艦隊これくしょん 鎮守府内乱編 (あとん)
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序章

 この小説は艦これの二次創作ですがオリジナル要素がかなり強いです。
 そういうものが苦手な人はお勧めしません


 顔が一つ、潰れた。

 少女の顏である。

 幼さを残した可憐な顔が絶望に固まり、朱い血をまき散らしながら地面に転がって潰れた。

 

「……しょ、勝者、練習生108番!」

 

 しばしの沈黙の後、悲鳴に近い声色で審判役をしていた時雨がそう言った。

 

 一撃だった。

 一撃で少女のを顔を跳ね飛ばしたのだ。

 

 艦娘養成機関、通称『艦娘の穴』では、艦娘候補生による1対1の模擬戦が毎日行われている。

 その模擬選で起こった出来事であった。

 

「全く手ごたえが無い……これで天下の艦娘になろうというのだから、身の程知らずにも甚だしい」

 

 そう言って訓練生108は、自身の指をペロリと舐めた。

 あまりにも不遜な態度に、指導役の山城は彼女を絞殺したい衝動に駆られたが、ぐっと抑えた。

 

 山城は艦娘、それも最強と名高い『戦艦』の一人だった。

 そんな彼女が訓練生に手を上げることあってはならない。

 艦娘となった山城は既に世間では『兵器』という扱いであり、まだ人間扱いである訓練生には強く出れない。

 それを知っているからこそ、この少女はここで傲岸不遜に振る舞っているのだ。

 

 艦娘――在りし日の艦艇の魂を宿す少女達。、

 その拳は海を割り、その砲撃は空を切るという。

 彼女たちは深海戦艦を倒すために生れた存在であった。

 

 深海棲艦。

 突如、現れたそれらは瞬く間に、世界中の海上ラインを崩壊させた。

 既存の兵器が一切通用しない奴等は一方的に人類を蹂躙し、世界を崩壊させるかに見えた。

 だがそこに現れた、深海棲艦に対抗できる唯一の存在。

 それが艦娘だった。

 

 次々と現れた艦娘によって、人類の反撃は始まった。

 艦娘たちを主軸とする軍隊組織を結成。

 鎮守府とよばれる前線基地を作り、破竹の勢いで海域を奪還していった。

 やがて人類と深海棲艦の戦況は反転し、今や残った敵を駆除するのが艦娘の主な仕事である。

 だがそれでも未だ生体には不明点の多い深海棲艦である。

 いつまた反抗してくるとも限らない。

 それに対処するために人類側は艦娘を育成を継続することを決定した。

 そういう経緯で設立されたのが『艦娘の穴』であり、山城はそこの責任者の一人であった。

 

「山城先輩ぃ……もう私の実力は分かってくれたでしょう」

 

 訓練生108は、地面に転がった対戦相手を顎でしゃくった。

 その些細な動作一つ一つに、傲慢さが滲み出ていた。

 

 訓練生108番は比較的に小柄が多いと言われる駆逐艦及び候補生の中では抜きんでた身長で、その高さは戦艦である山城にも迫る。

 野獣のような瞳の下に鷹の様な鼻があり、顎は張っていて口は異様に大きい。

 まさに規格外の存在だった。

 

「私の実力はもはや明白。そろそろ『吹雪』の称号を頂いてもよろしいでしょう?」

 

 そして彼女自身、そのことを理解した上で行動していた。

 

 ここは無法地帯か、と山城は思う。

 訓練中の怪我は事故として処理されてしまうのをいいことに、目の前の少女は自身の力を愉しんでいる。

 それでも選ばれた戦士か、とも思う。

 最近、こういう輩が練習生として入ってくることが多くなった。

 艦娘達を纏める最高権力者・提督がそれを許すのである。

 曰く、艦娘にとって大事なのは実力であり、実力さえあれば多少の問題にも目を瞑るというのが、提督の判断だった。

 

「……口を慎みなさい、練習生108番。『吹雪』の称号は明日の試合で勝った方に与えると鎮守府本部から通達があったでしょう?」

 

「それはそうですが、もはやこの中で私以上の実力を持つ訓練生などいないでしょう。いたずらに時間を浪費するなら……」

 

「扶桑姉様の下で修練を積んでいる練習生125番が明日、ここに帰ってきます。彼女を倒せれば、貴方に『吹雪』を与えましょう。今日の訓練はこれで終わりです。皆、宿舎に戻りなさい」

 

 山城の有無を言わせぬ声色に、108番はこれ以上は無駄と理解したのか、バツの悪そうに敬礼すると下がっていった。

 周りにいた他の練習生たちも一人また一人と山城達に敬礼すると、宿舎の方へと帰って行った。

 最期に108番に倒された少女を同期の者たちが医務室に連れて行くと、訓練所には山城と時雨の二人だけになった。

 

「僕、あの子嫌いだな」

 

 時雨が嫌悪感を隠そうともしないで言った。

 

「奇遇ね。私もよ」

 

 それに同調する山城だったが、

 

「でも強い。このままでは本当にあの子が『吹雪』になってしまうわ」

 

 そう言って唇を噛んだ。

 

「噂の扶桑の秘蔵っ子はどうなんだい? あの扶桑が直々に育ててるんだ。相当、光るモノがある子なんだろうけど」

 

「私も直接接したことがあまり無いから何とも言えないけど……それでも姉様が認めた子……あれを止めてくれるはず……」

 

 山城は天を仰ぐ。

 流れ星が一筋、夜空に浮かび流れていった。




 できるだけ早く更新しようと思っています


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扶桑と少女

 扶桑が艦娘の穴にやって来たのは、大規模作戦が終わった後であった。

 艦娘の養成機関の教官というのは聞こえはいいが、体のよい左遷である。

 確かに先の作戦で深海戦艦達の最大拠点は壊滅し、奪われた海域は全て奪還した。

 今や深海戦艦たちは各海域にぽつぽつと現れるのみとなり、それを駆逐するのが艦娘たちの仕事となっていた。

 そうすると当然、鎮守府内で幾人もの艦娘を待機させる意味も無くなってくる。

 提督は鎮守府に所属する12人の戦艦達を秘書艦である長門を残して、各海域の様々な場所に派遣した。

 扶桑と山城は後方勤務に飛ばされた形となった。

 

 給料も上がり、自由な時間も増えたが、釈然としなかった。

 小規模とはいえ、前線ではま戦闘は続いている。

 扶桑と共に戦った艦娘たちも、そこで戦っている。

 戦艦たる自分たちがこの場所で、安穏としたままでよいのか。 

 そう考えぬ日は無かった。

 悩みは人を腐らせる。

 元々、思慮深く、悪い方へと考えてしまう癖がある扶桑には尚更だ。

 そんな時、扶桑は少女に出会った。

 彼女は12歳になったばかりだった。

 この国では12歳を向かえた全ての少女は、艦娘の適性があるかどうかの検査が義務付けられている。

 そこで陽性の反応が出た者から志願者を募り、艦娘の穴にて修行を行い、教官に認められたごく一部の者が艦娘になれるのである。

 少女は候補生としてやって来た内の一人であった。

 

 凡庸な少女だった。

 大きな瞳に鼻は小ぶりで、その下に桜色の唇がある。

 柔らかそうな頬と後ろで纏めた黒髪は純朴で可愛らしくも、どこか垢抜けない。

 どこにでもいそうな容姿だ。

 物腰は丁寧で、性格は生真面目。

 頭はそれなりに良いようだったが、実技がてんで駄目だった。

 弾は外す。走れば転ぶ。

 艦娘の基本である海上移動も、バランスを崩し海面に突っ伏すことが度々あった。

 座学はそれなりだが、運動面では明らかに底辺といえた。

 誰もが口を揃え、彼女はすぐに自分からここを去るだろうと言った。

 扶桑もそう思っていた。

 しかし少女は耐えた。

 何度失敗しても喰らいついた。

 練習生の中で誰よりも早く起きて自主練を行い、誰よりも遅くまで鍛錬を積んで泥のように眠る。

 才能も無いのによくもまあ、続くものだ。同期達は嘲笑った。

 このままでは体を壊すのではないか。山城と時雨はそう心配した。

 扶桑自身も、ひたむきに歩み続ける少女に、興味を抱き始めていた。

 

 ある日。

 偶然、扶桑はランニング中の少女と出会った。

 早朝のグランド。二人以外、周りには誰もいない。

 

「貴方は頑張るわね。どうしてそんなに頑張れるの?」

 

 扶桑はずっと胸に抱き続けた疑問を少女にぶつけた。

 少女の水晶のような瞳が、扶桑に向いた。

 思わず息を呑む。

 少女の瞳の奥には、邪悪なものが一切、感じられなかった。

 

 ――会いたい人がいます。

 

 少女は言った。

 

 ――その人は鎮守府にいます。艦娘になるしか会える方法はありません。

 

 まっすぐに、少女は言った。

 力強く、ひたむきな眼をしている。

 

 ――だから私は絶対に艦娘になります。絶対に。

 

 強い決意の炎が、瞳の奥でゆらゆらと揺れていた。

 それを目の当たりにした扶桑の胸に、何かが生まれた。

 久々に感じる熱い鼓動。

 離れて久しい前線の高揚感に似ている。

 思えば、鎮守府から離れ、後方に流れて着てから、自身は緩やかに腐っていた。

 戦いから外れたこの場所で、日々無意味に過ごしてきた。

 霧の中を彷徨うような毎日。だがようやく霧は晴れ、光が挿した様に思えた。

 

 扶桑の名を継いでから優れた司令官の下で戦った。

 唯一無二の妹に再会できた。

 良き先輩、同僚。後輩にも恵まれた。

 だが、一つだけ出会えなかったものがある。

 自身の技量。哲学、志。それを受け継ぐ後継者。

 

「どんなに辛い道を進むことになっても?」

 

 おもむろにそんな問いが口から出た。

 悩むことなく、少女は首を縦に振った。

 気が付けば扶桑は、彼女を抱き上げていた。

 

「今日から、貴方は……私が鍛えてあげる」

 

 ――ようやく、新しい道を見つけた……



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修業時代

 浅瀬に水柱が一つ、立った。

 凄まじい轟音と共に水しぶきが上がり、海水が霧状に霧散する中から一人の少女が浮かび上がった。

 中学生くらいの容姿。白いセーラー服に身を包み、黒髪を後ろで結んでいる。

 

「来なさい、吹雪!」

 

 扶桑は彼女のことを『練習生』でなく『吹雪』と呼んだ。

 練習生と呼んでいてはいつまでも練習生気分のまま。自分が艦娘になるという自覚を持つために、練習生でなく吹雪とあえて呼ぶ。

 それが扶桑の考えだった。

 

「遅い!」

 

 扶桑の怒声が飛んだ。

 瞬間、巨大な砲塔が火を噴き、爆音と共に再び水しぶきがあがる。

 振り落ちる海水を払いながら、目を凝らして水平線を見れば、その先に要塞の如き艤装を纏った艦娘が一人立っていた。

 一呼吸おいて、吹雪と呼ばれた少女は声のした方向へ一気に加速する。

 止まれば的になる。動き続けることが敵の攻撃を避けることに繋がると、吹雪は目の前の相手から言い聞かされていた。

 

 ――扶桑の砲弾を避けながら彼女の懐に飛び込む。

 

 扶桑の元に来てから毎日行っている修行だ。

 始めた当初は砲弾から逃げ回ることしかできなかった。

 練習用の弾とはいえ、その衝撃は実戦並だ。

 艦娘の穴に入ったばかりの吹雪には、あまりにも過酷だった。

 

「何をしているの吹雪。それで艦娘になろうというの? 情けない。吹雪の名が泣いているわよ」

 

 訓練となると扶桑は鬼だった。

 何度も死に目にあった。

 被弾し、吹き飛び、海中に没する。

 そのまま気を失い、扶桑に助けられることなど日常茶飯事だった。

 

 最初は的と同じだった。

 艦娘の穴での修業はなんだったのか。そう思えるほど苛烈な訓練だった。

 そんな日々が一ヵ月以上続いた後、ようやく弾道が見え始める。

 やがてそれに合わせて体を動かせるようになった。

 訓練開始から二か月後のことである。

 三か月後には、避けることが出来るようになった。

 そこで吹雪はようやく海上での動きに慣れたと実感した。

 前に出たのはその一ヵ月後だ。

 砲撃を紙一重で躱しながらがむしゃらに前進した。

 扶桑の懐に飛び込めば、こちらの勝ち。

 だが相手は百戦錬磨の艦娘。そう易々とはいかない。

 海上を滑る様に移動しながら吹雪との距離を取り、的確に攻めあげる。

 距離が縮まれば当然、着弾する時間も早まる。

 今まで以上にとっさの判断と機敏さが求められた。

 吹雪が扶桑の下で修業を始めてから一年。

 初めて吹雪は扶桑の懐に潜りこんだ。

 

「よくやったわ、吹雪」

 

 そこで初めて扶桑は吹雪を褒めた。

 そこでようやく、吹雪は艦娘への一歩を踏み出した気がした。

 

 扶桑の攻撃を全てを躱すことが出来るようになったのは、最近の事だ。

 すでに扶桑の元に来てから二年近くの時間が過ぎていた。

 気が付くと吹雪は扶桑の懐にいた。

 右手の主砲が、扶桑の脇腹に向けられている。

 勝負ありだ。

 

「よく頑張ったわ、吹雪」

 

  練習が終わると、扶桑は柔和な笑顔を見せる。

 

「明日には山城の所に戻るわ。今日はもう終わりにしましょうか」

 

 訓練時とは別人のような笑顔で、扶桑は吹雪の頭を撫でた。

 

「はい!」

 

 何だかそれが嬉しくて、吹雪は笑顔で元気よくそう答えるのだった。

 

 

 艦娘の穴から少し離れた所にある小さな孤島。

 そこで扶桑と吹雪は暮らしながら修練に励んだ。

 その島は一日で一周できるほど小さい島だったが、不思議と真水が湧き出ている島だった。

 島の中心近くに小さな小屋を建て、そこに二人で住みながら修行をしていた。

 一日中、二人で撃ち合い、日が暮れると小屋に帰り、眠る。

 そんな生活が二年も続いていた。

 

 扶桑の下で修練を積めた自分は幸運である。

 吹雪はしみじみとそう感じていた。

 この人は本気だ。

 本気で自分の全てを伝授する気だ。

 それに気が付いた時、吹雪は初めて扶桑と分かり合えたような気がした。

 この人は自分に期待している。

 ならばそれに応えなければならない。

 そう思えたからこそ二年間、耐えることが出来たのだ。

 

 小屋に戻ると、二人で食事の準備をする。

 二人で、といっても吹雪が手伝うのは主に簡単な作業だけで、ほとんど扶桑がやってしまう。

 扶桑は料理も上手い。

 米を炊き、海でとった魚や海藻を調理して出してくれる。

 今日の献立は魚の塩焼きと味噌汁だ。

 吹雪はそれを無言で平らげた。

 動いた後は腹が減るのだ。

 

「いよいよ明日ね」

 

 食事も終わり、日も完全に落ちた所で扶桑は言った。

 

「艦娘の穴に帰る。そこで貴方以外の吹雪候補生と戦って、名実ともに艦娘『吹雪』となる」

 

 扶桑はそういうと、吹雪をじっと見据えた。

 

「貴方が本当の吹雪になれる、最初で最後の機会よ」

 

「はい。覚悟は出来ています」

 

 そう言って吹雪は笑った。つられて扶桑も笑う。

 不安が無い。といえば嘘になるが、自信もあった。

 扶桑と共に過ごした二年間が積み重ねとなって、今に至る。 

 自分はこの凄まじい先輩から教えを受けたのだ。

 今や扶桑の教えが染み込むように体を流れている。

 そんな気がした。

 

「ねえ、吹雪」

 

 扶桑がそう言ったのは夜も更け始めた頃だった。

 その時吹雪はもう寝る準備を始めている最中だった。

 

「なんですか、扶桑さん」

 

「いえ……実はずっと聞きたいことがあったの」

 

 扶桑は恥ずかしげに口火を切った。

 

「艦娘になりたい理由は、会いたい人がいるからって言ってたわね。一体誰なの?」

 

 勿論、嫌なら言わなくてもいいけど、と扶桑は続けた。

 

「…………」

 

 吹雪は少しだけ悩んだが、

 

「はい。扶桑さんになら……」

 

 ゆっくりと話し始めた。



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吹雪以前

 吹雪は小さな港町で生まれた。

 港町というより漁村といったほうがいいのかもしれない。

 実際に住民のほとんどは漁業で生計をたてていたし、住居の数もまばらである。

 そこに父と母、歳の離れた兄との四人で吹雪は暮らしていた。

 

 父は村一番の漁師だった。

 背は大きく、腕は丸太のように太い。肌は日に焼けていて、立ち上がれば真っ黒い山脈のようだった。

 自分の船を持っていて、何人もの仲間と共に海へ出ては、大きな網を魚でいっぱいにして帰ってくる。

 町一番の腕前を持つ男だった。

 そんな父が、吹雪は大好きだった。

 

 よく港の埠頭で父の帰りを待った。

 一番の先っぽで座って水平線を眺めていると、はるか先に小さく、父の船が見えてくる。

 はっきりと船体が見えるほど近づくと、吹雪は立ち上がって手を振った。

 すると父も汽笛を鳴らして答えてくれる。

 やがて船が着岸し、中から漁師たちがぞろぞろと降りてくると、吹雪は真っ先に父に飛びついた。

 父は破顔するとグローブのような掌で、吹雪の頭をくしゃくしゃと撫でる。

 吹雪はそれが嬉しかった。

 

 ある日のことだ。

 いつものように埠頭で父の帰りを待っていた。

 何だか肌寒くなってきた気がする。

 父は平気だろうか。

 そんなことを考えながら吹雪は水平線の先を見つめていた。

 そろそろだろう。

 間もなく父の船が見えてくるはずだ。

 空が紅に染まり、周りが暗くなり始めた。

 まだ父の船は見えてこない。

 何かあったのだろうか。

 前に網がスクリューに引っかかってそれを外すのに手間取って、帰りが遅くなったことがあったが、今日もそうなのだろうか。

 日が沈んだ。

 あれだけやかましく鳴いていた海鳥の声がやんだ。

 蒼い海は闇でどす黒く濁ったように見える。

 こんなに遅くなるのは初めてだ。

 大丈夫だろうか。

 兄が迎えに来た。

 手を取って、一緒に帰ろうと言った。

 吹雪は立ち上がらなかった。

 もう少しだけ待ってみようと思った。

 そしたら父の船が見えてくるかもしれない。

 折角、遅くまで仕事をしてきたのに、誰も待っていない何て可哀そうだ。

 せめて自分だけでもまっていよう。

 吹雪はそう心に決め、座り込んだ。

 

 船が帰ってくることは無かった。

 その日は深海棲艦が侵攻を開始した日だった。

 

 母が倒れた。

 父が帰らなくなってから、一年後の事だった。

 過労が原因らしい。

 子供を二人育てるのには金が要る。

 母は働きに出ねばならなかった。

 いなくなった父に代わって、母は子供たちを守ろうと奮戦した。

 そして無理が祟ったのだ。

 

 その頃、吹雪の町は様変わりしていた。

 元々、漁業しか無かった町だ。

 深海棲艦が現れ、海に出ることが出来なくなるとあっという間に廃れていった。

 何人もの人たちが町を捨て、別の場所に移住していった。

 あんなに活気があった町が嘘のように寂れていく。

 あれだけ仲の良かった人たちが、信じられない位素っ気なく、消えていった。

 吹雪は誰かがいなくなる度に、身体のどこかが消えてなくなっていくような感覚に襲われた。

 耐えられるはずなかった。

 

 父さえ帰ってこれば。

 吹雪はそう思った。

 あの強い父が死んだなんて、考えられない。

 だから吹雪は待った。

 人っ子一人いなくなった港で、吹雪は父を待ち続けた。

 

 荒んだ人々にとって、そんな吹雪は鬱陶しく映った。

 陰口を叩き、侮蔑した。

 同級生たちは特に酷かった。

 

 お前の親父は死んだんだ。

 深海なんとかという化け物にやられてしまったんだ。

 いくら待ったって無駄さ。

 現に乗ってた船すら、見つからないじゃないか。

 

 我を忘れた。

 一回りも大きい異性相手に吹雪は飛びかかった。

 父を侮辱されるのだけは許されなかった。

 鼻は折れ、体中が痣だらけになったが、相手にも傷を負わせた。

 騒ぎを聞いて飛んできた兄が止めなければ、そのまま殺し合いになったかもしれない。

 

 兄は激怒した。吹雪の頬を打った。

 そんなことをして親父やお袋がどう思うか考えてみろ。

 きっと二人は悲しむだろう。

 

 兄の言う事は理解出来た。だが、気に入らなかった。

 家を飛び出し、港まで走った。

 夜の海はゾッとするほど暗く、静かだった。

 まるで迷い込んだ人を引きずり込んで、喰らってしまいそうだ。

 言いようのない不安に駆られ、吹雪は海から目を逸らし、町の方を見た。

 絶句した。

 かつて幾つもの灯りに彩られた町が、嘘のように真っ暗だった。

 もはや町に残った人は、半分もいない。

 故郷は死んだも同然だったのだ。

 はっきりとそれを理解し、泣いて、崩れた。

 

 兄だけが味方だった。

 父の生存を信じ、母の看病を行い、吹雪の世話をしてくれる。

 いつしか吹雪は兄に依存するようになった。

 無限に湧き出る不安と不満を兄にぶつけた。

 兄はよく聞いてくれた。

 大丈夫だ、心配はいらない。

 きっと親父や町の人も戻ってくるさ。

 兄は吹雪を精一杯励ました。

 彼女の一直線の頑張りを愛してくれた。

 

 ある日、吹雪が学校から帰ってくると、家に見知らぬ人たちがいた。

 詳しい事は分からないが、彼らの格式ばった格好を見て、吹雪は偉い人が来ているんだなと感じた。

 その時は、何事も無く、その人たちは帰って行った。

 それから、数日後。兄に赤紙が送られた。

 深海棲艦に対抗できる唯一の存在、艦娘。

 彼女らだけが見ることできる存在『妖精さん』。

 それらは艦娘の整備や清掃などを一手に引き受けていた。

 しかしそれらを見ることは、艦娘にしか出来なかった。

 普通の人間に、妖精さんを見られるものなど、一人もいなかった。

 妖精さんが見えなければ、艦娘にまともな指示を出せるはずがない。

 軍部は妖精さんを見える人間を探した。

 そして見つけた。

 艦娘と人間を繋げる無二の存在。

 それが吹雪の兄だったのだ。

 

 軍部は巧妙に兄を説得した。

 今まで普通に生きてきた者では、考えられないような札束が目の前に積まれた。

 これで母親の治療費は心配ないし、妹さんの生活費は勿論、学費だって事足りるだろう。

 それに軍に入れば毎月、母娘二人で暮らすには十分すぎる給料が支払われる。

 何を躊躇する必要があるだろうか。

 兄は提督になるべく家を家を出ることになった。

 

 当然、吹雪は泣いて縋った。

 父は帰らず、母は床に臥せ、この期に及んで兄まで自分の元を去っていく。

 耐えられるはずもなかった。

 

 年甲斐もなく泣きわめく妹に、兄は優しく言った。

 

 ――泣くな。

 俺はここを去り、提督になる。だがお前を捨てるわけでは無い。

 人類の敵、深海戦艦を艦娘と共に駆逐する。

 それは世界を守ることであり、お前と母を守ることになる。

 だから待っててほしい。

 いつか平和になった海を渡って俺と親父は家に帰ってくる。

 それまで、母を頼む。

 

 いっぱい泣いて、いっぱい喚いた。

 一日中考え、何度も吐きそうになりながら、吹雪は決意した。

 笑顔で送り出してあげよう。

 提督になって深海棲艦を倒す。

 兄はそれを望んでいる。

 兄が故郷を去る日、吹雪は泣きそうになるのを堪えながら手を握って笑った。

 

 お兄ちゃん、頑張ってね。

 私はお母さんと一緒にここでいつでも待ってるから。

 きっと帰ってきてね。

 

 兄は瞳に涙を溜めて頷くと、吹雪の頭を撫でた。

 父の手を思い出させるような、大きくて暖かい掌だった。

 

 かつて父の船を迎える時のように手を振って、吹雪は兄を送り出した。

 母が心労からくる病で、この世を去ったのはそれから半年後だった。

 

 家族が目の前から全員消え去った。

 その頃には町の過疎化はさらに進み、片手で数える程しか住民はいなかった。

 

 もはや家族といえるのは兄だけになってしまった。

 そう考えると、吹雪は兄に会いたくなった。

 多忙で、母の葬式にも来れなかった兄に、一目でも。

 しかし艦娘ましてや提督の情報など、吹雪が知るはずも無かった。

 それを知るためには、艦娘にでもならなければ、永遠に分からないだろう。

 ならなればいい。

 吹雪はそう考え、12歳になった時、艦娘適正検査に臨んだ。

 結果は陽性だった。

 吹雪は狂喜乱舞し、すぐに艦娘として志願した。

 今、兄は提督として艦娘を統率する立場という。

 

 これで会える。

 吹雪はそう思い、故郷を後にした。

 いつかここに兄と帰ってこよう。

 憎い深海棲艦を叩き潰し、ここからまたやり直すんだ。 

 艦娘と提督。それ以上に兄と妹として、もう一度、ここで暮らしていくんだ。

 そう決意し、吹雪は艦娘の穴の門を叩いた。



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扶桑、帰る

 扶桑が帰ってきた。

 波止場で出迎えた山城は、二年ぶりに見る姉に抱き着きたい衝動の駆られたが、ぐっと堪えた。

 周りには大勢の訓練生が集まっている。

 大先輩、しかも歴戦の勇士である扶桑の姿を一目見ようとほぼ全て訓練生が、ここに集結しているのだ。

「お帰りなさい姉様! ああ、ご無事で何よりです……」

「うふふ、ただいま山城。我儘も言ってごめんなさいね。時雨も留守中色々ありがとう」

 

 扶桑は柔和な笑みを浮かべ、山城と時雨に敬礼する。

 それに対し山城は感極まりながら、敬礼を返した。

 

「ずっとこの調子でね。扶桑が帰ってくるのが嬉し過ぎて、朝からそわそわしっぱなしだよ」

「だって……二年も姉様に会っていないのよ? ようやく会えると思ったら嬉しくて嬉しくて……」

 

 涙ぐむ山城に苦笑しつつ時雨は扶桑の後ろに控えている少女に目を向けた。

 練習生125番。

 あの扶桑が認め、直々に育てた少女。

 時雨もこの少女のことは知っている。元々は志願して艦娘の穴に入ってきた子だ。

 その頃の彼女は、驚くほど何も出来なくて、立ち振る舞いもどこか頼りなさげな印象があった。

 だが、今、目の前にいる彼女は見違えるようだ。

 いい目をしている。澄んだ瞳だ。

 扶桑に大分鍛えられたのだろう。

 尤も、大勢の出迎えに緊張しているのか、恥ずかしげにはにかんでいる。

 まだまだ学ばなければならないこともありそうだ。

 

「姉様、海上移動は疲れたでしょう。ゆっくり休んで」

「大丈夫よ、山城。あの島とここは思ったほど離れていないの」

「いえ、既に帰還の祝宴が準備できています。姉様のために山城は手文庫を空にしました。本土から最上級の珍味と酒を用意したのよ?」

「あらあら」

 

 困ったように笑うと扶桑は山城に手を引かれていく。

 それを追って吹雪は歩き始め、ある方向から嫌な気配を感じた。

 その方向を見ると、練習生の中で一際大きい少女が、こちらを見ていた。

 規格外の大きさだった。

 頭が二つほど周囲より出ている。

 顔も厳つく、それでいて不敵な笑みを浮かべこちらを品定めするように見ていた。

 あの子が自分の対戦相手か。

 吹雪はほとんど直感でそう感じていた。

 

「大丈夫かい?」

 

 時雨が尋ねた。

 

「え……あ、ああ、はい、大丈夫です!」

 

 びしっと敬礼する吹雪に、時雨はぷっと噴き出した。

 

「そこまでかしこまらなくてもいいよ。これから宴会だ。おかえりなさい、扶桑の酒宴だ。君も来るといい」

「はいっ」

 

 そう答えると、吹雪は時雨の後を歩いて行った。。

 その後ろを他の練習生たちが付いてくる。

 いつの間にかあの巨大な練習生の姿は見えなくなっていた。



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白昼の酒宴

 普段は食堂として使われている場所に、酒宴の準備がされていた。

 上座に扶桑。次いで山城。

 その後に時雨が腰を降ろし、後は練習生を年齢順に座らせていく。

 吹雪は練習生の最上座にいた。

 あの時、吹雪と一緒に入った同期達はもう艦娘になったのか、辞めてしまったのかは分からないが、一人もいなかった。

 料理が運ばれ、宴がが始まった。

 尤も、練習生に振る舞われるのは酒ではなくラムネであるが。

 

「今日、ここに素晴らしい人が帰ってきた。今後は艦娘の穴に戻り、君たちを指導してくれる。僕や山城とはまた違う、多くの事を学べるようになると思う。その幸運に――」

 

 時雨の乾杯の音頭と共に宴は始まった。

 普段は食べれないような料理に練習生たちは舌鼓を打ち、扶桑たちは美酒の愉しむ。

 

 山城は特に機嫌が良いようだ。

 しきりに扶桑に話しかけ、何度も杯を開けている。

 扶桑は微笑みながらそれをうんうんと聞いていた。

 吹雪はまだ慣れないのか縮こまって料理を摘まんでいる。

 あの扶桑の直弟子とあってか、何人かの後輩が吹雪に話しかけてきた。

 話題は扶桑の事ばかりだ。

 

「やっぱり扶桑さんの練習は厳しかったんですか?」

「う……うん、そうだね。厳しかったよ。でもそのおかげで強くなれました」

「扶桑さんってどんな感じの人なんですか?」

「うーん……柔らかそうに見えて、奥の底には激しいものが流れている。そんな人……です。本当に強いから、きっと優しいんだと思う」

 

 後輩相手となると吹雪も若干余裕があるようだ。

 他愛もないやりとりだが、話せることは話せている。

 そんな様子を時雨は飲みながら黙って見つめていた。

 

 吹雪は多くを語らなかった。

 ただ聞かれたことを最低限、答えている。

 まだ緊張が解けきってないのか。謙遜なのか慎重なのか。

 いずれにしても口は軽そうではない。

 男というものはあまり喋るものではない。

 大昔の偉い人が残した言葉だ。

 時雨も昔聞いたもので詳しい詳細は知らないが、妙に納得した記憶がある。

 そう言う意味ではこの練習生はきっとこの場の練習生よりも遥かに強いのだろう。

 この子は想像以上の逸材かもしれない。

 そんな気がした。

 

 不意に足音が響いた。

 あまり穏やかな気配ではない。

 時雨はすぐにそれを察知し、大分遅れて吹雪も察したようで、きょろきょろと周りを見回している。

 その頃には既に足音の主が扶桑たちの前まで迫っていた。

 

「お初にお目にかかります。扶桑先輩」

 

 練習生108番だった。

 扶桑の前で彼女は立ち止まると、慇懃無礼としか思えない声色で頭を下げた。

 

「ここで山城先輩にご指導いただいている練習生、番号は108番です。扶桑先輩の妹さんにはお世話になっています」

 

 あまりの無礼な態度に山城が立ち上がろうとする。

 それを制止するように扶桑が手を山城の前にかざし、そのまま練習生108番に向かってにっこり微笑んだ。

 

「初めまして、練習生さん。噂は山城と時雨かかねがね聞いていたわ。艦娘の穴始まって以来の逸材、と」

「嬉しい限りですな。私も先輩方には毎日、ご指導してもらい、頭の下がる思いです」

「それは姉として、嬉しい限りね。どうかしら、一杯?」

 

 扶桑は笑顔で盃を差し出した。

 練習生は不遜な笑みを浮かべると横にあった徳利を引っ掴むと、そのまま口に当てて飲み干した。

 

「貴方! 姉様に対して無礼でしょう!」

 

 山城の怒声が響いた。

 場が一気に凍りつく。

 その場で表情が変わらないのは二人。

 能面のように微笑む扶桑と、ニタニタと笑う108番だけだ。

 

「いいのよ、山城」

「しかし、姉様!」

「彼女は強いのでしょう?」

 

 扶桑の言葉を聞いて108番はますます頬を緩ませる。

 

「ええ、ここにいる他の練習生など比べ物になりません。今までの模擬戦で、私は常に一撃で対戦相手を沈めてきました」

 

 108番は自身の戦果を誇る様に、丸太のように太い腕を見せつけた。

 小物だな。

 時雨は内心、そう吐き捨てる。

 自分から武勲を誇るなど、褒められたものでは無い。

 しかも酒の席。目上の主賓の前でだ。

 器が知れる。

 しかしそれを客観視できないほど、108番は慢心を極めているのだろう。

 それは彼女の増長を止められなかった自分にも責任があるのだろうが。

 

「強いのでしょう。確かに。でも私の育てた吹雪も満更でもないのよ」

 

 突然、扶桑の口から自身の名が出され、吹雪は思わず飛び上がった。

 

「吹雪?」

 

 108番が首を傾げた。

 

「吹雪とは、艦娘の称号。彼女はまだ練習生であるはずですが」

「あら、そうだったわね。いけないわ……もう、あの子が吹雪になるとばかり思っていたからつい」

 

 108番の顔色が変わった。

 

「驚きました。まさか私に勝った気でいるとは」

「うふふ、ごめんなさい。あの子の力は私が一番よく分かっているの。だからこそ、結果が分かっているとなるとどうしても。ね」

 

 扶桑はわざと相手を怒らせるように言っているようだった。

 現に108番からは先程までの余裕の表情は無くなり、額に青筋が浮かんでいる。

 

「このチビが私に劣ると。先程から縮こまっているこいつが」

「吹雪に失礼よ。練習生108番さん」

「歴戦の勇士も弟子可愛さに目が曇りましたか。どちらが上か。私には立ち合うまでも無く、分かりますな」

「あら、面白い事をいうのね」

 

 そう言って扶桑は吹雪の方を見た。

 

「吹雪、もしよければこの子に貴方の技を、見せてあげれないかしら?」

「扶桑さんが命じるなら」

 

 吹雪が立ち上がった。

 静かに。されど苛烈に怒っているのが雰囲気で分かった。

 自身を馬鹿にされた怒りではない。

 扶桑を侮辱されたことに憤慨している、といった感じだ。

 

「私とやり合う気になったか。黙って俯いていればいいものを。先輩方の前で無様な様を晒ず、済んだであろうにな」

「いえ、明日の試合が今日に早まったと思えば」

「ほう。明日の試合というか。ならば私が勝てば吹雪の名を譲るのであろうな」

 

 吹雪は扶桑を見た。

 扶桑は黙って頷いた。

 

「いいですよ」

 

 吹雪は練習生108番を見上げるように睨みつけた。

 山城は突然の事態に困惑し、時雨は黙ってその行く末を見据えていた。

 



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決闘

 慌ただしく練習生たちが動き出した。

 毎日訓練に使われる運動場。そこで模擬戦は行われる。

 いつもは一日の最後に行われるものだが、今日は勝手が違っていた。

 扶桑がいる。

 ただそれだけでも、練習生にとっては新鮮で何だか特別な気持ちがした。

 当然、準備にも気合が入る。

 地面がならされ、扶桑と山城のために椅子が用意される。二人が腰を降ろした。

 その頃にはもう、模擬戦の準備は整っていた。

 

 

「練習生108番、125番。前へ」

 

 審判役の時雨が間に立ち、言った。

 吹雪と108番が前に進み、睨み合うように向かい合う。

 扶桑は吹雪の方を見ようともせず、黙って杯を傾けていた。

 

「急所への攻撃は禁止。相手が降参するか、続行不能と僕が判断した場合、試合終了とする。いいね、二人とも」

 

 時雨の言葉に二人が頷き、構えた。

 瞬間、始め、と時雨の声が響く。

 それと同時に108番は踏み出した。

 開始の合図と共に直突きの一撃を叩き込む。

 彼女が得意とする戦法だった。

 見るからに鈍重そうな少女が一気に間合いを詰め、正確に顔面を打ち抜く。

 今まで何人もの学友をこれで血祭りにあげてきた。

 吹雪も思った以上に身軽な108番に驚いたようだった。

 だがそれも、束の間。

 拳を構えて前に出た。

 

(ほう!)

 

 108番は思わず感心した。

 今まで相手にした者は、何が起こったのか分からないまま顔を砕かれるか、攻撃から逃れようとして体が付いて来れないまま顔を潰されるかの二択であった。

 少なくとも自分に向かってきたのは目の前の少女が初めてだ。

 さすがに他とは違うか。

 そう思ったが、遅いとも思った。

 自身の拳が振り下ろされるのが先だろう。

 いい線いってたのに残念だったな。

 内心、ほくそ笑んで拳を振り下ろした時だった。

 吹雪が消えた。

 一瞬で、目の前から姿を消したのだ。

 拳は空を切った。

 直後、左から掬うように吹雪の右拳が鳩尾を打つ。

 声にならない呻きが漏れた。

 108番の顔中に油汗が浮かんでくる。

 目で追った瞬間、吹雪は左拳を突き出していた。

 避けることも出来ず、顎に命中する。

 世界が揺れるような感覚に襲われ、108番は膝を折った。

 何が起こったか分からない。

 そんな顔をしながら、108番は崩れ落ちた。 

 

「そこまで!」

 

 時雨の声で吹雪は止まった。

 108番は動きそうにもなかった。

 あまりに早い決着に、練習生たちは付いて行けなかったのか、一瞬静まり返る。

 

「勝者、練習生125番!」

 

 時雨が試合終了を言い渡すと共に、歓声が爆発した。

 周りで見ていた練習生たちはきっと何が起こったのか理解できなかったであろう。

 だが、横暴を極めた練習生108番が倒されたのだけは、はっきりと理解したのだ。

 喜ばぬはずが無かった。

 

「扶桑さん!」

 

 吹雪はそれらに目もくれず、扶桑の元に向かった。

 扶桑は笑顔で吹雪の頭を撫でた。

 初めからこの結果がわかっているようだった。

 

「よくやったわ、吹雪」

 

 にっこりと、笑った。子供のような笑顔だと、吹雪は思った。

 

「扶桑さんとの修行に比べれば、どうってことはありませんでした。勝てたのは、扶桑さんのおかげです」

「それは違うわ、吹雪」

 

 他の練習生に担がれて医務室に運ばれる108番を見ながら、扶桑は言った。

 

「あの子は艦娘の表面上の破壊力を身につけただけだった。貴方は違う、そうでしょう?」

 

 扶桑は微笑み、吹雪もそれに反した。

 山城と時雨も釣られて笑い、広場の熱狂はいつまでも続いていた。



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艦娘たちの夜

 宴が終わったのは午後八時を過ぎた頃だった。

 練習生たちに解散を促した後、泊まる所の無い吹雪は扶桑の自室で休むこととなった。

 艦娘の穴には練習生たちが生活する寮が併設されており、その一階に教官である扶桑・山城・時雨の個室がある。

 2年間使われていなかった扶桑の部屋だが、山城がこまめに掃除していたらしく、最期に部屋を出た時と遜色の無い状態を保っていた。

 吹雪は扶桑のベッドに一人で入った。

 肝心の扶桑は山城の所で飲み直すらしい。酒瓶片手に時雨と二人で山城の部屋へと消えていくのを見届けたばかりだ。

 初めて見る天井をじっと眺める。

 今日一日の事が浮かんでは消えていく。それが段々と今までの事へと変わっていき、走馬灯のように風景が浮かび上がる。

 体は疲れているが、意識は段々とはっきりとしていくのを感じた。

 自分は艦娘になったのだ。

 正確に言うと艦娘になる資格を得たということなのだが、吹雪にとっては同じだった。

 そして明日には鎮守府にむかう。

 特型駆逐艦・吹雪として兄がいる鎮守府に向かうのだ。

 吹雪は無言で起き上がった。

 目が冴えてしまっていた。眠れないのだ。

 少し外の風に当たろう。

 そう思い上着を羽織ると、吹雪は部屋の扉を開けて、廊下に出た。

 向かいの山城の部屋はまだ三人で飲んでいるのか、灯りがついている。

 吹雪は出来るだけ足音を出さないように歩いて、寮の外へと向かうのだった。

 

 

 人は変わるものだ。

 時雨はしみじみとそう感じていた。

 この二年間の間に扶桑も山城も随分と変わっていた。

 少なくともかつての山城は扶桑と二年も顔を合わせずに過ごすことなど出来なかったはずだ。

 姉が隣にいないと正気でいられないような艦娘だったのだ。

 しかし、彼女は二年待った。

 艦娘の穴で責任者として二年間、姉の帰りを待ち続けたのだ。

 元々責任感が強い感じはあった。

 だが一番の理由は、吹雪を連れて修行へ出発する時に扶桑が言った言葉だろう。

 ――私がいない間、ここを頼むわね。

 敬愛する姉に頼まれたのだ。山城が断れるはずも無い。

 その後の山城は紆余曲折あったものの、艦娘の穴を纏め上げた。

 練習生108番というイレギュラーはあったものの、山城は意外なリーダーシップを発揮し、この場所を守ってきたのだ。

 以前の彼女からは考えられないことだ。

 扶桑もまた、同じだった。

 彼女が弟子を取るなんて想像も出来なかったし、そのため二年も費やすなんて信じられなかった。

 時間は人を変える。

 時雨はそう思わずにはいられなかった。

 

 三人で始めた酒盛りも佳境を迎えていた。

 山城は特に上機嫌だ。

 大好きな姉が帰ってきて、持て余していた108番が制裁されたのだ。

 浮かれぬはずがないだろう。

 何杯も杯を重ねた。

 次第に山城はでろでろになり、へろへろになり、ふにゃふにゃになった。

 扶桑に抱きつき、時雨に絡み、遂には床に突っ伏すとそのまま寝息を立てはじめた。

 酒に弱い方では無かった。

 むしろ嗜むほうだ。

 そんな山城が潰れたのは、やはり相当嬉しかったのだろう。

 

「全くこの子は……」

 

 扶桑は苦笑しながら山城の頭を撫でた。

 

「どうする? まだ飲むかい?」

 

 時雨の問いかけに山城は首を横に振った。

 既に飲み始めてから二時間以上の時が経っていた。

 

「それじゃあ、僕も部屋に帰るよ」

 

「ええ、おやすみなさい。私はもう少しここにるわ」

 

 そう言って扶桑は山城をベッドに運んだ。

 それを見届けると時雨は部屋を出た。

 夜は既に更けていたようで、寮の廊下には月明かりが指し、怪しい雰囲気を醸し出している。

 

 色んなことがあった。

 今日一日のことを思い出し、時雨は大きく息を吐き出した。

 扶桑は変わった。

 山城も変わった。

 今、何もかもが変革の時を迎えているのかもしれない。

 自分も然り、だ。

 

 そんな時だった。

 遠くから何かが弾けたような爆発音が聞こえてきた。

 咄嗟に窓際によって外を見ると、遠くの暗闇に薄っすらと白い煙が上がるのが見えた。

 一瞬で酔いが醒め、時雨はそのまま駆けだした。



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深夜の出来事

 闇を恐れなくなったはいつからだろう。

 真夜中の運動場を一人で歩きながら、吹雪はふと考えた。

 かつて、夜は恐怖そのものだった。

 父の事で故郷の友人たちと喧嘩し、そのことで兄に咎められ、家を飛び出したあの日。吹雪は夜の海とそれと同じように、漆黒に染まった町を見て、絶望した。

 それ以来、夜が来る度にその光景が脳裏に浮かんでくる。

 夜の闇は海を飲み込み、町を飲み込み、そして吹雪をも飲み込んでしまうのだ。

 

 ぼんやりと夜空に浮かぶ月を眺めた。

 故郷の頃には怖くて見れもしなかった夜の空だ。

 兄が出ていってからは一層、恐怖を感じた。

 艦娘の穴に来てからも同じだった。

 それを変えてくれたのは扶桑だ。

 夜、布団の中で震える吹雪に気付いて、そっと抱きしめてくれた。

 扶桑は何も言わなった。

 ただ黙って、吹雪の頭を撫でてくれた。

 それで吹雪は救われた。

 本当は寂しかっただけのかもしれない。

 自分は一人じゃない。そう思いたかっただけなのかもしれない。

 

