小瀬川白望は今日も迷う (よくと)
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【理想の未来と幸せの形】

エイスリン編です


「二回戦第三試合、決着!」

 

 豊音の涙を見ながら聞き入れたその言葉に、私は何を思ったんだっけ。

 

===

 

 インターハイは終わった。部室に五枚のサイン色紙を残して。

 散々打って、散々泣いて、散々遊んで、散々笑って、私達の夏は、終わった。

 夏は、終わってしまったのだ。

 

「はぁ、ダルい……」

「そこっ! 怠けない!」

「胡桃より……成績いいし」

「そういう話じゃないのっ!」

 

 そして夏が終わり、秋。高三の秋と言えば当然、後に控えるのは『受験』である。

 そういうわけで、私達麻雀部一同は部室で受験勉強をしていた。

 正直、ダルい。勉強がイヤだというわけではないが、ただただダルい。

 

「胡桃の言う通りだよ、シロ。ちゃんと勉強しないと、後々後悔するよ?」

「……しょーがない。やるか。ダルいけど」

「なんで塞の言うことは素直に聞くのっ!?」

 

 そんな漫才みたいな会話に、豊音とエイスリンが笑う。そんないつも通りの日常。

 麻雀をやる回数は目に見えて減ったけど、それでも、こんな日々がずっと続けばいいのにと思っていたのは、みんな一緒だった気がする。

 

===

 

「シロは、サエたちと同じダイガクに行くんだよネ?」

「……まあ」

 

 四限の授業が終わり、昼休み。ダルくて椅子の背にもたれてボーッとしていると、不意に後ろの席のエイスリンから声をかけられた。

 

「急にどうしたの?」

「——ワタシ、New Zealandの……」

「あ……」

 

 エイスリンは、ニュージーランドから宮守女子に来た交換留学生だ。つまり、大学は祖国で進学してしまうのだろう。

 

「……そっか」

「……ウン」

 

 だけどそれを聞いても、私にはどうすることもできない。私は、ニュージーランドで進学することなどできないから。

 そして、気の利いた返しが出来ないまま、気不味い沈黙が流れる。

 するとエイスリンがさっとペンを手に取り、ホワイトボードに絵を描き始めた。真剣な表情で手を動かすこと十数秒、描き上げた絵を私に見せる。

 これは——

 

「みんなで一緒の大学に……合格?」

 

 描かれたのは、桜と麻雀部の五人。それだけで、エイスリンが何を言いたいのかが私にはなんとなくわかった。

 

「ワタシ、ココがスキ。みんながスキ。だから、卒業したらそれでお別れなんて、ヤだよ……」

「私も、エイスリンのこと好きだし、できれば、これからも一緒にいたいよ」

「スっ、スキ!?」

「うん」

 

 何故か少し顔を赤らめるエイスリン。同じことを言っただけのはずなんだけど……

 

「アリガト、シロ」

「うん」

「——ワタシ、シロにイッパイ感謝してる。シロがハジメテ誘ってくれた日のこと、オボエテル?」

「え? うん。覚えてるよ。豊音が初めて来た日でもあったし」

「あのときシロが、『一緒に来る?』ってキいてくれなかったら、ワタシ、ズット一人ボッチだった。だから、アリガトウ」

「……先にパンをくれたのは、エイスリン」

 

 あの日、エイスリンは全く交流の無かった私にパンを分けてくれた。それが出会いで、始まりだった。

 だから、たとえ私が誘っていなくても、エイスリンにはきっと良い友人ができていたはずだ。

 

「ソレデモ、シロが誘ってくれたから、——シロがデアイをくれたから、ワタシはイマ、こんなにシアワセ」

「……そっか。それなら、良かった」「だから、ネ……」

「ん?」

「モウ一回、誘って? ワタシに、ユウキをクダサイ……」

「それって……」

 

 それは、エイスリンを麻雀部に誘った時のように、今度は大学に誘ってくれという、そういうことなのだろうか。

 エイスリンは、ニュージーランドと日本、どちらの大学に進学するかを決断する勇気を、求めている。

 それなら、答えは簡単だ。私だって、エイスリンと同じ大学に行きたい。

 私は席から立ち上がり、エイスリンの方へと身体を向け直して、言う。

 

「エイスリン、私と——」

「………………?」

 

