ソードアート・オンライン ~逆位置の死神~ (静波)
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Prologue
第一幕・ゲームとして


どうも初めまして、静波と申します。
前々から書きたい書きたいと思ってはいたものの、なかなか書く機会もなく、また書いては見たものの出す場がなかったので埋もれていたのですが、今回、この場にて、ださせていただきました。
更新速度は非常に遅いと思いますが、お付き合いいただければ幸いですm(_ _)m




 

 

「だから! 何度言えば分るんだ! 外からの解決があるにせよ! 無いにせよ! 待ってるだけじゃ何もできなくなる! ヤバい奴らにも対抗できない!」

「でもっ……! 街から出たりすれば死んじゃうかもしれないんだよ?!」

 

 宿屋で確保した一室で。

 

「だからっ! β経験のある俺が指導するし、守ってやるって言ってんだろ!」

 

 私の親友が、彼の恋人を一生懸命に諭している。

 だが、彼女はなかなか現状を受け入れられないでいるようだ。

 

「でも……でも……ぅ……っ」

 

 そしてそれは当然の反応だといえる。

 突然こんな状況に放り込まれては、私や彼のように受け入れられる方が異常なのだ。

 

「とにかく! すぐこの《はじまりの街》を出て、隣の村に移動するぞ! 俺のβの知り合いは、もう昨日のうちにこの街を出てる! 今からでも遅い位だ!」

「……何か、準備などは?」

「必要ない。このままでも充分安全に行ける」

 

 私の問いかけには短く答え、彼はすぐに彼女の説得を続ける。

 

「なぁ、頼むよルイ。俺がお前を守るから。とにかく今は、俺を信じて一緒に来てくれよ、頼むから!」

 

 私の親友マーチは、恋人のルイさんを説得するためだけに、ここに留まっている。

 彼女が居なければ、間違いなく、あのチュートリアルが終わった段階でこの街を飛び出していただろう。

 

「で……でもぉ……怖いんだもん……ぅ……ぅぅ……」

 

 ルイさんはまた泣き始めていた。

 先ほどようやく話ができる程度に泣き止んだばかりなのに。

 

(……これでは話が進まない……どうするんだ、マーチ)

 

 不安に思いながらマーチを見やると、彼はもう説得をあきらめていた。

 

「あ~もう! わかった! 引っ張ってでも連れて行く!」

 

 言うが早いか、マーチはルイさんの手を取り引っ張るように歩き始めた。

 

「え、ちょっとマーチ、それはハラスメントになるんじゃ」

「ルイがハラスメント認証しなけりゃ平気だよ! されるはずがないだろ!」

「……それはまぁ……確かに……」

 

 それに、犯罪防止コードも発生していない。これはつまり、ルイさんにもマーチに引っ張られることを拒絶する意思がないことを示すことでもある。

 

「急ぐぞ。β経験者ならもう隣の村に殺到していてもおかしくない。早いやつならそこを抜けて、さらに先の拠点に行っている可能性すらある」

 

 こうして、マーチに連れられてルイさんもようやく《はじまりの街》から出るに至った。

 

(……ふぅ……昨日、基礎的な手ほどきをマーチから受けていたのは正解でしたね……それに……彼らに先んじてログインしていたことも、多少の差ではあっても良かった……)

 

 

 

 

 

 あの、忌まわしいチュートリアルよりも少し前のこと。

 

 私がこのVRMMORPG《ソードアート・オンライン》にログインしたのは、正式サービス開始時刻とほぼ同時だった。

 本当はマーチやルイさんと時間を合わせて始めるという話だったけれど、ゲーマーの端くれとしては、βに当選できなかった分を少しでも早くログインすることで埋めたかったというのがその時の心境で、待ち合わせの時間までの30分すら待てなかったのだ。

 

 β経験者のマーチが、サービス開始時刻と同時にログインできないのは、恋人のルイさんとの外出予定があったからだが、そこは二人とも重度のゲーマーである。30分以内には入るという連絡がメールで届いていた。

 

 βのデータを持ち越しできるわけではないので、ゲーム開始直後のステータス的な差は無いということになるが、最大の差は情報と知識と経験であることを私は知っている。

 

 街のショップの場所や品揃え、周辺地域の地理や敵の攻撃方法及び弱点、こなすことで有利になれるクエストの情報などなど、数えだせばきりがない。

 

 だから私は少しでも早くログインして、1つの経験をしておくことにしたのだ。

 

 それが、このSAOの最大の特徴である《戦闘》である。

 

 MMORPG系にしては珍しい、魔法という概念の排除されたこの世界では、プレイヤーは皆、武器ひとつで敵と戦うことになる。

 その戦闘にはクセがあり、慣れるのにちょっとコツがいるとマーチが言っていたのだ。

 

 ならば、習うより慣れる。

 ログイン後、私はすぐに街から出て、始まりの草原でイノシシ型のモンスター相手に戦闘をしていた。

 

 なるほど確かに、このSAO独特の《剣技(ソードスキル)》の発動にはちょっとしたコツが必要だったが、1~2度やってみると、想像以上に体になじむ感じがした。

 それに。

 

(直接戦っているという感じが、たまらなく気持ちいい……)

 

 ソロで試行錯誤しながらイノシシとの戦闘を3度ほど終えた頃には、マーチとルイさんがログインしてくる時間となり、私は街へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

「マーチィ? どこですかー?」

 

 《はじまりの街》に戻り、あらかじめ合流場所として決めてあった《黒鉄宮》と呼ばれる建物の前へ辿り着いた私は、少々憚られながらも大声を上げて、友人がβ時に使用していたというプレイヤー名を呼んだ。

建物前の広場は多くのプレイヤーで賑わっていて、外見が分からない友人と合流するには、声を上げるくらいしか思いつかなかった。

 

「よぉ、こっちこっち!」

 

 私の呼びかけに応えた友人の声を頼りに視線を巡らせると、そこには手を大きく振っている男女のペアがいた。

 友人の《マーチ》と、その恋人の《ルイ》さんだった。

 マーチのキャラは、黒いバンダナをした銀髪に、切れ長の碧眼を持った、少し筋肉質な長身の男性キャラ。

 ルイさんは、長めのオレンジがかった金髪をオールバック気味流して、ぱっちりとした碧眼の女性キャラで、マーチより頭2つほど低い身長だった。

 

「ごめんなさい、待たせましたね」

 

 合流するや否や、マーチからパーティーに誘われ、私はすぐにパーティーに合流した。

 

 私のキャラはというと、黒髪で黒目、マーチと大差ない体格をした柔和な顔の男性キャラだ。

 

「気にすんな。こっちこそ待たせたな《セイド》。オンラインネームはやっぱ変えないのな」

「まぁ、他のゲームでの慣れもありますからね。お2人も《マーチ》と《ルイ》じゃないですか」

「私は変えてもいいって言ったんだけど~、マーチんは変えたくないって~」

「やっぱ慣れてるし、愛着ってのもあるからなぁ。それと俺はβの知り合いもいる分、変えない方が何かと便利なんだよ」

 

 2人のやり取りを眺めていた私は、思わず笑みを溢しつつ短くため息を吐いてしまった。

 まったく、相変わらず仲のいい2人だ。

 

「ってか、それよりセイド、もういろいろ見て回ったのか?」

「いえ、街はほとんど回っていません。すぐに外で戦闘を始めたので」

「そっか。んじゃ、とりあえずルイも外で戦闘になれるところから始めるとするかね」

「え~! 私、街を見て回りたいって言ったじゃん!」

「街は逃げねぇよ。でも、外のモンスターは、この人数のプレイヤーが一斉に狩りはじめたら取り合いになっちまう。近場で練習できなくなると、ますます街を見て回るのが難しくなるぞ?」

「むぅぅ……しょうがないなぁ……」

 

 というようなやり取りを繰り広げ、私達3人はパーティーを組んでイノシシ狩りへと出向いた。

 マーチは初期武器に片手用曲刀を選択し、ルイさんは両手用棍棒を選択していた。

 

 マーチのレクチャーは的確かつ分かりやすく、またルイさんも持ち前の適応力ですぐに《剣技》に慣れた。

 合流後1時間ほどで戦闘に関するレクチャーも一通り聞き終わり、後は少し連携を練習しようということになった。

 

「しっかし……セイド、お前そのスキルで良かったのかよ?」

「え? 何か問題ありましたか?」

「う~ん……セイちゃん、やっぱり変わってるよね~、こんなに武器がいっぱいある世界で武器を選ばないとかさ~」

 

 2人が苦笑しながら言ってきたのは、私のスキル構成のことだった。

 ゲームを始めてすぐの段階では、選べるスキルスロットはたった2つで、そのうちの1つは攻撃系にするのが基本。

 攻撃系スキルを入れないと《剣技》を使えないし、《剣技》なしではモンスターは非常に狩り辛いからだ。

 

 しかし、私はそこで、あえて攻撃系スキルを選ばないという道を選んだ。

 代わりに入れたのは、日常系に分類される、あるスキルだ。

 

 確かに、はじめは《剣技》を体験するために《短剣》を使っていたのだが、1番使ってみたかった《体術》が、初期スキルにはなかったのだ。

 

「体を動かす感覚で攻撃できるんですから、これが1番しっくりくると思ったんですよ」

「間違っちゃいないとは思うがなぁ……」

「リアルと同じって、つまんなくな~い?」

 

 現実世界の私を知っている2人は、当然の疑問を口にしたが。

 

「いえいえ、これが癖になりそうな快感ですよ。現実では、これほどに殴れませんからね」

「……いや……あぶねーし……こえーぞ、そのセリフ……」

「だれも現実で殴る蹴るをしたいなんて言ってませんよ」

「言ってなくてもそう聞こえるんだってば~。見ず知らずの人には言わないようにしてよね~、セイちゃん」

 

 そう言いあいながら、私たちは笑顔も絶えずに狩りを続けていく。

 この時はまだ、このSAOの恐ろしさを、何1つ知らなかった。

 

 

 




自分で見直しただけでも、誤字・脱字・ルビミス等が見当たりました。
お気づきになりましたら、ご一報いただけると助かります(;一_一)

Lazy様より矛盾点のご指摘を頂きましたので、一部修正いたしました。
他にも何かございましたら、ご指摘くださいm(_ _)m


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第二幕・ゲームの終わりと始まり

 

 連携もある程度練習でき、更に1時間が経った頃には、もうすぐレベルアップできるというところまで3人とも来ていた。

 

 マーチやルイさんに比べると、わずかに私が先んじていたはずの経験値だったが、経験値獲得量は敵に与えたダメージ量に比例するシステムのため、全体的な攻撃力の低い攻撃スキルのない私は、すぐに2人に追いつかれ、おそらくすでに越されているだろう。

 

「でも~、ほんと綺麗な夕焼けだねぇ」

 

 気が付けば2時間もの間、休みなしに狩り続けていたこともあり、私たちは一休みすることにし、夕焼けの綺麗な草原の中腹に腰を下ろしていた。

 

「だろ? この世界に来なかったら、こんなVRゲーム他になかったもんな」

「だねぇ。他のはまだ、ぜ~んぜんナーヴギアの本領を活かせてないようなのばっかりだったもんね~。や~、ちょっと無理してでもナーヴギア買っといてよかったって、やっと思えたよ~」

「確かに、ここがゲームの世界だなんて、信じがたいほどに美しい世界ですよね」

 

 現実には存在しえない美しさ故に、ここがVRだとは思えるのだが、リアリティがありすぎて現実が貧相に感じられる……といったら言い過ぎだろうか。

 

「そうそう、戦闘ばっかで忘れてたが、2つ目のスキルスロット、お前らどうするよ?」

 

 マーチが唐突に、しかし目を輝かせながら聞いてきた。

 

「どうする、とは?」

「こんだけスキルが膨大にあるんだ。何を選ぶか迷うだろ? 戦闘メインなら《索敵》や《隠蔽》なんてのもあるが、生産系・日常系のスキルも多いだろ。スキルに悩むのもSAOの醍醐味だと思うんだよ!」

「アハハ、マーチん、鼻息荒いってば~。マーチんはどーするの~?」

「俺はまだ決めてねぇ。だから聞いた」

「って、それはズルくないですか?」

 そんな話から、2つ目のスキルについてあーでもないこーでもない、それはどうなんだなどなど、とりとめのない話を続けていた時。

 

 ──リンゴーン、リンゴーン――

 

 突然、巨大な鐘の音が響き渡り、私達3人は一斉に立ち上がった。

 

「な、なん……ですか?」

「びっくりしたぁ~、なにこれ、何の音? マーチん?」

「いや、俺も初めて聞いた。なんだこれ」

 

 と、私達が口にした直後、3人の体が、鮮やかなブルーの光に包まれた。

 その青い光の膜の向こうで、草原の風景がみるみる薄れ、次の瞬間、体を包んだ光が一際強く輝き、私の視界を奪った。

 

 思わず目を瞑り、数瞬の後に目を開いた時には、全く別の風景が広がっていた。

 

 広大な石畳に、瀟洒(しょうしゃ)な中世風の街並み。そして奥に見えるのは黒光りする宮殿。

 

「ここは……スタート地点の……」

「あぁ、間違いない。《はじまりの街》だ」

 

 その声に気が付いて隣を見やると、マーチとルイさんが寄り添うように立っていた。

 

「びっくりしたぁ~」

 

 ルイさんは思わず掴んでいたマーチの腕を恥ずかしそうに離した。

 

「先ほどの光は、もしや」

「βでも何度も世話になった《転移》のエフェクトだ。だが、なぜ突然……それに何のアナウンスもなしに……」

「しかも……これはおそらく……」

 

 言いながら私たちは周囲を見やる。

 私達だけではなく、おそらくSAOにログインしていた全てのプレイヤーがここに転移させられてきたのだろう。

 スタート地点となる《はじまりの街》の中央広場は人で埋め尽くされていた。

 

「……それに……どうやらこの広場からは出られないみたいですね……」

 

 私たちが転移させられてきたのは広場の外周だった。

 私の位置から2歩も進めば外に出られる位置──しかし、それを試みて、見えない壁に阻まれた。

 

 一体何があったというのだろうか。

 プレイヤー全員をここに転移させるなどということは、間違いなく運営側の仕業だろうが、しかし何故、という疑問が残る。

 

「……なぁ……さっき周りの奴らが言ってたんだが……『これでログアウトできるのか?』って、どういう意味だと思う?」

「えっ?」

 

 マーチが聞いたその言葉を、ルイさんは呆然と聞き、私は聞いてすぐ、メインメニュー画面を呼び出した。

 

「……な、ない……ログアウトボタンが無い……」

「えぇええ?! うそぉぉ?!」

 

 ルイさんも、慌てて確認し、マーチも急ぎ確認する。

 

「ない……な……確かに無い……そうか、それでみんな騒いでんのか……」

「ちょっと……これ、もしかしてログアウト方法が無いんじゃ……」

「……俺の知る限り、無いな……ログアウトにはメニュー操作以外の方法は……緊急切断方法もマニュアルにも載ってなかったはずだ……」

「ちょ、ちょっと困るよそれは~! 洗濯物も干しっぱなしなのに~!」

「……あ~……うん、そうだけど……今ここでそれを心配しなくてもいいんじゃないか?」

「マーチんはノータッチかもだけど! 洗濯したりするの、私なんだからね~!」

「はい……すんません……」

 

 ログアウト不可という状況でも、2人の夫婦漫才は健在だった。

 

「あっ……上を見ろ!!」

 

 誰かがそう言ったのが聞こえた。

 その声に、反射的に上を見ると、そこには奇妙なものがあった。

 

 上空――といっても、上には第2層の底があるわけだが、その底を真紅の市松模様が埋め尽くしていく。

 

 模様には【Warning】【System Announcement】という単語が交互に表示されていた。

 

「システムアナウンス……この事態の説明がされるってところか」

 

 マーチの言葉に、ルイさんが肩の力を抜いたのが見えた。

 

 しかし、私はそう楽観視できなかった。

 続いた現象が、私の勘が間違っていなかったことを証明した。

 上空を染め上げた真紅の市松模様の間から、大量の血液を連想させる真っ赤な液体が、ドロリと垂れ下がってきたからだ。

 

 雫は高い粘度を感じさせるゆったりした動きで垂れてきて、しかし落下せず、空中でまとまると、徐々にその形を変えていった。

 そこに現れたのは、身長にすれば20メートルを超すのではないかと思える、真紅のフード付きローブをまとった巨人の姿だった。

 しかし、その巨人は、私たちを見下ろしているにもかかわらず、その顔が見えなかった。

 

 ──顔が、なかったのだ。

 

 フードの下には空洞があるだけで、人の顔は無く、よく見れば、ローブの隙間に人の体は存在していない。

 まるでローブの幽霊──そんなものがゲームマスター、GMだと、私は思いたくなかった。

 

「GMのローブ……でも、なんで顔も体もねーんだよ……」

「怖いよ、マーチん……」

 

 マーチの言葉で、あれがGMの衣装だということは確認できた。

 だが、それがさらに言い知れぬ不安を煽った。

 

 他のプレイヤーたちも同様だったのだろう、不安や疑問の言葉を口にせずにはいられずに、ざわめきが沸き起こる。

 と、それらの声を抑えるかのように、不意に巨大なローブが動いた。

 右手と左手を掲げるように、1万近いプレイヤーの頭上で広げ。

 

 

『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』

 

 

 という、低くて落ち着いた男の声が降り注いだ。

 

 『私の世界』とあのローブは言った。

 確かにあれがGMであるのならそう言っても過言ではないのだろうが……。

 そして、私は今のローブの声に聞き覚えがあった。

 それが誰だったのか思い出す前に、答えがもたらされる。

 

 

『私の名前は茅場(かやば)晶彦(あきひこ)。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』

 

 

「か……茅場……」

 

 そうだ、この声は。

 茅場晶彦──若き天才ゲームデザイナーにして量子物理学者であり、SAO開発ディレクターであるとともに、ナーヴギアの基礎設計者。

 

 おそらくこの場にいる誰もが知っている名前だった。

 そして、私にとっては、人生を変えたと言っても過言ではない男だ。

 

 しかし、そこで私は疑問を抱いた。

 先ほどの声は間違いなく茅場晶彦本人だったと思えるが、彼はこれまで、裏方に徹し、表に出てくることは非常に少なかった。もちろんGMなんていう役回りもしたことは無いはずなのだが。

 

 私の考えがまとまるよりも早く、顔のないフードから言葉が発せられる。

 

『プレイヤー諸君は、すでにメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気付いていると思う。しかし、これはゲームの不具合ではない。繰り返す。これは不具合ではなく、《ソードアート・オンライン》本来の仕様である』

 

「仕様……ばかな……」

 

 マーチが、いや、大勢のプレイヤーが掠れた声で呟いたのが広場に響いた。

 

『諸君は自発的にログアウトすることはできない。また、外部の人間の手による、ナーヴギアの停止あるいは解除もあり得ない。もしそれが試みられた場合、ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる』

 

 ──は?!

 今、茅場は何を言った?

 マイクロウェーブで脳を破壊?

 

「え……え? 何……どういうこと?」

 

 あまりのことに、ルイさんはすぐには理解できず、マーチも言葉を失っている。

 だが、そんなことが本当に可能なのか?

 

『残念ながら現時点で、プレイヤーの家族友人等が警告を無視し、ナーヴギアを強制的に解除しようと試みた例が少なからずあり、その結果、213名のプレイヤーが、アインクラッド及び現実世界からも永久退場している』

 

 冗談……などではなく……本当の話だというのだろうか?

 

「ばかな……そんなことができるような機能がナーヴギアにあるなんて考えられるか! ただのゲーム機械だぞ!」

「いや、マーチ、ナーヴギアの原理的にはあり得なくない……それに大容量のバッテリーも内蔵されている……不可能じゃない……」

「でも信じられるわけがねぇだろ! 実際に誰か死んだところを見たわけじゃ──」

 

 マーチのその言葉を裏付けるかのごとく。

 私たちの『これはイベントだ』というわずかな望みをあざ笑うかのように。

 茅場は事務的に言葉を続けた。

 

『ご覧の通り、多数の死者が出たことを含め、この状況をあらゆるメディアが繰り返し報道している。よって、すでにナーヴギアが強制的に解除される危険は低くなっていると言ってよかろう。諸君らは、安心してゲーム攻略に励んでほしい』

 

 茅場の周りには、実際に報道されているであろう映像がいくつもいくつも浮かび上がった。

 そこには、紛れもなく死者が出たことを告げる報道が繰り返されていた。

 

「そ……んな……バカな……」

「い……い……ゃ……ぃゃぁ……」

 

 ルイさんは顔を青ざめさせ、マーチにしがみ付いて居なければ立ってすらいられない様子だった。

 

『しかし、充分に留意してもらいたい。今後、ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君らのアバターは永久に消滅し、同時に』

 

 

『諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される』

 

 

 この時、私は、間違いなく呼吸ができていなかっただろう。

 MMORPGというのは、何度も何度も勝ったり負けたり──直接的に言えば、何度も死んで、復活してを繰り返すことで成長していくゲームだ。

 

 なのに、それは不可能だと茅場は言いきった。

 

 1度死ねば、それが本当の死……。

 命を懸けた、デスゲーム。

 そんな状況でゲーム攻略に励め?

 あり得ない……誰も街の外に出ないに決まっている。

 そんなプレイヤー共通の認識を嘲笑うかのように、茅場はアナウンスを続ける。

 

『諸君らが解放される条件はただ一つ。このゲームをクリアすればよい。現在、君たちが居るのはアインクラッドの最下層、第1層である。各フロアの迷宮区を攻略しフロアボスを倒せば上の階に進める。第100層にいる最終ボスを倒せばクリアだ』

 

 クリア……100層?

 

「マ、マーチ……βの時はどこまで進めたんですか?」

「2ヶ月で……6層……」

「なっ!」

 

 それだけ……たったそれだけ……?

 

「βテスターは千人……今、その10倍の人数が居るとしても……単純計算で100層までクリアするのにどれだけかかるか……」

 

 いや、そんなに単純じゃない。

 自分で呟いておきながら自分でその考えを否定する。

 プレイヤーの数は、茅場の言葉が事実なら……この先、間違いなく減っていく……恐ろしいことだが、私はそのことを冷静に受け入れて考えていた。

 私たちが茅場の言葉の真偽を疑い、判断に迷っているのを意にも解さぬように、茅場の声はなおも降り注ぐ。

 

『それでは最後に。諸君のアイテムストレージに私からのプレゼントが用意してある。確認してくれたまえ』

 

 その言葉に、私は──いや、ほとんどのプレイヤーが反射的に、アイテムメニューを開いていた。

 そこにあったのは《手鏡》という、見知らぬアイテム名。

 

 なんだというのだろう、このアイテムが。

 訝しみながら、手鏡を選択。

 たちまち手の中に小さな四角い鏡が出現した。

 

 そこに映るのは、私が作ったアバターの顔だけ。他に変わったところは無い。

 マーチやルイさんも、同様に鏡をのぞいていた。

 

 ──と。

 

 突然マーチやルイさん、周囲にいた人たちのアバターが白い光に包まれた。

 いや、私自身もその例外ではなく、視界がホワイトアウトした。

 ほんの2~3秒で光は消え、元の広場の風景が……。

 

 いや、風景は変わっていなかったが、大きく変化していたところがある。

 アバターだ。

 目の前にいたマーチとルイさんのアバターは、見慣れた2人の姿に変化していた。

 

「マ、マーチ? ルイさん?」

 

 マーチもルイさんも、髪の色・形こそ変わっていないが、顔や背丈、体格が違っていた。

 マーチもルイさんも、現実よりもアバターの方が背を高く作っていた。

 

 特にマーチは随分高めにキャラメイクしていた。

 それが今は、ルイさんより頭1つ高い程度に落ちている。

 男性の身長としては低めで、彼が最も気にしているところだ。

 

 ルイさんも、先ほどまでのアバターは大人びた印象を受けたが、今は、現実と同じく、実年齢よりはるかに下に見られる可愛らしい童顔になっていた。

 

「セ……セイド……? マジかよ、なんでリアルの顔になってんだよ?!」

「か……顔だけじゃないよ……セイちゃんもマーチんも……身長も体格も、リアルになってる……」

「げぇえ!!」

 

 まさか、リアルの顔や体格を、アバターに反映した?!

 

「なんでこんなことできるんだよ!!」

「……顔は……ナーヴギアが覆っているから、スキャンできないことは無いでしょうけど……体格は……」

「……ある……体格のデータもあるぜ……ナーヴギアの初期セットアップで、キャリブレーションってことで、体のあちこちを触らされてる……」

「ありましたね……体表面感覚の再現作業……確かにそのデータがあれば、これだけの再現率でアバターに反映できる……」

「でも……なんで?! なんでわざわざこんなことまでするの?! わけわかんないよ!!」

 

 ルイさんの叫びは、もっともだった。

 

「……この世界も現実だと……認識させるため……おそらくそれが、わざわざアバターにリアルを反映させた理由でしょうか……」

「いや、それもだが……なんで茅場はこんなことを……!」

「それは……」

 

 私が応えに窮していると、上空の茅場からその答えがもたらされた。

 

『諸君は今、何故、と思っているだろう。何故SAO及びナーヴギア開発者の茅場晶彦はこんなことをしたのか、と。私の目的はすでに達せられている。この世界を創り出し、観賞するためにのみ、私はSAOを造った』

 

 その茅場の言葉を聞いて、私は唖然とした。

 それでは、茅場の目的は──

 

『そして今、全ては達成せしめられた』

 

 この状況を作り出すことだけだった……ということになる……。

 

『以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の健闘を祈る』

 

 その言葉を最後に、巨大なGMのローブも、煙のように空を埋めるシステムメッセージに溶け込むように同化して──第2層の底に張り巡らされていたメッセージも、消滅した。

 すると、周囲に市街地のBGMが戻り、《はじまりの街》の中央広場は、本来の姿を取り戻した。

 

 そしてこの時点に至って、1万近いプレイヤーが、一斉に然るべき反応を見せた。

 

「嘘だろ……なんだよこれ、嘘だろ!」「ふざけるなよ! 出せ! ここから出せよ!」「こんなの困る! このあと約束があるのよ!」「嫌ああ! 帰して! 帰してよおおお!」

 

 圧倒的なボリュームで放たれる多重の音声──悲鳴、怒号、絶叫、罵声、懇願、そして咆哮。それらが1万人のプレイヤーたちから放たれ、広場の空気をビリビリと振動させたように感じた。

 

「ありえねぇ……あり得ねぇだろこんなの! 茅場ぁ! でてこいよおおお!」

 

 マーチも、耐え切れず罵声を吐き出し、しかしその横で。

 

「いゃぁ……いやああ……嫌ああああ! 帰りたい! 嘘だって言ってえええ!」

 

 悲鳴と絶叫を上げ、頭を抱えながら、ルイさんが泣き崩れた。

 

「マーチ! すぐにここを離れましょう! 私はどこかの宿屋に部屋を取ってきます!」

「あぁ?! テメ! 何言ってやが──」

「今! ルイさんをここに置いておくのは危険です! 彼女のことを考えるなら、すぐに離れた方がいい!」

 

 私はマーチの言葉を遮って、言い切る。

 

「マーチ! ここで叫んでいても変わらない! まず落ち着くべきだ! 違うか!!」

「っ! あ……あぁ、そうだな……すまん……」

「マーチはルイさんをお願いします。私は部屋の確保に。すぐメッセージを飛ばします」

 

 私とマーチは、あまりの事態に恐慌状態に陥ったルイさんを抱きかかえ、すぐに広場を離れた。

 他の人も助けるなどという余裕は、私にもありはしなかった。

 

 

 



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第三幕・混乱覚めやらぬ黄昏

 

 

 広場から相応に離れた場所に確保した宿屋の一室。

 私とマーチは、そこにルイさんを運び入れた。

 

 ベッドに寝かせたルイさんが、眠ったのを確認して、私とマーチも、やっと椅子に座り、揃ってため息を吐いた。

 

「何とか、落ち着いてくれたみたいで、良かったですね……」

「……あぁ……しかし……ルイの取り乱し様も、分からんじゃない……」

「それはそうでしょう……私達だって、冷静だったとは言えませんよ」

 

 改めてマーチが言ったことを私も肯定する。

 

「まぁ、俺はお前が冷静じゃなかったとは思えないが。少なくとも、お前が落ち着いていてくれたおかげで、俺はルイをここに連れてこられた。サンキューな」

「いや、何も礼を言われるようなことは……」

 

 私のその言葉に、マーチは首を横に振る。

 

「お前があの時、すぐに広場から連れ出してくれなかったら、もっと酷いことになっていたさ。広場にいた人間のほとんどが、恐慌状態に陥っていただろうし……な……」

 

 確かに皆、取り乱していた。

 しかし、その中でもルイさんの泣き喚きぶりは目立っていたように感じる。

 身内びいきなのかもしれないが。

 

「……恐怖は、伝播し、連鎖しますからね……あの場から離れるだけでも、冷静さを取り戻すには必要なのではないかと」

 

 ルイさんにとっても、周りの人たちにとっても、だ。

 

「宿の確保も素早かったな。ほんとに助かったよ」

「広場から離れた位置を探したので、少し手間取りましたけどね……」

 

 中央広場から延びる大通りから1本逸れ、裏道に入ったところにある宿屋を探すというのは、あらかじめ街を見ておくべきだったと、少し後悔したものだ。

 

「とはいえ、無数にあるはずの宿屋のうち、目についたところで適当にとってしまった部屋ですから、金額は度外視です。長期滞在は無理でしょうね……」

 

 裏道にある割には、この宿屋は質が高かった。無論、それだけ価格も高くなる。

 

「いいさ。明日にはこの街を出るつもりでいるからな」

「街を……でる?」

 

 マーチの言葉に、私は疑問を返した。

 

「ああ。ここに来る途中で、何人か外に向かう奴らを見た。たぶんだが、β経験者だろう」

「何故……いや、そうでしょうね。おそらく経験者の考えからすれば……」

「MMOで供給されるリソースは決まった量だ。この人数で、この街周辺に居続けるには、リソースの奪い合いは避けれねぇ。そうなればどうしても生きるのに窮することになる」

「だから、先にここから離れ、拠点を移すことで奪い合いを少しでも避け、同時に、効率よく自己強化して生き残る術を身に付ける、ということですよね」

 

 私の言葉に、マーチは深く頷いた。

 

 デスゲームと化したとはいえ、ゲームであることには変わりない。

 茅場の言葉を借りるなら、『ゲームであっても遊びではない』といったところか。

 

 理由や方法はどうであれ、この世界で生き残るつもりなら、力──《レベル》を上げるしかない。

 

「生産職を選択しても、レベルは上げられるんですよね?」

「ああ、生産によって経験値が入るからな。スキルを上昇させる行動=経験値だと理解していい。だから、街から出ず、生産を繰り返すのも有りといえば有りだが……」

「現状では望めない……素材も資金もなくては、生産も何もありませんからね……」

「そういうことだ。だからどうしても生きるつもりなら外に出るしかねぇ」

 

 そう言ったマーチは、テーブルに両肘をつき、俯いて深いため息を吐いた。

 

 私は立ち上がり、少し窓を開けた。

 広場から離れた場所の宿屋に部屋をとったというのに、外の喧騒がまだ聞こえてくる。

 

 今日明日──いや、1~2週間はまだ、落ち着かないかもしれない。

 

「なぁ、セイド」

 

 呼ばれて振り返るも、マーチは私を見てはいなかった。

 その視線は、眠りながらも涙を流しているルイさんに向いている。

 

「お前は、どうするのがいいと思う? 俺は正直、どんな選択をしても、それが本当に正解だという自信は持てない……」

「……そう……ですね……」

 

 私は少し考えて、自分の考えを口にする。

 

「……私だって、今、ここに宿を取ったことが正しいという自信もありませんよ。もしかすると、広場近くに宿を取った方が、多くの人と情報のやり取りができたかもしれません。宿など取らず、広場に残っていた方が、解決策が見つかったかもしれません」

「いや、でもそれは――」

 

 マーチが此方に振り返りながら何かを言おうとするが、私はそれを遮って言葉を続ける。

 

「しかしそれでは、ルイさんはますますパニックになっていたかもしれない。そんなことを考えていたら、何が正しいのかなんて、言えないでしょう?」

 

 マーチはうなずいた。

 

「でも、自分が正しいと信じて行動を起こすことに、間違いはないと思います。結果は分かりませんけどね……必要なのは、結果ではなく、行動だと、今は思ってますよ」

 

 そこまで一気に言って、私は1つ深く呼吸する。

 

「それと、後は、自分が何を基準として貫くかじゃないでしょうか」

「何を、貫くか……?」

「私がここに宿を取ったのは、私のためであり、マーチのためであり、ルイさんのためです。あの瞬間の私には、私たちが腰を据えて落ち着ける場所を確保することが何より重要でした」

「……その判断基準は、つまり、俺たちの安全の確保ってことか?」

「はい。ですから、マーチが私たちの安全の確保のために街を出るという判断をしたことに、私は反対しません。ルイさんには、酷かもしれませんが、ここに留まっても、事態が悪化することはあっても、好転することは無いでしょうからね」

「……ルイには……やっぱり酷かな……」

 

 マーチは再びルイさんに視線を移す。

 

「マーチ、気持ちはわかります。でも、だからこそ、ルイさんのために貴方が貫くことは決まっているでしょう」

 

 マーチは深く静かにゆっくりと息を吐いた。

 

「俺は、ルイを守る。それが俺にとって最優先事項で、判断基準だよな」

「違いましたか?」

 

 私に背を向けたまま、マーチがふと、笑ったような気がした。

 

「いいや、違いない。ルイをSAOに誘ったのも俺だしな。彼氏としても、責任は果たすつもりだぜ?」

 

 そう言って振り向いたマーチの顔には、いつもの明るさが、少しではあるが戻っていたように思う。

 

「それでこそ、私の親友です」

「……すまんな、気弱になってた。ありがとよ、セイド」

「いいえ、こちらこそ」

 

 なんとはなしに、私とマーチは握手していた。

 

「ふふ、妙なものですね。握手とか、気恥ずかしくて普段は出来もしませんけど」

「だなぁ。まぁ、異常事態だし、良いんじゃね?」

 

 互いに笑いあい、手を放す。

 

「さってと……んじゃ、とりあえず休むとするか。せっかくお前が取ってくれた宿だし。明日からはもっと厳しいことになるはずだし、な」

「えぇ、そうしましょう。では、私はこちらのベッドを使わせてもらいますね。マーチはルイさんの隣で」

「おう、んじゃ、とりあえず、明日は日の出には起きるってことで」

「はい。おやすみなさい」

「おやすみ。お疲れ」

 

 短くそれだけ言うと、マーチはルイさんの隣のベッドに潜りこむ。

 

 私はそれを確認して、部屋の窓を閉め、明かりを消した。

 

 



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第四幕・覚めない夢

Lazy様よりご指摘がありましたので、一部修正・変更いたしました。
また何か、矛盾点などありましたら感想等でお教え下さると助かりますm(_ _)m



 

 

「フッ!」

 

 私は、ひたすら殴る蹴るを繰り返してイノシシ型モンスターにダメージを与え続け、最後は呼気と共に放った蹴りでモンスターを粉砕した。

 それと同時に、レベルアップのファンファーレが鳴る。

 周囲にいた同目的のプレイヤーから、まばらではあるが『おめでとう』という言葉がかけられる。

 私はそれに軽く会釈を返しておく。

 

 マーチが寝た後、私もすぐに眠ったが、マーチが言った日の出に起きるという設定ではなく、睡眠の2時間後にアラームによって起こされるようにセットしていた。

 睡眠時間は短くなってしまうが、今はそれどころではない。

 少しでも経験値を、素材を、資金を──この世界では《コル》という──稼いでおくべきだと判断したからだ。

 

 そしてその判断は、間違っていなかったと思う。

 昨日マーチが言っていたように、すでに《はじまりの街》周辺の敵は、少なくないプレイヤーによって狩られ、リポップ待ちという状況が生まれつつある。

 まだ日も昇っていないというのに。

 

(やはり、この街に留まるのは避けるべきですね……)

 

 混乱冷めやらぬ今日ですらこれだ。

 日が経てば間違いなく獲物に窮することになる。

 

(こうなると……2つ目のスキルは《これ》にしておいて正解だったと思えます……)

 

 狩りを続け、少しではあるがスキルも成長する。

 

 実はマーチにも言っていないが、私は最初の狩りの時からすでに2つのスキルを埋めてあった。

 

 私が2つ目に選んだのは《索敵》だった。

 本当は他のスキルも良いかなぁと思ったのだが、攻撃方法をスキルに頼らない格闘術に絞った時、複数のモンスターを相手取るのは、難しいと判断した。

 

 となれば、敵の位置や周囲の状況を目視以外で判断してくれるこのスキルは非常に有用だと思ったのだ。

 結果としては、正解で、《索敵》でモンスターのリポップを素早く察知することで、周囲のプレイヤーより効率よくイノシシを狩ることができている。

 

(とはいえ……2人と一緒に行動する上では、無用になる可能性もありますが……)

 

 何の相談もなく決めてしまったことに、若干の迷いはあった。

 だが。

 

(今は、迷っている場合じゃない。決めたことに自信をもち、貫くのみ、です)

 

 私はレベルアップボーナスをステータスに振り分けずに、そのまま次のモンスターへと攻撃を開始した。

 

 周囲で狩りを行っているプレイヤーたちの多くは、パーティーを組んでイノシシやオオカミを相手に戦っている。

 それも、2~3人というパーティーもあれば、驚いたことに10人という集団で1体のイノシシを相手にしているプレイヤーたちもいた。

 

 プレイヤーの価値観によって、戦い方は様々だ。

 

 例えば私のように、ソロで狩りを行うもの。

 これは、ハイリスク・ハイリターンを背景に、ひたすらに自己強化に努めるということになる。

 戦闘経験値や獲得報酬は分配されない為、パーティーで狩ることに比べれば経験値効率は圧倒的にソロプレイの方が高い。

 が、同時に、死と隣り合わせであるということを忘れるわけにはいかない。

 一瞬の油断やミスが生死を分かつ、常に綱渡りな戦い方だ。

 

 だが、それは私のような一般ソロプレイヤーなら、という話で、これがβ経験者だと、少し事情が違ってくる。

 彼らは、β時に獲得している知識や経験を活かし、可能な限り安全に且つ効率的にスタートダッシュをしていることだろう。

 

 では、その対極に位置する、あのパーティー──10人でイノシシ一体を狩るという戦い方は、何を基準にしているのか。

 

 答えは単純。

 効率も報酬も無視して、ただひたすらに安全性を求めた結果だろう。

 あれも重要な戦い方だと思う。

 絶対に死なないように考えて戦うというのは、重要なことだ。

 

 とはいえ、今の私には効率を度外視することはできないわけで、少しでも安全に効率を上げることを考えて、こうしてソロで狩りをしているのだから。

 

「おぉぉおおおっ!」

 

 気合いを入れて、イノシシを蹴り上げる。

 

 第1層の、それもスタート地点のすぐ近くのフィールドにいる、まさに練習用のモンスター相手なら、よほどのことが無ければHPも基本的には減りはしない。

 ソロにはおあつらえ向き、ということだ。

 

 レベルアップしたこともあり、1戦闘にかかる時間はさらに短くなった。

 レベルアップから10体ほどイノシシを狩った辺りで、地平線が明るくなってきた。

 いつの間にか日の出が近くなっていたらしい。

 

(おっと、さすがに戻らないと……)

 

 私はそこで狩りを切り上げて宿屋に向かって走り出した。

 この辺りのモンスターはノンアクティブ──こちらから手を出さない限りは襲われることのないモンスターばかり。

 走り抜けても問題は無い。

 

(宿屋に戻ったら、レベルアップのポイントをステータスに振るとしますか)

 

 マーチ曰く、ステータスの成長は、何かに偏らせることが重要だということだった。

 自分の役割に応じて、《筋力》か《敏捷》に振り分けることになる。

 驚いたことに可視ステータスがこの2つしかないのだ。

 振り分けにあまり悩まなくて済むともいえるが、どちらを重点的に伸ばすかで、自分の役割は随分と変わってくるだろう。

 とはいえ、私はすでに成長方法を心に決めていたが。

 

 

 

 

 

 

 

「おはようさん、セイド」

「ぅお?! お……おはようございます……」

 

 部屋に戻ると、驚いたことにマーチが起きていた。

 彼は大きなため息を吐いて、私を見やる。

 

「……まぁ、単独行動が悪いとは言わねえし、するなとも言わんが。頼むから無理はしないでくれよ?」

 

 私がどこで何をしていたのか、マーチは想定済みだったらしい。

 

「す、すみません……大丈夫ですよ、無理はしてませんから」

「……そうか。それはともかく、ちとルイを見ててくれ。下から朝飯もらってくるからよ」

 

 それだけ言うとマーチは部屋の下──宿屋1階にある食堂に降りて行った。

 マーチを見送り、部屋の戸が閉まると、私は思わずため息を吐いていた。

 まさか起きているとは思わなかった。

 

 隠れてコソコソ──というつもりもなかったが……こうもあっさりばれてしまうとは。

 私は椅子に腰かけ、メニュー画面を呼び出すと、先ほどのレベルアップで得た貴重なステータスアップポイント3を筋力に1、敏捷に2で振り分ける。

 

 他の多くのゲームでは、筋力・敏捷以外に、器用さ・体力・知識・精神・魅力などなど様々なステータスが存在するものだが、こと、このSAOにおいては、魔法が排除されているということもあり、知識や精神といった魔法に関連するステータスは除外され、器用さや魅力はもともとの個人差で、かつイメージで動くVRMMOにおいて、器用さは自然のものなので、これらもステータスから除外。

 残る体力はというと、レベルアップで自然に伸び、後は装備による補正が大きいらしく、そういった仕様から振り分けるステータスとしては除外されている。

 

 これを聞いたとき、何とも大胆な設定だと驚いたものだった。

 

 ただしその分、筋力と敏捷の補正はこの世界ではかなり重要だ。

 筋力は装備できるものの重量に直接影響があるし、攻撃力にも大きく響く。

 敏捷は移動力や回避能力に影響が大きい。

 

 どちらに偏らせるか、これは重要な問題となるわけだが。

 

「ぅ……ん……」

 

 ポイントを振り終え、自分の判断を再確認していると、ルイさんが寝返りを打った。

 寝かせておくべきかとも思ったが、一応声を掛けてみる。

 

「ルイさん? 起きられましたか?」

「ん~……んんぅ……」

 

 昨日の状態だと、眠りが浅かったりするのではないかと不安だったが、ぐっすりと眠れているようだ。

 それはそれで胸をなで下ろす。

 

(まぁ、マーチが戻ってくるまでは寝かせておいてあげるべきでしょうね……)

 

 それが数分のことであっても、今は大切だと思えた。

 

 それからほどなくして、マーチは3人分のパンとスープを持って戻ってきた。

 

「おい、ルイ、起きろ。朝飯だぞ」

「ぅふぁぁい……珍しいねぇ……マーチんが作ってくれるなん……て……?」

 

 この時、私たちは迂闊にも、ルイさんの心境を把握しきれていなかった。

 

「……ぇ……い……や……うそ……夢じゃ……なかっ……た……の……?」

 

 ルイさんは目が覚めて、周囲を確認したことで、自分がまだSAOの中にいるのだと自覚してしまった。

 願わくは夢であってほしいと、自分の心を無理矢理に押し込めて眠ったのだろう。

 

「っ! マーチ!」

「ルイ、良いから起きてこっちにこい。夢か夢じゃないか分かるからよ」

「マーチ!」

「セイド、良いから俺に任せろよ。あいつは俺が責任もって守る。そう、決めたんだ」

 

 マーチの強い決意に満ちた言葉と瞳に、私はこれ以上何も言わなかった。

 

「……マーチん……ゆめ……だよね……すぐ……戻れるんだよね……?」

「……いいから食え。昨夜は何も食ってなかっただろ。腹減ってるはずだ」

 

 ルイさんは、青ざめながらもベッドから降りて、テーブルに着いた。

 

「ほれ、簡単なもんだけど今日の朝飯だ。これ食って空腹を満たせば少しは元気になる」

 

 ルイさんはそのまま何も言わずにパンを1口頬張る。

 

「……本物じゃ……ない……やっぱり……まだ……ゲームの中なんだ……あれは……夢じゃなかったんだ……っ……ぅ……ぅぅ……!」

「あぁ、夢じゃない。飯も本物じゃない。でも味はする。空腹も満たされる。だから、俺たちは生きてる。その実感が持てる。だろ、ルイ」

「やだよ……マーチん……あたし、すぐにここから逃げたいよぉ……」

「そうだな、ここから逃げちまおう。この街からは逃げないと、生きるのも難しくなる」

「ぇ? ど……どういうこと……?」

 

 とりあえず食事で落ち着いたルイさんに、マーチは、昨夜私と話し合った内容を計画として話した。

 

「……ってことだ。だから飯食ったらすぐ──」

「いやよっ!! 絶対に嫌!!」

「っ?!」

 

 ところがルイさんは、私もマーチも、想像もしなかった拒絶を見せた。

 

「なんでわざわざ危険な外に出なきゃならないの!! ここに居れば絶対安全じゃない!! それに現実側から助けてもらえるかもしれない!! それで解決するじゃない!!」

 

 確かに今のルイさんの意見にも一理ある。

 外に出なければ安全なのだ。

 だが同時に。

 

「確かに、街は安全だが、俺たちの成長もない。今のままじゃ何もできない。成長──レベルアップするには、どうしても外で何かをする必要がある」

「……レベルなんかあげなくていい……ここに居れば安全……じっとしてれば死なない……街からなんて出ない……」

「……ここに居たって死ぬ。遅かれ早かれ、人は死ぬ。現実の体に戻れてもいつか死ぬ」

「今言ってるのはそんな事じゃないでしょ?!」

「同じことだろうが! 死ぬだの生きるだの、どこだろうが、いつだろうが同じだ!」

「っ!」

 

(そういえば……マーチは《生と死》については、私たちよりも敏感でしたっけ……いつもの明るいマーチからは想像しづらい事ですが……)

 

「いいか、よく聞けよ。もう一度言うぞ。今からこの街を出て、隣の村に向かう。その村も《圏内》だ。辿り着けば安全だし、そこまでの道のりも俺は把握してる。安全にたどり着ける。モンスターに出くわすとしても、昨日狩ってたイノシシや、それと大差ないオオカミ程度しかいない。日のあるうちなら、なお安全だ」

 

 マーチはゆっくり噛み砕くようにルイさんに言い聞かせている。

 

「ここで待ってるだけじゃ、助かる見込みは薄いと俺は思ってる。少しでも自分たちで解決する努力をするべきだ」

「そんなの……なんで私たちが……他の人がしてくれるよ……命を懸けてゲームなんかしたくない……他の人がクリアするのを待てばいいじゃない……」

 

 今のルイさんの言葉は、正直なところ、私は許せないと思った。

 

 自分さえ安全なら、他の人が危険にさらされようが構わない。

 そう言ってるのと同じことだったから。

 

 だが、彼女の気持ちも分からないわけではない。

 いきなりこんな異常事態に放り込まれて、他人のことにまで気を配れという方が難しいだろう。

 

「ルイ……いいか? 他人任せにしてそれで助かれると、本気で思ってるのか? 他人任せにしたままで、自分の身に危険が無いと、本気で思ってるのか?」

「思ってるよ……だって、街にいれば――」

「街に居ても、完全に、絶対に安全とはいえねーんだよ、所詮はゲームの世界だからな」

「えっ?!」

「それはどういう意味ですか、マーチ」

「MMOをする連中には必ずいる人種がある。《PK(プレイヤーキラー)》だ」

 

 言われて、その可能性を見ていなかったことに私は驚いた。

 

「SAOがデスゲームになったってことを考えれば、PKって行為に走る連中はいないと思いたいが……俺は、人間ってのはそんなにできてるもんじゃねーと思ってる。それに、ここに居る連中は9割ゲーマーだろう。1層に留まって生き残ろうとする奴らにも絶対PKをしていた奴はいる。そういうやつらは、生活に苦しくなれば、モンスターを相手にするより他のプレイヤーから金品を巻き上げる方が、安全で効率がいいと考える連中だ」

 

 確かに、モンスターを狩るよりもアイテムや金品をため込んだプレイヤーを襲う方が、安全性を確保したまま効率よく稼げる……そう考える輩は多いだろう……。

 

「街の中でも、特定の方法を使えば他のプレイヤーを襲える。そういう手段はある」

「PvPのシステムの悪用……とかですね……考えていませんでしたが……」

「あぁ。だから――」

「だから何よ! だからって外で危険な目に合う必要があるって説明にはならないわ!」

「っ! ルイ! まだわからねーのかよ!」

 

 ルイさんは昨夜のように泣き喚きはしなかったが、こちらの言葉に納得する気配もない。

 

「今ならまだ、ほかの奴らより力を──レベルを上げる機会がある! そうすればこの辺りでの安全はより確実になる! だから楽な範囲だけでもいい! とにかく今は隣の村に向かうべきなんだ!」

「待ってるだけで解放される可能性があるのに、動いて危険な目に遭う必要があるの?!」

「可能性なら、こっちでゲームをクリアする可能性だってある! 大丈夫だ! お前は俺が守ってやる! だから危険な目には合わせねぇ!」

 

 ──しかし、それからも、20分ほど、マーチとルイさんの言い争いは続いた。

 私は基本的に聞くことに徹し、得られた情報や、自分が見落としていた情報の再確認に努めていた。

 

「だから! 何度言えば分るんだ!」

 

 同じようなやり取りを何度繰り返したか。

 

「外からの解決があるにせよ! 無いにせよ! 待ってるだけじゃ何もできなくなる! ヤバい奴らにも対抗できない!」

 

 ルイさんの言葉には、次第に力がなくなっていった。

 

「でもっ! 街から出たりすれば死んじゃうかもしれないんだよっ?!」

 

 ──いくらマーチが言葉を尽くしてもルイさんは、言葉では説得できなかったし、表面上は納得していなかった。

 でも、結果的には街の外に出ることに納得してくれていたのだと思う。

 多少……いや、かなり強引なところはあったかもしれないが、マーチに手を引かれる形で、ルイさんは自分の足で歩いて街から外に出たのだから。

 

 街に留まる事の危険性と、デスゲームに巻き込まれてしまったことの恐怖から、感情が制御できなくなっていたのだろうけれど、マーチの必死の説得で、理解はしていたのだろう。

 感情ではなく、論理的に。

 

 



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第五幕・出会いの村

 

 

 《はじまりの街》を出た私達3人は、マーチの案内に従って道を進んでいった。

 安全を第一に考えるマーチの案内のおかげで、ほとんど戦闘をすることなく、ほどなく隣の村《ホルンカ》に到着した。

 

 そこには、ある意味、想像通りの光景があった。

 

「やはり、人が来てましたね」

 

 すでに、村には何人ものプレイヤーがやってきていた。

 

「ったりめーだ。β組ならほぼ同じことを考えるだろうさ。とりあえず、そう広くない村だ。部屋を確保しちまおうぜ」

「……空いてると思いますか?」

「空いてるさ。β組が全員来てるわけじゃねえし。それに、俺らはパーティーだしな」

 

 マーチはルイさんの手を取り、宿屋へと向かう。

 

 ルイさんは、ここまでの道中、ほぼ喋らなかった。

 途中でモンスターに出会った時に、小さく悲鳴を上げた程度だ。

 

 マーチの案内に従い宿屋に着くと、すでに8割程、部屋は埋まっていたが、私たちはギリギリ部屋の確保に間に合った。

 私たちの後に来た数人のβ経験者が部屋を取ったところで、満室となってしまった位だ。

 

「いやぁ……ギリだったな……予想より埋まってて焦ったわ」

 

 流石に1人1部屋は取れなかったが、3人部屋を確保できたのは幸いだった。

 

 β組はソロ行動をするプレイヤーが多いようで、そうなると当然、3人部屋のような大部屋は最後まで残る可能性が高かっただろう。

 

「マーチの予想通りだったじゃないですか。β経験者は、ソロだから大部屋は空いていると読んだのでしょう?」

「まあな。経験値効率で考えりゃ、結局のところ、ソロが1番良いんだよ。俺らβならな」

 

 事前情報と経験から、安全に強めのモンスターを狩れるのは、β組の特権ともいえるだろう。羨ましい限りだ。

 

「っし! なんにせよ、拠点は確保できた! セイド、俺はルイの傍から離れねえ。お前は無茶はしねえと思ってるが、ここらのモンスターは《はじまりの街》周辺に比べりゃ圧倒的に強い。最初は効率が悪いかもしれねえが、しばらく俺と一緒にいろ、いいな?」

「分かってますよ。ここに来るまでに何度か見かけたモンスターは、全てカーソルが濃かったですからね。ソロでやるなんて無茶はしません。流石に死にたくありませんから」

 

 モンスターのカラーカーソルは、簡単に言えば強さの表示だ。

 

 同じレベルの敵、つまり適正レベルの敵なら純色の赤だが、そこから自分のレベルと比較してモンスターの方が強い場合、色が濃くなっていく。

 逆に弱い敵は薄くなり、最終的に白に近いピンク色が最弱の敵のカラー表示となるらしい。

 

「懸命だ。情報と一緒にレクチャーもしてやる。ちと待ってろ」

「先に村の商店などで、防具を揃えてます。後で合流しましょう」

「おう、無理に高い防具は止めとけ。買い替えができる防具で抑えとけ」

「分かりました」

「それと、武器も買わなくていい。俺とルイは初期武器の方が都合がいい。セイドは……素手だから問題ないか」

「将来的にも《体術》を目指す身としては、武器は必要ありませんからね」

 

 そんな会話をし、私とマーチは部屋の前で別れた。

 ルイさんが部屋で休んでいるので、マーチはそれに付き添い、しばらくしたら外に出てくることになった。

 

 私はとりあえず、武器屋に向かった。

 

《ホルンカ》のマップは、宿屋に来てすぐにマーチと一緒に入手したし、そもそも武器屋も狭い広場に面しているので迷うこともない。

 

 何気なく、村を見まわしながら武器屋を目指していると、ある男性プレイヤーが目についた。

 

(……あのプレイヤー……他のプレイヤーと、武器が違う)

 

 その男性は、片手直剣を装備しているのだが、はじまりの街で売られていた物ではない。

 刀身そのものは鞘に納まっているので分からないが、柄と鍔が明らかに他のプレイヤーたちが装備している片手剣と違った。

 

 彼も、ここに居るということはβ経験者なのだろう。

 しかし、そんな彼は、同じβ経験者達の中に居ても、他人を警戒し、身を隠すようにして道の隅を歩いていた。

 行く先は、おそらく私と同じ。

 武器屋だろう。

 

(防具がボロボロになっている……今まで狩りを続けていたのか……?)

 

 時刻は朝、そろそろ8時になろうとしている頃だ。

 昨夜から狩り続けていたのだとすれば、レベルはすでに5になっているのではないだろうか。

 

 黙々と考えながら歩みを進めていると、自然と彼の隣に並ぶような形になった。

 

(……凄い人もいるな……)

 

 デスゲームと化したこの世界で、危険を冒してまで一気にレベルを上げるという強攻策がとれるとは。

 β経験者だとしても、そこまでできるプレイヤーは少ないだろう。

 

 よくよく見るとHPが減ったままになっている。

 回復アイテムが尽きて、戻って来ざるを得なかった、といったところだろうか。

 もしくは単純に、疲労で集中力が尽きたか。

 

「おはようございます」

 

 私は、通りすがりの挨拶のつもりで、彼に声を掛けてみた。

 すると彼は、簡単に会釈だけして少し歩みを速めた。

 

(むむ、避けられてしまいましたか)

 

 何とは無しに後をついて行く形になってしまったが、武器屋が近づいたところで、彼は不意に足を止めた。

 そのことを不思議には思いつつも、彼の横を通り武器屋へと足を進めると、彼が止まった理由が何となく分かった。

 

 武器屋の前で、3人のプレイヤーが何やら雑談をしながらたむろしていた。

 

 思わず彼の方へ振り向くと、彼はゆっくりと武器屋に背を向けるところだった。

 

「あ、ちょっと!」

 

 私は彼に声を掛けて、小走りに彼に近寄った。

 彼は訝しげな表情で私を見た。

 

「武器屋に用があるのでしょう?」

「……そうだけど……何か?」

 

 彼は明らかに他人を避けている。

 人を避けるような出来事が、何かあったのかもしれないが、今はそこに踏み込むことはしない。

 

「良ければ、私が代わりに買ってきましょうか? あまり人と関わりたくないというのは、なんとなく分かりましたが、どうですか?」

 

 私の提案に、しかし彼は眉根を寄せて考えているようだった。

 

「ああ、持ち逃げの危険などは考えなくていいですよ。欲しいものを言っていただければ買ってきますので、アイテムと交換でコルを払っていただければ良いですから。アイテムの金額はお分かりなのでしょう?」

 

 そこまで提案すると、彼は少し肩の力を抜いた。

 

「……じゃあ、お願いしようかな。ハーフレザーコートを1つ。値がそこそこするけど、大丈夫かな?」

「分かりました、では、少しお待ち下さい。行ってきます」

 

 そう彼に告げ、私はすぐに武器屋に向かう。

 武器屋の前でたむろしていた3人は、β時の情報や知識と正式サービスでの差異をすり合わせているようだった。

 とりあえず、彼らのことは、そのままスルーする。

 

 武器屋に入り、ハーフレザーコートを1つ購入。その後自分の防具として布防具系の武道着を1つ購入した。

 

 マーチとルイさんにも何か買おうかと思っていたが、ハーフレザーコートは思っていたより高く、所持金が少々足りなくなっていた。

 

(まあ、後で買えばいいですし。今は彼にこれを渡してきましょう)

 

 武器屋を出ると、まだ3人が話し込んでいた。

 

「だぁから! 今の段階で、俺達から金を取ろうとするなよ、アルゴ!」

「な~に言ってんダ。オレっちのステータスを知りたいってんナラ、教えてやらないでもないって言ってんダ。少しくらい金とってモ、罰は当たらねーダロ」

「さすが、生粋の情報屋だ。βん時から《鼠のアルゴ》って呼ばれてるだけあるな」

「褒められてる気がしねーヨ。ま、否定もしねーけどサ、ニシシ」

 

 今になって気が付いたが、アルゴと呼ばれた背の低いプレイヤーは、女性だ。

 自称は俺と言っているが。

 

(βからの情報屋《鼠のアルゴ》さん……覚えておいて損もないかな)

 

 そんな会話を聞きながら、私はちょっと入った裏道で待っていた彼の元に戻る。

 

「お待たせしました。ええっと……トレードは……あ、あった、これですね」

「? あんた、β上がりじゃないのか?」

「え、ああ。私は違いますよ。正式サービスからの参加組です」

 

 私が遅々としてメニューを操作するのを見て、彼は、私がβ経験者ではないと悟ったようだ。

 

「……驚いたな。β上がり以外でこの村まで来てる人がいるなんて」

 

 彼にハーフレザーコートを渡し、その代金を彼から受け取りながら、私は言葉を返す。

 

「私も、周りがβ経験者ばかりで驚きましたよ。あ、失礼。私は、セイドといいます」

「あ、俺はキリト」

 

 会話の流れで私は自ら名乗り、右手を差し伸べる。

 彼――キリトさんも同じように右手を出し、挨拶の握手を交わした。

 

「よろしくお願いします、キリトさん」

「こちらこそ……えっと……その、さん付けは無くていいよ。俺の方が年下だろうし」

「ああ、これは失礼。癖なのであまり気にしないで下さい。ところで、その剣、見ないものですね?」

 

 私は会話を途切れさせないように、間を開けずに話題を振る。

 

「え、ああ。これは、この村で受けられる《森の秘薬》ってクエの報酬さ。《アニール・ブレード》って言って、片手直剣としては優秀だよ。見た目はイマイチだけど」

「なるほど。クエスト報酬でしたか。道理で見かけないわけだ。しかし、私には使い道はなさそうだ」

 

 そう言って肩をすくめる私を、キリトさんはまじまじと見つめた。

 

「……そういえば、セイドは一体、何の武器を使うんだ?」

「私は《体術》を使いたいので、今は戦闘系スキルは見送りました。武器は私自身といったところですかね」

「う……《体術》か……メインで使っていくのは厳しいと思うけど……今ならまだ他の武器スキルにすることもできるんだし、考え直しても良いんじゃないか?」

「そうですね。しかし、私としては、この身1つで戦う方がしっくりくるので、《体術》を覚えて、いけるところまで行ってみます。難しいかもしれませんけどね」

「……そうか。変なこと言ってゴメン」

「いえ。お気遣いいただいて感謝します。ところで、キリトさん。何かあったんですか?」

 

 キリトさん側からの話題が途切れ、私の方からの話題振りが無くなると、おそらくキリトさんはこの場を立ち去るだろう。

 

 何かを抱えたままの彼を放置することも、もちろんできたのだろうが、何となくそうすることはできなかった。

 

「え? 何かって……何のこと?」

「先ほどから、人を避けておられるようなので、何かあったのかなと」

「あ、ああ……あまり……人に言うことじゃ……無いんだろうけど……」

 

 キリトさんは、背の剣を握りながら暗い表情で訥々と話してくれた。

 

「さっき言ったクエで、必要なアイテムを落とすモンスターを狩っていた時に、別のプレイヤーが来てさ。しばらく一緒に狩っていたんだけど……」

 

 キリトさんは、その先を話そうとはしなかった。

 私は、キリトさんの人を避ける様子や、会話時の暗い表情から、1番あり得るのではないかと思えた予測と口にする。

 

「……その彼は、亡くなられたんですね?」

「――っ?!」

 

 キリトさんの表情が、驚愕の表情に変化した。

 どうやら予測は当たってしまったらしい。

 

「キリトさんは優しい方ですね。その方は……キリトさんをPKしようとしたのではありませんか?」

「――っな!?」

「……これも当たり……ですか……残念だ……何を馬鹿なことを、と一笑に付されればそれでも良かったのですが……」

「……セイドは、すごいな……どうしてそんなことまで分かったんだ?」

「分かったわけではありませんよ。ただ、キリトさんが人を避ける理由を考えていただけです。同じβ経験者にPKされそうになれば、疑心暗鬼に陥るのも無理はない。そうなれば、村の中であっても、人との関わりを避けようとするだろう、という予測をしただけですよ」

「……いや、参った。その通りだよ。正直、今は他人と関わるのが怖いんだ」

「では、私とも関わるのは怖いですか?」

「……いいや。そんなことないよ。なんでかな? セイドとは普通に接していられる」

「それは良かった」

 

 多少強引にとはいえ、会話を繋げ、キリトさんの心に傷に踏み込んだ甲斐があったというものだ。

 キリトさんにも微かながら笑顔が見えるようになっていた。

 

 と、そこで私宛にメッセージが届いた。マーチからだ。

 

「っと。すみません、話し込んでしまいましたね。では、私はこれで。縁があれば、またどこかでお会いしましょう」

「あ……うん……じゃあ、また」

 

 何となく、別れを惜しむような感じを受けた。

 

 私は少し考え、キリトさんに背を向けて歩きながら、彼に1つのメッセージを送った。

 

 フレンドではない彼に送れるメッセージは1つだけ。

 フレンド登録申請のメッセージだ。

 

 彼は、優しいのだ。

 

 β経験者としてソロでこの村に来ている中でも、おそらく彼は、レベルが他のプレイヤーたちよりも頭1つ跳び抜けているだろう。

 クエスト報酬の武器を手に入れ、防具がボロボロになるまで狩りを続けていたのだから。

 

(彼の力になれるとは思えませんが、何かの支えになれれば)

 

 そんな想いで送った登録申請は、了承された。

 

 



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第六幕・βテスターの輪

あまり自分が詳しくない原作キャラを、オリジナルキャラと同時に登場させるというのは、難しいですね……。



 

 

「――で? なんでこうなったんですか?」

「いや、俺にもよく分からんのだが、なんでだろうな」

「分からんで済むか! しっかりと説明しなさい!」

 

 マーチからのメッセージを受けて、取り急ぎ宿屋に戻ってみると、何故か人だかりができていた。

 その理由は――

 

「人目もはばからず! 宿屋の食堂で堂々と夫婦漫才繰り広げたからこうなったんじゃないんですか?!」

「夫婦漫才言うな! 漫才じゃねえだろ、どう考えても! 立派な喧嘩だ!」

「貴方とルイさんの口喧嘩は、はたから見てる分には漫才と変わりませんよ!」

 

 人だかりの中心にいたのは、マーチとルイさん、それと見知らぬ顔の男が1人いた。

 人だかりをかき分けて、マーチたちの所まで辿り着くと、ルイさんは早々に部屋に戻ってしまい、話を聞く間すらなかった。

 

「まーまーまー、お互い落ち着こうや、な?」

「うっせえノイズ! 大体てめえが! 俺がちょっと目を離してた隙に、ルイをナンパしやがったのが原因だろうがっ!」

 

 ノイズと呼ばれた男性は、おそらく私たちと同じ歳の頃――18から20歳といったところだろうか。

 

 体格は私より頭1つ分背が高く、筋肉質で角ばった肩幅に、引き締まった肉体という、いかにも体育会系というような雰囲気が漂っていた。

 

「しょうがねえだろ? お前が《マーチ》だとは思わなかったんだよ。許せよ、な?」

 

 ノイズさんは、マーチにそっと囁くようにそう言った。

 周りのβ経験者達にマーチの名前を聞かれないようにしたといった感じを受けたのだが、何故だろうか。

 

「な? じゃねえ! ルイがへそ曲げて部屋に帰っちまったじゃねえか! どーしてくれんだよ!」

 

 マーチもノイズさんにつられて声量を落として、抗議の声を上げているが、今、そんなことを言っている場合ではないだろうと思う。

 

「はぁ~……とりあえず、もう彼のことは放っておいて、貴方はルイさんを追って下さい。喧嘩ではなく、ちゃんと話し合えますね?」

「……おう……行ってくる」

 

 なおもノイズさんを睨み続けるマーチの背を押し、部屋へと戻らせる。

 

 夫婦漫才が終了した様子を感じたのか、とりあえず人だかりも解消されていた。

 

「カカカカ! しっかし、あのマーチに女がいたとは、いや~まいったまいった!」

 

 周囲のプレイヤーの関心が散ったのを感じたようで、ノイズさんは普通の会話程度の声量で話し始めた――のだろうが、それにしても声が大きいと感じた。

 

 それに、豪快に笑うノイズさんには、反省の色が見えなかった。

 

「まったく……ええと、ノイズさん、で宜しいのですね?」

「おう、ノイズだ。ヨロシクな、にーちゃん」

「セイドといいます、以後お見知りおきを。ノイズさんは、マーチのβ時のご友人ですか?」

「そうなる。つっても、βん時のマーチは、フレンドが多かったからな。その中の1人ってだけだが、な」

 

 マーチの顔の広さは相変わらずのようで、これまでやってきたどのMMOでも、フレンドの数はリストいっぱいになるほどだった。

 まあ、数は多くても、その後の付き合いの有無は差があるのだろうけれど。

 

「それで、何があったんですか?」

「いや、何がって言われてもよ。いい女がいたから声かけたら、マーチの彼女だったってだけだぜ?」

「それだけでルイさんが部屋に取って返すようなことにはならないでしょう?」

「あー……この周辺のモンスターは気を付けねーと即死するから守ってやるよ、って言ったら、女が急にマーチに怒りだした」

 

 ノイズさんの台詞を聞いて、私は唖然としてしまった。

 表面上、とりあえず落ち着いただけのルイさんに、余計な不安を与えて欲しくないものだ。

 

「……そういうことを言ったんですか……普通は、この村に来ている時点でβ経験者だと思うのでは?」

「おお、そういやそうだな。ってことはあの女もβテスターか」

 

 思慮の浅い人らしい。

 

 ちょっと考えれば分かりそうなものだが、彼がルイさんに言った一言は、β経験者に言う必要のない事だ。

 そこまで考えが及ぶ前に、ルイさんを見てナンパしたのだろう。

 

「いえ、私もルイさんも違います。私たちがここに居るのは、マーチの案内があってこそです」

「へえ。流石《友情(フレンドリー)》だな」

「《友情》? 何ですかそれは」

「ああ、βテストん時のマーチのあだ名だよ。βテスターのほぼ全員と面識があるのはマーチだけじゃねえかな。しかも、全員がマーチのことを悪く言ってねえ。ほんとに良い奴だよ。いやぁ、さっきのだけは、マジでマズったわ」

 

 反省の色が見えないと思っていたが、一応本気で悪いと思っているらしい。

 困り顔で、気まずそうに頭を掻く姿は、嘘には見えなかった。

 

「オヤオヤ。何か騒がしいと思ってきてみれバ。騒ぎの中心にいル、そこのでっかいノ。お前《騒音(ノイジー)》ノイズじゃねーカ?」

 

 そう言いながらやってきたのは、先ほどまで武器屋の前で何やら話し込んでいた3人だ。

 

「《騒音》言うな。その名で俺を呼ぶお前は《鼠女》で決まりだ」

「《アルゴ》って名前で呼んでほしいネ」

 

 背が低く、武器屋で売っていたフードコートを着込んでいるのが、やはりアルゴという女性らしい。

 先程の会話を聞いた限りでは、《情報屋》を生業にするプレイヤーということだっただろうか。

 

「アルゴと一緒にいるのは……前と同じのメンツだってんなら、そっちの二枚目は《ディアベル》か?」

 

 ノイズさんのその言葉に、アルゴさんの左にいた青髪の青年は目を丸くした。

 

「よく分かったな。久しぶり、ノイズ!」

「おう! 相変わらず《騎士(ナイト)》な気分か?」

「当然!」

 

 ノイズさんとガッチリ拳を合わせて挨拶をしているのは、盾を背に、片手直剣を左腰に下げた、好青年だった。

 《騎士》のディアベルと覚えておけばいいだろうか。

 

 すると、今度はアルゴさんの右隣にいた長い黒髪を後ろで1つにまとめている細身の男性が進み出てきた。

 

「ま、俺のことは分からんだろ。初めましてだ、《騒音》。俺は《ジョッシュ》という」

「お初。あんま《騒音》とは言ってくれるな。ノイズって名前だけどよ。あんたもβテスターなんだよな?」

「ああ、一応な」

「一応ってなんだよ一応って」

「俺は殆どフレがいなかったし、君らみたいに冒険や戦闘を主体にしてたわけじゃないんだ。俺は鍛冶職人としてβをプレイしてたんでね」

「職人クラスか! そりゃ知らんわ!」

「だから、一応とな。君らに比べれば、俺の知識なんぞ、今のSAOじゃ、そんなに役には立たん」

「んなことねーッテ、ジョッシュ。それぞれ専門分野ってのがあるンダ。だからジョッシュの力も必要なんだヨ」

 

 何やら、先ほどからの話に決着がついていない様子で、アルゴさんは大きくため息を吐いた。

 

「ってことでナ、ノイジ……じゃなくテ、ノイズ。実はお前を探してたんダヨ」

「ああ? まるで話が見えんのだが?」

 

 アルゴさんたち3人は、私のことには見向きもせずに、ノイズさんと話を始める気配だ。

 

(おやおや……これはこれで、情報を手に入れられるチャンスと考えるべきですかね)

 

「こんなことに巻き込まれちまったダロ? だかラ、俺っちたち元βテスターがビギナーに情報を流してやっテ、事故を減らしてやる必要があると思うんダヨ」

「アルゴの提案で、俺たちがβテストで得た知識を《ガイドブック》みたいな形で配布できれば良いんじゃないかって考えているんだ」

「情報屋として生きてきたアルゴが、その手の伝手は一番知ってる。戦闘に関してはディアベル、職人系に関しては俺が、それぞれ情報を出し合って作ろうという話になってる」

 

 その発案を聞いて、私はとても驚いた。

 

 β経験者たちのほとんどはこの村に先行している。

 つまり、スタートダッシュの重要性を熟知し、いち早く現状に馴染んだ(と思われる)、ある意味で、もっともこのデスゲームを現実として受け止めている人たちだろう。

 他者を切り捨て、自己強化のみを追求し、利己的に生きる人が多いだろうと、私は思っていたのだが、こういった発想を持つ人もいたことは、実に嬉しい誤算だ。

 

「そりゃそれで良い案だな。だが、そこになんで俺が出てくる? 俺だって戦闘しかしてねーぞ?」

「ノイズはディアベルと違っテ《壁戦士(タンク)》ダロ? だから壁戦士としての情報を出して欲しイ。お前の情報で、死ななくなるプレイヤーが、グッと増えるはずダヨ」

 

 アルゴさんは、ノイズさんを《壁戦士》といった。

 しかし、今の彼はとてもそうは見えない装備だ。

 

 序盤に装備だけでプレイヤータイプを見極めるのは無理だろう。

 ということは、ノイズさんはβテスト中に壁戦士として活躍していたということになるだろう。

 それも、おそらくはトップクラスの壁戦士として。

 

「ま、確かに壁戦士仕様のビルドにするつもりだがな。で? それに協力した俺に、何の見返りがある?」

 

 しかし、ノイズさんの返事は、ある意味、予想を裏切らない残念なものだった。

 

「言うと思ったよ。ノイズは絶対こだわると思ってた」

「ったりめーだ、ディアベル。俺はお前みたいに善人じゃねーよ。俺は仏じゃねえ。損か得か、それが基本だ」

「なら、安心しろ。ノイズ、お前には得がある。協力してくれれば、今後アルゴからの情報は半額だ。俺たちもその条件でこの話の乗っている。それに、俺も職人クラスを辞めるつもりはないんでな。俺の方でも、安くオーダーメイドも引き受けてやろう」

「……なるほどな、つまり即物的な得じゃねーけど、将来的に大きな得になるってことか……悪い話じゃねーな」

「じゃ、決まりだナ。ちと手間だが、しばらく頼むヨ《騒音》」

「……うるさくて悪かったな《鼠》」

 

 アルゴさんとノイズさんは、互いに悪態をつきながらも、握手を交わした。

 腐れ縁というのは、ある意味、友情より複雑でありながら、分かり易いものなのかもしれない。

 

「デ? そっちの男は誰なんダ? オレっちの知ってる奴カ?」

 

 アルゴさんは、話が一応形としてまとまったところで私のことに触れてきた。

 

「失礼、お話に入れなかったので聞いて居ましたが。初めまして。私は新規組ですよ」

「なっ! βテスター以外でこの村までもう来ているプレイヤーがいたのか!?」

「これは驚いた……アルゴに話を持ちかけられた時より驚いたぞ」

「俺も驚いたぜ。だが、話を聞いて納得もした」

 

 ノイズさんの言葉に、疑問をぶつけたのはアルゴさんだった。

 

「どーいうことダ?」

 

 それに答えたのは、ノイズさんではなく、私だ。

 

「私がこの村にいる理由は、マーチのリアフレだから、といえばご理解いただけるかと」

 

 マーチの名前を出した途端、3人の表情が分かり易いほどに明るいものに変化した。

 

「おおおおお! マーチもここに来てるのか! そりゃ早く会いたいな!」

 

 ディアベルさんが、真っ先に声を上げ。

 

「やっぱ《友情》の名は伊達じゃネーナ。オレっちもマーチとは損得抜きで会いたかったンダ」

 

 アルゴさんも女性らしい可愛らしい笑顔を浮かべながらつぶやき。

 

「マーチか。俺にとっても数少ないフレだ。ぜひ挨拶せんとな」

 

 ジョッシュさんも、マーチのことを知っているようだ。

 

 本当に、あいつはどんなプレイスタイルをしていたのやら。

 この場にいるβ経験者全員と、本当に面識があり、且つフレンドであったらしいことは確かだが。

 

「まあ、今はちょっと、ノイズさんのせいで、マーチの彼女が部屋に閉じこもってしまったので、その説得に行っていますから、少しかかると思いますよ」

「……おい《騒音》。お前は相変わらずトラブルメイカーだナ」

「し、仕方ねーだろ! マーチの女だなんて知らなかったんだから! 知ってりゃナンパなんてしてねーよ!」

「はぁ~……ノイズらしいな、全く。女と金と名声に弱いってのは、どうにかしないと、この世界じゃ命取りだぞ?」

「ああもう! 悪かった! 俺が悪かった! それでいいだろ! もう勘弁してくれ!」

 

 ノイズさんの悲鳴を聞いて、その場にいた私達は、大いに笑ってしまった。

 

 

 




アルゴやディアベルの登場や台詞など、原作の知識があまり無いので変なところがあったら、ご指摘ください……ただ、直せるかどうかは微妙なラインです……(;一_一)


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第七幕・絆

 

 

 マーチが戻ってくるまでの間、アルゴさんを中心に《ガイドブック》作製のために、情報の交換がなされることとなった。

 

 私は席を外し、マーチの様子をうかがいに行くことにした。

 

 彼ら(アルゴさんは女性だが)4人だけで話を進めた方が効率も良いだろうし、私のような新規組に聞かせ辛い会話もできる様にと、一応気遣ったつもりだ。

 

 私達の借りている部屋は3人部屋なので、私も部屋の扉を開錠できるのだが、念のため、軽くノックする。

 すると、扉の防音機構がいったん解除され、その瞬間、中からマーチの声が聞こえてきた。

 

 

「ルイ! 俺と結婚してくれ!」

 

 

 突然の台詞に思わず吹いた。

 

(え? 何で今、プロポーズ!?)

 

 ノックに気付かれていなかったようなので、仕方なく扉を開けた。

 

「マーチ? ルイさん?」

 

 おずおずと、扉から首だけ突っ込んで中の様子を伺うと、椅子に座ってマーチに背を向けていたであろうルイさんに、マーチが真剣な表情で向き合っていた。

 

「俺がお前を守るって言ったのは本気だ。それに、俺はお前と一緒にいたい。現実に帰って、ちゃんとお前と結婚したい。だから、今は俺を信じて、傍にいてくれ。一緒にいてくれ」

「……マーチん……」

「不安なのも分かる。だから、その不安は俺が一緒に背負う。今はまだ現実には帰れない。けど、俺はお前と一緒にいられる。結婚することもできる。一緒に生きて帰ろう。ルイ」

「……うん……マーチん……」

 

 そう言って頷いたルイさんは、立ち上がり、マーチの胸に――

 

(……気付かれていないのなら、野暮は止めましょう……無事に話もまとまったようですし)

 

 私はそっと扉を閉め、部屋を後にした。

 

(今度何か、結婚祝いでも上げないとなりませんね)

 

 まさか、親友への結婚祝いをゲームの世界で考えることになるとは、思いもしなかった。

 

 しかしこれで、居場所らしい居場所は思いつかなくなった。

 食堂では、4人が真剣な面持ちで話し込んでいて、交じれる雰囲気ではない。

 

 私はそのまま宿屋の外に出て、空を仰ぎ見た。

 

 時刻は10時を回ろうとしている。

 

 本当ならソロで狩り、と興じたいところだが、今の私が――特に戦闘スキルを持っていない状態で――この村の周りのモンスターに勝てるかというと、難しい、というか無理だろう。

 

 なら、するべきは別の事だ。

 

 攻撃スキルの代わりに使っている日常系スキルを、村の端でコツコツと上げることにした。

 単なる時間つぶしともいうけれど……。

 

 人目につかないところで30分ほど時間をつぶし、宿屋に戻ると、食堂は、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。

 

 その人だかりの中心には――

 

「しかしまあ! お前ら、リアル顔でもそんなに変な印象うけねーな!」

「俺らとしちゃ、マーチの背の低さには驚いたがな!」

「ってぅおいこらぁ! 2度と背のことを口にすんじゃねええ!」

「ダメですよ~、マーチん、背のことはホントに気にしてるんですから~」

「わっかりました、ルイ姐さん! もう2度とマーチの背丈のことは言いません!」

「……オイ、背丈のこと以上に、俺の嫁に手ぇ出したら絞め殺すぞ」

「待て待て待て! マーチ目がマジ怖い!」

 

 ――などなど。

 

 騒ぎの中心はマーチで、そのマーチを囲むように、大勢のβ経験者達が集まってきたようだ。

 

 驚いたことに、ルイさんもその場にいた。

 マーチのプロポーズを受けて、随分と落ち着けたのだろう。その表情には、先刻までの不安や恐怖といった感情は鳴りを潜めていた。

 

 騒ぎの中では、所々剣呑とした内容もあったようだが、全体的には笑いが絶えず、みんな終始笑顔だった。

 

 この状況を見て、何故ノイズさんがマーチの名前を呼ぶ時、若干声を小さくしていたのか、理解した。

 

(マーチの《友情》という二つ名は、伊達じゃない、ということですね)

 

 おそらく、マーチの名に反応して、ここに集まってきた人たちばかりなのだろう。

 βの時、マーチはどれほど友好の輪を広げていたのか、窺い知ることができた。

 

「ほらほらマーチ。顔馴染みの皆さんとお祭り騒ぎも良いですが、私にも何か言う事があるのではないですか?」

 

 軽く声を掛けながら、私もその輪の中に入って行った。

 

 結局、昼過ぎまでお祭り騒ぎは続き、私達3人が村の外で狩りを始める時には、他のβ経験者達も数名同行するという状況になっていた。

 

 

 

 

 

 ――そんな状況から始まったこの世界での生活は、β経験のあるマーチや、他のβ経験者達にも支えられ、無事にスタートすることができた。

 

 

 

 

 ――そして――

 

 

 デスゲームの開始から、1ヶ月。

 

 未だ第1層はクリアされておらず、しかし、全プレイヤーの5分の1──すでに2000人ものプレイヤーが亡くなっていた。

 

 

 

 幸運にも、私、マーチ、ルイさんの3人は、生き残っていた。

 

 

 



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第八幕・ギルドとして

 

 

「なぁ、聞いたか? ボス攻略会議の話」

 

 第1層の迷宮区に程近い位置にある《トールバーナ》の街。

 私達3人は、今、この街を拠点としてレベル上げや、アイテム及び情報の収集に努めていた。

 

 そんな折、マーチがその話を耳にしたようだ。

 

「ボス攻略~? だってまだボス部屋だって見つかってないんでしょ~?」

 

 宿屋の一室で、私たちは昼食を取っていた。

 

 ルイさんが、マーチの言葉に、パンを手に取ったまま問い返した。

 

「さて、どうかね。β連中は基本的にパーティー組まねえから、ボス部屋まで辿り着けてない可能性もあるが、この1ヶ月で情報網も出来上がってきた。下手に新規プレイヤーが死ぬ可能性も減ったはずだ。そうなってくると……」

 

 そこで言葉を切って、マーチはパンを一口かじる。

 

「攻略のペースが加速度的に上がる頃合いですね。しかし、そのような頃がまた危険なんですが……」

「え~っと……ど~いうこと~?」

 

 私とマーチの会話に、ルイさんが若干ついてこれていなかった。

 

「ん……道具屋で配布されていたガイドブック、貰ったろ?」

 

 マーチが見せたのは、手帳サイズの薄めの本だ。

 

 これはシステム上で用意されたアイテムではない。

 ガイドブック作成にまつわる話を知っている一般プレイヤーは少ないだろう。

 

 実はこのガイドブック、β経験者や、情報屋を生業とすることを買って出たプレイヤーたちによって作られた、プレイヤーメイドの、SAOにおける基礎情報書だ。

 

「こういうのが出回ってくると、みんな戦闘のやり方などが分かってくる。レベルも上がってくる。事故率が減る。安定した探索が可能になる。そうやって基盤ができたから、迷宮区の攻略も進んだんだろう。おそらく、ボス攻略の話が流れてるってことは、誰かがボス部屋を見つけたんじゃねえかな」

「なるほどなるほど~……んじゃ~、私たちもボス戦参加するの~?」

 

 ルイさんも納得し、当初の錯乱ぶりからは想像もできない台詞を口にする。

 

「いや、しねぇ」

 

 しかしマーチさんの口からは、攻略に参加しない旨の言葉。

 

「え~? なんで~?」

「なんででもいいさ。ボス攻略なんてのは、攻略する気満々の連中に倒してもらえばそれでいい。それに俺らの今の構成で行くのは、リスクが高い」

 

(マーチらしい……ルイさんを危険なボス戦に駆り出したくないだけでしょうに)

 

 私は思わず笑みがこぼれた。

 

「ま、俺が言いたかったのは、ボス攻略戦の話があるが、参加はしねえってことだ。良いか、それで?」

「私は異存ありませんよ」

「マーチんがそう決めたなら、私もオッケ~」

「んじゃ、別の話をしよう」

 

 マーチはおもむろに身を乗り出してきた。

 

「そろそろ俺ら、《ギルド》を組まねえか?」

「ギルド~? パーティーと何か違うの~?」

 

 ルイさんがもっともな疑問を口にする。

 

「ギルドは、パーティーよりも大人数が所属することができる集まりです。他のゲームでもあったでしょう」

「あ~、呼び方は違うかもだけど、あったねぇ~、そんなの~」

「パーティー状態でなくても一定のメリットをプレイヤーにもたらしてくれるので、仲の良いメンバーでギルドを組むのは基本かも知れませんが……マーチ、貴方の言うギルドは何を目的にしたものですか?」

 

 基本的に《ギルド》というのは、一定の目的を持った者たちの集まりになる。

 もしマーチが他のプレイヤーたちを誘ってギルドを作るつもりなら――

 

「あ~、俺は別に他の連中を誘うつもりはねぇよ。とりあえず、俺ら3人で組むだけだからよ。目的ってんなら、そりゃもちろん『生き残ること』だろ」

「なるほど。大義名分を立てて、他のメンバーを募るようなら反対するつもりでしたが、そういうことなら、賛成します」

「組めば良いこともあるんでしょ~? だったら反対する理由は無いよ~」

 

 私もルイさんも、ギルドの設立には反対しなかった。

 

 メリットがあるのも確かだが、同時に、この世界における私たちの目的をハッキリとさせることができる。

 

「ところでマーチ。言い出したからには、ギルド名やエンブレムも考えてあるんですよね?」

「え? あ~……いや、エンブレムは考えてなかったな……」

「んじゃ~、名前は~?」

「おう、流石にそれは考えてたぜ。《戦術図書館(タクティカル・ライブラリ)》とかどうよ!」

 

 そう言われて、私もルイさんも、思わずお互いに見やっていた。

 

「いや、マーチん……どうよって言われても~……」

「……一応、その名前の理由を聞いてもいいですか?」

「ほら俺、β上がりだろ。だから情報をメインに、生き残る術を伝えていけるようなギルドにできねぇかと思ってよ」

「理念と思想は分かりました。が。それをギルド名にするのはどうかと思います」

 

 そもそも、それでは私とルイさんが役に立たない。

 

「それに、生き残る術なら、すでにガイドブックをアルゴさんたちが配布しているじゃないですか。マーチの発想は2番煎じに感じます」

「えええ! ダメかよ!」

「う~ん……私も違う方がいいかなぁ~」

「ルイもかよぉ!」

 

 ――こうして、ギルド設立に関して、名前という難関が立ちはだかること数十分。

 

「……も~、今はパーティーのままでいいってことにしよ~……決まらないよ~」

「だ……だな……」

 

 マーチとルイさんが次々と色々な案を出したものの、出した本人すら納得しかねるようなものまで出てくる始末。

 

「いやはや……皆が納得する名前というのは、難しいものですね……」

 

 今日のところは、決まらずにこの話は終わりを迎え――

 

「っていうか、セイちゃん……聞いてるばかりで1度も案を出してないよね~?」

 

 ――る前に、ルイさんが余計なことに気が付いた。

 

「そういや確かに。俺やルイの案に関して、色々言ってたくせに、自分の案は出してねえな……」

「いや、あの――」

「ここはひとつ~、セイちゃんの考えたギルド名を聞いてみよ~」

「いやいや、1つと言わず、2つ3つ言ってもらわねえと」

「……何故ハードルを上げるんですか……いや、まぁ……考えてなかったわけではないですけど……期待はしないでくださいよ?」

 

 私は正直、ネーミングセンスが無いので、命名というのは非常に苦手だ。

 

 過去にやってきたゲームでも、プレイヤー名をリアルネームにするということをやっていたし、マーチにそのことを止められてからは、少し捻っただけの《セイド》という名前で通している。

 

「ほれほれ、良いから言ってみ。思いっきり笑ってやるからよ!」

「初めから笑うつもりでいないで下さい!」

 

 マーチにツッコみを入れ、短くため息を吐いてから、私の案を提示した。

 

「ええと……ギルドの目的が『生き残ること』ということなので、《逆位置の死神》と書いて《デス・オブ・リバース》なんてどうですか?」

 

 私の案に、マーチもルイさんも、しっかり10秒以上も考え込んでから口を開いた。

 

「……逆位置ってことは~、タロットネタだね~……うん、意味も良いと思う~。《デスゲームからの生還》って意味になるし~」

「……Death of Reverse……DoR……なるほど、略語も綺麗にまとまるな……」

 

(……あれ?……思ったよりウケが良い?)

 

 私の心の声に気付くわけもなく、マーチとルイさんはうんうんと頷きながら話を進めてしまう。

 

「マーチん、どう思う~? 私は良いと思うけど~」

「俺も構わん。というか、気に入った!」

「え、あの、本当にコレで良いんですか? ギルド名なのに《死神》とか入っているんですよ?」

「胸を張れる意味だと思うよ~? それに、悪い意味の言葉をひっくり返すっていう発想は、なんていうか~、セイちゃんっぽいし~」

「人を増やすつもりもないしな。別に死神って名前だけで、もし仮に犯罪者(オレンジ)ギルドに間違われたって、俺らが犯罪者(オレンジ)カラーになるわけじゃねーし、気にすることじゃねーだろ」

 

 ――というわけで……意外なことに、私の発案が採用され、ギルド名が決まった。

 

「っしゃ! それじゃ、ギルド名も決まったことだし、さっそくギルド設立と行こうぜ、セイド!」

 

 マーチは、唐突に私に何かを投げてよこした。

 

「はい? えっと……これは?」

 

 マーチが投げたのは、何かの巻物のようなアイテムだ。

 

 

「ギルマスはセイドに任せた!」

 

 

「………………今……なんと?」

 

 一瞬、マーチの言った意味が分からなかった。

 

「だから。ギルドマスターは、セイドに任せたって言った」

 

「……ちょっと待てぇ! 言い出したのはマーチでしょう!? なんで私がマスターなんですか?!」

 

 マーチから受け取ったアイテムの名前を確認すると、ギルド設立用のアイテム《白紙の条約のスクロール》とあった。

 このアイテムを使用して、ギルド名を書き込み、他に同じ名前のギルドがなければ設立が可能というものだった。

 

 ちなみに、ギルドの象徴になるエンブレムの登録も可能だが、私に、その手の芸術的才能は一切無い。

 

「初めから決めてたことだ。俺がマスターをしても、ギルドのためにならん気がする」

「いや! この1ヶ月、マーチが先頭に立って私達を引っ張ってきたじゃないですか! リーダーやマスターを担うなら、マーチ以外はあり得ないでしょう!」

「パーティーリーダー位なら、まぁ、俺でもギリギリできるけどな。ギルドってなると、俺の手には余る。なぁルイ! 俺とセイド、どっちがリーダーに向いてる?」

 

 マーチは、ルイさんにこの話を振った。

 

「ん? マーチんとセイちゃん比べたら~、それは当然セイちゃんでしょ~」

「ほれ、ルイもこう言ってる」

「いやいや! ルイさん、なんでそうなりますか?! この1ヶ月、マーチが居なかったら――」

「ん~、マーチんが頑張ってたのは確かだけど~。肝心なところとか~、危ないところとか~、重要な決断をしてたのはセイちゃんだったことが多かったし~」

「俺が引っ張ってたって言うけどな。言い出してたのは確かに俺だったが、判断や決断をしてたのは、ほとんどお前だぞ?」

「いやいやいや! そんなことないですよ! それにそもそも、マーチが言い出さなければ、判断も何もなかったわけですから!」

「なら、それはそれでいいじゃねーか? 言い出すのは俺で、判断をするのはお前。言い出すのと判断するのとで、どっちが結果に直結するか、それを考えりゃ、わかんだろ」

「うっ……」

 

 行動の提案をする者と、その提案に対する決定を下す者という、分かり易い表現をされると、否定するのは難しい。

 

「ほれ、観念してギルマスやってくれよ。俺もルイも、お前なら、いや、お前だから任せられるって言ってんだ。信頼の証だぜ、親友」

 

 私は、思わずため息を吐いてしまった。

 

「分かりました……分かりましたよ。ギルドマスター、任されましょう。でも、だからといって、私1人ですべては賄えませんから、お2人に頼るところも大きいですからね」

 

「と~ぜん!」 

「あったりまえだ、ギルド云々以前に、俺たち親友だろ!」

 

 ルイさんとマーチが、いつもの笑顔で応えてくれた。

 

「えっとね~、マーチん、前から言おうと思ってたんだけど~、その台詞、ハズいよ?」

「ちょ! ルイ! そりゃねーよ! 決め台詞だぞ!」

 

 そんなこんなな会話が続き、昼食の時間は賑やかに終わった。

 

 

 

 

 こうして、私達3人のギルド、《逆位置の死神》が設立されることとなった。

 

 

 

 

 ――翌日――

 

 

 第1層のボスが撃破された話題は、第1層中に瞬く間に伝わった。

 

 これを機に、最前線に立つプレイヤーたちは、本格的にこのデスゲームの攻略に乗り出し始めた。

 

 そして、第1層攻略から、わずか10日後。

 

 第2層がクリアされた。

 

 

 

 ゲームに囚われた人々は、次第にこの世界に慣れてきていた。

 

 

 

 




冒頭部分として書き溜めておいた分は、今回の話ですべて出し切りました(>_<)

長くなりましたが、プロローグの終了となります。

感想や矛盾点など、何かありましたら、お気軽にお書きください。
よろしくお願いいたしますm(_ _)m


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幕間・1
DoRのちょっとした危機的日常


思い付きで書いてみました。

息抜きに……なるといいなぁ……(-_-;)


 

 

「くぅぅ~! あぁ~! イイ天気だなぁ~」

 

 マーチが大きく伸びをして、そのまま芝生の上に寝ころんだ。

 

「んも~、マーチんってば~。行儀悪いよ~?」

「いいじゃねーか、飯食った後くらい」

 

 ――私たちが、ギルド《逆位置の死神》を結成してから約1ヶ月が過ぎた。

 

 現実時間で言えば1月で、現在の最前線は第6層。

 ゲームクリアなんてまだまだ先だ。

 

「しかし、良かったんですか、ルイさん? 《料理》スキルなんて取ってしまって」

 

 私達3人は、第5層のフィールドで昼食を取った後だった。

 

 圏外なので、油断しきるわけにはいかないが、この周辺にはモンスターのポップもないので、ある程度気軽に腰を下ろして休むことができる。

 

「もっちろん! マーチんには私の手料理食べさせてあげたいしね~」

 

 レベルが上がり、スキルスロットも増えたが、まだまだ満足のいくスキル構成とは言えない中で、ルイさんは迷うことなく《料理》のスキルを覚えたのだ。

 今日の昼食に用意されたサンドイッチも、全てルイさんの手作りだ。

 

 店で買って食べるだけだった安物のパンも、簡単な調理を施されただけで数倍マシな味になるのだから、料理というのは奥が深いものだ。

 

(マーチには……まあ、私が計算に入っていない辺りは、目を瞑りましょう……)

 

 いい意味で、ルイさんもマーチもバカップルということだろう。

 

「……ルイ……お前ってやつはぁぁ!」

「ふにゃぁあああ?! ちょっと、マーチん!?」

 

 ルイさんの言葉に感激したマーチが、ガバッと起き上がったと思ったら、いきなりルイさんに抱き着いたのだ。

 システム上で結婚していなければ、間違いなくハラスメント行為で牢獄行だ。

 

「あ~、お邪魔しても悪いですから、私はちょっと席を外し――」

「セイちゃんまで悪乗りしないでぇ~!」

 

 そんなルイさんの叫びを聞きつつ、私たちは笑いながら日々を過ごしていた。

 

 

 

 ――しかし。

 

 

 

 この時、私はある悩みを抱えていた。

 そしてそれは、明日にでも2人に話をしなければならないほどの事態に切迫していた。

 

 

「お2人に、ご相談があります」

 

 私達は第3層の主街区《ラトラス》の宿屋で朝食を終え、部屋に戻ってきた。

 そこで私は、2人に話さねばならない案件を口にした。

 

 現在の最前線は第6層だが、すでにボス部屋も見つかっているようで、攻略されるのは時間の問題だろう。

 

 しかし、そのことは私達には一切関係ない。

 

 そんな事よりももっと重大且つ急を要する事態だ。

 

「何だよ、改まって?」

「な~に? セイちゃん」

 

 ゴホンと咳払いをした後、2人を真正面から見つめる。

 

 これは、命に係わる大問題だからだ。

 

「……お金がありません」

 

 

『はい?』

「ですから、お金がありません。ノーマニーです。この宿屋に泊れるのも長くてあと3日です」

 

『え?』

 

 2人は顔を見合わせはじめた。

 

「……えっと……だって、ギルドのお財布握ってるの、セイちゃんじゃない~?」

「はぁ、そうなんですが……諸事情がありまして」

 

 私のその言葉に、マーチは思い当たったらしく腕組みをして考え始めた。

 事情を知らないルイさんは、ちょっと真面目な表情になって私を真正面から見据えている。

 

「何に使ったの~?」

「必要経費です」

「ちょっと家計簿見せて~?」

「……分かりました」

 

 ――ギルドストレージに入る資金の運用は、基本的にはギルドマスターに委ねられるが、専横や着服を防ぐために《ギルド資金運用データ》、通称《家計簿》が存在する。

 このデータを見れば、ギルド資金を何時、誰が、いくら使ったのかが分かるようになっている。

 

 私はギルドメニューを呼び出し、家計簿データを出した。

 

 実は、見せても怪しまれないようにと、ちょっとデータを改竄――システム上、不可能になっているので、怪しまれない程度に資金の流用を細目に――したのだが。

 その甲斐も空しく、データに目を通したルイさんは、すぐにその点を指摘してきた。

 

「この辺りから、変にお金が動いてるよね? ここまでそんなに使ってなかったのに。それと、これ、な~に?」

 

 ルイさんは、全体の違和感を指摘した後、さらにあるデータを指した。

 

 そこにあったのは、ギルドストレージから個人ストレージへの、コルの移動を示すものだった。

 

「あ~……」

「詳細を見せて」

「いえ、あの……」

「いいから、見せなさいねセイちゃん」

 

 いつもの温和なルイさんからは想像もできないほど、冷たい声で話しかけられた。

 

 うららかな春の日差しが、一気にダイヤモンドダストと変化したかのような感覚に襲われる。

 こうなっては、ギルドマスターの肩書など何の意味も持たない。

 

「はい……ただ今……」

 

 渋々ではあるが、そのコル移動に関する詳細データを表示させる。

 

「借用書?」

 

 その詳細データは、ギルドストレージから、マーチへとコルを貸し出した旨が記載されている。

 そこに書かれている金額は、わずか1千コルなのだが――。

 

「……マーチん?」

「へへぇっ!」

 

 それを見たルイさんが、マーチに視線を向けると――

 そこには、すでに床に這いつくばって、スライディング土下座を披露したマーチがいた。

 

「マーチん。セイちゃんに何か無理を言わなかった?」

 

 家計簿のデータだけで、事情を見抜いたルイさんの慧眼には恐れ入った。

 

「あ、ま、まあ……ちょっと……」

「この家計簿の変なお金の動き、全部マーチんのせいだね? もしかして、全部マーチんにお金が行ってるんじゃないの?」

「……そ……その通りです……」

 

 土下座して、頭を上げぬままマーチは答え続けている。

 というか、むしろ、私も今のルイさんとは向かい合って話はしたくない。

 

 そんなマーチを、ルイさんは冷たく無言で見据える。

 

「い……いや、な、ど……どうしても、今すぐ買いたいものがあって……だな……」

「それで?」

 

(ルイさんが……ルイさんが怖い……)

 

 いつもの温和なルイさんの表情からは想像もできないほど、今のルイさんは無表情にマーチを見下ろしていた。

 

「ギルドの貯金を、だな……すぐ返せると思って、だな」

「いくら使ったの?」

「あう……」

「い・く・ら?」

 

 ダイヤモンドダストがブリザードに変化した。

 このままではマーチは凍死してしまう。

 

「は……8まンブッ!」

 

 有無を言わさず、ルイさんはマーチの頭を踏んづけた。

 それを見て、思わず私まで正座してしまった。

 

「そんなに使い込んだらポーションすら買えないじゃないの」

「す……すみませ――」

「セイちゃんも。そこに座りなさい」

 

 マーチの台詞を最後まで聞くことなく、ルイさんは私を見ることなくそう命じた。

 

「は、既に」

 

 私もマーチと同じく、正座状態から土下座に移行する。

 

「どうしてそんなにお金を貸したの?」

「必要かと……思いまして」

「後先って、考えなきゃいけないんじゃないの?」

「申し訳……ありません……」

 

 男2人が正座をしたまま――1人は頭まで踏まれて――涙目で、金髪の美人を見上げているところを見られでもしたら、周囲のプレイヤーにはどう思われることか。

 一瞬、体面というものが頭をよぎったが、幸いにもここは宿屋で借りている私たちの3人部屋だ。

 

 それに、これが仮に食堂であったとしても、そんなことを気にしていてはいけない状況ともいえる。

 生き死にの瀬戸際にいるようなものなのだ。

 

 私達2人に、たっぷりと氷の視線を送り、空気が絶対零度まで達したところで、ルイさんは目を閉じた。

 

「払い戻しはできないの?」

「できません……」

 

 こっそり視線をやると、ルイさんはマーチの頭をグリグリと踏みにじるようにして踵を押し込んでいた。

 圏内でなかったら、間違いなくHPが減っているのではないかと思えるような光景だ。

 

 マーチはというと、あまりの痛みに体が痙攣していたが、それでも何とか土下座の姿勢を保っていた。

 

「じゃあ、お金を稼ぐ方法を考えないとね~。使ったものは仕方ないし~」

 

 ここでルイさんが懐の深いところを見せ、マーチの頭から足をどけた。

 

 そこでようやく私たちは寒波から逃れ、春の日差しの中に戻ることができたのだ。

 

「おう! 俺稼ぐ! ガンガン稼ぐ!」

 

 勢いよく立ち上がり、マーチは右手で拳を作って力いっぱい宣言した。

 左手が踏まれていた後頭部を必死にさすっている辺りが、何ともマーチらしい。

 

「私も、及ばずながら頑張りたいと思います」

「及ばなかったらだめよ、セイちゃん」

「……はい」

 

 この春の日差しは、すぐにでも遠のいてしまいそうだ。

 言葉に気を付けよう。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、一通りお説教が終わったところで、私たちは具体的な対策を立てることにした。

 

「まず、日常の出費を削れる限り削らねばなりませんね」

「となると~……1番お金のかかるポーション系~?」

「あまり考えたくないな……回復結晶は高すぎて使いたくないって普段でも思ってんのに……その状態からさらにポーションを削るってのは命を削るのと同義だ」

「それもそだね~……んじゃ~、食費かなぁ……」

「3食全てを最低価格のパン1個に抑えるというのなら、かなり削れますが……」

「ん、まずはそしよっか~。モンスターから出た食材系も全部売ればそこそこのお金にもなるだろうし~」

「そうだな、削れるとこは食費が1番デカイか……となると、次は狩場か」

「そうですね……最前線の6層のフィールド辺りなら、相応に稼げるかもしれませんが」

「でもさ~……回復ポーションの消費も抑えたいよね~……」

「ええ、ですから、あまり最前線に近いところには出ない方が良いでしょう」

「となりゃぁ……2層辺りで安全マージンを大幅にとりつつ、雑魚のトレイン狩りでもするしかねえか?」

 

 本来トレインを意図的に作って狩りを行うのは非マナー行為なのでしないのが常識だが、今だけはちょっと許してもらおう、と自分で自分に言い訳をした。

 

「マーチん、ポイント絞っといてね~」

「まかせろ、ルイ!」

 

 マーチが主要ダンジョンなどを調べ始めたところで――

 

「あ、あと~、5万コル溜まるまで隣には寝ないから~」

「えええええええええええええ!?」

 

 ――というルイさんの台詞に、マーチが全力で叫んでいた。

 

「嫌ならどんどん稼いでね~」

「わかった、今から行こう。すぐ行こう」

 

 マーチがすぐに立ち上がり、猛スピードで部屋から飛び出そうとしたので、私は襟首を掴んで引き止めた。

 

「1人で先走らないで下さい。まだ話すこともありますから」

「早くしろセイド! 俺の安らかな睡眠のためにもぉぉお!」

「……どんだけルイさんがいないと寝れないんですか、貴方は」

 

 あまりと言えばあまりのマーチの様子に、長い付き合いながら、一瞬引いてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 結局私たちがやってきたのは、第2層のフィールドダンジョン《木漏れ日の森》だった。

 

 入り口から、マップを全て塗り潰すように進みながら、目についたモンスターを片っ端から狩り続けている。

 幸いにも、他のプレイヤーと遭遇することはなかった。

 

「薄利多売というのはどうでしょう?」

 

 戦闘と戦闘の合間の移動中も、狩り以外で稼ぐ方法を検討し続けている。

 

「どういうこと~?」

「よく売り買いされるものの相場を常にチェックし、少し安く仕入れ、少し高く売ります。ただし、いつでも同じ場所で、かなり長い時間売り買いを行う必要がありますが」

「自動販売機と同じ原理だな」

「なるほど~。すぐに売ったり買ったりできるなら、多少の高い安いは目を瞑ってもらえるかもね~」

「ただ、24時間体制でどこかへ立たないとなりませんが……」

「セイちゃんするの~?」

「……無理ですね」

「ま、現実的なことなら、こーいう場所で、まだレべリングしてる低レベルプレイヤーたちに回復ポーションとかをちと高く提供する程度かね」

「ああ、なるほど。行商ですか」

「んじゃ~、できる時はそれもするとしよ~」

 

 そんな会話を繰り広げながら、私たちは休むことなく狩りを続けた。

 昼食も、パン1つなので、食べながら移動し、食べ終わる頃には次のモンスターと出くわした。

 

 

 

 

 

 

 そんな調子で、狩りそのものは驚異的な勢いで進んだが、やはり低層のモンスターだけあり、数は狩れても、手に入ったコルは多くは無かった。

 

「……もういっその事、賭けデュエルでもするか?」

 

 夕方になり、思ったほど稼げていない事実に落ち込んだマーチは、そんなことを言いだした。

 

「下手に目立ちたくないので、却下で」

「それに、勝てなかったら困るしね~」

「あああああ~! 何か、ドカンと稼げねぇかなぁあああ!」

 

 私とルイさんに揃って却下されて、マーチは頭を抱えながら蹲ってしまった。

 

 その時。

 私には何かが聞こえた。

 

「シッ! 静かに!」

 

 私の言葉に、マーチとルイさんが揃って息を止め、周囲を見回す。

 

 一瞬だが、確かに、聞きなれない鳴き声が聞こえたのだ。

 どこかに何かいる。

 

 私は《索敵》をフルに使用して周囲を見回す。

 

「ん?」

 

 すると、視界の隅に見慣れないモンスター名が浮かんだ。

 

 モンスターそのものは草むらに隠れているようで、ハッキリとは見えていない。

 

(《グリル・ラビット》?)

 

 見たことのないモンスターだ。

 この森を今日だけで10周はしているはずだが、こんなモンスターは見たことが無い。

 

 となれば、あれはおそらくレアポップモンスターだろう。

 しかも、強くないウサギ系モンスターだ。

 

 戦闘になって負ける、ということは、まずありえまい。

 

【あそこの木の根元に見慣れないウサギがいます。静かに、三方から囲みましょう】

 

 私は2人に、テキストチャットを使用して状況を伝えた。

 

【OK、俺左】

【私右ね】

 

 2人もテキストで返事をし、すぐに移動を開始する。

 

 ウサギ型モンスターは、基本的にノンアクティブで、戦闘状態に入ると逃げ出すものが多い。

 それがレアモンスターとなれば尚更、驚異的な速度で逃げるだろう。

 おそらく、逃走に入られたら、私たちでは追い付けない。

 そして、ウサギなだけあって、物音に非常に敏感だ。

 こちらが会話しているだけでも逃げられる可能性があったのだ。

 

 逃げられていないだけ、充分にラッキーだと言える。

 

【勝負は、気付かれる前に追い詰められるか、逃げられる前に1撃で仕留めるかです】

【セイちゃんは《隠蔽》無いんだよね。あんまり近づかないでね】

【ですから、この場から動いてません。お2人が頼りです。私は《投擲》でそこから追い出します。トドメは任せましたよ】

【おう】

【マーチん、逃がしたら口きかないからそのつもりでね】

【ぜ、全力で狩らせていただきます!】

 

 2人が静かに素早く《グリル・ラビット》の居る場所を挟むように配置に着いた。

 私とウサギの直線状に巨木があり、その根元にいるウサギは、私から最短距離で逃げられる直線状には逃げられない。

 

 どうしても樹を避けるはずだ。

 そこを2人に仕留めてもらう作戦だ。

 

【行きますよ】

 

 私は《投擲》スキルの基本技《シングルシュート》を使用して、落ちていた石ころを《グリル・ラビット》に投げつける。

 

 すると、狙い違わず、ウサギの体に当たったようで、わずかながらHPバーが削れ、石が当たったと同時に《グリル・ラビット》は左に――マーチの方へと飛び跳ねて逃走を開始した。

 

「マーチん!」「マーチ!」

 

 私とルイさんの叫びがほぼ同時に響き。

 

「逃がさん」

 

 マーチがそう呟いたところで、マーチの横をウサギが跳び越え――るかと思いきや、なんと、マーチの横をすり抜けるか否かという瞬間に、《グリル・ラビット》がポリゴン片となって消えて行った。

 

「俺が刀を手に入れる前だったら、あるいは逃げられてたかもしれねえが。1週間ばかり遅かったなぁ」

 

 マーチは曲刀を使い続けたことで、1週間前にエクストラスキルである《カタナ》を入手したばかりだった。

 

 そしてそれは、マーチが全力で戦えるようになったということを意味する。

 

「……マーチ……今のは……」

「おうよ! どうだった、俺の居合い!」

 

 マーチは意気揚々と満面の笑みでこちらを見やる。

 

「いやぁ……マーチん、やっぱりリアルより速いんじゃな~い?」

「そりゃそだろ! 生身じゃこんなに自在に居合いなんぞ出来ねえよ!」

「それにしても速すぎるでしょう! 抜き手も、いや納刀すら見えませんでしたけど!?」

 

 

 

 ――マーチの実家は、剣術の道場を開いている。

 

 それも、剣道ではなく、本物の剣術、より正確には日本刀術と言った方が良いのだろうか。

 そこで生まれ育ったマーチは、幼いころから剣道を学んでおり、合わせて実家の剣術も身に付けている。

 

 そんな中、マーチが最も好んだのは、居合いだったのだ。

 実戦ではなく、如何に綺麗に巻き藁を居合いで斬れるか、ということにマーチは魅了されていた所がある。

 

 そんなマーチに刀を持たせたら、まあ、こうなった。

 

 

 

「イメージ通りに動くからなぁ……勝手にこうなるんだよ。ま、良い事だし、良いんじゃね?」

 

 歯を見せてニカッと笑うマーチは、清々しくも恐ろしい。

 

 通常、《剣技》以外の攻撃というのは大したダメージを叩き出せないものだ。

 だが、マーチの居合いは、《剣技》で無いにもかかわらず、雑魚モンスター程度なら1撃で屠ってしまうというような、常識離れした威力を叩きだしている。

 

(やはり、ダメージ計算には武器の振られる速度や、武器自体の重さも関係するんでしょうね……とすると、敏捷値に偏らせているというマーチの攻撃は、驚異的な速度を誇っているということに……)

 

 そんなことを改めて考えていると、マーチが戦利品を見せに来た。

 

「んなことより! ほれほれ! 良いもん手に入ったぜぇ! これで金欠解消だな!」

「ん~? 何が手に入ったの~?」

 

「そりゃ、《グリル・ラビットの肉》だろ! はずれると皮だけどな!」

 

「ほほぅ?」

「あ、ああ、知らねえのか。こいつの肉はA級のレア食材でな。現時点で手に入る肉系食材の中じゃ、1番美味いってもっぱらの評判だぜ」

 

『A級食材⁈』

 

 私とルイさんが見事にハモった。

 

 食事が唯一の楽しみと言っても過言ではないSAOの世界において、美味しい食材というのはなかなか無いもので、NPCレストランなどにある欧州田舎風の料理は、素朴な味わいで、それはそれで美味しいのだが、どうしても味の濃い肉系料理などが恋しくなる。

 その欲求を満たしてくれる、数少ない食材が、こういったレア食材というわけだが。

 

「……ね、それ、帰って食べない?」

 

 滅多に手に入るものではない。

 

 故に、結構な値がするので、おいそれと口にできる機会は無い。

 だから、ルイさんの気持ちもよく分かるのだが。

 

「マーチ、私にトレードして下さい」

「お? おう」

「あ! あああ! マーチん!」

 

 ルイさんが何か言う前に、マーチから私へ《グリル・ラビットの肉》を移してもらう。

 

「ねえねえセイちゃん! 私が料理するから! 帰ったら――」

「さあ、帰ってこれを売りましょう。これ1つで充分にマーチの借金分が賄えます」

「そんなぁぁぁ! セイちゃぁぁぁぁん!」

 

 ルイさんの滅多に見れない落ち込みぶりを背に、私は悪いとは思いつつも、街へと足を向けた。

 

(ごめんなさい、ルイさん、今回ばかりは譲れません……私だって食べたいですよ……)

 

 

 

 

 

 

 

 私は、街についてすぐ競売所に行き《グリル・ラビットの肉》を売りに出すと、あっという間に値がせり上がり、マーチの使った分を差し引いてもおつりが出るほどの金額になった。

 

 こうしてマーチはめでたく、借金返済となり、ルイさんの隣で寝る権利を得たわけだ。

 

 まあ……《グリル・ラビットの肉》を食べられなかったショックで、ルイさんが夕食を作ってくれなかったのは想定外だったが。

 

 

 

 その夜、マーチは、借金をしてまで用意したあるアイテムを、ルイさんに渡すことにしたようだ。

 

 妙に真剣な表情のマーチを、私は部屋の隅に設えられた机で家計簿をつけながら横目で見やった。

 

「ルイ、これ、受け取ってくれ」

「ん~……な~に~?」

 

 未だショックから立ち直っていないルイさんの、力のない返事が聞こえる。

 

「けっ……ケッコン……ユビワ……」

 

 ぼそぼそと、カタコトに話すマーチは、まるで中学生のようだった。

 耳まで真っ赤で、下を向き、ルイさんの目を見れていない。

 

「……え……」

 

 対するルイさんも、唐突といえば唐突なことに、何度も目を瞬かせている。

 

「ホントは俺、金貯めてからって思ったんだけど……この世界に来て、おまえが居なかったら、俺は絶対生きてなかったし……ちょっと無理したけど、お前を守って、ここから生きて脱出するっていう決意っていうか……ああ、俺なんかもう、上手く話せてないな」

 

 ルイさんは、頭を掻きながら小さく言葉を繋げているマーチを涙目で見つめている。

 

「エンゲージリングは給料3ヶ月分なんだろ? でも俺そんなの持ってないし……でも、ルイには……」

「もういいよ、マーチん。ありがとう……本当にありがとう……」

 

 ルイさんは、そのままマーチの傍に寄り添い――

 

 私は、これ以上は無粋だと思い、そっと部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 ここで、もう1つ、想定外のことがあった。

 

 マーチのバカ野郎が部屋を施錠してしまい、その理由も何となくわかった私は鍵を開けて入るに入れず、しかも運の悪いことに他に空き部屋も無かったために、私は白い息を吐きながら、冴えた月に見守られながら、一夜を外で過ごすしかなかった。

 

 あの2人が上手くいってくれるなら本望、と思う反面、明日はマーチをシメてやろうと固く心に誓いながら、第6層の通常フィールドにいたモンスターたちを力の限り叩きのめした。

 

 



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第一章・運命
第一幕・竜骨の墓地


長かったプロローグだけで飽きられてるかもしれませんね(・_・;)

ある意味、やっと本編です(;一_一)


 

 

 静まり返ったダンジョン内で、私は1人、静かに静かに息を吐いた。

 

 時刻は午前1時。

 

 マーチとルイさんが寝入ったのを見計らって、私は狩場に出向いていた。

 

 私は相変わらず、睡眠時間を最低限にし、人が減る時間帯を見計らって《レベル上げスポット》に出向いている。

 

 現在知られている中で最も効率のいいスポットは、私のスキル構成的に向かないので、今私が来ているのは、私には最も効率のいいスポットであって、他のプレイヤーは皆無だ。

 

 というか、この場所は、倦厭されているだろう。

 27層のフィールドダンジョン《竜骨の墓地》。

 

 最前線が30層であることを考えれば、このフロアも、そう楽な場所ではないはずなのだが、朝昼のマーチたちとのパーティー狩りに、夜間のソロ狩りも合わせ、私のレベルは、このフロアでの安全マージンを充分すぎるほどにとっている。

 

(人がいないことを加味すると、まだまだ、ここでやれますね)

 

 マーチとルイさんも、すでに私が夜間にソロ狩りをしていることは知っている。

 

 私に同行してこないのは、2人だけの時間を作ってあげたいと、私が随分前に言ったからだ。

 

 現実世界で私と同じ大学に通う2人は、リアルでも恋人同士であり、この世界においては結婚もしている。

 そんな2人と、常に私が一緒にいるというのは、正直、2人に悪いし、私としても一緒に居続けるのは気が引ける。

 

 そんなことを考えながら一息ついたところで、周囲の敵が再出現(リポップ)し始める。

 

 この《竜骨の墓地》の基本モンスター、《骸骨兵士(スケルトン・ソルジャー)》たちは、手にしている武器こそ剣・斧・槍・戦鎚などとバラバラだが、武器を持つモンスターとしては珍しく《剣技(ソードスキル)》を使用してこないという特徴がある。

 

 その分、通常攻撃の速度は速めで、全体的な動きも他の骸骨系モンスターに比べると速い。

 だが、間違って喰らっても、通常攻撃なので1撃1撃の威力は然程高くはない。

 

 とはいえ、集団で囲まれて袋叩きにあえば、防御力の低い私のHPなど、あっという間に赤の危険域(レッドゾーン)に陥るだろうが。

 

 また、骸骨兵士たちは、防御力は低いものの、最大HPが高めなので、武器を選ぶ狩場となる。

 

 骸骨系に最も有効なのは《打撃》属性だが、メジャーな武器である剣や斧などは《斬撃》属性なので、若干効き目が薄い。

 さらに、槍や刺突剣(エストック)といった《刺突》属性の攻撃は、もともと骸骨系には効果が薄いのでさらに出番がない。

 

 それにどうやら、ここの骸骨たちは、《打撃》属性以外のダメージをさらに半減させる特性もあるようで、殊更効果が薄くなってしまっている。

 

 さらに、敵の持つ武器が、墓場で錆びているということからか、低確率ではあるが、《麻痺》や《毒》といった状態異常を引き起こす可能性もある。

 

 ――と、これらの理由により、この場はメジャーな狩場としては機能していなかった。

 

 私のような例外を除けば。

 

「シュッ!」

 

 鋭く息を吐きながら、回し蹴りで手近な骸骨の頭を粉砕し、回転の勢いを殺さず、後ろから近付いてきていた骸骨に二連拳撃技《ファング》を叩き込み粉砕する。

 

 私の使う《体術》スキルは、拳や蹴りといった肉弾戦のスキルで、特別な例外を除いて、その攻撃属性は《打撃》に分類されている。

 故に、私にとってここの骸骨たちは、非常に倒しやすい敵だ。

 

 注意すべきは、《麻痺》だけ。

 しかしそれも、全ての攻撃を回避することで受けないよう努力している。

 

 《体術》しかない私にとって、受け流し(パリィ)は体力も一緒に削られるため、可能な限り避けたいところであるし、体力が削られるということは、相手の武器による状態異常の発生判定があるということでもある。

 回避が追い付かなかった場合以外は、取りたくない手段だ。

 

 プレイヤーが私しかいないため、周辺の骸骨たちはワラワラと私の周りに集まってくる。

 

 それらを遠慮なくスキル全開で粉々に砕けるのも、やはり周りにプレイヤーが居ないからだ。

 

 最近目に見えて増えてきたPK(プレイヤーキラー)の問題もあり、自身のスキル構成やレベルなどは、親しい仲間にすら教えないという風潮が基本となっている。

 私達もその例外ではない。

 

 特に、私は人に言えないようなスキル構成になってしまっている。

 おそらく、マーチ辺りが知ったら、怒鳴られるのではないかという構成だ。

 

(しかしまぁ、必要だったわけですし、それに)

 

 背後から曲刀を振り下ろしてきた骸骨の攻撃を、身を捻ることで躱し、そのままの勢いに裏拳を叩き込んで吹き飛ばす。

 

構成失敗(ビルドエラー)とは言いませんしね。むしろ大正解でした)

 

 カシャカシャと音を立てて動く骸骨兵士たちを私は軽く見まわし、再び突撃していく。

 

(……普通、このスキルを上げるような人はいませんし……上げているとしたら、同時に他2つも、上げているでしょうからね……)

 

 骸骨兵士を殴り、または蹴り、次々と粉砕していくと、レベルアップのファンファーレが鳴り響いた。

 

 ここに来たのが午後21時だったから、4~5時間、ぶっ通しで狩り続けていた甲斐があったというところだろう。

 

(睡眠時間を考慮すると……まだ2時間は行けますね……)

 

 近頃の私の睡眠時間は、基本的に3時間。

 まあ、2週間に1度、8時間ほど爆睡するが。

 宿屋に帰るまでの時間を考慮しても、ここを4時前には出ればいい。

 

(休憩なしで2時間……しかし……次のレベルアップは……2~3日先かな……)

 

 正直に言えば、この段階でマーチとルイさんのレベルと、10ほど差が開いているはずだし、スキルの熟練度に至っては、街でも鍛えられるものは鍛え続けている甲斐もあり、マスターに至った2つのスキル以外にも、そろそろ900の大台に乗るものもある。

 

 ギルドまで設立した仲間と、これほどにレベル差が開くというのは、正直いいことだとは思わないが、私の意志は変わらない。

 

(仲間を守れるだけの強さを……そのためなら……)

 

 突出したレベルを持てば、高効率のパワーレベリングも可能になるというのも、理由にある。

 

(マーチも、ルイさんも、死なせない)

 

 私を突き動かすのは、この一点に尽きた。

 

 ――骸骨兵士の粉砕音とともに、周囲のモンスターのポップが、一旦止んだ。

 と、同時に。

 

(ん。人が来た?……こんな時間に……こんな場所へ?)

 

 私のスキルが、人の接近を捉えていた。反応は4。一応全員グリーンだ。

 

(まあ、《隠蔽(ハイディング)》している人がいたとしても、見破れないことは多分ないでしょう)

 

 意識を集中して、《隠蔽》プレイヤーがいないか注意するも、反応は無い。

 

 もうしばらく彼らが進んで来れば、私に気が付くだろう。

 

 私は《隠蔽》を習得していないので、隠れようがない。

 もしくは、彼らの中に《索敵(サーチング)》を高いスキルで修めているプレイヤーが居れば、すでに捉えられているかもしれない。

 

(気にしても始まりませんかね……っと!)

 

 プレイヤーの接近を気にしていると、骸骨兵士たちの再出現が始まった。

 

 この場所はこのダンジョンで最も敵がポップするスポットで、安全エリアも少し遠い。

 

 やってくるプレイヤーがグリーンなら気にせず私は私の狩りに集中する、と決め、意識をモンスターに向け、再び拳を振るった。

 

 

 



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第二幕・丑三つ時の怨嗟

 

 

「クエッ♪ クエックエッ♪ 真夜中のクエェ~♪」

 

 そんな気の抜けそうな歌声が聞こえてきたのは、しばらくしてからだった。

 

 私は骸骨兵士に囲まれながら、その歌声を耳にして、先ほどのパーティーがこの場所の近くまで来ていることを確認した。

 

(フッ!……こちらまで来たか……クエ……クエスト関連……シッ!……そういえば)

 

 骸骨兵士を殴り飛ばしながら、このダンジョンが絡むいくつかのクエストのうち、時間限定のクエストがあったことを思い出す。

 

(……確か!……《丑三つ時の怨嗟》というクエストでしたっけ……)

 

「クエックエックエッ♪ 難しいクエェ~♪ 怖いぃ~クエェ~♪」

 

 この《竜骨の墓地》は、墓地という名の通り、アンデットモンスターが数多く生息しているわけだが、この場所に関連するクエストも、ホラーめいたものばかりだった。

 

 その中でも、《丑三つ時の怨嗟》クエストは、怪談話自体もさることながら、クエストMobもゾンビ仕様という人の恐怖心を煽る、なかなかの趣向となっているらしい。

 

 しかし、そのことに思い至って、私は呻いた。

 

(うぅむ……となると、ここを離れないと……っフッ!)

 

 《丑三つ時の怨嗟》のクエストMobのポップポイントが、私が今いるこの場所――相応に広い、荒れ果てた墓地広場だったはずだ。

 

 クエスト条件を満たしたプレイヤーが、クエスト名通り、丑三つ時――午前2時頃にこの場にいると、出現するモンスターが《骸骨兵士(スケルトン・ソルジャー)》から《腐乱死兵(ピューレトファイド・ソルジャー)》に変化する。

 その腐乱兵たちを一定数排除すると、最後にクエストボスである《腐乱死竜(ピューレトファイド・ドラゴン)》が現れる、という、この層のクエストでは最難関の――

 

 

(ッツ! しまったっ!)

 

 そこまで思い至ったところで、すっかり忘れていたクエスト情報を今更のように思い出した。

 

 あのクエストは、この層のクエストとしては最難関で、今の最前線、30層のクエストでもおかしくない強さのボスということで有名だが、もう1つ、難易度を高めている最大の要因がある。

 

(腐乱兵が出る前に離れないと! っく!)

 

 しかし、骸骨兵士のポップは治まっておらず、この場所から離れようにも、離れる余裕がなかった。

 

 

 攻略難易度を高めている要因、それは、クエストMobがポップした段階で、ダンジョンの安全エリアが一時無効になり、さらに転移結晶が使用不可能になるという点だ。

 

 ダンジョン、それも迷宮区で稀に見られる罠などで、《結晶無効化空間》というものがあるが、あれは結晶アイテム全てが使用不可という最悪の代物だが、このクエストにおける転移結晶の無効化は、その下の段階になる。

 

 回復結晶や解毒結晶などは使えるが、転移結晶だけは使えない。

 つまり緊急脱出ができないのだ。

 

 SAOが復活不可能のデスゲームでなければ、転移結晶使用不可というのは罠としてはありがちだと思うのだが、ことデスゲームと化しているSAOにおいては、緊急脱出を許されない状況というのは、可能な限り避けるべき事態だ。

 故に――

 

(このクエストは皆が避ける種類のクエストだからと、油断が過ぎましたっ!)

 

 情報は可能な限り集めていたが、このクエストを進んでクリアに向かったプレイヤーはいないという話しか聞いて居ない。

 

 情報が出回る前に、このクエストに挑んでしまったギルドが、危ういところでクリアしたらしいが、転移不可という情報がすぐに広まり、誰もクエストを受けにいかなくなったからだ。

 

 それともう1つ。

 

 唯一クリアしたのは、攻略組ギルドのプレイヤーたちだった。

 

 話では確か、野武士風の顔立ちのバンダナを巻いた男性の刀使いが率いる6人だったと聞いたが、攻略組と称されるギルドの1つが《危うく》クリアしたのだ。

 その難易度は、推して知るべしである。

 

 一刻も早くこの場を離れ転移結晶を使おうと決め、しかし、私は今、骸骨兵士に取り囲まれているために、離脱もままならない。

 

(まずい! もう――)

 

「と~ぉちゃ~っく! 時間もぴったりだねぇ!」

 

 ――間に合わなかった。

 

 

 先ほどから聞こえていた気の抜けそうな歌声の主が、この場にやってきてしまった。

 

 やってきたのは、長い赤髪をポニーテールにまとめた、少し背の低い女性だった。

 

 それと同時に、もう1つ、おかしなことに気が付いた。

 

(プレイヤーの数が……減っている?!)

 

 あらかじめスキルで捉えていたプレイヤーの数は4人。

 

 今来た女性と、他に3人いるはずだったのだが。

 

 その3人の反応は完全に消えている。

 《隠蔽》で隠れているわけではない。

 まさかとは思うが――

 

「あれっ? あの人たち居なくなってる? おーい? どこいったのぉ~?」

 

(……クエストPK……?)

 

 クエスト攻略という名目でプレイヤーを誘い出し、PKに及ぶという手段は、少なからず、ある。

 しかし、先ほどの反応は、間違いなくグリーン――

 

 そこで、また気が付いた。

 

(そうだ……グリーンのままPKをする手法が、これだ……なんで忘れてた……)

 

 プレイヤーの犯罪者(オレンジ)カラーを決める要因は、プレイヤーを傷付けるなどの《直接的な》犯罪行為だ。

 

 このクエストPKは、対象者をクエストに連れ出し、敵モンスターあるいはボス戦で放置し、モンスターに殺させるという、MPKに類する手法だ。

 故に、プレイヤーカラーはグリーンのまま変化しない。

 

 そのことを忘れていた自分に辟易としながら、赤髪の女性を一瞬見やる。

 

「ありゃ? パーティーも解散になってる。むむぅ……はっ! 分かった! 怖くなって逃げたな! 弱虫な男どもめー!」

 

 つまり彼女は、MPK対象にされたのだろう。そして――

 

(この場にいた私も、ついでに殺してしまえ、といったところでしょうね……)

 

 《隠蔽》の無い私の位置は、彼らもしくは彼女らに筒抜けだったはずだ。

 

 私がクエスト戦に巻き込まれることを分かっていて、このMPKに及んだとしか考えられない。

 

 

(……MPK……なるほど……そうですか……)

 

 

 怒りが、静かにこみ上げてくる。

 と同時に、思考の一部が一気に冷えていくのを感じた。

 

 私は、慌てず騒がず、骸骨兵士の掃討を続ける。

 

「おぉーい、そこの人ー! 一緒にクエストやらなーい? 今なら可愛い美少女が付いてきてお得だよ♪」

 

 赤髪の女性は、MPK対象にされたということに気が付いていないようだ。

 

 それならそれで幸せだろう。

 人の汚い面は、知らない方がいいこともある。

 

 ――それはともかくとして。

 

 私がまだ戦闘状態にあるというのに、女性からパーティー招待申請が送られてきたのには、少々面食らった。

 

(……もしかして……天然……?)

 

 MPKに対する怒りが、プスプスと音を立てて抜けていくような感覚を味わいつつも、戦闘を継続しながら、何とかパーティー申請を承諾する。

 

「おぉー! おにーさん、やるねー! 戦闘しながら承諾とか、凄いよ!」

 

「って、分かってて送ったんですか!」

 

 思わずツッコんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の名前は《Aroma》――アロマとなっていた。

 

「私はアロマ! 身長は158センチ、花も恥じらう18歳でっす! 体重とスリーサイズは乙女の秘密♪ よろしくぅ!」

 

「あ~……はい、どうも……セイドです。よろしく……ッ!」

 

 なんというか、とてもやりにくいテンションの相手だった。

 ある意味、私の1番苦手なタイプといっても過言ではないだろう。

 

 しかも、このテンションで、この手の話題を、戦闘をしながら振ってくるのだから、たまったものではない。

 

「えー! 自己紹介そんだけ~? ほ~か~に~は~!」

 

 いやもう本当に、勘弁してほしい。

 やはり、こういうタイプの女の子は苦手だ。

 

 マイペースを崩さず、空気を読まず、周りも自分のペースに巻き込もうとし、しかもそれが天然なのか、わざとなのか判断できない。

 

「えっと……っ! その辺りの話は後にしましょう! アロマさん。とりあえず今は、この骸骨どもを片付けて、クエストMobに備えないと!」

 

「え~? いいじゃんいいじゃん別に今でもさ~。それに、これ倒し終わっちゃったら、もっと手ごわいのがいっぱい出るんでしょー? ますます話なんかできないじゃん」

 

(だからなんでそういう情報をしっかりとつかんでいるのに、そこまで能天気にしていられるのかむしろそれを教えてほしいですよ!)

 

 私の心の叫びなど知る由もなく、アロマさんの無駄に能天気な会話は終わる気配を見せなかった。

 

「ほらほら、なんかあるでしょ? 実は母親の違う子どもが3人いるとか! 実は闇金の取立から逃げてるとか! 実は余命幾許(いくばく)もないとか!」

「なんでそんなドラマみたいな展開ばかり繰り広げてるんですか?! 私は普通の大学生ですよ! 身長は181、20歳(はたち)です! これでいいですか?!」

「ヒャッホーイ! カコイイおにーさんのプライベート情報ゲットだぜー!」

 

 骸骨兵士との戦闘中にもかかわらず、私は妙な脱力感に襲われた。

 

(な……なんなんだ、この子は……)

 

 アロマさんの戦闘そのものは、全く危なげがなかった。

 

 手にしているのは、彼女の背丈よりも長大な両手剣で、その1撃1撃の威力は、打撃ダメージ以外半減の特性を持つ骸骨兵士を相手にしても、私の《体術》と同程度の威力を叩き出しているようだった。

 現状で手に入る両手剣の中でも、かなり高性能の武器であり、且つ筋力値に偏ったステータスであることがうかがい知れた。

 

「それでそれで~? カコイイ大学生のおにーさんが、こんな夜中に、こんな寂しい場所で、それも1人で何してたの~?」

 

(MPKという状況に全く気付いてないからこんなに気楽なのかもしれない……これは後で、しっかり教えておかないと、また同じような危険に合わないとも限らない……)

 

「ただのレベル上げですよ、っと! ほら、骸骨(スケルトン)は次で最後です! アロマさんは先に耐毒ポーションを飲んでおいて下さい! 本番は次からですから!」

「ほほ~い」

 

 やはり気の抜けるような返事とともに、1歩離れ、そこでポーチから1つの瓶を取り出した。

 薄緑色の液体の入った小瓶――耐毒ポーションだ。

 

(事前準備はしているようですね……)

 

 私の安堵など知りもせず、彼女は耐毒ポーションを(あお)った。

 

「んっ、んっ、んっ、んっ……っぷっはぁ~! くぅうぅう! しみますなぁ!」

 

 ――よりにもよって、腰に片手を当てて、しかも風呂上がりに缶ビールでも飲んだかのような感想を、若い女の子が吐いた。

 

「オヤジくさ! 台詞も飲み方もオヤジくさいですよそこの女子!」

「うわ! ひど!」

 

 彼女が耐毒ポーションを飲んだのを確認した段階で最後の骸骨を排除した。

 

 私の感想に対しての彼女の非難めいた台詞は無視して、私もすぐに耐毒ポーションを呷る。

 

 ――と、ほぼ同時に、地面から、ボコボコと音を立てて無数の手が生えてくる。

 

(本当に、間を開けずにクエストMobが出るんですね、このクエ……)

 

 なかなかにシュールな光景だった。

 墓地のそこかしこから腐った手が生えてきて、続けて目玉の抜けおちた顔や、肉が腐りおちている体が這い出てくるというのは。

 

「きゃぁー、こわーい、きもーい、助けてダーリーン!」

「しがみ付かないでください。だれがダーリンですかだれが」

 

 台詞棒読みの大根役者よろしく、私にしがみ付いてきたアロマさんを素っ気なく引きはがし、私は気合いを入れなおした。

 

 先ほどまでの骸骨兵士と違い、この《腐乱死兵(ピューレトファイド・ソルジャー)》の攻撃を受けると、高確率で麻痺や毒といった状態異常が発生するらしい。

 その予防のための耐毒ポーションだ。

 

 更に、このゾンビには打撃属性の攻撃は通りにくいという、骸骨兵士とは真逆の敵になっているはずだ。

 打撃半減などという特性が無いだけマシだと思うべきだろうか。

 

「そんな冷たいこと言わないで~。私の色香に惑わされて?」

「味方を惑わす暇があるのなら、敵を惑わして全部惹き付けて下さい。その隙に、私が敵の背後から攻撃しますから」

「ちょ! 美少女を囮にしちゃ、ヤーよ?!」

 

 自分で自分を美少女と言ってのけてしまう女子高生を軽く無視しつつ、腐乱死兵が完全に這い出してくるのを油断なく見やる。

 

「なら、真面目にやって下さい。こいつらには私の攻撃よりもアロマさんの攻撃の方が効くんですから。惹き付け役は私がやります。アロマさんは手近な敵を片っ端から排除していって下さい」

「は~い。でもそれ、ダイジョブなの? セイドって耐久力なさげだけど」

「人の心配はしなくていいですから、自分のことだけ気を付けて下さい」

 

 ここまで来ると、アロマさんのテンションにも、なんとなく慣れてきた。

 慣れるというか、流すというか。

 

 まぁ、連携というほどのものは必要にならないだろう。

 

 私が惹き付けている間に、アロマさんが高威力の両手剣で敵を屠ればいいだけの話だ。

 むしろ《腐乱死兵》はまだ問題にならない。

 

 このクエストの1番厄介な点は、このあとのボスなのだ。

 

(可能な限り、回復アイテムは温存しなくては……)

 

 《腐乱死兵》が問題にならないのは、行動の遅さと武器を持たない点にある。

 よくあるゾンビゲームのように、ガクガクブルブル震えながら、ノロノロと襲い掛かってくるわけだ。

 

 ――そういったゾンビゲーの中には、やたらと移動速度が速いゾンビもいたりするが、この場のゾンビにはそういった例外はいないので安心だ。

 

「アロマさん、回復アイテムは可能な限り温存して、ボス戦に備えて下さい。本来2人で相手をするようなボスではないんですから」

「やっはー! ボスの経験値もアイテムも2人占めー! ラッキー!」

「ったく……!」

 

 思わず眉間に手がいった。

 

 この娘は、極端にポジティブな発想しかないようだ。

 それが悪いとは言わないが、本当に分かっているのだろうかと疑わしくなる。

 

「そう身構えなくても大丈夫でしょ! 私レベルには自信あるんだ! なんたって今、45だかんね! えっへん!」

 

 両手を腰に当てて胸を張るのだが……。

 

「いや、あっさりレベルとかばらしたらダメでしょう!」

「ほへ? なんで? パーティーなんだから教えたって良いんでない?」

 

 まるで相手を警戒していないその台詞に、眩暈すら覚えた。

 

 この娘は、本当に、PKに関して無知すぎる。

 

 しかし、そのことに関して言及する時間は無くなった。

 

 周囲から這い出してきていた《腐乱死兵(ピューレトファイド・ソルジャー)》が、いよいよ全身を地上に現した。

 

「っく! とりあえず話は後回しです! 始めます! 頼みますよ、アロマさん!」

「やっはー! 頼まれましたー!」

 

 

 こうして私は、アロマさんという、ポジティブハイテンション娘と、クエスト《丑三つ時の怨嗟》攻略を、成り行きで開始することとなった。

 

 

 



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第三幕・墓地に響く咆哮

黒炉様、感想ありがとうございました!


 

 

 私は正直、この眼鏡男はそんなに強くないだろうと思っていた。

 

 武器も持ってないし、防具も全身が道着系なんていう布系防具だし、何といっても眼鏡キャラだし。

 

 私も決して、防具は固いものじゃないけれど、布防具よりは圧倒的に耐久力も防御力もある軽金属鎧だ。

 この人とクエをすることになってしまった時には、私が敵を惹き付けるしかないと、半ば諦めていた。

 

 しかし、始めてみると、その考えが甘かったことに驚かされた。

 

(おひょー! 凄い凄い。全然こっちにタゲが来ないよ)

 

 セイドといった黒髪眼鏡の男は、武器も持たず、しかしそれを活かした《体術》を巧みに使い、決して狭くない範囲にワラワラと溢れているゾンビに一撃離脱戦法(ヒット・アンド・アウェイ)を繰り返し、派手に動き回ることで私にタゲが向かないようにしている。

 

 それも凄いのだが、何よりも凄いのは――

 

(この戦闘が始まって10分か……いやぁ~、まっさか、ここまで無傷(ノーダメ)とはね~)

 

 その回避能力だ。

 

 いくら動きがノロいゾンビとはいえ、その分、筋力値は驚異的だ。

 

 間違って捕まりでもすれば、逃げるのはほぼ不可能で、そうこうしているうちに、周りのゾンビに囲まれてタコ殴りにされるのは目に見えている。

 

 だが、彼は、これほどの数のゾンビを相手に大立ち回りをしているというのに、1撃すらかすめられていない。

 

 もう完全回避とか絶対回避とかいう次元の回避能力だ。

 

(敏捷一極……? いんや。それじゃ、あの攻撃力は出ないよねぇ)

 

 彼が回避に徹しているのなら、ゾンビのタゲは私にも向く。

 敵の数を主に減らしているのは私だし、1撃の威力も私の方が上なのだから。

 

 だけど、私にはタゲが来ない。

 つまり、彼は相応のダメージをゾンビに与えつつ、攻撃を回避し続けている、ということになる。

 

(う~む、不思議だ。あ! ほらまただ! なんでだろう?)

 

 彼の回避能力の秘密は、死角からの攻撃すら避ける、という点にある。

 

 私もソロ狩りが多いので《索敵》は鍛えているけれど、それだけではあのような回避行動はとれない。

 というか、攻撃しつつ《索敵》に意識を割いていると、私なら動きが鈍る。

 

(何か秘密がある……乙女の勘がビンビンいってるよ!)

 

「って、こら! アロマさん! なんで止まってるんですか! 敵倒して下さいよ!」

 

「おぉう、サボってるのがばれちった! テヘペロ!」

 

 彼の秘密を気にし過ぎて、敵を倒す手が止まっていたのを笑って誤魔化そうとし――

 

「ぁいた!」

 

 間髪入れず飛んできた小石が眉間に当たった。

 HPが減らず、犯罪者(オレンジ)にならない程度に投げられた小石だった。

 

(っぅ~! 《投擲》スキルまで上げてるのかな?……侮れない男だ!)

 

 若干涙が出たが、気を取り直して、敵を切り伏せにかかった。

 

(まぁ、このクエ、クリアしたいのは私だしねぇ。仕方ないけど頑張りまっしょい!)

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘開始から1時間が経過し、《腐乱死兵(ピューレトファイド・ソルジャー)》が残り5体になったところで、私は少し気を緩めた。

 

(ここまでは順調でしたね。彼女も、途中でサボらなければ、褒められたのですが……)

 

 ここまで、私もアロマさんもほぼ無傷だ。

 1撃で沈められなかった死兵から、アロマさんが少し反撃を受けたくらいだろう。

 

 時間はかかったが、ここまでは予定通りといっていい。

 

「アロマさん、私がこいつらとやりあってる間に、もう1回、耐毒ポーションを!」

「へ?」

 

 何故か間の抜けた返事が飛んできた。

 

「もう持ってないよ? 次なんて。私4本しか持ってなかったし」

 

 続けて返ってきた答えは、衝撃の一言。

 

「えええええ!?」

 

(……しまったな……先に所持本数を確認しておくべきだったか……)

 

 本気でこめかみを抑えた。

 

 ここまでロクにダメージを喰らっていないから必要なかった、と思うかもしれないが、耐毒ポーションはこのクエストにおいて必要不可欠な予防線だ。

 

 喰らってから解毒結晶などを使っていては、間に合わない場面も多い。

 

 特に、このクエストのボス《腐乱死竜(ピューレトファイド・ドラゴン)》は、直接攻撃による状態異常の発生確率も高いが、厄介なのは《猛毒の吐息(ポイズン・ブレス)》と《麻痺毒の吐息(パラリシス・ブレス)》というブレス攻撃がある点だ。

 

 ドラゴンの前面に展開される毒のブレスは、回避不可能というほどではないにせよ、広範囲に展開されるため、回避が難しい。

 また、吐き出された後の数秒間、周囲に残るという特徴があるため、移動が制限され、ドラゴンの攻撃をさらに回避しにくくさせる。

 

 故に、耐毒ポーションはこのボス戦では必要不可欠なのだが、ポーションの効果時間が15分ということもあり、最低でも1ダース、長期戦を見込むなら3ダースが必要、と情報には有った。

 

「クエスト情報に、耐毒ポーションを大量に用意するというのがあったでしょう?」

 

「あ、そなの? 大量にっていうのは聞き逃した(・・・・・)かも……ごめ~んちゃい!」

 

 頭が痛くなってきた。

 

(……この娘は、何故こんな状況で能天気にしていられるんだろう……)

 

「ああもう! とりあえずこいつら片付けたら、私の持ってる分を渡しますからすぐ受け取って下さい!」

「あ~い!」

 

 のんきな返事とともに、腐乱兵が斬り倒されていき、最後の1体がポリゴン片となって消えたと同時に、私は彼女に、手持ちにあった耐毒ポーションを全て押し付ける。

 

「ありがちょ! って、ちょいまち! これセイドの持ち分、全部じゃないの?」

「そうですよ。とりあえず、もうすぐボスが出てくるはずです。ボスが出たら1本はすぐに飲んで下さい」

「いや、そじゃなくて! セイドの分が無いんじゃ――」

 

「いいですよ、私は受けませんから」

 

 とても久しぶりだが、攻撃を受けないことを言い切った。

 

(はぁ~……もう、こんな戦闘、さっさと終えてしまいたい……)

 

 

 

 

 

 

 

(受けないって……え? 全部回避する自信があるってこと?)

 

 あり得ない宣言をされた。

 

 私も回避力には自信があったけど、セイドのそれを見せつけられては自信があるとは言い切れない。

 だけど、受けないと言い切るのは無茶だと思う。

 

 無茶だと思うが……。

 

(でも、さっきの回避力を見せられると、あながち、あり得ないとは思えないかも……)

 

 とりあえず私は、全部で4本貰った耐毒ポーションのうち1本を呷る。

 

 ボスが出たら、と言われていたが先に飲んでおく。

 

「まず注意すべきは、ボスのブレスにはダメージ判定がある点です。可能な限り正面に立たないように立ち回って下さい。毒や麻痺状態になったら迷わずに解毒結晶を使うこと……流石に持ってますよね? いくつ持ってます?」

 

 彼は、私の飲み干す動作や台詞には一切関心を向けないまま、ボス戦の説明を始めた。

 

「アハハハ! 持ってる持ってる、流石に2ダース持ってるよ~」

「なら良いですけど……あとは、爪や牙、尻尾による直接攻撃、体当たりなどで轢かれないように注意を。翼は腐っていて飛ばないそうですから、その点は気にせずに。直接攻撃にも状態異常判定があるので、耐毒ポーションは切らさずに飲んで下さい」

「ふぁ~い。っていうか、仕切り屋さん?」

「仕切っているつもりはないですが、注意事項の説明が不要ならそう言って下さい。もう何も言いませんから」

 

 彼の目が冗談を言っているようには見えなかった。

 

 本気で説明をカットされてしまうと、生死に関わるかもしれない。

 

「あぁん、そんなこと言わないでぇ~。説明よろしくお願いしま~す!」

 

 先を続けてもらえるように頼むと、セイドはジト目で私を見ながら続けてくれた。

 

「……弱点に関してですが、首、腹、足の付け根といった、所々鱗が腐り落ちている部分に攻撃を集中して下さい。敵は攻撃力が高く体力も多いですが、防御力は弱点を突けばかなり低いようなので、攻撃の正確さが要です。但し、鱗に覆われている部分はほぼダメージが通らないほど強固、且つ武器の耐久力が大幅に減ってしまうらしいので注意を」

「ふむふむ、りょ~かいです!」

 

 ここまで話を聞いたところで、地鳴りが始まった。

 

 ボス登場の前触れらしい。

 

 成り行きで協力してもらうことになってしまったが、彼が居なかったら、このクエストボス、倒せなかったんじゃないかと、心底思う。

 はじまる前に逃げた男3人と比べ物にならないほど、しっかりしてる人で助かった。

 

(とはいえ、この層の最難関クエストのボスを、2人で相手するってこと自体が相当無茶だけど)

 

 地鳴りが徐々に大きくなってくる。

 音だけでなく、振動が体を揺さぶり始める。

 

(ま、危なくなったら転移すればいいし)

 

 私が気楽に行動しているのは、常に転移結晶を用意してあって、逃げる準備を怠っていないからだ。

 とりあえず今回はボスの動きを把握できればいい程度の感覚でここまで来ている。

 

 このクエストに誘ってくれた3人も、まずは様子見だと言っていたのに、何故か逃げた。

 

(始まる前から逃げる必要なんかないのに、バカだよねぇ)

 

 私はポーチに転移結晶が入っていることを確認して――

 

 

「……それと、念のために言っておきますが、このクエストが始まっている時点で転移結晶は使えませんから、危なくなったら転移すればいいという発想は、持たないで下さいね」

 

 

「へっ?!」

 

 だから、この彼の台詞。

 こればかりは完全に不意打ちだった。

 

「ちょ、ちょっと待って! 何それ聞いてない⁈」

 

 地鳴りが大きくなり、少し先の地面が大きく盛り上がった。

 

「……やはり……どうもクエストに対する危機感が軽いと思いました……」

 

 セイドは慌てる私をよそに、酷く冷静に、静かに言った。

 

「……その話は後にしましょう。怖くなったなら隠れていても良いですし、危なくなったら走って逃げてもらって構いません。私も、どこまで貴女を庇いながら戦えるか分かりませんから」

 

 盛り上がった地面から、巨大な鉤爪を持った前足が2本飛び出し、地面をつかむ。

 

「今は、ボスに集中します」

 

 前足に続いて、竜の頭が地面から出てくるところだった。

 

「いや、まって、ちょ、嘘ぉぉ!?」

 

 私は慌てて転移結晶を使用しようとした。

 

 なんと非難されようと構わない覚悟で。

 

「転移! 《ロンバール》!」

 

 しかし、私の叫びに結晶は反応しなかった。

 

「うっそぉぉー!」

「分かってもらえたようで何より。隠れるなら先に隠れて下さい。もう出てきますよ」

 

 セイドはなおも冷静にボスを睨んでいる。

 ボスの体はすでに半分以上外に表に出てきている。

 

 さっきまで戦っていたゾンビもそうだが、地面から全身が出て、名前が表示されるまでは、攻撃されることもないが、攻撃によってダメージを与えることもできない。

 

「ちょ、ちょ、ちょ! まってまって!」

「Mobに言っても聞いてくれませんよ。離れてて下さい。『邪魔』になります」

 

 先ほどまでと違って、セイドは私に見向きもしなくなっていた。

 戦力外だと、本気で思っている顔だった。

 

 混乱していた私には、それに反論する暇は無くて。

 

「うわ、うわ、うわぁ!?」

 

 それでも私は、逃げ隠れするのではなく、両手剣を抜き放った。

 

(安全じゃない狩りなんて、冗談じゃないわ! けど……けどっ!)

 

「いいか。無理なことと、『邪魔』はするなよ」

 

 ボスが完全に姿を現して、その名前が表示される直前。

 セイドの言葉は、それまでの丁寧なものとは違っていた。

 

 しかし、その口調よりなにより、私が1番癪に障ったのは――

 

(……『邪魔』扱いされるのだけは、我慢できない!)

 

 ――私のことを《邪魔》だと言ったことだ。

 それも、2度も。

 

 私は腹をくくった。

 そして、セイドを睨み付ける。

 

「あんたこそ、邪魔になるようだったら、ボスと一緒に叩っ斬るからね‼」

 

 

 ――そして、この層最難関のクエストボス《腐乱死竜(ピューレトファイド・ドラゴン)》の咆哮が墓地に響いた。

 

 

 



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第四幕・北斗七星と虎の牙

 

 

 まず動いたのはセイドだった。

 

 自分で正面に立つなと言っておきながら、彼は真正面から走りこんでいった。

 

(んなっ! 無茶な!)

 

 そう思っても、私はすぐに動けず、遅れてボスの右側に回り込むように走った。

 

 竜はまず、目の前から向かってきたセイドを標的にしたようで、その腐臭に満ちた大きな口で噛み砕こうとした。

 

 しかしセイドは大きく右に跳び、それを躱す。

 

 私も竜の右側に回り込んだことで、セイドの姿は竜を挟んだ反対側に消えたので、それ以上は確認ができない。

 

(っていうか、人の心配してる場合じゃないか!)

 

 竜はなおもセイドをタゲっているようで、体をセイドに向け――

 

「うわっちゃ?!」

 

 そうなると当然、反対側にいた私には、竜の尻尾が向かってくる。

 

 慌ててしゃがむと、ギリギリのところで尻尾が頭上をかすめた。

 

(あっぶな!)

 

 転がるように尻尾の下から逃げ、振り返る。

 竜の尻尾や後ろ足が無防備に晒されているように見える。

 

(けど……鱗が覆ってる……どこよ、弱点!)

 

 足や尾の先は鱗にしっかりと覆われている。

 真っ先に目についたのは、尻尾の付け根辺り。

 

(あった! 鱗が腐って落ちてるところぉぉ!)

 

 見つけると同時に走り出す。

 

 私の両手剣なら、きっちり当てていければ部位欠損に持ち込むこともできるはずだ。

 

(まずはこの邪魔くさい尻尾、叩っ斬ってやる!)

 

 

 

 

 

 

 アロマが死竜の尾の付け根辺りを狙っているのが分かった。

 

(いい判断だ、そこそこ冷静さを取り戻せたみたいですね)

 

 私は死竜の正面から走り込み、爪や牙で迎え撃ってくる死竜の攻撃を左右に躱したところで、顔や足にある、鱗の腐り落ちた部位に《体術》による単発拳撃技《バレット》や、単発蹴撃技《ストンプ》を確実に叩き込んでいく。

 

 一撃一撃加えるごとに、少し離れ、しかし決して離れすぎない。

 距離を開けすぎると死竜はブレス攻撃を連続する傾向にあるらしいためだ。

 

(まずは、ブレスを可能な限り使わせないことが重要)

 

 それに、こうして着実に攻撃を加え、しかも離れ過ぎないことで、死竜のターゲットは私に固定されている。

 

(結構酷いことを言いましたけど、期待してますよ、アロマさん)

 

「さぁて、ではひとつ。本気で踊ってみましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

「はぁぁあっ!」

 

 気合い一閃、両手剣用単発斬り上げ技《アッパー・クレセント》を竜の尻尾の付け根の鱗が腐り落ちた部位に叩き込む。

 

 狙い違わず、弱点部位に斬撃が決まり、竜のHPゲージが1割ほど確実に減った。

 しかし1撃で切断するには至らない。

 

(1撃で足りないなら、斬れるまで何度でも叩き込んでやる!)

 

 距離を取り、剣を構え直し、再び走りこむ。

 

(今度は上から!)

 

 私は両手剣用跳躍撃ち下ろし斬撃技《クラウド・フォール》を放ち、尻尾を上から斬り落としにかかる。

 

「ぅぉぉぉおおりゃぁぁぁぁああっ!」

 

 走り込みと跳躍、そして重い両手剣と、わずかながらも私の全体重を乗せた、対人戦(デュエル)ではまず当たらない大振りの1撃は、これも外れず、しっかりとクリーンヒット。

 HPゲージが3割近く削れる。

 しかし――

 

(――っ!……まだ足りない?!)

 

 尻尾を切断することはできなかった。

 

 《アッパー・クレセント》も《クラウド・フォール》も一撃の威力重視の《剣技(ソードスキル)》だ。

 それが2発ともクリティカルヒットしているにもかかわらず、切断できないとは……。

 

(全体的なダメージが足りていないのかも……尻尾だけ狙っててもダメなのかな……)

 

 私は狙いを変えて、今度は竜の腹部の弱点を睨む。

 

 竜のHPゲージは全部で10本あった。

 ボスモンスターにしても、HPが多すぎるだろうと思う。

 

 迷宮区のフロアボスでも、基本的にHPバーは4段だと情報誌には書いてあるのに。

 

 しかも、10本のうちの1本が7割程削れているだけだ。

 まだまだ先は長い。

 

(尻尾の切断は、ゲージが1本減るごとに狙ってみよう)

 

 そう決めて、私はHPゲージを削るために腹部の弱点目がけてダッシュした。

 

 

 

 

 

 

 

 アロマさんの《剣技》2発が尾に決まったが、切断は出来ていない。

 

(まあ、開始早々切れるとは思っていませんでしたから、それは良いとして、やはり私よりも彼女の方がダメージを入れられますね)

 

 アロマさんの攻撃はたった2回。

 それだけで竜のHPゲージ1本を4割強削っている。

 

 対して、私はすでに10数回、体術の《剣技》による攻撃を加えているにもかかわらず、2割弱しか削れていない。

 根本的な攻撃力の差が、目に見える形で突き付けられている。

 

 しかしそれでも、死竜のターゲットは私に向いている。

 理由は単純。

 攻撃が止まないから、である。

 

 こちらの動きに合わせて、もしくはAIの学習機能によってこちらの動きを予測して、繰り出される死竜の攻撃を、私は直撃せずとも衝撃(インパクト)ダメージが発生するはずの範囲をも見極め、紙一重で回避することで、私の動きは一切阻害されることなく、死竜の攻撃後の隙をついて拳や蹴りを叩き込み続けている。

 

 1撃1撃の威力は確かにアロマさんにはかなわない。

 だから1撃ごとのダメージ敵対値(ヘイト)だけで見ればアロマさんにターゲットが行くと思われる。

 

 しかし、ほぼ間を開けずに攻撃を、それも的確に弱点に叩き込み続けることでダメージ敵対値を蓄積させ続けると、総じて敵対値は私の方が多くなる。

 

 まぁ、あまりアロマさんが強い攻撃を連打すると、その限りでもないのだが。

 

 すでに幾度となく死竜の爪を躱し、こちらの攻撃を叩き込んだところで、今までになく死竜が大きく戦慄(わなな)いた。

 

 なんと、アロマさんが死竜の腹部に両手剣を深々と突き刺していた。

 

 その1撃だけで、死竜の1本目のHPゲージは0になり、2本目のHPゲージも4割強削れている。

 

 しかもアロマさんはその両手剣を引き抜かずに手を放した。

 

(1撃で、ほぼゲージ1本消し飛ばした!? いやはや、想像以上の攻撃力……)

 

 流石に今の1撃は敵対値も大きく、更に剣を残したことで、貫通継続ダメージを与え続けていることになるアロマさんに、死竜のターゲットが向いてしまったようで、死竜の視線が私から外れる。

 

(おっと、それならそれで、こちらも遠慮なく、死角から、全力で叩き込ませてもらいましょうか!)

 

 

 

 

 

 

 

 両手剣用単発重刺突技《クリミナル・トーチャー》によって、竜の腹部に両手剣の刃が根元まで突き刺さった。

 

 その1撃で竜のHPゲージは2本目も4割程減っている。

(いよぉっし! 1本減った! 尻尾……尻尾を輪切りにしてやるっ!)

 

 と、剣を引き抜こうとしたのだが――

 

「あり?! ぬ、抜けない!」

 

 刺したままぶら下がっていたのだけれど、剣が抜けるほどの勢いをつけられず、幾ら体を揺らしても抜ける気配がない。

 

 と、そんな私に向かって、背後から何かが音を立てて向かってくる。

 

「へっ?! わっ! あ!」

 

 竜が、自分の腹部に張り付いた私を叩き潰そうと、尻尾を振りまわして、私に尻尾を叩き付ける寸前だった。

 

 思わず手を放してしまい、私はちょっとした高さから落下する羽目になり、尻尾は直撃こそしなかったものの、衝撃の範囲に巻き込まれて空中で態勢を整えられず――

 

「ぅべっ!」

 

 顔面から地面に落下した。

 私のHPが2割程減少する。

 

「――っつ~! 鼻がもげますがな!」

 

 顔をさすり、涙目になりながらもなんとかすぐに立ち上がる。

 

 顔を上げた先にあったのは、竜が身をねじって私を睨んでいる視線だった。

 

「って、げ! ちょ! こっち見ん……あ」

 

 視線がこっちに来ているということは、私にタゲが向いたということで。

 

「ちょっとぉぉぉぉお! ばかセイドは何してんのよぉぉぉおぉお!」

 

 向こうがタゲを取ってくれてたから、私は安心して攻撃を叩き込めていたというのに、これでは尻尾を切り落とすどころではない。

 

 それ以前に、今の私は、主武装だった両手剣を竜に刺しっ放しで、武器喪失(アームロスト)状態だ。

 他の武器を取り出して装備するにしても、メニュー操作する時間が必要になる。

 

 なら、今私に出来ることは――

 

「さんじゅうろっけい、にげるにしかず!」

 

 ――走って逃げることだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

「っ! あのバカ娘っ!」

 

 私は思わず悪態をついた。

 むしろ悪態の1つもつかねばやってられない。

 

 私が必死にブレスを吐かせないように近接戦に徹していたというのに、アロマさんは死竜にターゲットされた瞬間、走って逃げだしたのだ。

 

 それを確認し、私は即座に死竜の首元に飛び込んだ。

 

 死竜は、現実世界で例えるなら電車2両分ほどの巨体だ。

 

 いくら身をねじってアロマさんをターゲットしようとも、その巨体故、すぐには動き出せないし、何より、動きの遅い死竜からそんなに必死に逃げる必要はない。

 

(だからそんなに慌てて逃げなくてもいいというのに!)

 

 あまり距離を開けられると、死竜にブレスを吐かせてしまう。

 そうなる前に――

 

(こっちにターゲットを取り返す!)

 

 身をねじったことで、首元の弱点が大きく晒されている。

 そこを狙って、私は《剣技》を発動。

 

 体術用七連撃技《グラン・シャリオ》――北斗七星の名を冠する、連撃体術技は死竜の首に綺麗に決まり、約6割を残していた2本目のHPバーを削りきる。

 だが、まだ死竜のターゲットはアロマさんに向いたままだ。

 

(無論、それも予想済み、ですがこれで終わりじゃないですよ!)

 

 本来、この《剣技》は長めの技後硬直(スキルディレイ)が科せられる。

 

 だが、私は《グラン・シャリオ》の終了直前に、とあるスキルを発動。

 

 それによって《剣技》の技後硬直が上書きされた。

 

 すると、どうなるのか。

 

 答えは――

 

 私は再び、体術用七連撃技《グラン・シャリオ》を発動させた。

 

 その間は、1秒と空いていない、コンマ何秒という世界。

 

 1回目の《グラン・シャリオ》が首元に向かいながら叩き込んだものだとすれば、2回目は、首元から下に落ちる直前の、無重力状態で繰り出されたものという程度の間だ。

 

 はたから見ていれば『2連続で《剣技》を使用した』のではなく、『14連撃の体術スキルが叩き込まれた』としか見えないはずだ。

 

 この場でそれを見る機会があったのはアロマさんだけだったが、こちらに背を向けて全力で走り去っているので、見ることは叶わない。

 

 2発目の《グラン・シャリオ》は、ボスのHPゲージの3本目を半分まで削った。

 1発目に比べると威力が落ちていたのは、飛び込みによる威力追加が無かったためか、ゲージが減ったことで死竜の防御力が上がったためだろうか。

 

 それでも充分なダメージを叩き込めた。

 おかげで――

 

(ボスの敵対値は、取り返せました)

 

 グルルルルッと喉を鳴らしながら、ボスの視線は私の方に戻った。

 

 そのまま、私は先ほどまでと同じように、死竜の攻撃の合間に、こちらの攻撃を絶え間なく当てていく。

 

 アロマさんは、死竜と距離を置いたところで、ようやく振り返ったところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ボスの動向など見向きもせず、とりあえず一直線に走って距離を開けた。

 

 ボスの体の下から抜け出し、尻尾も襲ってこないことを確認して、やっとボスに向き直る。

 

「――っ! ってぇええっ? うそおぉ!」

 

 竜はしばらく私を狙ってくるだろうと覚悟していた。

 

 それだけのダメージを与えたし、結果的にではあるが、両手剣を引き抜けなかったことで、貫通継続ダメージを与えているためだ。

 

 しかし、振り返った時には、竜はもうセイドを追っていた。

 

 HPゲージは、すでに3本目が6割程減っている。

 

(何したのあいつ⁈)

 

 しばしボー然と立ち尽くしてしまい、慌ててフルフルと首を横に振る。

 

(いやいや、今はそんな事より!)

 

 セイドが何をしたのかは後で聞けばいい。

 今は、ボスのタゲが向こうに戻ったことを喜ぶべきで、私はメニューを呼び出して急いで次の武器を装備する。

 

「ここからが私のステージなんだからねっ! 尻尾、輪切りにするわよぉ!」

 

 気合いを入れ直し、手にしたのは両手用戦斧。

 

 両手剣と違って突くことはほぼできないが、尻尾を切断するという目的だけを見れば、両手剣より両手斧の方に分がある。

 

 さっきから走ってばかりな気もするが、ボス戦で止まっていたら話にならない。

 息を大きく吸って走り出し――

 

「ずぅぇぇえりゃぁぁぁぁぁあああっ!」

 

 ――両手斧用2連撃技《タイガーバイト》を尻尾の付け根の弱点に叩き込む。

 

 狙った1か所を上下からほぼ同時に攻撃するという、まさしく虎が噛み付いたかのような1撃が竜の尻尾に狙い違わず決まった。

 

 すると、尻尾が重々しい音を立て地面を叩いた。

 これまでのように尻尾の先端が地面を叩いたのではなく、根元から、体と切り離されて重々しい音を立てて落ちていた。

 

「ひゃぁーっっっはぁーっ! 斬ったったどー!」

 

 

 




各種《剣技》はオリジナルのものですm(_ _)m


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第五幕・死竜、そして時間との戦い

黒炉様、感想ありがとうございます!


 

 

 一瞬、この至近距離でブレスを吐かれたのかと思ったほど、死竜が大きく咆哮した。

 何があったのかと、死竜のHPを見てみれば、ゲージが1本分消えている。

 

「ひゃぁーっっっはぁーっ! 斬ったったどー!」

 

 という、およそ年頃の女性が上げるとは思えない叫びを聞きながら、状況を把握した。

 アロマさんが、死竜の尾を切断したのだ。

 

(なかなかどうして、期待を裏切らない人ですね。これならまた――)

 

 私の予想通りなら、アロマさんにターゲットが向くだろう。

 しかし、先ほどのように死竜がその身をひねるより先に、私は死竜の顔に1撃蹴りを加え、その勢いをバネにして死竜の頭上に跳び上がった。

 

 そしてその状態で、死竜のターゲットが私から外れ、アロマさんに向いた。

 

(ジャストタイミングで、絶好のチャンス)

 

 死竜の頭がアロマさんを捉えようと動き始め――

 

 その隙を見逃すはずもなく、私は《剣技》を発動する。

 

 体術用単発重蹴撃技《メテオライト》――本来は跳び蹴りのような形で発動する《剣技》だが、応用として、落下状態からの発動も可能だ。

 まるで空中で加速したかのように《剣技》のシステムアシストに押され、私は死竜の眉間に、突き刺さるような蹴りを叩き込んだ。

 

 落下の勢いを加えた、全体重を乗せた蹴りの威力で、死竜のHPゲージの4本目をギリギリ削り切った。

 

 そこで再び、先ほどのように別のスキルを発動。

 死竜の眉間に跳び蹴りを叩き込んだ態勢から、技後硬直を上書きして、即座に次の《剣技》を発動させる。

 3連続蹴撃技《スパイラル・ゲイル》――回し蹴り3連撃を死竜の眉間に叩き込み、最後の1撃の威力で、私は大きく後退する。

 

 流石に死竜の目の前で大技を連続で叩き込んだだけあり、再度死竜の敵対値が私に大きく傾く。

 

 息を静かに吸い込み、意識をさらに研ぎ澄ませる。

 この勢いで攻め続ければ、5本目のゲージもすぐに削りきれるだろう。

 

 このボス戦は、そこからが本番だ。

 

 戦闘開始からすでに15分が経過していた。

 私は、研ぎ澄まされていく意識の中で、死竜の動きに集中していった。

 

 

 

 

 

 

 

(なんてゆーかもう、こんなの予想外だから!)

 

 そこからの戦闘は、私にとって、初めて経験するハイレベルなものだった。

 

 前半のHPゲージ5本が想像よりもはるかに簡単に削れたものだから、『なにこれよゆーじゃん♪』とか思って、2本目の耐毒ポーションを呷っていたのだけれど。

 

 竜のHPゲージの5本目をセイドが削りきった瞬間、竜が大きく長く咆哮したと思ったら、全身の鱗が黒茶色から赤茶色に変化した。

 そして、鱗が腐り落ちていた弱点部分の大半を、新たに生えてきた鱗が覆ってしまったのだ。

 

 さらに、竜の動きが先程までとは比べ物にならないほど速くなった。

爪や牙による攻撃は、大きなモーションもなく素早く繰り出されるようになり、回避が非常に難しくなったし、何より、私たち2人を同時にタゲっているようで、どちらか1人が注意を惹き付けるという戦法は意味をなさなくなった。

 

 そして、一番厄介なブレス攻撃にも変化があった。

 戦闘前半、セイドはタゲを取った状態で竜との距離を詰めることで、ブレスを吐かせないようにしていたようだけど、ここにきて、一定の時間が経つと必ず吐く、という挙動が追加された。

 

 悔しいことに、私は、直撃こそしなかったものの、何度かブレスを避けきれなかったし、爪や牙にも引っ掛けられてしまい、HPを大きく削られるという状況が度々発生した。

 耐毒ポーションを飲んでいるにもかかわらず、竜の《麻痺毒の吐息(パラリシス・ブレス)》によって麻痺状態になり、危うい状況にも陥った。

 

 そのたびにセイドが解毒結晶で即座に治してくれなかったら、どうなっていたかは考えたくない。

 

(HPが半分切ったらハイパー化って、やめてよねマジで! シャレんなんないよ!)

 

 何とか竜との距離を開けて、回復ポーションを呷り、HPが徐々に回復していくのを待つ間、1人心の中で愚痴った。

 

 回復結晶と違い、ポーションによる回復は《時間による割合回復の継続効果》だ。

 私が持っている回復ポーションなら、1秒で最大HPの1%分を回復する効果がある。

 

 じわじわと回復する自分のHPをもどかしく思いながら、竜との大立ち回りを続けるセイドに目をやる。

 

 彼は当初の宣言通り、本当に1撃も喰らっていなかった。

 ハイパー化した竜の動きにも即座に対応したし、ブレス効果で使える足場が減っている状態でも、その回避行動に狂いはない。

 

 一体何をどうすればあそこまでの回避が可能なのか。

 見ていてもハッキリとは分からないが、1つだけ分かったことといえば。

 

(多分、セイドには竜の攻撃も、その効果範囲も見えてるんだ。それが死角からの攻撃であっても)

 

 現実世界で、相手の気を感じるとか、気配を感じるとか、無茶なことを言う人はいるが、ここはゲームの世界だ。

 私たちプレイヤーは、生身じゃなくデータの集合体でしかない。

 そんな私達に気配も何もあったものじゃない。

 

 とは思うのだけど――

 

(……他に説明のしようがないよね……あの行動は……)

 

 見えていないはずの攻撃を的確に避ける、などという芸当を繰り返し見せられては、思わざるを得ない。

 

 セイドは、相手の気配が読める、と。

 

 ばかばかしい考えだとは自分でも思うけど、他に説明しようがあるのかと問われると、すぐには思い当たらない。

 

(終わったら、マジ泣かす。そして吐かす!)

 

 そう決意して、自分のHPを確認する。

 すでに9割回復し終えているのを確認して、効果が切れた耐毒ポーションの3本目を呷る。

 

 これで、残る耐毒ポーションは1本だけ。

 今飲んだものと併せても、合計効果時間は30分しかない。

 

 竜のHPは今、やっと6本目が削り切られたところだ。

 

(悩んでいても仕方ないし! やるだけやってやる!)

 

 私は両手斧を構え、竜の背中に向かって走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 死竜のHPゲージが、やっと1本減った。

 

(残り4本……)

 

 無意識のうちに時間を確認する。

 

(強化後のHPゲージ1本を削るのに、約15分……これは……)

 

 死竜との戦闘開始から30分。

 彼女はすでに2本の耐毒ポーションを消費していることになる。

 

(残りの耐毒ポーションは2本……このままでは効果時間中には倒せないか……)

 

 私と違い、彼女は先ほどから何度か麻痺毒を喰らっていた。

 耐毒ポーションの抵抗値を超えるボスの毒攻撃を流石というべきだろうか。

 

 時間と、死竜のHPと、彼女の耐毒ポーションの残数と、様々な要素が頭の中で駆け巡る。

 

 死竜の強化は、弱点部位の防御力をも高めていた。

 私も彼女も、狭くはなったが弱点部位に的確に攻撃することができているが、その回数やペースは確実に減少しているし、何より1撃の与ダメージが目に見えて減っている。

 

(そして、弱点以外には、ダメージが通らないと……このボスの難易度は――)

 

 ――高すぎるだろうと、心底思う。

 しかしそれも仕方がない事なのだろうか。

 

 本来このクエストは、2人で攻略するようなものではない。

 最低でも1パーティー――6人から7人ほどでの攻略を想定されているはずだ。

 

 2人のプレイヤーを同時に攻撃してくる、という死竜の挙動も、本来なら、囮役ないし壁戦士(タンク)の2人が死竜の攻撃を惹き付けている間に、他のパーティーメンバーが攻撃を仕掛け、防御力が上がったとはいえ、手数と人数で押しきるという作戦で対応ができる。

 

 しかし、居ないパーティーメンバーを数えても始まらない。

 今は2人しかいないのだから、私と彼女で、何とか死竜の攻撃を躱しながらダメージを与えていくしかない。

 

(耐毒ポーションが尽きたら、彼女には戦線を離脱させるしかない。そうなる前にケリをつけたいが……)

 

 耐毒ポーションの抵抗値がなくなれば、死竜の爪に引っ掻かれるだけで麻痺に陥る可能性が高くなる。

 そんな状態で戦闘を継続させるようなら、それこそ邪魔にしかならない。

 

 だが同時に、最大の攻撃力も失うことになり、死竜との戦闘はますます長期化することになる。

 

(そうなれば、こちらもただでは済まない。そうなる前に……)

 

 私は彼女に視線を送る。

 

(となると………………しかし……)

 

 思考がさらに冷えていく。

 全身の感覚が限界まで研ぎ澄まされていく。

 

 一旦引いてHPを回復していた彼女は、9割まで回復したところで死竜の背後から攻撃を加えるべく走り出したところだった。

 

(……彼女がどこまでできるか……マーチやルイ(・・)のように対応できるといいが)

 

 ()としても、死竜の攻撃を捌くので手一杯で、事細かに打ち合わせや説明をする余裕はない。

 

 彼女の突発的な対応力に期待するしかない。

 

 

 

 

 

 

 

「アロマ! 死竜右後ろ脚に《テンペスト・ケージ》」

 

 走り出した私に、私が回復していた間、竜の攻撃を一手に引き受けながらも無傷で回避し続けていたセイドが、突然指示を出してきた。

 しかも先程まで私のことを『アロマさん』と呼んでいたくせに、いきなり呼び捨てで。

 

(ってか、なんで《テンペスト・ケージ》が使えるって分かんのよ!)

 

 突っ込みどころは沢山あったが、今はとりあえず置いといて。

 

(翼の付け根を狙うつもりでいたけど、何か考えがあるっての?)

 

 進行方向を右後ろ脚に向かって少し変更し、勢いは緩めずに一気に距離を詰めていく。

 

 右後ろ脚の弱点部位は、人で言えば膝の裏辺りにあった。

 敵が身動(みじろ)ぎ1つしないオブジェクトなら狙うのは容易いけど、今、竜の動きは速くなっているし、私が右後ろ脚に向かって近付いた段階で、私を狙って踏み付けや蹴り払いのような行動を竜が取り始めた。

 

 こうなると、その巨体と相まって、近付くのも難しい。

 と、思っていたのだけど、急に竜の右後ろ脚からの攻撃が止んだ。

 

 爪を立てて地面をしっかりと踏みしめていた。

 

「チャァァァンス!」

 

 敏捷値全開で一気に間を詰めて斧を思いっきり右後ろに引き絞る。

 

「これでいいんでしょぉぉぉぉおおおっ!」

 

 気合いとともに《剣技》を放つ。

 セイドから指定された両手斧用剣技《テンペスト・ケージ》は、両手斧スキルが700を超えたところで使えるようになる重3連撃技だ。

 右からの水平斬り、続けて右上から左下への袈裟斬り、そして再び右水平斬りという、斧をグルグルと振り回すようにして放たれる技で、1撃1撃に敵をノックバックさせる効果がある。

 

 とはいえ、巨大ボスクラスの敵にはノックバック効果は薄いはずだ。

 ――と思っていたのだけど。

 

 最後の水平斬りが入ったところで、竜の脚がガクッと崩れ、悲鳴のような咆哮が響いた。

 

「ひぇ?!」

 

 想定外のことに、私は全力で左に跳んだ。

 そこまでしなくても平気だったようだけど、竜は右後ろ脚からバランスを失って倒れこんでいた。

 

「な……なぁる。これが狙いだったわけね――」

「アロマ、腹部弱点の剣を抜き、再度《クリミナル・トーチャー》」

 

 感心している暇もなく、セイドから再び指示が飛んでくる。

 思わず声のした方を見やるけど、セイドの姿は見当たらなかった。

 

「――っ! 呼び捨てすんなっ!」

 

 横倒しになった竜の腹部は、完全に無防備で、でも私の位置からは少し走り込み難い距離だった。

 

 直接文句を言ってやりたかったけど、セイドの居場所は分からない。

 

 仕方ないので、大急ぎで装備していた斧をアイテムストレージに戻し、またまた全速力で走り出す。

 1歩目の踏み切りで地面が爆発するような感覚とともに加速。

 倒れた竜の左脚の下を潜り抜けて腹部に刺さった私の剣を目指す。

 

 すると、竜は咆哮とともに空いている左前脚を振り上げた。

 これが私に振り下ろされようものなら、思いっきり加速したばかりの私には躱す自信は無いし、武器も外してしまったので防御することもできない。

 

「ぃやちょま!」

 

 慌てて竜から離れようと――

 

「突っ込め!」

 

 ――した私の動きをどうやって察したのか分からないが、姿の見えないセイドからの言葉が飛んでくる。

 

「できるかぁぁあああああああ!」

 

 と、叫びながらも、全力で離れたいという恐怖心を無理矢理抑え込んで、思わずこぼれる涙もなんのその、剣に向かって突っ込んだ。

 運よく、竜の攻撃は私を狙ったものではなくセイドを狙ったものだったようで、私は無事に腹部に突き刺さったままの両手剣の柄を握りしめていた。

 

 思わず安堵の吐息が漏れたが、すぐさま柄を握る両手に力を込める。

 

「ぬーけーなーさーいー……!」

 

 筋力値補正全開で、竜の腹に足までかけて両手剣を引き抜くべく力を込める。

 と、ズリュッ、という生々しく重々しい音とともに、何とか抜けた。

 

「ばかセイドぉぉぉぉおお!」

 

 抜けた剣をすぐ持ち直して、抜いたばかりの場所に再び《クリミナル・トーチャー》で両手剣を根元までねじ込む。

 

 竜の絶叫が体を震わせた。

 

「そのまま《ブランディッシュ》」

 

 続いて聞こえた指示に、流石に私は反論した。

 

「はぁ?! 鱗に覆われた部分に当たるじゃん!」

 

 しかし、私の反論への返事は無い。

 

(もんのすんごいムカツク!)

 

 私は両手剣の柄を握り直し――

 

「折れたら弁償しなさいよねぇぇっ!」

 

 両手剣用2連撃技《ブランディッシュ》を発動させる。

 刺さった位置から腹を胸方向に切り裂くように剣を振り抜き、その剣を振り抜いた軌跡をなぞって逆から斬り返す。

 

 意外なことに、鱗に弾かれることは無かった。

 

「なんで?!」

 

 自分で実践しておきながら、戸惑ってしまった。

 

「再度《クリミナル・トーチャー》。剣は残して左後ろに退避」

 

 こちらの疑問は放置され、また指示だけされる。

 

(ああもう! 分かったわよっ!)

 

 つまり、あの男はこう言いたいのだ。

 

「何も考えないで動けってこと⁉」

 

 

 



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第六幕・終わらぬ難事

 

 

 アロマが死竜の右後ろ脚に向かったのが分かった時点で、俺は、死竜の右前脚側に回り込んだ。

 

 死竜がわずかにでも体を捻るように弧を描いて走り込むと、狙い通り、俺を追って死竜が体を曲げた。

 

(これで死竜の右後ろ脚は動かない。しっかり決めろよ、アロマ)

 

 SAOは基本的な部分で、現実に忠実だ。

 重心の移動や、体重移動、バランスの取り方から崩し方まで、不定形型や軟体系モンスターでもない限り、関節の動きや重心移動は必ず存在する。

 

 アンデットと化しているが、死竜にはしっかりと関節が存在する。

 故に、自身の体重を支えている右後ろ脚を、今の状況で動かすことは叶わない。

 

 上手く死竜のAIを誘導できたことで、死竜はさらに俺に向かって左前脚を振り上げてくれた。

 その瞬間、アロマの《テンペスト・ケージ》が決まったようで、死竜の右後ろ脚が自身の重量を支えきれずに頽れた。

 

 死竜の咆哮を聞き、俺は死竜の顔の方に回り込む。

 アロマが死竜の腹側に退避したのを確認できたので、《クリミナル・トーチャー》の指示を出し、俺自身は、死竜の弱点でもある瞳に《メテオライト》での蹴りを叩き込むべくさらに加速する。

 加速の勢いを上乗せして死竜の左目に《メテオライト》の跳び蹴りを叩き込むと、死竜は苦し紛れに左前脚を大きく振り上げた。

 

 顔面に纏わりついた俺を叩き払うつもりだったのだろうが、その振り上げられた前脚に、アロマが一瞬躊躇ったのが分かった。

 この状況で下手に離れられるのは得策ではない。

 

「突っ込め!」

 

 振り上げられた左前脚は俺に向かって振り下ろされるという意味合いでそう言ったのだが、どこまで通じたかは定かではない。

 しかし、アロマは何やら悲鳴を上げつつも、しっかりと剣の元に突っ込んだようなので良しとする。

 

 竜の体制が崩れているうちに、俺は顔の弱点を徹底的に攻め続ける。

 

(もうすぐブレスモーションに入るはずだ)

 

 俺は時間を確かめつつ、死竜が間近で大きく戦慄いたために思わず耳を塞いだが、死竜のHPが減ったことだけを確認し、アロマが《クリミナル・トーチャー》を叩き込んだのだと確信した。

 

「そのまま《ブランディッシュ》」

 

 横薙ぎの2連撃剣技を指示し、そのことに即座に返ってきたアロマの文句は無視する。

 

 死竜の鱗は、外からの衝撃をほぼ完全に防ぎきるが、すでに内部に入り込んでいる両手剣の斬撃を防げるほど、内側からの攻撃には強く無い。

 

 本当は鎌のような先端が曲がった武器の方が良いのだが、この際、贅沢は言うまい。

 

 アロマの取り扱いが悪ければ、最悪、鱗の側面に剣が当たって折れる可能性もあるが、アロマはうまく切り裂くことができたようで、《ブランディッシュ》が決まった瞬間と、死竜のブレスモーションが見事に重なった。

 力を溜めるはずの腹部を切り裂かれたことによって、今回のブレスは不発に終わる。

 

(GJ、アロマ)

 

 声には出さず心の中で褒めておき、すぐさま《クリミナル・トーチャー》を指示し、同時に退避を指示する。

 流石に死竜が起き上がる頃合いだ。

 

「何も考えないで動けってこと?!」

 

 アロマのそんな叫びが聞こえてきた。

 

(考えるなとは言わんが、指示通り動いてくれればそれでいい)

 

 わざわざ言うのも億劫で、俺はただひたすら死竜のHPを削り続けた。

 アロマの1撃1撃に比べれば微々たる量だが、指示ばかり出していて何もしていないとは言わせないように、アロマに指示を出しつつも、俺は止まることなく、徹底的に弱点に体術を叩き込み続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――この後も続いたセイドの指示は、確実かつ的確だった。

 

 竜のブレス攻撃も、爪による薙ぎ払いも、更にはジャンプしてのボディプレスなどという振動拡散型の範囲攻撃すらも、驚異的な正確さで回避の指示があり、私もほとんどダメージを受けることなく立ち回ることができた。

 

 しかし、私は無傷とはいかず、セイドの指示通りに動いても、退避距離が足りなかったことが度々あり、ブレスがかすった時には冷や汗をかいたものだった。

 直前の指示で飲んでいた耐毒ポーションのおかげで麻痺にも毒にもならずに済んだけれど。

 

 ――こんな戦闘が始まってからいつの間にか30分が経過していた。

 

 最後の耐毒ポーションの効果が切れると同時にセイドから出された指示は――

 

「腹の下を走り抜けて、喉元に《ギロティン・キス》」

 

(あいつ絶対シメてやる……!)

 

 私の恐怖心など気にもせずに、出される指示のきわどい事きわどい事。

 

 ここまでの攻防で、竜の後ろ脚は両方とも膝をついていて、いつ崩れ落ちるか分かったものではない状態なのに、竜の背後にいた私に、この指示だ。

 

 きわどい戦闘を連続で体験させられて、恐怖心の麻痺した私は、その指示にもさしたる怖れを感じることなく走り込んでいった。

 竜の股下を、両手が地面を擦るほどの前傾姿勢で走って潜り抜け、そのまま一直線に竜の喉元目がけて全速力で駆け――

 

「ふぇ?」

 

 ――抜けようとした私の頭上から、竜のひときわ大きな悲鳴が聞こえると。

 

「でぇええええええええっ?!」

 

 なんと、竜の体が落ちてきた。

 おそらく、セイドのなんらかの攻撃で、竜の後ろ脚がついに耐え切れなくなり、立っていられなくなったのだろう。

 

(これで死んだら恨んで化けて祟ってやるわセイドのド馬鹿野郎ぉぉぉぉっ!)

 

 心の中で絶叫しながら、それでも足は止まらず、全速力で走っていたはずなのに、さらに加速した――ように感じた。

 しかしそれでも、竜の体が頭上から雪崩のように迫ってくる速度には敵わず――竜の腹が私の縛った髪に触れたと思った瞬間、私は転がるように前方に身を投げ出した。

 

(絶対死んだぁああああ!?)

 

 麻痺した感覚のまま地面にうつ伏せで倒れたまま、頭を両手でかばった。

 

 

 しかし。

 数秒経っても、襲ってくるべき衝撃も振動も圧力も、何もなかった。

 

 恐る恐る顔を上げて体を捻り、上を見ると――

 

「うっわっ! ギリ?!」

 

 驚いたことに、私の頭上数十センチのところで、竜の体の落下が止まっていた。

 

(な、に、が?!)

 

 本当にギリギリのところで命拾いしたらしいけど、理由がわからないまま私は竜の腹の下から抜け出して、そこでやっと私が生き残れた理由がわかった。

 竜が両前脚で最後の抵抗のように体を支えていたために、腹から胸にかけてはまだ地面につかなかったのだ。

 

「しぶとい! けどおかげで助かったよあんがちょぉぉぅ!」

 

 竜にお礼を言いながら、しかし私の行動は真逆に、喉元の弱点に向けて両手斧用重単発技《ギロティン・キス》を放った。

 

 私の斧が竜の喉元に吸い込まれるようにして決まった。

 すると――

 

 竜がこれまでになく弱々しく長い咆哮を上げ、私が着地すると同時に、その遠吠えのような残響を残して竜はポリゴン片になって消滅した。

 

「へっ?」

 

 着地した私に、大量のポリゴン片が降り注ぎながら消えていくのを、ボー然と見つめていると。

 

「ふぅ……お疲れ様でした」

 

 セイドが私の近くに歩み寄りながら笑顔とともに労いの言葉をかけてくる。

 先ほどまでのような強い口調ではなく、始めの頃のように柔らかい口調と物腰だった。

 

「……あれ? 終わったの?」

 

 今更ながら、全然ボスのHPを気にしていなかった。

 

「えぇ。部位破壊ボーナス、ラストアタックボーナス、ともにアロマさんです。おめでとうございます」

 

「……そっか…………勝てたんだ……」

 

 それが分かった途端、腰が抜けて地面に座り込んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

(クエスト攻略時間は約2時間か……2人だった割には早く終わった方でしょうね)

 

 私は再び、深いため息を吐いた。

 

 流石に疲れた。

 

 アロマさんにはMPKのことなど、色々と言わなければならないことがあったが、今それを言うだけの気力は無かった。

 

 特にボス戦の後半は、このところ経験しえなかった激戦となってしまったため、本気で集中する羽目になった。

 

(あ~……頭が痛い……これは流石に、1度しっかりと寝ないと……)

 

 3時間睡眠では、この疲労感は取れない気がする。

 

 何度目か分からないため息を吐いて気分を落ち着かせ、アロマさんの様子に視線を移す。

 

 彼女は、地面に座り込んだまま、魂が抜けたかのように動かなかった。

 呆然と前方斜め上に視線をやったまま、口も半分空いている。

 

「アロマさん。そろそろ戻って来て下さい。いつまでも上の空でいられては困るので」

 

 アロマさんの前にしゃがみ込んで、肩を叩いて声を掛けると、彼女の瞳が動き、私に焦点が合わさった。

 

「とりあえず、ここから出ましょう。この状態で骸骨の相手はしたくないですから」

 

 私は、死竜の腹から抜け落ちたアロマさんの両手剣を彼女の前に置いた。

 

「ぁ……あんがと……そだね……んじゃ、転移しちゃわないと……」

 

 アロマさんはノロノロと両手斧をストレージに仕舞い、両手剣を背負う。

 そしてポーチから転移結晶を取り出し、握りしめ――そこで何かに気が付いたように、急に顔を私に向けた。

 

「セイドはどこに戻るの」

「え?」

 

 転移先は各々の拠点だと思っていたのだが、アロマさんからは意外な言葉がでてきた。

 

「どこに戻るの」

「えと……11層の《タフト》ですが……」

 

 本来、拠点情報はステータスと同様、もしくはそれ以上に教えるべき情報ではないのだが、アロマさんの勢いと、私自身の疲れと驚きも相まって、思わず答えていた。

 

「分かった。転移、《タフト》」

 

 え? と思う間もなく、アロマさんは転移した。

 

(あれ? アロマさんは確か《ロンバール》と、ボス戦前に言ってたはず……)

 

 なんとなく嫌な予感を覚えつつも、マーチとルイさんが居る《タフト》に戻らないわけにはいかない。

 

(うぅん……面倒なことになる予感しかしません……)

 

 私は力なく転移結晶を使って《タフト》に戻った。

 

 

 案の定、アロマさんは私が転移してくるのを転移門の前で待ち構えていた。

 

 

 



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第七幕・遅い目覚めと超感覚

 

 

『とりあえず、今日のところは休みましょう。話はまた明日に』

 

 というセイドの言葉に、私は渋々したがい、第11層主街区《タフト》の宿屋で眠りに落ち、目が覚めたのは――昼の12時過ぎだった。

 この宿屋の部屋に入った段階で午前4時半を少し回っていたはずだが、まさか7時間以上も寝てしまうとは。

 

(アラームで9時に起きたはずなのに!)

 

 完璧に2度寝したらしい。

 

 これではセイドに逃げられているのでは、と大慌てで部屋を飛び出し宿屋1階に設けられている食堂に飛び込むと――

 

「あぁ、お目覚めになったようですね。おはようございます、アロマさん」

 

 そこには、何事もなく普通に食事をしているセイドの姿と、一緒のテーブルで食事をしている1組の男女の姿があった。

 

「おはようって時間じゃねーだろ? もう昼だぜ?」

「マーチん。事情はセイちゃんから聞いたでしょ~? 疲れてたんだろうから、そ~いうこと言わないの~」

「そうですよ、マーチ。時間を決めて話す予定でもなかったんですから、何時だろうと、それを責めるのはお門違いです」

「へいへい」

 

 そういって肩をすくめた銀髪は、私を見て、間違いなくニヤリとしていた。

 

(分かってて言ってるな、あれ!)

 

「アロマさん、とりあえずこちらにどうぞ。私の仲間も紹介しますよ」

「あー、うん、んじゃ失礼しまっす」

 

 私はセイドに促されて、セイドの隣に座った。

 

「まず、こちらの銀髪がマーチです。口は悪いですが、根は良いやつなので許してやって下さい」

「マーチだ。よ・ろ・し・く!」

「よ・ろ・し・く!」

 

 片手を上げてニヤリと笑う銀髪バンダナ男――マーチに、私も同じように片手を上げてニヤリと返す。

 

「マーチの隣に居られるのが、ルイさんです」

「ルイです~。よろしくね~ロマたん♪」

「よろしく~ルイルイ~♪」

 

 腰まで届く金髪をオールバックにしている美少女――ルイちゃんは、私のことを、初対面にもかかわらず『ロマたん』と気さくに呼んでくれた。

 この子とは気軽に付き合えそうだと、私も彼女のことを『ルイルイ』と呼ぶことにした。

 

「ちなみに、2人とはリアルでの幼馴染で、同じ大学に通う仲間です。さらに言えば、マーチとルイさんは婚約者同士です」

 

 と言われた瞬間、マーチは口に付けていたコーヒーで盛大に咽た。

 吹き出さなかっただけましだろうが、かなり苦しそうだった。

 

「ちょ、セイちゃん?! 婚約とかそんな話にはまだなってないよ?!」

 

 セイドも、何故初対面の私などにリアルの話をしたのか、その真意は定かではないが、分かったことは1つ。

 

(え、なに、ってことは、ルイルイって私より年上?! うわ! 詐欺だ!)