 気付けば、海の近くまで来ていた。

 潮の臭いが鼻につき、波の音が静かに響いている。

 明日、兄に会う。

 まずは母の事を話そう。

 きっと死に目に会えなかったことを、今でも兄は悔いているだろう。

 共に悲しみを分かち合い、そして母を送ろう。

 その後は、扶桑のことを話そう。

 あの人がいたから今の自分はいる。

 それを伝えたかった。

 

 不意に寒気を感じた。

 最初は夜の冷え込みかと思ったが、まとわりつくような不快感も伴っている。

 何かが来る。

 ほとんど直感で吹雪は地面を蹴った。

 瞬間、つい今しがた吹雪が立っていた場所が爆裂した。

 砲撃されたのだ。

 弾の飛んできた方向に目を向ける。

 暗闇の中で小さな光が二つ浮かんでいる。

 目玉だった。酷く充血した瞳は怪しい光を放っており、じっと吹雪を見つめている。

 やがて月の光に照らされて浮かび上がってきた砲撃主の姿に、吹雪は息を呑んだ。

 練習生108番。

 昼間、扶桑に無礼を働き、吹雪によって叩き潰された少女だ。

 模擬戦闘で気を失い、そのまま医務室に運ばれたと聞いていた。

 そんな彼女が何故ここにいるのか。

 しかもよく見れば、演習用の艤装を身につけている。

 

「避けるなよ……外れてしまったじゃないか」

 

 彼女は完全に正気を失っていた。

 息を荒らげ、焦点の合わない瞳で吹雪をじっと睨んでいる。

 

「どうして……」

 

 そう問いかける吹雪に108番は目を見開いて言った。

 

「どうしてだと……扶桑先輩に贔屓されて艦娘になったお前から『吹雪』を取り戻す。それだけよ」

 

 再び108番の主砲が火を噴いた。

 

「な、何を言っているんですか! あの模擬戦で勝負はついたはずです!」

 

 吹雪はそう言うも正気を失った108番には聞こえないようだった。

 ゆっくりと歩を進めながら、吹雪に主砲を向け続ける。

 

「落ち着いてください! こんな戦いに意味はありません!」

 

「あるとも。真なる吹雪である私が、それを取り戻すのだ」

 

「候補生同士で争って何になるんですか! 私たちの敵は深海棲艦のはずです!」

 

「私の敵は……お前だ」

 

 これ以上、話をしても無駄だろう。

 そう思った瞬間、吹雪は地面を蹴った。



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吹雪の艤装

艤装は聖闘士○矢の聖衣みたいな感じだと思っています


 全身が粟立つような感覚だった。

 今まで何度も行ってきた演習とは違う空気。

 これは実戦だ。

 吹雪はほぼ直感的にそう感じていた。

 相手は敵だ。完全に自分に危害を加えようとしている。

 そう思うと、嫌でも気が引き締まった。

 練習生108番は正気を失っている。

 演習用とはいえ艤装。その攻撃が当たれば只では済まない。

 攻撃を躱しながら、相手を鎮圧しなければならない。

 一瞬、逃げることも考えたが、吹雪はすぐにその考えを捨てた。

 背中を見せれば狙い撃ちされる。

 なによりこんな危険な相手を放っておけなかった。

 

 回り込むように移動しながら、徐々に距離を詰めていく。

 108番が何度も主砲を放った。

 空を切る音と共に地面が爆裂する。

 その中を一気に駆け抜ける。

 こちらも艤装があれば。そう思った時には、108番が既に目の前まで来ていた。

 懐に飛び込んで拳を叩き込む。それで終わるはずだ。

 108番が笑った。

 背筋に冷たいモノが走る。

 咄嗟に身を躱す。主砲ごと、108番が腕を振り下ろした。

 怒り狂っているように見えて、意外と冷静だったらしい。

 最初からカウンター狙いだったのだ。

 思わぬ反撃に吹雪が面食らう。

 そこにすかさず、主砲が撃ち込まれた。

 躱しきれない。

 咄嗟に急所は腕で守ったが、それごと押しつぶすかのような重みが、体に叩きつけられた。

 軽い吹雪はそのまま吹っ飛んだ。

 受け身を取ることも出来ず、地面に転がる。

 立ち上がろうとして、崩れた。

 足が言う事をきかない。

 頭も打ったのか、世界が歪んで見えた。

 

「私の勝ちだ」

 

 勝利を確信したのか、108番は口角を上げた。

 主砲の先端が吹雪の方に向けられる。

 ――終わりか。 

 頭にそんな言葉が過った。

 終わるのか。こんな所で。

 兄に会うために艦娘になった。

 二年間、辛い修行に耐えてようやく掴んだ好機を、こんなことで失うのか。

 

「嫌だ」

 

 思わず言葉が漏れる。

 

「絶対に嫌だ。私は、艦娘になるんだ……」

 

 ほとんど執念だけで立ち上がる。

 ぼやけた視界の先で、笑う108番の姿が見えた。

 

「辛そうだな。今、楽にしてやるよ」

 

 音が聞こえた。

 砲撃の音だ。

 もう躱す体力も残っていない。

 せめて、防御だけはしなければ。

 吹雪は両腕を前に構え、衝撃に備えた。

 少し経った。

 砲弾が来ない。

 不可思議に思った吹雪が構えを解くと、目の前には信じがたい光景が広がっていた。

 

「あ。あ……」

 

 目の前に何かが浮いていた。

 黒く、大きい。両腕をいっぱい伸ばした位の長さがあって、丸太のように太い。

 よく見ればそれは軍艦だった。

 小さな軍艦が宙に浮いている。

 にわかには信じがたい光景だ。

 

「な……」

 

 108番も茫然と立ち尽くしていた。

 吹雪は目の前に佇むその船が、よく見れば特型駆逐艦・吹雪に酷似していることに気が付いた。

 小さな吹雪だ。

 薄っすらと光を放つそれは、まるで自分を呼んでいるかのように船体を揺らした。

 先程の砲弾はこの吹雪が庇ってくれたのだろうと、理解した。

 

「もしかして……艤装?」

 

 鎮守府に保管されていると聞く、艦娘・吹雪の艤装。

 眼前にあるこの軍艦が、吹雪の艤装なのだろうと、直感で感じ取った。

 いずれは自身が纏うはずの艤装。それが何故こんな所にあるのか。

 

「もしかして……助けに来てくれたの?」

 

 艤装は答えない。

 だが肯定するように船体を上下させた。

 

「……ありがとう」

 

 そうに違いない。

 きっと私を助けに来てくれたんだ。

 そう思い、艤装に触れた瞬間。吹雪の視界が閃光に覆われた。

 

 何かが染み込んでくる。

 これは記憶だ。

 特型駆逐艦・吹雪の記憶だ。

 国を護るために生まれ、戦い抜き、異国の海に沈んだ吹雪。

 戦いを終え、静かに眠っていた。だが深海棲艦という未曽有の危機に、再び国を護るために甦ってきたのだ。

 体中に熱いものが流れるようだった。

 やがて発光が終わり目を開くと、狼狽する108番の姿が見えた。

 随分と長い時間が流れたような気がしたが、どうやら一瞬の出来事だったらしい。

 いつの間にか、目の前の軍艦は消えていた。

 そして、代わりに眩い輝きを放つ艤装を、吹雪は身に纏っていた。

 

「これが艤装……」

 

 体の痛みも消えていた。

 まるで細胞から生まれ直したような感覚と体の各部を覆う艤装。

 特型駆逐艦・吹雪に自分はなったのだということを、実感した。

 

「一体なぜ……」

 

 108番は顔面蒼白だった。

 突然、鎮守府にある艤装が現れ、敵である少女と一つになったのだから当然だろう。

 

「……諦めて下さい」

 

 吹雪は不意にそう言った。

 

「何?」

 

 真っ直ぐと相手を見据え、吹雪は静かに言った。

 

「私は本物の艤装を纏い、艦娘となりました。もう貴方に勝ち目はありません」

 

 その言葉に白かった108番の顔が段々と赤みを帯びてくる。

 

「武装を解除してください。大人しくしてくれればこれ以上は」

 

「黙れ」

 

 108番は主砲を構えた。

 

「それは私のモノだ。返してもらおう!」

 

 声を荒らげると共に砲弾が飛ぶ。

 吹雪は避けようともしなかった。

 右手で砲弾を弾く。

 驚くほど簡単に、演習用の弾は弾け飛んだ。

 感覚も腕力も、何もかもが艤装を装着する前とは比べ物にならない位、向上していた。 

 恐怖から108番は咆哮を上げると主砲を乱射し始める。

 吹雪は再び前に出た。

 鋼鉄の艤装を身に纏っているのに、いつもより速く、駆けれた。

 風を斬る音と共に、吹雪と108番の位置が入れ替わる。

 暫し沈黙が流れた。そして。

 

「がはっ……」

 

 108番が膝を着き、倒れた。

 吹雪が拳を叩き込んだのだ。

 

 騒ぎを聞きつけた時雨がそこに到着したのは、正にその時であった。



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時雨と吹雪

 


 時雨の自室は本人の性格が現れたような、質素で落ち着いた内装だった。

 家具も最低限の物しか無く、用意された小さな木製の椅子に吹雪は腰降ろす。

 艤装は既に外していた。

 正確に言うと、108番を倒した時に艤装が一瞬光ったと思うと、煙のように消えてしまったのだ。

 驚く吹雪を尻目に大体の事情を察した時雨は、108番を担ぎ上げると言った。

 

「少し話そうか」

 

 そのまま校舎に戻り、108番を医務室に運んでベッドに寝かせる。気を失ってはいるが、重症ではないようだ。

 時雨の自室に案内された吹雪は若干緊張しながらも、数分前の出来事を語った。

 

「成程。大体の事情は分かったよ」

 

 落ち着いた口調で時雨は言った。 

 艦娘になると年を取らなくなるという。

 吹雪と同じくらいの外見だが、実際には何歳も上で、歴戦の勇士なのだ。

 

「正当防衛だね。むしろ108番の蛮行を止められなかった、僕たちに責任がある」

 

「あ、あの……」

 

 吹雪は小さく手を挙げた。

 

「……私の艤装は何処へ行ってしまったのでしょうか?」

 

 椅子の上で縮こまりながらそう尋ねた。 

 時雨はふむ……と頷くと、右手を目の前に突き出した。

 するといつの間にかそこには主砲が付いていた。

 何の前触れもなく、突然にだ。

 

「驚いたかい? 一度、艤装を装着してしまえば、こうやって自由に着脱が可能なんだ。勿論、壊れたら直さないといけないし、どこに消えてしまうのか分からないんだけどね」

 

 悪戯っぽく時雨は笑った。

 

「君も出したいと思えば、こんな風に出せるよ。そしてそれが、艦娘になった証拠さ」

 

 時雨の言う通り、吹雪は念じてみた。

 すると自然に、あっさりと腕に艤装が装着された。

 

「いい主砲だね。さすが吹雪型だ」

 

「ありがとうございます……で、でもこの艤装、突然飛んできたんです。鎮守府にあったはずなのに……」

 

 時雨は再び、ふむ……と考え込んだ。

 まだ艦娘が触れていない艤装が、装着者の前に現れるなど、聞いたことが無かった。

 もしかすると今頃、鎮守府の工廠は大騒ぎかもしれない。

 

「まあ、未だに艦娘である僕たち自身にも分からないことが沢山ある。艦娘や艤装というものはそんなものさ」

 

「でも……」

 

「明日、君のモノになる艤装が一日早くやって来た。それでいいと思う」

 

 時雨は立ち上がって吹雪の頭を撫でた。

 

「今日はもう遅い。今夜の件は僕が処理しておくよ。部屋に戻ったほうがいい。明日は早いんだろう?」

 

「は、はいっ……失礼します」

 

 礼儀正しく敬礼すると、吹雪は部屋を後にした。

 しばし夜の静寂が、部屋を包む。

 時雨は背もたれに体重を預け、微笑した。

 

「とんでもない逸材を見つけてきたもんだ。扶桑はさ」

 

 自然に目線が箪笥の上に。そこに飾っている写真に動いた。

 小さな写真立ての中には、かつて時雨が所属していた西村艦隊の集合写真が飾られている。

 扶桑や山城、ここにいない最上や満潮といった面々が笑顔で映っている。

 この時は最後の大規模作戦の時だったか。

 今や解散して散り散りになっているが、今でも大切な仲間たちだ。

 だがもう、自分たちは一昔前の艦娘なのかもしれない。新しい世代に道を譲るべきなのかもしれない。

 あの吹雪を見て、後輩たちが確実に力を付けていることが分かった。

 いずれは完全な世代交代が行われるかもしれない。

 だがそれもいいものだ。

 次代とは流れていくものだ。

 同じ思いを抱いたから、扶桑も弟子を取ったのかもしれない。

 

 時雨はそんな事を考えながら、ぼんやりと写真を見つめ続けるのだった。

 

 



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旅立ち

 気が付くと朝になっていた。

 時雨の部屋を出てそのまま扶桑の部屋のベッドに倒れ込んだのだ。

 重い体に鞭打ってベッドから降り、部屋に設置された簡易な洗面台で顔を洗う。

 よく冷えた真水で顔を濯ぐと、身が引き締まるような感覚だった。

 

 今日はここを旅立ち、兄のいる鎮守府に行く。

 そう考えたが、何だか現実感が無かった。

 思えば、昨日は色んなことがあり過ぎた。

 艦娘の穴への帰還。練習生108番との決闘。そして、吹雪の艤装。

 今思えば夢のように儚く映る。

 しかしこれは現実だ。

 正真正銘、自分が体験したことなのだ。

 

 身なりを整え、部屋を出た。

 そのまま正面の山城の部屋に向かう。

 ノックすると、返事が返ってきたので吹雪は扉を開けた。

 

「あら、吹雪。おはよう」

 

 いつもと同じように扶桑は言った。

 ベッドの横に座って長い黒髪をといていた彼女は、そのまま立ち上がって頭を撫でる。

 細く柔らかい手が髪の上で動いた。

 そこで吹雪は今日で扶桑と別れなければならないことを思い出した。

 

「おはようございます、扶桑先輩」

 

 出来るだけ平静装って言った。

 扶桑は微笑み、立ち上がった。

 

「食事にいきましょうか。ここには食堂があるわ。私の手料理ではないご飯は新鮮でしょう?」

 

 扶桑はそう言うと横で寝ている山城を揺すった。

 よほど深酒したのか、山城は千鳥足でベッドから起きた。

 三人で食堂に向かう。

 そのまま朝食を食べる。

 昨日のよるのことは既に広まっているようで、吹雪が食堂に入ると練習生たちの視線が突き刺さった。

 ちなみに練習生108番は暫く謹慎だと、時雨が言っていた。 

 吹雪は味が分からなかった。

 この目の前の扶桑と、分かれるということが信じられなかったからだ。

 

 朝食が終わってから少しして、迎えの船が来た。

 鎮守府までは距離があり、艦娘の海上移動――それもまだなり立ての吹雪では無茶であるからだ。

 かつては深海戦艦の影響で船など動ける状態ではなかったが、今は違う。

 こうやって内地近くから鎮守府まで行くくらいには海路は回復しているのだ。

 

 扶桑山城、時雨は勿論、多くの練習生が見送りに波止場に集まった。

 

不意に吹雪は、足を止めた。 

 

「行きなさい。吹雪。お兄さんに会うのでしょう?」

 

 優しげな扶桑の笑みを見て、吹雪の瞳から涙が溢れはじめた。

 いつの間にか扶桑の存在があまりにも大きくなっていた。

 別れたくない。

 まだこの人から学びたい。

 そんな思いが浮かんでいき、吹雪の身体から溢れ出た。

 

「駄目よ、吹雪」

 

 それを感じたのか、扶桑は言った。

 

「貴方は兄と会うために。そして兄と一緒に国を護るために艦娘になったのでしょう。そのために、辛く厳しい修行に耐えたのでしょう?」

 

「はい。しかし」

 

「だったら泣いては駄目よ。女の子がそんなに簡単に涙を見せちゃいけないわ。それにまた、会えるわ。いくら離れようとも、心で繋がっている。そう信じてるわ」

 

 そう言われればもう何も言えなかった。

 別れもまた修行。

 これが扶桑から学ぶ最後の修行なのかもしれなかった。

 

「貴方の過ごした二年間は本当に充実していたわ。貴方ならきっと艦娘として上手くやっていける。そう信じているわ」

 

 船頭が汽笛を鳴らした。

 吹雪は船に乗り込んで、涙を拭った。

 最後位、笑顔でいよう。

 そう思い、無理やり笑顔を作って敬礼した。

 

 扶桑たちに見送られながら、船は出発した。

 数時間かけて、鎮守府に向かうのだ。

 

「扶桑さん、今までありがとうございます。このご恩は一生忘れません。山城さんと時雨先輩もありがとうござます」

 

 そこまで言うのが精いっぱいだった。

 これ以上は泣き崩れてしまう。

 そう思えばこそ、吹雪は言わなかった。

 

 船が見え無くなるまで、吹雪は手を振った。

 やがて船は小さくなり、水平線の彼方に消えた。

 

「幸せすぎたのかしら」

 

 扶桑の瞳から涙が一筋、零れた。

 

「この私が弟子を取るなんて、余にも幸せだった。夢だったのかしら」

 

 涙ぐむ扶桑にもらい泣きする山城。

 そんな二人の肩を時雨が叩いた。

 

「そうだったのかもしれないね。でも扶桑は、本当に変わった」

 

 吹雪の中で扶桑は生きている。逆もまた然り。

 そんな思いが扶桑の胸の中で息吹き始めていた。




これにて序章完結、と言った感じです。
次からいよいよ鎮守府に行きます。
どうかよろしくお願いします


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鎮守府の睦月

 すっかり寒くなってきた。

 睦月は毎日の日課である朝の散歩に出るとき、一枚多めに羽織るようになった。

 艦娘たちはそれぞれ艦種によって寮が分かれており、睦月の住む駆逐艦寮は、最も高い位置に建てられている。

 前の道は坂道になっていて、下っていけば運動場に出る。

 早朝とはいえ、すでに何人かの艦娘たちが自主練を行っていた。

 彼女たちに軽く会釈してから睦月はさらに坂を下る。

 食堂と入渠場が併設された施設を通り過ぎると、海が見えてきた。朝日に照らされ、水面がキラキラと輝いているように見える。朝の穏やかなこの海が、睦月は好きだった。

 

 大きな入り江を伴う巨大な島に鎮守府は作られていた。

 いや、この島自体が鎮守府と言うべきか。

 かつての大戦時にはいくつもの鎮守府が。それこそ本土にも設置されていたのだが現在、鎮守府とされているのはここだけである。

 本土と最前線。そのちょうど中間に位置するこの島は、戦略的に最重要場所で、交通の要でもあった。

 遠目に見れば岩場が多く、侵入者を拒むような入り江も相まって、堅牢な城塞に見える。

 だが奥の方には以外と緑もあり、真水も出るのだ。

 

 この自然の要塞ともいえる鎮守府に、以前は多くの艦娘たちが暮らしていた。

 しかし大規模作戦が終わり、深海棲艦をあらかた掃討すると、何人もの艦娘がここから出て行った。

 一つの場所に大勢が集まるより、各地の小泊地に数名ずつ配置している方が、都合がよかったのだ。

 

 睦月は大規模作戦終了後にここにやってきた。

 新兵である。

 睦月型の長女である彼女だが、既に妹たちのほとんどが先に艦娘となってここで戦っていた。

 一番上が一番遅い。

 睦月は自嘲気味に笑った。

 もっとも睦月は、この鎮守府の雰囲気が嫌いではなかった。

 現在の鎮守府にいる駆逐艦の艦娘、そのほとんどが先の大戦後に艦娘になったものばかりだ。

 遅れてきた艦娘たち。そんな奇妙な連帯感が生まれていた。

 例外は如月だけだった。

 如月は睦月型駆逐艦2番艦で、睦月の妹に当たる。

 だが、一番最後に来た睦月の逆で、一番最初に鎮守府に着任した睦月型だった。

 長い間、秘書官として提督のそばに仕え、献身的に彼を支えた。最初に編成された第一艦隊の中核を担い、度々前線でも武勲を建てた。そんな経歴であるにも関わらず、同じく駆逐艦、とりわけ同じ睦月型である自分をよく目にかけてくれたのが、如月だった。

 

 その如月が最近、悩んでいる。睦月もそれを気に病んでいた。

 

 海をぼんやりと眺めながら、ほてほてと歩く。

 悩みは消えないが気は晴れる。

 そう感じるからこそ、睦月は毎日ここを散歩していた。

 

 如月の不調の原因は明白だった。

 提督がずっと姿を現さない。

 提督の私室に籠もりっきりで、出てこないのだ。睦月自身、ここに着任してから一度もその姿を見たことがなかった。

 現秘書官の長門だけが、提督と話せるらしい。だがそれも扉越しで、決して部屋からでようとしない。もう一年近く、顔を見ていないとのことだった。

 如月は提督に何度も会おうとした。そしてその度に拒否された。

 当然、睦月は怒った。

 睦月だけではない。他の駆逐艦たちも同じように憤った。

 だが如月は提督を庇った。

 ――きっと司令官には司令官の考えがあるの。だから大丈夫よ。

 そう言って寂しそうに笑う如月に睦月は憐憫を覚えた。そして如月にそんな思いをさせる提督に対する怒りも、また。

 

「およ?」

 

 水平線の先に何かが見えた。

 近づいてくる。船だ。

 週に一度、本土から物資を積んだ船がやってくる。しかしその船は、いつも入港する時間が正午付近と決まっていた。今は朝だ。だとすればあれは一体、何の船だろうか。

 はっきりと船体が見えてきた。睦月は好奇心から波止場に向かった。

 埠頭に船が着き、一人、 降りてきた。

 少女だ。自分と同じ年くらいの。

 黒い髪を後ろで纏め、白いセーラー服に身を包んでいた。

 彼女が艦娘であることはすぐに分かった。昨日、睦月の所属する第三水雷戦隊の旗艦である神通から、新しいメンバーが増えることは聞いている。きっとこの子だろう。睦月はほとんど直感的にそう思った。

 船は少女を降ろすと、すぐに港を出た。船頭らしき男と船を下りた少女が手を振り合っている。

 睦月は昨日の神通の言葉を思い出していた。新しい駆逐の仲間が来る。名前は確か。

 

「吹雪ちゃん」

 

 少女が振り向いた。純朴で、可愛らしい顔だった。

 

「もしかして、吹雪ちゃん?」

 

 睦月はそう問いかけると、少女はかしこまって、敬礼した。

 

「本日を以て第三水雷戦隊に配属されました、吹雪です! よろしくお願いします!」

 

 それを見て睦月もまた、背筋を伸ばして敬礼する。

 

「第三水雷戦隊所属、睦月です! よろしくお願いします!」

 

 しばし沈黙。そして自然に二人から笑みが零れた。



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如月、現る

 鎮守府に足を付けた時から、吹雪の心臓は高鳴った。

 ここに兄がいる。もうすぐ会える。

 それがたまらなく嬉しく、自然と体も弾んだ。

 

「ここを登れば、執務室がある所に着くよ」

 

 睦月が目の前の坂を指さして言った。

 初めてあったばかりだが、吹雪はこの睦月という少女が何だか好きだった。

 同じ位の年齢ということもあったが、人懐っこい笑顔と明るい性格が吹雪の心をすぐに解したのだ。

 

「えっと……睦月先輩は……」

 

「睦月でいいよ」

 

「えっと、じゃあ……睦月ちゃんは長くここにいるの?」

 

「ううん、睦月もちょっと前に来たばかり。吹雪ちゃんと同じ新兵だよっ」

 

 そんな話をしながら歩いていると、気がつけば赤煉瓦で出来た建物の前に着いていた。

 

「ここが鎮守府本部! まずはここで長門さんに挨拶しないと」

 

「長門さん?」

 

 吹雪は首を傾げた。

 長門のことは知っている。戦艦長門の魂を受け継ぐ艦娘で、大先輩に当たる人だ。今は秘書艦をやっていると、扶桑が言っていた。

 問題はそこではない。

 

「おにい……司令官に挨拶するのが先じゃないの?」

 

 司令官。その単語を聞いた瞬間、睦月の顔が曇った。

 

「えーっと……司令官はね……」

 

 困ったように苦笑する睦月に吹雪は違和感を覚えた。

 最初に挨拶するのは、提督じゃないのか。提督はこの鎮守府で最高責任者のはずだ。ならば、まずはそこに挨拶に行くのが筋であろう。

 それに早く兄に会いたいという気持ちもまた、あった。

 

「司令官はね、今ちょっと色々あってね……会えないかも」

 

 その言葉を聞いて吹雪は歩みを止めた。

 

「どうして……?」

 

「う、うーん」

 

 睦月は目を逸らした。本気で困っているようだ。

 

「どうしたの、睦月ちゃん?」

 

 不意に別の声が響いた。

 二人がその方向に向くと、坂の下から一人、少女が現れた。

 美しい少女だった。

 睦月と似た服を着ているが、雰囲気は全く逆である。

 無邪気で子供のような睦月とは対照的に、落ち着いた佇まいの大人びた印象。

 栗色の髪の毛を腰あたりまで伸ばし、桃色の羽根飾りを付けている。

 

「如月ちゃん!」

 

 睦月が飛びついた。

 如月は胸に飛び込んできた睦月の頭を撫でる。

 

 如月。

 その名前には聞き覚えがあった。

 艦娘の穴にいた頃に、扶桑からよく聞いた名前だ。

 最初期から活躍した六人の駆逐艦、第一遊撃部隊の一人。

 駆逐なれども、その影響力や実戦経験は計り知れないものがあるという。

 

「睦月ちゃん、その子は?」

 

「吹雪ちゃんだよ。今日からここに配属されたんだよ」

 

「吹雪ちゃん?」

 

 如月の目が吹雪へ向いた。

 紫色の、柔らかい視線だった。

 吹雪は何だか心が落ち着いていくのを感じた。そうなるような不可思議な魅力が、如月にはあった。

 

「あ、あのっ、初めまして! 本日を以てこの鎮守府に配属された吹雪と言います!」

 

「あらあら、話は聞いていたわ。そんなに固くしなくてもいいわ。如月と申します。よろしくね」

 

 かしこまって敬礼する吹雪に如月はにっこりと笑って、敬礼を返した。

 

「それで、どうしたの? こんな朝早くから」

 

「うん、実は吹雪ちゃんを本部まで案内したんだけど……長門秘書官に会ってもらおうと思ったら、どうして司令に会わせないのかって……」

 

 最後の方は声が沈んでいた。

 如月は睦月の説明で事態を察したのか、悲しげに瞼を閉じる。

 そして目を開くと、諭すように言った。

 

「ごめんなさいね。あの人は……司令官は今、少し問題を抱えているの。今は誰とも会おうとしない。私も何度も会おうとしているんだけど、どうしても駄目なの」

 

「そんな」

 

「でもいずれ、きっと元に戻ってくれるでしょう。だから、今は我慢して。ね。とりあえず長門さんに挨拶をした方がいいわ」

 

 優しく肩を叩かれた。

 これ以上は無理だ。

 そう思えるほど、如月の瞳には悲しみが滲んでいた。

 

「……はい」

 

 釈然としない。だがここは折れるしかない。

 吹雪は気をおとした。

 すぐ近くに兄がいる。それが分かるのに会いに行けないのは歯がゆかった。

 

「いきましょうか、執務室へ。この時間でも、長門さんはきっといるでしょうし」

 

 如月がそう言って扉を開ける。

 中の内装は強面な外装からは想像できないほど、質素で落ち着いたものだ。あくまでも軍事要塞なので、当然なのかもしれないが。 

 如月に先導され、睦月と一緒に進む。入ってすぐ、右側にある階段を上り、奥へ歩いて行くとちょうど端に『執務室』と書かれた表札が見えてきた。

 コンコンと、如月がドアを叩いた。

 

「誰だ」

 

 奥から低く鋭い声が帰ってきた。

 

「如月です。今日配属される新造艦を連れて参りました」

 

 しばらくして、入れ、と声がした。

 

「さ、いきなさい」

 

 如月が促した。

 吹雪は深呼吸すると、ドアノブに手をかけて、一歩踏み出した。



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秘書官・長門

 

 燃えるように真っ赤な瞳だった。

 戦艦長門といえば、日本海軍の誇る最強の戦艦である。その長門の魂を受け継いだ艦娘となれば、どれほど苛烈なのだろと吹雪は思っていた。

 だが現実は予想以上だった。

 ただ目の前にいるだけで呑まれてしまいそうな感覚。

 同じ戦艦でも扶桑や山城とは違って、近寄りがたい雰囲気を醸していた。

 

「特型駆逐艦・吹雪だな?」

 

 長門は静かに言った。剃刀のように鋭い声と眼光だ。

 執務室。その奥に置かれた提督専用の机で、彼女は手を組んで座っていた。

 穏やかさなど微塵も感じられない佇まいだった。

 ちなみに如月は吹雪の斜め後ろで見守るようにして、立っている。睦月は部屋の外で待機だ。

 

「は、はいっ! 初めまして、長門秘書官! 特型駆逐艦・吹雪です! よろしくお願いします!」

 

 真紅の瞳が吹雪の顔を捉えた。

 それだけで、吹雪は息が詰まるような感覚に陥った。

 

「ああ、よろしく頼む。君は本日より神通が旗艦を務める第三水雷戦隊に配属されることになる。これからは共に戦う仲間だ」

 

 そこまで言うと、長門は初めて顔を軟化させた。

 口角を少し上げるだけの微笑だったが、それだけでも大分、表情が和らいだように見える。

 

「今朝、扶桑から連絡があったぞ。艤装を自ら呼び出したらしいな」

 

「えっ……あっ……はい、あの」

 

「前例のないことだが、起こってしまったものはしょうがない。後で工廠の明石と夕張に一言、言っておけ。あいつらは興味津々だろうがな」

 

 竹を割ったような人だ。

 吹雪は何だか安心した。

 このようなしっかりした人が秘書官なら、兄のことを聞いても大丈夫だろう。

 

「あの……長門秘書官」

 

「なんだ?」

 

「し、司令官にはお会いできないのでしょうか……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、長門が眉をしかめた。

 

「提督のこと、伝えていなかったのか?」

 

 刺すような視線が如月に向けられる。如月は苦笑した。

 

「現在、提督は分け合って表に出ない。例え……」

 

「あの……兄なんです」

 

「何?」

 

 長門の言葉を遮って、吹雪は言った。

 

「兄なんです。司令官は私の」

 

 後ろで如月が息を呑むのが聞こえた。

 長門の眉が思いっきり吊り上がる。

 

「何……だと?」

 

 初めて、長門の顔に困惑の色が浮かんだ。

 

「吹雪ちゃん! それ……本当?」

 

 如月が吹雪の肩を掴んで、尋ねた。穏やかな顔が珍しく緊張で強張っている。

 

「は、はい……ですから、兄に……兄に会いたいんです!」

 

 長門は一端、深呼吸すると口を開く。

 

「提督に妹がいるなど聞いたこともないが……」

 

「私が聞いたことあるわ」

 

 如月が言った。

 

「昔、私たちに漏らしたことがあるの。妹が一人いるって」

 

 腹立たしいといった感じで長門が目を逸らす。

 

「妹がいるとは言っても、お前が本当に提督の妹という保証はない。提督に真偽を確認し、また伝える」

 

 もう出ろ、と手で長門は示した。

 吹雪は食い下がろうとしたが、如月が止めた。

 これ以上、取り付く島はないだろう。

 

「失礼します」

 

 敬礼して執務室を出る。

 外では睦月が待っていた。

 

「吹雪ちゃん」

 

 扉を閉めると、如月が吹雪に真面目な顔で迫った。

 

「少し時間いいかしら?」



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如月と吹雪

 睦月と分かれて、吹雪は如月の後ろを歩いていた。

 最初は睦月も一緒に行こうとしたが如月が止めた。睦月は少し不満げだったが、あまり引きずらないタイプなのか、自室に戻っていった。

 寮では艦娘たちが共同で生活している。吹雪はこれから睦月と同じ第三水雷戦隊である夕立と同じ部屋に住むことになっている。これから吹雪を迎える準備をするという。

 個室を持っている艦娘は長門と如月だけだという。これだけでもこの二人が鎮守府において、特別な立ち位置にいることが分かった。

 

「どうぞ」

 

 如月の言葉に従い、部屋に入る。駆逐寮の一番上の奥に、彼女の私室はあった。

 入ってみると、思ったより広くなかった。寮は基本的に三人部屋となっていて、ベッドや机は三つ設置してあると睦月から聞いていた。

 しかし如月の部屋にはベッドが6つあった。机や椅子もまた、6つ用意されている。

 

 以前はここで6人が生活していたのだろうか。

 そう思いながら吹雪は部屋を見渡していると、如月が椅子を持ってきた。

 素直にそこに掛ける。如月も目の前に腰を下ろした。

 

「急にごめんなさいね。どうしても、聞きたいことがあって・・・・・・」

 

 そこで如月の顔から微笑が消えた。

 

「長門秘書官の所で、自分は司令官の妹・・・・・・と言っていたけど。本当なのかしら?」

 

 空気が変わった。

 無数の針が自身に向かって突き刺さってくるような圧力。それを目の前のさほど歳も変わらなそうな艦娘が発している。

 吹雪はその雰囲気に呑まれながらも、震える手で懐から一枚の写真を取り出した。

 この人は兄のことを知っている。兄のことを真剣に想っている。

 それを感じたからこそ、吹雪は如月を信じようと考えていた。

 

 如月の手に写真が渡った。その小さな紙を如月が覗きこむ。

 まだ少年らしさを残した若い青年と、小さな少女がカメラに向けて笑顔を見せていた。

 どこかの港のようだ。背景に真っ青な海と空、白い灯台が写っている。

 吹雪と兄がまだ港町にいた頃に撮った写真である。

 兄が提督になる直前に撮影したもので、吹雪は常にお守りとしてこの写真を懐に秘めていた。

 

 如月は黙ってその写真に視線を落とした。

 不意に、何かが零れた。

 如月の大きな瞳から宝石のような涙が、一滴二滴と滴り、写真へと落ちていった。

 

「司令官・・・・・・」

 

 弱々しく、如月は言った。

 

「き、如月さん」

 

 吹雪がは思わず立ち上がり、如月の肩を叩いた。

 如月は目を擦りながら、微笑する。

 

「本当に、兄妹のようね・・・・・・昔、司令官が。あの人が言っていたの。妹がいる。唯一の肉親だって」

 

 懐かしむように如月は言った。そのままじっと吹雪の顔を覗きこむ。

 吸い込まれるような瞳。妖艶で純粋で、水晶のような双眸だった。  

 

「ふふふ・・・・・・不思議ね。全然に違うように見えるのに、どことなく面影がある・・・・・・」

 

 か細い指先が頬に触れる。吹雪はふと顔が熱くなるのを感じた。

 如月の顔が目の前に迫る。

 宝石のような瞳から涙が。再びこぼれ落ちた。

 

「あの人に・・・・・・こんな立派な妹さんが・・・・・・!」

 

 そこまで言うと如月は顔を伏せた。

 指先が震えている。吹雪はそっと包み込むようにそれを握った。

 しばらく、そんな状態が続いた。

 震えが止まり、如月が顔を上げた。

 もう涙は消え、元の優しい顔つきに戻っている。

 

「ごめんなさいね、取り乱したって。たとえ写真の中でも、司令官の顔をまた見られて、嬉しかったの」

 

「兄を、知っているんですね。そして妹がいることも」

 

「ええ、勿論よ。私はあの人の元で共に戦って。共に生活して。共に笑いあったのだから」

 

 いくらか落ち着いたのか、如月はハンカチで目の回りの涙を拭った。吹雪も椅子に座り直す。

 

「教えて下さい、如月先輩。おにいちゃん・・・・・・いえ、兄はどこにいるんですか」

 

「如月でいいわ、吹雪ちゃん」

 

 如月はそう言うと再び表情を固くした。

 

「まずは今の鎮守府と司令官の現状。そこから話すわね」

 

 無意識に如月は拳を握りこんだ。

 これから話すことが、吹雪にとって辛い内容になることを、理解していたからだった。



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提督不在の鎮守府

 かつて鎮守府とは最前線だった。

 常に深海棲艦との戦闘に晒され、本土防衛の最終ラインとして機能していた。

 それが変わったのは深海棲艦があらかた片付いた大規模作戦後であった。

 激戦を戦い抜いた艦娘たちは各地に作られた泊地基地に送られることになった。

 全ての海域に艦娘を一定数置き、海路を守り、現れた深海棲艦を残らず駆逐する。

 鉄壁の布陣である。

 そのために多くの艦娘は鎮守府を去った。

 そのかわりに鎮守府に入ってきたのが新兵たちであった。

 現在、艦娘の穴を卒業し、艦娘になった少女たちはこの鎮守府で実践も交えた訓練を行う。

 そこで認められた者から鎮守府を出て、各駐屯地に送られるのである。

 艦娘の穴が艦娘になるための養成機関であるといのなら、鎮守府は艦娘の修練所と言ったところか。

 そのため現在の鎮守府にいる艦娘のほとんどが新兵である。

 残っている古参は提督の補佐をするために残った長門や如月、大淀。

 工廠の管理を任されている明石や夕張。

 そして新兵たちの教育係である少数の重巡・軽巡の艦娘だけだ。

 例外的に正規空母からなる航空戦隊もいるが、彼女らはあくまでこの鎮守府の防衛のために残っており、各駐屯地に派遣されることも多い。

 常に鎮守府にいる古参の艦娘は極めて少なかった。

 

 大規模作戦後に鎮守府に配属された艦娘たちは、今までの提督の事を知らない。

 彼女たちからしてみれば、自分の仕事を放棄し、自室に閉じこもっているようにしか見えないだろう。

 確かに提督は突然、姿を隠した。

 元・秘書官であり、最古参の如月にも何も言わずにだ。

 如月は何度も提督に会いに行った。

 鎮守府の一番奥にある大本営。

 会議室や通信室などが構えられている大きな建物。その最上階に提督の私室はあった。

 執務室の奥に作られたその部屋は、鎮守府の最深部ともいえ、艦娘たちが二人ずつ交代で警備している。

 昔はそんなことはなかった。

 艦娘たちは自由に提督の私室に出入りし、語り合ったものだ。

 警護が着くようになったのは引きこもってからすぐであった。

 選ばれたのは新兵の中でも、長門を強く慕っている者たちが選ばれた。

 長門の私兵。

 如月は心の奥底で密かにそう呼んでいる。

 秘書官である長門だけが提督との会話を許されている。

 如月には勿論、他の艦娘とは顔を会わせるのは勿論、会話しようともしない。

 新兵たちから不満が出ないわけなかった。

 自分や他の古参たちでさえ、快く想っていない者が多数であるのに。

 

 現在、新兵たちの提督への評価は最悪と言っていい。

 この一年、提督は閉ざされた執務室から長門に命令を下すだけの存在だった。

 そのせいか、最近は海軍本部の干渉も多くなっている。

 大規模作戦後、鎮守府や艦娘たちは本土の者たちにとって脅威に映っているらしい。

 深海棲艦と互角に戦える存在である艦娘は、彼らにとっては同じ穴のムジナに見えるのかもしれない。

 度重なる軍部の干渉に常に受け身に回っているのも、非難の対象であった。

 今や新兵たちは勿論、古参組の中にも、提督を公然と非難する者まで現れだした。

 それを如月が必死に押さえているというのが、今の鎮守府の嘘偽りのない現状であった。



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吹雪と第三水雷戦隊

 いつの間にか昼になっていたようだ。

 だが早朝の快晴が嘘のように、どんよりとした空模様である。

 まるで吹雪の心中を現わしたようだ。

 如月の部屋を出た吹雪はおぼつかない足取りで、窓からぼんやりと空を眺めた。。

 自慢の兄だった。

 一回り年齢が離れていることもあり、よく自分の面倒を見てくれた。

 父が行方不明となり、母が倒れてからは、兄が両親代わりだった。

 優しく、時に厳しく、吹雪を包み込んでくれたのが兄だったのだ。

 だからこそ、提督になると言われたとき、寂しさは感じつつも不安に思うことなかった。

 この兄なら上手くやっていけるだろうと想ったし、信じていた。

 現に、最初は上手くやっていたのだ。

 如月の慕いようを見れば、容易に想像がつく。

 問題はこの一年間だ。

 如月の話が本当なら、兄は艦娘たちから石を投げられてもおかしくはない。

 それほど、酷い事をしているのだ。

 だが、吹雪はそれが信じられなかった。

 間違いだと思った。

 何か考えあってのことだとも思った。

 だがそれが分からぬから如月は苦悩し、鎮守府は重苦しい空気に包まれているのだろう。

 

「ここで貴方が司令官の妹ということは口にしては駄目よ」

 

 如月はそう言った。

 それほどまでに兄は嫌われているのか。

 妹が兄に会いに来た。それすら許されない状況なのか。

 これまで兄に会うために修練を重ねてきた。

 兄も鎮守府で頑張っている。そう信じていた。

 しかしここに来て根本がひっくり返った。

 吹雪は足下から全身が崩れて消えていくような錯覚に、陥ったのだ。

 

 今は兄には会えないだろう。

 如月はそうも言った。

 だがいずれ、司令官にきっと会わせてあげる。

 手を握って、そう言ってくれた。

 如月は信用できる人かもしれない。

 吹雪は何だかそう感じていた。 

 

「吹雪ちゃん!」

 

 突然、声が掛けられた。

 顔を上げると睦月がいた。

 場所もいつの間にか、駆逐寮の階を結ぶ階段の所まで来ていた。

 

「遅かったね。心配したよ~」

 

 無邪気に笑う睦月に吹雪は一瞬、彼女を殴り飛ばしたい激情に駆られた。

 そしてそれが単なる八つ当たりに過ぎないことを悟り、自分を粉々に壊してしまいたい衝動を覚えた。

 

「ささ、吹雪ちゃんの部屋に案内するよ。今日から同じ部屋に住むんだからね」

 

 睦月に引っ張られ、三階の奥に入った。

 木製の廊下をずんずん進んでいく。

 その両側に部屋の扉があり、かすかに生活の臭いが感じられた。

 やがて一番奥にたどり着くと、睦月は『第三水雷戦隊所属 睦月 夕立 吹雪』とかかれた木札のかかった扉を開いた。

 

「ここがその部屋だよ! ささっ、どうぞどうぞ!」

  

 底抜けに明るい睦月に、吹雪は何だか気持ちが楽になるように感じた。

 言われるままに部屋に入る。

 中は先ほどの如月の自室と同じくらいの広さであるが、机や寝具は3つしか置かれていなかった。

 その一番奥のベッドの下に、一人。いた。

 

「夕立ちゃん!」

 

「ぽい?」

 

 少女だった。

 亜麻色の髪を背中まで伸ばし、黒いリボンで前髪を結んでいる。

 幼さを残しつつも、どこか上品な整った顔立ちをしている。

 翡翠色の大きな瞳が、じっと吹雪を見つめていた。

 

「吹雪ちゃん、紹介するね。同じ第三水雷戦隊所属で、ルームメイトの夕立ちゃん。夕立ちゃん! この子が昨日、神通さんが言ってた、吹雪ちゃんだよ!」

 

「は、初めまして! 吹雪です! 今日より第三水雷戦隊に配属されました!」

 

 反射的に吹雪がそう敬礼すると、夕立はにっこり笑って立ち上がった。

 読書中だったのか、右手には雑誌が握られている。

 

「こんにちわ、白露型駆逐艦『夕立』よ。よろしくね!」

 

 白い手が前に突き出された。

 吹雪がそれを握ると、夕立は嬉しそうにブンブンと腕を振った。

 睦月と同じくらい元気で、明るい。そんな印象を吹雪は夕立に抱いた。

 

「へえ、これが噂の扶桑先輩の秘蔵っ子か」

 

