高遠遙一は、地獄の傀儡師となりえるのか (wisterina)
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第一話『儚い月』

 高遠遙一は己のことを青空に浮かぶ儚い月と認識していた。

 

 自分は何のために生きているかわからず、自らの存在を見出せないぼんやりと存在する月のように感じていた。

 家に帰れば、父から暴力と狼狽え気な視線が迎えてくれる。

 父だけではない、メイドも慈愛などなくただ仕事を忠実に守るロボットのように動くだけだ。

 

 高遠は、ここは自分の居場所ではないと幼き頃より感じていた。その原因は暴力による直接的な痛みではなく、ただなんとなくであるが、ここは本当の場所ではないと己の予感でわかっていた。高遠の予感はよく当たった。それも悪い方に。

 予感が来るときは常に胸にチクリと刺すような違和感が起き、その後何かしらの事件が起きていた。自分は一切関与していないにも関わらず父から「お前がやったんだろ!」と暴力を振るわれる。だがその時思うのは、自分には()()()()()()()があるのだということだった。

 

 

 

 イギリスから帰国して秀央高校に入学して以後、高遠は霧島純平に誘われてマジック部に入部し、個性的な面々に囲まれて時を過ごしていた。安息の日々と言うのはあっという間に過ぎ去り、いつの間にか桜の花が落ちる季節となった。自分に居場所ができた時はささやかな喜びを感じていた。

 だが、月はやっと輪郭を現したに過ぎない。そしてその喜びも高遠自身どこか納得できたものではなかった。

 そして高遠は目標とする憧れのあの人――天才マジシャン近宮玲子の隣で完璧なマジックを観客の前で披露できるように井之尾公園(もう一つの居場所)にてマジックの披露をしていた。

 

 今日も放課後の帰りに公園に寄って小さなマジックショーの公演の準備をしている。

 今日はどのようなマジックで観客を欺くか、観客たる子供は子供だましでは簡単に引っ掛からない。子供というのは感受性が高く、飽きっぽく熱しやすくそして聡い。都合が悪いと目を背ける大人より、つまらないからという理由で帰る子供の方が練習相手になりやすい。

 トランクを開き、マジック道具の点検をしていると彼を呼ぶ声が聞こえた。

 

「やっぱり今日も来ていたのね高遠君」

 

 快活で高い女の声。

 高遠を知っている女性はそんなに多くない。一人は今海外で、一人は高遠の自宅に。あとの二人のうちの一人の声は穏やかで、その声に違わない物腰柔らかな外見と一致している。だが彼女(姫野先生)でもない。真反対の声だ。

 

「藤枝先輩」

 

 彼女は秀央高校指定の手提げかばんを後ろにやって、額が隠れるほどあるセミショートの髪を揺らし好奇心旺盛な猫の目を高遠に向けていた。

 

 藤枝つばき。マジック部の二年にして――姫野先生を除いての紅一点。部内からは『女王様』と呼ばれている。

 

「直接ここでお会いするのは初めてですね。たしか私が入部したときに見ていたとお聞きしたとき以来でしたが」

「高遠君が入部してからまだ見ていなかったから、あれからどれほどすごくなったのかなって見に来たの。もうすぐ五月祭だし、いち早く君の本気の腕を見たかったから」

「その前に黒江先輩が見学に来てましたけどね」

 

 数日前に同じマジック部の先輩の黒江が来たことを話すと、藤枝は頬をぷくっと膨らまし「もう、黒江ったら抜け駆けして」と不満を漏らしていた。

 自分が話さなければ他の部員に知られず一人秘密のままでいられたのにと心の中で思うが、それを押しとどめ軽く空気が漏れるように笑ってフォローを入れた。

 

「ふふっ、ですが準備前に来たのは先輩が初めてですよ」

「あらそれはよかったわ」

 

 膨れていた頬がすぐにへっこみ、口の端を吊り上げて喜んだ。藤枝が高遠のマジック道具が入っているトランクに顔を近づけて「今日はどんなマジックをするつもりなの?」と問いかけた。

 しかし、高遠は藤枝の問いに答えるつもりは毛頭なかった。マジックを披露する前にネタを言うのは愚の骨頂。自分のマジックの種がバレてしまう恐れがある。種がバレるのはマジシャン廃業と一緒だ。だから高遠は人差し指を一本口の前に持ってきて。

「秘密です」

 とだけ伝えた。

 

 すると、とたとたと子供たちが小さな砂煙を上げて高遠の下にやってきた。あの子供たちの面々はほぼ常連の子供だ。皆高遠のマジックがいつもこの公園のこの時間に行われることを知って男女の徒党を組み、腰を下ろして観客となる。

 

「お兄ちゃん今日もマジック見せてよ!」

「早く早く!」

 

 小さな観客たちが真摯な目を向けてマジックをしてもらうように催促する。

 すると、高遠が女の子の前に純白の手袋をはめた拳を前に出すと、手首を反対に返して指を開くと指の間に一輪の白いバラが咲いていた。

 

「「おおっー!!」」

 

 後ろの樹木がある方からも拍手の音がパチパチ聞こえてきた。それが藤枝一人の拍手だとわかったのはすぐであった。

 女の子がその白バラをまるでボーイフレンドからプレゼントを受け取ったかのように顔を朱に染めて一点に見つめていた。

――パチンと高遠が指を鳴らすとバラのがく平がぽっきりと折れ、白い掌の中に落ちた。

 バラの花に見とれていた女の子は、残った茎の部分を指先で持ったままうなだれていた。

 

「花が取れちゃった。せっかくきれいだったのに」

「そうだね。けどどんな綺麗な花もいつか朽ちて萎れかれてしまう。なら綺麗なまま花を保ったまま散った方がバラの花も喜ぶんじゃないかい」

 

 歪な理論だ。

 美しいものは美しくあるべき、醜いものは壊すべき。どうして自分はそんなことを感じているのだろうかと本人が疑問に思うほどだった。完璧主義の父の所以か元来あったものか、それが高遠の奥底にあった。

 自分は心の底では満足していない。マジックに対しての向上心とは違う、満たされない感情。ピッタリとはまるパズルのピースを探しているがそれがどんな形をしているのか未だに見当がつかない。

 

「ねぇねぇ姉ちゃんもマジックできるの?」

 

 帽子を後ろにかぶった少年が藤枝を指さして指名した。つられて他の子どもたちも見せて見せてとせがみ始める。

 

「わかったわ。あたしも君たちにマジックを披露してあげる」

 

 できれば大騒ぎにしてほしくない高遠であった。家の人に秘密にしているため、もし高遠が公園でマジックを披露していると知られると父からまた暴力を伴ってマジックを禁止されるかもしれないからだ。

 藤枝がカバンの蓋を開けてマジックの準備を始めると子供たちが一斉に静まり返ると、藤枝が白のボールとちいさなカップを手に持ち「ちょっとトランク借りるね」と高遠のトランクを子供たちの前に出す。

 事前準備が重要とされているマジックで、即興で行うのは相当の技術と精神がいる。だが藤枝の顔には緊張感も焦りも見えず慣れた手つきで女性特有の細い指先でボールを摘まみ子供たちに見せつける。

 

 ボールを入れたカップと空のカップを伏せて左右交互に入れ替える。

 上手い。ただその言葉だけが浮かんだ。

 入れ替える速度を早くすればよいわけではない。適度に観客にカップが見える速度を保ちながら動かすテクニックが並みの腕ではできないことを物語っている。

 

「さぁ、ボールはどこにあるでしょうか?」

 

 藤枝の手が止まり、子供たちにカップを選ぶように仕向ける。直感で指をさす子、カップの動きをじぃーっと観察していた子、裏を読んでいるのか唸って考えている子と一つのカップを選ぶだけで十人十色だ。

 

「さて、正解は……あれあれ? ぜーんぶ外れ!?」

 

 大げさにすべてのカップの中にボールがないことを観客に見せつける。子供たちはカップを触ってはボールがどこあるのかと確かめる。だがボールはすでにカップから消えていることは明白であると高遠は知っていた。

 ふふっとボールはどこだと探している子供たちを見て藤枝が小さく笑うと、台にしていたトランクの蓋を開ける。そこには高遠が用意しているはずのなかった白のボールがちょこんと鎮座していた。

 

「じゃーん。ボールはトランクの中に移動してました!」

 

 子供たちはボールが瞬間移動したことに驚きの声を上げた。

 高遠は口には出さなかったが、彼女のクローズアップマジックの技術は卓越していた。種を仕掛ける早業も含めてではあるが。

 

「もっかいもっかい。今度は絶対に見つけてやる」

「それじゃもう一度いくわよ。今度はね……」

 

 

 

 しばらくして高遠と藤枝両者による共同主催の小さなマジックショーが催された。ショーはとても盛り上がり、子供たちは今まで以上に楽しみ、目をキラキラと輝かせていた。

 この時、高遠はこの場所で再び懐かしい喜びをかみしめることができた。まるであの日、あの人に逢った日のようなそんな思いで。

 



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第二話『藤枝つばきが女王様の理由』

「見事でしたよ」

「ありがとうね。即興だったけど子供たちの期待に応えられたわ」

 

 子供たちが帰り、マジックの片づけを終えた二人は公園の出入り口へと歩いていた。辺りはすっかりオレンジ色の空になり、遠くの方は青黒い夜のカーテンで閉め切られようとしていた。

 

「いえ、私のトランクにボールを入れる仕掛けをした素早さです」

 

 藤枝がきょとんとすると、高遠が先ほどのボールのマジックの種明かしを始めた。

 

「私が子供たちが来て振り向いた隙に、開けたままだったトランクの中にボールを入れたのですよね」

 

 ボールの消失と出現トリックの種は単純であった。スカートのポケットにトリック用のボールをこっそりと入れて種を仕掛けた。藤枝がトランクに近寄ったのは種を仕掛けるため。あとは子供たちの誰かが藤枝を指名するだけである。

 藤枝を指名した子供がサクラであるかは高遠の知るところではないが、仮に指名されなかったとしても後になってうっかり落としたと言えば済む。

 

「藤枝先輩のカバンを台にせず私のトランクを台にしたのは、自分のカバンでは種が仕掛けられているのがあからさまであるから突発的に選んだように見せかけてた。でしょう?」

「お見事、さすが高遠君ね」

「いえいえさすが女王様です。子供たちを女王の一礼だけで終始くぎ付けでしたよ」

 

 ちょっと皮肉交じりに藤枝を『女王様』と呼ぶと、先ほどの感心した表情から一変して雲行きが怪しくなった。

 

「もう高遠くんまで、女王様はやめてって。その呼ばれ方あたし嫌いなんだから」

 

 本当に嫌そうに不機嫌な顔をしたので、これにはちょっと申し訳ないと感じて「すみません」と片眉を下げて謝罪した。

 

「気になっていたのですが、どうして藤枝先輩は女王様なのですか?」

 

 高遠は入部以来気になっていた。自称タッハこと荒木田陸は己のマジックの腕をほかの面々と比べてのまずさを高校生と言う身分による自虐で、失敗を笑いへと変換させるための演技であるように。

 黒江が時折高遠や藤枝にサイレンサーを付けた銃のように静かに毒を吐くのは、入試で全問正解できなかったことやマジックの腕に対してコンプレックスからというのは高遠には理解できた。

 

 だが彼女には『女王様』という言葉は不釣合いだ。本人もそのあだ名を嫌っている。

 女王・姫いずれも高貴な身分、転じて高慢や大事にされているというイメージが来る。しかし彼女は反対だ。彼女は確かに全日本学生マジックコンクールで優勝したが、それを鼻にかけることも努力を怠ることもなく、下級生を顎で使う節も他の部員から大切に扱われることもない。

 マジックに関しては優雅さはあるが華やかさはない、スピードと技術で魅せるマジシャンだ。どの視点から見ても彼女は『女王』という身分に型がはまらない。

 藤枝は公園の入り口の柵に腰を下ろし、女王のわけを高遠に話し始めた。

 

「女王様の由来ね。あれね嫌味なの。去年のコンクール片倉部長もみんな参加していたんだけどあたし一人が優勝して、女王様って呼ばれて」

 

 優勝者すなわち王という単純な連想ゲームの上でできたのかと予想がついた。

 

「最初はあたしも嬉しかったけど、しつこく女王様女王様とあたしがマジックを披露するごとに呼び続けて、ようやくそれが嫌味だとわかって」

 

 藤枝の声は後半になると小さくなってため息を漏らした。片足をぶらぶらさせてると一匹の黒猫が尻尾を立てて彼女の周りをくるくる回り始めた。

 

「プレッシャーになるからもう止めてと言ったんだけど、みんなの間でその愛称が定着したみたいで。あたしそんなに調子に乗っていたのかなって」

 

 ただのいじわるかと高遠は表情を変えず彼女の横顔を見据えていた。

 藤枝は、ぶらぶら揺らしていた足が黒猫の前足で止められていたのを見つけるとそれを抱き上げて顔もとへ持ちあげて、同じ猫目が合う。

 

「紅も黒もほんの小さい色でもとても目立ちやすい。あたしの場合目立ちすぎちゃった。さっきのカップマジックは女王様でないあたしでないことをやってみたけど、高遠君にすぐにバレちゃった。女王様というあたしでなきゃならず、おまけにトリックの種もバレちゃったらマジシャンは自ら幕を閉じないとね」

 

 淋しいと悲しい。藤枝の顔にはいつもの明るい表情はなく、淋しさと悲しさが両存したその顔で黒猫を見つめていた。

 その悲し気な表情と最後に藤枝が吐いた言葉に、高遠は不意に昔を思い起こした。

 

 それは、十の時に近宮玲子と別れた日、子供だましのマジックを一瞬で見破って近宮玲子から別れの言葉をかけられたのと同じ言葉だった。

 しかも言葉だけでなく面影もどこか似通っているように見えた。あの人と目の前にいる彼女は、顔も容姿も全く違う、ましてやマジックの腕前さえ月とすっぽんほどだ。けどどうしてか、僕は目の前の彼女をあの人とどこか似ているなと思ってしまう。今胸を当てると、心臓が一つ高鳴ってしまうほどに彼女を見てしまう。

 ほんのりと温かい。

 夕焼けのせいではない、今の僕は彼女に何の思いを抱いているのだろう。今まであった満たされないもののピースとは異なるが、温度がある。

 すると、藤枝の口角が少し上がり黒猫を地面に戻してあげた。

 

「なーんてね。まだマジックは廃業しないわ。あたしには目標があるからそれまで辞めたりしないわ。絶対に高遠君に見破られないようなマジックを見せてやるんだから」

 

 にっこりと微笑みながら公園へと戻っていく黒猫に手を振って見送るのを見て、高遠もつられて微かに口元を上げて同じく手を振って別れを告げた。

 

「先輩がマジックを辞めなくてよかったです。では藤枝先輩も私からやめておいてほしいことをお願いします。私がここでマジックをしていることをもう他の人に言うのをやめてください」

「あらなんで?」

 

 だが高遠はそれに答えず、見事なクイーンズイングリッシュで返した。

 

Need not to know(知らないことは必要だ)

「いじわる」

 

 藤枝は頬を膨らましたが、すぐにぷっと笑いを噴き出して元の明るい彼女に戻った。

 

 

 

 ふと高遠の背後から突き刺すような視線を感じ、公園の方を向くが誰いなかった。気のせいかと高遠は藤枝と共に帰路を行こうとする。

 その際にまた背後から視線を感じたがやはり誰も高遠を見る怪しい人はいなかった。



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第三話『運命の分岐点』

 秀央高校の名物である『五月祭』が翌日に迫っていた。校舎では各部活が明日の祭りに向けて最終調整をしているとき、マジック部の面々も多分に漏れずそれぞれの持ちネタの調整を行っていた。

 入り口とは反対側にあるソファーの裏で、明日の祭りの準備のために隅に積み上げられた段ボール箱に囲まれて窮屈そうにしながら荒木田副部長があぐらをかいて宙に浮くマジックを披露する。と、パタンと本当の足の部分を隠していた鏡が荒木田の脚に倒れてネタがバレてしまう。

 

「タッハ!またやっちった」

「おいおい荒木田もう明日なんだぞ」

 

 片倉部長が荒木田のマジックが途中で失敗したのをとがめる。しかし荒木田はいつものようにタッハと誤魔化す。荒木田先輩は徹底してにぎやかしに徹するようだな。マジックの才能のなさを笑いに転換させるというのはある意味才能だ、まあそれも学生という身分があってのことで長くはもたないと高遠はわき目で分析していた。

 一方テーブルをはさんで高遠とは反対側で、霧島と黒江がお互いのマジックを見せあっている。霧島は以前に見せたゾンビボールを披露していたが、前と同じように銀のボールが布の前へと落ちてしまった。

 

「あちゃー、また失敗だ」

「前に見せた時より少しは良くなっているよ。藤枝のあれでよく奮起したね。けどゾンビボールはまずここをだね」

 

 黒江が以前霧島の失敗を藤枝が「修行不足」と言ったことを引き合いに出して少し毒を吐いたが、丁寧に失敗した個所をアドバイスする。黒江にとって霧島は成績もマジックの腕も高くない。新入部員というハンデもあるが、部内でのマジックの技術は荒木田よりも下だ。

 だから自分よりも下の人間に対しては物腰が柔らかくなり、上に対しては静かに毒を吐くというその絶やさない笑みの下で卑屈な性格がにじみ出ていた。

 

「高遠君、なにしているの? 手が止まっているわ」

 

 脇から音楽の教師にしてマジック部の顧問姫野先生が高遠の手が止まっているのを見て顔を出す。すると高遠の手に持っている帽子と水の入ったマグカップを見て不思議そうな顔を浮かべる。

 

「あら? 今回はバラのマジックは使わないの?」

「ええ、前回片倉部長にやりすぎだと咎められましたから」

 

 バラのマジックとは、高遠がマジック部に入部したときに見せたマジックの一つだ。白バラを相手の胸に投げつけて血のように赤いバラに変色させる死の香りがするスリルのあるマジックであった。姫野先生からは好評をいただき、相手役の荒木田も怒ることはなかったが高遠はこれをやるのは居場所がなくなると踏んで止めたのだ。

 

 なぜなら、自分ではあのマジックをするのに何の抵抗も感じていなかったからだ。マジックの種も死ぬことはないと知っても相手に不安をあおるという考えまでに至らなかったのだ。

 やはり自分は歪だ。

 相手のことを考えず、最上のマジックを見せることだけしかあの時頭になかった。些細なことで居場所を自分の手で壊すのを恐れた高遠はあの『死のバラマジック』を封印したのだ。

 

「大丈夫よ。高遠君のマジックなら怖くないわ。荒木田先輩がするのだったらあたしも全力でお断りしていたけど」

「ははは、言ったな。高遠、バラをブラに変えるマジックとかできないか?」 

「ちょっと、荒木田先輩セクハラですよ!」

「タッハ、ジョークだってジョーク」

 

 荒木田がいつものタッハ節で冗談だと言った後も藤枝がぷりぷり怒っているのを見て、やはりいつもの先輩だと高遠は思った。どこにもあの人の面影などない、あの時僕が感じた熱さは気のせいだったかと高遠は目をつむって帽子に水を注ぐ。

 それを一回ひっくり返すと、帽子の中から白のバラの花束が帽子から咲き出た。横から見ていた姫野先生は感嘆の息をもらして手を口の前に合わせた。

 

「さすがだわ高遠君。かわいいマジックもこなせるだなんて」

「ありがとうございます先生」

「じゃあ、他の人と入れ替わってまたお互いのマジックを見てもらって」

 

 姫野先生の合図で片倉・藤枝・霧島の三人が時計回りに動き始める。すると、霧島の足が段ボールに引っ掛かり手に持っていたゾンビボールが滑ってみんながカバンを置いていたところにへと跳ねて、それを追いかけようと手を伸ばすが届かず、カバンをドミノ倒しのように倒してしまう。

 

「あちゃ~すんません。すぐ戻しますので」

「もう気をつけてよね霧島君」

 

 霧島が倒してしまったカバンを直すのを藤枝が軽く注意して、荒木田のほうへと向かう。カバンを元に戻した霧島が高遠の前に来て皆一斉にマジックを見せあった。霧島もゾンビボールをする準備を始めると、目を左右に動かすと他の部員や先生に聞こえないように高遠に囁いた。

 

「なあ高遠、藤枝先輩ってどう思う?」

「先輩かい? とても腕が良く将来有望なマジシャンだと思うが」

「違う違う、性格のことだよ。ほんと女のこと興味ないよな高遠は」

 

 霧島と出会った時も似たような質問をされたことがあった。あの時は「彼女はいるか?」と質問された。高遠はマジックのこと以外全く興味を示さない、いや近宮玲子に近づくためにマジックのことだけしか考えないよう、無意識にそうしていた。成績優秀の帰国子女で端正な顔立ちを持つ高遠は霧島からもったいないお化けが出るとひがまれていた。

 霧島から言われたことで、高遠はマジック抜きで彼女のことを真剣に考えた。未熟な目の前の友人に対して積極的に指導し、つぶさに毒を吐いてくる黒江に対しても分け隔てなく明るく振る舞う先輩だということを霧島に伝えようとする。ふと、この間の公園で見た藤枝のことがよぎった。それはいつもの明るい彼女ではなく、本当の自分を見てくれない周りからの評価に悲しみ、孤独に思う寂しさで影を落とす姿。

 

 いや、あれももう一つの藤枝つばきなのだ。表面は明るく影一つない人、しかし『女王様』という歪なレッテルを貼られたことを否定することができず自己嫌悪に苛まれているもう一つの彼女。

 だけど自分を嫌悪しても、迷わず目標に向かって進んでいく人。

 どんなに磨き上げても満たされず自分という迷宮を彷徨い続けている僕とは違う。

 だから高遠は短く周りに聞こえないように霧島に伝える。

 

「……いい先輩だ。けど『女王様』というあだ名は似合わない」

「え~そうか? 俺はその通りだと思うけどな、周りにいい子ちゃんに見られるようにふるまっているしさ。気をつけろよあの顔の下は、実は腹黒かもしれないぜ。知ってっか? 最近の女って怖いんだぜ」

「おい霧島、高遠、おしゃべりしてないでマジックに集中しろ!」

 

 「やべっ!」と霧島は慌ててマジックを再開させる。

 霧島の両手に持った布が左右に動くと、ゆっくりとゾンビボールが布の上を転がり始める。だが高遠の目はゾンビボールではなく布の向こう側を一点に見つめていた。

 

 

 

 マジックの見せ合いを部員のみんなに一通り見せ終えると、窓の外が薄暗闇に包まれていた。もう時刻は夕方の六時を迎えようとしていた。

 

「さあみんな今日はここまで、明日はいよいよ五月祭よ。一年生は明日の朝、全体準備があるから忘れないようにね」

「あ~あ、かったるいな。一年だけ朝っぱらから準備に駆り出されるなんて」

「仕方ないさ霧島、俺たち三年も通ってきた道だ」

 

 一年のみに課せられる全体準備に気怠い思いになっている霧島を片倉部長が肩に手を置いて仕方ないという言葉で慰めた。こんな時間では子供たちも来ないだろうし、五月祭の間は遅くなるから公園でのマジックはしばらくお休みだなと自分の道具を片付けながら手提げかばんを手に持つ。

 すると、たまたま隣のカバンだった藤枝の頭のつむじが目の前にあった。つむじを覆う髪の毛は部室の蛍光灯に照らされて光を反射している。黒く艶がある髪の奥をたどってみると後ろ髪で隠し、日焼けとは無縁なうなじが顔を出していた。

 藤枝が顔を上げると、高遠がじっと彼女の髪とうなじを見ていたことに気付いていないようでクスッと微笑んだ。

 

「高遠君、一緒に帰ろう」

「はい先輩」

 

 今日が部室の戸締り番であった藤枝を待ち、学校の門を出てゆく。

 秀央高校からバス停へ通じる通学路、街灯は夜が近くなったことを察知して道に光を照らしていく。通学路には高遠と藤枝以外に誰もいない二人っきり、高遠も藤枝も同じくバス通学で時々バスの中で顔を合わせることがある。そしていつも藤枝が他愛もない話を切り出して高遠は相槌をうつのを繰り返している。別段高遠は話をするのが苦手ではない、ただマジック以外に興味の方向が向かないため意外と話す話題が少なく頷くほかないのだ。藤枝はそれに気を遣ってかマジックについての話題を多くしてくれるため、高遠も自分から口を開くことができた。

 今日も他愛のない話やマジックのこと、明日の五月祭のことを話し続けると、藤枝の話が今までとは異なる話に切り替わる。

 

「実はね君に初めて見たときからある人に似ているって思っていたのよ。あの天才マジシャン近宮玲子に。マジックの手さばきとか動きがどこか似ているなって」

 

 藤枝が高遠の右手を取り、もう片方の手が重ね合わされる。自分よりも小さくて柔らかく、指の一本一本が精工なマネキンのようでいて温かな手が高遠に伝わってくる。

 

「あたし彼女の大ファンで。この手、あたし一回だけあの人のマジックをまじかで見たことがあって、その手に似ているなぁって。男と女の手は全然違うのになんか不思議ね」

 

 確かに不思議だ。どうしてこんなにもあなたといると安心するのだろう。今手の中は、公園の芝生の上で寝転がって朗らかな優しい春の太陽を浴びたように穏やかだ。

 やっぱりあなたは――似ている。

 ようやく着いたバス停でバスを待っていると高遠は隣で同じバスを待っている藤枝に告げた。

 

「藤枝先輩も似ていますよ。天才マジシャン近宮玲子に」

 

 お世辞でも一部の容姿という意味でもない。あなたは似ていると高遠は真剣な目つきでほぼ同じ目線の高さにある彼女を見た。

 藤枝は、さっきまでの饒舌だった口をきゅっと閉じて 自信を込めた嬉しい表情で高遠を同じく見つめる。

 

「……ありがと! 彼女はあたしの目標だからすっごく嬉しい!」

 

 やはり似ていた。どうしても目の前の彼女が近宮玲子に見えて仕方がない。自信を込めた嬉しい表情。十歳の時に僅かな時間ではあるが色濃く残っている。あの人と初めて出会った時のような昂ぶり。

 そんな彼女を見ているとまた胸が熱く感じる。これもまた僕は歪んでいるという証拠なのだろうか?

