ダーリン・イン・ザ・フランキス:Parallel (祈Sui)
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第1話(Parallel20話)幼年期の終わり

◆空中移動要塞コスモス

 

 扉が開くと、白い円形の床が現れる。壁面は全面ガラス張りで青い空が見えた。時折雲がぶつかっては分断されるように流れていく、踏み出すと私を乗せてきた昇降機は、床に吸い込まれるように下っていった。部屋の中央には伸縮を繰り返す立体仮想グラフがあり、それを囲うように細いフレームが複数の椅子を持ち上げ支えている。そこに座すのは、似通った白い装束に、それぞれ固有の仮面をつけたAPE最高指導者であるじじい共だ。7賢人。いや、今はもう5賢人か・・・

どれだけ時代が進んでも膨大な空間の無駄遣いと、自らを権威付けるための高台というものから権力者は逃れられないらしい。ここへ来るといつもそう実感する。私が訪れた事により椅子を支えているフレーム群が左右へ移動し、椅子の並びが半円形へと変更された。仮面が声を出す前に言葉を投げかける。

「コード326とコード556の記憶を操作したそうだな、断りも無く勝手なことを」

仮面がこちらを見た。

「それのなにが問題だと言うのかね?」

さっぱり理解できないというような声。

「ナインズの報告によれば、彼らは我々が遠ざけた知識に触れていたらしい」

「コドモたちが我々の手を離れ一人歩きをするなどあってはならない」

淡々と続くじじい共の声に反論する。

「今回の出来事が、コドモたちに反感を抱かせたようだと報告を受けている」

「コドモ達?十三部隊に限っての事であろう?むしろ君の施した実験が彼らを不安定にさせたとは思わないかね?」

別の仮面が頷く。

「確かに、他の部隊にそのような兆候は無く、二十六部隊はプロトコル三十二を受け入れた」

「そうだ、それこそがコドモたちに求められる理想的な形」

賛同の声。思考が違いすぎて話にならない。

「十三部隊の戦闘成果曲線など、確かに面白い実験であった事は認めるが、この結末は君が招いたのだ」

それには返す言葉が無い。それは一つの事実だ。間違っていたかどうかでは無く、一線を超えればじじい共が行動に移ることを知りながら、その干渉を防ぐことができなかった。さらなる叱責の為に三つの仮面が喋り続けようとするのを副主席が制した。

「もういい。そんなことよりもスター・エンティティの改修は終わったかね?ヴェルナー君」

その言葉を待ちわびていたように、向けられている仮面たちからの視線が強くなったような気がした。茶番だ。その程度の報告など既に届いているだろうに、これもまた一つの様式美。あるいは儀式のようなものなのかもしれない。

「終わった」

答えを聞くと満足そうに主席が頷く

「そうか、では、計画を実行に移そう」

仮面たちの視線が私から離れる。

「だが、依然行方が知れぬ叫竜の姫についてはどうする?奴が存在する限り、叫竜たちの抵抗は収まらない」

その声には不安が滲んでいる。

「叫竜の姫か、問題ない。スター・エンティティが起動すれば、全ては終わるのだから」

それに別の仮面が疑問を挟む。

「スター・エンティティには操縦するための機能が存在しなかったと聞いたが?こんな短時間に作り上げたのか?」

それに答える仮面の声は無く、そこで初めてその疑問の回答が自分に求められている事を理解した。奇妙な会話だ。実際に会って肉声で話しているというのに誰が誰に向けて言葉を発しているのかが分かり辛い。

「足りない操作系にはストレリチアをインプラントし対応する。それで動く」

「なるほど、ストレリチアを使うのか、フランクス事体、元々はあちら側のもの、親和性に問題はあるまい」

納得したような声。それを聞き流しながら私は疑問を投げかけていた。

「・・・だが、あれを動かしてどうするというのだ?」

仮面たちが一斉にこちらを向く、数秒の沈黙の後一人の仮面が微かに笑った。

「改修作業を喜々として手掛け、名前まで付けた君が言うのかね?やはり科学者の業は深いな」

無表情の仮面たちの間に愉快そうな空気が満ちる。それも無視する。

「今までのデータから考えるに、叫竜の姫単体ではあれを満足には動かせない。つまりあれは人類が手を出さずとも叫竜たちにはまともに使用できなかった兵器だ。もしも叫竜たちがあれを自由に動かすことができたなら、人類はとうに敗北している」

再び戻った沈黙を、副主席が払う。

「だからこそ、我々が使ってやろうというのだ」

「何のために?」

小柄な仮面が理解できないというように割り込む。

「今更何を言っている?全ては人類の未来の為。叫竜との戦いに勝利する為だ」

それこそ理解不能だ。

「人類は多大な犠牲を払いグランクレバスを制圧。叫竜の姫は取り逃がしたが、戦いには勝利しつつある。スター・エンティティを改修したアパスもあの大層な槍(フリングホルニ)も、いまさら何に向けて使うというのだ」

改修した叫竜たちの兵器も、あれの為に叫竜たちが作り出したとされる槍も、強大すぎて向けるべき先が見当たらない。蟻一匹殺す為に核攻撃を実行する様なものだ。それで蟻は殺せるかもしれないが、それ以上の被害が出る。

「それは・・・」

解答を失った仮面の代わりを主席が継いだ。

「目的など直に分かる」

その声音から主席の感情を探る事は難しい。分かる事と言えば、APEという組織、こんな御大層な場所で常に集会を開いているじじい共も決して一枚岩では無く、目的や思想に僅かとはいえ違いが存在するだろうという事だけだ。研究者として迎え入れられたあの日から、私とAPEは相互に利用しあっているが、APEがなんであるのか未だに分からない。此処に至るまでさほど興味も持たなかった結果だという事実を除けば、APEは未だに謎の秘密組織であり続けている。

室内に警告音が響いた。中央の立体映像が地図へ変化。映し出されたグランクレバス周辺に膨大な数の青い点が浮かぶ。

「叫竜?まだこれほどの数が存在していたのか」

仮面の声には動揺。

「先にしかけられたか。どうやら残存戦力をかき集めてきたらしい。奪われたものを取り戻す為に・・・これが我々と叫竜たちとの最後の戦いになる。待機中の全フランクス部隊に出撃を指示。目標は、グランクレバス及びスター・エンティティの防衛。同時にスター・エンティティの起動計画を開始する」

主席の宣言に、残る仮面たちは同意を示した。

 

***

 

 出撃命令が下され、トリノス格納庫内からフランクス部隊が次々に出撃していく。十三部隊もすでに全フランクスが起動し、射出口が開かれるのを待っていた。与えられた任務はグランクレバスへ向かうストレリチアの目標地点到達までの護衛。詳しくは知らされていないが、グランクレバスにある改修した叫竜の兵器を起動させるための作戦であるらしい。目標地点からグランクレバスまではナインズが引き継ぐ事になっている。ストレリチアの護衛をナインズに託した後は叫竜の迎撃だ。パパたちがココロとミツルにした事には納得できていない。けれど、誰もどうしたらいいのかが分からない。誰もがパパたちに生かされていて、フランクスに乗る以外に何ができるのかを知らない。パパたちは今回の作戦が最後の戦いになると通告していた。改修した兵器が起動すれば戦いは終わると、もうそれを心から信じることができなくなっていても迷ったままフランクスに乗り込んだ。これで終わらせられると言い聞かせる事しかできなかった。

「十三部隊出撃します」

リーダーであるイチゴが告げる。いつもは軽口を叩くゾロメも黙っていた。フランクスを固定していた最後の器具が外れ、射出口への道が開かれる。全機が足を踏み出す。瞬間、地面から衝撃、格納庫内が揺れた。

「地震?」

「いや」

クロロフィッツのバランスを取りながら言ったフトシの言葉をゴローが否定する。地震にしては揺れ方がおかしい。震源が近づいてきているような感覚。それに全員がかつて見た超レーマン級の巨竜を思い出し身構える。地下から持ち上げられれば、トリノスと言えど無事では済まない。けれど、グランクレバスを制圧してから周囲は徹底的に探査されたはずだ。今グランクレバスに近づいてきている叫竜は別として、こんな位置に超レーマン級が潜んでいたとは考えにくい。振動が大きくなり、床面が割れ、持ち上がる。超高度の厚い床面を突き破って何かが飛び出す。咄嗟に防御姿勢をとったストレリチアが壁面へと押し付けられる。ストレリチアの胴が大きく開いた蛇のような叫竜の口に咥えられて固定されていた。サイズから類推するにモホロビチッチ級。ストレリチアが押し返そうとするが態勢が悪く押し戻される。だが奇襲されたとはいえ、すでにフランクスは起動している。モホロビチッチ級一体であれば十分対応できる。デルフィニウムが双剣を、アルジェンティアが爪を、クロロフィッツが銃を構える。砲を持ち上げようとしたジェニスタが、砲に寄り掛かる様に動きを止めた。

「どうしました?」

ミツルの声が響く。

「・・・こんな時、に」

ココロは急な嘔吐感に襲われて身を折っていた。トリノスに来てから時々起こるようになった身体の不調。

「ココロちゃん!」

「ココロ!」

フトシやミクが叫んでいる。

「クソッ」

ゴローは毒づく、最悪の事態だ。下手をすると全滅する。

「イチゴ!」

イチゴは頷く。目の前の叫竜をいちはやく倒すことが、仲間たちの安全に繋がる。デルフィニウムは、その蛇のような頭部へ向かって双剣を突き立てようとし、そして固まった。いつのまにか叫竜の蛇のような頭部から、人影が浮かび上がっている。

(-控えよ-)

頭の中に直接響いてくるような声。小さな人影が腕を軽く振っただけで、デルフィニウムが後ずさりする。

「ゴロー?」

戸惑ったイチゴの声に答えたゴローの声も困惑している。

「デルフィニウムが、動かない」

それは他の機体も同じだった。全ての機体がまるでその人影を畏れるように硬直していた。小さな人影は、何も気にしていないかのように悠然とストレリチアへ向かって移動する。何かを使っているようには見えないのに浮遊していた。身体からは尾のようなものが伸び、揺れている。

「叫竜なのか?」

ゴローの呟きに答えられる者はいない。コンラッド級よりも小さな、しかも完全な人型のように見える叫竜など聞いたことも無い。誰もが茫然としている中。小さな人影はストレリチアの頭部。操縦室近くまで到達し青く細い腕を伸ばした。ただそれだけで、ストレリチアの接続が強制的に解除され、操縦室の扉が開いていく。

「なっ」

接続が解除され照明の落ちた操縦席に光が差し込む。起こっている出来事が理解できないヒロの目に、額から角を生やし青い肌をした童女のような姿が映った。それが色こそ違えど、いつか見たゼロツーの姿に重なった。

ゼロツーは息を荒げて震えていた。体中の細胞が何かに反応しているように身動きがとれない。童女の背から伸びていた尾が左右四対、八つに割れる。まるで蜘蛛が付属肢を広げるように、そのうちの二本が動く。ゼロツーの身体に絡みつき強引に操縦席から引き剥がす。童女の青い眼が、締められた苦痛によってもがくゼロツーの顔を覗く。

(-人間が作った妾の複製か・・・不出来-)

言葉が響くや否やゼロツーの身体が操縦席の外へ投げ出される。

「ゼロツー!」

手を伸ばしたヒロの身体を、別の二本の肢が操縦席に押し戻し叩きつける。ヒロの肺から酸素が押し出され、咳のような音が洩れた。童女はそのままヒロへと近づき、その額を撫でるように探る。ヒロの額から僅かに覗く角を小さな指が探り当てると、童女は薄く笑った。

(-なるほど、これは興味深い-)

拘束を解こうとしたヒロが完全に身動きできないように二本の肢が押さえつけた。青い童女の顔がヒロの顔に迫る。逸らそうとした顔が追加された肢で固定される。そして小さな唇が押しあてられ、童女は軽くヒロの下唇を咥えると自らの鋭い歯を突き立てた。唇を噛まれた痛みにヒロの表情が歪む。痛みと共に血が滲む、それを舐めとるように動きながら唇はさらに強く押しつけられ、首を固定していた付属肢が軌道を締める。酸素を求めて喘いだヒロの口内へと柔らかく湿った舌が強引に侵入。喉の奥にまで差し込まれる。窒息しそうなほど、深く長い口づけ。

(-悪くない味だ-)

離れていく唇からは粘り気を増した唾液と混ざり合った血の糸が伸びた。

「ダーリンから離れろ!」

開かれた操縦室の扉の端に辛うじて掴まっていたゼロツーが身体を持ち上げて殴りかかる。二本の付属肢がたわむ。

「やめろ」

ヒロの言葉を無視して、付属肢は動いた。童女はゼロツーの方を見もしなかった。足元から付属肢に掬い上げられたゼロツーは宙を舞い落下していく。

「ゼロ、ツー」

ゼロツーの姿を追おうとした視線を青く未発達な身体が遮る。

(-お前の意思など興味もない。だから発言権もない。自身に価値があるからと言って優遇されるとは考えるな。お前は道具だ。お前達が同胞にそうしたように-)

童女が四本の付属肢を操縦席に差し込むと操縦室の扉が当然のように閉まった。

 

***

 

 落下するゼロツーを、自由を取り戻したデルフィニウムの手が辛うじて受け止めた。ゼロツーは動かない。付属肢の一撃による衝撃で意識を失っている。左腕からは出血。起動と同時に黒く変色したストレリチアは、強引に壁面を破って飛び出していった。咄嗟に追おうとするアルジェンティアの前に、蛇のような叫竜が立ちふさがる。爪を振るう前に肉薄した叫竜とそれを撥ね退けようとするアルジェンティアが拮抗する。

「こいつ」

いくら機動性重視の軽量級機体であるアルジェンティアであってもモホロビチッチ級でもそれほど大きくない個体との単純な力比べで負けるなどありえない。

「普通の叫竜じゃねぇぞ」

アルジェンティアが次第に押されていく

「クロロフィッツの全力を叩き込む。アルジェンティア、合図したら退避して、フトシやるよ」

イクノの言葉と共にクロロフィッツの腰部を取り巻いていた多連レーザー砲が展開。

「そんな事したらイクノが」

フトシが叫ぶ。確かにクロロフィッツのレーザー砲は強力だが、イクノにかかる負担が大きすぎる。

「今この中で、あいつを吹き飛ばせるほどの火力を出せるのはクロロフィッツだけ。他に選択肢なんてない」

デルフィニウムの全開の推進力なら押し出せたかもしれない。けれどゼロツーを守っている今、そんなことはできない。ジェニスタの巨砲を使えば弾きだせたかもしれない。けれど今ジェニスタは動けない。だからこの状況を何とかできるのはクロロフィッツの全力のレーザー砲だけだった。フトシが覚悟を決めて操縦桿を握りしめる。レーザーの射出部にエネルギーが充填される。

「アルジェンティア!」

イクノの合図を聞いたアルジェンティアが、叫竜を蹴りながら強引に後退。アルジェンティアの蹴りを受けても僅かに揺れただけの叫竜に向かってクロロフィッツの放った多連レーザーの閃光が突き刺さる。爆音。ストレリチアが壊していった穴から、叫竜が弾きだされる。だが、手ごたえは無い。クロロフィッツが膝をつく。息を荒げるイクノの髪は白く染まっていた。

「イクノ!」

フトシが叫ぶ。アルジェンティアがクロロフィッツの前に出て構える。ゾロメは睨むように前方を見つめ。ミクは不安げにデルフィニウムの方を窺った。今動けるのは、デルフィニウムとアルジェンティアだけだ。追撃か防衛か、デルフォニウムが見つめる先には真っすぐにグランクレバスへ向かう黒いストレリチアの姿があった。迷う二機の操縦席に通信回線が開く。

「現れた叫竜に対する追撃は他の部隊に任せ十三部隊の出撃は一時中止、態勢を整える」

ハチが淡々と告げた。

 

***

 

 表示された映像からはトリノスから黒煙が上がっているのが見える。

黒く変色したストレリチアが移動している。進行方向には、グランクレバス。

「馬鹿な」

仮面たちがざわつく。私の内心も穏やかでは無い。アパスを叫竜の姫が起動させれば、人類は滅ぶ。

「どうするのだ?ストレリチアが強奪された」

「あれはスター・エンティティを動かすための鍵だ。奴が二つとも手に入れてしまった」

「だから探し出して討伐すべきだと言ったではないか、早くフランクス部隊を追撃に回せ」

「間に合わん、急ぎナインズにストレリチアの破壊を」

それぞれが対応策を叫び合う議場を、主席が落ち着き払った声で沈黙させる。

「不要だ。手は打ってある。起動さえすればスター・エンティティは我々のものとなる。その鍵となるものが、叫竜の姫でも、コード002でもどちらでも構わない」

その余裕に妙なものを感じる。全てが想定通りなのだとしたら私の知らない何か、じじい共も知らされていない何かが進行している。

「・・・しかし」

反論をしようとした仮面を無視し主席が通信を開いた。

「ナインズ、命令の変更だ。ストレリチアには構うな。ストレリチア以外の叫竜及びフランクスのグランクレバス到達を阻止しろ」

「フランクスも?」

応答したアルファの声にも僅かに戸惑いが滲む。

「そうだ鍵がそろった今。不確定要素は排除しておきたい」

「分かったよパパ」

主席は未だ不安そうな仮面たちに告げた。

「まぁ、見ていたまえ。勝利は目前だ」

 

***

 

 ストレリチアはグランクレバスへ向かって前進を続けていた。強引に力が引き出されているのを感じる。

(-これが、同胞が感じている感覚。奇妙だ。妾の意識の端にお前の意識が触れているのが分かる。だが、立ち入る事は許さぬ-)

目の前で付属肢をつかって座している童女はこちらと意識が繋がらないようにしているようだった。ストレリチアの操作権を少しでも奪おうとする抵抗は撥ね退けられ続けている。ストレリチアは、グランクレバスの内部へと侵入。そのまま深部へ向かって落ちていく、奥底に巨大すぎる頭部が見えた。

(-人間によって姿を変えられたか、それでも我らが愛し子よ‐)

巨大な頭部が大きく口を開けるように展開。内部へ飲みこむようにしてストレリチアを招き入れる。

(-目覚めよ。我らが悲願の為に-)

降り立ったストレリチアが、巨大な何かと接続したのが分かる。感じるのは膨大な力。それは、童女の意思のままにその巨躯を緩慢に動かし始めた。

 

***

 

 トリノスに設けられた管制室にゼロツーとココロ、二人に付き添ったイチゴを除いた十三部隊の全員が集まっている。壁面を覆い尽くすモニターには、グランクレバス周辺の地図が表示され、叫竜を示す青点。展開しているフランクス部隊を示す黄点が動いている。ナインズを示す黄点はグランクレバスの周囲に展開し、動く様子は無い。ストレリチアを示す点はグランクレバスの真上にあった。幾つかのカメラがその横に表示している映像画面の一つには底の無い闇への入り口のようなグランクレバスが映し出されている。黙ったままモニターを見ているイクノをミクが気にしていた。イクノの髪はさっきの戦闘で白く変わってしまっている。

「イクノ本当に出るの?」

ミクは小声で聞いた。

「体調も悪くないし、あれを使わなければ問題ない」

「でも・・・」

「フランクスに乗っている以上は避けられない。それに・・・後悔したくないから」

イクノの顔を見てミクはそれ以上何か言う事をやめた。入室したハチが、全員を見わたして口を開く

「コード002も556も命に別状はない。だがジェニスタは出撃不能だ」

「何故ですか?」

ミツルが質問する。

「コード556は、・・・妊娠している」

ハチの返事には若干の間があった。

「妊娠?」

ミツルが聞いた事の無い響きを確かめるように口に出した。

「妊娠ってなんだよ?」

ゾロメは隣に居るミクに聞いた。ミクは答えを求めてイクノを見た。イクノは首を横に振る。ゾロメがハチに聞こうとしたとき、ドアが開いた。

「待ってゼロツー、まだ無理しちゃ」

ゼロツーと、それを追うようにイチゴが入ってくる。イチゴはゼロツーの右腕につながった点滴が下がる車輪付きスタンドを、ゼロツーの動きに合わせて移動させていた。

「・・・何、あれ・・・あれが、改修した叫竜の兵器なの?」

モニターに視線を移したイクノの言葉に、全員の目がモニターに向けられる。グランクレバスを映している画面。先の見えない穴の奥から巨大な頭部が姿を見せていた。頭部は上昇を続け、首、胸、腕と、その身体が順番に現れる。グランクレバスの内壁に突き立てられ、よじ登る為に使われていた胴体から伸びる四本の足はグランクレバスを完全に抜けると大きく広げられ、地面を踏みしめる。グランクレバスをも覆い隠すような圧倒的な巨体。誰もがあそこから巨大な手が伸びて超レーマン級のコアを引きずり込んでいったのを覚えている。多大な犠牲を払ってでも手に入れたグランクレバスの重要性が今画面に映し出されているそれにあるように思えた。

「うそだろ」

その冗談のような姿に、ゾロメが呟く。低い姿勢をとっていたそれが、ゆっくりとその巨体を持ち上げていく。誰もが言葉を失う中、ゼロツーは足を進めハチに詰め寄った。

「ダーリンを助けに行く、ボク一人でいい。認めろ」

ハチなど無視して乗り込んでしまえばいい。だが燃料や装備は?格納庫で機体を固定している器具は?命令違反として他部隊に邪魔される可能性もある。気持ちは焦っているが、それだけではヒロを救えない事も今のゼロツーは理解している。ハチがゼロツーを見た。

