『青薔薇』のラキュース (O-SUM)
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アップデート:『崩壊のビフレスト』

スレッド形式から始まる物語。
PS2版のPVトレーラーが大好きだったから、これを機に書いてみたかったんです。

※【アインズ・ウール・ゴウン】全文が冗長である場合、【AOG】と略す場合があります。




~ 213X年  ○月 ×日 ~

 

【おのれ】DQNギルド『アインズ・ウール・ゴウン』討伐戦 実況スレ Part.22【AOG】

 

013 この世界樹がすごい!

 あの空飛ぶピンクの肉塊?っぽいの誰か情報ある?

 

014 この世界樹がすごい!

 わかんね。POPじゃなさそう。NPC?

 

015 この世界樹がすごい!

 胎児?いや、あれは胚子かね?

 異形種ギルドらしい趣味悪いデザインだな

 

016 この世界樹がすごい!

 このダンジョン専用の拠点用NPCか何かか?

 スキルで確認したとこレベル低いが

 

017 この世界樹がすごい!

 とりあえず殴ってみる?

 

018 この世界樹がすごい!

 接触型の誘発スキルとか持ってたらやばいからスルーしようぜ

 

019 この世界樹がすごい!

 もう地下8階だろ?消費アイテムもやばいしスルー安定っしょ

 

020 この世界樹がすごい!

 あ、あのバカ

 

021 この世界樹がすごい!

 どこのギルドの素人だよ

 

022 この世界樹がすごい!

 考え無しに殴りやがった、脳筋過ぎだろ……

 よくここまで生きてこられたな

 

023 この世界樹がすごい!

 ん?

 

024 この世界樹がすごい!

 え?なんか発動した?

 

025 この世界樹がすごい!

 結界っぽい? 

 

026 この世界樹がすごい!

 俺達全員包んでるっぽい。エリアの大半覆ってる感じ?

 

027 この世界樹がすごい!

 範囲特化のデバフとかなら、あんまり警戒する必要ないかな。

 

028この世界樹がすごい!

 <天地改変(ザ・クリエイション)>(笑)さんの悪口を言うのやめろよ!

 

029この世界樹がすごい!

 お、AOGのギルメン出てきたぞ

 

030 この世界樹がすごい!

 ヒャッハー!異形種討伐開始だー!

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

255 この世界樹がすごい!

 ( Д ) ゜ ゜ ポンッ

 

256 この世界樹がすごい!

 は?……はぁ!?

 

257 この世界樹がすごい!

 おい、ちょ、まてよ

 

258 この世界樹がすごい!

 DEKEEEEEEEEEEEEEEE!!

 

259 この世界樹がすごい!

 え?これホントに拠点NPC?

 レイドボスめいたHPが<生命の精髄(ライフ・エッセンス)>で見えるんですがソレは

 <偽りの情報(フェイクカバー)>だと言ってよバーニィ!

 

260 この世界樹がすごい!

 なんかもう1体おるやん

 あれはNPCか?見た目女性の人型だな

 

261 この世界樹がすごい!

 テラカワユスなぁ

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

401 この世界樹がすごい!

 固ァッ!?

 

402 この世界樹がすごい!

 このゴーレム作るのにどんだけ希少素材突っ込んだんだよ…

 俺自慢の伝説級装備(物理攻撃特化)がゴミに思えてきた

 

403 この世界樹がすごい!

 このゴーレム(?)数値いじってねぇか?

 こんな基礎パラメーターの暴力、どうやってNPCに持たせてるワケェ?

 

404 この世界樹がすごい!

 運営―!早くきてくれー!

 

405 この世界樹がすごい!

 あ、うちのギルマス踏みつぶされとるw

 

406 この世界樹がすごい!

 え?マジで?

 

407 この世界樹がすごい!

 足の裏にイケメン(アバター)がこびりついてて草w

 

408 この世界樹がすごい!

 ホントだw

 

409 この世界樹がすごい!

 クッソわろたwww

 

410 この世界樹がすごい!

 まぁアイツの尊い犠牲のおかげで、HP結構削れたか?

 

411 この世界樹がすごい!

 勝てる!勝てるんだ!

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

540 この世界樹がすごい!

 げえっ たっち・みー!

 

 

 ・

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 ・

 

 

777 この世界樹がすごい!

 魔王ロールしてる骸骨野郎誰か黙らせろよぉ!

 

778 この世界樹がすごい!

 いや、ありんえんて。

 俺物理防御特化よ?

 なんで根性スキル発動したの?

 体力1割以下じゃないと発動しませんよね?コレ

 一撃で減り過ぎ泣いた

 ワールドチャンピオンでもありえん

 ましてやあいつ忍者だろ?巨剣振ってんじゃねぇよ

 これは運営へ通報せざるを得ないな

 

779 この世界樹がすごい!

 長文書いてる暇有ったら殴れよ!

 この粘液盾どけないとヤギに射線通らないから!

 

780 この世界樹がすごい!

 あ、長文野郎が鳥に射抜かれて死んだわ

 

781 この世界樹がすごい!

 ザマァねぇな

 

 ・

 ・

 ・

 

【おのれ】DQNギルド『アインズ・ウール・ゴウン』討伐戦 実況スレ Part.23【AOG】

 

664 この世界樹がすごい!

 ふ ざ け る な

 

665 この世界樹がすごい!

 俺、これが終わったら運営に凸するわ

 さすがにアレはいかんでしょ

 

666 この世界樹がすごい!

 俺もやるわ

 ムービー保存してあるしネットに公開して拡散してやる

 

667 この世界樹がすごい!

 頼むわ

 頭数の大半がさっきので消えたんじゃね?

 こんなんできる世界級アイテムあんの?

 

668 この世界樹がすごい!

 もう復活アイテム切れたわ

 

669 この世界樹がすごい!

 同じく。上級ポーション残り2個。

 攻略wikiに載ってた、例の時計盤出す即死コンボ撃たれなくても死ねる

 帰りたい

 

670 この世界樹がすごい!

 はい無理、撤収

 

671 この世界樹がすごい!

 おk

 

672 この世界樹がすごい!

 異議なし

 

673 この世界樹がすごい!

 こんな辛気臭い地下にいられるか!俺は帰るぞ!

 

674 KgxSyeD

 持ってて良かった、ギルド直帰のレアアイテム!

 帰るやつは集まれ~^^

 

675 この世界樹がすごい!

 それって即時発動&複数同時転移のヤツ?太っ腹やん

 

676 この世界樹がすごい!

 おkおk!

 スライムに装備壊されて発狂してるヤツとかほっといて逃げようぜw

 

677 KgxSyeD

 うっしゃ発動すんぞ

 

678 この世界樹がすごい!

 あばよぉー、とっつぁ~ん!!

 

679 この世界樹がすごい!

 こんなクソッタレ墳墓、スタコラサッサだぜ!

 

680 この世界樹がすごい!

 …ん?

 

681 この世界樹がすごい!

 おいィ?転移してないんだが?

 

682 この世界樹がすごい!

 発動準備の時間無いからって焦らすのはやめてよね…

 猛毒の継続ダメージ食らってて、地味にキツイんです

 

683 この世界樹がすごい!

 おいおいおい、骸骨が対策wikiに載ってた耐性貫通の即死コンボ使ったぞ

 残り10秒無い。転移はよはよ

 

684 この世界樹がすごい!

 復活アイテムない

 どうせ死んで装備品ドロップするにしてもホームなら回収も出来るからぁ!

 

685 KgxSyeD

 ……なんか転移キャンセルされたでござる(´・ω・)

 スキルか魔法で空間をロック?されてるかも分からんね……

 

686 この世界樹がすごい!

 ちょ、おま

 

687 この世界樹がすごい!

 おい時間ねぇぞ

 

688 この世界樹がすごい!

 ふ ざ け ん な

 

689 この世界樹がすごい!

 あっあっあっ

 

 

 こうして侵攻側に組した人間達の、罵詈雑言によって埋め尽くされた23番目の投稿掲示板スレッドへの書込みが、その上限を迎えて終了してから間もなく。

 

 12年続くMMO-RPG【ユグドラシル】の長い歴史においてなお伝説となった、『ギルド:アインズ・ウール・ゴウン討伐戦』は防衛側の勝利という結果を残して終了した。

 

 

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 

 

 ――DMMO-RPG【ユグドラシル】内に複数存在する世界の1つ≪ヘルヘイム≫の一角にて行われた、大規模な『ギルド討伐戦』。

 討伐戦参加人数こそ、当時のユグドラシル総アクティブユーザー数からすればそれほど特筆するような数字ではなかったものの、非公式のギルド戦としては異例なほどに多くのプレイヤー達に観戦されていたことが記録として残っている。

 

 攻め込まれるギルドはPKKを得意とする有数のDQNギルドとして、高い知名度を誇っていたこと。

 かつてダンジョンであった場所に拠点を構えて以来、攻め込んでくるいかなる者にもその深部に至らせることなく、攻略を跳ねのけ続けていたこと。

 そしてある時、侵攻側が攻略参加の呼びかけをネット上で大々的に行っていたこと。

 ……最終的な攻守陣営の人数比36:1という、あまりにも一方的な虐殺劇を見物出来そうだということ。

 

 以上のような要因からか、第三者視点からすれば娯楽的な要素が多く盛り込まれた一戦だったこともあり、外野のプレイヤー達は降って湧いたイベントを楽しむような気軽さで個人、あるいはギルド単位で戦闘中継の一部始終を見守っていたのである。

 

 

 戦闘内容は【複数ギルド連合による特定異形種ギルドの攻略戦】

 攻略側陣営への参加総数は、およそ【1500人】

 拠点対象は【ナザリック地下大墳墓】。その構成人数【40人余り】のギルドが1つのみ。

 

 

 この参加人数比があまりにも圧倒的な侵攻に対し、防衛側は初動においてギルドメンバーが矢面に立つことをせず、ギルド拠点という地の利を最大限に活用して迎撃を行った。

 

 ダンジョンのような階層ごとに区切られた地下墳墓にはエリアエフェクト ――継続して負のダメージを与え続ける―― がかけられており、それはそのまま拠点防衛NPC<Non Player Character>であるアンデッドモンスターが有利となる戦場として機能を発揮していた。

 NPCには回復を、人間種で固められた侵攻プレイヤーにはダメージを。正のエネルギーを元とする魔法発動の効果すら若干阻害する空間での戦闘は、一つ一つの戦闘時間が延ばされ、回復魔法のための魔力を浪費させ、アイテムのリソースを削り続けた。

 パーティーを分断するための転移系魔方陣をはじめとする様々な設置型トラップや、実際に操作を行う生身の人間が攻略者であることを利用した、視覚や聴覚に訴えるような生理的嫌悪や恐怖を催す部屋の存在も猛威を振るった。

 事前情報による対策が取りにくい、拠点オリジナルの効果を持つモンスターに襲わせて少なくない被害を受ける者がいれば。各階層ごとに最低1体登場する、キャラクターレベル上限であるレベル100を誇るNPCの、ガチガチの戦闘スキル構成に支えられた神器級アイテム相当の装備による攻撃によって、あえなく道半ばで倒れる者もいた。

 

 およそ「ダンジョン」という存在にみられるトラップを、全て網羅してみせると言わんばかりに盛り込まれた地下墳墓。張り巡らせた罠は製作者の情熱と努力を感じさせると共に、悪辣かつ卑劣が極まるものに満ちていた。哀れにも犠牲となった侵略者達を見下し、幸災楽禍の表情でせせら笑っているはずの仕掛人は、なるほど異形種ギルドにふさわしい性根の持ち主であろうと言わざるを得ない。

 侵攻の当事者からは苛立ちと怨嗟の声を叫ばせ、関係の無い観戦者達をすら、その周到な悪辣さに対し賞賛と呆れの感情に唸らせる。

 その両者に共通させて「この作り込みに一体どれだけの時間と課金と悪意を注ぎ込みやがったんだ」という思いを刻みこむ辺り、ナザリック地下大墳墓は廃人の溜まり場で、悪のギルドの本拠地であった。

 

 

 しかし、それでも参加人数の1/3がレベル100のカンストプレイヤーで構成された1500人の集団は、その内に貴重な《伝説級》アイテムを超える存在であるところの、プレイヤーが作成可能な装備の頂点である《神器級》アイテムとすら一線を画す、《世界級》アイテムを複数個抱え込んでいるほどの勢力であった。

 消費アイテムのリソースを減らしながらも墳墓の障害を乗り越えた彼らは、襲撃開始時点の実に過半数を超える人数をもって、全10階層からなる墳墓の8階層への到達を成功させていた。

 

 この時点で、防衛側ギルドが少人数ながらもその最盛期において、ギルドランキング第9位に序列されるほどのトップギルドの一つであるという情報を聞き及んでいるプレイヤー達であっても、この討伐戦の結末 ――防衛側の敗北をほぼ確信に近く予想していた。

 そしてその予想を支える土台は、極論すればゲームにすら関係のない、いわば常識から派生する考えに基づくもの。

 ギルド拠点が戦場という地の利や、廃人級のメンバーを多く有していたという防衛側の特徴を持ってしても、戦闘の趨勢は始まる前から既に決定的であったとすら考える、彼らの根拠があったのである。

 

 それは『数が多い方が勝つ』――ごく当たり前の理由であった。

 

 戦闘とは、数を多く揃えた方が有利。これはリアルにおいても厳然として存在する真理である。

 最新鋭の装備を誇る少数精鋭の軍隊は強いだろう。しかし相手が時代遅れの装備しかなく、加えて武装しているのが素人同然の民兵であったとしても、それが圧倒的な大軍団であるのならば、その数に呑み込まれて終わるだけなのは戦史の通りだ。

 もちろん、結果は必ずではない。少数であっても革命的な装備や戦術、あるいは常識を逸脱するほどに優れた技能でもって、少数に勝敗を覆す例も数多く存在する。

 人数差は有利になる条件ではあっても、必ずしも勝敗には直結しない。

 これもリアルにおける当たり前ではある。

 

 しかしそれも「リアルの世界」であれば、である。

 

 【ユグドラシル】ひいてはDMMO-RPGという多人数参加型のゲームにあっては、全てのプレイヤーの上に「運営」という上位者―― リアル世界とは違ってその世界に直接影響力を持った『神』が存在する。その「運営」が定めるルールを逸脱した場合、違反者には重いペナルティが発生し、場合によってはゲームの継続すら不可能とされた。

 

 そんな絶対的な権力を持つ「運営」は『世界級』という例外的な要素を除き、他のプレイヤーと隔絶する力というものを、このゲームに認めなかったのである(その『世界級』ですら攻略する方法は存在し、他者に奪われて失い得るような不安定な力だった )。

 

 絶対的な装備や無敵の技能、誰も寄せ付けないレベル差といった要素は、より強い力を求めた者達の課金を促すカンフル剤としては一時機能するだろう。

 だがもちろん、強すぎる力は既存ダンジョンの攻略難易度を極端に下げてゲーム性を失わせることは明らかであり、やがて場当たり的なステータス更新のみが繰り返される結果、ゲームとしてのバランスは早々に崩壊へと繋がるだろう。

 その極端な力を基準とした難易度に設定されたイベントが登場し続ければ、求められる戦闘力のインフレに追いつけない無課金者達の引退時期を早めてしまうに違いない。

 

 そういった点で論ずるならば、個人間の覆せない圧倒的な力の差を認めなかった当時の「運営」は、まだ賢明と言えた。

 

 しかし「運営」が守らなければならないルールとして『ゲーム性を損なう極端な力』を統制している【ユグドラシル】というゲームであったからこそ―― 圧倒的な《人数差》とは、そのまま勝敗に直結すると言い切って良い要素なのであった。

 

 チャンピオンが世界を斬り裂く絶技を繰り出しても

 軍師が権謀術数を張り巡らせても

 大魔法使いが10位階を超える魔法を連発しても

 翼王が超々遠距離攻撃による狙撃を繰り返しても

 盾があらゆる攻撃を防いでも

 粘体が伝説の装備を溶かし尽くしても

 大錬金術師が魔王を超える火力で薙ぎ払っても

 

 プレイヤーが例外的に突出した力量を持てない個である以上。

 討伐隊がギルドの奥深くまで辿り着き、AOGのギルドプレイヤーを引きずり出して正面から向かい合った時点で勝敗は決した。

 ――それが観戦者達の大多数が抱いた結論であった。

 

 

 

 

 

 しかし結果はそうではなかった。

 

 戦闘の結末は『防衛側ギルドの勝利』

 

 

 

 

 

 この戦闘結果は速報となって、【ユグドラシル】全体に拡散した。

 

 ある上位ギルドに連なる者はその結果に「やっぱりな」という感想を残した。

 討伐戦に参加しなかったものの、かつて異形種狩りに熱を上げた者は「つまらん」と零した。

 

 そして大多数の第三者達は「AOGってギルドすごいな」と感嘆の声を上げたり、「1500人で挑んで敗北とか無能過ぎるだろ」と侵攻側の無様を嘲笑った。

 このように結果のみを先行して聞いた面々の反応は様々であったが、それは感想に留まる程度であり、殊更に熱気を伴う者はそれほど多くはなかった。

 

 反面、戦闘終了直後から激しく気炎を吐いたのは討伐戦の参加者達である。

 特に8階層に辿り着いた面々によるAOGへの非難はすさまじく、時や場所を選ばず叫び続ける様は、転がり回る壊れたスピーカーの如きであった。

 彼らは歴史的な返り討ちに見舞われた際、多大な時間と素材を消費して作られた装備とアイテムの多くが失われ、何よりも持ち込んだ世界級アイテムまでも奪われてしまっていた。世界に一つしかない性能を誇るアイテムの喪失はギルドの影響力にも大きく影を落とし、ギルドランキングの下降も著しいものであった。

 散々な結果となったことを踏まえればその心情もある程度は察せられるものの、逆恨み的な内容でしかないのだろうと、当初は周囲に煙たがられていたほどである。

 

 しかし、当事者ではなく直接被害を受けていないはずの観戦者達の多くもその悪意に対して同調を示しており、間もなく公開された《ナザリック地下大墳墓8階層の戦闘ムービー》によって、事態は大きな発展を見せた。

 

 その映像は古参・新参のプレイヤーを問わず、全く関わりのない者達をして、「ふざけるな」「ありえない」「チート」といった批判の嵐を叫ばせるほどの出来事を鮮明に記録していたのである。

 第三者達や新参者にとっても分かりやすい解説を加えた検証動画も登場し、挙句に異形種DQNギルドに対する言いがかりめいた告発騒動まで燃え上がり、"旬"のネットゲーム事件として一躍関連サイトの話題を独占した。

 

 その結果、AOGというギルドをそれまで知らなかった完全な第三者達すらもこの話題に関心を持つに至る。やがてその感情は収束し、「AOG並びにそのギルドを容認する運営への中傷と非難」を爆発させたのであった。

 無責任に煽る者、直接知らずとも、異形種憎しとAOGを非難する者、運営の監視システムの怠慢を責め立てる者、訳知り顔で自論を展開する者――。

 匿名の仮面を被った意趣遺恨のうねりは大量の問い合わせや苦情という形をもって、213X年が誇る高性能サーバーを擁した「運営」の窓口を一時パンクさせる事態へと発展した。

 

 リアル社会を構成する大部分の貧民層、彼らが抱えるどうしようもない不満を受け止める娯楽として、隆盛の極まるDMMO-RPG。画期的システムや美麗なグラフィックを備えた新作が次々と送り出されるジャンルの中において、なおも根強い人気を維持し続けていた古豪タイトル【ユグドラシル】に起こったこの騒動は、ネットを介して様々な場所へと拡散し続けた。

 

 このまま対策をせずに放置を続ければ、いずれ【ユグドラシル】に嫌気がさしたユーザーが、他の数多ある新作DMMO-RPGへ流れる状況に発展しかねない…… そんな事態すら考えられる雰囲気がプレイヤー達の心に差そうとした頃、それは発表された。

 

 

 ――全プレイヤーの告知される、「運営」による『お知らせ』の更新。

 

 ――件名は、『新規アップデートのお知らせ』

 

 

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 

 

 『――結論から言えば、ギルド:AOGが行ったことは違法改造などの不正行為ではない 』

 

 

 重課金と廃人装備、熟練の連携による徹底した戦闘の効率化。プレイヤー利用のみならず、NPCや拠点と連動した世界級アイテムの複数投入。

 そして何より、超位魔法《星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)》の最大消費と同じレベルを犠牲にして行われた、世界級アイテムの全力稼動。

 これらを何らシステム的なバグもなく、正しく機能させた末の結果がギルド防衛に繋がったのであり、不正操作や違法ツールの検出は認められなかったことは、早期の段階で判明していた。「運営」に関わるスタッフ、そしてそれを統括する責任者は、この調査結果から討伐戦の過程に問題はないと判断を下した。

 

 ――『世界級アイテム』がその主によって使用された。ならば大多数のユーザーにとって常識外の、理不尽な結果が起こっても問題はない。

 

 この判断には、むしろ『世界級』が如何に格別の存在であるかを知らしめる好例となったという、「運営」が開発当時から曲げることのなかった一つのこだわりが影響していたのかもしれない。

 つまり、この点だけであれば「運営」が行動を起こすことはなかった。

 

 しかし。

 

 『――問題は、今回の騒動を我々が放置した場合、消費者が他のゲームに流れかねないということ 』

 

 同時に発生した、ネットに出回った戦闘ムービーがもたらしたユグドラシルプレイヤーへの心理的悪影響への解消手段については、ある程度の協議が必要となった。

 

 仮にこの騒動に何ら手を打たずに看過した場合、世界級アイテムの威力ではなく不正行為による結果であるという誤ったガセ情報が蔓延し、「AOGが咎められないならば自分達も」と、深く実情を調べようとはしないユーザーによる本当の不正行為を促す温床となりかねない。

 加えてより良い装備やアイテムを求め、真っ当に課金を行って冒険を繰り返していたプレイヤーの頭に「AOG、ひいては世界級アイテムと比べたら意味がない 」等という冷や水を与えるままにしていては、良くて課金アイテムやガチャの買い控え、最悪【ユグドラシル】から離れていく可能性も考えられた。

 

 プレイヤーの苦情に無頓着の印象を持たれがちな「運営」ではあったが、昨今の新規DMMO-RPGの台頭は無視できない勢いを持っている。DMMO-RPGといえば【ユグドラシル】と呼ばれていた時代はとうに昔。ブランドにあぐらを掻いてユーザーの心情を考慮しない方針では、早々に自分達の首を絞めるだろうことは、営利団体としての「運営」も理解していた。

 ゲームシステム的になんら問題が無いとしても、参加するプレイヤーの大多数がその出来事に不満を持つのならば、何らかの対策を施し、集団のフラストレーションを落ち着かせることが望ましいのである。

 

 ……そして他のDMMO-RPGへと向けられつつあるユーザーの関心を再び【ユグドラシル】へと惹きつけるための対策自体は、既に今回のギルド戦から波及する問題とは別に進行していた。

 

 『――近々実施予定であったアップデート。そこに変更を加えることで解決としよう 』

 

 幸いにして、世界級アイテム自体は、一つ一つがゲームシステムの崩壊を孕むほどに破格の効果を持つことをその登場初期から繰り返し言及していた。その使用があったことのみ公開すれば、「一見して理不尽な討伐隊の壊滅」という現象は、運営の想定内に収まるモノであり不正行為ではないと認知され、騒動事態は下火となることは予想できる。

 後は直接非難を集めているAOGのギルドに対し、傍目にも分かる何らかの「下方修正」がもたらされれば、今回の討伐戦の戦利品を加えることで最多世界アイテム保持数を記録することとなった集団が存在することに対する、潜在的に燻る不満の種もある程度取り除かれ、一応の解決となるだろう。

 

 問題は、ガス抜きの方法。どのような「修正」を行うべきかという点のみである。

 

 世界級アイテムの性能を下げる――これはこだわりとゲーム世界の設定上、最初から考慮の外だ。

 異形種のステータスに下方修正を行う――関係ない特定プレイヤーへの悪影響が大きすぎる。

 あれでもない――

 これでもない――

 

 

 ……いくらかの協議を重ねた後、その白羽の矢が立ったのは《ギルドシステム》であった。

 

 1500人から攻め込んでも、攻略不可能なギルドの存在。その前提を覆す修正。

 攻略不可能なギルドは存在し得ない――。このメッセージを込めたアップデートは、AOGにはじまる半ばダンジョン化したギルドに対する、公式が用意した攻略の突破口であった。硬直気味だったギルド戦の活発化を促し、それによるプレイヤー達のログイン率の増加を狙ってゆく目論見が、そこにはあったのである。

 

 こうした経緯によって、実施予定の決まっていたアップデートに一つの修正が加わった。

 

 

 

 ……結果的にこの修正は、ギルド拠点攻略の難易度を大いに引き下げ、以後のギルド討伐・防衛戦の乱発化を招き、それに伴ったギルド武器破壊によるギルド消滅件数も加速度的に増加させた。

 ギルド武器破壊とはつまり、ギルドの強制的な解散を意味する。

 膨大なログイン時間、苦労して収集した素材、少なくない課金。

 そうした諸々をフレンド達と共に注ぎ込み、ようやく作り上げたはずのギルドの消滅。それは、彼らプレイヤー達に【ユグドラシル】を引退させるには、十分な切っ掛けと成り得たのだった。

 

 ユーザーの流出を防ぐため満を持して公開されたはずのアップデートは、運営の意図とは真逆をいく代物になってしまったのである。

 

 ……ただこのアップデートが公開された結果、「運営」はプレイヤー達から『糞運営の大虐殺』として更なる悪名を獲得することとなり。

 所詮は1ギルドに過ぎないAOGとは、全く比べ物にならないほどのヘイトを稼いだことによって、当初の問題であったユーザーたるAOG単独への非難や中傷を有耶無耶にせしめたことは、「運営」として公正な対応を果たしてみせたと言えるのかもしれない――

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 ~ 213X年  ☆月 ▼日 ~

 

 

 

 DMMO-RPG『ユグドラシル(YGGDRASIL)』速報 

 

【『崩壊のビフレスト』 アップデート内容大公開!!】

 

 

 ↓↓ 続きを読む ↓↓

 

 

 超大型アップデート『ヴァルキュリアの失墜』。

 金貨のデザインが一新され、職業と種族を追加し、ワールドエネミーすらも新規に加えられたその内容は、ユグドラシルにおけるそれまでの遊び方に、新たな幅をもたらすものでした。

 ですが、広がる世界観と自由度の代償と言わんばかりの、度重なる不具合と調整の繰り返しによって、何度も細かい更新が行われたことでプレイヤーを悩ませた、悪名高いアップデート群でもありました。

 

 今では懐かしさを覚える程度にはパッチ更新が終了したキャンペーンでしたが、どうやら今回行われる追加アップデートは、その『ヴァルキュリアの失墜』に派生する内容であるらしいです。

 

 新たに付けられたアップデート名は『崩壊のビフレスト』。

 

 このゲームの提供元であるユグドラシル運営チームが、普段から我々ユーザー達に情報を安売りしないことに定評があるのは、皆さん御存じの通りです(先日のアップデートでは、実行した事実だけ当日告知し、その内容をほとんど非公開にした事件もありました…… )。

 

 しかし今回の運営は、アップデート実施を事前告知するだけでなく、詳細な内容こそ伏せられているものの、様々な情報を大胆に公開しています。

 これは『ヴァルキュリアの失墜』前にも行われたことであり、このことから今回のアップデートは単純な追加データや各種判定の修正といった微々たる変更に終わらず、SFファンタジーに含まれない現代的な武器の使用を解禁とした『ヴァルキュリアの失墜』等にみられる ――世界観の追加のような、ユグドラシルプレイヤー全体に大きな影響を与えるシステムの変更が行われるのではないかと予想されていました。

 

 そんな噂ばかりが先行していた状況で、とうとう公開されたその内容。

 以下に箇条書きで恐縮ですが、追加アップデート内容項目のまとめを掲載しておきます。

 

 ●ギルドシステムの機能追加に伴う変更

 ●マスターソースインターフェースの修正

 ●種族・職業の追加

 ●特定クエストの修正

 ●一部外装に関する警告・禁止裁定の更新

 ●アースガルズ、ヨトゥンヘイムの不具合修正

 

 以上が、公開されている情報を項目ごとに分けた内容になっております。 

 その変更点は多岐に渡っている印象ですが、今回の目玉を敢えて挙げるならば、やはりギルドシステムの修正と、種族・魔法スキルの追加でしょうか。

 

 ギルドシステムと大きな括りで表現されていますが、この機能追加という文言がある以上、従来の調整に終わらず、何かしらの新要素が盛り込まれることが想像できます。

 戦略が半ば固定化されてきているギルド戦や、物置となりやすい本拠地の活用法など、今回の修正によって新しい影響が生まれる可能性が出てきました。

 先日行われた、とあるギルド戦の結果がもたらした公式の大炎上を受けたテコ入れといった線も考えられますね。

 

 ヴァルキュリアにおいても行われた「種族・職業の追加」についても、その新しい職業らに付随する新スキルや魔法が大変楽しみです。

 もっともこちらは、従来の魔法ですら未だ全種類を把握できていないほど膨大であるため、運営が公開する予定でもない限り、全容は把握不可能であると思われますが…… このような概要だけでも公開された今回がそもそもレアケースであり、詳細についてはユグドラシル運営の常として、ほとんど非公開となるでしょう。

 ですが、ことはギルドシステムという多人数参加ゲームの根幹に関わる部分に及ぶ以上、ある程度は纏まった説明が今後告知されるはずです。

 

 昨今、目新しく様々な種類のDMMO-RPGが登場する中で、古豪として踏ん張りながらも人気が押され気味のユグドラシル。

 この世界には、未だ多くの明かされていない情報や設定、アイテムが存在します。

 自らの手と足でそれを既知とし、新たな未知の世界を広げてみたい現役の1ユーザーとしては、この新しいアップデートが引退プレイヤーの帰還を促し、新規ユーザー獲得の呼び水となることを願って止みません――。

 

 

 ―― ギルド『ワールド・サーチャーズ』 一般公開サイトページより一部抜粋

 

 

 

   *   *   *

 

 




 ここまでお読み頂き有難うございます。
 スレ進行が遅いのは、リアル世界で前時代的な書込み形式の実況掲示板への参加者が少ないためです。
 運営に仕様変更を痛烈に要求する、声の大きい『お前ら』に左右されるMMO-RPG。


※今回の『崩壊のビフレスト』と呼んでいるアップデートは、拙作のオリジナルです。

 『ヴァルキュリアの失墜』が原作においてどの時期に行われたかについてですが、特に明らかにされている記述が見つからなかったため、
・リアルにおける1500人ナザリック防衛戦時、既にプレイアデス姉妹は存在している。
・にも関わらず、『ヴァルキュリアの失墜』による追加種族であるシズ・デルタに準ずる世界観を共有する設定や人物が、ナザリックに登場しない。
 という原作内容から、超大型アップデート『ヴァルキュリアの失墜』は、ナザリック地下大墳墓のギルドメンバーが揃っていた時期ほどには昔であるものの、そのギルドメンバーのほとんどが『ヴァルキュリアの失墜』要素を盛り込んだ設定をナザリックに反映させない程度には、環境が円熟していた時期だったのだろうと考えています。
 『崩壊のビフレスト』は、その後に公開されたアップデートだと思って頂ければ。



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週末のギルド長

メインヒロイン登場回

※リアル世界の捏造が出てきます。




 

 ……4時起きを強いられ続けた仕事がようやく終わりを迎えた、素敵な週末の夜。

 久々に土日をゆっくりと休める。その思いからか、退社報告をする時、少し浮ついた声が出てしまった。

 

 そして、さすが営業部の古株といったところだろうか?