 だがイエスとは言えない。僕自身この歪みを理解も表すこともできないのだから。けど、これだけははっきりと言える。あなたに悲しい顔は似合わない、明るい太陽のような顔があなたにはふさわしい。存在すらはっきりと見えない月の僕とは違って。

 バスがエンジンの駆動音を鳴らして停車すると、細かく上下に揺さぶりながら扉を開く。パスをかざして高遠が先に乗り込むが、藤枝は未だに乗り込まずカバンをあさっていた。

 

「あれ、パスケースがない……やだ部室に忘れてきちゃったのかな……」

「一緒に取りに戻りましょうか?」

「いいのいいの。君たち一年生は全体準備で朝早いでしょ、先に帰ってて」

 

 そう言うと藤枝はバスに乗らず通学路を戻っていった。

 彼女のブレザーを着た後姿を見送り、バスのステップに足を掛けていつものようにバスの最後尾へと足を運ぶ。

 

 

 

 ズキンと心臓に針が刺さる。

 この感覚に高遠は覚えがあった。いつもの予感だ。きっと事件が起きるその予感。そして自分の知るよしのない事件であるはずなのに父に暴力を振るわれる。執拗に僕を忌み嫌うあの父に。

 だが、今回の違和感はなぜか痛い。父に投げつけられた瓶が当たったときよりも痛い。痛みに耐えきれず胸を抑えて足が一歩後ろに引くと痛みは少しだけ和らぐ、もう一歩引くと痛みはまた和らいだが今度は心臓が後ろに引っ張られる感覚が現れる。

 これは何なんだ? 僕の予感はいつも僕とは関係のないところで起きている。きっと今回だって僕には関係ないはず、今戻っても父に追及されるだけ……なのに。どうして体は僕をそこに引き入れようとするのか!? 戻った先に何があるんだ!? 高遠は、心だけでなく自分の体に起こっていることにさえ理解が追い付かないでいた。

 

 バスの扉が閉じ、発車の合図のクラクションが一つ鳴るとバスは白煙を吐きながらバス停から出発した。

 

 

 

 

 

 

 バスに乗らなかった。

 去り行くバスの白煙と自分が本来いるはずだった座席を見つめる。胸の痛みは少し収まっていた。

 先輩を追いかけよう。

 通学路を戻っていく高遠であったが、自然とその足は早足になっていた。

 

 この予感は僕に何をさせようというのか? 父の言葉を借りれば、僕の周りでよからぬことが起きる前触れであろう。いつもの僕ならただ傍観しているはずなのに、どうして藤枝先輩を急いで追いかけなきゃいけないのか。この感情は一体……

 高遠は己の中で渦巻く奇妙なものに突き動かされるまま、藤枝つばきの後を追いかけ、秀英高校の校門を越える。

 



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第四話『霧島純平の奇妙な行動』

 バス停から秀央高校に戻って来たときには、辺りはすっかり日が落ちて暗くなり始めていた。それに輪に駆けて秀央高校の校舎の中は薄暮の光が校舎に遮られて一層薄暗かった。

 学校と言う物質的、精神的な閉鎖空間では、一度暗闇に入ると閉塞感を浮き彫りにする。高遠は家よりもこの閉ざされた場所の方が落ち着くのであったが、今はなぜか、心の奥底で静かに早鐘が打ち付けられている。

 

 蛍光灯一つもない廊下を高遠は記憶を頼りに真っすぐ進んでいく。エリート教育の環境のために広い校庭、多種多様の教室を有する秀央高校。だが高遠たち一年は、この高校に入学してひと月ぐらいしか経っておらず、教室を迷う一年生が絶えない。だが高遠は教室の配置をほぼ記憶していた。だから暗闇の中でも迷わずにマジック部の部室に進んでいける。

 

 しかし、高遠の頭にあるのは未だに理解が及ばない自分の予感のことだ。

 なぜ急ぐ? なぜ藤枝先輩を急いで追いかけようとするのだ? 彼女が何か事件に巻き込まれるとでもいうのか? だとしたら僕が行く必要はない、むしろ怪しまれるではないか。

 自問自答しながら予感に背中を押される形で『マジック部』と白のプレートに黒のインクで刻まれている見慣れた名前が姿を現す。

 

 少し日に焼けた白のドアは空いたままで、電気のついていない部室は、太陽の光があってまだ床が見えるぐらいだった廊下と違って薄暗くほとんど何も見えない。

 部室内の窓のカーテンが開いていて光が入ってくるが、それでも僅かにいつも使っているテーブルとソファーの輪郭と二つの大小の影が薄っすらと見えるだけ。部室の扉のすぐ傍にあるスイッチを入れると、胸の痛みがまるで始めからなかったかのように消えてしまった。

 

「そこで何をやっているんだい、霧島?」

「げっ! 高遠か!? あっちゃー見つかった」

 

 部室内の蛍光灯が灯されると、ソファーとテーブルの間で両手にテグスを二重に巻いて立っている霧島と部室の隅でひざを屈めていた藤枝の二人がいた。藤枝はすぐ後ろに霧島がいることを高遠が指摘したことでようやく認識し、驚いた顔で口に手をあてて覆った。

 

「えっ、霧島君!? 私の後ろにいるのに気づかなかったわ。てっきり帰っていたとばっかりに……」

「えへへ、実はこっそり他のマジックの練習をしていたんですよ。俺のゾンビボールが五月祭に間に合うか不安で、高遠が入部したの時に見せてもらった物質空中マジックでもして挽回できるかなと。そしたら、部室に藤枝先輩がパスケースを取りに戻ってきたのが見えてきてこっそり隠れてたんですよ」

 

 霧島が苦笑いをして、藤枝に手に持っていたテグスを見せて「もう暗くなったので今片づけをしていたところなんです」と説明をする。

 高遠が部室に入り部屋をぐるりと見渡す。

 部室は今日の戸締り番であった高遠と藤枝が帰った時と変わらない状態だった。ソファーやテーブルには道具類は一切なく、ほぼそのままであった。

 積み上げられた段ボールのすぐそばで、藤枝は左手を腰に当てて霧島が練習をしていたことに感心していた。

 

「へぇー、霧島君意外と熱心ね。いつも部活が終わったらすぐに帰ってたのに。やっぱり大勢の前でやるとなると気合が入るのね」

「そーなんですよ」

 

 さすがに邪魔になったのか、霧島は両方に巻いていたテグスの片方をほどき、空いた手で頭を掻いて照れた仕草を見せる。

 一方で高遠が藤枝の後ろを通ると、段ボールの荷物でコの字につくられた空間の中に藤枝のパスケースが床に落ちていた。電気をつけたらすぐにわかるところだった。

 

「先輩、パスケース、みんながカバンを置いていた段ボールの前にありましたよ」

「ごめんね高遠君、先に帰っていいって言ったのに……」

「いえ、女性を一人で帰らせるのは忍びなかったので」

「そう? ちょっとうれしいかな。じゃあパスケースも見つかったことだし帰りましょ」

 

 藤枝が高遠に向けてはにかむと高遠を連れて部室から出ようとする。それを霧島が引き留めた。

 

「なあ高遠、一緒に帰らないか? ゆっくりしてもまだバスもあるし、時間あるだろ」

 

 霧島はニカッと上の歯だけを開いて見せる。目じりに皺ができるほどのにっこりとした顔。だが高遠はいつものようにすまし顔で、丁重にお断りした。

 

「君の家は僕たちとは反対だろう。それに、いろいろ()()()()()()()()()()()()()が多いだろうし、手伝うのはごめんだから止めておくよ。ちゃんと忘れずに管理人に鍵を返してくれよ」

 

 二人は部室を出て廊下を歩いてゆく。外は月が出ていて一本道の廊下を電灯代わりに照らしていて、なぜか部室にいた時よりも明るく感じた。

 その背後で舌打ちする音が聞こえた。

 

 

 

 高遠たちがバス停に戻ってきたときには、もう辺りは黒のカーテンと照明の光に包まれていた。やってきたバスはヘッドライトが空中に浮いている埃と道路を照らし、高遠と藤枝の二人を乗せる。

 

 この時間となると人の数はまばらで座席はほとんどが空席だ。バスが発車して高遠がいつもの後部座席に座ると、その横に藤枝が遠慮なしに高遠の隣に座る。だが、高遠は彼女のことなど一切眼中になく、真っ暗な外の景色の中に移り変わりながら変化する黄色の照明がついているマンションや白色の明かりが灯されている一軒家や街灯を見つめながら霧島のことを考えていた。

 

 霧島の行動は奇妙だ。

 持っていたあの糸、物質空中マジックに使うにしては短すぎる。あれは部屋の端から端まで糸を引かなけらばならないから、手で二重に巻いただけの長さではあの部室では到底足りない。それに回収中だったとしても部屋を暗くしたままでは、観客に見えないようにつくられた細いテグスが見えなくて回収できない。それに小道具も見当たらなかった。あの行動はマジックをするとしては怪しい部分が多い。そもそも暗くなったから電気をつけ忘れるというのもおかしい。集中して忘れていたというかもしれないが、最後に部室の戸締りをした時にはもう外は夕暮れだ。帰る間際も電気は消したはずなのに、どうして霧島はその時よりも暗いときに電気をつけなかったのだろうか?

 

 じーっと外の景色に浮かぶ自分の姿を見ながらそのことを考えていると、ぬうっと、セミショートの女の顔が高遠の横に浮かぶ。

 

「高遠君てば、いったい何を考えていたの? 明日のマジックのこと?」

 

 藤枝がずっと外を見ていた高遠を見かねて声をかけてきた。窓の外に映った彼女の口元は今にもどうしたのという言葉が紡ぎだされそうだ。高遠は顔を外に向けたまま藤枝に言葉を返した。

 

「変だとは思いませんか」

「ん? 何が?」

「霧島ですよ。彼が部室で物質空中マジックをするにはおかしな点が多いのですよ。夕方なのに電気もつけず練習をするのは不可解です。特に糸を両手に巻いて回収していたこと。普通は糸を回収する際片手に糸を巻き付けて回収するはず、ですが霧島は両手にそれも二重に巻き付けていました」

「たしかにそうね。あの時すぐに見つかると思って電気つけなかったけど、それより前に練習をしていた霧島君はちょっと変ね。それにあのテグス、部室内でひっかけるにしては短すぎるし」

「ほかの目的であの部屋にいたとは考えられませんか?」

 

 藤枝が首をかしげてうーんとひねって考える。

 

「他って、荷物を縛ったりとか?」

「あの部屋に荷物をまとめるようなものはありませんでしたよ。段ボール箱は糸よりガムテープの方が簡単ですし。もしあるとすれば……」

 

 首と言いかけたが、寸でのところで止めた。

 

 藤枝の顔が窓にぼんやりと蜃気楼(しんきろう)のように映る。どうしたの? と小さい子供の次の言葉を待っている表情はまるで母を思わせる。

 やはりやめておこう。彼女を怖がらせるだけだ。それで父から何度殴られたことか。

 

「何? 何? 高遠探偵の答えは」

「やっぱりやめときます。下衆の勘繰りは友人を失くします」

「ちぇー。ところでさ、さっきあたしが近宮玲子に似ているって言ったわよね。もしかして高遠君、近宮玲子のファン?」

 

 藤枝はずいっと席を詰めて高遠に接近する。高遠自身近宮玲子の話題に興味が注がれて、ようやく顔を藤枝本人の所に向ける。そして振り向いたとき、どこか藤枝は安堵の表情を浮かべていた。

 

「ええ、と言っても私があの人を舞台で見たのは一度きりでしたが……」

「そうなんだ! やっぱり一目ぼれ?」

 

 高遠は少し迷った。自分の過去を話してよいのか。父との不和、家庭環境を根掘り葉掘り聞かれるのはたとえ先輩でも土足で家に入られるのは不快だ。……だが藤枝先輩はそんなことはしないだろう。人に弱みを握られることの不快さを彼女は身を持って知っているから。

 藤枝は、高遠の顔を覗くようにして前に屈み返事を待っていた。高遠は家のことをぼかして彼女の質問に答えた。

 

「……そうですね。一目ぼれでした。ロンドンにいた時、たまたま父に連れられて彼女のマジックショーを見て……惚れてしまいました」

「やっぱり! あたしもそうなの。あの人のマジックってどこからあのマジックを生み出すのだろうって思うほど奇抜で、かっこいいよね。テレビで紹介されることもあるけど、テレビじゃわからないわ。生で見ないとあの人の凄さはわからないもの」

 

 藤枝が近宮玲子のファンだというのは本当だった。高遠がほんの僅かに話しただけなのに、洪水のように彼女は近宮玲子のことを語った。それまで十歳のころに直接本人と出会い、父の監視の目をかいくぐって彼女の情報を得ていた高遠には知りえなかった近宮玲子のマジックや生活の一部に今どこで公演しているのかなどが次々と彼女の口からあふれ出てくる。

 近宮玲子への憧れでマジック一筋を貫いていた高遠は近宮玲子のことになって自然と前のめりになった。聞いたこともある情報もあったがそれも新鮮なことのように聞こえる。それほど高遠は、近宮玲子に飢えていたといえるかもしれない。

 しかし、その興奮をも隠すほどのポーカーフェイスでいつものように冷ややかな表情と冷めた声で言い表す。

 

「何でも知っていますね。ですが、ファンと言うよりもオタクみたいです」

「も、もう高遠君たら」

 

 さすがにペラペラと憧れの人のことについて熱が入りすぎてしまったことを高遠の言葉でやりすぎてしまったと恥ずかしくなり、藤枝は頬をその名前にふさわしく赤椿のように真っ赤に染めた。そんな彼女を見て高遠はフフッと小さく笑う。

 

 

 

 だが高遠の脳裏にはまだ霧島のことがこびりついていた。あの霧島の目じりに皺ができるほどの笑み。何を隠しているのか。

 彼のあの笑みの裏にはいったいどんなことを企んでいたのか。もし僕の予想が当たっていたら藤枝先輩を……彼は。ではどうやって引き出せばよいのだ。

 知りたいと思った。どうしてそれをするかよりも、知りたいという欲求が高遠を突き動かした。僕をマジック部に引き入れた最初にできた友人の行動の真意を。しかしただ言葉で探りを入れるのは物足りない。最高の舞台で、美しく、鮮やかに、華やかに、彼を――()()()()()

 

 

 

 少し高遠が目線を外すと窓の外にある店が目に映った。そしてバスの停車ボタンを押すと赤く光り車内に機械的なアナウンスが流れた。

 

「すみません先輩。僕はここで」

「あれ? 君の家ここじゃないよね」

「ちょっと明日のために必要なものを買いたいので……」

「へ~、明日のためね。期待しておくわ」

 

 バスがブレーキをかけて停車すると、降り口である運転席横の扉が折って開く。藤枝の席を通り、静かに彼女に別れを言う。

 

「先輩、明日()()()()()()()()()()

 

 頑張ってではなく、気をつけて。

 どうして注意しないといけないのかと藤枝はその言葉の意味を理解できないようで、子犬のように小首をかしげる。

 高遠はバスを降りて藤枝が乗るバスを見送ることもなく、一直線に窓の外に映っていたあの店へと入っていった。



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第五話『考察』

 格子状のガラスの扉を引いた。

 自宅に帰った高遠は、タイルが敷き詰められた玄関にカバンと藤枝と別れたバス停前で買った物が入った紙袋を置いて学校指定の革靴を脱ぐ。フローリングの床を黒の靴下で踏みしめて自分の部屋がある二階へ上がろうとすると、肩を小さく揺らして父が高遠の前に立ちふさがった。

 

 父の顔は真っ赤に染まり、ウイスキーと四方形の小さな氷の入ったグラスを持っているからしてでき上がっていた。声もややろれつが回っていない。

 悪いときに鉢合わせしてしまったさっさと上に上がっておけばよかったと高遠は唇を噛んだ。父は仕事から帰ってから酒を飲むことがあるが、これがいつも高遠を恐れるように目を配らせていた父が酒の力で横柄な態度に変貌する。実の息子を恐れず、優位に立てたことを証明するために暴力を振るうのだが、高遠はそんなことは児戯に等しいことでさっさと酔いがさめるまで立ち去るのがいつものことだったがタイミングが悪かった。

 しかし、今日の父からはすぐには拳が飛ばなかった。どうやら今日は機嫌が良いようだ。

 

「遅かったじゃないか高遠、今まで何をしていたんだ?」

「明日の祭りのための練習ですよ」

「その紙袋は?」

 

 高遠の左手に握られた紙袋を父がグラスで指す。

 

「明日のマジックに必要なものを買ってきたんです。いけないですか?」

「ちょっと見させろ」

 

 有無を言わさずに父が紙袋を覗き込む。目の焦点があっていないからか、目を細めるだけでは良く見えていないようで紙袋の中に顔を半分突っ込んでいた。中のものが酒臭い口臭が移って臭くならないか高遠は、気が気で仕方がなかった。

 中の物を確認し終えた父が顔を上げると、口を卵型に開いて戸惑う顔に変化していた。

 

「……必要なのか、()()?」

「もういいでしょう僕は上がりますので」

 

 高遠は呼び止める父を振り切って、いそいそと階段を上がっていく。

 階段の最後の段を上がると、目の前にある無機質な木目調のドアノブを引く。高遠の部屋は、机とベッドと本棚に小物入れぐらいしかなくスポーツ選手やアイドルのポスターといったものすらない単調な様相だ。本棚も、漫画の類はなく洋書やマジックに関するもので詰め込まれている。

 机の上も、電気スタンドとノートパソコンぐらいしかなく、不要なものは一切排除するという彼の性格を表しているようだ。

 

 高遠は机に座ると、カバンから一枚の冊子を机の上に広げる。それは緑のわら半紙上に手書きで書いたものをコピーした五月祭の案内図だった。そして本棚から、入学時に学校から支給されたが一度も見ることもなく本棚の端に隠れていた秀央高校案内冊子を引っ張り出す。冊子の中身は、校長のあいさつに始まり秀央高校の創立のお題目が校舎を背景にしてつづられ、数ページ開くと高遠や霧島がいる特Aクラスなどのクラス割の概要を説明していた。何枚もページをめくると、高遠が目当てにしていた校舎の地図が書かれたページで手を止めて、見開きの状態にして机の上に置く。

 そしてノートの一枚を引きちぎると、緑の紙と白の紙の地図を見比べながらペンを走らせる。

 

 霧島、君は一体どんな理由があって先輩を殺そうと企んだんだい? どんな恨みがあったんだい? 戸締り番であった藤枝先輩が、パスケースがあんな目立つところにポツンと落ちているなんて変だ。きっと君がゾンビボールを落としてカバンを倒したときに、こっそりと彼女のパスケースを隠したのだろう。それを餌に先輩をおびき寄せた。そして暗い部室に潜伏して先輩を殺そうとした。

 計画的な犯行だ。しかし僕が偶然、あの胸の痛みでバスを降りて戻ってきたため犯行は失敗した。

 

 僕は初めて、マジックのこと以外に興味が湧いたよ。あの人に近づくためにマジック一辺倒だった僕が、霧島、また君によって動かされることになるとは。

 君のあの笑顔の下にはどんなものが隠されているのか。一体藤枝先輩にどれほどの恨みがあるのか。知りたい。

 けど、()らせない。

 

 いや霧島にその意図があるかわからない。しかし凶行に出ることも想定すべきだ。

 けど、ただ単に阻止するだけでは面白くない。僕のマジックで君を騙してやろう。

 

 目を交互に地図とノートに動かしながら高遠はマジックを創作していく。黒鉛から綴られていくトリックに高遠は思わず笑みがこぼれ始める。

 

 

 

 ブーンと携帯がバイブレーションの音を立てた。高遠は手を止めて黒の二つ折り携帯を開くと、メールが一件着信していた。

 

「藤枝先輩からだ」

 

 中央の決定キーを押してメールを開くと、題名には『明日頑張ろうね』と共にハートマークが付随していた。

 

『高遠君、無事帰れた? 明日は前夜祭だけど、手を抜かずにみんなを驚かそうね。それと、今日ありがとうね。近宮玲子に似ているって言われたの初めてで、今まで女王様呼ばわりされていたから、本当に嬉しかった。けど、あたしも高遠君が近宮玲子に似ていると思うのは変わらないわ。あっ、あたしも高遠君も近宮玲子に似ているなら、もしかしたらあたしたちもお互い似ているかもね。夜遅くメールしてごめんね。明日の全体準備頑張ってね』

 

 所々文の終わりや最初に、絵文字や動くイラストをデコレーションしている本文は、まさしく女の子のものであった。高遠は『高遠君も近宮玲子に似ているなら、もしかしたらあたしたちもお互い似ているかも』という文に目線がいった。

 机のわきに置かれていたカバンの蓋を開けて、小さな黒光りする鍵を取り出す。そしてそれを鍵のかかった机の引き出しに差し込み右に回す。カチリと金具が外れる音が部屋にこだまする。

 まったく微動だにしなかった引き出しから、四十代ぐらいの妙齢の女性が微笑みながら舞台の上でスポットライトを浴びて映っている姿が覗く。それは高遠と藤枝が目標とするマジシャン近宮玲子が表紙を飾った特集雑誌だった。

 

 高遠の父は、近宮玲子の顔が入った記事・雑誌類果ては番組までも高遠に見せないようにしていた。ある時、高遠が近宮玲子の記事のスクラップブックを持っていたのを父にばれた時は、散々殴り倒された挙句、スクラップブックをゴミ収集車の中に投げ捨てられた。高遠は未だに、スクラップブックが発泡スチロールが白い粉を噴き上げて表紙を白く汚し、ビニール袋から破れた生ごみの飲み残しやら魚の汁やらが交って泥水よりも汚い汁に浸されながら収集車に押しつぶされて影も形もない姿になったのを覚えていた。殴られた痛みよりもずっと鮮明に。

 一応、マジックの雑誌類を本棚に置いていることは了承してくれたが、未だに近宮玲子関連のものはこうして引き出しに鍵をかけて保管している。高遠がその雑誌を手にして、じっと彼女の手を見つめた。彼女の手を自分のと比べながら電気スタンドの蛍光灯にかざす。

 指と指の間の谷にぼんやりと血の赤が映る。

 

「似ているか……先輩が言ったことはあながち間違っていないかもしれないですね」

 

 高遠は薄々感じていた。父がなぜ近宮玲子を嫌悪するか、どうしてただの十歳の一少年でしかなかった自分にだけマジックを教えてくれたのか。そして藤枝が、自分の手が近宮玲子に似ていると思ったのか。