 そんな声が突然、後ろから聞こえたのと同時に、頭に掌が置かれた。

 振り向くと、吹雪の目の前に見知らぬ女性の顔が現れた。

 自分より、一回りも二回りも大きい。

 茶色の髪と瞳を持つ、女性だった。

 柿色のセーラー服を身を包み、黒いミニスカートを履いている。

 

「川内先輩」

 

 睦月が言った。

 そう呼ばれた女性は白い歯を見せて笑うと、吹雪の肩に腕を回した。

 

「ね、君。夜って好き?」

 

「は?」

 

 突然の質問に、吹雪は固まってしまった。

 そんな吹雪の様子も意に返さず、川内と呼ばれた女性は続ける。

 

「夜はいいよね~、夜はさ。駆逐艦ならさ、夜戦好きでしょ? やーせーんー」

 

 あまりに強い押しに、吹雪の理解が追いつかなかった。

 

「姉さん、困ってますよ。落ち着いてください」

 

 川内の背後からもう一人、女性が現れた。

 服装や髪の色は川内とそっくりだが、雰囲気がまるで正反対だ。

 髪は腰のあたりまで伸ばしているし、雰囲気も落ち着いていており、後頭部には緑のリボンがついている。

 

「神通先輩も!」

 

 睦月のその言葉で、吹雪も彼女たちがこれから自分が配属される第三水雷戦隊の先輩たちであるという事を、ようやく理解した。

 

「ごめんなさいね。えっと・・・・・・吹雪ちゃん。久しぶりの補充員。しかも叢雲ちゃんと同じ吹雪型っていうこともあって。姉さんがどうしても見にきたいって」

 

 困ったようにいう神通だったが、当の川内は悪びれる様子もなく、吹雪に絡んでくる。

 

「だってさー。期待しちゃうじゃん。駆逐艦って言えば夜戦要員でしょ? だったら夜戦の戦いも唸るわけだし」

 

「相変わらずの夜戦バカっぽい・・・・・・」

 

 呆れたように夕立が言った。

 神通は自分の所属する艦隊の旗艦ということだけは知っていた。

 それに川内。睦月と夕立。これで五人だ。

 

「あれ、那珂ちゃんは?」

 

 睦月が首を傾げた瞬間、外から大きな声が響いてきた。

 



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航空戦隊の影

 

「那珂ちゃん、ライブやりまーす! 皆、来てねー!」

 

 大きく、そして透き通るような声だった。

 場所は駆逐寮の近くの広場。そこは他の寮と繋がる場所であり、最も艦娘たちの行き来が激しい。

 そこに少女はいた。

 少女は可愛らしい笑顔と仕草で手に持ったビラを、道行く駆逐艦たちに手渡している。

 茶色の髪を団子にし、川内や神通と同じ柿色のセーラ-服を身につけている。

 

「なーかちゃーん!」

 

 睦月が窓から身を乗り出さんばかりに叫んで、手を振った。

 それに気づいた那珂も笑顔で手を振り返す。

 

「あれが第三水雷戦隊最後の一人。川内型三番艦の那珂ちゃんだよっ」

 

 吹雪の方に振り向くと、睦月は笑顔で言った。

 

「あっちはあっちで、相変わらずのアイドルっぽい」

 

「アイドル?」

 

 吹雪が思わずそう聞くと、神通が苦笑しながら答えてくれた。

 

「艦隊のアイドル。本人はそう言ってきかないの」

 

「センターだけは譲れないよ! だって那珂ちゃんは皆のアイドルなんだもん!」

 

 クルリとターンしてポーズを決めると、那珂は再びビラ配りに戻っていく。

 

「あんな感じでも、第三水雷戦隊のエースだからね」

 

 いつの間にか再び、川内が吹雪の頭に手を乗せていた。

 会ったばかりの彼女であるが、不思議と嫌な感じはしなかった。

 今日よりこの少女たちと共に、戦う。

 些か実感は湧かないものの、吹雪は胸に何か熱いものが生まれるような気がした。

 これまでは扶桑と二人きりで、仲間や友人といった艦娘は存在しなかった。

 だからこそ、艦隊や戦友といったモノに情景を抱いていた。

 ようやくその一歩を踏み出したのだ。

 そう思えば、幾らか心持ちも楽になった。

 

「まあ、今日は日曜で休み。演習や遠征はないからさ。ゆっくり鎮守府内を見物してきなよ」

 

 髪をわしゃわしゃ撫でると川内は神通と一緒に部屋を出て行った。

 

「面白い人でしょ?」

 

 睦月が笑顔で言った。

 確かに面白く、そして親しみの持てる人柄だ。

 少しだけ心が軽くなったような気もする。

 

「まあ川内先輩もああ言ったことだし、ここはこの睦月が! 吹雪ちゃんをエスコートするよっ」

 

 無い胸を大きく張ると、睦月は吹雪の手を取った。

 

「夕立も暇だから付き合うっぽい」

 

 夕立も雑誌を床に放り投げて立ち上がった。

 この二人とこれから寝食を共にする。そう考えると、悪い思いはしなかった。

 

 鎮守府内は想像以上に綺麗に整備されていた。

 寮の前にある坂を下っていくと運動場が見え、、そこからさらに下ると大きな広場にでる。

 そこには入渠施設と食堂が一緒になった大きな建物があり、酒保も併設されていて、欲しい物の大体はここで揃うらしい。

 広場からは道がいくつも伸びており、ここからさらに下れば工廠施設が。横道に向かえば、少し離れた所に自給のための畑や菜園があるという。

 この広場の端に建てられた甘味処『間宮』に吹雪は連れてこられた。

 補給艦・間宮と伊良湖が切り盛りするこの小さな甘味処は艦娘たちの憩いの場所として人気がある。

 日曜の昼間とあってか、多くの艦娘たちがそこで余暇を楽しんでいた。

 

「すごいね」

 

 すれ違う艦娘たちに挨拶しながら、吹雪は席に座ると、そう漏らした。

 

「この鎮守府のこと?」

 

 睦月が尋ねた。

 

「うん。こんなに大勢の艦娘がいて、皆で生活してるなんて」

 

 艦娘の穴で過ごしたのはほんの少しで、二年間の殆どは扶桑と二人っきりだった。

 吹雪にとって、これ程多くの艦娘たちがいるという環境は新鮮な体験であった。

 

「はい、間宮スペシャル。一つね」

 

 吹雪の前に大きな餡蜜が置かれた。

 驚いて顔を上げると間宮が優しく微笑んだ。

 

「この二人からよ」

 

 間宮は吹雪の向かいに座っている睦月と夕立に手を向けた。

 吹雪が二人の方を向くと、睦月と夕立はニカっと笑った。

 

「第三水雷戦隊、入隊のお祝いだよ!」

 

「歓迎のプレゼントっぽい」

 

「あ、ありがとう・・・・・・」

 

 震える手でスプーンを持って、甘味を口に運ぶ。

 何だか懐かしい味がした。

 

「美味しいでしょ。出撃した日には皆でこれを食べるんだよ」

 

「恒例行事っぽい?」

 

「その時は、川内さんや神通さんも一緒なの?」

 

「まあ、大体はそうかな。川内先輩がよくお金を出してくれるよ」

 

「面倒見いいっぽい」

 

「神通さんと那珂さんはどんな感じの人なの?」

 

「うーん、神通先輩は真面目で優しいけど、訓練は意外と厳しいっていうか・・・・・・」

 

「鬼教官っぽい」

 

「へえ・・・・・・全然そうは見えないけど・・・・・・」

 

「那珂ちゃんはずっとあんな感じで、アイドルアイドルしてるかな~」

 

「出撃中もぶれないっぽい」

 

「そうなんだ、あはは・・・・・・」

 

 いずれにせよ濃いメンバーたちだ。

 しかし不思議と嫌な気持ちはなかった。

 同じ釜の飯を食う仲間というのは、思っていた以上にいいモノなのかもしれない。

 

 不意に風を切る音が聞こえた。

 吹雪が空を見ると、戦闘機が数機、飛んでいった。

 駆逐艦である吹雪にはその戦闘機が何の種類なのかも分からなかった。

 

「一航戦の先輩たちの演習だ」

 

 睦月がそう漏らした。

 一航戦のことは知っていた。

 数十の深海棲艦に立ち向かい完全勝利した伝説の艦娘。

 空母の中でもその実力は折り紙付きだという。

 

「気になる?」

 

 吹雪の顔を見て、睦月が聞いてきた。

 自分の心根を見透かされたようで吹雪は驚いたが、黙って頷いた。 

 

「じゃあ行ってみようか」

 

 ごく自然に睦月はそう言った。




色々出したい艦娘を多くて難しいです・・・


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一航戦・赤城

 矢を一つ、放った。

 風を切る音と共に弦がしなり、放たれた矢は一直線に空へと昇っていく。

 刹那、矢は姿を艦載機へと変わる。エンジンの音を鳴らしながら、艦載機は1、2回ほど機体を揺らすとそのまま旋回し、彼方へと飛んでいく。

 天候は暗いものの、支障をきたす程のモノでも無い。一度、自身の手を離れれば、艦載機は自由に動く。後は、彼ら次第だ。赤城は肩を下ろして、一息ついた。

 

「乱れているわね」

 

 控えていた加賀がそう言った。

 

「ええ、慢心しては駄目。そう思っていても、少し体に出てしまうことがあるのかもしれないわね。もっと、気を引き締めないと」

 

「悩んでるわね」

 

 加賀は飾り無く、本当のことを口にする。

 赤城は内心、参ったと感じながらも、嫌な気持ちはしなかった。

 

「さすがは加賀さんね。仰るとおり、少しね」

 

「提督の事。それとも」

 

「外ね」

 

 外。それを聞いた加賀は目を伏せた。

 この鎮守府に残っている軽巡や重巡は新兵の教育が主な任務であるが、赤城たち空母組は違った。

 主にこの鎮守府の守備。そのため、彼女たちが新兵に教育することは殆ど無かった。

 空母組は常に近隣海域を監視し、時には鎮守府を出て遠い駐屯地に出向くことも少なくない。

 外から鎮守府を見ることが出来るというのは貴重なことだった。

 中からでは分からない事が、嫌でも見えてくる。

 しかもそういったものに限って、重要で陰鬱だったりするのだ。

 鎮守府内は不満に満ちている。しかし、外に比べればまだマシだった。

 提督が表舞台に姿を現わさないようになって以降、海軍本部の介入が露骨になっていた。

 艦娘だけの組織では、全体の緩慢に繋がる。そう主張する上部は、駐屯地に監査官を送り込んできた。

 最初は一人だった監査官が一人、また一人と増え、徒党を組み出すのに時間はかからなかった。

 やがて、監査官は艦娘特設憲兵隊と名前を変え、当初の目的とは全く別の存在になり果ててしまった。

 艦憲兵、そう呼ばれ始めたのも最近だ。

 艦憲兵は艦娘に配慮し、女性士官のみで構成されている。

 それがどうした、と赤城は思った。

 艦憲兵の仕事は艦娘への本部からの命令を伝え、それを指揮することだった。しかし次第に艦娘を監視し、行動を制限するような者たちになっていった。

 そしてそういう仕事は同性同士の方が、嫌らしくなる。

 現に重箱の隅を突くようなことで、何人もの艦娘たちが、罪に問われていった。

 だがそれも賄賂でどうにかなってしまうような者が殆どだった。

 腐っている。

 軍部の悪いところだけが集まって出来たような腫れ物。それが自分たちに頭の上から、何か言ってくる。

 不快以外の何物でもなかった。

 赤城は航空戦隊。それも誉れある一航戦の旗艦である。

 戦歴も十分であるし、実力も高い。

 そんな彼女に多くの艦娘が、現状の不満をぶちまけた。

 頼られている、ということは悪い気はしなかったが、気負いもする。

 現場の不平を聞いた後に、鎮守府に帰るのもよい気分はしなかった。

 こういうときにこそ第一遊撃部隊や戦艦たちが出てくればいいのに、赤城はそう考えていた。

 しかし戦艦たちは先の大規模作戦後、各地に飛ばされ、ほとんど動けない状態だった。

 この鎮守府にも稀に金剛が提督に会うために姿を現わすくらいで、それも会えないまま帰って行くことが多い。

 第一遊撃部隊も自由な行動が許されているが、本部や提督に抗っているのは叢雲だけという状態だ。

 その叢雲もこれまでの戦果と能力の高さ故に、最重要拠点ショートランド泊地を任され、それに手一杯というのが現状だった。

 鎮守府内にいる唯一の第一遊撃部隊・如月が提督の問題でいっぱいいっぱいという中、鎮守府と現場を行き来し、提督や本部にも影響力のある赤城は、現状に不満を持つ艦娘たちからの期待を一身に受けていた。

 それが心苦しく、演習にも影響が出始めていた。

 

「あら?」

 

 加賀の何かに気づいたような声に、赤城は顔を上げた。

 空母専用演習場の入り口付近に、人影が三つ。

 うち二人は見たことのある顔だった。

 確か睦月と夕立だったはずだ。

 だが、もう一人は全く知らない。

 そういえば、今日から新しく一人、配属されるという話を思い出した。

 名も知らぬ少女は、じっとこちらの様子を窺っている。

 いい目をしている。澄んだ瞳だ。久々にこんな目を見た気がする。

 赤城が見ていることに気がついたのか、少女は息を呑んだようだった。

 

「誰かしら?」

 

 加賀が一歩、前に出た。

 少女も驚いて飛び出してきた。

 

「あ、あのっ・・・・・・」

 

 緊張しているのか、しどろもどろになっている。

 赤城は強張りを解すように、優しく言った。

 

「初めまして。航空母艦、赤城です」

 

 少女の顔が真っ赤に染まった。

 その初々しさに、赤城は久々に笑みを漏らした。



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一日の終わり

 空が紅に染まっていた。

 吹雪は鎮守府の高台で一人、佇んでいた。

 眼下には空の色を反射した海が静かに波打っていた。いつの間にか空は晴れていたらしい。

 睦月に教えてもらった場所だった。鎮守府内部から外れた所にあり、一人になるにはもってこいだという。

 今日はいろんな事があった。

 それこそ脳が追いつかない位に。

 兄に会えなかったのはショックだったが、出会った艦娘たちは皆、気持ちのよい人たちばかりだった。

 特に赤城は凄かった。

 噂には聞いていたが、吹雪の想像を遙かに上回る格好良さと気品を兼ね備えている。

 勝手に修練場に忍び込んだ自分たちを笑顔で迎えてくれ、そのまま少し話した。

 一緒に頑張りましょうね。

 そう微笑まれたときは、嬉しさに体が弾むような気持ちだった。

 弓を放ったときの凜々しい顔。吹雪を迎えてくれた柔和な顔。

 気がついたときには、吹雪は赤城に憧れてしまっていた。

 それに何だか扶桑に雰囲気が似ている・・・・・・

 

 後ろから誰かが来る音が聞こえた。

 睦月が迎えに来たのかもしれない。

 そう思って吹雪は振り返った。

 

 長門だ。

 思わず体に緊張が走る。

 何故ここに長門が。そう考えたが、雰囲気の前に消しとんだ。

 目の前の長門からは、尋常ならざる緊張感が張り詰めていたのである。

 長門は静かに吹雪に向き合うと、簡潔に言った。

 

「提督からの伝言を預かってきた」

 

 胸が詰まるような思いがした。

 兄から自分への伝言。吹雪は黙って長門の言葉を待った。

 

「吹雪。お前が艦娘としてこの鎮守府に来たのなら、妹としてでなく、艦娘として扱う」

 

 淡々と長門は言った。

 

「俺の影を追うな。以上だ」

 

 そしてそれだけ言うと長門は吹雪に背を向けて、歩き出した。

 吹雪は一瞬、何を言われたか理解できなかった。

 しかし、何か得体の知れない事態が起きていると感じ、立ち去ろうとする長門に無我夢中で呼び止めた。

 

「ま、待ってください!」

 

 長門は歩を止めた。だが振り返りはしない。

 

「おにい・・・・・・兄は、兄は、本当に・・・・・・本当にそれだけ・・・・・・」

 

「特型駆逐艦・吹雪」

 

 吹雪の言葉を遮るように長門は冷たく言った。

 

「お前は何のためにこの鎮守府にやってきた」

 

「それは・・・・・・」

 

「兄と戯れるためか? そのためだけに艦娘になったのか? ならば今すぐここを去れ。提督も同じ事を言うだろう」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 言葉が出なかった。

 何か反論しようにも、頭が混乱し何も浮かんでこない。喉が干からびて舌がまるで自分のモノでは無くなったかのような感覚。

 

「今は艦娘としての職務を全うしろ。それが提督の願いだ」

 

 これ以上言うコトは無い。

 そう背中で長門は言っていた。

 突然、膝が崩れた。力が入らない。世界が一つ、潰れた。そんな感覚が吹雪の全身を被った。

 寒い。

 震える両腕で自身を抱きしめる。

 兄は自分を拒絶した。会いに来た、自分を。

 違う。

 兄は生真面目な人だ。浮ついた自分を叱ったのだろう。

 寒い。凍える。

 兄は会ってくれなかった。一目でいい。顔が見たかったのに。

 違う。

 あえて会わないんだ。自分のために、心を鬼にして厳しく接しているんだ。

 たった一人の家族だった。それが、拒絶された。

 違う。

 家族だからこそ、私情を持ち込まなかったんだ。

 違う違う違う違う・・・・・・寒い・・・・・・

 

 ふと、何か温かい物が体を包んだ。

 布の感触。その上から柔らかい細腕が優しく吹雪を抱きしめた。

 

「吹雪ちゃん」

 

 頭上から如月の声が聞こえた。

 これは上着だ。彼女の上着だ。

 如月改二。そう書いてある。

 いつの間にここに来たのだろうか。いつからここにいたのだろうか。

 

「泣かないで」

 

 白い指先が涙を拭う。

 その時になって、吹雪は初めて自分が泣いているに気がついた。

 

「必ず、お兄さんに。司令官に会わせてあげる」

 

 髪を撫でた。

 そのまま吹雪は如月の胸に顔を埋め、嗚咽を漏らす。

 そんな彼女を、如月は憐憫と悲哀を込めた瞳で見下ろしていた。

 そして、静か目を閉じた。

 次に如月の眼が開いたとき、その奥底には静かな炎がゆらゆらと揺らめいていた。



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居酒屋鳳翔

 日が落ち始めたのを確認して、鳳翔は店の暖簾を出した。

 艦娘たちの各寮に続く広場の端から少し外れた所に、鳳翔の店はある。

 大規模作戦後、前線を退いた鳳翔が趣味で始めた店だったが、訪れる艦娘は少なくなかった。

 店には卓が四つと、カウンターがあり、全員入っても20人程度の小さい店だった。

 それでも毎晩、席が埋まるのであるから、それなりに盛況ではあるのだろう。奥が調理場で、カウンターの奥には鳳翔が選び抜いた名酒が並んでいる。

 店を開けて少しするとすぐに足柄と那智がやってきた。現在鎮守府における酒豪たちだ。

 

「お疲れ様、鳳翔さん。とりあえず生二つお願いしまーす!」

「簡単な肴もお願いする」

 

 元気よく言う足柄に那智が続いた。頷いて鳳翔は一旦、厨房に入った。しばらくしてビールの入ったジョッキとおしぼり、そしてお通しを持って現れる。

 蓮根の入ったきんぴらごぼう、ごま油で和えて仕上げに赤唐辛子を添えている。

 二人はおしぼりで手を拭くと、杯を掲げて乾杯した。あっという間にジョッキは空になり、鳳翔は二杯目を持ってきた。

 それを二人がお通しと共に舌鼓を打つ間に、鳳翔は料理を始めた。

 四方を海に囲まれているという鎮守府の立地上、この店に並ぶのは魚料理が主流だった。

 煮物を温め、今日捕れた鰺に包丁を入れる。

 二人はいつの間にか愚痴を言い始めていた。

 主に現状への不満。次に提督への不満だった

 元来、戦闘好きの二人にとって、現在の立場は納得いかないものである。

 新兵たちに座学に教えるのは嫌いではなかったが、やはり第一線で戦いたいというのが、二人の意見だった。

 特に那智はともかく足柄はなまじ指導力があったために、余計重宝されてしまっているという。

 そのことを分かってくれない提督に対しても、二人の不満は凄まじかった。

 

「二人とも、なめろうと煮物ですよ」

 

 鳳翔が肴を運んでくると、二人は歓声をあげた。

 上機嫌になった二人は杯を何杯も重ねた。

 呑むだけ呑んで愚痴を吐き尽くすと、二人は出て行った。

 二人の後始末を鳳翔がしていると、長門が入ってきた。時刻は既に日付を跨ごうとしている。最近、ずっとこうだった。

 

「すまない鳳翔さん。何か腹に入るモノをくれ」

 

 それだけ言うと長門は椅子に腰を下ろした。

 全身から疲れが滲み出ている。目の下には大きなクマがはっきりと出来ていた。

 鳳翔は黙って残りの刺身を茶碗一杯に注いだ白米の上に乗せた。

 その上からワサビと刻んだ海苔を降り、沸かしたばかりのお茶をかける。

 酒を飲まない長門は刺身や煮物よりも、こういう料理を好んだ。

 運ばれたお茶漬けを、長門は無言でかき込んだ。

 辛いのは苦手だが、ワサビの味は好きなようだ。

 ものの数秒で、茶碗は空になった。

 

「ごちそうさま。すまないな」

 

 それだけ言うと長門は席を立った。

 最近の長門はいつもこうだった。

 日を跨ぐか跨がないかの時刻にやってきて、とりあえず腹に何かを詰め込むと帰って行く。

 顔はいつも疲れ切っていて、常に気を張っている。提督が姿を現わさなくなってから、ずっとこうだった。

 そろそろ暖簾を下げよう。

 そう思っていると、扉が開いた。

 入ってきたのは如月と一航戦だった。

 それを確認した鳳翔の顔付きが変わった。無言で鳳翔は暖簾を下げる。

 如月と赤城がカウンターに腰を降ろした。加賀は座らずに入り口を背に預けている。

 鳳翔は無言で日本酒の入った御猪口を赤城と如月に差し出した。二人も無言でそれを飲み干した。鳳翔は店の明かりを少し小さくする。

 彼女たちは普通のお客ではない。それが如実に現れていた。

 

「曙ちゃんが捕縛されたというのは、本当?」

 

 如月が口火を切った。

 

「ええ、翔鶴さんからの報告だから間違いないわ。艦憲兵と諍いがあったそうよ」

「彼女は大丈夫かしら?」

「分からないわ。漣ちゃんとの連絡も取れない状況よ。事と次第によっては、第七駆逐隊が動くかもしれないわね」

「そうなれば計画が狂うかもしれないわ」

「私達から手を出させる、軍部はそう考えて動いている節があるように見えるわ」

 

 二人に二杯目の酒が出された。今度はゆっくり杯を傾ける。

 

「叢雲ちゃんも初春ちゃんもまだ、動けないわ。今、動くとこれまでの準備が水疱に帰しちゃう」

「今後はこういうことが増えてくるかもしれない。あちこちで不満が噴き出しているわ」

「空母たちでそれを押さえられないかしら?」

「無理ね。あまりにも範囲が広すぎる。戦艦の子たちが協力してくれればいいんだけど・・・・・・」

 

 赤城はそのまま一気に酒を呷った。

 

「このままじゃ、事を起こす前に鎮守府が、崩壊する。そんな気さえしてくるわ」

「それが一番心配ね」

 

 鳳翔が肴を無言で差し出し、二人は箸を伸ばした。

 

「第一遊撃部隊の残り三人は動かないの?」

「長月ちゃんと不知火ちゃんは無理ね。提督に不信を抱く、それ自体が二人にとっては提督に対する反抗として映るのだもの。電ちゃんはそもそも半隠居状態だし・・・・・・」

「大した忠臣ね」

「それが私達よ。悲しいけどね」

 

 如月は自嘲気味に笑った。

 形は違えど、提督に対する忠誠心は他の艦娘よりも群を抜いて高い。それが第一遊撃部隊だった。

 彼女たちは皆、提督のために動いている。それがひたすら忠誠を貫くか、正そうとするかの差だろう。

 そして今の提督に不満を抱き、それを正そうとしているのが叢雲・初春・如月の三人だった。

 彼女たちは水面下で動き、赤城やその他もろもろ同志を集め、動いている。

 赤城たち航空戦隊は外部の情報を集め、それを伝えるのが主な役目だった。

 

「計画を早める必要があるようね」

「そのことなんだけど・・・・・・赤城さん」

 

 如月の声が重みを増した。

 赤城もそれを聞き、箸を置いた。

 

「数日中に動こうと思っているの?」

「・・・・・・何故? まだ、早い。というのが貴方の意見だったでしょう?」

「そうも言っていられなくなったの」

 

 如月は静かに赤城に顔を向けた。

 その脳裏には吹雪の顔が。

 涙に濡れる吹雪の顔が浮かび、いつの間にか如月自身の顔に重なっていた。



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酒と泪と女と艦娘

 各地に艦娘による駐屯基地が置かれているが、全ての命令は鎮守府または海軍本部から出るようになっていた。

 提督が動かない現在、鎮守府からの命令は全て長門が出している。

 また海軍本部は艦憲兵が直々に出向き、それを伝えるようになっていた。そしてそのまま任務が終わるまで、艦娘の監視を行うのだ。

 艦娘たちも軍人である以上、それを拒むことは出来なかった。

 例外は叢雲と初春だけだ。

 叢雲はショートランド泊地、初春はトラック泊地をそれぞれ任されている。

 有無を言わせぬ迫力で艦憲兵を押さえ込んでいる叢雲と、のらりくらりと命令を躱す初春。この二人は形は違えども今の提督と海軍に抗っていた。

 

 第一遊撃部隊のメンバーは部隊が解散した時、彼女らは提督から指輪を渡された。

 艦娘たちの能力を示す練度という独特の基準が鎮守府内にはある。

 その練度はある程度鍛錬を積むと上限に達する。

 だがその上限を突破することを可能にするのが『指輪』だった。

 しかし指輪にはもう一つ重要な意味を持っている。

 提督が心の底から信頼し、提督の命令とは別に独自で行動できる権限を与えられた艦娘。

 それ故に指輪を持つ艦娘は多大な影響力と実力を持つ者たちといえる。

 そしてその指輪を持つのは第一遊撃部隊の6人だけであった。

 現在、提督がその役目を放棄しているような形になっているため、6人は独自の判断で動いていた。

 叢雲と初春はそれを利用して、独自の判断で泊地を仕切っている。

 当然、海軍本部から目を付けられていたが、彼らが手を出せない程、二人の影響力は凄まじかった。

 二人と如月は結託し、引きこもっている提督を引っ張り出すために行動を開始した。

 今の鎮守府の混乱と海軍本部の専横は提督が姿を消してから始まった。

 ならば、再び表舞台に引っ張り出せばいい。

 如月たちはそう考えた。 

 提督さえ帰ってこれば幾らでも立て直しは効く。

 だから提督が出てこなければならない状況を作り出す。

 三人はそのために水面下で動き出したのだ。

 

 あれから何人もの仲間が集まった。

 如月が鎮守府を監視し、初春と叢雲は信頼できる者を選別し、勧誘した。

 赤城たちもそうだった。

 鎮守府の現状に不満を持ちつつも、提督に対して忠誠心厚い艦娘たちは多くいる。

 彼女たちに志を説き、入念に時間を掛けて計画を進めてきた。

 そしてようやくだが具体的に計画を進める段階まで持ってきたのだ。

 

 如月はこれまでのことを思い出し、目を閉じた。

 

「司令官を」

 

 取り戻す。如月は最後まで言わなかった。

 代わりに目の前の杯を一気に飲み干した。

 鳳翔がすぐにお代りを注ぐ。

 そういった気配りは、本当に上手だった。

 

「この鎮守府に司令官がいるか、いないか。今の私達はそれすら、分からない」

「それさえ知れれば、動き方も大分変わってくるでしょうしね」

「そのために、私は一人残ったのよ」

 

 もしかすると提督はこの鎮守府にはもういない可能性もある。

 それを確かめることが今の如月の任務だった。

 鎮守府中をくまなく探し、確かめて無い場所はただ一つ、長門達が守る提督の私室だけだった。

 毎日、食事を運ばれているが、人のいる気配は少ない。

 あの場所に、提督がいる。

 それさえ分かれば、計画は最終段階に進めるのだ。

 しかしそのためにはあの包囲網を突破しなければならない。なにより、如月は提督に会いたかった。

 

「でももし、これが失敗したら、私はここにはいられなくなる。失敗する事は無いでしょうけど、万が一の場合・・・・・・」

 

 如月は再び酒を飲み干した。

 

「この鎮守府を頼みたいの」

「勿論よ」

 

 赤城は空になった如月の杯に酒を注いだ。

 二人で杯を合わせる。久々に上手い酒のような気がした。

 

「それともう一つ」

 

 如月の声が少し低くなった。

 

「今日、配属された吹雪ちゃんのことなんだけど・・・・・・」

 

 吹雪。

 その名を聞いて赤城は少し考え、ああ・・・・・・と相づちを打った。。

 昼に会った駆逐艦の娘だ。純朴そうな雰囲気の少女だったのを憶えている。

 

「吹雪・・・・・・ちゃんが、どうかしたの?」

「実はね・・・・・・司令官の妹なの」

「は?」

 

 思わず素っ頓狂な声が出た。

 加賀も鳳翔も驚いたようで、目を見開き、体を強張らせた。

 

「これは他言無用でお願いするんだけど、あの子は司令官のたった一人の肉親なの」

「提督に妹がいるなんて話は聞いてないわ」

「一度だけ、私達だけに漏らした。ただ、それだけ」

 

「兄である司令官の現状ですっかり落ち込んでしまっている。もしも私がこの鎮守府を去ることがあれば、あの子を頼みたいの」

「意外ね。貴方が気に掛けそうな子はもっといるでしょうに」

「他の子は私なんていなくても大丈夫よ。皆、強い。でも吹雪ちゃんは」

 

 兄のために艦娘になった少女だ。

 他の艦娘は純粋に愛国心で、また食うために志願した者や己の力を試すために志願した者もいる。

 吹雪は特別なのだ。

 ここで押しつぶされてしまえば、もう二度と立ち上がれない。

 そんな危うさと弱さを持っていた。

 

「司令官が戻ってきたときに、妹さんに会わせてあげたいの」

「貴方も律儀な性格ね」

「ここでずっと秘書艦をしていたのよ。それに御国よりも司令官に尽くす艦娘が一人くらいいたっていいでしょう?」

「一人で済めばいいのだけど」

「ふふふ、それもそうね」

「決行は何時?」

「具体的にはまだ決めていないけど、恐らく一ヶ月以内には、おそらく」

「随分とお粗末ね。歴戦の勇士だからって慢心しては駄目よ」

「感よ。きっとこの一ヶ月以内に最大の好機が来る。その時には『改二』の羽織を着ていくわ」

「それが合図ね」

「呑みましょう、赤城さん。加賀さんも鳳翔さんも」

 

 加賀が赤城の隣に腰を降ろした。

 杯が二つ、増やされる。

 これが彼女たちの呑む最後の酒になるだろう。

 如月は直感的にそう感じていた。



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第七駆逐隊の憂鬱

 曙は不機嫌だった。

 一ヶ月ほど前から駐屯地の空気が最悪なのだ。

 艦憲兵がやってきてから、毎日がそうだった。

 傲慢で不遜。鼻つまみ者というのが、曙の彼女らに対する評価であった。

 

 大規模作戦後、鎮守府の古参達は各海域に 散った。

 曙は馴染みの第七駆逐隊と共に、この第17泊地に赴任してきた。

 駆逐十数名の小さな泊地で、指揮権は漣が持っていた。

 少ないながらもここの艦娘たちは仲が良く、それなりに充実した日々を送っていた。

 提督に会えないのは少し寂しかったが、それでも大きな不満などなかったのだ。

 それが突然、壊れた。

 艦娘たちを監視するという名目の元、彼女らはこの泊地に押し入り、厚かましくも居座ってしまったのだ。

 艦憲兵はあらゆる事に口を出してきた。

 任務や演習、艤装の点検から生活態度まで。

 不満が出ないわけ無かった。

 

 日課の演習が終わった後、曙は艤装を手入れして燃料と弾薬を補給して、自室へ帰る。

 その合間に売店で酒を買うのが日課になりつつあった。一番小さい250mlの缶ビールだ。

 元々、曙は酒を好まない。

 漣と潮との付き合いで1、2杯飲むことがあるくらいで、普段自分から飲むことなど無かった。

 それが今や毎日空けている。嫌なことを洗い流すためだったが、それで気分が晴れたことなど、一度も無かった。

 プルトップを開けると小気味良い音がする。

 曙はそれを一気に飲み干すと、口の周りに突いた泡を拭った。

 前から数人が歩いてきた。

 あのカラス共。曙は内心そう舌打ちする。

 艦憲兵は純白が基本の海軍を真っ向から否定するような、漆黒の軍服だった。

 それ故、艦娘たちは彼女たちのことを侮蔑を込めて『カラス』と呼んでいる。

 先頭を歩く艦憲兵が曙に気が付いたようで、口角を上げた。

 この泊地に派遣された艦憲兵を仕切っている上級士官で、階級は少尉だったはずだ。

 狐のような細い目と顔に、嫌みっぽく神経質な女で、曙は『キツネ』とそのまま呼んでいた。本名なんて忘れたし、憶えようとも思わなかった。

 

「お疲れ様です、曙殿。今日も演習ご苦労様です」

「邪魔よ」

「素っ気ないですね。同じ海軍の駐屯地に籍を置く身同士、周りの空気も考えないと」、

 

 曙は唾を吐きかけたい気持ちをぐっと堪えた。

 この女は常に人を小馬鹿にしたような喋り方をする。

 そして艦娘たちの粗を見つけては、ねちねちと重箱の隅を突くように責め立てるのだ。

 気の弱い艦娘などは格好のカモにされた。それを曙達が止め、何度も言い争いになった。

 今や相手をするのも虫唾が走る。そんな奴だった。

 キツネはまだ何か言おうとしたが、曙は無視して早足でその場を離れた。

 

 気がつけば、自室の前に来ていた。

 心配そうな顔で潮が迎える。

 中には漣と朧もいた。

 ここに来てから曙はこの三人と寝食を共にしている。

 史実では僅かしか共にいることの出来なかった第七駆逐隊であるためか、結束力は強かった。

 

「相変わらず仏頂面ですなぁ、ぼのたんはぁ」

 

 漣がからかうように言った。

 

「今日もカラスの鳴き声がウザくてね。そろそろ駆除しちゃおうか、悩んでいるところよ。それとぼのたんはやめて」

「あ、曙ちゃん。声が大きいよぅ・・・・・・」

 

 潮がそれを咎める。

 昔から気弱で臆病な子だった。

 これで艦娘としての技量と胸の大きさは曙より上なのだから、世の中は分からない。

 

「でも曙の言うコトもわかるよ。あの人達はいくら何でもやり過ぎだ」

 

 朧が珍しく不機嫌そうに言った。

 真面目な朧も、相当不満が溜まっているらしかった。

 

「ご主人様も早くあいつらにガツーンと言ってくれればいいのにナー」

「はん、あのクソ提督がそんなこと出来るタマな訳ないでしょ。それが出来るならとっくの昔に言ってるわ」

 

 ふと、視線が奥の箪笥の上に向いた。

 写真が一枚立ててある。まだ鎮守府にいるときに撮影したものだ。

 自分たち第七駆逐隊と、司令官が映っている。

 誰にも言わなかったが、曙にとっては宝物だった。

 

 何もかも壊してしまいたかった。

 艦憲兵は海軍本部から送られてきた別系統の組織。それと表だって対立するのは、分が悪い。漣はそう言ったがどうにも我慢できなかった。

 納得できない事は、出来ない。 

 曙の性分だった。

 自分が立ち上がれば他にも艦憲兵に不満を持つ艦娘達が、立ち上がるのではないか。

 それが一つ、二つと増えればいずれ海軍をも動かす力になるのではないか。

 そうすればまた提督に会うことだって・・・・・・

 そこまで考えて曙はそれを打ち消すように首を振った。

 クソ提督。

 ずっとそう言って罵ってきた。だが心の奥底では慕っていた。素直になれないだけだった。

 最後にあったのは鎮守府を発つ時だったはずだ。

 それ以来、曙は提督の顔を見ていない。

 

 また会いたい。

 曙だけでなく、第七駆逐隊全員が願っていることだった。

 潮の横に腰を降ろす。

 朧が缶ジュースを二本持ってきた。

 曙と同じで、朧も酒は苦手なのだ。

 

「きっと会えますぞ」

 

 心を見透かしたように漣が言った。

 心の底では通じ合っている。

 この四人も、そして提督も。

 曙はそう信じていた。信じたかった。



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曙光

 寒さが身に染みるような時期になってきた。

 曙はいつもより眉間に皺を寄せながら、泊地の中を歩いていた。

 数日前、曙が旗艦を務める艦隊が、任務に失敗した。

 物資を遠方の第14泊地に運ぶという、輸送任務である。

 輸送任務自体は、曙がよく行っていたもので、慣れた任務であった。

 問題は内容だ。

 第14泊地に新しい艦憲兵が指揮官として着任してきた。その女は海軍本部に在籍する士官の血縁者という噂が流れていた。

 その噂はキツネが第14泊地に着任祝いとして物資を送るという命令を曙たちに出してきたことで、ほぼ確実となった。

 賄賂である。

 堂々とそんなものを自分たちに運ばせようと言うのだ。

 馬鹿にしている。

 当然、曙は拒否した。

 だが曙がこの任務は拒む場合、後輩達がそれを任されることになる。

 それを漣から聞かされ、曙は渋々その任務を受けることにした。

 嫌がらせには違いない。そう思いながらも、曙は後輩達を守るために受けるしかなかったのだ。

 当然、士気など上がらない。だが、そんなときに限って深海棲艦は現れるのだ。

 曙とてわざと失敗するようなことはしない。だが頭の隅に、自分が納得できないことをしているという気持ちも確かにあった。

 そして、事は起こった。

 負傷者は出なかったが、補給物資の一部が破壊されてしまったのだ。

 その責を負い、曙は戦線を外され、事実上の謹慎処分を受けていたのだった。

 

 宿舎から少し離れた所に、小さな庵がある。

 この泊地に赴任してから少し経った後に、漣が道楽で建てたのだ。

 六畳ほどの広さで、部屋の中央には囲炉裏が設けられており、質素で落ち着く雰囲気の内装が特徴的な場所だった。

 一日の職務が終わった後、そこで第七駆逐隊のメンバーと飲むのが、最近の曙が楽しみにしていることだった。

 いつののような一日が終わり、艦憲兵の愚痴を肴に四人で飲んでいた。

 不意に嫌な気配を感じた。

 それは纏わり付くような気配であり、悪意ある視線のようでもあった。

 考えないようにして、酒を呷った。だがここ数日、何度も感じたモノだった。

 気のせいだと思うようにして、酒を流し込む。

 現状に満足できない苛立ちが、そういった錯覚を生んだのだと、思い込むようにした。

 突然、空気がざわついた。

 勢いよく扉が開かれ、息を切らせて朝潮が入ってきた。後輩で、何かと面倒を見ていた艦娘だった。

 朝潮は部屋を見渡し、曙を見つけると、叫ぶように言った。

 

「曙さん! 部屋に艦憲兵が・・・・・・」

 

 それを聞いた瞬間、頭にカッと血が上った。

 空になりかけていた缶ビールをくしゃりと潰し、曙は立ち上がる。

 勢いよく庵から飛び出すと、全力疾走で宿舎に向かった。

 自室の前までたどり着いたとき、艦憲兵の黒い制服がいくつも目に入った。



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曙、捕縛

「何してるのよ!」

 

 そう叫ぶと同時に、目の前の艦憲兵の襟元を掴む。襟元に着いている星の数が一般兵より多い。

 振り向いたその顔はキツネのような細い輪郭だった。

 

「曙殿、捜査令状です」

 

 酷薄な笑みを浮かべると、キツネは紙を一枚取り出した。

 それを見もせず曙はさらに腕の力を込めた。 

 

「ここで何をしているのって聞いてんのよ・・・・・・!」

 

 部屋は荒らされているようだった。

 潮と二人で使っている部屋だったが、元の原形はとどめていない。 

 土足で踏み込まれたためか、床には無数の黒い足跡がついていた。引き出しは全て空けられ、ベッドはひっくり返されている。衣類は散乱し、隅から隅まで艦憲兵たちがまさぐっていた。

 

「単刀直入に言いますと、曙殿。貴方に謀反の疑いが掛けられております」

 

 ――謀反?

