Fate/Rib of the Lady (アビコンマン)
しおりを挟む

誰も知らないプロローグ

 

 

 まるで、黒焦げの山から火の手があがっているような夕暮れ。

 住宅街の片隅、都市型の小さな公園で錆びたブランコが揺れる。

 

「黒ーく、黒ーく、烏が啼くわ。今夜はあなたを連れていこう……」

 

 ギィ、ギィ、と揺れる、黒衣の少女の歌声は鈴のように、しかし虚ろな響きを湛え、土草の匂う空気に溶けてゆく。

 

「お歌を作っているのかい?」

 

 ブランコの横に立つ、大きな男が問う。

 少女の影の爪先が、男の帽子の影を蹴る。

 

「ええ。でも、うまくいかないの」

 

 9月初旬の涼しい風が、俯く少女の頭巾のフリルを揺らした。

 

「いいお歌を作るなら、素敵なものに触れるといい」

 

 シルクハットの下、男は皺だらけの口元に笑みを刻む。そこに浮かぶ感情の色は、窺い知れない。

 

「でも、この街はすべてが退屈だわ。きっと、これから始まるお話も」

 

 公園沿いの通りを、花柄のエプロンを着た女が無表情でベビーカーを押してゆき、舌を垂らした雑種犬を連れた老人とすれ違う……そんな、どの時代にも大差なくありふれた景色を見つめて、少女の碧眼は乾いていた。

 

 

「ああ、そうだとも。これはとてもちっぽけで、ひっそりしていて、世界の命運なんか少しも関係ない」

 

 男は灰色のコートに手を突っ込んだまま肩をゆすった……どうやら笑っているらしい。

 

「ただ、誰もが夢をみて、蹴落とし合って。そのうち一人が夢を叶える、どこにでもあるお話」

 

 そう、少女が欠伸を噛み殺すように間延びした呟きを漏らすと、通りの犬が立ち止まり、威嚇をはじめた。

 

「……ならば、私たちが面白くすればいいだろう?」

 

 豹変した犬は吠え狂い、必死に止めようとする老人は腰を痛めてうずくまり、思わず手綱を離してしまう。

 

「ええ、その通りよおじ様。私たちだって、この舞台の役者さんなのだから」

 

 エプロンの女の背中を掠め、弾丸のように疾駆する狂気の犬は、背中を向けたコートの男には目もくれず、ひたすらブランコに乗る少女に迫った。

 

「今夜で役者を揃えようと思う。構わないね?」

 

 少女に「おじ様」と呼ばれた男は微動だにしない。

 

「ええ、私、すっかり待ちくたびれたわ」

 

 敷地に躍り出て直角に曲がり、眼前に迫る犬を前に、少女は――。

 

「ああ、やっと始められるのだ」

 

 公園に、犬のあげる悲鳴が響いた。

 

「私の、いと小さき聖杯戦争を」

 

――その日、街から一匹の犬が行方不明となり、一人の老人と一人の主婦が一時的な記憶障害となった。

 この奇妙でこそあれ小さな事件が、今回の亜種聖杯戦争に因むものだとは、遂に誰にも知られることはなかった。




読者のみなさま、はじめまして。凡戸耕作(ぼんど こうさく)と申します。

奈須きのこさんに憧れ続けて、ようやく自分なりの聖杯戦争を書いてみることとなりました。

素人ゆえのぐだぐだ&行き当たりばったりもありましょうが、お付き合い頂ければ幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

英霊拝領/Install:BerserkerⅠ

1.

 

 西暦2014年。日本の冬木市と呼ばれる地方都市にて、秘かに続いた魔術儀式が終焉を迎えた。

 その儀式の名は「聖杯戦争」。万能の願望機・聖杯を巡り、七人の魔術師が繰り広げた殺し合いの争奪戦だ。

 

――まあ、それだけならば何も特筆すべきことはない。

 

 聖堂教会により観測された“聖杯”とやらはごまんとある。たしか、冬木で観測されたものが第七百二十六号だとか。

 

 無論、それらすべてが「最後の晩餐」にて用いられた「主の杯」ではないだろう。後世の騎士道物語における「救世主の血を受けた杯」に由来するモノも含め、“聖杯”と名が付き、かつ相応の神秘が宿ってさえいれば第八秘蹟会が管理・監視するという。その真贋を見究めるためという話だが、冬木の聖杯戦争の監督役は贋作と見抜いていた可能性が高いとか。(いわ)んや上層部がそれを知らないとも思えないが、果たして。

 

 そのあたりはともかく、普遍的な一大宗教の魔術基盤に根差した強力な願望機・魔力リソースには違いない。時としてそれを欲する魔術師が現れるのは必然だし、教会の代行者はそれを迎え撃つだろう。単に聖杯の争奪戦という意味の「聖杯戦争」ならばいくらでもあったのではないか。歴史の裏では、聖杯なるものを巡り、多くの血が流れたに違いない。

 

 ただ、冬木の「聖杯戦争」はその手の小競り合いとは格が違った。サーヴァントという限定的な霊基とはいえ英霊を召喚せしめたことも規格外だが、本質はそこではない。

 この争奪戦じたいが魔術師すべての大願……すなわち、根源へと至る孔を世界に穿つための大儀式だったことこそ、後に真相を知ることとなった時計塔を騒がせたのだ。

 

 そして、つい数年前に大騒ぎが終わり、冬木の大聖杯は解体されてしまったのだけれど……。

 

「まさか、私が参加者になるとはね」

 

――そう。なんでもまた、聖杯戦争があるそうなのだ。

 

 

 

2.

 

 ここは日本の関西地域(イースト・サイド)に位置する地方都市、富沢市。単純に字を意訳すると「富の流れる小さな渓谷」。由来については知らないが、このちっぽけで俗っぽい感じが私のお気に入りだ。

 

 私は市内の商店街より少し外れたところにあるアパートの一室を借りている。選んだ理由はただひとつ、「この土地の相場にしてはやたらと安かったから」。

 事前に不動産コンサルタントの人が説明してくれた情報によれば、このアパートが出来て二十年のあいだ、私の暮らす203号室では自殺が三件、未遂が二件起きているという。

 普通ならば売れるような物件ではないものの、最近ではこうした事故物件に住みたがる物好きがたまにいるらしく、あえて取り扱っているのだとか何とか。この不動産屋もたいがい変わっている。

 とは言えそんな幸運な巡り合わせにより、2LDKしかもガスコンロ付きであるにも拘わらず、東京や大阪にあると言われるスラム街の安宿を一ヶ月利用した料金と同程度の家賃で暮らせることとなったのだ。

 

 私は和室と洋室の二部屋のうち、和室のほうを寝室にしている。洋室は工房としてすでに稼働中。

 そんなわけで、ごろん、と。タタミなる、草の類いを編んで作られた、床とカーペットの間の子じみたものの上に寝転びながら、今どき蝋で封をされた招待状を日に透かしてみた。

 

「なーんか胡散臭いよね。どう考えても」

 

 私がこの、あるのかないのかわからない聖杯戦争に出るきっかけは、たまーに顔を出してる混沌魔術の結社のリーダーで、自称・死徒から魔術の奥義を授かったとかいう男の誘いだ。というより、

 

“君が私と一夜を共にしてくれたら、知人から貰ったこの招待状をあげよう”

 

 という、下心丸出しのナンパに乗ってあげただけ。まあ、いい男だったし、魔術師としては三流だけど礼装なんかのコレクションはそこそこだったし、私に断る理由はなかったのだけれど。

 

 そんなこんなで雀の鳴く朝に教えてもらったことによれば、今回の聖杯戦争は冬木の亜種で、なんでも主催者は先の「聖杯解体戦争」のどさくさに紛れて大聖杯の破片を回収・これを触媒に聖杯を鋳造したのだとか。

 

“はは、トーサカの当主がうっかり屋でよかったと言ってたよ”

 

……あの男の気取った口調と笑顔を思い出し、つい生暖かい目になってしまう。

 なお、夜のお相手は下手っぴすぎたので次はない。それはともかく、

 

“無論、今君が考えている通り、あの聖杯に冬木ほどの力はない。ただ、戦いにおいてはきっと、充分なスリルを味わえるだろうね……君、そういうのを望んでるんだろう?”

 

 この言葉については正解だ。私に真っ当な魔術師らしい崇高な大願などない。求めるのはただ生の実感。今この瞬間に命をなげうつスリルだけ。

 

「賭けてみるには充分な娯楽だわ」

 

 タタミから身体を起こし、封筒をチャブダイなるテーブルに置き、今夜に向けての諸々の準備を開始することにした。

 

「まずは鶏の確保ね」

 

 タンクトップの上に秋冬物のコートを羽織り――ふと、直感が脳裏に閃いた。

 

「……よくわかんないけど、持ってくか」

 

 私はチャブダイに置いた封筒をジーンズの尻ポケットに入れて、玄関に向かった。




 これから、各マスターの英霊召喚パートに入ります。それぞれの人物像と背景は作中でもガッツリ掘り下げますが、不足分はあとがきにて補足してゆく予定です。

 しかし、なぜ私の頭からこんなサバサバ系女子が生まれたのか。深層心理の不思議である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

英霊拝領/Install:Berserker Ⅱ

3.

