夢のチカラ Episode Origin―Past goes hope― (水月渚)
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第1章 終わりの始まり、終わった先の未来

とりあえず投稿。残念ながら内容に満足がいってません。


真上から感じる視線を、今だけは気にする暇もなく、玲音は美来に駆け寄った。

雷撃は鋭く、とてつもなく速かった。防御を展開させる間もなく小さな体に突き刺さったそれは、命ひとつを瞬時に削り取るのには十分すぎる威力で。

「――っ!!」

思わず体を抱えあげると、その軽さに目眩を覚えた。主な傷跡…直撃を受けた部分の損傷が激しく、血液が流れていってしまっているからだろう。こうしている間も段々と顔から血の気が引いていく。

(呼吸が――してない!?)

遅まきながら気付くと、玲音は迷いなく時間を巻き戻そうとして……出来なかった。

愕然とした表情を見たのか、上空の女性は高らかに笑う。

「自分が今時間を戻せないことも忘れたのかしらぁ?

惨めよね、無様よね、屈辱的で無力ねぇ!」

ギリッという音が聞こえるほどに歯を食いしばって、玲音は逃げ場を探した。

(逃げる――?追いつかれる……。戦う?かばった状態では無理、それより前に絶命してしまう!何か案は、何か――)

「玲音っ!ここは任せぃっ!」

女性よりも遥か上から聞こえたその声に耳を疑う。

宙を見上げると、大ジャンプで降ってきたネネが美来と玲音を庇うように前に出る。

「出来るだけは時間を稼ぐ。早く逃げて」

油断なく前を見つめたまま小声の早口でそう言うと、無謀とも言える突撃を敢行する。

元より玲音も勝てない相手なのだ。全動物の能力を使いこなせるネネとはいえ、魔法はあまり長けていない。彼女に勝ち目はまったくない。

しかし、

(ごめん――!ありがとう)

何も考えず心の中で謝罪と感謝を伝え、玲音は瞬間移動を数回繰り返した。

最後にユヅカたちがいるリコの家に到着する。

「玲音さんっ!!早く治療をっ!」

ユヅカの声がして、ユイがドアを内側から開けた。

「呼吸がない!?無理やりやると――。

あぁもう許せ!やってやる!」

ベットに寝かされた美来の体に両手をかざして、ユイは意識を集中させる。

(治れ治れ治れ治れ……!)

その思念が周りの3人にも伝わるほどに強く念じて、魔力を全て消費する勢いで治療魔法を行使する。

「ダメ……っ!血が流れすぎてる。このままじゃ呼吸が戻っても……!」

「美来はAのマイナス型だ!誰か、同じのを持つ人は――!?」

玲音が即座にユヅカ、ユイ、クロを見つめた。

「私Aプラスなんです……」

「ごめん、うちもプラス……」

「俺O型なんだよ」

「くそっ、僕もB…適合者誰かいないのか!?」

危機的状況。この場には誰も一致するものがいない。

……と、思われたが。

「Aマイナス? 俺でいいならあげるけど」

『リュウ!』

開いたままのドアから聞こえた発言に、ユイ達が驚いたように大声をあげた。

「もう1人の開発者?なんで今ここに……。

お前マイナス型まで合ってるのか?」

「聞いてる暇も惜しいだろ、早く!」

素早く頷いた玲音はリュウと美来の間に手を広げると、

「多分一気に血を抜くことになる。一時的に貧血になるから倒れるなよ」

「了解した」

厳しい顔でそう言って、両腕に力を入れた。

玲音の体を経由して、赤い光が左手から右手に移動していく。

2秒後、静かにため息をつくとそっと手を下ろした。

「これで一応大丈夫なはず……ありがとう」

「いやいや、どうってことないって。タイミング合って良かったよ」

ふらりとよろめいて、ユヅカが差し出した椅子に座り込む。

「思ったよりきっついなこれ」

「まぁそりゃそうだよ。我慢して。

――ネネは大丈夫なのか……?」

心配そうな顔をする面々。

時間稼ぎというだけならもうとっくに帰ってきてもいい頃だった。

「やっぱあいつ強いからまさか!?」

「ぬわぁぁぁぁぁぁぁっ!」

天井からネネが降ってきた。

「何その登場のしか――」

急に言葉を切るとネネが落ちてきた場所に両手を重ねて何か魔法を発動させた。

「こいつっ、まだ着いてきてたか……!」

「ごめん、流石にそこまでは振り切れなくてっ、でも無事だから許してっての」

大の字に伸びたまま、ネネは息を切らしていた。所々見える傷からは少なくない量の血がにじみ、服が大きく裂けている箇所もあった。

「逆によくそれだけで逃げてこられたと思うよ。

ほんとにありがとう」

空間を斬って追っ手を遠ざけた玲音は真面目以外の何も無い表情で深く頭を下げた。

「今回は僕の不注意が招いた……。みんなを巻き込んで、2人に怪我させて。本当にごめん」

「考えすぎですよ。玲音さんだけが悪いんじゃないですって。みんな同罪なんですよ、この事件に関わってしまったことで」

頭を上げてください、とユヅカは言って少しだけ悲しそうに続ける。

「うかつだったんですね。情報がもれて悪用されることを初めから想定しておくべきでした。

クロがその敵にたぶらかされなければ……」

「まじでその点は申し訳ないです」

クロの即答に苦笑いをひとつ。

「いずれ起こっていたかもしれないことです。そこまで攻めませんけど。

だけどこれからあの人の処遇を考えなければなりません」

「他国とはいえ野放しにしてられないもんね。

次、外に出れば高確率でその人は美来さんと玲音を狙う。それまでに対策を考えなきゃ」

「そう、だな……」

意識を失いながらも、自発呼吸がだいぶしっかりしてきた美来を見て、玲音はやっと僅かに肩の力を抜いた。

(絶対にあいつだけは殺らなきゃ……。もう危ない目に合わせない。2人目なんて、絶対に……!)

そう心に誓いながら。

 

 

 

ご飯を作ってくると言ってユイ達が退室する中、玲音とユヅカは美来の側でじっと座っていた。

「相変わらずなんですね」

ポツリと呟いたその言葉に玲音は何も言わずにユヅカに目線を向けた。

「なんか昔っから人のためーとか言って見過ごさないじゃないですか。自分が嫌でもそれで問題が解決するならそれでいい、みたいな」

「そうだな……」

「玲音さんもですよ? 片山さん――美来さんの幼なじみと一緒にいつもそんな風に駆け回っている美来さんを支えていて。

私、少しだけ羨ましかった。普通の学校生活が送れなくて、ネネに拾われたことで周りの世界は今までみたいに安易ではなくて。

文句を言いたいんじゃないです。ネネにはもちろん感謝しています。けど、みんなともっと過ごしたかったなぁ……なんて。もう無理ですけど」

寂しげに笑って、寝息を立てる美来を懐かしげに視線を移す。

「私の辿ってきた道も険しかったですけど……美来さんはもっと大変ですね。死にそうになって、死んでまで守ろうとする意志の強さ……。毎回怪我して治ったら元気に問題解決しちゃって。

ほんと、型破りというかなんというか……」

「――俺には無理だったことだな」

いつの間にかそこにいたのは、玲音ではなく慧の姿だった。ユヅカは黙って話を聞く。もはや話している途中に姿が変わってしまうことは日常茶飯事だった。

特に本音が言いたい時は。

「お前ならさ、5年前の革命、知ってるよな」

ユヅカはハッとして玲音を振り返る。

「274」

頭の後ろで手を組んで、椅子を後ろに傾けた慧は宙を見つめる。

「274人。俺が殺した奴の数だ」

思わず口元を抑えるユヅカのリアクションに当たり前だ、と苦笑する。

「殺りすぎだと、散々言われたよ。そりゃそうだよなぁ。当時10歳の俺がやる事じゃないよな。

でもそうでもしなきゃ俺は約束を果たせなかった。やるべき事を、守るべき人を守れなかった。

――けど結局その人を守りきれなかった。俺は、ただの大量殺戮者で容赦のないクソガキだったんだよ」

目をつぶって何かをこらえるように顔をしかめると、ため息をついた。

「守りたい人を守れない。じゃあ自分の存在価値って何なんだ?ってな。自殺までしようとしたよ。何回も何回も。どうせ王宮内じゃ異端児で嫌われてたしな。

だけど死ねない理由があった。

あいつの――美来の4代前のばあちゃんだよ」

「えっ……?」

ユヅカが驚いたように漏らした声を聞きながら慧は目の前の美来に視線を移した。

「こいつは知らないだろうな。悪いとは思ったが、調べたらこいつの家系は大体5〜7代置きに魔力を持つ子供が生まれるらしい。

まさか俺の同級生にいるなんて予想もしなかった。まぁ魔法を使えるやつが延命治療で150超えても生きてるなんて魔法界では有名な話だぜ。

――革命の時、王宮魔術師団の統率を取っていたのがそのばあちゃんでさ。一応ガキだった俺に甘くて色々教えてくれたんだわ。そりゃもう魔法の使い方に限らず、肉弾戦の極意とか、何でも知ってるすげー人だった。

1番激しい戦いだった6日目の午後11時。防衛陣を抜けてきた反乱軍の奴が真っ先に狙ったのは他でもない、ネネの母さん――つまり女王と言っても過言ではない彼女だった」

話すことをやめられないのか、慧は拳を握りしめながら語る。ユヅカはそんな彼に何も言えずに耳をすませる。

「俺らはもちろんお偉いさんたちを護衛する任務があった。けど、その時はだいぶ苦戦してて人数が回らなかった。

ばあちゃんは魔法を発動する暇がないことを知って自らの体で敵の攻撃を防いだ。元々俺らはただの人間だ。治癒しようとしたが当時の俺はその人自身の時間を巻き戻す技術を持っていなかった。アホだよなぁ。ばあちゃん、すぐに死んじまった。俺が1番尊敬している魔法使いが、1番好きだった魔法であっという間に殺されるんだ。

なっさけねぇよな、俺は何も出来なかったんだ。

敵討ちだとか言って八つ当たりで敵軍突っ込んで、正気に戻った時には死体の山。自分の周りに血だらけの人間がバタバタ倒れててさ。それでも、俺は気が晴れなかった、んだろうな。

革命が終わるまで俺の一方的な殺戮が続いた。それこそ他の団員が巻き込まれるのを恐れた軍の上層部が、力づくで俺を止めるまでは……。

とは言っても、自意識無かったからこれは全て、他人から聞いた話。本当なのかすら俺には分からない」

慧が今まで言わなかった己の過去。ユヅカは何を言えばいいのか分からず、肩を震わせていた。

「だとしても所詮、俺はただの殺人鬼だよ。守りたい人を守る。それが出来なかったクソ野郎だ。だから、一時的にここから追放されて通っていた学校で美来を見つけた時、似てると思った。性格は全然似てないけどな。笑った時の目が似てんだよ、ばあちゃんと。

それに気づいちまって、自ずと2人を重ねていた。絶対に今度こそ、次こそ約束果たすんだって。ばあちゃんは死に際に言ったんだよ。『もしあんたが生きている間にあたしの家系に魔術師が現れたら、全力で守ってあげるんだよ』って。もし約束がなかったとしても俺はこいつを危険から遠ざけたいと思った。でもやっぱり毎回危険な目に合わせてしまうんだ。

俺は……いつまで無力で――!」

悔しそうに語尾を強めて痛いくらいに歯を食いしばる慧。

しばらく誰も何も発しない時間が過ぎて。

「――ずっと、考えてた……」

小さな声が聞こえて2人は顔を見合わせた。

目をつぶったまま、美来が少しだけ口を開いていた。

「どうしてそこまで、してくれるのかなって……。戦って、倒れて、意識を失って。何回も何回も死にかけて。

それでも最後は駆けつけてくれる玲音って、慧って、何でなんだろう……って」

呼吸すらまだ辛そうなのに必死に何かを伝えようと声を出して。

「迷いなく危険に突っ込む私を、どうしてそこまで助けてくれるのかなって……。

私の、ずっと前のおばあちゃん、いい人だったんだろうね。会ってみたかったな……。だから慧はあんなに強くて優しいんだね……」

「そんなことない!俺は……俺は……強くなんか……」

美来は僅かにまぶたを持ち上げ、そっと慧の手を握って、少しだけ微笑んだ。

「ううん。慧は強いよ。私が1番知ってるから……」

そう言うと、手を握る力を強くして。

「274人」

静かにそう呟く。慧が目を見開いて硬直する。

「……慧は沢山の人を殺してきたのは、変えられない事実だけど、誰かを守りたかったのも事実。

私、いっぱいいっぱい慧に救われたよ? ほとんど玲音だったけど、毎日支えてもらってた。ホントだよ……」

涙を一粒こぼした慧を、同じように涙を浮かべながら悲しそうに見つめ、笑って、美来はゆっくり息を吐く。

「でも、やっぱり何も出来ないんだよ……殺すことしかしてこなかった俺だけじゃ……」

今にも消え入りそうな慧の声に、たまらず美来は痛む体を起こして何かしようとする。ユヅカが慌てて背中を支えて手伝った。

「ありがと、ユヅカ」

感謝を述べてから俯き、そっと慧の頭を抱え込む。

「お願い、自分を攻めすぎないで。壮絶過ぎだよ、慧の過去。

でも私は何も知らない。何を思って人を殺してしまったのか。取り返しのつかないことだけど、無力なんかじゃなかったと思うよ。慧のその意志は曲がることがなかったんだもん。強いよ、すごく。

だからね」

抱く力を強めて、

「きっとまだ、私役立たずだからさ。これからも助けて欲しいな。みんなと一緒に」

自身の額をコツンとぶつけて美来はそう言った。

「1人で抱え込まないでね。相談乗るから言ってほしいな。いつも突っ走っていっちゃうんだもん。手に負えないよ」

「……そうですよ。美来さんには毎回振り回されますが、春岡さんも負けず劣らずなんですからね」

2人にそう言われ、顔を上げた慧はほんの少しだけ笑っていた。

「ほんと、お前らばかだよなぁ。こんなアホのためのセリフじゃないっての。

俺みたいな殺人鬼、本来ならとっくに死んでてもおかしくないないのに……。みんな優しすぎなんだよ……。どいつもこいつもばかだなぁ。

でも、ごめんな。ありがとう」

うん、と微かに頷くと、慧の肩に顔を乗せて再び寝てしまった美来。そっとベットに体を戻してやり、慧――玲音はどこか呆れたような表情をしていた。

「まだ、僕には居場所があったんだね。昔失くしたと思ってたよ……」

「玲音さんは私たちの仲間ですから。例え玲音さんが殺してしまった方の関係者からいくら恨まれようと、私達が友達なら、お互いのことを大切に思う気持ちに偽りはありません」

微笑んだユヅカを一瞥して玲音は窓の外を振り仰いだ。

「次こそは、上手くいく……かな」

 




つづく( ˙-˙ )
とりあえず書ける所まで…


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第2章 未知数へ挑むエトセトラ

とてつもなく今眠いです


まだ体に上手く力が入らない美来を案じて、一同はベッドの周りに椅子を持ち込んで座った。

心配そうに美来を見るユイと、同じように玲音を見つめるユヅカ。その視線に気づいたのか、玲音は大丈夫と言いたげに小さく首を振る。

「それで?これからどうするんだ。あの敵……誰なんだ?」

クロが椅子を揺らしながら問いかける。玲音は全くの無表情で答える。

「過去に……組織が取り逃した罪人だ。発見次第殺害命令が出ていた。一度は捕まったものの、脱獄した人が今までいなかった王宮地下牢から逃げ出して行方不明になっていた……。

あいつはあの革命で反乱軍側の黒幕だった」

「玲音くん、革命って……?」

恐る恐る尋ねたユイの質問に反射的に玲音は体を震わせる。代わりに答えたのは首を傾げたネネだった。

「それ、ネネが話すよ。

5年前、パパが国王に即位した。で、前王の支持者が突っかかってきた。政権とか政策は引き継いでいたから何も変わりゃしなかったんだけどね。

まぁ大体そういう時期って不安定になるじゃん。そこをあの女に付け込まれた。即位の3日後には革命が始まり、革命の7日目に終わった。王宮魔術師団が抑えたって話だけどネネは知らない。すぐ逃げちゃったからね」

ちらりと横目で玲音を伺うユヅカ。玲音は顔色一つ変えていなかった。どうやらネネは本当のことを知らないようだし、自分から言うつもりもないらしい。

「で、その反乱軍の手口が悪夢みたいだったんだよ。

うーん、日本で言う違法薬物?を普段の食事に混ぜて食べさせて、興奮状態で戦場に送り込む。

狂乱の人々が街中に溢れかえってそりゃもう大変だった。全部で500弱ってとこだったかな、死者は。そうでもしないと止まらなかったし、中毒になっている者がほとんどだったからそうせざるを得なかった。最善、だった。あまりこっちには被害出ずに済んだっちゃ済んだんだけどね」

一息入れるネネに代わって玲音が口を挟む。

「それだけじゃないな。確かにあの薬物は厄介だった。

けどあの女の驚異的な……カリスマ性とでも言うのかな。それが原因で反乱軍に入った者も少なくなかったぞ。

猫さえ被れば美人で、強くて優しい慈愛に溢れた女神様みたいな存在だからな」

軽蔑するあまり、無意識なのか顔に嫌悪が浮かんでいる。

「その人に弱点てあるのか?」

リュウがそう言うと、ユヅカが意見を述べる。

「普通なら幻夢界の方は肉弾戦が得意ではありません。しかし戦い慣れしているでしょうから近接戦闘に持ち込めたとしても何らかの形で倒されてしまうと思います。

あの国の魔法系統は主に月を源として発動する古式魔法ではありますが……」

「関係ないな。僕が……というより現在美来が使える魔法は全て熟知されてるよ。

僕とも戦ってるおかげで手札はバレてるだろうな」

予想通りの答えだったのか、ユヅカは軽く頷いただけで特に反応を見せなかった。

「フェアリーを使う魔法は基本殺傷出来ないものしかないんですが……どうやってその理を破れたのか……謎ですね」

「いやなに、簡単な話でしょ。

――あいつも国家絡みなんだよ」

あぐらをかきながら話を聞いていたネネが厳しい目つきで

そう告げる。

「国家!? 国の方針で動いてるの?」

「そうじゃないと思うよ。独断じゃないかな。

理は絶対に破られることはない。国の方針で決められているなら尚更ね。でもその効力がないってことは、そんなんに縛られていたら警察だなんだってのが容認できない国家。市民じゃ死刑は決行出来ないけど、公務員は出来る、みたいな」