 

 口に出さなかったのは奇跡に近かったが、どう見ても私と同じかそれより下にしか見えない顔つきで、20歳とか、世の中って不公平だとつくづく思い知らされた。

 

「でも、こちらでは《結婚》しているじゃないですか。なら、こちらから帰ってもそういう話になるのは当然でしょう?」

「ゲッホゲホッ!――そりゃ、こっちでの《結婚》は簡単だからだろ! マジでするってなると簡単じゃねーんだよ! できるんならしてるわ!」

 

 この話にも驚いた。

 

 この世界での結婚は、詐欺や裏切りが多いため、どんなに仲が良いプレイヤーであっても、なかなか行われないと聞いていたからだ。

 まさかそんな稀有なプレイヤーが目の前に現れる日が来るとは思いもしなかった。

 

「え。マーチん、それホント?」

「ん? え? あっ! いや、今のは勢いっていうか、言葉のあやっていうか」

「……ふ~ん……」

「いやいやいやいや! ちょ、ルイ! 考えてないわけじゃなくて、大学卒業したらとか、金が貯まったらって意味で――」

 

 何やら2人の世界の会話に突入しつつあるマーチとルイルイを見ながら、セイドはくつくつと笑っていた。

 

(こういう展開になるのを分かってて、さっきの発言したな……こいつ……)

 

 私はしばらく話が進みそうもない2人をよそに、セイドに気になっていたことを尋ねた。

 

「で、聞きたいことがいーっぱいあるんだけど、説明してもらえるんだよねぇ?」

 

 私は隣に座るセイドに向かって、テーブルに肘をつき、頬杖をついた状態で睨みつけた。。

 

「えぇ、答えられることなら。それに、私としても、アロマさんには言わなければならないことがたくさんありますから、そのつもりで」

 

 コーヒーをキザっぽく1口飲むセイドの態度に、ややムッとしながらも、私から質問できるという状況に免じて許してやることにした。

 

「ふむ。んじゃまぁ、私から」

「どうぞ」

 

 私は1口水を飲んでからセイドに向きなおす。

 

「あんたのあの回避能力。あれは尋常じゃない。私の行動まで把握してたよね。あれは何?」

「ん~、単刀直入ですねぇ。それを私が教えると思ってたんですか?」

「教えてくれないなら、とっくに逃げてるでしょ?」

 

 私がそう言うと、セイドは何か、教師が生徒に向けるような眼差しを私に向けた。

 

「……では、アロマさんは、私の《アレ》を何だと思いましたか?」

 

 答えをはぐらかすつもりはないようだが、まずは私の見解を聞こうという算段らしい。

 それならそれで、私の推測を聞かせてやる。

 

「あり得ない話だと思ってたけど、思いついたのはシステム外スキルの中でも1番胡散臭い《超感覚(ハイパーセンス)》の話かな。《先読み》《見切り》《聴音》《ミスリード》の各種システム外スキルを揃えても、あの回避力は説明できないよ。あんた個人だけならそれで言い逃れるのも可能だったかもしれないけど、私の行動まで把握して指示出してた段階で《超感覚》しか思い当たらなかった」

 

 《超感覚》の話は、ことゲーム世界であるSAOにおいては、オカルトでしかないと思っていた話だが、《殺気に気付く》という技術、を指すらしい。

 

 けれど、そもそもゲームの世界において、殺気などというものが情報化されるわけがない。

 そんな、技術ともいえないような代物が、オカルト話でなくてなんだというのだろう。

 

「アハハ。《超感覚》ですか。それはまた、突飛な発想ですね」

「ん、私もそう思う。そもそも《超感覚》って、一瞬嫌な予感がした~って程度の話よね。なのにあんたのアレは、見えない位置にいた私に的確に指示をしてたし」

 

「基本的に、《先読み》と《索敵》を合わせれば、可能ですよ。前衛が戦闘中に《隠蔽》するのは無理ですし」

「ふ~ん、《索敵》のスキルが、そんなに正確に人の挙動まで教えてくれるんだったら、私も同じようなことができるんだけど?」

 

「アロマさん、ご自分で仰ってたじゃないですか。《聴音》と《見切り》も合わせれば、できる人にはできると思います」

「そうね。一瞬あんたの真似をするくらいはできるかもしれない。でも。1時間近い戦闘でそれを維持できるなんて、ないわ。あり得ない。断言しても良い」

 

「ふふ……なら、アロマさんの中で、答えは出ているのでは?」

「《超感覚》はオカルト、だとするなら。あんたは特殊な、それもシステムに裏付けされたスキル――エクストラスキルを手に入れることに成功した。そういうことじゃない?」

 

 私の予想を話すと、セイドは静かにコーヒーを1口飲み、そのカップをテーブルに置いた。

 

 笑みを絶やさぬままに、私を見つめなおす。

 

「進んで口外するつもりはありませんし、詳細を話すつもりもありませんが、アロマさんの仰った通りです。私は皆さんが見つけていないスキルを見つけることに成功し、その効果によって、あの結果を出しました」

 

「やっぱり! そのスキルの名前は? 出し方は?」

「教えません」

「何でよ! 情報は共有するべきものでしょ? あんたの持ってる、そのスキルが知れ渡れば、戦闘での死者はほぼ間違いなく出なくなるわ」

 

「と、同時に、大いに悪用されます。私以外にも何人かこのスキルを手に入れる人が現れれば、その時は公開を惜しみませんよ」

「悪用?」

 

 そう呟いた私に、セイドは大きなため息を吐いた。

 

「では、私からアロマさんに言わねばならない話をしましょう。アロマさんは、PKという言葉をご存知ですか?」

 

 PK――他のプレイヤーを攻撃、または脅すなどして、モンスターからアイテムやコルを得るのと同じ感覚で、しかしそれよりも遥かに多くのアイテムやコルを有しているプレイヤーから、それらを奪い取る行為を率先して行うプレイヤーたちの総称を、プレイヤーキラー、略してPKと呼ぶ。

 

「うん、まあ、意味位なら。でも、SAOで、そんなことする人いないと思ってる」

「情報不足、経験不足ですね。この世界でも、しっかりいますよ、PKは」

 

 セイドのこの言葉には、少なからずショックを受けた。

 

「そんな……! だって、みんなで力を合わせて脱出しようって話なのに――」

「そんなことお構いなしな人間は、確実にいますよ。現実世界だってそうでしょう? 皆が皆、善良ならば犯罪など起きない」

「それはそだけど……」

 

 多少の詐欺や裏切り、ハラスメント行為、アイテムの隠匿などの問題には私も直面したことがあるが、直接的なPKがあるとはここに来るまで知らなかった。

 

「厄介なのが、この世界におけるPK行為は、現実世界では裁かれないかもしれない、という点でしょうね……このままだと、本当に殺人行為にまで及ぶプレイヤーが出てくると思います」

 

 それを聞いて、私は血の気が引いた。

 背筋が寒くなる。

 

「そんな! それは流石に無いんじゃ――」

「というより、アロマさん」

 

 必死に否定しようとした私にセイドが向けた視線には、先ほど感じた寒気よりも、何か底知れない冷たさを感じさせるものがあった。

 

 私の台詞を遮り、セイドが言葉を続ける。

 

「今回のクエストは、貴女1人なら死んでいたかもしれませんし、私とて、今のスキル構成が無ければ死んでいたかもしれません。あの状況は、MPKと呼ばれるPKの一種です」

「なっ!? あれが、MPK?!」

 

「しかし……これまでの犯罪者プレイヤーたちは、あそこまですることは無かった……いや、知られている限りでは、と言い換えた方がいいのかも知れませんが……」

「下手したら、私が……あ、いや、セイドも巻き込まれて初のMPK犠牲者になってたかも……ってこと?」

 

 セイドはそれに、静かに深く頷いた。

 

「初、かどうかは分かりませんがね。アロマさん、今回貴女は、何故あのクエストを受けたんですか? ある程度情報を持っていたようですが、その割には肝心な転移不可ということを知らなかった」

 

 セイドの静かな問いかけに、私は記憶を呼び起こして、事の発端を思い出す。

 

「えっと……あのね、《ロンバール》で誘われたんだ。両手剣が使える人を探してる、私のような可愛らしい女性ならパーティーも華やぐ、最難関と言われるけれど私が来てくれればクリアできる、って……クエスト情報はその時に聞いただけで……」

「……それでついて行ってしまった、と……なんとわかりやすい誘い方……」

「だ、だって……その……もの凄い美形で……綺麗な声で……断る理由もなかったし……」

 

 しどろもどろにそこまで言ったところで、セイドが妙に食いついてきた。

 

「美形で美声?……アロマさん、その誘ってきた人の名前は?!」

「え?……えっとね……ポフ? 読み方わかんないけど《PoH(ピー・オー・エイチ)》だった」

 

 名前を告げた途端に、セイドの顔色が変わった。

 

「っ! マーチ!」

「ん?! なんだよセイド、こっちは今――」

「結婚話でもめてる場合じゃない! すぐに情報屋の伝手を使って、《PoH(プー)》の動きを広めるんだ! あいつ、本格的にPKに走りはじめた!」

「《PoH(プー)》だと!? 分かった! 説明しろ!」

 

 突然あわただしい雰囲気に包まれ、あれやこれやと話を始めたセイドとマーチを、私とルイルイはしばしボー然と眺めていた。

 

「……え~と……何? なんかあったの~?」

「いあ……私も分かんない。なんかPKの話だったんだけど……」

 

 ルイルイと一緒に放置された私は、ボー然と事の成り行きを眺め――

 

「アロマさん、PoH以外にいた2人の名前は!」

 

 ――ていたら、突然セイドに話を振られた。

 

「えっ!?……えっと……え~っと……《ザザ》ってのと……ゴメン、Jがついてて、《短剣》持ってて、覆面してた奴、ってことくらいしか覚えてない」

「《ザザ》と《ジョニー・ブラック》だな。3人とも、危険人物リストに常時トップテン入りしてる犯罪者(オレンジ)プレイヤーだ」

 

 名前が出てこなかった男のことすら、マーチもセイドもすぐに察しがついたようだ。

 

「嫌な予感がしますね……今回の状況、間違いなく、殺人行為としてのPKでしたし、同行していた時の3人のカラーはグリーンだったんです!」

「マジかよ?! カラー回復クエをやったんだな……マジで殺人まで試そうとしやがるとは……信じらんねぇバカどもだ!」

 

 あーだこーだと言いながら、セイドもマーチもメッセージを打つ手が止まらない。

 

「他になんか情報は!」

「とりあえず、ここまでをすぐに回してもらうように流してください! それと、《丑三つ時の怨嗟》クエのMPKの危険性も添えて!」

「オッケ!」

「えっと……ねえセイド、ちょっと状況説明をしてもらえると……」

 

 マーチとセイドは未だに慌ただしく、私の言葉は無視された。

 

「こちらもメッセージおくりました。後は各々の情報屋たちが広めてくれるでしょう。少し様子を見ましょうか」

「おお、そだな……しっかし、PoHとは……聞きたくねえ名前が出てきたな……」

「マーチん、説明してよ~」

 

 メッセージを打ち終えたらしく、そこを見計らってルイルイも声を掛けるが、2人はまだこちらに気付かない様子で話を続けている。

 

「幸運だったというべきですかね……直接やりあう羽目になってたら、厄介だったと思いますよ、今更ながら」

「だな。ってか、その3人でつるんでるって時点で、この先もっと酷いことに――」

 

『だから説明しろぉぉ!!』

 

 私とルイルイの、見事なまでにシンクロした言葉と平手打ちは、セイドとマーチの頬に綺麗に決まった。

 

 

 



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第八幕・想定外の事態

 

 

 《圏内》でなければ、ルイさんもアロマさんも犯罪者(オレンジ)カラーになっていたのではないか、というほどの勢いで、私とマーチはひっぱたかれた。

 

「ちょ! お前ら少しは力加減を考えろよ?!」

「マーチん、私たちの話聞いてなかったんだもん!」

「セイド。説明しなさい」

「失礼しました……ビンタされるとは……思いもしませんでしたが」

 

 流石に慌て過ぎたようで、アロマさんもルイさんも、話において行かれて怒っていた。

 

 私はマーチに視線を向ける。

 だが、マーチは肩をすくめてみせるだけで、自ら進んで説明する気は無いらしい。

 

 つまり、私に説明しろ、と、暗に投げたのだ。

 

(こういう時に面倒くさがるのは、マーチの悪い癖ですね)

 

 仕方なく、私が2人に状況を説明することにした。

 

「マーチも補足して下さいよ? さて……そうですね、ではまず。アロマさんが仰っていた、《PoH(プー)》《ザザ》《ジョニー・ブラック》の3名ですが、彼らは、犯罪者プレイヤーとしては、もっとも有名と言っても過言ではない奴らです」

 

 と、そこまで行ったところで、マーチが1冊の本をテーブル上に投げた。

 

「情報屋連中が協力して出している、犯罪者プレイヤーリストや危険告知掲示板なんかでも毎回名前が出てる奴らだぜ? 知らなかったっつーアロマにも落ち度があるぞ」

 

 マーチが投げたのは、《指名手配犯リスト》と名付けられた、有名な犯罪者プレイヤーだけをまとめた小冊子だ。

 アロマさんは、頬を膨らませて反抗的な態度を見せたが、気にするつもりはない。

 

「彼らは《圏外》でレベルの低いプレイヤーたちを狙って、麻痺毒などで脅し、金品を巻き上げるという犯罪行為を何度となく繰り返しています。私とマーチも、1度、襲われたことがあるんですよ」

「え? なにそれ、聞いてないよそんな話!」

 

 いつもの間延びした雰囲気を振り払い、ルイさんはマーチに食って掛かった。

 

「言ってねーからな。お前に心配かけさせたくなかったし、その後、PKが流行ってるから気をつけろって、それとなく話に出しただけだ」

 

 マーチの言葉でルイさんは記憶を手繰ったようで。

 

「あ~……あったね~、そんなこと……あの時、そんなことがあったの~?」

 

 過ぎたことを今更問い詰めても仕方ないと思ったのか、ルイさんはいつもの雰囲気で、しかしマーチを責めるような視線は変わらず、マーチに向けていた。

 

(まあ……これは説明していないマーチが悪い……)

 

 とりあえず、ルイさんはそのままにしておく。

 

「えぇ。ですが、その時の私とマーチのレベルは、彼らと比べると、わずかに上だったようで、何とか撃退できたんですけどね」

「ギリギリだったけどな。俺は、最後の最後で麻痺喰らっちまって、ヤバいと思ったし」

 

「その時の彼らには、まだ人を殺すというほどの勢いはありませんでしたから、私たちが想像以上に抵抗するので、止む無く撤退した、という程度でしょうけどね。その中でも、特に異彩を放っていたのが、当時から短剣使いとして突出した力を見せていた《PoH(プー)》でした」

 

 私もマーチも、あの時のことを思い出すだけで、未だに背筋に寒いものが走る。

 

「《ザザ》と《ジョニー・ブラック》は、その時はいなかったな。あの場で有名だったのは《PoH》くらいのもんだったか」

「彼ら3人が組んでいるなんて情報、これまで一度もなかったですよ。これからは、更に気を付けないと」

 

 私たちの話を聞いていたルイさんが、至極もっともな質問をしてきた。

 

「その《PoH》って人、どんな人なの~?」

「一言で言うなら、美形、ですね。それも見る者を魅了する蠱惑的な美形の男です。声も耳に残る美声で、一見しただけでは、とても犯罪者とは思えないですよ」

「使ってる武器は《短剣》だ。以前は毒属性武器を使ってたが、最近の情報だと、攻撃力に秀でた短剣に切り替えたらしい」

 

「その理由も、今回の一件で何となく見えましたね」

「だな。あの《ジョニー・ブラック》が一緒となりゃ、毒使う必要がねぇ」

「ん? どーいう意味?」

 

 これにはアロマさんが疑問を挟んだ。

 

「《ジョニー・ブラック》というのは、毒武器の使い手なんです。短剣に限らず、スキル構成が毒武器の使用を前提に組まれているという情報があります」

「毒に関しちゃ、今のところジョニーに勝る奴はいねーんじゃねーかね?」

「ふ~ん……通りで嫌な奴って感じがしたよ。そのくせ、妙に口は軽かったけど」

 

「毒使いか~。じゃあ、《ザザ》ってのは~?」

「最後の《ザザ》ですが、彼は《刺突剣(エストック)使い》として有名です。攻撃の動作が極小且つ高速の突きの連打で、他のプレイヤーを圧倒するという、PKにしておくのは惜しいと思うほどの実力者ですよ」

「っても、《PoH》には勝てねーと思うけどな。あいつの短剣の扱いは異常だぜ」

刺突剣(エストック)ねぇ……私、あれは性に合わなかったなぁ。細剣(レイピア)の方がまだマシだったよ」

 

 アロマさんは何かを思い出すように、視線を宙にやりながらそう呟いた。

 

「使うという意味で、ですね?」

「そそ。ま、結局両手武器メインにしちゃったから、もう使わないけどさ」

 

 アロマさんが好むのは、どうも大型武器らしい。

 外見に似合わず、パワーファイターとは、世の中分からないものだ。

 

「結構危ない人たちが多いんだねぇ~、気をつけなきゃ~」

「って、ルイ! お前も知らなかったのかよ?! 情報誌は見とけって、毎回渡したろ!」

 

「ん~、そんなこと言われても、全部のページなんて見てないよ~」

「……マジか……頼むから、危険人物関係だけは外さずに見てくれ……」

 

「ん、わかったよ~、でもマーチんが守ってくれるから大丈夫だよね~♪」

「……ルイ……任せろ、お前は俺が守ってやるよ」

 

 ルイさんとマーチの会話で、張りつめた空気が緩んだ気がする。

 

(流石、天然ボケ夫婦。空気をよく読んでいる)

 

 とは、口に出しては言えない。

 

「……まぁ、とりあえず、PKの話ってことで、よ~くわかったよ。以後気を付けまっす」

 

 アロマさんが気を取り直して、改めてそう言った。

 

「えぇ、そうして下さい」

「んじゃ、次は私ね」

 

「はい? まだ何か聞きたいことがあったんですか?」

 

「あるわよ。セイド、あんた攻撃方法についても何か隠してるでしょ」

 

 一瞬、不意を突かれたことで、変に表情に出たのではないかと焦ったが、何とか平静を装って言葉を返した。

 

「攻撃方法……と言われましても……私はご覧の通り、格闘スタイルなので《体術》以外は使えませんよ」

「にしては、あのボスからの敵対値(ヘイト)の取り方が異常だった」

 

 実は、先の話題にあったエクストラスキルにも関係する話なのだが、おそらく今アロマさんが言っているのは別のことだろう。

 

 とはいえ、ここでそのことを言及されるとは思ってもいなかった。

 

(……鋭い……直接見られてはいなかったはずなのに……)

 

「そんなに変なことはしていませんよ。もともと、こまめにダメージを与え続けていましたし、大技を使えば、アロマさんにも負けないダメージを叩きだせますからね、私なら」

「……ふぅぅぅん……な~んか怪しいんだよねぇ~……《体術》だけで《クリミナル・トーチャー》+貫通継続ダメージの敵対値を速攻で覆せるはずがないと思うんだけどなぁ」

 

 アロマさんは確信に満ちた瞳で私を睨み続けている。

 

(……《グラン・シャリオ》のあれか……見てないのに、本当に鋭い人だ……)

 

 私は乾いた笑顔を浮かべるので精一杯だった。

 

「偶然ですよ。そんなに気にするほどのことではないでしょう?」

「いやいや、私みたいな重量級武器の使い手にしてみれば、大事(おおごと)ですよ? たかが《体術》の《剣技》1発で敵対値取り返されるなんて問題ですよ?」

 

「1発の敵対値だけなら、どうやっても勝てませんよ。その分、《体術》は連続した攻撃によって敵対値を蓄積させるのが得意ですから」

「……なーんか納得できない……違和感が無いように話してるだけでしょ……」

 

 ぎらぎらとしたジト目で睨まれ……内心、冷や汗ものだった。

 

 アロマさんにはエクストラスキルの存在を見抜かれたが、あれは仕方がないと思っていた。

 あそこまでスキルを発揮して指示を出しまくっていたのだから。

 

 しかし、攻撃手段の奥の手である《あのスキル》の存在にまで気付きかけていたとは……変に鈍いくせに、妙なところで敏感なアロマさんに、戦々恐々とした。

 

 と、気が抜けたのか、誤魔化したいという心の表れだったのか、不意にあくびが出てしまった。

 

「ん? セイド、もしかして眠いの?」

「あ、いえ、これは失礼」

 

「そりゃ眠いでしょ~。セイちゃん、今朝もふつ~に起きてたし~」

 

 いつの間にやら、ルイさんとマーチは夫婦漫才を終えていたらしく、こちらの話に入ってきた。

 

「無理に付き合わなくていいって言ったのに、こいつ、いつも通り朝の狩りに来たんだよ」

「当然でしょう? あんなことがあった後なら尚更ですよ」

 

 本格的なMPKに遭いかけたのだ。

 親友2人を放っておくことなどできない。

 

「俺が居れば、万が一なんざそうねえって」

「油断大敵ですよ。マーチ」

 

 マーチをジト目で睨んでいると、アロマさんが疑問を挟んだ。

 

「朝の狩りって……何時から?」

「ん? いつも通り、朝6時半には起きて、行ってきたが?」

 

 という、マーチの言葉を聞いて。

 

「ええええええぇぇぇっ?! セイド全然寝てないじゃん! それ!」

 

 アロマさんは目を見開いて大声を上げた。

 

「いつもと大差ないですよ。2時間は寝てます」

 

 この私の台詞に、流石のマーチも反応した。

 

「って、オイ! 3時間寝てねーじゃねーか!」

「今回はイレギュラーがありましたからね。大丈夫、気にしないで下さい。流石に今夜はしっかり寝ますから」

 

 しかしそこで、アロマさんが私の腕をがっしりと掴んだ。

 

「いやいや、セイド。寝てないのは良くないよ? ってことで、私が一緒に寝てあげる!」

 

 ――アロマさんの台詞に、一瞬思考が停止した。

 

「……いま、なんと?」

 

 アロマさんは私を引っ張り、2階にとってある部屋へと足を進めようとする。

 反射的に踏ん張って、引っ張られないようにするが、筋力値がアロマさんの方が上らしい。

均衡を保てず、ズリズリと引っ張られていく。

 

 通常、他のプレイヤーを無理矢理移動させることはできないのが、圏内の《犯罪防止(アンチクリミナル)コード》の仕様だが、パーティーメンバーに関しては、その制約が若干低くなる。

 

 かなり酷く乱暴に引っ張られでもしなければパーティー間ではコードに引っかからない。

 

 ――しかし、しかしだ。

 

(私とのレベル差を覆すとか……どれ程筋力値に振ってるんだ、この娘!)

 

「こーんな可愛い女の子が添い寝するなんて経験! これからのセイドに起こり得るはずがないよ!」

「言いきった!? そんなことありません! これからの私の人生――」

「18の女の子が添い寝することがあるってーの?」

「……っ!」

 

 反論の余地がなく、思わず、さめざめと涙が流れた。

 

「おおっ! あのセイドが泣いたぞ!?」

「いやぁセイちゃん、隅に置けないねぇ~。うんうん。据え膳くわぬは何とやらだよ~」

「いやあの! 助けて下さい! っていうかむしろ助けろ! 2人して見てないで!」

 

 そんな私のことはお構いなしに。

 

「がんばれよ、セイド!」

 

 マーチのヤロウは、親指立ててニッカリ笑ってやがった。

 

「マーチ! テメ――」

 

 私の言葉を遮ったのは、変わらず私を引きずっていくアロマだった。

 

「やさしくしてね、ダーリン♪」

「きさまは黙ってろ!」

 

 



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第九幕・爆弾娘

 

 

 食堂での《アロマ爆弾》の炸裂がもとで、結局私は、本当にアロマさんと宿屋の一室に閉じ込められてしまった。

 

 通常、部屋の借主以外は扉を開けられないのだが、マーチとルイさんの部屋に、借主の2人が私とアロマさんを押し込んで、そのまま私たちに開錠権限を与えなかった。

 

 結果、出来上がるのは、安全圏内での簡易軟禁状態の密室である。

 とはいえ、この状況は時間で解決される。

 

 借主以外が室内に閉じ込められた場合、10分経過すれば自然と閉じ込められたプレイヤーに開錠権限が与えられるからだ。

 ――与えられるのだが。

 

「……厄介なことになりました……」

 

 ベッドに腰掛け項垂れるしかない私を横目に、アロマさんは気楽なもので、鼻歌交じりに椅子に座っていた。

 

 無論、転移結晶などを使えばすぐにでも脱出はできるのだが、わざわざ使うほどの事態だとも思えない。

 

「いいんだよ。マーチさん、セイドに気を遣ってたじゃん。今日のところは休まないと、マーチさんが心配しちゃうぞ♪」

「あなたでも、そんな繊細なことに気を遣うんですね」

 

「……口、縫うよ?」

「丁重にお断りします」

 

 それにしても、1つの部屋で女の子と2人きりとは落ち着かない。

 

 そんな私をよそに、アロマさんは鼻歌を歌いながらメニュー画面を操作している。

 こうしてみていると、ただの可愛らしい女の子なのだが。

 

「はい、申請」

 

 と、唐突にアロマさんが言った。

 

「何ですか? む?」

 

 アロマさんが送ってきたのは、ギルドへの加入申請だった。

 

「私もあなた達の仲間に入れて。セイドの傍で、役に立ちたいの」

「……ふむ……」

 

 ここまで私のスキル構成を見抜き、内部情報を知られてしまったアロマさんをどうするか、実は密かに考えていた。

 マーチもルイさんも、先ほどまでの反応を見るに、この子なら仲間として迎えることに反対はしないだろう。

 

「……仕方ありませんね。ですが、加入を認める前に、こちらからも聞いておくことがあります」

「いいよ? 何でも聞いて? あ、でも、スリーサイズとか付き合った人の数とか――」

「アロマさんのスキル構成について、疑問がありました。難しい事ではないですが」

 

 与太話に引っ張り込まれると勝ち目がなさそうなので、さっさと話題を進める。

 

「アロマさん、《両手剣》《両手斧》《索敵》以外のスキルスロット、もしかして戦闘系、それも武器系で埋めてませんか?」

「ほえ? どしてそー思ったの?」

 

「先ほど、刺突剣(エストック)細剣(レイピア)の話がありました。細剣は、片手用直剣を使い込まなければスキルリストに現れない。刺突剣は、更に細剣を使い込まなければならない。試したと言った段階で、貴女のスキルスロットはかなり限られてしまう」

 

「細かいところに気が付くねぇ」

「レベル45時点での通常スキルスロットは6つ。エクストラは別枠派生なので除外するとして、上位派生形はスキルスロットを消費します。となると、アロマさんは――」

「《両手剣》《両手斧》《索敵》《片手用直剣》《細剣》《刺突剣》、そう言いたいんでしょ? でも、刺突剣は合わなかったって言ったよね。だからすぐ消したよ。その代わりに入ってるのは《両手槍》」

 

 アロマさんの回答は、予想を裏切らなかった。

 

「……まさか、本当に武器系のスキルで埋めているとは……」

 

 思わず眉間を抑えてしまう。

 

「全部武器じゃないよ。今は《細剣》も《片手用直剣》も消してあるから。流石に《武器防御》は必須だし、《索敵》と《隠蔽》もあるし。私、基本ソロだったから、これだけあればそんなに困らなかった。だから、武器って言っても、今は3つだけ」

 

 確かに、ソロでは必須と言われる《索敵》と《隠蔽》があれば、ソロ活動に困ることはまず無かっただろう。

《罠解除》や《鍵開け》といった、ダンジョン探索用スキルが必要な場面以外なら。

 

 率直な感想は、『よく今まで生きてたな、この娘』である。

 

 ダンジョンの探索で罠解除ができなければ、最悪、死に直結する。

 いくら《武器防御》があるとはいえ、アロマさんのスキル構成は戦闘に特化し過ぎだ。

 

「まあ……分かりました。今後、スキルスロットを変更するようでしたら、少なくとも私には教えて下さい」

「あれ? スキル構成を教えるのはダメだって言ってなかったっけ?」

「ギルドメンバー以外なら、教えませんし聞きませんよ。ですが、私は指示を出すことが多い立場です。メンバーのスキルに関しては、把握しておきたい」

 

「なるほどなるほど、んじゃ、セイドのスキル構成も教えて。私だけ教えるってのは不公平だし」

「……《体術》《索敵》《罠解除》《鍵開け》《投擲》といったところです。これ以外は企業秘密です」

「企業って……んまあ、良いってことにしといてあげるよ」

 

 とりあえず、納得はしたようなので一息ついた。

 だが。

 

「でも、まだ聞きたいことがあるの」

 

 不意に、ふわりとアロマさんが私の首筋に抱きついてきた。

 

 微かに髪からいい香りがして、我ながら情けなくも動してしまう。

 心臓が一瞬、大きく打った音が聞こえた気がした。

 突然のことだったし、思ったよりも勢いがあったらしく、そのまま2人で(もつ)れてベッドにダイブする形になった。

 

 抱き着かれたまま、アロマさんはくるりと向きを変え、私の下になった。

 

「……色仕掛けには乗りません」

 

 アロマさんを直視できず、視線を逸らしながら何とかそう言えた。

 

「バカね、聞かれたくないからよ」

 

 基本、宿屋の部屋は防音となっていて、内部の会話は外には聞こえない。

 

 例外としては、《聞き耳(ワイアタピング)》のスキルなら聞くことができる、といった程度だ。

 それでも、この距離での、しかも囁くような小声での会話はまず聞き取れないだろう。

 

 そのまま、沈黙が何秒か過ぎていく。

 耳元でアロマさんが息を吐く音が聞こえた。

 

「《剣技(ソードスキル)》と《剣技(ソードスキル)》の間が短すぎる……何を隠しているの?」

 

 囁くように耳元で言われた言葉に、私は思わず息をのんだ。

 

(見られていた?! しかし《グラン・シャリオ》の時は、見られてはいなかったはず……)

 

「……何のことですか?」

 

 アロマさんから視線を逸らしたまま、話をはぐらかそうと試みる。

 

「竜の眉間へ叩き込んだ跳び蹴りからの回し蹴り。あれは既存の《剣技》の流れじゃなかったわ。《メテオライト》は知ってたけど、あの回し蹴りはついて来ない」

 

 しかし、アロマさんは確信をもって、さらに切り込んできた。

 

(……なるほど……そこを見られていましたか……)

 

 思わず目を閉じていた。

 諦め所かもしれない。

 

「……言うと思いますか?」

「……手の内を知らないと戦えないのは私も一緒。でしょ?」

 

「……マーチとルイさんにも気付かれていないことを、あなたに話すとでも?」

「あら、2人にも秘密にしてたの? でも、話してくれなくても、私ならそのうち気付くわよ。さっきの会話で分かったでしょ?」

 

 確かに、アロマさんの鋭さなら、言い当てるには至らないにしても、限りなく近い推測に至ることは可能かもしれない。

 

 と、アロマさんが少し腕を緩めた。

 私は反射的に離れようとし、しかし、アロマさんの腕は私の首にかかったままで、結果、アロマさんの顔が目の前にある状況で固まった。

 

「そして、分かった知識はあの2人にも話すわよ……さ、悪用される前に、私を味方につけておきなさいよ♪」

 

 密室、2人きり、私が上で、彼女が下……。

 

 チェックメイトと言わんばかりにアロマさんが笑う。

 その瞳にはギラギラとした光が湛えられていた。

 

(……先ほどの爆弾発言といい……どうしてこの娘は、悪だくみをする時に生き生きとした表情をするんでしょうね……)

 

 私は深く深くため息を吐く。

 

「……話す前に、聞いておかなければならないことができました」

「なぁに?」

「何故貴女はこのギルドに入りたいと思ったんですか?」

「野暮な質問ね。言わせたいの?」

 

 艶のある声を出し、色仕掛けをするような表情を見せたアロマだが、今聞きたいのはそんなセリフではない。

 

「真面目な話です。貴女ほどの人なら、他にいくらでも誘われたことがあるはずです。それなのに、貴女はソロだった。何故ですか?」

 

 流石に空気を読んだのか、アロマさんが真面目な表情になった。

 

「……他のところで気に入ったところは無かったし、気になった人もいなかった。女だからって理由だけで誘われて、マスコット扱いされるのも嫌だったしね」

 

 アロマさんの表情と台詞には、うんざりするほど声を掛けられた過去が、ありありと現れていた。

 

「私は貴女をギルドに誘うべきか、正直悩んでいました。エクストラスキルの存在に気づき、その事実を知った貴女を放置することに危機感を覚えたからです。ですが、それでも貴女には、ギルドに入らないという選択肢もあった。なのに何故、自分から進んで加わろうとしたんですか」

 

「……私が情報を得るためだけにこうしているんじゃないかって?」

 

 私が暗に言わんとしていたことを、アロマさんは見事に見抜いていた。

 

「……その通りです」

「……今のはちょっと傷ついた……私がそんな女に見える?」

 

 眉を(しか)め、笑顔が消えたアロマさんの表情には、確かに悲しさがあった。

 

 しかし。

 

「見た目で分からないから聞いてるんです。勿論、嘘をつかれても私にそれを見抜けるかどうかは分かりません。それでも、私は聞かずにはいられない」

「……出会って間もない私は信じきれない、か……じゃあ、正直に言うよ」

 

 アロマさんは、目を瞑って、静かに息を吸い、ゆっくりと目を開いて、私を正面から見つめた。

 いや、睨んでいる。

 

「昨日、あの場にセイドが居なかったら、私はきっと死んでた。それを救ってくれたのは、間違いなくあなた。だから、私はセイドに恩を返したい。本気でそう思ったから、ギルドに入れてほしいと思ったの」

 

 アロマさんからは、先ほどまでのふざけた空気は微塵も感じられなかった。

 

「エクストラスキルだ、《剣技》だ、って、確かに聞きたいことは聞いたよ。でも、傍にいたいと思ったのは本当。命の恩人の傍にいたいと思うことが、そんなに変?」

 

 真剣な瞳だ。

 嘘をついているとは思えないし、思いたくない。

 

 私は無言のまま、アロマさんから視線を逸らし、右を見やる。

 メニュー画面を呼び出し、アロマさんのギルド加入申請を承諾した。

 

 頭の一部では、こんなに真剣な彼女のことを未だに疑っている自分もいた。

 しかしその猜疑心は無理矢理抑え込む。

 

(私の悪い癖は、人を信用しきれないところですね……それが誰であっても……)

 

「……ようこそ、我ら《逆位置の死神(デス・オブ・リバース)》へ。個人としても、ギルドマスターとしても、貴女を歓迎します、アロマさん……そして……傷付けてしまって申し訳ない」

「ううん……ありがと、セイド」

 

 ふわっと花が咲いたようなその時のアロマさんの笑顔は、とても可愛らしかった。

 

 ――次の台詞が出なければ、一生記憶に残しても良かったのに。

 

 




宿屋の簡易軟禁やスキルスロット数などはオリジナルです(>_<)


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第十幕・縁

 

 

「で。どんなカラクリなわけ? あれは!」

 

 小声での会話は変わらず、しかし、アロマさんは先ほどまでの真剣な表情から一転、前までの小悪魔的な笑みを浮かべていた。

 

「……結局知りたいんじゃないですか……」

 

 私は少しがっかりしながらも、諦めてベッドに身を投げた。

 

 アロマさんを下に敷くわけにもいかないので、強引に横に転がる。

 アロマさんも、流石に腕を解いた。

 

「あったりまえでしょ……まさかあれもエクストラ?」

 

 仰向けに寝転がった私に、今度はアロマさんが覆いかぶさるように顔を覗き込んでくる。

 

「……はぁ~……違いますよ。あれは多分、本当に皆さんが気付いていないだけです」

「ってことは、既存のスキルなの?」

 

 私はアロマさんの質問に答える代りに、質問を投げ返した。

 

「アロマさん、戦闘系以外のスキルは見たことありますか?」

「まあ、一応は。何1つ興味惹かれなかったけど」

 

「その中に《舞踊(ダンス)》というスキルがありませんでしたか?」

「あ~……あったような気もするけど……誰もあんなの取らないと思ってた。まだ《楽器》スキルの方が有用性ありそうじゃない。いろんな楽器が演奏できるんでしょ、あれ」

 

「らしいですね……話を戻しますが。簡単に言えば、私のアレは《舞踊》スキルです。《体術》や《索敵》などよりも、真っ先にスキルマスターまで上げました」

「え」

 

 アロマさんは、本気で意外そうな顔をした。

 

「《体術》がクエスト習得型のスキルなのはご存知ですよね。つまり、ゲーム開始当初は《体術》は使えない。そこで私が選んだのは《舞踊》でした。戦闘系スキルではないので《剣技(ソードスキル)》は存在しませんが、体の動きをシステムがアシストしてくれるという特徴を利用して、私は通常攻撃、拳や蹴りという攻撃のほぼ全てを《舞踊》の効果に載せたんです。結果は、通常の攻撃より僅かながら攻撃力を増すことができ、敵を倒すのに役に立つ、ということが分かりました」

 

「ええええ! そんなことができたの!?」

 

 この情報は、情報屋のスキル名鑑に乗っている。

 

 というか、私が情報提供した。

 だが、残念なことに、他の戦闘スキルを持っている人にとっては、全く無意味な情報なので、アロマさんが知らないのは無理もないことだ。

 

「戦闘系スキルを手に入れてしまえば《舞踊》の攻撃力底上げの効果は、戦闘の役には立たない、はずですが、私はそれを体術の《剣技》に組み合わせてみました」

 

 マーチやルイさんにも話したことのない、私の、本当の奥の手。

 

 それが《体術》+《舞踊》という、技後硬直(スキルディレイ)上書きによる《連続剣技》という技術だ。

 

「とはいえ、はじめのころは《体術》スキル発動後であっても《舞踊》スキルの発動すらできませんでしたよ。当初の《舞踊》スキルには、技後硬直を上書きするような効果は無かったんです」

「……じゃ、どうやって?」

 

 不意に、ベッドに横になったからか、あくびが出てしまった。

 

「――はふ……失礼。可能になったのは、《舞踊》をマスターした後です。そこまでいかなければ、あれは不可能ですよ」

「ふぅむ……真似ようとしても、すぐにできることじゃない、か……」

 

「やっていることは単純。《体術》の《剣技》を使った直後、技後硬直が発生するより早く《舞踊》を起こすだけです。難しいのは、《剣技》の発動が終わっていないうちに《舞踊》を起こそうとしても不発、しかも《剣技》まで止まってしまうし、技後硬直まで発生してしまう」

 

「……え、なにそれ。メチャメチャタイミングシビアなんじゃない?!」

「慣れればそうでもないですよ。まぁ、他にも色々と制限や限界はありますけどね」

 

「いやいやいや、《剣技》終了後、技後硬直(スキルディレイ)発生前とか、わけわかんないから! コンマ数秒の世界じゃん!」

「ですから、《慣れ》です。こればかりはやらないと分からないかもしれませんね」

 

「……そっか……んじゃ、私も《舞踊》入れよ」

「言うと思いましたが、やめて下さい。《体術》との組み合わせなら技後硬直の上書きという結果を出せていますが、武器使用時には無理な気がします」

「えぇ~!」

 

 再びあくびが出た。

 流石にこの状況だと睡魔に抵抗しきれないらしい。

 

「――はふ……く~……1度だけ、試したんですけどね。《短剣》で。無理でした」

「ぶぅ~! なんかズルいじゃん! セイドばっかし裏ワザ・奥の手満載みたいで!」

 

「……満載なんてしてませんし……その分のリスクは背負ってますよ」

 

 あくびだけではなく、まぶたも重くなってきた。

 

「先ほどから言ってますが……私の攻撃手段は《体術》だけです。元々の攻撃力の低さは拭えませんし、元々攻撃手段の中でもサブスキルというような位置づけの《体術》です……まともな戦闘になったら《体術》のみの私は圧倒的に不利です」

 

「……ま~だなんか隠してない?」

「……ありません……」

 

 エクストラスキルについては話すつもりはないし、《舞踊》以外に実はまだ話していないスキルもあるが、アロマさんがそれに気づいた様子はない。

 それに、戦闘に関しては本当にこれ以上何もないのだ。

 

 なら、話すべき内容は終わったと思う。

 

 もう睡魔に身を任せても良いだろう。

 まあ、アロマさんが隣で横になっているという状況はよろしくないのだが。

 

「あ~! 寝ちゃう前にあと1つだけ!」

 

 吹っ飛びそうな意識を、アロマさんが無理矢理戻してくる。

 頬をつねらないでほしい。

 

「……なんですか?」

「何で私が《テンペスト・ケージ》まで使えると分かったの?」

 

「……分かったわけじゃないですよ……ただ……あの場面で取り出すということは……両手剣と同等か……それ以上に熟達しているのだと……想像しただけです……」

「なるほど……そいえば《クリミナル・トーチャー》も700越えのスキルだったっけ」

 

 納得していただけたようなら何より。

 私はそのまま、睡魔に身を任せた。

 

 

 

 

 

 

 

 スースーと、静かな寝息を立てて、セイドは寝てしまった。

 

「……誰が無防備なんだって?……」

 

 セイドの寝顔を、隣で眺めながら思わずつぶやいていた。

 

 私だってPKの恐ろしさや情報は相応に持っていた。

 ただ、それを身近に感じたことが無かっただけだ。

 

「これで私が詐欺師だったり、PKの仲間だったらどうするのよ……女は目を見たまま嘘が吐けるんだぞ……あんな情報までバラしちゃって」

 

 私なら話さない。

 本当に奥の手は、信頼していようがなんだろうが、話したりしない。

 

 どこから情報が漏えいするか、疑い出したらきりがない。

 裏切りや詐欺が当たり前のように行われるこの世界において、相手を信頼するというのは、危険な行為に他ならない。

 

「……お人好し……」

 

 でも、セイドみたいなお人好しは、嫌いじゃなかった。

 

 

 

 

 

 ――セイドが言ってた通り、私は数え切れないほど男共に声を掛けられた。

 

 こう言ってはなんだが、私はそんなにモテるとは思ってなかったし、かの有名な《血盟騎士団》の副団長を務める女性剣士のような美人には遠く及ばないだろう。

 

 それでも、この世界の女性プレイヤーというのは、女というだけで希少価値があるらしい。

 

 頼んでもいないのに、アイテムをくれる男たちに囲まれることも多かった。

 でも、それを貰うとなんやかんやと理由を付けて、パーティーだのギルドだのと誘われたり、ちょっと気が向いてパーティーに参加したりすると、リアルの住所と名前だのと根掘り葉掘り聞いてくる奴が後を絶たなかった。

 

 正直、この世界の男共にはウンザリしていた。

 

 基本的に今この世界にいるのは、ほぼ全員がコアなゲーマーだと言っていい。

 限定1万本の初回ロットを購入できているのだから。

 

 と、同時に。

 見た目良し、性格良し、器量良しなんていう男が、そんなコアゲーマーの中にそうそういるわけもなく。

 

 やれ、俺はこれこれができるんだ。

 やれ、俺は何々ならだれにも負けない。

 やれ、俺は君のためなら命すら惜しくない――などなど。

 

 そして、そういうことを偉そうに言う男に限って、いざという時になると逃げ腰になったり、酷い時には1人で勝手に逃げたり、自分のことばかりでパーティーメンバーとの連携を無視してパーティー全体を危険にさらしたり。

 

 まさに俺俺ばっかのオレオレ詐欺だ。

 

 確かにRPGなのだから、演じるなとは言わないけれど、もうちょっとましな男はいないものなのか。

 私が高望みし過ぎなのか。

 と、諦めていたものだった。

 

 女性プレイヤーは絶対的な数が少ないから希少かもしれないけど、私からしてみれば、数が多い分、まともな男性プレイヤーというのも相当に希少だと思う。

 

 そんな中、美形で美声な、魅力的な男に声を掛けられたと思えば、有名な犯罪者プレイヤーだったりするし。

 私の周りはそんなのばっかりかと落ち込んだりもした。

 

 しかし今なら、それもまぁ、良い出会いのきっかけになったと思える。

 

 セイドに出会えたんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「んっ……ん~っ……はふぁあ~っ……」

 

 ふわふわする意識が、次第に覚醒していくのが分かる。

 

 起床アラームなどはかけなかったが、時刻をぼんやりと確認すると16時半だった。

 

(確か……この部屋に押し込まれたのが13時頃でしたから……まあ、3時間は寝たことになるか……)

 

 私は軽くあくびをしながら寝返りを打ち――

 

「――っ!?」

 

 そこで今の状況を再認識した。

 そういえばアロマさんが一緒にいたはずだったのだ。

 

 睡魔に負ける寸前、アロマさんなら部屋の開錠権限が与えられたら出ていくだろうという考えがあったのだが。

 

 私の隣で、スースーと寝息を立ててアロマさんが眠っていた。

 

(うおぉっ!? びっくりした!)

 

 危うく大声で叫ぶところだった。

 

 体は反射的に起き上がってしまったが、アロマさんが起きる様子はなかった。

 静かに息を吐き、そーっと動いた。

 

(寝ている姿は、年相応の女性なんですけどねぇ……なんで戦闘中の掛け声は、ああも男勝りなのか……)

 

 激しいギャップに、思わずこみ上げてきた頭痛にこめかみを抑えて、私はベッドに腰掛けるように姿勢を移した。

 

 16時半なら、マーチとルイさんは、おそらくどこかで狩りをしている頃だろう。

 

 今から出かけても、2人が帰ってくるまで、そう時間があるわけでもない。

 私は仕方なく自分の部屋に戻――れなかった。

 

 いつの間にやら、アロマさんに服の裾をガッチリ握られていた。

 

「特盛……つゆだく……卵もかけて……」

 

(どんだけ食うんだよ!?)

 

 あまりといえばあまりの寝言に、思わずまじまじと寝顔を見つめてしまった。

 何やら満足そうな笑みを浮かべて眠っているところを見ると、起こすに忍びなくなってしまった。

 

 結局、私はこの部屋で軟禁――と言っていいのか、甚だ疑問だが――されたまま、アイテムの整理とステータスの再確認などを行うことにした。

 

(アロマ、か……厄介なメンバーが増えたなぁ……)

 

 詐欺や裏切り行為の横行するこの世界。

 彼女が本当に信頼できるか分からないが、それでも私は、彼女を信じたいと思った。

 

 だからこそ、自分の秘密を明かしたし、隣で眠るなどという最大の隙まで見せた。

 もし私が目覚めた時に、彼女が居なかったら、それはそれで仕方がないと諦めるつもりだったのだが、彼女はそこにいた。

 

(少なくとも、信じるに値するということにしておこう……)

 

 秘密を知られたのは、非常に厄介だが。

 往々にして、男は女には勝てないものだと、開き直るしかなかった。

 

 ため息を吐き、それでも少し嬉しく思う気持ちにも気付く。

 

 誰かを信用しきれない、ということは、それだけ自分への負担が大きくなる。

 ほんの少しでも、誰かに信頼できる部分ができたとしたら。

 それはとても幸せなことなのかもしれない。

 

 服の裾を離さずに眠っているアロマさんの頬をそっと撫でると、彼女はふにゃふにゃと訳のわからない笑みをこぼす。

 

 思わず、私もつられて笑ってしまった。

 

 ――ところをマーチに見られたのは、本日最大のミスだっただろう。

 

「うぉっ!? まだ部屋を出てなかったのか!? すまん! 邪魔して正直すまんかった!」

 

 いつマーチが戻ってきたのか、察知するのが遅れたのは、痛恨事だった。

 

「え、いやあの……」

 

 慌ててマーチに言い訳をしようとしたが。

 

「今から第2回戦ってとこだったか? いや、俺、ルイともう1回散歩に……」

 

 とんでもない誤解をマーチが口走った。

 

「違う、違いますって! アロマさんが私の服の端を掴んで離さないからここにいるしか……って! なんでこのタイミングで離してんだコイツ!?」

 

 先ほどまでガッチリ掴まれていたはずの裾は、すでに掴まれてはいなかった。

 

「照れるなよぅ♪ おっ! アロマがギルド加入してるじゃんか!」

「ああ、そっちのことも話さないといけないんでした。あああああ話すこと多い!」

「いいって♪ ごゆっくりだって♪」

 

 とても分かっているようには見えないマーチのニヤニヤ顔に無性に腹が立った。

 

「マーチ、きさま……」

「しぇいどのばかぁ……いたくしたらやだよぅ……」

「って、いつ起きたんだお前はっ! 薄目開けてわけのわからん事を言うんじゃない!」

「うんうん、もう『お前』呼びできる仲なんだねぇ~♪ セイちゃん」

 

 いつの間にかルイさんまで悪ふざけに便乗していて。

 

「あああああもう!! は・な・し・を・きけぇえええええ!!」

 

 私は1人、頭を抱えながら叫ぶしかなかった。

 

 

 

 

 こうして、私たちのギルドは、新たに4人目のメンバーを迎えることとなった。

 

 

 

 

 




これにて第一章終了となります。
ご意見ご感想など、お気軽にm(_ _)m


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幕間・2
DoRのちょっとした平和な一日・前編


一章ごとに幕間を入れようと思います。

今回はちょっと長いので前編・後編の2話構成でお送りします(>_<)


 

 

 頭の奥でピリピリとした感覚がして目が醒める。

 

 時刻関連オプションの《強制起床アラーム》だ。

 任意の音楽で強制的に意識を覚醒させてくれるものだが、私は機械的な電子音に設定している。

 

「ん……ん~……」

 

 まだ少しまどろみが残る。

 

 強制起床とはいうが、眠気が一瞬で無くなるものではない。

 たたき起こされるだけで、眠気に負ければ二度寝することも個人の自由だ。

とはいえ、私は二度寝することなく体を起こした。

 

(ん~……疲れが残ってるか?)

 

 昨夜の狩りは、少し根を詰めすぎたかもしれない。

 

(全く……アロマさんが変なことをするから……)

 

 頭を掻きながら、昨夜のことを思い出す。

 

 

 

 

 

 

 アロマさんがDoRに加入してからすでに3日経った。

 

「はっ!」

 

 気合いとともに《骸骨兵士(スケルトン・ソルジャー)》を蹴り砕く。

 

 私は夕食を終えた後、いつも通り、夜間の狩りに出かけたのだが、アロマさんは毎晩毎晩、私の狩りについてきていた。

 

 初めはついて来ないように言ったのだが、私の言葉など聞く耳を持たず。

 ――普通、あのようなMPKに遭いかけたのなら、同じ場所には行きたくないと思うものだと思っていたのだが。

 

 夜間の狩りと昼間の狩りを合わせて、今日の昼、アロマさんのレベルがついに50になった。

 

 そしてそれは。

 私にとって想定外の事態を引き起こした。

 

「せいっ!」

 

 ともすれば抜けてしまいそうになる集中力を、半ば強引に留めるように掛け声とともに拳を繰り出し気合いを入れ直す。

 

  ♪~♪~

 

(……くっ!……集中……集中!……っ!)

 

 離れたところから聞こえてくる音楽を、必死に無視する。

 

「ハァッ!」

 

  ♪♪~♪~♪♪~

 

「シッ!」

 

  ♪~♪~♪♪~

 

「……くっ!……あぁぁぁもう! 気が散るでしょう!?」

 

 限界だった。

 

 1時間我慢できたのだから、充分耐えた方だろう。

 

「心頭滅却すれば火もまた涼し。BGMすら静寂の如く」

 

 私のツッコみに、何やら訳の分からない言い訳をするアロマさんは、止まることなく曲に合わせて《踊って》いた。

 

「ドジョウすくいの音楽のどこに静寂が!?」

 

 ――何故か彼女は、私の夜間の狩りに同行していながら、ちょっと離れた場所で《舞踊》スキル上げのために延々と踊っていた。

 

 

 アロマさんはレベルが50に上がったことで、スキルスロットが7つになり、新たなスロットに《舞踊(ダンス)》を入れたのだ。

 

 

 そして、スキルを上げ始めたばかりの彼女が踊っているのが、何故か、ドジョウすくいだった。

 

「もう少し待ってくれれば、盆踊りになるからね。それからソーラン節」

「曲調がどうとかっていうことではありませんから?!」

「ほらほら、平常心平常心」

 

 ニヘラニヘラと笑っているアロマさんは、やめるつもりはないようだった。

 

 

 

 

 

 

 昨夜のことを思い返して、目頭を押さえながら、思わず呻いていた。

 

(《舞踊》スキルは覚えてほしくないといったのに……駄目と言われればやりたくなるタイプの娘だ……もう、好きにさせておこう……)

 

 ため息とともに立ち上がる。

 少しばかり疲労が残っているのを感じながら、部屋を出て食堂へと向かう。

 

「あ、セイちゃんおはよ~。早いね~?」

「おはようございます、ルイさん」

 

 食堂には、すでにルイさんの姿があった。

 

 やはりというべきか、ルイさんはすでに私たち分の朝食を並べてくれていた。

 この様子だと、今日の昼食の準備も終えているのだろう。

 

「お~?……なんか眠そうだけど~? 昨日も少し遅かったの~?」

「いえ、それほどでも……アロマさんの面倒を見るのに疲れただけです」

 

 無意識ながらため息が漏れていた。

 

 この宿屋には他にもプレイヤーが泊っているはずだが、今食堂にいるのは私とルイさんだけだった。

 皆が起きてくる時間よりは早いのだろう。

 

「あはは~。セイちゃん、懐かれちゃったねぇ~。よ~、色男~」

「冗談は程々にして下さい……マーチは?」

 

 ルイさんのジョークを流しつつ、姿の見えないマーチについて聞くと。

 

「まだ寝てる~。もう少ししたら来ると思うよ~」

「アロマさんは……まあ……寝てるんでしょうね……」

 

 降りてきた階段の方を見やりながら、何度目かも分からないため息が出た。

 

「そうみたいだね~、セイちゃん、今日もよろしくね~」

「……はぁ~……なかなか起きないんですよね、あの娘」

 

 渋々2階へ上がり、マーチたちの部屋の1つ手前のドアをノックした。

 

「アロマさん?」

 

 声もかけるが、反応は無い。

 

 肩から力が抜けるのが分かる。

 無意識のうちに頭も前にたれていた。

 

(毎回毎回……全く……)

 

 仕方なくドアを解錠する。

 

 

 ――アロマさんの使っている部屋は、彼女個人が借りたものではなく、ギルドとして借り受けた部屋だ。

 

 アロマさんがギルドに加入する前や、加入初日はそのような形はとらなかったのだが。

 彼女の欠点には、朝起きれないという、ある意味で致命的なものがあった。

 

 起床アラームはかけているようだが、アロマさんは確実に二度寝するのだ。

 そのことを私達3人に指摘されたアロマさんは、起こして欲しいという話になり、彼女の泊る部屋はギルドメンバーなら開錠できるようにした、という経緯を経て今日に至る。。

 

 

 ――部屋に入ると、いつも通り真っ暗のままだった。

 

 部屋の明かりをつけると、アロマさんはまだベッドで寝ていた。

 仰向けで大の字になりながら、ベッドをフル活用して眠っているアロマさんは、本当に起床アラームを設定しているのか怪しく思えるほど熟睡していた。

 

 今日までの経験から、アロマさんは、普通に声をかけても、水をかけても、なかなか起きない。

 

 おまけに寝惚けっぷりは超S級なのだ。

 下手な起こし方はこちらの首を絞めかねない。

 

(さて、今日はどんな手で起こしたものか)

 

 一応、ドアは開け放したままにしてある。

 

 閉めてしまうと、あらぬ疑いをかけられてマーチにからかわれるから――というか、昨日からかわれた。

 ああいう時のマーチも、アロマさんと似て、非常に生き生きとしているから困る。

 

 私は、階下にいるルイさんに大声で声をかけた。

 

「ルイさん! 朝食のメニューはなんですか!」

「自信作だよ~! ふわふわカリカリの厚切りトーストに~、バターをたぁ~っぷり塗ったの~! 飲み物は~、オリルルの実のフレッシュジュースに~、ピルパの実をヨーグルト風味に味付けしたデザートだよ~! あ、あと~《ラージ・ダックの卵》のスクランブルエッグ~!」

 

 大声で会話をしても、防音機構で遮断されているため、他の部屋の人に迷惑をかけることが無いのは、現実世界と違って便利なところだ。

 

 しかしまあ、今朝はやけに気合の入ったメニューだ。

 そういえば昨日、良い食材が手に入った、とルイさんがご機嫌だったことを思い出した。

 ここ2~3日は、良い食材が無かったと、ルイさんがぼやいていた記憶がある。

 

「それはまた、美味しそうですね」

 

 アロマさんがギルドに加入してから、良い食材が無かったことに不満を募らせていたルイさんが、腕に()りをかけて、美味しい料理をアロマさんに食べさせたかったのかもしれない。

 

 ――と、そんな会話をしていると。

 

「……んはよ~ごじゃいまふ……しぇいど、ごはん……」

「……起きたし……」

 

 アロマさんがノソッと起き上がった。

 寝ぼけ眼を擦りながらも、鼻をヒクヒクさせて、朝食の香りに釣られて立ち上がる。

 

(これだけの会話で起きた上に、速攻で立ち上がるとか……どれだけ食い意地がはって……いや、生きることに貪欲なんでしょうね)

 

 私のことなど気にも留めず、アロマさんは部屋を出ていく。

 寝ぼけ顔のままで、よだれが垂れていたのは見なかったことにしよう。

 

(貪欲なのは良い事です。うん。良い意味で)

 

 心中で誰にともなくフォローしつつも、呆れてため息を吐いてしまったのは、見逃してもらいたい。

 

 

 

 

 

 

 朝食から食欲全開で卵をかき込むアロマさんを眺めながら、起きてきたマーチ、ルイさんを交え今日のレベル上げの狩り場を吟味する。

 

 一昨日の段階でマーチとルイさんもレベルが45を超えている。

 昨日の狩り場では効率の良い経験値稼ぎができたので、今日もまたそこで狩りをすることにしたが、このペースで行くと、そろそろ他の狩場を探した方が良いだろう。

 

 ――余談だが。

 

 アロマさんも、私とマーチ同様《料理》スキルは持っていない。

 

 ギルドの経済面としては食費の増加は本来なら痛手だが、アロマさんの加入によってモンスターの殲滅量及び速度が格段に上がったことを加味すると、出費が増えたとしても余裕を持って賄えるだけの稼ぎが出せている。

 

 不安なのは、ルイさんの料理に触発されて、アロマさんも料理を作ると言い出さないかどうかだ。

 

(……まさかとは思いますが……スキルもなしに料理をしようとするようなら、全力で止めないと……地獄絵図になりかねない気がするのは何故でしょうね……)

 

 現実世界で如何に料理音痴であっても、こちらの世界では殺人的な料理など作れないはずだが……アロマさんには、何故かそんなことを心配させられてしまう何かがあった。

 

 絶対に料理はさせまいと、心に誓いつつ、朝食会議を終えて、私たちは狩りに出かけた。

 

 

 

 

 

 

 午前中の陽気は、暑くもなく寒くもなく、という具合で、体を動かすにはちょうど良かった。

 

 私たちは、28層のフィールドダンジョン《木霊の森》にてレベル上げを行っていた。

 

「マーチん、次行くよ~」

「オッケ、こっちはすぐ終わる」

「マーチ、ツーステバック」

「っと!」

 

 今相手にしているのは《バンディット・トレント》という名の樹木型モンスターだ。

 動きは鈍いが、防御力が高く、命中率は低いものの、特殊攻撃に金属製武具を破壊してしまう《(きこり)殺し》と呼ばれる技があるため、ほとんどのプレイヤーがこのフィールドでの戦闘を避ける傾向にある。

 

 マーチに出した指示は、ツーステップ下がれ、というのを簡略化したものだ。

 

 マーチが元居た場所に、トレントが吐きだした液体がかかるが、私たちには当たらない。

 この液体が《樵殺し》だ。

 

 マーチの装備は、武器が太刀、防具も軽金属鎧なので、この液体に間違ってでも触れれば、ただでは済まない。

 

 トレントの液体を避けた直後、マーチはバックステップの反動を利用して、ルイさんが相対した《リトル・ドライアド》に居合いを叩き込み、1撃でHPの8割を削った。

 

「セイちゃん、これ、鞭でもいけそうだよ~」

 

 私はマーチと入れ替わりにトレントを蹴り砕いたところだった。

 ルイさんの呼びかけに振り返ってみると、ドライアドを鞭で絡め取って、地面に引き倒したところだった。

 

「ルイルイの鞭捌き! はぁはぁしちゃうね! マーチ!」

 

 アロマさんはアロマさんで、両手斧を使ってトレントを薪割りのように真っ二つにしたところだった。

 相変わらず、恐ろしい1撃の威力の高さだ。

 

「俺にその趣味はないぞ。そっちはセイドだ、セイド」

「そうなのか! セイドは鞭とか蝋燭とか、ヒールで踏まれるのとかが好きなのか!」

「マーチ、訳のわからない設定を追加しないように!」

 

 マーチのボケに、地面に落ちていた小石を投げつけ、後頭部にツッコみを入れる。

 声も無く、マーチが石の当たった辺りを両手で押さえて蹲るが、ダメージにはならないように投げているのだから、気にしない。

 

「大丈夫! 私そういうのに偏見ないか――痛い痛い痛い!」

「集中しなさい! しゅ・う・ちゅ・う!」

 

 マーチのボケに悪乗りしたアロマさんの耳を引っ張って、意識を戦闘に戻させる。

 

 アロマさんが茶々を入れなければもう少し効率良く狩りができ、それにマーチが悪乗りすることもない。

 逆もまた同じくなのだが――殺伐とした雰囲気や、機械的にモンスターを狩るだけという空気を作らないアロマさんの性格には、助けられている部分もあるのは確かだ。

 

 少し迷うところもあったが、彼女をギルドに入れたのは間違いではなかった、と思えるだけの精神的な結果は出ている。

 

(経験値効率だけでみると、落ちているかも知れませんが……)

 

 ――と、戦闘中だったにもかかわらず、マーチとアロマさんのツッコみに意識を割いた後に深く考え過ぎてしまっていたのか、私は相対していたドライアドの飛ばした毒針に当たってしまい、軽い毒状態になってしまった。

 

「あっ……と。失礼」

 

 解毒結晶を取り出し、すぐに毒を消そうかとも思ったが、ドライアドの毒は長く続くが減りは激しくない。

 

 安い回復ポーションを1つ飲んでおけば、プラスマイナスゼロに出来る。

 思い直して、回復ポーションを呷った。

 

「珍しいね~、セイちゃんが攻撃受けるなんて~」

 

 ルイさんが、私の仕留め損ねたドライアドを片付けたところで、この辺り一帯のポップがいったん終わった。

 

「人にツッコみいれてるからだろ……うわっと!」

「そう思うなら入れさせるような言動を慎めマーチ!」

 

 マーチの余計なひと言に、もう1発小石を投げたが、これは流石に避けられた。

 

「フフフ。それじゃ~、集中もポップも切れたことだし~、お昼ご飯にしよっか~」

 

 私とマーチのやり取りを見て、ルイさんが笑いながらそう提案した。

 

「セイちゃんの毒も、その間には抜けるでしょ~?」

「すみませんね、ルイさん。気を遣わせてしまって」

 

 私が解毒結晶を使わなかった理由まで含めての、休憩案だったようだ。

 

「いいって、いいって。苦しゅうないって!」

「アロマさんには言ってません」

「はぶー!」

 

 

 

 

 

 

 安全エリアに入ったところで、昼食となった。

 今日は、オープンサンドにスープ、さらにコーヒーまで用意してあった。

 

 この出来映えからすると、ルイさんも、相当気合を入れて作ったようだ。

 

 アロマさんに至っては、すでに自分の分を口いっぱいに頬張っていて、幸せそうな雰囲気をダダ漏れにしている。

 

「ど~かな? おいしい~?」

 

「流石ルイ! あの材料と予算でここまで美味いもんが作れるとは‼ 流石俺の嫁‼」

「ちょっ、マーチん! 恥ずかしいから、そんなこと言わなくていいってば~!」

 

「ほいひひ、ほいひひ!」

「アロマさん、行儀が悪いです……飲み込んでから喋って下さい……」

 

「っんぱ! ふへぇぇ~……ルイルイ、すんごく美味しい! 美味しいよ!」

「フフ。ありがと~、ロマたん。喜んでもらえてよかったよ~」

 

「どこぞで売ってる料理なんぞ、足元にも及ばんな! 流石俺の嫁!」

「んもう! だから~! そういうこと言わなくていいってば~!」

「マーチはルイルイらぶ♪だから、何言ってもだめだー!」

 

「アロマさん、今からでも遅くありません。《舞踊》ではなく《料理》スキルに変更してはどうですか?」

「ぶぅー! まだ良いの! 今は作る側より食べる側で!」

「現実で料理音痴でも、この世界ならスキルがあれば作れますよ?」

「だぁれが料理音痴だってぇ?! リアルでもちゃんと料理できますよーだ!!」

 

「ほほぉ~? そいつぁ~楽しみだなぁ? 作れねえから言い訳できるようにスキルを入れねえのかと思ったが」

「んがぁー! 怒るよ?! 私が怒ったら怖いんだからね?!」

「ほらほら~、2人してロマたんをいじめないの~」

 

 ――などなど。

 

 

 4人になったことで、これまでになく、賑やかに、そして華やかに、昼食を楽しく過ごすことができた。

 

 

 



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DoRのちょっとした平和な一日・後編

 

 

 昼食後は、マーチとルイさんで情報収集を担当、私とアロマさんで買い出しを担当することとなった。

 

 街で必要なアイテムを買い揃えたり、競売所を覘いたりしている間、アロマさんは私の周囲をちょこまかと動いていることが多かった。

 せめて、賢い買い物の仕方でも覚えてくれれば買い出しを頼める、と考えて、アロマさんを連れて歩いているのだが。

 

「アイテムを安く買う方法は分かりましたか?」

「だいたい分かったけど。なんだか面倒だねぇ」

 

 アロマさんは両手を後頭部で組んで少し上を仰ぎながらつまらなそうに答えた。

 

 NPCショップの販売価格は、ハッキリ言って、高い。

 もちろん、中にはNPCショップで買った方が安いものもあるにはあるが、それは極一部の素材系アイテムだ。

 

 つまり、アイテムを安く仕入れ、且つ、量を確保するには、多くない職人クラスや商人クラスのプレイヤーショップや競売所を利用することになる。

 

 ――のだが。

 どうも彼女は、アイテム取引そのものに不慣れな様子だった。

 

 競売所を(のぞ)いたときなど、ここはなんなのか、とか、どんな仕組みなのか、とか、それはもうしつこく聞かれた。

 

 そんなアロマさんを競売所から引き剥がして、大通りを歩いている時に、私は彼女に聞かずにはいられなくなった。

 

「……ところでアロマさん? 貴女、今まで、どうやってアイテムを買ったり売ったりしていたんですか?」

「ん? 買わないよ? 買ってくれたり、貰えたから」

 

 

 ――何か、聞き間違えただろうか?

 

(……買ってくれた? 貰えた?)

 

「…………それは……誰にですか?」

「パーティー組んだ人とか。後は、お店見て回ってると、近くにいた人が買ってくれたり、お店の人から貰ったり、プレゼントされたり。あ、通りすがりの人から貰うこともあるよ。さっきも貰ったんだ。回復ポーションと回復結晶を1ダースも! ほら!」

 

 満面の笑みで『貰った』という回復ポーションと回復結晶を見せびらかしてくる。

 

 それを見聞きした次の瞬間には、思わず両手でアロマさんの顔を挟んでいた。

 

「だ・れ・に・で・す・か?」

 

 自分でも分かるほどに、笑顔が引き攣っていた。

 

 まさかここまで天然貢がれっ娘だとは思っていなかった。

 というか、受け取るな、と教えねばならない。

 

「むぎゅー! 3軒くらい前にセイドが見てたお店の人だってばぁ~……これ余ったからくれるって」

 

 何をどうすれば、回復ポーションや回復結晶が余るというのか、そこのところを問い質したい衝動に駆られるが、今はそんなことを言ってる場合じゃない。

 

「何でもかんでも貰うんじゃありません! 面倒になる前に返してきなさい!」

「え~……でも~――」

「か・え・し・て・こ・い!」

「ぶしゅ」

 

 反論を許さぬよう、アロマさんの顔をさらに強く挟んだ。

 強制的に唇が突き出され、変な空気の抜けるような音を立てて、アロマさんが不服そうな目で私を見ていた。

 

 

 

 

 

 

「っはぁぁ~……まったく……本当に、何なんですかね……あの娘は……」

 

 アロマさんに回復ポーションと回復結晶を返しに行かせている間、私はもう1度競売所を覘いていることにした。

 

 あらかた必要な物は買い揃えた後だったので、マーチとルイさんと合流するために宿屋に戻るはずだった所で、あのアロマ爆弾の炸裂である。

 

 これは1度、腰を据えてこの世界での立ち振る舞いを教え直さないといけないと思う反面、今までどうやって生きてきたのか、その謎めいた過去も聞いてみたいという好奇心も湧き上がっていた。

 

(なんにせよ、あの娘を連れて歩くのは、骨が折れますね……)

 

 何かにつけてこういうことがあるので、あまりアロマさんを連れて歩きたくは無いのだが、そのことに関して、本人が無自覚なのが1番困る。

 

 だからこそ、マーチやルイさんに彼女を任せて別行動をとるという選択肢が取れないのだ。

 

 あの2人では――無論私もだが――アロマ爆弾の予測不可能な炸裂には対応が困難だからだ。

 そして、1つ対応を誤ると、さらに厄介ごとに発展する。

 

 

 ――例えばこんな風に。

 

 

「お嬢ちゃん。連れってこの男かい?」

 

 競売所で防具を適当に眺めていたところで、突然後ろから服の襟首を捕まれた。

 

(……オイオイ……また厄介ごとを持ってきたのか……)

 

「ちょっと! うちのギルマスを引っ張らないでよ!」

 

 野太いオッサンの声の後に、我らがトラブルメイカーこと、爆弾娘アロマさんが騒いでいた。

 

「威勢が良いのも好きだよ~、おじちゃんは♪」

「コイツきもい」

 

 そんなやり取りを私の背後でしながら、自称おじちゃんなプレイヤーは私の襟首を放そうとはしなかった。

 

 早速面倒に巻き込まれたらしい。

 そして、2人がこれだけ騒いだことで、私達3人を取り巻くように、他のプレイヤーたちもこの事態を眺めている。

 

(……1人で行かせたのが失敗だったと……今後は私も同行するとしましょう……はぁ……)

 

 こちらの心中など知る由もなく、謎のオッサンとアロマさんは一通り騒ぎ終えたところで、私に話を振ってきた。

 

「悪いね、兄ちゃん。この子がうちのギルドメンバーからアイテムを掠め取ったらしいんだよ。この落とし前、どうつけてくれるのかねぇ?」

 

 ここにきて、ようやく襟首を放されたので、振り返ってオッサンの顔が見れた。

 

 小太り、紫色の短髪、そこそこの強面という、何処となく子悪党という雰囲気が漂ってきそうな戦鎚使いのプレイヤーだった。

 これが現実世界の話なら、色々と考えねばならない場面ではあるが、残念ながらここはSAOというゲーム世界だ。

 

「はぁ……そんなことできるはずないでしょう。他人の所有するアイテムを《圏内》で掠め取れたら《犯罪防止(アンチクリミナル)コード》の意味が無いでしょう」

 

 というかそもそも、圏外でも掠め取ることなどできない。

 できるようなら、PKをしてアイテムを強奪する、というようなプレイヤーは減っていたはずだ。

 

「そうよこのバカ! くれるっていうから貰ったって言ってるでしょ!」

 

 だがしかし、小太りのオッサンは動じない。

 

「うちのギルドメンバーは、脅されたって言ってんだよなぁ。困るんだよねぇ、そういうの」

 

 野太い声でニヤニヤと笑みを浮かべながらそんなことをのたまう。

 

(……なるほど……つまり、アロマさんにアイテムを渡したことも計画のうちだった、というところでしょうかね……)

 

「脅してないってば! ね~、セイド! どうにかしてよ~!」

 

 私の後ろに隠れているアロマさんが、困ったことに、私に問題を押し付けてくる。

 

(……さて……どうしたものか……)

 

 おそらくは、何かと因縁をつけて、こちらからアイテムないし金銭を巻き上げようという魂胆なのだろうが。

 何でもかんでも貰ってしまうアロマさんにも非はあるが、だからといって、この手の悪党に屈するつもりは毛頭ない。

 

 ため息交じりに私は男に尋ねた。

 

「……条件は何なんですか?」

「ポーションと結晶を倍にして返して貰おうか。それができなきゃ、その娘をうちによこしな」

 

 オッサンのニヤニヤ顔が更に醜悪な、下卑たものとなった。

 

「この娘を……ですか? それは……苦労すると思いますよ?」

 

 アロマさんを渡すことに苦労する、のではなく、アロマさんをギルドに入れたら苦労する、という意味でだが、そんなことは口にしない。

 

「ばか! あほ! きもおやじ!」

 

 こちらのやり取りの最中も、アロマさんは延々とオッサンに罵詈雑言を投げつけまくっていた。

 

「アロマさん、良い子だから黙ってなさいね」

 

 流石にやかましいので止めようと思ったのだが――

 

「デュエルで話をつけようじゃないの! 叩きのめして、アホな口きけなくしてやるんだから! こっちが勝ったら、黙って帰れ!」

 

 ――再び爆弾が炸裂した。

 

(……こっちからケンカ売ったよ……この娘は……)

 

 思わず右手で額を押さえた。

 

 アロマさんが来てからというもの、こんなやり取りが日常茶飯事になっている気がする。

 気のせいであることの祈るばかりだ。

 

「ほへ~、威勢良いねぇ、お嬢ちゃん!」

「うっわ! きもっ!」

 

 男の下卑た顔は、確かに気持ち悪いが、だからといって、私を前に押し出すのは止めて欲しい。

 

 さっさと買い物を済ませて帰ってしまえば良かったと思う反面、こんな連中に宿屋にまで押しかけられなくて良かったと思うところもある。

 何にせよ、こんなアホなことに付き合わされるとは思ってもいなかった。

 

 流石アロマ爆弾……恐ろしい威力だ。

 

「デュエルでもいいよぉ? お嬢ちゃんが勝てば、今回のことは無かったことにしよう。ただし、お嬢ちゃんが負けたときには、倫理コードを解除したままうちのギルドに入ってもらおうか」

「ん? なんだかわかんないけどそれで良いわよ!」

 

(いやまて、言われたことを理解できていないのに了承するな!)

 

 アロマさんにツッコもうとしたところで、アロマさんが立続けた言葉は――

 

「セイドが負けるわけがないんだから!」

 

 ――思わずこけた。

 

「……どうして私がデュエルをする羽目になるんですか?」

「コイツ気持ち悪いんだもん! 私の武器が汚れる!」

 

 あまりと言えばあまりの台詞だった。

 

 知らず知らずに項垂れながらアロマさんに言葉を返す。

 

「私の拳が汚れるのは良いんですか? 自分で何とかなさい。アロマさんの実力なら負けることも無いでしょう」

 

 しかし、アロマさんは私の後ろから出てこようとはしない。

 

「セイド~……頼むよぅ~……もう知らない人からアイテム貰わないからぁ~……」

「……全くもう……」

「兄ちゃんが相手でもいいぜぇ? お嬢ちゃんが貰えるなら何だってねぇ……フヒヒッ」

 

 そんなオッサンの台詞に、アロマさんはあからさまに嫌悪を表情に出した。

 私の後ろに引っ込んで、顔すら出さない始末だ。

 

 よほどこのオッサンが気持ち悪いらしい。

 まぁ、確かに、勝負に負けたら倫理コードを外せ、などと言う時点で、コイツは単なるエロオヤジに違いない。

 

 オッサンから私にデュエルが申し込まれ、承諾か否かの選択画面が浮き上がった。

 

 アロマさんが両手剣を背負っているのに対し、私が無武装且つ布系防具というのを見ての判断なのだろう。

 

「……今回だけですからね、アロマさん」

 

 私の呟きに、アロマさんが何度も何度も頷いているのが振動として伝わってきた。

 

 まったくもって、アホなことに巻き込まれたものだ。

 

 

 

 

 デュエルは、列記するほどのことも無く終わった。

 始まって1秒足らずで勝負がつくのは確かに珍しいが、裏拳1発でオッサンをぶっ飛ばしただけで、この場の騒動は治まった。

 

 

 

 

「もう勘弁してくださいね、あんな面倒なことは」

「うんうん、もう貰わないよ! セイド、ありがとー」

 

 宿屋に帰る途中で、アロマさんに注意するよう言っているのだが、当の本人からは反省している気配が感じられなかった。

 

「本当にわかってるのかなぁ……はぁぁ~……」

「だーいじょーぶだーってー!」

「知らない人から物を貰ってはいけませんよ? 知っている人からでも、貰う前に私たちに相談するんですよ?」

「セイド、お母さんみたい」

「誰がそうさせてるんですか誰が。それと、そこはせめてお父さんでしょう、性別的に」

 

 

 

 

 そんな実りのなさそうな会話をしながら宿屋に戻ると、入ってすぐの食堂で、すでにマーチとルイさんが座って待っていた。

 

「ルイルイ、マーチ、おっまたせぇー!」

 

 先程の騒ぎなどなかったかのように、アロマさんは明るく元気にマーチとルイさんのもとに駆けて行った。

 

 それを眺めて、やはり勝手にため息が漏れた。

 やれやれである。

 

 なんにせよ、お互いの戦果を報告しあう。

 マーチとルイさん側では特に有益な情報も無かったようだ。

 

 こちらも特に変わった買い物はしていなかったので報告は手短に終わらせた。

 

 アロマさんの起こした騒動に関しても手短に話すだけにとどめた。

 私がマーチと午後の狩り場を選定している間、アロマさんには、反省の意味を込めて床に正座させておいたからだ。

 

 ルイさんはアロマさんが可愛そうと言ったが、こればかりは譲らなかった。

 

「セイド……足が痛い……」

「正座で済んでいるだけ良いと思いなさい」

「マスター、足が痛いです」

「言い方を変えても慰めてあげません。黙ってないと話が長引いて、その分正座時間も伸びますよ?」

「ぶ~」

 

 

 

 

 午後の狩りは、最前線の1つ下のフィールドで行うことにした。

 

 経験値やコル稼ぎもそうだが、現時点での私達の力を把握し直すという意味合いも込めている。

 

 マーチと私で連携や《剣技》の確認を行っている間、ルイさんとアロマさんは、新たに鞭を装備することも考えたルイさんの動きの確認をしていた。

 

「攻撃前のモーションがちょ~っと大きいかなぁ~?」

「私が使っている武器に比べれば早めなんだけどねぇ。鞭ってすごく使いづらいし、無理そうならやめた方が良いかも?」

 

 ――とか。

 

「ん~……普通に攻撃する分には、こんなものなのかな~?」

「さっきのルイルイの1撃であのイノシシのHP、2割削れたよね……その鞭の攻撃力から考えると……2割って、結構強いと思う」

「そだね~、でも威力が安定しないね~」

「鞭だもん。タイミングが合わないとノーダメだよ。やっぱりダメージより、武器を叩き落としたり、手足に絡みつかせてメイン武器でトドメって方が良いね」

 

 ――とか。

 

 こうして聞いていると、アロマさんも馬鹿ではないのに、どうしてトラブルばかりに見舞われるのだろうか。

 

(危機回避能力が著しく無いんでしょうか? もしくは天然で思慮が浅いか……)

 

「ってか、セイド。アロマが気になるのも分かるが、今はこっちに集中しろよ」

「……まさかマーチに言われるとは思いませんでした。失礼」

「そりゃどーいう意味か、今度じっくり聞かせてもらおうか?」

 

 意識をアロマさんとルイさんの会話に割いていたのをマーチに見抜かれ、私はマーチと軽口をたたきながら戦闘に意識を戻した。

 

 ――そのため、この後、ルイさんとアロマさんがしていた会話を聞くことはできなかった。

 

 

 

 

「う~ん……イノシシ相手だと、絡みつかせるのは難しいねぇ~」

「それはまあ、別の敵で試そ! 今はまず慣れることだよ! それに、鞭の最大の利点って、やっぱりリーチの長さだよね! マーチの間合いよりは絶対リーチが長いから、使いこなせるようになれば援護もバッチリじゃん!」

「マーチんに援護なんか要らなさそうだけどね~」

「そうかもしんないけど……まぁ、できると嬉しいでしょ?」

「ロマたんも、セイちゃんの援護ができると嬉しい?」

「……う……そりゃまぁ……でも、セイドこそ私の援護なんか要らないよ。強いもん」

「そうでもないんじゃないかな~。戦いの援護だけが援護じゃないよ~?」

「むぅ?」

「フフ……そのうち分かるよ~」

 

 

 

 

 太陽がゆっくりと傾き、空が赤く染まるころに狩りは終了とした。

 空に浮かぶ城の外周と、その外に広がる地平線、そして遠い空が金色に変化しているのを見ると、いつも郷愁に駆られる。

 こんな故郷で生まれ育ったわけではないのに、生きて帰りたいと強く願わずにはいられない。

 

(生きてこの世界から帰る。絶対に)

 

 そんなことを考えながら街道を歩いていると、マーチはマーチで別のことを考えていたらしい。

 

「……女子2人が並んで話してるってのは、絵になるな。華があっていい。特に俺の嫁」

 

 相変わらず、マーチの頭の中はルイさんでいっぱいだった。

 

「マーチんのば~か。そいえば~、経験値は稼げたの~?」

 

 マーチの台詞に、ルイさんは笑いながら答えた。

 顔が赤く見えるのは夕焼けのせいだけではないだろう。

 

「ん、レベルアップまで行ったからな。今日は順調だった」

「マーチ、レベルアップしたの? おめでとー! それに比べてセイドは……」

 

 アロマさんは、マーチへの賛辞を送った後、私にジト目を投げてきた。

 

「私はこの間レベルアップしたばかりじゃないですか。まだ上がりませんよ」

「このロクデナシ! 稼ぎがないなら帰ってくるんじゃないよっ!」

 

 何のキャラだよ、というツッコみはしない。

 その手のノリをするより、今日はもっと有力な反撃手段が手元にある。

 

「そうですか。じゃあ今日の夕食に出そうと思っていた《グリル・ラビットの肉》は売りに出しましょう」

「申し訳ございませんでしたマスター!!」

 

 私の台詞を聞くや否や、アロマさんは土下座をしてみせた。

 

「変わり身、はやっ!」

 

 

 

 

 ルイさんの手によって素晴らしく焼き上げられた《グリル・ラビットの肉》をメインに、私たちは夕食を堪能し、ゆったりと夜の一時を過ごす。

 

 ――ただし、アロマさんは正座でメインディッシュをお預け状態にしている。

 

 明日は、少し経験値稼ぎをルイさんにさせながら、鞭の扱いをさらに向上させるために、武器を持ったモンスターとの戦闘を主軸にしようという話になった。

 

 ――まだアロマさんは正座でお肉をお預け状態だ。

 

 ルイさんは、そんなアロマさんを不憫に思いつつも、食事を終えてマーチと共に部屋へ戻った。

 半泣き状態で料理と私の顔を見比べるアロマさんを見て、さすがに可哀想になった。

 

「今日のことは本当に反省しましたか?」

「反省したよ~……私が悪かったよ~……気を付けるから~……うぅぅ……」

 

「はい。食べて良いですよ」

 

 と、言った瞬間。

 

「いただただきまフ!」

 

 いただきますと言い終える前に、アロマさんは肉に喰らい付いていた。

 語尾がフになったのはそのせいだ。

 

「……急ぎすぎです……まったく、行儀悪いですよ」

 

 とは言いつつも、美味しそうに料理を食べるアロマさんを見ると、ついつい顔が綻んだ。

 

(まあ、色々と騒がしい娘ではありますが、悪い娘ではないのは確かですね)

 

「しぇいど、ほひひい」

「美味しいですか、良かったですね。落ち着いて食べて下さい」

「んまんま」

「……頬にソースがついてますよ」

「ん~」

「全く……料理は逃げませんから、落ち着いて食べなさいって」

 

 そう言った私の言葉に、アロマさんは頬張った肉を飲み込んだ。

 

「んっ! だって! セイドは夜の狩りに行っちゃうじゃん! 早く食べないと置いて行かれるもん!」

「……鋭いですね。ですが、落ち着いて食べて下さい。置いて行きませんから」

「え? ちゃんと待っててくれるの?」

「ええ。置いていこうとすると、あなたは形振り構わず追いかけてきますからね。落ち着いてから行かないと、余計なトラブルが――」

「ひゃっはー! 待ってて! すぐ食べちゃうから!」

 

 私の言葉も聞かずに、アロマさんは一気に肉を口に放り込んだ。

 

「いや、だから落ち着きなさいと――」

 

 そしてそのまま、大して咀嚼もせずに飲み下す。

 

(なんという食い方をするんだこの娘は⁈)

 

「ごっそさまでした! 40秒で支度するね!」

「だから落ち着け!」

 

 こちらの話も聞かずに、高速でパネルをタップするアロマさんを眺めていると、狩場についてからの光景が目に浮かぶようだった。

 

 私の後ろで、また間抜けなBGMを流しながら彼女は踊っているに違いない。

 それを聞きながらのレベル上げは、確かに効率がいいものではないが、それはそれで良いのかもしれない。

 

 そんなことを考えていると、不意にアロマさんが話しかけてきた。

 

「昼間ね、ルイルイと話してたんだ」

 

「何をですか?」

「ルイルイの鞭はマーチの援護になるかどうかって話」

「ふむ……なるときはなるでしょうね。あの2人なら呼吸もピッタリですから」

「だよね! でね、そのときにね。ルイルイがわかんないことを言うんだよ」

 

 メニュー操作を終えて、アロマさんが私に向き直った。

 

「ふむ?」

「私じゃセイドの援護はできない、って言ったら、戦いだけが援護じゃないって言うんだよ。どういうことなのかな? 普段の生活でだって……その……私はあまり役に立たないし……」

 

 アロマさんの、『役に立たない』という発言は、自分のスキル構成が戦闘に特化し過ぎている上に、アイテムの売買に関しての知識も不足していることを言っているのだろう。

 

「ふ~む……」

「セイド、意味分かる?」

 

 アロマさんには、ルイさんの言葉は、分かり辛かっただろう。

 

「ルイさんの真意は分かりかねますが、あなたが私の援護になっている、というところは当たっていますよ」

「え? だって……買い物できないし、料理だって……」

 

 買い物はまだしも、何故ここで料理という発言が出たのかは……聞き流そう。

 引っ張ると、恐ろしいことになる予感しかしない。

 

「いや、役に立つかどうかが援護になるとは限りませんよ」

「んん~?」

「そもそも、アロマさんは充分役立つ存在です。私の周りに貴女がいてくれると助かります」

「え、あの……それって……どういう……」

 

 難しそうな顔をして考え込んでいたアロマさんだが、少しだけ顔を赤らめ、私の顔を見つめてきた。

 答えにたどり着いたらしい。

 

 なにやら、ちらちらと私に視線を投げている。

 

「貴女の世話をしていると、しっかり生き延びなきゃいけないと思えますからね」

「……へ?」

「うっかり私が死んだりしたら、だれもアロマさんの面倒をみれないじゃないですか」

 

「――っ! そこへなおれーっ!!」

 

 

 

 

 その夜の狩りは、破竹の勢いで進んだといっていいだろう。

 

 いつもなら踊り狂っていたであろうアロマさんが、がりがり敵を連れてきて粉砕していったからだ。

 何か、私が気に入らないことを言ったらしいが、この成果があがるなら、まぁ良しとしていいだろう。

 

 

 

「セイド……いつか絶対ぶっとばす!」

「それは楽しみです。早くそれくらい強くなってくださいね」

「むきぃーっ! 見てなさい……後悔させてやるんだからねっ!」

 

 

 

 

 そんなこんなで今日も、まあ、平和と言っていいであろう1日が過ぎていった。

 

 

 



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第二章・絆
第一幕・雑貨店の娘


黒炉様、+熾烈+様、感想ありがとうございますm(_ _)m

第二章、開幕となります。
よろしくお願いいたします!


 

 

 48層主街区《リンダース》の街開きで見つけた、巨大な水車のついた職人クラス用プレイヤーホームを一目見た時、あたしは「ここに住みたい」と思った。

 

 でも、表示されていた金額を見て愕然とした。

 所有していた金額の約10倍だったから。

 

 それからというもの、あたしは昼夜を問わず、武器と言わず防具と言わず、私に作れるものを片っ端から作り続けた。

 

 

 職人として生きているというのに、接客が壊滅的にできないあたしは、武具や道具の販売、お客様からの受注や受け渡しなど、接客対応を全てNPCに任せることで、今は何とか商売という形が維持できていた。

 

 ――そう。

 

 あたしは《リンダース》の水車付きプレイヤーホームを見つける前に、39層の西にある《ウィシル》という村のはずれ──39層の外周のすぐ近くだけど《圏内》の村──にあった、風車が備え付けられた職人クラス用プレイヤーホームで《ユグドラシル雑貨店》改め《ログ雑貨店》を営んでいる。

 

 以前は5人で共同で営んでいたけれど、今はあたしだけ。

 

 だから、お店の名前も、ギルド名だった《ユグドラシル》から、あたしの名前である《ログ》と改めた。

 

 ――改めざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 39層の主街区《クラール》は、攻略組のトップギルドとして名を馳せている《血盟騎士団》の本部があることで知られていて、フロア全体も相応の賑わいを見せていた。

 

 ──とはいっても、このフロア自体は田園地帯をイメージしたフロアで、主街区の《クラール》も小さな田舎町といった規模だったし、存在するダンジョンも難易度が低めで、めぼしいドロップアイテムもクエストもなかったので、留まる人はほとんどいなかった。

 

 そんな中、《クラール》よりも小さくて、しかも辺境――外周近くなのでほとんど人が近寄らない場所――にある《ウィシル》の村には、実は、ある特徴があった。

 

 だけど、それに気付いた人は、あたし以外――正確にはあたし達のギルド以外にはいなかったらしい。

 知っている人が居たら、ここは職人クラスのプレイヤーであふれ返っているだろう。

 

 留まるプレイヤーがほとんどいないフロアにあるあたしの店には、KoBのメンバーの人が、買い物や装備のメンテナンスなどを行うためにやってきてくれていた。

 

 あとは、本当に時々、KoBメンバー以外の人も来ることはあったけれど、それは本当に極稀にだった。

 

 ──この日、この人に出会ったのも、そんな極稀の一端だと、あたしは思う。

 

 

 

 

 

 

『──だからねぇ。ほんと、嫌になっちゃうのよねぇ』

 

 NPCの村人のおばさんの会話を聞きながしながら、あたしはぼんやりと今日の予定を組み立てていた。

 

 日課の村巡りが終わったら、工房に籠ってただひたすらに作成スキルを上げるか、もしくは鍛冶スキルで少しでも高く売れる武具を作るか、そこが悩ましい。

 

 《リンダース》の街開きから、まだ1ヶ月ほどしか経っていないのだから、そう簡単に――少なくともあと2ヶ月ほどは――あの家を買われるということは無いとは思う。

 少しでも早くお金を貯めるためには、本来なら、今のホームを売ることも視野に入れた方がいいのかもしれないけど……。

 

(……売る?……良い思い出もいっぱいのあのお店を……?)

 

 咄嗟に考えたこととはいえ、首を横に振って、その考えは追いだした。

 

(お店は売らないで、何とかお金を稼ぎたいな……)

 

 最近は、高質な素材があまり供給されていないから、素材を買うようだと大きな儲けを出すのは難しくなる。

 

(……やっぱりどこかのダンジョンで不足してる素材を集めたほうがいいのかなぁ……でも……)

 

『あらやだ、ごめんなさいね、愚痴っちゃって』

 

 つらつらと考え事をしていたら、おばさんの長かった話も終わったらしく、最後に一言二言、話を聞いたところで、あたしは次に向かった。

 

(あぁそうだ、今日は裁縫を上げよう。上手く上がれば今週中にマスターできるかもしれないんだった。あ~、でも素材足りるかな?)

 

 小さな村なのですぐに目的の村長さんの家に着き、そこで今度は村長さんの話を聞く。

 

『おぉ、これは旅の方。ようこそおいで下さいました。大したおもてなしもできませんが、ゆっくりしていって下さいませ。もし宜しければ、この辺りの伝承などお聞かせいたしましょうか?』

 

 という村長さんの言葉を受諾すると、村長さんが長い話を始める。

 あたしは再び、その話を聞き流しながら裁縫で何を作るか考えたり、貯蓄計画を練ったりしていった。

 

 

 

 

 日課を終えて店に戻ってくると、工房側の出入口とは別──ショップ側の出入口の前で男性が1人、立って待っているのが見えた。

 

 時刻は朝の9時ちょっと前。

 

 常連のKoBの人かと思ったが、KoBの人ならあたしの店の開店時間を知っているはずだし、何と言っても、あたしの性格を知っているから、ここで立って待っていることは無いと思う。

 

 ということは、初見のお客様ということだろう。

 見慣れない黒髪・黒コートの男性の後姿を確認して、あたしは逃げ隠れするように工房側の扉から中に入る。

 

(うぅぅ……やだなぁ……)

 

 あたしは思わず、着ていたローブのフードをかぶりなおした。

 

(で……でも……今日こそは……お客様に……ご挨拶くらい……顔を見なければ……)

 

 フードを、自分の足元しか見えないくらいに深くかぶって、ショップ側の扉の前に立つ。

 

 そこで大きく深呼吸。

 

 深呼吸。

 

 深呼吸。

 

 もう1回深呼吸。

 

(……よし……今日こそは……)

 

 気合いを入れて。

 

 覚悟を決めて。

 

 扉を開けた。

 

 扉を開けると、そこにはまだ先ほどの人が立っていた。

 足元しか見ていないので、多分男性としか言いようがないけど、そのお客様の黒い靴のあたりに視線を彷徨わせながら、あたしは何とか『いらっしゃいませ』を口にしようとした。

 

「……ぃら……ゃぃ…せ……」

「ん?」

 

 あたしには、それが限界だった。

 

 お客様にはあたしの声が届いていなかったかも知れないけど、扉の《CLOSED》の木札をひっくり返して《OPEN》にし、工房に逃げるように引っ込んだ。

 

 緊張と走ったこととが合わさって、体も顔も熱い。

 顔は目に見えて赤くなっていることだろう。

 

 それでもあたしは自分の頑張りに自分を褒めた。

 

(お客様には聞こえなかったかも知れないけど……言えた……言えた……)

 

 そう自分に言い聞かせて、早鐘を打つ心臓を落ち着かせる。

 

 まぁ、この世界で心臓の鼓動が聞こえるわけではないのだけど。

 

 そうして深呼吸を繰り返していると、ショップのNPCが1人、工房に入ってきた。

 それを見たあたしは、おそらく青ざめていたことだろう。

 

 何故なら──

 

 

 

『お客様がお呼びです』

 

 

 

 ――工房にNPCが来るということは、お客様からのお呼び出しということに他ならない。

 

「あ、あwせdrftgy…!」

 

 あたしは気が動転して、意味もなく両手で空を漕ぎながら、何と言っていいのか分からず、いつものように意味不明な言葉が口をついて出ていた。

 

 しかしそれがNPCに理解されるはずもなく。

 

『お客様がお呼びです』

 

 再び同じ言葉をNPCは口にする。

 

「ぁぅ……pぉきじゅhygtfr……ふぇぇ……」

 

 あたしは辛うじて、行く旨をNPCに伝えることに成功し、NPCが工房から出ていくのを見送っても、しばらく足が動かなかった。

 

 しかし、行くと言ってしまったのだ。

 

 お客様が待っているはず……行くしかない……。

 

(ど、どどどおぉぉしよぉぉぉぉぅ……)

 

 あたしに接客ができないのは、つまりはこの極度の人見知りの性格のせいで、人との会話が基本的に成り立たないことにある。

 

 現実でも似たような状況だったけど、こっちの世界においてはそれがひどくなった。

 

 友達もいない。

 知り合いもいない。

 

 そんな状況で誰かと会話できるはずがなく。

 

 この性格を、これでいいと思っているわけではないけれど、どうしても人と話をしようとすると、頭の中が真っ白になって、言葉が出ない。

 

 無理に何か言おうとすると、意味不明な擬音やら、言葉にならない言葉が出てしまう。

 

(うぅぅう……NPCが対応できないってことは、オーダーメイドの注文で……しかも詳細な話し合いを相手が望んでるってことで……)

 

 何が何でも《会話》を強いられるわけだ。

 

(……うぅぅ……無理だよぉぉ……きっと今回も……怒って帰られるんだろうなぁ……)

 

 これまであたしは、1度もオーダーメイドの詳細注文を受けることに成功したことが無い。

 

 こんな辺境の小さな店に来る、常連様以外のお客様で、オーダーメイドの詳細注文希望のお客様が来る度に、毎回毎回会話が成り立たず、お客様が怒って帰るという結果に終わっている。

 

(……はぁぁぁっ……でも、行かないわけにいかないし……)

 

 あたしは1人で凹みながら、工房からショップへ出た。

 

 フードは深くかぶったままだったけど、さっき走った時に少し後ろにずれていたようで、足元だけではなく、お客様の腰のあたりまで視界に入ってきた。

 

 あたしはとりあえず、喋らずに会釈だけして、お客様の正面に立った。

 

「ああ、忙しいのにごめん。ちょっと武器の注文でお願いしたいことがあって」

 

 あたしは再び小さく頷いて返した。

 

 声からすると、やはり男性だった。

 それもそんなに年配じゃない。

 

 あたしよりちょっと上といった程度かもしれない。

 

「片手用直剣なんだけど、金額は気にしなくていいから、今作れる最高の物を作ってもらいたいんだ。この剣と同程度の性能で、可能なら、これより少しだけ軽いほうが良いんだけど」

 

 そう言って男性はカウンターの上に、アイテムストレージから1振りの剣を取り出して置いた。

 

 あたしが一切喋らないことに何も言わないでいてくれるのは、とてもありがたかった。

 

 あたしはその剣を持ってみようとして、一瞬持ち上げられなかった。

 

(──重い……要求筋力値が相当高い……)

 

 あたしも職人クラスとして相応に筋力パラメーターを上げていたけど、これはとてもじゃないけど両手で持っても振れそうにない。

 

 剣の柄に触れて、《鑑定》スキルを選択し、剣のポップアップメニューを呼び出すと、【カテゴリ《ロングソード/ワンハンド》 固有名《エリュシデータ》】となっていた。

 

 詳細なパラメーターを確認して、あたしは息をのんだ。

 

(こんな高性能なパラメーターで……無銘……プレイヤーメイドじゃない……)

 

 プレイヤーメイドとモンスタードロップの同程度の武器を比べた時、基本的にはプレイヤーメイドの方が優れているものだけど、今現在、プレイヤーメイドでもこの子ほどの性能の片手剣は聞いたことも見たことも無い。

 となると、これは、モンスタードロップ――それもボスクラスモンスターのレアドロップである《魔剣》ということになるだろう。

 

(こんないい子が、ドロップ品にもあったんだ……ん~……)

 

 あたしは軽い会釈とともにポップアップメニューを閉じ、お客様に背を向けて店の奥──工房の奥にある倉庫に向かった。

 

 そこには、あたしが無暗に作り続けてきた品々の中でも、屈指の子達が眠っている。

 

 その倉庫から、店に並べることのなかった1振りの剣を取り出す。

 

(あの子と比べて、負けないって言ったら、この子くらいしかないな……)

 

 あたしはそれをストレージに入れてショップに戻る。

 あたしにはこの子も重すぎて手で運べないからだ。

 

 再び戻ってくると、お客様はまだそこに立っていた。

 カウンターの上に置かれていたお客様の魔剣は仕舞われたのだろう。

 

(……もうちょっと触ってみたかったけど、それはこの際、諦めよう……)

 

 それよりも意外だったのは、お客様が、あたしが何も言わずに奥に引っ込んだのを訝しんだりもせず、ただそこで待っていてくれたことだった。

 

 あたしは感謝の意を込めて軽く会釈してから、倉庫から取り出してきた子をカウンターの上に置いた。

 

「えっと……これを試してみろってことかな?」

 

 あたしは首を縦に振って、剣を押すようにして差し出した。

 お客様はその剣を持ち上げた。

 

「お……これも重いな……やっぱり、今はまだ振るのは無理か……」

 

 あたしでは両手で持っても運ぶのが辛い要求筋力値のその剣──《ロングソード/ワンハンド》カテゴリの剣を、お客様は片手で持ち上げてはいたけど、振るのは難しいという。

 

 気に入っていただけると嬉しいけれど、あたしとしては、この子を使える人が現れるのはまだ先だと思っていた。

 

 武器などの作成は、同じ素材、同じ道具を使って同じものを作ろうとしても、作成ランダムパラメーターによって、狙って同じものは作れないようになっている。

 

 だから、レア素材を手に入れたとしても、それが最高の武器になるとは決まっていないのだ。

 

 作ってみたら、店で吊るし売りされている武器のパラメーターよりちょっと上という程度のこともあれば、このお客様が持っている《魔剣》に、勝るとも劣らぬ最上級品になることもある。

 

 ──つまりは、大部分で運次第だ。

 

 そんな中で、今お客様に試してもらっている子は、1度しか入手できなかったレア素材を使って作った片手用直剣で、運よく作成できた固有名を持つワンメイク物――つまり最上級品の1つだった。

 

 様々な情報屋が協力して出している武器や防具の名鑑には、この子は載っていなかった。

 そもそも、使用した素材の情報すら、未だ出てきていない。

 

 だからあたしは、この子を表に出さずに、倉庫にしまったのだ。

 

「重さはエリュシデータと同じか、わずかに軽いくらいか……デザインも申し分ない。名前とパラメーターを見せてもらえるかな?」

 

 お客様がカウンターに剣を置いた。

 ご要望にお応えして《鑑定》スキルで、この子のパラメーターをポップアップさせた。

 

「名前は《トワイライト・アクロス》か……性能も凄いな……」

 

 黒と紅が混ざりあったような光を返す刀身、柄から剣先まで装飾はほとんどなくシンプルの一言で、外見だけではそれが最高級品だとはとても思えない剣だった。

 

 同程度の性能を持つものなら、モンスタードロップ・プレイヤーメイドを問わず、他にも存在するのだろうけど、それらは名前も見た目も違うものだ。

 

 だからこそ、ハイレベルの武器は持ち主を魅了し、相棒(パートナー)として長く大切にされる。

 

「うん、良い剣だ。これ、もらえるのかな?」

 

 あたしはちょっと驚いた。

 

 お客様は、この子も《エリュシデータ》も現状では振れないと言っていたはずだ。

 なのに、この子を買いたいという。

 

(この先のためにかな……あれ? でも、なんで同程度の剣を2本も?)

 

 不思議には思いつつも、このお客様なら、いずれこの子も《エリュシデータ》も使いこなせるようになると思った。

 だからあたしは、お客様に首肯して見せた。

 

 ──ちなみに《トワイライト・アクロス》に関して言えば、威力は同程度だったけれど、耐久力パラメーターは、お客様の持っていた《エリュシデータ》を超えている。

 更に、身内贔屓かも知れないけれど、うちの子にはエリュシデータにはない特殊効果もついている。

 

 劣ることは無いはず――いや、お客様の魔剣《エリュシデータ》よりも優れていると自信を持てる。

 

「ありがとう、代金は幾らかな?」

 

 そこまで話が進んで、あたしは完全に忘れていたことを思い出した。

 

 ──売れると思っていなかったし、買ってもらえるとも思っていなかったので、金額を決めていなかった。

 

「……ぁぅぁぅ……」

 

 そこに思い至って、あたしは呻いてしまった。

 

「…ん?」

 

 NPCに渡せば、素材や武器のレアリティに応じた金額を付けてくれるのだが……そうか、NPCに任せればいいんだ。

 

(どう言えばいいかな……えっと……えぇっと……)

 

 考えても言葉に出来ず、それでも何とか震える手で接客対応をするNPCを指差せた。

 

「……あぁ、NPCに渡してくれってことか。分かったよ」

 

 このお客様は、あたしの対応をすんなりと受け入れてくれた。

 本当にありがたい。

 

 ほっと一安心して、あたしが工房に戻ろうとしたところで、お客様はNPCに剣を渡すと、NPCに告げられた金額を聞いて──

 

「うげっ!」

 

 ──と、呻いた。

 

(あれ? 何か変な金額を言われたのかな?)

 

 あたしは不安を感じ、工房に入ろうとしたところで立ち止まり、お客様の方へと顔を向けた。

 とはいえ、見えるのは腰辺りまでだけど。

 

 お客様はそのあたしを見て、うぅん、と唸った。

 

「えっと……本当にこの金額なのかな?」

 

 あたしの性格を察してくれているのであろうお客様は、言葉を続けて尋ねてくれる。

 

「提示された額が、ちょっと……なんていうか、想像よりはるかに高くて……」

 

 一体、幾らだと言われたんだろう……NPCの提示する金額は、通常、使用した素材と使用した道具の質に、出来上がった武器のパラメーターを合わせた、ちょっと複雑な計算式によって決定されるのだけれど、そんなに変な金額にはならないはず……。

 

「えっと、この額なんだけど……」

 

 お客様がNPCに提示された額をあたしに見せてくれて──あたしも言葉を失った。

 ハッキリ言えば、これ子だけで《リンダース》の水車つきホームが買える額だった。

 

「あwせdrftghyじゅいこl」

 

 あたしは完全に混乱してしまい、両手が宙を漕ぐばかりで、どうしたものか分からなくなっていた。

 

 通常、武器は高くても数十万コル辺りだ。

 なのにこの子は、その10倍近い値をNPCに付けられている。

 

 確かに、素材は競売でも見たことのない激レア素材だったし、出来上がりも最上級品ではあるけど、何をどうすればこんな金額の武器になるのだろう。

 

「いや、ごめん。まさかこんな高額な武器があるとは思ってなくて……気にしなくていいなんて言ったけど……これは流石に……持ってる額じゃ足りないな……」

「ぁ……ぅ……」

 

 それはそうだろう。

 

 お客様はおそらく、高くても40~50万辺りまでが目安だったはずだ。

 

「ごめん。間違いなく、これは最高の剣だと思うんだけど、今は手が出ないな……またコルが貯まったら尋ねさせてもらうよ。その時まで残ってたら、是非売ってほしい」

 

 お客様は《トワイライト・アクロス》をあたしの前のカウンターに置いて、名残惜しそうに一撫でしてから店を去って行った。

 

 あたしは言葉にならないまま、深く頭を下げるしかできなかった。

 

(うぅ……まさか、こんな価格の武器があるなんて……)

 

 あたしもまさか、この子がそんなにハイランクの武器だとは思ってもいなかった。

 

 せっかく、お客様に気に入っていただけたのに、買ってもらえなかったこの子を倉庫に戻して、あたしは工房に戻り、しかしそこで何かを作るでもなくボーっとしてしまっていた。

 

(あぁ……あの子は、あのお客様が次に来るまで取っておくのもありかな……)

 

 この世界では数少ない、会話をせずとも状況をくみ取って話を進めてくれる、とても親切で、あたしでも会話――話は出来ていないけれど――が成り立つ人との出会いだった。

 

 あの人となら、あたしでも落ち着いて会話ができるようになる日が来るかもしれない、と思えるほどに、先ほどのお客様はあたしにとってありがたい人だった。

 

(あ、でも……名前も顔も分かんないや……あぅぅ……)

 

 そんなことをボーっとしながら考えていて、作業が全然進まなかった。

 

(ハッ! いけないいけない! スキル上げもだけど、コルも稼がないとならないんだから)

 

 あたしは頭を切り替えて、販売用のアイテムの作成に取り掛かった。

 

 基本的にあたしの店には、そんなにお客様はやって来ないし、先日50層のボス戦が終わって、51層が解放されたばかりだから、どんなに早くても、まだ3~4日は次のボス戦は計画されないはずだ。

 

(お客様が来ない間に、一気に作っちゃわないと!)

 

 あたしは当初の予定通り、裁縫スキル上げも兼ねて、装備作製に集中していった。

 

 

 



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第二幕・オークの養蚕場

 

 

 50層が攻略されてから1週間が過ぎた。

 

 今日もあたしは、日課の村巡りをして、工房に戻って店を開けた。

 

 あたしが日課にしている村巡り。

 実は、職人クラス専用の素材入手クエストだ。

 

 このクエストを見つけることができたのは本当に偶然だった。

 情報屋の方々が出しているクエスト名鑑にも載っていないので、おそらく──というか、ほぼ間違いなく、今ではあたししか知らないクエストだと思う。

 

 他に知っている人が居たら、今頃この村は職人プレイヤーで埋め尽くされているはずだ。

 しかし、あたしもこのクエストの発生条件など、詳しいことはよく分かってない。

 

 クエストの内容は至極単純で難しいことは無い。

 一定の順番で村人と会話をするだけだ。

 

 ただし。

 

 最初の牛飼いの村人の話から最後の村長の話まで、全て聞き終えるのに最低でも2時間半かかるから、忍耐力は試されるかもしれない。

 

 それと、話を聞いている最中に他のスキルを上げるような、いわゆる《内職》はできないらしい。

 

 最初の村人の言葉の中に『ちょっと長くなるけど、話を聞いていく時間はあるかい?』という一言があるし、何度目かのクエストをこなしていた時に、あたしは話を聞き流しながら《内職》をしようとしたことがある。

 すると村人から『おや、何かすることがあるのかい?』という、それまでに聞いたことのない台詞が出てきた。

 

 ここで内職を継続してしまうと、おそらく、クエストが中断され、そこまで聞いてきた話もリセットされてしまうのではないか、と想像することができた。

 

 リセットされるだけならまだいい。

 もしかすると、2度とクエストが発生しない可能性も否定できない。

 

 あたしは、それが怖くて話を聞く、もしくは聞き流すだけにしている。

 朝早い事もあって、あくびが出ることは多いけど、何とか居眠りもせずに済んでいる。

 

 それと、もう1つ。

 

 このクエスト、発生時間も朝方に限定されているようだし、クエストクリアまでの時間制限もあるようだから、あたしのように、この村に拠点を置いていないと気付かないだろう。

 

 クエストの難易度としては低めだと思うのだけど、報酬は格別だった。

 

 《ウィシルの天恵袋》という、職人系スキルで使うことのできる各種素材アイテムが、ランダムで約10~50個入っているという、種類も数も完全に運任せというアイテムだ。

 

 このクエストの存在に気が付いてからというもの、あたしは毎日欠かさず、このクエストをこなすようにしている。

 

 初めの頃は、入っていた素材が10個だけで、しかも全てが《石ころ》とか《枯れ木》という、最低ランクの素材だったことも多かった。

 それでもめげずに、毎日毎日繰り返しクリアし続けた。

 その甲斐あってか、連日クリアし続けることがランダムで数も種類も変わるという要素に影響を与えているのか、最近の素材は、良質な素材が20は入っていることが多い。

 

 ちなみに、この前来たお客様に見せた《トワイライト・アクロス》の素材も、このクエストで手に入ったものだ。

 

 この日受け取った袋の中身も、並から上の質の素材アイテムが、数としては多めの40個も入っていた。

 

 あたしはほくほくとそれらのアイテムを取り出し、しかしその中に、今、1番欲しかった裁縫スキル上げに使える絹糸が無かったことに少しがっかりした。

 

 無論、絹糸が無ければスキルが上げられないというわけではないのだけれど。

 

(……でも、やっぱり……今だと……シルク系装備の相場が良いんだよね……)

 

 少しでもコルを稼ぎたかったあたしにとって、裁縫スキルを上げると同時に稼ぎを出せることは重要だった。

 

(今日素材が足りていれば、マスターできそうだし……お店はNPCに任せることにして)

 

 あたしが、今日手に入った素材たちを整理して、店の売り物を少なからず補充し終わった頃には、昼を少し回っていた。

 

 あたしは昼食を食べ終えたところで、ダンジョンに出かける支度をする。

 

 来客の少ないことを喜ぶべきか悲しむべきかは微妙なところだけれど、昨日KoBの人達のアイテム調達や装備品の修復依頼は全て達成し終えている。

 今の所、他に依頼されている仕事もない。

 

 なら、動けるうちに動こうと、あたしは絹糸を落とすモンスターのところへと向かうことにした。

 目的のダンジョンはこの村の近くにあるため、遠くもなく、充分に日帰りできる場所だった。

 

 

 

 

 

 

 39層の通常ダンジョン《オークの養蚕場(ようさんじょう)》は、オーク──豚頭の獣人モンスター──と(かいこ)を模した大きな虫型モンスターのみが生息する、職人クラス向きのダンジョンだった。

 

 武具作製などで得られた経験値によって、この層での狩りに必要な安全マージンは充分すぎるほどに確保できているし、あたしは基本ソロプレイに慣れている――というか、会話ができないので、ほとんどパーティープレイができない――ので、ダンジョンに入ってからも、順調にモンスターを撃破し続けた。

 

(ん~! 久しぶりに《戦鎚(ハンマー)》でインゴット以外を叩いたなぁ。次は《両手斧》を使ってみよ! 木材の伐り出し以外で使うのも久しぶりだし!)

 

 軽く伸びをして、メニュー画面で装備を変更した。

 鍛冶職人として《戦鎚》、木工職人として《両手斧》を使うため、自然とこの2つのスキルが上がって行ったので、戦闘にはそれほど支障はない。

 

 ただ、スキルスロットは基本的に職人系スキルで埋まっているので、ダンジョンの《罠解除》や敵の《索敵》、敵からの《隠蔽》といったことはできないので、職人向けの低難易度ダンジョン以外には行けないけれど。

 

 このダンジョンで気を付けることとしたら、モンスターの大群に出くわさないように細心の注意を払うことと、前に流行ったPKくらいだ。

 

 難易度的には高くないダンジョンだけど、注意するポイントは2つ。

 

 1つは、オーク――このダンジョンにいるのは《セリカルチャ・オーク》という――の攻撃力の高さと武器バリエーションの多さ。

 

 オークは、常に2~5体の集団で行動していて、持っている武器も剣、斧、槍、戦鎚などと種類が豊富だ。

 まあ、その分、倒せばドロップ品も種類が豊富なわけだけど。

 

 2つ目は、蚕型虫モンスター《シルバーシルクワーム》の特殊技。

 

 この《シルバーシルクワーム》には、こちらの動きを阻害する粘着性の糸を吐く攻撃がある。

 受けてもダメージは無いものの、一定時間──それも長めの──敏捷マイナス補正を喰らうことになる。

 

 1回1回はそれほど大きいマイナス補正ではないけれど、実はこれ、蓄積型で、喰らった糸が消える前に次の糸を喰らうと、その効果時間が上書き、マイナス補正効果がアップするという厄介な面がある。

 

 《クラール》のNPCショップで売られている回復アイテムを使えば、すぐに回復できるけれど、決して安いアイテムではない。

 可能な限り使うのは避けたいところだ。

 

(ふぅ……絹糸……良い感じに集まってる……)

 

 ダンジョンに潜ってから約2時間。

 安全エリアで一休みしながらアイテムポーチを確認する。

 

 アイテム名《銀蚕の絹糸》。

 

 オークが邪魔で、思ったより蚕を狩れていないけれど、その割には、良いペースで手に入っている。

 とはいえ、まだ目標数の半分ほどだ。

 

 あたしは、武器や防具の消耗を確認して、もう2時間は安心して狩りが続けられると判断した。

 

 ちなみに、このダンジョンに入ってからも、入る前のフィールドでも、他のプレイヤーには会わなかった。

 流石に過疎フロアの、それも攻略対象でもないダンジョンで、素材目的でもなければ来る必要のない場所なだけある。

 PKも、最近はこういったダンジョンには出なくなったと聞いたし、多少は安心して狩りができる。

 

 あたしは気合いを入れなおし、安全エリアから出て、通路の先の広間に入り──

 

「──ャハハハ――ッ!」

 

 ――広間の中央辺りまで進んだところで、前方の通路から、人の笑い声と走っているのであろう足音が響いてきた。

 

 それも1人分ではない。

 足音が振動のように聞こえるほど――かなりの数の何かが、こちらに向かってきているようだ。

 

 思わず体が竦んだ。

 

(な……なんでこんなところに……人が……それに……いったい何が来るの……?)

 

 咄嗟のこととはいえ、あたしは持っていた両手斧を胸の前で抱くようにして、通路の方に集中した。

 最悪の場合、すぐに転移結晶を使わねばならない。

 

 と、続いて何かの話し声が聞こえてきた。

 

「笑っ――場合――かアロ――ん?!」

「――っ! セイ――ん! もの凄―――インになっ―――けど!」

「い――過疎――ジョン―――って――はマナー違――なぁ!」

「2人――笑っ――る場――――いですよ! 他に人が居たら――――んですか!」

「はっひゃー! その時は――で、全部――ばいいんだよぅ!」

「アロマさんが――――トレインなんですから当然――! けどこの数はあまりにも非常識――!」

 

 ――という、まだ少し遠いので聞き取れないところもあるけれど、やけに賑やかな、それも怒っている人は1人で、他の3人は笑っているようにしか聞こえない話し声が聞こえた。

 

(な……何なんだろう……)

 

 足音や声の反響から察するに、こちらに向かってきているようだ。

 

 あたしはポーチから転移結晶を取り出すことも忘れて通路の方を見やりながら、少し緊張が抜けた気がする。

 犯罪者(オレンジ)プレイヤーなら、こんなに騒ぎながらやってくることもないだろうし、何よりこんな賑やかな会話をすることも無いんじゃないかと思ったからだ。

 

「もうちょいで安全エリアみたいだけど、どーするよ!? このトレイン連れてって平気か?!」

「平気だとは思いたいですが! 《索敵》してみます!」

「とれーぃん♪ とれーぃん♪ はしってゆーけぇえ♪」

「ちがうだろアロマ! とれーぃん♪ とれーぃん♪ つれてーゆーけぇえ♪ だろ?」

「そうか!」

「2人とも黙りなさい!……あ……アロマさんストップ! この先に人が!」

「はにゃ?」

「ちょうど、エリアの前に広間があるよ。そこでこれ処理しちゃおう!」

「ダメですルイさん! その広間に人がいるんです!」

「っても! 他に場所もねーし、もう間に合わん!」

 

 ――次の瞬間、広間に飛び込んできたのは4人組のパーティーだった。

 

 1人は、自分の背丈以上の大きさの両手剣を背負った、赤髪でポニーテールの女性。

 

 1人は、両端に宝石を埋め込んだ両手棍を背負った、金髪を後ろに流している女性。

 

 1人は、左の腰に刀と脇差を吊るした、バンダナを巻いた銀髪の男性。

 

 1人は、武器らしい武器は何も見当たらない、眼鏡をかけた黒髪の男性。

 

 驚いたことに全員が軽装防具で、盾装備や壁戦士(タンク)といったメンバーが1人もいない。

 

 一見、レベルが高そうには見えなかったのだが、気を付けてみると、武器も防具も、最前線で使われているレベルと遜色ない、名の知られた物がほとんどだった。

 

 ――ただ1人を除いて。

 前線のプレイヤーには、ほとんど需要の無い布系防具で――オシャレ着や、部屋着といった装備以外で――その中でも《道着系》と呼ばれる防具を身にまとっている眼鏡の男性の防具だけは、他の3人のそれと比べると数段劣るものだった。

 

 パーティー構成的には、全員が攻撃特化型(ダメージディーラー)というところだろうか。

 

 4人は広間に入るなり、すぐに元来た通路に向き、各々の武器を構える。

 

「ごめんなさい、そこの方! 巻き込まないようにここでトレイン処理しますから、できれば奥の安全エリアに移動を!」

 

 黒髪に眼鏡をかけた道着の男性は、真っ先にあたしの近くまで来ると、あたしを背に庇うようにして通路の方に向いた。

 

「来るぜセイド!」

「ひゃっはー! みんなまとめてポークハムにしてやんよ! ひゃー! 不味(まず)そ!」

 

 銀髪の男性が、黒髪眼鏡の男性――セイドさんに呼びかけると同時に、赤髪の女性は、女性らしからぬ掛け声を上げ、妙にハイテンションでモンスターを待ち構え──

 

「アロマ《スラストブレイク》」

 

 不意に。

 

 セイドさんが冷静に、その一言を放った直後。

 

 通路から飛び込んできたのは、5体のオークだった。

 手にしている武器は片手直剣、片手曲刀、片手斧、両手槍、片手戦鎚が1体ずつ。

 

(あわわわわ?!)

 

 そのオークたちを見て、あたしは驚きのあまり尻餅をついてしまった。

 

 5体ともなれば、あたしにとっては大群だ。

 下手に出くわせば逃げるしかない。

 

 しかし、その5体ともが、赤髪の女性──アロマさんの放った1撃、両手剣用単発重水平斬撃技《スラストブレイク》によって薙ぎ払われた。

 

 あの技は、確か、両手剣スキルの熟練度が900を超えると技リストに出現する、単発ながら長いリーチがあり、高威力でありながら出だしも早く、使用後硬直時間も長くない、という非常に使い勝手がいいことで有名な《剣技(ソードスキル)》だったはずだ。

 

(それが使えるということは、この人たち……レベルもスキル熟練度も高い)

 

 アロマさんの1撃を皮切りに、通路から続々と現れるオークの集団を、銀髪の男性とアロマさんがメインになって通路入口付近で撃破を繰り返し、2人の猛攻から漏れ、または逃れて広間に入ってきたオークは、金髪の女性が叩きのめしていく。

 

 セイドさんは、あたしの近くで、時々3人に指示を飛ばすのみで戦闘には直接参加していない。

 

 けれど――

 

「アロマ《アバランシュ》。その後マーチとスイッチ、マーチスイッチ後《ライメイノキラメキ》」

 

(……最初の1撃の指示といい……使用する《剣技》を指定するということは、このセイドさんという人、次に来るオークのタイプや位置取りを把握している……?)

 

 狙い違わず、次に飛び込んできたオークの集団は、なんと縦に──先頭の1体を壁にして、奥の2体が跳躍して、文字通り、目の前で上下縦一列になる様に跳びこんできたのだ。

 

 これを初めの時のように、水平斬撃系で迎え撃とうとしていたら、3体のうち1体しか倒せず、2体から攻撃を受けることになったけれど。

 セイドさんの指示した《アバランシュ》という技は、両手剣用単発上段重突進技で、突進の威力を載せて縦に振り下ろされる両手剣の破壊力によって、防御がほぼ不可能なほどの威力を発揮する。

 

 狙い通りの《剣技》で、オーク3体がまとめてポリゴン片になると同時に、アロマさんの振り下ろした剣の勢いに押されて、その奥から出て来たオーク2体が一瞬たじろいだ。

 

 アロマさんは振り下ろした剣の勢いに乗るようにして右前方に体を投げ出す。

 そのアロマさんと入れ替わるようにして、間を開けずに、たじろいだオーク2体を《ライメイノキラメキ》と言われた、あたしの知らない《剣技》の一撃で銀髪の男性──マーチさんが追撃し、2体を同時にポリゴン片へと変えた。

 

 

 



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第三幕・4人の連携

 

 

「申し訳ありません、こんなことに巻き込んでしまって……」

 

 セイドさんは油断なく、通路側を見やりながら、あたしに声を掛けてきた。

 

「もう少しで片付きますから――ルイ、マーチの上、《ハヌマンシャフト》」

 

 セイドさんの指示を受けて、金髪の女性――ルイさんが、背を向けていたマーチさんの方に反転。

 両手棍用打突4連撃技《ハヌマンシャフト》でマーチさんを跳び越えて広間に入ってこようとしたオーク2体を同時に突き崩した。

 

 セイドさんの指示は、他の3人が察知しきれていないオークの動きに関してのみ出され、それ以外は3人がそれぞれの連携でしっかりと撃破している。

 

 あたしは、4人の連携でオークが次々に倒されていく様子を、セイドさんに匿われるような位置取りでしっかりと見ていた。

 

 無傷というわけではないけれど、前線に立っている3人は危なげなく戦っているし、セイドさんも油断せず、通路に視線を向けている。

 

「まさか、こんな僻地のダンジョンで人と出会うとは思っていなかったもので。貴女は素材収集ですか?」

「ぁ………ぃ……」

 

 はい、と答えたつもりだけれど、オークの叫び声や剣戟が響く広間にあって、あたしの小声の返事が伝わった自信は全くなかった。

 

「そうでしたか。では、この騒ぎが落ち着いたら──アロマ、《スラストバイト》……ご迷惑をおかけしたお詫びとして、集めておられる素材で、私達が持っている分を差し上げます。どうか、それでお許し願いたい――マーチ、《ソウガノヒラメキ》」

 

 しかし、この騒ぎの中、セイドさんはあたしの小さな返事をしっかりと聞いていたと同時に、指示にも隙が無く、数に物を言わせていたオークたちの攻撃は、だんだんと、勢いが弱まってきている。

 

 そのこともさることながら、セイドさんの申し出にも驚かされた。

 

 このダンジョンに来るような人は、おそらく皆が、絹糸収集が目的だと思う。

 だとすれば、この人たちも絹糸を集めに来たのだと思っていたのだが。

 

「このダンジョンで素材収集ということは、絹糸ですよね? 私たちは絹糸目的ではありませんので、お気になさらずに」

 

 違うという。

 では一体何をしに、こんな辺鄙なダンジョンまで来たのだろう。

 

「私たちは――ん? マーチ、アロマ、ツーステバック!」

 

 突然のセイドさんの大声で、通路近くで戦っていた2人が、広間中央にまで跳び退る。

 

 すると、先ほどまで2人が居た辺りに、通路からオークの塊が跳んできた。

 

 オークの集団――ではない。

 文字通り、オークが2~3体連続で、体を丸めて投げこまれたかのようだった。

 

「あらら~。もしかして~、もしかすると~、もしかする~?」

 

 そう呟きながら、ルイさんが投げ込まれてきたオークに《剣技(ソードスキル)》を叩き込み、同様にマーチさん、アロマさんも《剣技》で投げ込まれたオークを切り伏せる。

 

「そのようですね……マーチ、アロマさん、ルイさん、ボスのご登場のようです。この状況は……正直ありがたくないですね」

 

 セイドさんの言う『この状況』というのは、あたしが居ることだろう。

 

「ぁ、あwせdrftgyふじ――」

 

 あたしはいつもの如く焦ってしまい、自分の身は自分で守れると伝えたかったけれど、全然言葉にならなかった。

 

 しかしセイドさんは――

 

「今得られている情報は、ボスは周囲のオークを砲弾代わりに投擲すること。作戦はまず、ボスが広間に入り次第、アロマとマーチはボスの足止めをしつつ、周囲雑魚オークの掃討を優先。ルイは雑魚オーク掃討に集中。雑魚オーク掃討次第全員でボスに集中。この方にダメージを負わせたら、全員夕食抜きです」

「イヤだい!」「おうよ!」「は~い!」

「……みんなイエスなの?……ふぁ~い……」

 

 素早く指示を出し終えると、あたしに優しい笑顔で――多少笑みが引きつっていた気もしないではないが――語りかけてきた。

 

「貴女がいることで、私たちに不利になることはありませんから、気にしないでくださいね。この状況というのは、ボスの周囲に、まだ30近いオークがいることですから」

「っ!」

 

 あたしは思わず息をのんだ。

 意味不明なあたしの言葉を、ちゃんと聞きとってくれていたというのだろうか?

 

「そしてすみません、ボスが来るので手短に。私もボスの相手に行きますので、一旦貴女をパーティーに誘います。逃げるか残るか、判断は任せます」

 

 それだけを素早く言うと、セイドさんはすぐに、あたしにパーティー申請を送ってきた。

 

「ぁ……わえdrf――」

 

 あたしは急な展開について行けず、慌ててしまい、両手が宙を漕いだ。

 その拍子に申請の受諾を押してしまい、あたしもこの4人のパーティーに参加した形になる。

 

「Log……ログさん、ですね。よろしく」

 

 パーティーメンバーの名前が表示され、それを見たことで、セイドさんは笑顔であたしにそう言い、しかしすぐに通路に視線をやると、表情が一変し、冷静なものとなった。

 

 通路からまたオークの砲弾が飛んできたからだ。

 

「マーチ、アロマ、ルイ、まだ投げ込まれてくる。先にそれらの排除!」

 

 先ほどから投げ込まれてきているオークの砲弾は、死んでいるわけではない。

 数秒経つと体を伸ばして立ち上がり、こちらに襲いかかってくるようだ。

 

「ログさん、何かあれば何でもいいので声を上げて! それと、ボスには近寄らないように!」

 

 それだけ言って、セイドさんも雑魚オークに向かって行く。

 

 すると通路からまたオークの砲弾が飛んでくる。

 1度に3体のオークが続けて投げ込まれているようだ。

 

「次の砲弾後にボス。注意!」

 

 セイドさんの指示に、3人は無言の行動で返す。

 

 セイドさんの言葉通り、オークが投げ込まれてきた後に、他のオークより2回り以上大きなオークが広間に入ってきた。

 

 固有名《ジェネラル・ハイオーク》。

 

 間違いなくオークたちのボスだろう。

 

 ボスが広間に入るなり、先ほどの作戦通り、マーチさんとアロマさんがボスを引き付けながら周辺のオークを少しずつ片付けていく。

 

 そういえば、先ほどの戦闘でも指示は聞こえていたけれど、返事はしていなかった。

 この4人が、この連携を繰り返してきた証拠だと思った。

 

 あたしは、動けないでいた。

 怖かったり、驚いていたり、焦っていたり、色々あるけれど、1番の理由はそれらではなかった。

 

(……この人たち……凄い……)

 

 魅了されていた、といっていいと思う。

 

 基本的にソロプレイしかしてこなかったあたしは、他のプレイヤーの戦いを目にする機会はあまりなかったけれど。

 それでも、この4人の連携は、美しいの一言に尽きた。

 

 先ほどまでの連携もさることながら、セイドさんも攻撃に加わっての4人連携は、更に洗練されたものになっていた。

 

「アロマ、マーチとスイッチ」

 

「ルイ、俺とスイッチ後《スラストブレイク》」

 

「ルイ、アロマとスイッチ」

 

「マーチ、居合い後俺とスイッチ」

 

 たびたび出されるセイドさんの指示の的確さは常軌を逸していた。

 

 驚いたことに、指示を出す相手を全く見ていないのに(・・・・・・・)指示を出している。

 セイドさん自身とのスイッチの指示も、相手を見ずに出している。

 

 何をどうすればあんなことができるのだろうか……。

 

 それと、セイドさんが自分のことを《俺》と言っていたのもちょっと気になった。

 さっきまで《私たち》と言っていたと思うのだけど。

 

「ルイ《トータスエンド》、アロマ《ブランディッシュ》、マーチ《ミカガミノサザメキ》」

 

 と、そんなことを考えていたら、いつの間にか砲弾にされる雑魚オークが全て掃討されていた。

 

 セイドさんの指示で3人が一斉に――いや、セイドさんも合わせて4人が《剣技》をボスに叩き込んでいた。

 

 これにも驚かされたけれど、セイドさんの武器は拳や蹴り――いわゆる《体術》だった。

 これまで《体術》をメインに戦っているプレイヤーなんて、会ったことがなかった。

 

 セイドさんの指示した《剣技》はものの見事にボスに決まり、且つ同士討ちすることもなく、互いの動きも阻害しない見事な連携を見せた。

 

「ボスのパターン変化。ボスの《体術》スキルに注意。臨機応変にそれぞれをカバー」

 

 この指示で、まず、セイドさん以外の3人がバックステップで下がった。

 

 空いた間を埋めるようにボスが1歩前に出る。

 ボスの右手は《剣技》の光をまとっていた。

 

 狙われているのはアロマさん。

 

 そのボスの背後から、セイドさんが体術単発重突進技《ベヘモスブル》で突っ込んだ。

 

 あの《剣技》は、相手の体重が重ければ重いほど威力が上がるという特性があったはず。

 

 その威力補正もさることながら、セイドさんの、ボスの踏み込みに合わせた1撃は、見事にボスの踏み込んだ足とは反対の足に決まり、ボスのバランスを奪い、転倒させた。

 

 あの巨体で、しかもオークという敵は、攻撃力は高くても動きはあまり速くない。

起き上がろうとする動きも、どことなく遅い。

 

 その隙を逃さず、3人が一斉に前に出てそれぞれが《剣技》を放った。

 多段攻撃系を一斉に、しかも3方向から叩き込まれて、ボスのHPバーは消滅し、その巨体をポリゴン片へと変えた。

 

 

 



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第四幕・苦悩の色

黒炉様、感想ありがとうございました!


 

 

「勝った・狩った・狩ったったった♪」

 

 アロマさんは、ハイテンションぶりはそのままに、マーチさんやルイさんとハイタッチをして喜んでいた。

 

「ま、余裕だったな。これでクエも完了ってか?」

「まだ報告終わってないよ~? 報酬貰わないと完了って言わないから~」

 

 マーチさんとルイさんの言葉で、この人たちがここに来た理由がわかった。

 

(……クエスト……こんなところに絡むもの……あったんだ……)

 

「ログさん、大丈夫でしたか?」

 

 3人がボスを倒して喜んでいる中、セイドさんはあたしのところに来て、手を差し伸べてくれていた。

 

 あたしは、尻餅をついたまま座り込んでしまっていた。

 腰が抜けていたみたいだ。

 

「とんだ騒ぎに巻き込んでしまって、申し訳ありませんでした。ご無事なようで何よりです」

 

 あたしは、わたわたと両手で宙を漕いでいたけど、セイドさんはその右手をそっと掴んでくれて、引っ張り上げてくれた。

 

 あたしはますます焦ってしまい、頭を何度も下げながら――

 

「あwせdrftgyふいjこlp」

 

 ――相変わらず、言葉になっていなかったけれど、ありがとうございますと言いたかった……。

 

「ほら、3人とも、彼女に――ログさんに謝ってください。巻き込んだのはこちらなんですから」

 

 と、ボスの居た辺りで話し合っていた3人も、こちらにやってくる。

 

(わ、わわわわわわわ!)

 

 こんなに人とふれ合うようなことは、もの凄く久しぶりで、あたしはもう半分パニックだった。

 

「いやいや、悪かったな嬢ちゃん。ま、許してくれよ」

「マーチん、謝ってるように聞こえないよ~。ごめんね~、ログっち~」

「貴女可愛いわね。私がオンナにしてあげてもよくっ――」

「謝れと言いました。アロマさん」

 

 アロマさんが何やら変わったことを言おうとしたところで、セイドさんはアロマさんのこめかみを拳で挟んでグリグリし始めた。

 

「あ、痛い痛い痛い! HPが減らないギリギリの痛さ?! はひゃー! 名人技ですなぁって……いやホント痛い! ゴメンゴメンゴメンゴメンナサイってばぁ!」

 

 涙目になってジタバタしながら謝ったアロマさんを、セイドさんはため息とともに解放した。

 

「……はぁ……すみませんねログさん、こんなんで。あぁ、皆さん、アイテムに絹糸あったら私に下さい。まとめてログさんに渡しますから」

 

 と、セイドさんのその言葉に、返事もまばらに、皆さんが絹糸をセイドさんに渡していく。

 

「ぁ、…ぇ……qwsでfrthy」

 

 お気遣いなく……って言いたかった。

 けれど、それが伝わった様子も無く。

 

「ん~、この程度しかないですが、足止めさせてしまった代わりに、受け取ってください」

 

 そう言ってセイドさんからトレード申請がなされ、あたしの宙を漕ぐ手がトレード枠に触れると、渡される絹糸の数が表示されて――

 

「あq12wsで3f4rgt5h6y7!?」

 

 ますますパニックになった。

 

 その数、なんと……222個!

 

 あたしがソロで2時間かけて集めた数は30個弱だから、この数を集めるのには、単純計算で14時間以上かかることになる。

 

(こ! こんな数受け取れない!)

 

 あたしは言葉でどうにも言えないので、両手を前に突き出して、首をこれ以上は振れないというほど横に激しく振った。

 

「ログさん、受け取ってください。私達からの謝罪の意を込めてですから」

 

 セイドさんの顔には、何かちょっと困ったような、それでいて優しく微笑んでいるような、そんな表情があった。

 

「あzqwxscでvfrtbg!」

 

 本当に気にしないで下さいと言いたかったけれど、やっぱり言葉にならなかった。

 

(あうあうあう……謝られるようなこと、なにもされてないのに……)

 

 確かに、トレインを持ってきてしまったのはセイドさんたち4人だけど、あたしがそれに巻き込まれたわけでもない。

 

 本当なら、セイドさんが言ったように、すぐに来た道を戻って安全エリアに避難すればよかっただけのことなんだから。

 

 なのに、あたしは竦んでしまって動けなかった。

 そのことでセイドさんたちに迷惑をかけている。

 だから、むしろ、あたしが謝るべきだと思っていた。

 

 しかし、セイドさんはあたしがどれだけ首を横に振っていても、トレードウィンドウを閉じなかった。

 

「セイちゃん、とりあえずこの先の安全エリアで休んでるよ~」

 

 そんなあたしたちのやり取りを見ていたのだろうルイさんは、何やら微笑みながらそう言った。

 

「落ち着いたら来いよ」

 

 マーチさんも、ルイさんと一緒に安全エリアに向かって歩いて行った。

 

「ニッシッシッシッ……セ~イ~ド~? か~わいい女の子と2人っきりですよぉ? 変なことしちゃぁ――あ! ごめ! ウソ! ぁいたたたたたたたぁぁあ!」

 

 先に奥の安全エリアに向かったルイさんとマーチさん。

 

 セイドさんをからかおうとして、思いっきり両耳を引っ張られて涙目になりながらそのあとを追ったアロマさん。

 

 その3人を見送って、セイドさんは再びあたしと向かい合った。

 

「まったく……騒がしくて申し訳ない。どうぞ、本当に気にせずに、受け取ってください。私達では使い道がありませんから」

「ぁ……ぅ……」

 

 しかし、あたしはその絹糸を受け取ることを躊躇った。

 

 この世界で、人の好意は、危険だ。

 甘い話には裏があるのが常識の世界だ。

 

 確かに、この4人は犯罪者カラーではないし、良い人たちだと思うけれど、だからといって、安心していいとは言い切れないし。

 何より、男女比が著しく偏ったこの世界では、女性プレイヤーは《女性》というだけで、無数の男性プレイヤーに声を掛けられるということが往々にしてある。

 

 こんなあたしですら――背も低くて、人見知りが激しくて、まともに会話もできなくて、14歳に見えない童顔なあたしですらも、そういう経験は両手では数え切れないほどあった。

 この性格なので、皆すぐに逃げていったけれど……。

 

 ――そう考えると、この4人は男女比が2:2という、とても珍しい比率だ。

 

 なんていう、ちょっと関係ない事まで頭の隅をよぎった。

 

「ああ、変な意味は一切ありませんから、安心してください。とはいえ、すぐに信じるのは無理、ですよね。ふむ……何でしたら、ダンジョンを出るまで、パーティーをご一緒にいかがですか?」

 

 それは、思わぬ申し出だった。

 

 通常、見知らぬ人とパーティーを組むのは避ける傾向が強いこの世界で、こうも気さくにパーティーの継続を提案されるとは思っていなかった。

 

 さらに。

 あたしの思考を読んだかのように、セイドさんは会話を先出ししてくる。

 

「それと、一方的に絹糸を渡されるのが不安でしたら、そうですね……オークのドロップ品との交換――数も種類も何でもいいですから、それらと交換でも構いませんよ? ログさんが納得できる形で構いませんから、考えてみて下さい」

 

 そんなセイドさんの優しい提案に。

 

「qざwせcrvthにゅj」

 

 あたしはやっぱり、まともに言葉を返せなかった。

 

 そもそも、今何と言ったら良いのかも思いつかなかった。

 

 今更ながら、そんな自分が恥ずかしくなり、あたしはすっかりずり落ちていたフードを深くかぶり直した。

 

 それでもセイドさんは、変な言葉しか口走れず、フードをかぶって顔を隠してしまうようなあたしを、気にした風もなかった。

 

「とりあえず、皆さんのところに行きましょうか」

 

 セイドさんはあたしに手を差し伸べてくれた。

 

 あたしは躊躇いながらも、セイドさんの手にあたしの手を乗せた。

 セイドさんはそんなあたしの手を取って、安全エリアまで移動してくれた。

 

 あたしはただひたすらに会釈を返すことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、おかえり~」

 

 私がログさんを安全エリアまで連れて行くと、まずルイさんが声を掛けてきた。

 

「おう、やっぱ、その子も連れてきたか」

「ええ、ダンジョンを出るまでか、ログさんの拠点の近くまでは、お送りしようかと」

 

 マーチに答えて、ログさんを前に出して皆に改めて話をしようかと思ったのだが。

 

「あqwsでfrhy!」

 

 ログさんは必死な様子で私の後ろから出てこようとしなかった。

 

(……う~ん……ここまで人見知りが激しいというのも大変ですね……落ち着けば、会話までは行けそうな気もしますが)

 

 とはいえ、ここで無理に前に出してもログさんを怖がらせるだけだ。

 今はこのままにしておくとする。

 

「ええと……まあ、とりあえず、ここを出るまでは、皆さんよろしくお願いしますね。ログさんです」

 

 私は、後ろにいるままのログさんの頭を撫でながら皆に紹介した。

 この時、さりげなくフードを外して顔を見せた。

 

 ログさんは大いに慌てたようで、すぐにフードをかぶり直してしまったが、一応、顔を見せて紹介することはできた。

 まあ、髪で目元まで隠れているので、本当の意味では、顔見せにはなっていない気もするが。

 

「ハハハ! セイドには慣れたのかね。ん、よろしくな、お嬢ちゃん。俺はマーチだ」

 

 マーチは私の前まで歩み寄り、そこでしゃがんでログさんと視線の高さを合わせて名乗った。

 

 マーチの屈託のない笑顔にログさんも会釈を返していた。

 

「か~わいいね~! 私はルイだよ~。あなたのこと、ログっちって呼ばせてね~♪」

 

 ルイさんもマーチの隣にしゃがみ込み、ログさんに微笑みかけた。

 ログさんは、ルイさんにも会釈を返して、わずかながら私の後ろから前に出てきた感じがした。

 

 流石《友情(フレンドリー)》マーチとその妻のルイさん、というべきだろうか。

 人見知りの激しいログさんにも、馴染みやすい空気を上手く作っている。

 

「人見知りログたん可愛すぎですなぁ。ほーら、飴ちゃんあげるから、お姉ちゃんのお膝にオイデオイデ~♪」

 

 しかし――いや、やはりというべきか。

 アロマさんはそんな空気を微妙に壊しながらログさんに接近してきた。

 

(良くも悪くも、アロマさんらしい……しかも自己紹介し忘れている……)

 

 気さく(?)なアロマさんの性格も、ログさんの性格からしてみれば怖いだけかもしれない。

 

 アロマさんは、持ち前の笑顔を満開にしてログさんに語りかけたが、ログさんはビクッと身震いして、ますます私の後ろに隠れてしまった。

 

(道着が伸びるんじゃないかな……この勢いで引っ張られ続けたら……)

 

 と、そんなどうでもいいようなことをチラッと考え、思わず苦笑してしまった。

 

「と、まあ、この変な女性はアロマさんといいます。悪い人ではないので、怖がらなくていいですよ」

「ちょっとセイド?! 今もの凄く失礼な紹介したよね?!」

「何のことかわかりません。ほら、ログさんがますます怯えてしまいますよ?」

「むぅぅ……後で覚えてろぉ……」

 

 代わりにアロマさんの紹介をしたのだが、アロマさん本人は不服だったようだ。

 まあ、それは置いておこう。

 

 一応、アロマさんにも会釈を返したログさんの様子を見ながら、私は別のことを考えていた。

 

 ログさんの様子を見ていて、コミュニケーション障害やコミュ障といった言葉も思い浮かんだが、彼女の場合は『言葉が通じないために意思疎通ができない』のではなく、『人見知りが激しくて自分の意志をしっかりと口に出来ない』だけだろう。

 

 そんな彼女でも、意思疎通をしっかりと図る方法は、実はある。

 SAOの世界では、基本的に使う人のいない方法だが。

 

「ログさん、少し手間かも知れませんけど、会話をするだけならテキストチャットでもいいんですよ?」

 

 一通りの紹介が終わった後も、私の後ろから出てこようとしないログさんに、私はそう提案してみる。

 

「?」

 

 すると、ログさんは首を傾げた。

 やはり、ログさんはテキストチャットの存在を知らなかったようだ。

 

「とっさの会話には向かないんですけどね」

 

 私はログさんにテキストチャットのやり方を実際に見せてあげた。

 

「メニューを出して、そのままホロキーボードを呼び出すと、チャットウィンドウになるんです。そこで文字を打ち込めば――」

【このように、会話文がテキストとして、プレイヤーの視界に浮かび上がるんですよ】

 

 私のこの指摘に、ログさんは目を輝かせて驚いていた。

 

 さっそくホロキーボードを呼び出して何かを打ち込んでいる。

 

【こうですか?】

 

 自分で打ち込んだ文字がウィンドウに現れたことに、一瞬驚きながらも、ログさんは嬉しそうな表情を浮かべた。

 

「そうそう、それがテキストチャット機能です。本来は、声を出したくない場合や、パーティーメンバーが少し離れた位置にいる時に使用する機能だったりしますけどね。ログさんなら、利用価値が高いかと思います」

【ありがとうございます、とてもたすかります】

 

 テキストを打ち込むために、タイムラグが生じてしまうが、それでも今のログさんには貴重な会話手段となるだろう。

 

「どういたしまして。でも、少しずつ会話そのものにも慣れていかないと、ダメですよ? テキストは、こちらの世界でしか使えませんからね」

 

 するとログさんは首を縦にコクコクと振った。

 

 ――次の瞬間、テキストが視界に流れた。

 

【笑顔ちらみせログたんかわゆす! マジ萌え☆ prprはぁはぁ】

 

 なんというか……知らぬ間に眉間を押さえてしまった。

 

 ――せっかくの意思疎通方法も、アロマさんの《空気クラッシュ》にかかっては、元も子もなくなってしまったようだ。

 

 ログさんは再び、私の後ろで震えだした。

 

 私はアロマさんの頭に拳をぐりぐりとねじ込んでおいた。

 

 

 



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第五幕・不穏なる予感

花見月様、まかべ様、感想ありがとうございます!


 

 

 私達は、ログさんと一緒にダンジョンを出て、39層主街区――かの有名な《血盟騎士団》の本拠地がある《クラール》に向かうことになった。

 

 ダンジョンを出た時点で、17時を少し回ったところだった。

 

「へぇ~、ログっち、お店持ってるんだ~」

 

【ちいさいですし、めだたないみせです】

 

「うんうん! なんかログたんっぽい! 後で行っていい!?」

 

【どうぞ、あまりいいものはないですけど】

 

 女性同士ということで、話が弾むところもあるようで、ルイさん、アロマさん、ログさんの3人は、私とマーチから少し離れた後ろを並んで歩いている。

 

 ログさんは拠点がクラールではないそうで、ダンジョンを出たところで別れることになるかとも思ったのだが、ログさんもクラールに買い出しに行く必要があるということで、同行することとなった。

 

 ちなみに、アロマさんがログさんの目深にかぶっていたフードを強引に剥がしたので、今のログさんは顔がしっかりと外に出ている。

 紺色の髪を、セミロングと言えばよいのだろうか、肩にかかるか、かからないかといった程度に伸ばし、さらには前髪も長く伸ばしていて、前髪を下ろしている状態だと目元が全く見えない。

 

 そんなログさんの前髪を、ルイさんとアロマさんがヘアピンで横に留めてしまうと、ログさんがかなりの美少女だということが分かる。

 

(なるほど、顔を隠したくなるわけだ)

 

 もし素顔で街を歩いていれば、間違いなく男性プレイヤーに声を掛けられ続けることになるのではないかと想像できた。

 人見知りの激しいログさんにとっては、恐怖でしかなかったかもしれない。

 

 顔を晒してしまうことに対して、はじめは酷く狼狽していたログさんだったが、アロマさんとルイさんがうまく打ち解けたことで、多少は落ち着けたようだ。

 

 とはいえ、未だに目を見て話をする、ということには至らず、顔は伏せたままテキストによる会話を続けている。

 

【そういえばみなさんはなんであのだんじょんに】

 

 ログさんは、テキストそのものにまだ慣れていないようで、文字をほとんど変換せずにテキストによる会話をしていた。

 テキストを打つ際にも、時々足が止まるようだ。

 

 歩きながらホロキーボードを打つのは、慣れているプレイヤーでも難しい作業だから、それは仕方ない。

 

 ログさんの疑問には、私の隣を歩くマーチが答えた。

 

「さっきも言ってたが、クエで来ることになったんだ。たまたま《クラール》で、あのダンジョンのオーク退治クエが発生してな」

 

 ログさんたちとの距離が開きすぎないように、私とマーチも時々足を止めるようにしている。

 マーチが振り返って答えた言葉に、私が続けた。

 

「《養蚕場の無法者》というクエストが見つかったのは、偶然なんですよ。ルイさんが持っていた《破れた銀絹のストール》がキーアイテムだったようで」

 

 と、私が言うと、ルイさんがアイテムストレージからぼろ雑巾のようになったストールを出して見せた。

 

「これさ~、前に28層のクエストで手に入って~、使い道も分からないから~って、そのまま放置してただけなの~。まさか~、こんな上の層のクエストのキーアイテムだったなんてね~」

 

【なるほど】

 

 ログさんは1文字1文字ゆっくり打ち込んだ。

 今回は歩く速度がゆっくりになっただけで、止まらずに文字を打てたようだ。

 

「ま、使い道が分かっただけでも良かったぜ。これで、このクエの情報も、情報屋連中に売れるしな」

 

 マーチはそう告げたところで前を向いて歩き始めた。

 私も並んで歩いていく。

 

 クエスト情報を売るのは、私たちのような小規模ギルドにとって、重要な収入源だ。

 とはいえ、私たちにとって貴重且つ重要なクエストであれば、売るようなことはしないつもりだが、今回のクエストに関しては、今のところ売ることに何の抵抗もない。

 おそらく報酬も、然程レアリティの高いアイテムは来ないだろう。

 

「マーチの知り合いの情報屋というと……アルゴさんですか?」

「アルゴ以外にもいるぜ。β時代の知り合いでな、《ゼルク》ってんだ」

 

 アルゴさんといえば、定期的に情報紙を出しているので知名度が高めだが、ゼルクさんという名に、私は聞き覚えはなかった。

 

「ゼルク……って、行商人やってる槍使いの人? 私、何度か回復ポーションでお世話になったかも!」

 

 ちょっと意外だったが、この話に入ってきたのはアロマさんだった。

 マーチの言ったゼルクさんなるプレイヤーを、アロマさんは知っていたようだ。

 

「知ってたか。もとはソロだったんだが、いつの間にかギルドに入ってやがった。βテスターだが、あいつは人当たりも良いからな。ギルドも攻略組として良い感じに強くなってるようだが、ソロでも結構な実力者だぜ」

「ほぉ……私はまだ、お目にかかったことが無いですね……」

 

 行商人、ということは、上層で手に入ったアイテムを下層の街へ売りに行くことを基本としているのであろう、商人クラスのプレイヤーのはずだが、同時に情報屋を務め、攻略組としても活躍するというのは、相当な手練れなのだろう。

 

【そんなひともいるんですね】

 

 職人クラスのログさんも、行商人というプレイヤーの話は初耳だったらしい。

 

「少し、興味がわきました。是非お目にかかってみたいものです」

「機会がありゃ、そのうち紹介してやるよ。ってか」

 

 そこでマーチは何やら、ため息を吐いた。

 

「ど~も最近、嫌な予感がすんだよなぁ。なんつーか……こう、最前線の連中に、俺らのことがバレてるんじゃねーかって感じが」

 

 ゼルクさんの話題から脈絡のない話になったが、それは置いておくとして。

 

「……それは、あまり笑えない予感ですね……当たっているようなら、我々にもボス戦などへの参加要請が来ることになりますし……」

 

 私とマーチが渋い顔をしていると、アロマさんは真逆に、キラッキラした瞳で話に入ってきた。

 

「え~! 良いじゃん良いじゃん! 最前線の未踏破迷宮区とか! 迷宮区のフロアボスとか! 滅多に手に入らないレアアイテムゲットのチャンスじゃん! ワクテカ!」

 

 そんなアロマさんを、マーチは見ることもせず、前を向いたまま――

 

「アロマ、わりぃが俺ら、ボス戦には参加する気ねーから」

 

 ――と、マーチはアロマさんの台詞をにべもなく切り捨てた。

 

「ぶぅぅ! マーチってば、毎回それだよね! レベルは攻略組と差もないのに!」

 

 アロマさんはマーチににべもなく断られたことに膨れていた。

 

「うるせぇ。俺らの目的は《ゲームクリア》じゃねーんだよ。クリアされる日まで《生き残る》ことだ」

 

 しかしマーチは、この話題に関しては一切妥協しない。

 

「マーチん……」

「クエストボス程度ならまだ良いがな。フロアボスは絶対にダメだ」

 

 マーチは歩みを止めることなく、そう言い切った。

 

 ルイさんは、マーチの気持ちを分かっているのだろう。

 マーチの言葉に反論するつもりはないようだが、ルイさんの言葉にも僅かながら影があるように聞こえた。

 

「……アロマさん。迷宮区のフロアボスとの戦闘は、あの死竜レベルでは済みませんよ。私たちのレベルでも、攻略組のレベルでも、安全マージンなどあってないようなものです」

 

 死竜――27層のフィールドダンジョンのクエストボス《腐乱死竜(ピューレトファイド・ドラゴン)》は、私とアロマさんの出会うきっかけにもなった印象深いボスモンスターだが、迷宮区のフロアボスと比べると、やはり1回りも2回りも弱く感じられる。

 2人でも対処できないわけでもなかったことから考えれば当然だろうか。

 

「おろ? なんでそんなこと言えるの? 行ったことないんでしょ?」

 

 と、アロマさんの台詞に、私は冷や汗をかいた。

 

 本当のことを言ってしまうと、アロマさんは相当噛み付いてくる予感がする。

 何とか誤魔化そうと思っていた矢先――

 

「セイドは何度かソロで参加してるぜ、フロアボス攻略戦」

 

 マーチがサラッとばらしてしまった。

 

「ま、マーチ!」

「攻略組の実力調査と、フロアボスの脅威検証ってことで、勝手に行ってやがった。アロマがギルドに入ってからの話なんだが、知らなかったのか?」

 

 そういったマーチの視線は尖ったものになっていて、遠慮することなく私に突き刺さっていた。

 

(ぅ……これは……)

 

 分かっていて言っている。

 アロマさんがそのことを知れば私に噛み付いてくることを。

 

「えええええええっ!! 何それズルいぃぃ! なんで私を誘わなかったのぉぉ!!」

「あ、いや……色々事情がありまして……ってうわったぁ!」

 

 アロマさんが、予想通り噛み付いてきた。

 

 ――実際に、行動として噛み付かれたのは想定外だったが。

 

「むぅぅ……それにしても、マーチ、まだ根に持っていたんですか、そのこと」

 

 腕に噛み付いたアロマさんを引き剥がしつつ、私はマーチにおずおずと問いかけた。

 

 私がボス攻略戦に参加したのは、片手で数える程度の回数だ。

 それも、普段の攻略組以外のプレイヤーにも声を掛けるような、大規模戦の時に、ソロで参加した、というだけだ。

 

 ――なのだが。

 

「ったりめーだ! ギルドタグ付いてんだぞ? 下手に《閃光》や《団長様》にでも目ぇ付けられてみろ! あいつらぜってー俺らにも迷宮区攻略に参加しろって言い出すに決まってらぁ!」

 

 ――と、マーチは口をへの字に曲げてそっぽを向いてしまう。

 

「あのね~、さっき話に出てたゼルクさんがね~、そやってボス攻略に駆り出されることになったんだってさ~」

 

 マーチの怒りの理由を、ルイさんが補足してくれた。

 

 どうやら、前例があるようだ。

 それでは確かに、私が軽率な行動をしたと言えるだろう。

 

「……なるほど……失礼しました……」

 

 自分の行動の浅はかさを反省し、マーチに謝る。

 

 だが――

 

「ってか。もう手遅れみたいだけどな」

「え?」

 

 マーチの『手遅れ』という言葉を聞いて、私がマーチを見やると、マーチは目を細めて道の先を睨んでいた。

 

 歩きながら会話を続けていた私たちの進む道の先には、小さなアーチが――目的地である《クラール》の入り口が見えていた。

 

 しかし、そこに、数人の人影が見える。

 

「……あれは……」

 

 そこにいたのは、KoBの副団長にして、SAOで五指に入ると噂の美人女性剣士が、団員を引き連れて立っていた。

 

 何故、あんなところで待ち構えているのか非常に気になるところだが。

 

(「……はぁ……お前が話をしろよ、セイド。俺とルイは、何があっても、そっちに関わる気はねえからな」)

 

 マーチは小声で私にそう言ってきた。

 

 KoBの方々が何故というのも気にはなるが、今はマーチの言うことのほうが重要だ。

 マーチの言う『そっち』――つまりボス攻略戦のことだ。

 

(「……分かっています。ルイさんには絶対に、危険なことはさせません」)

 

 少し後ろにいたルイさん、アロマさん、ログさんには聞こえないよう、私もマーチも小声で簡単な打ち合わせをした。

 

(「お前が目ぇ付けられたのはもう仕方がねぇ。だが、あくまでも、俺らギルド単位で巻き込ませるなよ?」)

(「もちろん。何かあっても、私1人で受け持ちます。とりあえず、マーチはルイさんを連れて先に町に。クエストのこともありますから、終えたら宿屋に。後で落ち合いましょう」)

(「……わりぃな……俺はどうしても、ルイをボス戦に巻き込ませたくねぇ……フロアボスだけは、何があるか分かったもんじゃねぇからな……」)

 

 そう言ったマーチの脳裏には、おそらく、β時代の知り合いで、第1層攻略に貢献した、今は亡き《彼》のことが思い浮かべられているのだろう。

 

 マーチはススッと後ろに下がり、ルイさんとともに少し脇に逸れ、迂回して町の別の入り口を目指す。

 

「アロマさん。ログさんと一緒にマーチたちについて行って下さい。KoBのお歴々とは私が話をしますから」

 

 私は一旦歩みを止め、アロマさんにも離れるように言ったのだが。

 

「えー。あんな美人と話をするってのに、私をおいて行こうっての?」

 

 どことなく論点のずれたことを言ってくるアロマさんに対して、いつものことながら眩暈に似た感覚を覚えた。

 

「……話がややこしくなりそうなので。黙っていられるなら、居ても構いませんけど」

「黙ってる黙ってる。口挟まない。口にチャックしとく」

 

 そう言うと、アロマさんは口の左から右に指を引っ張っていく。

 

 思わず小さなため息が漏れるくらいは、仕方ないだろう。

 

「……ログさんは、マーチについて行って下さい。私と居ると、話が長引くかもしれませんから」

 

 アロマさんは仕方がないとして、ログさんはこの件には関係がない。

 巻き込むのは悪いと思いそう告げたのだが、しかし、ログさんは意外な答えを打った。

 

【いえ、KoBのアスナさんにもごあいさつがしたいので、いっしょにいきます】

 

「おや、お知り合いでしたか?」

 

 まさかログさんがKoBの方々と面識があったとは。

 

【KoBのかたは、おみせによくきてくれています】

 

 ログさんの言葉を見て、納得がいった。

 

 このフロアは、KoBの拠点としては有名だが、それ以外に関しては目立つことのないフロアだ。

 基本的に大半のプレイヤーはここに留まることはない。

 

 ならば、同じフロアでショップを営むログさんの世話になることも多いのだろう。

 

「あぁ、なるほど……すみませんね、変なことに巻き込んでばかりで」

 

【いいえ、だいじょぶです】

 

 私の言葉に、ログさんは、笑顔でそう答えてくれた。

 

 

 



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第六幕・閃光との邂逅

リミットブレイカー様、+熾烈+様、感想ありがとうございます!


 

 

 《クラール》の入り口にいたのは、全員が、白と赤を基調とした制服に身を包んだプレイヤーたちだった。

 

 ギルドタグは白地に十字。

 間違いなく、攻略組ギルドの一角である《血盟騎士団》のメンバーたちだ。

 

 全員で5人。

 

 身に付けている武器はそれぞれ剣・槍・斧などで、防具も皮鎧や軽金属鎧、壁戦士用の全身金属鎧などと違っていたが、それら武具のデザインは、どことなく一貫したものが見て取れ、同一職人の手によるものと思われた。

 

(ん? ってことはもしかして……)

 

 さっきログたんが、KoBのメンバーが店に来ると言っていたことを思い出した。

 

(「ねえねえログたん。あの人たちの装備って、もしかしてログたんの作品?」)

 

 黙ってるという約束だったが、私は早々に小声でログたんと話をしてしまった。

 

【アスナさんのそうびいがいはそうです】

 

 私の答えに対するログたんの答えは、想像した通りのものだった。

 

「うわぁぉ! 第一線で使われてるんだ! すご!」

 

 ログたんの職人としての実力に感心しつつ、私は少し慌てて口を閉じた。

 これ以上騒いでいると、またセイドに怒られてしまう。

 

(いやいや、それにしても、本当に美人だなぁ)

 

 私は思考を切り替えて、5人の中で最も目立つ1人の女性に視線を向けた。

 

 5人の中央に立つのは、《閃光》の異名を持つ細剣(レイピア)使いにして、攻略組トップギルド《血盟騎士団》の副団長を務める、SAOで知らぬ者はいないであろう美人の女性プレイヤーだ。

 

 私達が《クラール》のアーチをくぐったところで、その女性剣士が1歩前に進み出てきた。

 

「こんにちは。それと、初めまして」

 

 私たち――ではなくセイドをまっすぐ見据えて、彼女は話し始めた。

 

「わたしはギルド《血盟騎士団》の副団長を任されています、アスナと言います」

 

 有名な《閃光》様は、その可愛らしい顔とは違って、高圧的な態度でセイドと相対していた。

 

「これはご丁寧に。私は、ギルド《逆位置の死神(デス・オブ・リバース)》リーダーのセイドと申します。こうして直接お話をするのは初めてですね。ご高名はかねがね。《閃光》のアスナさん」

 

 その閃光様と対するセイドは、いつもと変わらず、柔らかい物腰で、その圧力を受け流していた。

 

「知っていてもらえたようなら、わたしの用件にも察しがついているのでは?」

「そうですねぇ。何故私たちがここに来ると分かったのかは不思議に思いますが。世間話をするために、わざわざこのようなところでお待たせしてしまったのであれば謝罪いたしますよ?」

 

 セイドの、意にも解さないという態度に、閃光様の取り巻きたちが一瞬ざわついた。

 

「それには及びません。貴方達がこの町でクエストを受けていたと報告があったので、良い機会だと思っただけです。それに、世間話などする気はありませんから」

 

 周りの男共のざわめきも気にせず、閃光様は怜悧な態度を変えなかった。

 

「用件を端的に伝えます。あなた達、ギルド《逆位置の死神》にも、今後、迷宮区及びボス戦の攻略に加わってもらいたいの」

「お断りします」

 

 閃光様の言葉に、セイドは間髪入れず拒否の意を示した。

 

 それこそ、そう言われるのを待ってました、と言わんばかりの返答の早さだった。

 

 流石の閃光様も、この即答には一瞬たじろいでいた。

 

「……あなたは何度か、フロアボスの攻略戦に参加していましたよね?」

「ええ。攻略組と言われる、第一線で戦い続けておられる方々の実力のほどを、この目で見ておきたく思いまして。それと同時に、フロアボスと呼ばれるモンスターの脅威も、直接見ておきたかったものですから」

 

 セイドの言葉に、閃光様は目を細め、取り巻きの男共はまたざわついた。

 

「ゲーム攻略のために力を尽くそうとは思わないの?」

「私たちのギルドの最大目的は、あなた方とは違います。私たちは、クリアされる日まで、生き残ることを第一としています。レアアイテムやボス討伐という名声を追う《聖竜連合》や、ゲームからの脱出を第一として攻略を最優先と考える《血盟騎士団》の方々とは、根本的なスタンスが異なるんです」

 

「貴方は、わたしたちと大差ないレベルを維持していながら、情けないとは思わないの?!」

「まったく思いません」

 

 語気を荒げる閃光様に対して、セイドは笑顔のまま、冷静に対応を続けた。

 

「それと、アスナさんの言い方では、私1人ではなくギルド全体で参加しろという話になります。それは絶対に容認できません。私1人なら、これまでのように参加しなくもないですがね」

 

「1人だけ増えたところで、大差はありません。ギルドとしてだからこそ――」

「なら、私たちのような4人しかいないギルドは、参加しなくても変わりはないですよね」

 

 アスナの台詞に、セイドは一切怯むことも無く、悩むことも無く対応を続けている。

 それに、セイドはアスナの台詞を遮るなど、巧みに相手に会話のペースを掴ませないようにしている。

 

「――っ……1人と4人では、意味合いが違います。ソロプレイとパーティープレイの安全性の差、戦術の差はよく分かっているでしょう?」

「安全性は確かにパーティーの方が高いでしょう。しかし――」

 

 と、ここにきてセイドの雰囲気が少し変わった。

 

 これまでの柔和なものから、わずかに険悪な空気を携えたものになったような気がした。

 

「私1人で、あなた方5人の相手をすることもできるのですから、私にしてみれば、人数にはあまり意味はありません。むしろ、私たち4人が参加したのであれば、あなた方は必要なくなってしまいます」

 

 普段のセイドからは想像できないような、挑発的な台詞だった。

 

 セイドの表情も、相手を馬鹿にするような嘲笑をうっすらと浮かべている。

 

「なっ! なんだと貴様! 言わせておけば!」

 

 セイドとアスナの言葉の応酬の最中、相手の部下の1人が、そんなセイドの挑発に引っかかった。

 冷静に考えれば、私たち4人だけで、巨大ギルドと言えるKoBの代わりなど勤まるはずがないのは分かりそうなものだが。

 

「何ですか? あなた方KoBのメンバーなら、私1人程度、軽くひねることができる、とでも?」

 

 挑発に引っかかった男に、セイドは素早く言葉を繋げる。

 

「当然だ! 貴様ごときに負けるような我らではない!」

「副団長の実力を知らんのか! 貴様など、足元にも及びはしない!」

 

 アスナが何かを言うより先に、部下の男共が先にセイドに突っかかってくる。

 

「ええ、ええ。有名な《閃光》殿なら、そうかもしれませんね。ですが、その取り巻きであるあなた達に、負ける気はしませんよ?」

 

 いつの間にか、セイドはアスナを見ずに、その奥にいたKoBの団員たちに視線を向けていた。

 

(あの不敵な笑み……わざと挑発してる……セイド、何か狙ってるね?)

 

 セイドの挑発に乗り、取り巻きの団員たちが1歩踏み出し――

 

「やめなさい! 挑発に乗ってどうするの!!」

 

 ――たところで、しかし、アスナが団員たち一喝し、彼らの動きを止めた。

 

「……安い挑発をしてくれますね」

 

 そう言葉を投げてきたアスナの表情は、冷静なように見えた。

 

「お褒めにあずかり光栄です」

 

 そんなアスナに視線を戻し、セイドは慇懃に一礼をしてみせ。

 

「先程も申し上げましたが、私1人なら、参加に異を唱えるつもりはありません。参加要請があれば、私個人あてにどうぞ。ああ、せっかくですから、フレンド登録でもしておきますか?」

 

 満面の笑みでアスナを迎え撃つ。

 

「ええ、お願いするわ。あなた1人でも、いないよりはましでしょうから」

 

 対するアスナは、笑顔など欠片も見せず、素早くメニュー画面を呼び出して、操作し始めた。

 

「恐縮です。しかし、私の力など、あって無いようなものですから、ご期待にはそえないと思いますが」

 

 先ほどまでの強気な発言とは真逆のことをのたまうセイドに対し――

 

「それは今から証明してもらいます」

 

 ――と、アスナは、まだメニュー画面を操作し続けていた。

 

 フレ登録メッセを送るだけなら、そんなに手間はかからないはずだ。

 何に手間取っているのかと疑問に思ったところで。

 

「……おやおや……思ったより、熱い方のようだ……」

 

 と、セイドが短く呟いたのが聞こえた。

 

(ん? 何かあったのかな?)

 

 セイドに聞くか否か迷っていると、アスナが驚くことを言ってきた。

 

「うちの団員をあれだけコケにされて黙っていられるほど、わたしは大人じゃないのよ。受けるの? 逃げるの?」

 

「ちょ! セイド!?」

「アロマさんは、黙って見ていて下さいね」

 

 まさか、と思ったけど、そのまさかだったらしい。

 

 あのアスナが、セイドにデュエルを申し込んだようだ。

 

 セイドはため息とともに首を軽く横に振りながら答えた。

 

「仕方ないですね。お受けしましょう。《初撃決着》でいいんですか?」

「ええ」

 

 

 

 

 

 

 ――こうして、唐突に、《閃光》と呼ばれる細剣使いにして、攻略組トップギルドの副団長、アスナと。

 我らの誇るギルドマスター、セイドのデュエルが行われることとなった。

 

(っていうか、大丈夫なの? セイドってば、勝てる見込みがあるのかな?)

 

 アスナは隙なく、細剣を正面に構えた。

 

 セイドの実力は知っているので、あまり心配はしていないが、しかし相手も有名な《閃光》様だ。

 

 その剣は、目にも止まらぬという意味合いから付けられた二つ名は、伊達ではないだろう。

 

「あなたが負けたら、彼らに謝ってもらうわよ」

「……ええ、良いですよ」

 

 笑顔でセイドはそれだけ了承して、拳を構え、軽く体を開いた。

 

(……ん? あれ? 相手に勝った時、どうするのかって条件は出さないの?)

 

 そんな私の心配はよそに、2人の間に流れる空気がピリピリと張り詰めていく。

 

 私はログたんと一緒に、2人から距離を開けた。

 

 セイドの回避能力なら、たとえ相手が閃光様の剣でも、おそらく回避できるはず。

 そう考えていた私だったが。

 

 カウントダウンが2人の間で流れ、ゼロになったと思った次の瞬間。

 

 不意に、アスナの姿が消えた。

 

(っ?!)

 

 消えた、と錯覚するほどに、恐ろしく速い踏み込みだった。

 それほどの踏み込みから発せられる細剣の突きは、まさしく《閃光》そのものだった。

 

(あんなの、避けようがない!)

 

 私には、目で追うことすらできなかった。

 

 気が付けば、アスナは青白い《剣技(ソードスキル)》のライトエフェクトを引いて、攻撃動作を終えていたほどなのだから。

 

 しかし。

 

(……あれ? 勝利表示が出ない……?)

 

 つまり、セイドがアスナの初撃を回避した、ということだろう。

 全く見えなかったけど。

 

「速い。恐ろしく速いですね」

「くっ!」

 

 セイドの言葉にアスナが小さく呻き、再びセイドに向けて、その見えないほどの速さを誇る《剣技》で襲い掛かる。

 

 が――

 

「速いですが、しかし、強ヒットと、判定されて、いませんよ?」

 

 アスナの剣もさることながら、セイドも初期位置からほとんど動かずにいながら、体がぶれて見えるような動きで、回避を繰り返していた。

 

「――ハァァッ!」

 

 アスナの、おそらく全力での攻撃にも、セイドは顔色1つ変えず、回避して――

 

(……いや、回避しきれてない?)

 

 よく見ると、セイドのHPが、1割にも満たない程だが、わずかに減っている。

 

(まさか、あのセイドが《受け流し(パリィ)》している?)

 

 アスナの剣が閃くたびに、セイドのHPが僅か――数ドットながら減っていく。

 

「流石、《閃光》と誉れ高き、剣捌き。恐れ入ります」

 

 セイドは、アスナの剣を受けながらも、驚いたことに口を利く余裕があるようだ。

 まあ、言葉が切れ切れなのは、動きながらなので仕方ないとして。

 

「これは、直接対戦して、みなくては、分からないレベルの、強さですね。分かった時には、負けているのが、普通でしょうが」

「く!」

 

 アスナはさらに怒涛の攻撃を放つも、やはりセイドは顔色1つ変えない。

 

「初撃決着の、はずですが、いやはや、このまま、私のHPが、半減するまで、続けるのも、悪くない」

 

 そんなセイドの言葉に、アスナの動きが止まった。

 

「……あなた、遊んでるの?!」

 

 アスナは怒りで顔を赤く染め上げていた。

 

「いえいえ、まさか。そんな余裕はありませんよ。反撃する間もなく攻撃されていて、受けるのに手いっぱいです」

 

 そんなアスナをよそに、セイドは両手を軽く挙げて首を横に振って答える。

 その表情には、未だ笑顔が浮かんでいる。

 

「なんでそんな余裕なのよ!」

「そうですか? これでも一杯一杯なんですけどね?」

「っ……!」

 

 そんなセイドの態度に業を煮やしたのか、再びのアスナの猛攻が始まるが。

 

 しかし、セイドは変わらず柔らかい笑顔のまま、その攻撃を回避、あるいは受け流し続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 初撃決着のデュエルとしては異例ともいえる10分が経過し、ついにアスナとセイドの勝負がついた。

 

 結果だけを見れば、アスナの完全勝利だ。

 

 ただし、全ての攻撃を回避または受け流され、《受け流し(パリィ)》の際に削れていったHPがついに半分に達した、という幕切れだった。

 

「ふぅ。お疲れ様でした。いやいや、流石《閃光》のアスナさん。お見事でした。完敗です」

 

 息を乱すこともなくセイドは笑顔でアスナに語りかけたが。

 

「……それは……皮肉かしら……」

 

 アスナの方は、10分近く全力で剣を振るい続け、息を荒くしている。

 

「いえいえ、本音ですよ」

 

 そう答えたセイドは、視線をアスナの後ろに控えていた男共に向け、深く頭を下げた。

 

「KoBの皆さんにも失礼をいたしました。申し訳ございませんでした。もしお望みとあれば、直接デュエルをお受けしますよ?」

 

 セイドの謝罪とともに提示されたデュエル案に、しかし男共は互いに視線を交わすだけで、誰も受けようとせず、申し込もうとしなかった。

 

 それはそうだろう。

 KoB、いや、SAOで屈指の――知られている限りでは最速を誇るであろう《閃光》のアスナの攻撃を物怖じせず、10分間受けきったような相手に、勝てると思う方がどうかしている。

 

 彼らが動かないと見て取って、セイドはアスナに向きなおした。

 

「では、アスナさん、用件はお済ということでよろしいですか?」

 

 この時のセイドは、いつもの柔和な笑みを浮かべていた。

 

「……この決着は……また今度つけさせてもらいます」

 

 アスナはセイドを見ることなく、細剣を鞘に収め、セイドに背を向けた。

 

「次の攻略戦が決まり次第、連絡しますので、その時はよろしくお願いします」

 

 肩越しにそう言い放つと、アスナは団員たちの元へと歩いてゆく。

 

「ご連絡、お待ちしております」

 

 セイドはアスナの背に向けて慇懃に一礼をした。

 

 アスナは憤慨しながらも、何か納得したように素直に帰って行った。

 

 

 



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第七幕・後の祭り

天神みたら氏様、感想ありがとうございます!


 

 

「いやぁ……さっすが《閃光》って呼ばれるだけはあったねぇ」

【セイドさん、だいじょぶですか?】

 

 私とアスナさんのデュエルを離れてみていた2人は、私の元に歩み寄り、それぞれの感想を述べた。

 

「あれほどの剣の使い手は、そうはいないでしょうね。大丈夫ですよログさん。ご心配おかけして申し訳ありません。それと、アスナさんと挨拶する機会を作ってあげられませんでした。申し訳ない」

【きにしないでください、またこんどごあいさつします】

 

 私の言葉に対して、ログさんは笑顔でそう返してくれた。

 本当なら、もっと穏便に事を収められれば良かったのだが、やはり思ったように事は運ばないものだ。

 

「でもさぁ、セイド。なんで攻撃しなかったの?」

 

 ごく自然に、アロマさんがそんなことを言ってきた。

 

 やはり、アロマさんの興味は、基本的に戦闘に関するところに向けられる傾向にあるようだ。

 

「攻撃が速すぎて、手を出す暇がありませんでした」

「……嘘だ。わざと負けたでしょ」

 

 そう言ったアロマさんは、またあのぎらぎらとしたジト目で、私を睨んでいた。

 

「……何を根拠に」

 

 しかし、この目を相手に視線を逸らすと負ける気がするので、必死に睨み返す。

 

「挑発して、デュエルを誘発させて、相手の実力を測りつつ、自分の実力を相手に感じ取らせて、話をまとめるためだよね?」

「そんなことができるほど、余裕はありませんでしたよ」

 

「え~っ? できる自信があったんでしょ?」

「そんな自信ありませんよ。相手は、かの有名な《閃光》殿ですよ?」

 

「その割には、言ってたよね? HPが半減するまで続けるのも悪くない、って」

 

 なかなかどうして、鋭い。

 

 何故その鋭さを他の場面でも生かせないのか、とても不思議だ。

 

「……私が手を出せないのなら、結果として、そうなるしかないと、考えただけです」

「う・そ・だ! セイドなら受け流し(パリィ)に合わせて反撃する隙を作ることもできたはずだよ」

 

 アロマさんの戦闘に関する観察眼は、私を凌駕するかもしれない。

 

 しかし、残念ながら、今回に限っては、私はそんなに嘘をついてはいない。

 

「……あの《閃光》殿の攻撃を、そんなことをする余裕があると思ったんですか?」

「私には絶対無理だけど、セイドならできると思った」

 

 呆れ半分、驚き半分の返答だった。

 

 私の隠しているスキルの性能は、アロマさんにもすでに教えてある。

 

「……買い被り過ぎです。私はそこまで強くありませんよ」

 

 だから、できることとできないことの差異は、アロマさんなら分かるはずだ。

 

「……ふ~ん……ま、そういうことにしといてあげるよ!」

 

 と、アロマさんは不意に引き下がった。

 彼女としては珍しい態度だ。

 

「とりあえず、話はまとまったんだし。一件落着でしょ。さっさと2人と合流して、ご飯にしよ~よ!」

 

 ニマッと笑うアロマさんに拭いきれぬ不安を感じながらも、私は頭の片隅で考え直す。

 

(いや、もしかして、深く考える必要もないか? 空腹なだけかもしれない……)

 

 食欲旺盛なアロマさんのことだ。

 深い考えなどなく、お腹が空いたから話を切り上げたということも、ありえないとは言い切れない。

 

 非常にアロマさんらしいともいえる。

 

「……そうですね。ログさんもご一緒にいかがですか?」

 

 まあ、考えても仕方ない、と心中で結論付け、私はログさんにも声をかける。

 

【ぜひごいっしょしたいです】

 

 しかし、ログさんは。

 

【けど、さきにかいだしをすませてきます】

 

 との返答だった。

 

「おっと、そういえばそうでしたね。では、私もご一緒しましょうか?」

 

【いえ、だいじょぶです】

【にもつをもつわけでもないですから】

【さきにやどやにむかっててください】

 

 と、何やら少し慌て気味にテキストを打ち込んでいた。

 

 1回1回頑張って打っているのだが、変換をする間を惜しんで発言してしまうため、少々読みづらい。

 

(まあ、そこは慣れるしかないので、今はこれで良しとしておくべきでしょう)

 

「良いって良いって、私たちも付き合うよ!」

 

 私が答える前にアロマさんがもうひと押ししてしまう。

 

【いえ、ほんとにだいじょぶですから】

 

 しかし、ログさんの性格から考えると、珍しいだろうと思うほど、頑なに拒まれた。

 

(あ、なるほど……これは迂闊でした)

 

 何故ログさんが、私たちに先に宿屋に向かって欲しいと言ったのか、今になってやっとその理由に見当がついた。

 

「アロマさん、先に宿屋に戻りましょう。ログさんにはログさんの都合もあるんですから」

 

 その理由に思い至らないであろうアロマさんを、とりあえずこの場から引き離す必要があるだろう。

 

「ええ~! 買い物くらい一緒に行っても良いじゃん!」

「ダメです」

 

 私はアロマさんの手を取って宿屋に向かって歩き出した。

 

「では、ログさん、先に宿屋に行ってますね。用事が済んでからでいいので、慌てずに来てください」

【はい】

 

 ログさんはペコリとお辞儀をして、宿屋とは反対の方へと駆けて行った。

 

 

 

「ちょっと、セイド? 何で一緒に行っちゃダメなの?」

 

 アロマさんは、手を引かれながら不服そうに、そう尋ねてきた。

 

「おそらく、宿屋とは真逆の方向にある店に買い出しに行く予定だったのでしょう。ログさんの性格からすれば、そこに付き合せるのは気が引けるでしょうからね」

「え~! そんなの気にしなくて良いのに! もっと色々話もしたかったしさ~!」

 

 口を尖らせながらも、仕方ないなぁと、どうにか納得した様子のアロマさんを横目で見ながら、私は心中で呟いた。

 

(……多分、それが2つ目の理由ですよ)

 

 私はアロマさんの発言に、ログさんが同行を拒んだもう1つの理由があると読んだ。

 

 ログさんは、まだテキストチャットを覚えたばかりで、1回の会話に時間がかかってしまう。

 ログさんのことなので、テキスト会話をするのが面倒だ、などとは思ってはいないだろうが、テキストを不慣れな状態で打ち続けるのは、なかなか疲れる作業だ。

 

 それに、アロマさんは歩きながらでもログさんにあれやこれやと質問を繰り返したり、話題を投げかけたりしてしまう。

 

 それに答えるログさんの身になれば、なかなか大変だったことだろう。

 

 歩きながら、しかも不慣れなホロキーボードを使って会話をするというのは、下手をしなくても、普通に転ぶ。

 慣れていても、ホロキーボードで足元が見えない状態になれば、転ぶ危険性は増えるのだから。

 

 故に、ログさんは、会話に時間をかけてしまう今の状況を申し訳なく思っており、さらに、慣れないテキスト会話を続けていたので疲れており、少し1人になりたかったのではないか、と私は推測したのだ。

 

(それを直接言わないのも、ログさんの良さ、というところですね)

 

 これがアロマさんなら、間違いなく『疲れた、1人になりたいから先に行ってて』的なことを、何も考えずに言ってしまうだろう。

 

 良くも悪くも、アロマさんというのはそんな人間だ。

 

「……セイド、今、何かとっても失礼なこと考えてなかった?」

「何の事だか分かりません」

 

 手を引かれたまま、アロマさんはジト目で私を見ていた。

 

 恐るべし、アロマ眼。

 こういうときばかり、人の心中を察するとは。

 

 

 

 

 

 

 

「んで? KoBの副団長にして閃光と誉れ高き女帝と、デュエルした感想はどうだったよ?」

 

 宿屋の食堂に到着すると、そこではすでにマーチとルイさんが席を確保して待っていた。

 

 宿屋に着くや否や、アロマさんが、私とアスナさんのデュエルの顛末を事細かにマーチとルイさんに話し始めたものだから、私は黙って座ってお茶を飲むしかできなかった。

 

「まったくさ! セイドは相手が美人だと甘いんだよ! 勝てるはずなのに手も出さないとかさ!」

 

 と、一気に話し終えたところで、何故か1人で腹を立てている様子のアロマさんは置いておくとして、アロマさんの話を聞き終えたマーチの始めの一言がそれだった。

 

「速さも正確さも、驚異的なものでしたね。《剣技(ソードスキル)》に至っては剣先が見えず、まさにライトエフェクトのみが目に映ると言っても過言ではないと思います」

 

「閃光の名に恥じぬ実力か……ってか、速いのって細剣(レイピア)の《剣技》だからとかじゃねーの?」

「速いのは剣だけではありませんよ。アスナさんの動きそのものが速いです。あれは、この先もっと磨きがかかるでしょうね」

 

 私がアスナさんを褒めたところで、アロマさんが何故か不満そうにしながらも、マーチの疑問に答えてくれた。

 

「それとねー。細剣だから速いってことじゃないよ。私もちょっとだけ使ったことあるけど、あんなに速く攻撃できたことは無かったし」

「そりゃ、単にアロマが筋力バカだっただけじゃね?」

 

 身も蓋もないマーチの台詞に、アロマさんは盛大に膨れた。

 

「ぶぅ! 敏捷値にも振ってますぅ! 筋力優位なのは認めるけどさぁ!」

 

 アスナさんのように敏捷値をあげて手数で押すタイプの武器ではなく、筋力値によって1撃の威力を重視する大型武器を好むアロマさんでは、細剣の本領は発揮できないだろう。

 それは仕方がないことだ。

 

「まあまあ……なんにせよ、アスナさんの《閃光》の名は、細剣の《剣技》を指しているだけではなく、彼女だからこそ付けられた称号、だと言えるでしょうね」

 

 マーチにバカにされて膨れたアロマさんは、運ばれてきた料理をガッツガッツと頬張りはじめ、それをまたマーチが呆れ顔で眺めながら、マーチは視線だけ私に戻し、話を続ける。

 

「ま、デュエルの結果は良いとして。DoRとしてボス戦に参加せずに済みそうなのは何よりだ。今後も気を付けてくれよ? リーダー」

 

 マーチが私のことを《リーダー》と呼ぶ場合は、大抵嫌味だ。

 

「……分かりました、私が悪かったですよ。そう睨まないで下さい」

 

 私が項垂れながらそう答えると、マーチはニヤリと笑ってワインのグラスを呷る。

 

「でもさ~、セイちゃん」

 

 と、ここまで黙って聞いていたルイさんが、手にしていたコーヒーカップをソーサーに戻しながらこんな事を聞いてきた。

 

「ほんとに勝てなかったの~?」

「ほうほう! あやひほほえひひあひ!」

 

 ルイさんの言葉に、アロマさんが、パンを口いっぱいに頬張ったまま何か言ったのだが、全く聞き取れない。

 

「ロマたん、飲み込まないと何言ってるか分かんないよ~」

 

 そんなアロマさんに、水を注いだグラスを差し出したルイさんも、アロマさんのあまりの様子に、笑い半分呆れ半分といった表情をしていた。

 

「ング、ング、ング……プハァー! あんがとルイルイ! あ、そうそう、私もそれ聞きたい、って言ったの」

 

 本当に勝てなかったのか、と問われれば、微妙なラインだと思う。

 

「う~ん……本当に厳しかったのは事実ですよ。ただ、まあ……勝てないとは言いません」

「あ! やっぱり勝てたのにわざと負けたんだ! 何でよ何でよ! 私とやるときはいっつも負けてくれもしないのに!」

 

 アロマさんが、予想通りの反応をする。

 おそらくそういう事を言いだすだろうと思って、先ほどは、はぐらかしたのだ。

 

「アロマに負けるほどの理由がねえからだろ。それに、セイドだってアスナに負ける理由が無けりゃ負けようとはしねえよ」

 

 マーチは事情を察してくれていた。

 アスナさんとのデュエルで重要だったのは、私が勝つことではなかった、と。

 

「あの場では、あれがベストだと判断したんですよ。ともあれ、これで目的は達成。いやはや……今後は自分の動きにも注意しないとなりませんね……下手に目をつけられるのは、もうコリゴリです」

 

 私はこれで話を終えたつもりだった。

 

 だが、意外なことに――

 

「つまりさ~、セイちゃんは、勝てるとも言い切れないってことなんだよね~?」

 

 ルイさんがまだ話に喰らい付いていた。

 

「あ、ええ、まあ、そういう事になりますね」

 

 そう答えた私に。

 

「ふ~ん……それってさ~、セイちゃんの《あのスキル》を使ってても~、ってことだよね~? 今日も使ってたんでしょ~?」

 

 ルイさんは、普段話題に出さないように気を付けていることを、あっさりと口にした。

 

「ちょ! ルイさん?!」

 

 そのことにもかなり驚かされたが、事ここに至って、私はルイさんが何を気にしているのか、やっと悟った。

 

「ほへー。ルイルイも、そういう話することあるんだね」

 

 ルイさんは、私のエクストラスキルをもってしても、アスナさんの攻撃を見切れなかったのかと、気にしているのだ。

 

「だって気になるでしょ~? セイちゃんの《あのスキル》があれば~、誰が相手でも~、そう苦労せずに勝てるはずなのにさ~」

「ルイさん! そういう話は、しないようにしてください! 誰かに聞かれたらどうするんですか!?」

 

 語気は荒げてしまったが、声を押さえながらにすることには、かろうじて成功した。

 私が大声で騒いだら元も子もない。

 

「セイちゃんなら、誰かいれば分かるでしょ~? 大丈夫だよ~、この食堂、他に人もいないし~」

 

 それはそうだが、そういう問題ではないと叫びたかった。

 

「ってか、珍しいよな? ルイがそんなこと気にするなんて」

「ん~、私だって気にするよ~? セイちゃんの実力を知ってるからこそね~」

 

 何気ない動作でコーヒーを1口飲むルイさんだが、その視線は、私に向けられ続けていた。

 

「ま、確かに……セイド。アスナの実力は、お前でも本当に勝てないレベルか?」

 

 マーチまでこの話に加わってきたのでは、無理矢理打ち切るというわけにもいかなくなってしまった。

 

「……はぁ……難しい、としか言いようがないですね……先ほどのデュエルがアスナさんの全力だとは言い切れませんし……もし仮に、あれが全力であるとしても、五分五分……いえ、一瞬の差でどちらに転ぶか分かりません」

 

 私は隠すことなく、本音をさらけ出した。

 これは、本当ならあまり言いたくはなかったのだ。

 

「スキル差をもってしても五分……大した娘だな……」

「……あれ? ってことは、セイドって、アスナより弱いってこと?」

 

 マーチの台詞を受けて、アロマさんが痛いところを突いてきた。

 

「……そう……なりますね……こればかりは、スキル云々ではなく、実力の差で……」

 

 この事実を口にするのは悔しいので、話を逸らしたかったのだが。

 

(……ルイさん、恨みますよ……)

 

 エクストラスキルを持つ者と持たぬ者がデュエルをしたのに拮抗する、ということは、エクストラスキルを持っていない者の実力の方が上だという証拠だ。

 

 相手が如何に有名で、且つ、二つ名を持つとはいえ、年下の女の子相手に負けている、というのは、1男子としては情けない事実だったし、少なくとも、口には出したくない事柄ではあった。

 

(……くだらない見栄ですかねぇ……私より強い年下の女子なんて、他にもたくさんいるんでしょうから……)

 

 そう結論付け、ため息とともに項垂(うなだ)れるしかなかった。

 

 そんな私の様子など、気にしたふうもなく。

 

「えー! それじゃ、もしアスナが本気でデュエルで話し付けに来たら、誰も勝てないってことじゃん!」

 

 と、アロマさんは半ば愕然とした様子で騒いでいた。

 私はそんなアロマさんの台詞に、落ち着いて言葉を返した。

 

「あ~いえ。もしも、という仮定の話ですが、アスナさんとデュエルするのであれば、私よりマーチの方が良いでしょうね」

「は⁈ 俺か⁈」

 

 ここで自分に話が振られるとは思っていなかったのか、マーチは鳩が豆鉄砲でも喰らったかのような顔をしていた。

 

「攻撃速度で言えば、アスナさんのそれはマーチには及びません。初撃決着であれ、半減決着であれ、マーチの攻撃の方が、確実にアスナさんの攻撃より先に彼女に届くはずです」

 

 私の言葉に、マーチは何やら思案気な顔を見せた。

 

「あー……ってかそれ、俺も《奥の手》使って、って条件でだろ? やっぱフェアに勝負したら、俺らじゃ《閃光》には勝てねえって話だよなぁ」

「何言ってるんですか。スキルに依存しなくても、マーチの《本気》ならアスナさんの攻撃速度を超えてますよ」

 

 マーチの実力は、スキルに関係することなく、私たちの中でもかなり飛び抜けたものだ。

 マーチの《本気》を初見で防ぐことができる者はいないだろう。

 

「……ああ、あれか……初撃決着なら、まだ可能性はあるが、な。半減決着になると、多分1撃じゃ足りんだろ? となると、2発目以降は、避けられるか防がれる気がするなぁ……」

 

 しかし、そのマーチをして、回避されてしまうかも知れないと思わせるアスナさんの実力には、底知れぬものを感じずにはいられない。

 

「マーチんでもか~。アスナんって凄いんだねぇ~」

「ん? んん? マーチの本気って何? ねえねえナニナニ⁈」

 

 ここで、アロマさんが妙なところに反応した。

 

「ああ……そういえば、アロマさんはマーチの《奥の手》は知っているのに、《本気》は知らないんでしたっけ。それはそれで、ある意味おかしなものですね」

 

 思い返してみると、アロマさんはマーチが本気の技を繰り出す機会に、居合わせることが無かった。

 マーチの《奥の手》に関しては、ギルドとして関わってきたので良く知っているというのに。

 

「ハハハ! 確かに! ま、簡単に言やぁ、システム外スキルだ。機会がありゃ見せてやるよ」

 

 百聞は一見に如かず、というが、マーチの本気が見れるのは、一体何時になることやら。

 

 私は人知れず、肩をすくめてしまった。

 

「ぶぅ! その様子だと、まだ他にも、私の知らない3人だけの秘密とかあるんでしょ! ズルいズルい!」

 

 マーチの態度に、アロマさんは再び頬を膨らませていた。

 

「付き合ってきてる時間が違うぜ、アロマよ。お前はセイドの秘密を知ってるだけでも満足しとくべきじゃねえのか?」

 

 ――この時、私はマーチの発言を止めるべきだったのだが、咄嗟の発言であったし、何より《彼女》に気付くのが遅かった。

 

「あ!……マーチ……」

「ん?」

 

 私の呻いた言葉にマーチが訝しげな表情を返したところで――

 

【セイドさんのひみつってなんですか?】

 

 買い出しを終えて、合流したログさんが、そんな発言をしていた。

 

 

 




作業中に居眠りしてました(-_-;)
一応見直しましたが、変なところがあったらご指摘願います(;一_一)


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第八幕・《警報》

お読みいただけている皆々様に感謝します m(_ _)m

先ほど確認しましたところ、被お気に入り件数が370件となっておりました!
感激です! ありがとうございます!
また、ユーザー登録して下さっている方々もおられ、さらに見えないところでも読まれている方がおられると思うと、書いてみて良かったと思っております(>_<)

今後とも、DoRメンバーたちの話を楽しんでいただければ幸いです m(_ _)m


 

 

「……良かったのか? あの子にまでバラしちまって?」

「元はと言えば、マーチが口を滑らせたからでしょう……」

 

 私とマーチは、テーブルの隅でワイングラスを片手に、和気藹々と話に花を咲かせている女性陣を眺めながら、そんなことをぼやいていた。

 

 今、ログさんのHPバーには私達DoRのギルドタグ――海賊旗に描くような可愛らしい感じのドクロマークを天地逆転させたもの――が付いている。

 

「ログさんもギルドの一員となったわけですし、それに、アロマさんだけでなく、ルイさんもログさんのことを気に入ったようですから、良いのではないかと」

 

 私はワインを1口飲み、ログさんも知るところとなった、私が直隠(ひたかく)しにしているスキルのことを考えながら、女性陣を眺め続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 ギルドメンバーには教えてあるが、私は、あるエクストラスキルを獲得することに成功し、しかしその情報を公開していない。

 

 情報屋プレイヤーによって作られ、現在も更新され続けているガイドブックやスキル名鑑などを何度となく確認しているのだが、今のところ、このエクストラスキルは載っていなかった。

 

 スキルの出現条件などが特殊なものも多いSAOの中でも、1人しか持ちえないエクストラスキル、いわゆる《ユニークスキル》と呼ばれるスキルは、確かに存在する。

 KoB団長にして伝説の男が持つ《神聖剣》というスキルが、それだと言われている。

 

 しかし、私の持つこのスキルがユニークスキルなのかと問われれば、否と言えるだろう。

 ユニークスキルとして有名な《神聖剣》ですら、その存在が確認されたのは50層からで、その存在を広く知らしめたのも50層のボス攻略戦でのことだ。

 

 だが、私の持つエクストラスキルは、もっと早い段階からスキルスロットに存在していたし、何より《神聖剣》のようにチートじみたスキルではない。

 

 想像通りなら、条件が厳しく、他のプレイヤーが条件をクリアできていないだけだろう。

 そして、以前アロマさんが見抜いたエクストラスキルが、それだ。

 

 

 そのスキル――スキル名を《警報(アラート)》という。

 

 

 このスキルの性能を簡単に言えば、自身およびパーティーメンバーへ迫る危険を教えてくれる、というようなものだ。

 

 このスキルの効果をマーチとルイさん、さらにはアロマさんにも分かりやすく説明するために、私は犯罪者(オレンジ)プレイヤーを例に出した。

 

 犯罪者プレイヤーの多くは《隠蔽(ハイディング)》スキルを鍛えているし、不意打ちに用いられる非金属防具専用スキル《忍び足(スニーキング)》を覚えていることも多い。

 通常、こちらの《索敵(サーチング)》のスキル熟練度が、相手の《隠蔽》スキルのそれと同等か、もしくはそれ以上でなければ、《隠蔽》によって隠れた相手を見つけるのは不可能となってしまう。

 

 だが、この《警報》というスキル。

 相手が如何に《隠蔽》スキルマスターであろうと《忍び足》スキルマスターであろうと、それが犯罪者プレイヤーであるのなら関係なしに知らせてくるのだ。

 

 正確には、《犯罪者(オレンジ)カラーのプレイヤーがいたら知らせる》という条件を設定した場合の性能だが、まさか《隠蔽》スキルを無視して知らせてくれるとは、初めてその効果を知った時には大いに驚いた。

 

 だが、ここで疑問が1つ出た。

 

 ならば、何故これほどに便利なスキルが、誰にも発見されていないのか。

 

 このことに疑問を持ったのはマーチだった。

 

 私はその理由を、《隠蔽》スキルを1度も習得していないことが絶対条件なのではないかと思い至り、《警報》習得後、わざと《隠蔽》を空きスロットに入れようとしたことがある。

 すると、【スキル《警報》が消滅しますが宜しいですか?】という確認文が出たことで、確信を得た。

 

 それともう1つ。

 

 ある2種類のスキルを一定値まで鍛えなければ出現しないのではないかと、あたりを付けている。

 

 こちらに関しては確認の取りようがないが、私の推測では、その2種類とは、《索敵(サーチング)》と《聞き耳(ワイアタピング)》のスキルだ。

 

 《索敵》に関しては習得しているプレイヤーも多く、特にソロプレイヤーにとっては必須ともいえるスキルだ。

 だが、ソロプレイヤーは同時に《隠蔽》も習得してしまうので、結果的に《警報》にはたどり着けない。

 

 そして、重要且つとてもマイナーなのが、もう1つの《聞き耳》だ。

 ある意味、このスキルも《警報》が発見されない原因の1つだろう。

 

 何故なら、このスキルを上げているような一般プレイヤーは非常に少ないからだ。

 《聞き耳》を好むのは、犯罪者(オレンジ)や、それに組する準犯罪者(グリーン)プレイヤーがほとんどだと言われている。

 

 《聞き耳》は、スキル熟練度を上げていくと、防音機構によって遮断されている宿屋の個室や、プレイヤーホーム内での会話を外から聞くことができるという使い方ができる。

 これによって、犯罪者(オレンジ)プレイヤーの仲間が、宿屋内で明日の予定を立てているパーティーの会話を盗聴し、その行動先に待ち伏せする、ということができてしまう。

 

 故に、《聞き耳》を習得するようなプレイヤーは、一般的に嫌われる。

 

 しかし、私はこの《聞き耳》を習得することに躊躇いは無かったし、鍛えるための努力も怠らなかった。

 

 何も、壁に張り付いて他人の会話を盗聴しなければ鍛えられないわけではないし、このスキルの本当の使い道は別にあると思ったからだ。

 

 自分の《索敵》で発見できない、高レベルの《隠蔽》能力を持つモンスターが居たとして、しかしそのモンスターには《忍び足》が無いのならば、足音や鳴き声などが聞こえるはずだ、と考え、それを察知するために、私は《聞き耳》を習得してみたのだ。

 

 結果としては、正解だった。

 

 一部の高レベルプレイヤーたちは、《聞き耳》と似たような、システムにスキルとして用意されたものではない――システム外スキルと言われている――《聴音》と呼ばれる技術を身に付けている。

 そちらも、環境音からモンスターやプレイヤーの発するSE(サウンドエフェクト)を切り分けて、動きや位置を音で把握する、といった、私が《聞き耳》に求めたものと同じ効果を発揮している。

 

 《聴音》の話を知ったのは《警報》を身に付けた後なので、何故《聞き耳》が流行らないのか、その時に初めて理解した。

 

 《聞き耳》も充分に便利なスキルだと思うのだが、現状ではやはり、悪用が目立つため避けられる傾向が強い。

 また《索敵》があれば無用となる場合が多い――《索敵》無効というような敵の存在が現段階では確認されていない――ため、やはりマイナーなスキルという感じは拭えない。

 

(何事も、使い手の心がけ1つだと思うんですがね)

 

 

 

 閑話休題。

 

 

 

 エクストラスキル《警報(アラート)》を身に付けたことで、私の――いや、私たちの狩りは劇的に変化した。

 

 出現当初は、知らせてくれる警報内容は5つまでしか設定できなかったが、現状では10個まで設定できるようになっている。

 

 セットしている内容の1つは、絶対に外すつもりがない《犯罪者(オレンジ)プレイヤーの察知》で決まりだ。

 

 そして。

 

 他は、《警報》最大の利点とも言えるだろう《攻撃予測系》がほとんどだ。

 

 相手の《攻撃軌道予測》や《攻撃速度予測》《攻撃効果範囲予測》などを知覚情報として知ることができ、スキルが上がると、その攻撃による《ダメージ予測》すら分かるようになった。

 

 これはつまり、相手の連撃《剣技》やモンスターのブレス攻撃などの範囲攻撃も、攻撃される位置、効果が継続する位置、位置によるダメージ発生量の差異などをも把握できるということだ。

 

 

 問題は、あくまでも予測できるだけで、その攻撃自体に反応・対応するのは自分自身の実力という点と、予測であって確定ではないので、実際にそこを攻撃されるとは限らないという点だ。

 

 前者に関しては自分の実力を磨くしかないが、後者は、対人戦以外ではあまり気にならない。

 

 対モンスター戦に関して言えば、システム上のAIが動かしている以上、同じシステム上のスキルである《警報》の予測はほぼ確実だ。

 

 しかし、システム上のAIと違って、プレイヤーの攻撃に関しては如何にスキルであっても予測するだけで、それが確実だとは言えない。

 特に《剣技(ソードスキル)》以外の攻撃はシステムに規定されていないので、予測はほぼ役に立たないとすらいえる。

 

 《警報》で対人戦に勝てるのは、相手がシステムに用意されている《剣技》を主体に戦ってくる場合に限られるのだ。

 

 また、他にも《警報》の内容は、状況によって組み合わせを変えている。

 ソロの時は《罠》《状態異常効果》《モンスターのポップ》などを知らせるという具合だ。

 

 《警報》は《索敵》同様、鍛えにくいスキルで、戦闘中はほぼ常に使用され続けているにもかかわらず、未だマスターには届いていない。

 

 

 

 アスナさんと行った先ほどのデュエルでは、初撃こそ予測線によって完全に回避できたものの、その後の猛ラッシュは、《剣技》と通常攻撃が入り混じったため、回避しきれずパリィに徹するしかなかったのだ。

 

 これはもう、自分の研鑚不足を嘆くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――あの後。

 マーチが口走った内容を聞いていたログさんだが、私が1度話を濁すとそれ以上は聞いて来なかった。

 

 ホッと一安心したところで、不意にアロマさんが、意気揚々とログさんをギルドに勧誘し始めたのだ。

 

 通常、職人クラスのプレイヤーは、それぞれの専門職に応じた職人ギルドに所属しているプレイヤーがほとんどだ。

 もし所属していなくても、間接的に職人ギルドに関わっていくため、個別にギルドに入っているプレイヤーは少ないと聞く。

 

【おきもちはうれしいのですが】

 

 というログさんの文を途中で遮って。

 

「良いじゃん良いじゃん! 私ログたんと一緒に居たいし!」

 

 と、アロマさんはログさんに迫るばかりだった。

 

 案の定、ログさんは困った表情で何と打ったものかと悩んでいるようだった。

 

「アロマさん、ログさんを困らせてはダメですよ」

「えー? 困らせてなんかないよ? 一緒に居たいって思っただけだもん!」

「……だから、それが困らせているというのでは……」

 

 アロマさんを止めようと声を掛けると。

 

「セイちゃんセイちゃん、私もログっちをギルドに誘って欲しい~!」

 

 ここでも、意外なことにルイさんがアロマさんに同意した。

 

 これには、私もマーチも本気で驚いた。

 

「ル、ルイ?! お前今日はどうしちまったんだ?! アロマに毒されたか!?」

「マ~ァ~チィ~! それはど~いう意味かなぁ?!」

 

 マーチの言葉に睨みを効かせたアロマさんは放置して、ルイさんに事の詳細を尋ねると。

 

「だってぇ~! こんなに可愛い子、手放すのは惜しいんだもん!」

 

 という……私にもマーチにも、その心理は理解しかねる発言だった。

 

(……ヌイグルミ感覚、ですか?)