 曙は一瞬、意味が理解できなかった。

 だが、脳裏に前回の輸送任務のことが頭を過ぎった。

 

「貴方は日頃から我々に反抗的な態度をとっていましたねぇ。前の輸送任務も失敗を装い、物資を別の場所に横流していると」

 

 滅茶苦茶な理論だと曙は思った。

 そして同時に嵌められたとも思った。

 この女は自分をどうにかして貶めたいのだろう。そしてその理由が欲しかったのだ。

 難癖であろうと彼女は艦憲兵の権限を駆使して、自分を陥れる気なのだ。

 腐っていると思っていたが、ここまでとは。曙は思わず下唇を噛んだ。

 

「少尉。こんなものが」

 

 キツネの部下らしき女が何かを持ってきた。

 

「へえ、これは」

 

 それは写真だった。

 提督と第七駆逐隊が映った曙の宝物だ。

 

「ほうこれは面白い。曙殿も中々可愛らしい・・・・・・」

 

 そこまで言ったキツネの頬を曙は叩いていた。

 あの写真は曙の大切な思い出の象徴である。

 それを穢されたように感じたのだ。

 

 キツネは今までヘラヘラした軽薄な表情を浮かべていた。

 それが頬を張られた瞬間、消失した。

 同時に周りの艦憲兵たちが一気に銃を構えた。

 さすがの曙も背筋に冷たいものを感じたが、キツネも顔を一気に青くしていた。

 いつの間にかここに来ていた漣と朧が艤装を展開し、艦憲兵たちに主砲を向けていたのだ。

 

 張り詰めた空気が場を支配する。

 誰かが動けば引き金が引かれる。そんな緊張感に満ちていた。

 

「やめて、二人とも」

 

 曙がそう促し、二人は主砲を降ろした。

 ほっとしたような表情をうかべて、艦憲兵達も銃を下ろす。

 

「私は逃げも隠れもしないわ」

 

 曙はそう言って、キツネに歩み寄った。

 

「調べるなら調べればいいし、連れて行くなら連れて行けばいいわ」

 

 キツネは何とか平静を取り戻すと、部下二人を曙の両脇に配置させた。

 

「取り調べは艦憲兵の駐屯所で行う。準備を」

 

 それだけ言うとキツネは逃げるようにその場を離れた。

 そのまま曙も連行される格好となる。

 

「曙ちゃん!」

 

 潮がようやくやってきた。

 

「大丈夫」

 

 曙はそう言って笑った。

 そして心配そうに見つめる漣と朧に目を向ける。

 

「すぐ戻ってくるから、ここは頼むわね」

 

「うん、待ってる」

 

「ぼのたんならきっとすぐですぞ」

 

 これも戦いだ。

 曙はそう思って歩みを進めた。

 ここで自分が抵抗すれば七駆の仲間は勿論、後輩まで被害が及ぶ。

 それなら自分だけ捕まった方がマシだ。その後で潔白を証明すればいい。

 何より、こんな奴らに負けたくない。

 曙は決意を胸に歩を進めた。

 何かが始まった。そんな予感が体を過ぎった。



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尋問

 第17泊地は小さな離島に設けられており、その端に艦憲兵は簡素な駐屯所を置いている。。

 曙は両側を艦憲兵に挟まれながら、そこに連行された。六畳ほどの小さな部屋に入ると、尋問が始まった。

 相手はキツネの部下で、二人。質問する側と、それを文章に起こす者。また、その二人とは別に連行してきた二人の兵も部屋の中にいた。

 皆、小銃を脇に抱えている。連行役の二人に至ってはいつでも狙撃できるかのように、小銃を構えていた。

 偉ぶっているのは恐怖心の裏返しか。

 艦娘である曙が本気を出せば、艤装を展開せずとも全員、打ち倒せる。

 それを知っているからこその武装なのだろう。

 だからといって力に訴えれば、それこそ奴らの思うつぼだ。

 我慢しなければ。

 これも艦憲兵との戦いだ。

 曙はそう思って、腕を組んだ。

 艦憲兵からの質問は単調なものだった。

 反乱を狙っているのか。仲間はいるのか。それを延々と問われる。

 曙は「知らない」の一点張りで通した。

 知らないものは知らないし、仮に知ってたとしてもこんな奴らに話すことなど何もない。

 その日はそのまま平行線で終わり、曙はそのまま駐屯地で夜を過ごした。

 食事は出ず、小さな独房のような所で一人。曙は胡座をかいたまま眠った。

 次の日も、やることは同じだった。

 艦憲兵に囲まれた曙は延々と質問攻めを受けた。

 その間、曙は瞼をじっと閉じていた。

 キツネの人を馬鹿にしたような顔を見ると、怒りを抑えられなくなる。だからこそ、絶対目を開けてはならない。

 曙は腕を組んで、眉一つ動かそうとしなかった。

 食事はおろか、水さえ与えられなかった。

 尋問は一日中続き、深夜になってようやく曙は独房に戻された。

 翌日も同じだった。

 艤装を展開し、この場にいる艦憲兵を殴り倒し、ここを出る。

 そんな考えが何度も浮かび、その度に頭を振って揉み消した。

 

「曙殿、潮殿が今日こちらに来ましたよ」

 

 キツネがそんなことを言ったのは、その日の夕刻あたりだった。

 

「懇願していましぞ。曙ちゃんを許して欲しい、と。健気なことですな第七駆逐隊はなんとも仲がよろしいことで」

 

 頭に血が上りそうになるのを、曙は必死で堪えた。

 

「皆さんのためにも早く罪を認めてはどうですかな? そうすれば、曙殿だけの問題で済み、第七駆逐隊の皆さんには被害は及びませんよ?」

 

 仲間を人質にとろうとしている。曙にはそう思えた。

 これは挑発だ。嘘かも知れない。自分を怒らせようとしているに過ぎない。そうとも思えた。

 もし本当に潮が来たのなら、自分に教えたりしないだろう。この女はそういう人間だ。

 そう考えて、曙は何も喋らなかった。

 やがて日が落ち、曙は独房に戻された。

 水を一杯与えられたが、曙は拒否した。逆に喉の渇きが増すだけだからだ。それに死んでも艦憲兵の施しなど、受けたくなかった。

 独房の中に光はない。牢番がいるであろう部屋から漏れる灯火と、窓から差し込む月光が僅かに部屋を照らすだけだった。

 空腹と乾きから、眠ることが出来なくなっていた。

 そのためひたすら考えた。

 第七駆逐隊のこと。後輩達のこと。そして提督のこと。

 提督はこの現状をどう思っているのだろうか。かつての提督なら、艦憲兵の跳梁など許すはずがない。

 もし提督が曙の現状を知ったら、助けてくれるだろうか。

 そんな考えがぐるぐると頭の中を回った。

 不意に、声が聞こえた。

 誰かの声かは分からない位、遠くのようだ。

 瞬間、乾いた音が響いた。

 よく知った音だ。銃声。

 外で何かがあった。

 そう思うと同時に、曙は立ち上がった。

 片足が崩れた。それほど、体が衰弱していたのだ。

 しばし静寂があり、やがてコツコツと床をブーツが叩く音が聞こえてきた。

 

「曙殿、お友達がまた来ましたよ」  

 

 扉の向こうからキツネの声がした。

「随分と、お友達思いの友人を持ったことで。無理にここを押し通ろうとしたので、我々もここを守るために行動せざるを得なくてですね」

 

 そこまで聞いたとき、抑えていたものがぷっつりと切れた。

 扉に飛びかかり、拳で破壊した。

 外の廊下に出た曙が見たのは、銃を構えた数人に囲まれたキツネの姿だった。

 目が合った瞬間、キツネは笑った。銃口が曙に向けられる。

 罠か。そう悟った時、キツネの手が降り降ろされた。

 何発も銃声が響き渡った。

 とっさに両腕で自身を庇うも、焼け石に水だった。

 激痛と共に体が跳ね、曙は地面を転がった。

 

「逃亡の現行犯。武力によって鎮圧。こんな所ですか」

 

 キツネは高笑いすると、横たわる曙の髪を掴んで顔を覗きこんだ。

 

「ここまでされても死なないとは、やはり人間じゃあないですね」

 

 そのまま曙は独房まで引き摺られていった。

 艦娘である。銃如きでは死なない。

 それが幸運か不幸かは分からない。

 

「実はですね。私もかつて艦娘を目指していたのですよ。最も、候補生で落とされてしまいましたが」

 

 だから艦娘である自分に当たるのか。最も反抗的だった自分に。

 

 歯がみする曙を満足そうに見下ろすと、キツネは部下を連れて去って行った。

 曙は呻きを抑えた。

 負けるものか。

 そう自分に言い聞かせ、そのまま意識を失った。



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さらば第七駆逐隊

 目が覚めると、暗闇があった。

 暫く見つけていると、ぼんやり天井が見えてくる。

 ここが独房の中であることを、曙はようやく思い出した。

 気を失ってどの位、時間が経ったのだろうか。

 起き上がろうと四肢に力を入れるも、上手く動かなかった。

 艦憲兵共の銃撃が想像以上に効いたらしい。

 体中がひしひしと痛み、意識が未だにはっきりとしなかった。

 死。頭を過ぎる。

 艦娘に志願したときから、死は覚悟の上だ。だがこんな場所で最期を迎えるのは嫌だった。

 ぼやけた視界の仲で、鮮明に何かが浮かんできた。

 顔だ。

 世話になった先輩方。可愛がった後輩達。共に海を駆けた戦友。第七駆逐隊。そして、提督。

 これが走馬灯というやつなのか。ここで終わってしまうのか。

 所詮、ここまでの女だったか。死の先には一体何があるのだろうか。

 曙は自嘲気味に笑った。

 

 不意に光が差し込んだ。

 扉を開く音だ。

 何かがここに入ってくる。一人じゃ無い。数人。

 体が宙に浮く感じがした。何者かが両脇から曙を抱え上げたらしい。

 瞼を少しだけ開いた。目の前に何かが差し出される。唇に触れる。水だ。コップに入っている水だ。舌を動かし、少しだけ口に入れた。体中に染み渡っていくようだ。朧気だった意識が一気に覚醒した。差し出されたコップをぶんどり、一気に飲み干していく。

 

「落ち着いて、曙」

 

 右から朧の声が聞こえた。

 

「ゆっくり……ゆっくりだよ……」

 

 左からは潮の声だ。

 

「これなら、ひとまずは大丈夫、かな」

 

 コップを持っていたのは漣のようだ。

 第七駆逐隊の皆が、ここに集まってきていた 

 

「……あんた達、なんで……」

 

 水を飲み干した曙が尋ねた。

 

「潮ちゃんが何度も面会を拒絶されて、不審に思ってね。案の定、こんなことになってるなんて……」

 

 漣は薄暗い独房を見渡して、唇を噛んだ。

 

「カラス達め、随分と酷い事をしてくれる」

 

 いつもおどけている彼女からは考えられないほど、その顔は真剣味に満ちていた。 

 

「曙、立てる?」

 

 朧にそう聞かれ、曙は足に力を入れた。

 震えながらも、何とか立ち上がることが出来た。だがこれ以上は難しそうだ。歩けるかどうかは分からない。

 

「こんなことして、一体何考えてんのよ。あんた達も反逆者扱いされるわよ」

 

「覚悟の上だよ」

 

「その言い方。ぼのたんらしさが戻って参りましたなあ」

 

「うっさいわね……」

 

「曙ちゃんをこんな目に合わせるんなら」

 

 潮が声まで震わせながら口を開いた。

 

「私達は戦います」

 

 小さな体を震わせながらも、両目には覚悟の色が燃え上がっていた。

 

「……潮がここまで言ったのなら、もう止められないわね」

 

「潮ちゃんだけじゃないぞ。朧ちゃんもこの漣も、心は同じ」

 

 目の前の漣が笑った。久しぶりに見る、彼女の純粋な笑顔だった。 

 

「ありがと……」

 

 自然にそんな言葉が出た。

 恥ずかしいが清々しい。

 心を被っていたものが一気に晴れていくような感じだった。

 

「おおーっ! ぼのたんがデレた!」

 

「うっさいわね! 一応、敵陣なんだから静かにしなさい!」

 

「それなら大丈夫」

 

 曙を支えながら朧は顎で床をしゃくった。

 扉の外の近くに横たわる人影が見えた。

 

「皆、眠ってる。しばらくは大丈夫だと思う」

 

「渾身の力でぶん殴りましたからね、でもスッキリでメシウマでしたよ!」

 

 さすが曙も呆れた。

 まさかゴリゴリの力押しとは。だが、こうでもしなければ、自分は助からなかったろう。

 廊下を出て、階段を上るとそこは艦憲兵の山があった。

 相当、漣達が暴れたのか、部屋は荒れ物が散乱していた。その中でキツネを曙は見つけた。完全に伸びているようで、地面に突っ伏して動かない。

 曙は思いっきり唾を吐きかけようとしたが、それすらもったいない行為のように思えて辞めた。

 この女にはそんな価値すらない。そしてもう二度と会うことはないだろう。

 そのまま艦憲兵の駐屯地をでた。

 扉を開けると暗闇があった。

 だが先ほどまでいた独房とは違う。

 空には月と星がある。

 それに今は一人でなく、仲間がいる。

 

「これからどうするの、漣?」

 

「……とりあえず、ショートランドに向かおう。あそこには叢雲ちゃんがいる。同志が、いる」

 

 同志という言葉に引っかかった。

 反乱を狙っている艦娘達が存在しているという噂を聞いたことがある。

 もしや、と思ったが曙はそれ以上考えるのを辞めた。

 大事な仲間。それでいいではないか。

 潮の香りが鼻孔をついた。海がもうすぐそこまで来ているようだ。

 

「時間が無い。危険だけど、このまま海を渡るよ。曙、大丈夫?」

 

 心配そうに覗きこんでくる朧に、曙は胸を張って答えた。

 

「当たり前じゃない。私を誰だと思ってるの」

 

 それを聞いて三人は笑った。

 この四人なら、第七駆逐隊のメンバーならどこまでも行ける。

 曙の心に、不安など微塵も無くなっていた。



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逃避行

 ただひたすら、闇夜を駆けた。

 二人が曙を両脇から抱えながら進み、残りの一人が周りを警戒しながら先導する。

 追っ手は何時やってくるか分からない。加えて深海棲艦も現れる可能性だってある。

 月明かりだけを頼りに海路を進んでいった。

 ショートランドにたどり着くまでにいくつか艦娘の駐屯所がある。それも迂回しなければならない。

 理由はあれども自分たちが軍を離脱した事実は変わらない。他の艦娘たちも追わないわけにはいかないだろう。

 交代で曙を抱えながら進み、やがて夜が明けた。

 第七駆逐隊は小さな島に上陸し、そこで休息をとることにした。

 昼間に海上移動は目立つ。それにそろそろ気絶させた艦憲兵達が目を覚まし、本部へ連絡を取るであろう。そうなれば自分たちの捜索が始まるのは時間の問題だった。

 幸い真水のある島だった。喉を潤して、奥にある木陰で曙を横にして休ませ、交代で見張りを立てて眠った。

 時折、水上偵察機が飛んでいく音が聞こえた。既に捜索が始まっているのかも知れない。

 携帯用のレーションは持っていたが、潮が木の実を見つけてきた。

 三人で皮をむいて食し、曙にはすり潰して食べさせた。

 

「第17泊地は」

 

 曙が不意に口を開いた。

 

「どうなっているの?」

 

 自分のことより後輩達の心配をする曙に、三人は思わず笑った。

 普段は刺々しい物言いだが、心根は優しく思いやりのある少女なのだ。

 

「親潮ちゃんがいるから大丈夫だと思うよ」

 

「それに元々翔鶴さんが来てくれることになってたからね。カラス共も翔鶴さんには手を出せないだろうしね」

 

 朧と漣の言葉に安心したのか、曙は再び眠りについた。

 やがて夜になり、周りに追っ手がいないことを確認して、再び四人は動き出した。。

 追跡を警戒しながら慎重に進んでいく。

 塩水がぶつかった。

 海が荒れ始めたようだった。徐々に波が高くなり、体が真っ直ぐに進まなくなってくる。

 時々、曙が呻き声を上げた。休んではいたが、やはり傷は浅くないようだ。

 入渠さえすればすぐ直る傷だった。どこの駐屯地にも簡易な入渠装置は設置されている。追われる立場でなければ使用できるのに。そうすれば曙はすぐに元気を取り戻すというのに。思わず漣は下唇を噛んだ。

 

「クソ提督」

 

 不意に曙の口が開いた。

 

「ふざけるんじゃないわよ。あんたは本当にクズよ」

 

 意識が朦朧としているようだった。うわごとのように何か、つぶやき続けている。

 

「あたし達がどんな思いで。どんな思いで、あそこで待ち続けたと思ってるのよ」

 

「曙ちゃん・・・・・・」

 

 支えていた潮が心配そうに言った。

 

「クソ提督がいないと、何も始まらないじゃない。鎮守府じゃないじゃない。だからあたしは待ってた」

 

 ずっと胸の底に押し込んでいた曙の本音のようだった。

 反抗的に見えてもずっと一途に仕えてきた。

 それを皆、知っていた。

 曙の気持ちを知っている。それだからこそ心苦しい。

 待ち続けたのだ。

 提督からも鎮守府からも離れ、片田舎の駐屯地で。

 今は提督も軍関係のゴタゴタで自由に動けないが、いつか必ず戻ってきて、再び指揮を執ってくれると。

 あの忌まわしい艦憲兵が来てからも、曙は後輩達を守りながら耐え続けた。

 

「あんたは最低よ。こんなに。こんなに、あがいているのに」

 

 もう一度、曙を提督に会わせたい。

 漣も朧も潮もそう思った。だからこそ、海に出た。

 急がねば。曙はもう限界が近いのかもしれない。

 

 不意に空が光った。

 闇が一気に失せ、第七駆逐隊を周りを照らした。

 照明弾。血の気が一気に引くのを感じた。

 目を細めながら主砲を構える。探照灯の光が向けられ、その方向に砲手を向けた。

 人影が六つあった。そのうちから一人、前に出てきた。

 

「第七駆逐隊の皆さんですね?」

 

 凜とした声が響いた。

 背景の照明の光から、一人浮かび上がってきた。

 

「鳥海さん・・・・・・」

 

 漣が言った。

 見知った顔だった。

 よく見ると他の艦娘達の顔にも見覚えがあった。

 

「三川艦隊」

 

 朧がぽつりとつぶやいた。

 鳥海を旗艦とした三川艦隊。たしかショートランドに所属しているはずだ。

 漣は肩の力が抜けるのを感じた。

 ここまで探しに来てくれたのか、とも思った。

 

「叢雲ちゃんから話しは聞いています。急いでこちらに」

 

 鳥海が手を伸ばし、朧がその手を取った。

 

「曙ちゃん、ようやく休めますぞ」

 

 漣が微笑みながら言った。



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ショートランド泊地

 鎮守府に帰ってきたのか。

 そう錯覚するほど、ショートランド泊地はかつての鎮守府の雰囲気に酷似していた。

 泊地に到着した直後に曙は入渠施設に運ばれ、第七駆逐隊はそこまで付き添った。そこまで見た設備から施設の配置までが、鎮守府そのものといってよい。

 入渠施設は中央広場と思える広場の近くに建てられ、食堂と一緒になっていた。そこもまた鎮守府と同じだ。

 夜も明け、艦娘達も何人か活動しており、漣達を敬礼で迎えてくれた。

 曙を入渠させる。よほど疲れていたのか、何も言わずにそのまま眠ってしまった。残りの三人にも入渠が進められたが拒否した。

 曙には潮が付き添い、漣と朧は泊地を纏める叢雲の元へ向かった。

 案内役としてやってきた白雪に先導され、二人は泊地を見ながら進んでいく。

 艦娘たちは統率された動きをしており、練度の高さが垣間見える。

 何より、生き生きとしていた。

 艦憲兵がいないというのもあるが、やはり指揮を執る叢雲の手腕がいいのだろう。

 よく見ると施設の奥には畑らしきものが見えた。前に聞いたが畑だけでなく家畜なども飼育しているらしい。

 数年は籠城できるようにすることが目標らしく、物資を貯蔵しているとかつて初春から聞いていた。

 そこまでこれから始まる戦いを想定しているのだ。

 

 やがて司令部のある施設にたどり着いた。外観から内装まで鎮守府の物と寸分違いなく、二人は苦笑する。

 玄関にはここに所属している艦娘達の名前が木札で掲げられていた。

 鎮守府所属である空母の名前はないものの、駆逐艦から戦艦まで様々な艦種が揃っていた。その一番上に叢雲の名前がある。それはこの小さな鎮守府といえるショートランド泊地を彼女が纏めている証でもあった。

 

「こう見えて序列はほぼ無いんですよ? 皆、平等な同志なんです」

 

 同志、という言葉を聞いて漣の顔が変わった。

 

「もしかして、この泊地、全員が?」

 

 白雪は静かに頷き、漣は低い唸り声を上げた。

 それから、司令室に入った。

 叢雲と三川艦隊がその場で待っていた。

 お互いに敬礼し、手を握った。

 旧知の仲だったが、こうして直に会うのは本当に久しぶりだった。

 

「第17泊地では大変だったわね、漣」

 

「いやあ、おかげさまで。ですがこの騒ぎで膿を多少、絞り出せましたぞ」

 

「艦憲兵ね。まあ暫くはおとなしくしてるでしょうが」

 

「時間の問題でしょうな」

 

「漣、叢雲とは、いつから? それと同志って?」

 

 朧が尋ねた。

 

「あんた、まさか皆に言ってなかったの?」

 

「てへぺろ♪」

 

「あんたねえ・・・・・・」

 

 叢雲が呆れたように肩をすくめた。

 

「朧ちゃん。隠していたわけじゃ、ないんだよ。いずれ時が来たら言うつもりだった。こんなに早いとは思わなかったけど」

 

「いつからこんなことに関わってたの?」

 

「それは私から説明した方が良さそうね」

 

 そういうと叢雲は二人を備え付けていあるソファーに促した。

 腰を降ろすと白雪が紅茶の入ったカップを二つ持ってくる。

 

「少し長くなるわよ」

 

 そう言って叢雲も腰を降ろした。

 白雪が紅茶をもう一杯持ってくる。

 

「そもそも発端はあの司令官が原因ね・・・・・・」

 

 紅茶を啜る音が執務室に響いた。

 どこか懐かしいように叢雲は、これまでの経緯を語り始めた。



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叢雲と初春

 叢雲は初期艦と呼ばれる艦娘である。その名の通り、提督が初めて鎮守府に赴任するのと同時に叢雲も着任した。

 あの頃は自分と提督だけだった。

 何かも、二人だけでやらねばならなかったのだ。

 まだ若年の提督はどこか頼りなく、叢雲は度々叱咤し、尻を叩いた。

 やがて如月が着任し、初春や長月がやってきた。

 電が着任し、ようやく駆逐艦といえども6人の艦娘が揃い、初めて艦隊が編成された。第一艦隊。叢雲は旗艦だった。

 長く辛い戦いだった。

 当初は設備も芳しくなく、物資も常に不足していた。

 何時誰が轟沈してもおかしくない状況で提督の元、戦い続ける毎日。やがて戦力も揃いだし、いくつも艦隊が編成されるようになった。

 戦艦や空母といった強力な艦娘も実戦に投入できるようになった頃、叢雲は如月に秘書艦の地位を譲った。

 秘書艦が嫌だった訳ではない。だが、前線で旗艦一本で戦っている方が性に合ったのだ。

 この頃になるとようやく提督も軍人らしい落ち着きと立ち振る舞いを身につけていた。

 少々寂しくもあったが、それでも提督は叢雲を頼り、叢雲もまた成長した提督に背中を貸すことが多かった。

 第一艦隊が第一遊撃部隊と改名され、役割も大きく変わった。

 戦場を時には提督の命令でなく独自の判断で活動できる特別艦隊。それは提督からの最大限の信頼を示す証拠でもあった。

 やがて戦争も終息していった。

 今まで希薄だった海軍本部からの介入が多くなり、提督は頭を痛めた。

 軍人である以上、上からの命令は絶対である。

 提督は最後まで抵抗したが、結局第一遊撃部隊は解散となった。

 解散の日、提督は6人に指輪を渡した。

 それは愛情というよりも信頼の証であり、事実、叢雲達は提督の命令なしに独自で動ける権限を与えられた。

 もし自分に何かがあったとき、自分たちで考え、動け。

 そう言っているようだった。

 だからこそ叢雲は深くは聞かず、命令に従った。

 彼女はショートランド泊地を任せられることになった。

 そこは鎮守府と最前線の中間に位置し、戦略的にも最重要地点である。

 だからこそ、叢雲に任せたのかも知れない。

 だが突然、数十人の艦娘を纏める立場に任じられたのだ。

 それは今までとはまた別のやり方を試さねばならなかった。

 提督と同じ事をすればいい、と頭の中で思っていても、実際に動くとなると思うようにいかないものだった。

 艦娘一人一人に長所短所があり、それに合った役割を他の艦娘との兼ね合いも考えて、命令を下す。

 簡単にできるようなことではない。叢雲は試行錯誤しながらショートランドの艦娘たちを纏めていった。

 ようやく泊地の営みが軌道に乗ったのは、半年以上経ってのことである。

 

 パラオ泊地を任された初春が叢雲の元を尋ねてきたのは、そんなときだった。

 まるで近くを通ったから来た、という風にフラリと酒瓶片手にやってきた。

 久しぶりに二人で飲んだ。

 話題は提督の事ばかりだった。

 ここ一年、提督はまともに姿を現わさない状態が続いている。その間に艦憲兵などという輩が跋扈し、艦娘たちは提督に対し不信感を募らせていた。

 叢雲は出来るなら自ら鎮守府に赴き、提督の顔を張り倒してやりたいと思っていた。

 だが鎮守府に残っている如月からの情報を聞き、提督が鎮守府に姿を現わしていないことを知った。

 訳あって提督は動けない。

 そう三人は結論づけた。そう思いたかっただけかもしれない。

 そして如月と初春は提督を表舞台に引っ張り出すために裏で行動を起こす気持ちを固めた。

 

「しかし司令官が戻ってきたとしても上手く鎮守府を再興できるかしら?」

 

「そこが問題じゃ。今の鎮守府はもはや伏魔殿。新兵と疑わしい奴らばかりじゃ」

 

「膿を絞り出した後も、油断ならないわね」

 

「そこでじゃ。いっそ、新しい鎮守府を創りそこで軍を再編するというのはどうじゃ?」

 

 そう言った初春は神妙な顔で杯を置いた。

 

「面白い考えだけど現実感が皆無ね。場所・時間・資源、何も足りないわ。海軍上層部だって黙っていないでしょう」

 

「それはまあどうにかなるじゃろう。深海棲艦に対して対抗できるのは艦娘のみ。だからこそ大きく踏み込むことは出来ぬ。資源はわらわのパラオがある」

 

 パラオ泊地は現地の内地とも繋がっており物流が盛んである。ショートランドへの物資もほとんどがパラオからの経由だった。

 

「提督が戻ってこれば長月や不知火も戻ってこよう。戦艦組と空母組も戻ってこれば、軍事面だけなら簡単に再興できる」

 

「場所がないわ。あの鎮守府に匹敵する自然の要害。設備も物資も広さも必要な・・・・・・」

 

 そこまで言って叢雲は杯を置いた。そして初春に向かってニヤリと笑みを浮かべた。

 

「前線基地・ショートランド」

 

「分かったか」

 

 初春は微笑を浮かべながら酒を呷る。

 

「ここに提督を迎え、新たな鎮守府とする。わらわのパラオと合わせ、ここ一帯は堅牢な布陣じゃ」

 

「合間のトラック泊地は?」

 

「指揮艦は五十鈴じゃ。提督さえおればどうにかなろう。無理でもこことパラオで挟撃すればよい」

 

「さらりと恐ろしいことを言うわね初春」

 

「こんな話に同意するお主ほどでないよ叢雲」

 

「あんたの事だからここまで言うからにはもう下準備は出来てるんでしょうね」

 

「まあの」

 

「この話を知る者は?」

 

「空母の何人か。彼女らは泊地の間を行き来できる。その時に同志を集めて貰う」

 

「今の鎮守府は?」

 

「暫くは如月に任せることになるじゃろうな。人が集まり、期が満ちたら鎮守府内を制圧し、提督を連れ出す」

 

「それまでに私はここをまとめればいいわね」

 

「じゃな」

 

「もし司令官が」

 

 叢雲が杯を持ち上げた。

 

「そこにいなかった場合は?」

 

 初春も杯を持ち上げる。

 

「ならばここで反乱を起こす。提督が出てくるまでな」

 

「逆賊ね。それでは」

 

「構わん」

 

 そのまま初春がぐいっと杯を前に差し出した。

 

「それで提督が戻ってくるなら、それでよい」

 

 一切迷いのない瞳。それを見た叢雲は思わず笑みを零した。

 

「私もよ」

 

 二つの杯が重なり合う。

 水面下の戦いが始まった瞬間であった。



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決戦前夜

 目覚めた時には夕方になっていた。

 入渠施設は所謂浴場のようなもので、曙は大きく腕を伸ばすと起き上がって湯船から出た。

 体を拭いて脱衣所に行くと、潮が待っていた。

 

「曙ちゃん」

 

「潮、わざわざ待っていてくれたの?」

 

「うん、こんなに長い時間入渠するのは初めてだったし・・・・・・」

 

「確かに夜に入渠してもう夕方。丸一日寝てたことになるわね」

 

「うん。でも元気になったみたいでよかった」

 

 潮の瞼にはうっすらとクマが出来ていた。ずっとここで待っていたのだろう。

 

「ありがとうね、潮」

 

「ううん、大丈夫。曙ちゃんのためだもん。それに漣ちゃんと朧ちゃんも何度も様子を見に来てくれたよ」

 

「二人は?」

 

「叢雲ちゃんの所。曙ちゃんも身が覚めたら来て欲しいって」

 

「わかったわ。いきましょ」

 

 潮と共に司令室に向かう。

 途中、何人かの艦娘とすれ違い、その度に敬礼された。

 

「艦憲兵さんたちに立ち向かったって、曙ちゃんは人気みたいだよ」

 

「つい手が出ちゃっただけよ。褒められたもんじゃないわ」

 

 そんなことを言いながら、司令室に着いた。

 中には漣と朧がいた。

 

「あら。また死にぞこなったのね、曙」

 

 曙の顔を見た叢雲がニヤリと笑って言った。

 

「あんたの葬式までは生きていると決めてんのよ叢雲」

 

 それに曙も不敵な笑みを浮かべて返す。

 古参同士、信頼し合っている者であるからこそ言える言葉であった。

 

「で、漣。今まで隠してきたこと。洗いざらい全部もらいましょうか」

 

「う・・・・・・さすがぼのたん。察しがいいですな」

 

「人の横で仲間だの同志だのいってたじゃない」

 

 漣はペロリと舌を出した。それを見て曙は嘆息する。

 

「もう後戻りできない状況だし、全部言うしかないわね」

 

 叢雲が漣の肩をポンと叩いた。

 観念したように漣はこれまでの経緯を曙に話し始めた。

 叢雲と初春が二人で計画を始めたこと。それに如月が合流し、水面下で協力者を集め出したこと。

 

「ある日、定期巡回でやってきた翔鶴さんに漣はこのことを打ち明けられたんだよ。それで普段から現状におこだった漣も参加することにしたんだよね」

 

「水くさいわね。だったら早く言えばいいじゃない」

 

「んん~曙ちゃんもご主人様に対する忠誠心は人一倍強いですけど」

 

「は、はぁ!? クソ提督のことなんて別に何とも思ってないんですけど!」

 

「そういう純情・・・・・・もとい直情的な所がNGだったんですよ。ばれちゃいけないしね。そういう意味では真面目なボーロや、隠し事が苦手な潮ちゃんもね」

 

「そうだったんだ・・・・・・」

 

「うん・・・・・・確かにそうかも・・・・・・」

 

 漣の説明に朧と潮がうんうんと頷いた。

 曙はバツが悪そうに、黙り込む。

 

「本当はもっと時間を掛ける予定だったけど、狂った。艦憲兵、いや現・鎮守府への不満が噴き出すのが思いの他、早かった」

 

「曙、あんたの反抗と第七駆逐隊の逃亡よ」

 

 叢雲はそう言うと深く息を吐き出した。

 

「全く、おかげで計画の見直しが必要になったわ」

 

「それはすまなかったわね」

 

「だけど、絶好の機会も手に入った」

 

「機会?」

 

 曙が首を傾げると、叢雲は不敵に笑った。

 

「貴方たち第七駆逐隊はいわば反逆者。いわば罪人。しかし艦娘は普通の兵と違う。従来の軍法では裁けない。裁けるのは・・・・・・」

 

「鎮守府のご主人様のみ」

 

 曙の目が大きく見開いた。

 

「ここまでの大事。さすがにあのバカも、出てこざるを得ないでしょう」

 

「逆に出てこなければ、鎮守府にはいない。もしくは尋常ならざる何かがあり、表に出られない」

 

「どっちにしても今の息苦しい状況に大きな穴は開けられるわね」

 

「で、でもそれって・・・・・・」

 

 潮がおずおずと手を上げる。

 

「私達が・・・・・・」

 

「ええ。第七駆逐隊はショートランドで捕縛。鎮守府に連行される」

 

「そして、鎮守府内の如月と他の同志と一緒に事を起こす訳だね」

 

「さすが朧ちゃんは鋭い」

 

 偽装投降。

 その言葉が曙の脳裏を過ぎった。

 

「かなり危険ね。そもそも如月の同志とやらは誰で何人いるの?」

 

「それは分からないわ。如月は決して言わない。分かるのは各地を回っている一航戦のみ」

 

「随分と心許ないわね」

 

「では辞めますか、ぼのたん?」

 

「まさか」

 

 ずっとこのような話を待っていた。

 とにかく提督に会って、思いをぶちまけたかった。

 

「あのクソ提督を一発ぶん殴りにいくわよ」

 

「殴ってもいいが、ちゃんとここまで連れて来なさいよ?」

 

「それよりもそのまま鎮守府を占拠した方が早いのでは? というかご主人様がいれば、なんとかなるでしょう」

 

「もしも」

 

 恐ろしく低い声。それは朧のものだった。

 

「もしも提督がいなかったら? そしたらアタシ達は一気に不利になる」

 

「その可能性は勿論分かっているわ。そうなったら皆でショートランドに戻る手筈になっている」

 

「・・・・・・出来るの?」

 

 一番痛いところを突いてくる。朧はそういうタイプだった。

 

「死ぬかもしれないわね」

 

 簡単に曙が言った。

 

「捕らわれるかもしれない。それで解体処分かもね・・・・・・でも」

 

 達観したような物言い。

 

「今のまま腐っていくよりはずっといい」

 

 だがその瞳には固い決意があった。

 それを確認した朧は深いため息をつくと、こめかみを両手で叩いた。

 

「そう。なら一緒に行こう」

 

「わ、私もやるよ」

 

「ふふ、朧ちゃんと潮ちゃんがやる気になりましたよ。僥倖僥倖」

 

 漣が満足げに言うと同時に、白雪が部屋に入ってきた。その手には盆。数個のグラスと酒瓶が乗っている。

 

「酒?」

 

 曙が目を丸くする。

 

「時間も夕暮れ、ちょうどいいじゃない」

 

 叢雲はグラスを受け取るとそこに赤ワインを注いだ。

 第七駆逐隊にも同じモノが配られる。

 

「ではぼのたんが愛するご主人様のために、いっちょ頑張りましょうか!」

 

「はぁ!? あんた何を・・・・・・」

 

 真っ赤になって反論しようとした曙だったが、ふっと何かを悟ったように笑みを浮かべた。

 

「・・・・・・そうね。この際、つまんない意地を張っていてもしょうが無いもんね」

 

 いつもの曙らしくない表情に漣達は一瞬、言葉を失った。

 

「クソ提督のこと、好きよ。愛してる。あたしは提督のために、戦いに行く・・・・・・皆もそうでしょう?」

 

「・・・・・・負けたわ」

 

 叢雲が笑った。それにつられて他の者も笑みを浮かべる。

 そして漣がグラスを曙に差し出した。

 

「ご主人様に」

 

 曙もそのグラスに己のグラスを合わせた。

 

「クソ提督のために」

 

 皆のグラスが重なった。

 曙はその夜、初めて酒を旨いと思った。



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予兆

 艦載機を発艦させた。

 鎮守府の奥、空母寮のそのまた奥に空母専用の演習場はある。

 そこで赤城は弓を引き、自己訓練を行っていた。

 この訓練を赤城は毎日自分に課している。

 鎮守府の中にいるだけでは脆弱になる。だからこそ赤城は鎮守府にいるときは勿論、外にいるときも毎日のように、自己訓練を行っているのだ。

 最後の大規模作戦の後、小規模の戦闘はあったが、かつての大海戦ほどの戦闘は無くなった。

 すると自分たち空母や戦艦達は第一線から外されることとなった。

 空母達は各駐屯地を廻る航空戦力。戦艦達は重要拠点を守る防衛戦力。尤もな理由を述べられたが、赤城は持て余した過剰戦力を放逐したようにしか思えなかった。

 それでも深海棲艦が跋扈した頃に比べれば、平和になった証である。そんな風に考えて、自分を納得させていた。

 納得いかなくなってきたのは、提督が姿を現わさなくなった頃からである。

 長門が提督がしなければいけない仕事までやらされるようになり、海軍本部や艦憲兵などが幅をきかせるようになってきた。

 その時からだった。赤城が鎮守府を帰るべき場所だと見れなくなってきたのは。

 しかし、赤城は彼らに逆らうことはしなかった。

 逆らった艦娘たちが僻地へ飛ばされたり、冷遇されるのを見てきたからだ。

 もし叢雲程の胆力と立場があれば、そう思うことも何度もあった。

 中途半端だった。思考も、己の立ち位置も。

 一航戦の立場として空母勢を纏めて反抗することだって、自分は出来たはずだ。

 だが今の立ち位置を捨てることも、鎮守府の規律を乱す覚悟も赤城にはなかった。

 現状の 航空部隊という特殊な立ち位置も、悪い気はしなかった。

 自己嫌悪に押しつぶされそうになりながらも、ついこのままでいいのではないかという思いにも駆られていた。

 ある日、加賀が提督への不満を口にした。

 基本的に無口であまり感情を表に出すことの無い加賀が、珍しく声が震えていた。

 古参達が各地へ飛ばされ、鎮守府は新兵ばかり。

 海軍本部の介入も防げず、後手後手に回っている現状に対する、静かな怒りがあった。

 だが現状、二人は何も出来なかった。それもまた歯がゆかった。

 

 そんな時、ショートランドに立ち寄った。

 叢雲から計画を聞いたとき、衝撃を受けた。

 彼女たちは現状に不満を感じつつも、達観して受け入れるような事はしていなかった。

 だが同じ立場でも彼女たちはあがき続けていた。

 提督の基、再び理想の鎮守府を再建する。

 そのために動いていたのだ。

 心が震えた。

 自分はただ逃げていただけではないのかとも思った。

 計画に加わることに何の躊躇いも無かった。

 航空部隊は各駐屯地を自由に行き来できる、数少ない艦娘である。

 それを利用して同志を集めるのが、赤城たちの役目になった。

 飛龍や五航戦などの同じ古参空母たちも仲間に引き入れた。

 空母たちによって同志は何人も増えていった。

 その度に多くの艦娘たちが現状を憂いていること、それを打破しかつての鎮守府を取り戻したいという気持ちを知った。

 鎮守府を変える。いや、元に戻す。

 それがいつかは分からないが、必ずやってくる。そしてその引き金は自分たちが引くのだ。

 そう信じて動き続けた。その時、何が出来るか。それも考えた。

 

 何かが起きる。

 ある日、如月がそう言った。

 その時は『改二』の羽織を着てくる。それが合図だと。

 引き金が引かれるのが近いのかも知れない。

 赤城も加賀と共に、出来るだけ鎮守府に留まるにした。

 事が起きたとき、すぐに行動するためだ。

 

 曙が捕縛され、彼女を助けるために第七駆逐隊が反逆の末、逃走したという報告が届いたのは少し後のことだった。

 鎮守府や艦憲兵に不満を持つ艦娘は多くいることは知っていた。

 それが遂に爆発したのだ。

 鎮守府がザワつき始めた。

 艦娘の歴史が始まって以来の、上層部への反抗だった。

 今の鎮守府は新兵が多いが古参兵もそれなりに残っている。

 そんな彼女らが動揺する程、衝撃的な事件だったのだ。

 次々と報告が入ってきた。

 ショートランドで第七駆逐隊が捕縛されたという報告が入ったのは、その翌日だった。

 叢雲は同志だったはずだ。ならばこの捕縛にも裏があるのではないか。

 そう考えると、体が震えた。

 遂に始まったのだ。いや、もう始まっていたのだ。

 

 第七駆逐隊は、この鎮守府に護送されてくるらしい。

 何せ初めてのことだ。

 さすがに提督の裁量が必要だろう。

 つまり久しぶりに提督が表舞台に姿を現わすはずだ。

 その話で鎮守府内は持ちきりだった。

 

 赤城と加賀は鎮守府に留まり、近海を艦載機で哨戒する命令を受けた。

 鎮守府は軽巡洋艦と駆逐艦からなる艦隊を二つ、派遣してショートランドから来る護送部隊と合流。そのまま第七駆逐隊を、ここまで連れてくるらしい。

 まもなく作戦が始まるはずだ。

 赤城は演習場から出て、下へと向かった。

 前から如月が走ってくるのが見えた。。

 その姿を見て、赤城は目を見開いた。

 如月改二。

 そう刻まれた黒い羽織を、如月が身につけていたからだった。



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命令、下る

 吹雪が第三水雷戦隊に配属されてから、初めての命令が下った。

 捕縛された第七駆逐隊をこの鎮守府に連行する。その護送だった。

 ふざけるな――川内が叫んだ。

 アイドル的に、それはどうかな――那珂も難色を示した。

 元々、第三水雷戦隊はここ鎮守府近海の哨戒任務が主な役割だった。

 深海棲艦はあらかた倒したが、全滅したわけでは無い。

 ある日突然、湧いたりするのだ。

 だがそれも一体か二体かといったもので、新兵の訓練にはもってこいだった。

 吹雪も基本的な訓練を終えてから、近海で哨戒任務を行うというのが順当な道筋のはずだったのだ。

 しかし、第七駆逐隊の反逆というイレギュラーが起こり、このような命令が下った。

 かつての仲間の護送任務。それを新兵にやらせようというのだ。

 初めての出撃、それは心に残るものだ。

 それをこんな胸くその悪い任務を命じるとは。そう神通は思ったが、自分たちは軍人。命令には絶対である。

 極力不満を顔に出さずに神通は執務室を後にした。

 

「どうするの、神通ちゃん?」

 

 那珂が不安そうに聞いてきた。川内は怒りが収まらないのか、肩を震わせながら歩いている。

 

「命令よ。私達艦娘は軍人。ならばやることは一つよ」

 

 冷淡に見えるだろう。

 だがそれでも自分は第三水雷戦隊の旗艦だった。

 自分まで感情に流されれば、この部隊は崩壊する。

 そうなれば鎮守府内がさらに混乱する。それは避けたかった。

 

「吹雪ちゃん達は今、何を?」

 

「利根さんの所で実技訓練をしてるよ。睦月ちゃんと夕立ちゃんも一緒」

 

「そう、じゃあ迎えにいかないといけないわね」

 

 それ以上は何も言わなかった。

 重苦しい雰囲気のまま、三人で歩いていく。

 鎮守府全体に張り詰められた空気が流れていた。

 新兵の駆逐艦達は不安に怯え、古参の軽巡・重巡も落ち着かない雰囲気だ。 

 こういう時、皆をまとめるのは如月だった。

 だが彼女さえも今回は思うところがあるのか、姿をあまり見せなかった。

 そんなことを考えながら歩くと、演習場にいつの間にか着いていた。

 入り江に創られた海上演習場、そこに吹雪達はいた。

 

「吹雪! もっと周りをよく見るのじゃ! 二人の動きに合わせて、もう一回じゃ!」

 

 利根の怒声が飛んだ。

 どうやら三人で連携訓練を行っているようだ。

 利根の妹である筑摩が、側で訓練を見守っている。

 

「お疲れ様です、筑摩先輩」

 

「あら、神通ちゃん。それに川内ちゃんに那珂ちゃんも・・・・・・どうしたの?」

 

「実は、第三水雷戦隊に出撃命令が下りまして」

 

 それを聞き、筑摩の表情が曇った。

 

「この状況で命令ってことは、第七駆逐隊関係?」

 

「ええ、その第七駆逐隊をこの鎮守府まで護送する任務を、第二水雷戦隊と我が第三水雷戦隊が承りました」

 

「成程ね・・・・・・命令とはいえ、吹雪ちゃんも初任務がそんな仕事なんて・・・・・・」

 

 筑摩もあまり良い感情を抱いていないようだった。

 

「吹雪ちゃんはどうですか?」

 

「筋はいい。さすが扶桑さんの弟子ね。基礎はよく出来ているわ。あとは連携ね」

 

 そう言って筑摩は吹雪に視線を向けた。

 睦月と夕立の間で、演習弾を避けながら、海上を移動している。

 時折、二人にぶつかりかけるものの、確かに動きは悪くない。

 もう少し修練を積み、近海で演習を何度かすれば、充分前線で戦えるだろう。

 だがまだ、早い。

 それが筑摩の判断だった。  

 だがそうも言ってられなくなった。

 

「出撃は?」

 

「明日。ヒトマルマルマル」

 

 筑摩は深いため息をつくと、利根を呼んだ。

 利根は一旦、演習を止めると神通達の元にやってきた。重巡洋艦の中では古参であり、現在はここで教官を務めている。

 第三水雷戦隊の任務を聞いた利根は渋い顔をしたが、それでも命令は命令と言い、演習を終わらせた。

 利根の号令と共に、汗と海水まみれになった吹雪達が陸へ上がってくる。

 

「神通先輩! 川内先輩に那珂ちゃんも!」

 

 睦月がいの一番に駆け寄ってきた。

 それに続いて夕立と吹雪もやってくる。

 

「お疲れ様です! 長門さんの話は終わったんですか?」

 

「もしかして夕立達に命令っぽい?」

 

 無邪気に聞いてくる吹雪達に胸を痛めながらも、神通は出来るだけ平静を装っていった。

 

「ええ、第三水雷戦隊に命令が下ったわ。そのことで詳しい話をするから、着替えて20分後に第二作戦室に来て」

 

 神通の言葉に三人は笑顔で敬礼して、シャワー室の方へ走っていく。体中に付いている潮を洗い流すためだ。

 

「辛い仕事だよね」

 

 川内が言った。

 

「ええ。でも、やるしかない。でしょう、姉さん」

 

「およ?」

 

 那珂が何かに気づいたようだった。

 

「蒼龍さん、帰ってきてたんだ」

 

 その言葉にその場にいた皆が、那珂の視線の先を追った。

 別の波止場に青みがかった黒髪と緑の着物が特徴的な艦娘が、新兵の駆逐達に先導され歩いていた。

 鳳翔に次ぐ古参で、正規空母の中では最も提督の信頼が厚いとされる蒼龍。それが何故、このタイミングで鎮守府に帰ってきたのか。

 叢雲や金剛は忠臣であるが、時には提督や上層部に噛みつくこともあった。

 それが正しいことであり、提督を思っている事も確かだった。

 だが蒼龍は違う。

 忠臣に違いは無いが、彼女は提督にどこまでも追従する。そんな危うさをもっている少女だった。

 その蒼龍を、第七駆逐隊の問題で混乱する鎮守府に、呼び戻した。

 背筋が震えるような感覚を神通は憶えた。

 