 しかし、『同じ大学に、来る?』というその言葉を、私は続けることができなかった。

 本来なら迷わず伝えるはずだった誘いを、私は言えなかった。告げることを、迷ってしまった。

 それは、私が良く知っている感覚。

 

『迷ひ家(マヨヒガ)……?』

『そう。アンタは迷えば迷う程に、良い選択をする。欲を持たずに、ただ迷いに身を任せれば、辿り着く結末は最良のものになる』

 

 思い返されるのは、熊倉先生に貰ったアドバイス。この『マヨヒガ』の能力のお陰で、麻雀はそこそこ強くなれたけど——

 

『だから、決して逆らってはいけないよ?』

 

 幸せが離れて行ってしまうからね、と続けられたその言葉が、いま楔となって私を留めていた。

 

「シロ……?」

 

 エイスリンが不安気な表情で私を見る。

 だが、どうだろう。私の能力(チカラ)は、『誘ってはいけない』と私に報せている。

 ……いや、少し考えればわかることだった。

 

「エイスリン」

「は、ハイ……」

「ニュージーランドには、家族もいるでしょ?」

「それは……」

 

 ニュージーランドには、エイスリンの家族がいる。私のワガママで、引き留めちゃいけなかったんだ。

 

「でも! シロが誘ってくれるナラ……!」

「ううん。私はやっぱり誘わない。……気軽に誘ったり、できないよ」

「モウ、知らないっ!」

「………………」

 

 教室から駈け出すエイスリンを、私は引き留められなかった。そんな選択は放棄していた。これがきっと、お互いにとっての最良になるから。

 

「……ダルいこと、言っちゃったかな」

 

 教室で静かに響いた私の声は、廊下の騒がしさですぐに掻き消された。

 

===

 

 午後八時。自室の布団に包まった私に、一通のメールが届いた。

 差出人は臼沢塞。件名はなし。本文は一言。

 

『何かあったの?』

 

 気怠さを押し殺して返信する。

 

『なにかってなに』

 

 それに対して返ってきたのは、メールではなく、着信を知らせるコール音だった。

 

「もしもし」

『シロ、今日部室来なかったでしょ?』

 

 電話に出ると、いきなり塞に批難するような声で指摘された。

 昼の出来事からエイスリンと一言も話せなかったため、気不味さでなんとなく部室に行きたくなかったのだ。

 

「……ちょっと、ダルくて」

『——エイスリンも来てなかった』

「…………」

『何か、あったんでしょ?』

 

 しかし、鋭い塞に隠し事はできないようで、起こったはずの何かを問い質される。

 結局、昼の出来事を余すことなく伝えることとなった。

 進路の話をしたこと。誘って欲しいと言われたこと。誘うのを迷ってしまったこと。その全てを、余すことなく。

 

「——ってことが」

『なるほどね……』

 

 私の説明に塞は納得してくれたようだ。今頃自室で一人頷いているのだろう。

 

「そんなわけでさ。悪いとは思ったけど、やっぱりこれが、一番いい選択だと思ったから……」

『うん……今更、シロのマヨヒガを疑ったりはできないしね。私の【防塞】も、似たようなとこあるし』

「だから——」

『でもさ、シロ』

「…………?」

 

 そのまま何事もなく会話が終結するかと思った矢先に、塞が逆説を挟む。

 

『シロは、後悔しない?』

「——っ!」

『マヨヒガの能力なんかに決めてもらった選択で、シロは本当に後悔しないの?』

 

 それは、私の意思を問う言葉。マヨヒガの能力者としてではなく、小瀬川白望という一人の女子高校生に宛てられた言葉だった。

 

「わた、しは…………」

『私はさ、別に最善だとか最良だとか、気にすることないと思うんだ。だから、シロの考える一番で、エイスリンに向き合ってあげて欲しいな』

「…………ありがと、塞」

『それじゃあ、もう遅いし切るね。明日はちゃんと部室で勉強するよ?』

「うん。じゃあ、また明日」

 

 表示される通話終了の文字を見ながら、塞に言われたことを頭の中で反芻する。

 後悔しないか? ……するに決まっている。たとえ最善だと分かっていても、このままエイスリンと離れ離れになったら、私はきっと後悔する。

 なら、どうすればいいか。……それも塞は教えてくれていた。

 

「私の考える一番、か……」

 

 正直、自分で考えるのはダルいけど……

 

「泣かれるのは、もっとダルい」

 

