RECODE:Falsify_Become Human (宇宮 祐樹)
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▽_Day of The Snowfall
『Operation:Whiteout Ⅰ』
□
雪景色が、西日の紅に染まっていた。
前線の補給基地だと、上官からの話では聞かされていた。まだ新米の俺でも指揮が下せるようにと、彼が言っていたことを思い出す。聞いた時には心が躍った。こんな小さな所でも自分が部隊を持つことが出来ると、愚直ながら喜んでいたのは事実だった。それは塗り替えようのない本心からの喜びだったと、そう思っている。
だからなのだろう。その直前まで、自分が捨て駒だということに気づかなかったのは。
簡単な話だった。補給地点を囮とした強襲。聴くところによれば、一週間もしないうちに敵はこの基地を侵攻し、そしてその周囲で準備していた味方がそれを叩くらしい。俺がどうなるかは聞かされていなかった。聞かなくても、分かっていた。
「……馬鹿か」
自分を貶めた彼にも、愚かにそれを信じた自分にも、世界にも、全て。
何もない銀の世界で呟ける言葉は、ただそれだけだった。
人間とは存外死ぬことが分かっていると落ち着くもので、無駄だと分かっているのに俺は基地の資料に歩きながら目を通していた。逆に言えば、それ以外にすることが無いとも言えた。
四方は森に囲まれていて、何の援助も無しに逃げ出すのは困難である。ましてや逃げる場所があり、その方向も分かっていたとしても、一人では鉄血の自律人形に撃ち殺されるのが関の山だろう。
考えれば考えるほど後ろが詰まってゆく。しかし、前へ進めるような要素も無くて。
そうふらふらと歩き続けて辿り着いたのは、基地の裏にある小さな広場であった。
「……ん?」
見えたのは来るときと同じような白と緑の景色と、その中でぽつりと灯る、小さな光。それはどうやら焚き火のようなものらしく、よく目をこらすとそこには金と薄い肌の色があって、炎を囲む倒木に腰掛ける少女の形が見えたのは、基地から出てかけよった時だった。
ひゅぅ、と風が吹く。小さな火種が、少しだけ緋色を強くする。
「ようこそ、指揮官どの」
高く、しっかりと通る声だった。
白い制服に袖を通した、金の髪を持つ少女。火に当てられている指は折れそうな程に細く、むき出しになった足はこじんまりと折りたたまれている。年は十六かそれくらいだろうか。けれど揺れるそれを眺める紅い瞳には、それ以上の何かを感じさせる。
そして、さっき目を通した資料の中身が、彼女の姿と重なって。
「……M1895……ナガン、か」
「いかにも」
M1895。
また、ナガンとも称されているリボルバー式の拳銃――彼女はそれの、映し身であった。
「なんじゃ、呆けた顔をして。初めての人形がこんな小さなもので驚いたか?」
「……正直、な」
「はは、それは不運だったの。生憎とここには儂しかおらん。こんな老いぼれだが、まあ使えるだけ使ってくれ。といっても――もう、これが最後になるんじゃがな」
ころん、と火種に薪を継ぎ足しながら、自嘲気味に彼女が笑う。
「……ここで、何を?」
「警備じゃな。先のとおり、儂以外にここに仕えているものはおらんから」
「一人でか。哨戒用のドローンは? 資料を見る限り、数機ほどあるはずだが……」
「こんな老いぼれに、そんな権限があると思うか?」
はぁ、と炎の暖を両手に受けながら、彼女はそう呟いた。
「……人形じゃ管制システムにアクセスできんのじゃよ。いつ儂らが反乱するか分からんしな」
「分かった。すぐに起動させてくる。君は早く中に戻るといい」
「いらんよ、そんなもの。それに……どうせ、儂は死ぬんじゃから」
諦めたような小さな声は、薪の崩れる音にすらもかき消されていて。
「それならせめて……せめてこうして、暖めさせておくれ」
それがどうしてか、とてもひどく、人間らしく思えた。
まるで死を目の前にして逃げることも能わずに、ただ諦めに走った、そんな理不尽に死ぬ人間のように、俺の瞳に映っていた。
炎の弾ける音がする。
何を言うでもなく、俺は手にした書類を握りつぶしながら、彼女に対面するようにして囲まれた倒木へと腰を下ろした。
「……戦えないのか」
「無理じゃな。儂ひとりではどうにもならん」
腰にあてたポーチから拳銃――M1895を取り出しながら、彼女は何と言う訳でもなく呟いた。
「編成拡大でもできればまだどうにでもなったんじゃろうが。あいにくと、そんな余裕もなくてな。そもそもの儂が扱える武器がこの一本しか残っておらん」
「基地の中にはいくらかあったみたいだが」
「人形がなければ、あれもただの筒よ。無論、お主が使うなら話は別だが」
肩をすくめる彼女に、不思議に思って問いかける。
「生き残りたくは、ないのか」
「……さあな。それすらも分からなくなった。今までは敵を倒すために生きてきたが……死ね、と命令されたのはこれが初めてじゃ。だから……その、分からん。そう命令されたのなら、儂らはそれを遂行しなくてはならんから」
「……そうか」
小さく膝を抱え込みながらそう語る彼女は、まるで人間のように見えた。
恐怖というよりは、不安に染まっている紅の髪に、ゆらゆらと揺れる金糸の髪。組まれた腕の中から覗く頬は少しだけ寒さによって紅くなっていて、拳銃に伸びているその細い指は、まるで生きているかのように握り締められる。
人間だった。死と言う得体の知れないものに不安になりながらも、少しだけその先にある何かに期待を寄せている、ヒトのそのものだった。
だから、なのだろう。否――それでも、だと思う。
「……死んで、くれるな」
「何と?」
「俺は、ここで死ぬつもりはない。生き延びようとしている。そのために力を貸せ。一緒に生き延びるぞ」
気が付けば口はそんなことを言い放っていて、けれどそれに後悔する気はなかった。
「おぬし、正気か?」
「こんな状況だ。正気を失ってもおかしくない。けど、それで生き延びれるのなら」
「……そうじゃな。しかし……その命令だけは受けられん。不可能じゃ」
「一人なら、だろ」
ここから逃げるのも、俺の一人では無理。一人で彼女が立ち向かうのも、不可能。
それなら。
「傭兵あがりか? それとも……」
「残念だったな。研究兼被験者上がりだ」
「……16LABのか?」
「ああ。人形の拡張を目的とした研究をしていた。それでまあ、その過程で試しに人体実験してみないか、と言われたらスパッと。それで今はこんなところに左遷されたってわけだ」
「是非も無いのう」
だから自分の体でやるって言ったのに、彼らはそんな意見にすら聞く耳を持たなかった。
それだけ口にしたまま、また静寂が訪れる。既に日は落ちてしまい、ただ薪のはじける音だけが、俺と彼女の間で響いていた。
「生きろ、か」
「ああ。死ぬな」
ぽつりと、火の揺らめきの間に、呟かれる。
「……どうしてじゃ? 駒として捨てられる人形に、お主は何を見た?」
「お前だ。死ぬことを怖がっている、お前を見た」
紅の瞳と、視線が交錯する。その奥に映っているのは、やはり不安とも恐怖ともとれるような、とても曖昧でけれど透き通るように綺麗な、人間らしい感情だった。
「憐れんだか。儂のような存在を、人と同じように見たのか」
「ああ。死なせない。絶対に死なせはしない。だから――」
――それに、手を伸ばす。
二度とその輝きが消えないように。死という永遠の闇の中へ、落ちてしまわないように。
ただ、それだけのことだった。
「……くく、お主も変わり者よの。共に行く者に、こんな老いぼれを選ぶとは」
「お前しかいないんだ。いや……お前がいてくれて、良かった」
「ふふん、もっと褒めるがよいぞ? たった一人でこの基地を守ってたんじゃ。年長者にこんなことをさせるなぞ……ひとつ、文句を言ってやらねばのう」
くるくる、と手の内で自らの映し身を回しながら、彼女は初めて俺へ笑みを見せてくれた。
「それで、まずはどうするんじゃ。何も、このまま行くわけにはいかないんじゃろ?」
「今日を含めて二日要る。幸い囮としては機能しているから、時間の確保はできるだろう。もっとも、あちらが攻め込んで来ないとも限らないが」
今のところ敵が本格的に攻めてくる気配は無い。こちらに彼女だけしかいないというのもバレてはいないようで、本当に彼女と俺を捨てる算段で作戦が立てられているということも、理解できた。
「最後に聴いておくが……本気なんじゃな?」
「無論。俺もお前も、死なない」
「……そう、か。それは……きっと、良いことなのじゃろうな」
火種はやがてくすぶり始め、夕日も森の向こうへと消えていく。立ち上がる二つの影はそれぞれの少し前で立ち止まり、やがてその顔には笑みが浮かぶ。
「生き延びるぞ」
「ああ。老兵は死なず、じゃ」
交わされたその手には、柔らかな熱がこもっていた。
□
「しかしまあ、あれだけ盛り上げておいて寝室に連れ込まれるなどは思わんかったわ」
「ここにしか機材を置けるスペースが無いんだ。仕方ないだろ」
研究棟も無ければ実験室も無い。救護室ならば何とかなるとは思ったが、あれは逆に他の機材によって場所が侵食されている。よって選ばれたのは、彼女の一人だけが使っている大きな寝室だった。
「なんじゃ、てっきり最後の夜に楽しむつもりかと思ったが」
「下らない事言ってないで早くしろ。時間がない」
「はいはい」
よっこらしょ、とわざわざ口にしながら、彼女がぼろぼろになったベッドと横たわる。
「まずはお前の調整からだ」
「というと?」
「とりあえず領域の拡張だな。人形の空間把握演算式を書き換える。簡単に言えばもっと目と耳を良くして、お前がその拳銃以外も使えるようにする、ってわけだ」
そう伝えると、彼女は訝しげな視線をこちらへと向けてきた。
「……聞いたことないぞ、そんな技術は」
「だろうな、俺も実際にするのは初めてだ。前はやろうと思ったら追い出されたからな」
「なるほどのう。おぬしも相当変わり者じゃな」
くすり、と悪戯めいた笑みを、ナガンが浮かべる。
「それで、実際にはどうなんじゃ。使えるのか?」
「可能か不可能かでいえば、可能だ。ただ……そのせいで本体に影響が出る。元々設定されている人形の演算式よりももっと膨大なデータになるからな。実戦で使えるかどうか、と言われると少し難しいかもしれない。それに、お前の体がもう戻らないことも」
「よい。どうせ明日も知らぬ我が身じゃ、好きに使うといい」
「……分かった」
横たわる彼女へと配線を伸ばしてゆき、データの入力を開始。元々の装備情報はこの基地にあるものを流用し、また既存の領域にも新しいものをいくつか添付する。そうすることで彼女はM1985――ナガン・リボルバーだけの存在ではない、別の何かになるのだ。
冒涜なのだろう。彼女の存在理由を否定して、その上で全てを塗りかえるのだから。蔑む者もいるかもしれない。死んだ方がマシだと、彼女自身が口にするかもしれない。
「……すまない」
「何を謝る事がある? 儂らが生き残るにはこれしかないんじゃろ?」
「ああ。だが……やっぱり」
「言わんでいい。二人で生き残ると、あそこで儂に命令したではないか。それともお主は未だに決断を下せないような、未熟な指揮官なのか?」
「……いや」
「なら良い。新進気鋭の若人らしい、立派な面構えじゃ」