 

 玄関を開けると、涼しい風が頬にあたり、ほのかな枯れ草の匂いが鼻腔をかすめる。

 昼下がりの日差しは琥珀色をしていて、眩しさに目を細めてしまう。

 

 昨日、市内で新調したばかりの膝丈のブーツがまだ足に馴染まないせいで、ちょっと歩き方がぎこちない。

 

「気分転換に買ってみたけど、実戦じゃ履けないなぁ」

 

 思えば、聖杯戦争の準備に富沢市へやってきて半年あまり。工房づくりと礼装の製作を除けば、一般的な日本に住み始めた外国人となんら変わらない生活を送っている。

 むしろ、働きもせず貯蓄をちびちび削り続ける有り様は、はたから見ればダメ人間だろう。

 

 実際、こんな長閑な街で、もうすぐ殺し合いをするなんてこと自体に実感を持てないでいる。

 

……自覚はないけど。私は今、平和ボケしてるのかもしれない。

 

 塗装の剥げたアルミ製の階段をガンガン鳴らして降りつつ、決意を込めて小さく呟く。

 

「今夜、ばっちり召喚するわ」

 

 

 

4.

 

 アパートから南の方角に歩いて十分くらいのところにあるバス停のベンチに腰掛ける。現在時刻は15時を過ぎたあたり。あと十分ほどでバスが到着するはずだ。

 

 見上げれば屋根はなく、秋めいた空に鱗雲が抽象的な模様を描いている。

 

 空っぽのケージを脇に置き、鞄から小型のヘッドホンを取り出す。ケーブルは付いてないが、同じく鞄に入っている携帯音楽プレーヤーに無線接続されている。そのためヘッドホン側のスイッチひとつで音楽が聴けるのだ。

 

 退屈な風景に不釣り合いなエレクトリック・ギターのイントロが私の意識を覚醒と陶酔の水際へ運ぶ。

 これぞ、70年代イギリス最高のロックバンドが紡ぎし叙事詩(イーリアス)。はたしてその題は――

 

“とん、とん”

 

 ふと、誰かに肩を叩かれた。横をみると一人の少女が座っている。

 

 黒く質素なワンピースに白頭巾という、いささか古風な出で立ちをした彼女は、さっき私が置いたはずのケージを抱きかかえながら、こちらに向かって微笑んでいた。

 肩まで伸びる、縮れて波のかかった白髪は額から五分に分けられており、その下に覗く、浅黒い肌をした顔は小さく整っている。

 どんな異国から来たのか、瞳は掠れた水色をしていて、

 

――まるで、空に穿たれた墓穴のように、底が無かった。

 

「ちょっと……悪いんだけど、それ私のなのよね」

 

 慌ててヘッドホンを外しつつ、少女にケージを返すよう英語で伝えた。

 私の声が震えてしまう原因は決して恐怖なんかじゃなく、容易に他人の接近を許してしまった自分の未熟への苛立ちのせいだろう。

 もしかしたら、彼女に過剰な威圧感を与えてしまったかもしれない。せめて軽く謝ろう……そう考えた時だった。

 

「ええ、承知しているわ。アニー・L・メルクリン」

 

 少女が、知らないはずの私の名前を口にした。

 

――努めて冷静に、現在の状況を俯瞰する。私と少女は一般自動車道の脇にある、せいぜい四人くらいが通れる幅の歩道に設えられたバス停のベンチに座っている。周囲の民家はみな窓を閉めきっており、通行人はいない。車の通りも疎らだ。

 

 言い換えれば、派手な魔術戦をすることは神秘の秘匿の観点から出来ない。だが、暗殺ならばその限りではないということ。

 

……私が平和ボケしてるのかもしれないって? 訂正する。私は完全に平和ボケだった。戦場に出張っていながら警戒を怠り、ここまで他人に接近を許したのは馬鹿だった。その結果がこのザマだ。

 

 そして、極めつけは少女の放った言葉だ。その意味が解らないほどには私も馬鹿じゃなかった。

 

“私はあなたの全てを握っている”

 

 つまりは、そういう宣言だ。いたいけな見た目のわりに主導権の取り方は弁えている。将来は結構、悪い女に育ちそうだ。

 

「あなた、聖杯戦争の参加者?」

 

 とりあえず聞くだけ聞いてみると、少女の顔は愉悦に色めいた。

 

「ええ、半分は正解ね。もう半分は……」

 

 ゆっくりと勿体ぶった言い回しをしながら、頭と右手の人差し指を振り子のように揺らしている彼女に、なんだか無性にイラッときた。

 

 とりあえず、コイツが聖杯戦争の参加者で、すなわち私の敵であるという最終確認は済んだ。なので、私は大きく息を吸い込み、

 

 ものすっごく大きな声で叫びながら走り出した。

 

「ええっ?!」

 

 さっきまで余裕たっぷりだったガングロリ(“顔の黒いロリ娘”の略)が動転しながら目を白黒させて……いるかどうかは見てないからわからないが、すっとんきょうな叫びを聞くかぎり、意表を突くことには成功したらしい。とりあえずこのまま全力で走る。

 

「ハハハハハ、ばーかばーか!」

 

……さっきまでの状況は、魔術による暗殺にこそ適してはいた。ただし、それはこちらに一切悟られず、刹那に仕留める場合に限る。

 第一、神秘の秘匿を遵守しなければならない魔術師が、白昼堂々の奇襲をかけるなんて余程の隙を無くさなければ成立しない。

 彼女のように、せっかくあと一歩まで追い詰めておきながら、大詰めで正体を曝すなどというヘマをすれば、こういう強行策を取られるリスクが付きまとう。

 

「衆人環視の状況さえ作れば、もう手出しは出来ないってね!」

 

 私は今、両足に強化をかけるなどということは一切していない。そんなことをしなくても、彼女は私に一切の干渉が出来ないのだから。

 このまま自宅の工房に篭れば、ひとまず夜までの身の安全は確保出来るだろう。それまでに戦闘体制を整えるのが急務だ。

 私の〈眼〉だけで戦いになる自負はあるけど、それはあくまで魔術師同士の戦闘に限る話だ。あの娘が既にサーヴァントを使役している場合、状況は絶望的だ。サーヴァントにはサーヴァントをぶつけるしかない。

 

……召喚陣の作成、出来れば鶏の血でやりたかったけど仕方ない。そもそも、家系的に向いているのは宝石だし。

 

「…………っ」

 

 思わず、歯軋りをしてしまう。

 

 こうやって追い詰められるたび、メルクリンという血統――その、赤い巨人が私に手を差しのべてくる。そいつは私を助ける代わり、個としての私を真っ赤に塗りつぶし、そんなものは欺瞞に過ぎぬと嘲笑うのだ。

 

「それでも、やるしかない」

 

 走って数分。何軒かの家の窓、何人かのすれ違う通行人から注ぐ怪訝な視線をこれ幸いに、目前に迫るアパートへとラストスパートをかける。だが、

 

「……やあ、君がジョニーの代わりの参加者だね?」

 

 砂利だらけの駐車場の前に、灰色のコートの男が佇んでいた。

 




サクサク更新してる作家さんはすごいなと思いつつ、生みの苦しみを味わっている新人が私です。どうにか次回でアニーのパートを一旦締められたらと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

英霊拝領/Install:Berserker Ⅲ

5.

 

 午後の澄み渡る風光のなか、一人佇む男の姿が妙に煤けて見えた。

 

 私は走る速度を徐々に落とし、息切れを整えながらゆっくり男へと近付いてゆく。

 

 初老に差し掛かったくらいだろうか、皺の刻まれた面に無精髭を生やし、白髪混じりのぼさぼさ髪を無理矢理シルクハットに押し込めた、見るからにだらしない風体の大男だ。

 アイロンがけのしていないワイシャツにカーキ色のスーツのズボンを履いているが、締め上げる黒革のベルトに腹の贅肉がせり上がっている。

 癖になっているのだろう猫背を、くすんだ灰色のコートが包んでいる。その姿が何とも特徴的で、もはやコートこそが彼の本体だと言わんばかりの存在感を放っている。

 

 男の背後には、彼のものらしきクラシックな高級外車が無断駐車されていた。

 

「…………」

 

 さっきから脳内で警報が鳴り止まない。拠点を把握された上、その退路を完全に断たれた。

 更に、後ろからはあの少女が追ってくるだろう。これで挟み撃ちになる未来はほぼ確定したと言っていい。先の想定どおり、今すぐ何かをされなくても、ほぼ確実に危機的な状況へと誘導される。

 

――ならば、活路を開くために。ここで布石を打とうじゃないの。

 

【分光器官、調整開始】(Tuning:Spectrometer Organ)

 

 脳に響く内言。それは私の〈眼〉を駆動させるための三小節(スリーカウント)中の一小節(ワンカウント)

