とある双璧の1日 (双卓)
しおりを挟む

王都での1日

 

 

『剣聖』という言葉をご存知だろうか。

 それは数多くの剣才を輩出してきたアストレア家の中でも精霊からある加護を授かった人間に与えられる称号である。

 その加護の名は『剣聖の加護』

 この加護を持つ者の剣技はあらゆる者のそれを軽々と凌駕する。

 代々『剣聖』は国の切り札のような扱いであり、戦場に『剣聖』が現れればたとえどんなに劣勢に立たされていようとも勝ちを確信することが出来る。

 過去に嫉妬の魔女を封印するのに大きく貢献したのも初代『剣聖』レイド・アストレアであり、現在ではそのあまりの強さに国法で他国との出入りを禁じられている。

 このように他の追随を許さない恐るべき武力を持つアストレア家であるが、実はアストレア家に匹敵する、もしくはアストレア家を凌駕する武力を持った家系が存在する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっかしいなぁ。ここで待ち合わせの筈なんだが……」

 

 俺の名前はルイス・フォン・ゾルダート。

 一端の騎士をやらせてもらっているが、今は訳あって人々が行き交い竜車が走る広場の噴水の前に佇んでいる。

 何をしているのかと言うと聞いての通り人と待ち合わせをしているにも関わらずその人物が時間になっても現れないのでその場で待機を余儀なくされているのだ。

 

「まさか仕事初日にすっぽかされるとは思ってもみなかったぜ」

 

 仕事以外の日は家でぐうたらしていると親父から「いい加減誰かに仕えてくるぐらいしろ」と無慈悲な宣告を受けた俺は今日から騎士は騎士でもある人物の従者の騎士となる予定だった。だが結果はこの様だ。この先が思いやられる。

 因みに仕える予定の人物は王選候補の一人ハーフエルフのエミリア様だ。親父と個人的に繋がりがあって話を聞いたエミリア様が是非うちにと言ってくれたらしい。

 俺自身はそんなに頻繁に会う訳ではないが、見ず知らずの人間よりも面識のある人間の方が良いに決まってる。まあ、今はその面識のある人間が現れないから苦労しているんだがな。

 

 その場で待っていても埒が明かないと考えた俺は近くで果物の店をやっている中年の男に聞いてみることにした。

 

「すまないそこの店主、この辺りでエミリア様……銀髪のハーフエルフの娘を見なかったか?」

 

「銀髪のハーフエルフですかい?見かけてねぇですね」

 

 残念ながらそう簡単には見つからないらしい。

 目的の情報は得られなかったが、このまま去るのも申し訳ないので俺は懐から銅貨一枚を取り出した。

 

「そうか、ありがとう。それとそこのリンガを一つ貰ってもいいか?」

 

「ええ、どうぞ!ありがとうございました!」

 

 この店主、何ヵ月か前に来た時とは対応がまるで違うな。あれか、近衛騎士団の制服を着てるからか。前はローブ纏ってたから「邪魔だ、どっか行け」とか言われたのか。近衛騎士団の凄さがひしひしと伝わってくるね。あの堅苦しいのはあまり好きじゃないけどな。

 

「仕方ないな、お転婆お嬢様って……ん?」

 

 宛てもなく歩いていると、裏路地のような場所から見知った顔が出てきた。

 

「ラインハルトじゃねぇの。なんでこんなとこに?」

 

 燃えるような赤髪に空を写したような青い目が特徴の男で俺と昔から縁のある人間ラインハルト・ヴァン・アストレア。当代の『剣聖』であり、数多の加護を持って初代を超えていると言われる所謂化け物である。

 

「ルイス、君こそどうしてここに?」

 

「俺は予定の時間になっても待ち合わせ場所に来ないエミリア様の捜索。そっちは?」

 

「今日は非番なんだが、助けを呼ぶ声が聞こえたのでね、助けに行っていたところさ」

 

 非番でも人助けとは、流石はお人好しである。

 こいつは正義感が強くて実力もある。周りからは完璧超人と言われていることもあるほどだ。

 だが、結構天然なところがあるので俺としては親しみ易くて助かる。

 

「それで?」

 

「それで……?」

 

「エミリア様見なかったか?」

 

「残念ながら見てないけど、さっき言った助けを呼んだ男がローブを纏った銀髪の女の子を探しているって言ってたよ。多分エミリア様じゃないかな。スバルって名前なんだけど知り合いかい?」

 

「いや、俺がド忘れしてる可能性も否めないが恐らく知らんはずだ」

 

 スバル、スバル……忘れてない、よな?

 記憶力は悪くない方だと自負しているが、その可能性も0ではない。もし俺が忘れているなら相手に相当失礼だ。

 いや、多分エミリア様の従者とかで俺とは面識のない人間に違いない。きっとそうだ。

 それにしても、

 

「困った」

 

 結局エミリア様の情報はなし。

 

「良ければ手伝おうか?」

 

「助かる。頼むわ」

 

 非番とは言っていたが、本人が手伝ってくれると言うのならその言葉に甘えない手はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか君が誰かに仕えることになるとはね。いつも家で食っては寝てを繰り返している君が」

 

「いくら温厚な俺でも怒るぞ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エミリア様の前で同じようなことをしないか僕は心配だよ」

 

「さすがにしねぇわ!見てないところでするに決まってるだろ!」

 

「本当に心配になってきたよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めて君の家にお邪魔した時は驚いたものだよ」

 

「いい加減泣くぞ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久しぶりにラインハルトとの会話を楽しみ(?)ながらエミリア様を探し、いつの間にか俺たちは最初に俺がリンガを買った果物屋の近くに戻ってきていた。

 

「ここまで探して見つからないとは……もしかして俺嫌われてるのか!?」

 

「そうだね、裏路地のような場所も探したしもう君が嫌われているという方が自然かもしれない」

 

「おい」

 

 爽やかイケメンのくせしてさらっと毒を吐くラインハルト。いや、爽やかイケメンだからこそ許されるのか。

 というよりこいつが俺以外の人間に毒吐いてるところは見たことがないな。まさか俺にだけなのか!?

 確かに何かと俺に突っ掛かってくることもあるし、その内決着をつけないといけないな。

 

「もう残っているのはスラムぐらいだね」

 

 スラム。別名貧民街ともいう。

 その名の通り金がなく生活に困っている者が集まっている場所だ。

 一応裕福な暮らしをさせてもらっている人間としては思うところがない訳ではないが、一人ではその人々を助けるようなことは出来ない。いつかはどうにかしたいとは思うが今は仕方ないと割り切るしかない。

 エミリア様が何故そこに行こうも思ったのかは分からないが、消去法で残りはスラムしかない。恐らくそこにいるのだろう。

 だが、予定の時間を大分オーバーしていたし、スラムを端から端まで探している時間はない。

 

「もう日も暮れるし仕方ない。いっそのこと上から……」

 

 ━━━探すか。

 

 そう言おうとしたが、それは遮られた。

 スラムへと続く道を一人の金髪の少女が俺とラインハルトに向かって走って来たのだ。それも切羽詰まった顔で息を切らせながら。

 

「誰か、誰かいねーのかよ!」

 

 スラムも含めてこの辺りの場所は盗難が多い。自分の力では取り返せないと悟った被害者が無理だと思いつつも助けを求めるというのも珍しい話ではない。

 先ほどもエミリア様を探している途中目の前で大胆にも他人のものを盗んでいく人間がいたのでラインハルトが捕まえたが、普通は助けてくれる人間はいない。

 だが、どうもその少女は何かを盗られたというには顔に恐怖の色も浮かんでいる。

 

 ラインハルトは無言で俺に目線を合わせて頷いた。

 助けるつもりだな。まあ、こいつはこういうやつだ。助けを求める人間は放っておけないまさに正義感の塊のような、そんな男だ。

 

 そのラインハルトの前で金髪少女は力が抜けたように膝から崩れ落ちた。

 

「お願い……助けて」

 

「分かった。助けるよ」

 

 イケメンかよ。

 思わずツッコみそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「小屋で刃物持った女が暴れてるってか。恐ろしいこともあるもんだ」

 

「まあ何にせよ、見過ごす訳にはいかないね」

 

 スラムの大通りに風が吹き荒れる。

 俺とラインハルトが駆けた跡だ。因みにさっきの少女は方角と小屋の特徴だけ聞いて置いてきた。連れてくるよりも俺たちだけの方が速いのだ。

 

「それよりも何故俺ではなくラインハルトの方に頼むんだ……こいつは私服で俺は制服だっていうのに。やはりイケメンか、イケメンだからか」

 

「僕なんかよりも君の方がよっぽど格好良いと思うけどね」

 

「お世辞は止めてくれ。悲しくなる」

 

「お世辞のつもりはないんだけど…………薄暗い茶色の壁に隙間なく絡み付いた蔓。あれだね」

 

 ラインハルトの目線の先には説明された通りのオンボロ屋敷。なにかあればすぐに崩れそうだ。

 これの中で人が暴れているんなら今すぐに崩れてもおかしくない。

 つまりちょっとぐらい壊しても今さらだから大丈夫ってことだよね?

 

 俺は正面入り口から、ラインハルトは屋根から、それぞれの場所に突撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃小屋の中。

 腸大好きサディスティック女ことエルザ・グランヒルテがククリナイフを構えて丸腰のジャージ男ナツキ・スバルに迫っていた。

 

(ヤバいヤバいヤバい!棍棒でガード……は間に合わねぇ!このままじゃ死………)

 

 今までに二度も味わった激痛と腸が体外へと飛び出る感覚が鮮明に思い出されてスバルは思わず目を瞑った。

 

 しかし、いつまで待っても激痛は感じず、代わりに背後と頭上から爆発のような音がスバルの耳に届いた。

 

「そこまでだ」

 

「悪行は見過ごせないぜ……って、エミリア様、こんな所に」

 

 正面入り口を吹き飛ばした人間には見覚えがなかったが、屋根をぶち抜いた男には見覚えがあった。

 

「お前……ラインハルトか?」

 

「ああ、さっきぶりだね。遅れてすまない」

 

 ラインハルトは5メートルほどある屋根から軽やかに着地すると、スバルに一瞥してエルザへと向き直った。

 スバルは突然のことにもはや先ほど自分の腸が飛び出る錯覚をしたことなど忘れていた。

 

 入り口から突入してきたラインハルトとは別の男はスバルには声をかけず、一直線でエミリアの方へ向かって丁度エルザとエミリアの間に入るように立った。

 

「まさかこんな所にいたとは。結構探しましたよ」

 

「ごめんなさい。でも決してルイスとの待ち合わせを忘れてた訳じゃないのよ?ちょっと予想外の事が起こって……」

 

「話は後で聞きますよ。それよりも今はあいつだ」

 

 ルイスはエミリアを後ろに、守るようにしてエルザを睨んだ。

 

「黒髪に黒い装束、そしてくの字に折れ曲がった特徴的な刀。『腸狩り』のエルザ・グランヒルテだね」

 

「なかなか捕まらないって話のアレか。なら今日が『腸狩り』の命日って訳だ」

 

「大人しく投降すれば少なくとも今日が命日、なんてことにはなりませんが?」

 

「最高のステーキを前に餓えた肉食獣が我慢出来るとでも?」

 

 

 若干ニュアンスは違うが、ルイスとラインハルトはエルザに詰め寄ろうとする。が、二人は同時に足を踏み出した瞬間ピタッと動きを止めた。

 

「ルイス、君はエミリア様を守っているんだ。彼女の相手は僕が」

 

「いやいや、ここはエミリア様の従者として俺が敵を排除しないと」

 

「何を言っているんだ。そもそも先ほどの少女に助けを求められたのは僕だ。僕がやるのが当然だと思うけどね」

 

「お前今日非番なんだろ?なら一応仕事中の俺がやるほうが当然だ。一般人は下がってな」

 

 何故かバチバチと火花を散らす二人。

 スバルは自分の中で優しい爽やかイケメンだったラインハルトの人物像が崩れていくのを錯覚した。というより別人じゃないのかと思い始めた。

 

「なるほど、彼女よりも先に君と決着をつけなければならないようだね」

 

「そうだな、俺もそろそろお前と決着をつけたいと思っていたところだ」

 

「え、ちょ、おい……」

 

 いよいよ不穏な空気になってきたのでスバルは無謀にも二人を止めようとしたが、残念ながら止まる気配はない。

 いつの間にか二人は向かい合うような位置に立っており、スバルが入る余地はなくなってしまった。たが、そこでスバルはおぉ、と間の抜けた声を出した。

 

「見事に真逆の配色だな」

 

 今まで触れられていなかったが、ルイスの外見は青髪に紅い瞳、そして白を基調とした近衛騎士団の制服だ。それに対してラインハルトは赤髪に青い瞳、そして黒を基調とした私服。つまりはそういう事だろう。

 

「エミリア様もいることだから剣はやめておいてあげるよ」

 

「お優しいことだな。ならいつもの寸止め一本で勝負だ」

 

 ルイスがそう言うと二人は拳を握らないまま両手を胸の位置にまで上げて構えた。スバルが元いた世界でいうジークンドーの構えに似ている。

 組み手でもやるのか、とスバルは呑気に考えていた。あながち間違いではないが、生憎スバルが元いた世界の組み手とこの世界の組み手は次元がいくつか違っていた。

 

 合図はなかった。

 だが同時に足を踏み込み、全く同じ動作で二人は指先での突きを放った。そして二人の指先がぶつかる。ただそれだけで身体を飛ばされるような暴風がスバルを襲った。

 

「な、なんだ……!?」

 

 腕で顔を庇いながらスバルが見たのは目に見えないような速度で振るわれているため腕が無くなったように見えるルイスとラインハルトだった。

 目には見えないが、手がぶつかり合っていると思われるタイミングで何度も暴風か吹き荒れ、だんだん小屋の中身が崩れていく。

 手がぶつかり合うだけでこんな突風が発生するだろうか。スバルはもはや言葉を失った。

 

 10秒、20秒経ってもその攻防に決着はつかず、放っておかれてしびれを切らしたのかエルザはどこからか4本のナイフを取り出してそれを2本ずつそれぞれラインハルトとルイスに向かって投擲した。

 

「危ねえ!」

 

 組み手(?)に夢中になっている二人に思わずスバルは叫び、二人がやられる姿を思い浮かべてしまった。だが、そんな未来が訪れることはない。

 

 ラインハルトに向かった2本は不自然に軌道を歪め、残りの2本はルイスが人差し指と中指、薬指と小指で1本ずつ器用に挟んだ。そしてルイスが受け止めたナイフはエルザに投げ返された。

 

「なんかあの技漫画で見たことあるー!」

 

 スバルの声など関係なしに二人のぶつかり合いは激しさを増す。そして一拍の静寂を挟み、轟音が響いた。砂埃が舞い、何が起こったのかは分からない。

 

 徐々に砂埃が晴れ、そこでスバルが目にしたのは━━━

 

 ━━━お互いの眼前に指先を突き付けたラインハルトとルイス、そしてスバルやエミリアの背後のもの以外きれいさっぱり壁も何も無くなってしまった見るも無残な小屋だった。

 

 二人は腕を下ろし、互いに見つめて呟くように、しかし結構大きな声で言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「やるな」」

 

「やるなじゃねーよ!」

 

 思わずツッコんだスバルは悪くないだろう。

 

 

 その後、エミリアを襲おうとしたエルザはルイスに隣の小屋を軽く4、5ほど貫通する威力で蹴り飛ばされ、姿を消した。

 緊張の糸が切れたのかスバルは気絶した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最強の家系はどこか。そう聞いた時、返ってくる答えは主に二つ。

『剣聖』のアストレア家か『戦神』のゾルダート家である。

 しかし、最強の人間は誰か。そう聞いた時、返ってくる答えは一つ。

『戦神の加護』を持つ『戦神』には何人たりとも戦いで勝つことは出来ない。『戦神』に対抗出来ることが確認されたのは当代『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアのみである。

 当代『剣聖』と当代『戦神』は唯一のライバルとなり、勝負をしては引き分けを繰り返している。

 日々研鑽し合うその二人を人々は双璧と呼ぶ。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

屋敷での1日

 

 

 人間というのは楽な道と苦しい道があれば誰しも楽な方を選ぼうとする生き物である。

 働くか働かないかなら働かない。戦うか戦わないかなら戦わない。走るか歩くなら歩く。

 一部の働くことに生きがいを感じ、戦うことで快感を得、自分を追い込むことに喜びを感じるという人間を除けばそれはほとんど不変の定理である。

 それは多くの人々から信頼を集め、圧倒的な強さを持つ者でも変わりはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「調理場、調理場っと」

 

 ここはメイザース領のロズワール邸。ルイスの主人であるエミリアが住む屋敷である。

 ルイスがここを訪れたのは昨日の夜であるが、既に我が家のように調理場の扉を開けていた。

 

「とりあえずリンガ一つ貰っていくか」

 

 調理場の入り口すぐの皿の上に無用心にも置いてあるリンガを手に取り、軽く投げ上げる。

 そしてどこからかフォークを取り出して一閃。

 するとルイスが丁度良い大きさの皿を構えたところに一口大にカットされたリンガが着地した。

 

「うん。美味い」

 

 リンガの欠片の一つにフォークを突き刺し、遠慮なく口に放り込む。

 当然のように行っているが実はこの男、許可なく勝手に食っているだけである。

 状況だけ見れば盗人と変わらないが、「ロズワールが我が家のように過ごしていいって言ってたから別に事後報告でも良いよね」とは本人の言だ。

 つまり、腹が減ったから食う。ただそれだけの事であった。

 

 ルイスはリンガが乗った皿を持ち、フォークを咥えたままで調理場を後にした。残りのリンガは自室として与えられた部屋で食べるつもりなのだ。

 しかし、自室に戻っている途中のルイスは少しして足を止めた。

 

「あ、そう言えば朝食の時間とか決まってるのか聞くの忘れたな」

 

 それは他の人間からすればそれほど大切なことではなくてもルイスにとっては大切なことだ。仕事以外の時間はほとんどをぐうたら時々修練に費やしている彼には食事というものは欠かすことの出来ない一大行事である。

 

「確かエミリア様の部屋はこの辺りだったはず……」

 

 思ったらすぐ実行が彼のポリシーである。

 ルイスは手当たり次第に幾つも並んだ扉を開け始める。

 そして物置、書斎、トイレなどのハズレ部屋を経て彼はついにその部屋を見つけた。開けた扉のすぐ近くに彼のご主人様ことエミリアがいたのが目に入ったのだ。

 

「あー、エミリア様。この部屋にいたんですか。ちょっと食事のことで聞きたい事があってですね……」

 

 そこまで言ったところでこの部屋の中にエミリア以外の人間もいることに気が付いた。

 エミリア以外の人間は合計三人。その内の二人はメイド服を着ていることから事前にロズワールから説明されていた双子でメイドの二人なのだろう。

 そしてもう一人はラインハルトがスバルと呼んでいた人物。盗品蔵でのエルザ戦の後に無様にも気を失った男であった。なんでも、その男がいなければエミリアはエルザに首を切り落とされ、ルイスとラインハルトに助けを求めた金髪の少女を逃がすことも出来なかったとのことで無下にも出来ずこの屋敷まで運ぶことになったのだ。

 

 双子メイドはお互いを指差してエミリアの方を向き、

 

「聞いてください、エミリア様。あの方に酷い辱めを受けました、姉様が」

 

「聞いてちょうだい、エミリア様。あの方に監禁凌辱されたのよ、レムが」

 

「……ん?」

 

 とてもメイドから発せられることがないような単語を聞いてリンガを口に運ぶルイスの手が一瞬止まる。

 

「ラムもレム遊び過ぎないの。それで、食事で聞きたい事って………それよりそのリンガはどこから持ってきたの?」

 

「ああ、これは腹が減ったから調理場で貰ったやつですよ。もしかしてエミリア様も欲しかったり?それならそうと言ってくれれば」

 

 そう言いながらルイスはリンガの欠片の一つにフォークを突き刺す。そしてそれをエミリアの口元に運んだ。

 

「あ、いや、別に欲しかった訳じゃなくてね?本当にどこから持ってきたのか気になっただけなの」

 

「なんだ、俺のはやとちりか。恥ずかしー」

 

 少しも恥ずかしさを感じさせない涼しい顔でルイスはエミリアの口元まで運んだリンガを自分の口に放り込んだ。

 それからもう一度聞きたい事を聞こうとするルイスを見つめる瞳が四つ。

 

「聞きましたか、姉様。騎士様ともあろう者が盗みをはたらいたようですよ」

 

「聞いたわ、レム。まったく騎士の風上にも置けない男ね」

 

 先ほどスバルに向けられていたものが今度はルイスに向けられた。

 

「なんだ、お前らも食いたい感じ?」

 

 ルイスは新しくリンガを刺したフォークを「ほれほれ」と双子に向ける。

 双子はあからさまに嫌な顔をするが、怯むことなく更に近付ける。

 

「お止めになって下さい、騎士様。そのリンガは姉様にこそ相応しいです」

 

「お止めになって、騎士様。その食べかけの汚ならしいリンガはレムが欲しているわ」

 

「擦り付け合うなよ。あと騎士様じゃなくてルイスでいいから……って汚ならしくないわ!」

 

 まだ口をつけていないリンガの欠片を汚ならしい物扱いされてつい声を荒げる。

 人が親切に分けてやろうというのに何という反応だろうか。

 

「はぁ、スバルだったか。お前食うか?」

 

「いや、男同士のあ~んとか誰得……?」

 

 一部何を言っているのか分からなかったが、明確に拒否されたことだけは分かった。

 悲しくなったのでルイスはまたもや自分の口にリンガを放り込んだ。

 

「エミリア様、ちょっと食事のことで聞きたい事があってですね……」

 

「なかったことにしましたね」

 

「なかったことにしたわね」

 

「……朝食の時間とか決まってたりしますかね」

 

「朝食まではまだ少し時間があると思うけど、お腹が空いてるなら早めてもらう?」

 

「それは大丈夫です。時間が決まってるんなら俺は食事まで部屋で待機しとくので時間になったら呼びに来て下さい」

 

 返事を聞かずにルイスは部屋を出ていった。

 

「……で、何?今の」

 

 シーンとした空気の中スバルが口を開いた。

 

「昨日から私の騎士になったルイス。悪い子じゃないんだけどね、どこか抜けてるっていうか」

 

「へ、へぇ……」

 

 それ君が言うか?という言葉は人知れず飲み込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数十分後。

 スバルはエミリアと二人でロズワール邸の庭へと降り立ち、スバル直伝の『ラジオ体操』をして汗を流していた。意外にもエミリアと契約している猫型精霊のパックもノリノリで踊っていた。

 その後はエミリアが精霊との契約がなんたらとスバルにはよく分からなかったので、少し離れた場所に腰を下ろして眺めていた。

 

「精霊、か……」

 

 エミリアの周りが僅に光っているのを見てスバルが呟く。それは虚空へと吸い込まれるはずだった。

 だが、そこで誰かがスバルの肩を叩いた。

 

「よ、さっきぶり」

 

「ルイス、さん?」

 

 肩を叩いたのは自分の部屋に戻ったはずのルイスだった。

 

「ルイスでいいよ。あと敬語も。堅苦しいのは無しで」

 

「あ、ああ。分かった」

 

 スバルの返事を聞くと、ルイスはスバルの隣に腰を下ろした。手には先ほどと同じような皿が乗せられていた。皿の上にはやはりリンガ。しかし、先ほどよりも量が増えているような気がしないでもない。

 

「スバルもいるか?今度はちゃんとフォークも二本ある」

 

「じゃあお言葉に甘えて」

 

 スバルはリンガを口に放り込む。そしてシャキシャキとした食感を楽しみながら頭上に「?」を浮かべた。

 

「朝食まで部屋で待機してるんじゃなかったのか?」

 

「……」

 

 痛いところを突かれたというようにルイスは黙った。今彼の頭の中ではほんの数分前のラムとの会話が思い出されていた。

 それはルイスが自室で寝転がりながらリンガを食べていた時のこと。

 

『掃除の邪魔よ。どきなさい、イス』

 

『もう少し丁寧に言えないのかよ……は?椅子!?』

 

『食料を盗んで部屋で惰眠を貪っているようなやつなんてイスで十分だわ』

 

『いやいや、椅子はさすがに酷いだろ』

 

『そうね。確かに椅子が可哀想だわ』

 

『おい』

 

 仮にも騎士に向かって言うようなことではない。

 プライドが高い人間なら斬りかかって来てもおかしくないぐらいだ。スバルが寝ていた部屋での一瞬のやり取りでルイスがそのような人間ではないと見抜いたなら大したものだが。

 結局、その後レムに許しを得てリンガを追加して今に至る。

 

「ま、まぁ、色々あってだな」

 

 さすがにスバルにまで舐められるのは勘弁してもらいたいのでラムとのやり取りは伏せることにした。

 

「色々?」

 

「とにかく!俺も一端の騎士として修練に励まなければならない。という訳でスバル、俺の修練に付き合ってほしい」

 

「いやいやいや、無理無理」

 

 スバルは盗品蔵でのルイスとラインハルトの組み手(?)を思い出して全力で拒否した。

 素手で、しかも組み手の余波だけで蔵を壊すような化け物を相手に出来るほどスバルの身体能力は高くない。

 

「なにも打ち合いの相手をしてくれって言ってる訳じゃない。このフォークで少ーし刺させてくれればいいのだよ」

 

「なるほどフォークで……ってなんでそうなる!」

 

「治癒魔法の練習をしようとしただけだ」

 

「いや自分でしろよ!」

 

 スバルの思わぬ反論にルイスはやれやれと首を左右に振った。

 

「俺はエミリア様の傷を治せるように治癒魔法を習得しようとしてるんだぞ?自分にやっても意味ないだろ。第一、俺は傷負っても勝手に治るから練習する暇がない」

 

「勝手に治る?」

 

「ああ」

 

 ルイスはリンガに刺したフォークを抜き、刺す部分を上にして握った。そして躊躇いなくそれで自身の腕を切り付けた。

 決して少なくない量の血が流れるが、次の瞬間何もしていないのに傷が小さくなっていった。

 傷が完全に塞がると、それを無言でスバルに見せる。

 

「マジかよ」

 

「そういう訳で頼めるのはスバルしかいないんだよ」

 

「いやでも……エミリアたんは治癒魔法みたいなの使ってたしルイスは回復系よりも攻撃系の方が良いんじゃないかなあ」

 

 何とか逃れようとするスバル。ルイスはため息をつき、ロズワール邸の敷地の外である森に視線を向けた。

 

「アルヒューマ」

 

 ルイスが呟くように言った直後、空中に無数の氷塊が出現した。そしてその氷塊は森へと吸い込まれた。

 氷塊が木々に激突すると同時に轟音が響き、煙が上がる。

 煙が晴れた先にスバルが見たのは抉られクレーターのようになった地面と幹が折れ、辛うじて残った切り株のようになってしまった木々の残骸だった。

 

「一応攻撃の魔法は実戦で使えるレベルにはしてある。とは言え、ラインハルト相手だと……」

 

 先ほどと同じような無数の氷塊がもう一度現れた。だが今度はルイスやスバルからも距離が離れた場所で、しかも鋭利な先端はこちらを向いている。

 まさか……とスバルが冷や汗を流すと氷塊の群れはスバルの予想通り自分たちがいる方向へ飛んできた。

 背後には屋敷がある。たとえ避けられたとしても屋敷に甚大な被害をもたらすことは想像に難くない。

 

 飛来する氷塊にルイスはフォーク一本を構えて立つ。そして━━━

 

 

 ━━━無数の氷塊の群れ全てを粉々に撃墜した。

 

「こうなるからあまり意味なかったけどな」

 

 先ほどルイスの傷が治ったのはルイスが大気中のマナを集めやすい体質だからであり、それは鬼族が鬼化した時のマナ収集能力を上回る。

 ラインハルトは本気を出せばマナが殺到し、周囲の者は魔法の使用が出来なくなる。しかしそれはルイスも同じ。普段でも傷が勝手に治るほどにはマナを集めているが、本気を出せば更にマナ収集能力は高くなる。

 本気のルイスと本気のラインハルトがぶつかれば、大気中のマナはその二人に二分される。故に本気のラインハルトの前で魔法を使用出来るのはルイスだけである。

 ラインハルトには魔法の適性がないので、魔法が使えるのは有利なことじゃないのかと考えたルイスは一時期魔法の修練に勤しんでいたが、結果は今の通りである。ラインハルトほどの実力者ならば氷魔法の中でも最高位に位置付けられる『アルヒューマ』でさえも純粋な剣撃で退けられる。

 

「……昨日も思ったけどお前ら相当化け物だな」

 

「それは否定しないけどな……あ、やっちまった」

 

 ルイスの手の中にあるフォークを見ると突き刺す部分が様々な方向を向いており、何かに潰されたようにひしゃげていた。

 

「こりゃ、またラムに何か言われるな」

 

「その腰の剣使えばよかっただろ」

 

 スバルは私服の上からもしっかりと提げている剣を指差して言った。

 

「これはな、俺の家に代々伝わる神剣で抜くべき時にしか抜くことは出来ない」

 

「そうだったのか……」

 

「とかだったら面白かったんだが、特に制限とかは無いからそういう設定にしている」

 

「……」

 

「神剣っていうのは本当だぞ?」

 

「なんかお前のキャラ分かってきたわ。お前アレだろ。強いだけのバカだろ」

 

「すごい音がしたけど、何かあったの?」

 

 スバルがルイスを馬鹿だと断定してから精霊との誓約を済ませていたはずのエミリアが登場した。

 

「少しスバルに魔法を見せてただけですよ」

 

「あなたが魔法?ちょっと私も見たいかも」

 

 エミリアの前でルイスが魔法を使ったことがないからか目を輝かせるエミリア。しかし、周囲を見渡した後「あー!」と声を荒げた。

 

「森があんなに……こんなことしちゃダメじゃないの!」

 

「でも、ほら屋敷の外ですし」

 

「あの森もロズワールの領地よ」

 

 ロズワールの領地だと聞いてそう言えばそうだったとルイスは顔を掌で覆った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、久しぶりだーぁねぇ、ルイスくん。変わってないようでなによりだよ」

 

「そっちも相変わらずの道化っぷりで」

 

 ルイスの前にいるのは顔に白塗りのメイクを施してピエロの格好をしている大男ロズワール・L・メイザース。亜人趣味の変態などと呼ばれている変わり者である。

 

「それはそうと君、私の領地の森を破壊してくれちゃーぁったみたいで」

 

「ちょっとだけだろ」

 

「いーぃや、ちょっとでも私の領地には変わらない。領主とーぉしては何か償ってもらわないとねーぇ」

 

 そう言ってロズワールはポケットの中をゴソゴソと探る。そして取り出したものは━━━

 

 ━━━猫耳だった。

 紛うことなき猫耳アクセサリーだった。

 しかもルイスの髪の色と合わせて青色になっている。

 

「君にはこれをつけてもーぉらおうか」

 

「変態だとは思ってたが、まさかこれほどだったとは」

 

「親睦を深めるにはこれがいいと聞いたんだけどねーぇ」

 

「誰から聞いた?」

 

「君の同僚のフェリスくんだったかなーぁ」

 

「あいつかよ」

 

 ルイスの脳裏には度々思わせ振りな行動をする猫耳男の娘がウインクをしている姿が浮かんだ。

 

「ささ、はーぁやく」

 

「付けるか!」

 

「付けないと君の朝食は抜きになーぁるよ」

 

「くっ……卑怯な」

 

 ルイスとロズワールがコントを繰り広げる中、少し離れたところでそれを眺める二人。その内の一人スバルはもう一人であるエミリアに呟くように言った。

 

「なにあれ」

 

「この屋敷の主人のロズワールよ。あんなのでもルグニカ王国の筆頭宮廷魔術師なの。それにしても、二人ともとっても仲良しなのね」

 

「仲良し……なのか?」

 

 数分後、頭に猫耳を付けた青髪の騎士が食事をしている姿があった。

 背に腹は変えられなかったらしい。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

使用人での1日

 

 

 

 まだ二日目であるが、エミリアに仕えることになった『戦神』ルイス・フォン・ゾルダートにとってロズワール邸での生活は悪いものではなかった。

 騎士といってもエミリアの身を危険にさらすような輩がそう頻繁に現れる訳ではないので仕事は多くない。仕事以外の時間は自由にして良い。自身の鍛練に費やしても良いし、自堕落な時間を過ごしても良い。

 食事の時間は皆揃って食べることになっており、個性的な人物が多いので退屈しない。

 仕入れ先の違いからかロズワール邸のリンガは地味に美味しい。

 これ程の良い環境があるだろうか。いや、そうはないだろう。ルイスはこの職場を紹介してくれた父親に感謝しつつ今日も惰眠を貪る……つもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 始まりはエミリア様の悪意ない一言から始まった。

 

「何もすることがないと暇よね?だからスバルたちに交ざってきたらどうかと思ってラムに話してみたら快く了承してくれたの」

 

 何やってくれてんだ。

 大声で叫びたい衝動に襲われたが、善意100パーセントの笑顔の前でそれは出来なかった。

 しかし、俺は考えた。ここでデキるやつだということを見せればラムもあの俺を舐めたような態度を改めるのでは?と。

 そうと決まればやる気も出てくるというものだ。

 俺はラムやレムが呼びに来るまで待つことにした。寝転がりながら。

 

「起きなさいイス。エミリア様から話は聞いているわ。早く仕事に向かいなさい」

 

「ついに来たな。フッ……俺の仕事ぶりを見せてやろう」

 

「忘れ物よ」

 

 俺を無視してラムは昨日の猫耳アクセサリーを取り出した。

 

「なんでお前が持ってるんだよ」

 

「ロズワール様から預かったのよ。仕事中はこれを付けるようにとね」

 

 ロズワール……俺に何か恨みでもあるのか。

 いや、そもそもの原因はフェリスだ。あの猫耳思わせ振り女男、今度会ったら許さん。

 

「それで?俺はまず何をすればいいんだ?」

 

「イスというよりは犬ね」

 

「そ・れ・で?俺はまず何をすればいいんですかねぇ?」

 

「ようやく先輩への口のききかたが分かってきたようね」

 

「話聞けよ」

 

 ダメだこいつ。話が致命的に噛み合わん。

 ラインハルトとかなら話が通じるまで頑張るだろうが、俺はそこまで我慢強くないので他の人間を探すことにした。具体的にはレム。スバルでもいいが、ロズワールはダメだ。

 

「どこに行くつもり?」

 

「レムかスバル辺りを探しに」

 

「レムとバルスなら買い出しに行っているからいないわ」

 

「なんだと……!」

 

 つまり、今この屋敷にはエミリア様とロズワール、そしてこいつだけと。そう言えばベアトリスとかいう精霊もいたが、どこかに籠っているらしいので当てには出来ない。

 エミリア様はもちろん、ロズワールに仕事のことを聞くなど不可能だ。ならば頼れるのはラムしかいない。

 詰んだなこれ。

 

「下らない事してないで早く仕事に取り掛かりなさい。今の内にラムの仕事を終わらせるのよ」

 

「その仕事が何をすれば良いか分からないから聞いてるんだが?あとお前それが本音だろ」

 

「最初は昼食の調理からよ。でも直接ロズワール様が口にするものだから犬……いえイスは見てるだけでも良いわ」

 

「それは俺の料理が下手だと言ってるのか?だとしたらそれは検討違いもいいところだと教えてやるよ」

 

 確かに俺は自分から家事をすることはないが、料理ならば一度ラインハルトと勝負した事がある。

 その時は先にラインハルトの料理が完成したと聞いたので見てみると王直属のシェフ並みの料理が出てきたので俺の料理は腹が減ったから食ったという理由でその勝負は有耶無耶にした。後から料理に関する加護を持っていると聞き、納得したものだ。

 俺の見立てでは料理でラインハルトに勝てる人間はそうはいない。つまり、俺の料理がラインハルトより劣っていたとしてもそれは料理下手だという理由にはならない。

 

「ラムに料理で勝つつもり?いくら強くても料理と戦闘は違う。侮ってもらっては困るわ」

 

「俺も侮ってもらっては困るな。長年修練を積んできた俺の包丁裁きを見て驚くなよ」

 

 剣も包丁も同じ刃物だし大丈夫だろ。

 作り方もラムのやり方にちょっとアレンジを加えるぐらいでいい。俺の考えでは料理に失敗する人間というのは自分勝手に食材を追加したりするのだ。つまり、使う食材などで間違えなければ失敗することはない。

 そう、途中までは同じようにやっていれば良いのだ。

 

「よし、お前の得意料理で勝負だ」

 

「よりによってラムの得意料理で勝負?そんなものラムの圧勝で終わりね」

 

「そう言っていられるのも今の内だけだぞ。それで、お前の得意料理はなんだ?」

 

「何を隠そう、ラムの得意料理は蒸かし芋よ」

 

 蒸かし芋……蒸かした芋だな。よし、それなら俺も食べたことがあるし知っているぞ。

 ……あ、蒸かすってどうすれば良いんだっけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんで昼飯が芋だけなんだ?」

 

 エミリアやロズワール、ベアトリスと屋敷にいる約半分の面子が気まずい雰囲気で黙る中、空気読めない系男子のスバルが一番に口を開いた。

 何故このような空気になっているかと言えば、食卓に並んでいるものが原因だ。

 

「無謀にもこのイスがラムに勝負を仕掛けてきた結果よ」

 

「いや、意味が分からん」

 

 食卓に並んでいるもの、それは芋。それも芋丸々の大きさのものと一口サイズに切り分けられたものこ二種類だけだ。

 

「俺の料理とラムの料理どちらが上かを決めてもらおうと思ってだな」

 

「料理っていうかただの芋じゃん」

 

「ただの芋じゃない。蒸かし芋だ」

 

「それはまあ、見たら分かるけどさ」

 

「俺が戦いだけの戦闘バカじゃないという事を証明するためにラムの得意料理を俺も作ったっていう訳だ」

 

「なーぁるほど。じゃあまずはラムが作った方から頂こうかな」

 

 最初にロズワールがラムの作った蒸かし芋を口に運んだ。僅かに湯気が出ているが、熱そうな素振りは見せない。

 それを見たスバル、エミリアも続いてラムの蒸かし芋を口に運ぶ。最後にベアトリスもラムの蒸かし芋を口に運んだ。

 

「おぉ、なんとも絶妙な塩加減。こりゃ、上手い!」

 

 スバルの絶賛を聞いてラムはルイスにドヤ顔を向けた。

 

「ま、まぁ、得意料理が不味かったらどうするって話だからな」

 

「ラムの蒸かし芋は相変わらず美味だーぁねぇ。さてさて、ルイスくんの方はどーぉかな?」

 

「食べやすいように一口サイズに切ってるところとか俺的に高得点」

 

「たーぁしかに食べやすい配慮ではあるねぇ。でも味の方はどうかねぇ」

 

 ラムの蒸かし芋を置くと、今度はルイスが作った一口サイズ蒸かし芋を口に運ぶ。

 スバル、エミリアもそれに続く。しかし、全員口に入れて少しすると固まった。

 

「これは……」

 

「砂糖入れすぎだろ」

 

 ロズワールに続いてスバルが口を開く。

 それを聞いてルイスはあからさまに驚いたような顔をした。

 

「まさか……塩と砂糖を間違えただと……!?」

 

「こんなテンプレみたいな間違いするやつ初めて見たぞ」

 

 ルイスは蒸かし芋に使う塩を砂糖と間違えてしまったのだ。蒸かし芋に砂糖を使う事もあるだろうが、砂糖とは用途も量も違う。使う事があるといっても、使い方を間違えれば上手い料理にはならない。

 

「くっ……こんな時ラインハルトの加護があれば……!」

 

「加護?加護って何よエミリアたん」

 

「加護は加護よ。本当に知らないの?」

 

 スバルには加護という単語が気になったらしい。

 エミリアは知っていて当然という風に聞き返すが、スバルは本当に知らないようだ。

 

「加護っていうのは……」

 

「加護ってのはな、生まれた時に天から授かる祝福みたいなもんだ」

 

 ルイスかエミリアの言葉を遮って答える。

 

「それじゃあラインハルトは料理がめっちゃ上手くなる加護とか持ってたり?」

 

「あいつが持っている加護の名は『塩の理の加護』。効果は塩と砂糖を間違えることがない!」

 

「天の祝福しょぼ!持ってても嬉しくねー!」

 

 まさしくスバルの言う通りであるが、今のルイスには必要なものであった。

 

「ハッ、やはり勝負にならなかったようね」

 

「こんなはずじゃ……!」

 

「あはぁ。仲が良いようで何よりだよぉ」

 

 やれやれと見下すラムと地面に四肢をついて悔しがるルイス。本人たちは本気なのかもしれないが、端から見ればただの仲良しである。

 

「でもほら、失敗から新しいものか生まれる事もあるし、失敗は悪い事じゃないと思うの。失敗しても次頑張れば今度は失敗しないかもしれないし」

 

「ぐはっ」

 

 ここぞとばかりに失敗を連呼するエミリア。ルイスには効果抜群だ。

 

「エミリアたん、多分それフォローになってない」

 

「え!?」

 

 その昼食の間、猫耳を付けた美形の男が悔しがりながら芋をかじるというなんともシュールな光景が広がっていたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よーし分かった。確かに俺は料理が少し、ほんの少ーし下手かもしれないが、他では俺が勝つぞ」

 

「言ってなさい。掃除洗濯はラムの得意分野よ」

 

「フッ……掃除洗濯でこそ俺の真価が発揮されるのだ」

 

 ラムとルイスの二人が庭で箒を構えて向かい合う。

 二人が行おうとしているのは庭の掃除。主に落ち葉などを集めるのが仕事だ。

 先ほどラムに勝負を挑んで惨敗したルイスであったが、気を取り直したのか自信満々だった。

 

「ここから屋敷の向こう側の丁度半分の位置までどっちが多く早く落ち葉を集められるか勝負だ」

 

「何度挑んできても無駄よ。格の違いを思い知らせてあげるわ」

 

 火花を散らす二人。

 手に持っているのが箒ではなく真剣であったなら、一触即発という言葉を連想するだろう。しかし二人か手に持っているのは箒、それも竹箒だ。

 この状況からそんな野蛮な言葉を浮かべる人間は恐らくいない。

 

「はいスタート!」

 

 突然ルイスが声をあげて竹箒を振り上げる。

 

「長年剣を扱ってきた俺の技を見よ!秘技・風圧落ち葉集め!」

 

 ルイスが振るった箒は風を起こし、地面に散っている落ち葉を空中へと巻き上げる。

 

「なんて安直な名前なの……いいわ。そっちがその気ならラムにも考えがあるわ」

 

 ルイスが剣技(?)を披露し始めてもラムは立ち止まったままだ。それどころか箒の先端を空へ向けて地面を突く。

 しかし、ラムは勝負を諦めた訳ではない。むしろ勝つ気しかない。

 箒を持っていない方の手を開いた状態でルイスとは逆の方向に向ける。

 

「フーラ!」

 

 力強く発せられたそれは魔法の詠唱だった。

 ラムの得意とする風魔法による突風が落ち葉を運ぶ。

 

「はぁ!?魔法使うのかよ!」

 

「勝負は勝負。勝てばそれで良いのよ」

 

 ラムがドヤ顔で言い放つ。

 ルイスは一応箒一本で落ち葉を集めている。それに対してラムは魔法を用いた。はっきり言って大人げない。

 そこまでして勝ちたいかと第三者が見れば言うだろうが、本人はそこまでして勝ちたいらしい。

 ラムの魔法で発生した風が更に落ち葉を集め、先に始めたルイスと同じぐらいの量が宙に巻き上げられた。

 

「ラムに勝とうなんて100年早いわ」

 

「自分だけ魔法使ってるやつの台詞じゃねぇ!」

 

 ルイスは落ち葉を運ぶ速度を上げ、ラムも追いかけるように速度を上げる。片方が速度を上げてはもう片方が追いかける。

 とはいえ、ルイス振るっているのはただの箒だ。特別な加工が施されている訳ではないので強く振り過ぎると簡単に折れる。絶妙な力加減が必要なのだ。

 

「こんな事なら風魔法も訓練しとけば良かったか……」

 

 普段ラインハルトと素手や木剣でばかり戦っているのであまり知られていないが、実はルイスはロズワールほどではないが全属性の魔法に適性があったりする。が、訓練したのは水魔法の派生である氷魔法のみ。何故かと言えば、その理由はやはりラインハルトにある。

 ラインハルトは数多の加護を持つが、その加護の中には火・水・風・土・陰・陽のそれぞれの属性に対して魔法を軽減するというものがある。つまり、六属性どの魔法を使ったとしても効果を軽減されてしまうのだ。