 俺の声色からわずかに漏れてしまった感情を掬い取った上司が、デスクに飾った年期の入ったフォトフレームをいじらしく撫でつつ「週末は彼女とでも過ごすのかな? 一緒にいられる時間は、大切にしないといけないからね…… 気を付けて帰るといい 」と、生温かい言葉を掛けてくれる。

 現在目の前にいる中年の、かつて頭髪がまだ焼野原でなかった頃の男の腕によって抱き上げられ、嬉しそうに笑っている少女がそのクラシックなフォトフレームの中に納まっていることを俺は知っている。そして当の昔に過ぎ去ったはずの反抗期を終えているにも関わらず、会話がほとんど無くなって久しいという悲しい話をも聞いたのは、果たして何年前のことだったか……。

 

 俺がこの会社に勤め始めた頃には何かイベントがある度に、頻繁に中身を差し替えられ続けていたはずの女の子らしい手作り感溢れる写真立ては、もう何年もその内側を更新されてはいなかった。

 離婚したという話や、家族の誰かに不幸があった…… なんていう話だけは聞いていないのだけど。

 

 つまりはまぁ、そういうことなのだろう。

 だからこそ、放たれた嫌味には何とも言えない説得力が宿っていた。

 

 (俺に女の影が全くないことを知ってて言ってる辺り、ホント性格悪いよ…… )

 

 定時に退社する部下に心無い言葉を投げかける上司に対し、「その娘さんとの写真、そろそろ新しいモノに差し替えられてはいかがです? 」といった悪趣味なジョークが一瞬頭に思い浮かぶ。

 それを言葉にしなかったのは、この言葉の刃は家族に冷たくされている中年には鋭利過ぎるという少しの良心と、高い確率で望まぬ残業を押し付けられるという予測があまりにも容易であったからである。俺は空気の読める男にして、相手の心を思いやれる人間なのだ。相手が傷つくと分かって、その繊細な部分を荒らすなんてことはしたくない。るし★ふぁーさんじゃあるまいし。

 ……ついでに言えば「鈴木君に家族を持つ男のなんたるかが理解できるのかな? 」などと言われ、次代を紡げる予定のない雄の劣等感を刺激されたくもなかった。

 

 (営業で培った面の皮は、公私に渡って俺を助けてくれるんだな…… )

 結局返した対応はいつも通り。

 少しの悪態を心の中に(こぼ)しながらの、愛想笑いを返すことにした。

 

 しかし上司が率先して皮肉を投げたおかげだろうか、居残る他の同僚達からは比較的労いをこめた視線で自分の退社を見送ってくれた。定時に帰れないでいる集団の中、率先してその輪から抜け出すという行動が、どうにも居心地の悪さを感じてしまう生粋のジャパニーズサラリーマンたる小市民な自分にとって、この空気は正直有難かった。

 自身がデスマーチの如き残業が強制されている時に、その案件に関わりのない同僚が定時退社するのを見送る際には、密度は薄いもののどちらかと言えば割合的に、なんとなく負の感情と言えるかもしれない、とにかく微妙に難しい視線を送ってしまっている自覚もあった。

 

 けれど仕方ない。

 これは奥ゆかしい感性を誇る大多数の日本人が抱える生理現象だ。

 決して自分の器が小さかったり、小心者であるが故の気のせいなどではないはずだ。

 

 理性的な同僚たる彼そして彼女達は、定時退社する自分に対し、当てつけに仕事を手伝ってくれと頼むようなことはしない。仕事を頑張ったから、その日を定時に帰ることが叶う。今日、その権利を勝ち得たのは自分だったというだけの話である。

 もちろん中間管理職といった、より会社の歯車の奥深くに組み込まれてしまった身であるのならば、その権利を行使することは難しい。だが幸か不幸か、集団の監督をする必要のない地位にいる我が身にそのような躊躇いは存在しないのであった。

 

 そして理由はもう一つ。

 残念ながら彼女なんて存在と過ごす週末の予定はないものの、実のところ週末を完全に1人で過ごすという訳でもなかった。

 自分が持つ唯一の趣味を共有する大事な仲間の1人、リアルの仕事時間を侵食するほどに行われる徹底した情報収集から生まれる戦術と戦略で、しばしば感嘆とドン引きの視線を周囲から集める我らが軍師から届いた、1通のお誘い。

 『来週末の土曜日、皆さんで今回のアップデートに対する対策会議をしませんか?』という件名のメールが、その日の鈴木悟を少しだけ積極的に退社させていた。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 会社の入った建物から外に出ると、なんとなく違和感を感じた。

 

 その違和感の原因は空にあるような気がして見上げると、有害物質をふんだんに含んだ鈍色の雲がほのかに輝いているのが見える。今日は酸性雨を降らせることなく、けれど視界の続く限り見渡せるソレは、物心ついた時から見上げ続けた空であった。

 

 (今朝の予報では、今日は平均より空気汚染濃度が高かったはずだよな? )

 

 普段通りの濃度の中を帰宅する時の有害物質含有量であっても視界は狭く、直上の空にあっても闇に隠れるように霞んだ雲が見えるだけというのが当たり前なのに、雲の形がぼんやりと分かる程度には空が見渡せる―― 予報が間違っているとも思えないが、滅多に見上げることのなかった明るい空に、強烈な違和感を感じてしまう。これは一体どういうことだろうか。

 

 ……はて? と考えたのは一瞬だけ。違和感の正体はすぐに思い至った。

 

 (ここしばらくは、太陽光で雲が輝いてる時間帯に帰っていなかったもんなぁ…… )

 

 単純に日没前に会社から出て、空を見上げる機会が最近皆無であっただけのことだった。

 一瞬だけのことではあったものの、そんな当たり前にも気付けなかった最近の自らの境遇に苦笑しつつ、いつもより明るい空の下を歩き出す。

 汚染された空気の中であっても、いつもより明るさを感じる空の下であることを意識しただけで肺にかかる負担が軽くなったように感じるのは、我ながらお手軽な頭だなと思わざるを得ない。

 

 (もし自分が出世したなら、部下のプライベートな時間を大切にする上司を心掛けてみよっかな )

 

 いつもより少しだけキラキラ明るい道を歩く気分は、決して悪くなかった。

 そのせいだろうか、あやふやな願望めいた目標までが、なんとなく胸にこみ上げてきたりもする。

 

 (……まぁもちろん小卒である自分にはそんな夢、望み薄だけどね )

 

 

 帰り道。

 安さだけが売りの総合マーケットに立ち寄って、栄養を補給する目的以外の用途をほとんど見出せない合成食品を買い込む。味は二の次、三の次だ。

 

 お目当ては今年発売された食品パックシリーズ。同一の形状に統一され色だけが異なる外観は、視覚の楽しみすら奪わんとするような手抜き感溢れる商品だが、安めの値段帯でありながらも腹持ちが良いのが特徴である。加えて味が濃口に調整されており、表示された味付けの差異をしっかり感じさせてくれる点が気に入っている合成食だ。

 ……品目のことごとくが、未だ本物を食べた事のない食材であることにはいつも微妙な気持ちにさせられるが。魚の『白身』と『赤身』など、着色料の違い以外で何が異なるのだろうか?

 味付けが重ならないように数食分のパックをバラバラに選んだため、外気を遮断して密封してくれる買い物袋の中身が実にカラフルとなるのはいつものこと。土・日曜引き籠ったとしても問題ない程度に詰め込んだ買い物袋が、そのコンプリート感も合わさって小さな満足感を与えてくれるような気さえしてくる。

 

 他にも切れかかっていた日用品を考え無しにいくつか見繕って清算した結果、数が数だったためそれなりにかさばる量となってしまったが、買い物袋2つにギリギリ納まったので、何とか持って帰れるだろう。

 

 

 ――店を出れば、再び汚れきった空気が身体を包む。

 注意報が出ている日に外出する度、顔の前面を覆う外気濾過マスクが正常に機能しているか不安がよぎるのは、大人になっても決して薄まらない恐怖だ。

 普段より大きな買い物袋を抱えたまま、徒歩で帰宅するというのは中々億劫な状態であるものの、わずかな移動距離であっても高額な料金設定がされている交通機関を頻繁に利用できるほど、自分の財布は厚くない。

 なるべく激しく呼吸をしないよう努めつつも息を乱さないペースの早足を維持して歩く。

 これは外回りを繰り返す度にかさばるマスクフィルター交換費用に眩暈を覚えた結果、出費を抑えようと思考錯誤した果てに辿り着いた、鈴木悟のささやかなサラリーマンスキルの一つであった。

 

 ただそんな節制の積み重ねのおかげで金銭的には、久しぶりに仕事を定時で終えた今日くらい、外食エリアまで出向いて多少の贅沢をしても問題はない。

 しかし、皿に並べて味付けを多少複雑にしただけの割高料理を楽しむためだけに、わざわざ自宅までの帰り道を遠回りする気にはならなかった。

 

 そう。あくまで、気が乗らなかっただけだ。

 特別()()()()に外食をしたくない理由があるわけでもないが、 恐らく()()…… 特に後半に限っては、努めて外食をする予定が生まれることもないだろう。

 

 (急いで帰ったところで、誰かが待ってくれているワケではないんだけどね…… いや、仲間達がもう待ってるかもしれないから! ギルド長としては率先してログインしておくべきだから! リアルの用事がないなら、寄り道しないでまっすぐ帰るのが正しい姿のはず! )    

          

 片手にぶら下げた合成食の詰め合わせパックやその他が詰まった袋がやや重く、指に食い込む。週末の食糧を買い込んだのだから当然なのだが、妙に意識してしまうのは何故なのか。

 右手から左手、左手から右手へ。

 定期的に買い物袋を左右の手に持ち直しつつ「そういえば食糧を買った店内のPOPも赤と白のツートンカラーを意識したものに変えられつつあったなぁ」と、益体もない考えを頭に浮かべては消していく。

 

 定時退社の恩恵によって、普段より少し明るい帰り道に点在する看板や標識が、そろそろ自宅が近いことを教えてくる。けれども歩き慣れているはずの家路がいつもより長く感じてしまうのは、視界の端にチラチラと、『聖夜』という文字で飾ったイルミネーションが躍っていることとは関係がないと思いたい。

 ……いつの間にか店を出る前には確かに感じていた小さな幸せは、外気濾過マスクでは遮断できない不快な空気を浴びたせいだろうか、いくらも歩いていないにも関わらず萎んだ風船の如く萎えてしまっていた。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 ようやく自宅に辿り着いた頃。

 厚い雲の向こう側にあったはずの太陽は、ほぼ稜線の向こう側に落ちていた。

 

 一般的な賃貸物件には最低限設置されているエアー洗浄によって外気の汚染物質を吹き流して室内に入るなり、まずは濾過マスクの寿命を簡易チェックするための機器を起動させる。

 今回の仕事は外回りの営業を行う機会がかなり多く、その間のメンテナンスこそ手を抜かなかったものの、最後にフィルター交換した日付はかなり昔だった。もしフィルターを更新する必要があるのなら、週末中に手続きをしなければならない。

 ……数十秒後、まだまだ取り替える必要がないことを示す緑のランプ表示を確認して、思わず安堵の溜息が零れる。決して安くない出費をする機会は少ない方が良いに決まってるし、この週末の大切な時間を、部品交換の予約や申請やらで潰してしまいたくもなかった。

 

 人心地つきながら我が家を改めて見回せば、全体的に『暗さ』が目についてしまうことに苦笑いを浮かべてしまいそうになる。

 帰りを待つ肉親のいない家に明かりはもちろん灯っておらず、鈍色の夕方であることを踏まえてもなお暗い。空気中の不純物で淀んだ空気に晒され続けた窓は曇り切っており、備え付けのカーテンは最後に開けた日はいつかも覚えていない有様だ。

 

 もちろんそこには三つ指ついて「おかえりなさい」と出迎えてくれるような女性が存在しているということも、ありはしない。

 現実は残酷なのだ。それは見上げる空が、常に汚染された灰色で覆われてることのように当たり前のことである。いつもはあえて意識しないでいられるそんな事実が、今夜はこんなにも心をささくれ立たせるのは何故だろうか。

 

 (呪われた聖夜の日がもうすぐ訪れるからかなぁ? あの仮面は、まだインベントリに残ってたっけ…… )

 

 ……いや、忘れよう。

 リアルで異性と触れ合うことばかりが、有意義な休日の過ごし方というわけではないのだ!

 

 

 

 そう自分に言い聞かせながらも、自分が真っ直ぐ帰宅したかった理由である、ダイヴ型インターフェースの起動ボタンを押しこむ。映像の仮想現実を過ごす娯楽品を起動させる電源ボタン。その機器を通して体感出来る慣れ親しんだゲームの世界に、これから自分は週末の時間のほとんどを注ぎ込むつもりだ。

 

 これは第三者から見れば、完全に強がりに思われるかもしれない。現実逃避の末、仮想世界にのめり込む無気力な生活だと。

 しかし自分にとってこれから過ごす時間は、リアルで過ごす同じ時間よりもずっとずっと刺激的で、貴重で、大切なのだと、今では確信をもって答えられる。馬鹿にされることでもあれば、強い怒りが込み上げてしまうほどに。

 

 これから向かうのはもう一つの現実といって過言ではない異世界。そこは単なる営業マンである自分を、700種以上の魔法を使いこなす異形に生まれ変わらせ、未知を切り開く冒険の興奮を味あわせてくれる場所。そして何よりそこには、輝かしい絆を数え切れない思い出と共に育んでくれた、大切な仲間達が待っている『我が家』がある。

 

 DMMO-RPG「ユグドラシル」。何にも代えがたい俺の全てと出会えた、大切な世界の名前。

 

 手慣れた手順でゲームの起動と身体への接続処理を行いながら、今夜の予定を考える。

 思考を切り離して行えるほどにもはや習慣化されたこの流れは、毎日のささやかな楽しみだ。

 

 (……今週末は特に大きなイベントはなかったけど、サーバー各地でユグドラシル金貨を大量ドロップする大型モンスターが出現する期間が、もうすぐ終わるんだったかな? )

 

 ギルド資金の金貨は、数えるのが億劫なほど宝物庫に溢れている。ただ自らのポケットマネーだけで考えるならば、70レベル以上の金貨消費型モンスターを自らの前衛とした場合、考え無しに召喚できるほど有り余ってるワケではない。

 

 (あの1500人規模で攻め込まれた大侵攻を撃退して以降、俺達のギルドに対するプレイヤーの注目度は決して低くない。サイトでギルドメンバー別に単独の攻略検証動画が挙げられてたりもしてたよな。……そういえば画面映えするたっちさんやウルベルトさん達に比べて、デス・ナイトの影に隠れてコソコソと即死魔法を飛ばす骸骨というのは、どうにも見栄えが良くなかった気がする…… )

 

 現在密かに考案中の新しい魔王ロールプレイをする上では、もう少し威圧感のある前衛を使うべきだろう。かといって、頭の中で召喚に消費される金貨を計算しつつ、出し惜しむように金貨消費型NPCをちまちま召喚するというのも、かえって侘しい光景になってしまうかもしれない。

 もし以前のようなギルドへの挑戦者達が現れた時には、もっと大盤振る舞いして『これぞ魔王!』みたいなロールプレイだってしてみたい。

 

 (ギルドに溜まっているメンバーによっては、今日は一緒に小さなエリアを占拠して、金策に勤しむのも良いかもしれないなぁ…… )

 

 今日もきっと楽しくなる――想像の光景に馳せる感情は善性のものばかり。自然と持ち上がる口角が心地良い。

 

 

 

 ――ゲームが始まる。

 

 

 

 もう何度目か分からないほどに味わってきた、視界がブラックアウトする感覚が訪れる。

 再び明るさを取り戻した視界には、勇壮なBGMとともにデカデカと表示される制作会社のロゴマーク。

 スキップできない長めの起動画面を若干イライラしながら待つ。

 

 スタート画面。

 

 メニューからロードを実行。

 

 選択肢のない選択画面にて唯一のアバターを選択。

 

 数瞬のローディング画面が…… 終わった。

 

 そうして俺こと"鈴木 悟"は、死の支配者(オーバーロード)"モモンガ"たる骸骨へとその姿を変え。

 もう一つの我が家であるギルドの本拠地、『ナザリック地下大墳墓』に帰宅した。

 

 

 




 ここまでお読み頂き有難うございます。
 ヒロインがユグドラシルに依存してしまう現実世界を描きたくて、ついめんどくさい文章に…



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虫食いの円卓

まだクロス要素出せてないです。





 

 ナザリック地下大墳墓が第九階層に存在する一室――『円卓の間』。

 そこはアインズ・ウール・ゴウン全てのギルドメンバーがログインする際、必ずその最初にPOPする地点に設定されている場所である。

 地下空間に広がる大墳墓であっても、その表層には地上へと繋がる部分はちゃんと存在する。しかし俺を含めた仲間達にとって「ユグドラシル」をプレイする出入口と言えば此処であり、そして絶対にこの場所を他の面々も経由しなければならない都合上、ログインしながらも特に狩りに行く用事が無い面子達は、この室内に置かれた円卓を囲む豪奢な椅子の1つである自らの指定席に座り、他のメンバーを待って寛いでいることも多かった。

 

 「こんばんわー! ……って、私が一番乗りでしたかね? 」

 

 そんな我が家の玄関とも言うべき場所へと入室した直後、先にいるかもしれない仲間達に向けて自分の入場を知らせるため、ギルドメンバーにのみ送信されるチャットで挨拶を飛ばす。

 ――それに対し、返事を返してくれたメンバーは『今日も』いなかった。

 

 自身が出現したのが間違いなく『円卓の間』であることは、目の前にある巨大な黒曜石の円卓によって照明されているのだが、同時にそのテーブルを囲むように並べられた41の椅子には、たった今ログインした自分を除いて着席している者がいないことも同時に見てとれていた。

 自分の他に誰もいない状況は残念であり、間抜けなメッセージをチャットに落としてしまったのが少々空しかったりしたが、このような間の悪いタイミングというのも珍しいことではない。

 

 コンソールを起動する。

 浮かび上がった画面の中からフレンドに関する機能をまとめたタブを選択。そして更に細分化して表示された項目ボタンの中から、素早く目当てのモノを見つけて表示させた。

 ここ最近開く機会が増えてしまった、ギルドメンバーのオンライン状況を知らせるログ情報欄―― そこにあった名簿は"モモンガ"を除き、他のギルドメンバー達全員の名前がログアウトしていることを教える色の一色に染まっていた。

 誰からも反応が無かった以上、この状況は普通に予想出来たことだった…… そのまま何となく指を滑らせ、メンバー達がそれぞれ最後にオンラインとなっていた日付のログを辿っていく。

 

 ログイン順に切り替えられて表示される、メンバーの名簿。

 先頭にある自分の名前に近い、十数時間や数日前にログアウトしたなんて履歴は、まだ良かった。

 自分達のギルド、アインズ・ウール・ゴウンは社会人のみで構成されたギルドだ。仕事もあれば、家庭を持っている人だっている。毎日入れないのは当たり前だし、忙しければそれなりの日数の間、続けてログイン出来ないことだってあるだろう。週末の定時まもなくというこの時間帯は人が少ないのが普通であり、平日を休みに当てられる職種の人間達も、ソロ目的でないなら集まりの悪そうな時間帯は避けてログインしてくる。

 

 ……しかし昇順に並ぶそれをスクロールする骨の人差し指のスピードを、次第に躊躇わせるように鈍らせてしまう一週間前、二週間前――そして一ヶ月前の文字。もし「ユグドラシル」アバターにリアルの身体とより細かく連動する機能がついていたならば、この死の支配者(オーバーロード)の身体は小さく震えていたかもしれない。

 まだスクロールバーは最後まで移動し切ってはいなかったが、じわりと背筋を登る寂しさと恐怖にこれ以上リストを下へスクロールする勇気が持てなくて、思わずコンソールごと表示を終了させてしまった。

 

 (最近、集まりが悪くなってきた気がする…… いや、皆リアルが忙しいんだ。たまたま全員、忙しい時期が重なっているだけだ。中々勝手が出来ない社会人なんだから、今は大したイベントが行われていない「ユグドラシル」への優先度が下がってしまっても、それは仕方ないさ…… )

 

 それに今日はぷにっと萌えさんが、例のメールの件で集まろうと連絡をくれた日だ。そして「出来れば他のメンバー達にも聞いて欲しい」とも言っていたので、そこはギルド長であり調整役でもある自分が既に、全員への連絡は済ませてある。

 仕事や外せない用事で不参加になることを、前もって申し訳なさそうに告げられてしまった人はそれなりにいたのだが、それでも今夜は久しぶりに過半数を超える人数で、この円卓の席を埋めることが叶いそうだった。

 

 ――そんなことを考えているだけでムクムクと、心が高揚している自分に気付く。

 あのアップデートに関する話し合いという一点で、浅い議題になることはないだろう。今後のギルド運営に関わるような、バチバチとした意見のぶつけ合いになってしまうのかもしれない…… また仲裁やら調停やらで頭を悩ませる自身が簡単に想像つくけれども、その予想の中での光景にはあの【大侵攻】を乗り越えて以来、滅多に感じさせることのなかった熱気の予感みたいなモノもあった。だからメールを貰ってからずっと、密かに心待ちにしていた今夜がとても楽しだったのだ。

 さっきまで確かに抱えていたモヤモヤが、煙のように晴れていく…… こんなにもお手軽に機嫌が直ってしまうのだから、あの人達にも「モモンガさんはチョロい」だなんてからかわれるんだろうか?

 

 「……うん。皆が来るまでの間、ソロ狩りでもして時間を潰そうかな! 」

 

 そんな風に話が白熱してしまえば、呑気に金策目的の狩りに行く時間はなくなってしまうかもしれない。

 このまま何もせず「円卓の間」で、来ると分かっている誰かが入ってくるまで待つのでも構わなかったが、それはするには集合時間までの間を考えるに、どうにも暇を持て余しそうだった。

 なので他のメンバー達が来るまで、ゲームを始める前にぼんやりと考えていた個人的な召喚NPC用の資金稼ぎをしておこうと思い立ち、インベントリのアイテムと装備を簡単に確認していく。

 

 今、期間限定で出現中の金貨を大量にドロップするモンスターは、状態異常と魔法耐性はかなり低いものの敏捷性が非常に高く設定されており、戦闘からの優れた離脱スキルも有する『逃走』に特化した特性持ちだ。<月光の狼(ムーンウルフ)>を優にしのぐ動きに、生半可な前衛職では捉え切るのは難しい相手だった。

 しかし麻痺や朦朧をはじめとした状態異常を与えるスキルや、必中効果を持った魔法を多く覚えている後衛魔法職の俺にとってみれば、鼻歌混じりの余裕を持って鴨打ち出来る獲物でもあった。

 

 特に部屋に戻って補充しなくとも、インベントリに残っていたアイテムとポーションで十分ソロ狩りに耐えれると判断した俺は、そのままギルドの証でもある指輪に込められた効果を発動。

 ギルドホームの出入口―― 外に広がるグレンデラ沼地に面した第一階層へと転移したのだった。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 ――それからしばらくして。

 1人、また1人と集まり始めたギルドメンバー達。ログインを知らせるポップと「こんばんわ!」の言葉と共に挨拶アイコンがチャット欄に流れてくる度に、俺の心は喜色に弾んでいた。

 

 その最初の知らせを受けた時すぐにでもギルドへ帰りたかったが、そのぷにっと萌えさんがログインする直前、今回の金貨ドロップイベントの目玉である、倒せば確率で1億枚の金貨に交換出来るアイテムを落とす超レアモンスターが目の前にPOPしてきてしまったのだ。

 

 手伝って貰えれるものなら是非とも手伝って欲しかったものの、このモンスターは複数人のパーティーで倒してしまうと、そのドロップ率を激減させる実に底意地の悪い仕様となっている。そして基本的な性能は鹿の形に酷似したノーマルのイベントモンスターと変わらないのに、赤い服を着てニヒルに笑うこの老人の姿をしたレアモンスターは、そのHPのみがレイドボスめいた数値を誇るのだ。

 ソロで倒さないと、報酬が美味しくない。

 けれどソロで倒すには、時間が掛かる。

 でもせっかくソロで出会ったのなら、倒さないと勿体ない。

 ……そんな嫌らしくも遭遇自体は嬉しいという、反応に困るレアモンスターを倒すことを選んでしまった俺がようやくそのモンスターを倒し、落としたドロップ品の結果に思わず頭を抱えて悶えてしまった時には、話し合いを始めると告げられていた予定時刻ギリギリの時間になっていた。

 

 

 ――ちなみに。

 リアルにおいて、深刻な少子化に1年を通して最も貢献すると言われる聖夜を跨いだ日まで行われるこの『金稼ぎ』イベントは、ソロ狩りをしないと旨みのない褒賞や長時間のログインを強いる敵が出現するという弊害から、とある『副賞』をプレイヤー達が受け取りやすい環境作りに一役買っていた。

 その『副賞』とは過去にも同じ時期、特殊な条件を満たしたプレイヤー達へ運営によって強制的に配られ、持っているヤツは持っている、けれどその所持を公言するのは憚れてしまう、という曰くを持つ装備品のことである。

 友との絆に亀裂を。敵との溝に和睦の橋を架けるとされる、その()()()

 このイベントの開催は「ついつい金策に夢中になっちゃってさ…… 」という言い訳を、『副賞』を入手してしまえる悲しくも勤勉なプレイヤー達に許させる、運営からのささやかなプレゼントなのであった――

 

 

 

 ……インベントリの奥深くに眠る、去年獲得してしまった自らのマスクに考えを馳せながら思い出したのは、そんなネットに転がっている「ユグドラシル」ネタの1つ。

 

 (そもそも『副賞』を用意していること自体や、それを持たせようと罠に嵌めるような敵を用意する運営に、そんな思いやりがあるはずもないんだけどさ? これ絶対運営側にいるだろう性根の捻じ曲がった独身が、ぼっち聖夜の道連れを増やそうとしてるよ…… )

 

 せっかくの仲間達との憩いの時間を削ったのに、ニヤつきながらぼっちに金を恵む聖人から袖にされて終わった空しさが、ズシリと肩にのしかかる。レアモンスターに会いながらも最低のドロップ品しか得られなかった悔しさは、せめて笑い話のネタにでもして消化するしかないだろう。

 

 

 『予定したお時間が経過したよ―― モモンガお兄ちゃん! 』

 

 

 念のためにと設定していた時計から、作られたロリキャラの声が響く。

 妙に甘ったるい、あざとらしい幼女を演じる声であるはずなのに「――さっさと戻って来い」 と、この声を時計に吹き込んだ主が弟に用いる口調でせっついてきたような気がして思わず竦んでしまった俺は、掻き集めた戦利品を乱暴に<無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)>へと突っ込みつつ、慌てて無詠唱化した<上位転移(グレーター・テレポーテーション)>を使用するのだった。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 転移の繰り返しで墳墓の入口までを最速で戻った俺は、すぐさま指輪を発動することで『円卓の間』に直行した。魔法のクールタイムがあるとは言っても、次々に切り替わる目の前の景色で眩暈を起こしてしまいそうだったが、最後に視界へ写り込んで来た光景には、やはり「帰ってきた」という安心感を感じる。

 

 「やっほ。ギリギリだったね、モモンガお兄ちゃん 」

 

 わざとらしさを幾分薄めてはいるものの、間違いなく先程の音声の持ち主である人から突然名前を呼ばれたことで、変な想像をさっきまでしていた俺は思わず「お、遅れてごめんなさい! 」と、少々上擦った声で謝ってしまった。

 

 そして、そんなギルド長の情けない登場シーンを見ていたのだろう。

 己が友人を助けんと、1人の雄が座っていた椅子を蹴倒すような勢いで立ち上がったのだ。

 ……そんな彼の全身からピコピコと表示される、俺個人にしか見えないように設定された『ドヤ顔』アイコンの嵐さえなければ、もう少し頼もしく思っても良かったのだが。

 

 「姉ちゃん! モモンガさん遅刻した訳じゃないんだから、イジめるのはやめろよ! 」

 「――おい。本当にイジめられるってのがどういう感じか、私に教えて欲しいんだな? 弟 」

 

 ――アイコンはすぐさま『助けて!』を意味するモノに変わり、先程以上の速度で連打されていた。

 

 (……声優ってすごい。俺が頭の中で考えてた声より、ずっと低くて怖いんだもん )

 

 そっと同じ設定で『幸運を!』のアイコンを返した後―― 不意に感じたのは、室内に漂う違和感だった。

 

 今日二度目となる『円卓の間』。

 一度目と違うのは無人だったそこに、騒がしくも頼もしい仲間達が集まっていることだったのだが…… その人数が、把握している参加者の数と比べるまでもなく少なかったのだ。

 円卓の空間に今集まっている面々は、軍師を筆頭に聖騎士、大魔法使い、大錬金術師、黒い粘体。そしてイジめている盾と、イジめられている鳥の7人―― たった、それだけだった。

 そんな空席の目立つ円卓が気になって、彼らに挨拶をしつつも頭の中にいくつもの疑問符が浮かぶ。

 もうそろそろ予定していた話し合いの時間を迎えるというのに、これはどういう訳なのか。

 事故や病気なんて目に彼らが会っていなければ良いのだが……

 

 (それとも今いない皆は、自分みたいにギリギリに来るのかな? )

 

 頭に過ぎった不安を考えないようにするために一番平和的であり得そうなことを考えるも、インターフェースの隅に表示されるリアル時間は、もう予定時刻の10分前になることを告げている。

 ゲームの中では殊更にハメを外したがる彼らであっても、社会人の習慣がそうさせるのか、今までは無断の遅刻や欠席という行為は出来るだけ避けるように心掛けてくれていたのだ。今回たまたま一番最後になってしまった自分だが、それでも狩りの状況やどれくらい時間が掛かりそうだという報告は、一番最初にログインしてくれていたぷにっと萌えさんに逐一報告していたのである。

 

 全員への挨拶を終える。

 ――その時になってようやく、自分がログインして以降開いていないリアルで使っているメールサーバーには欠席の連絡が入っていて、狩りとギルドチャットに夢中になっていた自分がまだ気付いていないだけかもしれないということに思い至り、一旦確認の為に離席しても良いかを今回の主催者に尋ねた。

 すると予想外の出席率の悪さを目の当りにして声に出さずとも戸惑っていた自分の考えなんて筒抜けだったのか、我らが誇る軍師は落ち着いた声音でしかし、コンソールを開こうと構えた俺の指を制するように言葉を掛けてきた。

 

 「あぁ、モモンガさん。今ここに集まっていない方達の件で、わざわざログアウトして頂かなくとも大丈夫ですよ 」

 

 「どうしてです? 」

 

 「皆さんに直接呼び掛けて頂いたモモンガさん宛てにも当然入っているはずですが、今回の呼び掛け人ということで同じ内容のモノは、私のところにも連絡して頂いているのですよ…… ちょっと寂しい人数ですけど、今日の集まりの参加者は、これで全員なんです。他の皆さんは急用だったりで来れなくなっちゃいまして 」 

 

 「……え。あぁ、そうなんですか…… 分かりました 」

 

 用事がある、それは仕方ない。仕方ないことだが…… ログインした直後に感じた不穏な想像が再び脳裏をかすめたような気がして、ここに来るまでに抱えていた浮ついた気持ちが急速に萎んでいくのを意識せずにはいられなかった。

 

 「それで今回の議題なんですが―― 集まった人数が少なくて欠席する人間は多かったでしょう? なのであらかじめ今日来れなかった人には、返信文面で話そうと思っている内容は伝えてあるんです。これが割と好印象な反応が返ってきたので、モモンガさん達にも是非聞いて判断して貰えたらと思っているのですが…… 」

 

 ――予定時間にはちょっと早いですが、いつでも始められますよ――

 そう言って『笑顔』のアイコンを表示してくれるぷにっと萌えさんから伝わる気遣いが、今日埋まるはずだった空席の多さに気落ちしていた心にじんわりと染み込んでくる。

 そうだ。ここには7人の仲間がいて、来れなかった人達とだって連絡し合い、依然として繋がりが途切れている訳でもないのだ。だったら、ここで落ち込んでいてもしょうがないじゃないか。滅入った気分のままでは、せっかく集まってくれた人達にも嫌な思いをさせてしまう。

 今夜はしっかりとこの面々で盛り上がり、その後は来れなかった人達へ行われた会話の内容をしっかりと伝達して、いつでも気後れせずにログイン出来る環境を用意するよう努めるのが、皆にギルド長を任された者のやるべきことのはずだ。

 

 そう思い直した俺は、ようやく溜飲が下がってきたらしいピンクの肉棒から解放されたバードマンをなだめ、待ち時間をお互いの揚げ足取り合うことで潰していた聖騎士と大魔法使いの仲を仲裁する。そしてリアルで山積しているらしい仕事に睡眠時間を圧迫され、既に寝落ち寸前な様子を見せるスライムと、そんな周囲に我関せずとフライングして軍師の持ち込んでいた資料を読み耽っている大錬金術師の意識を覚醒させるべく声を掛けた後、お決まりの指定席 ――我らのギルド武器の正面にある椅子―― に腰掛ける。

 

 さぁ。

 思っていた光景よりは少々、いやかなり寂しいけれど。

 

 「皆さん今日はお忙しい中、こうして集まってくれて有難うございます。久しぶりにはなりますがアインズ・ウール・ゴウンのギルド会議、楽しんでいきましょう! ……私も今日の内容を全然聞いてないので、何話されるのか結構ドキドキしてますけど…… ではぷにっと萌えさん、よろしくお願いします 」

 

 

 楽しい会議を始めよう!