壁際に立っていたリコは深くため息をついた。半ば呆れたように美来に話しかける。

「いつもこんな目にあってんのか……。失礼ってのは分かってるけどよく生きてるよね、ほんと」

あはは……と苦笑で返す美来だったが、その場の全員が、心の中ではリコの言う通りだと首を縦に振っていた。

「どうやって対抗すればいいんだよあんなやつー。まじわかんねぇ」

頭をがしがしとかきながらクロがそう言うとすかさずユヅカが

「緊張感ゼロですか。いい度胸ですね?」

と皮肉る。少しムッとしたように眉をひそめたクロだったが、鼻を鳴らして睨み合う視線を外した。

相変わらずの仲の悪さに全員が苦笑いを浮かべる中、玲音は再び考え込む。

「あいつがなにか弱そうなことないかなぁ……」

「ねぇねぇ、玲音があの人に勝てないんじゃん?そしたら私達皆で殴り込みは効かないの?」

「うーん、一時的な足止めくらいしか見込めないな。あいつの1番の特性ネクロマンサーだから」

美来の提案虚しく、即座に否定する。

「ネクロマンサー……。死霊術師ですか。これまたキリがない相手ですね。

死者の亡霊を手駒として召喚する。術者の魔力が切れない限りゾンビ達は湧き続ける……」

体をぶるりと震わせながら、ユヅカがハテナ顔のユイに向かって説明した。

「いくらなんでも戦いに特化しすぎじゃないかー?俺らの勝ち目なくね?」

投げやりにクロが喚く。反論しようとしたユヅカを押し止め、ネネが話し出す。

「そしたらそいつが現れたらその辺一帯を浄化すれば……ってダメか。遠くからも呼び寄せそうだもんね。

あ、でもそれなら聖域結界貼れば周りからも寄せられないね」

それくらいならできると言わんばかりに美来が頷く。

「相当強化した結界にしないとな。ふか……じゃなくてリコ、改良頼めるか?」

「ふか……?」

「いやいや何でもないって。とりあえずよろしく」

珍しく焦ったように早口で言い終える玲音に、ひらひらと手を振りながらリコが作業部屋に消えた。ユイによると、一度魔法制作に集中したリコに割り込むと超絶怖いらしい。

「本人の魔力自体を抑える何かってない? そうすればだいぶ有利な気がするけど」

「あるにはあるよ」

腕を組みながら尋ねたリュウにポツリとそう言うと、どこか覚悟を決めたような表情を浮かべる。

「おま、まさか……」

何かを察した玲音が止めようと遮るものの。

「ただ、代わりに自分の魔力も同じく失われる。持続時間は自分の魔力が尽きるまで。もちろん相手の力と平行して消費されるから敵が強ければ強いほど効果は短い」

「いやだからそれはつまりさ、また美来が……」

「――そうでもしないとあの人は止まらない! もう皆が危険な目にあうのは嫌なの! 自己犠牲で済むなら美談て言われても構わない!迷ってる暇ないでしょ!? 」

「……」

突然の絶叫に玲音は思わず黙り込む。

「ちょ、ちょっと待ってよ。どうして魔力消費しきることが自己犠牲に繋がるの?死ぬわけじゃないんでしょ?そりゃまた気絶しちゃうのかもしれないけど……」

魔法に関してはまだまだ初心者のユイが戸惑いながら質問すると、玲音は悔しそうに顔を歪めながらその解答を述べる。

「相手と……魔力が連動する魔法はその限りじゃないんだよ……。ただ攻撃するだけなら自分だけでなく周囲から魔力のリソースを汲み取れるけど、敵と繋がってしまうと自分からしか魔力を使えない。

そしてたとえ術をかけられた相手が倒れたとしても、魔法が持続していれば第三者からの敵への攻撃も自分に降りかか――」

「ダメですそんなの!ただでさえ美来さんは危ない事ばっか!いつもいつもそうやって……。最終的に上手くいってても毎回そうだとは限らないんですから……!」

ほとんど反射的にユヅカは美来の手を握りしめていた。

「私達、美来さんにどれだけ助けられたか!どれだけ大変な思いさせたか!もう少し、自分のことも大切にしてください……。私達、みんな美来さんのこと大好きなんですから……。もう少しいい案を考えさせてください……」

手の甲に額を押し付けてすすり泣くような声を上げる。流石に美来も申し訳なくなったのか、うん、と一言呟いて顔を上げる。

「最後まで魔力を絞らずに寸前で停めれば問題はないんだよ。ただここに、それが出来る人がいるかなんだけど……」

「俺でいいならやるよ」

真っ先に手を挙げたのは意外にもクロだった。

「なんか知らんけどディスペル系とか切断系得意なんだよな。それくらいならやる。俺にも非があるわけだから」

「多分美来の魔力を切るとしたら相当な一点集中型のものしか効かないよ」

「いや、それは問題ない。リュウがそこは補佐するから」

ネネの指摘にクロはあっさり解決策を提案……否、強要する。

「はいはい、魔力増強ね。言っとくけど少ししか持たないからな」

こうなることが分かりきっていたようにリュウは呆れながらも同意した。

「魔法を封じたとしても物理的対処はされる。そこは僕が責任持つから」

「うん、よろしく玲音」

「外に出るのは美来が十分元気になってから。じゅ、う、ぶ、ん、だからな?」

「分かってるって」

大げさにむくれる美来に少しだけ、みんなの緊張がほぐれたような雰囲気が広がった。

 

 

 

「おっしゃ回復、元気満々!」

その後、4時間ほど仮眠を取った美来は他の皆がいる部屋に入るなりそう言い放った。

「元気満々て……。相変わらずだねー。回復が早くなってきてるのも耐性が付いてきたのかな?」

遠慮なく笑うネネに相変わらず心配そうなユヅカ。

「でももうすぐ夜だし、どの道明日だね。ほら、ユイとリュウがまたまたご飯作ってくれてるから!

さっき食べてないでしょ? 行こいこ」

背中を押して美来をダイニングに連れていくネネを見ながら、再び玲音とユヅカだけが取り残される。

「なんか……アホらしく思えるよなー。危機的状況でさえふざけてるとか昔の僕が見てたら……」

首をふりふり呆れる玲音にユヅカはくすりと笑って、

「もっと危機感持てよとか言って多分斬ってた、とか撃ってた、とか言うんでしょう?

まぁ言いたいことは分かりますよ。どこからあの気力が湧いてくるのか……謎ですもん」

ユヅカの言葉に反論もせずに苦笑する。

「なんとなくだけどさ……あいつ、昼間の僕らの会話聞いてた気がするんだよな」

驚いたように目を見開くユヅカをよそに玲音はどこか遠くを見つめながら続けた。

「なんか……必死だったんだよ。あいつが突っかかってきた時。笑えないくらい真剣で一途な目、してた。もちろん誰も傷つけたくない、ってのもあったんだろうけどそれ以上になんといくか……訴えてるというか……上手く言えないけど」

「少しだけ……分かる気がします。何か伝えたそうな雰囲気がありました」

「だろ? 自己解釈だけどもう誰も辛い思いして欲しくない、みたいな。僕の過去みたいに血みどろの殺戮劇を二度と起こらないように……的なさ。思い違いだったらいいかもな……」

「いや……あながち間違ってないよ。きっと」

素が出たのか、敬語が消えるユヅカ。玲音は指摘せずに静かに次の発言を待つ。

「美来が昔から超絶平和主義なのはここにいる皆が知ってる。1人で妥協して全員のために苦労を厭わず雑用ばっかりやっていたのを部活でも見ていたから。

多分、玲音の事を知って、尚更……その思いが強くなったと思うよ。絶対に玲音が前みたいに後悔しないように、人を殺さなくても済むようにって……」

ただの想像に過ぎませんけど、と敬語に戻ったユヅカは悲しそうな表情を浮かべて締めくくった。

「なんだよ……結局僕のせいになるのか……。

ま、仕方ないよな。話を聞いていたとなるとそりゃ必死になるよなぁ」

「せいに、じゃありませんよ。だから、です。

昔の玲音さんに守るべきものがあったように、今の玲音さんが守りたい人がいるように、美来さんにも守りたいものがあるんですよ」

「そうだな……」

ドタドタと廊下を走る音に続いてドアから美来が顔を覗かせる。

「もー! 二人とも冷めちゃうよ! 早くご飯ご飯!」

「はいはい、今行きますって」

目線を交わしあった玲音とユヅカは急いで美来の後を追いかけた。




相変わらず眠いです


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第3章 備えあれば憂い増し

誰かサブタイトル考えて…(´・ω・`)


次の日。リコの家から外に出た一同は24時間神経を研ぎ澄ませて襲撃に備えた。

しかし、標的は来ず、8人の集中力を削り取っただけで終わってしまった。

次の日も、その次の日も襲撃者は姿を現さずに1週間も経ってしまった。

流石にこれ以上学校を休んでいられないので、美来と玲音――慧はひとまず人間界へと戻ったが、こちらの世界でも警戒は怠らなかった。

「逆にこっちにいた方が狙われると踏んでるけどなぁ。すぐにネネ達が応援に来れないし、周りの目を気にして俺らは魔法とかを使えないからな」

うーん、と唸って髪の毛をぐしゃぐしゃにかき回す。その様子を見た通りすがりの美来の友達が声をかける。

「なにー?またなんかやってんの?」

「あ、まっしー!やっほー。

今はねー、2人して命狙われてまーす」

手を振りながら緊張感の欠けらも無いのんびりした言い方で返答する美来に。

「またかいな。何回死にそうになってるの?

とりあえず無事に解決することを願ってるけど」

真白もまた、毎度のことなのであまり心配しているように見えない。――耐性がついてしまうことが異常だとは思うが。

「確かに今はみんな自分のことで精一杯だろうし、仕方ないな」

現在12月中旬。中三の彼らにとってこの時期は冬休み前、つまり私立校受験の追い込みに入る時であり、あまり他人を気にしている暇なんてないのかもしれない。

「慧さん随分余裕そうですが大丈夫なんですか?」

美来の皮肉に慧はあっけらかんと、

「別に俺高校行く気ねーからなー。とりあえず受けてどっかには入るけどあっちで仕事してるからほとんど通えないだろうし」

「…そっか。大変だねー。せっかく同じ公立高校受けるから来年からも同じかなとか思ったんだけど」

「おいおい、俺が受かる前提じゃんかよ。お前は落ちる心配ないけどさ」

「何それ嫌味?」

「割と本気なんだが…」

 

 

1番狙われる可能性があるのは人間界の中でも家に帰った後である。避けようもなく別行動なので自分で気をつける必要がある。夜中、寝ている間は常時監視魔法を発動させて万が一に備える。

そんな生活をほぼ1ヶ月続けた。

新年を迎え、12日が過ぎたある日。

一昨日に私立校の滑り止めを受けた美来は起きて早々、あることに気づく。

(あれ……綻んでる……)

寝る前にかけた魔法の一部だけが破れ、効果が不安定になっていたのだ。

(寝ぼけてて呪文を間違えた? ううん、そんなはずない。

誰かが看破しようとして失敗した……?)

まだフル回転しない頭で考えて、犯人の行動を探る。

(やるとしたらあの人しかいない。だとしたら外から――?窓の外にも侵入防止と魔法反射はかけてるけど。

もしかしてそれを破る方法があって、それを試した……?)

ばさりと布団を剥ぎ取って立ち上がる。

「あーもう危ない!慧に相談だ――へーっくしょん!」

盛大なくしゃみと一緒に。

 

 

「綻んでた? むむー、お前自身がミスるわけないだろうしやっぱ攻めてきたか……?」

「私もそう思うんだけどそれにしては妙なの」

妙?とオウム返しに首を傾げる慧に美来は頷いて説明する。

「私とりあえず室内だけじゃなくてベランダ側と窓側、部屋の入口にも侵入防止と魔法解除かけておいたんだけど破れてたのは室内のベッド周辺だけ。周りのやつは一切触れられてないというか。

それに綻びが作れるくらいなら看破出来るんだよ。そこから内部に仕掛ければいいんだから。

だからおかしいんだよ、1箇所だけ壊れてるなんて」

「ううーん……。確かにそうだよな。

でも意図が分からないんじゃこっちも行動に移せないから様子見かなぁ」

腑に落ちない表情の2人だったが、迂闊に手を出しても危ないのでとりあえず美来が更に魔法を追加して寝ることにした。

 

 

『さーとるー!まただよまた!

また一部だけ破れてたの。これはもはや計画犯だよ!』

3日後、同じことが起こり、美来は時空研究所にいた慧に電話をかけた。

「また!?なんだってそんな……室内は三重に魔法かけてんだろ?それでも1箇所だけ……」

『絶対に何かあるよね。けどそれが分からないんだよなー。気味悪いよ』

「少ししか魔法を破れないとしてもそこから仕掛けることは出来る。が、あいつはそれをしてこない。まじで何がしたいんだ?」

『私今日寝たふりしてみる』

唐突にそう言い出す美来だったが、慧も反対せずに同意した。

「そうだな、1回やってみる価値はありそうだ。

くれぐれも気をつけろよ」

『分かってるって』

 

 

※ ※ ※

 

 

(とはいったものの、流石に眠いなぁ……)

ずっと目をつぶったまま寝たふりをする、というのが結構なハードミッションで、眠気に必死に抗いながら美来は起きていた。

魔法はまだ持続している。少しでも抜け穴が開けばすぐに気づけるはずだ。

相手はどうやって内部の魔法だけを壊せたのか。

(……っ)

ふと、体に寒気を感じてブルりと震わせる。部屋の中は暖房がかかっているので寒いことはないのだが。

(なんか、やな予感が――)

勘が働き、目を閉じた状態で周りの気配に集中する。

30秒ほど経って、もう一度さっきのような悪寒を感じた。

(――!)

その途端、何かが魔法の中に“既に侵入している”ことを確認した。

体を横たえたままじっと耐えていると“それ”は再び出てきたところから消えていった。

(嘘嘘嘘、どうしてどうやって……!?

だって今この気配は……!)

自分の中から飛び出した――。

 

 

※ ※ ※

 

 

午前3時。まだ夜が明けるのには早い冬の時間に鳴り響いた着信音。

慧はその音楽から通話相手を即座に判断出来た。

「どうしたんだよ」

『私だった! 魔法破壊してたのは私自身だった!

何かが私の中から出ていって、次の瞬間壊れてて、そしたらまた戻っていって――!』

慧が電話に出るなりまくし立てる美来。ただならぬ内容に慧も少しだけ目を見開く。

「自分から?そんなはずない……。でもありえてる。

くそっ、何が起こってるんだ」

『私自爆してるんじゃ……。自分で敵を誘い込もうと……?

ううん、でもそんなことしようとしてないよ。

やっぱり何かあるよ。この現象が起きる理由』

「そうだな……。でもそれを発見しないと寝れなくないか?それはきついだろ」

電話の向こう側で黙り込む美来。10秒ほど考え込んだ後、

『じゃあ慧んちで寝る』

と一言だけ言ってまた黙り込む。

(俺んち!?)

さすがの慧も耳を疑ったが、

(まぁ確かにそうすれば俺がいるから最悪襲撃されても即座に対応は可能だ……。でもそうすると事件が解決するまでずっとってことにならないか?

おいおい…そこ思春期とかないのかよ…)

『やっぱりダメだよね…… 。うーん、これ以上対策思いつかな――』

「……それくらいなら、許す」

どうにも不安げな声を出す美来に調子が狂わされる。別にいつもの事なのだが――。

「危険な目に合わせるわけにはいかないし、それくらいなら俺の母さんが1番喜びそうだし。朝ごはんとか勝手に作ってそう」

『いやいや、そこまでしてもらう必要ないって』

美来が首を振りながら否定するのが電話越しにでも分かるような気がした。

「ま、母さんには話しとくから……そっちの都合は何か理由付けとけよ」

『じゃあ友達の家で勉強合宿する!って言えば何とかなりそうかな。だってなにせ私の友達には……』

「どした?」

急に何も言わなくなったので訝しげに問い返すと。

『友達には……あれ、ううん、何でもない。

おかしいな、でも誰かいつも教えてた人が……うーん……。

――とりあえず誰か名前あげときゃ大丈夫でしょ!』

ぶつぶつと独り言を呟きながら、無理やり会話を終わらせる。

「一応今日は何も無いだろうから寝ていいんじゃん?

おやすみ」

『あ、うん。おやすみなさい』

電話を切ると、慧は厳しい顔で画面を見つめる。

「まずいな……」

そう一言だけ残して再び眠りについた。

 

※ ※ ※

 

 

(あー暇ちょー暇やることないー)

受験前ということか、授業はほぼなく、自習が続く毎日。

対策のワークやプリントは既に何周も解き直し、単語帳も擦り切れるほど繰り返していると、何をやればいいのかたまにわからなくなる。

(眠いなぁ……慧はまた向こうにいるし今は私一人かー。狙われたらやばいパターンだねこれ……。

しっかし眠い。超眠い)

頬杖をついてぼーっと黒板に焦点を合わせながら周りも気にせず考え事にふける。クラスメイトはそこそこ真面目に勉強しているメンツが多いが、先生がいないこともあって、雑談をしている人や突っ伏して既に夢の世界へ旅立っている者もいた。

(暇だから歴史の年表でも見てるかなー)

社会の教科書を開き、1番最後のページまで飛ばし読みしてから数字と漢字の羅列を流して読む。

しかしそれらは眠気を増すのに十分な威力を持っていたので、

(あー、無理。寝る)

あっという間に美来は睡眠学習へと移行したのだった。

学校であるにも関わらず、ノンレム睡眠からレム睡眠にあっという間にシフトした美来だが、1つ忘れていたことがある。

寝る前の防御魔法だ。

もちろん同じクラスの美結は今回の事情を知っていたが、当人もうつらうつらしながら理科の問題を解いていたのでそこまで気が回らなかった。

すると当然のことだが起こりうる事象がある。

 

パリィィィィィィンっ!!

 

突如窓の一部が弾け飛び、破片が宙を舞った。

――そう、急襲である。

「しまった……!」

一気に目が覚めた美来は無詠唱で窓側の席に被害が及ばないように防御結界を貼る。視線の片隅で美結も同じことをしていた。

(やらかした……。完璧に油断してた。敵は?敵はどこ?)

「美来さん後ろ――!」

友達の真白が悲鳴のような声を上げる。どうにかそれに反応してほとんど勘で体を縮めると頭上を何か風のようなものが通り過ぎ、そのまま黒板に激突する。

隣のクラスまで貫通はしなかったが、衝突したあとには黒く焦げた跡がくっきりと残っていた。

「くそったれ…!」

つい暴言を呟いてから状況を打破する策を必死に黙考する。

(敵はどこ――!? 美結と二人でどうにかなる相手じゃないのは分かってる。慧はこの事知ってる……?いや、期待出来ない。みんないるし完全に不利……。どうすれば――)

魔力の波を感じてまたも反射的に防御を展開すると、ガガンっ!と大きな音を立てて何かがぶつかる衝撃が僅かに美来をノックバックさせた。

「くぅっ……」

「おいおい、これどうなってんだよ!それに夢沢お前一体……?」

クラスの男子が叫ぶ。無理もない、と心の中で思いながら今はそれどころじゃないと首を振る。

「お願い逃げて!ここにもうすぐ奴が来る――」

「奴って誰のことかしらぁー?」

廊下側から聞こえた声に美来は体を硬直させた。

「完全に隙をつけたと思ったのだけれど甘かったかしらね。

それで? どうするの? 皆をかばいながら戦うなんて出来ないわよね〜? これぞ袋の中のネズミってやつかしら」

前のドアから歩いて入ってきたそいつに誰もが何も言えなくなる中。

「あんた誰だよ。不法侵入じゃないのか!?」

「だめみやもっ。黙ってて!」

1人の男子が突っかかって行こうとしたので仕方なく魔法で強引に引き戻す。

(まずいまずいまずい!これじゃ全員犬死する!こうなったら今ここで博打かけて――)

コンマ数秒で決断して出した答えは。

(少しでも…時間を稼いでみんなだけでも……!)