 残りは私の意識に連動して〈眼〉の側が自動的に対応してくれる。これで下準備は整った。

 

 では、ひとまず情報収集も兼ねた舌戦といきましょうか。

 

「あんた誰? ジョニーの事を知ってるなら関係者よね?」

 

「……ふむ、どうやら彼から聞いてなかったようだね。ほら、私だよ。君のポケットに入ってる招待状の主さ」

 

 心外だとばかりに男は肩をすくめ、顎をしゃくる。

 

「?」

 

 私はジーンズの尻ポケットから封筒を取り出し、まじまじと見つめて思い至った。

 

「なるほど。ミョーな魔力の残り方してるわけね。

 手紙(これ)で居所を知ってたんなら、もっと早く顔を出してくれないかしら? ウォルター・ビショップさん」

 

……なんていう肩透かしだ。思わず大きなため息を吐いてしまう。

 

 目の前にいるのは、今回の聖杯戦争の主催者だ。

 

「こちらもまだ、細々とした準備が終わってなかったのだよ。すまんね、アニー・L・メルクリン」

 

 男の表情はあからさまに不機嫌だ。

 その理由なら、こちらには分かりやすすぎるくらい察しがつく。

 

「あなたの親友のご子息が、こんな女に参加権を譲ったのがご不満かしら?」

 

 ちなみに、封筒のなかの手紙にはこう書かれている。

 

“我が親愛なる盟友の子、ジョニー・B・グッドマンへ

 

 このたび、私が数年来の苦心を経て計画した極秘の儀式、すなわち「小聖杯戦争」がようやく開催する運びとなった。

 もし、君に亡き父君の悲願を継ぐ意志があれば参加されたし。この招待状こそは君の勝利を約束するものである。

 

 なお、開催場所と日程については同封の地図を参照されたし。願わくば君の栄光に立ち会えん事を。

 

       ウォルター・ビショップより”

 

……なんとも、主催者とあの遊び人の間にある心理的な温度差が感じられる内容で、愉悦に口角が歪んでしまう。

 

「ああ、不満だよ。彼奴めがこんな売女をこちらに寄越すことがね。

 血は薄くともレーマン家に連なる一族の(すえ)が、よもやこのような雌犬に成り下がろうとはな」

 

 相手の切り返しに、思わず眉間に皺が寄る。まあ、聞き飽きた罵倒の類いだけど、それでもムカつく。

 

「ところで、さっきバス停にいた娘はあなたの弟子? それとも孫?

 使いに出すならもっと礼儀を教えてやりなさいな。下手したらいつか殺されるわよ」

 

 ここは言葉の応酬も兼ねて、もう一つの不安要素を潰しておく。

 

「ああ、これはすまなかった。私のアビーが迷惑をかけてしまったかな?」

 

 とても謝っている風には見えないニヤニヤ顔だ。にしても、これは本当に冗談ではない。

 

「さっきのあれ、戦場で兵士の目の前におもちゃのナイフを出すようなものよ。

 迷惑以前の問題として、あなたの指導が怠慢な証拠よ。今のうちに直してあげなさいな」

 

 事実、あのアビーという娘のやらかしは度し難い。たしかに魔術師にはああいうトリックスターを気取る手合いもいるが、生き残るのは本当に才能のある傾奇者だけだ。ほかはひっそりと魔術社会から淘汰されていく。

 

 あの束の間の邂逅だけで彼女の資質を推し量ることは出来ないが、ああいう振る舞いが招く不測の事故を防ぐためにこそ、師であるウォルターが教え導く義務がある。

 

 だというのに。その、相変わらずのニヤニヤ笑いは何だ……?

 

「なるほど、ご指導痛み入る。魔術使いに成り下がろうともそこはそれ、メルクリン家の次期当主だった娘よ。

 ただし……君は二つばかり勘違いをしているようだ」

 

 やっぱり、弟子とは師に似るのだろう。回りくどいことを言うのがお互い好きだと見える。

 

「なるほど。そのあたり詳しくお聞かせ願いたいけど、流石にここ、まずくないかしら?」

 

 後ろを振り向くと、家々の二階窓や門の前から未だにこちらを見つめる人たちがいる。

 ついでに、ようやくアビーという少女も、とぼとぼこちらに歩いてきた。

 

「それもそうだな……では、三人でドライブと洒落込むかね?」

 

 男は後ろに鎮座する黒塗りのクラシックカーに親指を向けた。

 私は苦笑しつつ手を振る。

 

「冗談。まだあんたを信用しきったわけじゃない。うちに上がりなさいよ、お茶くらいなら出すわ」




※次話は10月末予定です※


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

英霊拝領/Install:Berserker Ⅳ

6.

 

 私が住んでるアパートの、ふだん生活している和室。そのど真ん中に置かれたチャブダイに、二人の魔術師と一人の少女が座っている。

 

 魔術師のうち、一人はもちろん私のこと。フスマなる横開きのドアのほうに背を向けあぐらをかいている。

 

 もう一人は聖杯戦争の主催者たる老魔術師のウォルター。薄手のレースカーテンの掛かる窓側に腰掛けているが、どうもそわそわして落ち着かない様子だ。顔は居心地の悪さを隠そうともしてないし。

……まあ、椅子に慣れ親しんだ身体がザブトンに馴染むには時間が要るから仕方ない。

 

 そして、少女は私から見て右側、陽の暮れてゆく西の方にて正座している。ウォルターと私のコートが掛かった壁に向け、背筋をしゃんと伸ばしている。

 別に故郷で日本文化を教わったわけでもあるまいに、楚々とした佇まいが妙に絵になっていた。

 

「あなた、ずいぶん慣れてるのね。正座」

 

「おじ様の書庫のご本で知っているから。それに駅前の電気屋敷で不思議な劇を見たわ。『KABAJIRUSHI』って言うのだけれど」

 

 少女はとくに表情を変えず、どこか気怠い声音で淡々と答える。こちらに流す横目がなんともオマセだ。

 

「KABAJIRUSHI……ああ、街頭ビジョンか。ヤジマ電機の。まさか、あの電気ポットのコマーシャルでマスターしたわけ?」

 

「街頭ビジョン?……コマーシャル?……え、ええ、その通りよ」

 

 澄まし顔を保とうとするも、すこし困り顔をしてしまうのが可愛らしい。それでも背伸びをしようとするのが年相応でたいへんよろしい。

 

「さりげなくすごいのね、あなた」

 

 社会的微笑に愉悦を秘めて、ちょっぴり褒めてあげれば案の定。ほっと安堵の色を浮かべてから澄まし顔に戻るも、何処か鼻高々といった感情の色は隠しきれない。ほんの少しだけ口許が緩んでいる。

 

 ちなみに、KABAJIRUSHIとは河馬印という日本の家電メーカーのことであり、彼女の見たものは電気式保温ポットの商用宣伝(コマーシャル)、和製英語でいうところのCMだろう。使用するたび家族など特定の連絡先にメールが届くという高齢者の安否確認を兼ねたスグレモノの宣伝だが、キュースにお湯を注ぐお婆ちゃんが正座をしているシーンがある。

 

 それから彼女はチャブダイに置かれたユノミ……スモー・レスラーの名前が並ぶクールなやつだ……の底に左手を、側面に右手を添え、厚手の縁に薄く小さな唇をあて、緑茶代わりに注がれたコーヒーを音を立てて啜った。

 

「よいオテマエで」

 

 私の目をじっと見つめて、アビーは真顔でそう言った。

 

(こうして見ると可愛げがあるけど……)

 

 正直、私はまだ彼女の目を直視出来ない。なので、彼女を見るときは褐色にツヤめくおでこに視線を向けることにしている。

 

“あの目の奥に、覗き込んではいけない何かが潜んでいる”

 

 そんな、奇妙な確信。自分でもいささか笑ってしまうような、けれど拭いがたい畏怖の感覚。

 たとえ根拠がなくても、私は私の勘を信じることにしている。故に、私はそれを見ない。

 

 きっと、それが正解だと思うから。

 

「さて……アビーについての説明の前に、私が君に会いに来たそもそもの目的を果たすとしよう……業腹だが、我が盟友の子(ジョニー)との約束でね。君にだけはこの小聖杯戦争について説明をすることになっている」

 

 咳払いをひとつして、ウォルターが話を切り出した。

 

(じゃ、ここからは〈視〉るとしましょうか)

 

 私は老魔術師……脱いだ帽子の形に潰れた髪型もそのままに、皺だらけのワイシャツの両肩にサスペンダーを掛けたその男へと視線を向けた。

 

――目の奥で、カチリ、カチリと。人知れず駆動する〈眼〉が光る。

 

 それは機構仕掛けの万華鏡。今は無色の金剛石(ダイヤモンド)。幾何学的に配列された反射板(レンズ)たちによる可憐な輪舞(ロンド)

 

頭脳天体〈鏡像の双子〉観測(Neuron Horoscope:Mirroring Gemini)

 