「十三部隊の新しい任務は、グランクレバスに向かう叫竜の迎撃だ」

「ふざけるな」

激高し、点滴を強引に引き千切りながらハチにつかみかかろうとしたゼロツーの前にゴローが立ち塞がり、イチゴがゼロツーを背後から引き止める。イチゴ達にゼロツーを止められたのは、ゼロツーがイチゴ達を傷つけまいと加減したからだ。

「どうしてですか?」

ゼロツーを抱きしめるように止めながらイチゴがハチに問う。

「ヒロを連れ去ったのは見た事も無い叫竜でした。そして奪われたストレリチアの現在位置はグランクレバス。あれと無関係だとは思えません。ヒロとゼロツーがストレリチアを使って起動させる予定だった改修した叫竜の兵器があれで、それを今あの叫竜が動かしているなら。それを放置してこれからグランクレバスに向かう叫竜を迎撃する意味が分かりません。それにナインズは何をしているんですか?」

ハチはイチゴの言葉を全て聞き終わってから口を開いた。

「これは、パパたちの意思だ」

「納得できません。じゃあ、ヒロはどうなるんですか?」

その問いにもハチは答えなかった。

「私たちはヒロを助けに行きます」

イチゴが訴える。その場にいる全員がハチを見ていた。仲間たちの顔を見て強張っていたゼロツーの拳が緩む。

「イチゴ、皆・・・」

「許可できない。ストレリチアは奪われ、コード556が搭乗出来ないジェニスタは起動不能。現在十三部隊で投入可能なのはデルフィニウム、アルジェンティア、クロロフィッツの三機のみだ」

ハチの言葉に、ゼロツーは向き直る。今度は怒りでは無く冷静さを持って。

「ジェニスタはボクが貰う」

「スタンピードか」

「ボクならできる」

「それなら僕がステイメンとして搭乗します」

ハチとゼロツーの会話に割り込んだミツルは微かに震えていた。恐怖の記憶がミツルを支配しようとして、それにどうにか抵抗している。ゼロツーがスタンピードモードでフランクスを操れると言っても、負荷が無いわけではない。できるならば、正しく起動させるべきだった。ゼロツーはミツルを横目で見て、少しだけ目を細める。

「ありがとうミツル。でもたどり着ければそれでいいんだ。ミツルに動かしてもらっても、たどり着いたらボクはあれの内部にあるストレリチアまで行ってダーリンを助けなくちゃならない。ボクが降りたらミツル一人じゃジェニスタは動かせない」

ゼロツーがハチに視線を戻す。

「ハチ」

「ハチさん」

ゼロツーに続いてイチゴやゴローも呼びかける。ハチは平然とした態度を崩さないまま浅く息を吐いた。

「任務は叫竜の迎撃。だが、出撃した後の行動は、リーダーである015の判断に任せる」

「それって」

イチゴが聞き返そうとするのをハチは遮った。

「全ての責任は私がとる。行け」

力の緩んだ拘束から抜け出したゼロツーは踵を返していた。

「ありがとう」

歩みを早めながらゼロツーは呟いた。皆が出撃の為に出ていく中で、役目の無いミツルは立ち尽くしていた。

「ミツルはココロちゃんの側に居てあげてよ」

フトシが肩を軽く叩き歩いていく。勢いに押されるようにそれに頷く、失われた記憶の事は未だに良く分からない。それでも、ミツルは言われたようにココロの側に居ようと思っていた。それは好きだとかそう言う良く分からない感情では無くて、まだあまり実感は無いけれど。たぶん同じ十三部隊であるという仲間意識のような物だ。

「良かったんですか?」

気が付くとミツルはハチに聞いていた。さっきの指示は、優しいかもしれないが正しくは無い。戦いの為の組織と言う事を考えれば・・・

ハチは、少し考えるような素振りを見せた。

「・・・わからない」

その何処か途方に暮れたような声に、ミツルは返す言葉を見つけられなかった。迷う事などないと思っていたハチが自分と同じように迷っている気がした。失われた記憶。仲間たちから教えられた出来事。それをどう扱っていいのか分からなくて、どうしたらいいのか分からない。そのまま無視することができないのは、コード556を皆が呼んでいる名前で呼んだ時に痛みだす頭の所為だ。何かが、それを手放すべきではないと訴えている気がする。

ミツルが部屋を出ていった後もハチは一人で考えていた。ナナならどうするかを考えていた。ずっとそれを考えていて、気が付けばあのような言葉を口にしていた。間違った答え。けれど取り消す気にはならなかった。それに、止めたとしてもゼロツーは、恐らくはイチゴやミク、ゾロメにフトシ、イクノも命令を無視しようとしただろう。彼らが特殊な部隊だからなのか、そう考えながらふと、彼らの事を考える時。コードでは無く彼らが呼び合う名前で思い浮かべている事に気づいた。その奇妙な感覚の中でハチは、この戦いが終わったら自らも再教育の対象になるだろうと思った。

 

***

 

 巨大な上体が完全に持ち上げられた。映し出される視点は地表から遥か上方にある。

(-さて、まずは我らの槍を返してもらおう-)

視界が動き中央にトリノスが映った。

「駄目だ」

制止させようとするヒロの意志は簡単に撥ね退けられる。

(-逆らうな-)

身体に巻き付いていた肢が、吸い上げる力を上げた。嗤うようにヒロを見ていた童女の身体が跳ねあがる。トリノスを見ていた頭部がぎこちなく上空へと向けられていく。

(-なん、だ、これ、は、我らが子に何を、何をしたヴィルム!-)

操縦席に差し込まれた付属肢の中を、黒紫色の線が蠢きながら這いあがっていく。

(-童の肉体を奪い、支配権を得るつもりか、舐めるな-)

童女の腕が黒紫色の線を引き千切る。その糸のようなものは幾筋も伸び童女が引き千切る速度よりも早く増し、その身体を拘束していく。

(-あああぁぁあああ!-)

叫ぶように口を開いた童女の顔が苦痛に歪む。

 

***

 

 グランクレバスを囲うように展開していた脚が一本ずつ地面に深く突き立てられていく。上を向いた頭部の先、大剣のような角が天へと向けられる。アパスが全ての動作を終えるのと同時にその角の先端に膨大なエネルギーが凝縮。そのままは閃光となって放たれる。光は上空へ向かい、接触した雲が瞬時に掻き消され青空がのぞく、神々しいまでの圧倒的な力。光はそのまま向きを変えることも無く放出され続けている。

「何だあの威力は」

「まさか、こちらを狙っているというのか?」

仮面が怯えたように言う。

「いいや違う、全ては我々がコントロールしている。当初の目的通りの結果だ」

主席が落ち着き払って答えた。

「どういうことだ?」

「コード002、あるいは叫竜の姫がスター・エンティティに接続した時点で、その操作権を奪うコードを仕込んでおいた。いまスター・エンティティは我々の支配下にある」

「なんだと?そんな話は聞いていない」

私が発した言葉は無視された。僅かに落ち着きを取り戻した仮面が発言する。

「では今は何を?」

「地中に眠るマグマ燃料を引き上げて、空へ向かって打ち上げている」

「マグマ燃料を?何の為に?」

主席と副主席以外の仮面が所作に疑問を表す。

「我々の軛を断ち切るため」

何処を見ているかもわからないままに告げられた副主席の声に議場は静まり返った。

「・・・軛?いったい何を言っている?」

「扉は開かれた。永遠の凪の世界へ、君たちを迎えよう」

主席が大仰に手を広げると椅子に座していた仮面達の身体が痙攣し始める。

「なんだ、こ、れは・・・」

「人類を不死たらしめたのは、マグマ燃料へと侵食した我々由来の物質なのだよ。故に君達は既に我々と酷く近しい存在となっている」

主席と副主席の声が混ざりあったかのように同質の物に変わっていく。

「知的生命体が構築する文明の限界は、エネルギー供給線の限界である。文明は発展すると同時に必要とするエネルギー量を増大させていく、惑星の資源を喰い尽した文明は惑星の外へと手を伸ばすが、資源の供給線が伸び切ればエネルギーの供給が滞り文明は衰退、崩壊を迎える。その後には何も残らない」

「有限のエネルギーを有効に活用するため、我々は進化すべきなのだ。この宇宙が終わる前に文明を統合、資源を集約し、この宇宙から抜け出し次の段階へと進まなければならない。真の永遠を手に入れるために、生命の未来の為に、我々ヴィルムこそが唯一の希望なのだ」

その宣言をまともに聞いているのは、もはや私一人しかいなかった。仮面が床に落ちて、中にあった人影が、黒紫色をした液体のようになって床に広がっていく。

「ヴィルム?ヴィルムだと?」

聞いたことも無い響きを口に出しながら、黒紫色に染まっていく白い部屋で平然と座している二つの仮面を見る。ヴィルムと名乗った二つの仮面の言葉で叫竜人が、何故人類が誕生する前に自らを生体兵器と化し、アパスの生成を始めたのかが理解できた気がした。叫竜は、それを統治するあの姫は、初めから人類と戦ってなどいなかったのだ。

「そうか人類は既に乗っ取られていたのか」

淡々と呟いた言葉に、二人だけ椅子の上に残った主席と副主席の仮面がこちらを見る。

「お前は不老施術を受けず。身体を機械化していたのだったな。我々の下にこないか?お前は見所がある。自我を残したいのならば我々の統治者の列に加わる事を許そう」

あの時の事を数に入れれば、二度目の勧誘だった。だが・・・。

「断る。それは・・・美しく無い」

私の返答に二つの仮面は身動き一つしなかった。

「残念だヴェルナー。ならば死して我らの内へ加われ」

副主席が立ち上がり外套の下から短剣を取り出す。取り出した短剣は一瞬で伸び上がり剣へと変わる。跳びかかる副主席がオレンジ色にかがやくその刀身を振るうのを見ながら私は左腕を伸ばす。複数の安全装置を解除。機械の装甲が弾け飛び五指が爆ぜる。首筋に向かって熱が這い上がる。副主席の身体を貫いて空中で固定した五指を引き戻す。身体を半ば裂かれた副主席が剣と共に落下。五指は絡まり合うようにまとまり、尾のような形に変わる。前進と共に斜めへ振り上げられた尾が伸長。未だ座していた主席の首を飛ばした。首が飛び身体が床に落下してなお、主席の声が響く。

〈‐憧れからくる愚かな模倣だと思っていた。単純に機械化していただけでは無かったのだな。叫竜の姫の細胞、いやそれどころか兵器化した叫竜の細胞をも移植したのか、狂気。いや愚かでそして哀れだ。そこまでして、あれになりたかったのかね‐〉

「笑いたければ笑え。拒絶反応で機械化せざる負えなくなったが、今こうして役に立っている」

引き戻した尾を人の五指としての形を取り戻そうとしたが完全には元には戻らなかった。腫瘍のように膨れ上がった腕は、残る人間の肉体を喰い尽そうと侵攻を開始する。再び起動した制御装置も、もはやその侵攻を緩める程度の力しか持ち得ない。

黒紫色の液体と化した人間を見る。恐らくは此処から遥か下方。プランテーションにいるオトナ達にも同じことが起きている筈だ。永遠の命。だが人類がたどり着いたそれは至高ではなく怠惰だった。不老だけでは足りない。もはやただ独りとなった叫竜の姫。収斂進化の賜物であろう我々と近似の形を未だ有する人類誕生以前の知的生命体。不老の肉体と、そしてそれに磨耗されぬ強固な意志。生命の到達点。私はあれに焦がれた。

 

***

 

 苦痛にのたうつ童女のその姿が苦しむゼロツーの姿に重なる。恐れるべき敵である筈なのに、気が付けば手を伸ばしていた。目の前の彼女を助けてあげたくて・・・他方からの侵攻を受けて、そちらへと全力を注いでいた童女の精神防壁は穴だらけになっている。そこから流れ込む。同時に向こう側からも流れ込んでくる。異なる二つの精神は、混ざり合うように繋がった。感じたのは膨大な時間と孤独。嘆きと使命感。

 

***

 

(-なんだこれは?-)

今まさに自分を侵食しようとしているモノに抵抗を続けている最中。別の感覚が流れ込んできていた。温かい何か、何故だか懐かしいような感覚。防壁が次々に陥落していく中で、ただ一点に向けて反攻を試みている。それに気付いたのかどうかは分からないが敵は侵攻を加速させた。付属肢を通して接続している人間へと侵入しようとしている。即座に拘束を解き弾き飛ばす。起動状態が解除され、意識のつながりが強引に解かれる。向かう先が無くなった敵は反転。攻勢を続けると共に自己の中に檻を形成する。圧倒できないのなら、せめてこの身の内に閉じ込める。根源のコードを書き換えるのと引き換えに力のほとんどを使い切っていた。意識が乗っ取られる前に辛うじて踏み留まり、侵攻を妨げているような状態。そして、もう動けない。大元は停止させたが、既に自らの内側へと入り込んだコードを排除するだけの力は無い。あとどれだけ耐えられるか分からないが、自らの意識が敗北した時。この身体に閉じ込めているコードは逆流し完全に支配権を奪うだろう。微睡むような意識の中で、幻のような記憶が揺り起こされる。膨大な時間の中で意識の奥底へと沈み込んでしまった記憶。それを引き起こしたのは弾き飛ばす前まで流れ込んできていた人間の意識だ。

「眠っていた?」

誰かが問う。いや違う、今眠りかけているのだ。これは夢だ。視線を動かせば、おぼろげな影が見える。忘却の彼方、欠落しすぎた記憶では再現できていない人影。それが言葉を紡いでいる。顔は影のようになっていて分からない。耐えようとしていても意識がそちらへ引きずり込まれていく。一つの記憶をきっかけに始まる出来の悪い、いつかの再演。無機質な部屋。苛立ち。

「正直に言えばどうでも良かったんだ」

目の前の人影がそう言った時、思わず襟を掴んでひねり上げていた。

「死んでいった人々の願いを踏みにじるのか?誰もが私たちを信じて死んでいったんだぞ」

身長の低いその体は半ば吊り下げられるようになっている。

「そう、だ。そんなことは、どう、でもいいんだ」

誰かは喘ぐように言う。その頬を殴りつける。掴んでいた襟が外れてそのままバランスを崩しながら床に倒れた。口内を切ったのだろう。吐き捨てられた唾には血が混ざっている。冷淡な眼差しがこちらに向けられた。

「人の姿を保ったまま不老である生体兵器と化すことはできなかった。人の姿では耐えられないからだ。生体兵器への進化を促す一種のウィルスに対応するために遺伝子操作が必要になった」

目の前の誰かが語っているのは経緯だ。肉体のエネルギー化と、生体兵器化という二つの進化を選んだ私たちの・・・

「でも、僕はかろうじて方法を見つけたよ。ウィルスの毒性を抑えることに成功した」

「なんだと?」

自己の意思と肉体を保ったままの不老化。膨大な失敗で、もう不可能だと思われていた事だ。

「けれど、こんなもの見つけるべきじゃ無かったのかもしれない」

後悔する意味が分からない。本当に見つけたのならそれは私たちが求め続けた希望だ。建造の初期段階にあるあれがいつか完成した時の為にも、兵器へとその姿を変えた同胞たちを束ねる者としても人の形質を保ったまま不老となった存在がどうしても必要なのだ。

「もう二人きりになってしまった」

「それが、なんだというのだ。我々はまだ滅んではいない」

「たとえ一人きりになってしまっても?」

「一人でも残っているのなら、まだ負けてはいない」

僅かな沈黙。私が口を開く前に誰かは言った。

「変質させたウィルスを使えば兵器となった者達と違い、人としての形質を保ったまま不老化ができるはずだ」

「何処にある?」

「此処に」

細い指がその喉元を指した。

「最後の調整に、どうしても純粋な人の身体が必要だった。これで死ぬのは僕が最後だ。本当は僕がなるつもりだったんだ。君に嘘をついて、最後の一人に・・・そしたら終わりにできただろう。けれどそれはできなかった。僕の弱さが、甘ったれた願いが君に全てを押し付ける結果になった」

口にされた言葉の途中からは独り言のようになり、意味も分からない。

「お前の中で変質したウィルスを摂取すればいいのだろう?ならば一部よこせ。お前の身体は私が治してやる」

「時間が足りないんだ。調節に使った僕の身体はもはや回復不能で残された時間は多くない。そして、変質したウィルスは強い毒性を除去できたことと引き換えに感染力も衰えてしまった。僅かな量では、君が変質するまでにかなりの時間を要するだろう。君が諦めると言うのならそれでもいいのだけれど。そんなことは君にはできないだろう?」

頷こうとして目が覚めた。呼吸が荒い。危うい均衡はまだ辛うじて保たれている。

見ていた夢を思い出す。あの誰かを知っている。彼の名前はもう思い浮かばない。あの時、彼はどんな顔をしていただろうか?思い出せない・・・。

 

***

 

 「ゼロツー、本当に体は大丈夫なの?」

「大丈夫」

フランクス格納庫へ続く廊下を歩きながら聞いたイチゴの問いかけにゼロツーが答えた。

「その腕は」

包帯のまかれた左腕に伸ばされたイチゴの手をゼロツーは躱す。ゼロツーの左腕を掴めなかったイチゴの手が宙で迷う。

「本当に大丈夫なんだ」

重苦しくなった空気を払いのけようとするように、ゼロツーは明るく言った。それは嘘かもしれない。けれどそう言うしかない事をイチゴは分かっている。逆の立場なら自分もそう言う。だから別の言葉を続けた。

「絶対に、ヒロと二人で戻ってくるって約束して」

ゼロツーは頷く。

「約束する」

どちらもそれが、確実だとは思っていない。ただの願望と言ってもいい。けれどそれでも、その約束は特別だった。

「これもあるし、今度は負けない」

ゼロツーが掲げて見せたそれが役に立つのかは分からない。それでもイチゴは頷いた。

格納庫にたどり着き、全員がフランクスに搭乗する。未だ大穴の開いた格納庫から見える巨大な兵器。あの中にきっとストレリチアとヒロがいる。先ほどまで上空を穿っていた閃光は途絶えている。もしもまた動き出し、あの閃光がこちらに向けられたのならフランクス、いやトリノスさえ簡単に消し飛ぶだろう。けれど今は沈黙している。あれをさっきの叫竜がストレリチアとヒロをつかって動かしているなら基本はフランクスと同じはずだ。そう考えれば今の状態は操縦時の同調に問題があって接続が解除された時に似ている。けれど、それだけに現在のヒロの状況を楽観視できない。一瞬だったがスタンピードモードのようなものに移行しようとする様子すら見えた気がする。

「早く」

最後に地上に射出されたジェニスタにゼロツーが接続を開始。独り言のように呟かれたゼロツーの声には焦りが浮かぶ。ジェニスタの頭部が裂け、口のようなものが現れる。姿勢は直立二足歩行から傾斜していき完全な四足歩行に、コートのような外装が襟状の膜のように広がり震えた。内部のフレームは伸長するように可変し、腹部を覆っていた装甲が尾のように展開される。足が真下では無く横から伸びた両生類と爬虫類が混ざり合ったような姿。持っていた巨大な回転式弾倉の重砲が、背と襟の隙間に接続される。伸びあがった身体の尾よりもなお銃身は長く伸びていた。荒く息を吐きながら喉を小刻みに開閉させたような耳障りな咆哮。

「行くよ」

ゼロツーの言葉と共に、姿勢はさらに低く、足がたわめられる。跳躍。同時に背中の重砲から爆音とともに閃光。回転式弾倉が回転。反動で急加速。跳躍と言うよりも、もはや飛ぶように移動していく。

「早っ」

駿足を誇るアルジェンティアをもってしても、その動きに追随できない。

 

***

 

 コスモスに備え付けられていた緊急避難用の脱出ポッドに乗り、射出させる。動かしたことはないが緊急時用だけはあって、簡単に動かせるようになっていた。向かう先には改修したアパス。叫竜たちの命の集積物。撃ち落とされる可能性もあるが、他に方法が無い。ヴィルムと名乗った存在が、アパスを支配しようとしているならそれを阻止しなければならない。そしてそこには叫竜の姫も居る。トリノスへ向かって回線を開く。

「ハチ、そちらの状況はどうなっている?」

「博士?」

僅かに驚いたハチはすぐに平静さを取り戻し、報告を開始する。

「パパたちからの指示が失われ指揮系統は意味を失っています。全プランテーション内で大人たちは黒紫色をした液状の何かに変わってしまったと報告が」

表示された映像でプランテーションからグランクレバスに向かって黒紫色した液体が川のように流れ込んでいるのが確認できる。

「どうすればいいか」

「気にするな。じじい共、正確に言えば一部のじじいが裏切り者で、不老施術を受けた者が全て死んだだけだ」

言葉にすると、その馬鹿馬鹿しさに笑いそうになる。ほとんど人類が滅んでいる。

「それはどういう」

「説明している時間は無い。ゼロツーと十三部隊はどうしている?」

「出撃しました。ヒロ、いえ、コード016を助けるために・・・私がそれに許可を」

「お前が?・・・そうか」

珍しい。ハチが独自の判断を下していた。誰に指示されたわけでもないそれは意思、ひいては感情の萌芽だ。ナナが影響を受けたようにハチも変わっている。

「やはり問題が?」

「いや、それでいい」

ハチは、自らの行動を疑問視しているようだが、それも今となっては正しい。残された人類はもはや彼らだけで、今や人類とは彼らの事だ。その行く末がどうなるかは彼らにかかっている。ここで滅び無ければの話だが・・・

