Anima Machinae (三三三)
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第1話 配備初日

「そうそう、ダネルNTW-20。それが本日着任する戦術人形(ドール)の名前です」

 カリーナは書類に目を通しながらついでのように言った。

「ここ、サインお願いしますね」

 遺伝子レベルでの生体認証技術すら一般に用いられている昨今、いくらでもコピー可能な自筆のサインを書類に求める意義はほとんど無いと言っていい。戦術人形が汎用化され戦場から生身の人間が姿を消した現代においてすら、旧時代的な個人認証手段を用いているのは、果たしてこの企業のお偉方の脳内が前時代的ノスタルジーに冒されていることの証左足りうるだろうか。

 これ以上ないほどに形骸化し、かつ無駄な工程をひとつ増やしているに過ぎない作業を前にすると、あるいはいっそ呪術的に意義があると言われた方がまだ納得できるようにさえ思える。まあ、そんな妄言を吐いて恥じることのない組織であったなら、俺はこの場にいなかったとは思うが。

「サインは代筆しておいてくれ」

「はいはい」

カリーナは生返事を返すと、俺の筆跡を正確に模して作戦報告書にサインを記した。

「それと、本日『配備』される戦術人形、だろう。『着任』ではまるで人間だ」

「またそんなことを言う。恥ずかしがり屋さんですねぇ、指揮官は」

「何? 俺が何を恥ずかしがっているというんだ」

 戦術人形はあくまで大量生産(マスプロダクション)の工業製品だ。いくら精巧に人の形を模し、戦略的に判断可能なAIを搭載しているとて、今、カリーナが筆記に用いている万年筆と本質的に差はあるまい。会社から貸し与えられた貴重な戦力であることは間違いないが、それ以上のものではありえない。

「まあいい……それで、工廠からこちらへはいつ頃届く。性能は早めに見ておきたい」

「あれ、指揮官にもスペックデータは送られていませんでしたっけ」

「当然目は通した。通したが、カタログスペックなど企業のプロモーションの一環にすぎん。実地で検分しなければ、実戦に出すには心もとない」

「勤勉ですこと。ええと、予定ではもうそろそろ工房に……」

 カリーナがそう答えるか否かといったちょうどその時、ポン、と間の抜けた電子音を発して通信端末がメッセージを受領した。SENDの欄には部隊直属の人形工房長の名が見える。

「マイスター、グッドタイミングですねえ」

 俺は作業の手を止めて席を立ち、帽子掛けから制帽をとって目深にかぶる。

備え付けの鏡の前に立って着衣に乱れが無いかを確認する。

「……やはり貴族趣味が過ぎるな」

 鏡に映る制服を着た自分の姿を見て、ついいつもの愚痴が口をついて出た。

「でも私は嫌いじゃないですよ」

 俺の隣に並んだカリーナは無責任な笑みを浮かべてそう言った。

「お前の評価は聞いていない……行くぞ」

 鏡を後にし、俺は執務室の出口に向かう。

「はいはい。相変わらずつれないですねえ、指揮官」

 カリーナも後から追いかけてくる。俺たちが部屋を出ると、電灯はひとりでに消えた。

 戦術人形が届いた人形工房は駐屯地の端だ。

 俺はカリーナが話しかける言葉のことごとくを聞き流しながら、事前に閲覧したダネルNTW-20のスペックデータを脳裏に浮かべて歩みを進めた。

 

 

 

[第2話につづく]

 




※一部修正(ダリル⇒ダネル)
ご指摘ありがとうございます!


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第2話 ドクター・ドラゴンフライ

 

 戦術人形(ドール)は携行する銃種に応じて素体の機能が最適化されている。

HG(ハンドガン)タイプは暗所での索敵能力、MG(マシンガン)タイプは大重量運搬のために強化された膂力、SMG(サブマシンガン)タイプは短射程からくる近接格闘の可能性を考慮した機動性――そしてRF(ライフル)タイプは超長距離からの目標狙撃に特化されている。

 どうやら、ダネルNTW-20は、そのRFタイプ戦術人形の中でも特殊な理念で開発された機種らしい。射程距離と威力を確保するために大型化する傾向にあったRFタイプだが、その中にあってダネルNTW-20は異様とも言える長砲身・大口径。並みの戦術人形ならば一射で粉砕可能な威力を持ち、徹甲弾を用いれば重装甲兵の分厚い防御鋼壁をすら容易く貫通するという。

 それが本当ならば、俺の部隊の戦力増強に大いに役立ってくれることだろう。現在の部隊でも通常任務をこなすに不都合は無いが、この先どんな相手に出会うかも定かではない。

 未知の敵、格上の敵を前にしたとき、選択肢が多ければ多いほど生存確率は上昇する。通常の戦術人形を相手にするには過剰とも思えるほどの火力も、必要とされる戦場はきっとあるだろう。

 問題は、工廠が謳う「大火力」が果たしてどこまで本当かという点だ。

「まあ、7割といったところか」

 俺のつぶやきを耳ざとく聞きつけ、カリーナが振り向いた。

「何かおっしゃいましたか、指揮官さま?」

「いや。ダネルNTW-20のスペックを思い出していただけだ」

「おやおや、随分とご執心ですねえ。気になりますか、そんなに?」

 口元に手をやり、カリーナはニシシと笑う。

 オレンジ色のサイドテールが動きに合わせて揺れる。

「当たり前だ。俺の部隊が新たに得る戦力のことだ。気にならないはずないだろう。どうせ工廠が寄越したデータなどあてになるようなものでもないので、7掛けで考えねばなという話だ。何しろ製品を売るためならばどんな誇大広告でも平気でやってのける連中なのだからな」

「ふうん?」

 カリーナはへらへらと軽薄そうな笑いを張り付けたまま私の隣を歩く。預金残高を眺めることと俺をからかうことの他には特に興味の対象を持たない、と公言して憚らない彼女にとってはいつものことだ。