 しかしここでルイスは考えた。氷魔法ってその加護抜けれるんじゃね?と。その考えに従ってルイスは他の魔法に見向きもせず、氷魔法だけに修練を行った。

 結果は昨日スバルに説明した通りだったが、そもそもルイスが使う氷魔法は水魔法の派生なので大元は水魔法という事になり、ラインハルトの加護を出し抜く事は出来ないであった。

 

 ルイスとラムそれぞれが半分、つまり屋敷の周りの四分の一までの落ち葉集めが終了した。残りは半分だ。

 

「このままじゃまずいな」

 

 今のところ庭掃除の進捗率は二人ともあまり変わらないが、ラムは魔法使用で箒に傷がないのに対して魔法なしのルイスの箒には所々傷が付いている。このまま無茶に扱い続ければ折れてしまうかもしれない。

 

「こんな時のためにもう一本持って来てて良かったぜ」

 

 ここは流石デキる男を自称するだけある。ルイスは何を思ったのか自分用の箒を二本持って来ていた。

 もう一本の箒はこの競争のスタート地点に置いてある。そこまで取りに行くのは時間が勿体無いように感じるが、今使っている箒が折れた時の事を考えればそうも言っていられない。

 ルイスはもう一本の箒の元へ走った。全力を出せば一瞬でたどり着けるが、今は近くに苦労して集めた落ち葉の山がある。かなり手加減して走った。

 そしてもう一本の箒を回収すると先ほどまで使っていた箒と新しい箒をそれぞれ左右の手に持った。

 

「二刀流、つまり二倍速!」

 

 二本の箒を振るうと威力の増した風が落ち葉を運ぶ。

 少しラムに先を行かれてしまったが、この調子で行けば追い越す事も難しくないだろう。

 

「箒を二本も使うなんて……卑怯な」

 

 魔法まで使っておいてどの口が言うのか、箒を二本扱うルイスの姿を見たラムは呟いた。

 スタート地点の反対側でお互いの姿が見えるという事はゴールに設定している地点まで残り僅かという事だ。そこで相手が速度を上げれば当然焦る。

 ラムは力強く言った。

 

「エルフーラ!」

 

 それは風魔法は風魔法でも今までラムが使っていたフーラの一段階上に位置する風魔法の詠唱だった。

 そこで発生した突風はもはやつむじ風だった。大量の落ち葉がつむじ風に吸い上げられ、ラムは走ってそのつむじ風を追いかける。

 それを見たルイスは最初から使っていた竹箒の先端がほとんどなくなり、ただの棒のようになった事など気にせずに振るう速度を上げた。

 

 残りはそれぞれ自身のコースの四分の一。

 最初から使っていた箒が根元から折れた。

 

 

 残りは八分の一。

 二本目の箒もただの棒になった。

 

 

 そして二人がほとんど同時にゴール。

 二本目の箒も根元から折れた。

 

「俺の勝ちだ」

 

「ラムの勝ちよ」

 

 ドサッと落ち葉の山が着地する。とてもたった二人、この短時間で集めたとは思えない量だ。素晴らしい仕事ぶりだと言えるだろう。二人がいがみ合っていなければ。

 

「俺の方が早かっただろ」

 

「ラムの方が早かったわ」

 

 お互いに勝利を譲ろうとしない。

 退屈しなかったし、早く終わったし万々歳。では終われない様子だ。

 

「お前、魔法に集中し過ぎてちゃんと見てなかったんだろ」

 

「そっちこそ箒を壊すのに必死で前を見てなかった……んじゃ…………」

 

 いつものように嫌味を言おうとしたラムだったが、突然身体の力が抜けて地面に膝をついた。

 

「おい、どうした?」

 

「少し……マナを…………使い過ぎたわ」

 

 ラムは力なく地面に座り込む。自力で立ち上がれそうな雰囲気ではない。

 

「俺は立っててお前は立ってない。つまり俺の勝ちだな!」

 

「後で……覚えてなさい」

 

 結局ルイスがラムをおぶってロズワールのところまで連れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何か言い訳はあるかい?」

 

「「すみませんでした」」

 

 数十分後、ルイスとロズワールにマナを補充してもらったラムは長時間正座を強いられていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

騎士団の1日

 

 

 このロズワール邸では朝から突然何かを言うきまりになっているのだろうか。

 最初はロズワール、次はエミリア。そして今日はルイスの番であった。

 

「王都に行こうと思うんだが、竜車あるか?」

 

「そんな急に言われて用意出来る訳ないじゃない。馬鹿なの?」

 

 竜車を引く地竜というのはなかなかに貴重な生物である。行商人や貴族などは自前の地竜を飼っていることも多いが、一国民がそう易々と手に入れられるものではない。

 ここロズワール邸の主ロズワールは変態とはいえ一応貴族であるが、自前の地竜はいない。滅多な事では遠出をしないのでその都度借りた方が安く済むし、労力も掛からないからだ。

 

「はー、じゃあ走って行くしかないのか」

 

 予想通りの答えだったからかルイスは特に落ち込むこともなく平然と言った。

 

「は、走っ……!?竜車で半日以上かかる王都まで走って行くつもりなの?」

 

「地竜がいないなら仕方ないだろ」

 

 これには冷やかしついでにルイスの部屋を掃除しに来たラムも驚くしかなかった。と言うよりもはや呆れてすらいる。

 それも当然だ。王都へ中継無しで行くには地竜の中でも遠距離用の地竜でなければならない。それ以外の地竜が王都まで休憩無しで行こうとすれば身体がもたない。そろほどの距離があるのだ。

 

「……走って行くって言っても何日かけて行くつもり?休憩も必要だし三日ぐらい?それとも二日?まさか一日で行くなんて言うんじゃないでしょうね」

 

「一日もかからんよ。一時間ぐらいで着く。まぁ、本気出せばもっと早く着くと思うけどな」

 

「…………もう好きにしなさい」

 

 ラムは考えるのを放棄した。

 

 普段は部屋でゴロゴロしたり何かとバカをやるようなどうしようもない男であるが、こんなのでも『戦神』と呼ばれる人間である。当然、身体能力その他も普通の人間とは一線を画する。

 

「ロズワールとエミリア様どこにいるか知ってるか?」

 

「ロズワール様は自室、エミリア様は庭にいらっしゃるわ」

 

「そっか、助かった」

 

 よっこいしょ、とルイスは立ち上がり、部屋を後にした。

 向かう先はエミリアのいる庭だ。変態よりも主人の方が大切なのは当然である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とりあえず何日かは向こうにいると思うんで」

 

「うん、気を付けてね」

 

 エミリアとロズワールに王都へ向かう旨を伝え、簡単に用意を済ませて仮眠をとって今に至る。

 ルイスは何も王都へ遊ぶために行く訳ではない。所属する近衛騎士団からの召集に応じるために行くのだ。召集の内容は近衛騎士団の定例集会である。

 本当はこのロズワール邸に来る前から日時は伝えられていたのだが、その定例集会が始まる時間までもうあと一時間半ほどしかない。ルイスの計算では王都まで一時間で着くので間に合わないという事態にはならないだろうが、計画は杜撰だと言わざるを得ない。

 

「なんか腰の剣三本に増えてるじゃん。口に咥えて三刀流でもすんの?」

 

「一本は前言った神剣であとの二本はラインハルトとの模擬戦用に家から持って来た業物だ。あいつ普段レイドしか持ち歩かんからな」

 

「え、お前ら真剣で戦うの?普通木剣とかじゃねぇの?」

 

「手加減に手加減を重ねた打ち合いなら木剣でも良いけどちょっと力を入れたらすぐ壊れるからな」

 

 スバルに嬉々として語っている事から分かるかもしれないが、ルイスが王都へ行く目的は近衛騎士団の定例集会だけではない。遊ぶために行く訳ではないが、遊ばない訳ではない。

 ラインハルトとの模擬戦は普通好んで動こうとしないルイスにとって数少ない楽しめる運動である。定例集会のようなものがあった時は大抵ラインハルトと模擬戦を行っている。自然とテンションも上がるというものだ。

 

「でも何日もエミリアたんの元離れても良いのか?王都ってここから半日ぐらいかかるって話だし、そんなでも一応騎士なんだろ?」

 

「大丈夫だよ。エミリア様にはこれを渡してる」

 

 ルイスは近衛騎士団の制服の懐からガラス玉のような物を取り出した。

 

「なんだそれ」

 

「これは二つで対になっていて片方が破壊されるともう片方も崩れるようになってる。緊急の時はそれを合図に呼んでもらう。まぁ、そうでなくてもお前がエミリア様を守ってやってくれよ」

 

「あ、お、おう!」

 

「もう!私も黙って守られるほど弱くないんだから!」

 

「分かってますって」

 

 ぷりぷりと怒るエミリアをなだめ、屋敷近くの村、そして王都へと繋がる道へと向き直る。

 

「いってらっしゃいませ、ルイスくん」

 

「もう帰って来なくても良いわよ、イス」

 

 背後からは双子メイドからの見送りが聞こえる。

 ルイスは何度か調理場からリンガを貰っている内にレムとも少し親しくするようになった。ラムは相変わらずであるが。

 

「こら、ラム。そんな事言っちゃだめでしょ?」

 

「はい、エミリア様」

 

「じゃ、行ってきますよ」

 

 足に力を入れ、地面を蹴る。それだけでルイスの身体は一瞬で加速した。

 目にも止まらぬ速度で駆け出し、その身体はすぐに見えなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 近衛騎士団の定例集会は何事もなく終了した。

 内容としては魔獣関係などほとんどいつも通りのものであった。いつもと違った点があったと言えば、ラインハルトが五人目の王選候補者を見つけたという事ぐらいだ。

 五人目の王選候補者が見つかったのはかなり重大な事なのだが、ルイスにとってはそこまで重要な事ではなかったのか、途中立ったまま寝ていた。

 ルイスが定例集会で寝ているのはいつもの事なので重要な事ではないと思ったのではなく、ただ聞いていなかったという可能性も高いが。

 

「ラインハルト、模擬戦だ、模擬戦」

 

「いいだろう。特別練兵場の使用の許可は?」

 

「まだだ。ラインハルトよ、頼んだ」

 

「そう言うと思ってもう許可は取ってあるよ」

 

「さっすが、我がライバル!」

 

 定例集会が終わった瞬間これである。これには隣でルイスが寝ているのを見ていたものも呆れた様子だ。

 因みに二人が言っている特別練兵場というのは通常の練兵場とは別のものだ。何故特別なのかと言うと、その場所はルイスとラインハルトのために造られたようなものだからである。

 以前通常の練兵場で模擬戦をした際、練兵場は観客席まで含めて半壊という事態になってしまったために造られたものだ。特別練兵場の壁には希少な超硬質鉱石が使われており、並みの人間では傷を付けることすら出来ない。更に観客席には土の加護、術式その他が刻まれているため、破壊は不可能である。ルイスとラインハルトを除けば、であるが。

 現在では通常の練兵場も復旧されているが、二人が使用するのは特別練兵場一択だ。

 

「立ち会いには……そうだね、フェリスでどうだろう」

 

「フェリスか……あ!そうだな、あいつとはちょっと話があるし丁度いい」

 

 ここでルイスは思い出した。今もポケットに入っている青い猫耳アクセサリー。屋敷では何故かいつも付ける事になっているこれを付ける事になったのは誰のせいだったのかを。

 丁度通りかかったフェリスの肩にルイスは腕を回した。

 

「いいところに通りかかったなぁ、フェリスくん?」

 

「ちょっと、なになに?フェリちゃんは忙しいんだけど」

 

「これに見覚えがあるな?」

 

 ルイスはポケットから猫耳アクセサリーを取り出す。そしてそれをフェリスの目の前に掲げた。

 

「あ、それはフェリちゃんお手製の……じゃなくてなにそれ?」

 

「おい。白々しいにも程があるぞ。て言うかお前が作ったのかよ」

 

「し、仕方にゃいじゃにゃい。ロズワール辺境伯に頼まれたんだから」

 

「まぁいい。俺は優しいから許してやろう。その代わり俺とラインハルトの模擬戦の立ち会い人をやってもらおう」

 

「はぁ!?無理無理!フェリちゃん死んじゃう」

 

 ルイスとラインハルトの模擬戦、それはもはや定例集会にお馴染みのものになっている。近衛騎士団に所属する者は定例集会帰りに観戦する者が多い。それほどの迫力の戦闘なのだ。

 そのド迫力の戦闘の立ち会い人に選ばれたフェリスはなんとか逃げるためにルイスの腕を振りほどこうとする。しかし、残念ながら逃げ出せそうにない。

 

「今回の立ち会い人はフェリスか。良かった……今日は落ち着いて観られそうだ」

 

 ちょうど通りかかった紫髪の騎士ユリウスはイイ顔で言った。

 定例集会の後で行われる模擬戦だが、立ち会い人はほとんどユリウスであった。模擬戦後にユリウスが四肢を地面についてルイスとラインハルトの二人に慰められるのも一つの名物となっていた。

 

「ユリウス、助けてー」

 

「……健闘を祈る」

 

「見捨てられた!?」

 

 ユリウスが去った後、フェリスは絶叫しながら引きずられていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えー、じゃあ、ルイス・フォン・ゾルダートとラインハルト・ヴァン・アストレアの模擬戦始めます」

 

 死んだ目でそう言ったのは先ほど引きずられていったフェリスだ。

 

「盗品蔵の時のようにはいかないよ」

 

「それはこっちも同じだ」

 

 ルイスとラインハルトの二人はルイスが持参した業物を構えて向かい合う。

 

「始め」

 

 フェリスの声を合図に二人はお互いに向かって飛び出す。

 二人の身体は一瞬で亜音速にまで加速し、特別練兵場の丁度中心で剣がぶつかった。火花が散り、空気が震える。

 

「魔法は使わないでやるよ」

 

「使っても結果は変わらないけどね」

 

「確かに変わらないな。俺が勝つという結果がな」

 

「そんな事を言っていられるのも今のうちだよ」

 

「その言葉、そっくりそのまま返す」

 

 フッ、と口元に弧を描き、二人の姿が掻き消えた。

 何もない場所で衝撃波が発生する。否、何もない場所ではない。何もないように見える場所からだ。

 常軌を逸する二人の戦闘は常人には視認する事すら叶わない。

 何度も何度も繰り返される打ち合いに歓声が上がり始める。

 

「ルイス、腕が鈍ったんじゃないかい?」

 

 一瞬の隙をついてラインハルトがルイスの背後に回った。

 そして手に握った剣ではなく、自らの脚で回し蹴りを放つ。

 ルイスの身体がおおよそ通常の練兵場の十倍の面積を誇る特別練兵場の端から端まで地面に着くことなく吹き飛んだ。その余波だけでルイスの通った場所に土煙が舞う。

 こんなものを受ければただでは済まないだろう。この二人でなければ。

 

「お前を油断させるための罠だよ」

 

 たった今壁に叩きつけられたはずのルイスの声がラインハルトの背後から響いた。

 この程度の攻撃は通じない。そう嘲笑うかのようにルイスは刹那の間に距離を詰めてきた。

 今度はルイスが、回し蹴りを放つ。

 

 脚を振るうのにかかった時間もラインハルトが壁に到達するまでの時間も一瞬だった。

 しかし、その間で二人は確かに笑っていた。

 二人の間にあるのはただライバルと戦う喜び。それだけであった。

 

 壁に叩きつけられたラインハルトはルイスのように距離を詰めてくる事はなかった。

 だが、もちろん勝負を諦めた訳ではない。

 

 突如土煙が晴れ、中からは光を放つ剣を構えたラインハルトが現れた。光を放つ剣は大気中からマナが集まってきている事の証拠である。

 現在、大気中のほとんどのマナがラインハルトの元へと集まっている。ラインハルトとルイスの元へ集まるマナの割合は九対一ほどだ。

 本気ではない本気。それが今のラインハルトの状態だ。

 

「やっぱりここはいい。ただの練兵場じゃコレにも耐えられないからな」

 

 本気ではない本気。それはつまりラインハルトが出しているのは100パーセントの力ではないという事だ。

 本気という言葉の本来の意味で考えるならそれは全力100パーセントの力を発揮するという意味になるだろう。しかし、この二人に限り、本気という言葉はしばしば違った定義で使用される。

 二人の本気、それは周囲の人間が魔法を使用出来なくなるほどマナを集める時に使われる呼び方だ。

 一見矛盾する言葉だが、この二人の間では成立するのだ。

 

 煌めく剣が振り下ろされた。

 斬撃がマナを伴って拡張され、ルイスに迫る。ルイスは横に跳んで躱した。

 斬撃が背後の壁に激突する。しかし、目立った傷はない。無論、全力の一撃であったなら跡形もなく吹き飛んでいただろうが、通常の練兵場の壁では今の一撃ですら耐えられないのだ。これ以上は高望みというものである。

 

「そんでもって俺が持ってきた剣も折れてないっと」

 

 この斬撃に耐えられるか心配されていたのは何も壁だけではない。なまくらでは一撃放っただけで折れてしまうか崩れてしまう。

 ルイスがわざわざ業物を持参したのはそれが理由だ。

 

 ラインハルトは連続で剣を振るい、二撃目三撃目の剣戟が走る。

 危なげなくそれを躱し、ルイスも同様に剣を振るった。

 二人の放った斬撃が吹き荒れ、一面を覆い尽くす。だが、どちらにも掠り傷一つない。

 

 埒が明かないと思ったのかラインハルトは斬撃を飛び越えて距離を詰める。そして再び刃と刃を合わせた鍔競り合いが始まった。

 

「少し、本気を出す方法を思い付いたよ」

 

「やり過ぎると他の奴らも巻き込む事になるぞ?」

 

「大丈夫だよ。こうすれば心配はいらない」

 

 ラインハルトがルイスの身体を蹴り上げた。

 この場所の天井は決して低くは設計されていない。しかし、ルイスの身体はいとも簡単に天井へと到達した。

 落下してきたところを仕留めるつもりなのかラインハルトは天井を見上げて剣を構える。

 

「なるほど、考えたな」

 

 ルイスは天井に脚を突き刺し、ぶら下がった状態でラインハルトを見下ろした。

 確かに平面で二次元的な打ち合いではどう足掻いても矛先は観客席の方向へ向くが、このように三次元的に上下で打ち合えばその矛先が観客席へと向く事はない。多少出力を誤っても天井か地面に大穴が開くだけだ。人的被害はゼロに抑えられる。

 

 ルイスはラインハルトに向かって、ラインハルトはルイスに向かって飛んだ。

 互いの剣が輝きを増し、そしてぶつかる。

 

 視界が白で塗り潰された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まずは俺の業物が二本とも折れた事について」

 

「すまない。悪かったと思ってるよ。少し調子に乗ってしまった」

 

 最後の一撃を受けてルイスとラインハルトの互いに握っていた剣は粉々な灰へと見事な変身を遂げた。

 二人の剣戟はほとんど威力が同じだったため、相殺されて天井にも地面にも大した被害はなかったが、その分両者の剣に被害が出てしまった。その剣がかなりの業物で多少耐えられるからと調子に乗ってしまった結果だ。

 

「まぁ、俺も鬼じゃねぇし一緒に調子に乗ったのは認めるから許してやろう。その代わり何日か泊めてくれ」

 

「そんな事でいいなら気が済むまでいてくれていいけど、大丈夫なのかい?何日も留守にして」

 

「大丈夫、大丈夫。屋敷には変態がいるし、大抵の事はなんとかなる」

 

「ロズワール辺境伯の事はあまり悪く言わない方が良いと思うんだけど」

 

「だってあいつ変態だし、そもそも変態で分かる時点でお前も同罪だぞ」

 

「それは困った」

 

 と、談笑する二人の間に挟まれているのは気絶したフェリスだ。

 ちゃんとフェリスには斬撃その他が当たらないように加減していたが、どうやら最後の一撃の余波でやられたらしい。目立った傷はないので恐らく軽い脳震盪の類だろう。

 

「そう言えば五人目の王選候補者見つけたんだってな。やっぱりあの盗品蔵にいた金髪少女?」

 

「君、その話の時は寝てたような気がしたんだけど」

 

「模擬戦する前に聞こえたからさ」

 

「寝ていた事は否定しないのか……」

 

「そりゃ、寝てたからな。で、そこのところどうなのよ」

 

「その通り。あの時盗品蔵にいたフェルト様だよ」

 

「へぇ、フェルト様って言うのか。でも良かった。あの時はお前の幼女趣味が暴走したのかと思ったぜ」

 

「ルイス、僕の事をどんな人間だと思っているんだい?その言い方だと僕に幼女趣味があると思っていたように聞こえるんだけど」

 

「思ってなかったけどさ、あの状況ならそう思っても仕方ないだろ」

 

 談笑を続ける二人。

 何事もないように話しているが、『剣聖』を幼女趣味呼ばわりするのは恐らく世界中探してもルイスただ一人だろう。

 

 途中で起きたフェリスと別れ、二人は王都にあるアストレア家の別邸へと向かった。

 先走ったルイスがフェルトに飛び蹴りをかまされるという事態が発生したが、そこから数日ルイスはアストレア家別邸で寝泊まりする事となった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アストレア家別邸での1日

 

 ラインハルトの制止を聞かず、我先にと扉を開けたところにルイスが見たものは靴底だった。音速の戦闘を可能にする動体視力をもって見ても紛ごう事なき靴底であった。

 しかし、靴底という割には汚れがない。靴の中でも靴底という部位は最も磨耗が激しくなるものである。考えれば分かる事だが、常に地面との接触を余儀なくされるからだ。

 それにも関わらず磨耗している跡もなく、汚れや傷もない。少なくとも履き古されたものではない。これで使い古されたものだと言うのならどのように歩いているのかなど聞かせてもらいたい。

 新調したものなのだろうか。ツヤや質感からして安物ではなくそこそこ高値が付くものだと予想出来る。ルイスやラインハルトが履いている特殊加工が施されたものよりは劣るかもしれないが、それは例外としてかなり上等なものであろうとルイスの見立てである。

 とはいえ、それで人の顔面を踏み台にしようとするとは何事だろうか。人の顔面を踏みつける事に快感を覚えるタイプの人なのだろうか。確かに貴族には変わった人間が多い。ルイスがつい数時間前に顔を合わせたロズワールもその変わった人間の部類に入る。そういう人間が存在する事自体はおかしくない。

 だが、ラインハルトが寝泊まりしている、その場所にそのような人間がいるとは考えもしない。まさかラインハルトには踏まれて喜ぶ性癖でもあるのだろうか。

 

 この間ゼロコンマ数秒で思考を巡らせ、ルイスは眼前に迫る脚を掴んだ。

 

「あー、びっくりした」

 

「だから止めたのに。まぁ、欠片も驚いていないのは分かるけどね」

 

 棒読みの台詞を発してルイスは逆さまの状態で宙吊りになった、たった今飛び蹴りをかましてきた人間を見下ろした。

 

「て、てめー、離しやがれ!」

 

 豪華なドレスに身を包み、脚をバタバタと振りながら荒げた声には聞き覚えがあった。

 

「もしかして、これ?フェルト様って」

 

「……フェルト様、その状態であまり暴れられては下着が見えてしまいます」

 

「なっ!?見るな!」

 

 先ほどルイスは声を聞くまでそれがフェルトだとは気付かなかった。理由は簡単。スカートの部分のヒラヒラとした部分で丁度顔が隠れてしまっていたからだ。

 そしてそのような格好で飛び蹴りなどすればどうなるかなど考えなくても分かる。

 

 フェルトは宙吊りの状態で器用に純白の下着を見えないように隠そうとするが、そもそも飛び蹴りをした時点で手遅れだ。

 幼女趣味などではないのでルイスは視線のやり場に困り、その手を離した。当然、支えを失ったフェルトの身体は重力に従って床に激突する。

 

「いってぇ、急に離すなよ……ってあんたは確か、盗品蔵でラインハルトの野郎と一緒にいた」

 

「ルイス・フォン・ゾルダートだ。よろしく」

 

「ああ、よろしく……じゃなくて、ラインハルト!あたしの服をどこにやりやがった!」

 

 起き上がるとすぐにフェルトはラインハルトに詰め寄った。

 

「洗濯してキレイにしまっています。心配せずともよくお似合いですよ」

 

「そんな事聞いてねーよ!」

 

「今後に備えてドレスにも慣れていかなければなりません。今日のところはそれで我慢して下さい」

 

「そんなの明日でいいだろ」

 

「明日になったらまた同じ事を言うでしょう」

 

「ぐぬぬ……」

 

 真っ先に飛び蹴りの餌食になるところだったにも関わらず置いてきぼりを食らうルイス。納得がいかないのでとりあえず会話に割り込む事にした。

 

「お前ら、仲良いんだな」

 

「それはもう。僕はフェルト様のためならいつでもこの身を差し出すつもりだからね」

 

「どこがだよ!?あんたの目は節穴か!」

 

 両者からは真逆の答えが返ってきた。

 今のやり取りを見ていれば大方予想は出来た事だが、『戦神』の目を節穴呼ばわり出来るのはフェルトぐらいだろう。いや、スバルやラムでも出来るかもしれない。案外いた。

 

「ルイス、僕は少し用事があるから暇ならフェルト様の護衛を頼むよ」

 

「暇かと言えば暇だが、俺は一応客人として来たつもりなんだが」

 

「ちゃんと護衛の人間はいるけど、君の方が信頼出来るからね。親友としての頼みだよ」

 

「まぁ、いいけどな」

 

 恥ずかしい事を簡単に口にするラインハルトに頬を掻きながらルイスは答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フェルト用に用意された部屋でルイスとフェルトの二人は丸いテーブルを挟んで向かい合っていた。

 睨み合うというような険悪な雰囲気ではない。むしろ、菓子をつまみながら和やかな雰囲気を醸し出していた。

 

「いやー、あんたも騎士っていうからラインハルトみたいな堅物かと思ったけど全然違ったな」

 

「俺も騎士団の堅苦しさはあまり好きじゃない。食いたい時に食って寝たい時に寝る主義の俺とは真逆だしな。まぁ、それでも俺は自分の主義は曲げない。俺は集会の途中だろうと寝たい時は寝る」

 

 談笑する内容が内容だったが、フェルトは飛び蹴りをする事もなく上機嫌でルイスの話を聞いていた。

 

「あたしが言うのもなんだけどそんなんでよく騎士が務まるよな」

 

「それはな、あれだ。俺ってやる時はやる男だから」

 

「ふーん。ま、いいや。それよりこのお菓子追加」

 

「いや、俺客人だから。そんなのばっか食ってたら太るぞ」

 

「……太れるなら太ってもいいだろ」

 

 突然フェルトの声のトーンが下がった。

 言った側から失言に気が付いた。フェルトは数日前まで貧民街で盗賊として生きていた。それも好き好んでという訳ではなく明日を生きるためにだ。

 フェルトの身体は痩せすぎて骨しかないというほどではないが、貴族や裕福な人間と比べるとかなり細い。太る余裕など微塵も無かった筈だ。

 

「悪い。今のは不躾な発言だった」

 

「いいよ。別に。今のが他の貴族とかだったらぶっ飛ばしてたけど、あんたは他の奴らとは違う気がするから」

 

 そう言ってフェルトはお茶を飲み干してカップをテーブルに置いた。

 

「菓子の追加貰ってくる」

 

「それはもういい。別にあたしも豚みたいに太りたい訳じゃねーからな。それよりも食後の運動に付き合ってくれよ」

 

「食後の運動?木剣で打ち合いでもするのか?」

 

「そんなんじゃねーよ。散歩だ。散歩」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、ルイスとラインハルトってどんな関係なんだ?かなり信用されてるみてーだけど」

 

「ラインハルトとはな、昔からの付き合いで唯一のライバルにして親友だ」

 

 現在ルイスとフェルトの二人が歩いているのは王都の大通りだ。そしてルイスは近衛騎士団の制服のままだが、フェルトは豪華なドレスから慣れ親しんだ盗賊服に着替えていた。

 フェルトが思い出しているのは先ほどのルイスとラインハルトのやり取りだ。ラインハルトに連れてこられて以来、フェルトは屋敷から出ないように遠巻きながら監視されて軟禁状態だったのがルイスが進言すると条件付きではあるが、外出を許可されたのだ。

 条件は一つでルイスから離れない事。逃げようとすれば力ずくで連れ帰る事になっている。

 

「でもあんたみたいな人間とラインハルトみたいな人間って色々と真逆だろ。なんで仲良くなったんだ?」

 

「確かに初めて会った時は苦手だと思ったが、あれでも案外天然なところもあって面白い奴だからな。その内分かるようになるさ。それよりさっきから注目を浴びてるような気がするんだが、何かやったのか?フェルト様」

 

「あたしは何もやってねーし、どう考えてもあんただろ目立ってるの。て言うかそんな馴れ馴れしい口調に様とか付けたら変な感じになるだろ」

 

「一応様ぐらい付けとかないと後でラインハルトにぶっ飛ばされそうだからな。その内敬語も使わなければならなくなるかも」

 

「今更変わったらそれこそ違和感しかないっての」

 

 頭の後ろで手を組ながらルイスの数歩先を歩くフェルト。逃げ切れるかどうかは別として逃げようとする事はいつでも出来るだろうが、今のところその様子はない。

 それを見てルイスはすぐ近くにあった果物屋へ足を向けた。今はそれほど多く持ち合わせている訳ではないが、リンガの二つぐらいは買える。

 

「そのリンガ二つ貰えるか?」

 

「ええ、どうぞ!」

 

「ありがとう。お釣はいい」

 

「ありがとうございました!」

 

 手っ取り早く銀貨一枚で支払いを済ませたルイスはリンガ二つを受け取ってフェルトの元へ戻った。

 フェルトは先ほどと同じように頭の後ろで手を組ながら歩いていた。もしかすると、ルイスが一瞬いなくなった事に気が付いていないのかもしれない。

 

「フェルト様、これやるよ。そこの店で買ってきた」

 

「あ?リンガじゃねーか」

 

「散歩のお供に」

 

「なんだよ散歩のお供にって」

 

 そう言いつつもフェルトはリンガをかじりながら歩き続ける。ルイスはフェルトについて来ているだけなので特に目的地がある訳ではない。目的地があるとすればフェルトの方だろう。散歩と言っていたが、その足取りは迷いなく一つの方向へ向かっている。

 少し歩いたところで大通りを外れ、裏路地のような道を通る。普段は追い剥ぎや盗賊が頻繁に現れる場所だが、今日は一人も見掛けない。それがたまたまなのか、ルイスに恐れをなしての事かは分からない。

 だが、その時建物と建物の間で何かが光った。

 

「ッ!?」

 

「狙いはフェルト様みたいだな」

 

 咄嗟に腕で顔を護るフェルトの眼前でルイスの指が太陽の光を反射するナイフの刃を挟み、必殺の一撃の行く手を阻んでいた。

 

「……人に恨まれる事なんて珍しくねーよ」

 

 フェルトが数日前まで生業としていたのは盗賊。つまり、他人の物を盗んで生計を立てるというものだ。

 生きるためとはいえ、決して褒められた行為ではないし、被害者から恨まれても仕方がないだろう。しかし、生活でこれといって困った事がないルイスにはそれを簡単に口にする事は出来ない。この場でフェルトにかけるべき言葉も浮かばなかった。

 

「あぁん?俺様の風のナイフを受けて無事だと?狙いが狂ったか」

 

 静寂を切り裂くように見知らぬ男の声が響いた。

 

「何者だ」

 

 飛んできたナイフをフェルトに渡し、普段のふざけた態度を全く見せない、怒気を孕んだ声色を発しながらルイスは相手を睨み付けた。

 

「名乗るほどのもんじゃねぇよ。まぁ、標的はガキ一人って聞いてたんだが、嬉しい誤算もあったもんだ。ちょっとは楽しませてくれよな、騎士様よぉ!」

 

 背骨を大きく曲げ、かなりの猫背である青年風の男が両手にナイフを持って風を纏いながら飛び出してきた。

 なるほど、軽いナイフにしては真っ直ぐブレなく飛んできたと思えば、魔法で風を纏わせて飛距離と威力を増強していたらしい。風魔法といえば、見えない刃を作り出して攻撃するのが一般的だが、今のように武器に纏わせる方法もあるようだ。

 

「何者かと聞いたんだが」

 

 次の瞬間、男が持っていたナイフが二本とも粉砕された。更に、いつの間にか正面にいたはずのルイスが背後に回っていた。

 

「名乗り合わなきゃ、戦えないってか?誇り高い騎士様は大変だなぁ、オイ!」

 

 突然背後に現れたルイスに驚く素振りを見せずに男は裏拳を放つ。

 風を纏った一撃はなかなか鋭いものだが、ルイスにとっては止まっているも同然だった。がら空きである男の足元を払い、男の身体が反転する。

 

「勘違いするなよ。俺は別にお前みたいなただの不審者に名乗ったりする殊勝な騎士道とかを持ち合わせてる訳じゃない。名乗り合わなくても戦うし、必要なら不意討ちもする。ただ、俺の護衛対象を狙うお前が何者かは知っておく必要があるって話だ」

 

「へっ。そうか、よ!」

 

 地面に伏した男が振り向きざまにナイフを投擲した。2メートルもない至近距離から放たれたそれは、意図も容易く掴んで止められた。

 

「ちょっとはやれるみてぇだな。なら、これはどうするよ。エルフーラ!」

 

 男が短く詠唱し、風魔法による不可視の刃がルイスに迫る。出力を誤ったのか、見せつける目的なのか、周囲の建物の壁にも鋭利な傷が付いた。

 しかし、当のルイスはというと、

 

「もういい。お前の素性を聞くのは別にやつに任せるわ」

 

 ナイフで風の斬撃を全て撃墜し、男からは完全に興味を失っていた。

 次の瞬間、手加減に手加減に重ねた一撃を男の腹に叩き込み、男は泡を吹いて気を失った。

 

「すまん。ちょっと詰所に寄っていいか?」

 

「はぁ?なんであたしも行かなきゃいけねーんだよ。あんただけでいいだろ」

 

「フェルト様からは目を離すなって言われてるしなぁ。そのまま行くんならこいつ担いで行く事になるぞ?心配しなくても捕まったりしないからさ」

 

「ああもう。わーったよ。ついて行けばいいんだろ」

 

「素直でよろしい」

 

「子供扱いすんな!」

 

 頭をわしゃわしゃと撫でるルイスの手をフェルトは払った。

 笑いながらルイスは気絶している男を肩に担ぎ上げ、歩き出した。フェルトは渋々といった風に後ろからついてきている。

 盗賊をしていた身として何か思うところがあるのだろうか。まさか捕まった事があるとは思いたくないが。

 

「そういやさ」

 

「どうした?」

 

「あんたが持ってる剣ってなんか不気味な感じだと思ってさ。あたしの想像してる騎士様には似合わなそうなんだけど、なんでかあんたには似合ってるよな」

 

 フェルトはルイスが腰から提げている剣を指差していった。

 形はラインハルトが持つ龍剣レイドとあまり変わらない。だが、色合いが真逆といっていいほどの黒。鞘だけでなく柄も真っ黒であり、チラリと覗かせた刃までもが光を呑み込んでしまうほどの闇に包まれていた。更に、装飾の類は一切なく、騎士としての華やかさの一欠片もない。

 

「ああ、これか。これはな、我がゾルダート家に伝わる神剣モルテだ。まぁ、他のやつらには似合わんってのは認めるが俺以外のやつらには抜けないからその心配はいらない。なんなら抜いてみるか?」

 

 ルイスは男を担いだまま器用に腰から鞘ごとモルテを取ってフェルトに差し出した。

 受け取った神剣を間近で眺めると改めて思う。黒は黒でも光を一切反射しない、自分までもが吸い込まれてしまいそうな闇が広がっている。

 鞘とキス出来るほど顔が近付いている事に気づいたフェルトははっとして顔を離し、柄に手を伸ばした。

 

「これぐらい余裕で抜いてや……る……」

 

 モルテの柄を掴んだ瞬間、フェルトの言葉の力が抜けた。それと同時にフェルトの手はモルテを離し、漆黒の神剣は支えを失って地面へと投げ出された。

 

「やっぱりそうなるよな。抜ける抜けない以前に」

 

「なん、だよ今の」

 

「モルテは触れた者のマナを吸い込むんだよ。だから今フェルト様はマナを吸い取られたって訳だ」

 

「はあ?そんなの使えねーじゃねーか」

 

「だから盗ったりするのはおすすめしない」

 

 モルテはマナを吸い取るだけでなく、吸い取ったマナを大気中に放出する性質がある。なので大気中から再びマナを集められるルイスとは相性が悪くはない。だが、フェルトのような異常なマナ収集能力がない者からすれば、無尽蔵にマナを吸い取られる妖剣でしかない。

 付け加えていえば、モルテにもレイドのように相手を選ぶ性質があり、モルテが相手に相応しいと判断すればマナを無尽蔵に吸い取ることはなくなり、その一振りは時空を切り裂く刃となる。ルイスもその状態は一度しか体験した事がない。

 

 その後、二人は男を詰所に渡し、貧民街へと向かった。

 後日分かった話だが、フェルトを襲った男は田舎から出てきたばかりでフェルトに恨みを持った低級貴族に雇われたらしい。その田舎にはルイスの事が伝わっていなかったのだろうか、間が悪かったとしか言いようがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋敷へと戻って数分後、ルイス、ラインハルト、フェルトの三人は同じテーブルを囲んで食事をとっていた。

 

「なるほど、帰るのが遅いと思っていたら貧民街に行っていたのか」

 

「ああ、盗品蔵は相変わらず瓦礫の山のままだった」

 

「耳が痛い話だね。あの蔵の持ち主には悪い事をした」

 

「ついでに腸狩りが潰した建物も瓦礫の山のままだったぞ」

 

「あれは腸狩りじゃなくて君の蹴りのせいじゃないかな?」

 

「咄嗟の事だったから仕方ないだろ。て言うか俺のせいはおかしくないか?どう考えても暴れてた腸狩りのせいだろ」

 

「納得いかねー」

 

 談笑するルイスとラインハルトに頬杖をつきながらフェルトが呟いた。

 

「どうされましたか?フェルト様」

 

「どうするもこうするもなんでテメーやルイスが一緒に食ってるんだよ」

 

「ずっと一人で食べるのでは寂しいかと思いまして。丁度ルイスもいる事ですし、楽しく食事をしようと思った次第です」

 

「ここいい料理人がいるな。その辺の高級な店なんて目じゃないぐらいの上手さだ」

 

「ルイス、そこまで言われると照れるよ」

 

「もしかしてこれ作ったのお前か?」

 

「そうだよ。君も来ている事だし腕によりをかけて作らせてもらった」

 

「あ、やっぱり気のせいだったかもしれない」

 

「はぁ、付き合ってられねー」

 

 ルイスはロズワール邸とも変わらない居心地の良さを感じていた。

 エミリアが持っているものと対になっているガラス玉が異常を知らせたのは僅か二日後の事だった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

騒がしい一夜

 

 

 ルイスがお邪魔してから二日、アストレア家の別邸の庭は夜にも関わらず盛り上がっていた。

 

「これを見よ!我が奥義、飛行魔法!」

 

「すげー!空飛べんのかよ!」

 

 主に盛り上がっているのはルイスとフェルトであった。

 今のルイスの足は地面に着いていない。空中に浮いている形だ。

 

「魔法が使えない身としては羨ましい限りだね」

 

「雲の上とか走れる癖に嫌味か?」

 

 雲の上を走れるという馬鹿みたいな加護を持っているラインハルトを横目にルイスはゆっくりと上昇を開始した。

 欠伸が出るような速度であるが、練度が足りていないルイスが自由に空中を動き回れる速度はこれが限界なのだ。動き回わる、ではなくぶっ飛ぶというのであれば話は変わってくるが。

 

「ここに来る前にロズワールの野郎にやり方を聞いてな、治癒魔法を訓練しようとしてたのを後回しにして先にこっちを極める事にした」

 

「雲の上を走りたいなら言ってくれればいつでも連れていくのに」

 

「それお前が抱えて走るって事だろ。それじゃあ意味ないんだよ。雲の上に行く事自体は難しくないしな。問題は俺が一人じゃ雲の上を自由に移動出来ないって事だ。そもそもの話、雲の上じゃなくても単純に飛びたい」

 

 空を飛ぶ。誰もが一度は考えた事があるであろう人類の永遠の夢だ。だが、その夢は魔法によって叶える事が出来る。

 

「なぁ、あたしも飛べるようになると思うか?」

 

「どうでしょう。今の僕には何とも言えません。しかし、ほとんどの人間には大なり小なり魔法の才能があります。フェルト様も修練を続ければいつかは」

 

 この二日間でルイスとラインハルトの規格外っぷりを思い知ったフェルトは雲の上を走るなどという夢のような話でも疑う事はなくなっていた。

 最初は脱走を狙っていた事もあったが、ルイスが散歩中に会ったロム爺からの元気でやっているという旨の伝言を伝えると少しは落ち着いた。騎士らしくない騎士であるルイスのマイペースっぷりを気に入ったのか二人が談笑する姿をラインハルトが影から見ていた事もあった。

 

「なんだ、フェルト様も飛びたいのか?俺が空の旅に連れて行ってやろうか?」

 

「いい。あたしは自分で飛ぶからな」

 

「そうか。まあ、精々頑張れよ。俺みたいに才能が開花するか分からんけどな」

 

「うぜぇ」

 

 ハハハと笑いながら速度を上げて空を飛ぶルイスは何度か屋敷の壁にぶつかりながらも高度を上げていった。

 そのまま永遠に上昇していくのかと思われたが、現実ではそうならなかった。

 優雅、とは言い難いが、本人が楽しんでいた飛行を中断し、自由落下によってルイスは地面に着地した。その面持ちはいつになく真剣で、

 

「すまん。屋敷に戻るわ。服は後で返しに来る」

 

「急にどうして…………そういう事か」

 

 ルイスの手の中にある崩れたガラス玉を見てラインハルトは納得したようだ。そのガラス玉の事はラインハルトも知っている。貴重なものではあるが、唯一無二の至宝という訳ではないので生前の国王にも渡されていたし、ゾルダート家本邸に行けば予備もいくつかある。そしてそれは緊急時の連絡手段として使われている。

 

「分かった。君の制服は綺麗にして置いておくよ。早くエミリア様の元へ駆けつけてあげるといい」

 

「助かる」

 

 そう短く言い残し、ルイスは膝を軽く曲げて跳躍した。地上からはかろうじて黒い点が見えるほどの高さで一旦停止し、それから目にも止まらぬ速度で飛び出した。

 先ほど使っていた飛行魔法のある種の間違った使い方だ。安全やコントロールを捨て、一つの方向へただ進む事だけに全力を注ぐ。常人がやろうとすれば、身体が負荷に耐えられなくなり、マナも一瞬で空になってしまうだろう。

 だが、ルイスにとってはその負荷など無いに等しいし、移動しながらマナを集め続けるので大気中のマナが枯渇する心配もない。

 

「おい、今のなんだよ」

 

「ルイスの主からの緊急の合図です。僕もフェルト様に危険が迫ればいつでも駆けつけますよ」

 

「んな事聞いてねーよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 危機は脱した。もちろん、議論しなければならない事は山積みだ。しかし、急を要する事態は過ぎ去った。

 そう思っていたのに。

 

「どうして、何も言ってくれなかったの……」

 

 魔獣の無法地帯となっている森のウルガルムに連れ去られた子供たちを救うために飛び出したスバル。結果的に身体のあらゆるところをウルガルムの群れにムシャムシャと齧られる事になってしまったが、子供たちを取り返す事には成功した。

 スバルの傷もエミリアとパックによって塞がれた。

 もう何も心配する事はない。そう考えて眠るスバルの側で眠ったのが半日前と数時間前。

 

 治療のために少なくないマナを消費し、長時間集中を余儀なくされた事もあり、いつもの睡眠よりも長い時間眠ってしまった。

 目を覚ました時には明るくなりかけていた空がすっかり暗くなっていた。その時にはスバルの姿はなくなっていたが、先に屋敷に戻ったのだろう。そう思って自分にかけられていた毛布を丁寧に畳んでエミリアは屋敷へと足を向けた。

 

 屋敷へと戻ったエミリアはスバルが元気になったのかを確かめようと彼の部屋を訪れた。だが、そこにスバルの姿はなかった。

 毎日真面目に仕事をしていた彼のことだ。病み上がりでもう仕事を再開しているのかもしれない。だから、エミリアは調理場や選択場、浴場などおおよそ彼がいそうな場所を探した。しかし、そのどこにもスバルの姿はない。それどころか先輩メイドであるラムやレムの姿も見えない。

 嫌な予感が頭を過り、エミリアは屋敷中を回った。案の定彼らの姿はなかった。代わりに、滅多にエミリアの前に現れないベアトリスの禁書庫へと開けて回った内の一つの扉が繋がった。そして、ベアトリスはエミリアへと向かって一言。