この先邪魔になるだけの机と椅子を全て消し去り、教壇の斜め後ろに立つ敵を見据えて魔法を発動する。本来ならネネやユヅカ、慧などがいる中で行うはずだった作戦。

(ごめん、ぶち壊す)

一人謝罪して、クラスメイトを後ろに下げると同時に自分が使えるうちで一番強力な結界を四方5重に張り巡らせた。

(これでどうにかなるとは思わないけど)

魔力を吸い込もうとすると相手の力が大きいせいか強烈な反発力が生じていた。

「美結っ」

少しだけ後ろを振り向いて親友の名前を呼ぶ。

生徒の中で前に立ち、自らも何か術式を使っていた美結に、

(ごめん、後は頼んだ)

それだけ思念を飛ばす。美結の目が大きく見開かれ、なにか叫ぼうとしたのを知らないふりをして、29人全員を強制転移させた。

「なーにー?1人だけ残って英雄気取り?自分の身をわざわざ敵に差し出すなんておバカさんね。

魔力を全部吸い込もうだなんて甘いわよ。少なくともあなたは無理。すっごく強い魔術師が100人くらい束になってやっと抵抗できるくらいじゃないかしら」

「……」

高笑いする相手に苦々しげに顔をしかめる。

(もっと早く、もっと強い吸収力じゃないとこのままじゃ――)

「それに、自分でも分かっているでしょうけどこの魔法、使ってる間に連結相手が怪我しただけでも傷つくのよねぇ?どれくらい耐えられるか……試してみましょう……か!」

言うなりどこからか取り出したナイフで自分の左手を切り裂く。

「――っ!!」

なんとか悲鳴を上げずに済んだものの、美来の左腕にも長く切り裂かれた傷跡が現れ、血が流れ出していた。防ぐ間もなく灼熱の痛みが全身を駆け巡る。

「もちろんこっちは痛くも痒くもないわよ? 傷は負っていても痛みは感じないから。さらに言うとすぐに治癒しちゃうもの。あなたの我慢次第よ?ふふふ……」

今度は同じように右手にナイフを走らせる。

「……あっ……」

堪えきれずに声を漏らしてしまう美来。フラフラと危なげに体を揺らし、なんとか壁にもたれかかる。

「そぉれ次はここかしら…?」

右足。

「ほらほらぁ」

左足。

出血は教室の床を赤黒く濡らして広がっていくばかり。抵抗ひとつ出来ずに美来は倒れ込む。

(何も……出来ないんだ……この魔法は、ほんとに、連結して効果が出るから、私みたいな、痛みに慣れてない人が、使うと……)

血が出すぎたせいか、朦朧としてきた頭で懸命に何かを考えようとするが。

(だめだ、力がはいら、ないから……。みんな、こんなの、倒せっこないよ、こんなに……つよいひと……)

「あらま?さっさと魔法解除して自分で傷を治せばいいのに。頑固なのねぇ」

余裕しかない相手に力を振り絞って言葉を紡ぐ。

(このままただ死ぬわけには……いかないっ……)

「せめて、すこしは、みちづれに……!」

突然教室内に嵐が吹き荒れた。雨風ではなく魔力の、である。

「死にそうな虫けらさんに何ができるのかしらね?まぁそれくらいは待ってあげてもいいわよ」

余裕しかない表情で見下すように嘲笑う。

霞む視界でどうにかその姿を捉えると

「メレディクションジャスクレファン」

少しだけ長い一言だけを呟いて美来は気を失った。

当たり前のように敵は、かすり傷ひとつ負わずに魔力の嵐を凌ぎきった。

「何がしたかったのかしらね?

まぁいいわ、次はあの子ね……。この子の惨状を見れば取り乱しそうなものだけど。案外あっさり殺られるんじゃないかしら……?」

笑い声をあげながら転移でその場から立ち去ったのだった。

――美来の魔法の意味を考えずに。

 

※ ※ ※

 

 

「春岡っ!春岡あっ!!」

美来がクラス全員を送った先は慧のいる時空研究所の前だった。美結以外がきょろきょろと辺りを見回す中、美結は最大速度で走りながら慧の名前を呼ぶ。

「春岡っ、どこにいるの?早く出てきてお願いだからっ!」

「なんだよ騒がしいなー」

いくつもあるドアのひとつから顔を覗かせた慧はあくびを抑えながら部屋から出てきた。

「いや、お前ちょと待て。外にクラスの奴らいるだろ。なんでだ!?」

僅かに気配を読み取り、訝しげに眉をひそめる慧に。

「そっちはまた後!早く、早く――!」

美結は慧を無理やり瞬間移動させる。

みんなが元いた教室に。

 

 

「うえっぷ……」

場所が変わった途端、美結はその匂いに口を抑えた。

血の匂いと、腐臭である。

「ちょっとこれはいいもんじゃない――」

同じように袖で鼻を覆っていた慧は発言を途切らせて前を凝視した。

「なっ――!」

「きゃあああああっ!!」

地獄絵図が、2人の視界に映ったものだった。

無残に千切れた右腕と、切り裂かれた全身。制服もビリビリに破かれていた。白い素肌も見えないほどに血で真っ赤に染まっていた。何の魔法の効果か、周りには謎の浮遊物が数体飛び交っている。

「おい待てこれ」

「美来だよ、これ美来だよっ!?」

慧は血溜まりに迷いなく身を投じ、脈をとる。

「呼吸は、止まってるけどまだ脈はあるから、早く治療出来るやつ」

さすがの彼も声を震わせてそう告げると、転移穴を開き、その中に叫ぶ。

「頼む!早く来てくれっ」

2秒後、ユイが中から出てきて、教室内をざっと見渡す前に美結のように口を抑える。

「これ、これって……!?」

「時間がない、治せるよな!?治せるって言ってくれ!」

「このままじゃ無理だよ、魔力も血も出しすぎて傷が完治しても助からないよ」

怒鳴る慧に弱々しくも容赦なくユイはそう言う。

「じゃあ何か方法ないのかよ!」

「元々の、器自体を小さくすれば、なんとかなるとは、思う」

小刻みに震える右手を美来の体にそっと乗せて、念じる。

元より小柄な体が、段々と縮み、身長が100センチほどの所で止まった。

「これならギリギリで両方の調達が間に合うと思う……。あの右手は……1日くらいで完全に治ると思うから待つしかないかな……。目が覚めてもしばらくは魔法使ったり歩いたりしたらダメだけど……」

3人はしばらく黙ったまま、浅い自発呼吸を繰り返す美来を見つめていた。

「ばっか野郎……」

慧が吐き捨てた言葉に2人は無言で顔を見合わせた。

「無茶しやがって、死ぬ寸前だったんだぞ。なんでお前はいつもいつもそうやって……」

どこか悔しそうに呟くと、顔を上げる。

「俺、ネネ達に報告してくる。この教室……2人で元に戻せるか?」

美結とユイが頷くのを見てから、慧は床の美来を抱えあげる。

「とりあえずこいつは向こうで皆に面倒見てもらうから……。ごめん、ここの処理頼む。その後で記憶消してクラスの奴らも転移させる。

あとユイ、ありがとな……」

小さく感謝を述べると、慧は穴の中へ消えていった。

 




おなかいっぱいな作者


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第4章 一時の平穏を

ネタ切れ


「またか……」

慧から事情を聞いたネネは開口一番、そう言った。

「なんと言うか怖くないのかね。ただ雷に打たれて、とか火に焼かれてとかじゃなくて毎回大量出血状態で瀕死になるじゃん。つまりそれは痛みが伴うわけだしさ。場合によっては意識を失わないわけで」

「耐性がつくものでもありませんし……気力だけで乗り切ってそうですよね」

すぅすぅとベッドで寝息を立てる美来を見つめながらネネとユヅカは周りを警戒していた。念の為、である。

顔を真っ青にしながら慧が美来を抱えてここに来た時、また何か彼女が無理をしたことは容易に想像出来た。

慧曰く、

『今は魔力とか体力とかを限界まで削られてるからユイが体自体を小さくしてなんとか死ぬことは避けたんだ。

起きても絶対に安静にするよう言ってくれ』

ということらしい。彼は美結とユイの所へ行くと言ってまだ帰ってきていない。

「ひとつわかったことは魔力がなくならない限りあの人に物理攻撃は効かない、ってことくらいですね。魔法が連動して展開されるなら向こうも同じ傷を負うはずですけどあそこには美来さんの血液しかなかったそうですし」

ネネも同意するように首を振ると、頭の後ろで手を組んで大きく仰け反る。

「あーあ、またこの状況かー。今回はもう3回もちょー出血して死にそうになってるのに。運だけはいいんだから」

「でも、そうでなければ多くの国民と美来さんのクラスメイトが死んでいました」

「そう、そこなんだよ」

パチンと指を鳴らしてネネは言う。

「美来が怪我っつーかまぁ死にかけになったのは必ず大衆の前なんだよ。こないだみんなで話し合った時は冷静にユヅカの悲痛な声に自己犠牲は辞めるって言ってたけど――」

悲痛は余計です、と反論するユヅカを視界に入れながらネネは続ける。

「隕石の時は不可抗力だとしても今までのことを思い出すとやっぱり周りがいる時なんだよね。

反乱起きた時は乗っ取られた慧を止めるために単騎で飛び込むし今回もクラスメイトがいる前でカッコつけるしさー」

「……」

ユヅカはふと、その言葉を聞いてつい考えてしまった。

(よく……春岡さんとの単騎決戦で生き延びましたね…。その原動力って……)

何百人もの人を殺したことがある慧なら、いくら美来でもあっという間に斬るか撃つか、それとも他の手段で死に追いやれただろう。

(それも含めて生命力ですかね……?)

「――ちょっとユヅカ聞いてる?焦点あってないぞー」

「すっ、すみません!」

ずいっと顔を近づけられてユヅカは慌てて現実に思考を引き戻した。

「ま、いいけどさ。とりあえずネネはトイレ行ってくる。見張りよろしく〜」

ひらひらと手を振りながら退出するネネ。

1人残されたユヅカはじっと美来の顔を見つめて再び考え込む。

(今回の敵……強いなんてものじゃない。美来さんが歯も立たなくて、春岡さんも自分で勝てないって言うほど……。私たちが一気に対抗したところでどれくらいの威力があるんでしょうか。

いくらなんでもこれはきつすぎですって……)

未だ再生途中の右手がごくごく僅かに光を帯びながら完治へと向かっていくのを見てため息をつく。

「美来さん、馬鹿ですよ……」

ついそう呟いてしまってから、左手を握ろうとすると、ピクリとその手が動いて唐突に顔に苦悶の表情を浮かべる。

「――!?」

「……やだ、や、そんな……」

体が小さいせいかいつもより幼く聞こえるその声。

「美来さんっ!?」

「やだよ、もうこんなのいや……。お願い……」

ベッドの中で暴れそうになる美来を必死に押し止めながらユヅカは何が起きているのか把握しようとした。

(魔法反応はないので夢、でしょうか……?)

根拠はないが、このまま放っておくわけにも行かない。

「美来さん、起きてくださいっ。それはきっと夢です!現実じゃありませんっ」

無我夢中で呼びかけ続けるとやがて寝言は収まっていき、美来がうっすらと目を開ける。

「ゆ……づか……」

「は、はい。私です」

すると美来はみるみるうちに涙を浮かべて、体を起こすなりユヅカに抱きついた。驚いてしばし呼吸を忘れたユヅカだったが。

「夢だった。ユヅカも、慧も、ネネも、みんなあの人に殺されて、みんなひどい死に方して、家族も友達も先生も無残に殺されて私一人が残されて、あの人が笑ってるの。無様だって、あんたがいなければ無駄死にしなかったのにって。全部、自分が悪いんだって……。

ユヅカ……怖かった、怖かったよ……」

全身を震わせながらしがみつく美来。小さいせいか抱っこしてもさほど重くはなかった。

「大丈夫です、みんなここにいます。ネネだって春岡さんだって、妹さんの璃奈ちゃんだって、ちゃんと生きてますよ」

あまりに怯える美来にユヅカはそれしか言うことが出来なかった。

「みんなが死ぬなんて嫌だよ、1人だけ助かるなんてそんなの嫌だよ……ユヅカぁ……」

(夢の中で……相当辛い場面が繰り広げられたんですね。美来さん以外が無残に殺された……でしょうか)

なるほど、とユヅカは1人納得する。

(きっと美来さんは周りの人が傷つけられたらこうなってしまうんですね……。何も出来なかった自分を責めて責めて責めまくって。だからきっと無意識にそれを防ごうとして身を投じてしまう……。

なんて人なんでしょうか)

「大丈夫、大丈夫だよ。みんなちゃんといるから……! だから心配しないで、泣き止んで……」

わんわん泣く美来の頭を撫でながらユヅカはずっと彼女を抱きしめていた。

(前と同じで……体が小さくなればその分感性も小さい頃に引き戻される……。とてつもなくきつい夢……)

5分程経って、ようやく小さいすすり泣きに変わった頃、ネネがやっと戻ってきた。

「なかなか入る機会がなくて今になっちゃったよ。

美来さんや、大丈夫かいな?」

「うん……」

まだユヅカにしがみつく手を離さずに美来は腕のあいだから顔を覗かせる。

「心配かけてごめんなさい」

「いいのいいの、無事ならいいんだよ。それより美結とユイと慧にお礼いいなよ? 助かったのは3人のおかげなんだから」

コクリと頷いて今度はユヅカを見上げる。

「ごめんね、いっぱい泣いちゃって」

「いいですよ、気にしませんから」

にこりと微笑んで、ユヅカはネネを見る。

「やっぱり縮むと幼児化してしまうんですね。これって覆せないんですよね?」

「まーそうだね。一応体と心は比例するってのがこの世界の理だから。記憶はそのままになるけどどうしても言語とか挙動が幼くなるのは避けられないね」

ユヅカの膝から降りようとする美来にネネが慌てて手を貸そうとすると。

「大丈夫だよ、1人で歩けるよ」

「ダメです、絶対安静なんですから歩くのもなるべく禁止です!」

「えぇーユヅカ厳しい」

ユヅカに両脇を抱えられてベットに戻される。不満そうな顔で美来はぶーたれた。

「移動したい時言ってください、おんぶなりなんなりしますから」

「みく介護いらないもん!1人で歩けるってば」

「だめったらダメです!しばらくは甘やかしますからね!なにかしたい時は必ず誰かに頼んでください!魔法も使っちゃダメです!」

「うわぁ、ユヅカお母さんだぁ……」

美来を叱るユヅカを見て、ネネは若干引き気味にそう呟いたのだった。

 

 

戻ってきた慧たち3人に、美来は感謝と謝罪をしてから、再びベッドに寝転んだ。

どうやらまた自分はしばらく動いてはいけないらしい。

にしても――。

「また身長縮んだかー。これで何度目だってのー。手なんかまだこんな小さいし……」

美来が小学校入学の時に身長が105センチだったため、今はそれよりも低いということになる。

「うぅー……これじゃ幼稚園生だよ……」

「んじゃ、お前ほんとに幼少期からちっさかったんだなー」

たまたま通りかかったのか、扉から顔だけを見せたクロに、クッションを投げつけたものの、力が足りずに2メートルほどで落下する。

「ちっさかったよ!昔から!昔から……小さいんだもん……」

どんどん声が萎れていく美来だったが、

「いってぇ!」

急にクロが、大声をあげたので顔を上げる。クロの後ろに笑顔を浮かべながら手を挙げている慧が立っていた。

「わり、手が滑った」

「おーまーえーなー!」

反撃しようとするクロに投げ技一本。

「ぐえっ」

「あ、ごめんな。体が反射的に動いた」

「あのなぁ……冗談を見極めろっての、いてて……」

腰をさすりながら立ち去るクロを見送ったあと、慧が室内に視線を向けると、美来がクスクスと笑っていた。

「あー……、俺変なことしたか?」

「してない、してないけど面白かった」

相変わらず笑い続ける様子を見て慧は頭の後ろをかきながら疑問の表情を浮かべた。

「まー、何か知らんが面白いとして。大丈夫か?まだ力は戻ってないみたいだし右手も二の腕あたりまでしか戻ってないみたいだけど」

「大丈夫だよ!ユヅカのご飯美味しいしずっと寝てたし元気だけならあるよ!」

だけならって……と、苦笑する慧。

「元気ならいいけどさ。とりあえずちゃんと休んでろよ」

「待ってー」

出ていこうとする慧を呼び止める。

「今ひまー?」

「一応……やることは無いけど」

「じゃあおんぶ!」

「はあぁっ!?」

「おーんーぶー」

座ったまま左手を伸ばして笑顔でおんぶをねだる。

(待て待てここまで幼児化するか普通!? おんぶって幼稚園生じゃあるまいしなんで急にそんな……)

一人葛藤する慧に手を下ろして「だめ?」と悲しそうに言う美来を見て。

「あーもうしゃーねーなっ」

「わぁーい!」

諦めて背中を差し出す。

「おー、景色が高いー」

「そりゃいつものお前の位置よりも高いからな……」

本気ではしゃぐ本当は中学三年生の声を聞きながら終始笑いをこらえて王宮内を歩き回る。

途中でパタパタと忙しそうに走るユヅカに会って、

「美来さん、可愛すぎですか」

と真顔で言われた。

庭で犬と戯れていたネネには

「おーおー、慧お兄ちゃん大変だねぇ」

とニヤニヤされてしまったが。

思ったより元気が続かないのか、1時間ほどで寝てしまった美来を背中に乗せたまま、ゆっくり部屋に戻る。

(いくら中3でもちっちゃくなって寝ちゃえばただの子供だなこりゃ……)

苦笑を噛み殺しながら背中の美来を見る。さっきユイに測ってもらったところ、身長は98センチで、日本人の5歳児の平均身長よりも低いくらいにあたるらしい。下手したら4歳並らしく、体重も16キロあるかないかと言われた。

「ほんとお前ちっちゃいんだなぁ…」

思わず呟いてから、ちょうど着いた部屋に寝かせる。

中3の姿でも145センチすらない美来だが。

(しっかしなんだ?この顔。ほっぺまん丸じゃん)

ついそう考えて、ふと思い立ってほっぺをつんつんしてみる。

「んー、こりゃまた……」

「つきたてのお餅みたいですよね〜」

「うおわあっ!?……ってまたユヅカかビビらすなよ……」

すみません、と笑って謝ると、慧がつんつんしている美来のほっぺの反対側を同じようにつつく。

「うわぁ、これやばいですね。元からほっぺが柔らかいのは知ってましたけど小さい頃の破壊力がえげつないですねこれ」

ユヅカが手を離したのを見て、慧は両手で頬をつまむ。

丸いほっぺがふにーんと伸びる感覚に目を見開く。

「……やべぇこれやばい」

「え?じゃあ私も……。

ひゃあ、たしかにヤバいです。これ、ほんとにほんとにやばいです」

ふにふにと繰り返しほっぺをぷにぷにさせる慧とユヅカだったが、美来が少し顔をしかめて寝返りをうったので慌てて手を引っ込めた。

「しっかし、小さい子って可愛いよなー。こいつに限らず見てて飽きないし」

「超同感です。ただ、相手するのは疲れるんですけどね」

「まったくだ」

「……美来さん、いつ体を元に戻せるでしょうね」

急に話題を変えたユヅカに慧はわからん、と返す。

「ただ、どうしても考えちゃうのはもう少しこのままでもいいんじゃないかって。この体なら無理もできないから抑制に使えるなし、休ませるのにおあつらえ向きの状況だからなー」

