言えないけど、少なくともまさぐられた、というような感じは無かった。
そして、なによりも。
「……実はぼく達が狙われていた、ってわけじゃなきゃ、いいけど」
玉鞭さんはとばっちりで……犯人はまだ、ぼくか玖渚を狙っている、なんて。
そうじゃなきゃいいけど。
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