 ここが軍隊であれば俺は彼女を「指導」の名のもとに殴り飛ばしていたかもしれないが、幸いにしてグリフィン(ウチ)は私企業。そんなことをすれば責を負うのは俺自身である。

 益体も無い会話を交わしている間に、俺たちは目的の建物までやってきていた。駐屯地の端にぽつんと建っているこの白く平べったい直方体の建物が、俺の部隊付きの人形工房である。

「無駄話はおしまいだ。行くぞ」

「感動のご対面ですね!」

 相変わらずの様子のカリーナをしり目に、俺はIDカードをかざして工房の中へ入った。

 外観同様に白く無機的な内装の廊下を奥へと進んでいくと、次第に辺りが雑然としてくる。俺には全く用途不明の機械類が廊下の壁際に追いやられ、積みあがったそれらの量が増えるにつれ俺たちの歩くスペースは狭くなる。まるで鍾乳洞にでも迷い込んだようだ。雑物の隙間から辛うじて覗く一定間隔で取り付けられた電灯だけが、俺たちが建物の中を歩いていることを思い出させてくれる。

「前に来た時より物が増えていないか」

「ついこの間、大掃除をしたばかりなんですけれど……」

「そうなのか……。しかしだいぶ歩いたような気がするが、今何時だ」

「私たちがここに入ってからまだ5分ですよ」

「どうにも時間の感覚が狂うな、ここは」

 それからさらにもう5分ほど歩き、俺たちはようやく工房の最奥にたどり着いた。

 来訪を告げるベルは物に埋もれて探すべくもない。俺は仕方なく、カリーナに扉をノックさせた。

「マイスター? 指揮官さまがお見えですようー! ついでにカリーナちゃんもいます! マイスター!」

 カリーナは十分以上に騒々しく工房長を呼び出すが、室内から反応は無い。彼女は業を煮やし、さらに激しくノックをする。俺が辺りの物が崩れて気はしないかと周囲を見回したその時だった。

 唐突に開いた扉の奥から、ずんぐりむっくりの人影がぬっと姿を現した。

「聞こえとるわ、騒がしい犬っころが」

「犬って!」

「ぎゃんぎゃんわめく、犬っころ(カニーナ)だろ」

「カ、リ、ー、ナ!」

愛情(カリーナ)なんてタマか、てめえ。それとワシは『マイスター』なんてガラじゃあねえ。呼ぶなら『ドクター』と呼びやがれ」

 ドクターを自称する男はずんぐりむっくりではあるが、上背もかなりある。俺も身長が低い方ではないが、それでもまだ多少見上げるような格好になった。伸び放題になった白く長い髪と髭。逞しく筋肉のついた四肢。油染みまみれのツナギを着込み、ワークグローブをはめている。人形師というよりはドワーフの鍛冶師と言われた方が納得できる容貌ではあるが、彼は間違いなく我が隊の人形工房長、通称『ドクター・ドラゴンフライ』その人だった。

「……っと、指揮官。アンタもぼっとしてねえで、さっさと入って下さいや」

 彼は着けていた拡大鏡付きゴーグル――まるでトンボの複眼のように見える――を額に押し上げ、俺に声をかける。俺は彼に招かれるままに、室内に足を踏み入れた。工房内は廊下の惨状とは打って変わって整頓された空間だった。

「要らなくなったものをすぐ外にポイしちゃうってだけの話ですよ」

 カリーナがこそりと耳打ちをした。

 なるほど、確かに物が多いことに変わりはないが、きちんと必要なものがあるべき場所に置かれているように見える。

「さ、お目当ての戦術人形はこっちです、指揮官。ちょうど入隊処理(イニシャライゼーション)が終わった頃でしょう」

 ドラゴンフライが俺たちを招いたのは、修復中の戦術人形が入る修復槽(ハンガー)が立ち並ぶスペースの奥。彼個人のワークスペースのすぐ手前の開けた場所だった。

「こいつです」

 ドラゴンフライが顎をしゃくって示した先に、『それ』は置いてあった。

「もう動けますが、念のため動力は落としてあります」

 革張りの椅子に深く身を持たせかけるようにして座っている、1体の戦術人形。

(ダネル……NTW-20……)

 俺は覚えず生唾を呑む。

 本物の――人間の――少女と見紛うばかりの美しい容貌。

 その指は、撃鉄を起こし、引鉄を引くにはあまりに華奢だ。

 か細い手足では、弾丸を放つ銃の反動に耐えられないに違いない。

 肌はどこまでも白く滑らかで、継ぎ目一つ見当たらない。

 放熱ユニットであるはずの頭髪はピンクブロンドに輝き、錦糸のごとき麗しさ。

 この戦術人形が戦場の泥濘を這いずりまわる姿を、俺は想像しえない――

「指揮官さま?」

俺はハッとして、『それ』から目を逸らした。

「指揮官、動かしますか?」

「あ、ああ、やってくれ」

 ドラゴンフライの問いに俺は平静を装って回答する。

 了解、と短く答えたドラゴンフライはコンソールを操作する。

 目を閉じたままのダネルNTW-20から起動を告げるシステム音声が流れた。

 しばらくして、ダネルNTW-20はやおら目を開き、椅子からおもむろに立ち上がった。

 ゆっくりと周囲を見回すと、ダネルNTW-20の瞳が俺を捉える。

「あなたが指揮官?」

「そうだ。お前はダネルNTW-20か?」

「そう認識しているよ、指揮官」

「駆動系に問題は」

「自己診断システムを信じるならば、エラーは無いよ。今のところ」

 俺は頷き、ドラゴンフライに尋ねた。

「武装とのリンクはできているか? このまま訓練場に移動し、スペックテストをしたい」

「できてますよ。いつでも始められますぜ」

「よし。ではダネルNTW-20、15分後に訓練場へ集合だ。お前のデータを正確に把握したい」

「了解。……ああそうだ、指揮官」

 俺が訓練場へ足を向けかけると、ダネルNTW-20が俺を呼び止めた。

 何事かと振り返った俺に、そいつは言った。

「これからよろしく」

 俺は差し出された右手を阿呆のように見つめ、何も言えず立ち尽くすばかりだった。

 

 

 

 

 

[第3話へつづく]



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第3話 Why did I ?