「私もそう思います。

美来さん、まだ小さい頃に妹の璃奈ちゃんが生まれたので親にあまり甘えることが出来なかったんだと思います。だから余計ここでその分が発散されてるんじゃないかと……」

慧は感心するようにユヅカに視線を向けた。当の本人は、

「前に美来さんに聞いたんです。まだ反抗期もなくてストレスも溜まってるのかも……。

あ、いや、これは違いますね。美来さんてストレス貯まらないそうですから。本気で怒ることも出来なくてついカッとなってもすぐ意気消沈してしまうんですよ。そのせいで璃奈ちゃんと喧嘩は発展しないようですし」

さらにそう続けて寝息を立てる美来の頭をそっと撫でる。

「ストレスたまらないって、怒れないって、どうしたらそんな性格になるんでしょうね? 私なんかストレス爆発しそうな毎日で、周りの理不尽さにいつも怒り気味でした。

特にあの頃は……」

動かす手を止めて寝顔をじっと見つめる。その目線は姉か母親そのものの優しさを含んでいることに慧は気づいていたが、何も言わずにユヅカの言葉を待った。

「だから、ついこんな幼くなった美来さん見てると甘やかしたくなりそうで。なんというか笑顔なんて破壊力抜群でこっちまで癒されるというか……分かりません?」

「……それは同感」

短く肯定して先を促す。

「そのせいか…ずっと小さいままでいてくれたらなーとか思っちゃいました。“一人っ子”だったんでどうしても兄弟とか憧れだったので。

まぁ、あくまで私の願望であって本当にそうしてほしいかって言われるとノーです。美来さんには早く復帰してもらいたいですから……」

ここだけの話ですよ、と年を押されて慧は迷いなく頷く。

(気持ちは……分かるからな……)

慧にも3つ下の妹が一人いるが、そこまで仲は良くない。だから、ユヅカのように……とは言わないまでも、美来に理想の妹像を重ねてしまっていたからだ。

小さくて、無理ばかりして、そこそこ頭はいいくせにバカで突拍子ない行動ばかりでたまに的はずれなこと言って……。

(なんだよ、ユヅカだけじゃなくて俺まで美来に依存してんじゃんか)

それがなぜかおかしくて、慧は声を上げて笑った。

「え?え?私何か変なこと言いました!?」

「違う、違うよ」

「うぅー……」

寝言が聞こえて慧は笑いを抑え込む。美来はまた夢でも見ているのか、無傷な左手を宙に伸ばしてぶんぶんと上下に動かしていた。

「そういえば……美来さんて、正夢をよく見るそうです」

ふいにユヅカがそう言ったので、慧は驚いて聞き返す。

「正夢は正夢ですよ。夢で見たことが現実で起こるやつ。少なくとも10回以上は話を聞きました」

「お、おう。お前どんだけこいつとしゃべってるんだよ……」

「そりゃもうたくさんです」

意味深な笑みを浮かべるユヅカだったが、全てを見透かしたように慧はそっか、と呟いた。

「本当によく寝てますね……。保育園とかでお昼寝タイムみたいなのがある理由がわかる気がします」

「さすがに俺も疲れたな……。どっかで昼寝でもしてくる」

「あ、ちょっと待ってください!」

出ていこうとする慧を呼び止めてユヅカは躊躇いがちに切り出す。

「あのー……川の字、やってみたいです」

「へ!?」

「ほら、家族3人で寝てそれが川の字みたいに見えるってやつ」

「いやいやそれは知ってるけど……。

え、今ここで?」

「ダメでしょうか……」

(だめとかそんなんじゃないだろ俺たち同級生3人だぞ男女3人だぞなんで川の字なんて急にそんな…)

心の中で大いにうろたえる慧だったが、切実さを浮かべた表情でユヅカが見つめるものなので諦めて数分だけ、と妥協する。幸い(?)ベッドはキングサイズもかくや、と言っても過言でないほど大きかった。

「1回やってみたかったんです!だからつい美来さん見てたら……」

「はいはいわかりましたよ。で、ユヅカさんは右と左どっちがいいですか」

慧が投げやりに問うと、ユヅカは即答で「左で」と返す。どれほど待ち遠しいのか、返事を待たずに寝転がると、

「うぅー、やっぱり美来さん小さいです可愛いです!」

感極まった声を出して目を閉じる。

「私も少し寝ますね。おやすみなさい」

「お、おう……」

(これは……寝た方がいいのか。川の字になる前にこいつ寝てるし……むうう)

「あぁもう知らねー」

なるべくベッドを揺らさないようにそっと乗って、距離をとって横たわった。

しばらく上を向いていた慧だったが、つい美来の寝顔が気になって左に顔を向けた。

「~〜〜!」

(いや待て待てなんだこれ可愛い)

先程寝返りをうったせいで、美来の顔はちょうど慧側に向いていた。幼さゆえの可愛さがそこにはあって、

(違う俺はロリコンじゃない。そこは大丈夫だ。落ち着け落ち着け…)

必死に平常心を保とうとしたが、

(出来るか!)

無理なようだった。

 

 

※ ※ ※

 

 

「ねねね、ユイ、こっち来て見て」

「なにー? お?おおお?」

「こりゃまたどうしてこんな状況になったんだか……想像つかんぞい?」

「ねぇ見てよあのユヅカの顔。あんな嬉しそうに寝てるの見たことない」

「あらまぁ。それに加えて慧もだね。安らかに眠るって表現が似合いすぎな感じしてる」

「それだと死んでない?

まぁこれは……盗撮だね。はい撮った。これで慧のこと脅せるよ?」

「だね! ま、2人も疲れてたんだよ。放っとこ」

 

 

※ ※ ※

 

 

目を覚ました美来の目にまず飛び込んできたのはユヅカだった。

(んー?ユヅカが寝てるー。なんでだろう)

特に何も突っ込まずに放置して、右を向くと、

(あれ?慧もいるー。眠かったのかな?謎ー。でもまともに休んでるのあまり見たことないかも)

少しだけ嬉しそうな顔をして、そのままもう一度寝てしまった。

 

 

美来が再び起きた時、2人はまだ寝ていた。

「疲れてるのかなー」

ゴロゴロと二人の間を転がりながら暇を弄んでいると、ネネが顔だけをひょこりと覗かせて口パクで「ご、は、ん」と伝言する。美来は無言で頷いて、まずユヅカの顔をペちペちと叩く。

「ゆーづーかー、おきてー」

「んん……もう夜ですか……?」

目を擦りながらユヅカは意外と早く体を起こした。

「ご飯だって!先行っててー。慧も起こしてから行くー」

「あ、もうそんな時間でしたか。わかりました」

今度は慧を同じように叩こうとして踏みとどまる。

(つんつんにしよ!)

またベッドに寝て、ほっぺを指でつんつんする。

「さとるーごはーん、おきてー」

「……んだよまだ寝る……」

「おーきてー。ご飯美味しくなくなるー」

つんつんつんつん。ぺちぺち。

「起きないよぉー。ごはんー」

むにむに。ふにふに。つんつんつん。

「あーもうわかったよ起きるって……」

しぶしぶ起きた慧の目に飛び込んできたのは、

「おっはよー!」

満面の笑みで飛び込んでくる美来だった。

「ちょ、苦しい苦しい離せって!」

「いーやーだー。ずっと起きなかった罰!」

ニコニコしながら引っ付いている美来を剥がすのをやめて呆れながら言う。

「一応中3なんだぞ……?そんなことやって恥ずかしくないのか……?」

「うんとね!慧なら別にいいんだもーん」

「誰かにお酒飲まされてないよな…」

別路線で疑ってしまう慧だった。疑われている誰かさんは体を器用にのぼって肩車の位置に座るように姿勢を安定させた。

「ごはんだー!進めー!」

「……はぁ」

調子に乗っているのか素なのか分からずとりあえず慧はダイニングに行くことにした。美来を肩車したまま。




ネタ切れ


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第5章 念は入れてもまだ足りず

前書きって何を書けばいいんだろう


「ねねー、本読みたい」

「図書館?」

「そう!どこにあるの?」

「んじゃ連れてってあげるよ。おんぶする?」

「するー」

すっかりロリ美来にも慣れたのか、ネネは言われる前にしてほしそうなことを言い当てる。

「それで?何が読みたいの?」

「てきとーに読む!」

何それ、と笑いながら歩みを進めて、大図書館に到着する。

「で、どれ取る?」

「うんとね、あれと、あれと……あれ!」

美来が指さしたのはバラバラの場所にある3冊。どれもタイトルやジャンルに関連性はなく、無造作に選んだのかと思われたが。

「なんかねー、この本変な感じがするの。だから読むー」

題名を見る限り、全くそのようには思えないので、子供の勘だろうと合点をつけた。

「それ以前に美来この国の文字読めないんじゃ」

「そこはきあいー。やな感じしたとこをねねが読めばいいのー」

言うなりページを流し読みし始める。いまだ左手しか使えないので、めくるスピードは少し遅めだったが。

「ねねー、ここー」

「なになに?……これあれだよ、フェアリーの魔法関連。でも前言った通りこれを覚えたとしても対抗は出来ないんじゃ?」

「次ここの行だよ」

小さな指で示された先には、蘇生魔法について書かれていた。よく分からずにネネはひと段落分を声に出して読み上げる。

「あとここ!」

また別の本を開き、後ろの方のページを迷いなく選ぶ。

「これはね……。魔法陣?の構造についてだね。ほら、隣に図式の規則が描いてある」

「うん!わかった!もういいよ」

ネネにはさっぱり検討もつかないが、何かしら理由があるのだろうと思って深く考えないことにした。

「しっかし美来の体戻らないねー。もう4日目だよ?いくらなんでも遅くない?」

とことこと歩く美来にペースを合わせながら、ネネはついそう口にした。

「あのね、多分だけどね、まだ戻らないよ」

狭い歩幅を歩数でカバーしながら答える。

「意識なくなる前にね、連動式の魔法かけといたからね、まだだと思う。向こうがね、発動しないとみくもね、戻らないの。いつになるかわかんない」

「はあぁ?またそんな意味不明なのやって……。効果は?」

「えっと、効果が出てからじゃないと分からない」

「何それ!条件起動式?それとも……」

「それそれー。魔力を切った時に発動するはずなんだ。つまりあの人が油断した時になってみないと…」

深い深いため息をついて、ネネは呆れたように言う。

「なんだってそんなこと……」

「根拠ね!あのね!根拠あるの!」

ネネは視線で問いかけたが、美来は首をかしげて

「なんだったか忘れた……」

と呟く。ずっこけそうになるネネに慌てて「そのうち思い出すよ!」と声をかけたのだった。

 

 

「りーこー」

「あれ、美来さんだ。こんなとこうろついてていいの?」

「いーのいーの」

次に美来が行ったのはリコの部屋。

「あのさ、作戦に使うまほーじんってどんなのー?」

「唐突だなぁ。ちょっと待って、描いてあげるから」

近くにあった紙を引っ張って、ポケットから取り出したぺんでさらさらと描き出す。

「……とまぁ、こんな感じかな。適当だから綺麗な直線にも曲線にもなってないけどおおよそはこんなだよ」

「ここ、ここ。八角形じゃなくて十角形の方がいいよ!魔法効率がこれじゃちょっと悪くなっちゃうよ」

「え!?嘘!

…あー、そうかも。じゃあ十角形にしたとして…。こっちの文字もこうした方がいいかもね。それでこれの配置もひっくり返して…」

「そこななじゅーはちどだけ回すのは?」

「なんか効果ある?」

「コントロールの疲労が減る!」

「でもそうすると制御力不安定になりやすいんじゃ……。あっ、違うのか。逆にそうすることで威力は増すね。じゃあこっちの五芒星の交差点を1個減らせば……」

「かんぺきだー!りこまた来るねー!」

魔法陣の修正が終わるなり、たたたとかけて行ってしまう美来。

「何それ、直しに来ただけとか本当に暇しているんだね」

笑いをこらえながらリコは1人呟いた。

 

 

「くろどこー?おーいくろー。まっくろくろすけでておい――むげげ!」

「声でけぇよ……」

「むーむ!むむむーむ!むーむむっ!」

口元を押さえられて、じたばたと暴れる美来。突然その表情が一変して恐怖に変わる。

「おいクロ!美来さんが1番嫌いなの窒息なんだからな!お前少しは考えて行動しろ!」

同じ部屋にいたリュウが急いでクロから美来を引きはがす。

「うぅ……死にたくないよう……」

幼子のように(そのものだが)リュウの後ろに隠れて恨めしげにクロを睨みつける。反省の様子が見えないクロにやれやれと首を振ってから、リュウは質問する。

「なんでここに?来たらクロがいじめるの分かってるだろうに」

「だって……魔法効率あげようとしたんだもん……。くろがディスペルしてくれるのはいいけどじゅつしきが不安なんだもん」

「俺が力不足だって?」

「うん」

馬鹿正直に頷いてから、

「くろー、魔法書いてー」

「なんだってお前に指図されるんだ……。ってか魔法使おうとするな!禁止されてるんだろ!」

「小さいものなら禁止されてないよ?リュウならこーゆーのも黙認してくれるってしってるよ?」

「わかりましたわかりました!わかったからその手を下ろしてください!」

「あい、下ろした」

いつもと比べるとかなり威力は弱いながらもそこそこ強い電撃魔法を発動させる準備をしていた美来を見てクロは慌てて謝った。

「ほら、これでいいだろ」

じーっと紙を凝視してから、リュウに新しい紙をねだる。

「こっちこーして、うーんと、相性的に英語じゃなくてギリシャ文字にして……丸を1個増やしてこの三角消して……」

傍から見ればお絵描きをしている子供にしか見えないが、書いているのはれっきとした魔法陣だ。

「うん、これでいいや!りゅー、なんか魔法飛ばしてー」

「とは言っても俺攻撃系使えないんだけど……。何でもいいか?」

「もちもちー」

自分のほっぺをふにふにと伸ばしながら快諾する。

「そーれっ」

「あいっ!」

リュウが支援系の何かしらの魔法を放つと、魔法陣が微かに光って、その威力を消し去る。

「少ししか光らなかったぞ?失敗じゃね?」

「む〜!そしたらくろ、同じことやるから、防いでよー」

「はいはい」

魔法陣よりも少し離れた位置に立って、

「いっくよー、せーのっ」

「うわわぁっ!?」

風斬撃系統の衝撃波が魔法陣にぶつかると、魔法陣は雷が走るように派手にフラッシュした。

「ちょ、目眩がぁ〜」

「ほら!ちゃんと作動してるもん。魔法に込めた力の差だよきっとー。りゅーはいつも手加減してくれるから弱かっただけだよー」

どこか得意げに胸を張る美来だったが、リュウにも同じようにクロに使う予定の魔力増強の呪文を聞き出した。

「うんとねー、最後は“承認”じゃなくて“容認”にして、ここはばっさりなくして代わりに――」

 

 

※ ※ ※

 

 

「最近走り回ってますね、美来さん」

「だねー。元気なのはいいことなんだけどさ。なんか作戦の為に奔走してるよね、改良とかしたりして」

「姿は子供だけどやっぱり中3なんですね」

中庭でクロとリュウに魔法の練習をさせている美来を見ながら、通りすがりのユヅカとユイはそう話していた。

面倒くさそうに欠伸をするクロをぺしぺしと叩きながら怒っている美来。それを見て笑っているリュウ。

「なんかさ、美来さんがちっちゃくなってからみんなの雰囲気が変わったよね。常に張り詰めてたのが緩んだというか」

「あれほどの災害が起きたあとでしたし無理もないとは思うんですけどね……」

大規模原子分解事件が起きてから既に2ヶ月。人間界と違って魔法があるため、復旧は徐々に進んでおり、大部分で建築の作業が終盤を迎えていた。

しかし、全てが修理完了してはいないので、未だ多くの国民がこの王宮で暮らしていることになる。

「小さいこの相手とか良くしてるもんね。身長的には余裕でされる側に入るけど。魔法はなるべく使うなって言われてるからあまりやってないみたいだけどその分体が動いてるよねー」

くすくすと笑って頷いて、ユヅカは止めていた歩みを再開する。

「農業も大部分で再開してますし、職場復帰してる人々も多いようです。

やはり残りは……」

その先を口にせずに表情を引き締める。

「そうだね……。あの人を倒さないと根本的解決にならなそうだからなぁ。頑張らなきゃね」

「ですね。

だけど一つだけ嫌な予感がするんです」

「具体的には?」

少しためらった様子を見せたあと、かなり後ろに遠ざかった中庭を流し目にしながら答える。

「春岡さん、暴走しそうな気がします」

「ぼ、ぼうそ――?」

「深い事情は言えませんがどうにも、美来さんも見ていると胸騒ぎというか何か起こりそうな……」

「いやいや、さすがに考えすぎな気がするけど。

まぁ肝に銘じておくよ。現実にならないといいね」

「はい」

 

 

※ ※ ※

 

 

ユイが図書館の仕事に戻った時、美来はちょうど中で勉強をしていた。

後ろから覗くと、理科の計算問題をやっているらしい。

「偉いなぁ……。受験まであと1ヶ月くらいだっけ」

既にいた事に気づいていたのか、驚くような反応をせずに首を縦に振る。

「とりあえず小さいままでも幻術つかって受けるんだー」

「美来さんあそこだっけ?〇〇高」

「そーだよー。偏差値的には大丈夫なのー」

「うわ、自信満々なのむかつくわー」

冗談で皮肉ってから、ユイは本の整理を始めた。

「ここにある本しまってもいい?」

「……」

視線をノートに落としたまま、再び頷いて、問題を解き続ける。

机の上に乗っかっていたのは勉強道具を除けば、神話だったり魔術書だったりともちろん高校受験には関係のないものばかりだった。

(よくこんな本読んでる時間あるなぁ)

返却箱に入っていた100冊ほどを片付ける。王宮図書館なだけあって、総面積や棚数は相当な数があるので、これだけでも一苦労だ。貸し出した本を名簿に印をつけ終わると、時刻は11時を回っていた。

ふと美来を見ると、数学の過去問に顔を突っ伏して寝ているではないか。シャープペンシルは握ったままである。

どうも幼児がこんな格好で寝ているのが面白くなって吹き出してしまったが、ユイは戸棚から毛布を2枚取り出して、美来の体を二重に包む。

「こんな大事な時に風邪ひいたら元も子もないのに……」

手からシャープペンシルを抜いて、芯を閉まってからペンケースに戻す。万が一涎が出ないように下にタオルも敷いておいた。

(受験……懐かしいな。大丈夫、美来さんは受かるから……)

図書館で1人寝かすわけにもいかないので、ユイは受付カウンターの椅子に座って、同じように睡眠に入った。

 




後書きって何を書けばいいんだろう


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第6章 過去との因縁

おみくじは吉でした



2月下旬。

アニマーレの空気は日本のように乾燥した冷気に覆われていた。今年に入って、この国では初めての雪が降り、国内の子供ないし子供に逆戻りしている美来は大いにはしゃいでいた。

「ゆきー!」

叫ぶと走って積もった雪に突っ込む。

ばふ、と小さい音がして美来の体が白い地面に埋もれる。

「顔霜焼けになるぞー」

窓から慧が声をかけると、手だけをひらひらと動かす。それに呆れて窓を閉める。

セーターの上にスキーウェアを着て、スノーブーツで庭を駆け回る美来。

「ゆーづかー!雪だるま作ろー!」

傍のベンチで見守っていたユヅカに呼びかけて、2人で雪だるまを作り始める。

その様子を見ていた慧はため息をついて、文書を読み込んでいたネネに話しかけた。

「なんか敵襲来ないせいで平和ボケしてる気がする」

「あはは、それはちょっと同感」

紙をめくる手を止めずに賛成した。

「ほんとに何も無いね。狙いが分からないし姿は雲隠れしてるしでなーんも出来ないのはちと辛い」

「そして体が戻らない美来もおかしい」

慧の状態ではあまり美来のことを名前で呼ばない彼だったが、無意識に呟く。これにはネネも視線をあげた。

「それかー。美来がしばらくは治らないだろうって言ってたよ。なんでも魔力を切った時に発動する魔法かけてるせいだとかなんとか。相変わらずたまに考えてること分からないなぁ」

以前の会話を思い出してそう言うと、慧はどこか理解していたように2回目のため息をする。

「だよなぁ……。まじでそれがトリガーになるかは不明だけど、考えるとこがあるんだろ。そこは干渉しない」

「そだね。危険が来るまでは放っておこっか」

2人は揃って外に目をやる。

ようやく完成したらしい雪だるまは美来よりもすこし高めで、美来は背伸びをしてはしきりに身長と比べていた。

 

 

※ ※ ※

 

 

「ねー慧ー。1つ聞いてー」

「なんだよ急に」

「あのね、もうそろそろ仕掛けてきそうな気がするの。

だからちょっと思ったことがあって……」

「……?」

「わざと死霊を大量に出させてあげようと思うの」

「はぁ……。え? 処理は?」

「その場対処?」

「質問で返すな!