 

「あの男や双子なら森へ入ったのよ」

 

 何も聞かされていなかったエミリアには何故彼らが森へ向かったのかは分からない。だが、一つ分かる事はある。

 

「今度こそ本当に死んじゃうかもしれないのに……!」

 

 傷が塞がったとはいえ、運ばれてきた時には酷い有り様だった。もう少し処置が遅れれば死んでいてもおかしくなかった。

 スバルを運んできたレムは目立った傷がなかったとはいえ、それは傷を負わなかったという意味ではない。全身が血だらけであり、戦闘も出来るように改造されたメイド服にも何かに噛み付かれたような痕がいくつもあった事から相当に激しい戦闘があったのだと分かる。目立った傷がなかったのは治癒魔法か何かで治していたのだろうか、とエミリアは考えるが今はそんな事はどうでもいい。

 問題は次も無事でいられる保障がどこにもないという事だ。ラムが加わったとしても戦力が何倍にもなる訳ではない。魔獣に対抗するのには足りない。

 

「待つかしら。今のにーちゃがいないお前が行っても無駄なのよ」

 

 扉に背を向け、走り去ろうとするエミリアをベアトリスが引き留めた。

 咄嗟に言い返そうとするが、言っている事はベアトリスの方が正しい。それが分かっているからこそエミリアは言い返せなかった。

 

「でも、このままじゃ……あ」

 

 何かを思い出したようにポケットを探ると、そこには一つのガラス玉。この二日間肌身離さず持っていたが、不思議と存在を忘れていた。

 緊急時には壊せと言われているものだ。そうすればルイスに合図が伝わり、すぐに駆け付けるからと。

 今合図が伝わったとしてもルイスがいつこちらに到着するか分からない。だが、本来なら真っ先に問題を解決しなければならないはずの変態に連絡する手段はない。藁にもすがる気持ちでエミリアはそのガラス玉を握り潰した。

 

「止めても無駄よ。どう言われても私はあの子たちを助けに行く」

 

 魔獣を殲滅するのは無理でも足止めぐらいは出来るかもしれない。足止めさえ出来ればルグニカ王国最強の双璧の片割れが何とかしてくれる。

 ベアトリスの制止を振り切り、エミリアは屋敷を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラインハルトから借りた服装のまま飛び出したルイスは早くもリーファウス街道の中盤に差し掛かっていた。

 

「案外飛行魔法も使えるな。ロズワールの野郎も変態にしてはいい仕事をしてくれた」

 

 ルイスの移動速度は軽く音速を越えている。走っても出せる速度ではあるが、地上を走るのと上空を飛ぶのでは周りへの影響が違う。同じ速度で走れば地面は抉れるし木々は根元から薙ぎ倒される。

 緊急時だから仕方がないと言えばそれで終わる話だが、出来るだけそういう事はしたくない。魔獣だらけの森林ならばいいが、多くの人間が使う街道となれば話は別だ。以前街道でそれをやって修復作業に駆り出された事があった。

 その事を省みて色々な方法を考えた事がが、思わぬところに答えがあったようだ。

 

「それよりあの変態は何やってるんだ。何かあったらそれを解決するのはあいつの仕事だろ」

 

 メイザース領の当主であるロズワールには領地内で起こったいざこざを解決する義務があるはずだ。にも関わらずエミリアはルイスを呼んだ。ロズワールでも太刀打ち出来ない敵が現れた、とは考えにくい。仮にもロズワールは宮廷筆頭魔術師の名を持つ実力者だ。それを越える者はそう多くない。

 次に考えられるのはロズワールが何らかの事情で留守にしている可能性だ。実はこれが一番可能性が高い。普段から何を考えているか分からないのでふらふらとどこかに行っていても驚かない。ただ、もしそうなら後で相応の言い訳を聞かなければならないが。

 

 そうこうしている内にリーファウス街道も抜けた。

 あとは目の前に広がる森を越えるだけだ。

 

「あ、しまった。着地の方法考えてなかったな」

 

 飛行魔法を間違った使い方をして高速飛行しているルイスだが、実は飛び出すだけ飛び出して着地の方法を考えていなかった。普通なら魔法の出力を調節し、徐々に減速していくのが着地の方法なのだが、ルイスにこの方法は使えない。前に進む事だけに全力を注いでいるため、小回りが効かないのだ。

 今の状態では出力を100か0にしか出来ない。つまり、着地しようとすればこの速度のまま不時着しなければならない。ルイス自身はそれでも大丈夫だが、それ以外は大丈夫でない。屋敷の庭に着地すれば地面に大穴が空くし、タイミングを誤れば屋敷ごと貫いてしまう可能性もある。

 

「はぁ。ロズワール、これぐらい許せよ」

 

 屋敷周辺への被害を防ぐため、ルイスはアーラム村を囲む魔獣の森へと狙いをつけた。

 そして魔法を使用を止めた。重力と慣性によって前に進みながらも地面へと近付く。

 派手に木々を薙ぎ倒しながら減速し、丁度アーラム村の手前で完全に停止した。完璧な計算だった。

 

 これから屋敷に向かうため急いで森を出ると、夜にも関わらず村はなにやら騒がしかった。

 ルイスとしては一刻も早くエミリアの元へ駆け付けなければならないが、その原因がこの動騒と関係あるものかもしれない。よく見れば村人たちは剣や槍、鍋などを手にしていた。

 

「おい、何かあったのか?」

 

「ルイス様ですか。それがスバル様とレム様、ラム様が森に入ったのですが、出て来られないのです」

 

「あいつらが森に?どうしてそんな事になったんだ?」

 

「詳しくは聞いていないんですが、ただやらなければならない事があるからと」

 

 聞いてなるほど、納得した。

 エミリアはあまり自分の事で助けを求める事はしない。だが、他の人物の事となればどうだ。スバルたちを助けるために自分では力不足と感じ、ルイスを呼んだ。辻褄の合う推理だ。

 そして村人たちはそれを知らず、スバルたちを助けるために武装していると。

 

 丁度その時、アーラム村と屋敷を繋ぐ道からエミリアが走ってくるのが見えた。

 

「エミリア様」

 

「ルイス……!?どうして、まだ5分も経ってないのに……」

 

「魔法で空を飛んで来ただけですよ。それよりも」

 

「大変なの、スバルたちが森に……」

 

「……だからあいつらを助けて欲しい、でしょ?」

 

「え、ええ」

 

 困惑するエミリアをおいてルイスは再び村人たちの方へ向かう。そしてその集団の中心となっている青年の元へ行くと、彼が持っている剣を指差し、

 

「その剣、借りていいか?」

 

 ただ、そう言った。

 その青年は一瞬呆けた顔をしたが、すぐに意味を理解したらしくとても業物とは呼べない粗末な剣を手渡した。

 

「壊れるかもしれないけど、請求はロズワールの野郎に頼む」

 

「は、はい」

 

 ルイスはその剣の握りを確かめると、脅威の跳躍力で飛び上がった。

 一瞬で雲にも届くほどの高度に到達したが、魔法は使っていないのですぐに落下し始める。

 その途中、森のある場所から黒い煙のようなものが膨れ上がった。

 

「シャマク……スバルだな」

 

 何事もなかったかのように着地したルイスは先ほど青年から受け取った剣を構えた。

 すると、周囲のマナがルイスの元へと殺到し、剣が光を帯びる。

 そしてそれを振り下ろし━━━

 

 

 

 ━━━森が二つに割れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レムやラムに格好をつけて決死の覚悟でシャマクを使い、一矢報いたのはいいが、その後はなす術なく噛み殺される。そのはずだったのに、

 

「は、はは、なんだ今の」

 

 たった今、ボス格のウルガルムが消えた。何か光のようなものが通ったと思えば因縁の魔獣の姿が文字通り消滅したのだ。

 

「無事か?スバル」

 

「……ルイスか?」

 

「急いで王都から戻ってきてやったぞ」

 

「出来ればもうちょい急いでほしかったよ」

 

「王都出てから5分も経ってないぞ」

 

「…………まじで?急いでも半日はかかるって聞いたんだが」

 

「俺を誰だと思ってる。泣く子も黙る戦神様だぞ。そこらの常識で測ってもらっちゃ困る」

 

 と、軽くやり取りをして二人は二日とちょっとぶりに再会した。

 ルイスは今この場では考え得る人物の中で最も頼りになる助っ人だ。かの腸狩りをただの蹴り一発で追い払った実力は忘れない。そのルイスとライバルだというラインハルトにも言える事だが、その実力はスバルの中である意味神格化されていた。

 そんな事より何はともあれ、

 

「助かった。ありがとよ」

 

「ああ、お前も無事でよかった」

 

 二人は互いを見て笑い合った。

 ここは魔獣の森のど真ん中で魔獣はわんさかといるのにこの状態では気を抜きすぎだと思われるかもしれない。だが、ルイスが来た事で、もう大丈夫だという謎の信頼感があったのだ。

 

「スバルくん!」

 

 唐突にレムが傷だらけのスバルへ飛び付き、力の限りの抱擁をした。ただでさえこの世界基準で考えれば軟弱な身体に今は立つのも難しいほどこ怪我が追加されているのだ。メイドに似合わない怪力の持ち主であるレムの全力には太刀打ち出来ない。

 

「生きてる、生きてる。スバルくん」

 

「ちょ、レム、ヤバい。ほら、意識が……あ、またこのパターン」

 

 スバルも出来る限りレムの背中をタップしているが、レムは離そうとしない。

 

「見ない間に随分仲良くなったんたな、お前ら」

 

「そんな、事、言ってる、場合か。助け……」

 

「いいから寝とけよ。あとは俺が何とかしてやるから」

 

 最後にルイスの声を聞いてスバルは意識を手放した。

 傷は少なくないが、危険な状態ではない。穏やかな顔がその何よりの証拠だ。

 

「お前ら、とりあえずアーラム村まで戻るぞ。そこの溝を沿って行くのが最短ルートだ」

 

 先ほどの剣撃で出来た傷跡を指してルイスは未だにスバルを抱きしめたままのレムと遅れてやって来たラムに呼び掛けた。

 

「溝なんてかわいいものじゃないわね。これは谷というのよ、イス」

 

 ルイスが溝と言って指差した場所を見れば、今が夜だからという理由もあるかもしれないが、底が見えない谷が右へ左へ見えなくなる距離までも続いていた。

 

「レムの変わり様には驚いたけどラムは相変わらずだな」

 

 

 アーラム村まではレムがスバルを担ぎ上げて運び、ルイスが魔獣を排除して危険をなくしながら戻った。

 素手にも関わらず、離れた場所にいた魔獣が真っ二つになったりしたのはもはや何をしたのか分からなかったが、レムとラムの間では考えても無駄だという結論に至った。風に敏感なラムが気付かなかったので風魔法を使った訳ではなかったようだ。

 そもそも剣を持っていても離れた場所にあるものが切れるのは充分に驚くべき事なのだが、森の端から端まで斬撃を通した事実から感覚が麻痺してしまっていたのかもしれない。因みに森真っ二つ斬撃を放った時に使った村人から借りた剣は跡形もなく崩れてしまったので、後日ロズワールの方へ請求がいく事だろう。

 

 無事にアーラム村にたどり着いたあとは、ルイスが単独で森に入り、生息するウルガルムを全滅させたという事も付け加えて記しておこう。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔獣騒ぎのその後

 

 

 魔獣ウルガルムによるドタバタ騒ぎの翌日。

 ようやく姿を見せたロズワールにチョップを一発かましたあと、アーラム村の森との境界にルイスとスバルは訪れた。というのも、昨夜の斬撃の森への影響がどれほどのものかを確かめるためだ。

 最悪の場合、村の水源が断ち切られるという事態になっているかもしれない。もしそうならば早急に復旧させなければならないのだ。

 

「別にお前がついてくる必要はなかったんだけどな」

 

「いいじゃねーの。今日は仕事も休みにしてもらったし。それにしても……これが剣振った威力とはとても信じられん」

 

 スバルは目の前に広がる光景を見て呟いた。

 丁度スバルの足元から前方に向かって谷への入り口となる坂が形成されていた。人が通るために作られた訳ではないので、足場は平らではなくV字に近い形になっているが、歩き辛さを我慢すれば余裕で人が通れるほどの幅はある。

 地面を掘るための斬撃ではないにも関わらず、その深さは10メートルを超えている。

 

「スバルも修練を積めばこれぐらいは出来るようになるかもな」

 

「俺がこんな事出来るようになる想像出来ねぇし、その言い方ならこれ以上の事も出来るって聞こえるけど?」

 

「さぁ、どうだろうな」

 

 この世界に適合したとか何とかで多少は強くなる事も出来るかもしれないが、さすがにコレはない。

 腸狩りのエルザの時も動きが人間じゃないと思ったが、コレはエルザと比べるのもおこがましいようなデタラメさだ。リアルタイムで見ていなかったら絶対に人間がやったと言われても信じない。実際にその衝撃シーンを見てしまったのでもう笑うしかないのだが。

 

「川とかを突っ切っていってたらそこは埋めたりしないといけないからとりあえずこの溝、谷?に沿って向こう側まで行くけどお前はどうする?」

 

「これは間違いなく谷だな。ああ、急いでないならついてくよ」

 

 せっかくここまで来たのにこのまま帰るのはもったいない気がしたのでスバルはルイスについていく事にした。一応病み上がりではあるが、身体がだるいといったような事もないので問題はないだろう。もし急いでいるなら物理的についていけないが。

 王都から5分とルイスは言っていた。以前エミリアに聞いた時には急いでも半日、場合によってはどこかの町で宿泊を挟む事もあると言っていた。

 その移動には馬車ならぬ竜車を使うらしい。走る速さがどれほどのものかは分からないが、もし馬と同じぐらいだとすれば。

 考えるのは止めよう。ばか正直に計算したりしてもどうせ頭がおかしいような結果が出るだけだ。

 

「落ちるなよ?」

 

「落ちねぇよ。でも、落ちたら助けてね?」

 

「俺が見てたらな」

 

「え、それなんか嫌な予感するんだけど。ちょ、待って」

 

 見てたら、という事は逆に言えば見てなければ助けないという事なのか。あとから「あ、すまん。見てなかったわ」とか本当に言いそうで怖い。

 落ちるといっても、一応急な坂のようなものなので落ちて即死という事態にはならないだろう。が、それは落ちてもいいという訳ではない。

 落ちそうになったらプライドでも何でも捨てて喚き散らそう。幸い、ここにいるのは普段だらだらしている駄目男(スバル調べ)のルイスだけだ。エミリアたちにそれを見られる事に比べれば屁でもない。

 

 躊躇いなく村の結界の外である森へ入っていくルイスに続いてスバルも恐る恐る結界を越えた。

 

「そういやさ、ルイスが真面目に働こうとか珍しくね?」

 

「お前、いくら俺でも泣く時は泣くぞ。そりゃ、働かなくてもいいなら働きたくないさ。でもな、これは一応俺がやった事だしあとでロズワールにぐちぐち言われたら面倒だ」

 

「なんか前半言ってる事がごちゃごちゃだった気がするが、なるほどな。確かにロズっちにぐちぐち言われるのはゾッとしねぇな」

 

 道化の格好をして間の抜けた口調で話すあの男に詰め寄られるなど一種の拷問だ。出来れば、というより永遠に遠慮したい。

 

 溝という名の谷を沿って歩いて行くが、同じような景色が繰り返されて何一つ面白い事がない。森の中なので当たり前といえば当たり前なのだが。

 出来れば何か雑談の一つでもしたいものだ。

 

「あー、今思い出したけど俺昨日何があったか詳しく聞いてないな」

 

 前を歩くルイスも同じような事を考えたのか、スバルに問い掛けるように振り返った。

 さすがは自称デキる男である。

 

「そうだなぁ、事の発端は俺が村に潜む呪術師の正体を見破った事から!」

 

 丁度ムズムズしていたところだったので、スバルも饒舌になる。

 思い返してみると、結構格好悪い場面が多々あったのでちょっとだけ、ちょーっとだけ話を美化して伝えた。

 自信満々で自分の格好悪いところを話すのは少し気が進まなかった。今回の事の解決にはスバルもかなり重要な役割を果たしたという自覚があるので多少話を捏造しても許されるだろう。

 

「へー、ラムとレムが鬼族ねぇ」

 

「そうそう。俺も最初見た時はビビったけどさ、今思ってみたらかなり鬼がかってたっていうか」

 

「鬼がかる?」

 

「神がかるの鬼バージョン。最近のマイフェイバリット」

 

「……鬼族はもういないと思ってたが、案外近くにいたんだな」

 

「無視はひどくね!?」

 

 残念ながらルイスはスバルほど会話に飢えていた訳ではないらしい。

 反応に困る返答をきれいにスルーすると、ズカズカと先へ進んで行った。

 しばらくすると、水が流れる音が微かに聞こえてきた。恐らくこの先に川でもあるのだろう。ただ、先ほどまではその音は聞こえなかったので、その川に斬撃が突っ切ってしまっている可能性が高い。土木作業が必要になってしまうかもしれない。

 

「あーあ。やっぱりか」

 

 斬撃跡に沿って行くと案の定、川と見事に交わっていた。川の方が深いため水の流れが完全に三分されている訳ではないが、塞がなくてもいいというものでもない。少なくない水が逸れてしまっているので水位も少し下がっているのではないだろうか。

 

「どうするんだ、これ?その辺の木でも切り倒してくんのか?」

 

 スバルの知識では既に水が通っている場所を塞ごうとするならば、砂や土だけでは足りない。一度で塞げるほどの量を使えるなら話は別だが、そうでない少量の砂や土は水に流されてしまうからだ。

 ルイスは常識で測れない力の持ち主だが、大量の土を一度に運ぶというのは力の大小の問題ではない。無論、その重量を持ち上げられるだけの力は必要だが、それ以上の力があったとしても一つの固体ではない土を運ぶのは難しいと言わざるを得ないだろう。

 故にスバルは周りで使えそうな木を提案したのだが、

 

「いや、その必要はない」

 

 ルイスはバッサリと切り捨てた。

 ならば他に何か使えるものがあるのかと答えを聞く前に頭を回転させるが、答えは見つからない。そうしているうちにルイスは答えを行動で示した。

 

「ヒューマ」

 

 魔法の詠唱。それが短く発せられると、斬撃にやられてしまった場所の水が凍り、水の流れを通常の状態へ戻した。

 

「……魔法って手があったか」

 

「皆俺が剣とか拳とかだけの野郎だと思ってるらしいけど俺はラインハルトと違って魔法も使えるから」

 

 実はこの周回ではルイスと魔法関係の話はしていない。前回までの周回でルイスの危険性は低いと判断した事とレムやラム、ロズワールからの信頼を勝ち取らなければならなかった事、謎の呪術師の正体を一刻も早く突き止めなければならなかった事が理由だ。

 つまり、ルイスからすれば自身の魔法の話をするのは初めてという事になる。自慢するようなドヤ顔からもスバルが知らないと思っての事だろう。

 

「まぁ、その言い方だと戦闘だけって事に変わりはないけど」

 

「何か言ったか?」

 

「いいや、なんにも」

 

「俺は戦闘だけじゃなくて家事、洗濯、その他もいける」

 

「ちゃんと聞こえてるじゃねぇか!」

 

 塩と砂糖を間違えたり竹箒をバッキバキにしたりするのにそれはいけるというのだろうか。少なくともスバルの常識の中では初心者でも塩と砂糖を間違えるのは稀だし、箒をバッキバキにするなど論外だ。何をどうすればそんな事になるのか。

 当のルイスは本気で言っているのか冗談で言ったのか分からないが今作った氷の壁の前にスッと飛び降りた。

 メイドとして仕事に慣れているラムに勝負を持ち掛ける時点で恐らく本気で言っているのだろうが。

 

「ドーナ」

 

 それは先ほどとは違う魔法の詠唱だった。

 これまで見てきた治癒魔法、氷魔法、風魔法、陰魔法とも違う。スバルにとって初見の魔法だ。

 その詠唱と共に地面が徐々に盛り上がり、氷の代わりに土の壁が修復される。だが、その速度はあまりにも遅かった。

 スバルの考える土魔法はもっと爆発的に地面が盛り上がったり瞬時に壁を作り上げて盾としたりというものだったのだが、これでは実戦には使えないだろう。

 

「それ、どんぐらいかかりそう?」

 

「土魔法は訓練してないからもうちょっとかかるな。でも、あんまりちょろちょろしてると魔獣に襲われるぞ」

 

「え、魔獣全滅させたんじゃねぇの?」

 

「魔獣っていってもこの辺り、あいつらの足で一日で移動出来る範囲だけだ。もしかしたらウルガルムよりも足が速い魔獣が俺が帰った後に全速力でこの辺に来てるかもしれない」

 

「マジか……」

 

 今のスバルの呟きには二つの意味合いが含まれている。一つは当然、近くに魔獣がいるかもしれないという事に対してだ。だが、もう一つはズバリ「一日で移動出来る距離って何よ!?」という事だった。

 ウルガルムの群れから逃げた感じ、恐らく走る速度はスバルの調子が良い時の全力疾走と同じぐらいだ。仮に一日中その速度を保ち続けられるとすれば、移動出来る範囲は膨大となる。

 その範囲全ての魔獣を一晩で狩り尽くしたとなると、昨夜も思った事ではあるがルイスの方が魔獣よりもよっぽど化け物である。

 

 正確に言えば、森を抜けた平原や他の魔獣が縄張りとしている場所など除いたので放射状に全ての範囲を見回った訳ではないが、それをスバルは知らないし、そもそもそれでも充分に化け物といえるので問題はない。

 

「あー、暇だ、暇だ。何か話しようぜ。例えばそう……恋バナとか!」

 

「恋ばな?」

 

「恋愛の話って意味」

 

「そうか、まぁ、お前はエミリア様だもんな。膝枕してもらってたし」

 

「ちょ!?お前も見てたのかよ!」

 

 エミリアの膝枕で寝てしまった時レムやラムに見られていた事は知っていたが、ルイスにまで見られていたらしい。先ほどルイスの前で喚き散らす覚悟をしたばかりだが、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 

「と、に、か、く!ルイスの恋愛事情はどうなってるんだ?」

 

「別に考えた事はないな」

 

「そんな事言って~。気になる子の一人や二人はいるんじゃねぇの?」

 

「いや。真面目に言ってな、俺の周り男ばっかだったから。うん、俺が女だったらまだその可能性はあったが」

 

 確かに騎士団のような所なら男所帯でもおかしくない。

 だが、このまま引き下がるのも面白くない。

 

「ならさぁ、お前がもし女なら誰かいいやついんの?あ、俺はだめだぞ」

 

「もし俺が女なら……ラインハルトだな。仲良くやれそうだし、とりあえず大体の厄介事は解決出来るほどには強い。それに何より養ってくれそうだからな。俺は家であいつが帰ってくるのを待つだけ」

 

「お、おぉ」

 

 冗談で聞いたつもりが以外とマジな答えが返ってきたので話を持ち掛けたスバルも反応に困った。

 正直、スバルの中ではラインハルトという人物を測りかねている。初対面の時はそれはもう爽やかで頼りになる自分が女だったら惚れてたという評価だったのだが、二度目の対面となった盗品蔵では急にルイスと組み手という名の何かを始めて蔵を崩壊させたちょっとおかしい人という評価になった。

 盗品蔵でのアレは恐らく拳で語り合う的な何かだと思うので、ルイスとラインハルトが仲良くやっているというのは分かるのだが、あのラインハルトの豹変はルイスに対してのみだと信じたい。もしスバルが何かをやろうとして突っ掛かって来られたのではたまったものではない。

 

「もうそろそろ終わるぞ」

 

 いつの間に土魔法での修復作業が終盤に差し掛かっていたらしい。見てみれば、土の壁は川の水位よりも高くなっており、この状態で終わっても問題はないだろう。だが、本人は最後までやり遂げたいらしい。

 作業ももう終わる。それに水を差すような真似はしまい。

 しかし、ここで一つスバルの頭の中で引っ掛かった。

 

「て言うかさ、魔獣狩り尽くすために森中回ったんなら被害とかも見えたんじゃないの?」

 

 本当かどうかは分からないが、仮にもウルガルムが一日で移動出来る範囲を全て回ったのなら当然斬撃跡も通っているはずだ。わさわざもう一度確認しに来る必要はないだろう。

 まさか嘘だったのだろうか。だが、現在スバルは死んでいないし、ベアトリスやパックにもう大丈夫だとお墨付きを貰っている。スバルを襲ったウルガルムを全て狩ったというのは間違いない。

 そこまで頭を回したところで、

 

「いや、お前考えてもみろ。その範囲を一晩で回ったんだぞ?いちいちこんな細かい所見てる訳ないだろ」

 

 と、至極単純な答えが返ってきた。

 そりゃそうだ。この谷は深さは10メートル以上あるが、幅は5メートルあるかないかというほどだ。ウルガルムが一日で移動出来る範囲を一晩で全て回れるほどのスピードなら見落としてもおかしくない。

 少しでもルイスを疑ったスバルは自分を恥じた。

 

「よし、終わった。じゃ、帰るぞ」

 

「この先は確かめなくていいのか?」

 

「心配しなくてもこの先に川とかはないさ。水の音がしないからな」

 

「え、なに、地獄耳?」

 

「昨日走り回った時に聞こえなかったって話だよ」

 

 

 ひとまず被害の確認作業を終えて二人は村へ、そして屋敷へと戻った。

 屋敷の庭ではエミリアが微精霊と話をしており、スバルはルイスを置いて彼女に駆け寄った。ルイスは気にする様子もなく自身の部屋へと戻って行った。恐らくそのまま寝るかごろごろする事だろう。

 騎士とはおおよそ違った振る舞いに思えるが、想像上の騎士に多く見かける規律を重んじるあまり頭が無駄に硬くなった頑固野郎などよりはよっぽどマシだ。むしろ話し易くて大いに助かる。

 

 たまにはあいつと二人で出掛けるのも悪くないかもしれない。そう思ったスバルだった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

王城での一幕

 

 

 魔獣騒ぎから数週間が経った。

 スバルはすっかり使用人生活に慣れ、仕事が板に付いてきた。今までラムがやっていた仕事をほとんど肩代わりする日もしばしばだ。ラム曰く、ちゃんと仕事が出来ているか監視しているらしいが、真偽のほどは分からない。

 対してルイスは食っては寝て食っては寝てを繰り返していた。それで良いのかと思うかもしれないが、一応魔獣騒ぎの終結の立役者であるし、騎士としての役割は果たしているので問題はない。

 スバルはこき使われ、ルイスは甘やかされる。そんな平和な時間が過ぎていた。

 しかし、その平和な時間も長続きはしなかった。

 

 

 ロズワール邸に一台の竜車が到着した。

 商人が使うような荷台に簡素な屋根が取り付けられているものではなく、内部がまさしく客室といえるようになっている豪華なものだ。それを曳く地竜もどこか威厳のある顔つき体つきである。

 それだけで乗っている者が重要な役割を持っていると分かる。事実、その者は重要な役割を持って参上したのだった。

 

 使用人の立場であるスバルは現在エミリアと出掛けている最中なのでラムとレムだけで出迎え、主であるロズワールが待つ客室へと案内した。

 

「ようこそ、我が屋敷へ。ルイスくんも呼んできた方がいいかーぁな?」

 

「必要ないですよ。話がややこしくなりそうにゃんで」

 

「それは残念だーぁね。彼を叩き起こしてこようと思ったのに」

 

 軽口を交えてこの場所を訪れた使者、フェリスはロズワールの正面の椅子に座った。

 屋敷の主の許可なく座るのは失礼だと思われるかもしれないが、相手はこの大事な面会でも道化の格好をしているふざけた人物である。少々の事は問題にならない。

 

「エミリア様はお出かけされているからねぇ。まずはこっちの話を始めようじゃーぁないか」

 

 レムは家事のために退出し、ラムは付き人としてロズワールの背後に控えたところでロズワールは話を切り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王選候補者エミリアの騎士ルイス・フォン・ゾルダートの朝は遅い。

 誰よりも早く起きて仕事を始めるレムはもちろん、それに続くラムやスバル、果てには主であるエミリアよりも遅い。朝食の時間の直前に起きてくることもしばしばだ。

 しかし、掃除の邪魔などの理由で叩き起こされる事はあっても咎められる事はない。その理由は単純で、ルイスがやるべき事というものがないからだ。そう何度も魔獣が問題を起こすような事はないし、かといって人間が襲ってくるかといえばそういう訳でもない。そもそも大抵の相手ならばロズワールだけで片がつく。

 視点を変えて鍛練をするのはどうかといえば、打ち合いとなればラインハルトぐらいしか相手を出来ないし、例え素振りだとしても少し力を入れれば屋敷など簡単に吹き飛ぶ。

 ここまでくれば何故ここにいるのか分からなくなりそうだが、そればかりは彼の父親が働きたがらない息子を何とか働かせようとした結果なので仕方がない。ルイス本人としてはなかなかに快適な暮らしで気に入っているで踏んだり蹴ったりなのか結果オーライなのかよく分からない。

 

「……よし、朝食まであと5分」

 

 本日開口一番の言葉がこれである。

 実際に時間を確認した訳ではないが、こういう時のルイスの腹時計はかなり正確である。恐らく間違っていない。

 そうと決まればやるべき事は一つ。食堂へ直行だ。

 

「なんで誰もいないんだ?」

 

 自室を出た時が朝食5分前だとして今は丁度朝食が始まる時間のはずだ。だが、食堂には誰一人としていなかった。

 おかしい。

 そう考えてルイスは特に何かを考えた訳でもなく窓から庭を覗いた。すると、

 

「げ……」

 

 門近くに停車している豪華な竜車、そしてその側に立つ貫禄のある老人が目に飛び込んできた。それもただの老人ではない。ルイスが苦手意識を持つ数少ない人物である。

 名をヴィルヘルム・ヴァン・アストレアという。今は旧姓のヴィルヘルム・トリアスを名乗っているが、ルイスの親友にしてライバルの祖父にあたる男だ。それだけならば何の問題もないのだが、ヴィルヘルムは十年以上前に家を飛び出しており、アストレア家との関係は複雑になってしまっている。

 家を飛び出してからは三大魔獣の一つ、白鯨を追っているらしい。神出鬼没の魔獣を十年以上も追い続ける姿はどこか狂気を感じさせ、積極的には近付きたくない。

 

「あの人がいるって事はクルシュ様も来てるのか?」

 

 ヴィルヘルムは現在、エミリアと同じく王選候補者の一人クルシュ・カルステンに仕えている。となれば、クルシュが来ているかもしれないという推測にたどり着くのは当然のこと。

 そしてクルシュが来ているならその騎士であるフェリスも来ているだろう。フェリスは近衛騎士団の中でも仲が良い(とルイスが思っている)人物トップ5に入っている。先日ラインハルトとの模擬戦の際ちょっとした事故があったが、友人として顔を出すのもいいだろう。と、思ったが、

 

「やっぱり眠いからいいか」

 

 別にわざわざ会いに行く必要もないかと思い直してルイスは再びベッドに伏した。何かあれば呼びに来るはずだ。そう、わざわざ自分から赴く必要はないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、ルイスが叩き起こされる事なくフェリスは話し合いを終えて帰還した。どうやら王選関係で明後日に王都へ出発するらしく、そのついでに魔獣騒ぎの時にゲートを損傷したスバルの治療をしてもらうらしい。

 スバルは王選関係の事に首を突っ込む気満々だったようだが、エミリアはそうなると思ってスバルが王都へ行くのは反対していた。実際にはスバルのゲートを治療してもらうには王都にいるフェリスの元を訪れる必要があるので避けられないのだが。

 スバルは絶対に無茶をするからとはエミリアの言だが、ルイスとしては別にスバルが王選に関わろと関わらなかろうとどちらでも良い。ただ、関わった方が面白くなりそうだとは思っている。

 

 そしてあっという間に明後日。朝からの出発なので朝食が終われば皆慌ただしく王都行きの用意を始めた。それは普段ふざけいているロズワールも同じ事で、普段と変わらないのはルイスと禁書庫に籠っているベアトリスぐらいだった。

 

「ほらほら!出発の時間だぞ!」

 

 ドンッ!とルイスの自室の扉が開かれた。声の主はラムにケツを叩かれたスバルだ。

 

「はいはい、今行くから」

 

 ルイスは怠そうに立ち上がり、辺りを見渡した。部屋にはほとんど物が置かれておらず、探し物ならすぐに見つかる。だが、スバルの前でルイスは視線を二周三周と回す。

 

「ん?どしたの?」

 

「しまった!取りに行くの忘れた!」

 

「取りに、って何を?」

 

「そんなの……剣に決まってるだろ」

 

 ルイスは膝をついて悔しそうに言った。

 

「剣ならあるじゃん」

 

 スバルは漆黒の剣を指差して言ったが、ルイスが探しているのはそれではない。

 ルイスが探しているのはラインハルトとの模擬戦用の剣だ。前回使った物は灰となってしまったので新しい物を用意しなければならなかったのだが、今度、また今度と思っているうちに今日という日が来てしまったのだ。ルイスの実家にはいくらでも剣はあるので取りに行けばいいだけの話なのに面倒がっていた結果がこれだ。

 因みにラインハルトの中では必要な時には必要なだけ剣が手元に来る事になっているのでラインハルトが持ってくるという選択肢はない。

 

「くっ、こうなったらロズワールの野郎に頼むしかない。こんなでかい屋敷なんだから剣の一本や二本はあるだろ」

 

 スバルをおいてルイスは早々に立ち去った。

 

 ロズワールの元へ到着するなり「なんでこんなガラクタしかねぇんだよ」「借りる側なのにずーぅいぶん態度が大きいじゃーぁないか」「こら、喧嘩しないの」とひと悶着あり、一行は王都へと出発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、ルイスは?」

 

「ルイスなら制服を取りに行くってラインハルトの所に行ったわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王選候補者が王城へ召集されたのはエミリア達が王都へ到着した翌日となっている。そのため、ルイスを除いたエミリア一行は宿で一夜を明かした。

 ルイスは制服を取りに行ったついでにラインハルトの所で一夜を明かし、その足で王城へと向かった。

 

「あーあ、今回の模擬戦はお預けか」

 

「すまないね。今は君との模擬戦に耐えうる剣がないんだ」

 

「そうだろうと思ってたけどさぁ」

 

 王城に到着してからもルイスとラインハルトは近衛騎士団が勢揃いする中遠慮なく喋っていた。

 普段は面倒がって動こうとしないが、ラインハルトが絡むとその限りではないのがルイスという男だ。

 

「今回の模擬戦は休みかい?ふっ、それは残念だ」

 

 二人の会話に割り込んできたのは紫色の髪をなびかせるユリウスだ。いつも模擬戦の立会人をしてくれるのでお世話になっている人物である。

 口では残念などと言っているが、その顔はどうみても残念そうには見えない。それどころかいつにも増して爽やかな顔をしているように見える。

 

「なら変わりに模擬戦するか?ユリウス」

 

「稽古をつけてくれるというなら私としては断る理由はないが、出来れば君よりもラインハルトに頼みたいものだ。私の実力では君たちといきなり実戦をしても得られるものはほとんど無いからね」

 

 ユリウスが稽古相手にラインハルトを望むのはしっかりとした理由がある。ルイスとラインハルトの間に実力の差はほとんど無い。ならば何故ラインハルトを望むのかといえば、それは一重に稽古時の指導の違いがあるからだ。

 例えばルイスがユリウスに稽古をつけた場合、中途半端に実力があるためほとんど実力形式のものとなり、指導の際も「ここでこうだ!」「ここをスッとしてドンッだ!」などのほとんど何を言っているのか分からないものとなってしまう。

 対してラインハルトの場合は『剣聖の加護』によって何がいけないのか、何が足りないのかが明確に理解出来るため、相手にとって必要なアドバイスを的確に与える事が出来るのだ。

 

「そういえばフェリス、うちのスバルがお世話になるみたいだな」

 

「ああ、その事ならもう対価は貰ってるからお礼は……」

 

「またロズワールの野郎と何か企んでないだろうな?俺はまだあの屈辱の日々を忘れてないぞ」

 

「屈辱の日々ってそんにゃ大袈裟な……」

 

 ルイスの言う屈辱の日々とはフェリス作の猫耳を付けて過ごし日々の事である。確かに大袈裟な話だった。

 

 そうして近衛騎士団に所属する者同士仲を深め合っていると最初にクルシュ、続いてアナスタシア、エミリアが登場した。

 そしてかなりの時間を置いて最後にプリシラが満を持して登場、したのはいいのだが、その側には何故かスバルが着いていた。

 

「スバル!?どうしてここに……」

 

 それに一番動揺していたのはエミリアだった。スバルには宿で待っているように言ったし、レムを監視につけていたからだ。

 エミリアはスバルに詰め寄ろうとするが、その動きは王不在の現在国政を取り仕切っている賢人会の面々が入場してきた事で中断された。

 王選候補者は近衛騎士団や貴族たちが並ぶ前で横一列に並び、プリシラと共に遅れて来たスバルとプリシラの護衛か騎士と思われる兜の男は近衛騎士団の列、ルイスたちのすぐ側に加わった。

 

「やあ、スバル。久し振りだね」

 

「おお、ラインハルト。盗品蔵の時以来だな」

 

 スバルが最初に話しかけたのは赤髪の好青年ラインハルトだった。

 

「ルイスから話は聞いたけど元気そうで何よりだよ」

 

「俺がルイスから聞いた話の半分以上はお前のことだったから、まぁ、元気だとは思ってたよ」

 

 実はスバルがルイスに話を聞く時、その内容のほとんどにラインハルトが絡んでくるのだ。

 魔法の話になれば、どう使ってラインハルトを倒すだの、魔獣の話になれば以前ラインハルトと競争してたらいつの間にか魔獣がいなくなっていただの例を挙げればきりがない。

 それはまだ良い方で、平野で斬撃の威力比べをしようとしたが色々あって途中で諦めた話などを聞いている内にスバルの中でルイスとラインハルトの二人は別次元の住人になっていた。今さら風邪の一つでもひいたなどと言われてもとても信じる事は出来ない。

 

「それより、来るなって言われてたのにどうやって来たんだ?」

 

 ここは王都の中でも最重要施設の王城だ。ましてや今は未来の王を決める王選に関わる行事の最中。いくら口で説明したとしても立場上の主人であり、身元が保証されているエミリアやロズワールなしのどこの馬の骨かも分からない人物がこの場所に来る事は不可能のはずなのだ。

 

「来る途中であいつに拾われてさ」

 

 そうしてスバルが視線で示した先にいたのは豊満な胸を惜しげもなく強調するドレスを着こなすプリシラだった。

 

「なるほどな。でもお前、何かやらかしてないだろうな?最悪後で面倒くさい事になるぞ」

 

「いや、何もやらかしてない……はずだ」

 

 プリシラはエミリアと対立する立場にある。何か粗相をすれば後で取り返しのつかない事態に陥る可能性があるのだ。それはルイスとしても遠慮したい。

 

 ともあれ話は無事に進み、待機していたフェルトが入場し、王選候補者達は順番に演説のようなものを繰り広げていった。龍に盟約を忘れてもらうというクルシュや欲のために国を手に入れようとしているアナスタシア、自分が勝つと確信しているプリシア。なかなか個性的でおもしろい面子が集まっている。と、ルイスは呑気に考えていた。

 

 そうしているうちにエミリアの番が回ってきた。

 

「では次に、エミリア様」

 

「はい」

 

 近衛騎士団長に呼ばれ、エミリアが前に出る。かなり緊張しているようで体はガチガチだ。だが、問題はエミリア自身よりも周囲の人間だった。

 様々なところから「銀髪のハーフエルフ……」や「嫉妬の魔女……」などの声が聞こえてくる。

 

「落ち着けスバル」

 

「っ、ルイス。お前はなんとも思わねぇのかよ」

 

「いいから大人しくしとけ。今はな」

 

 そしてエミリアと共にロズワールが壇上に上がり、エミリアが王選候補者になるに至った経緯を話した。そこまでは先ほどまでの王選候補者たちと同じだ。

 しかし、やはり一筋縄ではいかない。

 

「銀髪の半魔など招き入れるだけで恐れ多いと何故気付かない。穢らわしい」

 

 賢人会の一人、ボルドーがそう言ったところでスバルの我慢が限界を迎え、爆発――する前にカンッとしう金属質な音が響いた。

 その音はスバルのすぐ近くから発せられていた。振り返るとルイスが神剣の鞘を床に打ち付けていたのだ。

 

「さっきから半魔だの嫉妬の魔女だの言っている馬鹿は誰だ」

 

 場が静まりかえっていた事もあって普段の能天気な態度からは想像もつかないような冷たい声があらゆる者の耳に届いた。

 

「ば、馬鹿だと!?」

 

 それに反応したのはボルドーだ。

 

「だってそうだろう。エミリア様は俺の主だ。ただの濡れ衣で穢らわしいとまで言われれば当然俺も良い気分じゃない。その言葉は俺も聞き流せるものじゃない。なんなら今すぐ戦争してエミリア様を王にしてもいいんだぞ」

 

「貴様ぁ!何を言っているか分かっているのか!」

 

 ボルドーは顔を真っ赤にして叫ぶ。

 その時ロズワールがルイスとボルドーの間に立った。

 

「ルイスくん。まさか自由奔放主義の君がこーぉんな短慮に走るとはねーぇ。驚きだよ。即刻謝罪して取り消したまえ」

 

「取り消さねぇよ」

 

「そうかい」

 

 ロズワールを中心にマナの奔流が激しくなる。

 近衛騎士の面々も思わず後退りしている。それほどに力の激流は膨大だった。だが、ルイスは一歩も動かずその目線の先にロズワールを捉えている。

 

「ロズワール。俺に勝てるつもりでいるのか?」

 

「もちろん勝てないだろう。――一対一の状況ならね」

 

「どういう意味だ」

 

「こういう意味さ」

 

 そう言いながらロズワールは火のマナを操り炎を出現させた。それもただの燃える炎ではなく豪炎ともいえる巨大な火球だ。存在するだけでこの場にいる者の肌を炙る。

 

「確かに君の力ならこれを無効化する事も容易いだろう。だが、この場で君は本気が出せるのかな?一歩間違えば同僚、あるいは賢人会の方々を巻き込んでしまうこの場で」

 

「――――」

 

「抵抗はしない事を勧める。何人かは巻き込んでしまうかもしれないが、それも含めて君への懲罰としよう」

 

 普段のふざけた態度を欠片も見せず、ロズワールは淡々と告げた。

 

「何人か巻き込むかもってふざけんな!」

 

 それに割り込んだのは今まで黙っていたスバルだった。他人の喧嘩に無意味に巻き込まれるなど許容出来る事ではない。だが、

 

「ふざけてなどいないさ。君は元々来るなと言われていた場所に来たんだ。何かしら罰があって然るべきだと思わないかい?」

 

「っ……」

 

 スバルは元より正当な理由があってこの場にいる訳ではない。更に言えば、主であるロズワールの許可も受けていない。たまたまプリシラについて来ただけで不法侵入と言われても文句は言えない立場なのだ。

 

「そうだ。そうして大人しくしているといい。――アル・ゴーア」

 

 巨大な火塊がルイス、スバルの元へと迫る。

 スバルは不安になって視線をルイスに合わせると、ルイスは剣を抜く事もせずに直立不動であった。

 死んだ。スバルはそう覚悟したが、いつまで経っても地獄の業火が身体を炭にする事はなかった。

 

『ニンゲン風情がボクの娘を目の前に、言いたい放題してくれたものだ』

 

 そこには炎の残像はなく、白い蒸気が漂っている。そして目線を上げるとそこにはスバルもよく知る猫型精霊が腕を組んで見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの一触即発という空気は実は芝居だったと聞かされてスバルは腰が砕けそうになり、なんとか耐えた。

 さっきのは冗談だけどいざとなったら本気で戦争するよというような内容でルイスは賢人会に謝罪し、ロズワールとパックもエミリアの力を知らしめるためだったという内容で謝罪した。

 しかも耳打ちでスバルが聞いた事によれば、ルイスはあの状況でも周りに被害を出さずにロズワールを制圧出来るらしく、あの時は前もって手を出さないように言っていただけで本来ならラインハルトも黙っていなかったらしい。

 スバルとしては前もって何も聞いていなかったので文句の一つでも言ってやりたかったが、芝居中の台詞だったとはいえこの場に来るなと言われていたのは事実だ。文句は呑み込んだ。

 

 そうして話は円滑に進んでいくかと思われたが、パックにもビビらなかった賢人会の一人、マイクロトフが爆弾を投下した。

 

「ところで、そちらの御仁はどういった立場になるのですかな?」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪意の気配

 

 