 だから、考えよう。私が後悔しないように。エイスリンに後悔させないように。

 

===

 

「わあ、小瀬川さん今日は早いね!」

「あー…………気分?」

「今日はダルくないの?」

「いや……ダルい」

 

 翌日、私はエイスリンと話をするために、一番に教室へ行った。

 それだけのことでクラスメイトに驚かれるのは、恐らく日頃の行いが原因なのだろう。

 

「あの……気付いてると思うけどさ」

「なに?」

「小瀬川さんの席、もう一つ前だよ?」

「さすがに知ってるよ」

「だ、だよねー」

 

 ついでに私は、エイスリンが無視できないよう、彼女の席に座っていた。

 相手が胡桃なら、『充電』と言いながら構わず座ってくるところだが、エイスリンはその点常識人だ。

 

「……シロ」

 

 こうして、きちんと声を掛けてくる。

 

「おはよう、エイス……」

 

 振り向きざまに挨拶をしようとした私に、エイスリンの持つホワイトボードが突き付けられる。

 描かれていたのは、鬼のツノのように髪を逆立てたエイスリンの絵。なるほど、怒髪が天を衝いているらしい。

 

「ごめんなさい」

「…………」

 

 すぐに席を立ち、エイスリンに譲る。いつものにこやかな笑顔すら浮かべていないエイスリンは、少し怖いのだ。

 

「あのさ、エイスリン」

「…………」

 

 そのまま無言で席に着いたエイスリンに声を掛けるも、今度は無視される。

 でも、エイスリンの耳に届いているのなら、問題は無い。

 

「聞いて、エイスリン。私、大学に誘おうとした時、迷ったの。だからきっと、誘わないのが最善。エイスリンは家族のところに帰って、幸せに暮らせる」

「マヨヒガ……」

「うん。だから、ここからは私のワガママの話。エイスリン、私と同じ大学に……来て」

「シロ……」

 

 これが、私の出した結論。

 

「やっぱり、日本に残ると、家族とは滅多に会えなくなると思う。寂しい思いも、させちゃうかもしれない。——マヨヒガが示してる通り、最善でも最良でも無いかもしれない」

「…………」

「それでも、私はエイスリンと——みんなと同じ大学で、また一緒に遊びたいんだ」

「…………」

「だからエイスリン、一緒に来て欲しい。きっと、後悔は——」

 

 いや、違う。私が伝えたいのは、『後悔はさせない』なんて言葉じゃあない。

 

「きっと、幸せにするから」

 

 言い直した台詞は、私の中での一番の言葉。後悔しないための言葉だった。

 

「…………シロ、プロポーズみたい」

「えっ!? あ、いや……」

「フフ、シロがアワテルの、珍しいネ」

「あの、それで……」

「断るわけ、ナイ」

 

 私の不安を払うように、エイスリンは向日葵のような笑顔で続ける。

 

「だってワタシ、シロのことダイスキだから!」

 

 こうして、エイスリン・ウィッシュアートとの喧嘩は幕を閉じた。

 果たして、これで良かったのかはわからない。それでも、エイスリンが『これで良かったんだ』と思ってくれるような、そんな未来にしてみせようと、私はそう心に決めたんだ。

 

 なお、この会話は後に『小瀬川白望プロポーズ事件』として宮守女子三年の間に広まるのだが、それはまたほんの少し先の話。



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【座敷童は語らない】

胡桃編です


 エイスリンと仲直りをしたその日の放課後。いつものように五人揃って、私達は勉強会を開く——はずだったのだが……

 

「シロ、エイスリンにプロポーズしたってホント?」

「「えっ!?」」

 

 集まって早々、塞が爆弾を投下した ため、勉強会などをしている状況ではなくなってしまった。どうしてこうなった……

 ちら、とエイスリンを見やると、顔を真っ赤にして慌てふためいていた。誤解を解くための役には立ちそうもない。

 

「いや、プロポーズは、してないけど」

「え、でも、『幸せにしてみせる』って言ったんでしょ?」

「それは、まあ、言ったけど……」

「「きゃー!」」

 

 肯定した瞬間、胡桃と豊音から上がる黄色い悲鳴。豊音なんかは顔も真っ赤にしていた。誤解を解くのは、かなりダルそうだ。

 

「というか、塞はなんでそんなに詳しいの」

「え? 白望がプロポーズしたって話、結構噂になってるよ?」

「…………ダル」

 