――その輝きを失うよりは、ずっと。
そのためなら、どこまでも行ける気がした。
「行くぞ」
「いつでも」
びくん、と小さな体が跳ねる。
勢いよくベッドへと打ちつけられた体はしばらく動かなくて、微かなつぶやきが聞こえてくるのは一分が過ぎるかどうか、というくらいだった。
「……これ、は…………」
「いい、眠れ。そうした方が楽になる」
紅い瞳に色が染まり、彼女の全てを塗り替えてゆく。
「……のう、お主よ」
「なんだ」
「少しで、いい……どうか…………手、を……」
「……ああ」
差し出された小さな手を重ねて。
「……もう、一人でいなくても……いいんじゃな……」
「そうだ。俺がここにいる」
「それは良い…………良いもの、じゃな……ぁ…………」
柔らかな手のひらから、力だけが抜けていった。
□
たん、たん、と倉庫で銃声が鳴り響く。
「どうだ?」
「……慣れ、じゃな。感覚の問題になるかの」
手に持ったアサルトライフル――ARX-160へ弾倉を込めながら、彼女はそう言い切った。その彼女の二十五メートル先にある人型の的には、それぞれ頭と左胸に大きく穴が空いている。そうしてリロードを終えたナガンが再び小銃を構え、弾の音を響かせると、その空いた二つの穴へ鉛弾をくぐらせた。
銃口から立つ煙へと息を吹きかけながら、彼女がうむ、と首を縦に振る。
「ま、これくらいじゃな。精度はイマイチじゃが」
「昨日の今日なら、それで十分じゃないか?」
「ほう?」
にやり、と笑いながら彼女が手に取ったのは、腰に吊っている彼女自身だった。
弾の込められたままのそれを無造作に取り出すと、ハンマーを乱雑に起こし、何のためらいもなくそのトリガーへと指をかける。一秒にも満たない動作で放たれたその銃弾は人型の標的のへと飛んでゆき、それを支えている脚を粉々に砕けるのが見えた。
その衝撃に当てられた的はひゅるひゅると回転しながら宙を舞い、それにナガンは片手で照準を合わせたかと思うと、また立て続けに引き金を引いた。
放たれた四つの銃弾はけれどその的に当たる事は無く――違う、それぞれが元々にある穴を全て通り抜けてゆき、その向こうにある倉庫の壁へと弾痕を残してゆく。
そうして、さかさまに振ってきた人形の首を、一撃で撃ち抜いて。
転がる首を蹴りながら、彼女はこちらへ笑いかけた。
「これでもか?」
「……素晴らしいな」
「ふん、もっと褒めるがよいぞ? 年上は敬うものじゃからな」
人形だからある程度は無茶をできるかと思っていたが、まさかここまでとは思わなかった。
「しかしまあ、領域拡張というのも悪いものではないな。明らかに取り回しがよくなっておる。こいつは幾分か心地よいぞ」
「そう言ってくれるなら成功だ。期待してる」
「うむ、任せておくのじゃ。今のわしは気分が良いからな。今ならもっと遠くの的のど真ん中を打ちぬけるし、なんなら弾の軌道を曲げることだって」
「わかったわかった。凄さは充分伝わったから」
「あっ、信じておらんな? 見ておれ、いまにお主をぎゃふんと……」
「やめろやめろ。第一、そんな事をしたら脳の処理が追い付かなくなるぞ」
再度腕を構えた彼女にそう告げると、ぷく、と頬を膨らませて銃を下ろした
「むぅ……まあ、よい。それで、そっちの首尾はどうなっておる?」
「こちらもおおむね順調だ。といっても、充実しているとは言い難いがな」
なんとか一人分の武装が用意できる、と言ったところだろうか。これで鉄血の包囲網から抜け出せるとは思えないが、それでもやれることをやるしかない。
「実際の行動予定はどうなってるんじゃ? まさか何も立ててないということはあるまい」
「その話をしに来たんだ」
手に持った地図を床に置いて開けると、彼女は手に持ったナガンをポーチへしまい、小さく膝を折りたたんだ。
「いま俺達がいるのが、この補給基地。そしてここから西に四十二キロ離れた地点に、グリフィンの基地がある。目指すとしたらそこしかないな」
「森を突っ切るつもりか?」
「他の経路だと遠回りになるし、開けた場所では鉄血に見つかる。もしかしたらあいつらがすでにこちらの事情に気づいて、本隊を先に向かわせていることも十分に考えられるが……だとしてもそうするしかない」
「……なるほどのう。いずれにせよグリフィンの本部が攻撃を受けてしまっては、救援なぞ来ないというわけか」
「そういうわけだ。他に質問は?」
作戦とは到底言い難いそんな話を終えて問いかけると、彼女はすん、と悲しそうな表情を見せながら、俺へと語り掛けてきた。
「……のう、お主よ」
「なんだ?」
「その……儂らは、あやつらに受け入れられると思うか?」
見上げるその瞳には、不安の色に染まっていて。
「言うなれば儂らはもう用無しなんじゃろ? だからお主も儂も、ここに居る。あやつらから殺されるために、ここにいるんじゃ。なのに……そこから戻ったとして、儂らは生き延びられるのか?」
「……死ぬのが、怖いか?」
「怖くは、ない。ただ……お主の言う、生き延びるということができないのは、悲しいと感じるのう」
「そうか」
確かに俺達は捨て駒だと、自分達でも理解できる。それが勝手に生きて返ってくるなど、全ての計算が狂ってしまうことも。それによる被害がどれくらいかなど俺には分からないし、彼らも想定していないのだろう。
その先に生きる術があるとは限らない。味方からの銃弾で死ぬことも考えられる。
けれど、このまま死ぬことを受け入れるなんて、できるはずもなかった。
「……なら、また逃げようか」
「また?」
「殺されそうになったら、またどこか生きられる場所へ。受け入れられるところまで、ずっと……逃げれば、いい」
殺されない場所へ。生き延びられる場所へ。
「それ、なら」
「……どうした?」
「それなら、お主も共に来てくれるのか?」
傾げられた首に、強く頷く。
「一人には、しない。経緯はどうであれ、お前の指揮官は俺なんだ。だから、どこまでも」
「……そうか」
くしゃ、と崩れるように、彼女はそう笑ってくれる。
輝ける彼女を見られるのなら、どこまでも行ける気がした。
□
しんしんと雪が降っていた。
風は無く、ただ蝶が堕ちるようにして、視界の全てが白に埋まってゆく。彼女と同じARXを握る手袋の下の肌は既にひりひりと痛みを発していて、踏みつける足からは、ざくざくと雪を踏みつける感覚が伝わっていた。
そうして一つ白い息を吐いて、前を行く小さな背中へ声をかける。
「……寒くないのか」
「人形はそういった事は感じないからな。心配は無用じゃ」
それだとしても、この極寒の地で生足を晒すデザインはどうなのか。そもそも自分を老人だと語っているくせに、そんな少女的な衣装に身を包むのに疑問は抱かないんだろうか。年齢差とかどうなっているのだろうか。
人形というのは、まだまだ疑問の多いものである。
「む……なんじゃおぬし、文句でもあるのか」
「いや、何も」
「いーや、確かに何かあったであろう。正直に話してみるとよい。なに、若者の悩みを聴くのも年長者の役目じゃからな」
「……年長者ねえ」
むんず、と俺の前に立って小さく胸を張る彼女は、どこからどう見てもただ子供で、腰の前に吊っている小銃はそのせいで玩具のようにも見えた。
どうして少女のかたちを持つのか。なぜこうして確かな意志を持っているのか。そして――こうも、人間のように作られているのか。
やはり、人形というのはまだ理解できるものではなかった。
「そうじゃそうじゃ、何かあったら儂らを頼るとよいぞ。人形は日頃のお手伝いから拷問まで全部できるからな。自分の手を穢したくないときは遠慮なく言いつけるとよい」
「……子供にそんなことをさせる趣味は無い」
「む、なんじゃと?! いま儂を子供というたか!?」
「どっからどう見てもそうだろ、お前」
「心外な、人を見かけで判断するでないぞ! とくに、人の気にしてることを軽々しく口にする出ない! まったく、これだから最近の若者は……」
「分かった分かった。説教なら向こうで聞いてやるから」
だから、今は。
「死ぬなよ」
「無論、そのつもりじゃよ」
くすりと、彼女は笑っていた。
「このまま何もなければいいんじゃが」
「……正直、厳しいだろうな。いくら雪が降っているとはいえ、足跡は確実に残るだろうし。そもそもこんな雪だろうと鉄血の連中には関係ないしな」
「じゃのう……まったく、運がいいのか悪いのか分からんな」
視界は薄い灰色に染まっていて、十数歩先も見えないくらい。けれどナガンにとってはこの程度の降雪など障害でもないらしく、それは鉄血の人形にとっても同じことのようだった。
はぁ、と彼女が両手に息を吹きかける。吐き出す息は、やはり白い。
「とにかく進まなければな。位置は?」
「んー……ようやく十八キロほど、といった感じじゃな」
雪に埋もれた腕時計を払うと、それはちょうど正午過ぎを指していた。
「……六時間でそれくらいか」
「こんなもんじゃろ。それよりも不思議なのは、まだ一回も鉄血と接触どころか発見すらしていないことなんじゃが」
懐から取り出したレーションをこちらへと投げ渡して、ナガンがそう呟く。
「その方がマシだろ。このままの方が俺はいい」
「むぅ……そんなもんかのう……」
何か煮え切らないように頬を掻きながら、ナガンがそう呟く。もごもごと携帯食料を口に含む彼女は眉を顰めたまま、灰の景色の、その先を見つめていた。
「別に心配する必要ないさ。お前だって無理に戦う必要ないんだから」
「……やっぱり、お主は変なことしか言わんのう」
その言葉に、不思議になって首を傾げる。
「なんだ、今のは別に変じゃないだろ」
「その……人形にそんな事を言うか? そりゃ、今は戦闘にならない方がいいに決まっておる。命令じゃからな。けれど……うーむ……やはり戦わなくても良い、という言葉自体がアレじゃな。変じゃ」
「なんだそりゃ」
「儂にも分からぬ。何かこう、考えるとか理解するとか、それとはまた別のものじゃな。言われること自体を考えていなかったというか……答えるのに、その。困る」
「困る、って……お前、それってつまり――」
足音が消える。そのまま静かに二手に分かれて、木々を背に。向かい側で同じように樹木へと背を預けている彼女は、手にした小銃を覗いたまま動かなかった。
「……何機だ?」
『百と十メートル前方、五機。偵察用のドローンが二、鉄血の人形兵の二足が一、四足が二、じゃな。どうする?』
がさがさとした無線の中に、そんな声が混じって聞こえた。
戦力的にはそこまで大きくはない。おそらくこちらから仕掛けても全部やれる数だろう。実際にナガンもそう計算しているのか、既にスコープを覗き込んだままの射撃体勢に入っていた。
「……経路とか、見れるか?」
『儂らの目の前を丁度横切るみたいじゃ。しばらく待てば通り過ぎる』
「なら待とうか」
『ん、了解』
銃口は雪景色の先へと向けられたまま、動くことはない。
流れた静寂は、思ったよりも短かった。
『うむ、もう良いぞ。見えなくなった』
短く首を頷かせると、彼女がこちらへと駆け寄ってくる。
「……まずは一つ目じゃな。十九キロ地点」
「ということは、基地のほうは見限られていると考えるほかないな」
「じゃのう」
基地よりも先の位置に鉄血の人形がいる時点で、それは明確だった。
「一応、グリフィンに連絡を飛ばしてみるかえ?」
「頼む。どうせ誰も見向きもしないだろうがな」