 

 私は思わず額に手を当てて唸ってしまった。

 

 アロマさんとルイさんに挟まれて、逃げ場のないログさんはアワアワと両手を宙に泳がせている。

 

 見たところ、ログさんにはギルドタグが無く、何処かに所属しているわけではない。

 ならば、確かにDoRに勧誘するのは、ありなのだろう。

 

 私は少し思案して、ログさんに言葉を投げかけた。

 

「……ログさん、アロマさんもルイさんもこう言っています。貴女さえ良ければ、私たちのギルドに入ってみませんか?」

「ぉぉ! さっすがセイド! そうこなきゃ!」

 

 大声を上げたアロマさんに抱きしめられながら、ログさんが、目を丸くして私を見つめていることが分かった。

 

 まさか私まで勧誘してくるとは、思っていなかったのだろう。

 

「とはいえ、ログさんはすでにお店を構えていますから、常に一緒に行動しようということではありません。お店の時間が空いたときにでも、ギルドホームに遊びに来て下されば、それだけでもみんな喜びます」

「うん! 喜ぶ喜ぶ! ログたん来てくれたら嬉しい!」

 

 アロマさんは、ログさんを抱きしめながら、激しく肯定した。

 

「今日のように、何か必要な素材があれば、素材集めのお手伝いもできます」

「そうだね~。協力するよ~♪ 1人で集めるより楽しく~、い~っぱい集められるし~♪」

 

 ルイさんも賛成しながら、ログさんの頭を、満面の笑みを浮かべながら撫でていた。

 

 普段の大人しいルイさんからは想像もつかないほどのテンションの上がりっぷりに、後ろでマーチが何やらため息を吐いていた。

 

「何より、この人たちは、叩いても壊れないし、簡単には死にません。とても丈夫です」

「そうそう、100人乗っても大丈夫! って、セイド! 何言わせるのよ!」

「アロマさんが勝手に言ったんじゃないですか……」

 

 ボケツッコみを1人で演じたアロマさんは置いといて、私はログさんにギルドへの招待メッセージを送った。

 

「私たちのギルドは『生き残ること』を目的に結成されています。どんなことがあっても、全員でこのゲームから生還します。ログさんが、その仲間となって下されば、とても心強いです。もちろん、決断はログさんに任せます」

 

 ここまで話したとき、ログさんはとても驚いた表情をしていた。

 

 そしてその後に、凄く複雑な表情を浮かべた。

 

 迷い、驚き、喜び、楽しみ、そして――悲哀。

 

 そんな表情を一瞬浮かべてから、ログさんはギルドへの招待を快く受け入れてくれた。

 

 

 



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第九幕・大樹の行方

天神みたら氏様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

さらにお読み下さっている方々に感謝をこめて!
お気に入り登録数が380を超えてました(T_T)
ありがとうございます(>_<)


今後もお付き合いいただければ幸いです!m(_ _)m


 

 

「……しっかしまぁ……あんなに盛り上がるとは思わなんだな……」

 

 女性陣3名は――主に騒いでるのはアロマさんとルイさんだが――あれやこれやと尽きぬ話を続けている。

 ログさんは、良くも悪くも、2人にとって《妹キャラ》として定着してしまったようで、先ほどからなんやかんやと世話を焼かれ続けている。

 

 そして。

 

 私の《警報(アラート)》のことをバラしたのは、意外なことに、ルイさんだった。

 

 詳しい説明はしていないようだが、私がエクストラスキルを持っているというような話をしていたのが聞こえた。

 ログさんも、その話は軽く受け入れて深く追求はしてこなかったので、あまり重要事項としては記憶に留められていないかもしれない。

 

 まったくもって不用心な話だが、運よく、そのタイミングでは、この宿屋周辺にはプレイヤー反応がほとんどなかった。

 それに、《警報》で《《聞き耳》を使用しているプレイヤー》を知らせるようにセットしておいたので、聞かれている可能性もまずないだろう。

 

 そんなことを考えながらマーチと私で2本目のワインボトルの栓を開けた辺りで、徐々にこの宿屋にも他のプレイヤーがやってきて食事を取り始めた。

 

 そのほとんどが、KoBの騎士団服を着ていた。

 流石KoB本拠地の町だ。

 

 私たちのように流れのプレイヤーが、この町で夕食を取ること自体珍しいだろう。

 若干もの珍しそうに見られることはあったが、入り口でアスナさんと一緒に居たプレイヤーたちは見かけなかったので一安心だ。

 

 とはいえ、本当なら、すぐにでもここを出たいところだったが、ログさんを含めた3人の女性陣は、延々と会話に花を咲かせている。

 どうにも、帰るとは言い辛い空気だ。

 

「ルイも、妹ができることに憧れてたのかねぇ?」

 

 そんな女性陣の会話風景を眺めていたマーチが、おもむろにそんなことを言った。

 

「どうでしょう。その辺りは分かりかねますが、ログさんが妹のように感じられるというのは、分かる気がしますよ。可愛いですからね」

「……あれ? お前ってロリコン趣味だっt――ッ⁉」

 

 私の言葉に、下らない茶々を入れてきたマーチの顔面に裏拳を叩き込んでおいて、私はグラスに残っていたワインを飲みほした。

 

「……っ!……くぅぅ……ジョークの通じねえ奴だな……」

 

 鼻を押さえながらそう呻くマーチだが、放置。

 

「……ていうか…………お前、どうしてログをギルドに誘った?」

 

 今の私とマーチのやり取りにすら気が付かなかったことで、女性陣3名がこちらに全く意識を向けていないのを確認したらしいマーチは、一瞬前までと違って、至極真面目な表情で、声を抑えて私に聞いてきた。

 

 このメンバーの中で、おそらく今回の『ログさん勧誘騒動』を、1番冷静に見ていたであろうマーチだからこそ、疑問に思ったのだろう。

 

「どうして、とは?」

「アロマやルイが誘ってたのを、お前は1度やめさせようとしてたはずだ。だがお前は、その後、少し逡巡しただけでログを誘った」

 

 ワイングラスを片手で弄びながら、マーチは確信を持って話を進めている。

 

「ログについて、何か知ってるのか?」

 

 グラスに入っているワインを飲むのではなく、グルグルとグラスの中で回しながら私に疑問をぶつけてきた。

 

「何も知りませんよ。推測ならしましたが」

「……推測……なぁ……ま、暇つぶし代わりに話してもらおうか。この距離なら、あの3人にも、他の連中にも聞こえねーだろ」

 

 女性陣が離れた位置で盛り上がっているために、珍しくルイさんと絡めないマーチは、暇を持て余していたようで、ワイングラスをテーブルに置き、私に向き直りながらそんなことを言ってきた。

 

「……それは構いませんが……事実とはかけ離れてるかもしれませんよ?」

「ん」

 

 そんな私の台詞に対して、マーチは私のグラスにワインを注いだ。

 暗に、早く話せと催促しているのだ。

 

「……どうも……良いですか? あくまでも推測ですよ?」

 

 私はもう一度、念を押してから話を始めた。

 

「ログさんには、少なくとも、2人以上の《師匠》というような存在が居たと思われます」

「2人以上?」

 

 マーチの確認に、私は首肯する。

 

「ログさんは《木工》をかなりの高さで修めているはずです。しかし、私たちと出会った場所で彼女が集めていた素材は――」

「ああ、そっか。《裁縫》で使う素材だったな。だから2人以上か」

 

 マーチの応答に、私は頷いて応えた。

 

 ログさんが《木工》を修めていると判断したのは、出会った時のログさんの武器が《両手斧》だったからだ。

 その辺りは、マーチなら言わなくても理解したようだ。

 

「《木工》と《裁縫》で、もし仮に1人のプレイヤーが両方を教えたのだとしても、戦闘方法や戦闘に関する知識を教えたプレイヤーと、職人クラスとしての《木工》と《裁縫》の技術を教えたプレイヤー。それが単一人物だとは考えにくかったので」

「そういやぁジョッシュも、戦闘に関しちゃ素人みたいなもんだったしなぁ……なるほど」

 

 デスゲームのはじまった次の日に出会った、マーチのβ時代からのフレンドである職人プレイヤーの名を上げて、マーチは納得したようだ。

 

「それに、彼女は店を持っています。彼女1人の稼ぎで買える額だとは到底思えません。つまり、彼女は過去に、数人の仲間とともにギルドに加入していて、店を構えるに至ったと考えるのが妥当でしょう」

 

 と、私がここまで言うと。

 

「だが――何かあり、今はソロになっている、と」

 

 マーチにも、おおよその話は見えたようだ。

 声音が若干暗いものになった。

 

「……何があったと思う?」

 

 マーチはこちらを見ず、ログさんに視線を向けて、そう尋ねてきた。

 

「……メンバーがログさんを見捨てたという可能性も……あり得ないとは言い切れませんが――違うでしょうね。それならログさんが店を続けているとは思えない」

「だよなぁ……となりゃ……」

 

 マーチも私と同じ結論を出しているのだろう。

 

 ――つまり。

 

 

「ログさんの元ギルドメンバーは、PKされた、と考えるべきかと」

 

 

 そこまで言い切ったところで私はグラスを呷った。

 マーチも同じようにグラスを呷っていた。

 

 やはり、如何に推測とはいえ、気持ちのいい話ではないのは確かだ。

 

「……職人クラスのプレイヤーが、素材集めなどで外に出る機会を狙ってPKする《職人狩り》……確かに、ちと前に流行ったな」

 

 マーチは苦虫を噛み潰したかのような表情でそう呻いた。

 

 

 

 

 

 

 職人クラスのプレイヤーは、多数のアイテムを抱えていることが多い。

 特に、武器や防具、それらを作成するための各種素材だ。

 

 運よくプレイヤーがそれらを抱えていれば、PKすることで大量のアイテムを手に入れられる。

 

 そう考えた犯罪者(オレンジ)――いや、この場合は殺人者(レッド)プレイヤーたちは、大手の職人ギルドに所属していない職人プレイヤーに目星をつけて、彼らをPKするという凶行に及んだ。

 

 手口は単純。

 職人プレイヤーが素材収集のために、ダンジョンなどの圏外に出たところで攻撃を仕掛けるだけだ。

 

 多くの職人プレイヤーは、職人用のスキルや商人用のスキルなどでスロットが埋まっていて、戦闘――特にPKに対抗し得るほどのスキルを所持しているプレイヤーはほとんどいなかった。

 レベル自体はアイテム作製によって上がってはいたものの、戦闘に関しては攻略組とは比べるべくもない彼らが、殺人者プレイヤーに抗し得るはずもなく。

 

 そんなことがあり、一時期、職人クラスのプレイヤーたちは、自力での素材収集を一切できなくなるほどに圏内に引きこもらざるを得ない状況に陥った。

 だが、それとほぼ時を同じくして、殺人者たちも、この《職人狩り》のメリットの少なさに気付いた。

 

 PKによるドロップアイテムは、基本的に所持しているアイテムだけしか落とさない。

 だが、職人クラスのプレイヤーたちは、作製したほぼすべて武器や防具を《倉庫》に入れている場合がほとんどだ。

 そうなると、例えPKしたとしても、そのプレイヤーの倉庫内のアイテムは手に入らないため、実りが無いのだ。

 

 さらに、中層以上攻略組以下といったボリュームゾーンのプレイヤーたちによって、職人保護を目的とした護衛パーティーも出てきたことで、殺人者たちも易々とは襲えなくなった。

 こういった背景から、一時増えた職人狩りも、今ではすっかり下火になっている。

 

 だが、忘れてはいけない。

 

 その被害に遭ったプレイヤーの仲間たちにしてみれば、このことは今でも大きな傷なのだということを。

 

 ログさんが、ソロプレイに走ったことも、極端に人を避ける言動も、仲間を失った経験が基となっているのではないだろうか。

 

 仲間を作らなければ、仲間を失う悲しみも繰り返さない、と。

 

 

 

 

 

 

 ――そんなことに思いをはせていると、隣でマーチが何やらメッセージを打っていた。

 

「マーチ? 何をしているんですか?」

「流石に、気になったんでな。ジョッシュとアルゴに、ログのことを知らないか聞いてみる」

 

 マーチのその言葉に、私は思わず唖然とした。

 

「……無用な詮索は控えて下さい……それに、これはただの推測だと言ったはずです」

 

 そう諫めた私に対して、マーチは即座に反論してきた。

 

「無用じゃねえだろ。ログはもう俺らの仲間だ。心配して何が悪い」

 

 マーチの瞳は、静かながら怒りが満ちていた。

 推測だと言ったのに、確信に近いものを持っているようだ。

 だからこそ、今の推測の裏を取りたいのだろう。

 

(まったく……こういうところは相変わらずですね……)

 

 私は仕方なく、マーチのしたいようにさせることにした。

 

 マーチがメッセージを飛ばして少しすると、思ったより早く返事がきたようだ。

 

「ジョッシュから返信だ――ログのこと、知ってると」

「っ!」

 

 願わくば、知らぬと返事が来てくれれば良かったのだが、しかし、職人ギルドの創設者であるジョッシュさんが知っているとなれば、相応に事情も判明してしまうだろう。

 

「……なんなら、お前は聞かなくても良いぞ?」

 

 マーチはメッセージを開く前に私にそう言ってきた。

 

 他者の過去の詮索は、決して褒められたことではない。

 だからマーチも、私にそのことを踏まえて尋ねてきたのだろう。

 

 だが、大きな傷を抱えているかも知れない人に対して、そのことを何も知らずにいるのは、それだけで無用に相手を傷付ける可能性もある。

 

「……いいえ。ギルドマスターとして、今後の彼女への対応を誤るわけにはいきません。聞かせて下さい」

 

 ならば、聞いておくべきだ。

 ギルドを預かる立場の人間として、守秘義務の責任を負って。

 

 私の顔を数秒眺めてから、マーチは頷いてメッセージを開き、内容を読み始めた。

 

「……職人狩りの被害に遭ってるだろう……だと」

 

 私の推測は、残念なことに、とても残念なことに、裏切られなかった。

 

 マーチは一瞬の間を開けて続きを口にした。

 

「……職人狩りが流行ったころから、ログの所属していたギルドメンバーと連絡が取れなくなったらしい。ログは当時、殆ど外に出なかったから無事だったんじゃないかと、ジョッシュは当たりを付けたみたいだな」

 

 そう言われ、ログさんを見やる。

 そこにいるのは、まだまだあどけなさが満載の少女、そのものだ。

 

「……ログさんは良くて中学生、下手をすれば小学生でしょうし……それに何より、あの性格ですからね……メンバーにいたとしても、戦闘に参加させようとは思わないでしょうね」

 

 マーチも同じようにログさんに視線を移していた。

 

「だな……ああ、んで、当時所属してたギルド名は《ユグドラシル》……って、マジか?! あの嬢ちゃん、《ユグドラシル》のメンバーかよ!」

 

 マーチはギルド名が出たところで驚いていたようだった。

 

「有名なギルドなんですか?」

 

 聞き覚えのない名前に、私は首を傾げて尋ねると。

 

「知らねえのかよ?!」

 

 マーチは本気で驚いた顔をしていた。

 《ユグドラシル》という名のギルドを知らなかった私に、マーチは呆れたように説明を始めた。

 

「有名も有名。最大手の職人ギルド《クラワカ》とは別に立ち上げられたギルドで、少人数でありながら、作製できぬものは無いと謳われた、当時の職人たちの先頭を行っていたギルドだ。通称じゃ《大樹》って呼ばれてた。俺の刀も、その頃のは大樹産だったんだぜ?」

 

 声が大きくなるのを辛うじて抑えたマーチは、ドヤ顔をしていたが、私は最後の一言が気になった。

 

「そんなに有名なギルドだったんですか……それで、マーチ? 一体、どうやってそんなギルドの刀を手に入れたんですか?」

「ん? あ~……いや……」

 

 有名ということは、そのギルドの作ったものは相応の値がしたはずだ。

 だが、私たちの経済状況は今も昔も、そう良くは無い。

 

「有名ギルドの物と、手に入れた時に自慢しなかったということは、高かったんですよね? それも、ギルドに負担がかかる程度には」

 

 答えを渋るマーチを睨み続けていると、観念したようにマーチがため息を吐いた。

 

「……本当は《クラワカ》っつうか、ジョッシュに刀を頼んでおいたんだがな。あいつが持ってきたのが、大樹産だったんだよ」

 

 このマーチの言葉には、少なからず驚いた。

 

 職人ギルド《総合職人組合(クラフトワーカーズ)》――略して《クラワカ》――のリーダーを務めるジョッシュさんは、彼自身が鍛冶職人として、SAOで真っ先に鍛冶スキルをマスターしたプレイヤーとして有名だ。

 その彼が、自分で作ったものではなく、他のギルドの物を持ってきたという。

 

「ジョッシュが『自分の作ったものより良い物だ』って、置いてった。金は分割で払ったし、かなり安くしてくれたんで、ギルドに迷惑はかけてねえぞ……」

 

 マーチはなんとなく不貞腐れたような顔をして、私から視線を逸らしながらそう答えた。

 この際、過ぎたことは不問に付すとして。

 

(ジョッシュさんは何故、自作の物ではなく大樹産の刀を手に入れていたのだろう?)

 

 新たな疑問が頭の中で渦を巻き始めるが。

 

「まあ、それは良いだろ? 今はログの話だ」

 

 マーチはわざとらしく咳払いをして話を戻した。

 

「……その通りですね。まあ、今回は見逃しましょう」

 

 私がそう答えると、マーチが小さく安堵の息を漏らしたのを、私は聞き逃さなかった。

 

「当時じゃ《クラワカ》以上に名の知られた《大樹》だが、ある時期を境に、パタリとその名を聞かなくなったんだ」

「……その時期というのが《職人狩り》の流行った頃なんですね?」

 

 私の言葉に、マーチは首肯する。

 

「……《大樹》は、職人ギルドとして名が知られていたと同時に、メンバーが5人という少なさでも有名だったからな」

 

 マーチのため息交じりのその言葉で、私はある種の納得を得た。

 

「……なるほど……有名で且つ少人数だったからこそ、狙われた、と……」

 

 有名な職人ギルドなら、所持している武具は価値の高いものだと目をつけられるだろう。

 そして、ショップを営んでいればギルドメンバーの人数も顔も、あらかじめ把握することができる。

 PKの対象とするにはうってつけだっただろう。

 

「……時期からすると、職人狩りの最初の犠牲者が《大樹》だったのかもしれねえな……ジョッシュも、《ユグドラシル雑貨店》が開かれなくなってから、職人狩りが流行り出したのを知ったらしい」

「……そう……ですか……」

 

 私もマーチも、思わず拳を握りしめていた。

 

「……ジョッシュも慌てて《生命の碑》を確認して……そこで初めて……ギルドリーダーの《アンダ》を含めた……4人の死亡を確認したらしい」

「――っ!」

 

 その話を聞いて、私は胸が苦しくなった。

 ギルドメンバーをPKされたログさんの心中は、どんなものだったのだろうか。

 

「当時のメンバーは、ログを含めて5人……つまり、ログ以外の全員が被害に遭ってることになるな……」

「……そうですね……」

 

 過去の話とはいえ、犯罪者プレイヤーの暴挙には、怒りが込み上げてくる。

 

 叶う事ならば、その日、その時、その場に居合わせ、《大樹》のメンバーを助けたい。

 だがそれは、叶わぬ願いだ。

 

 私とマーチは静かに静かに、怒りを呼吸に乗せて吐き出した。

 

 今現在のログさんは、仲間を失った悲しみも、怒りも、恐怖も、何とか乗り越えたように見える。

 

 だからこそ、今日、あのダンジョンで出会えたのだ。

 なら、彼女が自らこの話をするまでは、心に留めるだけにしておかねばならない。

 

(ログさんは、強いですね……私がログさんの立場だったら……どうなっているんでしょう……)

 

 体験することが無いよう、常に注意を怠ってはいないが、もしもの場合を、やはり考えてしまう。

 故に。

 

(私たちは、必ず生きて脱出する。そのために、力を身に付けたのだから)

 

 楽天的に生きるつもりはない。

 

 常に死の危険を考え、回避することに最善を尽くすのみ。

 

 それが私の――私達《逆位置の死神》の決意だ。

 

 

 



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第十幕・仲間

お気に入り件数が400を超えておりました(>_<)
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 そんなことを考えていると、マーチが不意に手を動かした。

 

「ん。アルゴからも返事がきたな」

 

 情報屋《鼠のアルゴ》さんなら、おそらく、私たちがジョッシュさんから得た情報は網羅していることだろう。

 

「……ってかあんにゃろ! 情報料の請求書まで一緒に付けてやがる!」

「……ハハ……流石アルゴさん、抜け目ないですね……」

「ったく……あいつ今度シメテやる……」

 

 アルゴさんの抜け目のなさにマーチが顔をしかめながらメッセージを読み進めていく。

 

「ここまではジョッシュの内容とほぼ同じだな……んで、こっからは、今現在のログの情報か……どうやらログは、一部のプレイヤーの間で《万能職人(オールラウンダー)》と呼ばれてるらしいな」

「《万能職人》?」

 

 聞いたことのない通り名だった。

 

「噂で、1人で生産系スキルをほぼ全て覚えてるんじゃないかと言われている小柄な職人がいる、というものが流れてるらしい。それがログの事じゃないかと、アルゴは当たりを付けていたみたいだな」

 

 その言葉を聞いて、私は本気で驚いた。

 

「す!? 全ての生産系スキル?!」

 

 《木工》と《裁縫》までは予測していたが、それは流石に予想外だ。

 

 通常、職人クラスのプレイヤーは何か一つを極めて、その店を出し、前線を支えるというプレイスタイルを取ることが多い。

 だが、ログさんの噂が本当なら、彼女は、そのスタイルから大きく逸脱していることになる。

 

「噂だ……って書いてあるが……アルゴが確認した範囲で《鍛冶》《裁縫》《皮革》《錬金》《木工》《骨工》の6種類のアイテムに、ログの銘が入っているらしいな。それも最前線で使われているものから、第1層の日常品という多岐に渡って確認が取れたとよ」

「んな!? マイナーなはずの《骨工》まで?!」

 

 《骨工》――骨系素材から装備やアイテムを生産するスキルなのだが、金属系武具に比べると、どうしても耐久値で劣る骨系素材の武具は、SAOにおいて、金属武具が手に入らない場合の代用品というイメージが強い。

 本当は、腐食系攻撃を無効化できたり、全体的に軽いため要求筋力値が低いといったメリットもあるのだが、デメリットとして、耐久値が金属系武具の半分程度しかない場合がほとんどだ。

 その為、メインで使用しているプレイヤーはごく少数だと聞いている。

 結果、売り上げとしては伸びないため、職人クラスでも《骨工》を上げるプレイヤーは少ない。

 

「ま、そんだけ確認されてりゃ、ほぼ全種類作れると言っても過言じゃねえ……ってか……なあセイド……この話をまとめると……ログのスキル構成、凄いことになってねえか?」

 

 マーチは先ほどまでの話をしていた時とは打って変わって、微妙な笑顔を引きつらせていた。

 マーチの言ったことを、まさしく今、私も考えていた所だった。

 

「……おそらく、その6種類を本当に覚えているとすれば……鍛冶などで使う《戦鎚》、木工などで使う《両手斧》、商売上必須となる《鑑定》が入って合計、9種類……この構成で狩りに行く気なら……もう1つ……《武器防御》があるかないかでしょうか……」

「……だが……その時点で10種類……ログのレベル……80越えてることになるぞ?」

 

 私とマーチはお互いに見合って、自分たちの推測に顔を引きつらせるしかなかった。

 

 ゲーム開始当初のスキルスロットは2つ。

 その後、レベルが10上がるごとに1つずつ追加されるのだが、ログさんのようにスキルを10種類持てるようになるのは、このルールに従えばレベル80到達時ということになる。

 だが。

 

(そんなまさか……あり得ない)

 

 これは、そう思わざるを得ない推測なのだ。

 

「……何をどうしたのか……恐ろしい事ですが……仮に《武器防御》が無いとしても……レベルが70は超えていることに……」

 

 職人プレイヤーは、道具の作製によって経験値を得ることができる。

 よって、レベルだけなら決してボリュームゾーンのプレイヤーにも引けを取らない。

 だが、現在の最前線で戦い続けている攻略組プレイヤーでさえ、レベル70に達している者は、そう多くないはずだ。

 

 50層のボス攻略戦の時、ソロプレイヤーとして色々な意味でも、有名になっているキリトさんと話す機会があったのだが、その彼ですらレベル70を少し超えた位だった。

 その頃のキリトさんの噂は耳に入っていたが、延々と狩場に籠り続けていた彼ですらそのレベルだ。

 

 現段階でレベル80を超えているプレイヤーなんて想像もつかない。

 

「……何か特殊な効果のある装備があるのでしょうか……」

 

 故に、私の推測は、ログさんの装備品という結論に至る。

 

「特殊? たとえばどんな?」

「スキルスロット増加、生産系スキルの習熟速度アップ、作製経験値量増加……簡単に思いつくとしたらこの辺りですかね……」

 

 そんな装備品が存在するなど聞いたこともないが、あり得ない話ではないだろう。

 

「……なぁる……だがま、その辺りの詮索は、それこそマナー違反だしな」

「ええ。こればかりは、推測だけにしておくしかありません」

 

 私もマーチも、これ以上の推測は止めた。

 

 ログさんのことを知るためだけの話から、随分と多くの推測を重ね、確たる情報が手に入ってしまったが。

 彼女の過去の一端を知ることができたのは、良しとするべきだろう。

 下手に踏み入れば、彼女をさらに傷付けることになる話だった。

 

「ルイには軽く話そうと思うが、どう思う?」

 

 マーチは女性陣の方を見やりながらそう尋ねてきた。

 

「問題ないと思います。ルイさんはその辺りをしっかり思いやれる方ですから」

「あったりめえだ。俺の嫁だぜ?」

 

 ニヤリと笑うマーチを横目で見ながら、ついつい呆れたため息が出てしまうが、それはこの際見逃してもらおう。

 

「問題はアロマさんですね……そういった思いやりができるかどうか……」

「……微妙だな……」

 

 良い意味でも悪い意味でも天然要素の強いアロマさんに、このことを話すべきかどうか、私とマーチはワインを飲みながら話を続けて行った。

 

 そんな中、ふと時間を見やれば、いつの間にか、20時を回っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 夕食後の団欒で、思った以上に時間が経っていたようで、気が付くと外はすっかり暗くなっていた。

 

「さて。そろそろ戻りましょう! すっかり暗くなってしまいましたし」

 

 あたしたちとは離れた位置でお酒を飲んでいたセイドさんが、そう声を上げたところで初めて時間を確認した。

 

【もうこんなじかんだったんですか】

 

 いつの間にやら20時を回っていた。

 

 あたしも、こんなに人と話をしたのは久しぶりだったから、時間が経つのも忘れていた。

 セイドさんの帰るという言葉にアロマさんは随分と不服な様子だった。

 

「えー! まだ帰らなくても良いじゃん! もうここに泊ってこうよ!」

 

 アロマさんの発言は、基本的に本気だというのが短い時間ながら、お2人との話の中で分かったことだ。

 あたしは、流石にそれは困ると思い、テキストを打とうとしたのだけれど。

 

「ログさんの都合も考えて下さい。毎日お店をやっているんですから、そうもいかないでしょう」

 

 ギルドリーダーのセイドさんは、流石にあたしの事情も分かってくれていた。

 とてもありがたい。

 

「じゃあさ~、ログっちのお店に行こうよ~。ログっち送って行きたいし~」

 

 と、これはルイさんだった。

 

「それはもちろん、そのつもりですよ。だから帰りましょう。これ以上遅くなると、ログさんの仕事に支障が出ます」

 

 セイドさんはすでに、あたしたちの近くに歩み寄っていた。

 マーチさんも同様に、セイドさんのすぐ後ろで両手を後頭部で組んで立っていた。

 

「ほれ、ルイ、行くぜ。突発的なことばっかで、嬢ちゃんも疲れてるだろうし、今日は帰って休みたいだろうからな」

 

【すみません、ありがとうございます】

 

 あたしはセイドさんの台詞に対して文を打っていたのだけれど、打ち終える前にマーチさんの台詞が入っていた。

 これだとどちらに言ったことになるのか、微妙に分かり辛い。

 あたしは慌てて、マーチさんの心遣いにも返事を打とうとしたけれど。

 

「良いって良いって。テキスト打つのも大変だろ。気にすんな」

 

 マーチさんは意外にも優しい言葉をかけてくれた。

 

 当初から、言葉遣いが乱暴な感じがあって、苦手意識があったけれど、実際はそんなに粗暴な人では無いようで、安堵の息が漏れてしまった。

 マーチさんに軽く会釈を返したところで。

 

「アロマさんも。ほら。帰りますよ?」

「ブゥ! まだ話し足りないのに!」

 

 と、1番喋っていたはずのアロマさんがまだ駄々をこねていた。

 

(あたしより年上のはずだけど、随分と子供っぽいところがあるなぁ)

 

 絶対本人には言えないけど、そう思わざるを得ない言動がアロマさんにはあった。

 それでも、アロマさんも立ち上がり、みんなで宿屋を出た。

 

 まだまだ冬真っ盛りだ。

 流石に夜風は身にしみた。

 

「さっむいねぇ~……早く転移門までいこ~」

「ほれ、ルイ、コート」

 

 ルイさんが寒さに手を擦り合わせた直後、マーチさんがルイさんに厚手のコートをかけてあげていた。

 

「あ、あんがと~マーチん。あったか~い♪」

 

 ルイさんの表情は、とても幸せそうだった。

 ルイさんとマーチさんが夫婦だというのは聞いていたけど、本当に仲が良いんだなぁ、と目の前のやり取りを見ていてしみじみと思った。

 

「相変わらずラ~ヴラ~ヴですなぁ! 羨ましいー!」

 

 ルイさんとマーチさんのやり取りを、アロマさんが羨ましがっていたかと思うと、何やら思いついたように、ハッと顔をセイドさんに向けた。

 

「セイドー! 私もさっむーい!」

 

 アロマさんが寒さを訴えるように、両手で自分の体を抱きしめてみせた。

 

(セイドさんにコートをかけてもらいたいのかな?)

 

 多分優しいセイドさんのことだから、わざとやってると分かっていても、かけてあげるのだろうと思っていたのだけれど。

 

「ご自分の手持ちにコートがありましたよね。早く羽織った方が良いですよ」

 

 セイドさんの応答は、非常に素っ気ないものだった。

 でも、態度とは裏腹に、セイドさんの表情は笑顔だった。

 分かってて言ってるのだろう。

 

「……ぶぅ……」

 

 アロマさんはそんなセイドさんに不満そうにしていたけれど、結局自分のコートを出して羽織っていた。

 

(なんていうか……面白い人たちだなぁ)

 

 あたしは思わず笑ってしまっていた。

 

 

 

 

 DoRの皆さんは、あたしをお店まで送ってくれた。

 お店の前でアロマさんが、風車付きだといことを実際に目にして、何故かすごく盛り上がっていたことを除けば、その場では特に何もなかった。

 

 あたしはお礼を言って、1人、お店に戻った。

 店内は、NPCの店員が時間で店を閉めてくれているのでお客様もおらず、明かりも消えていて、閉店と同時にNPCも消えている。

 

 静まり返った店内だ。

 

 気が付くと。

 

 

 涙が溢れていた。

 

(……温かかった……まるで、昔に戻ったみたいに……)

 

 

 

 

 

 あたしがかつて所属していたギルド《ユグドラシル》は、今はもうない。

 

 《はじまりの街》で怯えているだけだったあたしを助けてくれた、優しくて、頼もしくて、とても明るくて、まるでお姉さんの様だった《皮革》職人でリーダーの《アンダ》さん。

 

 無口で無愛想だけど、ほんとは優しくて、あたしに戦い方を丁寧に教えてくれた、まるでお兄さんの様だった《木工》職人の《アルゼル》さん。

 

 いつも笑っていて、ギャグやジョークばかり言ってて、でもあんまり面白くなかったけど、ギルドのムードメーカーになってた《骨工》職人の《ベレント》さん。

 

 どことなくつかみどころが無くて、ふんわりした空気を常にまとっていて、どんなお客様にもやんわりと対応して、お客様受けが一番良かった《錬金》職人の《バンプ》さん。

 

 みんな、とてもいい人たちだった。

 みんな、とても親切な人たちだった。

 

 なのに。

 

 ある日突然、居なくなってしまった。

 あたしを残して居なくなってしまった。

 

 どれほど困惑したことだろう。

 どれほど泣き続けていたことだろう。

 

 今になっても分からないけど、それでもあたしは、毎日泣いていた。

 

 寂しくて。

 

 悲しくて。

 

 辛くて。

 

 どうしていいのか分からなくて。

 

 そんなあたしが立ち直れたのは、これもまた、みんなのおかげだった。

 

 

 みんなが居なくなってから、どれ程の時間が過ぎたのか分からないけど。

 ある日、ギルド共通ストレージに、メッセージアイテムがあるというマーカーが、視界の端で光った。

 

 何が起こっているのか分からないけど、驚きと喜びが入り混じった感情で、マーカーをクリックして、ギルド共通ストレージを開くと。

 そこに収められていたのは、《録音結晶》が1つと、見知らぬ結晶アイテムが4つだった。

 

 メッセージは、時限起動予約がされていたらしい録音結晶のものだった。

 あたしが録音結晶を取り出して再生すると。

 そこには、アンダさん、アルゼルさん、ベレントさん、バンプさんからの、あたしに向けたメッセージが込められていた。

 内容は、何時どうなるか分からないこの世界で、あたしだけが残ってしまった場合を考えた、みんなからの遺言めいたものだった。

 

 何でこんなものが用意してあったのかは全く分からないけど。

 

 あたしがそのメッセージに救われたことだけは事実だった。

 

 これからどうしたらいいのか。

 

 どうやって生きていけばいいのか。

 

 何を支えに生きていけばいいのか。

 

 そのすべてを、あたしにくれたのは、《ユグドラシル》のみんなだった。

 

 最後の最後まで、あたしはみんなに助けられてばかりだった。

 

 だから。

 

 みんなのメッセージにあったように、生きると決めた。

 

 絶望したまま生きることはやめた。

 

 みんなから託された思いを背負って、生きてみようと決めた。

 

 

 本当は嫌だったけど、みんなからのメッセージ通りに、当時のギルドショップは売却した。

 そして、ギルドホームだった《ウィシル》の風車付きのホームを、ホーム兼ショップにカスタマイズした。

 そうやってあたしは、みんなから託されたモノを背負って、この世界で生きていくことを選んだんだ。

 

 

 

 

 

 昔のことを思い出して、思わず溢れた涙を拭う。

 

(ごめんなさい、アンダさん。もう泣かないって約束したのに、また泣いちゃいました)

 

 あたしはホーム内の明かりをつけて、今日の売り上げなどを確認した。

 

(ごめんなさい、アルゼルさん。戦闘で怖気づかないって約束したのに、あたしはやっぱり怖がりです)

 

 あたしは、鏡の前で、夜なのに被っていたフードを外した。

 そこには、アロマさんとルイさんに髪をピンで留められて、目元までハッキリと見えるあたしの顔があった。

 

(ごめんなさい、ベレントさん。この性格を直すって約束したのに、全然人見知りが直ってないです)

 

 あたしはみんなから託された4つの結晶を取り出し、それを眺めた。

 

(ごめんなさい、バンプさん。頑張って接客もするって約束したのに、まだ全然、会話がまともにできてないです)

 

 あたしは結晶を仕舞って、明かりを消し、自分のベッドに潜りこんだ。

 そして、これだけは声に出した。

 

「でも、あたし、頑張ります。みんなとの約束だから。みんなが心配してくれていた新しい仲間もできたから。だから、あたし、頑張るよ」

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 あたしはいつも通り起きて、いつも通り村巡りをして、いつも通り店を開けて。

 

 そして、いつもと違う日が始まった。

 

「おっはよーん! ログたーん!」

「ログっち~、おはよ~。朝御飯、まだ食べてない~? よかったら一緒にどうかな~?」

「ログ、喜べ! 今日の朝食、俺の嫁が大いに腕を振るった渾身の出来だぞ!」

「おはようござます、ログさん……マーチ、貴方はまた、つまみ食いしましたね?」

 

 店を開けて少ししたら、アロマさんが飛び込んできて、あたしを全力で抱きしめに来た。

 

 慌てて文章を打とうにも、キーボードが見えないから、まともに言葉に出来なかった。

 

 ルイさんは手に持ったバスケットをテーブルに置いて、中身を取り出して並べて行った。

 

 あたしはアロマさんの腕から解放され、押されるように椅子に座った。

 

 マーチさんはルイさんの自慢をしていたけれど、料理をつまみ食いしたことがセイドさんにばれて、言い訳をしつつ逃げまわっていた。

 

 広くもない店内で追いかけっこをしている2人に思わず笑いつつ、あたしはルイさんとアロマさんに勧められるままに、ルイさん手作りの朝食をいただいた。

 

 セイドさんは、いつの間にかマーチさんを組み伏せて、関節技を決めつつ、あたしの様子を見て優しい笑顔を浮かべていた。

 

 マーチさんは必死に床を叩いていたけど、セイドさんは放すつもりは無いようだった。

 

 

 

 あたしはそんな、いつもと違う朝を、笑顔で楽しく過ごせていた。

 

 

 

 

 

 あたしは、生きるよ。

 みんなに胸を張って言えるように。

 こんなにも優しい、新しい仲間に囲まれて。

 

 

 



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幕間・3
DoRのちょっとした食事風景


不能力者様、感想ありがとうございます!

さらに、お読みいただけている皆様! ありがとうございます!
お気に入り登録数が430件を超えておりました(>_<)

今後もお読みいただけると幸いです! m(_ _)m



 

 

「いやあ、今日の飯もうまかったぞルイ! さすが俺の嫁!」

 

 いつもと言えばいつものように、マーチがルイさんを称賛していた。

 

 1日の狩りを終え、私たちはギルドホームに戻って来ていた。

 狩りで疲れているだろうに、ルイさんはサラダにスープ、主食にはパスタ、メインには肉料理と、手の込んだ料理を夕食にこしらえてくれた。

 

「日ごとに、ルイさんの料理は美味しくなって行きますねぇ」

 

 私も、マーチに続いたわけではないが、ルイさんの料理を称賛した。

 

 NPCのレストランや食堂などで食べることができる食事の多くは、欧州田舎風とでもいうような素朴な味わいの料理だったり、ラーメンモドキやお好み焼きモドキといった、まあ、一言で言うなら物足りない味わいの物がほとんどだ。

 

【ルイさん、凄いです。こんなに美味しい料理、こっちに来てから初めてです】

 

 自身の経営する雑貨店の閉店後にギルドホームに戻ってくるログさんも、ルイさんの料理を食べて満面の笑みを浮かべている。

 

 ルイさんの《料理》スキルは、ゲーム開始から少しした頃からルイさんのスキルスロットを埋めていたこともあり、毎日の料理を経て、もう1歩でマスターするという段階に来ているという。

 

「嬉しいけど~……どうしたの~、3人して~? 私を褒め殺す気~?」

 

 マーチと私、更にはログさんの台詞に、ルイさんは頬を赤く染めながら空いた皿を片付け始めた。

 

「素直な感想だぞ、なあ」

「はい。ホントに美味しいです」

【お店出せるレベルです】

 

 マーチの振りに、私もログさんも素直に答えた。

 特に、ログさんの言葉にはしっかりとした裏付けすらある。

 

 近頃は、料理スキルをマスターしたプレイヤーが営むレストランも僅かながら存在するようになったが、1度食べに行ってガッカリして帰ってきた、というのは記憶に新しい。

 確かに味はNPCショップと比べれば格段に良いのだが、如何せん金額が高すぎたし、何より、ルイさんの作る料理と比べて、1味足りなかったのだ。

 

 良い食材は高いというのはSAOにおいて、全プレイヤーが如何に美味に飢えているかを表す良い目安になっているので、よく分かる。

 それと同時に、スキルがマスターでも、プレイヤーを心から満足させる味は簡単には出せないという良い手本ともなった。

 

 ルイさん曰く――

 

『食材の組み合わせによって、表現される味に違いがありすぎて探求し出したらキリがない。それに馴染みの調味料の味を再現することはまだできていない』

 

 ――ということらしい。

 

 SAOという世界の深さに驚きつつ、茅場晶彦の才能に嫉妬を覚えた。

 これほどリアルな世界を作り、料理1つにしても恐ろしいほどのこだわり様だ。

 全体を通して考えた時、いったいどれ程の情熱を費やせばここまでの世界を作り上げることができるのか、とてもではないが計り知れない。

 

 ルイさんも時間がある時は常に味の研究をしているほどに、料理にハマっている。

 スキルマスターではないというのに、以前食べた料理スキルマスターのプレイヤーが営むレストランの料理より良い味が出ているほどだ。

 

「ルイさん、本当に料理を売りに出すことは考えていないんですか?」

 

 実は少し前にも、ルイさんの料理の腕を知って、ログさんのお店でルイさんの料理も売ったらどうかという話が出たのだが、ルイさんは売るほどの物じゃないと言ってこの案を却下してしまった。

 

「売らないよ~。だって私が料理をしてるのは、マーチんやみんなに食べてもらいたいからだしね~」

 

 と、この調子で毎回断られるのだ。

 

「セイドよぉ。ルイの料理を売りに出したら、後が困るだろ!」

 

 何を馬鹿なことを言っている、とでも言いたげな表情でマーチが私に反論してきた。

 

【困るんですか?】

 

 マーチの発言に反応を返したのは、覚えて間もないはずのテキスト会話に早くも慣れ、変換も素早く行えるようになったログさんだった。

 

「困るんだよログちゃん。ちょっと売りに出した場合を想像してみな?」

 

 マーチはどこか遠いところを見るような目で中空に視線をやる。

 

「ルイの料理を売りに出したら、あっという間に全プレイヤーの話題になって、ルイが俺らのために料理する暇が無くなるかもしれん! そんなことになったら……俺のルイの料理が……俺がルイの料理を……食えなくなるかもしれないんだぞ?! 大事(おおごと)だろう!?」

 

 何やら熱弁しているマーチだが、実際に売りに出したからといって、ルイさんがマーチの分を作らなくなる状況など想像もできない。

 そんなことになるようなら、ルイさんは間違いなく、自分の料理を売ることを即座に止めるだろう。

 

【は、はぁ。そうですね。確かにそれは困りますね】

 

 ログさんは、何とツッコんでいいのか分からないという感じで、とりあえず差し障りのない文章を返すに(とど)まった。

 

「マーチん、バカなこと言ってないで~。ほら~、食後の珈琲運ぶの手伝って~」

「おう、わりい」

 

 そんなやり取りを聞いていたルイさんの半ば呆れた様な呼びかけに答えて、マーチはキッチンに向かって行った。

 

 ちなみに、私・マーチ・ルイさんは、ログさんとアロマさんより先に食事を始めていたので既に食べ終えているが、閉店作業に伴い遅れてきたログさんと、諸事情とやらで遅く帰ってきたアロマさんはまだ食べている途中だ。

 

(しかしまぁ……こうしているのも、不思議なものですね)

 

 マーチはキッチンでルイさんと楽しそうに話しながら片付けを手伝い、珈琲の支度をしているようだ。

 

 今日も、1日が無事に終わり、いつもと変わらず、みんなで楽しく食卓を囲むことができた。

 こうして何か月も衣食住をともにしていると、まるで家族のような気がしてくる。

 ギルドに加入したばかりでありながら、あっという間に私たちに溶け込んだログさんや、もうすっかりギルドの一員として馴染んだアロマさんも、今では立派な家族の一員のように感じられる。

 

 私は視線をアロマさんに向けた。

 はぎゅはぎゅ、と音が聞こえてきそうなくらい良い食べっぷりを披露しているアロマさんは、口の中の物を飲み込んで、3テンポ程も遅れて会話に加わってきた。

 

「ングッ……ほんと! 美味しかったよルイルイ♪ こんな味の分からない朴念仁に食べさせるのがもったいないくらい! あ、ログたんじゃないよ?」

 

 ログさんより後から食べ始めたはずなのに、ログさんより先に食べ終えたアロマさんは、私を見やりながらそんなことを言い放った。

 

「ロマたんは過激に褒めるねぇ~」

「ほんとだもーん!」

 

 ルイさんはアロマさんの台詞に、思わず笑いながら答えていた。

 

「味のわからない朴念仁……私のことですか?」

 

 私もまたアロマさんの毒舌に、思わず笑ってしまった。

 すると、アロマさんは、私に向けていた眼差しを悪戯っ子のようなものに変え、食べ終わったのにもかかわらず、まだ手に持っていたフォークで私を指差した。

 

「セイドなんか、きっと今日のご飯の名前、分からないんだよ! おしゃれご飯だったしね!」

 

 フォークで人を指すんじゃありません、と言おうかとも思ったが、今はそのことは不問にした。

 そのことよりも、アロマさんの台詞にちょっとカチンと来たからだ。

 

「……ほう、言ってくれますね」

 

 指を組み、その上に顎を乗せて、アロマさんにニヤリと笑い返した。

 軽くとはいえ、売られた喧嘩を買わない手は無い。

 それに、食後のちょっとした遊びには、丁度良いだろう。

 

「では、勝負と行きますか? 今日の料理に関してのクイズというような形で」

「ぉ、それ乗った!」

 

 アロマさんは、唇の端についていたソースを一舐めして私の挑発に乗ってきた。

 

「では、今日のメインメニュー、あれは何だと思います?」

 

 ついつい眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、アロマさんに問いかけた。

 

「簡単すぎー! パスタじゃん! セイドはスパゲッティーって言うんでしょ? ぷぷぷ! ヤングはパスタって言うんだよ~」

 

 してやったり、といった顔で、アロマさんが胸を張っている。

 

(……イタリアンをしてのオシャレ料理発言と言い、ヤング発言と言い……アロマさんの台詞は、何故古臭く感じるんでしょうか……)

 

 思わず別のことに意識がいったが、今はアロマさんの自慢げな態度を崩す方が楽しそうだ。

 

「残念、不正解です」

「えーっ?! 何で?! 何が間違ってるっての!?」

 

 私の台詞にアロマさんは不服そうにしている。

 私は再び指を組んで、その上に顎を乗せた態勢で答えてあげた。

 

「パスタ、とは主にデュラム小麦のセモリナ粉を使って作る食品をさします。数あるパスタの中で、最も世界で有名なロングパスタがスパゲッティーニです。日本で最もポピュラーなものでもありますね。ロングパスタは一般にスパゲッティと呼ばれていますが、太さや形で名称が違ってくるのですよ」

 

 私の答えを聞いていたアロマさんは、ぽかんと口を開けてこちらを見ている。

 

「それと、ただ一括りにパスタというのも語弊があります。今日のパスタは、アラビアータというべきですよ」

「…………なんだって?」

 

 私の解説を受けて、アロマさんは一体何を言われたのかというような表情を浮かべていた。

 

 その様子を、マーチはニヤニヤと、ルイさんは苦笑を浮かべて、ログさんは私をまじまじと見つめていた。

 

「アロマ、今日のメニューでその勝負をするのにゃぁ、相手が悪かったなぁ」

 

 マーチはやれやれとでもいうように肩を竦めながらアロマさんにそう告げた。

 

「え、どういうこと?」

 

 アロマさんは、思わずマーチに尋ねていた。

 

「そいつ、イタリアンレストランでバイトしてたんだよ。しかも、バイトのくせに、ウェイターのチーフなんてしてたからな。イタリア料理に関しての知識だけは人並み以上に持ってるぜ」

 

 というマーチの言葉に、アロマさんは目を見開いて、信じられないものを見るというような目で私を見た。

 

「……何故そんな目で私を見るんですか?」

「何それ。絶対嘘」

 

 私の問いかけに、1テンポ遅れてアロマさんがそう呟いた。

 

「……どうしてですか?」

 

 アロマさんに、絶対にありえないというような勢いで言われては、流石に問い返さずにはいられなかった。

 

「似合わないって。絶対似合わない」

「……微妙にひどいですよ、その言い草は」

 

 アロマさんの本気の一言に、一瞬、涙が出そうになった。

 

(……そんなに似合わないようなことは無いはずだ……お客様方からの評判も良かったのだし……)

 

 自分で自分に言い聞かせて、何とか涙を堪えていると。

 

「絶対嘘だ! 化けの皮をはいでやるー!」

 

 しかしアロマさんは、何が何でも信じたくないらしく、更に強調して言葉を被せてきた。

 流石にここまで言われては、涙ぐんでいる場合ではない。

 

 何が何でもこの勝負、負けられないものになっていた。

 

「……どうぞ。アロマさんの思いつくイタリア料理程度なら、説明できると思いますよ」

 

 私は気を取り直して、再び組んだ指に顎を乗せ、不敵な笑みでアロマさんを迎え撃つ。

 

「んじゃぁ……きしめんっぽいパスタ!」

「タリアテッレですね。フェットゥチーネと言われる場合もあります」

 

「そうめんみたいなパスタ!」

「カッペリーニ、ですね。最も細いスパゲッティで、別名《天使の髪の毛》とも呼ばれています。冷製パスタに使用する場合がメジャーです」

 

「まかろに!」

「今度はショートパスタですか。正式名称はマッケローニ、です」

 

「斜めのやつ!」

「ペンネ、ですかね。察するに」

 

「貝殻みたいなの!」

「コンキリエ、コンキリエッテと言われますね。大きさによって名称が変わります。ああ、リボン型のは、ファルファッレですよ」

 

「……先に言われた……」

「他に有名なショートパスタなら、オレキエッテ、リガトーニ、ガルガネッリ辺りがメジャーでしょう」

 

「うううううう! んじゃ、なんか生えてきそうなやつ!」

「……ニョッキ、ですか? とんちじゃないんですから」

「……うううう……」

 

 ここに至ってアロマさんが沈黙した。

 もう他に思いつくパスタが無いらしい。

 

「というかそもそも、正解を知ってましたか? 知らないのに出題していたようならその時点でアロマさんの負けですよ?」

「知ってたもん! フンッ!」

 

 負けを認めたくないのか、未だ何か考えているようだったが、何を言われても答えられそうなレベルだろう。

 それと、イタリア料理という括りで話を始めたのに、パスタに限定されている点は追及しまい。

 

 私の余裕のある態度に、アロマさんは涙目になって此方を睨んでいた。

 

(……まったく、からかいがいがありますね)

 

 思わず微笑んでしまったのだが、アロマさんにはそれも気に入らなかったらしい。

 

「……セイドの馬鹿」

「まぁまぁ、そう怒らないでくださいよ」

 

 一応フォローを入れたつもりだが、アロマさんは、プンとそっぽを向いてしまった。

 

(やれやれ……)

 

 仕方ないなと思いながらも、ちょっと大人気(おとなげ)なかったかもしれないと、今更ながら反省した。

 仕方ないので、話を逸らすことにした。

 

「そうだ。ここから生還したら、いつかみんなでイタリア料理を食べに行きましょう」

「お、それいいな」

 

 本来なら、リアルの話題はタブーなのだが、元々その辺りを気にしないマーチは、乗り気でこの話題に加わってきた。

 

「マーチとなら、夜にエノテカ・バールも良いですね。アンティパストにパンチェッタかスモークサーモンのカルパッチョ、合わせてビーノといきましょう」

「いいね、うまそうだ!」

 

 私がそう言うと。

 

「……バールって何?」

【バールってなんですか?】

 

 と、これに関しては、アロマさんだけではなく、ログさんも話題についてきていなかった。

 

「バールとは、イタリアのバー兼カフェといった感じのお店です。本場イタリアなら、コンビニ感覚でどこにでもあるというくらいメジャーなお店ですよ」

 

 私の説明を聞いて、アロマさんはさらに不貞腐れたように頬を膨らませ、ログさんはフンフンと何度も頷いていた。

 

(聞かれたからお答えしたのに……何故膨らむんですか……?)

「私は連れてってくれないの~?」

 

 何時の間にやら、片付け終えたルイさんが、マーチと一緒に珈琲を運んできて、席に着きながら会話に入ってきた。

 

「ルイさんも一緒なら、バスティチェリアかジェラテリアのバールか……ああ、ログさんも一緒に、ジェラートの美味しいトラットリアというのもいいですね。リストランテは、私たちの財布的には厳しいですから」

 

 私の言葉に、ログさんは表情をキラキラさせながら文字を打ち。

 

【ジェラート、食べたいです】

 

 と、文にしていた。

 

「パンナコッタも好きだよ~♪」

 

 ルイさんはルイさんで、甘い物つながりでそう答えたところで、それにマーチが反応した。

 

「いいねぇ、ルイとバールはまだいったことねーし、今度行こうぜ!」

「ん、楽しみにしてるよ~、マーチん♪」

 

 マーチとルイさんが2人の世界に突入しそうなので、2人は放置して、私はアロマさんに視線を移すと、アロマさんはますます不貞腐れたように横を向いていた。

 思わず笑ってしまった。

 

「ふふ。アロマさんとは、リストランテ・バールがいいですね。バールの中でもしっかり食事のできるところですから、空豆の冷たいズッパ、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノにビーノ、リゾットなんかもいいですよ」

 

 食に関しては人一倍好奇心旺盛なアロマさんは、流石にこの話にひかれたようで。

 

「……セイドの奢りなら、行っても良い」

 

 ちゃっかり私に奢らせる算段を取り付けていた。

 

「……仕方ありません、出しましょう」

 

 まあ、そのくらいなら……とは思うのだが……アロマさんの食欲がリアルでも同じだと考えると、背筋に冷たいものが走るのは否めない。

 そんな私の表情を読み取ったのか、ちらりとこちらを見て、アロマさんはまたプンとそっぽを向いてしまった。

 

 ――口の端に、にやりと笑みを浮かべながら。

 

 

 

 

 

「ところで、アロマは何に詳しいんだ?」

 

 マーチとルイさんが、2人の世界から帰ってくると、マーチは不意にアロマさんにそんなことを聞いた。

 

 ルイさんが、食事を終えたログさんと一緒に、キッチンに片付けに行ってしまったことも手伝って、間を持て余したのだろう。

 

「ん~? 別に何にも詳しくないよ。強いて言えば……おばあちゃんの知恵袋みたいなのなら多少知ってる、かな?」

 

 非常に答え辛いマーチの質問に、しかしアロマさんは意外な答えを返してきた。

 

「へぇ、どんなのだ?」

 

 私も、更にはキッチンに居たルイさんとログさんも、アロマさんが知っているという知恵袋には興味が沸いたようで、一旦手を止めてアロマさんに視線を注いでいた。

 

「ん~……熨斗(のし)の種類とか?」

 

『……え?』

 

 これには、私、マーチ、ルイさん、ログさんの4人の台詞が見事にハモった。

 あのログさんすら、声が出ていたくらいの驚きだ。

 

「えっとね~……まず、紅白10本の結び切は、寿、お祝い、内祝いで。5本の結び切は、快気祝い、お見舞いで、お見舞いの場合は熨斗なしね。次に紅白蝶結びは、粗品、寸志(すんし)、お礼、記念品、内祝い、お中元、お餞別、ご挨拶、お見舞い、お年賀、お歳暮。白黒だと、志、御香典、御仏前、御霊前、お礼で、これも熨斗なし。黄白も熨斗なしで、志、粗供養、お礼、満中陰志(まんちゅういんし)、御仏前、御霊前。とか、ザッといえば、こんなもんかな?」

 

 アロマさんが一気にまくしたてた内容に――

 

「ってか、おま……スゲエ……」

「ロマたん、それ凄いよ~?」

【アロマさん、物知りです。そんなの初めて聞きました。全然分かりません】

「アロマさん、その知識は充分に誇れます。これからも大切にしてください」

 

 ――今度は、こちらが口を開ける番だった。

 

 私達4人が、揃って頷いてアロマさんを褒めると、アロマさんはよく分からないというように首を傾げていた。

 

 

 



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第三章・相思
第一幕・募る困惑


お気に入り登録件数がついに、460件突破しました(T_T)
これほど大勢の方々に気に入って頂けるとは……想像もしていませんでした(>_<)


第三章の開始となりますが、投稿頻度が少し落ちると思います(;一_一)
それでもよろしければ、お楽しみいただけると幸いです m(_ _)m


 

 

 ギルドホームのリビングで、私はルイさんの手による昼食をテーブルに並べていたのだが。

 

 マーチは手伝う様子も無く、椅子に座ったまま脚を延々と揺すっていた。

 

「……マーチ……落ち着いて下さい……せめて、その貧乏揺すりは止めて下さい」

 

 昼食をあらかたテーブルに並べ終えたところで、マーチにそう言うと、マーチは揺すっていた膝に手を叩き付けるようにして揺するのを止めた。

 

 その表情は、非常に険しい。

 

 こんなやり取りも、今日で5日目だ。

 私はため息を吐いて、玄関の横にある窓からカーテン越しに外を見やる。

 

 そこには、金属鎧を身に纏い、両手槍を装備したグレーの髪の男性が、ギルドホームの門前に立っているのが見える。

 

 カーテン越しなので、外からこちらは見えないようになっている。

 視線をテーブルに戻すと、マーチが必死に膝を抑えているが、貧乏揺すりは完全には止まっていなかった。

 

 最近、マーチはイライラしている。

 とてもイライラしている。

 理由は単純明快。

 

 ルイさんにストーカーができたからだ。

 

 ストーカーの男――今もギルドホームの外にいる男の名は《ヴィシャス》という。

 レベル的には私達と大差ない攻略組のプレイヤーの1人であり、大手攻略ギルド《聖竜連合》の一員だ。

 

 これが厄介なストーカーで、コソコソとか、ネチネチというタイプではなく、清々しく正々堂々とストーカーしてくるという……ストーカーという単語が間違っている気もしないではないが、そういうタイプの男だった。

 

「まいったねぇ~……今日で1週間だよ~……」

「……くっそ! あの野郎! 何度言っても聞きやしねぇ!」

 

 ルイさんは苦笑いなどではなく、本当に困った顔をし、マーチは両手で頭を掻き毟った。

 

 ヴィシャスさんは、何故かルイさんがマーチと結婚しているというのを知っていた。

 しかし、それを承知の上でルイさんのストーカーしているのだから、質が悪い。

 

 これが通常のMMORPGならGM(ゲームマスター)コールをして解決なのだが、生憎とSAOにおいて、GMは存在しない。

 ハラスメント行為に対するコード発動には、一定の直接的条件が必要になるため、こういったストーカー被害は、実は多く存在する。

 

 プレイヤーによる治安維持活動を行っているSAO最大ギルド《アインクラッド解放軍》――通称《軍》の人間に相談すれば、相応の対価とともに当該プレイヤーを一時監獄行きにすることも可能とはなっている。

 だが、最近の軍の活動は悪質化――要求される金額が不当に高いなど――していることもあり、また、今現在ではそこまでの被害があるとも言い切れないので、それは本当に最後の手段だ。

 

 ――もっとも、マーチはすでに軍の知り合いと話をしたこともあるようだが。

 

「……マーチ、確かシンカーさんと話をしたんでしたっけ?」

 

 私はマーチにそう尋ねながら席に着いた。

 ルイさんもマーチの隣に腰を下ろす。

 

 シンカーさんとは、マーチの知り合いでもあり、軍の最高責任者であり、ギルドマスターである。

 いきなり軍の総責任者に話をするというあたりが凄い。

 

「……ああ……けど、今の状況だけじゃ監獄送りにするわけにもいかねぇって言われた」

 

 半ば諦めた様子でマーチがぼやくように答えた。

 

 シンカーさんは、悪質になりつつある軍の体制を何とかしようと毎日頭を痛めているようだが、1人の人間の手には余る大きさにまで肥大化してしまった巨大ギルドは、彼1人ではどうにもできない状態になっている。

 それに、聞いた話では、サブリーダー的な人物が率先して《徴税》と称したカツアゲをしているらしい。

 内部分裂も、ここまで来ると末期状態も近いだろう。

 

 ともあれ、シンカーさんに直接話ができるマーチなら、不当な額を払わされる心配はないのだろうが、シンカーさんの性格からすると――

 

「ほふゅふぇふゅふぇふぃふぁふぃふぁふぃふぁあはふほんははいほんふぇ」

「……アロマ。何言ってっか分からんから、口に入れた肉を飲み込んでから言え……」

 

 マーチの言葉に、アロマさんが何か言ったのだが……今日の昼食に用意した《レイジング・シープの肉》のステーキを口いっぱいに頬張っていて、何を言っていたのか全く分からなかった。

 

 いただきますの言葉すら言う前に、メインのステーキを頬張っていることは、この際見逃すとして、普段なら笑ってしまうようなアロマさんの行動も、今のマーチにしてみれば、イライラの要因にしかならないようで、マーチはとても剣呑な目つきでアロマさんを睨んでいた。

 

「――んっぐ! だからね。直接的な被害があるわけじゃないもんね、って言ったの」

「……俺的にはもう、充分すぎるくらい被害があるけどなっ!」

 

 ――そう、直接的な被害が、何もないのだ。

 

 ルイさんは、毎日毎日ヴィシャスさんにしつこく声を掛けられているが、それだけだ。

 抱き着かれたり、無理矢理手を握られたり、何度も何度もフレンド登録要請のメッセージが送られてきたりという、コード発動に必要な接触が一切ない。

 

「マーチん、おちついて~」

「くぅぅぅぅぅぅぅっ! あいつ、マジうぜええぇぇぇぇぇえ!!」

 

 呻いたマーチは再び両手で自分の頭をガシガシと掻き毟った。

 そういった事情もあり、まあ、マーチのイライラする気持ちも分からなくもない。

 

 マーチにしてみれば、『奥さんにちょっかいを出す不届き者』が、毎日近くにいるというのに対処のしようがないなのだから、その心中は計り知れない。

 更に。

 

「だああ! くそっ! また拒否られた!」

「……マーチ……またデュエル申請したんですか……」

 

 これも、ここ毎日のやり取りとなりつつあった。

 

「こりないねぇ。あの人、マーチとデュエルする気ないんでしょ?」

「だからって、何もせずにいられるかっ!」

 

 マーチは何度もヴィシャスさんにデュエル申請をしているが、ヴィシャスさんはデュエルを受ける気が全く無いのだ。

 

 曰く、マーチと戦う理由は無い、らしい。

 

「……マーチ、程々にして下さいね。それでマーチがハラスメント行為で監獄に送られても困るので」

「くぁぁぁぁぁぁあっ!! 茅場のばっかやろぉぉぉぉおおおおお!!」

 

 マーチのやり場のない怒りが、GMであるはずの茅場晶彦に向いたところで、私は乾いた笑いを浮かべるしかなかった。

 

「しっかし、彼も諦めが悪いよねぇ。どう見たって、ルイルイとマーチの間に入り込めるわけないってのに」

 

 人の心理には人一倍鋭いアロマさんにも、ヴィシャスさんの行動は理解できないもののようだ。

 

「ん~、なんでここまで私に拘るのかな~?」

「そりゃ、お前に惚れたからだろ!」

 

 ルイさんの言葉に、半ばやけくそになって叫ぶマーチを、アロマさんは半眼で見つめていた。

 

「……マーチじゃあるまいし、それだけの理由で1週間も通い詰めるかなぁ?」

「そりゃどーいう意味だアロマ?!」

 

 アロマさんの意味深な発言に、マーチがイライラの発散場所を求めるかの如く噛み付くが、アロマさんは気にした風も無く。

 

「あいや、深い意味は無いよ? ただの勘だから。でも、な~んか裏がある気がするんだよねぇ……」

 

 私はそのアロマさんの言葉に、同じ感想を抱いていた。

 

 彼の行動と、彼の行動目的は、何かそぐわない。

 何か裏があると思えてならない。

 

 ヴィシャスさんの所属する《聖竜連合(DDA)》というギルドは、SAOにおいて、レアアイテムやボス討伐時のラストアタックに執着するメンバーの集まりという認識がある。

 そしてそれは、彼――ヴィシャスさんについても、紛れもない事実だ。

 

 彼は、私が参加した数回のボス討伐戦において、《DDA》の攻撃部隊のサブリーダーを務め、ラストアタックへの執念を隠すことなく、まき散らしていた。

 その攻略組最強ギルドの1つとして名高い《DDA》の攻撃部隊サブリーダーたる彼が、何故かこの1週間、ルイさんに執拗に言い寄っている。

 

 本当にルイさんに惚れただけなら、私もそんなに気にはしないのだが、彼のこれまでの性格と行動からするに、それだけではない何かがあると思えてならない。

 

「うぅ~ん……流石に1週間ともなると~……疲れてきたなぁ~……」

 

 何にせよ。

 

 ヴィシャスさんのストーカー行為が始まってから1週間だ。

 細く長くため息を吐いたルイさんの顔には、疲労の色が見て取れる。

 

 やはりルイさんも、マーチほどではないにせよ、心労が溜まってきているようだ。

 

「……マーチ。嫌かもしれませんが、ルイさんと彼とで、デュエルで決着をつけさせるしか無いのでは? これ以上続くようだと、2人とも精神的に保たないでしょう?」

 

 ヴィシャスさんはマーチとのデュエルは受けないと言っていたが、流石にルイさんとのデュエルなら受けるだろうと踏んでいる。

 それなら、これ以上ルイさんの精神状態が悪化する前に、サッサとケリをつけてしまうべきだ。

 

「……かねぇ……はぁぁぁ~……なぁルイ、お前はどうよ?」

 

 マーチとしては、ルイさんとヴィシャスさんを正面から相対させるのは避けたいらしく、私の提案にも不承不承という感じで、無理矢理自分でも納得しようとしている感じがする。

 

「仕方ないかもねぇ~……勝てるといいけどなぁ~……」

 

 ルイさんの性格的にも、デュエルでの決着というのは望むべき方向ではないだろうが、話し合いでの解決が望めないのなら、デュエルでの実力行使というのがこの世界でのルールにもなってきている。

 

 とはいえ、正直なところ、レベルはヴィシャスさんの方が上だろう。

 それにボス戦などの場数も踏んでいるので、戦闘の経験量に関してもヴィシャスさんに分があるはずだ。

 

 しかし、ルイさんの戦闘センスは、アロマさんやマーチを凌ぐものがある。

 常に冷静に己を保って戦場に立つマーチと、嵐の如き勢いで戦場を突き進むアロマさんを足して2で割ったようなイメージとでもいえばいいだろうか。

 

 冷静さと熾烈さを兼ね備えた麗人というのがルイさんにはピッタリだ。

 それに、レベルだけで言えば、ルイさんはアロマさんより5は低いのだが、ルイさんとアロマさんがデュエルをした時の長期戦は、記憶に新しい。

 

 しかし、ルイさん自身は戦闘に関してそこまで自信をもって事に臨むことができない。

 それは、デスゲーム開始時にも見られた、恐怖心が先に立つためだ。

 今も、ルイさんは不安を表情に出している。

 

「相手は《DDA》攻撃部隊のサブリーダーですからね……勝てる可能性は……五分五分(ごぶごぶ)と言ったところでしょう……」

 

 そういった心境も鑑みて、ルイさんとヴィシャスさんのデュエルの結果を推測する私を見て、マーチは唸っていた。

 

「……五分(ごぶ)か……セイドの見立てでそれじゃ、後は運だな……」

 

 マーチの呟きに妙な反応をしたのはアロマさんだった。

 

「何? あいつ、そんなにつおいの? 私もやってみたい!」

 

 良い意味でも悪い意味でも《戦闘中毒(バトルホリック)》なアロマさんらしい食いつき方だが、今はアロマさんが介入してくるべき場ではない。

 

「アロマさんはご飯でも食べて黙ってて下さい、話がややこしくなるので」

「ぶぅー! いいもん! みんなの分も全部食べてやる!」

 

 私がにべもなくあしらうと、アロマさんは頬を膨らませ、1人拗ねて昼食に突っ込んでいった。

 まあ、この場は放っておこう。

 

「話を通すのに抵抗があるようでしたら、私がヴィシャスさんと話してきますよ?」

 

 デュエル自体には異論はないと思うが、ルイさんもマーチも率先してヴィシャスさんと話そうという気配が見られなかった。

 なので、私から名乗りを上げたのだが。

 

「ん~……お願いしてい~い、セイちゃん? 私、あの人苦手なんだよ~」

「俺が行くと、冷静に話ができねえしな……頼むわ、セイド」

 

 ルイさんもマーチも、やはりというべきか、ヴィシャスさんとの話し合いに乗り気ではなかったようだ。

 まあ、ストーカー被害の当事者としてみれば当然だろう。

 

「では、任されました。先に食事をして待ってて下さい……それと、アロマさん」

 

 有言実行とばかりに、自分の分だけでなく、4人で分けて食べるように盛られていたサラダボールを1人で抱えていたアロマさんに。

 

「その辺りで止めておかないと、本気で夕食抜きにしますよ」

「うぐぅ?! ぐぐぅうぐうぐうっぐぅ!」

 

 そう釘を刺すと、アロマさんは何か呻いていたが、何を言っているのか分からないので放置し、私はギルドホームの外――玄関先で仁王立ちしているヴィシャスさんの元へと赴いた。

 

 

 



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第二幕・手繰る糸口

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ありがとうございます!m(_ _)m


 

 

「こんにちは、ヴィシャスさん。貴方も毎日こりませんね」

 

 私は笑顔で、ギルドホームの門の前で仁王立ちしている、両手槍を背負った灰色の髪の男――ヴィシャスさんに話しかけた。

 

「ども、セイさん。俺はルイさんを諦める気はないっすよ?」

 

 ヴィシャスさんは、そんな私に対してニコリともせず、真っ直ぐ睨み返してきた。

 

 彼がこの行為を始めてから2日目ほどまでは、私も説得を試みたのだが、彼は聞く耳を持たなかった。

 彼はこの1週間というもの、昼頃になると現れ、日暮れまでこうして門前で立っているという行為を繰り返している。

 

 私達が外出することを妨害するのではなく、しかし、外に出たら出たで、ただひたすらにルイさんに付いてきて口説き始めるので、非常に厄介だ。

 それ以降は根競べのようになっていたのだが、こちらが根負けした形になる。

 

「そのようですね」

 

 彼の根気強さには呆れたが、しかしこちらもただで折れるわけにはいかない。

 

「何故ここまでルイさんに拘るのか、理由を説明していただけると助かるのですが?」

 

 その視線を受け止めながら、私も彼から視線を外さず、笑顔のまま問いかける。

 彼のストーカー行為が始まってから2日目にも同じ質問をしたのだが、その時は、にべもなく「答える必要はねえっす」とあしらわれた。

 

「男が女を追いかけるのに……理由なんかいらねえっすよ」

 

 だが。

 今回、そう答えたヴィシャスさんの表情からは、一瞬、揺らぎが見て取れた。

 

 彼は良い意味でも悪い意味でも真っ直ぐな男だ。

 彼は嘘をつけない。

 それが表情に出るからだ。

 

 そして彼は、前回と違い、回答を拒否するような発言をしてこなかった。

 ヴィシャスさんとしても、この1週間のストーキングで神経をすり減らしていたという証拠だろう。

 

(やはり、何かありますね……何を隠しているのやら……)

 

 彼がルイさんにこだわる理由は、マーチの言っていたように単純なものではないだろう。

 なら、それを探り出すべきだ。

 

「そうですか……まあ、なんにせよ、これ以上付きまとわれても迷惑なので、ルイさんからは承諾を得て、ヴィシャスさんとルイさんでデュエルによる決着をつけていただきたいのですが、いかがでしょうか?」

 

 私が笑顔でそう提案すると、ヴィシャスさんは『意外だ』という表情をしてみせた。

 

「デュエルっすか? いいんすか? 俺本気でやりますよ?」

「ええ、どうぞ本気でやって下さい。それで、先にお聞きしますが、ヴィシャスさんが勝った時の条件はなんでしょう? ああ、もちろん、その内容によってはこの話は無しです」

 

 私は変わらず、笑顔のまま会話を続ける。

 私の出した条件は、暗に『マーチと別れて自分と付き合って欲しい』的なことであれば即断るという意味合いがある。

 つまり、この段階で、ヴィシャスさんは自分の思惑をある程度暴露するしかない。

 

「ん……それは……」

 

 予想通りというべき反応が返ってきた。

 

 彼はすぐには答えられず何やら思案気にしている。

 が、ここでそんなに考えさせるつもりはない。

 

「今それが聞けないのであれば、この話は無しです」

 

 私は、先ほどまでの笑顔を消し、無表情で畳み掛けるように言葉を重ね、彼に背を向ける。

 

「わ! 分かったっす! 俺が勝ったら、ルイさんと2人きりで出かけさせてほしいっす!」

 

 案の定、彼は慌てて条件を提示してきた。

 

 やはり、彼は交渉ごとが上手いわけではないようだ。

 これなら本当の目的を聞き出すこともできるかもしれない。

 

 私はヴィシャスさんに向き直り、無表情のまま、さらに条件を限定させる。

 

「出かける、のは良いとして、何処に、というのが抜けています。それでは許可しかねます」

「そ、それは言えねえっす……」

「話になりませんね。この話は無かったことに――」

 

 再び身を翻してホームに戻ろうとする私に、ヴィシャスさんは再度慌てて声を上げる。

 

「え、ちょ! 待つっす! 分かったっす! 47層の《巨大花の森》っす!」

 

 と、ヴィシャスさんは外出場所にフィールっダンジョンを指定してきた。

 それを聞いた私は、思わず眉をひそめた。

 

 現在の最前線が57層であることを考えると、10層下の通常ダンジョンというのは、攻略組からしてみればレベル上げにも使われない階層になる。

 レベルの安全マージンだけで見れば、ルイさんのレベルでも絶対安全と言えないことも無いというレベルだし、何より《巨大花の森》自体は難易度も低く、色々な意味で有名な場所だ。

 

 だが。

 

「……ヴィシャスさん、《圏外》に人を連れ出そうというのに、言わないというのはマナー違反ですよ。まあ、今の貴方の行為も充分にマナー違反ですが」

 

 問題はここだ。

 彼の言う『2人きりでの外出』が《圏内》のデートスポット程度なら、何の問題も無い。

 外出の真意が何であっても、《アンチクリミナルコード有効圏内》というだけで安全が確保できるからだ。

 

(まあ、マーチの精神面としては大問題だとは思うんですが、この際、それは伏せておくとして)

 

 だが、これが《圏外》への外出ともなれば、何層下だろうと関係ない。

 安全の確保が確実ではないのだから。

 

 そのことに遅まきながら気付いたのであろうヴィシャスさんは、表情を微かに暗くし、少し俯いて言葉を返してきた。

 

「もちろん、悪いとは思ってるっす……でも、こっちも形振り構っていられないんすよ……」

 

 これを聞いた私は、推測を確かなものにしていった。

 

(形振り構っていられない……本当なら、こんな真似はしたくないということですね……だが、これ意外に思いつかなかったというところでしょうか……)

 

 この時点で、私はヴィシャスさんの行動理由から、ルイさんに惚れただけという可能性を排除した。

 

(となれば、あり得るのはクエスト関係……ルイさんでなければならない何かのクエスト……といったところか)

 

 彼が何か、新しいクエストを見つけ、そのクリア条件の1つがルイさん、といったところだろう。

 

(しかし、人を指定するクエストなんてあるものでしょうか?)

 

 少なくとも、現時点で私の持ち得る情報に《プレイヤー名を指定されるクエスト》というものは無い。

 

 それに、他にも疑問に思うところはあるが、今はここまで分かっただけで良いとしておく。

 こちらもあまり思案する時間を取ると、ヴィシャスさんにも色々と考えさせる時間を与えてしまうからだ。

 

「……まぁいいでしょう。ただし、その条件で貴方が勝ったとして。もしルイさんに危害が及ぶようなことがあれば――貴方達、潰しますよ?」

「は?!」

 

 やれやれといった表情で告げた私の言葉に、ヴィシャスさんは目を丸くしていた。

 ヴィシャスさんも今の言葉の意味は分かったのだろう。

 

 私達のような少人数ギルドが、貴方達――つまり攻略組最強ギルドの一角を担う《DDA》を潰す、と言ったのだ、と。

 

「いや、セイさん、それはいくらなんでも大ぼら吹き過ぎっすよ。DDAの規模と実力、分かるっすよね?」

 ヴィシャスさんは私の台詞に、呆れたように笑い、真面目に取り合わなかった。

「――嘘だと本気で思ってるなら、貴方から分からせてやっても良いんですよ、ヴィシャス」

「――っ!?」

「――さん」 

 

 そんなヴィシャスの態度に、ついつい本気で脅してしまっていた。

 

「……いや、失礼。まあ、《圏外》で何かするというのなら、そのくらい気をつけろということですよ。分かりましたか? ヴィシャスさん?」

 

 いつも通りの笑顔でヴィシャスさんに語りかけたが、彼は無言で何度も首を縦に振るばかりだった。

彼の表情に怯えが見えている。

 

(そんなに凄んだつもりはないんですが……)

 

 自分でやったことに少々傷付きながらも、その後、ヴィシャスさんともう少しデュエルの話を詰めてから、私はホームに戻った。

 

 

 

 

 

 

「おかえり~。セイちゃん、どうだった~?」

 

 ホームに戻った私を、扉のところで心配そうに出迎えてくれたのはルイさんだった。

 ルイさんの表情には、やはり不安の色が見て取れた。

 

「デュエルでの決着で、彼に異存はないとのことです」

 

 私はとりあえず、ルイさんと一緒にテーブルまで戻り、席に着いた。

 

「んで? 奴が勝った場合の条件は? 俺とルイに別れろってか?」

 

 ルイさんも席に着いたところで、マーチが話の詳細を聞きに来た。

 

「まさか。そんな条件だったらデュエルさせませんよ」

 

 私はそう答えて、食事を並べる際に用意しておいた水を1口飲み、続きを話した。

 

「彼からの条件は、ルイさんと2人きりのパーティーを組んで47層の通常ダンジョン《巨大花の森》に出かけさせてほしい、というものでした。これは推測ですが、おそらく何かクエストを受けたんでしょうね」

 

 そう言った私の言葉に、ルイさんとマーチは少し安堵した表情を浮かべた。

 予想していた事態より軽く済んだからだろう。

 

「ふへふほ? はひはひ?」

 

 クエストという私の言葉に反応したのは、相変わらず食事を口いっぱいに詰め込んでいたアロマさんだった。

 

「だから口の中のもん飲み込んでから喋れっての!」

「――んむぐ! クエストってなになに!」

 

 マーチの突っ込みはごもっとも。

 アロマさんは食べていたものを飲み込んで、もう1度同じことを言った――らしい。

 私は思わず呆れながらも、話を続けた。

 

「クエストだという話も、クエストの詳細も聞き出していませんが、47層のダンジョンですから、危険は少ないでしょう。どうですか、お2人とも。この条件でデュエルを承知できますか?」

 

 クエストの話を聞かなかった理由は、クエストのクリアに成功しようと失敗しようと、こちらに実害はほとんどないと判断したからだ。

 

「私が勝った場合の条件は~?」

 

 こちらに実害が無いとしても、無条件で受けてやる義理も無いので、当然ルイさんが勝った場合の条件も付けてある。

 それも、ヴィシャスさんが勝った場合のモノより、手厳しく、且つ即物的に。

 

「今後2度とルイさんとマーチの前に現れないこと。それと、これまでのストーカー行為に対する慰謝料として、彼の持つ、ご自慢のレア装備を全ておいて行くこと。これで手を打たせました」

「うっひゃー! 鬼セイド! 《DDA》攻撃部隊サブリーダーの装備ってことになれば、相当なレア物ばっかでしょ? よく承知させたね!」

 

 そこはまあ、交渉術――と言いたいところだが、実はそうではなかった。

 私が答える前に、話の流れを察したのだろうマーチが先に答えを言っていた。

 

「バカアロマ。《DDA》に所属してる奴がそんな条件を飲むってことは、負ける気がしねえってことだろうが。ルイのバトルセンス舐めてんな、あのヤロウ!」

 

 私よりも言葉は悪いが、言わんとするところは同じだった。

 

「バカって何よバカって⁈」

 

 マーチにバカ呼ばわりされたことに対して、アロマさんが何やら喚いていたが、とりあえず無視。

 

「この条件を出したとき、ヴィシャスさんは二つ返事で承諾しました。自身の勝利を疑っていないんでしょうね」

 

 正直、ヴィシャスさんの態度は無謀だと思ったが、攻略組に属する彼の自信は、実力に裏付けられているものだ。

 ルイさんが如何な実力者であっても、負けるつもりが無いからこそ、あの条件でもデュエルを受けたのだ。

 

「う~ん……ますます自信なくなるなぁ~……」

 

 対して、ルイさんは、実力はあるものの精神面が弱い。

 この差が、勝負に影響するかもしれない。

 

「大丈夫、大丈夫! ルイルイなら良い勝負できるって! 自信持って!」

 

 ちょっと前まで膨れっ面をしていたアロマさんは、ルイさんの不安げな様子を見ると、すぐに明るさを取り戻してルイさんを励ました。

 アロマさんのこういうところに助けられることも多いのは事実だ。

 

「そうかな~……」

 

 ルイさんも、アロマさんの励ましで多少は自信を持てたのか、不安気ながらも笑顔が見て取れるようになった。

 そうしてルイさんは、メニュー画面を開き、デュエル用の武器を選び始め――

 

「ルイさん、ちょっと――」

 

 ――そんなルイさんに、私は1つ耳打ちをした。

 

「――ん、りょ~かい。んじゃ~、それで行ってみるよ~」

 

 ルイさんは、装備フィギュアを操作して、武器を《両手棍》にした。

 

「んじゃ~、いってみよ~か~」

 

 ルイさんは、普段通りの、気合いが入っているのかいないのか、いまいち分かり辛い掛け声を上げて表に出た。

 

「応援してるよ! ルイルイ!」

 

 それに続いてアロマさんも掛け声を上げながら表に出る。

 2人に続いて私とマーチも外に出ようとしたところで、マーチが私に話しかけてきた。

 

「おい、セイド。あれはお前がアドバイスしたのか?」

「そうですよ」

 

 マーチの言う、あれとは、ルイさんの両手棍のことだ。

 

 最近のルイさんは、武器を《両手棍》から《片手棍》と《鞭》という、メイン・サブ武器という組み合わせに変えている。

 しかし、今回のデュエルでは、もっとも使い慣れている両手棍を勧めたのだ。

 

「ヴィシャスさん相手に、鞭は分が悪いですから」

 

 私とマーチも、外に出たところで歩みを止めると、ルイさんは1人、ヴィシャスさんと一定の間を保って、お互いに簡単な挨拶を交わしていた。

 

「そうか? 俺はあんまそう思わなかったんだがな……」

 

 そんなルイさんの様子から目を離すことなく、マーチはそう呟いていた。

 私の言葉に、マーチは納得しかねるという表情を浮かべていたが。

 

「鞭って初動に隙があるからねぇ。有効なダメージを与えられる瞬間が、他の武器と比べると遅いし、相手の動きを読んで有効な1撃を入れるのは難しいんだよね」

 

 私が言うより先に言葉を継いだのはアロマさんだった。

 どうやら私の台詞が聞こえていたらしい。

 

「ルイの錘と鞭の組み合わせ相手に、8分近くデュエってたアロマが言うことか?」

 

 アロマさんの台詞に、マーチはすかさず反論したが。

 

「だから言えるんだよ。ルイルイの鞭と片手棍のコンビネーションセンスは確かに凄いけど、でもまだ最前線クラスの人に通用するものじゃないと思う。今ならまだ、ルイルイが本気を出せるのは両手棍だよ」

 

(流石、アロマさん、よく分かっている)

 

 使用していた期間が長い両手棍は、ルイさんの主武装として、ある種の完成を見せている。

 それと同程度に、ルイさんは片手棍も鍛えてはいたが、あくまで両手棍のサブ的な要素が強かったため、スキル習熟度的にも両手棍には及ばない。

 

「ま、そりゃそうか……最近見てなかったから、ちと不安だったが」

 

 マーチの気持ちも分かるが、今はまだ、ルイさんの全力を引き出すのならこの選択の方が良いはずだ。

 

「さ、始まりますよ。良く見てて下さいよ、マーチ。ルイさんだけではなく、ヴィシャスさんの、SAO最強ギルドの1つ《DDA》の攻撃部隊サブリーダーを務める男の実力も」

「ルイー! 負けんなよー!」

 

 私の台詞に答えることなく、マーチはルイさんに声援を送り、ルイさんはマーチの声援に片手を上げるだけで応えた。

 

 

 



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第三幕・踊る水面

鏡秋雪様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

お気に入り件数が520件となっておりました!(>_<)
これ程の人数の皆様にお読みいただけて嬉しい限りです!


 

 

「もっかい確認するよ~? デュエルは《初撃決着》で~、私が勝ったら、もうここには来ないし、あなたの装備も全部貰う~。あなたが勝てば~、私と2人きりでパーティーを組んで~、クエストに行く~。それでいいんだね~?」

「そうっす! 《巨大花の森》に付き合ってもらうっす! って、あれ? 何でクエストって分かったっすか?!」

 

 みょ~に元気な彼の台詞に、私はちょびっとだけ、かわいいなぁなんて思いながら、デュエルを申し込む。

 

「セイちゃんと話したら~、隠しきれないよ~」

「うぅ……セイさん、あいっかわらず、おっかねえっす……」

 

 ヴィシャス君は呻きながら、デュエル申請メッセージを承諾した。

 

 デュエル開始のカウントダウンが始まる。

 

 私が構えるのは両手棍。

 飾りも何もない《八角棍》という名の武器。

 私がデュエルで用いるNPCの武器屋で売っている汎用品だ。

 

 対するヴィシャス君が構えるのは両手槍。

 豪奢とは言わないけれど、目立つ装飾が施されている。

 確か《偃月刀》と呼ばれる、薙刀のような武器だ。

 

 武器はお互いに長柄武器。

 

(セイちゃんが両手棍を勧めた理由はこれかなぁ)

 

 同系統の武器の使い手として、それなりにお互いの手は読めるだろうと、セイちゃんなら思ったに違いない。

 

 私は棍を下段に構え、彼は偃月刀を上段に構える。

 

 カウントが残り5秒になる。

 

 私はゆっくりと、構えを中段に移行させ、それを見た彼は目を細め、しかし構えは変えずに上段のままにとどまった。

 

 カウントが――2――1――

 

 ――0になった瞬間、ヴィシャス君は爆発的な勢いで突っ込んできた。

 しかし、彼の持つ偃月刀は光っていないので、動きそのものは《剣技(ソードスキル)》ではない。

 

(ただの加速が、こんなに速いの~!)

 

 私とヴィシャス君との距離は、歩幅にして20歩ほど。

 彼はその距離を1歩の加速だけで詰めてきた。

 まさしく正面に跳躍するかの如くだった。

 

 しかし私は動かず待つ。

 加速は速かったけど、目で追えないわけじゃないし、反応できないわけじゃない。

 それに何より――

 

(加速だけなら、ロマたんといい勝負かな~?)

 

 DoRでの圏内戦闘訓練で、ロマたんが時々見せる加速と似た感じがあった。

 だから私は落ち着いていられた。

 

「ハッ!」

 

 彼は気合い一閃、真っ正直に、上段から斬り降ろし――右上から左下への袈裟斬りをしてきた。

 私はそれを半歩左に身をひねって紙一重で避ける。

 と同時に、彼の進行上に八角棍を置いておくような感じで伸ばす。

 足を引っ掛けるようなイメージ。

 しかし彼は、加速の勢いからは信じられない反応を見せ、私の棍を踏みつけた。

 

(うわ~ぉ、さっすがサブリーダー)

 

 互いの距離が近く、しかし彼は今、私に僅かながらも背を取られるというような状態であるにもかかわらず、私の武器を巧みに封じ、自らの隙を突かせないという素晴らしい芸当。

 

 思わず感心したけど、勝負は勝負。

 

(私の棍を封じたのは見事だけど~)

 

 刹那のこう着状態。

 瞬間、ヴィシャス君が何か仕掛けてこようとする気配があったけれど。

 

 それより早く、私は《剣技》を発動させていた。

 

(それで攻撃を封じたと思うのは甘いんだよ~!)

 

 両手棍・体術(・・)複合技《ブラスト・シュート》――本来なら、下段に突き出した棍を蹴り上げ相手の武器を上空へ弾き飛ばすのが目的となる技だけど、今のような状況で使うと――

 

「ぅぉ!」

 

 棍を踏んでいた彼の足を跳ね上げ、バランスを奪うという効果を発揮し、バランスを崩した彼に1撃加えて終了――といった展開を狙ったのだけど。

 

「ぉ~」

 

 私は思わず感嘆の声を上げていた。

 彼は瞬時に、跳ね上げられる足を踏ん張ることなく打ち上げられる勢いに任せてその場から後方宙返りをして距離を取るという受けをしてみせたのだ。

 

「っ! やるっすね!」

「そっちこそ~!」

 

 やっぱり、一筋縄ではいかない相手だった。

 

 

 

 

 

 

 

 いつの間にやら、周りに人だかりができていた。

 

「おい、あれ《DDA》のヴィシャスさんだぞ!」「あの相手してる女性、誰だ?!」「何だ今の!? どっちが何したんだよ?!」「おい、記録結晶だ! こんなの滅多に見れねえぞ!」

 

 一気に騒がしさを増した観衆など気にも留めず、一瞬の攻防を終えた2人は、再び間合いを測って緊迫した空気を張り詰めている。

 

「……騒がしくなってしまいましたね……」

 

 ある程度予想していたこととはいえ、やはりデュエルは目立つ。

 どうしても人が集まってくるのだ。

 

「しっかたないんじゃな~い? 一方は相応に有名人だし、その相手をしてるのは、うちのギルド、自慢の若奥様だもの」

 

 私が渋い表情で周囲にも視線を配っているのに対し、アロマさんは平然と2人のデュエルを眺めていた。

 

「……目立っちまったなぁ……これでまたウゼえのが増える気がする……」

 

 マーチはマーチで、ルイさんが目立ってしまったことに対して苦い表情でそう呻いていた。

 マーチの心労は晴れるどころか募るばかりといった感じだが、この際それは置いておくしかない。

 

「そういえば! 開始前にしっかり名乗らなかったっすね! ギルド《聖竜連合》ポールアーム攻撃部隊サブリーダー、ヴィシャスっす!」

 

 彼の名乗りを聞いて、アロマさんが不思議そうな顔をした。

 

「ふぇ? なんで今更名乗ってんの? あいつ」

「……認めたってことだろ、ルイの実力を」

 

 アロマさんの疑問に、マーチが短く答えた。

 

「そして名乗ることで、ギルドの名も背負ってこのデュエルに挑むと、宣言し直したんですよ。本気ですね、彼も」

 

 先ほどまでなら、互いにハッキリと名乗らなかったので、もし仮に負けたとしても、個人の敗北ということだけで片付けることもできた。

 

 だが、こうして名乗った以上、ヴィシャスさんは攻略組最強ギルドの一角《聖竜連合》のサブリーダーという地位と名誉も賭けたことになる。

 

「ん~、じゃ~私も名乗らないとね~」

 

 そして、ルイさんも、ヴィシャスさんがルイさんの実力を認めたからこそ、改めて名乗りを上げたことを理解したのだろう。

 

「ギルド《逆位置の死神(デス・オブ・リバース)》所属、ルイです」

 

 先程までの間延びした喋り方ではなく、とても真面目な声音(こわね)と表情で、ルイさんも名乗りを上げた。

 そのルイさんの気配の変化を感じ取ったのか、ヴィシャスさんも表情をさらに引き締めた。

 

「《デスオブリバース》? 聞いたことねーよ! どんなギルドだ?!」「情報屋の伝手で探れ!」「俺は断然、ルイちゃんを応援するぞ!」「バァカ! 《DDA》のヴィシャスに勝てるわけねーだろ!」

 

 2人の名乗りによって、周囲のギャラリーもヒートアップする。

 

 良くも悪くも、私たちのギルド名が世に知れることになったわけでもあるが。

 

「んじゃ、仕切りなおして、いくっすよ!」

「どうぞ」

 

 そして2人は構え直し。

 しかし、仕掛けたのはヴィシャスさんではなく、ルイさんからだった。

 

 ルイさんは、先ほどのように中段に構えたところで、ノーモーションの加速をしてみせた。

 

(ルイさん、本気ですね……《滑水(かっすい)》まで見せるとは)

 

 筋力値補正及び敏捷値補正最大での、後ろに引いた脚の、足首だけを使っての加速。

 私達は、これを《滑水》と呼んでいた。

 

 静かに、そして水面を滑るように突然加速するその技術は、システムに規定されたものではない。

 ルイさん個人の技術だ。

 

 そして、《滑水》の勢いそのままに、ルイさんの手元から棍がヴィシャスさんの喉元へと伸びる。

 一切の力みも無く、予備動作も無い、これもまたノーモーションで繰り出された高速突きだ。

 

「っ?!」

 

 予備動作なく、不意を突かれた形で一気に間を詰められて、一瞬焦りの表情を浮かべたヴィシャスさんだが、そこは流石の《DDA》攻撃部隊サブリーダーを務める男。

 

 間一髪、ルイさんの繰り出した高速突きを、体を捻りつつ偃月刀の柄で受け流した。

 しかしルイさんは止まらない。

 薙刀のような刃のある武器と違い、棍の最大の利点は、攻撃部位が決められていないことだ。

 

 棍は、どの部位であっても、攻撃でき、防御もできる。

 流れるように突き、払い、薙ぎ、打ち、押し、巻き、突く。

 

 棍という利点を生かした、まるで何かの演舞かのようなラッシュは、まさに見事としか言いようがなかった。

 ――そして同時に。

 

「く! ぅぉぉ!?」

 

 それを全て受けきっているヴィシャスさんもまた、見事と言えるだろう。

 

 私のようにエクストラスキルの力で僅かながらも予測して見切るのとはわけが違う。

 《剣技》ではないにもかかわらず、高速の打突を放つルイさんの攻撃は、苛烈の一言だ。

 

 それを受けきったのだから、彼の場数と経験、そして実力を推して知るべしだろう。

 

「惜しい! ルイルイもーちょい!」

「やっちまえ、ルイ!」

 

 アロマさんもマーチも、ルイさんの優勢とみて、応援にも力が入っている。

 周囲のギャラリーも、ルイさんを応援し、それと同じくらいにヴィシャスさんを応援している。

 

(いや、この流れだと……)

 

 しかし私は、ヴィシャスさんの巧みな攻撃捌きで、ルイさんが少しずつ、ヴィシャスさんに誘導されていると感じた。

 

(……しかしこれは、2人のデュエル……口出しは無用でしょう……)

 

 確かにここで助言をすることは簡単だ。

 しかしそれでは、2人の真剣勝負に水を差すことになってしまう。

 だから私は、黙って勝負の行方を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 私は一切手加減をしていない。

 

 これだけの攻撃なら、マーチんにも、ロマたんにも、セイちゃんにも、ある程度通用する自信がある。

 確かに防がれはするだろうけど、でもそれは、みんなが私の攻撃に慣れているからだと思っていた。

 

 しかし、ヴィシャス君は違う。

 

 私の攻撃を見るのも受けるのも、これが初めての相手だ。

 なのに、こうも見事に捌かれてしまっている。

 

(強い。これが、常に最前線で、戦い続けている人の実力!)

 

 そしてそれを知ると同時に、私の実力がどこまで通用するのかも、窺い知ることができた。

 

(私の実力も、攻略組に、劣ることは無い!)

 

 今のところはまだヴィシャス君に反撃の隙は与えていない。

 反撃されたら負ける気がするからこそ、隙を与えずに、持てる力をすべて出し切って攻め続けている。

 

 しかし、彼にも隙らしい隙が無い。

 だから私も《剣技》を使うタイミングが無い。

 

 絶え間なく、私の両手棍とヴィシャス君の偃月刀のぶつかり合う音が辺りに響き続けている。

 

(このままなら、何とか、隙を作って、《剣技》を1撃、入れられる!)

 

 行ける、と思った。

 確かに防がれているけれど、攻め切れると思った。

 

 ――それが悪かった。

 ほんの一瞬の慢心が、私の集中を乱した。

 

 攻め続けていた私の集中がかすかに乱れたことで、わずかに甘く入った攻撃を彼は見逃さず、少しだけ、ほんの少しだけそれまでよりも強く棍を弾かれ、そこにわずかな、しかし致命的な間が生まれた。

 

(クッ!)

 

 形勢が逆転するには、それだけの間で事足りた。

 

 弾かれた瞬間に、ヴィシャス君は、偃月刀の刃の無い側――石突側を、下からすくい上げる様にして私の顎を狙って反撃してきた。

 

 攻撃するために前傾姿勢になっていた私には、体を逸らせて避けるだけの余裕は無かった。

 慌てて棍を旋回させ、ギリギリのところで防御――したと思ったら、次の瞬間には上から偃月刀が振り降ろされる。

 それも危ういところで何とか棍で受け――しかし次の瞬間には、ヴィシャス君は体裁きを利用して私の体勢をさらに流し、再び石突が、今度は脚めがけて襲い掛かる。

 

 先ほどまでの攻防が一転、私が防ぎ、ヴィシャス君が攻める形になる。

 私は全てをギリギリのところで防ぎ、しかし、私が攻めていた時の彼の防御とは違い、私には一切の余裕が無かった。

 

 反撃に転じるための防御とか、受け流してからの体勢の立て直しとか、そんな暇はない。

 防御してるはずなのに、防御できていないとでも言うべきだろうか。

 受ければ受けるほど、防げば防ぐほど、どんどん後が無くなってくる感じがする。

 

(な、んていう! 攻め方! これが――)

 

 これが本当の攻撃技術。

 相手の防御すら利用して、次の攻撃につなげる。

 それを繰り返し、何れは相手を追い詰め――

 

(ああ、これは――)

 

 私はこの段階で悟った。

 まだ数手は防げる。

 しかし、その後で手詰まりになるのが分かった。

 

(――負けかな)

 

 諦めるつもりはないが、しかしおそらく、逆転の目はこないだろうことが分かってしまった。

 

 

 



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第四幕・見える思惑

八尾四季様、活動報告への返信など、ありがとうございました! m(_ _)m

お気に入り登録件数が540件を超えておりました!
皆々様、ありがとうございます!(つ_T)


今後も皆様に喜んでいただけるように努力していきたいと思います! m(_ _)m


 

 

 ――そうして、やはり、というべきだろうか。

 

 ルイさんは何とか防ぎ続けるも、最終的にはヴィシャスさんに体勢を崩されたところで大きく武器を弾かれ、決定的な隙を晒してしまい、石突による強烈な突きの1撃を肩口に叩き込まれてしまった。

 

『ぅぉぉおぉぉおおおおおお!』

 

 ギャラリーからは大きな歓声が起こった。

 

 デュエル時間、4分22秒。

 初撃決着デュエルとしては長期戦となったその試合は、見ていた者たちに驚きと感動を与えるものだった。

 

「ゼェ……ゼェ……か、勝ったっす!」

 

 勝ったヴィシャスさんは、しかし息も絶え絶えのまま、その場へ座り込んだ。

 それはまあそうなるだろう。

 

 ルイさんの、突きを基点とした攻撃の組み立てに、更にノーモーションでの打突や加速が織り交ぜられるのだから、それを防ぐ側としては、精神的に結構きついものがある。

 そこから何とか反撃に転じたものの、ルイさんが防ぎ続けるものだから、彼も攻め手を緩めることなく、集中し続けなければならなかった。

 これは、体力的にも精神的にも、非常に疲れることだっただろう。

 

「いったぁ~……やられたなぁ~……」

 

 ルイさんは、1撃を喰らった際の衝撃で地面に倒れたまま、右の肩口を抑えていた。

 

「ん~。ルイルイ、いい勝負したね!」

 

 ルイさんにそう声を掛けたアロマさんの横を、マーチが静かに追い抜き、ルイさんの元へと歩み寄る。

 

「や~、負けちゃったよ~、ゴメンね~、マーチん」

 

 負けてしまったルイさんを、マーチは無言で抱きかかえた。

 

「え、ちょっと! マーチん?!」

 

 不意に《お姫様抱っこ》される形になったルイさんは、思わず声を上げたが、マーチはルイさんを下ろすことなく――

 

「お前は良くやったよ。あれで負けても、誰も文句は言わねえ」

 

 ――ルイさんに笑顔でそう声を掛けた。

 

「……うん……ありがと、マーチん」

 

 ルイさんも、そんなマーチに抱き着き返していた。

 ギャラリーが熱い抱擁に喜び、冷やかしの声を上げる中、私は少し離れた所から2人を見守っていた。

 

 ゼイゼイと息を切らしている勝利者のヴィシャスさんは、ほとんど空気化している。

 アロマさんだけは、ヴィシャスさんの頭をつんつん突きながら――

 

「ねえねえ、勝ったのに何も言ってもらえないね」

 

 ――などとほざいていた。

 

(このトラブルメイカーはまた、余計なことを……)

 

 まあ、これが原因で何か起こることは無いと思うのだが、トラブルの火種を作るような真似は止めてもらいたい。

 

「ゴホン! ラヴラヴなとこ申し訳ねーっすけど!」

 

 ヴィシャスさんが咳払いを1つして、立ち上がった。

 

「ルイさんには、俺に付き合ってもらうっすよ!」

 

 頑張って、勝利者としての条件を主張するヴィシャスさんの目元に、何か光るものが見えたような気もするが、ツッコまないでおいた方が彼のためだろう。

 

 ヴィシャスさんの発言を受けて、ギャラリーは徐々に散って行った。

 デュエルそのものは終わったのだから、これ以上この場に留まる者はまず居ないだろう。

 

「……しょうがないねぇ~、そういう約束だったし~」

 

 マーチはルイさんを下ろし、ルイさんは苦笑を浮かべてそう答えた。

 

「……おい、ヴィシャス、てめえ後で俺とデュエれな!」

 

 ルイさんが負けたとはいえ、マーチとしては黙っていられる状況ではないだろう。

 とても憎悪の籠った視線をヴィシャスさんに突き刺している。

 

「こちらの用事が済んだら、気の済むまでお相手するっす!」

 

 ヴィシャスさんも、主目的が達成できそうだということで、安易にマーチの言葉を了承していた。

 

(後でどうなっても知りませんよ……まあ、自業自得でしょうが)

 

 私が心中でヴィシャスさんに合掌していると、彼はそんなことはつゆ知らず、元気を取り戻してメニュー画面を操作していた。

 

「んじゃ、ルイさん、俺とパーティー組んで、《巨大花の森》に行くっすよ!」

 

 ヴィシャスさんはルイさんをパーティーに誘ったのだろう。

 ルイさんも、パーティー勧誘のメッセージに了承を返す。

 

 しかし、ヴィシャスさんに近寄って行ったのはルイさんではなく、トラブルメイカーのアロマさんだ。

 

「ねえねえ、なんかのクエなんだよね! 私も知りたい! ついてく!」

 

 アロマさんは、何を言うかと思えば、そんなことをのたまった。

 

「ていうか、さっきから何で俺の頭を突くんすか、この人?」

 

 さしものヴィシャスさんも気に障ったのだろう。

 アロマさんがまた頭を突こうとしたもので、アロマさんから逃げるように距離を取った。

 

「アロマさん、突いてはダメですよ。それに、ヴィシャスさんは正面からデュエルしてルイさんに勝ったんですから、付いて行ってはいけません」

 

 今のデュエルが正当なものだったことは、私たちもギャラリーも認めるところだろう。

 ならば、ヴィシャスさんの出した条件にケチをつけるような真似はできない。

 

「だってだって! 《2人きりでパーティー》組めればいいんでしょ? だったら私たちがついて行っても問題ないじゃん!」

 

 突かなきゃいいのかと、今度はヴィシャスさんの髪の毛の束を引っ張りながら、アロマさんが反論した。

 逃げたはずなのに、あっさり髪の毛を掴まれた辺り、ヴィシャスさんも先ほどのデュエルでの消耗が未だに尾を引いていると考えた方が良いだろう。

 

 ヴィシャスさんの条件は《2人きりでの外出》であって、《2人きりでパーティーを組む》のは、あくまでもそのための前段階だ。

 アロマさんにその旨をしっかり言い聞かせようと思ったところで、ヴィシャスさんが口を開いた。

 

「だ! ダメっすダメっす! 結婚相手が、パーティー外であっても一緒に来たらダメなんすよ!」

 

 ヴィシャスさんは大いに動揺していた。

 動揺し過ぎて、アロマさんの嫌がらせにも反応していない。

 

 確かに2人パーティーは成立しているのだから、システム上では《2人きり》となるが、パーティー外であってもダメだと言い切る彼には、何かしら思うところがあるのだろうか。

 

「あー、やっぱり? ってことは、別にルイルイじゃなくても良かったんじゃない?」

 

 と、今度はアロマさんが、妙に真面目な顔をしてそんなことを言った。

 

「はぁ?! おい、アロマ、どーいうことだよ!」

 

 だから、このアロマさんの台詞には、マーチが激しく食いついた。

 ルイさんでなくても良かったと言われれば、それは聞き捨てならないだろう。

 ヴィシャスさんの受けたクエストの要件が、ルイさんなのだと思っていた私も、今の発言は聞き捨てならなかった。

 

「だからねー、多分この人の受けたクエって、《黄昏の逢瀬》クエだよ、きっと!」

「あぁ、なるほど」

 

 アロマさんにクエスト名をハッキリ言われて、私もようやく得心がいった。

 ヴィシャスさんは、アロマさんに髪を引っ張られながら、明らかに顔を引きつらせている。

 言い当てられたとみて良いだろう。

 しかし意外にも――

 

「何だよ《黄昏の逢瀬》って! おい、セイド!」

 

 ――情報通のはずのマーチが知らなかったということに、私は少なからず驚いた。

 

「マーチが知らないとは、意外ですね。最近見つかったばかりの、未クリアクエストですよ。確か進行条件が《異性の既婚プレイヤーと2人パーティーを組む》ことだったはずですね。受注するには、未婚である必要がありますけど、受注だけならソロでもできるようです」

「なっ……んだそりゃ! つまりあれか?! 不倫的なイベントクエだってことか?!」

 

 この世界に限ったことではないが、クエストにも色々な種類がある。

 今回マーチが言ったのは、戦闘などを介さないイベントシーンが連続する、進行条件が限定されている類の《観賞クエスト》という意味合いだ。

 

 僅かながらもこのクエストの情報を得ていながら、私もヴィシャスさんの進めようとしているクエストが《黄昏の逢瀬》だと気が付けなかったのは情けなく思う。

 だが、そうと分かれば納得いく点も、今後のこちらの行動も、色々と見えてくる。

 

「そうではないと思います。実際に受けているわけではないのでハッキリとは言い切れませんが、イベント観賞クエストではない気がするんですよ」

「え? そりゃどういうことっすか、セイさん」

 

 ここで反応したのは、クエスト受注などという不埒を働いたヴィシャスさんだった。

 

「……まさかヴィシャスさん……ただの観賞系クエストだと思っていたんですか?」

「そうっすよ? 2人でパーティー組めってのに、ボスとか出ないっすよ」

 

 当然とばかりにそんなことを言い放つヴィシャスさんに、私は思わず眉間を押さえてしまった。

 

「ダメダメだねぇ。クエスト受注のNPCの話、ちゃんと聞いたの?」

 

 私に代わって二の句を継いだのはアロマさんだった。

 アロマさんは、ヴィシャスさんの髪を引っ張るのに飽きたのか、私の隣に来て、腰に手を当てた姿勢でヴィシャスさんに視線を送っている。

 

「聞いてたっすよ! あの《奥さんに逃げられた旦那さん》NPCっすよね!」

「……聞いてて、予想がつかなかったんですか……」

 

 私は思わずため息を吐いてしまった。

 アロマさんも、真似してため息を吐いて、両手を肩の高さに挙げて、ヤレヤレといった様子だった。

 

「その旦那さんNPCが言ってるそうじゃないですか。『恋人時代の思い出の場所に、他の男と一緒に行くなんて、許せない。そんなことがあるようなら、呪ってやる』って。その台詞は、おそらく、戦闘を介するクエストであることを示唆しています。真面目に2人で行ったら、危険かもしれません」

 

 大概のクエストにおいて、『呪ってやる』『恨みを晴らす』『復讐してやる』などといった呪詛の籠った台詞がある場合、ボスの有無は別として、戦闘を介する場合が殆どだと私は認識している。

 このクエストも、例外ではないだろう。

 その経験も踏まえてヴィシャスさんに警告したのだが。

 

「んなこと言ったって! あのクエは、結婚してる相手の正式なパートナーがその場にいたら、進行しないじゃないっすか!」

 

 ヴィシャスさんは半ば混乱したような様子で反論してきた。

 まあ、気持ちも分からないではないが、しかし、今私が気になったのは、彼の様子ではなく、その台詞の物語るところだ。

 

(進行しないのを確認しているということは……1度行ってますね。他の誰かと)

 

 若干の眩暈を感じながらも、何故彼がルイさんに拘ったのか、分かった気がした。

 

「そうですか……その後も2人である必要があると……では、クエストの裏をかきましょう。とりあえず、皆さん、出発準備を。ヴィシャスさん、とりあえずデュエルの条件は満たさせます。それに加えて、こちらでクエストクリアを手伝いましょう。それで良いですね?」

「うっ……でも、それじゃ……」

 

 ヴィシャスさんが表情を曇らせる。

 彼の懸案事項など手に取るように分かる。

 

「クエスト報酬のアイテム狙いでしょう? 確か、旦那NPCの部屋に豪華な両手槍があるって話ですし、それが報酬ではないかと睨んでいるんでしょう?」

「……そうっす」

 

 やはりヴィシャスさんはヴィシャスさんだ。

 未クリアのクエスト報酬がレアな両手槍かも知れないとなれば、何が何でも手に入れたいと思うのは、彼ら《DDA》らしい。

 

「それが手に入るのであれば、貴方に差し上げますよ。私たちはクエストの情報を知りたいだけですから」

 

 故に、こう言ってやれば、彼はこの件に関して、これ以上不満は無いだろう。

 

「そ、そうっすか……すんません、セイさん、皆さん……」

 

 それに何より、私たちとしては、彼のストーカー行為が終わればそれでいいのだ。

 

「チッ! なんだって不倫クエに俺まで!」

 

 マーチとしては腹立たしいことこの上ないだろうが、この際我慢してもらうしかない。

 

「ああ、マーチはダンジョン外にいて下さいね。クエスト進行しなくなるので」

「ちょ! おま! それでなんで俺まで行かにゃならんのだ!」

「ボス戦時に呼びます。それに、おそらくその必要があるクエストなので」

 

 私がそう言うと、皆が分からないという顔をしていたが、とりあえず出発準備を優先させた。

 黄昏時までには、クエスト指定位置に行かねばならないのだから。

 

 

 



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第五幕・香る森林

マコト様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

お気に入り件数が560件を超えておりました(>_<)
お読みいただけている皆様に感謝です!(>_<)

風邪なのか何なのか、体調がなかなか良くならず……(-_-;) 
さらに、プログレッシブ発売も重なり……執筆が遅くなりました(-_-;)スミマセン 
変なところ、誤字脱字等ありましたらご指摘くださると助かります m(_ _)m 



 

 

 第47層は通称《フラワーガーデン》と呼ばれる、一面が花で覆われたフロアだ。

 そのフロアの北端に位置する《巨大花の森》は、まさしく花でできた迷路といった様相だ。

 

 とはいえ、35層の《迷いの森》のように、マップが無いと脱出も難しいというようなものではなく、むしろ逆だ。

 道は単純な構造で、もし仮に迷ったとしても、見失いようのない目印があるので、すぐに位置を把握できるはずだ。

 

「ほぇぇ~。これは綺麗だねぇ」

 

 アロマさんは、どうやら初めてここを訪れたらしい。

 

(まあ、初めて来た時は、見惚れますよね。この光景には)

 

 花吹雪に霞む森林、とでも表現すればいいのだろうか。

 

 辺りを舞っている花びらも森に咲き誇る花々も、色とりどりで光を反射して輝き、しかし香りは強すぎず、周囲を心地よく包んでいて、ただでさえ幻想的なこの世界においても、際立った雰囲気がある。

 アロマさんも、この《巨大花の森》の雰囲気に見惚れているようだ。

 

「ここはね~、デートスポットとして有名なんだよ~」

 

 そんなアロマさんに、ルイさんが嬉しそうに話しかけた。

 

「ふえ? 《圏外》なのにデートスポットなの?」

「うん。レベルがそれなりにあげてれば~、敵はすごく弱いし~、《思い出の丘》と比べるとかなり簡単だねぇ~」

 

 ルイさんの言った《思い出の丘》は、同じく47層にあるフィールドダンジョンで、《ビーストテイマー》と称されるプレイヤーたちにとって、とても重要な場所である。

 

 47層では難易度が高めになっている《思い出の丘》に対し、《巨大花の森》はこの層だけで見ても難易度は最低だろう。

 出現するモンスターは全て移動しない植物型で、出会ってしまっても簡単に逃げることが可能だし、強さも4つか5つ前の層のモンスターと同程度だ。

 

 更に、モンスターの出現数自体がかなり少なく、その割には安全エリアの数が非常に多いという、レベル上げにはまったく向かない場所ということでも有名だ。

 

 この場所に関するクエストも、つい最近まで1つも見つかっていなかったために、観光目的の場所として作られているのではないかと、プレイヤー間で噂が飛び交っていた。

 

「マーチんとも、何度も来てるんだよ~」

「ばっ――!」

 

 ルイさんの何気ない一言に、マーチは顔を赤くした。

 

「へー。マーチってば、なかなか良いデートスポットをご存知なんですなぁ。奥さんと2人きりでこのようなところでデートとは、隅におけませんなぁ。ふぉふぉふぉ」

「アロマ! てめ!」

 

 何のキャラだと思いつつ、私はアロマさんの後ろから、彼女の頭に手を乗せた。

 

「あー、はいはい、そこまでそこまで」

 

 私の意図を察知したらしいアロマさんは一瞬で逃げようとし、しかしすでに遅く――

 

「あ! や! ちょ! まっ! ぎにゃぁあぁぁぁっ!」

 

 ――マーチをからかったアロマさんの頭を、片手で握るように締めながら、私は場の空気を仕切りなおした。

 

「では、先に確認しておきます。まずヴィシャスさんは、ルイさんと2人でクエストポイントとなっている森中央の《巨聖花》の根元まで行く」

「うっす!」

「いたいセイド、いたいいたい、たいたいたい!」

「そこでクエストイベントを進行し、ボスが現れるであろう選択肢、もしくは会話が発生した段階で合図を出して下さい。可能ならボスのポップは待つように」

「了解っす!」

「だから痛いって! セイド放してよねぇ、いやまじいたたたたたたたたたぁっ!」

 

 とりあえずヴィシャスさんに行動確認を取り、次に、私の手から逃れようとジタバタしているアロマさんの顔を覗き込む。

 

「アロマさんは、何かあったら、すぐに2人のパーティーに参加できるよう2人と一緒に行動して下さい。クエストフラグの関係上、パーティーリーダーはヴィシャスさんなので、ヴィシャスさんからパーティー勧誘メッセージが行くと思いますので、すぐにパーティーに入って下さい。ちゃんと聞いてました?」

「聞いてた聞いてた! 頭締めると今の話抜けてくからやめてイタイ!」

 

 とりあえず聞いていたようなので良しとして、しかしアロマさんは解放せず、手で締めたまま次の確認をする。

 

「ログさんは、森の入口近くで待機してもらって、私からのテキストチャットを確認次第、森を出てマーチに声を掛けて下さい」

「あ、まだ続くの? うぅぅ……」

【わかりました】

 

 実は今回、ログさんも参加している。

 

 クエストに出発する時にはログさんはまだ営業中だったのだが、私たちが出かけてしまうとログさんがギルドホームに来るまでに戻れる確証が無かった。

 そのため、メッセージでログさんに《巨大花の森》に出かける旨を伝えると、ログさんも合流したいという返信があったのだ。

 

 何でも、この森でのみ手に入る木材が不足していたらしく、ログさんはログさんでクエスト攻略中から終了までの間、その収集を行いたいと同行を申し出てくれたのだ。

 これには私たちの誰も反対することは無く、ログさんと47層の転移門広場で合流後、ここへやってきた。

 

 まあ、クエストの内容自体は、ログさんにはまだ(年齢的な意味で)早いと思ったので詳細には説明していない。

 複雑かつ面倒なクエストとだけ言ってある。

 

 ――それはそれとして。

 

「んえぇぇぇん! ルイルイ、ログたん、セイドにやめさせてぇえ! 頭が割れるぅ!」

 

 マーチをからかったアロマさんの頭を鷲掴みしたまま話を進めていたのだが、流石にアロマさんが泣きだした。

 

「……セイちゃん、そろそろ許してあげなよ~」

【アロマさん泣いてます、許してあげて下さい】

 

 ルイさんとログさんのその言葉と同時に、私はアロマさんの頭を離した。

 うずくまって頭を抱え、痛みが抜けるのを待っているアロマさんに、私はため息とともに話しかけた。

 

「まったく……今のマーチをからかうようなら、帰って下さい。そのくらいの空気は読めるでしょう?」

「うぅぅぅ……和ませようとしただけなのに……うぅぅ……」

「知りません。和んでません。逆効果です」

「うぇぇぇえん! ルイルイ~!」

「よ~しよ~し」

 

 今回ばかりは甘やかさなかったので、アロマさんはルイさんに泣きついた。

 

「さて、では、さっさとクエストに行きましょうか。アロマさん、ルイさんの護衛は任せましたよ」

「ぐすん……わかってるよ~だ! ばかせいど! イーっだ!」

 

 さらに最期に私に向かって、アカンベー、をしながら森に入っていくアロマさん。

 痛みも抜けて元気なようで何よりだ。

 

「では、ヴィシャスさん。ルイさんに何かあったら、その首、無くなりますからね」

「う、うっす! 命に代えてもお守りするっす!」

 

 ヴィシャスさんには、決して大げさではない脅――罰則を告げて、クエストに対する緊張感を維持させる。

 アロマさん効果で緊張感に欠けられては困ると、余計な気を回した感じもするが、ヴィシャスさんには相応に効果があったようなので良しとする。

 

「行ってくるね~、マーチん」

「おう、気を付けてな」

 

 ヴィシャスさんもアロマさんに続き森に入り、ルイさんも、マーチとの別れを惜しみつつ森に入っていく。

 

 今現在の私たちのパーティー構成状況は、ヴィシャスさんとルイさんで1つ、アロマさんがソロ、私・ログさん・マーチの3人で1つという形で、それぞれはレイドしていない。

 通常フィールドからダンジョンへ入ると、外のメンバーの姿も見えなくなるし、声もメッセージもテキストチャットも届かなくなるため、パーティーメンバーであってもその隔たりを超えて交信するためには、特殊な結晶アイテムなどが必要になる。

 

 目の前で人が森に、文字通り消えていくというのは、現実では絶対に体験しえない現象だ。

 こういう光景を見るたびに、この世界は仮想世界なのだと、意識し直すようにしている。

 

【今日のセイドさんは、なんか怖いですね】

 

 ちょっと物思いにふけっていたら、ログさんがそんな台詞を文字にしていた。

 

「おう、俺も、ちと怖くなってきた……」

 

 ログさんのその台詞を見て、マーチもそんな一言を洩らした。

 

「あのなぁ……誰のために心を鬼にしてやってると思ってるんだ? マーチ?」

 

 思わずマーチに苦情を言ってしまうと。

 

「分かってる分かってる分かってる! だからそう睨むな! お前マジでこえーぞ今日は!」

 

 マーチはそう言いながら1歩後ずさった。

 ショックだったのは、そのマーチの後ろに、ログさんまで隠れるようにしていたことだ。

 

(むぅ……そんなに険しい顔になっているだろうか。反省……)

 

 私は気を取り直して、ログさんとマーチに最後の確認をする。

 

「うっんん! さて、ではログさんも森の入り口近くで伐採を始めて下さい。マーチ、分かってるとは思いますが、ログさんから連絡があるまで、絶対に森に入らないで下さいね?」

「わ~ってるよ。ったく……ほんと嫌なクエだぜ」

 

 マーチは苦虫を噛み潰したような表情でそう呻いていた。

 

「それには同感ですけどね」

【面倒ですよね、複雑な手順があるクエは】

 

 私とマーチのぼやきに、ログさんは少しずれた感想を述べた。

 クエストの仔細を話していない私たちも悪いが、思わずマーチと見合って、互いに苦笑いを浮かべてしまった。

 ログさんは表情に《?》を張り付けていたけれど、まだログさんには分からない大人の話だとマーチに諭されて、ログさんはちょっとむくれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 何度か訪れたことのある《巨大花の森》だけど、今回は景色が違って見える。

 やっぱり、私の隣を歩いているのがマーチんじゃないからだと思う。

 

「意外に人がいるもんすよね、こうしてみると」

 

 ヴィシャス君は私の心中など知る由も無く、かといって無言でただただ歩くわけでもなく、ちゃんとした会話を振ってくれていた。

 

「そだね~。いっつも思うけど~、意外に女性プレイヤーって多いのかも~?」

 

 ここはデートスポットだ、とは言ったけど、このダンジョンに限らず、この層全体がデートスポットと言ってもいいはずだ。

 《フラワーガーデン》の呼び名は伊達じゃないって感じ。

 

「いやいやいや! この層には女性が多いってだけで、全体数で考えりゃ、圧倒的に女性ユーザーってレアっすよ!」

 

 ヴィシャス君は私にキラキラした視線を向けていた。

 どうもあのデュエル以降、クエストのためだけに私にストーカー行為をしていたものとは違う視線が混じるようになった気がする。

 

「あのさぁ、私もそのレアな女性なんですけど? なんで私を無視してるのかなぁ?」

 

 私を挟む形で一緒に歩いていたロマたんが不服そうに頬を膨らませていた。

 確かにヴィシャス君は、森に入って以降、1度たりともロマたんに話しかけていない。

 

「そりゃ、俺はルイさん一筋っすから! っていうか、ルイさんとアロマさんを比べたら、月とスッポンていうか、お日様とスリッパていうか……」

「……あんた、後で私ともデュエルしろ、泣かすから」

 

 男勝りな台詞を、視線だけで熊でも殺せそうな目つきをしたロマたんが口にした。

 

(うん、今のはヴィシャス君が悪い)

 

 私個人を褒めてくれるのは、それがたとえヴィシャス君であっても嫌じゃないし嬉しい事だけど、ロマたんを下に見るような真似はされたくない。

 とはいえ、私ではヴィシャス君にデュエルで勝てる要素が無いのも、先の1戦で分かったことだから、その辺りも含めてマーチんとロマたんにお願いして、ヴィシャス君にお灸を据えてもらおう。

 

「受けて立つっすよ。皆さんにご迷惑おかけしてるっすから、これが終われば、気の済むまでお相手するっす」

「あんたのそういう根性は気に入ってるんだけどなぁ……」

 

 清々しいまでに潔いヴィシャス君に、ロマたんもある程度は好印象を抱いていたようだ。

 しかし、ロマたんは何とも困ったような表情を浮かべていて、ヴィシャス君をどう評価していいのか迷っているといった感じがあった。

 

「……アロマさんに気に入られても、あんま嬉しくないっす」

「やっぱあんた嫌い」

 

 残念ながら、続いた会話で好印象も一転したようだ。

 ヴィシャス君も余計な一言が無ければ、きっと良いパートナーができると思うけど、それを教えてあげるのは今じゃダメな気がするので、先送りにしておく。

 

(照れ隠しで悪態をつくのは減点だね~。もっと精神的に成長してくれなきゃ~、いくら教えてもダメっぽい)

 

 ヴィシャス君の悪態は、そのほとんどが照れ隠しだと思う。

 女性と会話するのに慣れてないのだろうけれど、その辺りはもっと思慮深く対応できるようにならないと、私が教えたところで意味は無いだろう。

 

 自分で言っておきながら、その後に肩を落としてる辺り、ヴィシャス君にも自覚はあるらしい。

 

 と、考え事をしながら歩いていると、前方左脇から、バラの花をカリカチュアライズしたようなモンスター《敵意ある薔薇(ハストル・ローズ)》がゆっくりと進路上に棘のある蔓を伸ばしていた。

 あの蔓に触ると《敵意ある薔薇(ハストル・ローズ)》に足を絡め捕られることになるけど、結構簡単に蔓が斬れるので――打撃系武器の場合、斬るというより潰すだけど――慌てずに対処すれば問題ない。

 それに何より、本体の薔薇は動けないので、蔓を飛び越していけば戦闘にすらならない。

 

「邪・魔!」

 

 なのに、ロマたんは、その一言のもとに薔薇本体を両手剣で縦に真っ二つにしてしまった。

 それだけで《敵意ある薔薇(ハストル・ローズ)》はポリゴン片となって消えていく。

 

「って、ありゃ? こんなによわっちいの?」

 

 拍子抜けしたというようなロマたんの顔を見て、私は思わず笑ってしまった。

 

「アハハ~、だから言ったでしょ~。ここのモンスターはすごく弱いって~」

「ああ、うん、そなんだけどさ。私ここ初めてだから、それなりに注意してたんだけど」

 

 そう答えながら、ロマたんはどことなく恥ずかしそうにしながら両手剣を背に収めた。

 

「良い事っすよ。初めての場所で油断しないってのは、めっちゃ重要な事っす!」

「あんたに言われると何かムカつくんだけど、ありがと」

 

 複雑な表情を浮かべながらロマたんは私の隣に戻って歩きはじめる。

 

 ロマたんのこの行動は、ひとえにセイちゃんの指導の賜物だ。

 出会ったばかりの頃のロマたんは、初見のモンスターにも、初めて訪れるダンジョンにも、何の予備知識も予防対策も考えずに、モンスターを見つけては特攻するという恐ろしいまでの猪っぷりを見せていた。

 それも、1発目から《剣技》で突っ込む。

 

 モンスターがこちらに気付いていない状況ならそれもありだけど、セイちゃんと一緒に居る場合、モンスターのほぼ全てがセイちゃんに気付いている。

 セイちゃんから離れ、隠れた位置から不意打ちするならまだしも、ロマたんはセイちゃんの隣に立って、真正面から敵に斬りかかる。

 

 そのために、何度か技後硬直も考えずに《剣技》を放って、避けられたところに手痛いカウンターを喰らっていたことがあった。

 セイちゃんが何度となくそのことを注意して、自分のスキルのことも説明して、それを繰り返して、やっとロマたんは1発目から《剣技》で突っ込むという危険なことをしなくなった。

 

「《剣技》で斬り込まなかったのは良いですが、相手が植物系だということを失念していませんでしたか?」

 

 と、後ろからセイちゃんが唐突に話しかけてきた。

 いつの間にか追い付いてきたみたいだ。

 

「ほえ?」

 

 セイちゃんの声に、ロマたんが不意を突かれたように振り返ると、そこにはちょっと険しい表情のセイちゃんがいた。

 

「呆けてる場合じゃなく。植物系、特に花を模したモンスターの多くは、攻撃された時に状態異常効果のある花粉などをばら撒くことがあると教えたはずです」

「あ……」

「やっぱり忘れてましたね……花粉系は範囲効果です。油断するとパーティーメンバーにも被害が及びます。1番気を付けるべきはそこでしょう」

「いや、だって――」

「言い訳してる暇があるなら反省して下さい。幸い、ここのモンスターにはそういった反撃が無いだけで、他ではその一瞬の油断がパーティー全体を危険に晒すんです。注意していたのなら、何故縦に斬りました? 花本体を残せば花粉の反撃は無い事も教えてありますよね?」

「うぅ……」

「全く……アロマさんには、まだまだしっかりと覚えてもらわないといけないことが多そうですね。今夜は私に付いてきて狩りをするのではなく、自分でその辺りの復習をして下さい」

「ええええっ?!」

「何か文句でも? 以前にそういう約束をしましたよね?」

「うぅ……はぁい……」

「明日の朝にはその辺りのテストもしますから、全て答えられなければ、その日の夜狩りもアロマさんはついて来ないように」

「分かったよぉ! しっかりやるから怒んないでよぉ!」

 

 ――その後もしばらくセイちゃんのお説教は続いた。

 私はヴィシャス君を促して先に進むことにした。

 

「い、いいんすか? あの2人置いてっちゃって」

「い~のい~の。いつものことだから~」

 

 私は慣れっこだけど、ヴィシャス君は何度となく後ろを振り返って2人のことを気にしている。

 

「いつものこと……セイさん、おっかねーっすね……」

「そだよ~。期待してる人にはすんごく厳しいよ~」

 

 私のその一言に、ヴィシャス君は疑問を持ったようだ。

 

「期待してる人には? どーいうことっすか?」

「セイちゃんは自分が期待してる人には色々と教えてあげるけど~、決して甘やかさないんだ~。元々親切なのがセイちゃんだけど~、期待してない人にはその後のフォローも何もないことが多いからね~。ああやって~、ロマたんを甘やかさないのはその証拠なんだよ~。セイちゃんのこと~、多少知ってるなら何か身におぼえな~い?」

 

 私がヴィシャス君にそう聞き返すと、彼は何か思い出すように考え込み。

 

「あ! 確かにそっすね! 自分も1回、ボス戦前に注意されたことがあるっすけど、そん時、セイさんの事まだ全然知らなくて、完全に聞き流したんす。そしたら、注意されたことをボス戦でミスって、でもあんな風には怒られなかったっすね。すんごい冷たい目で見られただけっす」

 

 そのヴィシャス君の言葉を聞いて、私は思わず笑ってしまった。

 まあ《DDA》攻撃部隊サブリーダーなんて役職の人が、名前も知らない小規模ギルドのプレイヤーに何か注意されるとか、普通はありえないだろうから気持ちはわかるけど。

 

「それって一応注意はしたけど、ヴィシャス君にそこまで期待はしてないってことになるんだ~。今後も付き合いがあるか分からないからだと思うし~、ヴィシャス君が失敗しても大事にならないからだと思う~」

「そっすね……自分がミスっても、うちのリーダーがすぐカバーしてくれましたし」

「セイちゃんって、そ~いうところがドライなんだよ~。もしヴィシャス君のミスで~、全体が危険な目に合うようだったら~、注意するときに~、もっとしっかり話をしたと思うし~」

 

 セイちゃんの本当の実力は、私たちみたいな小規模ギルドでは発揮しきれない、驚異的な指揮能力にあると私は思っている。

 《警報(アラート)》なんて言うスキルもそうだけど、それが無くても、セイちゃんの指揮能力は高い。

 

 私とマーチんは、セイちゃんと色んなゲームを一緒にしてきたけど、その度に毎回思い知らされてきた。

 セイちゃんは自分が最前線で戦って戦場を引っ張るのではなく、戦場の中央で、自分は動かずに全体の指揮を執るタイプだ。

 

 本気でそういう系統のゲームの世界大会とかに出てもいいのではないかと、私もマーチんもセイちゃんに話したことがあるけれど、セイちゃんは、そんな実力は無いの一点張りで、参加申し込みすらしなかった。

 セイちゃんの実力は疑わないけど、世界でどの程度通用するのかは、正直なところ私にもマーチんにも分からない。

 少なくとも、良いところまでは行けると、私たちは思っている。

 

「むむむ……尚更セイさんには攻略組として戦ってもらいたいっすね……そんだけ気が付けるなら、戦闘の指揮を執るのも上手そうじゃないっすか」

 

 と、ヴィシャス君もこの話の流れだけでセイちゃんの本領に行きついたみたいだ。

 流石、最前線で戦い続けるプレイヤーなだけはある、というところだろうか。

 

「今の所、《KoB》の団長さんとか副団長さんが指揮を執ることが多いっすけど、セイさんなら、あの人らに並ぶかそれ以上の指揮が執れる気がするっす!」

「ん~、ど~だろ~ね~」

 

 私は簡単な返事をするだけにとどめた。

 下手なことを言えばセイちゃんが最前線に引っ張り出される口実を作ることになるかもしれない。

 

 ちょっと喋り過ぎたかなと、反省して、私は黙って歩いて行くことにした。

 

 隣では未だに何やら考えているらしく、唸っているヴィシャス君。

 後ろからは、お説教が終わったらしく、ロマたんとセイちゃんが駆け足で合流してきたところだった。

 

 もう少し行けば、クエストのポイントとなるらしい《巨聖花》の広場だ。

 

 



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第六幕・見上げる花

鏡秋雪様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

お気に入り登録件数が……610件にまで増えておりました……(>_<)
こんなに増えているとは……皆さんに読んでいただけていることに感謝します!
それと同時に、皆さんに楽しんでいただけるように、今後とも努力していきます!m(_ _)m



 

 

「ほへぇぇぇ! すんごい花だねぇ!」

「何度見ても綺麗だね~」

 

 アロマさんとルイさんは、その樹を見上げながら、そんな感想を漏らした。

 

「この大木が《巨聖花》って呼ばれてる花っす!」

 

 ルイさんの隣に立っているヴィシャスさんは、この場にいるメンバーで初めて来ているのはアロマさんだけだというのに、《巨聖花》の説明を、とても簡単に述べた。

 

「どう見ても樹なのに、NPCの説明は、どれも《巨聖花》って名前で統一されてるんすから、変なもんすよね」

 

 ヴィシャスさんは、ルイさんやアロマさんのように感慨にふける様子も無く、しかし、それ以上の説明をする様子も見受けられなかった。

 

 私たちがこの場に辿り着いたのは、クエスト要件となる黄昏時よりも少し早目の時間だった。

 

「ん~……少し早く着いたっすね。流石に急ぎ過ぎたっすかね?」

「この森に入ってからは~、全然走ってないよね~?」

「セイドがせっかちなだけじゃん!」

 

 《巨大花の森》は道も単純で敵も弱いため、移動そのものにはあまり時間がかからない。

 それは分かっていたが、クエストの準備や確認を早めにするのは、当然のことだと思う。

 

「普通です。開始時間に遅れるようでは問題ですが、早い分には問題ないんですから。それに――」

 

 私は時間を確認した。

 時刻は17時半少し前――日没、つまり黄昏時まで約30分ある。

 

「ヴィシャスさん、開始時間は約30分後ですね?」

「そうっす。日没開始頃から行けるっす」

「では、この30分を使って、ヴィシャスさんにも合図を覚えてもらいましょう」

 

 そう言うと、ヴィシャスさんは眉間に皺を寄せた。

 

「合図って……何の合図っすか?」

「そう難しいことは言いませんよ。私たちが普段使うイベント中の手を使った合図です。ルイさんとアロマさんは、この広場内で、適当に時間を潰して居て下さい。パーティー状態などは解除しないように」

 

 私の指示にルイさんとアロマさんは返事をして、少し離れていく。

 代わりに私はヴィシャスさんと向かい合い、簡単な合図を教え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「この場所を使う何かのクエストがあるんじゃないか~、って噂はあったんだけどね~。今まで発見されてなかったんだよ~」

 

 私とロマたんは特に何をするでもなく、《巨聖花》の広場の端に腰を下ろしていた。

 

「敵のポップもなし~。クエストもなし~。でも安全エリアじゃな~い、っていう用途不明の場所でね~」

「ふーん……」

 

 ロマたんに至っては寝ころんでいる。

 安全エリア外なのにモンスターが出ない場所だと分かれば、そうしたくなる雰囲気のある場所だから、それは気にしない。

 

(マーチんも、いっつも寝ころぶもんね~、ここに来ると~)

 

 マーチんの場合は、私が膝枕してあげたりするけど、ロマたんは普通に大の字に寝転がっている。

 なんというか、本当に男前だと思う。

 

 私は《巨聖花》を見上げながら話を続けた。

 

「この花は~、この森の~、この場所しか咲いていない花で~、そういった情報が近場のNPCから聞けてね~、だから名前だけは分かってたんだって~」

「それが《巨聖花》かぁ……しっかし、おっきいのに綺麗だねぇ」

 

 《巨聖花》を現実の花にたとえるのなら……白というよりは、銀――いや、白金(プラチナ)色の花を満開に咲かせた桜の樹をイメージするのが一番分かり易いと思う。

 ただ、咲いている花の1つ1つが大人の頭部程もある大きさで、樹そのものも、上層の底に届くのではないかというほどの高さがあるらしい。

 全体の大きさなんかは、私には計り知れないところだ。

 

「NPCの話によると~、この樹の下で愛を誓うと~、永久の愛を約束される~、ってことらしいんだけどね~」

「アハハ! なんかの伝説の樹みたいな話って、やっぱり何処にでもあるんだねぇ!」

「でもさ~……旦那さん、それでも不倫されちゃってるんだよね~……」

「あ……ダメじゃん! その伝説!」

 

 ロマたんのその言葉で、私とロマたんは思わず笑ってしまった。

 

「でも、そんな場所だからこそ、こんなクエになるんだろうけど……ルイルイにはいい迷惑だったねぇ」

 

 ロマたんは体を起こしながら苦笑いを浮かべてそう呟いた。

 

「まあ~……これで解決するわけだし~、良いってことにするよ~。マーチんこそ、いい迷惑だったと思うけどね~」

 

 私は視線をヴィシャス君に向けた。

 ヴィシャス君はセイちゃんに合図を教え込まれている。

 

「……流石に覚えが速いね~」

 

 ヴィシャス君は最低限の内容とはいえ、セイちゃんの教えた合図をすぐに覚えているようで、すでに確認作業に入っているようだ。

 

「むぅ……私はなかなか覚えられなかったのに……」

 

 ロマたんは、そんなヴィシャス君とセイちゃんのやり取りを睨むような目つきで見ていた。

 

「ん~……でも、教えてるのは5通りくらいだよ~。ロマたんは全部覚えたんだし~、比べなくてもダイジョブだよ~」

「5通り覚えるのも苦労したんだから……やっぱあいつ嫌いだ……」

 

 そう言って頬を膨らませるロマたんを、私は頭を撫でて慰めた。

 

 

 

 

 

 

 

「では時間になりましたので、クエストを進めましょうか」

 

 必要になるであろう合図を数パターン、ヴィシャスさんに教えたところでクエスト開始可能な時間となった。

 

「うっす! んじゃ、ルイさん、お願いするっす!」

「は~い」

 

 ヴィシャスさんはルイさんとともに、巨聖花の大樹の根元に歩いて行く。

 私とアロマさんは念のため、2人から離れ、広場の入り口辺りに待機し、私はログさんにクエストを始める旨のテキストを送ったところだった。

 

「ねえねえセイド。何が起こると思う?」

 

 アロマさんは2人を見つめながら私にそんな質問をしてきた。

 

「随分とアバウトな質問ですね……まあ、予想だけなら何通りかありますが」

「まあ、その中でセイドが一番可能性の高いと思ってるやつを話してよ」

 

 ただ静かに待つのが苦手なのだろう。

 アロマさんはこの後、戦闘が起こるであろうことを期待している節がある。

 体を終始ソワソワと動かしているのがその証拠だ。

 

「……予測の話ですからね、一応。私の想像通りなら、あのクエスト受注NPCがここに現れるのではないかと思います」

 

 ヴィシャスさんとルイさんが巨聖花の根元に着くと、ルイさんとヴィシャスさんが揃って右手を挙げた。

 イベント開始の合図だ。

 

 私はログさんにクエストが始まった旨をテキストで伝え、何時でもマーチに連絡できるように待機をお願いする。

 おそらく2人は、何かのイベントを体験しているはずだ。

 しばらくすると、2人の前――巨聖花の大樹の陰から1人の男が歩み出てきた。

 

「ぉ、何か出たよ出たよ……ん~……セイドの予想通り?」

「ふむ……」

 

 現れたのは、このクエストの受注用NPCであり、クエストの話をしてくる《奥さんに逃げられた不幸な旦那さん》だった。

 何かしらのイベントの流れで旦那さんが登場したのだろうが、ヴィシャスさんに喜ぶような様子は見られない。

 

「……これは、ヴィシャスさんには、残念な結果かもしれませんね……」

 

 その旦那さんNPCに背には、ヴィシャスさんが報酬なのではないかと期待した豪華な両手槍がある。

 そんなものを背負ったNPCが、奥さんとの思い出の地に、不倫(という状況を意図的に作った)プレイヤーの前に現れたのなら、結論は1つではないだろうか。

 

 つまり、私の予想は良い意味でも悪い意味でも当たっていたことになる。

 

「あれが、ボスでしょうね」

 

 そして、まずヴィシャスさんの左手が挙げられ、少し遅れてルイさんの左手が挙げられた。

 ボス出現の予兆を感じた合図だ。

 

 この辺り、ルイさんよりヴィシャスさんの方が速かったのは、攻略組としてボスの登場するクエストを数多くこなしてきた経験の差が出たのだろう。

 

「アロマさん、よろしく」

 

 私はヴィシャスさんが右手を操作しメニュー画面を呼び出したのを確認して、アロマさんに声を掛けた。

 ヴィシャスさんからアロマさんへのパーティー勧誘のメッセージが届くはずだ。

 

「おっしゃぁぁ! あの旦那さんには悪いけど、槍ごと叩っ斬ってやる!」

 

 アロマさんは掛け声とともに駆け出そうとし、しかし私はそれを止めた。

 

「いえ、やめて下さい。あくまでマーチが着くまでの時間を稼いでください。ボスのHPだけなら半分までなら削って構いません。但し、槍は絶対に破壊しないように」

「ええええっ! 手加減しろってこと?!」

 

 不満げにこちらを見返すアロマさんに、私は事も無げに言い返した。

 

「手加減するほど余裕のないボスなら、すぐ合図を出して下さいね。いつでも代わりますよ」

「……ふぁーい。いってきまーす……」

 

 こう言われると、負けず嫌いのアロマさんの事だ。

 何が何でも時間を稼ぎ、且つ槍も破壊しないだろう。

 しかし、そうはいっても不承不承といった感じで、アロマさんはルイさんとヴィシャスさんの元へと駆けて行く。

 

 すると、ヴィシャスさんは上げた左手を左右に振り始めた。

 

(イベントが勝手に進行するタイプでしたか。ボスの登場は遅らせられないようですね)

 

 ヴィシャスさんの合図は、イベントの進行を止められない合図だ。

 

 旦那さんの言葉に対して、ヴィシャスさんやルイさんが何か反応を返すことでクエストの結末が分岐するタイプのクエストなら、反応を返さないという方法でイベントの進行を遅らせることもできるが、このクエストは、イベントがオートで進み、ある程度まで進むとボスが登場、戦闘開始となるタイプなのだろう。

 

 アロマさんが2人の元に辿り着き、ルイさんの前に出るよりもわずかに速く、旦那さんNPCが背にした槍を構えた。

 その時にはすでに、ルイさんもヴィシャスさんもそれぞれの武器を手にしていた。

 

 そうして《黄昏の逢瀬》クエストのボス戦が開始となった。

 私はすぐにログさんに、マーチにこちらに来るように伝えてもらう旨の文章を送った。

 

(さてさて、あとはどうなります事やら)

 

 色々な予測は立てたが、この先ばかりは運任せだ。

 このクエストを考えた人の性格によることになる。

 

 

 

 

 

 

 

「ルイィィィィッ!」

 

 マーチが到着したのは、ボス戦開始からわずか5分後のことだった。

 

「ちょ! はや! マーチ! ログさんはどうしたんですか?!」

 

 私たちは入り口からこの広場まで約30分かけて歩いて来た。

 その道のりを、マーチは約5分で走破したことになる。

 

 この速さで着くということは、マーチは敏捷値全開で、途中の敵も何もかも、無視して走ってきたのだろう。

 まあ、敵は動けない植物型なので、トレインの危険は無いとはいえ、相応に人のいる道を全力疾走するというのは、それはそれで迷惑行為だと思う。

 

 それに何より、ログさんがこちらに来ている様子が無い。

 

「行ってくれって言われたんで、遠慮なく置いてきた! ルイ! 無事か?!」

 

 あっさり置いてきたと言い切ったマーチは、私のことなど眼中にない様子でルイさんの様子を心配するばかりだった。

 

「だいじょ~ぶ。ヴィシャス君とロマたんがほとんどやってる感じ~」

 

 当のルイさんは無傷のまま、今の所ヴィシャスさんとアロマさんがボスと切り結んでいるばかりだ。

 ルイさんは、ただの1度も打ち合う事すらしていない。

 

「マーチ……いくらなんでも焦り過ぎです。あの2人が付いていてルイさんに万が一があるはずがないでしょう」

「ヴィシャスもアロマも、信じ切るにゃ頼りねえ所があるからな。気が気じゃなかったぜ」

「ちょっとぉ!? 聞こえてるよー! マーチィ!」

 

 ボスの繰り出す両手槍スキルを、その手にした両手剣で見事に受け流しながら、マーチの言葉を聞いたアロマさんが、すかさずツッコんだ。

 とんだ地獄耳だ。

 

「しっかり守れてるんだから、文句言われる筋合いは無いよぉ!」

 

 アロマさんの文句も(もっと)もだとは思うが、今はそれよりボスの削れ具合の確認が先だ。

 

「それはともかく。ヴィシャスさん、ボスのHPは?」

「残り6割ってとこっす!」

 

 ヴィシャスさんのその言葉が聞こえたと同時に、アロマさんの斬撃がボスと化した旦那さんを捉えた。

 今の1撃で、おそらく残りのHPは半分を切っただろう。

 

「ではヴィシャスさん、マーチを誘って下さい。それでおそらく、ボス戦は終わるはずです」

「りょ、了解っす! ほんとにコレでクエスト失敗にはならないんすよね?!」

「ならないと思いますよ。(多分)」

 

 最後の多分という部分は、ヴィシャスさんには聞こえないように小声で呟くに止めた。

 

「その、ボス戦が終わるって意味がよく分からんのだが?」

 

 マーチは、メニュー画面を操作しつつ、ゆっくりと前に進みながら私にそう問いかけた。

 

「確証はないですよ。初めての試みなんですし」

「それでも話してもらわなきゃ、俺には何が何やらさっぱりなんだよ」

 

 私もマーチに合わせて少しずつ前進しながら、今回のクエストに関しての予測を話してみた。

 

「ん~、つまりですね。旦那さんNPCをプレイヤーに例えて考えてみると、奥さんに逃げられた自分とマーチを重ねて考えている、という設定ができるのではないかと予測しました。自分の思い出の場所に、浮気相手と一緒に誰かの奥さんがいる。自分の時はそれを阻止できなかった。同じような苦しみ・悲しみを生まないために浮気相手の男を殺してでも――というような危険な思想に至っても変じゃない。というか、旦那さんNPCの台詞にはそういった雰囲気が漂っているようですから」

 

 私の説明を聞き、マーチは呆れた様な表情を浮かべつつ、納得したようだった。

 

「なーる……だから、ルイと浮気相手が襲われるって展開になるわけか。そこに俺が行くことで、旦那の心境としては、『ああ、俺と違ってこの奥さんの旦那さんは間に合ったのか。俺のすべきことではなかった』みたいな展開になるってのがお前の考えなわけだ」

 

 私の話を聞いたマーチにも、先の展開が予測できたようだ。

 

「そういうことです。さ、マーチ、ルイさんの元に行ってあげて下さい。そこでカッコ良くルイさんを抱きしめて、何か台詞の1つでも決めてきて下さい」

 

 しかし、私のこの言葉は、マーチの予測にはなかったようで、目を大きく見開いて、こちらを見返している。

 

「……え、それ、マジで?」

 

 そんなマーチを、私はまっすぐ見つめ返しながら言葉を続ける。

 

「戦闘終了要件が不明な分、真面目にお願いしますよ」

「……本当にマジで?」

「マジです」

「……マジか……人前で……照れくせぇな、それは……」

 

 そう言いながらもマーチは、ルイさんのもとに駆けていった。

 

(まあ多分、本当はそんなことをする必要はまったくないと思いますけどね。そのくらいのことはしても(ばち)は当たりませんよ)

 

 

 



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第七幕・頽れる心身

斬【Zan】様、鏡秋雪様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

お気に入り数、620件越え……皆様、本当に、ありがとうございます……(つ_T)

SAOの二次創作が増えてきて、読まれなくなる日が来るかもしれないと思うと戦々恐々とする所半分、自分の知らないSAO作品に出合える楽しさ半分が同居するという……書き手になったが故のジレンマがありますが……w
それもまた楽しいですね!(>_<)
今後も楽しんで読み、そして書き続けていきたいと思います。
お付き合いいただければ幸いです!m(_ _)m


 

「何で……何でこんなことに……」

 

 辺りはすっかり暗くなり、夜の帳がアインクラッド全体を包んでから、既に2時間以上が経過している。

 そんな中、私の前を歩く彼の呟きは、辛うじて私の耳に届いた。

 

「ってか……何でこんな目に……」

 

 彼――ヴィシャスさんは、見た目上はHPゲージも満タンで、装備も至って正常だ。

 それどころか、彼が今背負っている大型の槍は、他では見たことのない特殊な意匠を施された、一見するだけでレア物だと分かる一品だった。

 

 それこそが、彼が欲してやまなかった《黄昏の逢瀬》クエストの報酬武器だった。

 ヴィシャスさんは、苦労の果てに、ついに念願の槍を――名を《黄龍偃月刀(おうりゅうえんげつとう)》というらしい、要求筋力値が高い重槍を――手に入れたのだ。

 

 だというのに、ヴィシャスさんの歩く姿は疲労感に満ち溢れている。

 

「……セイさん」

「はい?」

 

 唐突に呼ばれ、私は思わず足を止めた。

 私の歩みが止まったのに気が付いたヴィシャスさんも、歩みを止めて体ごと私に振り向いた。

 

「何でこんなことになったんすかね……」

 

 そう呟いた彼の顔には、途方もない疲労感とともに、ある種の絶望も見て取れた。

 まあ、単に周りの街灯に照らされた彼の顔が、そう見えただけかもしれないが、事情を知っているので間違いないだろう。

 

「そう……ですね……まあ……自業自得と言うしかないかも知れませんね」

 

 身も蓋もない私の回答に、ヴィシャスさんはついに膝から頽れ、両手を地面について項垂れてしまった。

 その姿を見て、私は苦笑を浮かべるしかなかった。

 

 慰めるのもお門違いだし、そもそも彼自身が招いた事態であることに違いないのだ。

 私は、ヴィシャスさんになんと声を掛けて良いのか迷いながら、事の顛末を思い返した。

 

 

 

 

 

 

 

「何でっすか?! 何でなんすか?! 何でこうなるんすかぁぁぁぁぁ!!」

 

 クエストを終えた直後、悲鳴に近い叫びを上げたのはヴィシャスさんだった。

 

 《巨聖花》の広場にヴィシャスさんの叫びが響き、周囲にいた人たちからの視線が彼に突き刺さる。

 デートスポットでもあるこんな場所で、そんな叫び声を上げれば、それは睨まれても当然だろう。

 

 とはいえ、当の本人はそんなことを気にしている余裕も無く、頭を抱えているので、その視線に気が付かない。

 

 ――クエストの結論だけで言えば、私の読みは正しかったと言える。

 

 マーチがルイさんの元に駆け寄り、ルイさんを抱きしめた段階で、ボス役だった旦那さんNPCの動きは止まり、HPゲージがディセーブル――《無効化された》状態に戻ったのだ。

 クエストのイベントがどのような進行だったのかは、クエストの受注者であり不倫の相手役となったヴィシャスさん、不倫をした妻役のルイさん、不倫をされた旦那役のマーチという3人にしか分からなかったようで、パーティーに参加したのに仲間外れにされたと、アロマさんは大いに拗ねていた。

 

 ちなみに、マーチはルイさんを全力で抱きしめて、私の進言通り、何か決め台詞を言ったらしいが、実はそれがクエストには必要が無かったと分かったらしく――

 

「セイド……てめぇ……謀ったな?」

 

 ――と、人聞きの悪い文句を付けるばかりで、どんな台詞を口にしたのかは教えて貰えなかった。

 後でからかう材料にしたいと思っていたのに、《聞き耳》を使い損ねたのは残念でならない。

 

 何はともあれ。

 

 クエストはこれにて見事クリアとなり、クエスト報酬もヴィシャスさんの読み通り、旦那さんNPCの使っていた高級感溢れる豪奢な両手槍だった――のだが。

 ここで、ヴィシャスさんの思惑とは違うことが起こった。

 

 クエスト報酬を受け渡されたのが、何と、一度も戦闘を行わず、パーティーに参加もしておらず、ルイさんを抱きしめただけのマーチだったのだ。

 まあ、旦那さんNPCの思考を素直に考えればそうなるのも頷けるが、クエスト受注者本人には何もアイテムなし、というのも酷いクエストだと思った。

 

 なんにせよ、その事実を突き付けられたヴィシャスさんの第一声が、先の悲鳴だった。

 

「ハハハ! 何か、よく分からんが、残念だったな!」

 

 ヴィシャスさんの打ちひしがれる姿を尻目に、嬉々としているのはマーチだ。

 ルイさんへのストーカー行為に対して、かなりのストレスを溜め込んでいたマーチは、ここぞとばかりにヴィシャスさんをいじめる気だろう。

 

「マーチ。クエスト開始前に言いましたよね?」

 

 弱い者いじめは見るに堪えないので、助け舟を出すことにした。

 

「ん? 何の話だ?」

「クエスト報酬であるその槍は、ヴィシャスさんに譲る約束です。いじめずに渡してあげて下さい」

 

 私の言葉に、ヴィシャスさんが縋るような視線を向けているのに気が付いた。

 

(……いや、別にヴィシャスさんのために言ってるわけではないんですが……まあ、良いとしましょう)

 

 私としては、単にイジメが嫌いなだけで、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 

「ったく、わーってるよ。ちゃんと渡すさ。但し――」

 

 私の指摘に、マーチは槍を前に突き出し、しかしヴィシャスさんに渡す直前で、但しと言って引っ込めた。

 

「――俺とのデュエルが終わったらな」

 

 マーチはここで、ヴィシャスさんとのデュエルの約束を持ち出してきた。

 

「お前が勝ったら即座に渡してやる。だがもし、お前が勝てない場合は……そうだな、10戦したら渡してやるよ」

 

 マーチは口元だけが笑っていて、目は完全に本気だった。

 今の発言は、裏を返せば『ヴィシャスさんに10回勝つ』と宣言していることにもなる。

 

「よ、よかったっす……デュエル、謹んでお受けするっす! 悪いっすけど、1戦で終わらせるっすよ!」

 

 マーチが槍を渡してくれるつもりでいることが分かったことで、ヴィシャスさんは本気で安堵したようだ。

 それを見ていた私は、心中で合掌するしかなかった。

 

(まあ、頑張って下さい。多分、10敗確定でしょうが)

 

 正直な話、マーチにデュエルで勝てるプレイヤーは、SAO全体から探しても片手で数えられる程度だと、私は本気で思っている。

 その片手の人数に、ヴィシャスさんは入らないだろう。

 

 私の心中など露知らず、ヴィシャスさんとマーチは早速、間合いを取って相対している。

 

「んじゃ、初撃決着で行くぜ」

「うっす! よろしくお願いするっす!」

 

 マーチからヴィシャスさんにデュエル申請が送られ、すぐに了承されて、2人の間でカウントダウンが開始される。

 

 普段なら、このような人目に付きやすい場所でデュエルなどしないマーチだが、今は、一刻も早くヴィシャスさんに灸を据えたい一心なのだろう。

 その表情は、既に笑顔では無く、とても無表情だった。

 力むのでもなく、油断するのでもなく、ごくごく自然体で立ち、左腰に()いた太刀は鞘に収められたままで、両の手は刀に添えることすらせず、だらりと垂れ下げているだけだ。

 これが、本気でデュエルする時のマーチの立ち姿だ。

 

 おそらく、ヴィシャスさんならこの時点で、マーチの攻撃方法は分かるだろう。

 

 ――すなわち、マーチが《居合い》を狙っている、と。

 

 そして、それ故に、ヴィシャスさんは勝てない。

 カウントダウンに合わせて、ヴィシャスさんは背負っていた偃月刀を、ルイさんの時と同じく上段に構えた。

 

「アロマさん、よく見ておくといいですよ。今回は、マーチの本気が見られるはずです」

 

 以前、マーチの本気を知らないと言っていたアロマさんには、一応伝えておく。

 

「ぉ、マジでマジで?! よっしゃ、しっかり見せてもらお!」

 

 すると、戦闘に関しては人一倍興味を持つアロマさんらしく、マーチに意識を集中させたようだ。

 

「ふふ。マーチん~、ロマたんも見てるから~、しっかりね~」

 

 ルイさんの声援を受け、しかしマーチにしては珍しく無反応だった。

 

「……あれは……入ってますね……」

「だねぇ~、もう何言っても聞こえないね~」

 

 マーチの集中力は、今や周囲の雑音を完全に遮断している。

 今マーチに聞こえるのは、ヴィシャスさんの発する音だけだろう。

 

 カウントダウンが進み、デュエル開始まで残り5秒――4――3――2――1――

 と、ここに来てヴィシャスさんは構えを一瞬で脇構えに切り替え、次の瞬間にはカウントがゼロになりデュエル開始となり――

 

「フッ」

 

 ――ヴィシャスさんから聞こえたのは小さな呼気と僅かばかりの踏込の音。

 しかし動きは驚異的な加速を見せ、ヴィシャスさんはマーチへと突進し――

 

 

 

 《WINNER/March TIME/00:01》というウィンドウが表示された。

 

 

 

 ――瞬間、ヴィシャスさんは何が起こったのか、全く理解できていなかったようだ。

 声を出すことすら忘れて《デュエル勝利者宣言メッセージ》を見つめ、その場を動いてすらいないマーチに数瞬の後には偃月刀が突き刺さるという姿勢で固まっている。

 

「へ?」

 

 間の抜けた声を漏らしたのは、アロマさんだった。

 

「ほれ、まず1戦終了だ。次始めるぞ。さっさと回復しな」

 

 呆けているヴィシャスさんに、マーチは微動だにせぬまま容赦のない一言を浴びせる。

 

 初撃決着のデュエルでマーチが勝ったのだから、ヴィシャスさんは強攻撃を1撃受けているはずだ。

 それを証明するように、彼のHPはしっかりと1割減っていた。

 

「な……なんすか……何が起こったっすか……」

「おい、早くしろよ。槍が欲しいんだろ?」

 

 酷く平坦なマーチの言葉に、ようやく現実に意識が戻ったヴィシャスさんだが、事態は全く把握できていないままのようだ。

 その状態であっても、回復ポーションを口にして、次のデュエルに備えてマーチとの間合いを取り直したのは、流石というべきだろう。

 

「ちょ! 何今の?! セイド、説明!」

 

 多分……いや、間違いなく今この場で1番騒がしいのはアロマさんだ。

 

「説明は、10戦終えてもアロマさんが分からないと言うのであれば、して差し上げます。とりあえず10戦終えるまでは黙って見てて下さい」

 

 私のこの台詞に、アロマさんは大いに敵愾心を刺激されたようだ。

 『セイドに説明されてなるものか』という気概が見えるかのように、アロマさんは押し黙ってデュエルに意識を集中させた。

 

(まあ、アロマさんなら、少なくとも5戦ほど見れば何が起こっているのか位は分かるでしょう)

 

 マーチのしていることはとても単純なのだ。

 但し、それが常識外の速度で繰り出されているだけで。

 

 と、デュエルのカウントダウンが始まった。

 

 ヴィシャスさんの表情には、正体不明の攻撃による恐怖が僅かばかり見て取れた。

 故に、慎重を期してか、ヴィシャスさんは中段の構えを取っていた。

 ある意味、基本に忠実で、攻防に長けた構えではある。

 

 しかし――

 

 カウントダウンがゼロになり、それでもヴィシャスさんは突っ込まなかった。

 相手の攻め手が分からない以上、受けてからの返しを狙うというのは当然の発想だろう。

 

 だが無情にも、先ほどと同じく、マーチの勝利を宣告するウィンドウが現れる。

 差があるとすれば、試合時間が2秒だったことと、マーチの立ち位置が開始時の場所かヴィシャスさんの目前近くにまで移動していたことくらいだ。

 

「――っ?!」

 

 ヴィシャスさんのHPだけで見れば、先ほどよりも圧倒的に多い、4割近いHPが減っていた。

 1撃を受けた箇所が赤い線として体に残るのだが、ヴィシャスさん本人には見えない位置――恐ろしいことに、首筋に赤い線が走っている。

 つまり、弱点へのクリティカルヒットとして判定され、HPが大きく削られたのだ。

 

「2戦目、終了。回復しな」

 

 マーチはそれだけ言い放ち、ヴィシャスさんに背を向けて立ち位置に戻りつつ、デュエル申請をヴィシャスさんに送りつけたようだ。

 ヴィシャスさんは、恐怖に打ち震えながらも、何とか回復ポーションを飲み、回復し終わると同時にデュエル申請を了承した。

 

 2人の間で、3度目のカウントダウンが始まる。

 

「分かっちゃいると思うが、俺は別に《剣技(ソードスキル)》を使ってるわけじゃねえ。クリティカルヒットしても死にはしねえだろうから、安心して切り刻まれろ」

「っ!? つ、次は……見極めてやるっす……」

 

 売り言葉に買い言葉で、ヴィシャスさんも何とか言葉を返したが、その表情にも声音にも全く余裕が無い。

 

 マーチは相変わらず自然体で立っているだけ。

 ヴィシャスさんは、今度は偃月刀を自身の体の右寄りに立てて構え、首への攻撃を防ぎつつマーチの攻撃の軌跡を今度こそ見極める姿勢を見せた。

 

 流石に、マーチが《居合い》による超高速の斬撃を繰り出していることは理解しているのだろう。

 だが、ヴィシャスさんはその時のマーチの動きが目で追えないのだ。

 私の隣で2人のデュエルを黙って見ているアロマさんも、おそらく同じだろう。

 

(しかし、それで防げるのなら、マーチはここまで強くありませんよ)

 

 やはり、ヴィシャスさんには心中で手を合わせてあげることしかできそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 マーチの手加減の無さというか、本気の戦闘は久しぶりに見た。

 マーチが最も得意とする技は、今目の前で行われている通りの《居合い》だ。

 人によっては《抜刀術》と表現した方が理解しやすいかもしれない。

 

 曲刀の上位スキルとして手に入るエクストラスキルに類する《刀》スキルだが、曲刀を根気強く使い続けていれば入手できることが多く、エクストラスキルとしてはメジャーな部類だ。

 また、本来の《居合い》とは、座った状態からの抜刀が基本となるのだが、流石にゲームの世界では立った状態からの抜刀が、居合い系剣技の基本となっている。

 

 しかし、刀を使うプレイヤーでも、《剣技》だけを抜き出してみると、対人戦(デュエル)で居合い技を使うプレイヤーはかなり少ない。

 

 理由としては単純で、読まれやすいからだ。

 

 刀を鞘に収めたままデュエルに臨む時点で居合いを使うと相手に教えているのだから、相手は居合いの《剣技》にのみ狙いを絞り対応を考えればいい。

 また、多くの刀使いたちは、居合いを使う際に柄に手を置き、いつでも抜き打ちができるように身構えてしまうため、ますます受ける側に攻撃を予測させやすくしている。

 居合い系の《剣技》は、確かに全武器中最速を誇る技だが、それでも技を予測されているのでは防がれやすくなる。

 

 そういった点から、デュエルでの居合いはあまり見かけなくなったのだが、マーチの居合いは、通常のそれとは比べ物にならない。

 

 まずそもそも、柄に手を置かないし、体も構えない。

 ごく自然体でいるだけだし、放たれる1撃は《剣技》ではないので、ライトエフェクトすら伴わない。

 デュエルなのに、一切気負わない態勢で、一見隙だらけとしか見えない。

 

 のだが――

 その状態のマーチに近寄ると、いつの間にか斬られる、という状況が発生する。

 それが、マーチの本気の居合いの《技術》だ。

 

 システムに規定された技ではなく、その身1つで手に入れた技――マーチはこれを《無拍(むはく)》と呼んでいる。

 

 正直に言えば、私もマーチの右手がいつ刀を抜いたのか、見えた(ためし)はない。

 《警報(アラート)》スキルをもってしても、マーチ特有のシステム外スキルなだけあってか、《無拍》で斬られた後に攻撃予測線が見えるという、意味のない事態が発生したほどだ。

 

 先ほどまで普通に力なく垂れ下がっていた右手が、気が付くと柄のところにあり、その時には刀は納刀(のうとう)された後で、相手はすでに斬られている、というのが、マーチの居合いだ。

 

 《居合い》の斬撃だけならば《剣技》を用いることで似たことができるプレイヤーも存在するかもしれないが、こと抜き手の瞬間までの速度や体捌き、はては納刀までとなると、これはもうシステムにアシストされる類のものではない。

 つまり、全て個人の力量である。

 

 まったくもって、我が友マーチのことながら、驚異の一言に尽きる。

 

 

 

 

 

 

 

 ということで、マーチ対ヴィシャスさんのデュエルは、マーチの気が済むまでの10戦全て、ヴィシャスさんが切り刻まれるという結果を持って終了したのだった。

 

 ――ちなみに。

 

 マーチに全敗したヴィシャスさんは、マーチに対するトラウマとともにレア槍を手に入れたが、その後、アロマさんにもデュエルを挑まれ、これまた負けるという事態に遭遇した。

 

 アロマさんとヴィシャスさんのデュエルそのものは、マーチとのデュエル程の差は無かったものの、アロマさんの攻撃がヴィシャスさん自体を狙ったものではなく、何故か槍の破壊を狙ったものであったため、肝を冷やしたヴィシャスさんが反射的に槍を引っ込めてしまいアロマさんに1撃決められるという展開を3度繰り返して終了となった。

 

「まったく……話になんないね。武器なんて壊れる可能性が常にあるんだよ? それなのに武器を庇って負けてるようじゃ、何のために武器を使うのか分からないじゃん」

 

 と、皮肉ともいえるアロマさんの言葉に、ヴィシャスさんは返す言葉も無く地に崩れ落ちたのだ。

 

(普通、ここまで苦労して手に入れた武器を、手に入れたその場で破壊されかければ庇いたくなるとも思いますがね……アロマさんも鬼モードか……ヴィシャスさん、本当にご愁傷様です)

 

 思わず実際に合掌していた。

 

 

 

 ――余談ではあるが、このデュエルの間、ログさんは少し離れた位置で延々と素材収集に努めていたので、この騒ぎには関わってくることはなかった。

 この場で1番冷静に行動していたのは、ログさんなのかもしれない。

 

 

 



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第八幕・巡る人脈

八尾四季様、天神みたら氏様、superior様、鏡秋雪様、感想ありがとうございます!! m(_ _)m

感想を頂けると……嬉しいですね(T_T)
いや、本当に、やる気が出てきます……(>_<)

お気に入り件数も650件を超えておりました(>_<)
皆様、本っ当に、ありがとうございます!! m(_ _)m


 

 

 ヴィシャスさんのデュエル――と言う名の処罰――が終了したところで、私はヴィシャスさんと連れ立ってDDAのギルドホームまで同行することにし、こうして夜道を歩いているというわけだ。

 時刻はすでに22時を回っていて、DoRの皆は流石に疲れたのか、ホームで休んでいる。

 

「……あのマーチさんって人……なんであんなに強いんすか……」

 

 マーチとのデュエルで、1勝もできずに10連敗を喫したことによって、心身ともにボロボロという感じのヴィシャスさんは、ヨロヨロと何とか立ち上がりながら、そんなことを呟いていた。

 

 ここで詳しい説明をする義理も無いし、仮に話をするにしても、マーチの実力に関してはリアルの事情に直結してしまうので、私は適当に言葉を返しておいた。

 

「攻略に参加しないというだけで、マーチもアロマさんもルイさんも、貴方達に引けを取らない実力者ですから」

 

 欲しかった両手槍は無事手に入ったというのに、マーチやアロマさんに1度も勝てなかったのが相当堪えたのか、ヴィシャスさんは肩を落としてトボトボと歩きながら、私の答えにため息交じりに答えた。

 

「それはそうかも知んねえっすけど……なんつーか……マーチさんには勝てる気がしねえっす……」

 

 言外に、アロマさんには実力で負ける気はしないと言っているのだが、それは追及しないでおく。

 彼にも攻略組攻撃部隊サブリーダーとしてのプライドがあるのだから、それを更に圧し折る必要はないだろう。

 

「でしょうね。マーチはおそらく、デュエル、特に初撃決着戦に関しては最強に近いと思いますよ」

 

 初撃決着に限定した理由は、以前マーチ自身も言っていたが、同レベル帯のプレイヤーとのデュエルにおいて、マーチの《無拍》は強攻撃とは認識されても《剣技》ではないが故に、クリティカルヒットしても良くて3~4割削れる程度だ。

 半減決着などのデュエルの場合、この《無拍》の欠点がもろに出てしまう。

 つまり、通常攻撃の域を出ないという欠点が。

 

 速度や鋭さに関してはプレイヤースキルで恐ろしいほどの補正を得ているマーチだが、《剣技》ではないためにどうしても得ることのできないものがある。

 それが《仰け反り(ノックバック)》や《行動不能(スタン)》《行動遅延(ディレイ)》といった各種阻害効果(デバフ)だ。

 

 半減決着のデュエルでは、相手のHPを先に半減させた方が勝つルールであるために、《剣技》で相手に阻害効果を与えた方が圧倒的に有利――というか、わずか3秒程度の《行動不能》であっても、それだけで勝敗が決まることは往々にしてある。

 マーチの《無拍》と相打つ形でデバフ効果を持つ《剣技》を叩き込まれれば、マーチはその後の追撃を避けることはおろか、捌くことすらできない。

 それどころか《剣技》1撃で半減させてしまえばマーチに勝てる。

 

 ――のだが、今のヴィシャスさんにはそこまで考えられるような余裕はないだろう。

 だからこそ、私は先の発言をしたわけだが。

 

「速すぎて、手も足も出ないとか……あんなの初めてっす……」

 

 やはり、マーチの弱点に気付くことなく、ヴィシャスさんはただひたすらに落ち込んでいるだけだった。

 何にせよ、今回の事態を招いたのはヴィシャスさんの自業自得なので、私は励ましたり慰めたりはしなかった。

 

「刀の相手は、初めてではないのでしょう?」

「そりゃDDAの模擬戦やデュエルで何度もやってるっすよ……けど、マーチさんのアレは反則っす……」

 

 つまり、DDAにもカタナスキルを持つプレイヤーはいるが、マーチほどの居合いの使い手は存在しない、という情報を私は得るに至った。

 

(ヴィシャスさん本人は、情報漏洩している自覚が無いんでしょうね)

 

 直接的にどうという情報ではないが、こういった細かい情報がどこで役に立つか分からない以上、気に留めておくのは損ではない。

 

「まあ、いい経験をしたと思って下さい。マーチの《無拍》を、あそこまで何度も味わえた人は、ヴィシャスさんが初めてなんですから」

 

 慰めにならない慰めをかけると――

 

「ちっとも嬉しくないっす!」

 

 ――と、やはりヴィシャスさんは悲鳴に近い声で嘆くだけだった。

 

「まあ、それはそれとして」

 

 DDAのギルドホームへと至る夜道を歩きながら、私は話題を切り替えた。

 

「ヴィシャスさん。そろそろ白状してもらいましょうか?」

「へ? 何の事っすか?」

 

 私の突然の言葉にヴィシャスさんは、とぼけているいるのではなく、本気で意味が分からないようだった。

 

「貴方は、私たちに言ってないことがありますよね? ルイさんに目を付ける前に、1度あのクエストをやったのでしょう?」

 

 私のその指摘に、ヴィシャスさんは明らかに動揺した。

 

「え、な、何言ってるっすか。んなわけないっすよ」

 

 しかしヴィシャスさんのその台詞は、微妙に声が裏返っていた。

 

「ぼろ出しまくっていたんですから、隠し事はできないと理解して下さい。誰に頼んだのかは知りませんが、既婚者のペアに協力してもらって、1度は巨聖花の広場まで行ったのでしょう?」

 

 私がここまでハッキリ言うと、ヴィシャスさんは数回「あ~」「う~」と呻き声を漏らした後、盛大にため息を吐いた。

 

「……セイさんにもいろんな意味で勝てる気がしないっすね……」

 

 そう漏らし、ヴィシャスさんは事情を語ってくれた。

 

「DDAに1組だけ結婚してるペアがいるんす。その2人に頼んで協力してもらったんすけど、奥さんだけじゃなく旦那も一緒に森に来たんすよ。一応、パーティー外だったんすけど、巨聖花の所にいった段階でクエスト失敗って出ちまったんす。色々話し合って、旦那が一緒に居たらダメなんじゃってことになって、受けなおしてもう1度巨聖花の所まで行ったんすけど、今度は何の反応もなかったんす」

 

 ヴィシャスさんは歩きながらそう語ると、再度ため息を吐いた。

 

「原因は分からなかったっすけど、ボスに聞いたら、1度失敗した相手じゃ無理なんじゃないかってことになって……」

「なるほど……しかし、それは判断が難しいところですね……単に時間を空ける必要があった可能性もありますし……」

「んなこと言っても、時間を空けるとかじゃなかったっすよ。俺がルイさんを口説いてる間にも、前に協力してもらった奥さんともう1度巨聖花の所まで行ったんすけど、やっぱり変化なかったんす。これはもう、別の既婚者に何が何でも手伝ってもらうしかないって、必死だったっす」

 

 彼がルイさんのストーカーを始めてから3日目の辺りで、確かに彼は黄昏時前にホーム前から姿を消していた。

 多分その時に巨聖花の元まで行ったのだろう。

 

「何故、素直に協力を申し出なかったんですか?」

「素直に頼んで、前みたいに旦那さんがついてきたら終わりっす。説明して納得させられるだけの自信も無かったっす」

 

 確かに、ヴィシャスさんの説明では、マーチを説得できたかどうかは怪しいだろう。

 

「それにDDAの知り合いならアイテムのことも互いに融通が利くっすけど、俺、ルイさんのことなんも知らないし、ルイさん俺のこと苦手そうだったっす。クエスト報酬俺にくれなんて言っても、聞いてもらえると思えなかったっす」

 

 どちらかというと、こちらの方が本音だろう。

 流石、DDA所属のプレイヤーと思わなくもない。

 

「……初めから私に言ってきても良かったのでは?」

「セイさんのことをはっきり思い出したのは4日目のことっすよ。今更、なんて言っていいのか分からなかったっす……」

 

 そこまで話して、ヴィシャスさんはさらに落ち込んだ様子だった。

 

(ああ、つまり、私がボス攻略戦に参加してたプレイヤーの1人だと、思い出せていなかったのか……)

 

 まあ、私はボス戦においてほぼ全く前線には立たなかったので、ヴィシャスさんの印象には残らなかったのだろう。

 それは仕方がない事だ。

 

(嘘のつけない方ですね。そして、なんと不器用なことか)

 

 私は思わず苦笑いとともにため息を漏らしていた。

 

「まあ、今回は運よく目的の物も手に入ったのですから、それで良しとしましょうよ。ヴィシャスさんとしては、ちょっと手痛い結末だったかもしれませんがね」

「ちょっとじゃねえっすよ……もう2度とゴメンっす……ホント、迷惑かけてすんませんでした」

 

 そんな話をしながら歩いていると、DDAのギルドホーム前に到着した。

 56層に構えられたDDAのギルドホームは、《家》というより《要塞》といった(おもむき)だった。

 DDAのホームの門前で立ち止まって私に頭を下げたヴィシャスさんに、私は軽く首を振りながら笑顔で答えた。

 

「もうお気になさらずに。こちらとしても、未クリアクエストの情報を得ることができましたし、今後はストーカーのような真似をしないと誓っていただければ、それで良いんですから」

「そう言ってもらえると何よりっす……ところで、セイさんはうちに何か用っすか?」

 

 ここに来て、ようやくヴィシャスさんも私が何故ここまで同行したのかを疑問に思ったらしい。

 

「用、というほどのことでもないですがね。たまには挨拶をしておこうかと思っただけですよ。あなた達のギルドの《マスター》ではなく、《ボス》に」

「え! 《ボス》っすか?! 《マスター》じゃなくて?!」

 

 私の発言に、ヴィシャスさんは驚愕の表情を見せた。

 DDAの内情を知っていなければ、ボスとマスターという単語は使い分けない。

 

「取り次ぎをお願いしますね、ヴィシャスさん」

 

 とはいえ、ヴィシャスさんにそのことを説明するつもりはないので、私はそれだけを言ってDDAのホームへと歩みを進めた。

 

「わ、分かったっす。とりあえず、客間に案内するっす……」

 

 

 

 

 

 

 

 客間、と言っていいのか分からないが、少なくとも一般のホームに比べれば圧倒的に広い客間で待たされること数分。

 

「いよぅ! セイちゃん! 久しぶり!」

 

 彼がやってきた。

 入ってくるなり、この挨拶だ。

 出会ったころから、この人は変わっていないらしい。

 

「お久しぶりです、ノイズさん。夜遅くに突然訪ねてしまい、申し訳ありません」

 

 彼が入ってきたのに合わせて、私は立ち上がって一礼する。

 客間に現れたのは、私よりも大柄な体格の体育会系な男性にして、元βテスターであり壁戦士(タンク)(さきがけ)とも言えるプレイヤー、ノイズさんだ。

 歯を見せてニッカリと笑う彼を見て、私は思わず苦笑してしまった。

 

「貴方は、相変わらずのようですね」

「良い意味じゃねーだろうけどな。俺は変わらんよ。俺は俺のやり方を貫いてるだけだ」

 

 ノイズさんは笑いながら、私と向かい合う位置に置かれているソファにドッカと派手な音を立てて座った。

 私も改めてソファに腰を下ろしたところで、ノイズさんはおもむろに切り出した。

 

「――で? 急に訪ねてきて、どうしたよ。旧交を温めに来たってわけじゃねーんだろ?」

「単刀直入ですね」

「回りくどいのは苦手でな。知ってるだろ?」

「苦手というか、嫌いですよね。そういうところでも、私たちは反りが合わなかったんですから」

「カカカカ! 違いねえ!」

 

 ノイズさんの笑い声を聞きながら、私は小さくため息を吐いた。

 ノイズさんと出会ったのは、このデスゲームの開始から間もなくの頃だったが、マーチの知り合いだったということもあり、出会ってから1週間ほど一緒に行動していた時期があった。

 

 しかし、ノイズさんと私の性格の不一致もあって、喧嘩別れというほどではないにせよ、ちょっとしたいざこざを原因としてノイズさんと別行動を取ることになったのだ。

 マーチはノイズさんとフレンド登録もしていたようだが、私は結局最後までノイズさんとフレンドにはならずに別れた。

 とはいえ、別段彼に何か含むところがあるわけではないので、こうして訪ねるのはやぶさかではない。

 

「では。率直にお聞きします。ルイさんが既婚者だと、ヴィシャスさんに教えたのは貴方ですね」

 

 お聞きしますとは言ったが、私はほぼ断定していた。

 

「おー、さっすがセイちゃん、よく分かったな。ヴィシャスが言ったのか?」

「いいえ。彼にはその辺りのことは何も聞いていません。ですが、貴方しかいませんよ。ルイさんが既婚者だと知っていて、且つDDAに関与しているプレイヤーは」

 

 私はノイズさんを睨みながら確信を持ってそう言い切った。

 

「おいおい、そう睨むなって。ヴィシャスだから教えてやったんだ。あいつ、悪い奴じゃなかったろ?」

 

 然程悪びれた様子も無く、そんなことをのたまうノイズさんを私はさらに鋭く睨みつけた。

 

「そういう問題ではありません。今まであえて貴方に口止めなどをしなかったのは、そういったマナーを弁えていると信じていたからです。ですが、今回の一件を受けて、言わずにはいられなくなったので、こうして出向いてきたんですよ」

 

 私の言葉の端々から怒気を感じ取ったのか、ノイズさんは流石に表情を改めて真面目に反省の色を示した。

 

「わかった、悪かったよ。確かに俺が軽率だった。すまん。ヴィシャスがクエミスを嘆いてて、俺も他に結婚してる奴を知らなかったもんで、つい、な。すまん!」

 

 ノイズさんはそう言って、深々と頭を下げた。

 

「……貴方にも悪気が無いことは分かっていました。だから今回は、今後こういったことが無いようにと、念を押しに来ただけです」

 

 ノイズさんにも、マーチとルイさんに含むところがないのは分かっている。

 だが、今回のような騒動があった以上、DoRのリーダーを任されている身としては、ノイズさんの軽率な言動を注意しないわけにもいかなかったのだ。

 

「ああ、マジで悪かった。以後無いよう気を付ける」

 

 私は軽く苦笑を浮かべつつ小さくため息をついてしまった。

 

「そうして下さい」

 

 それだけ言って立った私を見て。

 

「って、おいおい、もう帰る気かよ」

 

 ノイズさんは引き止めるように声を掛けてきた。

 

「帰りますよ。夜遅くに訪ねた私にも非礼がありますからね」

 

 客間の出口たる扉に向かって歩き始めた私を、ノイズさんが呼び止めた。

 

「そうか。ま、引き止めはしねーが、せめてこれくらいは受け取ってけ」

 

 ノイズさんのその言葉に振り返ると、彼が何かを放り投げた。

 私はそれを右手で受け止める。

 

「……これは?」

 

 投げられたのは巾着袋だった。

 中には、手のひらに収まる程度の、少し大きめのコインが5つ入っていた。

 

「俺が独占してるクエの報酬アイテムだ。そのコイン1つで、モンスターのアイテムドロップ率が1%上がるって程度の、ま、いわゆる幸運アイテムってやつだな」

「……そんなクエストを秘匿していたんですか。しかし、これ1つでは……」

「ま、大差ないな。けどうちは大所帯だからな。メンバー全員に1つ持たせるように、俺の日課はこのクエストを回数こなすことになってる」

 

 メンバー全員が1%ずつドロップ率を上げれば、確率的な話ではあるが、その数および効率は確かによくなるだろう。

 しかし――

 

「……暇なんですか?」

 

 そんなアイテムを、一体いくつ確保することになるのか、DDAの規模――所属人数の多さを考えるだけで気が滅入る。

 

「暇じゃねーよ! ってか、そう難しいクエじゃねーんだよ。ただ、クエ受注条件が俺くらいしか達成できないってだけだな」

「……ギルドの所属人数が一定数を超え、さらにそのギルドマスター権を持つプレイヤーでなければ受注できない、といったところですか?」

 

 ノイズさんが独占しているというクエストについての推測を口にすると、ノイズさんはあからさまに嫌な顔をした。

 

「――ったく……だからお前は嫌いだよ。なんでそうすぐ分かっちまうのかね」

 

 と、ノイズさんは言いながら自分の頭をガシガシと掻いた。

 

「貴方がそれだけの情報を出しているからですよ。とはいえ、貴方しかできないというのも頷けますね。KoBの団長は、自ら進んでクエストをするような人ではないようですし、所属人数最大のALFは上層には来ない。となれば、所属人数・上層クエスト攻略可能ギルドマスター権所持者・報酬秘匿、という情報を合わせて考えればDDAしか条件を満たせるところは無いでしょう」

「秘匿してるからDDAってのは偏見じゃねーのか?」

 

 訝しげな表情を見せるノイズさんだが、決して偏見などではない。

 歴とした事実だ。

 

「仮にKoBやALFが見つけていれば、情報屋に流れていますよ、そのクエスト情報。貴方だから情報屋に流さないし、流れないと考えるべきでしょう」

 

 私がそう言うと、ノイズさんは肩を竦めて見せた。

 

「ま、間違っちゃねえか。てなわけで、それは俺らしか持ってねーアイテムってことになる。今回の詫び代わりだ。持ってけ」

 

 ノイズさんはニヤリと笑いながら、手を前に突き出して、人を追い払うような仕草で振っていた。

 

「……変わりませんね、貴方は。では、遠慮なくいただいておきましょう。夜分遅くに失礼しました」

 

 今度こそ私は席を立ち、ノイズさんに一礼して扉をくぐる。

 

「おう、もうくんな。やっぱ、おめーは苦手だ」

 

 その言葉を背に受け、私はDDAのギルドホームを後にした。

 

 

 

 ――のだが。

 

 

 




SAO、DVD&BR発売になりましたね!
特典についていた《サ・デイ・ビフォア》も面白かったです!

今後も楽しみです!(>_<)


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第九幕・迫る不穏

ウージの使い様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

それと、先日気付きました……(-_-;)
評価に一言コメントを付けてくださっている皆様!ありがとうございます!(>_<)

お気に入り件数680件を超えておりました……今後ともお付き合いいただけるように、精進したいと思います!m(_ _)m



 

 

(さてと……このまま狩りにでも……行くとしますかね)

 

 私は久しぶりに夜間のソロ狩りに行こうかと、軽く伸びをして体を解した。

 

 アロマさんがギルドに加わってからの夜間狩りは、ほぼ必ずと言っていい程アロマさんが同行してくるので、今日のように私以外はギルドホームで寝ている、という状況は非常に珍しい。

 アロマさんが一緒では上げ辛いスキルを上げる機会だと思い立ち、私はスキルやアイテムを確認しようとメニューウィンドウを開き、偶然『ソレ』に気が付いた。

 

「ん?」

 

 目の錯覚かと、まばたきを繰り返したもののその表示は変わらなかった。

 

(こんな時間にどうしたんでしょうか……)

 

 私が気付いたのは、前回、開いた後に直接閉じたため、今開いた時に真っ先に表示された《ギルドメンバーリスト》だった。

 

 そこには、1人のプレイヤーが街の外にいることが表示されていた。

 そのプレイヤー以外は、皆DoRのホームである《パナレーゼ》にいることが示されている。

 

 そのプレイヤーのいる場所は、パナレーゼからそう遠くは無い。

 メッセージを打とうかと思い、ふと顔を上げた。

 目の前には転移門がある。

 

(……直接、様子を見に行った方が良いだろうか……)

 

 パナレーゼに戻るだけなら一瞬。

 その後、外出しているプレイヤーの場所まで行くのに、現状なら10分とかからないだろう。

 私はメッセージを打つ代わりに、パナレーゼへと転移した。

 

 

 

 

 

 

 

 あたしは、草地に腰を下ろして、夜空を1人で見上げていた。

 普段なら絶対寝ている時間なのでちょっと眠いけど、出てくる前に仮眠を取ったので、まだ大丈夫だ。

 

 夜空には見事な満月が浮かんでいる。

 ちょっと視線をずらすと上層の底が見えるので、夜空と星空の半分は上層の底に映し出された紛い物だけど、今私が見ている満月は、外周に近いこの場所でなら実際の空に浮かんでいる。

 と、そこまで思いを巡らせたところで思わず笑ってしまった。

 実際の空と、何の違和感も無く考えていたけど、上層の底に遮られていない空だって、本物ではないのだ。

 

(本当に、ここがゲームの世界だって感覚が、最近は薄れてきてるなぁ)

 

 この世界に閉じ込められてから、もう1年と3ヶ月以上が経過している。

 認識と感覚が、この世界がゲームであることを忘れつつある。

 

(でも、だからセイドさんは最近、毎朝『あれ』を言うんだろうな)

 

 セイドさんは近頃、毎朝必ず『今日も、現実に帰るために、必ず生き残りましょう』という様な言葉をかけてくれる。

 あたしは殆ど圏外に出ないというのに、それでもあたしがお店に出向く時には、そう声を掛けて見送ってくれる。

 

 セイドさん自身、認識をしっかり持つための言葉なのだろうと、こんな時に気が付いた。

 そんなことを考えながら、あたしは視線を足元に戻した。

 

 そこには見事な満月が映しだされている。

 波1つない、静かな静かな湖――いや、池と言った方が良い大きさかも知れない。

 ここは、24層の外周に程近い《水鏡(みかがみ)(おか)》という場所にある《水鏡湖(みかがみこ)》と呼ばれる湖で、周囲には灌木がまばらに生えているだけで、ある程度までなら辺りも見渡せるので、なかなかに気持ちのいい隠れ観光スポットだ。

 

 今、あたしはその《水鏡湖》に、多数の木材を浮かべている。

 木材には全て、1本ずつロープを結び付けてある。

 あたしはそれぞれの木材とロープの耐久値を一応確認し、まだまだ余裕があること確かめる。

 

 これを始めてから約30分。

 少なくとも、まだ30分以上はかかると思われた。

 あたしは思わず小さくため息を吐き、ボーっと湖上に浮かぶ木材を眺めた。

 

「こんな時間に1人で外出とは、感心できませんね」

「ひにゃぁっ?!」

 

 突然後ろから声を掛けられて、あたしは驚きのあまり声を上げて跳び上がってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 確かに、あらかじめ声を掛けなかった私が悪かったかもしれない。

 しかし、何もそこまで驚かなくてもいいのではないだろうか、と思うほどログさんは悲鳴を上げて跳び上がり、しかしそこで足をもつれさせて転んでしまった。

 

 《隠蔽(ハイディング)》のない私の接近は、ログさんの知覚範囲に入った段階で捉えられていたはずなのだが、ログさんは全く気付いていなかったようだ。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 ログさんは、辛うじて湖に落ちずに草地の上で転んでいた。

 もう半歩もずれていたら、湖にダイブしていたことだろう。

 そんなログさんに慌てて手を差し伸べて助け起こすと、ログさんは何やらもごもごと口を動かした後、ホロキーボードをタイプし始めた。

 

【ありがとうございます。けど、驚かさないで下さい。危ないじゃないですか】

 

 ログさんとしては珍しく、苦情が飛び出してきた。

 私は、肩を落として言葉を返した。

 

「すみません、声を掛けるタイミングが悪かったですね。申し訳ないです」

 

 私の言葉に、ログさんは大きくため息を吐いて体を軽く払った。

 ログさんのため息には、安堵と不満が同居していた。

 驚かされたことに対する不満と、接近していたのが私だったことに対する安堵だ。

 

「しかし、ログさんも不用心ですよ。これが私でなかったら危なかったですよ?」

 

 ログさんはスキル構成的に《索敵(サーチング)》を取る余裕は無く、1人で行動するのなら常に周囲に気を付けるべきなのだ。

 

【あう、それはごめんなさい。気が抜けてました】

 

 今度はログさんが肩を落とす。

 その様子を見て、私は思わず笑ってしまった。

 

「まあ、今回はお互い様ということで、無事だったのですから、良いとしましょう」

【以後、気を付けます】

 

 ログさんのその台詞を確認して、私はログさんとパーティーを組んだ。

 ソロの場合だと、ログさんのテキストは、広くは無いが一定範囲内に無差別に送られてしまう。

 それを防ぐためにも、そして、念のためにも、パーティーを組んでおくに越したことはない。

 といった感じに状況が落ち着いたところで、私は改めて湖に視線をやった。

 

「それで、ログさん。これは一体、何をしているんですか?」

 

 決して大きくない、池と言っても過言ではない湖に、所狭しと浮かべられているのは、《木工》に使われる材木だ。

 その木材の1つ1つにロープが結び付けられていて、そのロープの端は、少し奥にある細い樹に縛り付けられている。

 現実世界で、あの細さの樹にこの量の木材を結び付けたロープを全て縛り付けるのは、無謀というか無理だと思うが、この世界では、あの細さの樹でも《破壊不能(イモータル)オブジェクト》であれば何の心配もない。

 

【これは、今日集めた《巨聖花の木材》を変化させているところです】

「変化?」

 

 ログさんの文章を見て、私は疑問を返した。

 

【《巨聖花の木材》は、一定時間月明かりに当て続けると《巨聖花の月光材》という素材に変化するんです】

 

 ログさんは、そんな私に説明するように、キーボードを一心不乱に叩き始めた。

 

【本来は、自然に変化した素材を拾うくらい知られていないんですけど、実はこうやって意図的に変化させる方法もあって、でも条件が厳しくて、普通はできないと思います】

「条件が厳しい、ですか?」

【誰かが入手することなく自然に落ちた木材が、何日もかけて月光材に変化するのが普通です。ですが、1度木材を手に入れてしまうと何日も放置し続けることはできませんよね】

 

 ログさんのその文章で、私はある程度納得がいった。

 プレイヤーの手によることなく、自然とドロップされた素材アイテムは耐久値が減少せずにドロップし続ける。

 その状態で《巨聖花の木材》が何日もかけて月明かりを浴びて《巨聖花の月光材》へと変化するのだろう。

 つまり、ログさんの求めていた素材とは、レアドロップに当たる月光材だったということになる。

 

 だが、普通の木材の状態で手に入れてしまうと、それを再びドロップした段階で耐久値が減少を始める。

 武器や防具などに比べれば、圧倒的に多い耐久値を持つ素材アイテムであっても、何日も放置できるほどの耐久値は無い。

 良くて5~6時間程度だろう。

 

「なるほど……いや、しかし、それは問題があるのではないですか?」

【木材が月光材に変化するのには、あ、はい、問題があります】

 

 私の問いかけに、文章を打ちかけていたログさんが、途中で返事をした。

 

【セイドさんが気付いた問題は、多分、耐久値と時間ですよね?】

 

 ログさんはそう打つと、私に視線を向けてきた。

 

「ええ、そうです。何日もかけてやっと月光材に変化するということは、今ここでこうしていても、この場では変化しないということではないですか?」

 

 続けた疑問に、ログさんは素早く文章を打ち込む。

 

【本当ならそうなんですが、ここは別です】

 

 ログさんは短くそう答えると、続けて文章を打ち始めた。

 私はログさんの言葉をしばらく待つことにした。

 一々口を挟んでいると、ログさんが大変だ。

 

【この《水鏡湖》で満月の夜に限った場合ですが、約1時間で《月光材》に変化させることができるんです】

「ほう」

【詳しい仕組みまではよく分かりませんけど、この場所は月の光が良く集まるって《パナレーゼ》に住んでいるNPCのお婆ちゃんが話してくれるんです。それがヒントになってるみたいですね】

 

 この話を聞いて、私は舌を巻いた。

 そのNPCの話は確かに私も聞いたことがある。

 だが、その話だけでは、ただの世間話で聞き流してしまうはずだ。

 

 それをログさんはしっかりと記憶に残し、何か関連のありそうな事項につなげて考えることができている。

 これは、私はもちろん、他のプレイヤーにもできていないことだ。

 

【実は、同じようなことを考えた職人さんはいるらしいんですけど、この場所のことは知らなくて、満月の夜に一晩放置しても無理だったという話を聞いたことがあります】

【その人は、次に《ベンダーズ・カーペット》に木材を広げて何日も放置したらしいんですが、一切変化しなかったそうです】

「考えることは一緒ですね……私もカーペットを使用してはどうかと考えてましたが……システム的に盗難などからも保護されるということは、外的要因から隔絶されると言い換えられなくもない……変化しないのも頷けますね」

 

 私の言葉にログさんは頷いて応え、更に文書を重ねた。

 

【それに、一晩放置するだけでも素材耐久値が限界です。だから、月光材は量産できないというのが職人間の通説なんですが】

 

 ここまで打って、ログさんは手を止めた。

 何と打てばいいか考えているようだ。

 

「つまりこれも、ログさんだけの秘密なんですね?」

 

 おそらく、これを言いたかったのだろう。

 ログさんは、職人として数多くの《秘密》を抱えている。

 今更1つ増えたところで、それを気にしたりはしない。

 

【すみません、公開しないで下さると助かります】

 

 ログさんも、私たちがクエストなどの情報を売ることでギルド資金にしていることは知っている。

 だからこそ、こういった秘密を売らないでくれと言うのに抵抗があるのだろう。

 私はログさんの頭を思わず撫でていた。

 

「安心して下さい。誰かに言うつもりはありません」

 

 私のその台詞を聞いて、ログさんは笑顔を浮かべた。

 

【ありがとうございます】

「とはいえ、1人で夜間に外出するのは認められませんよ? 今度から、私たちにも声を掛けて下さい。夜間は何があるか分からないんですから」

 

 夜間はモンスターが強化される。

 その分、経験値も増えはするが、それは微々たる量だ。

 

 まあ、最前線からかけ離れたこの層なら、モンスターに関しては心配は一切いらないだろうが、それよりも問題なのは、やはりPKの存在だろう。

 特に、今の時期は、最悪のPKギルドがその名を轟かせている。

 

「いいですか。もう絶対に、ソロで外に出ないようにして下さい。ログさんも聞いてはいるでしょう。《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》の話は」

【はい】

 

 《笑う棺桶》の話題を出すと、ログさんはその表情を一気に暗くした。

 ログさんの前所属ギルド《ユグドラシル》は、職人狩りと呼ばれるPK被害に遭っている。

 故に、ログさんは私達の中で1番PKに敏感なはずだが、それでも時々、今夜のように職人気質が優先される場面がある。

 

 それはそれで、良い意味で、悲惨な記憶が薄らいでいる証拠と言えるだろう。

 だが、この話は、ログさんから聞いているわけではないので、これ以上の追及はしない。

 

「それで、あとどの程度放置すればいいんですか?」

 

 なので、ここで話題を木材に戻した。

 

【そうですね】

 

 ログさんも意識をそちらに戻し、時刻を確認したようだ。

 

【10分から15分くらいかと。変化するのも木材によって差があるので、一気に全てとはいきません】

「なるほど。では、もうしばらく、何か話でもして――」

 

 話でもして待っていましょうか、と言いかけた私の視界に、1番見たくない《警報(アラート)》メッセージが上がった。

 

「――ログさん、転移結晶の用意を」

【え?】

 

 《警報》の捉えた反応は3つ。

 その3つとも、こちらを捉えているのは確実で、俺とログを3方から囲むように――湖に追い込むように散開して、ゆっくりと迫りつつある。

 間違いなく《隠蔽》しているのだろうが、残念ながらそのカーソルのカラー故に《警報》に捉えられている。

 

 ――犯罪者(オレンジ)プレイヤーだ。

 

(まったくもって……今日だけでイベントが目白押しだな。ストーカー問題にデュエル騒ぎ、不倫クエストとクエストボスの攻略、更には苦手な奴との対面に、トドメは犯罪者(オレンジ)の相手と来るか)

 

 深く息を吸い、静かに細く長く吐き出した。

 ため息の1つも吐かねばやっていられない。

 

「ログ、もしもの場合はすぐに跳べ。良いな?」

 

 俺の雰囲気を察したログは、テキストを打たずに頷くだけで答え、転移結晶を手にした。

 それを確認して、俺は意識を犯罪者3人に集中する。

 

 低~中層は犯罪者(オレンジ)プレイヤー及びギルドが多いらしいが、そいつらは基本的に攻略組には及ばないプレイヤーたちだ。

 今迫ってきている奴らも、そういったレベルの高くない相手だと願いたいが、これが《笑う棺桶》だった場合、そうも言えなくなる。

 

(楽観はしない。《笑う棺桶》相手だと仮定して動く)

 

 相手を最上位――攻略組と大差のない犯罪者(オレンジ)と仮定して意識する。

 次の瞬間、左右に散開した2人から《投剣》による攻撃予測線が見えた。

 

 



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第十幕・廻

ウージの使い様、感想ありがとうございます m(_ _)m

お気に入り件数がついに700件を超えており……感激で、目の前が霞んでます(つ_T)ありがとうございます!
こんなにも大勢の方にお気に入り登録して頂けるとは思っておりませんでした。
今後もお読みいただけるように精進していきたいと思います!(>_<)
これからもお読みいただけると幸いです m(_ _)m


 

 

 あたしは、今夜初めてPK(プレイヤーキラー)に出くわしたことになる。

 それも、あたしとセイドさんが狙われるという形で。

 

(あたしが、こんなところに1人で来たりしたから……)

 

 転移結晶を片手に握りしめたあたしを、背に庇うようにして立っているセイドさんは、いつもの優しいセイドさんではなく、冷静で少し怖いセイドさんだった。

 だけど、こういう時にはすごく頼もしい――

 

(ふえっ?!)

 

 ――とか色々考えていたら、突然セイドさんがあたしの方に振り向いて、そのまま抱きかかえられた。

 

 話に聞く、憧れの《お姫様抱っこ》だったけど、それに驚いたあたしは、直後のセイドさんの行動にさらに驚かされた。

 セイドさんはあたしを抱きかかえたまま、なんと、湖の方に跳んだのだ。

 

「くぁwxscでrv!?」

 

 セイドさん何を、と言いたかったけれど、やっぱり、分かるような言葉に出来なかった。

 

「舌噛まないように黙ってろ」

 

 湖は確かに、池と呼べるような大きさではあるけれど、セイドさんが1人で跳躍したとしても、跳び越えるのには無理な広さがあるはずだ。

 ましてや、今はあたしを抱えている。

 

 やはりと言うべきか、当然と言うべきか、セイドさんとあたしは湖の真ん中より手前に落ち――

 

(あっ!)

 

 ――たかと思ったところで、セイドさんは、湖面でさらに1度跳躍した。

 

 自分でやったことを忘れていた。

 今、この《水鏡湖》には、木材がいくつも浮かべられている。

 

(そっか、木材を足場に……)

 

 セイドさんは、その木材を足場にして小さな跳躍を繰り返し、ついには対岸へと渡り切ってしまった。

 そこでセイドさんは小さくため息をついた。

 

「とりあえず、これですぐには追って来れないだろ。ログ、《隠蔽(ハイディング)》効果のある外套を持ってるな?」

 

 セイドさんの問いかけにあたしは1つ頷いて答えた。

 

「すぐにそれを被って、そこの灌木に身を潜めろ。俺が戻るまで――」

 

 セイドさんがそこまで言った時。

 

 ――ッギャァァァァァッ!――

 

 湖の奥――あたしとセイドさんを襲撃してきた犯罪者プレイヤーのいるであろう方角から、悲鳴が聞こえた。

 

「ん?! 他に人はいなかったはず――」

 

 ――ぅわぁぁぁぁぁっ?!――

 

 セイドさんの言葉が最後まで続く前に、更に悲鳴が響いた。

 

【セイドさん】

 

 あたしがそこまで打った段階で、セイドさんは悲鳴の聞こえた方角をじっと睨んでいた。

 

「別のプレイヤーが、さっきの犯罪者(オレンジ)に襲われたとは考えにくいが……放置するのは寝覚めが悪い……しかし……」

 

 セイドさんが何を悩んでいるのか、あたしにも分かった。

 セイドさんはあたしを置いてこの場を離れることを躊躇っているが、かといって連れて行くことも問題があると考えているのだろう。

 

【あたしも行きます。これでもレベルは高いんです。ダイジョブです】

 

 あたしは、自慢ではないが装備には自信がある。

 自分で作った子たちの中でも、相当に傑作と言える子たちがあたしを守ってくれる。

 低~中層の犯罪者相手にそうそう負けるような装備はしていない。

 

「……分かった。戻るぞ。だが、無理するなよ。転移結晶は必ず用意しておけ」

 

 あたしは大きく深く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

「何でお前がここにいる」

 

 俺はその光景を目にして、そうツッコまずにはいられなかった。

 俺がログを抱えて再度湖を渡っている間に、3度目の悲鳴が響き、それ以降は静かになった。

 

 辺りを警戒しつつ、犯罪者の反応を《警報(アラート)》で追っていると、3つの犯罪者の反応が1か所に集まりつつあった。

 最悪の事態を――他のプレイヤーが犯罪者の3人に襲われたと――想定し、俺はさらに意識を研ぎ澄ませ、初めにいた岸部から少し外れた位置に降り立った。

 

 そこでログに隠れて待つように指示し、犯罪者の反応が集まった場所に、相手3人を一気に叩き伏せるべく跳び込んで――想定外の光景を目にする羽目になり、一瞬呆然と立ち尽くしてしまった。

 そこには、すでに拘束された犯罪者プレイヤーが3人、芋虫のようにロープでグルグル巻きにされた姿で転がっていた。

 その傍には、それをやった張本人の姿もあった。

 

「何でって言われても困るっすね。俺はちょっとここに用があっただけっすよ」

 

 犯罪者3人を縛り上げたのは、この1週間の俺達の頭痛の種だったヴィシャスだった。

 ヴィシャスは、今日の騒動で手に入れたものの、ほとんど活躍の場が無かったレア槍《黄龍偃月刀(おうりゅうえんげつとう)》を背負い、縛り上げた3人の傍らで何やらメッセージを打っている最中だった。

 

「どんな用だよ。この場所はすでに攻略され尽くしている。レアアイテムも未攻略クエストも何もないはずだ。なんでこんな場所で、犯罪者どもを縛り上げることになった」

 

 メッセージを打ち終えて、ヴィシャスは俺に向き直ると、何やら困った表情で頬を掻きながら呟いた。

 

「いやぁ……多分言ったら、セイさんマジギレしそうで怖いんすよね……」

 

 何やらよく分からないことを言っている。

 追求したいところだが、無駄に時間がかかりそうなので、とりあえず今はそのことは置いておくことにした。

 直面していた危機は去ったのだから文句は無い。

 

「まあいい。先にそいつらを軍連中に引き渡してきてくれ。今のメッセ、そのためのものだろ」

「あ、そっすね。んじゃ、俺はちょっとこいつら引き渡してくるっす」

 

 そう言うと、ヴィシャスは何やら安堵した表情を見せ、芋虫状態にした犯罪者3人を引きずり始めた。

 ロープ自体の耐久値も然る事ながら、ヴィシャスの筋力値にも驚かされた。

 大人3人分の荷重を難なく引きずっている。

 DDA攻撃部隊サブリーダーの地位は伊達ではないということだろうか。

 使っているロープも、確か捕縛用のアイテムだったはずだ。

 価格的にもかなり高価で、DDAといえど、易々とギルドメンバーに配れるような代物ではない。

 

「ここには戻って来なくて良いからな」

 

 DoRとDDAの経済的な格差も見せつけられたような気がして、少し腹が立った。

 ヴィシャスに投げやりに声を掛けて、俺はログの元に戻ろうとすると。

 

「いやいやいやいやいや! そういうわけにはいかねっすよ?!」

 

 と、何やらヴィシャスが喚いていたが、今は放置した。

 ヴィシャスが軍の連中にあの3人を引き渡してここに戻ってくるころには、俺もログもここから離れている可能性が高いからだ。

 ヴィシャスが犯罪者3人を引きずる音と、縛られ猿轡までかまされた犯罪者たちの呻き声を背に、俺はさっさとログの元へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 セイドさんがこの場を離れて少しすると、あたしは湖に浮かぶ木材の変化に目がいった。

 

(あ! 変化が始まった!)

 

 あたしは《隠蔽》効果のある外套は羽織ったまま、隠れていた灌木の間から這い出して、木材に縛り付けたロープを繋ぎとめている樹の元へと駆け寄った。

 予想した通り、一斉に変化するには至らないが、少しずつ変化が始まっている。

 何の変哲もない茶色の木材が、うっすらと光を帯びて幻想的な光景を醸し出す。

 

 この光が落ち着くと、茶色の木材は白色の木材へと変化しているはずだ。

 

(これで《巨聖花の月光材》が相当な量、手に入る。これが無いと作れないから、確保できそうで良かった……)

 

 あたしは湖面に浮かぶ木材が、徐々に光を帯び始めた光景を眺め、思わず感嘆の吐息をもらしていた。

 ロープの耐久値もまだまだしっかりある。

 中には半分近くまで減っているものも数本あったけど、おそらくセイドさんが足場にした木材を縛り付けていたロープだろう。

 木材を引っ張り上げるくらいはまだ出来そうな耐久値だけど、もしまた同じように木材を足場に移動するようなことになれば、引き上げの際に切れてしまうかもしれない。

 あたしは、ロープの耐久値を気にしつつ、光を帯びた木材に縛り付けたロープを手に取り、ゆっくりと手繰り寄せた。

 

 光を帯びた木材は、1分もすれば変化が終わる。

 今から手繰り寄せておけば、引っ張り上げる頃には変化し終わっているはずだ。

 

(ちょっと浮かべすぎたかな……)

 

 手繰り寄せ始めてから気が付いたのは、木材を浮かべすぎていてスムーズに手繰り寄せられないことだった。

 どうしても木材同士がぶつかってしまうのだ。

 

(うぅぅ……ロープ、もつかなぁ……)

 

 木材がぶつかって引っかかるたびに、手元のロープの耐久値は減っていく。

 もしも途中で切れてしまえば木材を回収するのは非常に困難だ。

 と、恐る恐る木材を手繰り寄せていると、隣からスッと手が伸びてきて、あたしが掴んでいたロープを掴んだ。

 

「ログさん、こういうのは、こうすればいいんですよ」

 

 いつの間にか戻って来ていたセイドさんは、あたしの手からロープを取って、それを手放した。

 

(へ?)