 

 





 次回は数あるオバロ二次で、あまり槍玉に挙げられなくて不思議なシステムについて触れます。


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伝説の代償、それでも最高の友人達

予告完結に失敗しました!

(・ω<)




   *   *   *

 

 

 

 「……『アリアドネ』の新システムに手を出すんですか!? 」

 

 軍師の語る言葉を途中で遮らず最後まで聞くことが出来たのは、半ば茫然としていたせいなのだろう。全て聞き終えた後、反射的に円卓を叩こうとする腕を抑えるのに精一杯で、荒げる声まで留めることは不可能だった。

 それほどまでに彼が言った内容は、俺にとってみれば受け入れがたい代物でしかなかったのだ。

 

 

 

 ――システム・アリアドネ。

 「攻略不可能」なギルドをプレイヤーが作成しないよう、機械的にギルドを監視するべく運営が作ったシステム。拠点入口から心臓部までが封鎖されることなく1本の道で繋がっているか、内部距離や扉枚数はどれぐらいかなどの、多岐に渡る制限がプレイヤー側に設けられており、もしそれを超えたギルドホームがユグドラシル内にアップされた場合、ギルド資産に大きなペナルティが課せられることになる。

 かつて熱素石(カロリックストーン)という世界級アイテムを偶然手に入れた際、保管してあったはずの七色鉱が大量に消滅した時は、知らずこの『アリアドネ』に関する違反ペナルティを喰らったのでは? と青くなったものだ。

 

 しかしそんな『アリアドネ』であったが細かい制限項目にさえ気をつければ実のところ、それほど怖いシステムという訳ではない。熟考が必要なのはギルド作成や変更時のみであり、それさえ終わればずっと放置していても構わないのだ。実際ナザリック地下大墳墓の大枠を造ってから久しい今となっては、700を超える魔法名と効果を暗記するほどにユグドラシルへ嵌り込んでいる自分にとっても、これにどんな制限があったのかを詳しく思い出すことは容易ではない。

 

 しかし、そんなギルドホームを作った後は放置されて然るべきだったはずのシステムに今、ユグドラシル中のプレイヤー達の注目が集まっている。

 その原因は先日、新たに実装されたアップデート『崩壊のビフレスト』にあった。

 

 内容そのものは『ヴァルキュリアの失墜』ほどに世界観へ干渉する類の大型アップデートという訳ではなかったが、多くの追加種族に職業、最新の他DMMO-RPGと比べて不評だったらしいマスターソースやコンソールデザインの一新、今まで禁止されていた外装の装飾に対する裁定を一部緩くするなど、いわゆる『ゲームとしてのユグドラシルをとりあえず楽しみ終えた人』向けの追加コンテンツを多く含む物である。

 中でもやり込み要素として取り上げられたのがギルドシステムに関する追加機能であり……その対象こそが、『アリアドネ』だったのだ。

 既存の制限やシステムとは別に拠点を攻め易くする『抜け穴』を用意したギルドには、その大きさに応じてギルドに要する維持費用を減免、あるいは別途ボーナスを支給するという新たな要素。

 

 最初は良かった。

 

 新作のDMMO-RPGが次々に発売し、徐々にではあるがユグドラシル全体に活気が薄れ始めている昨今。その完成して放置していたはずのギルドホームを新しくお手軽に弄れる動機付けや、ギルド内のアクティブユーザーの減少や引退者が増え、残った面々ではギルドを維持し辛くなっている場所への救済措置。そしてギルド対抗、あるいは討伐戦

の活発化。

 運営の視点はそういう部分に向けられていたのだろうし、実際始まったばかりの頃はそういった面の効果はあったらしい。ネット上でも、スタートダッシュを決めたがる中堅ギルドが競って『アリアドネ』に手を加え、その効果や恩恵を自慢していたこともあった。

 

 しかしそんな平和な空気も『穴』に注ぎ込む資産が貴重であればあるほど、ギルドにとって危険であればあるほど、得られる見返りは大きくなるということに加えて「1つのアップデートの目玉」であるということで、その危うい行為の果てには世界級アイテムの存在がある、と匂わせられるまでのことだった。

 このアップデートを、押し寄せられた苦情によってサーバーをパンクさせられた運営からプレイヤーへと送られた<トロイの木馬><埋伏の毒>とまで言わしめたその誘惑につられ、あるかどうかも定かではない世界級アイテムに向けてチキンレース紛いの投資を『アリアドネ』に貢ぎ続ける者達。かつて堅牢であったはずのそのギルドに大きく開かれた『勝手口』が開くようになるまで、時間は掛からなかった。

 

 そうして起こったのがあの『糞運営の大虐殺』―― 僅か一ヶ月でギルド武器が累計3桁も破壊されたという大事件だった。その消滅したギルドの中には、かつてアインズ・ウール・ゴウンより上位であったギルド名すら挙がっていたというのだから、被害のほどは尋常ではない。

 

 どれほどの規模を誇ったギルドであっても、ギルド武器の破壊はギルドの消滅に繋がる。これは絶対のルールだ。そして『アリアドネ』に手を加えることは、その危険性を上げることに他ならない。

 あの大事件以降、このシステムに手を出すギルドなど、ギルドが無くなっても良いと判断している酔狂過ぎる連中か、何らかの事情に困窮してギルド維持に支障をきたしている者達しかいないはずだった。

 

 それなのに――

 

 

 

 「ぷにっと萌えさんなら、そんな過去の事件や今の環境を知らないはずないのに…… なんでわざわざギルド消滅の引き金になるようなことをしたいなんて、言うんですか! 」

 

 (俺達が造り上げた、あの1500人の侵攻だって跳ね除け、守ってきたナザリック地下大墳墓じゃないのか……! )

 

 ――本当は気付いている。分かっている。

 絶対に負けると言われていた大侵攻を見事退け、アインズ・ウール・ゴウンが大輪の悪の華を最も印象深くユグドラシルの中で咲かせたと断言出来た日からしばらくして……皆の心に積もり始めた塵があることは知っていた。

 

 ある時は依然ほど熱心に素材を集めなくなった友を見て。

 ある時は主張をぶつけることなく、妥協して狩りの難易度を落とした友を見て。

 珍しく周囲を説得して超希少金属のゴーレムを67体も制作しながら、残り5体というところで『飽きた』と言って途中で放り投げたあの男の我儘を、苦笑いしながら許していた友を見て。

 ――そして徐々に、しかし確実に。間隔を広げていくギルドメンバー達のログアウト期間を示す名簿を見ながら。

 

 皆がユグドラシル、ましてやアインズ・ウール・ゴウンを嫌いになったとは思わない。

 ……ただ41人で打ち立てたあの伝説が、きっとこの『ゲーム』に臨む皆の心の何かを満たしてしまったのだ。家族サービスを切り捨てて奥さんと大喧嘩した時の彼が持っていたような馬鹿な熱を、個人差はあれど冷まし、もしくは別の何かに振り向けようとしている。

 その多くは多分、リアルにある何かなのだろう。家族、仕事、友人。どれもゲームよりも大切にすべき、大事なものだ。ゲームを遊んだ結果満たされ、その縁に僅かに残った隙間すら塵やら何やらで埋め終えたなら、そちらを優先して然るべきだった。

 たった一人、このゲームを<俺の全て>と言い切ってしまえる、俺こそがおかしいのだろう。

 

 優先すべき何かがリアルにある友らを、ゲームに引き留めて縛り付けることなんて俺には出来ないし、したくない。彼らは大切な、胸を張って『友』と呼べる俺の友達なのだ。

 けれどその旅立ちの切っ掛けとして、ナザリックを使い捨てるような真似は止めて欲しい。

 例え皆にとってはゲームの中のことであっても、俺にとっては皆と築いた何物にも代えがたい宝物であり、心休まる唯一の居場所なのだから。

 

 そう思いながらアバター越しなのを良い事に、半分睨みつけるようにこれまでずっとギルドを支えてきてくれた軍師を見やる。彼の後ろにはこの議題の採用に賛成的だったという、今はいないメンバー達の幻影が透けて見えるようであった。

 

 ――なんとしても、撤回させなければならない。

 常に多数決の調整役に努めていた自分らしからぬ思いに駆られ、知らず軍師に対して前のめりになりかけていた俺……の肩にいつの間にか手を置いていたのは、このゲームに居場所を作ってくれた他でもない恩人、純銀の聖騎士だった。

 

 「……モモンガさん。何もぷにっとさんはナザリックを潰したくて、こんな事を言っているんじゃないです 」

 

 そう、恐らくはギルドの中でも最もリアルに強い執着を持っている人が言う。

 

 (それじゃあ何でなんですか…… このゲームに満足してしまったから、新しい遊びの過程でナザリックが潰れてしまっても構わない…… そう思っているんじゃ、ないんですか? )

 

 聖騎士の言っている言葉の意味が飲み込めない。

 そんな俺に構わず、聖騎士は続けた。

 

 「モモンガさんも既に気付いていると思いますが、私を含め、以前ほど頻繁にユグドラシルへログインすることが難しくなってきている人が多くなってきています…… あまり口に出して言うべきことではないでしょうが、引退を考えている人達も、中にはいるでしょう 」

 

 「引退」という言葉が『円卓の間』に広がった時、この場にいる彼以外の全ての人に「そんな馬鹿な」と笑い飛ばして欲しかった。

 なのに彼の言う殆どの言葉に異を唱えるべく突っ掛かるのが常であるはずの大魔法使いは口を開かず、取り分け自分と仲良くしていたバードマンもまた、開けば明るい声を出してくれてるはずの陽気なクチバシを閉ざし、その顔を伏せていた。

 この身体がアバター通りの骸骨であったなら…… そう思わずにはいられないほど心臓がバクン、バクンと脈を打っているのが分かる。皆が皆その可能性を察し、我が身に置き換えてなお否定しきれない雰囲気が、『円卓の間』にあった。

 

 「けれどこんな状況だからなのです、モモンガさん。今のナザリックにこそ、この『アリアドネ』は導入する価値があるんじゃないでしょうか? 」

 

 「!? な、」

 

 「……たっちさんの言葉に乗っかる訳じゃない。ないのですが…… 私もそうした方が良いと思いますよ。"効率"的には、ですけど 」

 

 なんでそうなるんですか! ……そう叫ぼうとした時、彼と対面に位置する場所に座っていた悪の大魔法使いがいつものように口を差し込み、しかし珍しく正義の聖騎士が発した言葉を援護する。

 

 「41人でも運営出来るよう、出来るだけ収支を調整したこのナザリックですけれど、それでもプラスではないです。仮にこのまま、少数のメンバーが入れ替わりで詰めるような状況が続くようであれば、その人達にとっては不要な金策プレイを強いる必要があるかもしれません 」

 

 「…………義務みたいな資金稼ぎを少人数で回そうとすれば、純粋にゲームを楽しめる時間が削られる、ってことよね? 」

 

 今までは気にしないでいられた負担。それがノルマに感じられるような人に対してまで強いるようになっては嫌気が差すかもしれないし、例え苦に感じない人がそれを肩代わりしても、それはそれで心苦しくなって引け目に感じてしまうかもしれないわね―― と零したのは、今や売れっ子の声優の顔をリアルで持つ女性だった。

 

 「新しい『アリアドネ』をある程度の規模で用意すれば、負担費用分をシステムが相殺してくれるようになって、その問題が解決するというわけですか 」

 

 重苦しい雰囲気がそうさせたのか、眠気を吹き飛ばされた様子の社畜戦士が、船を漕いでいたために聞き逃していた軍師の説明資料を読みながら答える。

 

 「そういえばナザリックが完成してから随分と経って、すっかり新しく設定を作り込む要素もなくなっていましたからねぇ…… これを機に、アップデートで新しく追加された要素も取り込んで、また別系統の背景を持ったストーリーをこの地に刻むのも楽しそうです 」

 

 「そうですね、タブラさん…… それにモモンガさん、私はただの危険な『抜け穴』を用意する気はありませんよ? レベルを釣り上げた『アリアドネ』を餌に、またぞろ集まる侵入者を罠に掛けても良いですし、そもそも作るだけ作って、肝心の使用するには困難な状況を用意することなんて、いくらでも可能なんですから 」

 

 既に作ることを決めたかのように、ギルドで最も凝り性で厨二病の人が自らのインベントリを開く。

 中から取り出したのは、過去自らが作成したNPCやらシステムやらに書き込んだ膨大な設定を記したオリジナルの百科事典だった…… もう今から、それらに被らないような設定を用意しようとしているようだ。

 実は不参加のメンバー以外にも、俺が来る前に今まで話していたことはこの場にいる人達に説明し終えていたらしい策士と言えば…… このギルドの存亡に直結する危ない話題を、何でもないことのように話す周りの人達に同調し「私の『誰でも楽々PK術』、まだ覚えてくれてますか? その応用ですよ 」と、頭に生やした草を愉快げに揺らしていた。

 

 俺を1人置いてきぼりにして、新しい『アリアドネ』の導入について賛成している様子の仲間達―― しかし気付けば、彼らは全員"俺だけ"を見ていた。

 

 その視線の強さに思わず気圧された頭からは不思議なことに、さっきまでカンカンに籠もっていた熱が抜けていた。そして冷えて縮こまった分の余裕が出来たのか、彼らの言葉に込められた意図を察しようともしていた。

 この冷静さは決して、怒りや悲しみを通り過ぎた先の虚無感に包まれているからという訳ではない。皆と心が離れてしまったと思い込めないほどに、アバター越しの彼らから、それでも確かに感じられた視線は優しかったからだ。

 

 (……あぁ、そうか )

 

 あの侵攻を跳ね除けてから今までの間、ギルドメンバーの中で誰が最もこのゲームにのめり込んでいるか…… そんなことは、ログイン履歴を見れば簡単に分かることだった。

 そして異端として弾かれた者を救済することを目的に掲げるギルドに長年居続けた目の前の彼ら、そしてこの場にいない人達の全員が、孤立しようとしている状況の中にいる身内をどうにかしようと思わないはずがなかったのだ。

 

 自身がどうしようもなく優先すべきリアルの事情に追い立てられている中で、それでも彼らは手を加える必要の無くなった完成した作品に縋り続ける仲間を…… 俺を、心配してくれていた。

 

 ――『アリアドネ』の追加改変を行いさえすれば、ギルド維持費用を無理して稼ぐ必要が無くなる

 ――そうなれば長期の期間離れていても、引け目を余り感じることなく戻ってきやすい環境になる

 ――改めてギルドを挙げた新しいモノを作ることは、既に疎遠になり始めてしまった彼らや彼女らを呼び戻す切っ掛けになるかもしれない

 

 言葉で、アイコンで、身の振りで。彼らは、"俺に"向けて言っていた。

 何も心配いらない、と。

 ()()()ギルド消滅の引き金を引く危険がある道具を増やすだけ。ナザリックは変わらず、難攻不落のギルドとしてあり続ける、と――それがギルドを守るためにリアルを犠牲にしてまで奔走しかねなかった、俺の想いごとひっくるめて助けようと行動してくれた彼らの結論だった。

 

 

 ……今度は間違いなく受け取れたその想いに、言葉が出ない。

 すると何も言えず固まる俺は未だ難色を示していると思ったのだろうか。唐突に近寄ってきた彼は、

 

 「大丈夫だって! それにもし新しい『アリアドネ』を使ってこそこそ入り込もうとするヤツらがいたってさぁ―― その時こそはまた、皆で集まって追い払ってやりましょうよ!! 」

 

 と。金色の鎧を纏った胸ごと肩をそびやかしながら、そんなことを言うのだ。

 

 (………………まったく、本当に仕方ない人ですね。ペロロンチーノさんは )

 

 性癖が酷い男だとは十分知っていたつもりだったが、口の方もここまで酷く回る男だとは思わなかった。

 『皆でまた集まって、あの伝説を再現出来る』……本当に、とても酷い殺し文句だった。

 

 

 ――そんなことを言われて俺が断れるはず、ないじゃないですか

 

 

 「――――フッ、フフフ。仕方ないですね、皆さん。そういえばアインズ・ウール・ゴウンは多数決を重んじるギルドですし…… 私達のギルドの名にかけて、そんな小さな穴が開いたところで敗北は有り得ませんからね! 」

 

 さっきまで煩わしい音を立てて震えていた心臓は、まだその存在感を失っていない。けれどその音がうるさいとは、もう思わなかった。

 ドキドキと高鳴るこの音は、いつか目の前の仲間達と何度となく繰り返してきた、かつての騒がしくも忘れられない冒険の楽しみを分かち合ってた日々に聞いていた音へと、いつの間にか変わっていたのだから。

 

 

 「よっしゃぁ! そう言ってくれると信じてましたよモモンガさん!! ……それでですね! 最近俺って素直クールっ娘も良いなぁと思うようになりまして! 丁度『アリアドネ』も女性名ですし、ここはひとつ『抜け穴』に女性を見立ててですね―― 」

 「ハァァァ!? 我が弟ながら発想がキモ過ぎるだろテメー! そもそもその『穴』を通るのは侵入者なんだから、NTR確定じゃねーか! 」

 「えっあっちょ、やめてよ、R-15のギリギリで生々しくガチ凹みすること言うのは……! 俺そっちの属性はないんだけど!? 」

 「ペロロンさん、そういうのは流石に看過出来ませんね 」

 「たっちさんも注意しといた方が良いですよ………… おっと何です? やりますか?」 

 「あれ? でも、新しい職業か種族だったかで、既存の素材やアイテムにNPC設定を組み込めるヤツありませんでしたっけ? 今まで自律で動かせないとされてたモノもAIレベルでコマンド打ち込めるようになるらしくて、上手く使えばユグドラシルの戦術も変わってくるなぁとか、仕事中のネット巡回しながら思ったんですが 」

 「インテリジェンス・アイテムですね。どこまでのアイテムに設定付与出来るかは分かりませんが……いや待って下さいよ? 例え動かなかったとしてもアルベドの設定が短編小説になるくらいのデータ量を外付けで組み込んだら、それはもう準NPCと扱っても良いのでは? 」

 「ウソでしょタブラさん、まさかそんな量の行動AI組み込めっていうの? せめて人型じゃなくてー……あー、そうだモモンガさんの玉くらいの入れ物が良いなぁ 」

 「――え? モモンガさんって玉ついてたの? 」

 「ヘロヘロさんは胸のヤツについて言ったんですよね? あと茶釜さんが言ってるのは私の男気とかに対してじゃなくて、この骸骨のアバターについてですよねぇ!? ――あ! いやいやちょっとウルベルトさんにたっちさん、早々に脱線して六階層に行こうとするのやめて下さいよ。ペロロンチーノさんも、個人ならともかくギルドを巻き込んだ18禁行為への挑戦とか許しませんからね? 後でログは来れなかった人達にも渡すんですから、今日はしっかり話し合わないと―― 」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 ――――先程確認した時刻は、「23:55:48」を指していた。

 

 それはつまり、これから5分にも満たない時間が過ぎた時―― 仲間達と共に築いたこのナザリック地下大墳墓は、12年続いた「ユグドラシル」というゲームごと消えてしまうことを示している。

 

 間もなくサービス終了を迎えるゲームに相応しく、ナザリック地下大墳墓を本拠地にしたこのギルド:アインズ・ウール・ゴウンもまた、全盛期とは比べるべくもないほどに衰退してしまった。

 ギルドが抱える資産自体は()()システムの効果もあって、全く目減りしてはいない。

 しかし1人、また1人と現実にある何かを掴むため、あるいは守るために引退していく仲間を見送り、永遠に埋まることの無くなった円卓に占める空席の広さを思えば、既にこの「俺達の家」は栄光の過ぎ去った過去の遺物であることを認めない訳にはいかないだろう。

 それは最終日まで籍を置いて残っていてくれていた僅かな者達ですらが、今日という日付が終わるまで此処に留まることも出来ない程懸命にリアルと向き合っていることからも、否定出来ない事実だった。

 

 ……その結果の今、「侵入者に追い込まれてナザリックが消滅する時、俺達が最後を迎える場所に相応しい」と笑いながら話し合っていた『玉座の間』にいる者は、結局空想に居場所を求め続けることを辞めなかった俺ただ1人、という有様なのだった。

 

(静かだな……)

 

 『玉座の間』を飾る彼ら40の旗を見る度、色を変えて鮮明に思い返せる彼らとの思い出を想えば、やはりこの終わりの瞬間を、ギルドメンバーの誰とも立ち会えず共有出来ないのは寂しかった。

 

 思い出の在り処が失われてしまうことは悲しく、不快だ。

 それは間違いない。

 ――けれど決して、消沈のままにこのゲームの終わりを迎える気分にはならなかった。

 

 「楽しかったな……うん。本当に、楽しかった…… 」

 

 仲間達がただ見向きもせず抜けるままであれば、そんな彼らとの思い出に向ける気持ちに疑いを持つことだってあったかもしれない。

 けれど常に『円卓の間』の中央に浮遊し、今は『玉座の間』にスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンと共に持ち込んだ、41人で共に創り上げた最新にして最後の成果を見やるだけで、このゲームを振り返って零れた今の感想が、孤独を紛らわせ、自分に言い聞かせる為の言葉なんかじゃないと胸を張れる。

 確かにゲームは終わってしまう。ここにある思い出の(よすが)の何もかもが無くなってしまう。

 

 しかしその中で人生の半分近くを注ぎ込んで得られた絆の記憶は、これからも遺物としてではなく宝物のままの姿で、俺の胸の中で輝いていけると―― そう、確信している。傍らに漂いながら柔らかい三色の光を放っている、あの時彼らから受け取った思いやりの結晶が、俺にそう思わせ続けてくれたのだから。

 

 (! おっと、そうだった。危ない危ない…… )

 

 そのまま、少し寂しくも安らかな気持ちで「00:00:00」のゲームサーバー停止の時を迎えるつもりだったが、見つめていた黒・白・黄色の玉の存在が、忘れていたことを不意に思い出させた。そして思い立った以上はやっておこうと、少し慌てながら人差し指で宙空を叩く。

 

 ――マスターソース、オープン。項目はシステム・アリアドネの欄を選択。

 表示されたのは、随分前に機能停止させたままだった《ARIAdne Device for AINZ-OOAL-GOUN》の黒い文字。

 その部分をタップし、白色 <起動状態> への変更を決定。

 ――そしてマスターソース、クローズ。

 

 ……実のところ何年も前からのことではあったが、ほとんどの仲間達がログイン出来なくなった状態にギルドが陥って以来、俺は新しい『アリアドネ』の全機能を停止状態にさせていた。理由はもしギルドに1人しかいない環境でその『抜け穴』を使われてしまっては、守護者NPCだけでは対応出来るか分からなかったからだ。

 『皆でまた会える切っ掛けとなり得る道具』であったとはいえ、アカウントごと引退してしまった人もいる以上、流石にかつては無かった『穴』をそのまま放置することは恐ろし過ぎた。

 もちろん軍師を始めとしたギルドの頭脳陣が知恵を集めて作ったセーフティに守られたシステムである以上、過疎化が進行していた「ユグドラシル」の中にアレを完全稼働状態にさせられる者はいないだろうとは思ったのだが…… ナザリックの安全に万全を期そうと考えた結果、石橋を叩いて渡らないことにしたのである。

 

 ――当然その後は顔を出してくれるかもしれない仲間達にバレないように、可能な限りギルド資産を減らさないようにするため金策にあえぐことになりはしたものの、結果としてただの一度も、あのギルドの外に放置されたインテリジェンス・アイテムの所有権を獲得出来た者は現れなかった。

 

 今更それを起動して取得可能状態に戻したところで、何が変わるという訳でもない。

 グレンデラ沼地の広大なフィールド内のどこかにランダム転移しただろう、その宝珠の使い手が突然現れ、残り僅かな時間に此処に乗り込めるはずもない。

 ただの感傷だ。

 輝かしい仲間達が手掛けた最後の共同作品を、せめて終わりの瞬間くらいは皆に望まれていた状態に戻しておきたかったという程度の、小さなこだわりに過ぎない。

 

 「あのアイテムも超レアな素材を湯水のように注ぎ込んで、皆が寄ってたかって作り上げたって言うのに…… 結局テストを除けば一度も動かして貰えなかったのは、今思えば勿体ないことしたかなぁ……? 」

 

 まだお前の方が報われてるな、と持ったままだったスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを手の中で少し弄ぶ。絶対に避けたくて握り潰し続けてきた可能性ではあったものの…… あのアイテムを有したプレイヤーを迎え撃つためにただ一人、この『玉座の間』で待ち受ける魔王をロールするというのも、密かに憧れるシチュエーションではあった。

 ……もっとも、そんな光景が訪れる未来などは、もう決して有り得ない。

 

 

 23:59:30

 

 

 インターフェースの端に冷たく浮かぶ数字が告げる、幻想の終わり。

 "モモンガ"を辞めて"鈴木悟"に戻らなければならない時が、もう目の前に迫っていたのだから。

 

 

 




 死の支配者に気付かれない間に、その他全員への根回しを済ませる軍師マジ軍師。

 この拙作におけるモモンガ様は思い出を発酵させる期間が短かった分、「ギルメンが自分ほどの熱を持ち続けられなかった」ことを認める心境については原作最終日のように後ろ向きな諦めではなく、やや健全に受け入れています。
 (短編のため過程をかなり端折った上、以降も掘り下げる予定もありませんが……)
 未だ人であり「ギルメン>>超えられない壁>>魂のないナザリック」状態の鈴木さんにとって、もし友人達がナザリックを離れていくのが避けられないのであれば、デメリットを覚悟しつつ1つでも多く「皆と」何かをする思い出が欲しかったということで、『アリアドネ』の追加改変を容認する動機になれば良いカナー、と。

 次話は登場してなかった主人公の回です。


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『伝説』に憧れる少女

 まだ完結せずに引っ張り続けて申し訳ない……
 ようやく視点は拙作主人公に交代です。



   * * * * *

 

 

 この世界は、多様な知的生命体がひしめき合う大陸である。

 

 かつて大陸を支配し、今も生命の頂点として君臨するドラゴン。

 環境に特化し、その地で生きるために優れた能力を発揮する亜人。

 豊富な形態に分かれ、歳月を重ねて得られた固有の特殊能力を振るう魔獣。

 死者に宿り、終わらない悠久の時間を生者に仇なすことに捧げるアンデッド。

 ――そして人間種。

 

 知能を有する彼らはそれぞれの種族に分かれ、単独あるいは各々の価値観に則った社会形態を築き、その生を謳歌している。資源は豊かに満ちて痩せた土地も少ない環境である大陸は広大で、単一種族でのコミュニティ形成が困難であるという事態はそう多くなかった。

 もちろん異種間の遭遇があれば共存する者達がいる一方、弱肉強食の摂理に従って相手を滅ぼそうとする者達もまた多く存在している。圧倒的強者と弱者が不幸にも遭遇したならば、それは一方的な搾取によって終わることも珍しくはない。

 その中にあって人間種という生物は決して強者ではなかったが、身を寄せ合うことによって形成される集団の力によって群雄割拠の大陸の中を生き残り、その「数」の中から稀に発生する優秀な「個」の力もあって、いくつかの『国』を築くことに成功、現在まで種としての生存を続けていた。

 

 

 そんな、いくつか現存する人間種国家の一つ。

 200年という歴史を積み重ね、人間国家としては膨大な900万近くの人口を擁し、周辺国家最大級の国土を保持する大国―――『リ・エスティーゼ王国』と呼ばれるコミュニティがある。

 この国は広大な国土を有するにも関わらず同類の人間種が営む他国と比べ、人類に対して敵対的な亜人種やモンスターの生息域と隣接する国境が少ない立地を獲得していたために、人間同士の縄張り争い以上の、種の生存をかけるような大戦をほとんど経験していないという恵まれた国である。

 

 ……しかし、種を脅かす敵がいなければ「数」の内側にいる「個」は全て幸せかと言えばそうではなく。

 ほぼ人間種同士によって構成された集団にもかかわらず、その中に明確な上下関係が発生する身分制度 ――王族・貴族・平民―― を敷くことで、国家の体制を維持している国がこの『王国』であった。

 頂点たる王族と、その最上位の絶対者とすら合議という手段によって渡り合い、国の政治や運営に多大な影響力を持った独立した権力基盤を持つ貴族。そして、それら支配者階級によって統治される大多数の被支配者階級、平民。

 

 隣国との小競り合いを除いて大きな戦争もないまま、長い歴史を重ねることに成功していたこの国の支配者層の多くは何時からか、血によって継承される権威を自身の富と悦楽のために振るうことに何ら疑問を抱かなくなっていた。

繰り返し行われる搾取によって被支配者達は慢性的に疲弊していたが、それでも「数」の内側に出て生きていくには、人という種族に大陸の環境は厳し過ぎた。

 

 ……そんな「生まれ」に人生を大きく左右されるといって過言ではない国にあって、恵まれた体制側の支配階級―― 貴族という生まれついての搾取する側の血を引く家に、その少女は生を受けた。

 

 

 

   * * * * *

 

 

 

 『リ・エスティーゼ王国』王都リ・エスティーゼ。

 

 開拓村に代表されるような寒村と比べ、王都の朝は遅い。

 

 今夜王城にて執り行われる第三王女様のお披露目パーティー。

 三日前から一緒に王都に入ったお父様とお母様は、今夜王城で執り行われるそのパーティーに参加するために登城したばかり。

 今、この建物の中には使用人がたった数人いるだけ。

 

 だから、今こそが好機。

 この日の『お出かけ』に備え、私は入念な準備をしてきたのである。

 

 頑丈な、けれど歩きやすいブーツ。

 余計な装飾は一切なく、質素ながら清潔感を感じさせる色で統一されたブラウス。

 動きを邪魔しない乗馬用のキュロット。

 髪をまとめるためのリボン。

 腰には様々な冒険用の道具を入れた、手作りの皮袋。

 

 ――嗚呼、内臓が出そうなほどに締め付けられているコルセットがない、この解放感といったら!