「アパスの図面を送信する。ゼロツーに転送してやれ、アパスを止められなければ人類は滅ぶ。もう遅いかもしれんが、それでもあやつならやろうとするだろう」

通信回線を通じ図面を送信する。

「叫竜はもはやこちらから手を出さぬ限り敵とはならん筈だ。全部隊の生きている指示系統にグランクレバスから退避するように伝えよ」

「しかし、信じるかどうか」

「信じぬなら捨て置け」

「それから十三部隊があやつと行動を共にするというなら覚悟しろと、恐らくナインズは敵に回るぞ」

それだけ言って通信を切った。APEの秘密主義。掲げられた彼らの理想。嫌な予感はあった。あったが無視した。正直に言えばどうでもよかったからだ。私は魅せられていた。叫竜と言う存在に、あとの事はどうでもよかった。もしも魂と言う存在があったとしたら彼女に、ミルザに謝らなければならないと思う。私のこれまでの、そしてこれからの彼女の愛に対する背信行為を考えれば、彼女は決して許してはくれないだろうが・・・。それに私は彼女を本当に愛していたのだろうか?どれほど愛していたと言ったところで、私は理想とする存在を知れば全てを投げ出してでも手を伸ばしてしまう。至高の存在に対する憧れは、容易に愛を上回る。私は彼女が死んだことを本当に後悔していたのだろうか?彼女の犠牲の後も私は実験を続けた。彼女の死を無駄にしないためにと誓ったのは耳あたりの良い言いわけでは無かったか?どこかで一定の成果があったことに喜びすら感じてはいなかったか?今となってはもう全てが遅く、そしてあの時に戻れたとしても、私はきっと手を伸ばしてしまうのだろう。私は本当にどうしようもない最低の人間だ。成れの果てとなってなお、満たされない欲求を持て余している。

 

***

 

「アルファ、コスモスから何かがスター・エンティティに向かってる」

デルタの通信を受けて、九式の視線を上げる。とらえた映像を拡大処理。

「脱出ポッド?」

映像に移っているのは、コスモスから射出されたとおぼしき脱出ポッドだった。

「排除するか?」

攻撃に移ろうかと身構えるガンマをアルファが止める。

「いや、パパ達と通信がとれない」

後を継ぐ様にベータが思考する。

「もしあれにパパが乗っていたら?」

「パパ達に何かあったのだとしたら確認に」

イプシロンが焦ったように言うが、それもアルファが止める。

「いや、コスモスに異変があったようには見えない。脱出ポッドは一人乗りで、装置の誤作動という可能性も考えられる。それにもしあれにパパが乗っているなら、この場所の防衛線を守ることがパパを守ることにつながる」

「それはそうかもしれないけど」

「念のため上空への注意を強化。脱出ポッドが続けて射出されるようであれば行動を変更する。パパたちから追加の指示がない限り、防衛線の維持を優先する」

「わかった」

「了解」

それぞれが賛同する。アルファの言った事は正しいように思え、全員が前方に向き直る。初めにそれを捉えたのはベータだ。

「十三部隊がまっすぐこっちに向かってくる」

アルファは薄く笑った。

「先頭のスタンピード。あれはイオタだ」

九式が迎撃の為に槍を構える。脱出ポッドは放置された。

 

***

 

「賭けには勝ったな」

九式が、十三部隊のフランクスに向かって行くのを見て呟く。アパスのスカートのように広がった部分に逆噴射でスピードを緩めながら接近。着地と同時に不要となった衝撃吸収装甲がパージされる。折りたたまれていた複数の足が展開され、多脚形態へと移行。蜘蛛のような足でアパスの腰部を登る。アパス内部への入り口は解放された状態になっていた。恐らく、叫竜の姫と奴らが仕込んだコードによる支配権争いでここまで制御されていないのだろう。好都合だ。開いていた出入り口から、内部へと侵入する。ストレリチアがある中心部まではほぼ一本道で、他に注意を向ける必要も無い。  

単調さに思考がまわり始める。問題は、コード016とコード001(叫竜の姫)が接続可能で、アパスさえも起動できた事だ。叫竜がそうであるように、そこから作り出されたアパスもフランクスと同様に雌雄一対の操縦者がいなければ完全には動かない。つまり、コード016はコード001と対を成せたという事になる。コード002の生成とそれに続く実験の結果から、002の生成に用いた001の毛髪に何かしらの要素があるということはわかっていた。おそらくそれは付着していたウィルスのようなもので、それがコード001と002の中には共生するかのように存在しているのだ。そして001はその作用により本来の叫竜人とはかけ離れた存在になっている。複製体である002が生殖能力を持つことがなかったことからもそれは推測できる。生殖能力が無ければ叫竜人が文明を築くまで繁栄する事は難しい。我々人類がそうであったように生殖能力と引き換えに001は不老性を得たのだ。恐らくはあの附属肢も・・・それを成したのが、001と共生するようになったウィルスのようなものだった筈だ。だが、それを定着させることは不可能だった。002の成功は奇跡的な物で、ひどく性質の変化しやすいものだったのかもしれない。事実として001のDNAから作った002は001の完全な複製とはならなかった。赤い皮膚は、何らかの変異の証と思われる。繰り返された実験で要因と考えられたウィルスのようなものは、定着しないかあるいは逆に恐ろしいほどの毒性を示し実験体を死に追いやった。生き残った実験体。現在ナインズと呼ばれている個体群も、使用した人間のXY染色体を含む遺伝子と001、002の中で共生しているウィルスが反発しあい。それによる影響で生殖機能が十分に発達せず男性でも女性でもない存在になった。それは結果として、ピスティルにもステイメンにも流用可能という副産物を生みはしたが、XY染色体を持った叫竜人には成れず、002にも及ばない失敗作だった。廃棄処分を検討していたところそれはジジイどもが欲しがって持って行った。計画は頓挫した。人類の遺伝子を利用してXY染色体を持つ叫竜人を作れないならXY染色体を持つ叫竜人が確認されていない今、それを作ることはできない。叫竜の死体から、叫竜人のXX染色体個体が兵器化し、XY染色体個体がコアとなったことはわかっていたが、手に入れたコアから、XY染色体を持つ叫竜人を作ることはできず、叫竜の体細胞からXX染色体を持つ叫竜人を作ることもできなかった。彼らが兵器となるまでに、もう取り戻しがつかないほど遺伝子は変化してしまっていた。だが、現在のコード016はXY染色体を持った叫竜人と同等の性質を示している。XY染色体を持った叫竜人に成れたと言ってもいい。そもそもコード016はコード002の血液を摂取したことにより通常のステイメンとしての能力が著しく減少した。だからこそ016は703とフランクスを動かすことはできず。001の複製体である002とは同調が可能だと分かった後も、やはり015との起動には失敗した。だが、グランクレバスをめぐる戦いで、016は015とフランクスを動かすことに成功している。これは意識やタイミング、慣れの問題では無い。015は何も変わっていない。考えられるのは竜化。016は、002とストレリチアに三度以上乗った。通常であれば三度目には死亡する筈が、その後016は安定した。そして竜化が起こっている。・・・いや、違う。あれを境に竜化が始まったように見えたのだろう。そう考えれば、全ての説明がつく。竜化そのものは、血液を摂取した時点で始まっていたのだ。私は誕生した時点でコード001と同等の性質を示さなければ失敗だと考えていたが、成長過程にある幼少期に、001に等しい血液。001と002だけが有する特異なウィルスの存在する血を摂取すれば、ウィルスとそのまま共生状態になれたのだ。人の細胞に隠れるようにそれは増殖を続け、そして人の細胞を変異させ取って代わった。何故か?三度目の002との搭乗で016は死を迎えたからだ。016は乗り越えてなどいなかった。人として死に叫竜として生き返った。まだ人のように見え、その後急速に竜化が進んだように見えたのは、残った人の細胞が叫竜の細胞に寄生するように存在していたからだ。そう考えれば、もはや叫竜人と化した016が015との同調に成功したこともなんら不思議では無い。人として死ぬ前の016は、体内に人と叫竜、二つの回線を持つような存在だった。それは、フランクスを三人で動かそうとするようなものだ。妊娠したピスティルではフランクスを動かせない事は分かっている。それと非常に似通った状態が016の中では生じていたのだ。002との接続時点では、002が二つの回線があっても強引に接続していたのだろうが、人としての回線が無くなり一本化された事で、016は002と同様に人間の異性のパラサイトとも同調する事が可能になった。条件は誕生後、幼少期のウィルス摂取と、その後の成長。それが016を001と対をなせる叫竜人に変えた。何と言う事だ。ただ、それだけの事だったのだ。たったそれだけの事に、今まで気付けなかった。そしてそれは絶望だ。私にはどう足掻いても、その道は無かった。



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第2話(Parallel21話)大切なあなたの為に

視点が分かりにくいとのご意見をいただきましたので、文の区切りごとに誰視点かを明記いたします。
が、完全な一人称部分と、三人称視点で状況に応じてキャラクターにカメラをフォーカスするような感じで書いている部分がありますので、三人称視点の場面の分かりにくさはあまり改善されないかもしれません。ご容赦願います。


《叫竜の姫side》

 

 人間の記憶と自分の記憶が混濁している。目の前にある鏡を見れば、そこに映るのは二本の小さな角。薄桃色の長い髪をした人間の少女の姿。思わず手を伸ばす、それが鏡だと確かめるために、幻だと確かめるために

「大丈夫?」

呼びかけられて、鏡に触れる前に手を止める。振り返れば、浮かび上がるのは青くおぼろげな人影。いつか殺した誰かの姿。ノイズに塗れていた顔が、利用しようとした人間の少年の顔に変わる。少年は何かを口にしようとした。

「叫竜の姫」

今までの柔らかな声では無く鋭く固い音。現実の身体が揺さぶられた事で意識が引き戻される。目を開けば見覚えのある人間がこちらを覗き込んでいた。

「おお、死んでいるのかと思った」

あの時よりも老いた人間。

(-何故お前が此処にいる。それになんだその姿は・・・-)

いつか食いちぎった腕。今代わりにそこにある腕は青い肉腫のようになっていた。それはじわじわと老いた人間の首筋を侵食し頭部へ伸びようとしている。顔の半分を覆った機械の下でも似たような事が起きているのだろう。レンズの下で青い眼球は膨張し、角を模した鉄板を実際に青い角が突き破って飛び出している。この男が何をしようとしたのかが分かった。この男は、我々になろうとしたのだ。

「そんな状態になっても態度が変わらぬとは流石だ」

この身体が奴らの仕込んだコードによって、操縦席に縛り付けられていることを目の前の人間は知っているようだった。その後に発せられた笑い声は咳へと変わり、老いた人間は身を折るようにして血を吐く。何度か咳き込んだ後、右腕で口元を拭い老いた人間は笑った。

「装置で押さえていた、お前の細胞のリミッターを外した。それでこのザマだ」

何がおかしいのかが分からない。見るからに死に向かっている人間はそれでもなお愉快と言ったような表情をしている。

「私を喰え叫竜の姫よ。今の私ならばお前を解き放つための僅かな糧ぐらいには成れるだろう」

その言葉が思考の中で引っかかった。この人間はどうやら敵対していないようだという事にか?いや、もっと別の何か・・・。

(-何故妾を助けようとする?あれほど同胞を殺しておきながら-)

引っかかった何かに答えが出せないまま口を出たのは、単純な疑問だった。

「どちらにせよ、この身体はお前の細胞に食われる。それとなによりも、お前が美しいからだ」

老いた人間は恥じることも無く言った。老いた身体の中で未だ人間のものである片目だけが爛々と輝いて見える。

(-理解不能だ-)

「では何故お前は、コード016を取り込ませず守った?」

老いた人間の視線が、先ほど弾き飛ばして気を失っている人間へと向けられる。

(-そやつ無しでは、我らが子は動かせぬ-)

今言葉にすればそうだ、だが実際には考えるよりも前にそうしていた。

「ならば、今や我々の目的は、同一のものと言ってもいい」

(-同一の目的?-)

「奴らに利用される事の無いアパスの起動とそれによるヴィルムの排除。その為にお前たち叫竜人は自らを生体兵器へと変え、さらにこのアパスを創ろうとしたのだろう?」

(-アパス?この子の事か?ならば妾を助けたところでもはや無意味だ。取り込まれることは防げた。この子に仕込まれていたコードは書き替えた。だが、そこまでだ。多少力を取り戻したところで、妾の中に侵入し、閉じ込めたコードを完全に排除することはできず、妾とその人間では、そのコードの干渉を撥ね退けるだけの力は生まれない。接続すれば再び支配権が盗られる。それに檻は既に欠損してしまった-)

「まだ可能性はある。お前の複製を利用すればいい。あれは汚染されておらず、さらにお前よりも強くその少年と繋がれる」

(-そうしてどうするというのだ?あの複製が妾の目的を実行しようとするとどうして言い切れる?-)

「奴らが彼らを支配しようとしていて、彼らはオトナたちとは違いそれを受け入れられないからだ。もはや明確に敵対している。お前が何もせずとも彼らは戦う。お前たちがかつてそうしたように・・・」

(-我らと同じ?・・・生命の本能、あるいはそれに付随する意思があると?-)

「そうだ。人類のオトナたちが失ってしまったものを、まだ彼らは持っている」

老いた人間の言葉に嘘は無いように思えた。たとえそれが嘘であったとしても他の考えがあるわけでは無く、この人間がヴィルムの手先だとしても、今さらそれを差し向ける理由も思いつかない。そして状況はこれ以上悪くなりようが無い。ならば最後にこの老いた人間の言葉に乗ってみてもいい。少なくとも僅かな時間稼ぎにはなる。そうだ。私はそうせねばならない。最後まで足掻かなければならない。可能性が欠片でも残されているのなら・・・

(-あの時生かしておいた意味があったな-)

まだ辛うじて動く口をゆっくりと開けると、老いた人間がそっと近づく。

「最後に、ひとつ教えてくれ、あの時私を生かしたのは、お前の計画の一部だったのか?」

その問いに答える気になったのは気まぐれだ。最後の望みに答えてやるのも悪くは無い。

(-そうだ。妾は人材も設備も失っていたからな。この子を完全に起動させるためにはXY染色体を持つ同胞が必要だった。我々にはもはやXY染色体を持った個体は作り出せない。だがお前たちなら作り出せる可能性があった。奴らもそうしようとする事は解りきっていた。あの子を奪い自らを解き放つために、そして自らの肉体とするために。事実として妾が与えてやった毛髪から、お前は妾の複製を作り、そしてそこのXY染色体を持った同胞と同等の存在を作った。全ては可能性の一つだ。それは読まれ利用されたがな-)

「コード016の竜化は偶然だ。もしも016が覚醒しなければどうしていた?」

(-妾は一人で、この子を動かそうとしただろう-)

「スタンピードか」

(-お前たちはそう呼ぶのだな-)

「しかし、それでは完全な力は発揮できない」

(-そうだ。それでも他に手が無ければ妾はそうした。勝てぬだろうと分かっていても、やめられぬ戦いがある。もうこれ以上失うものなど無く、残された一人だからこそやらねばならぬことがある-)

「やはり、お前は美しい」

満足したように、老いた人間は微笑んだ。

「コード016・・・ヒロ。私はお前が羨ましかった」

操縦室の隅で倒れている人間を一瞬だけ見やってから老いた人間は変貌し続けている手を差し出し、促すように顔を上げた。

(-同胞を殺めたお前を許すことは無いが望み通り喰ってやろう。その青き血の一片に至るまで-)

口を完全に開く、差し出された腕にゆっくりと近づき、表面に歯を触れさせる。同時に尖った歯の先端が、易々と皮膚を裂き肉に突き立つ。頬張った腕からは熱い血液が溢れる。そのまま食いちぎった。人間は苦痛から叫び声を上げる。咀嚼している間に人間はのたうち、青い血をまき散らしながら笑っている。自由になった付属肢の一本で人間の身体を貫いて引き寄せる。付属脚をつかって血液を啜り、犬歯を人間の肩口に突き立てて、そのまま齧りとる。

「ああ、ああ、ああ」

人間は苦痛に呻きながらも恍惚としたような表情で呟く

「私はついに、人生の最後でついに、お前と同じものに・・・」

全て自由になった付属脚が男の身体に突き刺さり、摂食できる全てを喰らい尽した。

残ったのは、未だ人間だった僅かな肉片と、機械の部品。叫竜になろうとした人間の体を貪るその感覚が、忘れ去られていた記憶を引きずり出す。

 

***

 

《ensemble・十三部隊side》

 

ジェニスタがナインズの防衛線に触れる。その動きを補足したアルファが九式の超高速機動によって進行線上。跳躍であるがために回避不能な場所へ向けて持っている槍を繰り出す。ジェニスタが強引に身をよじるが、進路が変わるほどの影響は生まれない。穂先がジェニスタの装甲に突き刺さる寸前に爆音。背中の砲が火を噴き、ジェニスタが跳ね上がる。身をよじったのは砲を地面に向けるためだった事に気付いたアルファが即座に斬り上げた穂先の上をジェニスタが超える。同時にシリンダーが回転し三発目を射出。ジェニスタは直角に折れ曲がる様に強引に進行方向を修正した。アルファが舌打ちする。常人では耐えられないほどの重力の変動に、ゼロツーは辛うじて耐えていた。怒りと焦燥感が彼女を駆り立てている。ジェニスタの動きに合わせ攻撃しようとしていたベータの九式にアルジェンティアが躍りかかる。ベータは側方へステップしアルジェンティアの爪を躱す。槍を引き戻したアルファの九式へ、デルフィニウムが到達。双剣と槍がぶつかり合って火花を散らす。残った九式に向かい。クロロフィッツが牽制射撃。双剣を撥ね退けようとする九式の槍をデルフィニウムが強引に抑え込む。

「行かせないよ」

イチゴの言葉にアルファは苛立ちを顕わにする。

「たかだか末端の、一部隊ごときがパパの意思に逆らうな」

叫び声と共に放たれた蹴りを、デルフィニウムが後方跳躍で躱し瞬時に再突撃。離れた槍と双剣が再びぶつかり拮抗する。

 

***

 

《叫竜の姫side・past》

 

内側へ引きずり込まれるような激痛。寒さに震える体の中で背中だけが焼けるように熱い。まるで肋骨が蠢いて飛び出そうとしているかのような感覚。身を縮めて転げ回るとその瞬間がやってきた。中心に向かってひたすら動いていた力が、一気に反転する。耐えがたい苦痛に叫ぶ。どれだけ経ったのか、目を開けて身を起こすと室内は災害が通り過ぎた後のようになっていた。隣に寝ていたはずの彼のベッドは跡形もなく破壊され、ボロボロになった彼が床に転がっている。辺りには彼と繋がっていたチューブが散乱していた。手を伸ばそうとすると、手とも足とも違う感覚がして、前方の壁に何かが突き刺さり穴を開けた。ひび割れた鏡に映りこちらを見ている像は童女のような姿をしていて、背中から生えた蜘蛛の附属肢のようなものが、迷うように揺れている。視線を動かして見た右手は子供のように小さくなっていて、持ち上げると鏡の中の童女が同じように小さな手を上げた。なんだか良く分からない感覚に意識を向けると、鏡に映る附属肢が揺れた。数秒それを見つめてから鏡に映っている姿が今の自分の姿なのだと理解する。驚きはあったが取り乱すことは無かった。肢が動いてしまわないように時間をかけて彼の元までたどり着く。小さくなってしまった手でその頬に触れると彼は目を開けた。その視線は迷うように揺れてからこちらを眺めた。

「ああ、良かった。成功したようだ。若干の兵器化が見られるが人としての形を保っている」

死に向かっている瞬間すら、彼は平静にこちらを分析しようとしていた。

「さぁ、僕を食べてくれ。どうせもう保たない。残ったこの肉を君の安定化と糧に使おう」

彼の足は円形に抉られて失われている。私の背から生える肢が削り取ったのだろう。私は迷い、ただ彼を見ていた。彼はまだ生きていて、言葉を紡いでいる。

「どうした?君は死の上に立つんだ。死んでいった同胞たちの願いを叶えるために、それを選んだじゃないか、その中に僕も入れてくれ、君の糧になるためには生きているうちが最も効果的なんだ。僕の命を無駄にしないでくれ」

彼は穏やかな声で言い聞かせるように言った。私は手を伸ばしてその身体を抱き上げる。彼の言葉は正しい。私はそうあらねばならない。その為に生きている。今や私よりも大きくなり、それでも頼りなく軽い身体。差し出された右腕を震えながらそっと突き立てた私の歯が驚くほど容易くちぎった。同胞を食っているという嫌悪感を義務感で押さえつけ咀嚼する。