 

 ロープそのものは後ろの樹に縛り付けてあるままだし、湖は流れも無いので木材が流されることは無い。

 けど、これでは木材を回収できない。

 

【セイドさん、木材を回収したいんですよ?】

 

 念のために直接聞いてみた。

 しかしセイドさんはニコニコと笑っているばかりで、ロープを手に取って回収しようとはしなかった。

 

「ログさん、しばらくこの光景を見ていましょう。回収は急ぐ必要もないのでしょう?」

 

 確かに木材の耐久値は、放置状態にあると言ってもまだ半分以上残っている。

 

【では、どうやって回収を?】

「ロープの耐久値を気にするのなら、手前の木材から回収するしかないですね。なので、一番手近な木材が変化するのを待ちましょう。あとは、パズルの要領です」

【パズル、ですか?】

「木材同士がぶつからないように、湖畔に近い木材で引き上げられるものから、順番に回収するだけです。変化した順に引き上げる必要はないでしょう」

 

 そう言われればその通りだ。

 しかしそれでは、まだしばらく時間がかかる事になる。

 本当なら、少しでも早くこの場を離れたいはず――

 

(あれ? そういえば、PKはどうしたんだろう?)

 

 何事も無かったかのようにセイドさんが戻ってきたので、すっかり忘れていたけれど、あたしとセイドさんは犯罪者プレイヤーに狙われていたはずだ。

 さっきの悲鳴と何か関係があるにしても、教えて貰っておいた方が良いはずだ。

 

【あの、PKはどうしたんですか?】

「ああ、そうですね、そのことを話しておかないとなりませんでしたね」

 

 セイドさんも、PKのことを忘れていたようだ。

 本当に何があったというのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ログさんの所に戻ってきた段階で、随分と落ち着いていた私は、湖に広がる木材の幻想的な光を見て、思わず犯罪者プレイヤーの顛末をログさんに伝えるということを忘れていた。

 ログさんからの指摘を受けて、私はヴィシャスさんがPKを連れて行った旨を伝えた。

 

 その話を始めたところで、一番手前の木材が光を放ち始めた。

 

【それでは、ヴィシャスさんがPKをやっつけてくたんですか】

「そのようです」

 

 私はとりあえず、手前の木材を結んでいるロープを手に取り、湖畔まで引っ張った。

 間近で見る木材の変化の光は、熱のない光――いわゆる冷光で、それがボンヤリと木材全体を包んでいる様は、やはり美しいものだった。

 

「これまでも、色々な場所で美しい景色を見てきたと思いましたが、これもまた素晴らしいですね……この世界においても、自然の風景には見ることのできない――人の手によらねば起こりえない光景というのも相まって、実に幻想的だ……」

 

 私は湖に浮かべられた大量の木材が、所々で冷光を湛えて光り、その光を与えた空に浮かぶ満月と湖に映える水月の輝きに、目も心も奪われていた。

 

【セイドさん、風光明媚な土地が好きですよね】

 

 ログさんの言葉にも、反応することができずにいた。

 

【ここも、何もなくても素敵な場所ですけど】

 

 ログさんは私の隣に来て、光が消えてその身を白く染め変えた木材を一撫でした。

 

【こうやって、人の手によって作られた景色にも、味があるんですよね】

「そうですね……」

 

 何とかそれだけ答えた私に、ログさんは笑いながら、目の前の白く変化した木材をアイテムストレージに収納した。

 

【さて、セイドさん。景色に浸るのも良いですが、そろそろ木材回収を始めますよ。結構変化が終わって来てます】

 

 ログさんに笑顔でそうツッコまれ、私は意識を持ち直した。

 すっかり忘れて、美しい光景に見惚れているだけで終わってしまうところだった。

 

「アハハ……失礼。では、順に引っ張っていきますから、ログさんはストレージに回収をお願いしますね」

【はい、お願いします】

 

 そうした会話をして、私とログさんは順調に《月光材》へと変化した木材を湖畔へ引き上げていく。

 だが途中で、変化していない木材が道を塞いだため、また少し待つこととなった。

 

 そこでログさんは、思い出したようにキーボードを打ち始めた。

 

【そういえば、なんでヴィシャスさんはここに来たんでしょう?】

「ああ、確かに……私も尋ねはしたんですが、答えを渋られました。あれは何かありますね……」

 

「何の話っすか! 俺も話に入れてほしいっす!」

 

「あzxsでゅいんj!?」

 

 突如として背後から現れたヴィシャスさんに驚いたログさんは、瞬く間に私の陰に隠れた。

 

「あぁ、ヴィシャスさん」

 

 軍への引き渡しが終わったのだろうヴィシャスさんに、私は振り向きながら声を掛けた。

 そこには、ニコニコと満面の笑みを浮かべたヴィシャスさんが、いつの間にか戻って来ていた。

 しかし、突然話に入ってくるのはやめてほしい。

 

「はぁ……ヴィシャスさん……もうちょっと大人しく声を掛けて下さい……ログさんが怯えてしまってます」

 

 私は少し前の自分の行動を棚に上げて、ヴィシャスさんの行為を注意した。

 

「ああ、すんません。いやあ、ログさんとセイさんが何か楽しそうに会話してるの見たら居ても立ってもいられなくって!」

 

 相変わらず笑顔なヴィシャスさんの視線は、何故かログさんに注がれているように見えた。

 そんなヴィシャスさんの様子を訝しみながらも、私は仕方なくヴィシャスさんにログさんの抱いた疑問を問い直した。

 

「先ほども聞きましたが、ヴィシャスさんは何故ここにいるんですか?」

 

 私の陰からログさんも顔を少し出して、ヴィシャスさんの様子を見ている。

 

「そりゃあ、ログさんを守るためっすよ!」

「アqw背drftgy藤尾lp?!」

 

 ヴィシャスさんの突然の台詞に、再び何か口走りながらログさんは顔を引っ込めてしまった。

 

「……何を言ってるんですか、貴方は」

 

 知らず知らずのうちに額に手を当ててこめかみを押さえてしまっていた。

 この男は、どうやら《本物》だったらしい。

 ルイさんの一件はクエストのための仕方無しの行動だったと理解し、方を付けようとしていたのに。

 

「ここには戻らなくていい、とお伝えしたはずですが?」

 

 ヴィシャスと向き合って話をするのもバカバカしく感じられたので、私はヴィシャスに背を向けて木材の引き上げを再開した。

 それに伴って、ログさんは私の前に隠れて、ヴィシャスから身を隠している形になる。

 

「戻りますよ! 守るべき人がいるんすから!」

 

 台詞の端々から、嫌な予感しか漂ってこない。

 願わくは、これ以上確定的な一言が出ないようにと、私は言葉をかけるのをやめた。

 

 そんなやり取りのあった間にも、木材はどんどんと変化していた。

 変化を終えて、引き上げることが可能となった位置にあるものから湖畔へと引っ張り、それを順次ログさんがアイテムストレージに放りこんでいくが、ヴィシャスも、私と同じように木材を湖畔に引き上げ始めていた。

 流石にその行動を見ては、何も言わずにいる、というわけにはいかない。

 

「ヴィシャスさん……これはログさんのものです。もっていかないで下さいね」

「わかってるっすよ! お手伝いさせてください!」

 

 妙にテンションを高くして、木材の引き上げ作業を手伝う彼をみて、不安は確信に変わった。

 

 もうひと波乱、ここで起きる、と。

 

 ログさんもそれを肌で感じ取ったのか、一言も喋らず、テキストすらも打たずに、ひたすらに身を縮こまらせながら木材を回収している。

 私から話が振られてこないと見たヴィシャスは、ついにそれを口にした。

 

「俺、気付いたんすよ!」

「……何にですか」

 

 合いの手など入れたくはなかったが、一方的に喋られるというのも、それはそれで恐怖がある。

 少しでもログさんの恐怖を和らげるためには、私が合いの手を入れるしかない。

 

「例えるなら……日も昇らない朝早くに草原で狩りをしていて、いつのまにか辺りが明るくなってるっていうか……どうして俺、目を開けていたのに、そのことに気付かなかったのかって不思議になるっていうか……」

「あ、ログさん、こちらの回収もお願いします」

 

 ヴィシャスの存在は無かったことにし――

 

「って、セイさん、聞いてます?」

 

 ――ようとしたが、やはり無理だった。

 

「聞いてません、要点だけ言って下さい」

 

 ため息とともにヴィシャスを見ることなくそう返すと、ヴィシャスも同様にため息を交えて言葉を続けた。

 

「全く、セイさんはせっかちさんなんすね。わかったっす! ストレートに言うっす! 俺の守るべき人、それは、ログさんっす! 俺、ログさんに惚れたんす!」

「あqwせrtgyhじゅいこp!?!?」

 

 少しだけ落ち着きかけていたログさんは、このヴィシャスの発言で、今度は完全にフリーズしてしまっていた。

 

「……お前は、今度は何を言い出した。ルイの次はログか?」

 

 無意識のうちに戦闘時のような緊張感を得たためか、口調が荒くなったが、気にしてなどいられない。

 しかし、そんな俺の変化など眼中にないらしく、フリーズするほど驚いてしまったログを見て、ヴィシャスはニッコニッコと――知らない人間が見れば気持ちのいいかもしれない笑顔だが、今の状況では、ただただ気持ちが悪いとしか感じられない笑顔を浮かべていた。

 

「そんなに驚かなくてもいいじゃないっすか~、ログさん。いや、でもそこがまた良いっす!」

「ロリコンは帰れ」

 

 ログを庇うように、ヴィシャスの視線を遮るように、俺は半歩動くことで、ヴィシャスとログの間に体を滑り込ませる。

 

「俺にそんな属性ないっすよ。ていうか俺! 願わくは、ログさんのナイトやりたいって感じっす! ログさん、俺にその役、負わせてもらえないっすか!」

「あzsdcfghんjmk、l?!?!」

 

 俺を避けるようにヴィシャスが動き、それに合わせて俺が動く。

 そんな行動を繰り広げつつ、ヴィシャスはそれにもめげずにログに話しかけ続けた。

 

 ログは当然の如く、まともな返事などできなかった。

 無理もないだろう。

 ただでさえ、ログの対人スキルは低いというのに、男性――しかも元ストーカー騒動を起こした張本人――からの告白ともなれば、普通の女性だって思考はフリーズするだろう。

 その証拠に、ログは告白されたことに対して頬を朱に染めるのではなく、顔を青ざめさせている。

 

 流石に俺も、ヴィシャスとイタチごっこを続ける気にはならない。

 俺は動きを止めてログを見やりつつ、ヴィシャスを呼び止め――

 

「おい、ヴィシャス……」

「まあ、返事はおいおい下さいっす!」

 

 ――ようとしたが、ログの反応をどう受け取ったのか、ヴィシャスは、歯磨き粉のCM顔負けの笑顔で、ログに笑いかけていた。

 俺のことは完全に見えていないようだ。

 そしてヴィシャスは、そのままメニューウィンドウを呼び出し、何やら操作した。

 

「それはそれとして、俺が回収した木材をお渡しするっす!」

 

 ヴィシャスからログへ、トレード申請が送られたのだろう。

 ログは顔を完全に引きつらせながら、俺の陰から体を半分だけ出した状態で、震える手でメニューを操作していた。

 ちらちらと、怯えたような視線を時々ヴィシャスに送りつつ、トレードに対してOKボタンを押し、何とか取引を完了させたようだ。

 ログが、こんな状況でも一応頭を下げて礼を表すと、ヴィシャスはさらに笑顔を増した。

 これがストーカーでなければ、好感を持てたかもしれない笑顔なだけに、残念でならない。

 

「じゃ、ギルドホームまでお送りするっすよ!」

 

 変わらぬ笑顔でそうのたまうヴィシャスに、俺は思わず顔をしかめた。

 

「俺が付いてるんだ。お前の気遣いは無用だ」

「セイさんじゃないっす、ログさんをお送りするんすよ」

「わかってる。代返してんだよ」

「も~」

 

 ヴィシャスは、表情を少し困ったような笑顔に変えて、器用にホロキーボードを呼び出し、ログと同じ方法で文字を打ち込んだ。

 

【送らせて下さい】

 

 ログにヴィシャスの声が聞こえていないわけではないが、今のようにわざわざログと同じ表現法を取られると、生真面目なログとしては返事をせざるを得なくなる。

 ログは、涙目になりながら、試行錯誤の末に何とか返事を打ち返した。

 

【3めーとるはなれてならいいです】

 

 3メートルの間を開けて送る、というのは、人を家まで送るという行為と言えるのだろうか。

 甚だ疑問ではあったが、ツッコまないでおいた。

 

 

 

 

 木材全てを回収し終え、私たちは《パナレーゼ》への帰路に着いた。

 

【よくOKしましたね】

 

 その道中、私はログさんにテキストで話しかけた。

 ヴィシャスはパーティーに加えていないので、基本的にこちらのテキストは彼には届かない。

 

【拒否したらしたで、怖いので】

【ああ、なるほど】

 

 ログさんも、彼のストーカーじみた好意に恐怖を感じていたのだろう。

 流石にあの場で拒絶の意を示せるほど、ログさんはメンタル的に場馴れしていないのだ。

 

【時期を見て、ごめんなさいします】

 

 そのログさんの言葉を見て、できるのかな、という不安はよぎるが、それはまあ仕方ない。

 ヴィシャスは、満面の笑みで、3メートルきっかりの距離を保ち、私たちの後ろをついてくるのだから。

 

 

 

 

 結局ヴィシャスは、ギルドホーム――しかも玄関の3メートル前――までログさんを送り届け、明日も来ると宣言した。

 あまりの事態に、私が急遽叩き起こしたDoRメンバー全員での必死の説得――というか、もうほとんど脅し――により、毎日来るのは止めておくという言質をとった。

 

 しかし、この日以降、時々メッセージカードつきの花が1輪、ログさん宛に届くようになった。

 書かれているのは、ほんの一言、『げんきっすか』とか『レアアイテムとれました』とか、非常に差し障りのないものである。

 とはいえ、未だにログさんは、ヴィシャスからの花とカードを見ると、困ったような顔をする。

 まぁ、実質的な被害がないので、今は良しとしているが。

 

 

 

 

 世の中、想い想われる、というのは、非常に難しいものである。

 

 

 




これにて、第三章・終幕となります。
ご意見ご感想・誤字脱字・ご質問等、何かありましたら、お気軽に(>_<)


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幕間・4
DoRのちょっとした春季旅行・1


無零怒様、鏡秋雪様、観測者と語り部様、冬霞@ハーメルン様。
感想ありがとうございます!m(_ _)m

評価や一言、さらにはお気に入りユーザー登録など、気が付くと増えており、ありがたい限りです(>_<)


さて、今回は幕間……なのですが……ちょっと長くなってしまい……(・_・;)
1話分のつもりで書いてたら、気が付くと2万字を優に超えていて……(-_-;)

ということで、幕間なのに3~4話に分けて投稿しようと思います……(;一_一)ゴメンナサイ
まずは、1話分です(;>_<)



 

 

「セイちゃ~ん、お願いしたいことがあるんだけど~」

 

 春の麗らかな陽射しがたっぷりとギルドホームに注ぎ込まれている昼下がり。

 春の午後というだけで、どことなく幸せな空気が漂っているリビングで、DoRの面々は、食後のひとときを思い思いに過ごしていた。

 

 そんな中、食事の後片付けを終えたルイさんが、私にお願いがあると声を掛けてきた。

 

「ルイさんが、私にですか? 珍しいですね」

 

 基本、ルイさんは何かあっても1人で事を片付けるよう努力するタイプで、1人で無理なことに挑む場合も、私ではなくマーチに声を掛ける。

 

「うん。個人的なことなんだけど~、ギルド全体で動きたいんだ~。だから~、セイちゃんにお願いするのが筋でしょ~?」

「ああ、なるほど」

 

 形式上、《逆位置の死神(デス・オブ・リバース)》のギルドマスターは私が務めている。

 サブマスターにはマーチを指定してあるが、マーチは殆どマスター権限を行使したことが無い。

 ギルド全体で何かをしたいと提案をする以上、私を通すのが筋だと、ルイさんは考えたのだろう。

 

「わざわざ私に言わなくても。この場に全員揃っているんですから、皆で話し合えば済むことですよ」

「ん~、でもね~。セイちゃんの判断が1番的確だから~」

「アハハハ……」

 

 ルイさんの思わぬ言葉に、私は頬を掻いた。

 

「照れてる、セイドが照れてる」

「それでルイさん、全体で動くということは、何処か行きたいところがあるんですか?」

 

 リビングの隅で寝転がって情報誌を眺めていたアロマさんからの言動は無視して、ルイさんの話の続きを促した。

 

「えっとね~、砂浜に行きたいんだ~」

 

 ルイさんの提案は、とてもザックリとしたものだった。

 

「砂浜、ですか。何階層の何処とか、目的地は決まっているんですか?」

「えっとね~、44層の《アールクレイ》の浜辺が良いかな~って考えてた~」

 

 44層は、ここ24層と似たような雰囲気のある層で、しかし決定的に違う点があった。

 24層は全体が湖沼系のフロアで、陸地4割・湖沼6割であるのに対して、44層はフロア全体が水に埋め尽くされている、陸地1割・水域9割という、まさに《海洋フロア》と言っても過言ではないフロアだ。

 

 他の階層にも砂浜や浜辺と呼べるものはいくつもあるが、44層唯一の街であり、同時に港でもある《アールクレイ》に隣接する《セイレーンの揺り籠》と呼ばれるそこは、非常に広大で美しい砂浜として有名だ。

 

「なるほど。砂浜、と考えれば真っ先に浮かぶ場所ではありますね」

「それもあるんだけど~。44層より上の層だと、浜辺って言えるような場所がほとんど無いんだよね~。セイちゃん、他に何処か知ってる~?」

「ふむ……記憶にはないですね……探せばあるのでしょうが……」

「だよね~。私は別に~、浜辺を探したいんじゃないんだよ~」

「ということは、ルイさんは、何かを探しに浜辺に行きたいんですね」

「そそ、食材探し~」

「食材、ですか?」

「うん。今の時期だと~、貝類がたくさん浜辺に落ちてるって聞いたんだ~」

 

 時期は4月。

 なるほど、確かに潮干狩りの時期ではある。

 

「だから探しに行きたいな~ってね~。貝って上手に調理すれば~、美味しく食べられるみたいだし~。レアな貝は高く売れるしね~」

「なるほど」

 

 しかし、それなら同じことを考えるプレイヤーは多いのではないかと思ったが、すぐに考えを改める。

 44層の《セイレーンの揺り籠》には、プレイヤーが寄り付かない《とある理由》があったのを思い出したのだ。

 

「どこどこ? そこどこ?」

 

 アロマさんは、美味しいものと、行ったことのない場所には真っ先に食いつく。

 今回もまた、部屋の隅から四つんばいのまま床を這って、こちらへ近づいてきた。

 そんなアロマさんを見て微笑みながら、ルイさんが今から行こうとしている場所の説明を、アロマさんに聞かせていた。

 

「……しかし……あの浜辺は……ちょっと問題がありますね……」

 

 ルイさんとアロマさんのやり取りを眺めながら、私はあの場所に行くことを躊躇っていた。

 そんな私の様子を感じ取ったのか。

 

「ま、今なら安全マージンも充分取れてるし、大丈夫じゃねえか?」

 

 ここまで、コーヒーを飲みながら話を聞いていただけだったマーチも、場所のことで悩んでいた私に、そんな言葉を投げかけてきた。

 現在の最前線は59層だ。

 私たちも最前線に合わせてレベルを上げているので、15層も下のフィールドならば、確かに安全マージンは30レベル以上取れていることになる。

 

「それに《セイレーンの揺り籠》で発生するクエスト、受けっぱなしで放置してただろ? 良い機会だ。そっちも片付けちまおうぜ」

 

 立ち上がることもなく、コーヒー片手に座ったまま、まるでどこかの父親のように、マーチは新聞を眺めながらそんなことを言った。

 マーチは、ルイさんを危険な目に合わせるような発言は絶対にしない。

 つまり、あの浜辺に行っても、絶対に安全が確保できる自信がある、ということになる。

 

「そう……ですね。今の私たちのレベルなら、確かに、問題は無いですかね」

 

 そうは言いつつも、あの場所の制限は、正直心臓に良くない。

 本当なら避けたいのだが――

 

「いいじゃん! 行こうよセイド! ルイルイの頼みだ!」

 

 ――ルイさんから《セイレーンの揺り籠》の話を聞いたはずのアロマさんは、私のように躊躇う様子は微塵も見せず、それどころか、既に行く気満々でアイテムなどを確認し始めていた。

 

「ログっちも行けそうかな~?」

 

 ルイさんがそう言って視線を向けたのは、マーチとテーブルを挟む位置に座って、4日ぶりにギルドホームで昼食を取ることができたログさんだ。

 ここ数日、ログさんは何かと忙しかったようで、朝から夜まで店に籠る生活を繰り返していたので、4日ぶりに食べるルイさん手作りの昼食を夢中で頬張っていた。

 特にログさんのお気に入りである、ルイさんオリジナルアイスクリームを、スプーンで掬って口に運ぶごとに、とても幸せそうな表情を浮かべていた。

 そんなログさんは、アイスをスプーンごとくわえた状態でテキストを打っていた。

 

【お店はしばらく暇だと思うので、ご迷惑でなければ、ご一緒したいです】

「ログさん、スプーンを置いてからで良いですからね」

 

 その様子を見て、私は思わず笑いながら注意すると、ログさんは少し顔を赤くして、慌ててスプーンをアイスの盛られたグラスに置いた。

 

【失礼しました】

「ん~! ログたんカワユス!!」

 

 そんなログさんをアロマさんが全力で抱きしめて、アロマさんの腕の中でログさんがもがくという、よく見るいつもの光景が出来上がった。

 

「ふむ……全員一致ですか……では、すぐに準備しましょう。あそこに行くなら、必要になるものがありますし……」

 

 

 

 私は素早く必要な物を皆に指示し、みんなが準備を整えて集合したのは1時間後のことだった。

 

 

 

「いやぁ、なんか良いねえ! こうしてログたんも一緒に、何処かに遊びに行くのって初めてだよね!」

「アロマさん……遊び感覚もいいですが、現場に着いたらそんなに気楽ではいられませんよ?」

「セイド、気楽に行こーぜ。俺ら全員揃ってて、滅多なことにゃなんねーよ」

「貝がいっぱい集まったら~、美味しい貝料理、腕によりをかけて作るからね~!」

【潮干狩り、楽しみです】

「おぉ! ログたんがやる気だ! ログたん、貝好きなの?」

【ホタテ好きです】

「ホタテ……ですか……潮干狩りで取れますかね?」

「わっかんねーぞ、セイド? 茅場の奴、変に凝ってるくせに、妙なところで適当だったりするからな……」

「前にあったね~……お好み焼き頼んだのに~、お好み焼き風味のホットケーキっぽいのが出てくるお店とか~……しかも乾いててバッサバサで~……あれは美味しくなかったよ~……」

 

 

 

 そんな会話を和気藹々と繰り広げながら、私達DoRは、44層の海岸フィールド《セイレーンの揺り籠》へと、どこか遠足気分で出発したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやあ! 陽の光がまぶしいねぇ! いい天気だー!」

 

 アロマさんが浜辺に降り立ち、大きく伸びをしながら、満面の笑みでそう言った。

 

 私達DoRのメンバーは、麦わら帽子に水着に熊手という出で立ちで、44層の《セイレーンの揺り籠》と名付けられた浜辺に立っていた。

 『何事もルックスは重要!』という謎のアロマ理論の元、本当なら必要のない麦わら帽子をも、全員強制でかぶっている。

 

「セイド、お前、ホントに麦わらが似合わんな」

「マーチに言われたくありません」

 

 麦わら帽子を目深に被った私に嫌味を言ったマーチは、私たちの前を行く女性陣に目を向け続けている。

 

「しかし、何着ても似合うなぁ、俺の嫁は」

「……そうですね……」

 

 マーチはルイさんに対して、いつも通り惚気(のろけ)っぱなしだ。

 特に今日は水着ということもあって、鼻の下も伸びている。

 まあ、ルイさん1人が水着だからということでもないようだが。

 

「嬢ちゃんも可愛いし、見てて飽きねえよなぁ……いやぁ、来て正解だったぜ」

「……というか、まさかマーチ、それが目的でここへ来ることに賛成したんじゃ――」

「アロマは、何というか、麦わら帽子がしっくりくるなぁ!」

 

 私の言葉を遮るように、マーチはアロマさんのことを口にした。

 明らかに私の発言から逃れようとしていた。

 そして、マーチの台詞が聞こえたらしいアロマさんは、こちらに振り向いて、にこやかに返事をしてきた。

 

「え? そうかな? 何着ても似合うってことかな!」

 

 少し照れたように笑いながらはにかんでいるアロマさんだが、まさかマーチが私との会話を避けるために言ったことだとは露程も思っていないようだ。

 

「……なんというポジティブ思考」

「なんか言った? セイド」

 

 アロマさんのにこやかな言葉に、私が極小声で呟いた独り言を、アロマさんは耳聡く捉えたようだ。

 《聞き耳》を習得していないにもかかわらず、相変わらずの地獄耳である。

 

「いいえ何も。さあ、貝を探しに行きましょう」

 

 私は、自分には似合っていないと分かっている麦わら帽子を、更に目深に被り直した。

 麦わら帽子はアロマ理論に基づく強制なので、外そうと思えば外せる。

 だが、1つだけどうしても変更できないものがある。

 

「しっかし、相っ変わらず……この海岸は閑散としてんなぁ」

「プレイヤーはいない、という意味でなら、ですけどね」

 

 周囲を見回したマーチの台詞に、私もしみじみと答えた。

 

 この海岸には、モンスターが当然ながら存在する。

 主に、ラミアやメロウ、そしてマーメイドといった、上半身が女性で下半身は蛇や魚といったモンスターが、少しばかりうろついている。

 女性プレイヤーの少ないSAOでは、このような女性系モンスターのいる場所を好む男性プレイヤーは少なくないのだが、この場所に関しては、遠方から眺める程度で留まり、この場まで下りてくるプレイヤーはほぼいない。

 今も、この浜辺にいるのは、私達5人だけだ。

 

 その理由を、マーチが口にした。

 

「ま、そりゃ無理からぬことか。水着限定で、重ね着禁止なんていう制限があったらなぁ」

 

 ――そう。

 この《セイレーンの揺り籠》と名付けられている砂浜は、いわゆる《装備限定フィールド》なのだ。

 

 武器に関しては制限されないが、防具は水着に限定されており、水着の上にマントや鎧、服に至る何もかも、重ね着することができない。

 つまり、防御力が無いに等しい装備で進入し、その姿のままでいるしかないフィールドとなっている。

 これが、命の危険のないSAOであったのなら、大いに楽しめる場所なのかもしれないが、デスゲームと化しているSAOでは、かなりの危険が伴うため、自然と足が遠退く場所だ。

 

「……だから躊躇ったんですよ……確かにレベル的な安全マージンは充分に確保できていますけど……防御力が無いに等しい状況では、何があるか分かりませんし……」

 

 そんな私の台詞を聞いていたルイさんが、私の顔を覗き込むようにして声を掛けてきた。

 

「セイちゃん……どこ見て言ってるの~?」

「……目のやり場に困ってるだけです……気にしないで下さい……」

 

 水着限定ということはつまり、DoRのメンバーの女性陣も皆一様に水着であり、周囲に疎らに存在するモンスターも、上半身は裸の女性であり、つまりどこに視線をやればいいのか大いに困るわけで。

 私は、麦わら帽子を目深に被ることで、つばの部分で視界を大きく遮り、更に視線は常に自分の足元に向けながら話をしていた。

 

「セイド、顔が赤い。うぶだうぶだ!」

 

 アロマさんまで横から私の顔を覗き込んできて、そんな風にからかってきた。

 

「~っ! ほっとけ! 良いからさっさと貝でも探してきなさい!」

 

 アロマさんのニヤついた顔が目に浮かぶが、それでも視線を上げることはできなかった。

 浜辺に入る際に、女性陣3名の姿を、迂闊にも直視してしまったからだ。

 

 

 

 ルイさんの水着は、いわゆる白ビキニだった。

 日焼けを気にする必要のないSAOだからこそ『どれだけ肌を出しても安心だよね~』と、アロマさんと話した結果がこれらしい。

 驚いたことに、白無地のビキニは、上下とも紐でしか固定されていなかった。

 何かに引っ掛かって、あの紐が引っ張れてしまえば、外れてしまうのではないかとすら思える。

 この世界では、メニュー画面を操作したり、装備品の耐久値が無くならない限り、そんな心配は無用だと、分かってはいるのだが。

 更に、ルイさんの水着の特筆すべき点は、胸の谷間に光るペンダントだろう。

 これが、視線を否応なく胸元に集結させてしまう。

 今現在、視線を向けていないにもかかわらず、ヒヤヒヤとさせられる水着だった。

 

 

 アロマさんは、フリルの着いた黒ドット柄のピンクのビキニだった。

 アンダーには短いパレオを巻いているのだが、どう見てもミニスカートにしか見えない。

 故に『そんなに動いちゃいけません!』と言いたくなる仕様に、否応なく仕上がっている。

 アロマさんは『黒のドットが、甘辛ポイントなんだよ!』と自慢していたが、それよりもパレオの切れ込みが深すぎるのが気になって仕方がない。

 傍にいて、どこに視線を向ければいいのか分からず、オロオロしてしまう水着だった。

 

 

 ログさんは、定番のスクール水着――かと思いきや、こちらもセパレートタイプの水着だった。

 前の2人は、いわゆる大人体型なのだが、ログさんは成長過程という感じで可愛らしくまとめられていた。

 トップは、キャミソールを胸元で切り詰めたような形の、肩ひもで留めるタイプの物。

 アンダーは、ショートパンツタイプのベリーショート仕様となっていた。

 双方共に、四つ葉のクローバーがワンポイント、アレンジされていた。

 その趣味のマニアなら垂涎ものだろうか。

 あの男がどこからか飛んでくるのではないかと、なんともハラハラする水着だった。

 

 

「いやぁ、眼福眼福! ルイルイの水着はやっぱり白ビキニで正解だったねぇ♪」

 

 どこのオヤジだ、とツッコみたくなるようなセリフを吐いたのは、3人分の水着をコーディネートしたアロマさんだった。

 貝を探しに行くのではなく、この場で会話に花を咲かせるつもりらしい。

 

「いやだぁ~、恥ずかしいからあんまり見ないで~」

 

 ルイさんも、そう言いつつもそれを着ているのだから、案外満更でもないのだろう。

 

【ルイさん、羨ましいです。あたしはそんなの着れません】

「何言ってんの! ログたんだって可愛いじゃん! それに将来はどうなるかなんて、まだ分かんないよ!」

 

 そんな女性陣の会話を聞いているだけでも、精神的限界を来たしそうだったので、私は足早にその場を離れ――

 

「おぉい。ど~こに行こうってのかね? セイド君?」

 

 ――ようとしたところで、マーチに後ろから首に腕を回されて引き止められてしまった。

 

「は、放せ、マーチ!」

「おいおい、こんな、滅多に見られねえうちの美人どころの姿を、その目に収めないでどうするってんだ?」

 

 ニヤついた表情のマーチは、明らかに私をからかっていた。

 

「ほっとけ! こういうのは慣れてないんだよ!」

 

 マーチに小声で抵抗するも、マーチは放す気が無いようで、腕の力が緩む気配なはい。

 そんな感じで引き止められている私の耳に、女性陣3人の会話が届いてしまう。

 

「ログっちの四つ葉のクロ~バ~、センス良いね~♪」

【これが気に入って、選びました】

「ん~♪ ログたん、ホントか~わい~い♪」

「ロマたんだって、可愛いよ~♪ ピンクに黒のドットでセパレ~ト~♪」

「いやいや、ルイルイの胸の谷間に光る宝石には負けるよ!」

「やだぁ、もう!」

 

 ――などなど。

 

 不慣れなガールズトークに、すぐにでもこの場から逃げ出したい、という衝動に駆られる。

 

「セイド、俺の嫁から水着をはぎ取る想像はするなよ?」

「……頭が痛い……」

 

 悪乗りし過ぎたマーチには、鳩尾に1撃、軽く肘打ちを叩き込んでおいた。

 

 

 

 

 そんな感じで、ようやく潮干狩りの開始となった。

 

 

 



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DoRのちょっとした春季旅行・2

鏡秋雪様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

お気に入り数も、もうすぐ720に届くところまで来ておりました!
更に! 下位ではありますが、累計ランキングに入っておりました!(>_<)

お読みいただけている皆様に、この場をお借りして感謝申し上げます!
本当に、ありがとうございます!! m(_ _)m


そして、幕間のはずなのに、やはり4話分になりそうです……(-_-;)ゴメンナサイ



 

 

 潮干狩りが始まってみると、誰よりも先に砂を掘り始めたのはログさんだった。

 

 開始後数分で、ログさんはすでにいくつかの貝をバケツに放り込んでいた。

 一定の作業をこなしていく、ということにログさんは楽しみを見出せるタイプのようで、その表情は――何とか女性陣にも目を向けられる程度には慣れた――実に楽しそうだった。

 

「ログっち、もうこんなに見つけたんだ~……んん~?」

 

 ログさんのバケツをのぞいたルイさんは、ニコニコとログさんに声を掛け、その後、何やら怪訝な顔をした。

 

【海なのに、シジミがありました。あとは、アサリ・ハマグリ・カキ・ムール貝です】

 

 ルイさんが怪訝な顔をした理由を、ログさんがテキストで伝えてくれた。

 

「……やっぱ、貝なら何でもいいってことで、適当に撒いたか? 茅場のヤロウ……」

「いくらなんでも雑多に過ぎるでしょう……(しじみ)とて、汽水生種はいますが、ここは完全に海水の設定のはずですし……」

 

 マーチはフラフラと近寄ってきたラミア1体を、一刀のもとに切り捨てながら、ゲームを設計した茅場晶彦への不満をこぼし、私もこんな状況を見せられては、茅場晶彦をフォローする気にはならなかった。

 

「まあ、何でも良いじゃん! これならホタテも居そうだし!」

 

 茅場への不満など何もないようで、アロマさんは鼻息も荒く、熊手を片手にダッシュの姿勢を取った。

 

「待っててねログたん! 私がホタテを見つけてみせるからねぇぇぇぇぇぇ!」

 

 と、言うが早いか、アロマさんは猛烈なダッシュを決め、行く手にフラリと進み出てきたマーメイドを、ダッシュの勢いを殺すことなく両手剣の1撃で両断し、そのまま敵のいない一帯に辿り着くと、砂浜に埋もれるようにして熊手を砂に叩き付けはじめた。

 

 潮干狩りなのに、明らかに深く掘る様相を見せるアロマさんを見て――

 

「……ここほれ、わんわん……」

 

 ――私は思わず、そんなことを呟いていた。

 

「ちょ、おま……聞こえたら殺されるぞ」

 

 苦言を呈するマーチは、しかし完全に顔が笑っていた。

 

「内緒にしておいてください」

 

 

 

 

 

 

 

 潮干狩りなど、何年ぶりだろうか。

 小学校に入学するよりも前に、両親に連れられて、1度だけ行ったような記憶があるが、あまり鮮明ではない。

 まぁ、子どもの頃の記憶など、そんなものだろう。

 

「本当にいろんな種類がありますね」

 

 潮干狩りの記憶を手繰りながら、私は雑多な貝類を熊手で掘ってはバケツに入れていった。

 

「淡水だの海水だのってレベルじゃねえ……生息域無視して貝類全部ごちゃ混ぜになってるぞ、こりゃ……」

 

 貝が手に入るたびに、マーチは渋い顔をしていた。

 時々出てくる貝には、食用から宝飾関係まで幅広く使われる、(あわび)阿古屋貝(あこやがい)法螺貝(ほらがい)を模した物まで出てくる始末だ。

 こういう細かいことに関して、マーチは私以上にこだわる質なので、貝類が無差別に出てくることが気に障るのだろう。

 

「ん~♪ でもお蔭で、いろんな料理ができそうだよ~♪」

 

 しかし、ルイさんはとても満足げなので、マーチもそれを見てヤレヤレとため息を吐くにとどめている。

 ログさんに至っては、貝の種類など気にするのをやめて、鼻歌交じりにあちらこちらを掘り返し続けている。

 

 そしてアロマさんは――

 

 

 ――ガギンッ!!

 

 

 ――と、アロマさんの方へ視線を向けた時、普通の潮干狩りでは聞くことのない、衝突音が聞こえた。

 

「……がきん?」

 

 アロマさんは、やはりと言うべきか、浅く広く掘るのではなく、深く大きく砂浜を掘り返していて、そこは完全に穴と呼ぶべき状態になっていた。

 そんなアロマさんの掘っていた穴の底から、その音は響いてきたようだ。

 

「あ!」

 

 音に反応して、皆がアロマさんの掘った穴の方を見ていると、何やら声を上げたアロマさんが、穴から飛び出してきた。

 

「どうしました? アロマさん」

 

 自分で掘った穴の淵に立って穴の底を眺めているアロマさんに、私は歩み寄りながら声を掛けた。

 しかしアロマさんはこちらを見ようとはせず、穴の底を見つめ続けている。

 

「あー、うん……これ、多分ホタテだと思うんだけどね」

「お、マジでホタテ見つけたのかよ!」

 

 アロマさんの台詞にマーチが立ち上がり、穴の方へと歩み始める。

 

「そういえば~、ホタテは出てきてないね~。こんなに色々種類があるのに~」

 

 そのマーチに続くように、ルイさんもアロマさんへと近づくと。

 

「……見つけたっていうか……」

 

 アロマさんは未だに穴の底を見つめながら、何故かジワジワと後退を始めた。

 

「どうかしたんですか?」

 

 そう声を掛けた私を――

 

「襲ってくるかも。セイド後よろしく!」

「は?」

 

 ――追い越して穴から遠ざかるアロマさんを、私は不覚にも、体ごと振り返って視線で追ってしまった。

 つまり、穴に対して背を向けてしまった。

 

 そこで初めて、私の視界に《警報》によるモンスターの出現告知が現れた。

 

「っ! セイド! 後ろだ!」

 

 マーチの叫びよりも先に、私は振り向き、それと同時に飛び退いてはいたが。

 穴から出てきたソレを見て、思わず呆けて呟いてしまった。

 

「……ホタテ? この大きさで?」

 

 出てきたのは、厚さだけで人の3倍の高さはあるであろう、巨大な二枚貝だった。

 前後左右の長さや、その面積を考えると、恐ろしい大きさだ。

 かなり飛び退いたはずの私の足元ですら、この巨大な貝の出現の際に少し盛り上がったほどだ。

 

 それが、唸り声を上げながら目の前の地面から突然出現すれば、誰もが口を開けて見ているだけになるのではないだろうか。

 

【ホタテじゃないですね。多分、シャコガイです】

 

 離れた位置にいたログさんの、冷静なテキスト文のおかげで、私は冷静さを取り戻すことができた。

 

 確かに、この巨大な貝――《ギガース・クラム》という名のモンスター――は、開口部が大きく波打った特徴的な形をしていて、それが、シャコガイ――それも最大の貝類であるオオジャコガイがモデルであることを示唆していた。

 更に大きく飛び退くと、丁度アロマさんの隣に立つ形になった。

 

「おっきいおっきい! これ、焼いて食べよう!」

 

 両手剣を構えていたアロマさんは、突如出現したシャコガイ型モンスターを見て、嬉々としていた。

 

「いや、どうしてこれを見て食べようという気に――って!」

 

 アロマさんに思わずツッコんだ私の視界に、恐ろしいものが見えた。

 驚いたことに、シャコガイは唸り声を上げながら、上空に跳躍して(・・・・・・・)こちらに突っ込んで来ようとしているという《警報》の攻撃予測が見えたのだ。

 超巨大な貝のボディプレスならぬ、シェルプレスといったところだろうか。

 

 《警報》の知らせる攻撃予測範囲は、これまで見たことのない異様なまでの広さを示していた。

 とはいえ、レベル差があるので、受けるダメージ予測はそれほど危険なものではないと告げていたが、だからといってあの大きさの貝の下敷きにされるという光景は、夢にまで見そうなので御免被りたい。

 

「全員、全力で――」

 

 後方に退避、と声を掛ける前に、自分の迂闊さに気付いた。

 ログさん、ルイさん、マーチの3人は、シャコガイの出現に合わせて、私の元へ駆け寄るべく動き出していたのだ。

 このまま退避の指示を出した場合、私やマーチ、ルイさんとアロマさんなら確実にシャコガイのボディプレス範囲の外に逃れられるだろう。

 

 だが。

 元々戦闘職ではないログさんは、話が別だ。

 ログさんは咄嗟の指示に即座に対応できるほど場馴れしていないし、もし仮に退避できたとしても、範囲外に逃れられるという確証が持てない。

 

「――後方に跳べ!!」

 

 故に、()は退避の指示を出しつつ、その場に踏みとどまった。

 

 案の定、ログ以外は即座に大きく跳び退いたが、ログは焦りのためか、辛うじて小さくバックステップはしたものの、着地時に砂地に足を取られて尻餅をついてしまっていた。

 そして、ログの尻餅と同時に、シャコガイが上に跳躍した。

 

「うおぉっ?!」

 

 マーチが驚いたように声を上げた。

 流石にシャコガイのこの行動は予測外だったようだ。

 

「ログっち!!」

 

 それを見て、ルイはログが貝の範囲内にいることに気が付いたのだろう。

 慌てたようにログに声を掛けるが、ルイの位置からはログまでは距離があり過ぎた。

 ルイの鞭でも届かないため、鞭を使ってログを引っ張るという手も使えない。

 

「セイド!」

 

 そして、それに気付いたのであろうアロマが俺の名を呼ぶ。

 

「分かってる!」

 

 そう、分かっている。

 だからここで踏みとどまったのだ。

 ログの退避が間に合わないのなら、取るべき対応は1つだ。

 

 

 

 

 

 

 

 迂闊にも、セイドに駆け寄ろうとしていたために、俺もルイも、嬢ちゃん――ログとの間に距離があった。

 アロマも、ログの所までは離れている。

 ログを連れて離れるのは、距離的にも時間的にも、俺達には無理だ。

 そして、それはセイドも同じだった。

 

「分かってる!」

 

 だからだろう。

 セイドは俺たちに退避の指示をしながら、その場に留まっていて、そして両手を上に突き出していた。

 

 ――受け止める気だ。

 

 俺ならおそらく、打ち返すとか、蹴り飛ばすとか、何らかの迎撃という選択をしたところだろうが、セイドの対応を見て、すぐにそれは失策だと理解する。

 

 巨大ということは、重量があるということに直結する。

 そんなものを、如何に筋力補正が効いているゲーム内だといえど、易々と打ち返せるわけがない。

 仮に打ち返せたとしても、あの貝は面積が広い。

 的確に重心を捉えて迎撃しなければ、打ち返すどころか下手に傾くだけでログを助けるには至らない。

 

(てか、だからって受け止められるわけがねえ!?)

 

 セイドの選択は、それしかないものだっただろうが、しかしそれすら苦肉の策だろう。

 あの巨大な貝を受け止められるとはとてもではないが思えない。

 

 ――1人では。

 

 わずかに遅れて、俺は前に駆け込み、両手を上に突き出す。

 ログの元へは届かないまでも、貝の面積範囲に跳び込むくらいなら可能だ。

 なら、1人より2人で受け止めればいい。

 

 そんな俺の行動の意図を察したのだろう。

 ルイもアロマも俺と同じように前に跳び込んで両手を上げ――

 そこに巨大な貝が降ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 受け止められたのは、皆の協力あってのことだっただろう。

 かなりの衝撃はあったが、辛うじて押し潰されることなくシャコガイを受け止められていた。

 

 しかし、衝撃の割にはHPがそれほど減っていないのは、レベル差があるためだろう。

 

「ちょ! セイド! この後どうするよ?!」

 

 受け止めたのは良いが、ログ以外の4人が身動きの取れない状況になっていた。

 

「どうするも何も!」

 

 俺はすぐに次の指示を出そうとし――そこで《警報》の攻撃予測警告が目に入った。

 こちらは身動きの取れないこの状態で、しかし頭上のシャコガイには、こちらを攻撃する術があるのか、と攻撃予測を見やると。

 

(足元? しかも1つじゃなく複数だと?!)

 

 《警報》の知らせてきた攻撃予測の対象は、頭上のシャコガイではなく、足元の何かを示していた。

 その表示を辿って足元を見やると、そこには、とても見慣れた形の貝が10個ほど落ちていた。

 

 ――いや、落ちていたというのは正確ではないだろう。

 その貝こそが、攻撃を仕掛けてくるモンスターとして《警報》に認識されているのだから、これは出現したのだろう。

 ただし、その貝は、どこからどう見てもホタテ貝だった。

 

「……ホタテが……モンスター扱いかよ……」

「はぁ?!」

 

 俺のぼやいた言葉が聞こえたのだろう。

 マーチも驚いた声を上げて下に目を向けた。

 

「さっきまで1つも見つからなかったのに、何でこんなにホタテが~?!」

 

 ルイも、砂浜に散らばっているホタテを見てそんな声を上げた。

 

「このおっきい貝が出てくるときに、一緒に飛び出してきたよ! 子分なんだよ、きっと!」

 

 アロマはこのホタテどもが出てきた瞬間を見ていたようだ。

 要約すると――つまり、頭上のシャコガイ共々、ホタテも砂浜に深く埋まっていて、このシャコガイが出てきたからホタテも出てきた。

 が、どっちもモンスター扱いで、シャコガイもホタテも扇貝と呼ばれるものだから、ボスと取り巻きの関係にした、と。

 

「茅場の……ばっかやろぉぉぉ!」

 

 俺と同じ結論に辿り着いたのであろうマーチの叫びが、虚しく砂浜に響いたと同時に、ホタテが俺の足だけ(・・・・・)をめがけて、一斉に飛び掛ってきた。

 両足の、指・(すね)・ふくらはぎといった箇所に、合計で10個近いホタテが噛み付いたのだ。

 

「うおぉ!? 地味に痛い!」

 

 ダメージにしてみれば一桁程度のことなのだが、痛いものは痛い。

 強いて例えるなら、箪笥の角に小指をぶつけたみたいな感じだろうか。

 

「うわぁ~……」

 

 その様子を見たルイさんは、顔を歪め。

 

「……シュールな光景だな、これ……」

 

 マーチは苦笑いを浮かべ。

 

「何かキモイ……セイドがキモイ」

「アロマ?! 俺がキモイみたいじゃないかその言い方だと?! キモイのは貝だ!」

 

 アロマに至っては俺をキモイ呼ばわりだ。

 

 この状況は望ましくない。

 主に、俺の精神的な意味で。

 

「ログ! 戦鎚でこのシャコガイを下から、全力でぶっ叩け!」

 

 4人が動けない現状では、ログに攻撃を頼む以外は無い。

 幸い、このシャコガイには細かい攻撃方法も無いようだし、今ならシャコガイ自体も身動きが取れない。

 シャコガイの取り巻きであるホタテ共は、全て俺に噛み付いているので、ログの邪魔をすることも無い。

 こういった動かない敵や、動きの単純な対象なら、ログの攻撃力は遺憾なく発揮される。

 

 ログは返事をする代わりに戦鎚を抜き出して腰だめに構え、ライトエフェクトとともに上空に戦鎚を振り上げた。

 片手鎚用重単発打ち上げ技《ヘヴィ・ガイザー》――間欠泉の名が示す通り、下から上へ戦鎚を振り抜くその《剣技》の1撃は、見事にシャコガイを穿ち、更に驚いたことに、その1撃だけでシャコガイは上空に打ち上げられていた。

 

 忘れがちだが、ログのステータスはかなり筋力寄りで、DoRのメンバー中、最大の筋力値を誇っており、更にレベルも、攻略組には及ばないまでも、前線で充分に通用する高さがある。

 単純な筋力値による攻撃力だけなら、俺たちの中で1番強いことになる。

 

 そのログの強烈な1撃を受けて、巨大シャコガイは上空に浮いただけでなく、戦鎚を受けた位置からガラスが割れるかのように、殻一面に罅が走り――

 

「おぉー! お見事ログたん!」

 

 ――そのまま、ポリゴン片へと化したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 想定外の戦闘を終えたところで、私たちは全員がその場で砂浜に腰を下ろして一息ついていた。

 

「しかし、驚いたな。セイドがあれの存在に気付いてなかったってのは」

 

 マーチの台詞に、私も同じ感想を抱いていた。

 

「ええ。まさか、モンスターの反応が無かったにもかかわらず出現するとは」

 

 今の一件で1番考えさせられたのは、あの巨大なシャコガイ――《ギガース・クラム》の出現を《警報》が直前まで察知できなかった点だ。

 このことに関して、私はある予測をしていたが――

 

【多分、元はモンスターではなかったのでは?】

 

 ――それを口にするよりも早く、私と同じ予測を先に言葉にしたのはログさんだった。

 

「ログっち、それどういう事~?」

「セイドが《警報》の設定、ミスってたんじゃないの?」

 

 ルイさんとアロマさんが、ログさんの言葉に疑問を返した。

 アロマさんに至っては、私のミスだと思っていたらしい。

 

「流石に、外に出るのにそんな設定ミスはしていませんよ。ログさんの仰った通り、あのシャコガイは、アロマさんが熊手で叩くまではモンスターではなく、通常の貝として、フィールドに埋まっていただけなのでしょう」

「おいおい……あんなもん、アロマみてーな変わり者が掘らねー限り、見つかりっこねーぞ?」

 

 マーチの言葉に、私が答えるより先に、ログさんが(せわ)しなく打っていた文章が視界に表示された。

 

【貝が多いのはこの時期限定のイベント扱いみたいですから、イベントボスとして、潮干狩りの終了時期になると出現する予定だったのでは。ホタテが通常時に拾えなかったのもそれなら説明が付きます】

 

 少し不安げな表情でテキストを打っていたログさんだったが、その見解は、しっかりと整理されたものだった。

 

「なるほど。それは考えられますね」

「ははぁ……だからアロマがぶん殴るまではモンスターじゃ無かった、と」

「それをロマたんが起こしちゃったんだね~」

 

 ログさんの見解を受けて、私、マーチ、ルイさん、そしてログさんの4人が、一斉にアロマさんに視線を向けた。

 

「う……」

 

 4人分の視線を受けて、アロマさんは現実から顔をそむけるように横を向いた。

 

「やっぱアロマが悪いんじゃねえか! こんのトラブルメイカーが!」

「仕方ないじゃん! 知らなかったんだし!」

 

 マーチがアロマさんを糾弾すると、アロマさんは悲鳴に近い声で反論した。

 

「あはは……まあ~、ロマたんみたいに深く穴を掘る人がいるとは~、茅場晶彦も想像してなかったんだろうね~」

「アロマさんの突飛な行動は、誰にも想像できないかと」

【アロマさん、潮干狩りは砂を浅く掘るんですよ】

 

 残念なことに、今回の騒動に関しては、誰もアロマさんをフォローできなかった。

 辛うじて、ルイさんがフォローに近い発言をしたくらいだった。

 

「うわぁぁぁん! みんなしていじめないでよぉぉぉぉ!」

 

 ログさんにまでツッコまれたのがショックだったのか、アロマさんはこの場から走って逃げだした。

 そんなアロマさんの様子を見て、先ほどの戦闘で生じた緊迫感は一気に吹き飛び、アロマさん以外は、一様に笑ってしまったのだった。

 

 

 



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DoRのちょっとした春季旅行・3

NYX様、感想ありがとうございます!(>_<)

お気に入り件数が730件超えました!
お読みいただけている皆様に御礼申し上げます!m(_ _)m
ありがとうございます!m(_ _)m

今後とも、お付き合いいただければ幸いです!(>_<)



 

 

 一通り笑い、雰囲気が良くなったところで、唐突にマーチが立ち上がった。

 

「うっし! 潮干狩りもしたし、時間も丁度頃合いだ。セイド! あのクエ、片付けちまうぞ!」

 

 その言葉で気付いたが、もう夕方が近かった。

 景色だけを眺めていられるなら、とてもいい時間帯が近づいていると喜ぶこともできるのだが、意気込むマーチを見ると、私はあまり気分が乗らなかった。

 

「やっぱり……やるんですか?」

「ったりめえだ! おいアロマ! クエ行くから戻ってこい!」

 

 マーチは、私たちのいる場所から少し離れた位置に座っていたアロマさんに声を掛けた。

 いじけて体育座りのまま、砂浜に《の》の字を大量生産していたアロマさんは――

 

「クエ? なになに!? どんなクエ?!」

 

 ――マーチのその言葉で、瞬時に元気を取り戻し、転がるような勢いで私たちの元へと戻ってきた。

 

【クエスト、気になります】

 

 マーチの言葉を聞いていたログさんも、クエストの内容が気になるようだ。

 

「ま、簡単に言えば、スロータークエストだ」

「……えぇ~……」

 

 しかし、マーチのその一言を聞いた途端、アロマさんは口をへの字に曲げて不満げな声を漏らし、ログさんも表情を暗くして沈黙してしまった。

 

「おいおい、何だよ2人して」

「だってさぁ……スローター系って、面倒じゃん」

 

 スロータークエスト――その名の通り、クエストで指定された特定の敵を何体~何十体、更に酷いものになれば、何百何千という数の敵を延々と倒し続ける《虐殺する》クエストの総称だ。

 とても手間や時間がかかるため、クエストの中では苦手意識を持たれやすいタイプのものである。

 

 アロマさんもログさんも、その例に漏れず、スロータークエストは苦手なようだった。

 

「そう言うなよ。お前が1番活躍できるクエストだぞ、アロマ」

「面倒じゃん、めんどー!めんど、めんど、めんど♪」

「雑魚がワラワラだ。無双だぞ、無双! アロマ無双。呂布もびっくりだ」

「……ほう……それは悪くない響きじゃのぅ」

「ばったばったと悪を斬る! その後には、お代官様に報酬も経験値も、たっぷりにございますよ」

「おぬしも悪じゃのう」

 

 ふぉふぉふぉ、と、2人は高笑いで会話を締めくくり、戦闘準備に入った。

 こういう説得の仕方は私には無理だ。

 さすがマーチ、と苦笑いをする。

 

「これ終わったら、桜餅で休憩しようね~。熱いほうじ茶もあるし~」

 

 ルイさんの一言が、さらにアロマさんのやる気を加速させたようで、何やら屈伸の様なものまで始める始末だった。

 

【私もがんばります】

 

 ログさんも、そんな3人のやり取りを見て何やら気合を入れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 結局、クエストには全員参加という話でまとまった。

 最後の最後まで渋っていたのは私だけだったが、多数決で押しきられた。

 

「うっし、んじゃ、はじめるか」

 

 そして、私たちはクエストの開始位置である、浜辺の北端に佇む女性NPCの前までやってきたところだ。

 

「オッケ~」

「バッチコイ!」

【いつでもどうぞ】

 

 マーチの掛け声に、各々の武器を構えてクエスト開始を待つ女性陣。

 しかし、クエストが始まるその時も、この浜辺にいる限り水着以外の防具は装備できないため、その光景は中々に異様だ。

 白ビキニ姿で鞭を振り回すルイさんとか、パレオを翻して動き回りながら両手剣を振り回すアロマさんとか、発展途上の体を惜しげも無く晒して戦鎚を振り回すログさんとか、想像するだけで目を覆いたくなる。

 それに、レベル的には絶対安全と言い切れなくはないが、防御力的には、袋叩きに合うと、それ相応のダメージになり得る状況だ。

 

 私は、何度目とも分からないため息を吐いた。

 

(あ~……本当に……このクエストはやりたくなかった……)

 

 レベルや防御力など、この際、問題ではない。

 DoRのメンバーなら、いくらでも対処できることだ。

 

 だが、1番の問題は、このスローターでポップするモンスターの種類と、このクエストの背景となるストーリーと、ボスだ。

 

「……やりたくない……」

 

 NPCの前で、私は1人愚痴をこぼした。

 そんな私のぼやきなど聞こえていないように、私の後方でクエストの開始を待っているマーチは、早く始めろと喧しかった。

 

 

 

 

 このクエストの恐ろしいところは、多数のラミアやマーメイドといった女性系モンスターが、銛や三叉槍を片手に持って、クエスト受注者の男性プレイヤーだけを執拗に狙ってくる、という点にある。

 そして、マーチはクエストを受注できない(・・・・・・)

 

「ヒュゥ! 流石セイド! まだノーダメかよ!」

「セイちゃん、離れすぎないで! 鞭が届かなくなるよ!」

「アハハハハ! 女性に追いかけられて逃げ惑うセイドとか、激レア場面だ!」

 

 ――故に。

 

 上半身が裸の女性系モンスターに追い回されるのは、受注者の私である。

 

「目のやり場に困る敵相手に、回避したり、連れ回したりっていうのは、かなり骨が折れるんですけどね!」

 

 如何に《警報(アラート)》があろうとも、敵を見ずに全てを回避できるような数ではない。

 私が相手にしているだけで常に30体はいるのだ。

 私以外の4人は、私を狙ってくるモンスターを順に撃破していくだけなので、滅多なことではダメージは負わない。

 時々、敵の集団が、同時に広範囲型の《剣技》を放ってくるのに気を付けていればいいくらいだ。

 

「笑ってないで、敵の撃破に集中して下さい!」

 

 追いかけてくるモンスターの背景には、非常に惚れやすく嫉妬深いというボスがいるらしいのだが、このボスモンスター、出現するまでに倒さねばならないモンスターの数が、スローター系の中でも上位に入る、千体という数に設定されているらしい。

 

 唯一の救いは、クエストを開始すると、千体倒しきるまでモンスターが大量にポップし続ける点だろうか。

 これが、浜辺に疎らにしか存在しないモンスターを千体倒せ、というようなものだったら、1日や2日では終わらない可能性もある。

 そうして千体倒しきると、ようやく、ボスであるセイレーン――上半身はこれまた裸の女性、下半身は鳥という姿のモンスター――が現れる、らしい。

 

 このクエスト、未だにクリアされたという情報は上がっていないため、大量の雑魚モンスターがポップするところまでは確実なのだが、ボスの登場などに関しては、クエストの会話などからの予測である。

 

「ってか、撃破数、数えてるか?」

「数えていられませんよ! こんな状況で!」

 

 マーチの台詞に、悲鳴に近い形で返した。

 増える一方のモンスターを全て惹き付けているのだ。

 数えるような、そんな余裕がある訳がない。

 

【今、233体です】

 

 しかし、意外なことに、ログさんはキッチリ数えていたらしい。

 

「うお! 嬢ちゃん、スゲエな!」

「さっすがログたん!」

「じゃ~これで、235~!」

 

 ログさんは他の3人に比べれば、敵を相手取る数が少ない。

 戦闘職ではないので絶対に無理をしないように言ってあるし、基本的には離れた位置で見ているように指示もしてある。

 だからこそ、数の把握も可能なのだろうが、それ以上に、ログさん個人の観察力や把握力が高い事もあるだろう。

 普通に考えて、200を超える数を把握するのは難しいものだ。

 

「ログさん! 無理はしないで下さいね!」

 

 私の呼びかけに、ログさんは1つ頷いて見せた。

 今のやり取りの間にも撃破は続いている。

 クエスト開始から約30分が経過しようとしている。

 このペースを維持できれば、1時間以内にはボスが出てくるだろうか。

 

「……ボス……みたくないなぁ……」

 

 何度考えても嫌な予感しかしない。

 

 

 

 

 

 

 

 段々と、セイドを追い回している雑魚の数が減ってきた。

 

「やっとポップが収まったか」

 

 ポップが収まるということは、今居る分を倒せばボス戦になるはずだ。

 

【今、984です】

 

 ログのカウントも続いていたようだが、正直、900を超えても把握できているという事実に、度肝を抜かれた。

 

「すげえ嬢ちゃんだな……」

「ログっちも凄いけど~……セイちゃんも凄いよ~……」

 

 俺の隣でルイが呆れたようにセイドを見ていた。

 確かに、ログの状況把握力にも驚かされたが、セイドの回避能力の高さにも、改めて驚かされた。

 回避に重点を置いていた分、セイドの攻撃の手数は確かに少なかったが、結局、クエ開始時から今に至るまで、セイドは1撃もダメージを受けていない。

 

 セイドの二つ名が伊達じゃないことを実感させられる。

 

「ぅぉぉおりゃぁぁぁぁぁぁあああっ!!」

 

 そんな俺の思考を遮ったのは、砂浜に轟いた咆哮だった。

 

 気合一閃、両手剣で範囲型の技《グラトニー・デューク》を放ち、1撃で5体もの雑魚を屠ったのは、我らがトラブルメイカーにして、雑魚最多撃破数を誇るアロマだ。

 

「ロマたんも凄いよね~。あの勢いが衰えないんだから~」

 

 アロマは、クエ開始直後から、相変わらず男勝りな掛け声を上げて敵を斬り飛ばしていた。

 重量級の大型武器を軽々と扱うその姿は、水着であることも相まって、妙な色気を醸し出していたが、俺の嫁には遠く及ばない。

 

「やれやれ……これじゃ、俺たちが目立たんな」

「い~んじゃな~い? だってマーチん、目立ちたいわけじゃないでしょ~?」

 

 そう言って、ルイは左手の鞭で動きを封じたラミアに、右手の片手棍の1撃を叩き込んでトドメを刺し、俺にウィンクを1つしてみせた。

 

「まーな」

 

 俺も手近にいたマーメイドを3枚に下ろして、そのままセイドに目を向ける。

 ここまでくれば回避と連れ回しを続ける必要も無く、セイドも体術で雑魚どもを叩き伏せていくところだった。

 これでボスが出てくるだろう。

 

「ふむ……5時半か……思ったより早かったな」

 

 クエスト開始から1時間ほどしか経っていない。

 やはりこの面子で、この階層の雑魚の殲滅に本気で取りかかれば、こんなものかもしれない。

 

「いやぁ、スッキリしたぁ! ひっさしぶりに振り回したいだけ振り回した気がするよ!」

【アロマさん、後で武器のメンテに来て下さいね。あんなに使えば結構消耗しますから】

「ほほーぃ」

 

 アロマとログも、俺たちの近くにやって来ていた。

 残っている雑魚はセイドが相手をしている5体だけになっている。

 

「っしゃあ! いよいよボスのご登場ってわけだ!」

 

 俺はクエの詳しい内容は聞いていないが、これが終わればボスが出てくるであろうとは聞いている。

 

「楽しみだね! さっきの貝は唐突過ぎて、楽しむ余裕なかったけど、今度は楽しみたい!」

 

 アロマからも戦闘狂らしい台詞が飛び出す。

 

「セイちゃ~ん、終わる前に声かけて~」

【セイドさん、本当にノーダメージで、あの乱戦を潜り抜けました。凄すぎです】

 

 ルイはいつも通り気軽に構え、ログはセイドに尊敬の眼差しを向けていた。

 

「……皆さん、先に言っておきますが」

 

 が、ここまで来てセイドは、最後の1体を倒さずに、回避だけを続けてこちらに何か言ってきた。

 

「このクエストに手を出したことを後悔しないで下さいね……私の予測が外れていてくれることを祈るばかりですよ……」

「何言ってんだ! さっさと終わらせて、ボス行くぞ!」

「……はぁ~……仕方ないですね……」

 

 俺の台詞にセイドはため息を吐き、最後の1体を蹴散らした。

 

「では……さっきのNPCの所まで行きましょうか……」

 

 セイドは、敵を倒すと俺たちに合流するのではなく、クエ開始用のNPCの元へと歩き始めた。

 

【セイドさん、なんであんなに嫌そうなんでしょう?】

「さてなぁ……このクエの受注が男に限られてるのと何か関係があるのかね?」

「あ、男性限定なんだ?」

 

 ログの疑問に、俺は答えになっていない答えをし、それを聞いたアロマが更に問いを重ねた。

 

「おう。男限定ってのは、このクエを受けれなかったアルゴの意見だな。ただ、他にもなんか条件があるみたいだ。俺は受けれなかったし」

「ん~? 要件が分かんないねぇ~」

「セイドの見立てだと、俺は結婚してるからダメで、アルゴは女だから、他の男プレイヤーはパーティーに女がいないから、とか言ってたな」

「ほえ? パーティーに女性がいるのが条件なの?」

「そうじゃねえか、って話だ」

 

 そんな会話を交わしつつ、俺達もセイドに続いてクエ開始要件のNPCの所にまで辿り着く。

 セイドはまだ話しかけていないようだ。

 

「……マーチ、お前も責任とって、このイベントしっかり見とけよ」

「はぁ? 責任ってなんだ? ってか、どんなイベントだってんだ?」

「見ればわかる……うぁぁ~……見たくない……」

 

 そうぼやきながら、セイドは渋々、NPCに話しかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 このクエストのストーリーを聞けば、大概の人は怖がって逃げる気がする。

 このNPCがおそらくボスなのだろうが、このクエストの受注条件からして、心胆寒からしめるものがある。

 1つ。男性であること。

 1つ。未婚であること。

 1つ。パーティー内に女性がいること。

 1つ。プレイヤーのレベルが55を超えていること。

 1つ。先の4つの条件を満たしたプレイヤーがNPCの話を最後までしっかりと聞くこと。

 ――という、確認できただけでも5つの条件があった。

 

 性別限定や未婚既婚の限定などは他のクエストにもあったが、それに加えて、パーティーメンバーに条件があったり、NPCの会話に対して、度々返事を返さねばならないなど、妙に手の込んだクエストだ。

 そしてその意味が、NPCの会話を聞いていればわかる。

 

 

『どうして……? こんなに私が貴男のことを想っているのに。どうして私の愛を受け入れてくれないの!?』

 

 

 顔を両手で覆い、嘆きとともに泣き崩れたNPCの台詞は、何とも寒気を感じさせる。

 このNPC、いわゆる《ヤンデレ》という設定のようだ。

 クエスト受注者に一目惚れ。だから、その受注者を殺して自分のモノにする、という理論を展開する。

 パーティーメンバーに女性がいないと発生しない理由は、多分、嫉妬だろう。

 ちなみに、既婚者に対して反応しないのは、このNPCなりの恋愛基準らしい。

 

 なんにせよ、今、このNPCの差し向けたモンスター軍は全て退けられた。

 ヤンデレNPCは、泣き崩れた体制のまま、更に怨嗟の言葉を紡ぎ続ける。

 

 

『貴男は、私の話を最後まで聞いてくれた。私を理解してくれた。本当の私を分かってくれたのは貴男だけ。私はもう貴男なしじゃ生きていけないの。だから、貴男にもそうなってほしいわ。他の女の子じゃない。私、無しじゃ、生きていけない貴男になってほしいの。だからだから、足も腕も切って、私の傍に置いておいてあげる。頭も斬り落として、私だけのことしか考えられなくしてあげる。どこにもいかないで、私だけを見て、私だけの声を聴いて、私だけを感じていればいいの。幸せでしょう? 素敵だって、思うでしょ……?』

 

 

 寒気すら感じるような声音で、こんなセリフを長々と聞かされれば、誰だって嫌になるだろう。

 それは私も同じで、そして一緒にこの台詞を聞くことができたこの場にいるパーティーメンバーも同じだ。

 

「ちょ! こええ! こええよ! 何だこのクエ!?」

「セ……セイちゃん……こんなクエだったの?」

「うーわー……ヤンデレじゃん……完全に頭がイッちゃってるよ……」

 

 NPCから目を離すとクエスト失敗になる可能性がある――前半の会話対応の条件にそれが含まれていた――ので、見ることはできないが、おそらくマーチもルイさんもアロマさんも、皆1歩か2歩、もしくはそれ以上後ずさったのであろう音が聞こえた。

 ログさんはテキストを打って来ない。

 今の台詞を聞いて、震えているであろう様子が目に浮かぶようだ。

 

「だから、言ったじゃないですか……後悔しないように、と……」

 

 自分の顔が引き攣っているのが分かる。

 だからこのクエストはやりたくなかったのだ。

 受けはしたが――受けるところまで進められてしまったのだが――クリアする気にならなかったのは、このNPCの性格によるところがほぼ全てだ。

 

 そしてこのクエスト、受注してしまうと解除ができないという、何とも呪われた仕様になっていた。

 だから放置という対応を取った。取らざるを得なかった。

 通常のクエストは、リセットすることができる仕様なのに、このクエストにはそれが無かったわけだ。

 

 などと考えていると、目の前でNPCが変化していく。

 悲しげな嗚咽を漏らし、小さな肩を震わせながら泣いていた女性NPCは、突如乾いたような高笑いを始め、狂喜の様相を現し始める。

 身体は徐々に禍々しい色へと変貌を遂げ、身体を収めきれなくなった薄手の白いワンピースが弾け飛んだ。

 そのまま、上半身は裸体、下半身は鳥のように鉤爪のある脚へと変貌していく。

 最終的には、大人の男性より2回りも大きい身体になり、瞳は血の様な赤一色に染まっていた。

 

『そう、そうヨね。それがアナタの幸せなんだわ。分かッタワ、私がチョクセツ感じさせてアゲル。ワタシがこの手で、アシも手もキッテ、ワタシを感じサセテテアゲル。ワタシがコロシテアゲル。ワタシがステキナアナタにシテアゲル。アナタヲアイシテイルカラ』

 

 こうして、このクエストのボス――《嘆きの(グリーフ)セイレーン》がその姿を現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だぁぁああ! あんなクエ、誰が考えんだよ! 誰得だよ!?」

【こわかったです、もういやです、あんなの】

 

 出現の台詞で慄き、怯まされ、全員が揃って2度とやりたくないと意見が一致したボス戦は、レベル差と全員の拒絶反応ともいえるような全力での攻撃で瞬く間に終了した。

 

 しかし、あのクエストの精神攻撃による傷痕は、私から気力を奪い、ルイさんを無口にさせ、マーチですら頭を抱え、ログさんに至っては震えが治まらずテキストも上手く打てないという状況を引き起こしている。

 そんな中――

 

「あんま強くなかったね。あんだけ登場に手間かけた割には、楽しめる強さじゃなかったなぁ」

 

 ――アロマさんだけは、ケロッとしていた。

 

「ロマたん……怖くないの? ……ああいうの」

 

 やりたくないクエストということでは意見の一致を見せたアロマさんだったが、1人だけあのクエストに対する恐怖心が薄いように見える。

 ホラーやスリラーが苦手なルイさんは、そんなアロマさんに聞かずにはいられなかったようだ。

 

「ん? やりたくないけど、怖いっていうのとは違うかな。私が怖いって思うのは、ああいうのじゃないね」

 

 アロマさんの恐怖に対する感覚というのにも多少興味はあるが、今はそれを突き詰める気力は無かった。

 

「まあ……何はともあれ……今はとりあえず、あのクエストの報酬を確認することだけを考えましょう……ここまで疲れたのは久しぶりな気がします……」

 

 昼食までは何事もなかった1日だったというのに、浜辺に入る際のやり取りや、潮干狩りでのハプニング、やりたくなかったクエストで一気に疲れた気がする。

 時間を見れば、18時を少し回ったところだった。

 

 

 

 そうして私たちが向かったのは、あのクエストをクリアしたプレイヤーのみが入れるらしい、限定エリアだ。

 

 

 



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DoRのちょっとした春季旅行・4

鏡秋雪様、hjpgy270様、ヅレツレ愚者様、ZHE様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

お気に入り登録数も750件を超えておりました(つ_T)ありがとうございます。
また、多くのご意見を頂けたことにも感謝申し上げます!(>_<)


さて、長くなった幕間・4も今回で終了です(-_-;)



 

 

 私達5人は、揃ってそのエリアに足を踏み入れた。

 そのエリアに入って、まず驚いたのは、そこが《圏内》扱いにされていることだった。

 

 但し、NPCなどは一切おらず、建物も存在しない。

 あるのはただ1つの設備だけ。

 この場所が《圏内》に設定されている理由を、海を一望できる場所に作られた《それ》を見て、とても驚き、とても納得した。

 

「いやぁ、眼福眼福」

 

 マーチのその台詞を、私は眉間に皺を寄せて聞いていた。

 

「極楽~極楽~って感じだねぇ~」

 

 マーチの隣でルイさんも幸せそうに言っている。

 その2人から少し離れた位置から、アロマさんの声が響いてきた。

 

「ふはぁぁぁぁ~……久しぶりに温泉に入ったよぉ」

 

 ――そう。

 

 今、私たちがいる場所は、44層のフィールド《セイレーンの揺り籠》から徒歩で10分ほどの距離にあった《セイレーンの秘湯》と名付けられた《温泉》だ。

 

 様々な場所や環境が作られている、ここSAO――浮遊城アインクラッドにおいても、再現しきれない環境というものもある。

 それが、VRというジャンルそのものが未だに苦手としている、液体環境の再現である。

 

 VR機器としては最高峰であるナーヴギアによって、SAOでは近しい再現はなされているが、それでも未だ完全再現とは言い切れない液体環境は、VRの世界から風呂という設備を削減させた。

 その結果、一般の宿屋には風呂は無く、ごく限られた施設に用意された小型から中型のバスタブを見つけられるか否かが、風呂に浸かれる唯一の手段となっていた。

 これには、元々がものぐさなコアゲーマーである男性プレイヤーはともかくとして、数少ない女性プレイヤーたちにしてみれば、この世界が現実ではないとしても、とてもストレスになる状況だと、このデスゲーム開始からしばらくして、ルイさんがぼやいていた。

 

 そんな中、私たちは今、乳白色の温泉に浸かっている。

 やはり、本物の温泉と同じとはいかないが、それでもギルドホームにある中型のユニットバス的な風呂に比べれば、圧倒的な広さを誇るこの液体環境は、女性陣だけでなく、私もマーチも、心から満足できるものだと言える。

 

 ――満足できると言えるのだが。

 

「何故……みんなで一緒に入ることに……」

 

 私が唯一納得できなかったのは、今、1つの温泉に5人で浸かっているという状況だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、眼福眼福」

 

 俺は湯に浸かりながら、今日だけで何度目になるか数えきれない目の保養をしていた。

 

 まさか、SAOの世界で温泉に入れるとは、夢にも思わなかった。

 しかも、乳白色の濁り湯で混浴だ。

 ルイとは何回かリアルで温泉に行ったこともあるが、混浴を実施している温泉は無かった。

 それなのに、SAOで男の夢が叶うとは。

 

「極楽~極楽~って感じだねぇ~」

 

 俺の隣には、当然のことながらルイがいる。

 最近はあまり不満を口にはしなかったが、この世界に来てから広い風呂に入れなかったために、それなりに不満があったはずだ。

 だがその不満も、今後はこの温泉があることで解消されるだろう。

 

「ふはぁぁぁぁ~……久しぶりに温泉に入ったよぉ」

 

 恍惚とした溜め息を吐きながら、アロマは温泉の縁に上半身をうつ伏せ気味にもたせかけ、脚は投げ出すように伸ばしたまま、温泉を堪能している。

 

「お湯加減もいいよね~、ログっちも気持ち良さそう~」

「ぁぅ~♪」

 

 ルイの視線の先には、アロマの隣でユッタリと温泉に浸かって、幸せそうな息を漏らしたログがいる。

 年齢がバラバラの3人が、バスタオル1枚という出で立ちで濁り湯に浸かっている光景は、まさしく夢のようだ。

 ルイとログは肩まで、アロマは肩甲骨の辺りまでしか見えないが、それがまた良い。

 しかも、3人ともかなりのレベルの器量好しだ。

 

(ま、俺の嫁には誰一人敵わんがな!)

 

 などと心中で叫びつつ、隣のルイを見やる。

 

「こんな場所があったなんてね~。ビックリだよ~」

 

 のほほんとしたルイの表情を眺めながら改めて思う。

 

「うむ。流石俺の嫁。1番色っぽいな」

「~っ……マーチんのばかぁ……」

 

 ほどよく桜色に頬を染めた嫁が、更に頬を赤くして俺の肩をつついてくる。

 白い肌に長い指、なんという至福の時。

 まさに、温泉様様、温泉万歳、である。

 

「いやぁ~濁り湯の温泉ときたら、日本酒といきたいところですなぁ! マーチ!」

 

 俺とルイの浸かっている縁の対岸に浸かっていたはずのアロマが、いつの間にかこちらに近付いてきていて、そんなことを満面の笑みで言ってきた。

 

「ぉ! わかってんな、アロマ!」

 

 俺はメニュー画面を開き、アロマの指摘通り、日本酒をアイテムストレージから取り出す。

 何故持っているのかは、俺の趣味が酒だからである。

 

「ほれ、濁り湯に合わせて、とっておきの濁り酒だ! 温泉に酒の組み合わせに気付いた褒美だ。先に1杯飲ませてやろう!」

「おおぅ! さっすがマーチ! では、遠慮なく!」

 

 この場面、セイドが正気でいる状態であれば間違いなく止めに入るのだろうが、今のセイドには無理だった。

 

「っぷはぁ! いやぁ! 沁みますなぁ! ささ、マーチも1杯!」

「おう、わりぃな…………っかぁ~! うめぇ! やっぱ違うな! 温泉で日本酒は!」

 

 そうして互いに笑いあう。

 

「そして、お風呂上がりにはフルーツ牛乳ですな!」

「かぁーっ! わかってねぇなアロマ! 風呂上がりにゃ、コーヒー牛乳だろっ!」

 

 俺のツッコみにアロマは『アハハハ』と笑って、湯の中をゆるゆると泳いで行った。

 あちらはまだまだ元気、という雰囲気で、肌にしたたる水滴がまぶしいばかりだ。

 

「……はち切れる若さ、って感じかね」

「はち切れちゃダメでしょ~? はち切れんばかりとか~、はち切れそうな、だよ~」

 

 おっと、嫁にツッコまれてしまった。

 しかしそれもまた至福だ。

 

「おぉ! ログたん、懐かしいことやってる!」

 

 不意にアロマがそんな声を上げた。

 何事かと視線をやれば、そこではログが、鼻歌交じりにタオルを湯に浸けて遊んでいた。

 

「~♪」

「お、タオル爆弾か。確かに懐かしいな」

「~♪~♪」

「うむ、ちょっと工夫してクラゲになったな」

「~♪~♪~♪」

「……あれは……アヒルか……?」

「~♪~♪~♪~♪」

「っておぉい!? 今度は猿にしか見えんぞ?! タオル1枚で何をした?!」

 

 アロマのように動き回ることは無いが、ログもあれで、かなり嬉しいのだろう。

 ニコニコと笑顔を浮かべながら、しきりにタオルで何かを創作している。

 それがまた、よくできているから驚きだ。

 

(仕組みは全く分からんが、どう見てもタオル1枚しか使ってないのに、何故ああも複雑な創作ができる! 職人、恐るべし!)

 

 真似しようと、アロマが隣で四苦八苦しているが、タオル爆弾以外は真似できていない。

 そんなアロマを見て、ログはコロコロと笑っていた。

 

 いつも伏し目がちで、表情が見えにくいため分かり辛いが、髪をアップにして笑顔でいるログは、かなり可愛い。

 近くに居たら、思わず守ってやりたくなる美少女、という本領を存分に発揮していた。

 

「んん~♪ ログっち、可愛い~♪ 私にもそれ教えて~♪」

 

 俺のルイすらも、ログの可愛らしさに魅了されてしまったようで、俺の隣からログの隣へと移動してしまった。

 

「……くっ……負けた……」

 

 何かに負けたような気がして、少々へこんだ。

 

 

 そして。

 

 

「何故……みんなで一緒に入ることに……」

 

 ボソッと、そんな呟きが聞こえたので視線を向けてみれば、俺からも女性陣3名からも均等に離れた、三角形を形作るような位置取りで、温泉中央に背を向けて――つまり、全員から顔を背けるように、体育座りをして温泉に浸かっているセイドがいた。

 

「……お前は何をしている、そんな姿勢で……」

 

 セイドを除く全員が、思う存分体を伸ばして温泉を満喫している中、こいつだけ何故か体を縮めて座り込んでいる。

 

「気にしないで下さい……」

「……あぁ……なぁるほど……」

 

 俺はセイドの心境を理解して、話しかけるべく隣に移動したが、セイドは動かない。

 つまりセイドが背を向けたいのは、俺ではなく、美女3人に対してだ。

 

「リアルじゃねえんだし、気にすんなよ。何のために圏内設定されてると思ってんだ?」

「……あの装備が意図的にも、事故によってであっても解除されることが無いように、でしょうね」

 

 姿勢も視線も動かさず、セイドは体育座りのまま淡々と答えた。

 俺たちの今の装備は、このエリア限定の装備――《湯浴みの正装》と名付けられているバスタオル装備――に変更されている。

 男は腰に1枚、女は全身を包むように1枚、バスタオルを巻いている姿だ。

 これを正装と銘打たれてはいるが、湯船にタオルを入れるのはマナー違反だ、とも思う。

 だが、かといって、この状況下で真っ裸で温泉に入るのは流石に憚られる。

 俺と嫁だけだったり、この温泉自体が男湯と女湯に分かれていたりすれば別だったかもしれないが、混浴の状況では、この装備がベストだろう。

 

「分かってんなら、楽しめよ」

「無理です。何で混浴なんですか……」

 

 目が恐ろしいほど据わっているセイドは、この温泉を見つけた時、温泉に入るのを交代制にしようと提案していたほどだ。

 だが、セイド的には残念なことに――

 

「お前と俺でジャンケンして、俺が勝った。だから混浴。そして俺得」

 

 ――という結果と、俺とセイドの勝負以外に、女性陣も全員、混浴に反対しなかったこともあり、今こうして5人全員で温泉に浸かっているわけだ。

 女付き合いに不慣れなセイドは、こういう状況を楽しむような余裕がないらしい。

 

「……くっ……あそこでチョキを出さなければ!」

 

 過ぎたことを悔やむセイドを、俺は肩を竦めて眺めるだけにした。

 下手な慰めを言っても、何の解決にもならない。

 

「しかしまあ、あのクエのクリアそのものが、隠しエリアへの進入フラグっつう報酬だったとは、思いもよらなかったなぁ」

 

 セイドは混浴を楽しめないようなので、俺は今日の感想なども含めて話をまとめておくためにも、またセイドの精神的安定を図るためにも、話題を切り替えてやった。

 

「そうですね……」

「あの海岸沿いに崖があるってのは分かってたが、まさかクリアフラグが立ってると、崖の所に洞窟が見えるとか、普通なら分からんぞ」

「確かに、《警報(アラート)》にも《索敵(サーチング)》にも反応しませんし、フラグが立っていなければ、あの崖から洞窟に入ることすらできないでしょうね。あの崖は、カモフラージュされているのではなく、扉と同じで、入れるものを制限していると考えられます」

「つまり、崖そのものは存在している、ってわけか?」

「ええ。ですから、現段階であれば、あの海岸からここへ至るまでの洞窟に逃げ込むことで、一時的に安全エリアの代わりにも使えるでしょう。モンスターには通用しないとは思いますが」

「……対PK用には使える、か」

「そんな物騒な使い方はしたくないですが、応用できることは覚えておくべきでしょう」

 

 体育座りという姿勢は変わらないものの、セイドの頭はいつもの回転を始めたようだ。

 暗く据わっていた眼は、いつもの知的な光を宿していた。

 

「なるほどなぁ……しかし、そうなると……このクエの情報、どうする? いつもなら売っちまうところだが……」

 

 俺達は未クリアクエを率先してクリアし、その情報を情報屋プレイヤーに売って資金にしている。

 こんな特殊エリア付きのクエ情報なら、高額な情報になるはずなのだが。

 

「……売らない方が良いでしょうね。広まってしまえば、確実に《あの連中》にも伝わるはずです」

 

 セイドは、このクエの情報は売らない方が良いと判断した。

 PKに関係しないであろうクエなら何の気兼ねも無く売れるし、PKに利用されそうなクエなら、注意を呼びかける意味も含めて早急に広めるように速攻で売る。

 

 だが逆に、PKに知られたくない情報も、水面下で一般プレイヤーに広めることは難しくなる。

 情報の取り扱いは、秘匿しない限り、敵にも味方にも平等になりやすい。

 

「攻略組ならそう易々と遅れはとらないだろうから、そもそも逃げ場はあまり必要ない。かといって、一般プレイヤーにゃこのクエは厳しいしな……《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》か……厄介な連中だ……」

 

 12月の末日――つまり去年の大晦日。

 殺人(レッド)プレイヤーとして名を轟かせていた《PoH(プー)》は、ついに表舞台にその姿を現した。

 野外でバーベキュー的なパーティーを楽しんでいたらしい少人数ギルドを襲い、全滅させ、その翌日、つまり元旦に、システムに規定されていない《レッド》属性を冠したギルド――殺人(レッド)ギルド《笑う棺桶》を立ち上げたことを大々的に宣言した。

 

 それまで、殺人にまでは手を出さなかった犯罪者(オレンジ)ギルドの連中も、それを境に殺人を犯す連中が増加し、SAO中のプレイヤーたちは本格的にPKに注意を払わねばならなくなった。

 誰もが脱出を目指してゲーム攻略に全力を尽くす、とは言わない――俺達も攻略に熱心ではないので言えない――が、まさかゲームクリアを阻害・妨害するような行為を嬉々として行う連中が現れるとは思いたくなかった。

 

 そして、4月となった今に至っても、《笑う棺桶》の連中は活動中だ。

 

 奴らの本拠地、隠れ家なども全く分かっていない。

 全ての情報屋プレイヤーたちが手を尽くして探しているようだが、未だに何の手がかりも掴めていないらしい。

 

 そんな状況でこのクエのこの情報を流そうものなら、下手をすればこの場を《笑う棺桶》連中に占拠される可能性すらあるだろう。

 クエをクリアしていないプレイヤーには、見つけることも、進入することも不可能になる、絶好の隠れ家となってしまう。

 

「売るなら、このクエストの、スローターとしての危険性だけ示唆しましょう。アルゴさんならその辺りは酌んでくれるはずです」

「ふむ……明日にでも直接会うとするか……」

 

 俺は腕を組み、顎に手を当ててクエのことをもう少し考えておこうかと思ったのだが。

 

「そして、このクエストのおかげで1つの可能性が出てきましたね」

 

 セイドはすでに、思考をクエそのものではなく《笑う棺桶》に関してのことへと切り替えていた。

 

「……《笑う棺桶》のアジトも、このクエと同系統の場所を使ってる可能性か?」

「ええ。信頼できる攻略組プレイヤーにだけ話したいところですが……攻略組にも《笑う棺桶》の息がかかったプレイヤーは居ると考えておいた方が良いでしょう」

「考えたくねえが……スパイか……逆は不可能に近いってのに……」

 

 セイドの言葉に、俺は顔を顰めるしかなかった。

 

 潜在的な犯罪者予備軍は、待機組・攻略組を問わず存在するだろう。

 そして、PoHはそういったプレイヤーを見つけ出すことにかけて、驚異的な嗅覚を持っている。

 知らぬ間に、何処かで誰かに接触している可能性もあれば、PoHの息のかかったプレイヤーが、随分前から攻略組に参加している可能性もあるだろう。

 

「この辺りは、完全にPoHに出し抜かれていますね。このゲームが始まった頃から、奴の行動はここまでの全てを見越していると考えるべきです」

 

 セイドのその言葉に、俺は息を飲んだ。

 ゲーム開始時から、現在の状況を作り出すことを考えて行動していたとすれば、PoHは間違いなく、SAO内で最も頭の切れるプレイヤーだと言えるのではないか。

 

「マジかよ……お前より頭が切れて、且つトップクラスの短剣使いとか……想像したくねえ」

 

 温泉に浸かりながら、何とも精神的に不健康な会話だ。

 俺は辟易として、天を仰いで温泉に首まで沈み込んだ。

 

 空はすでに日も沈み、暗くなり始めていた。

 時間を確認すると、何時の間にやら19時を回っていた。

 と、そんな俺に、唐突にメッセージが届いた。

 

「ん? アルゴ?」

 

 メッセの送り主は、先の話にも出てきた、SAOトップの情報屋《鼠のアルゴ》だった。

 そして、そのメッセを確認する前に、更にメッセが2通3通と俺の元に届く。

 

「な、何だなんだ?!」

 

 俺は少々慌てて身を起こし、メニュー画面を開く。

 

「どうしました?」

「何かやたらとメッセが届いてな……アルゴのから見ておくか……」

 

 セイドには軽く答えておき、その間にも更に届くメッセはとりあえず置いといて、俺はアルゴからのメッセを開いた。

 

【緊急を要するんで簡潔に伝えとく。圏内でPKが起こった。攻略組も含めて目撃者多数の為、信頼できる情報だ。手口・犯人ともに不明。しばらくは圏内でも注意するようフレンド全員に一斉で送ってる。これを読んだら知り合いにも声をかけといてくれ】

 

 俺はアルゴからのメッセを見て、すぐにそれを可視化した。

 

「セイド、これ見ろ」

 

 俺の呼びかけに、セイドも流石に体育座りを解いて普通にこちらを向いた。

 

「む?」

 

 俺はアルゴからのメッセをセイドにも読ませた。

 俺が話して聞かせるより、この方が速いし正確だ。

 

「……圏内でPK……ですか……」

 

 アルゴからのメッセを見たセイドは、目を細めて手を口元に持っていき、何事か思案する仕草を見せた。

 

「……通常、考えられる手段はデュエルしかないですが……しかし……その場にいた攻略組の方々もそんなことは周知のはず。それでいて犯人も手口も不明ということは……デュエルの勝利者表示が出なかったか、確認されなかったという事……デュエル以外の圏内PK技とでも呼ぶべきものの発覚を考えて、このメッセージが来たんでしょう……」

 

 セイドはアルゴからのメッセだけで、そこまでの推測を瞬時に打ち立てた。

 

「そんなことが可能なのか?」

「不可能のはずです。圏内でPKを――デュエルの仕組みを利用せずに行えるようなら、圏内の意味が無い」

 

 セイドは即座に、デュエル以外の圏内PKの可能性を切り捨てた。

 

「何かのトリックか、もしくは見落としている何かがあるはずですね」

 

 セイドが施行に埋没する中、俺は大量に届いたメッセを1つ1つ確認するが、その全てがこの件に関してのものだった。

 全てのメッセに簡潔に返信し、俺はセイドに視線を戻した。

 セイドはこの件に関してブツブツと呟きながら何か考えているようだが、現場に居もしない俺たちに答えが出せるようなものなのだろうか。

 すると、セイドもメニュー画面を開いた。

 

「……私の所にもキリトさんからメッセージが届きました。どうやらその場に居合わせたようですね。しかも、あのアスナさんと一緒に」

 

 セイドの台詞を聞いて、俺は思わず笑ってしまった。

 

「ははは! あの2人が一緒にか! そりゃ心強い!」

 

 ある意味、攻略組でもトップクラスのあの2人がいれば、俺たちなどに出番はないだろう。

 

「……あの2人が揃っていながら、その場で犯人が見つけられなかったとなると、犯人を見逃した、または取り逃がしたという可能性は、ほぼゼロに近いでしょう……ふむ……」

 

 しかしセイドは、俺と違いあの2人をしても不安があるような口ぶりだった。

 

「……どうする? あいつらと合流するか?」

 

 こういう時のセイドは、直接現場に赴いて自身の目で確かめたいと思うはずだ。

 

「……いえ、その必要はないでしょう」

 

 だが、ここでセイドにしては珍しい結論を出した。

 

「良いのか? この話、気になるんだろ?」

 

 俺の再びの問いかけに、しかしセイドは思案気な表情から落ち着いた表情に戻って、ゆっくりと温泉に浸っていた。

 

「おそらく、システム的な抜け道などはないでしょうし、アンチクリミナルコード無効化スキルなども存在しないでしょうから、この一件には何かのトリックがあると思います。ですが、それであれば、圏内PK技と呼ぶに値しないでしょう」

「ん……んん? 意味がよく分からんのだが? トリックを用いて他人をPKしたとすれば、それは充分に圏内PK技だと言えるんじゃねえのか?」

 

 俺が詳細に聞き出そうとさらに質問を重ねると、セイドは眉をひそめて口を開いた。

 

「ん~……その場に居合わせなかったので何とも言いきれませんが。第一に私は、他者を圏内でPKするのにデュエル以外の方法はありえないと考えています。しかし、その場に居合わせた方々はデュエル勝利者表示を見つけていない。なら、今回のこの一件はデュエルではない。イコール圏内でのPKとはならない」

 

 セイドは、1つ1つを確認するように言葉を紡いでいく。

 

「ならば、今回のこの一件、私は《笑う棺桶(ラフコフ)》による陽動、つまり圏内であっても安全ではないと、プレイヤーの恐怖心を煽るための自作自演だと推測します」

「ほぉ……そうか……なるほどな……」

「ですが、これはあくまでもこの場で得られる情報を基に考えただけにすぎません。ならば、解決はその場に居合わせた方々に一任しても良いでしょう。キリトさんもアスナさんも、解決のために動くようですし」

 

 セイドは、ため息を1つ吐いて首まで温泉に浸かり直した。

 

「今は推測だけ。そして、推測だけの不確かな情報は広めることはできない。なので、今は様子を見ましょう。この件の解決に1週間以上かかるようなら、私たちも手伝いましょう。まあ、そう難しい事にはならないと思うんですがね」

 

 セイドはすでに圏内PKという危険性は無いと判断したようだ。

 相変わらず、判断と決断が速い。

 そして、それに対して迷いが無い。

 

「まあ、お前がそれでいいってんなら、俺も異存はねえよ」

 

 セイドの判断は、事実とは細かい部分での誤りや違いはあるだろうが、根幹となる《デュエル以外での圏内PKはありえない》という判断に対する反論の余地は無いと思った。

 ならば、そこまで危険は無いだろう。

 俺もセイドの考えを受けて一安心して、ため息とともに温泉に浸かり直した。

 

「ねえねえ、さっきから2人で何を話し込んでんの?」

 

 すると、そんな俺たちの様子に気付いたらしいアロマが、スススッとこちらに近寄ってきていた。

 

「ちょ! アロマさんストップ! それ以上こちらに来なくていいですから!」

 

 そんなアロマに気付いたセイドは、慌てて待ったをかけるが――

 

「な~んでだよ~う?」

 

 ――アロマは気にせず俺たちの近くまでやってくる。

 

「その格好で近寄らないで下さい! アロマさん、自分の格好をもう少し意識して下さいよ!」

 

 止めても聞かないアロマから逃げるように、セイドが温泉の縁に沿って距離を取る。

 そんなセイドを、アロマは追いかけるように移動し続ける。

 

「ん~? バスタオルじゃん。水着より露出少ないし、それに装備だよ? はだけるわけでもないんだから、気にしない気にしない」

「そんなことは分かってます! 慣れの問題なんです! どうして貴女はそう危機管理が甘いんですか!? いいですか! 異性や他人に対しては、もう少――」

「あ、タオルが取れそう」

 

 アロマに対して説教を始めようとしたセイドは、アロマの思わぬ反撃に――

 

「うわぁああ!」

 

 ――大慌てで温泉にその顔を沈めた。

 

 ここの湯は乳白色なので、確かにそれだけで視界は塞がれるが、まさか潜ってまで逃げるとは思わなかった。

 

「むぅ……セイド、どこ行った!」

 

 アロマはセイドを逃がすまいと、湯の中で何やら手足を伸ばしていたようだが。

 

「ぶはぁっ!」

 

 セイドが出てきたのは、アロマから少し離れた俺の隣だった。

 そしてセイドは慌てて温泉から上がる。

 

「ま……まったく……だから近寄るなと……」

 

 肩で荒い息をつきながら、セイドは温泉に背を向けたまま、何やら愚痴をこぼしていた。

 

「ククッ……取れねぇって……大丈夫だ……プッ……クククッ……」

 

 俺はそんなセイドの様子に、笑いを堪えきれず、そう声をかけるのが精一杯だった。

 

「だから……気持ちの問題なんですよ……はぁ~……」

 

 そんなセイドの様子を見て。

 

「セイドって実はムッツリスケ――」

 

 何やら口走ろうとしたアロマは、しかしセイドの投げた手桶が顔面に直撃し、小気味良い音とともに仰向けになって湯に沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやあ、今日は楽しかったな!」

 

 ギルドホームへの帰路で、マーチは今日1日を振り返ってそう締めくくった。

 

「旅行みたいで良かったよね~」

 

 ルイさんも大量の貝類が手に入り、満足げだ。

 

【お夕飯も楽しみです。ホタテが美味しいと嬉しいです】

 

 ログさんも好物のホタテが手に入ったので、食べるのが待ち遠しいようだ。

 

「また来たいね、セイド!」

 

 温泉のことも含めて、アロマさんは終始ご満悦の様子だ。

 午後からのちょっとした外出のはずだったのだが、何気にイベントが盛り沢山な時間だった。

 

「そうですね。温泉には、今後いつでも入れるわけですし、また来ることにしましょう」

「うん!」

 

 

 

 朧月が幻想的な影を残す春の夜。

 私たちは、ほんのひと時の旅行気分を胸に抱き、ギルドホームへと戻る。

 また明日からはいつも通り、日々を生き抜くことで頭を悩ませることだろう。

 だから、たまにはこんな時間があっても、良いと思う。

 

 

 



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第四章・朔望
第一幕・虧月


ポンポコたぬき様、鏡秋雪様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

お気に入り登録件数が750件を超えました(>_<)
皆様本当にありがとうございます!m(_ _)m
これからも精一杯書かせていただきます!(>_<)


第四章の開幕となります m(_ _)m お付き合いいただければ幸いです。



 

 

 いつ頃からだっただろう。

 私の所属するギルド《逆位置の死神(デス・オブ・リバース)》が、攻略組として認識され始めたのは。

 

 私は1人、50層の隅にあるダンジョンで両手剣を振り回していた。

 目的のモンスターを探しては狩り続けながら、ふと、そんなことを考えていた。

 

(ああ、ギルドっていうか、セイドが、か)

 

 近頃になって、セイドは攻略組の1人として、その名を知られるようになった。

 《閃光》や《黒の剣士》などのように、通り名まで付けられている。

 

 それも1つではなく、2つ。

 

 セイドの実力から考えれば当然のこととも思うけど、攻略組としての認識がギルドとしてではなくセイド個人としてというのは、何となく寂しい気もする。

 

(まあ、それも仕方ないのかなあ)

 

 ダンジョンを歩き、モンスターを見つけては叩き斬る、を繰り返しながら、私は黙々と考え続ける。

 

 

 

 ここ最近、1人で狩りをしていると、あの日のことを――私にとって、運命の分かれ道になった時のことを――思い出すようになった。

 

『私もあなた達の仲間に入れて。セイドの傍で、役に立ちたいの』

 

 私とセイドが出会ったMPK騒動の後、私がセイドにギルド加入申請をしたときの一言だ。

 これは、本音半分、建前半分だった。

 

『《剣技(ソードスキル)》と《剣技(ソードスキル)》の間が短すぎる……何を隠しているの?』

 

 私はこの質問をする時、わざとセイドに抱き着いた。

 聞かれたくないなんて言う理由をこじつけて、セイドに真正面から質問するために。

 

『何故貴女はこのギルドに入りたいと思ったんですか?』

 

 でも、セイドはそんな私の行動にも、真面目に対応してくれた。

 襲われても文句の言いようがないような挑発的な行動だったのに。

 

 自分のした行動にドキドキしながらも、セイドが私に何もしてこなかったから、ドキドキした分、とてもホッとしたのを覚えてる。

 

『昨日、あの場にセイドが居なかったら、私はきっと死んでた。それを救ってくれたのは、間違いなくあなた。だから、私はセイドに恩を返したい。本気でそう思ったから、ギルドに入れてほしいと思ったの』

 

 正直に言うなんて言いながら、実はこれも、建前半分、本音半分だった。

 

『エクストラスキルだ、《剣技》だ、って、確かに聞きたいことは聞いたよ。でも、傍にいたいと思ったのは本当。命の恩人の傍にいたいと思うことが、そんなに変?』

 

 コレが1番、本音に近かったかな、と思う。

 

 結局のところ、私がDoRに加入したいと思った1番の理由。

 それはとても単純で。

 

『セイドの傍に居たい』っていう事だけだった。

 

 

 

 目の前の雑魚を2体続けて斬り飛ばしたところで、ふと思考が過去から現実へと戻ってくる。

 

 私たちDoRは基本的にフィールドボスの攻略や、迷宮区のマッピング及び攻略、迷宮区最奥に鎮座するフロアボス攻略にも参加してない。

 ちょっと前のKoB副団長様とのいざこざの後、ボス系の攻略にセイドが呼ばれるようになったくらいだ。

 

 まあ、実は最近になって、マーチの所にもそんな感じの勧誘が来てるみたいだけど、マーチは1度も参加してない。

 ルイルイを危険な目に合わせないためだろうし、自分が死んでしまった時のことも考えて、参加していないんだと思う。

 

(セイドも、マーチを見習って断ればいいのに)

 

 セイドとマーチのスタンスの差かもしれないが、この点はルイルイが羨ましい。

 

『ギルドとしては参加しないが個人としてなら考えなくもない』

 

 ――なんてことを、閃光様の前で言った手前、都合のつく限りは参加するというのがセイドの姿勢らしい。

 だけど、セイドが参加するたびに、毎回毎回見送りしかさせてもらえないこちらの気持ちも考えてほしい、と思わずにはいられない。

 

 セイドの実力を疑うことは無いけれど、マーチもセイドも、ボス戦では何が起こるか分からないとハッキリ言っている。

 セイドがギルドホームに無事に帰ってくるまで、気が気じゃない。

 

(私だって、強いはずなのに……何で一緒に行かせてくれないかな……)

 

 無意識に頬を膨らませていた。

 八つ当たりついでに通路を塞いでいたモンスターを切り伏せた。

 

 セイドが招集されるたびに、私も連れて行ってほしいと駄々をこねてみるが、セイドは聞く耳を持たず――

 

『ついてくるつもりなら、1週間、アロマさんの食事は無しです』

 

 ――などと言って、いつもおいて行かれる。

 本気で私を連れて行かない、というのがありありと見て取れるのだ。

 

(……私はやっぱり、足手まといなのかなぁ……)

 

 そんなことを考えていると、無意識のうちにため息を吐いて、今日の午前のことを思い返していた。

 午前中のギルドでの――といってもログたん以外の4人での――狩りは、何の問題も無く順調に終わった。

 ギルドとしても連携は上々だし、個々の実力だって申し分ないし、装備もログたんお手製の渾身の一品だし、最前線に出ても何の問題も無いだけの状態ができているはずだ。

 

 ちょっと前にも、攻略組トップギルドの1つ《聖竜連合》の攻撃部隊のサブリーダーだって、デュエルで負かしている。3戦全勝だった。

 まあ、マーチに至っては10戦もやって、全て完封勝利だったけど。

 

(……それでも、実力は伴ってると思うんだけどなぁ……)

 

 自分の両手を見つめながら、もう1度、ため息を吐いていた。

 

 私は最近になって、焦りを感じ始めている。

 今のDoRのメンバーをレベルが高い順に挙げれば、セイド・マーチ・私・ルイルイ・ログたんの順だ。

 ちょっと前までマーチより私の方が高かったのに、いつの間にか追い抜かれていた。

 ルイルイも私と同じレベルになっていて、正直驚いた。

 

 差が縮まり始め、更には差が付き始めているのは、おそらく午後からの自由時間での狩りの差だ。

 マーチとルイルイは常に行動を共にしているから、2人のレベルの伸び率はほぼ同じ。

 それでいて、午前に4人で狩りに行っていた狩場に2人で行くのだ。

 午前よりも効率は上がっているだろう。

 

 それに比べて私は、ログたんがギルドに加入してからというもの、午後はソロ活動をしていることが多い。

 それも、レベル上げが目的じゃない、今行っているようなソロ活動だ。

 

(う~……やっぱり、レベル上げメインじゃない分、追い付かれるのは仕方ないけど……)

 

 目的のためとはいえ、やはりセイドとのレベル差が開く一方というのは、どうしても焦りを感じてしまう。

 

(これ以上レベル差が開くと……夜の狩りが厳しくなっちゃうかもなぁ……)

 

 経験値的には決して美味しいとは言えないダンジョンで、1体、また1体とモンスターを切り伏せながら、それでも私の焦りは消えない。

 

 夜は夜で、私はセイドと一緒に高効率のレべリングを行ってはいるが、現段階で、私とセイドのレベル差は8に開いている。

 ついでに言えば、マーチは私より1つ上だ。

 

 これで私に焦るなというのは無理な話だろう。

 

 ルイルイとマーチには追い付き追い越され、セイドには離される一方。

 さらに追い打ちのように、セイドは今、最前線である60層のフィールドボス戦に駆り出されている。

 おそらく今日中にフィールドボスが撃破され、1週間と経たずに迷宮区のボス部屋へと至るだろう。

 

 そして、フロアボス攻略に、またセイドは駆り出されることになるかもしれない。

 

 ――私が傍に居たいと思ったセイドは、今や私の手の届かない、遥か高みにいるように感じられる。

 

 そんな焦りに押されたのか、私は不意に、過去の感情と今の焦りなどが綯交(ないま)ぜになって、強烈な不安に襲われた。

 

(私はセイドの傍に居たかった。でも、セイドはどうだったんだろう……今は、どうなんだろう……)

 

 そんなことが脳裏をよぎって、私は知らず知らずのうちに歩みを止めていた。

 

 

 

 たとえば、たとえばだけど。

 私が何もできない女の子でも、セイドは笑って私を隣に置いてくれるかな。

 セイドは、ただ単に、私が傍に居るっていうことを、良しとしてくれるかな。

 ……そんなことないよね。

 そんな自信ない。

 だって、私は、セイドに『役に立ちたい』『恩を返したい』って言ったんだもん。

 きっとセイドは、それを信じてる。

 だから私は、DoRの……セイドの役に立つことを考えた。

 一生懸命考えた。

 DoRの……セイドの役に立ったな、って思うと、安心してセイドの傍に立つことができた。

 ……最初の頃は、分かり易くて、良かったんだ。

 私がDoRで1番火力が高かったから。

 1度の戦闘にかかる時間は減って、1日で倒せるモンスターの数も増えて、狩りの効率がとても上がったって、みんなが喜んでたから。

 セイドが褒めてくれたから。

 『役に立ってる』っていう実感があった。

 でも……最近はみんなも強くなった。

 レベルも上がって、スキルも鍛えられてきて、私が抜けた狩りでも、着々と稼げるようになった。

 あれ?

 これって……もしかして私って……

 

 

 ……もう、セイドの役に立ってない?

 

 

 

 

 そんな答えに行き着きそうになって、私は慌てて首を横に振った。

 

(そんなことない……はず……私は……)

 

 悶々と悩みながらヨタヨタ歩き出して、特に注意も払わずに通路から小部屋に入った瞬間、唐突に部屋中にアラームが鳴り響き、出入口が塞がれて、モンスターが大量にポップした。

 進入反応型のモンスタートラップだ。

 

「……だぁぁぁぁっ! うっさぁぁぁぁぁぁぁい!!」

 

 悶々と悩んだ末に溜まっていた、よく分からない鬱憤を、安全マージンの確保されたダンジョンのモンスタートラップにぶつけることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼食後の狩りは、マーチとルイさんは2人で57層のダンジョン《溶岩龍のねぐら》でクエスト攻略も兼ねてレベル上げに、アロマさんはソロで50層のダンジョン《蜘蛛の巣の迷宮》で、ログさんに頼まれたらしい素材を集めに行っている。

 

(アロマさんですから……ソロでも、ここより10層下のダンジョンなら余裕でしょう)

 

「(おい、セイド!)」

 

 黒服の片手剣士に、横から軽く肘で突かれながら小声で名を呼ばれ、私は意識を引き戻す。

 

「はい?」

「セイドさん。今の話、聞いてました?」

 

 私は今、DoRの面々と離れて、最前線である60層のフィールドボス攻略会議に出席していた。

 

 陣頭指揮を執っているのは、攻略組トップギルドの一角《血盟騎士団》副団長にして、SAO屈指の美貌と強さを併せ持つ《閃光》のアスナさんだ。

 その彼女は今、もの凄い形相で私を睨み、話を聞いていたかと問い詰めてきている。

 

「ええ、聞いていましたよ。ですからその作戦に関して考えていただけです」

 

 確かに一瞬、別のことに意識を向けはしたが、流石に攻略会議の内容を聞き逃すほど疎かにはしていない。

 

「では、貴方の意見を聞かせてもらいましょうか」

「ふむ……では、僭越ながら」

 

 私は作戦マップの拡げられているテーブルに歩み寄り、アスナさんの提案した作戦にさらに細かな注意事項と反対意見も織り交ぜ、作戦の方針そのものは肯定しつつ、内容に大きな変更を提案した。

 

「――という方法を取ってはいかがでしょう。仮にこの策が途中で崩れたとしても、そこからアスナさんが提案なさった作戦へと変更することが可能です。ですが、逆は難しい。だからこそ、この作戦を提案します」

「……では、貴方が言ったように、貴方の策が崩れ、さらに私の策も崩れた場合の対策は?」

「それを補うための事前策が私の提案したものです。この形から崩れたとすれば、アスナさんの作戦に欠けていた配置に1パーティーか2パーティー素早く回ることができます」

 

 作戦図上でパーティーに仮定した駒を動かしながら作戦の概要を説明する。

 アスナさんの作戦を私の策で補った形になる。

 

「……流石ですね」

 

 そう言いつつも、アスナさんの目は笑っていない。

 先程よりもさらに強く睨まれている感じがする。

 

「他に何か意見のある人は?」

 

 アスナさんにそう問われ、フィールドボス攻略に集まっているメンバーは沈黙で答える。

 

「では、今回のフィールドボスはこの作戦で討伐します。各隊に作戦の概要と役割を――」

 

 アスナさんは決定した内容を素早く伝達し始めた。

 それを確認して、私は思わずため息を吐いていた。

 

 そうして、また意識をDoRのことに向け、ギルドリストを開いた。

 そこには、それぞれのメンバーが今どこにいるのかしっかりと示されている。

 

 マーチとルイさんは予定通り2人でクエストをこなしているようだ。

 こちらに関しては、心配は無用だろう。

 だが、やはり――

 

(アロマさんは……ソロですよね……)

 

 その状況を再確認して、私は再び黙考する。

 

 アロマさんがソロで狩りをするのは、いつものことではあるが、それでもやはり気になる。

 アロマさんの実力は疑う余地は無く、DoRで最も攻撃力が高く、攻撃と防御のバランスが取れた、戦闘における万能型と言えるスタイルに仕上がりつつある。

 それは、ルイさんを守るために自身を鍛え上げているマーチとも、マーチをサポートするために彼の隣に立つルイさんとも違う、ソロでも確実に行動ができる立ち位置だ。

 

(私との火力差は、火を見るよりも明らか。DoRが今のレベルを維持できたのはアロマさんがいたからでしょうね)

 

 とりあえず、アロマさんの無事も確認できたのでメニューを消すと、丁度アスナさんが指示を出し終えたところだった。

 

「では、それぞれ、作戦開始時間の10分前までには所定の位置に着くように! 今回も勝つわよ。誰一人欠けることなく!」

 

 アスナさんのその掛け声に皆が力強く応じ、作戦会議は終了、所定の位置に向けて各々が散って行った。

 私も指示されている場所に向けて歩きだし、再び歩きながら思索する。

 

 アロマさんはアロマさんのスタイルをしっかりと確立して、この先もさらに強くなるだろう。

 しかし、それでも心配になるのは、やはり『アロマさんだから』だろうか。

 

 我らがトラブルメイカー、とマーチはアロマさんのことをそう評してはよく笑う。

 確かに、彼女はトラブルメイカーだ。

 だが、それは悪意がある訳ではないし、彼女なりに考えて行動した結果がトラブルになってしまっているのだろう。

 喜怒哀楽が激しくて、好き嫌いがはっきりしているアロマさんの性格に由来するのかもしれない。

 

 しかし私は、そんな彼女の生き方が好きだ。

 

(……いや、羨ましいと言うべきか……)

 

 気が付くと、層の外――浮遊城アインクラッドの外――に広がる広大な空へと視線を向けて立ち止まっていた。

 

 よく笑い、よく食べ、いつも明るく、思い立ったら行動せずにはいられない。

 何より、アロマさん自身が信じる方向へと真っ直ぐ突き進むその強さは、眩しいほどだ。

 勝ち気な目、不敵に笑う口元、腰に手を当てる仕草。

 彼女の通った後には道ができていきそうな、そんな頼もしさがある。

 

(それに比べて、私はどうなんでしょう……)

 

 私は自分の右手に視線を落とし、拳を握り締めていた。

 

 アロマさんと自分を比べると、どうしても考え込んでしまう。

 通り名を頂いたりエクストラスキルを入手していたりしても、私は彼女に敵わないことがいくつもある。

 攻撃力然り、防御力然り、着眼点然り、その他にもアロマさんは私に足りないところを多く持っている。

 

(全く……出会った時はMPKのことすら分からなかったというのに……)

 

 不意に笑みがこぼれた。

 私がアロマさんを育てた訳ではないが、何となく、成長した子供を見ている親のような気分になった。

 

(しかし、アロマさんを含め、DoRは強くなっている……攻略組に数えても遜色はないほどに……しかし……)

 

 ギルドのレベル上げも順調に進んでいる。

 攻略自体も今から60層のフィールドボス攻略だ。

 後半に入って、敵はさらに強く、そしてさらに厄介になりつつある。

 

(……《体術》を軸に据えたことは後悔していない……しかし、この先……)

 

 視線を外に向けながら、私は両手を強く握りしめていた。

 

(この先、もっと辛い戦いがあるだろう。その時私は、ギルドを、そして――)

 

 顔を上に向け、天を仰いで上層の底を見つめる。

 

(――彼女を守っていけるのか?)

 

「おい、セイド、どうした?」

 

 そんな私を見て背後から声をかけてきたのは、私と同じパーティーでフィールドボス攻略に参加しているキリトさんだった。

 

「いえ、何でもありません。行きましょう」

「ん? いや行くけど、本当に大丈夫か?」

「大丈夫ですよ。ちょっと考え事をしていただけです。それよりもキリトさん、今回の作戦、要は貴方なんですから、しっかり頼みますよ」

「そうそう、そのことを言おうと思ってたんだ! 何であんな作戦にするんだよ!」

「ですから、あの場で説明したじゃないですか」

「聞いてたから分かってるけどさ……俺の負担がデカくないか?」

「攻撃力と機動力と防御力の全てを兼ね備えているプレイヤーの筆頭はキリトさんですからね。50層ボスのレアドロップ武器を存分に振るって下さいね」

「……いやまぁ……LAを取ったのは俺だけど――」

 

 そんな感じに、キリトさんとの会話を続け、私は意識をDoRからフィールドボスに完全に切り替えた。

 

(色々考えるのは、これを終えてからだ)

 

 

 

 

 フィールドボス戦は順調に進み、1時間ほどの戦闘を経て、誰一人欠けることなく終了した。

 

 これで迷宮区に進むことができるようになった。

 アスナさん率いるKoBの面々はこのまま迷宮区攻略に進むとのことだった。

 だが、それよりも早く、キリトさんはボス戦が終わってすぐに、私を含むパーティーメンバーに短く挨拶をして、この場を後にしている。

 フレンドリストで確認してみると、キリトさんは既に迷宮区に入っていた。

 

(流石、キリトさん……行動が速い……)

 

 キリトさんの行動に思わず苦笑したところで、私も攻略組の皆に帰る旨を告げ、その場を後にした。

 

 とはいえ、私は迷宮区には向かわない。

 私が向かったのはマーチとルイさんのいる57層のダンジョン《溶岩龍のねぐら》だ。

 

 フィールドボス戦を終えてから、私は自分の考えに、私なりの答えを出した。

 

(マーチとルイさんは、おそらく分かってくれるでしょうが、説明はしておかないとなりませんよね)

 

 この答えに、アロマさんが納得してくれるかどうかは、かなり微妙だ。

 本当のことを言っても言わなくても、おそらく納得してくれないだろう。

 

(1番の問題は、アロマさんですね……どう話したものか……)

 

 マーチたちの所尾へ向かう道すがら、私はアロマさんをどう説得するか、そればかりを考えていた。

 

 

 




読み辛いので……第一幕は《虧月(きげつ)》と読みます m(_ _)m


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第二幕・叢雲

黒炉様、鏡秋雪様、ZHE様、新兵@様、感想ありがとうございます!(>_<)

ちょっと間が開いてしまいましたので、今回は第二幕と第三幕を連続投稿させていただこうかと思います(;一_一)
まずはこちらの第二幕です m(_ _)m



 

 

 57層の《溶岩龍のねぐら》は、火山に作られた小さな洞窟型のダンジョンだ。

 このダンジョンは予備知識や予防策を持たずに来ると、溶岩の乾いた熱気に肌を焼かれて、ジワジワとHPが減るという特殊仕様になっているため、ほとんどプレイヤーはいない。

 

 私がフレンド追跡で2人の所に到着したのは16時少し前だったが、他のプレイヤーの気配は全くなかった。

 

「マーチ、ルイさん、お疲れ様です」

「おぉ、セイド。来たのか」

 

 私が声をかけると、マーチは左手を軽く挙げて挨拶を返してきた。

 

「っんく……セイちゃんもお疲れ様~」

 

 ルイさんは、ポーションを飲んでいた最中だったようで、少し遅れて返事をしてきた。

 

「フィールドボス、無事に終わったみたいだな」

「ええ、特に何事も無く、無事に。こちらのクエストは順調に進んでますか?」

 

 2人が行っているのはスロータークエストで、このダンジョンにのみ生息する《溶岩蜥蜴(ラーヴァ・リザード)》を100体狩るものと、《溶岩覇王樹(ラーヴァ・カクタス)》のドロップ品である《溶岩覇王樹(ラーヴァ・カクタス)の花》を10個集めるクエストを同時進行している。

 

「うん~、順調だよ~。花は後1つで~、トカゲは8体で終わり~」

「しかしまあ、一定間隔でこれを飲まなきゃならねえってのがネックだな」

 

 そう言ってマーチは、水色のポーションの瓶を呷った。

 先ほどルイさんが飲んでいて、今マーチが飲んでいるのが、このダンジョンで必須となる《透水ポーション》というアイテムだ。

 これを飲むことで、20分間、このダンジョンの熱ダメージを防ぐことができる。

 

 だが、このポーション、それなりに値が張る物なので、効率良く敵を狩れないと赤字になりかねない。

 このポーションを飲まねばHPが減り続け、最終的には死に至るであろう場所に、デスゲームと化している状況で好んでくる者はいない。

 だからこそ、このダンジョンのクエストは殆ど手付かずだ。

 

「やっぱり面倒だねぇ~、1回1回狩りが中断しちゃうし~、それに~、トカゲとサボテンだけを狩り続けられるわけじゃないしね~」

「ッング……だな。この2つのクエが未クリアなのは、対象モンスターが少ないのも原因だろ。コウモリとかミミズとかカエルとか、大して広くもねえのに種類が多すぎるぜ」

 

 ポーションを飲み終えたマーチは、ルイさんの言葉を引き継いでこのダンジョンに文句を付けた。

 

 火山に作られた洞窟というこのダンジョンは、非常に単純な地形だ。

 道は1つしかなく、部屋と呼べるような場所も、今私たちが居る小部屋と、更に奥に進んだところにある大部屋が1つだけだ。

 だというのに、出現するモンスターは毎回ランダムで変化するし、奥の大部屋にはボスクラスのモンスターである《溶岩龍(ラーヴァ・ドラゴン)》が鎮座しているので下手に近付けない。

 そのせいで、このクエストは非常にやり辛いものになっている。

 

「ですが、だからこそ、このクエストは提示されている報酬が高額ですし、アイテムにも期待できるじゃないですか。クリアすればその情報も売れます。私たちにとっては狙い目です」

 

 しかし、マーチもルイさんも渋い表情のままだ。

 

「……あのなセイド。俺とルイが使った《透水ポーション》の合計額。クエ報酬の合計額より多くなったぞ。クエだけで考えりゃ赤字確定だ」

「モンスターはかなり狩ってるし~、素材もいっぱいあるから~、本当の意味で赤字ではないけどね~……何となく、割に合わない気がするよ~」

 

 そう言うと、2人揃ってため息を吐いていた。

 まあ、その気持ちはよく分かるところでもある。

 

「……なるほど……では、もう1つクエストをこなしますか」

 

 なので私は、気晴らしになるクエストを提案した。

 

「は?」

「クリア済みで情報も出ていますが、報酬は高額ですよ。マーチもルイさんも受けていたでしょう?」

 

 私が腕を回しながらそんなことを言うと、流石にマーチは何を言われているのか理解したようだ。

 

「っておい、まさか!」

「奥で暇そうにしている《溶岩龍》のお相手をしましょう。クエスト《溶岩龍討伐》です。私も受けていますから、1度で3人分の報酬を得られますよ」

 

 と、私が提案したところで、小部屋にモンスターが再出現し始めた。

 運の良いことに、トカゲが多そうだ。

 

 

 

 

 

 

「……珍しくやる気だったな、お前」

 

 ダンジョンから出て、ギルドホームに帰る道すがら、マーチは何処となく呆れた表情でぼやいていた。

 

 結局、スロータークエストはあの後すぐに終えることができ、続けて《溶岩龍》を3人で退治した。

 ボス戦で更に《透水ポーション》を使用したものの、《溶岩龍討伐》クエストの報酬も含めると、クエスト報酬の合計額だけでお釣りがくる。

 これで充分に黒字と言える結果になった。

 

 とはいえ、ボスの相手を3人でしていたので多少時間がかかってしまい、ダンジョンから出た頃には日が暮れ始めていたが。

 

「たまには全力で動きたいと思っていたので、好都合でした」

 

 マーチをして、本気だったと言わしめるほど、私は久しぶりに全力で戦闘をしてきた。

 蜥蜴を含む多種混合のモンスターにも、ダンジョンボスである《溶岩龍》にも、いつものようにマーチたちに指示を出しつつ戦うのではなく、ほぼ完全に自分の戦闘に没入していた。

 パーティー戦で、私が心配せずに戦えるメンバーというのは、正直この2人だけだと思う。

 

「え~? だって、フィールドボスと戦ってきたんでしょ~?」

 

 私の台詞に、ルイさんが不思議そうに返してきた。

 

「……私は基本的に、戦闘そのものには参加させてもらえませんから……」

「ああ――」

 

 私が不満げにそう答えたのを見て、マーチは何か納得したようで。

 

「――《指揮者(コンダクター)》だもんな、お前」

 

 マーチは、最も耳にする私の通り名を挙げた。

 

「……それは言わない約束でしょう……」

 

 私は思わず顔を伏せていた。

 

「照れんな照れんな。良いじゃねえか《指揮者》って。お前にピッタリだろ」

「私はもう1つの方もカッコいいと思うけど~」

「ルイさん……それならまだ《指揮者》の方がマシですよ……」

 

 私は顔を伏せたまま、のんきな2人の台詞に対して、そう呻いていた。

 

 私に付けられた通り名の1つが《指揮者(コンダクター)》というものだった。

 

「良いじゃねえか。噂だけなら俺でも聞いたぜ。50層のボス戦、お前のお蔭で勝てたって話だろ」

 

 どうやら、私が参加した50層のフロアボス攻略戦で、その時の戦線立て直しの指揮を私が執った――執らざるを得ない状況に陥った――ために付けられたらしい。

 

「……あの状況で私が戦線を立て直せたのは、あのヒースクリフさんが居たからですよ。私の戦果ではありません」

「ま、その場に居なかった俺らに言われてもな。俺らはアルゴからその話を聞いただけだしな」

 

 私の真っ当な言い訳に、しかしマーチは肩を竦めるだけだった。

 

 50層のフロアボス――全身が鋼鉄で作られた多腕の仏像――戦で、壊滅の危機に瀕した攻略組の面々を救ったのは、(ひとえ)に《血盟騎士団》の団長にしてユニークスキル《神聖剣》の使い手として名を知られることとなったヒースクリフさんだ。

 

 いわゆる《ユニークスキル》と呼ばれる、彼のみが身に付けたスキル《神聖剣》は、その絶対的な防御力と、防御兼攻撃になる《神聖剣》独自の圧倒的な盾スキルによって防御と攻撃を同時にこなすことができる。

 ヒースクリフさんはそのスキルを用いて、クォーターポイントごとに待ち構えているであろう超強力なフロアボスの猛攻を、単独で10分もの間凌ぎ続けたのだ。

 あの絶対防御とすら呼べるような防御力が無ければ、あの場での戦線の立て直しは不可能だったし、下手をすれば攻略組プレイヤーの大半は、撤退すら儘ならず命を散らす羽目になっていただろう。

 

「何にせよ。あの状況下で真に称えられるべきは私ではなくヒースクリフさんです。わざわざ私に通り名など付けなくてもいいはずなのに……」

「みんなゲーマーだからね~。通り名とか二つ名とか大好きだろうし~」

 

 ルイさんのそんな台詞に、私はため息を吐かずにはいられなかった。

 確かに、あのボス戦の後、ヒースクリフさんに付けられた通り名は片手では足りない数になっている。

 そう考えれば、私の通り名は2つで済んでいるのだから、まだまだ軽い方だろう。

 

「ヒースのおっさんなんか、噂に聞いただけで7つほどあったぜ? 2つのお前なんて、まだまだ可愛いもんじゃねえか」

「……私もそう考えていた所です……まあ、この話はここまでにしましょう」

 

 このままだと通り名の件で、この天然ボケ夫婦にいじられ続けることになりかねない。

 

 私は気持ちを切り替えて、フィールドボスを討伐した後に出した自分なりの答えを、2人に話すことにした。

 元々、その話をするためにここに来たのだから。

 

「ギルドホームに着くまでに、お2人に話しておきたいことがあります」

『ん?』

 

 私の言葉に、2人は全く同時に、同じ仕草で、同じ言葉を口にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《蜘蛛の巣の迷宮》を出ると、いつの間にか日が暮れていた。

 ちょっとソロで集中し過ぎた気がする。

 

(そろそろ戻っとかないと……ログたんのとこに寄って、ログたんと一緒にホームに帰ろ……)

 

 すっかり日の暮れた空の下で、私は手に入った素材を確認した。

 ログたんに頼まれていた素材は、充分な数が集まっていた。

 これなら、多少失敗してもお釣りがくるし、余ればログたんのスキル上げや商品に出来るだろう。

 

 しかし、私が1番欲しかったレア素材は、未だ必要数に届いていないはずだ。

 

(そもそも、モンスターの出現率とアイテムドロップ率が悪すぎるよ……)

 

 ログたんに頼まれた素材は、そのレア素材を集めるついでに頼まれた物であって、私の狩りの本旨じゃない。

 

(……そろそろ、この系統のアイテムを落とすモンスターがメインに出るダンジョンとか、あってもいいと思うんだけどなぁ……)

 

 極稀にランダムでポップするモンスターを狩らないと手に入らないレア素材、ではあるが、そのモンスターそのものは45層辺りから出現が確認されている。

 

 しかし、安定して出現する場所は未だ発見されていない。

 (くだん)のモンスターの出現開始層から、最前線は既に15層上がっている。

 これまでのSAOの傾向からすれば、そろそろ安定供給されるダンジョンなどがあってもおかしくないのだが、アル姐――情報屋のアルゴ姐さん――からも、まだその情報は得られていない。

 

(今日でフィールドボスも終わっただろうし、迷宮区にでも行ってみるのが良いかなぁ……ああ、でも、ソロで行くとセイドに怒られるか……)

 

 安全マージンは取れているというのに、セイドは私がソロで最前線のダンジョンに行くと怒るのだ。

 大丈夫だと、何度言っても聞きやしない。

 

(過保護に過ぎると思うんだけど……まあ、それもセイドの良い所か)

 

 そんなことを考えながら、私はログたんのお店へと歩みを進めて行った。

 

 

 

 

 

 

 私がログたんのお店の前に着くと、丁度お客さんが1人帰っていくところだった。

 店内に人影が見えたことで、この時間帯が書き入れ時であることに気が付いた。

 きっと店頭に立っているのはNPCの店員だろうけど、それでもログたんのお店が忙しい時間帯であることには変わりない。

 それに、今のお客さんの服装からして、ログたんのお店の常連客――《血盟騎士団》の団員だろう。

 

(フィールドボスが終わったから、装備のメンテとアイテム補充ってところかな)

 

 明日から本格的に迷宮区の攻略が始まるはずだ。

 私が頼まれてた雑多な素材も、今日から明日にかけて売れてしまうアイテムを補充するための素材や、装備のメンテや強化に使う素材が多い。

 

(商売繁盛で、良きかな良きかな)

 

 そんなことを考えながら、私はお店の裏手に回る。

 表側にはまだお客さんが数名いたようだし、メンテを頼まれているのであればログたんは裏手の工房に居るはずだ。

 

(後はこれで、ログたん自身が接客できるようになれば、客足倍増は間違いないと思うんだけどな)

 

 ログたんの性格では多分無理だけど、そう思わずにはいられない可愛さがログたんにはある。

 あまり売れっ子になられ過ぎると、それはそれでDoR的には困ることになりそうだけど、現状では無用な心配だろう。

 

「ログたーん。ただいまー。素材持ってきたよー」

 

 私は工房のドアをノックしてそう声をかけた。

 メンテ中の場合、急にドアを開けるとログたんにこっぴどく叱られるので、必ずドアをノックして声を掛けてから静かにドアを開けるようにしている。

 

 そう声をかけて、静かにドアを開けると、そこには、とても真剣な表情で片手剣のメンテをしているログたんが居た。

 その表情からは、いつもの朗らかでのほほんとしたログたんと同一人物だとは思えないほどの気迫が伝わってきた。

 

(相変わらず……この時のログたんは鬼気迫る何かがあるよね……)

 

 とても話しかけられる雰囲気ではないので、とりあえず中に入り、ドアを閉め、扉口に立ってログたんの作業が落ち着くまで待つ。

 

 

 待つこと数分。

 

 

 ログたんの作業が一通り終わったところで、ログたんが私に視線を向けてくれた。

 

「や。相変わらず良い仕事してるね!」

 

 私がそう言うと、ログたんは照れて俯いてしまう。

 そんな可愛いログたんの仕草に悶えそうになりながらも、何とか堪えてログたんとパーティーを組む。

 

【アロマさん、お帰りなさい。お怪我などありませんか?】

 

 パーティーを組むとすぐにログたんがテキストで声をかけてきた。

 

「うん! だいじょーぶ! あの程度のダンジョンなら何の問題も無いよ! はい、これ頼まれてた素材。それと、こっちは少ないけど、お願いしてるアレの素材!」

 

 私が素材の山をログたんにトレードすると、ログたんは目を丸くして驚いていた。

 

【こんな数、どうやって1人で集めたんですか?!】

「ん~? 普通に狩ってたら自然と集まったよ? まあ、今日は確かにちょっと多いかもだけど、本命の素材は少なかったし」

 

 実はモンスタートラップに3回引っかかった、とは流石に言えない。

 

【助かります。それにレア素材も多い方です。でもアロマさん、危険なことはしないで下さいね?】

「アハハ、分かってるよ、だいじょぶ。私の実力知ってるでしょ!」

 

 心配してくれるログたんに、私は笑いながら胸を叩いて見せた。

 変な汗の流れないSAOの世界で良かったと思った。

 

「それよりログたん、まだお仕事があるんじゃないの?」

【あ、そうでした。ごめんなさい、まだしばらくかかると思います】

 

 そう答えたログたんは、すぐに次のメンテの準備を始めた。

 今度はさっきの片手剣とセットらしき十字型の大盾だ。

 

「了解。んじゃ、私も接客手伝うかな」

 

 実はログたんのお店の手伝いを時々しているので、接客にも随分慣れた。

 顔見知りのお客さまも少しではあるが居たりする。

 

(って言っても、基本的にはメンテ待ちの人と話をしてるだけだったりするけど……)

【では、メンテナンスが終わり次第、声をかけます。受け渡しなどお願いします】

 

 ログたんはわざわざ私にそんな言葉をかけた後、今度こそメンテを開始した。

 始めてしまえば、ログたんは滅多なことでは反応しなくなる。

 

(了解っと。さって、今日はどんな人たちが来てるのかなぁ)

 

 そんなことを考えながら私はログたんのお店の制服に着替えて、お客様方に笑顔で挨拶をした。

 

 

 

 

 

 

 ログたんのお店が閉店時間になり、私は最後のお客さんが喜んで帰って行ったのを見送り、ログたんが閉店作業を終えるのを待って、一緒にギルドホームへと歩いて行く。

 

 色々あったけど、今日は楽しい1日だったと思う。

 素材も結構集まったし、お客さんとの話も弾んで凄く勉強になる話が聞けた。

 特に、鈍い銀髪で赤い鎧の人はとても物知りで、話していて飽きることが無かった。

 

(何故か他の人達が引いてたけど……まぁいっか)

【アロマさん、何か良い事でもありました?】

 

 私の隣を歩いているログたんが、私の様子を見て声をかけてきた。

 

「ん? や、別に、これといって良い事があったわけじゃないけど……どして?」

【何かとても楽しそうに、鼻歌まで歌ってました】

 

 ログたんに言われて振り返ってみると、確かに鼻歌を歌っていたかもしれない。

 中々に実りのある1日だったということだろうか。

 

(ん~……色々と悩んでたけど、それもまた楽しかったのかも?)

 

 自分のことながら、その辺りのことはよく分からない。

 

「よく分かんないけど、楽しかったんだと思う」

【そうですか。それは良かったです】

 

 ログたんは首を傾げつつも納得して、さらにテキストを続けた。

 

【あ、そうでした。アロマさん、今日持ってきてもらった分で、1つ出来上がりましたよ】

 

 ログたんの続けた言葉に、私は思わず足を止めてログたんの肩を掴んでいた。

 

「ホント?! 見せて見せて!!」

 

 興奮し過ぎたのか、ログたんを揺さぶってしまった。

 

「zわsでvgてゅ?!」

 

 混乱したログたんの言葉になってない言葉でそのことに気が付いて、私は慌てて手を放した。

 

「ご、ゴメン、ログたん……」

【いえだいじょぶでs】

 

 揺さぶられたせいか、変換もしていないし、最後の文字も打ちきれていなかったけど、とりあえずログたんはアイテムをストレージから取り出して見せてくれた。

 

「おぉ……これかぁ……綺麗な色だねぇ……」

【実際に作ったのはこれが初めてですけど、この色合いのものは見たことないです。あの素材独自の色だと思います】

 

 私がそれを矯めつ眇めつしていると、ログたんがニコニコとしていた。

 

「ん? どしたの、ログたん?」

【アロマさんが嬉しそうで良かったです。それだけ先にお渡ししておきます。残りも、素材が集まり次第作りますから、どんどん持ってきて下さい】

「うん! ありがとログたん!」

 

 私はついに完成したそれを、両手で抱きしめた。

 

「まだ足りないと思ってたから、ホント嬉しいよ~……ありがとねログたん」

【いえ、揃えるのにはまだかかりますから、これからも頑張って下さい、アロマさん】

 

 ログたんと歩きながら、私は出来上がったそれをストレージに仕舞った。

 

「よっし! 1つ出来ると俄然やる気が出てきたよ! 明日も頑張るぞ!」

 

 思わず拳を握りしめて気合を入れていた。

 

 それからギルドホームに着くまでに、ログたんと会話をしながら歩いて行った。

 

 月は見えなかったけど、道は軒を連ねる店の明かりで照らされていた。

 

 

 

 

 




第二幕は《叢雲(むらくも)》です(>_<)読める人は多いかもしれませんが、念のため。


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第三幕・蝕

第二幕に続き、第三幕も投稿させていただきます m(_ _)m

お気に入り登録件数が、790件を超えていました……(・_・;)
あれ、更新してなかったのにものすごい増えた?!Σ(ー□ー;)

皆様にお読みいただけていることを喜びに、これからも努力していきたいと思います!m(_ _)m



 

 

 本当なら、ルイルイ手作りの美味しい夕食を楽しんだ後のこの時間は、夜の狩りに向けてセイドと楽しく話をしているはずだった。

 なのに、現実は違った。

 

「……はい?」

 

 聞き違いであると思いたかった。

 だからもう1度聞きなおした。

 けど――

 

「……今日からしばらくは、一緒に行けません」

 

 ――セイドの言葉は、聞き違いなどではなく、私と一緒に夜の狩りに行けないというものだった。

 

 

 

 

 

「どうして!? 何で急にそんなこと言いだすの!?」

 

 食後、私はリビングに残っていたセイドと夜の狩りの話をしようとし、その直後、さっきと同じような台詞を言い渡され、私は一瞬で思考が停止した。

 呆然ともう1度聞き直し、そんなセイドの台詞に、気が付けばもの凄い勢いで噛み付いていた。

 

「私が何かした?! ねえ!!」

 

 思わずテーブルを叩いて立ち上がった私に、しかしセイドは――

 

「っ…………」

 

 ――何かを考えるような渋い表情を浮かべるだけで、答えてはくれなかった。

 

「なんだ、どうした?」

 

 私の悲鳴に近い怒鳴り声に、キッチン側でコーヒーを仕立てていたマーチが何事かと此方へやってきて、そんな言葉を挟んできた。

 ちなみに、ルイルイとログたんは一緒に入浴中なので、このリビングに居るのは、私達3人だけだ。

 

「マーチ! 聞いてよ! セイドが今夜から私をおいて、ソロで狩りに行くって!」

「……ああ、あの話か」

 

 セイドが答えないので、私はマーチにも話を振った。

 するとマーチは既に何かを聞いていたようで、すぐに何かに納得したようだ。

 

「っ?! マーチはもう知ってるんだ?!」

 

 つまりセイドは、マーチには今夜からソロで狩りをするための明確な理由を教えているということになる。

 

「ねえ、それって私が一緒でもいいんでしょ!?」

 

 だから、その理由そのものを聞くのではなく、一緒に行ってもいいのか否かを問い質す。

 

「どうかなぁ……」

 

 しかし、マーチもそのことに対して、ハッキリとは答えない。

 すると、意を決したかのように、セイドが私をまっすぐ見据えて口を開いた。

 

「――駄目です。一緒には行けません。私が単独で動く必要があるんです」

「っ!?」

 

 セイドの決意が現れるようなハッキリとした物言いに、私は一瞬たじろいだ。

 

「……だから! 理由を話して!」

 

 しかし、そう言うとセイドはまた押し黙ってしまう。

 

「ねえ、マーチ?! 何か理由があるんでしょ!?」

 

 セイドが黙ってしまうので、私は矛先をマーチへと向ける。

 

「あ~……そうだなぁ……」

「余計なことは言わないで下さいよ、マーチ」

 

 マーチが何か言うかもしれないと思えば、セイドが即座に口止めをした。

 何でそこまでして理由を隠したがるのか。

 

「ねえセイド! 言ってよ! 言ってくれないなら、どんなことをしてでもついて行くからね!」

「……だとよ、セイド。話すなら、お前から話すべきだぞ」

 

 私の必死の言葉に、マーチも助け舟を出してくれた。

 それを受けて、セイドは深々とため息を吐いた。

 

「……ちょっと、ソロで集中してやりたいことがあるんです」

 

 しかしそれでも、セイドは明確な内容を口にしようとはしなかった。

 

「だから! その『やりたいこと』ってのを話してってば!」

「話しても話さなくても、アロマさんは付いて来たがるじゃないですか……」

「納得すればついて行かない! ボス戦の時だってそうでしょ! 一応納得してるからついて行かないんだから!」

 

 知らず知らずのうちに涙目になりながらセイドに詰め寄るが、セイドはがんとして首を縦に振らない。

 セイドは困惑気味に視線を泳がせて、私と視線を合わせようとせず、あからさまにマーチに助けを求めている。

 再び黙り込んでしまったセイドを睨みながら、私は再度マーチに声をかけた。

 

「マーチはOK出したの!?」

 

 理由を問い質してもおそらく答えてはくれないだろう。

 だから、その理由を聞いたマーチが、今回のセイドの行動を了承したのかを問う。

 

「あ~……あぁ、OK出した。こいつ、言い出したら聞かないしな」

 

 半ば呆れ気味にそう答えたマーチを見て、ある種の諦めに似た了承だと感じた。

 セイドとの付き合いが長いマーチだからこそ、了承せざるを得ないといった感じだろう。

 だから、私にはそんな納得の仕方はできない。

 

「理由を話してくれないからよく分かんないけどさっ! ソロより、ペアとかパーティーの方が良いんじゃないの?!」

 

 どちらにともなく問いかけるけど、セイドは答えない。

 代わりに答えたのはマーチだった。

 

「そいつにゃ《警報(アラート)》があるからな。ソロでも危険なんてあって無いようなもんだ。それに実力も知ってるだろ?」

「万が一ってことがあるでしょ! 2人でいた方が、安全に回復だってできるし、交替で見張りだってできる! セイドのやりたいことの邪魔にはならない!」

「だから《警報》があんだから見張りはいらねえって。回復だって、体術メインだから回復結晶片手に動けるし――」

「マーチ!」

 

 マーチの台詞に、セイドが鋭く声をかけた。

 セイドに名前を呼ばれて、マーチも言葉を止めてしまう。

 でも、今の台詞だけで1つ分かったことがあった。

 

「……回復結晶を片手に、動くようなことをするんだ?」

「い、いや。例えば。例えばの話だ」

 

 マーチは自分の頬を指で掻きながら私から視線を逸らした。

 

(……嘘だ。例え話なんかじゃない……)

 

 これまでの話から、セイドが理由を言わなかった理由、というのが分かった気がする。

 セイドは、何か危険を伴うことをしようとしているんだろう。

 

(何で……何で一緒に行かせてくれないの……)

 

 理由も話してもらえず、私に隠して何かをしようとしているセイドが、とても恨めしく感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は、アロマさんの正面に座ったまま、アロマさんを直視できずにいた。

 このままだと、アロマさんのペースにはまって、理由を話してしまいそうだった。

 

(……しかし、話すわけにはいかない……話せばおそらく、アロマさんは付いてくる)

 

 かなりすり減った決意を振り絞り、私は強引に話を切り上げることにした。

 

「さて! 話は終わりです」

 

 私がそう言って席を立ちあがると、アロマさんは驚いたように顔を上げた。

 アロマさんの目には涙が浮かんでいた。

 その顔が一瞬視界に入ってしまい、私はさらに決意を揺さぶられる。

 しかし、ここで折れるわけにはいかない。

 

「時間も惜しいので、私は行きます」

「まだ話は終わってない!」

 

 極力アロマさんを見ないように扉へ向けて歩こうとした私の前に、アロマさんが割り込んでくる。

 両の目に涙を湛え、私を睨みつけながら両手を広げて立ち塞がった。

 

(っぅ……泣きながら睨むのは、やめて欲しい……)

 

 自分の決心が揺らぐ瞬間が、もう何度となく私を襲っている。

 立ち塞がるアロマさんを前に、私は目を閉じて必死の思いで言葉を絞り出す。

 

「順調に進めば、数日で終わります。大人しく、待っていて下さい」

「いや!」

「食事抜き、といっても」

「そんな程度でついて行かないと思ってるの?!」

 

 ボス戦などの時は、この台詞で渋々納得してくれたのだが、今回は無駄なようだ。

 私は仕方なく、アロマさんの目を正面から見据えて、もっと直接的に言うことにした。

 

「アロマさんが居ては、邪魔になる、と言ってもですか」

「……っ!!」

 

 私のこの台詞を聞いて、アロマさんの瞳は大きく見開かれ、堰を切ったように涙が流れた。

 

 この言葉はかなり効いたらしい。

 すこし酷い言葉だったかもしれないが、それでもアロマさんを連れて行くわけにはいかない。

 私は自分のしたことに罪悪感を覚えながらも、アロマさんにさらに言葉を重ねた。

 

「今回のことに関しては、アロマさんが私の助けになることはありません。お願いですから、大人しく待っていて下さい」

 

 慰めるように頭を一撫でして行こうとしたのだが、伸ばした手がアロマさんの頭に届く前に打ち払われた。

 そして、アロマさんが涙を流しながら口を開いた。

 

「……デュエル……しろ」

 

 訥々と、アロマさんの掠れるような言葉が耳に届いた。

 

「今……なんと?」

「私が……本当に……セイドの邪魔に……なるのか……どうか……試してよ……」

 

 私は思わず顔を顰めていた。

 

「この件に関しては、助けは要らないと言っただけなのですが……」

 

 アロマさんは段々と俯いてしまっていて。

 

「……何であっても……セイドのしたいことの……手助けができないなんて……」

 

 最後の言葉は、小さくて聞き取れなかった。

 アロマさんの鼻をすする音と、気まずい沈黙と、マーチのため息だけがこの場に残った。

 

「……仕方ありません」

 

 私は、1つ諦めた。

 

「そのデュエル、受けましょう」

 

 私のその台詞に待ったをかけたのはマーチだった。

 

「おい、セイド」

 

 しかし、そんなマーチに、私は首を横に振って見せた。

 マーチの言いたい事も分かる。

 みっともなくても、正直に理由を話してしまえと、マーチなら言いたいのだろう。

 しかし、私はどうしても、話すわけにはいかない。

 アロマさんにだけは、話せない。

 

「マーチ、後を頼みます……正直、アロマさんを説得できる他の手段が思いつきません」

 

 かなり無茶なことをマーチに頼んでいるが、それでも他に頼める相手はこの場に居ない。

 

「……そうか……わーったよ……ったく……」

 

 マーチはため息交じりにそう答えてくれた。

 

「……手加減……しないからね……」

 

 それだけ言って、アロマさんは先に表に出ていく。

 まさかこんなことでアロマさんと本気でデュエルすることになるとは、予想だにしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「《初撃決着》で良いですね?」

 

 セイドの問いかけに、私は無言で頷いて応える。

 正直、今の状態で上手く喋れる自信は無い。

 

「お互いに、正々堂々、恨みっこ無しだ。いいな?」

 

 マーチは、私とセイドのデュエルの審判というか見届け人的な立場でこの場に居合わせることになった。

 

 前に、ルイルイとヴィシャスがデュエルした時と同じように、私とセイドはギルドホーム前のちょっとした庭で対峙した。

 

 セイドからデュエル申請が来て、私はすぐにそれを了承する。

 私とセイドの間でカウントダウンが始まる。

 

 私は背中の両手剣を抜き、腰だめに構えた。

 対するセイドは、いつも通り徒手空拳で、体を半身開いて構えた。

 

 セイドの強さはよく分かっている。

 おそらく普通にデュエルをしたら勝てないだろう。

 何せセイドには《警報(アラート)》があるのだから、《剣技(ソードスキル)》のようにシステムに定義された技は全て読まれると思った方が良い。

 

 自然、勝つためには《剣技》以外の、自分自身の技にかかってくる。

 

(やってやる……《警報》があるからって万能じゃないってことを……見せてやる)

 

 セイドのステ振り――ステータスの振り分け――は、筋力値と敏捷値を平均的に上げる均一強化型だ。

 セイドは私に筋力で劣るけど敏捷で勝る、初撃決着で考えればセイドに分のあるステータスということになる。

 但し、筋力値を利用した瞬発的な加速なら、敏捷値に頼らず爆発的な速度を出すことができる。

 私が速度でセイドに勝つには、そこを利用するしかない。

 

(――と、セイドなら考える。だから私は)

 

 カウントダウンが10を切った。

 すぐにゼロになるだろう。

 構えは変えず、私はさらに腰だめに深く剣を構える。

 

 それを見たセイドは、私の狙いを察したのか目を細めた。

 いつもなら先手必勝を謳い文句にする私だけど、今回は後の先――つまりカウンターを狙う。

 瞬間的な加速でしかセイドに勝てないのなら、その加速でセイドの後の先を取るべきだ。

 

 そして、カウントがゼロになった。

 

 セイドが音も無く滑るようにして距離を詰めてくる。

 ルイルイの得意とする《滑水(かっすい)》の技法だけど、セイドはそれを更に工夫して、足首だけで左右に動きを振った。

 細目(こまめ)に《滑水》の加速法を利用することで僅かに左右に滑りながら距離を詰め、しかし武器を持った状態では使うことが困難なため、体術使いのセイド専用の技術――《振水(しんすい)》と名付けられた、モンスターのAIすらこの方法で揺さぶりをかけて、攻撃を先出しさせるセイドの歩法だ。

 

 但し、分かることではあるが、この歩法は左右に体を揺らすだけ――というか《滑水》の歩法そのものが平面移動用の技だ。

 つまり――

 

(やると思ってた)

 

 私は腰だめに構えていた両手剣を体の捻りを加えて一気に横に薙ぐ。

 

 ――《滑水》は縦線の攻撃に対しては回避しやすく反撃しやすいけど、横線の攻撃にはあまり意味をなさない。

 

 しかし、セイドの移動範囲全て潰す横薙ぎの一撃を、やはりセイドは読んでいて、瞬時に跳躍した。

 

 私の剣がセイドの足元をギリギリで通過する程度の跳躍を足首だけで実行し、空中で身を屈めるような姿勢を取ったセイドは、そのまま蹴りを放つ気配を見せる。

 セイドと私の距離は、既にセイドの攻撃範囲内――つまり、セイドの手が届く程度の距離にまで詰められている。

 

 剣を横薙ぎに振り抜こうとしている私にはすでに応じる手段は無く、セイドはこのまま跳躍した勢いに乗せて蹴りを私に叩き込めばデュエルは終了する。

 

(――なんて、考えてるんだったら、甘い!)

 

 セイドの跳躍に合わせて、私もバックステップを刻む。

 振り抜こうとしていた両手剣の勢いに煽られて体勢を崩しつつ、右後ろへと後退することでセイドとの距離を一瞬で離す。

 

 しかし、私のバックステップも読んでいたのだろうセイドは、身を屈めた態勢のまま、蹴りを放つことなく着地し、即座に体を伸ばす勢いを利用して私に真っ直ぐ、跳びかかるようにして突っ込んでくる。

 

 小細工なし、跳躍による最速の突進。

 対する私は、両手剣を振り抜き終えたばかりで姿勢がまだ整え切れていない。

 

(――ように見えるだろうけど、それが狙いだよ、セイド!)

 

 私は、セイドが真っ直ぐに突っ込んでくるこの瞬間を待っていたのだ。

 

 

 

 両手持ちの武器の定義は《両手で握っていなければならない》ことだ。

 それは両手剣に限らず、両手棍も両手斧も両手槍も同じ。

 

 つまり両手剣を振り抜いた私の両手は、体を捻りつつ後ろの方へと流れていることになる。

 片手で剣を握る、もしくは途中で片手を放すなんてことをすれば、即座に装備イレギュラー状態になり、《剣技》の使用は不可、通常の取り回しすら覚束なくなるペナルティーを受ける。

 それが、この世界の常識だ。

 

 だけど、私の知る限り、たった1つだけその常識を打ち破る技術がある。

 

 それが《舞踊(ダンス)》スキルだ。

 

 セイドは《舞踊》と《体術》を組み合わせることで《剣技》の連続使用という技術を発見したけど、武器スキルでは利用できないと言っていた。

 

 しかし、その意見は1つの可能性を見落としていた。

 つまり《舞踊》をマスターし、更に合わせる武器スキルもマスターに至っていた場合、併用ができるのではないか、という可能性。

 

 セイドはスキル値が1桁の《短剣》スキルを、マスターした《舞踊》と併せただけのはずだ。

 そう考えた私は《舞踊》スキルを集中的にマスターまで上げて、後は武器スキルを上げることに集中した。

 《舞踊》は他のスキルに比べて習熟し易いスキルだったので、然程苦労はしなかった。

 

 その後、私は自分の予測が間違っていなかったことを、両手剣スキルが900に至った時に知った。

 《舞踊》スキルは熟達した武器スキルと併用することで、更なる可能性を引き出すことができるスキルだったのだろう。

 

 そうして私が見つけた技術の1つが《両手武器の片手使用》だ。

 

 

 

 

 私はまっすぐに突っ込んできたセイドに対応すべく、体を更に捻り、剣の流れる勢いに乗って更に剣を振り回した。

 独楽のように1回転するイメージだ。

 

 だが、両手で剣を握ったままであれば、セイドの突進の速度には追い付かず、背中から一撃を喰らって終わりだっただろう。

 私は両手剣を振り抜いた瞬間から《舞踊》スキルを使用して、右手を放し、左手のみで両手剣を振り回していた。

 こうすることで、回転の速度はセイドの予測よりも早くなり、更に攻撃可能範囲も右手を放して振り回せる分、体半身分程広くなる。

 

 私の思惑通り、セイドの突進が私に届くよりも先に、私の剣が勢いを増してセイドの側面から襲い掛かることになった。

 この瞬間、流石のセイドも驚愕の表情を浮かべていた。

 両手武器を片手で取回されるとは想像していなかっただろう。

 

(勝った!)

 

 セイドは跳躍を利用した突進の状態であり、その状態からの回避はまず不可能だ。

 防御しようにも、セイドは素手。

 重量級の両手剣を防ごうとすれば、それだけで大きなダメージを負い、下手をすればそれだけで強攻撃による初撃と判定されて、セイドの負けになる。

 

 私は勝ちを確信し、しかし、セイドは私の思惑のさらに上を行った。

 

 セイドの跳躍は、地面すれすれを滑るような跳躍だ。

 その状態から、右手で地面を擦るように殴りつけ、無理やり地面を転がるように体勢を崩して私の横薙ぎの一撃を、頭上を掠める程度で回避したのだ。

 

(っく! 流石……一筋縄じゃいかないか!)

 

 私もすぐに追撃に移りたかったけれど、片手で両手武器を取回せるのはあくまでもその場凌ぎの技術だ。

 装備イレギュラー状態にならず、システム的なペナルティーを受けないだけで、武器の重量そのものは変わらない。

 つまり、本来なら両手でようやく振り回せる両手剣を片手で持てるからと言って、自由に取回せるわけじゃない。

 今のように、勢いに乗った両手剣を振ることができる程度だ。

 

「……何ですか今のは……」

 

 セイドが、堪らずそう呟いたのが聞こえた。

 だけど教えてあげるつもりはない。

 

「さあね」

 

 私は両手剣を構え直し、同時にセイドも態勢を整え、構え直していた。

 

 これで仕切り直しだ。

 しかし、私の《奥の手》の1つは今見せてしまった。

 本当ならあれでケリを付けたかったけど。

 

(もう1つも見せないとならないか……)

 

 私は認識を改める。

 多少意表を突いた程度ではセイドは出し抜けない。

 なら、システムのさらに上を行くしかないだろうか。

 

(セイドの《警報》を逆に利用する……あんまり使いたくなかったけど!)

 

 今度は私から斬り込む。

 先ほどのように横薙ぎの一撃を、今度は初手から片手で振り回し、攻撃範囲を誤認させる。

 

 《警報》の攻撃予測は、通常のシステム上であり得る攻撃範囲を大まかに予測するスキルだと、セイドからの説明を受けている。

 つまりこの場合《両手剣》スキルで私が持っている、両手剣を、システムに定義されたように両手で握っていた場合の攻撃範囲がセイドには見えている。

 

 この攻撃範囲は、片手を放して体を開き、肩を突出し、腕を伸ばすという風に、姿勢を変化させるだけで大きく剣先が伸びるのだ。

 セイドが《警報》の予測に引っ張られれば、届きもしない攻撃と思い込んで回避を疎かにするかもしれない。

 それに、セイドは紙一重での回避を得意としている分、これだけの攻撃範囲の変化への対応は、即座にはできないはずだ。

 

 案の定、セイドは目測を誤ったようで、驚愕で顔を顰めて後ろへとステップを刻んだ。

 

 いかにセイドと言えど、後退直後は僅かに体勢が崩れる。

 セイドがバックステップした瞬間を狙い、私は今度こそ剣を両手で握り直し、振り回す勢いを利用して上段に剣を持ってくる。

 そして両手剣が赤い光に包まれる。

 

 両手剣用単発上段重突進技《アバランシュ》――突進によって距離を詰め、素早く高威力で叩き斬れる優秀な技の1つだ。

 

 しかしセイドの《警報》は、私が《アバランシュ》のモーションに入った時点でその攻撃予測線を確実にセイドに見せているだろう。

 確かに、通常ならアッサリ避けられて反撃されて終わるだろうけれど、私の場合はそうはいかない。

 

(これで、どうだ!)

 

 《アバランシュ》のモーションに入った段階で、私は《舞踊》スキルを同時に使用し左手を放した。

 

 これが《両手剣》+《舞踊(ダンス)》による2つ目の効果、《両手用剣技(ソードスキル)の片手使用》だ。

 

 《剣技》の起動まではしっかりと両手で握っていないとならないけれど、《剣技》が起動して、実際に動き出すまでのわずかな間に《舞踊》スキルを起動させると、片手を放しても《剣技》が中断しないという特殊効果が発生したのだ。

 

 通常なら、片手を放した段階で《剣技》の発動が止まって技後硬直が強制的に科せられるけれど、この場合、通常通り《剣技》が発動した後に技後硬直が発生するだけだ。

 

 そして片手を放せるメリットは先と同じく、攻撃範囲が伸び、攻撃速度も上がる事。

 反面、一撃の威力は両手で握っている時よりも数段落ちるし、技後硬直も僅かながら長く科せられる。

 とはいえ、元々の威力が高い両手剣なら、多少の威力減退は初撃決着のデュエルでは問題にならない。

 

(セイドの《警報》の予測を上回る速度と長さを持って、この《アバランシュ》で決める!)

 

 片手で斬り込まれた《アバランシュ》に、セイドの顔が3度目の驚愕に歪み――

 

(なっ?!)

 

 ――しかし次の瞬間、セイドは左手の甲で、振り下ろされた両手剣の腹を打ち払い、斬撃の軌道を僅かにずらし、見事に回避して見せた。

 

(《警報》の攻撃予測の速度も、範囲も、全て覆したはず。なん――)

 

 何で、と最後まで思考することはできなかった。

 

「カハッ!?」

 

 私の渾身の一撃を払いのけたセイドは、がら空きになっていた私の鳩尾に体術重単発技《崩烙》――高速で叩き込む肘打ち――を悠々と打ち込んだ。

 

 私は堪えきれずに息を吐き出していて、次に気が付いた時には、剣は手から離れて地面に転がっていて、私はそこから少し離れたところで倒れ臥していた。

 

 自分の状況を悟った時には、システムによって私の敗北が宣言された後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は地に臥せるアロマさんを見下ろしながら、冷や汗を拭っていた。

 本当に冷や汗が流れるわけではないが、そうした行動を取らずにはいられないほど、ヒヤヒヤさせられたデュエルだった。

 

 最初に両手剣を片手で振り回された時は、ペナルティーを無視してでも振り回したのかと驚かされた。

 しかしその後、もう1度片手で振り回されたことで、予め予想していた斬撃よりも遥かに速く、距離の伸びたその攻撃に、大きな後退を余儀なくされた。

 

 そして、最後の《アバランシュ》――あれだけは本気で危なかった。

 回避するだけの余裕が無く、ギリギリのタイミングで左手が間に合った。

 

(技の軌道がもう少しずれていたら、打ち払いも間に合わなかった……)

 

 《警報》による攻撃範囲の予測よりも広く、攻撃速度の予測よりも早い一撃が、攻撃軌道の予測からも大きくずれていたら、私には防ぎようがなかっただろう。

 

(今回の勝ちは……運ですね……)

 

 攻撃の軌道が大きくずれていなかったのが勝因だが、それでも防御が間に合ったのは運が良かっただけだろう。

 最後の反撃は、反射的に行っていたため、手加減は一切できていなかった。

 

(まさか、両手剣を片手で取り扱うとは。相変わらず、予想を上回る行動をする……)

 

 とはいえ、何とか勝ちを拾った。

 これでアロマさんを大人しくギルドホームで待たせられるだろう。

 

「素晴らしい攻撃でしたよ、アロマさん。しかし、あれほどの隠し玉は、可能な限り人目に触れさせないようにしておくのが得策ですね。慣れられれば、欠点も突かれやすくなりますから」

 

 私はアロマさんに手を差し伸べながら感想を述べたのだが、アロマさんは私の手を取ろうとはせず、黙ってノロノロと体を起こした。

 しかし立ち上がることはせず、地面に這いつくばったまま動こうとしなかった。

 

 私は仕方なく、差し出した手を引っ込めて、マーチに顔を向けた。

 マーチも、私が何を言わんとしているのか察してくれたようで、無言で頷いた。

 私はアロマさんをその場に残して、ギルドホームを後にした。

 

 予定外のゴタゴタはあったが、これでようやく、目的を果たせるわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悔しさと虚しさと、自分の無力さに、立ち上がる気力すらなかった。

 気が付けばセイドはおらず、マーチが傍で腕組みをして私を見下ろしていた。

 

「マーチ……」

「今回のは、運が無かったな。次も同じ結果になるとは限らない良い勝負だった。そう落ち込むな。お前は強い。ま、今回の所は大人しく家で待ってろ。ほれ」

 

 マーチはスラスラと私に慰めの言葉をかけ、転がっていた私の両手剣を、私の眼前の地面に突き立てた。

 

「ルイとログも、そろそろ風呂から上がるだろ。その時にそんな顔見せたら、心配されるぞ。先に部屋に戻った方が良いんじゃねえか」

 

 マーチのその言葉に、私は剣を支えにして立ち上がり、剣を仕舞うとフラフラと部屋へと戻った。

 戻る途中でマーチが気にするな的なことを何か言っていたような気がするが、意識には残らなかった。

 

 

 部屋に戻ってベッドに倒れ込むと、また涙が溢れてきた。

 私はセイドの役に立ちたくて、傍に居たくてここに居るのに。

 

(なのに……セイドは邪魔だって……私が居たら邪魔だって言った……)

 

 静けさの支配する部屋で、私のすすり泣く音だけが響いている。

 

 ――こんな状況が、昔にも、子どもの頃にもあった。

 

(思い出したくもない……けど……やっぱり私は邪魔なのかな……)

 

 自分の存在する意味が、今このギルド内で無くなった気がする。

 セイドの傍に居たいと思っていたのは、私のエゴだったのだろう。

 

 セイドは私が邪魔になると言った。

 傍に居られては困ると言った。

 

(じゃあ……私はここに居られないじゃない……)

 

 

 

 

 気が付くと時刻は夜中の3時近かった。

 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 

(喉……乾いたな……)

 

 水を飲もうと部屋の扉を開けると、少し離れた部屋の扉が閉まる音が聞こえた。

 セイドの部屋だ。

 

(無事に帰ってきたんだ……良かった……)

 

 セイドが無事に戻ってきたことが確認できて、ホッとした反面、やはり私は必要ないのだと痛感してしまった。

 

(……何で私は……ここに居たんだっけ……)

 

 リビングに降りてきて、水を1杯飲み、天井を見上げ、部屋を見回した。

 ギルドホームを持ってからは、常にここに寝泊まりしていた。

 もう見慣れた我が家という感じが定着していたのに、今は何故か、自分がこの場にいることが酷く不自然に思えてならなかった。

 

(……そうか……私は……)

 

 私は部屋に戻り、自分のアイテムを確認し、ギルド共通ストレージからも私の装備品などを取り出す。

 部屋の箪笥などに収納されていたアイテムも、必要な物をアイテムストレージに移した。

 

(私は……この場に居ちゃいけなかったんだ……)

 

 それぞれの部屋で、みんなは寝ているだろう。

 私はギルドホームの出入口に立って、もう1度室内を見回した。

 

 5人で食事をしたり、ふざけ合ったり、団欒をしたリビング。

 広くは無いけど狭くも無い、お風呂場。

 2階に設けられたそれぞれの個室。

 

 色々な思い出がいっぱい詰まっているギルドホーム。

 

「バイバイ、みんな。今までありがと」

 

 私はギルドホームを出て、転移門でどこか適当な街へと移動した。

 そこで宿を取り、ギルドホームとは比べ物にならないほど固いベッドに腰掛けて、メニュー画面を開く。

 

 そうして、そこにあるギルド脱退のボタンを押し、フレンド登録抹消のボタンを――

 

 

 

 

 ――押した。

 

 

 

 



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第四幕・無月

きっく様、皇 翠輝様、テンテン様、ポンポコたぬき様、無零怒様、鏡秋雪様、イツキ87様、路地裏の作者様、ぬおー様、感想をお寄せいただき、誠にありがとうございます!! m(_ _)m


更新が遅くなりまして、申し訳ありません(;一_一)
2週間以上……間が開いた……orz
本当なら2~3話まとめて投稿したいところなのですが、できそうにありません(ーー;)ゴメンナサイ


お気に入り登録件数が830件を超えておりました……!(>_<)
ありがとうございます!(>_<)

皆様からの声を糧に、今後はあまり間を開けずに投稿できるよう努力します!

そして気が付けば50話目です。記念すべき、かどうかは、微妙な内容かもしれません……(・_・;)



 

 

 頭の中で鳴り響く音に目が醒める。

 ほぼ毎日利用している《強制起床アラーム》も、流石に1年以上利用していると慣れはするが、未だに気持ちの良い目覚めという感覚とは程遠い。

 だが同時に、現実ではあり得ないシステムを利用することで、この世界が現実ではないということを、目覚めて真っ先に自覚できる。

 

(……今日も、デスゲームか……)

 

 私は体を起こしてベッドから降り、大きく伸びてから軽く腕や首を回した。

 現実の肉体ではないことは分かっているが、気分的にも体を解すと目が醒める。

 

(……最前線は60層……まだまだ先は長い……)

 

 SAOの世界に囚われて1年半が経過しようとしているが、徐々に1層毎のクリアペースが落ちている。

 特に、ここ数層は2週間近くかけて1つの層をクリアに漕ぎ着けるのがやっとだった。

 

(……ペースダウンの原因は、間違いなく……)

 

 ペースダウンの原因を考えると、気付かぬうちに眉間に皺が寄っていた。

 

 今現在の最大の厄介事と言えるであろう、システムに規定されていない《殺人者(レッド)》属性を自称する最悪のギルド――《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》の台頭は、それまで殺人という行為に走らなかった犯罪者(オレンジ)プレイヤーたちも煽り立て、その結果、ここ最近はプレイヤー同士の争いが高い頻度で生じている。

 

 それに伴い攻略組にも様々な弊害が起こり、攻略の速度が鈍った。

 昨日のフィールドボス討伐戦すら、当初の予定より2日遅れての攻略となったのだ。

 

(流石に、このまま放置はできないでしょうが……奴らの隠れ家が分からないのでは始まらないですね)

 

 有力な情報屋プレイヤーたちは総出で《笑う棺桶》のアジト探索を行っているようだが、未だ発見の報告は上がっていない。

 

(私も探索した方が良いかもしれませんね……しかし……そうなると、さらに時間が無くなる……)

 

 現状を鑑みて、思わずため息を吐いていた。

 そんな暗い気分のまま部屋を出ると、ルイさんが用意してくれているのであろう朝食の良い香りが鼻腔をくすぐった。

 

(……何はともあれ、まずは朝食ですかね)

 

 直前まで悶々と考えていたことなど鼻で笑うかのように、空腹感が襲ってきた。

 自身の呑気さにも軽く呆れつつも、私は空腹感で少し軽くなった足取りと笑顔で食事が並べられ始めていた居間へと下りた。

 そこでは毎朝のように、ルイさんが朝食を並べているところだった。

 

「相変わらず時間に正確だね~、おっはよ~セイちゃん」

 

 私が下りてきたことに気が付いたルイさんは、相変わらずの柔らかい笑顔で出迎えてくれた。

 

「おはようございます、ルイさん。私より早く起きて食事の支度をしているルイさんには敵いませんよ」

 

 私は食事を並べる手伝いをしようとして、今日のメニューのある共通点に気が付いた。

 

「これは……アロマさんがとても喜びますね」

 

 食卓に並べられ始めていたメニューは、どれもアロマさんの好物ばかりだった。

 キッチンで調理中の物も、おそらくアロマさん好みの物なのだろう。

 そんな私の言葉を聞いて、ルイさんはちょっと苦笑した。

 

「だって~、セイちゃん、昨日ロマたんに辛い思いさせたみたいだから~、少しでも元気出してもらおうって思ってね~」

 

 ルイさんの一言で、私は思わず動きを止め、顔を伏せて立ち尽くした。

 

「……すみません……ルイさんにまで気を遣わせてしまって……」

 

 私とアロマさんのデュエルには、マーチが立ち会っていたのだ。

 そのマーチが、昨夜の事をルイさんに話さないわけがない。

 昨夜の事を聞いたからこそ、ルイさんはアロマさん好みの朝食を揃えたのだろう。

 

「私は良いんだよ~。っていうか~、私に謝っても仕方ないでしょ~?」

 

 ルイさんは苦笑を浮かべたまま、食事を並べながらそう言った。

 私が1人で何をしているのかルイさんとマーチには説明してあるので、私がアロマさんに言えない事情は分かっているはずだ。

 

「……しかし、あれは……アロマさんには……」

「ん~……セイちゃんの気持ちも分かるけどね~」

 

 私が立ち尽くしたまま何とかそう答えると、ルイさんは何か考えるように少し間を開けてから続きを口にした。

 

「でもね~? ロマたんの気持ちも分かるんだ~。マーチんがセイちゃんと同じことしたら~、私だって騒ぐよ~?」

 

 柔和な性格のルイさんがそう言う程だ。

 アロマさんに知られれば確実に『騒がれる』では済まないだろう。

 

 だからこそ、アロマさんを同行させることは避けたいのだ。

 私が何と答えればいいのか黙考していると――

 

「ま、俺だったら? ルイに隠したりせず、正直に話して、一緒に行くけどな」

 

 ――唐突にマーチが話に入ってきた。

 何時の間にやら起きて来ていたらしい。

 

「おはよ~マーチん。今日は早いね~」

「おはようございます、マーチ」

 

 とはいえ、マーチはまだ眠いようで、(しき)りに欠伸(あくび)を噛み殺している。

 

「珍しいですね、ルイさんに起こされる前に起きてくるとは」

「おはようさん。何となく目が醒めただけの、気まぐれだ」

 

 欠伸を噛み殺していたマーチは、未だに立っていた私を追い越し、自分の席に腰を下ろした。

 マーチが椅子に座ると、すかさずルイさんがマーチの前に珈琲を置いた。

 流石の対応だ。

 

「ん、サンキュ」

 

 マーチがコーヒーを口に運ぶのを見て、私もとりあえず座ることにした。

 

「セイちゃんは~、今日は紅茶にしとく~?」

「ありがとうございます、お願いします」

「は~い」

 

 私の返事を聞いて、ルイさんは一旦キッチンへと戻って行った。

 

「んで? アロマとは話したのか?」

「はい?」

 

 珈琲を皿に置いたと同時に、マーチは唐突に話を振ってきた。

 私は瞬間、話の流れを理解しきれずに疑問を返すしかできなかった。

 

「だから、昨日の話だ」

 

 マーチは言葉少なにそれだけ言うと、また珈琲を口に運んだ。

 おそらくマーチは、私がアロマさんに事の説明をしたのかと問うているのだろう。

 

「昨日……あれからすぐに出かけて……戻ってきたのは3時過ぎた頃でしたし、流石にまだアロマさんは起きてこないでしょう」

 

 アロマさんが自然に起きてくることは滅多にない。

 朝食の支度が全て整った頃に起こしに行くのが通例になっている。

 

 ――ちなみに、ログさんはこの時間だと既に《ウィシル》に出向いている。

 ルイさんとログさんは毎朝5時には起きているのだから、大したものだと思う。

 

「……ってことは顔も見てねえのか……今はそっとしといてやるべきか?」

 

 マーチの呟きの様な一言に、私は少し苦笑しながら答えた。

 

「ルイさんがアロマさんの好物ばかりを揃えて下さっていますから、すぐに起きてくる気もしますけどね」

 

 しかしマーチは、そんな私の言葉など耳に届いていないようで、至極真面目な表情で私を見て――いや、睨んでいた。

 

「……なあセイド、1つだけ言っとくぞ」

「はい、何でしょう?」

 

 マーチの態度を見て、私も雰囲気を真剣なものに改める。

 

「午前の狩り、いつも俺らと一緒に居る必要はねえぞ?」

 

 マーチの言葉に、私は今度こそ話の流れを汲みとるのに苦労した。

 

「夜はアロマと一緒に狩りに行ってやれ。お前は午前の時間を使って、やりたいことをやりゃあいい」

 

 その言葉に、私は思わず眉間に皺を寄せていた。

 

 つまりマーチは、これまで常に3~4人で行動してきた午前の狩りを、団体行動でなくてもいいと言っているのだ。

 だが、私はこれには反論ができる。

 午前の狩りは、パーティー内での連携やスキルの確認、新しい狩場での傾向と対策を模索する時間でもあるのだ。

 そう易々と無くしていい時間ではない。

 

「マーチ、何言ってるんですか。午前は全員で――」

「その考え方から、変えろって言ってんだよ」

 

 しかしマーチは私の言葉を遮って、さらに言葉を重ねてきた。

 

「この城の前半までは、確かにルイのことを考えてそういう体制を取ってきた。取ってもらってきた。それには感謝してる。だがな、今の俺らはその頃とは違う。充分にレベルも上がったし、ルイももう大丈夫だ」

 

 確かに、私がこのサイクルを考えたのは主にルイさんの為でもあった。

 しかし、今はその趣旨とは別に目的があって、このサイクルを続けているのだ。

 

「そうかもしれませんが――」

「黙って聞け」

 

 私が更に反論をしようとすると、マーチはついに、私に黙れと言い切った。

 

「この世界の状況を考えりゃ、お前はもっと前に出るべき時が来たんだよ。攻略組の一員として、お前が最前線に立つべき時がな」

 

 マーチは断定する形で話を続けた。

 

「その時、お前の横に立つのは俺でも、ルイでも、ログでもねえ。アロマだ」

 

 マーチのその言葉に、私は思わず呼吸することすら忘れた。

 

「いいか。アロマのことを第一に考えて行動してやれ。ギルド全体のことは二の次で良い」

 

 そこまで言って、マーチは珈琲を1口飲んだ。

 しかし、その真剣な視線は、私を見据えたままだった。

 

「そして、お前は今後、ギルドのことより前線に出ることを優先しろ。だが、俺はルイを前線に引っ張り出したくねえ。俺とルイはそのことを話し合って、互いに了承している。だが、アロマは違う」

 

 マーチはここで言葉を切った。

 

「……アロマさんは違う、とは、何が違うんですか?」

「あいつは、俺とルイとは違う。お前が俺達に気を遣ってるみてえに、あいつに気を遣う必要はねえ。あいつはお前の横に立ちたいって願ってんだ。役に立ちたいって言ってんだ。なら、それを尊重してやりゃあいい」

 

「マーチ、何を言っているのか分かってますか? 私が前線に出、それにアロマさんが付いて来れば、アロマさんを危険に晒すということに――」

「本人がそれを望んでるって言ってんだよ。アロマの実力なら、すぐにレベルも盛り返せる。あいつも、最前線に出た方が伸びるタイプなのは分かってんだろ?」

 

「タイプの問題じゃない。危険だと言っているんだ。私はアロマさんに危険な目に遭って欲しく無い」

「アロマも、お前にそう思ってるだろうさ。お互い様なんだよ、そんなこたぁ。ルイみてえに前線に出たくねえって言ってる奴を引っ張り出すのは問題だし反対だが、出たいって言ってる実力者を無理やり押し込めるのは正しいとは言えねえぞ」

 

 マーチの論に、私は思わず言葉を飲み込んでしまった。

 

「そして、今のままじゃ、お前もアロマも最前線で通用するかは微妙なラインだ。だからこそ、お前はアレを始めるって言い出したわけだが、ならアロマも同時に引き上げてやるべきなんじゃねえのか?」

「だが、あれは……見せるのは……」

「恥なんざ晒せ。命より大切なものはねえってのが、このギルドの基本だろう。危険に晒したくねえってんなら、アロマは鍛えてやるのが1番いい。あいつはまだ確実に伸びる。昨日のデュエルでお前も実感しただろ」

 

 確かに、アロマさんの実力には驚かされた。

 そして、その先にある可能性も、私よりも多くのものを持っている。

 

「アロマは未完成の器だ。あいつはきっと、この先の攻略でカギになる、なれるだけの実力がある。少なくとも俺はそう思った。お前の横で、一緒に伸びていくべきだ」

 

 マーチはそこまで言うと、小さくため息を吐いて珈琲を口に運んだ。

 言いたいことは全て言い切ったと、態度で表すように。

 

「んじゃ、次は私から言わせてもらおうかな」

 

 マーチからの《説教》が終わったところで、ルイさんが私の前に紅茶を置いた。

 それと同時に、そんなことをルイさんが言いだした。

 

「え……」

 

 私は出してもらった紅茶に手を出すことなく、恐る恐るルイさんに視線を向けた。

 ルイさんは席に座らず、出来上がった朝食をテーブルに並べながら口を開いた。

 

「ねえ、セイちゃん、ロマたんとセイちゃんの立場を入れ替えて、考えてみた?」

 

 ルイさんはいつもの間延びした口調ではなく、ハキハキとした口調で話し始めた。

 

「セイちゃんがロマたんの立場だったら、どうしてる? ロマたんがセイちゃんと同じことをしようとしたら、どうしてた? そういう事をちゃんと考えた?」

 

 ルイさんのその言葉に、私はしばし黙考し、首を横に振った。

 

「……いえ……全く考えていませんでしたね……」

 

 私のその返答を聞いて、ルイさんは朝食を並べ終えるまで黙ってしまった。

 

「あの……ルイさん?」

 

 朝食を並べ終えたところで、ルイさんは呆れたようにため息を吐いて、私を真正面から見据えた。

 

「まったく……セイちゃんはそういうところが弱いよね。女心が分かってないって言うべきかな。戦略とか攻略とか、セイちゃんの得意な頭脳戦かも知れないけど、人の心って、そんな簡単には理解しきれないんだよ」

「そう言ってやるなよ、ルイ。こいつに女心が分かるような要素がありゃ、彼女の1人や2人、いてもおかしくねえだろ?」

「……マーチ……それはフォローのつもりですか?」

「いや。全然?」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべたマーチは、しかし即座にルイさんに頭を叩かれ、沈黙することになった。

 

「からかわないの。私も真面目な話をしてるんだよ、コウちゃん」

「ご、ごメンなさイ……」

 

 今のルイさんの一言で、私もマーチも、ルイさんが本気で説教する気になっていることを痛感した。

 まさか、マーチのリアルネームを口にするとは、驚いた。

 マーチに至っては、謝罪の声が震えていた。

 

「セイちゃん」

「はい」

 

 そんなルイさんの言葉の矛先が私に向いた。

 

「食事も整ったから、ロマたん起こしてきて。そして、食事の後で、しっかり話をしなさい。洗いざらい全部だよ。そして、隠してたことも謝る。デュエルしたことも謝る。女心を理解できなかったことも謝る。全部謝るの。分かった?」

「……はい」

 

 有無を言わせぬ絶対零度の眼差しでルイさんはそれだけ言うと、再びキッチンに戻って行った。

 

「……何であんなに怒ってんだ?!」

「……多分ですが……マーチがからかったのと、私がアロマさんの考えを蔑ろにしたからかと……」

「ここ最近で、1番の恐怖を感じたぞ」

「同感で――」

「セイちゃん! サッサと動く!」

「はいぃ!」

 

 ルイさんの一言で私はすぐに立ち上がり、アロマさんの部屋へと直行した。

 

 このギルドで1番強いのはルイさんだ、間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

「アロマさん? 起きてますか?」

 

 私はアロマさんの部屋の扉をノックして、そう声をかけた。

 しかし、返事は無い。

 いつものことながら、また二度寝でもしたのだろう。

 私はもう1度ノックをして声をかける。

 

「アロマさん、入りますよ?」

 

 やはり返事は無いが、これもいつものことだ。

 私はため息とともに、毎朝のことながら、ギルドマスター権限でアロマさんの部屋の鍵を開け――

 

「ん?」

 

 ――ようとして、鍵がかかっていなかったことに気が付いた。

 

 このギルドホームの基本設定で、各々の部屋の扉はオートロックになっている。

 その設定変更は個人ではできないようにしてあるので、アロマさんの部屋の鍵がかかっていないという状況は、普通はありえない。

 

「アロマ、さん?」

 

 私はアロマさんの部屋の扉を開け、中に入った。

 室内は真っ暗で、カーテンどころか雨戸まで閉まっていた。

 私はすぐに部屋の灯りを点け、そして愕然とした。

 

 ベッドは無人――いや、室内は無人だった。

 相応に散らかっていたはずのアロマさんの私物も、1つも見当たらなかった。

 

(ま……さか……)

 

 私は、アロマさんの部屋の鍵がかかっていなかった理由に、1つだけ思い当たった。

 部屋主登録がされていない、もしくは無効(・・)になった部屋は、オートロックにならない。

 

 ――即ち、今この部屋は、誰の部屋でもないと、システムに認識されているということに他ならない。

 

 

 それはつまり――

 

 

(まさか! アロマさん!)

 

 私は慌ててメニュー画面を開き、ギルドのメンバーリストを呼び出した。

 そこには、アロマさんの名前が――無かった。

 

 

 ――アロマさんがギルドを抜けたという、確たる証拠でもあるということになる。

 

 

 



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第五幕・雨月

ポンポコたぬき様、テンテン様、ZHE様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

お気に入り登録数も840件を超えました(>_<)

多くの方々にお読みいただけて、嬉しい限りです!(>_<)

評価にも一言を添えてくださる方が増えて、更にやる気が出てきました!(ー_ー)


皆様に感謝申し上げます!m(_ _)m ありがとうございます!



 

 

 セイドがアロマを起こしに行ってすぐ、転げ落ちるかのような勢いでセイドが2階から戻ってきた。

 

「ど、どうし――」

「マーチ! ルイさん! アロマさんが!!」

 

 あまりのセイドの勢いと表情に、どうしたのかと問いかけようとし、俺が言い終える前にセイドが困惑しきった様子で喚きだした。

 

「え?」

「あ?! なんだ?! おい、落ち着けよセイド!」

 

 ルイに至っては唖然とするばかり。

 俺も初めて見るセイドの慌て振りに、思わず席を立ってセイドの傍に駆け寄った。

 

「アロマさんが、あ、アロマさんがギルドから抜けて……!」

 

 椅子の背もたれに片手をついて辛うじて立っているような状態のセイドが、噛みながら口にした台詞を聞いて、俺もルイもすぐにギルドメンバーのリストを開いた。

 そこには確かに、アロマの名前だけが無くなっていた。

 

「な……いつの間に……!?」

 

 瞬間、俺はセイドと作ったギルドに関する設定の1つを思い出した。

 

 元々そんなにメンバーを増やすつもりもないまま作ったギルド設定には、脱退の際にギルドマスター又はサブマスターの許可を得ずに脱退することが可能という設定をしていた。

 今の今まで、そんな設定があったことすら忘れていたほどに、今のメンバーが脱退するんていう状況を考えたことが無かった。

 

「ねえ! ちょっと2人とも! フレンド! フレンドリストどうなってる?!」

 

 ルイはギルドメンバーのリストから、フレリストにメニュー画面を移行させていたようで、そこを見て更に焦っているようだった。

 まさか、と思いつつ、俺もフレリストを呼び出し《イニシャル:A》のタブからアロマの名前を探すが――

 

「おいおい……ここまでするかよ……」

 

 ――フレリストにも、アロマの名前は無かった。

 俺の隣でセイドもフレリストを確認したらしく、愕然とした様子で床にへたり込んでいた。

 

「ま、さか、ここまで……アロマ……さん……」

 

 顔面蒼白を通り越して、真っ白になったセイドの背中に、俺は即座に蹴りを入れた。

 

「ダァホ! 呆けてる場合か! アロマの奴、本気で抜ける気だぞ!」

 

 セイドは俺に蹴りを避けもせず、受け流しもせず、蹴られたまま頭を垂れている。

 

「サッサと立てよ! 立ってアロマを探しに行け!!」

「……しかし……アロマさんは……自分の意志で脱退を……」

 

 この期に及んでも、セイドは阿呆なことを口にした。

 俺は思わずセイドの胸倉を掴み、無理矢理引きずり上げた。

 

「テメェ、何のために夜にソロで行動したのか思い出せよ?! アロマのことを考えてだろうが!!」

「セイちゃん! ロマたんが本気で抜けたくて抜けたと思ってるの?! 昨夜(ゆうべ)デュエルまでしてセイちゃんの傍に居たいって言ったロマたんの気持ち、ホントに分かってないの?!」

 

 俺だけでなくルイも、今のセイドには黙っていられなかったようだ。

 しかし、セイドは未だに呆けたまま、これといった返事をしなかった。

 俺はさらに胸倉を絞めて、セイドの真正面から怒鳴りつけた。

 

「しっかりしろぉ! アロマに誤解させて、出て行かせちまったんだ! とっとと見つけ出して! 誤解を解く、の一択だろう、がっ!!」

 

 最後の『が』に合わせて、1発、セイドの鼻っ柱に頭突きを叩き込んだ。

 セイドの呻き声が聞こえるが、そんなことは知ったこっちゃない。

 

「セイちゃん、ロマたんの事、そんな簡単に諦められるの? 違うよね? ロマたんは、私たちの大切な、かけがえのない仲間なんだよね?」

「なか、ま……」

「テメェがアロマのことをどう思ってんのか、行動で示して見せろ! セイドォォッ!!」

 

 俺とルイの渾身の叱咤で、セイドの瞳に気力が戻ってきた。

 

「アロマ……さん……っ!」

 

 セイドが自分の足で床を踏みしめたところで、俺はセイドの胸倉を放した。

 一応は持ち直しただろう。

 

「……マーチ、ルイさん、ありがとうございます。とりあえず……」

 

 とは言ったものの、セイドはまだ目が泳いでいる。

 言葉も出てこず、思考に行動が追い付いていない。

 

「ほれ! ストレージにお前の分の飯ツッコんで、サッサと探しに行って来い!」

 

 仕方がないので、さらに背中を引っ叩いてやると、セイドはヨロヨロと動き出した。

 

「私も心当たりを探してみる。セイちゃんも、絶対諦めちゃダメだよ」

 

 ルイの言葉に、セイドは無言で大きく頷き、食料を詰め込んで、フラフラとホームを出て行った。

 

 しかし――

 

「とはいえ……ちと厄介だな……」

 

 ――フレでもなく、ギルメンでもない1人のプレイヤーを探すのには、この城は広すぎる。

 

 1層から60層まで含めて、街もダンジョンもかなりの数と広さになる。

 《索敵》の派生スキルである《追跡》スキルも、ギルメンやフレ、パーティーメンバー以外には使えない。

 今現在、アロマの居場所を知る術は皆無だ。

 

「マーチん、何とかならない?」

 

 ルイも、特定個人を探す難しさが分かったのだろう。

 不安気に俺を見つめてくるが、こればかりは大丈夫だとは言い切れない。

 

「知ってる情報屋全員に話を流してみるが……正直、今は時期が(わり)ぃ……」

 

 今現在、情報屋プレイヤーが血眼になって探してるのは《笑う棺桶》のアジトだ。

 それだけでもかなりの苦労を背負わせているというのに、そこへ更に《尋ね人》を頼むのは心苦しいし、何より、尋ね人が優先されない分、見つからない可能性も高い。

 

「だがまぁ、流さねえよりマシ、か。俺はフレ全員にメッセしとく。ルイは先に探しに行ってくれ。セイドの行かねえ場所で、アロマの行きそうな街とか店を中心に頼む」

「ん、分かった」

 

 俺の言葉にルイは頷いて、早速準備をしようと部屋へと駆け出し――

 

「――ルイ」

 

 ――そのルイの背を見て、俺は思わず呼び止めた。

 こんな時にまで行動を共にするということはしないが、やはり不安はよぎる。

 

「1人で、圏外にだけは出るなよ?」

「~っんもう! マーチんは心配性だな~。大丈夫、1人じゃ出ないから~」

 

 ルイは、いつもの柔らかな口調と表情で、そう答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あたしがそのメッセージを受け取ったのはお店の開店時間より少し前だった。

 

(ん? マーチさんから?)

 

 あたしは毎朝6時から9時頃まで《ウィシル巡礼》のクエストを行っていて、そのクエストの進行中はNPCの話を聞く以外の行動が殆ど取れない。

 そのことを知っているDoRの皆さんは、クエストが終了する9時頃まで、基本的にはあたしにメッセージを送ったりしてこない。

 その上で、開店時間の9時より前にメッセージが届くということは、何か緊急事態が起こったのだろうか。

 あたしは急いでマーチさんのメッセージを確認し、その内容に呆然としてしまった。

 

【アロマがギルドを脱退、フレ登録も解消して姿を消しやがった。こっちでバカ娘(アロマ)を探してみる】

 

 メッセージはとても信じられない内容だった。

 

(アロマさんが……脱退? フレンド登録も消してしまった?)

 

 あたしもすぐにメンバーリストを確認して――信じたくは無かったけれど――その事実を受け入れざるを得なかった。

 メッセージには更に――

 

バカ娘(アロマ)そっちに行く可能性もあるから、嬢ちゃんはいつも通り店に居てくれ。昼過ぎに情報をまとめるから、店が落ち着いたら連絡をくれ】

 

 ――と書かれていた。

 

 あたしは了承の意を返信して、いつも通りお店を開けた。

 とはいえ、アロマさんのことがかなりショックで、午前中に何を作っていたのか、あまり覚えていない。

 心ここにあらずの状態で良い物が作れるはずがないので《錬金》スキルで、効果にあまり差が出ないポーションなどの薬品を作っていた気がする。

 

 作っている間も、頭の中はアロマさんのことで溢れ返っていた。

 

(何があったんだろう。どうしてそんなことになったんだろう)

 

 そんな事ばかりを考えていて時間が過ぎていき、気が付くと、とうに昼を過ぎていた。

 

 時間は14時少し前――客足が遠のく時間帯だった。

 

(あ、マーチさんにメッセージ送らないと)

 

 あたしは気を取り直して、マーチさんに手が空いたと連絡すると、すぐに返信が来た。

 皆さんは既にホームに集まっているらしく、あたしにもホームに来れるかとのことだった。

 

 すぐに向かいます、とメッセージを送って、あたしは走ってホームへと戻った。

 

 

 

 

「おかえり~、ログっち~」

 

 出迎えてくれたのは、いつもと変わらぬルイさんの柔らかい声と笑顔だった。

 

【ただいまです。遅くなってすみません】

 

 ギルドホームに入って、テキストで皆さんに話しかけた。

 ホーム内なら、テキストで話しても外に会話が漏れる心配はない。

 

「おつかれさん。悪ぃな、急にこんな話になっちまって」

 

 マーチさんがあたしに視線だけ向けてそう言った。

 マーチさん、ルイさん、セイドさんは既に食事も済ませているようで、テーブルの上にはコーヒーカップしか置いてなかった。

 

【いえ】

 

「早速で(わり)ぃが、午前中の状況確認と分かった情報を共有しちまうぞ」

 

 あたしが席に着く前に、マーチさんは話を始めた。

 

(あ……うぅ……何があったのかは、後で聞くしかないか……)

 

 あたしが席に着くと、ルイさんがあたしの分の昼食を前に置いてくれた。

 

「(ごめんね~。ログっちには後で説明するから~。とりあえず、食べながら聞いてて~)」

 

 あたしが何か言いたそうだったのを察してくれたらしく、ルイさんが耳元でそう囁いてくれた。

 あたしは頷くだけで答え、マーチさんたちの話を聞きながら食事をした。

 

 聞いていて分かったことは――

 

 マーチさんが伝手を使って、可能な限りアロマさんの捜索を頼んだという事。

 セイドさんがアロマさんとの思い出のあるダンジョンなどを探したけれど、見つからなかったという事。

 ルイさんは、アロマさんと行ったことのあるお店などを回ったけれど、やはり見つからなかったという事。

 

 ――つまり、アロマさんの行方は一切掴めていない、という事だった。

 

(ある意味……アロマさんも凄いなぁ……マーチさんの情報網に引っかかってないとか……アルゴさんとかもいるのに)

 

 待機組・攻略組を問わず、膨大なフレンド数を誇るマーチさんの情報網は、時に驚異的な力を発揮する。

 トップの情報屋であるアルゴさんも含め、ほとんどの情報屋の人と親交のあるマーチさんなら、知らせようと思って広められない情報は無いし、知ろうと思って知れないことは無いのではないかとすら思える。

 

「まあ、そう簡単に見つかるとは思っちゃいねえから、現状はこんなもんだろ。情報屋連中にも捜索を頼んであるし……まあ、金はかかるが……確実な情報だけが来るって考えりゃ、損はねえ」

 

 普段ではあまり見ることのないマーチさんの指揮姿に、やはりサブマスターを務めるだけの裏打ちがあるのだと、改めて実感した。

 

 それとは裏腹に、珍しくセイドさんが静かだった。

 報告以外では口を開いていない。

 いつもなら、色々と指示を飛ばすのはセイドさんの役回りだというのに。

 

「……はぁ……セイド。お前はもういいから、行け」

 

 マーチさんは、セイドさんの様子を見てため息交じりにそう言った。

 するとセイドさんは、小さく頷いただけですぐにホームを飛び出していった。

 

 普段のセイドさんからは想像もできないその様子に、あたしは食後の紅茶を手にしたまま、飛び出していったセイドさんの後姿を呆然と眺めることしかできなかった。

 

「……セイちゃん、かな~り、テンパってるね~……」

「ったく……あんのバカが……」

 

 セイドさんの様子を見て、マーチさんとルイさんも呆れているようだった。

 とはいえ、アロマさんが居なくなったことを考えれば、セイドさんの様子も無理からぬことなのかもしれない。

 

「んじゃ、俺もちと出てくる。ルイも予定通り頼む」

「は~い、行ってらっしゃ~い」

 

 あたしが紅茶を口に運んでいると、マーチさんもそう言い残してホームを出て行った。

 普段なら、ルイさんとマーチさんは一緒に行動しているので、ルイさんだけホームに残っているのは珍しかった。

 

「ごめんね~ログっち~。ドタバタしてて~」

 

 マーチさんを見送ったルイさんは、2人とは対照的に落ち着いた様子で、いつも通りの柔らかい笑顔のまま、あたしの対面の席に腰を下ろした。

 

【いえ、こちらこそ、こんなことになっているのに、何もできなくてごめんなさい】

 

「そんなことないよ~。ログっちにはログっちにしかできないことがあるんだから~。気にしないで~」

 

 あたしのテキストを見て、ルイさんは変わらず笑顔で答えてくれた。

 そうして一息ついたところで、あたしは気になっていたことをルイさんに聞くことにした。

 

【あの、それで、なんでこんなことになっているんですか?】

 

 

 

 

 あたしの質問に答えてくれたルイさんの話は、とても分かり易かった。

 

 セイドさんがアロマさんに秘密にして《ある事》をしようとしていた事。

 そのことを、事前にマーチさんとルイさんには相談していて、ルイさんたちは納得していた事。

 しかし、セイドさんの説明に納得できなかったアロマさんが、セイドさんとデュエルをして負けてしまった事。

 そうしてセイドさんは1人で出かけてしまったという事。

 

 ルイさんも、デュエルに立ち会ったマーチさんから話を聞いただけで、実際にどのようなやり取りがあったのかは知らないらしい。

 

 けれど、その話を聞いただけで、あたしもセイドさんの行動に疑問を感じた。

 

(なんで……なんでアロマさんに正直に教えてあげなかったんだろう……?)

 

「セイちゃんの気持ちも分かるし、ロマたんの気持ちも分かるんだよね~。難しい所だけどさ~」

 

 ルイさんは苦笑いを浮かべながらそう言い、静かに立ち上がった。

 

「さってと~。それじゃ~3時になるし~、私もあちこち探してみるよ~。ログっちは~お店に戻って、もしもロマたんが来たら、すぐ知らせて~」

 

【あ、はい、分かりました。行ってらっしゃい】

 

 あたしも慌てて席を立ち、ルイさんと一緒に外に出て、転移門のところで別れた。

 そうして1人でお店に戻る道すがら、ふと、首を傾げた。

 

(あれ……でも、そんな事だけでアロマさんがギルドを脱退したりするかな?)

 

 さっきまでは状況の把握とか、事情の説明を聞くばかりで疑問に思えなかったけれど、そもそも、アロマさんとセイドさんが喧嘩したり衝突したりすることは時々あった。

 その度に、今回のような騒動になっていたらたまったものではない。

 けど、こんな騒動はこれが初めてだ。

 

(もしかして……他にも何かあった?)

 

 そんな気がしてならないけれど、その事情を知っていそうなセイドさんは冷静さを欠いているみたいなので、知りようがない。

 

(……アロマさん……無事だといいな……)

 

 アロマさんのことだから、大丈夫だろうとは思うのだけど、何か無茶なことをしていそうで、あたしも落ち着けなかった。

 ウンウンと唸りながら店に戻ると――

 

『お客様から、お荷物とメッセージをお預かりしております』

 

 ――と、店番をしてくれていたNPCから報告があった。

 あたしは疑問をとりあえず脇に追いやり、お客様からの荷物とメッセージを確認しようとして――

 

(えっ?! これって!?)

 

 ――届いていたそれは、アロマさんからのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(人通りが少ないとはいえ、敏捷値と筋力値を全開にして走るのは迷惑行為だろうか)

 

 そんなことを思いながらも、私は走る速度を緩めずにウィシルの転移門からログさんの店へと全力で駆け込んだ。

 

 私はギルドホームを出てすぐに、アロマさんを探すために27層の《竜骨の墓地》に向かっていた。

 その時、ログさんから【アロマさんからのメッセージがお店に残されていました。すぐに来て下さい】と、連絡を受けたのだ。

 その連絡を受けたところで、私はすぐに転移結晶を使いウィシルへと飛んだ。

 

(良かった……なんにせよ、無事で良かった!)