 

――あの手を握り返せなかったのはなぜだろうか。

 既に幾度となく自問した命題を、俺はまた性懲りもなく繰り返す。

 ダネルNTW-20が俺の部隊に配備されたあの日、ドクター・ドラゴンフライの工房で月並みな挨拶と共にあいつが差し出した右手に、俺はついぞ応じることができなかった。

 それは何の故なるか。

 新品の戦術人形(ドール)に触れるのは躊躇われた?

 機械仕掛けの人工物が、思いのほか人らしい挙動をしたことに虚を突かれた?

 それとも、『彼女』の肌があまりに白いのに――

「……分かるものか」

仕方がないではないか。幾度繰り返したとて俺は明確な答えを自分自身に与えることができないのだから。

そうかといって分からぬものを分からぬままに捨て置いて、安穏としていられるほど神経が太くもできていない。

結果として俺は既に行き止まりであると理解している隘路に自ら迷い込み、やはり行き止まりであったかと確認するだけの作業をひたすら繰り返していた。

「はい、指揮官さま! できあがりましたよう~!」

 素っ頓狂な声がした。

 カニーナ(犬っころ)、もといカリーナが、えへんと胸を張って俺に紙束を突き出している。

「なんだ?」

「報告書ですよ報告書! ご自身の仕事を私に押し付けておいて、まさかお忘れではありませんよね? このカリーナちゃんの白魚のような指をこんな瑣事に駆り出しておきながら、ご自身はのんびり物思いに耽っていたなんてこと、ありませんよね?」

「ああ」

「『ああ』ってなんですか! やっぱり忘れてるじゃないですかあ!? ひどいです……そんなひどい指揮官さまにはお仕置きしかありませんね……」

 カリーナが一人で勝手に馬鹿を炸裂させている。しかし彼女はやると言ったらやる女だ。どんなナンセンスな思い付きであれ、一度言い出したことは責任を持って最後まで成し遂げる。責任感が強いのは結構なことだが、願わくは俺を巻き込まないでもらいたい。

 カリーナは俺への罰をああでもないこうでもないと思案している。あまり放っておいてエスカレートされても困るので、俺は適当なところで彼女に声をかけた。

「すまなかった悪かったこの通り頭を下げて謝る後生だから許してくれカリーナいやさカリン様」

「指揮官さまがそこまで仰るなら仕方がないですねえ! カリンちゃんの慈悲は遍くこの世を照らしますとも、ええ!」

 これが俺の後方幕僚だと思うと些か心配になってくるが、これで滅多なことは言い出さないだろう。俺はかつて彼女の思い付きによって被った辱めの数々を思い出す。

 戦術人形用行動食(レーション)の早食い競争などおよそ人間のやることではない。

「では、はい、指揮官さま!」

 過去の辛い記憶を思い出して俺が涙を浮かべていると、カリーナは満面の笑みで再び紙の束を俺に差し出した。

「これ届けてください、宿舎まで」

 なんだそんなことか、と思いはすれど口には出さない。余計なことを口走れば、彼女は調子に乗って罰の程度を引き上げにかかるだろう。

「ふん、いいだろう」

 俺は不服そうな表情を作り、不承不承の体で彼女から分厚い作戦報告書の束をひったくった。

「あら、意外と素直ですこと」

「余計なお世話だ」

 戦術人形はAIに学習させることによって、より状況に最適化された戦闘を行うことが可能になる。AIに経験を積ませる方法は主に二つ。直接戦場に送り込むことが一つ。また他の戦術人形が記録した戦闘データを取り込み、戦闘を追体験させることが一つ。

 しかし、このテクノロジーの時代に何の冗談か、作戦報告書は物理媒体である紙に手書きで作られている。

 そのアナログな情報を、戦術人形はカメラを通じて己の記憶媒体に焼き付けるというわけだ。

 今や生身の人間ですら紙などという時代遅れの情報伝達手段(デッドメディア)を使いはしないというのに、人の形を模した戦術人形が紙面を眺める姿には、ノスタルジーをくすぐられるとでも言うのか。あるいは、それはアイロニーか。

 だがそれに一体なんの意味があるというのだろう。

 戦術人形の開発者どもは自分たちが何を作っているか理解しているのだろうか。

 くだらぬ感傷の果てに己の研究成果を遺棄する羽目になった哀れなヴィクターと同じ轍を踏みたがっているとしか思えない。

「では、よろしくお願いしますね、指揮官さま」

 重い繊維の塊を抱えて耽っていた沈鬱な思考を破ったのは、やはりカリーナの能天気なアッパーボイスだった。

 彼女は余計な仕事から解放された高揚感からか、鼻歌交じりに自席へつこうとしている。

 まあ仕方ない。元はと言えば俺がカリーナに押し付けた仕事である。さっさと戦術人形の宿舎へ行って、義務を果たしてくるとしよう。

「ところで、これはどの戦術人形に渡すのだったか」

「それも忘れちゃったんですかあ……?」

 カリーナは呆れたような声を出すが、忘れたものは忘れたのだ。隠していても始まらない。

「ええと、今回待機していたのはウェルロッドMk-Ⅱ、9A-91、416にスコーピオン……それと――」

 ――ああ、そうだった……。

 カリーナが列挙している間に、俺は自分が何故彼女にこの仕事を押し付けたのかを思い出した。

「それと、ダネルNTW-20ですね」

 仕事である。

 顔を合わせたくないなどと言ってもいられない。

「……了解した」

 ようやくそれだけ絞り出すと、俺は大きなため息をついた。

 