――で、その心は」

「一斉ぎゃくりゅーさせるの」

「逆流って……お前まさか」

「じごーじとくってやつ?」

 

 

※ ※ ※

 

 

ある日。ネネは執務室で復興にかかった資金をまとめた文書を読んでいた。

本来なら親がやる仕事だが、そちらには別の内容が回っているため、やむなく手伝っていた。

「あぁもうこれ絶対この村偽装してるでしょ。さすがに見積もりの5倍はありえないって……。あとで確認しに行かなきゃな。

――こっちはこっちでかなりの黒字だし。ここの赤字に組み込んで……えっと……」

文句を言いながら一応テキパキと作業をこなしていたのだが、

 

カーンカーンカーン

 

突然、王宮備え付けの鐘が大音量で鳴り響く。聴力が優れているネネは思わず持っていたペンを放り投げて耳を塞いだ。5回ほど甲高い音を撒き散らしながら不協音は鳴り止む。

「うーるさーい!何これ誤作動?管理棟はなにやって――」

「ネネーっ!!」

ノックもせずに部屋に飛び込んできたユイを見て、何か重大な事態が起きたことを察知する。

「どうした?」

声を低くして問うと、ユイは外を指さして叫ぶように答えた。

「中心街で爆撃らしき騒動だって!それを契機とするみたいに次々に各地で襲撃だったり色々……。

これもあの人が原因なのかな!?だとしたらどうすれば!」

「これはまた国家規模のをやらかしたね。

まずは王宮魔術師団に出動させて、負傷者は一人残らず安全地帯に避難。それで……。

いやちょっと待って。何でネネに言いに来たの?パパ達は?」

「それが、これが送られてきて……」

震える手でユイが渡したのは、公式文書に用いられる高級な羊皮紙。きちんと蝋で封もされていたが、ネネは構わず破り開ける。

 

『拝啓アニマーレの重役様

 

北風が冷たく、雪が降る今日、いかがお過ごしでしょうか。

本日私はとある復讐を果たすため、この国を滅ぼす計画を恐れながら実行することを決意致しました。手始めに王家の方を誘拐しましょう。

お二人の命が惜しければどこかの生意気な時空操り手と根性だけは立派な魔術師をお連れくださいますよう。援軍は何人連れてきても追い出さないことを約束致します。

最善の決断を出されるのを期待しております。

私はとある地点から動かずにあなたがたをお迎えしましょう。

再び相見えるのを心待ちにしております』

 

「ふざ……けんな……っ!」

両手で羊皮紙を握りしめ、ぐしゃぐしゃに潰すと、

「慧と美来に連絡!多分玲音の家にいるはずだから!

ネネは魔術師団に知らせてくる。

ユイ、ユヅカに市内の救援頼むって伝言よろしく」

「りょ、了解!」

2人は目線で頷きあって、風のように飛び出していった。

 

 

「敵襲!?」

「そう、ついさっき中心街で!うちらだけじゃなくて国民まで巻き込む気だよ」

「くそったれが……!王宮のあいつらは出動してるのか?」

ユイと慧が急いで状況確認し合う様子を美来は椅子に座ったまま黙って聞いていた。

「ちっ、人が多いとこで俺らが暴れるわけにもいかねーしこりゃどうすれば……」

「転移でどうにかならないの?」

「確かに住民は避難させることは可能だ。そのあとせっかく戻った街並みをまた壊すことに…いや、そんなこと言ってられないな」

「ねーねー、中心街って王宮に続く大きな道路沿いのことだよね?」

口を挟んだ美来にユイは曖昧に肯定する。

「ってことは昔あったっていう革命がバリバリ起きたとこ?」

「そっか……!怨霊だな」

「え?何のこと?」

美来と慧だけが納得しているので思わずユイは素っ頓狂な声を上げた。

「んーん、ユイちゃんに話してる時間はないかなー。ごめん我慢して!」

「すまない。俺からもお願いだ」

2人に頭を下げられ、ユイはあたふたと手を横に振った。

「そんなそんな謝らないで!

それで、そこには怨霊が沢山いるんだね?ネクロマンサーの特性を持つから利用出来ると考えた……」

「とにかく現地に行くぞ。俺らが目的なら早く行かないと街が崩壊する」

 

 

転移であっという間に中心街についた3人は復興して間もないはずの街並みが無残に崩されているのを目撃した。

建物にはヒビが入ったり屋根が落ちていたり内部がごっそり見えていたり。まだ避難できてない人も多くいて、大勢の公務員達が誘導しながら王宮に逃げていた。

「こりゃ俺らが阻止しなきゃ国自体ジリ貧になるぞ……」

辺りを探りながら冷や汗を拭う慧。

「まだここにはいないみたいだね。でも皆が来るまで待ってくれるとも思えないよ?」

「いや、あいつのことだ。全員揃ってから必ず来る。そういう性格だからな」

「そういや前から思ってたけどやけにあの人に詳しいよね。知り合いかなんかだったの?」

なんの悪気もなくユイが尋ねた質問だったが、慧は答えようとせず「いつかわかるよ」とだけ言って黙り込む。

なんとなく空気が悪くなったところに、

「みなさーん!ご無事ですかー!?」

手を左右に大きく仰ぎながらユヅカが走ってきた後ろにはクロやリュウ、リコの姿も見える。全力で走ったせいか、肩で息をしながら一番最初に回復したクロが話し出した。

「急にユヅカが飛び込んでくっから何かと思ったけどさ、またこんなことになっちゃあ急がざるを得ないよな。

で?肝心な誰かさんはまだいないのか」

「多分ネネはいないけど皆揃ってるしそろそろ――」

「そうねぇ、確かにそろそろいいかもしれないわ。

どうせそのネネって子は来ても来なくても戦力外だものね?」

「後ろっ!?」

慧が真っ先に反応してくるりと体を回す。やや遅れて他の6人も振り向くと、道を堂々と歩いて来る白髪の女性が腕を組みながら笑っていた。

「どうしても私に歯向かおうとする人達は攻撃を優先せずに魔力を奪おうと考えるのよね……。あなた達も同じこと考えたでしょう?どう?」

会った途端、初見で作戦を看破され、驚きを隠せないユイやリュウ達。

ただ、美来と慧だけはそこまで想定済みのように表情を冷静に保ったままだった。

「しかも元からおちびちゃんだったその子、更に縮んでしまったのね。まだ魔力が戻ってないのかしら?それとも……」

小さく首をかしげたものの、またニコリと笑いかけてから歩みを進める。

「ま、その分戦闘能力は落ちているからこちらにとってはか・な・り、有利になったかしら?」

「そうだな……。俺らじゃお前に勝ち目はないかもしれないが。それでも殺るしかないんだよ」

慧がまっすぐ前を見て言うと、ふぅん、と呟いたその人は。

「生意気な目をするようになったじゃない。あの時は狂乱に陥ってただ蹂躙し、狩り尽くして何も写っていなかったものねぇ?」

「……黙れ。もうあの時の俺じゃない」

「たった一人失っただけで暴れて、忘れようとしたんでしょう?全て消し去ってしまおうとしたんでしょう?

さぞかし自分が無力でひ弱な存在だと自覚したんでしょう?」

「黙れって言ってんだよ……」

全身を震わせる慧の肩をそっと掴んで、万が一にも飛び出していかないように抑え込むユヅカ。美来が最初は止めようとしたが、今の身長ではとてもじゃないが両手が届かなかったので、左足にしがみついた。

その途端、大量の映像が美来とユヅカの脳裏に浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく。

(え、何これ……!?)

 

 

※ ※ ※

 

 

「完全に追い詰められましたわ……。皆さん、私のことはいいから逃げてください。国民にはあなたがたが必要です……」

「そんなこと言ってる場合ですか! 全員で生き延びなければ勝利とは呼べません! 王女様、もう少し後ろへ」

「ばあちゃん、戦闘範囲内接触まで残り5キロ切った!」

「あんたは出来るだけ大きく時間逆転結界を貼るんだよ。ルイ、モモ、スコットは魔法反射。ナイゼルとエリは――」

街の中心街、その一角にある大きな交差点で計11人と王女は四方を塞がれていた。裏道を通って王女を逃がそうとしたところ、急襲部隊に捕まり、危機的状況になっていた。

じりじりと詰め寄ってくるゾンビ達は、魂こそ持たないものの、各々の手には人を殺すには十分なほどの武器を持ちっている。更に、術者の命令を遂行するためにある程度知能を持つため、厄介なことこの上ない。

ただ真正面から殲滅魔法をかけるだけでは倒せないのだ。

「来るよ!絶対に死なないこと!

3、2、1――」

 

 

※ ※ ※

 

 

「このままじゃ全滅するね……。いくらなんでもこの数は尋常じゃない。やはりかなりの手練だったようだ、あの女は」

「ばあちゃん東が押してる、支援かけられる?」

「はいよ。そっちは大丈夫かい?」

「うん、まだ余裕はある。

あ、待って、今敵の後ろに……?」

少年は鋭く息を吸い込むと、指揮を執っていた老婆に飛びかかる。次の瞬間、真上を速く駆ける何かが過ぎ去っていく。

「これは光魔法の一種だね……。ありがとう」

「まだだばあちゃん!目的は――」

「言わずともわかるよ。王女を消したいのか……。あの魔法は面倒でね、相殺タイミングが難しいんだよ」

武器で弾くなら魔法の中心、魔法で弾くなら攻撃の軌跡の先頭に当てなきゃならない。

そう告げて、厳しい顔で後方を見つめる。

「こりゃやばい。あんた、結界は切らしちゃないらないよ!」

「わかった!」

 

 

※ ※ ※

 

 

どさっ

 

小さく響いたその音に振り向くと、口元を手で抑えた王女の前に倒れる老婆。

「ばあ……ちゃん?」

「今、何本か来ていたさっきの魔法が……。発動が間に合わずに……エミコさんが…体で受けとめなさって……!」

急すぎる展開。

一気に視界がスローモーションになった少年は、

「うそ、うそだろばあちゃん……。なんで倒れてんだよ。なんで立ってくれないんだよ。どうして何も言わないんだよ。なんでだよ!」

狂ったようにそう連呼する。

(落ち着きな)

ふいに頭の中に語りかける声。間違いなく老婆のものだった。

(来るべき時が来てしまっただけ。私はなんの後悔もしてないよ。

あんたは強い。だからこそ1つ約束して。

きっと将来、私の子孫にも魔力を持つ子が現れる。もし、あんたが生きているうちにその子にあったら…。守ってあげてほしい。お願いだよ)

それを境に、何も聞こえなくなる。

あまりに突然過ぎてどうすればいいのか分からず、パニック状態に陥る少年。それもそのはず、今までずっと尊敬してきた魔術師がたった1本の光の矢に射られただけであっけなく命を落としてしまったのだから。

「しっかりしろ!気を張らないとお前も死ぬぞ!?」

さきほどナイゼルと呼ばれた男性が少年に向かって叫ぶ。

しかし少年は肩を震わせたまま、唸るように呟いた。

「こんなのが勝つために必要だって……?1人の犠牲でみんなを救うって……?ふざけんなよ、ばあちゃんがそんなんで死んでいいわけがない」

ふらりと1度よろめいて、顔を上げた。その目には何も映らない。ただ真っ暗な闇が深く、深く、広がるのみ。

「あぁそっか、僕が全部消しちゃえばいいんだ」

合点がいったように無表情でそう言うと、少年は1人で敵陣へと身を投じた――。

 

 

※ ※ ※

 

 

右、左、右、後ろ、前。

視線に入ってくる亡者を順番に地に伏せる。それはもはや単純な作業で、仲間たちの静止の声は届かず、少年は両手両足を動かし続けた。魔力はとっくに切れ、銃の弾も底を尽きた。両手に持った短剣だけで敵を切り伏せては蹴り飛ばし、切り刻んでは次の的へ狙いを移す。

「もうやめろ!どうせ倒してもきりがないものだ、牽制だけして逃げるぞ!」

誰かが言っても聞く耳を持たない。

迂闊に近づけば、自分自身も死ぬことはその場の9人が全員分かっていた。

動きを止めさえすれば連れて行けるが、団員が少年に静止魔法をかけてもなにかのバリアで跳ね返される。凄まじいほどの怒りが魔法を跳ね返しているのか。

ゾンビは無限に湧く。数が減ることは無い。

だから、少年はただ敵を蹂躙し、駆逐し続ける。何も考えず、何も感じないまま。

地面は本来の色を失い、周囲の建物にも血が大量に飛び散っていた。少年の衣服も既に赤黒く染め上がっていたが、これ程まで酷使しているはずの短剣には刃こぼれひとつなかった。

そのうち辺りには屍人だけでなく、まだ生きてはいるものの、操られて襲いかかってくるものも現れ始めた。最初はただ見ることしかできなかった魔術師団員もこれには攻撃を加えようとしたが、それより前に少年の手が先に伸びている。

反乱軍の親玉は命ある者すら容易に切り捨てるらしい。

「申し訳ないですが……。彼を強制的に止めさせます。皆さん、自分に1番強力な結界を貼って頂けますか。

辺りにいる人を全て巻き込んでしまう魔法なもので……」

ついに王女がそう切り出した。

王家には、国を守る義務があるが故に、国民には使えない、いくつかの術を行使することが出来るのだ。だからといって安易に使うことは躊躇われるが、今は必要だと判断したのだろう。誰かなにかが止めなければきっと力尽きるまで彼は殺し続けるだろう。

団員は迷わずに頷き、王女はそれを確認すると右手を少年へ向ける。

音もなく王女の真下に大きな魔法陣が浮かび上がり、どんどん広がり、それは少年をも巻き込んだ。

「……はぁぁっ!」

声に鼓動するように大地が震え、魔法陣の光が増す。幾何学模様を中心に高周波が吹き荒れ、効果範囲内のゾンビもろとも全てが動きを止め、地面に砂化してわだかまった。

少年の周りにある結界は抵抗するように数秒火花を散らしたが、耐えきれなくなったのか、ガラスの割れるような音を立てて消え去った。そのまま少年は崩れ落ちる。

同時に魔法を使った王女も荒い息を吐きながら胸を抑えてその場にへたり込む。

「王女様っ」

「このくらい……なんともありません。それよりあの子を……」

 

 

※ ※ ※

 

 

「さと……」

思わず名前を呼びそうになって慌てて口をつぐむ。突如として現れた吐き気を気合で押し殺し、ごくりと唾を飲む。

これはきっと、慧が過去を思い出す力が強すぎて、その時の映像が鮮明に伝わってきているものと思われた。同じように肩を押さえていたユヅカも少しばかり顔色を悪くしながら黙り込んでいた。彼女は血をとてつもなく嫌悪しているので、叫ばなかったことがまず奇跡だ。

274人。

きっとあれはあれらのゾンビを除いた数なのだろう。

それを含めてしまえば、1000は超える人数を斬っているはずだ。

それをわずか10歳の少年が全て屠ったという事実。

(聞いただけで何もかも理解したつもりだった……! 何もわかっていなかった……。慧がこんな、こんな……)

唇を噛み締めて何も出来ない自分を悔やむ。今ここで口を挟めばきっと戦闘は始まる。一触即発の状態で無闇に声をかけられない。

(なら、出来るのは……)

ユヅカに視線をむけると、美来の思っていることが伝わったのか、無言で小さく頷くと、慧の肩から手を離す。

美来も掴んでいた手を解くと、もう一度だけ視線交わし――。

「「リルフレイム・ザ・ラグナロク!!」」

ユヅカが右手を、美来が左手を突き出し、背中を合わせて声を揃える。

通常の2倍の威力で敵に襲いかかる炎は地を駆け抜け、螺旋を描きながら直進した。

「なぁに? 突然攻撃?当たり前だけど、生ぬるいわね」

相手の腕のひと薙ぎで炎は容易く消え去る。

今度は火が通過した経路を戻るように地面が光る。

「でも少し癪だから遊んであげる」

湧き出すようにゾンビが姿を現す。ものの数秒で15メートル程の距離が屍人で溢れかえった。

「お前ら何したいんだ!?」

慧が驚いて振り向くと同時に美来は反対方向に走り出す。

「みんな逃げろ〜」

「は?」「はい?」「ほへ?」「え?」

思わず両手を広げてタタタと逃げていく様子に目を疑う。

「はい、皆さん走ってください!」

なかなか状況を掴めない一同の尻を叩いて、自らも足を動かす。

「いやいやちょと待てよ。これなんだよ何がしたいんだ!?」

「さぁ?私にもわかりません。ただ考えるところがあるんだと思います」

何故か楽しそうに笑って後ろにお土産のように1発だけ電撃を食らわせる。

「こんなにゾンビだしてどうする気だ………。ホラゲーじゃないんだぞ……!」

「そ、そもそもこれ自爆だよね!?美来さん何がしたいの〜」

必死で後方を追ってくるゾンビ軍団から逃げる。

「いや、そもそも倒しちゃえばいいんじゃないか?」

慧がようやくその結論に達し、腰の短剣――5年前のものより細身で鋭い――に手をかける。鞘から抜かれる直前、

「だめ!」

前から美来が叫び、慧はびくりと手を離した。

「だめ、慧は絶対それ抜いちゃだめ。みくがやらせない。もう、二度と、殺らせないっ!!」

真っ直ぐ瞳を見つめ、怒ったように顔を歪ませる美来を見て無意識に呼吸を止める。美来の目には悲痛なまでの何かが込められていて慧は一瞬たじろいだ。

「まだ、まだ足りない。もっといっぱいもっとたくさん!この街が溢れるまで!」

ようやくそこで、美来の目的に気づいた慧。

(そうか、だからあいつは前に――)