「痛くは無いのか?」

「傷みか、もはや感覚は麻痺していて何も感じない」

気を紛らわせるための問いは、彼の声を聞いたことでむしろ嫌悪感を増加させた。

「だから、気にする必要はない、ほら」

そう言って持ち上げられた左腕に齧り付く、一塊をそのまま嚥下する。頬を伝うのは涙。吐きだしそうになるのを堪える。

「お前はおかしい。狂っている」

同じように狂っている筈の自分を棚に上げる。彼を罵倒し怒りを生じさせることで、自らの倫理観を麻痺させようとしている。

「僕は、馬鹿だからね」

彼は笑った。それから寂しそうな顔をした。

「本当は君に頼ってもらいたかった。何でも一人で抱え込もうとする君に、そう言う存在に僕は成りたかった・・・」

首筋を食いちぎる直前に彼はそう言った。そして私の歯が食い破るのと同時に息絶えた。もう返事の返ってこない彼の腹部から溢れる臓物を啜り、滲み出る血を舐めとった。臼歯を砕き、眼球は舌と口蓋の間で潰した。毛髪の一本に至るまで、何度も吐き戻しそうになりながら食道へ送り込んだ。私が殺した彼の名前はもう思い出せない。膨大な時の中で、自分の名前すら忘れてしまったのだから、あの日から私は一人になった。あの少年の意識の中に私の複製、ゼロツーと呼ばれる少女に対する想いを強く感じた。彼はその感情を何と言うのか知らなかったようだが、私たちは、それを愛と呼んでいた気がする。彼は私のことをどう思っていたのだろう。私は彼のことをどう思っていたのだろう、今となってはもうわからない。

 

***

 

《ゼロツーside》

 

九式の防衛線を超えたジェニスタは、砲撃をくり返し加速。その勢いを殺しきれぬままアパスの巨大な腰部に突き立つように接触する。衝撃。跳ね返る前に腕を強引にへばりつかせ固定。操縦室の扉を開き飛び出す。送信して貰ったアパスの図面をもとに侵入口に向かう。機能停止に陥ったジェニスタが落下していく、手には混乱に陥っていたトリノスから拝借してきた突撃小銃。遥か下では、グランクレバスに向かって流れ込んでいる黒い液体が蠢き始めていた。嫌な予感を振り切る。アパスへの侵入口を抜け、廊下を走る。生身であれに勝てるとは思っていない。手に持った突撃小銃ですら頼りなく感じる。それでも万全の用意を整える時間もなかった。走り続けてもなお延々と延びる廊下の奥に突然青白い童女の姿が浮かび上がった。急停止と共に突撃小銃の銃口を向ける。頭の中に童女の声が響く。

(-あの人間を助けに来たのか?-)

廊下の幅は、広いとは言えない。状況は最悪で、それでも目の前の童女を倒さなきゃいけない。どうしてこいつがこんな所にいるのかはどうでもいい。

「ダーリンはどうした?」

(-操縦室で倒れている-)

平然と答える童女に怒りが沸きあがる。

「殺す」

(-気の早い事だ-)

突撃と同時に、突き出された附属肢を、体勢を低くしてからの跳躍で躱す。壁を蹴りながら、逆側面へ、二本目の附属肢が壁に突き立つ。何故だか童女の付属肢の速度が先ほどよりも遅い。それでも通路一杯に八本の附属肢を展開され、刺突されれば、全ては躱せない。残る六本の附属肢が引き絞られる。持ってきた突撃小銃を童女に向け連射。

(-そんなオモチャが効くと?-)

四本の附属肢が銃弾を弾く。確かに叫竜には効かない。それでも、この童女になら通用する可能性があった。そして、それは正しかった。附属肢で銃弾を弾いたからだ。本体に効果がないのなら防ぐ必要もない。残った二本の附属肢による攻撃を回避する。銃弾が切れた突撃小銃を全力で投げつける。予備のマガジンなど持ってきていない。童女は薄く嗤ったが、威力など求めていない。回転する銃身がその視界を妨げる。最初に打ち出してから引き戻されていた肢で童女は銃を弾いた。視界が塞がれるのを嫌った行為。そして、銃の失われたこちらがもはや脅威ではないという認識が生まれている筈だ。それを利用して飛び込む。突き出した拳は童女が跳びすさって空を切る。追撃の蹴りを童女は上方へと跳び上がって回避。着地を狙う追い打ちは中断。童女は物理法則を無視して空中に静止している。確かに驚異だ。だがそこからの移動速度は速くない。引き戻していた手を構え跳躍する。自らを傷つけないために引っ込んでいる爪を最大限に伸ばし童女の首筋を狙う手刀へと変える。二本目の肢が手刀を受け止めようと童女との間に差し込まれる。瞬間的に五指を広げ肢の表面に爪を突き立てて無理やり体を持ち上げた。弾き飛ばされる前に一気に肢の上へ、そこから間髪をおかずに跳ぶ。繰り出された附属肢が僅かに掠り左腕の包帯を千切る。それを無視して引き絞っていた左腕を叩きつける。勢いを追加できない空中からの一撃では決められないかもしれないが、頭部を揺らし一瞬稼げればいい。一方的に攻撃するための起点。トリノスで襲撃を受けた時に傷を負った左腕は赤黒く変色している。人の皮が剥がれた本来の姿。だから、いまの左腕の力も爪も人の比ではない。頭部を直撃するはずの腕は空を切っていた。伸び切った腕に触感。

(-悪くない。当たっていたのならな-)

体勢を半身に構え直した童女の腕に、左腕を掴まれていた。そのまま強引に投げ飛ばされる。空中では成す術がない。回転しながら衝撃を弱め着地、同時に追撃を警戒しながら後退する。ほとんど詰んでいる。それでも諦めるわけにはいかない。態勢を整え構え直した時。何故か童女はこちらを向いていなかった。童女の向こう廊下の奥に浮かび上がる仮面の群れ。・・・パパと呼んでいた存在の一人の仮面。だが異様だ。一人しかいなかった筈の同じ面が数え切れないほど存在している。

(-たどり着いたらお前の血を飲ませろ。それが気付けとなる-)

走って来たフクロウのような面の人影を童女の附属肢が壁面に叩きつけた。仮面が歪み落ちる。中身は空っぽだった。理解が追いつかない。別のフクロウ面を附属肢が串刺しにし、そのまま下に裂く。下をくぐり抜けようとしていたフクロウ面が潰される。分かたれていた附属肢がひとまとめになり、巨大な尾が廊下を薙ぐ。フクロウ面がまとめて押しつぶされる。中身は全て空。尾が再分割。左右から暴風となって荒れ狂う。フクロウ面達が翻弄される。先ほどとは比べ物にならない速度で肢が動き回っている。手加減されていたのか、でもなぜ?

(-早く行け、妾の気が変わらぬうちに-)

湧きあがる疑問で止まっている事を責めるように童女の声が届く。未だ状況は理解できず童女に従うのは気に入らないが、優先すべきはダーリンだった。警戒を続けながら走りだす。背後から響き続ける戦闘音。それでも、何かが追いかけてくることは無かった。

 

***

 

《叫竜の姫side》

 

地面に倒れそれでも立ち上がろうとする仮面を踏みつける。仮面は悲鳴をあげるような音を立てながら潰れた。中身は黒紫の液体となって通路の先へと退いていく、その間も付属肢が駆けまわり。仮面の山を築く、廊下中が黒紫に染まる。狭い通路内では、数の優位性は無いに等しい。とめどなく押し寄せる奴らの傀儡を、串刺しにし、引き千切り、跳ね飛ばす。床に落ちた傀儡の面が音を立て、鈴の音のように響き渡る。壁や天井を蹴って前進。傀儡どもを押し返していく、新たに現れた傀儡が差し出した短剣が、付属肢の上で火花を散らし、その隙間を掻い潜った刃は首を傾けて躱す。僅かに触れた頬に裂傷が生まれた。青い血が流れるのには構わず、引き戻されようとする短剣を噛み砕く。十の刃は百となり、その先には千の傀儡。身体にはいくつもの裂傷が刻まれ、青い血に塗れながら踊る。闘争に次ぐ闘争に次ぐ闘争。私の人生の終局が、此処にある。

 

***

 

《ゼロツーside》

 

「ダーリン!」

アパスの深部。たどり着いたストレリチアの操縦室の中でダーリンは倒れていた。抱き上げると微かに胸が上下していて、呼吸している事が分かる。

「良かった。生きてる」

そう呟きながら唇を噛んだ。あの童女の言葉を信じた訳ではないけれど、可能性があるなら何でもするつもりだった。そこから垂れる青い血をそのままにして、唇を重ねる。急いでアパスを動かすか、ストレリチアで脱出しなければいけない。あの仮面達もどう考えても危険だ。唇を濡らしていた血を口づけとともに押し込むように舌で喉の奥へ流し込む。ダーリンの喉が動いて、それを飲みこんだ。吐息のような声と共に、閉じていた目が開き、視線がこちらを捉えた。

「ゼロツー?」

戸惑ったような声。

「ダーリン」

思わず抱きしめていた。また会う事が出来た。生きて言葉を交わすことができた。それだけの事で、身体の内側から熱が沸き立つように感じる。

「痛い、痛いよゼロツー」

叫竜化した腕が余りに強く抱きしめてしまっていたらしい。

「ああ、ごめん」

「助けに来てくれたんだね」

状況を理解したダーリンが嬉しそうに言った。

「そうだよ。ダーリンがいるのなら何処へだって行く、ガーデンからボクを連れ出してくれた時みたいに、フランクスの中のボクを助けに来てくれた時みたいに、ボクだってそうする」

「ゼロツー、血が出てる」

ダーリンが僕の唇を見ながらそう言った。

「ああ、これはたいしたことじゃないんだ。眠りについてしまった王子様はね。バケモノの血に塗れたキスで目を覚ますんだよ」

冗談のように笑って見せる。

「そうなんだ。僕の知ってるのとはちょっと違う」

ダーリンはボクの傷の具合を確かめようとしながら言った。左腕を見られないようにそっと隠す。これ以上心配させたくなかったから。

「だって、これはボク達の物語だからね。あの絵本の続き。ダーリンは悲しい物語だって言ってた。それなら絵本の結末はボクが書き換える。ダーリンが描いてくれた大切な絵を加えて、いいでしょ?」

ダーリンは自分の描いた絵を思い出して、少しだけ照れくさそうにした後。頷いてくれる。

「いいよ」

それを聞いてボクは手を差し出す。

「帰ろう。皆のところへ」

ダーリンがボクの手を取る。ストレリチアが起動し、同時につながっているアパスが起動する。その中にあった膨大な記録が、ダーリンの意識と共にボクの中に流れ込んだ。

 

***

 

《叫竜の姫side》

 

光が通路を駆け巡った時。壁に寄り掛かかるようにして膝をついた。もう立ち上がる力も無い。身体にはいくつもの短剣が突き刺さり、付属肢もボロボロになっている。我らが子の覚醒によって傀儡達が完全に排除され、崩壊していく傀儡たちの面が音を立て続けている。ふいに笑いが込み上げていた。無意識に助けていた少年も、自らの複製も、どちらも利用する為だけの存在だと考えていたがそれは違った。いつからかは分からない。あの少年の意識に触れた時からだろうか、自分でも意識しないうちに何かが変わっていた。誰かに託すという事。自分が今まで拒み続けてきた選択。僅かにもどかしいが、悪くは無い。

(-後はもう知らぬ-)

薄れゆく意識の中で、何故か自らの複製である、少女に向けて言葉を発していた。眠りにつこうとする頬を、冷たく湿り気を帯びた何かが撫でている。薄っすらと目を開けると、見えたのは縦に開いた瞳孔。顔中血だらけで、体の後ろ半分は結晶化してひび割れつつある。意識を奮い立たせる。

(-こんなところまできたのか、馬鹿な奴め-)

必死で紡いだ言葉にしては最低だった。だがそれを気にした様子も無く、巨大な蛇のような頭部が頬にそっとあてられる。手を伸ばし、喉をさすると満足したようにクルクルと鳴らして大きな目から光が失われていった。そしてその身体は完全に結晶化して、ゆっくりと崩れ落ちる。手のひらに僅かに残った欠片を握った。冷たい硬質な感触に、思い出す温もり。彼とこの子は違うのだろう。それでも重なって見えていた。もう顔も名前も忘れてしまった彼と忘れてしまった感情に、視界が薄れ意識が消える寸前、確かに触れた。



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第3話(Parallel22話)スター・エンティティー

《ensemble・13部隊&ナインズ》

 

 デルフィニウムが、九式から距離をとる。脇を抜けた叫竜を九式の槍が斬り裂き、青い血飛沫が舞った。

「本当に攻撃をしかけてこない」

イチゴが戸惑いながら呟く、叫竜はもうこちらに攻撃をしかけてこなかった。一心にグランクレバスへ向かっている様に見える。九式の槍が叫竜達を突き、投げ飛ばし、叩きつけて爆散させる。圧倒的な破壊力。だがイチゴたちにとって好都合なことにナインズは叫竜の迎撃でもう此方に構う事もジェニスタを追う事もできなくなっている。

「イチゴ、アパスが」

イクノの声に、デルフィニウムが視線を上げる。グランクレバスの上にある巨体が再び身体を持ち上げ始めていた。その表面を光が奔り、全体が輝く。

「ゼロツー、ヒロ?」

アパスが身体を前傾させ、後方の二本の脚が地面から引き抜かれる。そのまま完全な二足歩行へと移行。蟻の腹部のようにのびていた後部が広がり後方二本の脚を収納。スカートのように形状を変化させた。合わせて無数のデバイスが放出され、機体の周囲に浮かび上がり展開。頭部からデバイスへ向かって光の膜がヴェールのように広がる。アパスの頭部が、こちらに向かって動き始めた時。グランクレバスの底から黒紫色の液体が噴出した。ドレスを纏ったようなアパスの姿が噴出する液体の中に消える。液体はそのまま巨大な柱を構築した。

「嘘」

イチゴが茫然と呟く、全員の脳裏にヒロとゼロツーの事が浮かぶ。地面が揺れた。グランクレバスを中心に地面が崩落。黒紫色の液体が噴き上がる。同時に周囲からも振動。至る所から地面を突き破って叫竜が現れる。突き出している前部が角錐のような今までに見た事の無い叫竜。グランクレバス攻略戦を遥かに超えるほどの数。その下から青い光が噴出する。現れた全ての叫竜が空を目指すように、推進装置から光を放ち地上から離れていく、グランクレバスを目指していた叫竜達も地下から現れた叫竜達に結合。形態を変えながら昇っていく。ナインズの九式が飛び立つ叫竜の群れを避けるようにブースターを作動させて地面から離れた。

「アパスのところへ行くよ」

号令と共に前進しようとしたデルフィニウムに向けて突き出された槍を双剣が受け流す。叫竜がグランクレバスを目指さなくなった事で九式が自由になっている。ナインズは地表が崩落しつつある現在でも空中に防衛線を敷くことにしたらしい。クロロフィッツが跳躍し、その滞空時間を利用しながら攻撃を繰り返すが、デルフィニウムとアルジェンティアでは、長時間の滞空ができない。グランクレバスを中心に溢れる黒紫の液体が叫竜の群れに到達。飛び立とうとしていた叫竜は飲みこまれるようにその中に消えた。

「あの液体はどう考えてもまずいよ」

浮かんでこない叫竜を見てフトシが警告する。デルフィニウムとアルジェンティアが後退。アルファの九式が叫竜の身体を斬り裂いて前進。青い血のカーテンを抜けてクロロフィッツを叩き落とす。九式が完全に上空を抑え、その細いレンズで三機を睥睨した。槍が静かに向けられる。

「上をとられた」

「なんとかするしかねぇだろうが」

ゴローの声にゾロメが返し、アルジェンティアが身を低くして爪を構える。

「ゴロー」

イチゴが注意を促し、デルフィニウムが後方へ跳ぶ。

叫竜に隠れるように接近していたデルタの九式が先ほどまでデルフィニウムがいた地面を粉砕した。そもそもの性能が高いうえに一機多い九式に真っ向から応戦するのは厳しい。

「散開して後退。まとまってたら一気に叩かれる」

「私たちが時間を稼ぐ」

クロロフィッツが後退しながら射撃を開始。

「ゾロメ」

ミクの声にゾロメは渋々用意していた攻撃を中止。高機動を活かして、九式の注意を引こうとする。地面から湧き続ける叫竜達が、地表から奔る流れ星のように視界に満ちている。デルフィニウムがアルファの乗った九式の槍を受け止めて抑え込まれる。

「やるぞミク!」

それを見たゾロメが叫ぶ。アルファの九式に向けて跳び出そうとしたアルジェンティアの足元が割れた。態勢を崩したアルジェンティアを下から現れた叫竜の先端が開き咥え込む。

「叫竜は攻撃してこないんじゃ無かったのかよ」

ゾロメの叫び、ミクの悲鳴と共にアルジェンティアが上空へ持ち上げられていく

「アルジェンティア」

叫竜に咥えられたアルジェンティアを助けようとクロロフィッツが銃口を向ける。

「イクノ、下」

イチゴは焦るが九式の槍を受け止めていて動けない。クロロフィッツが下から現れた叫竜に飲みこまれる。アルファが嗤う。

「叫竜に食われて死ぬのか、君達にはふさわしい最後かもしれないね」

槍を押し返そうとしているデルフィニウムの足元が崩れる。周囲に開かれた叫竜の先端が現れる。九式は、デルフォニウムを押し付けてから後退した。そして光に誘われる虫のように九式に近づいてきた別の叫竜を切り捨てる。デルフィニウムを飲みこんだ叫竜が飛び去っていくのを尻目に、ナインズたちは九式に向かってくる叫竜を迎撃し続けていた。叫竜の噴出は止まらない。グランクレバスから湧き続ける黒い液体の正体も不明だ。

「トリノスが・・・」

デルタが驚いている。遠くでトリノスが超レーマン級に類推されるだろう大型角錐叫竜に飲みこまれていた。トリノスを飲みこんだ叫竜も、そのまま地表をから離れようとしている。救援に向かうべきかアルファは考えた。もう手遅れのようにも思える。

「パパたちの命令にない」

結局アルファは、自分にも言い聞かせるように号令した。

「防衛線を優先し内側に向かう叫竜を殺しつくす」

ナインズたちがあくまで命令の順守を選択した時。トリノスを飲みこんだ超大型叫竜の表面が輝き爆散した。叫竜の身体を突き破って飛び出したのは大きな槍のような物体。

「フリングホルニ?」

アルファは自分の記憶からその名称を引き出す。穴の開いた大型叫竜へ向かって叫竜が殺到。傷口を埋めていく、フリングホルニは加速すると、進行線上の叫竜たちを斬り裂きながらグランクレバス中央にそびえる黒紫色の柱へと向かう。近づくフリングホルニに合わせるように柱の表面が蠢き、数え切れないほどの触手のようなものが発生。フリングホルニへ向かって伸び始める。柱に接近したフリングホルニが減速。伸びあがった触手がそれを掴み柱の中へ取り込もうとする直前。柱の表面が弾け飛んだ。飛散する黒紫の液体と共に多量の触手がのたうちながら落ちていく、飛び散った柱の表面から白い腕が伸びていた。柱から突き出された腕を再び抑え込もうとする触手を押し切って白い手がフリングホルニの柄を握る。

「これは、お前たちのものじゃない」

ゼロツーの声と共にフリングホルニが青白く発光。触手を引き千切りながら振るわれる。黒い柱が周囲の液体と共に爆散。降り注ぐ黒紫の雨の中からアパスが再び姿を見せた。

 

***

 

《ensemble・ヒロ&13部隊side》

 

 黒一色に覆われていた視界が一気に開けた。ヒロは、現れた光景に目を見張る。叫竜達が湧き続けている大地。この世の終わりの様な光景。

「心配しないで、ダーリン」

ゼロツーが安心させるように言い、同時に回線を開く。

「皆ごめん、ちょっと遅れた」

「ゼロツー」

回線の向こうから、皆の声が聞こえる。

「ヒロは?」

「大丈夫だよ。イチゴ」

ヒロの声に、イチゴが胸をなでおろした。

「ヒロ、お前が無事で良かったけど、こっちは大変な事になってる」

ゴローの声に、ゾロメ達も続く

「そうだ今、叫竜に食われて」

「前にデルフィニウムが取り込まれたみたいに、すぐどうかなってしまうような事はなさそうだけど、内側からは何もできそうにない」

「トリノスのココロちゃんたちも飲みこまれたみたいなんだ」

次々と浴びせられる声に、ゼロツーは少し困ったような顔をした。

「あー、大丈夫。全部心配いらないよ。叫竜達は今アパスの、ボクの指揮下にある。奴らに通信を阻害されていて説明する方法が無かったんだ。地表は危険だったから」

「ゼロツーが叫竜を使ってココロちゃんたちを助けたって事?」

「そう言う事」

「それならはやくなんとかして」

ミクが叫んだ後でアルジェンティアが吐き出される。デルフィニウムもクロロフィッツも同じように放り出される。見えた景色は地表からはるか上空。雲は遥か下方を流れ、惑星が丸いのも分かる。同時に叫竜の一部が三機へ付着。形態を変える。