 

 アロマさんの無事が確認できただけでも、私は一瞬だが安堵することができた。

 ログさんの店の扉を蹴破るような勢いで開けて店内へと転げ込むと、そこにはすでにマーチとルイさんが到着していた。

 

 その2人とカウンターを挟むようにしてログさんが立っていたのだが。

 

「おう、セイド。お前が来るまで待ってたんだ、こっち来い」

 

 弾む息を整え、ログさんに視線を向けて――驚いた。

 

 普段の彼女は、口下手だが優しさと可愛さを併せ持ち、芯の通った強さを内に秘める美少女だ。

 しかし今、私の目の前にいるログさんは、唇を固く引き結び、その目に怒りを湛えて私を睨みつけている。

 いつもは目深に被っているフードも、今は被っていない。

 本当に、そこにいる少女がログさんなのか、と疑いたくなるほど表情が違うものだった。

 

「えっと……?」

 

 事態が呑み込めぬまま、とりあえずカウンターの前まで来たところで、ログさんが無言で1つの結晶を私に付き付けた。

 ログさんが手にしていたのは《録音結晶》だった。

 おそらくこれがアロマさんからのメッセージなのだろう。

 

「これを聞け、ということですね?」

 

 テキストを打つことも無く黙ったままのログさんにそう尋ねると、ログさんは深く頷いた。

 私は結晶を受け取り、それをカウンターの上で再生した。

 

 

 

 

『ログたん、突然ゴメンね。多分、もう気付いてると思うけど、私、ギルドから抜けたんだ。それで、ログたんにお願いしてたセイド用の装備だけど、渡す前にこんなことになっちゃったから、ログたんに返そうと思って。このメッセージと一緒に置いて行きます』

 

 静かに、落ち着いたアロマさんの声が空間に響いた。

 大きく心臓が鳴り、思わず息をのむ。

 

『本当なら、一式揃えてセイドにプレゼントしたかったけど……無理っぽい……』

 

 装備を制作するために、幾度となくソロ狩りを行っていたのかと気づく。

 我ながら、遅い気づきだとも思った。

 

 少しの間を置いて続いた、アロマさんの言葉は。

 

『セイドに邪魔だって言われちゃった。私、あの場所には、もう居られない……』

 

 すぐにでも消えてしまいそうな声だった。

 

 邪魔、の一言。

 アロマさんに、危ない目に遭って欲しくない故に言った一言。

 それが、ここまで彼女を追い詰める言葉だったとは。

 

 ゆっくりと深呼吸をする音が入った。

 アロマさんの代わりに、という訳ではないが、ログさんの瞳から涙がこぼれた。

 

『まあ……私が居なくても、セイドたちなら全然問題なく生きていけるだろうし……なんか……DoRに居る必要はなさそう……ゴメンね。装備用に集めてた素材とかも一緒に置いとくから、何かに役立てて。また素材が手に入ったら……NPCに預けに行く』

 

 ログさんに会いたいだろうに。

 会わずに済ますと言ったアロマさんの気持ちは、いかばかりのものなのだろう。

 

『これでもう、セイドのお荷物にならないしね! なんかさ、今まで行けなかった所にも行けそうだよ。そしたら、珍しい物とかも手に入れて、ログたんのお店に届けに行く。 ――それじゃ、またね』

 

 《また》という言葉を聞いて、少し安堵した自分がいた。

 

『ログたん、大好き』

 

 

 

 

 囁く様な一言で、アロマさんからのメッセージは終了した。

 誰も動かず、息を押し殺したまま、皆が《録音結晶》の光が消えていくのを眺めるばかりだった。

 そんな店内の静寂を破ったのは、ログさんだった。

 

「なんで……」

 

 少し俯き、私を直視はせず、小さい声ではあったが、しかしハッキリと、ログさんは言葉を発していた。

 

「何で! 邪魔だなんて言ったんですか!」

 

 私は、あのログさんがこんなにまでハッキリと喋っていることに驚き、何も言葉が出なかった。

 

「これ! アロマさんがセイドさんのためにって! もの凄く苦労して、たくさん時間をかけて! やっと胴だけ完成したのに!」

 

 ログさんは、カウンターの上にあった道着を私に付き付けて見せた。

 深い紺色の素地に淡い白が霞んで混ぜられた、趣深い一品だった。

 生地には点々と涙の跡がついている。

 ログさんが、嗚咽をこらえながら言葉を続けた。

 

「ぅぐ……! アロマさんが! どんな想いでっ! これだって! 一式揃えてセイドさんが装備するところが楽しみだって! なのに! うぅぅぅ! 頑張ってたのに……やっと1つ出来たって……喜んだばっかりなのに……うっ……ぅえぇぇぇぇん……ぐずっ……ふぇぇっ……!」

 

 そこまで言ったところでログさんは泣き出してしまって、もう言葉にはならなかった。

大泣きをしているログさんと、アロマさんの表情が一瞬重なって見えた。

 思わず涙を拭うために右手を挙げたが、その手を伸ばす前にアロマさんの表情は消えてしまい、挙げた手は、力なく垂れ下がってしまった。

 

 

 

 《役に立たない》なんてことは、微塵も思ったことはない。

 邪魔だと言ったことも、彼女を危ない目に遭わせたくないから故の一言だった。

 ……それもすべて、今となっては言い訳としかならない。

 ……それでは、私のすべきことは、もう何も無いのではないだろうか……。

 

 自分の思考が、少しずつ、冷えて固まっていくのが、分かった。

 

 

 

「ん、ログっち、大丈夫だから。よしよし……」

 

 ルイさんは、泣き出してしまったログさんを抱きしめて、優しく撫でながら、その視線を私に向けた。

 

「セイちゃん」

 

 鋭く、それでいて空気を広く震わせる音が響いた。

 

「いつまで呆けてるの? ログっちにここまで言わせておいて、何で突っ立ってるの?」

 

 ルイさんの平手打ちと言葉が、私の固まった意識を揺らした。

 

「セイちゃん。いつものセイちゃんなら、さっきのロマたんのメッセージから、ロマたんが行きそうなところを推測できるでしょ」

 

 ノロノロとルイさんの方を向くと、その力強い視線とぶつかった。

 視線に引っ張られるようにして、意識が現実に引き戻された。

 

「探しに行って。ロマたんが待ってる」

 

 はっきりと。

 ルイさんはそれだけ言うと、未だに泣きじゃくっているログさんと一緒に店の奥へと引っ込んだ。

 

「……くぅぅう! さすが俺の嫁! 良いね! 痺れるぜ! あの、ここぞという時の表情と言葉と行動が! あれが見れて、聞けただけでも、ここに居た甲斐があったと思えるぜ!」

 

 明らかに場違いな感想を口にしているマーチだが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。

 

(……行けなかった所にも行ける……直前まで私がフィールドボス攻略に行っていた……迷宮区は解放されている……)

 

 私はアロマさんに『ソロでは、絶対に未踏破の迷宮区に入るな』と、かなりしつこく釘を刺していた。

 アロマさんのスキル構成だと罠の類を解除できないからだ。

 

「――行きたかったけど行けなかった……最前線の迷宮区か?」

 

 推論であり、予測であり、確証などというものは無い。

 それでも、無暗に探すよりは圧倒的に可能性が高いのではないだろうか。

 

「ふむ……なるほどなぁ……可能性としちゃあり得るんじゃねえか?」

 

 私の言葉を聞いていたらしいマーチが、腕を組み、にやりと笑いながらそんなことを口にした。

 

「マーチ、とりあえず――」

「――とりあえずお前は迷宮区に行ってこい。こっちはこっちで、迷宮区以外にアロマが居る場合を考慮して網を張っとく。そっちは任せたぞ?」

 

 それだけ言うと、マーチは背中越しに手をヒラヒラと振りながら店の奥に入っていく。

 

「すまん!」

 

 そんなマーチの背に、それだけ声を掛け、私は最前線――60層の迷宮区へと足を向けた。

 

 

 



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第六幕・朔

テンテン様、zakuto様、駆け出しプランナー様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

お気に入り件数も850件を超え、更には10評価も頂きました!
皆さんありがとうございます!(>_<)

同時に1評価も頂いている点は、とても反省材料となります。
可能であれば、なぜ1なのか、一言やメッセージを頂けると、作者としては嬉しい限りです m(_ _)m

アニメは終わりましたが、DoRのメンバーの話は、まだ終わりが見えておりません!
飽きずにお付き合いいただければ、幸いです(>_<)



 

 

 60層は、全体が荒野をイメージして作られていた。

 フィールドに存在するモンスターは、そのほとんどがコボルド・オーク・ゴブリン・オーガというような獣人系モンスターだ。

 

 流石に60層まで来ると、通常Mobですら、それぞれの名称の上に《高位(High)》という単語が付くのだから油断はできない。

 当然、迷宮区でもそれらの獣人系モンスターがプレイヤーを待ち構えているわけだが、その実、未踏破の迷宮区で1番厄介なのはモンスターではないと、私は思っている。

 

「……またトラップか……」

 

 《索敵》と《警報》の効果で、罠の類はあらかじめ見つけることができる。

 だが、罠やモンスターを回避・排除しながらの探索では、思い通りのペースで進めない。

 特に、ボスが未攻略の迷宮区のトラップは、1度解除してもしばらくするとランダムで再設置されてしまう。

 攻略において1番時間がかかるのは、こうした罠の解除や回避によるところも大きい。

 

(ここに罠があるということは、この先に人がいる可能性は低いか……)

 

 私は見つけた罠を《罠解除》のスキルで解除しつつ、思わず溜め息を吐いてしまっていた。

 トラップの有無で人の通過などを知ることができるのは案外短い時間だけだが、それでも多少の目安にはなる。

 この先にアロマさんが居る可能性は、今ここに罠があったことで低くなったと言わざるを得ない。

 

 ついでに言うなら、この先に攻略組プレイヤーがいる可能性も低くなり、同時に、上層への階段はこの先には無いだろう、という予測も立てることができる。

 

(仕方ない、さっきの分かれ道まで戻るか……)

 

 私は来た道を駆け足で戻りつつ、何度目かも分からなくなった溜め息を吐いた。

 

 今私が走っているのは、60層迷宮区の6階だ。

 ここに辿り着くまでに出会った攻略組プレイヤーたちと情報のやり取りを行い、彼らがマッピングした地図と情報も合わせて、更に奥へと進んできている。

 

 パーティーで動く彼らよりは、フットワークが軽く、自由の利くソロなので、モンスターを極力避けて奥へ奥へと進むことができているが、1度戦闘になると私のスキル構成では火力が不足するために時間を取られる。

 

 気が付けば、既に21時を回っていた。

 この時間になると、攻略組とはいえ多くのプレイヤーが最寄りの街へと戻っている。

 夜間の活性化したモンスターを相手にするのは相応の危険を伴うし、安心して休息を取るためには、やはり圏内の宿屋やホームなどを利用するしかないからだろう。

 人気のなくなった迷宮区を走りながらアロマさんを探し続けるが、未だに何の手がかりも得られていない。

 

(ここに来ている可能性が一番高いはずですが……アロマさん……無事でいて下さいよ……)

 

 《罠解除》のスキルを持ち合わせていないアロマさんでは、ソロで安全に迷宮区を歩くのは難しい。

 即死級のトラップなどは今のところ見かけていないが、無いとは言い切れないのだから、やはりアロマさん1人でここを歩かせるのは危険だろう。

 ここまでくるのに、私は1階1階を隅々まで踏破することはせず、階段を見つけ次第、上へと進んできた。

 アロマさんの性格上、そういった行動に走るのではないかと予測したうえでの判断だが、今となっては、その予測があっているのか不安になってきた。

 

 不安を誤魔化すように6階を走り続けていると、道の先に1人のプレイヤーの反応があった。

 ソロで戦闘中のようだ。

 

(もしや!)

 

 慌てて駆け付けると、そこにいたのは――

 

「……キリトさんでしたか……」

 

 ――《黒の剣士》や《ビーター》と呼ばれ、盾無しの片手剣使いとして有名になっている、ソロプレイヤーにして攻略組の1人であり、私のフレンドでもあるキリトさんだった。

 

「フッ!」

 

 彼は敵対していたモンスター――《グラップラー・ハイオーガ》にトドメの1撃を加えたところだった。

 

「……ふぅ……」

 

 オーガがポリゴン片になって散っていく様を背に、キリトさんは剣を払い1つ大きく息を吐き、こちらへ視線を向けた。

 

「セイドか。久しぶり……でもないか。昨日ぶり。こんなところで会うなんて珍しいな」

 

 彼は剣を背の鞘に収めながら、私に笑顔で挨拶をしてくれた。

 

「こんばんは、キリトさん」

 

 私も笑顔でキリトさんに挨拶しつつ、彼の様子に目をやった。

 キリトさんは昨日、フィールドボス討伐後、すぐにここにやって来ていた。

 その彼が、この時間に此処に居るということは――

 

「――キリトさん、もしかして……ずっと籠っていたんですか?」

「あぁ、出来る限り先行して、宝箱とかも開けたいからな」

「……そうですか……」

 

 何とも、キリトさんらしい答えに、思わず笑ってしまった。

 まあ、そのくらいでなければ、ソロで攻略組の一角を担うのは難しいだろう。

 

 と、そこで、キリトさんが籠り続けていたということを再認識するとともに、アロマさんを見かけた可能性があるのではないかと思い至った。

 キリトさんはモンスターを避けるどころか、積極的に狩っているはずだ。

 それにおそらく、可能な限りマップを埋めながらここまで来ているはずだ。

 ならば、アロマさんがここに来たとすれば、キリトさんが見かけている可能性は高い。

 

「すみません、つかぬ事を伺いますが、この辺りで、赤髪で、このくらいの身長の、両手武器を背負った、おそらくソロの女性プレイヤーを見かけませんでしたか?」

 

 私は挨拶もそこそこに、身振り手振りでアロマさんの身長や特徴を伝え、キリトさんに尋ねた。

 アロマさんのことだから、野良でパーティーを組んでいるとは考えにくい。

 

「女性プレイヤー? ん~……いや、知った顔以外は見てないな。もし見かけてたら、ソロ以外であっても流石に覚えてるよ。それに、こんな場所にソロで来るような女性は、まず居ないよ」

 

 然程期待はしていなかったが、それでも微かな望みは叶わなかった形になった。

 

「……見ておられませんか……やはり、ここには来ていないと考えるべきなのか……?」

「……何かあったのか?」

 

 私の様子を見て、キリトさんが何事かと尋ねてきた。

 話して良いものかとも思ったが、この際、協力者を得られるのであれば形振り構っている場合ではないと判断し、キリトさんに簡単に事情を説明した。

 

「――なるほど。その、アロマって女性を探してるのか」

「ええ……これで彼女に何かあったら……私の責任です……!」

 

 私は思わず下を向き、唇を噛み、両手を強く握りこんでいた。

 

「……分かった。俺も気にしてみるよ。まだしばらくここにいるから、流石にソロの女性プレイヤーが通りかかれば気付けるだろうし」

 

 そのキリトさんの言葉を聞いて、私は跳ね上がるような勢いで彼の手を取って、真正面から彼の顔に近付いてしまっていた。

 

「本当ですか?!」

「あ、ああ……」

 

 あまりの勢いに、キリトさんが引いてしまったところで、身を乗り出し過ぎたと反省し、手を放して頭を深く下げた。

 

「ありがとうございます! すみません、余計なお手間を取らせることになってしまって! アロマさんが見つかったら、このお礼は必ず!」

「いや、まだ見つけてないし! そんなの気にしなくていいから! 頭を上げてくれ!」

 

 何故か慌てた様なキリトさんの言葉に、私は頭を上げてから、アイテムストレージを開いた。

 

「すみません。では、私は1度ホームに戻ってみます。キリトさんの方で何か分かったらメッセージを飛ばして下さい!」

 

 私は、ストレージから取り出した《伝言結晶》を、キリトさんに強引に2つ押し付けた。

 通常、ダンジョン内にいるとメッセージを送ることも受け取ることもできないのだが、この《伝言結晶》を使えば、互いがダンジョンに居たとしてもメッセージの送受信ができる。

 

 と、それだけなら便利なようだが、実はこの《伝言結晶》、中々使い辛い消耗品だ。

 《伝言結晶》でメッセージを送れる相手は、フレンドもしくはギルドメンバーリストに名前がある相手に限られる。

 更に、送れる文字数は50文字だけで、それでいてそれなりに値が張るの物なので、普段はあまり使うことは無いが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 

「……分かった」

 

 キリトさんも私の心情をくみ取ってくれたのか、それなりに値の張る物を受け取ることに一瞬の躊躇いは見せたが、特に断ることなく《伝言結晶》を受け取ってくれた。

 

 その代わりと言うように、キリトさんはマップデータを私に送ってくれた。

 ありがたいことに、1階から5階までは、ほぼ全てのマップが埋められていて、6階も4割以上が埋められていた。

 

「流石、キリトさんですね……しかし、徹夜は程々にして下さいね」

「ハハハ、分かってるよ。安全エリアで仮眠は取ってるから大丈夫さ」

 

 私の言葉に、キリトさんは笑って答えた。

 流石、トップを走るソロプレイヤーだ。

 迷宮区で夜を明かすとは、大した胆力だと、つくづく思い知らされた。

 

「では、この場は失礼します。キリトさんはキリトさんで、ご自分の予定を優先して下さい。こちらのことは、事のついでで構いませんから!」

 

 それだけ言い置いて、私は来た道を戻り――アロマさんを探しながら――迷宮区を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 1度ギルドホームへと思ったところで、私たちは再度情報を纏めたのだが、何の進展も無いことが分かっただけだった。

 

 いや、アロマさんの捜索の手を広げることができたという意味では、進展していると言えなくはないが。

 結局、ログさんの店にもマーチの情報網にもルイさんの捜索先にも、アロマさんの痕跡は見つけることができなかった。

 私はそのまま夜通しアロマさんの捜索をするために、アイテムを補充してホームを出たが、マーチ・ルイさん・ログさんの3人には、無理をせずに寝るように言いつけておいた。

 

 特に、ログさんとルイさんの2人は、マーチにホームで寝たことを確認させた。

 マーチ自身が寝たかどうかは、知る術は無いが、おそらくホームで夜を明かしてはいるはずだ。

 マーチがルイさんから離れることは、基本的にあまりないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 私は再び迷宮区に足を運び、夜を徹して上へ上へと進み続けた。

 途中で再びキリトさんと出会うこともあるのではないかと思っていたが、昼頃にフレンドリストで居場所を確認した時には、キリトさんは街に戻っていた。

 

 

 私はマップを埋めながら上へ上へと進み続け、20時を回った頃には11階へと至るための階段に辿り着いた。

 そしてそこで、複数のプレイヤーの反応が下りてくるのを捉えた。

 反応は6人で、全員がグリーンだった。

 

(攻略組のパーティーか……この時間に、この上に居たということは……《KoB》か《DDA》かな……)

 

 私は階段ですれ違うであろう相手パーティーのギルドを予想したが、よもやここでこのメンバーに出会うとは思っていなかった。

 

「む……」

 

 相手は、私の顔を確認すると、表情を曇らせて小さく呻き声を上げた。

 

「……こんばんは、セイドさん」

「アスナさんたちでしたか。こんばんは」

 

 下りてきたのは、ギルド《血盟騎士団》のアスナさんが率いるパーティーだった。

 

 アスナさんの苦々しい表情に、私は笑顔で挨拶を返しておいた。

 どうもアスナさんとは、以前のデュエル以降、決して仲が良いとは言えない、妙に緊張感のある間柄が続いている。

 

「……先に行って下さい。わたしは少し、この人と話をしていきます」

 

 唐突にアスナさんがそんなことを言って歩みを止めた。

 この人というのは、やはり私の事なのだろうが、何故突然そんな事を言いだしたのだろうか。

 

「アスナ様。このようなところで、どこの馬の骨とも分からぬ輩と2人きりで話をするなど――」

「クラディール。先に行きなさい。副団長命令です」

 

 何やらアスナさんの行動を咎めようとした、《両手剣》を腰に佩いた細面の男性だったが、アスナさんの無表情での命令の一言で、苦々しい表情を顕にしながらも、渋々その場を後にした。

 他のメンバーも一緒に階下へと下りて行くをの確認し、彼らの反応が捉えられなくなったのを確認してから、私は口を開いた。

 

「……よろしかったのですか?」

「良いんです。少し息苦しい位ですから……」

 

 私の質問にそう答えたアスナさんは、小さくため息を漏らした。

 私の見慣れた、凛としたアスナさんとは違う、素顔の彼女の一面を垣間見た気がした。

 

「それに、貴方に話があるのは本当の事ですから」

 

 そう言って私に向き直ったアスナさんは、普段の――攻略組を取り仕切る《KoB》の副団長としての表情を取り戻していた。

 

「キリト君に聞きました。貴方が、あの赤髪のアロマさんという女性を探しておられると」

 

 あぁなるほど、と、キリトさんからアスナさんへ情報が渡っていたということが分かって、得心がいった。

 攻略にしか意識を向けていないアスナさんに、そんな話が届くはずがないのが普通なのだから。

 

「ギルドメンバーやフレンドなら、居場所が分かるはず。それなのに探しているということは、ギルドを脱退したうえに、フレンド登録まで抹消されたということですよね?」

 

 キリトさんがアスナさんに詳しく話をしたとは思えないが、探しているという話だけでそこまで推測したのだとすれば、やはりアスナさんは恐ろしい洞察力を備えていると言えるだろう。

 

「流石アスナさんですね……その通りですよ。今アロマさんの行方は、一向に掴めていません」

「……一体何をしたんですか? まさか貴方のような人が……その……いかがわしいことはしないとは……思いますが……」

 

 アスナさんの考えが良からぬ方向に向いていたようなので、流石に訂正を入れる。

 

「まさか! 流石にそういったことはしてませんよ……ちょっと口論になって、デュエルになったんですが、本気で相手をしてしまって、泣かせてしまいました……」

 

 アスナさんに詳細な事情を説明すると、ルイさん以上に説教されそうなので、簡単に事実だけを伝えることに留めた。

 

「……女性相手にむきになるなんて、貴方にしては珍しいですね」

 

 此方の心を探ろうとするような視線を掻い潜り、至って平坦な笑顔だけを返すと、アスナさんは思わぬ言葉を口にした。

 

「……しかし、彼女には貴方も全力を出さざるを得なかったというのは、少し羨ましいです」

「羨ましい?」

 

 アスナさんの《羨ましい》という発言の意図が掴めず、私は鸚鵡返しに聞き返した。

 

「以前の貴方とのデュエル。わたしは本気で勝ちに行ったのに、貴方に全て受け流されてしまいましたから」

 

 アスナさんの瞳に、敵対心の炎が揺らいで見えたような気がした。

 

「いやいや! あの時の私には、あれが精一杯だったわけですから。あれも私の全力ですよ?!」

 

 アスナさんが何か勘違いをしている気がしたのだが、その誤解を解くのは難しそうだった。

 

「いずれあの時の借りは返しますよ」

 

 真顔でそんなことを言われては、私としてもこれ以上弁明することは無理だろう。

 

「あはは……私は私で、貴方の攻撃の速さと的確さに、回避できなかったことで落ち込んだんですけどね」

「あれで回避されたら、わたし、立ち直れないと思うんですけど……」

 

 そこまで話が至ったところで、思わず、お互いに小さく吹いてしまっていた。

 アスナさんはアスナさんで、今の話は冗談半分だったのだろう。

 

「――失礼しました」

 

 アスナさんはすぐに表情を引き締め直した。

 

「アロマさんといいましたよね。赤毛で両手剣を使う、背の低めな女性プレイヤーという絞り込みでよければ、わたしたちの方でも少し探してみましょう」

 

 アスナさんからの思いもよらぬ提案に、私は心の底から驚いた。

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 そんな私に、アスナさんはちょっと苦笑いを浮かべていた。

 

「ええ、貴方がそんなに疲れ切った表情でいるのは初めて見ましたから。わたしたちにも、できることをさせていただきます」

 

 アスナさんのその言葉に、私は初めて自分の表情というものに意識を向けた。

 そんなに疲れた顔をしていたつもりは全くないのだが、普段会わないアスナさんですら分かるほどとなると、相当だったのだろう。

 私は、自分の頬を1度叩いて表情を引き締め直した。

 

「すみません、ありがとうございます」

 

 私はアスナさんに頭を下げて礼を言い、キリトさんの時と同じように《伝言結晶》を2つ渡した。

 

「これは《伝言結晶》……本当にアロマさんのことが心配なんですね」

「……はい……あ、もちろん捜索は、攻略やレベル上げのついでなどで構いませんから」

 

 アスナさんは私から《伝言結晶》を受け取り、それをポーチにしまった。

 

「分かりました、何か分かり次第、メッセージを送ります」

 

 笑顔で引き受けてくれたアスナさんに、私は深く頭を下げて、この場は別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 アスナさんはKoBメンバーと合流後、街まで戻っていた。

 私はアスナさんから譲ってもらった12階までのマップデータを基に、さらにアロマさんの捜索を続けたが、マップの無い13階に辿り着いた時点で午前5時を回っていた。

 

(……流石に……時間も時間か……)

 

 ロクに睡眠を取っていなかったためか、注意力が散漫になり、13階を捜索しようと踏み出した瞬間に、小さな段差に躓いて派手に転倒した。

 そこで初めて時間を確認した位だ。

 

(1度、帰るべきか……)

 

 誰も見ていなかったとはいえ、気恥ずかしさに後押しされ、慌てて立ち上がった。

 アイテムストレージを確認し、アイテムの補充も必要になっていたことに気が付いた。

 

(……注意力散漫にもほどがあるな……このまま進んでたら、死んでたかもしれない……)

 

 私はモタモタとメニュー画面を色々と操作し、一通りの確認を終えたところで、ポーチから《転移結晶》を取り出した。

 と、そこで、真っ直ぐにギルドホームに跳ぶのではなく、1度、確認しておくべき場所があることに思い至った。

 

「転移。《はじまりの街》」

 

 あり得ないことだとは思いつつも、一抹の不安を拭いきれなかった私は、ここに転移した。

 

(絶対にあり得ないとは思いますが……)

 

 《はじまりの街》でしかできないこと――それが、黒鉄宮にある《生命の碑》の確認だ。

 第1層の《はじまりの街》の中心部にある《黒鉄宮》は、SAO最大ギルドである《アインクラッド解放軍》のベースでもある。

 そこに安置された《生命の碑》には、SAOに囚われた全プレイヤーの名前が記されており、そして、死んでしまった者たちの名前には、無情な横線が刻まれる。

 

 あり得ないとは思いつつも、不安に後押しされるようにして、ここに足を運ばずにはいられなかった。

 日の出が近くなり、地平線の彼方がうっすらと明るくなり始めた頃、私は《生命の碑》の前にやって来ていた。

 

(アロマさん……アロマさん……)

 

 イニシャルがAなので見つけるのは容易(たやす)かった。

 そこには――横線が刻まれた《Aloma》の名前があった。

 

「――っ!」

 

 息が止まった。

 何度も瞬きをし、目を擦り。

 しかし、見間違いではなかった。

 

「う……そだ……」

 

 だが、何度見直そうと、文字は変わらない。

 横線も消えはしない。

 

「うそだ……うそだ……うそだっ……う……うぅぅ……ぅ……そだぁぁぁぁああ‼」

 

 気が付けば、床が目の前にあった。

 膝をつき、亀のように体を丸めていた。

 

「うそだうそだうそだうそだぁぁ……」

 

 床が濡れていた。

 涙が止まらず、流れ続けている。

 

「う……うぐぅぅぅっ……」

 

 意を決し、もう1度顔を上げるが。それでも事実は変わらない。

 そこにあるのは【Aloma 完全決着デュエル】という表記。

 

「完全……決着……デュエル……」

 

 そんなものを挑まれて、受けるプレイヤーがいるはずがない。

 負ければHPが全損する――つまり死に至るこの世界で、そんなデュエルは誰だって受けたりしない。

 なら、あり得る可能性は1つだ。

 

「P……K……少し前に流行った……睡眠PKか……!」

 

 思いっきり床を殴りつけていた。

 反射的に床に破壊不可のシステムメッセージが流れるが、そんなものは気にもならなかった。

 

「……犯罪者(オレンジ)どもめ……! 殺人者(レッド)どもめぇ……!」

 

 感情の置換だったのだろう。

 アロマさんが死んでしまったという事実を認めたくないという悲しさと、アロマさんを殺したであろう犯罪者プレイヤーたちに対する憎しみの、すり替え。

 だが、この時の私には、それ以外に心を保つ術がなかった。

 

「……うおぉぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁああっ!!」

 

 

 




さて、気が付けば今年も終わりですね(ー_ー)

今年は私にとっては、新しいことに挑戦した年でした。
主に、DoRをネット投稿してることに関してですが!

新年になってもまだまだ終わりの見えないDoRの話を、お読みいただけている皆々様に感謝をこめて、これからも続けていきたいと思います。

これからも、DoRのメンバーともども、よろしくお願い申し上げます m(_ _)m


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第七幕・薄月

新年、明けまして、おめでとうございます!m(_ _)m

まずは恒例の、感謝を。

ZHE様、テンテン様、無零怒様、路地裏の作者様、ささみの天ぷら様、rekue様、ROGUE様、ルチル様、ALHA様、鏡秋雪様、Gooi様、平蜘蛛炎様、テンテン様(2回目)
皆様、多くの感想、本当にありがとうございます!!!! m(_ _)m

お気に入り登録数も860件を超えました!(>_<)ありがとうございます!


元旦に仕上げることができれば良かったのですが……(-_-;)
残念ながら、新年最初の投稿は2日と相成りました(>_<)

今回はあとがきにて、もう少し書かせていただければと思っております。
前書きが長くなりました。
では、第四章・第七幕、お楽しみいただければ幸いです m(_ _)m



 

 

 その日、昼少し前にシンカーから俺にメッセが来た。

 

「ん。アロマが第1層にでも居たかね?」

 

 俺はルイの手伝いで、昼食をテーブルに並べている最中に、そのメッセージを受け取った。

 

「ん~? マーチん、メッセ~?」

「ああ、シンカーからだ」

 

 ルイが俺の動きからメッセを受け取ったことを察したようだ。

 シンカーは今現在、下層から中層にかけての治安維持が主活動になってしまっている(・・・・・・・・・)《アインクラッド解放軍》――通称《軍》のギルドマスターだ。

 二千人を超えるであろう数のプレイヤーが所属していると目されている《軍》は、すでに《ギルド》という枠組みでは括り切れない。

 当然、そんな人数を1人のマスターで仕切れるはずも無く、今の軍は何かと問題を抱え込んでいるようで、シンカーも色々と頭の痛い思いをしているらしい。

 そんなシンカーにも、俺は問答無用で人探しの協力要請をしたのだから、俺もかなりの鬼畜だろう。

 

「シンカーさん、元気そう~?」

「さて、どうかね……」

 

 ルイが最後の皿をテーブルに運びながらそう聞いてきたが、正直、シンカーは現在進行形で元気ではない気がする。

 とはいえ、そう答えるわけにもいかないので、俺は曖昧に返事をしつつ、メッセを開いて内容に目を通し――

 

「は?!」

 

 ――書かれていることの意味が即座には分からず、疑問を口にするのがやっとだった。

 

「む~? どしたの~、マーチん?」

 

 自分の席に座ったルイが、俺の上げた声に反応した。

 ルイに答えるとともに、俺自身が書かれていることを理解するために、書かれていた内容を簡単に、非常に簡単に口にした。

 

 

「……セイドが《牢獄結晶》を取りに来た、だと」

 

 

「ふへ? セイちゃんがどうかしたの~?」

 

 昼食のパンを手にしていたルイが、セイドの名前に反応する。

 

「シンカーのとこにあいつが行ったらしい……しかし、アロマを探しに行って、なんで軍に……しかも《牢獄結晶》だぁ? あんな使い勝手の悪ぃ結晶(もん)、なんに使う気だよ……」

「《牢獄結晶》ってな~に? 初めて聞いたよ~。そんなもの~」

 

 メッセージの内容を反芻し、セイドの行動を考えようとしているとルイが疑問を口にした。

 

「あぁ、普通は出回ってねーからな。《牢獄結晶》は対犯罪者(オレンジ)プレイヤー限定の《転移結晶》だと思えばいい。相手に密着させた状態で起動させ、相手が犯罪者なら牢獄に送れるって代物だ」

「ほへ~。結構便利なんじゃないの~?」

「ところがそうでもねえ。相手に密着させるってのは結構厄介だし、それに、結晶の効果発動まで30秒もかかる。結晶にしては効果の発動までが遅すぎる。相手を無力化してねえと使えねーよ」

 

 俺の説明に、ルイはとりあえず納得したようだ。

 だが俺は、セイドが《牢獄結晶》を欲した理由が分からない。

 あいつはアロマを探しに行っただけのはずだ。

 

「……なんか嫌な予感がすんな……ルイ、すぐに《はじまりの街》に行くぞ。セイドに何かあったと考えていいはずだ」

「ん。分かった。すぐ行けるよ」

 

 笑顔でそう答えたルイを見て、俺は一瞬呆然とした。

 俺が自分の考えに埋没している間に、ルイはテーブルの上に広げてあった昼食をストレージに収納し終えていた。

 どうやら俺の行動を先読みしていたようだ。

 

(……敵わんな……ったく……)

 

 ルイの俺に対する行動予測を驚くべきか、俺の行動の単純さを嘆くべきか。

 計り兼ねるころではあるが、そのことはさておき、俺とルイはすぐにホームを出て転移門へと急ぎ、そこから《はじまりの街》へと転移した。

 

「っと。ここに来るのも久しぶりだな」

 

 俺とルイは《はじまりの街》には基本的に近付かない。

 ここに来ると否応なく、あの最悪のチュートリアルを思い出してしまうからだ。

 横目でルイを見やるが、特に変わった様子は見られない。

 俺は1人、ルイがあの記憶を乗り越えたであろうことに安堵していた。

 

「うっし、とりあえずシンカーに詳しい話を聞きに行くぞ。黒鉄宮に――」

「マーチ! やはり来ましたか!」

 

 俺たちが転移門から黒鉄宮に向かおうと歩き出したところで、正面の通りから一組の男女に声をかけられた。

 シンカーと、その相方の女士官風のプレイヤーだ。

 

「よお、シンカー! と……えっと、ユリエール……だったっけ?」

「はい、お久しぶりです、マーチさん、ルイさん」

 

 正直、あまり会話をした記憶は無いのだが、ユリエールは、俺のぞんざいな口調に対しても丁寧に腰を折って挨拶をしてきた。

 こんな時、セイドなら同じように丁寧な返礼ができるのだろうが、生憎と、俺にはそんな器量は無い。

 

「お久しぶりです~。お2人とも~、お元気そうで何よりです~」

 

 そんな俺の代わりにルイが笑顔で丁寧に対応した。

 うん、流石俺の嫁。

 

「悪ぃな、シンカー。今お前んとこ行こうとしてたところだ。メッセ助かった」

「いや、すまないマーチ。君がダンジョンから街に戻るまでメッセージを送れなかったから、連絡が遅くなってしまって」

「お互いに事情があんだから気にすんなよ。んで、セイドに何があったってんだ?」

 

 俺はこの場で、シンカーに聞きたかったことを簡潔に尋ねた。

 シンカーもそのつもりでいたのか、1つ頷いて口を開いた。

 

「それが、僕にも詳しくは……ただ、セイドさんは《牢獄結晶》を2ダースよこせと、ただならぬ様子でギルド本部に来られて」

 

 シンカーは困惑した様子でセイドの様子を語ってくれた。

 

「彼は結晶を受け取った後、すぐ何処かへと転移してしまって。すみません。こちらでは、彼の足取りは追えていません」

 

 シンカーの言葉をユリエールが申し訳なさそうに引き継いだ。

 

「ああ、いいって、んなことは。あいつの足取りならこっちですぐに追える」

「マーチん。セイちゃん、40層のフィールドに出たみたい」

 

 ルイは2人の言葉を聞いた段階でフレリストを開いていた。

 いつもはおっとりしてるのに、こういう時のルイの行動の速さには舌を巻く。

 

「40層……中層か…………何でまた、んなところに……まあいい。とりあえずあいつの所に――」

「マーチ」

 

 取って返してセイドの所へ向かおうとした俺を、シンカーが呼び止めた。

 

「すぐに彼を追いたい気持ちは分かりますが、1度、黒鉄宮に行きましょう」

「お2人に確認して頂かなくてはならないことがあるのです」

 

 ルイと俺は、2人の台詞に首を傾げた。

 

「確認です? 黒鉄宮で?」

「あ? 何かあったのか?」

「おそらく、セイドさんが《牢獄結晶》を取りに来た理由が、そこにあるはずです」

 

 シンカーの言葉に、ユリエールが続く。

 

「セイドさんが黒鉄宮で泣いていた姿が目撃されているんです」

「え……そんな……」

 

 ルイも、嫌な考えが浮かんだのだろう。

 

「…………まさか」

 

 俺も同様に、嫌な予感がした。

 

 4人で急ぎ黒鉄宮に向かい《生命の碑》を確認する。

 

 そこには――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軽装で、武器も持たずに中層のフィールドをうろつくだけで、犯罪者(オレンジ)プレイヤーが襲ってきた。

 3人1組の、おそらく犯罪者(オレンジ)ギルドなのだろう。

 

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 

 俺は相手のレベルなど気にもせず、速攻で2人を麻痺させ、残った1人を全力で殴りつけ、その男の首を左手で掴み、地面に叩き付けた。

 

「ぐべぇ!」

 

 そしてそのまま、右手に持った艶消しされた白い結晶――《牢獄結晶》を顔面に押し付け、起動させる。

 

「なっ! ちょっ――まっ――」

「黙れ」

 

 左手でさらに強く首を押さえつけると、それだけでその男の声は止まった。

 他の2人の犯罪者はレベル5の麻痺毒を付けたピックを打ち込んである。

 まだしばらくは地面に転がったまま身動きが取れないだろう。

 そうこうしているうちに30秒が経ち、地面に押さえつけていた犯罪者が牢獄へ送られる。

 

「な! 《牢獄結晶》だぁ?!」

「てめぇ! 《軍》の狗か!」

 

 喚き立てる犯罪者共の言葉は無視し、残る2人の男も同じように牢獄送りにする。

 

「弱い……こんな奴らじゃない……アロマを殺した奴は……もっと強いはずだ……」

 

 アロマの実力を知っている分、アロマの不意を衝いて睡眠PKや完全決着デュエルに持ち込めるような犯罪者(オレンジ)殺人者(レッド)が、こんなに弱いはずがない。

 

「……どこにいる……殺人者(レッド)共……!」

 

 俺は1人、フィールドのさらに先へと進む。

 この先には、殺人者ギルドの隠れ家があると予測されている。

 とはいえ、どの程度の実力を備えた殺人者ギルドの隠れ家なのかは分からないが。

 

「どうせなら……お前が出てこいよ……PoH(プー)……!」

 

 最凶にして最悪の殺人者(レッド)プレイヤーとしてその名を轟かせるPoH(プー)――そして《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》は、ある意味、もっとも分かり易い憎悪の対象だ。

 実際にアロマに手を下したのが奴らであるとは限らないが、その可能性が無いわけじゃない。

 

「アロマの無念は……こんな奴らじゃ晴らせねえ……もっと……強い奴らを叩きのめさねえと……!」

 

 俺は首を鳴らし、手首を回し、拳を閉じたり開いたりを繰り返しながら歩き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪ぃなキリト! お前の《追跡》に頼ることになっちまって!」

「気にするなマーチ! それより、本当なのか、その話は!」

「ああ、間違いねえよ! だから、あのバカ! この層で犯罪者(オレンジ)相手に暴走してるぜ、きっと!」

「いつも冷静なセイドさんらしくなさ過ぎて、信じがたいわね……」

 

 セイドを追いかけて40層のフィールドを走っているのは、俺とキリトとアスナの3人だ。

 

 キリトとアスナとは、俺がルイをホームに送り届けるために、ルイと一緒に《パナレーゼ》に転移したところで、転移門広場で偶然鉢合わせした。

 キリトは、セイドにアロマの捜索を頼まれていたらしく、ダメもとでギルドホームのある《パナレーゼ》を訪れたところだったらしい。

 アスナもまた、アロマの捜索に協力してくれていたらしいのだが、同じ案件でキリトも動いてることを知り、キリトと行動を共にしていたらしい。

 アスナ曰く『キリト君は女心が分からないから、アロマさんの行動を予測して探すのは無理よ』ということで、キリトに合流したらしい。

 

 そんな2人がパナレーゼに来てみたところで、俺とルイが転移門から現れたってところだったようだ。

 その2人に、俺が今の状況を伝えると、俺と一緒に行くと言い出した。

 俺としても、最悪の状況を想定すると断る理由はなく、『付いて来たいなら好きにすれば良い』とかカッコいいことを言っておきながら、現状では、キリトの《追跡》スキルに頼ってセイドを追っている。

 何ともカッコ悪いこと、この上ない。

 この場にルイがいなくて本当に良かった。

 

「ってか、アスナ、ギルドの方は良かったのか?!」

 

 俺は走りながら、そんなネガティブな思考を払拭するように、KoB副団長様にそれとなく聞いてみた。

 

 アスナと言えば、泣く子も黙る攻略組のターボエンジンだ。

 何においても攻略を優先するというアスナの姿勢が、今の最前線が60層であるということを後押ししたのは、攻略組及びそれに準ずるプレイヤー全員の共通認識だ。

 そんなアスナが、こんな真昼間に迷宮区以外に居るなんざ、普通なら考えられん。

 

「大丈夫、今日はオフだから。それよりキリト君、セイドさんの足跡は追えてるの?」

 

 アスナは俺の質問には答えつつも、そんなことはどうでもいいと言うかのように、キリトに話を振った。

 

「ああ、しっかり見えてる! この先に居るはずだ!」

 

 《索敵》の追加スキルである《追跡》だが、俺たちDoRのメンバーは誰一人これを習得していなかった。

 なかなか使う機会が無いからと、優先順位が低かったので切り捨てられたスキルの1つだ。

 まあ、その結果、キリトに頼らなければフレンド登録しているはずのセイドですら探せなくなっていたわけだが。

 

「……さって、あのバカが我を忘れて、俺らに殴り掛かって来なきゃいいけどな!」

 

 冗談めかして言いつつ、俺は内心で、あり得ないことではないと警戒を強めていた。

 生真面目なセイドだからこそ、キレた時は手のつけようがない。

 

「そんなことになったら、マーチさんには申し訳ないですが、全力で無力化させてもらいます」

「できれば友人に刃は向けたくないな……でも、アスナ1人に押し付けるのも忍びないし……」

「ハハ! いや、お前らに手間はかけさせねえよ。あいつは俺が斬って大人しくさせるさ!」

 

 そんなことを話しながら、キリトの案内に従ってしばらく走り続けると、前方に小さな洞窟が現れた。

 

「……あの中に、足跡が続いてる」

 

 キリトのその言葉とともに俺達3人は徐々に速度を緩め、誰からともなく足を止めた。

 

「何? あの洞窟」

 

 普段攻略にしか興味を向けないアスナは、当然のように洞窟に関しての情報を持っていなかった。

 

「何かのダンジョンか……マーチ、知ってるか?」

 

 色々な穴場を知っているはずのキリトですら、この洞窟のことは知らなかった。

 

「いや、知らねえな」

 

 そして俺も、こんな洞窟があることは初めて知った。

 

「だがまあ、セイドがあそこに入ったんだとすると――」

 

 と、俺が推測を述べる前に、洞窟の奥から4~5人のプレイヤーがまとまって出てきた。

 

『ぎゃぁぁぁぁあああ!!』

 

 というか、ぶっ飛ばされて放り出された、という感じだ。

 その全員がオレンジカラーだ。

 

「――やっぱ、犯罪者(オレンジ)ギルドの隠れ家だったか」

 

 思わず、こめかみを押さえていた。

 

「ってことは、やっぱり……アレをやったのは……」

「……マーチさんの推測通り、ってことですか……」

 

 キリトとアスナの言葉を裏付けるかのように、犯罪者(オレンジ)プレイヤー共が放り出された洞窟から、セイドがユラリと歩み出てきた。

 セイドの左手には、犯罪者プレイヤーが1人、首を握り締められながら引きずられている。

 

「間違いない……セイドだ……けど……セイドって、あんな顔ができたのか?」

 

 キリトは出てきたセイドの表情を見て、セイド本人なのかと疑うほどに、今のあいつの顔は憎悪に歪んでいた。

 

「誰だってできるだろ。マジでキレてりゃ。あいつの場合は普段大人しい分、そのギャップが目立つだけだ」

 

 俺達3人は、そんなセイドの様子を遠目に見ているだけだった。

 むしろ、傍観する以外に、セイドの放つ異質さで体が動かなかったというべきだろう。

 

 セイドは、何やら犯罪者プレイヤーの集団に語りかけていたようだが、その声は俺たちのところまでは届かなかった。

 セイドの声もだが、洞窟から放り出された犯罪者の集団の声も、セイドの左手に首を掴まれている犯罪者の声もここまで届かなかった。

 何やら言っているであろう様子は辛うじて見えるのだが、正確な音声としてはここまで届かない。

 するとセイドが左手に掴んだプレイヤーを目の前に吊し上げ、右手に持った何かを吊るしているプレイヤーの口に押し込んだ。

 光を反射しない白いそれは――

 

「――あれが《牢獄結晶》か……使われるところは、初めて見た」

 

 キリトが何とか声を絞り出したという様子で口を開いた。

 アスナに至っては、息を飲んで成り行きを見守るばかりだが、その右手は腰に吊るした細剣の柄を握り締めていた。

 もしセイドが、犯罪者プレイヤーを殺すような行為に走るのであれば、即座に飛び出すつもりなのだろう。

 

 セイドが右手に持った白い水晶――《牢獄結晶》は、30秒という長い作動待機時間を経て、1人の犯罪者プレイヤーを牢獄へと転送した。

 わざわざ口に結晶を押し込む必要はないはずだが、おそらく喚いていた男の声が耳障りになったのだろう。

 ああいう時のセイドは、情けも容赦も優しさの欠片もない。

 

 本気でキレたあいつを見た友人が、リアルであいつに付けたあだ名は、あいつのトラウマにもなっているほどだ。

 

「……あれ、本当にあのセイドさん……?」

 

 流石にセイドの様子に恐怖を覚えたのか、あのアスナですら小さく震えていた。

 

「まったく……やっぱ……あいつのキレ方は半端じゃねえな……」

 

 マジギレしてるセイドを見るのは、長い付き合いの中でも、これで2度目だ。

 そして、1度見ている俺でも、今のあいつは本気で怖い。

 

 あいつの逆鱗に触れるには、あいつの周囲にいる人間を傷付ければいい。

 それが、セイドを本気で怒らせる、唯一の事由だ。

 そして今、あいつはアロマが死んだという悲しみを、犯罪者プレイヤーがアロマを殺したという怒りにすり替えて、心を保とうとしているに違いない。

 

「とはいえ……犯罪者を殺したりしていないようで良かったよ……」

 

 キリトは無意識にだろうが、ため息を吐きつつ、背中にある片手剣の柄を握り締めていた手を放したが、その手はかすかに震えていた。

 

「……行こうぜ、2人とも。そろそろ牢獄送りも終わるし、あいつを止めにいかねーと」

 

 俺達が話をしている間に、セイドは他の犯罪者プレイヤーをすでに2人、牢獄送りにしていた。

 

 俺達3人は事ここに至って、ようやくセイドの所へ向けて歩みを再開させた。

 残りの犯罪者(オレンジ)はわずか2人だったが、やはり他の犯罪者(オレンジ)同様《麻痺》させられているようだった。

 

 だが。

 

「あ!」

 

 アスナが声を上げた。

 その2人はギリギリのタイミングで麻痺から回復できたらしく、即座に立ち上がってセイドに跳びかかっていく。

 その手にはそれぞれの得物である片手剣と短剣を構えていた。

 

 だが、セイドの《警報(アラート)》にはカウント機能もある。

 敵対対象の麻痺が切れるかどうかを、30秒程度の誤差で知ることができる。

 つまり、その2人が動き出すことを、セイドは予期していたはずだ。

 

「バカが。すぐに逃げりゃ、1人は逃げ切れたかもしれねえってのに」

 

 俺は、ついついそんなことを呟いていた。

 

 セイドは酷くつまらなそうな表情のまま2人の一撃を回避し、自身の回避の勢いと、短剣を持って前屈みの姿勢で突っ込んできた男の勢いを利用して、その短剣の男の後頭部に肘を落とした。

 後頭部を強打され、地面に叩き付けられる――前に、セイドは短剣の男の顔面を、更に膝で蹴り抜いた。

 

 まさに一瞬の出来事だ。

 回避行動からの肘打ちと膝蹴りのコンボ。

 現実世界でやれと言われても、できないであろうその早業は、まさに脱帽の一言だ。

 

 急所に設定されている頭部への連続的な打撃によって、短剣の男は《気絶》の阻害効果(デバフ)を喰らったようで、地面に倒れたままピクリとも動かなくなった。

 それを見た片手剣の男は、慌てて逃走しようとし――

 

「いや、もう遅い」

 

 ――それを見たキリトがそう口にした。

 

 セイドに背を向けて走り出そうとした片手剣の男に、セイドは跳び蹴りの《剣技(ソードスキル)》を叩き込み、その勢いを殺さぬまま男を背中から踏みつけて無力化した。

 

「しかし、恐ろしい体術使いだな……」

 

 セイドの動きを見て、キリトがそう漏らした。

 

「普通、どんなに慣れたプレイヤーでも、複数人を同時に相手して、無傷で全員を無力化するなんてことはできないはずだ……」

「さっきの不意打ちも、完全に見切ってたわ……攻略組にも、あんな動きができる人いないわよ……いたとしても、団長か……キリト君くらい?」

 

 キリトの言葉に、アスナが続いた。

 2人がセイドの本気の動きを見るのは、これが初めてなのだろう。

 

(まあ、《警報(アラート)》《舞踊(ダンス)》《体術》の3種併用だからこそって言えるのかもしれねえがな)

 

 俺は1人、心中でそう漏らしつつ、セイドが踏み潰している男に《牢獄結晶》を押し付けている様を眺めながら、いつの間にか止まってしまっていた歩みを、もう1度再開した。

 

 

 

 

 

 

 

「おい、セイド! 少し落ち着け!」

 

 俺たちがセイドに声をかけたのは、セイドが片手剣の男を牢獄に送った後、最後の短剣の男に《牢獄結晶》を押し付けているところでだった。

 

「……マーチか……少し待て。もう終わる」

 

 セイドは目だけで俺を見て、ボソボソとそう呟いた。

 そうして最後の犯罪者プレイヤーが牢獄に送られたところで、セイドはようやく動きを止めた。

 

 セイドは、パッと見ではダメージを負った形跡はないが、その表情からは完全に生気がこそげ落ちていて、不意に出会ったらセイドだと分からないのではないかと思えるほどの疲れ切った顔だった。

 

「ったく……無茶しやがって。お前ならソロでオレンジギルドの1つや2つ潰せるかもしれねえが、ここが《笑う棺桶(ラフコフ)》のアジトだったら、死んでたのはお前かも知れねえんだぞ」

 

 可能な限り平坦に言った俺の言葉に、しかしセイドは無表情に言葉を返してきた。

 

「……だからなんだ? アロマを殺したかもしれないやつら相手に、手を出すなと? 寝言は寝てから言え。マーチ」

 

 セイドの言葉を聞いて、俺の疑惑は確信へと変わった。

 

 俺もキリトもアスナも、思わずため息を吐いていた。

 俺に至っては眉間まで抑える始末だ。

 

「あのなぁ……お前、テンパりすぎ。マジでアロマが死んだと思ってやがんのか」

 

 俺の言葉を聞いても、セイドは僅かに目を細めただけで深く思案しようとはしなかった。

 

「《生命の碑》を確認した……アロマは完全決着デュエルなんて承認しない。あり得るのはPKだけだ」

 

 それを聞いて、俺はさらに頭痛を覚えた。

 しかし俺が口を挟む前にセイドが言葉を続ける。

 

「犯罪者が――いや、殺人者が関わってるはずだ。此処の連中はアロマの件とは無関係だったが、しらみつぶしに探せば、いつかアロマを手に掛けた奴に辿り着くはずだ。もしくは、向こうから俺に手を出してくる。それが《笑う棺桶》なら――」

 

 これ以上喋らせていても埒が明かないと踏んだ俺は、セイドの言葉を遮った。

 

「――ド阿呆! アロマのスペルが違っただろうが!」

 

 俺のこの言葉に、流石のセイドもようやく思考を切り替えたようだ。

 

「……スペル?」

 

 キリトとアスナが1歩前に出て、セイドに2枚のSS(スクリーンショット)を差し出した。

 そこには《生命の碑》に刻まれた、2人のアロマの名前(・・・・・・・・・)が写されている。

 

「良く見ろ! 死んでたアロマのスペルは《Aloma》だ! 俺らの知ってるアロマは《Aroma》だろうが! ったくよぉ……何度もパーティー組んでたのに、そんなことも見落とす程テンパってんじゃねーよ!」

 

 キリトとアスナからSSを受け取ったセイドは双方を交互に見比べて、キョトンとしている。

 

「……あれ?」

「そ・れ・に! Lの方のアロマも! 《生命の碑》に刻まれてる日時は1か月前だ! そこも見てなかっただろ! テンパって暴走して、何やってんだよテメーは」

 

 俺がこの件で1番頭を抱えたくなったことは、このバカ(セイド)が《生命の碑》に刻まれている日時の確認を行っていなかった、もしくは見ていたにも拘らず正確に認識できないほど混乱していた、という事実に思い至ったからだ。

 確かにこのバカは、アロマを探しに行ってからというもの一睡もしていなかった。

 その辺りに気を遣えなかった俺達にも責任の一端はあるのかもしれないが、それはこの際おいておくとする。

 

「……そ……それじゃあ……アロマさんは……」

 

 セイドの両手が、SSを掴んだまま震えていた。

 その手を、セイドの横に立ったキリトとアスナがそれぞれ掴んだ。

 

「生きてますよ。このSSにもある通り《生命の碑》で確認してありますから」

「ま、セイドの暴走を止めに来ちまったから、まだ見つかってないけどな」

「いきて……いる……」

 

 アスナとキリトの言葉を受けて、ようやく正気を取り戻したセイドは、突然膝から崩れ落ち、アスナとキリトが慌ててその身体を支えた。

 

「っておいセイド!?」「セイド!」「セイドさん!」

 

 2人がセイドを支えると同時に、俺もセイドに駆け寄った。

 

「生きてる……よかった……よ……かっ……た……」

 

 セイドはそう呟きながら、意識を失った。

 

 

 




……はい! 実は、こんな展開でした!(>_<)


今回、かなり焦ってこの話を仕上げました(・_・;)
正直、前回の反応が多すぎて焦りましたよ(;一_一)
ですが、そのおかげで、皆様が新年からDoRのメンバーの動向を気にして下さっておられると、1人で狂喜乱舞していたわけですが……w


皆様からの感想を受けて、ルチル様やALHA様、特に最後のテンテン様の読みが鋭いことに焦りつつも、内心ではかなり喜んでいました。

実はアロマのスペルは、アロマ登場回である第一章・第二幕で出ているんですが、私の記憶が確かなら、その1回しか出していないんです……そのはずです……(;一_一)
なので、皆様を、良い意味で騙せたのなら大成功! という感じ仕掛けた話でした(>_<)
また、スペルに関しての指摘では、よく読み込んでくださっていると、感慨に浸っておりました(つ_T)
結果としては、上々だったのではないかと思うのですが、如何でしたでしょうか?(-_-;)

また、ヒロインの死、という展開を期待されていた方々には期待外れな展開になったかと思います。

そういったさまざまな視点からも、気が向かれましたらご意見ご感想をお寄せくだされば幸いです m(_ _)m
どこまで活かせるかは分かりませんが、今後の参考にさせていただければ、と思っております(>_<)

え~……感想が一気に来ましたので、喜びのあまり、あとがきを長々と書いてしまいました(-_-;)

何はともあれ。
新年最初の投稿となりました。
今年もDoRのメンバーともども、この作品を皆様に楽しんでいただけるように頑張る所存です!
今後もお読みいただければ幸いです m(_ _)m
                                  2013年 静波


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第八幕・孤月

ALHA様、ROGUE様、新兵@様、路地裏の作者様、rekue様、ポンポコたぬき様、ぬおー様、平蜘蛛炎様、ささみの天ぷら様、火焔猫様、駆け出しプランナー様、イツキ87様、テンテン様、むむまっふぁ様、黒炉様、su様。
多くの皆様に感想を頂きました!
誠にありがとうございます!! m(_ _)m

お気に入り登録件数が890件を超え、ついに900台が見えてきました!
夢の1000という大台にも……辿り着けるといいなぁ、などと、大それたことを夢想している今日この頃です(>_<)



 

 

 見慣れた部屋を後にするのは寂しかった。

 それでも、みんなで居たリビングを見るのは辛かった。

 そこに、私の席が無いと分かってしまったから。

 

 

 

 私は何故か、49層の主街区《ミュージェン》に転移していて、そこで宿を取っていた。

 何故ここだったのかは覚えていないけど、1つ確かなのは、窓から見える夜明け前の《ミュージェン》は、クリスマスの時とは打って変わって静かなもの、ってことだ。

 

 私は、ギルドの脱退とフレ登録の抹消を終えた後、ベッドに腰掛けたまま、ルームサービスで頼んでおいた紅茶を口にした。

 少し濃くて、まだ熱かった紅茶を一口飲んだところで、ほうっと、長いため息が漏れた。

 心なしか、少し緊張が緩んだ気がする。

 

(……でも、これで……私の居場所は、本当になくなったんだ……)

 

 ボタン1つ、クリック1回で済んでしまう事だった。

 

 そのことを自覚した途端。

 はたはたと、涙が頬を伝って流れ落ちた。

 

 私は紅茶をサイドテーブルに戻して、腰掛けていたベッドにうつ伏せになり、枕に顔を埋めた。

 かなり泣いてから出てきたと思ったけど、私の心はまだ、DoRのみんなを想っているみたいだ。

 

 私は、飲みかけの紅茶が冷めるのもそのままに、枕に顔を押し付けて泣き続けた。

 

 

 

 

 ふと、日の光を感じて目が醒めた。

 カーテンを閉めていなかったので、朝日が直接顔を照らしたようだ。

 

 そっと起き上がり、カーテンを閉めに窓に近付くと、外は朝焼けで照らし出されていた。

 何となく窓を開けると、空気の寒さが身に凍みた。

 

「……朝焼けには、いい意味と悪い意味があるんだっけ……」

 

 思わず呟いた言葉とともに、吐きだされた息が白くなった。

 

 私にとっての朝焼けは、別離と決別、割り切れない想い、といった意味になるだろうか。

 自嘲気味な笑いが口元から漏れる。

 

 時間を確認すると、まだ5時半前だった。

 あれから、ほとんど寝ていないことになる。

 

(……そろそろ、ルイルイが起きる頃かな……)

 

 私は窓を閉め、カーテンも閉めた。

 

(ルイルイが朝食の準備をして。終わった頃にみんな起きて来て。バタバタし始めるんだろうな)

 

 ベッドに腰掛けて、すっかり冷めきっていた紅茶を一口。

 

(……みんな、怒るかな? 心配……してくれるかな……)

 

 味なんか分からなかった。

 

(それとも……一笑(いっしょう)して、普段の生活に戻るかな……)

 

 冷めきった紅茶をその場でひっくり返して床に捨てた。

 現実なら後始末が大変だけど、この世界なら何の問題も無い。

 床にこぼされた紅茶は、すぐにポリゴン化して、後には何も残らなかった。

 

 どうしても、鬱々(うつうつ)とした気分が晴れなかった。

 私は、一時(いっとき)でもその気分から抜け出したい一心で、ベッドに潜りこんで、深呼吸を繰り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 カナカナカナ、という鳴き声が耳朶(じだ)を叩いた。

 

(……これは……ヒグラシの声……?)

 

 微睡(まどろみ)の中、気が付くと私は、小さな部屋の中に居た。

 夕焼けの赤い光に満たされた、どこか見覚えのある部屋だ。

 (よど)んだ空気のすえた臭いに、古い畳の焦げたようなにおいが混ざっている。

 木製の天井からは、古くなった電球が1つだけ垂れている。

 

 うつぶせに寝ていたはずなのに、いつの間にか天井を仰いでいた。

 

 横を見やれば小さな座卓があって。

 でも、その座卓が大きく感じられるほどに、今の私は小さくて。

 

(……ああ……夢か……)

 

 これは夢だ。

 子どもの頃の、私の記憶だ。

 

 そうと分かった途端、暑さを感じた。

 

(……そう……この部屋……カーテン無かったから……暑かったよね……)

 

 窓が閉め切られた部屋は、夏も終わりが近づいたとはいえ、まだまだ暑かった。

 身体が汗でベタベタする。

 ヒグラシの鳴き声が『カナカナカナ』と、頭に響く。

 

 不意に、空腹を感じた。

 痛みを感じるような、細く鋭い空腹感だ。

 

(……あれ……これって……どのくらい食事してない時だっけ……)

 

 ぼんやりとそんなことを考えて、すぐに考えるのをやめた。

 こんなことが、何度あったか分かったものじゃない。

 それを今更、思い出せるはずもない。

 

(……母が……帰って来ないのも……ざらだったし……)

 

 虚ろな記憶が確かなら、この頃の母は、平気で3日くらい家を空けていたはずだ。

 小さな私には何もできず、ただただ動かずに、可能な限り体力の消費を抑えるだけで精一杯だった。

 虚ろな視線を座卓越しに玄関へ向けたまま、古い畳に横たわっているだけだった。

 

 すると、唐突に。

 

 

 ――ガチャガチャッ――

 

 

 ドアの施錠が解かれた音がした。

 

 

 ――お母さんだ!

 

 ――帰って来てくれた!

 

 

(……あれ……昔の私って……こんなに母の帰宅を喜んでたっけ……)

 

 夢の中の私を、今の私が傍から眺めているような、そんな奇妙な感覚に囚われた。

 

 小さな私は、身を起こそうとして、でも体力が無くて起きれなくて、それでも這うようにして玄関に向かった。

 ドアが開き、母が入って――来なかった。

 

 そこに立っていたのは、1人の若い男だった。

 

 

(……セイド……?)

 

 そこに立っていたのは、セイドだった。

 

 

 ――私、この人のこと知ってる。

 

 ――私が、ついて行きたいって思った人なの。

 

 ――私を、いつでも待っててくれる人なの。

 

 ――私の事、見捨てないでいてくれる人なの。

 

 

 小さな私が、そんなことを口にした。

 

 その途端、私の身体がグンと成長して、意識と現実に追いついた。

 息の詰まるような部屋がパアッと散って、見慣れたギルドホームへと変わった。

 ギルドホームの扉の所には、セイドが笑顔で立っていた。

 

 思わず――

 

「セイ――」

 

 ――名前を呼びながら手を伸ばしていた。

 

 

 けれど、私の手が届くよりも前に。

 私が名前を呼び終えるよりも先に。

 

 

『お前が居なかったら、もっと幸せになれたのに』

 

 

 母と同じ台詞を吐いて。

 

 

 彼は私の目の前で、狼の群れに食い殺された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あまりといえばあまりのことに目が醒めた。

 

 ゆるゆると意識が覚醒していき、相変わらずSAOの世界で、さらに言うなら、ギルドホームではなく《ミュージェン》の宿屋の一室で眠っていたことをボンヤリと再確認した。

 

「……最悪……」

 

 自然と、右手で目元を覆っていた。

 

 横になって眠ってたのに、額や首筋に嫌な汗がまとわりついていた。

 ゆっくりと瞬きを繰り返し、何度か手を握ったり開いたりしてから寝返りを打った。

 

(……大丈夫……私の身体だ……私の意志で動かせる……)

 

 夢と現実をしっかりと区別して、身体の中から嫌な意識を吐き出すように腹式呼吸を何回も何回も行ってから。

 私は体を起こし、ベッドから降りた。

 

 

 部屋に備え付けられていたシャワールームで、熱いシャワーを浴びて嫌な汗を流した。

 

(……狭い……)

 

 思わずギルドホームの浴室と比べてしまい、首を横に振って、頭からシャワーを浴び直す。

 汗を流したところでシャワールームから出て、バスローブを羽織った。

 それから、部屋に用意されていた冷蔵庫から、サービスとして用意されていた柑橘系のジュースを取り出して一気に呷る。

 そうしてようやく、悪夢に乗っ取られていた頭が、一気に現実へと切り替わった。

 

 セイドとの喧嘩。

 ギルドからの脱退。

 フレンドリストの抹消。

 

 DoRに合流させてもらうまでソロで生きていた私には、彼らに関わらないところの――つまり、私個人のフレというものは皆無だ。

 DoRを抜けた以上、これから先は完全にソロで生きていくしかない。

 

 そう覚悟を決めて、バスローブをベッドに投げ捨て、首を回して部屋をぐるっと眺めた。

 

 この宿屋にも、いつまでも居据わることはできない。

 私個人の財産は、そう多くない。

 お金(コル))は湧いて出るわけではないので、どうしても外でモンスターを狩り、稼ぐ必要が出てくる。

 私は右手を振ってメニュー画面を呼び出した。

 

(まずは、要らないアイテムを売る)

 

 街中だけでお金を生み出すには、これが手っ取り早い。

 そう思い、アイテムストレージを呼び出して、スクロールしていくけれど――

 

(……う~ん……あんまり、売れるものが無いかも……)

 

 ――思った以上に、所持しているアイテムは必需品が多かった。

 これでは、売るに売れない。

 

(……しばらくは、節約しないと……っていうか……この部屋、今日限りにしよ……)

 

 小さくため息を吐いてメニューを消し、椅子の背もたれにかけておいたタオルで髪を拭き――

 

(………………酷い顔……)

 

 ――ふと、開けっ放しにしていたクローゼットの、その中に備え付けられていた姿見に映った自分と、目があった。

 

 固く、表情の無い女性が、バスローブも下着も身に付けず、タオルを頭に乗せたまま、タオルと髪の隙間から此方を覗いている。

 

(……酷い顔だ……本当に……)

 

 鏡とは。

 古来、鑑みる――即ち、自分を振り返らせる代物、だと聞いたことがある。

 

 私はため息を吐きながら、クローゼットを閉めた。

 しばらく、鏡を覗くことは出来なさそうだ。

 

 私はベッドに腰掛けて頭をガシガシと拭き、髪が乾いたところで再度メニュー画面を呼び出して、装備フィギュアを操作して服を着る。

 そのままアイテムメニューを出して、処分することに決めた(・・・・・・・・・・)物を1つ、取り出した。

(……これだけは……売るわけにはいかない(・・・・・・・・・・)……)

 それを手にしたまま、私は時間を確認した。

 

 

 

 

 

 

 

「……さむっ」

 

 ここ数日は暖かい日が続いていたのに、今日は冬に戻ったかのように寒かった。

 

(三寒四温って、こんな時期のことだっけ……)

 

 そんなことを考えながら、私は着ているフーデッドケープの上から体を抱くようにして腕をさすった。

 

 今私がいるのは、39層の《ウィシル》の村。

 それも、ログたんのお店が良く見える場所にある民家の2階にいる。

 

(……そろそろ……ログたんが昼食でお店を空ける頃なんだけど……)

 

 視線を動かして時間表示に目をやると、あと10分ほどで午後2時になるところだった。

 5時半頃に寝た後、変な夢で目が醒めたのが正午。

 シャワーを浴びて、色々と準備を整えてここに来るまでに1時間半程かかっていた。

 つまり、ここに来てから20分ばかり経ったことになるだろうか。

 

 と、時間を確認したところでログたんがお店から出てきた。

 いつものようにフードを目深に被ったログたんは、足早に転移門へと向かって行った。

 

 そんなログたんが見えなくなるまで民家の2階から見送って、私はため息を吐きながら窓辺から立ち上がった。

 

(これで、しばらくお店はNPCだけ……)

 

 私はフードをかぶり直して、周囲に気を付けながらログたんのお店へと移動した。

 

『いらっしゃいませ。申し訳ございません、現在マスターは留守にしております。オーダーメイドなどのご注文は、時間を改めてお願い致します。ご用件をどうぞ』

 

 店番をしているNPCの応対を受けて、私はまっすぐカウンターに向かった。

 

「ログた……じゃなくて、マスターに渡して欲しいものがあるので、預かって下さい」

『マスターへのアイテム譲渡ですね。かしこまりました。アイテムをカウンターへお置きください』

 

 NPCの指示通り、私はカウンターの上に持ってきたアイテムを置いた。

 

 宿屋で録音した《録音結晶》と。

 

(………………結局……渡せなかったな……)

 

 ログたんに頼んで作ってもらった、現状のSAO内では、おそらくこの一着しか存在しないであろう道着を。

 

『お預かりするアイテムは《録音結晶》1つ、《朧月の道着》1つ、合計2つのアイテムで宜しいでしょうか?』

「うん」

 

 ログたんの銘が入っている装備品を、無下には扱えない。

 なら、やはりログたんに返すのが1番いいだろう。

 

「……大事に、してもらってね……」

 

 カウンターの上に置いた道着を1度手に取り、それをそっと抱きしめながら口の中で呟き、綺麗に折り畳んでからカウンターの上に戻した。

 

 カウンターの上に置かれた2つのアイテムは、ポリゴン片となってNPCに回収された。

 

『確かにお預かり致しました。マスターへアイテムを渡した際に、お客様にそのことをメッセージにてお知らせ致しましょうか?』

「ううん、必要ないよ」

『かしこまりました。他にご用件は御座いますでしょうか?』

「いいえ」

『ご来店、誠にありがとうございました。またのお越しをお待ち申し上げております』

 

 NPCのその言葉を聞いて、私はお店を出た。

 しばらく歩いてから、そっと振り返る。

 主が不在のお店でも、大きな風車が音を立てて回っていて、今にもログたんが笑顔で出迎えてくれそうな、そんな錯覚を覚える。

 当分は、このお店にも顔は出せない。

 名残惜しさが込み上げてくるのをグッと堪えて、私はすぐに転移門で移動した。

 

 場所は60層、攻略組が闊歩する最前線の街《ビリンメル》へ。

 

 

 

 

 

 

 

 私は転移後、すぐに街から出た。

 ログたんがメッセージを確認する前には街から離れておきたかった。

 

(さってと! まずは迷宮区へ行ってみようかな!)

 

 アイテム類は結局、売らず買わずで済むと結論付けたので、時間はかけずに済んだ。

 セイドから渡されていた60層のマップを基に、迷宮区への道を進んでいくが、流石にこの時間から迷宮区へと向かう人はほとんど居ないようだ。

 攻略組の面々は午前から籠ってるだろうし、それ以外のプレイヤーが未攻略の迷宮区へは滅多に行かないためだろう。

 

 そんなことを思いつつ、森の中に出来た道を歩いていると――

 

(……ん? 今、何か聞こえた……)

 

 ――木々の擦れる音や風の音などではなく、何かの鳴き声らしき音がかすかに聞こえた。

 

 歩みを止めて《索敵》を使って周囲をゆっくりと見渡す。

 すると、ちょっと奥の樹の陰に、あるモンスターの名前を見つけることができた。

 

「――っ!」

 

 危うく声を出しそうになったけど、どうにか堪えた。

 

(あれ! 《ラグー・ラビット》だ!)

 

 最上級食材をドロップする確率のある、超レアモンスターだ。

 幸いなことに、レアウサギは私に気付いている様子は無い。

 とはいえ、私とウサギとの距離は10メートル以上離れている。

 しかも、間に相当な数の枝葉が生い茂っている。

 《隠蔽》を駆使して近付いたとしても、《忍び足》の無い私では、5メートル以内に近付くことはできないだろう。

 

(……う~っ……《投剣》は覚えてないんだよねぇ……)

 

 あのウサギは、現在知られているモンスターの中では最速の逃げ足を持っていると言われている。

 大型武器しか扱えない私には、基本的にソロでは狩れないタイプのモンスターだと言っても過言ではない。

 

(多分狩れない……けど…………だからってそのまま立ち去るってのもヤダし……)

 

 ダメもとで、攻撃を仕掛けるくらいはしてみたい。

 可能な限り近付くために私は《隠蔽》を使って、茂みを避けれるだけ避けて進み、足音も立てないように、もの凄くゆっくりと歩いて行く。

 その際、両手剣は先に抜いておいた。

 鞘から抜く音だけでもウサギに気付かれるからだ。

 

 そうして、そろりそろりと近付いてゆき、距離を約8メートルほどにまで縮めたところで、茂みを避けるだけの場所が無くなった。

 つまり、これ以上はどう移動したとしても音が立つ。

 

(……遠い……)

 

 まだ8メートル近くあるのだ。

 突進系の《剣技》で一気に間を詰めるというのも考えたけど、両手剣ではあまり距離を稼げない。

 曲刀カテゴリの《フェル・クレセント》という優秀な突進技ですら、詰められる距離は4メートルだ。

 

(なにか……何か方法は無いかな……)

 

 こんな時、セイドなら《投剣》で仕留めるくらいの芸当ができるかもしれない。

 セイドなら、たとえ《投剣》が無くても、狩る方法をひねり出すかもしれない。

 

(……って、セイドセイドって……居ないやつのこと考えたって始まらない……)

 

 私は頭を振って意識を切り替える。

 

 地面には草葉が生い茂り、歩くだけで確実にウサギに気付かれる。

 低木を乗り越えるにしても、身体が枝に当たる確率が高い。

 

(あ、そうだ。下がダメなら――)

 

 とそこまで考えが及んだ時、ウサギが小さく跳ねた。

 

 しかも、こちらに向かって。

 

 それはつまり、顔がこちらに向いているということで。

 

 ウサギの視線と、私の視線がぶつかって。

 

 

 

 次の瞬間、ウサギは180度方向転換して即座に逃げ出し――

 

「まてぇえええええ!」

 

 ――逃がしてなるものかと、私は近くの樹を踏み台に、空中からウサギへと跳びかかった。

 下は動きづらいなら、樹と樹の幹の間を、ジャンプする要領で飛び移れば行けるのではないかと考えたのだ。

 

 結果としては正解だった――かも知れない。

 

 唯一問題があったとすれば、そういったアクロバティックな行動をスキルに頼らずに行うのには限界があるということだ。

 軽装備で且つ敏捷値がある程度高いプレイヤーが取ることのできる《軽業》というスキルがあれば、ある程度の距離なら壁を走ったりもすることができるらしいのだが。

 生憎と、重量級武器を扱う私では、スキル要件を満たせない。

 

 結果。

 

 渾身のダイブは届かずに終わり、その後も、逃げるウサギの尻尾が見える限り追い続けたものの、触れることすら叶わずに終わった。

 

「うぁぁぁああ! 逃げられたぁあああ!」

 

 あまりの悔しさに、手近にあった樹の幹に剣を叩き付けたけど、紫色のライトエフェクトに阻まれて、傷を付けることすら叶わなかった。

 

「はぁぁ……無駄な労力を費やしたなぁ……」

 

 仕方なく剣を鞘に納め――ふと、その場で周囲を見回した。

 

 《ラグー・ラビット》を追いかけるのに夢中になって森の中に突っ込んだせいで、周囲に道らしきものが見当たらない。

 

「え……ここ……どこ……」

 

 慌ててマップを広げてみたけれど、周囲一帯が森となっているだけで、道は表示されていなかった。

 

(…………これってまさか……迷った……?)

 

 冷たい汗が首筋を伝った――様な気がした。

 

 

 

 

「やっと……道にでた……」

 

 森の中を彷徨う事、約4時間。

 ようやく細い道を見つけることができた。

 

 辺りは完全に夜の闇に包まれていて、この道を見つけるまでに、何度となく夜行性のモンスターと遭遇していた。

 けれど、レベルそのものは安全マージンを取っているので、苦労することなく撃破してきた。

 

 やっとの思いで見つけた道は、残念ながらマップには表示されていなかった。

 

(一応道っぽくなってるから……これって獣道……隠し通路かな……)

 

 時々存在する隠し通路には色々な種類があるけど、フィールド――特に森などでは、マップに表示されない獣道のような形で用意されている、と聞いたことがある。

 

(なんであれ、道なのだから沿って進めばどこかに出るはず……森から抜けられれば、迷宮区のタワーを目印に戻れるはずだし……)

 

 とりあえず何とかなりそうなので、大きくため息を吐いた。

 夜の森、しかも最前線のフィールドでのソロ狩りが、迷子の結果だったというのは、何とも恥ずかしい話ではあったけれど。

 

(ソロの勘を研ぎ澄ませるのには、役に立ったのだから良しとしよう)

 

 何とか気分を好転させつつ、獣道を進んでゆくと。

 道の先が開けていた。

 森から抜けられるようだ。

 

 思わず駈け出して、一気に森から飛び出すと、目の前にあったのは山のような大きさの古びた洋館だった。

 実際、山なのだろう。

 背後にそびえ立つ山と一体であるかのような、山から削り出されて作られたかのような洋館は、異様な雰囲気を醸し出していた。

 

(入り口だけが洋館で、中は巨大なダンジョンってところかな……)

 

 そう当たりを付けてマップを開いてみたけれど、やはり洋館の名前は表示されていなかった。

 隠しエリアにある場合、実際に入らない限り表示されないらしい。

 

「……上等。入ってやろうじゃないの」

 

 折角見つけた隠しエリアの、おそらく誰も入ったことのない隠しダンジョンだ。

 入らない手は無い。

 

 私は思わず笑みをこぼしつつ、洋館の扉に手をかけて一気に開け、ためらうことなく足を踏み入れた。

 

 

 表示されたダンジョン名は《朧月宮(ろうげつきゅう)》となっていた。

 

 

 



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第九幕・朧

ポンポコたぬき様、路地裏の作者様、テンテン様、ささみの天ぷら様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

お気に入り登録数が900件を超えました!(>_<)
お読み下さっている皆様に感謝申し上げます!m(_ _)m

書くペースが落ちているので、気合を入れ直していこうと思います(-_-;)
遅くなっててスミマセン(;>_<)



 

 

 隠しダンジョン《朧月宮(ろうげつきゅう)》に入ってから、早くも2時間が経過していた。

 

 幸いなことに《朧月宮》には、ほとんどトラップが無かった。

 その代わり、といってはなんだけど、生息しているモンスターが《ヘイズムーン》と名の付くものばかりだった。

 

 この《ヘイズムーン》モンスター。

 私が探し求めていたレア素材《朧糸(おぼろいと)》などの朧系素材を落としてくれる、待望の、安定して湧出(ポップ)するモンスターだった。

 

(……しっかし……まさか、隠しダンジョンだったとはねぇ……)

 

 蜘蛛型モンスターの吐き出す毒液を避けながら、私はそんなことを考えていた。

 

 私がこれまで探していたのは、主に50層の《蜘蛛の巣の迷宮》での遭遇率が1番高いとされていたレアモンスター――《ミスティ・スパイダー》だ。

 その蜘蛛が落とす《朧糸》が《朧月(ろうげつ)の道着》のメイン素材だった。

 

 しかし、この《朧月宮》で待ち構えていた《ヘイズムーン・スパイダー》は、これまでの《ミスティ・スパイダー》よりも1回り大きくて、遊園地のコーヒーカップぐらいの大きさがあった。

 安定湧出(ポップ)するときのお約束通り、モンスターのランクが上がった、ということだろう。

 

 そして、隠しダンジョンのお約束というべきか、ランクアップのお約束というべきか。

 《ヘイズムーン》モンスターの特殊能力は、なかなかに厄介だった。

 

(それにしても……《ミスティ》モンスターの能力強化版とか……ちょっと卑怯だよ、ねっ!)

 

 2匹同時に跳びかかってきた《ヘイズムーン・スパイダー》から距離を取るように後ろに跳躍し、私は攻撃のタイミングを計っていた。

 

 

 

 《ミスティ》と名の付くモンスターは、共通した特殊能力を1つ持っている。

 それが《ミストボディ》と呼ばれる、通常攻撃透過(つうじょうこうげきとうか)能力だ。

 

 《剣技》以外の攻撃を(ことごと)く素通りさせるという厄介なこの能力と、湧出場所がランダム且つ滅多に湧出しないが故に《ミスティ》モンスターの素材は滅多に市場に流れなかった。

 《ミスティ》モンスターと遭遇できたとしても《ミストボディ》の事を知らず、結果、倒せずにプレイヤーかモンスターが逃走する、ということも多かったようだ。

 《剣技(ソードスキル)》は透過できないので、レベル差と攻撃力差を持って《剣技》の一撃で仕留めにかかれば何とかなるのが《ミストボディ》への、単純な対策だったと言えるだろう。

 

 ところが、ここの《ヘイズムーン》モンスターの持つ能力は、その《ミストボディ》の強化版だった。

 

 ここに入って最初に出会った《ヘイズムーン・スパイダー》に対して、こちらの通常攻撃が空を切ったので、これまでの《ミストボディ》と同じだろうと(たか)(くく)って、毒液を避けた勢いに乗せて《アバランシュ》で斬り込んだ――のだけれど。

 

 何と《ヘイズムーン》モンスターは、《剣技》すら透過したのだ。

 

 そのことに慌てた私は、無茶苦茶に剣を振り回したり《剣技》を乱発したりと、何とかして攻略法を見つけようとした。

 しかし。

 毒を受けるわ、糸に絡められて敏捷値マイナス補正を受けるわ、ダメージも看過できない量を受けるわ――と、1体相手に散々な目に遭った。

 

 まあ、それでも何とか《ヘイズボディ》――命名、私――への対策を立てることができたのだから、上出来だろう。

 

 分かったことは《ヘイズボディ》は《ミストボディ》の強化版で、やはり通常攻撃は完全に透過する、ということと――倒すのには、やはり《剣技》を当てるしかない、ということだった。

 ただ、当て方というか、当てることができるタイミングがシビアで、モンスターが攻撃してきた瞬間――つまり、カウンター攻撃しかヒットしない。

 

 それを見つけることができたのは偶然だったけど。

 

 私に向かって跳びかかってきた蜘蛛に対して、反射的に繰り出した《アッパー・クレセント》がヒットしたことで、何となく予測を立てることができ。

 その後、2度3度と手探りで戦闘を繰り返して、やっと自信を持てた、というわけだ。

 

 そうと分かってしまえば、レベルやHP的にはどうということは無いモンスターなので、今では落ち着いて対処できている。

 

 ――初めて遭った《ヘイズムーン・スパイダー》1体を倒すのに、40分以上かかったことは、黙っていれば分かるまい。

 

 

 

「ズェェイ!」

 

 僅かな時間差をおいて、更に跳びかかってきた2匹の《ヘイズムーン・スパイダー》を、私は横薙ぎの2連撃剣技《ブランディッシュ》で迎え撃った。

 タイミングがピタリと合い、1振り目で1体、2振り目でもう1体をそれぞれ捉え、綺麗に屠った。

 

「っし! バッチリ!」

 

 上手く迎撃できたことで、私は小さくガッツポーズを取って喜んだ。

 

 セイドなら、簡単にタイミングを掴むことができるのだろうけれど、私1人でもこの程度なら何とかなると、証明できたことにもなる。

 

(ふふん! セイドなんかいなくても、どうってことないんだから!)

 

 朧蜘蛛が《朧糸》をドロップしたことを確認しつつ、私はさらに先へと進んだ。

 1戦1戦にそこそこの時間がかかっているので、探索自体はあまり進んでいなかったけど、倒し方もこれで大丈夫だ。

 

(ここから一気に探索を続けて、レアアイテムも独り占めだ!)

 

 と、意気込んではみたものの、時間は既に夜の9時を過ぎている。

 ひとまず安全エリアを探して、そこで夜明かしの準備をしようと、私は朧月宮を歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぅ……ん……」

 

 気が付くと、そこは見慣れぬ平原だった。

 冷たい風が顔を撫で、夜空が映し出された上層の底が眼前に広がっている。

 

 体を起こして、ボンヤリとしている意識のまま辺りをゆっくり見回すと、私の他にプレイヤーが2人、近くに居ることが分かった。

 ともにカーソルカラーはグリーンだったことに一瞬安堵し、しかし次の瞬間には頭に疑問符が浮かんでいた。

 

(……ここは何処だ……?)

 

 目頭を押さえ――ようとして、腕が何かに引っかかった。

 よく見ると、私の身体は寝袋に包まれていた。

 

(……私は……一体何を……?)

 

 とりあえず寝袋の前を開けて腕を自由にしたが、直前まで自分が何をしていたのか、何故寝袋で寝ていたのか、その辺りの記憶が曖昧だった。

 

「よう。目ぇ覚めたか、セイド」

 

 と、近くに居たプレイヤーの1人が声をかけてきた。

 間違えようも無い、マーチの声だった。

 

「マーチ……ここは……何処ですか?」

 

 欠伸(あくび)を噛み殺しながらこちらに向き直ったマーチに、私はハッキリしない意識のまま、頭にあった疑問を口にした。

 

「ぁふ……んぁ? まだ寝ぼけてんのか? ここは40層の《フィリアズ》の外れだ。一応圏内だから安心しろ」

「……40層……あ……ああ……そうか……」

 

 私は思わず右手で顔を覆った。

 

 アロマさんの捜索を焦るあまり、私は《生命の碑》に刻まれたアロマさんのスペルを見間違えて、彼女が殺されたと勘違いし、犯罪者(オレンジ)相手に暴走していたのだ。

 そこへマーチ・キリトさん・アスナさんの3人が駆けつけて、私を止めてくれた――ところで、記憶が途切れている。

 

 そこまで思い出すと、後は意識が覚醒されていく。

 

 おそらく気を失ったのであろう私を、3人が最寄りの街である《フィリアズ》まで運んでくれて、そこで寝かせてくれたと考えられる。

 そこまで考えが及んで、ふと、時間が気になった。

 

「マーチ……私はどのくらいの間、気を失っていたんですか?」

「あ~? まあ…………お前を見つけたのが、確か15時頃だから……12時間?」

 

 マーチの言葉を聞いて、自分のことながら呆然としてしまった。

 いくらなんでも寝過ぎだろう、と。

 

「ハハハ! ま、お前は普段からあんま寝てねえし、特に今回は丸々2日寝てなかっただろ。そりゃ12時間ぐらいぶっ倒れもするさ。気にすんな!」

 

 マーチは笑いながら私の肩をバシバシと叩き、そう言って慰めてくれた。

 

「……ご迷惑をおかけしました……」

 

 12時間――マーチは簡単に言うが、私が意識を失っている間、マーチがここで寝ずの番をしていてくれたことは間違いないだろう。

 宿屋に運び込まなかった理由は色々と予想はできるが、無用なところでマーチに負担を強いてしまったことになる。

 

「ん~? マーチん~?」

 

 マーチが居た傍に横たわっていた寝袋には、ルイさんが寝ていたらしい。

 あの場には居なかったルイさんにまで、ここで夜を明かさせてしまったのかと、私はさらに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

「ん、悪ぃルイ、起こしちまったか」

 

 ルイさんが目元を擦りながら身を起こしたところで、マーチがルイさんの元へと戻って行った。

 

「ん~……セイちゃん起きたの~?」

「おぉ、今し方な。寝てていいぜ、ルイ。まだ午前3時、日の出前だ」

 

 ルイさんの頭を撫でながら、マーチがルイさんにそう声をかけたが。

 

「ん~ん、起きる~。セイちゃんが起きたなら~、ここに居る必要も無くなるし~」

 

 そう言うと、ルイさんは軽く伸びをして寝袋から抜け出した。

 私も遅まきながら寝袋から抜け出し、アイテムストレージへと寝袋を片付ける。

 

「おはよ~、セイちゃん。良く寝れた~?」

「アハハ……えぇ……ルイさんにもご迷惑をおかけして、申し訳ありません……」

 

 いつもの朗らかな笑顔で声をかけてきたルイさんに答えつつ、私は頭を下げるしかなかった。

 そんな私を見て、ルイさんはコロコロと笑いながら――

 

「まったくだよ~。セイちゃんらしくないテンパりっぷりだったね~」

 

 ――なかなか痛い一言をサラッと言い放ってくれた。

 

 相応に怒っているのかもしれないが、正直、ルイさんの感情は分かり辛いことこの上ない。

 基本的に笑顔が絶えないため、ルイさんが笑顔のまま怒っているときは、マーチでも地雷を踏むことがあるくらいだ。

 ちょっと前のように、笑顔が無くなった状態で本気で怒ってくれると分かるのだが。

 

「……本当に、申し訳ありません」

「も~、そんなに気にしないでよ~。怒ってるわけじゃないんだから~」

 

 頭をさらに下げながら謝ると、ルイさんは笑いながらそう口にした。

 

「まあそれはともかく! セイド、とりあえずお前が寝てる間には何も進展はしてねえ。アロマに関しての情報は相変わらず無しだ」

 

 そんな場の空気をマーチが一新した。

 

「キリトとアスナはそれぞれのホームに戻った。ああそれと、今度シンカーとユリエールに礼言っとけよ。あいつらが俺に連絡してくれなきゃ、お前の暴走は分からなかったんだからな」

 

 マーチが早口に連絡事項を(まく)し立てる。

 私が再び謝り出さないように、という配慮が感じられた。

 

「ログの方もあれ以降、アロマからの接触は無し。こうなるとお前の推測が当たってることを祈るしかねえかもしれん。頼むぜ? リーダー!」

 

 ここまでを一気に言い切り、マーチは私の胸に向かって軽く拳を突き出した。

 トンッ、とマーチに気合を入れられ、私は気分を完全に切り替えることができた。

 

「……分かった。ありがとうマーチ」

 

 私が笑顔でそう答えると。

 

「おう! んじゃ、俺とルイはホームに戻るぜ。どうせお前にゃ、何言ってもアロマを探しに行くだろうから止めねえが、無理はすんじゃねえぞ。あと、暴走も程々にしてくれ!」

 

 そう言い捨て、声を上げて笑いながら、マーチは私に背を向けた。

 ルイさんも、そんなマーチと私をニコニコと眺めた後、マーチと一緒にこの場を去って行った。

 

(まったく……2人には感謝しても、しきれませんね)

 

 昔から、2人には助けられてばかりだ。

 

 今回の件が落ち着いたら、改めて何か礼をしなくてはならないと、心の中で感謝しながら、私も転移門へと足を進めた。

 アロマさんがいるであろう、最前線――60層の迷宮区へと向かうために。

 

 

 

 

 60層迷宮区に最も近い街《ビリンメル》でアイテム類を補充し、迷宮区へと至る街道を駆け抜けながら、私には1つ、アロマさんのこと以外で気になることができていた。

 アイテム補充をしながら、何気なくフレンドリストを開いた時に気が付いたのだが。

 

 こんな時間――まだ日も昇らぬ午前3時半という、夜中と早朝の境界になるような時間に、あるプレイヤーがソロで迷宮区に潜っていた。

 

 これがキリトさんだったなら気にはしなかっただろう。

 彼は基本的にソロであり、時折迷宮区で夜を明かすことがあるのを知っているからだ。

 

 だが《彼女》は違う。

 

 キリトさんが一緒なのかとも思ったのだが、キリトさんは50層の《アルゲード》に居ると、フレンドリストで確認が取れた。

 攻略に関しては、寝る間も惜しむのが《KoB》だと知ってはいるが、基本的に彼ら及彼女らはパーティー単位で行動を取る。

 

 故に。

 

(何故アスナさんがソロで……しかもこんな時間に迷宮区に……)

 

 フレンドリストで迷宮区へソロで潜っていることが確認できたのは、攻略組最強ギルドと誉れ高き《血盟騎士団》の副団長にして、1プレイヤーとしても《閃光》の二つ名で呼ばれる女性細剣使い(フェンサー)、アスナさんだった。

 

 通常はパーティー単位で動くアスナさんが、ソロで、しかもこんな時間帯に動く理由が思いつかない。

 

(何かあった、と考えるべきでしょうか……上手く追いつけるといいんですが……)

 

 先に迷宮区へと入っているアスナさんに追い付くことができれば、事情を知ることも、場合によっては協力することもできるだろう。

 私は人気が無い街道を敏捷値及び筋力値を全開にして駆け抜け、その勢いのまま迷宮区へと突入した。

 

 

 

 

 マッピングの済んでいる迷宮区を1階2階と最短距離で、且つ罠も敵も《警報(アラート)》の効果をフル活用して回避した。

 

 普通に進んでいたのでは不可能な速さで4階まで駆け登ったところで、前方でモンスターと対峙しているプレイヤーの反応があった。

 

 カーソルカラーはグリーン。

 それだけを確認して一気に駆け寄った私の目に映ったのは、ダンジョンの通路を占めている薄暗い闇を、幾重もの流星の煌めきが引き裂いた瞬間だった。

 まさに《閃光》と呼ばれるに相応しい、彼女の操る細剣の放つ鋭い輝きが、高い体力と強靭な巨体を誇る《グラップラー・ハイオーガ》を幾度となく穿ち、アッサリと打ち砕いた。

 

 ポリゴン片の舞う中に凛と佇むその姿に、私は一瞬、かける言葉を失っていた。

 

「――ん?」

 

 そんな私に、細剣を持つ女性――アスナさんの方が先に気が付いた。

 

「セイドさん。良かった、意識が戻られたんですね」

 

 呆然と立ち尽くしていた私に、アスナさんは細剣を鞘に収めつつ歩み寄ってきた。

 

「――セイドさん?」

 

 呆けていた私を訝しむように、アスナさんに名前を呼ばれたところで、私はやっと意識を現実に引っ張り上げた。

 

「あ、ああ、アスナさん。その節は、ご迷惑をおかけしました」

 

 慌てて暴走時のことを謝罪した私に対して、アスナさんは首を小さく横に振った。

 

「いえ、気にしないで下さい。それよりも――」

 

 アスナさんはすぐに話題を切り替えた。

 

「――ここに来られたということは、やはりアロマさんはここに?」

「いえ……まだ何も確かな情報も得られていません……ここに来たのは、あくまで私の予測です」

 

 アスナさんの問いかけに、私は苦々しく答えるのが精一杯だった。

 

「……そうですか……」

 

 私の答えを聞いたアスナさんは、その場で何か考え込んでいた。

 その様子を見て、私もアスナさんに疑問を投げかける。

 

「アスナさんこそ、こんな時間にお1人で、何故こんなところに? 攻略ならパーティーで行うのが通常でしょう?」

 

 するとアスナさんは、僅かな沈黙の後、おずおずといった様子で口を開いた。

 

「……そのことなんですが……セイドさん、アロマさんを探しながらで構いませんので、その…………少し、手伝っていただけませんか?」

 

 ある意味で、私を敵視していることの多かったアスナさんからの、意外といえば意外な言葉に、私は当たって欲しくなかった予感が的中してしまったのだと確信した。

 

「……やはり、何かあったんですね? 私でお役に立てるのであれば、協力は惜しみませんよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は《朧月宮》で3回夜を明かした。

 初日が夜になってからの探索だったことを考えれば、丸2日以上を探索に費やしたことになる。

 

 想像通り、隠しエリアだったここには、私以外のプレイヤーが入った様子も無く、宝箱なども全て手付かずの状態のままだった。

 まあ、その分、宝箱のトラップ類も全て活きていて、これまで開けた宝箱のうち4割程がトラップ付きだった。

 3度ほど死ぬかと思うこともあったけど、何とか切り抜けられたのだから結果オーライだろう。

 

 しかし――

 

(…………流石に回復アイテムが尽きた……かぁ……)

 

 ――寝る前にも確認したけど、アイテムストレージには《回復結晶》もポーション類も無くなり、僅かに残っているのは、ポーチ内に《回復結晶》と《解毒結晶》が1つずつのみ。

 

 モンスターからのドロップ品にも時折《回復結晶》があったりしたけど、それらも使いながらここに籠っていた。

 食料になる安物の堅いパンすらも残り少ない。

 

(……仕方ないか。やっぱり、1度街に戻って補充しないと)

 

 これ以上ここに居続けることは不可能だと判断したのは、昨夜、寝る直前のことだ。

 安全エリアで意気揚々と回復結晶をポーチに移そうとして、そこで初めて回復アイテムが底をついたことに気が付いた。

 本当ならすぐにでも《転移結晶》で街に戻ろうかとも思ったのだけど――

 

(……結晶で帰れないんだよね……このダンジョンへ戻ってくるためには……)

 

 ――(かぶり)を振って徒歩で出口へ向かい、出口に程近い位置にある安全エリアで夜を明かしたのが昨夜のこと。

 

 私がこの《朧月宮》に来れたのは、本当に偶然だ。

 そして、この《朧月宮》は隠しエリアであるためにフィールドマップには表示されない。

 フィールドマップには、この辺りは森としか表示されていないのだから。

 

 つまり、私が再びここにやってくるためには、ここへ来る時に通った獣道を歩いて抜けて、獣道の《入り口》をマーキングする必要がある。

 一応《朧月宮》自体の位置情報もマップにマーキングしてあるけど、隠しエリアは特定のルートを通らないと見つからない、なんていう事もあるらしいので、油断はできない。

 

 1番簡単なのは《回廊結晶》の出口に《朧月宮》を設定しておくことだけど、残念ながら私はそんな高価なアイテムを持っていないし、2日間の狩りでもドロップはしなかった。

 それに、ソロでの攻略なので思ったより進んでおらず、最奥部には到達していない。

 何が何でも、ここに戻ってきたいという欲求が強かったのもある。

 

 

 という事で。

 

 私は歩いて《朧月宮》を出て、更にそのまま《朧月宮》に通じているただ1つの獣道を通って森の中を歩いて行く。

 

 森の中で遭遇するモンスターは《ヘイズムーン》モンスターに比べれば雑魚としか言いようがないので、苦も無く撃退しながら只管(ひたすら)に獣道を歩いて行く。

 

 マップに森の終わりが見えた辺りで、獣道の出入口が街道に繋がっているのが分かった。

 

(やった! これで朧月宮に通えるようになる!)

 

 思わず駈け出して、一気に街道に飛び出した。

 

 獣道への出入口は生い茂った灌木によって塞がれていて、街道側からではその奥に道があるとは到底分からないようになっていた。

 それと、獣道が繋がっていた街道は、迷宮区へと至るための道だった。

 意外と近い位置に迷宮区があったので、ちょっと驚いた。

 

(そっか、迷宮区への道の途中にあったのか……ってことは、やっぱフィールドボス倒してないと行けなかったんだ)

 

 私は獣道の出入口をマップにマーキングして、そこでやっと一息ついた。

 

 これで安心して街に戻れる。

 とはいえ、ここまで来てわざわざ転移結晶を使うのも勿体ない。

 

(節約節約っと!)

 

 《ヘイズムーン》モンスターの落とした素材は売るわけではない。

 つまり、モンスターを倒した際に手に入る金額(コル)以外は儲けにならないのだから、回復アイテムなどの購入を考えれば、赤字になるかもしれない。

 無用な出費は慎むべし、である。

 

 私は迷宮区に背を向けて街道を歩きはじめ――

 

「……へっ?」

 

 ――たところで、唐突に、目の前にメッセージが浮き上がった。

 

 

 

【――から1VS1デュエルを申し込まれました】

 

 

 



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第十幕・盈月

新兵@様、鏡秋雪様、路地裏の作者様、nameless様、神無様。
感想、誠にありがとうございます!(>_<)

お気に入り登録数も920件を超えておりました m(_ _)m
お読みいただけている皆様に感謝申し上げます m(_ _)m

ますます更新速度が落ちてますね……反省しております(-_-;)
どんなに遅くなろうとも、エタルつもりはございません!(>_<)
私が生きている限りは……(一_一)



 

 

 私はアスナさんと、迷宮区を先に進みつつ話をすることにした。

 

「実は、ギルドメンバーから救援要請を受け取ったんです」

「救援要請?」

 

 その言葉を聞いて、私は眉をひそめた。

 

 この世界では、救援要請そのものが珍しい。

 ダンジョンでは《伝言結晶》を使用しない限りメッセージを飛ばせず、同様に受け取ることもできないためだ。

 つまり、救援要請のメッセージというものに対して真っ先に考えるのが、犯罪者プレイヤーの罠であるということを疑うのが基本になる。

 

 私の抱いた疑問はアスナさんも分かっていたことのようで、彼女は私の表情を見て1つ頷いてから話を進めた。

 

「メッセージによると、彼らはこの層の迷宮区の14階まで辿り着いたらしいのですが、罠を見落としてしまい、その罠のせいで身動きが取れなくなってしまったそうなんです」

「……ふむ……」

 

 アスナさんのその言葉で、私はとりあえず疑問を打ち消した。

 

 攻略中の迷宮区には、基本的にPK(プレイヤーキラー)は現れない。

 攻略組を相手取れるほどの高レベル犯罪者(オレンジ)プレイヤーというのは滅多にいないため、相手が攻略組に限られるような場所では、PK(プレイヤーキル)を容易には行えないからだ。

 

 敵に襲われた場合にはメッセージを打つ余裕はないので、救援要請を罠ではないかと疑ってしまったが、私は自分の頭の奥にある暴走の残滓が、猜疑心を掻き立てているのだと判断した。

 アスナさんの言葉通り、通常ならば罠によって身動きが取れない状況を想定するべきだっただろう。

 それに何より、攻略組最強ギルドと名高い《血盟騎士団》のメンバーが、易々(やすやす)とPKされるわけもない。

 自身の意識の切り替えがまだ上手くいっていないことを改めて認識しつつ、私は状況を口に出して確認した。

 

「とすると……行動阻害系の罠と併せて転移不可の罠、といったところでしょうかね」

 

 私の言葉にアスナさんは頷いて話を続けた。

 

「そのようです。何とか《伝言結晶》で救援要請はしたらしいのですが、生憎(あいにく)とこの時間では、わたし以外のメンバーはメッセージに気付かなかったようで」

 

 現在の時刻は午前4時を少し過ぎたところだ。

 

 アスナさんが何時メッセージに気が付いたのかは分からないが、迷宮区の進み具合から考えて、遅くとも2時前には迷宮区に踏み込んでいるだろう。

 そんな時間に起きているようなプレイヤーは、そう多くないはずだ。

 

「確かに……普通なら寝ている時間ですからね……気付かなくても無理はないでしょう」

 

 さらに言うなら、緊急時とはいえ、連日で行われている迷宮区の攻略で疲れている団員たちを起こすことを、アスナさんが避けようとしたことは想像に難くない。

 

「ええ。それで仕方なく、わたし1人で迷宮区に駆け付けたんですが……わたしは《罠解除》スキルを修めていないので……罠の回避や切り抜けなどに時間がかかってしまって……モンスターとの戦闘も1人ですから……」

 

 そこまで語ったところで、アスナさんは少し俯いてしまった。

 

「罠に関しては仕方ない事ですよ。アスナさんは主に戦闘を担当しているんですから。むしろ《罠解除》なしに、無傷でいることに驚いたくらいです」

 

 アスナさんも、本当ならもっと早く、もっと先に進みたかったのだろうが、彼女のスキル構成は戦闘に特化しているはず。

 上に進むほどに敵も強く、罠も多くなる迷宮区では、アスナさんがソロであったのならこの先さらに時間がかかる事は間違いない。

 それに普段はパーティーで行動をしているので、ソロでの探索は不慣れなのだろう。

 

 軽く唇を噛み、悔しさを露わにしているアスナさんに、私はさらに言葉を続けた。

 

「とりあえず14階まで急ぎましょう。罠は私が引き受けます。モンスターに関しても私が合図しますので、合わせて下さい」

 

 私はそれだけ言って、迷宮区4階の通路を軽く走り始めた。

 そんな私に、アスナさんは慌てて走り出しながら声を荒げた。

 

「ちょ! ちょっとセイドさん! 急ぐにしてもモンスターも罠もあるんですから、走るのは危険です!」

 

 流石にアスナさんはもっともな意見を述べた。

 

 私とて、通常時ならば迷宮区を走りなどしない。

 しかし、今は目的地の分かる緊急時だ。

 

「可能な限り早く行きたいじゃないですか。なら、走りましょう」

「そうですけど――」

「さあ、階段です。このまま一気にマップのある階は駆け抜けます」

「え?!」

 

 おそらく、私とのやり取りの間、アスナさんは気付いていなかっただろう。

 

 私たちが罠にもモンスターにも足止めされることが無かったということを。

 

「急ぎましょう、アスナさん」

「え、あ、はい……」

 

 一声だけかけて問答無用に駆け出した私を、アスナさんは半ば呆然としながら追走し始めた。

 

 

 

 

「あの、セイドさん……」

 

 アスナさんがついに口を開いたのは5階を駆け抜けて、6階へと至った時だった。

 

「なんですか?」

 

 アスナさんの前を走っている私に彼女の表情は見えないが、その声はとてもこちらを訝しんでいる声だった。

 

「……何をした――いえ、何をしているんですか?」

「何を、とは、何がですか?」

 

 アスナさんが聞きたいことは分かっているが、一応とぼけて返した。

 

「さっきから1度もモンスターと遭遇しないんですけど……」

 

 アスナさんと合流して以降、私は5階を駆け抜ける際に《警報(アラート)》の効果を存分に発揮して、モンスターも罠も、全て回避したうえで階段まで辿り着いたのだ。

 

「ああ、それは《索敵》と《聞き耳》を駆使して、モンスターを徹底的に避けているからですよ。運が良いという事でもあるでしょけどね」

 

 差し障りが無い、(あらかじ)め用意していた答えを返したものの、アスナさんはそれで納得しなかった。

 

「《索敵》ならわたしも使えますが、ここまで完全にモンスターとの戦闘を避けられるような性能ではないはずです。それに、セイドさんは《隠蔽》も《忍び足》も使っていませんよね?」

「《索敵》だけでは無理ですね。ですから《聞き耳》も使って避けています。《隠蔽》と《忍び足》は覚えていませんが、それが何か?」

 

 受け答えを続けながらも、私たちは走り続け、その間も私は《警報》の効果を利用してモンスターも罠も避けて進んでいく。

 

「ここには、数は少ないですが《ハイトロール》種が存在しています。あのモンスターの厄介な点はご存知ですよね?」

 

 アスナさんの質問に疑問形で返し続けていたのが気に入らなかったのか、アスナさんは少し苛立った様子で遠回しに話を振ってきた。

 

「もちろんです。ハイトロールに限らず、トロール種はその高い感知能力が1番厄介な点です。特に、発達した聴覚による音の感知範囲は広く、こうした会話であっても――」

「にもかかわらず」

 

 アスナさんは私の言葉を遮って、強引に話の主導権を持っていった。

 

「わたし達、5階で1度も敵に遭っていません。もう1度聞きます。セイドさん、何をしているんですか?」

 

 背中に刺さる視線が、先ほどよりもさらに強くなった気がする。

 私が何かを隠していると、確信を持っているのだろう。

 私は思わずため息を吐きながら、少し走る速度を緩めた。

 

「……まあ、人には何か、隠し事の1つや2つや3つや4つは、あって当然じゃないですか?」

 

 私は笑いながら振り返り、そう言って誤魔化すだけにとどめた。

 

「……そういうことを言ってるんじゃないんですけど……まあ、仕方ないですね」

 

 スキルについての詮索はマナー違反だとアスナさんも分かっているので、彼女もこのことに関してはこれ以上追及してはこなかった。

 とはいえ、私が何かのスキルを秘匿していると、アスナさんなら感付いただろう。

 

(隠し続けられなくなる日も近い、か)

 

 私が《警報(アラート)》のスキルを手に入れてから1年が経過している。

 これまで《警報》の情報を、ギルドメンバーのみに止めておくことができただけでも奇跡に近いだろう。

 

 最近は、私も攻略組の一員としてボス攻略などに参加することが増えてきた。

 こうなってくると、流石に《警報》のスキルを人前で使うことも多くなる。

 情報屋の誰か――1番可能性が高いのは《鼠のアルゴ》さんだろう――が、私のスキルに関して追及してくるのも時間の問題だと思っている。

 

(まあ、この際《警報》の習得方法以外に関しては公開しても良いでしょうけど)

 

 私自身、詳細を把握しきっていないのだから、習得方法は公開しようがないともいえるが。

 

 そんなことを考えながら、私とアスナさんはさらに先へと走り続けた。

 流石にモンスターや罠を完全に回避し続けられるほど敵と罠の配置も甘くなく、5階をエンカウントなしに駆け抜けられたのは、本当に運が良かっただけだと言うほかない。

 

 6階では戦闘を5回、罠の解除を8回行って、7階への階段に辿り着いた。

 これでも、通常で考えればあり得ないエンカウントの少なさであることに変わりはない。

 

 

 そんな感じのペースを何とか維持したまま、私とアスナさんは迷宮区を走り続けた。

 驚異的な速さで駆け抜けたとはいえ、9階へ至るための階段に着いた頃には午前7時を回っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【1VS1デュエルを申し込まれました】

 

 私は思わず目を(こす)って、更に(まばた)きを数回繰り返して、そのメッセを見直した。

 間違いなくデュエル申請のメッセだ。

 メッセを見直した拍子に時刻も目に入った。

 

 午前7時。

 

 確かに、攻略組のパーティーがチラホラと迷宮区に向かって歩いて行ったのが見えたが、だからといって突然私にデュエルを申し込むような人がいるとは思えないし、申し込む理由もない。

 

(……っていうか……この名前……)

 

 デュエル申請メッセをもう1度見直し、相手の名前を再確認した。

 

【Kiritoから1VS1デュエルを――】

 

 差出人の名前には見覚えが――というか、聞き覚えがあった。

 

 《キリト》――《黒の剣士》・《黒ずくめ(ブラッキー)先生》・《ビーター》など、良くも悪くも二つ名が複数あるという、攻略組の有名なソロプレイヤーだ。

 

 セイドの話にも何度となく名前が挙がったことがあるが、個人の実力をセイドが褒めることは稀なので、ちょっと複雑な心境で聞いていた覚えがある。

 そしてそれを確認したところで、また同じ疑問が頭に浮かんだ。

 

(……で、なんで私にデュエル申請?)

 

 と、そんなことを考えながら首を巡らせた時――

 

「や、ゴメンゴメン。ちょっと操作を誤ってデュエル申請しちゃったよ。断ってもらっていいかな」

 

 ――街道の先に黒いコートに身を包んだ、可愛らしい顔をした男の子が立っていた。

 

「……え、あなたがキリト?」

 

 聞いていた二つ名や評判から、もっと悪党面か、逆に勇者然とした人相を予想していた私は、一見すると女性にも見えかねない彼の容貌に唖然としてしまった。

 

「ああ、そうだけど……どこかであったことは……無いよな? アロマさん」

 

 私はキリトに名前を呼ばれて、はたと気が付いた。

 デュエル申請は、した方にもされた方にも相手の名前が表示される。

 私がキリトの名前を確認できたように、キリトにも私の名前が分かったことになる。

 

「うん。初対面。でもあなたの名前は聞いたことはあるわ。有名みたいだし」

「あまり良い評判はないだろうけどね。それで――」

 

 キリトは何かバツが悪そうに頭を掻きながら言葉を続けた。

 

「――デュエル申請だけど。面倒をかけて悪いけど、拒否してくれないかな?」

 

 再度キリトに言われて、私は未だに申請メッセに答えていなかったことを思いだした。

 

「あ、ああ、ゴメン――」

 

 キリトに言われてデュエル申請を拒否しようとして、不意に、このデュエルを受けてみるのもいいのではないか、という考えが頭をよぎった。

 

 考えてみれば、私たちは攻略組に引けを取らないレベルを維持している、とセイドは言っていたけど、実際に攻略組のプレイヤーと剣を交えたことは数えるくらいしかない。

 今私の目の前に居るのは、あのセイドが褒めた、攻略組でも相当な実力のソロプレイヤーであるらしいキリトだ。

 《DDA》のサブリーダーの一人は、然程苦も無くあしらうことができたけど、彼はどうなのだろう。

 

 もしここで、このデュエルを受けて、彼と剣を交えることができれば――

 

「……あ~……デュエル了承されても、すぐに降参(リザイン)するから」

 

 ――などと考えていたのが表情に出ていただろうか。

 

 キリトは私の思考を先読みするかのように、苦笑を浮かべながらそう言った。

 

「あはははは……ダイジョブダイジョブ……」

 

 思わず笑って誤魔化しながら、キリトからのデュエル申請を断った。

 

(……勿体ない……)

 

「ところで――」

 

 私がデュエルを断ったことを惜しんでいると、不意にキリトが歩み寄ってきた。

 

「――セイドがあんたを探して、あちこち走り回ってたよ」

 

 キリトのその台詞を聞いた次の瞬間、私は出てきたばかりの獣道に飛び込んだ。

 

「なっ?!」

 

 私の突然の行動に驚いたキリトの声が聞こえたけど、振り返らずに獣道を走り続けた。

 

 何故、キリトが私にデュエル申請をしたのか、その真意が分かったからだ。

 

 彼は、私を探していたんだろう。

 それも、セイドに頼まれて。

 

 そのことを理解した瞬間、反射的に体が動いて、何故か逃げだしていた。

 無我夢中で獣道を突っ切って、途中で出てきたモンスターすら無視して、足場の悪い獣道をただひたすらに走り続けた。

 そして、そのまま朧月宮の前まで戻ってきたところで足を止めた。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 身体的な疲労の無いはずのこの世界で、走っただけで息が切れた。

 それほどに、さっきのキリトの発言は不意打ち過ぎた。

 

(まさか、こんなところでセイドの名前を聞くなんて)

 

 手を膝に置いて呼吸を整えていると、背後で木々が揺れる音がした。

 

「まさか! 突然逃げ出すとは思わなかったよ!」

 

 飛び出してきたのは黒い剣を片手に持った、優男風な少年。

 

「……振り切れないか……」

「追いかけるのは簡単さ。トレインを追えばいいんだから」

 

 キリトに改めてそう言われて、自分の行動が全く理に適っていないことを反省した。

 

 そもそも逃げる時に《隠蔽》を使っていなかったこともそうだし、出てきたモンスターを無視したこともそうだ。

 相手に、追いかけるための目印を作っているようなものだ。

 

「まあ、モンスターは片付けたから気にしなくて良い。それより――」

 

 キリトは剣を背に収めながら、しかし今度は私に歩み寄ることはせず、立ち止まったまま私を見――

 

「――これ、もしかして隠しダンジョンか!」

 

 ――ていなかった。

 

 キリトが興味を向けたのは、朧月宮へだった。

 私は思わず脱力し、自分でも気付かぬうちに笑っていた。

 

「プッ……フフフフフ……」

「な、何だよ……何笑ってるんだ?」

「そりゃ、笑うでしょ……フフ……」

 

 一頻(ひとしき)り笑ったところで、私は仕方なくキリトと向かい合った。

 

「さて……ねえキリト。あんた、セイドに言われて私を探してたんでしょ?」

「ああ、その通りだ」

「それにしても、赤毛の女性プレイヤーだからって、いきなりデュエル申請ってのは強引なんじゃない?」

「……それは……まあ……」

 

 この世界では、名前を使った《インスタント・メッセージ》を送れるシステムがある。

 ただし《インスタント・メッセージ》は、同じ層に居ない相手には届かず、メッセージを飛ばしても相手に届いたかどうか判別はできない。

 

 これは単純に、インスタント・メッセージを悪用したハラスメント行為や犯罪行為を防ぐための当然の仕様だ(と、セイドが言っていた)。

 

 だから、私の顔を知らないキリトが、私の名前を直接確認するための方法が《デュエル申請》だったわけだ。

 私はゆっくりとキリトに歩み寄りながら話を続けた。

 

「でも、それも仕方ないのか。私たち、記念撮影とか全然してなかったから、SS(スクリーンショット)なんてないだろうしね」

 

 笑みを浮かべて話を続ける私を見て、キリトは右手を縦に振った。

 

「そうか、SSがあればもっと早かったんだよな……今度、ギルドで記念撮影でもしといてくれよ。そうすればあんな――」

 

 キリトはメニュー画面を開き、私の言葉に答えながら何かを操作し始めた。

 そして、その瞬間が私の狙い目でもあった。

 

 キリトの注意が私から外れ、メニュー画面に意識が移った瞬間を狙って、私は両手剣を抜き、キリトの背後に回り込み、そのままキリトの首に右腕を回す。

 右手に両手剣を持ったまま、腕で首を絞めるような体勢だ。

 

 但し、剣の刃はキリトには向けていない。

 

「動くな」

 

 私の突然の行動に、キリトは戸惑いの様子を見せながらも、動きをピタリと止めていた。

 

「今から私の言うこと以外で指1本動かすな」

「……何のつもりだ?」

 

 視線だけ動かして、キリトは自分に剣の刃が向けられていないことを悟ったのだろう。

 しかし同時に、何故私が右手に剣を持ったままキリトの首に腕を回しているのかが分からないようだった。

 

「ついてこないでって言っても、どうせついてくるつもりでしょ? なら、こっちとしても考えがあるわ」

 

 私の力量ではキリトは振り切れない。

 それは、レベル差でもあり、パラメーターの割り振りの差でもある。

 キリトを振り切れないということは、キリトとフレ登録をしているセイドとマーチに、私の居場所がばれる可能性が高いことになる。

 なら、キリトについて来られてもセイドに、そしてDoRのメンバーに私の居場所がばれないようにするしかない。

 

 セイドが私を探しているとしても、今のDoRに私の居場所は無いのだから、連れ戻されるわけにはいかない。

 

「どうしろと?」

 

 動くべきか動かざるべきかを悩むように、キリトが言葉少なに聞いてくる。

 

「まず、あんたのウィンドウを可視モードにして、私にも見えるようにしなさい。余計な操作をすれば分かるからね」

 

 キリトの右手は、キリトの胸の前辺りに持ち上げられたまま動きを止めていた。

 そこから手を動かせば、キリトの背後を取った私にもしっかりと見える位置だ。

 キリトのそのことは理解しているようで、すぐにウィンドウが可視化された。

 

 案の定、キリトが開いていたのはフレリストだった。

 

「やっぱり、セイドかマーチに連絡を取るつもりだったのね」

「……ああ、そういう話になっていたからな」

 

 キリトはゆっくりと答え、おそらく視線を巡らせて今の状況と体勢を分析しているのだろう。

 私としても、高レベルプレイヤーのキリトに下手に暴れられるのは本望ではないので、素早く話を進める。

 

「キリトには悪いけど、セイドとマーチを、あんたのフレリストから削除して」

「……居場所を特定させないためか……」

 

 私の指示に対して、キリトはすぐには動かなかった。

 

「早くして」

「……この程度の脅しが通用すると思ってるのか? 俺なら、あんたの攻撃を直撃されても3発は耐えられる。それだけの間があれば、この体勢から抜けるのは容易(たやす)いぞ」

 

 キリトは、首に回されている腕に込められた力が少し強くなったのを感じ取ったのだろう。

 しかし、こちらとしても別にキリトの首を絞めたかったわけではない。

 そもそも、この世界では、首を絞めたところで窒息などしないのだから、ダメージにすらならない。

 

「ああ、勘違いしないで。この体勢はあんたのウィンドウを見るためのもの。だから――」

 

 私は右手を捻り、剣の刃が私の首筋に(・・・・・)当たるように調整する。

 

「――人質は私。あんたが言うことを聞かないなら、私はここで自分の首をはねて自殺するだけ」

「っ?!」

 

 キリトが息を飲むのが分かった。

 

「消すの? 消さないの?」

「分かった、消すよ。だから、馬鹿なことは考えるな」

 

 少なからず動揺したキリトは、抗うことなく私の指示通りに指を動かした。

 私はキリトのウィンドウを確認しながら、彼がフレリストからセイドとマーチを削除したことを確認した。

 

「OK。それじゃ次は、伝言結晶を渡して」

「……なんで持っていると?」

 

 私は左手をキリトの前に突き出し、キリトは驚きながらも大人しく伝言結晶を私の左手に乗せた。

 

「どうせセイドに渡されたでしょ。ダンジョンにいる相手には、フレでもメッセは届かないもの」

「……参ったね。想像以上に頭が回るんだな。驚いたよ」

 

 キリトはそう言うと両手を上げた。

 降参という意思表示らしい。

 

「セイドには及ばないけど、私もバカじゃないわ」

 

 そこまで答えたところで私はキリトをゆっくりと解放した。

 キリトも私が腕を外したところで、ゆっくりと此方へ振り向いた。

 そのタイミングに合わせて、私は剣を背に収めつつ――

 

「ああ、それと」

 

 ――キリトを睨みつけて言い放った。

 

「私の攻撃を3発、本当に耐えられるかどうか、いつか試してみましょ。きっと後悔するから」

 

 一撃の威力に関してはDoR内であっても負けるつもりはない。

 その私の攻撃を、3発は耐えて見せると言い放ったキリトには、いつか必ずその身を持って知らしめてやろうと心に誓った。

 

「まあ、そう噛みつくなよ」

 

 私の視線と怒気を、キリトは飄々とした態度で受け流し、視線を私ではなく《朧月宮》へとチラチラ向けていた。

 そんなキリトの態度に、肩透かしを食らったような気分になり、思わずため息を吐いてしまった。

 

「まあ、今は良いわ。それより、ここ、入りたいの?」

 

 別に《朧月宮》は私の物というわけではないが、この場を独占したかった私にとって、キリトという珍客をこの場まで引き連れてきてしまったことは予定外のハプニングだ。

 

「う……うん、入りたい。というか……まさかアロマ、ここに籠ってたのか?」

「……そうよ。見つけたのは偶然だったけどね」

 

 キリトはもう、今にも《朧月宮》へと飛び出しそうな様子ではあったが、それを辛うじて堪えているのは私がいるからだろう。

 ここで1人《朧月宮》に突っ込めば、私を見失うことになる。

 そうなっては何の意味も無いと理解しているのだろう。

 

 私は仕方なく、キリトにパーティー申請を送りつけた。

 

「へ?」

「ここで少し狩りをしたいんでしょ? なら付き合ってあげる。ただし、条件としてDoRの連中に私のことも、ここのことも教えないで」

「う……それは……」

 

 私の提案に、キリトは呻き声を上げて苦々しい表情を浮かべた。

 

「さ、どうするの? DoRのメンバーには連絡が取れないこの状況下で、私と別行動なんかとれば、また私を見つけるのは難しくなるわよ」

 

 私としては、キリトが余計なことを思いつく前に、ここでキリトとパーティーを組んで朧月宮に入るように仕向けたい。

 微妙に踏ん切りがつかず、未だにうんうん唸って悩んでいるキルトに、更に畳み掛ける。

 

「即決できない男は嫌い。じゃ、またどこかで――」

 

 私がそう言いながらキリトに背を向けたところで。

 

「あ、いや! 待った!」

 

 キリトは慌ててパーティー申請を了承した。

 

「――OK。それじゃ、ちょっと狩りに行きましょうか。今回だけ、よろしくね、キリト」

 

 朧月宮への好奇心に負けたキリトに、私は笑顔とともに右手を差し出した。

 

 




第十幕のサブタイトルですが、《盈月(えいげつ)》と読みます m(_ _)m

そして、第十幕なのに章が終わりません!
ここで終わると予想していた方々を裏切る形になりました(;>_<)
まだ続きます……(-_-;)長くてすみません……。


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第十一幕・弦月

ウージの使い様、一握りの青様、ささみの天ぷら様、路地裏の作者様、ZHE様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

お気に入り件数も930件を超えました(>_<)
皆様、ありがとうございます!m(_ _)m

今回は、多少早めに仕上がりました(-_-;)



 

 

 朧月宮にキリトとともに入って1時間が経過していた。

 

 私は、入ってすぐに《ヘイズボディ》の話をキリトにした。

 攻略組に名を連ねる男なら、4度も戦闘を繰り返せば《ヘイズボディ》にも慣れるだろうと思っていたのだけれど、その予想はあっさり裏切られた。

 

 キリトは1匹目との戦闘ですぐにコツを掴み、それ以降は全く危な気なくモンスターを屠っていく。

 私があれほど苦労して攻略法を見つけたというのに、憎たらしいことこの上ない。

 

 私がそう言うと――

 

『いやいや、アロマがあらかじめ特徴と攻略法を教えてくれたから対処できただけさ。初見だったら、もっと時間がかかってたよ』

 

 ――と、キリトは答えていたものの、私は本気で悔しかった。

 

 攻略組にソロで参加し続けているキリトの実力と経験の豊富さ(ゆえ)なのかもしれないけど、その場ですぐに対応できる適応力というか、得た知識をすぐに活かせる応用力というか。

 それこそがキリトの本当の凄さなのだろうと、その身を持って見せつけられた気がした。

 

 

「いやぁ、レア素材って言われてた朧系素材がこうして出るとなると、今のうちなら一儲けできそうだな」

「ここが知られれば、この素材も一般化するだろうしね。今のうちに売るなり何なり好きにすればいいんじゃない? 私は他の誰かに教える気はないけど」

 

 私とキリトは安全エリアで一休みしていた。

 

 アイテムに関しては手に入れた方がそのままゲットするということでお互いに納得している。

 お金と経験値は均等割りにしているので揉める必要はない。

 

 腰を下ろした私は残っていた最後の堅いパンを取り出し、キリトは水の入った瓶と柔らかそうなパンを取り出していた。

 彼は、ゴクゴクと喉を鳴らして水を飲み干していく。

 それを見て、ふと、自分のアイテムストレージには水が無い事に気が付いた。

 

(……飲み物が無いとか……食べ辛いだけじゃん……)

 

 仕方なく硬いパンを無理矢理小さく千切って口に放り込み、何度も咀嚼してどうにか嚥下(えんげ)していると、欲しいとも言っていないのに、キリトが私に水瓶を投げてよこした。

 

「まさか、水すら用意してないとは思わなかったよ」

「……用意してた分が尽きたから、街に戻ろうとしてたのよ。それをあんたが邪魔したんでしょ。このくらいの気は利かせるのが当然よ」

 

 素直に礼を言えず、ついつい顔を逸らしながら憎まれ口を叩いてしまった。

 キリトは、やれやれとでも言いたげに肩を竦めたけど、特には何も言ってこなかった。

 ありがたく水瓶を貰い、栓を開けて水を少し口に含み、ゆっくりと飲み込んだ。

 

「ところで、どうしてこのダンジョンに籠ってたんだ? あんな特殊モンスター、情報も無しにソロで戦うのは大変だったろ?」

 

 私が一息ついたのを見計らって、キリトがそんな疑問を口にした。

 

「――っぷぅ……元々私は朧系素材を集めてたの。《ミスティ》モンスターである程度狩り慣れてたから、何とかなったわ」

「ふ~ん……なるほどねぇ……」

 

 それだけ言うと、キリトは柔らかいパンを一かじりしていた。

 何に納得したのかは分からないけど、とりあえずそのやり取り以外は、休憩中に会話らしい会話はしなかった。

 お互いにパンを食べ終えてどちらからともなく立ち上がったところで、(おもむろ)にキリトが口を開いた。

 

「朧系の素材で作れる装備品って、今の所、出回ってないよな。素材の流通量が少なすぎて、作ったっていう職人の話も聞いたことが無い」

 

 私はその言葉には何も答えず、サッサと安全エリアから歩み出た。

 

「そう考えると、一儲けするのには狙い目かも知れないけど、アロマの狙いが売却による儲けだとは思えないな」

「……何でそう思うの」

 

 キリトが私から離れずに歩いてついてきたうえで、その話を続けようとするので、仕方なく話し相手になることにした。

 

「売るだけなら集める必要が無いよ。けど、アロマは狩り慣れる程に朧系素材を集めてたんだろ? ってことは、装備品を作るつもりだったはずだ」

「作ってもらうつもりだったけど。だから何」

「朧系素材で出回っていたのは、糸と板の2種類だけだ。この素材で作れるのは布系防具位だ。ここで狩っていれば他の素材も出るだろうけど、それは一般的に知る方法は無い」

「……だから、何が言いたいの!」

「布系防具とギルド《DoR》で思いつくのはセイドだよな。まあ、道着装備をメインで着こなしてるのはセイド位しか見たことが無いけど」

 

 キリトがそこまで言った時、私は思わず足を止めていた。

 

「……セイドは関係無い……」

「セイドが今着てる道着は確か《緇衣(しえ)の道着》だったっけ? 45層で手に入る、現状では1番良い道着だけど、あれ以降、道着系装備は見つかっていないはずだ」

 

 キリトは私の言葉など関係なく、私の前へ歩み出ながら話を続ける。

 

「朧系素材で作れる新しい装備が道着なんじゃないか? アロマはセイドのために素材を集めて――」

「関係ないってば!」

 

 思わず大声を出していた。

 

 キリトに私の行動を見透かされているようで、恥ずかしいような腹立たしいような、よく分からない感情が湧きあがってきたから。

 しかしキリトはそんな私の態度など気にした様子も無く、ゆっくりと私へと振り返りながら、さらに言葉を続けた。

 

「アロマがセイドのことを考えて何かしてたのは分かった。けど、セイドだってあんたのことを心配してた。あんたがギルドを抜けたことをとても後悔してた」

「……そう……」

 

 話の流れが突然変わった気もするけど、それをツッコむ気力は無かった。

 こちらの行動を言い当てられたのが堪えていた。

 

「寝ずに走り回って、アロマを探してたよ」

「……ギルドマスターとして、心配しただけでしょ……あいつなら、そんなの当然の行動だわ」

「いや」

 

 キリトは首を横に振り、僅かな間を開けて口を開いた。

 

「あんたがPKされたと――殺されたと、本気で思ってたよ」

「…………バカバカしい……《生命の碑》を見れば、そんなのすぐに分かる事じゃない」

 

 あまりといえばあまりの話に、思わず本気でツッコんでいた。

 人の生死は、この世界では《生命の碑》で目に見える形で確認ができる。

 何時(いつ)、誰が死んだのか、同名プレイヤーが存在しないこの世界では間違えようがない。

 

 だけど。

 

「《生命の碑》に、1文字違いの《アロマ》の名前があって、その人は、多分だけどPKされてて、それをあんたと勘違いしたんだ」

 

 予想外にもほどがあるキリトの言葉を聞いて、私は全力で唖然としてしまった。

 

「はぁっ?! 何よあのバカ! 私のスペルすら覚えてなかったの?! 最っ低!!」

「アロマを探すために一睡もしてなかったのが原因かもしれないけどな。まあ、それはともかく、あんたがPKされたと本気で思って、セイド、ブチ切れてPK狩りしてたよ」

 

 キリトが続けた言葉に、私は今度こそ本気で言葉を失った。

 あの冷静なセイドらしからぬ話の流れに、キリトが話を捏造してるのでは、と疑ったけど、キリトはさらに言葉を続けた。

 

「牢獄結晶で、犯罪者(オレンジ)ギルドを1つ、牢獄送りにしてたよ。自分からわざわざ犯罪者プレイヤーの多い中層エリアをうろついてまでな」

 

 キリトは、話ながら苦笑を浮かべていた。

 この話が、彼にとっても苦笑を浮かべてしまうような出来事だったのだと、想像がつく。

 

「……あり得ない……わざわざ自分から蜂の巣に突っ込むような真似するなんて……セイドらしくなさすぎる……」

「うん、同感」

「それに、もし《笑う棺桶(ラフコフ)》の連中にでも遭遇してたら……」

「セイドは自分の事なんか考えてなかったよ。ただひたすらに、アロマの仇を取ることしか考えていなかった。相手が《笑う棺桶》でも構わなかったつもりらしい」

「そ……そんな無茶な……」

 

 無意識のうちに右手でこめかみを押さえていた。

 セイドの暴走っぷりに、軽い眩暈(めまい)を覚えたからだ。

 

「まあ、その無茶をさせたのはアロマだけどな」

 

 キリトはそれだけ言うと、素早く剣を抜き放ち、私に背を向けた。

 通路の奥からモンスターがこちらに近付いてきたのに気が付いたらしい。

 キリトはこちらに近付いていたモンスター――《ヘイズムーン・ゴーレム》に向かって走り出したけど、私はそれに反応する気力すら湧いてこなかった。

 

 セイドのために素材を集めていたのも事実だし、キリトが語ったセイドの暴走も、おそらく事実なのだろう。

 

(セイドが……私のために本気で怒ってた……)

 

 そのことを考えると、体が動かなかった。

 

 私はセイドに邪魔だと思われたと思っていた。

 ギルドに居場所がなくなったと思っていた。

 私が居ることでセイドを困らせるくらいなら、居ない方が良いと思ってギルドを抜けた。

 けど、それは間違いだったのだろうか。

 

「さて。どうする? もっと素材集めるか? それともギルドに帰るか? 何にしても、アロマがセイドと合流するまで、俺はあんたの傍を離れるつもりはないから、そのつもりで」

 

 キリトはそれだけ言った後、口を開こうとはしなかった。

 私に問いかけただけで、こうしろとか、指図するようなことは何一つ言わなかった。

 

「……帰れって、言わないの?」

「ん? 言って欲しかったのか?」

 

 私がボソッと呟いた一言を、キリトはしっかりと聞いていた。

 

「……んなわけ……ないじゃん……」

 

 私はフラフラと歩きはじめ、キリトもそんな私の遅々とした歩みに合わせて歩いてくれた。

 敵が出て来ては、私が剣を抜くよりも早く前に飛び出して、あっという間に片付けてしまった。

 

「……強いね……キリトも……」

「そうか? 攻略組にはこのくらいの奴はそこそこいると思うけど」

「……やっぱり私は……役に立たないのかな……」

「役に立つっていうのも、色々あるよな。俺は別にアロマに何かを求めるわけじゃないけど、セイドもそうなんじゃないのかな?」

「セイドも……そうって、どういうこと?」

「アロマに何かを求めるっていうより、アロマが傍に居るだけでもいいんじゃないかってことさ。あんたが強いとか弱いとか、そんなのは関係無いんだと思う」

「だ……って……私は……」

「まあ、アロマとセイドの間にどんな繋がりがあるのかは知らないけど、少なくとも、俺の見たセイドは、アロマのことを心配して、アロマのことで本気で怒ってて、アロマのために走り回ってるって姿だったし」

 

 時々出会うモンスターとの戦闘を続けながら、私はキリトとそんな言葉を交わしていくうちに、少しずつ凝り固まった気持ちが解れていった。

 私の独りよがりな思い込みとか、セイドの気持ちを客観的に教えて貰ったりとか。

 

(誰かがそばにいてくれるって、いいな……)

 

 キリトとの会話で、私は少しずつ自分の気持ちを見つめ直すことができた気がした。

 

「ところで、朧系素材で作れる装備を、どうやって調べたんだ?」

 

 唐突にキリトは話の矛先を切り替えた。

 

「え、あ……うちのギルドに居る職人プレイヤーが。新素材が手に入ると、作製出来るアイテムが分かるスキルがあるんだって」

「へぇ……凄いな……今度エギルにでも聞いてみるか……」

「ん? エギル?」

「あ、いや、こっちの話。気にしないでくれ」

 

 キリトは少し慌てたように手を振った。

 

「んで、どんな装備なんだ? これで作れるのって」

「まだ一式揃ってないから何とも言えないけど……多分、セイド以外誰も使えないかも」

「へぇ。やっぱりセイド用か」

「あ……」

 

 思わず答えていたけど、これは迂闊だった。

 

「素直に、戻りたいって言えばいいんじゃないか?」

 

 これまた唐突に、キリトは確信に触れる話を振ってきた。

 

「……そんなこと……言えないよ……」

 

 自分の中で、まだ気持ちが整理しきれていない。

 こんな状態で戻っても、セイドとまた喧嘩してしまう気がする。

 

「セイドだけじゃない。ギルドのみんながアロマのことを心配してるって分かっただろ? 何で戻れないんだ?」

「…………私にも、分からない……」

 

 気付かぬうちに私は顔を伏せて歩いていた。

 そんな私に、キリトは思いもよらぬ言葉を投げかけてきた。

 

「もしかして、みんなを翻弄して、楽しんでるとか?」

「なっ! 違うわよバカ!!」

 

 即座に反論できたものの、キリトの辛辣な言葉は続いた。

 

「んじゃ、追いかけて欲しくて、向こうから『帰って来て下さい』って言われたいのか?」

「違う! 絶対に違うっ!!」

「仲間の気持ちを試してるのか? もしそうなら、相当性格悪いぞ?」

「違うって言ってるでしょ! 何よ! 何も知らないくせにっ!!」

 

 思わず背から大剣を引き抜いて、キリトの足元の床へ振り下ろしてしまった。

 激しい音と、破壊不可を示す紫色のフラッシュエフェクトが辺りに響いた。

 

 キリトの言葉を引き金にして、急に言葉が溢れだしてきた。

 

「私だって帰りたいわよ! でも、セイドが私のことを邪魔だって言ったの! 本気で私と戦って、ついて来るなって言ったのよ! 今まで一緒にいてくれたことがお情けなんだったら……こんな惨めなことないわ! もう、そんな思いするのはたくさんよ!!」

 

 言葉とともに、涙も溢れてきて、慌てて腕で目を擦った。

 そこで改めてキリトを見ると、彼は私が剣を振り下ろしたのにもかかわらず、その場から1ミリも動いていなかった。

 私の剣が当たらないことを見切っていたのだろう。

 

「邪魔? セイドが、アロマのことを?」

「……っ……そうよ……間違いなく……そう言われたの……」

 

「《笑う棺桶》に殺される可能性すら気にしないで、アロマの仇を取ろうとしていたセイドが、アロマのことを邪魔に思ってると、本気で思うのか?」

「……それは……」

 

「普通に考えて、邪魔だと思うわけがないじゃないか」

「……じゃあ……どうして……本気でデュエルして……私を負かしてまで……ついてくるななんてって言ったのよ?」

 

 しかし、私のその質問には、流石にキリトも首を捻った。

 

「う~ん……セイドがどこに行きたかったか、何をしたかったかが分からないと、何とも言えないな……」

 

 キリトのその疑問には、私も答えようがなかった。

 私はセイドからもマーチからも、セイドが何をしようとしていたのか、聞かせてもらえなかったのだから。

 

「私も何も聞いてない……教えて貰えなかったから……何か、回復結晶を片手に持ってするようなことらしいけど……」

「ふぅん……じゃあ、そのことをもう1度聞きに行くべきだな。流石に今度は教えてくれるだろ」

 

 キリトは然程考えることなく、そう口にしていた。

 

「それに何より、理由が分からないまま放置するのって、気持ち悪いじゃないか」

 

 そう言ったキリトは、清々しい笑顔を私に向けていた。

 

「帰りたいってアロマだって思ってる。セイドだってアロマに帰ってきて欲しいと思ってる。なら、後はアロマが帰って、もう1度話し合うべきだと思うよ」

 

「あ……私……さっき、帰りたいって……」

「ああ、言ってた。思いっきり、涙流しながら叫んでた」

「……キリトのバカ……」

 

 キリトの台詞を聞いて、また涙が溢れてきて、慌ててキリトに背を向けた。

 

「ごめん……ていうか、泣かないでくれ……俺がセイドに殺されちゃうだろ?」

 

 少し動揺したのか、キリトの声が揺れていた。

 そのまま、ぎこちない手つきで頭を撫でられる。

 

 涙で歪んだ視界でも、キリトが少し背伸びをしているのがわかった。

 精一杯、私のために背伸びをしてくれている。

 それがとても嬉しかった。

 

「……ごめん……キリト………………ありがと……」

 

 でも。

 私が知っている手はキリトのそれじゃない。

 

 帰りたい。

 そしてセイドに謝りたい。

 

 今度はちゃんと、落ち着いてセイドの話を聞きたい。

 そんな思いでいっぱいになって、私はキリトに背を向けたまま、俯いて泣き続けた。

 

 

 

 涙と気持ちが治まるまで、キリトと一緒に朧月宮で狩りをして、徒歩で朧月宮から出た。

 

 私はキリトに付き添われて《ビリンメル》まで歩いて戻り、そこから転移門で24層主街区《パナレーゼ》へと――DoRのギルドホームのある街へと転移した。

 私もキリトも、セイドをリストから削除しているので、ホームに戻る以外有効な手段が思いつかなかった。

 

 パナレーゼに転移したのは、時刻が午前10時半になろうとしている頃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私とアスナさんが14階に上がるための階段に辿り着いたのは、10時半を少し過ぎた頃だった。

 

 ここまで互いに会話らしい会話はあまりせず、走って迷宮区を抜けることに集中していたが、ここに来てその集中力が限界に来ていた。

 

(……流石に厳しいか……)

 

 私個人としてはまだ平気だったが、後ろをついてくるアスナさんが、先ほどから僅かに疲労の色を見せている。

 アスナさんが迷宮区に踏み込んだ時間から逆算すれば、既に彼女は8時間半以上、迷宮区で戦い続けていることになる。

 通常では考えられない意志の強さと集中力だと言えるが、流石に睡眠時間をほとんど取っていない彼女に、これ以上の無理を強いるのは気が引けた。

 

「ところでアスナさん。救援要請を送ってきたメンバーというのは、どのような方々なんですか?」

 

 私はアスナさんの精神的な休憩も兼ねて、今回のことに関して聞いていなかったことを尋ねることにした。

 同時に、移動速度を駆け足から徐々に徒歩へと移行した。

 

「……えっと……どういう、ですか? そうですね……かなりの実力者たちですよ。でも、まだギルドとしての第一線には出していませんけど」

「おや。ということは、私はお会いしたことのない方々ですか?」

「多分、ご存じないかと思いますよ。彼らが入団したの半月ほど前のことですから。まだ入団したばかりなんです」

 

 半月では、確かにギルドのメンバーとしてはまだまだ新入りと言えるだろう。

 しかし、それでもKoBに入団できたということは、相当な実力者たちだろうと想像に難くない。

 

「今はギルドとしての立ち回りや、迷宮区のマッピングなどでギルドに慣れてもらっている段階です」

「なるほど……」

 

 アスナさんのその話を聞いて、私の心中には、とある疑念が再び湧き上がっていた。

 どうしようもなく、悪い方向の考えが。

 

(……いや……KoBのメンバーだ……そんな事は……)

 

 しかし、浮かんでしまった疑念を打ち消すだけの判断材料は、今の私にはなかった。

 そんな疑念を打ち消したくて、私は更にアスナさんに質問を続けた。

 

「アスナさん。差し障りが無ければ、これから助けに行くという彼らの構成や人数などを教えていただけませんか?」

「別に構いませんけど……構成は、壁戦士(タンク)2人、攻撃特化型(ダメージディーラー)2人、探索型(サーチャー)1人、応変(バランス)型1人の6人構成です」

 

「……ふむ……6人が6人とも、新人なんですか?」

「ええ。元々6人でギルドを組んでいたようですが、KoBへの合併を希望されたので、団長を始めとする血盟騎士団の幹部を務める者たちで話し合って、吸収合併という形でKoBに入団を」

「…………そうですか……ありがとうございます」

「いえ……一体、何を考えているんですか?」

 

 アスナさんも、今の私の質問が、何かの意図に沿ったものだと気付いたようだ。

 

「……推測、いえ、憶測の域を出ませんので、今はまだ何とも。もう少し考えがまとまったら、お話します」

「……そうですか?」

 

 僅かに私に対する不信感を表情に浮かべたアスナさんだったが、それ以上は何も言ってこなかった。

 

 階段をゆっくりと上り、ついに14階へと辿り着いた私とアスナさんは、お互い無意識のうちにため息を吐いていた。

 13階は、私もアスナさんもマップが無く、手探り状態で駆け抜けたのだ。

 マップのあった12階までと違って、未開拓部分を駆け抜けるのは心理的にも負担が大きかったようだ。

 

「ここから先は、アスナさんのマップが頼りですね。私にも見えるように可視化してもらってもいいですか?」

「分かりました」

 

 アスナさんが私にも見えるようにマップを可視化してくれた。

 アスナさんのマップには、ギルドメンバーの居場所を示すカーソルがある。

 この階にKoBのメンバーが――救援要請を出したメンバーが、未だに留まっているという証拠だった。

 

「やはり、身動きが取れずにいるみたいですね……全員無事みたいで良かったわ……」

 

 アスナさんはギルドメンバーリストも合わせて確認したようで、彼らが生存していることに安堵の表情を見せた。

 

「ご無事で何より……ですが、既に九時間近く経っています。急ぎましょう」

 

 私はアスナさんのマップで確認したカーソルの方向へと歩きだした。

 アスナさんを先行させるわけにはいかない。

 精神的・心理的疲労が私より濃いアスナさんを少しでも休ませるためには、急ぎつつゆっくりと進む必要がある。

 

「……あの、セイドさん?」

 

 これまで同様《警報(アラート)》を活用して未開拓の通路を慎重に進んでいくと、アスナさんが何やら声をかけてきた。

 

「はい? なんですか?」

「ペースがゆっくり過ぎませんか? 先ほどまでに比べると、かなり遅く思うんですが」

 

 アスナさんは、眉間に皺を寄せて私のことを睨んでいた。

 

「流石にKoBメンバーが罠を見落としたと聞いていますからね。助けに来た私たちが罠にかかってしまったのでは二次災害も良い所です。慎重にならざるを得ないでしょう?」

「それはそうですが……」

「アスナさん、目標や目的が目の前にある時こそ、慎重になるべきです。急いては事を仕損じますよ」

 

 アスナさんを笑顔で言い包めて、私はゆっくりと歩を進めていく。

 

 言ったことに嘘は無い。

 全てを語っていないだけで。

 

 

 

 

 14階の通路を歩き始めて30分ほど経った頃。

 

 前方に十字路が現れたところで、アスナさんのマップの表示圏内にKoBメンバーを示すガイドカーソルが映り込んだ。

 それによって、彼らが近くに居ることは分かったが、私は無言で左腕を横に伸ばし、アスナさんを抑えて《警報》の機能で表示されている、通路の奥に居るモンスターの知覚範囲表示を睨んでいた。

 

(……これは、絡まれずに通るのは難しいか)

 

 通路の奥に居るのは、知覚範囲の広さから考えるに《ハイトロール》種だろう。

 その《ハイトロール》種のさらに奥に、別のモンスター反応もあった。

 

 《トロール》というモンスターの厄介な点として、感知範囲の広さがあるが、もう1つ厄介なのが、異種族のモンスターであっても《トロール》にはリンクするという点だ。

 

 否応なく戦闘になる可能性も考慮すると、少なくて同時に2体。

 最大で同時に6体のモンスターを相手取ることになりそうだ。

 

 俺は(・・)動き出すべきタイミングを意識しつつ、両拳を数度握り直した。

 そうして、アスナに状況を説明しようとした時――

 

「セイドさん! 彼らのカーソルがマップの表示範囲内に入っているんですよ?! 何故こんなところで止まっているんですか!」

 

 ――という力強い言葉とともに、アスナが急に前に飛び出した。

 それも、敏捷値を一気に解放したような加速力で。

 

「ま! 待て! アスナ!」

 

 急なことに俺もすぐに反応できず、制止の声をかけるのがわずかに遅れた。

 アスナが俺の声にとまった時にはすでに時遅く――

 

『ガララァッ!』

 

 複数のモンスターの呻き声が、通路に反響して幾重にも聞こえた。

 

「チッ! もういいアスナ! 左手の通路奥に走れ! そこに探してたメンツが居るんだろ! 罠に気を付けろよ!」

 

 アスナが跳び込んだのは、モンスターの知覚範囲が重なっていた場所だった。

 それも、3体分。

 

 アスナを捉えた3体の《ハイトロール》がアスナに反応し、その《ハイトロール》にリンクするように、奥に居たモンスター共もこっちに向かって突っ込んできているのが《警報》の反応で分かる。

 

 不幸中の幸いなことに、アスナの左手にある通路の奥にはモンスターの反応は無く、代わりにグリーンのプレイヤー反応が6つ。

 ギリギリのタイミングでアスナだけは救出対象の元へと行かせることができる。

 

「で、でも!」

「いいから行け! この程度の数なら俺1人で何とでもなる!」

 

 少々強引にアスナを通路の奥に突き飛ばし、俺は通路前に立ち塞がりって、押し寄せてくる《ハイトロール・マーセナリー》3体を足止めすべく身構えた。

 その奥からは《ハイオーガ・グラップラー》《ハイコボルト・センチネル》《ハイオーク・バンディット》という、実にバラエティ豊かな敵がやって来ていた。

 

「行け! 邪魔だ!」

 

 進むことを躊躇していたアスナに追加で怒鳴り、俺はトロールどもへと殴りかかった。

 

 

 





 ※2014/01/03 矛盾箇所修正


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第十二幕・障

鏡秋雪様、路地裏の作者様、Joker様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

お気に入り件数が940件を超え、亀更新ながらもお読みいただけていること。
また、評価にも多くの一言コメントをいただけていることに感激しております!(>_<)

今後もこれらを励みに更新を続けていきたいと思います m(_ _)m



 

 

 セイドさんに荒い口調で怒鳴られて、わたしは躊躇いを振り切って通路の奥へと走った。

 

 奥で身動きが取れていない彼らを助けて、すぐにセイドさんを助けに向かえば、わたしの不注意でリンクさせてしまったモンスターにもすぐ対処ができるはずだ。

 わたしは細剣(レイピア)を抜いたまま一気に部屋まで駆け込み、団員たちに声をかけた。

 

「貴方達、無事?!」

 

 わたしの言葉に反応して、部屋の奥から彼らの声が聞こえてきた。

 

「副団長殿!」

 

 部屋そのものは《モンスターハウス》と呼ばれるトラップがありそうなそれなりの広さの部屋だった。

 だけどモンスターなどは見当たらず、念のために使用した《索敵》に反応があったのは、プレイヤー反応だけだった。

 目に見えるような罠も無く、彼らは皆、床に座り込んでいる状態だった。

 

「おぉ! 本当に来て下さった!」

「やった! やったぁ!」

「これで……これで……っ!」

 

 わたしの姿を見て、彼らは皆一斉に歓声を上げて立ち上がった。

 サッと様子を見たところ、HPの損耗も部位欠損もないようで一安心だ。

 

「無事で良かったわ。一体何があったというの?」

 

 敵対対象が居ないことを確認して、わたしは細剣を鞘に収めつつ、彼らの元へと歩み寄った。

 

「申し訳ありません、副団長殿。私が不甲斐無いばかりに……!」

 

 彼らのリーダーである、短い髪を暗青色に染めた中肉中背の男性――《タウラス》が、わたしの前で片膝をついて頭を垂れた。

 

「いや、リーダーは悪くねえんすよ! 俺がピスケの言うこと聞かなかったせいで!」

「イヤ! 俺もレオと一緒に部屋に突っ込んじまった! スンマセン!」

 

 タウラスに続いて、少し長めの髪を金色に染め上げ、それをバンダナで纏めている軽薄そうな印象を受ける両手棍を装備した攻撃特化型(ダメージディーラー)の男――《レオ》が、わたしの前で額を床にこすり付けた。

 それを見た長身痩躯で茶髪に縁なしの四角い眼鏡をかけた、背にある大振りな両手鎌が目立つ攻撃特化型の男――《スコル》も、レオと並んで土下座を始めた。

 

「ちょ、ちょっと2人とも! やめなさい、そんなことしなくて良いわ! タウラスも顔を上げなさい!」

 

 わたしは慌てて3人に止めるよう声をかけたけど、3人とも頭を上げる気配はない。

 

「メンバーの統率を取り切れなかった私の責任です! そのせいで副団長殿にこのような場所までご足労をかけてしまい――」

「タウラス! 謝罪は良いから、何故このようなことになったのか、その説明を――」

 

 わたしがタウラスへ状況説明を求めようとした時、不意に首筋に不快感を覚えた。

 

(何!?)

 

 その不快感の正体を突き止めようと振り返ろうとし――

 

「え?」

 

 ――それは叶わなかった。

 

 急に足の力が抜け、崩れ落ちるように床へ倒れ込んでいた。

 辛うじて左腕を頭の下にすることで、頭部へのダメージを避けることはできたけど、横倒しの状態になってしまった。

 視界の端のHPゲージを見ると、HPバーは緑の点滅する枠に囲まれ、その右端には黄色い雷のようなマークがついていた。

 《麻痺》の阻害効果(デバフ)だ。

 

(麻痺?! 何で!)

「いやぁ、さっすがに現状で最高レベルの麻痺毒だぁねぇ。まぁあ? いっくら閃光様でぇもぉ、急所の首に喰らったぁらぁ、麻痺にもなるよぉなぁ」

 

 独特なイントネーションでそんなことを口にしたのは、灰色の髪をした、痩躯の小男――探索型の《ピスケ》だった。

 

「ピスケ……! これは何のつもり……?!」

 

 ギリギリ視界に納まっていたピスケを示すカーソルは、当然の如く《犯罪者(オレンジ)》カラーになっている。

 咄嗟のことでそんなことを口にしていたけれど、この状況で考えられることは1つだけだった。

 即ち――

 

「何のつもりとは……これはまた面白くないご質問ですね、副団長殿。もうお分かりなのでしょう?」

 

 タウラスの声が、今までの彼とは比べようがないほどに――いや、同一人物なのかすら疑いたくなるほどに、暗く平坦に、わたしの鼓膜を揺らした。

 

 

 ――わたしに届いた《救援要請》は、犯罪者の罠だったのだ、と。

 

 

 瞬間の思考と同時に、ポーチに入れてある解毒結晶を取り出そうと右手を動かしたけど、その動きは、果てしなく緩慢で。

 右手がポーチに届くよりも遥かに速く、ピスケがわたしの右手を掴んでいた。

 

「はぁい、はぁい。右手はぁあ、こうするんだぁよぉ」

 

 ピスケがわたしの右手に両手を添えて、人差し指と中指を揃えて伸ばす――メニュー画面呼び出しの際の形を作らせた。

 

「くっ! やめなさい……っ!」

 

 麻痺のせいで思うように動かない腕で、必死に抵抗するけれど。

 

「ハッ! 無駄な抵抗してんじゃねえよ。おら、ピスケ、とっとと可視化しちまえ」

 

 わたしの右腕を、更にもう1人、スコルが掴んで縦に振らせた。

 それだけで、わたしの意志とは関係なく、わたしのメニュー画面が開かれる。

 そのままピスケとスコルの誘導によって、メニュー画面の可視化ボタンをクリックさせられてしまう。

 

「くっ……!」

 

 こうなると、他のプレイヤーでも細かい操作が可能となってしまう。

 それこそ、身の毛もよだつような操作さえも。

 

「ワハハハハッ! あのアスナちゃんも、こうなっちまえばただの女の子だな!」

 

 全身金属鎧(フルプレート・アーマー)を震わせて兜すら外さずに笑っているのは、まず間違いなく、短槍(ショートスピア)を武器としている壁戦士(タンク)の大男――《リブラ》だろう。

 兜越しなので、声がくぐもって聞こえる。

 

「ワハハハハッ! 模擬デュエルじゃ1発も当てられなかったが、この状況じゃご自慢のスピードも形無しだな! ワハッ、ワハハハハハッ!」

 

 わたしの醜態が余程愉快なのか、この状況を延々と笑いながら眺めているようだ。

 悔しさが溢れるほどに湧き出ていても、今のわたしには抵抗する術がなかった。

 

「ウルッセェなリブラ。少し笑い堪えろよ。っつか、ホントのお楽しみはまだこれからだっての」

 

 レオがリブラを窘めつつ、わたしの眼前にしゃがみ込んだ。

 

「な? ア~スナちゃん、今から俺らとお楽しみタイムだもんな? 笑うなら、楽しんだ後にしろってな?」

 

 わたしの髪を掴んで顔を自分に向けさせたレオは、とても醜悪な笑みを浮かべていた。

 

 わたしは彼らの目的が分かった時点で、声を上げることを止めていた。

 せめてもの抵抗の意志を、態度で示し続けるために、声を出さずに睨み続けていた。

 

「お~お~、視線だけで人を殺せそうってのは、こんな感じっすかねぇ? どう思います、リーダー?」

「そんなことに興味は無い。それよりもピスケ。反応があったのは2人だったはずだな?」

 

 タウラスの言葉を聞いて、わたしは息を飲んだ。

 

 彼らはセイドさんの存在も当然の如く探知していた。

 仮にも《血盟騎士団》に入団できるだけの実力を持つ彼らが相手では、いくらセイドさんでも分が悪いだろう。

 

(何とか、この状況から抜け出さないと!)

 

 しかし、今のわたしには大きな声も出せず、辛うじて動かせる腕もピスケとスコルに抑えられている。

 わたし個人では対処しようがない。

 

「あぁあ、そうですよぉう。もうひとぉりぃ、来てるはずですねぇえ……あ~ぁ、通路の先に居ますねぇえ。なんで来ねぇんかぁなぁ?」

「ジェミ、連れてこい。後々面倒になる前に始末する」

 

 タウラスに言われ、無言で部屋を出て行ったのは、曲刀を腰に佩き、大楯を背負った全身金属鎧装備の大柄な壁戦士――《ジェミ》だ。

 同じ壁戦士のリブラとは違い、ジェミは常に無口で、わたしは彼が喋ったところを聞いたことが無い。

 

「やめなさい! 貴方達の狙いはわたしでしょう?!」

「ああ、その通りだ。我々は貴女が目的でKoBに加盟した。この世界で最も有名な《孤高の名花》のアスナさん」

 

 タウラスの言葉には、未だ感情の色が見られない。

 

「だが、目的が何であれ、不確定要素は取り除く。そのことに変わりは無い」

 

 他の4人は色めき立った様子だというのに、タウラスの、どこまでも暗澹とした様子には別種の恐怖を感じずにはいられなかった。

 

 そんな会話をしている間にも、ピスケとスコルはわたしのメニュー画面の操作を続け、ついに、話に聞いたことだけはあった《倫理コード解除設定》を呼び出してしまった。

 

「いんやぁ、この設定ってぇえ、引っ張り出すだけでぇもぉ、一苦労だぁねぇ」

 

 《倫理コード解除設定》というメニューは、オプションの中でも特に深い位置に設置されていて、呼び出すだけでも結構な手間がかかる。

 

 それもそのはずで、簡単に言うなら、倫理コードを解除してしまうとあらゆるハラスメント行為に対して警告が出なくなる。

 これは《アンチクリミナルコード》によって保護された主街区などの街――所謂《圏内》においても同様の結果をもたらす。

 

 それが今、圏外であってもある程度有効な、ハラスメント行為に対して最も重要な《倫理コード》が、ピスケらの手によって解除されてしまった。

 

「クフッ……クフフフッ……ピスケ、分かってんだろーな? 一気にやるなよ? 1枚ずつだぞ?」

 

 スコルが笑いながら、そんなことを口にしていた。

 

 1枚ずつというのが何のことなのか、理解した瞬間に悪寒が背中を走った。

 この人たちは、わたしを殺そうとしているのではない。

 もっと別の――

 

「わぁかってるよぉう。んじゃぁあまずはぁ」

 

 スコルの言葉にぼやくように答えたピスケは、わたしの装備フィギュアを操作して、まず武器を解除させた。

 自分の半身とも言える武器が消え、わたしは身一つで床に寝そべる状況となった。

 

 リブラが、その身体にそぐわない高い声をあげた。

 

「フォホゥ! 細剣が無くなるだけで、こんなにも可愛らしくなるなんてなぁ! 女ってのはホントに分からんもんだな! ワハハハッ!」

「女が、ってか、閃光様だからだろ、それ。ってか、スコルの趣味に合わせなくていいから、サッサと裸にひん剥いちまおーぜ」

「はぁ~……レオ、お前、分かってねえなぁ。1枚ずつ、こっちが焦らされるくらいゆっくり、脱がしていくのが、楽しいんだよ」

 

 リブラ、レオ、スコルが何やら問答を繰り返している間にも、ピスケはゆっくりと、しかし確実に、わたしの装備を1つずつ解除していく。

 わたしはそれに、声を出さないように必死に唇を食いしばって堪え続けた。

 

「気丈な女だ。流石、KoB副団長に任命されるだけのことはある、か」

 

 わたしの装備が、1つ、また1つと解除されていく中、タウラスは感情の無い一瞥をわたしに投げかけるだけだった。

 他のメンバーが《女》であるわたしを目当てにしているのに対して、タウラスの本当の目的は、何か違うのではないだろうか。

 

 わたしの思考が及んだのはここまでだった。

 徐々に肌の露出が高くなり、恥ずかしさで頬に血が上る。

 涙など見せるつもりはないのだが、男たちからの冷やかしの声と羞恥心、そして屈辱で、わたしの感情はいっぱいいっぱいだった。

 

「さぁあさぁあ、いっよいよぉ、下着だっけにぃい、なりましたぁよぉ」

 

 装備の解除にどれ程の時間をかけられたのか分からない。

 わたしは、覚悟を決め、目を閉じ、歯を食いしばった。

 

 泣いたりしない。

 やめてくれ、と懇願することもしない。

 この先、どんな辱めをうけようとも。

 この世界が現実で無い事だけが救いだと、絶望に沈む自分に言い訳をした。

 

 その時――

 

 

「そこまでだ」

 

 

 ――冷たい声が響いた。

 

 誰が、と思う間も無く、吹っ飛んできたジェミの身体に、ピスケが押し潰された。

 

「ウギャァッ?!」

「な、何だ!?」「ぬぉ!? ジェミ?!」

 

 ピスケの叫びに続いて、スコルの動揺した声と、リブラの驚愕の言葉が重なった。

 

「あ……っ!」

 

 悠然と姿を現したのは、いつもよりも――ボス攻略戦の時にも見たことのないほどに表情を険しくしたセイドさんだった。

 セイドさんを見て、不意に声が出て、更には涙も浮かんできたような気がした。

 

「何だ、お前は」

 

 唐突なセイドさんの乱入に、しかしタウラスは慌てた風も無く、武器を抜くこともしないまま、落ち着いてセイドさんと向き合っていた。

 わたしの視界の端では、スコル・リブラ・レオの3人もセイドさんの登場に応じるべく、それぞれの武器を抜いて身構えたのが見えた。

 

「うるせぇよ」

 

 そう言ったセイドさんは、臆することも怯むことも歩みを止めることも無く、大胆不敵にわたしの所へと向かってくる。

 

「そうか、なら聞くまい。だが、それ以上は――」

 

 タウラスの警告らしき言葉を最後まで聞くことなく、スコルとレオが僅かに時間差をつけてセイドさんに攻撃を仕掛けた。

 今のやり取りの何処で攻撃のタイミングを打ち合わせていたのかは分からないが、息の合った踏込に、わたしは思わず息を飲んだ。

 

「――近寄らせん」

 

 両手棍と両手鎌が織り成す《剣技(ソードスキル)》の連携は、あの2人の、そして彼らギルドの最も得意とする戦術でもある。

 

 リーチの長い大型武器であることを活かして、互いに隙の少ない広範囲を制圧する《剣技》を繰り出す。

 大型武器であるにもかかわらず、それぞれの隙を互いにフォローし合うことで相手に反撃を許さない。

 攻勢に出た2人の連携は、KoBの中でも屈指の攻撃力を誇ると言ってもいいだろう。

 

 しかし――

 

『なっ?!』

 

 ――セイドさんはそんな彼らの範囲型剣技の連携を回避するのではなく、拳で、そして蹴りで打ち払い、止まることなく歩き続けていた。

 

 高速で繰り出された強烈な《剣技》を、まさか武器も持たないセイドさんに打ち払われるとは思いもしなかったのであろうレオとスコルは、驚愕の声を上げるしかなかった。

 

 よくよく見やれば、セイドさんは見慣れない防具を装備していた。

 先ほどまでのセイドさんは、いつもの道着系防具だけで身を包んでいた。

 

 しかし今のセイドさんは、それに加えて手と足に追加の防具――おそらく《籠手(こて)》と《甲懸(こうがけ)》と呼ばれる物――を身に付けていた。

 

(普段、布製防具しか身に付けていないセイドさんが……初めて見たわ……)

 

 セイドさんは籠手と甲懸を利用して、2人の《剣技》を打ち払ったらしいのだけど、そのHPにはダメージらしいダメージが見受けられなかった。

 

 《武器防御》スキルでも、大型武器の攻撃をノーダメージで受け流すのは難しい。

 スキル値やレベル差だけではなく、攻撃を受け流すタイミングや角度によってもダメージの発生判定があるからだ。

 それにもかかわらず、無手のセイドさんが打ち払いながらも微細なダメージだということは、あの籠手や甲懸に打ち払いに関してのボーナスでもあるのだろうか。

 

「む」

 

 スコルとレオの攻撃を物ともせず、歩みを止めないセイドさんを見て、流石のタウラスも片手斧と小円盾(バックラー)を構えた。

 その隣でリブラも大楯と短槍を構えてゆっくりと前に出る。

 

「うぉおぃジェミィ! はやぁく退いてくれぇえ!」

 

 わたしの背後では、ジェミに押し潰されたままのピスケが、ジェミの鎧を叩きながらそんな悲鳴を上げていた。

 

「動けねぇよ。そいつ《気絶》してるからな」

 

 普段とは様子の違うセイドさんが、悠然と歩きながらそんなことを口にした。

 

「気絶だと? バカな! 俺とジェミは《行動不能(スタン)》耐性の高い防具で身を包んでいるんだぞ!」

 

 リブラが信じられないというように大声を上げ、セイドさんの進路を塞ぐように進み出た。

 

「なら、耐性値が足りなかったんだろう」

 

 セイドさんはリブラの叫びなど意に介さず、一言返すだけで更に歩を進めた。

 タウラスもセイドさんの進行に呼応するように1歩前へ出た。

 

 セイドさんの後ろでは、受け流されたスコルとレオが技後硬直(スキルディレイ)から回復し、セイドさんへと向き直ったところだった。

 

 これでセイドさんは4人に囲まれる形になる。

 こうなることをセイドさんは分かっていたはずだ。

 

(そう、セイドさんなら分かっていたはずなのに……何故、スコルとレオを迎撃するのではなく、受け流すというような形で()なしたんだろう?)

 

 わたしの疑問に答えが出る前に事態は進展する。

 

 セイドさんの背後からスコルとレオが再び襲い掛かり、リブラは大楯を前に突き出して更に前進し、タウラスはリブラの陰に身を隠してセイドさんへ攻撃を仕掛けるタイミングを計っていた。

 

 ここに来てようやくセイドさんは歩みを止め、その場で身を捻るようにして背後の2人からの攻撃を完全に回避して見せた。

 

 セイドさんが回避した瞬間を狙ってタウラスが飛び出し、体勢を崩していたセイドさんへと片手斧を振り下ろした。

 

 わたしは思わず息を飲んだ。

 タウラスの攻撃はほぼ完ぺきなタイミングで行われ、セイドさんがそれを回避することは不可能だと――いや、むしろ直撃するとしか思えなかった。

 

 しかしセイドさんは、崩れていた体勢を立て直したり踏ん張ったりしようとせず、そのまま床へと身を投げ出した。

 それでもセイドさんは倒れたわけではなく、側転するような勢いで床へ手をつき――というより、床を殴り、その反動で大きく跳ね上がり、驚いたことにリブラの真後ろに着地した。

 

 セイドさんは、ほんの一瞬の攻防だけで、4人の包囲を突破してしまったのだ。

 

 とはいえ、タウラスの1撃を完全に躱すには至らなかったようで、僅かながらセイドさんのHPが減っていた。

 

「ぬぅぉお! させるかぁああ!!」

 

 跳び越えられたリブラは、身を捻り、その勢いのまま短槍(ショートスピア)を横に薙いだ。

 

 咄嗟の1撃にしては相応に鋭い1撃ではあったけれど、短槍は貫通属性の武器なので横薙ぎにしたところで大したダメージは見込めない。

 しかし、セイドさんも短槍による突きでの追撃を予想していたようで、横薙ぎに振るわれるとは思っていなかったようだ。

 

 リブラの1撃が突きであったなら回避できていただろうけれど、横に薙がれた1撃は、身を捻ったセイドさんの腕をしっかりと捉えていた。

 

「っと! やるな」

 

 とはいえ、セイドさんのHPはタウラスの1撃が掠めたのと同程度のダメージしか受けていなかった。

 短槍ではなく曲刀や片手剣などの斬撃属性武器であったなら、もっと大きなダメージになっていたか、下手をすればセイドさんの腕に部位欠損が起こっていたかもしれない。

 

 なんにせよ、セイドさんはリブラの1撃を腕に受けつつも、ダメージを無視してわたしの所に飛び込んできてくれた。

 

「セイドさんっ! ごめんなさい!」

「話は後だ。おそらくこの部屋は――」

 

 可能な限り声を出して、わたしはセイドさんに謝った。

 今言う事ではないかも知れないけれど、言わずには居られなかった。

 

 しかし、セイドさんはそんなわたしには興味を示さず、視線をタウラス達に向けたままわたしに何かを伝えようとし、その言葉をタウラスが遮った。

 

「やるな、貴様。だが、アスナの元へと辿り着いたところで、状況は変わらんぞ。ここは――」

 

 タウラスは片手斧と小円盾(バックラー)を構え直し、セイドさんを睨みつけながら言葉を続けた。

 

 

「――《結晶無効化空間》だからな」

 

 




え~……今回は個人的に、ちょっとした挑戦的な回です。

オリジナルキャラであるDoRのメンバー視点ではなく、アスナ視点、という……。
なので、何か変だとか、アスナとしての違和感など、看過できない範囲であるようでしたらご一報ください m(_ _)m
可能な限り原作の雰囲気を壊したくありませんので、修正できる限り修正する所存です。



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第十三幕・皆既

ポンポコたぬき様、路地裏の作者様、Joker様、新兵@様、感想ありがとうございます!(>_<)

お気に入り件数が970件となりました!(>_<)
更新が遅いながらも、お読みいただけていることに感謝いたします!m(_ _)m



 

 

 タウラスのその言葉を聞いて、わたしは一瞬息が止まった。

 

 《結晶無効化空間》というのは、迷宮区やダンジョンで、モンスタートラップなどと併せて仕掛けられていることもある罠だ。

 これは、宝箱に仕掛けられていたアラームによって部屋にモンスターが大量発生し、更に結晶無効化空間となることでプレイヤーの死亡率が格段に高くなるという、通称《モンスターハウス》と呼ばれるこの罠は、遭遇率は低いけれど引っかかった場合の危険度は、各種罠の中でも群を抜いて高い。

 

 そして、この《モンスターハウス》には1つ、別の利用法――悪用法がある。

 

 この《結晶無効化空間》の罠は、大量発生したモンスターを掃討した後、パーティー全員が部屋から退去するまで解除されないという特徴がある。

 そして、この罠の多くが宝箱部屋に仕掛けられている物なので、普通にはモンスターのポップもない。

 これらの特徴を逆手に取り、《モンスターハウス》の敵を上手く全滅させ、その後にパーティーの誰か1人でも部屋に残り続ければ《モンスターの出ない結晶無効部屋》を意図的に作り出すことができる。

 

 こうして結晶無効部屋を作ることに成功すれば、後はPK対象のプレイヤーをそこにおびき出して一方的にPKすることが可能になるという、悪質な利用法だ。

 

「なるほどな。やはりモンスターハウスに居座ってたのか」

 

 タウラスの言葉で、セイドさんもこの部屋がどのようなものだったのかを確認したようだ。

 そして同時に、わたしも理解した。

 

 結晶無効である以上、わたしの麻痺を即座に回復する手段は存在しない、ということを。

 

 掛け声1つで相手を回復できる解毒結晶と違い、解毒ポーションは口に含み飲み下すことが必要になる。

 自分でできなければ他者が飲ませる必要があるけれど、今のこの状況で、セイドさんがわたしにポーションを飲ませることは不可能だろう。

 

 そして、わたしのポーチにもアイテムストレージにも、解毒ポーションは既に存在しない。

 

 ピスケとスコルの2人によって、メニュー操作と同時に奪われている。

 つまり、わたしが自力でポーションを口にすることもできない。

 

(まだなの……まだ麻痺は回復しないの?!)

 

 感覚的には、()うに5分以上経っているように感じられる。

 しかし、わたしの身体は未だに自由が利かず、HPバーも緑の点滅に包まれている。

 

「まさか、KoBに犯罪者(オレンジ)ギルドが紛れ込んでいるとは……一応の可能性としては頭の隅にあったが、現実になるとは思わなかったな」

「ほぉ、可能性としては視野に入れていた、と? ふぅむ……」

 

 セイドさんと睨み合いつつ、タウラスがセイドさんと言葉を交わす。

 

「道着装備に眼鏡……それにその洞察力……そうか。貴様が《指揮者(コンダクター)》……いや、この場では《空蝉(うつせみ)》と呼ぶべきか」

「…………はぁ~…………皆好きだな、人に二つ名を付けるのが」

 

 そんな会話をしつつも、タウラスの周りのメンバーはジリジリとセイドさんとわたしを囲むように動き、わたしの後ろでも、ジェミが意識を取り戻したようで、ピスケともども動いている物音が聞こえた。

 

「ま、好きに呼べよ。二つ名に興味はない」

 

 と、そう言い放ったセイドさんが、突然左脚を後ろに蹴り抜いた。

 その蹴りと何かがぶつかって、空中で硬い音がした。

 

「なぁっ!?」

 

 それに驚きの声を上げたのはピスケだった。

 

「ふ……アスナを麻痺させたのはこれか? 投げてどうする、折角の麻痺毒ナイフを」

 

 鼻で笑いながらそう言ったセイドさんの手が、辛うじて視界に入った。

 

 先ほどまで何も持っていなかったセイドさんの手には、禍々しい色の刃を持った1振りのナイフがあった。

 おそらく、ピスケが麻痺毒のナイフを《投剣》でセイドさんの背後から投げ、それをセイドさんは蹴り1つで弾き上げ、そのまま自分の手の中に落としたのだろう。

 

 死角からの攻撃に的確に反応し、回避するのではなく蹴り上げ、尚且つそれを自身の手に取るという、通常では考えられない神業だ。

 

「……お前たち、2歩下がれ」

 

 セイドさんのその動きを見て、タウラスが仲間を2歩下がらせ、自身も下がる。

 

「んん? 下がるのか? 囲みが広くなって穴が大きくなるぜ?」

「《空蝉》1つ聞きたい」

 

 タウラスの指示にセイドさんが挑発するように声をかけるも、気にした風も無くタウラスが質問で返した。

 

「貴様はさっき、わざと此方の攻撃を受けたな?」

「へぇ、どうしてそう思ったんだ?」

 

 武器や盾を構えているタウラス達に対し、セイドさんは特に構えるでもなく、両手を体の横に垂らして立つ、所謂(いわゆる)自然体で相対していた。

 

「今のピスケの《クイックシュート》を《剣技》も使わず無傷で防げる貴様が、スコルとレオの攻撃を避けれぬとは考え難い。それに私の攻撃もだ」

 

 タウラスの台詞を聞いたセイドさんが、小さく鼻で笑ったのが聞こえた。

 

「あれらのダメージをわざと負うことで、こちらを全員オレンジカラーにするのが目的だったのだろう?」

「マジっすかリーダー?!」「あれをわざとやっただと!?」

 

 タウラスの言葉に、信じがたいという様子でスコルとレオが同時に口を開き、声が重なった。

 

「どうやったのかは知らんが、ジェミもオレンジになっている。そう考えるのが妥当だろう」

「なかなかどうして、冷静な分析だな。なんでお前みたいな奴が犯罪者なんかやってんだ? KoBで真面目にやってりゃ、主要メンバーにもなれただろうに」

 

 タウラスの発言をセイドさんが遠回しに肯定した。

 

 半ば呆れた様子で答えたセイドさんに対して、タウラスはそれ以上口を開かなかった。

 代わりに左手を小さく上に挙げ、素早く前に振り下ろした。

 

 その途端、セイドさんは180度左に身を捻り、その勢いのままに左手を振るった。

 先ほどの様に硬質な音を響かせて、セイドさんの背後から飛来したナイフを左手の籠手が弾き落とした。

 

 しかし、セイドさんの動きはそれでは止まらなかった。

 そのまま竜巻の如く回転を続けながら、周囲から次々に飛来するナイフやピックを、或いは拳で叩き落とし、或いは蹴りで弾き飛ばし、或いは完全に見切って回避する。

 タウラス達6人による《投剣》での一斉攻撃だったけれど、セイドさんはそれを確実に捌いていた。

 

「……何という……」

 

 セイドさんの驚異的な防御技術を見たタウラスは、流石に驚いた表情を浮かべてそう呟いた。

 

 しかしすぐに表情を改め、今度は右手を大きく挙げ、それを素早く振り下ろした。

 すると――

 

「チッ!!」

 

 ――セイドさんが苦々しく大きな舌打ちをして、わたしに1歩近寄ってきた。

 

 

 麻痺が未だ解けず、床に伏したままのわたしにも状況は分かった。

 タウラス達は、セイドさんだけを狙うのではなく、わたしも一緒に狙って《投剣》で攻撃するようになったのだ。

 

 

 セイドさんは、回避するわけにいかない――つまりわたしが射線上に捉えられている《投剣》は確実に弾き、自分だけが狙われたものは回避するというように対応していくけれど、あまりにも飛来するナイフやピックの数が多い。

 速度もタイミングも方向も、全てがバラバラの《投剣》による攻撃の雨に、流石のセイドさんも次第に捌き切れなくなっていった。

 

 徐々に、弾き落とす際に削りダメージが発生し、時折掠めるナイフやピックによってHPを削られ、それらが蓄積してセイドさんのHPは少しずつ、しかし確実に減っていった。

 

(早く……早くっ!)

 

 わたしが麻痺してから相応の時間が経過している。

 もうすぐ麻痺から回復できるはずだ。

 しかし、わたしが回復するよりも早く、わたしを狙った攻撃(・・・・・・・・・)を弾き切れないと判断したセイドさんが、数発のナイフとピックをその身を挺してまで受け止めたことで――

 

「っ! セイドさん!!」

 

 ――セイドさんのHPは、ついに危険域(レッドゾーン)に突入してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はキリトと連れ立って《逆位置の死神(デス・オブ・リバース)》のギルドホームの前まで戻ってきた。

 しかし、そこからがどうしても踏み出せなかった。

 

(……きっと……怒ってる……よね……)

 

 セイドに会いたい気持ちと、自分の身勝手な行動の恥ずかしさが(せめ)ぎ合って、頭の中がいっぱいいっぱいだ。

 

 何と言って入れば良いのか。

 どんな顔をしてみんなの前に出ればいいのか。

 そもそも、もう一度ギルドに迎え入れてくれるのだろうか。

 このままここから追い返されたりしないだろうか。

 

「……ん? アロマ? どうしたんだ?」

 

 ドアをノックしようとしたポーズのまま、いろんなことが頭に浮かんできてしまい、動けずにいた私に、キリトが不思議そうに声をかけてきた。

 

「あ……あはは……何か……色々……考えちゃって……」

 

 ここに着くまでにキリトといろいろ話をして、気持ちの整理をしておいたはずなのに、いざその時になった途端、身体が動かなかった。

 

「……何なら、俺がノックしようか?」

「ううん! いい! 私がしなきゃダメなんだから!」

 

 キリトの言葉に1つ背を押されて、私は2度3度深呼吸をし――

 

「ッフギュッ!?」

 

 ――たところで、唐突に、しかも結構勢いよくドアが開いて、思いっきり顔面を殴打された。

 急な衝撃に、反射的に鼻を押さえてしゃがみ込んでいた。

 

「ん? ぉ?」

 

 ドアを開けた当事者は、開けた瞬間にドアが何かにぶつかったことを訝しんだようではあったけれど、それが私だとは気付かなかったようで。

 

「キリト? 何してんだ、そんなとこで。ってか、何かドアにぶつからなかったか?」

「あ~……マーチ……下だ……」

 

 僅かに開けたドアの隙間から顔だけを出して、玄関から少し離れた位置に居たキリトに声をかけたのは、マーチだった。

 

「っ~! もう、マーチ! 気を付けてよ!」

 

 私は鼻を押さえながら立ち上がり、ドアを開けられるように後ろに下がった。

 

「わりぃわりぃ。いや、まさか外に誰かいるとは思ってなかったからよ」

 

 あまり悪びれた様子もなく、マーチは笑いながらドアを開けた。

 そして、あっさりと。

 

「おーい! アロマが帰ってきたぞー!」

 

 中に向かって呼びかけていた。

 

「ぅうぇえ?!」

 

 意外といえば意外なマーチの態度に、私は思わず変な声を上げていた。

 

「ホント~? あぁ~! お帰り~ロマたん~!」

 

 マーチの言葉に反応して、ルイルイが飛び出してきて私に抱き着いた。

 

「ぁ……えと……た……ただいま?」

 

 ルイルイに抱きしめられたまま、困惑気味に私が答えると。

 

「ハハハッ! 何で疑問形だ!」

 

 マーチが笑ってツッコんできた。

 

「だ……だって……勝手にギルド脱退したうえに……フレ登録まで消しちゃったし……」

「んも~、そんなの気にしなくて良いよ~。ここは~、ロマたんにとっても《家》なんだよ~。だから~」

 

 ルイルイはそう言って抱擁を解いて、私の両肩に手を置いたまま真正面から私を見据えて、満面の笑みを浮かべて――

 

「お帰り! ロマたん!」

 

 ――改めてハッキリと、そう口にしてくれた。

 

「……っ! うん……ありがと……! ただいま! ルイルイ!」

 

 ただいま、とハッキリ答えた途端、涙が溢れてきた。

 思わずルイルイに抱き着いて、静かに泣いた。

 

「ってか、なんでキリトがここにいんだよ?」

「まあ、偶然彼女を見つけただけで――」

 

 そんなマーチとキリトの会話も、どこか遠くから聞こえてきた。

 

 

 

 

 一頻(ひとしき)り泣いて気持ちもある程度落ち着いたところで、私たちは玄関での立ち話を切り上げて、4人揃ってリビングへと移動した。

 

 移動してからしばらく経ったところで、ログたんがドアを勢いよく開けて跳び込んで来た。

 

「ア、アロマさんっ!!」

 

 半ば悲鳴のように私の名前を呼んだログたんは、弾丸のように真っ直ぐ私に抱き着いてきた。

 

「ちょっ! ログたんってば! 危な――」

「アロマさん! 無事で良かった! ほんとに良かったぁぁあ!!」

 

 叫びながら泣いていたログたんの様子を見て、いつものようにチョットふざけて答えようとしていた私は、すぐに言葉を飲み込んだ。

 

 よく考えれば、ログたんが自分の口でハッキリと話しているのを聞くのは初めてかもしれない。

 口下手なログたんがそうせずには居られないほどに、私の行動がログたんに心配をかけさせていた、ということが痛いほど分かってしまった。

 

「……ログたん、ごめんね、心配かけちゃって」

「ひゃぅあ~! うぁああ~ん!」

 

 私は大泣きしているログたんの頭を優しく撫でながら声をかけた。

 

「ただいま、ログたん」

「ぅわぁあ~ん!」

 

 ログたんが泣き止むのには、まだしばらくかかりそうな様子だった。

 そんなログたんを優しく撫でていると、マーチ達の会話が耳に届いた。

 

「意外と早く来たな、嬢ちゃん……さっきメッセ送ったばっかだってのに……」

「きっと~、お店の事を最低限で放り出して~、飛んできたんだよ~」

「なぁる。ま、嬢ちゃんもアロマのこと、かなり心配してたしな」

「セイちゃんも凄く心配してたよね~」

「ん? そういや、あいつは(おせ)えな。何してんだ?」

「そ~いえば~そ~だね~……ん~……60層の迷宮区か~。まだロマたんを探してるのかな~?」

 

 ルイルイのその言葉に、私はログたんを撫でながら視線をルイルイ達に向けた。

 

「は? アロマならここに……って、おいキリト?!」

「ん? 何だ、マーチ」

 

 少し離れた位置に座ってアイテムを整理していたキリトは、マーチの呼びかけに手を止めた。

 

「何だじゃねーよ! お前、セイドにメッセ入れてねーのか?!」

 

 そのマーチの台詞に、小さく息を飲んだのは私だった。

 

(あ! しまった!)

 

 思わずログたんを撫でる手が止まってしまったくらいに。

 

「あぁ、そうだった。実は、アロマと話をする時に、セイドとマーチをフレリストから削除させられてさ。メッセしたくてもできなかったんだよ」

「えぇぇえ~!? ロマたん、そんなことさせちゃったの~!?」

 

 キリトの台詞を聞いたルイルイとマーチが、揃って私に視線を向けた。

 2人の視線をまともに見てしまって、私は無意識に顔が引き攣った。

 

「あ……えと……その………………ゴメン……」

 

 ルイルイは驚いて、マーチは呆れて、といった表情を浮かべたまま2人とも言葉が出ない様子だった。

 

「ま、まあまあ2人とも。追われないため、連絡させないための手段としては簡単で有効な手段だったよ。油断してた俺も悪かったんだ」

「……キリトのその台詞だけで、アロマが何をやらかしたのか、大体わかった気がするぜ……ったく、ホント、うちのトラブルメイカーだな」

「ロマたんって、変なところで凄い大胆なことするよねぇ……」

 

 キリトは多くを語らなかったにもかかわらず、マーチとルイルイは私が何をしたのか、おおよその見当がついたらしい。

 私に向けられる視線が痛くて、私は2人から顔を逸らして、少し落ち着いてきたログたんを撫で続けた。

 

「……はぁ……仕方ねぇ、俺から(おく)――」

 

 ため息を吐きながらメニュー画面を開いたところで、マーチが唐突に言葉を切った。

 何かあったのかと、こっそりとマーチに視線を向けたところで、マーチは何やら画面を操作していた。

 

「――ろうとしたところで。あっちからメッセが来た。タイミングが良いな」

 

 どうやらセイドからマーチ宛にメッセが来たらしい。

 けど。

 

(……セイドから……メッセ?)

 

 私はそのことに、何か違和感を覚えた。

 

「メッセージ……? セイドって、60層の迷宮区に居るんじゃないか?」

「っ! それだキリト!」

 

 私はキリトの言葉を聞いて思わず立ち上がっていた。

 私に抱き着いて泣いていたログたんは驚いたようだったけど、その反動からか、ピタッと泣き止んでいた。

 

「変だよマーチ! セイドがダンジョンに居るのにメッセ送ってくるなんて、普通ならしないよ! わざわざ《伝言結晶》使ってまで!」

 

 これはつまり、セイドにとってメッセを送らねばならない事態が発生したことを意味しているのではないだろうか。

 

「マーチん、メッセの内容は?」

「…………厄介事のオンパレード週間だな、こりゃ……」

 

 私達の話を聞きながらマーチはメッセを読んでいたようで、読み終えたところで眉間を押さえてそう呟いていた。

 

「ルイ、サック6人分用意だ。ポーションと結晶、ありったけ詰めろ」

「ん、分かった」

 

 眉間を押さえたまま、マーチが唐突にルイルイにそんな指示を出し、自身は踵を返して部屋柄と向かって歩き出した。

 その瞬間のマーチの顔は、見たことも無い真剣なものだった。

 

「何があった、マーチ」

 

 只事ではない様子を感じ取ったキリトも立ち上がっていた。

 

「戦闘できる準備しとけ。俺も、ちと取ってくる物がある」

 

 しかしマーチはキリトの問いかけに答えず、それだけ言って自分の部屋へと入って行った。

 キリトは怪訝そうに眉を顰め、視線をルイルイに向けた。

 ルイルイはルイルイでマーチに言われたアイテムの仕分け中で、こちらから声をかけるのは憚られる雰囲気をまとっていた。

 

 マーチがルイルイに用意するよう声をかけたサック――正式名《アイテムサック》――とは、アイテム分配時に便利な袋アイテムのことだ。

 通常、SAOでアイテムを受け渡しするには、1対1でメニュー画面上でトレードするか、直接アイテムを手渡しするしかない。

 しかしそれだと、大人数に大量のアイテムを分配するには手間がかかる。

 アイテムサックは、アイテムストレージやギルドストレージから直接複数のサックにアイテムを分配することができ、そのサックごと渡すことで、その手間を簡略化するアイテムだ。

 

 SAOでのアイテムは、メニュー画面の操作で割り振れるからまだ楽だけど、これが現物で割り振るようだったら、この数倍の手間がかかるんだろうなぁ、なんて余計なことが頭の隅をよぎった。

 

「キリ君、ロマたん、パーティー申請送るから入って。そしたらサック受け取って」

 

 そんなことを考えていた少しの間に、ルイルイは素早くアイテムをサックに分け終えたようで、言うが早いか、私とキリトをパーティーへ招待してきた。

 

「分かった」

 

 ソロプレイヤーであるはずのキリトは、しかし特に躊躇った様子も無くルイルイの誘いに了承した。

 

「へぇ……」

 

 思わず漏れた声に、キリトが何か言いたげに私に視線を向けたけれど。

 

「無駄話してる暇は無いぞ。準備は?」

 

 いつの間にか戻ってきたマーチが、真剣な表情で、腰に普段は使わない《とっておき》を吊るしていた。

 

「サックはOK。戦闘準備はもうちょっと」

 

 マーチの問いかけにルイルイが短く答えた。

 

「俺はこのまま行けるけど、マーチ、彼女らも連れて行く気か?」

 

 キリトはキリトで思うところがあったらしい。

 何があったにせよ、戦闘をすると分かる発言をしているマーチに対して、ルイルイや私、ログたんを連れて行くのかと危惧しているようだ。

 

「ログはおいて行く。戦闘職じゃない。ルイは――」

「何と言われても行くよ。私はマーチんと一緒に」

「――って、言うに決まってる。アロマは気にするな。戦闘狂だか――」

「誰が戦闘狂だぁ!」

 

 マーチの台詞に思わずツッコんでいた。

 

「冗談はともかく。本気なんだな?」

「本気さ。少なくとも、アロマの実力の一端は見たんだろ?」

 

 私とマーチのやり取りを漫才か何かだと思ったのか、キリトは放置して話を進めた。

 

「確かに、充分に最前線でも通用するとは思うけど」

「なら、それだけで充分だ。時間が無い。後は向かいながら話すぞ」

 

 唐突に話を切り上げたマーチは、サッサと外に出て行ってしまう。

 ルイルイもそれに無言でついて行き、キリトもそれに倣った。

 

「アロマさん、お気を付けて」

「うん、ごめんねログたん。帰ってきたら、お願いしたいことがあるから、よろしく」

 

 鼻声ではあったけれど、ログたんも多くは語らなかった。

 私も、ログたんに声をかけながらドアを開け外に出た。

 すると、それを待っていたかのようにマーチが右手を掲げた。

 

「コリドー・オープン」

 

 

 



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第十四幕・幻月

ポンポコたぬき様、路地裏の作者様、新兵@様、Joker様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

お気に入り登録件数が980件を超えておりました!(>_<)
お気に入りユーザに登録して下さっている方々も増えており、嬉しい限りです(つ_T)

今後とも、お付き合いいただければ幸いです m(_ _)m



 

 

 俺が今手にしているのは、転移結晶よりも1回り程大きな濃紺色の結晶アイテム《回廊結晶(コリドークリスタル)》だ。

 

 《転移結晶》が、指定した街の転移門まで使用者1人を転移させるだけであるのに対し、《回廊結晶》は、任意の地点を出口として記録し、そこへ向かうための転移ゲートを開き、且つゲートは開いている間なら何人でも通れるという、極めて便利な代物だ。

 だが、通常の転移結晶と違い《回廊結晶》は、NPCが売っていないレアな結晶アイテムで、宝箱かモンスターからのレアドロップでしか手に入らない。

 

 結果、これを使う機会はほとんど――いや、今日まで自分で使ったことなど無かった。

 

「コリドー・オープン」

 

 そんなレアな回廊結晶を、俺は今、惜しむことなく使用した。

 俺の手の中で結晶が砕け散り、俺たちの前に光の渦を作り出す。

 

「って、マーチ! それ、うちのギルドに1個だけあった回廊結晶?! 何で?!」

「行くぞ」

 

 何やら素っ頓狂な声を上げたアロマを無視し、俺は出現した光の渦に向かって躊躇うことなく歩を進めた。

 一瞬の浮遊感の後、目の前に広がっていた景色は、見たことのない場所だった。

 マップを広げてはみたが、やはり道は表示されない。

 

(来たことが無いんだから当然、か)

 

 マップを開いていた俺の後ろから出てきたのはルイとキリト、最後がアロマだった。

 

「……ここどこ~?」

「どこかの部屋の前、ってわけでもないね……マーチ、せ・つ・め・い!」

 

 周囲を見回して、ルイが呟き、アロマが説明を要求してきた。

 が、ただ1人、この場に関する知識があるであろうキリトは――

 

「ここは……まさか60層の迷宮区か? でも、なんでここに回廊の出口が……」

 

 ――見事に場所を言い当てた。

 まあ、何故ここに出ることができたのかは、流石に分からなかったようだが。

 

「60層迷宮区の13階に上がったところらしい。キリト、この階のマップはあるか?」

「13階だって!?」

 

 キリトの言葉を聞きながら、俺はセイドからのメッセをそのまま3人に転送した。

 

 

【回廊出口60層迷宮区13階始点に設定済。14階PK罠、閃光危機。進・中左左右直左直右段右左右左左前左】

 

 

 送ったメッセを3人が開いたのを確認したところで、俺は3つある部屋の出口のうち、中央の出口へと進んだ。

 

「とりあえず行くぞ。セイドからの救援要請ってことは、かなりヤバい状況のはずだ」

 

 俺はそれだけ言って《隠蔽(ハイディング)》を発動させる。

 後ろの3人も少し慌てたように駆けながら《隠蔽》を発動させて追い付いてきた。

 

【マーチん、このメッセの閃光ってやっぱりアスナんのことかな?】

 

 《隠蔽》中なのでルイがパーティーテキストで語りかけてきた。

 

【だろうな。キリト、アスナもここに居るな?】

 

 俺もパーティーテキストで答え、そのままキリトにアスナの居所を確認させる。

 

【ああ、ここに居る】

 

 俺は《索敵(サーチング)》で先を確認しながら留まることなく早足で進んで行く。

 

【セイドのメッセってなんか暗号みたい。伝言結晶の上限文字数の50文字ピッタリだよ】

 

 アロマの場違いな感想も、ある意味では的確なものだった。

 

【暗号のようだからこそ本人だと分かる。罠の可能性は無い】

【確かに、こんな文を書くプレイヤーがセイちゃん以外にもいたら、それはそれでビックリだよね】

 

 ルイもメッセだけでセイド本人だと確信できたようだ。

 なら、まず間違いなくセイド自身からの救援要請だろう。

 

【端的に事態が分かるのも凄いけど、最後の方の羅列って、もしかして進路ってことか?】

 

 キリトもメッセの最後の部分は分かったようだ。

 この場所のマップを持っている可能性があるのはキリトだけだが、マップを開きながらメッセの末尾の羅列が進路を示すものだと確証を得たらしい。

 

【キリトが居るとは思ってなかっただろうからな。マップが無くても最短ルートで辿り着けるように書いたんだろう】

【流石セイちゃんだよね】

【でもさ、前とか左右はまだ分かるけど。直って何?】

【おそらく分かれ道があっても曲がらず、突き当りまで進むってことで、直進の意味だろ】

 

 そんな会話を索敵の片手間にこなしつつ、モンスターを《隠蔽》でスルーしながら進んでいくと、最初の分かれ道――十字路に出た。

 

【ここを左だな】

 

 一応全員居ることを確認し、俺は左の通路に足を踏み入れ――

 

「待てマーチ!」

 

 ――即座にキリトが声を荒げて待ったをかけた。

 

 しかし、キリトの制止よりも早く、俺が一歩踏み出した直後に頭上で小さな物音。

 

 おそらく罠だったのだろうが、俺は反射的に音源の方向へと刀を振り抜いていた。

 確かな手応えを感じつつ、刀が鞘に納まるのと同時に、俺の左右の床に大きなものが落ちる音を聞いた。

 

「待つ必要はない。この程度の罠なら斬る」

 

 床に転がったのは縦に斬り飛ばされた巨大な岩石だった。

 落下物系トラップの中ではメジャーな《落石罠》だ。

 

「さっすがマーチ。相変わらずの早業だねぇ」

「マーチんにかかればこんなものだよ~、キリ君もあんまり気に――」

「ダメだマーチ」

 

 アロマとルイがいつも通りの感想を口にしたが、キリトはルイの台詞を遮ってまで真剣な表情で首を横に振った。

 

「その方法だと、この先、パーティーを巻き込むぞ。この層から落下系で爆弾が混ざり出した」

 

 キリトのその台詞は、流石に聞き流すわけにはいかなかった。

 

「爆弾だと?」

「ああ。ダメージそのものはあまり大きくないけど、範囲ダメージだからパーティー全体にダメージが来る。場合によっては《火傷(バーン)》や《行動不能(スタン)》のデバフも受けるし、何より音と光がデカい」

「……寄せ餌か」

 

 キリトの言わんとしていることが分かった。

 

 爆弾の罠は、落下物系でありながら周囲のモンスターも呼び寄せるタイプの罠なのだろう。

 これまでのように落ちてくる物が岩石や鉄球、槍や棘天井などなら斬ったり回避したりで済むだろうが、爆弾だとすれば罠の作動そのものを阻止する必要がある。

 

 そして、今の罠は俺の《索敵》には反応していなかった。

 スキル値が足りないという証拠だ。

 

 キリトもそのことを察したのだろう。

 キリトは既に《隠蔽》を発動させた状態で俺を追い越し、テキストで語りかけてきた。

 

【マーチ、俺が前に立つ。索敵スキルなら俺の方が高いだろ?】

 

 黒い片手剣を右手に携えながら笑うキリトに、よくまあ素早くテキストが打てるものだと、変なところで感心してしまった。

 

【前は任せた。俺は殿に立つ。ルイとアロマは俺とキリトの間に立て】

【OK】

【了解】

 

 結局、探索に最も長けているキリトを先頭に据え、俺たちは迷宮区の13階を駆けて行くことになった。

 

 セイドのメッセにあった最短距離の進路を走りながら、キリトは《索敵》《隠蔽》の併用によって、進路上の障害となる敵には先制攻撃を仕掛け、罠は可能な限り回避していく。

 この4人で唯一の難点は、誰も《罠解除》を習得していなかった点だが、罠は殆ど無かった。

 先にここを通ったであろうセイドが解除していったのだろう。

 

【そいえばマーチ、回廊結晶が何でここに通じてたの?】

 

 モンスターとの2回目のエンカウントの後、アロマが走りながらそんなことを聞いてきた。

 

【知らん。セイドが13階に出口を設定したのは確かだろうが、いつ用意したのかは分からん】

【でも、結晶ってギルドストレージに入ってたんだよね? ってことは、セイちゃんが1度ギルドに戻った時に置いてったってことだよね?】

【いや、暴走前に1度戻ってきた時には六階まで上ったと言っていた。多分、暴走から復帰した後にどこかの街でポストにでも放り込んだんだろう】

 

 

 25層以上のコードに保護された街には《ポスト》と呼ばれる設置物がある。

 ギルドホームを購入したプレイヤーは、ギルド用のアイテムストレージ――所謂(いわゆる)《ギルドストレージ》を利用できるようになるが、このストレージには1つ難点がある。

 ギルドホームの外ではストレージを呼び出せないのだ。

 呼び出せないので、無論、アイテムの出し入れもできず、内容の確認もできない。

 

 その不便さを僅かながらも軽減してくれるのが《アイテム郵送システム》――通称《ポスト》だ。

 

 ポストに1度に入れられるアイテムは12種類まで、という制限はあるものの、買い出し先の層でアイテムストレージが一杯になったからといって、わざわざギルドホームまで戻らなければならないという手間を、多少省いてくれる。

 これを利用すれば、セイドが回廊結晶をギルドストレージに送ることが可能、というより、それ以外では方法もタイミングも無かっただろう。

 

 

【気になるのは、いつ、そして何故13階を出口に設定していたのか、じゃないか?】

【そうだよマーチ。ポストを使うにしても街じゃなきゃ無理じゃん。オレンジの罠に気付いたからって、迷宮内からは送れないんだよ?】

 

 キリトとアロマのテキストを見て、俺はため息を吐くしかなかった。

 

【んなこたぁ分かってる。だが、それも含めて本人に直接聞くしか知り様がねえ】

 

 セイドの行動理由を、何でもかんでも俺が分かると思われては困る。

 あいつの思考は、俺にも分からないことの方が多い。

 

【知りたきゃ、セイドが生きてるうちに助けるしかねえぞ。キリト、もっとペースを上げろ】

 

 13階を走り出してから約10分、メッセを受け取った時から数えれば約15分が経過していた。

 軽く時間を確認しながら13階での最後の直進を走り抜け、Y字路を右に入った道の先に、ついに階段が――

 

「見えた!」

 

 階段を確認した途端、アロマはキリトに並ぶかの如く、筋力値にモノを言わせた跳躍を利用した加速をしてみせた。

 

「ぅぉ?!」

 

 キリトはアロマの加速に驚いたように体を揺らしたが、流石の精神力ですぐに平静を取り戻したようだ。

 

「焦んなアロマ! 罠やモンスターに引っかかったらタイムロスだぞ!」

 

 俺は一応声をかけたが、キリトが待ったをかけないのだから、階段まではモンスターも罠も無いのだろう。

 

「ったく……」

「ふふ。ロマたん、よっぽど心配なんだね、セイちゃんの事」

 

 いつの間にやら俺の横に並んでいたルイが、微笑みながらそんなことを言っていた。

 

 階段に飛び込んだのは、キリトとアロマがほぼ同時に。

 少し遅れて俺とルイがほぼ同時だった。

 

 14階へ至る階段を、キリトとアロマの背を追って駆け上がりながら、俺の頭の片隅では不安が首を(もた)げていた。

 

(……あいつだけなら、犯罪者(オレンジ)ギルドの1つ程度……それがたとえKoBに並ぶ実力であっても、30分以上あしらい続けることも可能だろう……だが――)

 

 メッセにあった【閃光危機】の1文。

 これが事実なら、そしてセイドの性格を考えれば、どうしてもそこだけが不安を煽る。

 

(――もし、アスナが自由を奪われていて、そのアスナを、あいつが庇っていたら……)

 

 セイドは回避に特化している。

 逆に言えば、防御に関しては《紙装甲》だ。

 誰かを庇うことには、まったく向いていない。

 

 

 

「(生きてろよ……)」

 

 

 

 思わず口の中で小さく呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分のHPが大きく減ったであろうことは分かった。

 

 元々、俺の装備やスキル構成は誰かを庇う事には不向きだ。

 にも拘らず、俺は今、アスナを庇ってナイフとピックを腕・脚・腹で受け止めてしまった。

 

 これらがただのナイフとピックであったのなら、こんなことはしなかった。

 アスナがダメージを受けたとしても、高レベルを誇るこの女なら、ギリギリ注意域(イエローゾーン)には陥らないだろう。

 

 だが、俺が受け止めたこれらには――

 

「……残念だが、俺を麻痺させるには至らなかったみたいだな」

 

 ――小柄な男、確かピスケとか呼ばれた男が最初に投げたナイフと同じく、強力な麻痺毒が塗られていた。

 

 

 元々、ある程度まで《耐毒》スキルを上げてある俺は、それに重ねて《耐毒ポーション》も事前に飲んでいた。

 アスナが麻痺させられたことを確認した時点で取った対策だ。

 そのおかげもあって、現状で最高レベルの麻痺毒であっても、俺の耐性値は超えられなかったようだ。

 

 その代わりに、ポーションの冷却待ち時間(クーリングタイム)のせいで《再生(リヂェネレート)ポーション》――20分間、5秒ごとにHPを1%ずつ回復し続ける高価なポーション――を飲めなかったのは痛手だった。

 

 基本的にダメージを受けないことを前提にしている俺は《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルを習得していない。

 《戦闘時回復》の成長条件が、俺のスタンスとは真逆だからだ。

 

 つまり、回復用のポーションもスキルも無い今の俺には、HPの回復は起こり得ない。

 

(あの壁戦士(タンク)ヤロウが来なければ飲めたかも知れなかったが)

 

 間の悪いことに、曲刀装備の壁戦士――ジェミが俺に斬りかかって来たのは、俺がモンスターを全力且つ速攻で殲滅し《耐毒ポーション》を飲み干した直後だった。

 

 

「毒の有無を見切っているのか?!」

 

 俺の台詞と行動に、リーダーの男が流石に驚いたように声を荒げた。

 沈着だった奴の度肝を抜けたことには密かに喜びを覚えたが、それはこの際置いておく。

 

「んなぁあバァカなぁ!」

 

 ピスケもまた、耳障りなイントネーションで叫んでいた。

 だが俺もまた、ピスケ以外の5人も麻痺毒武器を持っていたという事に、内心かなり驚いていた。

 この後も麻痺毒武器が続くようだと、俺も麻痺に陥る可能性が――

 

(――フフッ……その前にHPが尽きるか……要らん心配だったな)

 

 麻痺を気にするよりも、今はHPを気にするべきだろう。

 俺のHPバーは既に危険域。

 打ち払う程度ならまだしばらくは大丈夫だろうが、受け止めるようなことは自殺行為に等しいだろう。

 

(……逆転の一手は、俺自身には無い)

 

 驚きを表しながらも、奴らは断続的に《投剣》を続けている。

 回避を基本として、どうしても避けられないものを打ち払い、麻痺毒のない物は、この際アスナにも受けてもらうとしても、いずれ限界が来る。

 

(俺のHPが尽きるのが先か、奴らの武器が尽きるのが先か。そして――)

 

 犯罪者(オレンジ)共への注意は怠らぬまま、視線だけで僅かにアスナの様子を見やった。

 おそらく《耐毒》スキルを持っていなかったのであろうアスナは、未だに麻痺から抜けていない。

 だが、アスナが麻痺に陥ってから、そろそろ15分が経過するはずだ。

 如何に現状で最高レベルの麻痺毒といえど、残りの効果時間は限られている。

 奴らがアスナを狙って麻痺毒武器を投げてきたことからも、奴らもそのことを分かっている。

 

(――逆転の可能性は、アスナの復活、もしくはマーチの救援)

 

 だからこそ、今ここでアスナの麻痺を延長させないよう、身を挺してまで防いだのだ。

 

「アスナだけ狙え! 麻痺を切らせるな!」

 

 だが、こちらの狙いはリーダーの男も分かっているらしく、今度は6方向から同時にアスナ目掛けて麻痺毒のピックが投げられた。

 流石にこれを全て弾くだけの余裕は無い。

 そして、今の俺のHPでは代わりに受けることもできない。

 

 仕方なく、俺は――

 

「クッ!!」

 

 ――着ていた道着を無理矢理破り、アイテムとしての手荷物状態――破損防具へと変化させる。

 

 そして、布切れの様に成り果てたそれを一息に後ろへと放り投げた。

 後方から飛来していた3本のピックは、その布切れに阻まれて威力と狙いを大幅に散らされ床へと落ちた。

 

 ピックの落下音とともに、道着の砕け散る小さな破砕音も聞こえる。

 そして俺の前方からのピック3本は、何とか叩き落とすことに成功した。

 

「ッ!」

 

 それを見たリーダーの男は小さく、しかし確かに舌打ちをした。

 

 道着の成れの果てとはいえ、道着としての耐久値をある程度持った布はピック程度なら受け止められた。

 だがもし、この攻撃がナイフであったのなら、この手は通用しなかっただろう。

 ナイフの攻撃力はピックのそれより遥かに高い。

 布切れと化した元道着など、易々と切り裂かれていただろう。

 

 そして。

 

(これで、本当に手詰まりだ)

 

 道着を解除してしまった今、胴に装備しているのはインナーだけだ。

 これはハラスメント行為防止のために脱ぎ捨てることができないので、同じ手は使えない。

 同様に脚防具である筒袴も脱ぎ捨てることはできない。

 

(まだか、アスナ! マーチ!)