 頭蓋に響く内言詠唱。超伝導する細胞膜に波紋(ビート)迸り超電導。シナプス間隙にて播種される熱き神経伝達物質。私の頭脳に()く火、(はし)る火、擬似魔術回路が星座をなす()

 

仮想魔眼〈感情視〉展開(Phantom Sight:Eye of the Feeling perception)

 

 我が偽りの双眸(ふたつまなこ)に仮初めの(いろ)は幻燈する。輝く(みどり)の斑模様は孔雀の羽根にも(たと)えられよう。

 

 (これ)こそは、魔術によって魔眼の領域に至らんとしたメルクリン家の到達点――仮想魔眼(Phantom Sight)の発現である。

 

 詠唱から発現まですべて私の脳と眼球内で完結するそれは、かの老魔術師にも気付かれることはあるまい。擬似魔術回路をなす幾つもの宝石製チップを組み込まれた脳を守る頭蓋骨から魔眼を担う分光器官(Spectrometer Organ)を覆う義眼に至るまで、魔力を隠蔽するための結界が緻密に組み込まれているのがこの身体なのだから。

 

――視界が、切り換わる。老魔術師の全身を色彩の靄が覆うのが視える。それは色と形を変えながら、今この瞬間も変動している。

 

 つまりはこれが視覚化された感情。

 

「ふうん……ずいぶん義理堅いのね。適当な理由で参加を蹴られた貴方がそこまでする必要ある?」

 

「そんなものは無いさ、本来ならな。正直私は彼奴や貴様のことなぞどうでもいい。我が盟友、ダニエル・B・グッドマンが私に宛てた遺書に従い、彼の息子の頼みには可能な限り応える……その契約を果たしているまでのこと」

 

 鼻を鳴らした男の腹に赤く針鼠状の怒りが澱む。尖度はさほどでもないが粘っこい。額には灰色がかった青が内側から撫で付けられていて、理性を保つ努力が見受けられる。

 しかし、何より〈眼〉を惹くのは、鳩尾のあたりから額までに立ち昇る白い誠実さだ。どうやら彼の盟友とやらに対する想いに偽りはなく、その強さもまた尋常ではない。

 

「貴方、意外と愚直なのね。そういう人は嫌いじゃないわ」

 

 社交辞令と本音を半々に織り交ぜながら微笑すると、腹部の赤が暗色にくすんで萎縮した。

 

……まさか、緊張しているのか?

 

「私に媚びたところで無駄だよ」

 

 そう言うと男の全身は灰色に染まり、ところどころに曖昧な紫が滲んだ。全体的に暗い色調だが、時折どこかが微細に震えるほかはすっかり落ち着いた。

 

「話の腰を折ってごめんなさいね。もう邪魔はしないわ」

 

 軽く謝ると、男はひとつ咳払いをした。これが話を本筋に戻すという合図だった。

 

「では、この儀式における聖杯について説明するとしよう」

 




投稿ノルマと実生活との時間配分を鑑み、予定の半分程を投稿。

感情視の魔眼のビジョンについては、事件簿においてイヴェットちゃんが断片的に語る情報をベースに独自解釈を多分に盛り込んだ形となりました。

ようやく次回でこの聖杯戦争のシステム解説になります。果たしてサブタイトルの英霊拝領とはなんぞやという疑問にもようやく答えが出せます。

そして謎の黒いアビーについても、色んなことがちょっとだけ明かされます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

英霊拝領/Install:Berserker Ⅴ

7.

 

「冬木における聖杯戦争システムの大部分を担っていたのは大聖杯……円蔵山にある仏教寺院地下の大空洞に秘されていた巨大な儀式装置だった」

 

 頭のあたりを快活な蛍光色が渦巻く男は言葉を区切り、一口コーヒーを啜った。どうやら口に合ったらしく、黄色っぽい満悦が胃の腑に染み渡るのが視えた。

 ユノミは商店街で買った手頃なやつだが、コーヒーそのものの豆と淹れ方にはこだわっている。ごく少量しか出回らないセントヘレナ島産の高級豆……なんでも、かのナポレオンも愛飲した逸品だとか……を自家焙煎の専門店で買い、そこで教わった濾布(ネル)式による繊細な抽出法を用いて仕上げた一杯だ。貴族主義の染み付いた彼も、こればかりは認めざるを得まい。

 

「マスターの選出、聖痕および令呪の付与、サーヴァントの召喚と霊基の維持、小聖杯により穿たれた“世界の外へと至る門”を固定する台座としての役割……聖杯戦争とは本来、大聖杯なくしては成立しないものだろう」

 

 時折、私の視界をアビーの黒いワンピースの袖がよぎり、チャブダイの中央に置かれた木製の椀に盛られた芋ケンピを指先につまんでゆく。

 あれからコーヒーを飲んでいる様子はなく、ひたすら芋ケンピばかりを咀嚼する音が右耳に聞こえる。どうやら先っぽからコリコリと噛み、全部を口の中に入れてからボリボリと磨り潰すという二段構えの楽しみ方をしているようだ。

 

(本当は苦かったんだろうなあ、コーヒー)

 

 私は笑いを噛み殺しながら 、あくまで視線をウォルターに固定するように努めた。

 

「だが……それもあくまで“根源への到達”を目指すなら、という話でしかない。たとえば根源へと至る孔の観測のみを目的とすれば小聖杯で事足りるだろう。それに、願望機としての役割は小聖杯のみで果たせるわけだ」

 

 頭が眩しいくらいに輝き、全身が赤い興奮で炎上する。その表面を額から流れる青が伝い、かろうじて静めている。

 その、グロテスクな極彩色にまみれたドヤ顔は感情視が不要なほどに露骨だ。この男、実は結構、魔術師にしてはわかりやすい性格をしてるのかもしれない。

 

「私が計画した小聖杯戦争というのはつまり、あくまで願望機としての聖杯を求める者達のために編み出したものだ。根源へ至れぬ下位互換とはいえ、この技術こそは協会の奴らが欲したものだろうが。ざまあみろ、俺を認めなかった罰が当たったな!」

 

 何やら興奮のピークを迎え、一人称まで変わってしまったウォルターが歓喜の叫びをあげる。全身がもう太陽のようにメラメラとしているが、しかし何故か、まるで日陰にでも入ったように薄暗いもので覆われている。

 

……そこにあるのは、拭いきれない自らの劣等感を過剰に鼓舞し、周囲を卑下することで振り払おうとする、卑俗で野蛮な人間性。身の丈以上の自尊心を持て余した、無様な男の姿だ。

 私の胸裡に沸き起こる苦い嫌悪の感情。それが単に、男の醜悪さへの侮蔑だけではないこともわかっている。

 

 その姿は、とても私に似ているのだ。認めたくはないけど。

 

“ううーん惜しいんですよねぇ。いやいや、脳をまるごと擬似魔術回路にしちゃうとか宇宙に見立てて天体運営の模倣をしちゃうとかそういう発想はかなりマーヴェラスですよ? そこに脳科学や超心理学なんかのニューエイジ系も合体させて科学と魔術の超融合シンクロナイズな感じに持ってく感性は超電磁砲(レールガン)直撃クラスに電撃(ビリビリ)ものです☆そんな素敵にラディカルで大胆なアプローチはホントにGJ. ずびしっ!”

 

 何故、こんな時に。

 

“性能の一部も私のより凄いかもですよ? 刻印も碌に株分けされなかった分家さんにしてはすっっっごく頑張ったというか大出世だと思うんですけど、その道をレーマン家(うち)が選ばなかった理由も分かっちゃいました”

 

 思い出して、しまうのか。

 

“色々と無駄が多すぎるという以前に。それ、もう魔眼じゃないですよね。似て非なる何かです。人間になるため一生懸命進化してたらいつの間にか鯨になっちゃった哺乳類というか。目指すもの、根本的に間違えてません?”