「なんだこれ」

「叫竜を使ったフランクスの強化ユニット。それで宇宙でも活動できるよ」

ゾロメの声にゼロツーが答える。

「なんか変な感じ」

イクノが呟き、ゴローがデルフィニウムの動きを確認する。

「ほんとだすげー、オレ飛んでる」

「何でそんなすぐに受け入れられるのよ」

戸惑う二機をよそにゾロメが歓声を上げ。ミクの呆れたような声を無視して、アルジェンティアが叫竜でできた推進装置を使い飛びまわる。

「ボクたちも行くよ」

ゼロツーの声にヒロが頷き、アパスの推進装置が点火される。吐き出されるエネルギーで地表から巨体が浮き上がった。

「弾が回復してる」

フトシが表示された数値を見て驚く。

「地表は危険だったって、どうするの?」

イクノが聞いた。

「とりあえず宇宙まで逃げる。叫竜達はできる限りの生物を収容して宇宙まで行くようにプログラムされてる」

「グランクレバスから湧き出てきたあの黒い液体は?」

イチゴはここからは遠い地表に蠢く液体を見ていた。

「あれはヴィルム本体。本来の意味でのスター・エンティティ。ボクたちの本当の敵だ」

「ヴィルム?」

聞きなれない言葉にイチゴは聞き返した。

「宇宙を旅し膨大な文明と精神を喰らい膨張した精神生命体。パパたちの正体だよ」

「パパたちって」

ゾロメが戸惑う。

「人間のフリをしてボク達を騙していたんだ」

「そんな」

誰もが絶句する。

「どういう事なんだ。詳しく説明してくれ」

数秒の沈黙の後ゴローがようやく声を上げる。ゼロツーと深くつながっているヒロでさえ、感覚としては理解していても上手く説明できない。だから説明はゼロツーが担う。

「アパスが全部記録していた。はるか昔。奴らはこの惑星に現れ、今はボクたちが叫竜と呼んでいる兵器に成ってしまった種族。人間がこの地上で繁栄する前に文明を築いていた叫竜人たちと戦争状態に陥った。ダーリンを連れ去ったのは叫竜人の最後の生き残りだったんだ。彼女はボクを複製と呼んでいたから。たぶんボクは博士が彼女を元に作ったんだと思う」

「叫竜人?」

「叫竜はもともと私達みたいな生命体だったって事?」

「そういう事」

大半が説明についていけなかった。

「それで?」

イチゴが続きを促す。

「叫竜人達はヴィルムと戦ったけれど押し込まれた。多大な犠牲を払って建造したのがグランクレバス。あれはヴィルムを封印するための装置でそれを使って奴らをこの惑星の核に押し込んだんだ。殺すことはできなかったけどエネルギー体となった叫竜人達で構築した檻によって封印することはできた」

「それって」

「うん、マグマ燃料ってボクたちが呼んでいるものだよ。残った叫竜人達は、自らを兵器へと強制進化させた。封印がいずれ解けることは予測されていたから、稼いだ時間でヴィルムを倒すための準備を始めたんだ。博士が手を加えてアパスと名付けたこの兵器も、この槍も本来は奴らを倒すためのものなんだ」

「だから、アパスはグランクレバスの奥にあったのか」

ゴローが腑に落ちたというように呟く。

「そう。問題はこの時にはもう一人になっていたあの叫竜人が地中で準備を進めている間に、地上に人類が現れて、よりによってマグマ燃料を採掘し始めてしまった事だ。叫竜人達の予測よりも早く奴らは活動を再開し、人類の中に混ざって影響力を発揮し始めた。それがAPE」

「人類は操られていたと言う事か」

トリノスの管制室からハチの声も混ざる。

「そうだね」

「だとしたら奴らの目的は何?」

イチゴが聞く。

「全ての文明と資源の統合。奴らは、この惑星もボクらも全部飲みこもうとしてる。それが嫌なら戦うしかない」

「戦う?あれと?」

ゾロメは、今も地表で蠢いている黒紫色の液体に背筋が寒くなるのを感じた。

「そもそも精神体って言ってたけど倒せるの?」

イクノが冷静に問いかける。

「大丈夫、奴らは不死でも不滅でもない。こちらに干渉でき、こちらから観測できるってことは、この世界に存在しているってことなんだ。さっき言ったみたいにこの槍とアパスは叫竜人が作り上げてきた奴らを倒す唯一の手段。肉体をマグマ燃料とした叫竜たちの精神は、叫竜の槍へと焼きつけられた。アパスを叫竜たちの肉体の集合体とするなら、この槍(フリングホルニ)は精神の集合体。例えどれだけの文明、生物を模倣できたとしても、その心までは作れない。奴らが統一された安定的な個であるなら、叫竜たちは揺らぎ続ける不安定な個の共同体。単純な意思に統一された奴らの思念にとって雑多で複雑な感情の残滓は毒になる」

「それなら安心していいの?」

フトシが期待を込めて口にした。

「いや奴らの手に渡ればもう奴らに勝つ手段がなくなる諸刃の剣でもある。奴らがアパスの存在を知っても壊そうとしなかったのは。アパスを完成させて手に入れようとしたからだ。勝機はある。でも絶対じゃない」

「それでも私たちが生き残るにはやるしかない。そうでしょ?ゼロツー」

イチゴは、全てを理解して考えつくして答えを出しているわけじゃない、けれど誰よりも前を見ていた。

「うん。それにこれは本当に最後の戦いになる。奴らを倒せれば、もう戦う必要は無くなる」

「戦う必要がなくなる?」

ゴローの声には戸惑い。

「叫竜たちは、ヴィルムが出てこないように封印を守ろうとしていたに過ぎない。ヴィルムを倒せれば、叫竜たちには戦う理由がなくなるし、ボクたちにも戦う相手がいなくなる」

「それってココロちゃんを、・・・皆を守る事になるって事だよね」

「だったらやろうぜ」

「ええ」

仲間たちが頷き、続々と応じる。

「おい、ミクどうしたんだよ?」

ただ一人黙っているミクにゾロメが呼びかけた。

「ああ、その、なんていうか・・・ミク達はフランクスに乗って、いつか死ぬだけの存在だと思ってた。それを忘れようとしてた。でもココロは別の道を探そうとしてて、この戦いの後にその先が有るのかな?フランクスに乗って戦うだけじゃないミクたちの未来が・・・」

「未来、未来か、考えた事も無かったな」

ゴローが微かに笑う。

「やろう俺達の未来のために」

ヒロが力強く告げる。宙へと上昇を続けるアパスの中でゼロツーは微笑んだ。

「どうかした?」

ヒロの問いかけにゼロツーは答える。

「不思議だと思って」

「不思議?」

「人類の所為で叫竜人達の手ではアパスを完成させられなかったけど、でも人類の所為でボクが作られてダーリンと出会った。それに完成させられていても彼女以外の全てが兵器化してしまった叫竜人にはこの機体を動かすために最も適した操縦者を用意することができなかった。世界を危機に陥れた人類が、偶然とはいえ世界を救うカギを作った」

「ああ」

そう言ってからヒロはアパスの通信を外部に漏れないように操作した。少しだけ不安だったのだ。そしてそれを仲間たちには伝えたくなかった。

「救えるかな?世界を」

「ダーリンとならきっと」

ゼロツーの言葉を聞いてヒロは深く呼吸した。操縦桿を握り直し、その目を前に向ける。

 

***

 

《ensemble・13部隊&ナインズside》

 

 地表からは黒紫の液体が急激に引き始めていた。

「液体が引いていく、逃げてるのか?」

異様な液体が地表から消えていくのを見て、僅かな安堵とそれ以上の不安が広がる。

「いや、違う、ここから始まるんだ」

ゼロツーは冷たく言い切った。グランクレバスが大きく陥没し、その深い渓谷は一直線に伸び始める。それは球体に見える惑星の端まで到達し、そして惑星自体が裂けるように割れた。その奥底で黒紫の奔流が形を構築し始める。まるで卵を破り現れる雛鳥のような誕生。身体を伸ばすのは甲殻類や昆虫、哺乳類や爬虫類に鳥類、見た事も無い生物群。機械のようなものが混ざり合った醜悪な何か。奴らが取り込んだ知的生命体や、その惑星の生物、文明や技術が混ざり合って形成された身体。それはあらゆる進化を再現するように変化し、やがて一つの形を成す。無理やり例えるなら、それは胎児に似ていた。表面に生まれた口が裂けるように広がり、声を上げる。大気が存在する空間に絶叫が響いた。惑星から金色の光が弾かれるように頭上を通り越して遥か彼方まで散る。裂けた口はそのまま広がり、裏返る様に自らを覆い尽くし、そしてその中から押しのけるように数え切れないほどの仮面が、表面に浮かび上がった。

〈‐我々はこの世界の進化の先端。真の永遠を願う存在。我々を受け入れよ。叫竜達がその命を使って作り出したそれは我々の目に敵った。それを我々の外殻、精神の方舟とする‐〉

パパたちと呼んでいた声が、大気の振動を通さずに響き渡る。

「嫌だね」

ゼロツーは敵意をむき出しにした。

「戦うって言ったって、あの液体にどう対抗したらいいの?」

フトシの抱いた不安は誰もが抱いている。叫竜は一瞬で飲みこまれて消えた。

「ああ、あの液体は、もうそれほど脅威にはならないよ。あれは完全に覚醒した今のアパスには効かない。マグマ燃料の封印も六千年かかっても壊せなかったんだ。それに対抗するために、ヴィルムは肉体を構築した。今は惑星を全て肉体にして操作する事に手一杯で、もうフランクスの脅威になるほどの純度は保てない。それよりも問題は惑星全土に広がってしまったあの液体の中のどこに奴らの中枢があるか分からないって事だ」

「中枢?」

「精神体であってもそれを統合する為の場所は存在する。脳や心臓のようなものだと思ってくれればいい。倒すには奴らの中心をこの槍で貫かなきゃならない。本当はさっき倒そうとしたんだけど惑星の奥に逃げ込まれてしまったから、一度態勢を整えるしかなかった」

さらに形態を変え、こちら側に伸びようとするヴィルムを見ながら、アパスが槍を持っていない左腕を広げる。さっき飛び散った光が遥か頭上で広がり渦を巻く。それは黄金色のほとんど透明な膜のようなものになり、ヴィルム本体となった惑星を中心に球形に展開された。

「あれは?」

「残ったマグマ燃料で再展開した封印、鳥籠だよ。活動を停止させるだけの強度はもう再現できない。出来るのはヴィルム本体をしばらく此処にとどめておくことだけ、それでも鳥籠が壊されれば、奴らは周囲の星を取り込み、膨張を続けてしまう。そうなったらもう手が付けられない。ヴィルム本体が手を伸ばす前に展開しなきゃいけなかったから、範囲を拡大するしかなかった。その結果トリノスを含む叫竜の避難船もまだ鳥籠の中だ。叫竜やフランクスは鳥籠を通り抜けられるけど、鳥籠を抜けるまでヴィルムの攻撃に晒されてしまう」

「ヴィルム本体は俺達が引き受ける。だからイチゴ達は、避難船を守ってくれ」

ヒロの指示と共にアパスの周囲を取り巻いていた自律兵装が二機ずつイチゴたちの機体にまわされる。

「分かった」

デルフィニウム、アルジェンティア、クロロフィッツが頷き後退。叫竜の避難船群とアパスの間に防衛線を引く。避難船の周りを取り巻いていた叫竜たちも反転、防衛線に加わる。高速で伸びてきたヴィルムの腕の一本をアパスがフリングホルニで斬り裂き、その後ろに隠されるように伸びていたもう一本を片手で強引に引き千切った。さらに伸ばされる腕をフリングホルニで受け止めながら角をヴィルム本体へ向ける。閃光。惑星から生えているヴィルム本体の腕の付け根が爆散。ヴィルムは再攻撃の為に、さらに身体を変形させ再び腕を形成し始める。同時に響き渡る声。

〈‐ナインズよ。我々の未来を拒もうとする叫竜とそれに組した裏切り者を排除しろ‐〉

ヴィルム本体近くから推進装置の放つ輝き。阻止しようと動くアパスに向けヴィルム本体からの攻撃。対応に追われるアパスの側面を、叫竜の群れを切り裂きながら四機の九式が抜ける。目の前に現れた九式が槍を振りかざす。デルフィニウムは九式の前進を防ぐも反撃に転じようとはしない。イチゴは迷っていた。こんな状況になってもナインズが自分たちに向かってくる理由が分からない。

「なんで?アタシたちの惑星があんな事になってるのにまだパパたちを信じるの?アタシたちを騙してきたんだよ?アタシたちを利用して、未来を閉ざそうとしてる」

イチゴは言葉を重ねる。もうナインズと戦う必要も意味も無い。

「なぜ?叫竜は敵で、パパたちの望む未来だけが正しい未来だ。お前たちの言う未来なんて存在しない!」

アルファの返答に合わせた九式の槍による連撃をデルフィニウムは受けきった。

「説得しようとしたって無駄だろ。仕切り直しだ。さっきとは違うってところを見せてやるよ!」

ゾロメの声と共にアルジェンティアが最大加速。爪を受け止めた槍を押し込む。九式は、身体をひねりアルジェンティアを受け流し、同時に槍を叩き込もうと回す。しかし穂先は空を切る。叫竜によって運動性能を引き上げられたアルジェンティアは既に九式の背後に周っていた。ミクが叫ぶのと同時にアルジェンティアが再加速、アルジェンティアの推進装置から放出された光が線となって奔る。振り返ろうとした九式を交差された爪が刻んで抜けた。九式の右腕が切断され、持っていた槍が弾き飛ばされる。ベータが苦痛に呻くが死んではいない。アルジェンティアが加減した結果だ。アルジェンティアが攻撃を終えたところをガンマの九式が強襲。降り注いだ銃撃が九式の前方を塞ぐ。

「油断しないでゾロメ」

ガンマの強襲を防いだクロロフィッツから通信。クロロフィッツはその場で回転し、迫っていたデルタの九式を蹴り飛ばす。

「イクノ、大丈夫?」

フトシがイクノを気遣う声。

「うん、身体が軽い。叫竜達が負担を軽減してくれてる?これなら」

クロロフィッツが腰部多連レーザー砲を展開。そこへ流れ込んだ叫竜のエネルギーがレーザーとなって放たれる。出力を絞られたレーザーが態勢を整えつつあったデルタの九式。その推進装置を射抜く。

「形勢逆転だな」

ゾロメがガンマの九式を追う。次々に繰り出される爪の攻撃にガンマの九式は押され、ヴィルム本体へ向けて叩き落とされる。繰り出される槍を躱しながら、デルフィニウムの双剣が舞う。傷だらけになった九式の中でアルファが呼吸を早めている。

「もういいでしょ?アタシ達には勝てない」

「まだだっ」

デルフィニウムは突き出された槍を躱しながら宙返りをするように距離をとった。自分たちより劣る存在だと思っていた機体が、今や太刀打ちできないほどの存在感を持ってアルファの目の前に在る。

「僕らは選ばれた存在。容易くパパたちを裏切ったお前らなんかに・・・」

九式を三機が圧倒している間も、アパスはヴィルム本体の侵攻を留めようとしていた。変化を続けるヴィルム本体。惑星から伸びあがっているのは巨大すぎる上に歪な角柱。頭部も腕も無い人型の上半身。そこから、触手のような腕が伸ばされ続けている。アパスが破壊するよりも早く、枝を広げる樹木のように分岐し拡大を続ける触手は今やその一部がナインズたちと戦っている宙域にまで届きつつあった。アパスを避けるように四方に伸びあがった触手から、さらに触手が生まれ、無秩序に分岐。叫竜たちが攻撃をしかけ、クロロフィッツが銃撃で触手を弾く、触手を斬り裂いたアルジェンティアが、混乱に乗じ槍を回収したのだろう。残った左手に持ち向かってくる九式の姿を捉える。身構えたアルジェンティアへ槍が届く前に九式は急速後退。違和感と共に見つめた九式には背後から触手が絡みついていた。それは、ほとんど動けなくなっていたデルタの九式や地表付近から再度上昇しようとしていたガンマの九式も同じだった。触手が九式を引っ張っていく、その先には触手の途中に生じた巨大な腫瘍のような何か・・・それが裂ける。現れたのは口腔、上下にひらいた黒紫色のその中に、乱杭歯のようなものが並び、唾液のような粘着質の液体が垂れる。その奥から舌の代わりに腕が伸びる。触手に捉えられた九式を、触手ごと掴むと腕が口の中へと引きずり込む。

「えっ?」

アルファの下に届いたデルタの戸惑ったような声は、口が閉じられるのと共に苦鳴へと変わり、何かを噛み砕いたような音と共に途絶えた。口を閉じた腫瘍は、本体である惑星へと向かって引き戻されていく、アルファの九式にも触手が触れ、捉えられ動きを制限されたアルファの九式が、視線だけを動かす。アルファの目には、巨大な口腔から伸び、広げられた異様な五指が映っていた。

「パパ?」

アルファは呟いた。まるで救いを待つかのように迫る腕を見つめていたアルファの乗った九式、それを掴んでいる触手をデルフィニウムが斬り飛ばし同時に九式を蹴り飛ばした。口腔から伸びた腕をデルフィニウムに追随していたアパスの自律兵装が斬り飛ばす、切り離された腕は制御を失って蠢き悶えるようにのたうった後、動きを止めた。デルフィニウムを掴もうと動いた別の触手を双剣が斬り裂きながら後退。大きく弾き飛ばされた九式を叫竜が飲みこんで飛んでいく。デルタの九式を飲みこんだ腫瘍が惑星の付近で開かれる。中から飛び出すのは黒紫色になった九式。

「デルタ?」

その姿を拡大し、確認したイチゴが問う。取り込まれた九式が解放されたなら、まだ助けられるかもしれない。

「いや、ちがう。取り込んで再現したんだ。あれにはもう誰も乗ってない」

黒紫色の九式が、ヴィルムの身体から次々と現れる。ヴィルムは攻撃を変更し始めていた。圧倒的な巨体による質量の攻撃から、フランクスサイズの傀儡の大量投入へ。それは余りに数が多すぎて、アパスの攻撃を持ってしても撃ち漏らす。叫竜とヴィルムの兵器群がぶつかり合う前線が、生まれた無数の、黒紫色の九式によって崩壊しつつあった。



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第4話(Parallel23話)いつか還る場所

《ensemble・13部隊side》

 

 目の前には、黒紫色の九式の群れ。冗談の様な光景。アパスが倒しきれなかった九式に叫竜の群れが押される。デルフィニウム達に随伴していた自律兵装が反応。九式を破壊していくが追いつかない。デルフィニウムとアルジェンティアが九式を斬り裂き、クロロフィッツの多連レーザーが焼き払う、それでもその奥から黒紫色の九式が現れ、頭部を破壊されなかった九式が、折れ曲がった首をそのままに突進してくる。

「誰も乗ってないから、恐怖も痛みも躊躇いも無いのか」

ゴローは自分の言葉に嫌な感覚を覚えた。

「なんだよそれ、ふざけんなよ」

ゾロメが叫びながら黒い九式を破壊していく、何か得体の知れなかった叫竜と戦っていた時と違い。九式というフランクス、人型の兵器を破壊するという事に、心が削られていく気がする。

「イクノ、エネルギーが少なくなってる」

「分かってる」

そう答えながらも、射撃を止めるという選択肢は無い。三機に対する包囲網が少しずつ狭まっていく。

「いったん退いて防御態勢を、アパスで一気に蹴散らす」

ゼロツーの声に、三機が頷き叫竜達も退く、追ってきた黒紫の九式とヴィルム兵器群に対し、叫竜達は防御シールドを展開し耐える。アパスがハッチを開放。そこから周囲に照射されたレーザー光がヴィルムの兵器群と黒紫の九式のほとんど、そして本体の惑星までも刻む。味方にあたらないように緻密に計算された広範囲攻撃。ヴィルムの侵攻が弱まったところに、デルフィニウム達や、叫竜の群れが反転攻勢。叫竜の避難船に向かっていた黒紫九式及び兵器群を殲滅した。小型の避難船が、まず鳥籠を抜け。そして最後尾を飛んでいたトリノスを包み込んだ超レーマン級の叫竜も金色の膜に触れ、すり抜けた。

「やった」

避難船が鳥籠を抜けた事にフトシが歓声を上げる。

「だが、さすがにこれ以上は・・・」

ゴローの視線の先では刻まれたヴィルム本体が再生を始め、黒紫の九式と、ヴィルムの兵器群が再生産され始めている。

「でも、アパスは圧倒してる」

イチゴは仲間たちを鼓舞するように言い、そのやり取りにゼロツーが口をはさむ。

「いや、アパスにもエネルギーの限界はある。破壊力が大きいだけ消費するエネルギーも多い。対するヴィルムは無尽蔵だ。持久戦になれば負ける」

「それじゃあ、勝てないって事?」

フトシの声は震えていた。

「手段はある。だけど敵の中枢が分からないとなんともできない」

管制室に響くゼロツーの声にミツルは歯を強く噛みしめていた。

「何か、ここからできることはないのか?」

此処に来る前に病室でフランクスに乗れなければ意味が無いと言ったコード556の悲しそうな声が脳裏をよぎる。

「倒しても倒してもまた湧いてきやがって」

ゾロメが再び迫ってきた黒紫九式の一体を破壊、忌々しそうに言った。ミツルにはその言葉が引っかかった。

「倒しても再生している?・・・いや」

ミツルは自分の言葉を否定する。

「ハチさん、さっきアパスがレーザーを使った場面を再生できますか?」

「ああ、可能だが」

ハチがパネルを操作して映像を再生する。アパスのレーザーでヴィルム本体の一部が切断され弾け飛んでいる。そして再生される一連の動作に気が付く。ヴィルム本体から切り離された兵器群も同じだ。ミツルが通信に飛びつく。

「破壊した個体もヴィルム本体も厳密にはその場で再生を開始していません。一度ヴィルム本体に取り込まれるように動いた後で再生しています。恐らくヴィルム中枢がそれを制御している」