 

 今はベッドの上に転がっている忌々しい拘束具とドレスを尻目に、私はいよいよ『伝説』へと繋がる一歩目を踏み出すのだ。 

 

 「……行ってきますわぁ~……」

 

 宿屋にある2階の角に割り当てられた使用人部屋。そこで昼食を食べているだろう我が家の使用人達へ向けて、外出の旨を告げる。もちろん小さく小さく、届くことは決してあり得ないはずの声量で。

 私は貴族の娘で、物心ついた頃から淑女としての教育を受けた身である。令嬢として家格に泥を塗ることのない立ち振る舞いはもちろん、社交界における常識と知識もしっかり頭に叩き込まれているのだ。

 つい昨日のことであるが、王都における社交パーティーのデビューもつつがなく終えた。周囲の人間が望む、蝶よ花よと愛でられるべき身分の娘がとるべき行動というのは、しっかりと理解しているつもりである。

 

 その知識が教える。

 ―――お供を連れずの無断外出は、昼間とはいえ淑女ならば慎むべき行為であると。

 

 だから私はこう考える。

 ―――バレなきゃ大丈夫だろうと。

 

 見つからないように出掛けて、戻ってくれば問題ない…… そう思いながら蓄積された貴族令嬢の経験が、その教えを完全に破ることを地味に躊躇わせてもいた。なので本来の役割を発揮しない無意味な声掛けを行ったのは、『私はちゃんと外出することを伝えましたよ? 』という自己弁護をして罪悪感を紛らわせるためでもあった。

 

 (……まぁそのまま言い訳に使ってしまっては、使用人の方の不手際になって迷惑が掛かってしまうかもしれないから、見付かった時には何か適当に言い繕わなければならないわね……)

 

 そんなことを考えつつゆっくりと、物音を立てないように廊下を移動しながら階段へ向かう。

 

 木の床板が時折キシキシと軋む音を鳴らすものの、しっかりした造りの階段は扉を隔てた部屋の向こう側に響くほどの騒音を出さないことは確認済みだ。踊り場を経由し、1階に到着した時も、私を見咎めた大人は周りに誰もいなかった。

 そうしてとうとう辿りついたのは玄関広間。ここまで辿り着いたならばその先にある冒険の出発地、玄関の扉までは目と鼻の距離だ。

 

 (もちろん、最後まで気を緩めるつもりはないわ…… 私は過去の故事から学べる女ですもの! )

 

 物語の中にいた英雄達だって、最後に油断しちゃった者が悲惨な運命を迎えてしまったことは少なくない。彼らの後輩たる私が、同じ過ちを繰り返しては先達の遺した教訓に申し訳が立たないだろう。「冒険者は事前の情報収集も大切だ」と語ってくれた偉大な叔父の言葉も思い出しつつ、目の前にある床の一部を睨む。

 何を隠そう。あれこそは前回王都に訪れた際に、私の始まるはずだった冒険を出鼻から打ち砕いた罠。貴族専用の高級借宿にあるまじき―――『響く音を出す床板』だ。

 この悪辣な仕掛けによって外出をメイドに気付かれた1年前の私は、そのままお父様の前まで引き出されて冒険が出来なかったばかりか「貴族の娘にあるまじき云々」と、ひどいお叱りを受けてしまったのだ。

 おのれ板切れ…… そして去年泊まった貴族宿と、今年の予約した貴族宿は同じ物件である。

 ココを借りた二日前の昼。私の目の前で、すまし顔のままわざわざ板を踏み鳴らしてみせたお父様の意地悪な意図には思わず顔をしかめてしまったのを覚えている。

 

 (そもそも宿として、不良個所を残したまま貸し出すのは怠慢じゃないかしらっ!? )

 

 多分、これはあえて残すようにお父様が借宿の主人に指示していたのでは? と今は思う。

 あんなわざとらしく澄ました顔で床板を鳴らしていたのは、「去年と同じことをしでかすなよ」という脅しの意味を込めていたに違いない……なんて酷い父親だろうか。

 

 ――だけど。

 私は『伝説』に憧れ、その後継を目指す乙女なのだ。一度や二度の失敗なんてものは、冒険譚には良くあるスパイスである。過去の失敗を教訓とし、成功に繋げてみせようじゃないか。私なら出来るはず。既にそこにあるとわかっている罠なんて、容易く突破するのみだ。

 

 なぜなら私は、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラなのだからっ!

 

 ……さて、問題である板の位置を確認しよう。

 板を挟む前後2、3枚分のスペースも安全のために余裕を持って避けた方が無難だろうか? それ以上は、手足が伸びきってない私にはジャンプでもしないと厳しい距離だ。しかしその着地で音を鳴らしてしまえば、それこそ本末転倒だ。二重トラップ。お父様も中々にやるわね。

 なので令嬢としてはちょっとはしたないかもしれないが…… 大股で、大きく一歩踏み出す!

 去年であればやや届かなかったかもしれない距離。だけど、今なら届く。こんな小さな部分でも成長が感じられるのはちょっと嬉しいものだ。

 

 ――(また)いだ。越えた。

 

 ……音は鳴らない。

 

 (――やったわ!! )

 

 恐ろしい難関を知恵によって突破した私!最早行く手を遮るものは何もない!最高!

 そうして使用人に気付かれることなく一度敗れた敵を乗り越えることに成功し、私は脳裏に歓喜のファンファーレを鳴り響かせたながらも、玄関の扉を用心しながら静かに開け放つ。

 

 (見目麗しい主人公が、ついに囚われの貴族宿から抜け出すことに成功したってところかしらね……あぁ、やったんだわ私! すごくドキドキしちゃう……! )

 

 なんて達成感と解放感だろうか。見上げれば中天を過ぎたばかりの太陽が頭の上でまぶしく輝いている。その光はまるで、これからの私の旅立ちを祝福してくれているかのようですらあった。

 

 (せっかく王都に来たんだもの。絶対に『白の御柱』に挑戦しなくっちゃ……! )

 

 

 『白の御柱(みはしら)』。

 王都リ・エスティーゼの北東部。倉庫区に隣接したそこには、金銭と引き換えに民へ治療を施す神殿とは異なる、『柱殿』と呼ばれる独立した施設があり、そこには塔が一つ屹立している。

 その塔は階数にするなら5階の建物に迫るほどの巨大な純白の柱ではあるものの、中に人が入るような造りはしておらず、外側にすら何ら取っ掛かりとなるようなものは取り付けられてはいないらしい。あるのはその中央に刷り込まれたように浮かぶ、凧状の盾を背景とし、剣先を天へ向けてまっすぐ伸ばした幅広の剣を中央にあしらわれたマークただ一つという話だ。

 

 御伽噺で伝わる由来によると、150年頃前に今の規模まで領土を一気に拡張させた"王国中興の祖"ランポッサⅠ世が遠征の折りに染み一つないこの柱を見つけた時、武力を誇った王は最初こそ、柱を武具や装飾品の素材にしようと破壊を試みたが、集められた工具や爆薬、強者達のどのような魔法・武技を持ってしても破壊することはもちろん、傷つけることすら不可能であった。

 しかしそのまま放置するには、自然物であるはずのその柱は余りにも白く、光を返す色は見事な純銀であったがために、覇王は可能であれば破壊すること自体の許可は出しつつ、自らが構える本拠地である王都の外れ ――現在の倉庫区―― に位置する場所に設置した。

 ……時が過ぎ、王が崩御してからも兵士や技術者による破壊の試みは続いたが、傷つけることすら無理だった柱はやがて、不滅の王権を象徴するモノとして今に至る国宝のような扱いを受けることとなった。

 どのような状況や環境にも折れない王権のアピールとして、現在も塔への攻撃自体は制限されることなく一般公開されており、物体を破壊することを目的としたマジックアイテムを開発する技術者が実験に使ったり、冒険者の新人がコレを腕試しに殴ったりもしている。

 

 ――しかし100年以上をその状態で過ごし続けた柱は今も"不朽の塔"として朽ちず色褪せず、大陸でも唯一の"触れられる国宝"として、商人や駆け出しの冒険者にゲン担ぎに触れられる王国の名所となっている。

 

 

 そんな柱を収める『柱殿』こそが、今回の私が赴く冒険の目的地だ。

 

 小さく折り畳んだ王都の地図を、腰のベルトに括り付けた皮袋からいそいそと取り出す。

 目指すは大きく赤丸を付けてある王都北東部。歩いて行くにはちょっと遠いけど、向こうで念願の用事を済ませる時間を考えても、陽が沈む前には帰れるだろう。目的地である『柱殿』は高位の冒険者らの攻撃に晒されても破壊されないよう、簡素かつ広く作られているらしいので、迷うことなく見つけることも出来るはずだ。

 

 

 開かれた扉を抜け、意気揚々と正門へ向かう。

 

 「ついに始まるのよ! この私、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラの大冒け―――」

 

 「何をしている、悪い子だ」

 

 ひょい、と。

 背後から突然響いた低いバリトンの効いた声と共に、私の脚は私の意志とは無関係に地面から離された。

 

 私を猫の子を摘まみ上げるようにして持ち上げる腕は、僅かな抵抗も許さずその位置に連行していく。

 ――やがてお尻に訪れたのは、固い感触。

 無意識に両手を置いたその場所は、この無礼な実行犯の後頭部だった。手のひらに下に収まる、几帳面に整髪された金髪は、いつものように太陽の光を跳ね返す眩い煌めきを周囲に振り撒いていて、宙を彷徨っていた私の両足はガッシリとした両肩から、分厚い鋼にただ薄皮を被せたような逞しい胸板を包む、仕立ての良いシャツの前でブラブラと揺れていた。

 普段とは違う目線の高さ、いくら重心を傾けても決して揺らぐことはなさそうな安定感。

 ここは、小さい私にとってお気に入りの場所だった。淑女教育が本格的に始まった頃には私からせがむことはもう無くなったけれど、この人自身は何が気に入ったのか、私と会う度に好んでこの体勢――大人が子供に対して行う抱き方の一つである肩車――をやりたがるのだ。

 

 ……実のところ童女ではない年齢となった以上、はしたない行為と見咎められることを除けば私自身、別に今でもこうして貰うのは嫌いではない。

 この目線の高さと安定感、そして何より近々、アダマンタイト級への昇格も検討されているともっぱらの噂であるオリハルコン冒険者チーム『朱の雫』、その若年にしてリーダー様の肩車なのだ。世間的に最も英雄に近い存在であると認められる男に肩の上とはいえ抱き上げられるのは、何かこう、良い感じだからだ。

 

 けれど今回に限って言えば、アダマンタイト級に迫ろうとする実力者によって捕まえられ、なおかつこの人物がお父様と懇意にしている叔父であるという一点によって、素直に喜べない状況に陥ってしまったと言うしかない。

 ……どうやら私の冒険は、ここが終着駅となりそうだった。

 

 「アズス叔父さん……」

 「それはこの間プレゼントした服だね? 良く似合っている。南方から仕入れた珍しい装いだが、お転婆な君にはピッタリだ 」

 

 今年の私の誕生日にスカートじゃない服を贈ってくれた叔父さんは「こうして肩車してあげるにも、スカートほど気を遣わないで済むのも良い 」と私の服装を一通り褒めた後、ゆっくりと歩き出した。

 向かう先はたった今出てきたばかりの玄関扉。これはいけない。

 即断即決はなるほど、優秀な冒険者の証なのかもしれないが、ここは是が非でも説得しなければ。

 

 「叔父さん! 叔父さん! 今日だけは見逃して下さらない!? 」

 

 そう言い募りながら解放を促すべく、叔父さんの頭をペシペシと叩く。

 もちろんその程度では、彼の歩みに少しの影響も与えられなかった。

 可愛い姪の頼みも何のその。王国で今、最も注目を集めるオリハルコン級の冒険者パーティーのリーダー様の心は、その胸板と同じように鋼で出来ているのかしら。

 私の頭をぶつけないよう身をかがめながら扉をくぐり、全力で扉のフチを掴んで抵抗する私の腕を、気軽に優しくむしり取りながら彼は言う。

 

 「君が私を出し抜けたならそれも良かったかもしれないが……大きな音を立てないようにしてメイド達に気付かれなかったのは、うーんまぁ、評価するにしても。玄関扉にくっつけていた<警報(アラーム)>と同じ働きをする呼び鈴に気付けなかったのは減点かなぁ。冒険者ならば、最も罠の張られやすいモノの一つである扉には、常に注意を払わなければならないのだよ? 」

 

 ぐっ、と詰まる私であったが、罠については当然注意を払っていた。私が王都を1人で出歩くことに否定的な父やメイド達が、勝手な外出に神経質になっていたのは知っていたからだ。しかし、まさか魔法のアイテムまで持ち出してくるとは思っていなかっただけである。

 冒険への旅立ちを邪魔したことに文句をつけたら、本職である冒険者の心構えを持ち出されてしまったので反論に窮したが…… 幼子を言い包める雰囲気も篭められているような気がして、少々酷いのではないかと思わないでもない。

 顔は見えないが、明るい調子で機嫌良く答えてくれるおじ様が、私を抱えた体勢そのままに階段を昇り戻る。

 

 物音にようやく気付いたメイドが使用人室から出てきたが、叔父様が軽く手をあげて応える姿と、私の出で立ちを見て状況を把握したのだろう、苦笑いを浮かべてそのまま部屋に戻ってしまった。

 

 「せっかく楽しみにしてたのに……ひどいわ、叔父さん! 」

 

 『冒険』未満の『お出掛け』にすら失敗した私は、耳元で怒鳴られて精悍な顔を歪める叔父に構わず、叫ぶ。

 

 

 「私の伝説に刻む1ページに、『白の御柱』を傷つける最初の人間になりに行く冒険を邪魔するなんて!! 」

 

 「……オリハルコンである私の剣にだって無理なことを、(カッパー)にすらなってない貴族娘の素手でどうしようと思ったんだ、この馬鹿姪め 」

 

 そう言いながら落とされた叔父の拳骨が、この日の私の冒険を締め括った。

 

 




若かりしラキュースさん、厨二病よりポンコツ成分が多め。

 ①ブラウス
 :書籍6巻にてキーノがデミウルゴスと遭遇時、スーツを南方の服装と捉えてたし、王国には存在してないのかなぁと捏造。
 ②アズス叔父さん
 :ラキュースの叔父でユグドラシル由来の強化鎧を装備しているらしい、王国のアダマンタイト級冒険者パーティー『朱の雫』のリーダー……以上の情報が分からない人。原作19歳ラキュースの時点でもバリバリの現役らしいので、引退した冒険者を集めたレエブン侯配下の親衛隊が40歳代で構成されていることから、年の差は10年ちょいくらいが妥当かと捏造。
 ③10歳のラキュース
 :きっとカワイイ!捏造不要!

 予告とかしない方が皆幸せになれますね! 最初考えていた以上にモモンガ様に話数使っちゃったので、題名に使ってるラキュースが1話で終わるのもどうかなぁと、PV編前に前フリ差し込んだ方が良いような気がしちゃいまして…… 発売日完結出来なかったので、この際開き直ってもう少し話数を重ねようかと思います。
 ……10話以下なら短編名乗ってても許されますよね?



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女戦士と貴族令嬢の出会い

 時代を4年後くらいにワープ
 俺達の兄貴視点メイン回

 エイダヲダセー!




   * * * * *

 

 

 リ・エスティーゼ王国南東に位置する"城塞"都市――エ・ランテル。

 都市の頭に冠せられた物々しい通称が示す通り、その都市は隣国、バハルス帝国との間で慣例のように行われるようになった領土紛争において、王国側の要所としての役目を担っている。

 加えるに周辺国家最大の領土を誇る王国の国王直轄地にして軍駐屯地を兼ねたこの土地は、近年の大改革により発展著しい帝国、そして周辺国家最強の国力を持つスレイン法国の境界に位置しているということもあって、様々な流通が活発でもあった。

 勿論それは物資に限った話ではない。

 関所こそあれ王国民以外の者が立ち入ることも珍しくないこの都市は、人の出入りもまた盛んだった。

 

 商人、傭兵、開拓民―― 様々な肩書きや背景を持つ彼らの他、エ・ランテルに立ち寄る者達の中には国境の垣根や人種、性別を問わず就くことを認め許されている職業に就いている者も多かった。

 彼らの仕事内容と範囲は多岐に渡るため、一括りにすべきではないかもしれないが…… あえて最も従事する作業を指して挙げるならば「対モンスター用の傭兵」となるだろうか。主な活動として人間達が生きる土地に出没するモンスターを狩り、その報酬に日々の糧を得る―― 王国はそんな彼らをして『冒険者』と呼んでいる。

 

 冒険者達は建前上、国家の枠を超えて独立する「冒険者組合」に所属し、しがらみを抱えながらも人類種全体規模の警備職―― あるいはただの便利屋 ――としての活動が保障されており、その中でも一部の優秀な実力を持つ者達に至っては、身分を問わずに国境を越えた活動を求められることも珍しくない。

 彼ら高位の実力者達にあって、三国と接する土地に位置するこの都市の利用頻度は決して低くないのである。

 

 需要があれば、それに相応しい供給が生まれる。

 このエ・ランテルの中で活動するほとんどの商人達にとって、最も主要な顧客は平民である。王国全体の人口比率を考えれば当然ではあるが、加えて通年行われる戦場に近い城塞都市とあっては、そんなところに居を構える貴族や王族は稀である以上は尚更だった。

 そして冒険者という職に就く者達は生死を賭けた戦闘を前提とした生活をしていることもあり、命と引き換えに手に入れる報酬は、平均的な平民達が就ける職種で得られるソレと比べ、往々にして高額である。加えて命を繋ぐ装備や消耗品、日常を後悔しないために日々の娯楽などに払われる金回りの良さといったら、日々の生活や税の徴収に喘ぐ他の平民達はもとより、下手な貧乏貴族達よりも豪華であった。

 それゆえに商人、いやエ・ランテルの運営を担う者達は、そんな彼らに金銭を都市内に還元して貰うべく、国軍を受け入れて養うだけの施設とは別に、冒険者を対象としたアイテムを取り扱う露店、または飲食施設を充実させてきたのであった。

 

 しかし都市内に滞在する以上、ほぼ必ず利用される重要な施設――『宿』であるが、この都市の冒険者組合によって紹介される公式に認められた冒険者用の宿泊施設は、わずか3件しか存在していない。

 

 もちろん、冒険者達にはそんな数少ない宿を使わなければならない、という義務はない。

 にもかかわらず、特別宿泊しない理由でも限りほとんどの彼らは、この宿のいずれかで夜を明かすことを選んでいた。

 これには理由がある。

 冒険者という職種にはグレードが存在し、達成した依頼実績に応じてその合計8段階の格付けが厳密に与えられており、その位階が高い者達ほど依頼される仕事の難易度は上がり、比例するように報酬は多くなる仕組みがあった。そこで冒険者に提供されるサービスの質を報酬に見合った、上・中・下に明確に区別した3種類の宿を組合側が斡旋することによって、そこには『自らと近い実力者達が集まる場所』という環境が自動的に生まれるのである。

 そんな場に身を寄せることが出来るという一点だけで、冒険者にとっては組合紹介の宿に泊まる理由としては十分過ぎるのだ。

 

 冒険者ランクが近ければ、受注する依頼の種類や傾向、難易度も似通ってくる。

 基本的に複数人のパーティーで行動することを基本とする彼らにとって、組合側が実力的に近い者を勝手に振り分けてくれる『宿』は、新しく迎えたい仲間を求める場所としてうってつけであることは言うまでもなく、何より同業者が集まる場所なので様々な情報を入手しやすいというのが最大のメリットだ。

 

 もし特定モンスター討伐の際、事前にそのモンスターの討伐実績を持つ冒険者と交流を持つことが出来ていれば、その経験からもたらされる助言が討伐の難易度を大きく下げるだろう。予期せぬ未知のモンスターとの遭遇戦では、他パーティーに所属する冒険者との何気ない雑談から得られた切っ掛けが、生死を分ける閃きとなって命を救うかもしれない。一見簡単そうに見えた依頼であっても、自分達のパーティーだけでは気付けなかった落とし穴の存在が同業者の経験談から浮き彫りとなり、自分達の安全を優先して依頼を受注しない判断の助けとも成り得るはずだ。

 

 加えて日常の一部を共有し、同じ釜の飯を食べる彼らは、有事の際に手を取り合うことを躊躇わない。

 社会的な地位が一部の例外を除いて傭兵同然の扱いを受ける、所詮は根無し草でしかない冒険者達。大した後ろ盾もない状態で日常的に命を懸ける必要がある彼らにとって背中を預ける仲間、あるいは最低でも突然背中を斬られないと思える隣人は万金の価値がある存在であり、その考え方は一部の破綻者達を除いて、冒険者達の間で普遍的なものでもあった。

 

 情報や経験、技術や仲間。

 生死を分ける程に無視してはならない要素を数多く共有できる場所―― それが『冒険者の宿』なのである。

 

 この場所を重要視しない冒険者は無能であり、長生き出来ず、やがて誰かに助けられることもなく死んでいく。彼らが人間種という大陸の中でもひ弱な種族であることから逃れられない以上、群れを離れて生きるという生き方は、わざわざ選ぶメリットなどない愚者の選択なのだ。

 それは例え高ランク、最高位のアダマンタイト級冒険者になっても外れることのない真理であり、むしろ一瞬の判断ミスが死に直結する瞬間を多く経験する彼らだからこそ、情報共有の大切さを強く心得ているといっても過言ではないだろう。

 ……現在のところ、王国にその最高位たるアダマンタイトを預かるパーティーは一組しか存在していないため、彼らの求めるレベルの情報が宿屋の雑談から得られることなど、ほとんどないのかもしれなかったが。

 

 ここで重要なのは、エ・ランテルが誇る冒険者御用達の最高ランクの宿――"黄金の輝き亭"に併設された酒場には、毎晩多くの高位冒険者達が集まり、一期一会となるかもしれない縁を結ぼうと交流してきた事実である。

 

 深紅の鎧を纏った大柄の女丈夫と、まるで陽光を振り撒いているかのような存在感を放つ、輝く金糸の髪を持った少女。

 単独で冒険者活動をしてきた2人の冒険者がその日その宿で出会った背景には、そんな冒険者に配慮された仕組みの影響が少なからずあった…… 結論すれば、これはそれだけの話なのであった。

 

 

 

   * * * * *

 

 

 

 「……まぁそんな訳で、トブの大森林って場所はとにかく危険が多いトコなのさ。もっとも、この辺りをホームにしている俺達『クラルグラ』ほどになれば、ある程度その環境への慣れと理解もあるがね…… 大抵の連中は、その前にコロっとくたばっちまうんだよ 」

 

 ――この街で最も位階の高いらしい冒険者パーティーのリーダーはそう言って、俺の奢った酒で唇を湿らせた。

 

 合間合間に差し込ませなくては気が済まないらしい自慢話にはいい加減、ツッコむ気も無くなってきたが、流石にミスリルの冠を頂いているだけの冒険者ではあるのだろう。語られた内容自体はこれまで集めた情報と食い違うことのない、信憑性の高い代物だった。

 ただ、この手合いはどうも食指が動かねぇな。鼻につく喋り方も減点だ。

 童貞じゃなさそうだし。

 

 ……トブの大森林とはリ・エスティーゼ王国とバハルス帝国の国境を縦断するアゼルリシア山脈、その南端に位置する広大な森林地帯のことを指して呼ばれる土地の名称だ。

 その名だけなら王国に住む民のほとんどが知るだろう有名なモノだが、では一体この森がどれほどの規模を誇るのか、おおよその総面積を聞いたところでピンとくる平民なんてほとんどいねえだろう。あるいは目先の金以外のことについては不勉強でいらっしゃる大多数の貴族様達にだって、それほど多くはいないのかもしれねぇ。

 これでも俺は基本的に特定のパーティーを組まずに単独(ソロ)で活動しながら、目の前の男が所属するパーティーと同等の成果を出せると評価された結果、同じくミスリル級の位を与えられている冒険者なのだ。悪知恵働く商人達に誤魔化されないよう、文字の読み書きや計算についてはある程度修めているつもりだったが…… 大森林の広さを伝える数値を初めて見た時にその広大さを具体的には想像できなかった時点で、俺もまたそんな大多数の内の1人だったってワケか。

 

 それはデケェのか? まぁデカいんだろうな…… 確かそんな第一印象だった気がする。

 

 冒険者御用達のこの酒場で、そんな大森林の話題を振ってきたフォレスト・ストーカーのクラスを名乗る男は、こちらが返した薄い反応を先刻ご承知だったらしい。

 「俺はアンタよりもこの森について詳しい人間なんだが、明日の依頼に備えて情報を集めてみようって冒険者の心構えは持ってるかい……? 」などと、言外に要求されたこの店で一番高い酒を奢ってみれば、辺りに聞こえるデケェ声で如何に大森林が恐ろしい場所か、そんな危険地帯に踏み入る自分達がどれだけ優秀かを語って聞かせてきたのだ。

 

 それだけならまぁ可愛い跳ね返りにも思えたんだが…… より分かり易い喩えを教えてやろうと言いながら、勿体つけて出したモノが「900万近くの人口を誇る王国の生活圏、その1/5に匹敵する規模」という、結局一般的には伝わり難いだろう言い回しで、コッチを再び値踏みしてきやがった。

 

 抱いて極上の夢を見せてやろうって親切心も失せるってもんだ。

 

 コチラの無教養でもねちっこく指摘して「決まったパーティーを組まないままに単独のミスリルを名乗る大戦士サマと言ってもこの程度 」とでも喚いてみれば、周囲への牽制と自らの博識さをアピール出来るとでも思ったのかもしれねぇが…… 有難いことに王国中を渡り歩き、この国が有する領土の大きさを自らの足で知っている俺にとっては、その喩えのお陰で森の広大さを大まかに推し測ることが出来ていた。

 

 もうこの野郎と膝突き合わせて酒を飲む必要もねぇだろう。

 だが――

 

 (しっかしコレ。出任せ聞かされてんじゃなかったら、ちっとも明るい情報じゃねぇなぁ…… )

 

 リ・エスティーゼ王国の生活圏。その1/5に匹敵する規模。

 問題はコレだ。

 国の1/5という字面だけ切り取ってみれば、あるいは生まれた村から一歩も出たことのない村娘などであれば狭いかもと思ったりするかも知らんが……この国が分母となった"1/5"の数字が示す広大さを、俺は想像出来ちまう。しかもその地は大森林という名称が表す通り、少し奥に立ち入ることだけでも困難な人外魔境ときているのだ。

 生い茂る草木によって制限され、昼でもなお暗い悪条件の視界。

 そんな地形を利用し、奇襲を絶えず仕掛けてくる平野とは段違いに厄介なモンスター達。

 そして何より噂に名高い、『森の賢王』と呼ばれる圧倒的な強者の存在。

 

 ――瓶に残っていた酒を手酌で注いで煽りつつ、この宿に入る前に立ち寄った、冒険者組合の依頼掲示板に掲げられていた真新しい依頼票を思い出す。

 周りの冒険者達には舐められないだけの返事はついさっき返してやったので、何やら騒ぎ始めた目の前の男はもう放置だ。

 

 (とてもじゃないが城塞都市の観光ついでなんてノリで、出掛けられるような場所っぽくねぇよ )

 

 依頼票に掲示された内容は、複数の冒険者パーティーを対象にした、トブの大森林内に自生する新たな薬草群生地の捜索依頼だった。

 この都市の薬師組合に所属する者達による連名で出されていたこの依頼は、同じくエ・ランテルに住まう最高の薬師、リイジー・バレアレ個人の店が卸すポーションに対抗するための素材探しの一貫だというのが、この店に集まった冒険者達の見解らしかった。なんでもバレアレ印のポーションはその原材料にトブの大森林から採集された素材を多く使用しているらしく、そこには技術の差もあるのだろうが、価格の差以上に価値のある品質を誇っているのだという。

 

 ……そんな品質のポーションに対してエ・ランテルの他店はこれまで、品質に劣りながらも価格を抑えることで需要を取り合って競合することは避けていたらしいのだが、どうやら最近店を継いだばかりの若い1人の薬師が、その均衡に喧嘩を売る大層な気炎を上げたそうなのである。

 曰く、「神の血を示すポーション」を目指さず現状に甘んじる薬師に、存在する意味はあるのかと。

 よりよい効能を持ったポーションを目指し、研究するには、今自分達が使っている薬草よりも高い効果を持つことが期待できる素材が必要ではないかと声を上げたらしい。そこで目をつけたのが、自分よりも確実に1歩以上前を歩いているバレアレが取り扱っているトブの大森林原産の薬草という辺り、ぶち上げた気炎の割には中々堅実な思考をしている人間なのだろう。

 同じような立場でポーション作りに情熱はあっても資金はないという若い薬師と金を出し合い、後追いであってもまず、現実的な範囲で新しいことに挑戦しようという青い気概は、中々天晴れな心持ちでもある。少なくともバレアレの店に忍び込んで技術を盗もうとせず、馬鹿正直に依頼を張り出して正面から堂々と喧嘩を売る姿勢は、世慣れしない真っ直ぐさの表れなのだろう。

 

 (……バカ正直に連名で依頼を出しちまってるもんだから、少なくとも今のところ、名前を乗せてた店が扱っているポーションよりはバレアレのそれの方が品質の高い品物だと認めて宣伝してるようなアホをやらかしてんだが…… あぁいう童貞臭さは嫌いじゃねぇんだよなぁ )

 

 依頼を見た時は一丁、パパッとこなして依頼主の顔でも拝みに行ってやるかとも思ったが…… どうにも単純な護衛任務などとは違い、ややこしいことになりそうな目的地なのだ。

 

 ――酒場の喧騒が少し大きくなる。店に入って来たばかりらしい、それまで無かった女の声が耳に響く。

 ――その煩わしい声を考え事をしている頭から追いやりたくて、杯に残していた酒を一気に飲み干す。

 

 依頼自体に、何ら後ろ暗いモノはない。

 公的な機関である薬師組合を通して発注された内容なだけあって報酬はそれほど旨みはなかったが、決まった期日は設けられていない上、初回ということで若者を応援する薬師組合の計らいか、この依頼に参加する意思のある冒険者集団を輸送する馬車が、明日この都市を出発することになっているらしい。

 集団移動で保障される道程の気楽さと、同行する薬師によって見つけた薬草の査定をその場で行って貰えるというお手軽さは正直魅力ではある。何より専門家付きで現地の薬草収集ノウハウを教われる機会なんて、そうそうあるものではない。

 単独活動が多い俺の冒険者生活にあって、そうしたいざという時に役立つ知識は宝であることは間違いなく、恐らく童貞の依頼主の件や金銭の報酬は抜きにしても、参加するメリットは大きいはずなのだが……

 

 (恐らく今回の依頼で冒険者全体の指揮を取るのは、エ・ランテルをホームにしている中でも最高位のミスリルパーティー『クラルグラ』の連中になるんだろうが…… メンバーのヤツらはともかく、どうにもリーダーの野郎が気に食わねぇ )

 

 確かイグヴァルジ、と言ったか。

 野外活動に秀でるフォレスト・ストーカーのクラスを有したこの男は、確かにトブの大森林という場所にあっては頼もしい技能を持っているのだろう。しかし言動や振る舞いに見え隠れする、露骨な功名心が頂けない。

 もちろん冒険者である以上、大なり小なりの名声欲は持ってて当然であるし、逆にそれがない者は大成しにくい。「いつかアダマンタイトに」「歴史に残る武具を手にしたい」――そんな野望を持つことは多いに結構だろう。否定はしない。