 

 だが《警報》の麻痺回復予測は、未だアスナの回復を示さない。

 

「まさに《空蝉》といったところか? だが、次は無いぞ」

 

 リーダーの男の言葉で、再び振りかぶった奴らの手には、今度こそ麻痺毒のナイフが握られていた。

 

 

 

 

 不意に。

 

 ギルドホームの景色が思い出された。

 

 子どもの頃から幾度となく喧嘩をし、泣き、笑い、励まし合ってきたマーチがいる。

 

 マーチの隣でいつも笑顔が絶えず、しかし怒らせるとマーチよりも怖いルイがいる。

 

 口下手で、人見知りが激しくて、それでも一人で店を切り盛りしているログがいる。

 

 そして。

 

 いつも元気で、豪快で、快活で。

 

 トラブルメイカーで、ムードメイカーで。

 

 実は優しくて、弱くて、繊細な、赤髪の彼女が――アロマがいる。

 

 そんな大切な仲間たちとの数え切れない想い出の日々が、瞬く間に、それでいて鮮明に。

 確かな記憶として思い出された。

 

 

 

 

(走馬灯ってやつか? これが)

 

 犯罪者共がナイフを持った手を後ろに下げていくところが、まるでスロー再生の様に見えた。

 そして、俺の身体も鉛でも詰められたかのようにスローにしか動かなかった。

 

(こんなところで、俺は――)

 

 

 

 

 

 

 その時。

 

 リーダーの男の背後――部屋の唯一の出入口から、2つの影が跳び込んできた。

 

 1つは黒い影。

 

 1つは赤い影。

 

「リィダァア!」

 

 俺と同じ方角を見ていたピスケも2つの影に気付き声を上げた。

 ピスケの声に反応するようにリーダーの男は、咄嗟に左腕に装備していた小円盾を左後ろに振り向きざまに胸の前に構えていた。

 

 しかし完全に振り向く前に、小円盾の上から横薙ぎの強烈な一撃を喰らい、その身体ごと右に吹き飛ばされた犯罪者のリーダーは、右手側に居た金髪バンダナをも巻き込んで壁へと叩きつけられた。

 

 

 リーダーの男と金髪バンダナをまとめて壁までぶっ飛ばしたのは、赤い影――

 

「……ア、ロマ……」

 

 ――見間違えようがない、俺たちギルドのトラブルメイカー、アロマだった。

 

 

 

「アスナ!」「セイドッ!!」

 

 一方の黒い影は、攻略組の筆頭ソロプレイヤー《黒の剣士》キリトだった。

 キリトとアロマは同時にアスナと俺の名を呼びつつ、こちらに突っ込んできた。

 

 

 アロマがリーダーの男と金髪バンダナを叩き飛ばしたのと同時に、キリトもまた、大鎌装備の眼鏡男を後ろから殴り倒していた。

 

 キリトはまっすぐにアスナの元へと駆け寄り、すぐに予備のコートを取り出してアスナにかけてやっていた。

 

「キリト君……!」

 

 キリトの登場に、先ほどまで一切涙など見せなかったアスナが、遠目にも分かるほどに一筋の涙を流していた。

 

「大丈夫だ、アスナ。もう大丈夫だから」

 

 キリトはそう言って、アスナを優しく抱き起してやり、解毒ポーションの瓶をアスナの口元へと差し出していた。

 これでアスナは大丈夫だろう。

 

 

 キリトがアスナの元に駆け寄ったのと同時に――

 

「セイド! 無事だね?!」

「ップ!?」

 

 ――思わず息が詰まるほどの勢いでアロマが俺に突っ込んできた。

 

 反射的に抱き留めると、アロマが大きく肩を上下させているのが分かった。

 相当急いでここまで来たらしい。

 

「って、セイド、HP赤じゃん!? 早く回復しないと!! ヒール!……え?! 何で!?」

 

 アロマは、結晶無効化部屋だと気付いていなかったようで、回復結晶が使えなかったことで更に慌てていた。

 

「アロマ、落ち着け。ここは結晶無効だ。じゃなきゃ俺もアスナもこんな状況には――」

 

 陥らない、と言葉を続けようとしたが、アロマは大人しく聞いていなかった。

 結晶無効と分かった途端、アロマはポーチから回復ポーションの瓶を取り出して――

 

「セイドッ!! 回復ポーション!! ほら早く飲んで!!」

「――ンムグギゴッ!?」

 

 ――俺の口に強引にポーションの瓶を押し込んだ。

 

 それも2本同時に。

 

 そんな行動が、アロマらしいというかなんというか。

 心配してくれるのはありがたいが慌てるな、と一言文句を言おうにも、ポーション瓶を2本も同時に突っ込まれていては喋ろうにも喋れなかった。

 それ以前に、2本突っ込まれても、効果があるのは1本分だけだというのに。

 

「――ンゥッグブッ……プハァッ! だから少し落ち着けっ!?」

 

 ポーションを押し込んでいたアロマの手を退けて、俺は何とか口から瓶を引き抜いた。

 

 そしてすっかり忘れていたが。

 

「っと!」

 

 俺は素早く周囲を見回した。

 

 まだ犯罪者共に囲まれている状況は――

 

「おー、気にせず続けて良いぞセイド」

「ロマたんとの感動の再会なんだし~。もっとしっかり抱きしめてあげなきゃ~」

 

 ――終了していた。

 

「……え?」

 

 思わず間の抜けた声を上げてしまったほどにあっさりと、周囲は制圧されていた。

 

 アロマとキリトの突入後、すぐにマーチとルイも来ていたのだろう。

 気が付けば、後ろに居た3人も床に這いつくばっていて、リーダーの男の首にはマーチが刀を突き付けていた。

 そして驚いたことに、後ろの3人――ピスケ・ジェミ・名を知らない壁戦士(タンク)――を無力化したのはルイだった。

 

 ピスケとジェミは床に俯せに倒れていて、2人ともHPバーの横には《気絶》のマークがついていた。

 

「ぬぅぅうううがぁぁぁぁぁあああっ!!」

 

 唯一気絶しておらず、未だに諦めていない様子の短槍を持った壁戦士は、しかしルイの鞭に全身を絡め取られていて、呻き声とともに体を揺らすも、それ以上は何もできずにいた。

 

「あ~、五月蠅(うるさ)いから黙っててね~」

 

 ルイは他2人を昏倒させたであろうメイン武器の片手用棍棒を、抵抗を諦めない男の頭部へと全力で振り下ろした。

 壁戦士であり、全身を重金属防具で固めているにもかかわらず、ルイの一撃はその男の兜を軽々と粉砕し、見事にその鼻っ柱に片手棍をめり込ませていた。

 

 これで脳筋っぽい壁戦士も気絶と相成った。

 

「お……お前ら……そんな、本気の装備で……」

「全力出すに決まってんだろ。わざわざお前がメッセ寄越すなんて普通じゃねぇし。武器も出し惜しみなんかしねえよ」

 

 マーチはリーダーの男に刀を突き付けたまま俺に顔を向けた。

 

 ルイの持つ片手棍は、頭部への攻撃がヒットした場合、気絶させる確率に高いボーナスがある物。

 マーチが持っている刀に至っては、ギルドメンバー以外には見せないように努めていた秘蔵の武器だった。

 

「ぅぉぉおおおっ!!」

 

 と、マーチがリーダーの男から視線を逸らしたのを好機と見たのか、雄叫びとともにマーチへと跳びかかって行ったのは、キリトに殴り倒されていた大鎌装備の男だった。

 

 キリトが殴り倒す際に使用したのは《体術》の基本技《閃打(センダ)》の一撃のみ。

 それを不意に、且つ背後から喰らったことで床に倒れてはいたが、ダメージそのものは大したことは無かった。

 つまり、大鎌の男が、最も自由に動ける最後のプレイヤーだと言えるだろう。

 

 マーチは目を細めて大鎌眼鏡を見据え、気が付けば刀は鞘に納められていて、既に抜打ちの体勢に移行している。

 そして、マーチも大鎌の男へと疾走し――すれ違った次の瞬間、大鎌の刃が柄からずれ落ち、床に突き刺さったところで砕け散った。

 

「なっ……!?」

 

 眼鏡の男の手の内にあった元大鎌の柄も砕け散り、それを見た男は呆然と立ち尽くしてしまっていた。

 

「大人しく寝てなさ~い」

「がっ!」

 

 武器喪失で呆然としていた所に、ルイが即座に頭部へと片手棍を振り抜いていた。

 的確に背後から攻撃したことで、眼鏡の男も気絶へと陥った。

 

 ちなみに、リーダーの男と一緒に吹き飛ばされて下敷きにされた金髪は、それだけで気絶していた。

 

 

 そんな状況の中、まだ1人だけ立ち上がる男がいた。

 

「お前たちは一体……初めから6人パーティーだったのか?……いや、なら2人だけが別行動をしていた意味は無いはず……」

 

 唯一意識を保っていられた、奴らのリーダーだ。

 

「タウラス……もう諦めなさい」

 

 あまりにも唐突な展開に、リーダーの男――タウラスはブツブツと何事か呟いていて、それをキリトに支えられて立ち上がったアスナが真っ直ぐに見据えていた。

 

「諦める? 何を? 諦められぬから、我々は今、ここにこうして立っていたというのに……」

 

 アスナの言葉に対して虚ろな瞳のタウラスが言葉を返したが、その内容には不可解なものが混じっているように感じた。

 

「逃げ場はねえし、状況は逆転したって意味だ。もう無駄な抵抗すんじゃねえぞ。俺達だってプレイヤーに攻撃なんぞしたくねえ」

 

 そう宣告したマーチは、それでもタウラスの動きを警戒してか、刀の柄から手を放してはおらず、いつでも抜き打てる状態を維持している。

 

「……フ……フフ……そうだな……もう……諦めるしかないか……だが……私自身のことなど……どうでも……助けられぬまま終わるとは……」

 

 タウラスは、虚ろな表情のままそう呟いて、膝から崩れ落ちた。

 

 

 





気が付くと、この話でトータル60話目でした……思えば遠くへ来たものだ……(一_一)

皆様にお読みいただけているからこそ、続けていられる、そしてこれからも続けていけるのだと実感しております(>_<)

今後とも、誤字脱字の指摘、内容の良し悪し等、何でも構いません、感想やメッセージにて一声かけて頂けると嬉しいです m(_ _)m


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第十五幕・望

ポンポコたぬき様、satan.G.F様、路地裏の作者様、ガーデルマン様、Mμ様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

なんと……ついに……お気に入り登録件数が1,000件を突破いたしました!!(>▽<)
本当に、本当に感動しました!
リアルでガッツポーズをとったのは久しぶりですw

亀更新ではありますが、今後ともDoRのメンバーともども、お付き合いいただければ幸いです!m(_ _)m



 

 

 タウラスが崩れ落ちたことで、この騒動は決着したと見ていいだろう。

 俺はそれを見届けて、ようやく安堵のため息を吐いた。

 

「ハァ~…………みんな……よく来てくれた……スマン」

「ハッ! 俺らが助け合うのは今に始まったことじゃねえだろ」

「そ~だよ~セイちゃん。気にしな~い気にしな~い」

 

 俺の言葉に、マーチとルイがいつも通りの笑顔で答え、それを見て俺は――

 

「ととと?! ちょ、大丈夫セイド?!」

 

 ――気が抜けたのだろう。

 

 膝から崩れる様に力が抜けてしまい、目の前に居たアロマにもたれかかってしまった。

 

「ッ……ぁぁ……すみません……アロマさん……」

「ぉ、いつものセイドに戻ったね……良いよ、セイド1人くらいなら全然平気。何ならおんぶしてあげようか?」

 

 屈託のない笑顔を見せたアロマさんに、私は力なく笑みを浮かべるのが精一杯だった。

 

(本当に……ギリギリでした……)

 

 今までに経験したことが無いほどに死へと近づき、それでも私は生き残れた。

 運が良かったとしか言いようがないだろう。

 

 あの瞬間――タウラス達がナイフを振りかぶったあの時、アロマさんとキリトさんが来るのが、ほんの数瞬でも遅れていたら、私の命は無かったはずなのだから。

 

「アスナ?」

「もう大丈夫よ、キリト君、ありがとう」

 

 ふと、キリトさんとアスナさんの声に視線を向けると、装備を戻したアスナさんがキリトさんの支えから復活したところだった。

 

 アスナさんはキリトさんから離れ、つかつかとタウラスの前まで歩いて行った。

 その手には、油断なく細剣が握られている。

 

「タウラス、貴方には聞かなければならないことがあるわ」

 

 アロマさんに支えられたまま動けずにいる私とは違い、先ほどまでのショックなど欠片も見られないアスナさんの立ち振る舞いは、年下の女の子とは到底思えないものだった。

 とはいえ、その表情はとても苦悶に満ちていた。

 

「何故貴方ほどの人が、こんなことをしたの!」

 

 アスナさんの言葉に、しかし項垂れたままのタウラスは――

 

「何故……どうして救援が……14階だ……間に合うはずが……」

 

 ――ぶつぶつと呟くばかりで、アスナさんの質問が耳に届いている様子は見受けられなかった。

 

 私はアロマさんの肩に手を置いて、よろよろと立ち、アロマさんに支えられながらタウラスの近くへと歩み寄った。

 

「タウラス! 答えなさい!」

 

 アスナさんがタウラスの胸倉を掴み、前後に揺さ振ると、かすかにタウラスの瞳に光が戻ったような気がした。

 

「……タウラスさん……と言いましたか」

 

 間を逃さずアスナさんの台詞を遮り、私は静かにタウラスの名前を呼んだ。

 それを聞いて、アスナさんもタウラスも、そして部屋に居る全員が私に視線を向けていた。

 

「何故救援が来たのか、と言っていましたね。その答えは単純ですよ。運とタイミングが、私に味方してくれただけです」

「運……だと……?」

「ええ。私がこの部屋に踏み込む前、貴方達がアスナさんを麻痺させた直後に、私はギルドの仲間にメッセージを送ったんです」

「……伝言結晶か……だがここは……」

「最前線の迷宮区で、しかも14階。普通に上って来たのでは何時間もかかりますね」

 

 実際に、私とアスナさんは14階に至るまでに7時間以上を費やしている。

 

 と、ここでマーチが話に割って入ってきた。

 

「そうそう、俺達もそれが気になってたんだ」

「そういえば……キリト君たちが来れるはずが……」

 

 マーチとタウラスの言葉で、アスナさんも自分が助かったことに関しての疑問を感じたようだ。

 

「セイド、何で回廊(コリドー)の出口がここの13階に設定してあったの?」

「だよね~? 何でっていうのもそうだけど、いつの間に~?」

 

 アロマさんとルイさんも、流れに逆らわず疑問を口にした。

 

「それは、単に……」

 

 私は、そんな中でアロマさんに視線を向けた。

 

「ん?」

 

 私を支えつつ、私に見られたことで、アロマさんは首を傾げていた。

 

「アロマさんを探すため、ですよ」

「ほえ?」

 

 しかし私の言葉には、アロマさんだけではなく皆が疑問符を顔に浮かべていた。

 

「私はアロマさんが迷宮区に潜っていると思い、探していました。そうして13階まで到達したところで集中力が切れ、街に戻ることにしたんです」

「あぁ! なるほどな! それで13階だったのか!」

「マーチん、分かったの~?」

 

 ここまで言ったところで、マーチが私の意図を察したようだ。

 

「つまり、セイドはアロマ捜索のために13階に戻ってくるつもりで、脱出前に回廊の出口をあそこに設定したんだよ」

「あ~、そっかそっか~、なるほどね~」

 

 こちらが最後まで説明しなくても真意を把握できるのは、付き合いの長さもあるのだろうが、流石マーチというべきだろうか。

 マーチがルイさんの質問に答えたところで、今度はアスナさんが一言呟いた。

 

「でもセイドさん……回廊結晶なんて、いつも持ち歩いてるんですか?」

「まさか。あんな高価なアイテム、普段は持っていませんよ。幸運なことに、13階に至るまでに回廊結晶が1つだけ手に入ったからこその手段です」

「ん~……でもさ、セイド?」

 

 そこへ更にアロマさんが顔を(しか)めながら質問を重ねてきた。

 

「それなら何で自分が使わなかったの? ここに来るためにだって、回廊使った方が速かったじゃん」

「それは、今私がここに居るのが、アロマさんの捜索と同時に、アスナさんとの合流を考えていたからです」

「……わたしとの合流、ですか?」

 

 今度はアスナさんが眉を(ひそ)めていた。

 

「アスナさんが午前3時頃にソロで迷宮区ですよ? 何かあったと思うじゃないですか」

 

 私の返答に、アスナさんは無言のまま呆けたような表情になった。

 それまで、仲が良いとは言い難かった私とアスナさんの関係からは、彼女には私の行動と心理は想像もつかなかったのだろう。

 

「しかし、フレンドリストで分かるのは何層の何処に居るのか、まで。迷宮区の何階に居るのかは分かりません。回廊を使ってしまっては合流できない可能性が高い」

 

 そんなアスナさんに笑顔で答えていると。

 

「それで、使わない回廊結晶をポストに放り込んでから、徒歩で迷宮区に入ったのか」

 

 キリトさんも一連の流れを把握したようだった。

 

「高価なアイテムは、あまり持ち歩いて居たくないですからね」

「ハハハハハッ! こりゃ確かに、偶然に偶然が重なったとしか言えねぇな!」

 

 回廊結晶をポストに入れた理由を聞いたマーチは、1人腹を抱えて笑っていた。

 

「と、まあ、そんなわけで――」

 

 私は一通りの説明を終え、タウラスに向き直った。

 

「――彼らの救援が間に合ったのは、本当に偶然ですよ」

「……偶……然……」

 

 タウラスは疑問が解消し、しかしその答えを聞いて更に放心した様子だった。

 

「私とアスナさんだけであったなら、少なくとも《生命の碑》の私の名前には二重線が引かれていたでしょうね」

 

 素直な感想と、あり得たであろう結末を述べた。

 今回ばかりは、本当に《死》を覚悟したのだから。

 

「……貴方達の連携は見事だった。タウラスさんの指揮も素晴らしかった。それだけに、実に残念です……貴方達が利用されていることが……」

「利用? それはどういう意味ですか、セイドさん?」

 

 アスナさんが私の言ったことが分からず、問い返してきた。

 

「彼らはおそらく、脅迫されているんだと思います。相手は――」

「――《笑う棺桶(ラフコフ)》しかねえだろうな。なぁる、脅迫か……だとすりゃそのネタは……」

 

 私の言わんとしたことを察したマーチが言葉を引き継いだ。

 

「おい、えっと……タウラスだったか? お前ら、誰か人質にでも捕られてるな?」

「……ああ……その通りだ……全く……噂以上だ……見事だよ《指揮者(コンダクター)》……それと……お前がマーチだったのか」

 

 タウラスは私とマーチの言に肯定の意を返した。

 

「……副団長殿……それに《指揮者》のギルドの者たち……《黒の剣士》……言い訳にしかならぬが、聞いていただきたい……そして……」

 

 タウラスはノロノロと視線を上げて、私達全員を見回した。

 そうして彼が口にした言葉は――

 

 

「……助けてほしい! 彼女を……《アクア》をっ……!!」

 

 

 ――悲痛な叫びとなって、部屋に木霊した。

 

 

 

 

「……我らは元々《黄道十二宮(サイン・オブ・ゾディアック)》というギルドで活動していた……設立時のメンバーは私と、本来のリーダーであった《サジット》と、その相方だった《アリエス》の3人だった」

「Sigh of Zodiac?」

 

 私とアスナさんがタウラスさんの話を聞くことにしたので、マーチ・ルイさん・キリトさんの3人はタウラスさん以外のオレンジカラー5人をロープで縛り上げた。

 彼の話が、仲間が気絶から回復するまでの時間稼ぎである可能性を憂慮してのことだ。

 

 しかし、マーチは縛り上げながらもタウラスの言葉に反応した。

 そんなマーチに私が視線を向けると、マーチは黙して縛る作業に戻った。

 

「メンバーは次第に増えていき、40層を超えた頃には10人が所属するギルドになっていた」

 

 更に念のため、マーチとキリトさんがその5人を見張るように立っている。

 悲しい話だが、相手を疑うことを常に念頭に置かねば、いつ寝首をかかれても文句は言えないのが、今のこの世界の情勢だ。

 

「だが……あの日……! 我等は新年を迎えるにあたって、大晦日に野外で、仲の良かった少人数ギルドとともに、簡素ながらも宴を開いていた……そんなところへ……奴らが現れた……!」

「……新年に結成宣言をした《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》……あの時の被害に遭ったのが……」

「……そう……我らだった……」

 

 《笑う棺桶》の結成宣言――殺人者ギルドの大々的な告知と称して、PoH(プー)たちは1つのギルドを潰したと、その証拠とともに情報屋たちにメッセージを送りつけていた。

 その場に居た全員を殺したと思われていたが、よもや生き残っていたプレイヤーがいたとは。

 

「我らと共に宴を楽しんでいたギルドのメンバーは……アッサリと……あまりにもアッサリと全員が殺された……我らも、サジットとアリエス、そして《カプリ》という3人を殺された」

 

 ここが現実世界であったのなら、手から血が滴るであろう程にタウラスは拳を握りしめていた。

 

「……我らSoZは準攻略組と呼ばれる程度の実力はあると……自負していたのだが……全く歯が立たなかったっ……! 誰1人……助けられなかった!!」

 

 タウラスの悲痛な告白は続く。

 

「リーダーが殺されるのを……ただ見ているしかできず! 友と呼ぶに相応しかったギルドを! 誰1人! 助けられず! 我らも……死を……覚悟した……」

 

 タウラスは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしていた。

 

「だがPoHは……我らを利用することを考えた……我らの仲間……アクアを人質にし……残った我ら6人はバラバラにされ……犯罪行為に手を貸すよう強要された……」

「……こう言ってはなんですが……タウラス以外の5人は犯罪行為に対する心理的リミッターをかなり緩められていたようでした……わたしに対しての態度や表情が……その……」

「申し訳ない、副団長殿……私自身、奴らに感化されなかったと言えば嘘になる」

 

 アスナさんの言葉を肯定するように、タウラスさんは悔しそうに言葉を紡ぎ続けた。

 

「気付かぬうちに、犯罪に対する忌避感は薄れ、殺し以外のことに対しては……あまり抵抗なく行えてしまっていた……恥ずかしい限りだ……」

「PoHの真に恐ろしい所は、オレンジの素養の有無を見抜く洞察力かもな」

 

 マーチの言葉を聞いたキリトさんは苦い表情をしていた。

 

「誘いを断れない状況を作って強引に引き込めば、後は……なし崩し、ってことか……」

「悔しいことに……その通りだ……」

 

 キリトさんの言葉に、タウラスさんは弱々しくも首肯した。

 

「……そうして貴方達を犯罪者側に染め上げ、KoBへと潜り込ませた。それが半月ほど前……PoHの狙いはアスナさんを陥れ、KoBを内部から瓦解させること、でしょうか」

「……真意は、我らも聞かされてはいない……ただ、KoBに加盟し、副団長殿を襲え、とだけ……」

 

 タウラスさんの話を一通り聞き終え、私は事の真相が大まかに見えてきた。

 

「……事態は、理解しました。アロマさん、もう大丈夫です」

 

 私はここで、アロマさんに声を掛けて1人で立った。

 そうしてマーチへ視線を向け、その後タウラスさんへと向きなおした。

 

「ですが、タウラスさん。どんな事情があったにせよ、貴方達のしたことは、看過するわけにはいきません」

「セ、セイドさん!?」

 

 私の台詞と行動に、アスナさんが声を上げた。

 私がアイテムストレージから艶消しされた白い結晶――《牢獄結晶》を取り出したからだ。

 しかし私は、アスナさんを気にせず言葉を続ける。

 

「私が牢獄結晶を所持していたのも、1つの運でしょうね。これで貴方達SoZメンバーには牢獄へ跳んでもらいます」

「待て、セイド!」

 

 ハッキリと言いきった私に対して、今度はキリトさんが、言葉だけではなく動き出そうとして――

 

「キリト、今は動かず黙ってろ」

 

 ――即座にマーチがキリトさんの前に立ちはだかった。

 

 マーチの手は、いつでも抜打ちできるよう刀の柄に置かれていた。

 流石のキリトさんも、マーチのこの行動は予想外だったらしく動けなくなっていた。

 

「キリト君!?」

 

 マーチの凶行を目の当たりにしたアスナさんが、反射的に細剣に手をかけ――

 

「アスナ、あんたも黙ってて」

 

 ――しかし、アロマさんがアスナさんの喉元に剣を突き付けたことで、アスナさんも咄嗟には動けなくなっていた。

 更に言うならば、ルイさんもまた、鞭を静かに床に垂らしていた。

 ルイさんの立ち位置からは、キリトさんもアスナさんも鞭の攻撃範囲に入っている。

 無言ではあったが、ルイさんの存在もまた、2人の動きを抑えた大きな要因だろう。

 

「あ……貴方達! これは何のつもりですか!」

「何のとは、間抜けたことを言うな《閃光》? オレンジだから牢獄へ送る。それだけだろ」

「セイドが牢獄へ送るって判断したのなら、間違ってないよ。だからセイドの邪魔をしないで」 

「セイドさんだって判断を間違えることはあるでしょう?!」

犯罪者(オレンジ)を牢獄に送ることの何が間違ってるの? 襲われたのはあんたじゃない、甘いこと言ってんじゃないわよ」

 

 アスナさんの言葉にマーチとアロマさんが答えている間に、私は拘束されていた5人のロープと身体の間に牢獄結晶を差し込んで起動させていく。

 

 起動から発動までの30秒。

 その間は、既に確保されていると思っていいだろう。

 キリトさんもアスナさんも、マーチとアロマさんの行動に躊躇いを見せ、更に言われていることに対する咄嗟の反論が出なかったことで、致命的なまでに動きがぎこちなくなっていた。

 

 剣を抜くべきか否かで迷い、抜いたとしてもマーチとアロマさんを斬っていいのかで迷っている。

 

「副団長殿。我らのことは気になさらずに。これは《指揮者》の言う通りです。我らは如何なる理由があろうとも、犯罪に手を染めた。我らが牢獄へ行くは必定」

 

 そう言ったタウラスさんは、自ら両手を私に差し出した。

 私はその手に牢獄結晶を置き、起動させた。

 

「これだけは頼みたい。《笑う棺桶》に囚われている《アクア》と言う女性を、どうか、助け出して欲しい。彼女はまだ、生きているはずだ。我らのリストに名がある」

 

 タウラスさんは牢獄結晶を握り締めながら、悔しそうに、悲しそうに、私達にそう訴えてきた。

 その背後で、彼らSoZのメンバーは、順に牢獄へと転送されていく。

 

「どうか彼女を、無事に現実世界へ帰してやって欲しい!」

 

 そう懇願し、タウラスは頭を下げながら――

 

「頼む!」

 

 ――一言を残し、牢獄へと姿を消した。

 

 私はそれを見届け、心中でタウラスさんの言葉に答える。

 

(……貴方の願い……それを叶えられるかどうかは、約束はできませんが……出来得る限りを尽くします)

 

「セイド! 彼らを牢獄に送ったりすれば、そのアクアという女性の命が危険に晒されると思わなかったのか?!」

 

 私の背後では、堪えきれないと言わんばかりにキリトさんが怒鳴るように声を上げた。

 そのキリトさんに触発されてか、アスナさんも声を張り上げた。

 

「そうです、セイドさん! 《笑う棺桶》が、価値の無くなった人質を生かしておくはずが――」

「――そうならないと判断したからこそ、彼らを牢獄に送ったんです」

 

 私は2人に振り向きながら、ため息とともにそう答えた。

 

「そして、お2人には、ちゃんと事情を説明しないとなりませんね」

 

 私がそう口にするのとほぼ同時に。

 

「悪かったなキリト。俺としてもお前と斬り合うのは御免だったから、動かずにいてくれて助かったよ」

「アスナもごめんね。ああでもしないと動きそうだったから」

 

 マーチとアロマさんも戦闘態勢を解除し、2人に対する姿勢を改めた。

 

「とりあえず、移動しましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ~……づっがれだぁ~……」

 

 私達はセイドの提案通り、DoRのギルドホームへと――ちょっと贅沢だったけれど、セイドとアスナの体調を考慮して転移結晶を使用して――移動した。

 

「んも~、マーチん? お客さんがいるんだから~、ちゃんと座って~?」

 

 キリトとアスナも一緒にホームのリビングに入り、マーチが真っ先にリビングの隅に置かれているソファーへと腰を下ろし――というかソファーの肘掛けに脚を乗せて寝転がった。

 それを見たルイルイはマーチを注意したけど、その顔は笑ってて説得力は無かった。

 

「アスナさんとキリトさんはそちらに。どうぞお座り下さい」

 

 セイドは自ら率先してテーブルに備え付けてある椅子に座り、手振りでアスナとキリトにも対面の椅子へ座るよう促した。

 

「失礼します」

 

 アスナが丁寧に言いながら椅子に腰を下ろして、セイドはその隣の席にキリトを座らせた。

 

「アロマさんも座って下さい」

 

 続けてセイドが、笑顔で自分の隣の席に座るよう、私に促してきた。

 

「う、うん……」

 

 何となく気恥ずかしかったけど、とりあえず座る。

 すると、いつの間に用意を始めていたのか、ルイルイがあっという間に紅茶と珈琲のポットをテーブルに置き、カップのセットを私達の前に並べていく。

 

「こっちが珈琲で~、こっちが紅茶だよ~。好きな方を飲んでね~」

「あ、ありがとうございます……」

「どうも……」

 

 そんな会話を交わしながら、私達は自分のカップにそれぞれ飲みたいものを注いだ。

 ルイルイは、と思えば、マーチと向かい合う形に置かれたソファーに腰を下ろして紅茶を1口啜るところだった。

 

「さて。では、状況説明と行きましょうか。飲みながら聞いて下さい」

 

 自らのカップに注いだ珈琲に手を付けることも無く、セイドは唐突に切り出した。

 

「まず、タウラスさんの仰っていた話が真実だとしたうえで、話を進めます」

 

 セイドはそう前置きをしてから話を始めた。

 

「彼らのメンバーの1人である《アクア》という女性について、私とマーチには心当たりがあります」

『は?』

 

 私・キリト・アスナの3人の、間の抜けた声が見事にハモった。

 

「《笑う棺桶》の結成宣言以降、奴らのメンバーの中に女性プレイヤーがいるという情報は聞いたことがありますか?」

「ああ、それなら俺もアスナも知っている。だが、名前も顔も分かっていないはずだ」

 

 セイドの問いかけにキリトが即座に答えた。

 

「いいかキリト。重要なのは、結成宣言以降ってとこだ」

 

 キリトの答えをソファーに寝転がりながら聞いていたマーチが、行儀の悪いことに寝転んだまま口を挟んできた。

 

「SoZが襲われたことと、その後のラフコフに女がいるという情報。発覚時期が重なるだろ?」

「……つまりお2人は、アクアという女性が元々ラフコフのメンバーで、タウラス達のギルド《SoZ》を罠に()めた……そう考えているんですね?」

 

 マーチとセイドの話を聞いて、アスナが2人の言わんとしていることを先読みした。

 

「ええ、その通りです」

 

 アスナの導き出した答えをセイドがサラッと肯定した。

 

「いや、その通りって……何を根拠に……?」

「何か証拠でもあるのか?」

 

 私とキリトは思わずセイドを問い質していた。

 

「実は以前、マーチから《黄道十二宮(サイン・オブ・ゾディアック)》というギルドの名を聞いたことがあったんです」

「《SoZ》創設メンバーの《サジット》と《アリエス》。この2人は、俺のフレだ」

 

 セイドの言葉をマーチが引き継いだ。

 

「ギルド創設の手順や、結婚についてとか、結構色々聞かれて、俺とセイドで世話してやった――っていうとなんか上から目線で嫌だがな。そんな関連で付き合いがあったんだ」

 

 マーチは、いつの間にか私達がついているテーブルの近くに歩み寄って来ていた。

 

「とはいえ、俺もギルド名と2人のこと以外は知らなかった。そのこともあって、本当は年越しパーティーの時に、互いのギルドメンバーを紹介し合わないかって誘われてた」

「なっ!? 何それ!? そんなの聞いてないよ?!」

 

 マーチの唐突な言葉に、私は無意識のうちに声を荒げていた。

 

「ああ、俺らには俺らの予定があったし、都合が合わなくて断ったからな。今考えりゃ、下手してたら俺らも《笑う棺桶》結成の得物にされてた、かもな」

 

 などと、マーチは恐ろしい事を、何故か不敵な笑みを浮かべながら口にした。

 

「んで、年越しパーティーに誘われた時、話の流れでアリエスが言ってたんだ。『最近メンバーに加わったアクアちゃんが可愛くて、みんなデレデレしちゃってるんだ』ってな。それとサジット曰く『野外パーティーの発案もアクア』だと言っていた」

 

 マーチのその台詞を受けて、セイドは小さくため息を吐いた。

 

「その時は、ただの会話だと思い意識していませんでした。ですが、タウラスさんの話を聞いたことで、それらが意味を持って繋がったんです」

「アクアのギルド加入が年末のちょっと前。メンバーへ素早く馴染んだ事実。年越しパーティーの発案。ラフコフの襲撃。人質として取られたのがその《アクア》って女。そして結成宣言後の目撃証言。どうだ?」

 

 マーチが話の根幹になるポイントを連ねていくと、私にもなんとなく状況が分かってきた。

 

「これだけの状況証拠があれば、推測を確信に変えるには充分でしょう」

「……確かに……だが、状況証拠でしかない……それだけで断定するのは……」

「アクアさんが本当に殺されていないか、まだ確認ができていません」

 

 セイドの見解に、キリトとアスナは今一つ納得しきれないようだった。

 

「それに関しちゃぁ――ぉ、来た来た」

 

 何かを口に出しかけたマーチが、不意にメニューを操作し始めた。

 メッセか何かを受け取ったのかもしれない。

 

「……タウラスらが牢獄に行った今現在も《アクア》という名のプレイヤーは存命中、だってよ。ここに来るまでにアルゴにメッセ飛ばして《生命の碑》にあるアクアって名前を確認してきてもらった。これでもまだ足りねえか?」

「では……やはり……」

「まず間違いなく、アクアという女性は《笑う棺桶》メンバーでしょう」

 

 流石の2人も、マーチとセイドがこの短時間で証拠足り得る情報を示したことで納得したようで、これ以上の反論は出なかった。

 

「なるほど……だけどセイドたちは、何時そのことについて打ち合わせたんだ?」

 

 話を一通り聞き終えたところでキリトが口にした問いかけに、私は首を傾げた。

 

「打ち合わせって?」

 

 キリトの質問の意味が分からず、鸚鵡返しに聞き返すと――

 

「マーチさんは、セイドさんと示し合わせたようにキリト君の動きを抑えました。アロマさんも、わたしに剣を突き付けたじゃないですか。ルイさんだって、わたしとキリト君の2人を牽制してましたよね?」

「セイドの独断とは思えない連携だったよ。サインか何かで意思疎通をしたんじゃないのか?」

 

 ――アスナとキリトが重ねて問いかけてくる形になった。

 

「意思疎通やら打ち合わせなんぞ、必要ねえよ。俺もセイドもSoZの連中が罠に嵌められたって、タウラスの話で分かった。それが分かりゃ、こいつのやる事なんざ分かり切ってる」

 

 マーチはセイドを視線だけで指しながらそんなことをのたまった。

 言われたセイドは、苦笑を浮かべるにとどまった。

 

「私はマーチんをフォローしただけのつもりだったんだけど~。ロマたんとアスナんも範囲に入っただけだよ~」

「は……入っただけ……」

 

 ルイルイは相変わらずの柔らかな笑顔を浮かべてソファーに座ったまま、優雅に紅茶を口元に運びながら、まったりと答えていた。

 ルイルイの返答にキリトは顔を引きつらせ、アスナに至っては声を出すこともできていなかった。

 

「私も別に、セイドたちの考えが分かった訳じゃないよ? セイドのすることに間違いはないって思ってただけ。セイドの事、信じてるから」

 

 特に深く考えず感じたことをそのまま口にした私に、アスナは何やら思うところがあったようだ。

 

「……アロマさん、とてもセイドさんのことを信用してるのね」

「信用じゃない。信頼だよ」

 

 私がそう返した途端、アスナはポカーンとした表情になり、セイドは私から視線を逸らして頬を掻いていた。

 

 

「うん、良い台詞だ。けどお前、まだ家出したままでギルド再加入してねえからな?」

「あ」

「やーい! 家出娘ー!」

「せっかくカッコよく決まったのに! マーチのバカ! 埋まれ!」

 

 

 その後は、いつもの如く。

 私とマーチがバカ騒ぎに突入して。

 話の詰めをするために、セイドが騒がしいからと、キリトとアスナを外に連れ出し。

 私とマーチは、ルイルイが笑顔のままで、しかし本気で恐怖を感じた一喝で、2人揃って正座をしてルイルイに謝り倒した。

 

 

 

 DoRのギルドホームは、やっぱり、とても居心地の良い所だった。

 

 



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第十六幕・有明

え~、お気に入り登録件数1,000件突破に感謝を込めて!
2幕分を連続投稿させていただきます m(_ _)m

第十五幕、第十六幕の連続投稿となります。
お楽しみいただければ幸いです!(>_<)



 

「はぁ……いや、参った参った……まさかルイがあそこまで怒るとは……」

 

 キリトさんとアスナさんとの話を終え、2人を見送ったところで私はホームへと戻った。

 リビングでは、マーチとアロマさんが椅子に座りテーブルに肘をついて、ぐったりとしていた。

 

「マーチが悪いんだぞぉ……変なこと言うからぁ……」

「ホントの事だろうが……っと。ああそうそう! だからその話だ! セイド!」

 

 ぐったりとしたまま会話を続けていたアロマさんとマーチの2人だが、マーチが何やら思い出したように勢いよく身を起こした。

 

「どうしました? マーチ」

「どうしましたじゃねえ、ちと来い!」

 

 身を起こした勢いのまま立ち上がったマーチは、私の腕を掴み問答無用という様子で2階へと上がり、そのまま自分の部屋――マーチとルイさん2人の部屋――に入ると扉を閉めた。

 何か、アロマさんやルイさんに聞かれてはマズイ話なのか――《笑う棺桶》関連の血生臭い話なのか――と身構えていると、マーチは呆れたようにため息を吐いた。

 

「はぁ……お前、アロマにちゃんと謝ったのか?」

 

「あ」

 

 そういえば、アスナさんの巻き込まれた騒動ですっかり忘れていたが、アロマさんの家出に関しては何も解決していないままだった。

 未だにアロマさんはDoRに再加入していないし、少なくとも私とはフレンド登録をし直していない。

 マーチ達とのフレンド登録だけなら済ませているかも知れないが、ギルドに関しては、マスター権限を持っている私にしかできないことだった。

 

「ド阿呆! PK騒動はそりゃ無視できねえもんだが、だからって1番肝心なこと忘れてんじゃねえよ!」

「アハハハ……すみません……」

 

 これに関しては不覚だった。

 探していたはずのアロマさんが、何故あの場に居たのかも聞いていないというのに、アロマさんが居ることに対して、何の違和感も無く受け入れていた。

 

 

 それほど私にとって、アロマさんが居るということは当たり前になっていたのだろう。

 

 

「ったく……この唐変木がっ!」

 

 マーチは私の間抜けさに呆れたように、私を自分のベッドへと突き飛ばした。

 

「っ! マーチ、それは言い過――」

「――俺が何もしなくても、仲直りできるっていうなら何も言わんぞ」

「……いえ……それは……その……」

 

 台詞を遮られ、更に追い打ちをされた私は、空気を吸えない金魚のように口をぱくぱくとさせるばかりで、意味のある言葉を返すことはできなかった。

 

「はぁ~…………お前って、こういう事に関してはホント頼りねえよなぁ」

「……すみません」

 

 マーチの言葉に反論の余地は無く、私は只管に自分の不甲斐なさを恨めしく思うばかりだった。

 

「あ、それもだが。お前、キリトとフレ登録し直したか?」

 

 唐突に話題が変わった。

 いつものマーチなら、このまま私をアロマさんの前へ引きずってでも連れていきそうなものだが。

 

「ああ、そちらはキリトさんから伺いました。マーチ達が騒いでる間に、登録し直してありますよ」

 

 せめてもの反撃にと、少々嫌味を効かせてみたがマーチに効果は無かったようで――

 

「そか、んならそっちは良いな……ってかあの野郎! 俺とは登録し直してねえのに帰りやがった!」

 

 ――私の言葉など気にもせず、何やら喚きだしたマーチはドスドスと音を立てながら扉へと向かって歩いて行く。

 

「俺は、ちとキリトを追っかけてくる。他にもすることがあるし、昼飯も今からだしな」

 

 扉の前で立ち止まったマーチは、私へ振り向くことなく、独り言のように言葉を紡ぎ続けた。

 

「んじゃ、後は2人でよく話し合え!」

 

 私の言葉を遮ってマーチがそう叫ぶと、部屋の扉がマーチが開けることなくひとりでに開いた。

 無論、システム上そんなことはありえない。

 この部屋の扉を開けることができるのは、部屋主であるマーチとルイさんのどちらかか、もしくは――ギルドマスター権限の行使記録を残した場合に限られるが――私だけだ。

 扉から離れている私に開けることはできないし、マーチも開ける動きはしていなかった。

 

 つまり、今扉を開けることができたのはルイさんだけということになる。

 

「は~い、入った入った~」

 

 開け放たれた扉から、ルイさんの間延びした声が聞こえ、しかし部屋に入ってきたのはルイさんではなくアロマさんだった。

 

「ね、ねえルイルイ! ちょっと待っ――」

「――待たないよ~。はいは~い」

 

 ルイさんは何やら強引にアロマさんを部屋に押し込み、マーチもそれを促しつつ自分はアロマさんと入れ替わるように部屋の外へと抜け出していた。

 

「それじゃ~2人とも~? ちゃ~んと話し合って~仲直りするまで~、出てこないようにね~?」

「セイド、分かってると思うが、お前が鍵を開けりゃ記録が残るからな。勝手に開けんじゃねえぞ」

 

 マーチとルイさんは、それだけ言い放つと部屋の扉を閉めてしまった。

 中に、私とアロマさんの2人だけを取り残して。

 

 

 

 

 扉が閉められた直後、私もアロマさんも事の展開をすぐには受け止めきれず、しばし呆然としていた。

 それに、何となくこの状況は――

 

「……なんか、さ……前にもこんなことなかったっけ……?」

「ありましたね……アロマさんがギルドに加入する前……私とアロマさんが初めて会った時の事ですね……」

「……懐かしいなぁ……」

 

 ――アロマさんと初めて会った時、そして、アロマさんがギルドに加入したときの状況と似ていた。

 

「……もうすぐ、1年でしたね……アロマさんと出会ってから」

 

 何の気なしにそんなことを口にしたが、それがまずかったのか、アロマさんは立ったまま黙ってしまった。

 私も何と言っていいのか分からなくなり、ベッドに腰掛けた体勢から動けず、顔を俯かせるだけだった。

 

 【異議無きときは沈黙を持って応えよ】という台詞があるが、この場合の沈黙は何とも気まずい。

 チラチラと視線だけアロマさんに向けていると、アロマさんは上着の袖をいじりながら立ちつくしていて、時折私と視線がぶつかると、互いに慌てて視線を逸らしていた。

 私もベッドに座ったまま頬を掻きながら、床を見つめて――

 

『あの』

 

 ――沈黙に耐えきれなくなった私が、意を決して声を掛けたのと同時に、アロマさんもまた、不安気に声をかけてきた。

 何と言うか、間が悪い。

 互いが互いに無言で譲り合って、またしばらく沈黙が続いた。

 

(……ど……どうしたら……)

 

 私は結局、どうしたらいいのかと決めかねていると――

 

「……お茶、でも…………飲む?」

 

 ――少々ぎこちなくではあったが、アロマさんからそう切り出してくれた。

 

「お茶、ですか」

 

 私はアロマさんを直視できぬまま、アロマさんの足元あたりへ視線をやりつつ言葉を返した。

 

「ぅ……ん。ルイルイ、がね……差し入れって言って……淹れてくれたの。お菓子も、あるよ」

「そう……ですか。では、喜んでいただきます」

「……うん」

 

 アロマさんはアイテムストレージを操作して、ティーセットを小型の円卓の上に呼び出した。

 私はなんとなく立ち上がれぬまま、紅茶をカップに注いでくれるアロマさんを眺めていた。

 

「……はい」

 

 紅茶を注いだカップをソーサーに乗せて、アロマさんが私に手渡してくれた。

 湯気の立つ紅茶からは、ラベンダーの様な香りが漂ってきた。

 

「……良い匂いですね」

「うん」

 

 私は紅茶を1口飲み、ほう、とため息を吐いた。

 変な緊張感が和らぎ、少しだけ気持ちも落ち着いた。

 ふとアロマさんに視線をやれば、彼女は立ったままちびちびと紅茶を舐めていた。

 

「……座り、ませんか?」

 

 そんなアロマさんの様子を見たら、思わず体を左にずらして、声をかけていた。

 

「え……」

「あ、その……嫌ならそのまま、でも構わない、のですが……立ったままでは、疲れるのではないか、と思いまして……」

 

 マーチが聞いていたら確実にツッコみを入れられそうな、カクカクした台詞しか出てこなかった。

 自身の女性に対する会話スキルの無さが、情けないほど身に沁みた。

 しかし、今の私にはコレが精一杯だった。

 

「セイド、の、隣に……行って、良いの?」

「あ、はい……どうぞ……」

 

 アロマさんも、私に負けず劣らずのカクカクさ加減で台詞を返してきた。

 と、ここに来て私は、自分が腰掛けているものがベッドだったことを思いだした。

 このまま隣に座るように勧める、ということは、アロマさんとベッドに並んで腰掛ける、ということになる。

 

(あああ……椅子に移動した方が良かったのでは……)

 

 自分の台詞の迂闊さに狼狽えながら、椅子に移動しようかと思い悩んでいると。

 ぽす、と音がして、私の右隣が少し沈んだ感覚が伝わってきた。

 その事実に私は更に狼狽え、完全に言い出す機会を逸した。

 並んで座ってしまったので互いに表情が見え辛くなり、今まで以上に会話が困難になったような気がする。

 

 私とアロマさんの距離――大人1.5人分程の間隔――が、ジェリコの壁のように思えた。

 

 形容しがたい空気だけが流れ、互いに1番触れたい話が出来ぬまま、手の内の紅茶だけが減っていった。

 このままではいけない、と再び意を決したのは、紅茶が残り4分の1程にまで減った頃だった。

 

「ソウいえバ!……んんっ……お菓子、が……あるん、でしたっけ?」

 

 ちょっと声が裏返ったような気はするが――

 

「エ!?……あ、う、ウン……あ、あるよ……ある……」

 

 ――アロマさんも似たようなものだったので、気にしないことにした。

 

「えぇっと……何が、あるんですか?」

 

 チラチラと隣を見やりながら、そう尋ねるのがギリギリだった。

 

「え……っとね……チーズケーキと……バナナシフォン」

「……どちらも美味しそうですね」

 

 ここまで来て、ようやく互いに台詞が落ち着いてきたように感じられる。

 少なくとも、先ほどまでの様にカクカクはしなくなったと思う。

 

「セイドは、どっちが良い?」

 

 アロマさんも少し余裕ができたのか、私の顔を見ながら尋ねられるようになっていた。

 

「私ですか? うぅん……チーズケーキですかね……」

「ふ~ん……」

 

 私の回答に、アロマさんはウィンドウをまじまじと眺め――

 

「……私も、チーズケーキが良い」

 

 ――(やお)らニヤリと笑い、そう言いながら私に視線を向けた。

 アロマさんのその台詞と笑顔につられて、思わず私もニヤリと笑い返していた。

 

「1回勝負。いいですね?」

「おーし! それじゃあ!」

『最初はグー! じゃーん、けーん!』

 

 ぽん、で出されたのは、私がパーで、アロマさんがグー。

 

「あー! 負けたぁー!!」

「フフッ、甘いですね。アロマさんは最初にグーを出す確率が高すぎます」

「チェ~っだ」

 

 アロマさんは、口では悔しさを表に出しながらも、その表情からは悔しそうな様子は見受けられず、イヒヒと笑っていた。

 そんなアロマさんの表情は、実に生き生きとしたものだった。

 

「――本当に食べたいのでしたら、チーズケーキは譲りますよ?」

 

 私も自然と笑みを浮かべながら、アロマさんにそう勧めたが。

 

「ううん、いいの。ホントは――」

 

 先程までの表情から一変して、アロマさんは泣き笑いのような顔をしていて、私から視線を逸らした。

 

「――セイドと食べられたら、何だっていいんだ」

 

 その言葉を聞いて、自分の心臓が1つ、大きく鳴ったのが聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

 

(今の、すっごい勇気が要った……)

 

 私は確かに、セイドと仲直りしたかったけど、正直、こんな状況ではなんて言ったらいいか分からなかった。

 それに、セイドがわざわざ隣を空けてくれたのに、何となく微妙な間隔を空けて座ってしまった。

 折角ルイルイも背中を押してくれて、マーチも応援してくれてる。

 ここには居ないけど、ログたんも祈ってくれてた。

 セイドも、おずおずとだけど言葉をかけてくれている。

 

 ああ、ここで私が固まってちゃダメなんだ、って、決意を振り絞って、いつものじゃんけんを仕組んだ。

 セイドは、きっと分かっててノってくれた。

 嬉しかった。

 そしたら、私だって、いつもの私じゃなきゃ。

 

「セイドと食べられたら、何だっていいんだ」

 

 グッと空気をためてから言った言葉は、なんだか私の気持ちまで変えたようだった。

 スッと、肩が軽くなった。

 でも、そのままだとセイドの顔は気恥ずかしくて見れなかったから、ちょっと慌ててストレージからケーキを取り出した。

 

「はい、チーズケーキ」

 

 渡すのと一緒に、セイドの顔を覗き込んだ。

 

「あ、はい……」

 

 セイドは何やら固まっていたけど、追求はせずに、ニッコリとだけ笑っておいた。

 追求できるほど余裕もなかったし。

 私はすぐに視線を逸らして、手元のバナナシフォンにフォークを突き刺して口に運んだ。

 

「ん~! 美味しいねぇ」

「……はい」

 

 私のちょっと無理矢理に、けど本心からの感想を口に出した。

 そして、この勢いに乗じて、今度こそ、勝手に飛び出したことを謝ろうと思った。

 

「あのね、セイド……」

「すみませんでした」

 

 私が、ごめんね、って言おうとしたら。

 

「……え?」

 

 私より先にセイドが謝ってしまった。

 

「貴女をあんなに傷つけるつもりは無かったんです。アロマさんを危ない目に遭わせたくなかったんです。それと、アロマさんには見られたくないとも思ったんです!」

 

 セイドは、それだけを早口に捲し立てると、もそもそとケーキを食べ始めた。

 恥ずかしかったのか、セイドは耳が真っ赤で、俯いたまま、黙々とケーキを咀嚼していく。

 私は、謝る機会を逸してしまったので、先にセイドの話を聞くことにした。

 

「……セイドが、しようとしてたことの話?」

「……はい。結果として、アロマさんを深く傷つけてしまいました。すみません。自分の、エゴだったんです」

 

 尋ねると、セイドは手を止めて、俯いたままだったけど話し始めてくれた。

 

「セイドは……何しようとしてたの?」

「……耐毒スキルの、スキル上げです」

 

 セイドの告白を聞いて、合点がいった。

 

「それって……まさか」

「59層にある《黄霧(おうむ)の渓谷》に行くつもりでした」

 

 思った通りだった。

 

 

 つい先日まで最前線だった59層には、未だに一切プレイヤーが近寄らない場所がある。

 それが、今セイドの言った《黄霧の渓谷》だ。

 

 フィールドダンジョンの形ではあるものの、渓谷全体が黄色い霧――毒霧に覆われていて、特殊なマスク系の頭防具《防毒面》が無いと、常に毒が体を蝕み続けるという、とんでもない場所だ。

 受ける毒の効果もランダムで、ダメージ、麻痺、混乱、行動不能、その他諸々の状態異常が襲ってくることになる。

 難点は《防毒面》の耐久値があまり高くないのに、装備した状態で毒霧を防ぎ続けている間、耐久値が減少し続けるということだ。

 

 その仕様のシビアさに、攻略組のプレイヤーも一様にその場を避け、また、迷宮区の攻略には関わらない場所であったこともあり、未だに未踏破となっている。

 発見後、誰も近寄ろうとしていないから初期の情報しかないけど、出現するモンスターも強い毒属性の攻撃を持っていて、攻略するのは迷宮区以上に難しいと言われている。

 

 そんな場所に行こうとしていたから、セイドは私を連れていきたくなかったのだ。

 

「マスクを付けずに霧の中に居るだけでも、毒の蓄積が発生します。それはつまり、耐毒スキルの上昇判定が起こるということになりますから……」

「……いつ状態異常になっても良いように《解毒結晶》を片手に持って、マスクを付けずにフィールドを歩くつもりだったんだ?」

「はい……モンスターとの戦闘でも、毒属性攻撃を掠める様に受けて行けば、更にスキルが上がる可能性は高いですが……その分、危険度は増します」

 

 セイドの無茶なスキル上げの方法をまともに聞いていたら、絶対一緒に行くと言い出していただろう。

 いくらセイドでも、状態異常の時にモンスターに襲われて、罷り間違って《解毒結晶》を落とすようなことにでもなれば危険だ。

 でも、だからこそセイドは、あの時私にそのことを言いたくなかったのだろう。

 セイド1人なら逃げることができたとしても、私が一緒に居たら、そうもいかなくなるかもしれないから。

 

「……ホント……無茶なこと考えるね」

「……可能な限り安全に行えるように手は打つつもりでした……それに……」

 

 セイドはさらに声のトーンを落として言葉を続けた。

 

「……その……ダメージを受けたり……状態異常に陥る姿は……あまり……格好よくないですし……」

 

 セイドのその一言は、結構意外なものだった。

 

「そんなの、気にしないのに」

「私は、したんです……それが失敗でした」

「カッコいいとこだけ見せたい、ってタイプでもなさそうなんだけどな、セイドって」

「少しは、それもあったかもしれない。ということです」

「それって……ギルドのため?」

「それが半分……後は……」

 

 セイドはそこで、言葉に詰まってしまった。

 セイドの呼吸が浅く、早くなっていた。

 短い沈黙が緊張に変わり、そして――

 

 

 

 

「クチッ!」

 

 ――アロマさんは、小さくクシャミをした。

 

「……寒いです?」

「……ん、少し」

 

 テヘヘと笑いながら鼻の下を擦るアロマさんを見ながら、話を変えてしまった自分のことを、意気地なし、と心中で罵ってはみたものの、今更言葉を繋げることはできなかった。

 

「ベッドに入って下さい。風邪をひいてしまわないうちに」

「アハハ、この世界に風邪なんてあるのかな」

「念のためです」

 

 私の無理矢理な言い訳に、アロマさんは「変なの」と言いながらも、ごそごそと布団にくるまった。

 顔の半分にまで毛布をかけて「ふかふか~」と満足そうに笑っている。

 私はベッドに腰掛けたまま、そんなアロマさんの額に手を当てた。

 

「熱は……ないですね」

 

 SAOの世界には《風邪》などという状態異常は存在しないのだから、熱が無くて当然なのだが。

 

「ないよー。まったく、セイドはホントにお母さんみたいだよね」

「だから、それを言うなら、せめてお父さんでしょう」

「ボフォフォ」

 

 口が毛布で塞がっているせいか、くぐもった笑い声しか聞こえなかったが、アロマさんは確かに、笑っていた。

 ただそれだけのことが、自分にとってこんなにも安心することなのかと、今更ながら驚いた。

 

「でも私」

 

 不意に、アロマさんは毛布を肩辺りにまでかけ直して口を開いた。

 

「お父さんって、よく分からないんだ」

「え?」

 

 そう呟いたアロマさんは、今にも泣きだしそうな、それでも無理やり笑おうとしている、そんな顔をしていた。

 

 

 

 私は、1つ深呼吸をして。

 

「リアルの話だけどね」

 

 そう前置いて、話を始めた。

 

「私ね、母子家庭だったんだ。母には、父親のことは聞いたことが無いの。生きてるのか死んでるのかも、何も知らない」

 

 セイドは、何も言わずに私の顔をまっすぐ見つめて話を聞いてくれていた。

 それが確認できただけで、私は安心して話を続けることができた。

 

「この母親がね、酷い人だったよ……育児放棄ってやつでさ……母と一緒に居たのは、小学校に入る前までのことだけどね。母は、毎日毎日どこかに行ってた。仕事なのか遊びなのかも分からなかったけど、何日も帰って来ないことなんてざらだった。小学校に入る前の子どもをほったらかしてだよ? ご飯もロクに食べさせてもらった記憶が無いの。だから、何処かに連れて行ってもらった記憶もない」

 

 DoRのギルドホームを飛び出して、ミュージェンの宿屋で見た夢が、この頃の記憶だった。

 幼少期の、辛い記憶。

 

「家に帰ってきたかと思えば、私のことを(うと)ましそうに扱うだけ。暴力を振るわれなかっただけマシなのかな。でも、外で何かあるたびに、お酒をもの凄く飲んで帰ってきては『上手くいかないのはお前の所為(せい)だ!』って……怒鳴られながら育った」

 

 不意に、セイドが私の髪を手で(くしけず)るように、頭を撫でてきた。

 いつの間にか、私が泣いていたからだった。

 そのことを自覚すると、途端に言葉がつっかえるようになってしまった。

 

「……私……ね……邪魔な子だったみたい」

「邪魔?」

「母は……事ある毎に……私に『邪魔なんだよ』とか……『邪魔だからどこか行ってろ』って……言ってた」

 

 私が無意識のうちに《邪魔》と言われることに対して躍起になることの原因。

 私の心に残された、母親の付けた傷跡。

 

「それで……邪魔という言葉に……あんなに反応するように……」

 

 私はそれに頷くだけで返事をした。

 鼻をすすってからも、言葉がこぼれていく。

 

「結局母は……お酒とか、他にも色々原因があったんだと……思うけど……肝臓を壊して……入院して……『お前が居なかったら、もっと幸せになれたのに』って言い残して…………死んじゃった」

 

 私の視界は、もう涙でぐちゃぐちゃになってて、ロクに何も見えなくなっていた。

 

「その後は……運良く……凄くいいお爺ちゃんとお婆ちゃんに……引き取ってもらえたの。おかげで……性格もあんまり歪まずに育った……と思うんだけど……どうしても、ね」

 

 ここまでの話は、現実世界でも、一生付き合っていけると信じている親友になら、話したことがある。

 でも、この先を話すのは――いや、言葉にするのは、これが初めてだ。

 それでも私はもう、言葉にせずにはいられなくなっていた。

 

「私……私ね……お母さんと一緒なら……あっちに……連れて行かれても良かったのに……最期まで……邪魔だって……言われて……連れてって……くれなかった……」

「アロマさん……」

 

 嗚咽が漏れなかったのが奇跡的なほどに涙が零れていた。

 

 

 

 

 涙を溢れさせながらも、その瞳は虚ろで、過去を語るアロマさんがどこかに消えてしまうのではないかと思えた。

 

「お前は……そのままそこで……苦しんでいろって……言われた気がして……」

 

 その言葉を最後に、アロマさんは瞳を閉じ、堪えきれなくなった嗚咽が、喉の奥から漏れてきた。

 私は思わず、アロマさんの顔を自分の胸に押し付けるようにして、抱き締めていた。

 

「貴女のお母さんに、1つだけ感謝しなくてはなりません」

「え……?」

「貴女を、連れて行かなかったことです」

「……セイド」

「これからは、私がアロマさんの傍にいます。私はもう、貴方の事を邪魔だなんて絶対に言いません。だから……ですから――」

 

 ここから先が、上手く言葉にならなかった。

 笑って欲しい。

 死ぬなんて考えないで欲しい。

 自分を卑下(ひげ)しないで欲しい。

 色んな言葉が()()ぜになった。

 でも、そんな中で出てきた言葉だからこそ、私が1番言いたかった言葉なのかもしれない。

 

「――私の傍に、居て下さい」

「…………うん」

 

 私の腕に、アロマさんもそっと手を添え、そう答えてくれた。

 

 

 

 

 セイドの腕の中は、とても心地よかった。

 不安も、悲しみも、あたたかい闇の中へ溶けていく。

 

「……ありがとう、セイド」

 

 でも、少しだけ。

 もう少しだけ、今だけ。

 私は、セイドの胸で泣いた。

 

 

 

 

 

「私も、両親と一緒の時間が少ない生い立ちなんです」

 

 アロマさんが泣き止むのを待って、私も軽くだが、自分の身の上話をすることにした。

 

「ふうん……」

 

 アロマさんは、毛布の中。

 私は毛布の上ではあったけれど、アロマさんの隣で肘をついて寝転んでいた。

 お互い、顔を見合わせて話をしているのだが、もう緊張は無かった。

 

「小学校入学直前のことです。私の両親は事故で他界してしまいした。私を最初に引き取ってくれたのは、母の姉に当たる伯母夫妻でした。マーチとルイさんに出会ったのもその頃です。特にマーチには、本当にお世話になりました」

「その頃からの付き合いなんだ。長いね」

「はい。両親のことなども分かっていて、付き合ってくれています」

 

 アロマさんの燃えるような赤い、サラサラとした長い髪を弄びながら、私もポツポツと昔話を始めた。

 

「伯母夫妻には、私以外に子供が3人いて、生活には余裕がありませんでした。それでも、私が小学校を卒業するまでは、面倒を見てくれていました。しかし私は、中学校に入学する前に……言い方は悪いですが、追い出されるようにして、伯母の家を出ざるを得なくなりました。その後は、懇意にしてくれていたマーチの家が、親戚のいない私を引き取ってくれたんです。本当に、マーチの家族には、頭が上がりません」

「……マーチって、すごくいい人なんだ……ちょっと信じられないかも……」

 

 アロマさんのその台詞に、私は不覚にも、少し笑ってしまった。

 

「フフ……それでも私は、義務教育が終わって、高校に入学する時には、1人暮らしを始めました。いつまでも御厄介になっているわけにはいきませんからね。バイトをいくつもしながら、マーチの家と伯母の家に少しずつお金を返していくために、必死でしたよ」

「そうなんだ……セイドも……凄いよ……1人暮らしってだけだって、楽じゃないのに」

「毎日がギリギリでしたけど、だからこそ、生き甲斐も感じられました。1人暮らしをすることにして、良かったと思ってます……まあ、そんなわけで、私も父や母との思い出というのは、あまり多くないんですよ」

 

 何が言いたかったのかを、ちゃんと伝えると、アロマさんもそれが分かったようだった。

 

「似てるね」

「似てますね」

 

 ふふふ、とアロマさんは忍び笑いをし、仰向けになった。

 

「またセイドのこと、ちょっと知っちゃった」

「何で笑うんですか、まったく」

 

 アロマさんは、またちょっと笑うと、私の方へと身体を向け直して、目を閉じ、そのまま深く一呼吸した。

 

「セイドとこんな話をする時って、いつもベッドの上だね」

「そう……ですね」

 

 そう言ったアロマさんは、まだ目を閉じたままだった。

 ベッドの上、という言葉に妙な緊張を覚え、髪を撫でる手が、少しだけぎこちなくなる。

 

「ちょっとずつだけど、なんか嬉しい」

 

 (ささや)くように、アロマさんはそう口にする。

 それでもアロマさんは、目を閉じたままだ。

 気のせいか、その顔が少し上向きになっているような気がする。

 

(……これは、もしや……そういうこと、なのだろうか……?)

 

 妙に手が汗ばむような錯覚を感じつつ、滑稽なほど目が泳いでしまう。

 

「……アロマ、さん?」

 

 しばらくの沈黙の後。

 おそるおそる声をかけるが、返事はない。

 目も閉じられたまま、静かに呼吸する音が聞こえる。

 アロマさんのそれとは反比例して、自分の鼓動はだんだんと早くなる一方だった。

 

(いい……のかな?)

 

 髪を撫でる手を止め、彼女の顔にそっと近づいていく。

 長い(まつげ)に、まだ渇いていない涙の雫が少しだけ光っていた。

 形のよい眉に、赤い髪がさらりとかかっており、ふっくらとした唇は、まるで花の一片(ひとひら)のようだった。

 口元が、ほんの少しだけ、緩く開き。

 

 

 私が大きく、固唾を呑んだところで――

 

 

 

「スー……」

 

 

 ――アロマさんから、静かな吐息、というか、寝息が漏れた。

 

(……寝てる……)

 

 私は思わず、大きく、しかし静かにため息をついて、脱力した。

 ちょっと、ほっとしたのも否めない。

 そして、誰が見ていたわけでもないのに、1人で赤面して、手のひらの汗を拭う様に何度も服にこすり付けた。

 

(我ながら、中学生のようで……うう……ナサケナイ……)

 

 

 その後、私も極度の緊張から解放された反動の為か、アロマさんの隣で寝こけてしまった。

 その現場を見たマーチとルイさんに、その後1週間にわたってからかわれ続けたのは、余談にしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 アロマがギルドに復帰してから数日後。

 昼飯を食い終えた俺たちは一旦それぞれの部屋へと戻り、午後の狩りに備えるのが日課になっている。

 

 しかし、その日のセイドは、午前かソワソワとしていて何となく落ち着きが無かった。

 

 それだけならまだ何も言わなかったが、飯を食い終わった後、セイドが自分の部屋から出てくるなり、廊下でラジオ体操をし始めたのを見た俺は、流石に問い質さずにはいられなくなった。

 

「おいセイド? お前、なんで廊下でラジオ体操してんだよ?」

 

 半ば呆れつつ聞いた俺に対して、セイドは妙に真剣な表情をしていた。

 

「マーチですか……いえ、こういうのは、中々緊張するものですね……」

「こういうの?」

「いずれ分かることですから、マーチには先に話しておきます。アロマさんに、プ……プロポーズ、しようかと思っています」

「ブフォッ?!」

 

 思わず噴き出していた。

 今が食事中でなかったことだけが幸いだった。

 

「……何故笑うんですか」

「いやまて落ち着け。俺は笑ってはいない。そしてお前は落ち着け!」

「私は落ち着いています」

 

 そう答えたセイドは、流石にラジオ体操を止め、俺を真っ直ぐに見据えていた。

 

「いやな、どーしてプロポーズなんてことになったんだ? 詳しく聞かせろ」

「はあ……マーチ達に部屋に押し込められた後、2人で話しまして……お互い、離れて生きていくことはできそうにないと、そういう話になりました。私には、アロマさんが必要ですし、アロマさんには私が必要だと、そう確認しあったんです」

「……内容は合っていそうなのに、解釈に多大な飛躍が含まれていそうな気がするのは俺だけか?」

「マーチだけでしょう」

「……どうしてそんなに自信満々に言い切れるんだ?」

「私たちが。分かり合ったからです」

「……ってかお前、女と付き合ったことはねえよな?!」

「ありません、知ってるでしょう」

「……そうかそうだよな……それを確認できて、俺は素晴らしく不安になってきたぞ!」

「全く……何を心配しているんですか。指輪だって最高級の物を用意しました。きっと彼女も気に入ってくれます」

「行動が速いなお前……てか、そんなもん用意する前にすることがあると思うんだが……」

「式場の予約などはプロポーズの後でしょう? 先にすることというと……何ですか?」

「ていうか! まず付き合ってからだろ! プロポーズなんざ!」

「交際の先には結婚があります。将来を見据えた関係を築くには、まず先を見据えた関係であることを、お互いが意識し合うべきです」

「ああああああ……」

 

 どう言ったとしても効果がなさそうで、俺は思わず頭を抱えて呻いていた。

 このままでは、話は平行線だろう。

 ここまで思い込むセイドも珍しい。

 よっぽどアロマのことを気に入ってしまったか。

 雰囲気で言った一言に対する妙な責任感に突き動かされているかのどちらかだろう。

 

 賭けなら絶対後者に賭ける。

 そして丸儲けだ。

 だが。

 だがしかし、ここでこいつにアホなことをさせるわけにはいかない。

 今後のギルド運営が成り立たなくなる可能性が大いにあるからだ。

 セイド(こいつ)が機能しなくなったらギルドの体裁が保てるかどうかも正直怪しい。

 ここでこいつを機能不全に追いやるわけにはいかない、絶対に、何が何でもだ。

 

「……わかった。じゃあ、俺がちょっと聞いてきてやる!」

「ん? 何をですか?」

「アロマに、今すぐ結婚したいかどうかだよ」

「余計なことをしないでくだ――」

 

 セイドが止めるが、俺は全く気に留めず、先に階下に下りていたアロマに声を掛けた。

 

「おーい、アロマ!」

「んあ~? なんだぃ、マーチ!」

 

 何やら喚きそうだったセイドの口は、首を絞める様にして塞いでいる。

 

「お前、今すぐ結婚したいか!」

「何よ、藪から棒に。おっと、知性が溢れちまった。マーチには分からない言葉だろうに!」

 

 余計な一言を挟まずには会話ができないのがアロマだが、この緊急時だ。

 あまり取り合わずに話を先に勧めることに専念する。

 

「分かるわアホぅ。んで、どうなんだ? したいのか? したくないのか?」

「ん~……マーチのアイス食べていいなら答える」

 

 今ギルドストレージに入っている俺の分のアイスは、ルイが丹精込めて作り上げた、まさに芸術と呼ぶに相応しい、至高の1品だ。

 

(っく……このアマ!……いや……しかし、今は仕方ない……)

 

 一瞬の逡巡を表に出すことなく、俺は可能な限りにこやかに答えてやった。

 

「おう、いいぞ」

「え、マジで!? ひゃっはー!!」

 

 アロマは嬉々としてギルドストレージから俺の分のアイスを取り出し、遠慮会釈もなしに貪っていく。

 

(くぅ……俺のアイス……!)

「んまいんまい」

 

 俺の目に見えない涙など知る由も無く、アロマはバクバクとアイスを喰らっていく。

 

「んで!! 質問に答えろよ!」

「んあぁ、結婚だよね? 今のところ、この生活が気に入っているからなぁ、結婚なんてまだしなくても良いよー」

「ほう、まだでいいか」

「うむ。じっくり彼氏彼女を楽しんで、その先に結婚できたらいいな、くらいかなぁ」

「交際の先には結婚があるんだろ?」

「ふふん。そんなことは分からないよマーチ君。付き合ってみてダメなら、別れた方が幸せなこともあるんじゃないのかね?」

 

 どこの似非(えせ)紳士だ、と言いたくなるような物言いだったが、それはあえてツッコまずにおく。

 

「なるほどなぁ……」

 

 俺はアロマとの会話を進めながら、セイドの様子を確認していた。

 

 するとセイドは、ものの見事に固まっていた。

 プロポーズ云々という話が、自分の早とちりだと、理解できたのだろう。

 悪い事をしたかとも思ったが、いきなりプロポーズして断られるよりは遥かにマシな結果だろう。

 

「……おーい、セイド、息しろ、息」

 

 暴れなくなったセイドを放してやると、セイドは『崩れ落ちるとはこういう事だ』という見本になるような、崩れ落ち方をしてみせた。

 

「……決死の……覚悟で……指輪も……」

「決死で結婚しようとすんなよ……」

 

 俺はそう言いながら、セイドの肩をポンポンと叩いた後、右手をセイドの前に突き出した。

 

「…………何ですか?」

「アイス代よこせ」

 

 そう言った俺に、セイドは泣きながら掴みかかって来たのだった。

 

 

 俺とセイドが、どったんばったん取っ組み合いをしていたせいで、最後の最後にアロマが付け足した言葉は、俺にもセイドにも聞こえなかった。

 

 

 

「でも、セイ――あ~いや……言う人によっては、考えなくもないよ……って! 聞いてないし!」

 

 

 

 




長くなりましたが、第四章もこれにて終幕となります。

今回に関しては、どうしても15~16幕まで行きたいと思っていたもので……長くなってしまいましたが、如何でしたでしょうか?(-_-;)


セイドたちも攻略層が60層となっております。
SAOの最終攻略が75層なので、彼らの物語の終着点も見えてきました。

更新の遅さゆえ、まだまだ終わらないのですが、これからもお付き合いいただければ、嬉しい限りです m(_ _)m


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幕間・5
DoRのちょっとした異性談義


大変遅くなりました(-_-;)申し訳ありません……。

まずは感想への謝辞を。
是夢様、ZHE様、チャンドラー様、路地裏の作者様、satan.G.F様、ポンポコたぬき様、アバランシュ様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

更新が滞っていたにもかかわらず、お気に入り登録が1040件を超えておりました(つ_<)
皆様に見捨てられることがないよう、エタらず続けていきたいと思います!
亀更新ですが(-_-;)ご容赦を……。


 

 

「ふはぁああ~……」

「ん~、いいお湯~」

「ふぅう……ぶくぶくぶく……」

「♪~♪~♪」

 

 本日、SAO内でも希少であろうこの温泉は、DoRの女性メンバーにアスナんを足したパーティーの貸し切りとなっている。

 クエストをクリアしたプレイヤーにだけ入ることを許される温泉だけど、未クリア状態のプレイヤーも、クリア済みのプレイヤーと同じパーティーなら入ることができるため、アスナんも温泉に浸かることができている。

 

「こんな場所が、この世界にあったなんて……夢みたい……」

 

 やはりというか何というか、アスナんも私達と同じで贅沢にお湯が使える状況には飢えていたのだろう。

 私が初めて温泉に浸かった時と同じ気持ちを、アスナんも感じているようだ。

 

「温泉って良いよね~、ほんとに~。心の洗濯ができるって感じだよね~」

 

 私も、アスナんの隣でお湯に浸かりながらアスナんの意見に賛成した。

 

「でも、男性陣が見張りまでしなくても……」

 

 ただ、アスナんが気にしたのは、この場に入って来なかった男性陣のことだ。

 

 セイちゃんは単純に混浴になることを拒み、マーチんは他に誰かが入って来ないように見張ると言い張り、一緒に来たキリ君も含めた3人で浜辺の入り口近くに居るらしい。

 

「いーんだよ、やりたいって自分たちから言い出したんだから。ねー、ログたん」

 

 ロマたんの言葉に、ログっちはコクリと頷きながら、いつものようにタオル造形を始めていた。

 

「それにさ、アスナ。ここにキリトとか居たら困るでしょ?」

「そ……それは、まあ……」

 

 ロマたんの尤もな意見に、アスナんも頷くしかなかった。

 私達だけで入っていることに罪悪感を感じたの知れないけれど、今回ばかりは仕方ないだろう。

 

「男湯と女湯に~、分かれていれば良かったんだけどね~」

 

 私もロマたんの意見に同意するコメントを口にしたけど、混浴を避けた配慮は、主にアスナんのためだと思う。

 私達だけなら混浴でも問題ないわけだし。

 

(って、セイちゃんはダメか~)

 

 この温泉を発見した時以外、セイちゃんが一緒にここに入ったことは無い。

 余程照れくさいらしい。

 

(ん~。それにしても~)

 

 私は軽く伸びをしながら温泉を見回した。

 このメンバーが揃って温泉とは、実に壮観だ。

 

 SAO内でもトップクラスの美少女、アスナん。

 彼女は今、バスタオル1枚という出で立ちで岩作りの温泉の縁に腰掛け、足を組み、上気した頬を風に当てながらお湯で遊んでいる。

 お湯をはじき飛ばすその肌はハリもツヤも申し分ない。

 色白なところも、同性として羨ましい限り。

 

 その隣では、鮮やかな赤色の長い髪をくるりとアップにし、惜しげもなく(うなじ)を見せながら、ロマたんがお湯に浸かっている。

 

 少し離れた所に居るログっちも、その可愛らしい素顔を隠すことなくニコニコとタオルで遊んでいる。

 

 このメンバーを見て、思わずため息を吐かない人はいないだろう。

 そんなことを考えながら、ふとアスナんとロマたんを見比べていた。

 

 身長はアスナんの方が高いけど、胸に関してはロマたんの方がやや大きいか。

 アスナんがCならロマたんはDぐらいの差だろうけど、そのことを考えればセイちゃんがロマたんを直視できなかったのも無理はないわけだ。

 

 と、そこまで考えていたところで、アスナんが私に声をかけてきた。

 

「ルイさんって、スタイルいいですよね……胸も大きいし、羨ましい……」

「も~、どこみてるの~?」

 

 自然と胸を隠すように両腕を持ち上げていた。

 私も、アスナんとロマたんを見ていたわけだけど、そこは放置でいこう。

 

「そうだよねぇ。ルイルイ、ムネいくつあるの?」

 

 アスナんの台詞を聞いてか、ロマたんまでも私の方を凝視していた。

 

「いわないよ~。恥ずかしいからね~」

「むぅ! じゃあ触って確かめてやる!」

 

 と、言うが早いか、ロマたんが私に向かって跳びついてきた。

 咄嗟のことに私は反応が遅れ、ロマたんの手が一瞬だけど確実に私の胸に触った。

 

「ひゃああ!! ロマたんのえっち~!」

「わはははは!!」

 

 私はお湯の中をゆるゆると逃げ、ロマたんはそれに追いつくか追いつかないか、という位で追いかけてきた。

 それほど本気で触るつもりはないようだ。

 

「……わたしも、あれくらいあれば……」

 

 そんなアスナんの呟きが聞こえた。

 

【アスナさん、どうしてムネを押さえてるんですか?】

「え!? ああ……うん、なんでもない……」

 

 アスナんの呟きにログっちが反応してしまったけれど、アスナんは笑って誤魔化していた。

 とはいえ、ほんのり顔を赤らめ、潤んだ瞳で考えていたことは、だいたい分かる。

 

「だいじょ~ぶだって~。キリ君はムネの大きさなんて気にしない子だよ~、きっと~」

「なっななな!?!? べっ別にキリトくんのことなんて考えてましぇん!」

「噛んだ! 噛みました! アスナが噛んだー! やーい!」

 

 私の指摘が図星だったらしく、アスナんはとても分かり易く動揺していた。

 そんなアスナんをロマたんが、ここぞとばかりにからかい始める。

 

「な、何よぉ! って、ちょっ……お湯かけるなぁ! アロマ!」

 

 バッシャバッシャと激しい音を立てながらロマたんがアスナんにお湯を浴びせ、アスナんもお返しとばかりにロマたんにお湯をかけ返し始めた。

 

「うわっぷ! やったなー!」

 

 2人で騒ぎながらしばらくはお湯の掛け合いをしていたけれど、隙を見てロマたんが次の行動に移った。

 

「ぎゃははは! おまえも揉んでくれるわー!」

「きゃああああ!!」

 

 ロマたんは、女性としてはちょっとアレな笑い声を上げながら、アスナんの胸に向かって跳びついて行った。

 私と違い、アスナんは流石の反射神経で、(すんで)の所でロマたんの突撃を回避した。

 

「待て待て待てー! あひゃひゃひゃひゃ!」

 

 けど、ロマたんもそれで諦めるつもりはないらしく、ちょっと気持ち悪い笑い声を上げながら、アスナんを追いかけ回し始めた。

 私の時とは違って、今度はかなり本気で揉みたいらしく、お湯飛沫も派手にあがっている。

 

(男子の夢物語的な、女の子同士の絡み合いとか、初めて見たよ~)

 

 男子の妄想だけの産物だとばかり思っていたけれど、実行する女の子もいるんだなぁとか、しみじみと思ってしまった。

 

【アロマさん、行儀悪いですよ】

 

 ログっちの一言で、アスナんとロマたんの視界が一瞬遮られたようで、2人揃ってお湯の中で転んだことで追いかけっこは終わりとなった。

 

「ふはっ! んもう! ほんとに止めてよね! アロマってば!」

「っぷはぁ……アハハハハ! まあ、冗談はともかくさ! ルイルイはやっぱりいいよね! ムネがおっきいと、マーチも喜ぶでしょ」

【ルイさん、スタイル良いです。羨ましいです】

 

 ロマたんの矛先が唐突に私に向き、ログっちまでそれに乗ってきた。

 

「んもう~、ログっちまで~。マーチんはそんなにムネのことなんか言わないよ~。だから気にしたことないんだよね~」

「ヒヒヒ! そこも好きなとこって感じ?」

「うん、そだよ~」

「うわぁ、ごちそうさまです」

「ゴチソーサマ! ったくもー、ルイルイはー!」

【御馳走様です、ルイさん】

 

 普通に答えただけなのに、何故かみんなに御馳走様って連呼された。

 何となく照れくさくなったので、話の矛先を変えることにした。

 

「私の事より~、アスナんはキリ君のどこが好きなの~?」

「え!? ええええええっ?!」

「動揺しすぎ。アスナ、分かり易過ぎ」

 

 ストレートに聞いたからか、アスナんが思いっきり動揺していた。

 

「なっ、なななんのこと? 別にキ、キリトくんのことを好きだなんて……」

 

 必死に誤魔化そうとするアスナんを見て、ロマたんが意地悪そうにニヤリと笑っていた。

 

「あっそう? じゃあ、私がキリトと2人でダンジョンに行っても問題ないよねー?」

「や、やめた方がいいわよ! だって、キリト君はずっとソロでやってたんだから……その、連携とか下手……ってわけでもないけど、苦手みたいな感じもするし……そ、そうそう! キリト君にLA取られるから良いドロップが来ないとかよくあるし! すぐお腹空いたとか疲れたとか言うし! 天気が良いと昼寝しちゃうし――」

「わ、分かった、分かったってアスナ!」

 

 猛烈な勢いでロマたんを止めにかかったアスナんに圧倒されて、ロマたんが慌てたように止めに入った。

 

「2人っきりでなんて行かないよ。――多分」

 

 しかしロマたんは、最後の最後までアスナんをからかってイヒヒと笑っていたので、アスナんは心配そうな顔でロマたんを睨んでいた。

 

「ロマたん~、意地悪しないの~」

「ふぁーい」

 

 私の言葉に適当な返事を返したロマたんだけど、一応釘を刺しておいたから大丈夫だろう。

 

「そんなことより! アロマだってセイドさんのどこが好きなの?」

 

 と、今度はアスナんが反撃に出た。

 

「どどどどうしてセイドが出てくるの!?」

 

 これにはロマたんも予想外だったようで、言葉に詰まってしまっていた。

 

「アロマだって、分かり易いじゃない」

「別に! セイドなんか……ただのギルドマスターなだけだもん! レベル上げとか付き合ってくれるけど超絶厳しいし、何かあるとすぐに理路整然と文句言うし、お母さんみたいに世話焼いてくるし……ある意味ヘタレだし」

「ん? ある意味って?」

「な、なななんんでもないっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「「へっくし!」」

 

 キリトとセイドが同時にクシャミをした。

 

「おまえら、絶対噂されてるぞ」

 

 そんな2人の様子を見て、俺は女性陣が何やらこいつらの噂をしているのだと決めつけた。

 

 温泉エリアの外――44層のフィールド《セイレーンの揺り籠》という名の砂浜に座りながら、俺・キリト・セイドは今後のボス攻略について話をしていた。

 まあ、万が一にも俺の嫁の入浴シーンが他のプレイヤーに覗かれたりしないように配慮した結果、女性陣が入浴中は見張りをするということになったわけだ。

 混浴状態に陥ってセイドが挙動不審にならないためにも、アスナとキリトの混浴を避けるためにも、である。

 

「キリトさんが噂されてるなら分かります。でも、何で私まで」

「それ逆だろ。セイドが噂されてるに決まってるじゃないか」

 

 セイドの反論に異議を唱えたのはキリトだ。

 2人揃ってクシャミをしたというのに、まるで自分は噂されていないとでもいうような感じだ。

 

「どうして私なんですか」

「アロマの家出のことを根掘り葉掘り、きっとアスナが聞いてるんじゃないかな」

「うっ……いや、あれはもう終わった事じゃないですか……絶対キリトさんですって!」

 

 多少、耳のあたりを赤くしてセイドが反撃に出た。

 何か思い出して照れているのだろう。

 まったく、分かり易い奴だ。

 

「俺の何を噂するんだよ」

 

 対してキリトは、何の気負いも無くそういって、体を解すように伸びをした。

 

「うう……ほら、アスナさんとの関係とか……」

「アスナとは、一時的にパーティーを組んだり、ボス攻略で一緒に戦ったりしてるだけで、フレンドではあるけど、それ以外には何って関係でもないぞ?」

 

 キリトはきょとんと、そんなことを言い出した。

 これには流石に俺も驚いた。

 

「え、キリト、お前、それ本気で言ってる?」

 

 あんなに分かり易く――キリトの前でニコニコしたり、キリトの事となるとムキになったり、キリトにピンチを救ってもらった時のあの顔とか見ていて、攻略組のメンバーとしか見てないと、本気で言っているのか。

 というツッコミは、何とかせずに押さえておく。

 

「ん? うん」

 

 信じられない、という心境はセイドも同様だったようで、俺とセイドは互いに顔を見合わせてしまっていた。

 

「……アスナ、大変だな」

「……苦労しますね……これは……」

「なんだよ。おーい」

 

 俺とセイドのため息交じりの会話に、一応ツッコミらしき形を取ったキリトだが、あまりしつこく追求する気はないらしい。

 そしてそれは俺達も同様で、詳しく説明するつもりはない。

 

(まあ、これも社会勉強だと思って、精進したまえ、少年よ)

 

 心中でそう呟き、思わずため息を漏らした俺を、キリトは不貞腐れたようなジト目で一瞥するにとどまった。

 

「まあ、それはともかく、話の続きだ。ボス戦の話だが――」

 

 多少脱線しはしたが、気を取り直して話を元に戻した。

 

 

 

 

 アロマ家出騒動及びアスナPK未遂事件の後、俺達は1つの話し合いをした。

 

 それは、俺達もセイドと一緒に攻略へ参加するというものだった。

 

 これを強く主張したのはアロマとルイの2人だったのだが、俺としても、2人の気持ちが分からないわけではなかった。

 あの時、セイドの瀕死状態を目の当たりにしたからだ。

 

『セイちゃん、私達は《生きて帰る》のが目的だよね? なら、セイちゃんも死んじゃダメなんだよ? 私達がみんなで生きて帰らなきゃ』

『でも、セイドが1人で攻略に参加してたら、今回みたいに危ないときに、私達が助けに行けないよね?』

『だからね、セイちゃん、マーチん。私もロマたんも決めたの。セイちゃんが攻略に参加するなら、私達も一緒に行こう、って』

 

 2人のこの意見に当然の反論をしたのはセイドだ。

 即ち『それなら参加するのを止めます』と。

 

 セイドのその発言に、しかしアロマとルイが反論し、そこからはしばし話が平行線になったが、2人(と、ついでに俺)がセイドを半ば強引に折った形になった。

 

 セイドは良くも悪くも攻略組の1人として名も知られていて、今更攻略を止めても良いのか。

 自分は危険な場所に行くのに俺達には行くなと言えるのか、などなど。

 結論の出し辛い話し合いに、セイドが渋々折れたという感じだ。

 

 まあ、この時点では、すぐに攻略に参加するような場も無かったから、セイドも折れたのだろう。

 

 だが。

 その2日後、キリトとアスナが俺達の元を訪ねてきた。

 その理由は、俺達DoRに攻略組としての参加要請をするためだった。

 

 アロマ家出騒動及びアスナPK未遂の件で、キリトとアスナは俺たちの実力の一端を直接目にしている。

 セイドの戦闘技術に関しては、アスナがセイドに庇われている際に。

 俺・ルイ・アロマの3人に関してはキリトが。

 俺とルイの技量は、セイド救出の際に迷宮区を駆け抜けた時、アロマの技量については、キリトがアロマを見つけた際に量っていたらしい。

 

 それらを踏まえて、アスナは攻略組筆頭ギルド《血盟騎士団》の副団長として、俺達を訪ねてきた。

 今回は、以前の様な一方的な勧誘ではなく、対等な立場としての攻略組への参加要請だった。

 キリトはそんなアスナに引っ張られてきただけだったようだが。

 

 この日の夜――キリトとアスナが帰った後、俺達はもう1度話し合った。

 セイドは今度こそ、理由も何もなく、ただただ俺たちの参加に反対した。

 

『矛盾があろうと何だろうと、皆さんがついてくるというのであれば、私は行きません!』

 

 理路整然と理由を付けるセイドにしては珍しい感情が前面に出た言葉だった。

 これには俺もアロマも言葉を失くした。

 ただ、ルイだけが違った。

 

『セイちゃん。私達の目的は《生きて帰る事》だよね? この世界に閉じ込められて、もう1年半。まだ60層なのに、最近の攻略ペースは落ちてきてる。この調子で攻略を続けたとして、早くても、あと1年半はかかると思う。それまで、私達の現実の身体が、無事だっていう保証はないんだよ?』

 

 忘れていたわけではないが、意識していなかった事だった。

 そのことと正面から向き合うのが怖かったからでもある。

 だが、ルイはあえてそのことを口にした。

 

『私達が、ちゃんと生きて現実に帰るためには、攻略のペースを少しでも上げることを考えるべきだと思う。そういう時期に来てると思うの。だからね、セイちゃん。私は攻略に参加しようと本気で思ったんだよ。無事に、生きてここから出るために』

 

 ルイのこの言葉で、セイドも反論を失った。

 俺たちの目的は《生きて帰る事》だ。

 安全な場所に居れば《とりあえず生きている》ことはできるかもしれないが、本当に《生きて帰る》ことができるとは限らない。

 

 セイドも、そして俺もアロマも、そのことをルイの言葉で真に実感した。

 そして、トドメと言わんばかりに、ログの言葉が俺たちの目に入った。

 

【このギルドが、守りの姿勢を取る時期は終わったと思います】

 

 全員の視線がログに集まるも、ログはひるむことなく、淀みなくテキストを打った。

 

【微力ですが、私も皆さんが生きて帰れるよう、全力でサポートします】

 

 そして、思わず見惚れるような笑みと共に。

 

【もう、誰かが居なくなるのは嫌です。だから皆さん、絶対に生きて帰ってきて下さいね】

 

 ログだからこそ、本当に重みのある言葉が、俺たちの胸に届いた。

 セイドも腹を決め、俺達はアスナの申し入れを受けることにした。

 

 そして翌日――というか今日。

 再びアスナとキリトが俺たちのギルドホームを訪れ、そこで俺達からも攻略に参加させてほしいと申し入れた。

 その後は順調に話も進み、気が付けばうちの女性陣とアスナはすっかり打ち解けていて、親睦会的な流れにそのまま移行。

 こうして俺たちが秘匿している温泉――《セイレーンの秘湯》へと足を運んだわけだ。

 

 まあ、温泉は女性陣に譲るとして、俺はそれよりも、キリトから可能な限り過去のボス戦の体験を聞き出すことに終始した。

 セイド以外、俺達DoRはボス戦の経験が無い。

 これは今後、他の攻略組プレイヤーたちとの大きな差を生むことになる。

 だから俺はその差を少しでも埋めることに必死だった。

 ――のは、ここに来てから1時間ほどまでだった。

 1時間たっても、女性陣は温泉から出てこなかったのだ。

 

 流石に話を聞く方も、喋る方も――まあ、俺とキリトが特にそうだったのかもしれないが、簡単に言えば飽きた。

 それからというもの、俺達は取り留めのない雑談に興じていた。

 

 

 

 

「ってか、キリトって、何気に二つ名が多いよな」

「そんなに多くないだろ? それに、そんなのが多くても、迷惑なだけだって」

「でも、話を聞く限り《ビーター》以外は全部外見由来ですよね。《黒ずくめ》《ブラッキー先生》《黒の剣士》と……ああ、極一部で《プロンプター》とも呼ばれてたらしいですよ?」

「うへぇ……でも黒が好きなのは確かだしなぁ……」

 

 キリトはそう言いつつも、あまり気にしている風も無く大きく欠伸をした。

 

「ふぁぁ~……って、二つ名っていえば。セイドのはよく分からない気がする」

「私の二つ名なんて《指揮者》程度ですよ? そのままじゃないですか?」

 

 キリトの疑問を、セイドは何食わぬ顔で流そうとしたが、そうはさせじと俺が続けた。

 

「あ~、あ~、あれか。《空蝉》だな?」

「そうそう、その《空蝉》ってやつ、どういう意味なんだ?」

 

 俺が分かってて言っていると、セイドは理解しているようだが、話題に上がったものをそのまま知らぬ存ぜぬで通す程、セイドは子どもではない。

 

「……正直、不本意なんですけどね」

 

 渋々と言った様子で、ため息交じりに口を開こうとしたセイドよりも先に。

 

「捕まえたくても、捕まえられないって意味なんだよ~」

 

 いつの間にか、女性陣が風呂から上がってきたらしく、キリトの台詞をルイが受け取っていた。

 その手にはキッチリと牛乳瓶が握られている。

 俺の嫁お手製の《フルーツ牛乳》だ。

 ルイ以外の3人も、それぞれ牛乳瓶を持っていた。

 

 うむ、やはり温泉上がりには牛乳瓶だよな。

 そしてそれが良く似合う美人ばかりだ。

 本当なら浴衣姿での登場を願いたいところだが、ここは水着限定なのが惜しい。

 だが、それでも眼福眼福と思わずにはいられない。

 

「というと?」

 

 しかしキリトは、そんな至福を感じていないかのように平然と質問を返していた。

 

「《空蝉》っていうのは~、源氏物語の登場人物の1人でね~。超美形の光源氏ってイケメンに言い寄られた女性なんだけど~、ギリギリのところで~、着物1枚残して~、逃げて行っちゃうんだよね~」

 

 俺が至福に浸っている間に、ルイがキリトの質問に答えていた。

 

「セイちゃんも~、女の子に言い寄られても~、サラ~ッと逃げちゃうから~、《空蝉》ってさ~」

「女性に言い寄られたことなんてありませんって!」

 

 ルイのこの一言には、流石のセイドも異議を申し立てたが――

 

「気付いてないのは~、本人だけなんだよ~」

 

 ――と、アッサリ却下されていた。

 こればかりはセイドに勝ち目はない。

 

「うう……」

 

 項垂れて呻き声を上げたセイドを横目に、キリトが得心が行ったというように頷いていた。

 

「ははぁ、なるほどなぁ」

「ってことだからよ。アロマも苦労するだろうなぁ」

 

 ルイの最後の一言を補足するつもりで付け足した俺の言葉に、名前を上げられた本人が反応した。

 

「私が何だって?」

 

 いつもとは別の意味で、間抜け面をひょいとのぞかせて、アロマが話に入ってきた。

 

「お前なぁ……」

「ん?」

 

 俺はアロマのその間抜け面を目にして、呆れてしまった。

 アロマは話に加わる直前に、がっつりと牛乳瓶を呷っていたわけだが。

 

「顔」

「口」

「ん? なんだっての?」

 

 キリトと俺で、揃って口元を指さすが、当の本人はちっとも気付かない。

 と。

 

「アロマさん……牛乳ヒゲがついてますって」

 

 セイドが割って入り、アロマの口元をハンカチでグリグリと拭き始めた。

 

「ふんにゃ」

「まったく……もう少し落ち着いて飲んで下さい」

「ふぐ、ふぐ」

 

 うん、と言っているつもりなんだろうか。

 アロマは小刻みに頷きながらセイドにされるがままになっていた。

 

「はぁ……アロマってば……これが美味しいのは分かるけど、一気に飲まなくても良いのに」

 

 アロマの隣にいたアスナは1口飲んだところで、アロマの様子に呆れていた。

 

「お、美味(うま)そう。アスナ、それ俺にもくれ」

 

 そしてこちらも、やはりというか何と言うか。

 キリトはキリトで、アスナの飲みかけの牛乳を横からかっぱらい、アスナが声を上げる間もなく牛乳瓶を口に運んでいた。

 そんなキリトの行動に対して、小声でブツブツと文句を言いつつもほんのりと頬を赤らめているアスナを見ると、ああ、やっぱりなぁと思ってしまう。

 キリトも罪なやつだ。

 

「いいよね~、こういう時期って~」

 

 無自覚にピンクの空間を作り出している2組を前に、ルイがのほほんと微笑んでいた。

 

「だなぁ。ドキドキとか、ウキウキとか、そういう形容詞がぴったりだよなぁ」

「でも~、今のマーチんとの関係が~、私には1番あってるかな~」

 

 幸せそうな空気に触発されたのか、ルイも頬を桃色に染めながらそんなことを言いだした。

 

「おう、俺もそう思うぞ」

 

 流石俺の嫁、()いやつめ。

 思わず抱きしめたくなったところで――

 

【ルイさん、これ美味しいです。キリトさんが飲みたがった気持ちも分かります】

 

 ――キリトの行動を見ていたログが、ちょっとずれた意見を打っていた。

 良くも悪くも、ログのお蔭でピンクな空気は払拭されたわけだが。

 

 

 ……ちょっと残念でもあった。

 

 

 

 



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第五章・黎明
第一幕・初陣


ポンポコたぬき様、路地裏の作者様、斬【Zan】様、鏡秋雪様、エミリア様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

アニメが終わっているというのに、SAO作品が多くなってきて、嬉しい限りです!(>_<)

間が開いてしまいましたが、第五章です(>_<)
これからも、ご意見・ご感想・誤字脱字などなど、何かありましたら、是非お声掛け下さい!m(_ _)m

もちろん、何もなくてもお声をかけて頂けるだけでも(一▽一)嬉しいです。



 

 

「これがボス部屋か~、凝った造りだね~」

 

 ボス部屋の扉を前にしても、ルイさんはいつもと変わらぬ、ほんわかした表情のままに感嘆の声を上げていた。

 

「……やっぱ、重圧が違うな……お前ら、ずっとこんなのクリアして来てたのか」

 

 β版では何度もボス戦を経験していたらしいマーチは、デスゲームと化してからは初となるボス戦を前に少なからず緊張しているようだった。

 

「マーチは久しぶりのボス戦だし、緊張するのも仕方ないか」

 

 マーチの様子を見て、笑顔で口を開いたのは《黒の剣士》にして攻略組トップクラスの実力を持つソロプレイヤー、キリトさんだ。

 

「大丈夫だってマーチ! いつも通りセイドの指示に従って動けばいいんだから!」

 

 ボス戦だというのに明るく気軽にそう言い放ったのは、我らがDoRのトラブルメイカーにして自称ムードメイカーというアロマさんだった。

 

「てか、セイさんのギルドがボス戦に参加するとは、マジで驚きっす」

「カカカッ! んだなぁ! ってかマーチ、嫁さんまで連れてくるとは思わなんだぞ!」

 

 アイテムの分配を終えたらしく、DDAからの参加者2名を引き連れてこちらに絡んできたのは、DDAの攻撃部隊サブリーダーを務めるヴィシャスさんと、DDA創設に携わり、また壁戦士(タンク)の基礎をプレイヤーに広めた《騒音(ノイジー)》こと、ノイズさんだ。

 ノイズさんの台詞にマーチとルイさんが何やら言葉を返し始めたところで――

 

「セイドさん、いつもと様子が違いますけど……大丈夫ですか?」

 

 ――こちらもアイテム分配を終えたらしく、KoBから選抜された2名を伴って、アスナさんも私達の近くへと歩み寄ってきた。

 

 まるで私を取り囲むかのように集まっている11名のプレイヤーたちを、私は不思議と落ち着いた心持で眺めていた。

 

(よもや、こんな日が来るとは思いもしませんでしたが)

 

 

 数日前に話し合った通り、私達は《血盟騎士団》副団長を務める《閃光》のアスナさんの推薦を受け、この60層から攻略組に参加するということになった。

 そのデビューの場として誂えられたのが、異例の事ではあるが、60層迷宮区のボス戦だった。

 より正確に言うなら、ボス本戦前の《偵察戦》である。

 私個人としてはこれまでも参加してはいたものの、これが自分のギルドも一緒にとなると、やはり普段よりも緊張してしまう。

 

「あの……セイドさん?」

 

 返事をし損ねた私に、アスナさんが心配そうに再度声をかけてくる。

 

「あ、失礼しました。ちょっと考え事をしていました。大丈夫ですよ、アスナさん」

 

 何とか笑顔でアスナさんに返事を返したが、正直、いつも通りの笑顔を浮かべられている自信は無い。

 そんな私の返事に、やはり違和感を覚えたのだろう。

 

「そう……ですか……」

 

 アスナさんは一言呟いた後、普段は見せない不敵な笑みを浮かべた。

 

「そういえばセイドさん。道着、新しくしたんですね。見たことない装備ですけど、どこで手に入れたんですか?」

「えっ!?」

 

 今ここでそんな話を出されるとは思っていなかったので、思わず答えに詰まってしまった。

 

「あれ? そういえば、アロマが何か素材を集めてたって聞いたなぁ? 確か、布系防具の素材が多かったらしいんですけど」

「いや、あの――」

「新しい道着とか、NPCのお店には無いですよね。ということは――」

「アスナさん?! 分かってて言ってませんか?!」

 

 私が慌ててアスナさんの台詞を遮ると、アスナさんは直前まで見せていた不敵な笑顔を霧散させ、普段通りの完璧な笑顔を見せていた。

 

「フフッ。どうですか? 緊張はほぐれました?」

 

 アスナさんの狙いを聞いて、私は思わず苦笑いと共にため息を吐いていた。

 

「いやはや、やられましたね。アスナさんがこんな方法を取るとは意外でした」

「わたしも、初めて陣頭指揮を執るっていう時に、同じように服装のことでからかわれて。気が付いたら緊張がほぐれていたんです」

 

 少し気恥ずかしそうに笑いながらそう答えたアスナさんは《誰が服のことでからかった》かは言わなかった。

 まあ、アスナさんに対してそんなことをするとすれば、1人くらいしか思い当たらないが。

 

「戦術面でセイドさんに言うことはありません。わたしにできるのは、陣頭指揮を執ったことのあるものとしてのアドバイスというか、経験を生かした助言です」

「アスナさ――」

「おーぅセイド! その道着、カノジョから貰ったらしいじゃねえか! 羨ましい奴め!」

 

 アスナさんへ感謝を述べようとした直後、無神経な一言が背中を叩いた。

 

「なあソレ、どんな性能ぅぉおお?!」

 

 反射的に声の主に対して、手加減抜きの蹴りを放っていた。

 口は(やかま)しく性格は悪いが戦闘技術はとても高い、ある意味関わり合いたくないプレイヤーに属する《騒音》ノイズさんだった。

 

 蹴りが当たっていれば、ボス戦を目前にして私のカーソルは犯罪者(オレンジ)化していた可能性もあったが、ノイズさんはギリギリで躱していた。

 

「チッ!」

 

 残念である。

 

「っておいぃ! 今のマジで蹴ったろ!? お前、いつもはもっと冷静なのに――」

「喧しいですノイズさん! アロマさんは彼女じゃありませんし、貰ったからといってあなたに教える義理も心算(つもり)もありません!」

 

 そう口走った直後、色々な反応を周囲から感じ取ることができたが、これ以上この話を広げるつもりはなかった。

 此方としても色々と言いたいことはあったが、全てを込めたため息を1つ吐き、半ば強引に気持ちを切り替える。

 

「さぁ! 皆さん準備は済みましたね! 作戦を再確認しますよ!」

 

 手を打ち鳴らし全員の注目を集めると、私は作戦の内容を確認していった。

 

 

 

 

 

 過去に、私が攻略組の先頭に立って指揮を執ったことがあるのは50層迷宮区のボス戦のみ――それも、混乱から立ち直るまでの、ほんの10数分だけのことだ。

 その時は当然、作戦の立案などしていなかったし、プレイヤー全体に対しての責任など考えている暇もない緊急時だった。

 まあ、それが原因で、以降のボス戦に度々呼ばれるようになったわけではあるが。

 

 それでも私がしていたことは、作戦に関して意見などをして戦術面でのアスナさんのサポートをし、実際の戦闘では一時離脱するプレイヤーのフォローなどをしていただけ。

 今回の様に、全員の先頭に立って部隊を率い、作戦全体に対しての責任を負うというような立場に立つのは初めての経験だ。

 

 これが普段、KoBやDDAのリーダー格のプレイヤーたちが背負っているものなのだと、同じ立場になったことで嫌と言う程実感することとなった。

 特に感心させられたのはアスナさんだ。

 明らかに攻略組を担う多くのプレイヤーたちの中でも若く、当然私達よりも年下の少女が、この責任と重圧をものともせずに先頭に立っていたのだから、まったくもって末恐ろしい。

 それに最近は、私が戦術面でサポートをする必要も無くなりつつある。

 

(アスナさんが居る限り、私の出番は無くなるとばかり思っていたのですがね)

 

 そんなことを薄らと思いながら作戦の確認を終え、私は深呼吸をした。

 

「基本は作戦通りに。何かあれば私の指示通り動いていただければと思いますが、ご存知の通り、ボス戦では何があるか分かりません。各々、適宜な対応を心掛けて下さい」

 

 私の掛け声に皆がそれぞれの返事をし、私はボス部屋の扉の前に立った。

 

「それでは! 偵察戦、開始します!」

 

 言い放つと同時に扉を押すと、ゆっくりと扉が開かれていく。

 

 

 

 

 

 このボス部屋を見つけたKoBメンバーが、ボスの名前と外見だけ、(あらかじ)め確認している。

 60層のフロアボスは《平家の彫像(ザ・スタチュー・オブ・ヘイケ)》と名付けられた、巨大な鎧武者の石像で、目に見える武装は太刀1つ、とのことだ。

 ボス部屋の中央に最初から佇んでおり、プレイヤーが部屋に入った時点で動きだすらしいが、その動きは非常に緩慢――ゴリゴリ音を立てながら遅々として動くらしい。

 

 それらもHPが減ることで何らかの変化が現れるだろうから、それを調べるための偵察戦だ。

 私の立てた作戦は単純。

 最初はDoRメンバーがボス戦に慣れるために、全員で部屋に突入後、ボスの初期動作が鈍いらしいことを逆手にとって、ボスの初撃を回避。

 その後、マーチ・ルイさん・アロマさんの3名が隙の少ない《剣技(ソードスキル)》で攻撃を行い、正否に関わらずボスとの距離を開ける。

 その後は一旦ボスの動きを観察しつつ、隙をついての1撃離脱を繰り返す、というものだ。

 

 DoRに壁戦士は居ないが、その分全員が《武器防御》を備え、基本的には回避することに秀でている。

 動きが遅いであろうボスの初動攻撃程度なら、この場に居る誰もが躱せるとは思うが、DoRメンバーがどこまで通用するのか最初に試しておきたいが故に、今回の初手はDoRメンバーに一任させてもらっている。

 

 

 

 

 

 扉が開き切り、DoRが先頭に立って部屋に入ると、ボス部屋の中央に置かれていた石像が動き出した。

 巨大な鎧武者の石像は、全身が灰色で統一されているが、表面は光を反射するように磨き抜かれていて、身に纏う鎧の装飾は細かい。

 腰の左に吊り下げられた刀に鞘は無く、抜身のままの刀身は鈍い光を返している。

 鎧武者は部屋が明るくなると、刀を抜くように右手を動かしていくが、その動きは事前に聞いていた通り、ゴリゴリという音を立てた遅々としたものだった。

 

 私は右手を横に伸ばして合図を送る。

 私がボスの正面を取り、DoRの3人は部屋の外周近くを走りボスの左右と背後へ回る算段だ。

 

 ――ったのだが。

 

 私の横をすり抜けて、真っ直ぐボスに突っ込んでいく影が1つ。

 その場に居た全員が不意を突かれ、その行動に誰もが反応できなかった。

 

「しょーうげきのぉぉお、ファァァァストアタァァァックゥッ!!」

 

 どこかで聞いたような台詞を吐きながら、石武者に真正面から斬りかかって行ったのは、我らがトラブルメイカー――確認をするまでも無く、アロマさんだった。

 しかも、何度も『初撃を《剣技》で行うな』と言い聞かせていたにも拘らず、アロマさんはバッチリ《剣技》で――両手剣用上段重突進技《アバランシュ》で突っ込んでいた。

 

 すると突然、ボスが直前までの遅々とした動きから一転、刀の柄に手を置いた瞬間、その刀身を緑の光が包んだ。

 刀用直線遠距離居合い技《辻風》――発動を見てからでは対処不可な剣技であり、同時に、後の先を取ることも可能な速度に重きを置いた技だ。

 おそらくアロマさんの突撃を迎撃すべく取られた行動だろうが、幸か不幸か、アロマさんの上段斬りとボスの繰り出した横薙ぎの1撃は、武器同士の衝突という結果を生み出した。

 派手な音が部屋いっぱいに響き、アロマさんの初撃は見事に相殺されてしまっていた。

 

「アロマさん?!」

 

 そこまでを把握したところでようやく意識が追い付き、アロマさんを呼び戻そうとしたが。

 

「セイドは王将(キング)なんだから動かないの! キングの後からついて行くナイトなんて居ないでしょ!」

 

 ボスとの打ち合いで剣を弾かれ、体勢を崩しながらも、アロマさんはそんなことを力いっぱい叫んでいた。

 どうやら、初めから私の代わりにボスの正面に飛び出すつもりでいたらしい。

 

 アロマさんの繰り出した《アバランシュ》と打ち合った石武者は、ダメージは受けなかったものの、アロマさんと同様に武器が弾かれた反動で、瞬間動きが取れずにいた。

 

「ったく、アロマらしい。だろ! セイド!」

 

 その隙を逃さず、ボスの右後ろを取ったマーチが、そんなことを言いながらボスが放ったものと同じ居合い系剣技《辻風》をボスの右脚へ。

 

「ロマたん、無理はダメだからね!」

 

 ボスの左後ろを取ったルイさんも、アロマさんに注意をするよう口にしつつ、片手棍の単発剣技《インパクト》をボスの左脚へと叩き込んでいた。

 

 マーチとルイさんはしっかりと1撃を叩き込んだ後、こちらは作戦通りに即座に距離を空けるように下がっていた。

 結果だけを見るなら、当初の予定に近いと――いや、想定していたものより良い結果だろうか。

 見るからに1撃1撃が重そうなボスの攻撃も、アロマさんのステータスであれば相殺できると分かったともいえるのだから。

 

 

 ――などと考えていたのだが、そう甘い事態にはならなかった。

 

 

「うぇぇええっ?!」

 

 先ほどまでの自信満々な声とは打って変わって、素っ頓狂な悲鳴を上げたのもアロマさんだ。

 その悲鳴の理由もすぐに分かった。

 アロマさんが手にしていた両手剣――ログさん作、ログさん鍛錬の1品《ダスク・イラディケイション》が、光の粒子へと還元されていったのが目に入った。

 

(まさか! 1撃で耐久値が全損した!?)

 

 DoRがボス戦に参加するということで、ログさんが張り切って私達の装備をメンテナンスしてくれたので、耐久値は全快された状態でこの場に臨んでいる。

 それに、今の武器同士の激突に不自然な点は無く、アロマさんの剣も損傷した様子は無かった。

 ならば、耐久値の消耗による消滅も、耐久値に関わらず破壊される《武器破壊》が起こることも無いはずだ。

 

 だが現実に、アロマさんの両手剣は消滅するという憂き目にあっている。

 これはつまり――

 

「全員、ボスの攻撃を受けるな! 耐久値全損の効果が疑われる!」

 

 ――ボスの持つ特殊効果かも知れないということだ。

 そして、そうだと仮定した場合、最も避けねばならないのは《メイン装備の喪失》だ。

 

「後続! 武器及び防具を、代替可能な物に変更しろ!」

 

 緊急事態だと判断したためか、一瞬で意識が切り替わった。

 俺は(・・)立て続けに指示を叫びならがアロマの元へと跳び、俺の指示を聞いたDoR以外の攻略組メンバーは、攻撃に参加しようとしていた足を止め、慌てて装備の変更を始める。

 

「アロマ! 下がって装備を予備に切り替えろ!」

 

 俺は《武器喪失(アームロスト)》したことで、しばし呆けていたアロマの首根っこを掴んで後ろに放り投げた。

 

 アロマは使える武器のバリエーションが豊富だ。

 両手剣が無くても両手斧や両手槍があるし、それ以外の《隠し玉》もある。

 もちろん、所持している武器の数も相応に多いので、両手剣も予備の物がある。

 何を持ち出すかはアロマ次第だが、即座に取り出せるのはQC(クイックチェンジ)に登録されているメイン武器ばかりだ。

 ここでアロマのメイン武器を軒並み喪失させるわけにはいかない。

 今後、DoRが本格的に攻略に参加していくのだとしたら、アロマの攻撃力は攻略組の中でも大きな武器になるのだから。

 

 だからこそ、アロマを後ろに下がらせて、予備の装備に切り替えるだけに時間を取らせる必要がある。

 そして、それはマーチもルイも同様だ。

 

「マーチ、ルイ、お前らも下がって変えてこい! ボスは一旦――」

 

 敵対値を多く取っていたアロマを追わせないためにも、マーチとルイが下がる間を確保するためにも。

 俺は更に勢いをつけてボスの顔面に跳び蹴りの体術スキル《メテオライト》を叩き込み、そこから《舞踊(ダンス)》スキルで技後硬直(スキルディレイ)をキャンセル、回し蹴り3連打の《スパイラル・ゲイル》というコンボをお見舞いする。

 

「――俺が引き受ける!」

 

 ボスの顔面に連撃を叩き込んだ上に《警報(アラート)》の作用も相俟(あいま)って、ボスのターゲットは俺に移った。

 これで他のメンバーが態勢を整えるまでの時間稼ぎ位はできるだろう。

 

 

 

 

 

 エクストラスキル《警報(アラート)》は、非常に便利スキルである反面、特殊条件――習得してはいけないスキルがあるなど――や、副作用とでもいうべき明記されていない性能がある。

 《警報》の副作用――それはモンスターに対しての敵対値(ヘイト)だ。

 

 敵対値は、こちらから攻撃を仕掛けたり、ダメージを与えたり、攻撃的(アクティブ)モンスターに見つかったりすることで発生・増大する。

 逆に、こちらが攻撃され、ダメージを受け、モンスターの感知範囲外へしばらく姿を隠すなどの行動によって減少・消滅する。

 それは当然、その行動を取った《個人》に対しての発生や消滅だ。

 

 だが《警報》は、パーティー及びレイドプレイヤーの誰かが敵対値を発生させた時、自身にも敵対値が発生する、という副作用を持っていた。

 この効果によって発生する敵対値は決して多くは無い。

 せいぜいが強攻撃1発分といったところだろう。

 だが、この敵対値はモンスターに攻撃されたとしても減ることが無い(・・・・・・・)

 

 《警報》スキルは敵対したモンスターに、常に一定の敵対値を維持し続けてしまう、ということだ。

 

 つまり。

 こちらから攻撃をしなくても、他のプレイヤーの敵対値が無くなると、自然とこちらにターゲットが移動する、という事態が発生する。

 以前《セイレーンの揺り籠》で俺だけが(・・・・)ホタテに噛み付かれたのは、この効果故だ。

 

 更にもう1つ。

 《警報》には攻撃によって発生する敵対値が増加する、という効果がある。

 攻撃によって発生する敵対値は、瞬間的に発生し、時間経過によって減少するタイプだ。

 これが、アロマと出会うきっかけとなった《腐乱死竜(ピューレトファイド・ドラゴン)》戦で、アロマが感じた疑問の答えである。

 

 体術の手数の多さというのも一理あるが、やはりそれだけでは大型武器を使用しているアロマから敵対値を奪い取るのは、本来ならば不可能だ。

 しかし、俺自身は《警報》の作用で増えた敵対値を、相手の攻撃を完全回避し、且つ攻撃の手を緩めないことで減少させず、対してアロマは攻撃を回避しきれず防いだり受けたりしていたため、敵対値の減少があった。

 結果、トータルの敵対値では俺が上回った、というわけだ。

 

 こう考えると、敵対値に関する副作用も悪い事ばかりではないように思えるが、残念ながらレイド戦になると勝手が違う。

 

 本来なら陣頭指揮を執るプレイヤーはあまり戦線には加わらない。

 それはつまり、後衛に位置するわけだが、俺の場合はそうもいかない。

 

 《警報》の作用によって勝手に敵対値を抱えている状態なので、下手に後衛側に居ると敵を引き寄せてしまいかねない。

 かといって戦線に加われば、他者よりも敵対値を稼ぎやすいために、壁戦士でもないのにモンスターを惹き付けてしまいかねない。

 これは集団戦においての役割分担を崩壊させる要因となり得る。

 それがどれ程危険なことか――特にこのデスゲームでは、僅かな戦線バランスの崩壊で多くのプレイヤーの命を危機に晒すことになる。

 

 《警報》の利便性と不安要素。

 

 この2つを抱えたまま俺自身が陣頭指揮を執ることになった場合、立てる位置は1つだけ。

 前衛ラインで指揮を執りつつ攻撃には参加しない、というポジションだ。

 おそらく攻略組の中でも鋭い連中――キリトやアスナといった辺りなら、俺がそんなポジションで指揮を執っていることに違和感を持っているだろう。

 

 

 

 

 

(だが《警報(アラート)》のことは、まだ話せない)

 

 ボスの振るう刀を、《警報》の攻撃予測効果も駆使して躱し続けながら、俺は一瞬意識をDoRメンバーに向けた。

 

 マーチとルイは手早く装備の換装を終え、既に元の配置に戻っている。

 アロマは武器の数が多いからか、まだ少し手間取っているようだ。

 その奥から他の攻略組プレイヤーも続々と装備を整え終えて戦列に加わり始めている。

 ボスとの距離を開け過ぎず詰め過ぎず、回避に専念していると、私は(・・)徐々に思考が冷静な状態に戻って行った。

 

(とりあえず、緊急事態は脱したと見ていいでしょう……後はアロマさんが戻ってくれば――)

 

「よし。もう、これ使おう」

 

 私が状況を思考の片隅で確認したのとほぼ同時に、アロマさんのそんな呟きが耳に届いた。

 思わず視線を向けると、そこには――

 

「1番のお気に入り、壊されたお返しに、その刀、()し折ってやる」

 

 ――《隠し玉》の1つを、鬼気迫る形相(ぎょうそう)で構えているアロマさんが居た。

 

 大型武器を好んで使うアロマさんの持つ武器の中でも、最大の重量を誇る《隠し玉》。

 それは、両手斧を使い込むことでスキルリストに現れる派生スキル――《両手用戦鎚》である。

 

 この両手鎚、実は両手棍からも派生するのだが、要求筋力値が途轍もなく大きいせいで、両手棍から派生した場合、ほぼ間違いなく筋力値が足りないという事態になる。

 元々の要求筋力値が大きい両手斧からの派生でなければ、実用は不可能に近い。

 

 ともあれアロマさんは、斬撃・刺突に続き、打撃に属する大型武器まで手に入れたことになる。

 そして、今ここで両手鎚を取り出した目的は、ボスの武器を破壊するため、らしい。

 

「ア、アロマさ――」

「かぁくごしやがれぇぇぇえええええ!!」

 

 声をかけようとした私をスルーして、アロマさんはボスへと真っ直ぐ突っ込んでいった。

 両手鎚は重量が大きいため、如何に筋力値に偏ったアロマさんのステータスであっても、他の武器との兼ね合いを考えると、予備を用意できるほど所持容量に余裕はなかった。

 つまり、今アロマさんが持っている両手鎚は《メイン武器》であり、予備は無い。

 確定ではないが《装備破壊》の効果を持つかもしれない相手に、そんな武器を振り回すのは避けるべき行為だ。

 

 ――が。

 

 ボスが横からの斬撃を繰り出してきたところで、アロマさんはその斬撃を避けつつ刀の腹に戦鎚を振り下ろしていた。

 

 甲高い音を響かせて、アロマさんの戦鎚は見事に石武者の刀を打ちつけていたが、当然と言えば当然のように破壊することはできていない。

 

 そして同時に、アロマさんの両手鎚も破壊されていない。

 

 2種類の武器を持っているボスなどの場合、一方は破壊可能だったりしたこともあったが、このボスは他に武器を隠し持っている様子は無い。

 その上、刀の仕様を前提にしたような出で立ちのボスである以上、破壊不可能と考えるのが妥当だ。

 もし仮に、刀そのものが破壊可能であったとしても、どこからか代わりの物が降ってきたり、生えたりするかもしれない。

 

 また、アロマさんの戦鎚が破壊されていないことから、斬撃を喰らわなければ破壊効果が発生しないらしいことも(うかが)える。

 そうであれば、今のアロマさんの様に刀の腹を弾くようにすれば《武器防御》も不可能ではない、ということになる。

 

(何にせよ、不確定情報が積み重なっていくばかり……可能な限りの検証をするしかないですね)

 

 本来ならばアロマさんの暴走を止めようかと思っていたのだが、今の彼女は上手い具合にボスの攻撃を弾く――というか刀の腹を叩いて破壊する――ことに集中している。

 ボスもまた、武器を弾かれることでアロマさんへの敵対値が高まったようで、主にアロマさんへと狙いを付けている。

 そのボスの隙をついて、他のプレイヤーたちが1撃離脱を繰り返し、ダメージの通り具合やボスの防御力についての検証を重ねていく。

 これならばアロマさんを止めなくとも、概ね作戦通りに事を運ぶことができるだろう。

 

「おーおー、やるじゃねえか! あの赤髪の嬢ちゃん! ヴィシャス、おめえが負けた娘だっけか?」

 

 壁戦士の(さきがけ)《騒音》のノイズさんが、雄叫びを上げながらボスの刀を叩き続けているアロマさんを見て、顔がやや引き攣り気味のヴィシャスさんに声をかけていた。

 

「そうっすよ、首領(ボス)……相っ変わらず半端ない人っす……アレは受けたくないっす……」

 

 基本的に人を素直に褒めるタイプではないノイズさんが、初対面のアロマさんを褒めるということは、アロマさんの実力が攻略組と同等であると認められたと考えてもいいだろう。

 

 まあ、アロマさんの力技をその身で受けた経験のあるヴィシャスさんとしては、アロマさんの戦いっぷりを見るのはトラウマなのかもしれないが、それは自業自得だろう。

 

「少々差異はありましたが、現状のまま作戦を続行! これ以降はHPが減った際の変化にも気を付けて下さい!」

 

 私は声を張り上げて全員に声を掛けた。

 

 こうして、出だしで少々の変更はあったものの、作戦に大きな変更は無いまま、本格的に戦闘を開始することとなった。

 

 

 

 

 DoRメンバーは回避できているとはいえ、攻略組の全員が常に回避可能なほどSAOの戦闘は甘くない。

 

 誰かがダメージを負ったらノイズさんを筆頭とした壁戦士のプレイヤーたちとスイッチし回復。

 それと、やはりというべきか、ボスの攻撃には耐久値を大きく減らす効果がある事も分かった。

 通常攻撃を喰らうと耐久値が大きく減少。

 《剣技》を喰らうと1撃で全損、という効果だった。

 

 効果が確定したので、全員に回避を最優先にさせることで、装備品の損耗を抑えることに成功。

 ボスの動きがあまり早くないのも幸いだった、というところだろう。

 

 キリトさんやアスナさんを筆頭とした攻撃特化型(ダメージディーラー)のプレイヤーたちも、スイッチを繰り返して細目にダメージを稼いでいく。

 

 そもそも、DoR以外は何度もボス戦を経験している攻略組プレイヤーばかりだ。

 私が指示をする必要など基本的には無いが、受けては危険な攻撃や細部の連携の綻びなど、気付きにくい点に関しては注意を飛ばしていく。

 ただそれを繰り返すだけで、ボス攻略は順調に進んでいった。

 

 ふと、私は視線をDoRのメンバーに向けた。

 マーチもルイさんも初めてのフロアボス攻略戦だというのに、委縮することなく生き生きと動いている。

 このデスゲームが開始された当初の様子からは想像もつかない光景だ。

 

 アロマさんもまた、鬼気――いや嬉々としてボスの刀を殴り続けていた。

 

「オラオラァ! まっだまぁだ、いっくぜぇぇぇぇえ!」

 

 女性としては考え物だと思う台詞を口にしながら大きな戦鎚を振り回している。

 私も戦闘となると性格が変わる質ではあるが、アロマさんのコレも相当だろう。

 

(まあ、存分に暴れて来て下さい。多分、刀は壊せないと思いますが)

 

 口には出さず、心中でのみそう呟いて、私は再び全体の指揮へと意識を戻した。

 

 

 

 

 結局、ボス戦に関しては、あまり大きな問題は発生しなかった。

 いや、したと言ってもいいのかもしれないが、それはそれで良いことだとも言える。

 

 ボスである石武者はHPバーが1段減る毎に鎧が剥げ落ちていき、防御力が下がる代わりに速度が上がるという、至ってベーシックな変化を見せた。

 まあ、1段目を削るだけで2時間かかったというのは笑えなかったが、それ以降は防御力低下の効果も相俟って、HPを削ることに難は無かった。

 

 ただ、あまりにも順調に進み過ぎて、私達は皆、これが偵察戦であるということを忘れていた。

 

 

 気が付いた時には、撃破していた。

 

 

 

 

「いやぁ……倒せちまったな……」

「ああ、そうだな……アスナ、これ(・・)、どうする?」

「どうするって言われても……良いんじゃない? 倒せるに越したことはないはずだもの。参加できなかったからって文句を言うような人は……」

 

 ボス部屋の中央。

 皆が集まる中、マーチとキリトさんが呆然と呟き、アスナさんがそれに答えつつDDAメンバーへと視線を向けた。

 

 キリトさんの言う《コレ》とは、ボスのドロップアイテムなどのことだ。

 DDAは、レアアイテムやボス討伐の名声などに執着するプレイヤーが多いからだろう。

 ちなみに、LA(ラストアタック)は何気にマーチが取って行った。

 

「あー、俺らの方にゃいるかもしれんが。ま、気にすんな! クリアが早まるのは良い事さ! カカカカッ!」

 

 アスナさんの視線を受けて、しかしノイズさんは笑って答えていた。

 

「いやぁ、驚きっす。まさか倒せるとは思ってなかったっす」

「そりゃそーだぜ……てか、ここのボスが弱かったってことじゃねーの?」

 

 ヴィシャスさんもマーチも、ボスの討伐成功という事態には驚きを隠せないようだ。

 

「え~? あれで弱かったの~? 私としては充分強敵だと思ったけどな~?」

「私はまだ納得できてないよ……結局、圧し折ってやれなかったし」

 

 ルイさんは初のボス戦に対して、多少の恐怖もあったのであろう感想を述べ、アロマさんは逆に、心残りがあるようで未だにブツブツと言っていた。

 

「まあ、今回はこんな結果になりましたけどね……毎回こう上手くいくわけじゃないですから、その辺りは肝に銘じておいてください。3人とも」

 

 初のボス戦を終えた直後だからこそ、私はDoRの3人に釘を刺した。

 フロアボスを毎度こんなにあっさり倒せると思われては困る。

 

「ん~、分かってるよ~」

「おう、わーってらぁ」

 

 ルイさんとマーチは肯定の意を示したが、アロマさんはまだ不貞腐れていて返事が無い。

 

「アロマさん。分かりました?」

「むー! 分かったよぅ!」

 

 念を押したことでアロマさんも気持ちを切り替えたようだ。

 パンッ、と1つ手を打ち鳴らし、唐突に私へと満面の笑顔を近づけてきた。

 

「それに! これからはみんなで一緒に行けるんだし! 心配しないで済むからね!」

 

 アロマさんが機嫌を直したようで何よりではあったが。

 

 唐突に顔を近づけてくるのは止めていただきたい。

 

 私は少々慌てて話を逸らそうとした。

 

「さて、それでは61層の転移門の有効化(アクティベート)は――」

「セイドさん」

 

 そんな私の台詞を遮ったのは、他でもないアスナさんだった。

 

「《逆位置の死神》の攻略組としての第1歩が、最高の物として踏み出せたことにお祝いを申し上げます」

 

 アスナさんが唐突に、凛とした態度と表情で朗々と語り出した。

 

「今回の1戦にて、DoRが攻略に参加するに足ることを、わたし達《血盟騎士団》はここに認めます」

「ぉ。んじゃ俺からも。んんんっ! 《聖竜連合》も、DoRの実力を認め、攻略組への参加を喜んで歓迎するぜ!」

 

 アスナさんの宣言に呼応するかのように、ノイズさんも一緒になって姿勢を改め、DoRの攻略組参加を声高らかに承認した。

 唐突なことに、私を始め、マーチもルイさんもアロマさんも言葉を失っていた。

 

「ってことで、セイド。有効化は任せたよ。俺達は先に戻ってクリア情報を広めてくる」

 

 話の締めをキリトさんが持っていき、彼は言うが早いか部屋の入口へと向かって歩いて行った。

 

「あ、キリト君……んもう! それでは、そういう事で、皆さん、後はお任せします」

「じゃあな、お前ら! 今後はちょくちょく会うだろうから、よろしく頼むぜ! カカカカッ!」

「お疲れっした! またヨロシクっす!」

 

 キリトさんの歩みに釣られるかのように、アスナさんが。

 アスナさんに追従し、KoBのお2人が。

 そしてノイズさんとヴィシャスさん、それに続いてDDAの2人も、挨拶もそこそこに部屋から出て行ってしまう。

 

 気が付けば、部屋の中には私達4人しか残っていなかった。

 

「……ったく……あいつら、カッコつけやがって……ま、しゃーねえ! 俺らで有効化して来てやろうぜ!」

「新しい街か~、楽しみだね~」

「ヒャッハー! しばらくは街を独占だねぇ! セイドセイド! 一緒に店回ろ!」

「そうですね……では、行きましょうか。出てすぐに街とは限りませんから、皆さん、くれぐれも油断はしないように」

 

 私達は揃って歩き始めた。

 ボス部屋の奥にある扉から、次の層へと向かう階段を上る。

 

 その最中、私の後方ではマーチとルイさんが何やら楽しそうに話をしていて、私の右隣ではアロマさんが鼻唄交じりにスキップしている。

 そんなアロマさんを見て、私は1つ言っておくべきことを思い出した。

 

「アロマさん、貴女の台詞を1つだけ訂正させて下さい」

「ん? なあに?」

 

 歩みは止めず、アロマさんを見るのは気恥ずかしかったので、前を向いたままではあったが――

 

「私はキングでもないし、貴女はナイトでもありません。貴女は私にとって、とても大切な人なんですから、自分を駒に例えるようなことは、しないで下さい」

 

 ――戦闘中のアロマさんの台詞へ、この場で返答をしておいた。

 

 そんなことを言われるとは全く思っていなかったのだろう。

 私の言葉を聞いたアロマさんは、スキップしていた足を踏み外してしまい危うく転びそうになった。

 

 反射的に腕を伸ばし、何とか彼女の腕を掴むことに成功した私は、そのまま自分の方へと引っ張って抱き止めた。

 

「全く……危ないじゃないですか、アロマさん! 階段でスキップなんてしてるからですよ!」

 

 転倒しかけたことに驚いたのか、アロマさんはしばし呆然とし、口をパクパクと動かすばかりで言葉になっていなかった。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 心配になり、顔を覗き込むようにして声を掛けると、アロマさんは顔を赤1色に染めていた。

 階段で転びそうになったことは確かに心拍を上げる。

 それでも、ここまで赤くなるのも珍しいとは思う。

 

「………………う――」

 

 少し長めの沈黙の後、アロマさんは首を縦に振って何か言葉にしようとしたらしいが、唐突に台詞を引っ込めた。

 かと思えば、慌てたように私の腕から脱出し、ダッシュで5段ほど上ったところでこちらに振り向いて――

 

「セイドのバーカ、バーカ! どっちが危ないんだよー!」

 

 ――と、よく分からないことを叫び、アカンベーをしてから階段を駆け登って行った。

 

 訳が分からず立ち尽くしていると、私の横をマーチがゆっくりと歩いて行った。

 その顔には『おいおい、何やってんだよ』というニヤついた笑顔があった。

 マーチのすぐ後ろを歩いていたルイさんに至っては。

 

「セイちゃんってば~、恥ずかしい事を臆面も無く~」

 

 いつもとは少し意味合いの違う笑顔を浮かべながら、ハッキリと口に出していた。

 そう言われて、私は自分の台詞と行動を思い出し――

 

(っ!!)

 

 ――思わず俯きながら、顔が熱くなった気がした。

 

 恐る恐る視線を上げると、チラチラと此方を振り返っては、ニヤニヤと笑っているマーチの顔が目に入った。

 

(~~~~~~っ!!)

 

 言葉にならない恥ずかしさを覚え、マーチの視線を正面から受けることにも耐えられなくなり、マーチとルイさんを追い越し、2人から逃げるように、そしてアロマさんの後を追うようにして走り出した。

 

 

 

 

 

 多少の予定外はあったものの、(おおむ)ね順調に終わった今日という日は。

 

 《逆位置の死神(デス・オブ・リバース)》にとって、新たな1歩を踏み出した日となった。

 

 

 



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第二幕・前途

ポンポコたぬき様、舞騎様、ZHE様、エミリア様、路地裏の作者様、ガーデルマン様、感想ありがとうございます!(>_<)

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皆様、本当にありがとうございます!m(_ _)m



 

 

 61層が解放されて1週間が過ぎた。

 この層は、フロア全体が海に覆われていて、その中に島がいくつか点在しているという様相だった。

 

 今あたしたちが居るのは、最も大きい島にある主街区《セルムブルク》。

 その一角にあるNPC経営のカフェだ。

 店の敷地でありながら屋外に用意された席――オープンテラスに陣取って、あたしたちは夕日を眺めながら一息ついていた。

 

「やっぱ、迷宮区の探索はしんどいな……」

 

 テーブルに突っ伏したマーチさんは疲労の色を濃く滲ませていた。

 

「そうだね~。セイちゃん居なかったら~、罠のせいでまともに進めないよ~」

 

 ルイさんは紅茶を片手に苦笑いを浮かべていた。

 

「フィールドボスの討伐が今日の本旨だったんです。そちらは何の問題も無くクリアできましたし、迷宮区探索は明日から本格的に行えばいいでしょう」

 

 お2人とは違い、セイドさんは普段と変わらぬ様子だった。

 

「いやいやセイド。キリトなんて、ソロでどんどん潜ってるよ。私達より先に迷宮区に突っ込んでったし」

【皆さん、装備のメンテナンスは忘れないで下さいね】

 

 今にも足踏みをし始めそうなアロマさんを見て、あたしは慌ててテキストを打った。

 

【武器は使えば使うだけ消耗するんですから】

 

 DoRのメンバー全員が回避重視、防御も《武器防御》メインなのだから、武器の状態には必ず注意を払ってもらわなければ、命に関わってしまう。

 

「わーってるよ、嬢ちゃん。ここで休んだら、嬢ちゃんの店に直行させてもらうさ」

「うんうん!」

 

 マーチさんの台詞に、アロマさんも首を縦に振ってくれていた。

 1人で突っ走る、ということはなさそうで一安心だ。

 

 そんな折、ルイさんが紅茶のカップをお皿に戻したところで口を開いた。

 

「そいえばマーチん~。《あの刀》はどんな感じ~?」

 

 ルイさんの問いかけで、マーチさんはため息交じりにメニューを開いて、アイテムストレージから漆黒の鞘に納められた刀をテーブルの上に取り出した。

 

「どうって言われてもなぁ。今の俺じゃ、こいつの要求ステータス満たせてねーから。もう2レベばかり上げねーと装備できん」

 

 顔を(しか)めながらマーチさんはお手上げのポーズをしてみせた。

 

「しかし、意外といえば意外でしたね」

「んだねぇ! まさか、マーチの刀がボスのLA(ラストアタック)ボーナス武器と融合するとは思わないよね!」

 

 あたしはセイドさんとアロマさんの台詞を聞きながら、テーブルの上に置かれたマーチさんの刀――《居合刀(いあいとう)八咫烏(やたがらす)》の柄をタップし、刀のステータスを呼び出した。

(やっぱり、何度見ても凄い子だなぁ……流石、マーチさんの《とっておき》だ)

 

 

 マーチさんはこれまでに、あたしの知らない《剣技(ソードスキル)》を使っていたことがあった。

 そのことをあたしが尋ねると、マーチさんは『秘密だぞ』と、いたずらっ子のように笑い、1振りの刀を見せてくれた。

『こいつが、あの《剣技》の秘密だ。今の(・・)名を《居合刀(いあいとう)(あかつき)》という』

 マーチさんがテーブルの上に置いたその子を、あたしは思わず手に取って眺めていた。

 そんなあたしに、マーチさんは《居合刀》の入手に関しての話をしてくれた。

 

 

 

 

 《居合刀》と銘打たれた刀を手に入れるためには、特殊なクエストをクリアするしかないらしい。

 マーチさんが、そのクエストを見つけることができたのは本当に偶然だったとか。

 初めて手に入った時の名は《居合刀・(きらめき)》という刀だったそうだ。

 

 その刀の異様さは、他の子とは一線を画していた。

 

 まず、要求筋力値以外にも《要求敏捷値(びんしょうち)》が設定されていたこと。

 

 基本的に、装備品には要求筋力値が設定されていて、それ以下の筋力値では装備しても扱えないという状況が発生する。

 武器なら、上手く振れないし《剣技》も使えない。

 防具なら、動きが阻害されるうえに防御力が著しく低下する。

 けど、要求敏捷値の設定されている武器なんて、マーチさんのそれを見るまで聞いたことも無かったし、要求敏捷値を満たせていない場合は、装備そのものが不可能だということにも驚かされた。

 

 そして2つ目の点は、居合い系以外の《剣技》が使用不可になるということ。

 その代わりに、特殊な居合い系剣技が、居合刀装備時のみ使用可能になる。

 当初手に入った《煌》に登録された剣技は《雷鳴ノ煌キ》だけだったらしい。

 

 けど、この子の本領はそこから。

 

 《居合刀》クエストは発展型クエストだったらしく、続きのクエストで《居合刀・煌》が変化して《居合刀・(ひらめき)》に。

 

 更に次のクエストで《居合刀・さざめき》に。

 

 段階的に強化されていくなかで、使える剣技も増えていくという武器だったそうだ。

 

 そして、その強化が止まったのは最前線が50層の時。

 NPCに『この刀はもう強化出来ぬ。後はお前次第だ』と言われたそうで、マーチさんは居合刀クエストが終わったのだとばかり思っていたらしい。

 

『まあ《暁》になった段階で《剣技》は10種。終わりって言われても納得はできたがな。この先の攻略じゃ、どこかで役に立たなくなるってことに、ちと寂しさを覚えたよ』

 

 その時のマーチさんは、そう言って《暁》を哀しげに撫でていた。

 

 

 

 

 それがまさか、60層ボスのLAボーナスで手に入った刀――《小烏丸(こがらすまる)》があることで、更なる変化を起こすとは、誰も想像できなかった。

 本当に、この世界はプレイヤーの予想を上回る展開に富んでいる。

 

【何度見ても、凄いです】

 

 正直に言えば、少し悔しくもあった。

 

 プレイヤーメイドの武器とクエストなどで手に入る武器。

 双方を比べた場合、プレイヤーメイドの武器の方が上質な物というのが基本だ。

 

 けど、時々こういう子が現れる。

 プレイヤーには作れない、イベントやモンスターからのドロップ限定の《魔剣》と呼ばれる上位武器。

 極少数の人しか手に入れることができないこういう子達は、あたしたち職人にとって超えるべき目標であり、同時に憧れでもある。

 

 見た目は非常にシンプルで、無駄な装飾は一切ない。

 変化元となった《小烏丸》と《居合刀・暁》の影響を受けて、刀身は暗赤色、刃文(はもん)直刃(すぐは)鋒両刃造(きっさきもろはづくり)、大きく反った刀となっている。

 造形もさることながら、ステータスもかなり高い。

 

【マーチさんがこれを装備できるようになれば、間違いなく戦闘が楽になりますよね】

 

 《暁》から《八咫烏》に変化したこの子には、特殊剣技が2つも追加されている。

 元々居合いが得意なマーチさんが持てば、鬼に金棒――

 

「まぁ正直、居合い系だけで戦えるかって聞かれたら、微妙な気もするんだよなぁ」

「他のカタナスキル、全部封印だもんね。でも、居合いに慣れてるマーチなら行けるんじゃない?」

「ロマたん、いくらマーチんでも《武器防御》は大切だよ~」

 

 ――だと思っていたのだけれど、やはり何事にも欠点はあるようで。

 

「そうですね……《武器防御》と居合い系剣技の相性はあまり良くありませんから」

 

 居合い系剣技は鞘から刀を抜き放つ技だから、刀を常に鞘に納めておく傾向にある。

 そうなれば当然、武器を用いて敵の攻撃を受け流す《武器防御》は使いにくくなる。

 鞘自体には大した耐久値は無いから、鞘で受けるようなことをすれば、鞘が壊れて居合いの前提条件が不成立になってしまう。

 自然と、マーチさん自身の回避能力に依存することになってしまうわけだ。

 

「とはいえ、マーチなら使いこなせると、私は信じていますけどね」

「気楽に言ってくれるぜ……はぁ……だがまあ、折角の武器だから使うべきだろうしな。ここまでくれば、クエストの漏洩も仕方ないと思うべきかねぇ」

 

 マーチさんは自分のステータスと《八咫烏》の要求ステータスを改めて見比べ、セイドさんたちと今後の展開についての話を始めた。

 

 詳しい戦術論になってしまうと、あたしにはもうついて行けない世界だ。

 あたしはその話を聞きながら、お店に注文した紅茶を飲み、同じくNPC作のケーキを口に運んだ。

 やっぱり、ルイさんの作ってくれたケーキや紅茶の足元にも及ばない。

 不味くは無いけど、美味しいとも言えない微妙な味だった。

 

 

 

 

 

 

 夜になって、あたしは1人、ギルドホームを抜け出した。

 なにも、圏外に出るわけじゃない。

 6日前、偶然手に入った特殊な金属を加工するために、工房へ行くだけだ。

 

 あたしが秘匿・独占しているクエスト《ウィシル巡礼》では、極稀(ごくまれ)に聞いたことも見たことも無い素材が手に入る。

 そういう時は、その素材1つしか出てこないから、ある意味分かり易い。

 

 今回手に入ったのは《雲竜鉱石(うんりゅうこうせき)》という大きな特殊金属で、その説明文には加工条件が記載されていた。

 

 (いわ)く『7晩休まず打ち鍛えし時のみ、雲竜はその姿を現すであろう』と。

 

 あたしは大型鉱石であることから、これが両手剣になるようにと祈りを込めて毎晩叩いている。

 もちろん、アロマさんのためにだ。

 

 60層のボス戦で《ダスク・イラディケイション》を壊してしまった、とアロマさんから聞いた時は本当に驚いた。

 あの子は耐久値がとても多く、1度の戦闘で――それがたとえボス戦であっても、全損するようなことはありえないと思っていたから。

 

 それと同時に、ちょっと困ってしまった。

 あの子以上の両手剣があたしの所には無かったし、同じ鉱石を使ったとしても、あの子の様な両手剣ができる可能性は極めて低い。

 

 あの子は所謂(いわゆる)一品物(ワンメイクもの)》だった。

 

 プレイヤーメイドでのみ出現する、高ステータス・固有名所持のアイテムをそう呼ぶのだけれど、それは当然、滅多に出来るものではない。

 アロマさんの話を聞いてから、あたしはあの子の元になった鉱石を可能な限り入手・使用して、両手剣を作ってみた。

 しかし結果は全てが汎用品で、あの子の代わりになるような《一品物》とは比べるべくもなかった。

 

 一応、代用品としてその子達の中で1番良い子をアロマさんに渡してはあるけれど、やはりアロマさんも物足りなさを感じているようで、ここ最近のメイン装備は両手斧だ。

 

(今夜で6晩。明日の夜には結果が出る。どうか、失敗しませんように)

 

 あたしは1人、工房で黙々と《雲竜鉱石》へと鎚を振るった。

 

 

 

 

 

「ん、ログ? もしかして眠いのかい?」

【あ、ごめんなさい。だいじょうぶでs】

 

 翌日。

 あたしはいつも通りお店を開けた。

 

 ――のだけれど、ここ1週間、睡眠時間が少ないせいか、迂闊(うかつ)にもお客様の前で欠伸(あくび)をしてしまった。

 

 それを見られたあたしは、慌てて文章を打ったために、最後の所でタイプミスしていた。

 

(あうあう……恥ずかしい……)

 

 ここ最近はDoRの皆さんのおかげで、ある程度お客様と会話ができるようになったとはいえ、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。

 

「フフ。気にしなくて良い」

 

 そう言っては貰ったものの、あたしは気恥ずかしさが抜けず、しばらく俯いて要望を出されたプロパティをメモすることに努めた。

 

 

 DoRの皆さんは迷宮区へと潜っているので、夕方過ぎまで戻れないと言っていた。

 

 最前線が61層で、あたしの店は39層。

 それも主街区ではなく外周近くにある《ウィシル》には、滅多にお客さんは――特に攻略組に属するような人たちは――来ない。

 

 以前はKoBの人達が来てくれていたけれど、KoBのギルドホームが55層に移ってからは一気に客足が遠退いた。

 それからというもの、時々中層クラスの人達が、偶然あたしの店を見つけて立ち寄ったりすることはあるけれど、常連になるような人は殆ど居なかった。

 

 今来てくれている人は、そんなあたしのお店にとっては数少ない常連さんだった。

 

「何か忙しいのかな? 俺で役に立てることがあったら、遠慮なく言ってほしい」

【ありがとうございます、フェニクさん。そのお気持ちだけで、ありがたいです】

 

 常連さんとなってくれた男性――短剣使いのフェニクさんが、初めてあたしのお店を訪れたのは2月(ふたつき)ほど前。

 そこで、あたしの作った短剣を気に入って購入してくれた。

 

 それ以来、短剣の強化や修復のために足を運んでくれて、更には防具の購入や強化・修復、薬品の補充に至るまで、あたしのところでしてくれるようになった。

 出会ってからの期間は短いのに、あたしとしては珍しいことに、フェニクさんとはある程度普通に会話が――テキストの使用という形は変わらないけれど――できるようになっている。

 

「そう。それならいいんだ」

 

 フェニクさんの優しい声と笑顔に、あたしも知らぬ間に笑顔を返していた。

 

 と、そんな時、フェニクさんが何かに気が付いたように視線を上げた。

 

「おっと、そうだった、このあと約束があるんだった」

【あ、お時間を取らせてしまってすみません】

 

 あたしは慌てて、預かっていた短剣《スプライト・スワロゥ+11》をお返しした。

 

「いや、気にしないでくれ。強化ありがとう。――うん、いつもながら良い仕事だ」

【お褒めにあずかり光栄です。ご注文の装備とアイテムは、明日の13時までにはご用意できるようにします】

「ああ、いや、忙しいのなら無理しなくていい。急いでいるわけではないから。では、また」

 

 フェニクさんは、見ていて気持ちの良い笑顔を残して出て行った。

 DoRの皆さんにはいつも褒められるけれど、こうしてギルド以外の人に褒められるのは、嬉しいけれど少しくすぐったい気分だ。

 

(さってと! 皆さん用のアイテムの補充に、フェニクさんから頼まれた物もあるし、久しぶりに忙しくなるかも)

 

 あたしは気合いを入れ直して工房へと戻った。

 

 

 

 

 

 その日の夕食の席は、ちょっと暗い雰囲気にリビングが包まれていた。

 

【あの、何かあったんですか?】

 

 あたしがホームへ戻ったのは、フェニクさんに頼まれた物も全て作り終えた後だったので、20時を過ぎていた。

 帰ってきたあたしに、皆さんがいつもと違って元気なく『お帰り』と言った段階から、何かあったのだろうとは思ったけれど、誰もそのことに関して口を開くことは無かった。

 いつもなら、あたしが聞かなくても『今日は何があった。こんなことがあった』と嬉しそうに楽しそうに明るく喋ってくれるアロマさんまでも、無表情でソファーに座り込んでいた。

 

「あはは~……ちょっとね~」

「わりぃ、気ぃ遣わせちまったな、嬢ちゃん……大したことじゃねえんだ」

「……大したことじゃ、なくないよ……大事(おおごと)だよ……私にとっては……」

 

 ルイさんとマーチさんの言葉に、アロマさんが沈んだ様子のまま小声で反論したのが聞こえた。

 

「……セイド……説明任せた……」

「むぅ……そうですねぇ……」

 

 マーチさんは気まずそうにアロマさんを見た後、セイドさんに話を丸投げした。

 

「私、部屋戻ってる……」

 

 セイドさんが話を始めるよりも先に、アロマさんは自分の部屋へと戻ってしまった。

 

【あの、アロマさん、何が】

「実は、ですね――」

 

 

 セイドさんが話してくれたのは、迷宮区の探索に関してだった。

 昨日から、マーチさんたちが迷宮区の探索に戸惑っているような話はしていた。

 その主だった理由が、皆さんが迷宮区の探索に慣れていないことによるものだった。

 

 今まで皆さんが主な狩場にしていたのは、迷宮区以外のフィールドやダンジョンだった。

 それが、攻略組として協力していくことになり、迷宮区へと場を変えたことによって、想像以上の負荷が皆さんを襲っているようだ。

 

 最前線の迷宮区に出現するモンスターは、そのフロアで最もレベルの高いモンスターたち。

 他のダンジョンとは比べ物にならない強力なトラップの数々。

 

 特に今回の迷宮区では、モンスターの防御力が総じて高く、防御主体でなかなか倒せない敵に、アロマさんが徐々にストレスを溜め込んでいったらしい。

 その結果、大振りになったところへモンスターの反撃を喰らったり、イライラして歩いた行ったら罠に引っかかったり、探索終了間際にはモンスターハウスのトラップに皆さんを巻き込んでしまったりしたらしく。

 

 

 

「――と、1日だけで多くの失敗と、敵のHPをなかなか削れないばかりか反撃を喰らったことに、かなりショックを受けたようで」

「モンスタートラップも、気にすることじゃなかったんだけどね~。自分のせいでみんなを巻き込んだ~って、落ち込んでるの~」

 

 その話を聞いていてあたしが特に驚いたのは、アロマさんの攻撃力で体力を削れない敵が、通常モンスターとして存在しているという点だった。

 皆さんのレベルは安全マージンを充分に確保しているから、例え迷宮区であってもそうは苦戦しないと思っていたし、特にアロマさんの1撃の重さは攻略組の中でもトップクラスのはずだ。

 

【そのモンスターは、何か特殊な能力でも?】

 

 だから、こう思わずには居られなかった。

 アロマさんの攻撃が通用しない敵には、何か特殊なスキルがある、と。

 

「いえ、単純に防御力が驚異的に高いだけですね。その分、攻撃力はとても低いんですが、1度の戦闘にかかる時間が長くなってしまって」

 

 しかし、そうではなかった。

 こうなってしまっては、武器を強化してもあまり差は出ないかも知れない。

 

「ま、経験値量と経過時間的には釣り合いが取れてんだけどな。ありゃあ、囲まれた時が厄介だった」

「そだね~。モンスタートラップで囲まれても、こっちのHPは全然危なくならなかったけど~、モンスターを全滅させるのに1時間以上かかったよねぇ~」

 

 皆さんも帰ってくるのが遅くなったとは言っていたけれど、その理由が、ルイさんの言葉で説明された。

 

「で、セイド、やっぱありゃぁ、弱点無しのモンスターってことで良いのか?」

「見た限りではそうですね。それに加えて、あの防御力……何か特殊な攻略方法があると思うんですが……」

【そういえば、どんなモンスターなのか聞いていませんでした】

 

 今更ながら、モンスターの容姿を聞いていなかったことを思い出したあたしは、改めて聞いてみた。

 想像していたのは、アルマジロみたいなモンスターだったけれど。

 

「あ、そういや言ってなかったな」

「あんまり気持ちいいモンスターじゃないよ~」

「一言で説明すれば《スライム》です」

【え、スライムって、あの?】

 

 某大作RPGなどではもっとも有名なモンスターであり、雑魚モンスターの代表格とも言えるのがスライムだ。

 あたしの考えを予測していたのであろうセイドさんは、顔を顰めて言葉を続けた。

 

「あんな可愛らしい物じゃありません。アメーバと言った方が正しいかもしれませんね。不定形モンスターで、物理攻撃に耐性がある、厄介な相手です」

「スライム(イコール)雑魚って認識が染みついちまってるけど、この世界じゃ今までスライム種は殆ど居なかった。物理が効かないってのが、本来のスライムだからな」

「魔法のあるゲームだったら~、全然苦労しないんだけどね~」

「特に、今回出てきたスライムは《ノンコア・スライム》と名付けられていました。つまり――」

 

 皆さんが何故苦戦したのか、そこまで言われてようやく理解できた。

 

 不定形でも、弱点を持っているモンスターなら、そこを攻めることで殲滅時間を短縮することができる。

 しかし、今回迷宮区に配置されたモンスターは《ノンコア》――核が無い、それはつまり、弱点となるべき心臓が無いのと同じだ。

 生物としてそれはありえないと言いたくもなるけれど、元々が空想上のモンスターだから、そこに文句は言えない。

 

「逃げるのは楽さ。移動速度は無いに等しいからな。だが、迷宮区に居るモンスターの中で一番多いのがスライム種ってことは、ボスも、おそらくスライム種だ」

「何か有効な攻撃手段を見つけられればと、試行錯誤を繰り返してはみたのですが、どれも(かんば)しくなくて」

「だからね~、ロマたんがイライラしちゃってね~」

 

 皆さんが沈んでいた理由は、攻略方法が見つからないことと、戦闘にかかった時間の長さからくる疲労だった。

 それからは、ポツポツと話をしただけで、皆さんは部屋へと戻られた。

 

 

 

 

 

 夜の工房で、大きな鉱石に戦鎚(ハンマー)を振り下ろしながら、皆さんの話してくれたことを考えていた。

 魔法の無い世界で、魔法で倒すのが通例のモンスターの出現は、厄介極まりない。

 

(あたしに、何かできればいいんだけど)

 

 戦闘職でもないあたしに出来るのは、皆さんの装備のメンテナンスと、アイテムの補充位だ。

 

 思考は話の内容に、しかし鉱石を打つ手はこれまでの習慣からか、淀みなく、滞りなく振り下ろされていく。

 一定のリズムを刻む戦鎚と鉱石のぶつかり合う音だけが、工房を満たしていた。

 そして、決められていた回数を何時の間にか叩き終えていた。

 頭で数えていないのに、腕が自然と止まるのだから、習慣というのは凄いと思う。

 

 7晩休まず、繰り返し叩いた《雲竜鉱石》は、静かに静かに淡い光を放ち、その姿を変化させていった。

 

(やった……失敗せずに済んだ……良かった……)

 

 本当は、1週間休むことなく叩き続けなければならないのではないか、とか考えたこともあったけれど、あたしの考え方は間違っていなかったのだと、ようやく安心できた。

 

 変化していく鉱石は、しかしあたしの予測とは少し違って、1つの形へと収束はしなかった。

 

 鉱石が変化したのは、3つの武具。

 

 1つは、祈りが通じたのか、淡いクリーム色の剣身に(うっす)らと竜の頭部が浮かび上がっている《両手剣》。

 

 1つは、金属製なのにゴムのようにしなやかで柔らかく、やはり鉱石の色を反映してか全体的に淡いクリーム色をした《鞭》。

 

 1つは、重厚そうなのにとても軽い、クリーム色の《金属籠手(ガントレット)》。

 

 それぞれが《雲竜》の名を冠していた。

 

(どれも聞いたことが無い……ステータスも飛び抜けてる……)

 

 これが一品物なのかどうかは分からないけれど、それぞれがあたしの手元にある同系統の子達より、はるかに優れていて素晴らしい子達であることは確かだ。

 

(両手剣はアロマさん! 鞭はルイさん、ガントレットはセイドさんかな……これで、少しでも皆さんの役に立てるかな!)

 

 あたしは雲竜の子達をストレージに仕舞い、思わず鼻歌を歌いながらギルドホームへと戻った。

 

 

 

 

 

 翌朝、雲竜の子達をアロマさん、ルイさん、セイドさんに手渡すと、皆さんはとても驚き、それ以上に喜んでくれた。

 特にアロマさんは、前日の落ち込んでいた様子から一転して、とても元気になってくれた。

 

「何か良い事があったようだね」

【そうなんです。ギルドの皆さんのお役に立てたことが、とても嬉しいんです】

 

 13時を少し過ぎた頃、フェニクさんがあたしの様子を見に来てくれた。

 急がなくて良いとは言われたけれど、あたしが頼まれていた物を全てお見せすると、フェニクさんは驚きと共に、とても優しい笑顔を浮かべて『ありがとう』と言ってくれた。

 

 その後の一言が、今の言葉だった。

 あたしの些細な様子から、そのことを感じ取ったみたいだ。

 

「そうか。それは何よりだ。が、ログが役に立たないなんてことはありえない。君が仲間を支えているからこそ、その仲間たちは存分に力を振るえるのだから」

【そんな。私なんて大したことはできません】

 

 あたしの渡した子達を確認しつつ、フェニクさんは言葉を続けた。

 

「前線に出て、武器を振るうばかりが役に立つという事ではない。何を為すべきなのかを自ら思考し、自分に出来ることを実行することが重要なのさ。ログは、それがしっかりとできている。自信をもっていい」

【ありがとうごじます】

 

 なんというか、もの凄い褒められたようで照れてしまい、ありがとうございます、と打ち損じてしまった。

 

「うん、それにしてもいい出来だ。こちらの要求以上の物だ。本当にありがとう。また、よろしく頼むよ」

【いえ、こちらこそ。喜んで頂けて何よりです。いつでも、いらして下さい】

 

 フェニクさんは軽く手を振って出て行った。

 あたしも頭を下げてお見送りをする。

 

 あたしがDoRの皆さんの攻略組としての役に立てているのか、実は不安に思っていたのだけれど、フェニクさんの一言は、そんなあたしの不安を掻き消してくれた。

 

 

 

 

 

 それから3日後には、61層のボス部屋が見つかったと皆さんが言っていた。

 ボスはマーチさんの予想通り、スライム種だったらしい。

 

 相変わらずスライム系モンスターの撃破には手間取っているようで、有効な攻撃手段は情報屋の方々ですら掴めなかったそうだ。

 

 その2日後にはボス討伐戦となった。

 気持ちよく戦えないからか、出発の直前までアロマさんは不機嫌そうにしていた。

 

 

 そして、その日。

 

 

 皆さんは、帰って来なかった。

 

 

 

 

 

 あたしがお店を閉めてホームに戻った時、そのことはすぐに分かった。

 

(明かりが点いてない……? 皆さん、まだ戻られてないんだ)

 

 これまでも稀にあったことだけど、やはり誰もいないホームに1人でいるのは寂しいものだった。

 ギルドメンバーリストで皆さんの生存は確認できていたから、そこまで不安に駆られることは無かったけれど。

 

(……ずっと61層から動いてない……まさか、まだボス戦中?)

 

 もし本当にボス戦が続いているのだとしたら、下手に《伝言結晶》でメッセージを送ることはできない。

 皆さんの集中を邪魔してしまうことにもなりかねないから。

 

 不安を紛らわせるように食事の支度をしたり、お風呂に入ったり、明日の予定を確認したりしたけれど。

 

 皆さんからの連絡が無いまま、時刻は既に22時を回っていた。

 

(あうぅ……皆さんが健在なのは分かるけど……でも本当に無事か分からないし……どうしたら――)

 

 リビングの椅子に腰かけながら伝言結晶を片手に悩んでいた所で、唐突にメッセージが届いた。

 

 ルイさんからだった。

 あたしは慌ててそのメッセージを開いて――

 

【ごめんねログっち。ボスに手間取っちゃって今日は帰れそうにないの。心配はいらないから、先に休んでてね~】

 

 ――それを見たことで、ひとまずは安心することができた。

 

(ご無事だった……良かったぁ……)

 

 あたしからもルイさんに伝言結晶で簡単にメッセージを返して、その日は休むことにした。

 

 多少の不安は残るものの、皆さんの強さはあたしが良く知るところだ。

 それに雲竜の子達も皆さんの元にある。

 マーチさんにも八咫烏の子がある。

 

(どうか、皆さんを守って下さい)

 

 ベッドに潜り、あたしは皆さんの無事を祈りながら、目を閉じた。

 

 

 

 翌朝になっても、やはり皆さんは帰ってきていなかった。

 場所も61層から動いていない。

 

(心配だけど、あたしが何かできるわけじゃないし……でも……もしこのまま……)

 

 日課になっている巡礼クエストを終えて店を開き、でもあたしは何も手に着かないまま工房で座っているだけだった。

 

 皆さんと出会う前のあたしに戻ってしまったかのようだった。

 

 《ユグドラシル》の皆さんが、突然帰って来なくなって。

 メンバーリストの皆さんの名前が薄暗く表示されていて。

 毎日泣き続けて。

 何も手に着かなくて。

 そんな状態から辛うじて立ち直れたのも《ユグドラシル》の皆さんが残してくれた物があったからだ。

 

 そして。

 

 《逆位置の死神》の皆さんと出会えたからだ。

 

 辛うじて立ち直っただけのあたしは、毎日をただただ過ごすだけで、笑顔なんて忘れていたし、街の外に出ることの危険性も考えていなかった。

 そんなあたしに、笑うことを思い出させてくれて。

 ちゃんと考えて生きていくだけの活力を与えてくれて。

 帰ってくるのが楽しみになる家ができたのが、本当に、本当に嬉しかった。

 

 だからこそ。

 こんな不安を感じる日が来るなんて、想像もしていなかった。

 

(……もし……皆さんまで帰って来なかったら……あたしは……どうしたら……)

 

 震える手を力いっぱい握り締めて、何とか不安を追い払おうとするけれど、どうしてもうまくいかない。

 そんな時、工房にNPCの売り子さんが入ってきた。

 

「お客様がお呼びです」

 

 いつもと変わらないNPCの言葉に、あたしは何故か少しだけ安心できた気がした。

 

「すぐ、行きます」

 

 簡単に返事をすると、NPCはショップ側へと戻っていく。

 あたしは無理矢理深呼吸をして不安を忘れたフリをする。

 

(皆さんを信じよう。きっと無事に帰って来てくれる!)

 

 そうして心に勢いをつけて、ショップに移動すると。

 

「ん。すまないね、忙しいのに呼び出してしまって」

 

 そこに居たのは、フェニクさんだった。

 

「あ……」

 

 思わず声が出ていた。

 

「――ログ、どうしたんだ?」

 

 あたしの顔を見たフェニクさんは、注文のことなど何も言わずに。

 

「何故泣いている?」

 

 あたしが、泣いていると言っていた。

 

(あれ……あたし……泣いてた?)

 

 自分でも気付かないうちに、涙が溢れていた。

 

「ぅ……っく……フェ……ニクさ、ん……あの――」

「ああ、無理に話す必要はない。ログが落ち着くまで、俺はここにいるよ」

 

 カウンター越しではあったけれど。

 フェニクさんの優しいその一言で。

 

「ぅ……ぅぁぁぁぁぁぁん! ぐずっ……うああぁぁぁぁん!」

 

 あたしは堰を切ったように泣いてしまった。

 

 不安で仕方なかった。

 皆さんを信じていないわけではないし、皆さんの強さもよく分かっている。

 それでも、いや、だからこそ、あたしは不安だった。

 皆さんが帰ってくるのが当たり前だと思っているからこそ、皆さんがあたしの前からいなくなってしまうことが怖い。

 既に1度、その辛さと苦しさを味わっているからこそ。

 2度と同じ思いをしたくない。

 1人で家にいることの寂しさも。

 1人で食事することの(わび)しさも。

 

 もし同じことが起きようものなら、あたしは――生きていく気力を失くすだろう。

 

 

 あたしは泣きながら、途切れ途切れに、たどたどしく、感情のままに言葉を並べていた。

 突然泣き出されたフェニクさんにしてみれば訳が分からないだろうけれど。

 

 それでもあたしは、あたしの不安をフェニクさんに吐露していた。

 フェニクさんはそれを静かに聞いてくれていた。

 相槌を打ちながら、あたしの頭を撫でながら、あたしが落ち着くまでずっとそこに居てくれた。

 

 どの位の時間、泣いていたのか分からないけれど。

 あたしは感情をフェニクさんに受け止めてもらったことで、随分と落ち着くことができた。

 

「……あ、の。突然、泣いたりして……その……」

「気にしなくて良い。ログ、人は支え合うものだ。今は俺が、君を支える時だっただけの事。俺はこれまで、随分とログに支えられているからね。この位、お安い御用さ」

 

 フェニクさんはそう言って、あたしの頭をポンポンと叩いてくれた。

 

「不安なのは分かる。でもね、ログ。君の作った装備が、君の仲間たちを守っている。君も、彼らと共に戦っているんだ。だから、きっと彼らは君の待つ家に帰ってくる」

 

 フェニクさんはあたしの作った短剣《スプライト・スワロゥ》を、あたしの前に差し出した。

 

「この子もそうだ。君が、俺と共に戦ってくれている。だから俺は今日も無事に生きていると思っている。ログは1人じゃない。そのことだけは忘れないでほしい」

「フェニク……さん……」

 

 と、唐突に、フェニクさんはあたしに背を向けた。

 

「ログなら、もう大丈夫だろう? とはいえ、流石に今、君に何かをお願いするほど無粋ではないつもりだ。また日を改めて出直すよ」

 

 軽く振り向きながらのフェニクさんの言葉と笑顔に。

 

「あ、あの! フェニクさん! ありがとうございました!」

 

 あたしはハッキリと声に出してありがとうと、言うことができた。

 

 フェニクさんは右手を軽く挙げて答えてくれた後、そのまま立ち去って行った。

 先ほどまでの不安は、嘘の様になくなっていた。

 あたしは自分の弱さを恥ずかしく思いながらも、フェニクさんの心遣いに感謝しきれずにいた。

 

(今度、フェニクさんがお見えになった時に、何かお礼しなくちゃ……)

 

 ひっそりと心に決めて、あたしは工房に戻った。

 もう不安のせいで手が動かないことは無かった。

 あたしは何かを作ることで皆さんと一緒に戦うことができる。

 

(皆さんと一緒に戦うためにも、手を止めてる場合じゃない!)

 

 気合を入れ直して、あたしは仕事に取り掛かった。

 

 

 

 

 

 皆さんが帰ってきたのは、その日の23時を過ぎた頃だった。

 

 あたしが起きていて出迎えたことに、皆さんは少なからず驚いていたようだった。

 けれどそれ以上に、4人が4人とも疲労困憊という様子が見て取れた。

 

 皆さんはあたしが尋ねるまでも無く、何があったのかを話してくれた。

 

 ボス戦が始まってからも、有効な攻撃手段は見つからなかったそうで。

 驚いたことに、ボスのHPを少しずつ削る以外に攻略方法を見出せず、2日かけて削り倒したのだと。

 その驚異的な耐久力に対して、ボスの攻撃力はとても低かったので、持久戦という作戦を取ったのだそうだ。

 

 しかしまさか、ボス部屋で皆さんと交替で仮眠を取りつつ戦うなんて。

 

【凄すぎて、私には想像もできません】

「いや……俺らだってやりたくてやったわけじゃねぇよ、あんなの……」

「ですね……あれは……2度とやりたくない……」

「疲れたね~。ちょっと奮発して、とっておきの《グリル・ラビット》でご飯にしよ~」

「ひゃっはー。美味しいごっはんー。それが食べられるなら、苦労した甲斐もあるって思えるよぉ」

 

 グッタリしたマーチさんとセイドさんを見て、ルイさんが食事の支度を始めた。

 ルイさんも疲れているはずなのに。

 そして、ルイさんの献立を聞いたアロマさんは、言葉だけは元気だったけど、ソファーに身を沈めたままだった。

 

【私もお手伝いします】

 

 ルイさんの隣に立って、あたしも手伝うことにした。

 これでも一応、料理スキルもあったから、役に立たないなんてことは無いはずだ。

 

「ん~ありがと~ログっち~。じゃ~、お野菜切ってくれる~?」

【はい、任せて下さい】

 

 ルイさんの言葉にあたしは笑顔で答えた。

 

 

 

 ちょっとしたことかもしれないけれど。

 あたしが皆さんの役に立てるというのは、やはり嬉しい。

 今のあたしは、1人じゃないんだって改めて実感できる。

 

 それに。

 

 寂しさや侘しさにも、意味はあるんだ。

 

 

 こうして皆さんと一緒に居られることが、あたしにとって何よりの宝なんだと。

 今回のことでよく分かったのだから。

 

 

 



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第三幕・来賓

まずは更新が滞ってしまったことを、ここに深くお詫び申し上げます。
面目次第もございません!! m(_ _)m

エミリア様、路地裏の作者様、鏡秋雪様、ガーデルマン様、バルサ様、はなび様、clein様、クー様、大変遅くなりましたが、感想ありがとうございました!

今回は文字数が増えてしまいましたが、楽しんでいただければ幸いです!(;>_<)



 

 62層が開放されてから3日後の朝。

 珍しいプレイヤーが俺達のギルドホームを訪ねてきた。

 

「いやぁ、皆さんのお出かけ前に会えて良かったぁ」

 

 今、俺やセイドと向かい合って座っているのは、アインクラッドで最も有名な情報屋であり、俺とはβテスト時から付き合いのある《鼠》のアルゴ――ではなく。

 

「あなたが来るのは、いつも突然ですね。本当に出掛けてしまう直前でしたよ、ゼルクさん」

 

 情報屋兼《行商人》を生業としている、これまたβの時から俺と付き合いのある長身の男――β時代は《子鼠》の二つ名で呼ばれていた《ゼルク》だった。

 

「いやぁ、これでも色々忙しい身でしてぇ。ギリギリまで仕事してたんですよぉ」

 

 困ったように笑いながら短く切り揃えられた栗色の髪を掻くゼルクだが、こいつが忙しいのは当然ともいえる。

 何せこの男、情報屋にして行商人というだけでなく、同時に攻略組の一員として活動しているのだから。

 ゼルクはβの時からアルゴのことを姉御と呼び慕い、アルゴも済し崩し的にではあったがゼルクのことを弟分として、今現在も付き合いが続いている。

 

 ちなみに、ゼルクの《子鼠》という通り名は、ゼルクがアルゴの弟子であることが由来になっている。

 しかし、長身のゼルクをして《子鼠》というのは、小柄なアルゴからしたら嫌味にしかならないだろう。

 

「どーせ《軍》の連中相手に最前線のアイテム売り捌きに行ってたんだろ?」

「あははぁ、マーチさんにはバレバレですねぇ」

 

 アルゴ直伝の情報屋としてのイロハを駆使し、ゼルクもまた一流の情報屋として活躍する――かと思いきや、ゼルクがこの世界で有名になったのは《行商人》としてだ。

 

 前線で得たアイテムを、低中層を活動拠点としているギルドに売ったり、前線のプレイヤーたちを相手に、迷宮区内でポーションや結晶アイテムなどを売りさばいたり。

 間延びした喋り方からは想像しづらいが、こいつの実力は攻略組ギルドも認めている。

 情報屋でありながら商売人であり、且つ攻略組の一員として最前線の迷宮区でソロ活動(・・・・)を続けている長身の槍使い――それが、このゼルクという男だ。

 

 そして。

 ゼルクがここへ来る時は、同時に厄介事もやってくる。

 

「で、ゼルク。用け――」

「そうそう! そういえばぁ! うちのギルドのメンバーもぉ、皆さんのご指導のお蔭で順調にレベルが上がってきてましてぇ――」

 

 俺が用件を聞こうとしたところで、ゼルクはマイペースに自分のギルドのことを語りだしてしまった。

 

 ゼルクはソロで迷宮区の攻略を続けているが、ギルドには所属している。

 ただ、そのギルドは攻略組ではなく、ボリュームゾーンを形成するギルドの1つだ。

 元々はソロで活動していたゼルクだが、通りがかりにそのギルドの危機を救ったことをきっかけに勧誘され、ギルドに加入。

 今でもそのギルドは健在のようで、ゼルクはそいつらを支えながら最前線を飛び回っているというわけなのだが。

 

 以前、ゼルクをセイドたちに紹介した時、ゼルクから『うちのギルドメンバーに、パーティー戦闘に関して指導してほしい』という依頼を受けたことがある。

 そのこと自体に関しては、まあ良い。

 ただ失敗だったのは、ゼルクが俺の思っていた以上に、親馬鹿ならぬギルド馬鹿だったことだ。

 こうして会うたび会うたび『うちのギルドメンバーがなにをした』とか、『うちのギルドでこんなことがあった』とか、自分のギルドの話を嬉々として語りだしてしまう。

 そして、こうなるとゼルクが満足するまで話は終わらない。

 

(……遅かった)

 

 俺は思わずため息を吐き、横目でセイドを見やった。

 セイドはゼルクの話をにこやかに聞いている――というか、聞かざるを得なくなっている。

 俺は、セイドにゼルクの話し相手を一任することに決め――

 

「悪ぃな、嬢ちゃん。なかなか話が進まなくてよ」

 

 ――ゼルクの隣に座っているもう1人の来客者にして、今回の厄介事であろう少女に声を掛けた。

 

「え?! あ、いえ、そんな! 気にしないで下さい!」

 

 俺が唐突に話しかけたためか、少女は慌てたように首を横に振った。

 

 ライトブラウンの髪を短めのツインテールにした短剣装備の少女で、背丈はログと同じくらい――おそらく年の頃も同年代だろう。

 アロマが居たら、撫でまわしそうな雰囲気を醸し出している可愛らしい少女だ。

 だが、撫でまわされては話が進まなくなるので、こちらも止む無く、ルイにアロマのお守りを頼んで、強引に買い物へ放り出してしまった。

 

 少女が首を横に振った動きに合わせて、短めのツインテールが激しく揺れ、そして――

 

「キュピッ?!」

 

 ――その動きに驚いたように、少女の肩に止まっていた小さな竜が鳴き声を上げた。

 

 そう。

 この娘の肩には、小型のドラゴンモンスター――それもレアモンスターである《フェザーリドラ》が鎮座していた。

 

(話には聞いたことがあったが、実物にお目にかかるのはこれが初めてだな……)

 

 この少女は、所謂(いわゆる)《ビーストテイマー》と呼ばれるプレイヤーだった。

 

 

 

 この世界の小動物型モンスターは、極稀にプレイヤーに好意的な興味を示すことがあるらしい。

 らしい、というのは、俺自身は1度もそんな場面に出くわしたことが無いからだ。

 モンスターが好意的な反応を見せるだけでも非常に低確率だが、その状況が発生したからといって、それだけでそのモンスターを《使い魔》に出来るわけではない。

 そこから更に、モンスターに何らかのアイテムを与える――要は餌付けする――ことで初めて《飼い慣らす(テイミング)》することができる。

 だが、テイミングも必ず成功するわけではない。

 モンスターによって好物となるアイテムは様々で、場合によっては食べ物ですらないかも知れない。

 つまり、テイミングに使用するアイテムの選択を間違えれば、当然モンスターは《使い魔》に出来ないわけだ。

 そう考えれば、この少女がどれ程幸運に恵まれていたのかは、想像に難くない。

 レアモンスターと遭遇し、そのモンスターが好意的反応を示し、更にそのモンスターの好物となるアイテムを所持していて、それを間違えることなく与えることができた。

 それも、モンスターの好物などの予備知識もなしに、だ。

 これを幸運と言わずして何と言うのか。

 

 

 

(いやはや、まったくもって羨ましいリアルラックの嬢ちゃんだな) 

 

 そんなレアプレイヤーである《ビーストテイマー》の中でも、この少女は特に有名な《竜使い》と呼ばれるプレイヤーだろう。

 名を、確か《シリカ》といっただろうか。

 

「シリカ、で良かったか?」

「あ、はい。えっと、あたしの事、ご存じだったんですか?」

「まぁな。名前くらいは聞いたことがある」

 

 俺の言葉に、シリカ嬢は何やら照れた様子を見せた。

 俺が知ってるのは嬢ちゃんの名前と、実力としてはボリュームゾーンの域を出ないことと、ある意味でのアイドルプレイヤーである、といった程度のことだ。

 攻略組全員が知っているとは思えないが、《ビーストテイマー》関連の情報を少し探ればすぐに目につく名前、という知名度だ。

 まあ、そこまでハッキリと言わなくても良いだろうと判断し、軽い会話を続けて行く。

 

「その竜、名前はなんて言うんだ?」

「この子はピナっていいます。あたしの大切な相棒(パートナー)です」

「そうか。しかし……《フェザーリドラ》……レアモンスターの飼い慣らし(テイミング)ねぇ……羨ましい限りだ」

「本当に偶然だったんですけど、今ではもうピナが居てくれないと不安で不安で――」

 

 シリカ嬢は本当に嬉しそうに、ピナと名付けたペールブルーの小さなドラゴンを撫でながら、ピナとの思い出話を意気揚々と語りだした。

 

 シリカ嬢の話を聞きながら、俺は頭の片隅でこの少女とゼルクが微妙に似ていると感じた。

 話が好きそうな感じが、実に似ている。

 

(ま、ゼルクの話が落ち着いたら、セイドが話を切り出すだろ)

 

 

 

 

 セイドがゼルクの話を聞き続ける横で、俺は俺で嬢ちゃんの相手をする。

 しばらくして、ゼルクが満足気に『あぁ、すみませぇん、ここに来た本題を話してませんでしたねぇ』と言い出したのは、それから30分後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 37層の主街区《スプラ》は相応の人で賑わっていた。

 NPCが多いのではなく、ボリュームゾーンのプレイヤーたちで、だ。

 

「しかし、意外と人がいるな」

「この辺りの層は、ボリュームゾーンのプレイヤーが拠点にしている街が多いですからね。特にこの街は、プレイヤーホームが安めに設定されていましたから」

 

 俺の漏らした呟きにセイドはそんな言葉を返してきた。

 

「いや、俺が言ってんのは時間帯の話な」

「あ、なるほど」

 

 

 ここ《スプラ》の街には数多くのプレイヤーホームが軒を連ねている。

 1軒1軒の敷地面積は俺達のホームの3分の1以下。それぞれが、あっても3階までなので延床面積も約半分が精々だろうか。

 だが少数のメンバーで生活するには充分なスペースだし、価格もホームの売値としては非常に手頃なものだった。

 また、スプラのホームは《分割払い》することができるのも特徴だろう。

 1回で購入することが出来なくても、毎月決まった額を収めることができればいい。

 購入するつもりが無くても、分割払いのシステムを利用して借家的な使い方をするプレイヤーも多い。

 つまり、ボリュームゾーンのプレイヤーが拠点とするには、とても便利な街だと言えるだろう。

 

 だから人が多いのは当然だが。

 俺が言ったのは、今の時間にしては人がいる、ということだ。

 

 時刻は午前10時を回った頃。

 攻略組だろうとボリュームゾーンだろうとソロだろうと関係なく、午前中の最も狩りに興じているはずの時間帯だ。

 にも拘らず、スプラの街には想像以上にプレイヤーが居た。

 その誰もが、のんびりとこの街で《生活》している雰囲気をまとっている。

 

(攻略ペースが落ちるのも無理ねぇのかもな……)

 

 ここに居るのは攻略組のプレイヤーではないにせよ。

 いや、ボリュームゾーンのプレイヤーだからこそ、この世界で生活することに慣れてきている、と言って良いだろう。

 そして、そういった《慣れ》は、攻略組全体にも着実に広がりつつあるようだ。

 

(俺らももっと攻略に励まねぇと……とはいえ――)

 

 改めて現状を意識したうえで、俺は視線を後ろの3人に向けた。

 そこには、ルイとアロマ、そして2人に挟まれるようにしてシリカ嬢が横並びに歩いている。

 

(――根を詰め過ぎても良くねぇし、たまにゃこんな感じで息抜きできるクエに行くのも悪くねぇ)

 

 女3人が連れ立って歩く様は、賑わっている大通りであっても特に異彩を放っている。

 プレイヤーのほとんどが男というこの世界では、ルイ(俺の嫁)の様な類い稀な美女が1人いるだけでも目立つものだが、弾けるような笑顔を振りまいているアロマと、フェザーリドラの可愛さと本人の愛らしさを合わせてアイドル性を発揮しているシリカ嬢という、タイプの違う美女が揃い踏みすれば、おそらく現実世界でも相当注目を浴びることだろう。

 そんな目を惹く3人は、周りの視線など気にも留めず、談笑に明け暮れている。

 主にアロマがシリカ嬢を猫可愛がりしてるようにも見えるが、まあ、シリカ嬢には我慢してもらおう。

 

「たまには、こうした息抜きも必要ですね」

 

 俺と同じように、セイドも後ろの女性陣を見やりつつ同じ感想を抱いたようだ。

 

「ま、今日の俺らはオフだし、元々のんびりするつもりだったから構わねえけどな」

 

 視線を前に戻し目的の場所へと歩を進めながら言った俺の言葉に、セイドは何か感じるものがあったようだ。

 

「……何か言いたそうですね、マーチ」

「アルゴに良いように使われてる感じがしてなぁ……その辺りは任せたぞ、セイド。キッチリ相応に()(さら)ってこいよ?」

「ハハハ。また難しい事を言いますね。アルゴさん相手では、簡単じゃないんですよ?」

 

 セイドも意味は理解しているようで、苦笑を浮かべてそう答えた。

 

 

 

 俺たちが今日、37層に赴いたのはアルゴからの依頼を受けてのことだ。

 

 ちょっと前までの俺達とアルゴの関係は、クエ情報の売買が主だった。

 アルゴは未攻略クエを発見しても、それが単独クリアの難しいクエだった場合、そのクエの情報を誰かに売り、攻略してもらう。

 そしてそのクエのクリア情報を、今度は売った時の額より少し高値で買い、そうしてまとまった攻略情報をガイドブックに載せたり、他の誰かに売ったりすることで利益を上げて行く。

 

 俺達とアルゴは、そういったクエ情報のやり取りをする間柄だった。

 攻略組と同等のレベルを維持していながら攻略に参加していなかった俺達は、アルゴにしてみれば非常に都合のいいプレイヤーだったこともあり、未攻略クエの情報に関しては色々と贔屓(ひいき)にしてくれていた。

 だが、俺達が攻略組に参加することになってから、俺達はアルゴのクエ攻略を手伝ってやる機会が一気に減った。

 

 今までなら、レベル上げ(レベリング)の合間や代わりに、アルゴに頼まれたクエを片付けたりしていたが、攻略に本腰を入れるとなると、レベル上げだけでなくフィールドボスや迷宮区の探索などでどうしても時間を取られる。

 結果。最前線関連のクエ以外ではほとんど手伝ってやれない、ということになっていた。

 

『ま、仕方ないナ。暇なときに手伝ってくれると助かるヨ』

 

 そんなアルゴの台詞を聞いたのも、今にして思えば随分前のように感じる。

 

 そして、今回。

 ゼルクが俺達に持ち込んできた話は、やはりアルゴからのものだった。

 

『姉御からぁ、皆さんにこのリストを渡してくれと頼まれましてぇ』

 

 そう言ってゼルクが俺たちに見せたのは、最近になって低中層で発見されたクエをまとめたリストだった。

 既に攻略が済んでいるものもあるようだが、書かれている8割以上が未攻略もしくは情報不足につき要検証となっていた。

 

『俺もぉ、姉御に頼まれてぇ、色々やってはいたんですがぁ、どぉーしても手が足りないんですよぉ』

 

 アルゴは主に、最前線のボス攻略用の情報クエをクリアするために駆け回っている。

 ゼルクに聞いた話だと、近頃は聖竜連合(DDA)に声をかけて関連クエの攻略に当たっているらしい。

 血盟騎士団(KoB)と違い、DDAはこの世界での優位性を重視しがちだ。

 だからこそ、アルゴもDDAを利用してクエのクリアを目指し、DDAもアルゴを利用して、ボス戦でKoBなどの有力ギルドに少しでも差を付けたいと思っているのだろう。

 

 と、セイドは分析した。

 

『姉御もぉ、DoRの方々にガイドブック用のクエ攻略を手伝っていただきたいとぉ、しつこくぼやいてましたからぁ』

 

 という、ゼルクの発言から推察するに。

 アルゴとしては、自分の発行している《全クエスト必勝ガイドブック》に載せるためのクエ攻略も手掛けたいところだが、人手が足りていないため俺達のオフの日を狙っていた、といったところだろう。

 

 俺もセイドも苦笑いを浮かべつつ、ゼルクの持ってきたリストを受け取った。

 アルゴには色々世話になってるのも確かだし、オフの日の息抜きとして低中層クラスのクエをこなすのも悪くない。

 

『シリカちゃんもぉ、姉御に頼まれて色々手伝ってくれてるんですよぉ。でぇ、今回のクエなんですがぁ、シリカちゃんが受けてくれてるのでぇ、一緒に行ってもらいたいんですよぉ』

 

 そして、このゼルクの言葉で、ようやくシリカ嬢がここに来た理由が説明された。

 シリカ嬢はアルゴの依頼を受けてクエ攻略をしていたという。

 だが、シリカ嬢は決まったパーティーに所属しているわけではなく、今回は他に都合のつくパーティーがいなかったらしい。

 そこで、俺達が同行して、シリカ嬢が請け負ったクエを攻略してほしい、というのがゼルクからの話だった。

 

 

 

「ってかよ。嬢ちゃんの話だと、既に2度攻略している『はず』なんだよな?」

「らしいですね。ですが、何故か2度とも依頼達成にはならなかった、と……」

 

 シリカ嬢にこのクエの詳しい話を聞いたところ、ここ37層の主街区《スプラ》にある掲示板に貼り出されたクエの1つに、新規のクエがあったらしい。

 それが嬢ちゃんの受けた《森に響く呻き声》というクエだった。

 

 当初は、ガイドブックにないクエを見つけたと、パーティーメンバーと共に喜んだらしいのだが、いざクエ攻略となった時、奇妙なことが起きた。

 討伐対象として現れた覆面を付けたオーガを倒したにもかかわらず、クエがクリアとならなかったというのだ。

 

 何かのフラグを立て損ねていたのかも知れないと、その時は反省して終わったらしいのだが。

 1週間後、掲示板に全く同じクエが貼り出されていたのを見つけ、再度受注。

 今度は1度依頼主の元まで赴き、クエの背景となるストーリーも聞き、フラグと思われる内容もしっかりと把握したうえで覆面オーガを討伐した。

 

 のだが、やはりクリアにはならなかったらしい。

 

「クエストの依頼書を私も見せていただきましたが、やはり討伐クエストであることに間違いは無いようですね。ボスを討伐することに違いは無いはずですが」

「クリアにならねぇってことは、どこかで何かをしくじってるはずだよな……ま、とりあえず、予定通り依頼主のNPCん所まで行ってみるしかねぇか」

 

 シリカ嬢の話から、クリアするための何かを見落としている可能性を考え、俺達は念のため掲示板前まで行き、同じクエが貼り出されていないかをチェック。

 その後、クエの依頼主となっているNPCの元へと向かっている、というところだ。

 

 

 掲示板クエは、各街に備え付けられた掲示板に貼り出されるクエストの総称だ。

 その特徴は、多種雑多なクエが近隣に住んでいるNPCによって貼り出されていて、1つのクエに関して同時に受けることができるのが1人ないし1組のみという点。

 それと同時に、例外なくクリアまでの制限期間が決められている点。

 クリアされるか失敗することで再度掲示板に貼り出されることになるのも特徴だ。

 

 

「掲示板型で繰り返し受注が可能なクエストというのは決して珍しいものではないですよね」

「ああ。普通にあるな。ただ、そんなに複雑なクエじゃねぇってのも特徴になるが」

「掲示板から受けるだけでフラグを立てる必要がない、簡単にできるというのが掲示板の利点であるはずなのに……」

「そー考えると、このクエは確かに変だな。詳細なクリア条件があるのなら、掲示板型じゃなくNPCから直接受諾するタイプにすりゃいいのに」

 

 セイドと何気なくクエに関しての会話を続けているが、こんなことは俺もセイドも十二分に承知している。

 単に言葉に出すことで整理しているだけだ。主に俺が。

 セイドなら1人で黙考した方が速いかもしれない。

 

「っても、例外は今までにもあったな。これも例外の1つなんだろうさ」

「おそらくは、そうでしょう。となれば、何を見落としているのか」

「事前に必要なフラグか、クリア方法か条件か」

「シリカさんたちは受注後、NPCの元も訪れています。フラグに関して余程大きな点を見落としていない限りは、後者でしょうね」

「だとしても、嬢ちゃんも3度目を受けただけでNPCの所にはまだ行ってねぇってことだし、俺らとしてもフラグの可能性は拾っておきたい」

「NPCとの会話内容によりますが、すぐに討伐に向かうかどうかも考えないとなりませんね」

「んだなぁ。ま、そうなりゃそうなったで――」

 

 俺はゼルクから渡された新規発見クエのリストを呼び出した。

 

「――別の未攻略クエにでも行きゃいいだろ。俺等なら余裕だろうし、あの嬢ちゃんの為にもなるだろ」

「そうですね。主にクリアを進めるのはシリカさんに任せましょうか。その方がシリカさんに経験値が入りますし」

 

 俺とセイドは歩きながら、再び揃って後ろに視線をやった。

 いつも以上に楽しそうなルイとアロマに挟まれながら、シリカ嬢も楽しそうに笑っている。

 最近は迷宮区攻略が多かったためか、今ルイの浮かべているような不安の一切ない笑顔は、とても久しぶりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言えば。

 クエの進行条件の1つに《時刻指定》があった。

 

 NPCとの会話で『暗い森の奥から』という言葉があったのを、セイドは聞き逃さなかった。

 しかしシリカ嬢たちも、2度目の討伐は夕方を過ぎた黄昏時だったらしい。

 つまり、時間の条件を満たしただけではクリアには足りないのだ。

 

「……しっかし、まさか夜間の時間指定とはなぁ……」

 

 俺達がこのクエのクリアに乗り出したのは午前中である。

 当然、すぐに出発してもクリアできないという結論に至り、俺達は討伐に向かえなかったときの予定通り、リストにあった未攻略クエを進めている。

 

 数多くあった中でも、ゼルク1人での進行には手間がかかるクエを優先したところ、複雑なものではなく単純なスロータークエということになった。

 まあ、場所は37層ではなく、46層で有名だった(・・・)狩場《紅蟻の巣谷》――通称《蟻谷》へ移ったが、ここは以前の様な高効率の狩場としては既に機能していないため、人はいなかった。

 システムによって効率が下方修正され、1度に出現するモンスターの数、入手できる経験値量が、最盛期とは比べ物にならない場所となっている。

 

 新規クエということもあってか、討伐指定されているモンスターの種類と数は無暗に多いが、俺たちにしてみれば大したことは無く――

 

「ほれ、嬢ちゃん、次来たぞー」

「えっ?! あの! まだ――」

【k】

 

 ――それでも、蟻谷の1度のポップ量が少ないため、どうしても時間がかかることから、昼飯は外で食うことになりそうだ、とログにもメッセを送ったところ、ログもこちらに合流するという運びになった。

 急なことではあったが、ログも補充したい素材があったようで、スローター対象のモンスターを狩りたかったらしい。

 

 ログは俺の呼びかけに1文字で答え、即座に大蟻へと戦鎚(ハンマー)を構えて跳びかかって行った。

 ルイは、予定外の事態に食事の準備をしていなかったということで、谷の外で携帯式簡易(かまど)を設置して即席のバーベキューの仕込みをしている。

 アロマにはいつもの如く、少し離れた別の狩場で蟻以外の討伐対象モンスターを片っ端からポリゴン片へと還してもらっている。

 アロマの勢いでここの蟻を狩られたら、嬢ちゃんたちの経験値が稼げなくなるからでもあり、俺はといえば、シリカ嬢とログの2人に適度にモンスターを狩らせるよう、周辺のモンスターのポップを管理している。

 

(ってか、これって本来セイドの役割なんだが……ま、愚痴っても仕方ねぇか)

 

 今この場に居ないセイドへの愚痴を心中で零しつつ、俺達はスロータークエを只管(ひたすら)に進めていった。

 セイドは、明るいうちにと言って、問題となっているクエの現場を下見に行ったのだ。

 

【マーチさんの呼び方だと、私かシリカさん、どちらに声をかけているのか分かり辛いです】

 

 ログは戦鎚の2振りで蟻を粉砕し、即座に俺へとテキストを打ってきた。

 

「あーそうか、《嬢ちゃん》だけだと、どっちか分からんか。すまんすまん」

 

 今の呼びかけはログに対してのつもりだったのだが。

 確かに、先に反応を示したのはシリカ嬢だった。

 ログとシリカ嬢で呼び分けをしておらず、単純に《嬢ちゃん》としか呼んでいなかったのは、俺のミスだろう。

 

「い、いえ!……っく!」

 

 シリカ嬢は、襲い来る巨大な紅蟻の攻撃を回避しつつ、的確に短剣を突き立てて行く。

 

(攻撃にゃ多少無駄な動きも多いが、回避に関しちゃなかなかだ。《軽業(アクロバット)》スキルを持ってるな、こりゃ)

 

 俺はシリカ嬢の動きを見守りつつ、助言はあまりしないように努めた。

 俺のやり方はシリカ嬢には向かないし、何より短剣には短剣の戦い方があるからだ。

 シリカ嬢の戦い方は、俺たちの中ではセイドに1番近い、1撃の威力よりも手数で相手を圧倒する方法だ。

 だが、本人のリーチの短さと、どうしても拭いきれない恐怖心も相俟ってか、あと1歩から1歩半、踏込が甘い事が多々ある。

 結果、与ダメが少なくなり、無用に手数をかけなければならなくなっていた。

 

(口で言うのは簡単だが、実践するのは難しい。特に踏込ってのは――)

 

「ログ、次来るぞ」

【k】

 

 シリカが相対している蟻とは別の巣穴から出てきた蟻には、ログに対処してもらう。

 

(――タイミングを誤ると、逆に危険だからな)

 

 ログはレベル的にも60を超えているため一応余裕があるし、俺達と一緒に居たことで戦闘のコツも段々と掴んできているから問題ない。

 しかし、シリカ嬢は今の段階でレベル51だと言っていた。

 

「やぁぁっ!」

 

 何度目かになるシリカ嬢の攻撃――短剣用突進技《ラピッドバイト》が蟻の腹部にクリティカルヒットし、HPバーを削り切った。

 

 ここ46層の《蟻谷》に出現する蟻は、攻撃力は高いが、防御力とHPが低いので倒しやすい。

 だが逆に、回避をしくじるとレベル60近くでも大ダメージを受ける。

 とはいえ、同時に2匹以上と相対することが無いよう俺も居るし、もし仮に攻撃を受けてしまったとしても、単体の蟻相手から受けるダメージは、ログなら1割減る程度。

 シリカ嬢でも、多くて2割から3割といったところだろう。

 ポーションを飲んでおけばすぐに回復する程度だ。

 

 《蟻谷》での注意すべき点は、複数体の蟻に囲まれて立て続けに攻撃を受けることと――

 

「ぉ、女王蟻のお出ましかな? どうだシリカ、やってみるか?」

 

 ――他の蟻より2回りほど大きく、攻撃力・防御力・HP量など全てのステータスが高くなっている女王蟻の存在の2点だ。

 

「あの……まだちょっと、レベルが足りないんじゃ……」

「通常の安全マージンは取れてるから大丈夫だ。俺もログもフォローすっから、とりあえずやってみな。無理そうならすぐに退けば良い」

「は……はい……!」

 

 シリカは多少顔を引き攣らせながらも、巣穴から出てくる女王蟻に対して短剣を構え、回り込むようにして走り出した。

 

(ってか、シリカって何気に動きが良いんだよな。誰か上手い奴に戦い方を教わったことがあるんじゃねえか?)

 

 ログにも、シリカと一緒に女王蟻へ攻撃するよう指示し、俺は周りからポップする兵隊蟻を斬り捨てつつ、常にシリカとログをフォローできるように静かに立ち位置を移動し続ける。

 

(多分アルゴ……いや、ゼルク?……違うな……まぁ、誰が教えたにせよ、攻略組に近い奴、それも攻撃特化型(ダメージディーラー)のプレイヤーの動きの基本を押さえている)

 

 女王蟻の攻撃を危なげなく回避し続けるシリカの動きには、攻略組の戦闘技術に近いものを感じられた。

 

 本能的な恐怖を抑え切れず攻撃の踏込が甘いのは仕方ないとしても、シリカはモンスターをしっかりと観察し、攻撃を引き付けてから回避することができている。

 

 まず見、そして聞き、相手を知ることが如何に重要なのか。

 そこが、ボリュームゾーンを出ない――あえて言うなら《脱せれない》――プレイヤーと、前線で戦うことのできる攻略組及び準攻略組プレイヤーとの差の1つだ。

 

 恐怖心に負けてやたらめったらに武器を振り回したり、次の行動を考えずに攻撃を受け止めたり、闇雲に攻撃を躱したり。

 それでも低層に限れば、ある程度までのモンスターなら倒せるだろうし、安全マージンを稼ぐこともできるはずだ。

 だが、安全マージンだけでは危険が伴う中層以上で《命のやり取り(モンスター狩り)》をするには、それらの行為は致命的な隙になり得る。

 

 モンスターを冷静に観察できるプレイヤーは、実は意外と少ない。

 第1層《はじまりの街》に閉じ籠っているプレイヤー、更にボリュームゾーンの域を脱せないプレイヤーにはできないと考えれば、その少なさは言わずもがなだ。

 

(そういった意味じゃ、シリカはもうちょいレベル上げて、踏込の度胸を付けられれば、準攻略組くらいにはなれそうだな)

 

 ログも冷静にモンスターを観察することはできるが、スキル構成的に戦闘は向いてないし、個人の技量的にも、戦闘に関するセンスではシリカに分がある。

 それに、シリカにはもう1つ、俺達にすらない特別な点がある。

 

「ピピィ!」

 

 《使い魔》の存在だ。

 ピナが女王蟻に向かって《泡の吐息(バブルブレス)》を吐き掛けている。

 

 基本的な攻撃力などは無いに等しいが、ピナ――《フェザーリドラ》の最大の特徴は、補助効果のある数種類のブレスだ。

 シリカに対しては《回復の吐息(ヒールブレス)》による回復を、モンスターに対しては行動阻害効果のある《泡の吐息》や《霜の吐息(フロストブレス)》といったブレスでの援護を。

 これらの効果の存在は、まさしく《ビーストテイマー》ならではの恩恵だ。

 

「ありがと、ピナ!」

 

 ピナの《泡の吐息》で女王蟻の動きが鈍ったところをシリカは逃さず、短剣の連続攻撃技《ファッドエッジ》で斬り込み、ログも合わせて戦鎚用重単発技《スマッシュ・インパクト》を叩き込んだことで女王蟻のHPを大きく削った。

 

(使い魔込みで、一人前ってところか。頑張りな、シリカ嬢ちゃん)

 

 シリカは、フォローが入ればしっかりと踏み込んで《剣技》で一気に削ることができている。

 年齢の割には、しっかりとした戦闘スタイルが確立されていると言っていいだろう。

 ログも隙を逃さなくなってきたし、筋力値寄りのステータスから繰り出される戦鎚の1撃は驚異的な威力だ。

 

(こりゃ、うかうかしてると嬢ちゃんたちに足元をすくわれる日が来るかもしれんな)

 

 女王蟻のHPは残り6割。

 俺が手を貸さなくても、嬢ちゃんたちだけで、ここで最も強いモンスターを狩ることが出来そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 バーベキューで昼食を済ませた後、セイドとルイも合流して一気にスロータークエを消化した。

 蟻谷での狩りとアロマ台風の効果で、ログは欲しかった素材を充分に確保できたようで満足気に店へと戻り、シリカはレベルが1つ上がったことに喜んでいた。

 その後さらに、簡単でありながら移動が多く面倒なお使いクエを2つ程こなしたところで日が沈み始めた。

 

「ふむ……良い頃合いですね。そろそろ37層に戻りましょうか」

 

 セイドのその言葉を聞いて、俺達は近くの転移門から37層のスプラへと移動。

 今日の本旨であった《森に響く呻き声》クエへと、改めて出発した。

 

「いやぁ、今日は楽しいねぇ! リカたんも可愛いし! ログたんも一緒に遊べたし!」

「アロマ……遊びじゃなくてクエ攻略だからな? 命かかってるからな?」

 

 気楽な物言いのアロマに、俺は思わずツッコんでいた。

 

「分かってるよー。でもさでもさ! 結構気楽にできるから良いじゃん?」

「アロマさん。シリカさんにとっては気楽な1日ではなかったはずです。マーチがスパルタ指導してましたからね」

「ごめんね~シリカん。マーチんが無理させちゃって~」

「ちょ! 俺そんな無理させてねえぞ?! 安全マージン普通にあったから経験値稼ぎに丁度良いと思ってだな――」

「大丈夫です。マーチさんが近くに居て下さったので、安心してモンスターと戦えましたし。それに、怖がってばかりじゃダメだって、気付くこともできましたから」

 

 セイドとルイの発言に俺は慌てて弁明したが、シリカから丁寧なフォローが入ったことで俺が悪役にされることは避けられたようだ。

 

「だよなだよな! ったく……んでセイド。場所は確認したんだよな?」

 

 この話題がこれ以上広がる前に俺はさっさと話しを変えた。

 

「ええ。もう少し奥に進むと小さな湖というか、沼があります。その近くですね」

 

 俺達は森の木々を右に左にと避けながら、先頭を行くセイドの後について歩みを進める。

 

「皆さん、きっと変な光景を目にすることになると思います。気を付けて下さい」

 

 唐突に、シリカ嬢がそんなことを言いだした。

 

「……変な光景? んだそりゃ?」

「えっと……見て頂ければわかると思うんですけど……あたしが見たのは――」

「ストップ。話は後で。もう着きますよ」

 

 そう言って立ち止まったセイドは、俺達に先へ進むよう無言で促した。

 

 《隠蔽(ハイディング)》の無いセイドは、あまり近寄ると見つかってしまう可能性を考慮して、念のために距離を取っている。

 俺達は《隠蔽》を発動させ、先頭には、セイドに変わって俺が立った。

 そうして、樹に身を隠しながらゆっくりと沼の(ほとり)へと近づいて行く。

 

【《索敵》に反応1。オーガを目視】

 

 俺はオーガらしき後姿を確認したところで、テキストでそれを報告。

 ルイ・アロマ・シリカも樹の陰から顔を出し、そのオーガを視認する。

 セイドも、オーガの感知範囲を確認したうえで俺の隣にやってきた。

 

 そうしてオーガの動きを観察すること――数分。

 

 

 俺達は、すぐに動けなかった。

 

 

【あのさ。あれ、なに?】

 

 状況の把握に努めようとしていた俺達だが、堪えきれなくなったアロマがテキストでそう聞いてきた。

 だが――

 

【何って言われても。なんだあれ】

【ん~? 鏡見てるよね?】

 

 ――俺もルイも状況が呑み込めなかった。

 

【鏡、ですね。オーガの前に、大きめの鏡があります】

 

 セイドにしても、見たままの事しかわからないようだった。

 

 見たままの事を表すなら。

 

 俺達に背を向けた1体のオーガが、沼の畔で鏡――所謂《姿見》を見ている。

 その姿見の前で、唸り声を上げながら何やら様々なポーズを取っているのだ。

 

 どこぞのボディービルダーのような感じで。

 

【ってか、ポージングの練習してんじゃね?】

 

 俺の的確な指摘に、しかしセイドは――

 

【どんなAIにすればそんなことをするクエストモンスターができるんですか】

 

 ――冷静に返してきた。

 

【いや、知らねーし】

 

 俺だって深く考えた訳じゃないが、どう考えてもそうとしか見えない行動なのだから仕方ないと思う。

 

【でも、多分、間違っていないと思います】

 

 俺の考えに苦笑いを浮かべながら賛同したのはシリカ嬢だった。

 

【あたしたちが最初に来た時は、あのオーガ、同じような鏡の前でフラダンスみたいなものを踊ってたんですよ。変な腰蓑と冠を付けて、歌のつもりなのか、変な唸り声を上げながら】

 

 シリカ嬢のそのテキストを見て、俺達は――少なくとも俺は――目を疑った。

 

(踊ってた? 歌ってた? クエストボスのオーガが?)