 それはおそらく()()()()が原因であろう。きっと、近宮玲子は僕の……

 ぎゅっと、指を一本ずつ折ってこぶしを作る。

 

 けど、藤枝先輩。僕とあなたはちっとも似ていない。あなたは太陽のように温かい、でも僕はぼんやりとして存在しているかわからない色を見出せない真昼の月。

 まったく異なる。似ているのは同じ星だということだけ。

 

 

 

 ブーンとまたバイブレーションが鳴る。新着メールを開くと今度は霧島と差出人の名前があった。

 

「……霧島」

 

 メールを開くと、本文とタイトルには無機質な明朝体のシンプルな文章が連なっていた。『ちょっと相談なんだけど』というタイトルが記載されていた。

 

『高遠、明日の五月祭のマジックお前なら大丈夫だよな。俺、全然自信なくてさ。けど俺、みんなをあっと言わせられるマジックがあるんだ。うまくやれるかどうかわかんねえけど俺頑張るわ。明日の全体準備だるいけどまずはそこから頑張ろうぜ』

 

 

 何気ない文面。藤枝のと比べると文のみで素っ気ないが、男同士ならこれが普通だと教えてくれたのは、霧島だ。彼がいたおかげで、ただ耐え忍ぶだけの無味乾燥な世界が少し色づいた。霧島には恩がある。

 

 だからこそ、止めなければならない。

 殺し。という発想が選択肢から外れない自分の異常さを理解しているが、それでも恩人であり友人にその手を汚してほしくない。

 

 数分間携帯の画面を見つめ、画面が自動的に暗くなると高遠はボタンをプッシュして、返信メールを打ち始める。

 

「ああ、いいよ霧島。僕も最高のマジックを見せてあげるよ。けど君は観客でもマジシャンでもない、僕のマリオネットとして動くんだ」

 

 高遠は藤枝と霧島にそれぞれメールを返信を終えると、しおりを開いてマジックの種を書き込み始める。犯行を防ぐという前代未聞のマジックの種をしたためている高遠は、これまでにないほど嬉々とした表情を自然に浮かべていた。

 トリックが完成したとき、ページの一番下には一人の仮面を被った男が、二つの男女のマリオネットを操る絵が描かれていた。



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第六話『準備』

ポワロの『カーテン』のネタバレがあります。


 昨日の帰りのバスよりも少ない人数の人が乗るバスに高遠は乗っていた。まばらにいる乗客のほとんどが秀央高校の生徒であることが制服からうかがい知れる。そしてその全員が全体準備のために駆り出された一年生である。

 皆が皆、早朝に起きる羽目になったため空いている座席に座って、足りない睡眠時間をバスの中で補おうとするが、ようやく昇ったばかりの朝の光が座席に座って眠たげな顔をしている乗客たちを、四角の窓に合わせた平たい板のような白い光線で起こそうとする。時折、バスが動くと日の影になる建物が遮っては邪魔をしてくる。

 

 高遠はぱっちりと目を開けて、まだシャッターの開いていない店舗や新聞を住宅のポストに投函する配達員の様子を見つめながら考えていた。

 昨日のうちにマジックの準備は整えた。あとは実行に移すだけ。だが、迷いがあった。

 

 霧島が藤枝に対する目論見を邪魔しようとすること計画を完成し終えた時、ふとこれをしてよいのかと自分の中で迷いが生じた。殺すことは悪、そんなこと小学一年生でも知っていることなのに、どうしてか高遠は()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 例えば、社会では裁けないような悪人に大切な人を殺されでもしたら、きっとその悪人を殺したとしても許されるのではないか? 以前ポワロ最後の事件である『カーテン』を読んだことがあり、そこに出てきた犯人は人が人を殺すことに快楽を見出し、殺人教唆で幾人もの人を殺人犯に仕立て上げた。しかも犯行がいたって日常会話程度の物で殺人教唆には至らないものであった。そこでポアロはその犯人を殺し、最後には自殺した。

 

 もしかしたら藤枝が過去に霧島に対して、あるいは家族や恋人に酷い仕打ちをしたため、その復讐として藤枝を殺そうとしたのではないか? と高遠は藤枝にも疑惑の目を向けていた。

 もしそうなら、非は藤枝にある。殺されても仕方がないほどの仕打ち。もしも自分が大切な人を殺されでもしたら、手をかけるかもしれない。今はただ一人しかいないが……

 高遠が起こすべきか起こさないべきかで迷う間に、バスは迷うことなく秀央高校前のバス停に停車したことをドアが開く音と駆動音で乗客に知らせる。

 

 

 

 全体準備は粛々を行われてた。高遠と霧島が所属する特Aクラスは校門にアーチを設置する仕事が割り振られた。

 内容は造花をつけてアーチを持ち上げるだけで終わるので、少人数であることや特Aクラスということもあって優遇された。

 

 クラスの人たちが、眠い目をこすりおしゃべりをしながらアーチの縁に両面テープがついた造花をつけていく。その中には霧島の姿もあり、うつらうつらと船をこいでいるクラスメイトの上に逆立った黒髪を剣山のように造花を添え、それでも起きなければもう一つと頭に造花の園を形成させていく。それを見ている他のクラスメイトは止めることもなく、どこまで植えられるかとクスクスと笑い、期待の目を霧島に向けていた。お調子者霧島のいたずらだとクラスメイトはいつものことであると見ていた。

 

 いたずら気に片頬を上げている霧島の目は、昨日の夕方に部室で見た時と同じだ。よもや、あれが計画的な殺意を隠している顔だとは誰も思わない。

 高遠はそれを見ながら造花をアーチに飾り付ける。教室から出ていくときに、下準備はできた。あとは藤枝と霧島を二人っきりにさせることなく、前夜祭のマジックを遂行させて、霧島を騙す。

 内容自体に問題はない。ただ、それを起こすべきかを高遠は揺らめいていた。藤枝つばきは、霧島にとって殺さないといけないほどの人物なのか。

 

 誰でも裏の顔があるのは、知っている。自分だってそんな顔があるはず。もちろん藤枝先輩にもある。だが高遠の脳裏には、彼女のもう一つの顔を克明に覚えている、淋しく悲しい顔を。それを知っているからこそ、彼女に後ろめたいようなことがあると高遠は思えなかった。

 自分をマジック部という場所に導いてくれた霧島に寄るべきか、共通の人物に憧れてそしてどこか近宮玲子に似ている藤枝を助けるべきか揺れ動いていた。

 こくんとすっかり造花に埋もれていたクラスメイトの頭が大きく揺れると、造花がドサッと花が丸ごと落葉する。まるで椿の花のように。

 

 

 

 準備も終わると、高遠は音楽室に入った。

 漆が塗られたように黒く高遠の顔が映るほど光る鍵盤蓋を開けると白と黒が交互に並ぶ鍵盤が整列している。そして椅子に座り鍵盤に指を置くと、『エリーゼのために』を弾き始める。

 イギリスでハウスキーパーをしてくれた女性にピアノやバイオリンなど音楽全般を師事した。その中でもピアノが、特にリストやベートーヴェンといった重く低い音程で彩られる曲が好きだった。マジック部の顧問であり音楽の先生である姫野先生からは明るい音楽を引いたらと言われたが、好みは変えられなかった。

 こうして自分で白と黒の細い板を押して、奏でながら聞くピアノの旋律に心が安らぎ、ピアノのことだけに集中できる。煩わしいことも、悩んでいることも、心血を注いでいるマジックのことも皆。

 だが日本にある高遠の家にはピアノがないため、昼休みの間に学校で弾くのが日課のようになっていた。姫野先生から高遠がここでピアノを弾くことを黙認しているため大きな問題は起こしていない。僅かな時間であるが、ここも高遠の居場所であった。だからか自然と鍵盤に指を運ぶのが軽やかであった。

 

「高遠君、もう全体準備終わったの?」 

 

 おっとりとした穏やかな声が『エリーゼのために』と不協和音にならずまるで新たな旋律ができたかのように重奏が奏でられた。高遠は指を止めて、演奏を止むと音楽室の扉の所に姫野先生が立っていた。

 

「すみません。早く終わったもので自由時間になったものですから」

「どうしたの、ちょっと辛そうだったけど」

 

 高遠は姫野先生の言葉に驚き少し目が開いた。そして鍵盤蓋に一瞥して自分の顔を見る。前髪を垂れ下げた下の顔はいつもの冷ややかな表情であった。

 

「……そんな顔してましたか?」

「ほんのわずかにね。ピアノの旋律も手本の曲よりも重く感じたわ」

 

 さすがは音楽の先生と言ったところかと高遠は彼女の耳の良さに感心した。姫野先生は、高遠がこの学校に入学してから唯一気が置けない先生だった。マジックのことしかり、音楽のことも、時にはそれ以外のことも。

 

「……先生、もしも友人が犯罪に手を染めようとしたらどうしますか?」

「え?」

 

 姫野先生は、高遠の口からでは物騒な言葉に目を皿のようにして驚いた。先生はどうしてそんなことを聞くのかと否定せずに、目を閉じ手を軽く合わせて真剣に考え始める。

 

「……私ならする前に止めるわ。だって友達が捕まってしまうのは嫌だもの」

「では友人が犯罪を犯さないといけないほど許せないことでしたら?」

 

 高遠は言葉に出さなかったが、霧島のことを暗に相談した。許されるべきか許されざるべきか、まだ高校一年生の高遠では判断がつかなかった。

 

「難しいわね。……けど、日本は法治国家である以上犯罪を犯したら法で裁かれるわ。どんなことでも犯罪を犯した人は裁かれなければいけない。そんなことになったら、その人の人生は終わってしまうから」

「………ありがとうございます先生」

 

 そう言うと、高遠は鍵盤蓋を閉じてピアノをしまい椅子から立ち上がる。すると、姫野先生がコツコツと木目の床を艶のあるヒール靴で鳴らしながら高遠に近寄った。

 

「高遠君、先生嬉しいわ。あなたが友達のために行動するなんて」

「そうですか?」

「そうよ。私、君がクラスメイトに心を開かず孤独でいたことの危うさに心配していたから。心を閉じたままだと孤独なままだけど、心を開いたらあなたを守ってくれる人が自然とくる。もうさっきのことについてはこれ以上触れないでおくけど、大切な人を失わないでね」

 

 姫野先生が幸福そうに微笑む。高遠はそれ以上何も質問もせずに音楽室から立ち去った。



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第七話『組み合わせ』

 前夜祭が開始するニ十分前になると、マジック部の部室には顧問である姫野先生を除いた部員たちが勢ぞろいしていた。

 一年である高遠と霧島を除いた先輩たちはソファーに座って、テーブルの上に広げたローテーション表を組んでいた。講堂で行われるマジック部のショーが公開されるまでの間、展示物を見守らないとならないのである。しかし、マジック部の展示物はマジックショー自体であり、部室にはこれまでの活動記録と藤枝が学生マジックコンクールで優勝したときの新聞の切り抜きが貼られたA4用紙一枚だけ、なので実質的には各部員のマジックの最終調整がメインである。

 しかし、全員がこの狭い部室でお祭りを差し置いてカンヅメにされるのは暴動ものであるから、六人の部員のうちの二人が祭りを謳歌できるように先輩たちが頭をひねっているのだ。

 

 高遠の予想では、全体準備をしていた一年生が先に自由時間を与えられると考えていた。その次に二年生の藤枝と黒江。そして三年の片倉部長と荒木田副部長の順番。この順なら、一番に考えが浮かびやすい逆年功序列型で最も合理的である。むしろこの順番こそが最も高遠の望んでいる順番だ。

 同じ一年である霧島の行動を監視できて、藤枝と引き合わせることがないケース。しかも高遠自らが一緒に巡ろうと声をかければ、霧島は藤枝に対しての動きが取れない。トイレでさえも連れしょんとでもすれば問題がない。

 

「高遠。どこから巡る? 俺さっきの自由時間に地図に線を入れてどこを巡るか考えていたんだ」

 

 霧島が秀央高校指定である黒のズボンのポケットから四つ折りにした緑の紙を高遠に広げてみせた。緑のわら半紙の上でもはっきりとわかる赤の線で校舎から校庭までの順路を引き、『ゼッタイ』という赤文字で各部活の出し物コーナーに矢印をつけている。 

 

「俺なりに期待できそうな所をピックアップしたんだ。登山部に所属している友達から試食の焼きそばを食ってみたらなかなかいけてさ。早くいきてえなぁ~可愛い子いるかな~」

「フフッ、本祭の明日にならないと他所の人たちは来ないよ。みんな顔見知りばかりだ」

 

 秀央高校の五月祭は、外部の人たちが入れるのは翌日の本祭からで前夜祭は学生や親類ぐらいしか入れないことになっている。その事実を知らなかった霧島はちぇっと舌打ちしてがっかりした。

 

「けど、人の少ない今日ならここは意外と人がいなくて見ものらしい」

 

 高遠が指した場所は、マジック部がある校舎の一階の隅の部屋。そこには『女子更衣室』と書かれていた。

 霧島は高遠が何を言わんとしているのか察したようで、にんまりと両口の端を上げてサムズアップする。

 

「サンキューな高遠。俺たちは親友だ」

「二人ともおしゃべりは厳禁だよ。もしかしたら組み分けが変わるかもしれないよ」

 

 黒江が後ろの後輩二人に注意する。霧島は「またまた~」と冗談のようにとらえていたが、片倉部長の一言でそれが現実になった。

 

「う~ん。マジックの練習をするなら、学年ごとでのローテーションは少し見直した方が良いかな」

「そうですね部長。特に霧島君はまだ人前に見せるには粗削りですから二年生と三年生でみっちりと調整させたほうが良いと思います」

 

 藤枝も片倉部長の意見に賛成して、細い指先に消しゴムを持ってさっきまでシャープペンシルで書いていたローテーション表を消していく。

 

「だから女王様なんだよ」

 

 本来ならば副部長である荒木田が反対か賛成かに意見を述べるはずが、権力のない二年生部員にもかかわらず自ら率先して動く藤枝に黒江が小さく藤枝に毒を吐くが、話は変わらず高遠の想定していた順番から変更されていく。

 予想が外れたか。だがまだ修正ができる範囲内だと高遠は表情を崩さずに頭の中で予定を組み立てなおす。

 そしてようやく口を開いた荒木田が遅い同意見を出した。

 

「まあ確かに霧島の腕だと会場の前で失敗する可能性があるよな」

「人のこと言えないだろ。むしろ毎回披露しては失敗している常習犯はお前の方だろ」

「タッハ! こりゃごもっともで」

 

 荒木田は手を後頭部に持っていき大きく口を開けて笑ってタッハ節を繰り出すが、片倉部長は細い目が線になるほど目を細める。

 

「それじゃあ一人がマジックして、二人がそれを別の方向から見てアドバイスする。で、残りの二人か三人かが休憩に回るというのはどうですか?」

 

 藤枝が別案を提案したが、後者の三人体制はあっさりと否決された。二対一でマジックを見る以上、誰か一人は部室の展示物の見張りと来客対応しないとならないからだ。結局二人が二時間ずつで十六時までローテーションを組むということになったが誰と誰が行くかということが争点になった。

 先に最初の居残り組決定となったのは実力不足の霧島と荒木田だった。そして残りの二人となったとき、高遠は焦りを感じた。ここで藤枝を自分とのペアに組ませないと自分の目が届かない範囲に入り、マジックは瓦解して霧島が凶行に走ってしまうからだ。

 残りの二人を誰にするか上級生組も頭を悩ませていた。終いには黒江が鉛筆をもって運否天賦にする方法まで持ち出してきた。

 

「じゃあ残りは鉛筆でも転がして決める? それともじゃんけんでもする?」

「う~ん。公平だがそれで納得するか……」

 

 このままでは、予定が天運という不確実性の塊のせいで狂ってしまう。それだけは避けたいがため高遠は挙手して初めて発言した。

 

「あのすみません。実は希望の時間があるのですが。ほかの先輩方も僕と同じように希望する時間帯で相談しあうというのはどうでしょうか」

「そうか。他のみんなは希望の時間とかあるか?」

 

 片倉部長が高遠の希望時間帯案を飲み、高遠は内心ほっとした。そして高遠のマジックを応援するかのようにツキが回ってきた。

 

「じゃああたし最初がいい」

「僕も最初の時間でお願いします」

 

 藤枝が先に手を挙げて希望の時間を告げたと同時に、間髪入れず高遠も同じ時間にねじ込んだ。藤枝が先に希望時間を告げてくれたおかげで後追いで同じペアになった。予定が変わったが、これで藤枝と霧島が同じペアになるという可能性はなくなった。他の組も次々に決まり、すっかり書記の地位に収まっている藤枝がローテーション表に書き込む。

 最初の二人が部室から出る。次の予定では、高遠から藤枝に声をかけて祭りを巡るという算段であった。万が一霧島がトイレなどの名目をつけて部室から離れて藤枝に犯行を及ぶ可能性は十分にあるからだ。

 

「高遠君、祭りどこから巡る予定?」

 

 藤枝からの質問に高遠は少々目線をそらした。

 すでにマジックの仕掛けは全体準備の後の自由時間で済ませておいたため、後は時を待つだけで特にこれといって向かう予定の場所はなかった。昨日見ていた地図も昨日マジックのためだけに場所を見ていただけで、屋台とか出し物とか一切頭になかった。

 高遠は必死に思考を巡らせたが、頭に浮かんだのが先ほど霧島が言ってくれた焼きそばぐらいしか思いつかなかった。

 

「そうですね。登山部の焼きそばに行ってそれから……音楽室でピアノでもと」

「せっかくの五月祭なんだから他に行きたい出店とかないの?」

「すみません」

「すぐに謝る。じゃあ、あたしと一緒に祭りを回りましょ」

 

 藤枝が高遠の手をつかんだ時、これは好都合であった。姫野先生から孤独であると言われている高遠が自ら声をかけるより、藤枝の方から誘う方が自然であるからだ。

 

「ほら、早くしないと時間なくなっちゃうわよ」

 

 高遠の思惑を露知らず、藤枝は高遠の手を引いて祭りの会場へと向かっていく。その背後で、昨日と同じくチッと舌打ちする音が聞こえていた。

 



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八話『前夜祭』

 祭りの会場の一つである校舎前通りは秀央高校の学生しかいないにもかかわらず盛況であった。校門からすぐという人が多く行き来する立地条件もあってか、校舎へ向かう前に段ボールで作った看板を持った客引きに誘われて屋台で食べる人が多数いた。高遠と藤枝は、この校舎前通りにある登山部の焼きそば屋で焼きそばを注文していた。

 

「はい、お二人さんアジアン風焼きそばお待ち!」

 

 二人のか細い手とは正反対の太くたくましいゴツゴツとした手から透明のパックに詰められた焼きそばが手渡された。

 蓋を閉じていた輪ゴムを外すと、焼きそば定番のソースの焦げる匂いとは異なるエスニックな香りが鼻腔に漂う。色も醤油とは異なり、色が薄い。おそらくナンプラーであろう。アジアン風と謳っていることもあってか上に乗せられているのも鰹節だけでなく小さなサクラエビもまたただの焼きそばでないことがうかがわせる。高遠が割りばしで焼きそばの麺を一本つかみ、口に入れるとナンプラー独特の少ししょっぱい味がしっかりと麺に浸透してのサクラエビのプチッとした触感がアクセントを利かせている。

 

「おいしいですね」

 

 高遠が素直な言葉で言うが、隣にいる藤枝は口に焼きそばを入れたまま高遠の方を見ていた。そして高遠よりも早くに焼きそばを食べ終えた藤枝が、ゆっくりと食べている高遠に疑問を投げかけた。

 

「高遠君って、食が細い?」

「……そう見えますか?」

「だって、焼きそばをそんな一本だけすする人あんまりいないわ」

 

 藤枝に指摘されて周りをよく見ると、確かに他の人は一度に四本から六本。果てには一気にかきこんで咽る人までもいるが、高遠のように一本だけと言う人はいない。藤枝は高遠の拳一つ分ある制服の袖のあたりなどを観察して、うーんと唸って何かをチェックするかのようであった。

 

「それによく見ると、高遠君って男子なのに体細いように見えるわね。何キロぐらいあるの?」

「四十四キロですが」

「ええっ!! 細いよ。高遠君もっと食べないと、まだ一年生だからもっと身長が伸びるし、あばら浮き出るよ」

「そこまで必死になって食べる必要はないかと思いますけど」

「だって、あたしより軽……何でもないわよ!」

 

 藤枝がギュッと握りこぶしをつくってぶんぶんと上下に揺らして訴えるが、自分で言ったことではないだろうかと高遠は肩を落として苦笑いした。

 

「ほら、次あっちのフランクフルト屋に行きましょ。今日はお祭りなんだからしっかり食べさせるんだから」

 

 再び藤枝が高遠の手を引き三軒隣の屋台にへと連れていこうとした。高遠は藤枝の勢いに押されてまだ食べている途中の焼きそばの蓋を抑えるだけで精いっぱいだった。

 

 

 

 ちょうど一時間が経過した時、高遠の両手には最初に買った焼きそばの袋だけでなく唐揚げの袋、口には三分の一ぐらいに減ったフランクフルトが咥えられていた。やはり本当に食が細いようでまだ食べきっていなかった。一方の藤枝はと言うと、カップに入ったタコ焼き器でつくられたチョコレートシロップがかかったプチホットケーキをタコ焼きのようにつまようじで刺して口に放おりこんでいた。

 

 やれやれ少々強引な人だ。黒江先輩が女王様と呼ぶのはこういう面があることを知ってのことかもしれないな。けど、それで誰かの恨みを買うような行動には至らないはずだ。それに、たかが入部してひと月足らずの霧島本人が、彼女に対して殺すほどの恨みを買う行為は想像もできない。しかし現に霧島は目の前の彼女を殺すことを企んでいる。ならばやはり霧島に関連する人にかかわることか、あるいは霧島が些細なことでかんしゃくを起こす裏の顔があるかもしれない。

 

 校舎前通りを過ぎてグラウンドに入ると、そこもグラウンドの外周に生徒が集っていた。中央のグラウンドに後夜祭名物の木で組まれたキャンプファイヤーが、燃やされる運命にあるのにまるで長年いる仏像のように厳かに鎮座されていた。

 燃やされる前のキャンプファイヤーを一目見ようとグラウンドの外周に人が集っているということだ。そしてそれを狙ってか外周に出店が立ち並び、キャンプファイヤーに見飽きた人たちが店に入っていく。

 

「ねえねえ高遠君、あれ行ってみない? 天文部」

 

 藤枝が指さしたのは、青のブルーシートで覆われていて脇に『天文部』という看板がなかったらバラックかと見間違うほどの小さな建物だった。

 垂れ幕のように垂れ下がっている重いブルーシートを持ち上げて中に入ると、秀央高校の制服を着て右腕に『案内係』という腕章をつけた男子が二人に声をかけた。

 

「いらっしゃいませ。こちらでは一足早い夏の星座が見れますよ」

「プラネタリウムですか?」

「本当は部屋一面でする予定何だったけど、映りが悪くて。それでコンセプトを変えて、双眼鏡で見る夏の夜空と言うテーマでプラネタリウムを投射しているんです」

 

 横一列に並んでいる板から開いている二つの穴にお客が覗きこんでは、ざわめく声を上げている。穴の上には『カシオペア』や『はくちょう座』といった夏の星座の名前が掲げられていて、その名前のある穴を見るとその星座が見えるという仕組みだ。

 

「見る穴によって見える星が違うから楽しんでいってね」

 

 案内係の人から星座一覧の紙を受け取ると、藤枝がさっそく穴を覗き込んだ。

 

「すごい、星がはっきり見える! これは………こぎつね座ね」

 

 上に掲げられている星座の名称を見て感嘆の声を上げる藤枝。高遠も『ヘラクレス座』の穴を覗いて見る。確かに暗い部屋の中にヘラクレス座の星が瞬いて見えていた。そしてご丁寧にも、どれがヘラクレス座の星なのかも分かるように時折線が引かれる。しかしこれは不完全で偽物で感嘆の息を漏らすようなものではない。

 そもそも星空にあんなガイドラインは実際に引かれていない。それに建物の作りが甘く、背景であるブルーシートのつなぎ目がうっすらとであるが見えて光が入ってきている。完璧でもなく美しくない。どうしてこんなものに先輩は感嘆の声を上げるのだろうか。