「一度本体が取り込まなければ、再生できないって事?」

ミツルにイクノが問う

「そうです」

「つまり・・・どういうことなんだよ」

ゾロメの叫ぶような声にゴローが応じる。

「操り人形なんだ。それ自体に意思があるわけじゃない」

「だから壊されると単体では再生できない」

フトシも理解を示す。ゾロメに向けてミツルが補足する。

「トカゲの尻尾のようなものです。本体から尻尾は再生できても尻尾から本体は再生できない」

ゾロメは頷いてから首を傾げる。

「・・・だから?」

「強引に言えばトカゲが切り離した尾をつかって尾を再生するためには切り離して動かなくなった尾を本体が一度摂食する必要があるって事ですよ」

ゾロメの頭の中には大量の疑問符が浮かんでいた。

「でも、どうしたらいいの?」

ゾロメを置き去りに、不安そうに言ったミクの声にミツルが考える。

「もう一度本体を刻めますか?できる限り細かく、データが足りません。トリノスで観測します全ての破片が吸い寄せられる場所に、奴らの中枢がある筈です」

「それなら」

ゼロツーが答える。何か考えがある事を伝えてくるその意識にヒロは疑問を抱く、操縦席のモニターに表示されている警告ランプ。アパスのエネルギー残量はもう残りわずかだ。さっきと同じような攻撃がもう一度できるのか?ヒロの目は再生を始めているヴィルム本体に向けられる。

「ゼロツー!」

ヒロが視界に捉えたものを見て咄嗟に防御姿勢をとった。ヴィルムを構成する惑星から巨大な腕が伸びる。分断された構成物で隠しながら生成されていた腕の超質量の一撃が防御姿勢をとったアパスをそのまま弾き飛ばす。アパスはそのまま鳥籠を抜け、鳥籠によって阻まれたヴィルムの腕が圧力に耐えかねてひしゃげた。構築している物質が粉々になって散る。打撃から解放されてもアパスは勢いを殺せず、そのまま加速していく。アパスの左腕は折れ曲がってしまっていた。開かれている回線を通して、ヒロの耳にイチゴの叫び声が聞こえる。

「大丈夫。皆、急いで鳥籠の外へ」

イチゴを安心させるようにゼロツーが言い。飛ばされ続けていたアパスは体を回転させて態勢を整える。仲間たちが鳥籠の外へ移動するのを見ながら、推進装置を点火させ前進しようとしたヒロをゼロツーが止めた。

「ダーリンこのまま月に降りよう」

完全に理解しないまま、ヒロはその指示に従う。飛ばされた勢いのままアパスは月へ到達。舞い降りるように月面に降り立つ。月面に降り立ったアパスは足を深く突き立てた。枯渇しかけていたエネルギーが急速に充填されていく

「なんで?」

「ああ、月はね叫竜人達が改造したアパスの追加兵装でエネルギー貯蔵庫なんだ。奴らの命名法則に従うなら、バロールの目ってとこかな」

月の表面が揺らぎ、それがアパスの上方に流れていく。揺らぎはそのまま複数のレンズのようなものを構築した。現れたレンズ群はアパスの角の先に展開される。ヴィルムの腕が、何度も鳥籠を殴打している。鳥籠が軋み内側からの圧力で歪む。鳥籠の膜にひびが入り、一部が崩壊した。僅かに開いたその裂け目へヴィルムの傀儡と腕が殺到。

「もう遅い」

ゼロツーが嗤う。アパスの角の先端に膨大なエネルギーが収束。角の先端で光球を成したエネルギーは、そのまま線へと転じる。放たれた閃光は展開されたレンズ群を透過。レンズによって光は増幅され一瞬で鳥籠の端に到達。殺到していた傀儡と腕が蒸発。さらに前進する光にヴィルム本体から生えた複数の腕が掲げられる。その腕の先に巨大な青い渦が発生。到達したエネルギーが曲げられヴィルム本体を避けるように流される。取り込んだ惑星の水と大気を利用した防壁。

「押し切るよ。ダーリン!」

ヒロが猛り、アパスから放出されるエネルギーが増大。ヴィルムの張った防壁を強引に散らしていく、ヴィルムの腕が押され、流されていた閃光が防壁を突き破り収束。ヴィルムの腕が吹き飛び、その身体を構成する惑星に巨大な穴が穿たれる。閃光が絶えると同時にヴィルムは即座に再生を始めた。

〈‐無駄だ。どれほどの威力を持とうと、我らを破壊することはできない‐〉

ヴィルムの言葉をゼロツーは無視する。角の先に展開されていたレンズ群が転写されるように増加。新しく生まれたレンズ群が回転しながらアパスを取り囲むように展開。さらに転写され続けながらも上方に留まったレンズ群は円を描く様に再配置された。頭部のヴェールが広げられ月面に突き立てられるように伸びる。ヴェールが触れるのと同時に所々で月の表面が剥離。浮き上がったそれは衛星のように月の周囲を廻りはじめる。剥離したアパスに匹敵するほどの塊は、それ一つ一つががアパスに搭載されていた自律兵装に似ていた。アパスの全ハッチが解放。アパスが腕を引き寄せる。月の衛星と化した巨大な自律兵器群がその砲身を地球へと向ける。

「ミツル、観測の用意を!」

「わかりました。ハチさん!」

ハチが、トリノスの演算能力を全て観測に回す。トリノス内の恒常設備が生命維持に必要な最低限まで落とされる。アパスが力をとき放つように腕を広げた。開放されたアパスのハッチから膨大な数のレーザー光が放射される。レーザーはアパスの周囲に展開されていたレンズ群によって強引に捻じ曲げられ鳥籠の欠損部に向かって奔る。それに呼応するように、巨大な自律兵器群からもレーザーが放たれ、上方に展開していたレンズ群がその全てを増幅させながら鳥籠の欠損部に向かい屈折させる。大量のレーザーが鳥籠の僅かな崩落部分一点に収束し、そこから鳥籠内部へ広がる。異なる角度を持たされた降り注ぐ光の線がヴィルムを貫き背面の鳥籠表面に接触、鳥籠に反発するように調節された光が乱反射。球形の鳥籠の中から抜け出せなくなった膨大な数のレーザー光が全方位からヴィルムに突き刺さりその再生速度を圧倒。僅かに動かされたレンズ群によって、レーザー光は点から線へと変化し、刃となったレーザーがヴィルムを構成する惑星を数え切れないほどの欠片に分断した。閃光の終結と同時に鳥籠周囲の叫竜達が観測データを送信。それを受けたトリノスが全力で演算を開始。取り巻いた超レーマン級の叫竜が処理能力を増大させる。トリノスから観測された分裂したヴィルムの再生過程がアパスへ送られモニターに表示される。アパスがそれを多数の矢印に変換。のたうつように折れ曲り進行する矢印の先が、ある一点に集中する。

「あそこだゼロツー」

ヒロが叫び、ゼロツーが頷く。

「叫竜の槍、喚起!」

ゼロツーの声に合わせ、アパスが持っている槍をゆっくりと回転させた。槍と柄の外装の一部が変形、内部の青い光が露出し伸長。蒼い焔の様な輝きは増加し、フリングホルニはアパスの全長を優に超える長大で優美な槍へと変貌した。

〈‐待て、やめろ、我らの消失は、この宇宙全ての知的生命がただ終焉を待つだけになるということ‐〉

ヴィルムがまるで初めて焦ったかのように訴えていた。ヒロが応える。

「確かに俺たちは愚かで、儚くて、不完全な存在かもしれない。でも、だからこそ誰かを知りたいと思う。側に居たいと思う。この選択が例え滅びへ向かうのだとしても、俺達はお前を拒絶する」

アパスは青い光と化した槍を逆手に持ち変え、その右手を大きく引き、月面から引き抜いた右足を一歩下げた。身体は僅かにひねられ上体が弓のようにのけ反る。一連の動作に合わせ浮かんでいた全てのレンズ群が形状を変化させ巨大な螺旋構造物を形成。内部の螺旋模様(ライフリング)に添うように紫電を放ちながら回転を開始する。それは、イチゴたちの目には月から塔が伸び上がる様に映った。

「いくよダーリン!!」

ヒロはゼロツーの呼吸に合わせて叫ぶ。アパスが身体のひねりを直しながら、上体を一気に起こし、右腕を全力で真上へ向かって振り抜く。暗い宇宙空間で青い光が爆発した。周囲に形成されていた巨大な擬似砲身がフリングホルニをさらに加速させながらその通過と共に崩壊。細かな硝子の粒子のようになって光を反射させて煌めく。時間にすれば刹那。イチゴ達には強い青光が網膜を刺した後で、ゆっくりと尾を引く様に崩壊していく砲身の煌めきがフリングホルニの軌跡のように見えた。青い光が途絶え一瞬宇宙が再び暗闇に包まれる。そして分割された惑星の奥、ヴィルム本体の中に一つ灯るように小さな青い光が生まれた。トリノスや、フランクスに取り付いていた叫竜たちが形を変え、遮光幕を形成。小さな青い灯は急速に膨れ上がる。爆発するようにヴィルム本体を包み込んで荒れる。そして先ほどの光とは比べ物にならないほどの膨大な光が、まるでその場所に新しい恒星が誕生したように溢れた。フランクスや、トリノスに取り付いた叫竜たちが形状を変化させ到達する光を減衰させていなければ、それを見るどころか、失明していただろう。叫竜の膜が光のほとんどを遮ってもなお明るく見えるその内部では膨大な数の光の手が助けを求めるように伸び、薄闇を引きずり込んでいる。時折生まれてはすぐに崩れる人の顔のような三つの穴が、青い光の手の隙間から浮き上がっては消えていく、喜びや、悲しみ、怒り、絶望、怨嗟、慈悲、愛、憎しみ、刻一刻と移り変わる様に浮かび上がる穴は感情を表しているかのように見えた。

〈‐統一された我々が、膨大な数の文明を取り込んだ我々が、こんな雑多な感情の残滓に侵食されて消えるというのか、ありえない。ありえ・・・‐〉

青い輝きが波のように広がり、ヴィルムを貪り食っていく、光の拡大は鳥籠の端までいきわたり、暫らく輝いた後、一気に収縮し初めから何もなかったかのように消えた。斜光膜を形成していた叫竜たちの身体が元に戻っていく。世界には静寂が満ちて、ヴィルムを構築していた惑星の欠片がそれぞれ勝手な方向へと動き始めた。

「勝った、のか?」

ゴローが茫然としたまま呟く。

「えっと、喜んでいいの?」

フトシが戸惑ったまま口にし、ゾロメが錯乱したように叫んだ。

「いやいや、どうすんだよ。オレ達の惑星が無くなっちまったぞ」

ミクは、目の前の光景についていけなくて何も言えなかった。

「このまま他の惑星に行くの?」

イクノが冷静に問う。

「ゼロツー、それでいい?」

イチゴはゼロツーに聞いた。アパスと繋がり叫竜の知識を全て手に入れたゼロツーの判断が必要不可欠だった。

「いや、アパスだけならともかく、叫竜たちに居住可能な惑星まで航行するだけの余力は無い。それにできたとして惑星間航行はとても時間がかかるんだ」

「じゃあ、どうしたら・・・」

「ちょっと待って」

ゼロツーが通信を遮断した。ゼロツーはそのまま接続も切ってアパスが待機状態に戻った。外部映像を映し出していたディスプレイが全て消え、非常灯の淡い光だけになる。なんの音も聞こえない。ヒロは世界が、ただその狭い場所だけになってしまったように感じた。

「どうかした?」

ヒロの言葉に何も答えずにゼロツーは振り返った。ヒロの目に映ったのは長く伸びた二本の角と桜色の髪の下から覗く赤い肌。

「ゼロツーそれ」

ゼロツーは自分の両手を眺めた。

「ああ、人間の皮が全部剥がれちゃったみたいだ」

じっと見つめている事に気付いたゼロツーが聞く

「やっぱり変かな?」

僅かな不安がその声には混ざっている。それに気付いたヒロが慌てて首を横に振る。

「ああ、ごめん。そんな事ないよ。ただ、なんか懐かしくて、初めてあった時のゼロツーみたいだ。小さな獣みたいで、可愛かった頃のゼロツー」

「可愛かった頃って今は?」

ゼロツーは膨れて見せる。

「今はとっても綺麗だ」

ゼロツーは少し照れたような顔をしながら、ヒロの額を指さした。

「ダーリンはツノが伸びちゃってる」

ヒロは額に手を伸ばして、生えていた小さな角が、今はゼロツーと同じような大きさになっている事に気付いた。

「ああ、本当だ」

その不思議な感覚に、ヒロは何度か触って確かめてみる。

「でも肌の色は変わってないよ。ちゃんと人間に見える」

励ますようなその言葉にヒロは微笑んだ。

「そんなのどっちだっていいんだ」

「・・・そっか」

それからゼロツーは身を乗り出すように顔を近づけた。

赤い腕がヒロの胸に伸びて、優しく触れる。

「ゼロツー?」

そのままゼロツーはもっと近づいて、唇は耳に触れそうなほど寄せられる。ヒロの耳元でゼロツーが囁く

「ねぇ、ダーリン逃げちゃおうか?二人だけなら別の惑星まで行ける」

どこか熱を帯びたような艶っぽい声だった。ねっとりと絡みつく狂気を含んだような。ヒロは目を閉じて、少しだけ笑う。

「他には?」

驚くこともなくまるで別の答えがある事を知っているように。

ゼロツーが離れていく、今度は真っ直ぐに向き合ってヒロの目を見つめる。口を開き紡ぎ出した声はいつものものに戻っていた。

「アパスを使って惑星を再構築することもできるよ。でもそれをしたら・・・たぶんもう戻ってこられない。それでも・・・」

「やろうゼロツー」

ゼロツーの問いかけの途中でヒロは言った。

「そう言うと思った」

ゼロツーが笑う。ヒロも笑みを返す。ゼロツーだって初めからそのつもりだった。少し前ならそんなことはしなかったかもしれない。ヒロだけを連れて他の惑星まで旅をしたかもしれない。でも今は違う。もうそんな選択肢はあり得ない。ヒロが悲しむからだけじゃない。今はもうゼロツー自身からも繋がりがのびている。自分の行動を制限する枷のようなそれは重たくて、でも温かい。

「ダーリン。あのね」

「なに?」

「ツノを合わせてくれないかな。それでも接続できると思うんだ。最後はダーリンの顔を見ていたいから」

「いいよ」

赤と、青の二つの角がゆっくりと近づいてそっと触れ合う。

 

***

 

《13部隊・イチゴ&ゴローside》

 

 アパスは月面をそっと蹴った。まるで湖面から飛び立つ鳥のように、上昇はやがて下降へと転じアパスはゆっくりと惑星の残骸へ向かって落ちていく。

「ゼロツー?」

突然動き出したアパスの行動が理解できないままイチゴは呼びかける。

通信は回復している。それでも映像は展開されず、音声通信のみとなっていた。

「アパスを使って惑星を再構築する。そのあとは叫竜たちに任せて」

通信回線から響いたのはヒロの声。

「なんだよそんなことできるなら、早く言えよ」

ゾロメは素直に喜んでいるが落ち着いたヒロの声に、イチゴは胸騒ぎを覚えた。

「ヒロとゼロツーはどうするの?」

それに対する答えは無い。

アパスは、落下速度を増す。

「ヒロ!」

残骸の周りで渦を巻き、鳥籠を形成していたマグマ燃料が、縮小。アパスを招く様に動き、かつての惑星の中心に向けて道を作る。

「・・・皆、ありがとう」

ヒロの声が通信で響く、アパスを取り巻いたマグマ燃料が黄金色に輝き、飛散した大気や水、惑星の欠片が吸い寄せられるように集まり、アパスの姿を覆い惑星を再構築し始めた。

「ゴロー、ヒロとゼロツーを助けに行くよ」

デルフィニウムの中でイチゴが叫ぶ。それは自殺行為だ。惑星が再形成されるただなかに飛び込んでは、デルフィニウムでは耐えられないだろう。それでも、ゴローだってそうしたかった。じっとしてはいられなかった。だが、デルフィニウムが実際にできた事は遠くで覆い隠されていくアパスに向かって手を伸ばす事だけだった。さっきまで、デルフィニウムの性能を拡張していた叫竜たちが沈黙していた。それどころか今は枷となっている。まるで此処に留まる事が彼らの意思であるかのように

「なんで、なんで、なんで、なんで」

半狂乱となったイチゴの声と共に、デルフィニウムは何度も手を伸ばす。ゴローは、イチゴを止めるために操縦席から引き剥がそうとした。けれど無理に引き剥がせば怪我をさせかねないほどにイチゴは操縦席にしがみ付いている。

「ごめん、ね、イ、チゴ・・・」

デルフィニウムの中に、ノイズにまみれたゼロツーの声が流れ、そこで通信が切れた。デルフォニウムの腕が垂れる。イチゴは嗚咽を隠そうとすることも無く泣いていた。ゴローにできたのは、その身体をただ、きつく抱きしめる事だけだった。今にも壊れてしまいそうなイチゴを留めるために、そして自分自身の無力さに潰されてしまわないために・・・

 



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最終話(Parallel24話)惑星を継ぐもの

《イチゴ・monolog》

 

あの日、全てが終わった後。私たちを作り直された惑星に降ろした叫竜たちは、次々に地面の下に潜っていって、生き残っていたレーダーでもその反応を感知できなくなった。戦いに勝っても物語のように何もかもが解決したりはしなかった。この大地の遥か下に居る筈のヒロとゼロツーを助け出す方法も分からないままで、それでも私たちはトリノスを中心に生活をはじめた。人類の再出発地点として皆で力を合わせて、それはきっと、二人の願いでもあったはずだから、二人の事を諦めたわけじゃない。でも、二人が残してくれたこの惑星で自分たちの力だけで生きていけるようになる事。全てはそれから。だから、そこから私たちの新しい戦いが始まったんだ。

 

***

 

《イクノ・part》

 

 白い廊下を歩く。トリノスは、今では惑星開拓の中心として、保管庫や病院として機能している。病室に転用された部屋のドアは開け放たれていたから、その横の壁をノックした。返事が返ってこないことは予想していたし期待もしていなかったけれど、一応礼儀として・・・。

此処には生き残ったナインズ、アルファとゼータがいる。叫竜が地上に九式を降ろした時。二人は意識を失っていた。最初は隔離病棟に収容していたのだが、目を覚ました後、特に危険な兆候が見られなかったため此処に移動させることになったのだ。あまり反応を示さないゼータは以前と変わらないように見えるが、アルファは別人のように無気力になっていて、それはまるで衰弱して死ぬのを持っているかのようだった。もしかしたらそれが、アルファの望みなのかもしれない。あの日、彼は自分が信じていたものと仲間のほとんどを失った。ナインズの事をあまり良く思っていない者もいる。私も好意的だとは言えない。それでも彼らを助けたのは、きっともう誰かを失うという事に皆うんざりしていたからで、今日此処を訪れたのは、彼らの力が必要だと思ったからだ。イチゴのように私は優しくない。私はただ、彼らを利用するために此処に来ている。

思っていた通り返事は無かったからそのまま踏み込む。部屋の奥、開けられた窓から吹き込む風に揺れるカーテンの向こう側で、アルファは可動式のベッドに上半身を持ち上げられていた。ベッドの横の椅子にはゼータが座っていて、アルファの為に用意された食事をスプーンですくってアルファの口元に差し出している。ゼータは何も言わないが、食事を食べるように促しているように見える。差し出されているスプーンをアルファの手が無造作に払った。金属製のスプーンがゼータの手から離れ、床に落ちて音を立てる。乗っていた食べ物が床を汚す。

「ちょっと」

思わず叫びながら近づくと、光を失ったような眼がこちらを見た。

「君も僕を笑いに来たのか」

興味も無さそうな冷たい声。ゼータは特に気にした様子も無く、落ちたスプーンを拾い綺麗な布で拭こうとしている。

「仲間でしょ?」

アルファは薄く笑う。

「仲間?イオタのすぐ後に作られた。ゼータ、エータ、テータに意思は無い。九式を動かすために必要だった道具だ。恥も外聞も無く、ただ生存し続けようとする生き物」

「この」

思わずアルファの簡易服の胸元を掴んでいた。アルファの身体は抵抗する事も無く引っ張られる。

「殴りたいなら、好きなだけ殴ればいい」

昔の自分ならゼータをアルファがどう扱おうが、此処まで苛立ちはしなかっただろう。胸元を掴む力を緩めることはせず、それでも殴る事はしなかった。アルファの望みに付き合ってやる必要はないし殴ったところで何の意味も無い。だから口を開く。

「あんたが、ゼータが生きようとすることを恥だと考えているのならどうしてあんたはまだ生きてるの?」

アルファは何も答えない。

「自分では死ねないから、そうして死ぬのを待ってるんでしょ?、もしくは誰かが終わりにしてくれるのを、それが一番楽だから」

罵倒にもアルファは表情を変えなかった。視線はこちらを向いていても何処も見ていない。

「じゃあ、ゼータがあんたの言う通りの存在なら、意思も無くただ生きようとするだけの生き物ならどうしてあんたに食事を食べさせようとしてたの?」

アルファの視線が初めて揺らいだ。アルファは視線を動かしてゼータを見た。ゼータはスプーンを丹念に拭いている。

「あんたがゼータを仲間だと思っていなくても、道具だと思っていたとしても、少なくともゼータはあんたを生かそうとしてる。誰かに指示されたわけでもなく、自分で思考してる」