 目を開けるとそこには知らない天井、ではない。これで見るのは二度目になる。一度目はほんの数十分前。実は今も寝ていた訳ではない。布団に潜って目を瞑っていただけだ。

 

「どうしろって言うんだよ……」

 

 スバルは起き上がり、先ほどのエミリアとのやり取りを思い出す。否、あれはそんなものではない。ただの子供のような言い合いだ。頭に血が上って心にある事ない事を構わずぶちまけたのだ。

 もちろんスバルにだって言い分はある。エミリア好きを公言し、エミリアのためなら命だって懸けられるスバルが彼女を傷付けるような事を言う訳がない。全てはあの呪いのような制約のせいだ。

 

 他人に“死に戻り”に関する事を伝えようとすれば時が止まり、魔女が心臓を掴みにやって来る。今まで何度か他人に伝えようと試みたが、それのせいで伝えられず終い。エミリアにも言う事は出来なかった。

 

 結果、一番言いたい事は言えず、エミリアとの仲を自ら引き裂くような事を口にしてしまった。

 

「エミリア……」

 

 今のスバルに出来る事はない。

 出来るのは精々エミリアが去り際に投げ捨てて行ったローブを握りしめる事ぐらいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スバルの様子はどうだった?」

 

「怪我とかは大丈夫そうだったけど元気かどうかって聞かれると答えに困るって感じだった。なんかエミリア様と喧嘩したみたい」

 

 スバルはマイクロトフにどういう立場なのか尋ねられ、エミリアの騎士を名乗った。そしてその行動が騎士団から反感を買う事となり、騎士団を代表したユリウスに完膚なきまでに叩きのめされたのだ。

 ルイスとラインハルトはそこまでする必要はなかったのでは、と思っているが。

 

「そうか、スバルがエミリア様と……」

 

「もう明日には屋敷に帰る事になってるから喧嘩別れみたいな形になったな」

 

「……どうでもいいけどよー、てめーらここで暗くなる話止めろよ」

 

 ルイスがラインハルトと話しているのはフェルトに与えられた控え室の中だ。本来ならルイスはエミリアの控え室にいるはずなのだが、今のエミリアはとても話し掛けづらい空気を放っていたので相手をロズワールに押し付けて逃げてきたのだ。

 ルイスがスバルとエミリアのやり取りを知っているのも本人たちから聞いたのではなく、ただスバルが眠っていた部屋の前で盗み聞きしていたに過ぎない。

 

「そうだな、ラインハルトと二人で話したい事もあるし、ちょっと外に出るか。フェルト様の護衛は他にもいるんだろ?」

 

「そうだね。じゃあフェルト様、ここで大人しく待っていて下さい」

 

「分かってるっつーの」

 

 腕を組んでドスッと腰を下ろしたフェルトに背を向けてルイスとラインハルトの二人は部屋を後にした。

 そして向かったのは練兵場の待合所だ。今は誰かが使っているという事はないので人通りはない。

 

「僕と二人で話したい事というのは?」

 

「ちょっとな、スバルが気になる事は言ってたんだよ」

 

「気になる事?」

 

「ああ。エミリア様はあの盗品蔵の事件で初めてスバルに会ったって言ってるけどスバルはそれよりも前にエミリア様と会ってて、しかも何かで助けられたらしい」

 

 いつ、どこで、どのように助けられたかは言っていなかったが、スバルは確かにそう言っていた。壁越しではあるが、ルイスは耳は良い方だと自負しているし、スバルもエミリアも感情的になって声を荒げていたので聞き間違えはしない。

 

「二人ともとても嘘を言ってるようには聞こえなかったし」

 

「なるほど、それは確かに気になるね。いや、そう言えばあの事件の前に僕が初めてスバルに会った時はエミリア様を探していたみたいだった。今にして思えば盗品蔵で何かが起こるのを知っていたような口振りでもあったかもしれない」

 

 ラインハルトの言葉を受けてルイスは顎に手を置いた。

 以前からスバルの事で頭に引っ掛かっていた事がある。危険性があるものではなかったし、気のせいで済ませられる範囲のものだったので放置していた程度の事だ。このまま何もなければ忘れ去っていたかもしれない。

 しかし、それが徐々に点と点が線で繋がるように、現実性のあるものに変わっていく。

 

「……俺がお前のところの別邸から緊急で帰った時があっただろ?」

 

「そんな事もあったね。詳しい話は聞いていなかったけど」

 

「実はあの時屋敷の近くの村の子供が魔獣に連れ去られるって一大事が起こってたんだけどな、一番の功労者がスバルで子供たちを探し出したのもスバルらしい」

 

 それはエミリアから聞いた情報でもあり、レムから嬉々として語られたスバルの武勇伝でもある。実際に目にした訳ではないが、とても素晴らしい働きだと言える。それこそ近隣の村で英雄だと呼ばれてもおかしくないだろう。しかし、

 

「偶然かと思ってたが、よくよく考えてみるとこれと言った特殊能力も無いスバルがあの時いなかったロズワールは例外としてもエミリア様やパック、鬼化出来るレムや千里眼を使えるラムよりも早く事態を察知出来るとは思えない」

 

 そう、ルイスがスバルと過ごした感じで言うと、スバルには特筆すべき能力は何もなかったはずなのだ。強いて言えば本人の明るさが目立つといえば目立つが、こと戦闘において発揮されるような能力は感じられなかった。

 それが屋敷の他の人間よりも早く異常を認められるなど普通はあり得ない。

 

 しかもパックに聞いた話ではスバルはウルガルムに付与された呪いをベアトリスに解呪してもらったらしい。より親しかったはずのパックではなくベアトリスに、だ。

 例えばスバルがエミリアと談笑している時にパックが呪いに気付いて解呪してもらったとする。これならまだ分かる。パックが偶然スバルの身体の状態でも探ったのだろう。おかしいところはない。

 だが、それがベアトリスなら?話は少々変わってくる。親しくもない相手の身体を心配したりはしないだろう。つまりかなりの確率でベアトリス側からではなくスバル側から呪いないしは身体の状態についてのアプローチがあったという事になる。

 そうなれば必然的にスバルはウルガルムの事や呪いの事を知っていた事になる。

 

「そんな一大事にロズワール辺境伯は留守にしていたのかい?」

 

「ああ。あの野郎、肝心な時に役に立たないからな。……って、そんな事は今はどうでも良い」

 

「すまない。話が逸れたね。それで?」

 

「これから起こる事を示唆するような言動に常人よりもかなり優れた状況察知能力。ラインハルト、お前の話とこの話を合わせると一つの可能性が浮かぶだろ」

 

 スバルのこれから起こる事を見通したような行動は魔獣騒ぎだけでなく盗品蔵の事件でもあった。さすがにそんな偶然がそんな短期間に何度もあるだろうか。

 ルイスが考えているところへラインハルトもたどり着いたようで、驚きを含んだ声をあげた。

 

「まさか……!スバルは未来が見えているとでも言うのか!?」

 

「あくまで仮説だけどな。でもそう考えると辻褄が合うような事はないか?」

 

「否定は出来ない。あの時のスバルは迷いなく盗品蔵の方向へ歩いて行っていた」

 

「そこで一つ聞きたいんだが、未来が見える加護みたいなのは存在するのか?」

 

 ラインハルトは望んだ加護を授かる事が出来る。加護の事を聞くにはこれ以上の適任はいない。

 

 そのラインハルトは目を閉じ、考え込むように少し黙るとゆっくりと瞼を持ち上げた。

 

「…………結論から言うと分からない。僕はどんな加護でも授かる事が出来るが、例外もあるんだ。身近な例で言うと君の『戦神の加護』。それは僕がどんなに望んだとしても授かる事は出来ないんだ」

 

「つまり、ラインハルトが手に入れられないだけで未来視の加護的なものはあるかもしれないのか」

 

「役に立てずすまない」

 

「いや、気にしてないさ。話は戻るが、スバルが過去にエミリア様と会った事があるって言ってた事はその未来視的な能力と関係があると思うか?」

 

「どうだろう。もしかすると、そのエミリア様と会ったという時間よりも更に過去に視た未来の中で救われた、という事かもしれない。でも、その場合は視た未来と違った未来が訪れたら事になるのか……」

 

「ダメだな……今考えただけじゃ、答えにはたどり着けない。今度それとなく聞いてみる事にするか」

 

「僕の方でもそういう能力を持った人間が過去にいたかどうか調べてみる事にするよ」

 

「じゃあ俺はそろそろ戻るわ」

 

 そう言って席を立ったルイスに背後から声が掛かった。

 

「ルイス」

 

「なんだ?」

 

「君も色々ものを考えられるんだね」

 

「ハハハ…………ぶっ飛ばすぞ?」

 

 と、密会のように議論していた訳ではあるが、例えスバルが未来視もしくはそれに近しい能力を持っていたとしても別段何かをしようという訳ではない。

 味方であれば何も問題は無いのだから。そう、味方であれば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロズワール邸に帰還してからはや二日。

 スバルとレムは王都にあるクルシュの屋敷におり、ロズワールは挨拶回りとやらで不在のためロズワール邸の人口密度は約半分となっている。更にはエミリアの口数も減ってしまったので屋敷全体の雰囲気も心なしか暗くなった。

 

『……二日続けて蒸かし芋かよ』

 

『何?文句でもあるの?』

 

『文句しかねぇけど』

 

『ハッ。ラム一人だからこそ得意料理を振る舞ってあげようというこの心遣いが分からないなんて、さすがはイスね』

 

 というやり取りの中でもエミリアは言葉を発する事はなかった。それはいいのだが、問題は他にもある。

 朝食後、ラムがルイスの部屋を訪れたのだ。それも箒などの掃除道具を持たずにだ。今までこのような事は無かったし、そもそもラムの表情がいつもの見下すような目付きではない。どこかに焦りが見える。

 

「どうしたんだ?」

 

「森に怪しい気配があるわ。確認してきなさい」

 

「また魔獣か?」

 

「分からない。でも、ロズワール様が不在の今に何かが起こるような事はあってはならないわ」

 

「分かった。とりあえず俺は森を見てくるからお前はエミリア様のことを頼む」

 

「言われなくても」

 

 ルイスは普段着のまま腰に神剣モルテに加えてもう一本の剣を提げて部屋を出た。

 魔獣騒ぎの時は持参した剣をラインハルトと共々お釈迦にしてしまったのでモルテ以外の剣は持っていなかった。だが、今回は大丈夫だ。ラインハルトのところからちゃんと新しい剣を貰ってきているのだ。村人の剣を犠牲にする事もない。

 

 ルイスは屋敷を出ると早足でラムから報告を受けた森へ向かった。

 

 

「怪しい気配、か。確かに嫌な感じはするな」

 

 道中いくつかの魔獣を切り捨てながら森の奥へと進んでいく。

 

「はぁ。ロズワールは例のごとく不在、屋敷主戦力のレムも不在、スバルは能力も立ち位置もよく分からん事になっている。なんでこうも面倒な事が重なるかね」

 

 答える者はいない。ルイスの他に誰もいないのだから当然だ。

 

 当然のはずなのだが。

 

「ふざけてるのか……」

 

 振り向いた先には頭を黒い頭巾で覆い、黒いローブで全身を包んだ、魔女教徒と呼ばれるモノがいた。

 

「魔女教」

 

 腰の剣に手を置くと同時に一閃。見つけたら即刻殺せと言われている最悪の犯罪集団、魔女教に連なるモノは背後の樹木ごと切り刻まれた。

 それに反応するようにどこからか追加の魔女教徒が現れる。

 

「次から次へと……」

 

 短剣を取り出すモノ、火の玉を出現させるモノ、飛び付こうとしてくるモノ、全て遅い。

 過去に魔女教に村を襲われて大切な者を失ったという話などはいくらでもある。故に魔女教は危険であり世界の脅威なのだが、ルイスの敵とはなり得ない。

 一度の切り払いで集団の大半が散る。離れた場所からの魔法の攻撃、火の玉も氷の塊も風の刃も埃を払うような動作で無力化する。

 

「しつこい!」

 

 神速の突きで最後の一体を物言わぬ死骸にし、刀身の血をふりおとす。

 

「厄介な奴らが――――」

 

 厄介な奴らが来やがって、と言葉は続かなかった。

 何かに囲まれた。見えない何かに。

 

「――なんだこりゃ」

 

 何かがいるはずだが、しかしその声に答える者はいなかった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

選択

 

 

 最初に誰が言い出した事かは分からないが、人間が外界から得る情報は視覚から取り入れたものが八割を占めているらしい。どうやって調べたのか気になるが、非常によく的を射た説だと思う。

 目の前から歩いてくる人間を見て――それが本当に知らない赤の他人の場合を除いて――誰か判別出来ないなどという事はないだろうが、足音を聞いただけではどんなに親しい人間でも判別するのは難しい。というより不可能に近い。

 触覚についても同じ事が言える。例えば目の前に王選候補者が持つ徽章があったとする。視覚で捉えられればもちろんそれが何か分かるだろう。だが、視界が閉じられた状態なら?恐らくそれが特別な徽章だとは誰も思わないだろう。

 つまり何が言いたいかというと、

 

「透明な攻撃……」

 

 人間の重要な情報源である視覚からの伝達が機能しない目に見えない攻撃は実に厄介なものだ。

 

「魔法か? ロズワール辺りなら何か分かるかもしれんが……」

 

 視界に入る限り、黒い頭巾に黒いローブの魔女教徒は全て地に伏せている。にも関わらず、現在進行形で人間の五感には捕捉されない謎の攻撃がルイスへと迫っていた。

 

 森の奥から伸びてくる気配を頼りにその場を飛び退く。するとそれに反応するように黒い気配はルイスを追って来た。

 

「軌道が変わるのか」

 

 今度は90度方向転換し、真横に飛ぶ。するとやはり、不可視の気配はルイスを追った。

 避けようと思えばいくらでも避けられるし、なんなら逃げ切る事も容易だが、今の目的はそれではない。

 

 突如現れた魔女教徒、それだけでも一大事なのにそれに加えて見た事も聞いた事もない未知の存在だ。ルイスの目的は怪しい気配の確認。方向転換をしても追って来るような追尾能力のある謎の攻撃など怪しいにも程があるというものだ。

 

 いくら見えないと言っても人間の気配は分かる。ルイスに迫るものは人間の気配を放っていない。つまり、未だ見ぬ謎の存在は透明化もしくは背景同化と追尾機能のある攻撃、少なくとも二つの異能を持ち合わせているという事になる。どちらか一つだけでも普通の人間――ルイスやラインハルトを除いた近衛騎士団も含めて――には大変な脅威となる。

 どちらの能力も今までに見た事がない。認識阻害ならまだしも完全な無色透明化や背景同化の効果を持つ魔法は無かったはずだし、魔法による攻撃は一直線の軌道を描くようになっている。魔法ではなく加護や権能のようなものなのかもしれない。いずれにせよ、放っておく訳にはいかない。

 

「確かめるしかないな」

 

 ルイスは剣を振り、見えない存在を切り裂いた。

 腕には確かな感触が残っている。自身の気配察知能力を疑っていた訳ではないが、ようやく五感で捉える事が出来た。

 

 剣を片手に気配の発せられている元、森の奥へと進む。すると、木々の間を縫って先ほどと同じような不可視の攻撃が迫ってくる。ルイスは気配を読んで対応出来るから良いものの、ラムやエミリアなど他の人間ならば即効で戦闘不能に追い込まれてしまうかもしれない。

 自分が来ていて良かった、と食っちゃ寝生活の普段からは考えられないような事を考えながら切り払う。

 

 しばらく進んだところで木の生えていない更地が少し広がった場所に出た。

 そこには頭を抱えて身体を思い切り反らしながら何かを叫んでいるやせぎすな狂人がいた。

 

「お前は誰だ」

 

 会話が出来る相手かは分からないが、何も情報が無い状態で殺すよりも出来るならばある程度情報を引き出してからの方が良い。

 

 ルイスが呼び掛けると狂人は身体を反らした状態で首だけをこちらに向けてきた。

 

「私は魔女教大罪司教怠惰担当、ペテルギウス・ロマネコンティ……デス!」

 

「大罪司教……大物が来やがって」

 

 狂人は魔女教の大罪司教、それも“怠惰”を名乗った。“怠惰”といえば過去に何度も被害が報告されている、その名前に反して動き回っているが今まで撃破された報告のない討伐優先度最大の犯罪者だ。

 ルイスならば討伐する事など簡単だ。だが、相手は一人ではない。数も不明な魔女教徒を多数引き連れているのだ。更に今のところ――薄々分かってはいるが――目的も不明。

 

 舌打ちをしながら剣を引くと狂人は両手を広げて再び叫び始めた。

 

「怠惰なる権能、見えざる手!!」

 

 あの謎の攻撃が展開される。

 見えざる手というらしい。なるほど確かに、というよりそのままの名前だ。分かりやすくて大変よろしい。

 

 とはいえ、見えないだけではまだルイスの敵ではない。気配まで隠す事が出来れば相当厄介なものになるだろうが、今のところその様子もない。

 

 前後左右上下、全方向から迫る“見えざる手”に対して剣を振り抜く。対象は霧散した。

 

「馬鹿な……見えざる手が、魔女の恩寵が……あり得ないぃぃ!!」

 

 そして返す刃が相手の首へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クルシュの屋敷にお邪魔して数日。

 剣の稽古という事でクルシュの従者であるヴィルヘルムと木剣で打ち合いをし、当然のように地に伏せさせられる。今日だけでも何度も見られた光景だ。

 

「そろそろ、終わりにいたしますかな?」

 

 ヴィルヘルムのこの言葉も何度も聞いたものだ。その都度スバルはもう一本もう一本と言ってきた。だが、今回はそうはいかないようだった。

 

「どうやら今朝はここまでのようです」

 

 疑問形ではなく言い切ったという事は稽古の終わりを意味する。昨日はクルシュ用事で終了した。そして今日は、

 

「スバルくん、お話が」

 

 急いで駆け寄ってきたレムによって終了するようだ。

 レム自身、詳しい事は分かっていないが、双子の姉であるラムから激しい怒りや焦りが伝わってきたらしい。今は感じられないが、普段はこんな現象は起きずただ事ではないとの事だ。

 

 

 レムに連れられた執務室のような場所にはすでにクルシュとフェリスが待っていた。クルシュはいかにもな机に肘を置いて座り、その隣にフェリスが立っている。

 

「その様子だと話は聞いているようだな」

 

 少し息を切らし、呼吸が若干荒くなっているスバルを見てあくまで落ち着いた、凛とした声でクルシュが言った。

 

「漠然とした話しか聞いてないけどな。レムも詳しい事は分からないみたいだし」

 

 スバルの言葉にレムが頷く。

 それを聞いてクルシュは感嘆の声を漏らした。

 

「ロズワール辺境伯のところの双子の話は聞いた事があるが、ここまで離れた地でも情報を交換出来るとはな」

 

「スバルくんの言った通り詳しい事は分かりません。姉様なら話は別でしょうけど」

 

 あくまで謙遜するレムにスバルを置いてクルシュの視線が集中する。

 その細められた目で刺されるように見られるのは遠慮したいが、かといって放置されては困る。スバルは慌てて待ったを掛けた。

 

「今はそんな事どうでもいい。肝心な部分についての話をしよう。そっちは詳しい事も知ってるんだろ?」

 

 スバルがそう言うと、クルシュは先ほどレムに向けたものとは違った、呆れを含んだような目線を向けた。

 

「焦る気持ちも分かるがな、ナツキ・スバル。我々がもし……」

 

 そこで一旦溜めを作り、スバルを見る目線が射抜くような鋭いものに変わる。

 

「卿に情報を与える理由がないと言ったらどうする?」

 

「は……?」

 

「予想して然るべきな返答だろう。卿はそもそも当家が預かっている客人だ。それ以上でもそれ以下でもない。そんな人間に身内での情報をおいそれと話す訳がない」

 

 クルシュが言った事はまさに正論だった。レムも含めてスバルは治療のために一時的にお世話になっている客人に過ぎない。然るべき立場の人間でも商談の相手でもないのだ。そんな人間が情報をくれ、など甘すぎる話だった。

 

「クルシュ様。お戯れはそこまでに」

 

 どうやって情報を聞き出そうかと頭を働かせていると、助け船を出したのは意外な事にヴィルヘルムだった。

 ただの一従者であるヴィルヘルムの言葉がどの程度の影響力を持つのかスバルは知らないが、その一言で確実に場の雰囲気が変わった事を感じた。

 クルシュの視線もいくらか柔らかいものになっている。

 

「非礼を詫びよう、ナツキ・スバル。」

 

「へ?」

 

「今の言葉に大した意味はない。だが、卿にとってここはそういう場であるという事は意識しておくことだ。卿はただの客人ではないのだからな」

 

 突然の事にスバルは一瞬、何を言われているか理解をする事が出来なかったが、クルシュは話を続けた。

 

「さて、本題に入ろう。メイザース領とその付近で厄介な動きが見られるらしい」

 

「厄介な動き?」

 

「そうだ」

 

 クルシュから語られた事は簡単に言えばこうだ。

 曰く、ロズワールがエミリアを、つまりハーフエルフを支援すると表明した時点で予想出来ていた事だ。

 曰く、エミリアは味方であるロズワールの領地の領民からですらハーフエルフに対する偏見に晒される。

 曰く、ハーフエルフだという理由で各地から反発が起こる。

 曰く、曰く、曰く。

 そのほとんどが、否、その全てが人柄や性格を考慮しない種族や容姿だけが理由だ。その事実にスバルの中で怒りの感情が沸いてくる。

 

 ハーフエルフだから何だというのだ。銀髪だから何だというのだ。そんなもの関係ないじゃないか。大切なのは大昔の魔女ではなく今を生きるエミリア自身ではないのか。

 

「助けに行かなきゃいけないよな」

 

 エミリアには敵が多い。多すぎる。だからこそ、スバルが彼女を助けなければならないのだ。

 そう思って出た言葉だった。

 

「い、いけません、スバルくん!」

 

 それを真っ先に止めようとしたのはレムだった。だが、スバルは止まらない。

 

「今から急げば夕方には屋敷に帰れるはずだ。この緊急時、エミリアとの話も後でちゃんとすれば良い。まずは目の前の問題を解決してから――」

 

「ナツキ・スバル」

 

 頭の中で急速に計画を練り始めるスバルの半ば独り言と化した言葉をクルシュの透き通った声が遮った。

 

「ここから出ていくなら卿は我々にとって敵という事になる。が、一つ助言してやろう。どんなに急いだところで卿が今日中にロズワール辺境伯の屋敷に到着するのは不可能だ。少なくとも二日、三日はかかるだろうな」

 

「なんでだよ。来るときは半日もかからなかったぞ」

 

 前半に言った事も聞き流せる事ではないが、今のスバルにとっては後半に言った事の方が重要度が高かった。一刻でも早く屋敷へ戻ってエミリアの助けとならなければならないのだ。

 

「今は王都からメイザース領までの最短経路であるリーファウス街道に霧がかかる時期だ。必然的に街道を迂回する事になる。そうなればそのぐらいの時間はかかる」

 

「霧が何だっていうんだよ。そんなの突っ切って行けばいいだろ」

 

「霧を発生させてるのは白鯨。万が一遭遇したら命が無いじゃにゃい」

 

「卿のところにいる戦神や歴代最強の剣聖のレベルならその限りではないだろうがな」

 

 白鯨とスバルの知らない単語が出てきたが、会話の内容から察するに相当危険なものらしい。それもあのルイスのレベルでなければ生きて帰れないほどの。

 

「そうそう。エミリア様のところにはルイスがいるんでしょ? なら何も心配いらにゃいじゃにゃい。ね?クルシュ様」

 

「そうだな。奴で手に負えない敵が現れたとすればもう我々ではどうする事も出来ん。ラインハルトを連れていけばあるいは、といったところだ」

 

 突然話の方向が変わった。確かに魔獣騒ぎの際の大地切断ともいえる異次元の一撃を見た後ではルイスが負けるような場面は想像出来ない。だが、

 

「何が言いたい?」

 

 今は別にルイスの事は関係ない。なぜそんな話になるのかスバルは分からなかった。

 

「ここまで言っても分かんにゃいかなあ。何かあってもルイスがいれば大丈夫だし、もしルイスが負けるような事があったらもう諦めるしかない。スバルきゅんが行ったところで何も変わらにゃいってこと」

 

「そんなこと――」

 

「ないって言い切れるの?」

 

「っ……」

 

「止めてやれ、フェリス」

 

「はーい」

 

「そう悲観するものでもない。レムの共感覚が今は感じられないと言ったが、裏を返せば急を要する事態は脱したと見る事も出来る。とはいえ、最終的に決定を下すのは卿だがな」

 

 その考えはなかった。今まではラムがスバルやレムを関わらせないようにしていると思っていたが、共感覚でラムの感情を感じる事など平常時ではないとレムも言っていた。つまり今は平常時とまではいかなくてもエミリアの身に危険が迫るような事態ではないのかもしれない。

 

「スバルくん、今は身体を癒す事に集中しましょう。それから胸を張って帰りましょう」

 

 レムの言葉が決定打となり、スバルは椅子に座った。

 

 ――何でも一人で解決してしまいそうな化け物(ルイス)の存在を頭の隅へ追いやりながら。

 

 

 ナツキ・スバルは、留まる事を選択した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

襲撃者

 

「大罪司教、ですって……?」

 

「自称って但し書きが付くけどたぶん間違いないはずだ。権能ってやつも使ってきた」

 

「ちゃんと処理したんでしょうね」

 

「首を落としてからちょっとの間観察してみた感じ、復活とか超再生みたいな能力はなさそうだった。なんなら死体でも取って来ようか?」

 

「それは後でいいわ。問題は……」

 

「連中がこのまま引き下がるかって事だな」

 

 怠惰の大罪司教を名乗るペテルギウス・ロマネコンティを始末した後、ルイスは屋敷の玄関に待機していたラムと合流した。今は情報を共有している最中だ。

 

「大罪司教っていうリーダー……まあ、連中にリーダーって概念があるかっていう疑問は置いとくとして。リーダーを失った程度で奴等が止まるとは考えにくいな」

 

「それに関してはラムも同意よ」

 

「どうする? ここで様子見するか、王都にでも移動するか」

 

 現在魔女教徒が襲撃を仕掛けてくる気配はないが、それもいつまで続くか分からない。それにこの屋敷は四方を森に囲まれている。相手にとっては隠れる場所が多い最高の環境だろう。

 

「ロズワール様が不在の今勝手な事は出来ないわ。この辺りにはこの屋敷だけじゃなくてアーラム村もあるのよ。もしあそこが襲われでもしてそれを見過ごしたとあってはロズワール様の顔に泥を塗る事になるわ」

 

「そのロズワールがいないせいでめんどくさい事になってるんだけどな。あいつなら森中回って連中を焼き払うとか出来るんじゃないか?」

 

「そういうのはあなたの方が得意じゃないのかしら?」

 

「この辺を全部更地にしてもいいって言うなら簡単だけど」

 

「この辺り一帯はロズワール様の領地よ。ロズワール様の許可なくそんな事許せる訳ないでしょう」

 

 怪しい気配の正体が魔女教のものだと発覚した今、屋敷にいるルイス、ラム、エミリアの三人が別れる事は出来るだけ避けた方が良い。ルイスならまだしも、他の二人も戦闘能力があるのは知っているが、魔女教徒と真っ向からぶつかるのは危険だ。そして三人が纏まった状況で魔女教徒を殲滅するには一気に放射状に森の木々ごと吹き飛ばすのが一番安全で早いのだ。

 

「なら、今は様子見で待機するしかないか。ロズワールはいつ帰ってくるんだ?」

 

「詳しい時間はラムも聞いていないわ」

 

 実を言うと、今の状況でも助けを呼びに行くだけらなば不可能ではない。ルイスは最高速度を出せば屋敷から王都まで約十分で往復出来るのだから。だが、その場合の問題は時間だけではない。色々と説明をしなければならないし、ただでさえ今は王選の真っ最中。こんな辺境の地に魔女教に、それも大罪司教が出張ってくるような事態に対抗出来る戦力が用意出来るのか怪しいところだ。

 

「まあいいや。とりあえずは通常通りの生活でいこう。こんなに言ってるが、もう何もないって可能性もあるんだからな」

 

「そうね」

 

 今出来る事は何もない。ならばもしもに備えて英気を養っている方が何倍もいいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一夜明けたが魔女教に動きはなかった。

 

「村の方も大丈夫そうか?」

 

「ええ。アーラム村の方にも奴らの気配はないわ」

 

「そうか、なら良かった。……良かったんだが、なんだこれ?」

 

「はっ。ついに目までおかしくなってしまったのね。そんな哀れなイスのためにラムが教えてあげるわ。これは蒸かし芋よ」

 

「そんな事見たら分かるわ!」

 

 場所は調理場。料理人はラム。そして作り出された料理は例のごとく蒸かし芋。これで連続三日目である。

 

「さすがに三日三食全部蒸かし芋なんて食ってられるか!」

 

「馬鹿ね。ラムの一番の得意料理を食べさせてあげようというこの気遣いが分からないのかしら」

 

「それは何度も聞いた。もういい。それなら俺が作る」

 

「蒸かし方も知らなかったようなイスに任せる? はっ! なかなか面白い冗談じゃない。笑ってあげるわ」

 

「くっ、痛いところを……」

 

 一夜動きがなかった事で気が緩んだのかほのぼのとした空気が流れる調理場。本来ならば微笑ましい光景だ。だが、残念ながら和やかな時はそう長くは続かなかった。

 

 屋敷の外から轟音が響いたのだ。

 

「……油断したわ。奴らよ。ルイス、すぐに撃退しなさい!」

 

 珍しくちゃんと名前で呼んだラム。このような場面で、恐らく信頼しているからだろうが――ルイスはそう信じている――普段からそうしてほしいものだ。

 

「エミリア様は頼むぞ」

 

「もちろんよ」

 

 言うなりルイスは調理場を飛び出した。向かった先は玄関。この緊急時に律儀に玄関から出る必要もないのだが、すぐに戦えるようにという建前で片付けるのが面倒だった普通の剣やら神剣やらが置かれているのだ。

 

 すぐさま武器を回収したルイスは爆発音の聞こえる庭へと出た。

 そこには予想通り魔女教の狂信者たちが暴れ回っていた。黒いローブを纏っており、誰一人として素顔が見える事はない。見たくもないが。

 

 火の玉を掲げている者から短剣を持っている者、服装に対して統一性のない行動をとろうとする魔女教徒を全て剣の一振りで斬り捨てていく。大罪司教が一人で一国を落としたという話もあるが、ただの一教徒ごときではルイスの敵にはなり得ない。

 言葉が通じるのかも怪しい相手ではあるが、これでも一応は血の通う人間。身体を刃が通り過ぎると血飛沫が舞う。 

 

 ルイスが庭に群がる敵を殲滅するのに時間はそうかからなかった。

 

「敵は?」

 

 刀身を振って血を落としているルイスに声を掛けたのはエミリアを連れたラムだ。

 

「ここにいる奴らは全て始末した」

 

「そう、よくやったわ。それは燃やして――」

 

「待って、村が!」

 

 ルイスとラムで話を完結しようとしたところにエミリアが待ったをかけた。

 振り向くと、アーラム村の方から煙が上がっていた。

 

「っ……、しまった」

 

 ここにきてまさかただの火事なんて事はないだろう。

 魔女教の襲撃はロズワール邸だけではなかったらしい。同じロズワールの領地であるアーラム村も襲撃を受けてしまっている。

 

「奴らよ」

 

「お願い、ルイス。村の人たちを助けてあげて」

 

「分かってますよ。ラム」

 

「ええ。エミリア様のことは任せなさい」

 

 主人であるエミリアがお世話になっているロズワールが所有している領地に住む民、と言えば関わりがあるかすら怪しいレベルの他人であるが、だからと言って見捨てるという選択肢はない。主の命令だからというのもあるが、救える力があるのに見殺しにするのは人間として最悪である。

 

 ルイスは爆発的な加速でその場を離れた。行く先はもちろんアーラム村だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アーラム村はやはり魔女教の襲撃を受けていた。

 村への一本道を抜けた所で青年が一人、短剣を向けられている。ルイスは剣を抜くと青年に襲いかかる魔女教徒を斬り捨てた。

 

「あ、あなたは……」

 

「他の奴らは!」

 

「む、向こうの広場の方です」

 

 青年が指を指した方向からは大きな煙が上がっている。ルイスはその場で跳躍した。

 

「ヒューマ」

 

 氷属性の魔法のなかでも最弱の詠唱。ルイスの周りに拳ほどの大きさの氷が出現した。魔女教徒相手にはあまりに心許ない。

 だが、それはこの礫を魔法としてそのまま射出した場合の話だ。

 

 十数個の礫を両手に一つずつ掴み、それを広場の方へと投げる。更にもう一つ、もう一つと常人には視認する事すら叶わない速度で投げる。

 全て投げ終わったところで広場に着地した。

 

「遅かったか……」

 

 魔女教徒は漏れなく氷の礫の餌食となったが、倒れているのは魔女教徒だけではなかった。

 

「すまない。もっと早く来ていれば」

 

「ルイス様のせいじゃありませんよ。こうして助けにきてくれただけでも……」

 

「怪我してるのか」

 

 ルイスは治癒を司る水のマナを腕から血を流す中年の男性に流し込んだ。魔獣騒ぎから王選開始までの間に飛行魔法と並行して主にスバルを実験台に練習した治癒魔法だ。青の名を冠するフェリスには足元にも及ばないが、応急措置ぐらいならば問題ない。

 

 近くに倒れている領民は残念ながら手遅れだ。心臓が完全に止まったわけではないかもしれないが、どの道ルイスの腕では助けられない。

 

「一先ずはここにいる奴らだけ。怠惰は死んだはず。一体何がしたいんだ」

 

 不吉な死体を火魔法で燃やしながら考える。

 快適な仕事場を提供してくれている主人には悪いが、魔女教の目的は恐らくエミリアだ。銀髪のハーフエルフ。嫉妬の魔女を彷彿させる彼女はその外見のせいで様々な事を言われてきた。関わると魔女教が動き出す、というのもその一つだ。

 ただの妄言も多いが、それだけは妄言と簡単に切り捨てる事は出来ない。何故なら、魔女教が崇めているものこそが嫉妬の魔女だからである。

 

 と、エミリアやロズワール邸が襲われるのはまだ分かる。が、それならばわざわざアーラム村を襲う必要はない。親玉である大罪司教を失った今、戦力を分散させるのはあまり上手い手とは言えないはずだ。

 こちらの戦力も分散させる事を目的としているならば、ロズワール邸を多方面から同時に襲うのが手っ取り早い。例えば、一つ目の集団は正面から、二つ目の集団は裏から、三つ目の集団は地下から、という具合にだ。

 敵から見れば、ロズワール邸を襲われれば応戦せざるを得ないが、エミリアたちの方が大切だと言ってアーラム村が襲われても助けに行かない可能性もある。結果的にはルイスを分断する事には成功しているが、それも効果があったかは怪しいところだ。

 

 とはいえ魔女教徒に考える頭があればの話で、無差別に暴れているとなると考えても無駄だが。

 

「ルイス、村の人たちは?」

 

「何人かは既に。屋敷の方に敵の増援は?」

 

「今のところはないみたい」

 

 そうしているうちにラムを連れたエミリアが合流した。村の状況の確認もしなければならないのでエミリアの方からこちらに来てくれたのは幸いだ。

 エミリアの声を久し振りに聞いた気がするが、今はそんな事を考えている場合ではない。

 

「ラム、村の人たちの被害状況を確認してくれ。俺は周囲を警戒する」

 

 エミリアよりも買い出しなどで頻繁に村に出入りするラムの方が適任だと思ってそう言ったのだが、返事はなかった。

 

「ラム、聞いてるのか? ラム」

 

「……この距離で聞こえないわけがないでしょう。そう何度も呼ばなくても聞こえているわ」

 

「いや、返事しなかったから」

 

「ロズワール様が不在の時に領民を守れないなんて、従者失格よ」

 

「今はそんな事気にしてる場合じゃないだろ。それを言ったらこの一大事にこの場にいない時点でロズワールは領主失格だ」

 

 いつもならここでロズワールを侮辱するなと反撃してくるラムだが、今回は何もなかった。

 

 村の真ん中にいきなり敵が現れる事はないだろう。いくら魔女教だといってもないと信じたい。

 来るならば森からだと辺りを付けてルイスは村の端に来た。そして森を睨む。

 

「これで終わり、じゃないよな」

 

 どうも今回は嫌な予感がするのだ。まだ何かあるような、そんな予感が。

 

 大罪司教は死に、第一陣、二陣も潰した。エミリアやラムという重要人物とルイスという最大戦力、村人という守るべき人々が一ヶ所に集まっており戦力を分散させる必要がない。狙いが何にせよ、恐らく次に狙われる場所も分かっている。村には食料もある。ルイスとエミリアは治癒魔法で怪我人の傷を治す事も出来る。おおよそ防衛戦の条件としては悪くない。

 にも関わらず何かあるという確信めいた予感がある。

 

 そしてその予感はすぐに正しいものとなった。

 

「まさか……」

 

 森の中から木々を薙ぎ倒しながら黒い気配が迫る。バキバキと木がへし折れる音が徐々に近付き、ルイスの目の前の木々が倒れた。

 敵の姿は見えない。だが、黒い悪意が虚空から確実に距離を詰めてきている。

 

 ルイスは何もない場所、否、何も見えない場所に剣を振るった。見かけ上は空を切ったようになるが、実際に何かを斬った感触は確かにある。

 

「怠惰の大罪司教は確実に殺した。復活したのか……?」

 

 これは昨日斬った“見えざる手”とやらに違いない。

 

「エル・フーラ!」

 

 不可視の触手が向かってきた方向へ風の刃を放つ。これで仕留めようとしているのではない。無論、これでやられてくれるならばそれに越した事はないが、これは飽くまで牽制用だ。

 

 ルイスが森へと足を踏み入れると、それはすぐに姿を現した。それは黒い装束を纏っており、他の魔女教徒と変わる部分はない。唯一違っているのは首から上を尖った覆面で覆っていないというところだけだ。

 だが、それよりも――

 

「昨日の奴と違うだと……!?」

 

 昨日討伐した大罪司教と顔が違ったのだ。そもそも性別からして違う。昨日の怠惰は男、今目の前にいるのは女だ。

 しかし、目の前の女から見えざる手が伸びてきたのは事実。まさか大罪司教は複数いるとでも言うのだろうか。

 

「おや、あなたは」

 

「お前、怠惰の大罪司教の何だ」

 

「――私はペテルギウス・ロマネコンティの指先……デス!」

 

「指先?」

 

 また分からない事が増えた。指先という謎のワード、まさかペテルギウス・ロマネコンティの手やあなたはの指先がそのまま人間になったなどという奇怪な話ではないはずだ。恐らくは何かを指す隠語だろう。

 

「あなたはいつも私の前に現れる。実に勤勉なことデス」

 

 お前と会ったのはこれが初めてだというツッコミは飲み込んだ。影から飛び出るように魔女教徒が現れたからだ。

 黒い装束たちはすぐ後に再び影の中に消えていった。これでただの顔合わせなら楽だったが、そのような単純な話なではないのは明白。

 

 先ほどの黒いローブたちがどこへ行ったか。そんなものアーラム村の方に決まっている。

 

「ああ、声が聞こえる。痛い、苦しい、熱い、怖い。実に勤勉で結構。それでこそ相応しい! 村の人間もあなたも半魔も全て魔女を復活させる試練の糧となるのデス!」

 

 ここにきてまた気になる言葉が増えた。

 魔女教は嫉妬の魔女を崇拝しているとは有名な話なので復活を目論むぐらいは当然予想して然るべきなのだが、試練とは? 村の人間やエミリア陣営の人間を殺す事が試練なのだろうか。

 

 本当ならばここで捕らえて尋問なりなんなりをするべきなのだが、そんな暇はない。

 ルイスは剣を抜いた。全く目の前の敵の正体は不明だが、昨日のペテルギウス・ロマネコンティと同じ権能を扱えるという事は分かっている。ならばここで仕留めておく必要がある。野放しにするのはあまりに危険過ぎるのだ。

 

 伸びてくる黒い気配を読んで斬り伏せ、自らを指先と称した女に接近する。見えない攻撃も気配を読めばただの触手攻撃だ。

 一瞬で敵の懐に潜り込み、右脇腹から左肩へと刀身を滑らせた。

 

「がっ……!?」

 

 反応出来ずにローブの上から血を噴き出す敵を置いてルイスは刀身を払い、村へと足を向けた。

 これならもう動けないだろう。心臓が止まるのも時間の問題だ。復活するかもしれないという懸念もある。同じような権能を使う謎も分かっていない。だが、それはこの場でどうこう出来る話ではない。

 

 その時、ルイスの背後で致命傷を負った女が動いた。

 

「油断怠慢すなわち怠惰。死ぬがいい……デス!!」

 

 まだ神経が繋がっているらしい右手にはいつの間にか短剣が握られている。女はそれを自らに突き立て、爆発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイスが広場に戻った時、幸いにもまだ魔女教の侵攻は始まっていなかった。

 

「ラム、奴らが来る。みんなを広場に集めてくれ」

 

「エミリア様、魔女教が来ます。戦闘の準備を」

 

 村人と何かを話していたラムと隅にいたエミリアにそう言うとルイスは周囲の警戒に入った。

 先ほどの大罪司教もどきの事はまだ伏せている。今は目の前の事に集中すべきで余計な事に意識を割いている暇はないからだ。

 

 元々ラムが状況を確認するために話を聞いていたため人が広場に集まるのは早かった。そして村人が全員広場に集まった頃、図ったように魔女教徒が現れた。

 決めた作戦はこうだ。

 

「ラムとエミリア様は村人の守護、俺は前で奴らを倒す」

 

 合計戦力と個々の戦力を鑑みるとこれが一番良い。ここにロズワールが加わればまた違った陣形も組めるのだが、いないものは仕方がない。

 

 地面を滑るように移動する黒装束を正面から迎え撃つ。

 投擲された短剣は全て叩き落とし、魔法は全て斬る。後ろには村人たちがいるための行動だ。ラムやエミリアがついてはいるが、流れ弾は無いに越した事はない。

 

 特に苦労する事なく魔女教徒を切り捨てていくが、そこでまたアレが現れた。

 

「っ……、三人目」

 

 視覚で捉える事は出来ないが、見えない魔手だ。

 ただし、今回の狙いはルイスではない。上から広場の方を狙っている。

 跳躍し、魔手を切り裂き、広場に戻る。

 

「気を付けろ……って言っても無理か。見えない攻撃が来るぞ」

 

 一先ず近くにいたラムにそう声をかけた。

 

「見えない攻撃?」

 

「触手みたいなやつを伸ばして攻撃してくる。多分、怠惰の大罪司教の権能……のはずなんだが」

 

「大罪司教は倒したと聞いたけれど」

 

「詳しい事は分からん。けどその権能を使える奴が複数いる」

 

 実際にルイスも詳しい事は分かっていない。ラムには厳しいかもしれないという事は分かっている。だが、何も知らせないよりも情報だけでも持っていた方が良いだろうという判断だ。

 

「どうしたの? 二人とも」

 

 そこにエミリアが合流した。

 

「詳しい事は分からないが見えない攻撃をしてくる敵がいる、と話を聞いていたところです」

 

「見えない攻撃……触れるの?」

 

「斬ることは出来るので触れはすると思いますよ」

 

 エミリアからの質問にルイスが答えた。向こうから攻撃してくるのだからこちらから干渉出来ないなどという事はないが、だからと言って対応出来るかと聞かれれば疑問が残るところだ。ラインハルトは大丈夫だろうが、気配だけで捕捉して対応出来る者がどれだけいるだろうか。

 

「こっちから来るのね?」

 

「ええ、まあ」

 

 エミリアは方向を確認すると、家の屋根に飛び乗った。ルイスもそれについていくと、見えざる攻撃が再び向かってきた。なのでルイスが斬ろうとすると、エミリアが魔法を発動した。

 

 正面に雨のような小さい氷の粒が降った。攻撃力など皆無の嫌がらせにすらならないようなものだ。だが、次の瞬間にはあられが効果を発揮した。

 

「なるほど、そんな方法が」

 

 魔手が通った場所には不自然に何かがあるようにあられが押し退けられ、視覚的に捉える事が出来るようになったのだ。これならばエミリアやラムでも対応出来る。

 

 それからはエミリアがパックと協力して指先と思われる権能使いを氷漬けにした。

 思っていたよりも戦闘能力が高く頭が良かったエミリアに感心しながらルイスは周囲の警戒へ戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――なるほどね。ここにくれば、の意味がようやく分かったよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

理不尽の1日・壱

 

 ――メイザース領が謎の大雪に覆われた。

 