 不意にポン、と肩に手が置かれる。

 振り向くと川内が笑っていた。

 

「行こうか」

 

 心が落ち着くのを感じた。

 この自由奔放そうな姉は、実は人をよく見ていてさりげなく気遣いが出来る。

 だからこそ神通は安心して背中を任せ、旗艦を務められるのだ。

 今は目の前の任務だけを考えよう。

 そう思い、神通は第二会議室へ向かった。




この小説は一応、アニメを元に書いていますので、如月ちゃんのことは察してください・・・


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第二水雷戦隊

アニメでは第四水雷戦隊だったけど、第二になりました。


 シャワーを浴び、着替えた吹雪き達が第二会議室に入ったとき、既に いくつかの人影がそこにあった。

 

「おっそーい!」

 

 入っていきなりそんな言葉が飛んできた。

 駆逐艦島風だ。

 速さを絶対のものとして信仰している彼女は、とにかく早い遅いにうるさい。

 こういう集合でも一番にやってくる彼女は手持ち無沙汰なのか、ぴょんぴょんと落ち着き無く飛び廻っている。

 

「ごめん、演習があって・・・・・・」

 

「でも遅いよー。もう皆あつまってるよ!」

 

 島風の言うとおり、第二水雷戦隊は全員集まっているようだった。

 

「弥生ちゃんに望月ちゃん!」

 

 睦月がそう言って二人の少女に駆け寄った。

 一人は青い髪を持つ無表情な少女。もう一人は栗色の髪をしたメガネを掛けた少女だった。

 

「睦月・・・・・・」

 

「よっ、睦月。今日も元気だね」

 

 二人は嬉しそうに睦月を迎えた。

 

「もうっ! 睦月お姉ちゃんでしょ!」

 

「といってもねえ・・・・・・来たのはあたしらより後からだし、そうすると如月や長月はどう呼べばいいのって」

 

「混乱・・・・・・する」

 

「も~っ!」

 

「もしかして、睦月ちゃんの姉妹艦?」

 

 吹雪がそう聞くと睦月は満面の笑みで振り向いた。

 

「そう! 弥生ちゃんと望月ちゃん! 同じ睦月型だよ!」

 

「あぁ、望月でーす」

 

「弥生です。あ、気を使わないでくれていいです・・・・・・」

 

「あ、吹雪です! 今回はよろしくお願いします!」

 

 かしこまって敬礼する吹雪を見て、望月が少し吹き出した。

 

「そんなかしこまらなくていいって。同じ駆逐艦だろー」

 

 望月が肩をポンポンと叩いた。そのまま欠伸をして腰を降ろす。

 立ち振る舞いはダウナーだが、芯の部分では生真面目なのだろう。そんな印象だった。

 

「そうそう、一緒に出撃する仲クマ」

 

「緊張しなくていいにゃ」

 

 不意にそんな言葉が聞こえた。

 よく見れば弥生達の奥に軽巡の球磨と多摩が、ゆったりと椅子に座っていた。

 軽巡の古参ではあるが親しみやすい性格と面倒見の良さから、新兵達の人気は高い。

 

「球磨さんたちも参加するっぽい?」

 

「クマ。球磨達は第二水雷戦隊として参加するクマ」

 

「旗艦は夕張だにゃ」

 

 確かによく見ると奥に夕張もいた。

 これから説明につかいう書類を見ていた夕張だったが、吹雪を見つけると顔を輝かせて近づいてきた。

 

「あなたが吹雪ちゃんね! 話は聞いてるよ! まだ正式な艦娘になる前から、艤装を呼び出したんだって?」

 

「あ、あー」

 

 そういえばそんなことあったな、吹雪にとってはそのくらいのことだったが、夕張は興味津々らしい。

 

「本来は鎮守府で艦娘として艤装に認められて、初めて纏えるものを、最初から・・・・・・んんー気になるなぁ。ねぇ、色々試してみてもいいかしら?」

 

「え、ええっと・・・・・・」

 

「夕張ちゃん、吹雪ちゃんが困惑してるからその辺りで終わりにして。説明を始めましょう」

 

 神通に止められ、夕張は残念そうに吹雪から離れた。

 そのまま彼女は全員に着席を促す。

 皆が席に着いたことを確認すると、神通は今回の任務の説明を始めた。

 任務の内容を理解し始めると一斉に全員の顔が曇りだした。

 仕方の無いことだ。判っていたことだと、神通は己に言い聞かせながら説明を続ける。

 

「明朝、ヒトマルマルマルに出発。鎮守府近海までショートランドの艦隊が第七駆逐隊を護送してくる。そこで護送の任を引き継いで、鎮守府まで第七駆逐隊を連れてくるのが今回の任務です」

 

 説明を終えると神通は皆を見渡した。

 全員が沈んでいるようだった。当然だろう。気乗りしないどころか、不快な任務だ。

 それでも命令をこなさないと行けないのが軍人だ。

 チラリと吹雪を見る。

 こんな任務が、初めての任務である吹雪はより辛いであろう。

 吹雪は暫く下を向いていた。

 

「吹雪、大丈夫?」

 

 川内が気を使ってそう言った。

 

「・・・・・・大丈夫です」

 

 顔を上げた吹雪は、静かに。しかし力強く言った。

 

「どんな任務でも、私は頑張るだけです」

 

 川内が息を呑んだ。

 他の駆逐艦達も驚いたようだった。

 

「あの子、思ってた以上に強いかもね」

 

 耳元で夕張が囁いた。

 たしかにそうかもしれない。

 少しだけ胸のモヤモヤが取れた気がした。

 

「そうね・・・・・・それに・・・・・・」

 

「ん、どうしたの?」

 

「・・・・・・ううん、なんでもないわ」

 

 不思議と吹雪がかつての提督に重なった。

 きっと気のせいだろう。神通はそう思い、その考えを頭から振り切った。



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吹雪 初陣

 夜が開けて、朝になった。

 吹雪はまだ朝日が昇りきる前に布団から出て、運動着に袖を通す。

 朝はランニングを行っていた。

 扶桑の元にいたときから、ずっとそうだった。

 運動場を5周。それがこの鎮守府に配属されてから、自分に課したルールだった。

 走りながら、吹雪は思案する。

 初めての実戦。初めての任務。

 艦娘として認められた時から、ずっと楽しみにしていた初任務。

 しかしそれは敵である深海棲艦と戦うことでは無く、反逆者を護送するというものだった。

 反逆者、第七駆逐隊。

 まだ吹雪が艦娘の穴に入るずっと前から、兄の部下として戦ってきた先輩方。

 そんな方々を護送する。

 割り切れない。胸の内がモヤモヤした。

 こんな時、扶桑さんならどうするだろうか。

 そこまで考えたとき、吹雪は頭を振って今まで感じていた不安を追い出した。

 今やれることをやるだけだ。

 そう思い、吹雪はランニングに没頭することにした。

 

 寮に戻りシャワーを浴びて、食堂に向かった。

 何時もは活気のある食堂も、心なしか沈んだ空気に満ちているようだった。

 端の席に夕立と睦月を見つけたので、近くまで向かって腰を降ろす。

 二人とも空気を察して、恐縮しているようだ。

 吹雪も敢えて何も言わず、軽い挨拶だけ済ますと黙って飯をかき込んだ。

 食事が終わるとそのまま出撃準備に入った。

 

 波止場近くに集合し、艤装のメンテナンスを行う。

 作戦開始が十五分前に迫った時、如月がやって来た。

 

「如月ちゃん!」

 

 姉妹艦であり、仲もよい睦月が一番に飛びついた。

 

「あれ、今日は改二の格好なんだね」

 

 睦月がそう言って、吹雪達も如月が何時もと違い、改二の羽織を身につけていることに気が付いた。

 

「ええ、久しぶりの任務ですもの」

 

 そう言って如月は笑った。

 張り詰めた雰囲気が少しだけ和らいだような気がした。

 

「いいなー。夕立も早く改二になりたいっぽい」

 

「うふふ。大丈夫。鍛錬を積めば、きっとなれるわ」

 

「如月ちゃん、今日はここで待機のはずじゃ・・・・・・」

 

「ええ、でも気になってね」

 

 そう言うと如月は吹雪の肩をポンポンと叩いた。

 

「初任務、頑張ってね」

 

 柔和に笑う如月の言葉に、吹雪は何だか身体が軽くなった気がした。

 

「安心してよ、吹雪ちゃん! 睦月と夕立ちゃんでしっかりフォローするから!」

 

「先輩としての威厳をみせるっぽい?」

 

「あらあら、二人とも初任務ではあんなに泣きべそかいていたのに、強くなって・・・・・・お姉ちゃん嬉しいわ」

 

「もー昔のこと言わないでよー!」

 

「しつこいっぽいー」

 

 楽しそうにじゃれ合う如月達を見て、吹雪は改めて彼女たちの繋がりの深さを感じた。

 如月はこうやって多くの艦娘たちを支えてきたのだろう。

 現に今、自分も如月に励まされ、心が安定するのを感じている。

 彼女が鎮守府の扶桑とは艦娘たちに慕われている理由がなんとなく分かった。また違った包容力が如月にはあるのだ。

 兄が重用したというのも分かる。

 この鎮守府の要は如月かもしれなかった。

 

「皆さん。準備はいいですか」

 

 神通が確認するように目配せする。

 遂に始まるのだ。

 吹雪は久々に艤装を展開する。

 

「第三水雷戦隊、出撃!」

 

 神通の号令と共に、皆が艤装を展開し、海へと進んでいく。

 ふと後ろを見ると、如月が笑顔で手を振っていた。

 吹雪も軽くそれに手を振り返すと、海面へと進んでいった。

 初任務。

 それでも大丈夫だろうと心の中で、吹雪はそう考えていた。



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入港

 川内達が水上偵察機を飛ばし、周囲を散策する。

 深海棲艦らしき機影は見えなかった。

 元々ここ近海に深海棲艦はほとんど出没することはない。

 出てきても駆逐イ級やロ級が単体から数体ほどである。それらは「はぐれ棲艦」と呼ばれていた。

 はぐれ棲艦は新兵の戦闘にはうってつけなので、よく哨戒任務で狩られているが、今日はその影も見えなかった。

 何事もなく、合流地点にたどり着いた。

 少し遅れてショートランドからの艦隊が現る。

 六人の編成で輪形陣のような布陣であるが、中央には小型船舶があった。

 どうやらあの中に第七駆逐隊がいるらしい。

 ショートランドから来た艦隊は三川艦隊と呼ばれる艦娘たちで、吹雪も聞いたことがあった。

 大規模作戦では活躍した部隊だ。

 だからこそこの任務を任されたのだろう。

 

「艤装も含めて拘束しています。輸送に問題はないかと思います」

 

 艦隊を率いてきた鳥海が言った。

 

「了解。ここまでご苦労様でした」

 

 神通が敬礼し、連行任務を引き継いだ。

 吹雪達は船の周りをぐるりと囲む。夕立が中を覗きこもうとしたがよく見えないようだった。

 

「お互い、嫌な任務ね」

 

「はい。ですが、任務は任務ですので」

 

 夕張の言葉に鳥海は表情を変えずに答えた。

 元々、生真面目な性格の少女だった。どこか折り合いを付けているのかもしれない。

 横目で他の三川艦隊の様子も窺った。

 皆、明らかに不満そうな表情をしている。天龍などは明らかに苛立ちを隠そうとしなかった。

 

「それでは、ご武運を」

 

 簡潔に言うと鳥海達、三川艦隊はショートランドに戻っていった。

 

「さてと、いこうか」

 

 夕張がそう言って動き出した。

 第二水雷戦隊が周囲を警戒・先行し、吹雪達第三水雷戦隊は第七駆逐隊の周りを固める。

 ここからが正念場だ。

 吹雪はそう自分を鼓舞し、辺りを警戒しながら進んでいった。

 時折、暗い船舶から何か囁くような音が聞こえてくる。

 第七駆逐隊は古参だと、吹雪は聞いていた。

 もしこのような状況でなかったら、兄の話を聞いてみたかった。

 吹雪はそんな考えを頭からもみ消した。

 集中しなくては。

 水平線の向こうに、鎮守府の影が見え始めていた。

 

 

 ショートランドに帰還するべく進んでいた三川艦隊は、方向を緩やかに変えた。

 大きく曲線を描きながら、段々と鎮守府へ向かう航路へと変えていった。

 鎮守府近海付近まで差し掛かった時、哨戒している赤城がそれを発見した。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 赤城はそれを黙殺した。

 ちょうど、第七駆逐隊の護送部隊が鎮守府にたどり着いたと、報告があった。

 弓を引き、艦載機を飛ばす。

 はじまった。いや、ずっと前から始まっていたのだ。



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矢は放たれた

 何事もなく、吹雪達は帰港した。

 小型船舶を守りながら深海棲艦と戦うことは不安だったため、吹雪は内心ほっ腕を降ろしていた。

 だが足を陸地に付けた時、それが間違いだと気が付いた。

 吹雪達を迎えたのは高雄や妙高などの重巡たちであった。

 皆、第七駆逐隊とは旧知の仲である。

 そんな彼女たちが罪を犯し、これから裁かれる第七駆逐隊を笑顔で迎えるわけがない。

 現に皆、険しい顔で船舶に鋭い視線を向けている。

 重苦しい空気に思わず吹雪は視線を地に落とした。睦月も夕立もただならぬ空気を感じてか、すっかり萎縮している。

 

「第二・第三水雷戦隊の皆さん、護送任務ご苦労様です」

 

 高雄が業務的に言った。

 神通と夕張はそれに敬礼で返した。

 

「私達が命じられたのはここまでですが」

 

「ええ、ここからは私と愛宕。それと妙高型の方々で第七駆逐隊を大本営に連行します」

 

「大本営に?」

 

「ええ、提督が直々に裁くとの話です」

 

 提督。

 その言葉に神通達の顔色も変わった。

 ようやくその重い腰を上げるか。

 それでこの一件をどう納めるつもりだろうか。

 様々な考えが浮かんでは消えた。

 

「第七駆逐隊の皆さんを」

 

 妙高に言われ、神通は我に返った。

 神通が腕を上げると、川内と那珂が船舶の出入り口を開ける。

 その周りを囲むように残りの水雷戦隊のメンバーが囲んだ。

 

「出なさい」

 

 冷淡に神通が言った。

 薄暗い出入り口の奥で何かが動く気配がした。

 金属が擦れる音が聞こえる。それが徐々に大きくなり、入り口に人影が現れた。

 

「っ・・・・・・」

 

 吹雪は思わず息を呑んだ。

 先頭にいるのは曙。次に漣が現れ、朧・潮と続いた。

 両手を手錠で拘束され、鎖で互いに繋がれている。

 彼女たちが姿を現わすと、空気がより張り詰めたモノに変わった。

 

 先頭の曙を筆頭に皆、鋭い眼光を宿している。

 拘束されているはずなのに今すぐにでも、周りの艦娘に飛びかからんばかりの雰囲気だった。

 

「艤装は?」

 

「中で拘束されてるね、鎖でぐるぐる巻きになってる」

 

 船の中を覗きこんだ夕張が言った。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 曙達は何も喋らなかった。

 ただじっと、何かに耐えている。

 そんな風に吹雪は見えた。 

 彼女たちのただならぬ雰囲気に呑まれたのか、周りの艦娘たちも押し黙っている。

 吹雪は主砲を曙に向ける。

 曙と目が合った。

 酷く、暗い瞳だった。だが、その奥に光が一筋、宿っているようにも見えた。

 

「行くわよ」

 

 高雄がようやく口を開き、吹雪はようやく我に返った。

 その時。

 上空を艦載機が一つ飛んでいった。

 この状況でただ一機、悠々と空を横切っていく。

 重苦しい空気から逃れるかのように、吹雪は空を見上げた。

 その艦載機は空の上で円を描くように旋回する。

 不意に横で金属がガチャリと音を立てた。

 瞬間、何かが肌に刺さるような感覚が襲う。

 咄嗟に引き金を引いた。

 だが吹雪の腕は蹴り上げられ、砲弾は上空へ飛んでいく。

 人が見えた。

 曙。

 その細い足が吹雪の手を蹴り上げている。

 猛烈な違和感。

 すぐにその訳が分かった。

 鎖が千切れ、第七駆逐隊の両腕が自由になっている。

 何故だ。

 直後、耳をつんざくような破裂音がして、船の奥から艤装が飛んできた。

 それらは曙達の身体に装着されていく。

 

「押さえろ!」

 

 川内の怒声が飛んだ。

 それに一瞬、気を取られた。そこに隙が出来た。

 目の前を影が被った。そのままそれに引き寄せられ、柔らかい感触が後頭部を包んだ。

 吹雪は声を上げようとした。だが、息が詰まった。

 強引に抱き寄せられたのだ。それに気づいたとき、頭に冷たいモノが当てられた。

 主砲。突きつけられている。

 漣に捕まっていた。それ位しか、吹雪には分からなかった。

 

「動くな!」

 

 曙の一声で、周りの艦娘たちが動きを止めた。

 吹雪を捉えた漣を、残りの第七駆逐隊が囲んだ。全員、束縛は解けて艤装を装備していた。

 

「吹雪ちゃん!」

 

 睦月が叫んだ。

 

「何てこと・・・・・・」

 

 神通が震えて言った。

 他の艦娘達もあまりの突然な出来事に、目を見開いて動けないようだった。

 

「ま、まさか・・・・・・こんな・・・・・・」

 

 夕張も震えていた。

 

「まさかこんなに上手くいくなんて」

 

 瞬間、神通の身体が凍った。

 ゆっくりと、その視線を神通は夕張に向けた。

 夕張は驚くほど落ち着いて、神通の方を見ていた。

 

「時間ね」

 

 そう言った直後、夕張の両脇から二つ影が飛び出した。

 球磨と多摩。

 その姿を確認したのと同時に二人の主砲が火を噴いた。

 爆音と共に白煙が周りを包んだ。

 艦載機は空を回り続けていた。



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長門、動く

 最初に感じたのは、ほんの些細な違和感だった。

 身体に纏わり付くようなねっとりとした感じ。不快であったが、無視した。

 第七駆逐隊のことで朝から鎮守府内は慌ただしく動いている。そんな事を気にしている余裕など、なかったのだ。

 長門も執務室で大淀とそのための調整を行っていた。

 鎮守府にたどり着いた第七駆逐隊は、そのままこの執務室に連行する予定であった。

 そこで今回の件を処理する。

 執務室はそこまで広くなく、最低限の人数のみでこの事件を終わらせる。

 これ以上、鎮守府への不満を広げるわけにはいけなかった。

 そのためには厳しい処罰も必要だろう。

 辛いことであるが全ての艦隊を円滑に纏めるためには必要なことなのだ。そう自分に言い聞かせた。

 報告が入った。

 第二・第三水雷戦隊が第七駆逐隊を伴って、帰港したという。

 そのままここに連行してくるように彼女たちには命令していた。

 第七駆逐隊は古参兵の中に入る。

 当然、この鎮守府にも顔馴染みは多い。

 既に軽巡や重巡の艦娘達から、七駆の減刑を求める嘆願がいくつも届いていた。

 長門も出来ることなら庇ってやりたいというのが本音であった。

 だが鎮守府とて軍組織。規律という根本的なものを疎かにすれば、鎮守府という組織そのものが崩れ落ちてしまう。

 さらに今はこの鎮守府の隙を突こうと海軍本部や艦憲兵が虎視眈々と狙っているのだ。下手な手は打てない。

 解体まではさすがに無いが、かなり厳しい処分を下さねばならないだろう。

 ふと風を切る音が聞こえた。思わず窓の外を見る。

 艦載機が一機、空を駆けていくのが見えた。

 長門は心がざわつくのを感じた。

 何故だか分からないが、今まで感じていた小さな違和感が、徐々に膨らんでいくような感覚を覚え始めていた。

 不意に音が鳴り、長門は息を呑んだ。

 聞き慣れた音。主砲。だが今、この鎮守府で演習をやっている者などいないはずだ。

 ひやりとした。違和感が膨れ上がっていく。

 足音が廊下から聞こえてきた。

 勢いよく債務室の扉が開き、矢矧が入ってくる。その顔には今まで見たことなの無い焦りと不安に満ちた顔色だった。

 第七駆逐隊が逃走した。この鎮守府内に内通者がいて、彼らが協力した。人質を取って、現在鎮守府内を移動している。

 そんな報告だった。

 第七駆逐隊の反抗は予想できた事だった。だが、鎮守府内に協力者がいることは長門も考えていないことだった。

 

「鎮守府内の様子を調べてすぐに報告しろ。艦娘達には慌てずに持ち場を離れず、現場を守るように言え。大淀、放送を」

 

 大淀は頷くと執務室を飛び出していった。

 愚かなことを。長門は内心舌打ちした。

 大人しくしていれば罰は免れぬものの、これ以上罪に問われることなど無かった。

 だがここまで大事を起こしてはもはや庇いきれない。

 しかも第七駆逐隊だけでなく、彼女たちに協力した者ども同じだ。

 窓から外を確認する。

 煙が上がっていた。

 一つではない。

 バラバラな場所で次々と白煙が浮かび始めた。

 想像以上に大規模な行動だ。暴動と言ってもいい。

 七駆だけでこれほどは動けない。きっと前もって準備をしていたのだろう。それを見抜けなかった自分が情けなかった。

 この鎮守府に七駆の協力者が何人いるのか。それが分かったとして、何のために動いているのか。

 七駆の逃亡を助けるためか、それとも。長門は全身が粟立つのを感じた。

 報告は次々と入ってきた。

 工廠、波止場、寮……様々な場所から火の手が上がっているようだった。

 混乱する鎮守府内を七駆と内通していた夕張・球磨・多摩の三人が、主砲を放ちながら進んでいるらしい。

 しかも海の方ではなく、内に向かって。

 狙いは何だ。

 そう思った時、長門の脳裏に提督の顔が浮かんだ。

 

「恐らくだが、やつらはここに向かってくる。提督がいる、ここにな」

 

 長門はこの建物にいる新兵達に、守りを固めるように言うと、大淀にここを任せ、動き出した。

 こんな時に如月は何をしている。

 この騒ぎを止められるのは提督以外では彼女しかいない。

 七駆も夕張達も如月を慕っていた。そのはずなのに彼女はどこで何をしている?

 赤城と加賀は?

 あの二人は近海の監視を命じていた。だがこの異常事態に気づかないはずがない。

 なのに何も動いていないのか? そもそも先ほど一機だけ飛んでいた艦載機は誰のモノだ?

 如月。赤城。加賀。顔が浮かんだ。漣。曙。潮。朧。第七駆逐隊の顔もだ。夕張。球磨。多摩。七駆と行動を共にしているという艦娘達。皆、古参兵だった。全てが繋がる。

 

「長門!」

 

 蒼龍の声が聞こえた。

 相当焦っているのか、滝のように汗を流している。

 

「赤城さんだ。赤城さんの艦載機が火を付けて廻っている」

 

「押さえたのか?」

 

「何機かは。でももう飛んでない。今は赤城さんの行方を捜している」

 

「加賀も探せ。赤城がこの件に噛んでいるなら奴も怪しい」

 

「長門さんは?」

 

「気がかりがある。ここを頼む」

 

 蒼龍はただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、無言で頷いた。

 その横をすり抜け、長門は駆けた。

 階段を駆け下りながら、艤装を展開する。

 この建物を守るために集まってきた新兵達とすれ違いながら、加賀は一目散に駆けた。

 大本営を出る。

 あちこちから硝煙の香りと轟音がした。

 艦娘達の悲鳴が聞こえてくる。混乱を極めているらしい。

 長門はそのまま走り出し、途中で道を外れた。

 元々、天然の島だ。

 舗装されてない場所など、まだまだある。

 雑草が繁茂し、木々が立ち並ぶ獣道を転がるように下っていく。

 やがて道が開けると、そこにはよく知った顔があった。



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葛藤

 提督がある日、姿を消した。

 自室に引きこもり、一切姿を現わさない。何人もの艦娘達が提督に会おうとして、拒否されていった。

 その中で長門だけが提督と会うことを許された。

 秘書艦特権。そう言って誤魔化したが、古参兵達には様々な疑念を抱かれた。

 その中でも如月は特にやっかいだった。

 最も長く秘書艦を務め、提督への忠誠も高く、後輩からの信頼も厚い。

 第一遊撃部隊。そう呼ばれる6人の影響力は長門の想像以上のものだった。

 この異常事態。如月がその気になれば、艦娘達を扇動し鎮守府を転覆させるだけの力は持っている。

 そんな彼女が提督の事を探り始めたのだ。

 長門は提督が姿を消した理由を知っていた。

 だがそれは公に出来ることではなかった。

 隠さなければならない。もしこのことの真相が明らかになれば鎮守府どころか、艦娘全体の立場が大きく揺らぐ可能性がある。

 そのために如月は危険だった。

 元々、提督と親しかった如月は、真相に辿り着くかも知れない。

 いつからか長門は如月に監視を付けるようになった。

 選りすぐりの新兵が秘密裏に選ばれた。

 勿論、新兵達には如月を秘密裏に警護する。第一遊撃部隊のメンバーである如月は色々な勢力に狙われている。そう言って丸め込んだ。

 監視役の艦娘との間には懇意の妖精さんを挟み、定期的に如月の行動を監視していた。

 我ながら卑劣で陰湿な行為だと思っていたが、鎮守府を円滑に維持するには必要なことだと思っていた。

 それは今日の日も同じ事だった。

 最後に受け取った報告では、如月は第七駆逐隊護送の任務を受けた艦娘たちを見送ってから、波止場で海を見ていたという。

 この大規模な暴動。きっと如月が絡んでいる。長門は直感でそう考えていた。

 

「風雲!」

 

 如月の監視を命じていた駆逐艦・風雲は長門に呼ばれて振り向いた。

 

「如月はどうしている!」

 

 混乱する鎮守府の中で風雲もやはり平静さを失っているようだった。

 額に脂汗を滲ませ、目を各方向に向けている。

 

「長門秘書艦! これは何が起こっているのですか!?」

 

「それより如月はどうした!?」

 

「はい、この異常事態に、心配なので提督の基に向かうと・・・・・・」

 

 風雲の言葉を聞いた瞬間、長門は踵を返した。

 彼女のことは責められない。風雲は単純に如月の護衛と思い込んでいたのだから。

 如月はどこだ。入れ違いになったか。

 そんなことを考えながらひたすら走った。

 いつもの鎮守府がひたすら広く思えた。それとも自分の足がこんなにも遅かったのか。

 そもそも何故自分は如月を追っているのか。

 秘書艦として堂々と迎え撃てば良かったのではないか。

 考えている暇など無い。そのはずなのに、いくつもの思案が頭を廻った。

 後ろめたさか。長年秘書艦だった如月を押しのけ、自分が秘書艦になったこと。提督の秘密をにぎっていること。

 冷や汗が滲み出た。周りからは爆音と悲鳴ばかりが聞こえてくる。



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大本営の陥落

 如月が大本営に辿り着いたとき、現場は混乱を極めていた。

 新兵達が右往左往し、怒声と爆発音が休みなく耳を突く。

 その中を如月は一人、一直線に進んだ。久がたぶりに袖を通した『改二』の上着が風で靡く。

 入り口から堂々と建物内に入り、階段を駆け上がっていく。

 皆、殺気立っていた。

 ここは鎮守府の中。戦闘など本来起こりえない場所である。まだ如月が秘書艦を任されていた頃から、ずっとそうだった。

 そんな場所で突然、暴動が起こったのだ。初めての事、マニュアルなど皆無である。当然、混乱するだろう。

 ましてやこの大本営は出来るだけ新兵達で固めていた。冷静に対処しろ、というのが酷な話だ。

 大淀の放送が聞こえてきた。

 さすがは古参兵だけあって、ある程度は冷静である。だがそれでも声色は震えている。

 今放送が流れているという事は、大淀は放送室にいる。ならば彼女が自分を止めることは無い。

 如月はそう確信し、階段を駆け上がっていく。

 驚く程簡単に最上階まで辿り着いた。 

 あと少し。あと少しで提督の元へいける。

 はやる気持ちを抑えながら、最上階へと登り着いた。

 執務室の扉が見える。勢いよく突っ込んだ。

 長門が自分を監視していることは知っていた。

 だが所詮は新兵。

 尾行はまるで下手だった。そしてそのおかげで長門が、自分を想像以上に自分を警戒していることを悟った。

 提督の雲隠れの理由を長門が握っている。そう確信した。

 だからこそ叢雲達の計画に乗ろうと思ったのだ。

 提督を取り戻す。そのためにこの日まで耐えた。

 そしてようやく決行の日を迎えた。

 一度動き始めた流れは止められない。

 下から爆音が聞こえてくる。 

 それは段々とこの建物に向かってきていた。

 第七駆逐隊と自分と呼応した内通者たちが、ここへ向かってきている。

 蒼龍は赤城が押さえてくれているはずだ。

 長門はまだここまで来るのに時間がかかるだろう。

 あとは如月が提督を保護し、脱出してショートランドへ向かう。それが最良の形であった。

 執務室の前には能代と酒匂がいた。

 非常事態のためか艤装を纏っている。

 

「如月さん! 一体、何が起こっているのですか!?」

 

 普段は冷静な能代もこのときばかりは、焦っているようだった。

 

「非常事態よ。司令官を安全な場所まで連れて行くわ。そこをどいて」

 

 如月の言葉を聞いた二人は、一瞬悩むような表情をして、そのまま扉の前に立ちはだかった。

 

「長門秘書官の命令で例え、どのような事があろうと、ここは通すなと・・・・・・」

 

「例え如月さんであっても・・・・・・」

 

 思わず如月は頭に血が昇った。

 

「この異常事態が分からないの!? もしこのままここにいて、司令官に何かあったらどうする気!?」

 

 使いたくはなかったが、如月はケッコンカッコカリの指輪を通した指を突き出した。

 

「独立行動権を使っても司令官は連れて行くわ! そこをどきなさい!」

 

 そこまで言われ、二人は困惑しながらも道を空けた。

 執務室の扉を蹴り開け、中に入った。

 誰もいない。その奥にもう一つ、硬い扉があった。

 開かずの間。提督の私室への扉。

 そこにすがりついて、思いっきり叩いた。

 

「司令官! 如月です! ここを開けてください!」

 

 返事はなかった。

 如月は艤装を展開し、ドアノブの部分を叩き折った。

 

「今、お迎えに上がります!」

 

 強引に扉をこじ開けた。

 中に入ると漆黒の闇が広がっていた。

 カーテンは閉め切り、光の入る隙間など何処にもなかったのだ。

 電灯を探す暇など無い。

 窓の部分を思いっきり撃った。

 弾ける音と共に窓は外壁ごと崩れ落ち、日の光がそこから部屋の中を照らした。

 何もかも変わっていない。

 まだ如月が夜に提督と酒などを交わしていた頃と同じ、内装のままだった。

 違ったのはただ一つ。

 そこには誰もいなかった。

 ここにいるはずの人が。ずっとここに閉じこもっているという男が。

 がらんどうとなった提督の私室で、如月は哀しげに微笑した。



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大本営燃ゆ

 提督はここにいなかった。

 ここ以外の鎮守府はしらみ潰しに探したのだ。この提督の私室だけが最後の砦だったのだ。

 恐らく今の鎮守府に提督はいない。

 悲しいことだが、それが分かっただけでも成果はあった。

 もはやここに用は無い。下にいる第七駆逐隊達と合流し、鎮守府を脱出しなければ。

 如月は踵を返した。

 執務室の前まで戻ってくる。

 

「・・・・・・見たな」

 

 息を切らせ肩を震わせながら、長門が立っていた。

 いつもは凜々しい顔が焦りの表情で歪んでいる。

 

「長門さん・・・・・・」

 

 瞬間、建物を揺るがす轟音が響き、硝煙の香りが辺りに充満する。

 長門の後ろにいた能代と酒匂は驚愕した。

 如月に向かって、長門が躊躇無く主砲を撃ち込んだのだ。

 

「長門さん!? 何を!」

 

「能代・酒匂! 今すぐ大淀の元へ行け」

 

 長門は二人を見ないで言った。

 

「内乱・・・・・・いや、反乱の首謀者は如月だ。七駆と協力者共々捕らえろ。生死を問わずだ」

 

 恐ろしいほどの剣幕だった。

 能代と酒匂は何も言えずそこから走り去った。

 砲撃により辺り一面に黒煙が広がり、視界を覆い尽くす。

 その中で長門は目を皿のようにしながら、如月の姿を探す。

 手応えはあった。だが、仕留めてはいないはずだ。

 執務室の中を見たからには、このまま逃がすわけにはいかない。

 もし、外の反逆者たちと合流してこの事が知れたら、それこそ一大事である。

 例え苦楽を共にした仲間であっても、撃たねばならない。

 長門は一歩踏み出した。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

 一体、何が起こったのか。

 吹雪は初め、自分がどのような状況にいるのか理解出来なかった。

 爆音がする。主砲の音。悲鳴。

 周りの状況を確認しようとしても視界が目まぐるしく動いて出来なかった。

 捕らえられている。

 それだけははっきり分かっていた。相手は漣。第七駆逐隊の一人で、外見は自分とあまり変わらないが歴戦の戦士である。

 何故、こうなったのか。これからどうなるのか。

 分からない。

 怒声。轟音。

 無理矢理走らされ、息が詰まる。

 一体何時まで続くのか。

 

「ごめんね。もうちっとだけ辛抱してね」

 

 漣が精一杯明るく言った。

 自分を片手で抱えながら、もう片手で主砲を放ち、走り続けている。

 それなのに息一つ切らしていない。

 どれだけ凄まじい事か、なまじ実力を身につけてしまった吹雪には理解出来た。

 同じ艦娘だが力量がこれ程まで違うのか。

 吹雪は歯がみした。

 

「三時の方向! 敵!」

 

 夕張の怒声と共に、主砲が放たれる。

 漣達を拘束しようとする艦娘達が、衝撃でひるんだ。その隙を縫うように駆けていく。

 長く戦ってきただけあって漣達の方が一枚上手だった。

 

「・・・・・・どこに向かっているのですか?」

 

 吹雪の問いに漣は答えなかった。

 だが一行が徐々に上へ上へと向かっていることは体感できた。

 逃げるなら海へ逃げるのが当たり前だろう。なのに何故、逆の方へと進んでいくのか。

 上には大本営があるはずだ。

 長門は勿論、多くの艦娘達がそこにいる。

 いかに精鋭とはいえ、この少人数で大本営に突っ込んでいけば、数に圧倒されるのは目に見えている。

 なのに何故・・・・・・

 その時である。

 耳をつんざくような轟音と共に世界が震えた。

 漣達の進撃も一瞬止まり、音の方向へ顔を向けた。

 大本営の執務室。

 提督がいると言われている場所が黒煙と共に燃えている。

 吹雪は突然の事に言葉を失った。

 

「クソ提督!」

 

 曙の悲痛な叫びで吹雪は我に返った。

 

「曙、落ち着いて!」

 

「ぼのたん! 一人で行っちゃ駄目!」

 

 仲間の制止を振り切って曙が走ってゆく。

 

「急いで!」

 

 夕張のかけ声と共に一斉に皆が駆け出す。

 目的地に向かって一直線に進んだ。

 息を切らせ、汗で制服が肌に張り付いた。

 今までの計算された動きとは違う、明らかに乱暴な走り。

 彼女たちの混乱と焦りが、大きな渦のように吹雪に流れ込んでいくようであった。

 思わず吐いてしまいたい衝動に駆られた。

 それでも足を止めなかったのは、あの場所に兄がいるからか。

 疲れと緊張で徐々に視界が薄らいでくる。

 やがて視界が開けた。

 よく通った大本営。

 そこが地獄絵図と化していた。

 艦娘達の怒声と悲鳴が周りに響き、硝煙の香りが鼻をついた。

 そこで吹雪は信じられないモノを見つけた。

 

 地面に転がる一つの塊。

 その姿に。

 汚れた長い髪に。黒く変色した髪飾りに。血まみれの白い肌に。

 その全てに見覚えがあったのだ。

 

「如月!」

 

 先に進んでいた曙が駆け寄っていく。

 抱き起こされた如月は息はあるようだが、意識ははっきりしていないのか、譫言のように何かを呟いていた。



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敗走、そして別れ

 曙と朧が如月を抱き起こした。 

 意識がしっかりしないのか、如月は俯いたまましきりに何かを呟いている。

 曙達が必死に呼びかけるも、それすら聞こえていないようだった。

 

「駄目だ、夕張さん!」

 

「・・・・・・ここまでね」

 

 夕張は頷くと懐から小さな弾を取り出し、主砲に詰めた。それを天高く、自身の頭上に打ち上げる。

 赤い煙を出しながら上がっていったそれは、大本営の上空で大きく広がった。

 それを見あげていた吹雪の体が急に引っ張られた。再び漣達が走り出したのだ。

 先程までとは反対側の方向。海の方へと間髪入れずに走って行くのを吹雪が理解したとき、爆音が響いた。

 吹雪達の周りにいくつもの砲弾が飛んでくる。衝撃音で耳が痛み、舞い上がる土煙で視界が阻まれていく。

 先程までは人質である自分に配慮してか、それともかつての戦友である曙たちと戦うという葛藤からか、どこがぎこちない攻撃であった。

 だが今の攻撃は明らかな殺意が籠もっていた。

 自分がいることを分かっているのか。まさか自分もろとも撃とうというのか。

 その時、鎮守府の各地に設置されているスピーカーから、大淀の声が響いた。

 

「・・・・・・反乱です! 反乱が発生しました! 首謀者は如月・・・・・・如月と内通者数名! 多少荒くても構いません! 確実に捕らえてください! 繰り返します・・・・・・」

 

 普段の大淀からは考えられないほど、乱暴な言い回しだった。

 それほど事態は深刻なのだろう。

 事実、吹雪も如月が重傷を負っていること。そして今回の混乱の首謀者として名前が挙げられたことを、未だに受け入れられていなかった。

 やがて視界が開けた。

 海。だがその前に多数の艦娘。皆、主砲を構えている。

 皆、戸惑ったような表情を浮かべているが、それでも軍人。

 先頭の夕張を視界に捕らえた時点で、引き金に手をかけた。

 刹那、風を切る音と共に小さな塊が両者の間を横切り、同時に控えていた艦娘たちから煙と炎が舞い上がった。

 

「赤城さん! 鳳翔さんも!」

 

 漣が叫んだ。

 赤城と鳳翔が艤装を付けたまま走ってくる。

 

「よし、行くよ!」

 

 夕張達はそのまま艦娘の包囲網に突撃した。

 黒煙が立ち上るそこは、悲鳴と混乱の坩堝と化している。

 そんな中で一直線に突撃した夕張達を止めることなど出来るはずもない。

 包囲網は真っ二つに割れ、その合間を如月を抱えた少女達が走って行く。

 そこに赤城と鳳翔も合流した。

 

「如月さんは?!」

 

「やられた! 早く抜錨しないと!」

 

 そのまま彼女たちは海へと飛び込んでいく。

 この鎮守府から脱出する気であろう。

 その時、如月の肩が動いた。

 

「・・・・・・しれ・・・・・・いな・・・・・・ここ・・・・・・」

 

 同じ事を譫言のように如月はずっと繰り返している。

 

「喋らなくていい! 今は休んで!」

 

 朧の悲鳴に近い声が聞こえる。

 吹雪はほぼ無意識で耳を立てた。それは直感というしかない。 

 如月の唇が動いた。

 

「しれ・・・・・・いかんは・・・・・・ここには・・・・・・いな・・・・・・い・・・・・・」

 

 あれほど騒がしかった周りから、音が消えていくのを、吹雪は感じた。

 しれいかんはここにはいない。

 声は震え、たどたどしい言葉であっても、如月はハッキリとそう言っていた。

 

「ここまで付き合わせちゃってゴメン!」

 

 瞬間、天地がひっくり返った。

 漣が吹雪を掴んでいた手を離したのだ。

 宙を二、三回舞うと、吹雪は地面に背中から落ちた。

 激痛が走り、走り続けてきたために乱れた呼吸が、一瞬止まり、声にならない呻きを吐き出す。

 痛む四肢に鞭打ち、無理矢理体を起こす。

 視界の先には今まで自分を散々引っ張り回した艦娘たちの背中があった。

 

「待って!」

 

 そんな言葉が出た。

 如月は兄の何かを掴んだのだ。

 そうに違いない。

 あの人たちを追わなくては。

 ここにいるよりきっと、あの人達の方が兄に近づいている。

 

「撃て!」

 

 誰かが叫んだ。

 逃げ去る彼女らの周りにいくつもの水柱があがった。

 

「追え! 逃がすな!」

 

 比較的に軽傷な子が、次々と海へ飛び込んでいく。

 吹雪も同じようにしようと、足を踏み出した。

 だが、そこで崩れ落ちた。

 視界がぼやける。

 頭が揺れ、猛烈な吐き気に襲われた。

 嫌だ。

 行かないで。

 兄の事を、知りたい。

 あの人達に着いていけばそれがわかる。

 待って。

 ようやく掴んだ、情報。

 ここで行かないと。

 

 風が頬を撫でた。

 プロペラの音とエンジンの爆音がいくつも頭上から聞こえてくる。

 

「蒼龍さんだ! 蒼龍さんの江草隊だ!」

 

 歓声があがる。

 そこで吹雪の意識は途絶えた。

 



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赤城と蒼龍

 第七駆逐隊が拘束を解き、内通者である夕張達と行動を起こした。その時赤城は一人、鎮守府を見渡せる髙地にいた。

 港の箇所から煙が上がったのを確認すると、赤城は艦載機を放つ。陽動と撹乱が彼女の任務だった。

 瞬く間にあちこちから火の手が上がり、鎮守府内が混乱に包まれる。

 それを確認すると赤城は踵を返す。だがそこで彼女の動きは止まった。視線の先は息を切らせた蒼龍がいる。

 

「赤城さん・・・・・・貴方も内通していたんですね・・・・・・」

 

 必死で走ってきたのか、蒼龍は肩で息をしている。だがそれでも彼女は弓を構える。

 

「蒼龍ちゃん・・・・・・」

 

「赤城さんとはいえ・・・・・・提督に弓引く者には容赦しません・・・・・・」

 

 蒼龍が弦に指をかける。赤城もとっさに弓を構えた。

 どちらが、先に動くか。

 二人に冷や汗が流れる。

 瞬間、全く違うところからエンジンの音が聞こえた。 

 その方向に目を向けた二人であったが直後、蒼龍の右肩が爆発し、炎上する。

 

「鳳翔さん!」

 

 赤城の声と共に、鳳翔が現れた。

 いつもは着けていない艤装を装備し、表情も心なしか真剣味を帯びている。

 

「ぐっ・・・・・・」

 

 蒼龍は呻きながらも艦載機を飛ばそうと構えた。

 だが鳳翔はさらに爆撃を加える。

 黒煙を上げながら蒼龍は地面に倒れ込んで、動かなくなった。

 

「助かりました、鳳翔さん。でも、容赦ないですね」

 

「蒼龍ちゃんは悪いけど・・・・・・今回ばかりは、ね」

 

「早く皆と合流しましょう」

 

 赤城がそう言うと鳳翔は頷いて、弓を抱えたまま進み始めた。

 最初の仕事は終わった。このまま第七駆逐隊と合流し、如月が提督を連れ出すまで撹乱を続ける。

 如月が無事に提督を連れ出せたら、もしくは失敗した時に、鎮守府から脱出するのが二人の任務だった。

 木々が並ぶ傾斜を勢いよく降りていく。

 ようやく中腹を越えた辺りだった。

 上空に赤い煙が上がっていく。

 思わず赤城は立ち止まり、振り向いて鳳翔の顔を見た。

 いつも落ち着いた鳳翔が驚きで目を見開いている。

 

「鳳翔さん!」

 

「・・・・・・駄目だったみたいですね。赤城さん・・・・・・急ぎましょう」

 

 再び、走り出す。

 だが先程異常に余裕がなくなっていた。

 失敗だ。失敗したのだ。

 ならばすぐここから離れないといけない。

 そんなことを考えながら、二人は波止場に向かってがむしゃらに進んでいく。

 

「加賀さんは?」

 

「誰も鎮守府にいないのは不味い。残るそうです・・・・・・鳳翔さんこそお店は?」

 

「ショートランドでも店は出せます」

 

 今はそんな事を話している場合じゃない。

 分かっているはずなのに、口にしています。

 それほど焦っていた。叫び出したい感情をお互い抑えながら、ただ足を動かしていた。

 視界が開け、青い水平線が目の前に飛び込んできた。

 その端、同志達が走っている。

 彼女らを阻止せんと、他の艦娘達が主砲を構えている。

 悲鳴と爆音の中で、赤城は漣と朧に抱えられた血まみれの如月を、はっきりと視界に捉えた。

 頭に血が上るのを感じた。

 咄嗟に弓を引き、艦載機を放つ。

 瞬く間にそれらは渦中に突っ込み、黒煙が辺り一帯を包んでいく。その中から第七駆逐隊達が飛び出してきた。

 

「如月さんは?!」

 

「やられた! 早く抜錨しないと!」 

 

 夕張の言葉に赤城は無言で頷いた。

 漣が人質にしていた駆逐艦を放り投げた。 

 急いでいるからか、誰かは分からなかったが、赤城は心の中で手荒な振る舞いを詫びる。

 先頭の夕張達が海へ飛び込んだ。

 赤城も艤装を完全に展開すると、勢いよく着水する。

 そのまま全力で目的のショートランドへと向かって前進した。

 鎮守府から出た後は三川艦隊がサポートとして合流する予定である。

 そこまで考えたとき、背後から自分と鳳翔とは別の艦載機のエンジン音が聞こえてきた。

 

「蒼龍さん!」

 

 赤城は振り返り、弓を構える。が、直後に攻撃が始まった。

 咄嗟に体を回し、直撃を避けようとするも避けきれず、爆発と共に体が弾んだ。

 

「対空!」

 

 漣のかけ声と共に駆逐艦達が主砲を上空に放つ。

 爆撃機が数機、黒煙を放ちながら墜落していく。

 だがその砲撃をかいくぐった精鋭達が、容赦なく如月に鉄の雨を降らせた。

 明らかに如月一人を狙っている。あまりに露骨な敵意に赤城は眉をしかめる。

 その僅かな間にも蒼龍の攻撃は続いていた。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

「逃がすものか」

 

 傷だらけの体を必死で支えながら、蒼龍は血走った眼で逃亡する者たちの後ろ姿を、鎮守府の高台から見つめていた。

 

「提督を裏切ったんだ。絶対に逃がさない・・・・・・全艦載機、発進!」

 

 ありったけの艦載機を空へ放った。

 狙いは如月。

 反乱の首謀者だけは逃がしてはならない。

 憎しみすら籠もった瞳で、蒼龍は裏切り者たちの進む先を見据えていた。



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落月

 流石の精鋭だった。

 漣たちの対空砲をかいくぐり、蒼龍の江草隊は如月に向かって爆撃を敢行した。

 瀕死の如月に攻撃が迫る。が、直撃はしなかった。朧が咄嗟に体で如月を覆い、庇ったのだ。

 

「くっ・・・・・・しつこい!」

 

 背中から黒煙を上げながら朧が呻く。

 その間も容赦なく、蒼龍の攻撃は続いた。

 

「赤城さん!」

 

「大丈夫です、鳳翔さん! すぐに迎撃に・・・・・・」

 

 心配そうに赤城の顔を覗きこんだ鳳翔の顔が、轟音と共に消えた。

 一瞬で視界を覆う煙。肌の焼ける音と衝撃。

 艦載機の攻撃とは桁違いの威力。

 砲撃。しかも駆逐艦や軽巡のモノとは桁が違う。

 戦艦。そして戦艦は今の鎮守府に一人しかいない。

 

「――長門っ!!」

 

 赤城が憤怒して叫ぶ。

 だが砲撃は幾度となく、自分達を襲ってきた。

 

「鳳翔さんは任せるクマ!」

 

 球磨が鳳翔を抱え上げた。

 いつも着ている着物が黒く汚れ、頭から血を流している。

 意識も失ったのか、体はだらんとうなだれていた。

 大破。

 それもあと少しで轟沈していたかもしれない。

 ここまで容赦ないか。

 赤城は体の血が沸騰するような気持ちに駆られた。

 蒼龍の爆撃も続いている。

 また近くで爆発が起こった。誰がか被弾したらしい。

 

「畜生!」

 

 夕張が潮を担ぎ上げるのが見えた。

 三川艦隊はまだか。

 水平線の先を見据えた。機影は今だ見えない。

 このままではショートランドに辿り着く前に誰かが死ぬ。

 冷や汗が頬を伝った。

 今まで何度も修羅場は経験してきた。

 だが今回の戦いは今までとは違う。

 よく知る仲間からの攻撃。

 仇敵である深海棲艦とは何もかもが違っていた。

 相手の力量はよく知っている。だからこそ現状がどれだけ不味い状況かも手に取るように分かっているのだ。

 この少人数でこれ以上、長門と蒼龍の攻撃から持ちこたえることができるのか。

 蒼龍の艦載機が再び爆撃を開始した。

 漣が必死で対空砲撃を行うが、撃ち漏らした機体が如月達に迫る。

 ――不味い! 