アルファはゼータを眺め続けていた。

「・・・そうか、ゼータには意思があったのか・・・」

そう呟いて、アルファは興味を失くしたように視線を落とした。私は、アルファの服を引いた。アルファの身体が抵抗する事も無く揺れ、冷たい視線がもう一度向けられる。

「それが、どうしたっていうんだ。・・・どちらにしても同じ事だ。僕たちナインズはイオタのクローン。叫竜にも人間にもなれなかった失敗作。僕たちは君らにも劣る存在だった。僕たちにもう未来は無い。いや初めから無かった。・・・今は君たちが羨ましい。命を繋ぐ機能を持った君たちが・・・もういいだろう」

「よくない」

遮る様に否定した言葉にアルファが疲れ切ったような顔をした。

「命を残す事だけが未来をつくることじゃ無い。私がそれをいずれあんたに証明してみせる。その後で、まだ生きていたくなかったら、その時死んだらいい。あんたが、自分で価値を見出せないなら私が与えてあげる。だから手を貸して、親衛隊だったあんたは、私たちの知らないことも知っている筈」

冷めた目に呆れたような色が浮かぶ。

「それだけ、大口を叩いて協力を求めると?」

「そう、使えるのなら私はなんだって使う。どれだけみっともなくても、そう決めたから。それにあんたが未来を、自分たちを悲観しているのは、それをまだ完全には受け入れられていないからじゃないの?あんたにも思いがあるんだ。こうしてまだ生きてるんだから」

アルファは、黙ったままじっとこちらを見つめていて、私も黙って視線を合わせ続けた。暫くしてアルファはため息をついて根負けした様に笑った。

「あの時と同じ目だ」

「あの時?」

「僕の頬を打った時」

「あれは・・・」

自分の感情が抑えきれなくなった時の行動を思い出して恥ずかしくなる。アルファの胸元を掴んでいた手が緩む。その間にアルファの視線は動いていた。

「・・・いいよ。僕、いや僕たちにできる事なら協力しよう」

こちらを見ないままアルファは言った。そしてアルファが手を伸ばすと、その意図を汲んだゼータが無表情のまま綺麗になったスプーンを差し出す。アルファはスプーンを受け取ると、それを眺めた。

「ありがとう」

手を服から離してアルファに礼を言った。アルファはこちらを見ないまま。ゆっくりとスプーンを回していた。

 

***

 

《イチゴ・monolog》

 

ゴローは、よく旅に出るようになった。世界を周って使えそうな物や場所、そういったものを探す旅に、でも多分ゴローが本当に探しているのは別のものだ。口にはしないけれどそれは私の望みでもあって、それでも出掛けていくときはいつも不安になる。帰ってきた姿を見るまではずっと・・・

 

***

 

《アルファ・part》

 

「不思議だ。今まで気にもしなかったのに、今は君が何を考えているのかが知りたい」

ベッドに座りながら発した声に返事が返されることは無い。九式に乗っていたあの時に、もっと理解しようとしていたら分かったのかもしれないけれど、フランクス自体が放棄されてしまったから、それは不可能だ。

「もう君は僕のための道具じゃなくて、だから自由になってもいいのだけれど。何が君にとって良いことなのか、君が何を望むのか僕には分からない。それどころか自分がどうしたらいいのかもまだ僕にはわからない」

ゼータが話せたらよかったのにと思うのは自分勝手な考えだ。少なくともゼータに意思がある事に指摘されるまで気付かなかったのだから

「僕は彼女に協力しながらもっと彼らを学ぼうと思うよ。そうしたら何かわかるかもしれない。君も巻き込んでしまったけれど良かったかな?」

ゼータは相変わらず感情の読めない表情のまま微かに頷いた。

「そう」

夜風が開け放ったままだった窓を通して吹き込んでいた。空には満月が登っている。今までは特に何かを思ったことはなかったけれど、これが綺麗という感覚なのかもしれない。それから不意に体を洗いたいと思った。どれだけ洗ってないのか分からない。連絡事項の描かれた案内書類を引っ張り出してめくってみると浴場が設営されていると書いてあった。浴場は、現在のところ一つしかなく男湯と女湯の時間が分けられているらしい。

「・・・ところで僕たちは、男湯と女湯どちらに入ればいいのだろうね?」

ゼータはしばらくこちらを見つめて、それからゆっくりと首を傾げた。

 

***

 

《イチゴ・monolog》

 

 叫竜たちの反応が無くなったのと引き換えるように、荒野に成っていた大地に少しずつ緑が広がり始めて、関係性は誰にも説明できないけれど、たぶん叫竜たちがこの惑星に力を与えてくれているんだと思う。あの日から数年が経って、私たちの生活は何とか軌道に乗り始めていた。

 

***

 

《ミツル・part》

 

 店に入ろうとすると、顔を俯かせながら飛び出してきた女性にぶつかりそうになった。

「ご、ごめんなさい」

か細い声でそう言うと、その人は駆けるように去っていく。僅かに見えた頬は上気していて、表情はどこか悲しそうに見えた気がした。店のドアを開けると、括りつけられている鈴が鳴なって、こちらに気付いたフトシが顔を上げて笑みを浮かべた。

「やぁ、ココロちゃんとアイちゃんは元気?」

顔を見ると聞かれるのだから、それはもはや挨拶のようなものだ。

「元気ですよ。というか昨日会ったでしょう?」

「まぁ、そうなんだけど、ココロちゃんもアイちゃんも守るって決めたからね。ああ、ミツルもだよ」

「ついに僕まで含まれるようになったんですか」

呆れながら言うが、フトシは気にした様子も無く胸を張った。

「おれはみんな守るつもりだからね。この街の人、みんな」

まぁ、なんとなくそれは分かっていた。戦う必要のなくなった世界でフトシはその代わりとして食事で皆を守ろうとしているのだろう。

「ところで、あの人はどうかしたんですか」

ちょっと気になったから聞いて見ることにした。

「あの人?」

フトシは首をかしげる。名前を知らないからあの人というしか無くて、ただフトシの知り合いである事は確かだと思っていた。

「さっき店から飛び出してきましたけど・・・よく見かける人ですよね?」

「ああ」

フトシは分かったというように頷いた。

「特に何もなかったと思うけど・・・」

「そうですか?なんだか、悲しそうな顔をしていた気がして・・・」

聞いていて、自分らしくないなと思った。消されなかった記憶と取り戻せた限りの記憶の中にいる昔の自分なら。たぶん気に掛けたりはしなかった。

「彼女とはどういう関係なんですか?」

フトシが少し考えるように答え始める。

「えっとねぇ。この星の開拓が始まって、おれがパンを作り始めた時に、最初は配ってまわってたでしょ?その時にパンを気に入ってくれたみたいで、よく会いに来てくれるようになって、お店ができてからは、ほとんど毎日来てくれて色々話したりしてる。いつもとても美味しそうに食べてくれるし多分すごくパンが好きなんだね」

なぜだろう、とても嫌な予感がする。フトシはそのまま続けた。

「それで、確かにそう言われれば、今日は何だか少し様子が変で、突然えっと確か、私を、いや、私もだったかな、守ってくれますか?って聞かれたから」

「・・・まさか、さっき僕に言ったのと同じ事を?」

「良く分かったね。おれは皆を守るよって答えたんだ」

頭が痛くなってきた。

「それで?」

「そうですよね。安心です。って言って喜んでくれたんだけど、急に今日は用事があるからって、帰っていったんだ」

途中から想像していた通りで頭を抱えたくなる。

「・・・馬鹿なんですかあなたは」

「え?なんか駄目なところがあった?」

フトシは必至に考えているようだが、分かるはずが無い。

「フトシの優しさが、その人を傷つけたんですよ」

「優しさが?ちょっと良く分から・・・」

更に考えようとするフトシに言葉を投げかける。待っていてもフトシは答えを見つけられない。

「あの人は多分、パンじゃなくフトシの事が好きなんです。きっとフトシにとって特別な存在として、君を守るよって言ってもらいたかったんですよ。それをフトシは・・・」

フトシは顔を上げて、驚いた様な表情をした。

「おれのことが・・・好き?・・・何言ってるのミツル?」

ああ駄目だ。欠片も伝わってない。記憶を揺り起こす。

「散々ココロさんに好意を伝えてたじゃないですか」

それが元でフトシに殴られた様な気がする。

「いや、でも誰かに好きだって言われたことなんかないし」

「フトシはあの人の事が嫌いですか?」

「そんな事ないよ。一緒にいると楽しいし、パンを食べてる時の幸せそうな顔を見ているとなんだかおれも幸せな気持ちになるんだ」

「なら追いかけるべきです」

「でも、どうしたらいい?追いついても何言ったらいいかわかんないし、それに本当にそうなのかな?ミツルが間違ってるんじゃ」

「それも本人に聞いたらいいんですよ」

フトシが慌てて手を振った。

「いやいや、そんなこと聞けないよ」

少し考えながら代替案を提案する。

「だったら、また来てほしいとでもいえばいいんですよ」

「それから?」

フトシが答えの続きを求めて真っすぐにこちらを見ている。

「ああ、もう、内容なんて何だっていいんですよ。僕たちに試食させようと思った試作品があるんでしょう?それを持っていってください。店番は僕がしてますから」

「う、うん」

フトシはまだ若干戸惑ったまま、試作品の入った紙袋を持って店を出ていった。鈴の音が遅れて響く。

 

***

 

《イチゴ・monolog》

 

 フトシはパンを作り始めた。私たちが始めた生活はどうしても食事の種類が乏しくなっていたから、フトシが作るパンや、時々追加される新しい味に皆は喜んで、大変な環境で生きていく為の原動力になっている。

 

***

 

《フトシ・part》

 

 まだ完全には整備されていない道を走っているとすぐに息が上がり始める。こんなことならゾロメの言うようにもっと運動して痩せておけばよかったかもしれないと思う。今となっては遅いけど・・・。飛び跳ねる心臓を強引に抑え込むような気持ちで、無理やり呼吸する。道の先に、歩いている彼女の後ろ姿を見つけた。心に湧きあがるのは、もうそんなに走らなくてもいいという安堵。

「待って」

後姿に呼びかけると彼女は振り向き、一瞬こちらを見てから駆け出した。

「なんでっ?」

疑問を抱きつつも追いかける。落とそうとしていた速度を、もう一度上げる。きつい。

「ねぇ、ちよっと、ちょっと待って・・・」

息を切らしながら呼びかけた時、何かにつま先が当たった。身体が傾いていく。

「あっ」

口からもれた意味の無い音と共に嫌な予感が駆け巡る。なんとか崩れたバランスを取り戻そうと踏み出した足が、前にあった自分の足に当たった。それはないでしょ、と思うも、もうどうしようもない。視界が揺れる。咄嗟に持っていた紙袋を前に差し出すように掲げる。左肩と腹部に衝撃そのまま地面を僅かに滑った。

「痛っ」

痛みを口にしながら慌てて紙袋を見る。破れているところは無い。中身も無事みたいだ。良かった。大きなおなかがクッションの役割を果たしてくれたのだ。今度ゾロメに教えてあげよう。もっとも、痩せてたり運動していたらそもそも転ばなかったかもしれないけど。その事は置いておく、現に今転んで、それを救ったのが痩せていなかった所為だからだ。それから彼女を探そうと視線を上げると彼女がこちらに向かって走ってきているのが見えた。

「だ、大丈夫ですか?」

慌てたように彼女が言う。カッコ悪いところを見られて少し恥ずかしいけれど、できる限り何事もなかったかのように立ち上がって、守ることができた紙袋を掲げた。

「大丈夫」

「何処がですか、大丈夫じゃないじゃないですか」

彼女の視線は紙袋では無くさっき地面に打ちつ付けた左腕を見ていた。つられて視線を動かすと、擦り傷を負ってしまったのだろう、白い服にうっすらと血が滲んでいる。彼女は持っていたカバンからハンカチを取り出し、血の滲む左腕の袖をそっとまくり上げてから、ハンカチを巻いて軽く縛ってくれた。

「私が走っちゃったからですよね。・・・ごめんなさい」

彼女が申し訳なさそうに目を伏せる。それがなんだか悲しくて、いつもみたいに笑って欲しくて否定した。

「そんなことないよ。それより戻ってきてくれて良かった。嫌われちゃったのかと思った」

彼女の顔が勢い良く上げられる。

「そんな、フトシさんを嫌うなんてこと絶対にないです」

彼女の言葉は早口で、ちょっと気圧されてしまう。

「じゃあ、なんで?」

強い眼差しでこっちを見ていた彼女の目がもう一度伏せられる。

「それは・・・その・・・」

彼女は躊躇った後、それには答えてくれなかった。

「じゃあフトシさんは、何で私を追いかけてきてくれたんですか?」

変わりに投げかけられたのは問いかけ。

「なんでって、それは・・・」

ミツルに言われたからという答えは安直で、たぶん良くない。ミツルの言った言葉が正しいのならだけど・・・

「あの人に言われたからですか?店の前でぶつかりそうになった人。あなたと同じ部隊だった。あなたと親しい人」

言葉を失っていると彼女が囁く様に言った。驚きを隠せない。思わず聞き返す。

「え?なんでわかるの?」

彼女はため息をついた。

「分かりますよ。あなたはそう言う事に気が付かないから・・・じゃあ、バレちゃってますよね?」

その言葉の意味を考える。連想することはある。それもミツルに言われた事だけど・・・

「それは、その、君が、あー、えっと」

確認しようとして口から出た言葉は、躊躇いから全く核心に迫れなかった。曖昧に笑うと、彼女も曖昧に笑った。お互いの間に微妙な空気が流れた後、意を決したように彼女口を開いた。

「その、・・・あの、全部説明しますから、黙って、聞いてもらえますか?」

それに何度か頷く、彼女の視線が何かを思い出そうとするように動き、唇が何度か揺れた後。言葉を紡ぎ始める。

「私はフランクスに乗って戦うために生きているって教わって、それが全部だと思っていました。だからグランクレバスを守るために戦って、叫竜に飲みこまれた時、もう終わったんだと思って・・・でも気がついたら地上にいたんです。そして世界は変わっていて。もうどうしたらいいのかわからなくて・・・そんな時にあなたがパンをくれました。口にしたパンは温かくて、柔らかくて、そしたらなんか嬉しくなって、変わってしまった世界でも生きていけるような気がしました。そんな気持ちを私にくれたあなたをもっと知りたくなって、でもあなたの周りにはいつも沢山の人の笑顔があって、私なんか全然駄目で・・・一人で勝手に熱くなって・・・早く伝えなきゃって焦っちゃって・・・私が望んだ答えなんて言ってくれるわけがないって分かってたのに・・・今のままでも良かったのに・・・気が付いたら聞いちゃってて、すごく恥ずかしくなっちゃってて、もう会いに行けないなって悲しくなって・・・」

「なんでもう会いに来れないの?」

黙って聞いていて欲しいと言われていたけれど彼女の言葉の意味が分からなくて思わず口にしていた。

「なんでってその・・・」

彼女は自分で口にしながらその理由を探しているみたいだった。

「おれは君が来てくれるのをいつも楽しみにしてる。それじゃダメなのかな?」

「それは・・・ダメ、じゃない、ですけど・・・」

「君はおれにとってとっても大切な人で守りたい人なんだ。でも皆も大切で。だからその・・・」

大切さに優劣なんてつけられない。彼女がそれを望んでいたのだとしても、そう言ってあげることができない。言葉を探している間に、こっちを見ていた彼女は少しだけ笑ってくれた。

「分かってます。あなたはそう言う人で、あなたのそう言うところを好きになって、だから、私だけを守るって言ってくれたらきっと嬉しいけれど、そしたらそれは私の好きになったあなたじゃなくて・・・」

彼女は一度言葉を切って困ったような顔をして、それから何かを考えるような素振りをしながら口を開いた。

「・・・でも、本当はそんな難しく考える事じゃないのかもしれません。あなたと話していたらなんかそんな気がしてきました。・・・私はただ、あなたの側に居たいんです」

その答えに安堵して、そう言ってもらえた喜びを感じる。

「おれも君に側に居て欲しいよ」

返した言葉に彼女の顔がほんのりと赤く染まる。それをみて自分の頬も熱ってしまったような気がした。沈黙に耐えかねて声を上げた。

「そうだ、これまだ試作品なんだけど。良かったら食べて感想を聞かせてくれないかな?」

彼女は躊躇うように此方に視線を合わせてまだ照れているように小さく頷いた。

「はい」

小さな返事の後で彼女はいつもそうしてくれるように笑ってくれた。それから少しだけ考えるそぶりをして、こちらを窺うように口を開く

「それなら・・・、もしよかったら、その、試食のついでに、この後、私と一緒に食事をしてくれますか?その・・・私だけのために」

「うん、よろこんで」

力強く頷く。彼女の言葉には断る理由も躊躇う理由も無かった。

 

***

 

《イチゴ・monolog》

 

 ココロとミツルの記憶は少しずつ戻っていった。全部が戻ったわけじゃなくて、もう取り戻せないものもあるのかもしれないけど、それでも、二人はその上に新しい記憶を積み上げている。二人の間に生まれた女の子と三人で・・・

 

***

 

《ココロ・part》

 

 絵本を読んでいる。その絵本は未完成で、王子様と、ツノの生えた女の子を乗せた白い大きな鳥が、惑星にむかって飛んでいくところでお話は止まっている。

「二人は、この後どうなるの?いつか戻ってくる?」

こちらを見つめる目はしっかりと開かれていて、それは彼女がまだ眠る気が無い事を示している。

「それは・・・ママにも分からないの」

少しだけ迷ったけれど優しい嘘をつくことはしなかった。私の答えに彼女の顔が陰る事も無かった。

「もし戻ってくるなら明日かな?それとも明後日?」

「そうかもしれないし、もっとずっと先かもしれない」

本当にそうだったらいいと思いながら、その可能性はかぎりなく低い気がしていた。

だから、私たちはこの絵本を作った。二人の事を記録に残す為に、彼女が作った本物に幾つかのページを足して、本物は、この街の中心、叫竜たちが守ってくれたトリノスの最奥に保管されている。周りには記録保管庫が作られて、これから生まれてくる子供達と、それから、いつか帰ってくるかもしれない二人に伝えるために写真や手紙、日記とか、今もたくさんの物が保管され続けている。もしも二人が戻ってこれたとしても、その時にはもう目を通しきれないほどの数になっちゃうんじゃないかと思う。この子の事も沢山記録されている。そんなに要らないんじゃないかな?と言ったら、記録しておくべきです。と真剣な顔をして言われたから、つい頷いてしまった。

「ママ?」

少し考えに浸ってしまっていたみたいで、首をかしげながら呼ばれた。

「ああ、ごめんね」

そう返すと、彼女の手が掛布団の下から伸びてくる。

「写真見たい。写真」

絵本を前に差し出すと、小さな手が白紙のページを何枚もめくって最後のページを開いた。印刷されているのは、いつかの集合写真。小さな唇が笑みを作る。彼女にとっては知っている人たちの昔の姿が、絵本に印刷されているという事が面白いのだと思う。細い指が紙の上を移動する。

「ママ」

指はそのままずらされる。

「パパ」

さらにずらされながら、名前が次々に呼ばれていく

「イチゴちゃん、ゾロメくん・・・」

そして最後の一人を小さな指が示す。

「フトシ」

彼女は勝ち誇る様に言った。

「フトシくん、でしょ?」

訂正に彼女が頷くことは無く、悪い笑みを浮かべた。怒った方が良いのかもしれないけれど、正しい怒り方が分からない。一番懐いているけれど、それは一番甘やかしてくれるからで、良くないかなと思うんだけど、本人がそれでいいよって喜んでしまうから直りそうにない。まだ、楽しげに写真を見ている彼女に呼びかける。

「ねぇ、いつかあなたが大きくなって、ママになったらこの絵本を読んであげて」

「ママみたいに?」

丸い目がこっちを見つめる。

「そう、ママみたいに」

「うん、わかった」

そう言って彼女は満面の笑みを見せてくれた。

 

***

 

《イチゴ・monolog》

 

 イクノが始めたパラサイトの老化を抑える研究は成果を上げつつあって、いずれ不老化する以前の人類と同程度にはできるのではないかとアルファも言っていた。それはパラサイトたちにとっての希望になっている。同時期にガーデンから消えたコドモたちが睡眠状態で保管されている事をナナさんから知らされた。その施設の存在は以前からハチさんが知っていたらしいけれど睡眠装置の稼働を維持することができたから食料の生産が追いつくまで黙っていたらしい。目覚めたコドモ達の中にはナオミも居て、街の人口は一気に倍増した。

 

***

 

 《ゾロメ・part》

 

「オレ、イクノみたいに頭良くないだろ」

「うん」

一瞬も迷う事のない同意に釈然としないものを感じる。

「いや、ちょっとぐらいは否定しろよ」

「はぁ?いまさらな事実をどう否定しろって?」

倍ぐらいの勢いで反論が返ってきた。言い返したくなる気持ちをぐっとこらえる。

此処で言い返してしまったらいつもと同じだ。喧嘩になる。大人な対応と言うやつを見せてやらなくてはならない。

「フトシはパンを作り始めたけど。食うのはともかくオレ作るのは得意じゃないし」

「うん」

「ミツルもココロも忙しそうだし、ゴローなんか一回出てくといつ戻ってくるか分かんねぇし、イチゴは街を管理するので忙しそうだし」

「うん」

正直に言えば、何をしたらいいのか分からないのだ。自分だけ置いていかれてしまったようなそんな気がしていた。

「オレ遊ぶの得意だろ?だからもっと小さい子供たちお世話をするっていうのか、お手本になるっていうのか、先生っていうらしいんだけど、それをやろうかなって、子供達も増えてきたし必要なんだってよ。それでさ、その、良かったら一緒に・・・」