 

――黙れ、本家の娘(イヴェット)

 

 フラッシュ・バックする記憶の澱。

 それは私を呪縛する、言葉の檻。

 

 思わず、奥歯を噛み締める。

 

「ところでジョニーから聞いたけど、貴方って元は降霊科(ユリフィス)祭位(フェス)だったのよね」

 

 それでもあくまで、微笑を崩さず。澱を流すように話題を変える。ただし、本題からはズレすぎない程度に。

 

「ああ。より厳密にはその下位にあたる召喚科が専門だった。境界記録帯(ゴーストライナー)……つまり英霊の降霊や召喚の技術については右に出る者なぞいなかったよ」

 

 ウォルターが言う英霊の降霊や召喚とは、魔術により『座』に記録された英霊の能力や宝具の力を一時的かつ限定的に利用するものをさす。冬木のように人格ごと現世に再現するような規格外の代物ではない。

 

「なるほど。ってことは聖杯戦争を研究してたの?」

 

「しようとはしていた。第四次が始まる前からな。だが、法政科からの圧力ゆえ取り掛かることが出来なかった」

 

 セピアというのは懐古の原色なのだろうか。男の脳裡からその色が、苦く煤けながら滲み出す。

 

 もっとも。感情視も魔眼や保持者自身の特性や文化圏により様々な視え方の違いがあるというのが父の意見だ。あくまでこれは、私が思い出に与える色彩にすぎないのかもしれない。

 

「もしかして、協会を離脱したのもそれが理由?」

 

「ああ。しびれを切らして英国を去ってから十数年……第四次終結の三年後から解体戦争終結のその日まで……私は日本に潜伏していた。冬木を調査するためにな。もっとも、第五次まではマキリの監視がやたらと執拗でな。終結直後のどさくさに紛れて大聖杯の存在までは突き止めたが、すぐさま法政科の管理下に置かれた。まったく、使い魔をいくつ潰されたか思い出したくもない」

 

 ふーん、と聞きながら、すこし、何かが頭に引っかかる。

 

「でも、おかしくない? 貴方は召喚科、それも英霊専門のそれで祭位(フェス)になったんでしょ? 法政科は調査協力を求めなかったの?」

 

「…………」

 

 沈黙する老魔術師の腹部に黒い渦が生まれる。それは男の存在の基底より漏れ出す、深淵の情念。

 彼が協会に抱く劣等感や敵愾心と結び付くものでありながら、本質においてはまったく別の、異次元の悪意。

 

 あえて陳腐な名を与えるならば“狂気”。あるいはそれが、彼の【起源】に由来する衝動か。

 

 残念ながら、感情視では複雑な思考までを読み取れるわけではない。ただ一つ、推測出来るのは。

 

 何らかの理由で、男は協会に危険視されていた、ということだけ。

 

「いささか、話題が逸れたな。ちなみに今回の聖杯戦争における英霊召喚についてなんだが……」

 

 とても不自然な話題の転換だが、仕方ない。ここで下手に踏み込むのは危険だし、何よりこの情報を入手するのが先決だ。




文章量の増加のため分割投稿。展開がやや遅くなりますが、この段階で描いておく必要のある場面を色々と盛り込ませていただきました。申し訳ありません。

次回は英霊拝領システムと小聖杯戦争Q&A回です。比較的淡々とした内容になると思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

英霊拝領/Install:Berserker Ⅵ

「まず、君が考えているような形でのサーヴァント召喚は出来ない。私が鋳造した聖杯の場合、霊基そのものは全クラスを用意出来るが、いささか実体化が困難でね。出来たところで二騎がせいぜいだ」

 

……さっそく、残念なお知らせが投下された。正直、それくらいは予想していたけれど。

 

「いや、普通に難しいだろうなって思ってたわよ。本音を言えば、この聖杯戦争じたいが何かのブラフなんじゃないかとすら考えてたから」

 

 だが、そんな悲報と裏腹に、老魔術師は不敵な笑みを浮かべる。

 日が沈み、翳りを帯びる部屋のなか、彼のオーラばかりがじっとりとギラついている。

 

「まあ、話はここからなんだが……そこで私は新しいサーヴァントシステムを考えたんだ。

 私の専門たる降霊魔術、それも英霊の憑依を応用したものになるが、七人のマスターそれぞれにサーヴァントの霊基を一騎ずつ憑依・定着させ、肉体の一部にサーヴァントの肉体を一部実体化させるというものだ。

 サーヴァントの血と肉を分かち、これを身に宿す……この儀式を名付けて『英霊拝領』と呼ぶ。君もご存知だろう、かの普遍的な宗教における『聖体拝領』に準えてみたのだが、なかなか悪くない名だろう?」

 

 サーヴァントを肉体の一部とする……また、ずいぶんと冬木とは趣の異なるものになった。まあ、英霊の力の行使としてはこちらがより真っ当な形に近いのだろうけれど。

 

 英霊拝領という名もまあ悪くはない。ワインとパンを救世主の血肉に準えて自らの内に取り込むそれと、英霊の血肉を自身の肉体に分有するそれは表層だけを見れば何処か似ている。根本的な目的などはまるで違うにせよ。

 

「ちなみに、何処にサーヴァントの肉体が実体化されるかは聖痕、および令呪の位置で判別出来る。すでに、君も聖痕が発現している頃ではないかね」

 

 

 なるほど。これは戦略的にも利用できるシステムだ。敵マスターの令呪の位置からサーヴァントの拝領された部位を読めるというのは知っておくと有利になる。

 ちなみに、私の聖痕は両脚に発現している。これはなんとも、僥倖。

 

「なお、宝具についてなんだが、今回は真名解放が基本的に出来ない。令呪一画による一時的な発動がせいぜいだ」

 

「つまり、令呪の切りどころが増えるってことね?」

 

「どうかな……この聖杯戦争において、マスターの生命がサーヴァントにとっては文字通りの“命綱(ライフライン)”故、裏切りや暴走の類いが起こる確率はかなり減るだろう。むしろ、令呪の使用のメインは真名解放になると私は考えている。

 因みに、令呪の使用回数は冬木と同様に三画だ」

 

「なるほど。令呪は宝具に使え、か」

 

 横で、カチャカチャと何かをかき混ぜる音がする。

 どうやらブラックに降参したアビーが、半ば冷めたコーヒーに砂糖とミルクを入れてかき混ぜているようだ。

 しかし、ユノミにティースプーンというのは、我ながら不恰好な取り合わせで申し訳なくなる。

 

「厳密に言うと、令呪無しでも真名解放は可能ではあるんだがね。ただ、その場合は令呪による魔力補助がないため、ほとんどの場合サーヴァントの霊核が崩壊する。つまり、その時点で敗北だ……まず、そんなことをしたがるサーヴァントがいるとも思えんが」

 

 これは小聖杯だけでサーヴァントのバックアップをするが故の限界だろう。致し方のないことではある。

 

「ところで、サーヴァント毎のクラス別スキルというのがあったと思うけど」

 

「それは小聖杯戦争においても健在だ。セイバー、アーチャー、ランサーの対魔力、これに加えてセイバーならば騎乗、アーチャーならば単独行動。ライダーはセイバーと同じく対魔力と騎乗、キャスターは陣地作成と道具作成、アサシンは気配遮断、バーサーカーは狂化。

 これらのスキルはサーヴァントの霊基に依存する故、特に肉体の部位に拘わらず使用出来る」

 

「元は別々のサーヴァントとマスターを乗り換えたり、再契約するのは出来るの?」

 

「不可能とまではいかないが、現実的ではないな。サーヴァントがマスターの肉体から離れることはすなわち消滅を意味する。アーチャーの単独行動とて最高でも丸一日がせいぜいだろう。しかも霊体以外の姿は取れない。

 なお、勝敗は冬木と同様、サーヴァントの消滅かマスターの死亡により決定される。しかし、小聖杯戦争においてサーヴァントとマスターは一心同体」

 

「つまり、敗北とはすなわちマスターが死ぬことってわけ?」

 

「理解が早くて助かる。もっとも、令呪無しの真名解放などにより先にサーヴァントの霊核が崩壊した場合などはその限りではないがね」

 

 スリリングという意味ではまあ、こういうのも嫌いじゃない。色々とがっかりしたポイントはあるにせよ、私がやりたかった命の駆け引きは十分に出来そうだ。

 

「じゃあ、万が一生き延びちゃった敗者への救済措置はないの? 冬木では聖堂教会が保護をしていたけど」

 

「残念ながら無い。そういう意味でも、敗者に待つ運命は冬木より過酷だろう」

 

 まるで、どこぞの異郷の邪神像のごとく。全身を色とりどりに輝かせながら酷薄に笑う男を見ながら、私はただ、ふうんとしか思わなかった。

 

 正直言って、この男が語ること、やることなすことの一切が凡庸に過ぎる。

 

 別に、参加の意図が揺らいだわけではない。この程度のことは想定内で、その範囲のなかではわりと体裁の整った部類ではある。

 

 だが、その程度の代物を披露して……多少の謙遜を交えているとはいえ……やたらと喜色満面なこいつは何なんだ?