 そんな報告を受けたのが二日前だった。

 

 ――メイザース領が消えた。

 

 そんな報告を受けたのが一日前だった。

 

 ――エミリアが、死んだ。

 

 そんな報告を受けたのがたった今。顔に影を落としたラインハルトが訪れた、たった今だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は止めたぞ。ナツキ・スバル」

 

「ああ知ってるよ。だが止まるつもりはねぇ。エミリアたんが死んだ……? あそこにはあのルイスがいるんだぞ? あの最強無敵の戦神が。今までも俺が出来なかった事を何事も無かったようにあっさりやってのける、あいつがいてそんな事になるわけねえだろ! ラインハルトも質の悪い冗談言いやがって。次会ったら一発殴ってやる」

 

「スバルくん……」

 

 いつも整った衣服を身に付け、誰にでも余裕を持って対応するあの『剣聖』が、俯きながら話す様子はあまり顔を合わせる事のないクルシュやヴィルヘルムはもちろん近衛騎士団で頻発に顔を合わせるフェリスですら初めて見たものだった。

 

 事の始まりはクルシュが商人からロズワールの領地であるメイザース領が突然謎の雪に覆われて銀世界となっているのを遠くから確認したという情報を仕入れた事だった。商人は情報が命とも言われている。ましてや相手は将来王になるかもしれない王選候補者だ。大した意味もないそんな嘘をつくのは百害あって一利無し。故に虚偽の情報だとは思わなかったが、それでも念のためクルシュは部下に真偽の調査を命じた。

 その翌日、その部下からもたらされた情報は商人から手に入れた情報よりも突拍子もないものだった。その内容はメイザース領に嫉妬の魔女が復活してやったと言われても疑わないような巨大なクレーターが生じていたというのだ。

 

 そこまで聞けば流石にじっとしている事は出来ず、元より()()()()の為にメイザース領周辺へ向かう筈だったクルシュたちと共に次の日の早朝にスバル、レムも出発する予定だった。

 

 そして更に翌日。いざ出発というところに件のラインハルトが現れたのだ。

 急いではいたが、ただ事ではなさそうだったので一同はラインハルトの話を聞く事になった。

 

 その内容を一同はすぐには信じられるものではなかった。その理由は大きく分けて二つ。

 まず一つはメイザース領に魔女教大罪司教が現れた事。それも同時に二人だ。ラインハルトによればよく話を聞く怠惰と強欲だという。大罪司教の中でもその二人は有名だが、同時に現れた例はない。片やその名に反して勤勉に被害を増やし続ける怠惰。片やたった一人で一国を堕とした強欲。どちらかだけならまだしも両者同時に現れるなど厄介どころの話ではない。

 

 もう一つは強欲の大罪司教があの『戦神』・『剣聖』の最強二人をもってしても倒せず、更にはみすみす撤退を許してしまったという事だ。先日クルシュはスバルに対してルイスが対応出来ない敵が現れれば我々は何も出来ないという事を語ったが、それよりも悪い敵が現れた形になる。

 これには誰もが絶句するしかなかった。

 

 現在、ラインハルトを追い出したスバルがメイザース領へ向かう為に準備している最中だ。話を聞いてからクルシュはメイザース領へ向かうのを一旦保留にする事になった。

 

「今まで世話になった。ありがとよ」

 

「なに、礼には及ばんよ。前にも言った通り私はエミリアとの契約によって卿の面倒を見ているだけだからな」

 

「ヴィルヘルムさんもお世話になりました。また稽古つけて下さい」

 

「ええ。いつでも」

 

 スバルが短く別れの挨拶を終えると、レムが主のロズワールに変わって礼をし、二人はクルシュの屋敷を出発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ……これ」

 

 目の前の光景を見てスバルがなんとか絞り出した言葉がこれだ。

 スバルとレムは竜車を降り、広がる死の領域の前に立ち止まっている。ちょうどスバルの足元から地面の質が変わり、徐々に沈むようになっている。正面を見るとその一望がよく見える。スバル風に言うならば隕石が落ちた場所のようだ。生物が生きている気配など微塵もない。

 

「これは……」

 

 流石のレムも言葉が出ない。メイザース領が消えたというひどく抽象的な話を聞いたが、確かにこれはそう表現するしかない。

 

 スバルは膝から崩れ落ちた。

 

「エミリア……」

 

 エミリアが死んだ。スバルはそう実感してしまった。あの時は感情的になって否定したが、よくよく考えればラインハルトがそんな嘘をつく筈がない。初めて会った時から今まで話した感じでもそうだし、ルイスから聞いた話でもそうだが、ラインハルトは冗談でもそんな事は言わない。言う筈がない。

 

「ルイス……ルイスはどこにいるんだよ!」

 

 ここまで考えて一番事に関わっているはずのルイスに一度も会っていない事に気付いた。

 ラインハルトの話ではルイスも敵に敵わなかったという話だったが、まさか死んだのか。そんな考えが頭を過り、空を見上げた瞬間。

 

「は……?」

 

 一面を覆う光がスバルたちの元へと迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遡ること二日。

 粗方の魔女教徒を狩り、不可視の魔手を扱う特殊個体も出てこなくなり、村人たちも一息つき始めた頃。妙に存在感のある、主張するような足音が村人たちが集まる広場へと響いた。

 

「僕は魔女教大罪司教強欲担当、レグルス・コルニアス。妻を迎えに来た」

 

 村人たちはもちろん、エミリアもラムも、そしてルイスまでもその瞬間何を言っているのか理解出来なかった。上下を真っ白の衣服で覆っており、髪の色、肌の色までが統一されたように白い。

 そしてその視線は、エミリアへと向けられている。

 

 一瞬の空白を置いてルイスは抜刀して飛び出した。足運びは全く素人のそれだが、ただの村人の筈がない。ただの無害な人間の筈がない。

 

 そしてそれはすぐに証明された。ルイスが振った剣が相手に当たった根元から真っ二つに折れてしまったのだ。

 たった今使用していたのは神剣ではないただの剣だ。故に直ぐさま刀身がなくなった柄を捨て、神剣モルテを抜刀した。

 

「なんだ、今の……」

 

 木々が薙ぎ倒されていくのを見ながらルイスはそう呟いた。

 ルイスの驚きは主に二つ。

 一つは業物とまでは言わないが、魔女教徒を多数屠った剣が折れた事だ。ラインハルトにも言える事だが、ルイスは物を斬る時、刀身をマナでコーティングしている。それを応用すれば木の枝で鉱物を切り裂く事も不可能ではない。強度もその都度変化させられるので強度を弱めれば折れる事もあるが、今回は強度を最大にしていた。この状態なら遠距離斬撃を使わない限りはラインハルトともある程度は打ち合える。それが綺麗に真っ二つ。普通はあり得ない。

 

 二つ目はモルテで斬った感触だ。まず前提として皮膚や肉を斬った感触が無かった。これだけならばとてつもなく頑丈だったという事で済む話だが、問題はそれだけではない。

 以前、ルイスはフェルトに実際に触らせて説明書したが、モルテは平常時には触れている者からマナを吸収するという性質がある。それは柄の部分も刀身も同じ事だ。現にルイスは今もマナを吸い取られ続けている。その分だけ周囲から吸収し直しているが。

 何が問題かと言うと、先ほど刀身が触れていた時、相手からマナを吸った感触が無かった。モルテはよっぽどの厚着でなければ衣服の上からでも問答無用でマナを吸い取る。あの状況ならマナを吸い取らないのはおかしい。モルテがマナを吸い取るのを止めるのは相手を相応しいと認め、真の能力を解放した時のみ。だが、当然ながら真の能力など発揮していない。

 

「ラム、エミリア様、戦闘と避難の準備を……ッ!?」

 

「ルイス!?」

 

 すぐに反撃してくる気配は無かったのでラムとエミリアに声を掛けた瞬間、ルイスの肩がパックリと裂けた。血飛沫が舞い、地面が赤く染まるが、その傷はすぐに塞がった。

 

「大丈夫です。それよりも」

 

 今の攻撃、気配が無かった。例え見えない攻撃であっても見えざる手のように気配というものはしっかりと存在する。気配が無いという事は存在しないという事だろうか。否、そもそも攻撃を受けている時点で存在しないなどあり得ない。

 相手の攻撃について分析が必要だが、そんな時間は無いようだ。

 

「あのさあ。僕がまず名乗ったんだから君も名乗るのが礼儀ってもんじゃないの? 名乗り合う事はお互いの事をよく知るための第一歩だ。だから僕はわざわざ自分から名乗ったわけ。僕の目当てはあくまで妻を迎えに来た事だけだから君たちに名乗る必要なんて無いのに人間関係を円滑にするためにわざわざ名乗ったんだよ。それに対する返事がこれ? 僕と妻の間に割り込んで来ただけでなくいきなり殴ってくるなんてどういう神経してるわけ? そりゃ、僕は誰とでもいい関係を築きたいと思ってるしそのためには僕の方からわざわざ気を使って接してあげないといけない事があるって事も分かってる。多少言葉遣いがなってなくても立場を理解してなくても僕は広い心で受け止める。人間関係っていうのは互いに支え合わなければいけないんだから当然の事さ。だから出来る事なら僕も広い心をもって許したいよ。けどさあ、人が気持ちよく話してる時に割り込んだだけじゃ飽きたりず、あまつさえいきなり殴ってくるなんて。それって僕の権利を侵害してるって事だよね」

 

 土煙の中から現れた影が腕を振り上げた。それに合わせてとっさにモルテを構えた。

 直後、ルイスの腕は剣ごと弾かれた。

 

「くっ……」

 

(権能ってやつか……)

 

 レグルス・コルニアスを名乗った人間を睨みながらルイスは頭を回転させる。

 神剣モルテはルイスの切り札的存在だ。ラインハルトの持つ龍剣レイドと違って、真価は発揮してくれないにしても好きなタイミングで抜刀出来る事からも分かるように使い勝手も良い。

 

 真価を発揮しないと言っても通常時の呪いのような副次効果だけでもかなりの有用性がある。例えば対象をすぐに無力化したいならば刀身を押し付けてマナを吸い上げる。すると相手はすぐにマナ切れを起こす。剣士といえども身体能力強化にマナは使われているし、魔術師は言わずもがななのでマナを無くせば拘束する事も容易い。

 そしてマナを吸収するのは人間からだけではない。魔法からもマナを吸収するのだ。故にモルテを魔法へ一度振るえば王国最強の魔術師であるロズワールの魔法であろうと文字通り吸収される。それは例え魔法でなくとも同様。マナを含んだ攻撃は悉く無力化出来るというわけだ。

 

 ところが今の攻撃はどうだ。モルテに触れたにも関わらず一切減衰させられた様子がない。

 

「話すか話さないかはその人の自由だ。誰にでも平等に言葉を話す権利はあるし、逆に話さない権利もある。僕は無欲な人間だから赤の他人に何かを強制させたりしようとは思わない。僕は自分の手の届く所にいる人と話せればそれで満足さ。それなのにさあ。君と来たら、自分の名前を名乗らないだけじゃ飽きたらずに今度はだんまりなわけ? ああそうさ。名乗らないのも自由、答えないのも自由だ。でもそれって君の自由を通すために僕の権利を侵害してるって事だろ? 君からすれば自分の自由が通ってさぞかし楽しいだろうね。自分の事しか考えない自己中心野郎が。僕の数少ない私財を、僕の権利を侵害するなよ」

 

「ラム、エミリア様を連れて急いでここを離れろ。あいつはヤバイ。危険度が怠惰の比じゃない」

 

「ちょっと待って。私たちがここを離れたら村人たちはどうなるの?」

 

「大丈夫ですよ。奴の狙いは多分エミリア様。さっも最初ずっとエミリア様の方を見てましたし。村人には興味が無いはずです」

 

 短くルイスが説明すると、ラムもエミリアも頷いて背を向けた。

 レグルスが村人を襲わない保証などない。むしろ積極的に襲ってくる可能性すらある。だが、先ほどのやり取り、と言えるかどうかは怪しいが、相手の言葉を信じるならば目的は妻と呼ぶ時に視線を向けていたエミリア。従者としては主の安全を確保するのが最優先だ。

 

 ルイスは神剣を改めて構え、長々と喋るレグルスへと向き直った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポタポタと赤い水滴が地面に落ちる。一定の間隔でそれは徐々に地面を赤く染めていく。その赤い雫の出所に視線を移した。そこにはピンクの髪にメイド服が特徴のラムだったものが木の枝にぶら下がっていた。かろうじて顔だった部分は確認出来る。そこでさえ半分か潰れて残った一つの眼は何の光も写していない。周囲には体のパーツだったものが転がっている。

 視線を落とした。純白のローブが真っ赤に染まっている。小さくルグニカ王国の紋章が刺繍された、ルイスのよく知るものだった。

 

「ああ……あ……」

 

「僕の大切な権利を侵害したわけだから当然君も大切なものを侵害されるよね。その薄汚い売女が僕の大切な権利と釣り合いがとれているかは怪しいけど。いや、怪しいどころか全然釣り合いはとれていないけど、ここで君が仲良く死ぬなら無欲な僕は満足しよう」

 

 結論から言うと、ルイスはレグルスを倒す事が出来なかった。

 あらゆる部位に斬撃を打ち込んだ。だが、意味は無かった。斬撃が効かない能力なのかと拳を打ち込んだ。蹴りを食らわせた。だが、意味は無かった。攻撃方法を変えた。火魔法をぶつけた。だが、意味は無かった。水魔法で内側からの干渉を試みた。だが、意味は無かった。風魔法で不可視の刃を放った。だが、意味は無かった。土魔法で生き埋めにした。だが、意味は無かった。氷魔法で礫を飛ばした。全身を凍らせた。だが、意味は無かった。陰魔法も、陽魔法も、意味は無かった。

 

「それにしても君、仮にも大切なものから目を離してそれを失うなんて自業自得じゃないか。あの淫女たちと同じで救いようがないな」

 

「ああぁぁぁあ!!」

 

 計画も考えも何も無い。ただただ感情に任せて剣をレグルスに叩き付けた。これで倒せるとは思っていない。だが、そうせずにはいられなかった。

 

「本当に学習しないな」

 

 もはやその場から動く事すらなかったレグルスが腕を振り上げた。

 何度も見た謎の攻撃だ。避ける事は出来る。しかし、ルイスは避けようとしなかった。

 

 何もかも、レグルスの言う通りだ。エミリアやラムがこうなったのはルイスが目を離したせいだ。レグルスから目を離したせいだ。魔女教徒が現れて村人の方へ向かったからといってレグルスを放置するなどしてはならなかった。

 

 少なくない血が飛び散る。ルイスの体が袈裟斬りにされたのだ。

 だが、ルイスは止まらない。構わず続けて振り下ろした。次の瞬間には傷は塞がっていた。

 

 腕が千切れた。構わず振り回し続ける。いつの間にか腕は元通りになった。胴体が蜂の巣になった。構わず斬り続ける。いつの間にか穴が開いているのは服だけになった。顔の半分が吹き飛んだ。構わず打ち続ける。いつの間にか整った顔が元通りになった。両足が千切れた。構わず下から斬り上げる。いつの間にか目線の高さは元通りになった。頭と胴体が離れた。神剣が地面に刺さる。いつの間にか足下は赤く染まる雪に覆われていた。神剣が地面から離れる。いつの間にか首は元通りになった。

 

 千切れた。潰れた。いつの間にか元通りになった。

 

「そこまでだ」

 

 異変を察知したラインハルトが現れたのは日が沈んだ後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラインハルトが駆けつけた時、既に深刻な事態に陥っていた。

 エミリアが死んだ事により顕在した本来の姿のパックにより魔力的な暴雪が発生。メイザース領のロズワール邸付近は人間が生きる事の出来ない極寒地獄と化した。アーラム村の村人はもちろん、森の魔獣まで問答無用で凍らされた。表面だけでなく、芯から凍っているので蘇生は不可能だった。

 そのままではパックは世界中を凍えさせるので、滅多に抜ける事のない龍剣レイドを抜き、マナへと還した。

 

 そしてラインハルトが次に向かったのはこの銀世界で生き残っていた二人の人間の元だ。パックを倒した事で雪は消えたが、そこには変わらず二人が留まっていた。

 

 しかし、そこでラインハルトが見たのは信じられない光景だった。

 ルイスが滅多に抜かない筈の神剣を抜いているだけでなく、それを無闇矢鱈に振り回している。更には相手が仰け反る事すらなく無傷で受け止めているのだ。

 同じような単調な攻撃を繰り返すルイスに対して相手は腕を振るだけで一撃一撃が致命傷となる攻撃を何度も与えている。

 ルイスだからこそ成り立つ出鱈目な攻防だ。ラインハルトでは回復が追い付かない。ルイスの回復能力はラインハルトと同じマナ超吸収体質と『戦神の加護』による自然治癒力強化の掛け合わせにより凄まじいものになっているのだ。

 

 普段と違う様子のルイスを見てラインハルトは慌てて止めに入った。

 聞けば、敵は魔女教大罪司教の強欲担当で、更にはエミリアや付き人が殺されてしまったのだという。冗談の様子もなかったのでラインハルトは討伐を試みた。だが、結果は振るわず。相手の攻撃は全て避けるが、こちら側の攻撃も通用しない為、戦局は動かず千日手となった。

 幾分かの時間が経った後、レグルスは黒い本のような物の中を見ると何かを呟いて去ってしまった。ラインハルトは止めようとしたが、止める手段が無かった為に逃亡を許してしまった。

 

 次にラインハルトが向かったのはスバルの滞在するクルシュの別荘だった。本当はルイスの方へ向かおうとしたが、戦闘の余波からか姿を見失ってしまったので先に居場所の分かっているスバルの元へ向かったのだ。そこで粗方の事情を説明、すぐに戻ってきて漸くルイスを見つけて今に至る。

 

「まずはスバルのところへ戻ろう。ここでは落ち着いて話をする事も出来ない」

 

「落ち着いて……? 落ち着けるわけねぇだろ! エミリア様が殺されたんだぞ。俺のせいで。手の届く所にいたんだよ。守れる距離にいた筈なんだよ。でも俺が選択を誤ったから、大切な人を失ったんだよ!!」

 

 善意からの提案だったが、それは今の状況ではあまり良いものとは言えなかった。

 

「今までだって勝てない奴はいた。お前や親父がいい例だ。でも、人を守れなかった事はなかった」

 

「ルイス……」

 

「あいつを、奴を倒さなければエミリア様やラムに顔向け出来ない」

 

 そう言ってルイスはどこかへ去ろうとする。だが、明らかにいつもと様子が違う。ラインハルトは前に立って進路を塞ぐ事でルイスを止めた。

 

「退けよ、ラインハルト」

 

「いいや、退かない」

 

 ラインハルトがこの場を通す気がないと分かるや否や、ルイスは神剣に手を置いた。やはり、様子がおかしい。

 

「退いてくれよ。俺は奴を殺さなければならないんだよ」

 

「尚更通すわけにはいかない。騎士としても、親友としても。今の君を向かわせるのは危険だ」

 

「うるさい! お前がその気なら俺はお前を倒してでも進む」

 

 ラインハルトはなんとか留めようとするが、効果は薄い。ルイスはついにモルテを抜いた。すると、見た者を呑み込んでしまいそうな漆黒の刀身が眩い光を放ち始めた。

 

「……さっきこいつがこうなってたら奴も斬れたかもしれないのに、なんで今なんだよ」

 

「ルイス、君は……」

 

「俺は本気だぞ。お前がここを通さないなら――」

 

 ルイスはモルテをおおよそ仲間に向けるような速度ではないほどの高速で振るった。

 直後、何かに進路を阻まれて甲高い音が響く。モルテを受け止めていたのは鞘から抜けたラインハルトの持つ龍剣、レイドだった。

 

「僕も本気だ。今の君を通すぐらいなら君を倒してでも王都へ連れ帰る」

 

 合図は無かった。しかし、同時に剣を振るい、互いに衝突させる。

 いつから存在したかも分からない謎の剣。純白の剣と漆黒の剣。龍の剣と神の剣。『剣聖』の剣と『戦神』の剣。

 お互いが譲る事なく真価を発揮した両者がぶつかり合う。その余波は通常の剣のぶつかり合いなど比べものにならない。その一振りは森を切り裂き、地面を抉る。それが永遠に続けばいずれ世界は滅びるだろう。

 

 一瞬の隙をついてラインハルトがルイスの脇下から斬り上げた。なんとか防御はするが、勢いは殺せず一般人には視認する事すら困難なスピードで雲を突き抜ける。ラインハルトは少ししゃがんで勢いをつけ、跳躍で雲を突き抜けた。

 

「まだ、考えは変わらないかい?」

 

「ああ」

 

「ここは雲の上。雲を足場と出来る僕と君とではどちらが有利かなど考えるまでもない筈だ。それでも止まらないと?」

 

「ああ」

 

 ルイスは飛行魔法を扱う事が出来る。故にこの場所においても戦闘は可能だ。だが、その場に留まるために魔法を使い続ける必要があるルイスと加護の効果で雲を足場とする事が出来るラインハルトとではどちらが有利かなどそれこそ戦闘に関して全く詳しくない者でも分かるだろう。

 

 普段よりも冷静さを欠いているルイスにも考える頭はある。だからこそ、卑怯と言われようともラインハルトの足場となっている雲を斬り払った。

 ラインハルトは跳躍で斬撃を躱したが、一瞬で足場を失う。しかしそれも束の間。その直後には逆再生のごとくラインハルトの元へと雲が殺到した。

 

「心配しなくても、後で『雲避けの加護』で相殺する」

 

 何事も無かったかのように雲に着地したラインハルトが自身を睨むルイスにそう言った。

 雲が集まった原理は簡単。ラインハルトが『雲寄せの加護』を取得したのだ。

 

「いい加減にしてくれよ。そこまで心配ならお前も一緒に来てくれればいいだけだろ」

 

「それは出来ない。そもそも僕には奴を仕留める手段がない。君もそうじゃないのかい?」

 

「まだ全力で斬ってない」

 

「全力でも倒せなかったら?」

 

「大瀑布に落とす」

 

「言っている事が滅茶苦茶だ! 一先ず落ち着いてくれ」

 

「落ち着けるわけねぇって言ってるだろうが!!」

 

 ルイスが斬り掛かり、ラインハルトが対応する。実力に差はない。ルイスは冷静さを失っているが、ラインハルトにも躊躇する気持ちがあるので一方的な勝負にもならない。

 

 暫くの間斬り合いが続くと、痺れを切らしたのかルイスの動きが止まった。だが、もちろん諦めたわけではない。

 ルイスの神剣に目に見えるほどのマナが集約していく。それはラインハルトの元へ殺到する筈のマナまで巻き込んでいく。

 

 対抗するためにラインハルトも龍剣へとマナを集中させる。

 

「今からでも遅くない! 止めてくれ、ルイス!」

 

「しつこい!!」

 

 何の躊躇いもなく、ルイスはその剣を振り下ろした。飛行魔法を併用している為、頭上にいるルイスに向かってラインハルトも剣を振り抜いた。

 

 二筋の光がぶつかり合う。だが、僅かに躊躇ったラインハルトの斬撃の方が少し威力で負けている。

 

 そして。

 僅かな差は決定的な差となり、ルイスの放った光はラインハルトを呑み込んだ。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

理不尽の1日・弐

「……い……ちゃん」

 

 天を覆い尽くす白光に視界を潰され、聴覚を潰され、果てに全身を消し飛ばされた。そして暗闇の中から浮上するように意識が肉体へと回帰する。

 ナツキ・スバルはたった今、現実世界へと帰還した。

 

「な、んだったんだ……今のは」

 

 一瞬の出来事、まさに刹那の間に起こった事象にスバルの思考は周囲の状況を確認するところまで追い付いていなかった。話に聞いた魔女教の怠惰か、強欲か、はたまた別の何かの仕業か。今のスバルには分からない。ただ分かっているのは最悪の状況だという事だった。

 だが、ともかくにもどこまで死に戻ったのかを確認しなければならない。そこまで思考を進めたところでスバルの耳が周囲の音を拾った。

 

「おい、兄ちゃん! 買わねぇならそこどいてくれよ。そんな悪人面で立ち尽くされると客が寄り付かねぇだろ」

 

「え? あ、ああ。悪い」

 

 スバルに話し掛けたのは筋骨隆々な肉体に厳しい顔立ちの野菜果実店を構えるカドモンだった。最初の死に戻りのループである盗品蔵事件の時にもこのカドモンの店の前が死に戻り地点だった。一度ロズワール邸へと死に戻り地点が更新されていたため、あそこまで戻ったとは考えづらいが、かと言って死に戻りには謎が多い。

 そうして何とか今の時系列を整理しようと周囲を見渡すと、スバルは最初のループではいなかった人物を見つけた。

 

「レム……」

 

「はい、レムですよ? どうしたんですか? スバルくん」

 

「いや……」

 

 レムがいるという事はクルシュ邸へお邪魔した次の日という事になる。となれば、レムが異変を感じるのが明日。時間がない。

 

 スバルはレムを連れてクルシュ邸へと急いだ。

 メイザース領に突然大雪が降ったというのが恐らく何かの始まりだろう。その報告を受けた日時から考えてタイムリミットは大方4日から5日。その間にどうにかしなければ、待っているのはエミリアの死だ。

 今回のループ、敵はあのルイスやラインハルトが勝てなかった化け物だ。スバルが挑んでも太刀打ちなど出来ようはずがない。

 だが、ここでスバルが動かなければまた同じ未来が繰り返されるだけだ。正面から敵を打ち倒すような力はない。しかし、スバルには死に戻りという他には決して持ち得ない能力がある。どんな搦め手でも、どんな卑怯な手でもいい。必ずエミリアを助け出す。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 クルシュとの会合は存外早く取り付けてもらう事が出来た。

 

「まずは話を聞こうか、ナツキ・スバル」

 

「ああ。本題に入る前に聞いたいんだが、クルシュさんたちはルイスの力をどこまで知ってるんだ?」

 

「『戦神』の力、か。何故そんな事を聞くのかは些か気になるが、その情報を与えたところで当家には何の損害もない。客人である卿に免じて親切に教えてやろう」

 

「ありがとう、助かるよ」

 

 王選は武力の争いではない。前回では他陣営の現状という重要な情報だったために少し渋られたが、今回のルイスの力という抑止力にしかなり得ず王選を左右するような物でもない情報はすんなりと話してくれるようだ。

 

「とはいえ、私が知っている情報もフェリスや他の騎士たちが知っている程度の物だ。あまり期待されても困るぞ」

 

 クルシュはそう前置きした上で話し始めた。

 

「一度『戦神』と『剣聖』の模擬戦を見た事があるが、率直に言えば化け物だ。あの二人だけが他の騎士たちと次元が違う。仮にもしもどちらかが謀反を起こせばこの王都はひとたまりもなく堕ちるだろう」

 

「どちらかって事はもう片方が止めに入るんじゃねぇのか? いや、ルイスの場合は静観とかしそうで怖いけどさ。ラインハルトなら間違いなく止めに入るだろ?」

 

「もちろんそうなるだろう。卿の目にルイスがどう写っているのかは知らんが、奴もいざとなれば動く」

 

「ならなんでそんな事になるんだよ。あの二人は同格なんだろ?」

 

「だからこそ、だ。あのレベルになるとむしろ抵抗しない方が被害が少ない可能性すらある」

 

「クルシュさんは抵抗しないのか?」

 

「無意味な仮定だな。ここまで話しておいてなんだが、そんな事は起き得ないからな。ラインハルトは騎士の中の騎士という名に恥じぬ正義の塊のような男、ルイスは無駄な事を嫌う男だ。例えばラインハルトが謀反を起こしたならばそれが正義となる何かがあったという事、ルイスが謀反を起こしたならばもはやそれ以外では解決出来ない何かがあったという事になる。私は国をひっくり返すような事だろうと正しいと思った事なら受け入れる」

 

 ここでクルシュは一旦言葉を切った。そして重くなった空気の中、「ただ」と続けた。

 

「もしもこの場で暴れられると手の打ちようはない」

 

 ここまで聞いてようやくスバルが望む情報が出てきた。スバルが望んでいた情報とはクルシュたちの戦力。つまりはクルシュたちがこれから始まる戦いで頼りになるかという事だ。

 前回にもルイスが敵わない相手が現れると何も出来ないと言っていたが、他人ごとではなくどう考えても抵抗しなければならない状況でもこの返答ではクルシュたちの戦力をあてにする事は出来ない。

 

「分かった。なら本題だ。急いで帰らねぇといけなくなった。出来れば竜車を手配してほしい」

 

 タイムリミットまでは僅かな時間しかない。もしここでクルシュの協力を得る事が出来たとしても準備には時間がかかるだろう。ならば例えレムと二人だけでも最速で帰った方が良い。

 スバルはそう考えた。

 

「その理由はなんだ? 私は既にエミリアと契約を交わしている。卿がここを出ていくというなら卿は我々と敵同士という事になるぞ」

 

「――魔女教だ」

 

「なに?」

 

「魔女教が攻めてくる。だから一刻も早く戻らないといけない」

 

「……そうか。確かにな、エミリアが王選に出るとなれば魔女教が動くのも想像に難くない。だが、何故卿が行く必要がある? 卿の陣営にはさっきも言ったルイスがいるだろう。奴がいればいくら魔女教といえども相手にならんと思うが?」

 

「ルイスだけじゃだめだ。信じてもらえるかは分からねぇけど、ルイスじゃ対処出来ない敵が出てくる」

 

「にわかには信じられんな。卿の妄言という方がまだ信頼性がある。ただ、卿は止まる気はないようだ」

 

 スバルはここで魔女の手が心臓を掴みにやってくるかと身構えたが、周囲の時間が止まるような事はなかった。

 そんなスバルをおいてクルシュは話を続ける。

 

「私には卿を止める事は出来ない。好きにするといい」

 

「え、ああ、ありがとう」

 

 いつの間にか話が良い方向に転がっていた。

 魔女教の話が効いたのか、まだメイザース領の不穏な動きについて報告がまだ入ってきていないのか理由は分からないが、すんなりと帰してくれそうな流れになっている。

 

「一つ聞いてもいいだろうか?」

 

「なんだ?」

 

 出立の準備をしようと席を立ったスバルに対してクルシュは問い掛けた。

 

「仮にもしも卿が言っていたルイスが対応出来ない敵が現れた時、卿はどう対処するつもりだ?」

 

「さあな。ラインハルトに頼んで最強コンビで立ち向かえばワンチャン、だ」

 

 今は時間が惜しい。スバルはクルシュに対して少しぞんざいに答えた。前回のループでクルシュが言っていた言葉をそのまま返した形だ。

 だが、嘘というわけではない。対処する方法はまだ何も考えていないし、最強コンビが()()()()()ならワンチャンあるかもとも考えている。ラインハルトに聞いた話によれば彼が到着した時にはルイスは既にボロボロの状態だったらしい。ならば可能性は否定出来ないのだ。

 

「最後に一つ」

 

 背を向けたスバルに向かってクルシュは言った。

 

「今の時期リーファウス街道には霧がかかる。リーファウス街道は避けて行く事を勧める」

 

「気を付けるよ」

 

 少ない別れの挨拶を交わし、スバルはレムを引き連れてクルシュの屋敷を後にした。

 ラインハルトが屋敷を訪れた昨日まで戻らなかった事が悔やまれた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 クルシュからスバルたちが借りた地竜は長距離を走るのに適したタイプではなかった。故に、地竜を休めるためにロズワール邸までの道のりの最中にある村で一泊する事となった。

 

「なぁ、レム。村の人たちを二、三日でどこか安全な所に避難させられると思うか?」

 

「二、三日ですか……正直言って難しいと思います。知っての通りアーラム村はそれほど大きくないと言っても村人の数々は少なくありません。短時間での避難は、その……」

 

「やっぱそうだよな。何かいい方法は……いや、クルシュさんの話だと魔女教の狙いはエミリア。エミリアを別の場所に避難させれば魔女教は村を襲わなくなる、のか?」

 

 宿の中でも落ち着いている暇などない。スバルは頭を回転させる。前回見たロズワール邸近くの光景。もはやエミリアだけを助ければ良いという話ではない。村を訪れるとすぐにスバルの傍によってくる子どもたちやムラオサ、畑仕事の男たち、みんなスバルにとってかけがえのない人間だ。

 

「スバルくん、明日も早いです。今日はもう寝ましょう」

 

「……それもそうだな」

 

 レムに促され、スバルはベッドへ入った。

 それを確認したレムは別で取っている部屋へと向かった。

 

 そして翌日。

 普段より一時間も二時間も早く起床したスバルは手短に用意を済ませてレムの部屋の前に立った。

 

「レム、起きてるか?」

 

「はい、いつでも出発出来ます」

 

 数秒も間を空けずに扉を開けたレムは昨夜と同じ寝巻き姿ではなかった。既にスバルにとって馴染みの深いメイド服姿へと着替えを終えていた。

 

「時間が惜しい。すぐ出発しよう」

 

「分かりました」

 

 スバルはほとんど手ぶら同然であり、レムは既に荷物を纏めていた。

 それからものの数分で二人はその村を後にした。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 メイザース領までの道のりはほとんど見映えの変わらない道が続く。前回と同じ光景だ。ただ一つ違うのは、

 

「本当にこの道で良かったのでしょうか」

 

「この道が一番早いんだろ?」

 

「はい、ですが薄く霧が出てきました」

 

 視界が全く効かなくなるほどではないが、霧が発生していた。クルシュに忠告された通りだった。

 

「白鯨、か……」

 

 前回フェリスの口から聞いた白鯨という言葉。ルイスやラインハルトでようやく太刀打ち出来るかどうかという化け物。実物を見たことのないスバルには想像のつかないものだ。

 言葉の通り白い鯨なのか、それとも全く別の魔獣なのか。ともかく誰もが避けるその化け物に遭遇してはスバルも生きてたどり着く自信はなかった。

 

「早く抜けよう」

 

「そのつもりです」

 

 レムが地竜の走るスピードを上げる。だが、それに伴うように霧の濃度も高くなっていく。

 白鯨らしき影は見えないが、霧というものはそれだけで厄介なものだ。先ほどまで見えていた地面の草がもう見えなくなっている。

 

「全然前が見えねぇ。地竜は大丈夫なのか?」

 

「はい、地竜は走る事に特化していますから視界が悪くても問題はありません。しかし白鯨に遭遇してしまうといくら地竜でも逃げ切られるかどうか……」

 

 レムの強さは魔獣騒ぎの時に確認している。確かにルイスには劣るかもしれないが、それでも十分スバルからすれば強者だった。そのレムですら逃げの一択を取らざるを得ない白鯨にスバルの警戒度が上がっていく。

 そして未だ見えぬ目的地を見据えるため、スバルは顔を上げた。

 

「……っ!?」

 

 その瞬間竜車が急な切り返しをし、レムの隣に座っていたスバルは地面へと投げ出された。

 

「スバルくん、無事ですか!?」

 

「痛てて……大丈夫だけど、一体何が」

 

 スバルが見た時、先ほどまで乗っていた竜車が半壊していた。半壊といっても前半分はほとんど変わらず無事だった。問題は急なターンによってスリップした後ろ半分だ。例えあのままの速度でコンクリートの壁にぶつかってもそうはならないというほど粉々だった。

 

「まったくひどいなぁ」

 

 そして聞こえてきたのは全く知らない第三者の声。

 

「僕がまず歩いてたでしょ。この道の上を真っ直ぐ。道ってのはみんなのものだ。当然譲り合わなければいけない。一人占めするなんて強欲な事を僕はしようとしているんじゃない。僕はただこの道の上を歩くという権利があって歩いているんだよ。もちろんその権利は誰にでもある。君たちにもね。だから君たちがちゃんと譲ってくれと一言言ってくれれば僕も吝かじゃない。竜車の方が歩くよりも速い。当然だ。君たちには歩いている僕を抜かしてこの先に行く権利がある。でもさぁ、だからってこうやって後ろからぶつかってくるのは違うんじゃない? 僕じゃなかったら死んでたよ。つまり君たちは今人間を一人殺したも同然だ。この殺人鬼め」

 

「当たる前に止まったはずです。ぶつかってきたのはそっちでしょう」

 

「今度はなに? 止まろうとしたからって責任転嫁するつもり? 僕は声を掛けられるかと思ったけどそのまま突っ込んで来た君たちに倣って関係なく歩いていたわけでしょ。そりゃ、僕の進行方向に置いてあったらぶつかるでしょ。そこに置いたって事はつまり僕にぶつけてきたって事じゃん。僕はただ歩いていただけ。それを邪魔するって事は僕の権利を侵害するって事だ」

 

 現れたのは白髪に白衣装という霧の中で身を隠すための格好かというほどの一面真っ白な男だった。

 スバルには見覚えはない。こんな人間は一度見たら忘れないだろう。レムも見知った様子ではない。スバルは明らかにただ者ではない男に問い掛けた。

 

「お前、は……?」

 

 次に返ってきた言葉はスバルにとってもレムにとっても全く予想外のものであった。

 

「魔女教大罪司教『強欲』担当、レグルス・コルニアス」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

理不尽の1日・参

 

『強欲』の大罪司教を名乗った男はラインハルトから聞いた通り化け物だった。

 鬼化したレムのモーニングスターを正面から顔で受けてもその顔には傷一つ付いていなかった。全力の氷魔法をぶつけても衣服にすら傷を付ける事は出来なかった。

 そしてその攻撃に怒りを露にしたレグルス・コルニアスが腕を振り上げるとレムの右腕が宙を舞った。レグルスが地面を蹴ると、レムに向かって飛んだ砂粒が身体中に穴を空ける。

 

「ぁ……スバ……ル……く……」

 

「僕はなにも喧嘩をしたいわけじゃない。そんな野蛮な行為からは何も生まれないからね。ただの力で自分の意見を通そうなんて考えるのは人間のやる事じゃない。それをやるのは知性を持たない動物だけだ。こうやって話すのだって人間の特権。話し合いを出来るのは人間に許された権利だ。僕にも君たちにもね。だから僕は何事も話し合いで解決しようとしているんだ。話し合う事によってお互いの意見を聞く。非戦主義の僕にとってはそれが望ましい。なのに君たちときたら。そもそもの話君たち誰だよ。初対面なら名乗り合うのが礼儀ってものじゃないの? 恥ずかしがりって可能性もあるから僕から先に名乗って君たちにも名乗りやすくしてあげたわけでしょ? そこまで配慮してあげたっていうのに返事はあのトゲトゲだ。あんなの人に向けるものじゃないでしょ。一体どんな教育を受ければそんな反応出来るようになるんだか。そうか、鬼だからそういう教育は受けられなかったのか。でもそれならそうで分からないなりの態度ってものがあるでしょ。あんなもの投げてくるなんて論外だ。そりゃ、人には人の価値観がある。君たちにもあって当然だ。でもだからってそれを相手に押し付けるのは違うんじゃない? 僕はこうやって対話の道を作ってあげてるんだから君らはその道の上を歩けばいいだけ。なんでそれが出来ないかな。君らからすれば自分の我が儘を通せてさぞかし楽しいだろうね。でもそれは僕を踏み台にして成り立ってるんだよ。僕の権利を踏みにじって。言葉も通じない魔獣擬きが、僕の権利を侵害するなよ」

 

 レムは血塗れの状態で地面に倒れ、言葉を話す度に口からも血が吐き出されている。

 

「やめろよ、クソ野郎!!」

 

 スバルは地面に落ちている砂や石握り、力の限り叫んだ。レムの攻撃が効かなかったのだから例え投げつけた所で嫌がらせ程度にしかならず、その言葉には何の力もない。だが、そうせずにはいられなかった。

 じわじわと嬲るように痛め付けられるレムの姿は見ていられなかった。

 

 そして次の瞬間、目線の位置が下がった。

 

「あ? ああぁぁああ!?」

 

 両足の太腿に激痛が走る。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 

 見ると大量の血をぶちまけて両足の先がなくなっていた。

 

「あ、足、足がああぁ!!」

 

「はぁ。まったく、人の話を聞くって事が出来ないわけ? 今僕が言ったでしょ。話し合いが大切だって。その直後にこれ?」

 

 レグルスがスバルの手の中に収まった物を見て言った。

 

「そんなの持ったところで無駄だって分からないの? もっと他にやる事があるでしょ。僕だって狭い心の持ち主にはなりたくない。君がただ一言謝ってくれればそれでこれまでの失礼は広い心で許そう。それなのにお前はこの気遣いを足蹴にするのか。そんな事をされたらいくら僕でもはいそうですかとはならないよね。僕も本当はこんな事したくないんだよ。争いとかさ、嫌なんだよね。僕はただ平凡で平穏な生活が送れるならそれでいい。平和主義な僕は争いもなく平和な時を過ごしたい。それだけで満足なんだよ。それ以上は望まない。なのにお前はその僕の平穏な時間を壊そうとしている。それはつまり僕の数少ない私財、権利を奪おうとしてるって事だ。それは、いかな無欲な僕でも許せない」

 

 レグルスが地面から砂塊を掴み取る。そしてその手を振り上げた。スバルに投げつけるつもりなのだろう。スバルには避ける手段もなければ防ぐ手段もない。 

 

 次の瞬間、何かがスバルに覆い被さった。

 濡れていて、柔らかい感触がある。満身創痍のレムだった。

 

「レ、ム……?」

 

「レ……が……スバ…………まも」

 

 絞り出されたレムの掠れた声を聞いて、スバルの意識は暗転した。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「ああぁぁあ!!」

 

「ど、どうした兄ちゃん!?」

 

 意識が覚醒すると、スバルは再び筋骨隆々な肉体に厳しい顔立ちのカドモンが経営する野菜果実店の前に戻っていた。

 

「あ、いや、戻った……のか」

 

 スバルは両足に手を当て、しっかりと地面に立っている事を確認する。

 

「スバルくん?」

 

「レム……?」

 

 声がした方へ振り向くと、そこには五体満足のレムが心配そうにスバルを見ていた。

 スバルは駆け寄ってレムの右手を握った。

 

「ちゃんと、付いてる。どこも怪我してないよな」

 

 右手の感触を確かめた後、スバルはレムの身体にペタペタと触れて傷がない事を確認する。

 

「スバルくん、その……恥ずかしいです」

 

 完全にセクハラだが、スバルはそれどころではないし、レムを嫌がっているわけではないので問題はない。

 問題があるとすればカドモンの店の方だった。

 

「おい! 店の前でイチャイチャしてくれんなよ! 客が寄り付かなくなるだろうが!」

 

「お、おお、悪い」

 

 果物屋をやるようには見えない厳つい顔で怒鳴られたスバルはレムの手を取ってその場を離れた。

 

「レム、大事な話がある」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 クルシュとの話は前回の周回とほとんど変わらなかった。変わった事といえばルイスの話をしなかった事ぐらいだ。

 別れの挨拶も変わらず、ロズワール邸までの道中に立ち寄った村も同じ、宿も同じだった。

 

「レム、明日の進路だけど、リーファウス街道の真ん中じゃなくてちょっと脇道みたいな所を通って行きたい」

 

 違う点はこれだ。前回は最短経路でリーファウス街道を突っ切ろうとした所で『強欲』の大罪司教に遭遇した。同じようにリーファウス街道を正面から通り抜けるのは危険過ぎる。かと言って遠回りをし過ぎては手遅れになる。

 

「分かりました。ではこの道を通るというのはどうでしょう」

 

 レムが地図を広げ、リーファウス街道から枝分かれした道を指差した。

 

「ここなら大丈夫か……よし、ここで行こう」

 

 そして次の日。

 二人は前回と同じように早朝から出発した。

 道中で出来る事はない。スバルは竜車に乗りながら同じような風景を眺めて到着を待つ。

 そして脇道に逸れて数分後、スバルたちは商人の集団に遭遇した。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「ナツキさんたちはこれからメイザース領へ向かうんですか」

 

「ああ、そうだ。で、そこで提案なんだが」

 

 スバルはこの集団と出会った時、ある事を思い付いた。

 

「金なら払う。ここにいる商人と竜車の足、みんな俺に買われてほしい」

 

 それはすなわち村人たちの避難に使う足。避難させる方法がないという理由で村人たちの避難は諦め、エミリアを王都かどこかへ移動させる事で魔女教の狙いを他の場所へ逸らす。そういう作戦だった。

 だが、方法があるならば避難させるに越した事はない。幸いにしてレムがロズワールから預かった路銀にはまだかなりの余裕がある。それでも足りなければロズワールに払わせればいい。

 

「足、ですか。一体何を運ぶつもりなんです?」

 

「人だ」

 

「人!? 人身売買は勘弁してほしいんですが……」

 

 スバルは卸した油が売れず、このままでは破滅だと嘆いていたオットー・スーウェンに代表して商談を持ち掛けていた。

 