そう誘ったのは、今でも一番一緒にいるミクも自分と同じような気持ちでいるんじゃないかと思ったからと、少しだけ自信が無かったからだ。

「はっはーん、自信がないんでしょ?」

「そ、そんなわけ」

「いいわやってあげる」

小ぶりな胸に手を当てて、偉そうに宣言される。その態度はちょっと気に障るが、ひとつ目の目的は果たせたから良しとしよう。

「あ、あと、それから、その」

もっと重要な事を伝えようとする前に指が付きつけられていた。

「ハチとナナと私が先生で、あんたは助手ね」

「・・・は?ふっざけんなよ。なんで俺が助手なんだよ」

「はい、駄目ー。そんなすぐに怒っているようじゃ、子供達のお手本にはなれませーん」

「人の事言えねぇだろうがー」

もう駄目だ。結局いつもと同じだ。

 

***

 

《イチゴ・monolog》

 

 ゾロメとミクは、子供達にいろいろなことを教える先生になった。ゾロメはちょっと心配だったんだけど案外うまく行っているらしい、ミク曰く本人がまだ子どもだから。そうなのかもしれないけど一度見に言った時、ゾロメといる子供達は楽しそうだったから適任だったんだと思う。

 

***

 

《イクノ・part》

 

 心地い風が、軽く羽織っただけの上着をゆらしていた。

「フトシね最近好きな子ができたみたい。意外だよね」

手すりにもたれながら流れていく雲を見ている。あまり外には出ないけれど、こうしてイチゴが近況報告をしてくれるし、十三部隊の皆も頻繁に訪れてくれるから、いろんな情報が入ってくる。

「そう?記憶を消されてどうなっちゃうかと思ってたココロとミツルがうまくやっていけるようになったのを一番喜んでたのはフトシだったよ」

「そういわれると、そうかも」

「私からすればイチゴの方が意外だった」

「アタシ?」

「イチゴはヒロを待つんじゃないかと思ってた」

「ああ、ヒロにはゼロツーがいる。悔しかったけどヒロとフランクスに乗った時、敵わないなって思ったんだ。フトシもこんな気持ちだったのかな?」

「たぶんね。私も今そんな気持ちだから」

冗談のつもりでそう言うと、イチゴは本当に申し訳なさそうな顔をした。

「あ、・・・えっと、ごめん。イクノに話すことじゃなかった」

なんだか、自分が悪い事をしてしまったような気持ちになる。イチゴはそんな顔をする必要はないのに、それでもそんな顔をしてくれることが何故だか嬉しくて、少し笑ってしまう。

「冗談。なんでも話してよ。ゴローに言えないこととかも。悪いと思ってるならむしろそうして、それがイチゴの罪滅ぼし」

そう言うとイチゴが笑ってくれた。

「なんかそれ狡い感じがする」

「私はめんどくさくて、悪い奴だからね」

私がそう言うとイチゴはもう一度笑って、そして躊躇いながら口を開いてくれた。

「今でもね。時々考えるんだ。これでいいのかなって、あっ、ゴローがいけないとかそう言うんじゃなくて」

頷いて先を促す。

「ゴローいい奴だからさ、本当はもっと相応しい誰かがいるんじゃないかとか、ゴローはいつまでも待つって言ってくれたし側にいてくれた。そんなゴローを私はヒロの隣にいられなかったから選んだみたいで、なんか悪い気がして・・・」

「イチゴにとって、ゴローはヒロの代わりなの?」

「そんな事ないよ。どっちも大切で、それでも、それだと・・・」

イチゴは考えを纏めようとして纏められなかった。真面目すぎてイチゴの思う正しさと気持ちがぶつかって雁字搦めになっている。

「なら、いいんじゃないの?別にそれでも」

思考を遮られたイチゴは驚いたようにこっちを見た。

「ゴローはそれもひっくるめて、それでもイチゴの側にいることを選んだんだと思う。ヒロがイチゴにとって英雄であるみたいに、ゴローや私にとってイチゴは英雄で、だからたぶんゴローにとってイチゴ以上の誰かなんていないよ」

「そう、なのかな?」

「そう。だからイチゴが負い目を感じる必要なんかない。むしろそのほうがゴローに悪いよ」

「そうか、そう、かもね。・・・少し気が楽になった気がする。ありがとう」

「いいよ」

私にできるのは、ただこうして話を聞くだけで、解決なんて出来ない。もしかしたらずっと、でもそれでも良い気がしている。多分生きているっていうのはそう言う事だから・・・

「それよりそろそろ時間なんじゃないの?」

「ああ、本当だ。何かごめんね。私の話だけ聞いてもらっちゃって」

「気にしないで」

「次はイクノの話も聞くから、あたしじゃそんなに力になれないかもしれないけどさ」

「そんな事ない。その時はきっと相談に乗ってもらうから」

「うん、それじゃあ、そろそろ行くね」

「ありがとう」

見送るために姿勢を直す。名残惜しいけれど、忙しい中でもこうして会いに来てくれることには感謝しかない。少し進んでからイチゴは振り返った。

「イクノ」

大きな声で名前を呼ばれる。イチゴが付けてくれた名前。

「イクノもいい奴で、皆にとっての英雄だよ」

そう言って大きく振られる手に、手を振りかえした。イチゴの言葉と向けられた笑顔に、今でも心臓が高鳴ってしまう。ずっと見てきた彼女を独占することはできなかったけれど、追い続けていたあの頃と違って、今は隣に並ぶことぐらいなら出来ているのかもしれない。一抹の寂しさを感じながら、それでも満足感もあって、いつか求めた夢のようなものでなかったとしても、それでいいと今は思える。

 

***

 

《イチゴ・monolog》

 

久しぶりにゴローが戻ってきた。少し前の連絡での声はそれほど弾んでいなかったから、今回もまた大した収穫は無かったんだろうけど、元気に戻ってきてくれたからそれでいい。まだまだ大変なことはたくさんあるけれど、アタシたちは生きていく、たとえ二人にはもう会えなかったとしても、二人が残してくれたこの惑星で、精一杯生きて、やりとげたよって伝えたいから・・・

 

 A:Ending fin

 

***

 

《ヒロ・part》

 

 瞼の奥に光を感じた。頬に触れる穏やかな風は土と草の匂いがする。同時に鳥たちの囀りが聞こえた。瞼を開けようとすると、痛いほどの光。慌てて掲げた手が光を減衰させても眩しくて目を開けていられない。

「やっと起きた」

随分と懐かしい声と共に光が遮られる。その影の中で、ようやく慣れてきた目が世界を捉え始めた。

「・・・ここは?」

「地球だよ。ボクたちが作り直した」

夢を見ているみたいで、まだ戸惑ったままの僕に懐かしい声は、先回りするように答える。

「アパスを核にこの惑星を再構築した時の最終段階で、ストレリチアは射出されるようになっていたみたいだ。凄く古いコードで、起動するまでボクにもわからなかった。元々はアパスが完全な機能停止状態に陥った時に操縦席を脱出させる機能だったみたいだけど、ストレリチアにもどうにか働いたみたい。残念ながら地表までは届かなかったんだけどね。それでストレリチアは最低限のエネルギーに守られながら休眠状態に入ったんだ。同時にボクたちも強制的に睡眠状態にされた。それから多分凄く長い時間が経って移動を続けるプレートが偶然ストレリチアを押し上げて、それで・・・」

早口で続けられる説明になんだか良く分からないままに頷いた僕に逆光の中の彼女が微笑む。

「まぁ、いいや」

まだ、輪郭のぼやけているその人影が僕に向かって手を伸ばした。

ずっと前にそうしたみたいに

「おはようダーリン」

差し出されている手を握った。指が伝える感触に夢じゃないことを実感する。彼女にむかって笑い返す。

「おはようゼロツー」

引き上げられるようにして、光の中へと踏み出す。僕たちは比翼の鳥だ。二人でならどこへだって行ける。

 

 B:Ending fin

 

***

 

《ゾロメ・part》

 

 騒ぎ声に目を動かすと子どもたちが集まっていた。中心には、森の中から一本だけ長くのびた大木のように見える人影。揺れている灰色の髪に向かって跳んでいる男の子がいて、手を引っ張っている女の子がいる。人影はゼータだった。いつもアルファと一緒に行動をしているゼータが一人で、しかもこんなところにまで来るのは珍しい。見慣れない大人がやってきたから子供たちが好奇心で集まっている。

「なにやってんだ?あいつ」

もはや子どもたちの玩具になりつつあるゼータをぼんやりと眺めていると視線を動かしていたゼータがこっちを見た。ゼータはこちらに向かって足を進めようとするが、子供たちに囲まれているからか、一歩踏み出そうとしては戻す。相変わらずの無表情だが、子供たちに配慮しているのかもしれない。待っていると、日が暮れそうだったから子供達をかき分けながら近づいてみる。目の前まで行くと、ゼータはポケットからアルファに作ってもらった意思疎通用の端末を取り出して、幾つかの単語を撃ち込み表示させて此方に見せた。

(緊急、連絡、集合、トリノス、イチゴ)

アルファのようにそこから細部を汲み取ることまではできないが要点は分かる。ある程度の通信網は街中に存在しているが、数台の特別端末を除き、個人用の携帯端末まではまだ手が回っていない。今日は野外学習で連絡が取れなかったから、ゼータが派遣されてきたのだろう。子ども達に遊ばれているゼータは取りあえずそのままにして、ミクに伝えに行くことにした。

 

***

 

《イチゴ・monolog》

 

 きっかけは、トリノスのレーダーが叫竜の反応を示した事。今までそんなことは無かったし、まだレーダーが生きていた事にも驚いたのだけど。もっと奇妙だったのは叫竜を示す点が、街からは少し離れた場所で小さな円を描いてとどまっている事だった。今更、叫竜がこの街を攻撃してくるとも思えなかったし、まぁ、攻撃が目的だったとしても今のアタシたちにできる事は避難することぐらいだったけど・・・あの時ゼロツーは、叫竜達はアパスの指揮下に入ったと言ってた。だから、この叫竜の行動は何かのメッセージじゃないかとアタシたちは結論付けた。確証は無かったけれど、そう思いたかったというのが本音だ。だから、確かめに行く事に決めた。最後の細かい準備はこういう事に慣れているゴローに任せて特にする事の無くなったアタシは、イクノの部屋に居る。

 

***

 

《イクノ・part》

 

 「ミク、男の子から人気あるんだよ。でも全部断っちゃうの。男の子の事がまだ嫌いなのかな?ゾロメとも喧嘩ばっかしてるし」

出発の前に訪れてくれたイチゴはいつものように皆の事を話してくれる。

「ああ、あれは・・・」

私が言いかけた時、少しだけ焦ったような呼び声が聞こえた。

「イチゴ、そろそろ出発するぞ」

「あっ、うん」

ゴローの声に返事をしてから、イチゴが私を見る。

「イクノは本当にいかないの?ナオミも?」

ナオミが頷く、私も返事をする。

「無理に行ってみんなに迷惑かけたくないから」

研究は実を結んだけれど、戦闘で老化が進んだ身体を元に戻すことまではできなかった。

「迷惑なんて、そんなこと誰も思わないよ」

イチゴはそう言うし、たぶんみんなもそう言うだろうけれど、少しでも枷になりたくなかった。誰よりも行きたいと思っているのは、きっとイチゴだから。

「私のことはいいから早く行って、やっと見つけた手がかりなんでしょ?」

そう言うとイチゴは躊躇いながら立ち上がる。

「ナオミにアルファとゼータもいるからこっちは心配いらない」

笑顔で告げる私にイチゴは頷く。

「わかった。じゃあ、行ってくるね。詳しいことがわかったらすぐ連絡するから」

イチゴが駆けて行ったドアを見てひとりごちる

「・・・本当に何かあるといいんだけど」

それから、ベッドの横にある椅子に座っていたナオミを見て聞く

「ところでナオミは行かなくてよかったの?、私に遠慮してるならそんな必要は・・・」

「そんなことないよ」

彼女は少し困ったような顔で続けた。

「イクノの所為じゃないんだ本当に・・・問題は私の方。ヒロとはあんまりいい別れ方しなかったし、ゼロツーって子のことも私は知らないし。皆が戦ってる間ずっと眠ってたから、その、なんていうんだろう距離感がよく分からなくて・・・ああ、ごめんねこんな話」

ナオミは少し陰った表情を振り払おうとしていた。そんな彼女に私は手を差し出す。

「ナオミ、これからも私のそばにいてよ」

突然そんな事を言われて驚いた様子のナオミは、ゆっくりと確かめるように私の手を握った。

「・・・ありがとうイクノ」

私が何かを言う前に、彼女にお礼を言われてしまった。いつか、そうしてもらったように、私もそうなれたらいいと思う。

 

***

 

《ゼロツー・part》

 

 光の下に出たダーリンは、まだ目を瞬かせている。無理も無い。ボクも目を覚ました時はそうだった。すぐにダーリンを起こさなかったのは、生きていることは分かっていたから。それともう少し寝かせてあげようかなと思ったんだ。時間はもて余すぐらいにあるから、暫らくダーリンの寝顔を見ているのも悪くなかった。ダーリンの額には今も青い角が生えていて、少しだけ心が痛んで、それ以上に嬉しかった。今も横にあるその角にちょっとだけ触れようと手を伸ばしてみる。

「ゼロツー、あれ」

ダーリンが突然声を上げて、何かを指し示したから、ボクは伸ばしていた手を引っ込めた。

「なんだろう」

ダーリンが指さした先にあるのは、何かの移動手段の機械のように思えた。昔使っていた輸送機によく似ている。違うのは、あれよりは小さくて飛んでるんじゃなくて、地面を走っているところだ。

「あれからどれだけ経ってるか分からないけれどたぶん人がいるんだ。もしかしたら乗っているのはイチゴたちの子孫たちかもしれない」

「子孫?」

「イチゴたちの子供の子供の子供とか、そういうの」

「コドモのコドモのコドモ?」

ダーリンが首をかしげる。

「まぁボクたちが、イチゴたちを守れたって事」

「そっか、良かった」

そう言って微笑んだけどダーリンは何処まで理解しているんだろう。悲しむかもしれないけれど少しずつ話していかなくちゃならない。

「こっちにむかってくる」

確かにそれを捉え続けていると、真っすぐこっちに向かっている事が分かる。何故だろう。ストレリチアが露出したのを見つけたのかもしれない。何が変わっているだろう?言語や思想。考えられることはたくさんある。突然攻撃されることは無いと思うし、仮に攻撃されても今のボクたちにはそれほど脅威になるとは思えないけど、それでも、イチゴたちの子孫と敵対したくなかった。

「ダーリン。その」

此方に向かってくる機械に近づいていくダーリンを呼び止めて注意しようとした。

「ヒロ!、ゼロツー!」

機械の窓が開いて、青い髪のイチゴによく似た人が手を振った。声もそっくりだ。ダーリンは喜んで手を振り返す。ボクたちの名前を知っていて、見る限りでは行動様式もそんなに変わっているようには思えない。有性生殖による子供の誕生の積み重ねは知識として知っていても、あんなに似るんだろうかと疑問が生まれる。近くまで来て機械は止まる。そこから降りてきた人たちは、記憶と少しづつ違っていたけれどイクノの姿がないだけで、あとは全員揃っている。妙だ。おかしすぎる。振り返ってストレリチアの辺りを見渡すと、地層が隆起したような形跡はなかった。むしろあたりは窪んでいて土が山のように散らばっている。これは・・・掘り起こされたのかな?だとしたら、ボクが思っているほどの時間は経過していないかもしれない。視線を戻すと、ダーリンは皆に取り囲まれて普通に喋っている。何だそう言う事かと思いながらボクは立ち止まった。視線を下げれば、真っ赤になった両足が地面から伸びている。ダーリンの体までボクみたいにならなくてよかった。角は生えちゃったけど、体まで変わっちゃってたら、イチゴ達にはすぐに分からなかったかもしれないし、きっと戸惑ったと思う。駆け寄ってくるような足音に視線を上げると身体に軽い衝撃。身体を強く抱きしめられていた。青い髪が、ボクの胸のあたりで揺れている。

「良かった。ちゃんと帰ってきた」

震えるような声でイチゴはそう言った。

「約束、したからね」

戸惑ったまま咄嗟に口にしたその言葉は、偶然が可能にした結末でほとんど嘘だったのだけれど。

「そうだね」

とイチゴは笑った。

「怖くないの?こんな姿になっちゃったし」

ボクはイチゴを抱きしめるべきか迷っている赤い両手を見る。

「角だけだった出会ったばかりの時の方が、よっぽど怖かったよ。あと、ガーデンに行った後とか」

「確かに」

イチゴの言葉に、ゴローが笑って同意する。ゾロメも頷く。

「今のゼロツーが怖いってんなら、ミクの方がよっぽど暴力的で怖いって」

「は?」

ミクの手刀が届く前にゾロメは駆け出していた。フトシを中心にして、ぐるぐると逃げ始める。

「ちょっ、なんでおれの周りでやるのさ」

「他にちょうどいい盾がないからな」

「車は?車」

フトシの抗議は無視されている。そう言えば、フトシにはひげが生えている。なんだかおかしい。

「ミク、そんなに怒らなくても」

ココロが躊躇いがちに二人を止めようようとしたのを、ミツルが制止した。

「ココロさん、あれは、愛情表現のひとつです」

「え?」

「そうなの?」

ココロとフトシが驚いて声を上げる。

「ミクがゾロメ以外にあんなにムキになって追いかけているのを見たことがありますか?」

「そういえばないな」

ゴローの賛同はどこか棒読み臭い。

「でしょう?ミクは子供達を指導する先生をしてます。本当にミクが暴力的だったら、いつも子供達が追いかけ回されていたり泣いていたりするはずです」

「どっちかっていうと慕われてるよね」

イチゴが頷く。

「ちょっとミツル何言ってんの」

「なんだよミク、俺のことが好きなのかよ。だったらそういえばいいのに」

慌てて振り返ったミクをゾロメが茶化した。

「ちがーう」

ミクが追跡を再開するが心なしかその動作には躊躇いがある。

「ゾロメだってそうです。確かに子供っぽいところはありますが、ミク以外の誰かをあんなにからかったりしていますか?」

「そう言われるとミクに追いかけられてるのしか見てない」

フトシが同意する。

「なっ」

指摘されたゾロメが何かを言おうとしたままバランスを崩して、ミクが追いついてしまう。捕まえたゾロメに向けられたミクの手刀は迷うようにそのままの位置でとどまっている。

「ゾ、ゾロメあんたもなんか言いなさいよ」

居た堪れなくなったミクが、ゾロメを引き寄せて喚く、むしろそれは逆効果になってしまったようだ。

「あ、そ、そんなんじゃねぇ、し」

近距離でミクに見つめられたゾロメはいつもと違う周囲の視線に、か細い声で否定しようとして頬を染めながら視線を逸らした。

「なっ」

つられてミクの頬まで上気する。助けを求めるように周囲を見渡したミクの目には満足そうに頷くフトシ、優しそうに笑うココロ、呆れ顔のミツルに、ニヤつくゴローとイチゴ、楽しそうなダーリンとボクの顔が映ったはずだ。ミクは適切な表情を考えられなくなってなんとも言えない顔になった。

「みんな変わらないな」

ダーリンが懐かしそうに言った。フトシにひげが生えていたり、ボク達が知らない間に変わっていることも多いだろうけど。きっと変わらないこともあるんだ。それはひと時の輝きに過ぎないのかもしれないけれどボクたちはそれを選んだ。ボクとダーリンを膨大な時間がそこからはじき出してしまうとしても、これで良かったんだと思う。遥かな時が流れるその前に、こうして同じひと時を過ごせることをボクは嬉しいと感じている。ダーリンがボクに近づいてきて手を差し出した。

「行こうゼロツー、皆で街を作ったんだって、イクノもナオミも皆いるって、ああ、ナオミには会った事が無かったよね。ゼロツーに会う前のパートナーだった子。紹介するよ」

「前のパートナー?それは気になるなぁ」

意味ありげに聞くとダーリンが焦った。

「別にナオミとは何も無かったから。あの時はキスも知らなかったし」

必死に説明しようとする顔が可愛い。

「知ってるよ」

ボクが笑うと、揶揄われたのだと気づいたダーリンが苦笑する。ダーリンが差し出してくれていた手を握り返して歩き出す。この先もずっとこの手を握っていてくれると、そう信じられるダーリンがいてくれて良かった。それを伝えたくて握る手に軽く力を込める。それに気付いたダーリンが同じように握り返してくれる。ダーリンと一緒にボクは皆の輪の中に踏み込んだ。

 

***

 

《ゼロツー・monolog》

 

 絵本の最後のページには化け物とちょっと下手な絵の王子様とその仲間たち。王子様には角が描き足されているし、周りにいるのが家来じゃなくて仲間たちだなんておかしいけれど、それでいいんだ。化け物になってしまった二人を仲間たちは変わらずに迎え入れてくれた。独りだと思っていた化け物は、化け物のままで受け入れてもらえたんだ。

 

 ダーリン・イン・ザ・フランキス:parallel・fin

 



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