 

 第一。根源に至れない聖杯戦争なんてありふれている。そんな何処にでもある聖遺物の争奪戦、魔術協会と聖堂教会がいくらでもドンパチやり合ったろう。

 もっとも、この男の目的は劣化コピーであろうと冬木式のそれを再演することで魔術協会に一泡吹かせることのようだが、はっきり言おう。彼らはこんなものに興味を示すとは思えない。

 せいぜい、神秘の秘匿が破られたときが面倒だからと法政科が鎮圧に乗り出すくらいか。

 

 第二に、ただの降霊魔術の延長に成り下がったサーヴァント・システム。冬木式に存在した様々なリスクや厄介な側面が緩和したぶん、その神秘としての崇高さは失われた。

 

 そも、何故、英霊の人格と肉体まで含めて召喚していたのか。

 それが何故、七騎だったのか。

 その儀式形態に秘められた、『始まりの御三家』それぞれの大願とは何だったのか。

 

 別に、これが他の魔術師ならば理解できた。あるいは、ここまで聖杯戦争を地に落としたことに対し、何らかの忸怩たる想いが見られたならば納得はした。

 

 だが、コイツがそれを平然と見失っていることに腹が立つ。

 

――おい、ウォルター・ビショップ。かつては誉れも高き召喚科の祭位(フェス)。我は英霊召喚の申し子と豪語して憚らぬそのアンタが、この程度か。

 

 薄っぺらい誇りに目眩ましを食らったまま、この男は信じている。児戯にも等しい奇跡の燃え滓の先に、己の有り得べき栄光が奪還されることを。

 

 まるで、絵空事を画用紙に描く子供のように。

 

「……話は変わるけど、小聖杯戦争についての説明を私だけにする理由は?」

 

 失望と怒りとで若干声が震えたが、彼は何がしかの感銘によるものと受け取ったようで満悦の笑みである。

 

「君を勝たせることがジョニーの望みだからさ。そしてジョニーの望みはダニエルの望み。私はそれを叶えるまでさ」

 

 そう言って、コーヒーをまた一口啜る。そして、ぽつりと言葉を継いだ。

 

「ああ、今のうちに言っておくとな。今回のマスター候補は君を除くと魔術師はいない。代行者の一人娘と修験道崩れのゴロツキ以外は一般人だな。最後の一人がまだ分からないんだが……まあ、君が負けることは万が一にもないだろうよ」

 

……まさか、気遣いのつもり? ますます興醒めだわ。

 

「でも、彼らにも最低限の説明は必要なんじゃないの? 別にフェアゲームにしろって意味じゃなくて。

 一般人がサーヴァントの力を手に入れて暴れだしたら困るでしょ? 神秘の秘匿なんてあったものじゃない。教会による隠蔽工作も機能しないんじゃ大問題よ」

 

 ああ、駄目だ。口調に苛立ちが混じる。最近、感情を隠すことが下手になってる。焼きが回ったかな。

 

「そういう意味でも、君には可及的速やかに他のマスターを潰して欲しいんだが、一応そのあたりはこちらにも準備がある……」

 

 そう言ってウォルターは、意味ありげな視線を横に流した。

 

「そのために、アビーがいるのさ」




次回、我が家の黒いアビーちゃんの紹介回です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

英霊拝領/Install:Berserker Ⅶ

 何か、妙な含みのある色をした男の瞳に、私の〈眼〉は彼女へと向けられた。

 

「…………ッ!?」

 

 果たして、私は表情を隠せていただろうか。

 彼女の、そのあまりの異形に。

 

「ずいぶん待たせてしまったが、そろそろアビーについて、君に説明しなきゃならないね」

 

 それは外見のことじゃない。浅黒い肌、縮れた白髪、掠れた空色の瞳には何の変化もない。

 その時代錯誤な……現代ではせいぜい、アーミッシュの集落くらいでしかお目にかかれないような……厳格な貞淑さを示す白い頭巾と黒いワンピースも。

 

「まず第一に、彼女は孫でも弟子でもない。そもそも人間という括りにはいない。

 アビーはサーヴァントなんだ」

 

 私の魔眼は精確に、彼女の感情を視る。その色を、波を、そして構造(カタチ)を。

 

「とは言え、君が気付かないのも無理はない。それには一応理由があるんだが、今はまだ秘密だ」

 

 今、彼女の肉体には観測出来る限り三つほどの精神が同時に存在し、それぞれが独自の色と波の基調を持って活動している。

 それらは何らかの“糸”のようなもので無理矢理縫い付けられているように見える。

 

(これ、霊基ごと弄られてるわよね。三体同時に合体させてるの?)

 

「さあ、挨拶しておやり」

 

 老魔術師の促しに、少女は無表情で頷いた。

 ツギハギだらけの精神が、バラバラに色めく。

 

「ご挨拶が遅れてごめんなさい、お姉さん。

 サーヴァント・煽動者(アジテーター)、アビゲイル・ウィリアムズよ。どうぞ、アビーって呼んでくださいな」

 

 さざ波の立つオーラは、しかして矛盾を暴露する。

 

 まず、彼女がサーヴァントであり、かつ煽動者(アジテーター)なる謎の特殊(エクストラ)クラスだという厄ネタは残念なことに「本当」だ。

 だが、彼女がアビゲイル・ウィリアムズだということについては事情が異なる。

 三つの異なる層をもつ精神のうち、一つを除いて「否定」を示す動きが見える。つまり、

 

(あの三重人格……と言うよりもはや、複合亡霊のサーヴァント版って感じだけど……そのうち、一つは確かに彼女で、他は違うわけだ)

 

「……ちょっと待ってよ。情報量と疑問点が多すぎて理解が追い付かないんだけど。

 この聖杯戦争、サーヴァント単体での現界は無理なんじゃなかったの?」

 

 彼女の正体を探りつつ、ウォルターの爆弾発言を紐解く作業を並行する。

 

「そこは言っただろうに、メルクリンの娘よ。私の小聖杯で実体化出来るサーヴァントは二騎までなんだ。

 だから、一騎ぶんは私のアビーに回して、残りの一騎ぶんを君達マスターに分配したわけさ」

 

 いけしゃあしゃあと宣う、ウォルターのオーラにブレはない。事実、彼はこの点について嘘は吐いていない。

 

 ただ、真実を言わなかっただけだ。

 

「いっそ清々しいくらいの職権濫用で気に入ったわ。一発ぶん殴りたいくらい。

 でも、それで何でわざわざアビゲイル・ウィリアムズなわけ。元・召喚科の貴方なら、もっといくらでも強い英霊呼べたでしょ……てか、座にいるの? アビゲイルって」

 

 そもそも、英霊の座っていうのは神話や伝説に残る英雄の類いが生前の功績と死後の信仰によって召し上げられる場所だ。そこは過去・現在・未来から切り離され、架空の存在から英霊として昇華された者、未来に英霊へと至った者、そもそも人間ではないもの等も存在するとかなんとか。

 ところで、英霊の中には「反英雄」というカテゴリが存在する。なんでも己の悪性が結果的に人々の救済に繋がった功績を以て召し上げられると言う。第五次でライダークラスとして召喚されたメドゥーサが最たる例だろう。

 そして、アビゲイル・ウィリアムズと言えばかの悪名高い「セイレム魔女裁判」の引き金を引いた少女だ。なるほど、彼女を枠に嵌めるならば反英雄こそがふさわしい。

 

 だけど、セイレム魔女裁判なんていうのは、17世紀アメリカの一つの村で起きた宗教がらみの集団リンチ事件にすぎない。

 その下手人の一人を務めただけの小娘が、なれるか? 反英雄なんて。

 

 そりゃ世界中のオカルトマニアや好事家や学者先生たちの興味と関心は集めてるけど、足りなすぎるだろう。神秘とか色々。

 こういった歴史上の事件の裏側に神秘の痕跡を探る魔術師は協会の内外を問わずいるものだが、セイレム魔女裁判やアビゲイル・ウィリアムズに特筆すべき何かがあったという話は聞かない。しかも、村人を絞首刑に追いやった数では別の少女のほうが多いって話じゃなかったか?

 

(映画のウィノナ・ライダーの影響で座に至ってたら笑うなあ)

 

……ふっと湧いたアホな考えを棄却する。そもそも本来のアビーもその女優も白人であり、こんな褐色ロリ娘じゃないだろう。

 

「アビーが英霊なのは君。彼女が今・ここに召喚されていることが全ての証拠じゃないか」

 

 そう言って笑うウォルターのオーラが不自然な反応を示す。

 これは完全に、ダウト。

 

(正規の召喚ではないわね。だから弄ったのかな、アビーの霊基)

 

「まあ、居るものは居るんだからそうよね。でも、何で彼女なの?」

 

 あえてすっとぼけて話を続けると、ウォルターの感情に奇妙な動きが視えた。




アビーを爆死した私の心に久しく失われていた冬の庭が帰ってくる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

英霊拝領/Install:Berserker Ⅷ

 ウォルターを〈視〉る。全身をヴァイオレットと黒の入り雑じる斑模様がドロドロとうねり、妖しい波動を放っていた。

 

「アビーは……その……私の恋人、なんだ」

 

 やや下に目を逸らし、含羞を帯びた微笑みを浮かべて、ウォルターはそう言ってのけた。

 

「おそらく、君は頭のなかで通俗的な勘繰りを巡らしたことと思うが、その通りだ。私は小児性愛者(ペドフィリア)でね。無論、アビーのことは性的欲求の対象として捉えているよ……ただし、その処女性の故に。

 誤解が無いよう言っておくが、私はアビーに対して性的交渉はおろか接吻すらも断じてしない。したくないと言えば嘘になってしまうが、それをしてしまえば彼女から処女ゆえの美しさが失われてしまうだろう? だから、しない。私にとってアビーは天使だからね」

 

 男の心臓のあたりに、無垢な白光が日溜まりのように照り付け、金色の粒が精霊のように飛び回っている。

 

 その、劣情と純情とが一緒くたに混ざりあった姿に、思わず吐き気を覚える。

 