 揶揄うように言う塞は、既に全容を把握しているのだろう。昨日話した喧嘩したことだけでなく、今朝の誘い文句まで。人の口に戸は立てられないとはよく言ったものである。

 逆に考えれば、全てがわかっている塞がいるのだから、胡桃や豊音の勘違いも、後々塞がなんとかしてくれるはずだ。

 それならば、今ここで勘違いを是正する必要もあまりないな、と私はフラフラと椅子に腰掛ける。未だに両の手で真っ赤になった顔を抑えているエイスリンのことは、あまり気にしないようにした。

 すると、胡桃がトコトコと寄ってきて——

 

「なにしてんの」

「充電!」

「ダル……」

 

 ——私の膝の上に腰掛けた。

 小柄な胡桃は決して重いわけではないが、自分の膝の上に何かが乗っているという状況でリラックスはできない。

 ただ、胡桃のさらさらな髪はいい匂いがするので、その点だけを考えたらあまりダルくはないと思っている自分がいるのは確かだ。——素直に言うと変態扱いされてダルいから言わないけど。

 

「まあ、とりあえず勉強始めない? 胡桃も、数学結構危ないんでしょ?」

「うー、まだ昨日の分まで充電できてないけど、仕方ないか……」

「エイスリンも、一緒の大学行くならもっと国語頑張らなきゃだしね」

「ウ、ガンバル……」

 

 塞の一言により、誤解は解けていないながらも話は流れ、勉強会が始まる流れになる。

 

「え、エイちゃんも一緒の大学行けるの?」

「ウン! ワタシ、ニホンに残る!」

「やった!」

 

 そこで、エイスリンが進路を変えたことを知らなかった胡桃が、驚きながらも喜ぶ姿を見せてくれたことが、私の罪悪感を和らげたのであった。

 

===

 

 各自で苦手科目を中心にやり、分からない部分があったら優等生である塞に聞くというお決まりの方法で進む勉強会は、特に何事も無く解散の時間を迎えた。

 普段なら、ダルいダルいと言いながらも塞に引き摺られるように帰るところだが、この日は珍しくそうはならなかった。

 意図せず、胡桃と目が合ったのである。

 

「もう少しぼーっとしてくから、先、帰ってて」

「…………了解。胡桃、お願いできる?」

「え? あ、うん。いいよ」

 

 椅子に凭れたまま私は塞にそう言った。

 意図せずに胡桃と視線が合うということは、つまり胡桃がこちらを気にかけていたということ。

 塞もそれを察してくれたのか、二人きりになる状況を作るのに手を貸してくれたのである。

 

「それで、どうしたの?」

「え?」

「話、あるんでしょ」

 

 そうして人払いを済ませてからも、しかし胡桃はなかなか話を切り出そうとしなかった。

 そわそわと落ち着かない様子の胡桃に痺れを切らし、結局私から聞き出す羽目になる。ダルい。

 

「いや、話ってほどの話じゃないんだけど……」

「…………」

「シロ、本当にエイちゃんにプロポーズしたの?」

「してない」

「だ、だよね。あはは」

 

 胡桃は真面目だから、本当に私がプロポーズをしていた場合どうすればいいのかを悩んでいたのかもしれない、と一人で納得する。

 そう考えると、この状況は明らかに塞が誤解を解かないまま帰ったせいと言えるため、後で一言文句を言おうという気分になった。

 

「…………あのさ、シロ」

「……なに?」

 

 しかし、胡桃の話はどうやらそれだけではなかったようで、伏し目がちに言葉を繋げた。

 もしかしたら、エイスリンの話は場を持たせるために持ち出しただけで、本題は今から言われることなのだろうかと考えて少し身構える。

 

「その……」

「…………」

 

 だが、そこから先に続く言葉が出てこない。少し俯いたまま、胡桃は沈黙を守っていた。

 言葉にしたい思いはあるけれど、言葉にしてはいけないという思いに縛られているかのような態度。でも、そんな胡桃の態度を、私は何度も見てきている。

 

「……無理に、言葉にしなくても、いいと思う」

「ぁ……」

「わかってるから、大丈夫。……いつも、ありがと」

 