「悲観的じゃのう」
やれやれと肩をすくめながら、ナガンが自らの耳へと手を伸ばす。補給基地から拝借した電信機を小型化したものだった。もとより連絡など取るつもりは無かったが、こうした状況になって初めて、持ってきて良かったと痛感する。
少しの時間を置いて、ナガンが切り出した。
「HQ? こちら、あー……えーと……」
「……Nomad」
「んー、こちら
「その言い方はどうなんだ」
確かに事実だけれども。
「……む、あやつら何も言わずに切りおった。年よりの貴重な意見を蔑ろにしおって」
「まあ、伝えられただけマシだな。あっちが動くかどうかは分からんが」
「じゃな」
ぽす、と雪の中に通信機を落とすと、二分も経たないうちに白銀の中へと埋もれてゆく。その姿すらも既に灰色の景色へと溶けていって、確かに感じられるのは隣から聞こえてくる、小さな足音だけ。
降り積もる雪は、とどまる事を知らないようだった。
□
薄暗い岩の壁にもたれかかると、足にたまった疲れがより一層感じられる。
「良かったのう、丁度いい洞窟があって」
「……このまま行くのでも良かったんだがな」
「人間のくせに無理をするでない。こういう時は年長者の言う事を聴くもんじゃぞ?」
「分かったよ」
向い合せに投げられた携帯食料を受け取りながら、震える手でその包みを破る。中の塊を口に含むと、ぱさぱさとした触感が、乾いた口の中に貼りついてきた。
炎の音は、しばらく止もうとしない。
「記録は」
「……二十三時と四十八分。地点にして三十一キロの洞窟地点」
「予想よりも大分早いな。明日の午後には到着できるだろ」
「鉄血部隊との遭遇もあの一つだけ。他には足跡すら見つからん」
「…………」
「…………」
からん、と薪が崩れ落ちる。
「泳がされておる、か?」
「そう見てもおかしくないだろうな」
それが分かっているからといって、こちらから何か仕掛けられるわけでもないが。
明らかに様子がおかしかった。あそこで一つの部隊に遭遇したなら、そこから最低でも二つ、三つくらいは目にするはずだ。それが無かったとなると、おそらく最初のコンタクトの時点で既にこちらに気付いていたのだろう。
それでもまだ、俺達をこうして生かしている理由は。
「なるほどのう。わしらがグリフィンの基地に到着するまで待っておるわけか」
「さすがに奴らもそこまで間抜けではないはずだ。畜生、やけに上手くいくもんだから自分の手柄だと勘違いしてた」
「なに、そう自分を責めんでもよい。元にわしらは生きておるではないか」
からん、と薪を継ぎ足しながら、彼女が優しく俺に声をかける。
目の前でぱちぱちとはじける炎から、俺もナガンも、確かな暖かさを感じていた。
「それに、グリフィンの基地につけば何であれ、連中も鉄血と戦闘することになるじゃろう。元々そういう作戦じゃったからの。戦力的な勝算が無い、ということはあるまいて」
「……そう、だろうか」
「そうじゃそうじゃ。だからお主は気にせずしっかりと構えておればいい。何と言ったって、このわしの指揮官なんじゃからな」
にか、と笑う彼女に、しかし心はいくぶん曇ったままであった。
確かに諦めるつもりもない。こんなところで死ぬことなんて考えていないし、基地のほうから銃を向けられたとして、それでも彼女と一緒に逃げる覚悟もできている。その自分の気持ちに、嘘はない。
けれど、どうしてか、心の奥からふつふつと恐れるような感情が湧いていた。今まで監視されていた恐怖と、それに今になって気が付いた己の愚かさを、呪っていた。
改めて、死というものが隣に迫っていることを理解する。
それなら、今この瞬間に死ぬことだって、なんらおかしいことじゃない。
「……まだ、不安かの?」
しばらくの沈黙の後に、ナガンはそう問いかける。
答えようとした声は、ふるふると震えていて、まるで細い糸のようなものになっていた。
「ああ」
「ふーむ……ならば、よい。ちょっとそのまま動く出ないぞ」
なんてことをいいながらナガンが立ち上がって、俺の隣へすとん、と腰を下ろす。突然の彼女の行動に何も言えずに眺めていると、急に強く首を引かれて身体が傾き、気が付けば俺は彼女の顔を見上げていた。
頭の後ろに、柔らかな暖かさを感じる。
「……どういうつもりだ」
「なに、人間というのはこれで満足するものではないのか?」
「個人差がある。それに、昨日の今日で顔を合わせた人間にされても困る」
「なら起きればよい。世話好きの年寄りの我儘なんじゃから」
「…………」
確かに行動の突飛さはおかしいし、その思考回路も俺のものとは違う。
彼女の行動も言動も、その一つ一つが模倣されたものだとは知っている。こうして共に逃げているのが俺の指示に従っているだけだというのも、彼女自身が生きたいという明確な願望を持ち合わせていないことも、最初に会ったときから知っている。
けれど、この温もりだけは本物だった。
「なんじゃ、眠るのか」
「悪い」
「よい。お主は人間なんじゃからな。ゆっくり休んで、また明日に備えよ」
瞼を閉じても、その柔らかな笑みはしばらく脳裏に焼き付いていて。
意識を手放すのに、そう時間はかからなかった。
□
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『Operation:Whiteout Ⅱ 』
□
雪を踏みしめる音がする。
構えたライフルが震えていて、半目に閉じた片方の痛みが熱くなる。視界を覆うのは灰と白の景色で、吹きすさぶ雪の結晶が頬に冷たさを伝えていた。
胃の奥からせりあがってくるような、吐き出しそうな匂いが込み上げてくる。頭はくらくらと震えていて、けれど肌の冷たさがそれを確かなものにしてくれた。
『三』
雪を踏みしめる音がする。機械の駆動音が聞こえてくる。
立っている枝が少しだけ揺れて、けれど降り積もった雪が落ちることはなかった。トリガーにかけられた指は震えることすらも忘れていて、ただその時だけをじっと待っている。
覗いたサイトの先に映っているのは黒い鉄塊で、それはありふれた人の頭のようにも見えた。
黒い人のかたちが、雪の中をあるいていた。
『二』
雪を踏みしめる音がする。機械の駆動音が聞こえてくる。
鉄血の自動人形が一機と、周囲には四足型のドローンと飛行型のドローンが二機づつ。けれど高所にいるこちらには気が付いていないようで、吐き出す息はとても細くに感じられた。
『一』
足音も駆動音も消え去って、自身の鼓動だけが確かに伝わってくる。
そして、ぎり、と引き金を引こうとしたその瞬間――
『今じゃ!』
紫色をしたアイシールドの奥にある、無機質な瞳がこちらを向いて。
その中央を、鉛玉が貫く光景がゆっくりと流れていた。
一瞬だけ遅れて銃声がひとつ鳴り響き、直後に雪の上へ体が沈む音が鳴る。周囲を警戒していたドローンは基軸となっていた人形が破損したことにより一瞬だけ動きを止めて、そのわずかな瞬間に、銃声が立て続けに四つ、鳴り響いた。
ぽとり、ぽとりと軽い音を立てながら、雪の中に黒い色が溶けていく。
『…………もうよいぞ』
「了解」
木の枝に括り付けたグラップルを伝いながら、新雪へと足を沈ませる。腕の先より伸びるそれを巻きながらナガンの方へと駆け寄ると、彼女は倒れ込んだ人形を漁りながら、こちらへ向かって声をかけた。
「追って来てたのはこいつで間違いないな?」
「うむ、間違いない。しかし見事じゃの。一発で基部を打ちぬくとは」
「研究してる身だ。それくらい分かる」
それよりも、と促すと、ナガンは俺の思考を組むようにして、人形の腹部へナイフを突きたてる。赤い液体と、どろどろとした生体パーツが露出して、その中にナガンが手を入れると、そこから取り出した球状の物体を俺へとかかげてきた。
「これかの?」
「ああ。処分してくれ」
「請け負った」
かきん、と球体に、銀色の刃が突き刺さる。
「……それで? これは?」
「鉄血の人形に組み込まれてる感覚共有のためのパーツ。こうした量産機にだけついてるものでな。それを付けた媒体が取得した感覚の情報を一点に送信することが役目だ」
「感覚の共有?」
「つまり、だ。こいつが見たり聞いたりしたことはは全部データとして保存されて、それを管理する核となる人形へ送られるわけ。ってか、知らされていないのか」
「少なくとも儂は知らんな。その情報、本当に解禁されてるのか?」
「…………あー……」
「クビになるのも分からんでもないわ」
ふぅ、とナガンが白い溜息を吐く。
「……まあ、気休め程度だがな。あっちもこれだけの規模となると情報を一気に閲覧できないだろうし。核の人形がこいつの情報を見てないことを願うしかない」
「今更じゃろ。どうせこやつをこのまま放っておけば、正面からの戦闘になっておっただろうに。そうなればこちらの勝機は薄いからの、こうして倒せただけ良しとすれば…………」
「……そうだな。現に今は死んでいないから」
吐き出す息は、彼女と同じく白い。
震えている両手は、その冷たさを確かに伝えてくれた。
「さ、行くか。話していても始まらないし」
「…………」
「……ナガン?」
「…………――伏せろッ!」
呼びかけに帰って来たのは、とす、という軽い衝撃で。
不意に受けたそれに思わず体が崩れたかと思うと、数舜前まで俺の頭が会った場所を、鉛玉が横ぎるのがはっきりと見えた。
「――ッ! EMP! EMP焚けッ!」
「分かっておるわ!」
既に口にピンを加えた彼女が、灰色の景色へと手に持ったそれを投げる。
直後に白色の中に一瞬だけ紫電が迸ったかと思うと、いくつもの何かが雪に沈む音が聞こえていて、けれどそれは自分が新雪を踏みしめる音にかき消されていった。
たった一つだけ持ってきたが、まさかここで消費することになるとは。
「どういうことじゃ!? わし、なにか処理を間違えたか!?」
「いや、お前が何かしたわけじゃない。遠くないうちにこういう事態になるのは予想できてたが……畜生、やっぱり数には勝てんか」
こちらは二人。あちらは最低でも十五人よりも上。
最初から、見つからずに逃げるなんてことは不可能だったのだ。
「ならどうするんじゃっ! 最低でも人形だけで二十体はおるぞ!」
「そのために調整までしてこいつを持ってきたんだろうが! とにかく引きながら戦え! 死ぬなよ!」
「ああもうっ! どいつもこいつも無茶しか言わんな!」
怒声と共に、彼女の構えた銃が吠える。
元より勝てる戦いだとは思っていない。重要なのは生き残ること。敵を幾らか残しても、自らの四肢のどれかが吹き飛ぼうとも、命さえ残っていれば、俺達の勝ちなのだから。
木を背にもたれかかりながら、ふぅ、と白い息をひとつ。すぐさま銃弾が頬を掠めていき、それに思わず前へ駆けだすと、すぐ目の前の視界を遮るように、一体の人形が上から飛び掛かって来た。
「うおあァっ!? 猿かお前は!?」
そう叫ぶ合間にすぐさま地面へと組み伏せられて、銃口が額へと向けられる。たまらず下半身に勢いをつけて姿勢を崩すと、その勢いで腰のナイフに手が届いて、立ち直ろうとした鉄血の人形がこちらを向いた瞬間に、その首元へとナイフを突きたてた。
黒い液体が飛散して、口の中にオイルのような、レーズンのような味が伝わってくる。
「おい、お主! 大丈夫か!?」
「無事だ! それよりもそっちは!?」