「……なんていうか、ロリコン趣味を聖杯戦争にまで持ち込む度胸はもう、キモさを通り越して崇高ですらあるわね。でもごめんなさい。聞いておいてなんだけど、知らなきゃよかったってのが正直な感想」

 

「そう思うのも無理はないか。だが、私としてはアビーの関係性について告白出来て嬉しいよ。何なら私はこの街中の人間に私達の関係を知ってもらいたいからね。そうやって、私と彼女の美しい絆を知らしめ、より絶対的なものへと昇華したいのさ」

 

 男の瞳に透明な光が宿り、オーラの輪郭が微かに震える。

 いい歳をして年端もいかない少女に現を抜かす異常な情愛と支配欲にも辟易するが……何より気がかりなのはアビーのほうだ。

 

「ねぇ、ぶっちゃけ貴女はどう思うわけ? ウォルターのこと、好き?」

 

 わざわざ、こんな事に私が首を突っ込むのも野暮だとは分かってる。そもそも聖杯戦争には何の関わりもない蛇足も蛇足のお節介。それは分かってる。分かってはいるが、この辺をはっきりさせておかないとなんか、私がもやもやしてしょうがない。

 

 ふと、ウォルターの肩とオーラが跳ねる。緊張と怯えで瞬時に輪郭が刺々しくなるのが分かりやすい。

 

「……私は、おじ様のものよ」

 

 対してアビーは、年頃の少女ならば敏感に反応して然るべき話題にも拘わらず、表情を変えず、取り乱しもせず、冷然と答えた。

 

――〈感情視〉第一相(アビー)

色:透き通る、黒に近いグレー

波:若干の作為的な乱れ

 

――〈感情視〉第二相(???)

色:青ざめた黒

波:悶えるような捻れ

 

――〈感情視〉第三相(???)

色:灰色

波:堅固な印象を与える多角形を描き、微弱に震える

 

(おうおう、こいつは片想いですねぇ老魔術師さま)

 

 第三相の意味するところはいまいち難解だが、とにかくアビーを含む三人格は満場一致で彼に好意らしきものを抱いていないことが判明した。うん、あとで酒の肴にしよう。

 

「さて、私とアビーが相思相愛ということも理解してもらえたところで、彼女の役割について教えておこう」

 

 知らぬが華とはこのことだろう、文字通り安堵の色を浮かべたウォルターが説明を続ける。

 

「彼女の煽動者(アジテーター)というクラスは私の特別製でね。文字通りの【煽動】……彼女の声を聞く者は皆、彼女の言葉を信じ、翻弄され、熱狂の坩堝へと駆り立てられてゆくよう専用のクラススキルを設けている。彼女がセイレムにて招いた災厄の功績を元に、私がスキルへと昇華させたのだよ」

 

 興奮に爛々とする男の指先がわなわなと震え、手にしたままのユノミの底がゴトガタとテーブルを叩く。

 

「そうなると、彼女がマスター候補者たちへの水先案内人を務めるってこと?」

 

「ああ。彼女の手にかかればこの街の腑抜けた者共も喜び勇んで殺し合うだろうよ。

 だが、それで終わりじゃない。彼女のスキルの暗示的側面を利用し、マスター達に小聖杯戦争のルールを円滑に理解・遵守させることにも繋げているのだ」

 

 なるほど。言ってしまえば彼女がこの聖杯戦争における一サーヴァントにして、聖堂教会に代わる監督役をも担うというわけだ。サーヴァントの力を利用し、洗脳まがいのかたちでそれを実現するのはなかなかに厄介で強引だが……あれ?

 

 私、効いてないぞ? 【煽動】。

 

(彼女がアビゲイル・ウィリアムズと言ったときも、自分のことをウォルターのものだと言ったときも)

 

 おそらく私の仮想魔眼システムが脳の認識補正にかかわることに加え、〈感情視〉の魔眼を発動していたことで認識の歪曲や改竄を免れたのだろうけれど。

 

(あるいは、アビーに“騙す気がなかった”か、ね)

 

 ずっと、何処か心ここにあらずといった具合のアビーを見ていると、微かに感傷めいたものを覚える。サーヴァント相手に抱く感情として、いささか呑気だとは思うが。

 

「彼女について、これ以上の情報は流石に手の内を明かしすぎてしまう。話はここまでにさせてもらうよ」

 

「ええ、正直言ってサーヴァントの真名もクラスも明かしてる時点で正気の沙汰じゃないくらいには親切だったわ。本当にありがとう」

 

「ああ、それじゃあ――」

 

 男が再び、アビーに目配せをする。

 

 その、胸部にはしる“ノイズ”を、私は見逃さなかった。

 

 カーテンから漏れる黄昏色の日射しを背に、逆光と殺意とで黒く塗り潰された男の口が赤く裂ける。

 

「やっておしまい」

 

分光器官、調整開始(Tuning:Spectrometer Organ)

 

 男がアビーにそう命じるのと、私の仮想魔眼(Phantom Sight)が機能を変えるのとはほぼ同時だった。

 

「ええ、おじ様の仰せのままに」

 

 ゆらり、黒衣の少女は立つ。

 

「――身体強化(Reinforcement)

 

 私は詠唱とともに立ち上がりざま、チャブダイを蹴り上げる。飛躍的に向上した脚力により舞い上がるチャブダイはアビーの頭上へと降り注ぐ。

 

……それは所詮、時間稼ぎの目眩まし。私はすぐに背中からフスマをぶち破り、キッチンルームへと出る。

 

頭脳天体〈蛇髪の首〉観測(Neuron Horoscope:Stoned Algol)

 

 アビーはスカートの下……ドロワーズのボタンをそっと外す。その無表情を、かすかな恥じらいがほの赤く染め上げる。

 すると、降り注ぐチャブダイ、ユノミ、芋ケンピに木椀などなどの一切合財が不可視の“何か”の殺到により直撃を防がれ、まるで無数の鞭に撃ち抜かれるかのように弾き飛ばされて粉々になる。

 その“何か”はどうやらドロワーズの穴から生じているらしく、コーヒー一滴、破片一つ浴びずに佇むアビーのスカートを膨らませている。

 

(……ドロワのボタンを外すのが工程(アクション)ってこと……?)

 

 否。それじたいが力の発動に関与した様子ではない。これはひたすらに物理的な要因によるものだろう。

 だが、その卑猥で、滑稽で、故に悪辣さを際立たせる冒涜的な光景に、私のなかで何かがキレた。

 

(――死ねよ、クソジジイ)

 

 キッチンルームのど真ん中、私は新たな魔眼を発動する。

 

仮想魔眼〈石化〉展開(Phantom Sight:Cybele)

 




 さいきん他所で与太SSばかり書いていましたが、失われかけたアイデンティティを取り戻すため次話投稿。がんばるぞい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

英霊拝領/Install:Berserker Ⅸ

――白き〈(ほし)〉に刻まれた、長方形(バゲット・カット)赤瞳(せきどう)が光り、

 

ㅤ世界が、止まる。

 

「ぐうぅぅぅ!!?」

 

老魔術師(ウォルター)が呻く。驚愕と苦悶に見開かれた両目は、腰のポーチに伸ばされたまま石化してゆく指先に釘付けられている。

 

ㅤさしずめ、悪霊の類いを召喚・使役するための戦闘用の礼装でも入っていたのだろう。それを出される前に止められたのはよかったけれど。

 

「――――っ!」

 

ㅤそれは全く、不可視の不意打ち。私の頭部へと打ち出された“何か”がもたらす空気の微震を肌で感じ、咄嗟に床に伏せ、左手に転がった。

 

ㅤコンマ何秒にも満たない直後、私の立っていたあたりの天井と床の破裂する音が右の鼓膜を叩き、その致命的な威力を物語る風圧が頬を殴った。

 

ㅤ追撃を予測して身構えたが、それで見えざる何かの動きは止まり……おそらくはその主であるアビーもまた、虚ろな表情のまま硬直していた。

 

(うわー、間一髪だったわ……)

 

ㅤ吹き飛んだ木片や舞い散る塵芥を意識から除外し、視線をあくまで彼らから逸らさぬよう注意しつつ、額から流れる冷や汗を拭う。気が抜けて変な笑いが口元に浮かびかけるが、引っ込める。

 

「……ふう。よくもやってくれたわね」

 

ㅤもう、声も発せないほどに固まった二人を前に、ゆっくりと立ち上がる。

 

ㅤ意識はとっくにスイッチを切り替えて、呵責も感傷も遮断している。今の私は、この聖杯戦争を生き延び、勝利するためなら“何だって出来る”。

 

「どうせ、聞いても答えらんないでしょうけど」

 

ㅤ私の仮想展開する〈石化〉の魔眼は無論、真性の担い手(ゴルゴーン)のそれからは大きく劣化している。サーヴァント相手にも効いたのは僥倖だったが、出来るのはあくまで「活動の停止」までで絶命には至らない。おまけに脳にかかる負担もそれなりにあるため、専用に調整された身と言えども長時間は行使出来ない。