 穴から目を外して藤枝の方を見ると、こんな稚拙でちゃっちな作りものでも藤枝は楽しんでいた。似ていないな僕とは、と改めて高遠は思った。僕の価値観は完璧で美しいものを求め、先輩は不完全でも楽しむ。どうしても未だに昨日のあのメールの文面が頭の隅に残っている。どうしてこんなに引っ掛かるのだろうか。僕はあの人を……いやよそう。気の迷いだ。

 

 そうしている間に藤枝が目を本物の星のように瞬かせながら隣に移動して『さそり座』と書かれている穴を覗き込んだ時、高遠は今自分がいる『ヘラクレス座』の神話を思い出した。巨人オリオンは自分が一番強いと周りに自慢し、驕っていた。それを女神ガイアが怒りサソリを遣いに出した。オリオンは足にサソリの毒が刺さりあっという間に死んでしまった。

 どんな強い人物でも所詮は人間、ふとしたことで死んでしまう。そして、この間にも死者は出ている。事故・怪我・病気そして殺人。だが人は死をいつも意識してなく、こうして普通に過ごしている。たまに刺激を求めて祭りを起こしたりして異質を感じる。マジックだってそうだ。観客に異質を見せて、驚かせる。この祭りと同じだ。

 

 だが、藤枝先輩が殺されて死ぬかもしれないということに実感がわかない。いやまだ生きているからこそ、そんなこと実感がわかないのは当たり前だ。もし、あと少し僕が部室に戻ることがなかったらあの部室には、いやこの学校は死という異質なものに包まれたことだろう。ヘラクレスという男が死んだことで女神ガイアの怒りが鎮まったように、藤枝つばきという人物が死ぬことで霧島の溜飲が殺人というもので下がるかもしれない。

 だが、霧島はその後に起こることを考慮しての行動なのだろうか。その人の死で悲しむのは無論だが、全く関わりがないなら何も思わない人もいる。中には、いなくなってせいせいしたという人物だっている。事実、テレビのニュースで人が死んだとしても人はそれをなにも感傷に浸ることもなく過ごすだろう。

 では僕はどちらだろうか。彼女が死んで悲しめるだろうか。それともなんとも思わないのだろうか。もし後者なら、とんでもない人間だ。マジック部の先輩で、それも共通の憧れの人について語った仲なのにと後ろ指を指されるだろう。

 

「高遠君どうしたの? ボーっとしていたよ」

 

 ポンと高遠の肩を藤枝が小突いて、高遠を呼び戻した。我に返った高遠の周囲には二人の間を避けるように人の流れができていた。

 人の邪魔になるため早々に他の穴を見ることもせずに藤枝と共に出口へ向かう。出口にいた係員がブルーシートを押さえつけながら「またどうぞ」と社交辞令をいって送り出す。

 外に出ると、さっきほどまで暗室にいたからか外の光景がすべて真っ白になる。何度か目を開いたり閉じたりしてようやく目が外の光に慣れてきた。

 

「すみません先輩。ちょっと考え事をしていました」

「マジックのこと?」

「……はい。どんなマジックにしようかと考えてまして」

 

 とっさに高遠は嘘をついた。目の前の人にあなたが殺されたらどうなるのだろうかなどと突拍子のないことを告げたら、自分に奇怪な目が向けられることになる。いや藤枝先輩なら笑って済ましてくれるかもしれない。

 だがどちらにしても、僕のマジックを成功させなければならない。昨日から用意していたのがご破算となるなど不愉快になる。そのためには藤枝先輩を時が来るまで殺させないことと信頼が不可欠だ。ここで不利になるような言葉は(つぐ)んでおかなければならない。

 その藤枝はというと、全く疑うこともなく既に空になったプチホットケーキが入っていた紙コップをクシャりと潰して小盛になっているゴミ箱の上に積み上げる。

 

「さすが同じ近宮玲子に憧れるライバルね」

「ライバルですか?」

「あたしの目標は近宮玲子と同じ舞台に立ってマジックをすることなの。もちろんアシスタントじゃなく、一人のマジシャンとしてね。高遠君も近宮玲子に憧れるなら、そこが目標じゃないの?」

 

 ここは好印象を与えるために同じように同意見を出しておくのが吉だろうと高遠は考えていたが、本心では近宮玲子の元へ立つというのはまごうことなきことだった。

 

「ええ、僕もそうです。けど僕の方がいち早く近宮玲子の隣に立つ自信があります」

「おっ、珍しいわね。高遠君が」

「すみません」

「だから、すぐ謝るのが君の悪い癖だって。ほら急がないと時間なくなるから次のとこ行くよ、ライバル君」

 

 最後の一言の「ライバル君」だけが妙にトーンが上がった軽快な口調になったのを聞き逃さなかった。好印象を与えられた証拠だからだ。良い状態だ。

 携帯を開くと戻る時間まであと三十分を切っていた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 グラウンドから別の会場にへと移動して、人気が少ないところを歩いているところで高遠は仕掛ける。

 

「先輩、実はですね……」

 

 高遠は藤枝の耳に手をやってこそこそと囁く。高遠の話を聞いた藤枝は少し間をおいて。

 

「え~、高遠君それ本当に私がやるの?」

 

 言葉とは裏腹に、藤枝は楽しみな表情をしていた。



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九話『マジックショー』

 時間になって二人がマジック部の部室に戻ると、開口一番に霧島の疲れ果てて情けない声を上げて戻ってきたことを喜んだ。

 

「高遠! やっと帰ってきた。俺もう先輩からみっちり特訓させられてくたくただったぜ」

「みっちり特訓しないといけないのはこっちだ。あんなにポロポロゾンビボールを落としては笑われるだけだぞ」

 

 片倉部長がソファーにどっかりと身を投げて座り、霧島の手際の悪さを後ろ髪を掻きながら不満げな顔をする。

 

「高遠、君はずっと女王様のエスコートをしてたのかい? 大変だったね」

「エスコートじゃないわよ、高遠君やせ気味だったから色々屋台回りして食べる特訓をしてたのよ。マジシャンは体力も必要だからね」

 

 高遠が藤枝に振り回されて祭りを回っていたと黒江は毒を吐くが、藤枝は気にせずあしらった。

 部室の入り口で受付をして椅子に座りっぱなしだった荒木田が腕を上げて体を伸ばし、やっと解放されたと声を漏らした。

 

「や~やっと二人が帰ってきたか、それじゃ俺と霧島は祭り行ってくるから」

「荒木田はまだ留守番だ。霧島の次にヤバいんだから、副部長なんだからいつまでもタッハ節通せると思うなよ」

「か~、またお預けかよ!」

 

 荒木田の期待は片倉部長の一声で再び拘束される異なり、力なく机の上に突っ伏してしまった。

 

「その代わり俺もここに残って荒木田を鍛え上げる。霧島と黒江は祭りを楽しんで来い」

「部長、ちょっとだけ外に出ててもいいですか?」

 

 藤枝がもう少し時間が欲しいと懇願すると、片倉部長は片眉を上げた。

 

「どうしてなんだ?」

「実は、高遠君が私に衣装をレンタルして用意してくれたんです。着替えのために少しだけ時間くれませんか?」

 

 藤枝の言葉に部長含めた部員たちは一斉に高遠に視線を向けた。あの大人しい高遠が唯一の女性部員である藤枝に衣装を持ってくるという大胆なことをしてくるとは、青天の霹靂だ。いったいどんな衣装を持ってきたのか興味を引いた。

 

「ほぉ、高遠が。一体どんなの持ってきたんだ?」

「どうせなら、面白い格好のやつとかがいいけど」

 

 部長が期待声を、黒江がそして荒木田が顔を上げて生き返った様子で高遠を期待の目で見つめた。高遠は視線の間をかいくぐり、部員たちのカバンが置かれている場所に赴いて持ってきた紙袋に手を入れた。それは、昨日帰りに購入してきた物を入れていた紙袋であった。

 中身の衣装を藤枝に見せると、重いため息があっという間に部室を包み込んだ。

 

「なんだ、ただのスーツかよ。しかも下がロングパンツの色気のないやつ」

「俺、チャイナ服とか体のラインが見える奴期待してたのに~」

 

 荒木田が手の仕草でぴっちりとした服を表現しながら、残念な声を上げた。その反応を見て高遠は申し訳なさそうに謝罪する。

 

「すみません。藤枝先輩のマジックのスタイルですとこの服の方が支障がなく、一番似合うと思いまして」

「ううん、いいセンスよ。部長、ほんの少しだけですから」

 

 藤枝が持ってきた衣服についてフォローすると、片倉部長に頭を下げた。部長はほんのわずかな時間で答えを返した。

 

「少しの間なら俺と荒木田だけで店番しても大丈夫だろう。ここに来る人も午前中そんなにいなかったことだしな。それと連絡事項があってな、いくつかの部でペンキ缶が今朝からなくなっていると報告が来てな。もし見つけたら俺の所に報告してくれ」

 二人は部長に礼を述べて衣装をもって部室から出ていく、その後を霧島、黒江が部室を出て祭りへと繰り出していった。

 

 

 

 校舎の一階の隅の部屋に藤枝が入ると「誰もいないわよね。高遠君覗かないでよね」と高遠に言い残して内鍵を閉めた。

 校舎にはほとんどの生徒の生徒が出払っているのか外と比べて物静かであり、扉にもたれかかればその向こうで藤枝の鼻歌が聞こえるほどであった。

 しかし、高遠はしきりに扉ではなく廊下に沿って窓一枚一枚に貼られた各クラブや愛好会のポスターの方に注力していた。しかもその視線は、『飛び出せ地球』というロケット部の標語や地球を飛び出しているロケットの絵には一切目もくれず、外の緑が生い茂っているケヤキの木を見ていた。

 

「さて」

 

 霧島を呼び出すため携帯を取り出して電話をかけた時、廊下の奥から軽快な調子の音楽で流れてくる携帯のアラームが高遠のいる方向にへと聞こえてきた。

 携帯から手を離すと、当の本人が手のひらを頭上に掲げて軽い敬礼をしてやってきた。

 

「よっ、藤枝先輩今着替え中か?」

「霧島。祭りはいいのか?」

「下見だよ。本当にここ穴場なんだよな。覗ける更衣室とかほんとかよ」

「五月祭のために緊急で物置を更衣室にしたからのぞき対策までに手が回らなかったんだろう。少し覗いたけど、部屋が暗いし物が多いから音さえ立てなければいけると思う」

 

 霧島は高遠の覗いたという発言に目を爛々と輝かせていたずらっ子のような笑みをした。あの高遠が今度は覗きまでするとはと、こういう下世話な話が好きな霧島が興味を持たないわけがなかった。ましてやあの女に興味がない高遠がしたというのだからますます惹かれたのだろう。

 

「おや? 高遠ついに女に興味を持ったな? で、他に誰かいたのか?」

「残念ながら、誰もいなくてね」

「ちぇー。タイミング悪いな。あの地獄の特訓のせいで祭り回るメンバー、ほとんど固まってどっかいっちまってるし。最悪今日は俺一人で回るかもしれないな」

 

 高遠はその発言に腑に落ちなかった。誰彼にくっつく霧島が一人で祭りを回る? 本当なのだろうか、もしや藤枝先輩を殺すための装置でも仕掛けに行くつもりなのか。口で尋ねても無駄であろうと分かっていたが一応本当に一人で行くのか聞いてみた。

 

「本当に一人なのかい? 君の両親は来ていないのか?」

「ああ、俺の両親は普段仕事で家に居ないからな。ずっと仕事仕事で俺のことなんてほっぽり出して、今日も仕事でさ。祭りになんかこないぜ」

 

 霧島はサバサバと何事もないような言葉で返したが、高遠は気まずい感情が沸き上がった。言葉はカラッとしているが、その内実は湿っていることを如実に表していた。その境遇が高遠の家庭と似通っているのに、自分はなんと軽率なことを言ったのだろうかと猛省した。

 

「すまない。聞いてはいけないことを聞いてしまった」

 

 高遠はすぐに謝罪した。相手は人を一人殺す予定の犯罪者になるかもしれないというのに。

 だが霧島は、おもむろに高遠の肩を組んでへへっと笑っていた。

 

「いやいや今はお前と一緒いるだけで結構楽しんでるぜ。今日は一緒に祭り回れなかったけど、明日の本祭は一緒に回って屋台巡っていこうぜ。ルックスのお前と、言葉巧みな俺でナンパしたりしてさ」

「それで霧島だけ玉砕というシナリオかい?」

「うぇ、やめてくれよ。まじでありえそうだからさ」

 

 霧島の苦い顔が出現して高遠は口を手で隠して笑う声を抑えるが、ククッという声は繊細な指では簡単にすり抜けてしまい洩れてしまった。

 

 ああやはり壊したくないなこの居場所は、本当に安心すると高遠は心中にその思いが浮き上がった。

 高遠には二つの選択があった。一つは静観して彼の気のすむままに鬱憤を晴らさせるか、もう一つはそれを止めさせるか。高遠の意志は後者に傾いた。霧島の鬱憤ばらしが下手をすればこの居場所を壊しかねなかった。霧島が下手人となれば、明日の本祭だって一緒に行けないであろう。もし霧島がそのリスクを投げ捨ててでも実行するというなら、それを妨害してやろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 隅の部屋の鍵が開く音が聞こえた。扉の向こうから腕に折りたたんだ制服を携えて、黒のジャケットと中の白のシャツにクロスさせたタイとシンプルなマジシャンスーツをやや気慣れていない感もあるが、気品のあるマジシャンの体裁を整えていた。

 霧島と送った本人である高遠は感嘆の声を上げたが、当の藤枝はスーツの裾や袖のあたりを軽く引っ張ってサイズを気にしている様子だ。

 

「少し大きいかな。ちょっとサイズあってないかも」

「すみませんサイズを間違えたかもしれないですね。先輩、私より身長少し低いぐらいでしたから同じサイズでいけるかと思っていたのですが」

「ううん。少し余裕のある方が動きやすいから」

 

 高遠を気遣ったのか、藤枝は口元をほころばせて自身のマジックスーツ姿を見せていた。その高遠の隣で霧島は口をぽっかりと開けて藤枝のマジックスーツ姿を鑑賞していた。

 

「ほぇ~、意外と似合うっすね。最初見た時はなんか見た目男物っぽかったけど、こうして着てみたら案外いけるっすね」

「お褒めの言葉ありがとう霧島君。じゃああたしたち部室に戻るわね。早く戻らないと部長が怒るわ」

「へへ、どうもっす。じゃあな高遠、俺そろそろ行くわ」

 

 振り向きざまに高遠に手を振った霧島はそのままもと来た方向にへと歩いて行った。

 高遠が藤枝が開けっ放しだった扉を閉めると同時に一枚の白の付箋を挟み込むと、藤枝と共に部室へ戻るため廊下を歩いていく。すると、廊下のT字路の角で黒江が顔半分だけ出してすぐに引っ込んだ。高遠がその角に入った時にはすでに黒江の姿はなかったが、黒江が眼鏡の奥にて鋭い眼光で高遠のことを見ていたのを鮮明に記憶していた。

 

「……黒江先輩」

「高遠君、黒江がどうかしたの?」

「……いえ、何でもないです先輩」

 

 

 

『さて皆さんお待ちかね! マジック部によるマジックショーを開催いたします!』

 

 会場の万雷の拍手が落雷の前触れのように轟き、ステージ裾にまで聞こえていた。いよいよ新生マジック部のお披露目会となるマジックショーを先鋒である副部長の荒木田が意気揚々とステージに上がっていくのを皆が不安と心配で見届ける中、高遠は舞台の袖口にある黒のカーテンに隠れながら藤枝のマジックの小道具を調べていた。

 

 事前に会場にいた生徒に霧島がここに来たか聞いてみたが、彼の姿は目撃しなかったとのことだ。ステージ上には何か細工をしたような痕跡も落下物――例えば照明とかを引っ張るロープに切れ目もブレーカーにもそんな痕跡はなかった。つまり、霧島は本当に会場には姿を現していないということになるが、藤枝先輩を殺すことを諦めていないなら残るはマジックの小道具だ。

 

 藤枝と共に祭りに行っていた二時間の間、霧島が藤枝のマジックの小道具に何かしらの細工もしくは毒でも仕込むかもしれない。しかしそれでは霧島の『あっと言わせられるマジック』とはかけ離れる。毒殺では奇想天外さに欠ける。

 舞台袖にいる藤枝に目を配らせながら、藤枝の小道具、テーブルを一つ一つ過剰ともいえるほど調べていく。

 

「高遠、お前なにをしている」

 

 高遠の身を隠していたカーテンに光源と黒江の姿が入ってきた。黒江は毒を吐くような口調よりもいっそう冷たい声で、眼鏡の奥ではあの時部室に戻るときに見かけた鋭い眼光で高遠を見下ろしていた。

 

「道具の点検をしていまして」

「ふーん。自分のじゃなくて他人のにまで手を出すとは余裕たっぷりだな。さすが満点を取った奴は違うな」

 

 毒と皮肉をたっぷり言葉に込めて高遠に送り付ける黒江。しかし、その言葉の重さはどこかいつもの毒のあるものとは異なっていた。まるでしてはいけないことをしたことへの軽蔑するような言葉と目であった。

 パタパタと革靴が乾いた音を鳴らして駆け寄ってくる音が聞こえた。

 

「ごめん黒江、高遠君いる? 次私の番だから机運ぶの手伝ってほしいんだけど」

「すみません先輩、ここにいます。ついでに道具も運んでおきますよ」

 

 小道具の方は全部調べ終わっている。机にも変なところは見られなかった。人がいる時間には仕掛けられなかったということか? やはり昨日と同じように一人になった時間を狙って行動を起こす可能性が高くなるな。とにかく、一瞬の隙もみせないことが必要だ。この小道具も一瞬の隙をついて霧島が仕掛ける可能性がある。

 高遠は藤枝の小道具をわきに抱えて藤枝と二人がかりで藤枝のマジックの要であるテーブルを運んでいく。

 

「ごめんね高遠君、こき使わせちゃって」

「いえ、構いませんよ」

 

 二人が舞台の袖口から出ていくと、今度は明確に舌打ちの声が聞こえてきた。

 

「っち、死ねばいいのに」

 

 声の主は、黒江だった。

 

 

 

 舞台の上で藤枝のクローズアップ・マジックが披露されていく。カップの中で消失と出現のイリュージョンが繰り返しテーブルの上で公演されていくのに観客たちの視線が釘づけになった。先鋒の荒木田が見事に失敗してタッハ節を展開して会場を爆笑の渦に巻き込んだ。次が本格的なマジックを披露しているというギャップもそうだが、マジックだけが要因ではないだろう。唯一の紅一点である藤枝の容姿は幼げながらも美人の類であり、荒木田が残念がっていたマジシャンスーツは藤枝の本来ある気品さ引き立たせていた。

 

 高遠は藤枝のショーを何事もなければいいという精神で見守っているが、反面やはり彼女のクローズアップ・マジックの技術は高遠からしても卓越していた。仕掛けは判別できるが、それを観客にばれないようにかつわざとらしくなくカップを動かすのは間違いなく高校生としては一線を画していた。

 

「みんな上手にやれているわ。次はいよいよ一年生組の出番ね」

 

 応援に駆けつけに来てくれた姫野先生が高遠と霧島のそれぞれの肩を優しく持って励ました。霧島がぽきぽきと手の甲や指の骨を鳴らして気合を入れ始める。すると高遠が、指を二回折って霧島を呼んだ。

 

「霧島、僕と一緒に出てはくれないかい」

「え?」

「君は普段通りにマジックをすればいい。僕がサポートするから」

「ま、まあいいけどよ。先生は」

「いいと思うわ。それに高遠君には何か考えがあるのよね」

 

 確かに考えはあった。だがそれは姫野先生が考えているような美しいものではなく、高遠が目を離したすきに霧島が藤枝を一人呼び出させないようにするための魂胆だった。もちろん、ただ単にサポートするだけではない高遠自身もマジックをしなければつまらない。

 藤枝のショーが終わるとすれ違いざまに藤枝が高遠・霧島の二人に向けてウインクをして激励する。

 

「頑張ってね二人とも、高遠君期待してるわ」

『さあ、続いてはマジック部の一年生によるマジックショーです。今ボールを持っているアシスタントが高遠君とゾンビボールを披露するのは霧島君です』

 

 アナウンスは高遠をアシスタントと認識して放送していたが高遠は気にせずボールを霧島に渡す。

 霧島がゾンビボールを布の上で転がし始めると、観衆は小さくどよめいた。藤枝と比べれば微々たるものであるが、それでも新一年生つかみとしては上々だった。

 ボールが布の右から左、布が下に動けばボールも下に移動する。ミスらしいミスはない。そして下から上へと動かす――ボールが霧島が持っていた布から離れて空中へと飛んで行ってしまった。霧島はしまったと気まずい表情を見せる。しかし高遠は全く表情を変えず指を鳴らした。

 

 ――パチン。

 

 宙を飛んでいたゾンビボールから煙が噴き出して破裂し、中から白の薔薇の花びらがステージの上に舞い降りていった。観客も袖口にいたマジック部員もそして霧島も皆一瞬何が起こったか呆然としていたが、花びらが最前列の席に落ちると我に返り拍手を送る。

 それが伝染して会場に開催の時の拍手に勝るとも劣らない割れんばかりの拍手喝采が渦巻いた。

 高遠がポーカーフェイスのまま手を振ると、霧島も慌てて会場に向けて手を振る。こうしてマジックショーは滞りなく進み、高遠が懸念していたことは不気味にも何事もなく閉幕した。

 

 



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第十話『月下に見えたる正体』

トリックについては、素人なのでご容赦ください


 時刻は夜の七時を回ろうとしていた。

 すっかり太陽の紅が陰に潜み、深い藍色の夜空と銀色に輝く月の中に紫の雲が絵の具を垂らしたかのように浮かんでいる。マジック部の部室では前夜祭の成功を祝う打ち上げが催されようとしていた。大半の生徒は帰宅していて、今マジック部のある校舎もほとんど生徒がなく、一人廊下に出たらその足音が聞こえるほどだ。

 部室では、一年と姫野先生を除いた四人がソファーに座り、残りの二人はパイプ椅子に座っていた。人数の関係上仕方がないとはいえソファーと比べてパイプ椅子は非常に固く座りにくい。そして姫野先生がオレンジジュースが入ったカップを片手に乾杯の音頭を取った。

 

「みんなお疲れ様。前夜祭のマジックショーは大成功よ」

「いや~それほどでもないですよ姫野先生」

「唯一失敗した荒木田が言うな」

 

 「タッハ」と片倉部長が指摘しても荒木田はいつものように笑って誤魔化した。

 

「にしても、高遠君と霧島君のマジックが一番反応が良かったわよ。最後のアレ、高遠君が仕掛けたのでしょ」

「こいつ、俺をサポートするとか言っておきながら、おいしいところを持っていきやがって……」

「すみません」

 

 高遠は謝罪するが、まだ目を配らせていた。今の時間なら人がいない、霧島が仕掛ける時間としては好機だ。これを利用するほかない。そんな高遠の心中をよそに、話は進んでいく。

 

「霧島君ももうちょっとなんだけどね。最初のつかみはよかったんだけど、高遠君がいなかったらゾンビボール失敗してたわ」

「へへ、面目ないっす。先輩、俺お代わり入れてるくるっす」

「いや僕がやっておくよ」

 

 霧島がテーブルの上にある二リットル入りオレンジジュースのペットボトルに手をかけようとした寸前で、高遠が空になった藤枝の紙コップに注ごうとした。その寸前で高遠の手が滑って藤枝のマジシャンスーツに大量のジュースがかかってしまった。

 橙の水がズボンの股座のあたりからフロントにかけてしみ渡り、慌てて戻すがジュースはソファーと床にまで注いでしまい、被害を拡大させてしまった。

 

 突然のハプニングに、狭い部室内は騒然として、ティッシュはどこだと騒ぐ者や高遠を叱責する者とこの騒動に部員たちはそれぞれ別の行動をとる。

 

「床までびしょびしょじゃんか。俺、雑巾もらってきますから」

 

 霧島も同じく別行動をとって、部室を出ていった。

 荒木田が部室の隅にから取ってきたティッシュ箱を、部員たちが五枚や六枚も取って床や大事な備品であるソファーを隙間までふき取るが、枚数が足りないようだ。高遠は申し訳ない表情で藤枝に謝罪する。