 

 だが、シリカ嬢はテキストを打つ手を止めず、更なる追撃をしてきた。

 

【2回目には、1人でオセロみたいなことしてましたよ。1手進めては唸り、1手進めては唸りを繰り返してました】

 

「ぁんだそりゃぁ!?」

 

 あまりにもあんまりな内容に、俺は思わず声に出してツッコんでしまい。

 

「ングルォァ?!」

 

 その声に反応したオーガは、変なポーズのまま、驚いたようにこちらを振り向き。

 

『……………………………………………………』

 

 

 数秒、目が合ったまま何ともいえない空気が俺達とオーガの間に流れ。

 

 

 先に立ち直ったのは、オーガの方だった。

 オーガは静かに鏡の方へ向き直り、どこからかホッケーマスクの様な覆面を取り出して顔を隠し、両刃の(のこぎり)にしか見えない両手剣を構えると。

 

「ウボォロルガァァァァァァァアアアアアッ!!」

 

 猛然と、憤然と、敢然と、此方へ突進してきた。

 

「何なんだお前はぁぁぁっ!!」

 

 思わず、俺は腰に吊るしていた刀の柄に手をかけ、抜刀。

 しかし斬るのではなく、抜刀の勢いそのままに柄頭でオーガの胸板を強打した。

 

 先日、ようやく装備が可能になった《居合刀(いあいとう)八咫烏(やたがらす)》に修められている居合い系剣技の1つである《大地(ダイチ)(マタタ)キ》――ノックバック&スタン効果の補助系技――で、覆面オーガに強烈なツッコみを入れていたのだ。

 

「ヴォゴォォォッ……グググッ……」

 

 補助系技とはいえ、レベルに差があるためか、今の1撃だけで覆面オーガのHPを3割ほど削っていた。

 そしてノックバック――吹っ飛ばしたのとスタン効果が相俟って、覆面オーガは仰向けに倒れたまま身動きが出来ずにいた。

 

「……マーチ……」

 

 俺の行動を見咎めたセイドが何か言おうとしたところで――

 

「言うな……俺も、何やってんだと思ってるところだから……」

「いやぁ、良いツッコミだったねぇ! しかしまさかモンスターにまでツッコむとか! ツッコミ役の鏡だね!」

 

 ――セイドの台詞は遮ったものの、アロマは構わず俺をからかってきた。

 

「変ですよねぇ……あたしたちも、毎回変なオーガだって話してたんですよ……」

「ん~……セイちゃん、何か分かる~?」

 

 俺の行為には触れずにいてくれたシリカとルイには感謝を。

 そしてルイの問いかけに、しかしセイドは困ったような笑顔を浮かべた。

 

「と……言われましても……何なんでしょうね……あれは……」

 

 如何にセイドといえど、あんな意味不明なオーガの行動に、理由を見つけるのは困難なようで――

 

「そうじゃなくて~。クエストのクリア条件だよ~。このまま倒してもダメなんでしょ~?」

『あ』

 

 ルイにそう言われて、俺もセイドもアロマもシリカも、ようやく本来の目的を思い出した。

 

「んも~、みんなして~」

 

 ただ1人冷静だったルイは、俺達の呆けた顔を見て思わず笑ってしまっていた。

 

「んっうん! あ~まあ、アレの行動はこの際置いておくとして、だ」

 

 俺は仕切り直しとばかりに咳払いをして。

 

「セイド。攻略方法に、1つ思い当たる事がある」

 

 俺がそう言うと、セイドもまた不敵な笑みを浮かべていた。

 

「奇遇ですね。私もですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、ホンットに。意味分からんクエだったな」

「ですね……あの行動だけは理解不能です」

 

 夕食を終えた俺達は、未だにスッキリしないまま食後の1杯に興じていた。

 

「そうカー。《指揮者(コンダクター)》でも分からなかったカ」

 

 リビングのソファーに腰を下ろした俺の正面には、同じようにソファーに身を沈めたアルゴがいる。

 

「クエストは一応クリア出来ましたし、攻略するだけなら、この方法を知っていれば良いはずです」

 

 俺の隣にはセイドが座り――

 

「でも、まさかあんな方法で倒さないといけないなんて、思いもしませんでした」

 

 ――アルゴの隣にはシリカが座っている。

 

「あのオーガの行動ってさー、茅場の趣味なのかなー?」

 

 絨毯に寝転んだアロマは、行儀悪くゴロゴロと転がりながらそんな疑問を口にした。

 

「んなこと分かる訳ねぇだろ」

 

 アロマに素っ気なく答え、俺は紅茶を啜った。

 

 

 

 

 クエを終えた俺達は、とりあえずNPCの元へと報告に行き、クリアされたことを確認してからギルドホームへと戻った。

 折角だから、とルイがシリカを夕食に招待したところで、何処からかアルゴが現れた。

 まあ、クリアしたクエの報告と報酬のやり取りもあったから、アルゴも一緒に夕食をすることになり。

 ログも店を終えて帰ってきたので、総勢7名での晩餐となった。

 

 女が5人も集まると(かしま)しいでは済まないということを、身を持って実感させられた晩餐だった。

 そんなこんなで、アルゴにクエの顛末を話したのは、食事を終えた後の事。

 

『――ということで、倒し方が特殊だったんです』

 

 俺とセイドが、あのクエについて思い当たったのは、クエの元ネタについてだ。

 まあ、オーガの《あの行動》に関しては意味不明すぎたし、元ネタとも全く関係が無かったので間違っている可能性を捨てきれなかったのだが。

 

『なるほどナ。そんな方法じゃないとダメだったわけカ』

 

 俺達が取った討伐方法は《オーガを沼に沈める》というものだ。

 元ネタについては、覆面を付けたオーガの外見を話した段階でアルゴにも見当がついたようだが、シリカやログは分からなかったようだ。

 

 ホラー系が苦手そうな2人だったので、詳しい話はしなかった。

 

『ただ、おそらく今後もあのクエストは貼り出されるでしょうね。あの話が元になっているのなら』

『そうだナー。ま、終わらないクエってことで、ガイドブックに載せとくヨ』

 

 そんな感じで報告を終え、アルゴが1口紅茶を飲んだところで、今日のオーガの意味不明な行動の話題になったわけだ。

 

 

 

「オレっちは、茅場の趣味じゃないと思うナ」

 

 アロマの疑問に、不意にアルゴが答えた。

 

「細かいクエまで1人で作ってたら何年かけても足りないダロ。クエの数が多すぎるヨ」

 

 アルゴはしみじみと、ため息を吐きながらそう零した。

 

「なるほどな」

 

 上層に行けば行くほど、低中層のクエまで増えて行くという仕様に、流石のアルゴも参っているのだろう。

 俺がアルゴの台詞に納得したところで、場の空気がとりあえず落ち着いた。

 

「さってト。んじゃ、食事の礼に情報を1つ提供するヨ」

 

 アルゴが立ち上がり、そんなことを唐突に口にした。

 

「62層のスライムの倒し方が見つかったって話、知ってるカ?」

「はぁ?!」

 

 今更と言えば今更な情報に、俺は間の抜けた声を上げていた。

 

「アル姐、まさか見落としてたとかってオチじゃないよねー?」

 

 アロマも、絨毯の上に座り直してアルゴをジト目で見つめていた。

 

「こればっかりはオレっちのせいじゃないゾ。攻略方法の解禁条件が62層のボス撃破だったんだカラ」

 

 アルゴは、やれやれといった仕草を見せ――

 

「ということは、どう足掻いても、あのボスには有効な対処法が無かった、ということですね……」

 

 ――セイドも深々とため息を吐いて見せた。

 

「そういう事になるナ。で、その肝心の攻略法だけどナ。62層迷宮区の近くにNPCの居る炭焼小屋が出現したんだヨ。そこのNPCが、炭や灰を売ってくれるんダ」

「炭と、灰?」

 

 アルゴの情報に、首を傾げたのはアロマで。

 

「確か、迷宮区の周りって雑木林だったよな? ってことはあれって――」

「元々、薪炭林(しんたんりん)だった、ということですか」

 

 迷宮区周辺の林に意味があったのだと、今の話で納得したのは俺とセイドだった。

 

「そのとーりダヨ! で、そこで手に入る炭や灰をスライムに投げ付けると、スライムの身体が硬化して、攻撃が効くようになるのサ!」

【なるほど。炭の熱で乾いたり、灰が纏わりついて身動きを封じるってことですね】

 

 アルゴの話にログは何やら納得したようだが、俺達としては、やるせない感じを拭い去ることができなかった。

 

「もっと早く欲しかったね~……そ~いうアイテムは~」

 

 ルイも今の話を聞いて、62層のボス戦を思い返したようだ。

 

 何となく空気が重くなったのを感じた俺は、立ち上がって1つ手を打ち鳴らし空気を一掃した。

 

「さぁって、と! んじゃぁアルゴ、久しぶりに《アレ》やろうか!」

 

 俺の呼びかけにアルゴの目つきが鋭いものに変わる。

 

「ほほゥ? いい度胸だナ、マーチ! 最近は《指揮者》に多く取られ気味だから、オマケしないゾ!」 

 

 アルゴは俺の挑戦を受けて立ち、俺へと向き直る。

 これで勝負の場は整ったわけだ。

 

「あの……何が始まるんですか?」

「ん~……見てれば分かると思うけど~、長くなるから、お茶でも飲みながら見てるといいよ~」

 

 シリカ嬢の疑問の声に答えつつ、ルイが紅茶を注ぐ音が聞こえた。

 

「じゃ、まずはスロータークエの報酬額から決めようカ!」

「オーケー。あれに結構時間取られたんだ。相応に貰うぜ!」

 

 俺とアルゴは同時にニヤリと笑い――

 

「2000コルダナ!」「5000コルは貰うぜ!」

 

 ――同時に報酬額を宣言する。

 

「……あの、これってもしかして……」

「価格交渉です。マーチとアルゴさんは、このやり取りを《バーギニング・ゲーム》と言っています」

 

 シリカ嬢も、俺とアルゴが何をしているのか分かったようだ。

 最近コレを任せていたセイドも、久しぶりに観戦する側に回ったことでのんびりと紅茶を飲みながらシリカ嬢に解説している。

 

「ふっざけんな! 2000はどう考えても安過ぎだ! 何時間かかったと思ってんだ! 4900!」

「シーちゃんに聞いたゾ! 経験値稼ぎも兼ねてたらしいじゃないカ! だから時間がかかったんダロ! 2500!」

 

【マーチさん、値の下げ方が少ないですね】

「それだけ苦労したと主張してるんですよ。価格の変動のさせ方や理由によって、互いに交渉していくのがこのゲームです。やってみるとなかなか面白いですよ」

 

「シリカのレベル上げに協力してやったってことは、今後のアルゴの情報収集にも役に立つことになるだろうが! 4850!」

「ム……でもマーチがもっとヘルプしてれば、シーちゃんももっと稼げたはずダロ! 3000!」

「ねえねえ、今何時! 今何時!」

「アロマさん……《時蕎麦》じゃないんですから。時間の単位で引っ掛けるのは無理がありますよ」

 

 こうして俺とアルゴの《価格交渉(バーギニング・ゲーム)》は白熱していった。

 

 

 

「アルゴさんって、こんなに激しくやり取りする方でしたっけ?」

 

 シリカさんの疑問に、私はのんびりと答えた。

 

「おそらくマーチの時だけですよ。私との《価格交渉》の時は、もっとクールですから」

「2人とも楽しんでるからね~。アルゴさんも~、マーチんとは古い付き合いだし~」

【真似できないです。あんな勢いで言われたら、そのまま押し切られちゃいます】

「……ログさん、それはちょっと気を付けた方が良いですね……」

 

 シリカさん・ルイさん・ログさん・私の4人は、白熱するマーチとアルゴさんを眺めながら、そんな他愛無い会話を交わしていた。

 

「フレッ、フレッ、マーチ! 値切れっ、値切れっ、マーチ!」

 

 そんな中、1人アロマさんだけが、よく分からない応援をしている。

 価格を吊り上げたいマーチに、値切れというのはおかしいと思うが、まあ、放っておこう。

 

 

 私はリビングに備え付けてある柱時計に目をやった。

 夜は、まだまだ始まったばかりのようだ。

 

 




更新が滞ってしまったことで、メッセージを下さった方までおられました。
嬉しさのあまり、視界が滲んでしまいました(つ_T)

言い訳にしかなりませんが、リアルで立て込んでいたことと……。
生意気にも、スランプに陥ってしまい、満足に文章が書けない状態が続いていました。

皆様からのメッセージや感想が、そんな私に活を入れて下さいました。
本当に! 本当に、ありがとうございます!!

今後も、更新速度は遅いかもしれませんが。
エタるつもりはございません。
どうか、不出来な自分を見捨てずにいてくだされば幸いです m(_ _)m

話の良し悪し、誤字・脱字なども含めて。
今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます m(_ _)m


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第四幕・休息

もう毎度のことですが……
本当に! 本当に! 遅くなって申し訳ありません!!(;>_<)

ゲイル様、路地裏の作者様、ポンポコたぬき様、piki.様、匿名様、エミリア様、ささみの天ぷら様、ガーデルマン様、バルサ様、リュウゴ様、Reiya様。
感想ありがとうございます! 遅くなって申し訳ございません!m(__)m

文字数が、増えているんですが……読み辛いようでしたらご一報ください(;一_一)



 

 

 63層の攻略が始まってから既に1週間が経過した。

 しかし、フロア攻略は順調とは言えず、今日、ようやくフィールドボスの討伐が終わったばかりだ。

 

「……1週間かけて……やっとフィールドボスの撃破、か……こりゃキツイな……」

 

 夕日が映し出す長い影を引き連れながら、隣を歩くマーチが呟いているのが聞こえた。

 

「……しかも……フィールドに引き続き、迷宮区があれじゃ……ルイは出てこれねぇぞ……」

 

 フィールドボスの討伐後、私達を含む攻略組の何名かは、少しでも迷宮区の傾向を掴もうと、滅入った精神に鞭打って探索してきたのだが。

 そこで待っていたのは、フィールド以上に厳しい現実だった。

 

「確かに……ルイさんだけじゃなく、アスナさんも、おそらく同様の理由でほとんど攻略には参加してませんし……」

 

 私は、ついつい苦笑いを浮かべて頬を掻いてしまった。

 

 元々が怖がりな性格のルイさんは仕方がないとして。

 如何に攻略組のターボエンジンと呼ばれ、《閃光》の二つ名を轟かせているアスナさんであろうとも、(もと)(ただ)せばうら若き乙女でしかなく、苦手なものの1つや2つあって当然、ということだ。

 

「サボるのは良くないと思うんだよ! 私は!」

 

 しかし、同じ《うら若き乙女》であるはずのアロマさんは――

 

「だからさ! 明日はアスナとルイルイも連れてきて迷宮区攻略に行こう! きっと楽しいよ!」

 

 ――2人が本気で嫌がりそうなことを、気にも留めずに行おうとしていた。

 

「……お前は元気だな……アロマ……《アレ》やった後で……何でそんなに……」

 

 《あの系統》が、あまり苦手ではないはずのマーチですら、今はゲッソリとしている。

 

「えー? ああいう敵も新鮮じゃん!」

 

 いつもと変わらぬ――否、いつも以上に明るい笑顔を咲かせているアロマさんには、そんなマーチの様子すら気にする要因にはならないようだ。

 

「新鮮……ですかねぇ……あれが骨なら、私としてもやり易くはあるのですが……」

 

 私は思わず、自分の両手を見つめてしまった。

 そこには何の汚れも、傷の1つもありはしないのだが。

 

(流石に、あの感触は、気持ち悪いんですよね……)

 

 

 

 

 63層に初めてやって来た時から、ルイさんとアスナさんの顔は引き攣っていた。

 ルイさんがこの手の物が苦手なのは知っていたが、あのアスナさんも苦手だったという事には、少々驚いたものだ。

 

 まあ、この層に対しては、ほぼ全てのプレイヤーが苦手意識を持ったであろうが。

 

 63層のフィールドは、人と同じくらいの大きさのスラッグ系――所謂ナメクジモンスターや、アンデットモンスターの中でも特に嫌われているゾンビ系で占められていた。

 この世界において、最も倦厭されがちなモンスターが多く出るフィールドは、ここが初ではない。

 だが、それでもこの層は、質も量も跳び抜けていた。

 

 《巨腐蛞蝓(ギガラト・スラッグ)》・《腐乱狂狼(ピューレトファイド・ウルフ)》・《腐乱大尉(ピューレトファイド・キャプテン)》などなど。

 フィールドもそうだったが、迷宮区に跋扈しているどのモンスターにも必ず《腐った》という単語が入っている。

 アロマさんと出会うきっかけとなった27層のクエストでも同系統のモンスターを相手にはしたが、あれはあくまでもクエスト時のみだった。

 階層全体で、この類のモンスターしか(・・)存在しないという層は、ここが初だ。

 

 モンスターの強さとしても、27層とは比べ物にならず、動きも格段に速くなっている。

 体全体が朽ち果てていて、所々の肉は爛れ、化膿し、嫌な色の体液を常に垂れ流している状態で、何でそんなに動けるのか問い質したくなるほどだ。

 攻撃したときの手応えも妙に水っぽく、敵によっては《汚れエフェクト》すら発生する。

 武器や体に飛び散って付着した敵の体液は、とても気持ち悪――じゃなく、攻撃力や防御力の低下、耐久値の消耗度アップといった阻害効果(デバフ)を伴うので厄介極まりない。

 

 そして、何よりも辛いのが《(にお)い》だ。

 

 この層の敵は、そのほぼ全てが、倒された瞬間に強烈な腐臭をまき散らすという特性を持ち、それによって強烈な《眩暈(ディジィネス)》の阻害効果(デバフ)を発生させる。

 発生源が嗅覚由来というのも厄介で、マスクをしなくては息もし辛くなる。

 

 つまり。

 この層の敵は、誰も進んで相手にしたくないと思う敵で埋め尽くされていた。

 そして、それらはフィールドボスにも言えることで。

 

(……アレのデザイナーは……絶対趣味が悪い……)

 

 《ラトン・カーネルトーラス》と名付けられたフィールドボスは……全身に(うじ)らしき虫すら這わせていた。

 あれには、ある種のトラウマになりかねないものがある。

 

 

 

 

 不覚にも思い出してしまい、鳥肌が立つとともに腹部に不快感を覚えたが、えずくのだけは何とか堪えた。

 

 未だに、手に残っている変に柔らかい感触を拭い去ろうと、私は数度腕を小さく振ったが、あまり効果は無かった。

 

 まあ、なんにせよ。

 《アレ》は《新鮮》で片付けられる代物ではないと思うのだが。

 

「アロマさん……ゲテモノ好きなんですか?」

「え、好きじゃないよ? でもほら、食べるわけじゃないし。斬った時の感触とか、他のモンスターと違うじゃん?」

 

 ある意味、非常にタフなのだろうと、納得するしかないかも知れない。

 

「……それに、ちょっと特別な思い出もあるし……」

「はい? 今何か仰いましたか?」

「ううん! ナンデモナイ!」

 

 アロマさんが最後に呟いた言葉は、聞き取ることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぅぅぅぅはぁぁぁぁああああっ……」

「……マーチ……大丈夫ですか……?」

 

 フィールドボス攻略から4日目の朝。

 相変わらずルイさんは攻略には参加できず――誘うと泣きながら部屋に閉じ籠ってしまうので、声をかけることすら諦めた――アスナさんも殆ど前線には顔を出していない。

 

 アスナさんに関しては聞いた話によれば、活動を休日(オフ)にしてもらったり、数人のKoBメンバーと他層のクエスト攻略に赴いてギルドの資金稼ぎに精を出したりしているらしい。

 そんな中、私・マーチ・アロマさんの3人は、3日連続で迷宮区へと潜ったわけだが。

 

「……ルイは良い……だが……アスナ……あいつが居ないだけで……攻略速度がこうも違うとは……」

 

 流石に精神的限界を超えたのか、マーチは朝食を――いつもの半分程度の量を、いつもの倍の時間をかけて――取り終えた後、リビングのテーブルに突っ伏したまま動こうとしなかった。

 

「いや、アスナさん1人のせいじゃないでしょう?」

 

 マーチの台詞に思わず苦笑いを浮かべてしまいながらも、間違った認識には修正を入れておく。

 

「攻略組全体で見ても、あの層の攻略に本腰を入れているプレイヤーは少ないですよ……ここ数日はキリトさんも見ていませんし……やはり、あの手のモンスターばかりというのは……精神的にキツイものがありますから」

 

 ()()う私自身も、精神的に限界がきている。

 マーチほどではなかったものの、朝食の量は減らしてもらったし、食べるのに費やした時間も普段に比べれば長かった。

 

 今日は、63層には行きたくない。

 だが、私達の中ではただ1人――下手をしたら攻略組でも1人だけかもしれないが――63層攻略に乗り気な人がいる。

 

「ねえねえ! 食べ終わったんだから早く迷宮区行こうよぉ! やっと10階まで上ったんだからさぁ!」

 

 言わずと知れたアロマさんだ。

 

 既に準備万端整えた状態で、ホームの扉の前で地団駄を踏んでいる。

 何でアレを連日見続けていて気が滅入らないのか、不思議でならない。

 

「……アロマさん……申し訳ないですが、今日は休みましょう……私もマーチも、限界です……」

 

 あまり言いたくはなかったが、ギブアップである。

 

「えー!? 何でだよぅ!? 迷宮区なのにライバル少なくて宝箱大量ゲットできて良いじゃん! ここ最近で1番稼げてるじゃん!」

 

 その、ライバルが少ない理由について、もう少し意識を回して欲しいものだ。

 

「……とにかく……今日は休みにします……どうしてもというのでしたら、他のギルドの方々と一緒に潜れるようにお願いしてみますが?」

「ブゥー! それじゃ意味ないでしょー! セイドと一緒じゃないなら行かないよ!」

「そうですか……なら、休みということで、諦めて下さい……」

 

 私としても、精神的負荷が大きすぎた為か、昨日の迷宮区攻略では何度もミスを連発していた。

 ここらで1度、しっかりと休まないと今後の攻略へ支障が出てしまう。

 

「ごめんね~、ロマたん。私、ホントにあ~いうのはダメなんだ~」

 

 私とマーチの様子を見てか、ルイさんが貴重なハーブティーを淹れてくれた。

 ハーブの甘い香りが疲れた心を解してくれる。

 

「手伝ってあげれればよかったんだけど~……体が(すく)んじゃうんだよね~……」

 

 味も格別で、熱いはずなのに飲んだ後には涼やかな後味が残る。

 レアモンスターだけがドロップする、なかなか手に入らない茶葉なだけあってか、耐毒の支援効果(バフ)までついている。

 

「ルイルイは気にしないで。ほんとは一緒に行きたいけど、無理なものは仕方ないし。でもさぁ……男が2人とも揃ってダウンってーのは、情けないんじゃないのー?」

 

 私とマーチがハーブティーをチビチビと飲んでいるのを横目に、アロマさんは辛辣なコメントをしていた。

 

「……悪ぃな…………俺ぁお前ほど図太くねーんだよ、繊細なんだよ……ってか、ルイと一緒に居て、あーいうもんを全然見てねーから、耐性が落ちてたんだよ……」

「あー、ルイルイのせいにしたー。なっさけないなー。それでも男かー、マーチィ?」

 

 マーチは、アロマさんへ反論する気力すら惜しいとばかりに――

 

「何とでも言え……」

 

 ――そう呟いて、テーブルからソファーへと移動し、大きなため息とともに身を横たえた。

 どうやら、私の想像以上に(こた)えていたようだ。

 

「だいじょぶ~? マーチん」

 

 ルイさんは心配そうに、マーチへ寄り添うように腰掛けた。

 

「ほら~、頭ここに乗せて~。冷たいタオルもあるからね~」

 

 そう言ってルイさんは、マーチの頭を自分の太腿へと乗せて――いわゆる膝枕をして――額と目元を覆うように、冷たいタオルをかけてあげていた。

 ルイさんに言われるがままになっているマーチを見て、マーチが本当に弱っていると分かったのか、アロマさんもそれ以上マーチへと口出しはしなくなった。

 

【そうすると、皆さん、今日は時間があるということですか?】

 

 店へと出かける支度を終えたログさんが、唐突にそんな言葉を打ってきた。

 

「そうなりますね。気持ちが休まれば、それで良いということになりますが」

【そうですか】

 

 私の言葉に、ログさんは数秒思案した後、何かを思い切ったようにホロキーボードをタイプした。

 

【あの、もし良ければなのですが――】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼少し前。

 私達は全員で揃って、ある場所へと足を運んだ。

 目の前にあるプレイヤーショップからは、巨大な水車が緩やかに回転するゴトンゴトンという心地よい音が響いている。

 

「ほへぇ……ここがログたんの知り合いのお店?」

【はい。知り合いで、ライバルで、友だちで、お客様です】

「な、なかなか複雑な付き合い方してるな、嬢ちゃん」

「職人同士なら、そういう関係もありでしょう」

「ログっちが~、自分からライバルって言うのは珍しいね~。ちょっと楽しみだな~」

 

 私達がやってきたのは、48層の主街区《リンダース》で、その一角にあるプレイヤーショップ――《リズベット武具店》と名付けられた、大きな水車が目立つ店だった。

 

 店は中々繁盛しているようで、数名のプレイヤーがショップへ出入りしていたのが遠目にも見えた。

 店の前へとやって来た時には、受け取ったのであろう武器を満足気に撫でながら笑顔で出てきたプレイヤーとすれ違った。

 職人クラスの目安の1つとして《客を笑顔にさせる職人に悪い職人はいない》というものがある。

 そういう意味では、ここの店主もログさんに勝るとも劣らない、良いプレイヤーなのだろうと想像ができた。

 

【時間は伝えてありますが、一応ショップ側から入りましょう。工房に直接行くと、作製中だった場合は邪魔してしまう可能性もありますから】

 

 というログさんの提案に沿って、私達は《リズベット武具店》の扉をくぐった。

 店内には、低価格の汎用品から値の張る一品物まで、多種多様な武器が展示されている。

 店の奥にあるカウンターには、NPCの店員とは別に、ベビーピンクのショートヘアという目立つ外見の少女が1人立っていた。

 

 この店の主らしきその少女は、長身の槍使いらしき男性相手に何やら話をしていて――

 

「って、ゼルクじゃねーか」

「おぉ? あれぇ? マーチさんたちじゃないですかぁ?」

 

 ――意外なところで意外な人と出くわしてしまった。

 

「あれ、ログじゃない。もう約束の時間だったっけ?」

【はい。ちょっと早かったですけど。お話し中に、お邪魔してしまってごめんなさい】

 

 ログさんの知り合いである少女と話をしていたのは、行商人のゼルクさんだった。

 

「あー、いいのいいの。気にしないで。話はもう終わりだったし」

「えぇ~? リズベットさ――」

「だぁから、金属が無いんだってば! 偶然1つ確保できただけで、それ以外は確保できてないんだからしょうがないでしょ!」

 

 店主――リズベットと呼ばれた少女は、ゼルクさんとの話を一方的に切り上げるところだったらしい。

 

「さ、帰った帰った! あたしは次の予定があるのよ!」

 

 にべも無くゼルクさんを追い立てたリズベットさんだが、そんなゼルクさんをマーチが呼び止めた。

 

「ゼルク、お前何しに来てたんだ?」

 

 ゼルクさんはそれを最後のチャンスと感じ取ったのか、マーチに(すが)るようにして――今回ばかりはギルドの話はせずに――ここに居た目的を話し始めた。

 

「それがですねぇ! リズベットさんが見つけたぁ、新しい金属の話でしてぇ! 詳しい話をぉ、どうにか売ってもらおうとしてたところなんですよぉ!」

 

 しかし、そこまで言った段階でログさんがテキストを挟んだ。

 

【あれ? 今からその話をするところだったんですけど】

 

 ログさんのこの発言は想定外だったようで――

 

「あっ! ちょっとログ?! そんなこと言っちゃったらそいつが――」

 

 ――リズベットさんが慌てて口を挟んだが、時すでに遅く。

 

「リズベットさぁん!? 俺だけ除け者扱いは酷いんじゃないですかぁ?!」

 

 ゼルクさんが泣きそうな顔でリズベットさんに詰め寄っていた。

 

「~っ!……あ~もう! 分かったわよ! 金属手に入れたら連絡するから! とりあえず今は帰って!」

 

 何か観念したように、リズベットさんはため息交じりに、ゼルクさんとの話に分かり易い区切りを付けた。

 

「むぅぅ……約束ですよぉ……俺だってぇ、リズベットさんには色々と贔屓してるんですからねぇ」

「分かってるってば……いつも感謝してるわよ。だからほら、あんたも暇じゃないんだから、何時までも此処で足止めてないで、やることやってきたら?」

 

 ゼルクさんも、とりあえずは納得した様子を見せ、リズベットさんの言う通り、この場を去ろうと扉へと向かった。

 

「そうさせていただきますねぇ……ではぁ、皆さぁん……っとぉ、そうそう、皆さんに渡すものもありましたぁ」

 

 そう言ってゼルクさんは、数枚の紙を取り出し私へと差し出した。

 

「姉御からぁ、リストの追加分だそうでぇす」

 

 以前ゼルクさんから渡された新規および未攻略クエストのリストは、未だ全てをこなせてはいないというのに、また新たに追加分が来たようだ。

 

「なるほど……確かに受け取りました。アルゴさんにもよろしくお伝えください」

「はぁい。では皆さぁん、また近いうちにぃ」

 

 そう言い残して、ゼルクさんは立ち去って行った。

 

「はぁ~……全く、毎度毎度疲れる奴よねぇ」

【リズさんも、ゼルクさんと取引があったとは、知りませんでした】

 

 リズベットさんの零した溜め息に、ログさんが率直な感想を打っていた。

 

「ん~まあ、露店やってた時から結構世話になっててさ。断り辛いっていうか。腐れ縁っていうのかな、そんな感じ」

 

 と、そこまで語ったところで、リズベットさんは唐突に私達へと視線を走らせた。

 

「……ふむ……なるほどなるほど……貴方達がログのギルドメンバーなんですね。噂には聞いてました。攻略組のメンバーが居るって」

 

 そう笑顔で見抜いたリズベットさんに、私はまだ自己紹介をしていないことを思い出した。

 

「おっと、これは失礼しました。ギルド《逆位置の死神》のセイドと申します。こちらはマーチ。ルイさん。アロマさんです」

 

 リズベットさんに全員を紹介し、皆一様に軽く頭を下げて挨拶する。

 

「ログさんとはお知り合いのようですから、大丈夫でしょうか」

【はい】

 

 私の言葉にログさんは素早く反応し、さらにテキストを続けた。

 

【こちらが、このお店を私より早く購入した、鍛冶師のリズベットさんです。鍛冶スキルは私より上ですよ】

「どうも初めまして。ここで武具店を営んでます、リズベットです。ヨロシク!」

 

 ログさんに紹介されて、リズベットさんは笑顔で私達に挨拶をし――

 

「って、ログ、まだ根に持ってるの? この店の事」

 

 ――そのまま笑顔を引き攣らせながら、ログさんへと顔を向けていた。

 

【いえ、それ程でも。セイドさんたちと出会った後でしたから、私は今のお店で何の問題もありませんでしたし。下手にお店を変えずに済んだことに感謝してるくらいです】

「だったらさぁ、わざわざ言わなくても良いんじゃない?」

【そうはいきません。負けは負けですから、忘れられません】

「あんたってば、そういうところは頑固だよねぇ」

 

 非常に珍しい光景を目の当たりにして、私達は思わず言葉を失った。

 あの人見知りなログさんが、ここまですんなりと会話をする相手が、私達以外に居るとは思っていなかったからだ。

 

「ログっち~、良いお友達だね~」

「うぅむ……ログたんよりスキルが上とは……やるね! リズリズ!」

「リ……リズリズ?」

【アロマさんは大型武器をメインにしていて、ルイさんは――】

 

 2人の会話にルイさんとアロマさんも混ざり、女性4名による会話が始まると、私とマーチの存在は忘れ去られた。

 まあ、それはいつもの事なので気にせず、私達は私達で、リズベットさんの鍛え上げた武具を見て回ることにした。

 

「ほほぉ。確かに良い武器が揃ってんな……でもよ、ログんところの倉庫品に敵うやつはなさそうだな……金属の差かね?」

 

 おそらくこちらの会話など気にも留めていないだろうが、マーチは念のために声を最小限度の大きさに絞っていた。

 

「おそらくそうですね。ログさんの倉庫にあるのは、素材が《あのクエスト》の報酬でしか発見されていないようですから。おそらく、もう少し上の層でないと発見されないのではないかと」

 

 私はいつも通り《警報(アラート)》を使っているので、この周辺で《聞き耳(ストレイニング)》を使っているプレイヤーがいないことは確認しているが、それでもやはり声のボリュームは最小に抑えた。

 ログさんが《ウィシル》のクエストの事を他人に――それも自らライバルと認めている相手に――話すとは考えにくい。

 

「ま、同じ金属を使った場合なら、嬢ちゃんよりピンク髪の方が質は良くなりそうだぁな」

「ログさんは鍛冶だけではなく、全てを1人で賄ってますからね。専門の職人に敵わないのは仕方ない事ですよ」

 

 

 

 

 

 近頃、ログさんの《特殊性》は、ログさんの長所であるとともに短所ともなりつつある。

 《万能職人(オールラウンダー)》と呼ばれるが故に、何か1つに突出した――いわゆる《専門職(スペシャリスト)》となった職人クラスのプレイヤーとのスキル差が広がりつつあるからだ。

 

 今この場に居るリズベットさんならば《鍛冶》の専門職――《マスタースミス》と呼ばれる職人にあたる。

 他にも有名どころであれば、裁縫スキルを誰よりも早く1000に上げた《マスターテイラー》のアシュレイ氏などだろう。

 

 ログさんの個々のスキルも、決して低くは無い。

 一般に《マスターランク》と呼ばれるスキル800台にほぼ全てが到達しているが、そこからはあまり伸びていない。

 元々800以降は非常に数字が伸びにくくなっていて、ログさんはどれか1つを集中的に鍛えることができない状況でもあるため、それは仕方がない事だろう。

 

 無論。

 

 当然のことではあるが、ログさんの様に多くの職人系スキルを高い数字で維持することは、通常では不可能だ。

 そこが、ログさんの特殊性であり――いや、あえて言うのなら《ユグドラシル》というギルドの特殊性というべきだろうか。

 

 

 

 ログさんが私達に、以前のギルドのことを話してくれたのは、私達と生活するようになってから2ヶ月ほど経った頃だ。

 

 まあ実際には、私達は既にログさんの過去に関する情報を知っていたわけだが。

 しかし、私とマーチにもサッパリ分からなかったログさんのスキルに関して、この時初めて知ることとなり、そしてそれは同時に、私達に大きな物議を醸した。

 

『【私は、世界樹の皆さんのスキルを、受け継いでいるんです】』

 

 そう言ってログさんが私達に見せてくれたのは、これまで見たことも無い、他の結晶アイテムよりも2回りほど大きい玉虫色の結晶だった。

 それも、同じものが4つ。

 

『【これが、皆さんの形見です】』

 

 玉虫色の結晶の名は《継承結晶(インヘリタンス・クリスタル)》。

 その効果は、驚くべきことに――

 

『【この中には、世界樹の皆さんのスキルが、保存されているんです。そして、それを私のスキルと入れ替えることができます】』

 

 ――自分のスキルと他者のスキルとの入れ替えだった。

 

 その効果のみ(・・)を知った時には様々な考えが頭に浮かんだが、しかし、そんな途轍もない効果の、しかも繰り返し使えるアイテムが、何の制限も課されていないわけがない。

 

『【この結晶1つにつき、スキルを登録する人とスキルを入れ替えられる人は1人ずつのみで、入れ替えられる人は登録する人が指定します。他の人が利用することはできません】』

 

 この場合《世界樹(ユグドラシル)》のメンバーであった4名が登録者であり、その全員が使用者にログさんを指定したということになる。

 

『【そして。この結晶を、指定された人が使用できるようになる条件は】』

 

 

『【登録者が、この世界から、居なくなった場合のみ、です】』

 

 

 この一文を、ログさんは涙を流しながら打っていた。

 その後、結晶に関していくつかの文章を打ったログさんだったが。

 遂には堪えきれなくなり、声を上げて泣き出してしまった。

 そんなログさんを、ルイさんとアロマさんが優しくなだめながら、ログさんが寝付くまで一緒に居たことを覚えている。

 

 

 そして、私とマーチは、その結晶に関して様々な論議を繰り広げることになった。

 

 

『人が死んで初めて効果を発揮するアイテム……茅場のヤロウ……ふざけたモン作りやがって!』

『……ですが。ログさんの様に、救われる人もいます。一概に悪いとは言い切れない』

『そのことは認めるさ。だがな、これが公に知られると、かなり厄介だぞ?』

『……犯罪者(オレンジ)……ですね……』

『ああ。あの結晶は、良く言やぁ仲間にスキルを残すことができるアイテムだが。俺はむしろ、悪用されることしか思い付かねえよ』

『……相手を脅し、スキルを登録させ、自分を指定させて、殺す……』

『相手を指定しなけりゃ意味がねぇんだから、実際の脅威としちゃぁ然程レベルは高くねぇはずなんだが』

『ですが、結晶の存在が知られれば。必ずそういった悪用をする犯罪者共は現れるでしょうね……』

『……どうする……公開しなきゃしねぇで、脅された時の対応を周知させられねぇし……』

『……いえ。あんな結晶が、そう易々と手に入るとは思えません。それに、ログさんが言ってたじゃないですか。あれは《加工された結晶》だと』

『ああ、そういやぁ言ってたな……で? それにどんな意味がある?』

『もし仮に、あの結晶の原石が手に入ったとしても、それだけでは継承効果は発揮できないでしょう』

『ふむ……まあ、それは良いとしよう。原石だけなら、まだ安全だとして?』

『それを加工できるのはごく限られた職人だけになるのではないかと思います。それも、スキルが高ければいいというわけでは無さそうです』

『……あれを作ったっていう世界樹のメンバーの話か?……いや……当時のスキル最高値を考えりゃ――』

『マスタークラスになっているとは考えにくい。ですが、あの結晶は加工できた』

『スキル最高値だけで考えりゃ、もう原石が見つかっててもおかしくねぇ筈だろ?』

『しかし、原石は未だ未発見のまま』

『原石の入手に何らかの条件があるってことか?』

『それだけではなく、踏破されている階層の問題だと思います。それと、先ほども言いましたが、加工できるのも、特定の条件を揃えられた職人だけだと推測します』

『その根拠は?』

『原石の名前です』

『名前?……確か《メムントゥーリ・ストーン》だったか?』

『由来は《メメント・モリ》――死を想え、死を忘れるな、といった意味だったはずです』

『ふむ……んで?』

『加工できた職人……ログさんの仲間のその人は、過去に仲間の1人を亡くしている』

『……お前。アルゴに追加調査を依頼したのか?』

『……ええ。目的は全く別の事でしたが、その過程で分かったことです』

『……つまり……あの結晶は。既に仲間を亡くしたことのある職人だけが、造ることができる、と?』

『そうだと思いますよ』

 

 

 そんな論議を通して、私達はログさんの持つ《継承結晶》のことは伏せることにした。

 重要度は、私のスキルの秘匿度よりも上。

 いつどんなことがあるか分からないので、私達はこうして、秘匿している情報には優先度を付けている。

 最悪の場合でも、秘匿している情報を売ることで、命を救えることもあるからだ。

 実に、利己的な考えではあるが。

 

 

 

 

 私は昔のことを思い出しながら、ログさんのことを見ていた。

 私とマーチのことなど気にすることも無く、女性陣は会話に花を咲かせていた。

 今でこそ笑顔で暮らしているログさんだが、その身には私達が経験したことのない重い過去があることを、私はこうして時々思い出している。

 

「おーい、セイド? お前な~に考えてんだ?」

「あ、いえ、ちょっと昔のことを」

 

 記憶を辿っていたために、マーチからの呼びかけに反応するのが遅れた。

 

「……ははぁん? アロマの事かぁ?」

 

 すると、マーチは何を思ったのか、目を細めてニヤリと口元を歪めた。

 

「はぁ?! いや、違いますよ! っていうか、ログさんの話をしていて、どうしてアロマさんのことに――」

「だって、アロマの事をじぃーっと見つめてたじゃねぇか」

「いや! 見てたのはログさんで――」

 

 マーチからの揶揄に、反論していると。

 

「ん? セイド、ログたんのこと見つめてたの? やっぱロリコンだった?!」

「だぁぁぁからぁ!! なんでそういうところだけこっちの会話を聞いてるんですか、あなたは!! 違うって言ってるでしょう!!」

 

 何故か女性陣の会話の中からアロマさんだけがこちらに首を突っ込んできた。

 

『やーい! セイドのロリコ~ン!』

 

 仕舞いには、揃って声をハモらせたマーチとアロマさんを、私が全力で店外へと蹴り出すことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【――55層へ、金属を取りに行くのを手伝っていただけませんか?】

 

 私達がリズベットさんの店を訪れたのは、ログさんのその言葉を受けての事だった。

 

 ログさんとリズベットさんから詳しく聞いた話を要約すると、ログさんの知り合いが――つまりリズベットさんが――新しい金属を見つけたという。

 ただ、その場所というのが55層の山奥で、そこを守護する白竜が居るらしい。

 ログさんもリズベットさんも、レベル的にはほぼ同じ60台半ば。

 最前線が63層であることを考えれば、55層のモンスターはまだ危険な部類に入る。

 

 とはいえ、レベルだけで見るのなら2人とも安全マージンは取れていることになるわけだが。

 

「ま、そりゃ、お前ら2人でだけで行かせられねえよな」

 

 ログさんとリズベットさんの話を、腕を組みながら聞いていたマーチは、ため息交じりにそう言った。

 

「そ~だね~。レベルはマージンがあっても~、職人さんだもんね~」

 

 マーチの言葉にルイさんも賛成していた。

 

 ログさんもリズベットさんも戦闘スキルが無いわけではないが、あくまでも武器スキルが1つか2つあるという程度。

 私達の様に戦闘に主軸を置いたスキル構成ではなく、あくまでも《職人》なのだ。

 そしてなにより、レベルを上げるのに得た経験値の大半はアイテム作製によるものだ。

 

 戦闘において真に重要なのは、敵の動きを冷静に見つめ、剣技を効率的に使い、アイテムによる対応・予防法を熟知している等々、それまでに培ってきた経験――踏んできた場数がモノを言う。

 職人クラスのプレイヤーは《戦えなくもない》というだけなのだ。

 

「本当なら、場所だけ教えていただいて、私達が取ってくる、と言いたいところですが」

 

 私がリズベットさんを見ながらそう言うと、彼女は肩を竦めて見せた。

 

「そうね。そうすれば《パーティー内にマスタースミスが必要》っていう条件の検証にもなるし。でもそれは。場所を覚えてから、貴方達だけで検証して」

【私も新しいインゴットに興味がありますし、ご一緒したいんです。お願いします】

 

 情報の提供者であるリズベットさんから、インゴットの話を聞いたログさんがインゴット収集の協力を申し出た、というのが簡単な話の流れだ。

 

「いいじゃん、セイド? 私達なら余裕だし! 白竜にも興味あるし!」

「その金属の噂なら俺も聞いたが、ドラゴンのドロップはショボいらしいから、期待すんなよ、アロマ?」

 

 アロマさんとマーチも、話には乗り気なようだ。

 むしろマーチは、ログさんとリズベットさんの話を聞いた時点で行くことを決めていた。

 こういった決断の速さは、マーチらしいところだ。

 

「それじゃ~、色々準備しないとね~。その穴って~、深いんでしょ~?」

 

 話を聞いた限りでは、ドラゴンとの戦闘という難易度自体は高くない。

 問題は、ドラゴンの巣穴への侵入方法と脱出方法だ。

 

『ま、まあ……一緒に居た奴が、助けてくれたのよ……ホント、無茶苦茶なやつでね――』

 

 場所の説明やドラゴンの特徴、巣穴の概要などを聞いた時、リズベットさんは、噂の金属――《クリスタライト・インゴット》を発見するに至った経緯を私達に話してくれた。

 

 リズベットさんが金属を見つけた時は、不覚にもその巣穴に落とされてしまったという。

 直径約10メートル、深さ約80メートルという巨大な穴に。

 そんなところに落ちたら、普通は助からない。

 だから、リズベットさんが今こうして生きているのは、彼女と共にその巣穴へ跳び込んだ剣士のおかげだという。

 

 リズベットさんの語った《一緒に居たプレイヤー》は、おそらくキリトさんだろう。

 話に出た外見や戦闘スタイルからして、まず間違いない。

 リズベットさんがキリトさんの名前を出さなかったのは、《特定プレイヤーの名前を他人に教える》というのがマナー違反である事を弁えているからだろう。

 

(しかし……剣を壁に突きたてて落下速度を緩めたり、巣に戻ってきた竜の尻尾を掴んで巣から脱出したり……如何にもキリトさんらしい型破りな方法だ)

 

 内心で、呆れつつも感心した。

 

 もし仮に、私がその時のキリトさんの立場であったのなら。

 穴に落ちてしまった彼女(・・)を助けるために、跳び込めただろうか。

 跳び込んだとして、体術しかない私が落下速度を――しかも人を1人抱えた状態で――緩めるという芸当が可能だったろうか。

 答えはおそらく――

 

「おーいセイドー? お前今日はボーっとし過ぎじゃねーか?」

 

 マーチに肩を叩かれ、声をかけられたことで我に返った。

 気が付くと、全員が私を見ていた。

 

「あ、すみません……ええと……何でしたっけ?」

「……ねえログ。ホントにこの人が噂の《指揮者(コンダクター)》なの? とてもそうは思えないんだけど」

「も~。しっかりしてよね~、セイちゃ~ん。巣穴へ降りるのに必要なアイテムとかの話だよ~」

 

 リズベットさんが疑うような目で私を見、ルイさんは困ったようにため息を吐きながらもう1度話を繰り返した。

 

【本当ですよリズさん。セイドさんは凄いんですから。今日はちょっと疲れてるだけです】

 

 リズベットさんへログさんが返答しつつ、私の事をフォローしてくれた。

 ありがたくも情けないと思わざるを得ない。

 

「セイドらしくなーい! っていうか、何考えてんの? 今も、さっきも」

 

 そしてこういう時に、妙な鋭さを発揮するのがアロマさんだ。

 

「……いえ、巣からの脱出などは、特に難しそうだな、と。それに、アイテムの準備もそうですが、クエストフラグとなる長老の話も長いのでしょう? 下手をすれば野宿も視野に入れるべきかと、そんなことをツラツラと」

 

 咄嗟に誤魔化したが、どこまで通じるかは内心冷や汗ものだ。

 

「やっぱ疲れてる? そのくらいなら話聞きながらでも考えられるのがセイドなのに」

「大丈夫ですよ。さて、それでは必要な物を手分けして用意しましょう。マーチとルイさんは――」

 

 私は、誤魔化しがアロマさんに看破される前に話を次の段階へと進め、全員に必要な物の用意を指示していく。

 

「――それでは、今言ったものを用意して、55層へと出発して下さい」

 

 私の指示に、この場に居た全員が肯定の返事をして準備へと移り――

 

「って、セイド? お前は準備しねーのか?」

 

 しかしそこで、私の掛け声――『出発して下さい』という一言に違和感を覚えたのか、足を止めて問い返してきたのはマーチだった。

 長い付き合いだからこそ、こういう時の勘はマーチが最も鋭い。

 

「私は今回、別行動とさせていただきます」

『えぇえええええ?!』

 

 私のこの発言に、マーチ・ルイさん・アロマさんだけでなく、リズベットさんまでもが声をハモらせ、ログさんも驚いたという表情を顔に張り付かせていた。

 思わず笑ってしまったが、流石に説明をしないわけにもいかないだろう。

 

「転移結晶の使えない巣穴へ降りるのに、全員で行って、想定外の事態が起こった場合、最低でも1人は外に居ないと、助けようがありませんよね?」

「そりゃぁ……そうだな」

 

 まずはマーチが納得した。

 ルイさんとログさんも、マーチと同様に納得したようではあるが、今一つ納得しかねるところがある表情をしていた。

 

「それと、今回はログさんとリズベットさんを守りながら進むことが大前提になります」

 

 私は全体を見回しながら今回の作戦の説明を始めた。

 

「中距離までの援護が可能なルイさんが2人の近くに居ることが重要になります。ルイさんは常に2人と共に行動して、お2人も、ルイさんから離れすぎないように注意して下さい」

「は~い」「りょ、了解」【はい】

 

 3人がほぼ同時に了承の意を返してきたのを確認し、私は次に話を進める。

 

「3人を挟むようにして、高速移動、高速攻撃に長けたマーチが殿から全体をフォロー。私達の中では最も防御行動に適しているアロマさんが先頭を務めて下さい」

 

 この言葉にマーチは頷いて肯定したが、アロマさんだけは、私が抜けることに納得しなかった。

 

「セイドだって周囲の警戒をすれば――」

「今言った構成が必須だと判断し、その上で、1人残らねばならないのですから、私が残るべきだと考えたんです」

 

 アロマさんの発言を遮り、私が同行しない理由をゆっくりと、丁寧に説いていく。

 

「私個人のスキル構成は、全体の警戒には向いていても、護衛には向いていません。それに――」

 

 更に私は、先ほどゼルクさんに渡されたリストを取り出してみせた。

 

「――私は私で、こちらのクエストを少しこなしてこようと思っています」

「アルゴのリストか」

 

 某有名映画のタイトル宜しく、マーチがそんなことを呟いた。

 

「じゃあ私もセイドと一緒に行く! また危ない事をするんでしょ!」

 

 私以外のメンバーが揃っていなければ非戦闘職の2人を安全に護衛できないと説明はしたが、やはりそれだけではアロマさんは納得しないようだ。

 苦笑を浮かべずには居られなかったが、ここでアロマさんを雪山パーティーから外させるわけにはいかない。

 

「誓って、危険は無いですよ。全て低層――アロマさんたちが行く雪山よりも遥かに下層のクエストですから」

「ムゥ……」

 

 私自身の実力も良く知っているからこそ、アロマさんもこう言われては反論の材料がなくなる。

 

「ですから、アロマさんは皆さんを守って差し上げて下さい。私達の中では、アロマさんが最も守るという行為に向いているんですから」

 

 優しく、噛んで含むように説き伏せてみると。

 

「…………本当に、危ないことはしない?」

「はい」

「本当の本当に?」

「本当の本当です」

「絶対の絶対の絶対に?」

「絶対の絶対の絶対にです」

 

 数度、確認を繰り返したアロマさんは。

 

「……分かった……じゃ、今日の所は許してあげる」

 

 少しの間をおいて、ようやく私の別行動を承諾した。

 

「私の事よりも、アロマさんたちの方が危険な場所に行くんですから、しっかり気を付けて下さいね」

「フフン! 私を誰だと思ってるのかな! 遂に二つ名まで付けられたアロマさんですよ?」

 

 私の言葉に、アロマさんはフンッと胸を張って不敵な笑みを浮かべて見せた。

 

「では、大丈夫ですね」

 

 私は笑顔と共に軽くアロマさんの頭を撫で、次いでマーチとルイさんに視線を移した。

 

「マーチ、ルイさん。頼みましたよ」

「おう」

「ん。まかせといて~」

 

 幼馴染みで親友の2人は、いつもと変わらぬ笑みを浮かべて頼もしく引き受けてくれた。

 

 が――

 

「……はぁ~……やっぱ攻略組の人って違うわ……セイドって人も、二つ名があるだけあるわ……さっきまでは頼りなさ気だったのに」

【最前線の攻略で疲れ気味だったようなので。こんなのはまだ序の口ですよ】

 

 ――少し離れた所で囁いていたリズベットさんとログさんのやり取りが聞こえ、自身の不甲斐無いところを見せてしまったことは深く反省することとなった。

 

 

 




もう言い訳のしようもないほど間が開いてる orz
面目次第もございません!m(__)m

そして、前々回の感想でご指摘いただいたマーチとセイドに関しての追記なのですが……。
話の構成上、ちょっと今回は見送らせていただきました m(__)m
流れの上で、可能な限り違和感がないように差し込むつもりですので、ご了承ください(>_<)

……というか……(;一_一)
まだ読んでくれる人がいるのか、甚だ疑問ではありますが(-_-;)
停滞しすぎて、見捨てられても仕方がないと思うのです(>_<)

今後も更新は遅いかと思いますが……エタる予定はないので(-_-;)
完走まで、精一杯書き続けようと思います m(__)m


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第五幕・静嵐


2ヵ月おきの更新になりつつあります……ゴメンナサイ……orz

ゲイル様、ポンポコたぬき様、バルサ様、舞村 鈴夜様、ZHE様、バード様、ささみの天ぷら様、SO-GO様、路地裏の作者様、エミリア様、イツキ様、鏡秋雪様、時雨様、ガーデルマン様、ミリア様、i-pod男様。
ご意見、ご感想、誠にありがとうございます!m(_ _)m

何とか年が変わる前に書き上げられました(-_-;)
エタることなく続けていられるのは、皆様あってのことです m(_ _)m
遅くなりましたが、楽しんでいただければ幸いです!(>_<)



 

 

「――ックシッ!」

 

 私は55層の雪原フィールドを歩きながら盛大にクシャミをした。

 

「アロマァ……せめて口元を手で押さえるくらいしろよ」

 

 クシャミをした私を、マーチが呆れた様子で注意してきた。

 

「うっさいなマーチ! マップ操作中で忘れたの! しょうがないじゃん!」

 

 私はそんなマーチに顔もむけずに反論し――

 

「むぅぅ……」

 

 ――再度、地図を睨みつけた。

 

「こっちであってるんだよね、リズリズ?」

「えっと……うん、大丈夫。このまま進めば、山の入り口が見えてくるはずよ」

 

 私の問いかけに、リズリズ――ピンクの髪をした《リズベット》という、鍛冶師の少女プレイヤー――も、マップを開いて場所を確認した。

 

【普段、先頭を歩いているのはセイドさんだから、アロマさんが先頭っていうのは、なんだか新鮮ですね】

 

 テキストチャットでそんな感想を述べたのはログたんだ。

 私達がDoRとして行動する場合は、ほぼ常にセイドが先頭を歩いている。

 

「そうだね~」

 

 ルイルイがログたんの言葉に続いた。

 

「いつもセイちゃんが先頭だもんね~。ロマたん、無理しないでね~?」

「……アロマ。地図読めないわけじゃねえよな? 何なら俺が先頭代わるぜ?」

「ダイジョブだよ! 迷ったりしないし! 元々はソロで歩いてたんだから読めるし!」

 

 というマーチの提案にも、強がってはみたものの。

 

 正直、いっぱいいっぱいだった。

 マップをみて進路を確認したり、《索敵(サーチング)》でモンスターを探ったりするのは、確かにソロでもすることだけど。

 後ろのみんなに負担をかけないペースで歩いたり、ログたんとリズリズに危険が及ばないようにいつも以上に気を遣ったり、何かを発見したときはすぐに報告したり。

 いつもならセイドがこなしている役割の一部を代行するというのが、こんなにも大変なことだとは。

 

 やっぱり慣れないことはするもんじゃないと思う。

 

(セイドが易々と、(こな)し過ぎなんだよ……)

 

 心の中でそんなことをこぼしながら、私は思わず小さくため息を吐いていた。

 普段先頭を歩くセイドの隙のなさを、こうして代わりに歩いていると実感できる。

 とはいえ、私1人でセイドの役割をすべて賄っているわけじゃないから、何とかなっているんだけど。

 

「ん……モンスターだよ! 2体!」

「オッケ~。こっちはいつでも大丈夫だよ~」

 

 私の視界に入ったのは、白いオオカミ型のモンスター《フロスト・ウルフ》が2体だ。

 発見報告に、ルイルイの返事と鞭を構えた音が聞こえた。

 

「アロマ、右な」

 

 ルイルイの台詞に続いて、マーチから指示が飛んでくる。

 

「左は、今度も嬢ちゃんら2人で。んで、さっきログが正面だったから今度はリズ嬢が正面。前後を挟むようにするんだぞ」

「まっかせて!」

【k】

 

 マーチの言葉を受け、リズリズとログたんが元気に返事をして左のオオカミへと向かっていく。

 戦闘の指揮を執るのがセイドからマーチに代わるのも、セイドが居ない時のセオリーだ。

 

 

 基本的には指示を受ける側だったマーチも、本格的に攻略に参加するようになってから、要所要所で攻略組のパーティーリーダーを務めるようになっていた。

 マーチが自分から進んで『やる』と言ったわけじゃなくて、周りからの圧倒的な推薦と要望を受けての事だった。

 参加して間もない攻略組内でのパーティーリーダーに推されるとか、普通は無い――って、ヴィシャスが教えてくれた。

 そんなこともあって、私は改めてマーチのリーダーシップも高いことを痛感し、それと同時に、マーチのβ時の二つ名にも納得したのを覚えている。

 

 

 私もログたんとリズリズに遅れることなく、両手剣を構えて任されたモンスターへ向かっていく。

 

「リラックスしていけよ。動きをよく見りゃ余裕だからよ」

 

 マーチのそんな指示が、私の耳にも届いた。

 

 

 セイドの指揮は、簡単に言えば理詰めだ。

 作戦に携わる人を適材適所に配置することで確実性を上げ、全体的な流れと動きを見ることに長けている。

 セイドの指示で動いていると、自分のすべきことを的確に(こな)すって感じになる。

 セイドは、作戦に関しての手数が多くて、状況に応じて素早く適切な手札を切っていくイメージだ。

 

 それに対して。

 

 マーチの指揮は人の想いを優先する。

 状況が許し、且つその人の実力が伴えば、やる気や希望を酌んで人を配置する。

 その人に任せたことに対して、自身も責任を持ってフォローに当たり、カバーする。

 だからマーチはセイドと違って自身の手の届く範囲の人しか見ることができないわけだけど。

 マーチの指示で動く時は、私たち1人1人が戦闘を組み立ててるって感覚になる。

 

 マーチに人望があるのは、マーチの人柄だけじゃなくて、こういった相手を自分と対等に見る姿勢と、人の気持ちを酌むっていうところが大きいんだと思う。

 

(まぁ、ルイルイも一緒に居るから、なお安心できるんだけどね)

 

 マーチは――誤解を恐れずに言うなら――大雑把だ。

 セイドみたいに事細かな指示はあまり言わない分、対等な立場に立てない――精神的に幼いなどの――相手に対しても、細かい面倒を見れないところがある。

 そこをルイルイが上手くフォローする、っていうのが、マーチとルイルイの良さだと思う。

 

(といっても攻略の時は、大前提にしっかりとしたセイドの作戦があってこそ、マーチの指示も活きるんだけど)

 

 私も、さっきまで感じていた先頭に立つことのプレッシャーから少し解放されたのか、そんなことを考える余裕が生まれていた。

 

 私はサックリと《フロスト・ウルフ》を両断した後、ログたんとリズリズの様子をうかがっていた。

 2人とも危なげなくオオカミと対峙している。

 そして、その2人を後方でルイルイとマーチが見守っている。

 ログたんたちを見守ってるマーチと、何時でも鞭で援護できるように備えているルイルイ。

 

 マーチだけの雰囲気じゃなく、ルイルイの包容力のある存在感も相俟って、緊張することなくこの場に居られるんだ、と実感した。

 

(ん? あ、いや、セイドだと安心しないとかってことじゃないんだけど! むしろもの凄い安心できるんだけど!)

 

 誰かが聞いてるわけでもないのに、心の中で自分で自分に言い訳をしてしまった。

 

 何と言うか、セイドのは大きくて広くて、がっしりとした分厚い堅い壁で囲まれてるって感じで。

 マーチとルイルイから感じるのは、温かくて柔らかい、優しくて強い壁に包まれてる感じ、といったところだろうか。

 

 

 ログたんとリズリズの戦闘も、筋力値の高い2人ならすぐ終わるだろう。

 だからってわけじゃないけど、少し気が緩んだのかも知れない。

 

「アロマ。ボケーッとしてないで、この先の道とか確認しとけよ? ここからが本番なんだからな?」

 

 セイドの事を思い出していた私に、マーチは不敵な笑みを浮かべながら、そう注意を促してきた。

 

「わ、分かってますよーだ!」

 

 私は極力平静を装ってマップを開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は1人、24層にある小さな森の中を歩いていた。

 手にしているのは、アルゴさんから依頼されている《新規クエストリスト》だ。

 

(この辺りで……間違いなさそうですが……)

 

 マップを開き、リストに記載されている目撃情報の位置と、自分の現在地を見比べ、大きな誤差が無い事を確認する。

 しかし――

 

(……モンスターどころか、NPCすら見当たらない……)

 

 ――座標はあっているはずなのに、周辺には立派な樹木と、その枝葉が風に揺られる音が通り抜けるばかり。

 クエストの開始となりそうな、NPCやモンスターは見当たらなかった。

 

 

 浮遊城アインクラッドの24層――つまり、私達のギルドホームがある層は、湖沼系フロアだ。

 陸地の少ない層だが無いわけではなく、森と呼べるものもしっかりと存在している。

 熱帯地域などにあるマングローブの森をイメージして作られているのが見て取れる。

 

 この手の森林は他の層でもあまり見ることが無く、木材としても特殊なものになるようで、多くの木工職人が木材の調達に良く訪れている。

 

 ――いや、今は『訪れていた』と言うのが正しいか。

 

(去年までなら、木材収集を行っているプレイヤーをよく見かけられたのでしょうが……今は、流石に居ませんね……)

 

 比較的安全なはずの下層に位置するフロアであるにも拘らず、今この場には、木材を収集しているプレイヤーは1人も見当たらない。

 

 それもこれも、全ての元凶は《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》のせいだろう。

 今年に入ってからPKを本格的に開始した殺人者(レッド)ギルド《笑う棺桶》の影響は大きく、これまでは殺人を犯さなかった犯罪者プレイヤーたちも、徐々に殺人への抵抗を無くし始めている。

 

 ここ1ヶ月、PK(プレイヤーキラー)による被害件数は増えていると聞いている。

 

(……で。またご登場ってか……面倒な)

 

 ()はマップを広げたまま、意識を《警報(アラート)》の示した犯罪者(オレンジ)プレイヤーの接近警告へと向ける。

 

 ここに来てから、これで3組目だ。

 

(今度も2人組……ギルドですらない犯罪者(オレンジ)も増えているとは聞いていたが)

 

 俺は思わずため息を漏らしていた。

 

 前と、その前に襲ってきたオレンジ共も2人組だった。

 PKに慣れていないわけではないが、殺人までは犯したことがないであろう犯罪者共で、その手口や行動にはある種の慣れが見て取れた。

 麻痺毒で動けなくしたところで脅迫する、という単純極まりないものだが、それを行うことに躊躇(ためら)いが無かった。

 

 まあ、俺の場合、仮に麻痺攻撃が当たったとしても麻痺する可能性は30%以下という予測が《警報》で分かってはいたが。

 わざわざ当たってやる必要がある訳もなく、襲ってきたところを即座に反撃し、牢獄送りにしていた。

 

(まったく……予想通り過ぎて笑えないな。牢獄結晶も、こんなに頻繁に使うようなものじゃなかったはずなんだがな……)

 

 俺がソロで低中層をうろつけば、PKが出てくることは予想できた。

 故に、俺はクエストを探す前に《軍》のシンカーの元を訪れ、牢獄結晶を4ダース譲り受けている。

 少々多いかとは思ったが、あって困るわけでもなく。

 

(想像以上に出番が多くなりそうだな……この結晶……)

 

 実際に、結構な頻度で使っている事実を鑑みると、4ダースでも少ないかもしれないと思わざるを得なかった。

 

(さて……毎度毎度待ってばかりってのも芸がないな。たまにはこっちから近付いてみるか)

 

 俺は、相応に離れた所で息を潜めている犯罪者(オレンジ)2人に意識を向けた。

 向こうは2人とも《隠蔽(ハイディング)》し、更に《忍び足(スニーキング)》まで使っている。

 通常であれば《索敵》をマスターしていても《忍び足》との相乗効果で隠れ切ることができるほどに《隠蔽》と《忍び足》をマスターしているようだ。

 

 だが、残念ながら俺には通用しない。

 

 カーソルカラーが《オレンジ》になっている段階で、どうしたところで《警報》に引っかかる。

 

(俺の居場所は分かってるだろう。なら、俺が最短距離で奴らの方へ走り込んだら、どう動くかな)

 

 いくつかの行動予測をしつつ、俺は2人のうち片方が潜んでいる樹の元へと、一気に加速して突っ込んでいく。

 俺の動きに気付いたのであろう、向かった先に隠れていた犯罪者は――

 

(ほう。双方共に冷静な判断だな)

 

 ――反対方向へと、静かに素早く身を翻した。

 

 そして、少し離れた別の場所に隠れているもう1人の犯罪者は、その動きを察知しつつも動かずにその場に留まった。

 下手に動けば《隠蔽》が解けてしまう位置に俺が跳び込んでいることをよく理解している。

 

(犯罪者なんてやらせておくのが勿体ない、良い判断だ。だが――)

 

 だが、動かないという判断も、ばれていない、ということが大前提だ。

 

(――相手が悪い。俺には無意味だ)

 

 俺は瞬時に角度を変えて跳躍。

 隠れ続けるという判断をしたもう1人の元へと跳び込んだ。

 

「なっ?!」

 

 流石に想定外だったようで、俺が自分の元へと跳び込んで来たという事実をすぐに受け入れられず、犯罪者の男は驚愕の声を上げて体を強張らせた。

 そんな男の頭を、俺は跳躍の勢いを乗せた回し蹴りで、男の隠れていた樹の幹へと叩き込む。

 

「――!?」

 

 悲鳴にすらならない呼吸の漏れる音だけを残して、男は顔面を樹に打ち付けられて気絶した。

 

「ヴァル?!」

 

 俺から距離を開けたもう1人の男が、咄嗟に仲間の名を呼ぶものの、その時には既に状況は次の段階へと移行していた。

 

「さっきの判断は、悪くなかったが――」

 

 俺は回し蹴りで男の頭を蹴り抜き、次の瞬間にはもう1人の男の元へと駈け出した。

 

「――連携としては不合格だ」

 

 そんな判定を口にしながら、

 俺は男の鳩尾へと、ダッシュの勢いを全て乗せた掌底をくらわせた。

 

「ゥゴッ――カハッ!?」

 

 《剣技(ソードスキル)》ではないにせよ、《舞踊(ダンス)》の効果に速度と重さの乗った一撃は男を軽く吹き飛ばし、男の背後にあった樹へ男を叩き付けるという結果を生んだ。

 

「ば……かな……!?」

「それと、道着の特徴を掴んでいなかったことを反省するべきだ」

 

 俺は、男が樹の根元に崩れ落ちるのと同時に、麻痺効果のあるピックを男に打ち込み、麻痺したのを確認してから牢獄結晶を使用した。

 

「ヴァ……ル……!」

 

 麻痺の効果と、鳩尾を強打されたことによる呼吸困難の錯覚(・・)とで、男は相方の名前を切れ切れに呼んだだけで、牢獄へと送られた。

 それを見届け、俺は《ヴァル》と呼ばれた男の元へと――

 

「すまんが、気絶の振りは無意味だ」

 

 ――戻る前に、麻痺ピックを3本連続で打ち込んだ。

 

「ぬぁ?!」

 

 《警報》によって気絶からの回復予測が、牢獄結晶で男を送った直後に出ていた。

 ヴァルとしては、俺が近付いたところで不意を衝くつもりだったのだろう。

 

「なかなかの気絶耐性、そして麻痺耐性だが。どうやっても足りない時もある」

 

 不意を衝くこともできぬまま麻痺させられたヴァルという男に、俺はそう言い捨てて牢獄結晶を起動した。

 

「くっ…………くそ……俺もキャンスも……すまん……ミズネエ……」

 

 結晶起動までの30秒間で、ヴァルはそんなことを呟いて、牢獄へと転送された。

 

(ふぅ……まったく……これで3組目。今日だけで6人ですよ……)

 

 気が付けば、私は深々とため息を吐いてしまった。

 最近は確かにPKが増えてはいるが、1日に3組に襲われるとは、正直思っていなかった。

 

「まったく、最近は物騒になったよナ。オレっちも中低層のクエを気軽に調べられなくて難儀してるヨ」

「ぅ?!」

 

 多少の油断もあったが、あまりにも唐突なその言葉に、私は息を飲んで声の方へと振り向いた。

 声をかけられるまで、そこに彼女がいるとは全く気付けなかったのだ。

 

「んン? どーしたんダ? せいちゃんなら、オレっちが居たことくらい分かってただロ?」

 

 私の内心の焦りを知っていてか知らずにか。

 彼女は、コロコロと笑い声を上げながら樹に寄り掛かるようにして佇んでいた。

 

「……アルゴさん……貴女の《隠蔽(ハイディング)》を見抜けるほど、私の装備は《索敵(サーチング)》に特化していませんよ……前にもそう申し上げたはずです」

 

 情報屋の筆頭プレイヤー《鼠》ことアルゴさんは、私の言葉を聞いて、また一段と笑顔を輝かせた。

 

「そうだったカナ。ま、それはともかく、無事で何よりだヨ。流石せいちゃんだナ」

「手伝っていただければ、もっと安全に終えられたんですがね、アルゴさん?」

「オレっちが手を出すような必要、無かったじゃないカ。安定・安全・安心の三拍子揃った戦い方だったヨ」

 

 アルゴさんの口振りからすると、今の戦闘を最初から見ていたようだ。

 

「まったく……貴女という人は……」

 

 無意識に片手でこめかみを抑えていた。

 毎度のことではあるが、こういう点においてはアルゴさんに1本取られてばかりだ。

 

「で、せいちゃんがここに居るのは、オレっちのクエ調査に協力してくれているってことでいいのかナ?」

「ええ。この《白いアンデット》という、クエストの目撃情報の調査です。アルゴさんにしては珍しく、曖昧な情報しかなかったので、少々興味を惹かれました」

 

 アルゴさんから渡されているクエストリストの中で、唯一と言っても良いだろう。

 この《白いアンデット》のクエストに関してのみ、伝聞の目撃情報しか記載されていなかった。

 曰く、呪いのメッセージウィンドウから、真っ白いアンデットが這い出てくる、と。

 

「いやー、助かるヨ。オレっちも、このクエは自分で確認できてなくってナ。ランダム発生のイベクエみたいなんだヨ」

「ふむ……」

 

 発生条件が明確になっていない、もしくはランダムなクエストはあまり多くは無いが、無いわけではない。

 難点としては、調査しようとしても思うように調べられない、ということだろうか。

 

「ま、せいちゃんがこっちを調べてくれるってんなら、オレっちは他のクエを調べに行くとするヨ」

「仕方ないですね。こちらは任されましょう」

 

 何気なく厄介事を押し付けられた感じはするが、元より調査に来ていたのだから、そこは諦め半分に了承する。

 私がため息交じりに答えたのを見て、アルゴさんは此方に背を向け――ようとして、なにか思い立ったかのように。

 

「ところで《指揮者(コンダクター)》?」

 

 もしくは。

 今まで言わずにいたことを、言わずには居れなくなったかのように。

 真剣な表情をこちらに向けて――

 

「そろそろ教えてくれても良いんじゃないカ?」

 

 ――アルゴさんは、唐突にそう言いだした。

 

「……何をですか?」

「決まってるだロ。せいちゃんの秘匿してるスキルだヨ」

 

 ギルドとしても個人としても、いくつか秘匿してることはあるが、アルゴさんはハッキリと、私のスキルと言い切ってきた。

 

「……さっきの回し蹴りや掌底の威力の事ですか?」

 

 と、とぼけてみたが。

 

「あれは違うネ」

 

 あっさりと否定された。

 

「アレは道着の効果だロ? 体術系剣技の威力アップ、ノックバック効果アップ、気絶確率アップってところだナ。とはいえ《舞踊》での通常攻撃にまで効果があるとは知らなかったヨ」

「……ご明察。今回はアルゴさんには敵わないようですね」

 

 静かに、そして丁寧に。

 アルゴさんは私の言葉を受け流す。

 

「とぼけようったってダメだヨ。道着の効果なんてオレっちには当たり前の情報だネ。さっきの、オレンジの《隠蔽》を見破ったスキルのことを言ってるんダ」

「ただの《索敵》ですよ?」

「だったら、オレっちの《隠蔽》にだって気付けたんじゃないカ?」

 

 アルゴさんの表情からは、完全に笑顔が消えていた。

 今のアルゴさんの瞳は、獲物を見つめる狩人のそれだ。

 下手な言い訳も誤魔化しも通用しない、そして逃げられない。

 そんな印象を受けた。

 

「……私がスキルを秘匿しているとして。何故、今になってそれを追求するんですか? アルゴさんなら、秘匿しているということに疾うに気づいていたはずです」

「今までなら教えてくれるのを待っても良いと思っていたサ。けど――」

 

 アルゴさんはそこで1度言葉を切って、先ほどまでPKが居た所へと視線を向けた。

 

「――状況が悪くなる一方だからナ。PKに対する手段として、せいちゃんのスキルを広める必要があると思ったんだヨ」

 

 流石、超一流の情報屋だ。

 アルゴさんの見立ては、的を射ている。

 

「せいちゃん、そんな訳だから、そろそろ教えて貰えないカ?」

 

 情報屋だからこそ、だろうか。

 ここ数日だけをみても、PKの被害が増加していることを知っているのだろう。

 そして、今、最も得ねばならない情報を得られずにいることに、アルゴさん自身、焦燥を感じているのだろう。

 

 今、情報屋プレイヤー全員が総出で探しているのは、殺人者ギルド《笑う棺桶》のアジトだ。

 

 随分と前から捜索しているにも拘らず、未だに影も形も掴めていないらしい。

 PKの増長・増加の最大の要因である《笑う棺桶》を叩かない限り、PK被害は右肩上がりする一方だろう。

 

「そうですね、アルゴさん。仰る通りです」

 

 だから私も覚悟を決める。

 

 

「だからこそ、教えるわけにはいきません」

 

 

 私のキッパリとした否定の言葉を聞いて、流石のアルゴさんも目を丸くしていた。

 

「え……せいちゃん、だからこそっテ?」

「この段階になれば、私がスキルを秘匿していることはアルゴさんだけではなく、攻略組でも、数名は気が付いているでしょう。ですから、そのことは認めます。そしてその上で。公開するのは拒否します」

「理由も、教えて貰えるんだろうナ?」

「PKに対する手段を公開することは、確かに大切です」

 

 私の秘匿しているスキル《警報》は、確かにPK――正確に言えば犯罪者プレイヤーに対して強力な対抗手段となり得る。

 

 だが。

 

「ですがこのスキルは、PKにも大きな恩恵を与えてしまうことになりかねません。今の状況で公開すれば、対抗策となるよりも、状況の悪化を招きかねない」

 

 《警報》は犯罪者プレイヤーでも、条件さえ整えれば入手・使用が可能になり得る。

 対して、攻略組以下のボリュームゾーンを構成するプレイヤーたちには《警報》に課せられている入手条件や使用制限は敷居が高い。

 

「そんなことは、他のスキルだって同じだロ?」

「スキルの入手手段が特殊、ということもあります。PKだから入手しやすいということは無いと思いますが、誰でも気軽に手に入れられるものではないんです」

 

 《警報》は、簡単に言うのであれば《索敵》の上位互換だ。

 《索敵》の能力に、特定の条件にあてはまる相手を《隠蔽》の効果を無視して察知することができる性能を追加したようなもの、だということもできる。

 

 この性能が、PKへの対抗策となるが。

 

 《警報》の攻撃予測機能や敵対値の一定量保持といった性能は、PKへ大きすぎる恩恵を与えてしまうだろう。

 

「スキルの入手経路の目途も立ってるんだナ?」

「ええ、一応は。このスキル、使用するための制限が多いんですよ。そういった様々なメリットとデメリットを考えると、PKへの対抗手段として公開しても良いのは……そうですね……少なくとも、《笑う棺桶》を壊滅状態にまで追いやってからでしょう」

「そうカ。それじゃ仕方ないナー」

 

 私の予想を裏切り、意外にもアルゴさんはここで引き下がった。

 

「でもせいちゃん、これだけは約束してほしいんダ」

 

 アルゴさんはここで、私が考えていなかったことを言いだした。

 

「無茶だけはしないでくれヨ? PKへの有効なスキルがあっても、せいちゃんだけじゃどうしようもできないこともあるんだからナ?」

「アルゴさん……ありがとうございます。大丈夫ですよ。ギルドメンバーとも約束していますからね。無茶なことはしませんよ」

「それト! そのスキル情報、公開するときは絶対オレっちに最初に教えてくれよナ!」

「……実に、アルゴさんらしいですね……分かりました、それも約束しましょう」

 

 アルゴさんの言葉に、私は笑いを禁じ得ず――

 

 

 

【 お み た わ み こ で 】

 

 

 

 ――そのメッセージウィンドウが目に入った瞬間、私もアルゴさんも、笑顔を顔に張り付けたまま、表情が凍りついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うっひゃぁー! でっかい穴だねぇ!」

 

 穴の縁に立つ俺の右後ろで、アロマは俺の陰から穴を眺めながらそんな奇声を上げていた。

 

 俺達が今居るのは、55層の北にある村から西に行ったところにある山の頂上だ。

 クエストフラグを立てるだけで結構な時間が経ってしまっていて、ここに辿り着いた時にはすでに日が落ちていた。

 まぁ、そのおかげで、この縦穴を住処にしている夜行性のドラゴンを先に片付けることができた訳だが。

 

「間違っても落ちんなよ、アロマ」

 

 俺はアロマに向き直り、そんなジョークを笑みと共に飛ばし。

 アロマも胸を反らしてにやりと笑い。

 

「アハハハ! だいじょb――」

 

 とか、言った直後に。

 

「――ぅ、ぉ! っと! ととととおおおぉ!?」

 

 アロマは、後ろから吹き付けた強い風雪に煽られて数歩前に踏み出してしまい。

 当然、眼前には大穴が口を開けていて。

 唐突にバランスを崩したアロマは、たたらを踏みながらワチャワチャと腕を振り回し、かなり必死に、穴に落ちまいと足掻き始めた。

 

「だぁぁあああから! 言った直後に落ちそうになってんじゃねぇええ!」

 

 あまりにもお約束過ぎて半ば呆れつつも、流石に俺も慌ててアロマの腕を掴んで後ろに引っ張っていた。

 

「あ、あははは……ゴメン、ありがとう……」

「ったく……セイドの苦労が身に沁みて分かったわ……」

 

 危ういところで穴に落ちずに済んだアロマは、地面に座り込みながら、珍しくも素直に謝罪と礼を口にしていた。

 今のは、本気で危なかったらしい。

 

「マーチん~、ロープ結んできたよ~」

「いやー、破壊不能(イモータル)属性の水晶がなかなか見つからなくて、ちょっと時間かかっちゃったわ。待たせてごめんねー」

 

 アロマが間抜けたことをしたところで、ルイたちが帰ってきた。

 

 山の頂上に着いたところで、俺とアロマでドラゴンの相手をし、ルイ・リズベット・ログの3人には穴に下りるためのロープを結び付けられるオブジェクトを探してもらっていた。

 

【アロマさん、何かあったんですか?】

 

 ルイとリズベットはアロマの間抜けな状況にはあまり気が付かなかったようだが、ログは座り込んでいたアロマに違和感を覚えたようだ。

 

「ウウン! なんにもないよ! 気にしないで!」

 

 乾いた笑顔と共にそんな言葉を返したアロマだったが。

 

(大丈夫じゃなかったろうが……ったく……)

 

 戦闘に関しては何も問題のないアロマだが、こと日常の事となると、何故か妙な爆弾を持ってくる。

 いつも爆弾娘(アロマ)と一緒に居るセイドの心労は如何ばかりなものか。

 

【そうですか? それならいいですけど】

 

 ログもあまり追究する気はないようで。

 俺としても、アロマのドジは今更という気もするので放置しておく。

 

「さってと! ちゃっちゃと降りて、クリスタルを持って帰ろうか!」

 

 俺はルイたちが帰ってくる間に用意していた【穴に到着。今から降りる。特に問題は無し。心配すんな】というメッセをセイドに飛ばした。

 その後、ルイからロープを受け取り、それを穴の中に投げ込んだ。

 

「まずはアロマから降りてくれ。何もいないとは思うが、念のため俺は最後に降りる。アロマの次はログ、続いてリズベット、ルイの順で頼む」

「は~い」

「ん、了解」

 

 俺の指示にルイとリズベットはすぐに返事をし。

 

【分かりました】

 

 テキストの分、少し遅れてログが返してきた。

 

 が――

 

「……アロマ? 聞いてたか?」

 

 ――アロマが返事をしない。

 

「あ~……うん……分かった……」

 

 何となく、引き攣ったような笑顔を浮かべつつアロマがやっと返事をした。

 

「ロマたん? どしたの~?」

「さっきまでとテンションが違うんだけど……なんかあった?」

「いや、何でもないよ! ダイジョブ! 降りれるから!」

 

 ルイとリズベットも、何か感じたようでアロマを窺うように声を掛けるが。

 

「……オイ、アロマ……お前まさか、さっきので降りるのが怖くなったとか……じゃねぇだろうな?」

 

 疑問形で聞きつつも、俺はある種の確信を持ってアロマに詰め寄った。

 

「そ、そそんんなこと、なななないよ、うん、だだいいじょぶ!」

 

 引き攣った笑顔と、震えた言葉で大丈夫とか言われても、全く大丈夫に聞こえない。

 

【さっきのってなんですか?】

 

 ログもやはり気になったようで、1度は止めた追究を再開した。

 

「さっきこいつな、穴に落ちかけたんだよ。それで、怖くなったんだろうさ」

「うわー! マーチのバカー! 言わなくても良いじゃんか!」

 

 と、アロマは大声で誤魔化すように騒ぎ立てたが。

 

「ん~? ロマたん、元々高いところ苦手だよね~?」

 

 ルイがそんなことを唐突に言った。

 

「へっ?! な、なんで?!」

「だって~。ロマたん、外周には全然近付かないよね~? ログっちのお店の近くとか~」

【そうだったんですか?】

 

 俺もログも気付いていなかったことを――当のアロマも気付かれていないと思っていたことを――ルイは当然のことのように語っていた。

 

「ロマたん前に言ってたじゃない~。スリラーとか~、ホラーとか~、そういうのは怖くないって~。その分、高い所から下を見ないな~って思ってたんだけど~?」

 

 言われてみれば、確かに。

 アロマは、63層のゾンビ系モンスター相手にも怖いとは言わない。

 だが、怖いものが無いとも言っていない。

 

「……アロマ。真面目に答えろ。高い所が苦手なのか?」

「……山に登ったりするのは、問題ないよ……」

 

 俺に問いかけに、しかしアロマは視線を逸らしてそう答えた。

 つまり、ルイの推察通りという事らしい。

 

「……お前……何しにここに来たんだよ……」

 

 俺は思わず右手で顔を覆うように、左右のこめかみを抑えてしまった。

 最初から、穴に降りるという話をしていたはずだ。

 そのための準備もしていたのだから。

 

「いや……ほら、リアルじゃ苦手だったけどさ! こっちにきてから色々経験してるからさ! もしかしたら、大丈夫になったんじゃないかなぁ……って……思ったんだけど……」

「無理に降りなくていいから……フフッ」

 

 アロマの言い訳を聞き流して、リズベットが小さく笑っている。

 

「はぁ……んじゃ、ルイが先に降りてくれ。ログとリズベットがその後で頼む。アロマはロープの結んである水晶のところで何か来ないか見張ってろ」

「うぅ……はぁ~い……みんな、ごめんねぇ……」

 

 俺の言葉に逆らうことも無く、とても珍しい元気のないアロマが、トボトボと水晶の根元へと歩いて行く。

 

「それじゃ~、先に下行くね~。マーチん、気を付けてね」

「ルイも、気を付けろよ」

 

 ルイと俺は言葉を交わしてしばし見つめ合った後、ルイはスルスルっとロープを伝って降下を始めた。

 

【ルイさんとマーチさんは、いつも仲が良くて羨ましいです】

「いいなぁ……あたしもいつかは……」

 

 何やら呟いたお子様2人を見やり、俺は思わずニヤリとしてしまった。

 

「お前らは、もうちょい大人になってからな」

 

 俺のその表情が気に入らなかったのか。

 リズベットが声を荒げて噛み付いてきた。

 

「うっわ! 何その上から目線! すんごい悔しいんだけど!」

「実際、上からなんだよ、リズ嬢ちゃん? 大人になるってのは簡単じゃねぇぞ?」

 

 とはいうが、俺もまだまだ未熟なんだが。

 

【大人になるのは、大変そうです】

 

 何やら悟っている様子でログはテキストを打ち、その表情はとても落ち着いている。

 こちらは少々、からかっても面白みに欠けるな。

 

「キィィ! 今に見てなさいよ! ぜぇったい、イイ男見つけて、見せつけてやるんだから!」

 

 反応が大きいリズ嬢をからかうのは中々に楽しいが、しかしリズ嬢は、向きになればなるほど、己の未熟さを露呈しているということに気付いていないようだ。

 そんなやり取りを経て、ログ、そしてリズベットもロープを伝って穴の底へと降下を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唐突に浮かんだメッセージウィンドウ。

 私もアルゴさんも完全に不意を衝かれて、一瞬と言わず、しばらく動きが取れなかった。

 

 

 

【 ね ん す た て と き 】

 

 

 

 しかし、しばしの間をおいて新たなメッセージが出てきたことで、流石に思考が動き出した。

 

「せいちゃん、周囲に何か見えるカ?」

「いいえ、なにも。モンスターもNPCも、プレイヤーの反応もありません」

 

 私とアルゴさんは周囲を警戒しつつ、2つ目のメッセージを確認する。

 

「ってことは、これが例のイベクエかナ?」

「おそらく、そうでしょうね。呪いの、メッセージウィンドウ」

 

 《メッセージウィンドウ》――これは、私達が使うテキストやメッセージなどとは少々性質が異なるものだ。

 私達の使うテキストなどは、基本的にはそれぞれのプレイヤー用のメニューウィンドウに表示される。

 それはつまり、可視化されない限り他人からは見えない、ということでもある。

 

 しかし、今ここで言っている《メッセージウィンドウ》は、プレイヤーに個別で表示されているのではなく、フィールドに浮かんでいる――立て看板のようなイメージを持ってもらえればいいだろう。

 とはいえ、あくまでもウィンドウなので、物理的な接触はできない。

 

 

 何か予兆があれば見逃すということは無いと思うのだが、私もアルゴさんも、メッセージウィンドウの出るような予兆は何1つ感知していなかった。

 

「んン? しかし、この文字の羅列は何なんダ?」

「分かりません。何か意味があるのか……アナグラムや暗号の類ですか?」

「ヒントも法則も分からなきゃ、すぐには解きようがねえヨ」

 

 

 

【 が な け し い し な 】

 

 

 

 私達の戸惑いなどお構いなしに、3つ目のメッセージがウィンドウから(にじ)み出てきた。

 

「3つ目……いくつ出るのかもわからないゾ」

「現状分かる範囲で考えるしかない。メッセージウィンドウの大きさはM。文字色は白。背景色は半透明の黒灰色」

「……それ、何か役に立つのカ?」

「知りませんし分かりません。得られた情報を整理するだけです。メッセージの出現状況は2つ目と3つ目で変わりませんでした」

「滲み出るように、カ。確かにこれは特徴的だナ。オレっちたちのメッセとは表示のされ方が異な――」

 

 アルゴさんの言葉の途中で。

 メッセージウィンドウに、文字以外の変化が現れた。

 

「ッ!」

 

 《ソレ》を見て、アルゴさんが息を飲み、鉤爪状の格闘用武器を構えた。

 私も《ソレ》を認識したところで、無意識のうちに身構えていた。

 

 

 

 《手》だ。

 

 

 

 ウィンドウから、異常に白い手が、1つ、生えてきている。

 

 しかもその手は、まるで何かを求めるかのように、ゆっくりと握ったり開いたりを繰り返しながら、徐々にこちらへと伸びてきている。

 

「これが噂のアンデットの出現カ? ちと気味が悪いナ」

 

 そんなアルゴさんの言葉が終わると同時に、更にもう1つの手がウィンドウから生えてきた。

 その手も、先のものと同じで、異様に白い。

 

 柔らかな動きが無ければ、彫像の手と言われた方が納得できるだろう。

 手から続く腕もまた、同様だ。

 

 少し冷静に手を観察すると、最初に出てきたのは右手。

 今生えてきたのは左手だと分かった。

 先に出て来ていた右手は、重力に引かれて下へと垂れている。

 

 しかし、ウィンドウの浮いている高さが相応にあるため、その手はまだまだ地には着かない。

 

「どうスル? 全部出てくる前に叩くカ?」

 

 ここに来て、私同様に冷静さを取り戻したらしいアルゴさんは、落ち着いた様子でクローを構えている。

 

「いえ……もう少し様子を見ましょう。まだ距離もあります。それに、出てくるのが1体だと決まったわけでもない。近付いたところで、ウィンドウが一気に増えるとか、あるかもしれません」

「そうダナ……しかし、これはどんなクエなんダ? ここまで来ても何のヒントも無いゾ」

「そう……ですね……」

 

 私達が会話を続けている間にも、白い手はウィンドウから這い出してきて。

 遂に、頭らしきものが出てきた。

 

「これマタ……白いナ」

 

 出てきたのは、やはり真っ白な頭――長い長い純白の髪に覆われた頭部だった。

 過去のホラー映画で似たようなものがあった。

 

 だがあれとは異なり、このアンデットからは――

 

(なんだ……何か変だ……)

 

 ――不気味さというよりも、ある種の必死さが伝わってくる。

 

 真っ白な、か細い両手で空を漕ぎ。

 

 無理矢理ウィンドウからこちらへ出てこようと、もがいている。

 

 そんな印象を受けた。

 

 ウィンドウから出てきた真っ白な長い髪は、顔の側に垂れている分が先にウィンドウから零れ落ち、地面へ擦れた。

 右手に関しては、肩まで出て来ていて、しかしそれでも地には着いていない。

 腕の長さから想像するに、身長はログさんと大差ないだろう。

 

「……アルゴさん……何か感じませんか?」

「……せいちゃんもカ。オレっちも、なんかモンスターって気がしなくなってたヨ」

 

 気が付けば、私もアルゴさんも、構えることを止めていた。

 ゆっくりではあるが、その手は、頭部は、こちらへと出てきて。

 今、ようやく胸のあたりまでウィンドウから這い出し、左腕も地に向かって垂れている。

 ウィンドウ自体が宙に浮いていることもあり、未だに手は地に届いていないが、そこまで来て、初めてその手の持ち主が少女だという確信が持てた。

 

 

『ゥァァァ……ゥァゥ……ァゥゥ……』

 

 

 小さな呻き声も聞こえてきた。

 やはり少女の声だった。

 おそらく、このクエストに以前遭遇した人は、この段階で逃げだしたのだろう。

 

 私もアルゴさんも、落ち着いて、冷静に観察することができたから恐怖心に煽られることが無かったが。

 

 恐怖心に負けてこの状況を冷静に見ることが出来なければ、確かにアンデットにしか見えないだろう。

 

「せいちゃん、どう思ウ? あの()、助けた方が――」

 

 アルゴさんの言葉を背に聞きながら。

 私は既に、1歩を踏み出していた。

 

「――ッテ! せいちゃん、どうするんダ?!」

「助けます」

 

 アルゴさんに短く答え、私はウィンドウから逃れようとしているようにしか見えない少女の元へと駆け寄った。

 

 上半身がウィンドウから抜け出た為か。

 少女の身体は、ズルズルと、ウィンドウから滑り落ち始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁぁぁ~……」

 

 私は水晶の根元に座って深々とため息を吐いてしまった。

 

(高所恐怖症、克服したと思ってたんだけどなぁ……)

 

 小学校高学年の時、高い所が苦手だったのは確かだ。

 でも、それを同い年の男子にからかわれて。

 躍起になって克服したのは、中学に入って少し経った頃だ。

 

(ま、その頃には、からかって来た男子なんて、からかったことすら忘れてたんだけど)

 

 虚しい努力をしたものだ、と、当時は嘆いていた。

 とはいえ、ある程度高い所でも我慢できるようにはなった。

 でも、苦手なことには変わらなくて。

 無意識のうちに崖とかは避けていたようだ。

 

 それを、今さっき落ちかけたことで思い出してしまい。

 気が付けば、足が竦んで、座ったまま動けずにいた。

 

(……情けないな……カッコ悪いよ……私ってば……)

 

 唯一の救いは、この場をセイドに見られなかったことくらいだろうか。

 でも、きっとルイルイとマーチがセイドに報告するだろう。

 バレるのは時間の問題だ。

 

「うぅぅぅううう……」

 

 

 ――パキッ――

 

 

 そんなことを悶々と考えていると、遠くで何かが――いや、この場なら水晶が――割れるような音がした。

 

(? なんだろう? 熊とかかな?)

 

 この山に入ってから数度エンカウントした《クリスタル・ベア》かと思い、武器に手をかけた――

 

「アロマ!」

 

 ――ところで、穴の方から聞こえてきたマーチの突然の大声に、一瞬で警戒レベルが跳ね上がった。

 背中の《雲竜重破剣》を抜き放ち、マーチの元へと駆けつけると。

 

「切らせるな! まだいる!」

 

 マーチは既に、何者かと交戦中だった。

 マーチと敵対しているのは3人。

 そう、3《人》だ。

 

(まさか! PK?!)

 

 ざっと見ただけでカラーカーソルが3人ともオレンジなことは確認できた。

 更に詳しく確認しようとし、しかしそんな場合ではないとすぐに両手剣をしまう。

 

 マーチは『切らせるな』と言った。

 

 それはつまり、ロープを、だ。

 なら、襲撃者たちはロープを目標として攻めてきている。

 ロープを縛ってある水晶自体は《破壊不能オブジェクト》だ。

 水晶を気にする必要はない。

 しかしロープを相手に切らせることも、私が切ることも許されない。

 

 だから私は、即座に武器を切り替えた。

 

「いい度胸じゃないの、あんたたち!」

 

 私が取り出したのは、ログたん会心の《アトラス・ヘヴィハンマー》――現在一般に確認されている最高級鉱石を使用して出来る、一品物の両手鎚だ。

 私が声を張り上げたことで、マーチの相対していた3人が、一瞬、私に注意を向ける。

 

(はい、終了)

 

 

 ――キン――

 

 

 小さな金属音を背に聞きながら、私はロープを縛り付けてある水晶のところへと足を踏み出す。

 

 もし私が3人を相手にしていたなら、一瞬私から注意が逸れた程度では、勝負は決しないかも知れない。

 でも、マーチなら話は違う。

 マーチの最大の特徴は、瞬間最高速度を誇る《居合い》だ。

 一瞬でも注意を逸らせば――

 

『うぉあああ?!』『ばっ! なっ?!』『腕がぁああ!?』

 

 ――3つの悲鳴が重なって聞こえたのは、すぐの事だった。

 

 しかし、まだ終わりではない。

 マーチは『まだいる』と言った。

 

 目視したのか《索敵》に反応があったのかは分からないが、居ると言い切った以上、必ず敵がいる。

 《索敵》をフルに発揮して周囲を見回すと、縛り付けてある水晶の後ろに、誰かが居た。

 詳しく確認もせず、一気に跳躍し、それと同時に両手鎚を振り上げる。

 水晶の後ろに居たのは――

 

(カラーはオレンジ。それだけ確認できれば!)

 

 ――案の定、犯罪者プレイヤーだった。

 

 そいつはナイフをロープに振り下ろそうとしている。

 

「させるかぁぁぁぁああ!」

 

 気合の咆哮と共に両手鎚用剣技――《コメット・ダンク》を発動させ、空中からの落下速度を加速させる。

 私の声に思わず顔を上に向けた犯罪者は、素早く何かを投げてきた。

 

(っ! 対応が速い! けど!)

 

 狙いは精確だけど、セイド程《的確》ではない。

 セイドだったら、躱しようのない胸や腹部を狙って投げただろうけど、こいつは急所への攻撃を重視し過ぎた。

 

 ある意味ではその精密さを称えるべきかもしれないが、ここではそれが裏目に出ている。

 犯罪者が狙って投げたのは、何と、私の左目。

 《剣技(ソードスキル)》で加速しているため、回避は無理かと思いつつも、首を右に傾け――

 

「くっ!」

 

 ――ギリギリ、左のこめかみを(えぐ)る様に(かす)めて行った。

 

「避けるかよ!? あれを――」

「っらぁぁぁぁあっ!」

 

 犯罪者の男が投げたナイフをギリギリで躱し、ハンマーを叩き付けたものの、男も後ろへ大きく飛び退くことで回避していた。

 

「ヘ、ヘヘッ……躱し切れちゃいなかったみたいだな?」

「なに――」

 

 何を言ってるの、と言葉を続ける前に。

 私の視界がフラリと揺れた。

 

(え?!)

 

 続いて、足の感覚が無くなり――気が付けば雪原の上に倒れていた。

 

「マ……ヒ……!?」

「ざーんねーんでーしたー。惜しくも、ワーンダーウンってなぁ!」

 

 HPバーが緑色に点滅する枠で囲われている。

 さっき投げられたのは、麻痺毒の付いたナイフだったらしい。

 

「ってか、こんなんが最近有名になってる《戦車(チャリオット)》かよ。正直、拍子抜けだなぁ」

 

 ナイフの男は、音も無く私の視界に歩いてきて、しゃがみ込むようにして、私の顔を覗きこんで来た。

 

「てかよ、おひさー、アロマ! 覚えてっか? 俺の事」

「……は?……誰よ……あんた……」

「かぁ~っ! 覚えてねえのかよ! 前に俺らとパーティー組んだじゃねぇか!」

 

 正確に言えば、無論、分かっている。

 今私の目の前にいるのは、最悪の殺人者ギルド《笑う棺桶》の幹部、毒ダガー使いの《ジョニー・ブラック》だった。

 

 そして。

 

 以前に私をMPKしようとした男の1人だ。

 

 黒革の靴、黒のパンツ、黒い革鎧、そして何よりも特徴的な黒い頭陀袋のようなマスク。

 全身黒ずくめなのはキリトと同じはずなのに、こいつの黒は粘っこい感じがする。

 

「……あんたたちと……組んだ覚え……なんかないわよ……」

「ま、それは構わねぇや。とりあえずここで、前にやり損ねたお前を仕留めときゃ、ヘッドも――」

「んな暇あると思ってんのかよ」

 

 饒舌に喋っていたジョニーを、マーチが奇襲した。

 

「ヒョォッ! いょぅ、マーチィ! お前と会うのもひっさしぶりだなぁ!」

 

 しかし、マーチの居合い系剣技《辻風》を、ジョニーはガッチリとダガーで防いでいた。

 発動を見てからでは対応が間に合わない《辻風》をしっかり防いでいるという段階で、ジョニーの戦闘能力の高さは(うかが)い知れる。

 

「俺が居るのを分かってて、ベラベラ喋ってたくせに、よく言うぜ!」

 

 マーチは無理矢理刀を振り抜いてジョニーを奥へと押し返す。

 

「ハッハッハ! まぁなぁ! 俺がお前ら見つけたのは、ただの偶然だしなぁ! ヘッドの命令がある訳じゃねえから、適当に遊んだだけだからなぁ!」

 

 押し返されながら、ジョニーが毒ナイフを《投剣》の剣技でマーチに投げてくる。

 

「遊びで人の命を狙うんじゃねぇよ!」

 

 しかしそれを予測していたマーチも、八咫烏の居合いで弾き落とした。

 

「リカバリー、アロマ!」

 

 そして、ジョニーが態勢を立て直す前に、マーチが私に解毒結晶を使った。

 

「サンキュ! マーチ!」

 

 麻痺が抜けたところで、すぐに立ってハンマーを構えてジョニーと対峙する。

 

「しっかし、あの新人共は使えなかったな……ま、別に良いけど」

 

 ユラユラと、フラフラと、構えているのかいないのか、よく分からないジョニーだけど、油断すると、あの体勢から唐突にナイフが飛んでくる。

 

「で、どうすんだよ? 最後までやるってんなら、今度こそ、ケリ付けてやるぜ?」

 

 マーチがジョニーに最後通告を突き付ける。

 

(って、今度こそ?)

 

「さっすがに、俺1人で《戦車(チャリオット)》と《皇帝(エンペラー)》の相手はしたくねぇなぁ……どっちか1人だってんなら、殺してやるんだけどなぁ?」

「あァ? 《皇帝》だぁ?」

「お前のことだよ、マーチィ! アロマが《戦車》なら、ってヘッドが言い出したのさ!」

「……タロットか」

「お前らのギルドに(あやか)ってヘッドがわざわざつけてくれたんだぜ! ありがてえだろ!」

 

 ケタケタ笑いながら、ジョニーはジリジリト撤退の様子を見せている。

 

(「マーチ、突っ込むから援護して」)

(「やめとけ。今は退かせりゃそれでいい」)

 

 私が最小の声でマーチに合図を送るけど、マーチはそれを止めた。

 

(「あいつとここでやり合うと、多分、俺かお前がタダじゃ済まん。それに――」)

 

 マーチは視線だけでロープを示した。

 

(「切られると厄介だ」)

 

「サッサと決めろ、ジョニー。やるのか。やらないのか」

 

 マーチが更に問い詰めつつ、居合いの構えのまま1歩前ににじり寄ったところで――

 

「やらねえって言ってんだろ!」

 

 ――ジョニーは音を立てずに大きく後ろに飛び退き、それと同時に足元の雪を蹴り上げて目隠しに利用した。

 

「今はな!」

 

 ジョニーは、その一言を残して、私達の前から退いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白い少女の身体が完全にウィンドウから抜け落ちると同時に、私は少女を受け止めた。

 

『ゥ…………ァ…………』

 

「大丈夫ですか?」

 

 無駄だろうと思いつつも、そう問いかけずには居られなかった。

 

「せいちゃん、ウィンドウを見ナ! もう1文出たヨ!」

 

 少し遅れて駆け寄ってきたアルゴさんのその言葉で、私もウィンドウへと視線を向けた。

 そこには――

 

 

 

【 い を て は る か い 】

 

 

 

 ――という、やはり意味を見いだせない文字の羅列があった。

 しかし。

 

「せいちゃん……これ、もしかしテ」

「そのようですね」

 

 私もアルゴさんも、このウィンドウに滲み出たメッセージを受け取ることができた。

 

『ァ……ァァァ……ゥァゥ……』

 

 私は、抱きかかえた少女の呻き声に、ウィンドウに向けていた視線を少女に戻した。

 

「あなたのメッセージ、受け取りました。私に何ができるかは分かりませんが、私の出来る限りのことをします。この手の届く限りの人に、手を差し伸べることを惜しみません」

「せいちゃん、それは言い回しが複雑すぎないカ? そのNPCが理解できるとハ――」

 

 そう、通常なら、今の私の様な台詞は必要ない。

 

 しかし、何故だろうか。

 この少女には、通じるような気がしたのだ。

 

『ァ……』

 

 私の言葉を理解したのか否か。

 

 少女は小さく声を上げ――

 

 

 

【 あ 】

 

 

 

【 り 】

 

 

 

【 が 】

 

 

 

【 と 】

 

 

 

 ――というメッセージを残して、私の腕の中でスゥーッと、消えて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、そのクエ、結局発生条件は分からないままか」

 

 マーチが食卓で紅茶を飲みながらそう呟いた。

 

「ええ。流石にランダム発生では、予測が立ちません」

「しかし、ズルいよナ! せいちゃんだけ報酬ゲットだヨ! オレっちも居たってのニ!」

 

 1度は納得したはずのアルゴさんも、やはり不満は不満らしく、ブツブツと愚痴っている。

 

「情報は手に入ったんだから、良いじゃん、アル姐。贅沢はダメだよ!」

「まぁナー……ランダムイベクエだからか、報酬は格別だしナ! ステータスポイント1追加なんて、他じゃなかったヨ!」

 

 

 私達はそれぞれの分担での仕事を終えて、ギルドホームに戻って来ていた。

 

 アルゴさんも傍にいたとはいえ、あの《白の少女》のクエストの報酬は、私が得ることとなり。

 アルゴさんには色々と文句を言われつつも、情報提供料を無しにする、ということで手を打ってもらった。

 

 金銭面的には、DoRが損をした、という形になってしまったが致し方ない。

 

 マーチ達も無事に金属を入手できたらしく、リズベットさんとログさんは、早速金属を加工するために工房へと籠っている。

 

 ゆえに、今ホームに居るのは、私・アロマさん・マーチ・ルイさん、そしてアルゴさんの5人だ。

 

「でもま、ホント助かったヨ。せいちゃん居なかったら、攻撃してたかもしれないからナ」

「お役に立てたのなら、なによりです。それより――」

 

 私は視線をマーチとアロマさんに向け直した。

 戻って来てからというもの、マーチとアロマさんが何となく落ち着きがないのだ。

 

「――マーチ、アロマさん。何かありましたね?」

「……何かって?」

 

 アロマさんが、とぼけたようにそう返してきた。

 

「マーチ。穴に降りる前の連絡は受けてた。そこまでは何事も無かったはずだ。その後、何かあったんだな?」

「いやぁ……実はな……」

 

 やけに真剣な表情のマーチから聞かされた内容は――

 

 

「……アロマが、高所恐怖症だったんだ……」

 

 

 ――思わず、コケるような内容だった。

 

「ハァ?!」「ちょ! こらぁぁああ! 言わない約束じゃ――」

 

 私の疑問を投げかける声とアロマさんの台詞が重なり。

 

「――ん? そんな約束してないよな?」

 

 マーチはニヤニヤと笑いながら紅茶をひと啜りした。

 

「あはは~。ロマたん、恥ずかしがらなくても良いんだよ~? 私だって~ホラーとか苦手なんだし~」

 

 アロマさんをフォローするようにルイさんが厨房から顔だけ出してそう言うと。

 

「ほうホウ。マーちゃん、意外な弱点だナ。ルーちゃんも、ホラーが苦手っト」

「アルゴ。その情報、誰かに売るつもりなら、今後2度と手を貸さねえからな?」

 

 アルゴさんが耳聡く何かにメモを取るそぶりを見せ、すかさずマーチが睨みをきかせた。

 

「にひひ、冗談だヨ。DoRには世話になってるからナ。それに、DoRの誰かのパーソナル情報を求められた時には、必ずせいちゃんに連絡するって契約になってるから、そう易々と誰かが情報を買ったりはできないヨ」

 

 今更ではあるが、アルゴさんと私の間で結ばれている契約が表に出ると。

 

「……相変わらず、手回しが速いな……お前は……」

「当然の事でしょう? アルゴさんと付き合いを始めた時からですよ?」

「知らなかったよ……」

 

 そんなこととは知る由もなかったマーチがため息交じりに答えた。

 

 その答えと同時に、メッセージが届いた。

 

「ん。ちょっと失礼」

 

 一応皆に断りを入れてからメッセージを確認した。

 

 そこに書かれていたのは――

 

「――――――――――――――――」

 

「ン? どーしたんダ? せいちゃン?」

「いえ、なんでもありません」

「は~い、お待たせしました~♪ 今夜は~《クリスタル・ベア》のシチューですよ~♪」

 

 この場は、ルイさんからの夕食の提供もあり、何事も無く終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メッセージの主は、マーチだった。

 

【俺とアロマで《J・B》とやり合った。今回は遊びだと言って退いたが、近いうちに、何か仕掛けてくるつもりらしい。お前が策を練ったうえで、アルゴも交えて攻略組で話をするべきだろう】

 

 

 

 

 





気が付けば、2013年も終わろうとしています。
……振り返ってみると、昨年のこの時期はDoRの第四章・第六幕を投稿していた時期です……。

……あれ?! 全然進んでないのに1年過ぎた!?

             orz        

本当に……遅筆でもう……ね……首を吊ったほうが良いんじゃないかt(ry


と、私のネガティブはさておきまして。

遅筆により、読者の方々に見限られることを恐れつつ。
今年も何とか続けることができました(>_<)
感想をお寄せ下さる方々や、お気に入りに登録して下さっている皆様方に。
この場をお借りして、感謝申し上げます。

本年も、誠にありがとうございました!m(_ _)m 皆様のおかげで続けることができております!


私事でなかなか進める時間が取れておりません。
が、何度でも言います。
エタるつもりはありません!(・_・)
皆様がお付き合いいただけるのであれば、今後ともお読みいただけると嬉しい限りです!


新年直前にはアニメSAOのエクストラエディションもあります!
とても楽しみです!

皆様と共に、SAOをもっと楽しんでいければと思っておりますので。
来たる新年も。
どうぞ、何卒、よろしくお願い申し上げます m(_ _)m

2013年12月30日  静波


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第六幕・蠕動

2ヵ月おきの更新……とか、前の幕で言っておきながら……orz
久しぶり過ぎて、申し訳ありません orz

路地裏の作者様、ポンポコたぬき様、wind000様、バルサ様、SO-GO様、ささみの天ぷら様、バード様、エミリア様、緋月ソラ様、やしま様、シュケル様。
感想、激励のお言葉、ありがとうございます!(>_<)
また、感想への返信が大幅に遅れたこと。
この場を借りて、お詫び申し上げます m(_ _)m

更新が遅すぎた割に、文字数が少なめですが……(;一_一)
お楽しみいただければ幸いです m(_ _)m



 

 

「今回、作戦の指揮を執らせてもらう、血盟騎士団のヒースクリフだ。皆、宜しく頼む」

 

 そんな挨拶から始まったのは、67層ボス攻略会議だ。

 

「ではまず、今回のボスの概要から――」

 

 どこか機械じみた雰囲気をまといながら、ギルド《血盟騎士団》団長《神聖剣》のヒースクリフ氏は淡々と挨拶を述べた。

 

(ヒースクリフさんに任せておけば、私の出る幕は無いでしょうね)

 

 ヒースクリフ氏の言葉を聴きながら、今回の会議では出番がないであろう私は、頭の片隅で別のことを考えていた。

 

 

 

 ログさんの頼みで55層へ金属を取りに行った日からほどなくして、63層のボスが攻略された。

 フロアが《アレ》だったので覚悟はしていたのだが、ボスは想像以上に酷かった。

 下手に思い出すと、それだけでトイレに駆け込まなくてはならなくなるので、これ以上は止めておく。

 

 とにもかくにも、アスナさんを筆頭とした攻略組メンバーの10名以上が不参加という状況にもかかわらず、犠牲者を出すことなく討伐することができたのだから御の字だろう。

 偏に、ヒースクリフ氏の参加があってこその戦果とも言えるだろうか。

 

(そういえば、ヒースクリフさんはあのボスに対しても、嫌な顔一つしていなかったな……恐ろしい精神力だ……)

 

 流石のアロマさんも、あのボス相手には顔を引き攣らせていた。

 それを考えただけでも、ヒースクリフというプレイヤーの精神的強さが窺えるだろう。

 

 その後の64層及び65層は《古城迷宮》がテーマだったようで、迷宮区のボスは吸血鬼、66層は《砂漠遺跡》で、フロアボスはスフィンクスだった。

 63層の攻略は手間取ったため2週間以上を費やしたが、それ以降の3階層は各層を10日ほどでクリアすることに成功している。

 

 意外だったのは、アスナさんが63層に引き続き64層、65層と攻略に参加してこなかったことだ。

 まぁ、ルイさんも同様ではあったのだが。

 

(本当に、ゴースト系が苦手なんでしょうね……こればかりは仕方のない事、か)

 

 如何に、トップギルド《血盟騎士団》の副団長といえど、苦手なものの1つや2つは存在するという、少女らしい一面を垣間見ることができた。

 私としては、それだけである種の安堵を覚えたのだが、他の人はどうだったのだろうか。

 

とはいえ、今回のボス戦にはルイさんもアスナさんも参加する。

 その表情は、あまり乗り気なものではないのだが。

 

 

 

「――といったように、偵察戦から得られた情報を整理した。以上のことから、今回も攻略メンバーをAからHまでの8パーティーに分け――」

 

 

 攻略会議は、偵察戦での情報を纏め終えたヒースクリフさんが、攻略へのパーティー編成へと進むところだった。

 

 ボスの攻撃パターンや注意事項など、大まかなところは偵察戦で掴めている。

 後は、ボスのHPの減少による行動変化に注意するのは毎回のことだ。

 それらを踏まえてパーティー構成を考え、メンバーをバランスよく分けたり、偏らせたりと、様々なパターンを考える。

 

 これまでのボス攻略で、ヒースクリフさんが指揮を執った時のパーティー編成では、1度も失策というような状態に陥ったことはない。

 今回も安心して任せることができるだろう。

 

 私はヒースクリフさんの編成発表を聞きながら、再び意識を別のことへと向けた。

 

 

 

(……《アレ》から約1ヶ月……結局、奴らが何かを仕掛けてきた様子はなかった……)

 

 この1ヶ月――64~67層の攻略に関して言えば、私が最も注意を払っていたのはフロア攻略やボス攻略ではなく《笑う棺桶(ラフコフ)》の動向だ。

 マーチとアロマさんが相対したジョニー・ブラックの台詞から、連中が何かを企んでいるということが窺えたため、私はそちらに神経を集中させていたわけだが。

 

(ここまで来ると、ジョニーの台詞自体がブラフの可能性も高くなってきたか……)

 

 何も企てていないにもかかわらず、ああいった台詞を残させることで、こちらの警戒心を引き上げ、緊張状態を続けさせて、精神的に疲弊させることが真の目的である可能性も捨てきれなくなってきた。

 《笑う棺桶》のリーダーである《PoH(プー)》という男は、そういう搦め手が非常に上手いプレイヤーなのだ。

 

(……だとしても……警戒しないわけにはいかない……)

 

 PoHの狡猾なところは、相手が《そうせずにはいられない》状況を作り出すところだ。

 今回のことであれば、ジョニーとの接触で得られた言葉から、私達は《笑う棺桶》へ払う注意を大きくするしかなくなる。

 仮にその言葉を無視したとすれば、警戒の緩いところを狙って襲われるだろう。

 かといって、常に警戒状態を継続するというのは精神的に厳しく、長期間続けば、いずれ緊張が緩み、大きな隙を作ることになる。

 

(だからこそ、私は攻略組全体にジョニーの台詞を正確には伝えていない……各ギルドの幹部プレイヤーにのみ、注意喚起を促しただけ……)

 

 こちらが取れる選択は、《笑う棺桶》に先手を打たれた時点でごく限られたモノしか残されていない。

 そしてその選択肢は、既にPoHに誘導されたものであり、その先にある結果もPoHが用意したものである、ということにもなりかねない。

 

(可能性は思い付く限り、全てに対策した。PoHの手の裏の裏、先の先……打てる手は全て打った……はずだが……PoHが相手では……何処まで通用するか……)

 

 心理戦、権謀術数の比べ合い――誤解を恐れずに言うのなら、決して嫌いなものではない。

 マーチやルイさんに言わせれば、私の得意とするところ、と言われるかもしれない分野。

 

 だがそれは《好き》なだけで《秀でた》ところではないと、私は思っている。

 私の策よりもっと良い策を考えることができる人は、必ずいる。

 

 今、私達の前で話をしているヒースクリフさんも、おそらくその1人だろう。

 

(私も、もっと考えないと……まだまだ見落としている点があるはずだ……)

 

 私は今日までに打ってきた対《笑う棺桶》の一手一手を頭の中で再確認しつつ、見落としが無いか、もっと良い手はないかの検討を――

 

 

 

「セイド君。君の意見を聞こう。これまでのところで、何か思うことはないかね?」

 

 

 ――いつの間にか、頭の片隅ではなく、全神経をそちらに向けて行っていたため、攻略会議の内容を、ぼんやりとしか聞いていなかった。

 

 そんな私に、ヒースクリフさんが唐突に話の矛先を向けてきた。

 

「え……」

「私の考えだけでは、見落としもあることだろう。是非、君の意見も聞いておきたい」

 

 そう言った団長殿の顔には――

 

(……ちゃんと聞いていなかったことを見抜かれている……)

 

 ――まるで出来の悪い生徒を注意する先生のような笑顔が浮かんでいた。

 

「……いえ、特に意見などということは何も。作戦として完成したものではないでしょうか」

 

 何とかその場をやり過ごそうと思った私だが。

 

「私としては、この時のB・E・F隊の動きに、まだ改善の余地があるのではないかと思っているのだが、どう思うかね」

 

 作戦図上にある部隊表示代わりの駒を動かしながら、ヒースクリフさんは追及の手を緩めてはくれなかった。

 

「……そうですね……」

 

 問い直してきたヒースクリフさんに対して、私も《笑う棺桶》に向けていた思考を切り替えて、即席ではあるが意見をまとめた。

 

「B隊・E隊は構成メンバーから考えて、1小隊分、前に進めても良いかと。ですがF隊に関しては、メンバーが少数であることも鑑みて、現状で良いと思います」

「だが、それでは、この時にこの位置へ、スムーズに動けないのではないかね?」

「いえ。その際には、C隊がB隊の後ろに、A隊がE隊の右に入ることで負担を分散させつつ、B・E隊の移動距離を抑えての対応が可能ではないでしょうか」

「ふむ。しかしそれはA隊の負担を大きくすることになる。そのことに関しては?」

「…………それは――」

 

「あの、発言しても?」

 

 私が若干の間を開けたのを見計らってか、別のところで手が上がった。

 

「む。では、キリト君の意見を聞こう」

 

 手を上げたのは、H隊に配置された攻略組随一のソロプレイヤーにして《黒の剣士》の二つ名を持つキリトさんだった。

 

「その前の段階で、H隊は手が空いてるから、A隊のサポートができると思う。メンバー構成も他とは違うから、動くのにも時間はかからない」

「その時のH隊は、ローテーション待機の予定だが?」

 

 回復結晶が手に入るようになったとはいえ、全てのメンバーに常時戦闘を行わせるというわけにはいかない。

 HPはアイテムで回復できても、精神的疲労までは回復できないのだ。

 各隊を上手くローテーションさせて、休める時には休ませることも重要な作戦となる。

 

「そもそも、そんなに大きなダメージを受けるようなメンバーはHには居ないですよ。なら、回復待機は殆ど必要ないでしょう?」

「キリト君ならそうかもしれないが、他の皆は――」

「だーいじょうぶだよ、ヒースのおっちゃん! Hってば、みーんな遊撃向きだし! セイドもHにいるしね!」

 

 キリトさんを援護するようにそう言い切ったのは、我らが特攻娘こと《戦車(チャリオット)》のアロマさんだ。

 

壁戦士(タンク)代わりになれってわけじゃねーしな。なんとでもなるさ。こっちは気にしないでくれて良いぜ? 《神聖剣》殿」

 

 マーチまでも、不敵な笑みを浮かべて進言していた。

 ルイさんは、流石に何も言いはしなかったが、その視線は『何してるのセイちゃん。しっかりしなきゃダメでしょ』と、私に突き刺さっていた。

 

「ふむ。では、H隊に待機の必要が無い場合に限れば、こちらの方法で行く、ということで良いかね? セイド君」

「……はい。良いかと思います……」

「では、作戦を確認する。まず――」

 

 ヒースクリフさんの矛先が私から外れたことを確認して、私は思わずため息を吐いてしまっていた。

 

「珍しいな。お前さんが会議を聞いてないなんて」

 

 私の隣に座っていた禿頭色黒の巨漢――両手斧使いにして、攻略組メンバーでありながら商人として店を構えている《エギル》さんが、笑いながらそんな感想を口にした。

 

「聞いていなかったわけではありませんが……面目ない……」

 

 間接的にとはいえ、キリトさんに助け舟を出してもらったことになる。

 そして、キリトさんは当然として、アロマさんとマーチにも後で礼を言わねばならないだろう。

 

「しかし、あのキリトが手を上げるとはな。あいつも成長したってことかね」

 

 キリトさんとは何気に長い付き合いらしいエギルさんは――私に向けた笑顔とはまた別の意味で――嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スゥ~ッ…………フゥ~~ッ…………」

 

 攻略会議を終えた私達は、そのままギルドホームへと戻った。

 

 ルイさんが昼食の支度を進めている間、私は2週間ほど前に増設したばかりの《地下室》に佇んでいた。

 相応に資金を消費した地下の増設だが、通常の増設と比べると安く済んだ。

 その理由は、敷地面積と同じ広さの地下室を1つ作っただけだからだ。

 用途としては《武道場》のようなものである。

 家具等も何も置かず、ただ広々としただけの空間を地下に造ったのだ。

 

 私はその《武道場》に1人で立ち、目を閉じて深呼吸を繰り返しながら、延々と思考を巡らせていた。

 明日は朝から迷宮区へと進み、ボス攻略戦となる。

 戦闘となれば無論そのことにのみ集中できるだろうが、今は《笑う棺桶》のことなどもあって、集中力に欠けていることは自覚している。

 精神的疲労もある。

 注意すべきことも多くあり、心が落ち着かない。

 

「…………ハァ…………」

「《瞑想》してるにしても、あんま成果が出てるようにゃ見えねーな、セイド」

 

 地下への階段を降りてきたマーチが、私の様子を見てそう言い切った。

 

「……ええ……どうにも、スッキリしないことが多すぎます……」

「ま、《笑う棺桶》連中に関しちゃ、考えても答えのねえ問題が山積みだしなぁ。今は、明日のボス戦に集中しようぜ?」

「そうしたいのは、山々なんですけどね……」

 

 マーチの言葉を受けても、私は未だにスッキリさせられない意識を抱えて鬱々とした気分から抜け出せずにいた。

 

 ボス攻略は、おそらく問題なく終わるだろう。

 だが《笑う棺桶》に関してはこの1ヶ月を通してみても、何の進展もしていない。

 目下、最大の脅威となりつつある殺人ギルドを、このまま放置しておいていいのか。

 

 そんな取り留めもない事を考えていると、どうにも心が落ち着かないのだ。

 

「……あ~、そういや――」

 

 と、唐突に。

 

「――最近は《組手》してなかったな。どうだ? ちとやってみねーか?」

 

 マーチがそんなことを言いだした。

 

 マーチの言う《組手》とは、圏内での模擬戦闘だ。

 その利点は《犯罪防止コード》によって一切のダメージが発生しないため、命の危険を考えずに済むことだ。

 デュエルシステムではHPが減るため、如何に《初撃決着》ルールでも、条件によっては相手を死に至らしめてしまう危険が、少なからずある。

 

「マーチ……悪いんですが、今はとてもそんな気分では――」

「今回は、互いに素手でやろうぜ。昔みたいによ」

 

 断ろうとした台詞を遮ったマーチに、私はいささか虚を突かれた。

 

「――素手、ですか? 《体術》の差で、勝負になりませんよ?」

 

 マーチと私の《体術》のスキル熟練度には大きな差がある。

 スキルだけでなく、ステータス、そして培ってきた経験量の差も大きい。

 この世界において、ほぼ常に刀で戦ってきたマーチと、常時無手であった私とでは積み重ねてきた時間が違う。

 

「あぁ、いや」

 

 そう考えていた私に、マーチは全く予想外のことを言いだした。

 

「《マーチ》と《セイド》としてじゃなく。《俺》と《お前》として、組手をしようぜ」

「っ?!」

 

 マーチが言ったことは、つまり《リアルの互いとして》ここで組手をする、ということだった。

 

「当然《剣技》はなし。他のスキルも無しな。ま、ステータスの差だけはどうしようもねーけど、そこは仕方ねーよな」

 

 言うが早いか、マーチは武装解除し、防具も部屋着代わりのインナーシャツとラフなパンツという出で立ちに切り替えていた。

 

「どうしたんですか? マー――」

「今は」

 

 再び私の台詞を遮ったマーチは、声のボリュームは抑え気味に、しかしハッキリと。

 

「《コウヤ》だ。だから、お前も《コウセイ》として、そこに立て」

 

 互いのリアルネームを口にした。

 とても久しぶりに呼ばれた本名に、一瞬心が追い付かなかった。

 

(あぁ……そういえば、私達も本名で呼ぶことを避けていたから……)

 

 私とマーチと、ルイさんの3人だけであったときは、時折本名で呼び合うこともあったが、アロマさんやログさんと行動するようになってからというもの、互いの本名を口に出すことは殆ど無くなった。

 

 ごくたまに、ルイさんが怒っているときに口にするくらいだったか。

 

「な? たまにゃいいだろ?」

 

 マーチは――いや、今は《コウヤ》か――肩を回し、屈伸をし、準備運動を行っていた。

 

「……そう、だな。それなら私も、今だけ《セイド》を休もう」

 

 私も武装を解除し、インナーシャツと部屋着用のズボンという服装に切り替える。

 私が承諾したと分かり、コウヤは不敵な笑みを浮かべた。

 

「よっしゃ! そうでなきゃ面白くねぇ!」

 

 準備運動を続けるコウヤは、不意に思い出したように――

 

「っと、そうそう。眼鏡外すの忘れんなよ? それあったら話にならねーからよ」

 

 ――という、無用な心配をしてきた。

 

「分かってるよ。《警報(アラート)》を無効にするには、これが1番早いんだから」

 

 《警報》の使用条件として最も重要になっているのは、この《軍師の丸眼鏡》というアイテムだ。

 マーチの《居合刀》と同じく、《警報》はこのアイテムに付属したスキルだった。

 所持スキルに制限があるという点では、要求敏捷値や《剣技》封印といった制約のある《居合刀》と似たようなものだろう。

 

「うっし、んじゃ、コウセイ!」

「リアルと同じ、10本先取で」

 

 私とコウヤは、道場の中央で軽く拳を合わせてから、組手を開始した。

 

 

 

 

 

「あれ~、ロマたん~? マーチんとセイちゃん呼びに行ったんじゃなかった~?」

 

 昼食の支度が出来たので、ロマたんに2人を呼んできて、と地下へ行ってもらったのだけど、ロマたんは何か、不思議そうな表情を浮かべて、すぐに戻ってきた。

 マーチんもセイちゃんも、上ってくる気配はない。

 

「あー……うん……なんかね……」

「どしたの~?」

 

 料理のお皿をテーブルに並べながらロマたんの言葉を促すと。

 

「すごく、声を掛けにくい雰囲気で、さ」

 

 ちょっとだけ戸惑っていた様子のロマたんだけど、料理が並び始めたテーブルを見て、さり気なくキッチンに来て料理を運ぶのを手伝い始める。

 

 あのロマたんが、声を掛けにくい、なんて言ったことに内心驚いたけど、それは置いといて。

 

「ん~? もしかして、試合か何か始めちゃった~?」

 

 マーチんとセイちゃんが、武道場でそんな雰囲気になるとすれば、やはり試合だろう。

 

「あ、そんな感じそんな感じ! よく分かったね、ルイルイ!」

 

 ロマたんの驚いたような言葉に、思わず苦笑してしまった。

 

「え~、ほら~、今までにもあったじゃない~。マーチんの居合いの練習に~、セイちゃんが付き合わさるとか~」

 

 今までにも度々あったことだし。

 それに――

 

「あ、えっとね……今回は、2人して、素手で殴り合ってる、よ?」

「え」

 

 ロマたんの今の言葉には、ちょっとびっくりした。

 思わず料理を並べていた手が止まっていた。

 

 マーチんは、申し訳程度に《体術》を持っているけど、実践に耐え得るほどスキルは上がっていなかったはず。

 ましてや、相手をしているのが《体術》メインのセイちゃんともなれば、勝負は火を見るよりも明らか。

 なのに、素手で?

 

「でも2人とも、いつもより動きが変……というか……スキル使ってないみたいでさ。それに、なんか、すごく楽しそうなんだよね」

 

 全員分のカップにお茶を注ぎながら、ロマたんがそんな感想を述べた。

 私は先ほど頭の中で考えていたことが、再度浮かび上がってきた。

 

「……もしかして~……本当の《組手試合》してるのかなぁ……」

 

 ――リアルでも、あの2人は子どもの頃から道場で《組手試合》を行っていたから、と。

 

「ルイルイ、なにか心当たりあるの?」

 

 お茶を注ぎ終えたロマたんは、空になったポットに追加のお湯を入れながら、そう尋ねてきた。

 私は少しだけ躊躇いつつ、ロマたんになら言っても良いだろうと判断した。

 

「ん~……リアルの話になっちゃうけどね~。マーチんもセイちゃんも、よく組手って言って、道場で試合とかしてたんだよ~」

 

 基本的に、この世界ではリアルに関する話題を避けるからだけど、ロマたん相手には今更という気もする。

 なんにせよ、こっちの世界で、現実と同じ試合をやるとは思っていなかった。

 

「ああ、でも、そんな感じかも。セイドも眼鏡外してたし。スキル無しのデュエルみたいな感じかな」

 

 ロマたんは納得したようで、テーブルの中央に置いた大皿に盛りつけてあった唐揚げをつまみ食いしていた。

 

「なるほど~……それじゃ~ロマたん、気にせずに声かけてきちゃって~」

 

 骨なしとはいえ、そこそこ大きめの唐揚げを1口で頬張っていたロマたんに、私は笑いたくなるのを噛み殺しながら、再度頼んだ。

 

「むぇ?!」

「いつもなら~、疲れて2人して道場に寝転がるまで待つんだけど~。明日もあるし~、それに~」

 

 私はマーチんが地下に降りてからの時間を逆算する。

 そろそろ30分経つか経たないか、といったところか。

 

「多分~、そろそろ決着がつくと思うんだ~」

 

 

 

 

 

「シッ!」「フッ!」

 

 こちらの右蹴りがコウセイの左腕に防がれると同時に、コウセイが放った右突きを俺は左腕で払いのける。

 俺は素早く足を戻し、その作用で左半身が前に出る動きに合わせて、払った左腕をそのまま回し、コウセイの顎目掛けて、左掌底をすくい上げる様に打ち込む。

 しかし即座に反応したコウセイは、掌底を押さえるように右手を胸の前で小さく振り下ろすだけで俺の攻撃を阻止する。

 

 と、同時に。

 

 俺の眼前にはコウセイの左拳があった。

 気が付いた時には、攻撃のヒットを物語る《犯罪防止コード》による紫色のエフェクト光が目の前を覆っていた。

 

「ふぅ……これで、10本。私の勝だ、コウヤ」

「っくぅ……あー! 負けたぁぁぁあああ!」

 

 スキルを使わないリアルに近い組手であれば、俺にも充分に勝機がある――と思っていたのは、組手を始めて数分というか、2本取られるまでのことだった。

 

 開始からおそらく1分経つ前に、俺は1本目を取られた。

 素手での組手が久しぶりだから仕方ない、と言い訳をして、気を引き締め直して2本目を始めたが。

 これまた1分持たなかった気がする。

 

 冷静に状況を分析して、俺は自分からは突っ込むのを止めて、コウセイからの攻撃を受け流しつつ、反撃するという方法に切り替えた。

 そうすることで、ようやく俺も1本を取り返した。

 

 だがやはり、この世界での体術戦闘の経験を積み続けていたコウセイと、刀を使うことに長けた俺との差は大きく開いていた。

 

 ま、1分持たずに負けることは無くなったものの、そこから俺が1本を取れることはないまま、コウセイが10本目を決めるという結果に終わった。

 とはいえ、最後の1本は結構な時間持ち堪えたと思うんだが。

 

「最後の1本は、良い勝負だったね。ただ、蹴りの後の防御が疎かになるのは、昔からの悪い癖だよ」

「……こっちは久しぶりなんだからよ……もうちょい手加減してくれてもいーんじゃねーか?」

「――何を言ってるんですか《マーチ》。試合で手を抜くわけがないでしょう?」

 

 不意に。

 コウセイが俺を《マーチ》と呼んだ。

 

「ぉー? 終わったみたい?」

 

 階段の所からアロマの声がした。

 

「2人とも、何で急に組手なんてやってたのさ?」

 

 アロマが降りてきたことに気が付いたコウセイが、気を利かせたのだろう。

 リアルの名前で呼び合うのは、ある意味マナー違反だからな。

 

「よぅ、アロマ。いつから見てたんだよ?」

「いや、見てたわけじゃないけど。ご飯だよ~って呼びに来たら2人して真剣に試合してるからさ。1度上に戻ってルイルイに相談したの。そしたら、そろそろ決着がつくだろうからって、今降りてきたとこ」

 

 驚いたことに、ミハルには俺が負けることまで見抜かれていたようだ。

 伊達に、長い付き合いじゃないってところだろうか。

 

(っと。意識が現実仕様のままだった、ヤベーヤベー……)

 

 俺は軽く頭を振って意識を切り替える。

 

「うっし! んじゃ飯にしようか《セイド》! 《ルイ》が待ってるぜ!」

「フ~……そうですね」

 

 深呼吸の後にそう言ったセイドは、姿勢を正して俺に向かい――

 

「マーチ。ありがとうございました」

 

 ――と、直立の体勢から90度近くまで体を折った規則正しい一礼をした。

 

「オイオイ、そこまで改まらんでも――」

「お蔭で、多少スッキリしました。考え過ぎていたようです。今は、明日のボス戦に集中します」

 

 キレのある動きで頭を上げたセイドは、続けて笑みと共に右の拳を前に突き出した。

 先ほどまでの暗い表情は、とりあえず消えていた。

 

「――そうか。ま、また何か行き詰ったら何時でも相手してやるよ。今度は負けねーぞ」

 

 俺も右拳を出して、セイドのそれと軽くぶつける。

 

「いや、勝ちは譲りませんよ?」

 

 セイドは余裕のある笑みを浮かべていた。

 まったくもって、世話のかかるリーダーだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 67層のテーマは《古戦場》とでも言えばいいだろうか。

 

 広い丘陵地帯の其処彼処に剣や盾、槍や斧といったオブジェクトが散乱している。

 どれも折れたり欠けたりしているものばかりで、ここで何らかの戦闘があった様子が上手く表現されていた。

 

 とはいえ、落ちている武具は全て《破壊可能オブジェクト》であり、プレイヤーにとっての障害物として存在している。

 それらを拾って戦闘に利用することは不可能であるにも拘らず、こちらの行動や攻撃、《剣技》などを妨げる要因となるのだから厄介だ。

 

 この《古戦場オブジェクト》は、フィールドだけでなく迷宮区にも適用されていた。

 さして広くもないダンジョンの通路にも散乱した武具の数々は、迷宮区攻略の進行を阻む障害として充分な効果を発揮したと言っていいだろう。

 

(とはいえ、ボス攻略メンバーには、あまり意味をなさなかったとも言えなくもない、か)

 

 様々な要因はあるものの、ボス攻略を目的とした私達の足取りを止めるには至らなかった、という意味でだ。

 確かに、障害物が多いことによって迷宮区自体の攻略速度は少々遅かったが、63層ほど手間取りはしなかった。

 

 だが、懸念としては残っている。

 

(ボス部屋にもオブジェクトは散乱している……気を付けねばならないでしょうね)

 

 ヒースクリフさんを筆頭とした私達は、順調にボス部屋の前へと辿り着き、今はアイテムなどの最終確認を行っている。

 

 このフロアのボスは《ザ・デュラハンズロード》と名付けられていた。

 ボスの部屋には、大小様々な武具が散乱している。

 

 扉を開け内部に踏み入ると、その部屋の中央に靄が集まるようにしてボスが出現する。

 体格だけなら2メートルほどの《首無し騎士の王(ザ・デュラハンズロード)》は、王と同じく首のない黒い馬に跨り、左手には自身の頭部であるはずの兜を持ち、右手には特殊武器《刃鞭(じんべん)》を携えている。

 《刃鞭》は《鞭》に属する武器であると同時に《片手用曲刀》にも属するという非常に珍しい武器だ。

 実の所、プレイヤー用の装備としても存在はする刃鞭だが、鞭スキルと曲刀スキルの両方を所持していないと使えない上に、武器自体の耐久値が低いという難点があるため、使用している人は殆ど居ない。

 

(そして、使用者がほぼいないということは、対策を立て難いということでもある)

 

 プレイヤー用の刃鞭は耐久値が低く設定されているが、ボスが使用する以上、基本的には破壊は不可能だと考えるべきだろう。

 事実、偵察戦でアロマさんが何度となく武器破壊を試みるも、破壊には至らなかった。

 

 また、馬上からの攻撃、攻撃装甲を纏った馬との接触によるダメージ、というような騎兵モンスター特有の要素に加え、鞭スキルと曲刀スキルの連続コンボという不慣れな攻撃に苦戦を強いられた。

 

 更に、通常の騎兵型モンスターと違い、このボスの跨る馬にはHPゲージが設定されていた。

 つまり、ボスと馬は別の個体扱いになっているということだ。

 

 これは騎兵型モンスターへの攻撃の基本が、馬上の騎士ではなく馬自体を攻撃することで撃破するという手段への対抗策だろう。

 ボスを撃破するためには、まず装甲に覆われた馬を倒す必要がある。

 

「では作戦を確認する。まず騎馬のHPを削り切る。接触によるダメージにも注意してくれたまえ。その後、馬から引きずりおろしたボスを攻撃。それ以降は――」

 

 ヒースクリフさんが準備の整った頃合いを見計らい、作戦を簡単に再確認していく。

 

「しっかし、馬とボスが別HPってのは、厄介な仕様だよな」

 

 私の隣に立ったマーチがそんなことをぼやいた。

 

「62層で騎兵モンスがいっぱいいたけど、あれってこのボスの予習だったのかなぁ?」

 

 アロマさんが作戦の再確認を退屈そうに聞き流しながら呟いた。

 

「予習というのもあるでしょうが、同時に罠であったとも思えますね」

「罠って~、どういうこと~?」

 

 私の言葉にルイさんが疑問を投げかけた。

 

「今回のボスは騎兵型ですが、騎馬と騎士のHPは別になっています。ですが62層及びそれ以前の層から少数存在していた騎兵モンスターは、騎士と騎馬のHPが共通でした」

「そのせいで、俺らは騎兵の攻略方法として、馬へ攻撃すりゃいいってのが染みついちまってる」

 

 私の台詞に続いてマーチが面倒臭そうに、腕を組みながら愚痴をこぼすように続けた。

 

「あ~、そっか~。だから今までのモンスターが罠って言ったの~」

 

 ルイさんは私達の言葉で理解したようで、しかしのんびりとした口調は変化することなく、にこやかに頷いていた。

 

「茅場の性格の悪さがよぉく分かるねぇ!」

 

 鼻息も荒くアロマさんがそんなことを言い放った。

 

「無論、その点も厄介ですが、今回のボスで厄介なのは、やはり刃鞭と古戦場オブジェクトでしょう」

「へ? 刃鞭なんて、偵察戦で大体攻撃パターン分かったし、もう大丈夫じゃない?」

 

 私の懸念に、アロマさんは気楽に考えた答えを口にする。

 

「HPバーの1段目までなら大丈夫でしょうね。私が気にしているのは、その後の攻撃パターンの変化。それと、増援の可能性です」

 

 ヒースクリフさんの作戦にも当然、増援の可能性は含まれている。

 私もその点は作戦会議前に進言してある。

 しかし、いくら心構えをしていても実際に増援が出現してみない限り、正しい対応は分からない。

 

「現段階での増援予想は3体か4体ということになっていますが……私は最悪、6体同時に出現すると思ってます」

「って、おい。それ――」

「ヒースクリフさんにも、進言してあります。ですから、それを前提としたパーティー編成であり、部隊配置になっています。その点は安心して下さい」

 

 そう、編成や配置に不備はない。

 

 ――ないはずだ。

 

 だが、ボス戦では常に予想外の事態が起こり得る。

 最近なら、61層のボス戦然り、である。

 

「――そして増援の可能性を忘れぬように。おそらく増援はあるだろう。それが何時、何体かは分からないが、皆、常に気を引き締めておいてくれたまえ」

 

 ヒースクリフさんからも、刃鞭の攻撃への対処方法や、その他の攻撃パターンへの対処方法、オブジェクトによる移動阻害の注意など、この場で再確認がなされた。

 

「また、ボスの変化として騎馬の再出現も考えられる。そのことも、油断せぬように」

「っ! そうか……それもあり得るか……」

 

 ヒースクリフさんの最後の一言は、私には盲点だった。

 

「あ~……あり得るな……てか、セイドが見落としてる点をしっかり押さえてるとか、やっぱスゲエな、あのおっさん」

「え、セイドがヒースのおっちゃんに言っといたんじゃないの?」

「セイちゃん~、やっぱり作戦会議の時に集中できてなかったね~」

 

 正直、騎馬の復活は考えていなかった。

 自身の考えを、甘いと言わざるを得ないだろう。

 

 そして、DoRの皆も私の思慮が足りないと――

 

「ま、そんなこともあるさ。気にすんな」

「セイドがいつもいつも完璧だったら、面白くないしねー!」

「そ~だね~。それに~。ボス中の判断に狂いはないだろうし~。任せたよ~、セイちゃん~?」

 

 ――思っているだろう、というのは私の考え過ぎだったようだ。

 

「以後、気を付けます」

 

 私の苦笑交じりの返答に、マーチ、アロマさん、ルイさんは、揃って笑顔を返してくれた。

 

「では、行こうか。皆の善戦に期待する」

 

 ヒースクリフさんの掛け声に、攻略メンバーは揃った動きで己の武器を無言で掲げた。

 それを見、頷いたヒースクリフさんが、ボス部屋の扉を押し開ける。

 

 

 

 こうして、67層ボス攻略戦が開始された。

 

 

 





2014/05/27
 アスナ参戦に関しての描写を追加。


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第七幕・明滅

やきざかな様、バルサ様、チャマ様、ささみの天ぷら様、路地裏の作者様、感想ありがとうございます!m(_ _)m

珍しいことに、あまり間を開けずに投稿することができました!
自分でもビックリです!(ぉぃ



 

 

「B隊C隊、スイッチ! H隊、スイッチをサポート!」

 

 陣頭指揮を執るヒースクリフ氏の声が響き渡る。

 

 67層ボス攻略戦を開始してから、そろそろ30分。

 順調にデュラハンの馬を倒し、地に降りたデュラハンが、刃鞭専用の広範囲攻撃型剣技《ソーンエッジ・トーネード》を繰り出した。

 ボスの周りにいたパーティーがその《剣技》を避けるように後退したが、ボスを中心とした全方位剣技のため、完全に回避することができたのはアスナさんを含めた少数だった。

 

 しかし間を開けずに各パーティーがスイッチ。

 回復のローテーションを崩すことなく、今までのところは、私達の想定した通りに戦闘が展開されている。

 

「イイ感じ! だよね!」

 

 スイッチが完了したのを確認して、アロマさんもH隊の待機場所に素早く戻ってきた。

 

「ここまでは、問題ないですね」

 

 アロマさんのそんな感想に、私は更に一言付け加えようと――

 

「アロマが途中でコケたこと以外は、予定通りだったな」

 

 ――したが、先にマーチがそれを言ってしまった。

 

「ちょ! マーチ!」

 

 慌ててアロマさんがマーチに詰め寄ろうとすると。

 

「いや、あれは実際焦ったな。アロマ、もうちょっと足元に気を付けてくれよ?」

「キリトまでぇぇえ! もう大丈夫だし! 問題ないし!」

 

 キリトさんも容赦なく、アロマさんのミスを突いた。

 流石のアロマさんも、アレは痛恨事として受け止めているようで顔を赤くして反論している。

 

「ロマたん、気にしなくていいよ~」

 

 攻められるばかりのアロマさんを見かねてか、ルイさんがフォローに――

 

「ルイルイ~~! そう言ってくれるのは――」

「また転んでも~、さっきみたいに私が引っ張ってあげるから~」

「――うわぁぁぁぁ!! ルイルイまでぇぇぇぇ!!」

 

 ――回ったように見せかけて、しっかりトドメを刺しに行っていた。

 

(また、ルイさんは高度なことを……)

 

 そんな4人のやり取りを見て、私は他の攻略組メンバーが戦闘中だというのにもかかわらず、苦笑とともにため息を吐いてしまっていた。

 

 

 アロマさんは、開始前に何度も注意しておいたにも拘らず、騎馬のHPが残り2割を切った辺りで、古戦場オブジェクトである武具に足を取られて派手に転倒した。

 

 オブジェクトによる《転倒(タンブル)》の阻害効果(デバフ)が課され、数秒身動きを取れなくなったところに、ボスが馬を操って突進してきたのだ。

 立った状態であれば回避でき、仮に回避できずとも強烈な《吹き飛ばし》効果によって弾き飛ばされる突進攻撃だが。

 これを倒れている状態で喰らうと、致命傷になりかねないダメージが発生する(ことが《警報(アラート)》のダメージ予測で分かっている)。

 

 慌てた私やマーチ、キリトさんを尻目に、ルイさんが冷静且つ的確に、転倒したアロマさんの右足首に鞭を巻き付け、まるで鰹の一本釣りの如く、アロマさんを釣りあ――退避させた。

 あれが無ければアロマさんは――騎馬に踏まれることは無かったにせよ――助けに跳んだ私共々、突進によって看過できないダメージを喰らうところだった。

 

 まぁ、ルイさんも咄嗟の行動だったためか、退避させられたアロマさんが顔面から落下するというオチがあったが。

 

「自業自得です。次からは、本当に気を付けて下さいよ?」

「うぅぅぅう……分かってるよぉ……」

 

 顔面から落ちたアロマさんを視界に捉え、またアロマさんの上げた奇妙な悲鳴を聴いてしまった攻略メンバーが、揃って吹き出してしまったのは今後の語り草になりそうだ。

 

「ボス戦の最中に笑わせるとか。ほんと、高等テク過ぎて真似できーよ。ック!」

「いや、真似しようとするなよマーチ……プッ……」

「うぎゃぁぁぁああ! 思い出すなぁ! 忘れろぉぉお!!」

 

 場面を思い出してしまったのか、マーチとキリトさんが思い出し笑いを堪えようとして、見事に失敗していた。

 

 

 そんな笑いの交じるやり取りを聞きながら、私は油断なく戦況を見据えていた。

 

 ボスの3段あるHPバー、その1段目がもうすぐ削り切られる。

 偵察戦で得た情報アドバンテージを活かせるのはそこまでだ。

 

 そこから先はアルゴさんを筆頭とした情報屋プレイヤーの集めた、ボス関連クエストからの情報と推測による本格的な攻略となる。

 

「しかし、やっと1段か……ボス本体は3段しかねえってのに、時間かかったな」

 

 私の隣で回復ポーションを呷ったマーチが、そんなことを呟いた。

 

「最初に、防御力の高かった騎馬を倒していますからね。計算上だけなら、HPを2段分削ってるのと同義ですよ」

「まあ、時間はかかったけど、馬は無事に倒せたんだし、良いんじゃないか?」

 

 のんびりと答えたのは、回復の必要がほぼなかったキリトさんだ。

 

 一応彼もポーションを呷ってはいたが、実際には必要なかったのではないかと思う程にダメージを受けていなかった。

 因みに、騎馬のLAを取ったのは――やはりというべきか流石というべきか――キリトさんだった。

 

「確か~、アルちゃんの情報だと~、この後に何か出てくるんじゃないか~ってことだったよね~?」

 

 のんびりした口調はいつものまま、ルイさんが気を引き締めるように鞭と片手棍を握り直した。

 情報屋の筆頭プレイヤー《鼠のアルゴ》さんですら、ルイさんにかかってしまえば《アルちゃん》扱いである。

 

「ええ。クエストで『迷宮に居座った亡霊騎士には、それに付き従う騎士たちが居るらしい』という情報を得た、と」

 

 これまでの層でも時々あったが、ボス以外のモンスターが出現する場合《何々の影を見た》《何々が集まってくる》《何々を従えている》というような文言がクエスト報酬と共に聞ける。

 今回のボスに関しても、御多分に洩れず追加モンスターが居るだろう。

 それも騎士《たち》が。

 

「あ! 1段目無くなるよ!」

 

 ボスのHPを注視していたアロマさんが鋭く声を上げ、同時に両手剣に手をかけた。

 

「モンスターの出現に注意! AからC隊は引き続きボスを担当! DからH隊は周囲を警戒!」

 

 ヒースクリフさんからの指揮も、それとほぼ同時だった。

 

 

 そして、数秒後。

 ボスのHPバーの1段目が消滅するとともに。

 

 

『ォォォォォォォォォオオオオオオオオッ!!』

 

 

 呻きとも怒号ともとれる声が。

 部屋の外周から響いた。

 

 

 ボス部屋の構造は、簡単に言えば広い正六角形だ。

 

 その一辺に部屋の出入口があり、私達はそこに背を向けるようにしてボスと対峙。

 

 ボスの挙動として、騎馬に乗っている間は室内を縦横に走り回るが、騎馬を倒されると、降り立った場からほとんど動かなくなるという特徴があった。

 

 その特徴とボスの使う刃鞭専用剣技を考慮し、騎馬を倒す場所を部屋の中央付近とした。

 つまり、ボスを部屋の中央で固定する作戦である。

 結果としても、上手くボスを中央付近で囲むことができていた。

 

 だが、ボスを中央に置いた最大の理由は別にある。

 

 

 

 室内に怨嗟の声が響くとほぼ同時に。

 室内に散乱していた鎧オブジェクトのいくつかが、糸に手繰られるかの如く、部屋の外周――六角形の内角部分へと集まっていく。

 

「増援の出現予兆! 予測数()!」

 

 事前の打ち合わせ通り、()は雑魚の出現に合わせてD隊からG隊に指示を飛ばした。

 

 これが、ボスを中央に置いた理由。

 そして、俺が《増援は、最悪6体出現する》と予測した理由でもある。

 

「各隊1体を担当! 可能な限り壁際から動かすな!」

 

 それは、雑魚の出現予測位置だ。

 

 この六角形をしたボス部屋には、他の古戦場オブジェクトとは明らかに異なるものが存在した。

 それは《破損していない》6種の武器だ。

 

 騎士剣(ナイトソード)長柄鎚(ポールハンマー)騎兵槍(ブルードナス)槍斧(ハルバード)鎖鉄球(モーニングスター)死神鎌(デスサイズ)という、如何にも何かあり気な6種が地に突き立てられていた。

 

 その6種の武器が、それぞれ突き立てられていたのが部屋の角。

 偵察戦でそれを確認していた俺は、そこが増援の出現ポイントであり、同時に増援の使う武器であると予測したわけだ。

 

 この予測は、大まかには当たっていた。

 今、角にあった武器へと手繰り寄せられていく全身板金鎧(フルプレートアーマー)のオブジェクトは4つ。

 増援の出現を表す演出だ。

 

 俺は、良い意味で予測が外れたことに内心で胸をなで下ろしていた。

 出入口を挟む位置にある2か所の角――鎖鉄球と死神鎌の所――には、何の変化も起こらなかった。

 

(現段階では、出入口側の安全は保障されたと見ていいだろう。油断はできないが)

 

 部屋の外周に増援が出現すると予測した俺とヒースクリフは、ボスと近い距離で増援に挟まれることを避けるために、ボスを部屋の中央へ誘導したかったのだ。

 そして今、俺達の目論み通りに事態が展開した。

 

 

 

 出現した敵の増援――《首無し王の従騎士(デュラハンズロード・エスクワイア)》は4体。

 従騎士には頭も兜もなく、一見するとただの《動く鎧(リビングアーマー)》のようだ。

 

 その手には、突き立てられていた武器を、それぞれが握っている。

 出現位置は、まさに想定通りの位置。

 

 しかし出現数は、決して楽観できる数ではない。

 

「4体か……ほんと、予定ギリギリだな……」

 

 マーチが苦々しい表情でそうボヤいたのが聞こえたが、作戦は変更できない。

 

「H、4体時の予定通り各隊の援護。参戦は一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)呼びかけ(コール)を聞き逃すなよ!」

『了解!』

 

 俺の指示に呼応して、アロマ・マーチ・キリト・ルイがバラバラにDからGの援護に入る。

 

 遊撃要因として優秀なメンバーが揃っているDoR、そしてソロプレイヤーとしてその実力を広く知らしめているキリト。

 それぞれがメンバーの不足している各隊を援護しつつ、状況に応じて俺もそこに参戦するというのが、Hの役割だ。

 

 戦力としては若干劣るルイは、フルメンバーが揃っているD隊――《風林火山》の援護に回している。

 マーチが苦い表情をしたのは、必然的にルイと離れなければならないからだ。

 

(4体で助かった……編成・配置にも不備はなさそうだ)

 

 俺はボスとの戦闘が続いている部屋の中央付近に留まり、全体の戦況把握に努めると共に、いつでも、どこのパーティーへも援護に行けるように気を配る。

 

 従騎士の出現にも動じることなく、各隊は予定通り迎撃を始めていた。

 

 

「ふむ。ここまでは何とか順調に運んでいるようだね」

 

 俺と並び立つヒースクリフがそう呟いたのが聞こえた。

 それに答えるように、しかし視線を向けることなく、俺も言葉を紡ぐ。

 

「油断はできない。ボスのHPはまだ2段ある。3段目に入った時の変化と――」

「――最終段が半減したときの狂暴化、か」

 

 分かり切っていることではあるが、互いにそれを口に出すことで改めて認識し直す。

 このボス攻略は、中盤に入ったばかりなのだ、と。

 

「編成はギリギリ。何かあった場合、ボスは頼みますよ?」

「無論だ。その際は、君に全体指揮を任せる。期待しているよ」

「そうならないことを、祈ってます」

 

 俺とヒースクリフは、そんな会話を交わし――

 

「C隊A隊スイッチ! B隊はボスの背後には回らぬよう注意しつつ攻撃!」

「コール! Gサポート! D・E・Fは耐久主体(エンデュランス)!」

 

 ――それぞれの役割に応じた指揮を執る。

 

 

 時刻が昼の12時に差し掛かる頃、ボス戦は中盤へと突入した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――っしゃいませ。ようこそログ雑貨店へ』

 

 工房でアイテム製作をしていたあたしの耳に、お店を任せているNPCの常套句が聞こえてきた。

 

(あ……お客様……)

 

 基本的に表に顔を出さないあたしは、工房で何かを製作している最中には、NPCの声が聞こえないようにお店の設定をしている。

 何かの製作が終了して手を止めている時や、今みたいに昼食のタイミングで休憩を取る時などが、声の聞こえる数少ない例外だ。

 

(……顔……出してみようかな……)

 

 偶然ではあっても、お客様の来店に気付いたのだ。

 一応、店主として顔くらい見せるべきだろう。

 

 以前のあたしなら、そんなことを考えもしなかったけれど。

 

(成長したって、皆さんに言ってもらったけど……そうなのかな?)

 

 自分ではよく分からなかったけれど、改めて考えると、そういう事なのかもしれない。

 でも、未だにフードコートは外せない。

 テキストじゃない会話は上手くできない。

 

 まだまだ直さなきゃいけないところばかりだ。

 

(……よし、思い切って………………挨拶だけでも……してみよう……かな……)

 

 恐る恐る、あたしはお店側の扉をゆっくりと開けた。

 ドアが開いたことに反応したNPCが、ドアから離れるようにカウンターの中を移動したのが分かる。

 

 あたしはお客様の姿を確認する前に、大きく深呼吸をしてからドアをさらに開けて店側に――

 

「ぉ! 呼ぶ前に出てくるなんて珍しいわね!」

「ログさん! こんにちはー!」

 

 ――1歩踏み出した途端、聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「……ぁ……リズさん……シリカさん……」

 

 お店にやってきたのは、鍛冶師でライバルのリズベットさんと、ビーストテイマーとして名を馳せるシリカさんだった。

 

「って、ほんと珍しいわね……あんたが喋るなんて……」

「あたし、ログさんが喋ったのって、初めて聞いたかもです」

 

 お2人に揃ってそうツッコまれてしまい、あたしは気が動転して、大慌てでホロキーボードを操作した。

 

【おふたいrともいらっしゃいませ、いっしょにくるとはおもってまえんでしt】

 

 慌てたせいで、ミスタイプが目立った。

 

(うぅ……恥ずかしい……)

 

「アハハ! もう、ログってば! 落ち着きなさいよ」

 

 リズさんは、ため息交じりに明るく笑い飛ばしてくれた。

 

「そういえば、リズさんと一緒にログさんのお店に来るのって、初めてじゃないですか?」

 

 ふと、シリカさんが気付いたようにそう呟いた。

 恥ずかしくて思わず俯いてしまっていたけれど、よく考えると、とても珍しいメンバーが揃った気がする。

 

【あれ? そう言えばそうですね? 私とシリカさんで、リズさんのお店に行ったことはありましたけど】

 

 あたしのテキストを確認して、リズさんが大きく頷いた。

 

「そうなのよ! あたしもさ、さっきシリカが来た時に偶然気が付いたんだけど! ログの店にこのメンバーで揃ったこと、無かったのよね!」

 

 どうやらリズさんはそのことに気が付いていたみたいだ。

 

「えー! リズさん、あたしにもその事言ってくれなかったじゃないですか!」

「あんた……気付いてると思ってたんだけど……気付いてなかったってのが意外だったわ……」

 

 2人で揃ってきたというのに、妙なところでかみ合っていないシリカさんとリズさんを見ていて、あたしは思わず笑ってしまった。

 

【えっと。それで、何か御用でした?】

 

 とりあえず、2人が来た理由を訪ねてみると。

 

「あたしの方は、いつもの仕入れの話もあるんだけど」

 

 リズさんがそこで言葉を切って、シリカさんに視線を向ける。

 

「今日はですね!」

 

 するとシリカさんが勢いよく、何かをポーチから取り出した。

 それは、小さな四角い、赤い箱。

 リズさんも、シリカさんのそれより1回りほど大きい薄緑色の四角い箱を取り出していた。

 

「3人で、一緒にお弁当食べませんか!」

 

 

 

 

 シリカさん・リズさんに昼食に誘われたあたしは。お2人を店の庭へとお通しした。

 店の立地的に、庭から見えるのは《浮遊城(アインクラッド)の外》になる。

 

「やー! 良い風ねー、ここ!」

 

 リズさんはそう言って、浮遊城の外周との柵の近くで大きく伸びをしている。

 

「夏なのに、涼しくていいですね。ね、ピナ?」

「キュルルゥ!」

 

 シリカさんもピナちゃんも、ここの風を気に入ってくれたみたいだ。

 

【テーブルとか用意が無いんですけど、大丈夫ですか?】

 

 庭は前々からあったけど、何かに使うことも無かったので、芝生と柵とプランターくらいしかない。

 

「テーブルなんて要らない要らない! 芝生があるだけで充分よ!」

 

 言うが早いか、リズさんは大胆に芝生にすわ――

 

「って、リズさん?! お行儀が悪いですよ?!」

 

 ――るのではなく、寝転がってしまった。

 

「いいじゃん、あたし達しか居ないんだし! ん~! 気持ちいぃ~! 天気も良くてさいっこーぅ!」

 

 シリカさんの苦言もなんのその。

 リズさんは、本当に気持ち良さそうに芝生の上で仰向けになっていた。

 

【気に入っていただけたなら、なによりです】

 

 あたしはそんなリズさんの近くに腰を下ろして、ルイさんお手製のお弁当を取り出した。

 今日はボス戦ということもあって、ルイさんは『簡単なものでごめんね~』と仰ってたけど、とても簡単なものではないと思う。

 

「わ! ログさんのお昼って、店売りの物じゃないんですね!」

 

 あたしの隣に座ったシリカさんが、ルイさんの作ったサンドイッチを見て歓声を上げた。

 

「どれどれ?」

 

 シリカさんの言葉に反応して、寝転んでいたリズさんも体を起こして、あたしのお弁当を覗き込んでくる。

 

「……おぉ~……これは……なんて手の込んだサンドイッチ……」

 

 お2人に覗きこまれて、あたしは思わずお弁当を隠すような動きをしてしまった。

 

「ちょ! 取ったりしないから、そんな隠したりしなくていいわよ!」

「はぁ~……あたしも料理スキル、取ってみようかなぁ」

 

 リズさんとシリカさんも、それぞれご自分の持ってきたお昼を取り出して、膝の上で広げる。

 店売り、と仰っていたお2人のお弁当も、NPCショップのものではなく、料理スキルを極めた、所謂《料理人》プレイヤーのお店で売られている立派なものだった。

 

【お2人とも、立派なお弁当です。高かったんじゃないですか?】

「あ~、これね。あたしの知り合いがやってる店のやつでさ。ちょっと安くしてもらえるから、贔屓してんのよ」

「……ちょっと……ちょっとって言うんですか? あの料理人さん、泣いてましたよ?」

 

 リズさんの台詞に、シリカさんがジト目でツッコミを入れた。

 

「いいのいいの! あたしんところで厨房器具とか料理道具とか、色々面倒見てやってるんだから。あのくらいでガタガタ言わせないわよ!」

 

 相変わらず、リズさんは豪胆な人だ。

 あたしだったら、お店関係の繋がりでもそんな付き合い方は絶対できない。

 

「それに。ログんとこの……ルイさん、だったわよね? あの人みたいに、手の込んだ料理が作れるわけじゃないのよね……」

 

 そう愚痴をこぼしながら、リズさんはお弁当を1口食べる。

 

「勿論、これはこれで美味しいのよ? NPCショップに比べれば圧倒的に」

 

 シリカさんもムグムグと口を動かし、飲み込んでから一言。

 

「そうなんですよね。でも、なんでだろ……ルイさんの料理と比べると、一段落ちる……って言うんでしたっけ?」

 

 ルイさんの手料理を食べたことのあるお2人にしてみると、やはり《料理》スキルをマスターしている人の料理にも、プレイヤーによる差があることは分かるらしい。

 

「多分、手の込み方だと思うのよ! ログのサンドイッチみたいに、パンから手作り! とか、A級食材使ってます! とか!」

 

 リズさんの見立てで、当たっているところと間違っているところがある。

 

【パンは手作りですね。でもA級食材とか、高価なものはないです】

「パン、手作りなのは当たってるんですね……」

【小麦を入手して、小麦粉を作るところからこだわってました】

 

 あたしのその言葉に、お2人は目を丸くして手を止めてしまっていた。

 

「小麦から……流石にそれは予想外だったわ……なんて職人魂……負けてられない……」

 

 ルイさんに職人として負けられない何かを感じたらしいリズさんは、目を閉じ、唇を引き結んで、握り締めた拳をプルプルさせていた。

 

「……あたし、料理スキル取ったとしても……そこまでこだわれるかな……」

 

 シリカさんは、まだ取ってもいない料理スキルに対して、なにやら打ちのめされた様に俯いてしまっていた。

 肩に乗っていたピナちゃんが、心配そうにシリカさんの様子を覗き込んでいる。

 

【えと、あの、ルイさんが凄いだけで。私もそんなにこだわったことはできませんし】

【料理スキルがあると、食費が安く済んだりしますから、あると便利です】

 

 あたしは慌ててテキストを打ちこんだけど、効果があったかどうかはよく分からない。

 

「はぁ~……ま! スキルマスターしても、人によって差があるってことよね!」

 

 リズさんは気を取り直したようにお弁当を食べ始めた。

 

「ほら、シリカも! あたしの知り合いの料理だって悪くないでしょ? 折角こんないい場所で食べてんだから、もっと楽しく食べよ!」

 

 リズさんに励まされたシリカさんは、笑顔と共に顔を上げた。

 

「そうですね!」

 

 と明るさを取り戻し――

 

「でも、ちょっと怖いですよ……この景色は……」

 

 ――たけど、庭の柵の外を眺めて、その笑顔を少し引き攣らせていた。

 

「そう? あたしはそんなに怖くないけど」

 

 シリカさんとは対照に、外の景色を見ても怖がる様子の無いリズさん。

 

【あまり近づかないで下さいね】

 

 あたしも食事をしながら、片手でキーボードを打った。

 

 柵は高めに作ってあるから、わざと乗り越えようとしない限りは安全なはずだけど。

 危険な場所であることには変わりない。

 

「でもさ、やっぱこういう景色見てると、現実じゃないんだなぁって、改めて思うわよね」

「そうですね……現実ではあり得ない風景です。とても綺麗なんですけど」

 

 リズさんの台詞に、シリカさんが続けた。

 

「やっぱり、綺麗すぎるっていうか。幻想的すぎるって感じですね……好きなんですけどね、こういうの」

 

 何となく、空気がしんみりしたものになってしまっている。

 

(えっと……えっと……こういうときは……)

 

【そういえば、47層のフラワーガーデンも綺麗ですよね】

 

 話題を変える時は、脈絡を酌んだうえで、別の話題にすり替えることが有効である。

 というのが、セイドさんからの受け売りだ。

 

「あぁ! あの一面の花畑ね! あれは見惚れたなぁ!」

「あたしも良く行きます! ピナのためのアイテムもあるからですけど、やっぱりあの層全体が――」

 

 あたしの咄嗟のテキストに、リズさんとシリカさんも雰囲気を一変させて、明るく話をし始めた。

 

(さすがセイドさんだ……助かりました……)

 

 あたしは小さくため息を吐いて、お2人が和気藹々と話のを聴いたり、相槌を打ったりしながら、お弁当を食べていった。

 

 

 

 そんなこともありながら、全員がお弁当を食べ終わって、他愛もない雑談で盛り上がっていた時。

 

 

 

「ローちゃん! ローちゃん居るカ?!」

 

 

 という、大きな声が聞こえた。

 

(あれは、アルゴさん?)

 

 あたしだけではなく、シリカさんとリズさんも、揃って声の聞こえた方向に顔を向けていた。

 

「今のって、アルゴさん、ですよね?」

「だと思うわ。ローちゃんって、ログのこと?」

【です。アルゴさん、私のことをそう呼びます】

 

 あたしは立ち上がってリズさんに答えながら、庭からそのまま、お店の外側に顔を出した。

 

【アルゴさん?】

 

 あたしはテキストの表示可能範囲にアルゴさんらしき人物がいることを確認したうえで、そう呼びかけた。

 

「あ! そっちカ! ローちゃん、居てよかったヨ!」

 

 あたしの姿を確認したアルゴさんは、砂煙が上がりそうな勢いであたしの目の前まで駆け寄ってきた。

 

「ローちゃん! 緊急ダ! 今すぐセイドにメッセ送ってクレ!」

 

 アルゴさんは、とても慌てている様子で捲し立ててきた。

 

「ちょっと、どうしたのよアルゴ。そんなに慌てて」

「何かあったんですか? アルゴさん?」

 

 アルゴさんの様子を悟ってか、リズさんもシリカさんもあたしの近くまでやってきていた。

 

「メッセの内容を聞いてくれればわかるカラ! ローちゃん!」

【k】

 

 アルゴさんの様子を受けて、あたしは即座に伝言結晶を使用していた。

 

 ボス部屋に居るセイドさんたちには、これを使わないとメッセージを送れない。

 それと、アルゴさんが自分でセイドさんたちにメッセージを送らなかったのにも理由がある。

 セイドさんたちはボス戦などの最中、余程のことが無い限りメッセージを開かないし、受け取らない設定をしている。

 これは、攻略組全体での共通事項らしい。

 

 過去に《インスタント・メッセージ》を悪用した戦闘妨害が流行ったことがあったのだそうだ。

 戦闘中のプレイヤーに大量にインスタント・メッセージを送りつけて視界を塞ぐという、オレンジプレイヤーによる妨害行為だったと聞いている。

 その対策として、戦闘中にはメッセージを受け取った情報すら表示させないのが基本になったと教えられた。

 

 その中でも例外的に、セイドさんはあたしからの――というか、DoRメンバーからの――メッセージだけは常時受け取るように設定している。

 何かあった場合の緊急連絡用だ。

 

「まーたなにか、ボス関連のクエ情報でも取り漏らしてたとか?」

 

 リズさんがヤレヤレというような雰囲気でそんなことを言ったけれど。

 アルゴさんは一切気にした風も無く。

 そして、それに答えている時間すら惜しいというように、取り合わなかった。

 

「じゃ、今から言うとおりに打っテ!」

 

 そう前置きして、アルゴさんが語った内容に。

 

 

 あたしだけではなく、リズさんも、シリカさんも、全身の血の気が引くような感覚を味わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺がそのメッセージをログから受け取ったのは。

 

 

 

 既に状況が、最悪な方向へと廻ってしまっていた時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 67層ボス攻略戦も中盤から終盤へと差し掛かろうとしていた。

 

 部屋の外周に現れた《首無し王の従騎士(デュラハンズロード・エスクワイア)》4体は、担当する各隊が撃破の1歩手前まで追い込んでいた。

 

 ボス本体も、2段目のHPバーがそろそろ削り切られる、というタイミング。

 

「ヒースさん」

 

 俺はヒースクリフに声をかけた。

 

「ボスの2段目、削る前に従騎士(エスクワイア)を潰そう。ボス担当パーティーに耐久指示を」

「うむ。ボスへの攻撃を一旦中止! A隊B隊はスイッチ、回避と防御のみに集中!」

 

 他のゲームでも時折ある仕様として、雑魚を回復させる、というボスの能力がある。

 今回ここで俺が警戒したのは、まさにそれだ。

 

 それに、増援の追加もあり得る。

 いや、あるだろう。

 

 出入口を挟む位置にある死神鎌と鎖鉄球の2つが、ただの飾りだと考えるのは都合がよすぎる。

 

(今のうちに従騎士4体を撃破し、追加の2体とボスの変化に対応させるだけの準備を)

 

 俺はヒースクリフの指示に続いて増援担当のパーティーに指示を飛ばす。

 

「各隊、一気に従騎士を殲滅! 次の増援に備える!」

『了解!!』『応!!』『おっしゃぁ!!』

 

 それぞれから気合の入った返答がある。

 それから数分後には、各隊がほぼ同時に4体の従騎士を撃破した。

 不安に思っていた要素――従騎士の持っていた武器――も、撃破されると同時に消滅していた。

 

(これで、ボスが武器を切り替える可能性があったとしても、その幅を狭められた)

 

 俺はヒースクリフに声をかけようと――

 

「よし、ボスへの攻撃を再開! 2段目を削り切る! 全員、変化に注意せよ!」

 

 ――したが、必要はなかったようだ。

 俺は俺で次の指示に集中するべきだったか。

 

「DからHは回復忘れるな! 回復後、雑魚の出現予測位置にはEとGで対応! D・F・Hはボスの削りサポート!」

 

 ヒースクリフに関して、俺が心配する必要など何もなかった。

 今更と言えば今更だが、改めてそのことも認識し直す。

 

 俺の指揮でDからHがそれぞれ行動を開始し――

 

「よっしゃぁ! 2段目無くなるよ!」

 

 ――たかと思えば、速攻でアロマさんがボスに強烈な一撃を打ち込んでいて。

 

 見事にボスの2段目が削り切れるところまで追い込んでいた。

 2段目のHPバーを削り切るのに要した時間は、約30分といったところだろうか。

 

「いやぁ、相っ変わらずアロマちゃんの攻撃はハンパねーなー」

 

 俺の右手前で、そんなことをぼやいたのは《風林火山》のリーダー、刀使いの《クライン》だ。

 

「ま、あのくらいの威力は出してもらわにゃ、俺らとしても困るがな」

 

 そのクラインと並んで立っていたのはマーチだ。

 この2人、刀使い同士ということで、色々と会話に共通点があるらしく、時折《刀談議》に花を咲かせているのを見かける。

 

「あの威力は、刀じゃ出せねえからなぁ」

 

 顎鬚をさすりながら、クラインがそんなことを呟いた。

 

「お前らもさっさと構えろ。ボス変化来るぞ」

 

 俺はクラインとマーチの背中を同時に叩く。

 

「お、おう」「あいよ」

 

 その直後、ボスのHPバーの2段目が消滅した。

 

 

 

 ある意味、その後の変化も予想通りだった。

 

 出入口を挟む位置に残り2体の増援――従騎士(エスクワイア)よりも強力な《首無し王の近衛騎士(デュラハンズ・ロイヤルナイト)》が出現。

 使用武器は当然、鎖鉄球(モーニングスター)死神鎌(デスサイズ)だった。

 

 ボス自体の変化としては、ヒースクリフの予見通りに《騎馬》が再出現した。

 

 開始時のそれとは違う白い騎馬だったが、首が無いという点では同じだ。

 そして、最も大きな相違点として、ボスと騎馬のHPが共通となっていた。

 

「ボスと騎馬のHPは一体化している! まずは騎馬へ攻撃を集中させダメージの通りを量る!」

 

 ヒースクリフの指示が響き渡ると共に、ボスが跨った白馬が――首が無いのにどうやってか――大きく(いなな)き、こちらへと突撃してきた。

 

「っ! 担当を変更! AからD及びFはボスを! E・G・Hで近衛騎士(ロイヤルナイト)を抑える!」

 

 俺はその突撃を回避し、即座に指示を飛ばす。

 

 騎馬のみを倒すことができないということは、これ以降、ボスは騎馬に跨ったまま、部屋を縦横に駆けて攻撃してくるということになる。

 

「E隊G隊もボスの行動に無作為敵対視(ランダムヘイト)があると思え! Hは分散! 補助パーティーはそのまま! ヒースさん、ボス指揮は今まで通り!」

『了解!』「心得た」

 

 ボスの行動の変化は騎馬を得たことだけではなく、自身の首を投げつけるという攻撃や刃鞭剣技の追加など、いくつかあった。

 

 だが、これまでもボス戦を数多く経験してきた攻略組には、大した脅威ではなく。

 

 

 こうして俺達は、ボスのHPバー最終段――67層ボス戦の終盤へとスムーズに

 

 

 

 

「えっ?」

 

 

 

 

 移行した、と思った矢先。

 

 

 

 攻略メンバーの1人が。

 

 

 《麻痺》で倒れた。

 

 

 

 

 





2014/05/27
 アスナ参戦中を示す描写を追加。


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第八幕・騒乱

チャマ様、ささみの天ぷら様、シュケル様、路地裏の作者様、ポンポコたぬき様、エミリア様。
感想、ありがとうございます!m(_ _)m


勢いに乗って書いてしまっています……(-_-;)
誤字脱字・矛盾や不明点などあればお教え下さい(;一_一)




 

 

「えっ?」

 

 麻痺で倒れたのは。

 

「なっ?!」「おい!?」「何だ?!」

 

 

「アスナ!!」

 

 

 近くにいたキリトがアスナの名を叫びながら前に飛び出し、彼女に向けて放たれた刃鞭を打ち払わなければ、アスナは看過できないダメージを受けていただろう。

 

「っ……リカバリー……!」

 

 キリトの防御が功を奏し、アスナは何とか自力で解毒結晶を使用して麻痺を解除した。

 

「何があったのかね! アスナ君!」

 

 立ち直したアスナに、ヒースクリフが尋ねるも――

 

「わ、分かりません! 急に麻痺状態になってしまって!」

 

 ――当のアスナ自身も原因が分からなかったらしい。

 

 

 現状を、瞬時に頭の中で整理する。

 

 俺はボス戦に臨むにあたって《警報(アラート)》に、レイドメンバーに対しての《状態異常攻撃の警告》を入れてある。

 しかし、今のアスナの麻痺に《警報》は反応しなかった。

 

(どういう事だ……何故《警報》が反応しないのに麻痺状態に陥る)

 

 俺は状況を整理しながら、ボスの行動に注視した。

 今、アスナに何かした可能性があるとすれば、アスナの属するB隊が相手をしていたボスと考えるのが妥当だ。

 

「うぉ?! なんだ!?」

 

 今度は――やはりB隊の――壁戦士(タンク)が状態異常に陥った。

 但し、麻痺ではなく《暗闇》だった。

 

 そして今回も《警報》は反応しなかった。

 

(……これは……もしや……)

 

 考えられ得る可能性として最も高いものは、ボスの《特殊攻撃》だろう。

 

 暗闇に陥ったBの壁戦士は、その場で動かずに大楯で自身を隠すように構え、そこでボスの突進に襲われた。

 盾の上からだったのでダメージはあまり大きくは無かったが、突進の効果で大きく吹き飛ばされてしまった。

 

「C隊スイッチ! セイドく――」

「ボスの特殊攻撃だ! 原因が分かるまでは回避・救助・回復を最優先! ボスのタゲはローテで維持! 近衛騎士(ロイヤルナイト)はE・Gで何とか抑えろ!」

 

 ヒースクリフが俺に何か言う前に、俺は悲鳴に近い指示を飛ばした。

 ボスの想定外の攻撃に、攻略メンバー全員に緊張が走る。

 

「うぐっ?!」

 

 そうこう言っている間に、今度はC隊の片手斧使いが《混乱》させられていた。

 

 

 ここまでの状況を見るに、このボスの特殊攻撃は《無作為阻害効果(ランダムデバフ)》と考えられる。

 

 問題なのは。

 

(何が原因で阻害効果を受けるのか)

 

 単純な状態異常付与の間接攻撃なら《警報》が反応するはずだ。

 つまり、プレイヤーに対して阻害効果を与える何らかのボスの行動。

 

 先の3人を思い出す。

 アスナ、壁戦士、片手斧使い。

 

 こいつらが状態異常に陥る前にボスは何をした?

 

(刃鞭技。突進。兜投げ。騎馬の蹴り。再度突進。刃鞭……)

 

 混乱させられた片手斧使いにボスが刃鞭技を繰り出し、しかし素早くフォローに飛び出したアスナが刃鞭を《リニアー》で弾くと、片手斧使いを軽く叩いて正気を取り戻させていた。

 

(……デュラハンの兜)

 

 俺は、いつの間にかボスの左腕に収まっていた兜を睨んだ。

 あの兜は、投げられた後、宙を漂ってボスの元へと戻る。

 

(あれだ)

 

 ボスの首。

 

 その目の所にある隙間から、怪しげな光が漏れている。

 ボス戦の開始時には、そんな光は発していなかった。

 

 

「ボスの目を見るな!!」

 

 

 よく思い返すと、ボスが投げた首を避けた時(・・・・)や、首がボスの手元へと戻る時(・・・)

 兜にダメージ判定があるため、その首の近くに居た者は、視線を向けてしまう(・・・・・・・・・)

 

 それがこのボスの狙いなのだろう。

 

(やってくれる。常時発動の《視線効果》か!)

 

 俺は指示を出しながら慌てて《警報》の設定を少し変更した。

 

 

 ボス戦に臨む際、俺は《警報》の設定をレイド仕様にしている。

 だが、効果対象を増やすだけだと、俺の視界は常に《警報》の情報で埋め尽くされてしまう。

 情報を整理させるために、危険度の高い物だけを察知するように設定を絞るのだが、この時、除外されてしまう効果がいくつかあり、それが死角となる。

 

 今回なら《常時発動型攻撃の警告》を除外していたことがそれだ。

 

 

「全員、ボスと視線を合わせぬように注意!」

 

 俺の言葉を受けて、ヒースクリフが指示を重ねる。

 

「状態異常に陥ってしまった者の救助はD隊とH隊で担当! F隊はE隊・G隊のサポート!」

 

 俺と違い、ヒースクリフは冷静且つ的確な指示を飛ばした。

 分析自体は出来ていても、指示を出すのが追いつかないことがあるのは俺の弱点だろう。

 

「あっ!」

 

 ヒースクリフの指示の直後。

 小さな悲鳴を上げて、倒れたのはアロマだった。

 

「アロマ!」

 

 

 視線を合わせるな、と口で言うのは簡単だ。

 

 だが、このボスは《首無し騎士(デュラハン)》だ。

 通常の人型モンスターと違い、首を投げたりすることで視線の位置が不規則に動く上、ボス本体は別の攻撃も仕掛けてくる。

 

 これは、厄介に過ぎる攻撃だろう。

 

 

 一瞬、この攻撃に対する対策を講じるべきか、というようなことを考えたが。

 今は。

 

「くっ!」

 

(考えるのなんて後だ!)

 

 俺は即座にポーチから結晶を取り出しつつ、アロマの元へと跳び込んだ。

 ボスのターゲットはまだアロマには向いていない。

 

 このボスは、敵対値に関係なく《状態異常》を起こしたプレイヤーに攻撃を仕掛けてきている。

 アロマが《転倒(タンブル)》した時も、アスナが《麻痺》した時も、《暗闇》や《混乱》を受けたプレイヤーに対しても。

 

 つまり。

 

(ボスが優先攻撃対象とするのは《状態異常》を起こしたプレイヤー!)

 

「セ……イド……」

 

 俺がアロマの元へと辿り着き、アロマを抱え上げたところで、ボスがアロマへとターゲットを向けた。

 何か言いたそうにアロマが口を開くが、今は無視してその場から飛び退く。

 

(優先攻撃対象。間違いなさそうだ)

 

 頭の中だけで情報をまとめ、退避しながら結晶を起動させる。

 

「リカバリー、アロマ」

 

 麻痺にも効果がある《解毒結晶》でアロマの状態異常を解除。

 アロマが元居た位置に向かってボスが突進を仕掛けたのも、このタイミングだった。

 

 他のメンバーに回避指示を出す間が無かったが、そこはヒースクリフがフォローしてくれいていた。

 

「ありがと、セイド」

 

 腕の中でアロマが呟き、悔しげに表情を歪ませた。

 

(体と別に動く首と視線を合わせるなってのは!)

 

 ハッキリ言って、至難だろう。

 

「状態異常者にボスの攻撃が向く! 全員でフォローし合え!」

 

 俺の指示の後も。

 状態異常に陥るプレイヤーは、後を絶たなかった。

 

 

 

 

 

 これまでのボス戦でも、常時発動型の攻撃を持っていたボスは居た。

 

 ただ、その場合。

 例外なく、ボス関連のクエストで知ることができていた。

 

 なのに――

 

「くそ……ヤバいな……」

 

 そう漏らしたのはマーチだ。

 

「状態異常回復系の結晶やポーション、そろそろなくなるぞ」

 

 ――今回のボスでは、その手の情報は、一切なかったはずなのだ。

 

「……アルゴやゼルクを筆頭に、情報屋がこの手の情報を取り漏らすとは考え難い」

 

 マーチの焦りは分かるが、今からではどうしようもない。

 

 それに、ボスの視線効果が判明してから十数分。

 状態異常に陥るプレイヤーが無くなることはないが、その頻度は確実に減ってきている。

 

「あ? あ~……そーいやそうだが……いや、セイド、今はそんな事より――」

「――なら何故、今回この情報が無かった?」

 

 ボスとの戦闘は状態異常者出しつつも、何とか戦線を維持することは可能になっている。

 近衛騎士側には特殊攻撃は無く、従騎士よりは攻撃力・防御力・HP量が総じて高くはなっているが、問題なく戦うことができている。

 

「セイド、このままだと、どこかでアイテムが切れる。何か――」

「――ヒース。待機ローテ中にこっちに回復アイテムを。救助が間に合わなくなる」

 

 マーチだけでなくキリトも同様の不安を抱えていたようだ。

 俺はアイテムの譲渡をヒースクリフに進言する。

 

「分かった。次のスイッチでC隊のアイテムをD隊・H隊に渡そう」

 

 これでアイテムは何とかなる。

 

「セイちゃん、何が気になってるの?」

 

 俺の様子を受けて、ルイが口を開いた。

 思考に意識を割きすぎていると、ルイは良く気付く。

 

「ボス情報の取り漏らしには1番気を付けていると、アルゴも言っていた」

 

 今回のボス戦に際して、俺が《常時発動型攻撃の警告》を外さずにいれば良かったのかもしれないが、《警報》に設定できるものには上限がある。

 

 常時発動系攻撃を使用するモンスターの数は多くない。

 情報が無ければ真っ先に外してしまう設定の1つだ。

 

「うぉぉぉおりゃぁぁぁああ!!」

 

 アロマの雄叫びが聞こえる。

 近衛騎士の撃破を速めるために、そっちに参加させている。

 

「ボス情報の統合も行われている」

 

 ボス関連の情報を得たプレイヤーは、攻略会議でそれらの情報を開示することになっている。

 攻略組以外のプレイヤーが偶然それらの情報を手に入れた場合――情報の正確性が判明し次第――高値で買い取るという告知も、今や知らぬ者はいないだろう。

 

「……何が言いたいんだ、セイド」

 

 嫌な予感を、マーチも感じたのだろう。

 

「つまり」

 

 マーチ、キリト、ルイが俺の言葉に耳を傾ける。

 

 

「誰かが、ボス情報を秘匿した」

 

 

 ボス情報を秘匿して、得をするプレイヤーは居ない。

 撃破ボーナスやLAボーナスに目が眩んだとしても、ボス攻略そのものに失敗しては意味がない程度のことは、誰にでもわかる。

 ボスに直結する情報の秘匿は、攻略の妨害にしかならない。

 

 そんなことをするプレイヤーは。

 

 

 奴等しかいないだろう。

 

 

「《笑う棺桶(ラフコフ)》か?」

 

 俺の思考を読み取ったマーチが、ハッキリとそれを口にした。

 

「そんな……」

 

 ルイが信じられないというように目を丸くした。

 キリトは、表情を険しくしたが、何も言わなかった。

 

 とりあえず、ボスとの戦闘は行えている。

 このことを考えるのはボス戦終了後でもいいだろう。

 

「今はボスに集中する。今の話は、終わってからだ」

 

 丁度C隊が待機ローテーションに入るところだった。

 とりあえず今回はH隊が状態回復のアイテムを受け取り、次のA隊の待機に合わせてD隊の《風林火山》がアイテムを受け取るように指示を出す。

 

「アイテムを受け取ったら散開。各隊を援護」

 

 H隊のメンバーも再度分散させ、状態異常者の救援をしやすいようにする。

 

 ボスのHPは残り6割。

 

 

 ボスの狂暴化をどう乗り切るか。

 俺はそのことに思考を切り替えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しまっ!」

 

 そんな悲鳴と共に、次の状態異常被害者が出た。

 セイドの指示で散っていた俺の近くだ。

 

 DDA所属――俺が助けたくない奴ナンバーワン――の《ヴィシャス》だった。

 

(ったく……仕方ねーな)

 

 個人的には助けたくもないが、そういうわけにもいかない。

 

 俺がヴィシャスを回復させた直後、ボスの攻撃がこちらに放たれる。

 運よく刃鞭の剣技だ。

 

「シッ!」

 

 俺は居合い系剣技《水鏡(ミカガミ)ノサザメキ》で迫り来た刃鞭を弾き、ヴィシャスと共にその場から退避する。

 

「マーチさん、申し訳ないっす!」

「おう。手間かけさせんなよ」

 

 短いやり取りだけでヴィシャスはパーティーの所へと急ぎ戻る。

 

(ってか、今のが突進だったら、俺、どーすりゃいいかね……)

 

 まぁ、実際に突進だった場合は、刃鞭程早く攻撃はしてこない。

 ターゲットに向き直り、騎馬を嘶かせて突っ込むという動作が入るので、もう1~2テンポ間が空く。

 

 それだけあれば、状態異常から回復した奴共々、飛んで避けるだけの余裕があるだろう。

 

 それと、最重要事項として、俺達が状態異常に陥らないようにする、ということもある。

 これはまぁ、ボスから一定以上離れた状態を保ち、ボスの首を意識的に無視することで可能だ。

 

 ボスの《兜投げ》によるダメージは小さい、というセイドの《警報》情報もあるからこそできるのだが。

 この《意識的に無視》というのは、なかなかに骨が折れる。

 

(ま、面倒だが、仕方ねーよな)

 

 内心で愚痴りつつ、ヴィシャスが復帰したのを確認すると同時にボスのHPに目をやると。

 

「ボスの変化に注意!」

 

 団長殿の一喝が空気を引き締めた。

 

(半分を切ったか!)

 

 ボスの最後のHPバーが、残り半分を切ったところだった。

 

(が……狂暴化はまだしねーか)

 

 全員が気を引き締めるも、ボスは目立った変化を起こさなかった。

 次に狂暴化するとすればHP残量が危険域(レッドゾーン)に入る時だ。

 

「いよっしゃぁぁ!」

 

 このタイミングで。

 アロマの歓声が聞こえた。

 アロマだけでなく、近衛騎士の相手をしていたG隊全員が歓声を上げていた。

 

(近衛騎士の一方を撃破、か)

 

「GF両隊、Eと合流! 集中して一気に撃破しろ!」

 

 歓声を聞き逃さず、セイドが即座に指示を飛ばす。

 

 アロマも一旦セイドの元へと戻り、何か言われてからFの所へ跳んでいく。

 Fが相手をしていた近衛騎士のHPも残り4割程度だ。

 3隊+アロマでの集中攻撃なら、ボスのHPが危険域(レッドゾーン)に突入する前に終わるだろう。

 

(あとは、状態異常に気を付けつつ、狂暴化を乗り切りゃいいな)

 

 楽観はできないが、多少の波乱を見せた67層ボス戦も終わりが見えてきた。

 

 

 

「全隊、ボスの狂暴化に注意!」

 

 俺の予想よりもかなり早く、2体目の近衛騎士が撃破され。

 全員での攻撃を開始してから数分後、団長殿が再び一喝し、全員が気を引き締める。

 

 ボスのHPがついに危険域に突入した。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 そしてついに、ボスが狂暴化を見せた。

 

 ボスが雄叫びを上げて刃鞭を強引に振り回し、取り付いていたパーティーを一旦振り払う。

 と、白銀だった刃鞭が黒色へと変貌した。

 

「刃鞭への状態異常効果付属を疑え! 壁戦士(タンク)は全員スイッチ順を再確認! 回復アイテムの所持残量にも注意!」

 

 セイドの注意指示が飛ぶ。

 

(ま、疑えってか《警報(アラート)》による予測だろうから、確定なんだろうが)

 

 セイドはまだ《警報》のことを開示してない。

 だから指示が曖昧になるところもあるが、攻略組にいるメンバーで、今それを気にするやつはいない。

 

(それにしても、刃鞭に状態異常、か。めんどくせぇ効果付けやがる)

 

 刃鞭の長所である細かい刃は、1つ1つが発するダメージは決して大きくない。

 だが、それが連続している鞭状の武器であるため、1回の攻撃に複数回のダメージ判定がある。

 

 この複数回ダメージは、状態異常効果との相性が非常にいい。

 状態異常の発生確率は《攻撃を受けた回数》で増幅される。

 耐性系のスキルやポーションを利用していても、増幅に増幅を重ねられると、アッサリと状態異常に陥ることもあるほどに。

 

(下手に受けれなくなった……くそ……)

 

 念のために状態異常を受けなくなる《抵抗(レジスト)ポーション》は所持しているが、こいつは所持可能数が《1》に制限された、所謂(いわゆる)《奥の手》的なアイテムだ。

 その効果時間は5分。

 

 使用するタイミングを間違えるわけにはいかない。

 

「《抵抗ポーション》の用意は怠らぬように! 《耐毒ポーション》は切らさずに使用するよう注意! 状態異常者が出た場合はフォローと回復を優先!」

 

 団長殿もセイドの言葉を補い、的確な対処を指示する。

 この2人が指揮する戦闘は、やはり安心感がある。

 

(やっぱ注意すんのは《麻痺》だよな)

 

 団長殿の指示に従って、俺も含めた攻略メンバーは順次《耐毒ポーション》を呷る。

 

 

 この世界での《毒》に類するものは数が多い。

 最も基本的な《ダメージ毒》に始まり、ポピュラーな《麻痺毒》や《暗闇毒》、あまり見かけないステータスダウンの《虚弱毒》や、テキストも含めた会話が不可になる《沈黙毒》などなど。

 

 それら毒に類するものに対しての耐性値をまとめて上げるのが、耐毒ポーションや耐毒スキルだ。

 これら以外の《気絶》《行動遅延(スロウ)》《眩暈(ディジネス)》《行動不能(スタン)》などの阻害効果(デバフ)は、基本的に効果時間が短い。

 だが、例外的に効果が長い場合もあり、それらを治すためには、全状態異常回復の《浄化ポーション》や《浄化結晶》を使わなければならない。

 

 無論、用意はしてあるが、基本は耐毒を使用するのが常套手段となっている。

 

 

「来るぞ!」

 

 俺が耐毒ポーションを飲み干すと同時に、団長殿がボスの前へと躍り出て、騎馬による突進を十字盾で受け止めた。

 《吹き飛ばし》効果がある突進にもかかわらず、団長殿は微動だにもしなかった。

 

「相っ変わらず、バケモノな防御力してるぜ……」

 

 思わず声に出ていた。

 

「B隊! ボス側面から攻めます! C隊は逆側からお願いします!」

「分かった!」

 

 B隊のパーティーリーダーを務めるアスナが、団長殿の代わりに指示を出す。

 

 セイドはDからGまで部隊の再配置に奔走している。

 指揮を執るタイミングをしっかりと把握してるアスナを見て、流石副団長を任されているだけはあると、感心してしまった。

 

(っと、感心してる場合じゃねえ)

 

 ボスの狂暴化によって、ボスの首が常に本体の周囲を飛び回るようになった。

 刃鞭と併せて、状態異常に陥る確率は跳ね上がったと見た方が良い。

 

(救助優先、了解了解、っと!)

 

 ボスの首と視線を合わせぬように注意し、俺達は状態異常者の救助を優先しつつも、ボスへと遊撃を繰り出していく。

 

 

 不意に。

 

 

 俺の位置からは離れた所に居た風林火山のメンバーの1人が倒れた。

 確か《イッシン》という名だったか。

 

 カーソルを見ると、麻痺に陥っている。

 

(視線でも合わせたか? ま、あの場所なら)

 

 H隊の中でイッシンに1番近かったのはルイだ。

 

 倒れた男に即座に反応したルイは、鞭を振るってそのプレイヤーを引っ張り上げる。

 

 

 

 

 

 

 ――はずだった。

 

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、想定外の事態だった。

 

 

 風林火山のイッシンが麻痺で倒れてしまった直後。

 

 《警報》が《状態異常攻撃の警告》を示した。

 

 

 ボスから、ではなく。

 

 

 

 俺達の背後から。

 

 

 

 それは、あまりにも急で。

 高速で飛来する《投剣》の《剣技》だった。

 

 

 他の指示を出していた俺に、その想定外の《警報》を叫ぶ余裕はなかった。

 

 

 その飛来した一筋の《投剣》は――

 

 

「……え?」

「っっ!? ルイィィィッ!」

 

 マーチから、悲鳴にも等しい叫びが上がった。

 

 

 

 ――ルイに、当たっていた。

 

 

 

 そして、ルイに投剣がヒットすると同時に。

 

 《警報》が最悪の警告を示した。

 

 

 

 即ち――【犯罪者(オレンジ)プレイヤーの察知】

 

 

 

 奇しくもそれと同時に、ログからメッセージが届き、自動開封されて視界に現れた。

 

 

「ヒースッ!!」

「む?!」

 

 

 俺はヒースクリフの名だけを叫び。

 

 出入口に向けて、飛び出した。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「っっ!? ルイィィィッ!」

「ヒースッ!!」

 

 マーチさんとセイドさんの叫びを聞いて、わたしは何かがあったことを感じ取った。

 しかしセイドさんは、団長の名を呼んだきりで何も言ってはこなかった。

 

「む?!」

 

 流石の団長も、ボスの攻撃を受け止めた直後では、何があったのかを確認することができずにいた。

 わたしは一瞬の躊躇いの後、ボスから視線を背けてセイドさんの姿を確認し――

 

「セイド……さん?」

 

 ――ようとしたけど、そこにセイドさんは居なかった。

 視線を巡らせると、セイドさんがもの凄い勢いで出入口から飛び出していく姿を辛うじて捉えることができた。

 

(一体何が)

 

 視界の端で、風林火山のメンバーの1人が《麻痺》で倒れているのが目に入り。

 更にその奥で、ルイさんまでもが《麻痺》で倒れているのが見えた。

 

(そんな!? なんでルイさんまで?!)

 

 DoRのメンバーとキリト君は、ボスの視線効果の範囲外に陣取っていたはずだ。

 ルイさんまで麻痺で倒れている理由が分からない。

 

 わたしがそこまで理解した時。

 

 マーチさんがルイさんの元へと駆けつけようとしていることに気が付いた。

 ルイさんが麻痺に陥ったことに気付いた直後、真っ先に飛び出していたのだと思う。

 

 しかし、マーチさんの位置からルイさんの場所までは僅かに遠い。

 他の人も、ルイさんの麻痺への反応が遅れたようで、動き出している様子はない。

 

 ()く言うわたしも、ルイさんの所までの距離は、マーチさんよりも遠い。

 

 風林火山の攻撃役(アタッカー)――確か《イッシン》さん――の麻痺は、ギルドリーダーであるクラインさんが慌てながらも、即座に解除していた。

 クラインさんの行動は、良くも悪くも、迅速且つ適切だった。

 

 

 ただし、その結果として。

 

 

 ボスのターゲットは、自然とルイさんに向くことになる。

 

 

「団長!」

 

 わたしは咄嗟に団長の名前を叫んだけれど。

 デュラハン本体からの刃鞭を防いでいた団長に、騎馬の行動を妨害する間は無かった。

 

「おぉぉおおおおお!」

 

 ステータスが敏捷寄りのマーチさんは全身のバネもフルに使うことで、ボスが突進の構えを取ったと同時にルイさんの元に辿り着いた。

 

 しかしそれは。

 

(間に合わない!)

 

 

 先程、セイドさんがアロマを抱えて助けたようにして。

 

 

 マーチさんがルイさんを抱えて跳ぶだけの時間が、無い事を意味している。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「おぉぉおおおおお!」

 

 咆哮と共に出来得る限りの加速をし、俺はミハル(・・・)の元へと跳んだ。

 

 だが。

 

 ボスが突進の予備動作に入ったのも、視界の端に捕らえていた。

 

 

 妙に、時間が経つのが遅く感じた。

 

(このままじゃ)

 

 おそらく、俺がミハルの元へと辿り着くと同時に、あのボスは突進攻撃のモーションを完了させる。

 

 団長殿も他のパーティーのやつらも、ボスの攻撃を防ぎつつ攻撃を仕掛けてはいるようだが、ボスが行動を中断させる気配はない。

 

(抱えて跳ぶのは間に合わん)

 

 《麻痺》で身動きが取れないミハルの視線は俺に向いている。

 今のミハルの視界からは、ボスは見えていない。

 

 ミハルには、危機的状況だということは、分からないだろう。

 

(まぁ)

 

 俺は。

 

(仕方ねーよな)

 

 その選択を躊躇わなかった。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 ルイルイが倒れていて、マーチがそこへ駆けつけたのは分かった。

 けど、私にはマーチがそこで何をするつもりなのか分からなかった。

 

 だって。

 

(――居合いの構え?)

 

 マーチは、ルイルイの元に辿り着くや否や、居合いの構えを取ったからだ。

 

 そして。

 

 何を想ってか。

 

 

 一切の迷いも躊躇いもない様子で。

 

 

 ルイルイに向かって、全力で刀を振り抜いた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

(コウ……ちゃん……)

 

 私の所に迷わず跳び込んできてくれたコウちゃんは、刀に手をかけていた。

 

「コ――」

 

 私が問いかけようとした次の瞬間。

 

 私は。

 

 

 コウちゃんに。

 

 

 

 斬られた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 俺は、ミハルに向けて全力で振り抜いた。

 

 

 当然、刀を鞘に納めたまま(・・・・・・・)、だ。

 

 

(しっかり受け止めてくれよ! アロマ!)

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 わたしは、マーチさんが何を考えているのかが分かった。

 

 分かってしまった。

 

 そして。

 

 

 それ以上の方法も、それ以外の方法も、無かっただろうことも理解できてしまう。

 

 

 あの状況でルイさんを助けるには、居合いの威力でルイさんを《殴り飛ばす》しかなかった。

 

 

 でもそれは同時に。

 

 

 

 マーチさん自身は、ボスの攻撃を回避する術を失うということだ。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 マーチの行動に、私は目を疑った。

 あの、ルイルイ命なマーチが、あろうことかルイルイを斬るなんて、と。

 

 でも、すぐに意味が分かった。

 

(マーチってば! やるじゃん!)