 

 

 

 

 

[第4話につづく]

 



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第4話 キャットウォーク

 

 我が部隊の駐屯地はその機能によっていくつかのブロックに分かれている。

俺の執務室やデータルームなど、主に指揮機能を与えられたHQブロック。

 戦術人形(ドール)の修復や改装などに携わる人形工房ブロック。戦術人形の戦闘訓練を行うシミュレータが置かれているのもここだ。

 そして俺が今向かっている居住ブロックには、駐屯地内で勤務する人間および、戦術人形の宿舎が建っている。

 ブロックは同じとはいえ必要とされる機能が異なるため、人間と戦術人形では宿舎が分かれてはいるのだが。

「ここだな」

 俺は端末に表示した駐屯地内の見取り図と目の前の建物を見比べて頷いた。

普段はさして用の無い場所だ。

 いくら見慣れた駐屯地内とはいえ、案内を見なければ目的地を誤る可能性は十分ある。

 幸い現在は出撃要請も無く隊内も平和であるが、そういうときこそ俺やカリーナのような事務方は忙しい。

 世界中の戦場は生身の人間が殺しあう場ではなくなった分、平時こそ人間の働く時間となったのである。

 銃を握り、泥濘の中を駆けずり回り、互いを破壊しあう役目は戦術人形たちが取って代わった。

 自律観測機(ドローン)があれば、わざわざ危険な前線に出向かなくても戦況は手に取るように分かる。

 人間たちは安全な場所にいながらそれらの道具や兵器を扱って、もはや互いに誰を相手にしているのかも分からないような戦争に興じている。

「いっそのこと部隊指揮もAIに任せればいいのだ」

 つい愚痴めいた言葉が口をついて出る。

 まあ他愛のない戯言だ。

 第一、そうなってしまったら俺は仕事を失い、路頭に迷うこととなる。

 両親はとうに他界し、恋人などもいない俺では守るべきものなど我が身一つではあるが、しかしそれも無下に失うにはまだ惜しい。

 仕事は無ければ困る。

 であれば、戦争もあってもらわねば困る。

 俺の明日の糧のために、今日もどこかで戦いが起きる。

「さて、と」

 気乗りはしないが、いつまでも戦術人形用宿舎の前で現実逃避をしているわけにもいかない。

 とっとと作戦報告書を必要としている戦術人形たちに渡して、執務室へ戻らなければ。

 待機中の戦術人形は宿舎内に限っては自律行動が許されている。AIに設定された『性格(メンタルモデル)』によっては、おとなしく自室で待機しているとは限らない。

 特にスコーピオンなどは好奇心旺盛な子供のような『性格』をしている。狭い部屋に閉じこもってじっとしている可能性の方が低いだろう。

 何のために『性格』などというパラメータが戦闘用AIに必要なのか、正直なところ俺には理解ができなかった。人間の模倣をさせたところで得られるものは余計な手間くらいのものだ。

 いかな少女の姿を取っていようとも、戦術人形の本質はその型番が示すようにただ1挺の銃に過ぎない。引き金を引いているのは今も昔も変わらず俺たち人間だ。道具に余計な『人間らしさ(メンタルモデル)』を与えれば、いずれ銃把を握る手は緩み、撃鉄は重く、引鉄はオデュッセウスの弓の如くに堅くなることだろう。

 それでは使い物にならない。出来損ないの、人間もどきでしかないではないか。

「ああ、全く悪趣味だ」

 独り言ちながら、俺はようやく宿舎の自動扉をくぐった。

 宿舎の中はちょっとしたアパルトマンのような作りになっている。

 玄関のすぐそばにはソファが並んだ談話スペースがあり、いつでもくつろげる空間が出来上がっている。果たして戦術人形にそれが必要かどうかについては議論の余地があるだろうが、なかなか良い暮らしをしているらしい。

 その一角、一人がけのソファに姿勢よく座る人影がひとつあった。

 色素の薄い金髪を左右に結い上げ、ダークグレーのシャツを着た戦術人形――ウェルロッドMkⅡ――は、少し俯くようにして自分の手元をのぞき込んでいる。

「おい――」

「ん……指揮官、お疲れ様です。珍しいですね、ここへいらっしゃるなんて」

 俺が声をかけようとしたのと同時、ウェルロッドは手元から顔を上げることなくそう言った。大方俺の足音を聞きわけでもしたのだろう。

「それと個体識別信号の有無を確認したのです。戦術人形(私たち)であれば振り向かずとも、信号を解析すればそこに誰がいるか分かりますから。逆に信号が無ければ人間……しかもわざわざここへやってくる人間はカリーナくらいのものです。しかし彼女にしては随分と静かな足音でしたから、次に可能性が高いのは指揮官だろうという推測です。当たりましたね」

 仔細に説明を述べながら、ウェルロッドMkⅡは俺の方へと振り向いた。その表情はどうだと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべている。よくもこんな表情を作らせるものだ。こいつのAIを開発した人間は、相当な暇人に違いない。

「……前回の作戦報告書だ。目を通しておけ」

「ああ、丁度良いタイミングです、指揮官。今しがた本を読み終えたところでしたから、これでまた退屈しなくて済みそうです」

「本?」

 本だって?