「何体かは始末がついたが、まだ山ほど残っておる! これ一本じゃどうにもならんぞ!」
「何人かやってるのかよ……」
この状況で倒せているだけで幸運だと思うが。
「基地までの位置は?」
「あと十一キロじゃ! なんとしてでも駆け抜けて――」
そうナガンが叫ぼうとしたその瞬間。
ぱしゅ、と彼女の足から、眩しい程の赤色が飛散するのが見えた。
「――ッ、行け! 走るんじゃ!」
「けどお前、それ!」
「わしのことはいい! 早く逃げ――お? おおおっ!?」
倒れた彼女の小さな体が後方へと引き摺られて、地面の雪へにまっすぐな痕を残していく。
鉄の槍だった。細い脚を貫いているのは頭の先に四枚のブレードが付いている黒い鉄で、その根元から伸びている鉄線は灰色の見えない景色へと続いている。
困惑する叫びが、耳元と向こうから聞こえてきた。
『なんじゃこれは!? こんな奇っ怪なの見たことないぞ!?』
「捕縛用のグラップルだ! 今すぐ引き抜くかして体勢立て直せ!」
『引き抜っ、ぎ、ああクソっ! 駄目じゃ! 返しがキツ――ええい、こうなりゃヤケじゃ!』
そう叫んだすぐ後のことだった。
ざり、と肉を裂く音が聞こえてきて、それと同時に雪を掻く音が途切れたのは。
「……ナガン? おい、ナガン!?」
思わず隠れていた木から身を乗り出すと、その先に見えたのは、倒れながらもこちらへ驚くような視線を向ける彼女の影で。
その左足の先からは、眩しい紅の色が地面の白を染めていた。
「おぬし、なにをしとる!? さっさと逃げろと言うたじゃろうが!」
「置いて逃げられるわけねえだろ! 二人で逃げるっつったよな!?」
「こん……この馬鹿者ッ! 年上の言う事くらい黙って――」
どす、と。
そう叫ぶ彼女の小さな体を、黒い鉄の板が貫いて。
「か、は…………!」
声すらも、掠れて届かなかった。
「……まあ、クズにしては上出来だな。まさかここまでされるとは思わなかった」
黒い人形だった。
両腕に大きなブレードを持った、ほっそりとした影の人形。腰元まで伸びた髪の色は銀で、その隙間から覗く双眸は、うつろな金の色に光っている。
それが核となる人形だということは、すぐに理解できた。そしてそれが、俺達二人の力だけでは敵わないことも、俺達を生かす気がないことも、全て。
黒い人形が、ナガンを突き刺したままのブレードをゆっくりと持ち上げる。まるで盾のように構えられたその先でもがく彼女の姿が、俺の瞳に鮮明に映っていた。
指先が震えている。覗いた照準の先にある会話も、聞き取るのがやっとだった。
「人形と人間がひとつずつだと思って油断したのは、確かに私のミスだ。あのカスどもの中でもお前だけはやるみたいだな」
「ふ、ん…………貴様なんぞに言われても、なんとも思わんわ……!」
「そうかよ。だったら、楽に死ねると思うなよ……? この、ゴミどもがっ!」
そう叫ぶと同時、黒い人形がその細い腕を振り回す。身体を蝕む鐵から解放されたナガンは、ごろごろと雪の上をころがりながら、勢いよく木の根元へとその身体を打ちつけた。
その直後にトリガーを何度も引くけれど、放たれた鉛玉はもう片方のブレードによって遮られるのみ。そうやって俺の撃った弾を片手間に防ぎながら、黒い人形は倒れ込む彼女のそばへと歩いて、再びその肩を刃の切っ先で貫いた。
「……く、ぁ」
「はン、惨めなモンだよなぁ。そんな急ごしらえの装備で私に勝てるワケないってのに」
ふらり、と少女の体が揺れる。ぐったりとした彼女は、ぼやけた瞳で俺の事をみつめていた。
銃声は鳴り止んで、見せつけられるように、ぼろぼろになったナガンが俺と黒い人形の間で揺れている。
「……何の、つもりだ」
「なに、私が欲しいのはこの人形のデータだけだ。本来の目的も、人間のお前なんかどうでもいい。今ここで殺しても構わないし、逃がすのもぜんぶ私の自由ってわけ」
けどな、と口元を吊り上げながら、彼女が続けて、
「それ以上に私はイライラしてるんだ。お前らなんか所詮、私の暇潰しにしかならないグズどもなのに……それが、それが……! 生意気にも、ここまで逃げ延びやがって……!」
恐怖と共に、その人形に人間味を感じていた。
青白い肌は震えていて、睨みつけるその瞳には光が走っていて、怨嗟のような呟きはひどく身体を凍り付かせていて、吐き出す白い息はとても荒くて。
これもまた、人形のように見えなかった。
だから、俺は恐怖をしていたのだと、思う。
「だから一つ、遊んでやるよ」
ぐい、とナガンを自らの陰に重ねながら、彼女は口にした。
「こいつをお前の手で撃ち殺せば、逃がしてやってもいいぞ?」
「…………は?」
弄ぶようなその瞳に、思わずそんな声が漏れる。
「私としてはこいつの命もどうでもいいんだ。死んでもデータ自体は回収できるしな」
「……じゃあ、どうして自分で殺さないんだ?」
「決まってるだろ? 遊んでるんだよ。お前らなんか所詮私のオモチャでしかないんだから。さあ、どうする? 向こうのグズどもと同じように一緒に死ぬか、それともこいつを捨てて一人で生き延びるか? そのちっちゃい頭で考えてみろよ! なァ!」
震えは止まらない。
寒さによるものではない。明らかな恐怖で、けれどそれは黒い人形へと向けられたものではなくて。
「………………」
「……そう、だな。信じてるぞ」
虚ろな瞳に残った幽かな光が、消えてしまいそうだったから。
「……あ? なんのつもりだ、お前」
手に持ったARXを地面へ放り投げると、黒い人形はこちらを睨みながら、そんな声をかけてくる。けれど今の俺にとってはそんなことはどうでもよくて、ただ彼女を信じることだけしかできなかった。
腰に当てたポーチへと手を伸ばして、その先の銀色へと指を這わせる。その動作は自分でも知らないうちに滑らかに行われていて、気が付けば俺は、一丁の拳銃――M1895の照準を覗いていた。
「なるほどな、こいつの本体はそっちか。私らを騙すためにあえてそう選択したんだろうが、無駄だったみたいだな」
「……黙れ」
「はン、今から仲間を手に賭けようとしてる奴が吠えるなよ。所詮お前らは自分のことしか考えられないゴミクズなんだから」
確かに自分のことしか、俺は考えていなかったのだろう。
人形という存在を憐れんで、生きろと命じた挙句、ここまで付き合わせてしまったのだから。本来ならば消費される存在にそんなことを願うなど、愚かなことだと分かっている。
この先に救いがあるとも知らずに、ただ愚直に生き続けることだけを択んで。たとえそこで受け入れられなくとも、共に逃げるなどという責任のない言葉を投げ与えて。
けれど、それでも。
彼女の笑顔は、俺にとっては確かなものだった。
それさえあれば、俺は――
「お前は今から自分のためにこいつを捨てるんだよ! ほら、ちゃんと狙え。気持ちよく逝けるように、しかり頭をブチ抜いてやれよ?」
フロントサイトとリアサイトをゆっくりと揃えて、雪の中で目に映る蛍光色を、彼女の紅い瞳へ。その銀のサイト越しにこちらを見つめる双眸には、微かな光が映っている気がした。
両手を握り絞める。撃鉄をゆっくりと引いて、その引き金へだんだんと力を込めていく。
「ほら、殺せ! 殺してみろ! お前のせいで、こいつは――」
その声を遮るようにして、銃声が凍てつく森へと響く。
撒き散らされたのは、薄暗い夜闇のような血だった。
「が、ァ……っ!?」
きゅん、と銀色の糸のような軌跡が、黒い人形の瞳を貫く。
撃ち出された弾丸は黒い血潮を撒き散らしながら、まるで羽虫のよう宙を舞い、彼女の右腕へと潜り込む。直後に黒い人形の右腕が張り裂けて、その先にあるナガンの身体が、ぽすり、と雪の上に転がった。
「なんッ……どういうことだ!? 貴様ら、まだ私を……!」
後ずさる黒い人形に続けてトリガーを引くと、その弾は吸い込まれるようにして黒い人形の頭部を撃ち抜いていく。銃声がなる度に白い地面を黒い何かが染めて行って、ぼろぼろと生体パーツが零れ落ちていく。
きゅん、と宙を鉛玉が駆ける音。銀色の軌道は暴れるように、人形の体を引き裂いていく。
「この、私が……! ただの、人形ごとき、に……!」
やがて引き金を引いても金属音しかならなくなったころには、既にその人形が立ち合がることはなかった。
同時に倒れ込んだナガンへと駆け寄って、うつ伏せになった体を転がすと、その胸元が小さく上下しているのが目に見える。頬へとゆっくり手を伸ばすと、紅い瞳は、しっかりとこちらを覗いていた。
「……どうじゃ? 驚いたじゃろ」
「ああ。正直、冗談かと思っていたからな」
領域拡張による、一時的な弾道の操作。今の彼女の状況で可能だとは思っていなかった。
「とにかく基地まで戻るぞ」
「ああ……そう、じゃな。頼むぞ……」
背負った体は驚くほどに軽くて、銃を握りしめるその手には力が入っていないように見える。
そこから先はほとんど覚えていない。ただ彼女の命――または、それに似た何かが尽きないように、ただ足を動かすことしかできなかった。途中で後ろから何かの銃声が聞こえたとしても、俺が振り向くことはできなかった。
銃声がひとつ。ひゅんひゅんと風を切る音が聞こえて、遠くで何かが雪へと倒れ込む。
それに紛れて、立て続けに血を吐く音が聞こえていた。
「ナガン」
「……は、前だけ……ば、よい。決して……止め、でないぞ……」
聞こえてくる声は、既に途切れ途切れで、もう既に言語の出力すらもできていないようだった。
「おい、ナガンっ」
「なにも……い。……主は、おるか……? ひと、りは……」
「眼ェ覚ませ! まだ死ぬには早いだろ!? 頼むから、まだ――」
そう叫ぼうとした瞬間に、背負った彼女ごと、肩を撃ち抜かれた。
歩んでいた足はその衝撃で投げ出されて、身体が雪へと沈んでいく。投げ出された彼女は俺の眼の先でぐったりと仰向けに倒れ込んでいて、けれど指先はゆっくりと重たい動作で弾を込めようとしていた。
「ナガンっ、もう無理だろっ! やめろ、それ以上は……!」
「……主も……年…………に、頼……ば、よ……い」
千切れた片足を地面に突き刺しながら、ナガンが引き金を絞る。直後に衝撃と風を斬る音が耳元で鳴り響き、宙を駆ける弾丸がばたばたと鉄血の人形を薙ぎ払った。
「ご、ぼあッ、……、ぁ、ぅ……」
「……っ、ナガンっ!」
倒れ込む彼女を呼ぶけれど、もうそれに返ってくるものはなかった。
白い景色のその向こうに蠢く黒い影は、紫色の瞳をこちらへと向けている。動かそうとした足はずるずると雪の上に歪な痕をつくるだけで、それ以上動くことはもうなかった。
這いずって伸ばした手はその小さな手を固く握り締めて、その手はまだ確かに暖かくて、
「ぃゃ、じゃ」
「……っ」
「死にたく、ない…………まだ、死ぬのは、いやじゃ……まだ、まだ――」
縋るように絞り出された声は、つんざくような数多の銃声によってかき消された。
「……ッ!」
「ぅ、ぅ……」
正面からだった。
はじめ見えた人影は、四人。それらは俺達を目にした途端に急いでかけよって来て、倒れている俺達のことを担ぎ上げると、すぐさま基地のある方へと俺達を引き摺っていた。
気が付けばあたりには同じような人形が戦線を展開していて、聞こえてくるけたたましい銃声が、だんだんと遠くなっていく。突然のことにけれど何も口にすることはできなくて、されるがままに遠く離れた場所の樹へともたれかかると、ぼやけた視界に見えたのは、こちらを覗き込む碧色の瞳だった。