「安心してくれ。そういう後ろめたい事をするわけじゃない。メイザース辺境伯の屋敷の近く村にいる村人たちを避難させるためだ」

 

「避難? 何かよくない事でも?」

 

「実は近頃その周辺で山狩りがあるんだ。森にウルガルムって魔獣がうろついててな。この前その魔獣の被害が出たから掃討作戦が行われる」

 

「そうなんですか」

 

 理由は完全なるでっち上げだが、仕方がない。もしもばか正直に魔女教が攻めてくるから、と言ったらついてきてくれるものもついてきてくれなくなる。

 予定ではタイムリミットまでまだ時間がある。このまま村へ向かえば商人たちを危険に晒す事もない、はずだ。

 

「で、どうだ?」

 

「まぁ、油も買い取っていただけるって話なら僕には断る理由はありません」

 

 オットーの了承は得た。他の商人はどうかとスバルが見渡すと、

 

「いいぜ。あんたの話に乗ってやるよ」

 

 他の商人たちとも商談は成立した。

 

 その後スバルは避難は早く済ませたいという事を伝え、商人たちを引き連れてすぐに出発した。

 

「本当の本当に、この油を買い取ってもらえるんですよね!」

 

「おうよ、最悪ロズワールの財布から払ってやるよ!」

 

「大丈夫なんですかね!? それ!」

 

 御者台の左側に座るレムを挟んで左側を走るオットーとこうして軽口を交わす程度には緊張のほぐれた空間だった。

 地図を確認しながら、ランタンの灯では弱いからと携帯を取り出し、それを見たオットーをふざけて脅かしたりもした。

 

「スバルくん、あまり前に出すぎると落ちてしまいますよ? 場所を代わりましょうか?」

 

「大丈夫、大丈夫」

 

 だからこそ、異変に気付くのが遅れたのだ。

 

「あれ、右走ってたおっちゃんどこ行った? まさかはぐれたとか言わねぇよな」

 

 何気なく右後ろを見ると、先ほどまで竜車を走らせていたはずの商人が消えていた。

 

「これで避難に間に合わなくて金払わなかったら契約違反とか言われないよな……?」

 

「何を言っているんですか、スバルくん。レムたちの右側には誰も走っていませんでしたよ?」

 

「え?」

 

 レムが嘘をつくとは思っていない。そんな嘘をつく理由もなければ、元々嘘をついたりするような性格ではない。だが、確かに右側には竜車が走っていたはずだった。

 

「オットー! 俺たちの右側にも竜車は走ってたよな?」

 

「何言ってるんですか、ナツキさん。ナツキさんたちが一番右側ですよ?」

 

「そんなはずは……」

 

 オットーもレムと同じ反応を示した。

 オットーはともかくレムを疑っているわけではない。しかし、再び自分の目で確認すべくスバルはランタンを右側後方に向けた。

 

 ――巨大な眼球と目が合った。

 

 身体の芯までを震わせるような咆哮が響き渡る。

 

「……ッ!?」

 

 直後に竜車など余裕で収まる大きな顎が大地を抉りながらスバルたちへ迫っていた。

 

「逃げろ逃げろ逃げろ――!!」

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 白鯨と地竜では馬力が違う。もとより竜車で白鯨から逃げ切るなど不可能だった。故にレムは白鯨を迎撃するために竜車から降り、それを止めようとするスバルを気絶させ、地竜にスバルを任せた。

 

 気を失ったままのスバルが地竜に任せて進み、意識を取り戻した時、既に夜が明けていた。周囲に見える風景もいつの間にかスバルがよく知っているものとなっていた。

 

「アーラム、村……」

 

 地竜の扱いを知らないスバルはアーラム村で竜車を降りた。走り回っていた子供たちが絡んでくるが、軽くいなしてロズワール邸へ向かって走る。

 白鯨は化け物だったが、スバルの身近にも化け物はいるのだ。白鯨はかなりのデカブツだった。が、レムの攻撃によってダメージは入っていた。『強欲』とは違う。

 ならば、ルイスなら、魔獣騒ぎの時に森を斬るなんて馬鹿げた事をやったルイスならばなんとかしてくれる。スバルはその願望にすがり足を走らせる。

 

 数分後ロズワール邸の敷地内に一人たどり着いたスバルは無造作に玄関扉を開けた。

 

「スバル、何かあったのか?」

 

 そこにはルイスが待ち構えていたかのように立っていた。

 何故ここで立っていたのか、とかどうしていつもの黒い剣に加えて違う剣も装備しているのか、とか気になる事はあった。だが、スバルにとってその疑問は優先度が低い。

 

「レムが! レムが白鯨を足止めするために残って! 今ならまだ、助けてくれ!」

 

 言葉足らずであるのはスバルも自覚した。それでも伝えたい事を一番に目の前にいるルイスに向かって叫んだ。

 

「白鯨? 白鯨が出たのか?」

 

「そうだ! 白鯨が出たんだよ! だからレムは、俺を逃がすために!」

 

「待て、ちょっと落ち着けスバル」

 

「落ち着いてられるかよ! 今この瞬間にもレムが!」

 

 そうだ、落ち着いている場合などではない。レムは今だって白鯨と戦っているかもしれないのだ。もうやられてしまった、などとは思っていない。否、考えないようにしている。レムは魔獣騒ぎの時に一晩中ウルガルムと戦い続けたという功績があるのだ。白鯨にだって負けていないはずだ。

 

 スバルはルイスを説得するために全ての神経を注いでいた。ルイスの言葉は一つ足りとも聞き逃す事はない。だからこそ、ルイスの口から発された言葉にスバルの頭の中は真っ白になった。

 

 

 

「レムって、誰のことだ?」

 

 

 

「は……?」

 

 意味が分からなかった。

 

「お前……ふざけんなよ」

 

 これまで一緒に暮らしていたではないか。それが誰、だと? この状況で、ふざけるな。こんなくだらないやり取りをしている時間などない。

 スバルは無意識のうちにルイスの胸ぐらに掴みかかっていた。

 

「レムだよ、知らないはずねぇだろ! ラムの双子の妹でここで一緒にメイドをやってた!」

 

「白鯨……そういう事か」

 

 スバルに胸ぐらを掴まれたままのルイスは少し考えた後、そう呟いた。

 

「スバル。白鯨の霧にやられた者は世界の記憶から抹消されるんだ。だから悪い。俺も覚えてない」

 

「世界の記憶から、抹消?」

 

「俺も調べたり聞いたりしただけだから実際に体験した事はない。だが……そうか。恐ろしいな」

 

「待てよ。その言い方だとレムがもうやられたって……」

 

 少し冷静になってきたスバルがそう言うと、ルイスがスバルの顔を驚いたように見た。

 

「お前、覚えてるのか……?」

 

 ルイスが白鯨の事を知っているのは遭遇した事があるからではなく文献を読んだり人から話を聞いた事があるからだ。それによってルイスは白鯨の能力を知っていた。

 実際に体験した事はなかった。否、体験した事はあったかもしれないが、全く認知していなかった。

 

「スバル、お前やっぱり……いや」

 

 ルイスは何か言いかけたが、途中で止めてスバルの手を引き剥がした。

 

「白鯨か……またあの人と気まずくなるな」

 

「あの人?」

 

「スバルも知ってるだろ。ヴィルヘルム・ヴァン・アストレア」

 

 ルイスはそれだけ言い残すとスバルに背を向け、玄関の扉を開けた。

 スバルただ呆然とその姿を見送った。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 

 リーファウス街道を一つの影が駆ける。

 

「白鯨……どこだ」

 

 屋敷を飛び出したルイスだった。

 

「森の方でも何かあるっていうのに……来るなら来いよ」

 

 ルイスはリーファウス街道に沿って走り、一度フリューゲルの大樹の近くで一旦引き返した。そこから行きとは違うルートでアーラム村の周辺を目指す。

 スバルが白鯨と遭遇してからどれ程の時間が経過したのか分からない。もっと言えばどこで遭遇したのかも分からない。だが、すぐ近くにいたはずの白鯨を見逃す事は出来ない。ラムが言っていた怪しい動きというものが白鯨によって引き起こされている可能性もあるからだ。

 

 道すがら考える。

 スバルは白鯨の能力の影響を受けていなかった。ルイスにレムという名前のメイドに関しての記憶は無い。スバルとルイスは同時にロズワール邸に住み込むようになり、それからこの方ラム以外のメイドは見たことがない。家事は基本的にラムとスバルの二人、場合によってはルイスが駆り出される事はあったがそれだけだ。それ以外の人間が家事に関わった事はない。

 スバルの言葉が妄言だという可能性も無いわけではない。ルイスにとってはそちらの方が感情的には納得出来る。だが、理性的な部分ではスバルの言葉が真実であると言っている。

 

 そもそもの話、スバルには嘘をつく理由がないし、妄言にしては白鯨というピンポイント過ぎる言葉が出ている。今の時期はリーファウス街道辺りに霧がかかると言われている事からも信憑性は高まる。

 白鯨の能力の影響を受けない人間。そんなものは聞いた事がない。だが、スバルならばあり得るかもしれない。ルイスはそう考えていた。そう思わせる事を以前スバルはやっているからだ。

 

 アーラム村近辺にまで引き返して来たルイスは更に違うルートで白鯨を探すべく飛び出した。

 そしてその数秒後。

 

「やっとか」

 

 薄くではあるが、霧が掛かってきた。ここまできてただの自然現象なんて事はない。ルイスは霧が濃い場所へと足を向ける。

 そして見つけた。数百年人々を苦しめ続けた三大魔獣が一つ、白鯨。これまで数え切れない人々を死に至らしめた白鯨はその巨大な顎で地面を抉りながらルイスを飲み込まんと大口を開けながら迫る。

 

「十数年……アストレア家に不和をもたらした存在」

 

 ルイスは剣を抜かず、ただ白鯨が到達するのを待つ。

 

「こんな獣のせいで、か」

 

 手を伸ばせば届く距離まで近付いた時、ルイスが動いた。白鯨の顎を蹴り上げたのだ。

 人間の何十倍もの大きさである白鯨がただの蹴りの一発で打ち上げられる。何が起こったのか理解出来ないでいる白鯨は宙で身を捩らせた。

 

「人間関係がややこしい事になるが、仕方ない」

 

 ルイスは追撃するように地面を蹴って跳躍する。そして何も持たぬ片方の手を指先まで伸ばして手刀を天に掲げ、振り下ろした。

 その腕からは想像もつかない衝撃が走り、赤い液体が舞う。もはや斬撃とも呼べる衝撃はルイスの腕を起点に広がり、最後は何もない空間へと抜けた。

 一撃で胴体を真っ二つにされた白鯨は呻き声を上げながら浮力を失い重力に従うまま地面に向かう。次第に目の色が失われ、地面に衝突する前に鳴き声は止んだ。

 三大魔獣の一つを仕留めた事を確認したルイスは白鯨の亡骸を踏み台に屋敷へ向かうために跳んだ。

 

 そして、その途中。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

『ここにいたらまずいんだ。頼むから俺の言う事に従ってくれ』

 

 前回、前々回の周回を踏まえてロズワール邸ないし

 はメイザース領はこのままでは消滅する。あるいはそこまでいかなくても必ず危険な状態に陥る。

 だからこそ、スバルはエミリアに対して死に戻りの事は避けて出来る限りの事を伝えた。

 だが、

 

『また、それなの?』

 

 エミリアからの返答は拒否だった。

 彼女からすれば当然といえば当然の反応だ。スバルはどうして逃げなければならないのか、その肝心の理由を話していないのだから。

 何故なのか、その理由を説明するために死に戻りについて口に出せばあの手に心臓を鷲掴みにされる。

 全て洗いざらい話せば地獄の痛み。かと言って死に戻りについて話さなければエミリアを説得する事が出来ず最悪の未来が待っている。

 

『分かった。全部、話してやるよ』

 

 このままではどうやってもエミリアを説得出来ないと判断したスバルは全てを話す覚悟を決めた。スバルが何もしなければエミリアは死ぬ。あのルイスだって役に立たない。

 ならば。例え地獄の苦しみに襲われたとしても、例え血反吐を吐いたとしても、全てを話してエミリアを救うのだ。そのために死に物狂いで戻ってきたのだから。

 スバルは意に決して死に戻りという単語を口にした。その瞬間、世界の時間は止まりあの手が心臓を掴みに来る。そのはずだった。

 

『…………ぁ』

 

 しかし、痛みはいつまで待っても来ず、ついには世界の時間が再び動き出した。

 スバルの心臓へと伸びるはずだった黒い手はどこへ行ったのか、その答えはすぐに分かった。エミリアの体がスバルへと寄りかかり、口から赤い鮮血が溢れ出したのだ。

 それきりエミリアは動かなくなった。

 スバルは悟った。あの手はスバルではなくエミリアの心臓へと伸びた。あの手を呼んだのは紛れもなくスバル。スバルの意思であの言葉を口にした。

 

 そう。エミリアを、スバルが殺したのだ。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 永遠に目覚めなくなったエミリアを抱いて泣き喚いていたスバルはベアトリスの手によってどこか知らない地へ飛ばされた。殺してくれ、と頼んだスバルへの答えとして。

 

 エミリアはもういない。レムも、恐らくはもういないのだろう。

 こんな世界では生きていても仕方がない。死なせてくれ。誰か殺してくれ。

 スバルの頭の中にはもはやそんな考えしかなかった。

 

「スバルか?」

 

 だから、ルイスを見ても介錯人を見付けたとしか思わなかった。

 

「白鯨は倒したぞ。でもなんでここに……エミリア様はどうしたんだよ」

 

 エミリアを見て異変を感じ取ったルイスが駆け寄るがどうでも良かった。

 

「血が……何があったんだよスバル! 早く治療を!」

 

 ルイスの手元が光を帯びる。治癒魔法を使おうとしているのだろう。

 だが、無意味だ。治癒魔法で傷を治したとしても死人は蘇らない。やるだけ無駄だ。

 

「クソッ! どうしたら……そうだ、フェリス! フェリスなら」

 

 誰であろうと無理だ。それが例え王国最高の治癒術士であったとしても。

 ルイスが手に取ったエミリアの手が力なく地面に落ちる。元から白かった肌は青白くなっており、脈は存在しない。そうしてエミリアの死を認めたのであろうルイスも力なく地面に両手をついた。

 そんなルイスに構わず殺してくれ、そう口にしようとした時、木の枝を踏んだような乾いた音が響いた。

 

「そこにいるのはもしや半魔の少女なのではないデスか?」

 

 全身が黒い装束に包まれた特徴的な集団。ほとんどの者が頂点の尖った覆面を着けており、その顔を確認する事は出来ないが、先頭に立つ人物は唯一覆面を着けていない。

 

 ルイスは幽霊のように立ち上がると、声がした方へ振り向きながら神剣を握った。

 

「おや? 貴方は確か、戦神……」

 

「ッ……!?」

 

 直後、ゾワッと何かがスバルの身体を突き抜けた。

 その正体が何か、すぐに分かった。ルイスだ。ルイスから戦いにおいて素人のスバルでも感じられる圧倒的な闘気が放たれているのだ。

 スバルに殺気を読む、などという達人技は出来ない。

 だが、この時スバルは死を覚悟した。先ほどまで死にたいなどと考えていたスバルは本能的な恐怖をもって死を覚悟させられたのだ。

 

「魔女、教……?」

 

 普段のおちゃらけた態度とは180度違う、凍えるような声。発せられる声、僅かに動かされる首から指先まで、あらゆる挙動が見えない圧をもってスバルを押し潰そうとする。

 

 末端の魔女教徒が左右からルイスを挟むように襲い掛かった。

 そして直後、その魔女教徒が文字通り消滅した。

 いつの間にかルイスは神剣を抜いていた。

 

 次の瞬間には残りの魔女教徒も先頭にいた一人を除いて消えた。

 

 音もなく、見えもしない。

 正しく異次元。人間という生物の枠を超えている。化け物だ。

 

 最後の一人が何かを言っているが、スバルには聞こえなかった。雑音など存在しない。むしろ静寂だった。にもかかわらず聞こえない。何が起こっているのか全く分からない。否、知ろうとするのを拒んでいるのかもしれない。

 神剣が本来ならスバルの目で追えるほどの速度で振るわれると、地面は抉れ最後の一人も消滅した。途轍もない力が通過した地面の歪みはどこまでも続いており、その終着点は存在しない。

 

 その場に残されたのはスバルとルイスの二人のみ。

 正常に思考出来なくなったスバルはただ呆然とルイスの姿を眺め、そして目が合った。

 その瞳には何も映っていない。真っ黒に塗り潰したガラス玉のような瞳にはスバルの姿さえ映っていない。

 

 ルイスは突然神剣を手放した。神秘を内包した漆黒の剣は何もない地面に投げ出される。

 そしてルイスは何かを呟きながらおぼつかない足でどこかへ去っていった。

 

 そしてスバルは。

 突如振り始めた雪と共に死を迎えた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「二日続けて蒸かし芋かよ……」

 

「なに? 何もせず怠惰を貪っている分際で文句でもあるのかしら」

 

「そりゃ、朝昼晩全部蒸かし芋だったら文句の一つでも出るだろ。エミリア様が何も言わないからってずっとそんな感じだったら嫌がられるぞ」

 

「ハッ! イスほどじゃないわ」

 

「は!? 俺が嫌がられる訳ねぇだろ」

 

「……フッ」

 

「お前今鼻で笑ったな!?」

 

 スバルとレムを王都に残して帰還してから早二日。

 ルイスとラムの絡みは相変わらずであるが、ロズワール邸にはどこか暗い空気が漂っていた。

 ムードメーカーであるスバルはおらず、家事を完璧にこなすレムがいないために食事は全て蒸かし芋。誰の前でもふざけて賢人会の前でも態度の変わらない道化もいない。エミリアはスバルとの別れ際の事を引きずって何にも気が入っていない様子だ。

 ラムは元々エミリアとよく喋る訳ではなく、ルイスはルイスでなかなか元気付ける事に成功していなかった。

 

「そんな事より森の方を見てきなさい。何か怪しい気配があるわ」

 

「……魔獣か?」

 

「分からないわ。でも、とりあえず昼食までに戻って来なさい」

 

 そうして厨房から追い出されたルイスはアーラム村の周囲を取り囲む森へと向かった。

 魔女教徒が現れ、ルイスは『怠惰』の大罪司教を名乗る人物を討ち取った。

 

 そしてその翌日。

 再び魔女教徒が現れないと限らないため早起きしたルイスが何か摘まみ食いしようと調理場に向かった時、ちょうど自室から出てきたエミリアとばったり遭遇した。

 

「エミリア様、どうかされたんですか?」

 

「ううん、何かあった訳じゃないんだけど、久し振りに朝の体操でもしようかなって」

 

 そう言うエミリアの表情は明るくない。

 朝の体操、恐らくスバルが始めた『らじーお体操』の事だろう。口には出さないが、エミリアはまだスバルとの別れから立ち直っていない。

 

「俺もご一緒しても?」

 

「そうね、一人だと寂しいもの」

 

 エミリアの承諾を受け、ルイスは後をついて庭に出た。

 静かな庭で一組の男女が無言で体操。気まずい空気が流れながら体操が終わり、そしてエミリアは膝を抱えて地面に座り込んだ。ルイスも同じように地面に腰を下ろした。

 

「やっぱりスバルの事で何か思うところがあったんですか?」

 

 これまではほんわかと包んで元気付けようとしていたが、細かい言葉の駆け引きを苦手とするルイスは直球で聞く事にした。

 

「……うん、スバルにはいっぱい助けてもらったの。だからあんな偉そうに言う権利なんて私にはなかったのに」

 

 ルイスはエミリアとスバルのケンカ別れの一部始終を遠耳で聞いていたため、それぞれが何を言ったのか知っている。

 それを踏まえて言えば、

 

「普通にスバルの方が悪いと思うんですけど」

 

 そう、普通にスバルが悪い。

 ラインハルトには言ったが、スバルが未来視のような能力を持っていたとしても「お前は全て俺の言う通りにしていればいいんだよ」は無い。百歩譲ったとしてもその理由を言わなければ頷く者などいない。

 

「ううん、もっと他に方法があったはずなのに……」

 

 客観的に見てもエミリアの方が悪い理由はあまり見つからないが、それでもエミリアは自分が悪いと思っているらしい。

 謙虚と言えば美徳にも聞こえるが、行き過ぎるのはよろしくない。

 

「まぁ、そこまで言うなら後でちゃんと話し合いをして仲直りして下さいよ。陣営内で仲間割れとかやめてほしいですし」

 

「そう、よね」

 

 エミリアが「終わりにしましょう」と言っていたのを聞いていたが、一先ずそれはおいて話を続けるルイス。ルイスはべつにスバルが嫌いな訳ではない。むしろ好きの部類に入る。しめじめとした人間よりもスバルのようなはっちゃけた人間の方が接しやすいからだ。

 そしてこのような空気が苦手なルイスは早くも話のネタを失った。エミリアからは特に何かを言ってくる様子もなく、このままでは待っているのは無言の気まずい空間。

 

(スバル……早く帰ってこい)

 

 ルイスはゲートの治療でしばらくの間王都に滞在する予定のスバルに助けを求めた。

 

 その時だった。

 

「失礼します」

 

 ロズワール邸の敷地に白髪の剣士が足を踏み入れたのは。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

対魔女教戦線

 

「失礼します」

 

 渋い声と共に現れたのは今ここにいる筈のない人物。腰に豪華な装飾の付いた宝剣を差している白髪の老兵、ルイスもよく知っている男。ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアだった。

 

「あなたは確か、クルシュ様の所の……」 

 

「ヴィルヘルム・トリアスと申します。此度は主君の名代として参上しました」

 

 そう丁寧に言うヴィルヘルムの姿はその言葉とは対称的に血や泥で濡れていた。

 膝をつき、最敬礼をとるヴィルヘルムにルイスは一瞬警戒するが、しっかりと彼の姿を視界に収めると警戒を解いた。ルイスはいわゆる殺気や害意というものを感じ取る事が出来る。それもただ漠然と感じ取る訳ではなく、どれぐらいの程度で誰が誰に向けているかまで正確に読み取る事が出来る。

 ヴィルヘルムからはこちらを害する気配は感じられなかった。それどころか、以前と比べて何か憑き物が落ちたように感じられた。

 

「クルシュ様からは白紙の親書を頂いたのだけど……」

 

「白紙ですか、やはり」

 

「って、ちょっと。そんな話聞いてないんですけど」

 

 思わずルイスは二人の会話に割り込んだ。

 王選で対立する立場のクルシュからの親書はそこらの手紙とは訳が違う。政治的にも多大な意味を持つのだ。文武の文に関してはからっきしのルイスでもそれぐらいは分かる。

 が、そんな大切な物を知らされていなかったのだ。ルイスは密かにショックを受けた。

 

「あ、ごめんなさい! 昨日あなたが見回りに行っている途中の事だったから……後で話そうと思ってたんだけど」

 

「ラムはこの事を?」

 

「うん、ラムが受け取った物だから」

 

「…………」

 

 ラムは知っているのに自分は知らない。先ほどのラムとの会話が思い出される。

 

『はぁ!? 俺が嫌がられる訳ねぇだろ』

 

『……フッ』

 

 あの含みのあるような笑い、あれはこの事を知っていたから出来た事なのではないか。もちろん現実に嫌がられているなどとは思わないが、ラムに負けたようで何だか良い気分ではない。

 

「恥ずかしながらそれは我が主の意向と齟齬がございます」

 

「そうだったの、良かった……」

 

 白紙の親書はお前と話すことはないという事を暗に示すものである。一時的とはいえ、スバルが世話になるなど協力のあるクルシュ陣営からそんな物を受け取ったとなれば、心配になるのも仕方がないというものだ。

 

「俺だけ仲間外れにされたのはまぁ、水に流すとして。それで、本来の内容っていうのは?」

 

「エミリア様、並びにお屋敷に残られている方々、村の住人には一度この周辺から避難していただきたく」

 

「避難……?」

 

「はい、厄介な犯罪組織がこの周辺に潜んでいるとの情報があり、私共はその討伐のために隊を編成して参りました」

 

 ヴィルヘルムが語った内容はこうだ。

 王都で度々話題に上がる犯罪集団が何やら怪しい動きをしているという情報を手に入れたクルシュがその討伐のために部隊を編成。その理由はエミリア陣営から持ち掛けられていたエリオール大森林の採掘権の分譲という条件の元結ばれる予定の同盟のため。

 一応筋は通っており、既に村の住人を避難させるための足も用意しているというのだ。そしてヴィルヘルムは丁寧にロズワールの名前まで出してエミリアを納得させた。

 

「それじゃあ、ラムとベアトリスも呼んで来ないといけないから」

 

「エミリア様はベアトリスを呼んできて下さい。ラムは俺が呼んでくるんで」

 

「ルイス殿。貴方にはこの場に少し残って頂きたい」

 

 急いでいるようだったので手分けして屋敷に残っている者を呼びに行こうとした時、ヴィルヘルムがルイスを呼び止めた。

 

「……エミリア様、ラムもお願いします」

 

 無視する訳にもいかないため、ルイスはヴィルヘルムの側に残った。

 そしてエミリアの姿が見えなくなると、ルイスが口を開いた。

 

「何か良いことでもあったんですか?」

 

「分かりますか。ええ、ありました。白鯨を、妻の仇を討ったのです」

 

「白鯨……なるほど」

 

 ヴィルヘルムが白鯨を追いかける為にアストレア家を飛び出し、その結果家庭事情が複雑なものとなり影響がラインハルトにまで及んでいるのは知っていた。

 何かから解放されたように感じたのはそれが理由だろう。

 

「それで、俺を残らせた理由は? 何かエミリア様には言えない話でも?」

 

「いえ、そうではなくスバル殿からの伝言です」

 

「スバルから?」

 

 犯罪集団というのは魔女教で決まりだろう。確かに魔女教関係ならエミリアの耳に入れたくないのも分かる。

 だが、ヴィルヘルムから出た言葉はルイスの予想を大きく上回ったものだった。

 

「はい。『ここにラインハルトを呼べないか』と」

 

「んん? ちょっと待った。どゆこと?」

 

 そもそもの話この場にスバルが出てくる事がまずおかしいし、加えてヴィルヘルムの口からラインハルトの名前、そしてここに呼んでくれないか、と。

 ルイスは混乱した。

 

「まずなんでスバルの名前が?」

 

「この計画を立てたのがスバル殿だからです。白鯨を落とせたのもスバル殿の協力があってこそ」

 

「あー、そういう事か。そしてそのスバルがラインハルトを呼べと言っていると。さすがスバル。予想を超えてる。でもラインハルトを呼ぶほどの事態なんですか? 一応昨日魔女教の『怠惰』の大罪司教倒したんですけど」

 

「既に交戦していましたか。ですが、まだ厄介な相手が残っているのです」

 

「厄介な相手?」

 

「『強欲』の大罪司教ですよ」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 村人たちへの説明は既に済んでおり、ルイスたちが村に到着した時には大半の住人が竜車へ乗り込んでいた。

 住人の半分がヴィルヘルムの護衛で王都へ向かい、残りの半分はラムの先導で聖域と呼ばれる場所に向かう事になった。エミリアは村の子供たちと同じ竜車で王都へ避難する事になり、先ほど全ての竜車が発進した。

 

「とりあえず言った通りにみんな避難した訳だが、詳しい話を聞こうかスバル」

 

「え、なに、怒ってる?」

 

「怒ってない。それで、『強欲』の大罪司教ってそんなにヤバい相手なのか?」

 

 今は村の中央でユリウスやアナスタシアの自警団である鉄の牙のメンバー、フェリスなどを交えた作戦会議が行われている。

 これからの作戦だけでなくこれまでの情報の擦り合わせも行っており、スバルが道中何をしたかなどの情報も共有した。

 

「『怠惰』のペテルギウスよりも断トツでヤバい。出来るなら国中から戦力を集めてきたいぐらいにな」

 

「て言うかさー、ルイスとラインハルトの二人がかりじゃにゃいと無理とかフェリちゃんたち出番なしじゃにゃい?」

 

「いや、相手はそいつ一人だけじゃない。『強欲』はルイスとラインハルトに任せて俺たちは他の相手だ」

 

「なぁ、スバル。ラインハルトを呼ぶにあたって二つほど問題点がある」

 

 会議は順調に進んでいたが、途中でルイスが勢いを止めた。

 

「問題点? 何だよ」

 

「一つ目は単純な話なんだがラインハルトを呼ぶ方法。俺のやり方だと多分一番早く呼ぶ事は出来る。けどちょっとの間俺以外は戦闘不能になる」

 

「そりゃまた、なんで」

 

「俺がデカいの打ち上げて、それを合図にするからだ」

 

 例えば衛兵の詰所にあるような遠距離通話が可能なミーティアがあれば話は別だが、それが無い場合通常は誰かを遣いに出さなければならない。しかし、今回はそうしている時間は無さそうだ。

 となれば残る方法は一つ。ラインハルトに異常を察知させ、自発的に来させるのだ。

 

「『怠惰』ぐらいの相手なら何人来ても全員守れるが、その『強欲』が本当にラインハルトと二人で掛からないといけない相手ならあいつが来る前に襲撃されると最悪守れないかもしれない」

 

 既に王都を離れてアストレア領へ向かっているラインハルトにまで届かせようとすればかなり強めの信号が必要となる。そのためにルイスは特大の斬撃を打ち上げるつもりなのだ。

 

「ラインハルトが来るまでどれぐらいかかる?」

 

「ここから俺が王都からここまで来るのにかかる時間と同じぐらい」

 

「五分ぐらいか……」

 

「どうする? やるか?」

 

 ルイスにそう聞かれ、スバルは周囲を見渡した。

 

「君の判断になら皆従うだろう」

 

 迷うスバルにそう言ったのは王都で色々あったユリウスだった。ルイスはどうしたのか聞こうとしたが、一先ず空気を読んでスバルの答えを待った。

 

「分かった。頼む」

 

「なら一つ目の問題は解決した。で、二つ目の問題だ」

 

「ちょっ! 今のもうやる流れだったじゃん!」

 

「いや、多分二つ目の方が重要だ」

 

 一つ目は武力的な部分での問題。これは最悪ルイスが力押しでなんとか出来る。

 だが、二つ目はルイスの力ではどうにもならない。

 

「フェルト様のところの陣営に貸しを作る事になるぞ。だからなんだって言ったらそこまでだけどな。そのせいでエミリア様が不利になるかもしれない」

 

「っ……」

 

 そう、二つ目の問題は政治的な問題だ。それがどんな影響を受けるのかは分からないが、なくなる事はないだろう。協力を要請するには相手にもそれ相応の利点を示さなければならない。

 ただでさえ魔女教、それもよく名の聞く『強欲』の大罪司教の相手をするのだ。フェルト陣営を納得させるだけの材料が必要だ。

 

 スバルは黙り、ユリウスやフェリスはルイスを意外そうな目で見た。心外ではあったが、今はそれよりも重要な事があるのでスバルだけを見た。

 

「なら……」

 

 そしてようやく重い口を開いたスバルから出た言葉は、

 

「みんなの脅威の排除。将来的なフェルトの危険を潰す事にもなるんだ。これでどうだ?」

 

 こじつけとも取れるものだった。

 

「今回はそれで良しとするか。あとの言い訳は頼むぞ」

 

 だが、この場ではそれでいい。元よりルイスは政治向きではない。そういうのはクルシュ陣営と、さらにアナスタシア陣営とも協力を取り付けてきたスバルの方が向いている。

 形式上だけでも協力する理由があればルイスもラインハルトを呼ぶ事が出来る。

 

「じゃあとりあえず作戦……というほどのものじゃないが、俺が一発打ち上げた直後はほとんど全員がマナ切れ直前みたいな状態になる。だから打ち上げ直後は俺と精霊を通して大気中からマナを集められるユリウスを中心に周囲を警戒しつつラインハルトを待つ。いいな?」

 

 ルイスがそう言うと周りの者たちは頷いた。

 そして神剣『モルテ』を抜き、力を溜める。

 

「みんな、伏せろ」

 

 直後、大量のマナが可視化されるほど濃密にルイスへ向かう。それは大気中のものだけでなく体内のものまで。

 さらに収束したマナは激しい光を放つ。

 そして太陽の如き光を帯びた神剣を天に振り抜く。

 街一つを容易く飲み込む極光が天に昇った。一瞬で超上空へ打ち上げられたエネルギーは途轍もない速度で昇っていく。しかし、まだ肉眼で確認出来る程度には存在感を放っていた。

 

 戦闘不能になると言われていたが、案外大した事はないと目を開けたスバルが見たのは再び剣を振りかぶっているルイスだった。

 

「ちょっ――!?」

 

 同じような極光の二発目、三発目、四発目が放たれた。

 

「立てるか? ユリウス」

 

「ああ、なんとかね」

 

 ルイスがユリウスに手を貸すと、少し離れた所から恨めしそうな声が上がった。

 

「お前……一発って言ったじゃん」

 

「それはあれだ、言葉の綾? ラインハルトに異常を感じ取ってもらわないといけないんだから」

 

 あれほどの斬撃を放ってなお無傷である神剣を鞘へ収めたルイスはユリウスに手を貸した後、今度はフェリスに手を貸した。

 

「やだっ、ルイスの熱いやつがフェリちゃんの中に入ってくるぅ~」

 

「おい!? やめろ、誤解されるだろ!?」

 

 ユリウスの時とは違ってフェリスには握った手を介してマナを流し込んだのだ。フェリスは優秀な治癒術士であるため、マナ切れで動けないとなられては困るからだ。

 決して他意はない。

 

「ま、まぁ、落ち着こう。さっきのでラインハルトには伝わったはずだが、同時に敵にもこっちの居場所はバレたんだ。いつ襲ってこないとも限らない」

 

 フェリスが他の者たちの状況を看てルイスとユリウスが周囲を警戒する。

 少しして力を取り戻したユリウスの準精霊も周囲の警戒に当たる。

 そしてラインハルトが到着しないまま、少しの時間が過ぎる。

 

「ルイス!」

 

 突然ユリウスが叫んだ。

 もちろん何もなく叫んだ訳ではない。精霊が邪悪な気配を捉えたのだ。

 

「ああ、来たな」

 

 それをルイスも捉えていた。

 悪意を纏った何かが森の中から飛び出してくるが、ユリウスの目には何も映らない。

 

「『怠惰』の能力か」

 

 だが、ルイスは気配で捉える事が出来る。

 ルイスは神剣ではない剣を抜いて迫り来る見えざる手を切り裂いた。

 

「さっきのように神剣を使わないのかい?」

 

「これ握ってる間マナ吸われまくるからあんまり使いたくないんだよ。どうしてもって時は諦めるけど変な感覚だからな」

 

「なるほど」

 

 そう言う間にも迫る悪意を切り伏せる。

 そして森の中から一つの影が歩いて来た。その格好はただの魔女教徒と同じ全身黒い装束の人物だった。違う点は背中の辺りから見えざる手が伸びている事。

 

「あれが指先か。反対からも何か来てるしな」

 

 その声を聞いてなんとか復活したスバルがルイスやユリウスがいる方向と逆の方向へ顔を向けると、

 

「あれは、『強欲』の大罪司教……!!」

 

 そこにいたのは対照的に全身を白い装束で包んだ白髪の男。『強欲』の大罪司教、レグルス・コルニアスだった。

 

「最悪だ。まだラインハルトも来てねぇってのに敵二人が揃いやがった」

 

 ラインハルトがまだ合流していない段階で大罪司教が二人揃う。最悪の展開だった。 

 

「クソッ、どうする……」

 

 対策を練るためにスバルが頭を回転させる。

 だが、良い案が浮かぶ前にその思考は中断される事になった。

 

「――待たせたね」

 

 スバルのすぐ横に燃えるような赤い髪の騎士が降り立ったからだ。

 

「ラインハルト!」

 

「どうやら間に合ったようだね」

 

 ラインハルトが到着したならば何も迷う事はない。

 自然とスバルの口角が持ち上がる。

 

「プリシラのとこはいねぇけど……」

 

 そして確実に王国内で最も戦力が集まった場所の中心で、自信を持って言い放った。

 

「対魔女教戦線、王選オールスターズだ!!」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『強欲』の権能と作戦

 

 王国最高の治癒術士であるフェリス。

『怠惰』討伐に不可欠な精霊術士ユリウス。

 魔女教徒を一網打尽にするための数、鉄の牙。

 そして『強欲』対策に絶対に欠くことの出来ない最強戦力のルイスとラインハルト。

 

「必要なものは全部揃った」

 

 そう呟いたスバルの前で黒い手を操る『怠惰』の指先の首がルイスに切り落とされた。

 

「俺たちの戦いはこれからだ。なんてな」

 

「そうだね。戦いはこれからだ」

 

「話が終わっちゃいそうだからあんま同調しないでな?」

 

 少しふざけてみたスバルだったが、見た目ほど余裕がある訳ではない。

『強欲』を相手するにはルイスとラインハルトの双璧が必要不可欠であり、ラインハルトが駆け付けるまでは時間がかかってしまうため、一先ずラインハルトへ合図を送るのが最優先でルイスと共有したのはこれまでの事と『怠惰』についてのみ。『強欲』についてはほとんど何も話していない。

 そしてこの場で『強欲』について知っているのは死に戻りという異能を持つスバルだけだ。ルイスやラインハルトはおろか、ユリウスやフェリスにすら詳しくは話せていない。

『怠惰』ならばともかく、『強欲』がこうも早くやって来るのは想定外だった。

 

「耳貸せ、ラインハルト。手短に作戦を言う」

 

『耳じゃなくて頭の中に直接話し掛けてくれればいいよ』

 

「ああ、分かった。じゃあ心に……って、お前今俺にテレパシー送ったのか!?」

 

『てれぱしい、というものが何かは分からないけど、今スバルの頭の中に直接話し掛けているよ』

 

 そしてさらに予想外の事をしてくれるのがラインハルトだ。

 

「どういう仕組み?」

 

「『伝心の加護』だよ。この加護のお陰で僕は他人の頭の中に話し掛けられるし、目の前にいる人の考えている事ぐらいなら分かる。『受心の加護』で少しぐらいなら離れていても他人からの念を感じ取る事も出来る」

 

「マジかよ」

 

「もちろん普段は抑えているから心の中を盗み聞きしたりはしていないよ」

 

『もしもし、これ聞こえてるのか?』

 

『聞こえてるよ』

 

『おお、すげえ』

 

 予想外は予想外でも良い方向での予想外だ。

()()や数回前の周回で対峙したスバルからすれば、『強欲』のレグルスがこちらの作戦を聞いたからといって何か対策をしてくるような人間には思えないが、それでも聞かれないに越した事はない。

 

『よし、作戦を説明するぞ。後でルイスにも伝えてくれ』

 

 そしてスバルはゆっくりと歩いて来るレグルスの前で作戦を伝えた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 ラインハルトが腰に提げたものとは別の剣を手にレグルスへ斬り掛かる。先ほどまでルイスが使用していた剣だ。

 縮地のように一歩で距離を詰め、常人には反応出来ない速度で剣を振るった。並の相手ならばこれで終わりだ。だが、

 

「なるほど、確かにこれは骨が折れそうだ」

 

「骨の前に俺の剣が折れたけどな」

 

「それはすまない」

 

 レグルスはその場に健在で傷一つ付いていなかった。逆にラインハルトが振るった剣が半ばで折れてしまった。

 

「あのさぁ。いきなり斬り掛かってくるとかどういう神経してるわけ? 常識がなってないとかそういうレベルじゃないよね。初対面ならまず名乗る。それが常識でしょ。君たちの方が先に何かしようとしてたから僕は待ってあげた。そうしたらこれだ。人間っていうのは意思疎通が大切な生き物だ。会話こそが意思疎通の第一歩。お互いに歩み寄ろうって気があるなら無欲で多くを望まない僕は名乗るっていう大事な項目を飛ばしていても受け入れよう。でも君たちは違うよね? 名乗るどころか会話しようとする気配もない。しかも僕の好意まで踏みにじるって事は数少ない権利までも踏みにじるって事だ」

 

「なんか色々言ってるけど、どうする?」

 

「一先ずスバルが言っていた通り、彼の体の周りは何かで覆われているのは間違いないね。それもただ固いだけじゃない」

 

 ラインハルトの反応を見てルイスは神剣を抜いた。しかし、その刀身は未だ漆黒のままであり、本来の能力を発揮する様子はない。

 それに続いてラインハルトも鞘から抜けないままの竜剣『レイド』の柄を握った。

 

「抜けそうか?」

 

「いいや、どうやらこの剣は彼を『抜くまでもない』と判断したようだ」

 

「こっちもだ。大罪司教とか言うからどんな奴かと思ったら、大したことないな」

 

「ッ! 会話も禄に出来ない欠落者であるお前と完結された個である僕とじゃ立ってる次元が違うんだ。他人と比べるような事でしか自分の価値を見出だせない三下共が偉そうに僕を評価するなよ! この愚図が!」

 

「えぇー。なんか急に怒り出したんだけど」

 

『会話はこっちに切り替えよう。スバルの考えた作戦を実行する』

 

『りょーかい』

 

 直後、レグルスが腕を振り上げた。

 それと同時に見えない何かが大気中を切り裂きながらルイスたちへ迫る。見えざる手よりも速いが、二人に対応出来ない速度ではない。

 ルイスは神剣『モルテ』でその不可視の存在を向かい打った。

 

『痛ってーな。あれが防御不可の攻撃か』

 

 鮮血が飛び散り、神剣を持ったままの手が宙を舞う。そして次の瞬間にはその腕は回収され、元通りに接合した。

 

『モルテは流石に折れてねぇけど、これは避けるしかないか』

 

『そうだね』

 

 先ほど腕が千切れたというのに何もなかったかのようにレグルスに向き直る二人。

 

『どのみち倒すしかない。MG作戦いくか。手筈通りで頼む』

 

『了解した』

 

 ラインハルトは鞘に収まったままの竜剣の柄を握りレグルスを逆袈裟で打ち上げた。謎の守りに包まれながらもラインハルトによって付加された推進力は打ち消されず、目にも止まらぬ速度で天へ昇る。

 しかし、ラインハルトの攻撃はこれでは終わらない。剣速よりも速く跳躍し、昇ってきた白い塊に地へ向けて竜剣を振り下ろした。

 

「まずは――アル・ゴーア」

 

 きれいに直角に折れ曲がって落下してきたそれに向かってルイスの手から蒼く燃え上がる焔が放たれる。ルイスは何食わぬ顔でいるが、周囲の木々は炭と化し、足下の地面は赤く歪んでいる。

 

『火魔法は効果無し。次』

 

 蒼炎を通り抜けてなお無傷であるレグルスを神剣を振るって打ち上げる。

 

 パキパキと空気が凍り始める。

 煮えたぎっていた地面は水蒸気を爆発させながら白い固体へと変化する。

 一呼吸の間も置かず再び白い物体が落ちてくるのが見え、ルイスは手のひらを掲げた。

 

「アル・ヒューマ」

 

 その手から放たれたのは指の爪程度の氷の粒。

 村人が軽く踏んだ程度で砕けそうな小さな粒は、これまた同じく無様に超速で落下してくる塊へ放たれる。

 そして頼りない粒が白い布に触れた瞬間、氷の花が咲いた。ルイスが開いた手のひらを何かを握り潰すように閉じると、それに連動して人の何倍もの大きさの氷の花が縮む。

 だが、人間大の大きさにまで縮んだ時、氷の花に亀裂が入った。

 

『氷魔法も効果無し。次』

 

 ルイスは氷の中から出てきたレグルスを再び神剣で打ち上げた。

 今度は突風が吹き荒れる。ルイスを中心に渦巻く風の刃は周囲の木々を薙ぎ倒し、地面を深く削った。

 ラインハルトが打ち落としてきたレグルスが見え、ルイスは風の矛を構えた。

 

「アル・フーラ」

 

 三度目の魔法は風魔法の最高位。

 音すらも置き去りにし、あらゆるものを切り裂く風の槍がレグルスへ向かう。

 そして轟音を発生させながらレグルスを貫いた槍は、

 

『風魔法も駄目。次!』

 

 霧散した。

 ルイスはまたまたラインハルトの待つ空へレグルスを打ち上げる。それと同時に踵を振り上げ地面へ落とした。

 ルイスの魔法によって表面を削られた地面に深い亀裂が入る。そこへルイスは魔法で水を発生させ、地割れの中へ流し込んだ。

 空からレグルスが降ってきたのを確認するとルイスは飛び上がり、今度はラインハルトへ打ち返すのではなく地割れの中へと打ち込んだ。

 

「――アル・ドーナ」

 