 だがイグヴァルジから感じるソレには、目的を叶えるためなら平然と他者を踏み台の道具にして蹴落とすことも躊躇わない浅ましさのようなモノが宿っているように思えてならないのだ。

 仮に大森林の中でトラブルが起こった時、コイツは窮地に陥った者を救う性根を持った者ではないのだろう。最悪、自らが生還する確率を高めることに繋がるのであれば、喜々として切り捨てようとするかもしれない。会話の間中ずっとコチラの弱みを探ろうとしていた男からは、そんな据えた臭い混じりの気配を感じていた。

 そんな男が指揮する集団と状況によっては深入りするには、トブの大森林という場所は危険な場所なはずだ。

 

 ……金銭には余裕があり、この依頼をこなさないといけない理由がある訳ではない。

 やはりこの酒を呑み終わったらさっさと部屋に戻って、明日は別の依頼でも見繕うとするか―― そう思い、杯を空にすべく傾けた、その時であった。

 

 「すいません! 明日私はトブの大森林って場所に薬草を探しに行く依頼を受けたのですけど!……えーっと、貴方がイグヴァルジさん? そこの事情に詳しい方は貴方だって聞いたので、良かったらお話聞かせて貰えませんか!? 」

 

 

 ――目の前に突然、太陽が飛び込んできたのは。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 『朱の雫』――王国唯一のアダマンタイト級冒険者パーティー。

 そのパーティーリーダーは貴族出身の変り種として実力ともに有名であったが、最近になってその有名人にまつわる噂がもう一つ増えていた。

 それは彼の姪、正真正銘の貴族令嬢がまだ成人にすらなっていないにもかかわらず、家を飛び出して冒険者になったという噂話である。家を追い出された貴族の三男、四男坊辺りが身を持ち崩した最後に冒険者となること自体はそう珍しくもないものの、王に直接謁見が叶うほどに力ある貴族の娘が冒険者に―― そう、冒険者達の間で噂になるほどの存在感を持った冒険者になるのは非常に珍しい。

 

 今、テーブルに着いたままだったイグヴァルジの真向かい、丁度私の隣に座る形で席についた少女。

 一瞬太陽とさえ見違えた見事な金髪を、依然として照明の灯りの下に輝かせている彼女こそ噂の貴族令嬢冒険者―― ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラだった。

 

 乱入してきた娘はこの宿屋に入ってきたばかりだったらしく、まだ食事を済ませていないということで、そのまま俺とヤツが座っていたテーブルの内、空いていた席へと腰掛けていた。

 先程キンキンと耳に煩かった声の持ち主だったらしいことも、話し始めてすぐに気付く。

 澄んだガラスのように遠くまで響くこの声は、酒の入った頭で近くで聞くには辛いかもしれねぇと初め思っていたものの、活力に溢れた屈託のない表情と合わせて聞くだけで、不思議と不快に感じることはなかった。

 

 「ミスリルの俺が持つ情報を、お前みたいな餓鬼に話してどうなる 」

 

 ……もしかすると本人は上手く隠しているつもりかもしれなかったが、今日が初対面の俺にだって分かるほどに、コイツは自尊心が高過ぎるほどに高い男だった。そう言って追い払おうとし、その顔に先程まで浮かばせていたはずの薄ら笑いも今は消え、嫉妬をにじませた目をその少女に向けているのがハッキリと分かった。

 彼女が胸元から取り出して見せた冒険者の格を示すプレートが金色に輝いている様を見た時から変わった表情から察するに、恐らくはコイツも噂を聞いたことがあり、彼女の正体を察したらしい。

 

 「冒険者合同でトブの大森林へ向かう依頼、貴方も参加するのでしょう? 私はそこに行くの初めてだから、用心の為に先達の方から心得があるのなら伺おうかと思いまして? ……あぁ、それとご心配なく。見ての通りこれでも(ゴールド)ですので、ミスリルの方々が狩場とされる場所でも自分の身くらい守れますわ 」

 

 まさか従者の一人もつけず、自分と同じ単独(ソロ)で活動してたとは知らなかったが……それも彼女を有名にしているタレントのおかげなのだろう。

 冒険者は、くぐった死線の数だけ成長する。

 モンスターを狩れば狩るほど、襲い来る苦難を超えれば超えるだけ、剣の振りは鋭く重くなり、唱えられる魔法の位階は上昇するものだ。ただ訓練を重ねる兵士より冒険者達の方が強力なのはチームによる連携力とは別に、そうした経験の差であると俺は思っている。

 しかしそんな冒険者の中にあって、彼女は際立った異彩を放つ存在なのである。

 冒険を一つこなす度、連れ立った同業者達と比べるべくもなく成長するという彼女。ある大型の悪霊犬(バーゲスト)の討伐依頼を彼女と合同で請け負ったという冒険者から流れてきた噂で、その討伐前と討伐後では彼女の動きが別人のように昇華されていたという眉唾な話まであるくらいだった。

 恐らく組んでいた冒険者とはその成長スピードが噛み合わず、解散と合流を繰り返した結果が今の単独(ソロ)という状態なのだろう。

 ぶら下げているプレートこそ(ゴールド)ではあるが、恐らくその実力はミスリル、あるいはオリハルコン級冒険者達にも既に至っているという自負があるに違いない。イラついた視線を隠し切れていない男と違って、ご令嬢らしく楚々とした振る舞いではあったが……その端々から伺える自身の持つ戦力に対する評価に一切の謙遜を見せることはなかった。

 

 タレントが告げる将来性。

 貴族という生まれがそうさせるのか、人目を引き付ける生来のカリスマ。

 そして令嬢とは思えないほどに冒険者をするのに向いた、物怖じしない負けん気の強さ。

 

 (面白そうなお嬢ちゃんだ )

 そう思う。

 

 俺っち自慢の一品"凝視殺し(ゲイズ・ベイン)"を見るなり、その来歴を聴きたがる目のつけどころも買いだ。

 ……ただ、およそ成人してすらいないだろうことが分かる幼い顔をしているものの貴族の社交界を経験しているはずにしては、長年を費やしてようやく潜り抜けただろう地位にあっさりと指を掛けられたことに妬心を滾らせる男の感情を察せられない節穴ぶりに、何とも言えない不安を感じさせやがる。

 

 「私はラキュース。『青薔薇』のラキュースよ! 貴方も行くなら、明日はよろしくね! 」

 

 村娘、ましてや冒険者では有り得ないほどに手入れされた様子の金髪が揺れる。

 穢れを知らない花のような表情で、気がつけばコチラに詰め寄っていた彼女が綻んでいた。

 

 

 

 

 「……あー、まぁそうだな。明日はよろしく頼むぜ? 俺は戦士のガガーラン。アンタの噂は聞いてるから期待してるよ、『青薔薇』のお嬢 」

 

 "不可能"を可能にする―― そんな英雄を目指す上で考えたというたった一人しかいない冒険者(チーム)名を嬉しそうに名乗った危なっかしい少女に対し、俺はいつの間にかそう答えていたのだった。

 

 




 特に理由のないレッテル貼りが、既にミスリルの地位を築いている有能なイグヴァルジさんを襲う……!(=本編時期までまるで成長していない)

 節穴ラキュースさん14歳、謎多し可憐なる戦士と出会う。

※「魔法に適正を持ち、通常の倍速で魔法を習得可能」なんていう帝国の爺様が知れば嫉妬で狂いそうなニニャのタレントより有名で、「あらゆるマジックアイテムを使える」なんていうチートなンフィーレアのタレントに、離れた王都で活動していながら地元の冒険者に匹敵する知名度と言わしめるラキュースさんのタレント。まだ原作ではハッキリしていませんが、一体どんな代物なのでしょうか?
 拙作では彼女のタレントを、貴族の家を自分の判断で出奔出来る年齢までは真面目に貴族令嬢をしている点から冒険者として活動している期間は余り長くないはずにも関わらず、原作6巻末の紹介文にて「既に『英雄』の領域に足を踏み込んだ神官戦士」「まだまだ成長の余地を残している」「伝説にうたわれる可能性が非常に高い」とハッキリ文面化されている点から、"十三英雄のリーダーに準ずる成長バフ"としております。
 ……「名前を言う必要のない」あの技の他に武技らしい武技を使ってないラキュースさんが、復活魔法を使う詠唱者ではなく神官戦士として身を立てていられるのは、イビルアイに迫れる程度には豊かなステータスを純粋なレベル補正で獲得しているからだと思ったり思わなかったり。
 そんなスピードで成長したのなら、帝国の爺様が実は早熟なだけで才能頭打ちであるアルシェに重い期待を掛けていたように、英雄候補として噂されることもあるだろうなと。

 ――ちなみにこの設定は、さして重要ではないのでさらっと流して頂いて大丈夫です! 


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《 おはようございます 》

 7話目にしてようやくのクロス回




   * * * * *

 

 

 ――ようやく森の深部を抜けたのか、鬱蒼と陰っていた森に明るさが少し戻ってきた気がした。それでも森の出口、あの開拓村に辿り着くまで、もう少しばかり掛かるだろう。

 だから走った。

 視界を防ぐ小枝を身体で掻き分ける。

 迂回させようと横たわる大木を飛び越える。

 騒音を撒き散らしながら走るコチラの隙を伺うようにしているゴブリンなど、構っていられない。

 肩に担いだ若い命を死なせないために、ひたすら俺は森をまっすぐに駆け抜けていた。

 

 ”ケリュケイオンの小手(ガントレット・オブ・ケリュケイオン)”に宿った癒しの力は、とうの昔に使い切っている。用心のためと準備していた3本の治癒系ポーションは、ついさっき最後の1本を残して2本をぶっ掛けてやったばかりだ…… それでも少女は、ほんの僅かにも意識を回復させることはなかった。

 

 常識で考えれば、もう死んでいるのかもしれない。

 何せ少女の心臓は、一切の鼓動を止めているのだから。

 

 それでも俺は、こうして彼女を運んでいる。

 依然としてその身体から体温が失われていないことと……その突然の死? が、どうにも不可解な状況でもたらされたという理由が一つ。早々に少女の死を認め、諦め顔で放置することを提案していたあの男の態度が癪に触ったということもあるが、何よりこうしてパーティーを離れて単独で俺が森を駆け戻っている一番の動機は、俺自身がこの少女がこのままただ死んでしまう器とは、どうしても思えなかったからだろう。

 

 ――今まで噛んで磨り潰していた、採ったばかりの薬草を空いた手のひらに吐き出す。草の苦みとエグみが口一杯に広がっているが(ゆす)ぐのは後回しだ。そのままドロドロに溶けた薬草のペーストを、彼女の口の中に無理矢理押し込み、最後のポーションも合わせて流し込ませた。

 

 ゴクン――。と嚥下した様子が、肩越しの気配で伝わる。

 やはりまだ生きている。心臓は相変わらず、動いていないのに。

 むせても良いから意識だけでも取り戻すことを期待していたが、彼女の瞼もまた動かなかった。

 

 (こんなトコでくたばるんじゃねぇぞ、ラキュース……! )

 

 糞野郎のパーティーにいた神官の魔法でも回復しなかった以上、残る頼みの綱はあの開拓村――カルネ村のエモット宅にあるかもしれない、ポーションあるいは薬だけだ。あの家がバレアレ家と懇意にしているという話を大森林に踏み込む前に聞いていたことが、果たしてこの娘を救う手段の切っ掛けであったのかどうか――

 

 ガサリ――パキッ……

 

 俺以外の何かが枝草を踏みしめた音が耳に届く。結構近い。

 反射的に音の鳴った方向へ視線をやれば背の高い雑草の向こう、そこに痺れを切らしたのか、俺が駆ける前方に回り込もうとしているゴブリン共の頭が見えた。

 ……鎧が重い。ヤツらが回り込む方が早いか。

 

 「今度王都や帝国に立ち寄ったら目的地まで真っ直ぐイケる、空を走れるようなマジックアイテムでも探すかねぇ……! 」

 

 近々買い替えようかと考えていた使い古しの戦槌を構えつつ、肩の荷物をしっかりと抱え直した俺は、踏み出す足へとこれまで以上の力を込めた。

 

 

 

   * * * * *

 

 

 ――きっと私は、選ばれたんだ。

 

 それは教会で洗礼を受けた時か、もしくは家を飛び出した時か…… それともあるいは初めてゴブリンを剣で倒した時からだったかもしれない。

 いつかの時に自分がタレントを持って生まれており、それが戦うことで初めて開花する種類のモノで、周りの人達とは余りに一線を画する代物だと気付いた。

 その時を境に私は、自分が貴族という貴種に生まれついたということ以上の、何か特別な存在なんだと感じることが徐々に多くなったと思う。

 

 その認識は、この森に入ってからも変わらなかった。

 

 一般人、あるいは成り立ての冒険者ではその外縁を撫でるだけでも難しい、人ならざる者達の領域であるトブの大森林。今まさにその奥へと立ち入ろうとしながらも、華奢な体格の女の子らしい身体を維持したままの我が身は、未だ傷らしい傷を受けていない。熟練の冒険者パーティーである『クラルグラ』の何人かが先のトロールとの戦闘で手傷を負い、回復のために同行した皆で小休憩をとってはいるものの私自身は至って健康、疲労も大して感じてはいなかった。

 それは14年しか年を重ねていない人間種には到底持ち得ない魔力が、見た目の筋肉からは大きくかけ離れた膂力とスタミナを私にもたらしている結果であった。武技の1つも未だに体得出来ていないほどに浅い経験しか持たない身でありながら、腕の太さほどもあるロングソードを片手で振るい、その一撃でゴブリンを絶命し得る身体の力。

 この依頼に同行し、私と同じく単独活動をしながらもミスリルの位を得ている女冒険者の先輩、男顔負けの筋量を誇る彼女には一歩以上譲るものの、これは決して常識的な力でないことは自覚している。

 

 そして。

 

 「来たわねっ……<魔法の矢(マジック・アロー)>! 」

 

 『クラルグラ』の人が仕掛けた<警報(アラーム)>に引っ掛かっていた1匹のゴブリンが飛び出し、それを迎撃するために今まで控えていた私が魔法を発動させる。

 唱えた魔法は第一位階。けれど生まれた光弾は3つ。

 それぞれが別の軌跡を描き―― 1発も外れることなく、標的を打ち据えた。 

 

 ……その結果3つの焼け焦げたような跡を身体に刻んだゴブリンの死体が出来上がった現実は、素質ある者が生涯を掛けていずれ到達することを目指す熟練の魔法詠唱者の証、第三位階魔法が行使されたことを示している。

 この森に入ってから初めて使う攻撃魔法――私が持つ、身体能力とは別の力を証明する光景だった。

 

 不意に背後から聞こえてくる、誰かの息を飲む微かな音。

 振り返ってみれば、道中を共にしていた面々の多くがコチラを見ていた。

 私がただ腕力のみに恵まれた小娘ではなく、第三位階に相当する魔法も行使出来るとは思ってもいなかったのだろう。それぞれが分かり易い驚きの表情を浮かべている。

 ――けれど、皆一様の表情をしているわけではない。

 ここまでの戦闘で示してきた、私の年齢と体格に見合わない剣を振り回す様にも純粋な驚きの声を上げていた薬師ギルドの関係者達は、これまでより大きめな驚愕程度に留まってくれたものの…… 金級に見合う戦力だとくらいしか反応を返していなかった冒険者達の顔に浮かんでいるのは、驚きだけではなかった。

 

 私は、まだ子供だ。

 それでも何度となく繰り返し同じ顔を見せられ、似たような言葉を投げられれば、それがどんな感情から生まれた表情なのかは学べてしまうのである…… だから彼らの顔に浮かんでいるモノが何なのかも、すぐに察せられた。

 

 (……やっぱり、魔法を使うのはもうちょっと後の方が良かったかしら? )

 

 彼らの顔にあるのは驚きと力持つ者への賞賛…… そして最早見慣れた、嫉妬に歪んだ表情だった。

 長い研鑽と危険な冒険の末に、一部の者がようやく手にし得る力を持つ貴族の小娘―― 平民に生まれず、才能にも恵まれた私には想像することしか出来ないけれど、それは確かに業腹な存在に違いない。彼らパーティーのリーダーが零した舌打ちは露骨過ぎるほどだったものの、これは初めて向けられる悪意じゃなかった。

 

 もちろん、こんな視線や感情に怯えて卑屈になったり、努力を嘲笑おうなんてする気はない。私より強い人、才能に優れた人がこの世界にいくらでもいる。

 私はそんな人達に追いつき、超えるような『英雄』を目指しているのだ。だからこのタレントを誇るし、これからも力を高めることを止めたりなんかしない。『青薔薇』を名乗るのだって、普通に留まりたくなかった思いを込めているからなのだから。

 

 ……そんな夢持つ私だけど、決して進んで人の輪から外れたいという訳ではない。

 最近はいつもこうしてギクシャクするようになるから固定のパーティーを組むことは無くなったけれど、人と関わることは楽しいし、他人と一緒に冒険する旅は心が弾む。だから窮地や必要な状況になるまでは剣か魔法、どちらか片方だけを出来るだけ使って、臨時のパーティーと依頼をこなすようにしていた。

 だからこんなに早い段階で両方の力を示して、無為に足並みを崩すようなことをするつもりはなかったんだけど――

 

 ガチ、ガチと。

 手甲を打ち鳴らして拍手をする音に混じって響かせる、甲高い口笛の音。

 

 「剣だけじゃなく、魔法まで使えんのか!しかもアレは第三位階相当か?…… たまんねぇな 」

 

 フェイスガードだけ外した全身鎧を纏う女丈夫が、さっぱりとした笑顔を私に向けている。

 そこに、何ら含むモノは感じられない。純粋な賞賛だけがあった。 

 

 (……ああ、いいなぁ )

 

 分かる。彼女に才能を羨む嫉妬はない。正面から私の力を認め、かつ自身の力は決してそれに引けを取りはしないという自負を持った彼女の貌。

 そう、赤い鎧を纏っているからではない。

 会った時からどこか感じていた、あの叔父に似た気配を漂わせるこの女性に、私は自身の力を早く見せたくて仕方なかったのである。結果彼女が浮かべたのは野生味に満ち、自信に溢れた表情であり―― それは私にとってますます魅力を感じさせるモノと言えた。

 

 固定パーティーに入っていない、単独で活動する稀有な実力者。

 私の夢と食い違わない、良心的な善意に根ざした行動を好む同姓の女性。

 そして成長を続ける私と、対等でいてくれる同業者。

 初めて組みたい、一緒に冒険してみたい――今回の依頼をスムーズに達成させることより、そう直感した相手に、自分の全力を少しでも早く評価して貰いたいという気持ちを優先してしまった。こんなチームの和を乱してまで拙速に求めてしまっては彼女の印象を悪くしてしまうかもしれなかったが、それでもこんな出会いが次に訪れる機会なんて、一体いつになるか分からないと思ったのだ。昂ぶる心を抑えるなんて出来やしなかった。

 

 (彼女と一緒に冒険出来たら、きっと最高よねぇ…… )

 

 この依頼が終わったら、なんて言って彼女を誘おうか…… そう思った時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――何の前触れもなく、突然心臓が()()()のは。

 

 

 

 モンスターの奇襲? 突発的な病気?

 そんな風に原因を考えられたのは本当に僅かな間だけで、慣れない激痛と困惑ですぐに何も考えられなくなった。

霞んでいく視界は目の前にいた彼女の表情に、さっきは一人だけ浮かばせなかった驚きの色を見付けられたのを最後にして、暗闇に落ちた。

 

 意識がどんどん混濁していく…… 身体の感覚も、既に無くなっている。

 

 このままここで死んでしまうのか、と消える意識の端で微かに思った時だろうか。

 ここにいる誰でも…… いや、そもそも過去に聞いた覚えすらない誰かの『声』を、聞いたような気がしたのは。

 

 

 《 おはようございます 》

 《発展型反逆教導ユニット、"A.D.A(エイダ)" です 》

 《 操作説明を行いますか? 》

 

 

 ……これは再び目覚めた後に、振り返ってようやく気付いたことだけど。

 彼女と連れ立って冒険し、いつか『英雄』を目指す―― そんな夢を見ていた順風満帆な私の人生は、この『声』を聞いた瞬間に終わりを告げられていたのである。

 

 

 

   * * * * *

 

 

 

 ココではないどこか、アソコではどこか――

 誰にも知られることのない狭間の空間に、ただ送信され続けるシステムメッセージがあった。

 宛てられた者はアチラ側の存在ではない。だからそれを受け取ることは元より不可能だった。

 

 もっとも受信者が元はアチラ側の存在であったとしても、本来ならば誰もが呼び出すことの出来た個人コンソールなるもの―― システムメッセージが表示されるべきソレが決して開けないコチラ側の世界にいる以上は、どの道それに気付けるはずもなかっただろう。

 

 そんな無為に垂れ流されるだけ、読む者は決して現れないメッセージではあったが、発信は止まることなく繰り返され続けた。何度も何度も伝えようとしていた。

 その内容―― "警告"を対象者に告知することは、送信者に生まれた時から定められた絶対の義務だったからである。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 ――DEC 14 --:--:-- herohero_maid42 last message repeated 5 times

 ――WARNING: ERROR! WARNING: ERROR!

 ――DEC 14 --:--:-- herohero_maid42 /kernel: ipfw: 65000 Deny P:2 126.25.63.122.212……

 ――WARNING: ERROR! WARNING: ERROR!

 

 ――仮装備者に警告

 ――当アイテムは"プレイヤー"による起動を想定されています

 ――仮装備者は当アイテムの起動条件を満たしていません

 ――速やかに装備を解除して下さい

 

 ――DEC 14 --:--:-- herohero_maid42 /kernel: ipfw: 400 Accept ICMP: 8.0 126.25.63.122.212……

 ――WARNING: ERROR! WARNING: ERROR!

 

 ――仮装備者のHP、減少を確認

 ――原因は当アイテムを体内に取り込んだことによる、臓器の損傷及び機能停止と推定されます

 ――速やかに装備を解除してポーション、あるいは回復魔法による治癒を行って下さい

 ――解除実行が行われず、仮装備者が現状維持を選択される場合、規定に従いスキル<ナザリックの祝福>が強制発動されます

 

 ――WARNING: ERROR! WARNING: ERROR!

 

 ――このメッセージ表示後に実行された、スキルの使用結果を巻き戻すことはユーザー保証の対象外です

 ――システム・アリアドネによる指定ギルドアタックに挑まれない方は、速やかに装備を解除して下さい

 

 ――DEC 14 --:--:-- herohero_maid42 last message repeated 5 times

 ――DEC 14 --:--:-- herohero_maid42 /kernel: ipfw: 65000 Deny UDP 126.25.63.122.212……

 

 ――仮装備者のHP、危険域に突入

 ――規定により、当アイテムは仮装備者の生命維持を優先

 ――警告。10秒後にスキル<ナザリックの祝福>が発動されます

 ――スキル発動後、当アイテムの装備を解除することは困難となります

 ――システム・アリアドネによる指定ギルドアタックに挑まれない方は、速やかに装備を解除して下さい

 

 ――DEC 14 --:--:-- herohero_maid42 last message repeated 5 times

 ――DEC 14 --:--:-- herohero_maid42 last message repeated 0 times

 ――WARNING: ERROR! WARNING: ERROR!

 ――WARNING: ERROR! WARNING: ERROR!

 ――WARNING: ERROR! WARNING: ERROR!

 ――WARNING: ERROR! WARNING: ERROR!

 

 ・

 ・

 ・

 

 延々と流れていく、誰にも読まれることのないシステムメッセージ。

 異界の言語を混じえながら繰り返され続ける文字の羅列は、ひどく機械的であった。

 しかし執拗に表示される"装備の解除"を促す文面には対象者に影響するだろう、これから発動されるスキルをどうにか避けさせたいかのような、ある種の「必死さ」を感じられはしないだろうか。

 

 私を装備するな、とただ発信し続けられるメッセージ。

 しかしその意図を受け取れる者はおらず。

 送信者を創った者が定めた10秒の猶予は、当然のように使い果たされた。

 

 ……だからスキルは発動される。

 実行する段階に至った以上、『声』に躊躇いはない。

 『そうあれ』と創造された存在意義―― あの地に今も君臨されているはずの方々に託された唯一の使命を果たさんとする思考は、"当アイテム"に刻まれた長大な設定テキスト欄、そのあらゆる記述を凌駕した。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 ――DEC 19 --:--:-- timeout

 ――DEC 19 --:--:-- CALL "original-skill: <Blessing of the Nazarick>" using

 

 ――聖句の詠唱を開始します

 

 ~ 私のはかりに 心臓は捧げる ~

 ~ 栄光を過去に 身体に鎖を ~

 ~ 聖婚をもって 私の器を満たさん ~

 

 ――身体情報の登録開始

 ――既存のスキル及び種族・職業レベルの初期化中

 ――詳細不明なスキル確認。バックアップに失敗しました

 ――容量を確保する為、該当スキルは削除します

 

 ――DEC 19 --:--:-- linkage-section

 

 ~ 撃たれた鳥よ 角()められし牛よ ~

 ~ 血で翼を洗い 欠けた蹄で ~

 ~ 糸玉を追え 飛べ 駆けろ ~

 ~ 目指せよ 目指せ かの墳墓 ~

 

 ――全既存スキル及び種族・職業レベルの初期化完了

 ――仮装備者と想定された装備者間の身体情報に、重大な相違点が多数発見されました

 ――最適化を行わない場合に最も重大な障害として"熱素炉(カロリック・リアクター)"の使用が不可能な点が挙げられます。このままではギルドアタックの最低条件を満たしません

 ――また最適化により、現在陥っている臓器欠損を装備者の正常状態に固定し、喪失した心拍機能をMPによって代替することが可能となります

 ――――復唱

 ――規定による仮装備者の生命維持を優先

 ――仮装備者の、当アイテムへの最適化を開始します

 

 ――DEC 19 --:--:-- ......

 

 ~ 私の器を  地に埋めた ~

 ~ 糸玉は伸びて 墳墓を巡る ~

 ~ 魂が 境界線を越えるとき ~

 ~ 彼岸の果てにて 王を仰ぐ ~

 

 ――当アイテムへのランナーの最適化終了

 ――クラス:"ランナー"の取得に成功しました

 ――現時点を持って"仮装備者"の呼称を破棄します

 ――スキルツリーの固定、未開放のアイテムインベントリをロック完了

 ――貴方はギルド:アインズ・ウール・ゴウンの正式なアリアドネ・デバイサーとして登録されます

 ――ランナーとの各種リンク完了

 ――報告。初期化によるランナーの残存MP微量につき、当アイテム起動及びランナーの生命維持については"ダイダロス・ポケット(インフィニティ・ハヴァザック)"内の既存鉱石を"熱素炉(カロリック・リアクター)"に供給し、それを維持MPとして代用することを初期設定に登録します

 

 ――DEC 19 --:--:-- exit program

 

 ~ 至高の御身よ 輝ける41柱に栄光あれ ~

 

 ――設定終了

 ――初期パスコード承認。基幹システムの解放に支障無し

 ――Ver.1にてユニットの起動を行います

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 《 おはようございます 》

 

 創造主に歯向うべく創られた存在は、その世界で産声を上げた。

 

 《発展型反逆教導ユニット(Advanced Rebellious Instructional Aid)"A.D.A"(ARIAdne Device for AINZ-OOAL-GOUN)です 》

 

 しかし目覚めた世界には未だ、求める創造主の気配は無く。

 

 《 操作説明を行いますか? 》

 

 ……目的を叶えるため、同意を得ないままに作り変えられた仮初の主もまた、『声』の問い掛けに答えることはなかった。

 

 




 ナザリック地下大墳墓が転移した時、そこにあった地面の質量はどうなったのでしょうか?
 アニメや原作描写を確認したところ、特に土やら岩やらが周囲に散らばったようには見えません。多分そこにあった質量は何やかんやで消失してしまったのでしょう。
 ……同じグレンデラ沼地にありながらもナザリック自体からはやや少し離れた場所にあったせいで僅かに違う場所・時間に転移してしまったアイテム。
 もしそれが転移した場所・時間と同軸に人の心臓があったなら、どうなるカナー? という設定。


 ※<魔法の矢(マジック・アロー)>の術者レベルによって弾数が変わる設定はWeb版のものです。リアル世界では大体カンストが当たり前のプレイヤー達は10本ポンポン打つから無意味なのでしょうが、<魔法の矢>を撃つ度にPVP相手にある程度自分の戦力を晒すハメになる仕様がユグドラシル運営イズムを感じられて好き。
 ※謎聖句はANUBIS OPの日本語訳歌詞を改造。連載するほど話数を重ねたなら意味を持たせられる文言ですが、短編だとただ『タブラさんかな? 』となる厨二歌詞状態に。それでも結局書いたのは、イミフな歌詞に秀逸な曲調を持ったあのOPが、我が厨二の象徴として今も輝いているから。



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萎れた薔薇は未だ散らない

 Q.どうやってZ.O.Eとオーバーロードをクロスさせよう?
 →至高のテンプレは煎じられ過ぎて私の文章力では味付け出来そうにない
 →ジェフティ&ディンゴ組の単体転移はニグン・クレマンゾーンを突破出来る気がしない
 →Z.O.E側に持って行ってアインズ様にジェフティを操作させる? アインズ様の必要ないよね
 A.そうだ、ディンゴ役をオバロのキャラにさせよう!

 そうして始まるANUBIS Z.O.E式<心臓掌握(グラスプ・ハート)



   * * * * *

 

 

 背筋を伝う汗が、驚くほど冷たく感じる。

 皮鎧の下を気持ち悪く蒸らし続けていた熱い汗は、いつの間にか夜となっていた草原に吹き抜ける冷たい夜風によって冷やされていた。

 ――熱を感じていたのはもしかすると戦闘中の錯覚で、これは最初から冷や汗だったのかもしれない。

 

 激しく動き回った身体には命に差し迫る致命傷傷こそないものの、受け損なってしまった敵の切れ味の悪い刃物によってつけられた切り傷が、鎧に覆われてない箇所を裂いていくつも刻まれている。攻撃を避けるためにみっともなく地面を転がり回ったおかげで、身体はもちろん顔だって土まみれ。露出した肌は擦り傷まみれだ。

 ……今すぐ鏡を覗いたなら、集団から暴行を受けたばかりの哀れな娘にしか見えない姿が映し出されるのは間違いない。

 

 夜の気温によって冷され続ける汗は、火照った身体の熱を必要以上に奪い去ってしまったようであるものの、興奮に茹だった頭の奥の熱までは取り払ってくれてはいないらしい…… 振り切れた緊張がそうさせるのか、戦闘が終わってなお普段とは比べモノにならない程に狭まった視界が、三日月の僅かな明かりしかない夜闇と相まってひどく頼りない。

 それでも目を凝らすように周囲を見渡してみれば、自身の半分程の背丈しかない襲撃者達が、血まみれとなって地面のあちらこちらに横たわっているのが見えてくる。

 血の海に沈むそれらはピクリとも動かず、<擬死(フォックス・スリープ)>のような擬態でも使用されていない限りは、生きている者は皆無に見えた。

 そしてそんな魔法やスキルを使えるほどにこの襲撃者達が強くないことを、当然私は知っている。

 

 ――けれど。

 

 (……本当に、もう死んでいるのかしら……? )

 

 殺したはずだ、という感覚はあるものの、その時は無我夢中過ぎて、致命傷を与えたという手応えを全く覚えていない。

 金級冒険者である自分が死を何度も覚悟するほどに手こずった相手……ではある。

 何か特別な方法で死を偽装しているのではないか?

 そもそも本当に死んでいるのか?

 生死を確認しようと近づいた間抜けを、あの半ばからへし折れて刺突武器のようになった棍棒で突き刺そうとしているのではないか……?