 弓を構え艦載機を飛ばすために指を弦にかけた。

 直後、世界が揺れた。

 破裂した。背中だ。

 弾ける感覚と肉の焼ける香りが鼻孔をつく。

 撃たれた。

 それを理解したとき、激痛と共に体勢が崩れていく。

 足を踏ん張り、何とか体勢を立て直すも頭上からは蒼龍の航空隊が迫ってくる。

  

 先導する多摩と潮を背負う夕張。

 動かない鳳翔を抱える球磨。

 負傷しながらも如月を支える朧と、それを必死に励ます曙。

 ただ一人奮闘し主砲を打ち続ける漣。

 轟沈――その二文字が赤城の脳裏に浮かんだ。

 

「だい・・・・・・じょう・・・・・・ぶ・・・・・・」

 

 か細い声が聞こえてきた。

 如月。弱々しいが、はっきりと。彼女が放った言葉だ。

 意識を取り戻したのか。

 咄嗟に横目で彼女の方へと目を向けた。

 ボロボロの如月の肩と指先が動く。

 蒼龍の艦載機がそのまま降下し、如月に狙いを定めた瞬間だった。

 如月の体が意思を持って、動いた。

 抱えていた朧と曙が驚愕で目を見開く。

 動けるような体ではないハズだ。

 赤城も言葉を失った。

 如月の体がさらに動く。

 一瞬の油断も許されないはずのこの状況で、如月の動きが鮮明に視界へと飛びこんでくるのを実感した。

 

「きさらぎに・・・・・・まかせて・・・・・・」

 

 同時に朧と曙が一気に前に押し出される。

 如月が二人を押したのだ。

 言葉を失った朧が咄嗟に、腕を伸ばした。

 曙が如月の名を叫んだ。

 いつも如月は微笑を絶やさなかった。

 鎮守府の何気ない日常でも。作戦前の夜も。

 少女らしいあどけなさと、大人っぽい艶の混じった微笑みを。 

 優しくて、包容力があって。

 姉のような母のような如月の表情が、そこにあった。

 如月の笑顔が見えなくなる。

 幾つもの水柱が立ち、破裂音と硝煙の香りが辺りを包んだ。

 朧と曙。手を伸ばす。

 赤城は迫る敵の攻撃も忘れ、如月の元へ急いだ。

 視界が晴れた時、そこには誰もいなかった。



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如月の乱、終結

 三川艦隊は迂回しながら、鎮守府に向かっていた。

 彼女たちは第七駆逐隊をショートランドから、鎮守府に護送するというのが目的であった。

 だが目的を果たした三川艦隊はショートランドに戻ると見せかけて、大きく迂回しながら鎮守府へと向かっていた。

 彼女たちの真の目的、それは投降と見せかけて鎮守府内部に侵入し、提督を確保するという第七駆逐隊達の援護であった。

 第七駆逐隊が上手く提督を連れ出せれば、そのまま彼女たちを護衛し、ショートランドに帰還する。それが理想の形だった。

 だが、そうはならなかった。

 鎮守府のある方向から飛んできた艦載機。その機体からは赤い煙が立ち上っていた。そしてそれは作戦失敗を意味するものである。

 旗艦である鳥海はそれを確認すると、全速力で鎮守府へ向かう指示を出す。

 鎮守府側に悟られないよう、三川艦隊は慎重に動いていた。だが作戦が失敗したとなれば、話は別だ。早急に第七駆逐隊と合流しなければいけない。そう思い、全速力で進んだ。

 水平線の先に夕張達が見えてきた。

 あまりにも凄惨な状況だった。

 鎮守府からの追手に追われている彼女たちは、既に半数が大破し、仲間達に担がれている。

 彼女たちの周りには幾つもの水柱が立っていた。

 鎮守府からの攻撃である。上空には数機の艦載機が旋回しながら、爆撃をくわえていた。

 対空砲撃を行い、艦載機を何とか撃墜する。

 傷だらけのなっている第七駆逐隊達を守るように、三川艦隊が周りをぐるりと囲んだ。

 

「大丈夫ですか、皆さん!」

 

 旗艦である鳥海が叫ぶように尋ねた。

 事実、戦線の被害は甚大である。

 鳳翔・潮が大破し、残りの艦娘達も中破・小破しており、五体満足な者はいないようだ。

 その中で最初に違和感に気が付いたのは天龍だった。

 

「おい・・・・・・如月と加賀さんは一緒じゃないのか」

 

 そう言われ残りの三川艦隊のメンバーもこの中に如月と加賀の姿が無い事に気が付いた。

 鎮守府に残ったのか、それとも捕らえられたか。

 だが、それらの予想をはるかに上回る、最悪の答えが漣の口から漏れた。

 

「如月ちゃんが・・・・・・」

 

 漣の声は震えていた。

 

「如月ちゃんが・・・・・・死んじゃった・・・・・・」

 

「・・・・・・は?」

 

 一瞬、天龍は漣が何を言っているのか分からなかった。

 如月は鎮守府最古参のメンバーで、第一遊撃部隊の一人。三川艦隊の面々とも戦友同士である。

 彼女の実力はよく知っている。深海棲艦との戦いでも、どんな苦境に飲み込まれようが生きて帰ってきた艦娘なのだ。

 如月が死ぬわけが無い。荒唐無稽な話にすら感じる。

 しかし。

 

「う、うあぁぁぁぁぁ・・・・・・」

 

 漣が、泣いた。

 いつもどこか飄々としていて、張り詰めた空気の中でもおどけて、皆の緊張を解しているような漣が。泣いた。

 たったそれだけのことで、天龍達は彼女の言葉が真実であることを理解したのだ。

 天龍の瞳から止めどなく、涙が溢れ出す。

 他の三川艦隊や夕張達も嗚咽を漏らし、頬を涙が伝った。

 喚声が聞こえる。

 水平線の向こうから、鎮守府からの追手が迫ってくるのが見えた。

 

「・・・・・・ここは危険です。皆さんは早くショートランドに向かってください。ここは我々が引き受けます」

 

 鳥海の言葉に漣は頷くと、そのまま夕張達と共に動き始めた。

 天龍が袖で涙を拭う。その顔は怒りに染まれり、低い唸り声と共に軍刀を抜いた。

 

「てめえら・・・・・・許さねぇ・・・・・・」

 

 天龍が真っ先に追手へと突っ込んでいく。

 本来なら彼女の行動を咎める鳥海も何も言わなかった。

 そればかりか、艤装を唸らせ、自らも後へ続く。

 加古が。青葉が。衣笠が。古鷹までもが怒りに身を任せ、直進した。

 漣は振り返らなかった。

 後ろから雄叫びと爆音が何時までも鳴り響いていた。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

 ショートランド近海で叢雲は逃げてくるであろう如月達を待っていた。

 作戦失敗の報を聞き、気が気ではなかったのだ。

 漣達がようやく近海に姿を現わした時、叢雲は安堵と共にその中に如月の姿が無いことに、疑問を覚えた。

 合流し、如月戦死の報告を聞いた時。

 叢雲は初めて、戦場で膝をついた。



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如月の最期

 気づいたときには二人を突き飛ばしていた。

 提督がいると長門が言い続けてきた執務室に、提督はいなかった。

 長門が嘘をついていたこと、提督が現状鎮守府にほぼいないこと。この二つが分かっただけでも、今回の作戦には収穫があった。

 後はこのことを叢雲達に託せばいい。

 ショートランドで同志達と合流し、行方知らずとなった提督を探し出す。

 そのためには何としても追撃から逃れなければならなかった。

 だが、鎮守府の追撃は想像以上に激しい。手負いの自分を庇いながら逃げるのは、あまりにも不利な戦いであった。

 自分が足を引っ張っている。潮や鳳翔が大破した。普段ならあの程度の攻撃に被弾するような艦娘ではないのだ。

 状況はドンドン絶望的になっていく。

 全滅だけは避けなくては。そう思った瞬間、蒼龍の最後の攻撃が始まった。

 自分はこれを自力で回避できる体力など、残っていない。そればかりかこのままでは朧と曙も、道連れになってしまう。

 そんな考えが脳裏を過ぎった瞬間、如月は二人を突き飛ばしたのだ。

 二人の顔が見える。

 こちらを見て、朧が手を伸ばす。曙が名を叫ぶ。

 悲しそうな顔をしないで。自分が庇って皆が死ぬくらいなら、自分一人だけの犠牲ですむならそれでいい。

 覚悟は、とっくの昔に出来ている。

 ずっと昔、『如月』の名前を受け継いだ時から、自分は兵器だと心の奥で言い聞かせた。

 艦娘になって、御国を、人々を深海棲艦の手から守る。そのために命を賭ける。

 死などいつも隣あわせの存在だったのだ。

 だから後悔など無い。後は皆に任せた。

 上から何かが落ちてきた。

 目の前が真っ暗になり、何も聞こえなくなった。

 

 沈んでいく。 

 何も見えないし聞こえないはずなのに、はっきりとその感覚が分かった。

 それも徐々に消えていき、暗闇の中に自分が溶けて消えていくようだった。 

 皆は無事に逃げ切られただろうか。

 それだけが気になった。

 いや、もうよそう。

 後は叢雲達に託した。

 きっとどこかにいる提督を救い出し、鎮守府を再興に導いてくれるハズだ。

 また皆で笑える、そんな鎮守府を。

 ・・・・・・自分もそこに行きたかった。

 黒に染まった視界が晴れてきた。

 水平線が見える。その先。

 何かが見えた。

 島だ。見覚えがある。

 緑の生い茂る外観も、波が当たる波止場も、風に靡く旗も、全て知っている。

 あれは鎮守府だ。

 提督と、仲間達と。共に過ごした鎮守府だ。

 いつのまにか戻ってきたのか。いや、そんなハズはない。

 未練は無いと、自分に言い聞かせていたが、やはり心の奥底に心残りはあったのか。

 あそこに戻らなければ。

 あの旗の下、再び仲間達と戦うのだ。

 だが帰るべき鎮守府は徐々に遠ざかっていった。

 やはり、駄目か。

 せめて・・・・・・腹の奥から声が漏れ出た。

 

 ――如月のこと、忘れないでね・・・・・・

 

 瞳を閉じた。

 冷たく、重い何かが如月の体を包み込んだ。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

 不意に温かいものが、如月の体を包んだ。

 纏わり付いていた重いものが消え、体が軽くなった。

 誰かが自分を抱きかかえている。 

 驚いて目を開いた。

 目の前に知っている顔がある。

 ずっとずっと、待ち望んだ人の柔和な顔が、如月を見下ろしていた。

 

「司令官・・・・・・」

 

 声が漏れた。

 如月の言葉を聞いて、目の前の青年はにっこりと笑った。

 本物だ。間違いない。

 涙が溢れてきた。

 

「司令官・・・・・・あ、会いたかった・・・・・如月、会いたかったの・・・・・・」

 

 抱きついた。

 この人にもう一度、会う。そのためだけに同志を集め、長い時間をかけて準備をしてきたのだ。

 

 

「司令官・・・・・・もう離さない・・・・・・これからはずっと・・・・・・ずっと一緒よ・・・・・・」

 

 困ったように提督は笑った。

 優しく頭を撫でてくれる。海水で痛んでしまった髪を、愛おしげに撫でてくれる。

 それだけで嬉しかった。

 

「司令官ったら・・・・・・ありがとう、好きよ」

 

 如月の言葉に、提督はどこか悲しげに微笑んだ。

 そのまま提督は歩み始めた。

 何処に向かっているのだろう。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 大好きな提督と、これからはずっと一緒にいられるのだ。

 色んな話をしよう。これまでのことと、これからのこと。

 お話ししたい事は、山のようにあるのだ。

 

 もう体に纏わり付く闇も重さも、完全に消えていた。

 そればかりか、眩いばかりの光が二人を包んでいく。

 暖かい。まるで今の如月の心を現わしたように、幸せな暖かみだった。

 提督は如月を抱いて進んでいく。

 その先には光溢れる世界が広がっていた。



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動揺する鎮守府

 鎮守府の大本営には三本の旗が掲げられている。

 一つ目は国旗・日章旗。二つ目は海軍の象徴である旭日旗。三つ目は錨をモデルにした艦娘と鎮守府を現わす独自の旗である。

 その三つの旗が、全て半旗となった。

 如月戦死。

 その報が鎮守府に届いたとき、最も取り乱したのは駆逐艦ら新兵ではなく、軽巡重巡の古参兵達だった。

 皆、かつては如月と肩を並べて深海棲艦と戦った仲である。だからこそ、如月との繋がりは強固であった。

 嘘だ。何かの間違いだ。そんな怒号が聞こえる。

 如月達を追撃したのは身軽な駆逐艦ばかりだった。

 そもそも如月が反乱を起こした事自体、古参たちは信じられなかった。提督に対する不満が鎮守府中に満ちていたが、その提督を庇い続けたのが如月なのである。

 結果的に彼女たちは追撃に加わらなかった。もし参加していれば、もっと別の結末があったかもしれない。

 追撃部隊は突然横から突っ込んできた三川艦隊によって、大打撃を被り撤退を余儀なくされたのだ。

 その後三川艦隊も姿をくらまし、被害の大きい鎮守府は捜索を打ち切ったのだ。

 何かの秘密を知る如月を討ち取った。それが一番重要なのだろう。

 鎮守府内の被害も甚大であり、艦隊を送る余力も無かったのである。

 長門は傷の浅い艦娘達に、破壊された鎮守府の復旧作業を命じた。

 如月が轟沈して、既に数時間が経過したときのことであった。 

 

 吹雪が医務室のベッドの上で目が覚めたときには、すでに混乱は収まっていた。

 身体に異常は無く、吹雪はすぐに医務室から出て外に向かった。鎮守府内はあちこちが壊され、先程までの戦闘の傷跡が生々しく残っている。

 駆逐艦たちが復旧作業や負傷した艦娘の手当をしていた。その中で吹雪は、長門に掴みかかる重巡たちの姿を捉えた。

 言い争っている。足柄と川内が怒声を上げなら長門に詰め寄り、姉妹艦達に抑えられている。

 一方の長門は、憔悴しきったような顔で何か反論しているようだった。

 だが彼女も限界だったのか、皆から顔を背けるとそのまま大本営に下がっていった。最上階は砲撃で破壊されたが建物自体は、まだ健在だったのだ。

 その日は結局、長門がそこから出てくることはなかった。

 吹雪は何だかいたたまれない気持ちになって、その場を離れた。

 その先で、復旧作業を行う夕立を見つけて、駆け寄った。

 彼女の口から如月の死を聞いた。吹雪もさすがに信じられなかった。だが、そのことを伝えて涙を流した夕立を見て、その事実を実感したのであった。

 吹雪自身も悲しさがあったが、それ以上に睦月のことが心配だった。姉妹艦であり親友でもあった如月が轟沈したのだ。その心境は想像に絶する。

 必死に姿を探した。

 鎮守府中を駆け回り、ようやく波止場の所で睦月の姿を見つけた。

 座ったまま、海の方向を真っ直ぐ見つめている。

 

「・・・・・・睦月ちゃん」

 

 背中に向かって声をかける。睦月は振り向かなかった。

 既に日が水平線に沈み、辺りは紅から闇に変わりつつある。

 無言で親友が散ったであろう方向を眺める彼女からは悲壮な哀愁が立ちのぼっていた。

 かつて自分もこうだった。

 吹雪はそう思った。

 父を失った時、自分も毎日波止場で待ち続けた。帰ってくるはずのない父を。

 死とはなんだろう。

 吹雪は常に考えた。

 親しい者が死ぬ。それは突然やってくる。

 当たり前のように近くにいた人間が、いなくなる。

 その悲しみは筆舌にしがたい。

 まるで世界が崩れ落ちたように、何もかもが真っ黒に染まる感覚。

 だがそれも月日が経てば消える。

 慣れるのだ。大好きな人がいない日常に。

 しかし決して忘れる事は無い。

 ふと突然。何かの切欠で思い出し、無性に悲しくなるのだ。

 

「睦月ちゃん・・・・・・」

 

 吹雪はそのまま後ろから睦月を抱きしめた。

 慰める言葉など、力にはならない。

 今の悲しみをどう乗り越えるかは、睦月次第なのだ。

 やがて睦月の肩が小刻みに震え始めた。

 吹雪は無言で、抱きしめる力を少しだけ強くした。



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決別

 如月の乱が収束した次の日、鎮守府には滝のような雨が降っていた。

 真っ黒い雷雲が空を覆い、大きな雨粒が鎮守府中に降り注いでいる。

 まるで天が泣いているようだ。

 吹雪はそう思った。

 早朝から吹雪は目を覚まし、窓の外を眺めていた。

 毎朝、修行のためにランニングを行う。扶桑の元にいた頃からずっと続けている習慣だった。

 こんな時にも、そう思う。

 しかしこんな時だからこそ、やらなければならないとも思うのだ。

 雨合羽を着込み、靴を履いて外に出た。

 体に雨が容赦なく降り注ぐ。冷たい外気に思わず体がぶるりと震えた。

 さあ、行こう。そう思い足を踏み出した瞬間、吹雪の目に異様な光景が飛び込んできた。

 雨のグラウンド。その中央に幾つもの人影が見えた。

 艦娘たちだ。大勢いる。

 この悪天候の中、傘もささずに立ち尽くしている。

 あまりの光景に吹雪は言葉を失ったが、よく見ると彼女たちが皆、古参の艦娘であることに気が付いた。

 重巡と軽巡。明石や川内たちの姿も見える。

 皆無言で立ち尽くしている。皆の先には崩壊した大本営があった。

 如月の死を弔っているのか。それとも戦友を死に追いやった提督や長門へと抗議か。

 誰もが雨に打たれながら、静かに立ち続ける姿に吹雪は寒気を覚えた。

 怒りと哀しみ。その二つが混じり合った圧倒的な気迫が怒濤となって鎮守府の中を吹き抜けていく。吹雪はそのままその光景に目を逸らし、その場を後にした。

 

 その日は一日中豪雨のため、復旧作業はほとんど行われなかった。

 遠征や演習と行った通常任務も全て中止となり、艦娘たちは皆、如月の死を悼んだ。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

「それで、鎮守府は何て?」

 

 ショートランド泊地の作戦本部。

 今ここに、叢雲をはじめとしたショートランドの艦娘たちが集まっていた。

 

「反逆罪を犯した第七駆逐隊をショートランド所属の三川艦隊が庇ったことの説明を求めています。それと第七駆逐隊・三川艦隊の引き渡しも」

 

「・・・・・・如月のことは?」

 

「・・・・・・如月ちゃんは反逆者たちの首謀者の疑いがある。それだけです」

 

「そう・・・・・・」

 

 叢雲は指揮艦の椅子から立ち上がり、傍らに置かれた槍を手に取った。

 船のマストを模したこの槍は叢雲の艤装の一部であり、長年愛用したモノだ。それこそ如月と同じ部隊を組んだときから・・・・・・

 

「寝食を共にし、長年仕えた忠臣を死に追いやって・・・・・・それでいて、なおもその声明・・・・・・」

 

 部屋には三本の旗が飾られている。

 日章旗、旭日旗、そして鎮守府の旗。

 

「ならば、もう私達の行くべき道は決まったわね」

 

 そう言うと叢雲は鎮守府の旗を切って捨てた。

 

「我らショートランドと鎮守府の――全面戦争よ」



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帰ってきた艦娘

 提督が姿を隠し長門が事実上鎮守府の実権を握ってから、古参兵たちと長門は上手くいってなかった。

 古参兵たちは如月を差し置いて秘書艦になった長門に良い感情を抱いていなかったし、長門もまた自分に反発する彼女達を疎ましく思っていた。

 そんな両者の関係を上手く取り直していたのが如月であった。

 その如月がいなくなれば、鎮守府の均衡はどうなってしまうのだろうと新兵達は心配した。

 悪い予感はすぐに的中した。

 如月戦死から二日後、古参兵達は妙高を中心に長門への反抗を決めた。

 同じ古参兵でも加賀は赤城達との関係を疑われ尋問中。蒼龍は如月を轟沈させた自責の念からか、自室に籠もっている。

 重巡最古参・利根は自室で如月の喪に伏し、妹の筑摩もそれに従っていた。

 妙高は彼女らに次ぐ、古参である。

 彼女はどちらかという穏健派で、熱くなりやすい妹や後輩達を如月と共に宥めることが多かった。

 そんな妙高が直々に提督と長門に物申すと言い始めたのだ。さすがの妹たちも面食らった。だが同時に頼もしくもあった。

 普段はお淑やかで冷静な分、怒った妙高は凄まじかった。

 静かな激情である。それは怒り狂う者よりもはるかに脅威だった。

 那智と足柄。普段は大人しい羽黒も付き従うことになった。

 そこに川内三姉妹と、高雄・愛宕が加わる。

 総勢9名。

 新兵よりもはるかに少ないが、精鋭中の精鋭だった。

 

 吹雪はその日、いつも通り早朝ランニングをするために外に出ていた。

 朝は少し寒い。

 吹雪は震える体に鞭打って、走り始める。

 こんな時に。とも思ったが、このようなときだからこそいつも通りにしようと吹雪は考えたのだ。

 グランドを一周してふと一息ついた時、吹雪は大本営に向かう妙高達の姿を見つけた。

 挨拶をしようとして、その異様な雰囲気に息を呑んだ。

 全員が皆、艤装を装着している。

 いつもの優しげな表情は消え失せ、戦闘時のような鋭く刺さるような雰囲気を醸し出していた。

 少し前に見た、第七駆逐隊や如月と同じ顔だ。

 寒気を感じる。

 体は走って温まってきているはずなのに、氷のように体が冷えていくのを本能で感じた。

 気が付けば吹雪は皆を跡をついて行っていた。

 見つからないように距離取りながら・・・・・・そう思っていると川内が顔は前を向いたまま、こちらに視線だけを向けた。

 

 ――来るな。

  

 彼女の瞳はそう語っていた。

 吹雪は思わず立ち止まった。川内はもうこちらに視線を向けることはなかった。

 

 

「何のつもりだ妙高」

 

 大本営に向かう階段の上で、長門は妙高達を見下ろしていった。

 その両目には深い隈が刻まれている。顔色も悪く、疲れが全身から滲み出ていた。

 長門の周りには所謂長門派と呼ばれる新兵達が主砲を構えて、妙高達に向けている。

 

「貴方に用は無いわ長門。提督にお話があるの。通して欲しいわ」

 

「駄目だ。誰も通すなと言う命令だ」

 

「今の状況を分かっていないわけがないでしょう。漣ちゃんたちの反抗。如月さんの最期。この鎮守府始まって以来の非常事態にいつまでも指揮官が姿を見せないのはおかしいでしょう」

 

「その如月は提督が最も信用していた艦娘の一人だった。だが奴は裏切った」

 

「私はそう思いません。如月ちゃんは最後まで提督の事を想って行動した。間違ってはいましたが」

 

「裏切り者が報いを受けた。それだけだ」

 

「それは長門、貴方の考えでしょう」

 

「提督も同じお考えだ。私は提督のお言葉を代弁しているに過ぎん」

 

「信じられないわ。提督から直にお言葉を貰わなければね」

 

「お前達のように忠臣面をする古参を提督は疑っておられる。裏切るのではないのか、とな」

 

「私達が知っている提督はそんな小心者ではなかったはずよ。長門、貴方だって分かっているでしょう」

 

「妙高、これが最後通告だ。提督は誰にも会わん。今すぐ皆を連れて持ち場に戻れ」

 

「悲しいけれど、決別の時がきたようね」

 

 妙高の貌が変わった。

 空気が急激に冷え込んでいく。新兵達は想わず唾を飲み込み、体を震わせた。

 

「貴方をここで倒してでも、提督の元へ行かせて貰うわ」

 

 ゆらり、と妙高が右手を挙げると皆が一斉に主砲を構えた。

 長門の目が見開かれる。

 一触即発。

 どちらが撃つか。そんな時だった。

 爆音。

 その場に響いた。

 どちらでもない。全く別の場所からの破裂音。

 長門も妙高も周りの艦娘達も、一斉にその音の方へ顔を向けた。

 

「しばらく見ないうちに」

 

 白煙を上げる主砲を掲げながら、その女性は言った。

 

「随分と鎮守府は荒れたようデスね」

 

 妙な外国訛りの混じった独特の言葉使いで彼女は続けた。

 

「長門。詳しく話を聞かせて貰うネ-」

 

 長門に鋭い視線を向けながら、戦艦・金剛はゆっくりと皆のいる方に足を進め始めた。

 



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開戦

お久しぶりです。

この小説の金剛はかなり理知的になってしまいました。
あと長門と榛名好きの読者の皆様には申し訳ありません。


 金剛はかつて長門と如月の後任を争った艦娘である。

 戦艦の中でも最古参。持ち前の明るさと面倒見の良さで皆からは慕われ、実力の高い。

 秘書艦として遜色のない人選だった。

 だが提督は長門を選んだ。

 金剛は秘書艦として鎮守府で事務仕事をするよりも、各地を回って艦娘達と接したほうがいいと考えたからだった。

 それに金剛は秘書艦としてじっと仕事をこなすのは性に合わないだろう。

 金剛自身も提督の言葉に納得し、長門に任せて鎮守府を離れていった。

 この頃は長門も真面目で誠実であり、金剛は彼女が秘書艦に選ばれたことに何の不満を覚えていなかった。

 だが最近になって鎮守府と長門の噂を聞いた金剛は、自分が選択を誤ったのではないかと思い始めていた。

 金剛は自分が秘書艦であったかもしれないという自負があった。自分ならここまで鎮守府を迷走させないという意思も、また。

 それでも金剛が何も行動を起こさなかったのは、提督への恩義があるからであった。

 また戦艦筆頭である自分と長門が対立すれば、さらに鎮守府が混乱するという危惧もあった。

 だが如月轟沈の報を聞き、彼女の中で何かが切れた。

 これ以上傍観は出来ない。そう考えた金剛は、各地に散っていた姉妹艦達を集めて鎮守府に帰還することにしたのである。

 

「金剛さん!」

 

「金剛先輩!」

 

 妙高達が歓声を上げた。

 長門と同じ戦艦で、第一遊撃部隊に次ぐ重鎮である。

 

「皆、久しぶりネ。色々あって帰ってきましタ-」

 

 皆に囲まれ金剛は柔和な笑みを浮かべた。

 

「色々と、ネ・・・・・・」

 

 だが長門に対しては厳しい視線を向ける。

 周りの艦娘達も思わず息を呑んだ。

 

「金剛、よく帰ってきてくれた。比叡、榛名、霧島も久しぶりだな」

 

 長門も口調自体は普段通りだが、刺々しさが態度の節々に滲み出ていた。

 

「長門、お話がありマース」

 

「勿論だ。私もお前達に話さなければならぬことがある」

 

 長門は周りにいた部下達を下がらせて、踵を返した。

 金剛も無言で頷くと妹たちを率いて、大本営へと入っていく。

 

「金剛さん!」

 

 妙高が叫んだ。

 金剛は少しだけ微笑むと、手で彼女を制して長門の後ろを追っていった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

「・・・・・・以上が如月の乱の顛末だ。我々としても彼女を轟沈させるつもりはなかった。しかし結果として如月は死に、共犯者達は逃走した」

 

 長門と金剛四姉妹の五人だけで話し合いは行われた。

 まず最初に聞いたのは今回の事件の詳細であった。

 金剛は如月の計画を知らなかった。知っていたらきっと協力したであろう。しかし運命のかみ合わせの悪さか結局、金剛達と如月達の同志が接触することは無かったのだ。

 如月の死を当初四人は信じられなかった。

 長年の友である。

 しかし今、はっきりと彼女が非業の死を遂げたことを長門の口から聞き、四人は涙を滲ませて如月を惜しんだ。

 

「ショートランドはどうなっているのですか?」

 

 霧島が尋ねた。

 第七駆逐隊や三川艦隊の行動から、ショートランドの叢雲がこの件に絡んでいることは明白であった。

 そればかりか、逃亡した彼女達を今も匿っている疑惑がある。

 

「我々が説明と逃亡犯の受け渡しを求めているが、沈黙を貫いている。これ以上、鎮守府の命令を無視するようであれば、実力行使もやむを得んかもしれない」

 

「テートクはお変わりないでしょうネ?」

 

 金剛が言った。

 長門の眉がピクリと動いた。

 

「提督は以前から現鎮守府及び艦娘たちに不信感を募らせていた。それが今回の件でより一層、深くなってな」

 

「不信感、デスか。テートクが私達を疑うとは思えませんガ」

 

「このところ軍の介入が甚だしく、提督は心を痛めておられた。特に今は艦憲兵を筆頭とした海軍本部の犬もいる。心安らげることがないのであろう」

 

「それは貴方のことではないデスか、長門」

 

「・・・・・・何が言いたい」

 

 空気が張り詰めた。

 長門と金剛は睨み合い、霧島は黙って瞑目している。比叡は今にも長門に飛びかかりそうになるのをグッと堪えている感じであった。ただ一人、榛名だけが微笑みながら出された茶を啜っている。だがその笑みは明らかに張り付いたモノであった。

 

「テートクが姿をお隠しになり、貴方が鎮守府の全てを指揮するようになった」

 

「私がこの鎮守府の秘書艦として、提督に任せられた。当たり前であろう」

 

「第一遊撃部隊の如月ちゃんをないがしろにして、デスか?」

 

「・・・・・・今思い返してみれば、如月は不審な点が多々あった。他の駐屯地にいる艦娘と密通し、何かを企んでいるようであった。そして現に反乱を起こした」

 

「反乱デスか。だがそれはちょっと違うと思うネ」

 

「違うだと?」

 

「ええ。如月ちゃんはテートクのことを思い、貴方を油断ならない存在として考えて行動を起こしたのでは」

 

「何だと! 金剛、貴様、この長門を疑うというのか!」

 

 長門が激高して立ち上がり、金剛を護るかのように比叡も立ち上がった。

 

「いえ、長門のテートクに対する忠誠心は疑っていないネ。共に戦った仲だからネ」

 

 金剛は淡々と言葉を続けていく。

 

「かつては私も貴方も如月ちゃんも、戦場のbestpartnerだったネ。それがいつからか貴方は皆を遠ざけすぎたんじゃないデスか」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「テートクの身に何があったのかは知りまセンが、一言でもそのことを如月ちゃん達に相談しましたカ? 秘書艦の重責に潰れ、一人で抱えこんだのではないデスか?」

 

「金剛、私はな」

 

「その態度が如月ちゃんの不信に繋がり、膨れ上がって爆発した。私はそう考えているネ」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 拳を振るわせて長門は下を向いた。

 金剛は少しだけ怒気を緩めた。

 

「話して下サイ。テートクに何があったのか。どこにおられるのか。それさえ分かればこれからのこともお話出来マース」

 

 長門は考えているようだった。

 渋面を作り、額から汗を滲ませている。

 

「・・・・・・それは出来ん」

 

 絞り出すような声が出たのは数分経過した後だった。

 

「提督の、命なのだ。決して言うなと。この長門。提督の勅命を無碍には出来ぬ」

 

「長門、お前っ!!」

 

 掴みかかろうとする比叡を金剛が制した。

 

「そこまで言うのなら何も言いません。けど私達はここに残らせて貰うネ」

 

「好きにしろ。ただしここにいる以上は私の命令に従って貰うぞ」

 

「ええ。貴方の命令はテートクの命。ですものネ。だけど」

 

 金剛が立ち上がった。

 

「これ以上、秘密主義を貫くのなら私達も考えを改めマス。どちらかと言えば私は妙高たちの気持ち寄りデスからね」

 

 如月亡き後、この鎮守府の旧臣たちを纏められるのは金剛であろう。

 しかし長門にとってはある意味、如月や妙高よりも厄介であった。

 同じ戦艦で実力も拮抗し、戦歴では金剛の方が上なのである。

 それでも提督に対する信頼は厚く、如月のような行動は起こさないであろうという思いもあった。

 金剛は裏で策を練れるようなタイプではない。もし反抗すのであれば堂々と半旗を翻すであろう。

 まだ、大丈夫だ。

 むしろ彼女達が叢雲達と合流するのを防げたのは不幸中の幸いである。

 長門は自分にそう言い聞かせ、内心ほぞを噛んだ。

 

「ああ、美味しかった。やはり鎮守府のお茶は格別ですね」

 

 今まで沈黙していた榛名が突然口を開いた。その手元には空になった湯飲みが置かれている。

 

「こんな美味しいお茶でしたら、扉の外にいる皆さんにも分けてあげたらどうしょう?」

 

 長門の顔がサッと青ざめた。

 万が一のため、長門が重用する艦娘を数人、秘密裏に待機させていたのだ。

 

「金剛お姉様はお優しい方です。まだ長門さんを信じてみようと思うのですね。榛名も妹である限り、お姉様に従います」

 

 非常に丁寧に榛名は立ち上がると、長門に向かって一礼した。

 

「しかし、席次では金剛お姉様、扶桑先輩に次ぐ3番目の戦艦だった長門さんも偉くなりました。第一遊撃部隊の皆も抜く如くの勢い。もう長門さんは鎮守府の実質的な支配者かもしれませんね」

 

「榛名、何が言いたい」

 

「いえ、榛名は愚直故、思ったことを口にしてしまっただけです」

 

「榛名、もう辞めるネ。長門、妹が失礼したネ。私達はそろそろお暇します。妙高達が暴れるかもしれないから、釘を刺しておかないと」

 

 霧島も無言で立ち上がった。

 四人はそのまま出口に向かって歩いて行く。

 

「これから如月ちゃんを悼もうと思いマス。私達にとっては何時までも大切な仲間デスからね」

 

 そう言うと金剛は長門の方に一瞬、鋭い視線を向けた。

 

「貴方も同じだと信じています」

 

 それだけ言うと四人は出て行った。

 残された長門はただ黙って俯いていた。

 長門は自分が金剛達の反感を買っていることは知っていた。

 だが長門はここまで彼女達が露骨に反感を示してくるとは思わなかった。

 金剛達が実力行使に出てくる前に、何とかしなくては。

 これ以上、鎮守府を混乱させることは出来ない。

 長門はジンジンと痛む頭を押さえながら、部屋を後にしたのだった。

 

 ショートランド泊地に今回の件で詰問に向かった能代が、叢雲達に囚われたのはその翌日の事だった。

 叢雲は堂々と提督に半旗を翻し、ショートランド近海を制圧し始めた。

 旧臣である第一遊撃部隊と長門の両派閥の対立が遂に一線を越え、大きな渦となって噴出したのであった。



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叢雲、起つ

 艦憲兵は基本、艦娘が駐屯する泊地に派遣されているが、いくつか例外もある。

 叢雲率いるショートランド泊地も、その一つであった。

 艦娘は基本、人間ではなく艦娘という別枠的な扱いを受けており、軍属の階級を持っていない。

 一方、艦憲兵はまがいなりにも軍人の端くれである。当然、階級がある。

 そして艦娘は軍人よりも立場が低いというのが暗黙の了解であった。

 だからこそ艦憲兵は艦娘に対して、横暴に振る舞う。だが叢雲達第一遊撃部隊のメンバーは少々厄介だった。

 叢雲達は提督から独自行動権を与えられている。

 これは提督の判断無しに独自の行動を行えるというものであったが、この効力についてはまだハッキリ決まっていなかった。

 提督は人間であり階級も高い。全ての艦憲兵よりも、上の立場なのだ。そんな彼に認められた艦娘となっては、艦憲兵も迂闊に手は出せなかった。

 気の強い叢雲は艦憲兵がショートランドにやってくるとすぐに対立した。

 そして艦憲兵をショートランドから追い出してしまったのだ。

 艦憲兵たちはやむなく、ショートランドの近場の島に拠点を作り、そこで叢雲達を監視した。

 しかし、実際にそれは形骸化したものだった。

 ここの艦憲兵たちは必要以上にショートランドと関わらなかった。

 叢雲への怒りもあったが、恐怖がそれに勝った。

 人類が全く対抗できなかった深海戦艦。それを駆逐したのは彼女達なのである。

 深海棲艦以上の脅威。

 艦憲兵の中にはそう考えている者も多くいたのである。

 

 その日、ショートランド担当の艦憲兵達は、いつもと変わらない日々を過ごしていた。

 監視と言っても、泊地内に入れないのではやれることも少ない。

 ただ、定期報告をするだけ。そんな日々がもう数ヶ月も続いていた。

 平坦な日常は人を腐らせる。ここの艦憲兵達も同じであった。

 ショートランドから艦娘が数人、抜錨した。

 いつもの哨戒任務だろう。そう彼女達はタカをくくっていた。

 鎮守府での動乱は長門が隠していたので、ここには全く伝わっていなかったのである。

 艤装を纏った艦娘達が乗り込んできて、ようやく艦憲兵達は事の異常性に気が付いたが、後の祭りだった。

 人間と艦娘では身体能力の差がありすぎる。

 艦憲兵の拠点は瞬く間に、ショートランドの艦娘たちによって制圧されたのだった。

 

 

 

「叢雲ちゃん! 奇襲成功の報が深雪ちゃんから届きました! 艦憲兵達も全員、確保です!」

 

 白雪がそんな報告をしたのは、鎮守府から能代が叢雲を詰問しに訪れた直後であった。

 

「よし。まず出だしは好調といったところね」

 

 突然のことに能代は目を見開いて、叢雲に詰め寄っていく。

 

「ど、どういうこと!? 一体、何をしているの、貴方は?」

 

 能代は逃亡した第七駆逐隊と内通した夕張達。さらにそれを助けた三川艦隊がこのショートランドに逃げ込んだ疑いがあるため、それを探りにやって来た。

 だが叢雲に顔を合わせた直後に、そんな報告が飛び込んできたのである。

 流石に冷静な能代も激しく困惑した。だがそんな彼女を叢雲は冷ややかに見つめると、淡々と告げた。

 

「近場にあった艦憲兵の拠点を潰したのよ。目障りだったから」

 

「な・・・・・・何を馬鹿な事を! 貴方がやっているのは軍部への反抗ですよ!? 海軍本部が何て言うか・・・・・・」

 

「そんなの分かっているわよ。私達の目的は鎮守府と艦憲兵への反抗なんだから」

 

 能代は絶句した。

 当然のように叢雲は提督と海軍への叛意を口にしたのである。

 不味い。大変な事になる。

 すぐにこの事を鎮守府に伝えなくては。

 そこまで考えたとき、能代の首筋に冷たいモノが押し当てられた。

 叢雲がいつも手にしている槍だ。

 さらに能代に周りにはいつの間にか艤装を展開した駆逐艦達が、彼女へ主砲を向けていた。

 

「む、叢雲・・・・・・」

 

「能代。アンタはどうする? 私達と一緒に、鎮守府と戦う?」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 本気の目だった。

 本当に叢雲はここで反乱を起こす気なのだ。

 如月の乱は所詮、内乱程度のものだった。しかし、叢雲がここで蜂起すれば全艦娘を巻き込んだ大乱になる。それを理解出来ぬ能代ではなかった。

 

「・・・・・・能代は提督に忠誠を誓っています。貴方の下には入りません」

 

 能代とて誇りがあった。

 提督の下で戦う艦娘という誇りが。

 だがそれは叢雲もまた、同じであった。

 