 

ㅤ故に、あともう一手が要る。

 

「たしか、サーヴァントってマスターが死ねば消滅するのよね?」

 

ㅤウォルターに歩み寄りながら、デニムの前ポケットに忍ばせたレミントン製M95護身用二連装小銃(ダブル・デリンジャー)を引き抜く。

 

「こっちを油断させるつもりで色々喋ってくれたのはありがとう。有効に活用して勝ち上がるわ」

 

ㅤ彼までだいたい3mぐらいの位置で立ち止まる。アビーを視界から逃さずに撃てるギリギリの距離だろうか。

 

ㅤデリンジャーは手のひらにすっぽり収まる玩具めいた見た目の通り、物理的な命中精度も殺傷能力もそんなに高くないのが一般的だ。まして一世紀半も前の骨董品であるこれは筋金入り。このぐらいの距離でも眉間をぶち抜くとか多分無理。

 

――けど、これでいい。この“魔銃”にとっては充分な距離だ。

 

ㅤバレルに二発の黒い銃弾……狂犬弾(Rabid Bullet)を装填する。専用の礼装として調整された魔銃により撃ち出されたコイツは標的を追尾し、簡易的な結界なら余裕で食い破り頭部へと潜り込む。後は脳をぐちゃぐちゃにするまで駆け回る、ひたすらに悪趣味で悪食の馬鹿犬。ネーミングセンスもクソの極みだが、そんなところも愛嬌っちゃ愛嬌か。

 

ㅤ擊鉄を起こし、眉間に構える。“人を殺す”という未知の経験に顔を出す一抹の怯懦をため息で追い払う。

 

「じゃ、さよなら。醜いロリコンのおっさん」

 

ㅤとくに何の感慨もない別れの挨拶とともに私は引き金を、

 

「すみません、お届け物の配達にあがりました」

 

ㅤ背後に現れた謎の闖入者のせいで、引き損ねた。

 




エタらせはせん! エタらせはせんぞぉ!


アビーガチャ禁がはかどります…………。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

英霊拝領/Install:Berserker Ⅹ

ㅤ咄嗟に振り向く。声の主は私の背後にいた。

ㅤ否。より正しく言うなら、そのヒトガタをした黒いカタマリは私の影から立ち現れていた(・・・・・・・・・・・・)

 

「何、アンタ」

 

ㅤこちらの問い掛けに応えることなく、(ソイツ)の体から蓄音機の立てるような白い砂音が流れ出す。

 

“ーーあー、テステス。これ音入ってる?”

 

(この声、ジョニー?)

 

ㅤ私を小聖杯戦争に巻き込んだ男の、鼻に掛かる軽薄なソプラノ。部屋に張り詰める殺し合いの空気がぎこちなく弛緩していく。

 

「ちょっと、断りもなしに茶々入れんじゃーー」

 

ㅤ嗚呼、それがまずかった。これも全部、あの空気を読まない優男のせい……じゃないな。

 

ㅤ今が“殺し合いの最中”だっていうのを二度も忘れた、平和ボケした私のせいだ。

 

「ふふ、つーかまーえた」

 

ㅤ鈴と鳴り渡る童女の声が(くら)(おぞ)ましく鼓膜を(ねぶ)る。

鬼ごっこ(キャッチ・アンド・キャッチ)(かちどき)とともに。私の命へ、彼女は嬉々と手をかけたのだ。

 

「ッ!」

 

ㅤ振り向きざまにデリンジャーを撃ち込もうとわずかに身をよじったとき、既に自分は“籠のなか”なんだと悟った。

 

ㅤ私の身体に触れるか触れないかのところで大蛇のようにとぐろを巻く“柔らかな牢獄”。その姿は見えないが、濃密な気配と腐った薔薇のような匂いとが否応なく存在を伝えてくる。

 

ㅤ幾重もの螺旋を描いて全身の可動部位へと周到に張り巡らされたこれが、私を魔女として裁く処刑の縄だって言うんだろうか?

 

「いい子よアニー。間違えて触れでもしたらすぐ死んじゃうもの」

 

ㅤプツリ、コポリ。胎の内より、何かの“泡”が浮かび弾けるような音を立てながら、煽動者(アジテーター)のサーヴァントが歩み寄る。

 

「はぁ……羨ましいわ」

 

ㅤ深い溜め息を吐きながら、少女は私の背中に小さな身体を密着させ。褐色の百合みたいにすぼめた手の平で、私の胸をタンクトップの上から愛撫する。

 

「……悪いけど、私アンタのママじゃないのよね。ヒトのモン勝手に慰みものにしてんじゃねぇよぶち殺すぞクソガキが!」

 

ㅤ臨界に達した殺意とともに無理やり身体を捻り、アビーの褐色の額に風穴を空けようと向けた銃身がパンッ、と、宙を舞う。それが畳に落ちたときには、まるでダリの絵画に出てくる溶けた時計みたいにぐにゃぐにゃだった。

 

「あはははは、可愛い人。身も心もこんなに大人でいらっしゃるのに、まるで恋を恥じらう女の子みたいなことを言うなんて」

 

ㅤからころと響く笑い声も、衝撃に痺れ皮の剥けた手指の痛みも、すでに意識にはなく。

ㅤただ、どうしようもない絶望感に脚が震えた。

 

「私も、こうなってみたかったわ」

 

ㅤ私という玩具を慰撫しながら、少女は静かに呟く。

ㅤ陶酔と羨望、追憶と怨念。声音に宿る、複雑に絡み合った感情の色が泥のように零れ落ちて。

ㅤ悪寒が背筋を駆け抜ける。

 

「……私の魔術、どうして効いたフリなんかしたの?」

 

ㅤ凍りついた思考と感情のなか、気付けばそんな言葉が唇から漏れ出た。

ㅤこんな時でも“魔眼”と白状しないあたり、私にも魔術師としての意地が残ってるんだろうか。

 

「可笑しいわ、そんな事を気にしてらっしゃるのね? それなら、石みたいに動けなくなったおじ様が変てこで面白かったから真似してみただけよ」

 

「Fuck.」

 

ㅤ嗚呼。どうして私はこんな奴に一度でも憐憫を抱いてしまったのか。

ㅤ小さく可憐な子供の姿をしながら、いかにも怪しい老魔術師の使い魔兼愛人として仕えていたから?

ㅤ全く、私としたことが見落としていたのだ。彼女はたしかにその真名を告げていたというのに。

 

ーーアビゲイル・ウィリアムズ。未だアメリカならざる新大陸において、“セイレム魔女裁判”という狂乱の宴を招き寄せた恐るべき子供(アンファン・テリブル)が、ただ救いを待つだけの囚われのお姫様なんかであるわけがなかったのだ。

 

「さぁ、貴女の魔術を解いて下さる?」

 

「…………わかったよ」

 

ㅤ言われるままに、魔眼を停止する。万華鏡から、星の灯が消える。

 

「いい子よアニー。おじ様が喋れるようになるまでは長生き出来るわ」

 

ㅤ激しい悔恨が臓腑を焦がす。こんなところで、まだ自らの力において何も成し得ないまま嬲り殺しにされる未来を、抗うことすら出来ずに受け入れるしかないのか?

 

「畜生……ッ!」

 

ㅤ掠れる喉から搾り出すように言葉を吐く。そして、ここからはもう、何も言うべき事はない。

ㅤこの先起こることの一切を、心を殺してやり過ごすと決めた、その時。

 

“あー、ロバートくんいける? 固まってた? そうかなるほど彼女のアレか……ん゛ん゛っ、ちょっと君達! そこでストップだ!”

 

ㅤすっかり忘れていた影のほうから、情けない声が鳴り渡る。

 

「貴方達、私の邪魔をするの?」

 

ㅤその台詞を言い終わる前に、私の背後にいたアビーが不可視の触腕を振りかざし、巨人が殴り付けるような風圧で前方の黒いヒトガタを斜め上から叩き潰した。

 

「食事のテーブルに蝿がいては駄目なのよ?」

 

「……いや、マジで俺殺すと不味いっスよ」

 

「!?」

 

ㅤ背中ごしに、密着したアビーの全身が強張るのを感じる。すると、潰れたはずのヒトガタが、私に重なるようにしてある彼女の頭部の影から伸びてきた。

 

「なんつーか、ジョニー……ああ、今喋ってる俺の依頼人なんスけど、君のマスターと彼女さんに話があるとかで。最悪、俺かそこの彼女さんが死ぬと、漏れなく法政科に儀式がバレる手筈になってるらしいっスよ。まとめると、殺さない方がお互いのためっス。俺も死にたくないし」

 

ㅤ不気味に佇むその影の主が放つ不釣り合いなほどフランクで凡庸な言葉にどんな顔をしたらいいのか迷いながら、

 

「私、アイツの彼女じゃねーし!」

 

ㅤとりあえず、一番重大な誤解に訂正を入れておいた。




次話投稿、遅れて申し訳ありません……。

そろそろきちんとプロットを作りたい所存。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。