「こ、こちらMP5! 保護対象アルファ、ベータ共に確保、生存確認しました! すぐに回収班を回してくださいっ!」
「ちょっと、誰か止血剤持ってないの!? このM1895、すぐに活動停止するわよ!」
「スコーピオンちゃんっ、これ! 終わったらすぐに回収地点まで行くよ!」
視界の端に映るのは、金髪の少女に開放されるナガンの姿で。
そんな彼女に手を伸ばそうとしても、すぐに体が持ち上げられる。
「大丈夫ですからねっ! あの人形さんも、あなたも必ず助けます!」
「…………それ、は」
「だから、生きてください! もうすぐ……もうすぐですから!」
その言葉は、どうしてか心に強く残っていて。
何か救われるような、そんな心地を感じながら、俺はゆっくりと意識を手放した。
□
結局のところ、俺が最終的に行き着いた先は、最前線からも離れた地区の司令部だった。
前の作戦のことは何も聞いていない。正しくは聞きたくない、だろうか。それについて苦言を呈することも馬鹿馬鹿しくて、ただあの作戦そのものが社の想定しているものではない、ということだけ耳にした。
あの後の戦闘は無事グリフィン側が勝利したらしく、どこかの医務室で寝ている俺にもその情報は届いてきたが、あの黒い人形についての情報は果たして得られなかった。それについての情報も一応伝えてはおいたが、それが信じられるかどうかはまた別の話になる。
与えられた役割は、特務隊ということだった。
何者にも束縛されることのない、完全に独立した組織。与えられた任務の為ならば、正義も悪も、敵も味方も関係なく銃口を向ける存在。用は、ただのゴミ処理係――という建前を借りた日和部隊である。ヘリアントスという女性の口からは、そう説明された。
グリフィンを離れるつもりはなかった。単純に他に行くところがなかった、ということと、何よりも彼女――ナガンを一人にしないと、そう約束したから。
まあ、あれからの彼女がどこに配属されるかは知らされていないが。
けれど、同じグリフィンに所属しているのなら、いつか会える日が来るだろうと。
そう、信じている。
『とりあえず基地と部隊の指揮権限、その他の諸々与えておく。任務は後に与えるから、それまでに人形の調整を済ませておくように』
なんてことを言われたものだから、与えられた資料を手に、基地の中を歩いていた。
中はほとんど手の付けられていないようで、射撃場や武器庫、研究室なんかもほとんど建造当時のままということ。配属されている人形も現時点では一体のみらしく、それも後々補填されるだとか。
とにもかくにも、とりあえずは任務を受けられるような準備と人形の調整をしなくてはいけない。武器庫を確認したところ使えるものは一式揃っているので、そこで困ることはないだろう。
まあ目下の問題は、配備された人形と上手くやれるか、ということで。
「…………まあ、迷っても仕方ないか」
そう、扉を開くと、そこ居たのは――
「戻ってきたか! おかえり!」
□
「……てなこともあったのう」
「そ、そんな過去があったのね……」
「今となってはいい思い出じゃよ。のう、お主よ」
「思い出したくもないな」
苦い記憶を、さらに苦い飲み物で喉へと下していく。
午前の書類整理も早く終わり、暇になったから、ということでUMP9に「指揮官ってどうしてこんなところに配属されたの?」と聞かれたら、思ったよりも長話をしてしまった次第である。
といっても俺はほとんど口を出しておらず、話の大半はナガンの口から紡がれたものだが。
「大体、そんなことを今更聞いて何になるんだ。お前も脳を弄られたいか?」
「私は遠慮しとくよ……でも、指揮官のそういう一面って、ちょっと意外かも」
そういう一面、とは。
「そんな『なんとしてでもみんなを守る!』みたいな性格だったんだな、って」
「そうは言ってもこやつ、昔の面影とかほとんどなくなっとるからな。今となってはダラダラしてるだけのダメ男じゃ。UMP9も騙されるでないぞ」
「いや、騙されるもなにも指揮官は指揮官でしょ?」
「そうだぞ。逆にお前は身長も何も変わってないな」
「貴様ぁっ! いま何と言った!? そのド頭を撃ち抜かれたいか!?」
「な、ナガンちゃん落ち着いて! さすがに撃ったらシャレにならないって!」
背丈のことを口にするとすぐに激昂するのも、未だに変わっていない。
なんてUMP9とナガンがわちゃわちゃとじゃれ合っていると、ふと執務室の扉が開かれる。そちらに目を向けると入ってきたのは、報告書を手に持っているG41の姿だった。
「ごっしゅじーん! 今回の模擬戦闘の報告書、もらってきたよ!」
「ん、了解。ご苦労だった」
とたとたと机に寄りかかって来て、纏めた書類を渡してくるG41に、そう声をかける。するとそっちのもめ事もカタがついたのか、疲れた様子で椅子に腰を下ろしているナガンが、G41の方へ向けて手を振っていた。
「ほーれほれG41、こっちに来るがよい。頭を撫でてやるぞ?」
「ほんと!?」
とてとて、ばふん。
「わーい! おばあちゃーん!」
「ほれほれ、愛いやつよのぅ。撫でてほしかったらいつでも言うのじゃぞ?」
「あのね、おばあちゃんの手ね、他のみんなと違ってあったかいから好きだよー」
「…………そう、か。それはよかったの」
向けられた青色の瞳に、ナガンは少しだけその顔に影を差す。そうして向けられた視線の先には、義足になった左足が無機質な光を放っていた。
「指揮官、報告書読まなくてもいいの?」
「そうだな…………飯食い終わったらな。午前の業務はほとんど終わったし」
「でも、せっかくG41ちゃんが持ってきてくれたんだよ?」
「あーわかったわかった。今見るから。クソ、お前もだいぶ俺の使い方分かってきたな……」
「ふふ、なんだかんだで指揮官が優しいの、知ってるもん」
にま、と笑う彼女に向かい合うのが照れくさくて、逃げるように書類へと目を通す。
それからの言葉はない。UMP9は自分のデータ管理に入ったし、ナガンとG41は無言でじゃれ合っている。俺もこれといって伝えることもなく、ただ書類を一枚一枚めくる音だけが、小さな執務室の中で響いている。
ふと脳裏には、あの雪の降る日のことが思い出されて。
「…………平和じゃのう」
「……ああ」
ぽつりとつぶやかれたナガンの言葉に、それだけ返す。
しんしんと降り積もる雪の景色が、窓の外に広がっていた。
□
ノリとしてはこんなユルい感じで
不定期更新ですがよろしくお願いします
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▽_Lost Memory / Empty cat walk
ねこあつめ
□
「本日付けで所属する、UMP9です。よろしくね、指揮官」
「お、同じく本日付け所属のC96ですっ! よろしくお願いします!」
立て続けにかけられたその声に、書類から目を離す。
一人は茶髪をツインテールにした少女だった。型名はUMP9。汎用性の高いSMGを依代としており、本部直属の部隊である404小隊にも採用されている優秀な人形だと聞いている。
もう一人は銀髪を後ろに二つに下げた、背格好の小さな少女。型名は
以上、配属前に届いた書類より。
「……了解した。諸君らの入隊を嬉しく思う。心より歓迎しよう」
「もっと感情を込めんか感情を」
やれやれと口を挟んでくるナガンはこの際無視しておくとして。
「まあ、正直どんな人形でも来てくれたのならありがたい。これからどんどんコキ使っていくからそれなりに覚悟しておくように」
「はーい」
「了解です!」
にっこりと笑う
さて、新人の歓迎もこれくらいに済ませておくとして。
「それで、入隊直後だがさっそく任務だ。そもそも配属されている時点で聞いていると思うが、この部隊がどういった目的で組織されたかは?」
「……ゴミ処理?」
「お手伝い、って聞きました」
「良い様に言われとるのう。ま、間違いではないが」
どちらかといえばそれよりももっと下級のクズみたいな仕事であるが、それでも来てくれた彼女らのために、誠実に紹介しておくべきだろう。
「……我々に秩序はない」
ぽつりと呟いたその言葉に、二人の視線が向けられるのを感じる。
「命令であれば昨日の味方へ銃口を突きつけ、明日の敵と友情を分かち合う。そこに無駄な感情は発露しない。どれだけ貶されようが、どれだけ情を踏みにじろうが、我々はただ標的を殺すだけの必要悪である」
本当に、面倒な役職だと思う。ただ上司から言われた標的を撃ち殺すだけの、言いようであれば簡単な仕事。こんなクソみたいな役職に配属されるのはそれなりに訳のある者たちだけで、つまりは目の前の二人もそういうことで。
「そこには正義も、悪も、何もない。何も信じるな。我々はただ、下された命令を遂行するだけの存在――N部隊ということを、忘れるなよ」
静寂。言葉の一つも、消え失せた。
感じられる視線はすべて冷たいもので、そこにある何かを別に言及するわけではない。ただ、自分達がそういう場所へと配属されたこと、それだけは何としてでも心に刻み込んでほしかった。
恨まれるだろう。非難されても、おかしくはない。
けれど、そういった役割には慣れ切っていた。
「……今回の任務内容だ」
そう言いながら取り出すのは小さなボイスレコーダーで、それと執務机へと投げると、三人の視線がそこへ集中する。その横に付いているスイッチを入れると、軽い音と共に、そこからノイズが流れ始めた。
『あー…………あー……? 聞こえてるのかな、これ。まあいいや』
響くのは、間延びした女性の声であった。
『私は16LABの研究員のペルシカね。ヘリアンから都合のいい部隊があるって聞いたから、こうしてあなた達に任務を与えようと思うの』
その名前には、聞き覚えがあった。
グリフィンに技術提供をしている16LAB、その首席研究員であるペルシカ。その功績は人形のネットワーク構築技術であり、今の彼女がいるからこそ、人形は銃を依代とした人形たりうるのだ。
その名前には聞き覚えがあるのか、二人から声が漏れるのが分かった。
『一応、外部に漏れるとマズイから任務を伝え終わったらこのテープは消滅するの。一度しか言わないから、よく聞いて頂戴ね。あなたたちの任務は――』
ごくり、と誰かが息をのむ音が聞こえて、
『その……『ねこ』をね、探してほしいの』
それだけ残した後に、じゅぅ、とテープが焼き切れた。
□
輸送VTOLの中でボケっとされるがままに揺れていると、隣のUMP9がふと問いかけてくる。
「…………ねえ、指揮官。私、ペット探すためにこの部隊に配属されたの?」
「知らん」
「指揮官指揮官、猫ってどんなのでしょうね? 黒猫かな? それとも三毛猫かなっ?」
「知らん」
「猫は猫でもペルシカのネコかもしれんがな! はっはっは!!」
「お前は二度と口を開くな」
募る苛立ちに、たまらず口が悪くなった。
与えられた任務は、確かに特定の対象――『ねこ』の回収だった。同時に届けられた書類には暗号化された文書で捜索地点の座標や情報が記されており、あのボイスレコーダーの内容が変な冗談ではないことが確認できた。
というか本当にこれ俺達がやる任務なんだろうか。
「受ける任務は問わないって言ったけど、まさかペット探しなんてね」
「もっと大変かと思ってましたー……いきなり最前線に飛ばされたりとか、未確認の鉄血人形と戦闘する、とか」