 

「先輩すみません。今拭くものを」

「ありがとう。でも着替えてくるからいいわ明日洗濯して返すから」

「いえ、そんなこぼしたのは僕のせいなんですから」

「今日一日借りたお礼よ。私ちょっと更衣室まで着替えに行ってきますので」

「僕もほかの部屋から雑巾借りてきます」

 

 二人も部室から出ると、藤枝は下の階にある更衣室へ向かうため階段を降りようとする。その時高遠が一瞬藤枝を呼び止めて、耳打ちをした。

 

「分かったわ。ありがとうね高遠君」

 

 藤枝がそういうと階段を下り始め、コンコンと規則正しい音が段差を下りるたびに音が反響し踊り場にまで聞こえてくる。

 藤枝の姿が見えなくなると、高遠の胸にあの針が刺されるような感覚が蘇った。以前とは違い、強烈な痛みはないが何か事件が起こる前触れなのは間違いない。そして藤枝が殺されないという意味の裏返しでもあり胸の針がすっかり落ちて軽くなった。

 

 高遠は三階の廊下の隅へと走り、コの字の角で止まる。その隣の窓を開けて、ケヤキの木にひっかけていたロープに飛び移る。ロープが高遠の体重に従い下に降ろしていく、入れ替わりに高遠が今朝他の部室からくすねてきた三つのペンキ缶がシーソーの要領で登っていく。

 三階から一階へ滑るように降りていき、無事足が草むらの上にへと到着した。二階の廊下を見上げると、いくつか明かりが灯されて、二、三人の人影が確認できた。

 慎重にペンキ缶をぶら下げたロープを地面に降ろしていく。缶同士がぶつかり合いコンと小さく金属音が鳴って少々焦ったが誰も高遠がいる校舎裏を覗く人はいなかった。一つ息を吐いて安心すると、事前に高遠がすぐに乗り込めるように開けておいたロケット部のポスターが貼られていた窓を開ける。廊下の窓一面に貼られたポスターがこのロープとペンキ缶の仕掛けを隠してくれたのだ。

 

 誰もいない廊下を耳を澄ませるが、階段を駆け降りるような近づいてくる足音はない。藤枝先輩は更衣室に向かったようだ。そして霧島はタコ壺に入った。あとは引きずり出すだけだ。

 そして茂みの中に隠してあったものを引っ張り出す。

 

 

 

 ドアが開く。

 裸電球一つしかぶら下がっていない部屋の中に溜まった埃臭いにおいが鼻腔をくすぐり今にも入ってきた人物のくしゃみが出そうだ。襟元まであるセミショートの髪を持つマジシャンスーツを着た人物は、それを思いながら扉を閉めて他の誰も入ってこないように内鍵をかける。

 幸いにもこの部屋の中は誰もいないようであった。電気はつけなかった。右側の高いところにある小さな窓から銀に光る月明かりがこの部屋にほんのわずかに影を落としてくれた。その窓の下には荷物が散在していて足の踏み場もなさそうだ。そして左側に並んでいるロッカーの方に正面を向けて、着ている服に手をかける。

 

 突然、雲で月が陰ったと同時に一本の光る線が目の前に入ってきた。その糸は確実に首を絞め息の根を止めようとする凶器であった。

 一瞬の出来事にその人物は――冷静にカッターナイフをポケットから取り出して凶器をなまくらにもならないただの糸にさせた。

 

「な、なに!?」

 

 殺めようとしていた人物は驚愕の声を上げると、マジシャンスーツを着ていた人物が振り返る。そのマジシャンスーツは新品のように全く汚れがなかった。そして発せられたのは大人しく繊細な()()()()であった。

 

「何を驚いているんだい霧島。入ってきたのが僕じゃ何か不都合だったのかい」

 

 雲が通り過ぎて月が再び部屋を灯すと、そのセミショートのマジシャンスーツを着ていた人物は藤枝と似た女物の髪のカツラを被っていた高遠であった。

 高遠がカツラを床に脱ぎ捨てて、今しがた人一人殺めかけた霧島に目を向ける。霧島は口をパクパクとまるで魚が陸に打ち上げられたかのように戸惑っている。

 

「…………た、高遠じゃんか、びっくりしたぜ。ちょっと藤枝先輩を驚かそうとしたのにまさか俺の方が驚かされるなんてさ」

「フッ、首を絞めて殺すことがあっと言わせられることかい? そもそもどうしてここに藤枝先輩が来るってわかったんだい」

 

 高遠が霧島の言い訳を一蹴して問い詰めるが、霧島はえへんえへんと部屋の埃が気管に入ったかのようなわざとらしく咳払いをする。

 

「覗きだよ覗き。今ならバレずに覗けるかなって、それで藤枝先輩が来たと思って。ほら、藤枝先輩マジシャンスーツ着ているし、高遠がジュースこぼしてここに来るのは普通わかるだろ」

「ここはただの()()だよ。この祭りの間はずっとここは更衣室には一度たりともならなかった」

「え?」

 

 高遠から告げられた言葉に、霧島はすっきょんとうな声を上げた。高遠は淡々と自分の仕掛けたトリックを告げていく。

 

「今朝、全体準備に行く前に僕が書き換えた地図を入れ替えておいた。昼間に藤枝先輩がここで着替えたのは緊急でここが一時女子更衣室になったからそこで着替えてくれって伝えたんだ。今先輩は、本物の女子更衣室で何も知らずに着替えているだろう」

 

 藤枝が階段を下りる前に吹き込んだのは「昼間に着替えました一階のあの場所はもう封鎖されてますので間違えないように」と伝えたのだ。もちろん、彼女は二回とも信じた。彼女ならば自分の言うことを何も疑わずに信じてくれるからという信頼の裏付けがあるからこそできた芸当だ。

 それは霧島にも同じことをが言えた。手書きの地図の字とそっくりに高遠が書き換えた地図の場所を指し示し、さもこの場所が本当の女子更衣室であると高遠との信頼によって作り上げてしまった。もちろん、それだけでは不十分であるのは高遠は承知であり、実際に藤枝にこの場所で着替えさせ霧島を呼び出してよりその印象を与える計画だった。最も電話で呼び出すその本人自らが来たのは高遠にとっては好都合だった。

 そして最後の仕上げとして、藤枝を更衣室に向かわせて一人っきりにわざとさせる演出を高遠がジュースをこぼすという形で作り上げたのだ。霧島が適当に理由をつけるか、高遠が頼んで部室の外に出させることを仕向けた。狙い通りに霧島は部室の外に出て、思惑通りにここで待ち伏せていた。

 高遠が昨日の夜に訪れたレンタルコスプレ店で同じマジシャンスーツ二着とセミショートのカツラをレンタルして、今朝方全体準備が終わった後にロープの仕掛けともう一着のマジシャンスーツとカツラを茂みの中に隠しておいたのだ。

 霧島が変装した高遠を藤枝だと誤認するために、この部屋を選んだ。裸電球一つしかないこの薄暗い部屋の中でなら、よくよく見ないと背格好と同じ髪型と服だけでは間違えるからだ。

 

「ここは僕が用意した舞台の上だ。昨日の夕方、君が藤枝先輩をさっきと同じように糸で絞殺しようとしたのを見た後で思いついた。我ながら、危ない橋を渡ったものだよ」

「おいおいおい、なんだよそれ。俺が藤枝先輩を殺そうとした? あれは物質空中マジックの片づけをしていたって言っただろ」

「両手に糸を巻いて、電気もつけずに回収していたのかい? 苦し紛れの言い訳だね」

 

 部室での矛盾はすでに高遠がバスの中で解いたことだ。それを霧島に告げるが白を切るばかりで全く白状しない。堂々巡りが続いてお互いのイライラが達し始めようとしたが、先に口を開いたのは霧島だった。

 霧島は、苛立ちで茶色の髪を掻きむしりながら文句を垂れる。

 

「ひどいな。本当だって、俺たち友達だろ。だいたい藤枝先輩が昨日の帰りにちゃんとパスケースを俺がカバンを倒した後でなくなったことに気付けばいいのに、そうすれば俺が変な疑いを――」

「……フッ、君は今自分で墓穴を掘ったよ。どうして藤枝先輩のパスケースが()()()()()()()()()()()()()()()()ことを知っているんだ?」

 

 霧島はどういうことだと言いたげな不満げな表情を見せるが、高遠は余裕をもってその『墓穴』の意味を答えた。

 

「昨日彼女は部室の戸締り番だ。最後まで部室に残っていた彼女がいつ落としたかわからない。部室を閉めた時かもしれないし、もっと前かもしれない。だけど霧島、君はピンポイントで自分がカバンを倒した時と明言した。どうしてパスケースはその時に落としたのだと知っているんだい?」

 

 霧島は「あっ……」と声を漏らして言葉を失い、二の句が継げなかった。高遠は続けて霧島に詰め寄り責め立てていく。

 

「それは霧島、君が藤枝先輩を部室におびき寄せるように仕組んだからだ。さあ教えてくれないか霧島。あの暗い部屋の中、人影しか見えない中で、紐を両手で持って、彼女に何をしようとしていたんだい? 僕がさっき切った糸で殺そうとしていたのかい。答えてくれよ霧島」

 

 部屋の天窓から再び差し込んだ月夜の明かりが高遠の横顔をさらす。高遠は自覚していなかった。今の高遠の顔は悲痛に友人を懇願する顔でも、怒りを持って迫るものでもない。

 

 ()()()()()

 

 高遠は笑っていた。友人を自分の仕掛けたマジックに引っ掛かり、騙したことへの悦楽が無意識の内に顔に出ていたのだ。



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第十一話『顔の下の正体』

「は、はは、ははは、あははっはっははは!! ははは!! はははははは!!」

 

 霧島は突然壊れたように、文字通り膝を打って大笑いした。高遠は突然の霧島の行動に一瞬ひるみ及び腰になった。追い詰められた犯人は得てして自暴自棄になることはあるが、霧島のはそんな類ではない。

 

 本当に心の底から笑っている声だ。

 

 人が少なくなった校舎に弾けるような哄笑(こうしょう)を倉庫の中で響き渡らせる。お腹を両腕で押さえてながら背中を反ってひとしきり笑い終えると、霧島は普段のカラッと爽やかな笑顔でなく下卑た笑みを浮かべていた。

 

「やっぱりすげえよ高遠は、まさか犯行の臭いを嗅ぎつけただけでなく、俺を罠にかけて犯罪を防ぐなんて……やっぱり俺が睨んだ通りの人間だ。そうだよ、藤枝先輩を殺そうとしたんだよ俺は。いや本当だったら姫野先生も殺すはずだった。高遠のためにと思ってしたのが、まさかその本人にすべてパーにされるなんてな」

 

 藤枝先輩だけでなく姫野先生まで? どういうことだ。どういう接点で、どうしてあの二人が死ぬことで僕のためになるんだ。

 犯人の口から、部の先輩だけでなくいつも気にかけてくれた先生までも殺す予定であると高遠の予想とは大きく外れた答えが返り、普段のすました顔を思わず崩してしまった。月光の明かりが霧島にかかり、倉庫の中に舞い上がっている埃と霧島の本性を浮かび上がらせていた。

 

「昨日の部活の最中に藤枝先輩のカバンからスったパスケースを撒き餌に、一人になったところを殺そうとしたら、まさか高遠が戻ってくるとは思わなくてさ。けど、嬉しかった。片づけることがあるだろって言った時、勘付いたって分かった」

「昨日の夜に送られたあのメールは本当にわざとだったのか?」

「ああ、そうだよ! お前だけの犯行予告状だ。まあメールの意味に気付くか気付かれまいが、殺す予定だった。ホントなら藤枝先輩を絞め殺して、『スフィンクス』のマジックのように藤枝先輩の首を切って、今晩辺りに生物準備室で偽物の首を机の上に晒して、翌日の朝に本物に入れ替えてやろうと思ってたんだけどなぁ」

 

 まるでショーの内容を話している感覚で霧島は普段話している口調で高遠におぞましい殺人計画内容を話していた。その内容が他の人からすれば、あまりにも猟奇的なものであるはずなのにだ。

 高遠は霧島の動機が全く分からなかった。自分のため? 恨みや復讐のためでなく、僕のため? どういうことだ霧島!

 理由が欲しかった。殺すに値する理由を高遠は渇望していた。理由なき殺意などあるのだろうかという自身の常識を壊したくなかったのだ。

 

「どうして藤枝先輩だけでなく姫野先生までも殺そうとしたんだ。どうして彼女たちを殺すことが僕のためなんだ」

「さっきも言ったろ。お前のためだ高遠。俺とお前は似ているんだ。()()()()()としての才能が」

 

 ……悪の犯罪者だと? その言葉の意味を高遠は一瞬理解できなかった。

 

「俺はお前と一緒にいるだけで楽しいのは本当だ。だって俺もお前も悪の犯罪者として似た者同士だからだ。思い当たる節があるんじゃないか、近くで人が死んでもなんとも思わなかったり、他の凡人なら身の毛のよだつことを平気で言うとさ」

 

 思い当たる節は確かにあった。高遠の身の回りには、なぜか死にまつわる事件が付きまとっていた。しかし、それで自ら他人とは異なるから犯罪者になろうなど微塵もなかった。

 

「才能ある者を周囲は理解してくれない。お前の周りも、俺の両親もそうだ。いや、俺の場合は理解しようとすらしなかった。お前何か相談があるごとに姫野先生のとこへ行くだろ。あの先生にべったりしていたら、お前の才能をなまくらにしてしまうからな。それにあの女、藤枝先輩なんかお前に気があるのが見え見えでさ。この間も公園でお前に近寄ってただろ。ホント女ってのは怖いよな。お前のような天才をたらしこんで使い物にならないようにする。ああいう薄汚いメス豚どもは断罪されるべきなんだ」

 

 もう高遠は霧島の話を半分も聞いてなかった。どんなに他の人と異なっても、高遠には犯罪よりも、勉学よりも、周囲よりも大事なものがしっかりとあった。

 

 母である近宮玲子に魅せられたマジックに追いつくために、()()()()()()()()()()()

 

 霧島の犯罪を防ぐ方法はいくつもあるはずなのにマジックという回りくどい方法で行ったのも、マジックありき故の行動なのだ。高遠の行動原理はそこにあるのだ。

 

「なあ来いよ高遠! 俺と組んでさ、頭からつま先までどっぷりと退屈に浸って生きているくだらない平凡な連中に俺たちが恐怖のどん底に叩き込んでやるんだ。残酷で美しいマジックショーでさ! 俺とお前で芸術犯罪をさ!!」

 

 声高に霧島が手を前に出して高遠を霧島が行く世界へと誘惑する。しかし、高遠の答えは有無を言わさず返事した。もう言葉は決まっていた。

 

「くだらない」

 

 高遠がポツリとつぶやくと、手を高遠に向けて差し出したままだった霧島の腕の力が緩んで下がる。まるで、望んでいた答えとは異なるとは予期しなかったかのようであった。

 

「霧島、僕はもし藤枝先輩が君に恨みを買うようなことをしたことが殺意の原因なら、僕はそれを容認しようとした。まあ、先生に止めるように諭されたけどね。けど、君の殺人の動機を聞いて、くだらないと思ったよ。実に短絡的で押しつけがましい自己満足。まるで駄々をこねる子供だ。君のは芸術的な美しさの欠片もない、ただの快楽殺人鬼だ! 僕とは似てもいない、月とすっぽんだ!!」

 

 腹立たしいことが勝っていた。今まで霧島のために思案していたことが、友人のために犯罪を起こさせないようにマジックを練っていたことが、ろくでもない理由による行動と知ったことで高遠の中では()()()()と感じ腹立たしかった。ゆえに、霧島の誘いを突き放したのだった。

 朝のバスの中でポアロかと思ったのが、まさに『カーテン』の快楽殺人鬼だったのだから。同情も、憐憫も、救済も微塵も湧き起らなかった。

 

「君が起こしたことは明らかに殺人未遂だ。現に僕は藤枝先輩と見間違えられて殺されそうになったし、刑務所行きは確実だね。いや君の場合は少年院送りか。けどどの道、君の本質は変わらないだろうけどね」

 

 高遠が言い切った直後、重く深い衝撃が高遠の体にのしかかった。

 霧島が下卑た笑みを浮かべながら高遠に体当たりをしていた。そしてその手には刃渡りが二十センチはある銀の月が照り返すほどの新品の包丁が握り締められていた。

 

「そうだよ。どんな再教育されたって、俺の殺人衝動は抑えられない!」

 

 霧島は衝突の衝撃で包丁で刺した後、手に力を込めてより深く高遠の胸のあたりをえぐるように突き刺す。霧島が包丁から手を離し力をこめすぎて硬直を起こしたのか、手首を左右に揺らしてしびれを冷ましている。

 そして刺された高遠は包丁が刺された部分である胸のあたりを抑えると力が抜けて足がよろめき、小さく速い呼吸を始める。それを見て霧島が余裕の表情で高遠に最期の別れを言う。

 

「残念だよ高遠。お前のこと結構気に入っていたんだけど、しかたないか。計画とはずいぶん異なったけど、最初にお前の首を晒して俺の殺人マジックショーの開幕とするぜ。その後で、藤枝先輩と姫野先生を後で送ってやるから」

「………霧島、僕のマジックは()()()()()()()()()

 

 霧島は何を言っているのだという表情を見せていた。そして高遠が胸元を開くと、刺されたはずの包丁の代わりに薔薇の花びらが刺された部分で舞っていた。高遠の胸には血の一滴も零れ落ちていなかった。

 その薔薇は、今までの何物にも汚れることのない純白の薔薇ではなく、紅よりも赤く、鮮血のように真っ赤な薔薇だった。

 

「血のように赤い薔薇をどうぞ」

 

 赤い薔薇の花びらが霧島の胸のあたりに到達すると、薔薇が咲いた。以前荒木田にやったような死の薔薇のマジックと似ていた。ひとつ異なるのは、それが初めから血のように真っ赤に染まっている薔薇ということだ。

 

 薔薇が弾けた。

 

 薔薇の中から、先ほど霧島が高遠に突き刺したはずの包丁が高遠と寸分たがわない胸の位置に刺さった。包丁は吸い損ねた血の代わりを霧島の血で補おうと、刃が元の主人の胸の所を突き刺し、渇望していた血しぶきを一身に覆った。

 

「は、はは。これりゃすげぇ」

 

 ようやく事態を呑み込めた霧島であったがもう驚きと笑うことでしか力が出ないようで、膝が崩れ、追って上半身も起き上がる力もなく糸が切れたマリオネットのように崩れ落ちた。

 高遠は刺されたジャケットの胸のあたりを倉庫の中に舞っている埃でも払うかのようにいつものすました表情に戻っていた。

 

「計画的な犯行で命を狙い、犯行予告を出す人間に対して何も手を打たないで一人で相手をするなんて、最初から考えていないよ」

 

 どこに種と仕掛けがあるのかさっぱりわからないマジックに霧島は「やっぱすげえや高遠は」と噴き出ている胸元の血を抑えることもせず、弱々しい声で称賛した。

 

「な、なあお前。これで何人目だ。人を殺すことに。なにか感じるか」

「君が初めてだよ。それに何も感じない」

 

 霧島が途切れ途切れになりながら質問するが、高遠の答えはあっさりしたものだ。

 悪人だから罪悪感はないだとかということではない。本当に何も感じないのだ。人一人殺めたことに対しての変化だとか、焦燥感も何も感じないのだ。

 

「そうか、くそぅ。こんな逸材を、あの二人を殺せなかったことが、こころのこりだ。あのふたりは、ぜったいにおまえを……なま……くら…………に………」

 

 無念の言葉と共に苦々しい顔を浮かべて、霧島は息を引き取った。

 天窓の月光がまた雲に隠れて倉庫を暗黒に変えた。その暗がりの中で高遠は肉塊と化した霧島の死体を見て思案し始める。

 

「さて、どうやって僕が殺人を起こしたことを怪しまれないようにしますか」

 

 高遠のしたことは過剰ではあるが正当防衛であった。しかし、このままでは霧島殺しを疑われかねない。それが露見すれば、家や学校だけでなく世間からも高遠の居場所がなくなってしまう。その最悪の事態を回避するために考えていた。

 すると、霧島のポケットから携帯がころりと落ちた。まるで高遠に拾ってくれと暗示するかのように誘う形で。高遠がそれをハンカチで拾い、携帯の中身を調べ始める。

 霧島の携帯の中身はメールであふれかえっていた。しかもメールの差出人がほとんど異なっており、それだけで霧島の顔の広さや人望の高さをうかがい知れる。下書きの項目に入ると高遠は興味深い内容のメールを見つけ、ほくそ笑んだ。、

 

「ほぅ、これは『()()()()()()()』ですか」



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第十二話『殺人マジシャンの最期』

 一本の夜道を均等に配置された街灯の明かりを頼りに、高遠と藤枝は普段と変わりなくバス停へと歩いていく。ただ二つの点を除いてその日は異なっていた。一つは今日は五月祭の前夜祭であること、帰り道に藤枝は今日のマジック部の公演について感想を述べていた。

 

「今日の前夜祭の公演最高だったわね。特に高遠君が全部持って行っちゃったとこなんか」

「すみません。出過ぎたことをしてしまって」

「また謝っている。もう癖なのかなその謝り癖。まあ、霧島君の突飛のなさに比べたら、驚きもしないけど」

 

 藤枝がうんざりとした様子で力が抜けると、汚してしまった借りた衣装が入った紙袋がガサッと音を立てて揺れた。霧島は部長宛にメールを送って『すんません。急に用事ができたので先に帰らせていただきます。雑巾とか掃除用具は高遠に全部持たせていますので』と勝手に先に帰ってしまったのだ。戻ってきた高遠の腕の中には、バケツとその中には大量の雑巾が梅雨の時期の洗濯物のように積み上がっていた。

 

 だが霧島があの後部室に戻らなかった真実は高遠だけが知っている。霧島は自分の意志では、もう部室に二度と戻れない体になっているからであると。部長に送ったメールは、霧島本人ではなく高遠が代筆で打った偽のメールに過ぎなかった。

 そう、もう一つはもう霧島純平という男が()()()()()()()()()()()ことである。

 しかし、そうとは微塵も知らないマジック部員……いや高遠を除いたこの世のすべての人間が霧島純平はまだ生きて家に帰っていると()()()()()()のだ。

 タイミングよくバスが到着し、二人は昨日のように途中で降りることなく座席に座った。

 

 ゴロゴロとバスが駆動音を鳴らして、小刻みに車体を揺らしながら走り出だすと高遠は昨日と同じく窓の外を――いや窓に映る自分の姿を見つめていた。

 

 霧島が言い放った『()()()()()』という言葉が、一字一句高笑いの混じった声も全て鮮明に耳に残っていた。霧島はどうして僕を悪の犯罪者であると断定できたのだろうか、僕が普通とは違う感性を持っていることをどうして感じ取ることができたのだろうか。

 高遠の行動の根源はマジックであることは間違いなく高遠自身でも口に出せる。だが、全てを否定はできない。高遠の周りでは、なぜか死が付きまとっていた。父はそれを常に高遠がかかわっているのではないかと疑いの目を向け続けていた。

 自分には間違いなくマジックがある。だが霧島も、父も自分が持っていると思われているものとは異なる、陰惨な性質があると認知されている。どれだけ高遠が否定しようにも肉体を殺したとしても、言葉が記憶が、高遠に絡みつき暗澹な海に沈めようとして悄然とさせていく。

 

 バスが信号で止まると、外には街灯の灯りが切れかかっていて、それが周りの夜の闇に光が喰われているように高遠は思えた。

 

「ねえ、高遠君聞いてる?」

「…………あぁ、すみません」

「もう聞き飽きました。もう高遠君じゃなくてオジギソウって呼んだほうが良いかな」

 

 藤枝の呼びかけで高遠は我に返った。藤枝が指を二本立てて、くにんと人がお辞儀するような仕草を見せつけた。今の君の仕草にそっくりだよとでも言いたげに。

 オジギソウ……なんとも言い得て妙であるとその草について連想させた。オジギソウが葉を折るのは捕食者からの防御として体を小さくするため、ちょうど高遠が目立たず暴力を振るう父親に反発しないよう大人しい羊を演じるように。そして微量な毒があることも、また自分に似ているなと苦笑した。

 