「……わかったよ、今は抜かない。

けど万が一の時は…許してくれ」

「……」

しぶしぶ、といったように了承した美来に苦笑してしまう。

(まったく、お前ってやつは…)

 

 

 

「さ、さすがにもうよくないか!?空から見ると街路全部ゾンビまみれだぞ!?」

「市外に出たら終わっちゃうよ、これどーしたいの?」

あせるみんなを落ち着かせ、美来は中心街から他の街へ続く道路に進行妨害魔法をかける。その数約120。

「慧っ、あの人は今どこにいる?」

「地味に着いてきてるぞ。ただ妙だな……だいぶゾンビ繁殖のスピードを緩めている気がする」

「そ、そりゃそうですよ。この先は市外へ出る道、つまり現状の私たちにとっては行き止まりなんですからぁ!」

『はぁぁぁぁ!?』

「よし来たやるぞー!みんな魔法展開してー!」

まるでその言葉を待っていたかのように美来が声を張り上げ、自身も術式を編み出す。

「今ここで!?失敗したら全員死ぬよ?」

「だから成功させる。ミスのひとつも許されないこの極限状態。どうよ?」

どこか自慢げに慧に尋ね、問われた本人は呆気にとられたものの、

「はは、あはははは……。これだから……」

笑いを一切堪えずに口に出すと、

「最高だな!やってやろうじゃないか!」

高らかに宣言してやる気を見せる。

2人の謎のやり取りを信じられないものを見る目で見つめるその他数人だったが。

「ありえねぇ、まじありえねぇよ。

やるしかないんじゃんか!なぁ!」

クロが珍しく気合を入れると、

「鬱憤晴らしてやろうぜ!」

リュウがそれに乗っかり、

「最後の見せ場、作っちゃおう!」

ユイの言葉にユヅカが頷く。

「美来さん、準備終わったよ!」

リコが後ろで正確に魔法陣を描き終え、その表面を薄く発光させていた。

「よーし、作戦、開始っ!!」




2019年、頑張ろう


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第7章 敵対と正義の狭間で

宿題が終わったと思っていたら残っていた作者です


「汝、地の理を覆し反逆者よ。悪しき魂を解放せし偽りの善よ。我光の神の源より顕現せし間者なり。今こそ恒久平和を乱す者の裁きを行わん。具現せよ!」

りこが背後で魔法陣を起動させる中、

「なんでこうも魔法って厨二臭いのかな」

呑気にそう漏らすクロ。ユヅカは大きなため息と共にその脇腹を小突いた。

「あのですね、こっちの世界では普通なんですって。日本のアニメだったりライトノベルだったりが厨二病という概念を生み出しただけなんですから」

「へいへい」

また変な空気になりそうだったのを見かねて、美来は慌てて話題を変える。

「そう言えばユイちゃん達ってみんな魔法陣だよね。どうして?」

「ほら、うちらって元々魔力があるわけじゃないから、魔法陣を使って魔力を借りてるって感じ。美来さんや慧みたいに詠唱や身振りだけ、あるいは無言でっていうのは無理なんだよ」

「ほへぇ……」

10秒ほど腕を組んで思案すると、合点がいったように一人頷く。

「んじゃリコさんには失礼してっ……と」

リコの魔法が発動する直前、美来は地面の魔法陣に1本だけ線を書き入れる。

「ちょっ!?美来さん正気!?」

「大丈夫、これで上手くいくさんだんってやつだから」

リコが声を裏返して焦ると、美来は至って真面目に答える。それもそのはず、美来が付け足した1本棒は効果を正反対にする位置――つまり、結界の範囲内にゾンビを抑えるものだったのが、これだと大量生産する羽目になるのだ。

「そぉれっ」

気合いの掛け声だけでその魔法陣を街いっぱいに広げる。

「うわわわわわ…何がしたいの………」

本気でドン引きしているリコ。

「慧、そこ!」

「……っ」

その質問には反応せず、左側にいた慧に呼びかける。

間発入れず数メートル離れた地面上に縦に透明な壁が伸びていく。そのわずか後、壁の外に100を超えるゾンビが地から生えだした。

「いや待てよ、これ昔俺が倒した位置……?」

「うん。やっぱり慧達が5年前に戦った場所から多く発生してるんだよ。でもってここは慧が最初に他の人たちと戦った場所。てことは――」

「おっしゃ、まかせろ」

美来が先を言うまでもなく意思を汲み取り、慧は全員を強制的に転移させる。それは街外れの行き止まり。

「ちょっ、何してんの!?俺ら自爆だぞこれじゃ!」

リュウが焦って言うと、落ち着けるように美来が背中をぽんぽんと叩いた。

「大丈夫だって、並大抵の作戦じゃ通じないってことだもん。

さてと、そろそろ始めるよ〜」

ふんぬっ、と謎の掛け声と共に気合を入れると、宙の一点を見つめて真剣な顔になった。

「もう出てきていいってことね? 流石に暇だったわ〜」

とたんに敵本人が登場。

「まだ繋がりが消えてないのかしら……。いくらなんでもおかしいとは思うけど倒しちゃえば消えるものだし放っておきましょうか。

それで?どう処分しようと考えているのかしら?」

「……少し、過去の話聞かせて欲しい」

美来はそっと目をつぶると周りの時間に干渉――その流れを止める。時間停止には左右されないはずの慧までも巻き添えにして。

目を開けると、美来とその人しか動ける者はいなくなった。

「名前、教えて」

少し困ったような表情を浮かべる相手に同じような顔をして美来は話す。

「だっていつまでも名前知らないままやってられないもん」

「バカねぇ……そんなこと聞いたところでお互い得はないでしょう」

隙をついて攻撃しようとするが、止まった時間は魔法すら干渉を許さない空間になっていた。反撃は諦め、真っ直ぐな視線を送る子供に呆れたのか、静かに嘆息した。

「ホントのこと言うと、本名は忘れたわ。

ただ、あの頃はアイファズ……イフって呼ばれてた。もちろんあなた達でいう英語のifとは関係ないわよ」

これは嘘かもしれない。けれど美来は真実だと信じて受け止める。

「じゃあイフ……どうして5年前、反乱起こしたの。あんな鬼畜魔法使ってまで国滅ぼそうとしたの」

「……随分核心を聞いてくるじゃない。生意気ね。

まぁ、簡単に言ってしまえば政治体制が不満だったのよ。民衆じゃなくてあなた達の国で言えば政治家や公務員のね」

「でもイフはこの国の人じゃないってリコさんが……」

「確かに生まれも育ちも向こう。けど大人になってからはずっとこっちよ。

……それより何が不満だったか聞かないの?」

「何が不満だったの?」

馬鹿正直に問う美来に思わず苦笑するイフ。

「国王の政治に文句はなかった。けれどそれを実行する奴ら、腐ってたのよ。賄賂は横行する、秘書に仕事丸投げ、国民の前では媚び売って毎日遊び呆け。ふざけるなって話よ。

悔しいことに国王には偽って伝わってたらしくて何も気づかなかった」

「じゃ、じゃあどうしてイフはそれに?」

国王すら知らなかった事実を一般民が知るわけがない。

イフが悲しそうな顔を一瞬だけ見せたのを美来は見逃さなかった。

「私もあの中にいたのよ……国家魔術師団の中に」

 

 

 

「――え?」

「少なくとも7年はいたのよ。一時期団内3位の実力まではつけたわ」

驚きを隠そうともせず絶句する美来をちらりと見てから目線を遠くに向ける。

「あなたの祖先のおばあさん、いい人だったわ。実力だけで判断せず、団員の長所を生かして仕事を割り振ってくれた。必要最低限の賃金だけもらってあとは全額寄付。休みも計画的に多くくれたし、きつい仕事を押し付けたりしなかった。それどころか一番年寄りだっていうのに自分が最も働いてたのよ。悪い政治家を追放するように進言してくれたりもした。

ほんと、偽善もいいとこだわ」

「うん」

「だからね、彼女を抹殺しようとする奴らを許せなかった」

「えっ……?」

唐突に出た言葉にびっくりして変な声を発してしまう美来。

「ほら、いつの時代もいい人ほど恨まれるじゃないの。それよ、それ。

彼女さえ居なければ汚職政治家は職を離れることは無い。

基本あいつらより上の権限を持つ人はほぼいなかったから逆らえないのよ。

でも彼女は結構上の権利を持っていて、断罪できたの。

彼女がいると賄賂は貰えない、職を離れざるを得ない、自分が仕事をこなさないといけない。

ほんっと、クズの集まりだった」

「じゃ、じゃあなんで国全体で反乱なんか…」

ふ、と自嘲気味な笑みを浮かべるイフ。

「慧はまだ小さかったから気づかなかったみたいだけど生きていた者で死んだのは全員政治家よ。国民は誰一人殺してない。

ただ、エミコさんが死んでしまうなんて……思わなかった」

演技なのか本心なのか、胸元を抑えてイフは続ける。

「魔術師団の中にも3人、ダメなやつがいたの。そいつらに向けた攻撃だったはずなのに……」

嘘を判断する魔法はいくつか存在する。けれど、そのどれを使っても彼女が偽りの供述をしている反応は示さなかった。時間が止まった中、攻撃魔法こそ使えないが、互いの生命に干渉しない魔法だけは使用出来る。

「それじゃ、どうして、私達を狙うの。私たちの中に5年前と同じような罪を持った人でもいるって言うの」

いつの間にか美来は容姿は小さいまま変わってないが、口調だけは元のように戻っていた。

「あなた達を危険な目に晒せばいつか出てくる存在がいるからよ。そいつを引っ張りださなきゃ全ては終わらない」

「それはどんな……?」

ゆるゆると首を振ると、イフは答える。

「本名は言えないわ。そこまで関わらせたくない」

敵対していたはずの人からそのような言葉が出てくることに少なからず驚く。

「私をあそこまで瀕死に追い込んでも出てこないってどれだけ凄い人なの……」

「元団内2位、通称“沈黙のイスタンテ”。とんでもない奴よ。

イスタンテって単語知ってるかしら」

首を傾げる美来を待たずにイフは自答。

「イタリア語で一瞬って意味。あいつは寡黙でほとんど喋らない。けれど敵には容赦無く通り名のまま一瞬で裁きを下す……そんな性格だったわ。

団員ともあまり話さないから彼のことはほとんど知らないけれど、1つだけ分かるのは慧と彼の祖先が同じってこと」

「え!?」

「あ、もちろん人としてじゃなくて魔力的な祖先を言ってるの。力を借りる源が同じと言えばいいかしら」

時間や空間をねじ曲げる慧は、この世界の基本原理からしてみると理を覆す異端者であり、重罪人といっても過言ではない。しかし、時を遡る神などがいる場合はその力を借りれば良いので、違反とはならない。

「つまり……そのイスタンテさんは死にそうな状態ってこと?」

「察しが良くて助かる。その通りよ。だから後継者は残しておきたいのでしょうね」

「待って待って、それじゃみくのこれまでの決死の瀕死は自体の悪化を招いてる!?」

申し訳なさそうにイフは肩をすくめた。

「うぅ……全部無駄とかそんなのないよ……。

慧には悪いけど慧自身が危ない目にあわなきゃいけないのか」

「そう、だからあなたにお願いしたい。

彼らを裏切る真似をしてほしい」

 

 

 

「うら――!?」

「もちろん振りでいいの。でもそれを誰にも悟られては行けない。

私も今まで通り全力で殺しに行くわ。全て捌き切りなさい。

……出来る?」

「多分……いや、出来る!やってみせるよ。

嘘じゃないよね、信じるからね」

イフのアメジストのような瞳を真っ向から見て、美来は確かめた。小さい体で親指を立ててポーズしてから、無言で首を縦に振るのを目視して、時間の流れを元に戻す。

「あれ、今時空乱れたような……」

流石に勘づかれたか慧は訝しげに眉をひそめた。

「慧それよりも……!」

美来は努めて平静を装いながら誤魔化すために意識を引き戻させる。まだ納得はいかないように不満げだったが、とりあえず慧の気を逸らすことは出来たようだ。

「さぁて……そこのちびっこが誰も殺させないと言ったところで臆病な惨殺者さんは何が出来るのかしらね」

(イフは悪者を演じている……そこまでして犯人らしい奴を誘き出したいと思っている……。なら、協力しなくちゃ。このままじゃ誰も彼も後悔する)

今までの苦労が全てたった一人を誘い出す過程だったのは許せない部分もあるが、むしろこれからどうするかが問題なわけで。

(イフはいつ裏切るふりを始めるのか言わなかった。多分、意図的にそのタイミングを作って、みくらしい自然な方法で寝返るようにしてくれるのはず。

――おそらく、また致死に迫る魔法に偽装して)

「さぁて、絶望までのカウントダウン……始めましょうか」

話を聞いた後では、イフの自分たちを嘲るような笑みにも苦しさが滲んでいるような気がして。

「みんな、絶対に、勝つよ」

美来の言うそれは、イフに対しての信頼を含めた宣誓にも思われる。

(イスタンテ……待ってなさいよ。今回こそ、仕留めるから)

敵を演じながらも2人は本心から、それぞれが出来る最善の手を打つことを強く決意した。

 

「ユヅカっ!ユイちゃんは大丈夫!?」

「は、はいなんとか!クロ達も春岡さんのおかげで回避してますっ」

「リコ、カウントで逆結界!に、いち――」

「――はぁぁっ!」

「クロ切って……!」

「こいつら……っ、キリがねぇっ!!」

街の中で一同は防戦一方だった。全員の攻撃はイフに届く前に、ゾンビが意思を持ったかのように庇いに入るので、即座に消えてしまう。

かといってゾンビを倒しても次から次へ地面から這いずり出てくるだけで、増える兆ししか見えない。

ユイ、リコ、クロ、リュウは魔法陣を描かなければ魔法が使えないため、連続使用にはひどく効率が悪かった。その上、急げば急ぐほど図表が雑になり、効果が薄まってしまう。

ユヅカも平和主義の性格が故に、攻撃系の魔法をほとんど習得していない。本格的に攻撃を凌いだり反撃出来るのは美来と慧だけだった。

しかし、美来は頑なに慧が誰かを殺してしまうことを拒んでいる。例えそれが命を持たない屍人でも。逆にそれが慧とって負担になっていることは理解していたが、それでも殺らせはしなかった。

「慧まだそっち持つ?」

「あぁ……なんとか。ここまで空間荒らしといて後で何言われるかわかんないぞ……」

苦渋の表情で呻きながら防御する。

「――うぉわ!」

クロが慌てて体を仰け反らせたのを視界に納めると、美来は反射的にそちらへバリアを展開する。

魔力はよほどのことがない限り尽きはしないが、体力と気力の消耗だけは誤魔化すことが出来ない。

明らかに、戦力は衰え始めていた。

(イフ……いつ、いつ始めるの……!)

徐々に焦り出す美来がふと、イフのことを注意深く観察していると、彼女が慧から視線を外さないことに気づいた。

――訂正。時折別方向に視線は向けるが、ほぼ一点を見ている。

美来が自分を見ているのか分かったのか、慧の方を違和感のない流れで体を向けて僅かにあごでしゃくるような動きをする。

それを見て刹那、思考を回転させる。

(キーパーソンは……慧?何かするのを待っている……?

逆にそうしないといけない理由がある。

ならそれは、それはどんな行動なの、どんな、どんな……)

慧がこの戦いが始まって一切やっていないこと。何が起きても絶対にしなかった行為。

武力行使?魔法?時間?空間?

どれも違う、と1人首を振って必死に考える。

ふと、慧が斧を持ったゾンビからの攻撃をナイフで弾くのが見えた。甲高い音が耳にうるさく響いたその瞬間。それが引き金になったように美来はその答えにたどり着く。思いがけず動揺して集中が切れてしまったが、協力関係となった今、わざと攻撃をしてくるとは考えにくいので、どうでもいいと放置する。

(あぁ、そっか……イフは……)

 

――慧が壊れるのを待っているんだ――

 

 

「……?」

何か異変を感じ取ったのか、ユヅカが不思議そうに振り返る。

「美来さん……?」

それには応答せず、猛烈な速度で考え込む。

(壊れるってことはつまり5年前みたいに理性が飛んでしまうこと……慧の過去で言えば誰かが死んでしまうこと。

私は慧に誰も殺させないって言った。でも多分今のこの状況で必要なのはその行動そのもの。

だとしたらごく自然に、でもって衝動的に動かなきゃ。

どうすればどうすれば……)

怪しまれないように行動を起こすのが難しい今、最適な状況は――。

「あ、なんだ簡単じゃん」

(ゾンビを殺すくらいなら慧は衝動的になんかならない。

さっきの私みたいに反射的に、なら。

つまりそれが出来るのは私たち自身への攻撃。更に言うとそれが致死量である必要性。

つまり――)

測ったようにすぐ脇に魔法が着弾する音がした。まだ威力は弱い。

――そう、第1打は。

(たった1回のチャンス。何回目に狙うか――、魔法の威力で測れ、そして見極めろ! 外せない、イフは直接じゃなくて死角をついてここに――っ!)

慧にとって死角になる唯一の場所。それは、

(慧の正反対と重なる私の、真ん前!!)

太陽に匹敵する熱エネルギーを持った矢が美来の体スレスレに突き刺さる。

「うわあああっっ!?」

「美来!」

思惑通り慧はすぐに半身を向ける。

(そして次っ。私の方を見た慧の背後っ)

どぉぉぉぉぉぉんっ

今度は慧のすぐ右側に着弾。華麗に避けてみせたが、視線と意識はまだ美来の方にある。

(そしてラスト、振り向いている慧のそのさらに背後にいるユヅカを狙うふりをして――私が受ける!!)