「私もよ。提督とかつての鎮守府を取り戻す。そのための戦いよ・・・・・・いや、それだけじゃない」

 

 叢雲は大きく息を吐いて言った。

 

「如月の弔い合戦でもある・・・・・・連れていきなさい」

 

 叢雲の一言で、周りの駆逐艦達が一斉に能代を捕縛した。

 能代は悔しそうに唇を噛みしめて俯いている。

 駆逐達に先導され、能代はショートランドの執務室を後にした。

 

「賽は投げられた・・・・・・出撃よ!」

 

 檄が飛んだ。

 ショートランドから各駐屯地に、赤城・翔鶴・鳳翔といった正規空母達が艦載機を飛ばしていく。

 そこには現鎮守府と提督への怒り。かつての栄光の懐かしみ。そして如月の死の悲しみが込められていた。

 提督が姿を隠してから約一年。

 如月の死によって貯まっていた不満は爆発し、旧臣達は動き始めた。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

「・・・・・・そうか、いよいよ始まりおったか」

 

 パラオ泊地。 

 その執務室内で初春は呟いた。

 

「子日達も動くの?」

 

 初春の前には姉妹艦達が待機していた。

 子日。若葉。初霜。

 皆、初春の腹心であり親友とも言える妹たちであった。

 

「いや、すぐには動かん。トラックの五十鈴もおるしな」

 

 そう言いながら初春は書簡を三つ。机の中から取りだした。

 

「じゃがその前に皆に頼みたいことがある」

 

 初春はそのまま書簡を三人に渡していく。

 

「わらわ達、第一遊撃部隊。六人中、一人が旅立ち、二人は動いた。残り三人にそれぞれこれを届けて欲しい」

 

 今回で動いた叢雲・如月・初春の三人は第一遊撃部隊の中でも、革新的なメンバーだった。

 提督のために自分で動き、時には正す。だが残りの三人は違った。所謂、保守的。どこまでも提督を信じて忠義の道を進む。蒼龍と同じタイプだった。

 

「今回のことを説明し、それを元にこれからどう動くか。それを判断して欲しい。そう願って書いた。子日は長月。若葉は不知火。初霜は電。それぞれに頼む」

 

 三人は頷くとすぐに散っていった。

 残された初春は静かに椅子に腰掛け、物憂げに言った。

 

「・・・・・・如月よ。とうとう始まってしまったぞ。どうやらわらわはお前の所にはいけそうにない」

 

 最後まで忠誠を尽くし、仲間を守って散った如月はきっと天国にいるだろう。

 だが自分はそこにはいけない。

 どんな理由があれど、明確に自分は提督に牙を剥く決断をした。

 この世で最も尊敬し、敬愛した男と戦うかもしれないのだ。

 

「提督よ。お互い、再び相まみえるのは地獄かもしれんなぁ」

 

 人知れず、初春は小さく呟いた。



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第五遊撃部隊、誕生

 まる一日、経過した。

 その短い間にも、ショートランド離反の話は瞬く間に鎮守府中を駆け巡った。

 軍事的にも最重要拠点の一つであり、第一遊撃部隊の旗艦であった叢雲が反乱を起こしたのだ。

 ただでさえ如月の乱の直後である。

 鎮守府の歴史を創った最大の功労者が歴戦の戦士を従えて、反旗を翻した。

 これだけで鎮守府の艦娘たちを動揺させるのには充分だった。

 長門は勿論のこと、金剛を始めとする古参兵たちは大きく衝撃を受け、新兵達もかつての英雄達が敵となるかも知れないという不安に恐れおののいた。

 

 ただちに編成が再編された。

 表向きは対ショートランドのためということだったが、編成の構成を見た多くの古参兵達は眉をしかめた。

 姉妹艦や付き合いの深い艦娘同士が、軒並み離ればなれになっていたのだ。

 金剛四姉妹は勿論、多くの姉妹艦たちがバラバラに配置された。

 古参兵達が結託するのを防ぐための露骨な編成であることは、誰の目にも明白であった。

 吹雪の所属する第二水雷戦隊も解散の命が下った。

 たった数日間の編隊であったが、それでも吹雪にとっては初めての仲間である。

 胸が痛んだ。

 だがそれ以上に、不安が吹雪の胸中で渦巻いていた。

 吹雪の新しい配属先が原因である。

 第五遊撃部隊。

 その名前を聞いたとき、吹雪は一瞬自分の耳を疑った。

 遊撃部隊の名がこの鎮守府でどのような意味を持つか、新入りである吹雪だって知っている。

 提督から信頼を得た艦娘たちで構成される部隊。提督の命令が無くとも、独自の判断で動くことを許された精鋭部隊。

 それが遊撃部隊だった。

 艦娘達にとって、遊撃部隊に選ばれることがとても光栄であり、誇らしいことである。

 それ自体が提督の信頼を得ているという証だからだ。

 第一遊撃部隊が未だに艦娘達の間で絶大な支持を得ているのは、一番最初にその権利を得たからである。

 それ以降、遊撃部隊は第四部隊まで結成されたが、メンバーが全員同じのまま大規模作戦終了まで活動したのは、第一遊撃部隊だけだった。それもまた、彼女達への畏敬へと繋がった。

 第二遊撃部隊からは行う任務によってメンバーが入れ替わることが多かった。

 それでも旗艦だけは固定されていた。

 第二遊撃部隊・旗艦、五十鈴。

 第三遊撃部隊・旗艦、瑞鳳。

 第四遊撃部隊・旗艦、利根。

 彼女達は未だに鎮守府内で影響力が強く、皆から一目置かれている。

 それも遊撃部隊の旗艦を務めたからだった。

 遊撃部隊というのはそれ程に特別な存在なのである。

 

 だが今回の第五遊撃部隊は今までと勝手が全く違っていた。

 そもそもこの鎮守府にやって来たばかりの自分が選ばれることが奇妙なことだと、吹雪は当初思っていた。

 しかしそれ以上に驚いたのは、他のメンバーだった。

 まず、金剛。

 言わずと知れた大先輩だ。遊撃部隊に選ばれても全く不思議ではない。現に今まで彼女は第二・第四の遊撃部隊で戦っていたこともある。

 おかしい人選ではない。だが他の金剛型の姉妹から離されたのは、本人も不服そうであった。

 次に、加賀。

 彼女も戦歴から考えればおかしい人選では無かった。噂では瑞鳳率いる第三遊撃部隊で戦っていたこともあるらしい。

 しかし現在、加賀は非常に苦しい立場にある。

 如月の乱に加担した鳳翔・赤城と加賀は深い親交があった。当然、加賀も事件への関与が疑われ、尋問を受けた。証拠が不十分であるため、釈放されたが長門たちには疑われているようだった。

 そんな彼女が選ばれたのだ。

 時期的には何かおかしく感じてしまう。

 金剛と加賀。

 歴戦の勇士で、尚且つ今の提督と長門にとっては扱いづらい存在。

 その二人が新しい遊撃部隊に抜擢された。

 吹雪が訝しく思うのも当然であった。

 小さな疑念が吹雪の中でさらに大きくなったのは、残りのメンバーの名前を見たときだった。

 ――瑞鶴、大井、北上。

 如月の乱の直後に、鎮守府に召集された艦娘たちだった。

 瑞鶴は姉、翔鶴が在ショートランドにいるらしく、叢雲達に加担している疑惑がある。

 大井は元々、古参兵の一人であったが現在の鎮守のやり方で長門と対立し、一度鎮守府から出奔した身であった。

 提督だろうが長門だろうが面と向かって非難する大井を宥めるのが北上の役目であり、大井が素直に言うコトをきく唯一の存在が北上だった。だが、その北上も現在の鎮守府には批判的な所があった。

 そんな三人である。

 明らかに現在の提督から見れば、厄介な艦娘ばかりだった。

 その中に吹雪は放り出されることになったのだ。

 厄介者の寄せ集め。その数合わせに選ばれたとしか思えなかった。

 そして何よりこの遊撃部隊の異様な所は、旗艦が指名されていないということだった。

 

「邪魔な艦娘を体よく隔離したわね」

 

 大井がはっきりと言った。

 第五遊撃部隊の顔合わせ中の出来事である。

 仏頂面の加賀と瑞鶴。つまらなそうな北上。明らかに不機嫌な大井という、吹雪にとっては地獄のような空間であった。

 

「私は北上さんの一緒であればどこであろうとも天国だけど、こんなに露骨な事をされては腹が立つわ。全く、提督は何を考えているのかしら・・・・・・」

 

 そこからはブツブツと何やら呟き始めた。

 一度、鎮守府のことでやりあって以来、大井と長門は犬猿の仲らしい。召集されこの鎮守府に戻ってきたときも、大井は如月の件で激怒して長門に掴みかかり、北上に止められたという噂だった。

 

「大井っちったら考えすぎだってー。偶々だよーたまたま-」

 

 抑揚の無い声で北上が言った。普段から飄々としている彼女は掴み所の無い印象の艦娘だった。

 

「金剛さん、遅いね」

 

 瑞鶴が呟いた。

 五航戦として翔鶴と共に活躍した艦娘と吹雪は聞いていた。

 端整な顔立ちと鋭い目付きから、持ち前の気の強さが伝わってくるようだった。

 

「皆サーン!! お待たせしましター!」

 

 勢いよく金剛が入ってきた。

 重苦しい雰囲気だった室内が、幾らか和らいだ気がする。

 金剛はこれから部隊を組む皆の顔を一人ずつ見ていった。

 やがてその大きな瞳が部屋の隅にいた吹雪へと向いた。

 

「oh! 貴方が吹雪ですネ! 初めましテ! 英国で生まれた帰国子女の金剛デース! ヨロシクオネガイシマース!」

 

 金剛は満面の笑みを浮かべると、吹雪の手を取ってブンブンと握手した。

 

「あ、えっと、吹雪です! よろしくお願いします!」

 

 吹雪が緊張しながら敬礼すると、金剛はにっこりと笑った。

 

「これから同じ部隊の仲間! 一緒に頑張りましょうネ!」

 

 これが吹雪と第五遊撃部隊の戦いの始まりでもあった。



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広がる火の手

 全海域の地図が広げられていた。

 深海棲艦が出現して以降、世界中の海軍が己の制海権を守るため戦い、散っていった。

 その後、艦娘が誕生し彼女達を中心とした部隊を編成し、各海域の奪還を始めたのが日本であった。海上自衛隊が日本海軍となったのもその頃だった。

 大部分の深海棲艦は葬り去ったが、それでも奴ら少数ながら湧いてきた。

 それらを駆逐するために艦娘たちを各海域に置いたのだが、泊地だった。今では本土や鎮守府に居場所のない艦娘達の受け皿になっているとも言えるのだが。

 地図には全ての泊地が記載されていた。それを難しい顔で睨むのは長門で、その周りは大淀と各部隊の旗艦がいた。

 軍議の最中だった。

 地図に一つ、赤いピンが刺してある。反乱を起こしたショートランドだった。その近くに青いピンが二本。パラオ泊地とトラック泊地である。

 

「現在、叢雲さん達反乱軍はこの二つの泊地に帰順を求めています。トラックは拒否。パラオは無視しているようです」

 

 大淀がそれぞれのピンを指して、戦況の説明をしていた。

 今までもこういった軍議は何度もあったが、相手は深海棲艦であった。しかし今回は同じ艦娘が相手で、しかもその多くはかつての戦友達である。室内には重苦しい空気が流れており、大淀の澄んだ声と紙にペンを走らせる音だけが聞こえていた。

 

「トラックとショートランドが既に戦闘を開始しています。五十鈴さんはパラオと我々本部に救援を求めてきています」

 

「トラックは堅牢なれど、数ではショートランドが上だ。航空戦力も空母のいる叢雲達が有利だろう」

 

 トラックは五十鈴が姉妹艦達と共に守っていた。

 駐屯しているのは彼女達、軽巡の部下の駆逐達だけである。一方、ショートランドには元々、龍驤と隼鷹がいた。そこに赤城と鳳翔が加わり、さらには翔鶴が漣達の部下達を連れて合流したという情報もある。

 苦戦は必須であった。

 

「何故、初春さんは動かないのですか?」

 

 妙高が手を挙げた。

 先日の事があるからか、態度はどこか刺々しかった。

 

「この反乱による混乱を防ぐためと言っていますが・・・・・・」

 

「初春は叢雲とは竹馬の友だ。信用は出来んな」

 

 大淀の言葉を遮って長門が言った。

 彼女は第一遊撃部隊の事を信用していない。

 叢雲がショートランドで反乱を起こした時、真っ先に気にしたのはパラオの初春だった。

 彼女達の仲は今更言うまでも無い。

 叢雲が反旗を翻したのなら初春もそれに加わるだろうと長門は思っていた。

 だからこそ初春が何も動いていない現状が、長門にとっては気味が悪いことであった。

 

「もし初春が反乱に加われば、地理的にトラックは挟み撃ちになる。そうなれば流石の五十鈴でも守り切るのは難しいだろう。我々はすぐに編隊を組み、トラックへ救援に向かう」

 

 最悪の場合、叢雲と初春の二人と戦うことになる。だが、彼女達を放置すれば鎮守府の権威も落ちていく。そうなれば各地で反乱が起こる可能性だってありえるのだ。それだけは何としても阻止しなければいけない。

 迅速に反乱を終結させる。それが長門の出した答えだった。

 

「編成は終わっている。まずは身軽な水雷戦隊から出発し、その後本体を送る。遊撃部隊はその援護だ」

 

 一気に片をつける気だろう。

 軍議に参加していた金剛はそう判断した。

 反乱軍は練度は高いが戦艦がいない。火力的にはこちらが有利にも思えた。

 

「すぐに出発する。各自、準備を整えろ」

 

 それで軍議は終わった。

 艦娘たちは足早に会議室を出て行く。

 残ったのは長門と大淀だった。

 鎮守府空にするわけにはいかないので、何人かは残る手筈になっていた。

 

「・・・・・・五十鈴が持ってくれればいいが・・・・・・」

 

 長門は人知れず呟いた。

 

 緊急の電報が入ったのはそれから暫くして、すぐだった。

 第一陣は既に準備を済ませ、抜錨しようとしている中での出来事であった。

 リンガ泊地で反乱が発生したのである。

 ショートランドとは反対側の場所であった。

 叢雲の反乱に呼応するように、反乱の火を燃え上がり始めたのだ。

 嵐の中にいる。

 長門は拳を握りしめた。

 どうやったらこの鎮守府を守り切れるのか。

 長門は暗い執務室で一人、瞑目するのであった。



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リンガ泊地の乱

 大淀が報告書を持ってきた。

 リンガ泊地で起こった反乱についてまとめられている。長門は神妙な面持ちで報告書を受け取ると、苦虫を噛みつぶしたような顔で目を通していく。

 最初に報告を聞いたときはまさか、と思った。

 瑞鳳は軽空母最古参である。

 鎮守府の中では穏健派であり、提督への忠誠心も厚い。現在の鎮守府に対して良い感情は持っていなかったが、反乱に加担するような苛烈さは持っていない艦娘だった。

 それが何故・・・・・・と思ったが反乱の首謀者は瑞鳳では無く、姉の祥鳳だった。

 祥鳳は瑞鳳の副官としてリンガ泊地に着任していた。

 姉妹仲は良好で、だからこそ瑞鳳は祥鳳を副官に任命したのだ。

 この祥鳳が赤城達と内通していたのである。

 瑞鳳も祥鳳も現在の鎮守府には否定的だった。だが瑞鳳は提督への恩義から、多少の抗議はするものの、鎮守府の命令に逆らうことは無かった。元来、人当たりの良い性格のため、派遣された艦憲兵たちともそれなりに上手くやっていた。

 だが祥鳳は違った。

 彼女は視察という名目でリンガを訪れた赤城と加賀に計画を話され、その志に共感して同志になったのだ。

 二人がリンガを去った後は、泊地内の信用できる艦娘を計画に引き込み、同志を増やしていった。

 だが祥鳳は決して瑞鳳に、この計画のことは話さなかった。

 第三遊撃部隊旗艦まで務めた妹である。

 提督に対する忠誠はリンガ泊地の中で一番、深い。

 どんな大義名分を掲げようと鎮守府への反乱など、瑞鳳の目には提督への謀反にしか映らないであろう。

 それが祥鳳にはよく分かっていた。

 祥鳳は瑞鳳に気づかれぬよう巧妙に活動を続け、同志をリンガ内で増やしていったのである。

 現鎮守府に対する不満と祥鳳の人柄もあって、ほとんどの艦娘が活動に参加した。

 如月の乱が起こったのはそんな時であった。

 その衝撃と顛末は、リンガ泊地に大いなる動揺を与えた。

 瑞鳳祥鳳は勿論、如月と共に戦った艦娘はこのリンガにも多く配属されていた。

 皆が如月の死を悼み、そして鎮守府への怒りを表した。

 直後にショートランドが蜂起した。

 リンガはショートランドとは対局の位置にあり、もしここで反乱を起こせば鎮守府を挟み撃ちに出来る可能性があった。

 今しかない。

 祥鳳はそう思った。叢雲とは連絡を秘密裏に取り合っていたが、反乱が起きてからは自分の判断で動くように話がついていた。

 問題は瑞鳳だった。ショートランド謀反の報を聞いた後、祥鳳は執務室に向かった。瑞鳳は一人、執務室で静かに瞑目していた。

 

「瑞鳳、ショートランドが・・・・・・」

 

「聞いたよ。叢雲ちゃんが反乱を起こしたって」

 

 瑞鳳は沈痛な面持ちで答えた。目にうっすらと隈が滲んでいる。

 

「なんてことを・・・・・・味方同士で争っている場合じゃないのに・・・・・・」

 

「・・・・・・瑞鳳、私達はどうするの?」

 

 瑞鳳の瞳が祥鳳へ向いた。姉妹の視線が絡み合い、空気が少々だが強張った。

 

「ショートランドの反乱は見過ごせないものがあるけど・・・・・・今はこのリンガを守ることが優先よ。深海棲艦だってまだ壊滅させたわけじゃない。鎮守府が混乱している今こそ、しっかりと重要拠点を死守しなきゃ」

 

 瑞鳳が同士になることは永遠に無いであろう。祥鳳は彼女の言葉でそう悟った。

 

「皆も浮き足立っているわ。宥めてこないと」

 

 祥鳳はそれだけ言うと、執務室を出た。

 そのまま作戦会議室に向かうと、同志達が待っていた。

 

「祥鳳さん、瑞鳳さんは?」

 

 綾波が尋ねてきた。祥鳳は無言で首を振った。

 

「あの子の考えは変わらない・・・・・・決行よ!」

 

 周りの駆逐達が頷いた。 

 彼女達は艤装を纏うと、祥鳳を先頭に執務室へと向かった。

 勢いよく扉を開け、少女達は一斉に瑞鳳へ主砲の先を向ける。

 突然のことにさすがの瑞鳳も動きが遅れた。

 困惑する彼女の前に姉が現れて、艦載機を発進させる弓を構えたのだ。

 

「しょ、祥鳳! 何のつもり?!」

 

「・・・・・・瑞鳳。単刀直入に聞きます。叢雲ちゃんに協力する気は無い?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、瑞鳳は全てを悟った。

 

「正しい鎮守府を取り戻す。私達のためにも、そして提督のためにも」

 

「・・・・・・こんなの間違ってる。弓を降ろして、祥鳳。今なら何も見なかったことにするから・・・・・・」

 

「もう遅いのよ、瑞鳳。もう何もかもが始まってしまったの」

 

 流石の瑞鳳でも軽空母と数人の駆逐艦たちに丸腰では勝てる自信は無かった。

 だがそれでも、自分はこのリンガ泊地の指揮艦であるという誇りもあった。

 

「私は絶対に提督の敵にはならない。例えどんな事が起きようとも」

 

「・・・・・・そう言うと思っていたわ。だから地下に少し入っていてもらう」

 

 地下には軍規違反者が入れられる独房があった。

 駆逐達に連行され、瑞鳳は部屋を後にする。

 

「後悔するわよ」

 

 瑞鳳は言った。

 

「ごめんなさい。でも、覚悟の上なの」

 

 祥鳳はそう言うと、妹を見送った。

 

 艤装を拘束され、瑞鳳は丸腰のまま独房に入れられた。

 勿論、祥鳳達は瑞鳳に危害を加えるつもりは毛頭無い。作戦が終わるまでここに軟禁しておくのが、目的であった。

 だが、このリンガ泊地の艦娘が全てが祥鳳に賛同しているわけではなかった。

 瑞鳳は慕われていた。そんな彼女に対する今の扱いに不満を持つ者もいたのである。

 深夜、瑞鳳の独房がゆっくりと開いた。

 中で座していた瑞鳳は突然のことに驚いて、立ち上がった。

 

「ず、瑞鳳さん。迎えにきました」

 

 三日月と菊月だった。

 後輩であり、何かと可愛がっていた二人だ。

 

「二人ともどうして・・・・・・」

 

 そう言った瑞鳳の口に菊月が人差し指を当てる。その指はそのまま地面に向けられた。その先に見張りをしていた春雨が、床に転がっていた。

 

「貴方をこんな所に閉じ込めるような祥鳳さんにはついて行けん」

 

 菊月がそう言った。

 

「今からここを脱出して、鎮守府まで逃げましょう。このことを皆に伝えないと・・・・・・」

 

 三日月もそれに続く。

 

「・・・・・・ここからじゃ流石に難しいわ。それよりも中継地点の第5泊地に向かいましょう」

 

 二人は頷くと瑞鳳を両脇を抱えた。艤装無しで瑞鳳は夜の海へ向かった。

 灯もなく、深海棲艦が未だに出没する可能性のある海域を、部下二人に支えられながら瑞鳳はひたすら進んでいく。

 目的地である第五泊地に辿り着いた時には、夜が明けていた。

 

 第五泊地をまとめる飛鷹は瑞鳳と親交が深い仲だった。

 彼女は朝早くに艤装無しで海を渡ってきた瑞鳳を見て驚き、すぐに泊地内に招き入れた。

 そこで飛鷹はリンガ泊地の反乱を瑞鳳の口から聞かされ、絶句した。

 第五泊地はリンガの最寄りである当時に、鎮守府への中継地点である。リンガが狙うとしたら間違いなくここである。第五泊地がリンガの反乱勢力の手に落ちれば、この場所が鎮守府への足がかりとなるのだ。

 飛鷹と数人の駆逐艦だけの小さな泊地であるが、愛着はあった。この場所を反乱軍の前線基地にしたくはない。

 かといってリンガと第五泊地では人数でも設備でも適わない。瑞鳳が満足に戦えればまだ勝機はあったかもしれないが、生憎彼女は艤装をリンガで拘束されていた。

 自分たちに出来ることはここを守り抜く事だけだ。

 そう考えた飛鷹はすぐに鎮守府に応援を要請すると、籠城の構えを取ったのだ。

 

 一方、瑞鳳の脱走をリンガ泊地が把握したのは朝になってからだった。

 当然騒ぎになったが、祥鳳は瑞鳳達が逃げるなら第五泊地であること。そしてそこから鎮守府にリンガの反乱が伝わるのを危惧した。

 いずれはリンガの反乱が鎮守府に届くだろう。だが予定より早い。祥鳳の理想はショートランドとリンガで電撃的に反乱を起こし、一気に鎮守府まで攻め入るというものだった。

 第五泊地なら簡単に落とせる自信が、祥鳳にはあった。数も装備もこちらの方が圧倒的に上なのだ。

 だが鎮守府の本体が相手となると話は別だった。

 リンガの最高戦力は祥鳳自身であり、正規空母や戦艦が相手となると些か部が悪い。だからこそ短期戦に持ち込まなければならなかったのだ。

 それが早々崩れる可能性が出てきたのだ。

 祥鳳は自身の油断を悔やみつつも、すぐに第五泊地に兵を向けた。リンガは敷波に任せ自身が駆逐艦を引き連れて出撃した。

 焦りつつも抜錨した彼女達が見たものは、港口を閉じて貝のように閉じこもった第五泊地の姿であった。

 祥鳳はすかさず艦載機を飛ばした。

 だが相手も軽空母。しかも同じ戦歴を持つ飛鷹である。実力は互角だった。

 人数が少ない分、第五泊地は徹底防戦に回っている。

 海に出ず陸上の対空砲などを使い、リンガの艦娘達を迎撃し・・・・・・夜戦やゲリラ戦を駆使して何とか耐え凌いでいた。

 しかし戦力差は歴然。さらに籠城した第五泊地は補給路を失ったのと同じであり、次第に消耗し始めていた。

 それでも鎮守府からの援軍さえあれば、戦況は逆転できる。その希望だけを頼りに、第五泊地は徹底抗戦の構えを取ったのであった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 長門は報告書を机に置いて頭を抱えた。

 今の鎮守府に兵力を二つに裂く余裕はない。

 この鎮守府だって空にするわけにはいかないし、他の泊地から救援を要請することも反乱が勃発している今では難しい。どこに反乱勢力が潜んでいるか分からないからだ。

 だがこうして悩んでいる内にも、第五泊地の命運は風前の灯火なのだ。

 

「・・・・・・第五泊地は小さく、守るのも難しい。だがトラック泊地は自然の要害。装備もショートランドに引けは取らん」

 

 長門の絞り出すように発した言葉を聞き、大淀は顔色を変えた。長門の真意を悟ったからである。

 

「・・・・・・我らは進路を変更し、第五泊地救援に向かう。皆にそう伝えろ」

 

「トラックを見捨てるのですか!?」

 

「違う! トラックには第五遊撃部隊を向かわせる。奴らにパラオと連携させ、トラックを援護するのだ。その間に本隊が速やかにリンガを鎮圧し、その後にショートランドを鎮圧する」

 

 大淀は絶句した。

 パラオの初春が油断できない存在であることは、長門だって分かっているはずだ。いつショートランド側に寝返り、トラックを挟撃しかねないのである。そんな激戦区に向かわせるのが第五遊撃部隊だけとは。

 だが、長門の言うコトにも一理はあった。

 第五泊地が非常に危険な状態であることも紛れもない事実であり、ここが落ちれば鎮守府の首元まで、反乱の手が伸びてくるのである。

 しかし、それでも。

 

(一番の激戦区に第五遊撃部隊を向かわせる・・・・・・提督と長門さんはこの機に乗じて、反抗勢力をつぶし合わせるつもりでは・・・・・・)

 

 叢雲も第五遊撃部隊も今の提督と長門にとっては邪魔な存在だ。それが潰し合えば結果的に、利を得るのは鎮守府なのである。

 

(以前の長門さんならこんな非情な戦法は取らなかった。そこまで長門さんが変わってしまったのか、それとも提督が裏で糸を引いているのか・・・・・・)

 

「大淀、早く緊急伝令を出してくれ。すぐに抜錨させる」

 

 長門の言葉に大淀は顔を上げた。

 何が正しいか正しくないか、自分はまだ分からない。だが自分は軍人なのだ。上官の命令に従わなければならない。

 そう自分に言い聞かせ、大淀は執務室を後にした。

 一人だけになった執務室で、長門は再び頭を抱えた。

 

「提督、私はどうすればいいのだ」

 

 普段の気丈な彼女からは考えられないその小さな呟きを、聞く者はこの部屋のどこにもいなかった。

 



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第五遊撃部隊、出撃

 

 第五遊撃部隊の出撃は、連合艦隊の後になるという話だった。吹雪はそれを聞き、睦月の元へ向かうことにしたのだ。

 睦月は榛名の隊でこの鎮守府の防衛に回ることになっている。夕立はリンガ救援部隊の第一陣として、先程抜錨していったばかりだった。

 たった六人でトラック救援に向かう。それを知った時、吹雪は言い様もない不安に襲われたのだ。パラオを経由していくとは言え道中には危険が多い。深海棲艦がいつ湧いてくるか分からないのである。吹雪が未だに深海棲艦と交戦していないことも、不安へと繋がった。

 

「吹雪ちゃん!」

 

 睦月はいつもの場所に座っていた。

 

「どうしたの? もう出撃するって聞いていたけど」

 

「うん。直前で変わったんだ。リンガでも反乱が起きたんだって。トラックには私達だけが行く」

 

 睦月は不安げに俯いた。

 ショートランドとトラックは共に古参が配置されている。それ故に激戦になっていると噂されている。そこに向かうという事は轟沈の危険があるということだった。

 

「・・・・・・如月ちゃんがいれば、皆を止めてくれるのに」

 

 睦月の絞り出すような声に、吹雪は思わず目を伏せた。

 彼女は未だに如月の帰りを待っているのだ。

 だがそれは誰にも責められない。

 如月がかつて愛していたと言われる場所には、未だに多くの艦娘が現れるのだ。

 確かに如月がいればこの戦いは止められるかもしれない。だがその如月が死んだことによって、この戦争は始まったのだ。

 艦娘同士の戦い。

 そんなことが始まった事を知ったら、天国の如月は何と言うだろうか。

 

「睦月ちゃん。私もすぐに出撃するんだ・・・・・・えっと・・・・・・だから」

 

 吹雪は言葉を詰まらせた後、睦月を抱きしめた。

 

「鎮守府を頼むね」

 

 しばし、静寂が流れた。

 睦月が震えている。いや、自分か。あるいは両方か。

 如月が死んだ。どんなに強い艦娘も簡単に死ぬ。ひどくあっさり、淡々と。それが戦争だ。そのことを新兵達は如月の乱で理解したのだ。それでも行かなければならないのだ。艦娘は軍人である。秩序と平和を守るために、戦いに行かなければならないのだ。

 夕立は笑って出撃していった。吹雪もそうしたかったが、やはり難しかった。

 気が付くと涙が溢れていた。それは睦月も同じようだ。

 少し経って、二人は離れた。

 互いに涙を拭い、顔を上げたときには二人とも笑顔だった。

 

「じゃあ・・・・・・また、三人で」

 

「うん、いってらっしゃい」

 

 吹雪は手を挙げて言った。睦月も大きく頷いた。

 第五遊撃部隊が待機している場所は港の近くにある待機室のハズだ。吹雪はその方向へと歩いて行った。

 

「吹雪ちゃん!」

 

 睦月に呼ばれ、吹雪は振り返った。

 

「はりきって、まいりましょー!」

 

 大きく拳を振り上げて、叫んでいた。

 吹雪はその激励に笑顔で返した。

 

「吹雪、頑張ります!」

 

 必ずここに帰ってこよう。

 そう誓って、吹雪は駆け出した。

 

 

 第五遊撃部隊の旗艦は金剛がするということになった。

 尤も、あくまで仮の話である。

 個々人が強烈な個性を持つ第五遊撃部隊は、誰が旗艦になっても揉めるのは確実だった。

 そこで最年長の金剛が便宜的に旗艦をするということになったのである。

 皆、無言だった。

 陽気な金剛ですら、表情を硬くしている。

 

「第五遊撃部隊、出撃開始して下さい」

 

 大淀の声が聞こえてきた。

 

「・・・・・・私達の出番ネ!  Follow me! 皆さん、本気でついて来て下さいネー!」

 

 金剛の号令と同時に、皆が艤装を纏って海へ向かっていく。

 吹雪も己の艤装を装備し、海原へと突っ込んでいった。

 潮の匂いが鼻腔をつく。吹雪は旗艦である金剛の護衛が主な役目だった。なので金剛の横について進んでいく。

 不意に吹雪は後ろを振り向いた。

 鎮守府はすでに、遠くなっていた。



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第五遊撃部隊問答

 丸一日移動して、第五遊撃部隊が第3泊地に辿り着きた時にはもう日が暮れはじめていた。

 パラオまで急ぐとはいえ、深海棲艦を警戒しながら進まなければならないためそれなりに時間はかかる。一行は第三泊地に寄港し、補給と小休憩をしてから進むことにしたのだ。

 第三泊地の指揮官は鈴谷と熊野だった。彼女たちは旧臣であり、金剛や加賀とも親交があったため第五遊撃部隊を快く迎えてくれた。

 

「随分と物々しい雰囲気ネー」

 

 金剛が思わず呟いた。泊地内はピリピリした空気に包まれており、すぐにでも戦いが始まりそうな気配を醸し出していた。

 

「あんなの事があったばかりですので……パラオの初春さんも元は第一遊撃部隊ですし……」

 

 熊野がおずおずといった感じで答えた。はっきりとは言わないが、初春を信用していないのだろう。

 第三泊地とパラオの間には小さな駐屯地しか存在しない。ショートランドの部隊が攻めてきたりなどすれば、あっという間に陥落するだろう。

 もしトラックが陥落し、パラオが鎮守府に背けばこの第3泊地が鎮守府防衛の最前線になる。しかし裏を返せば、ここが奪われればこの第3泊地が鎮守府攻略の前線基地となるのだ。かなりの重要地点だった。

 

「ぶっちゃけこんなことになったんだからさ、提督にはさっさと出てきてほしいよね」

 

 鈴谷が口を尖らせた。提督への不満はかなりの所まで膨らんでいる。それが弾けた結果がショートランドなのだろう。

 

「少し休憩させて下サイ。朝までには出発しマース」

 

「勿論ですわ。食事の用意は出来ております。ゆっくり休んで下さい」

 

 熊野に案内され六人は食堂へと向かった。

 自分以外の遊撃隊メンバーは皆、ここの艦娘とは旧知の仲であるためか、様々な艦娘たちに話しかけられていた。一抹の疎外感を感じながら吹雪は進んでいった。

 

「ねえ、鎮守府の期待のルーキーって貴方?」

 

 不意に鈴谷が話しかけてきた。大きな瞳が興味深そうに吹雪を見ている。

 

「鈴谷とは初めてだよね? ねえねえ、名前は?」

 

「ふ、吹雪です……」

 

「吹雪かぁ、てか吹雪型じゃん! そっかーようやく一番艦が着任したんだね」 

 

「え、えっと……」

 

「鈴谷、あんまり新人を困らせないの」

 

 瑞鶴が間に割って入ってくれた。

 

「ちーっす。じゃ、またあとでね」

 

 あまり執着は無かったのか、鈴谷は手をヒラヒラ振って去っていった。

 

「あ、あの、ありがとうございます」

 

「ん、気にしないでいいわよ」

 

 瑞鶴は何でもない様に言った。

 まだ会ったばかりの人であるが、親しみやすい人だ。金剛もそうだった。

 

 ――兄さんの事を聞けるかもしれない。

 

 第五遊撃部隊に配属された時、考えた事であった。自分以外は皆、古参兵である。提督である兄の事も知っているハズだった。

 用意された食事をありがたく頂戴し、シャワーで汗を流す。その後、案内された仮眠室に向かった。ここで朝まで仮眠を取り、明朝に出発する手筈となっている。

 トラックでは五十鈴が籠城し、ショートランドと一進一退の攻防を広げているという。パラオは未だ動いていない。そういった情報も入ってきた。

 

「このままパラオに向かっても大丈夫かしら?」

 

 仮眠室で大井が言った。

 吹雪も純粋に気になっていることだった。

 第一遊撃部隊の事をほとんど知らない吹雪から見ても、パラオの動きは不気味に見えたのだ。

 

「分からないわね。付近の海域警備を理由に救援を出さないのだから、あまり期待は出来ないわ」

 

 加賀が淡々と答える。

 

「む、叢雲と初春さんって仲が良かったんですよね?」

 

 吹雪は思い切って話に入って言った。

 加賀と瑞鶴は少し目を見開いたが、吹雪の顔を見ると表情を和らげた。

 

「そうか、貴方は知らないわよね」

 

「叢雲と初春はね、第一遊撃部隊のメンバーだったの。あの二人はすっごく仲良くてね・・・・・・頻繁に連絡を取り合っていたみたいよ」

 

「ブッキーはまだニューフェイスだったネー。知らないのも無理は無いデース!」

 

 金剛も話に入ってきた。

 北上と大井は二人で何か話しているみたいである。こちらの話に加わってくる様子は無かった。

 

「第一遊撃部隊は一番の古株でね。だからこそ今でも一番影響力を持っているんだ」

 

「・・・・・・如月さんも、第一遊撃部隊だったんですよね?」

 

 如月の名前が出ると、金剛達の表情が一瞬だけ曇った。

 古参兵である彼女達にとって如月は第一遊撃部隊の一人というよりも、共に戦った戦友という想いがあるのだ。

 

「如月は第一遊撃部隊の一人というよりも秘書艦って感じだったわね」

 

「確かに如月はテートクの秘書艦を長くやっていましたネー」

 

「如月はよく提督のフォローをしていたわね」

 

 三人が懐かしむように言った。

 

「その如月の信頼を裏切ったのが今の提督よ」

 

 大井が辛辣に言った。

 その言葉に皆は黙ってしまう。

 

「この際だからハッキリと言っておくわ。今の鎮守府の混乱は全て提督の不手際が原因よ。それが分からない皆さんではないでしょう?」

 

 大井の言葉は乱暴であったが事実でもあった。

 金剛達もそれを理解しているからか、すぐには反論できないようだ。こういう時、大井を諫める北上も、何も言わない。彼女も思うことがあるのだろう。

 

「・・・・・・そういうあんたはどうなのよ。提督さんのことを批判するのはいいけど、何かしているわけでもないじゃない」

 

 瑞鶴がようやく反論した。

 

「勿論、それは分かっています。本来なら鎮守府で提督を無理矢理にでも引っ張り出して、問題の釈明をさせるべきなのだけど・・・・・・」

 

 大井は顔を伏せた。

 

「まさか叢雲や祥鳳があんな手段に打って出るとは思わなかったもの。どんな理由があろうとも、反乱なんて行為は許されないわ」

 

「それは同感ね。艦娘同士で争っても意味が無いわ」

 

 加賀が大井の言葉に同意する。

 

「それが分からない叢雲じゃないでしょうけど・・・・・・」

 

「確かにあまりにも愚策。叢雲らしく無いわね」

 

 加賀と瑞鶴が言った。叢雲を知らない吹雪には分からないが、確かな信頼があるのだろう。

 

「初春が何も動いていないのも気になるわ。一体、何を考えているのか」

 

「分からないデスね。でも今、私達が出来ることは戦いを止めることだけデース」

 

 金剛の言葉に皆が頷く。

 

「この不毛な戦いを一刻も早く終わらせる。その後、私が鎮守府でテートクを引っ張り出しマース」

 

「鎮守府にはいないって噂もありますよ」

 

「長門がきっと何か知っているでしょうよ。今の長門の様子はあまりにも余裕を失っている」

 

 何かを知って、隠している。

 それが長門に対する皆の総意だった。

 

「・・・・・・皆さん、おに・・・・・・司令官の事を信じているんですね」

 

 思わず吹雪が呟いた。

 

「どういうこと?」

 

 こちらに覗き込んできた瑞鶴に吹雪は答えた。

 

「いえ、もしかしたら叢雲さんみたいに反抗するかも・・・・・・って」

 

 第五遊撃部隊のメンバーを知った時から、吹雪は一抹の不安があった。

 全員が古参兵で尚且つ、今の提督と長門とは距離を置いている艦娘達が集められた混成部隊。

 それだけでも不安であるのに、あろうことかこの一部隊だけで叢雲達が攻めるトラックへと出撃させられたのである。

 第五遊撃隊のメンバーが叢雲達に寝返るのではないか。吹雪はずっとそう考えていた。

 

「馬鹿ね。そんなことするわけ無いじゃない」

 

 瑞鶴が笑って吹雪の頭を撫でた。

 

「私達は鎮守府の艦娘。帰るのは鎮守府と決まっているの」

 

「叢雲の気持ちも理解出来るけど、間違っているわ」

 

「ええ、叢雲をまずは止めマース・・・・・・それから、私が提督と長門にお話ししマス」

 

 金剛はずっと考えていたようだった。

 もっと早く鎮守府に帰還し、提督と長門と話をするべきだった。

 そうするチャンスは何度もあったはずだ。だが自分たちの仕事にかまけて、後に見送ってきた。そのツケが如月の死と叢雲の反乱だった。

 

「叢雲を説得し、反乱を止める。そして提督を表舞台に引っ張り出して、今まで隠してきた事を全部、話して貰う・・・・・・ね、北上さん」

 

 大井の言葉に今まで沈黙を貫いてきた北上が頷いた。

 

「そういうこと。というわけでちゃっちゃと寝ようか。明日も早いからね」

 

 それだけ言うと北上は布団に横になった。

 他の皆もそれを見て軽く会釈してから、布団へと潜っていく。

 

「ぶっきー、心配はもう無くなりましたか?」

 

「・・・・・・はい! 大丈夫です!」

 

「それなら良かった! じゃあ明日は早く出発するから、早くスリープした方がいいデスね!」

 

 金剛は笑顔で言うと、そのまま横になった。

 吹雪もそれに倣い布団へと入っていく。

 心の中のしこりが取れた。そんな気がした。

 第五遊撃部隊はようやく皆で、話し合ったのだ。まだ一致団結とはいかないが、それでも自分たちは仲間同士であるという連帯感は生まれた。

 それだけで吹雪は満足だった。

 

 明朝、朝日も上がっていない時間に第五遊撃部隊は抜錨した。

 周辺海域は第三泊地の艦娘達が護衛として付いて来てくれた。幸運にも深海棲艦には遭遇せず、第五遊撃部隊は護衛部隊と別れてパラオへと舵を切る。

 パラオまではまだまだ遠い。早くてあと6日はかかるだろうとのことだった。それまでトラックが持ってくれればいいが・・・・・・と加賀は呟いた。

 鎮守府から一週間かかるということは五十鈴は最低でも七日間、籠城を余儀なくされるのである。ショートランドは鎮守府の援軍が到着する前にトラックを陥落させたいであろう。激戦が予想された。

 

 一日、二日、三日と順調に過ぎた。

 四日を過ぎた頃に、パラオから伝令が届いた。

 近海に深海棲艦が出没したとのことだった。

 

「パラオの部隊と挟撃することになるわね」

 

 伝令を受け取った瑞鶴が渋い顔で言う。

 ここで深海棲艦を見過ごすわけにはいかないが、トラック救援には遅れが出る。

 

「すぐに終わらせましょう。パラオと連携すればどうという事は無いでしょう」

 

 加賀の言葉に皆が頷いた。

 

「敵の数は?」

 

「判明している限りでは六体。空母一隻、重巡一隻、残りは駆逐艦」

 

「厄介デスね・・・・・・対空に備え輪形陣で向かいマショウ」

 

 金剛が指揮を執り、輪形陣を取る。

 中心に正規空母の加賀と瑞鶴が入り、その脇を大井と北上が固める。金剛が後ろに回り、前方に吹雪が配置した。

 

 正真正銘、吹雪にとっての初めての実戦である。

 生唾を飲み込むと吹雪は主砲を構えて、水平線の先へと進んでいくのだった。

 



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第五遊撃部隊の栄光

新年明けましておめでとうございます。
お久しぶりです。
長くなりましたがこれからも書いていくので、どうかよろしくお願いします。


 加賀と瑞鶴が航空機を発進させた。

 敵にも空母がいるという話である。いかに制空権を獲るかが、勝負の鍵を握るのだ。

 

「ぶっきー、落ち着いて。ネ?」

 

 金剛がそう言って肩を叩いた。吹雪にとっては初めての戦闘である。無意識に体が震える。

 彼方から轟音が響いた。上を見上げると侵攻先の空が黒煙で染まっている。艦載機同士の戦闘が始まったのだ。

 

「制空権は獲ったわ」

 

 瑞鶴が言った。

 

「さすがね・・・・・・北上さん!」

 

「あいよ-」

 

 瞬間、大井と北上が甲標的を放つ。それらは水平線に向かって真っ直ぐ進んでいった。その先に敵の機影が見える。

 深海棲艦・駆逐イ級が二体、こちらにむかって進軍している。その黒々とした表面が爆音と共に爆ぜた。

 おぞましい金切り声を上げながらイ級たちが沈んでいく。雷巡二人の先制雷撃が美味く命中したらしい。

 

「前は一掃したわ」

 

「残りは本命ね」

 

 大井の言葉に加賀が再び弓を構える。立ちのぼる黒煙の奥からさらにイ級が現れる。

 それらは大きく口を開き、中から主砲を放つ。

 

「回避!」

 