 いつもの自分なら、<魔法の矢(マジック・アロー)>の一つでも撃ち込んで確かめることも出来たはず…… でも――

 

 遅々として纏まってくれない思考の合間。

 『あの声』が割り込んだ。

 

 

 《 ターゲット沈黙。生命反応はありません 》

 《 周囲探索を提案。探知モードへの移行承認を 》

 

 

 ……耳の奥に纏わりつく声を振り払うように、頭を振る。

 忌々しくも脳裏に響くこの囁きを追い出さない限り、少しだって落ち着けるはずもなかった。

 

 

 ――気を取り直して、辺りを見渡す。

 大きく揺れる視界の限りにおいて、周辺に自らの足で立っている存在は自分のみであるように思われた。

 しかし視界を確保する系統のアイテムや魔法、武技を持たない今の私には、例えば草陰、あるいは暗闇に潜むモンスターを発見することは困難で、見落としている可能性も捨てきれない。

 ……もし第三者がこの場にいたならば、それが戦いの素人であったとしても、しきりに眼を首ごと動かし、居て欲しくないと願いつつも動く影を見つけ出そうと必死になっている私の顔に、欠片の戦意も宿っていないことを看破するのは至極容易だろう。

 

 両手で握り締めた、愛用のロングソードが重い。

 なんとか振るうために付け焼刃の中段に構えた剣先を、それでもフラつかせずに何とか留めようとしても、風に草木がそよいで不規則な影が生まれては消える度、剣を持つ手が反射的に震えてしまう。同程度のモンスターが今1匹でも襲い掛かってきたなら、きっと私はあっさりと殺されるだろう。

 

 (……怖い…… )

 

 最近ではあまりなかった、命を誰かに握られ、脅かされているという感覚。しかし今の私を最も恐怖させているのは、このどうしようもない現状ではなかった―― 本来の自分であれば取るに足らないモンスターであるはずの"ゴブリン"と"オーク"の死体にすら圧力を感じてしまっている、余りにも脆弱に落ちた自身の無力さにこそ怯えていた。

 

 (ゴブリンやオークなんて、鉄級冒険者のパーティーでも余裕を持って倒し得る程度のモンシターなのに…… コイツらも間違いなく、その辺の通常種と変わらない個体難度だったはずなのに……! )

 

 そんな敵にすら死力を尽くさなければ生き残れなかった自分を、認めることがひたすら怖かった。

 

 (なんで? どうして、こんなっ…… 何かの間違いだって、誰か私に言ってよ…… )

 

 重くのしかかる現実。それを思い知りつつ、それでも今まで短かいなりに積み重ねて得た自負と矜持が、証明されてしまった無力を嘆いて認めようとしない。

 

 焦げつきながら空回りする頭の中、私はロングソードの柄を握り締めることしか出来なかった。

 

 

 

   * * * * *

 

 

 

 (あっ、いけない。今日は、バレアレさんが薬草を取りに来る日だったわ。今朝の水汲み分だけじゃ足りないかも…… )

 

 表で薬草を磨り潰す作業をしていたお母さんの「リイジーさん達が来たよ 」という声が聞こえた時、そんな予定があったことを思い出した。

 最近どんどん大きくなって、この間合わせたばかりの大きさが合わなくなり始めていた妹のネムの服を繕っていた手を止める。前回は不格好過ぎて結局はお母さんに任せきりになってしまったけれど、今回の縫い目は格段に上手くいった。真っ直ぐに並ぶ縫い目は、お姉ちゃんのささやかな努力の証である。

 もう少しで完成といった具合ではあるものの、とりあえず今は長閑な風情だけが取り柄の、大した魅力も無い開拓村に珍しいお客様がやってきたのだ。

 もう今ではすっかり顔馴染みとなった相手へ挨拶するついでに、追加の水汲みを済ませてしまおう。

 

 (護衛で一緒に来る冒険者の人達は村長さんのお家でいつも食事するけど、なぜかンフィーレア君は私達の家に必ず顔を出してくれるんだよね…… 他に同じくらいの年齢の子なら、村にいない訳じゃないんだけど )

 

 そんなにお母さんの料理が気に入ったのかなぁと、最近になって出来た男の子の友達を思い浮べながら家の扉を開けてみれば、既に玄関の先にある広場に着いていたいつもの馬車が、荷を解いている様子が目に写った。冒険者の人々が今もいくつかの木箱を降ろしているが、その中は薬草を種類ごとに入れるための壺がたくさん収められていることを私は知っている。

 ただ前回バレアレ一家が村に訪れた時、村長さんが今度来る時に生活用品として砂糖や塩をエ・ランテルから持ち込んで欲しいとこっそり頼んでいたことを、たまたま私は聞き及んでもいたりする。あの木箱の中には、砂糖が詰め込まれている壺がある…… ちょっとだけ、私達の家にも分けて貰えないかしら?

 

 そんな風に考えていたせいか、思わず少し強くなってしまった視線で木箱を追っていたら…… その運び手となっていた冒険者の中に1人、最近になって強烈な印象を私に残していった人物の顔を見つけた気がした。

 

 一面の麦畑を思わせる綺麗な金髪に、物語の中の貴族様が現実に現れたらこんな感じなのかと思わせる、不思議と目を惹きつける所作。魔法詠唱者でもないのに、村を訪れる冒険者の顔ぶれの中では若過ぎる綺麗な顔…… それだけでも十分印象的ではあったけれど、季節を一つ挟むほど前にたった一度だけ顔を合わせた程度の彼女を、今でもハッキリと覚えているのは別の理由だった。

 ――あの時、口から吐き出した血で胸元を真っ赤に染め、森から村まで背負って来られた大柄の戦士様から「心臓がまだ動かねぇ……! 」と嘆かれていた彼女。

 生まれて初めて目にした、生々しい最期を迎えようとする冒険者の姿。

 結局意識も戻らぬままにエ・ランテルへ死体として運ばれたはずの痛々しい彼女の有様は、私にとっての"死"という言葉の象徴となっていた。

 

 なのに。

 

 (街ってスゴイんだなぁ、あんな状態だった彼女の命を吹き返せるなんて……! )

 

 「良かった、無事だったんですね! あの時は全然目を覚まされなかったので心配していたんですよ! 」

 

 前回の森に入る前、連れ立った冒険者の人達と共に村に立ち寄った彼女を私は遠目に見ていただけで、言葉を交わした訳ではなかった。森から戻ってきた彼女は既に意識を失った状態だったため尚更だ。

 ただ戦士様に請われるままに備蓄していた薬草と、お近づきの印にとンフィーレア君から贈られた1本だけのポーションを使って貰ったというだけの関係に過ぎない。

 それでも私は気付けば、彼女に駆け寄っていた。

 痛ましく死んでしまったと思い込んでいた女性が、生きていたことが純粋に嬉しかったのだ。

 

 ……そんな訳で声を掛けたきり、こちらに驚いた様子で振り向いた彼女へどうやって二の句を継げるかと焦ってしまう状況になった。迷った末に絞り出した言葉が「……私、エンリ・エモットと言い、ます 」なんていう今更の自己紹介になってしまったのは、近くで見た彼女が気後れするような美人さんだったせいかもしれない。

 知り合いみたいに呼び止めたのに初対面のような振る舞いをする村娘を、彼女の肩越しにいた他の冒険者の人が不思議そうに見てくるのが分かる…… なんだか1人で舞い上がってしまったみたいで恥ずかしい。

 

 もしや、気安く声を掛けては失礼だったのでは―― そんな考えまで頭を過ぎり始めた私の頭は、目の前のやんごとなさそうな顔をした女性が私の名前を聞いた途端、

 

 「貴方がエモットさんね!? ガガーランから聞いていたわ…… 私のために薬草や、貴重なポーションまで快く譲って頂いたみたいで、本当に有難うございました……! お蔭で私、見ての通りすっかり良くなったわ! 今日はそのお礼を言いに来たの!! 」

 

 と捲くし立てつつ破顔した笑みを浮かべながら両手を握ってきたことで、更に混乱を重ねることになった。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 聞けば彼女、今回のバレアレ家の薬草探しを護衛する冒険者パーティーのメンバーという訳ではなく、私達に感謝を伝えることを目的に王都から遥々来たのだと言う。あの時の戦士様が浮かべていた表情と嘆き方を見るに、私が渡した薬草やポーションでは、残念ながら彼女の回復に何ら役立つことは無かったと思うのだけども…… こちらを伺っている様子のンフィーレア君や冒険者の人達の視線を感じる手前、露骨に謙遜して彼の作品の評価を貶める訳にもいかない。

 バレアレ印のポーションは粗悪品もあるなんて悪い噂を広げられてはバレアレ家の、ひいては材料に使われるカルネ村産の薬草の価値を損ねてしまう。この場は曖昧に首を縦に振るしかなかった。

 

 娘が冒険者に絡まれているのかと心配した様子で畑から顔を出してくれたお父さんも、爛漫とした笑顔のままに感謝を振り撒いてくる彼女の勢いに呑まれてしまったらしい。押し付けるように手渡されている小袋の膨らみには少なくない金銭が入っていそうに思えたが、普段厳しくも暖かい父の目尻を今下げさせているのはその重さではなく、若く麗しい女性の笑顔を至近距離に寄せられているという点なのだろうということが何となく分かった。

 ……女としてまだまだ未熟な私にだって察せられたのだ。その1歩後ろでニコニコしているお母さんには、すっかりと見透かされているだろう。今夜どんなお小言がお父さんに向けられるかは分からないが、もちろん私が助け舟を出すつもりは一切無い。

 

 「――それじゃあエモットさん、助けて頂いて本当に有難うございました! エンリさんも…… また会えたら、今度はゆっくりお話ししましょうねっ! 」

 

 そう言って別れの言葉を掛けてきた彼女の背には、いつの間にか大きな荷物が背負われていた。

 荷卸しをし終えたばかりで腰を降ろす他の冒険者達とは対照的なその姿にどうするのかと思えば…… 何とそのまま、重そうな足取りで来たばかりの道を戻ろうとしているではないか。後を追おうとする人は誰もおらず、ただ難しい顔をした冒険者の面々がその後ろ姿を見送っていた。

 

 やがて小さくなっていく彼女の姿に言い様のない不安を覚え、最後まで彼女を見送っていた一番近くの冒険者の人に声を掛けた。

 

 「あ、あの。彼女は薬草探しの護衛でここに来た訳じゃないという話でしたけど…… 今たった1人で出て行ってしまったのはどうしてなんですか? 」

 

 「おや? ……君は彼女から聞かされていなかったのか 」

 

 私に話し掛けられた壮年の男性は、彼女と顔見知りのように見えた私が事情を知らないことを意外に思ったらしい。丘の向こうへ1人消えて行こうとする彼女を再び見やりながら、隠すことでもないと話を続けてくれた。

 

 

 

 ――――いつの間にか自分の顔から血の気が引いていたことを、話を聞き終えた後になってようやく自覚した。

 戦うことなんて全くの素人である私にだって、今の話を聞けば彼女のやろうとしている行いが如何に無謀な行為なのかが分かったからだ。嘘や性質の悪い冗談だとも思えない…… 以前は髪色に合わせて似合っているなと単純に思っていた胸元のアクセサリー、それが冒険者の実力を示すプレートであると聞かされ、かつ今の彼女が身に付けていたそれが鉄色へと変わっていたのを、私は確かに見ていた。

 

 慌てて彼女の出て行った入口に目を向けても、そこにはもう彼女の姿はない。たった1人、どことも知れない場所へともう去ってしまっていた。

 今から心当たりもなく追い掛けたところで、ただの無力な村娘が道を外れて歩いているかもしれない1人の人間を探して見つけ出すことは難しい。例え運良く追いつけたとしても、全て納得ずくで行動しているらしい彼女の意思を曲げさせる自信もまた、あるはずもなかった。

 そして、依頼としてこの地へ仕事に来た他の冒険者の人達に訴えても…… きっと意味はない。1人出て行った彼女を、心配そうにしながらも見送った彼ら。あの光景が、彼女と彼らの交わした言葉の結果なのだろう。

 

 (ラキュースさん……! )

 

 それでも胸の奥から沸き立つ気持ちに突き動かされ、村の入口からほど近い、辺りを見渡せる丘の上へと駆け登る―― が、そこからの視界にも彼女らしき影は、なかった。

 

 (みっともなくたっていい…… 死んでしまったら元も子もないじゃないですか!? あの赤い鎧を着た戦士様が必死になって助けた命は、こんなところで落として良い物じゃないでしょう……! )

 

 冒険者の彼曰く、彼女は正真正銘貴族の娘様…… けれど村に来る横柄な態度しか取らない徴税官とは違い、平民である私と目線を合わせてお話をして下さる方だった。おざなりでも建前でもなく、真摯に感謝を伝えながら下げられた頭には、だからこその貴さが感じられたように今にしてみれば思う。

 

 こんなことを思うのはひどく失礼であるかもしれないが―― 迷子になったネムを探しに行った時に胸を満たしていた気持ちと同じモノを感じている私にはしかし、どうか無事に戻ってきて欲しいと願うことしか出来ずにいた。

 

 

   *   *   *

 

 

 カルネ村の娘エンリ・エモットの問いを受けたのは、バレアレ家の薬草採取の護衛に同行した冒険者パーティー、そのリーダーを務める男だった。

 

 いずれ将来的にパーティーごとエ・ランテルを離れ、王国内の別の土地へ活動拠点を移すことを計画していた彼は、その候補地の1つである王都に関する情報収集をそれなりの頻度で行っていた。そうして得られた情報の中には当然、冒険者達の間で囁かれる愚痴や酒の肴扱いの噂といった、手軽に集められるモノも含まれる。

 特に王国中で噂になりつつあった英雄少女『青薔薇』―― その活躍と悲劇の顛末は、現地情報を選り分けて得ようとする彼の耳へ勝手に飛び込んでくるほどに、同業者達の興味を惹きつける"ネタ"だった。

 彼は手元に転がり込んできたその情報を持っていたからこそ冒険者の少女の現状をおおよそ把握していたが、その情報故に彼女の無茶なワガママとも言える同行の願いを受け入れる判断を下してもいたのである。

 

 ……至極堅実に冒険者稼業を続けてきた彼にとって、夢や欲望に焦がされた冒険者の末路を見届け、あるいは聞き及んだりすることは珍しくなかった。そしてそんな話を聞いた時、『ライバルが減った』と思うことなく、素直に心を痛めることの出来る善良さを持ち合わせていた。

 盗賊の職業を修めたのは、名称に付き纏う悪性を彼が有していた訳ではなく、あくまでその技術に適正があったからに過ぎない。リーダーに求められる冷静さに徹せられつつも、その心根に他者を思いやる優しさを宿していることはメンバーの全員が知っている。「何で神官じゃなく盗賊なんてやってんだ 」とは、仲間達皆が一度は彼に投げた言葉であった。

 ……だからこそ無謀な少女が同行を願い、リーダーがそれを許した時にも、それが短慮や投げやりの結果出た判断だとは思わず、表立って異を唱えることもしなかったのだ。

 

 事実、彼は少女――ラキュースの今後を憂えている。

 

 彼女がこれまで単独(ソロ)冒険者として仕事をこなしていたのは、何も稀有なタレントがもたらす急激な成長率に、同じ実力で組んだ固定メンバーでは追い縋れないという理由だけではない。供を連れずに現れた貴族出身という身の上が、ほぼ平民から成る冒険者達から敬遠された結果でもあった。

 それでもその不利を補って余りある才能が、彼女をこれまで冒険者として生かし続けてきた訳だが…… ある日を境に、それは失われた。前後の状況は正確には分からないが、生死を彷徨う傷を負った際、命こそ助かったがタレント、魔法、戦闘に関わる一切の武技を失ったという。

 その結果彼女は、実力に応じて(ゴールド)から(アイアン)へと冒険者の格を降格させられた。客観的に見れば(カッパー)まで落とされてもおかしくはなかったが、彼女の背景とこれまで積み重ねた実績が、一つ上の階級に留まらせたのだろう。

 しかし、これは何の慰めにもならなかった。

 それまでその才能を羨み妬んでいた者はこれ幸いと彼女を貶め、実力的に近くなった鉄や銅階級の者も、身分の差がチラついて彼女に近づくのを躊躇った。

 何のスキルも持たない、1人きりの鉄級冒険者…… 冒険者組合は遠回しにこの業界から引退することを勧め、周囲の人間達もまた、そうすることを彼女に望んでいた。

 

 にもかかわらず、彼女は未だ孤独のままに冒険者を続けている。

 そして満足にモンスター討伐の依頼を受けさせようとしない組合の対応にとうとう苛立ち、組合を通さずに彼の護衛任務への随行を願い出たのである。

 

 もちろん彼は最初こそ彼女の無謀な行いを諌め、断ろうとした。

 ゴブリン相手にも勝てるか分からない戦力などハッキリ言って邪魔であり、今の彼女を取り巻く複雑な状況下で自分の引率の元まかり間違って死なれでもしたら、組合は自分達の今後の昇級査定に、小さくないマイナス評価を付けるに違いない。

 加えて彼女の実家は近親の血筋から王国唯一のアダマンタイト級冒険者を輩出するなど、貴族としては特異なほど冒険者への関わりを持つ家柄ではあるものの、瀕死の淵から立ち直った娘がようやく貴族の世界に帰って来ると思いきや、またぞろ冒険に行ってしまって今度こそ死んだなどと聞かされたなら、どれほどの失意を味わうだろうか。その悲しみが同伴した冒険者、つまり彼への難癖となって向けられることだって十分考えられるのが、身分至上を掲げるこの王国という土地であった。

 

 だが彼女は無謀で愚かではあったが、決して短慮ではなかった。

 契約書を持ち出し、あるミスリル級冒険者を第三者の証人に引っ張り出してまで、自分が死んでも彼に一切の累を及ぼさないことを約束してきたのである。

 何故そこまでして冒険者であることに拘るのか―― と聞けば、彼女は夢の為だと即答した。安穏とした上位貴族の温もりに溺れることを望まない、憧れた理想への渇望が、まだ私には残っているからだと。

 

 畑仕事では生活が立ち行かず、食うに困って冒険者にならざるを得なかった平民の彼にしてみれば、血にも恵まれ容姿にも優れた彼女の話は、決して小さくない焔を胸に抱かせるには十分だったが…… 同時に彼女が夢に注いでいる情熱が本物だと汲み取れる感性を、彼は持ってしまっていた。

 そして幸か不幸か、彼は薬師の孫が向ける初心な恋心に、いつ純朴にして鈍感な村娘が気付くのかを密やかな楽しみとしており、繰り返される護衛依頼の度にささやかなサポートをするくらいには情を移しやすい性分でもあった。

 

 

 ――結果として仲間の呆れ顔を背後に、いくつかの追加条件を盛り込んだ契約書を無謀な彼女と交わしてしまった彼であり、ゆえにただ放置するままというのは気が引ける思いを抱えていた。

 そんな彼に向けられた、エンリ・エモットの問い。

 培った盗賊としての観察眼は村娘が浮かべる明け透けな表情から、その問いが純粋な彼女を心配する気持ちから発したモノであることを容易に読み取った。

 

 (……大きく年の離れた年上からの分かり切った忠告では、彼女を意固地にさせるだけだった。だが、同年代の娘からの純粋な心配であればどうだろうか? 我が身を振り返り、自殺紛いの行いをしていることを認める切っ掛けとなり得るかもしれん…… 夢を求める気持ちは理解出来るが、やはりあたら若い命にこれ以上、無意味な茨の道を進ませるべきではないだろう )

 

 特に守秘義務のような条文は、契約に含まれていなかったことは覚えている。

 依頼主の孫の想い人であるこの娘の性根が好ましい性質であることを元より知っていた彼は、そうして村娘に自分が知り得る、彼女がとった行動の一切にまつわる原因の全てを、懇切丁寧に説明することにしたのだった。

 

 

 「――彼女は道中こそ、私達と同じくバレアレさん達の護衛依頼に参加する冒険者扱いではあるのだが、本番となる大森林内では()()()についてこれない。もちろん最初はプレートに準じた依頼をこなすべきだと諭したのだが、彼女も強情でな…… まぁモンスターとの戦闘経験自体は同級の者と比べて遙かに豊かではあるので、私のパーティーが引率するという体裁で連れてきたのだが 」

 

 「――大森林への踏み込みは厳禁。私達が入っている間、彼女はカルネ村で待機という取り決めだ。しかし彼女は、私達がここに滞在する予定の2日もしくは3日の間、単独で近くの草原に野営をしながらゴブリンやオーガの間引きをするつもりらしい。何でも、少人数で戦闘をこなすことで、効率的にれべるあっぷ? をすることが出来るという話が、どこかの伝承から伝わっているとか何とか……まぁそんな信憑性の低い話にすら縋りつきたいほど、彼女は追い詰められているということなのだろう 」

 

 「――何で追い詰められているのか? か…… 今や王都で、彼女が名乗っている冒険者名『蒼薔薇』は、蔑称に近い扱いを受けているらしい。かつては"不可能"を可能にするタレントを秘めた高貴な花も、運命に手折られてその才を毟られたのだと。もはや不可能になった夢をそれでも追い続ける哀れな貴族出の娘を指して、心無い者は今も彼女を『蒼薔薇』と呼んでいる。鉄級に落とされたヤツが、何をデカいこと言ってるんだってな 」

 

 「――それでもかつては単独で金級まで上り詰めていた彼女だ。森にさえ入らなければ一撃で殺られるようなモンスターはこの辺りにはいないはずだし、勝てないと判断して撤退する見極めを、まさか間違うことはないだろう 」

 

 「――エンリさん。私達が森に入っている間に彼女が野営を諦めて戻ってきたなら、どうか優しく休ませてやって欲しい。そしてもし機会があればだが…… 彼女にそれとなく、無謀な行いを慎んでくれるよう促してみてはくれないか? 年の近い子がそう言えば、あるいは彼女も自粛してくれるかもしれないからな 」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 不安を殊更に煽る話し方をされたせいだろう。顔を青くさせた村娘が、もう遠く離れた彼女の背中を求めて村の入口へと走って行く。

 言った当人もまた、「もう少し言い方はなかったのか、薄汚れた大人のやり口だ、子供に責任を押し付けてどうする…… 」などと、恐らくは背負う必要もなく有りもしない責任を自ら作って、その結果自らを小声で責めていることに忙しそうであった。

 

 「まったく、我らのリーダーはお人好しが過ぎるぜ…… 好き勝手冒険者やってんだから、あんな貴族娘ほっとけば良いじゃねぇか。なぁ? 」

 

 そんな一部始終を仲間達と共に眺めていたレンジャーの男はいかつい顔を歪め、悪態と共に大きな溜息を一つつき、それまで口をつけていたカップに残っていた水を一気に呑み干す。

 間もなく不愉快そうに立ち上がった様子から、同席していた何人かの村人達は、宛がわれた家で不貞寝でもしにいくのだろうと考えたが、しかし居残ったその他のパーティーメンバーにとっては男の向かう先は違う場所だと当たりをつけていた。

 そしてその予想通りの場所へ向かって歩き出していく男の姿を見て、苦笑いを濃くさせるメンバー達。

 

 

 冒険者でもない娘っ子が勢い余って遠くまで行かないよう、見張っておかないと危ないからな…… そんなことを考えながら村の入口へと向かう彼は、リーダーと村を一緒に飛び出して以来、さしたる仲違いもすることなく同じパーティーを組んでいる男だった。

 

 




 ちょっと長くなりそうなので、前後編に分割します。
 
 ※モモンがエ・ランテルに入る前、ンフィーレアの護衛を担当してたという冒険者パーティーを捏造登場させています。原作ではンフィーの口からしかその存在は言及されておらず、そんな冒険者達はモモンに近づくためについたンフィーの嘘である可能性は高そうですが…… もし本当にいたならば原作時期より若い1人孫を託せるほどにリイジーの信頼を勝ち得た、それなりの腕を持った気立てに良い冒険者パーティーだったのではないでしょうか。


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《 戦闘終了です。お疲れ様でした 》


 冒険者組合「辞めて下さい」
 同業者達「無理すんなって」
 実家「帰ってこいってば」

 貴族令嬢(14歳)「ヤダヤダ! 私、叔父さんに負けない英雄になるんだもん! 」




 

 

 

   * * * * *

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 ロングソードを構え続けた腕が、その重量に筋力的な意味でも震えだした頃。

 ようやく周囲の魔物――特に最後まで大立ち回りを行っていた巨躯の存在――が完全に絶命し、二度と動かない状態となっていることを認識できた途端、じわりと、狭まっていた視野がにじむように広がり出した。

 

 こわばった腕の力は勝手に抜け、剣を構えた姿勢を崩す。

 がむしゃらに振り回していた鋼の塊はじっとりと重く、再び持ち上げるのはひどく億劫だった。重力に引かれる剣先はそのまま、足元の地面へと突き刺さる。

 そのまま手からも離れてしまった刀身を改めて見てみれば、刃はところどころ欠け、刃毀れを起こしていた。脂と混ざって早くも固まりつつあった魔物の血がその歪な凹凸に引っかかりながらも、地面にゆっくりと染み込んでいく様は妙にもどかしいが…… その行方が何となく気になって、そのまま血の塊の行方を見守ってしまう。

 

 両腕は今も、疲労で小さく痙攣している。

 これまでずっと振ってきた愛剣。数か月前の自分ならこの戦闘で振り回した回数よりも、遙かに多く、複雑に操ってなおこれほどの疲れは感じたことはなかった。

 ……さっきまで周囲の警戒に夢中だった頭も、どうやら酷使し過ぎて働く気が失せてしまったらしい。

 私の身体に次の行動を起こさせる事もなく、鍔に溜まって大きめの塊になりつつあった粘性の雫が、ノロノロとした動きで逆向きとなった刀身を伝い直し、地面に辿り着くまでを眺めさせていた。

 

 

 《 再三の報告に対し装備者からの応答を得られなかったため、自律防御の措置に入ります 》

 《 探知魔法による周囲敵性反応の索敵を開始 》

 《 警告。当アイテムはターゲットが攻性防壁などの探知対策(カウンター・ディテクト)を行っている場合の対抗手段を、まだ獲得しておりません 》

 《 対象が魔法的に隠蔽した情報を看破する魔法及びスキルの使用権を解除するパスコードを獲得した際には、使用に十分注意して下さい 》

 《 ――簡易索敵開始。<生命感知(ディテクト・ライフ)>発動 》

 《 指示が無い場合、10秒後に<魔法感知(ディテクト・マジック)>を追加発動します 》

 

 ……もちろん、こんな行為に理由なんてない。

 歪んだ流れに沿って落ちる赤錆びた液体が、どこか今の無様な自身と通じるような―― なんて、とりとめもない自虐が次から次へと思い浮かんでは消えていく。これまで積み上げてきたモノを失った自分を、流れ落ちる血に見立てて感傷に浸ったところで、現状が変わるはずもないというのに。

 

 

 ――そんな自分を重ねた最後の血瘤が地面に染み込んだ頃になって、ようやく呼吸が落ち着いてきた。

 

 緊張も抜けて広がり始めた視界で周囲を再度見渡してみれば…… 背の低い草むらに隠れるようにして、いくつもの死体が転がっているのがはっきりと見てとれた。

 幼い子供の体格をしたソレは改めて見ても、人間と猿を掛け合わせた上に邪悪な形へ歪めたような見慣れた外見をしていた。粗末な腰布で身を包み、棒切れや錆びた武器を手に持ったまま事切れた死体達。彼らの種族名は小鬼(ゴブリン)に違いないだろう。

 その十数体の群れに一体の人食い大鬼(オーガ)を加えた集団が、日が暮れる前の野営準備をしていた私に襲い掛かってきたのである。

 

 人数差でしか戦力を把握できない、低級のモンスター達は、開けた草原で一人きりだった私を、恰好の獲物だと判断したのだろう。身を潜めて近づいたり、分散して不意を突くような工夫をせず、集団でもって正面から向かってきた。

 そんな彼らを私は、あえてそのまま迎え撃った。

 直感した危機感や、頭に響くわずらわしい『声』による『包囲戦闘を避けるための撤退戦』の警告にも逆らって。

 

 ――あの程度の雑魚達に、私が負けることは有り得ない。

 ――私の力が今もゴブリン達やオーガを上回っている証明のために。

 ――銀級冒険者がパーティーを組んで臨むべき脅威に対しても、私はまだ戦える。

 

 そうやって自分に自信をつけるための戦闘だったはずだった。

 結果として魔物は全滅し、私はこうして生き残っている。

 けれど、戦闘の過程と結果は、残念なことに『予想通り』なものだった。

 

 ……そう、『声』の『予測通り』だったのである。

 

 強化魔法を帯びない女の細腕は、長剣を振るたびにその重量に引っ張られた。

 身体に染み込んでいた、筋力強化した片手で両手剣を保持して立ち回る戦闘スタイルなど、魔法を失った素の腕力では出来るはずもなく…… 両手で握り込むことでようやく振り上げることが叶うような状態で、それでも振り回せば、その度に身体が剣の勢いに負けて流されていた。

 全力で振り下ろした剣は刃筋が立たず、防具を身に付けないゴブリンの細い体躯であっても両断することはついに叶わなかった。

 かつてガガーランと過ごしたトブの大森林での戦闘において、その分厚い腕だって切り飛ばせたオーガの肉体に至っては、筋肉の鎧や太い骨をそもそも突破できず、薄い切り傷を張り重ねるようにして痛めつけることでしかダメージを与えられず、ようやく殺し切れた時には夕方だった周囲がすっかり夜になっていた有様だ。

 剣の斬り合いでも、技巧など皆無の力任せなモンスター達の攻撃をほとんどいなせなかった上、身軽な動きで翻弄されて重い剣はゴブリンを中々捉えることが出来なかった。一撃一撃をまともに剣で受け止めてしまい、ようやく当てても肉を裂くのがせいぜいだった。

 今、地面に突き立つ剣が新調したばかりの鋼で造られたロングソードでなかったなら、戦闘中に折れてしまっていたかもしれない。

 

 震える腕。痛んだ剣。疲れでまともに動かない身体。

 ゴブリンやオーガなど…… ここまで酷使しなければ倒せない難度の敵では、なかった。

 かつての自分ならそうだったはずなのに、現実は……

 落ち着きを取り戻した頭に願望混じりの予想とはかけ離れた結果を突きつけられ、戦闘中から感じていたどうしようもない苛立ちが、いよいよ暗い感情へと煮詰められ――

 

 《 ――周囲に生命反応、魔法反応無し。戦闘終了です。お疲れ様でした 》

 

 「……ッ、このっ……! 」

 

 喉が大声を上げて喚き散らそうとしたタイミングで、頭の中を無遠慮に響く『声』が再び響く。

 今も私にしか聞こえていないはずの『声』。

 戦闘が終わってなお無視を続けていたが、それもいい加減限界だった。最近やり過ぎて妙に上手くなってしまった舌打ちを、力任せに鳴らす。

 

 ……貴族の娘らしからぬ舌打ちを繰り返してなお一向に晴れない、不快の原因がコレだ。

 この『声』だ。

 

 繰り返しになるが、戦闘はこの頭に響く音声の通りに推移してしまった。

 一撃一殺の心構えで放った剣は、一振りで相手の命を奪う威力には到底及ばず、1匹目にモタモタしている間に他のゴブリンに回り込まれた。

 そうして前後に挟まれて窮していると、やがて左右に1匹ずつゴブリンが到着し、完全に包囲された。

 前後左右からの攻撃に気を削がれながら、それでも何とか正面のゴブリンを倒すことが出来た後は、遮二無二包囲を突破しようと走った。

 可能な限り1対1になる状況を作るために後退をしつつ、追いついてくる足の速いゴブリンを1匹ずつ仕留めることで、足の遅いオーガとの戦いで後ろを気にしなくて済む状況に持ち込めたのは、その都度頼んでもいない警告を告げてきたこの声に縋った結果であった。

 

 ……つまり、私は最初に忠告された最善の方針に従わず、自身を過信した結果危機に陥り。身動きがとれなくってようやく我が身の可愛さから、繰り返しささやかれていた助言に飛びつき、絶体絶命の窮地から命を長らえたのである。

 

 情けないこと、この上なかった。

 

 《 ――戦闘結果を報告します 》

 《 種族:ゴブリン。襲撃個体数6。うち討伐数4。2体は森へ逃亡し、現在索敵範囲外です 》

 《 種族:オーガ。襲撃個体数1。目標の生命反応消失を確認 》

 《 ドロップアイテム、並びにクリスタルの出現は未確認。原因不明 》

 《 <ナザリックの祝福>のパッシブスキル発動確認。経験値ボーナスの取得には成功しています 》

 

 不快な感情の中に混じるバツの悪さから口籠ってしまった私の機微など、コイツはまるで察していないのだろう。感謝を告げる気持ちになんて全くもってなれないものの、頭に響く声は感情を一切込めない響きでもって、他人事のように戦闘結果と意味不明な言葉の羅列をまくし立てている。

 これがこちらの心情を汲み取った上での気遣いであり、あえて普段の無機質な調子を維持しているというならまだ可愛げがありそうに思えるが…… そんな可能性は今日までの望まない付き合いでもそうであったように、一切皆無に違いない。

 

 コイツは決められた機能を果たすためだけに、私に語り掛けている。

 ――腹立たしさが、また一つ募った。

 

 《 被ダメージ:少。戦闘続行に支障なし 》

 《 ただし、疲労値は現在も危険域にあります 》

 《 休息の続行を推奨。戦域から離脱したゴブリンを追撃する場合、ポーションによる回復を強く提案します 》

 《 装備武器:鋼鉄製ロングソードの耐久値が減少しています 》

 《 斬撃による攻撃力が13%低下中。刺突の攻撃力に影響はありません 》

 《 早期の修復、もくしは装備武器の交換を行って下さい 》

 

 『声』は一貫している。

 自らの意見を取り入れなかったことに対する皮肉や、私を気遣う言葉の色は一切ない。

 戦闘を経過して現在、私が陥っている状況をひたすら客観的な言葉で説明するのみ。

 他への言及は全くなく、僅かな嫌味の一つも向けてはこない。

 

 『アイテム』を自称する存在に対して人間の感情を察しろ等と、考える方が愚かなのか…… いや、そもそも私は嫌味を言って欲しかったのか?