先程の光球よりほんの少し速度が遅い魔法がユヅカの背中に迫る寸前。

「ユヅカあああっ!」

美来は横っ飛びに飛んで、なるべく自然にその攻撃を自ら受けに行った。

体と魔法が衝突して辺りに砂煙が舞う。

「美来っ!」

「美来さん!!」

慧とユヅカは思わず他のことを後回しに駆け寄る。

ぐったりと動かない美来に声をかけても揺さぶっても目を開こうとしない。魔法で回復させようとしてもそれらを跳ね返して一切効かない。

「なんでだよ!どうして治療出来ないんだ……!」

「美来さん起きてください、ダメですこんな所で……っ」

ユヅカに至っては泣き出してしまう。

今度は血こそ流れていないものの、もろに魔法を受けてしまったので、失神はもとい、“死んでしまう”のは免れないだろうと、覚悟していた。

(……後は、頼んだよ……イフ……)

全てをイフに託して、計画の一環である美来の“死”が完遂された。

 

 

✱ ✱ ✱

 

 

「呼吸がないです、脈拍薄れてます……!」

「ユイっ、治せないのかよ!!」

「無理だよ!ここまで破壊されたら治しようがないよ…」

「クソが……。また俺は……!」

拳を握りしめて震える慧に。

「そうねぇ、また、助けられなかったわねぇ!

無力な身で他人を守ろうとするからそんな目にあうのよ? ま、その子も自分で仲間を守ろうとして死んだなら成仏出来るんじゃないかしら? だって自ら望んで行動したことでしょうし」

イフは煽った。慧の心内を知りながら。

「同じことの繰り返し、結局何も変わってなかったのよ。いくら誰かを守るために自分が強くなっても、実践で示さなきゃなんの意味もないわね。残念だったこと。

惨めねぇ……」

最大限の嘲笑と共に吐き捨てる。

「ダメだよ慧くん、耳かしちゃダメ。

それよりゾンビどうにかしなきゃ!美来がいなくなったら負担が……!」

ユイが気持ちを無理やり切り替えて立ち尽くす慧に叫ぶ。しかし聞こえた様子は見えない。

動かな慧に隙があると判断したのか、鉈を持ったゾンビが数人がかりで彼の後ろから飛びかかる。

寸前。

「――ふざけんな」

なんの感情もこもっていない、抑揚のない声でボソリと呟く慧。その言葉一つでそのゾンビは音も立てずに蒸発する。持ち主のいなくなった鉈だけが地面に重低音を響かせて、地面に落ちた。

「聞いてりゃ好き勝手言いやがって」

一歩。ガリっ、と鉈を踏みつけて足を繰り出す。

「また?まただって?」

また一歩。

「なら」

屍人が大量に迫る真っ只中、ピタリと足を止めた慧は。

「俺が生きる理由はない」

――あの時と同じ。

彼の過去を覗いてしまったユヅカが真っ先に気付いた。

 

慧の目は、

前と同じで、

何も映していなかった――。

 

「春岡さん……!」

届かない手を伸ばして、届かない声をかける。

無表情で、無気力な顔はどこかを写しているのだろうか。

洋服で隠すように腰に差していた2振りの短剣。しゃらん、と微かな金属音を鳴らして鞘から抜き放つ。

ふらり、とよろける様に前に出された足は、目で追えないほど一瞬でゾンビの大群に肉迫する。

逆手で剣を持ちながら、慧は静かに腕を振るう。

それだけで赤い花が、次々と空中で舞った。

それはまさに5年前と全く同じ光景で――。

吐き気を懸命に堪えながら、ユヅカは黙考した。

(どうして、どうして美来さんは私なんかを庇って……!

そのせいでまた、春岡さんがこんな状態に……。分かっていたはずでしょう!?どうして繰り返させるんですか!

一体、何がしたかったんですか……)

5年前の慧と、今の彼では戦い方が洗練され過ぎていた。

がむしゃらに、向かってくる前の敵を淡々と屠っていた昔と比べて。

(剣と魔法と…駆使しながら最小限の動作……)

どんな作用かは解明できないが、明らかに短剣の届く範囲外にまでその猛威は及んでいる。

(止めなきゃ、でもどうやって?)

後ろでピクリともしない美来に問いかける。

(どうしろって言うんですか……。私達を置いていかないでください……!一緒に、一緒に頑張ってきたのに、ここで終わりなんて嫌です、絶対に嫌なのに!)

心の中で絶叫し、元凶となったイフを見やる。その時ちょうど、彼女もこちらを向いていて、思いがけず2人は目が合ってしまった。

「……?」

不意に感じた違和感にユヅカは戸惑う。先程まで、あんなに慧に対して浮かべていた嘲笑が消えている。

代わりに、どこか必死さを思わせる何かが伝わってきて。

(あなたは……どんな目的で襲撃したんですか。

何故、そのような顔をしているんですか……)

つい一人で返ってくるはずのない問いを投げかける。

(まだ、終わってないから)

頭に響いたその声に、ユヅカはハッ、と目を開く。

(まだ、終わってないわよ)

もう一度声が聞こえると、それらの声は聞こえなくなる。

(終わって……ない?それってきっと、私達にとっての……?そうじゃない限りわざわざテレパシーなんて送ってこないはず)

考えてみれば、イフは美来がいなくなった今、いつでもどこからでも自分たちを抹殺する事なんて容易だろう。なのにそれをしない。

(なにか狙いがあって……?

もしかして美来さんは本当の意味では死んでいない?

でも蘇生出来ないってことは完全に亡くなっているってのと同じなんじゃ……)

答えの出ないユヅカに追い討ちをかけるためなのか、それともヒントなのか、イフが声を張り上げる。

「それじゃあそこでうずくまってるちびちゃんにも手伝ってもらいましょうか。ほら、起きなさい」

くるりと左手首を一回転させると、音もなく美来の体が浮かび上がり、自立する。慧はまだ気付いていない。

「死んじゃったなら何しても構わないわよね。例えば――」

パチン、と指を鳴らすと美来はまぶたを僅かに持ち上げた。だが、少しだけ見える瞳はぼんやりと曇っている。

「ほら、あなたのお仲間倒してらっしゃい」

美来はゆるゆると両腕を持ち上げてなんの前触れもなく魔法を放つ。躊躇のない一発。

「うわわわっ!?」

クロが間一髪で避けていなければ今頃黒焦げになっていただろう。哄笑しながらイフはその様子を愉快そうに眺めている。

「ちょ、美来さん攻撃やめて!敵じゃないのに!」

「だめだ、ユイさん。きっとあれは操られてるだけだ。

でも死んじゃってたはずなのにあそこまで魔力が残っているものなのか?」

「馬鹿ねぇ。他の駒が武器持ちなのは魔法に不向きだからよ。代わってその子は適性能力高いじゃない?使わない手はないでしょう」

「それだけじゃありません……。死んだ人を操る術者の魔力に応じて相乗するように威力も上がりますから……」

イフの説明に苦々しげに付け加えてユヅカは試しに美来へ向かって魔法を飛ばしてみる。

ユヅカにとって、最高速で放ったはずのそれは、美来が緩慢に伸ばした右手で音も無く握りつぶされた。そして捨てるように返されたものは数倍ものパワーが込められている。

「私達に太刀打ちできる力はありません……。

完敗です。もう、私達にできる術はない……」

「そういうこと。

ほら、さっさとあの子を倒しちゃいなさい」

手のひらを払う仕草で慧へ攻撃の命令をしたイフだったが、立ち尽くす美来に若干の苛立ちを見せる。

「何やっているの?早くやっちゃいなさい」

意思のないはずなのに、美来はイフへ振り向くと、ほんの少し首を傾げてそのまま静止した。

「意味がない……? 今の彼は倒せないって?

なるほど、攻撃が通らないまで段階が進んでしまったのね……」

こめかみを抑えて納得する光景を見てユヅカ達は頭上にはてなを浮かべる。その意図を汲み取ったのか、それともただ単に無駄なことを試そうと思ったのか、美来は空に手をかざして地面へと振り下ろした。

にぶい地響きがして、慧のいる場所へ巨大な隕石が落下する。しかし、慧の頭数メートル上で水蒸気にでもなったかのように消えてしまう。

同じようにして今度は右から左に石を投げる時みたく横に右手を動かす。風を伴って斬撃に似た魔法が飛ぶが、同じ様にあとかたもなく消滅してしまう。

美来は再び首を傾げて動かなくなる。

「困ったわね……。力づくで引き離すしかないかしら。

――美来、どうにか出来る?」

イフが初めて名前を呼んだ。

誰も分からないほど小さく肩を震わせると、数ミリだけ頷く。

美来は無言のまま慧に向けて遠慮容赦のない魔法の雨あられを浴びさせる。傍から見るとそこだけ大規模な花火大会でも行われているかのように思われた。

雷光が、斬撃が、水流が、火炎が。踊り回り荒れ狂い、最早中で何が起こっているのか目視できないほど魔法が飛び交っている。

「あれでも……全くの無傷なんだろうねきっと」

ユイが漏らしたその声に、

「それどころか危険とも感じてないわ。知らないうちに彼は攻撃を退けているのだから」

無意識に返答するイフ。

――と、何かを感じたのか美来がユイ達の方をいきなり向いて、目の前に強固なバリアを作り出した。

「ちょっと美来さんどうしたの!?」

リコがそう言った途端、周囲が“溶けた”。

結界の外側にさっきまであった家々が全て無に還っている。

「嘘……なにこれ……」

絶句する一同をよそに足の一踏みで地面に魔法陣を描いた美来はさらにそれを軽く叩くと、街全体へそれを広げた。

「魔法を拒否する結界ですか……。もしかしてこの破壊現象を生み出したのも春岡さん……」

「このままじゃ埒が明かないわね……」

苦々しげにイフが言って、クロが反論しようと口を開いた瞬間。

キィィィィィッッ!

リュウの真横で金属の火花が散った。

慌てて飛び退ると、いつの間にか美来が持っていた薙刀と思われる武器と慧の短剣が鍔迫り合いを起こしていた。

「なぜ急に!?」

仲のいいはずの2人がお互い無表情で激しく武器を押し込もうと力を込め合う。

「みんな離れて!!」

瞬間的に次に起こることを悟ったイフは大音量で叫ぶ。

ユヅカをはじめ、全員が全速力で最大限2人から遠ざかる。こうなってしまえばもはや、敵味方は関係ない。

――と。

美来と慧は1度膠着状態から後退し、また接近しようとした刹那。美来は手の中の薙刀をバトンのように空中へ放り投げた。くるくると回りながら放物線の頂点に達したそれは、その場で分離して地上へ降り注いだ。それすらも慧は弾いてしまうと思われたが、いくつかは処理しきれず、腕や足に細かい切り傷を残す。

「ちょっとちょっと、あれ何やってるの……?」

「感情の消えたふたりが本気で殺しあってる……」

唖然とするユイに呆然としたクロが答える。

なおも剣を交え、金属音を響かせる双方は1秒足りとも休む暇は見せない。

しばらくその状態が続いた。

 

「というかさ、美来が慧と互角にやり合ってるのがありえないと思うんだけど。気のせい?だって今の身長98センチなよ!?」

「それ思った。多分そこも含めて能力向上してるんだね」

「あの……私達ずっと見守ってなきゃいけないんですか?

私達、どうすれば……?」

「わからないわ。2人共何も言わないんだもの」

呑気に話す4人にリコは表情を引き締めたままイフに問う。

「どうしてイフさん大人しく観覧してるんですか? いくらあの2人が云々あっても、うちらだけなら容易く消しされるでしょ」

イフはため息を小さくついてから、忌々しげに美来の方を見やる。

「どうやったのか分からないけれど美来はこの辺り一帯の魔法効果を消す術式をかけてるのよ。恐らくあの子対策なんでしょうけど……。

もちろん私だって物理攻撃は得意よ。強いて言えば魔法よりも技術はあるくらいに」

「ならなんで……」

「私はね、」

ユイが口を開きかけたが、それを遮って続ける。そこには僅かに嫌悪が浮かんでいるようにも伺える。しかし同時に悲しそうにも見えて。

「嫌いなのよ、あの子のせいで」

それきり黙り込む。何が嫌いなのか、あの子とはどちらを指しているのか、等は皆も深く追求はしなかった。

――その時、絶え間なく鳴り響いていた金属音が途切れた。5人がそれに気づいた時点で。

「美来っ!?」

『美来さんっ!?』

「夢沢っ!?」

慧と斬り結んでいたはずの美来が、その手に持った薙刀を大きく弾かれて体制を崩していた。理性を失った今、好機を逃す慧でもなく、躊躇なく大上段に振りかぶり、咄嗟に薙刀を横にしてガードした判断も虚しく武器を真っ二つに叩き割る。

反動で4メートルほども後退した美来は片膝片手をついてその勢いを殺すと、再び振り下ろされる剣を地面に転がって避けると、立ち上がりざまどこからともなく取り出した細剣で慧の剣筋を滑らせてかわす。間発入れず突き技を繰り出し、慧が反撃する間を与えない。

さすがに慧も刺突攻撃に短剣は不利と見たか、二振りのそれを投げ捨て、やや細身の直剣を手に応戦する。

「このままじゃ埒が明かないんじゃ……?」

ユイがポツリと呟いたその時だった。

2人の剣が火花を散らして滑りあった瞬間、美来が慧を蹴飛ばし、左手にも別の剣を握って突進した。

「細剣と直剣の二刀流……!?」

イフが驚きを隠さずに声を漏らす。普通に考えれば、攻撃形態があまりにも違う武器を両手に携えるなんぞ無茶の極みである。

先刻の美来と同じく仰向けに倒れる慧。咄嗟に右手の剣を上に掲げ、ブロックの体勢を作る。しかしそんなことは関係ないとばかりに美来は左手で相手の右手を押さえ込み、隙間から細剣の連撃を食らわせる。

ついに慧の体に血飛沫が舞った。

僅かに顔をしかめたように見せた彼はその身に負った傷は気にする素振りもなく、素早く起き上がる。実に10箇所以上も剣跡があった。

(……)

ふと、ユヅカはそれを目視して気づくことがあった。

(傷跡……急所を外している……?)

これほどまで怪我をすれば、どこか1つくらい致命傷になりうるものがあるはずだ。しかし、心臓や臓器には一切それがなく、絶妙にかわされているのだ。

(そんなはずないのに……)

意識がないというのにこんな事が有り得るのか。もし死んでないとしても、ここまで完璧に剣撃を操れるものなのか。

考えても仕方がないので、ユヅカは思考を切り替える。

(いや、急所を外していたとしても出血だけはどうにもならないはずです……)

別の角度から考察に入ろうとしたその時だった。

なんの感情すら浮かべていなかった美来が少しばかり目を見開き、剣を放ってユヅカ達の方へ両手を向けたのだ。

「美来……!?」

イフでさえも突然の出来事に対処できない。5人は抗うことも出来ずに、強制的に転移された。

 

 

 

 




宿題やらねば……


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第8章 今を生きる過去に囚われし者

いいタイトルがわからない


刹那、5人はどこかの部屋の中にいた。

「ここは……」

「私の家。仕方ないわね……適当に座ってて」

広めのリビングに立ち尽くして、リコが小声で言うと、イフはため息をついて返答した。

「まじで!?なんで美来はあんたの家なんか知ってて……」

「使い魔状態では、術者とリンクする特定の回路があるから、そこからひきだしたんでしょう」

さらりと返答して、踵を返す。確かに部屋の中には大きなソファがあったが。

「どうして優しくするんだ……?」

何気なくクロが発した質問にピクリと肩を震わせて視線を彷徨わせた後、顔を背ける。

「望んだ戦争なんてないわ」

リュウが何か言いたげに口を開いたが、イフが首を振ったので、そのままつぐんだ。

「どうせ今戻っても、出来ることはひとつもないし、しばらくここにいるのが賢明だと思う。好きに使って」

そうして奥の部屋へと消える。

残された4人は顔を見合わせると、そっと腰掛けた。

しばらく誰も何も言わなかったが、

「イフさん、ほんとは悪い人じゃなさそうだよね」

ユイの言葉に一同頷く。リコは形容しがたい表情のままイフが出ていったドアを見る。

「あれほど好戦的だったのに、急にしおらしくなっちゃったみたいな……慧があんな風になってからおかしい気がする。絶対何かあるんじゃないかな……」

「でもそれが分からないし、わかった所で俺らが出来ることは無いだろ?俺らがあの中に飛び込んだら美来さんか慧に切り刻まれるか魔法でぶちのめされるかの2択だって」

再びの沈黙が訪れたが、ユヅカの独り言が空気を震わせる。

「美来さん1人で向こうに残ってるんでしょうか……。私たちだけここに転移させて……。

私、美来さんが飛ばす前に何か気づいたように見えたんです。上手くは言えないんですけど」

「なーんも読み取れないほど無表情だったのに急だったよな。剣も投げ捨ててさ」

「危険なことが起ころうとしていた……?