交わされる二人の言葉に、ますます肩が落ちていくのが分かる。
何よりも一番駄目なのは、あんなにイキがって説明した直後にこんな任務なのだ。最早漫才とかギャグとかそこらへんの領域である。できることなら今すぐここから空中投下して森で即身仏になりたい。誰にも見つからない場所でひっそりと生涯を終えたいくらいの恥ずかしさではあった。
けれど、任務を与えられたからには遂行しなければいけないわけで。
「そろそろ着くぞ、中継ぎの場所とか回収地点は頭に入れたな?」
「おっけー、ダイジョウブだよ」
「えーと、A地点とB地点に分かれてから『ねこ』を見つけてα地点で合流、そのまま回収地点βで撤退……?」
「それでいい。人形は物覚えが早くて助かるな」
こういところは人間よりも優秀なのだろう。正直、何度も説明しなくてもいいから助かる。
「武装、必要なんですかね?」
「……一応持っておけ。何があるか分からんしな。重かったら最低限でいいから」
問いかけるC96にそう答えたのち、ARX-160を二つとって、一つをナガンへと投げ渡す。それを受け取ったナガンは慣れた手つきでセーフティーを外して、弾倉を確認すると、ふと後ろから覗いてくる、驚いたようなまなざしに気が付いた。
「なんじゃ、そんな目をしおって。珍しいもんでも見つけたか?」
「いや、だって……ナガンちゃん、HGの戦術人形なのに」
「特例だ。珍しいとか言うなよ、その足の代わりだ」
義足になった左足を指差しながら、UMP9へと諭す。
「まあ、何か必要なものがあったらいつでも言え。まだ部隊の規模は少ないからな、やれるもんは全部お前等にやる。その分、キビキビ働けよ」
「はーい」
「分かりました」
気は抜けているが、まあ従ってくれるだけ良しとしよう。
「で、でも指揮官? このA地点っていうの、もうそろそろ……」
「到着だな。じゃあそろそろ行くか」
「行く、ってもしかして」
そのC96言葉を遮るように壁のスイッチを上へと弾くと、後方から重たいハッチの開く音がした。そうして入り込んできた風を背中から受けながら、後ろの方で風圧にのけぞっている二人へ届くよう、大きく声をかける。
「いいか、最終目的は『ねこ』の回収! 捜索対象が対象なぶん、今回は二手に分かれる! A班はナガンとC96! B班は俺とUMP9!」
「うむ、了解じゃ!」
そう呼ばれたナガンが強く頷いて、大きく開いた機体の後部へ歩み出す。地表との距離はおおよそ三十メートル、人形なら余裕で落下の衝撃に耐えられるだろう。
なんてことを頭の中で考えていると、ふとC96がナガンの隣に並んでいないことに気が付いた。
「おい、C96! 何やってるんだ、早く降下準備しろ!」
「こ、ここっ、ここから降りるんですか!?」
「当たり前だろ! もう時間ないぞ! ナガン、連れてけ!」
「任された!」
何時の間にかC96の後ろに立っていた彼女が、がし、と両脇へ腕を回す。
「な、ナガンさん!? 待って、待って下さいっ!」
「なに、心配いらんぞ。わしがちゃんと守ってやるからの! ここは年長者に任せるのじゃ!」
「いや年長者とか、そういうの関係ない……ちょ、ちょっと! 本当にっ! UMPちゃん!? た、たすけ――」
「ではお主! 行ってくる!」
「うわああああああああああああぁぁぁぁっ!!!」
バックドロップにも似た体勢でナガンが飛び降りて、姿が消えると共にC96の悲鳴が聞こえてくる。開いたハッチから覗いてみると飛び降りた人影はだんだんと小さくなって、やがて豆粒になって消えていくのが見えた。
うむ、成功である。ちゃんと座標バッチリ。
「……ねえ指揮官、私たちもアレやるの?」
「何言ってんだ、やるわけねえだろ。俺が死ぬ」
「そ、そうだよね……」
どうしてか残念そうな顔をするUMP9に、肩をすくめて見せる。
B地点への到達時刻は、もうすぐだった。
□
ノリは割とユルめに。拙い知識ではありますが頑張ります。
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ねこあつめ に
□
さく、と薄く積もった雪へと足を踏み下ろす。
「こちらB班、そっちの様子は?」
『こちらA班。うむ、ナガンと
『問題だらけじゃないですかっ! こんなの聞いてませんよ!?』
『ほれほれ、そう吠えるでない。あとで甘いものでも買ってやるから』
『なんですかそれ! ぜったい釣り合いませんよ!』
「……それだけ叫べるなら元気だな」
投下にあれだけ怯えていたからまさかとは思ったが、それは杞憂のようで安心した。
未だにぎゃあぎゃあと聞こえてくる通信を閉ざすと、ちょうど周囲の捜索を行っていた
「ご苦労、どうだった?」
「うん、誰もいないよ。色々戦闘の痕跡とかはあったけど、それもけっこう前みたいのものだし」
「……じゃあ本当に捜索だけ、ってことになるか」
目的の地点は、一度鉄血に占領されてから、また取り返したという研究棟だった。
なんでも人形の更なる発展を目的とした研究を行っていたらしく、その技術が鉄血の方へと漏れたのだとか。そこに鉄血の内通者がいるとの証拠はなく、また研究棟内の探索も未だ行われておらず、情報が奪取されたのかも判明していないらしい。
明らかな職務怠慢である。それでいいのか16LAB。
「それにしても、こんなところに猫なんて本当にいるのかな?」
だだっ広い平原を見渡しながら、UMP9がそう呟く。その先の二百メートルもない先には大きな建物が三つ連なっており、その中心にあるのが研究所B棟――α地点だった。
作戦内の棟はそれぞれA棟、B棟、C棟と呼称。ナガンたちのA班はA棟から、俺達のB班はC棟から『ねこ』の捜索を始め、B棟で合流のち、俺達の今いる回収地点βにて撤退、という運びになる。
ただのペット探しにそこまで取り繕う必要があるのか、と言われれば俺はおそらく首を横に振るだろう。しかしながら、資料にはきちんと研究棟内部の地図までもが詳細に記載されていた。
「……とりあえず、最後に確認されたのはB棟の908室だから、そこまで何としてでも行くぞ」
「りょーかいっ」
棟へと歩く道すがら、苛立ちのままに考えが深くなっていく。
そもそも最後に確認されたって何だ。研究棟全体でその猫を飼っていたのか。小学校のクラスじゃないんだから、そんなモノを回収するためにわざわざグリフィンに依頼するとはどういう心づもりなんだ。俺達は生き物係ではないことをヘリアンに説明しなければならないのか。
いや、もしくはその猫の首輪に何かのチップが埋め込まれていて、それに先の機密データが入っていて、俺達はそれを回収するために動かされたと言う話も考えられなくて……。
「指揮官? 今から入るけど?」
「あ? ああ、うん。分かった。行ってくれ」
唐突に駆けられた声に、そんな風に返してしまって、思わず頭を抱える。閉ざされたフェンスに手をかけるUMP9は不思議そうにこちらを覗きながら、首を傾げていた。
……考えすぎだろうか。でも、この任務がこれだけしか意味を持たないとは考えられない。
「あー、こちらB班。これより研究所C棟へと突入する」
『すまぬ、A班はもう少し後になりそうじゃ。先に行っといてくれんかの』
「後? どういうことだ」
A地点とA棟からはそこまで距離はなかったはずだが。
『いやのう、おそらく鉄血の襲撃痕じゃろ。本来想定してある入口がほとんど崩れてしまっておる。新しい入口を探さぬといかん』
「了解した。また見つかったら連絡を寄越せ」
『うむ、心得て……っておい! C96、待つんじゃ! お主の脚とわしの脚では勝手が違うんじゃ! わしを置いていくでない!』
……大丈夫だろうか。
「すまん、待たせたな。行こうか」
「ん、おっけーっ!」
そう意気込んだように声を上げると、UMP9が腕へと力を込める。閉ざされていたフェンスはまるで紙を破るように千切られて、すぐさま人が通れるほどの隙間が作られた。
改めて見ても驚きの力である。鉄血が反逆されてすぐに落ちたのも納得がいく。
建物の内部は、簡単に言えば地獄であった。
「……ひっどいね」
「ゴミ処理部隊、っていうのも強ち間違いでもないかもな」
ごろごろと転がっている人影はすべて人形で、けれどどこからから腐臭が漂ってくる。そこに人間が混じっている事など考えたくもなくて、ただただ血に塗れた廊下を歩くだけしかできなかった。
やがて足音が一つになったことに気が付いて、振り向いたそこには、ある人影へしゃがみ込むUMP9の姿があった。
「何、してる」
「この人形、まだ生きてるから」
「なに?」
呟かれた言葉に、思わずそんな声で返して、水音と共にそこへと駆け寄る。
最早何の型かも分からない状態だった。顔面は半分が焼け爛れていて、基部がほとんど露出してしまっている。四肢も半分がもがれていて、胴体に開いたいくつもの穴からは生態パーツが零れ落ちていた。
「……なるほどな。メモリはまだ生きてるか」
「どうしよ、指揮官」
「ちょっと待ってろ」
もたれかかったその身体を床にうつ伏せに倒し、服を背中からナイフで破いていく。そうして脊髄に添う様にいくつも露出した基部へとナイフをあてがうと、そこに開かれた隙間へとナイフの刃の部分を突き刺した。
力を込めると、ころん、と円柱状の基部が転がる。
「なにそれ」
「人形のメモリ部分だ。UMP9、ちょっと背中向けてみろ」
「ん? いいけど」
くるん、と振り返った彼女の上着を少し上げて、そこへ手に持った基部をあてがう。少しだけ彼女の身体が震えたかと思うと、すぐにそれは収まって、何かをぼそぼそと呟き始めた。
「あー……なるほどね」
「どうだ? 何か分かりそうか?」
「んーと、駄目だ。すぐにやられちゃってるね。あ、でも待って…………」
「何があった?」
うわ言のようなその言葉に、ゆっくりと促す。
「……人形? だけど、なんか違う……」
「どう違う?」
「髪が……白くて、なんだろ……? 剣? なのかな。 眼帯、つけてて……」
白の髪。剣。眼帯。
どうしてか、見覚えがあった。
「あ、何も見えなくなった。終わっちゃったよ」
「……まあ、終了直前の三分間だけだからな。でもそれだけ収穫があるなら十分だ」
そう答えて基部の接続を解除し、取り外した円柱を腰のポーチへ。杞憂ではあるが、後で綿密な調査を続ける必要が出てきたので、一応回収しておくことに。
「何はともあれ、とりあえずはここの捜索だな。行くぞ」
「はーい」
右腕を上げて元気に返事をする彼女に、呆れながらも笑みが零れる。
案外、退屈はしなさそうだった。
□
全九階の一階、二階の探索を終え、三階へ上がろうとする踊場にて。
当たり前というか、収穫はゼロだった。あるのは人形か人間かも分からないような死体だらけで、入り口にあったようなメモリが生きているものも該当なし。その時点で、鉄血の人形がよっぽど自分達の侵入を気づかれたくないと言う事が見て取れた。
出来がいい。おそらく、核となる人形が優秀なのだろう。
脳裏に、雪の降る日に見たあの黒い人形が思い出された。
『あー、こちらA班、聞こえるかの?』
なんてことを考えていると、ふと耳元からそんな声が聞こえてくる。
「こちらB班。どうした」
『いや、A棟への侵入経路が見つかってな……入ろうと思うんじゃが……』
『……ねこ、見つけました。A棟のすぐそばで』
なに?