 直後、獣の牙が獲物を噛み千切るようにひび割れた地面が閉じた。

 この周辺の地面には万遍なくルイスのマナが通っている。レグルスは生き埋めで膨大な圧力に押し潰される事になる。仮に耐えたとしても、その周囲はルイスが生成した水によって覆われている。すぐに酸素の供給が無くなり呼吸困難に陥る事になるだろう。

 そこへさらにルイスは追い打ちとばかりに黒いマナを地面へ撃ち込んだ。

 

「手応えはどうだい?」

 

 ルイスの隣へたった今までレグルスラリーを繰り広げていたラインハルトが音もなく降り立った。その目線の先にはレグルスが沈んだ地面がある。

 レグルスには謎のバリアがあって殴る蹴る斬るなどの攻撃が効かない。だから別のアプローチが必要だ。

 そう言ったスバルが考えたMG作戦、つまり『魔法でゴリ押し』作戦を決行した訳だが、

 

「いや、駄目だな」

 

 ルイスとラインハルトが後ろに跳ぶ。

 それと同時にレグルスが埋まっている地面が破裂した。

 

「出来る範囲で本気でやったんだが効果は無さそうだな。これ以上威力を上げると向こうで『怠惰』と戦ってるみんなに影響が出る」

 

「困ったね」

 

『とりあえずもう一回打ち上げてあっちに影響ないぐらいの所で本気の一撃食らわせてみるか?』

 

『PG作戦だね。よし、それでいこう』

 

「お前ら、なんなんだよぉー!!」

 

 地面から這い上がってきたレグルスが叫ぶ。

 その顔は先ほど饒舌に語っていた時とは違いみっともなく歪んでいる。スバルが言うところの「お前ボールな」を高速でやられて身体的なダメージは無くても精神的には無傷とはいかなかったようだ。

 

「王選候補者フェルト様の騎士だ。ぜひ、フェルト様を贔屓してもらいたい」

 

「魔女教に贔屓にしてもらってどうするよ」

 

 二人が冗談を口にしているのを見てレグルスは唇を噛む。そして舌打ちをし、つま先で地面を蹴った。

 誰でもするような動作だが、そこから発生する結果は常人が砂粒を蹴っただけに留まらない。レグルスのつま先が通った地面は鋭利なもので切り裂いたようにきれいな断面で、飛び出した砂粒はその動作とは違い鋭く二人へ迫る。

 

「言っただろ、僕とお前らじゃ立ってる次元が違うんだよ! 未完結な欠如者が何をしようと無駄だって分からないかなぁ!!」

 

「ならば、本当に無駄かどうか確かめさせてもらうよ」

 

「ぶっ!?」

 

 死の雨をもろともせず懐に踏み込んだラインハルトが竜剣でレグルスの顎を斬り上げた。

 固いものを打ち付けた轟音が響き、レグルスは先ほどよりも速く天へ昇っていく。すぐさまラインハルトも跳躍して追い掛ける。

 みるみるうちに地面は遠くなり、メイザース領の全体像が見えるまでに高度が上がり、さらに雲を突き抜ける。しかしそれでもまだ勢いは止まらず、朝にもかかわらず周囲が暗くなり始めた。

 

 闇の中、一つの輝きを放つ点があった。

 その点はレグルスの進行線上にあり、近付くにつれてそれの正体が分かった。ルイスだった。ルイスが剣を構ってレグルスを待っていたのだ。

 

「いい加減に――っ!」

 

 レグルスの言葉は続かなかった。ルイスが本気で神剣を振り下ろしたからだ。

 だが、レグルスの体が地面へ向かう事はなかった。下からラインハルトが同等の斬撃を繰り出したのだ。

 

 上下から同時に極光を纏った絶大なる剣戟がぶつかり合い、押し潰されたエネルギーが左右前後の平面へ放出される。

 周囲には雲すら無いため、衝撃波だけが駆け抜ける。

 

「これもなんか無理っぽいな」

 

「となるとPG作戦も失敗か」

 

 何事も無かったかのように地面に着地した二人の間で言葉が交わされる。

 スバルが考えた二つ目の作戦、その名もパワー(P)ゴリ押し(G)作戦だったが、これも効果はなさそうだった。その証拠にあれほどの攻撃を受けてなお消滅せずに白い塊として地面へ落下してきている。

 

「あとはJG作戦、それとRG作戦だけか」

 

「JG作戦からいこう」

 

「了解了解」

 

 レグルスが地面に衝突し、土煙が上がる。

 

「何をやろうと勝つのは僕だって分からないかなぁ! その暴力的で、他人を虐げることしか考えてない力でどれだけうまくやってきたか知らないけど、犠牲の上にしか自分の幸せを築けないなんておぞましい! それで今度は僕のちっぽけな幸せを犠牲にして自分勝手な幸せを享受しようっていうんだろ!? いい加減にしろよ!!」

 

 中からは怒り心頭な様子のレグルスが出てくる。しかし、その体には傷どころか汚れらしいものも見当たらない。土埃が付いている様子も水滴が付いている様子もない。

 

「さっきからごちゃごちゃと何言ってるか知らんが、お前はアレだな。なんて言うんだったかな。ああ、そうだ」

 

 そのレグルスへ向かってルイスは堂々と話し掛ける。

 そして大袈裟なまでに溜めを作り、自身の頭をトントンと指で軽く叩いた。

 

「お前、自分で頭の中が残念な事になってるって自覚ある?」

 

 直後、レグルスの顔が歪む。

 あからさまな挑発であったが、レグルスは無視出来ずに憤る。両手に持てるだけの土を握り、ルイスへと投げつけた。

 あまりに狙い通りの展開にルイスは苦笑した。その隣にはいたはずのラインハルトの姿はない。

 

「がっ!?」

 

 レグルスの体が宙に投げ出された。

 瞬きの間に景色が変わり、目にも止まらぬ速度で飛んだレグルスの顔はたった今土を投げつけた相手であるルイスの手のひらの中に収まった。

 なぜ突然レグルスの体がルイスの方へと飛んだのか。その答えはラインハルトだ。ルイスの挑発によって視界が狭くなったレグルスの背後に回り込んでいたのである。

 

 ルイスはレグルスの顔を正面から鷲掴みにしたまま、飛来する土の弾丸へ盾のように突き出した。

 本当にこの攻撃が何者にも防御出来ないならはレグルスの体を貫いてくれるはず。

 レグルスの体は全ての土を受けきった。

 しかし、地面には無数の小さな穴が空いているが、レグルスの体は全くの無傷だった。

 

「自分の攻撃で自分がやられる訳ないだろ! 僕がこんな馬鹿なやられ方するかよ! 他人を不当に評価するのも大概にしろよ!!」

 

 顔を鷲掴みにされたままのレグルスが叫び、ルイスの腕に触れた。その瞬間、ルイスの体が吹き飛んだ。

 

自爆(J)ゴリ押し(G)作戦も駄目だ。RG作戦やってくれ』

 

『分かった』

 

 土煙を上げながら離れていくルイスから伝言を受け取り、ラインハルトは鞘に収まったままの竜剣を握り直した。

 

「どいつもこいつも……効かないんだよ! 何をしようと無駄! 腕力が自慢なのか知らないけどさぁ、生まれ持ったものが違うんだよ! お前たちじゃ完結した僕には決して届かない! 自分の足りなさを嘆きながら消えろよぉ!!」

 

「――ならば、君の視界からは消える事にしよう」

 

 数十メートルの距離を一歩でゼロにしたラインハルトによって、喚くレグルスの眼前に煌めく竜剣の鞘が現れる。

 

「もう二度と会う事はないよう、願っているよ」

 

 ラインハルトは全力で竜剣を振り上げた。

 ルイスに託された最後の作戦、それはロケット(R)GO!GO!(G)作戦。

 

 レグルスは星になった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

決着



今作最終回です。




 

 轟音と共に先ほどまで見えていた雲が見えない波に吹き飛ばされて消えた。

 

「あっちの方見てると俺らがやってた事も馬鹿らしく思えてくるな」

 

「いいや、彼かには彼らの、私たちには私たちのやる事があった。現にこうして『怠惰』の大罪司教を討伐したんだ。君は十分過ぎる働きをした。もう少し胸を張ってもいいと思うのだが」

 

 スバルにそう言って答えたのは騎士剣の血糊を落とすユリウスだ。

 目の前には黒い装束の人物が胸部から血を流して倒れている。指先と呼ばれる『怠惰』の大罪司教ペテルギウスの手下だ。ただし、ただの手下ではなく、ペテルギウスの精神が乗り移るという厄介な効果付きだ。

 スバルとユリウスは協力してペテルギウスが乗り移った最後の指先を討伐したという訳だ。

 

「そりゃ、やりきった感はあるしペテルギウスも厄介な相手だったけど。なんか同じ大罪司教でも攻略難易度全然違うし」

 

「『強欲』の大罪司教の権能は確か、無敵……だったかな?」

 

「暫定って但し書きが付くが大体それで合ってるよ」

 

 前回の周回でスバルは『強欲』の権能のからくりを見破るため、ルイスとタッグを組んでレグルスと戦った。

 その時はいわゆる無敵能力のテンプレに従って弱点を探った。物理と魔法のどちらかにのみ効果があるのではないか、地面と接触している足下にはバリアが無いのではないか、など色々試した。結果、全て効果無し。

 最後はペテルギウスに体を乗っ取られ、その周回は終わった。

 そして今回は前回の反省を生かして小細工無しのバリアの耐久度を無理矢理突破する方向へ作戦を切り替えた。前回様々な攻略法を考えたが、実は単純にゴリ押しでいけるのでは? という考えがスバルの頭を過ったのだ。

 他に作戦も無かったため、それをラインハルトに伝えたのだが、

 

「……あいつらの方が無敵なんじゃねって思ってきたわ」

 

 直後、流星が天に昇った。

 隕石の落下を逆再生にしたようにどこまでも昇っていく。瞬く間に見えなくなった。

 落下してくる様子もない。

 あれは恐らく最終作戦のRG作戦だろう。スバルは冗談で言ったつもりだったのだが、本当に実行するとは恐れ入った。

 

「確かに彼が負けるような状況は私も想像出来ない」

 

 エミリアたちと王都を訪れてから最初のループでルイスはレグルスに負けたらしいが、何かの間違いだったようだ。そうに違いない。

 

「ま、あいつらが強いってのは砂糖は甘いってぐらい周知の事実だしな。とりあえず向こうも戦闘終了したっぽいし合流しよう」

 

 そう言ってスバルはたった今ロケットが打ち上がった場所へと足を向けた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「うわぁ、なにこれ」

 

 ラインハルトがいる場所へ辿り着いたスバルの第一声がこれだ。

 だが、それも仕方がないと言えるだろう。木々は折れるか焦げるか凍っており、地面にはさらに大穴が開き溶岩が流れた跡のようなものまである。

 

「スバル、そっちの仕事はもう終わったのかい?」

 

「え、ああ、ペテルギウスの野郎は指先まできっちり倒したし、もう俺の中に入ってくるようすもない」

 

「よかった。こっちもちょうど終わったところだよ」

 

「そういえばルイスは?」

 

 会話の途中でスバルはルイスがいない事に気が付くが、微塵も心配などしていなかった。ルイスが自分と同じぐらいの強さだと言っていたラインハルトが服に塵一つ付けていないのだからこれでルイスがどうこうなっているはずがないからだ。

 

「彼ならもうそろそろ戻ってくるよ」

 

「戻ってくる?」

 

 その直後、ルイスが空から現れラインハルトの隣へと着々した。

 

「あの無敵攻撃、人間にも付与出来たのか。お陰でかなり飛ばされた」

 

 ルイスは騎士服を手で払うが、何か汚れが付いている様子はない。

 

「『強欲』はどうなった?」

 

「落ちてくる様子はない。たぶん成功だね」

 

「月とかにぶつかって跳ね返ってくるとかないよな?」

 

「星が全く存在しない所へ打ち上げたから跳ね返ってくる事はないと思うよ」

 

 そしてすぐさま人外の会話が繰り広げられる。

 

「敵も十分化け物だったけど、こいつらの方がよっぽど化け物だよな」

 

 たまらずユリウスの耳元へ言った。

 

「「それは心外だぞ(だよ)スバル」」

 

「仲良し! てか地獄耳かよ!」

 

 小声で言ったにもかかわらずしっかりと聞き取られていて思わずスバルは叫んだ。

 

「て言うかユリウス、ひどい怪我してるじゃん。早くフェリスに見せないと」

 

 ルイスがそう言った事によってスバルは目的を思い出した。

 ユリウスはペテルギウスの見えざる手によって全身に傷を負っている。その治療も兼ねてこれからの方針を固めるためにフェリスや鉄の牙のメンバーなどと合流する必要があるのだ。

 

「ルイス、君の治癒魔法では治せないのかい?」

 

「たぶん出来るけどフェリスの方が上手いし、ユリウスも俺よりフェリスに治してもらう方がいいだろ。ほら、逆に勢い余ってマナ活性化させ過ぎたりしたら危ないし」

 

 ルイスが手のひらにマナを集めて見せると、ユリウスはほんの少し顔を青くした。以前に何かあったのかもしれない。

 

「え、ちょっと待て!? お前俺のことそんな危なそうなやつの実験台にしようとしてたの!?」

 

「フェリスたちは?」

 

「向こうのほうだね」

 

「無視はひどくない!?」

 

 ふざけているスバルを置いてルイスは歩き始める。その途中ユリウスに肩を貸そうとしたが、「それには及ばない」と軽く断られていた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「気になる事?」

 

「そそ。フェリちゃんたちも別口で魔女教ぶっ潰してまわってたんだけど、その途中で。詳しくはオットーくんから」

 

 ルイスたちが合流した時、既に別働隊として魔女教徒の討伐に回っていたフェリスたちが集まっていたが、そこから感じられたのは歓喜ではなく不安だった。

 

「あの、すみません、僕の方から説明させていただきます」

 

 フェリスに促されてルイスやラインハルトの前に出たのはスバルと旧知の仲であったらしい商人、オットー・スーウェンだ。

 オットーは王国最強の二人を前にしてたどたどしく語った。

 

 その話の内容は簡単に纏めるとこうだ。

 まず、村人たちを避難させるために使用した竜車は商人たちのものであり、避難させるにあたって元々積んであった荷物は全て降ろした。

 しかし、先ほど確認したところ荷物の数が合わない。

 そして、商人の中には魔女教徒が紛れ込んでいた。

 最後に、数が合わない、ここにあるべきなのに数が足りない荷物とは大量の火の魔鉱石である。

 

「軽く竜車の七台や八台は吹き飛びます」

 

「……で、その魔鉱石はどこに?」

 

「恐らくケティさんの竜車の中かと」 

 

 ケティとは魔女教側のスパイとして商人に紛れていた男の名だ。

 オットーの考えでは自分の竜車にそんな危険な物を乗せるはずがない他の商人はまず候補から外れる。そして鉄の牙の兵士たちは魔女教徒を狩りその持ち物も検めたが、魔鉱石などを所持している様子はなかった。

 となれば残りはケティ死亡により急きょ兵士から行者を立てたケティの竜車のみ。という事だった。

 

「クソっ! 使える物は何でも使う貧乏性が裏目に出た!」

 

 オットーの言葉を聞いて声を荒げたのはスバルだ。

 

「その竜車は王都、聖域どっちに向かって誰が乗ってるんだ?」

 

「あの竜車が向ってるのは王都。乗ってるのはエミリアと子供たちだよ」

 

 スバルからの返事を聞き、ルイスは溜め息をついた。

 もちろん、命に優劣などつけられるものではないが、エミリアは未来の王候補であり、同乗しているのは未来ある若者だ。魔女教の置き土産、それもかなり悪質なものだ。

 

「スバル、その竜車はどの道を通って王都へ向かっているのか教えてほしい。僕たちならすぐに追いつける」 

 

 魔鉱石はいつ爆発するか分からない。ならば一刻も早く回収する必要がある。

 ラインハルトの提案は合理的で、この場での最適解だった。

 

「そっか、お前らここから王都まで五分だもんな。エミリアたちが乗ってる竜車はリーファウス街道を真っ直ぐ進んでるはずだ」

 

 ラインハルトはすぐに屈んで跳び去ろうとした。

 だが、そこにスバルが「ちょっと待ってくれ」と待ったをかけた。

 

「俺も、連れて行ってほしい」

 

 その言葉にラインハルトは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑って受け入れた。

 ルイスもスバルがエミリアへ向ける感情は分かっている。男の子は好きな女の子を守るためならば危険な事でも何でもしたいもの、らしい。昔ルイスが読んだ絵本によると。

 その様子をフェリスとユリウスも温かい目で眺めていた。

 

「分かった。スバル、掴まって」

 

 スバルを連れて行く事はラインハルトにとって何の問題もない。ラインハルトはスバルに背を向けた状態で屈んだ。

 

「こいつには『風除けの加護』があるからな。乗り心地は保証する」

 

「……それって地竜が持ってるやつだよな? いや、この際細かい事は良いか。頼む」

 

 スバルが背に乗り掛かったのを確認すると、ラインハルトは立ち上がった。

 そして出発する直前、ルイスは騎士服がボロボロになっているユリウスと相変わらずのほほんとしたフェリスに目を向けた。

 

「じゃ、ユリウス、魔女教の残党が出てきた時は頼む」

 

「こら、ユリウスはボロボロだしマナもカラッけつにゃんだから無理言わにゃいの」

 

「フェリス、私ならば大丈夫だ」

 

「ほら、本人もこう言ってるし。傷は治してマナも分けてやればいいだろ?」

 

「簡単に言ってくれちゃって……」

 

 簡単なやり取りを終え、ルイスはスバルを乗せたラインハルトの腕を掴んだ。

 一刻も早く追いつくには地上を駆けるよりも空路を抜けた方が良い。だが、ラインハルトが空を行くには雲を足場にするか空気を蹴って進むしかない。雲の上からではリーファウス街道など見えないため雲を足場にする事は出来ない。また、空気を蹴るのは地上を駆けるより速度が出ない。

 そこで出番となるのが飛行魔法だ。ルイスは魔獣騒ぎ以降もせっせと鍛練を重ねていたため、今回は着地で森を破壊するような事もない。

 

「スバル、離すなよ。落ちたらたぶん死ぬぞ」

 

 ラインハルトの加護のお陰でしっかりと掴まっていれば速度に振り落とされるような事はないが、一度その手を離せば生身で空へ投げ出される事になる。

 

「や、優しくしてね?」

 

 スバルの不安そうな声と共に三人は飛んだ。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 三人がルイスの飛行魔法で飛んで少し。

 スバルがいるため全速力ではないが、それでもかなりの速度で森林地帯を抜けた。

 

「何か追ってきてるな」

 

「この気配……ただの魔女教徒ではないね」

 

 本来ならこのままエミリアたちの乗る竜車まで一直線に向かいたいところだが、一つ問題が生じた。

 ルイスたちを何者かが追ってきているのだ。その気配は仲間のものではなく、ただの魔女教徒よりも邪悪。速度そのものはルイスたちの方が上であり、追い付かれるという事はないが、エミリアたちと合流したところに追い付いてくる可能性は高い。

 

「ラインハルト。スバルと竜車に向かってくれ。ここからなら飛んでも走っても大して変わらない。俺は後ろのやつを止めてくる」

 

 ルイスはラインハルトとスバルを地上に降ろして言った。

 本当はルイスがスバルと共に竜車を目指したかったが、加護や諸々の対応能力を考えればラインハルトを向かわせるのが一番良かった。

 

「了解。先に向こうで待っているよ」

 

「おう」

 

 駆けるラインハルトを見送りルイスは神剣の柄に手を置いた。マナを吸い取られるが、それでもお構い無しだ。マナを吸い取られる時の体の違和感は吸収を上回る速度でルイス自身が大気中からマナを集めれば無くなる。

 先ほどは周囲に人間がいたため自粛したが、仁王立ちで神剣の柄に手を置くこの体勢がルイスにとって最も自然体だ。

 

 そうして待つこと数十秒。それは森の中から姿を現した。

 体は魔女教特有の黒い装束に包まれているが、その顔は露出しており地面から少し浮いてこちらへ向かって来ている。肉眼には映らないが、体を持ち上げているのは見えざる手だ。

 見えざる手で虫が這うようにその男はルイスへと迫る。『怠惰』の憑依した指先だ。目は光を失い顔の形も歪んでいるが、一心不乱に進む。

 

「ここで止まってもらおうか」

 

 男は何も答えない。

 元より返事を求めての言葉ではない。ルイスは拳を握って構えた。

 ルイスの拳に七色の光が集まっていく。

 その極光はあらゆる物を粉砕し、不浄の魂を滅する。

 

「ユリウス直伝――アル・クラリスタ」

 

 ルイスが拳振るった瞬間、世界が虹光に塗り潰された。それは『怠惰』の魂も例外ではない。

 光が晴れるとそこに邪悪な気配は残されていなかった。それどころか根強く生きる雑草すら残っていない。

 

 一撃で最後の指先を屠ったルイスはラインハルトが向かった方向へ足を向けた。

 多少オーバーキル気味だったが、今の魔法はレグルスに使うのを忘れていたから使ったとかそういう訳ではない。決して。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 ルイスが竜車に追い付いた時、その竜車周辺にはスバルどころかエミリアの姿もなかった。

 

「あれ、エミリア様は?」

 

「あそこだよ」

 

 子供たちを見守るラインハルトが示した先には少し地面が盛り上がった丘があり、そこでエミリアがスバルに膝枕をしていた。

 

「どういう状況?」

 

「僕が火の魔石をどうやって処理しようかと考えているとスバルが飛び出して白鯨の体の中で爆発させる事で処理したんだ。そしてその爆発の衝撃で飛ばされたスバルをエミリア様が看病しているという訳さ」

 

「へー」

 

 普通に考えればスバルよりもラインハルトが白鯨の腹の中まで魔石を運ぶのが一番安全で確実だ。ラインハルトがその事に気付かないはずもなく、彼なら強引にでもスバルからその役割を代わってもらう事も簡単に出来るだろう。

 だが、そうしなかったという事はそれが最善だと判断したのだろう。ラインハルトは異常なほど勘が鋭い。ルイスも常人離れした勘の持ち主ではあるが、ラインハルトには敵わない。

 現に王都で喧嘩別れしたはずのスバルとエミリアが何やら仲良さそうに話している。

 

 三大魔獣の一つを倒し、二人の魔女教大罪司教を撃破した。レグルスは死を確認した訳ではないが、あの様子では戻ってくる事はないだろう。

 そしてエミリア陣営のトップと中心的人物といっても過言ではないスバルの仲も復元されたようだ。

 魔女教の襲撃は決して喜ばしい事ではない。だが、そんな事は言ってはいけないかもしれないが結果から見ればそこまで悪いものでもなかった。

 

「なぁ、ラインハルト」

 

「どうしたんだい?」

 

「久し振りだよな。こうやって一緒に戦うのは」

 

 ルイスとラインハルトは共に尋常ではない戦闘能力を持っている。その実力はどちらか一人だけでヴォラキア帝国最強の剣士を下せるほどだ。

 故にこの二人が共闘しなければならないほどの相手などこれまで存在しなかった。

 

「ああ、そうだね」

 

 そもそもほとんどの場面で片方だけで過剰戦力となるのだ。それが同時に同じ任に就く機会など早々あるものではない。

 今回は正式な任務という訳ではない。だが、王国民全ての敵とも呼べる魔女教との戦いは王国騎士としての責務とも言える。

 そして『強欲』の大罪司教の存在。二人の攻撃を受けてなお無傷。二人の力を持って防御出来ない最強の攻撃。本人の戦い方にさえ目を瞑れば『戦神』と『剣聖』が相手をするに相応しい敵だった。

 

「一瞬だったけど、楽しかったな」

 

「不謹慎かもしれないけど僕もそう思ったよ」

 

 ほんの少しの間ではあったが、本気を出す事が出来た。

 上空でレグルスを二人で挟むように放ったあの一撃はこれまでの人生で最も実力を解放した瞬間だったのだ。

 

「大罪司教はまだいるんだよな?」

 

「『暴食』『憤怒』『色欲』『傲慢』の四人がいると言われているね」

 

「なら、俺たちの戦いはまだ終わってないな」

 

『怠惰』と『強欲』には能力にかなりの差があった。それはすなわち『強欲』よりも強い敵がいる可能性があるという事だ。

 もちろん、『強欲』が大罪司教最強だったという可能性もある。だが、これから先ルイスとラインハルトが共闘しなければならないほどの相手が現れる可能性がある。それだけで理由は十分だ。

 

「これからも励めよ、我がライバル」

 

 ルイスはラインハルトへ拳を突き出し、

 

「そっちもね、僕のライバル」

 

 心地好い風が吹く中、二つの拳が合わせられた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 ルグニカ王国には双璧と呼称される家系が存在する。

 片や最強の剣士『剣聖』、片や戦いの神『戦神』

 本来ならば一つの国に存在するのはそのどちらかだけだった。強過ぎる力はいずれぶつかり合い反発するからだ。

 ただ一人の『剣聖』によって戦争は終結し、ただ一人の『戦神』によって隣国との全面戦争は未然に防がれた。

 どちらかの人間一人がいれば国同士を巻き込むような事態でさえ武力でなんとかなる状況であれば大抵は解決出来る。それほどの力を持っているのだ。

 

 それならば何故、二つの最強の家系同時に同じ場所に存在するのか。その起源は四百年前まで遡る。

 四百年前、嫉妬の魔女を封印したのは『神龍』、『賢者』、『剣聖』そして『戦神』

 最後まで嫉妬の魔女を削り続けた初代『剣聖』と最後まで人々を守り続けた初代『戦神』その二つの家系は時代を越えて災厄の復活に備え続けているのだ。

 初代『剣聖』レイド・アストレアの名を冠する竜剣レイド。初代『戦神』モルテ・ゾルダートの名を冠する神剣モルテ。純白の剣と漆黒の剣。いつ、どこで造られたかすら謎に包まれるこの一対の双剣が存在するのは偏にいつかの()()()、その瞬間を待っているから。

 そしてその意志は二つの血統にも受け継がれる。

 

 今日もまた、二人の騎士は鍛練を続ける。

 いつか、かつての戦闘狂レイド・アストレアと心優しき少女モルテ・ゾルダートのように手を取り合い共に災厄へ立ち向かうその時の為に。

 

 




今話をもって「とある双璧の1日」完結とさせていただきます。
長い時は数ヶ月も間が空いてしまった事もあったにもかかわらずここまで読んで下さり本当にありがとうございました。見切り発車で開始した今作がここまで来れたのは皆様の応援や励ましのおかげです。
私の文章力の無さのせいで描写不足な場面は多々あったと思いますが、それでもここまで読み進めてくれた皆様には感謝しかありません。
ありがとうございました。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

If:もしも『戦神』の家に女の子が生まれていたら


これは今作を書く前に考えた女主人公案を採用していたらというifです。
内容はタイトル通りルイスの代わりに別の女の子が生まれていたらというお話です。能力とかルイス以外の登場人物、剣や加護の設定はそのままですが、ルイスが性転換したとかではなく最初から違う人間なので別の物語として読んで下さい。
本編とはほとんど関係ないので苦手だという方は一話前で止めて綺麗に読了して下さい。



 

 

 

 ――私は、生まれた時から化け物だった。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「信じられない!」

 

 刃が根元からポッキリ折れてしまった剣を握りながら少女は怒声をあげた。柄には赤と青の宝石の装飾が施されており、僅かに残った刃は光沢を放っている。

 幼い少女には不釣り合いな一振りに思えるが、その手に収まっている様はなかなかしっくりくる。

 

「ラインハルトから貰った大切なものなのに!!」

 

「わ、悪かったよ。久しぶりに素振りしようとしたら、な? 偶然近くにあったし」

 

 詰め寄られているのはその少女の父親だ。彼曰く、だらだらしているばかりでは駄目だと思って近くにあった剣で素振りをしたところポッキリいってしまったらしい。

 ただのその辺の剣ならば誰も文句を言わなかったかもしれない。だが、生憎と犠牲になった剣は少女にとっては仲の良い異性から貰った大切なものであった。事故だったとしてもはいそうですかとはいかない。

 

「ほら、今度父さんも一緒にラインハルトくんの所に謝りに行くから。機嫌治して」

 

「そんなのいいから、修理して」

 

「修理って……これ、無理っぽいような……」

 

「貰ってまだ一ヶ月もたってないのに」

 

 今度は泣きそうな雰囲気になり、父親はいよいよ焦り出す。自分の子どものものを壊してしまったのは今回が初めてだったため、どう対処すれば良いのか分かりかねていた。

 と言うよりも、そもそも普段泣くような事がないので緊急事態であった。

 

 毎日の稽古で生傷を作った時も泣き言を言わなかったし、むしろやり返すぐらいの勢いで掛かってくる。女子でありながら負けん気の強い子どもだった。生傷といってもすぐに治るのだが。

 それがどうだ。年相応といってしまえばそれまでなのだが、ことがことだけに男は困惑していた。

 

「じゃ、じゃあモルテやるから。な?」

 

「なら、それで真剣勝負」

 

「……それは洒落にならんよ」

 

 僅か五歳にしてこの少女の剣の腕は有象無象の騎士となら同等以上に渡り合えるほどのものだ。勿論、純粋な剣技なら負ける事はないだろう。だが、もし神剣モルテが然るべき相手だと認めてしまえばそう呑気な事も言ってられなくなる。

 最悪の場合、この辺り一面が焦土と化す。

 

 まずい。それはまずい。

 ゾルダート領内ならまだ言い訳もたつかもしれないが、ここは王都のど真ん中だ。王都破壊の国家反逆罪に問われても文句は言えない。

 この状況を作り出したのがこの男であれば、少女を鍛え上げたのもまたこの男である。全面的にこの男の責任だった。

 

「悪かった! 許してくれ! ほら、母さんからも何か言ってくれ」

 

「母さんはお出掛け中」

 

「あぁ! そうだった!」

 

「許さない」

 

 ゴゴゴ! と紅い炎を纏った少女が男に迫る。思わず男も後ずさった。

 

「やぁー!!」

 

 少女が腕を振り上げ、手刀を振り下ろす。

 男が寸前のところで躱すと、後ろの家具がスッパリ真っ二つになった。

 

「ぎゃぁー!? 母さんに怒られるー!」

 

「はぁー!!」

 

 これ以上の被害を出さないために二撃目は真剣白刃取りの要領で受け止めた。

 

「もういい!」

 

 男に一撃を入れる事を諦めた少女は近くに立て掛けてあった神剣モルテを引ったくるように取ると、そのままの勢いで庭に飛び出し、塀を飛び越えて出ていってしまった。

 

「ちょ、待って」

 

 父親の制止も聞かず、建物の屋根を跳び跳ねていく少女の姿はすぐに豆粒のように小さなものとなった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 小さな影が駆ける。背中にはその身体に不釣り合いな漆黒の剣を提げ、おおよそ五歳と思えない身体能力を発揮して王都を囲む壁へと向かう。

 

「絶対許さないんだから」

 

 王都の周りを囲む壁はおおよそ20メートル。少女はその壁を軽々と飛び越え、向こう側へ着地した。

 この壁はたまに出現する魔獣対策のものであるため、飛び越えて出入りしても罰則は存在しない。そもそもそういう事を出来る者はかなり限られているのだが。

 

 王都から伸びる一つの街道を走り、青い髪を揺らす少女の名はレイン・フォン・ゾルダート。『戦神』の家系の一人娘である。

『戦神』の家系ゾルダート家は『剣聖』の家系アストレア家と双璧を成す最強の一族である。代々その一人目の子供に『戦神』の加護が宿り、『戦神』の称号を継承してきた。このレイン少女にも『戦神』の加護が宿っている。

 

 とはいえ、この常人離れした身体能力は加護によるものだけではない。生まれた時から天に愛された体質であり、何もせずとも周囲からマナが集まる。そのマナが身体能力へと変換されているのだ。

 熟練した戦士は同じようにマナによって身体能力を強化する者もいるが、それも厳しい修練の先のもの。このように最初から息をするように意図も容易く使いこなす者はそうはいない。

 

 地竜をも凌ぐ速度で駆けるレインが向かう先は彼女の祖父や祖母が暮らしているゾルダート領である。ゾルダート家が治めるその場所へは王都から街道で一本道、竜車で約二日で到着する。ちなみにレインの足で一日だ。

 彼女は家族と喧嘩したりすると度々家を飛び出しゾルダート領へと駆け込む。家といっても王都にあるのは別邸でゾルダート領にあるのが本邸なのだが。

 今通っている場所も何度も通った道であり、引ったくるように取ってきた神剣も持ってきているため心配する事などない。これまでも魔獣と遭遇した事はあったが、素手であっても簡単に撃退してきている。

 

「喉乾いた……」

 

 いかに常人離れした身体能力を発揮しようとも五歳の少女。腹も減るし喉も乾く。まだ昼を過ぎたばかりであるため腹が減る時間ではないが、時間など関係なく喉もは乾くものだ。

 

 レインは道中にある村に立ち寄った。

 急に飛び出してきたため路銀の持ち合わせはない。ゆえに水分補給は公共に開放されている井戸の水で済ませる事になる。

 井戸からバケツを引き上げ、一気に口に流し込む。王都のような都会とは違って魔石を使わない水であるため細菌などが住み着いている可能性もあるが、『戦神』のハイスペックボディに細菌の攻撃は通じない。実際レインはこれまで病気の類にかかった事はない。

 

「お嬢ちゃん、一人か?」

 

 バケツの水に映る自分の顔を見つめていると、一人の中年の男性がレインに声をかけた。

 

「ん、一人」

 

 その男とレインは初対面だった。

 王都やゾルダート領内ではレインの顔は有名であるため一人でいたからといって心配して声を掛けられる事はない。だが、このような村や辺境の町ではこのように声を掛けられる事がある。

 

「親は一緒じゃないのか?」

 

 大抵このように声を掛けられる。そんな時はこう言ってやるのだ。

 

「大丈夫」

 

 今はちょうど戦神の剣を持っている。いつもなら何かスパッとやってやるなどして実演してやるのだが、今回は背中の剣を指差す。

 

「そりゃあ、もしかして」

 

「『戦神』の家系、レイン・フォン・ゾルダート」

 

「こりゃ、驚いた。その真っ黒い剣が戦神様の剣でお嬢ちゃんは戦神様のとこの子どもか。なら心配はいらねぇな。ま、気ぃつけな」

 

 男は笑って手を振りながら去って行った。

 実は以前全く同じ場所で声を掛けられた事がある。その時は神剣モルテを持っていなかったため、転がっていた大岩を真っ二つにすることで自身がただの少女ではない事を証明した。断面がツルツルとしたその大岩は井戸の側に今も転がっている。

 

 喉を潤したレインは村を後にした。

 そして相変わらずの速度で街道を駆け抜ける。ゾルダート領まではまだ距離があるが、明日までには到着する。そうして見慣れた場所を走るが、その途中レインは異変を感じた。

 何かがあるような。

 何かがいるような。

 そんな気配のようなものを感じた。

 

「……え」

 

 気付いた時には視界が悪く、遠くが見えなくなっていた。思わず立ち止まり、周囲を見渡す。視界を塞いでいたのは白い霧だった。

 どうして。

 今までこんな事はなかった。

 

 不気味だった。とにかく不気味だった。

 レインは早々に立ち去ろうと足に力を込めた。その瞬間、

 

「――レインちゃん?」

 

 声がした。

 何度も聞いた事のある声だった。

 

「ラインハルトの、お婆さま……?」

 

 声が聞こえてきた方向へ顔を向けるとそこには騎士服に身を包んだテレシア・ヴァン・アストレアがいた。

 

「どうしてここに……」

 

「――おや、このような場所に子どもが一人。可愛らしい子羊が迷い混んでしまいましたか」

 

「……ッ!?」

 

 レインを挟んでテレシアと反対側、霧に姿を暈かれ僅かに覗いたのは一人の少女。長い白金の髪を持ち、体を覆うのはただ大きな布一枚のひどく場違いな可憐な少女だった。

 その少女を前にレインは無意識に一歩、テレシアの方へ下がっていた。背中に提げた剣へ手を置くとその手はガタガタと震えていた。

 少女が何かをしたわけではない。何かをしてくる様子もない。だが、レインの直感が危険だと警鐘を鳴らしていた。何が、とか具体的に分かるわけではない。ただ、逃げろと頭の中の鐘がうるさいほどに鳴り響いていた。

 

「逃げて。レインちゃん、早く!」

 

 震えて呆然と立ち尽くすレインを庇うようにテレシアが前に出る。しかし、未知の相手、それもこれまで感じた事のない恐怖を纏った少女の存在に圧倒され、その場に釘付けになってしまう。

 

「あ……ぁ……」

 

 逃げようとしているのに体が動かない。

 一体何に怯えているのか分からない。何もされていないはずなのに、どうして。

 

「怖がられてしまいましたね」

 

 少女が一歩レインたちに近付く。

 レインはパニックを起こして動けず、そんな様子の彼女を背に庇っているテレシアも下手に動けなかった。

 テレシアもこの少女がただの幼い少女だなどとは思っていない。今この周辺では三大魔獣の一つ白鯨の討伐作戦が行われていた。それでなくともここは周囲に何も無い街道のど真ん中だ。レインは別としてこのような場所にただの子どもが一人でいる事はない。

 テレシアの第六感も目の前の少女が危険だと言っている。

 斬り掛かるか、それとも、とテレシアが動きあぐねている間にも少女は一歩、また一歩と近付いてくる。

 

「――レイン。お前ちょっと走るの速すぎ」

 

 その時、レインが知る中で最も強い剣士が遅れて登場した。

 

「父、さん……」

 

「アレンくんまで、どうしてここに!? 貴方はフォルド様のご息女の捜索任務中だったはずじゃ」

 

「いやね、こいつが飛び出したのはいつもの事なんですが今回は嫌な予感がして。捜索隊の集合まではあと一時間ある。で、案の定来てみればこれだ」

 

 レインの父であるアレン・フォン・ゾルダートはレインの背中から神剣モルテを抜くとそれを構えて二人の前に出た。アレンが構えるモルテは眩い光を放っている。その本来の能力を発揮するという合図である。

 

「これはまずいな」

 

 モルテが本来の能力を発揮するという事は相手はそれ相応の強者という事になる。平常時は触れる事すら拒絶されるこの剣が手に馴染む。普段ならば興奮して小躍りでもするところだが、今は背後に守るべき者がいる。ふざけられる状況ではない。

 

「テレシアさん、あんたはレインを連れてこの霧から出てくれ。こいつは俺が」

 

 ただならぬ空気を感じ取っていたテレシアはすぐに頷きレインを抱えてその場を離れた。

 

「ヴィルヘルム! 隊の被害は!?」

 

 霧の中から脱出する道中、テレシアは同じく白鯨討伐隊に加わっていた夫のヴィルヘルムに声をかけた。

 

「ほとんど壊滅状態だ! このままでは全滅する!」

 

 討伐隊は序盤、白鯨に対して優勢だった。『剣聖』である、否、つい先ほどあの謎の少女と遭遇するその瞬間まで『剣聖』であったテレシアに加えて元近衛騎士団団長の『剣鬼』ヴィルヘルムまでもが参加していたのだ。当然といえば当然と言える。

 だが、それはテレシアが分断された事により崩れた。テレシアとヴィルヘルムの二人を主軸とした陣形はそのうちの片方が欠ければ万全には機能しなくなった。それに加えて白鯨の行動パターンが突然変化したのだ。

 テレシアを欠いた状態では完璧に対応する事は叶わず少しずつ兵士が減っていき今に至る。

 

「撤退よ。もう白鯨も落とせないし、新手が現れたわ。今はアレンくんが足止めしてくれている」

 

「なに!? 何故あいつがここに」

 

「飛び出していったレインちゃんを追いかけてきたみたい。それよりも早く撤退を」

 

 指揮任されていたヴィルヘルムが撤退を指示し、生き残っていた討伐隊はすぐに霧の中から脱出した。

 

「生き残ったのはこれだけか……」

 

 ヴィルヘルムが悔やむ中、レインは抱かれたままテレシアの騎士服を強く握っていた。

 数分後、テレシアとヴィルヘルムがアレンの援護に向かおうとすると、霧の中から黒光りした剣を握ったアレンが文字通り飛んで来た。

 

「父さん!」

 

「いてて、やっぱこいつを普通に扱えるのはレインだけだな」

 

 既にモルテの眩い輝きは失われていた。アレンは神剣をレインの背中の鞘へと収めるとテレシアからレインを受け取った。

 

「アレンくん、さっきの相手は?」

 

「追い払った……っていうか消えたんですよ。白鯨も最後にデカイのかましてどこか行ったし」

 

 一先ず脅威は去った。それを理解したレインは全身から力が抜けた。

 

「怖かった……怖かったよぉ!」

 

「おー、よしよし」

 

「アレン、お前には大切な任務があったのではなかったか?」

 

「団長……いや、今は俺が団長か。だから捜索隊の集合は一時間後……ヤバい! 俺の足じゃ一時間で戻れん!」

 

 アレンは急に焦り始め、レインを地面に立たせた。

 

「王都まで急いで担いで行ってくれない?」

 

「…………」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 時は過ぎ、齢が十を超えたレインはアレンが団長を務める近衛騎士団に所属していた。

 

「急に呼び出して、何か用?」

 

 近衛騎士の証である白いマントを付けた騎士服を着たレインが訪れたのは団長室、つまりはアレンの執務室だ。

 

「ヴォラキア帝国の使者がお前をご指名だ。なんでも「この前の続き」を所望しているとか。セシルス・セグムント、この名前に聞き覚えはあるだろ?」

 

「セシルス・セグムント……」

 

 そこで聞かされた名前、その名には聞き覚えがあった。それは忘れるはずもない、初陣での出来事だ。

 ヴォラキア皇帝との対談の為にヴォラキア帝国へ賢人マイクロトフの護衛として訪れた時の話。レインが同行する事になったのはヴォラキア皇帝からの申し出によるものであり、断る事も出来なかったために彼女はヴォラキア帝国へと赴いたのだ。

 それだけならば何の問題もないが、その時、問題は起こってしまったのだ。

 何者かがヴォラキア皇帝の座を奪うべく反乱を起こした。その途中でレインが剣を向け合った相手がヴォラキア壱の将、青き雷光セシルス・セグムントだった。 

 

「一応、練兵場は空けてる。レインの準備が出来たら相手してやれ」

 

 アレンは考える様子もなくそう言うと作業机の書類へ目を落とした。

 自分の娘でありながら躊躇いも心配する素振りもない。だが、それも仕方がないというものだった。

 そもそもアレンはレインが世界最強の人間だと疑っておらず、彼女がヴォラキア帝国を訪れた際、数々の将と対峙し勝利を納めたという報告を受けていたのだ。その将の中の一人の相手をする程度では相手の心配こそすれ、レインに対して心配する事などなかった。

 

 レインが退出するのを見送り、アレンは自らの目で娘の勇姿を見るために手早く雑務を終わらせようとペンを走らせた。

 

 今の何気ないやり取りを後悔する事になるとは知るよしもなく。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 執務を終わらせ、軽い気持ちで練兵場を訪れたアレンはすぐに不穏な空気を感じ取った。

 ルグニカ王国に代々遣える最強の家系『戦神』とヴォラキア帝国最強の剣士の戦いだ。観客席は既に満員で立って見物している者も多い。

 だが、ほとんどの者に当てはまるのは楽しんでいるのではなく不安を抱いているという事。

 

 そしてその理由は中央で戦っている二人へ目線を下ろす事ですぐに分かった。

 

「な……」

 

 押されているのだ。あのレインが。

 光を帯びた神剣を握ってなお、押されているのだ。

 

 立ち止まり神剣を構えるレインの周囲を雷光が走っている。それは大袈裟でもなんでもない。未だ『戦神の加護』を宿すアレンの目を持ってしても雷光、或いは人智を超えた剣戟の残像としか認識出来ないのだ。

 縦横無尽に駆け回る青光がレインへと殺到し、一つが通り過ぎる度に赤い鮮血が飛ぶ。

 

「『村正』と『正夢』を持った僕の猛攻を防ぐとは、流石は戦神殿!」

 

 観客たちを含めた静寂を破ったのはレインと対峙するキモノ姿の青年だ。その両手にはそれぞれ赤と青の魔剣が握られている。

 

「ならば、これならばどうですか!」

 

 一瞬、立ち止まったかと思えば、次の瞬間にヴォラキアの剣士セシルスの姿は掻き消えた。

 

 そしてアレンが見たのは宙を舞う神剣と無残にも肘から上を切断されたレインの右腕だった。

 

「い……ああぁぁあ!?」

 

 片腕を失った少女の絶叫が木霊する。

 ほとんどの観客たちは目を逸らし、所々から悲鳴のようなものが上がるが、それを上回るレインの叫びが鼓膜を貫いた。

 