「僕がオジギソウですか。なかなか面白いことを言いますね先輩」

「やっと笑ってくれた。高遠君バスに乗ってから元気なくなっていたからどうしたのかなと心配したのよ。明日の本祭しっかり……は大丈夫よね高遠君なら」

 

 ()()()()()。マジックの腕の期待の裏返しであることは簡単に予想がついた。だが高遠は自信を持つどころか、また高遠の影が暗くなった。

 彼女は僕をマジックが上手い人間であると思っている。だが、霧島や父は僕を危険な人物として見ている。同じ人間なのに、それぞれ自分の性質の認識の違いが異なることを高遠は苦々しくおもい、彼に粘着性の高い泥のようにのしかかっていた。

 

「先輩、僕が本当にそういう人間であると思えますか」

「どういうこと?」

 

 藤枝がぱちくりと目を瞬かせると、バスが動き出した。そして高遠は、外のポツポツと灯される街灯を映写機のように背景にして語り始めた。

 

「もしも、僕の仮面の下には先輩が思っているのとはまるで異なる怖ろしい性格があるとしたらどうしますか?」

「……そうしなければいいだけの話よ。黒江だって、高遠君も聞いているでしょ「死ねばいいのに」とか陰で言っているけど、本当に殺すことはしていないでしょ。どんな怖ろしいことを考えても、まあ黒江のように言葉に出すのはどうかと思うけど自分の中で押さえていれば、みんな生きていける。一年生なんだからそんな難しいこと考えなくてもいいの」

「…………そうですか」

 

 ポンポンと藤枝に肩を軽く叩かれると微笑を返した。行動に移さない。そうだ、それを繰り返さなければよいのだ。だから今回のはこれで最後にする。決して知られないようにすればいいんだ。そうすれば、僕は生きていける。

 そうすると藤枝は高遠のよりもぱぁっとバスの車内のほの暗い灯りより明るい笑顔を見せてくれた。

 バスの車内放送が流れると高遠はブザーを押して次のバス停で降りることにした。

 

「先に降ります。衣装を借りてきた店で服を汚してしまったことを伝えておかないといけませんので」

「ごめんね高遠君。また明日、あたしも頑張るから」

 

 藤枝が両手で握りこぶしをつくり自分を励ますと、同時にバスが停留所に停まった。そうして高遠が停留所に降り立ち、バスを見送ると、店とは反対の方向に歩き出した。

 

「さて、殺人マジシャンのマジックのネタを仕込んでいた神社はこのあたりだったはず」

 

 高遠が向かったのは、殺人マジシャンこと霧島純平が殺人の仕掛けをした場所だった。霧島の携帯の中には、藤枝と姫野先生を殺した後に送る予定だった殺人予告状が三件分用意されていた。

 では残りの一件は誰の分かと言えば、そのメールの一つにはこの神社に呼び出す文面で霧島本人の名前が書かれていた。おそらく、偽装自殺だと高遠にはわかった。霧島は高遠を連れて快楽のための殺人を続けていこうと嬉々として言っていたので、本当に自殺するはずがないのは明白だからだ。

 偽装殺人をするには、必然的に綿密な準備が必要だ。しかも、最初に藤枝を殺してから取り掛かるのであるから、なおさら自分が疑われないように動く必要がある。高遠はそれを探しに神社へ向かったのだ。

 

 石段を上がり、神社に誰もいないことを見計らうと捜索を始めた。

 本殿、賽銭箱、手水舎、鳥居。どこにもそれらしきものはなかったが、参道の道外れに一本の整備もされていない細い道を見つけた。ある程度は手入れはされているが、周りの植物が生い茂っており、道を狭めている。高遠は枝に引っ掛からないように道を進むと、トタン屋根が特徴のみすぼらしい廃屋が姿を現す。

 この廃屋の周囲にも人の気配がないことを確認すると、高遠は廃屋に侵入した。中は見た目通り壁は朽ちて壁紙が剥がれ落ち、天井には蛍光灯がすべてなく携帯の明かりがないと足元まで見えないほどだった。携帯の明かりを頼りに中を灯すと、そこには廃屋にはありえないものが転がっていた。

 

 真ん中の天板に人の首がちょうど入れるような穴が開いた段ボールのテーブルに透明な液体が入った二リットルペットボトルが二本と二枚の鏡がフローリングを引きはがした床に置かれていた。間違いなく殺人マジシャンが用意したマジックの仕掛けだった。

 

「殺人マジシャン、君のマジックは僕の手でやらせてもらうよ。僕流に少し手を加えたマジックでね」

 

 


 

 

 深夜の十一時になったころ高遠は、再び秀央高校の校門前に足を運んでいた。片手には広げた携帯を持っている。

 すると、背後から女性の声が高遠の名を呼んだ。

 

「高遠君!」

「藤枝先輩。先輩もこのメールで呼び出されたのですか?」

「うん。霧島君からのメールでしょ」

 

 藤枝が携帯を開き送られてきたメールを見せてくれた。『お見せしたいものがあります。今夜マジック部の皆さんで秀央高校の天文部テント前にお集まりください』と書かれた文面であった。

 藤枝は高遠もこのメールを見て、秀央高校に訪れたのだと思っている。だが高遠はそのメールの内容はすでに知っている。なぜなら、そのメールを打った張本人であるからだ。

 二人が指定された天文部のブルーテントがある運動場へ向かうと、すでにテントの前にはマジック部の面々がそろっており、姫野先生が二人を見つけて一番に声を上げた。

 

「二人も来たのね」

「まったく、一人だけ先に帰ったと思ったらこんな時間に呼び出すとは。今年の一年ときたら」

「黒江だって去年まで一年だったくせに」

 

 黒江が霧島の態度に不満の声を上げると、藤枝が宥めている。高遠は次のメールを送るつもりはなかった。高遠が仕掛けるマジックには、霧島の携帯を手元に置くのは矛盾をきたすのですでに持っていないのだ。

 そして見計らったかのように、片倉部長がしびれを切らし、先陣を切って天文部のテントの中に入っていった。

 

「よその部のテントの中に入り込んで何やってんだ霧島。もしかしてよそ様の展示に何かいたずらでもしているんじゃないだろうな」

「霧島ー、かくれんぼするなら出ておいで」

 

 荒木田がいつものからかった調子で霧島を探し出すと、他の部員たちも霧島を探し始める。片倉部長が展示物である天体を覗く穴に目を当てると、片倉部長の健康そうな肌から血の気が引き始めた。

 

「……! 霧島っ!!」

 

 片倉部長が叫び声を上げると、高遠が我先にと片倉部長が覗いた穴に目を当てた。

 そこにはテーブルの上にまるで花瓶が置かれたかのように霧島の生首が、口から血を流していた。首の両側には、数センチまで溶けているろうそくが霧島の首を映し出している。誰が見ても霧島が死んでいることは明らかだった。

 

「……霧島!」

 

 高遠が友人の惨状に、たじろぎ数歩足を退かせた。が、高遠は驚いた演技をしただけだ。霧島が数時間前にとっくに死んでいることも、廃屋にあった仕掛けをテントの中に持ってきたのも全て知っているのだ。

 そして高遠の言葉を代弁するかのように片倉部長が、震えながら向こうの惨状を部員たちに伝えた。

 

「霧島が……首を切られて……」

 

 最後の言葉に部員たち全員に戦慄が走った。突然いなくなった部員が、テントの中で死んでいるだけでなく、首を切断されているという猟奇的なことに遭遇している。そんな後輩が、生徒が凄惨な姿になっているのを知って、誰も覗き窓を覗く勇気などなかった。

 ただ一人、黒江を除いては。

 

「部長、スフィンクスだ。ただのマジックだよこれ」

「マ、マジック?」

 

 黒江の言葉に片倉部長は間の抜けた声を上げた。

 

「そうだよ。穴の開いた鏡を使って、テーブルに首だけ出して首切り死体と見せかけているだけだよ。まったく人を呼び出しておいて驚かせて。本当に死ねばいいのに」

 

 黒江の言葉は図らずも当たっていた。そう、霧島は本当に首を切断されていないのだ。黒江の言う通り、マジックの一つであるスフィンクスを使っているだけに過ぎないのだ。

 しかし勘違いもしていた。霧島は首を切られてはいないが死んでいるのだ。そして部員たちが死体を確認する暇を与えないように、高遠は独自の時限式仕掛けをつくっていた。――さあここから()()()()()()()()()()()

 

「この臭い……! 皆さんここ灯油が撒かれてます!」

「「えっ!?」」

 

 全員が一斉に高遠の言葉に耳を傾け、臭いをかぎ始めた。灯油独特の重たい匂いに気付いたとき全員が目を見合わせた。

 そしてテントの中にあったことを知っている先輩二人は、血相を変えて覗き窓の仕切りを壊す勢いでガンガン叩き始めた。特に片倉部長は叫びながら霧島の名前を叫んで仕切りを叩いた。

 

「おい霧島、そこから出ろ! もうすぐろうそくの火が落ちてしまうぞ!!」

 

 だがいくら叫んだところで、霧島は動くことはない。加えて、仕切りの壁は大勢の来場者が来ても倒れないように支えられており男二人程度の力では容易に倒れないことも高遠は知っていた。

 片倉部長の無意味な叫び声が響き渡ると、黒江が壁を叩くのを止め覗き窓の向こうに起きている変化を伝えた。

 

「だめだ部長、霧島気付いていない。このままだと蝋が落ちて引火する。みんな出ろ!」

「霧島ーー!!」

 

 全員がテントの外に出ようとするも片倉部長は、最後まで壁を壊そうと懸命に抗っていた。だがそれも黒江と荒木田に引きずられる形で引きずりだされてしまった。

 片倉部長がテントから出された瞬間、ブルーシートのテントが真っ赤な火に包み込まれてしまった。段ボールでできたテーブルに蝋が溶け落ちた火が燃え移り、高遠がテントの中に撒いた灯油に燃え移ったのだ。

 

「霧島君ーー!!」

 

 姫野先生は声が枯れるまで秀央高校全域に響き渡るほどの大声で泣き叫んだ。藤枝はあまりの出来事についてこれないようで、膝を崩して声を失っていた。全員が全員、霧島が燃えていくブルーシートが踊りながら炎の中で喰い殺されていく様子を、呆然とあるいは悲鳴と怒声が入り混じった声を上げて感情をあらわにしている。

 しかし高遠だけは密かにただ一人、嗤っていた。

 

 

 



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第十三話『高遠の本心と責任』

 霧島純平の葬儀は、彼が死んだ日とはうって変わり曇天に覆われた雨模様であった。

 彼の関係者もいつも仲間意識が薄い霧島の所属しているAクラスの皆もほぼ全員が俯き、涙をすする音が止め処なく聞えてくる。それほど霧島純平という男がいかに友人と思い親しく、大切に思っていたかがそれだけで伝わる――当の本人は僕以外親しいとはなんて思っていないだろうなと献花台の遺影から高遠は感じ取っていた。

 彼の遺骸が入っている棺は見るも無残に焼け焦げた姿をはばかり、桐の蓋で封されていた。一人一人、桐の棺桶の前に置かれた焼香に祈りを捧げていると、一人の男子生徒が霧島に対して抑圧していた感情が抑えきれず昂ぶり、棺を叩いた。

 

「馬鹿野郎! ()()()()()()()()()()なんて笑えないぞ霧島!」

 

 式場が泣き叫んだ男子生徒の声に包まれて騒然としながらも、高遠はただじっと屈託のない笑みをつくっている霧島の遺影を見つめていた。

 

 霧島の死体を喰らいつくす炎は、翌日の昼間まで燃え続けていた。炎の勢いは霧島の体が原形をとどめないほどひどく黒焦げに焼き尽くしてしまった。高遠は、死体の損傷を激しくして刺し傷を誤魔化す必要があり霧島の体に灯油をかけて、燃えやすくした。

 高遠としてはいささか不安があったが、現場に来た警察がマジック部員の証言から、生徒による危険なマジックの失敗によって引き起こされた事故と処理して司法解剖にも回されずにことが済んだ。霧島がお調子者である性格に加え、よくマジックを失敗し、事件のあった当日も失敗したことで彼らを見返すために仕掛けたマジックが失敗したものと見られたのだ。

 

 自分のしたことは正当防衛を越えて過剰防衛と死体損壊の罪に相当する。藤枝先輩と姫野先生の殺害を防いだとしても結局は罪だ。しかし、本当の彼の姿を知れば、一体どれほどの人間が彼に対して涙の数を落とすだろうか。きっと今落ちている涙のシミは一つもないだろう。

 高遠は自分の法律上の罪を数えた。しかし罪悪感はみじんもない。霧島を殺した時も、死体を燃やした時も何も感じず、ただ嗤っていたことに自分はやはり歪んでいるとしか評しようがなかった。

 ようやく高遠に番が回り、桐の棺の前に立ち線香をあげた。誰も高遠が霧島を殺したなどと思うものはなく皆と同じく、クラスメイトを偲んでいる生徒を高遠は演じた。感情も、胸の痛みも、何もない舞台の役者がその場面を演じるようにそれをしただけだった。

 そして形式だけの黙祷を捧げ終えると霧島の生前の笑みに満ちたように演じている遺影と目があった。まるでその遺影が、今高遠と直接語り掛けるような風に感じ取れた。霧島、君が未だに僕に笑みを向けるのは写真だからか。それとも……どれだけ否定しようにも『悪の犯罪者』の素質は()()()()()()という嘲笑からなのか。

 

 霧島との最後の別れに高遠は顔を出さなかった。すでに焼かれているのに、また焼かれる前の姿を見るのはなんとも滑稽だからだ。

 式場の外に出ると、ロンドンの雨とは全く異なる日本特有のじめっとした生暖かな小粒の梅雨がカーテンを下ろしたように降り注いでいる。ロンドンでの雨を幾度となく経験していた高遠にとって、梅雨は非情に蒸し暑く、肌着が湿気と汗でべったりとくっつき不快に感じた。

 周りを見ると、片倉部長が携帯を耳に当ててどこかに電話をしていた。そしてそれが終わったようで、深くため息をつくと高遠の姿をようやく認識した。

 

「高遠、お前も抜け出したのか」

「はい。二度も彼が焼かれるところは……」

「そう……だよな。その点黒江は強い。霧島の最期を見届けに行くとさ」

 

 皮肉の意味で言ったのだろうか。だがそう高遠が思ってしまうのも無理はなかった。黒江もどこか霧島と似通っている部分があった。

 良い先輩として霧島と話す機会が多かったがその真意は、どす黒い物を持っているかもしれない人物だからだ。

 

 片倉部長と高遠が同じ方向を向いて降りやまない雨を眺めていた。今頃霧島の遺骸は火葬場に入っていることだなと思っていると、ふいに高遠は霧島との出会いを思い出した。

 四月の頭頃、英語の授業で高遠がよそ見をしていたため嫌味な教師に問題を当てられたが、見事なクイーンイングリッシュでぐうの音も出ないほどに返したあとの放課後のこと。霧島が高遠に初めて接近した。あの授業の時、霧島は自分の何を見て同類と感じたのだろうか。それは本人でしか確認できないことであるが、何も言わない死体となっては確認のしようがない。そして「彼女はいるか?」の質問を投げかけて、そしてマジック部に入部することとなった。

 今思えば「彼女はいるか?」も高遠を引き寄せるための言葉でしかなかったのかもしれない。でなければ、藤枝先輩が自分に気があるのを知って応援ではなく、殺害する事態にはならないはずだ。

 ぼちゃんと雨で溜まった水たまりの跳ね返りで高遠は現実へと引き戻された。同時に片倉部長の目が高遠に向いた。

 

「この後ちょっと付き合ってくれないか。藤枝の家に行くんだ」

「どうしてですか?」

「…………霧島が死んでからあいつ、部活にも学校にも来なくなった」

 

 

 


 

 藤枝の家に着くと、片倉部長が部活仲間ですと話をして、彼女の母親は藤枝の部屋にへと案内した。

 彼女の部屋は奇しくも高遠と同じく二階で、やはり年頃の女性ということもあってか自分の部屋で引きこもっていた。母親曰く、ノックをしてもほとんど部屋から出ずに「出たくない」の一点張り。食事は毎日三食運んでいるがほとんど手がついていないという。高遠は、あの寂しい藤枝の姿より悲惨な姿を見たくないと思ってしまった。なぜそう思ってしまったことに疑念を抱いたまま、彼女のいる階へ続く階段を上る。

 

「つばき、部活の友達が来たわよ。片倉部長と高遠君の二人」

 

 母親が二回ノックすると、ドアノブがゆっくりとギィっと音を立てて開いた。ノックで反応したが先かメンバーの名前を呼ばれたが先かわからないが、藤枝が顔を出した。

 ドアの陰で半分隠れているが、最後に会った前夜祭の夜の事件より頬が痩せこけていると感じた。事件から一週間程度経っているので、すぐには痩せこけはしないはずであるが、今の彼女からは冬の木の葉を散らした枝のような姿が垣間見えた。

 

「部長、高遠君……散らかっているけど入ってください」

 

 藤枝に言われるがまま、二人は一言「お邪魔します」と挨拶を言い部屋に入る。

 部屋は彼女が言ったよりもずっときれいで、ベッドの上の布団が跳ねのけられたぐらいで、あとは整理整頓が行き届いていた。藤枝つばきの部屋の印象を一言で言うなら、マジックへの目標が明確に顕れていた。机の上にはマジックの週刊誌が置かれ、半開きのクローゼットの中から見えた収納ボックスにはマジックの小道具があった。そして極めつけが、部屋の壁に大きく貼られた近宮玲子のポスターだ。舞台の上で笑みを絶やさない近宮玲子のポスターは、まるでこの部屋にいる人たちに視線を送っているように思えた。

 藤枝は年相応、性別相応の可愛らしくも派手ではない寝間着のまま床に座った。しかし、その寝間着姿がいっそう藤枝の今の弱々しさを引き立たせていた。まるで病人が着ているようなそんな印象が……

 

「藤枝、体調は問題ないか?」

「はい、食事があまり進まない程度には……あの、霧島君の葬式は」

「もう埋葬された。荒木田も黒江もお前を除いてみんな来ていた」

 

 藤枝はうつむいたまま、何も言わない。よく見ると、彼女の猫目の下は赤く腫れていた。彼女が手で目の下を拭き鼻をすすっても一つも涙がこぼれなかったのは、もうこの一週間で枯れ果ててしまったのだろう。

 泣こうにも泣けない、なんて悲しいんだろうと高遠は今の彼女の目も当てられないような姿を重く受け止めた。

 

「今回の件、私に責任があるかもしれない。私霧島君がマジックに失敗するたびに怒っていたから。前夜祭の前の晩も、霧島君遅くまでマジックの練習をしていたのに、頑張ってねの一言でも言えばあんなことには」

「藤枝、そんなことは……」

 

 片倉部長は否定まではできなかった。前夜祭のマジック部の公演でも霧島のマジックは結果的には高遠のフォローで成功したが、彼個人のマジック自体は失敗してしまった。それが積もりに積もってあんなことになったのだろうという()()()()()()()()が彼らに息づいていた。

 前夜祭の時も、その前の晩も霧島は藤枝を殺そうとしていただけ、それも高遠の邪魔になるからという理由で。もしかしたら、あの棺桶に入っていたのは霧島ではなく、藤枝の首と胴体が分かれた遺骸が入っていたかもしれない。

 しかし事の真実を知る人間は真実を語ろうともしない。仮に本当のことを告げても一体誰が、そんなことを信じるのだろうか。高遠は沈黙を貫くだけだった。

 

「私ね。…………やめようと思うの、部活もマジックも」

「だめです!!」

 

 窓の外に降りしきる雨の中、鶴の一声が割って入ってきた。その部屋の全員が一斉にその人物の方を向いた。その声の主は、片倉部長ではない、高遠の口から出た言葉だった。しかし、その当の本人が一番吃驚していた。

 どうして僕は、こんなことを口から吐き出したのだろうと目をパチクリさせた。

 

「すみません」

「…………少し、トイレに行ってくる」

 

 片倉部長がそう言うと、立ち上がって部屋から出ていった。

 高遠と藤枝の二人っきりになった部屋の中には、外の梅雨の雨音がひっきりなしに屋根や地面に雨の音を鳴らしていく。雨の音の沈黙を破ったのは藤枝からだった。

 

「高遠君」

「すみません。突然大きな声を出してしまって」

「オジギソウ」

 

 そういうと、この前と同じように指を二本出してくにんと折れた。弱々しくも、藤枝は高遠と同じ草の仕草を見せつけた。動きはあの時と寸分たがわずに。

 

「また謝っているよ。変わらないね君は」

「僕は……そういう人間ですから」

 

 また沈黙が続くと思われた。だが沈黙はすぐに破られた。今度は高遠の口からだった。

 

「こういうのは、後輩の、僕から言うのは差し出がましいのですが。藤枝先輩は一つも悪くありません。霧島が一人でやったことですから」

「え?」

 

 そう、藤枝先輩に責任は一切ない。むしろ彼女を疑った僕の責任がある。僕に気があるただそれだけで、殺されかけた彼女がこんな辛く、悲しい顔をするのは許せない。そんな感じがする。どうしてだろうか、わからないが。

 

「励ましとかそういうのではないです。でも、僕は、藤枝先輩にマジックを辞めてほしくないからです。そんな風に、悲しく寂しい顔をしたままマジックを、彼女から遠ざかるのは嫌なんです」

 

 高遠が目線を横に飾られている笑みを蓄えた近宮玲子のポスターに向けてそう言うと、どこか居心地が悪く感じ床から立ち上がった。

 

「あの、僕が言いたいことはこれだけですので……失礼します。」

「ありがとうね高遠君」

「いいえ。そんなたいそうなことは」

 

 そう、僕はいいことなんてしていない。一切、むしろ罪や罰を被るようなことをしてきた。あなたにも傷をつけてしまった。その責務が僕にはあったからそれをしたまでなんだ。

 高遠が部屋から出ると、そのわきには片倉部長がじっと目をつむったまま待っていたかのように立っていた。

 

 


 

 

 藤枝の家を後にし、片倉部長の黒の傘と高遠の透明なビニールの傘が二つ並んで、雨の中を通っていく。

 あれで藤枝先輩が戻ってくる確証はない。だけど、僕はたぶん、本心を伝えたと思う。どうしても彼女にマジックを辞めてほしくなかった。才能がもったいないからだろうか、それとも同じライバルとしてだからか。……わからない。今の僕ではわからない。

 高遠が自分の口から出たあの一言の出どころに思い悩んでいると、藤枝の家からずっと一文字に噤んでいた片倉部長の口が再び開いた。

 

「……荒木田が辞めた。今回の件で、霧島のように失敗して命を落としてしまった事例が起きたから、怖いのが理由らしい。もっともそれは建前だろう、失敗続きの人間が今回の件が起きた後もい続けるのは部としての体裁が悪いからだと俺は思う」

 

 片倉部長が重たい息を吐くと、傘から伝った雨雫が片倉部長の肩に落ちて学生服に染み込んだ。

 

「すまないな高遠、お前なら藤枝を呼び出せると思って、お前を出しに使うようなことをしてしまった。恨んでも構わない。けど、俺には部長としての責任がある。霧島がマジックのことで思い悩んでいたことも含めて、俺はマジック部を壊してしまった責任がある。それを修復する責任がな。」

「責任ですか……」

 

 なんの因果で、責任をこの人は……この人たちは負う必要があるのだろうか。当の本人は全くマジックのことで悩んでいた気配はないというに、いやむしろ霧島こそが、部を破壊させる人物であるはずだった。彼の予定では自分を含めた部員二人と顧問の姫野先生を殺害するはずだった。

 顧問も含めてたった七人しかいない部の三人も消すのだ。もし実行されていれば、部としての存続は不可能である。無論、殺人事件があった部などに誰が好き好んで入るだろうか、マジック部は永久(とわ)に廃部するという憂き目にあいかけた。

 だが高遠は部を部員たちを守ったはずだった。しかし、結局霧島純平を殺してしまったがため、マジック部を自分の居場所を自分で壊してしまった。責任があるとすればそれは自分にあると高遠は結論づけた。



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第十四話『性悪説』

 音楽室に悲壮感漂う旋律が零れる。しなやかに女のものと思わるような細い指は、それに違わぬ繊細で正確なモーツァルトの『レクイエム』を弾いている。

 ――暗い曲だけじゃなくてほかにも弾いてみなよ。モーツァルトとかさ。

 ピアノを弾きながら春に姫野先生の言葉を思い起こしながら、高遠は皮肉を込めて口角を上げた。モーツァルトが自身への葬送曲にと魂を込めて作曲し、結局未完で終わった悲しきこの曲に似合わないような笑みを浮かべて。