 

 鞘ごと振り抜く居合い技《氷雪(ヒョウセツ)ノイブキ》で、ルイルイを打ち上げたのだ。

 

 信じ難いほど強引な手段だ。

 それに、こんなことをしたマーチはオレンジカラーになってしまっている。

 

「っと!」

 

 飛ばされてきたルイルイを、私は全身を使って受け止めた。

 私のいる場所目掛けてルイルイを飛ばしたのも、見事だった。

 

(あんな一瞬で、よくまぁ!)

 

 マーチの技量には敵わないなぁ、なんてことを思いつつ。

 

 私は、受け止めたルイルイが《麻痺》と併せ、氷雪の効果で《気絶》していることを確認し――

 

 

 

「ッガッ!!」

 

 

 

 ――《浄化結晶》を取り出したところで、そんな呻き声が聞こえた。

 

 

 思わず、声の方向に目をやると。

 

 

「――っ?!」

 

 

 宙に打ち上げられたマーチの姿を目にして、私は呼吸することを忘れた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 これで、ミハルは助かる。

 

 

 だが。

 

(あ~、こりゃ躱せねぇな)

 

 俺の右手側から、既にボスの跨った白馬が突っ込んできていた。

 

 回避するには遅すぎる。

 この期に及んでは無理に回避を狙うより。

 

(少しでも、突進の勢いを受け流すしかねぇ!)

 

 俺は白馬の速度に合わせて――

 

(っ?!)

 

 ――少しでも受け流すべく体勢を変えようとしたのだが。

 

(刃鞭?! いつの間に!)

 

 俺の振り抜いた刀の鞘に、刃鞭が巻き付いていた。

 

 おそらくは、ボスがミハルに向けて振るった刃鞭を、俺の振り抜いた刀が受け止めていたのだろう。

 恐ろしい偶然もあるものだ。

 

 だが、この瞬間。

 

 

 俺は対応を誤った。

 

 

 咄嗟のことで、刃鞭に巻き取られた刀を、取り返そうとして引っ張っていた。

 

(しまっ――)

 

 失敗した、と思った時には。

 

 手遅れだった。

 

 

「ッガッ!!」

 

 

 気が付いた時には、騎馬にまともに撥ねられ、宙に居た。

 

 

 今の場合、俺は刀を即座に手放して、衝撃を受け流す体勢へと移行するべきだった。

 

(クッ……しくじった!)

 

 突進の直撃を受け、宙に打ち上げられた俺は、それでもまだ冷静だっただろう。

 確かに驚異的なダメージは受けたが、それで即死するほど防御力は低くない。

 

(下への落下ダメージも視野に入れて……今のうちに回復結晶を)

 

 使っておくべきだと、俺はポーチに手を――

 

「ぅ、ぉ?!」

 

 ――伸ばす前に、唐突に何かに《首》を引っ張られた。

 

 それも、今ボスが走り込んだ方向に。

 

(ぉ……い……嘘だろ……!?)

 

 引っ張られた反動か。

 俺は無意識のうちに、首に巻き付けられた刃鞭(・・・・・・・・・・・)を掴んでいた。

 

(まさか――)

 

 信じたくはない事だが。

 

 あの白馬の突進は。

 

(――スキルコンボの開始技かよ?!)

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

【ラフコフがボス情報を秘匿していた。そっちに何かするつもりらしい。気を付けろ。アルゴさんからです】

 

 

 ログからのメッセージと、部屋の外に出現した犯罪者(オレンジ)反応。

 この2つだけで状況は把握できる。

 

 

(ルイを麻痺させたのはラフコフ! あいつら!)

 

 まさか直接ボス攻略の妨害をしてくるとは、思いもよらなかった。

 

 

 俺は更に飛来し続ける、何かの毒が付与されたナイフやピックを、これ以上攻略メンバーを攻撃させぬよう、走りながら叩き落とす。

 叩き落とす時に、極々微小なダメージを受けるようにすることで、投げた奴らのカーソルをオレンジへと変化させる。

 

 現段階で、犯罪者反応は5つ。

 カラー回復クエストをこなした上でこちらに手を出してくるとは、念の入ったことだ。

 

 部屋を飛び出した俺は、すぐに犯罪者連中を視界に捉えた。

 

「貴様らぁぁぁあ!」

 

 こちらの存在を示すために一喝と共に走り込み、近すぎず遠すぎぬ位置で止まって身構える。

 

 想像通り、犯罪者(オレンジ)共は《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》のタトゥーをしていた。

 

 数は7。

 

 まだグリーンが2人いたが、俺の目的はこれ以上ボス部屋内部へと攻撃をさせないことが最優先だ。

 

(距離を保ちつつ牽制し、投剣を落とし続ける!)

 

 俺の姿を確認してか、犯罪者共は(にわか)にざわめきだした。

 

 

 

「ヨォ、セイド。久しいな」

 

 

 

 多数のざわめきに反して。

 

 静かに、悠然と、そいつは姿を現した。

 

 

「っ……PoH(プー)……!」

 

 

 殺人(レッド)ギルド《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》のリーダーにして、最凶最悪の呼び声高き殺人(レッド)プレイヤー。

 

 《PoH(プー)》。

 

 知らずに聞けば、思わず気が緩んでしまいそうな名前であるにも拘らず、奴はこの世界で最も忌むべきプレイヤーとして、その名を轟かせている。

 

 相変わらずの黒雨合羽(ポンチョ)に身を包んでいるが、この男は高いカリスマ性を兼ね備えた蠱惑的な容姿と声の持ち主だ。

 

「まさか、お前まで来てるとはな」

 

 俺は静かに、意識を最大警戒状態にまで引き上げる。

 

 PoH1人だけを相手にしても、勝てる見込みは低いが、今は更に多数の犯罪者(オレンジ)が――

 

「さて」

 

 ――不意を衝いたPoHの、不吉な笑みと。

 

「セイド。ここに来てしまったお前には、後ろの事態はどうしようもないな?」

 

 ――言葉に。

 

 

 俺は辛うじて《笑う棺桶》連中に背を向けることなく、踏み止まった。

 

 

 ボス部屋の中で発生したオレンジの反応。

 

 視界の端にあるパーティーリスト。

 

 

 その双方で、マーチがオレンジ化したことを理解した途端。

 

 

 そこにある《マーチ》のHPバーが。

 

 

 

 

 急激に、減少していった。

 

 

 

 

 



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第九幕・逆星

バルサ様、楽々亭様、蒼火様、天ノ弱様、シュケル様、路地裏の作者様、エミリア様、天ノ弱様(2回目)、ささみの天ぷら様、ZHE様、とみお様。
感想、ありがとうございます!!(>_<)

勢いに乗って早めに仕上がりました(>_<)
お楽しみいただければ何よりです m(_ _)m



 

 

 マーチが、白馬の突撃を喰らってしまった。

 

 

 私はルイルイを抱え、浄化結晶を手に持ったまま、それを見ていることしかできなかった。

 宙に打ち上げられたマーチ目掛けてボスが刃鞭を振るおうとしているのが、まるでスロー再生の様に見えた。

 

(おかしい――)

 

 マーチを撥ねる直前まで、ボスの刃鞭はマーチの刀に巻き付いていたはずだ。

 

 なのに、いつの間にかボスは左手にまで刃鞭を携えていた。

 右の刃鞭で、マーチの刀を絡め取り。

 

 今まさに、左の刃鞭をマーチへと振りかぶっている。

 

(――あいつまさか!)

 

 空中で身動きの取れないマーチを打ち刻むつもりか。

 それとも刃鞭を巻き付け、床や壁に叩き付けたりするつもりか。

 

 なんであれ、これは連携技の流れだ。

 

(あれは、阻止しないと――)

 

 ボスの刃鞭スキルコンボは、最注意攻撃だと、セイドに何度も言われていた。

 

 

 私は。

 

 

(――マーチが、死んじゃう)

 

 

 気を失ったままのルイルイと手に持っていた浄化結晶を、後ろにいるプレイヤー目掛けて一緒に放り投げた。

 

 マーチに1番近い私が助けるしかない。

 

 私にしか、できない!

 

(ごめんルイルイ!)

 

 投げてしまったルイルイには心の中で謝りながら、空いた手をそのまま背中の両手剣へと持っていく。

 同時に、全力で床を蹴って飛び出す。

 

 

「マーチィッ!」「マーチさんっ!?」『マーチ!!』

 

 

 キリトの叫びが、アスナの悲鳴が、攻略組の大勢がマーチを呼ぶのが聞こえた。

 

 

「――スッ!!」

 

 

 細く息を吸って両手剣を前に構え、突進系刺突技《レパード・チャージ》を発動。

 

 跳躍に剣技のアシストを乗せて一気に加速する。

 

 狙うのは、ボスの跨る白馬の後ろ脚。

 ボスが突進から着地した体勢のまま――つまり、マーチに後ろを向けている理由を想像した。

 

(あの体勢のままマーチに刃鞭を振るうってことは――)

 

 おそらく、ボスが仕掛ける追撃は、白馬による強烈な後ろ蹴り。

 

(――刃鞭で引き寄せてから、蹴り飛ばして、更に、刃鞭の剣技!)

 

 私が知っている刃鞭技とのコンビネーションからの予測でしかないけど。

 何もせずに眺めているより、可能性があるものに賭ける。

 

 《レパード・チャージ》は両手剣の剣技(ソードスキル)の中で、直線平面移動では最速・最長距離を誇る技だけど、デュエルじゃまず間違いなく使われず、モンスター相手にもほぼ使わない。

 軌道が単純すぎるからだ。

 

 でも、こういう風に距離を一気に詰めたいときには重宝する。

 

 視線だけでマーチの位置と状況を確認すると。

 刃鞭がマーチの首に巻き付けられていて、ボスがマーチを引き寄せたところだった。

 

(嫌な予測通りか!)

 

 

「――フッ!!」

 

 

 息を鋭く吐いて一気に剣を突き出す。

 

 単純な故に強力な一撃が白馬の後ろ脚に突き刺さり。

 

『――ッヒィィィイイイン!!』

 

 相応に大きなダメージに呼応して、首のない白馬が大きく(いなな)き身を(よじ)った。

 

 馬が暴れたことで跨っていたボスの動きが止まり、マーチが白馬のお尻に当たって私の傍に落ちてきた。

 

 スキルコンボの妨害に成功したらしい。

 

「マーチ! だいじょぶ?!」

「あ、あぁ……」

 

 マーチのHPは残り40%というところだった。

 ただ《眩暈(ディジィネス)》の阻害効果(デバフ)が発生している。

 

 フラフラと立ち上がりながらも、首に巻き付けられた刃鞭を何とかはずそうとするけど。

 

「くっ……!」

 

 眩暈のせいで上手くいってない。

 

「手伝う!」

 

 私も剣を背に戻して、マーチに巻き付いた刃鞭を解きにかかった。

 

 まずは、ボスから延びている刃鞭を掴んで、これ以上絞まらない様に――

 

「ガッ!」「あ!」

 

 ――しようと、したところで。

 

 刃鞭が昏い光を湛えて引っ張られた。

 

 眩暈を起こしているマーチは踏ん張ることもできず。

 

 かといって、私もそれを見過ごすわけにはいかない。

 

「うがぁぁああああああああ!!」

 

 

 私は全力で刃鞭を掴んで、ボスと綱引きをするような形になった。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 マーチのHPが、満タン状態から恐ろしい勢いで減少していく。

 

 それを視界の端にあるパーティーリストで確認――

 

「シャァァァッ!!」

 

 ――した瞬間、PoH(プー)の隣にいた片手剣持ちのオレンジの男が斬りかかって来た。

 

 俺が一瞬でも意識を目の前から逸らしたのを見抜いての行動だろう。

 だが。

 

 俺はその男が斬りかかって来たのに合わせて、剣を躱しつつ静かに素早く男の足を払う。

 すると、片手剣持ちは自らの勢いそのままに、俺の横を転がっていく羽目になった。

 

「オイおい、誰が手を出せって言った?」

 

 しかしPoHは、そんな仲間の失態を笑いながら冷ややかに見つめるだけ。

 

「ぅ……し、しかしヘッド――」

「その男に一撃入れたきゃ、1人で突っ込むなって言ってんだよ。分かるか? ゼロムス」

 

 独断でフライングしたらしい《ゼロムス》と呼ばれた男は、とりあえず体勢を立て直しながら、俺の後ろで剣を構え直したようだ。

 

「ヘッドォ! それでもゼロの奴、あいつの後ろに回りましたし!」

 

 耳障りな声を上げたのは、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》幹部の1人、毒使いの《ジョニー・ブラック》だ。

 

「無駄とは、言えないと、思うが。独断は、やめろ、ゼロ」

 

 途切れ途切れのような独特な喋りをしたのは、PoHの隣に立つグリーンの刺突剣(エストック)持ち――仮面を付けた《赤目のザザ》――だ。

 

「マ、今のは、セイドの背後を取るためだった、ということにしてやろう」

 

 反射的に迎撃した結果、背後に回られたのは俺のミス――

 

(――と、油断してくれるとありがたいんだがな)

 

 ボス部屋の状況を確認したい衝動を何とか抑えて。

 

 ゼロムスのことなど大したことでもないとばかりに笑みを浮かべているPoHには、自分の考えなど全て読まれているのではないかと、うすら寒いもをの感じつつも。

 

 俺は《笑う棺桶》の戦力の分析に努める。

 

 

 ゼロムスの攻撃は最適なタイミングだった。

 だからこそ攻撃される可能性が最も高いと、こちらも読むことができた。

 

 背後に回られても、相手が犯罪者(オレンジ)である以上《警報(アラート)》の察知から漏れることは無いので、多少の注意を払えば如何様にでも対処は可能だが。

 

(PoHのことだ……俺の対応が間に合わなくなるように何かを仕掛けてくるはず)

 

「それじゃぁセイド」

 

 俺に思考する間など与えないとでも言うように。

 

 PoHは大振りのダガー《友切包丁(メイトチョッパー)》を手の内で(もてあそ)びながら。

 

「イッツ・ショウ・タイム、と行こうか」

 

 堂々と、笑顔のまま。

 

 俺へと《死刑宣告》を突き付けた。

 

 

 

 PoHの宣告と同時に前方に居たオレンジ2名――片手斧持ちと片手戦鎚持ち――が僅かな時差を付けて正面から襲い来る。

 

 俺の後ろを取ったゼロムスは動かない。

 未だグリーンを維持しているPoHと、その隣にいるザザも動かない。

 

 残りの2名――片方はジョニー、もう一方は名も知らぬ短剣持ち――は俺を挟むように左右に展開し、毒の塗られたピックを散発的に投げる構えを見せている。

 

(同時に7人を相手取るのは――)

 

 現実世界であれば、迷わず逃げる場面だ。

 どう考えても多勢に無勢、勝ち目はない。

 だが。

 

(――久しぶりだが(・・・・・・)、何とかするしかないな)

 

 この世界では、何度となく想定してきた状況の1つだ。

 とはいえ、不利であることは変わらない。

 

笑う棺桶(こいつら)相手に、どこまで通用するか)

 

 俺は正面から斬りかかって来た片手斧を右手の籠手で受け流し。

 

「ずぇぁああ!」

 

 続けて受け流しができないタイミングを見計らった、戦鎚を下から振り上げてくる男の攻撃を。

 

「フッ!」

 

 呼気に合わせて体を捻りつつ左足で蹴り上げる(・・・・・)

 

「ぅぉ!?」

 

 戦鎚持ちは、思わぬ反撃だったのか、武器を持っていた手を蹴り上げられたことで《剣技(ソードスキル)》の途中で手を離してしまい、スキルが不発で止まる。

 

 俺は蹴り上げた足を即座に振り下ろし、横へと受け流した片手斧持ちの背中へと叩き付ける。

 

「ガハ!」

 

 体勢が流れていた片手斧はその一撃で地面へとうつ伏せに倒れ――

 

『ッシャ!』

 

 ――るより先に、ジョニーと短剣持ちが構えたピックが光を放つ。

 

 投剣スキル《スプラッシュビット》――散弾銃の如き、面制圧用のピック専用投剣技。

 

 全て喰らったところでダメージは大したことはないが、2人の持っていたピックは全て毒が塗られている。

 状態異常を狙っての散弾といったところだろう。

 

(というか、アッサリ味方も巻き込む辺りがラフコフらしい)

 

 俺の近くに居る戦鎚と斧持ちの2人も、当然のように巻き込まれる範囲技だ。

 

(喰らうのはバカバカしいが)

 

 基本が布装備の俺は、この技によるダメージでも軽視はできない。

 本来なら回避して見せるところなのだが。

 

(こいつ、タイミングが上手い)

 

 俺が即回避の行動を起こさなかったのは、背後に居たゼロムスが。

 絶妙のタイミングで片手剣用上段突進技《ソニックリープ》の構えを取っていたからだ。

 

 俺が右足一本で立っている状態で、2人をいなすために体を捻ってバランスを崩しており、ピックを回避するためには前方へと跳ぶしかない状況で。

 俺を後ろから追撃するようにゼロムスが構えている。

 

 見事な連携だ。

 軽金属装備のゼロムスは、ピックのダメージなど気にせずに斬り込めることも織り込み済み、というわけだ。

 

 ジョニーたちの《スプラッシュビット》も、俺が後方に跳んだら絶対に喰らうように範囲を上手くずらしている。

 

(前方に跳ぶ以外の道を用意していない)

 

 PoHの笑みは、変わらず。

 ここまで全て、PoHの想定通りなのだろう。

 

(おそらく、避けても避けなくても(・・・・・・)、か)

 

 ピックの雨は、叩き落とすには左右からの数が多い。

 

 かといって誘導されるがまま前方に跳べば、背後からゼロムスによる追撃と、前方に待機しているザザとPoHに隙を晒すことになる。

 

 動かずにピックを受ければ、ゼロムスがそこへ斬り込んできて、こちらの隙を作り出し、ザザかPoHが追撃の構えに入る。

 

(――ってところか)

 

 

 一瞬の思考。

 

 ジョニーたちの投剣技を俺がどう防いでも、PoHを出し抜けるとは思えないが。

 

「フッ!」

 

 俺は戦鎚を弾き飛ばされた男の襟首を掴み、引き寄せ、左――ジョニー側に放り投げる。

 

「ぉ?」

 

 これだけで《警報》に示されていた【範囲攻撃の予測】領域を半分消す。

 残り右半分だけなら、俺に当たるものだけ叩き落とすことも不可能じゃない。

 

「チィィ!」

 

 狙いを半分潰されたと分かったのか、ゼロムスが《スプラッシュビット》に合わせて《ソニックリープ》で突っ込んでくる。

 タイミングは、やはり絶妙。

 

(この男、幹部候補の1人かも知れん)

 

 などという、どうでもいいことが頭をよぎった。

 

 俺との距離を一瞬で詰めたゼロムスの剣が。

 短剣持ちの放ったピックの雨が。

 

 俺に届くか否かというところで。

 

 

 PoHが、視界の端で動いたのが見えた。

 

 

 俺に当たる軌道に合ったピックは7発。

 うち、4つを叩き落としつつ、ゼロムスの《ソニックリープ》と残りの3つのピックを、体を屈めるようにして回避。

 

 ――したのだが。

 

「くっ!」

 

 PoHは、俺を無視してボス部屋へと向かって走り出していた。

 

 俺はPoHの進行方向へと、バク転をするように強引に跳んだ。

 

「無理が、過ぎるぞ、《空蝉》」

 

 そんな俺の行動まで、予測の範疇だったのか。

 

 俺の真横に、赤目のザザが跳び込んでいて。

 

 ザザの手にしている刺突剣が、赤い光を放っていた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 俺はアロマの近くへと走り込んでいた。

 

 ルイさんをどう扱うかは分からなくても、アロマが次にしそうなことなら分かったからだ。

 

 まず間違いなく、マーチを助けに突っ込む、と。

 

 ボスの優先攻撃対象が《状態異常者》ということを抜いても、今のマーチを助けられるとすれば、一番近くに居たアロマだけだ。

 なら、ルイさんの回復を他に投げて突っ走るのが、アロマというプレイヤーだ。

 

 あまり長い付き合いではないが、そのくらいは俺にも分かった。

 

「アスナ!」

 

 俺はアスナの名を呼び、意識を切り替えさせる。

 

「っ! アロマとマーチさんのフォロー! D隊はルイさんを!」

 

 ルイさんを受け止められる位置に居たのはクラインたち《風林火山》だった。

 

 イッシンが麻痺から回復したところにルイさんが投げられたものだから、クラインも困惑していたようだが、それでもルイさんをしっかりと受け止めたのは流石だろう。

 

 風林火山のメンバーの1人が、すぐにアロマのが投げた浄化結晶を受け取り、ルイさんに――

 

「ッ?!」

 

 ――使う前に。

 

 

 アロマの突撃で動きを止めていたボスは。

 

 いつの間にか体勢を入れ替えていて。

 

 

 右の刃鞭を。

 

 

 ルイさん目がけて振り下ろすところだった。

 

 

「っさせるかぁッ!」

 

 咆哮と共に、俺は相棒たる黒い長剣(エリュシデータ)を握りしめ、体を転倒直前まで前に倒し、片手剣用突進技《レイジスパイク》でボスとルイさんの間に滑り込み――

 

「ぉぉおおッ!!」

 

 ――ギリギリのタイミングで刃鞭用重連撃剣技《ディスペア・グリーフ》を弾くことに成功した。

 

 あれは、相手に刃鞭を巻き付け、それを引き戻す際に多大な連続ダメージを与える、要注意の技だ。

 

 巻き付けられた状態からでも発動が可能で、それが首などの急所だった場合、一撃でHPの半分以上を持っていく可能性すら――

 

 

「うがぁぁああああああああ!!」

 

 

『――?!』

 

 ――唐突に。

 

 唸り声が上がった。

 

 

「アロマ!?」

 

 アスナが、叫び声の主を呼ぶが。

 

「なっ!」

 

 俺は、その理由を、理解した。

 

 

 アロマの突撃で、スキルコンボを中断させられたボスだったが。

 

 いつの間にかマーチの首には、刃鞭が巻き付いていて。

 

 それが、昏い光を放ちながら、引き抜かれようとしている。

 

 先ほどルイさんを襲おうとした《ディスペア・グリーフ》だ。

 

 マーチのHPは先の突進を受けた時点で注意域(イエローゾーン)に差し掛かっていたはず。

 

(マズイ! あのまま喰らったら!)

 

 防御力が高いとか低いという問題ではない。

 弱点に設定されている《首》への、剣技のヒット。

 

 マーチのHPを残すことなく磨り潰すのが、否応なく予測できた。

 

「アロマ!」

 

 俺はアロマの名前を叫んで駆け出し。

 

 アロマはマーチの首へと巻き付いていた刃鞭を引き抜かせまいと、全力で引っ張っていた。

 刃鞭と首が擦れぬように、締め付けを緩める様に。

 

 しかし――

 

「んぬぁぁぁぁぁぁぁああああっ!!」

 

 ――僅かに均衡したように見えた《綱引き》も、ボスの筋力値がアロマのそれを上回っていたようだ。

 

 何とか刃鞭から抜け出そうとマーチももがいていたが。

 刃鞭を握り締めるアロマと共に、マーチはボスへと引き寄せられながらHPを削られてゆく。

 

「させるかぁぁぁぁぁぁぁああっ!!」

 

 アロマの雄叫びも、気合いも届かず。

 俺が駆けつけるよりも早く。

 

 

 刃鞭は。

 

 

 

 

 無情に引き抜かれた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「ッ!」

 

 赤目の刺突剣(エストック)が《剣技》の光を放ち、俺へとその切っ先を突き出す寸前。

 

 俺は両膝を引き寄せて体を丸め、バク宙のような形に体勢を入れ替えた。

 その際、膝がザザの顔をするような軌道を取ることで、ザザの視界を遮り剣の軌道を僅かにずれさせる。

 

 ギリギリのところで、奴の刺突剣は俺の背中を掠めるに終わった。

 

「なかなか、やる、な」

 

 俺としては、PoHに肉薄したところでこれをやりたかったのだが、致し方ない。

 

 後方への跳び込みと急回転による勢いを殺し切れず、俺は床を後転するように移動する羽目になったが。

 2回ほど転がった辺りで両手をついて飛び退く。

 

 ザザは《剣技》の技後硬直によって先ほどの位置からは然程動けていない。

 

 だが。

 

(PoHは!)

 

 俺は、災厄の権化の姿を探し視線を巡らせ――

 

「ぁ?」

 

 ――その姿を捉えた途端、奴が俺へ向けて浮かべていた表情の意味が分からなかった。

 

 

 PoHは。

 

 ボス部屋へなんて駈け込んでいなかった。

 

 駈け出した奴を止めようと跳んだ俺が、ザザに気を取られた時からほぼ動くことなく。

 

 歩みを止め、ただ悠然と立ち、昏く深い笑みを湛えていた。

 

「なん――」

「お前は、読み誤った」

 

 俺が口を開くのを見計らっていたように。

 PoHが笑みを深くしながら台詞を被せてくる。

 

「俺に注意するのではなく、あいつらに注意するべき場面だったはずだ」

 

 このPoHの言葉で。

 

「だが。お前は俺に気を取られ過ぎた」

 

 俺はここに来た最大の目的を思い出す(・・・・)

 

 

 俺の目的は、ボス部屋内部へと攻撃をさせないために、距離を保ちながらこいつらを牽制し、放たれる投剣を落とし続けることを最優先としていたはずだ。

 

 

 いつから、こいつらを相手に立ち回ることへと意識をシフトさせられた?

 

 

「っく!」

 

 慌てて――

 

「遅い」

 

 ――本命であったはずの《ジョニー・ブラック》と、短剣持ちを探そうとした俺を。

 

 正面から、ゼロムスの《ヴォーパルストライク》が薙いだ。

 

 

「グッ!!」

 

 

 《警報》の警告すら目に入っていなかった俺は、それを避けるのが圧倒的に遅れた。

 

 辛うじてバックステップすることができたことで致命傷こそ避けることができたものの、一撃でHPの半分を持って行かれた。

 

「っしゃぁああああ!」

 

 それと同時に。

 

 

 俺の僅か後方から、ジョニーの歓声が耳朶を打った。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 首を削られたマーチは。

 

 

 

 

「~~っ!!」

 

 

 

 

 奇跡的に。

 HPを数ドット残して、床に倒れ込んだ。

 

 

 

 それは、アロマが引き寄せた奇跡だろう。

 

 刃鞭をアロマが掴んでいたことで、僅かにでもダメージを軽減させ。

 その前の白馬への一撃がスキルコンボを止めたからこそ、マーチのHPが残ったのだ。

 

「マーチッ!!」

 

 俺の悲鳴に近い叫びに、アスナが行動で答えた。

 

 俺と同様に、マーチとアロマの元へ駆けつけようとしていたアスナは、閃光の名にふさわしい速度でマーチの傍に辿り着き。

 

「ヒール! マーチさん!」

 

 即座に回復結晶でHPを全快させた。

 

「ふぅ……」

 

 俺はそれを確認して、思わずため息を吐いていた。

 

 本当にギリギリのところでマーチは命を拾った。

 その奇跡を引き寄せたアロマの行動は、誰にでもできることではない。

 

「すげーよ! アロマちゃん! よく――」

 

 クラインが声を上げ。

 

 俺も視線をアロマに向けたところで。

 

 

 

 

 マーチを救おうと、刃鞭を掴んでいたアロマは、ボスが刃鞭を引き抜く動きに合わせて釣り上げられたようにして宙に浮いていた。

 

 

 そのアロマの胸と首に。

 

 

 紫色に光るナイフが、それぞれ2本ずつ、突き刺さっていた。

 

 

「え……?」「は?」「なっ……」

 

 

 俺も含め、全員がそんな間の抜けた音を発した次の瞬間。

 

 

 

 

 ボスの刃鞭が。

 

 アロマを空中で何度となく打ち付けた。

 

 

 

 

「ぁ……アロマぁぁぁぁぁ!!」

 

 アスナの悲鳴が響く中。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アロマのHPバーが消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は、ジョニーの上げた歓声の意味が分からなかった。

 

 

 奴ら2人が放ったであろう毒の塗られた投剣の軌跡。

 それは明らかに空中へと向かっていた。

 

 

 そんなところに誰かが居るとは思えない。

 

 

 ふと、パーティーリストに目がいった。

 

 

 パーティーリストにあったマーチのHPは全快している。

 誰かがマーチを回復させたのだろう。

 ルイの《気絶》も《麻痺》も回復されている。

 

 

 

 その代わりに。

 

 

 

 アロマのHPは、何故か半分近くまで減少していて、

 

 

 

 その名前の横には《虚弱》を示すアイコンが点灯していて、

 

 

 

 

 

 次の瞬間。

 

 

 

 

 

 アロマのHPが一気に減少を始め。

 

 

 

 

 0へと至り。

 

 

 

 

 名前の下にあるHPバーが。

 

 

 

 消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ア…………ロ…………マ…………?」

 

 呆然と。

 

 アロマの名前を呼ぶのが精一杯だった。

 

 

 何が起きた?

 

 

 ――分からない。

 

 

 何があった?

 

 

 ――分からない。

 

 

 耳障りな声が何かを言ったように聞こえた。

 

 

 ――何を言ったか分からない。

 

 

 

 ボス部屋へと身体を向けた。

 

 後ろから、誰かの声が聞こえたような気がした。

 

 

 そんなことはどうでもいい。

 

 

 《警報》の警告が何かを示した。

 

 

 そんなこともどうでもいい。

 

 

 体が何かに反応して左右に揺れた。

 

 

 それこそどうでもいい。

 

 

 

 パーティーリストにあるアロマの名前が。

 

 何故、灰色になっている。

 

 

 尚も身体がフラフラと揺れる。

 

 ユラユラと動く。

 

 だが、前進している感覚がない。

 

 

 足を見る。

 

 

 全く前に動いていない。

 

 立ち止まっている。

 

 だが、小さく前後左右には揺れて動いている。

 

 

 

 

 さっきから何なんだ。

 

 この意識に引っかかる五月蠅いものは。

 

 

 今はアロマのことを考えねばならないのに。

 

 

 とてもよく見慣れたものが、よく聞きなれたものが。

 

 身体を小刻みに動かしている。

 

 

 あぁ《警報》の警告か。

 

 

 さっきから反応しているのは――

 

 

「お前らか」

 

 

 ――6人のオレンジカラー共。

 

 

 

 

 ふと。

 

 意識が、少し前に聞こえた耳障りな男の台詞を再生した。

 

 

『ウハハハッ! やったぜ()ったぜ! やっと()り損ねてた《戦車(チャリオット)》を仕留めたぜぇ!』

 

 

 

 思考が少し回転する。

 

 

 アロマが虚弱に陥ったのは、この耳障りな声の――ジョニーのせいか。

 

 

 理性が、何かを訴えかけるが無視。

 

 本能が、何かを抑えようとするが無視。

 

 

 

 体が、頭陀袋を被った男へと向く。

 

 

 

 色々な警告が五月蠅く響く中。

 

 

 それら全てに、体が無意識に反応する中。

 

 

 

 全身の力を抜き、その直後、全力を込めて地を蹴る。

 

 

 

 

 

 

 

 湧き上がるのは。

 

 

 ただただ、純粋な。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  《殺意》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《ジョニー》と《ジュニア》のナイフで《戦車(アロマ)》が虚弱に陥らなければ。

 

 あの女は死ぬことは無かっただろう。

 

 

 ボスの優先攻撃対象の情報。

 視線による状態異常効果の情報。

 

 俺達が今回、奴等より先んじて入手した攻略情報の中で秘匿したのはこの2つだけ。

 

 ただ、致命傷となり得る2つ。

 

「ザザ、ジョニー、俺はこれで引き上げる。お前たちも適当なところで引き上げろ」

「ヘッド、最後まで、楽しまない、のか?」

「ちょ、ヘッドォ! この機会にあいつら全滅させちゃいましょうよぉ!」

 

 ザザとジョニーは俺の今回の目的を分かっていなかった。

 

「目的は果たした。奴らと本格的にやり合うのはここじゃない」

 

 今回は、あくまでもボス攻略に乱入し、数名の死者を出すことが目的だ。

 

「この人数で、攻略組の主戦力を相手にするのは、分が悪いからな」

 

 とはいえ。

 ここでこいつらの興を冷めさせてしまうのも問題か。

 

「ボスが倒されるまでの間なら、好きに楽しめ。そいつも相手をしてくれるだろう」

 

 俺は攻略組において、ある意味、最も警戒すべき相手《だった》男を視線で指さした。

 

「もう、抜け殻、だろう。殺して、終わる、つまらない、相手だ」

 

 ザザは言うが早いか、刺突剣を抜いて《ニュートロン》の構えに入り――繰り出していた。

 

 技の出が最速の細剣カテゴリの剣技だが、同じ刺突(ピアース)属性の刺突剣でも使用が可能だ。

 これを、背を向けているセイドに繰り出すとは、ザザも情けを知らない。

 

 だが。

 セイドは、それを見ずに躱していた。

 

 ほんのわずかに体を揺らすだけの、最小の動きで。

 

「ホゥ」

 

 多少の期待はしていたが、よもやアレを躱す程度には意識を保っていたのか。

 

 と、思ったのだが。

 

「サッサと死ねよ! 死に損ないが!」

 

 叫びとともに飛び出したジュニアの《ラピッドバイト》も。

 それに続いたゼロムスの《バーチカル・アーク》も、片手斧の《ベアーズ・ネイル》も、戦鎚の《ライノパクト》も。

 

 全てを紙一重で躱し。

 

 

「お前らか」

 

 

 そんな呟きが聞こえて。

 

 セイドは、ゆらりとジョニーへ向き直った。

 

 

 そのセイドの瞳を見て。

 

 昔こいつに感じたものに、間違いはなかったのだと確信する。

 

「ホラ、楽しませてくれそうだぜ? 思う存分やると良い」

 

 俺の台詞を聞いているのか居ないのか、分からないが。

 こちらの6人は、セイドへと、何かに突き動かされるように攻撃を開始した。

 

 

 それを確認したところで踵を返し――

 

 

「イイ目になったな、セイド。やはりお前は――」

 

 

 ――俺は下へと降りる階段を歩きながら。

 

 

「――こちら側の人間だよ」

 

 

 そう呟かずには居られなかった。

 

 

 

 

 

 



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第十幕・星の正位置

Lhaplus3様、楽々亭様、バルサ様、堂場様、天ノ弱様、路地裏の作者様、ささみの天ぷら様、ポンポコたぬき様、チャマ様、taints no様、赤介様。

感想ありがとうございます!!m(_ _)m
返信が遅くなったこと、そして投稿が遅くなったことを、この場をお借りしてお詫び申し上げます!m(_ _)m

時間がかかった分、というわけでもないですが……今回は文字数が多いです……(;一_一)



 

 

 

 

 

 アロマのHPバーが消滅。

 

 アロマの名前がグレー。

 

 

 

 

 

 

 もう――

 

 

 

 

 

 

 

    おまえらの  いのちなんて   どうでもいい

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界から色が消え、白と黒だけで構成された風景になった。

 

 

 全力跳躍からの蹴りでジョニーを壁に叩き付け、続けて追い討ちに入ろうとしたが。

 他の5人が邪魔をする。

 

 そいつらの攻撃は全て回避するも、ジョニーには距離を開けられてしまう。

 

「な、何なんだコイツ?! なんでこれだけの攻撃で、掠りもしないんだよ!?」

 

 ジョニーとは別の、アロマを死なせたもう1人の共犯、ラフコフの短剣使いが喚く。

 

 あいつも、生きては帰さない。

 だが、今はまず、主犯のジョニーだ。

 

「落ち着け、ジュニア、抜け殻に、理屈は、いらない」

 

 赤目のザザがそいつの名前を呼びつつ、落ち着かせようとしている。

 

「アル、ゼロ、シン! キッチリ連携かけて殺せぇ!」

 

 ジョニーが、立ち上がりながら片手戦鎚持ち・片手剣持ち・片手斧持ちに発破をかける。

 言われた通りに、まず2人が連携をかけてくるが。

 

 

  うっとおしい

 

 

「な、んで!」「躱せんのかよ、これも?!」

 

 アルとシンと呼ばれた奴らが攻撃を避けられたことに焦り。

 その隙に、2人とも床に叩き付けて身動きを短時間だが封じる。

 

「オォォォォォオオオ!」

 

 その動きに合わせて、ゼロムスが片手剣を赤い光に包みながら斬り込んでくるが。

 

 

  こいつにも  ようはない

 

 

 回避するのも面倒で、籠手を使って斬り込まれた剣の腹をぶん殴り、床へと叩き付ける。

 《剣技(ソードスキル)》の軌道を大幅に変えたことで、ゼロの技が途中で止まる。

 技後硬直によって動けなくなったゼロの頭を、無造作に《竜尾旋(リュウビセン)》で蹴り抜く。

 

「ッブ!?」

 

 空気の抜けるような音とともに、ゼロの身体が独楽の如く回転しながら吹き飛んだ。

 

 とりあえず邪魔なのは、3つ止めた。

 前方には、ジョニーが居るのみ。

 

 

  さあ  しね  ジョニー

 

 

 だが。

 隙があると見たのか、右手から、超高速の刺突剣技が襲ってきた。

 

 

  ザザ  か

 

 

 確かに速い。

 だが、直線軌道のために対処は容易い。

 

 ザザの放ってきた連続刺突技の初撃を、掴み取って止める。

 

 

  これも  じゃまだ

 

 

 連撃故に、突きの後に引かねばならない動きが阻害されて、アッサリと《剣技》が止まる。

 

「止めた、だと?」

 

 冷静なザザの声にも、流石に動揺の色が滲んだように聞こえたが。

 

 

  おまえも  どうでもいい

 

 

 少々うざったく感じたから、掴んだ刺突剣の剣身を、そのまま握って圧し折った。

 

「くっ、こいッ――ゥグ?!」

 

 ジョニーを殺したいのに、邪魔されても煩わしい。

 刺突剣(エストック)を握り折った直後、ザザの顔面を《閃打(センダ)》で打ち貫き、続けて《崩烙(ホウラク)》《ベヘモスブル》《弦月(ゲンゲツ)》《スパイラル・ゲイル》と立て続けに打ち込んで通路の壁に叩き付けて動きを止める。

 

 

  まだ  いきてるか    まあ  どうでもいい

 

 

 ザザのHPが3割ほど残っているのを確認し、そのままジョニーへと視線を移す。

 

「おいおいおい! テメェこんなにやれる奴だったか?!」

 

 訳の分からない非難を浴びせてくるジョニーが、お得意の毒ダガーを構えて、しかし動かずにいる。

 

 走るでもなく、ただ歩いてジョニーとの間合いを詰める。

 頭陀袋を被っているので表情は分からないが、焦っている様子を見せるジョニーは、大して狙いもせずにピックやナイフを投げ放つ。

 

 叩き落とす意味も見出せず、歩みを止める価値すらなく。

 首を傾け、身体を捻り、前進を続けながら全てを回避する。

 

「クッ……こんのぉぉおおおっ!!」

 

 自棄になったか、覚悟を決めたか。

 ジョニーが大型のダガーを構えて、死角へ回り込むように動きながら間合いを詰めてくる。

 

 なかなかの速度だが、攻略組にはもっと早い奴も居る。

 所詮はその程度。

 

「ジュニアァッ!」

 

 ジョニーの怒声で、ジュニアも動き出す。

 

 

  はさみうちていどで  どうにかなると  おもいたいのか

 

 

 この期に及んでも、この程度の策しかない。

 そんな程度の奴に、アロマへの攻撃を許したのか。

 

 

  はらだたしい

 

 

 ジョニーが、ではない。

 ジュニアが、でもない。

 

 

 他でもない、自分自身に。

 

 腹が立つ。

 

 憤る。

 

 嫌悪が募る。

 

 恨めしい。

 

 

 自分の至らなさが、この結果を招いた全てだ。

 

 

 

  とりあえず  おまえらも  しね

 

 

 

 この2人を殺した後、どうするかは、既に決まっている。

 

 

 周囲を走りながら、散発的に投剣を使用するだけのジョニーとジュニア。

 

 間を見て踏み込むと、それに合わせて飛び退く。

 間合いを詰めさせないまま時間を稼ぐつもりらしい。

 

「アル! シン! さっさとザザを起こせ! ゼロ、テメェも――」

 

 喚き散らすジョニーの耳障りな声すらも、意識から切り離した。

 

 何を喚こうと、何をしようと、こいつを殺すことは変わらない。

 忙しく移動を繰り返しながら、ジョニーは間合いを保とうとしているが。

 

 

  うごきが  たんじゅんすぎる

 

 

 上手く誘導されたことに、事ここに至って、ジョニーはようやく気付いたらしい。

 

 奴は、背を壁にぶつけて動きを止め、何やら苛立たしげな身振りを見せる。

 右手を引き絞り、指を曲げ、掌底のスキル《熊衝打(ユウショウダ)》をジョニーに向けて突き出す。

 

 当然、ジョニーは回避。

 衝撃系重単発のこれを軽装のジョニーが防いだりすれば、防御の反動で確実に動きが止まるからだ。

 予備動作が大きく、分かりやすい《熊衝打》を躱しながら奴もダガーを振るうが、それは敢えて受ける。

 

 通常攻撃でしかないダガーを受けたところで状態異常に陥らないことは分かっていた。

 躱されるとでも思っていたのだろうジョニーは、ダガーが当たったことで逆に動きが鈍り、その隙をついて、ダガーを握っていた腕を左手で掴んだ。

 

 そうして動きを止めた所で、右手で貫手の形を作り――

 

 しかし、それをジョニーに向けて突き出す前に、背後から攻撃がくる。

 渋々ジョニーの手を放し、身を屈めて背後からの攻撃を回避し、小さく身を捻る。

 

 邪魔をしてきたザザに、体を伸ばしながら貫手を繰り出す。

 紅い眼を狙ったそれは、反射的に首を横に振ったザザの耳を掠めて終わる。

 

 貫手を放った直後、腕が伸びきるところを狙ってゼロムスが左側から斬り込んでくる。

 更に右に身を捻り、右の裏拳でゼロの振るった剣を握る右手を殴打。

 ゼロが剣を取り落とすと同時に右の籠手に剣が当たるが、角度的に受け流す形になり、微かなダメージのみで終わる。

 

 

  じゃまだ  こいつらから  かたづけるか

 

 

 更に続けてアル、シン、ジュニアの攻撃も躱し、受け流し、反撃する。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな流れを、何度か繰り返したところで。

 

 

 ジュニアが自棄になったように投剣をばら撒いてきた。

 ピックもナイフも無差別に、全ての武器を投げつけるように。

 

 それを避け、叩き落としたところで背後から1人が突っ込んでくる。

 片手戦鎚持ちのアルだ。

 

 背後に誘導したアルの攻撃を回避すると、大技を外したアルに決定的な隙ができた。

 他の邪魔も間に合わない距離がある。

 

 

 

  まず  ひとり

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

(おいおい! 冗談じゃねえぞ!)

 

 俺は歯を食いしばりながら奴――セイドを睨むしかなかった。

 

(こっちは6人がかりで囲んでるってのに、なんであのヤローに一太刀もまともに浴びせられねーんだ?!)

 

「ザザァ! しっかりしやがれ! 何やってやがんだよ!」

「お前も、人のことは、言えんだろう」

 

 苛立ち紛れにザザに喚いちまったが、人のことを言えねーってのは分かってた。

 刺突剣(エストック)を折られたザザは、以前手に入れた逆棘の短槍を使っていたが、奴にはまったくかすりもしない。

 刺突剣に比べれば、攻撃を当てられる範囲が広くなったというのに、だ。

 

(ザザのあの速度で突き出される幅広の短槍を、なんで見もせずに躱せんだよ!)

 

「何かあるってヘッドが言っちゃいたけどよ。ありゃ、なん――」

 

 俺がザザにそう話しかけたところで、セイドが蹴り技でこっちに跳んでくる。

 

「――ぅおおっ?!」

 

 間違いなく、俺を真っ先に殺そうとして狙ってやがる。

 そして、大技のように見えるこういう攻撃に、反撃なんぞしようもんなら――

 

(誰がその手を喰うかよ! 流石にもう同じことは繰り返さねぇ!)

 

 ――手痛い逆襲を喰らうってのは、身に沁みて分かった。

 

 今俺が握ってるナイフは、5本目。

 (ことごと)くダガーやナイフを叩き落とされて、ストレージにゃもう、投剣用の武器しか残ってねぇ。

 

「くそったれ! どういう理屈で動けてんだよコイツ!」

 

 俺とザザが回復するために他4人が攻撃を仕掛けていたはずだ。

 だってのに、コイツはその攻撃を躱しに躱して俺へと蹴り技を放つ間さえ作りやがる。

 

 いや、それ以上に。

 

(ヤベェ感じがしやがる。全体の流れを持ってかれてんな)

 

 俺ら6人の動きをあいつに管理されてるって感じがする。

 

「おいザザ、こいつぁ!」

「ヘッドと、同じような、雰囲気、だな」

 

 ザザも俺と同様の感想を持ったらしい。

 今のこいつは、まるでヘッドみたいだ、と。

 

「ジョニーさん! ザザさん! どうしたらいいんすかこれ!」

「クッソォ! 掠りもしねぇ!」

 

 口々に喚くジュニアら4人を、俺は一瞥し――

 

(チッ……6人がかりで、たかが1人を殺せなかったってか……へこむぜ、こりゃ……)

 

 ――ザザに視線を向けると、ザザは小さく頷いた。

 

「ジュニア、投剣ありったけばら撒け。シン、ゼロ、俺とザザに合わせろ。アル、背後から全力でぶっ叩け」

 

 視界の端でボス部屋の様子を窺った俺は、これまでだと見切りをつけた。

 

 どうやら攻略組の連中は、ボスを撃破するための最後の攻勢に出ている。

 ボスが沈むのに後1分はかかんねぇだろう。

 

「うぉらぁぁぁぁああああ!」

 

 ジュニアが持っていたピックやナイフを全て投げ付けていく中、セイドがアルに背を向け、それらを回避或いは叩き落としていく。

 

「ぅおぉおぉおおおおお!」

 

 アルはそれを好機と見たのか、俺の言ったことを守ったのか、片手戦鎚の最大威力の剣技(ソードスキル)で突っ込んでいく。

 俺はそんなアルの背後に回って右手を小さく振る。

 

『っ?!』

 

 それを見たジュニ、シン、ゼロが揃って息を飲んだ。

 ザザは既に転移結晶を手に持っている。

 

 撤収の合図。

 

 これ以上やり合っても、旨味はねぇ。

 それに、アルが突っ込んだのと同時に、ボス部屋から誰かが走ってくるのが見える。

 

 今退かねぇと、攻略組連中をまとめて相手にする羽目になりかねねぇ。

 アルを捨て石にして、俺らが転移する時間を稼いだわけだ。

 

(ケッ……《指揮者(コンダクター)》って名にゃぁ、戦場管理って意味もあったってか……)

 

 俺ら5人が転移結晶を手に、転移先を口にしたところで、セイドがアルを床に叩き付けたのが見えた。

 

(ヘッドと同質、か……クソッ……厄介な奴が居たもんだぜ……)

 

 それを確認したのを最後に、俺らはこの場を後にした。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 アルを床に叩き付けたところで、オレンジ反応が5つ消え。

 

 

 別のオレンジ反応が猛スピードで突っ込んできた。

 

 

  おれんじの  ぞうえんか?

 

 

 アルを壁に蹴り飛ばし、気絶したのを確認したところで、7つ目のオレンジが掴みかかってくる。

 

 それを回避し、相手の突進に合わせて拳を突き出す。

 カウンターとして拳が犯罪者の顔に突き刺さ――

 

 

  こいつ  はやいな

 

 

 ――るはずだったのだが、7人目は寸前で身を捻り躱した。

 

 何かを喚いているようだが、聞く気が無いので聞こえない。

 

 

  ジョニーを  おう  じゃまをするな

 

 

 とはいえ、先ほどまでの6人より腕が立つのは確かなようだ。

 

 仕方なく、正面に見据えて構える。

 対する刀持ちは、まだ何かを口走っていたが。

 

 

  う る さ い

 

 

 気にせず仕掛けた。

 

 刀持ちは、刀を鞘から抜かず、構えもしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 数回の攻防を経て、刀持ちは苛立たしげに刀に手を置いた、

 

 鞘に納めたままの柄に手を置き、刀を構える。

 

 居合いの使い手らしい。

 

 

 

  い  あい  ?

 

 

 

 何か、意識に引っかかった。

 

 いや、そんなことはどうでもいい。

 アロマを殺した犯罪者の仲間が相手という事実は変わらない。

 

 

  おれんじは  ころす

 

 

 刀持ちの構えに呼応して構え直し、相手の繰り出した超高速の3連続居合い技を籠手で受け流し、回避し。

 

 しかし最後の1撃に、右手を籠手ごと斬り飛ばされていた。

 

 

  さばききれない  これは

 

 

 

 

 マーチの居合いに似ている――

 

 

 

 ――いや、同じ?

 

 

 

  マ ー チ ?

 

 

 

 うっすらと、

 

 ぼんやりと、

 

 世界に色が戻り、音が戻っていく。

 

 

 

 

 

 

「セイド! しっかり……して! もう……終わったの!!」

 

 

 

 

 

 

 呆然と立ち尽くした《()》の背後から、とても懐かしく思える声が聞こえ。

 

 やはり背後から、力強く、抱き締められた。

 

 

 

 

「……アロ、マ……?」

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「ぁ……アロマぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 アスナの叫びが部屋に響く中、俺は無意識のうちに走り出していた。

 

 アロマが何故、ボスの攻撃対象にされたのか。

 おそらく、あの紫色のナイフが原因だろう。

 何らかの状態異常を引き起こした2本のナイフは、明らかにボス部屋の外からの物だ。

 

 だが。

 

 そんなことはこの際どうでもいい!

 

「クラインッ!!」

 

 クラインの名を叫び、アロマが落下する地点へと跳び込み、全身で受け止める。

 

「急げっ!!」

「おう!!」

 

 猶予時間は10秒(・・・・・・・・)

 クラインの位置なら間に合う(・・・・)

 

 俺は続けてヒースクリフを呼ぼうとし。

 

「全隊、専守防衛! 立て直す!」

 

 それよりも早く、かの団長殿は、ボスの刃鞭を十字盾と十字剣で見事に弾き落としながら、力強く指揮を執った。

 

 それを確認した俺は、すぐにアロマを抱えて走り出した。

 こちらに駆け寄るクラインの元へと。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 気が付くと。

 

(……アス……ナ……?)

 

 アスナが俺に回復結晶を使用していた。

 どうやら助かったらしい。

 

(……助かったか……)

 

 一瞬とはいえ意識を失っていたらしい。

 

 覚えているのは、アロマが俺を助けに来たが、刃鞭の技は止まらず引き抜かれたところまで。

 これまでになく、死に近づいたが、辛うじて助かったらしい。

 

(こりゃぁ……アロマに、でっかい借りだな……)

 

 阻害効果も抜け、HPも回復した。

 ボス戦は続いている。

 

 俺も戦線に戻るべく体を起こし――

 

 

「ぁ……アロマぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 ――そこで、傍らにいたアスナが、叫んだ。

 

 アスナに叫びに促され、俺は視線をアスナの見ている先へと向ける。

 そこには。

 

 

 宙に浮かされ、刃鞭によって切り刻まれたアロマの姿があった。

 

 

(な……に?!)

 

 あまりの出来事に声は出なかった。

 ただ茫然と、立ち上がることすら忘れて、その光景を眺めてしまっていた。

 

(嘘だろ……オイ……)

 

 アロマのHPを確認して、それが消滅するところを見てしまった。

 

 この世界でのHPの消滅は、イコール《現実の死》だと。

 

 今更ながら、思い出す。

 

 思い直す。

 

 そして、理解する。

 

 

 アロマが、死んでしまうということを。

 

 

 HPバーが消滅したプレイヤーには、回復結晶は使えない。

 効果も無い。

 

 もう、アロマを助ける術は――

 

 

「クラインッ!!」

 

 

 ――そんな絶望に縛られかけていた俺の意識を、キリトの鋭い声が貫いた。

 

 キリトは何を想ってか、HPバーが消滅してしまったアロマを落下から受け止めた。

 

「急げっ!!」

「おう!!」

「全隊、専守防衛! 立て直す!」

 

 キリトがクラインを呼ぶと共に、ヒースクリフが指示を出した。

 

 アロマを抱えて走るキリトの眼は。

 

 

(何か、ある)

 

 

 絶望していなかった。

 希望を持って絶望に抗おうとする意志がある。

 

(なら……俺がすることは!)

 

 俺は体勢を直しながら、ポーチから瓶を1つ取出し即座に飲み干す。

 

 そして。

 

 全力で駆けだす。

 

 

「邪魔させねぇぇぇぇええ!!」

 

 

 キリトとクラインの間に割り込もうとしていた《デュラハンの首》に、居合い剣技《大地(ダイチ)(マタタ)キ》を叩き込み、壁へと吹き飛ばした。

 

 どのような希望があるのかは分からないが。

 今、ここでキリトとクラインが止まってしまうことは、その希望が潰えることになるのだろう。

 

 ボスの首を止めねば、事態は悪化する。

 

 俺が為すべきは、状態異常の元凶をあいつらに近づけさせないことだ。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「ルイ姐さん?! 大丈夫ですか?!」

 

 私が目を覚ましたのは、風林火山の人達に囲まれた状態でだった。

 

「……あれ……?」

 

 意識が現状に追いつくまでに、少しラグがあった。

 私は確か、何故か麻痺して。

 駆けつけてくれたコウちゃんに。

 

「~ッ!?」

 

 そう、コウちゃんに斬られた、はずだ。

 

「回復済んでます! しっかりして下さい!」

 

 風林火山の壁戦士の人が、私にそう声をかけてくる。

 

「ぁ、うん、大丈夫……でも……何が……?」

 

 周囲を見回すと、離れた所にマーチん(・・・・)とアスナんが一緒に居て。

 マーチんは、オレンジカラーになってて。

 

(やっぱり、私、斬られた……?)

 

 マーチんがオレンジになる原因は、それしか思い当たらなかった。

 けど、風林火山の槍持ちの人のこの言葉で――

 

「《笑う棺桶(ラフコフ)》が乱入して来て、姐さんを麻痺させたんです! マーチさんが姐さんを助けるためにやむを得ず居合いで殴ったんです!」

 

 ――ハッキリとしなかった意識が、急激に覚醒していく。

 

 《笑う棺桶》乱入。

 

 ということは、セイちゃんが危ないことを(・・・・・・・・・・・・)――

 

 

 

「ぁ……アロマぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 

 私の意識が鮮明になり、セイちゃんの行動を思い描いた瞬間、アスナんの悲鳴が聞こえた。

 慌てて声を辿って顔を巡らせると。

 

 

 

 ロマたんが、ボスの攻撃で、HPを全損した瞬間だった。

 

 

 

 呼吸が出来なくなった。

 

 音も遠くなった。

 

 

 時間が止まったみたいに、ロマたんがゆっくりと下に落ちてくる。

 

 ロマたんを受け止めたのはキリ君だった。

 キリ君は何かを叫んで、こっちに向かってくる。

 

 私の前からキリ君に向かって走り出したのは《風林火山》リーダーのクラさん。

 

 

 それを見ながら。

 

 私は、体に力が入らなかった。

 今、座っているのか倒れているのかさえ分からない。

 

 

 マーチんがボスの兜を壁に叩き付けて。

 

 ボスが振るう刃鞭をクリフさんが弾いて。

 

 ロマたんを抱えたキリ君がクラさんに駆け寄って。

 

 

 

(……やだよ……ロマたん……死んじゃ……やだよ……)

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「蘇生! アロマ!」

 

 

 

 

 

 

 クラインのそんな叫びが聞こえたのは、俺がボスの首を壁に叩き付けた直後だったか。

 

 その言葉が聞こえてからボスの首が動き出すまでの間、ボス部屋はこれまでにない静寂に包まれた――ような気がした。

 

 ヒースクリフやボス本体は攻防を続けていたのだから気のせいのはずだ。

 

 

「え?」「よし!」『うおお!』

 

 

 その台詞を聞いた攻略組メンバーは、思い思いの疑問を、喜びを、歓声を、口にした。

 

 俺も顔をアロマに向けていた。

 

 本当に、蘇生などという奇跡が起こったのなら――

 

 

「……ハッ……ハハハ……ハハハハッ……」

 

 

 ――アロマのHPバーも復活し、アロマを包んでいた消滅光も失せている。

 

 本当に。

 

 奇跡を。

 

「クライン……キリト……ッ!」

 

 この2人は、持っていた。

 

 それはおそらく――いや、間違いなく、途轍もない激レアアイテムだろう。

 その価値は、計り知れない。

 

 それを、こいつらは――

 

「……ッ!」

 

 ――ギルドメンバーでもない、多少の交流があるだけのアロマに、躊躇うことなく使ってくれた。

 

 俺は、数秒の行動不可(スタン)から復帰したボスの首が発した音に呼応して向き直り、逃がさぬように刀を叩き込む。

 

(俺が招いた最悪の事態を! 奇跡的に回避してくれた!)

 

 今、俺があいつらの行為に報いることができるとすれば。

 

(この《奇跡の蘇生》に対する働きができるとするなら!)

 

 一瞬、部屋の中央に視線を向けて状況を確認する。

 ボスの本体は、ヒースクリフが《神聖剣》の本領を発揮して完璧に近い形で封殺し、他のパーティーメンバーも立て直しつつある。

 

 それだけ確認した俺は、即座にデュラハンの首を――その目をしっかりと睨みつけ(・・・・・・・・・・・・・)、首が動き出す前に追撃をかけ壁際に押し付け続ける様に居合いを繰り出し続ける。

 

「こいつは俺が抑える! ヒース!」

 

 本来なら俺が言うことではないし、言える立場でもない。

 だが、セイドなら、きっと――

 

「総員、フルアタック! 本体の正面は私が引き受ける!」

 

 ――そして団長殿も、俺の意志を酌んでくれた。

 

 団長殿の指揮に従って、動けるメンバー全員が一斉に武器を構えてボスに突っ込んでいく。

 

「刃鞭の範囲技には注意! 一気に押し切る!!」

 

 そんな団長殿の指示を背に、俺はボスの首と対峙する。

 

 これはある意味、俺の意地だ。

 そんな俺の行動に適応してか、デュラハンの首から怨嗟の声が響き――

 

『ゥゥゥォォォォォォオオオオオオォォ』

 

 ――兜の角が伸び、装飾が鋭さを持って広がった。

 

 状態異常をばら撒くだけが能ではない、ということらしい。

 

(上等! その程度でどうにかできると思うなよ!)

 

 俺が飲んだ対状態異常薬の最上品《抵抗(レジスト)ポーション》の効果時間は、残り4分半。

 

「行くぞッ!!」

『オオオオォォォォォォォッ!!』

 

 咆哮と共に、攻略組はボスへと最後の攻勢に出た。

 ボスの体力は。

 

 

 残り、2割。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「蘇生! アロマ!」

 

 

 

 

 

 

 その言葉が聞こえて、何秒呆けていただろう。

 

 

「え?」「よし!」『うおお!』

 

 

 私は訳が分からないまま、その様子を見つめ。

 アスナんも私と同様、事態が呑み込めていない様子で呆然としていて。

 

 キリ君とクラさんは喜んでいて。

 この場に居たほぼ全員が、大きな歓声を上げていた。

 

「え? え? 今――」

「こいつは俺が抑える! ヒース!」

 

 事態が呑み込めないまま、どう動いていいのか分からない私に活を入れたのは。

 喜びに沸く全員の気を引き締めさせたのは。

 

 マーチんの決意に満ちた叫びだった。

 

「総員、フルアタック! 本体の正面は私が引き受ける!」

 

 そして、クリフさんの掛け声で。

 攻略組メンバーのほとんどが武器を構えてボスに向かっていく。

 

 そんな中――

 

「ルイさん! アロマちゃんを頼んます!」

 

 ――クラさんが私に、そう声をかけてから走り去っていった。

 

「アスナ! 合わせるぞ!」

 

 先ほどまで呆然としていたアスナんも、キリ君に声をかけられて表情を引き締めて駆け出して行った。

 

「刃鞭の範囲技には注意! 一気に押し切る!!」

 

 クリフさんの指示が続く中、私は。

 

 横たわっているロマたんの元へと歩み寄った。

 

 

「行くぞッ!!」

 

 

 掛け声を背に聞きながら。

 

 私はロマたんの横に膝を下ろした。

 

 

『オオオオォォォォォォォッ!!』

 

 

 みんなの叫びを全身で感じながら。

 ロマたんの肩に手を置いた。

 

「ロマ……たん……?」

 

 目を閉じたまま、寝ているように見えたロマたんに、私は声をかけずにいられなかった。

 

 さっきの言葉が。

 

 蘇生、という言葉が。

 

 本当なのか、半信半疑だった。

 

 ロマたんの、意識が、魂が、ここには無いんじゃないかって、すごく不安だった。

 

 

 でも――

 

 

「ん……ルイルイ……?……だいじょぶ……だよ……私……」

 

 

 ――ロマたんは、ゆっくりと目を開けて、弱々しくはあったけど、ハッキリと、言葉を紡いでくれた。

 

 さっきまでロマたんを包んでいた淡い光は消え失せていて。

 

 ロマたんは、ちょっと息苦しそうに笑顔を浮かべていた。

 

「ほんとに……助かったんだね……?」

「あ、はは……みたいだね~……いや~……自分でも……よくわかんないんだけど……」

 

 ロマたんの腕が、ゆっくりと上がってきて。

 

 ロマたんの手が、震えながら私の顔に触れた。

 

 ロマたんの指が、止まらずに零れ続ける私の涙を拭った。

 

「ゴメンね……ルイルイ……」

 

 そう言って、ロマたんは、いつもみたいに笑って見せて。

 

「心配……かけちゃったみたいだね……」

 

 私は、ロマたんの手を両手で握って、溢れる涙もそのままに――

 

「そぅだよっ! ロマたん……っ! 死んじゃうところだったんだからぁ!」

 

 ――小さく掠れた声で、泣き叫んでいた。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 意識が戻って、ハッキリ感じ取れたのは。

 ルイルイの言葉と、肩に置かれた手だった。

 

 

「ロマ……たん……?」

 

 

 すごく不安そうなルイルイの声に、私はボンヤリした意識のまま、何となく、自分に起きたことを自覚した。

 

 多分、助かったんだと思う。

 

 なんだか、体がとても気怠くて。

 思ったように力が入らなくて。

 それを言うとルイルイを不安にさせそうな気がして。

 精一杯気を張って。

 頑張って笑ってみせて。

 ルイルイに声をかけて。

 

 でも、ルイルイは泣き続けていて。

 

 震える手でルイルイの涙を拭って。

 無理矢理いつもみたいに笑顔を引っ張り出して。

 

 そしたら、ルイルイが私の手を握り締めて。

 

「そぅだよっ! ロマたん……っ! 死んじゃうところだったんだからぁ!」

 

 掠れた声で。

 小さな悲鳴で。

 私に縋るようにして、泣きじゃくった。

 

 そんなルイルイに、かける言葉はもうなくて。

 されるがままにされながら。

 私は、何が起きたのかを思い返した。

 

(だよね……やっぱり死んでたんだ。アレで)

 

 

 

 

 

 私はマーチを助けるために、ボスの刃鞭を引っ張っていた。

 

 でも結局、力及ばずに刃鞭を引き抜かれた私は、マーチが死んじゃうと思って、本気で怖かった。

 自分が宙に釣り上げられたことなんてどうでもよかった。

 

 ただ、マーチのことが心配だったけど。

 私の視界に入っていたマーチは。

 アスナに回復されたところだった。

 

(良かった! マーチはこれで――)

 

 そう、安堵した瞬間。

 自分の胸に『トストスッ』という、とても軽い音と共に何かが当たった。

 

(――え?)

 

 首を曲げて胸を見ると。

 ログたんの作ってくれた軽金属製の胸当てを貫いて、2本のナイフが刺さっていた。

 

「な、に……こ、れ?」

 

 刺さったナイフも、だけど。

 

 急に。

 

 自分の最大HPが減少したことに驚いた。

 HPバーの横には、見慣れないデバフのアイコン。

 

 でも、知っているアイコンだった。

 

 《虚弱(ウィークネス)

 

 HPの最大値とステータスを低下させる阻害効果。

 数あるデバフの中でも、危険度の高いものだ。

 

(なっ! 何で?! このナイフのせい!?)

 

 ありえない。

 ナイフ2本程度で《虚弱》に陥るほど、ログたんの装備の抵抗値は低くない。

 

 そう思ったところで。

 自分が、何故宙に浮いているのかを、思い出した。

 

(ボスの、刃鞭の効果もあって、抵抗値を超えられた!?)

 

 虚弱のデバフは、麻痺や眩暈と違って自分の動きは阻害されない。

 だから、虚弱に陥ったら、即座にその場から離れるのが最善の行動――なのだけど。

 

(この状況じゃ! どうしようも!)

 

 私は今、空中に居る。

 体勢も崩れていて《剣技》を発動させようにも、上手く動ける状況じゃなかった。

 

 そして。

 

「っ!?」

 

 そんな私の逡巡なんて気にもしないボスが。

 阻害効果に陥っている私(優先攻撃対象)に、刃鞭を振り抜いていた。

 鞭系専用5連撃剣技――

 

(……《クレイジー・クレイドル》っ!!)

 

 ――それが分かっても、私には何もできなかった。

 

 為す術も無く、ただ刃鞭に打ち切り刻まれた私のHPは。

 

 虚弱の効果もあって。

 

 あっさりと。

 あまりにもあっけなく。

 

 0を刻んだ。

 

 

 

   【You are dead】

 

 

 

 落下していく自分が、なんだか自分の身体じゃないような、変な感じがした。

 HPバーが0になっていて。

 目の前には、文字通りの《死亡宣告》があって。

 

 

 でも。

 悲しみとか、恐怖とか、絶望よりも先に。

 

 

(セイド――)

 

 

 セイドに『ありがとう』も『大好き』も。

 

 『――自分を責めないで』も言えずに消えてしまうことが。

 

 

 とても悔しかった。

 

 

 

 

 

 意識があったのは、そこまで。

 その後は、何が起こったのか分からない。

 

 ただ。

 確かなことは。

 

(死亡宣告まで出されてて、生きてるってことは、普通なら無いけど)

 

 一瞬、夢かとも疑ったけど。

 ルイルイに触れることもできたし、ルイルイが抱き締めてくれてるし。

 

(夢じゃ、ないよね……)

 

 私は。

 

 

 死なずに済んだんだ。

 

 

 それを自覚した途端。

 涙が溢れて、止まらなくなった。

 

「ぅ……ぅ……!」

 

 思わず顔を横に向けて。

 空いてる手で涙を拭って。

 

 そこでようやく。

 ボスの姿が目に入った。

 

 攻略組全員が、ボスに攻撃を仕掛ける中。

 ボスの攻撃対象は――

 

(あれ……もしかして……私を狙ってる?)

 

 ――私に向けられているように感じた。

 

 ボスの刃鞭も、騎馬による突進も。

 それらボスの攻撃の全てが、私目がけて繰り出されようとしている。

 

 しかし。

 

 何一つ、ここには届かない。

 ボスの突進すら来ない。

 その理由は、とても単純だった。

 

(凄いや……ヒースクリフさん(・・・・・・・・)……)

 

 ボスの攻撃――いや、行動の全てを。

 

 ヒースクリフさんが、封殺していた。

 

 刃鞭は弾き、叩き落とし、打ち返す。

 突進は、微動だにせず受け止め、平然と押し返す。

 しっかりと、背後の私とルイルイを意識しての防御行動だ。

 

 つまり、私がボスに狙われると、正確に判断した証拠。

 

(……そっか……これ……デバフなんだ)

 

 自分のHPバーの横にある、初めてみたアイコン。

 それは《衰弱》というアイコンだった。

 

(蘇生直後の……回復不可能の……時限性デバフ……か……アハハ……)

 

 茅場晶彦の意地悪さに、ほとほと呆れた。

 

 《蘇生不可》のデスゲーム、と宣言しておきながら、蘇生時限定の阻害効果を用意しておくなんて、悪趣味にも程がある。

 衰弱状態からの回復には10分かかるらしい。

 ヒースクリフさんは、衰弱状態の私が狙われると分かったんだろう。

 

(……セイドも……分かるよね……きっと)

 

 私が狙われると分かって、でも、セイドの場合――

 

(アハハ……セイドなら……どうするかな……)

 

 ――ヒースクリフさんみたいに、ボスを封殺することはできないだろう。

 

(……でも)

 

 それでも、確信を持って言えることがある。

 

(絶対……助けてくれるよね……セイドなら)

 

 そんなことを考えながら。

 でも、体が動かない私は、横たわったまま。

 

 ボス戦の終結を見守ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   【CONGRATULATIONS】

 

 

 俺がボス撃破を知らせるその文字を目にしたのは、抵抗ポーションの効果が切れる5秒前だった。

 

『うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおっ!!』

 

 直後、部屋を揺るがすかのような歓声を、攻略組のほぼ全員が上げた。

 

 全員、と言い切らないのは。

 俺やルイやアロマが、歓声を上げないからだ。

 

(喜ぶのはっ――)

 

 勝利に沸く連中に、声をかけたかったが。

 

(――クソッ……流石にすぐには動けねぇか……)

 

 俺は俺で、体力の6割を減らしていた。

 

 首の暴れっぷりは、思った以上に激しく、抑え込むのになかなか無茶をしたからか。

 疲労感から、脚を思うように動かせない状態だった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 その場で刀を杖代わりにして片膝をついて、息を整える。

 視線だけルイとアロマに向けると、いつの間にか、大勢のプレイヤーが2人を囲んでいた。

 

「アロマちゃん、大丈夫か? ボスは倒したから安心してくれよ!」

 

 クラインの、アロマへの気遣いが聞こえる。

 

「ほんと……無事で良かった……アロマッ……無茶してっ!!」

 

 アスナの、アロマを心配した叱咤が聞こえる。

 その他にも、ルイの様子を窺う声や、無事を祝う連中の騒ぎが聞こえる。

 

 だが。

 

「まだ! 終わってねぇ!!」

 

 何とか息を整えた俺は、勝利に浮かれる連中を一喝すると同時に、部屋の出口へと全力で走り出す。

 俺の一言に、即座に反応できたのは何人いたのだろうか。

 そんな確認は放棄して、俺は――

 

「セイドッ!!」

 

 ――1人でラフコフと殺り合っているであろうセイドの元へと急いだ。

 

 

 

 ルイが麻痺した途端、セイドが戦闘指揮を放棄して飛び出したことで、大凡の事態には見当がついている。

 まず間違いなく、オレンジ反応がでたんだろう。

 

 そして、この場に現れる可能性があるオレンジがいるとすれば。

 ローテ待機時のセイドの推測通り《笑う棺桶(ラフコフ)》しか考えられまい。

 

(ボス戦中の攻略組に仕掛けてくるようなら、おそらく連中の幹部クラス――いや、PoH(プー)もいるはずだ!)

 

 幹部とPoHが揃っている所へ、セイド1人が出張って無事で居られるとは思えない。

 

 そんな俺の予想とは。

 

 違った光景が目に入ってきた。

 

(あれは……ジョニーとザザか?)

 

 犯罪者は合計で6人いたが。

 

 俺がその場に辿り着く前に。

 5人が転移光に包まれて消えた。

 

 消えた連中の中に見知った姿形のプレイヤー――《ジョニー・ブラック》と《ザザ》が見て取れた。

 

 が、奴らは仲間1人を見捨てて、転移で逃げた――

 

(――ようにしか見えんが……セイドが1人でそこまで追い詰めたってのか?)

 

 逃げた奴らの中にPoHの姿は無かった。

 奴は居たのか、居なかったのかは分からないが、何にせよ、セイドが無事であることは変わらない。

 

「セイドッ!」

 

 無事であれば良い――と、声をかけた俺は。

 

 

 セイドの様子に、鳥肌が立った。

 

 

 実際に鳥肌が立つような世界ではないが、そう形容するのが最も適切な――

 

「っ! おい! セイド!!」

 

 ――明確な《殺意》が、セイドから見て取れた。

 

 セイドは、オレンジの1人を床に叩き付けた直後だった。

 ただ、いつものセイドとは違い――

 

(あいつ! トドメを刺すつもりか?!)

 

 ――貫通属性の体術技《エンブレイサー》の構えに入ろうとしていた。

 

 鎧の継ぎ目すら簡単に貫けるその技は、技の効果範囲こそ狭いものの。

 足元に倒れている相手への追撃としては、充分に過ぎる威力を持つ。

 相手の犯罪者のHPは、残り3割といったところ。

 ここで《エンブレイサー》が決まれば。

 

 

 間違いなく、オレンジの男が――死ぬ。

 

 

「セイドォォオオオオオッ!!」

 

 俺の叫びにも、奴は反応しない。

 全く聞こえていない様子だ。

 

 だが。

 全力で加速した俺に――おそらくは、自分に近寄るオレンジに――反応したセイドは、床に叩き付けた男へのトドメとなる追撃を止め、俺と対峙するためにその男を壁へと蹴り飛ばした。

 

(とにかく! 今はあいつを止めねえと話にならん!)

 

 俺はセイドを取り押さえるべく跳びかかり――

 

「っ!」

 

 ――それを迎撃するように、セイドの拳が俺の顔へと繰り出さる。

 

 紙一重で身体を捻って回避し、少し距離を置いて体勢を立て直す。

 

「ッ、おい! このバカ野郎! しっかりしやがれ!」

 

 呼びかけは続けながら、取り押さえるべく距離を詰めるが、悉くカウンターによって妨害され、俺もそれを回避するのに精一杯だった。

 2度、3度と、そんな攻防を繰り返すと、セイドは俺を見据えて本気の構えを取る。

 

「聞けよ! セイドッ!! もう終わっ――」

 

 俺の言葉など聞こえていない。

 そう言わんばかりに、セイドが俺へと仕掛けてくる。

 先の組手など戯れとしか思えない、気迫の込められた拳や蹴りや貫手が、人体の急所目掛けて平然と繰り出される。

 

「――ック! この……!!」

 

 セイドの攻撃を、俺も何とか素手で捌き続ける。

 

 こいつが幼馴染みで、うちの道場で何度も組手をしたことのある相手だからこそ、捌くことができた。

 これが本当に知らぬ相手であれば。

 俺では、素手で対応することはできなかっただろう。

 

 受けてばかりでは止まらないセイドに、俺も何度か素手で反撃するが。

 それに効果は無く、それどころかこちらの攻撃に合わせたカウンターを喰らう。

 結局、俺は防戦一方になっていた。

 

 

 何度攻防を繰り返したか。

 

 何度セイドへ呼びかけたか。

 

 

 しかし、何ら反応を見せないセイドに。

 

 

「あああああああぁぁぁっ!! クソッ!!」

 

 

 俺は。

 

 覚悟を決めて、刀の柄に手を置いた。

 

 

 俺は、今の自分が《オレンジ》であることを悔しく思った。

 俺が犯罪者カラーでなければ、セイドがここまで俺を認識しないことは無かっただろう。

 

 それと同時に、犯罪者カラーであったことを《幸運》だとも思う。

 このカラーでなかったら、セイドは駆け寄る俺に気付くことなく、壁のことろで気絶している男を殺していただろう。

 親友に、人を殺させずに済んだことは、紛れもない幸運だ。

 

 だが。

 何であれ。

 

 こんな形で、コイツと本気でやり合わなきゃならないってのは。

 

(不本意だぜ! コウセイ!)

 

 今のこいつを、俺が止めるのに。

 手加減する余裕は、ない。

 腕や足の1~2本、斬り落とすことは、覚悟しなければならない。

 

 俺の構えを見てか。

 コウセイは、一瞬だけ、動きを止めたが。

 

 即座に居合いに対応できる構えへと移行する。

 

(悪ィが――)

 

 俺は、そんなコウセイへと、本気で刀を抜き放つ。

 

 繰り出したのは、居合い3連剣技《爪牙(ソウガ)(ヒラメ)キ》――抜打ち、右の斬り返し、逆袈裟斬りという、連続斬り。

 初手は籠手で受け流されたが、剣技の中断には至らない。

 右から返した斬撃は、体を後ろに退かれて回避された。

 

(――そこまで!)

 

 しかし、最後の逆袈裟は、回避を許さない。

 むしろ、先の2つを回避できているだけでも異常だ。

 

 全剣技中最速を誇る居合い系を防ぐのではなく、流し、回避するのは、尋常ではない技量が居る。

 大きくバックステップをしたとしても、最後の逆袈裟は前進しつつ放つことも可能となっている。

 

 まあ、タイミングとしてはコンマ何秒の世界だが、俺はコウセイの後退に合わせて前進して逆袈裟をしっかりと叩き込んだ。

 その斬撃はコウセイの右手首を、着けられていた籠手ごと斬り飛ばし、HPを注意域(イエローゾーン)から危険域(レッドゾーン)へと減らしてしまっている。

 

 だが油断せず、鞘に納めた刀からも手を離さない。

 

(これで、正気を取り戻さねぇようなら――)

 

 一瞬、最悪の事態が頭をよぎる。

 

 だが。

 

 コウセイの後ろ――ボス部屋から1人、こちらにヨロヨロと駆け寄ってくる人影が見えた。

 

 そして。

 

 コウセイは、呆然自失したように動きを止めていた。

 纏っていた空気からも、先ほどまでのピリピリとした殺気は失せている。

 

(――とりあえず、動きは止まった、か)

 

 

 俺は、コウセイに――いや、セイドに必死に駆け寄るアロマを見て、柄から手を離し、構えを解いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ! 終わってねぇ!!」

 

 ボスの撃破。

 その余韻に浸る人や、私の所に駆け寄ってきた人たちを飛び越して。

 マーチのその一言が、私の意識をすべて持っていった。

 

「セイドッ!!」

 

 マーチが走りながら、セイドの名を叫んでいた。

 

「……セイド……?」

 

 他のみんなも、マーチの言葉でセイドのことに気付いたらしい。

 

「そう。そうだ! ロマたんゴメン! 急ごう!」

 

 まだ体が自由に動かせないのを分かってくれたようで、ルイルイは私を助け起こして肩を貸してくれる。

 

「俺も――「ルイさん! 手伝います!」――デスヨネ……」

 

 クラインのおっちゃんの言葉にアスナが台詞を被せて、ルイルイとは逆側をアスナが支えてくれた。

 

 セイドは、ルイルイが麻痺で倒れたところで、部屋の外に飛び出していたはずだ。

 パーティーリストにあるセイドのHPバーは、注意域にまで減っている。

 

「セイちゃん、きっと無茶してる。マーチんが先に行ってるけど……」

 

 ルイルイは、そこで言葉を詰まらせた。

 

「十中八九、来てるのは《笑う棺桶》連中だろう。俺も先に行く!」

「気を付けて、キリト君!」

「俺も行くぜ、キリト!」「俺達も行こう」「オウ! 俺らも!」

 

 キリトに続いて、風林火山の人や、DDAの人達も出口へと走っていく。

 私の居た位置が部屋の隅だったこともあって、上手く体の動かない私には、酷く長い距離に感じられる。

 

「セイド……」

 

 顔だけでも出口へと向けていると、キリト達が出口のところで足を止めているのが目に入った。

 何か、信じがたいものを見ているような、そんな雰囲気が漂っている。

 キリト達に遅れて出口に辿り着いた私達が見たのは。

 

「セイ……ド……?」「セイちゃん?!」「セイドさん!?」

 

 マーチを、本気で殺そうとして拳を振るうセイドの姿だった。

 マーチは絶えずセイドに呼びかけながら、何とかセイドの攻撃を捌いているけど。

 

 セイドには、届いていなかった。

 

「あああああああぁぁぁっ!! クソッ!!」

 

 呼びかけに応じないと分かったマーチが、悔しそうに叫び、刀の柄に手を置いた。

 本気で。

 セイドを斬るつもりだ。

 

「セイドッ……マーチッ……!」

 

 呆然とし、どうしたらいいのか分からず動けないキリト達や、肩を貸してくれていたルイルイ、アスナから離れて。

 

 私は、可能な限りの速度で、2人に駆け寄る。

 

 マーチの居合いは《最速必中》が信条だ。

 

 対するセイドは、《警報》による《絶対回避》があるとはいえ、人の反応速度、行動速度の限界には抗えない。

 

 マーチの居合いは、セイドの速度を超えて、一太刀、必ず入る。

 

(その瞬間しか、チャンスがないかもしれない!)

 

 その時に間に合えと、私は必死に足を前に進める。

 

 今のセイドは、相手が犯罪者か否かだけで行動してるんだろう。

 そうじゃなきゃ、あのセイドが、マーチを殺そうとするはずがない。

 

 でも、マーチの居合いの構えを見た瞬間、セイドは確かに動きを止めた。

 セイドの意識に、呼びかけるものがあったはずだ。

 

「セイド……セイド……!」

 

 私も、上手く声が出ないまま、セイドの名前を呼び続ける。

 きっと、まだ届かない距離だけど。

 それでも、呼ばずには居られなかった。

 

 

 そして。

 

 

 その瞬間が訪れる。

 

 

 マーチの《爪牙ノ閃キ》の最後の一太刀が、ログたんの作った《朧月の籠手》ごと、セイドの右手を斬り飛ばしたのが見えた。

 

 私とセイドの距離は、あと数メートル。

 

 衰弱が無ければ、すぐにでも跳び込める距離。

 

 だけど、今の私には、まだ少し遠い距離。

 

 私に背を向けているセイドは、右手を斬られて――いや、マーチの居合いを見て、動きを止めていた。

 マーチに向けていた突き刺さるような殺意も、鳴りを潜めた。

 

「セイ、ド!」

 

 上手く動かない体に、今だけは死力を尽くせと鞭打って。

 無理矢理床を蹴って。

 

「セイド! しっかり……して! もう……終わったの!!」

 

 呼びかけると共に、セイドの背中に抱き着いた。

 まだ正気を取り戻さなかったとしても、離すものかと、全力で抱きしめた。

 

 セイドの背中に、顔を埋めた私の耳に。

 

 

「……アロ、マ……?」

 

 

 セイドの、とても懐かしく感じられる声が、聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セイドさんを止めたわたし達は、全員でボス部屋へと戻った。

 アロマの《衰弱》の回復も待つためにも、次の層のアクティベートをどこがするのかなどの話し合いのためにも、この部屋で今後の予定を話すことになったのだけど。

 

「セイドさん。今、何と仰いました?」

 

 衰弱から回復しきっていないアロマをルイさんに任せて話し合いに参加していたセイドさんの言葉に、わたしは耳を疑い、問い返した。

 

 

「次の迷宮区を攻略する前に、攻略組で《笑う棺桶(ラフィンコフィン)》を壊滅させる」

 

 

 セイドさんは、一言一句違えずに、繰り返した。

 

 攻略組は、このデスゲームに囚われた全ての人を解放するために戦っているのであって、PKを相手にするために居るわけではない。

 思わずそのことを口にしようとしたわたしよりも先に――

 

「セイド、気持ちは分かるけど、それはちょっと難しいんじゃないか?」

 

 ――キリト君が異議を唱えた。

 

「うむ、私も彼らのことは気にかかってはいるが、我々がそちらに力を注いでしまっては、解放を待つ人々に申し訳が立たないのではないかね?」

 

 続いて団長もセイドさんの意見に反論する。

 それが引き金となってか、他のメンバーもざわざわと言葉をこぼしはじめ。

 

 しかし、セイドさんは一切表情を変えずに言い放った。

 

「何か、勘違いしてないか? お前たち」

 

 いや、いつものセイドさんの表情ではなく、とても鬼気迫る表情で。

 

「俺は提案してるんじゃない。俺はそうする、と言っているだけだ。奴らを放置したまま攻略に参加するつもりはない」

 

 他のメンバーの行動を示唆するのではなく、自分はそうする、と。

 そんなことを言うセイドさんは、初めて見た。

 

「いや、だからセイド。《笑う棺桶》をどうにかするにしても、奴らのアジトがどこなのかすら、まだなにも――」

「そのことは、おそらくすぐにわかる」

 

 キリト君の言葉を、セイドさんはすぐに斬り捨てた。

 現状では、あのアルゴさんですら尻尾すら掴めていない《笑う棺桶》のアジトを、すぐにわかると断じた。

 

「それに、もし分からないとしても、攻略中の俺達に刃を向けるような連中を放置したまま、本当に安心して攻略できると思うのか?」

 

 セイドさんのその問いかけに、わたし達は言葉を発することなく視線を彷徨わせた。

 

「忘れるなよ? 今回のボス戦、死者は《0》じゃない」

 

「え、いや、アロマちゃんは助かったんだし――」

「クライン、そのことは感謝してる。どんなに感謝しても、し足りない。だが、それとは別だ」

 

 クラインさんの言葉に、セイドさんは一瞥と共に言葉を続ける。

 

「蘇生は不可というルールの例外が、奇跡が、1度あっただけだ。本来なら、死者が出ている」

 

 セイドさんのその言葉に、何名もが息を飲む音が聞こえた。

 

「今回は死者が《1にならなかった》だけだ。いいか? 勘違いするなよ? 今回のボス戦で、俺達は犠牲者を出したんだよ。奴らのせいで」

 

 クラインさんもキリト君も、言葉を失くして俯いていた。

 

 そうだ。

 

 確かに、アロマはあの瞬間、確実に死んでいた。

 それに、アロマが死に至った原因も、思い返してみれば、ルイさんへの外部からの攻撃が全ての始まりとなっている。

 

「次は無い。奴らの影を背負ったまま、奴らの脅威を背にしたまま、本当に今後のボスと戦えるのか、お前らは。悪いが、俺は無理だ」

 

 わたしも、クラインさんも、リンドさんも、自分たちのギルドの誰かが本当に死ぬという場面は、想像すらしたくない。

 けど、それは、今のままなら、確実に起こるとセイドさんは言っているのだ。

 

「今後の攻略で、犠牲者を出さないためにも。俺は《笑う棺桶》壊滅に全力を注ぐ」

「セイドの意志は、俺らDoR共通の意思だ。俺達は、攻略より《笑う棺桶》に意識を向けるぜ」

 

 セイドさんの言葉を支持するように、マーチさんもはっきりと表明した。

 

「それに、本気で攻略を最速で続けるつもりなら、奴らを先に排除しなければならないと思うが、そのことはどう考えているんだ、団長さん」

 

 セイドさんは団長相手にまで、口調を改めることなく言葉を続けた。

 

「ふむ……では、こうしよう」

 

 セイドさんの決意を聞いた団長は、しかしいつも通りの表情で答えた。

 

「私が攻略を数名のメンバーと共に進めよう。DDAからも、何名か出してくれたまえ。そのメンバーでフィールドボス、及び迷宮区攻略へと挑むとしよう」

 

 団長のその言葉に、セイドさんは一瞬、表情を変化させた。

 戸惑いと、驚愕の表情だった。

 

「そうすれば、攻略を遅らせることなく、そちらの問題にも対処ができるのではないかね?」

「……そうだな。それでいいだろう」

 

 視線を落とし、何かを考える様に。

 セイドさんは、少し冷静さを取り戻したように呟いた。

 

 やはり、いつもより冷静ではいられなかったということだろう。

 

(アロマが死んでしまった事実は、変わらない……それが、セイドさんを焦らせているのかな……)

 

 眼鏡をずらして、目元を抑えるセイドさんの姿を見て、そんなことを考えた。

 

「……すみません、冷静さを欠いていましたね」

 

 普段の口調と、表面上には冷静さを取り戻したように見えるセイドさんに、わたしは思わずため息を吐いてしまった。

 

 先ほどまでのセイドさんからは、息が詰まるほどの決意と、張り詰められた意志を、否応なく感じさせられた。

 

 無意識に、こちらも気を張っていたのだろう。

 ボス戦から続き、気を抜く間が無かった。

 

「では、方針としては、それでいいのでしょうか?」

 

 セイドさんから、再度確認を求められた。

 

「ああ、俺らはそれでいい」

 

 DDAのノイズさんが、鷹揚に頷いた。

 

「応! 俺達も、それでかまわねーぜ!」

 

 風林火山のクラインさんも、気合いと共に同意した。

 

「俺も、それでいいと思う。確かに今回の一件で、あいつらは無視できなくなった」

 

 キリト君も《笑う棺桶》の危険性を重要だと判断した。

 

「では団長、KoBの《笑う棺桶》壊滅側の指揮はわたしが執ればよろしいでしょうか?」

 

 KoBとして参加する以上――そして、キリト君が参加するなら――わたしはこちらに参加する。

 

「うむ、アスナ君に任せよう。だが、全体の指揮はセイド君に任せる」

 

 団長は私に全権を委ねるのではなく、セイドさんにそれを委ねた。

 

「分かりました。言い出した以上、私が(・・)責任を取ります」

「カカカカッ! おいおい、気負いすぎんなよ! 俺らも居るんだ。お前が責任だなんだって気にする必要はねぇよ!」

 

 セイドさんの言葉に、ノイズさんが豪気に笑ってセイドさんの背中を思いっきり叩いた。

 

「そうそう! そういうのはもっと大人に任せるこった!」

 

 クラインさんも、セイドさんの肩を軽く叩いていた。

 

「セイドは気負過ぎだよ。俺達も一緒なんだから、少しは楽にしていいんじゃないか?」

 

 キリト君は、セイドさんの胸に拳を当ててそう言っていた。

 

「……ありがとうございます……」

 

 男同士の絆というべきなのか。

 そんな男性陣のやり取りを、少しばかり羨ましく感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボス部屋で行われた、そんな話し合いを経て。

 68層のアクティベートはKoBに任せ、俺達DoRは一足先に転移でギルドホームへ――は、戻れなった。

 

「すまねぇな、俺のせいで」

 

 本当なら、すぐにでもホームに戻って全員を休ませたいのだが。

 

「マーチんのカルマ回復が先だよ~」

「そうそう! あのルイルイの救出は見事だったよ!」

「戻るときは全員で、ですよ、マーチ。それに、初のオレンジ化ですから、かかっても数時間。サクッと終わらせましょう」

 

 オレンジカラーになっちまってる俺は、圏内には入れない。

 そんな俺のグリーンへの復帰のために、何種類かあるカルマ回復クエの中から最も早く終わるものを受けに来たところだ。

 

 恐ろしく長く感じた今回のボス戦も、終わってみると、まだ昼を少し過ぎた程度。

 今からカルマクエをやっても、夕方にはホームに戻れる計算だ。

 

(こんな濃密な1日は、ひっさしぶりだぜ……)

 

 俺達は33層のフィールドにある、ひっそりとした林道を進み、その奥にある教会へと向かう。

 そこの神父に依頼される最低10種類以上のアイテムを、少なくとも数十個単位で、この層のフィールドから拾ってくるのがここのカルマ回復クエだ。

 パーティーメンバーに手伝ってもらうことも可能で、かつ俺達のレベルならモンスターも問題はない。

 

 ただし、受けた状態で他の層に移動するとリセットされるし、パーティーメンバーの1人でも転移結晶を使用したらリセットされる。

 この層には騎乗(マウント)ユニットは用意されていないので、すべて徒歩で集める必要があるわけだ。

 

 また、カルマ回復はプレイヤーごとに累積する。

 回数を重ねると、集める種類も個数も増える。

 

 情報によれば、3回目の回復時には22種類のアイテムを指定され、1種類につき150個集めてくるように言われた奴が居るらしい。

 その中には、拾える場所がランダムかつレアな素材まで含まれていたという。

 

(そいつの回復には一週間かかったとか聞いたな……)

 

 そんな情報を脳裏に浮かべつつ、今回のクエが軽く済むように祈るばかりだ。

 それに――

 

「キリトとアスナも、悪ぃな、付き合せちまって」

 

 ――何故か、キリトとアスナも、俺の回復を手伝うと申し出てくれた。

 

「気にしないで下さい。マーチさんの判断は間違っていませんでした。なら、その回復をお手伝いするのは、攻略の一環です」

 

 実にアスナらしい台詞だった。

 

 が、実際にアスナが心配してるのはアロマのことだろう。

 アロマの衰弱は治ったとはいえ、友人として放っておけなかったのだと見ている。

 

「カルマ回復はフルパーティーでやった方が早いし、予め内容を体験しておけば、次があった時にこっちも助かるからな」

 

 合理的な理由を口にしたキリトだが、こっちも建前だろう。

 本音は、おそらく、セイドに聞きたいことがあるのではないかと思っている。

 

 まあ、真意がなんであれ。

 

「すまねぇ、助かるわ」

 

 2人の好意に甘えることにした。

 正直、今の俺達だけで何かするのは、精神的にキツイ。

 

 

 今回のボス戦にまつわる一件は、俺達に深刻なダメージを残している。

 

 数秒とはいえ、死を経験したアロマ。

 

 アロマの死を受け、自分を見失ったセイド。

 

 俺からの攻撃やアロマの死の目撃などでショックを受けたルイ。

 

 そして俺も、瀕死に追いやられたり、セイドとの死闘で、正直ボロボロだ。

 

 

 そうして、俺が神父に言い渡されたアイテムは11種。

 個数は、それぞれを50個だった。

 幸いなことに、レアドロップのアイテムは指定されなかった。

 

 

『謝り出すとキリがなさそうですから……今回のことは、全て、誰の責任ということでもないですし、謝るのは、無しにしましょう』

 

 とは、転移してすぐ、俺がルイに――

 

『悪かった、ルイ。咄嗟のこととはいえ、お前を殴っちまった』

 

 ――と言った直後のセイドの言葉だ。

 

『ちょっと、マーチん? 私、そんなの気にしてないよ。想定外の事態だったし、仕方ないって』

 

 ルイもそう言ってくれたことで、その場はそれで終わった。

 だが、セイドのあの台詞は。

 

(自分自身に言い聞かせている、って感じだよな)

 

 セイドは、俺とは比べ物にならないほどに、自分を責める傾向にある。

 

 今回の一件では、攻略情報を《笑う棺桶》が秘匿していた可能性を考慮できなかったとか、自分が対応していながらアロマへの攻撃を許したとか。

 口には出していないが、その様子や表情が、雄弁に語っている。

 

「セイド、どうだ、集まってるか?」

 

 黙々と川底を探しているセイドに声をかけると、セイドは軽く手を上げるだけで応えた。

 キリトもそんなセイドに何かしら話しかけながらアイテムを拾ってくれている。

 

 クエを受けた後は、俺・セイド・キリトの3人と、ルイ・アロマ・アスナの3人に分かれて行動している。

 ルイと離れることの不安もあるが、一緒に居るのも不安という、自分でもよく分からない心理状態だった。

 

(やっぱ、疲れてんだろうな……)

 

 色々あり過ぎて、整理が追い付いていない感じか。

 俺達は全員が全員、少し離れた位置で心を落ち着ける時間が必要だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マーチの呼びかけに身振りだけで応え、アイテムを拾いながら。

 

(大丈夫……私は……冷静だ……)

 

 私は自分自身に、黙々と言い聞かせ続けていた。

 

「セイド、足元に気を付けろよ?」

 

 キリトさんは離れすぎることなく、私に色々と声をかけてくれている。

 

(大丈夫……大丈夫だ……)

 

 キリトさんに笑顔で頷いて見せ。

 

 私は自問する。

 

 何が大丈夫なのか。

 怒りも悲しみも悔しさも殺意も、全て理性で制御できている。

 だから大丈夫だ。

 

(何も変わっていない……いつも通りだ……)

 

 何がいつも通りなのか。

 マーチが居て、ルイさんが居て、アロマさんが居る。ログさんも、キリトさんもアスナさんも健在だ。

 何もなくなってはいないから、いつも通りだ。

 

 

(…………なら……)

 

 

 何がこんなに《不安》なんだ。

 

 

 消えない不安が、心を掻き乱す。

 

 冷静なはずの思考を、悉く中断させる。

 

 大丈夫なはずの理性を、失わせようとする。

 

 いつも通りのはずなのに――

 

(――なんで……いつもと違うように感じるんだ……!)

 

 不安の中心は、分かっている。

 

 

 アロマさんだ。

 

 

 彼女が近くに居ても、居なくても。

 不安だった。

 

 

 以前に1度、彼女が死んだと勘違いしたことがあった。

 だが、あの時は、今ほどの不安を感じることなく、怒りに囚われていた。

 アロマさんの無事を知った後も、これほどの不安は感じなかった。

 

 実際には、アロマさんが死んではいなかったからだろう。

 

 自分の勘違いを恥ずかしく感じる心もあったから、不安が和らいだのだろう。

 

(……自己分析もできてる……だから……)

 

 必死に自分に言い聞かせる。

 しかし、1度心を支配した不安は、なかなか拭い去ることができなかった。

 

 

 今回は、彼女の死を、実際に見ていた。

 近くに居ながら、阻止できなかった。

 

 

 《死を跳ね除ける(デス・オブ・リバース)》なんてギルド名を付けておきながら、身近な人の死を防げなかった。

 

 

 自己嫌悪。

 

 自己矛盾。

 

 そして――

 

(……《笑う棺桶》……)

 

 ――責任転嫁。

 

 実際には《笑う棺桶》のせいであることは事実だ。

 

 だが、対応を誤り、アロマさんへの攻撃を許したのは自分だ。

 

 その事実を、全て奴らのせいにしたいと思っている。

 

(……実に……情けない……カッコ悪い……)

 

 思考が、ネガティブなループに囚われて――

 

「セイドってばぁ!」

 

 ――いたところで、唐突に後ろから突き飛ばされた。

 

「ぅわっ!?」

 

 今の私は、浅い小川の中に立って、川底のあるアイテムを探すために前屈みの体勢になっていた。

 そんな状態で後ろから押されれば。

 

 当然、川にダイブすることになる。

 

「っぷ! ちょ、何するんですか! アロマさん!?」

 

 私を突き飛ばしたのは、他の場所でアイテムを拾っているはずのアロマさんだった。

 よく見ると、ルイさんもアスナさんも、川辺に来ていた。

 

「ったく! 全然聞こえてないじゃん! さっきから呼んでたよ!」

 

「え……」

 

 川の中で尻餅をついたような体勢のまま、よく見まわすと、マーチもキリトさんも川から上がったところで、呆れた様な表情で私を見ている。

 

「ここのはもう拾い終わったって! 私達もちょっと遠くに行くから、その前に打ち合わせに来たの!」

 

 胸を張るように仁王立ちになったアロマさんは、叱るような言葉とは裏腹に、いたずらに成功した子どものような笑顔を浮かべていた。

 

「どーせ、ネガティブに色々考えてたんでしょ! セイドってば、考え過ぎなんだよ!」

 

 今回、1番の被害者であるはずのアロマさんは、持ち前の明るさで、立ち直っているように見える。

 いや、いままでと何も変わっていないようだ。

 

「私はもう、何ともないよ。セイドも、気にし過ぎないでよね?」

 

 そう言って、アロマさんは私に手を差し伸べた。

 

「おーい、セイド!」

 

 そこで、マーチが声を上げた。

 

「お前、アロマと一緒にアイテム集めて来てくれ! 俺はルイと。キリトはアスナと一緒に。3手に分かれようぜ!」

 

「なっ――」

 

「セイちゃ~ん! らしくないよ~!」

「セイドはセイドらしく、自分にできることをやればいいと思うぜ」

「セイドさん! みんないますから! 大丈夫ですよ!」

 

 マーチの言葉に、ルイさん、キリトさん、アスナさんが続き、さっさと他の場所へと行ってしまう。

 

「ほら、みんなだって、色々思うことはあるだろうけど、とりあえずは整理したよ?」

 

 アロマさんが、手を差しだしたまま、笑顔を見せた。

 

「私だって、セイドが居れば、怖くないし!」

 

 呆然としたままの私の手を、アロマさんは強引に掴んで引っ張り上げた。

 

「さ! 次行こう次! 私達は向こうの草原だって!」

 

 私の返事など待つことなく、アロマさんは私の手を引っ張って歩いて行く。

 

 

(……弱いな……()は……)

 

 

 1人では、自分の心すら整理できない。

 だが。

 

 俺は、独り(ひとり)じゃない。

 

「セイドは1人じゃないよ! 私達が一緒だし! 私はいつも傍に居るし!」

 

 まるで俺の思考を読んだように、アロマがそんなことを言った。

 顔は、こちらに向けないままに。

 

 

「……そうですね」

 

 そうだ。

 

 ()は、決して1人ではない。

 私1人でできることは、たかが知れている。

 そんなことは、初めから分かっていたことのはずだ。

 

 そんなことすら、忘れていた。

 (おご)っていたと言っていいだろう。

 

 私は、1人では自分の心の整理すら儘ならない弱い人間なのだ。

 

(なら、皆さんを頼ればいい)

 

 《警報(アラート)》という力を手にしていたが故か、自分の実力を勘違いしていた。

 私の心は、強くなどない。

 

 だから、アロマを頼ればいい。

 マーチやルイさんを頼ればいい。

 

(私は、皆と一緒に居るからこそ、強くいられるんだ)

 

 今更ながら、そのことを確認し。

 

「ありがとう、アロマ」

 

 私は、アロマに感謝を述べた。

 

「へ……?」

 

 すると、何か気になったのか。

 アロマが足を止めて私に振り返った。

 

「どうしました?」

「……いや、今……」

 

 アロマは何かを言いかけて――

 

「ううん! 何でも無い! いこ!」

 

 ――言わぬまま歩みを再開する。

 

「ちょっと、言いかけて止めるのは気になるでしょう?!」

「いーのいーの! さ! 日が暮れる前には家に帰るんだからね!」

 

 よく分からぬまま、私はアロマに手を引かれ、草原へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マーチのカルマを回復したのは、時刻にして16時頃だった。

 

 キリトさんとアスナさんを夕食へと招待し、ルイさんは食事の支度に入った。

 ログさんも早めに店を閉めて帰宅した。

 一緒に居たというリズベットさんとシリカさんもやってきた。

 

 予想外に人数が多くなったので、庭でバーベキューにすることになった。

 マーチが道具を用意し、アロマも一緒に必要な物を組み立てていく。

 

 大勢がいる庭からは、楽しそうな声が聞こえてくる。

 

 

 

 そんな中。

 

 

 

「さて――」

 

 私は自分の部屋で、ある人物と対面していた。

 

「――話を聞かせてもらいましょうか」

 

 その人物は、2人。

 

「アルゴさん」

 

 1人は、付き合いも長い情報屋《鼠》のアルゴさん。

 

「それと――」

 

 もう1人は、初めて会う人物。

 

 だが、その素性を私は知っている。

 濃紺の長い髪を、首のあたりで1つにまとめている女性プレイヤー。

 

「――アクアさん、ですね」

 

 私がそう断じて名前を呼ぶと。

 

「……はい……」

 

 《アクア》という名の女性は、悲痛な表情で頷いた。

 

 

 

 

 

 



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幕間・6
DoRのちょっとした恋愛模様


シュケル様、ポンポコたぬき様、チャマ様、バルサ様、※のん※様、ささみの天ぷら様、楽々亭様、tanitani様、緋月ソラ様、TiDPD4jzEk様、名無し様、卵2砂糖18の関係様、シュケル様(2度目)。
感想ありがとうございます!!!!m(_ _)m

そして。
恐ろしく間が開いてしまいました orz 申し訳ありません
反省して、首吊ってきまs(略


遅くなりましたが、お楽しみいただければ幸いです(;一_一)



 

 

 67層が攻略されてから2日が経った。

 

「いやぁ、今日も順調だったねえ!」

「そうですね。まずまずと言ったところでしょうか」

 

 私はこの後の予定を確認しつつ、鼻歌交じりにスキップをしているアロマの言葉に相槌を打った。

 午前中に68層のフィールドボスを攻略した私たちは、一度ギルドホームへと帰るところだ。

 

「ロマたん~、集中したし~、お腹空いたんじゃない~?」

 

 ご機嫌なアロマに、にこやかに問いかけたのはルイさんだ。

 

「んだな。珍しく周囲の状況まで把握してたからなぁ」

 

 ルイさんに言葉に、含み笑いと余計な一言を付け加えたのは、毎度ながらマーチだった。

 昼食の仕入れもあり、私たちは今、ギルドホームのある24層の主街区《パナレーゼ》の商店街で買い物をしながら移動中だ。

 マーチのその一言に、トトトッ、と歩調を早めたアロマは、私たちの前で振り返り、腰に手を当て、後ろ向きに歩きながら抗議を始めた。

 

「珍しく、とは失敬な! 私はいつでも周りに気を配っているのだよ!」

「へいへい」

「あ、こら! 軽く流すな!」

 

 マーチは、やれやれといった様子で腕を組んで肩を(すく)め、フッと笑っただけ。

 そんなマーチに、アロマは後ろ向きに歩を進めながら、くだくだと抗議を続けている。

 失笑しながら、私も聞き流していたのだが。

 

「アロマ、後ろ向きのままだと――」

 

 ――危ない、と注意するのが少し遅かった。

 

 進行方向の店の角から出てきた少し大柄な男性に、アロマが、ポスッとぶつかってしまった。

 

「おっ、と……?」

 

 男性は小さく声を上げ、不思議そうな表情を浮かべ、アロマを半分抱きかかえるような感じで受け止めていた。

 唐突にぶつかってしまった相手を受け止めるというのは、なかなかできない反応だ。

 

「あ、すみませ――」

「ったく、相っ変わらずだな、お前は」

 

 反射的に謝ろうとしたアロマに対して、男性は苦笑いを浮かべてそう言うと、アロマの頭をクシャクシャと撫でた。

 

「んえ?」

 

 ちょっと強めに撫でられた頭を押さえつつ、アロマが振り返り、男性を見上げ――

 

「ミスト?!」

 

 ――素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げた。

 

「よ、アロマ。久しぶり」

 

 《ミスト》と呼ばれた男性は、アロマに小さく手を上げてにっこりと笑って応えた。

 それを見たアロマが、ミストさんの手を取ってブンブンと振りながら、歓声を上げる。

 

「うわぁぁ! ひっさしぶり! 凄い偶然!!」

「だなぁ。何時以来だっけ?」

「えーっと……最前線が29層だった時に解散して以来じゃない?」

「お~、そっか、そんな前かぁ……てかお前、全然、背伸びてないなぁ」

「ちょ! 伸びるわけないじゃん! てかそれ今関係ないでしょ!」

 

 こちらに背を向けているアロマの表情は見えない。

 しかし、和気藹々(わきあいあい)と話しているアロマを見ていると、きっと明るい笑顔を見せているのだろうことは想像に難くなかった。

 

 そして。

 自然と、ミストさんの姿も表情もしっかりと目に入る。

 

 背丈は180程、年の頃は、私やマーチと同じか少し下くらいだろう。

 灰色の髪は短すぎず長すぎず、視界を塞ぐようなことにならないよう、しっかりと整えられている。

 体格は中肉、防具は軽金属防具で身を包み、武装は少し大振りな片手用曲刀を腰に吊るし、逆三角形状の盾――《カイトシールド》を背負っている。

 壁戦士(タンク)とも考えられるが、攻撃役に見えないことも無い、中途半端な装備のプレイヤーだった。

 

(アロマの、知り合い、か)

 

 装備などを無意識のうちに観察していたが。

 

(アロマと、どういう関係だったんだろうか……)

 

 今まで、こういう相手と出会うことが無かったからか。

 

(……話に、入れない)

 

 話が盛り上がっている2人に、どう声をかけていいのか、どう割って入れば良いのか、全く分からなかった。

 

(……ん? 何故、割って入る必要が……?)

 

 一瞬、自分の考えたことに違和感を持ち、そのことを考えようとした瞬間――

 

(「なぁ、あれ、アロマの知り合いか?」)

 

 ――マーチが肘で突きながら、ボソっと小声で聞いてきた。

 

(「で、しょうね」)

 

 私も思わず小声で、しかし視線は2人から外せぬままに答えていた。

 

(「なんか親しげだな……アロマって、俺らのギルド以外に属してたことないんだろ?」)

(「そう、聞いて、います」)

(「ふ~ん……ってことは、個人的に仲が良かったってことか……」)

(「そう、でしょう、ね」)

 

「……セイド。発声がカクカクだぞ」

「気の、せい、でしょう」

 

 隣のマーチは、何故かため息を吐いたようだったが。

 私は何故か、アロマとミストさんのやり取りから、意識をそらすことができなかった。

 

 楽しげに会話に花を咲かせていた2人の話題は。

 

「お前、今もソロやってんの? それか、パーティー渡り歩いてたりするのか?」

 

 互いの近況報告へと移り。

 

「あ、ううん! へっへぇ! 聞いて驚け! 私はね! 攻略組に入ったの!」

「ぅお!? マジで?! すげぇな! ってことはあれか。迷宮区の攻略とかしてんの?」

「うんむ! 今日もね、68層のフィールドボス倒してきたところなんだよ!」

「おぉー! マジかぁ! くぅぅ……すげぇ差ぁつけられちまったなぁ……でもま、お前ならボスとかでもやれそうだもんな」

「えへへぇ! やっぱミストなら信じてくれると思ったよ!」

「や、まぁ、前からお前の実力はケタ違いだったよ。俺らの中じゃ、お前が1番強かったし」

「そりゃ、あのメンバーの中じゃねぇ。でも、ミストだって強かったじゃん! 壁戦士も攻撃役もできるようにしてるのは、今も変わらないんでしょ?」

「そりゃぁ、まぁなぁ……あのメンバーの中じゃ一応リーダーだし。ってか、攻略組って……攻略組ギルドに入った、ってことだよな?」

「ん? うん、そうだよ!」

 

 ギルド、と口にしたミストさんの表情が、少し曇ったように感じた。

 しかしアロマは、それに気付かないようで、嬉々として話を進める。

 

「正しくは、私が加入したギルドが、60層から攻略組に加わったんだよ!」

 

 何がそんなに嬉しいのか、ミストさんに胸を張って自慢するアロマを見ていて、私は何故か――

 

(……よく分からない……複雑な感じ……?)

 

 ――自分の心境を、把握できなくなっていた。

 

「あ、ごめん! 紹介するの、遅くなっちゃった! セイド!」

 

 2人の会話を、なにやら遠いものを見ているような気分で眺めていた私は、アロマの一言で、グッと現実に引き戻された。

 

 いや。

 意識だけではなく、実際に手を引っ張られていた。

 

「これね、セイド!」

 

 アロマは、私の手を掴み自身の隣へと引き寄せていた。

 唐突に、ミストさんの前に引っ張り出される形になった私は、反射的に頭を下げて、会釈をしていた。

 

 何故か。

 掴まれた手に感じた、アロマの温かさに。

 妙に、ホッとした。

 

「私が所属するDoRのマスター兼お母さん!」

「だから、そこはせめてお父さんでしょう、性別的に」

 

 ついつい、いつもの癖でツッコミを入れていた。

 アロマも、それを分かっていて言ったのだろう。

 悪戯っぽく笑ってみせ――

 

「セイド、この人はミスト。昔組んでたパーティーのリーダーだよ!」

 

 ――そのまま、ミストさんへと手を向けて、紹介してくれた。

 

「ミストです。《霊銀の棘(ミスリル・ソーン)》ってギルドのマスターやってます。よろしく」

 

 ミストさんは、アロマに紹介されると爽やかに笑って右手を差しだしてきた。

 

「こちらこそ。アロマからも紹介されましたが、ギルド《逆位置の死神(デス・オブ・リバース)》のマスターを務めております、セイドと申します。宜しくお願いします」

 

 私も右手を出して、ギュッ、と心持ち強めの握手を交わした。

 

「《DoR》……聞いたことがあるような……」

「うちは、他の有名ギルドとよく似た響きの名前ですから。そちらと混同されているのかもしれませんね。《KoB》ではないですか?」

 

 リアルのバイトで培った営業スマイルを浮かべ、どちらからともなく握手を解き、何とはなく会話を続けていく。

 

「あぁ、確かに……いやでも――」

「《ミスリルソーン》……もしや、25層に入ってからギルドを結成されたのですか?」

 

 ミストさんは何やらこちらのギルド名に引っかかりを持っていたようだが、それはこの際、気にしない。

 

「あ、よく分かりましたね。そうなんですよ。それまではパーティーとしてやってたんですけどね。メンバーも固定されてきたのと、レアドロップの《霊銀の棘(ミスリルソーン)》って鞭を手に入れたのを記念に、ギルドにしました」

 

 安直ですよね、と言いながら笑うミストさんは、悪い人には見えなかった。

 

「当時は相当なレア武器でしたね」

「今じゃ、使うことは無くなったんですけどね。ギルドストレージの1番下に、今でも置いてあります。やっぱり、手放せなくて」

「え、まだ残してあるんだ! もう価値なんてないんじゃないの?」

「お前なぁ……あの時にも言ったけど。あれは象徴なの。シンボルなの。俺らのギルドとしての証なの! 分かる?」

「あー、はいはい。ソウデシタネー!」

 

 イシシっと笑うアロマの、そんな悪戯に満ちた表情は。

 ここ最近、見ることのなかった笑顔だった。

 

「てか、お前、やっぱギルド入ったんだなぁ。俺らが誘った時は全力で断ってたのに」

 

 アロマにそう問いかけたミストさんの表情には、悔しさと悲しさが混じって見えた。

 

「ミストには悪いと思ったけど、一緒にいた、あの筋肉ハゲが気に入らないのよ。やることが卑怯でセコくて。それに口説き方も寒いし。あんな男が一緒なんて、御免だわ」

 

 悪気はないのだろうが、アロマの辛辣な言葉にミストさんは表情を曇らせていた。

 

「そっか……俺が嫌われてんじゃないかと思って、結構悩んだんだぜ?」

「ミストは別に、何も」

 

 あっけらかんと言い放つアロマに、ミストさんは失笑していた。

 

「それも酷い言い草だな」

 

 そして。

 私も。

 

(……どう会話に混ざればいいのか……というか、この位置……それにこの話、入っていいのか?)

 

 2人の会話に、入っていいのか。

 入るとして、どう入れば良いのか。

 何故か、アロマの隣が、今は酷く居心地が悪く感じた。

 

「ロマたん、私たちは紹介してくれないの~?」

 

 不意に。

 ふんわりと会話に混ざってくれたのは、ルイさんだった。

 場の空気を壊すことなく、自然な感じに会話に入ったルイさんは、隣にマーチを連れ添って、私とは逆の――アロマの右隣に立って会話に混ざった。

 

「あ、ゴメン、ルイルイ。この人、ミスト。昔組んでたパーティーのリーダーなの。久々に会ったんだ」

「そ~なんだ~」

 

 ルイさんは朗らかな笑顔を絶やさず、アロマとミストさんを交互に見やっている。

 

「ミスト。ギルドメンバーのルイルイだよ。ルイルイの作る料理がね! もう最高なんだから!」

「はじめまして~。ルイって言います~」

「ミストです、はじめまして」

 

 しかしルイさんは、両手を後ろに組んだまま体を揺らして挨拶するにとどまった。

 握手はしないらしい。

 

「ルイルイは、マーチの嫁だからね。下手に手なんか出したら、殺されるよ」

「ださねーよ、バカ」

 

 ミストさんは笑いながら、アロマの頭を軽く小突いた。

 

「んで、ルイルイの隣に居るのが、旦那さんのマーチ」

「よぅ、よろしくな」

 

 マーチもまた、ぶっきらぼうに片手を上げて挨拶しただけ。

 自ら名乗ることもしなかった。

 何となく、マーチが不機嫌そうに見えた。

 ミストさんも何かを感じ取ったのか、マーチには会釈を返すだけに終わった。

 

「てか、アロマ。俺ら今から昼飯って、分かってるよな?」

 

 何となくマーチの機嫌が悪いような感じがしたのは、空腹だったからだろうか。

 確かに、今からホームに帰って食事というところで、足止めされているのは事実だが。

 

「ロマたん、立ち話もなんだし~、ギルドホームへお誘いしたら~?」

 

 ルイさんが、上手い形で先へと促してくれた。

 

「それもそだね! ミスト、折角だし、私達のギルドホーム来ない?」

 

 マーチの様子を知ってか知らずか、アロマもルイさんの提案に同意した。

 

「っと、そいやそんな時間だった。皆さん、足止めしてしまってすみませんでした。ゴメン、アロマ。俺、まだ用事があるんだよ」

 

 しかしアロマの誘いに断りを入れたミストさんの一言を聞いて。

 

(ホッ……)

 

 何故か、安堵した自分に気が付いた。

 

(……ん?……何に安心したんだろう……?)

 

 そんな私の内心など知らぬままに、話は進んでいく。

 

「そうなのかー」

 

 どことなく、残念そうに呟いたアロマに、ミストさんは何か思案して。

 

「ん~……じゃ、さ。アロマは、今からは暇か?」

「ギルドでは動かないよ。ね、セイド?」

 

 呼ばれると思っていなかったタイミングで声をかけられたことに、少し驚いてしまった。

 

「え、あ! ええ、そうです。そうですね……特に予定としては……ないですね」

 

 何もない事を、そのまま口にしてしまった。

 予定はない、と言ってから、何故か、酷く後悔している自分がいた。

 

「じゃあさ、お前、ちょっと一緒に来ないか? 俺の用事にしても、30分くらいで終わるから、飯食いに行こうぜ?」

「ん~、ルイルイがご飯作ってくれるのに~」

 

 ルイさんの食事は天下一品だ。

 アロマにとっては、1食でも逃したくないだろう。

 

 だが。

 

「久しぶりに会ったんだぜ? それくらい付き合えって、奢ってやるから。セイドさん、こいつ借りていいですよね?」

 

 ここでミストさんまでもが、何故かわざわざ私に話を振ってきた。

 よく分からないが、少し目つきが据わってでもいたのだろうか。

 

 何であれ。

 彼女の行動に、私がとやかく言う権利は無い。

 

「ええ。もちろんです」

 

 ミストさんの問いかけに、ニコリと笑顔で応対し。

 

 直後に、何かが、自分の中で痛んだ。

 

「すみません。ってことだ。マスターさんが良いってよ? どする?」

「ん~……何奢ってくれるの?」

「肉。肉食おうぜ」

「……よっしゃ! しょうがない! 奢られてやろうじゃないか!」

「何だよそれ。っても、すぐじゃねーからな? 俺の用事が終わったらだからな?」

「んじゃ、サクッと終らせて、肉、肉!」

 

 アロマの言動に、ミストさんは笑いながらこの場を離れていく。

 アロマも、トコトコと、私から離れていき――

 

「あ! ルイルイ! 私の分のご飯、残しといてよね! 食べちゃヤだよ! んじゃ、ちょっと行ってくるね、セイド!」

 

 ――ながら、そんなことを大声で、念を押していった。

 

 私は小さく手を振り、そんなアロマを見送った。

 

「……なぁ」

 

 微妙に機嫌悪そうに、マーチが私の隣に立っていた。

 

「なんですか……」

「あれで、お前、良かったのかよ?」

「あれで、とは?」

「……いや、良いなら良い。俺がどうこういう事じゃないしな」

 

 そう言ったマーチは。

 深々と、呆れたようなため息を吐いて足早にこの場から離れていく。

 そんなマーチに続いて、ルイさんも歩を進めていく。

 

 そんな2人を見て。

 そして、楽しそうに、昔の話に花を咲かせるアロマとミストさんを見送って。

 

 

 何故か私は。

 

 

 自分が、不機嫌になっていることに気が付いた。

 

 不機嫌だったのは、マーチではなく、私自身だったようだ。

 

 

 

 

 

 

 帰ってきて、ルイさんの食事を食べ終えたマーチは、この後の予定のために早々にホームから出立した。

 そんなマーチを見送り、私は食器の片付けを手伝いながら、ルイさんに、無意識のうちに問いかけていた。

 

「ルイさん」

「な~に、セイちゃん」

 

 問いかけたものの。

 

(何を、聞くつもりだったんだろう……?)

 

 何を聞こうとしていたのか、分からなくなっていた。

 

「え……っと…………午後、何で空きにしたんでしたっけ……」

「え~? セイちゃんが会議に行くからでしょ~?」

「…………そうでした」

「それに合わせて~、マーチんもいつもの所回ったり~、ゼルクさんの所に行ったり~。ロマたんは元々~、ログっちの所に行くくらいの予定だけだったし~」

 

 全員の行動予定を、わざわざ口にしてくれたルイさんに、私は思わず大きくため息を吐いたと同時に、ガックリと項垂れてしまった。

 

「……なんだか、とても疲れました」

 

 よく分からないが、何故か非常に疲れている気がする。

 フィールドボス相手に、溜まっていたストレスは発散できたと思ったのだが。

 

「ほら~、セイちゃんも~。そろそろ行かないと会議の時間になっちゃうよ~?」

「……そう、ですね……行ってきます……」

 

 まかり間違っても、自分が欠席することはできない会議だ。

 私が皆に集まるように声をかけているのだから。

 

 しかし。

 

(集中できる気がしない……)

 

 心にモヤモヤとしたものを抱えたまま、私は1人、トボトボと会議の場所へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セイちゃんを見送り。

 私は思わずため息を吐いていた。

 

「はぁ~……全くも~……セイちゃんてば~」

 

 ロマたんのことで、少しは成長したかと思った矢先にこれだ。

 

(っていっても、あれはま~、ショックもあるか~)

 

 私から見れば、ロマたんを疑うようなところは欠片も無いのだけれど。

 こういう事に不慣れで、鈍感で、ヘタレなセイちゃんは、多分自分の心情すら把握できなくなっているのだろう。

 

 正直、タイミングも悪い。

 今、セイちゃんを引き止めて、掘り下げて話をしたいのは山々だけど。

 

(そういうわけにもいかないんだよね~)

 

 迷宮区の攻略に『本腰を入れない』と決めたのは、他ならぬセイちゃんだ。

 その決意に、他の攻略組メンバーを巻き込んで。

 

 それに、控えているのはアインクラッド初の大規模討伐戦。

 それに向けての、細かい情報の集約及び精査・検証、そして作戦の立案。

 それらは全て、セイちゃんが責務として背負ったことだ。

 今は、それら以外のことは、全て《瑣末》として扱わなければならない。

 

(……セイちゃんに~、ロマたんのああいうところを瑣末事として扱わせないとならないのか~……それはそれで大変かも……)

 

 私は私で普段通り行動しなければならない、という制約もあるのだけれど。

 

(まあ……何とかするしかないよね~)

 

 少し、気を引き締めてかからないとならない案件が加わったようだ。

 

 とりあえず、マーチんが『セイドが死んだ魚のような目をしている』と言っていたことだし、夕食は魚料理を出すとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……ん。…………さん!」

 

 ギルドメンバーのリストを見ていると、アロマが圏外に出ていないことが分かる。

 

(無事なことに間違いはない……だが……)

 

 あのミストという男性と一緒に居る。

 ただそれだけのことが、どうしても頭から離れない。

 

「セ・イ・ド・さん!!」

 

 唐突に。

 アスナさんが作戦案を広げたテーブルを力いっぱい叩いた上に、私の名前を大声で叫んでいた。

 

「え、あ、はい? 何でしょう?」

「何でしょう? じゃありません!!」

 

 この場に集まっている、アスナさん、キリトさん、ノイズさん、クラインさんが、皆同様に呆れと怒りを含んだ視線を私に向けていた。

 

「今日の集まりは、どういうものか、分かっておいでですよね!」

 

 その中でもアスナさんは、全身から怒りのオーラが飛び散るかのような勢いだった。

 

「も、勿論です」

「なら! 一体さっきから何なんですか! 腑抜けたように話は聞いていない! 呼びかけても返事は無い! 全体指揮を執るのはセイドさんだと分かっているんですよね!?」

「は、はい」

「これでは、わざわざKoBの予備会議室を使っている意味も無いじゃないですか! 本当にやる気があるんですか!?」

「も、申し訳な――」

「謝る暇があるならサッサと話を進めて下さい! こちらだけ長引かせるわけにはいかないんでしょう?!」

「はいっ!」

 

 怒涛の勢いで叱られ、私は意識を会議にシフトする。

 というか、叱責されなければ、意識をこちらに向けられなかったのが、とても情けない。

 

「大変申し訳ありませんでした! では、改めて、これまでに確認できた情報を整理して、現段階で考えられる作戦案をいくつか提示します!」

 

 気を取り直した私に、アスナさんは憤慨した様子はそのままに、とりあえず椅子に座り直した。

 クラインさんは何故か『怒ったアスナさんもいいなぁ』というようなことを――声は聞こえなかったが、唇の動きで――呟いたのが見えた。

 ノイズさんは、いつものようにカカカカッと笑い、こちらに何やら同情するような視線を向けていた。

 キリトさんは苦笑いを浮かべたまま、隣に座っているアスナさんに、落ち着くように声をかけてくれていた。

 

 なんにせよ。

 

(はぁ……いかんいかん! アロマのことは気になるが、今考えるべきことじゃない!)

 

 無事である、と分かっていれば、今はそれだけでいい。

 今、私が向き合わねばならない案件は、延いてはこの世界の全員の安全に関わることなのだから。

 

 

 

 

 

 

「で?」

 

 会議を終え、KoBのギルド本部から帰ってきた私と顔を会わせたマーチの第一声が、これだった。

 

「え? 何ですか?」

「アスナとキリトに、お前に何かあったんじゃないかってメッセで聞かれたんだが。何をやらかした」

「あ~……いや、その……」

 

 作戦会議中に、他のことを考えていて話を聞いていなかった、とは、なかなか言い出しにく――

 

「ま、大体想像はつくがな。どーせ、あのミストって男とアロマが一緒に居ることが気になって、会議中に呆けてたんだろ? ギルドメンバーのリストでも開いて眺めつつ」

「――ッブ!」

 

 図星過ぎて、思わず吹き出してしまった。

 

「お前は、ほんっと分かりやすいよなぁ……このバカ野郎、いや大馬鹿左衛門」

「っちょ、いや、あの――」

「うるせえだまれこの朴念仁。今何か言い訳できるとでも思ってんのかド阿呆」

「――スミマセン」

「なんでわざわざKoBに集まる時間を合わせたり、会議室を別にしたり、解散時間を合わせたりしてるんだ? ん? 全部お前がそうするべきだと徹底させたからだよな? だよなぁぁあああ?」

「は、はい……」

「それ以外にも攻略組全員の行動に制約まで付けた張本人がっ! 最優先すべき事項以外に気を取られてっ! 肝心の会議を疎かにするとかっ! 許されると思ってんのかっ?! あぁ!?」

 

 ギルドホーム内であることもあってか、マーチは腹の底から声を張り上げて、更には右手で私の頭を鷲掴みにして締め上げていく。

 

「ス、スミマセ、って痛いから! マーチ悪かった、私が悪かったかr――」

「謝らにゃならんようなことを! するんじゃねぇよ! 今がどんだけ重要な時期か! テメェが1番分かってん・だ・ろ・う・が・ぁぁぁぁああ!!」

「ごめんってぇええええ!」

「は~いは~い、マーチん、そのくらいにしてね~」

 

 マーチに怒られている私を見かねてか、ルイさんが助け舟を――

 

「私が怒る分も残しておいてくれないとダメだよ~?」

 

 ――出してくれたわけではなかった。

 

「え……っと……あの……」

「はい、それじゃセイちゃん。ちょっと、ここに座って」

 

 夕食の仕込みなどを終えたらしいルイさんは。

 口元だけにっこりと笑いながら床を指差し、私に死刑宣告をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕日が沈む少し前。

 

「たっだいまぁ!」

 

 アロマが元気に帰ってきた。

 

「ロマたん、お帰り~」

 

 夕食の支度を始めていたルイさんが、アロマの帰宅を確認したところで、ティーポットをリビングのテーブルに運んでくる。

 

「ぉ、戻ってきたか……ん? ミストは一緒じゃないのか?」

 

 同じく、リビングで情報の再確認をしていたマーチも、メニュー画面から視線を外してアロマへと向ける。

 そこには、一緒に居ると思われたミストさんは居られなかった。

 

「んえ? ミスト? ご飯奢ってもらって、そこで解散したよ?」

 

 マーチの言葉に答えながら、アロマが私のところで目を止める。

 

「…………セイド……何してんの?」

「あ~、セイちゃんはね~」

「絶賛反省させられ中だ」

「……へ、へぇー……」

 

 私の姿勢を見て、アロマは少々引き攣った笑みを浮かべていた。

 

「で、なにをやっちゃったの?」

 

 わざわざ私の所まで近寄ってきて、そう尋ねてくる。

 そして、私はというと。

 

「いえ、ちょっと、会議に集中できなかったので……」

 

 未だに、リビングの床に、直で正座をさせられたままだった。

 

「え?! セイドが会議に? うっそだぁ?」

 

(主に、アロマが原因なんですがね……)

 

 とは、流石に言うわけにもいかず。

 

「……まぁ……そんな日もあるんですよ……」

 

 と、言葉を濁すにとどまった。

 

「セイドも、人間なんだね」

「何ですかそれ……」

 

 アロマも床に正座をし、私の頭をよしよしと撫でた。

 私の頭を撫でる、小さくて温かな手が。

 

 妙に心地よかった。

 

 

 

 

 

 夕食は、ルイさんお手製の《スター・トラウトの塩焼き》が食卓に上がった。

 マーチは、魚と私を交互に指差しながらニヤニヤと笑い、ルイさんに視線で怒られていた。

 私は、やっと床から椅子へと座る場所を移すことを許され、痺れる足に血が通うのを待ちながら魚を食べていた。

 

 しかし。

 

「でねぇ、ミストってばねぇ――」

 

 アロマは、ミストさんと過ごした内容を、取り留めも無く話していた。

 それを隣で聞いているだけで、料理の味を、全く感じられなかった。

 

「――で! 結局見つかんなくって――」

 

 ざっと話を纏めると、ラージ・ダックの丸焼きを食べた後、攻略したボスやダンジョンの話などをしながら街を回り、ミストさんの新しい装備を探してNPCショップを冷やかし、結局良いものが無かったのでそこで解散。

 アロマはその後、予定通りログさんのところへ行った、ということだった。

 

 この内容だと、全体を通しても約3時間程だろうか。

 ログさんのところで過ごしたとも言っていたし、ミストさんと過ごした時間はそう長くは無いだろう。

 

(そうか……後半はログさんのところだったんだ……)

 

 少し安堵したのか、今になって魚の味が分かってきた。

 ほんのりと甘い岩塩が効いた、身がふっくりとした川魚の美味しさを、ようやく脳が認識したようだった。

 

「――そんでねぇ、ミストの武器がなかったってログたんに話したら、お店に来てくれれば相談に乗るっていってくれて!」

「ほー、そうなのか」

 

 然程興味も無いとはいえ、アロマが楽しそうに話しているからか、マーチが適当に相槌を打っている。

 

(って、いや待て、この話の流れだと――)

「うん! だから明日、ミストを連れてログたんとこ行ってくる!」

 

 ――再び、川魚は紙の味にも似たものとなり、私は俯いたままそれを咀嚼することになった。

 

(自分で作ったスケジュールとはいえ……)

 

 明日をフリーの日にしたことを、何故かとても後悔していた。

 

 

 

 

 

 

「んじゃ、いってきまーす!」

 

 そう言って、朝食後、すぐに家を飛び出したアロマを。

 

「い、いっテラッしゃイ……」

 

 私は、酷く複雑な気持ちで見送った。

 

「おーおー、アロマの奴、元気だねぇ」

「久しぶりの再会だもんね~。話も色々弾むでしょ~」

 

 マーチとルイさんの台詞が、何故か、鋭く突き刺さってくるように感じられた。

「……っ……で、では……私も…………いッてきまス……」

「おう、いってらー」

「セイちゃん、気を、引き締めて、ね?」

 

 半眼で、呆れた様子を見せるマーチと。

 笑顔のようで、目が全く笑っていないルイさんに送り出されて。

 

「ハ……ハイ……」

 

 私はホームを出て、転移門広場へと向かう。

 何故こうも、心が波立つのか。

 理由は、分かってはいるのだが。

 目的の場所へと転移したところで、私は目を閉じて、何度も深呼吸を繰り返した。

 

(そう。分かってはいる。だが今は)

 

 個人の感情よりも、優先せねばならない事案がある。

 昨日のような失態を、続けることはありえない。

 

(……………………よし)

 

 意識を完全に切り替える。

 関係ない感情は全て削ぎ落とし、今はただ、自分の成すべきことを為すだけだ。

 そうして私は、黒鉄宮へと歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ……」

 

 ノリが対照的な2人を送り出し、ソファーに腰を下ろした俺は、思わずため息を吐いた。

 そんな俺に、ルイは苦笑しながら珈琲を出してくれる。

 

「ほ~んと、セイちゃんには困ったものだね~」

 

 ルイも紅茶を持ってきて、俺の対面のソファーに腰掛けた。

 

「でも~、良い傾向だと思うんだ~」

「まぁ……なぁ……」

 

 確かに。

 異性関係などに恐ろしく鈍感だったあいつには、良い傾向だと言えるだろう。

 あいつにとってアロマがどういう存在なのか、ハッキリ自覚させるには絶好の機会だ。

 

 だが。

 

「しっかし……時期が悪ぃなぁ……ほんと。間の悪い男だぜ……」

 

 セイドとミスト。

 どっちもだ。

 

「だね~。もうちょっと後に出て来てくれると良かったかな~、ミスト君」

「あぁ……せめて、今の問題が終わってからだったら、何の文句も無かったな」

 

 大まかな行動指針は決められている。

 あまり突飛な行動をするわけにはいかない。

 それがたとえ、セイドとアロマを想ってのことであったとしても。

 

「……ま! 今、下手に動くするわけにもいかねえし! 気にしないでおこうぜ!」

 

 俺は思い切って、あいつらのことを考えることを放棄し、ルイへと手を伸ばす。

 

「え……ちょっ――」

 

 折角ルイと2人っきりで居られる、貴重な休日。

 俺としても、ルイと居ること、それだけを満喫しておきたいしな。

 

「んもぅ、マーチんてば~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒鉄宮を出てきたところで、午前10時を回っていた。

 その後、DDAの本部、KoBの本部、風林火山のベースキャンプという流れで足を運ぶ。

 全てを回り終えた頃には、12時を半ば以上過ぎていた。

 

(ふむ……)

 

 大凡(おおよそ)、予定通りであり、予想通りに事態は進展している。

 無論、油断は許されないことに変わりは無く、常に周囲に気を付けてはいるが。

 今の所、問題はなさそうだ。

 

(さて、次は……)

 

 ルイさんが用意してくれたサンドイッチを頬張りながら、私は次の予定地へと向かう。

 装備品のメンテナンスと消耗品の補充を兼ねて、ログさんの所へ。

 

「転移、ウィシル」

 

 転移門を使い、39層の《ウィシル》へと跳び、そこからは普通に徒歩で向かう。

 

(修復に出す装備品……補充する消耗品……あとは――)

 

 軽く確認しつつ、ログさんの店の前に付いたところで。

 

「――でさぁ! そこでズバッと素早く跳び込んできて――」

 

 扉を開ける前に、馴染みのある話し声が店の裏手から聞こえてきた。

 何やら、夢中になって語っているようだ。

 

「へぇ。やっぱすごいんだな――」

 

 そして。

 その話し相手の男性の声も聞こえた。

 

「うん! もう、ホント凄いんだから!」

 

 擬音と共に、おそらく身振り手振りも混ぜて話をしているのだろう。

 時折、体を動かしているような音も聞こえてくる。

 細かい描写を擬音で表現してしまう辺りが、とてもアロマらしい。

 

「いいね、羨ましい限りだな」

 

 そして、それを傍で静かに聞いているであろう、ミストさんは。

 

「で? その後どうなったんだ?」

 

 アロマを飽きさせることなく、話の腰を折ることも無く、相槌や合いの手を忘れずに、話をうまく聞いている。

 聞き上手、というのは、まさに彼のような人物のことだろうか。

 

「…………………………」

 

 扉を開けようと伸ばした手を、いつの間にか強く握りしめていた。

 確か、アロマたちは、朝からここに来ているはずだ。

 そして、今もまだ、ここに居る。

 

(……楽しそうに……話してるな……)

 

 飽きることなく、尽きることなく、アロマの話は止まらないようだ。

 

(……あんなに、楽しそうに話すアロマは……最近見ていない気がする……)

 

 私は最近、アロマの話をゆっくりと聞く時間を、取れていない。

 フィールドボス攻略。

 迷宮区攻略。

 フロアボス攻略。

 無数のクエスト攻略。

 

(……向き合ってこなかったのは、私か)

 

 攻略組として活動するようになり、更に多くの時間を共に過ごしてきてはいるが。

 それは、本当にアロマを、見てきたことになるのだろうか。

 

 

 不意に。

 扉が開いた。

 

「っ?!」

 

 咄嗟のことに、体が反射的に戦闘態勢を取っていた。

 

「wざqxせc!?」

 

 出てきたのは、ログさんだ。

 おそらく、店の前に立ちっぱなしだった私に、声をかけようとしてくれたのだろう。

 扉が開いたことに過剰反応した私に、ログさんが驚いてしまった、という感じか。

 

「あ、す、すみません、ログさん、驚かせてしまいましたね……」

 

 そう、ログさんに声をかけた私は、何故か声量を抑えていた。

 そして、少々慌てつつも、テキストで返事をしようとしたログさんをみて――

 

「と、とりあえず中に」

 

 ――私はログさんを押すようにして急いで店内へと入り、急いで扉を閉めた。

 

 パーティーを組んでいない状態での一般フィールドにおけるテキストチャットは、ある一定範囲のプレイヤーの目に入る。

 今であれば、裏庭に居るアロマとミストさんにも、見える可能性がある。

 

 私は、何故かそれを、避けたかった。

 

【せいどさんどうしたんづええすk】

 

 押されながらも、ログさんはなんとかテキストを打ち。

 

【お店の前で立ち止まっていたので、何かあったのかと思いましたよ?】

 

 ちょっと落ち着けば、すぐに丁寧な文章での会話へと戻った。

 

「いえ、ほんと、驚かせて申し訳ない。大したことじゃないんです」

 

 そう、ログさんに語った自分の顔は――

 

「えっと、その、先に、用を済ませてしまっていいですか? メンテナンスと、補充を」

 

 ――いつも通り、笑えていただろうか。

 

 

 その自信は。

 

 

 無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【よく手入れされていますね】

 

 朝一でお店に来たアロマさんに、ミストさんを紹介してもらい、そのまま装備品を鑑定させてもらった。

 昨日アロマさんから聞いていた通り、ミストさんの現在の装備はレベルに見合わない低レベルの物が大半だった。

 特に、曲刀と盾、胴装備が悪目立ちしていた。

 強化も限界までされていて、愛着を持って使ってこられたことはよく分かった。

 けれど。

 

【レベル、お上げになられるんですよね?】

「あ、ええ、まぁ、そのつもりでいます」

【今よりもレベルを上げるのであれば、この子達はもう限界ですね。変えるべきです】

 

 あたしは、装備の子達に関して妥協はしない。

 

「だよねだよね。っていうか、ミストってば、なんで今までこんな装備使ってたの?」

 

 現在のミストさんのレベルは63だと聞いている。

 なのに、今まで使っていた曲刀と盾は、どう高く見積もっても、ミストさんの適正レベル品より10以上低いものだし、胴装備に関しては15以上低い。

 その他の部位の装備品も、6~8は低い物ばかりだ。

 最大まで強化してあったとしても、流石に限界――いや、既に限界を過ぎている。

 

「単に、買い替えるほど資金に余裕がなくって……それに、ギルメン全員が、俺みたいにレベル上げてるわけじゃないから、必要もそんなになかったし」

「え。あのメンバーだよね? レベル上げてないの?」

「ぉぃ……昨日飯食いながら言っただろ! その日その日を過ごすのに困らなければいいって落ち着いちゃってるんだって!」

「あ~……聞いた、うん、確かに聞いた」

「……ほんっと、相変わらずだな、お前は……」

 

 そんなお2人のやり取りを聞きながら、あたしはどうしても聞かねばならないことを文にする。

 

【ミストさん、ご予算はどのくらいですか?】

 

 資金に余裕がないと言われたが、いくらまで出せるのか、その金額によって用意できる装備は限られる。

 

「えっと……出せても……この位……」

 

 ミストさんは、そう言いながら右手を開いて前に出した。

 

「50までだっけ?」

「おう……」

 

 ミストさんは申し訳なさそうに、少し俯いてしまっている。

 

(50万コル……普通なら武器くらいしか買えないけど……)

 

 普通なら、というのは《一級品》を求めたら、だ。

 

(最前線で戦うわけじゃないなら……)

 

 あたしがまず取り出したのは、最優先すべき《胴装備》だ。

 

【とりあえず、これを試してみて下さい】

 

 汎用品ではあるけれど、量産が難しい軽金属胴装備の《ピュアミスリルブレスト》だ。

 

「って、え、え?! ピュアミスリル?! いやいや! こんなの買えませんて!」

 

 一般に《霊銀(ミスリル)》と呼ばれる素材は、軽くて丈夫という特徴がある。

 但し。

 霊銀だけなら、25層辺りから使われている素材で、60層以上のフィールドでは、ほぼ使われない。

 あたしが今回取り出した《純霊銀(ピュアミスリル)》というのは、霊銀鉱石を大量に溶かして、濾過・抽出というような手間をかけることで、金属の性質を跳ね上げたものだ。

 通常のミスリルインゴットを作るのに、霊銀鉱石が5つ必要であるのに対し、ピュアミスリルインゴットを1つ作るには、霊銀鉱石が100個必要になる。

 

 簡単に言えば。

 

【ピュアミスリルは、手間がかかるだけで元手は安いので。これなら価格は手頃ですよ?】

「いやいやいや! 競売とかで見かけるピュアミスリル製の武具は、もの凄い高いんで!」

【あれは競売に置く手数料等も計算しての価格になりますから、競売での購入はあまりお勧めいたしません】

 

 競売でこの子と同じものを買おうとすれば、おそらく20万コルはかかるだろうけれど。

 

【ちなみに、この子は12万コルですよ?】

「…………え!?」

「うっわ、ログたん、ちょっと安過ぎない?」

 

 流石にアロマさんも安いと思ったようだけれど。

 

【適正価格です。手間がかかるので量産できず、単価が上がる傾向にはありますが、個人販売なら、この価格でも高いかもしれません】

 

 本当なら10万、と言いたいのだけれど、この子は一般流通している子よりも性能が良い。

 適正に評価すると、どうしても少し価格が上がってしまう。

 

【無論、ピュアオリハルコンや、ピュアアダマンタインに比べれば、性能は劣ります】

 

 霊銀は、比較的入手がしやすいから、純化させるのはそんなに難しくない。

 対して、オリハルコンやアダマンタインは入手が難しいため、それを純化させるのは至難だ。

 

【稀少鉱石ではないので、この子たちから見繕っていただくのが良いと思います】

 

 1つでは決めにくいだろうと、あたしは金額的に同じくらいの子達を色々と取り出して見せた。

 

 予算内で、胴・曲刀・盾を揃えて、可能ならもう1か所、更新させておきたい。

 職人として、その人のレベルに見合っていない子達が無理を強いられるのは、見ていて辛いものがある。

 

 予算50万で考えられる組み合わせを、その後もいくつかお出ししたのだけれど。

 何故かミストさんは恐縮するばかりで、なかなか購入の決め手にはならなかったようだ。

 そんなこんなで午前一杯悩んで《純霊銀胸当(ピュアミスリルブレスト)》と《純霊銀長靴(ピュアミスリルクラッドブーツ)》は購入することを決められたけれど。

 

「ミストはほんと、こういうところでズバッと決められないよねぇ」

「慎重なんだよ! てか、お前みたいに最前線で稼ぎまくってるわけじゃないんだから、そんなに金がねぇの!」

【どうされます? 残りのご予算35ですけど、剣と盾は必ず買いたいところですよね?】

 

 ミストさんは、肝心の武器と盾を決められずにいた。

 曲刀と騎士盾を使っているのなら、やはり同系の子が馴染むだろうと、こちらも色々と取り揃えて並べてはいるのだけれど。

 

「う~~~~~~ん……これも良い……いや、しかし……これと併せると……」

「ねぇねぇ、これなんかどう?」

「……それか……それだと盾が……うぅむ……」

 

 今、アロマさんが薦めたのが《シャドー・シャムシール》という、黒染めの刀身が特徴的な、比較的重量のある子だ。

 要求筋力値は充たしているようで、その子を軽々と取り扱うミストさんだけれど。

 

【そうですね。それならこの子はどうですか?】

 

 あたしの見立てだと、併せて持つ盾が重いと筋力値が足りなくなる気がする。

 

「えっと……これは……」

「おー! ログたんもしかして、これってアレが素材?!」

【朧シリーズの1つ《ミスティ・カイトシールド》です】

 

 朧系素材は、レア素材『だった』アイテムとして、最近では名前をよく聞く。

 アロマさんが見つけた《朧月宮》も、今では他の人にも知られるようになり、素材の流通が普通に行われている。

 その中では、未だ流通量の少ない《朧鋼》を主材料として使った子だ。

 

【この子の特徴は、現在知られているカイトシールド系の中では、最も要求筋力値が低い事です。防御力に関しても《純霊銀》系ではとても及ばない高数値を誇っています】

「ちょっと、待って下さい!? 朧系って……最近やっとまともに流通が始まったばかりの素材じゃないですか?!」

【朧素材を使った防具には、特殊効果も付きますから、とてもオススメの子です。そうですか? 私の所ではメジャーな素材ですよ?】

 

 主に、アロマさんが大量に集めて来てくれるからだけれど。

 

「価格的にも良いんじゃない? 他で買おうと思ったら、手に入らないだろうけど?」

【そう、ですね。一般での販売価格はまだ高いです。私は特別に、この価格でこの子達を扱えていますけど】

「ま、マジでいいんですか!? 競売価格の半分以下ですよ?!」

【お礼ならアロマさんに。この価格でお売りできるのは、全てアロマさんのお蔭です】

 

 あたしのテキストを見たミストさんは、アロマさんへと顔を向けて、何か信じがたいものを見るような目をしていた。

 

「……なによ?」

「いや……お前、すげーなって思って……」

「ふふん! 崇め奉られてあげないことも無いけど?」

「調子に乗んな。けど、ありがとよ」

 

 ちなみに、曲刀が13万、盾が22万で、予算丁度だ。

 端数は、内緒でおまけしたけど。

 

【お買い上げありがとうございます。ご予算丁度で収まって、良かったです】

「いや、ホントにありがとうございます! まさかこの予算で、こんなに良い物が買えるとは思っていませんでした!」

「ミストも、ログたんのお店の常連になりそうだねぇ!」

「や、マジで通いますよ。こんなに良い店、見たこと無いし」

【そう言っていただけると嬉しいです】

 

 あたしのお店の主なターゲットは、ミストさんのようなボリュームゾーンの上位に入るプレイヤーの方々だ。

 セイドさんたちは、同じギルドということであたしのお店の子達を贔屓に使ってくれるけれど、正直、あたしのスキルでは、いずれ攻略組の装備品を作ることは難しくなる。

 ウィシルのクエストで手に入る特殊素材も、いつか普及するアイテムになるだろう。

 

 そうなれば、あたしにしかできないこと、というのは少なくなる。

 

【今まで使っていた子達は、どうしますか?】

「ん~……うちのギルメンに渡すことにします。これはこれで、低層なら、まだまだ使えますし」

「って、あのハゲに渡すの? それは勿体ないんじゃない?」

「いや、あいつはもう全然外に出ないんだ」

「え、圏内に引き籠ってるってこと?」

「ああ、一度死にかけてな。それ以来、一度も外に出てない」

「へぇ……ミストも大変だね」

「ハハハ。まあ、あいつも何もしないってわけじゃなくて、職人系スキルを取ったりして、外に出ずにできることをやってるよ」

「ふぅん……あの筋肉ハゲがねぇ……」

「ってことでログさん、今度、そのギルメンも連れてきていいですかね? 職人関連は俺じゃよく分からない事も多いから、そいつに教えてやっていただけると助かるんですが」

【あ、えっと】

 

 ミストさんの思わぬ申し出に、あたしは慌ててテキストを打とうとしたけれど。

 

「ミスト、そういう事を聞きたいなら、初心者サポートもやってる職人系ギルドの人、紹介してあげるよ」

「え、あ、そっか、わり。ログさん、失礼しました」

 

 アロマさんが助け舟を出してくれたことで、あたしが何か言うことなく、ミストさんはご自分の発言を取り下げた。

 あたしが人見知りだと、暗にアロマさんから諭された感じだと思う。

 

 と、ミストさんのお会計が終わった辺りで、お店のドアが開いた。

 別のお客様がおひとり、ご来店された。

 

【いらっしゃいませ】

 

 あたしも、最近はテキストでの応対に慣れてきたのもあってか、唐突なお客様にも、普通に挨拶ができるようになった。

 

「っと、ログたん、ちょっと裏庭借りるね。ほらミスト、そっちで話の続きするよ。装備に合わせたスキルの相談もあるんでしょ?」

「おっと、そうだった」

「んじゃ、また後でね、ログたん!」

 

 あたしはお客様を確認しつつ、アロマさんとミストさんに軽く会釈を返した。

 お2人が店の裏庭へと移動したところで――

 

「なかなか賑わっているみたいだね」

 

 ――笑顔でそう仰ったのは、今ご来店されたフェニクさんだ。

 

「お久しぶりです! フェニクさん!」

 

 あたしは思わず、そう言葉にしていた。

 

「ん、ログも元気そうで何よりだよ。でも、やっぱりまだテキストがメインかい?」

 

 フェニクさんは笑いながらそうおっしゃると、装備していた短剣をカウンターの上に置かれた。

 

「あ、そうなんです……やっぱりまだ、慣れないというか……恥ずかしくって」

「そうか。それじゃ、ログとこうして話ができるのは、今のところ俺だけか」

 

 フェニクさんは何か思案気にそう呟かれたけれど。

 

「っと、すまない、用件をまだ伝えていなかったね。いつも通りこの子のメンテを頼むよ」

「はい! お任せください!」

「それと、今日はいくつか、新しく装備を買いたいんだが――」

 

 そう言ってフェニクさんは、ご友人分として新しい装備品を求めて行かれた。

 

 その買い方に、あたしはちょっと驚くことになった。

 

 

 

 

 

 

 フェニクさんが店をお出になられて少ししてから、セイドさんがやってきた。

 セイドさんは、何か様子が変だったけれど。

 

「気にしないで下さい」

 

 としか仰られなかったので、事情はよく分からなかった。

 ただ。

 

「……アロマは……楽しそうでしたか?」

 

 チラチラと、落ち着きなく裏庭を気にしていたセイドさんは珍しかった。

 

【はい、楽しそうですよ】

「そう……ですか……ありがとうございました、次の予定もあるので、これで失礼しますね」

【え、あの】

 

 それだけ言うと、セイドさんはあたしの返事を待たずに店をお出になってしまった。

 

(セイドさん、なにか、いつもと様子が違ったなぁ……アロマさんと何かあったのかな?)

 

 普段なら、アロマさんから逃げ隠れするような行動はしないはずだけど。

 でも、今のセイドさんは、色々とお忙しいということも聞いている。

 今回の行動も、あたしが分かっていないだけで、何か重要な意味があるのかもしれない。

 

(今日帰ったら、ルイさんに聞いてみるのが良いかな……外での会話は気を付けるように言われてるし)

 

 セイドさんの行動や考えは、あたしでは想像もできないことが殆どだ。

 あたしは潔く諦めて、裏庭にお弁当を持って移動した。

 お昼ご飯を食べるのには、丁度良い時間だった。

 

「ぉ? ログたん、お客さん帰ったの?」

【はい、なのでお昼にしようかと】

「あぁ、もうそんな時間でした? アロマ、どうするよ? 俺弁当とか持ってないけど」

「む。私はルイルイお手製弁当があるんだけどな……流石にミストの分は無いし」

「んじゃ、どこかで買うか……それに、あまり長居してもご迷惑だろうし」

【迷惑ではないですよ?】

「ん~、そだね……ログたんと一緒にご飯食べたいけど……今はなぁ……」

「ん? 今は?」

「あ、いや、こっちの話。んじゃミスト、移動しよっか!」

「あいよ」

 

 そう仰るが早いか、アロマさんとミストさんは立ち上がって、表の通りへと向かっていく。

 あたしもお2人を見送るためにそちらへと向かい。

 

「それじゃ、ログさん、お騒がせしました。装備、大切に使わせてもらいます」

 

 ミストさんが丁寧にお礼を仰ってくれたり、頭を下げてくれたりして。

 

【そんなきにしないでくささい】

 

 ちょっと慌てたあたしは、やっぱりミスタイプしていて。

 そんなやり取りを少しして。

 

「んじゃねー! ログたん、ありがとねー!」

 

 ブンブンと音がしそうなくらいの勢いで手を振りながら、アロマさんは転移門へと歩いて行く。

 その隣を、アロマさんのご友人のミストさんが、笑いながら歩いていく。

 あたしは手を振り返しながら、お2人が見えなくなったところで裏庭に戻って昼食にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たっだいまぁ!」

 

 昼を少し過ぎた頃。

 唐突にアロマが帰ってきた。

 

「ぁ? んだよアロマ。もう帰ってきたのか?」

 

 ソファーに腰を下ろしたまま、気楽な姿勢で食後の茶を飲んでいた俺は、予定よりも圧倒的に早く帰ってきたアロマに、ちょっとした意地悪を言っていた。

 

「えー、何それ、確かの予定より早いけどさ。帰って来ない方が良かったの?」

 

 俺のあからさまな反応を見聞きして、アロマが瞬時に表情を曇らせた。

 

「あぁ、もうちょいルイと2人きりにさせてくれてもいいんじゃねーの?」

「マーチん、バカなこと言ってないの~。おかえり~、ロマたん~」

 

 そんな俺の戯言を軽くあしらい、ルイは満面の笑みでアロマを迎える。

 

「あ~……でも、そっか……ゴメンね、ルイルイ、気が回らなかったよ」

「んも~。マーチん? ロマたん本気で気にしてるじゃない。冗談だから気にしなくて良いよ~、ロマたん」

 

 一瞬、ルイから背筋が凍るほどの視線を投げられ、俺は反射的に居住まいを正した。

 

「でも、確かに早かったね~? 何か予定変更があった~?」

「あ~、うん、実は」

 

 と、アロマはそこで言葉を切ると。

 

「ん?」

 

 俺に視線を向けていた。

 

 

 

 

 

「あの、なんか、すみません……アロマが無理を言ったんじゃないですか?」

 

 おずおずと、ミストが俺に続いて階段を下りながら口を開いた。

 

「いや、気にしないで良い。この位なら大したことじゃねえし」

 

 アロマが唐突に帰ってきた理由。

 それが――

 

「しっかしまぁ、稽古付けてくれと言われるとは思わんかったがなぁ」

 

 ――ミストに、稽古を付けてほしい、ということだった。

 

「本当に引き受けていただけるとは思ってなかったです」

「今回だけ、な。今日は時間があったから受けてやるけど、普段は無理だぜ?」

「だよねー。私が相手するって言っても、それは困るとか、訳分かんないこと言うし」

 

 武道場に降りてきたところで、俺は歩みを止め、何故か一緒に降りてきたアロマを睨んだ。

 

「……空気を読め、アロマ。お前はこっちくんな」

「えー! 何でだよう! マーチがどんな稽古付けるのか、私も見たい!」

 

 空気の読めないアロマに、俺は仕方なく耳打ちする。

 

(「てか、今のお前は外を回ってる予定だろうが。行動計画狂わせんな」)

 

 地下なので大丈夫だろうとは思いつつも、《聞き耳(ストレイニング)》対策に、極小の声量でアロマに釘を刺しておく。

 

(「むぅ……分かったよう……後で教えてよ!」)

 

 膨れっ面で捨て台詞を残して、アロマは渋々上へと戻り、そのまま外へ出て行った。

 

「ったく……わり、待たせた」

「いえ……あの、本当に大丈夫ですか?」

「あぁ、気にすんな」

 

 ミストの言う『大丈夫』が何を指すのかはよく分からないが。

 

「うっし、んじゃま、始めようかね」

 

 とりあえず、俺は稽古を付ける時に使っている片手用曲刀《ミスティ・カットラス》を取り出した。

 

「お、お手柔らかに願います、マーチさん」

「おう。まかしとけ」

 

 というか、圏内戦闘に、お手柔らかも何もない。

 ダメージは発生しないんだし。

 ミストも、ログの所で揃えたという曲刀と盾を構えた。

 

「宜しくお願いします!」

「おう、いつでもいいぞ」

 

 俺の返事を聞いて、ミストは盾を前に出し、俺から剣を見えないように隠す。

 実に、基本に忠実な構えだ。

 そして、盾の陰から《剣技(ソードスキル)》を使って一気に斬り込んでくる。

 

(だが、基本に忠実過ぎる)

 

 曲刀の《剣技》は全て分かっている。

 盾の陰から使ってくるであろう技も、予測できている。

 

(セイドみたく《警報(アラート)》なんてのはねーが)

 

 大まかな流れが分かっていれば、自ずと対処方法も見えてくる。

 俺は僅かに前進しつつ剣を左下に持っていく。

 

 それだけで、ミストの剣技を受け止める。

 

(ぉ、なかなか良い一撃じゃねーの)

 

 しっかりと体重も乗せ、自身で剣技を加速させた、良い感じの一撃だった。

 

「ほらほら。どした、もっと打ち込んで来い」

 

 良い感じではあるが、それはそれ、これはこれ。

 俺は受け止めた一撃を、そのまま後ろに流してミストを煽る。

 

 しかしミストは熱くならず、冷静に的確に攻撃を繰り出してくる。

 ある意味、教科書通りの、見事なお手本になりそうな攻撃だった。

 その攻撃を幾度かあしらったところで、俺は少し、心理的に揺さ振りをかけてみる。

 

「お前さ、アロマのこと好きなのか?」

「え?!」

「ほら、動きが鈍った」

 

 ミストが思わず構えを解いて動きを止めたところで、額に鋭く一撃を入れる。

 圏内用の障壁が出現して、ミストには軽い衝撃とノックバックが発生した。

 

「ちょ、マーチさん、今のはズルいです!」

「甘いこと言ってんなよ。稽古なんだぜ? 不意を突かんでどうする。ほれ、続けるぞ」

「むぅ……はい」

 

 気を取り直して、ミストが構え、今度は俺から斬り込む。

 盾を使って俺の攻撃を受け流し、ミストが斬り返してくる。

 が、俺はそれを、少し身を捻って回避する。

 

「で、どうなんだ? アロマのこと」

「もうその手には――」

「ああ、俺の嫁はダメだぞ? 手ぇ出したら、マジで斬る」

「――出しませんて! てか、目が怖いです!」

 

 俺はミストの攻撃を捌き、隙を見つけては一撃を打ち込み、を繰り返す。

 

「まあ、俺の嫁とアロマを比べたら、月とすっぽん、お日様とスリッパ位に差が――あぁ、当然俺の嫁が月であり太陽な?」

「え、ちょ、さすがに酷過ぎません!?」

「そうか? まぁ、俺とアロマは、こんな会話ばっかだから気にすんな。いつものことだ。ほれ、また一本」

「グッ!」

 

 今回は《剣技》で一撃入れた。

 強いノックバックで、ミストは呻き声を上げつつ尻餅をついた。

 だが、すぐに立ちあがり、盾と剣を構え直す。

 

「攻撃が丁寧過ぎるぜ。もうちょい型を崩して攻撃することも覚えな」

「型を、崩す、ですか」

「モンスターの動きも多彩になってくる。型通りの攻撃は、回避されやすいぞ」

 

 攻略組を狙うなら、という意味合いは、言わずとも分かるだろう。

 

「はい!」

 

 とはいえ、すぐにどうこうできることでは――

 

「ぉ?」

 

 ――ないと思っていたが、ミストは意外にも、構えを緩めて型に幅を持たせた。

 

(ほぉ……融通は利くってことか)

 

 試しに軽く突きを放つと、今までのミストなら盾で受け止めていた所を――

 

「ッ!」

 

 ――受け止めるどころか前進した上で、ギリギリ回避した。

 そして、俺の懐に潜り込むような勢いのミストは、そのまま曲刀に《剣技》の光を纏わせ、胴目掛けて横薙ぎに繰り出そうとしていた。

 

 今までにない、見事なカウンターに――

 

(ぅぉ!)

 

 ――内心、驚きを隠せなかったが。

 

(やりやがる!)

 

 俺としても稽古を付ける立場上、一撃を貰うことはプライドが許さない。

 

 懐に飛び込んできたミストの肩を左手で突き飛ばすようにして、俺自身も後ろに全力で跳ぶ。

 間一髪のところで、ミストのカウンターを空振りさせることに成功した。

 

「惜しい! が、まだ甘い!」

 

 逆に隙を作ったミストに、痛烈な反撃を入れて俺はこっそりと一息つく。

 今のはちょいギリだった、うん。

 

「っうぅぅ」

 

 俺の反撃をもろに喰らって床に転がっていたミストは、フラフラと立ち上がる。

 

「で、どうなんだ? アロマのこと、好きなのか?」

 

 俺の軽口に、ミストは顔を顰めつつも体制を立て直して、ひとつ深呼吸をしてハッキリと答えた。

 

「好きですよ」

 

 そう口にすると同時に、真正面から盾で体当たりするかの如く高速で突っ込んできた。

 自身を隠すと同時に次の攻撃手を隠しつつ、相手の視界も封じる狙いか。

 

「狙いは悪くねぇ」

 

 それを俺も真正面から受けて立つ。

 

「それで、アロマの、何がいいんだ?」

 

 ミストはそのまま、曲刀による連続した攻撃を繰り出す。

 

「明るい、ところ、です、かね!」

 

 攻撃の合間で話を続けるミストに、俺もそれをフラフラと躱しながら話を続けた。

 

「爆弾娘だがな」

「フォロー、して、あげれば、いいんで、す!」

「物好きなやつだ」

「味が、ある、娘じゃ、ない、です、か!」

「クサヤか何かと一緒っぽく聞こえるな」

 

 連撃の最後に俺がわざと隙を見せると、ミストはそこに大振りの攻撃を当てにきた。

 

「違いますよ!」

 

 だが、当然。

 俺はそれを受け流して、逆袈裟気味に《剣技》の一撃をお見舞いした。

 強烈な衝撃で、ミストが吹っ飛んで。

 

「く……はぁ……」

 

 今度は起き上がって来ないまま、床に大の字で転がった。

 

「はぁ、はぁ……流石に、当たらないですね……」

「そりゃまぁな」

 

 ミストは寝転がったまま息を整えつつ、続きを話しはじめた。

 

「パーティーを組んでいた時から、ずっと、いいなとは思っていたんです」

 

 休憩がてら、少し話をするのも良いだろうと、俺も道場の床に腰を下ろす。

 

「でも、解散以来連絡を取ることは無くて。昨日、街で会ったときは、本当にびっくりしました」

「あれ、マジに偶然だったのか」

「はい」

 

 そう答えたミストは、何かを思い出すように目を瞑った。

 

「あの時。アロマが以前と変わらないまま俺に笑いかけてくれて。素直に、嬉しく思いました」

「そうか」

 

 しかしそう言った後のミストは、ほんの僅かに表情を曇らせた。

 

「アロマは、ずっとソロで活動していると思っていました。だから、もし今度会えたなら、自分が彼女を守ろうと、そう思って……いたんです」

 

 ミストはそこで口を噤んだ。

 言わなくていい事を言いそうになったんだろう。

 アロマがギルドに入っていたことにショックを受けた、と。

 

「そうか」

 

 俺も、余計な答えはしなかった。

 攻撃の筋もそうだが、こっちの面でも正当派なやつだ。

 

 不意に、ミストが起き上がった。

 ミストは大きく深呼吸すると、無言で武器を構えた。

 それを見て、俺も立って斜に構える。

 ミストが牽制を含めて、再度連続攻撃を仕掛けてくる。

 俺はそれを数発避けたところで、今度はミストの剣を弾いて隙を作らせ、連続した反撃を始める。

 それに対して、ミストはなかなかの反射神経をみせ、俺の攻撃を盾や曲刀で受け流し、または回避していく。

 

「稽古を付けてほしいってのは、お前がアロマを守りたいってことの表れか」

 

 俺が連撃の最中でも、息を切らさずに話を始めたのをみて、ミストは悔しそうな顔をした。

 

「彼女が、前線で、戦う道を、選ぶなら! 俺も、前線に、行きたい、です!」

 

 何とか防御を維持しつつ、言葉を返すミストだが。

 

「お前が前線ねぇ」

「守る、ことが、出来なく、ても! せめて、傍に!」

 

 俺の攻撃を盾で大きく弾いたミストは、そこから反撃を始めた。

 

「あの時、できなかったことでも! 今なら、少しくらいは!」

「いい心がけだな」

 

 ミストの動きは稽古開始時よりも格段に良くなっていた。

 

「だが――」

 

 とはいえ、攻略組には到底及ばない。

 ミストの攻撃を躱し、俺の曲刀がミストの脳天を直撃した。

 

「――今のままじゃ、まだまだあいつのお荷物にしかならないぜ」

 

 俺の、笑みの無い真剣な言葉に。

 ミストは、打たれた頭を押さえたまま、寂しそうに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ログさんの所を後にした私は、順次予定の場所へと足を運んだ。

 その間、常に。

 

(やはり誰かに監視されているような気もするが)

 

 特定個人に、ではなく。

 入れ代わり立ち代わり、監視されているような感覚。

 疑心暗鬼による錯覚だと言われても否定できる要素は無い。

 

(まぁ、監視されている前提で行動しているのだから、構わないとはいえ)

 

 正直、気は休まらない。

 知らず知らずのうちに人気のない路地裏へと足を運んでいた。

 私の感知能力について、多少なりとも情報を得ていて警戒しているのであれば、人気のない所へまで尾行はしないだろう。

 先ほどまで感じていた誰かに見られているような感じが無くなり、私は思わず天を仰いでため息を吐いていた。

 

(もうじき日も暮れる。次の場所は――)

「忙しそうだナ、せいちゃん」

 

 不意に後ろから小声で話しかけられ、私は一瞬息が止まった。

 

(――毎度のことながら)

 

 実に見事な忍び寄りである。

 声をかけられるまで全く気付かなかった。

 これは、尾行者が同様の能力を持っていた場合、危ないと言えるだろう。

 

「アルゴさん程じゃないと思いますよ」

 

 私も小声で返しながら振り返った視線の先には、いつもの如く、3本髭を両頬に描いた小柄な――

 

「……………………アルゴさん、ですか?」

 

 ――小柄な女性、であることに変わりは無い、のだが。

 

「オイオイ、何言ってるんダヨ。オイラじゃなかったら誰だっていうンダ?」

 

 思わず問い直してしまったのも、無理からぬことではないだろうか。

 アルゴさんはこれまで、常にと言っていい程フーデットマントを纏っていた。

 そのためか、フード無しの姿を見たことが無いのだが。

 

 今目の前にいるアルゴさんは。

 

「……アルゴさんですよね……そうですよね……」

 

 珍しい事に、フードを――いや、マントを付けていなかった。

 それどころか、髪型も違った。

 癖のある金褐色の巻き毛を、首の後ろで一つにまとめているようで、いつもと違って少し大人びた印象を受ける。

 しかも服装が主街区に居るNPCの商人と大差ないもので、あろうことか武器すら身に付けていなかった。

 頬に描かれた3本髭がなかったら、アルゴさんだと思わなかっただろう。

 

「アァ、この格好だからカ」

 

 アルゴさんも何に疑問を持たれたのか思い至ったようで。

 

「ナ? 見事な変装ダロ?」

 

 そう言ったアルゴさんは、ニャハハと笑って見せた。

 

「え、ええ、実に見事です」

 

 私は念のため《警報》の【《聞き耳》使用プレイヤー報告】にチェックが入っていることを確認し、アルゴさんに問いかけた。

 

「ということは、今から《あの場所》に行かれるんですか?」

「そーいうコト。その前にせいちゃんを見かけたから、ちょっと声をかけたんダヨ」

 

 頭の後ろで手を組んで笑っているアルゴさんに、私は余計なことかもしれないと思いつつも、頬を掻きながら注意を促す。

 

「あの、こう言ってはなんですが……」

「アァ、だいじょーぶダヨ。このペイントはちゃんと取るし、髪も染めるカラ」

 

 変装そのものは実に見事なのだが、今のままではアルゴさんだと分かってしまう。

 そのことを指摘しようと思ったのだが、アルゴさんはしっかり分かっていたらしい。

 

「武器は?」

「モチロン、クイックチェンジ登録済みダヨ。オイラを何だと思ってるンダ?」

 

 無用な心配はいらない、とばかりに、アルゴさんは不敵な笑みを浮かべて見せた。

 

「ット、せいちゃん、折角だし少し歩きながら話そうカ」

「おっと、そうですね」

 

 私は少し周囲に視線を巡らせてからアルゴさんに答えた。

 

「せいちゃんなら無用な気遣いかも知れないケド」

 

 1歩踏み出した途端、アルゴさんがそう切り出した。

 

「オイラも《索敵》には自信があるンダ。変な奴らはいないはずダヨ」

 

 どうやら私の視線の動きを察したらしい。

 

「ありがとうございます。少し安心しました」

 

 並んで歩きながらアルゴさんが心配そうな声を上げた。

 

「心配性だナ。そんなに気を張ってると、本番まで持たないヨ?」

「大丈夫ですよ」

 

 そう、静かに答えた私の顔を覗き見たアルゴさんは――

 

「ッ?!」

「この件に関しては、何カ月かかろうと、必ずやり遂げます」

 

 ――少し緊張した表情で、息を飲んでいた。

 

「あぁ、かといって、皆さんの行動まで制限しているのは大変申し訳なく思っていますから、可能な限り、迅速に、終わらせます。アルゴさん、絶対に無理はしないで下さいね」

「オ、オレっちは、だいじょーぶダヨ。せいちゃん、顔が怖いヨ?」

 

 ついつい、殺気立っていた。

 

「あぁ……これは失礼を」

「せいちゃんが本気だってことはよく分かってるヨ。マーちゃんのこともあったしナ」

 

 アルゴさんも、67層のボス戦で何が起きたのかは、知っている。

 

「結果論だけど、ホント、無事で済んでよかったヨ」

「しかし、次はありませんし、させません。過程も、結果も、アロマを2度とあんな目には遭わせない」

「ダナ」

 

 と、ここで、僅かな間を開けて。

 

「デ? せいちゃん、マーちゃんとはどこまで進んだんダ?」

「……進んだ、とは?」

「だーかーラー。2人の関係ダヨ」

 

 そういうと、アルゴさんはニョフフフと、少々品の無い笑い方をした。

 

「は?!」

「いやー、あのせいちゃんがサ。まさか呼び捨てにするとは思わないじゃないカ」

 

 マーチの浮かべるニヤニヤと近いモノを浮かべたアルゴさんがそんなことをのたまう。

 

「いやいやいや! 今までも普通に呼び捨ててますよ!? マーチのこととか!」

「ルーちゃんやマーちゃんのことも、戦闘中なら、ダロ?」

「そうです!」

 

 分かっているなら、何故そんなことを言うのか、と反論しようと思ったのだが。

 

「でも今は、マーちゃんのこと、いっつも呼び捨てダヨ?」

「そっ! それ……は……そうですが……」

 

 妙に鋭いところを突かれて、言葉に詰まってしまった。

 

「それト」

 

 アルゴさんはスッと目を細めて言葉を続けた。

 

「オレっちの掴んだ話じゃ、なんでもマーちゃんの昔馴染みの男が現れたって聞いたゾ?」

「ど! どこでそんな情報を!?」

「オレっちにそれを聞いても、なんて言われるか知ってるダロ?」

 

 それを知りたければ何コル、と言われるのがオチだ。

 ニャハハと笑みを浮かべたアルゴさんは、そのまま話を続けた。

 

「でサ? せいちゃんはその男の事、どう思ってるンダ?」

「どう……と、言われても」

 

 唐突に、押し殺していた感情が渦を巻き始める。

 どう思っているのか、はっきり口にするのには、すぐには無理だ。

 

「時期的に、連中の仲間じゃないか気にならないカ?」

 

 私は自分の感情から目を反らしていたことを突き付けられた気分になった。

 

「……アルゴさん、もう調べがついてるんですね?」

 

 アルゴさんがわざわざこういう事を言うのならば、おそらくその答えを持っているのだろう。

 

「ニシシ、さっすがせいちゃん! 調べた結果は白だったヨ!」

「そう、ですか……」

 

 ミストさんは、奴等との関わりがない。

 そのことは、本来喜ばしく思うべきことだ。

 そのはずなのだが。

 

「複雑そうな顔してるナ? 何で喜び切れないんダ?」

「……何ででしょうね」

 

 何故か、喜べなかった。

 

「そもソモ、せいちゃんらしくないヨ。こんな時期にそんな男が近寄ってきたら、真っ先に疑うんじゃないカ?」

 

 それは確かに考えなかったわけではない。

 だが、それを何故か、情報屋に依頼するのを躊躇ったのだ。

 

「オレっちも調べはしたけど、あれは単にマーちゃんを好いてるだけだネ」

「そう、ですか……そうですか」

 

 今はまだ、極力考えないようにと、意識を完全に切り替えておいたのに。

 アルゴさんにこうして話を切り出されては、このことを無視するわけにもいかない。

 

「連中との関わりがないのであれば、それは、何より……です」

 

 そう、良い事のはずなのだ。

 

「せいちゃんは、マーちゃんとあの男を一緒に居させてていいのカ?」

「そのことに関して、私は口出しできないでしょう?」

 

 私がどう思っていようとも、ミストさんと一緒に居るかどうかを決めるのはアロマだ。

 彼が奴等と無縁であるならば、私が口を挟むのは筋違いだろう。

 

「せいちゃんならそう言うと思ったケド。言い方はいくらでもあるんじゃないカ? スパイかも知れないトカ」

「ですが、実際には違ったわけですし」

「違ったことを素直に喜べないのは、マーちゃんに、あの男と一緒に居て欲しくないからじゃないカ?」

 

 私は喜べていない。

 だが。

 

「アロマは、彼と会うことを嫌がっていません。むしろ喜んでいます」

「マーちゃんの話じゃないヨ。せいちゃんの問題ダロ?」

 

 アルゴさんにハッキリとそう反論されて、私は思わず俯いてしまっていた。

 

「せいちゃん、嫌なんダロ? だから会議でも集中できなかったんダロ?」

「そんなことまで知ってるんですね……」

 

 会議中の失態に関しても、アルゴさんの知るところだったらしい。

 

「マーちゃんの昔馴染みだからって、あの男とフレンドになれそうカ?」

 

 その問いかけにも、答えることができなかった。

 

 1つ1つ、こうして言われていくと。

 私が、ミストさんのことを良く思っていないということを自覚させられる。

 これまで接点もなく交流も無かった相手だが、悪い人物ではないと分かった。

 好きか嫌いか、判断することはできない相手のはずなのに。

 

 自分はどうして、嫌なのか。

 

「どうして、私は彼をあまり気に入らないのでしょうね」

「その答えってサ。もう、せいちゃんの中では出てるんじゃないカ?」

 

 私は知らず知らずのうちに。

 唇を強く噛んでいた。

 

「マ、どうするかはせいちゃん次第だけどナ。オイラが言えるのはここまでダヨ」

 

 と、不意に視界が開けた。

 どうやら、路地裏を抜けてしまったようだ。

 

「んじゃ、オレっちはそろそろ行くヨ。またナ、せいちゃん」

 

 言うが早いか。

 アルゴさんはそれだけを言い残して姿を消した。

 

「どうするのかは……私次第……か……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マーチんがロマたんの頼みを聞いて、地下の武道場でミスト君に稽古をつけ始めてから約1時間が経った。

 

(夕食の準備も大体済んだし~。お茶でも持って行ってあげようかな~)

 

 私もマーチんも、今日は出かけないことになっているから、すること・できることが限られている。

 私だけなら料理に時間を費やせるけど、マーチんはそうもいかない。

 ずっと一緒に居るのは、勿論楽しいし嬉しいけど。

 

(そ~いう意味では~、ミスト君がマーチんの相手になってくれて良かった気もするかな~)

 

 紅茶と珈琲をポットに入れて、カップとソーサーを3セット、それにクッキーとマカロンを添えてお盆に乗せる。

 私が階段を降りはじめると、2人の戦闘音が聞こえてくる。

 

「ほら、脇が甘い! 常に集中しろって言ってんだろ! 盾持ちなら最前線に立つんだぞ! 僅かな油断で後ろのメンバー全員死ぬぞ!」

「っく! もう1本お願いします!」

「フフッ」

 

 そんなやり取りを聞いて、私は思わず笑っていた。

 

 なんだか、とても懐かしい気がする。

 子どもの頃の、マーチんの所の道場の光景。

 マーチんの御父様や御祖父様が、マーチんとセイちゃんに、あんな感じで稽古を付けてたのは、もう10年以上も前の事か。

 

「2人とも~、お茶持ってきたよ~」

 

 私が声をかけると、マーチんはこっちに視線を向けた。

 ミスト君は、その瞬間を『隙あり!』とばかりに斬り込んでいったけれど。

 

「おぅ。サンキュー。これ終わったら茶にするか」

 

 こちらに意識を割きながらも、マーチんはミスト君の攻撃を曲刀1本であしらい続けた。

 

「おら、また癖が出てるっての! もっと不規則に攻撃しろって言ってんだろが!」

「ぅが!」

 

 ミスト君が、どうやら癖になっている攻撃パターンに入ったらしいところで、マーチんからの痛烈な一撃で床に叩き付けられた。

 

「うぅ……」

「っし、んじゃ休憩にすっか。俺の嫁の手作りだ。1口ごとに10回以上感謝してから飲み込め」

「マーチん、変なこと言わないの~。気にせずに~、飲んで食べてね~」

 

 武道場にはテーブルや椅子などは無いから、カップなどをお盆に乗せたまま畳状の床に置き、そのままその場に腰を下ろした。

 マーチんが私の隣に座ったところで、私はマーチんのカップに珈琲を注ぎ、次いで自分のカップに紅茶を入れた。

 そこでようやく、ミスト君も起き上ってきて、私とマーチんの対面辺りに腰を下ろす。

 

「すみません、お茶までご馳走になってしまって」

「いいんだよ~。私の趣味だから~。ミスト君は珈琲と紅茶、どっちにする~?」

「あ、では珈琲を」

「はい~」

 

 そうしてミスト君のカップにコーヒーを注いでいる時には、マーチんは既にクッキーを1つ食べていた。

 

「ぉ、新作クッキーか」

「うん~。《ミルラズリーの葉》と《フラブルの実》を混ぜたクッキーとマカロンだよ~」

「うわ、うまっ! こんな美味いクッキーとマカロン、初めて食べましたよ!」

「だろ? 俺の嫁の料理は、店ができるレベルだ」

「だから~、変なこと言わないの~。そんなの無理だってば~」

「なるほど。だからアロマがルイさんの料理って騒ぐんですねぇ。これは納得だ」

「って、おいおい、クッキーと珈琲だけで知った風に言うなよ。こんなの、俺の嫁の実力の1割にもならんぞ?」

「は~いはい。ありがとね~、マーチん」

 

 マーチんのべた褒めはいつものことだから、とりあえず流しておこう。

 私も紅茶を飲みながら、休憩がてら、2人の稽古の様子などを軽く聞いていると。

 

「ん。ごめ~ん、ちょっとメッセ見てくるね~」

 

 視界にメッセージ受信のウィンドウがポップアップした。

 私は2人に断りを入れて、階上へ戻って、届いたメッセージを確認する。

 

(あ、アルちゃんだ)

 

 メッセージの送り主は、情報屋のアルちゃん――アルゴちゃんだった。

 

【依頼の件、オレっちなりに触発しといたよ。あとはせいちゃん次第だ】

 

 内容はそれだけ。

 忙しいアルちゃんに少し無理を言ってお願いしたというのに、すぐに動いてくれて本当に助かる。

 私もすぐに返信を(したた)める。

 

【ありがとうございます。お代、本当に私の料理で良いんですか? どんな料理が良いか、希望を頂ければ沿います】

 

 本当は、私がセイちゃんに、ロマたんのことを話したかったんだけど。

 今は色々と行動に制限がある。

 それに――

 

(彼の件もあったしね~)

 

 ――ミスト君の事もあった。

 

 彼についての調査依頼は、私達がミスト君と出会った日。

 ロマたんとミスト君が食事に行った直後に、マーチんがアルちゃんにメッセで依頼していた。

 多分じゃなくて確実に、セイちゃんはそれを依頼しないだろうから、と、ブツブツ言いながら。

 

 その返事が来たのは、その日の夜、私とマーチんが個室にいる時だった。

 その時点でミスト君への疑いは、ほぼ無くなった。

 だから、翌日ロマたんを見送るのにも心配はしなかった。

 

 問題だったのはセイちゃんだ。

 ロマたんへの気持ちに関して、ハッキリと自覚させなければならないが、それにはこちらの時間的な都合が合わなかった。

 そこで、私からアルちゃんに《セイちゃんに伝えてほしい内容を依頼した》というわけだ。

 まさか、昨日の今日で話をしてくれるとは思っていなかった。

 アルちゃんの忙しさは、私やマーチんの比ではないから。

 

 と、考えていると、アルちゃんからの返信が来た。

 

【それじゃ、完全新作の料理で抜群に美味しい一品を、そのレシピも込みでヨロシク】

 

 その内容を見て、思わず笑ってしまった。

 具体的な指定をしないなんて、アルちゃんの可愛らしいところだ。

 

(普段通りの料理で良いってことか~。欲が無いな~、アルちゃんてば~)

 

 私は手早く了解の返信をして、地下に戻った。

 そこでは、ポットの珈琲とお茶を飲み干して、菓子も食べ尽くした2人が早くも稽古を再開していて。

 

(やれやれ……ホント、男の子って元気だね~)

 

 私は声に出さずに笑って、食器の乗ったお盆を手にキッチンへと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たーだーいーまー! お腹空いたー!」

 

 ロマたんが帰ってきたのは、日が暮れて少ししてから。

 その時には――

 

「って、ミスト、どしたの? なんか燃え尽きてる感じだけど」

 

 ――ミスト君はリビングのソファーでぐったりとしていた。

 

「いや…………もう……マーチさん、スパルタ……」

「だから言ったじゃん。マーチは厳しいって」

「そんな厳しいことはしてねーぞ? 今日教えたのなんざ、攻略組への1歩目ってところだ」

 

 そう言いながらマーチんが《刀》を携えて武道場から上がってきた。

 

「お疲れさま~、マーチん。シャワー空いてるよ~」

「ん、浴びてくる」

 

 ミスト君が完全に集中力を欠いたところで稽古を終了させたマーチんは、ミスト君にリビングで休むように言った後、自分だけ武道場に戻った。

 マーチんが1人で身体を動かすのも、こういうフリーの時の日課だった。

 

「で、どうだった? マーチに1本入れられた?」

「いや、もう……全然……ムリ」

「惜しいところまで来てたさ。ひと月も修練すれば20本に1本くらいは取れるかもしれんぞ」

 

 マーチんがそれだけ言い残して浴室に入ると、ロマたんがちょっと頬を膨らませた。

 

「むぅぅ! ミスト! 私とも模擬戦しよーよ!」

「ちょ、ま…………むり……だから……」

 

 ロマたんも時々、マーチんやセイちゃんと手合せしてるけど、やはりというか、どうしても大型武器のロマたんは2人から1本が取れなくて悔しがっていることが多い。

 それなのに、ミスト君が1本取れるかもと聞けば。

 

(敵愾心も燃えるよね~)

 

 とはいえ、あくまで稽古での1本、という意味なのだけど。

 マーチんは《曲刀》でミスト君の相手をしていたけど、ロマたんには《刀》を使う。

 それはつまり、マーチんがロマたんの実力を認めて本気で相手をしているということだ。

 

「ロマたん~、ちょっと手伝って~」

 

 下手すると、燃え尽きているミスト君を引っ張って武道場に行きかねないので、私はロマたんに夕食を並べる手伝いを頼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺はシャワーを浴びながら、ミストとの会話を思い返していた。

 

 出会った直後こそ奴等との関連を疑いもしたが、アルゴの調査結果と併せて、俺が直接話した感じからも悪意は感じられなかった。

 それに。

 

(真っ直ぐな奴だ。攻撃だけじゃなくて、行動すべてが真っ正直なんだろうな)

 

 アロマへの気持ちも、ハッキリ『好き』と言っていた。

 ミストがアロマのことを大切に思っていることは、よく分かった。

 

(しっかりしろよ、セイド)

 

 問題は、朴念仁でヘタレで大馬鹿野郎の、うちのギルマスだ。

 

(お前、このままじゃミストと張り合えねぇかも知れねぇぞ)

 

 ミストとセイド。

 この2人の、アロマへの気持ちにおける最大の違いは。

 自覚しているか否か。

 そしてそれを、ハッキリと口にすることができるか否かだ。

 

(ま、ルイが何か手を打ってたみたいだし、何とかなるだろう)

 

 セイドのことに関しては、何となくだが、大丈夫だと思える。

 俺としてはそれよりも。

 

(ミストが告るつもりで、アロマの傍に居るのかどうか、そこが気になるとこだな)

 

 ミストは確かにアロマを好きだと言った。

 だが、ミストの希望する《アロマの傍》という立ち位置は、今の奴には無理だ。

 時間をかければ可能ではあるが、大きく開いてしまった差というのは、なかなか埋まるものじゃない。

 ミストもレベルアップするだろうが、その間に、当然アロマのレベルも上がる。

 ミストが追い付くのをアロマが待つ、って状況にでもならない限りは、ミストが追い付けるのは随分先のことだろう。

 

(寝る間を惜しんで、高効率の狩りを何ヶ月も続けるなんてのは、まず無理だしな)

 

 俺達もかなりのハイペースでレベルは上げてきたが、比較的高効率で且つ安全な狩りを、それなりに維持していただけだ。

 攻略組のトップ連中に比べれば、俺やルイ、アロマのレベルは低いだろう。

 

(まぁ、俺らの中でもセイドは別だが)

 

 セイドは今でも、睡眠時間を削っての狩りを続けている。

 だから常に、俺達より6~7はレベルが上だ。

 

 だが、それでも攻略組トップのレベルには届いていない。

 中でも、ソロプレイによる高効率の経験値稼ぎを続けてこれたのは、キリトだけだろう。

 

 ミストが俺達に追いつこうと思ったら、ソロプレイに近い効率を求める必要がある。

 そしてそれは――

 

(先に、釘さしとかねーとな)

 

 ――間違いなく、ミストに真似できることではない。

 

 ソロプレイ故の高効率は、同時にソロプレイ故の致死率にもなる。

 誰にでも、できることではない。

 

 だが、恋ってのは時に人を盲目的にしてしまう。

 今のミストが、そうならないとは言えないだろう。

 

(流石に稽古付けた相手に、注意しないまま死なれるってのも、寝覚めが悪いしな)

 

 シャワーを顔から浴びながら、俺は昔の――β時代からの大勢のフレを思い出す。

 その中で、今も健在なのは、残念ながら少数だ。

 

 デスゲーム開始当初、俺は攻略に参加せずルイだけは何があっても守り、共に生き残ることを選択した。

 その結果、多くのβ時代のフレたちが攻略に邁進して行く中で、その名前をグレーに染めていくのを眺めていることしかしなかった。

 何も行動を起こさなかった。

 

 あの頃の俺は、ルイ以外の全てを顧みなかった。

 セイドの事すら、ルイを守るためにだけに利用していたのかも知れない。

 

 そんな俺が――

 

(……今更……か)

 

 ――旧友の様子を窺いに行ったり。

 ――黒鉄宮に花を手向けたり。

 ――後発プレイヤーを助けようとしている。

 

 逝ってしまったフレが見たら『何を今更』と言われるだろう。

 だが、そうすることしか俺にはできない。

 

(……なんにせよ、少しでも助けになると良いんだがな)

 

 後悔するのは、この世界から――生死に関わらず――出た時に、と決めている。

 今は、未来に向けて、手の届く範囲で、出来ることをしていく。

 

(うっし、上がるか)

 

 俺の全てであり最愛の女が、最高の飯を用意してくれている。

 シャワーを止めると共に懺悔の意識に蓋をすると、思い出したかのように空腹感が襲ってきた。

 浴室から出て、室内用の装備を身に付けたところで。

 

「マーチん、ご飯の用意できたよ~」

 

 ルイが声をかけに来てくれた。

 

「おう! んじゃ、飯にすっか!」

 

 まだセイドが帰ってくる予定の時間にはなっていないが、先に食べててくれと言われているし、問題ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何かすみません、俺までご相伴に与っちゃって。ご馳走様でした」

「気にしないで~。みんなで食べた方が楽しいし~、美味しくなるんだよ~」

 

 ミスト君も一緒に夕食を済ませ、食後の1杯を振舞ったところで。

 

「マーチさん、戦闘指導、ありがとうございました。また、機会があればお願いしたいです。ルイさん、とても美味しい食事を、ありがとうございました」

 

 改まってお礼を言われると、何とも照れくさい感じがする。

 

「応、俺らがオフの日なら、少しは見てやるよ」

「その時は、私も相手するからね! ミスト!」

 

 そんなロマたんの台詞に、ミスト君は苦笑いを浮かべた。

 

「アロマ、それは勘弁してくれ……俺がもっと強くなったと思えたら、頼むから」

「えー! つーまーんーなーいー!」

 

 その後、二言三言交わしたところで、ミスト君が立ち上がった。

 

「それでは、流石にそろそろおいとまします。遅くまで失礼しました」

「はい~。お粗末様でした~」

 

 私達も立ち上がり、ミスト君を見送るつもりで扉を開けて外に出た。

 

「おや? 皆さんお揃いで、どうかされましたか?」

 

 すると、そこに。

 

「あ、セイちゃん、おかえり~」

 

 丁度セイちゃんが帰ってきた。

 

「よ、セイド、お疲れさん。どうだったよ?」

「まずまず、といったところですね」

 

 マーチんの問いかけに、セイちゃんは少し思案気にそう答えた。

 ほぼ順調なのかもしれないけど、順風満帆とはいかないようだ。

 

「セイド! ご飯先に食べちゃったよ! ログたんの分が残ってるだけで、セイドの分は無いよ!」

 

 そんなセイちゃんをロマたんがからかった。

 それを聞いた瞬間、セイちゃんは目を細めて、不敵な笑みを浮かべた。

 

「ほほぅ……そうですか……それでは、明日はアロマの分が無しということで」

「や! ちが! 嘘、嘘だから! ゴメン許して!」

 

 そんなやり取りをしていたところで、家からミスト君ができてきた。

 セイちゃんもミスト君に気が付いたようで――

 

「っ……」

 

 ――ほんの一瞬、表情が硬くなったけど、すぐにいつもの冷静さを取り繕った。

 

「これはミストさん。お帰りですか?」

「あ、すみません、勝手にお邪魔してしまって。夕食まで頂いてしまいました」

「お気になさらずに。ただ、ルイさんの料理は絶品ですからね。今後の食事が辛くなってしまうかもしれませんよ?」

「あはは、確かに、それはありそうです」

 

 そんな言葉を交わした後で、ミスト君はロマたんに向き直って。

 

「んじゃ、またな、アロマ」

「ん、またね! ミスト!」

 

 ロマたんの頭をポンポンと撫で、帰路についた。

 

「今日、稽古で言ったこと、反復しとけよ」

「はい!」

 

 元気に答えたミスト君がうちの敷地から出たところで、マーチんは家に入った。

 

「セイド、ご飯食べたら狩りだよね? 私、部屋で準備してるから、行くとき声かけてよ?」

 

 ロマたんも、セイちゃんにそれだけ言い置くと鼻唄交じりに部屋に戻って行った。

 

「……どしたの~? セイちゃん?」

 

 しかし。

 セイちゃんはミスト君が出て行った方を見つめたまま動かなかった。

 

「セイちゃん?」

「ちょっと、ミストさんを見送ってきます」

 

 セイちゃんはこちらを見ることなくそれだけ言うと、すぐに走って行ってしまった。

 アルちゃんにどのように言われたのかは推測しかできないけれど。

 セイちゃんなりに、覚悟を決めたのだろう。

 

「頑張ってね、セイちゃん」

 

 私はそんなセイちゃんを、笑顔で見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミストさんにはすぐに追い付いた。

 

「ミストさん」

「ん? あ、セイドさん」

 

 私の呼びかけに立ち止まったミストさんの表情は、街灯と街灯の間で立ち止まったためか、夜の帳に薄らと隠されていた。

 

「少し、話をしたいのですが、転移門までご一緒してもよろしいですか?」

「ええ、構いませんよ」

 

 そう答えたミストさんは、少し間を開けてから――

 

「……俺も、セイドさんと話がしたいと思ってたところです」

 

 ――先程までよりもトーンの低い声音でハッキリとそう口にした。

 

 私も、これまでにない緊張を自覚し、彼の隣に並んで歩き始めた。

 ここから転移門まで、そう長い距離ではない。

 話は、長くはできない。

 だが、なかなか話を切り出せなかった。

 

 転移門広場が目に入り、転移門まで数十メートルという距離になったところで、私はようやく口を開くことができた。

 

「ミストさんは――」

「俺、アロマの事を諦めるつもりはないです」

 

 しかし、そんな私の台詞を遮って、ミストさんがハッキリと言い切った。

 

「――っ」

「今の俺じゃ、まだ彼女は守れないですけど、強くなって、戻ってきます」

 

 ミストさんは、私のことを見ることなく、前を向いたまま言葉を続けた。

 

「マーチさんにもきつく忠告されましたから、無理はしません。でも、どんなに時間がかかっても、彼女を守れるくらい強くなって見せます」

 

 彼の真っ直ぐな気持ちに、気圧された。

 

「アロマの傍に立ちたいんです」

 

 確固たる意志を持ってそう告げた彼の言葉に。

 

「それは、困ります」

 

 思わず、そう答えていた。

 

 私のその言葉を聞いたミストさんは、歩みを止め、こちらに視線を向けた。

 私は、彼より少し前に言ったところで足を止め、喉がひりつくような感覚を味わいながらもう1度、振り向きながらハッキリと言う。

 

「貴方にアロマの傍に立たれては、私が困ります」

 

 ミストさんは、私を真正面から見据えていた。

 私も負けじと、相手から目を逸らさない。

 

「それは、どういう意味ですか?」

「それは……」

 

 しかし情けない事に、肝心の言葉を口にすることができなかった。

 どうしても、すぐに声が出ない。

 ゆっくりと、深く息を吸って、何とか言葉にしようとすると。

 

「俺は――」

 

 先に、ミストさんが口を開いた。

 

「――アロマが好きです。だから、アロマの傍に居たい」

 

 静かで、力強く、真っ直ぐな言葉だった。

 その言葉を聞いて。

 

 何故か先ほどまでの緊張が嘘のように静まり、落ち着いて言葉にすることができた。

 

「私も、アロマが好きです」

 

 先ほどよりも、ミストさんの表情が険しいものになった。

 

「彼女の隣に立つのは、ミストさんではなく、自分でありたい。今までも、これからも。これは譲れません」

 

 ひと時の静寂が流れる。

 彼も私も、互いに目を逸らそうとしない。

 沈黙を破ったのは、やはりミストさんだった。

 

「……そう、ですか」

 

 彼はそう言うと、寂しそうに笑った。

 

「セイドさんも、アロマを大事に想ってるんですね」

「はい。その想いも、貴方には負けないつもりです」

 

 ミストさんは寂しそうな笑顔のまま、顔を上に向けた。

 

「あいつ、すごく強くなりましたね。まさか攻略組に入るほど強くなってるなんて思っていませんでしたよ」

「とても、成長が速かったです」

「俺も、レベルは上げてたつもりなんですが、こんなに差が開いてるなんて」

 

 天を仰いだまま言葉を続けるミストさんの言葉を、私は待った。

 

「昔のあいつは、危なっかしくて、おっちょこちょいで、とても見てられませんでした」

「今でもあまり変わりませんよ」

「あぁ、やっぱり。そこは変わってないんですね」

 

 それを聞いたミストさんは、くすっと笑って顔をこちらに向け直した。

 

「そんなアロマだから、俺が傍に居たいと思っていたんです。パーティー解散の時に、ギルドには入らないって言われたのは、かなりショックでした」

「そうでしたか」

 

 昔のことを思いながら、淋しそうな笑みを浮かべたミストさんは――

 

「でも、今は、セイドさんがあいつの傍に居てくれてるんですね」

 

 ――そう言うと同時に、笑みを消した。

 

「セイドさんの話を、たくさん聞きました。アロマが話す内容は、殆どセイドさんの事ばかりでした。セイドさんが傍に居れば、多分、あいつが死ぬことは無いでしょうね」

 

 その台詞に。

 

 私は、少し前の出来事を否応なく思い返させられた。

 

「死なせません。絶対に」

 

 あんな想いは、2度としたくない。

 私の決意を表情から読み取ったのか、ミストさんは1歩私に近付いた。

 

「俺は、あいつを守れるくらい強くなってみせます。そうしてアロマと、セイドさんの前に戻ってきます」

 

 そしてミストさんは、拳と前に突き出した。

 

「わかりました。ならば、その貴方を負かすように、私ももっと強くなりましょう」

 

 私も拳を突出し、ミストさんのそれとぶつけた。

 

 そうして、ミストさんは笑顔で歩き出した。

 私も隣に立って歩いて行く。

 転移門へと辿り着き、ミストさんは肩越しに、私へ視線を向けた。

 

「早く、前線でくたばっちゃってください」

「なっ!」

 

 思いもよらぬ台詞に、思わず耳を疑った。

 

「そうなったら、すぐにでも俺が、あいつを貰いに行きますから」

 

 ミストさんはニッっと笑って転移門へと顔を戻した。

 言い逃げさせまいと、私は慌てて言葉を紡ぐ。

 

「絶対にくたばりませんよ! 貴方に譲る気はありません!」

 

 咄嗟のことで、少々声量が大きくなっていた。

 

 ミストさんはそれに応えることなく、転移していった。

 おそらく、ミストさんなりのエールだったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 家に戻ると、ルイさんとマーチがリビングに居た。

 

「おかえり~、セイちゃん」

「おつかれさん」

 

 アロマがいなかったことに、何となくホッとした。

 

「ただいま」

 

 リビングのテーブルには、私の分の食事が用意されていた。

 

「夕食の用意できてるよ~」

「ありがとうございます」

 

 礼を言いながら、いつも通りマーチの対面の席に腰を下ろす。

 

「どうだったよ、ミストに言えたか?」

 

 おそらく、何を話して来たのかを察しているのだろうマーチは、不敵な笑みを浮かべていた。

 

「……何で分かるんですか」

「こっち方面のことで、お前に負けるつもりはねーぞ?」

 

 ニヤニヤしているマーチに、ため息だけを返して夕食を頂く。

 

「いただきます」

「ふふ、セイちゃん、良い顔になったね~」

 

 紅茶のポットを持ってきたルイさんも、よく分からないことを口にする。

 

「……顔、ですか?」

「うん~、男性としての箔が付いてきたって感じかな~」

「ああ、やっと男になってきたって感じだな」

「……少し前まで、女々しかったと言われているように聞こえるんですが?」

「違う違う。そーじゃねえ」

「今、マーチんに言い当てられても、動じなかったでしょ~?」

 

 そういえばと、ふと自分の行動を思い返した。

 

「ちょっと前までのセイちゃんなら~、動揺したり~、必死になって否定したり~、そんな反応をしてたと思うよ~」

「少しは男としての覚悟ができたって感じか?」

「……かも、知れませんね」

「で? ミストの野郎に何て言ったんだ?」

 

 箸を止めずに食事を続ける私だが、マーチは話題を変えさせるつもりがないようだ。

 

「譲る気はない、と伝えてきました」

 

 それだけ言葉にして、ルイさんが注いでくれた紅茶を1口――

 

「何を譲らないの?」

「ッブ!?」

「ちょぅわバッ!」

 

 ――含んだところで、唐突にアロマの声が響き、私は思わずそれを吹いてしまった。

 

 正面に居たマーチは、思わぬところで災難に遭うことになった。

 

「あ、アロマ、何時から!? どこから聞いてたんですか?!」

「ん? セイドが譲る気はないって言ってたのしか聞こえてないよ?」

 

 間一髪、といったところだろうか。

 話の大筋は聞かれていないようだ。

 私の慌て様を見てか、アロマがパタパタと駆けてきて、隣の席に腰を下ろした。

 

「なーんで慌ててるんだよぅ。私に聞かれちゃまずい事でも話してたのぉ?」

 

 微妙に不機嫌そうな表情を見せるアロマに、しかし私は本当の事を言うわけにもいかず。

 

「いえ、そのようなことは!」

 

 差し障りのない返答をすることしかできない。

 

「もしかして、ミストに何かねだられた?」

「ぐ!」

 

 何故、毎度毎度、妙なところで鋭いんですかね、この娘は!

 

「ロマたん、よく分かったね~?」

「だって、セイドがまだ食べ終えてないんだもん。タイミング的に、ミストと何か話でもしてたのかなって」

 

 ルイさんが感心したようにフォローしてしまった。

 

「で、セイド? ミストに何を譲ってくれってねだられたの?」

 

 不安気に聞いてくるアロマの顔を直視できず、私は食事を大急ぎで、無理矢理掻き込んだ。

 

「んんむ、んむむんむ、んんむんむ」

「詰め込み過ぎで何言ってっかわかんねーから、それ」

 

 マーチにジト目で言われてしまった。

 強引に呑み込んで、更に話もすり替える。

 

「さ、狩りに行きますよ。マーチとルイさんも」

 

 3人からの視線が突き刺さるような気がしたので、見ないまま背を向ける。

 マーチとルイさんは揃ってため息を吐き、諦めたように立ち上がった。

 

「ねー。何を譲るのー?」

 

 しかしアロマは拗ねた口調で、私の前に回り込んできてまで質問を繰り返す。

 

「ですから。譲る気はありません、とお伝えしたので何もあげません。あげる気もありません」

 

 アロマの頭をクシャクシャっと撫でて誤魔化しつつ扉を開ける。

 

「むぅー! 私にも何かちょーだい!!」

「だから、あげませんから!」

 

 そんな私たちのやり取りを、後から出てきたルイさんとマーチが笑いながら聞いていた。

 

 

 狩りに向かう道すがら、アロマといつも通りのやり取りができることに、心からほっとしていた。

 

 

 

 

 





遅れ馳せながら。
新年あけまして、おめでとうございます(>_<)

本当に遅筆で……昨年を通して、全く話が進んでいない……orz
今年はもっとしっかり、書いていければと思います(-_-;)



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