「さしもの戦神殿も武器とそれを持つ腕を失ってはなす術もないでしょう。では、ここに僕の雪辱は相成った! その腕はそちらの半獣の美人さんに――」

 

 蹲るレインへ向けてセシルスは勝利の宣言。

 半獣の美人とはフェリスの事だろう。確かにフェリスの治癒魔法の腕前ならレインの千切れた腕をくっ付ける事も出来る。

 だが、今はそれよりもアレンは父親として駆け寄ろうとした。

 

『アアァァアア!!』

 

 その時異変は起こった。

 獣のような甲高い咆哮が響き、観客席の最前列にいた者たちが倒れ始めたのだ。

 

「ちょっ!? なんですなんです? もしかしてここからが本番とか?」 

 

 目の前にいるセシルスは何食わぬ顔で立っているが、アレンはまずいと思った。

 元々レインは常人を遥かに超えたマナ収集能力を持っていた。戦闘において発揮される超身体能力はつまるところこれに頼る部分が大きい。

 今はそれが目に見えて暴走している。

 

「いいですよ! 一度倒したはずの敵が強くなって再び立ち塞がる。むしろ好き!」

 

 セシルスは二刀を構え、咆哮を止めたレインの姿が消える。

 そして直後、轟音と共に二人の姿が露になり、そこで見えたのは先ほど切り落とされたはずの右手の拳を突き出しているレインとその拳を魔剣で正面から受けているセシルスだった。

 

「おや!? 『村正』と『正夢』を素手で正面から受けて無傷の人なんて初めてですよ!」

 

 今の一撃で倒れた観客が増えた。

 レインが魔剣を素手で受けた事自体は特に問題はない。剣の家系である『剣聖』とは違い『戦神』は戦いそのものの家系だ。故に例え得物が何であろうと、無手であろうとも殊戦闘においてはそれが障害となる事はない。

 

 だが、問題は遠目からでも分かるほどの最上の妖刀を少女の細い腕で受け切り、更に押すために必要なマナが観客からも吸い取られているという事だった。

 

「やめろ! 二人共、もう終わりだ!」

 

 アレンは叫ぶが、二人には聞こえていない。

 もう既に被害が出ているが、これ以上放置していては大惨事になる。

 アレンは観客席の間の通路を駆け下りる。その間にも拳と魔剣がぶつかり合い、その度に観客たちが倒れる。

 

 そしてそれはアレンが二人の間に飛び入るまで続いた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 街の開発が進み、現在王都では昔のように花が咲き誇る花畑のような自然はほとんど無いに等しい。四十年ほど前に見られた視界の一面を覆い尽くす自然の花園は存在しない。

 

「うん、いい感じに育った」

 

 朝日が登った頃、一人の少女が水を撒く。暑さ対策のためではない。一面に咲き誇る黄色の花たちに水を与えているのだ。

 自然に咲いた花ではない。少女が敷地内に自ら種を撒き育てたものだ。

 

「レイン、今日も早いね」

 

「ラインハルトこそ」

 

 水を巻いていた少女――成長したレイン十八歳は同じく成長した親友ラインハルトの姿を認めると塀へと腰掛けた。そして太腿に肘を置き、頬杖をつきながらラインハルトへいたずらっぽい笑顔を向ける。

 

「ねぇ、ラインハルト」

 

「どうしたんだい?」

 

「花は、好き?」

 

 実はこの花床、これを言いたいがためだけに育てたものだったりする。

 

「好きだよ」

 

 だが、返ってきた言葉はレインが期待したものではなかった。

 

「むぅ……」

 

「お祖父様のように嫌いだと言った方が良かったかな? でも僕は君に嘘はつきたくないんだ」

 

「バカ」

 

 爽やかに赤い髪を揺らすラインハルトへ紅い目でジト目を向けた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「遅い」

 

 王都にある大きな噴水、その前で騎士服に身を包んだ青い髪に目を紅く光らせるレインが唸った。

 遅いというのも彼女はある人と待ち合わせをしているのだ。その人物とはこの国の未来の王を決める王選に参加する一人、エミリアだった。というのもやりたい事以外あまり自分から動こうとしない彼女を見かねた父アレンが働き手として勝手にエミリア、ひいてはその支援者のロズワール・L・メイザースへ話をつけたからだ。

 顔合わせは以前、既に済ませているが実際に騎士として合流するのは今日が初。普段は自分と変わらないぐらい怠け者の父に尻を叩かれて約束の時間よりも早く家を出たのだった。

 ちなみに約束の時間までまだ時間がある。

 

「ちょっとぐらい良いわよね」

 

 特にする事も無いが、ただ突っ立っていても暇なだけなのでレインは街を適当に歩く事にした。非番の日に街中を見回っているラインハルトと会えるかもしれないという思惑も無いわけではない。というかそれしかない。

 

 ラインハルトは『剣聖』としてよく知られている。ゆえに歩いている人々に聞けば大体の足取りは掴む事が出来る。レインも『戦神』として知られているのでほとんどの人に驚かれるかビビられるが。

 そうしてラインハルトの行く先を調べたレイン。ストーカーとか言ってはいけない。

 

「ラインハルト、わぁ偶然」

 

「今日はよく会うね。エミリア様との約束はいいのかい?」

 

「エミリア様と約束あるって言ってたっけ?」

 

「ふふ、君の事なら何でも知ってるよ」

 

 ラインハルトもラインハルトだ。結局どっちもどっちだったりする。

 

「エミリア様はまだ来る気配ないから大丈夫。それより一緒にお散歩しない?」

 

「いいね。僕もそう言おうとしていたところだよ」

 

 言うが早いか二人は同じ方向へ向かって歩き始める。いつの間にかレインはラインハルトの腕に抱き付いていた。

 

「何か食べる?」

 

「そうだね、ちょうどそこに果物屋がある。リンガでも食べようか」

 

「うん!」

 

 本当に果物屋をやっているのかとつい思ってしまうような厳ついスカーフェイスの男が経営している店で二人はリンガを二つ買った。

 

「あのー、お二人さん。店の前でそういうのは困るんですが……」

 

 店主の言葉でラインハルトの口へいつの間にか切り分けられたリンガを運んでいたレインの手が止まった。

 

「む……けち」

 

「いやいや、無茶言わんで下さいよ」

 

 客が寄り付かなくなるからと追い払われた二人は街の散策に戻った。二人がいた方がむしろ注目は集まりそうなものだが、少し離れたところからの見物人が増えるだけで客は増えないらしい。ちなみに二人がいてもいなくても客はほとんどいない。

 

「そろそろ約束の場所に向かった方がいいんじゃないかい?」

 

「んー、ラインハルトも一緒に来ない? ほら、エミリア様もラインハルトがいた方が安心だと思うし」

 

「魅力的な提案だけど、残念ながら僕の一存では決められないよ」

 

「私も頼んでみるから、ね?」

 

「衛兵さーーん!! 助けて下さーーい!!」

 

 戦力でエミリア陣営がものすごい事になってしまう提案をしていると、どこからか助けを求める声が聞こえた。

 

「その話はまた後だ。行こう」

 

 すると趣味の人助けが発動し、ラインハルトはレインを置いて声が聞こえてきた方へそそくさと歩いて行ってしまった。

 

「むぅ……」

 

 追いかけないという選択肢は無いため、レインも少し遅れてラインハルトの後を追った。

 そして角を曲がって裏路地に入ったところでラインハルトは足を止め、レインは背中から顔だけ出した。

 

「そこまでだ」

 

 二人の前では一人の青年と三人の青年が向かい合うように立っていた。三人組は手に刃物を持っており、一人の方の青年が希望に満ちた目でラインハルトを見ている。助けを呼んだのは恐らくこの青年だろう。

 

「ま、まさか……」

 

 三人の青年の顔が青くなる。そして三人を見たレインの目がキッと細められるのを見て更に蒼白になる。

 

「なに? ラインハルトと私の大切な大切な時間を奪うつもり?」

 

「僕と彼女も含めて三対三だけど、まだ続けるかい? あまりオススメはしない。彼女は怒ると怖いからね」

 

「『剣聖』ラインハルトと『戦神』レイン!? じょ、冗談じゃねぇ!」

 

 レインが脅し、ラインハルトが参戦の意思を見せるとチンピラ風の三人組は地竜も斯くやという速度で走り去ってしまった。

 

「穏便に済んでくれて良かった。怪我は無いかい?」

 

 ラインハルトが声をかけると残った青年ははっとしたようにピンと背筋を伸ばした。

 

「この度は命を救っていただき、心からお礼申し上げる。このナツキ・スバル、その御心の清廉さに感服いたしますれば……」

 

「そんなにかしこまらなくても構わないよ。きっと彼らもレインの眼力に恐れをなしたんだ」

 

「あ、えっと、ラインハルトさんでいいっすか?」

 

「呼び捨てで構わないよ、スバル」

 

「さらっと距離詰めてきた……って、なんかお連れのレインさん? がめっちゃ睨んできてるんだけど、噛みつかれたりしない?」

 

 ラインハルトが振り返ると、レインがガルル! と威嚇していた。

 

「こらこら。悪いね、スバル。この子は人見知りなんだ」

 

「人見知り……あ、いや、改めてありがとう。助かったよ。このまま誰も来なかったらどうしようかと」

 

「……話長い」

 

 スバルがラインハルトにお礼を言っている途中でレインがぶった切った。

 ラインハルトに頭をポンポンされた事によって眼光レベルはジト目にまで下がっているが、溢れ出す不満という名の黒いオーラは隠しきれていなかった。隠す気などなさそうだが。

 

「無事で良かったわ。これに懲りたら一人でこんな所に入らないように気を付けて。じゃあね」

 

「あれ、いつの間にか話終わってる!?」

 

「すまないね、どうやらここみたいな暗い場所は好きじゃないみたいだからもう行くよ」

 

 レインに袖を引っ張られ、ラインハルトは短く別れの言葉を言ってその場を後にした。

 

 

「チンピラの方は仕方ないにしてもスバルにまで睨みを効かせる必要はなかっただろう?」

 

「……エミリア様との約束の時間に遅れるし」

 

「ああ、そう言えばそうだったね」

 

 取って付けたような言い訳をしてレインはラインハルトの手を取って約束の場所へと向かった。

 約束の場所として指定された噴水はかなり大きめの物であり、噴き上がる水の最高到達点は十メートルを超える。離れた場所からでも分かりやすいこの場所は平常時ならば人が集まりやすい。王国最高戦力の二人がいる事で人の集まりは少ないが、それでも目立つこの場所に来ようとして迷う事はないだろう。

 エミリアを待つ間、二人は談笑して過ごした。

 

 

 そして日が暮れた。

 

「……遅くない?」

 

 人通りも徐々に少なくなり、溢れる明かりも天然のものから人工的なものに変わり始める。約束の時間はとっくに過ぎている。

 

「もしかすると何かあったのかもしれない」

 

「どうしよう。エミリア様がどこにいるかなんて分からないし……あ」

 

 エミリアが方向音痴だという情報は聞いていないし、この場所を指定したのもエミリア側だ。迷ったという可能性は考えにくい。となれば早急にエミリアを探す必要が出てくるのだが、レインにはその手段がない。

 とそこまで考えたところである事を思い出した。

 

「どうしたんだい? 急に僕の顔を見つめて」

 

 ラインハルトに許された唯一無二の異能。

 それを知っているレインは満面の笑みで言った。

 

「人探しの加護!」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 レインの要望で新たに授かった人探しの加護によってエミリアの居場所を突き止めた二人は貧民街へと向かっていた。この加護は人に対してのみ有効であるが、捜索の対象にした人間の大まかな状態も分かるらしく、二人は普通に走って向かった。緊急事態ではないと判断した為だ。

 

「もー、時間も守らずに油売ってるとか信じられない」

 

「この感じ……そこの蔵で間違いない」

 

 しばらく貧民街の真ん中を走り、たどり着いたのは周囲の建物よりも一回り大きな蔵だった。

 立ち止まったレインたちの前にあるのは分厚い扉。古びてはいるが、金属でできているらしいその扉は確かな重圧感を持っている。鍵がかかっていたとしても無理やり開ける事は出来るが、

 

「開いてる」

 

 物騒な事を考えながらレインが取っ手を引っ張ると抵抗無く扉は動いた。

 

「エミリ――」

 

「うわっ!?」

 

 扉を開けると同時に中から小柄な少女が飛び出し、エミリアがいるか覗き込もうとしたレインにぶつかり尻もちをついた。

 

「大丈夫?」

 

 倒れた軽装の盗賊風な少女に手を差し出す。

 その瞬間、薄暗い蔵の中で何かが月の光を反射した。

 

「……なんのつもり? この子を殺す気?」

 

 レインが蔵の奥を睨み付ける。その手には四本ものナイフが握られていた。

 

「あら、新しいお客さん。歓迎するわ。そろそろこの子たちとのダンスにも飽きてきたところなの。貴女は私を楽しませてくれるのかしら?」

 

 そう言ってレインに狙いを定めたのは黒髪に黒い装束、刀身が途中で折れ曲がった大型ナイフを持った女だった。

 

「この特徴は、なるほど。腸狩りか」

 

「腸狩り?」

 

「特徴的な殺し方からついた異名だよ。王都でも名が上がっている」

 

 レインに続いてラインハルトも入室。少女にナイフを投げつけた下手人の正体を看破した。

 

「そう。エミリア様、無事ですか?」

 

「レイン!? どうしてここに?」

 

「それはこっちの台詞」

 

「それよりも大変なの! その女の人がすごーく強くて、私たちは襲われてて」

 

 言葉足らずのエミリアの説明でレインは大体の状況を把握した。理由など全く分からないが、今すべき事は分かる。

 

「レイン……『戦神』レインね。となるとそちらの彼は『剣聖』ラインハルトかしら。素敵だわ。今日一日でこんなにも楽しい相手と巡り会えるなんて」

 

「投降した方がいいと思うわよ。私、手加減するのが下手らしいから」

 

 エミリアの騎士として初めての仕事がこれとは皮肉な話だ。

 

「最高のご馳走を前に餓えた獣が我慢出来るとでも?」

 

「――――」

 

 レインの顔に僅かに影が落ち、ラインハルトは素早く避難してきたスバルと少女、そしてエミリアを背に庇う形で戦いの行方を見守った。

 

 腸狩りが重心を落として突貫。俗にククリナイフと呼ばれる武器をレインに向かって振りかぶる。その一振りが人間一人を易々と冥土に送るほどの威力を秘めている。

 しかし、その剣撃は一滴の血も吸わぬまま停止する事になる。窓から射し込む月明かりに照らされた刃が白く細い二本の指に挟まれている。

 馬鹿げた話だ。徒手空拳と刀剣持ちではどちらが有利かなど子どもにでも分かる。ましてや正面からぶつかればどちらが勝つかなど自明の理。その常識が今、赤子の手を捻るように、意図も容易く覆されていた。

 

 得物を取り返すのを諦めた腸狩りが一旦距離を取ろうとするが、遅い。既に握られた拳が頭上へと迫っていた。

 腸狩りの後退が止まっていると感じてしまうほどの速度で振り下ろされた拳は脳天を正確に捉え、一直線に床へ振り抜かれる。だが、腸狩りの体は床では止まらず、硬いタイルを貫通し更に下へ。床下、地面の土をも押し退けて沈む。

 

 蔵に残ったのは静寂。それと人間一人がすっぽりと収まる地底へ続く穴だった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「――以上だ。解散してくれていい」

 

 ルグニカ王国最高の剣、近衛騎士団が出動するほどの事態はほとんど存在しない。王国には近衛以外にも下位に様々な騎士団がある。大抵の事はそれらの騎士団の力で解決される。

 故に近衛騎士団の面々が一同に会すのは専ら定例集会のみである。

 団長アレン・フォン・ゾルダートの声に騎士たちは靴を鳴らして敬礼。その後それぞれの目的地へと向かって去っていった。

 

 レインはこの集まりが好きではない。その理由は周囲の人間が彼女を見る目を見れば分かる。

 現在ではかなり改善されてきているが、その目に宿るものは恐怖や畏怖。全員が全員そういう反応をするわけではない。だが、悲しい事に人間の感情というものはすぐに態度に出てしまう。

 現に今、レインの歩く先にいた騎士が逃げるように道を開けた。

 こうなった事に理由はある。詳細は省くが数年前の出来事、レインとヴォラキア帝国の剣士セシルス・セグムントの戦い。それが原因だった。

 始めはただの剣の打ち合いだった。

 だが、それはレインの片腕が切断された事によって終息し、そこから始まったのは狂戦士と化したレインの戦いと次々に人が倒れる怪奇現象だった。

 本来ならセシルスと素手で打ち合う事にそこまでのマナは必要ではない。加えて言えば、そもそも素手で戦う必要すらなかった。

 簡単な話、彼女は未熟だったのだ。

 生まれたその瞬間から加護を授かり、天から愛された体質だった。だが、その代償として対等な相手がいなかったのだ。技術で負ける相手は存在するかもしれないが、それも純粋な力の前では無意味。例えば身近に彼女と同じような超人がいれば互いに研鑽する事で力の制御も完璧に出来るようになっていたかもしれないが、残念ながら幼い彼女の周りにそれだけの人間はいなかった。

 

 しかし、その場に居合わせたのは生まれた時から平和な世界で生きる若き騎士たち。更には彼女の姿を初めて見、声を初めて聞きいた者たちばかりだ。そんな事情を知るはずもなく、化け物のような彼女にどんな感情を抱くかなど火を見るより明らかであった。

 

「…………」

 

 あるいはその後、騎士たちとの仲を深めていればこんな事にはならなかったかもしれない。だが、それも全ては無意味な仮定。何かおぞましいものでも見るような目を向けてくる者と積極的な関わりを持つ事は、レインには出来なかった。

 

「ラインハルト」

 

「そんな顔をして、どうしたんだい? さっきの人たちの事なら気にする必要はないよ。彼らは君の魅力を分かっていないだけなんだから」

 

「うん……」

 

 堅苦しい集会から解放された赤毛の青年は俯く青髪の少女を恥ずかし気もなく正面から包み込むように片手を背中に、もう片方の手を頭に置いた。

 

「わー、お二人さんお熱い」

 

「そうからかうものではないよ。フェリス」

 

 そんな二人を取り囲むのは同じく近衛騎士団に所属している猫のような大きな耳を頭から生やしている少女と見紛う、しかしれっきとした男であるフェリックス・アーガイルと紫髪を揺らしながら優雅に振る舞うユリウス・ユークリウスであった。

 

「ほら、こうしてこの二人はレインの事を分かってくれているだろう?」

 

「うん」

 

「むーん、面白くにゃーい」

 

 ところが茶化すフェリスの声も何のその。そんな事で怒ったりはしない。むしろ歓迎だった。

 レインにとってこうして臆せず話してくれる人間はありがたい存在だ。例え怖がられないとしても気軽に話せる人間はほんの数人程度。更にこの二人はラインハルトの次に親しく、仕事以外でも付き合いのある友人でもある。

 

「この後、レインは僕の屋敷に来る予定なんだけど、二人も一緒にお茶でもどうだい?」

 

 

 アストレア家が所有する屋敷で四人がテーブルを挟む。長方形であるため、レイン、ラインハルトの二人とユリウス、フェリスのあるが向かい合うように座っている。

 話題はレインがエミリア陣営に馴染めているかというものになっていた。

 

「最初は心配だったけど、みんな優しいからすごく楽しい」

 

「それは良かった。実を言うと僕も心配していたんだ」

 

 もちろん王選に関わるような他陣営に言えないような内容にはならない。この四人は全員違う陣営に所属しているからだ。友人との交流で後々面倒な事になるような発言はしない。

 

「エミリア様のとこの人たちがちゃーんとレインの可愛さが分かる人たちで良かったよネ。ユリウスみたいにビビったりしなくて」

 

「……確かに初めて会った時の事、否定はしない。しかしその人柄を知った今ではそんな事はない。あの時の自分は愚かであったと反省する日々だ」

 

「もう、ユリウスったら真面目ー!」

 

 レインの初陣の日、その場所にユリウスも一人の騎士として同行していた。そして人外の戦闘を見、何も知らなかった彼は他の騎士同様恐怖を覚えたが、言葉を交わし精霊術の指南までもする間柄になった今ではレインはただ力が周りよりも強いだけの少女だと知っている。

 

「すまない、少しだけ席を外すよ」

 

 使用人らしき人物がラインハルトに耳打ちすると、彼はそう言って席を立った。肩にもたれかかっていたレインはバランスを崩して倒れそうになった。

 

「でもホント良かったよネ。もしエミリア様のところでもあんな感じだったらと思うと」

 

「うん。こんな私を受け入れてくれたエミリア様には感謝してる。ラムやレムも普通に接してくれるし、ラムはこき使ってくるぐらい。あ、ラムとレムっていうのはエミリア様がいるロズワールの屋敷でメイドとして働いてる子で……」

 

 話はラインハルトが戻ってくるまで続き、それから少ししてフェリスとユリウスの二人は帰っていった。

 その後、着替えを持って来るのを忘れたレインがラインハルトの服を借りて興奮したりフェルトに嫌な顔をされたりと、様々な事がありながら夜は更けていった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 ロズワール邸での生活は決して悪いものではなかった。

 屋敷にいる人間でレインに怪物を見るような目を向けてくる者はいなかった。朝はラムに叩き起こされ、最近は屋敷で働く事になったスバルと共に家事を手伝っている。裁縫ではスバルに負けるが、料理の腕では勝る。と、レインは思っている。

 エミリアも臆するどころか年下の子どものように可愛がってくれていた。頭を撫でられた事も両手の指に収まらない。姉というものがいたらこんな感じなのだろうか。そう考えた時もあった。

 だから――

 

「銀髪の半魔は語り継がれる嫉妬の魔女の容姿そのもの。見ているだけで気分が悪い。そんな者をなぜ玉座の間に迎え入れられる」

 

 吐き捨てられたボルドーの言葉に相手が賢人会の人間だという事すら忘れ、レインはその身に宿る剣気を爆発させた。

 突如として発生した圧倒的な力の奔流に晒された近衛騎士たちは身をすくませ、経歴の浅い者はその圧に耐えられず膝を折った。

 

「貴様……! 自分が何をしているのか分かっているのか!?」

 

 そして剣気を向けられた当の本人は流石元武人と言うべきかレインを睨み返した。若干腰が引けているようにも見えるが、かつて先代『剣聖』と戦場で肩を並べた経験は伊達ではないという事だろう。

 

「みんなで寄ってたかって、もうやめてよ……」

 

 だが、その常人ならざる威圧感の中心にいるレインの声はひどく悲しげで、消えてしまいそうだった。

 エミリアに対して心ない言葉を投げたのはボルドーが初めてではない。これまでにも騎士たち、文官たち、果てには同じ王選参加者であるプリシラまでもがエミリアを半魔と蔑み、謂れのない理由で嘲り、貶める。

 

「エミリア様が、一体何を……っ!?」

 

 ただ容姿が似ているというだけで。本人が何かをしたわけでもないのに。

 理不尽に嘆くレインの身体が真横に吹き飛んだ。

 

 剣気の暴力が消え去った事で注目が集まった中心には握った拳を振り切った体勢の男がいて。頬を押さえたレインとその視線の先にいる男の間にラインハルトが割り込む。

 

「団長、どういうおつもりですか」

 

「分かるだろ、騎士ラインハルト。この場であれは相応しくない」

 

 レインを殴った男、父でもあるアレンはラインハルトの敵意の籠った視線を切り捨てた。

 

「ハインケル! こいつを頼む」

 

 そしてアレンの声に応えるように騎士団最前列にいた一人の男がレインの元へ歩いてくる。赤い髪をボサボサに伸ばした青い目を持つラインハルトと似通った特徴。それもそのばす、それはラインハルトの父ハインケル・アストレアであった。

 

「お前な……いや、分かったから睨むな」

 

「睨んでないだろ」

 

 鋭い眼光に怯みながらハインケルはレインを連れて玉座の間を後にする。背後からの「相応しくはないが、間違いではない」というアレンの声を合図に分厚い扉が閉じ、レインは外の世界へと閉め出された。

 扉の外側で待機していた衛士が何か言おうとするのをハインケルが手で制し、レインはハインケルが歩く後ろをただ無言でついて歩く。

 しばらくして見つけたベンチにハインケルは腰を下ろし、レインも促されてその横に座った。

 

「まぁ、なんだ。俺もあいつもどっちが悪いかなんて分かってる。立場上団長としてあいつはああするしかなかったが、騎士が主を侮辱されたら怒るのが当然だからな」

 

 ハインケルはラインハルトの父親であり近衛騎士団副団長だ。その部下でもあり普段ラインハルトとよく接するレインの事は気にかけている。

 

「…………エミリア様にも避けられるようになったら……私は……」

 

 しかし、レインが俯いている理由はハインケルが思っていたものと違ったようだった。処罰がどうなるとかそういう理由ではなく、落ち着いて冷静になった今、あの一幕によって主であるエミリアの接し方が変わってしまうのではないかという不安が溢れてしまったのだ。

 

「あー、断言は出来ねぇが多分大丈夫だ」

 

「…………」

 

「アレンの奴は何度もエミリア様と会合してたからな。その上でお前を預けるに足りると判断したんだ。あの程度で態度を変えるようならそう簡単にお前を送り出したりしねぇよ」

 

「ハインケルさんは、なんでそんなに私に構ってくれるんですか。怖くないんですか……?」

 

「見くびってもらっちゃ困る。確かに俺から見ればお前は化け物みたいなもんだが、忘れてないか? 俺の周りには化け物がいっぱいいる。親父やお袋の時点で俺にとっては天上級のバケモノ剣士。もちろんお前の親父もだ。そういうのには慣れてる」

 

 ハインケルは「まぁ、あれだ」と付け加えながらレインの肩に手を置いた。

 

「ビビってる奴は放っておけばいい。ちゃんと見てる奴は見てくれてるんだからな」

 

 そう言うとハインケルは席を立ち、「ったく、柄にもない事を……」と呟きながら歩き去っていった。

 

 数刻の後、レインはエミリアと合流し、半泣きの状態で謝ったのを受け入れられ、宿へと向かった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 ロズワール邸での日々は、とても温かかった。

 

『指切ったー! レインさん、治癒魔法プリーズ! プリーズ!』

 

 いつもその場を盛り上げたスバル。

 

『この部分を縫う時はこうすれば良いんですよ』

 

 裁縫の事を手取り足取り教えてくれたレム。

 

『馬鹿ね。蒸かし芋でラムに勝とうなんて百年早いわ』

 

 自分の当番ではない家事まで手伝ってくれたラム。

 

『怖がらなくてもいいの。ここにいるみんな、あなたの味方だから』

 

 良い所も悪い所も全て包み込んでくれたエミリア。

 

 楽しかった。本当に楽しかったのだ。

 掃除、洗濯、買い出し、料理、ちょっとした会話でさえ、心の底から笑って過ごした。

 自分の居場所。それを見つけた気がした。騎士団とは違う、ありのままの自分を受け入れてくれる場所。それが――

 

「――嫌になるよね。僕はただ花嫁を迎えに来ただけだっていうのに」

 

 赤く、染まる。

 地に伏したエミリアの体が、ラムの体が、赤く染まっている。

 

「え、あ、ぁ……」

 

「僕が話し掛けてるんだから返事をするのが礼儀ってものじゃないの? まぁ、この様子じゃ無理か。そこの売女たちの姿を見て急に呻きだしたかと思えば動かなくなるし。それに頭潰しても生きてるとか本当に僕と人間か疑わしいよね。て言うか人間じゃないでしょ。気持ち悪い」

 

 地を這うレインの体の上に立つ全身を白色の衣装で包んだ男が片足を頭に置いたまま、もう片方の足で背中を踏みつける。

 

「化け物風情が、僕の権利を侵害するなよ」

 

 白装束の男がレインの背中を踏みつけている足を上げ、落とす。

 グシャリというおぞましい音と共に体の右半身が潰された。とても言葉では言い表せないような激痛が襲うが、痛みに喘ぐ事はなかった。

 

「ぃ……あ……ぇ……」

 

 痛みを認識していながら思考がぐちゃぐちゃになる。

 痛い。何が。苦しい。息が。右手。動かない。体が。頭が。白い。上に。足。地面。土。赤い。血。誰の。何があって。さっき。あれ。ここは。なんで。

 

「もういいや。結局何のために来たのか分からないけど、僕は帰るとするよ」

 

 最後にレインの体をただの肉片に変えようと男が地面の土を掴んだ。

 しかしその瞬間、レグルス・コルニアスの体が勢いよく吹き飛んだ。

 

「――そこまでだ。レインから離れろ」

 

 激しい音と共にいくつもの木々をなぎ倒し、砂煙が上がる。

 

「大丈夫かい? しっかりするんだ」

 

「ライン、ハルト……?」

 

 体の芯にまで響いてくる声。間違えるはずがない。ラインハルトだ。

 ラインハルトが来てくれた。ただそれだけで涙が溢れてくる。安心して気が弛んだのかもしれない。だが、それと同時に直近の記憶がレインの頭に流れ込んでくる。

 

「あ、あぁ……」

 

 それは、自分が守れなかった主。自分が守れなかった共に働くメイド。無惨にも柔肌を切り裂かれ、苦悶の表情で死んだ二人の姿。

 

「どうしたんだ!?」

 

「役立たず! この役立たず! お前なんか、お前なんか死んでしまえぇ!!」

 

 レインは自身の額を地面に打ち付ける。何度も、何度も、何度も。

 普段ならなんでもないような地面に赤い液体が染み込む。

 一体自分は何のためにここに来たのか。遊びに来た? 違う。エミリアを、ラムを、みんなを守る為に騎士としてここに来たのだ。それで、役目は果たせたのか。いいや、果たせていない。護れたのか。護れていない。

 エミリアたちを護る。それだけがレインに出来る唯一の仕事。それだけが、唯一役に立てる方法だった。

 

「うぅ……エミリア様ぁ……ラムぅ」

 

「レイン……」

 

「ほんとにさ、王国騎士団だっけ? 国を守るのか王を守るのか知らないけど教育が足りなさすぎでしょ。人が話してるんだから話し終わるまでは大人しくしてるのが礼儀ってものだ。それを話を遮るだけじゃ飽き足りず殴ってくるなんてどうかしてる。人が話してたら殴れって教わったわけ? それとも拳で語り合う的なやつ? 勘弁してほしいよ。僕みたいな平和主義者はそんな物騒な事は望まない。いや、思想の違いどころの話じゃない。そんなものはただの獣だ。獣ごときが完成された僕と同じ土俵に立つなよ」

 

 額から血を流したレインを落ち着かせろうと身体を抱き寄せようとした時、いつの間にか森の奥へ吹き飛ばされたはずのレグルスが無傷の状態で立っていた。

 

「僕の権利を」

 

「――黙れ」

 

 自分勝手な理論を展開するレグルスの言葉をラインハルトが遮った。

 周囲に目を向けると既に息絶えたエミリアとラムが倒れている。その周りには元々体の一部だったものも転がっている。腕、足、或いはどこかの臓器。散々苦しめられた上で殺されたのだろう。

 そして、それを目の前で見せられたレイン。ラインハルトは彼女から度々エミリアや屋敷で働くメイドたちの話をよく聞かされていた。その話をする時、苦しい事も悲しい事も全て忘れた笑顔を見せてくれていた。食事も会話もただ空を眺める時間も、過ごす時間全てが楽しいのだとレインは語っていた。

 それが。

 

「僕は君を赦せそうにない」

 

「はぁ? 勝手に立場を入れ替えるなよ。許しを請うのはお前の方だろ。何度も何度も人の話を遮って、ここまでコケにされたのは初めてだ」

 

「僕もここまで怒りを覚えたのは初めてだ」

 

 燃えるような赤い髪を、怒りの炎で揺らす。

 蹲ったレインを背に庇い、ラインハルトは剣気を爆発させた。

 

「例え大瀑布へまで逃げようとも、必ず制裁を下す」

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 …………………………

 

 

 ……………………

 

 

 ………………

 

 

 …………

 

 

 ……

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 ある日を境に父に勝てなくなった。否、それは正しくない。本当は負ける事を望んでいたのだ。

 負ける事で自分は大した事はないと安心した。

 負ける事で戦闘力しか取り柄のない自分が不必要とされる事に怯えた。

 矛盾した感情。ただの自己満足。それで何かが変わるわけではなかった。

 怪物として扱われる日々。しかし必要とされないのは耐えられなかった。自分には力の強さしかなかった。心の強さも気品も無い。かろうじて取り柄と呼べる腕っ節の強さだけが蜘蛛の糸のように細く繋がっている。

 果たしてこの力が必要とされなくなれば。怪物ではなくなれば、一体自分には何が残るのだろうか。

 ただ能天気に過ごした幼少期がそのまま続けばこんな考えを持つ事もなかっただろう。しかし駄目だった。

 体が成長すると共に心も成長し、人の感情というものに敏感になった。

 恐怖の対象として一線を引かれているという事は痛いほど分かってしまっていた。

 騎士として、ではない道を探した事もあった。だが、それでは駄目だった。幼少から剣を握り続けた、不器用で何の技能も持たない女を必要とする働き手は無かった。『戦神』の名が邪魔をしたのかもしれない。お前に任せられる仕事など無いと何度も門前払いを受けた。

 騎士としての仕事がある日以外は自室で籠るか父と剣を打ち合った。純粋な剣技のみで戦い、何度も地を這う事になった。団長でもあった父から休職を提案された事もあったが、断った。必要とされたかったから。『戦神の加護』はその加護を宿す者の第一子に宿る特性がある。だから、お見合いを提案された事もあった。でも、断った。もし子供が生まれてきて『戦神』の名を継承してしまえば本当に私の居場所がなくなってしまいそうだったから。

 

 ある日のこと。長らく会っていなかったラインハルトが近衛騎士団へと配属された。

 最後に会った時から背丈も伸び、幼かった顔は凛々しく成長していた。けれど、それがどうしたと最初は思った。『剣聖』を受け継いだとは聞いたが、それだけだ。『剣聖』は超人であっても怪物ではない。それは他の『戦神』にも当てはまる。

 どうせ同じなのだろう。一線を引いた所から化け物を見るような目で見るのだろう。幼少期に仲良くしていた分、想像するだけでつらかった。

 しかし、

 

『大丈夫? 困っているならいつでも力を貸すよ』

 

 ラインハルトは他の者たちとは違った。日に日にやつれていった私に彼は声を掛けてくれた。あの時差し出された手の温もりは一生忘れる事はない。

 それはまるで何年も降り続けた雨が上がり雨雲の間から天の光が差し込んだようで。

 

『今度うちでパーティーがあるんだ。君も来てくれないかい?』

 

 ラインハルトだけが臆さずに接してくれた。

 ラインハルトだけが戦い以外で必要としてくれた。

 嬉しかった。剣を振るう事にしか能がない、そんな私を必要としてくれて本当に嬉しかった。

 

 そして騎士団を訪れる理由が出来て少し経ち、数年ぶりにアストレア家の持つ屋敷を訪れた。父が用意した、今まで着た事のないような豪華なドレスを身に付けて行った。

 パーティーというだけあってそこには大勢の人間がいた。ラインハルト以外には冷たい態度をとられるのを覚悟していた。だが、予想は良い方向へ裏切られた。

 ラインハルト以外にもアストレア家の関係者からは手厚い歓迎を受け、他のパーティー参加者からもダンスの誘いを受けたりもした。

 

 剣を持っていなかったからという理由もあるだろう。見た目を整えて行ったからという理由もあるだろう。けれど、そうやって様々な人たちと普通に会話をして普通に同じ時を過ごしたのは今の状態になってから初めての事だった。

 

 思えばラインハルトと再会してから、人との交流は増えた。これまで通りの態度だった人々も多かった。だが、ユリウスやフェリスなどどこか一線を引かれているのは否定出来ないものの、付き合ってくれる人が出来た。

 

 それから、王選に参加するエミリア陣営にお邪魔する事になった。

 エミリア様とは何度か顔を合わせていたが、他の人たちとは会った事がなかったため、どんな人がいるのか、どんな反応をされるか、全く分からなかった。けれど、心配は無用だった。

 エミリア様は常に優しい言葉を掛けてくれたり、ひざまくらというものをしてくれたりした。ラムは口ではとやかく言いながらも、色んな事を手伝ってくれた。レムはほとんど何も出来なかった私に家事を押してくれた。スバルとは二人きりになる事は少なかったが、常に明るくて過ごしやすい空気を作ってくれた。ロズワールとベアトリスはよく分からなかったけれど。

 

 本格的に王選が始まって少しして、王都でゲートの治療を受けていたはずのスバルがラインハルトやヴィルヘルムさん、テレシアさんなどアストレア家の人たちを引き連れてきた時はとても驚いた。道中に三大魔獣の一つ白鯨を倒して、さらに私たちと協力してエミリア陣営に迫っていた魔女教の大罪司教を退けたのだ。

 

 あれから色々な事があった。

 聖域と呼ばれる場所での事件や他の大罪司教との衝突、過去にラインハルトが失敗したプレアデス監視塔への訪問など、本当に様々な出来事があった。

 フェルト陣営と同盟を結んだため、ラインハルトと顔を合わせるのも難しくなく、エミリア陣営にいるのはみんな優しい人たち。

 幸せな時間だった。今までの人生でも、例にないぐらい幸せな時間だった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 ……

 

 

 …………

 

 

 ………………

 

 

 ……………………

 

 

 …………………………

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「ついにこの時が来たか……」

 

「早く準備してよ、父さん」

 

 とある一室にいる二人の男女。男は燕尾服を、女は純白のドレスを纏っている。

 

「そりゃ、相手はラインハルトくんだし文句なんかないけどな。やっぱりこう、父親としては感じるものがあってだな」

 

「もう、そんなのいいから」

 

 そう言って部屋を出ようとするのはウェディングドレスで身を包むレインだ。

 

「ちょ、ちょっと待て!?」

 

 それを慌てて止める父親のアレン。既に騎士団は引退しており騎士たちの前で見せる威厳のいの字も見当たらない。

 

「こういうのは心の準備ってものがあるだろ?」

 

「ない」

 

「……その胆力は誰譲りなんだか」

 

 キッパリと切って捨てられたアレンは「はぁ」とため息をつき、正面からレインの両肩に手を置いた。

 

「変わったな。良い方向に」

 

 それはレインも痛いほど分かっている事だった。実際にレインが大きく変わった転換点と呼べるものは二つ存在する。

 一つはヴォラギアの剣士との戦い。これはあまり良い変化とは言えなかった。アレンにも心配をかけ、母親にも心配をかけた。その母親はアレンが二人きりで話したい事があると追い出したため、この場にはいないが、あとでしっかりと謝罪、もしくは感謝の気持ちを伝えなければならない。

 そして二つ目、それはラインハルトとの再会。これは語るまでもない。レインの心を大きく変え、これから人生のパートナーとして結ばれようとしている。レインにとって最も大切な人間の一人だ。ラインハルトがいなければ未来は大きく異なっていた事だろう。

 

「うん!」

 

 だからこそ、レインははっきりと笑顔で答えた。

 この場には堅苦しい作法も堅苦しい制服も騎士剣も重責も存在しない。ゆえにここにいるのは王国の剣でも人々の上に立つ者でもない。ここにいるのはただの少女とその父親。

 

「今まで、ありがとうございました」

 

「おう、親としては寂しいが、お前が幸せを掴めるように応援してる。レイン・フォン・ゾルダート、お前は俺たちの誇りだ」

 

 それから時間となり、係の者に案内されて大きな扉の前に立つ。

 扉の向こうにはたくさんの人々、そしてラインハルトが待っている。王国にとってこれはただの婚礼の儀ではない。『戦神』と『剣聖』の婚礼だ。国を挙げての一大事。

 そこにはゾルダート、アストレア両家の関係者だけでなく、王選によって新たに即位した国王や国の主要人物もいる。

 

 この時ばかりは装備を脱いでスーツで身を包む係の者が大きな扉をゆっくりと開ける。

 王選の開始を宣言し、そして新たな王が誕生した場でもあるこの場所にレインとラインハルトを祝うために大勢の人間が集まっている。拍手を受けながら先に待っているラインハルトの元へ向かう。

 その途中、レインの頭上に花びらが舞った。

 

「あ、やべ。これやるの帰りだった」

 

 拍手や歓声の中、常人離れしたレインの耳が受け取ったのはそんな間の抜けた声。横を見ると、そこには盛大に腕を振り上げたスバルがいた。

 この花びらは二人へとサプライズとしてスバルが直前に提案したものだった。結婚式にはこれだろうと偉い方々に提案したのだ。それを国王をはじめとした方々が快諾し、参列者全員に花びらが配られた。

 説明はスバルが皆の前に立って行い、いわゆるフラワーシャワーは挙式を済ませて退場する新郎新婦に向かって行われるはずだった。だが、自分で言い出したスバルが一番に間違えて花びらを撒いてしまったのだ。

 とはいえ、もうやってしまったものは仕方がない。スバルは全ての花びらをばら撒いた。

 他の者たちは打ち合わせと違う事に気付いていたが、まぁいいかと伝染するように皆が花びらをばら撒いた。

 

「では、お二人は前へ」

 

 サプライズに驚きながらもレインがラインハルトの元へ辿り着き、そう言ったのは未だに現役の賢人マイクロトフだ。もはや何歳なのか分からないが、ここまできたらきっと死ぬまでこうして王の元で働いていくのだろう。

 

「今日は一段と美しいね」

 

「ラインハルトもね」

 

 そうして壇上へ上がった二人は新国王の前で永遠の愛を誓い、長い長い口づけを交わした。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 ――私は、生まれた時から化け物だった。

 

 

 それはかつて天上の力を持って生まれた少女の言葉。 

 

 

 ――私は、みんなとは違う。

 

 

 それはかつて自身と周囲の差異に、仲間と手を取り合う事が出来ずに苦しんだ少女の言葉。

 

 

 ――だけど

 

 

 しかし、今は違う。

 

 

 ――それでも

 

 

 力の差がなくなった訳ではない。全ての仲間と手を取り合う事が出来た訳でもない。

 けれど、それでも、決して不幸な人生ではなかった。例え全員とは仲良くなれなくても、ラインハルトがいる。ユリウス、フェリスという仲間がいる。かけがえのない主も、ラムやレム、スバルという友もいる。

 それで十分ではないか。そう、十分過ぎるではないか。

 そう――

 

 

 ――私は、幸せだった。

 

 




というお話でした。
生まれるのが男の子から女の子になるだけで人間関係など結構変わりましたね。簡単に人物紹介をするとこんな感じです。


★レイン・フォン・ゾルダート
『戦神』の家系、ゾルダート家に生まれた少女。生まれつき『戦神の加護』を宿し、天に愛された体質の持ち主。ただし、ラインハルトとは親戚程度の付き合いであったため競い合える幼馴染がおらず精神はかなり不安定。急に腕を斬られたりしたら誰でもパニックになる。最初の場面で家出しようとしていなかったらテレシアさんはお亡くなりになっていた。MVP。
ラインハルトに再会してからはラインハルト一筋。ユリウスやフェリスも好き。ついでにエミリア陣営のみんなも大好き。ヤンデレ予備軍。
Web版リゼロのエイプリルフールIfルートに突入した場合恐らく真っ先にスバルに狙われる。

★アレン・フォン・ゾルダート
本編未登場。レインの父親。ちゃんと本編にもいる。
公の場では堅実に振る舞っているが、オフの日は割とだらけた感じ。軽い気持ちでレインをセシルスと戦わせた事をずっと後悔していた。
全盛期ヴィルヘルムの三倍ぐらいの強さ。

★セシルス・セグムント
ヴォラキア帝国最強の戦士。めちゃくちゃ速い。我がライバルと鍛えまくるか『初見の加護』がないと一撃目で見切る事は出来ない。
やはり『初見の加護』はチート。

★テレシア・ヴァン・アストレア
生存。

★ハインケル・アストレア
頑張って自力で近衛騎士団副団長まで上り詰めた。偉い。

★レグルス・コルニアス
ボコボコにされてる姿しか思い浮かばないのに何故かマウント取りまくってくる白い奴。
その名前の通りお星様になって夜を照らしてくれればいいと思う。


男主人公案を採用したのはそっちの方が他の人間との絡みを書きやすいと思ったからですが、こうやって書いてみると女主人公案を採用していても面白かったかもしれませんね。愛着も湧いてきますし。
もしも『戦神』の家に双子が生まれていたら、なんてのも面白いかもしれませんね。まぁ、それだと本格的にスバルくんの出番がなくなるのでただの異世界ホームドラマ(スバル視点)になってしまいますが。

では、長々と書いても仕方がないのでここまでにしておきます。
本当の本当に「とある双璧の1日」これにて完結です。
ありがとうございました。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。