「本当か」
『ああ。正真正銘、紛れも無い猫じゃ。ほれC96、ちょっとこっち寄ってみぃ』
『にゃー』
聞こえてくるのは本当に猫の鳴き声で、それが彼女たちの冗談でもないことを示していた。
「最終確認地点はB棟だと聞いていたが」
『まあ、猫じゃしのう。別にここまで来るのもおかしいことではないじゃろ』
「確かにそうだが……うむ……」
これで本当に終了なのだろうか。いやまあ、確かに『ねこ』の捜索は終わったが。
「……分かった。ひとまずα地点に向かえ。そこでまた確認し合おう」
『ん、了解じゃ』
『ねこじゃらしとか用意した方がよかったんですかね? それとも鈴とか』
「基地に着いてペルシカに報告するまでな。今は集合することを考えろ」
随分と浮ついたような声にそう返して、通信を切断する。
思わず漏れた溜め息に応えたのは、階段の上を確認してきたUMP9だった。
「指揮官、終わった?」
「ああ。そっちは?」
「それがねー……ちょっと変なのがいて」
困り顔で答える彼女に、思わずこちらも首を傾げる。
「変なのってなんだ。抽象的だな」
「伝えようにも変なのは変なのだもん。指揮官にも見て貰ったほうが早いって」
などと頬を膨らませながら言うものだから、俺も彼女の後ろについて、階段を上がっていく。そうして彼女が昇り切ろうとした瞬間、UMP9は手でこちらを制しながら壁の向こうを覗いて、やれやれといったように肩をすくめた。
思わず眉間に皺が寄って、俺も壁の向こうを覗いてみる。
「…………なんだアレ」
「ね? 変なのでしょ?」
その言葉も、強ち間違いではなかった。
それは人形のように見えた。鉄血の部隊でよく見るような、あの紫のバイザーを装備したような、女型の人のかたち。けれどそれはどうしてか四つん這いになっていて、血の溜まっている道をうろうろと徘徊しているのだった。
その小さな口が開かれる。
「なぁーお」
「……なんだ、アレ」
「私がわかるわけないよ」
ごもっともな返答に、口を閉ざす。
「今、猫の鳴き真似しなかったか」
「聞こえたけど」
「…………アレ、『ねこ』だと思うか?」
「思いたくないなー」
「…………」
「…………」
かちゃ。
「やれ」
「りょーかい」
怪しきは殺せ。昔の人も言っていたこの世の摂理である。
手にしたUMP9を構えながら、
少しの静寂を置いて、たん、と軽い音が響く。
返ってきたのは、弾を躱しながら飛び掛かってくる鉄血の人形だった。
「うおあああぁぁっ!?」
「し、指揮官どいてっ! 後ろ下がれないよっ!」
わちゃわちゃとこちらが騒ごうにも、すぐに鉄血の人形は目の前に迫っていて。
どん、と身体を押されたかと思えば、こちらを突き落としていたUMP9の体が、鉄血の人形に巻き込まれるようにして弾かれるのが見えた。
「UMP9ッ!」
「もごおごもごっごごがごがもごご」
「にゃーッ! に”ゃ”ーッ!!」
間抜けな鳴き声に見合わず、UMP9が発する悲鳴は本物だった。
思わず小銃を構えるけれど鉄血の人形と彼女の距離はほとんど密着していて、狙いをつけようにも思わず躊躇ってしまう。サイトの先の人形はとどまる所を知らなくて、けれどそこで、UMP9が思いっきり脚を上へと振り上げているのが見えた。
「むぐー! むごごーっ!」
そうして勢いよく振り下ろされた両足が、床が揺れるほどの衝撃を放つ。
仰向けに倒れていたUMP9の体はそれによって宙に浮かび、まるで後方宙返りをするようにして、鉄血の人形を下敷きに地面へと着地する。先程とは逆の体勢になった彼女は悶える鉄血の人形の頭へ一発拳を入れながら、立ち上がってその身体を蹴り飛ばした。
地面を転がる人型は、その刹那に体を起こしながら再びUMP9へと襲い掛かる。
「この……、っ!」
ナイフを取り出したと同時、それを宙に放り投げながら、彼女は向かってくる人形を体を捻って躱す。そうして顔を横切る鉄血の人形の脚を両手でつかんだかと思うと、それを思いっきり引いて、地面へと叩きつけた。
びだん、と鉄が撃ちつけられる音がする。ひゅんひゅん、と宙で円を描く様に飛ぶナイフは、横たわる鉄血の首元へと堕ちていき――
「らッ!」
宙に浮かぶナイフの柄をそのまま踵で踏みつけ、UMP9が勢いよく息を吐く。
深く突き立てられたナイフの刃は鉄血の首と身体を完全に絶ち、その本体が二度と動くことはなかった。
「……見事だ」
「そう?」
普通、浮かんでいるナイフに脚を立て、そのままの勢いで標的に突き刺すなどできるわけがない。それこそ、特別な認識や領域の拡張を施さなければ、難しいだろう。
けれど彼女は何でも無しに座り込むこちらへ、手を差し伸べるのだった。
「でも危なかったね、指揮官。だいじょうぶ?」
「ああ……こちらは、何とも」
「けど本当に何だったんだろうね。結局正体もわからずに倒しちゃった」
ごぼごぼと生体パーツを零す鉄血の人形に、UMP9が頭を掻く。これほどの損傷になると、内部のデータを確認は不可能だろう。仕方のないことではあるが、少し残念だった。
「まあいい。とにかく、この棟の探索を終わらせるぞ」
「了解ーっ」
先程と同じように右腕をぴん、と上げながらUMP9が答える。
けれど、どこかに潜む不安を拭う事は出来なかった。
□
ねこです よろしくおねがいします
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ねこあつめ さん
□
鉄を打つ音が、眼前から聞こえてくる。
少女を模した体は壁へと強く打ちつけられ、けれどそれでも人形が止まることはない。すぐに鉄血の人形は体勢――やはり、四足歩行の猫を模したもの――を立て直すけれど、既にUMP9はナイフを逆手に抜き取って、その首へ目がけて刃を向かわせていた。
がぃん、と鈍い音が響く。
「――ッ、浅い!」
叫ぶ彼女の腕を弾きながら、鉄血の人形が両手を広げて襲い掛かる。そうして振りかざされた鉄の腕は空を切り、即座に腰を落としていたUMP9はその伸ばされた腕の片方を掴み、思いきり自らの後方へと引き抜いた。
ぶち、と生体パーツが引き抜かれる。その勢いで鉄血の人形は前方へ前のめりになるように倒れ込み、その隣には何時の間にか姿勢を立て直していたUMP9が後ろ向きに脚をかざしており――
「やっ」
ローリングソバット。
回転力を伴って振りぬかれた右足は丁度突き刺したナイフの柄を捕らえ、そのまま人形の体をもう一つの壁へと縫い付ける。半身をコンクリートの壁へとめり込ませた鉄血の人形はぐったりとしたまま動くことはなく、そんな半ばアートのような人のかたちを見て、UMP9はこちらへと語り掛けてきた。
「これでいい?」
「充分だ」
計7回目の接敵で、ようやくデータを入手に漕ぎ着けた。その内の六回はUMP9が人形の首を、まるで親の仇とも言わんばかりに落としているせいなのは特筆しないでおく。
生きてるだけでマシなのだろう。おそらく通常の人形だったらすぐに死んでいた。
逆に言えば、UMP9が通常ではない、ということになるが。
「しかし、見事だな。どう訓練すればそこまで素手で戦えるようになる?」
「え? 別に、何もしてないけど?」
思わず放った言葉に返ってきたのは、そんな拍子抜けた声だった。
「……バカ言え。普通の人形だったら、あんな格闘戦なんてできるはずがない。明らかに何かの影響が現れてるぞ」
「そう言われても、本当に何もしてないもん。普通にやってるだけだよ」
「運動演算の書き換えもか? それとも、お前が普通だと思っているだけで、前の基地では格闘訓練があったとか」
「
その答え方は、どうも人間臭く思えた。
人形という存在は、慣れる。いくつもの戦闘を重ねていけば確実な経験値として人形の性能は上昇するし、それこそ数多もの戦場を経験した人形にしかできない特殊なルーティーンや、特殊技能も確認されている。だから彼女もその類いと同じ物かと思ったが、それも外れたみたいだった。
まるで、生まれた時からそうした行動をとれたかのような。こうすることが常識だと疑わないような、そんな物言いのようにも思えた。
「…………いつか、お前の中身でも見てみたいよ」
「いつでもいいよ。それでさ、指揮官、どう? 結果出た?」
なんてなことを考えていると、気が付けば基部の解析が終わっていて。
手元にある小型のインターフェースに、その結果が算出され――
「は?」
「えっ? どうしたの?」
「いや、エラー吐いて……待て、違うな……あ? どういうことだ?」
おかしい。明らかに、人形そのものを構成するデータが参照されない。それどころか、ほとんどの演算や領域、果てには運動機能がほとんど別物になっている。いや、それも違う。要所に元となったデータの残骸は残っていて、けれどそれはほとんど機能していない。その代わりに新しい行動パターンが隙間を埋めるようにして組み込まれていて、それが現在の演算と領域の肩代わりをしていて…………?