 

 姫野先生、モーツァルトには確かに明るい音楽もありますよ。けど、人間というのは必ず裏もあります。このレクイエムもそう。あの天才ともてはやされたモーツァルトが自身の死を感じ取った時に作曲したものです。人は誰にも言えない悪性を、心の闇を抱えています。僕自身も。

 霧島の葬儀の後、高遠はマジック部の部室に足を運ばずに以前のように音楽室でピアノを弾く毎日を過ごしていた。マジック部の面々が高遠を連れ戻す気配は見られなかった。霧島の死がトラウマになっているのだろうという姫野先生や片倉部長の配慮であろうと高遠は感じていた。しかし辞めたわけでなくまだマジック部に籍を残しているので幽霊部員状態で高遠は所属している。ただでさえ人数が少ないマジック部に二人もいないので幽霊部員状態でも高遠は部の存続に貢献しているといえる。

 しかし過去の自分を部室の忘れ物のように置いただけで、本体は昔に戻ってしまっている。本人の時が壊れてまま、時は二学期の十月に進んでしまっていた。

 

 ボン。次の譜面に移行している時、一番低いドの不協和音が高遠の手を止めた。完璧主義な高遠が決してミスをするはずはない。そもそも高遠の手はピアノの一番端にある鍵盤に手が届かない位置にあった。

 

「誰の葬送曲なんだ」

「黒江先輩。お久しぶりですね」

 

 演奏を不協和音で中断されて不快だったのか、他人行儀な言い方で、久しぶりに顔を合わせる黒江になおって座ったまま会釈する。黒江は高遠のわざとらしいものの言い方が癪に触ったのか、眼鏡の奥から蔑む視線で見下した。

 

「幽霊部員と化しているくせに、部員でないこっちには顔を出しているんだな」

「霧島の件がありましたから、あまり近づきたくないので」

「なら弾くならレクイエムじゃなくてもっと他の曲にしろ。あの腹が立つほど薄っぺらい笑みの下の()()を現すぐらいのやつを」

 

 黒江が霧島を糾弾すると、音楽室の隅に置いてあった椅子に前かがみに座る。普段動揺を見せない高遠に一瞬緊張が走った。霧島の本性。それを知っているのはあの場、あの物置にいた本人と高遠のみが知っていることだった。

 黒江先輩があの場にいた? いやありえない。マジック部からあの物置までは僕が仕掛けたあの装置以外では短時間で移動できないし、天窓以外は中を覗くことができない。仮にできたとして中の声を聞いたら、鍵が開いている物置に飛び込むはず。なぜ今この時期にそのことを話すのか。高遠は慎重に頭の中で思考を巡らせ、黒江の狙いを探る。

 

「故人に失礼ですよ先輩。霧島のおちゃらけが全て演技であるみたいじゃないですか」

「故人だからこそ言える。死人は口もなく耳も聞こえないからな。五月祭の前の日、あいつがゾンビボールを落としてカバンを倒したことがあっただろ。その時藤枝のカバン、霧島が漁っていたのを見かけた」

 

 ()()()()()()()。高遠はこの後黒江から出る言葉を予測すると、安息が生まれた。

 

「あいつ、藤枝に修行不足だとか言われていた。その憂さ晴らしに藤枝のカバンから何か取ったはずだ。ま、結果的に藤枝の指摘通り修行不足がたたってあんな目に遭った。自業自得だ」

「霧島がそんなことを……」

 

 わざとらしく驚く表情をつくった。むろんそんな程度で済めばかわいいものであった。実際には藤枝が高遠に近づいたことへの身勝手な行動からで、絞殺・首の切断・マジックの小道具のように扱う算段だとは黒江も知る由はない。

 

「人間なんてそんなものだ。どんな奴でも些細なことで嫉妬に恨みにいじめだってする。人は本来悪であるというだろ。人は一皮むけばそんな面がある。藤枝にもああいう裏の面だってあるはずだぞ」

「……それは先輩も言えないのではないですか。まあ、周知のことですが」

 

 出鼻をくじかれた黒江は席を立ち、音楽室から出ていこうとする。ふと廊下から出たところで止まった。

 

「言い忘れたがマジック部の報告。藤枝が戻ってきて部長に昇進だ。俺は副部長。部員も新しく一年の奴が入って定員ぎりぎりだ以上」

「ありがとうございます。黒江副部長」

 

 抑揚のない事務的な報告に高遠も社交辞令的な返しをすると、「死ねばいいのに」と黒江のいつもの黒い部分を包み隠さず漏らした。

 高遠はまた独りになった。白黒の刃のような鍵盤の上に、被せるように手を乗せる。性悪説。人の本性は悪である中国の思想家荀子の思想。すると黒江の言葉に霧島の言葉が重なる。

 ――だって俺もお前も悪の犯罪者として似た者同士だからだ。

 

「悪の犯罪者。生まれながらにしての悪……ですか」

 

 不敵な笑みを浮かべると、静かに鍵盤を下ろす。音楽室に深く、暗い旋律が流れる。レクイエムの悲壮と鎮魂とは違う、濁り淀んだ音が込められたような曲、リストの『暗い雲』が高遠の指先から流れ出ていく。悪の犯罪者と言われ、父からも忌みされし肉体から流れる旋律が。

 


 

 

 すっかり日が落ちていた。久しぶりに何曲も引き続け、見回りに来ていた警備員が来なかったら夜まで高遠は弾き続けていただろう。だがそれでもよかったかもしれない。帰る家にも自分の居場所はないのだから、そしてマジック部も自分の手で壊してしまった。もう学校では、あの音楽室だけが彼の居場所だった。

 携帯で時刻を確認するとまだ十八時にもなっていなかった。まだ帰りたくない。そう思って井之尾公園に足を運んだ。秋も暮れてきたこともあり、公園の電灯に灯された人工的な光が紅葉した葉をくっきりと映し出す。そして電灯は転がってきた小さなピンポン玉も映し出した。

 

「お兄ちゃん取って!」

 

 小学生ぐらいの女の子がピンポン玉を追いかけて、転がる先にいた高遠を呼んだ。高遠がそれを取り、女の子が小さく息を切らせてボールを受け取ろうと小さな手を広げた。

 すると、高遠はピンポン玉を軽く握りしめると中から小さな白の文鳥が飛び出した。文鳥は本物で、ピチチと鳴き声と共に手から放たれると女の子の掌の上に舞い降りた。

 

「すっご~い。お姉さん、このお兄ちゃんすごいよ。ボールが鳥になった!」

 

 女の子が文鳥を乗せたまま公園の中央に向かうと、そこには藤枝がいた。彼女の手元にお得意のマジック道具であるカップが手の中にあり、ついさっきまで彼女がマジックを披露していたのが見て取れた。

 彼女が子供たちをもう時間だからお帰りと解散させる。

 

「高遠君、久しぶり」

「先輩。だいぶ顔色が良くなってきましたね」

「高遠君は相変わらずだけどね。ちゃんと食べてる?」

 

 ふふっと高遠は小さく笑って返した。数か月ぶりに出会った藤枝の顔色は、霧島の葬式の帰りの時と比べても戻っていた。それに、彼女にとって忌まわしい出来事であるはずの五月祭のことを話のネタにできるほど心身ともに回復しているのにホッとした。

 

「復帰と部長就任おめでとうございます」

「やめてよ。途中数か月も部活休んでいたのに部長って、最初辞退したのに、片倉部長の押しに負けて。あのこともあったし」

 

 霧島の一件のことを思い起こし始めると、藤枝の顔が少し土気の色を帯びてきた。カバンにしまいかけていたマジックの小道具のボールが藤枝の手から零れ落ちる。高遠がそれを拾い、手の中でボールから白のバラに変えて藤枝の制服の胸ポケットに挿した。

 

「でも先輩はちゃんと部に戻ってこれたのです。未だ部に戻らず一人ピアノを弾いている誰かとは違って」

「それは、高遠君が私に続けてほしいって言ったから。いつもクールに振るまっている君が、お母さんを説得しているみたいに接したら頑張らないといけないと思って」

 

 母親に接しているみたいに? 高遠には母親がいないとされていた。そんな彼が母親と接しているような振る舞いをどうやって湧き立たせたのか思考を巡らせたが、該当する人物がいた。近宮玲子。高遠は藤枝がどことなく近宮玲子に似ていると評した。

 

 ああそうか。辞めてほしくない衝動は、そういうことだったのか。もし近宮玲子がマジックを辞めるなどと発言したら、

僕は間違いなく直訴するほどいらだたせるだろう。そして僕の中ではやはり近宮玲子は僕の……

 

 藤枝は胸のバラの花びらを愛おしそうに弄りながら、マジックの道具を詰め込みチャックを締めると立ち上がった。

 

「だから高遠君がマジックをしていたこの公園でリハビリがてらに練習して、そしたら子供たちが寄ってきてね。何度かやっていくうちにファンもできてね」

「もしかして、僕を待ち続けていたのですか?」

 

 高遠が指摘すると、日が落ちて暗くなった中でもわかるほど顔色が乳白色の肌を通り越して、熟れた桃のような色に変化していた。

 霧島の一件の後、しばらくこの公園に立ち寄らなかった。外でするのが気が引けるのもあるが、遅くなるといけない理由ができてしまったからでもあるが……

 

「あ、はは。高遠君は何でもお見通しなんだ。私ね、あなたのこと憧れもあった。これは本当のことよ。でも、子供たちの中に高遠君のファンもいて見劣りするって言われちゃって。本当子供って正直だよね。この公園で君を見た時から、何で勝てないのかなってずっと嫉妬しちゃって。君がいないのをいいことに必死になって。やっぱり私って高慢な女王様だよね」

 

 弄っていたバラの花びらが一枚ぽろりと落ちた。まるで皮が剥けたようにたやすく。藤枝の片鱗が見えたようだった。

 しかし、それは可愛いものである。自己中心的な殺人を行う人よりも。父が警戒するほどに、人を殺すことに何も感じず計画を立てる人よりもずっと健全で、ずっとまともだ。

 むしろあなたが羨ましい。

 あなたのような()()()()()()に僕は……

 

「あ、もう七時だ! ごめんね高遠君、こんな時間になるまで付き合ってもらって」

「いえ、藤枝先輩のお元気そうな顔が見れて何よりです」

「じゃあね高遠君。マジック部はいつでも帰りを待っているわ」

 

 藤枝がそう言い残して公園を出ていく。その時、彼女の体からどこか花のような匂いが運ばれた。バラの高級感とは違う、優しいフローラルな香りが。

 

 

 家に戻るころには、夜は七時半を回っていた。マジック部に出入りしていたころならば、何も言われずに済んでいたがあれ以降門限が厳しくなっていた。もちろんそれを気にする人物はこの家にただ一人だけであるが。

 玄関の扉に手をかけると、家の中でガラスが割れる音が響いた。

 



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十五話『鎖からの解放』

 高遠が音のしたほうに駆けると、ダイニングの床にグラスの破片が落ちていた。グラスの破片の中には氷と琥珀色のアルコールも混じっていて、飲んでいる最中に落としたものであるとわかった。家中に響くほどの音がしたにもかからわずお手伝いさんが来ないということは買い物にでも出かけたのか、足音がしなかった。

 

 落とした主である父はテーブルに顔を突っ伏したまま、手がアルコール依存症で震えてもブランデーの瓶を手繰り寄せようと伸ばしていた。さすがにこれを落としてはまずいと父の手に収まる前に、透明のブランデーの瓶を取り上げた。

 

「父さん、また酔っているのかい」

「くそう、遙一! お前、こんな遅くまで何をしていた!!」

 

 怒号と共に父の険しく迫った顔が近寄る。酒臭い、口だけでなく飛んでくる唾の一粒まで匂ってくるから相当飲んでいたのだろう。父のアルコール依存症ぶりはいつものことながらだが、今夜は特にひどい。いつもなら、ひどくなる前にお手伝いさんに任せるのだが今は自分が相手をしなければならないと観念した。

 

「別に、部活で遅くなっただけだよ」

「嘘をつけ! 最近早く帰ってきているのは知っているんだぞ! 言え! 人でも殺したのか!」

 

 ちくりと痛みが走る。それが胸の痛みでなく、足の裏に刺さったグラスの破片であった。

 全く人の話を聞き入れない父であるが、脳までアルコールが回っているにもかかわらずよく覚えているものだと内心驚いていた。

 あの事件以降、父が酒を飲む頻度が増えていた。あの事件を引き起こしたのは高遠であると(実際当たっているのだが)断言していた。近くで事件が起きると決まって高遠が何かしたと言う父であったが、今度ばかりは通っている学校とあってより疑い深く遅くなるごとにどこに行っていたのかと詰問攻めにあった。一々付き合ってられないということもあり、早く帰るようにしておりマジック部に顔を出さない理由のひとつになっていた。

 ただでさえ酒を飲んで尊大になっているのに加え、夜遅くに帰ってきたことで父の怒りは最高潮に達しようとしていた。

 高遠が一瞬目をそらすと、父が高遠の前髪をむんずとつかみ、目と目を合わせようと引き上げる。

 

「俺の目を見ろ遙一!」

「……見てますよ。それで、何が変わるのです」

 

 高遠は冷ややかな目でじっと酔った父の顔を睨むように直視し続けた。それに怖気づいたのか、父は髪の毛を離してぐらりと体を崩しながら椅子に座った。

 

「やっぱりだ。お前の目、あいつとそっくりだ。そうだ、お前は俺の子なんかじゃねえ! あの悪魔の子なんだよお前は!!」

 

 バンッと机を殴りつける。しかし高遠は自分の子でないと言われたにもかかわらず表情を全く変えなかった。

 

「酔っ払うのもたいがいにしなよ父さん」

 

 玄関からドアが開く音が聞こえると、バタバタと走ってくる音が近づいてくる。後ろを向くと、お手伝いさんが両腕に買い物袋を提げて目の前の惨状に目を丸くしていた。

 

「……ああ、またですか。旦那様今日はもうお休みになった方がいいですよ」

「いらん。まだ風呂はいい」

 

 お手伝いさんがきたとたん、父の尊大さはどこへやら。ただの酔っ払いへと退化してしまった。高遠はガラスの破片がくっついた靴下をお手伝いさんに渡すと自分の部屋に上がっていった。

 

 

 自分の部屋に上がると早々に制服を着替えず、自分の机に体を突っ伏した。

 父さんの言っていたことは本当のことだろう。いや、本当のことであってほしい。あんなのが自分の父だなんて、あの人との間にできたのが僕だなんて認めたくない。

 高遠が幼い頃、今日のようにひどく酔って帰ってきた父がぽろっと言ったことを憶えていた。

 

「お前には腹違いの妹がいる。まあ、会うことはないだろうがな」

 

 おそらくあれは本当のことだろう。酔っていてもあんなことを空想でどうやって思いつくのか知りたいものである。

 もしあれが本当に自分の父親でないとしたら――そうであってほしいが、自分はどこから来たのか。妹は本当にいるのか。そして母親が本当にあの人であるのか。自分というルーツを探りたい。人は生まれながらにして悪というなら、自分の父親が悪魔であるなら、血を分けた妹や母は悪であるのか知りたかった。

 だがあれがいる限りは、自分は永遠に鎖で縛られたまま一生を過ごさなければならない。すると頭の中に黒江の面影が浮かび上がり、彼の口癖が喉から上がってきた。

 

「……ふっ、死ねばいいのに」

 

 この言葉が呪いとなったのか高遠の父は倒れ、高遠が二年生に上がった月に肝硬変で亡くなった。

 父の死後、遺品の整理をしていた時高遠は一冊の日記帳を発見した。その中に父が本当の父親でないこと、そして近宮玲子が高遠の母親であることが書かれていた。



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第十六話『その傍に立つまで』

 桜の花がすべて地面に落ちきった時期、新入生も新たな学校生活に慣れて先生たちが一息をつける頃合いに事件が起きた。

 

「本当に辞めるか高遠。まだ二年なんだし考えても」

「考えた上の答えです」

 

 職員室にいる先生たちが一様に、高遠と担任の動向に注目している。にも拘わらず、高遠には余裕があるようにも見える様子で担任に向き直っていた。一方で狼狽えているのは担任の方だ。難関高校と評される秀央高校の入試をトップの成績で入学し、事件があった後もひたむきに学年トップを維持し続けた生徒が突如として中途退学申請を出してきたのだから、そのクラスを担当する人としては生きた心地がしないのは明白だ。

 

「なあ高遠、海外に行くとしてもお前の学力なら奨学金で大学に留学できるだろ。わざわざ身一つで行かなくても、学校の伝手があるのだからその方が有利になるぞ」

「学校では、マジックの勉強は教えられますか?」

 

 ぴしゃりと高遠が遮り、担任はうっと言葉を詰まらせた。

 

 遺品にあった日記帳、それは高遠の心境に大きな変化をもたらすというわけではなかった。いや、既に察していたのもある。本人は「ああ、やっぱりか」と乏しい反応をしたのがその証拠である。むしろあれが自分の父親でないということや家という呪縛から解き放たれたことに安心したのだ。

 もう己の道を阻むくびきがなくなったことで、実の母である近宮玲子と同じステージに立つために、本格的なマジック修行に出る決断をした。秀央高校に入学したのは、もともと父の思惑で半ば強制的に入れさせられたためで、一つを除いて秀央高校に思入れや愛校心もない。 

 

 彼女に会うこと自体は大きな障害はないであろう。DNA鑑定や日記を携えて自分は息子であるとマスコミにリークすればいいこと。あの世界的有名なマジシャン近宮玲子の隠し子ともなれば、ゴシップ記事はニンジンをぶら下げられた馬のように走るマスコミの大好物、再会するなぞ容易いことだ。

 しかしそれは高遠の理想の再会ではない。幼少の頃イギリスで近宮玲子と別れた際に「僕が一流のマジシャンとなったときにまた教えてあげるから」という約束こそがふさわしいと感じた。超一流のマジシャンである彼女の前に立つには、同じステージに立って再会するべきである。それが憧れであるマジシャンとしての恥なき完璧な再会だ。

 

 

 

 長時間の担任との談話は結局、高遠の粘り勝ちで幕を閉じた。高遠はそれに誇ることもなく、職員室から出るときも深々と従順な生徒のように礼をしていた。

 

「どうしてあんな大人しい生徒が退学なんて」

「あの事故が原因だったのでは?」

「でももう一年も前だし、やはり本人の言う通りに」

「これで東大行きの生徒が一人減ったか」

 

 ドアを閉めた時に聞こえてくる先生たちの飛び交う声。憶測と学校の利益のことばかりが折り重なるが高遠は気にも留めなかった。しかし、一つだけ透き通るような濁りのない声が高遠を呼び止める。姫野先生だ。

 

「高遠君」

「姫野先生、今までありがとうございました。音楽室を使用する便宜や、マジック部に入部することとか」

「……私は、高遠君を応援しているわ。君なら絶対世界的なマジシャンになれるわ。あの近宮玲子みたいな」

 

 その人物の名前を言うと、高遠は小さく笑みを見せた。先生と同じように濁り気のない澄み切ったものだった。

 

「私の目指す場所は、そこですよ」

「よかった。じゃあ最後にマジック部のみんなに挨拶に行ってあげて。礼儀は必要よ」

 

 気が進まなかった。かつての居場所を、自分が壊してしまったあの場所に足の親指の先一つでも踏み入れていいのか、しかし姫野先生の柔らかく優しい表情はマジック部の高遠に対しての姿勢を表してるようだ。

 マジック部がある棟へ歩く途上、すれ違う生徒たちが慌ただしくすれ違う。手製の看板に慣れない釘を打ち、教室の机にクロスカーテンがかけられる。ああそうか、五月祭か。何かが変わるときはいつもお祭りが高遠を変える。それは五月祭であり、公園でのショーであり、近宮玲子のマジックショーであった。そして高遠はマジシャンとしての道を歩む。

 ――悪の犯罪者としての素質が。

 ふと、霧島の言葉が蘇った。違う、僕は決して悪の犯罪者としてでなく彼女と同じ舞台に立てる最高のマジシャンとなるべく歩むのだ。

 

 高遠が歩みを止める。その扉の前に『マジック部』と書かれた一枚の貼り紙がテープで留められた部室。かつて居場所だったところだ。自分で壊しておいて居場所に別れを告げるとはなんとも愚かなことか。扉を開くと、部屋の配置やものは変わっていなかった。その代わり、人は相当変わっていた。

 

「久しぶりだね高遠君」

「ええ、約一年ぶりにですね藤枝部長」

 

 ソファーに座って――下級生であろうか部員に指導をしていた藤枝が手を止めて、高遠が現れたのを歓迎した。扉の前にいた丸縁眼鏡をかけたニキビ面の男子は幽霊部員であった部員の登場に驚きを隠せない様子だ。突然現れたのもあるが、一年も顔を出していない部員が特Aクラスの大人しい羊だとは夢にも思うまい。

 

「聞いているわよ。辞めるんでしょウチの高校」

「ええ、ですから最後にあいさつをと。姫野先生に言われまして。黒江先輩は?」

「舞台の調整とか展示とか裏方を回っているわ。去年の勝手を知っているのが私と黒江しかいないからどうしてもね」

 

 そう、今のマジック部には五月祭を経験した部員が三年の二人しかいない。去年はまだ三年生と二年生がいたが、五月祭を経験した二年生陣が今年はいないため、相当な負担が藤枝と黒江に掛かっていることは容易に想像できた。

 

「すみません。こんな時まで手伝うこともせずに」

「うーんじゃあ。代わりにウチの後輩たちを指導してやってくれない?」

「え?」

「正式な退学にはまだ時間があるでしょ。退部届も出ていないから高遠君はまだウチの正式な部員よ」

 

 藤枝の言う通り、退学届は提出済みではあるがマジック部の退部届はまだ出していない。退学となれば秀央高校の生徒でなくなり、自動的にマジック部も退部になるから書いていなかったのだ。時刻はまだ四時過ぎで夜まで十分な練習時間がある。すぐに出発するわけでもないし、遅く帰ることを咎める父もいない。

 最後の最後でうまく丸め込まれたと思いつつ高遠は承諾した。

 

「いいですよ先輩」

「やった。さあみんな高遠君に自分のマジックを見せてもらってね。彼のマジックは部内で一番だから」

 

 藤枝が後輩たちを煽ると、一斉に高遠を取り囲んだ。

 

「あの、失礼だとは思いますが。僕のマジックを見てくれませんか」

「先輩お願いします!」

「ああ、押さないで。ちゃんと順番に見るから」

 

 押し寄せてくるのは公園の子供たちで慣れていたが、年が一つしか変わらない体の大きい後輩に羨望の目で教えを請われるなど高遠には初めての経験だった。後輩に教えるという初めての経験に最初は戸惑いもあったが、すぐにコツをつかみ粗のあった部員たちをことごとく矯正できた。

 後輩に教えるなんて初めてなのに、ちゃんと教えた通りに直している。高遠は昨年、霧島にマジックの指導をしたことがあるが、どう指摘しても直らなかったので指導は苦手なのではと思っていたが、実際はマジックに対して情熱がなかっただけなのではとよぎった。

 完全下校時間のチャイムが鳴ると、藤枝が手を叩いて練習を終える合図を鳴らした。そしてこれが高遠にとって最後のマジック部での活動のチャイムであることを意味していた。

 

「みんなお疲れ。高遠君も指導お疲れ様」

「最後にお役に立ててよかったです。では、僕はこれで」

 

 軽く別れを告げてドアに手をかけると、眼鏡をかけた一年生が呼び止めた。

 

「あの、高遠先輩! 僕、去年の五月祭で行われたマジックショーを見てた時あなたのショーに感激しましてそれでマジック部に入部したんです。ですから、最後に一度だけ、マジックを見せてくれますでしょうか」

 

 遠慮がちにたどたどしい口調で深く、ピシッと九十度に折れた。他の後輩たちも眼鏡の生徒ほどではないが深く礼をして「お願いします」と言った。そして藤枝がウインクしてお願いとアイサインを出すと、高遠は指を鳴らした。

 すると、どこからともなく後輩たちの上空から白いバラが落下傘のようにふわりと落ちて彼らの手の中に入っていった。

 