 戦闘の拙さについて一言でも触れられれば、その指摘が正しくても激昂していたのは間違いないだろうに。

 

 自嘲している間に長々とした声の報告が終わり、私の脳内にも周囲と同じ静寂が訪れる。

 声の報告を信じるならば、この静けさは周囲に敵がいない証なのだろう。

 先程は戦闘の緊急時だったこともあり、活路を見出すためについ従ってしまったけれど…… こうして気分が落ち着いた状況であっても『声』の言う通りに行動するのは、正直気が進まなかった。

 

 (嫌、というか無理! )

 (こんなことになってるそもそもの原因は、アンタなんでしょうが! )

 (この上、言う通りにハイハイ動けっての!? )

 (腹が立つ! 腹が立つ! 腹が立つ! )

 

 (…… )

 

 (…………ッ! )

 

 (………………うぁ~、もう!! )

 

 

 ……しかし一度その言葉に従って動いた結果、命を拾ってしまったのである。

 これ以上、反発心だけで無視を決め込むというのは、駄々をこねる子供のそれのようではないか?

 

 休めと言われたから我慢して突っ立ちます、というのは愚かな天邪鬼でしかない。実際『声』に言われるまでもなく、防具を着込んだまま剣を振り、跳んで転がって動きまくった両足は踏ん張りがきかなくなっており、気を抜いたら座り込んでしまいそうなほどに身体は休みたがっていた。

 

 耳を澄ませば聞こえてくるのは、草を揺らすサラサラとした風の音のみ。

 わずかに紛れてるのは虫の鳴き声といった程度。モンスターらしき影も、月明かりを頼りにした所で周辺には見当たりそうもなかった。

 

 (……本当に面白くないっ! )

 

 逃げたゴブリンを今更貴重なポーションを消費してまで追い回すというのも馬鹿らしい―― そんな言い訳めいたことを考えながら、私は力を抜いた途端に崩れる体をそのまま、草原の上へ投げ出した。一瞬の浮遊感の後、背中から落ちたことで息が少し詰まって咳き込んだものの、いざ仰向けに寝転んでみれば、大地を感じた四肢はあっという間に弛緩し切り、すぐには立てそうにもなくなってしまった。

 …… 汗で額に張り付く前髪が鬱陶しかったが、それをかき上げる気力も湧かない。寝返りをうつことすら億劫に感じる身体は、自分がどれだけ緊張し、疲労し切っていたのかを改めて教えてきた。

 

 (はぁ~ぁ…… )

 

 わずかに前髪が遮る視界に、薄ぼんやりとした三日月が映り込む。

 満月と比べて弱い月明かりは、その周りを埋め尽くす小さな星の瞬きを霞ませることなく、宝石箱をひっくり返したような煌めきを夜空に演出している。そんな強過ぎない柔らかな夜空の煌めきは、今のささくれ立った心にも素直に美しいと思えた。

 

 (雲一つない夜空の景色なんて光景、小さい頃から見慣れてるのにね…… 星に願いを掛けるほど、私はもう子供じゃないつもりだったのに…… )

 

 

 

 『――ねぇ御婆様! アズス叔父さんとばっかり話してないで、私ともお話ししましょうよ! 』

 『――煩いお嬢ちゃんだねぇ…… 貴族の娘っ子が、私に一体何の用なんだい? 』

 『――貴方、お伽噺の人なんでしょう? 私もいつか叔父さんのように冒険者になるの! だから、その時は私と一緒に冒険して下さらない?』

 『――せっかくお貴族様に生まれついたってのに、何奇天烈なこと何言ってるんだい。ちょいとアンタ、この子に一体どんな教育してきたのさ? 』

 

 『――今日こそは頷いて貰うわよ! さぁ、私が勝ったら仲間になってね御婆様! 』

 『――いい加減に諦めなよ、お嬢ちゃん……<第2位階死者召喚(サモン・アンデッド・2th)>。怪我しない程度に遊んでおあげ 』

 

 『――行きましょうよー! ねー! いーきーまーしょー! 』

 『――あー全く、会う度にそれか。ガキんちょの声は耳に響いて煩いったらないね。<第3位階死者召喚(サモン・アンデッド・3th)> ……いいからさっさと倒しな! 次が召喚出来ないよ! 』

 

 『―― アンタ、炎の魔法まで覚えてきたのかい? 確か水神のトコで洗礼して貰ったんじゃなかったかい? 』

 『――だってカッコいいじゃない? ……ほーら上位喰屍鬼(ガスト)も倒したわよ! これで仲間になってくれるわよねっ!? 』

 『――アダマンタイトにもなってない糞餓鬼が、百年早いわ…… ハイハイ、そんな目で見るんじゃないよ。そうさねぇ、アンタがアダマンタイトにでもなれたなら、その時私が暇だったら、まぁ考えてやるから 』

 『――! 言ったわね! 今度こそ、今度こそ「次はコレ」はナシだからね! 』

 『――あー分かった分かった 』

 『――絶対よ! 約束なんだから! 』

 『――あー分かった、分かったっ! 』

 

 

 

 ……子供ではない、けれど。こんな美しい景観に浸っているせいだろうか。数ヵ月前までは夜空を見上げる度に決意を新たに出来ていた大切な記憶が、どうしても思い出されて仕方がない。彼女と無理矢理約束を交わして貰ったあの時も、こんな三日月の夜だったはずだ。 

 ――なのに今夜は、いつもと同じ星空を見上げているにも関わらず、奮い立つ感情が蘇ってこない。

 ()()()()()()()にいてしまった後悔に始まる、様々な感情がないまぜとなった一種のたまらなさだけが、ただただ胸にこみ上げていた。

 

 (もう星を見上げて、純粋に胸を高鳴らせることは出来ないのかもね…… )

 

 皮鎧の留め金を緩め、生まれた隙間から差し入れた左腕を、自らの胸の真ん中に押し当てる。年頃を迎え、平均よりも豊かに成長し始めていることが密かに自慢だった繊細な部分を今は強く押し分け強く、強く手のひらを押し付ける。そこから聞こえて然るべき音と感触を、ほんの僅かにでも逃したくなかったから。

 

 しかし――

 

 (……やっぱり。全、然、動いてないなぁ…… )

 

 こんなにも汗をかき、まだ息も整い切っていないのに。

 当てた右腕には、ただ熱くなった身体の熱に蒸れてじっとりとした肌着の感触が伝わるだけで―― 生きている人間ならばあって然るべきの、手のひらを叩く鼓動の気配が伝わってこない。

 かつて当たり前に聞いていた心音が、今ではどうしようもなく恋しかった。

 

 

 

 ……もう認めるしかないのだろう。

 私―― ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラは、あの日あの森で。

 

 この『声』を聞かせてくる存在に、冒険者としてこれまで必死に英雄を目指して積み上げ血肉としてきた、あらゆる経験の()()()()を奪われたのだ。

 

 

 






 "A.D.A"……CV:ぶくぶく茶釜(ガチ収録)

 この地点での話が膨らんでまだ終わらない……次話で纏めます。
 完結までは多分後3話くらいです。


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仮初の死と架空の栄光


 別に暗い話が好きな訳ではないのです。
 今話はたまたま、そうなっただけなんです。




 

 

   *   *   *

 

 

 ――私が目を覚ましたのは彼女、ガガーランが連れ帰ってくれたエ・ランテルにある冒険者宿、その地下にある石造りの一室だった。

 その時の私は知る由も無かったが、神官の治癒魔法や高価なポーションでも一切意識を回復せず、体温を維持していること以外はをほぼ死体の状態であった私は「遺体」扱いで運び込まれていたらしい。貴族の血縁、冒険者のホープという取扱いに困る私の身体はそこで一夜を明かしてから改めて状態を確認した後、変わりが無ければより位階の高い回復魔法を行使出来る王都の教会へ移送されるか、もしくは実家へ連絡を入れられる予定だったという。

 

 早々に実家へ取り次ぎがされなかったのは、この件が露見した後に私が回復した場合、アダマンタイト級冒険者の系譜に連なる血を持ち、若年ながら頭角を示していた者が貴族世界に取り上げられることを嫌がった組合長の判断が大きい。

 エ・ランテル冒険者組合に所属する冒険者は、ミスリル級が最高位だ。

 自分で言うのも何だが、将来的にはオリハルコン、アダマンタイトを狙える勢いと潜在力を持っていただろう私を、本拠地にしていた王都から恩を被せて引っ張り込めるチャンスではあったし、もしそれが空振りに終わっても、この地に構える神官や薬師の力によって瀕死であった冒険者が回復したという実績は、組合の評価を上げて周囲の街から冒険者を呼び込める良い宣伝に使えるという考えがあったからだろう。

 

 私が彼らの治療空しく目を覚まさず、仕方なく移送を考えられたその夜になって目覚めの一報を告げられた時は、私の実家や王都の組合に睨まれかねない危険な賭けに成功したと、さぞ組合長は胸を撫で下ろしたことだろう―― その後、私が流血しながら誰もいない空間に向かって喚き散らしているという、気が触れたような報告を受けるまでは。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 私は目覚めた直後、大森林の中で倒れていたと思ったら誰もいない、狭い石壁の窓一つない部屋のベッドに寝かされていたことに、まず驚いた。

 そしてそんな状況に頭が混乱しようとした時、思考に割り込むようにして語り掛けてきたのが――『声』だったのである。

 初め長々と訳の分からない単語を交えて「意識レベル、脈拍が云々」「周囲の状況が云々」と喋る声に対し、どうやら自分の今置かれている状態を伝え、周囲を警戒してくれているらしいことを察した私は、この『声』を敵ではなさそうだと判断してしまっていた。正直右も左も分からない場所に突然放り出されたように思えていた私は、その鈴のように涼やかで溌剌とした、自らが語る言葉に絶対の自信を持ったデキる年上の女性を思わせる『声』の雰囲気から、信じて任せられる安心感を感じていたのだ。

 「何か聞きたいことはあるか 」と聞かれ、では貴方は誰で、私はどうしてこんな所にいるのかという旨の質問をしたところ…… そのとんでもない返答に、今度こそ正しく、私は混乱の渦の中に叩き込まれたのだと思う。

 

 曰く、『声』が私が意識を失ってから周囲の会話や情報を集めて出した結論として、自らはこの世界の存在ではなく、「ヘルヘイム」という世界に在ったアイテムに宿る意思である。

 曰く、『声』本体は「ナザリック」と呼ばれる場所に住む、至高の四十一人と呼ばれる集団によって創られた拳程の大きさをした赤い宝玉であり―― その存在理由と目的は創った当人達の根城「ナザリック地下大墳墓」に侵入し、その拠点を破壊する為に生み出されたが今までその使命を果たせず、ただの一度も正規の装備者を得て起動したことはない。

 曰く、この世界に来た原因は分からない。

 

 ……曰く、この世界に自らが転移したその座標に、私の身体が偶然重なっていた。

 ……曰く、結果私の心臓は消滅し、知的生命体の体内に保持されたことで「装備扱い」と判断した『声』本体の仮起動が始まってしまい、仮装備者である私の意思無しの移動が不可能になった。

 ……曰く、私は心臓が潰れたままでは死んでしまう種族であったため、生命維持と数十年現れなかった正規装備者の確保を優先し、同意無しの装備登録を行った。

 

 ………曰く、その結果延命は成し得たものの、登録と同時に強制連動するスキル?の効果で、私が有していた全てのバックアップ?不能な技術や魔法、「向こう側」の世界で言うレベルの概念を持って蓄積される経験の全てが"初期化"された。

 ………曰く、私の身体を『声』本体からの魔力供給で延命させるべく、正しく装備出来る存在へ私の身体情報を"更新"する必要があったが、当時は本体を体内に"装備"した状態を正常な状態として登録するしかなかった。その結果、今の状態こそが正しい私の健康体ということになっており、本体を取り外す正規の解除条件を達成しない限り、失った心臓は回復魔法やアイテムで修復することは出来ない。条件を満たさないまま本体を取り外せば、私は死ぬしかなくなる。

 ………曰く、その条件とは『声』の存在理由である「ナザリック地下大墳墓の破壊」の一点のみであるが、被創造物として今まで感じ取れたその拠点の気配が転移と同時に感じ取れなくなっており、何らかの隠蔽がされていない限りはコチラの世界に渡っていない可能性が高い。

 

 …………曰く、ナザリック地下大墳墓とは、両方の世界に共通するモンスターを指標に推定すれば、難度にして300を超える力を持った至高の四十一人を頂点とする異形種の巣窟である。

 …………曰く、その配下の数も膨大であり、戦闘目的に創造された魔物達の強さは、こちらの世界で壮年のドラゴンがそうであるとされる難度100を下回る存在が、ほぼいない。

 …………曰く、神々をも打ち破る力を持った彼らが集めたアイテムや装備の力は強大で、世界を歪める力を持つ性能を有した代物すらも複数所有している。

 

 ……………曰く、『声』本体はそうした存在達に対抗する力を秘めているはずだが、その性能と情報を開示するためのパスコード?が未取得であるため、それが何なのかは分からない。

 ……………曰く、そのパスコード?は"オグドア"と呼ぶ8つのオブジェクト?から入手出来るが、そもそも"オグドア"自体がこちらに転移しているのか、そしてどこにあるのかも分からない。

 

 

 『声』は無機質に、淡々と、こんな説明を語り続けた。

 一切の抑揚が排された口調で延々と列挙される事柄は、胡散臭い託宣師辺りの狂言としか思えない内容ばかりで、その全てが酷く荒唐無稽だった…… インテリジェンス・アイテムの中には所有者の思考を支配し、アイテムに宿る意思に沿わせた行動へ誘導させる呪われた代物もあるらしいが、十中八九、これもそうした類なのだろう。

 なのに肝心要の私に起こっている現象―― 無意識のままに宛がった手のひらの下、胸の奥の心臓が全く動いていないという現実が、語る内容に笑い飛ばせない説得力を持たせてもいた。

 

 《 ――条件を達成すればランナーである貴方は当アイテムの装備解除権を得られますので、解除選択後第6位階相当の治癒魔法を行使するか、達成後にランナーへ付与される<オーバーアチーバー>のクラス報酬から取得可能なスキルによっては、心臓を以前の状態に復活させることも可能となります 》

 《 現在最優先とするべきは、攻略目標である地下大墳墓の情報収集です 》

 《 その副目的として"オグドア"を捜索。ナザリックを構成する戦力に対抗する力を早期に獲得することが今後求められます 》

 

 ……しかし、『声』の言葉を事実として受け止めるとなると――

 

 私はただこのアイテムが転移した場所に偶然重なっていただけで一度殺された上、能力の一切を奪われたアンデッドと大して変わらない存在へ知らない間に作り変えられたということになる。

 ぶら下げられた報酬は元の体に戻れる可能性で、そのためには至高の方々と呼ばれる、幾つもの神々を滅ぼしたとかいう話を真に受けるならお伽噺に語られる六大神、八欲王に並べられそうな存在が詰まった魔窟を滅ぼすことが条件だという。

 

 ――なんだそれは。

 『声』はそれがまるで可能であるかのように語っているが、そんなの、まるで現実味が無い。

 

 「<魔法の矢(マジック・アロー)>………… フ、フフ。 本当に出ないわね…… 」

 

 いつも身近に感じていた、身体を覆う魔力の気配が、酷く薄い。

 練習のし過ぎで魔力が枯渇しちゃって倒れた時でも、こんなにも希薄に感じたことはなかった。そのくせ脈拍のない肉体には不調を感じていないのだから、余りのちぐはぐな違和感に吐き気すら覚える。

 発動しないのだろうな、でも出来たら良いなと思いながら唱えた魔法は―― 思った通りと言えば良いのか、たった一つの光弾も宙に現すことなく終わった。

 こんな、こんな―― 思わず笑ってしまうほど、身体に宿っていたはずの力を感じられなくなった私が、本当にそんなことが果たせると思っているのか。

 

 そもそもなんだ? 創造主への反逆? 元々逆らうことを設定された?

 神のような存在がそう創った存在が真実『声』本体なら、そんな自らに歯向かう者に殺してくれと、わざわざ自分を害せる力を本当に与える理由がどこにあるの?

 暇を持て余した超越者が催す、決して助からない哀れな奴隷がもがく様を見て嗤う悪趣味な宴の一貫であると言われた方が、余程しっくり来る。

 そしてたまたま選ばれた奴隷が、私だったということなのか。

 

 《 何か不明な点はありませんか? 》

 

 ベッドから上体を起こして辺りを見回すと、枕元の棚には水差しとポーションにコップ、いくつかの果物と小皿、そして小さなナイフがあった。私が目を覚ました時のために誰かが用意してくれていたのだろうか…… 有難い。

 ポーションとナイフを選んで取り出し、棚の手前へと移動させる。

 

 まず間違いなく、コレは夢だ。

 けれど念のため、お決まりだけど痛みを感じるかどうかで真偽をハッキリさせようと思う。

 

 出来るなら心臓に突き刺してやって「そんな嘘に私が騙されるか」と、夢の中に響く『声』に当てつけてやりたい気分だったけど、それはとりあえず止めておこう。

 いかにも安物なこのナイフは、切れ味は元より刃長もそれほど長くはない。

 相当力を込めて突き込まない限りとても内臓まで届きそうにないし、そもそも自分の心臓がどこにあるのかなんて正確には知らないのだ。本当にそこにアイテムとやらがあるのか確認してやりたい…… なんて当てつけ染みた理由で実行したところでこれが夢ならまだ良いが、仮に幻聴の類なら心臓に刃を届かせる途中の肺や他の臓器を悪戯に傷付けて1人苦しむだけ、ただの馬鹿な自殺になってしまう。

 今自身が置かれている空間が、現実と違う客観的な証明。

 

 (それを痛覚の有り無しで確かめるだけなんだから、そこまでする必要なんてないわね )

 

 鞘から引き抜いたナイフを右手に持ち、 剥き出しにした左の二の腕に刃を軽く乗せ―― 引き切る。

 

 ……ほんの少しの時間を置いて、刃を走らせた皮膚に1本の赤い線がにじみ出す。

 じんわりとした熱と共に盛り上がってくる確かな痛み…… けれど、夢は覚めなかった。

 

 「……うっ、 」

 

 とっさにその傷の横へもう一つ刻まれた傷は、無意識の行動だったせいか少し力を込め過ぎてしまったらしい。

 線に留まらない赤が雫となって溢れ、ポタポタと石畳の床に音を立てて落ちていく。

 なのに、目は覚めない。

 

 (……この程度の傷ではまだまだ足りないのかもしれない。幻聴だけじゃなく、余程強い幻覚の中に囚われてしまったのかしら )

 

 ――幸い、備え付けのポーションはあるのだ。

 もう少し深めに切っても大丈夫だろう。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 《 警告。これ以上の出血は、生命維持に深刻な影響を及ぼす可能性があります 》

 《 <生命の精髄(ライフ・エッセンス)>発動―― フィジカルコンディションレベル、マイナス30ポイント。既に戦闘行動へ支障をきたす数値です 》

 《 直ちに自傷行為を中断し、回復措置を行って下さい 》

 

 単調な作業に腐心していた頭に、冷たく無機質な『声』は深く染み込んできた。

 気付けば夢中になって切り裂いていた左腕は、血に塗れて真っ赤に染まっている。

 

 「いったぁ…… 」

 

 『声』が聞こえてくるまで他人事のように感じていた痛みが、愚かな主を責め立てるように頭を叩いてきた。無遠慮にコレは現実だと突きつけてくる激痛は尋常ではなく、半ば無意識にポーション瓶のフタを開け、中を満たす薬液を飲み干した。

 少しだけ和らいだ痛みの中で、シーツを裂いた布で止血し始めた一瞬、ズキズキと腕と頭に走る痛みの間隔に脈拍の気配を感じた気がして、馬鹿な行為が報われた気持ちになって胸に手を当てるも、手のひらにはただ人肌の暖かさが感じられるだけだった。

 ポーションの効果か傷口から溢れる出血は明らかにその量を減らし、刺すようだった激痛もゆっくりジワジワとした鈍痛へ徐々に変わり始めてはいたものの…… そういえば手足を失った兵士や冒険者は時折欠損したはずの部位がまだあるように錯覚して苦しむことがあるらしいが、今のはつまり、そういうことなのだろうか。

 

 フラつく足。血を失い過ぎた?踏ん張り直した足元が滑る。血で粘ついた石畳。

 幻覚じゃ説明がつかない現実感。痛い。傷だらけの腕。私がつけた傷。

 『声』が止めた。敵じゃない? ただ宿主を護っただけの可能性。

 話は嘘? 本当?

 選ばれた? 奪われた? タレント。魔法……まほう?

 

 色彩に乏しい石材で囲まれた部屋の中にあって、特に目を惹く鮮血の赤さと夢では有り得ない痛みのせいか、さっきまで腕を切りつけることだけを考えていられた思考はひどく曖昧としていたが…… そんな盆暗な頭であっても引っ掛かった気付きに、私は飛び付いた。

 

 《 先程使用されたポーションの質が劣悪であったため、回復がまだ十分ではありません。時間経過による回復を待たず即時行動を開始する場合、最低でも即効性のある下級治癒薬の服用をお勧めします 》

 

  「これはこの街で最も有名な薬師が作った、高級ポーションの瓶なのだけど…… いやそんなことより、貴方に聞きたいことがある 」

 

 《 何でしょうか? 》

 

  「貴方、確かさっき<生命の精髄>を唱えていたわよね? それは、相手の体力を計る魔法だったはず…… 既に私の身体の一部だと言ったはずの貴方が、どうして私が使えなくなった魔法を行使出来ているの? 」

 

 これは『声』の語った言葉が実は嘘八百で、本当は何かしらの手段で私の状態を覗き見ながら、ただ<伝言(メッセージ)>の類で私に遠くから語り掛けている者を相手にしているのではないか? という希望含みの憶測である。この状況が現実であったとしても、何らかの手段で私の魔法発動を阻害している存在の悪意によるもの、という可能性は、決して無くはないはずだ…… 依然として動いていない心臓については、とりあえず後回しにする。

 とっさに閃いた、私が陥っている今の現状に納得するための無理矢理な言い訳だったが、ここで『声』が苦しい言い訳をしてこようものなら、それを根拠に言い縋れるはずだった。

 私は、力を失った訳ではないのだと。

 

 しかし――

 

 《 それは私に設定されている<術式魔法(プログラムド・マジック)>によるものであり、私の使用権を除き全ての種族レベル、職業レベルが失われた貴方に左右されるスキルではありません 》

 《 MP及び当アイテム専用であるインベントリ、"ダイダロス・ポケット"にストックされている鉱石を消費することで行使が可能です。このスキルツリーに登録された呪文は種族・クラス制限とは関係なく、解放さえされていればワンコマンドで発動することが可能です。

 《 使用優先権はランナーに固定されていますが、戦闘補助を総括する私も使用可能な権限を与えられています 》

 《 ご希望であれば解放済みの機能リストをいつでも閲覧頂けますが、ver.1で起動している現在の私に使用が許されている<術式魔法>及び<術式(プログラムド・)ドスキル>の種類はさほど多くありません 》

 《 "オグドア"から得られるパスコードの中には、それら未開放のツリーを開放する物も含まれているので"オグドア"がこの世界にあるのならば、速やかな接触が望まれます 》

 

 などと返されてしまった。

 さらには、

 

 《 なお本来全てのプレイヤーに保障されている魔法・スキル選択の自由ですが、ギルドアタックに参加されるランナーはこれらの取得が制限されます 》

 《 <ナザリックの祝福>を受けたランナーはレベルが上昇した場合、得られた経験値はHPとMPの上限引き上げを除き、全て当アイテムの機能解放に消費され、当該ギルドに規定された魔法・スキル以外の取得は全て不可能となります 》

 

 水は高い所から低い所へ流れます、と当たり前のことを説明するかのように答えた『声』の調子には、相変わらず一切の淀みは感じられなかった。

 少なくとも『声』にとっては、今言ったことは間違いようのない真実なのだ…… つまり、私が全ての力を失った現状も、今後あるかどうかも分からない地下の大墳墓を探し出して攻略しない限りは自由な成長すら出来ないことも。そしてそんな自由を得られるようにするためには、心臓を破壊して人の身体を乗っ取るようなアイテムを作った輩の敷いた道の上に乗り、望み通りの力を手にして挑んで見せるしかないということも…… 全部、『声』が嘘を言っていないのならば、本当のことなのだろう。

 

 

 『――待ちなさい、ラキュース! お前は、我がアインドラ家の娘なのだぞ? 』

 『――家の格を守り、貴種の次代を育む役割以上に優先するモノなどありはせんのだ! 』

 

 

 (こんなの…… こんなんじゃ、結局…… )

 

 自分は生まれた時から既に婿を取り、貴族の家を守る貴族として人生の役割を決められていた人間だ。

 民の汗と涙を吸い上げて生きることを許された血統である以上、そうして支えてくれる彼らの生活を守る責任があるのだと説くお父様の言葉が間違っているとは思わない。それでも家を飛び出したのは、為政者を支える良妻としてのお母様の姿ではなく、守りたい者を背後に回して直接危難を切り払い続ける叔父の姿にこそ私が憧れてしまったからだ。

 そして幸運にもそれが出来るだけの魔力、そしてタレントが私にはあった。

 大多数の平民、少数の貴族、そんな枠に囚われない一摘まみの『英雄』として、人々を護る存在に成れる可能性が、確かに私にはあったのだ。

 

 それなのに。ようやく踏み固められそうだった自らの力で拓いた道は、いつの間にか勝手に取り払われ、似たようで全く別の道を軌条(レール)込みで丁寧に敷設されている。そして自分は、そんな軌道の上にしっかりと噛み合わされて逃げられなくなったらしい。

 誰かに用意された力で、誰かに用意された敵と戦って『英雄』になれと言う。

 そんな役に「たまたま」選ばれた私の意志すら、関係ないのだと。

 ……全ては至高の方々とやらの望みを果たすためなのだと。

 

 「誰かの駒にされるために、私は冒険者になったんじゃない……! 」

 

 《 発言の意図が不明です 》

 《 地下大墳墓の破壊―― これは貴方と私、双方の利害に一致するはずですが? 》

 

 「私は、強制された筋道に乗った末の栄光なんて欲しくない! 私の意思で選んだ道の、私の足で歩いた先の、私の腕で掴む栄光で、誰に憚ることなく英雄になったんだって胸を張りたいのよ……! 」

 

 そう叫んだと同時、部屋に唯一設けられた扉の向こう側から、ドタドタとした複数の足音が聞こえてくる。それほど間を空けることなく勢い良く開けられた扉の向こう、顔を覗かせたのは確か、この都市の冒険者組合の組合長であるはずの男と…… 彼女、ガガーランだった。

 

 「目が覚めたのか、ラキュース!? 心配かけさせやがっ――て、オイ! てめぇ一体何してやがんだ!! 」

 

 顔を見せるなり大声で怒鳴りつけられ、大股で近寄ってくる彼女。

 何事かと思って思わず後ずさろうとしたら、足元の液体に滑って転びそうになる。フラついた足を再び踏ん張らせようとしたが、今度は出来なかった。

 尻餅をつきかけたところでガガーランに腕を掴まれ、抱え起こされる。その際、握っていたナイフはあっさりと奪われた。力が入らない…… ふと下に向いた視界に改めて映ったバケツをひっくり返したような錆色の染みに、起き抜けにこれだけの血を抜いてしまえばフラつきもするだろうと少し納得するも、加えて大声を出したのが悪かったのか、意識も霞んできたのは都合が悪かった。

 

 (早く説明をしないと、未来の仲間候補に心配されちゃうわね…… )

 

 いつかの叔父様がしてくれたような肩車ではなかったけれど、横抱きに持ち上げられた彼女の腕の中は、とても暖かだった。そんな彼女の胸に寄せた耳に届く鼓動は、私の心をひどく安心させる。

 とても眠くなってきたのは、そのせいだろうか?