 一体戦術人形がどんな本を読む必要があるというのだろうか。

「ええ、前回参加した作戦は古い都市部だったでしょう。たまたま拾ったのです、そこで」

 ウェルロッドMkⅡが俺に差し出したのは、古い冒険小説だった。俺が子供の頃には既に古典扱いをされていた代物で、友人との無茶な賭けに勝つために地球を駆け足で一周するという筋立てだったはずだ。

「面白いか、そんなものが」

 俺はふと、そんなことを口走った。

 ウェルロッドMkⅡは顎に手を当てて少し思案するようなポーズを取った。

「そうですね。少なくとも暇つぶしにはなりました」

「……そうか」

 これが『性格』のなせるわざ。

 趣味や嗜好といった定量的でないパラメータでさえも演算し、仮面を被り、演じ切っ(ロールプレイし)てみせる。完璧に一人の少女としての人格を、戦術人形のハードとAIを媒介に模倣(エミュレート)しているのだ。事前にこれらが戦術人形であると知らされていなければ、俺はきっと生身の人間と見分けを付けることができないだろう。

 俺は分厚い紙束をウェルロッドMkⅡに差し出した。

「そら。次の出撃までに目を通しておけよ」

「了解。ありがとうございます、指揮官。これでまた練度が上がります」

 ――それは礼を言われることなのか。

 いや、それで正しい。戦術人形とは戦争の道具に過ぎないのだから、より効率よく、状況に適した判断が取れることこそ必要とされるスペックなのだから。

「ああそうだ、ウェルロッドMkⅡ。ダネルNTW-20を見ていないか? あれにも渡さなければならん」

 俺は報告書を受け取ったなり去ろうとするウェルロッドMkⅡを呼び止めて尋ねた。

「NTW-20ですか? んー……この時間帯ならおそらく中庭にいるかと」

「そうか、分かった」

「指揮官」

 俺が言われた通りに中庭へ向かおうとすると、背後からウェルロッドMkⅡが俺を呼んだ。

「なんだ」

「物音を立てないように気を付けてください。できるだけ」

 それだけ言うと、ウェルロッドMkⅡは談話スペースを去った。

 俺の脳裏には大きな疑問符だけが残された。

 

 

 

 俺は再び靴を鳴らす。

 目指すは中庭。

ロの字型に建てられた宿舎の中心にひっそりと存在する、中庭などと呼ぶには些か手狭に過ぎる空き地のことである。

いくらかの花壇と観葉植物、それと雑草。二人掛けの鄙びたベンチ。中庭を構成する要素はたったそれだけだ。

中庭にアクセスできる扉を前に、俺は再び考え込む。

「物音を立てるな、とは……」

 ウェルロッドMkⅡの意図がつかめない。

 戦術人形が不必要な情報を出力するとは思えないが……。

 まあ良い、考えても分からないことは考えないことだ。俺は課題を一度棚上げし、中庭への扉を開いた。

 ぐるりと首を巡らすが、ダネルNTW-20の姿は見えない。

「む、ここではなかったか……?」

 俺はため息をつく。

 また手間が増えたことに嘆息し、踵を返しかけたその時、ぼそぼそと人の話し声のようなものが聞こえた気がした。

 ぼそぼそ声は断続的に聞こえてくる。

 俺は耳を澄まし、声がするらしき方へと近づいて行った。

「――たか――? そう――かわい――」

 声は次第にはっきりと聞き取れるようになる。

 どうやらベンチの裏に声の主が隠れているようだ。

 ――そういうことか、ウェルロッドMkⅡ……。

 俺は足音を忍ばせてベンチの裏をのぞき込んだ。

 そこにはダネルNTW-20が居た。

 服が汚れるのにも頓着せず、桃色の髪を無造作に地面に垂らして雑草の間に膝を抱えて座っていた。

 ダネルNTW-20が手を伸ばしている先には、何やら茶色い毛玉のようなもの――どうやら子猫らしい――が粒状の飼料をがつがつと食べていた。

「そんなに焦らなくても、誰も盗らないのに。ゆっくり食べなよ……ふふ」

 ダネルNTW-20は微笑を浮かべ、一粒も食べ逃すまいという勢いで飼料に食いつく子猫を眺めている。

 ――なんだ、それは。

 俺は、何故だかその光景に脳天を撃たれたような衝撃を受けた。

 俺は眩暈を感じながらも、ダネルNTW-20の姿から目を逸らすことができなかった。

 我知らず後ずさった俺の靴が、地面を滑ってじゃりと音を立てる。

「誰だっ!」

 ダネルNTW-20はスカートを翻して振り向いた。射抜くような視線が俺を突き刺す。ワンアクションで抜いた近接戦闘用のコンバットナイフを構え、怯む俺に相対する。

「って、なんだ、指揮官じゃないか。驚かせないでほしいな」

 ダネルNTW-20は自身の足元に目を向け、少し眉根を寄せた。

「逃げちゃった」

 拗ねるような口調で、ダネルNTW-20は誰にともなく呟いた。

 

 

 

 

 

[第5話につづく]



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第5話 itの境界

 

「……逃げちゃった」

 ダネルNTW-20は子猫に与えた粒状飼料が残っているのを見てぽつりと呟いた。

 そうしてダネルNTW-20は、まるで猫が逃げ出してしまったのは俺のせいだとでも言いたげな(実際そうだが)、俺の無作法を咎めるような視線を桃色の前髪越しに俺へ寄越す。

 戦術人形(ドール)のくせに、という言葉が俺の頭をよぎる。

 戦術人形(戦争の道具)のくせに、よくも巧みに人間を模倣するものだ、と。

 正直なところ、俺は狼狽えていた。

「あれはお前の猫なのか」

 俺は苦し紛れにそんなことを尋ねた。

「別に。たまたま見かけたから、珍しいなと思って」

「その割には警戒されていなかったようだが」

――それに、お前はいつも猫の飼料を持ち歩いているのか?