 金剛が叫ぶと皆は横に大きく舵を切った。敵の砲弾が近くで海面に当たり、派手な水しぶきが上がる。

 吹雪がたまらず顔を擦ると、同時に金剛が主砲を放った。直後に轟音が響き、また一匹、海へとイ級が沈んでいく。

 敵の半数は倒れた。だが残り三匹のうちには空母と重巡がいる。そちらこそ本命だった。

 軽母ヌ級と重巡リ級。この二体が厄介だ。

 ヌ級は最初、航空戦で加賀と瑞鶴に押されたからか、現在次の攻撃準備を行なっているらしかった。それを守るようにイ級とリ級が前面に立ち、砲撃を加えてくる。

 第五遊撃部隊は敵の側面へと徐々に移動しているようだった。正面から撃ち合うのと側面から撃ち込むのでは、大分違う。いかに敵が反撃しにくい所から攻撃するかで、勝負は変わってくるのだ。

 

「撃ちます! Fire!」

 

 金剛のかけ声と共に吹雪・大井・北上が一斉に主砲を放つ。幾多もの砲弾が敵に飛び、まずイ級がヌ級を庇って攻撃を受けた。沈んでいくイ級を尻目にリ級が反撃するも、狙いが定まらないのか当たりはしない。

 その隙に準備を終えた加賀と瑞鶴が再び艦載機を飛ばす。ヌ級が再び艦載機を飛ばす間もなく、加賀と瑞鶴の飛行部隊が爆撃を行なって残りの二体も倒れた。

 

「作戦終了ですネ」

 

 金剛が涼しい顔で言った。

 深海棲艦の影は水面に一つも無く、燃える炎も徐々に小さくなっていく。

 圧倒的だった。

 パラオの援軍を待つどころか、吹雪がほとんど何もしないまま、戦闘は終わってしまったのだ。

 これが歴戦の艦娘たちか。吹雪はゴクリと唾を飲み込む。

 今から吹雪が戦う相手はこの第五遊撃部隊と互角、あるいはそれ以上と噂される叢雲なのだ。吹雪はじんわりと汗が制服に滲んでいくのを感じた。

 

 不意に別方向から見知らぬ艦載機が飛んできた。

 

「千歳が来たわね」

 

 瑞鶴が言った。

 遙か彼方に艤装を纏った艦娘らしき姿がいくつか見え始めていた。

 

 

 パラオからの援軍はそのまま道案内役へと変わった。

 やって来たのは艦娘は六名。旗艦は木曾。千歳、千代田、霰、霞、満潮がそれに続いた。

 大井と北上にとっては妹艦が迎えに来たという事もあって、多少だが和やかな空気が流れている。 

 周囲を警戒しつつ、パラオへと第五遊撃部隊は舵を切る。

 

「万が一のために」

 

 小声で金剛が瑞鶴に耳打ちしたのを、吹雪は見逃さなかった。

 よく見れば大井北上と木曾の合間にも一見、和やかに見えて薄暗い雰囲気が現れ始めていた。

 気心の知れた姉妹艦ですら信用ならないのか。

 吹雪の体も徐々に強張っていく。

 そういえば反乱の総大将である叢雲は同じ吹雪型で、姉妹の順であれば妹艦に当たる。だが吹雪と叢雲では艦娘としての戦歴が天と地ほどの差があるのだ。睦月は自分が睦月型一番艦でありながら、遅く鎮守府に着任したことを悩んでいた。吹雪も今、その気持ちが分かった気がした。

 夕刻、第五遊撃部隊はパラオへ着港した。

 鎮守府からの援軍を迎えたのはパラオ泊地の指揮艦である初春だった。

  

「遠路はるばるよくぞ来てくれた。久しぶりじゃのう、皆」

 

 初春は懐かしそうに目を細める。

 金剛から順に目で追っていき、吹雪を見てピタリと止まる。

 

「・・・・・・初めましての娘もおるな。わらわが初春じゃ。どうかよろしゅう」

 

「え・・・・・・あ、はい! 初めまして、吹雪と申します・・・・・・」

 

 思わず声が上ずった。

 初春の視線は妙に恐ろしい。底なしで、何もかも見透かすような目の色をしている。吹雪は本能的に、初春へ苦手意識を覚えた。

 

「久しぶりデスね、初春。ゆっくりと旧交を温めたい所デスが、事態は一刻を争いマース」

 

「わかっておる。トラックへの援軍のことであろう。既に作戦室で考えを練っておった。こちらへ来てくれ」

 

 初春が直々に案内し、第五遊撃部隊をパラオの奥へと進ませる。

 

「妙ね」

 

 大井がふと言った。

 吹雪は顔を上げたが、それ以上大井は何も言わなかった。

 初春の腹心である子日ら妹艦の姿が一人も見えなかったためだ。彼女達は現在、第一遊撃部隊への使いとしてパラオを留守にしているのだが、当然大井達は知らなかった。

 また艦憲兵の姿が見えないのも、気になった。

 作戦司令室の上座へ初春は腰を降ろし、その両端を千歳・千代田姉妹が固めた。第五遊撃部隊はそれぞれ用意された箇所に座り、入り口を霞と霰が衛兵のように立っている。

 

「早速だけどトラックの状況はどうなっているのかしら?」

 

 腰を降ろして早々、瑞鶴が尋ねた。

 

「五十鈴はずっと籠城しておる。じゃが指揮の事でトラックの艦憲兵と揉めておるらしい」

 

 指輪持ちの第一遊撃部隊と違い、五十鈴は独立行動権を擁していない。非常時には正式な軍籍を持つ、艦憲兵が指揮を執ることは軍属として間違いでは無い。

 

「五十鈴は鎮守府の応援が来るまで籠城するつもりだったらしい。じゃが艦憲兵は堪え性の無い者じゃった。強引に出撃を命じ」

 

 初春は用意された茶をずずずと飲んだ。

 

「破れた。トラックは陥落し、五十鈴は逃げておる。じゃが時間の問題じゃろうな」

 

 金剛達は絶句した。

 トラックが陥落したなど聞いていない。それに何故、初春はそんな重要なことを涼しく話せるのか。

 吹雪の心臓は早鐘のように鳴った。

 瞬間、金剛、大井、北上、そして瑞鶴が勢いよく立ち上がる。

 

「そういきり立つでない、金剛」

 

「初春、貴方・・・・・・」

 

 三人に向けて、千歳と千代田が艦載機を向け、霰と霞が主砲を構えている。

 無言で瑞鶴が弓を引き抜き、

 

「動くと撃つわ」

 

 背後から加賀に止められた。

 

「加賀さん・・・・・・やはり貴方も」

 

「裏切り者。貴方たちの言い方だとそうなるのかしら」

 

 加賀は涼しい顔で言った。

 瞬間、轟音が響く。

 大井と北上が構わずに主砲を放ったのだ。 

 衝撃と共に、部屋中が白煙に包まれる。

 

「走れ!」

 

 瑞鶴が叫んだ。

 吹雪は咄嗟に立ち上がろうとして、そのまま椅子に倒れ込んだ。

 腰を抜かしたのか、それとも状況についてこれないのか。

 叫び声と爆音が会議室に響き渡る。

 

「あんた、そのまま寝てなさいな」

 

 吹雪の背中を霞がぐいと押さえ込んだ。

 

「こ、こんなことして・・・・・・」

 

 吹雪が声を絞り出した直後、外から木曾に率いられたパラオの艦娘達が入ってきた。

 轟音。そして叫び声。

 大井・北上は混乱に乗じて部屋から脱出を図るも、なだれ込んできた木曾達に真っ正面からかち合い、捕縛。

 金剛は一気に初春を主砲を向けるも、躱され、そのまま彼女に鳩尾を殴打される。

 本来なら戦艦である金剛に駆逐艦は大きく力で劣る。だが初春は指輪持ちで、上限を突破している数少ない艦娘だった。

 ぐあ、と金剛の口から呻き声が漏れる。彼女の体が大きく揺れた。そこを撃った。

 倒れ込む金剛に千歳と千代田が群がる。金剛確保。

 瑞鶴は加賀に背後を取られ、動けないようであった。

 最精鋭、第五遊撃部隊はパラオの地で捕縛された。

 このとき、彼女達が逃れることが出来たら。

 あるいは用心してパラオに寄らず、トラックへ直接救援に向かったなら。

 これから起こる悲劇は起こらなかったのかもしれない。



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第五泊地防衛戦

 籠城を始めてから三日目の朝を迎えた。

 元々、第五泊地はリンガと鎮守府本部の中継地点である。そのため設備も人員もリンガより遙かに劣る。

 それでもよく持っている方だと瑞鳳は思っていた。

 旗艦である飛鷹。そしてその部下である駆逐艦、大潮・五月雨・涼風・朝雲・山雲。そこにリンガから亡命してきた瑞鳳・菊月・三日月が加わる。

 計9人。一方、リンガの戦力は祥鳳を筆頭に、綾波・敷波・天霧・狭霧・春雨・海風・江風・磯波・浦波・薄雲・秋雲の12人。この12人を祥鳳は2部隊に分けて、交代で攻撃させていた。

 リンガは鎮守府からの増援が来る前にここを落とさなければ、一気に不利になる。それが分かっているからこそ、祥鳳は攻撃の手を休めなかった。

 祥鳳が艦載機で爆撃し、間髪入れず配下の駆逐艦が突撃する。その単純な攻撃を祥鳳は駆逐艦を交代させることで、連続させていたのだ。

 それに対し、第五泊地は徹底防戦の構えを取っている。

 祥鳳の艦載機には飛鷹が同じく艦載機で迎撃し、攻め寄せる駆逐艦には備え付けの砲台で対応した。

 部下の駆逐艦達は交代で砲台と己と主砲で何とか立ち回っている。

 防戦に徹した事が功をなしたのか、今のところ防衛戦はかろうじて維持していた。

 だがもう限界だろう。

 弾薬も食料も、そして皆の体力も限界だった。

 周りは完全にリンガに制圧されているため、鎮守府との連絡も取れないでいる。交代で補給と睡眠を行ないながら、駆逐艦たちは必死で戦っていた。

 そんな様子を瑞鳳は悲しげに見つめている。

 

「菊月ちゃんと三日月ちゃんも頑張ってくれてる。本当に助かるわ」

 

 飛鷹がそんな瑞鳳の肩を叩いていった。

 菊月と三日月は第五泊地所属の駆逐艦達に混じって、防衛戦線に参加している。

 慣れない環境でもなんとか上手くやっているようだった。

 リンガの泊地の長であった自分だけが何も出来ていない。

 瑞鳳は唇を噛んだ。艤装はリンガに置いてきている。そのため戦いは参加できずに、裏方に回っていた。

 リンガの反乱は自分の不始末であるのに、何も出来ずいる。瑞鳳は歯がゆくてしょうがなかった。

 

「今はリンガも休息中みたいね。この間に充分体を休めておきましょう」

 

 飛鷹の言う通り、ようやくリンガも攻撃の手を緩めていた。恐らくあちらも体力の限界が来たのだろう。

 

「だけど補給を済ましたら、一気に勝負をしかけてくると思う。鎮守府の援軍も向かってきているでしょうし」

 

「もう弾もボーキサイトもないわ。これは・・・・・・不味いわね」

 

 苦虫を噛みつぶしたような顔で飛鷹は言う。この三日間の戦いで戦力差はハッキリと理解していた。

 もしここが落ちればここ近海一帯は反乱側が制圧する。そうなれば少人数なれど、鎮守府にとっては大きな脅威となるだろう。

 

「祥鳳は手加減しないでしょうね」

 

 瑞鳳にとっては姉である。性格は知り尽くしているだろう。

 また飛鷹も祥鳳は苦楽を共にした仲である。彼女の生真面目な性格はよく知っている。

 やると決めたらやるだろう。祥鳳はそういう女だった。

 

「お二人とも! ご飯ですよ!」

 

 大潮がやってきた。その両手には小さなレーションが握られている。

 

「ありがとう」

 

 そう言って瑞鳳が受け取ったレーションは本当に緊急時の時に食する、小さな乾燥食だった。小さく、味も薄いが栄養は取れる。そういった代物だった。

 かぶりつき、口の中に乾燥が広がっていく。とてもじゃないが水がないと完食できない。大潮もそれは分かっているのか、すかさず水を差しだした。

 

「酷い味ね」

 

 瑞鳳がそう言うと飛鷹は苦笑した。

 

「今は敵の攻撃も止んでいます! 鬼のいぬ間になんとやら。今のうちに補給と睡眠をバッチリとりましょー!」

 

 大潮が言う。確かに現在、リンガの攻撃は止まっている。他の皆は食事と睡眠を交代で取っていた。

 

「ありがとう。貴方も休んでね」

 

「モチロンですとも! もう少し頑張れば、きっと鎮守府からの応援も来ますしね!」

 

 その言葉に二人の顔は曇った。それを知ってか知らずか、大潮はそのまま皆の元へと戻っていく。

 

「・・・・・・援軍は本当に来ているのかしら」

 

「わからない。でも、祥鳳は鎮守府の援軍のことを視野に入れていると思う」

 

 だからこそ、次の攻撃でココを陥落させる気だろう。その猛攻に自分たちは耐えることが出来るだろうか。

 

「見て瑞鳳。あの娘たち、石垣を積んでいるわ」

 

 飛鷹の指す方向を瑞鳳が見ると、涼風が先導して駆逐艦達が石で壁を作っていた。小さな島故、内部へ入る進路も小さい。そこに石のバリケードを作っているのだ。

 

「皆、最後まで戦うつもりよ。提督に任されたこの第五泊地。みすみす奪われてなるものかって」

 

 そうだ。自分は提督に任されたリンガ泊地を守る事が出来なかった。だからって落ち込んでいる時間は無い。

 今自分が出来ることをするしかない。そう考え、瑞鳳はレーションを一気に口に放り込むのだった。

 

 暫く経って、遂にリンガの総攻撃が始まった。

 まず艦載機の爆撃が行なわれる。飛鷹がそれに対抗して艦載機を飛ばした。練度は互角だった。空が黒煙で染まり、直後に駆逐艦達が主砲を放ちながら寄ってきた。砲台で応戦する。その合間を縫って、敵は攻め寄ってきた。

 一番前にある砲台から火の手が上がった。攻撃が直撃したのだ。血まみれの涼風が飛び出し、後方にいた五月雨が抱えて後ろへと下がっていく。

 じりじりと先発隊はにじり寄ってきた。

 先端で菊月と三日月が必死の形相で主砲を放っている。それの姿を見たとき、瑞鳳は胸が締め付けられるような感覚に陥った。

 自分がもっとしっかりしていれば。何度も胸の中で駆け巡った思いだった。

 最前線が陥落した。

 炎上する砲台から三日月を担ぎ上げて菊月が後退していく。それを追うように、敵の一番槍である江風が遂に第五泊地の砂浜を踏んだ。

 さすがの飛鷹も一瞬、そちらに気を取られた。その隙を見逃す祥鳳ではなかった。

 一気に艦載機が急降下し、爆撃をかける。狙いは飛鷹の艦載機ではなく、第五泊地の砲台だった。

 危機を感じた大潮達が上空へ主砲を向ける。だが遅かった。祥鳳は全力を持って砲台を潰しに掛かったのだ。そこにめがけて敵の攻撃が集中する。

 これまでか。

そう思った瞬間、悲鳴が上がった。 

 石垣を大潮が崩したのだ。雪崩のように落ちていく岩に江風たちが呑まれていく。その隙に大潮達は引いてくる菊月たちを引っ張り上げていた。

 

「ここはまだ大丈夫だから! 最後まで皆でアゲアゲでいきましょう!」

 

 大潮が叫ぶのが見えた。朝雲と山雲がそれに追従する。残り少ない弾薬を全て使う如く、主砲を放っていく。

 

「いけるいける! まだ進めるわ!」

 

「朝雲姉、一緒にいこ~」

 

 さらに涼風が五月雨の制止を踏み切って、再び戦場に現れ主砲を構えた。

 

「がってん! あたいだってまだいけらぁ! 勝負はここからよっ!」

 

「涼風ちゃん! 落ち着いて・・・・・・」

 

 突撃をしかけようとする涼風を五月雨が止めていた。

 

「三日月、しっかりしろ! もう少しの辛抱だ」

 

 菊月が三日月を抱えたまま、奥へと戻っていく。恐らく入渠させる気なのだろう。

 小さな駆逐艦達は未だ闘志を燃やし、戦い続けている。彼女達は諦めず最後まで戦うだろう。

 

「最後まで」

 

 飛鷹が漏らした言葉に瑞鳳が、はっとして顔を上げる。

 

「最後まで戦うのが艦娘ってものよね」

 

 飛鷹は巻物のような飛行甲板を一気に広げた。幾つもの勅令と書かれた炎が浮き上がる。

 

「全機爆装! さぁ、飛び立って!」

 

 言葉通り、飛鷹が擁する全航空戦力を一気に放出した。

 瑞鳳も申し訳程度である白兵戦用の武器を構える。

 降伏、なんて言葉は誰からも出てこなかった。

 提督から任せられたのだ。最後まで、守ろう。 

 それは艦娘として生まれた彼女達の一種の執念ともいえる。

 今の鎮守府が、提督が信用できるかは分からない。

 だが提督に対する忠誠心が強烈な義務感となって、彼女達を突き動かしていた。

 

 不意に攻勢が止まった。

 攻撃の手は休まらないものの、じりじりとリンガの艦娘たちが後退していく。

 何だ、と最前線で迎撃をしていた涼風が呟いた瞬間、全く別の方向から風切る音が聞こえてきた。

 爆音と共に黒煙が上がっていく。一気に敵が引いていき、そこに向けて砲撃が飛んでくるのが見えた。

 水平線の向こうから幾つかの影が向かってくる。

 

「援軍だ・・・・・・鎮守府の援軍だ・・・・・・」

 

 涼風が呟いた。

 そちらに視線を向けると、確かに遠方から艦娘の姿が見えてくる。

 彼女達の攻撃にリンガの軍がどんどん後退していった。

 

「飛鷹さん! 瑞鳳さん! 援軍です! 援軍ですよ!」

 

 大潮がこちらにやって来た。

 

「やったんですね!」

 

 目尻に涙が浮かんでいる。

 

「大潮達、やったんですね!」

 

 飛鷹と瑞鳳の元に駆逐艦達が集まってくる。

 皆、満身創痍だった。それだけ激しい戦いだったのだ。

 

「ええ、皆のおかげよ」

 

 そこまで言った時、こみ上げてくるモノがあったのか飛鷹の言葉が詰まる。

 

「飛鷹、勝鬨を」

 

 そんな彼女の肩を瑞鳳が叩く。飛鷹は涙を拭って片手を挙げた。

 

「勝利の時よ!」 

 

「勝鬨だぁーっ!」

 

 直後に大潮が拳を握って大きく叫んだ。

 えい、えい、おう。

 勝鬨、三唱。

 少女達の体を熱い風が吹き抜けていった。

 

 比叡率いる鎮守府の連合艦隊が第五泊地に入港したのはその数十分後であった。



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決断

 リンガ泊地の一番奥にある作戦司令室に、祥鳳はいた。

 比叡率いる鎮守府の救援部隊は昼夜問わず駆け抜け、予想以上に速く第五泊地へ辿り着いたのだ。

 それは当初、祥鳳が進めていた戦略が瓦解したのを意味していた。

 ショートランドとリンガ。この二つの駐屯地が電撃的に進軍し、鎮守府を挟み撃ちにする。そのまま一気に鎮守府を制圧し、提督を引きずり出す。クーデターである。

 準備は完璧だった。

 同志を集め、水面下で装備も資源も用意した。

 第五泊地を奇襲し、奪取。返す刀で鎮守府まで進撃する。出来るはずだった。

 瑞鳳の脱走で全てが狂った。

 第五泊地に籠城の準備をする時間を与えてしまった。結果、すぐに落とせるはずの第五泊地を落とせず、鎮守府の増援が到着してしまったのだ。

 優位だった人数が覆された。さらにあちらには戦艦がいるのだ。火力でも大きく差が開いた形になる。

 戦いの優勢があっさりとひっくり返った。

 圧倒的勢力差で第五泊地に猛攻をかけていたリンガ泊地が、今度は攻撃される側になったのだ。

 祥鳳は大幅に作戦の変更を余儀なくされたのである。

 自分だって第五泊地を甘く見たわけでは無かった。だが飛鷹たちも決死の覚悟だったのだ。

 結局、最後は覚悟の差が勝つ。そう思えた。

 

「祥鳳さん、入ります」

 

 そう言って綾波が入ってきた。彼女と敷波がリンガの駆逐艦たちを纏めている。

 

「どうしたの?」

 

 祥鳳が尋ねると、綾波は苦しそうに答えた。

 

「第五泊地。いえ、鎮守府の連合艦隊から電報が届きました」

 

「降伏勧告でしょう。無視しましょう」

 

 綾波は無言で頷いた。

 連合艦隊の旗艦は比叡だという。よく知った仲だ。彼女の生真面目さと真っ直ぐさもよく知っている。

 自分たちが降伏勧告を蹴れば、本気で戦いを挑んでくるだろう。

 比叡とはそういう艦娘だった。

 

「籠城の準備よ! 皆にもそう伝えて頂戴」

 

 綾波は頷くとすぐに司令室を出て行った。

 リンガ泊地を守る。本来の自分たちに戻っただけだ。祥鳳は自身にそう言い聞かせ、艤装の準備を行なうのだった。

 

 比叡は戦い方も正攻法だった。

 駆逐艦達を護衛にし、自分たち戦艦が降雨劇に集中する。軽空母と駆逐艦しかいないリンガ泊地にとって、戦艦の高威力長距離の砲撃は脅威だった。

 泊地内に籠城し、祥鳳が艦載機を飛ばす。近づく敵に駆逐艦が主砲を放つ。第五泊地と同じ戦法を祥鳳は取った。だが相手に戦艦がいるというだけで、状況は大きく変わった。

 圧倒的な比叡と榛名の攻撃に、祥鳳達は防戦一方だった。

 日が暮れるまで戦闘は続き、太陽が水平線より下に落ちると比叡達は第五泊地へとあっさり引き返していった。

 その直後に、もう一度降伏勧告が届いた。

 悪いようにはしない。自分たちも提督に口添えする。

 そんな内容だった。

 比叡はどうにかして互いの被害を抑えて、戦いを終わらせたいのだろう。

 だが、比叡にその気が無いのは分かっていたとしても。情けをかけられたと、祥鳳は思った。

 

 夜になった。

 祥鳳は作戦会議室に皆を集めるように、綾波に指示した。

 駆逐艦たちはすぐに集合した。だがその顔には疲れが滲みだしており、士気も心なしか低く見えた。

 自分たちがどれだけ不利な勝負をしているか、分かっているのだ。

 第五泊地は鎮守府の援軍が来るという希望があった。援軍さえ間に合えば、逆転できる。その希望があるからこそ、最後まで踏ん張れたのだ。

 自分たちには、それがない。

 仲間であるショートランドは鎮守府を挟んで、反対側にある。

 援軍を出すとしたら、鎮守府近海を大きく迂回する必要がある。

 そんな危険なことを叢雲はしないだろう。

 そもそも電撃的に鎮守府を挟み撃ちにする作戦だったのだ。

 反対側にいる仲間に援軍を送ることなど、最初から計算外である。

 そして鎮守府からの援軍が来たという事は、ショートランドも計画通りに進軍できていないのだろう。

 

「被害の状況はどうなっているの?」

 

「対空砲台が幾つかやられました。今、妖精さんが修復中です」

 

 敷波が答えた。駆逐達の現場はほぼ彼女が仕切っている。

 

「明け方までに直せても、次の攻撃に耐えられるかは分からないわね」

 

 祥鳳がそう言うと皆が、渋い顔で頷く。

 自分たちがどれだけ不利な勝負をしているか、場数を踏んでいるため理解しているのだ。

 

「援軍は・・・・・・期待できないわ。どうにかしてここで持ちこたえるしか無い」

 

 祥鳳の言葉にさらに皆の顔は沈んでいく。

 もしこれが瑞鳳ならどうしただろうか。皆を叱咤激励して、士気を上げられたのだろうか。

 

「このリンガ泊地は戦略的に重要な場所。ここを敵に取られるわけにはいかない・・・・・・でもそれは鎮守府の話。敵が深海棲艦の場合の話」

 

 皆が顔を上げた。

 祥鳳はそれを確認すると、机に海図を広げていく。

 

「今回の敵はココにいる」

 

 鎮守府を指差し、その指先をそのままショートランドに滑らせていく。

 

「私達の同志はショートランドを本拠地にしている。そして上手くいけばこの場所が、艦娘達の新しい鎮守府になる」

 

 新しい鎮守府。それを創り上げる事が、祥鳳の願いだった。

 そのために計画に乗り、妹さえ切り捨てたのだ。

 

「叢雲はきっとこの近海のトラックとパラオを中心とした地域を、新たな勢力圏としたい。この三つの地点が繋がれば、鎮守府は勿論、深海棲艦。そして日本海軍も簡単には手出しできないでしょう」

 

 今は艦娘同士の対立で済んでいるが、この戦いが大きくなればいずれ海軍本部も介入してくるであろう。その時はしっかりとした基盤が必要だろう。

 

「このリンガは」

 

 祥鳳の細い指先が自分たちが今いるリンガ泊地へと伸びていく。皆の視線もそれに続いていく。

 

「ショートランドの戦略から外れた位置にある」

 

 息を呑む声が聞こえた。 

 祥鳳が何を言おうとしているのか、彼女達も理解したようだった。

 

「このリンガを・・・・・・放棄するという事でしょうか?」

 

 綾波が尋ねた。祥鳳はそれに対し、重く頷いた。

 

「このリンガを、捨てる。脱出し、ショートランドに合流する」

 

 暫く誰も言葉を発しなかった。

 

「あたしは、嫌です」

 

 沈黙を破ったのは敷波だった。

 

「このリンガをずっと守ってきました。それを・・・・・・簡単に捨てたくは無いです」

 

 彼女の言葉に何人かが頷いた。

 

「私だって悔しいわ。ここを捨てるのは。でもこの反乱が長期戦になればなる程、リンガがショートランドと連携するのは難しくなってくると思う」

 

 このリンガが地理的な戦略から外れた位置にあることは、誰もが理解していた。

 救援も望めない状態で籠城を続けても、いずれは各個撃破されてしまうであろうことも。

 

「・・・・・・このリンガを、放棄しよう」

 

 絞り出すような声で綾波が言った。

 

「このリンガを守って、私達に利があるなら耐えるべきだと思います。でも今の戦略的に、リンガはあまり意味が無いとも思います」

 

「綾波の言うとおりだ」

 

 江風が同調した。

 敷波も彼女達の言い分を理解しているからか、それ以上反論しなかった。

 

「辛いのは分かる。その辛さに、耐えて欲しい。でもこれは逃げるんじゃない。勝つために、リンガから離れるの」

 

 皆が頷いた。

 夜は益々更けていく。

 リンガを守る、提督から賜った命令を自分は守れなかった。

 だからこそ、この子達は守り抜こう。 

 祥鳳はそう胸に誓った。



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リンガの最期

遅くなって申し訳ありません。


 江風が四人ほど率いて最初に出発した。

 夜陰に紛れて抜錨したこの五人は、第五泊地に向かっていく。

 夜襲である。そう相手に思わせるのが目的だった。

 実際に江風は第五泊地を少数で奇襲する。一撃だけ入れて、すぐに反転しそのまま撤退すると見せかけて、リンガには戻らずに霧散するというのが作戦であった。

 

「皆、ショートランドでまた会おうな」

 

 ニカっと快活に笑って、江風は出撃した。

 彼女達がこの近くまで撤退してきたときに、綾波が率いる部隊が抜錨することになっている。

 もし追手が迫っているのなら迎撃し、江風の部隊の撤退を助ける。追手が来なければこれ幸いと綾波達も脱出する。

 この作戦が夜襲であるといかに相手に思わせるかが重要だった。

 もし相手がこれを奇襲の策と深読みすれば、簡単にはリンガに近づいてこないだろう。

 その隙に皆が脱出するのが理想であった。

 祥鳳は最後まで残ることになっていた。

 彼女は最後まで比叡達を引きつけ、最後にリンガを脱出する。

 後は各々が祥鳳が事前に用意していた各ルートで、ショートランドに向かうのだ。

 

 綾波も艤装を纏い、海へと出た。

 一度だけ振り返ってリンガを見る。

 守る場所であり、帰るべき場所でもあった。

 戦いが終わったら、必ず帰ってこよう。勿論、祥鳳さんや皆も一緒だ。

 そう胸に誓い、綾波は出撃の合図を取った。

 

 暫くして、江風の部隊が戻ってきた。彼女達の後方では幾つか照明弾が上がり、駆逐艦達が追ってきている。

 それを確認した綾波は単縦陣で、迎え撃つ。撤退してきた江風とすれ違う。彼女は口角を少しだけ上げ、綾波も頷いた。

 

「よく狙って・・・・・・てぇぇぇーいっ!」

 

 主砲を放ち、相手が怯んだところで一気に雷撃戦に持ち込む。綾波は夜戦に自信があった。

 相手が怯むのを確認すると綾波は突っ込んでいく。

 全員で一気に夜陰に紛れて逃亡する。それも出来たはずだった。だが誰もそれを言わなかった。リンガ泊地最後の意地だ。徹底的に暴れてやる。皆がそう胸に誓い、戦いに挑んでいったのだ。

 綾波たちの初弾は無事命中したようだ。迫ってきていた機影が大きく揺れた。

 

「魚雷!」

 

 敷波が叫んだ。

 主砲を受けて怯んでいる追手に向かって、一斉に魚雷を放つ。

 ここまでだろう。綾波はすぐに後退の指示を出した。反転し、最高速度で後退していく。

 すぐにリンガが見えた。

 だがあそこはもう、帰る場所じゃない。

 泊地のあちこちに光が灯る。同時に轟音が響き、海面が破裂して大きく揺れた。

 防衛用の砲台を祥鳳が使ったのだ。撃っているのは妖精さんであるから、正確な狙いは不可能だった。

 だがそれでも目くらましにはなる。

 綾波はある程度進んで一気に皆を離散させた。

 

「ショートランドへ」

 

 綾波がそう言った時だった。

 爆音と共に、進む先に大きく何かが弾けた。

 水飛沫が飛んで夜霧にまみれる中、さらに二弾・三弾と砲撃が加えられる。

 戦艦の主砲。はっきりと分かった。

 比叡さんが来たのだ。綾波は下唇を噛んだ。

 一斉に照明弾が上がり、闇夜が一瞬だけ真昼のように明るくなった。

 

「散れっ! 散れっ!」

 

 敷波の怒号が飛ぶ。

 もうすぐリンガを突っ切る。そうすれば祥鳳もリンガに火を放って、脱出する手筈になっていた。

 比叡の砲弾はやがてリンガへと集中し始めた。それを追うように追撃してきた駆逐艦達も、リンガ泊地に攻撃を始める。

 自分たちが籠城からせめて一矢報いようと夜襲をかけてきた。そう思ったのだろう。

 ならばこちらの思う壺だ。リンガを囮にして、全員でショートランドまで逃げ切る。

 祥鳳さんも間もなく脱出するはずだ。

 そう思い、綾波が加速したときだった。

 今までに無い大きな爆発音が響いた。

 思わず振り返る。燃えている。リンガ泊地。あの場所は作戦司令室があった場所のハズだ。

 咄嗟に敷波がリンガに戻ろうと反転し、その腕を綾波は取った。

 

「綾波! 祥鳳さんが! まだ脱出してない!」

 

 分かっている。

 だがリンガに戻るのは命令違反である。なにより、今あそこに行けば集中砲火を浴びる。

 一人でも多くショートランドへ亡命する。それがこの作戦の目的なのだ。

 エンジン音が聞こえる。

 艦載機のプロペラの音だ。炎上するリンガから矢の如く、幾つもの艦載機が発進されていく。

 炎によって明るくなったからこそ、夜戦では基本的に使えない航空機が使えたらしい。

 まだ抵抗するつもりなのか。それともまさかリンガと心中するつもりなのか。

 綾波が疑問を覚えたとき、遠目からでもはっきりとした影がリンガの中に浮かび上がった。

 祥鳳さんだ。

 全ての艦載機を撃ちだしたのか、身を翻して海の方へと向かっている。

 よかった。脱出するんだ。

 瞬間、爆音と共に炎が燃え上がり、一気にリンガ全体を包んだ。

 施設の瓦礫が炎上しながら祥鳳へ降り注ぐ。

 燃えさかる炎の渦に巻き込まれる彼女の姿を、綾波達の目はしっかりと捉えた。

 

「落ち着いて!」

 

 咄嗟に綾波は叫んだ。

 そうだ。落ち着くんだ。きっと祥鳳はすぐに瓦礫をどかして出てくるはずだ。

 

「綾波! 離してっ!」

 

 敷波が叫んだ。だが、その視線の先。炎上するリンガ泊地の方から追手が迫っているのが見えた。

 

「撤退! 撤退を!」

 

 誰かが必死に叫んでいる。綾波は強引に敷波の腕を取って進み出した。

 

「綾波! 祥鳳さんが! 祥鳳さんを助けないと!」

 

「きっと祥鳳さんは大丈夫です! 今は脱出を最優先にしないと!」

 

「そんな! もし、もしそれで!」

 

「全員で無事脱出し、ショートランドまで辿り着く。それが祥鳳さんの、リンガ泊地指揮官の命令です!」

 

 もう戦いは皆がどれだけショートランドまでたどり着けるかという段階に変わっていた。

 皆、バラバラに逃げていく。集まれば各個撃破されるからだ。

 

「きっと大丈夫」

 

 自身に言い聞かせるように綾波は敷波に言った。

 流れてくる涙を拭い、綾波は水面を進んでいくのだった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

 目が覚めると青空が広がっていた。

 ここはどこだろうか。ぼやけた頭を押えながら、祥鳳は起き上がった。

 自分はリンガ泊地にいるはずだ。そこでショートランドへの撤退戦を指揮していた・・・・・・それを思いだしたとき、祥鳳は目を見開いて起き上がった。

 

「皆は!?」

 

 無事に逃げ切れただろうか。

 そう思い周りを見渡したとき、祥鳳の眼に人影が一つ、飛び込んできた。

 呼吸が止まった。

 知っている顔だ。それだけじゃない。ずっと前から知っている。ずっと前から待ち焦がれた顔だった。

 

「皆は無事に脱出したよ」

 

 その人、白い海軍服に身を包んだ青年は言った。

 

「て、提督・・・・・・」

 

 祥鳳が一番会いたかった男が、そこにいた。

 何故ここに、いや一体今まで何処に。

 かけたい言葉が次から次へと脳裏に浮かんでくる。

 やがて祥鳳は震える口で言葉を紡いだ。

 

「提督・・・・・・申し訳ありません」

 

 彼女の口から出たのは謝罪の言葉だった。

 

「提督に任されたリンガ泊地・・・・・・祥鳳は守るどころか・・・・・・反旗を翻し、最後は破壊して・・・・・・」

 

 提督と鎮守府の現状を変えるために、反乱に加担した。 

 様々な大義を掲げたが、結局はこの人にもう一度会いたかったのだ。

 提督とまた暁の水平線に勝利を刻むために、戦ってきたのだ。

 

「いいさ、祥鳳。お前は自分の信念を貫いたんだ」

 

 男は優しく笑うと祥鳳の頭を撫でる。

 掌の温かい感触が涙が出るほど嬉しかった。

 

「お前は、俺の誇りだよ。祥鳳」

 

 心の中にある鎖がドロドロと溶けていくような気持ちだった。

 祥鳳の瞳からは宝石のような涙が幾つも零れ落ち、提督の胸元に思わず顔を埋めた。

 

「て、提督・・・・・・私、やりました・・・・・・私、嬉しい・・・・・・」

 

 泣き崩れる祥鳳を提督は優しく抱きしめる。

 その腕の温かさが、とても心地よかった。



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トラックの五十鈴

更新が遅くなり大変申し訳ありません・・・

必ず完結までは行きますのでどうかよろしくお願い致します・・・


 トラック泊地を守るのは軽巡・五十鈴だった。

 五十鈴は軽巡最古参であり、最初期から水雷戦隊で戦っていた歴戦の艦娘である。

 大規模作戦では第二遊撃部隊の旗艦を務め、真面目で面倒見が良い所から多くの艦娘に慕われていた。

 指輪持ち達に次ぐ影響力を持ち、単機としての実力も高く、指揮艦としても優秀・・・・・・そんな五十鈴がトラックを守っていた。

 五十鈴は信頼できる長良型姉妹と数人の駆逐艦で部隊を編成し、演習に余念が無かった。

 ショートランド・パラオに比べれば人数は少ないが、その分少数精鋭。幾つかの小島に囲まれているという地理的優位性もあり、叢雲や初春もトラックを迂闊に攻めきれなかった。

 このトラックが鎮守府にとっても反乱軍にとっても、重要な拠点となっていた。

 

 如月戦死の報が届いたとき、五十鈴はすぐに長良型の姉妹たちを集めた。

 既に如月の事を聞いているのか皆は瞳に涙を馴染ませ、怒りの表情を浮かべている。

 

「五十鈴ねえ、如月が・・・・・・」

 

「ええ、聞いているわ。未だに信じられないけど・・・・・・」

 

 五十鈴は勿論、ここにいる長良型姉妹全員が如月と親交があった。

 特に五十鈴は鎮守府黎明期からの仲で、長年の戦友である。 

 

「納得できないよ、鎮守府は・・・・・・提督は何をやっているの!」

 

「由々しき事態だよ、ね・・・・・・五十鈴ちゃんはどうする気?」

 

 長良と由良に詰め寄られ、五十鈴は深く息を吐き出すと懐から封筒を取り出した。

 

「勿論、このまま黙っているわけはないわ。如月の無念を果たす。でもそれには準備しなければいけないわ」

 

 封筒から一枚の書状を五十鈴は取り出していく。それを拡げるとそこには鎮守府に対する抗議と、情報開示を要求する正文が書き記されていた。

 

「鎮守府に直訴する。ただ、五十鈴達だけじゃ駄目ね。隣の叢雲と初春にも協力して貰う。長月にも一応、頼んでみるつもりよ」

 

 艦娘の中でも影響力の強い者たちと組んで、鎮守府を直訴する。五十鈴のやろうとしていることは、かなり真っ当な抗議の方法であった。

 五十鈴が予想外だったのは、叢雲と初春が既に秘密裏に反乱の計画を進めてきた事である。

 叢雲の決起と反乱への参加を誘う電報がショートランドから届いたのは、彼女が準備を進めている最中だった。

 

「馬鹿ね。どんなに正当な理由があろうと、武力に訴えた時点で反逆者の汚名は避けられないのに・・・・・・」

 

 それが叢雲達への、五十鈴の評価であった。

 すぐさまショートランドは挙兵した。鎮守府へ最短で進軍するには、トラック泊地は避けては通れない。

 叢雲はトラック泊地の領海を通過することを五十鈴に通告したが、当然五十鈴は拒否した。

 五十鈴はすぐに籠城を決めるとすぐに鎮守府とパラオに救援を要請した。このとき、パラオの初春は表面上反乱に加わっていなかったのである。尤も、叢雲と初春の仲を知っている五十鈴は、パラオを信用していないようだった。

 パラオの救援は考えないものとする。

 あくまで鎮守府本部からの救援まで籠城するというのが、五十鈴の主張であった。

 すぐにトラック泊地の艦娘達は行動を開始した。

 数はトラックに劣る。そのためトラック諸島の地形を生かし、防戦主体の戦いを行なう腹づもりであった。

 

 まず、最初に航空部隊の艦載機が襲いかかってきた。

 ショートランドに合流した翔鶴。また龍驤・隼鷹の部隊もそれに続いた。

 まず航空機で攻撃し、その直後水雷戦隊を差し向けて一気に攻略する。それが叢雲の狙いのようだ。

 防空は五十鈴の得意分野だった。

 トラックの対空砲台をフルに活用し、航空隊を迎え撃つ。

 

「対空ーっ!」

 

 五十鈴の号令と共に磯風と谷風が対空砲を放つ。轟音が空に炸裂し、黒煙と共に爆撃が始まった。

 

「全部撃ち落とす必要は無いわ! 中心だけを落とせば、爆撃はばらける!」

 

「五十鈴さん! 敵影や!」

 

 浦風が叫んだ。水平線の向こうに敵影が見える。

 

「砲台を使いますか?」

 

「いえ、砲台は全部対空に回すわ。下の敵には・・・・・・」

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・

 

 トラックに迫るのは虎の子の三川艦隊だった。

 先頭を切るのは切り込み隊長と恐れられる天龍。

 航空部隊の爆撃の直後に白兵戦をしかけ、さらに第二航空戦隊と同時に一気にトラックを攻略する作戦であった。

 

「出来るだけトラックと五十鈴達を傷つけずに攻略しろっていうがよ・・・・・・」

 

 天龍は思わずぼやいた。

 五十鈴の実力は嫌と言うほど知っている。トラックが重要地点であるのは勿論だが、五十鈴が反乱に加わればそれだけで一気に多くの艦娘達をこちら側に取り込める。

 

「だからといって手加減できる相手じゃねえぞ」

 

 そんな愚痴をこぼしながらも、天龍達が主砲を構えた時であった。

 トラックから人影が現れた。

 

「・・・・・・阿武隈!」

 

 天龍が舌打ちし、後続に続いていた艦娘達もざわついた。

 長良型姉妹の末妹・阿武隈は軽巡の中でも指折りの実力者だった。さらにその後ろには姉の鬼怒。磯風と浜風が続いていた。

 

「甲標的が来るわ、気を付けて!」

 

 鳥海が叫ぶのと同時に水面下を這うような阿武隈の初撃が襲ってきた。

 瞬時に舵を切り、回避行動に移る。大きく弧を描いて海面を動く三川艦隊の面々に阿武隈は待っていましたとばかりに、砲撃を加えていく。

 

「皆、攻撃だ! いっくぜー!」

 

 間一髪攻撃を回避した天龍が、反撃に転じた。

 人数的にはショートランド側が有利だが、トラックは少数精鋭の機敏さで必死に食い下がっていく。

 激しい撃ち合いが続く中、航空隊の第二波攻撃が始まった。

 この爆撃が終わる頃には何とかトラックに張り付きたい。

 そう考える三川艦隊であったが、近づけば撃ち離れれば防御に徹する阿武隈達に苦戦する。

 

「くそ・・・・・・俺が一気に道を作るから、皆はそこを突け!」

 

 勢いよく抜刀し、天龍が身構えた瞬間であった。

 全く別の方向から、砲撃が加えられる。

 驚き、天龍が向いた先に新しい機影が浮かび上がった。

 

「い、五十鈴!」

 

 この時、五十鈴は長良と共にトラックを打って出たのである。

 二人は一直線に三川艦隊に迫りながら砲撃を加えていく。そこに阿武隈達が別方向から迫るのである。

 

「翔鶴さん達は何を・・・・・・」

 

 航空部隊も苦戦を強いられているようだった。

 防空を指揮しているのは、由良と名取で防空戦の得意な谷風らが奮戦していた。

 

「阿武隈、ご期待に応えます!」

 

 一瞬の隙を突いて阿武隈が突貫する。狙いは一番槍の天龍だった。

 

「このっ・・・・・・!」

 

 接近する阿武隈に砲撃が集中する。が、それを紙一重で回避しながら阿武隈は天龍の懐まで潜り込んだ。

 一閃――天龍の一太刀が宙を切り、阿武隈が思いっきり主砲を放った。

 破裂音と共に天龍の体から黒煙が上がり、体が大きく揺れる。

 

「天龍っ!」

 

 加古が咄嗟に天龍に近づき、その体を引っ張った。阿武隈は既にそこを離脱し始めている。

 

「・・・・・・退却!」

 

 鳥海が苦虫を噛みつぶしたような顔で叫んだ。

 航空部隊も被害が甚大なようだ。

 やはりトラック。そして五十鈴。一筋縄ではいかないようだった。

 阿武隈達も追撃はしないようだった。彼女達はトラックを守れればいいのだ。深追いする理由はないのである。

 鳥海は歯がみしながら、撤退していく。

 爆撃で炎が上がるトラックを尻目に、三川艦隊はその場から離脱していくのだった。

 

「これが五十鈴の籠城か」

 

 ボロボロになった天龍を抱えながら、加古はそう呟くのだった。



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