 私の『マヨヒガ』、塞の『防塞』に並んで、胡桃が持つオカルトは『座敷童』だ。

 幸運をもたらす座敷童の能力は麻雀でもその力を振るい、胡桃は常に配牌やツモに補正がかかっている状態らしい。

 だが、座敷童は常に幸運をもたらすわけではない。とある事情で座敷童の怒りを買った家族は、座敷童がその周りの人々に幸運を撒き散らすことで、相対的に不幸になったという話がある。

 それは胡桃の能力でも同じことで、胡桃はあるルールを破ると能力が反転——不運がもたらされるらしい。

 そのルールは、『対局中に声を上げない』というもの。和了宣言以外の発声を禁じている胡桃は、故に門前ダマの手以外で上がることはない。

 話が逸れたが、今の状況——話したいことはあるが、それを口にすることができないという胡桃の態度は、そんな、能力の反転を恐れた——友人を不幸にすることを恐れた優しさの現れであることを、私は知っている。そして、胡桃がこうして、語ることを我慢することで、私達が幸福を享受できていることもまた、なんとなくわかっていた。

 故に感謝する。胡桃に、感謝している。

 

「いつも甘えて、ごめん。ありがと」

「いいよ。シロだもん」

 

 言いながら、胡桃が私の膝の上に腰掛けた。いつもの『充電』の体勢である。

 この体勢だと、どっちが甘えているのかわからなくなるなぁ、などと考えながら、何の気なしに胡桃のお腹に腕を回して、抱っこするような姿勢をとった。普段なら腕を動かすのもダルいから、座らせるがままになっているのだが、本当になんとなく、そうしたくなったのだ。

 

「……でもね、シロ」

「ん?」

 

 ただ、その状態で発せられた胡桃の声は少し震えていて——

 

「シロはやっぱり、わかってないよ」

 

 少しだけ、涙の色をしていた。

 

 何が、と聞き返すのは簡単だった。それこそ本当に、赤子の手を捻るほどに。

 ただ、私に赤子の手は捻れない。私は胡桃に、真意を問うことはできなかった。

 

「帰ろっか、シロ」

「…………ダルい」

 

 私の膝から飛び降り、笑顔で告げる胡桃に、いつも通りの言葉を返せたのは、ある意味奇跡のようなものだったのかもしれない。

 

===

 

 帰宅して携帯を確認すると、案の定塞からのメールが来ていた。

 件名は無し、本文は『どうだった?』の六文字だけのそのメールに、私は三文字だけを打ち込んだメール返信する。

 すると、当然のように電話がかかって来たため通話状態にした。

 

『大丈夫!?』

「……声大きい」

『あ、ごめん。ていうか余裕じゃない。切っていい?』

「待って。助けて欲しいのは、ホント」

 

 『助けて』というメールは、一応本心からのものだったのだが、塞は少し方向性を勘違いしたらしい。エイスリンの話を考えれば、丁度いい仕返しだろう。

 

『それで、何があったの?』

 

 それでもちゃんと話を聞いてくれる塞の優しさに感謝しながら、私は今日の胡桃との出来事を話す。

 最初はエイスリンとの関係を確かめられたこと、その後に何かを言いたそうにしていたこと、そして最後に『わかってない』と言われたこと。

 

「——私、何がわかってないの」

『……私はシロがわからないよ』

「やっぱ、塞もわかんない?」

『やっぱって何。私がわからないのは、シロがなんでわからないのかってこと。シロがわかってないことは、シロ以外なら誰でもわかると思うけど』

「…………ダル」

 

 呆れたような口調で塞に言われる。

 塞が言うならそうなんだろうなぁ、とは思うが、実際、わからないものはわからないのだから仕方が無いだろう。

 

「それで結局、私がわかってないことって何?」

『自分で考えなさい』

「え?」

『ツー、ツー、ツー』

 

 電話が切られた。

 

 ……え?