「さあ、誰かが飼ってて、慣れているのかも。ペット禁止だっけ、宿舎って」

「いいや」

 俺がそう言ってやると、ダネルNTW-20は満足げに鼻を鳴らした。

 禁止どころか、カリーナなどは積極的に飼育を薦めている。

 ただあの守銭奴がペットなどという余計なコストを食う存在を肯定している事自体が信じられない。彼女曰く、「女の子はみんなカワイイものが好きなんです!」とのことだが、まあ大方、飼料やらトイレやらといった周辺グッズを売店で売って私腹を肥やそうという算段だろう。

 いつ死ぬとも分からない戦場暮らしでは、いくら貯めたところで使うあても無いというのに、カリーナはコガネムシめいた勤勉さで今日も預金残高を増やしているというわけだ。

 ダネルNTW-20は小首を傾げて言った。

「それでどうしたんだい指揮官、ここへ来るなんて。猫なんかよりよっぽど珍しいね」

 俺はそれで、なぜ俺がここへ来たのかをようやく思い出した。

 一つ咳ばらいをして、俺は抱えていた紙束をダネルNTW-20に差し出す。

「作戦報告書だ。前回作戦の詳細な内容が書いてある。よく読んで、次の出撃までに同期しておけ。与えられた訓練メニューはこなしているか? 猫と戯れるのも良いが、己の本分を忘れるなよ」

「訓練の進捗は滞りなく。むしろ、コレが届くのを待ってたんだけど?」

「む」

 それはそうだ。戦術人形は人間とは違う。

己の気分で与えられたタスクを遅滞させはしないし、工廠の人形師(クラフター)たちが心血込めて造り上げたAIは決して自己の使命を忘れることはない。

「でも普段はカリーナが持ってくるのに、今日は指揮官なんだ」

「そうだ。不満があるか? 誰が持ってきても内容は変わらんぞ」

 そういう俺こそがむしろ不満げな声を出していることに、俺は俺自身で驚いていた。

 ダネルNTW-20はただ事実を述べているだけだというのに、俺は何をAI相手にムキになっているのか。

 仮にも一部隊を預かる指揮官の身だ。普段副官がこなすような雑務を行えば、なんらかの特別な意図があるのかと考えるほうが自然というものだろう。ダネルNTW-20が事実確認を行ったのも頷ける。

「不満なんてない。ありがたくいただくよ、指揮官」

 ダネルNTW-20はほんのわずかに口角を上げ、俺から受け取った紙束をびらびらと振りながら言った。

「大切に読ませてもらう。せっかく指揮官が手ずから持ってきてくれたことだしね」

 そう言ってダネルNTW-20は踵を返し、宿舎の中へと消えた。

 俺はと言えば、気難しげに顔をしかめ、彼女(ダネルNTW-20)の後姿を見送るので精一杯だった。

 

 

 

 

 

[第6話につづく]

 



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第6話 アイリス・アウト

 未明より開始された戦闘は、概ね俺たちの優勢で進んでいた。

 突如として、駐屯地至近に現れた鉄血の偵察部隊はあえなく監視システムによって発見され、程なくして出撃した我が部隊の追撃によって潰走を始めている。

 敗北しようのない勝ち戦。

 このまま散り散りに逃げる敵を殲滅してしまえばそれで片が付くだろう。

 もはや組織的抵抗を行うこともできない相手だ。別に逃がしてしまったところで大過は無い。むしろ弾薬類の節約になるくらいだろう。

 しかし俺の報告を聞いた上層部は欲をかいた。

「勝てる戦いならばできる限りの戦果を挙げろ。殲滅し、可能ならば敵機サンプルを送れ。容赦は要らない。弾が惜しければ後で好きなだけ送ってやる」

 ようは点数稼ぎだ。

 俺たちは軍人であるとともにサラリーマンでもある。

 業績不振は己の評価の低下に直結している。

 業績とはすなわち何体の敵兵を殺したかというスコアだ。

「『殺す』だなんて、まるで人間相手みたいなセリフですね」

 いつかの意趣返しのつもりか、ドローンからの映像を眺めていたカリーナが言った。

 俺はそれを黙殺し、同じデータを隣から覗き込んだ。

「どうにもうまく行き過ぎるとは思わないか」

「自画自賛ですか?」

「茶化すな。俺たちの練度を考慮に入れても、手ごたえが無さ過ぎる」

「罠だと?」

「あるいは、な。だが目的が分からない」

「まあ、鉄血人形の目的なんてこれまで分かったためしがありませんけれど」

 カリーナはそう言ってへらへらと笑う。

 正直笑い事ではない。

 敵の目的が分からないということは、動きを読みにくいということでもある。最終的な目標が分からなければ、相手の出方を推測する材料も不足する。相手が何気なく行っているように思える行動にも、実は意味があるかもしれない。

 可能性が可能性のまま確定しない戦場では、できる限りの手を打ってひとつずつ可能性を潰していくほかない。蓋を開けてみればただの無駄足、資源の無駄、戦力の過剰投入。そんな結果に終わったことなど一度や二度ではなかった。

 だが、結果として無駄に終わった行動も、意義が全くないわけではない。無駄足を踏んだということはすなわち『そこには何もない』という結果を得られたということなのだから。

 それに対して今回の鉄血の襲撃は、相手の行動が少々明白に過ぎる。

 こちらの駐屯地へ探りを入れようとした斥候が、しくじって追撃を受け、壊滅。

 情報の漏洩は未然に防がれ、俺たちはまた一つ戦功を重ねる。

 事の起こりから結末までが分かり切っている作戦だ。指し間違えるはずのない盤面だ。もう数分もすれば現場の指揮を任せているダネルNTW-20が状況終了の報告を寄越すだろう。

 ――それだというのに。

「それだというのに、なぜ気分が晴れない」

「虫の知らせってやつですかねえ……そんなに気になさるなら、いったん追撃を止めて周囲の索敵に移るよう指示を出しますか?」

 虫の知らせ――いわゆる勘働き。

 何の根拠もないようでいて、一分一秒の選択が生死を分ける戦場においては存外バカにならないものである。ここでダネルNTW-20たちを一旦周囲の警戒にあたらせたところで、俺たちの勝利はもはや揺るがないだろう。