考えれば考えるほどドツボに嵌っていく
そんな満タンの頭の代わりに、かろうじて動く眼が捕らえたのは、
「……ねこ」
「んー?」
思わずつぶやいたその言葉に、UMP9も興味を持ったのか、手の内にある画面をのぞき込む。
液晶の片隅に小さく表示されている、頭の上に三角の耳を生やし、髭を数本生やした生物をデフォルメしたもの。ぴこぴこと動くそれはまるでこちらのことを嘲笑っているかのようで、間の抜けた声を放ちそうな、その見慣れた生き物は。
「これ……『ねこ』だよね?」
「確かに猫だが」
どうしてそんなものがこの人形のデータに紛れ込んでいるのか。どうして鉄血の人形が軒並み、猫のような四足歩行をするようになったのか。
どうしてこのデータが、これ程までに異様な改ざんを受けているのか。
「もしかして、さ」
「なんだ」
「『ねこ』ってさ」
「ああ」
「猫じゃないんじゃない?」
そんなはずが無い、と。
否定できないのが正直つらい所だった。
「……完全な、それもアテに成り得ない推測になるが」
「うん」
建前としてそんな事を言いながら、溜め息を一つ。
「おそらくこのデータは、塗り替えられている」
「塗り替え? 書き換えじゃなくて?」
「ああ。書き換えるのなら、それなりにデータの調整だったり、領域や演算式の拡張だけで済む。けれどこれはこの猫……いや、『ねこ』のデータを、既存のデータをそのままにして上から強引に被せたんだ。元々データの中にない、猫みたいな動きや発音をするようにな」
行動どころか、あの間抜けた声を発している様子から見て、おそらく言語体系までにその影響は及んでいる。しかしながらその運動演算や発音には既存のものが使われており、元のデータには一切の干渉が無い。
「……つまり、この人形のデータを塗り替えた誰かが居るってことでしょ?」
「ああ。それも、戦闘態勢の鉄血の人形に、これといった損傷をさせずにな」
さらにそれを七回繰り返し、全て成功させたと言えば、この異常性が分かるだろうか。
「……それで、どうするの?」
「どうもこうも、
俺達には拒否権も、意見をする口すらも無かった。この『ねこ』が既存のものを超越するような違法データだとしても、数多の人間を殺すことになるきっかけだとしても、俺達がそれに何か干渉できることはない。
ただ下された命令のとおり、それを何としても回収し、依頼人へと献上しなければいけないのだから。
「……とにかく、合流地点まで向かうぞ」
「はーい」
荒く吐き出された溜め息に、そんな軽い返事が重なる。
振り返った俺達が歩いた道には、血に塗れた足跡がふたつ、白い床に刻まれていた。
□
「という事があった」
「なるほどのう」
廊下の先を歩くナガンは、頭の後ろに両手を抱えながら、そう呟いた。
「しかし、奇妙なものに出くわしたのう。生きてて何よりじゃ」
「変ですね、こっちは敵影どころか、鉄血の人形がいた痕跡すらもなかったのに……」
ナガンの隣を歩く
「なぁー」
「じゃあ、その子もおいて行かないとダメ?」
「んなワケあるか。まだ『ねこ』が何かは分かっていないんだ。拾える可能性は全て拾っておく」
そのために鉄血のデータを持ち帰って来たのだ。そうでなければ、任務の遂行ができなくなる。
果たして、B棟はC棟とは違い、鉄血の人形の気配もなければ、戦闘の痕跡も見つかることは無かった。所々の壁は剥がれ落ち、要所要所に老朽化によって引き起こされた崩壊も確認されているが、それでもC棟のような人為的な破壊が無いだけでマシでもあった。
廊下を曲がった先にある階段へと脚をかけながら、ナガンへと言葉をかける。
「A棟の様子はどうだったんだ?」
「確かにお主らのところと同じ様な襲撃の痕跡はあったが、鉄血の人形は見かけなんだな。襲撃の痕も聴くところによれば、こちらの方が少ないみたいじゃし」
不思議そうに呟くナガンの隣を歩きながら、ふと自分でも考え込む。
A棟とC棟には襲撃した痕跡があり、しかしながらB棟にはそれが見受けられない。その事から考えられるのは、鉄血の進行が何らかの要因によって、B棟の直前までに抑えられたということ。しかもそれが、同時か連続かは知らないが、二方向からの襲撃をそれぞれ迎撃した、ということになる。
ペルシカからの資料は、ここにはただの研究所と書かれており、内部をざっとみても戦闘用の施設などはない。護衛の人形も当然配備されていたはずだが、C棟の痕跡を見れば分かる通り、それくらいの人形であれば今回の鉄血の人形は難なく突破しているはず。
いつの間にか足並みのそろっているナガンは、何か分かっているようにこちらへ目をやって、
「お主は、ここに何がおると思う?」
その問いかけに返す言葉は。
「…………『ねこ』じゃないのか」
それだけ答えた後に、にゃー、という間抜けな鳴き声が、前を行く二人の腕から聞こえてきた。
「猫って初めて見たけど、とってもかわいいね」
「そうなんですか? 前の基地だと、たまに宿舎とかに迷い込むことがあって……何度か、お世話したことあるんです」
どこか寂しそうにC96は語りながら、猫の頭を指先で撫でる。そんな彼女の様子を隣にいるUMP9は穴の空きそうなほどにじっと見つめており、そんな彼女へ苦笑を浮かべながら、C96はUMP9へと口を開いた。
「UMP9ちゃんも抱っこしてみますか?」
「えっ! いいの?」
「もちろん。ほら」
そう差し出された子猫を、UMP9が両手で掴む。すると彼女はきらきらと目を輝かせたまま、両手に持った猫を真上へと思い切り掲げていた。
「にゃっ」
「猫だ、猫! 猫って…………猫って、暖かいんだね!」
猫を掲げてくるくると回りながら、気が付けばもう上の階層へ着いていたらしく、ぼろぼろになった廊下を、UMP9が上機嫌になって歩いていく。そんな彼女を少し遠くに見ながら、俺とナガンは同時に最後の階段へと脚をつけた。
ぜぇ、と同じように、息を吐く。
「指揮官も、ナガンちゃんも大丈夫ですか?」
「問題ない。少し歩き疲れてただけだ」
「なんでここにはエレベーターがないんじゃ……」
たとえエレベーターがあったとしても、各階層を回るから関係ないとは思うが。
そうしてやっとの思いで辿り着いたのは、B棟の最上階のようであった。ここも各階と同じく老朽化が進んでおり、窓の外にはぼろぼろになったA棟とC棟が逆の位置に見えるけれど、それ以外に特筆して気にかかるようなものは見られなかった。
けれど最終確認地点は確かにここで、ここの他の階層には『ねこ』どころか研究資料らしきものも見つからない。
となると、最後に残ったのはこの階層だけなわけで。
「あ、熱源反応」
何気ないように呟いたUMP9の言葉に、ナガンとC96が同時に自らの得物を取り出した。
「廊下の突き当りより、少し前の部屋じゃな」
「一人ですね。武装は……ここからだと分かりません」
「……敵、ではないな?」
確認するように問いかけると、ナガンの首肯が返って来た。
「こうして感知できる故、間違いなくわしらと同じ様な人形じゃ。指揮官を撃つことはないように思える」
「けれど、こんなところに、しかも一人で人形がいる人形だぞ。明らかに只者じゃない。それに……」
奇妙な動きをする鉄血の人形を、思い出す。
「……とにかく、警戒だけは解くな。何があるか分からん」
「りょーかい」
「了解ですっ」
「心得た」
手に握ったARXのトリガーへ指をかけながら、思わずそうぼやく。
該当する部屋は、それなりに大きな空間を持つ場所だった。かろうじて読める看板には神経制御演算という文字が刻まれていて、その閉ざされた扉の向こうには、この建物の中でも特に廃れた研究施設が見える。
「……この中か?」
「そうみたいですね」
「なら行くぞ。まずは俺とC96、その後にUMP9とナガンが援護。いいな?」
三つ指を立てて、ドアを挟んだ向かいへと並ぶ二人へ示す。
呼吸を一つ置いて、指先へ力を込めると、静かに鳴る自らの鼓動の音が感じられた。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ――
「行け!」
どん、と扉が強く開かれる。
中はそれほど暗くはなく、外の曇天から差し込む鈍い光が、ぼんやりと辺りを照らしていた。けれど壁や床は想像以上にぼろぼろに剥がれていて、なにより目が先についたのは、床にいくつも転がっている、鉄血の人形だった。
それからすぐ目を離して、サイト越しに周囲の状況を確認する。
「あっ」
声が漏らしたC96の方に、反射的に体が向けられる。そうして彼女が向けた銃口の先にあったのは、一つの人のかたちだった。
10よりも少し上くらいの身体つきに、けれど無骨な機械へとすげ替えられている、両腕と左足。座り込んでいる床まで伸びた金髪はぼろぼろに汚れていて、その真上には、まるであの時の液晶に映っていた動物のような、三角形の形をした耳が力無く垂れていた。
「…………」
静寂。音の一つもなく、俺とC96の先にある人形は、ゆっくりとその首をこちらへと向けて――
「来ないでっ!!」
耳鳴りのするほどに甲高い声と共に、勢いよくその右腕を俺達へと向けた。
明らかな拒絶であった。掲げられたその手はふるふると怯えるように震えていて、向けられた青と赤の双眸は、恐怖に駆られるようにしてじっとこちらを覗いている。
武装は確認していない。爆発物も持っていないように思えて、ただ今の彼女は、俺達へと敵意を向けているだけの、何もできない人形だといういことが理解できた。
やがて、構えた武器を下ろすのにそう時間はかからなかった。
「安心しろ、敵じゃない」
「…………」
右手をこちらへと構えたまま、少女は黙ってこちらを睨んでいる。
「16LABから派遣された部隊だ。『ねこ』という対象の確保を目的にしている」
「…………」
「そちらからの攻撃さえなければ、こちらも危害を加えるつもりはない。どうか安心してほしい」
「…………」
「そちらが望めば、武器もちゃんと捨てる。敵対する必要はないから」
「…………」
「なあC96、お前からも何か……」
「にゃーっ!!」
は?
「は?」
「に”ゃっ! にゃ、にゃぅ…………! にゃっ! にゃ、にゃっ!」
「C96!? おいC96ッ! どうしたんだ!? 何して……っ、待て! 飛びついてくるな! おいッ!」「にゃーーっ!!」
どすん、と飛び掛かってくるC96に、思わず体が地面へ叩きつけられる。俺の上へ馬乗りになった彼女はそのまま両手を真上に上げたかと思うと、すぐさま俺の顔へとその拳を振り下ろしてきた。
骨の軋む音がして、右腕に痛みが走る。眼前に近づいた彼女の瞳は瞳孔が定まっておらず、ふらふらとした瞳はどこか遠くを見つめているような気がした。
「C96、何があった!? なんでもいいから答えろ!」
「にゃにゃんにゃ、にゃにゃにゃん! にゃんにゃ! にゃにゃにゃにゃんにゃんにゃ!!」
「あーいい悪かった俺が悪かった! そのクソみたいな言葉以外を発してみろ!」
「にゃーにゃーにゃーにゃっ!」
今度は殴るではなく体へぎちりと密着したまま、頬をずりずりと擦り付けてくる。そんな猫を模倣した行動は人形の運動能力のうえで行われていて、それから簡単に抜け出す事はできなかった。
そうやってじたばたとしている音を聴きつけたのか、外で待機していた二人が、ドアを蹴破って部屋の内部へと入ってくる。
「指揮官!? C96ちゃ……ん……?」
「何をしとるんじゃ貴様等はァ!」
「俺にも分からんわ! とにかくあの人形だ! それさえ確保できたら全部解決する!」
もみくちゃになりながらなんとか向こうの方へと指を差すと、視界の先に、金色の髪が揺れて部屋から消えていくのが見えた。それでも視界はすぐさま体の上のC96へと引き戻されて、また謎の言語が耳へと流れてくる。
「にゃっ! にゃ、にゃんにゃにゃんにゃ!」
「お、おおう、お主もC96も大丈夫なのか!? それに人形って……今のか?」
「ああそうだ! こいつは俺の方で何とかする! いいからお前らはあの人形をなんとしてでも確保しろ! おそらくアレが『ねこ』だ、絶対に逃がすんじゃないぞ!」
「りょ、了解っ!」
弾かれるようにナガンとUMP9が部屋を出てゆき、足音がだんだんと遠のいていく。
「にゃにゃんにゃにゃにゃにゃ!」
「…………何なんだよ、これ……!」
絞り出すように呟いた言葉も、間抜けた鳴き声の中に掠れて消えていった。
□
祝ARX-160日本版実装
このままLynxも実装して♡
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