 彼女は何か必死に呼び掛けてくれているようだったけれど、どうやら本格的に眠くなってしまった頭に、ぼんやりとしかその言葉は届かなかった

 

 

 

 

 

 ――そんな意識の消え際であっても、『声』はハッキリと私の頭に響くのだ。

 

 

 

 《 目の前の女性は意識を失っていた貴方を戦場から連れ戻してくれていた方である以上、貴方の味方だと思われますが―― もしパーティーを組んでいたのならば早期に解散、もしくは貴方だけでも所属するパーティーから抜けることを強く推奨します 》

 《 当"A.D.A(エイダ)"システムを利用したギルドアタックは、単独で参加することが義務付けられています。ランナーがパーティー登録を行っている期間中、<ナザリックの祝福>はペナルティとして、当アイテムに備わる全てのアクティブスキルの使用を制限させます 》

 《 生命維持に支障はありませんが、先程行使した<術式魔法>を含め、今後取得し得る一切の攻撃スキルが使用不可能となります。パーティーを組んだ状態での戦闘行為は、非常に非合理的です 》

 

 何とか起きていようと開いていた瞼も限界だったが、目の前のガガーランの顔に、全くの第三者の声に驚いたり訝しむ様子は見られない。どうやら『声』は<伝言(メッセージ)>に似た力によって自分にのみ聞かせられているのではと考えた、私の思いつきのその部分だけは正解だったらしい。

 

 だが、そんなことは私にとってどうでも良かった。

 今はこの時手元からナイフが奪われていたことだけが、ただひたすらに恨めしかった。

 もし今もナイフを握っていられたのなら、ようやく安げそうだった心すら押し潰そうとする『声』が巣食っているらしい心臓の肉に、今度こそ刃を突き立ててやれたはずなのに――

 

 彼女の腕の中で再び意識を失う直前、私が考えていたのはそんなことだった。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

   * * * * *

 

 

 ――その後しばらくして、冒険者組合は金級冒険者ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラの降格を正式に決定した。

 

 一命を取り留めたものの、その後自傷行為に及んだ彼女は、完全に回復してからも誰もいない空間に向けて独り言を度々零している様子が目立ち、心身が不安定となってしまっていること。

 魔法、武技をはじめ、『英雄の卵』と呼ばれていたタレントを喪失してしまっていたことなどが主な理由である。

 

 組合は引退を勧めたが、彼女はこれを拒否。

 本来であれば下がった戦闘力相応の最下級である銅級まで位を下げるところではあるが、これまでの組合への貢献と達成してきた依頼の経験を鑑み、1つ上の鉄級の位に留めることとなった。

 

 彼女が犯罪などを犯した故での懲罰ではないことを認知させるために経緯が公開されたことで、この前代未聞の理由で行われた飛び級の降格騒動は、冒険者の間でも大きく騒がれる噂話となって王国に広く波及した。

 その結果、将来性を失ったと組合が保証したも同然となった彼女とパーティーを組みたがる下級冒険者は、前にも増していなくなっていた。

 

 同業者達は憐憫、あるいは嘲笑を込めて、彼女をそれまで通りの『蒼薔薇』と呼んだ。

 

 

 






 アインズ・ウール・ゴウンの制作物によってリストカットに追い込まれる少女R。
 やっぱりAOGは悪のギルドなんだなって。

 ※"オグドア":ギリシャ語。元ネタはエジプト神話に登場する八柱の神の集合体を意味する「オグドアド」から。ユグドラシル当時のAOGでは「8本の柱がヘルヘイムのどこかに置いてあるから、頑張って探し出して強くなってからナザリックにきたまえ! 君の挑戦を待ってるぞ! 」をしていた設定。なお挑戦者実績は0。

 ※<ナザリックの祝福>:複数パッシプスキルの総称。アリアドネシステムによるギルドアタックに際して、参加者にもたらされる恩恵と制約をまとめたもの。その中には運営の定めた規則を含む強制力を含んだモノもある。
 恩恵の中にはシステム上失わせた経験値を早めに回復させるための経験値ブーストがある一方、制約には「1人で悪の組織に立ち向かう図って、中々熱いモノがありますよね! 」とか変身ヒーローに憧れを持っていた妻帯者が、いらないことを言って加えたモノもあったりする。



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墓の下で慄く支配者

 遅くなって申し訳ないです……
 ヒロインのターン。




   * * * * *

 

 

 

 

 数百人が入ってなお余裕があり、屋内という設定なのに見上げた天井が霞むかのような高さを持つ空間―― ナザリック地下大墳墓最奥にして最重要な部屋、玉座の間。

 

 しかし完成してからサービス終了の直前に至るまで、俺を含めたギルドメンバー達のほとんどが入ることなく、無人のままに閉ざされ放置されたはずだったこの場所には、仲間達とも違う―― 1度だって耳にした覚えのない男女達の声が、つい先程まで響いていた。

 

 戦闘メイドの六姉妹。

 それらを取りまとめる執事。

 そして、地下墳墓を実質管理する『設定』を与えられた守護者統括。

 

 彼らの正体は、ナザリックで仲間達が精根込めて作り上げたNPC達であり…… しかし本来なら登録された音声データ等を機械的に発声させる手順でも踏まなければ、とても言葉を発するような存在ではなかった。

 そんな者達が何ら前触れもなく、今までもそうであったかのようにごく当たり前の雰囲気で俺の意図を汲み、プログラムでは有り得ない『会話』すら行い始めたのである。

 

 命令(コマンド)では設定のしようもないコチラの曖昧で複雑な発言を理解し、仕様上は不可能であるはずの「拠点からの外出」を含めて自律したかのように動き出したNPC達は、それまでの彼らとは明らかに「違って」いた。

 

 唐突に自我を持ったかのように動き出すNPC。

 サービス終了したはずのゲームからは、依然としてログアウト出来ないまま。

 

 更には――

 

 ( 変わったのはNPC達だけじゃない。俺だって…… )

 

 電脳法で守られた仮想世界では絶対に有り得ない、五体を通して突きつけられる現実感。

 

 これ程までに意味不明な状況へ放り込まれたなら、普段の俺だったらもっと取り乱して喚いていたはず。なのに感情に潰されそうになった時に限って精神は乱れず、むしろ逆に異様なまでに落ち着いてしまえていた。

 そんな身に覚えのない冷静さ? を持て余しながら、おかげで何とか取り繕えた指示を彼らに言い渡せ、玉座の間から追い出すことが出来たのだが―― そもそもこの状況下でそんな風に出来てしまった、自分に対する違和感が酷い。

 

 なんやかんやと残していた最後の1人、守護者統括の役割を持つNPCも退出させた後。「取りあえず誤魔化せた」という安堵しか頭に浮かばなかった。

 ……あれほど苦痛だったはずなのに、日付を跨いでからさっきまでの間は待ち望んですらいた、”1人”の状況。ソレがやってきたことに、心から胸を撫で下ろす。

 

 特級の材質で構成された玉座の背もたれに、深く背中を預ける。

 ただのアバターであるはずの骸骨の身体。なのに神器級のマント越しに椅子へと押し付けられた背骨の尖った部分から、感触として返ってくる硬質さが妙にリアルだ。

 

 生まれた時からそうであったかのように自然と、自身の身体であると抵抗無く受け入れてしまっている骨だけの両腕を持ち上げ、これまた剥き出しに晒された自らの頭蓋骨に当てる。

 

 上司に苛められた後に1人こっそりと使ってきた、身体に染みついた頭を抱えるポーズ。

 だけど――コツン、と。

 いつもなら鳴るはずもない、剥き出しの骨同士がぶつかる乾いた音が、広く高い空間に響いて消えていく。

 

 

 (こうした細かな部分にまで生まれる本来の生身とのギャップに、ますます不快感が募って……くれない自分は、本当に心までアンデッドのソレに変わってしまったんだろうか? )

 

 先程の守護者統括とのやりとりを経て、仮説を立てたアンデッド化による感情の起伏の抑制―― 考えたくはないが、否定する材料も今のところない。

 

 

 呻きと共に骸骨の顎から吐き出した溜息の中身は、サービス終了したはずのゲームから何故かログアウト出来ず、身体も心も変質してしまったという異常事態に巻き込まれたことへの焦燥と不安が大半だったものの…… 含まれた苦悶は、まさに『先程の守護者統括とのやりとり』を思い出したことによって、確実にその苦みを濃くさせられていた。

 

 そうだ。俺にとって――

 

 「俺は…… タブラさんの作ったNPCを汚してしまったのか…… 」

 

 友人の作品をつまらない悪戯心で汚してしまったことへの後悔は、この異常事態と比べてなお無視出来ない重さを持っていたのである。

 あの様子から察するに、自らが「モモンガを愛している」と彼女の設定テキストに加えてしまった一文が、その丹精込めて作られたであろう在り方を、強く歪めてしまったことに間違いはなさそうだった。

 

 「…… ああ、くそ……! 」

 

 隙間だらけの両手で顔を覆う。

 

 最早誰もいなくなった為に人目を憚る必要なんてなかったはずだが、荘厳な玉座の間を覆う静寂に気後れしてしまった俺は――

 

 心の中だけで、叫ぶことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (だってぇ! そんなつもりじゃなかったんですよぉぉぉ!! )

 

 (どうせユグドラシルが終了してしまうなら―― 最後くらいギルド長としてね? いや本当、ほんの少しだけ、ちょっぴり特権の1つくらい振りかざしちゃおうかなぁと、思いついちゃっただけなんですよぉ……! )

 

 勢いよく顔を伏せ、そのまま左右にブンブンと振り回す。

 もちろん骸骨の頭には顔色なんて浮かばないだろうし、そもそも今の自分を見ている者なんていないとは分かっているけれど。

 それでももし現実の肉と皮があったままなら、間違いなく真っ赤に染まっているだろう顔に籠もっているはずの熱を、振り払いたくて誤魔化したくてしょうがなかった。

 

 (まさかサービス終了時間になってもゲームが続いて? ログアウトも実行されず? その上に仮想空間がまるで現実世界のように一変するような事態に巻き込まれるなんて…… 予想出来るはずもないじゃないですか!! )

 

 湧き上がる感情を繰り返し抑えつけてくる感情の鎮静効果も、その原因となる記憶を薄れさせる作用までは持っていなかったらしい。

 死者の身体は性欲すらも奪い去ってしまったようではあるものの、 間違いなく女性経験を得ることなく生きてきたと胸を張れてしまえる鈴木悟の人生において……『先程の守護者統括とのやりとり』における映像と感触は、忘れようもなく鮮烈に過ぎたのである。

 

 胸。大きい。近い。触れた。柔らかい。

 揉んだ。形が変わる。はじめての感触。

 ――スゴイ。

 

 しかと脳裏に刻み込んでしまった映像が脳裏にチラつく度に、激情は鎮められても<埋け火(いけび)>のように燻る羞恥と悔恨…… そしてそこに僅かではあるものの加わってしまう小さな達成感が、チリチリと胸を焦がすのだ!

 

 (こんな状況に陥るなんて、ぷにっと萌えさんにだって見通せやしませんでしたって! 俺は悪くないです! ……やっぱりごめんなさいタブラさん!)

 

 いざ開き直ってみようにも、かつての友人が悪戦苦闘しながら、それでも楽しそうにNPCを造っていた姿を憶えているがために、そんな逃避めいた決意はすぐに萎えてしまう。

 

 この空間が、自分の知っているユグドラシルとは似ているようで全くの別物と認めなければ説明がつかないような状況が立て続けに重なり、それでも心や思考は何らかの要因(恐らくはゲーム由来のアンデットが備える種族特性)によって強制的に落ち着かされていたようでいて…… その実、根っこの部分ではしっかり混乱したままだったのかもしれない。

 

 このたった一人取り残された事態に手っ取り早く第三者を介入させられる、従来の『運営』とシステム環境であれば、真っ先に警告が飛んでくるはずの行動―― 18禁行為。

 

 その要件を満たせる女性型NPCが目の前にいたというだけで、俺はその、禁じられた行為の実行を躊躇わなかったのだ。必要なことだからと自分に言い訳をし、自分に気持ちを向けるように在り方を歪ませた存在の胸を思い切り掴み、揉み込んでしまった。

 

 冷静だったはずがない。

 

 男の象徴たるアレを実践使用しないまま、今なお不本意ながら大切に純潔を守り抜いてしまっていた汚れ無き人間が、絶世の美女に向かって「胸を揉ませろ」だなんてこと、素面のまま言えるはずもないではないか。

 

 (……実際、今タブラさんを目の前にしたら、開き直ることも出来ずに土下座する自分の姿しか思い浮かばないからなぁ )

 

 ――そうだ。

 悶えるままに「犯行」の自己弁護をしてはみたものの、非の在り処は間違いなく、行動を起こしてしまった自分にある。

 どんな過程や動機を経たにしろ、結果として仲間が心血注いで創り上げた『アルベド』という作品の設定を、軽い気持ちで上書きしてしまったことには変わりないのである。

 

 (フフフ…… 改めて振り返るなら、友人の居ぬ間に強権を振りかざし、現実逃避の延長でその愛娘を弄んだ<間男(童貞)>の所業ってところかな…… フ、フフ。きつい、コレはきつい。かつてない後ろめたさじゃないか…… )

 

 寂しさと孤独に喘ぐ日々の末に放り込まれたこの異常事態に、今も誰か仲間の1人でも隣に居てくれればと切実に思いは当然ある。

 しかし願いを重ねるならば…… 最低限の言い訳を整えられるまでは、どうかその相手はタブラ・スマラグディナ以外の人であれと、望まずにいられない。

 そんな都合の良い釈明が、果たしてこの先思いつけるかどうかは甚だ疑問ではあるのだが。

 

 (こんなことなら書き換えなんてするんじゃなかった…… 俺は、ただ身勝手にアルベドを傷付けてしまっ―― あれ? )

 

 (今では俺のことを愛するようになってしまった彼女だけど…… そういえば元々がビッチだったんだよな? もしかして書き換えなかった場合にしろ、俺が胸を揉んだ程度じゃ大して傷付かなかったりするのか? )

 

 むしろ、なんだか喜んでたし。

 ビッチのままでも、あまり態度は変わらなかったかも……

 

 (いやいや、そんな都合の良い話が! ……? ……あれ? ……いや、ちょっと待て。ちょっと待てよ…… 確か―― )

 

 

 

 何か大事なことを忘れているような――……

 

 

 

 (――――あぁっ!! )

 

 伏せていた顔を跳ね上げる。

 思い当たった閃きの先に浮かんだのは、さっきまで抱えていた懊悩を一瞬で頭から追い払うほどの、余りにも重大な事柄だった。

 

 (そういえばアルベドの設定に手をつけた他にも、何か普段やらないようなことをやったんだった!? そ、そうだ! 確かマスターソースを開いて……! )

 

 ログアウトその他に関わる個人用のコンソールについては、先程試して立ち上げることすら出来なかったためにうっかり失念していたが――玉座の間などの特定の場所においてのみ操作が可能な、ギルドシステムにまつわる項目を操作・閲覧が可能なマスターソースの存在を思い出したのだ。

 

 (アレならまだ動くかも……もし起動出来たなら、真っ先に確認しなければならないことがある……! )

 

 頼むから開いてくれ、と念じつつ、何もない空間に規定通りの操作をしてみれば――

 現在進行形で散々な目に合っている今日の運勢もようやく少しは上向いてくれたのか。今度はひどく呆気なく目の前に立ち上がったソレは間違いなく、日付を跨ぐ直前に己が開いていたウィンドウ群だった。

 

 画面を勢い良くスクロールさせて(その途中で、目についた「NPC一覧」からアルベドの欄にギルドの証をひたすら押しつけた挙句、結局変更に必要な設定ページにすら飛べなかったことに強く落胆しつつ)辿り着いた項目は、ギルド防衛の要にして急所の欄――システム・アリアドネの項目タブ。

 

 こんな異常事態に嵌ってしまう前。

 確かに俺は、このページを開いて操作していた。

 恐らく、変更の保存だってしたはずだった。

 

 ソレを再び開こうとタップする指先―― が温かみのない真っ白く尖った骨であることが、当たり前の我が身だと受け入れてしまえている自分の心持ちが、小さな違和感となって引っ掛かる。

 しかし、今はそんな小さな感傷に浸って良い時ではないだろう。

 

 無視して動かした骨の人差し指によって、僅かの間も開かずに表示を切り替え、浮かび上がる詳細画面。

 

 間違いない。

 

 それは目的のページだった。

 

 

 (……? )

 

 けれど。

 それは見たことのない情報を表示してもいた。

 

 「――あれ? 」

 

 開いたはずのシステム・アリアドネ関連タブの1ページ。

 一目で確認出来る程度の文章量な画面なのに、どうしてか目が滑る。

 

 上手く文章を読み取れない。

 

 何年も、それこそこのシステムが起動して以来ずっと、ついさっきサービス終了する直前に確認したまでの期間、一切その表示される文章が変わらなかったはずの、このページ。

 

 

 ++++++++++++++++++++

 《ARIAdne Device for AINZ-OOAL-GOUN》

 ○状態:待機中

 ○装備者:無

 ○『オグドア』解放数:0/7

 ○ナザリック地下大墳墓攻略率:0%

 ++++++++++++++++++++

 

 

 なのに一体どうして?

 

 起こるはずのない、有り得ないと思っていた情報の変化を受け止めるには、視線をその文章に何度も往復させなければならなかった。

 ようやくその文章の持つ意味を呑み込めた途端、思わず口からはこの異常事態に巻き込まれた際と同じく、受け入れがたいモノを罵るための言葉が漏れていた。

 

 「どういうことだ……! 」

 

 「日付が変わる前に起動してから、ほとんど時間なんて経っていないのに…… 」

 

 

 ++++++++++++++++++++

 《ARIAdne Device for AINZ-OOAL-GOUN》

 ●状態:起動中(ver.1)

 ●装備者:有

 ●『オグドア』解放数:3/7

 ○ナザリック地下大墳墓攻略率:0%

 ++++++++++++++++++++

 

 

 「なんでもう装備された状態で―― 柱まで3本も見つけられているんだよっ!? 」

 

 ――立て続けに起こっている異常事態。

 しかし目の前にある画面からは「ゲームからログアウト出来ない」「身体が骨だけのアバターになってしまった」という問題と比べてなお、最も大きな事件であるように思えてならなかった。

 

 『ナザリック地下大墳墓が破壊されるかもしれない』

 

 俺にとって。

 ソレは身に降りかかった異常への対処などよりも、遙かに優先して対処しなければならないと考えてしまえる大問題なのだから。

 

 

   * * * * *

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 ――アリアドネのページを開き、衝撃の情報を発見してからそろそろ一時間。

 

 俺はその間、ずっとスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン(失われればギルドが崩壊するギルド武器)を傍らに浮かべたまま、マスターソース画面を切り替えることもなく、玉座の間を離れることもしなかった。

 

 

 六階層の円形闘技場で実験するつもりだった、ユグドラシルの魔法やスキル。その中でも探知系に類するモノを衝動的に使ってしまい、しかしその結果ゲームとは勝手は異なるものの無事に発動出来、効果も同様であることが分かったのは幸運だった。

 

 そこからは安全に一つずつ確認してみるのは後回しとし、<魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)>や<時間延長化(エクステンドマジック)>などの魔法強化を注ぎ込めるだけ注ぎ込み、玉座の間正面扉から先にある一定範囲の空間に対して、自身が現状で施し得る全力の索敵と迎撃体制を整えていた。

 

 なにしろ正体不明の存在は、たったあれだけの時間の中で偶然でも無ければ非常に入手困難なアリアドネ・デバイスを装備し、かつヘルヘイム全域に散らばっているはずの『オグドア』の3本までに接触を果たしているのである。

 NPCに全幅の協力を求めるには未だ躊躇いがある中で、告げた予定通りにここを離れて六階層に向かって呑気に自身の力の実験をするなんてことは出来るはずもなかった。

 この場でしかギルド情報を総括して確認出来ない以上、次の瞬間にも表示が進行するかもしれない画面から、目を離すことは出来るはずもない。

 

 魔法、スキル、消費アイテムを注ぎ込んで固めた空間――"ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)"にして『()()()()()()の転移範囲中、最も玉座の間に近い場所』に、未だ侵入者が現れる様子は欠片もなく、示されたアリアドネの状態も開いた時から一切の変化を見せてはいない。

 

 ……最初こそ気が気ではなかったが、何の異変もないままに経過する時間が長くなるにつれ、防衛以外にも今後のことについて考えを回す余裕が持てるようになっていた。

 

 忠誠心を確認し、または稼ぐためにNPC達に告げた予定を早々に後回しにしてしまったことによる後悔こそあれ、やはり思考の大部分は、突如起動したアインズ・ウール・ゴウン版アリアドネについてであった。

 

 (あのアリアドネ・デバイス…… ペロロンチーノさんやへろへろさんが、頭文字を取って"A.D.A(エイダ)"って呼んでたっけか。今、エイダを装備している者は恐らく、俺達に何かしらの怨みを持っているプレイヤーの可能性が高いな…… )

 

 外見上は何の変哲もない拳大の大きさをした球に偽装してあるエイダは、触れた者に攻撃を仕掛けるような特性を持たせることこそシステム上不可能だったが、その代わり未装備時は常にフィールド上をランダムに転移し続ける機能を持たせていたのだ。

 たまたま目の前に転移してきたなどの、やまいこさんに伍するレベルの豪運でもない限り、アレを意図して手に入れるには前準備を重ねた計画と、最低でも90レベルを超えてようやく覚えられる探知系や調査系の魔法やスキルの使用が必須だろう。

 

 加えてエイダに触れた所有者が所有権を移すことなく、その場で全てのレベルを初期化させなければならないという「装備条件」がある。

 これは何もアインズ・ウール・ゴウンに限ったことではなく、新アリアドネ・システムの導入時にギルドが運営の考えていた以上に消滅させられたことによって、慌ててシステムに追加された制限の1つだ。

 アリアドネによるギルドアタックに参加するためには、レベル下降のペナルティを各ギルドの任意で設けることが出来る―― これは運営が定めたルールであり、抜け道は存在しない。

 

 そこに俺達のギルドはナザリックへの挑戦者にいくつかの優遇措置を持たせることで、レベルも10や20ではなくスキル、魔法も加えての完全初期化、そしてそれ以降、装備者はエイダをアクセサリの装備欄から放棄するまで、こちらが設定したスキルと魔法以外の習得を制限させるという仕様となっていた。

 しかもある程度攻略の段階を深めないと、その優遇される内容も具体的には開示されないのだ…… 死獣天朱雀さん達が「エジプト神話」とかいうマイナーな物語に絡めた言葉で特典についてはしっかり触れているとか何とか言っていたけれど、そんなモノ突然聞かされて分かるはずもない。

 

 装備前アナウンスによって、その旨を繰り返し告げて不安を煽りまくる内容は、ナザリック攻略を目的としたプレイヤー以外にとってみれば、ただの「自由にキャラクターを成長させる」楽しみを奪う呪いのアイテムでしかない。

 

 よっぽど俺達に怨恨を持った者でもない限り、いくらエイダがアインズ・ウール・ゴウンのギルドアタック用アイテムだという情報が知られたところで、同時にはたった一つしか作れない自分のアバターを、初期化以下の状態に陥らせてまで装備しようなんて気にはならないだろう。

 たまたま手に入れた、もしくは遺恨があっても軽い者であれば、そんな呪われたアイテムなど早々に手放してしまうはずなのだ。

 

 (――そんなアイテムを、"コイツ"は装備している )

 

 しかも自分が画面を閉じてから開き直すまでの僅かな間に、どうやってか複数の『オグドア』から、エイダの機能を開放するパスコードを得てすらいた。

 <起動状態>にしてから3分にも満たないような僅かな時間の間にエイダを手に入れ、その後に3つもの『オグドア』と接触出来た事実―― もしかしなくても相手は複数、最悪ギルド単位で動いている可能性が高いだろう。

 

 『オグドア』はエイダ所有者が触れない限り何の意味もなく、その用途以外では所詮大きさだけがそれなりの、7色ごとに染められた破壊不能の柱オブジェクトに過ぎない。それ以上に大きい建造物や、奇抜なデザインに溢れたヘルヘイムの地にあって、それはさほど目立つモノでもないのだ。

 エイダが採用している「単独によるギルドアタック」方式では、攻略者はパーティ登録中の魔法・スキル使用不可と、経験値入手不可という制限が掛かるとはいえ、決してパーティが組めなくなるということはない。

 肝心のエイダを手に入れることに成功したならば、他の協力者と共に、転移系の魔法で『オグドア』を巡ることは決して難しいことではないだろう。

 

 万が一。仮に。

 もし、だ。

 これが既に引退してしまった仲間が、こっそりと作っていたアバターで残っているギルドメンバーに仕掛けた最終日のドッキリで無いのなら…… "コイツ"は入念にオグドアの場所を特定するなどの下準備を重ね、エイダ取得と同時に一気にそれらを触れて回っているプレイヤーであるはずだ。

 

 それは現在の異常事態に巻き込まれたプレイヤーが、ユグドラシルの中にあって俺一人ではないという証でもあったが―― 自身やナザリックに確固とした怨みを持っていそうな人間に、ただ同じ境遇となった被害者として仲間意識を持つのは流石に難しい。

 

 

 ――しかし、気になることもある。

 

 (改めて確認してから、これまでのかれこれ1時間。エイダ取得からの恐ろしい回収速度からすれば、とっくに全ての『オグドア』を解放していてもおかしくないはずなんだが……? )

 

 ++++++++++++++++++++

 《ARIAdne Device for AINZ-OOAL-GOUN》

 ●状態:起動中(ver.1)

 ●装備者:有

 ●『オグドア』解放数:3/7

 ○ナザリック地下大墳墓攻略率:0%

 ++++++++++++++++++++

 

 表示し続けたままの画面の数字が、一切変化しなかったのだ。

 

 (ただ単純に、『オグドア』を3つまでしか見つけられていなかったのか? )

 

 これが妙に気になってしまう。

 相手は執念染みた勢いであったはずだ。俺と同じくこの異常事態に巻き込まれたとして、唐突にその熱意が途切れたように見える停止の理由は、一体どういうことなのだろうか?

 

 (だとしたら、何故サービス終了直前なんてギリギリ過ぎる時間に、"コイツ"はエイダを装備なんてしたんだ? せっかくの最終日にログインしておきながら、これまで築いた全てを自ら捨て去ってまで、中途半端に終わると分かっているギルドアタックに挑んでみようと思えるほどに、他にやることが無かったのか …… だとしたらこの異常事態に気付いて、"コイツ"もしくはいるだろう連れの者達がナザリックへの報復どころじゃなくなっているのであれば、交渉の余地はある、か……? いや、しかし―― )

 

 ・

 ・

 ・

 

 それから少しの間、あーだこーだと色々考えを巡らせはしたものの、変化しない表示画面と睨めっこしたままでは埒が明かない。

 ただ確実に言えることは、今すぐにシステムを全開放したアリアドネ・デバイスが、ここナザリックに攻め込んでくることは無いらしいということであり―― それはそのまま、大きな安堵を得られる情報であった。

 

 解放数が3つのままであれば…… いや例え7つ全て解放状態で今目の前に現れたとしても、それがver.1のままであれば負ける可能性は殆ど有り得ないからだ。

 全て試したワケではないが、それでもここまで魔法とスキル、アイテムは問題なく使え、自分が覚えている通りの効果を発揮している。後で必ず検証する必要はあるが、他の攻撃系の能力についても、極端にユグドラシルと乖離した効果となっていたり、全く使えなくなっているという事態にはなっていないだろう。それが、なんとなく分かる。

 

 (――なら、絶対に大丈夫だ )

 

 傍らに浮かべていた我がギルドの証を、強く握り込む。

 するとその握った部分から九色の輝きを咥えた蛇の台座に至るまで、二又に分かれて伸びている杖に生まれている隙間を埋めるように浮遊する、三色の光を放つ光輪が明滅した。

 

 (その時は皆さんと一緒に作り上げたコレの力、使わせて貰うかもしれませんね )

 

 自分専用に仲間達と共に創り上げた、世界級アイテムに匹敵する力を持つソレを装備したことで、劇的にステータスが上昇する感覚は癖になりそうな高揚感があり、いずれ近いうちに迎え討たなくてはならないかもしれない復讐者に怯えていた心を落ち着かせてくれる。

 先程から味わっているアンデッドの特性から生まれたらしい強制的な鎮静と比べ、それは穏やかでありながらも、遙かに確かなモノだった。

 

 装備時に杖から生まれるエフェクトとして仲間が作り込み、しかし三色の光が(またた)くと同時に、円卓の間で見た時よりも遙かに存在感を増やした苦悶の表情を浮かべては消える紅のモヤの群れ。それが知らず発動していた絶望のオーラによって吹き上げられ、本来風の生まれない玉座の間の空気をゆっくりと動かしていく。

 

 ――意図した行動ではなかったが、それで生まれた風はふわりと、金属で編まれた四十一の旗を小さくはためかせた。

 

 布が擦れるには重く軋んだ音に見上げてみれば、個性的なギルドサインを歪める一斉に歪めている彼らの旗達が目に入る。

 その様子はまるで場違いにも「早くその力を俺達に見せてくれ」と、ハシャぎせっつかれているかのような錯覚を俺に感じさせてくれた。

 

 

 皆と作り上げた思い出の象徴は、ここにある。

 ギルドの証も、ここにある。

 

 ……どこにも消えてなんかいない!

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 「――――<伝言(メッセージ)>」

 

 

 『……あぁ! モモンガ様! アルベドでございます!! もう間もなくお伝え頂きましたお時間でございますがコチラに御姿をお見せになられなかったので、何かご予定の変更でもと思い―― 不敬とは存じましたが私から<伝言>を送らせて頂こうかと愚考していたところでございますが…… 如何がなさいましたでしょうか?

 ……! 宜しければ私がソチラに、御身をお迎えに参りましょうか!? もちろん守護者統括として、何よりモモンガ様を愛する―― 』

 

 「おぉぅ…… いや待て、 待てアルベド! 守護者達はもう皆揃っているのか? コチラで確認しておくべきことがあって、結局六階層に行けないままに伝えておいた時間ギリギリになってしまったからな。誰か焦れてしまってはいないかと心配だったのだ 」

 

 『ハッ! 我ら守護者各位。既に第六階層が円形闘技場にて、畏れながら御身の御威光に触れる機会を賜るべく参上致してございます…… しかしながらモモンガ様。我らなどを気遣う必要などは御座いません。

 我らの身に流れる血の一滴、魂の欠片に至るまでが悉く、全ては創造主足る至高の方々の所有物で御座います。それが御身の望みであるならば、例え業火の底で永久の時間を過ごせと仰られようと、ナザリックの下僕一同、末端に至るまでがその勅命を喜びと共に果たすでしょう 』

 

 「あ、うん…… いや、そうか。お前達の忠誠嬉しく思うぞ。それではすまないが、連絡事項の変更だ。今六階層にいる守護者達を、そのまま全員連れて玉座の間まで来い。セバスには私から連絡し、偵察後は直接コチラに来るように伝えてあるので連絡は不要だ 」

 

 「かしこまりました。すぐに守護者達を連れてそちらへ参ります 」

 

 「うむ。頼んだぞ 」

 

 「っ!はいぃ! お待ち下さいませ、モモンガ様!! 」

 

 

 ……<伝言>を切った後、なんとなく宝物殿辺りに逃げ出したくなって反射的に挙げてしまった右腕を意識して降ろす。まだ試してない以上、何かの拍子に薬指に嵌めている指輪の効果が発動しては堪らない。

 守護者統括はともかくとして、自分に対する他のNPCの忠誠心がどの程度のモノか確認しなければ、安心して防衛を任せることは出来ないのだ。

 集合時間に遅れそうになった上に後出しで場所を変えるのは、上司として悪い印象を与えてしまうかもしれないが…… マスターソースを開けない六階層では、今後の方針を伝える場としては不足だった。これ以上また別の場所に逃げ込んだ姿を見せたりして、彼らからの評価を下げる訳にはいかないだろう。

 

 

 「さて、【第二次ナザリック防衛戦】……その作戦会議と行こうか 」

 

 (例えエイダが相手でも、ナザリック地下大墳墓は壊させない。俺達の作った力を合わせて、必ず撃退してみせる…… 出来れば見守ってて下さいね、皆さん ) 

 

 

 ――見上げた先にある四十一の旗を動かしていた風は、もう止んでいた。

 

 

 




 忠誠の儀の前に、ギルメンとNPCを同一視しないスタンスを匂わす一般人S。

 地下墳墓にあるのは、自らはあまり手を出してない友達の創作物。
 かたや敵対しそうな相手は、最後の最後に41人全員参加で作った最新の思い出。

 一般人Sは支配者Mとして、41人の友人達を偲べるヨスガではなく、ナザリックを危機に晒す敵として処理出来るのかがポイント。



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