「これで満足したかい」

「「あ、ありがとうございます! お元気で高遠先輩!」」

 

 後輩たちが一斉にお礼を述べると、そのまま高遠がマジック部から出てゆく。外はいつの間には夕焼けが地平線の向こうに沈んでいた。入る前までは五月祭の準備に勤しんでいた生徒たちの喧騒が響き渡っていたが、驚くほど静寂で扉を閉める音が廊下で響いた。

 だからだろうか、部室からもう一人出てくる音も良く聞こえた。

 

「高遠君、近宮玲子の下へ行くの?」

 

 部室から出てきた藤枝が、高遠の後ろで訊いた。

 

「いえ、僕はまだ彼女と同じ舞台に上がるほどの技術は持っていないですから、イタリアのとある魔術団の下で修業をしてきます。彼女もイタリアでマジックの修行をしていたようですから」

「高遠君、私も。私も追いかけるから、近宮玲子と同じ舞台に上がって」

 

 力強く藤枝が宣言し、高遠は一驚して振り向いた。彼女が近宮玲子の下へ? 確かに彼女はマジックの腕は名実共にある。しかし学校という学業の成績を求められる籠の中ではどこかで頭打ちが起きるはず。高遠はそれを懸念して、マジックの技術育成をする場に身を置くために退学を選んだのだ。しかし、彼女の猫目は自信ありげに高遠を見つめている。

 

「その自信はどこからですか?」

「近宮玲子に似ているから……じゃだめ?」

 

 にこっとわざとらしい笑顔をつくって、自分の顔に指をさした。

 

「いいえ。でも、彼女のステージに上がれるのは僕ですよ。Good Luck 藤枝先輩」

 

 そうして最後の別れを告げて前を向き直る高遠。しかし、その心の内では、静かな炎と自信がたぎっていた。

 先輩、確かにあなたはどこか近宮玲子に似ています。でも失礼ですが、似ているだけです。本物ではありません。近宮玲子の実の息子であるこの僕こそが。似ているのでも、偽物でもない、本物である僕こそが。彼女の下に行けるのです。

 誰よりも早く、絶対に、彼女と同じステージに。

 一流マジシャンとしてふさわしい舞台に。

 



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第十七話『絶望の淵に降り立つ女神』

『希代の天才マジシャン近宮玲子。

 悲運の死!! マジックの練習中に事故死!!』

 

 聖母のような慈愛の笑みを浮かべながらマジックを披露する写真とは相反する残酷な文字が黒一色で埋められていた。

 彼女の訃報は数年前、秀英高校を中退後単身イタリアでマジックの修行をしていた時に、彼の師匠から知らされた。インターネットがまだ発達していなく、高遠自身そういうものに興味がなかったため彼女の死から約一週間も経っていた。絶望というより落胆の方が大きかった。僕が舞台に立つ前に、降りてしまうなんて。なんてひどい人だ。

 目標とする人物を失い、イタリアから去りイギリスの実家に向かった。その時郵便受けに近宮玲子から高遠宛てへの郵便物が届いていた。中には彼女が常に手にしていたトリックノートだった。かつての高遠が少年の頃、十八歳の誕生日にマジックのアイディアをあげるとの約束を果たしたのだ。

 やはり彼女は母だったか。

 そこに喜びも安心もなかった。学生時代から彼女とは他人とは異なる縁、親子の愛というのを感じ取っていた。ゆえに「ああ、やっぱり」という素っ気ない感想のみだった。

 だが一つ奇妙なことがあった。このノートを送った日が彼女の死の数日前、高遠の誕生日よりずっと前に送られていたのだ。

 

 そして近宮玲子のノートを受け取ってから一年経って、高遠は日本に帰ってすぐ彼女の訃報が載ったスポーツ新聞を手に入れた。当時の新聞はすでになく、探し回って手に入ったのが低俗な記事しか載らないスポーツ新聞だった。だがこの新聞で高遠は満足していた。これが一番ロンドンで会った彼女に近かった。

 新聞を入れ替え、黒で彩られたチラシを表に出す。

 

『幻想魔術団 堂々の復活マジックショー!! 場所:不動公会堂 午前公演:十時から』

 

 『幻想魔術団』は近宮玲子が創設した魔術団だ。近宮玲子の一人劇団であったため、彼女が事故死してからは活動を停止していたが彼女の弟子たちが劇団を再興させたというニュースを聞き及んだ。高遠は少しの希望を抱いていた。

 彼女は死んだ。だが僕が叶わなかった()()()()でマジックを学んだ弟子たちが、どんなものを見せてくれるか。彼女の意志が引き継がれているはず。そこに行こうと足を運んでいた。ようやく会場に到着すると、まだ開場一時間前なのに長蛇の列ができていた。あの『幻想魔術団』が復活という宣伝効果もあってか予想以上の大盛況であった。

 これは時間をずらしても列は終わらなさそうだ。もう少し早く来ればよかった。後悔してもしかたないとチケット売り場に並ぼうとした。が、列の前に仮面をつけた人物が高遠の前に立ちふさがった。

 

「オ客サン、チケットホシイ? チケット一枚余ッテルカラアゲルヨ」

「いえ私は」

「タダヨタダ。デモタダジャナイ。ワタシノマジックミヤブレタラアゲルヨ」

 

 マスクに変声機をつけているのか、男か女か判別ができない。怪しいと思いながらマジックと聞いて無視するわけにはいかなかった。

 その人物は高遠を列から離すと、手から赤と青のボールを指に挟んだ。仮面の人物が青のボールを反対の手に渡すとパンッと手を叩いた。

 

「サア、ドウナルデショウ」

 

 仮面の下からのぞく口が小さく笑う。ゆっくりと手が開かれると中から緑のボールが現れた。最初にあった赤と青のボールは消失してしまった。

 

「単純なマジックですね。青のボールを左の手に移動したときに、元の手の後ろに隠していた緑のボールを手の中に入れて、割れやすい素材でできた最初の二つのボールを割ってあたかも緑のボールが現れたように見せた。ですよね()()()()

 

 マスクを外すと眉を曲げて頬を膨らませた藤枝つばきが現れた。二十歳になった彼女は少し背が高く、高校の時と異なり両耳にピアスをつけて大人びた印象になっていた。

 

「……もぅ。なんで私ってわかったの」

「技術は上がっても、人間には固有の癖がありますので。でもマジックの腕は高校とは比べ物にならなかったですよ」

「フォローしても遅いよ。せっかくのチケットあげようと思ったのに」

「では並ばせていただきます」

 

 列に再び並ぼうとしようとするが、藤枝が背中の上着を引っ張って引き留めた。

 

「ちょっとそこは是が非でもお願いしますって言うところ。そういうところは高校の時から変わらないね」

「ですが大事なチケットをいただいても、先輩が見れないのでは」

「この通りチケットは二枚あるのでした。もちろん私と高遠君隣同士の席だよ」

「まるで狙いすましたように持っていますね。誰にも連絡はしていませんでしたのに」

「ちょっと人をストーカーのような言い方しないで。たまたま電車の中で高遠君を見かけたの。久しぶりに会うのだからマジック対決で渡そうと思ってね。マジシャンの会話はマジックでしなきゃね」

 

 ああ変わってない、この人は。やはりあなたはあの人に似ている。入場口の前で係員からチケットの提示を求められると、高遠は思い出したような顔をして、藤枝に話かけた。

 

「ではこちらも改めて、()()をしましょう」

 

 藤枝から受け取ったチケットを細切れに破くと、それを手の中で握りしめる。突然の奇行に口が歪む係員をよそに高遠は手の中から薔薇の花を出現させた。

 

「大人一枚で」

「すみませんお客様、薔薇の花では」

「いいえ、それはちゃんとチケットですよ」

 

 パチンッ。指を鳴らした途端、薔薇の花のガクが落ちて係員の手に落ちると、花弁が開いて中心にチケットが現れた。

 

「ひゃ~、高遠君マジックの腕とんでもなくあがってるね」

 


 

「皆様ようこそ、幻想魔術団再興の場へ。私が新たな魔術団団長ジェントル山神でございます。あの悲劇から一年、今日は復活祭として素晴らしい魔術の数々を皆さまに堪能していただければと思います」

 

 開演時間になり、暗闇の舞台からシルクハットにタキシードを身に纏ったひげを生やした男性がスポットライトに照らされて現れた。

 

「あの人見たことある。近宮先生が生きていた時、いつも前座でマジックしていた人だ」

「ほう、前座ですか。それは期待できそうです」

 

 幻想魔術団のマジックショーは欠かさずビデオで見ていたが、彼女のマジック以外関心がなかった高遠にジェントル山神ら弟子たちの存在は眼中になかった。映像自体近宮玲子以外カットされるので仕方がないとも言えるが。だが彼女から前座に選ばれるほどの実力がある人間が、団長に。これは期待してもよいかもしれない。

 

 そして次々と現れる彼女の弟子たちが繰り出すマジックは()()()()()ものであった。

 グラスマジックに、水槽脱出に、カードに、生きたマリオネット。

 

 どれもすばらしい。フェイクだった

 

 彼らがしているマジックはすべて、近宮玲子が送ったトリックノートの内容そのまま。いやコピペしたものをそのまま貼り付けただけのショーとも言えないビデオ再生でしかない。

 誰一人気づかないのか。どれもこれもオリジナリティも、湧かせる魅力もない。

 このおそろしいフェイクで、ファニーで、フールなショーに。全員満足しているというのか。

 

 ――まさか。

 直感で高遠は脳裏に過ぎった。彼女のトリックノートは一冊しかないはず。彼女の死の前に自分に送られ、亡くなった時には彼女の手にはトリックノートはなかったはず。なのに彼らは彼女のトリックノートそのままのマジックを臆面もなく披露している。マジックのネタはマジシャンにとって

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

「出よう。高遠君」

 

 暗闇の中で高遠と変わらない細い手が握られた。観客の視界を遮りながら藤枝に引かれて、会場の外に連れ出された。

 

「高遠君、顔色悪いよ」

「いえ、少し すみません」

「オジギソウ」

 

 あのバスの時と同じく人差し指で指先を曲げた。心配そうに口元を結ぶ彼女の優しい顔が、昼間の太陽光と合わさって眩しく、消えてしまいそうだった。

 

「魔術団のショー近宮先生の真似ばっかりだったよね」

「……ッ! わかりましたか」

「なんとなくね。ちょっとがっかりした。近宮先生のマジックは先生でないと輝けないのに」

 

 それは女神からの福音のようであった。高遠の中で噴き出しかけていた黒く冷たい触手が融解するほどの温かみが包み込んでくれる。あの場に彼女の猿真似であると見抜いてくれた人が、隣にいてくれた。

 

「高遠君、私ね今野望ができたの。幻想魔術団を潰そうって野望が」

「潰す?」

「覚えてる? 私が最初に近宮先生の横に立つんだって。近宮先生が亡くなられて、目標を見失って自信を無くしたの。でも今日のを見て目標ができた。幻想魔術団が近宮先生の幻影を使うなら、その幻影を超える。私ね、幽界魔術劇団に所属しているんだけど、高遠君私のアシスタント(手伝い)をしてくれる。近宮先生の幻影を超えれるのは君しかない」

 

 手を差し伸べたその手。ロンドンで初めてマジックの世界を見せてくれた近宮玲子の手を思い出した。藤枝つばきは、近宮玲子に似ている。

 

「ふっ、先輩のアシスタントではなく私のアシスタントになるかもしれないですよ」

「ついに生意気言うようになったね。高遠君」

 

 言葉とは裏腹に、彼女はどこか嬉しい表情をしていた。




随分と待たせてしまいました。
成人高遠の結末を考えるのに、納得のいく道筋が決まらずかなり時間がかかってしまいました。今後もゆっくりとですが、高遠と藤枝先輩の結末を見守ってください。


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第十八話『蓋をされた闇』

 万雷の拍手と歓声が会場に響き渡る。

 

「皆さま今宵も幽界魔術劇団のマジックをご堪能いただけましたでしょうか。我が劇団のニューホープの二人に盛大なる拍手を」

 

 団長が高遠と藤枝の二人を観客に紹介すると、再び客席から拍手の嵐が舞い上がる。舞台から降りると団長が高遠の手を握り、ブンブンと音が鳴るほどの上下にシェイクした。

 

「二人とも今日も素晴らしい。特に高遠君、まだうちに来て一年だというのにお客さんからのアンケートからも高遠君のアンコールを望んでいる人が多い」

「光栄です」

「もっと喜んだら、期待されているんだよ」

 

 後ろから藤枝がいたずらげに肩を揺らす。

 藤枝の紹介で幽界魔術劇団に入団して以降、高遠はその才覚を発揮した。団長が若手を優先して舞台に上げさせる方針というものあるが、高遠がイタリアで修行していた劇団の師匠が高名なマジシャンであったのが、功を奏した。

 

 幻想魔術団とは比べると観客動員数は及ばないが、高遠と藤枝の二人により日に日に増えてきた。二人が高い技術を持っているのもあるが、同じ高校で部の先輩後輩が同じ劇団で舞台に立つというストーリーに観客が受けた。それが呼び水となりまた増えるという好循環を生み出している。

 

「高遠君次の公演だが、大掛かりのマジックとかもやってみないか。消失マジックとか人体切断マジックとか」

「観客が怖がらないでしょうか」

「なーに、マジックの定番だよ。スリルのあるマジックの方がお客の受けもいいからね。本当に人が死ぬわけないんだし、考えておいてくれよ」

 

 団長は意気揚々としていたが、高遠は乗り気ではなかった。高校時代マジック部にいた時に披露した血染めの薔薇マジック、片倉部長から咎められ以降それらに類する死の香りをするマジックを人前で披露するのを封印していた。だが団長はスリルがあるマジックを勧めてきた。自分が守ってきたそれを今は求められる。絶対に死というものが起きないという前提があるからこそスリルを求める。そこに本物を求めてはいない。

 しかし高遠の海馬から蘇る本当に死のマジックを成した興奮が蘇ってくる。それが開けてはいけないパンドラの箱であるとしても

 

「どうしたの高遠君、顔色悪いよ」

「いえ、ちょっと疲れが溜まっていて」

「あんまり団長の言葉を飲み込んだら疲れるだけだよ。高遠君がしたいようにすればいいんだから」

 

 藤枝から肩をポンと叩いて励ましの言葉を送られたが、彼女が舞台裏の奥へ消えていくと共にそれも虚空の中へと消えてしまった。

 

 

 劇団の事務所から歩いて十分のところに高遠が住むマンションがある。父の死後高遠は家を売り払ってしまい、日本に帰国後は劇団から近いマンションの一室を借りていた。部屋は飾り気もなく、日焼けした壁が部屋のアクセントになっている。過剰に必要なものを置きたくなく、生活に必要最低限な家具のみ置いていた、が時折秀英高校時代の頃の方がまだ人らしい営みをしていたかもしれないと思いはせる。それらから外れたものは、花瓶に飾られた青いバラとワインセラーぐらいだ。

 ワインセラーからボトルを取り出してグラスに注ぐ。透明のグラスに血のように赤いワインが満たされる。

 イタリアで修行していた時に師匠からワインを勧められた。イタリアでは十八から飲酒可能だが、当時高遠はまだ十七。だが師匠が奢ってくれた手前、断ることも憚れ付き合いで口に含んだ。苦みの中にほのかに香る芳醇さとやさしさ。そして高遠の好きな花と同じロッソ()。以来高遠はワインを愛飲していた。

 しかし今日の飲み方は、楽しむではなくとにかく飲み込む痛飲する飲み方をしていた。

 

「針が刺さる」

 

 かつて自身の周りに事件が起きる前兆が、ここ最近蘇ってきていた。海外にいた時には静まっていたこの前兆、最後に感じ取ったのは藤枝と再会して観た幻想魔術団のマジックショーの時以来。空になったグラスを置いて、本棚の角に置いてあるスクラップブックを開く。その中には幻想魔術団が近宮玲子のマジックを使って華々しく活躍する記事の数々が入れられていた。記事の数大きさは復活初日以降小さくなっている。だがそれは幻想魔術団の勢いを殺しているものではない。ただ世間が新生幻想魔術団の目新しさに飽きて取り上げることがなくなっているだけのこと。未だに幻想魔術団の会場は満員御礼の状態が続いている。

 

『亡くなられた師匠のために、彼女の意志を継ぐ』

 

 スクラップした記事の一文に目が入ると、高遠はワインを溢れさせるほど注ぎ、痛飲した。

 彼女の意志。まったく盗人猛々しいとはよく言ったものだ。継いだのはトリックの方だろうに。

 いつ幻想魔術団を潰せるか、今の劇団に入って一年経ったが未だにそこにたどり着く気配がない。時折藤枝から提案されたこのやり方が正しいのか疑問を覚えるようになった。幽界魔術劇団の力が幻想魔術団に届かなかったら、相手がこちらに意識されることがなければ。そうでなくても奴らは近宮玲子のトリックで金と名声をものにしている。もっと残酷に、美しく奴らに終幕を迎えてやれるというのに。

 

 ブルル。

 携帯が一回バイブレーションの音を鳴らした。携帯を開くと藤枝からのメールだ。

 

『高遠君、来週空いてる? ちょっと行きたいところがあって付き合ってほしいのだけど』

 

 高校時代と変わらず、彼女のメールは絵文字を使って華やかだ。

 

『いいですよ』

 

 ほんの数文字打ち込んで返信すると、高遠はテーブルのものをそのままにしてベッドの上に倒れる。アルコールが脳に回って脳がぼんやりとするが、眠気がまるで来そうになかった。

 


 

「高遠君二十歳の誕生日おめでとう~。乾杯」

「乾杯」

 

 劇団の帰りに、約束通り藤枝が指定した駅近くのバーに入るとワイングラスを手に乾杯した。呼ばれた理由が高遠の二十歳の誕生であるとは予想していなかった、というより自身の誕生日自体を忘れていた。長年父から祝われたこともなく、年を重ねるだけの日に意味を見出すなどと口外することしなかった。しかし意外と感じたのは、藤枝が高遠の誕生日を覚えているということだった。

 

「よく私の誕生を覚えていましたね」

「昔霧島君が言いふらしていたのよ。あいつ自分の誕生日に全然興味ないから、誕生日が来たらこっそりサプライズしようぜって」

 

 霧島。かつて自分が殺めた友人の名をここで出るとは思いもしなかった。彼の性格を思えば誕生日にサプライズをするなどの行動するのは考えられる話だ。思えば霧島が私に接触してきたのは、自分と同じく何かしらのセンサーが働き目をつけたのだろう。自分と同じ()()()()()()()()を持つ人間と。

 彼を殺したあの日私は真っ向から否定した。しかし私の胸の中に込みあがっているものが未だに沸々と湧き上がっている。

 

「にしてもやっと高遠君もお酒を飲める年齢になったね。うちの劇団未成年もいるから飲み会だとノンアルコールとかソフトドリンクばかり注文するから、盛り上がらないからね。どう初めての酒の味は」

「残念ですが私はすでも飲酒をしているのですよ。イタリアでは十八歳から飲酒が可能なので、酒の味はもう知っています」

「えー。高遠君が初めてのお酒で失敗するのを見たかったのに」

「そんなに私の醜態を見たいとは、なかなか奇妙な性癖ですね」

「性癖じゃなくて。高遠君何をしても卒なくこなすんだもの。そういう顔を見たいんだよね私」

 

 少し出来上がっているのか、藤枝はテーブルの上に腕を組んであごを乗せ高遠を上目づかいで見つめる。

 

「どこか浮かない様子だね高遠君」

「……客たちは本当に満足しているのでしょうか。「幻想魔術団をマジックで引きずり下ろす」あなたに誘われて私は舞台に立っています。でも時折聞こえるのです、的外れなトリックの種の考察に欠伸の音。観客が求めるのは素晴らしい技術で培われたマジックではなく、安全な場所で眺めるスリルとトリックの考察という自己満足なのではないかと」

 

 酒が入ったせいか、藤枝だから気を許したからか、自分の中に燻っている心情を吐露した。藤枝は空っぽになった半透明のグラスを通して高遠を見つめる。そしてふふっと小さくにこついた。

 

「だから今も公園で子供たち相手にマジックを披露しているの」

「またのぞき見していたのですか」

「失礼ね。夢中になって気づいてない高遠君が鈍いだけ。それに公園でマジックをしている高遠君の表情が舞台の時より楽しそうにしているように見えてたし。邪魔しちゃ悪いもの」

 

 子供相手にしているのは高校の時と同じく、子供は真摯にマジックの技術だけを見るから。採点も考察もする間もなく自身の眼でマジックを血眼で見ようとする。しかしまるで見透かされているかのようだ。だが土足で踏み荒らすというものでなく、隣の家のベランダから微笑えんで眺めるような感覚だ。

 

「それに私たちの相手は大人が相手だから、そういう人たちも相手にしないと。なんて言うのは簡単だけど正直傷つくものは傷つくよね。私のマジックもさ、大掛かりなものは使わないから地味で飽きられるお客いるんだよね。客を舞台に上げて、マジックを体験させる手もあるけど、それできるのはほんの一人程度じゃない。そういう人らを出し抜くようなマジックを作るのがマジシャンの腕の見せ所だし」

「観客と一体型になるスリルのあるマジックという手は」

「それもできなくはないけど、求めているからそれをやるってのはなんか負けた気がする。でも高遠君ならできるんじゃないかな」

 

 藤枝から注がれる期待のまなざしに、高遠は目を背けて「お手洗いに」とその場を離れた。

 

 近宮玲子の顔が藤枝先輩と被ってしまった。近宮玲子と再会して同じことを口にしたらおそらく同じことを口にするだろう。昔近宮玲子と似ていると私は彼女にそう評したが…………どうも彼女といると心が揺さぶられてしまう。彼女にマジックを辞めてほしくないと懇願したときもそうだ。

 ……私は彼女に気を許しているのか。出生、精神、殺人、常人なら墓の下にまで秘密にしておくものを、彼女なら受け入れてくれるのではという淡い期待を高遠は感じていた。そんなことあるわけないと思いながらも。

 

 アルコールで気持ちが昂っているのだろう。顔を洗って気持ちを落ち着けよう。バーの裏にある乳白色のトイレのドアを開けようとしたとき、高遠の心臓がズクンと刺された。

 

「左近寺、夕海から聞いたがお前が渡し橋の釘をわざと抜いたのか」

 

 半開きのドアから見えたのは『幻想魔術団』の団長のジェントル山神と団員のピエロ左近寺だった。心臓がショック死するかのように痛みが貫くが、高遠は息を殺して二人の会話に聞き耳を立てた。なぜなら近宮玲子の死因は舞台の梁にかかっていた渡し板が抜けての転落死だからだ。

 

 ピエロ左近寺は流し目でジェントル山神を見るが、無関心と言わんばかりにポケットから煙草の箱を取り出してそれに火をつけた。

 

「……さあどうですかね。偶然じゃないんですか。警察も事故だって判断したのだから気にしちゃまた禿げますよ。それにポケットに入っているあれ見えてますよ。だめじゃないのマジシャンが種を見せちゃ」

 

 ピエロ左近寺がからかい気味にジェントル山神のシャツの胸ポケットを指さす。ポケットには高遠がイギリスで受け取ったものと同じ()()()()()()()()()()()()が入っていた。

 

「そんなしょうもないことしたらまた舞台から降ろされますよ。先生が亡くなる直前にも前座から降ろさないでくれって由良と奥さんの三人で押しかけたの忘れちゃったの? ってもう先生はいないから安心ですね」

「お前、それを誰かに聞かれたら」

「あれ? 団長、事故なのに何をビクビクしているんですか。あっ、追い回されてるんでしょ不倫とかのスクープ狙いの記者に。だったらそんな質問聞いちゃ余計にダメでしょ。壁に耳あり障子に目ありってね、もしかしたら誰かに聞かれているかもしれないんだから。まあ安心してください、俺口固いんで」

 

 ピエロ左近寺がトイレのドアを開けるとじっくりと通路やドアの裏を見回す。そして誰もいないと見て安心したのか、煙草を少し吸って鼻歌を歌いながらバーに戻っていく。

 

 トイレの裏の奥で暗闇に潜んでいた高遠がマジックの小道具である黒ジャケットを脱ぐ。そして高遠の奥底で眠っていたものが、這いずり出た。

 

 あいつらを、殺さなければ。



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