 

===

 

 それから、塞にいくら連絡をしても返事が貰えないもやもやとした土日を過ごし、結局私は何もわからないまま月曜日を迎えてしまった。

 エイスリンと違って、クラスが違う胡桃とすぐに顔を合わせることは無いはずだが、勉強会に参加すれば確実に会うことになる。

 こうなれば、やっぱり直接聞くべきなのだろうかと少し悩むも、私の中のマヨヒガに聞くべきではないと告げられた。手詰まりである。

 

「シロ、ブシツ行こ?」

「……ダルい」

 

 気付けば授業も終わりの時間。エイスリンに誘われるがまま引き摺られるように部室に向かう。

 すると、道中で見知った高身長に遭遇した。

 

「トヨネ!」

「あ、エイちゃん! と、シロ!」

「やっほ」

 

 そのまま合流し、三人で共に行くことに。

 すると、少し歩いたところで、相変わらずエイスリンに引き摺られている私を見て、豊音がにっこりと笑いながらこんなことを言い出した。

 

「んー、二人ともラブラブだよー」

「…………ん?」

 

 豊音が誤解したままだったことを忘れていた。ダルい。非常にダルい。

 

「豊音、私はエイスリンを大学に誘っただけで、プロポーズはしてない」

「「えっ!?」

「なんでエイスリンも驚いてるの」

「……シラナイ!」

 

 私を引く手が急に放された。

 当然のように、重力に引かれるがまま、ぺたんと床に腰を落とすことになる。

 なんでエイスリンはまた怒ってるんだろう……

 

「……エイスリン、私、またなんかダルいことした?」

「フンっ!」

 

 尋ねても、エイスリンはそっぽを向くばかりで答えてくれない。

 少し前まではいつもニコニコしていたはずなんだけど、どうしてこうなってしまったのだろう。仲直りはしたし、思い当たる節は全くと言っていいほどに無かった。……無いよね?

 

「エイちゃん、シロはちょー鈍感さんだからー……」

「オンナのテキ!」

「シロも女の子だけどねー」

 

 豊音がエイスリンと小声で何かを話し出した。何を言っているのかは聞こえないが、豊音のことだからきっと、エイスリンを宥めてくれているのだろう。

 少なくとも豊音には、エイスリンが何故怒っているのかがわかっているようなので、アドバイスを求めてみる。

 

「豊音、どうすればいい」

「……シロは本気でわかってないんだねー」

 

 ああ、ここでも言われるのか。

 それならばいっそ、そのことも含めて豊音に聞いてしまうのも、一つの手なのかもしれない。

 

「ねえ、豊音。私は、何がわかってないんだと思う?」

「んー、乙女心、とかとか?」

「……私、女なんだけど」

「でも、乙女になったことはないんじゃないかなー、なんて」

 

 言われてみれば確かに、私は髪の手入れも適当だし、化粧も最低限しかしていないし、服もダルくないことを基準に選んでいるしで、そう言った意味では、私は乙女ではないのだろう。

 ん? それって……

 

「それ、もしかして、悪口?」

「えぇっ!? ち、ちがうよー」

「だよね。知ってる」

 

 手をわたわたと動かしながら慌てる豊音。

 まあ豊音が人の悪口を言える子じゃないってことは、最初からわかっていたことだけど。

 ただそうすると、豊音の言葉の真意がわからなくなるのも確かで——結局、乙女心ってなんなんだろう。

 

「……考えるの、ダルくなってきた」

「まあ、いつかわかるよー。——私も、いつか伝えたいしー」

「え?」

「なんでもないよー。エイちゃん、そろそろ部室行こー?」

 

 豊音に言われて、エイスリンがさらさらと絵を描き始める。ものの数秒で描き上げられた絵の内容は——

 

「やれやれ、仕方ないなぁ?」

 

 掌を上に向けるように両手を広げ、首を左右に振る人の姿であった。

 

「ン」

 

 そのまま、少しむくれたエイスリンが手を差し出してくれる。

 これは許されたということなのだろうかと思いながら、手を握り返した。

 

「ありがとう、エイスリン」

「オソクなると、クルミとサエにおこられる、カラ」

 

 ぷいとそっぽを向きながらエイスリンが言うも、部室に着くまで、繋いだ手が再び振り解かれることはなかった。

 

「ふふ、ラブラブだよー」

 

 豊音のからかう声も聞こえたが、不思議とあまりダルいとは思わなかった。

 

===

 

 結局何がわかっていないのかはわからないまま部室に到着すると、早速問題の胡桃が声を掛けてくる。

 

「お、ナイスタイミングだね。シロ、ちょっと売店まで付き合って」

「え、ダル」

「いいから行くの!」

「ハイ」

 

 反射的に口癖が溢れるが、そんなことは聞いていないと言わんばかりの勢いに呑まれ、気付けば私は胡桃に手を引かれて部室の外に舞い戻っていた。

 

