夏の切れ端 (こつめ)
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夏の切れ端

「……よしっ」

 ホテルの一室の前で、私は覚悟を決めていた。

 目の前にあるのは、先輩の部屋だ。今日の朝までは他のサーヴァントの皆さんと一緒に原稿をしていたが、全て片付いた今は1人で居るはずだ。

 こうして私が先輩の部屋を訪れたのは、ある思いからだ。

 もう一度、先輩と海が見たい。

 

 

 

 

 

 幾度目かのループの中で、一度だけ先輩と一緒に夜の海を眺めたことを覚えている。

 煌めく星の輝きも、静かに凪いでいた波の音も、遠くに聞こえる喧騒も、私に向けて紡がれた先輩の声も。

 全部、大事な私の思い出になった。

 この2人の時間がループして、いつまでもずっと続けばいい、とさえ思えた。

 

 

 

 

 

 でもそう思っていたのは、私だけだったらしい。

 何度目かのループの中で、見てしまったのだ。

 ジャンヌ・オルタさんと、2人で海辺を歩く先輩の姿を。

 きっと先輩のことだから、ジャンヌさんのリフレッシュの為に、一緒に外に出てきたんだと思う。

 そうやって誰にでも優しいのが先輩の良いところで。

 そのはずなのに、私の心が、少し痛んだ。

 同時に、ほんの少しのドロッとした感情も自覚できてしまった。俗に言う、独占欲と名付けられた感情を知ってしまった。

 この感情はきっと、ない方がいい類いのものなんだろう。

 それがわかっていながら、私はこの感情に上手く蓋をできなかった。

 

 

 

 

 

 そして私は、自分の中の黒い感情に対する引け目と、これから起こることへの不安と、あとほんの少しだけの希望を胸に、この部屋の前へとやって来たのだった。

 ぐるぐると渦巻く感情を抱えたまま、目の前のドアをノックする。

「先輩、夜分にすみません。マシュ・キリエライトです」

 ドアはすぐに開かれ、先輩が顔を出した。

「どうしたの? 何かあった?」

「いえ、特別何かあったわけではないのですが! ……その、ええっと」

 ここに来るまでの間に何百回も脳内でシミュレーションをしたはずなのに、上手く言葉が出てこない。

「先輩に、お願いごとがありまして……」

「マシュがお願いなんて珍しいね。何でも言って?」

 今言わなきゃ、私はきっと仮にこの先を何度ループしたとしても、後悔し続けるだろう。

 なけなしの勇気を振り絞って、声にする。

「先輩さえよろしければなのですが! ……一緒に、海を見に行きませんか……?」

 

 

 

 

 

「この時間にもなると結構涼しいんだね」

「ええ、海辺というのもあるかもしれませんが、昼間と比べるとかなり快適です」

 以前と同じ様に、2人で浜辺を歩く。

 先輩は二つ返事で私の誘いを了承してくれた。

 もちろん私は素直に嬉しく思った。

 けれどもし他の娘に誘われても、先輩はきっと断らないで、私に対してと同じ様に応えるのだろう。

 そう思うと少し嫌な気分になった。

 そして嫌な気分になってしまった自分が、もっと嫌になった。

「この景色は、いつまでも見ていられるね」

 私の心象など知るはずもない先輩は、私の好きなキラキラとした表情で夜の海を眺めていた。

「はい、私もずっと見ていたいという気持ちになります。……いつまでも、ずっと」

 私の放った言葉の後半は、波の音にかき消されて、誰にも届かずに消えてしまった。

 

 

 

 

 

 砂浜に腰を下ろし、先輩と2人でとりとめのない会話をした。

 海の話、星の話、ハワイの話、サバフェスの話。

 そのどれも取り立ててするような、大事な話ではない。

 でも話をしている間、間違いなく世界には私と先輩の2人しかいなかった。

 先輩にとっては、これはいくつもある思い出の一つに埋もれるような時間かもしれない。

 でも私にとっては、輝きを失うことのない、宝物のようにかけがえのない時間だった。

 

 

 

 

 

 結局、この先輩に対する独占欲なんてものは、先輩が先輩である限り、私は一生抱き続けるのだろう。

 私に特別をくれるのは先輩しかいないけれど、先輩に特別をあげられるのは私だけではない。それだけの話だ。

 先輩と話しながら、自分の気持ちをそうやって結論付けた。

 『もういい時間になりましたし、ホテルに戻りましょうか』

 そう言ってこの時間を終わらせようとした時、不意に先輩が声を上げた。

「わ、見てよマシュ!」

 その声につられて視線を向けると、まさに太陽が、海と空のキャンバスに色を付け始めるところだった。

「凄い……」

 初めて目の当たりにする夜と朝が切り替わる様子に、私は言葉を失って立ち尽くすことしかできなかった。

「こんな凄い朝焼け、初めて見た……!」

「……はい、私も、この景色を適切に形容する言葉が見つかりません……!」

 しばらくの間、2人で姿を大きくしていく朝日を眺めていた。

 

 

 

 

 

 やがて、ぽつりと先輩が呟いた。

「ありがとう、マシュ。俺にこんな特別な景色を教えてくれて」

 そう言った先輩は、優しく微笑んでいて。

 それは、私が先輩に、些細なことではあるけれど、特別をあげられたと思うには十分で。

 この気持ちが何処にも行かないように、私の中の黒い感情が顔を出さないように。

 私はこの瞬間だけが、いつまでもループし続けることを願った。

 



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