 どうせ鼠のように後からいくらでも湧いて出てくる鉄血兵。それも研究されつくした従来型のマンチコアばかり、いくらパーツをグリフィン本部に送ったところで俺の評価にも、俺の上役の評価にも微塵も影響はないだろう。であれば、今ここで無理に追撃をかけて虎の尾を踏むよりは安全策を取るが賢明か。

「……そうだな。一旦進撃を止めさせろ。罠の可能性もある。周囲の安全確保を最優先にし、然る後、敵残存勢力の掃討に移る」

「了解です。第1小隊、こちらHQ。応答してください、第1小隊――」

 カリーナは珍しく軽口を叩くこともなく、俺の言葉を復唱すると追撃に出ているダネルNTW-20の部隊に通信を行い始めた。

 ――ひとまずこれで滅多なことはあるまい。

 俺は椅子に深く背を預けてため息をついた。あとは上役に何と報告するかを考えるだけだ。

「第1小隊、聞こえていますか? 第1小隊! NTW-20さん!?」

 しかし気の抜けた俺の思考とは裏腹に、カリーナは切迫した声で未だ第1小隊を呼び出し続けていた。

 俺の背中を冷たいものが一筋はしる。

「何事だ」

「それが……第1小隊の応答がないんです。ノイズが酷くって……」

「貸せっ」

 俺はカリーナの手からひったくるように通信機を奪い、ヘッドセットをつけるのももどかしく、レシーバーを手で耳に押し付けてマイクに叫んだ。

「こちらHQ! 第1小隊! 応答しろ!」

 しかし応答は無い。

 帰ってくるのは不愉快なノイズばかりで、こちらの声が届いているのかさえ分からない。

「聞こえているのか! 応答しろ、ダネルNTW-20!」

「こ■ら■■■ちしょ■たい。しき■■■てっけ■■ワナ■■!」

「ダネル!?」

 ようやくノイズの向こうからダネルNTW-20の声が切れ切れに届いた。普段の落ち着いた様子は姿をひそめ、何事かを伝えようと必死に叫んでいるらしい。

「ワナだと? 状況を報告しろ、何が起きている? 大丈夫なのか、部隊は、お前はッ――カリーナ、ドローンの映像回せっ」

「り、了解です」

 カリーナは慌ててドローンのコンソールを操作する。横目に見た様子では、カメラからの映像にもノイズが走り、観測するに十分な鮮明さを保ってはいない。

 ――ジャミング。

 鉄血どもの小細工に違いない。

「■■はさんほうこ■からど■じにちかづ■て■■。この■■■は、かこ■■■!」

「……釣り野伏か」

 予め定められた作戦だったのだろう。

 状況は明確ではないが、ハメられたのはどうやら事実のようだ。

 もし一呼吸早く状況を確認していれば、こんなことにはならなかったろうか?

 もしもっと慎重に進軍させていれば、敵の術中にはハマらずに済んだろうか?

 もし上役を説き伏せることができていれば、今頃は愚痴でもこぼしながらダネルNTW-20の報告を聞いていられただろうか?

 たっぷり3秒間、俺の脳裏は幾百幾千の『もし』に支配される。

 だがそれまでだ。

 俺はカリーナの声で我に返った。

「やられましたね。どうします?」

「――敵の妨害が始まってまだいくらも経っていない。今ならまだ網は閉じ切っていないはずだ。即刻転進、退却! 同時に第2小隊以下を出撃させ追ってくる鉄血どもを迎撃させろ! 化け物(グリフィン)の巣穴に飛び込んだ馬鹿がどうなるか、鉄屑どもに思い知らせてやれ!!」

 

*  *  *

 

 それからは、まごうことなき泥仕合だった。

 第1小隊が敵の包囲網から辛うじて逃れたまでは良かったものの、当然無傷でとはいかなかった。隊の半数は重傷を負い、各隊員が率いていたダミー人形は無事である物の方が少ない有様。メインフレームを喪った戦術人形がいないのは幸いだったが、小隊再稼働までにはそれなりの時間がかかるとドクター・ドラゴンフライには釘を刺された。

 結局嵩にかかって第1小隊を追ってきた鉄血人形たちは、後発の第2小隊以下の戦術人形たちがすべて処理した。奇策は奇策。第1小隊を封殺できなかった時点で、敵は退くべきだったのだ。これっぽっちも同情はできないが、やるときは徹底的にやらなければ死ぬのは自分だと、俺も気を引き締めなければならない。

「同じ轍を踏むところだったのだからな」

 イージーな戦争などどこにもない。

 いつでも銃把を握るのは俺たちで、銃口が向けられているのも俺たちの心臓だ。

 気を抜けば人ひとりあっけなく死ぬ。

 いつの世も、戦争とはそういうものだ。

「まったく、馬鹿者め」

 雑然とした人形工房の一角、俺は修復用のハンガーに吊るされたダネルNTW-20を眺めながら呟いた。

 駐屯地に帰り着いたときの彼女は、それはもう酷い状態だった。

 未だメインフレームとしての機能を維持しているのが不思議なくらいの損壊具合だったのだ。

 記憶領域から抽出した記録によれば、他の部隊員の退路を確保するために自ら殿《しんがり》を買って出たらしい。

 彼女の銃は、戦術人形の膂力を持ってすら立射は不可能なほど取り回しが悪い。敵にとっては良い的だったろうが、要するにそれが彼女の狙いだった。彼女の目論見通りダネルNTW-20に狙いをつけた鉄血は、その他の戦術人形への注意を怠り撤退を許すこととなったのだから。