「……それで、なんで売店なの」

「お茶が切れちゃったからね」

「私が一緒に行く必要は?」

「無いね」

「ダル……」

 

 普段と同じようなテンションで流れる会話。

 ただ普段ならば、荷物持ちとしてすら戦力にならない——むしろお荷物そのものの私を連れて胡桃が売店に向かうことはあり得ないので、何かがあることは明白であった。

 

「塞にね、言われたんだ」

「……何を?」

 

 そのまま二人で売店に向かって歩いていると、案の定胡桃が話を切り出してきた。

 

「『何かを伝える時、言葉ってのは確かに便利だけど、でも、絶対に必要なものじゃあないんじゃないかな?』って」

「…………」

 

 それはきっと、あの時できなかった会話の延長戦。金曜日の時間の、延長線上なのだろう。

 なるほど。塞は今回、私じゃなくて胡桃にアドバイスをしたわけか。相変わらず、いい親友だ。

 

「なるほどーってなったよね」

「……そっか」

「うん」

「……それで?」

 

 胡桃が要領を得ない会話をするのは珍しいことで、それだけに一層、私は胡桃の言いたいことが理解できていなかった。——いや、それこそ私が、わかっていなかっただけなんだろうけど。

 

「こっち」

「売店、そっちじゃないけど」

「いいから」

 

 胡桃が唐突に方向転換する。

 美術室と音楽室の横を通り過ぎ、辿り着いたのは鍵のかかった用務員用の出入り口。

 人通りの無い場所に来たということは、内緒の話でもするのだろうか。——なんて、この時はまだその程度の考えしかなかった。

 

「んー、ちょっとしゃがんで」

「……こう?」

「そーそー」

 

 胡桃に言われるままに少し屈むと、不意に頬を両手で包まれる。小さくて柔らかい、子供のような手が、私よりも高い体温を伝えていた。

 

「うわーすべすべだ」

「ちょっ、なにし、ンっ!?」

 

 そのまま頬を撫で回す胡桃の手から逃れようとしたところで、私は動けなくなっていた。

 気付けば胡桃の顔が目の前にあって、唇の神経が何か柔らかい感触を訴えていた。

 遅れて感じる少しの息苦しさと、淡い快感。口が溶けるような錯覚に呑まれる。

 

「んぅ……」

「ん、ぷふっ」

 

 離れる胡桃の顔。荒く吸い込んだ酸素が気道を冷やす。

 私は今、何をされた?

 

「少しは、伝わった?」

 

 花のような笑顔を浮かべる胡桃の顔は果実のように真っ赤で、それが私の中に小さな理解をもたらした。

 

「嫌という程に」

 

 ああ、私は今、キスされたのか。

 

「嫌だった?」

「別に、嫌じゃなかった」

 

 まさか豊音の指摘がそのまま当たるなんてな、とぼんやり考えながら、私は目の前の乙女から、照れて視線を外すのであった。

 

===

 

「胡桃、その状態だと勉強できないでしょ」

「え? できるよ?」

「シロができないでしょ!」

 

 私の膝の上で『充電』をする胡桃に、塞が当然の指摘をする。

 

「まあ、仕方ないか」

「充電は区切りがついてからね」

 

 だが、胡桃が膝から降りて自分のスペースに戻っても、私の勉強意欲は全くと言っていいほどに湧かなかった。

 胡桃が言うに、先のアレは単に気持ちを伝えたかっただけで、私に何かを求めたものではないらしい。でも、一度そういう意識をしてしまえば、払拭するのは不可能な訳で——

 

「ダルい……」

 

 これからどうすればいいのかわからなくて、迷って、それでも答えが出なくて、ダルかった。

 

「ほらシロ、サボらないの」

「ダルい……」

「言っとくけど、シロが悩まなきゃいけないの、胡桃のことだけじゃないんだからね?」

「——!?」

 

 耳元で囁かれた塞の言葉で、思考がさらに沼に嵌る。

 そんなまさか——いやでも——あれはそういう——

 ぐるぐる回る思考が晴れない。マヨヒガを頼っても、返る答えは『悩め』の二文字。

 

「もう、無理……」

「えっ、ちょっ、大丈夫!?」

「顔から煙出てるよシロ!?」

「うわー、ちょー大変だよー!?」

「シロ、Overheat!!」

 

 どうやら私——小瀬川白望はこれから先、この迷路の中でまだまだ迷わなければいけないらしい。



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