 だがそれも彼女の練度があってこそ実現した奇策である。

 勤勉に、実直に訓練を怠らなかったからこそ掴んだ勝利だった。

 俺はただ狼狽えていたにすぎない。

「やはり俺には指揮など向いていないのかもしれないな」

「――らしくないな、指揮官。君が弱音を……それも戦術人形()の前で吐くなんて」

 ハッとして顔を上げると、眠たげにまぶたを持ち上げて、ダネルNTW-20が俺に視線を向けていた。髪と同様、深い桃色の瞳が俺を捉える。絞られた人工の虹彩の奥に、俺が間の抜けた顔でいるのが映っていた。

「お、起きていたのか……」

「指揮官がここに来た時に。……『馬鹿』だなんて酷いんじゃないのかい? こんな状態の私に向かって」

 彼女は視線で自分の両手足を示す。オーバーホールのために腕も脚も付け根から取り外されて、首と胴体だけの肉体である。

「それで、指揮官は何をしにここへ? 勝利を掴んだ割には浮かない顔だね」

「馬鹿を言うな。敗軍の将だ。少しくらい落ち込みもする」

「『敵の術中にハマりかけた部隊を自らの英断で救出、さらに敵も殲滅し部隊に栄誉と安寧を齎した傑物』エヴァン・クッチャー」

 ダネルNTW-20はニヤリと口角を上げて言った。

 冗談じゃない。

 エヴァン・クッチャー()はそんなタマじゃあない。

「やめろ。あれはお前……お前たちの戦功だ。俺は単に右往左往していただけで、なんとかすべての帳尻を合わせたのはお前たちだろう」

「分かってないな、指揮官。なぜ私たちがそれを成し得たのか……なぜ、成し得ようと努力できたのかを」

「ふん、『努力』などお前たちには無縁の言葉だな」

「そうでもないよ」

「……努力とは、人の心が生み出す偏向だ。何かを成そうと望み、持てる以上の力を振るえるのは人の意志あってのことだ。お前たちのAIは『もどき』だろう。人の感情の。『努力』などし得ないではないか」

 ムキになったような俺の口調に、やはりダネルNTW-20は薄く笑ったまま答える。

「けれど事実、私たちは『努力』して窮地を乗り越え、今ここに生還してる。ほら言っただろう、作戦報告書を『大切に読ませてもらう』って。あれは比喩でもなんでもないよ。私はただテキストデータをインポートするだけじゃなく、あれを『大切に読んだ』んだ」

「それが努力だと? だから予想を超えて力を発揮できたと?」

「もちろん、それだけじゃないけど。でも、私たちが努力するのがそんなにおかしいことかな」

「それは――」

 ――それは、おかしいことだろう。

 どれほど人間と見分けがつかない容姿を持っていようとも、ダネルNTW-20たち戦術人形は精巧に作られた機械に過ぎない。

 機械は考えない。

 機械は感じない。

 機械に心など宿るわけがない。

 だからこそ俺たちは、安心して引鉄を引けるのだから。

 俺がそう答えると、ダネルNTW-20は「強情だね」と言ってため息をついた。

「……ねえ、石ころに心が無いって、誰に分かるんだい、指揮官」

「なに……」

「逆に言えば、指揮官、君たち人間に心があるって、誰に分かるんだい?」

 ダネルNTW-20の言葉は俺にはさっぱり理解ができない。

 そんなことは自明の理で、人間の心の有無など証明するまでも無いように思えた。だが、彼女の言うように、人に心があると証明してくれる存在も確かにいない。

「……俺たちは、俺たちで心があると自認している」

 俺が言うと、ダネルNTW-20は嬉しそうに目を見開いた。

「そう、まさにそれだ。それなんだよ、指揮官! 君たち人間が自らに精神活動が行われていることを証明する唯一の手段が『自らそれを認めること』なんだ!」

「……外部から観測することだってできる」

「脳波のことを言っているの? 指揮官は、モニタリングされた波形を見て『俺には心がある』と本当に感じるのかい?  それに、君たち人間の脳だって、結局は2進法で物を考えているんだろう。私たちは私たちに心があると『自認している』。なら、私たち(戦術人形)君たち(人間)と、一体なにが違うんだろうね?」

――いいや、何も違いやしないさ。

 そう告げるダネルNTW-20の瞳から目を逸らして、俺は無言のまま踵を返し、彼女の前から逃げるように立ち去った。

 

*  *  *

 

「はい、どうぞ指揮官さま」

 執務室に戻り、今回のことの顛末に関する報告書を打ち込んでいると、カリーナがマグカップを差し出した。コーヒーらしい黒い液体が湯気をあげ、なみなみと注がれている。

「ああ……ありがとう」

 一口啜る。

 苦い。

「ダネルちゃん、どうでした?」

「さあな。見たところ達者だったが」

 口はな。

「それなら良かったです。安心ですねえ、指揮官さま?」

「……当然だ。彼女は俺の部隊の大事な構成員だからな」

「ふっふっふー、『彼女』だなんて、丸くなったものですねえ」

「なに? それのなにがおかしいんだ」

 俺は眉をひそめてカリーナに尋ねる。

 するとカリーナは、一瞬真顔になると、すぐに呆れたようにため息をついた。

「自覚ナシですか……恋する乙女かって感じですねえ……」

「なんだ? おかしいことがあるならハッキリ言え。問題点が分からなければ改善のしようがない」

「ああはいはい、大丈夫です大丈夫です。……ま、もう少しご自身のことをお考えくださいね」

 意味が分からん、と俺は呟いてもう一口コーヒーを啜った。

 やはり苦い。

 ――そういえば。

「戦術人形に味覚はあるのだろうか」

 

 

 

 

 

[Anima Machinae・了]




これで一旦このお話はおしまいです。
ご覧いただきありがとうございました。

エヴァンとダネルNTW-20は好きなコンビなので、またどこかで顔を出すこともあるかもしれません。その時はぜひまたよろしくお願いします。

とりあえず、学パロ百合ものが書きたい……(修羅


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