だとしたら無事なのか?」

誰も答えることが出来ず、一同は口を閉ざす。

数分後、カチャリとドアノブが回る音がしてイフが戻ってきた。

「皆して陰気臭い顔してるわね。何かあったの?」

「いえ……美来さんがあれほど急に転移させたほどの事態って何だったのかと思って。しかもまだ帰ってきてないなんて……」

ユヅカが俯きながら言うと意外なことにイフも考え込むように腕を組んだ。

「危険が迫ってたことに変わりはないでしょうけど、それなら一緒に転移してもいいはずなのよね。いくら慧が無茶苦茶でも今の彼女なら結界で封じ込めることくらい容易いだろうから……」

「じゃあ慧を置いていけなかった?」

「それはないわ。死んだと言ったでしょう?そこまでの思考能力は持ち合わせていないし私が命令してないことは受け入れないからそんな行動力はない」

はい、と手を挙げてクロが発言許可を求める。イフが視線で促すとでもさぁ……と話し出す。

「俺らを殺そうと一度攻撃までしたのにどうして助けてくれたんだ?そのまま置き去りにすればよかったんじゃ……」

「『利益のない殺傷はするな』と私は彼女に言ったわ。あの時点で、あくまで警告であなた達を殺すことは考えていなかった……と思えるのだけど確証はないか――」

ふいに話をやめ、天井を見上げると小さく首を傾げる。

「なんか降ってくるわね……」

理解が及ばずぽかんとする5人。つられて上を見るが何も読み取ることは出来ず、

「いやいや何がおちてくるって……」

「無理矢理切り離したのね。全く無茶すること……」

「え!?まさか降ってきてるのって――」

バリバリバリィッッと雷がすぐ側に落ちるような轟音を響かせて、その何か、が家の横に落下した。

イフがどこか呆れた笑みを浮かべてリビングの窓を開ける。庭の花壇に埋もれるように人間が――美来が突き刺さっていた。周囲1メートルほどはクレーターのように穴があいている。

「美来さんっ!」

「大丈夫、生きてるしこう見えて無事だわ」

すぽん、と音がしそうなほど軽々と穴から美来を救出するイフ。顔を土だらけにしながらも、真顔で足を掴まれながらぶら下がり、自分を見つめる視線を気にもしなかった。

 

 

「まぁ……とりあえずご飯でも食べながら美来の話は聞きましょうか」

埃まみれの美来を無理矢理風呂に入らせて、当の本人は椅子に座って何もせずに虚ろな目で宙を見ていた。

「喋らないのにどうやって……?」

「これでも死霊使い、死者の声の一つや二つ聞けるってもんよ。まぁ魔法使いの魂って読み取りにくくはあるのだけれど。

美来、適当にあるものでご飯人数分作ってくれる?」

首を縦に振って立ち上がり、リビングに隣接するキッチンへ移動する。リビングダイニングのため、手元まではみえないが、どこかに勝手に行ってしまう心配はなさそうだ。

「というか……俺らここまでイフさんのお家でお世話になっていいのか…?敵対してるんじゃ……」

リュウの戸惑った声に苦笑してから、

「私が望まないことは決してやらない。あの子が望まないことも絶対にしない。

私が昔尊敬していた人を今も信じたいから、今は何もしないわ。危害を加えないこと、約束する」

「あの……子……?」

「昔の話よ」

寂しそうに笑って、庭に視線を向けた。

「私がこの世界で住み始めた時、魔力もないし、武力もないしでそれはもうもやしみたいにひょろひょろだった。

1人じゃ何も出来なくて生きるのもやっと、って感じでね。

でもお金が無いとご飯も食べられないでしょう?私ができる仕事を探したけどそりゃ見つかる訳もなくて飢え死にそうなとこまでいったのよ。

そしたらたまたま通りかかった方がいてね。見ず知らずの私に食料をくれて。『住むところがないならうちに来なさい』って。大した偽善者よ……」

『…………』

ユヅカ達は静かにイフの昔話に耳を傾ける。

「その人の家で、私はたくさんのことを教えて貰った。勉強、魔法、武器の扱いはもちろん家事のこととかもね。

本当に感謝してもしきれないほど助けてもらった。

私はその人が大好きだった。

でも、たった一人の策略であっけなく死んでしまった。人間ってなんなんだろうってずっと考えてたわ。

彼――慧が狂乱したのもわかる。だって心の中では私だって荒れ狂っていたもの。

だから許す訳にもいかない。今、起こっていることは私や慧の因縁。だけど彼はそれに気付いてない。真相を知らない。だから敵対してしまっている……」

ため息をひとつして、腰をあげると、ダイニングテーブルへ足を向かわせた。

「もうそろそろご飯出来そうよ。

……変な話してごめんね」

悲しそうで辛そうな顔をして振り返ったイフを、5人はしばらく忘れることが出来なかった。

 

 

「……それで?夢沢は何作ってくれたんだ?」

クロがわざとおどけたように言うと、ユヅカが窘めるように返す。

「偉そうに言ってますけどクロは料理からっきしじゃないですか」

「へいへい」

器用に5つ、サラダを持ってきて机に置く。ユイ、リコ、イフ、クロ、リュウの順に皿を置いてキッチンへ戻る。

「あれれー?ユヅカさん忘れられてませんー?」

「……」

ふざけたクロを睨みつけるユヅカを見て、イフも不思議そうに呟く。

「ユヅカちゃん……美来に何かした?」

「まさか!何もしてませんよ?」

次に持ってきたのはオムライス。

「『卵しかいっぱいなかった』……。確かにそうね、そこは謝るわ。最近買い出しサボっていたから……」

料理が運ばれてきても、やはりユヅカの前は空のまま。

「ちょっと美来……。どうしてユヅカちゃんには出さない――」

全員が意図を汲み取れずに怪しんでいた2分間だったが。

お盆でまとめて美来が持ってきた料理を見てユヅカがあっ、と声をあげる。

みんなの前にはシーザーサラダ、オムライス、コンソメスープが並んでいたのだが。

「サラダは……ポン酢……?オムライスの上のやつってこれは和風おろしっぽいの?

どうしてユヅカのだけこんな日本食版になってるの……?」

ユイが戸惑って言ったが、その料理を見たユヅカは口元を抑えて声をわななかせた。

「美来さん……どうして、どうして覚えてるんですか……。私、1回しか言ったことないのに……。どうして……?」

「ユヅカちゃんは理由がわかるのね?」

こくり、と頷いてからユヅカは震える声で話す。

「私、小さい頃からドレッシングとかマヨネーズといったのものが食べられなかったんです。だから向こうでも醤油やポン酢、出汁といったもので味付けした料理を食べていたんです……。

オムライスもケチャップが苦手だからあまり好きじゃなかったんですけど……」

「それを配慮して作った……ってことか?」

リュウの呟きに頷いて、傍で首を傾げている美来を見る。

「美来さん……」

「『大丈夫だ、毒は入ってない』だって。ユヅカちゃん、良かったわね」

冗談めかしてイフが笑うと、ユヅカも泣き笑いのような表情で返す。

「ありがとう、美来さん。いただきます」

小さいまま、真顔のままだったが、脇に立つ美来はどこか満足そうに見えて、無言でユヅカの頭をぽんぽんと叩いたのだった。

 

「――それで?夢沢は何を話してくれるんですかい?」

「クロくん、先に言っとくけれど、私も細かいところまで読み取れる訳じゃないのよ。気持ちを汲むことが出来るかどうかだから、間違ってる場合もあるわ。相手が魔法使いなら尚更ね」

さとすようにイフが前置いて、クロはへいへいと返事をする。

「美来が正直なら簡単なのだけれど……そこまで容易にはいかないだろうから、曖昧な言葉でも許してね」

「……」

5人から見つめられても動じずに椅子に座ってイフだけを直視する美来。

「それじゃ……どうして墜落するような危ない真似をしてきたのか教えてもらえるかしら?」

「……」

美来は左手をイフに伸ばして、掌を重ねた。

「魔法を切断された形跡……?テレポートを多段妨害されたのね。無理矢理戻ってきたから時空も歪んでしまったと……」

肯定の意を表したのか、ぎゅっと一度手を握りこんでから離す。確信するように頷き、イフは質問を続ける。

「どうしてこんな戻ってくるのが遅かったの?いくら邪魔されても早く帰ってくることは可能だったはずよ」

僅かに怒りがこもる声で問うと、体を少し震わせて視線をそらした。

「慧は大したこと無かった……?じゃあ何でよ。

もう1人? ……男……高身長……魔法系統が――」

そこで愕然と目を見開き、ぽつりと一言だけを漏らす。ありえない、と。

「嘘よ、そんなはずないわ……。確かに私は……。

ねぇ、その人って――」

その先を待たずに、美来は大きく首を縦に何回も振る、という今までで一番の反応を起こす。

「……」

今度はイフが黙り込んでしまい、沈黙が辺りを満たした。もちろんユヅカ達は迂闊に口出しをしにくい状況なので、怖々と2人を伺っていた。

深呼吸を数回して自らを落ち着かせると鋭い目で再び質問。

「もう融合は?……そう。ならまだ間に合うわね。

慧は変わりないかしら? いや、そうじゃなくて本質よ。

――未確認か。流石に時間が足りないかしら……。ともかくやばい事になったわね」

ようやくイフはその場にいるユヅカらに向き直ると、切羽詰まった様子で告げる。

「時間がないわ。このままだと慧君は死ぬことになる。それだけじゃない……。美来の魂も利用されかねない」

 

 

「……死ぬ……? 利用って?」

ユイがようやくそれだけを絞り出す。

「詳しく言うとそれだけで命を狙われるから伝えられないけど、真犯人は慧君を器にして神の継承権を奪おうとしてる。それには魂……魔法使いの魂が必要なのだけれど……」

歯を食いしばり、勢いよく立ち止まる。

「話してても時間しか過ぎないわ。

ユイ、あなただけ着いてきて」

「えっ?」

「ちょっと私の部屋まで一緒に来てくれる?」

「は、はい」

なぜかイフはユイだけを指名して唐突にリビングから去る。取り残されたリコ達は意味もわからずその場で大人しくして待つのであった。

 

※ ※ ※

 

 

イフの書斎。2人がそこに入ると、無言で音漏れ・盗聴防止の魔法を多段にかけられた。ドアが音もなく閉ざされ、部屋には静寂が訪れる。

「あ、あのイフさん……?」

背を向ける部屋主に恐る恐る問いかけるユイ。そんな彼女を流し目で見た後、いつもより低いトーンで口を開く。

「……もう、隠すのはやめたらどうなの?

――団内8位『輪廻』のユイ」

「……っ!? い、イフさん!?団内ってどうい――」

「とぼけないで。私が見破れないわけない。魔法や人物看破においてはあの団の中ではトップだったのは私。

どうして他の子達とつるんでるのかは情報収集が間に合わなかったけれどこれからの戦いで私と美来だけじゃ手に負えないのは分かってるはず。

……力を貸しなさい」

「……」

ユイは何も言わない。振り返ったイフの目をじっと見つめてそらさず――。

ふいに。

「仕方……ないじゃないですか。やっとあの中から逃げ出して日本に戻れたというのにまた戻ってきてしまった。しかもなぜかあの奇怪現象に巻き込まれた人は元の世界には帰れない。

二度と、魔法なんてごめんだと思ったのに」

拳を握りしめて吐き捨てると、睨むようにイフを見上げる。

「革命の日、あれから何も進んでない自分に何が出来るっていうんですか」

イフはやれやれと首を振って、ユイにある物を放り投げる。それは、1冊の――本。表紙には「卒業記念」の文字。

「どうやって逃げたかなんてことは聞かない。でもそのページだけは、大事なんでしょう?」

唯一付箋が貼ってあった箇所を開き、ユイは反射的に息が詰まる。

「それは……」

「誰も覚えてなくても自分だけは。彼らだけは。

彼らが消えないためにわざと魔法を作ろうと言ったのはあなた。でも、魔法そのものを作らなかったのは危険な目に合わせたくなかったから。道を誤って欲しくなかったから。違う?」

いつもの丁寧さをかなぐり捨て、イフは追求する。それはまさに魔術師団所属当時の姿――『断罪』のアイファズであった。

「それに、美来は完全に忘れてる……というわけでもなさそうね。何か思い出しそう、その手前で出てこないって感じ。

多分あなたの記憶さえ解放してしまえばまだあいつに勝てるかもしれない。

気づいてるでしょうけど慧のことを奪いたいのは『沈黙』よ。あいつの高速詠唱には私も勝つのは難しい。尚更、まだ若い慧を利用しているならね。

ユイ、力を貸しなさい。私もあなたももうあのメンバーじゃない。けれどその責任なら未来永劫死ぬまでまとわり続ける。お願い、こんなところで無駄死になんてさせたくないの」

ユイへと頭を下げて懇願するイフ。それをじっと見てからユイはため息をついた。

「当時だって団内3位のイフさんが他の人に頭下げたとこなんて見たことないのに。8位までしか上がれなかった自分に逆らう権利なんてありませんよ。

そもそも知ってる通り、わたしは攻撃系のスタイルじゃないんですし、昔より落ちてますよ威力は」

「なに、問題ないわよ。そこは私と美来でなんとかして切り崩してやる。だから……“あれ”、まだやれるわね?」

「やってやりますよ。失敗なんてしたら王立魔術師団の名が泣きます」

「言うじゃない」

「もう団内上下関係ないですからね。いくら実力差があっても言いたいことは言わせてもらいます」

「ははっ、生意気ことは結構よ」

軽口を叩きあった後で、イフはユイに再び何かを投げ渡す。

「必要、でしょう?」

それは半透明の小さなキューブ。

「……!! イフさん、でもこれじゃ……」

「責任は取る。そこまで私も腕は訛ってないはずだよ。全解放、頼んだ」

ユイはそのキューブをきつく握りしめ、確かに頷いた。

 

 

戻ってきた2人を、真顔の美来はどこか悲しげに凝視していた。

「お、帰ってきた。思ったより長かったな」

「何やってたの?2人共」

リュウとリコがにこやかに迎えたが、ユイはそれに答えずに無言でソファに座り込んだ。その様子に違和感を持ったのか、ユヅカが尋ねる。

「ユイ……何を話してきたんですか?」

それに対してふるふると拒絶し、話したくない旨を伝えると、覚悟を決めたように美来のことを直視する。すると、首を傾げながらも美来が自らユイの手を握った。その行動の意味に気づいて、ユイは迷うように「いいの?」と小さく問う。

美来はもちろん何も言わない。しかし、それこそが最大の肯定の証であり――。

「お、おい何やってるんだ?その四角形は一体?」

謎のやり取りにクロが慌てたように叫ぶが、ユイは持っていたキューブを美来の手に握らせる。そして、上から迷わず右手のそれをに“魔力”をこめた。

白い光が一同の視界を埋め尽くす。

それが収まった時、リビングでは、

「なにも……なくね?」

「ユイさん、今の魔力だよね……俺ら全員魔法は使えないって言ってたのにどうして?」

特に目立った変化もなく、混乱したような声を上げるクロとリュウだったが、

「……ぁ」

僅かに声を漏らしたのはユイの手を握りしめる――

「あ……あぁ……」

「美来さん!?」

カタカタと体を震わせる美来は何やらただならぬ様子で。ユイは大きく揺れる肩をしっかりと抑えて叫ぶ。

「美来さん耐えて!お願い!自我を保たなきゃ記憶に支配されて全部忘れちゃうから!」

「あぅ……うぅ……」

苦しそうに頭を抑えてしばし呻くと、ぐったりとユイに寄りかかる。そのまま衰弱死でもしてしまいそうなほどだった。

「ユイ……美来さんに何を?」

怖がるように尋ねるユヅカにごめんなさい、と一言だけ返し、美来に視線を向ける。

「美来さん、安定した?」

「…………」

その声にゆっくり俯いていた顔を上げた瞬間、ユヅカは反射的に身構えてしまっていた。ぼんやりした目は変わらない。緩慢な動作も何も変化がない。

しかし――。

「み、美来さん……?」

そう絞り出すのがやっとなほど、ユヅカは果てしない恐怖を抱いていた。

 

 

(なんなんですか!? どうして私は怖がってるんですか?

美来さんを見ただけでどうして――)

顔を見た途端の、身も凍るような寒気。

ユヅカはどうしようもなく美来を恐れていた。完膚なきまでに気力が打ち砕かれる。

「……ユヅカ」

ふいに、美来が自分の名前を呼ぶ。ずっと、発していなかった声はどこかいつもと違くて――。

ビクリと体を震わせ、そろそろと顔を上げる。

逸らしたくなる目線を必死に維持して、

「な、なんでしょうか……?」

無理矢理に声を出す。

「怖がらせちゃったかぁ。ごめんごめん」

理由が分かっていると言わんばかりに美来は一人頷いた。

いつもと変わらないような口調なのに、その一言ですら恐れてしまう自分がとてつもなく情けなくて、だけど訳が分からなくて。

「さっきからどうしたのさ、ユヅカ……」

あまりに怖がっている仲間を見て、さすがにリュウが心配そうに言う。しかし、それに答える余裕すら今はなかった。

「み、美来さん、その、その気配って……紛うことなく……」

「やっぱそうか。だよね、ユヅカなら気づいちゃうよね」

「だって、だって!」

「言わなくていいよ。自分でそれくらいは説明できる」

きっぱりとそう言うと、ユヅカに背を向ける。

「――っ !?」

ハテナ顔の男子2人を差し置いて、リコだけが何かに気づいたように鋭く息を吸い込み、口元を押さえた。

「ほんとに…なんかわからないけど魔力の器が、違う……?」

「凄いなぁ、リコさんまで少しは感じられるとは思わなかった。リュウ達はぽかんとしてるけど無理もないか

……じゃあ、どこから話そうか?」

重苦しい雰囲気なんぞ何処吹く風だと言わんばかりなその様子に、さすがに男子陣も違和感を覚える。

「おい、夢沢一体お前は……」

「そうだね、5年半ほど前からにしようか?」

問おうとしたクロを遮り、美来は話し出す。

 

 

「5年前に革命があったっていうのはもう聞いたよね。

その当時の王立魔術師団の順位は8位がユイ、3位がイフ、2位が今から潰しに行く誰かさん、ってわけだ」

「ちょ、ちょっと待ってよ。ユイさんが8位? それってどういうこと」

「あー、そっか。まぁユイも実はれっきとした魔術師だよ。隠蔽が得意だから魔力ずっと隠してたんだね。なるべく普通の中学生に見えるように。

でも皆も不思議に思ったんじゃない? 今回の事件で私が怪我しまくった時あれほど簡単に治癒しちゃうの」

リコの質問に大したことなさげに答え、それが問題かとでも言いたげに先を促す。ずっと行動を共にしていたリコらからしてみれば相当ショックな事実だろうが、美来はそれすら意に介さない。

うぐ、と言葉に詰まったリコだったが、曖昧に頷くと、

「確かに……魔力がないならどうしてあんなことが出来るのかとは考えたけど何かユヅカから習ったのかと合点してて……」

ゆっくりと自分の考えを述べた。

「そうだね。そこまでカバーは出来ないからヒントが漏れてたんだよ。ユイも隠蔽の名が廃るんじゃない?」

「最もだよ……。平和ボケしたかな」

肩を竦めてやれやれと首を振るユイ。

それを見た美来は苦笑して、話を続ける。

「で、話題をもどすと1位は? ってなるわけだ。私の4代前のおばあちゃんはゼロ……つまり順位には関わらないから1位ではない。

じゃあ一体誰がトップなんでしょう?」

「その時は大騒ぎだったわ。今までで名前もなかった奴が急に1位の場所にくるんだもの。様々な憶測が飛び交った。理由が分かったのは発表から5日後。

定期訓練の時ね」

脇からイフが口を出す。その表情はどこか苦々しげでもあった。

「当時10歳の子が団内の中でも特に武道派だったメンバーをものの3秒で吹き飛ばした。今でもその伝説は残っているみたいです」

「それって慧のこと?」

付け加えるユイに、リュウが聞くが、それには答えずに続ける。

「イフでさえ、防御状態を維持するのがやっと。

どこからそんな人を引っ張ってきたのか。憶測が飛び交ったけれど真実を知る人は限りなく少なかった。その強さ故にいつしかその疑問は忘れ去られていった……」

「まぁそんな訳で?その子は突如団内トップに君臨したわけなんだよね。

もちろんそれだけ強いんだから革命の時も駆り出されるのは当たり前じゃん。百人力なんだから、1人で街中に放り出されたんだよ。逆に傍に他のメンバーがいたら危ないと判断されてさ。いやー、もしもの場合があったらやばいのにね」

ちっとも危なそうに見えない言い方である。

「一人……?でも慧は他の奴らと一緒だったよな」

「そうだね。慧は当時そんなに近接戦闘を主軸としてなかったから。本格的に銃以外の武器をマスターしたのは革命の後だったよ。あの一件があったから今の彼がいるんだろうさ。

で、その1位だったのが」

「――『理滅の双剣』。それが、それが美来さんですよね!? 何でですか!その時はまだ魔法を覚えてなかったはず!」

悲鳴のようなユヅカの声に頷いて、

「そうだねー。そんなコードネームだったかなぁ。陛下の入れ知恵?」

情報元すら容易に言い当てる。表情を歪めながら一言ひと言を噛み締めるように吐き出す。

「昔……ずっと前にネネのお母様に聞きました。年齢に比例しない魔力と判断力を持った、1人の魔法使いがいたという話。それと、酷似しすぎです……」

「なるほどね。完全には消去しきれてなかったのかな?

ユイはどう思う?」

「慧に忘却が偏りすぎたせいかも。ごめん。気をつける」

苦笑いを浮かべるユイにリコが戸惑うように尋ねる。

「ユイさんもメンバーって、だってずっと一緒にいたのになんで?」

「本業はこっちだったんだ。でも身を引いて、普通に学校通うようにした。それでも上手くいかなかったんだけどね……」

「いや、そもそもだ。5年前なんてお前らまだ子供だろ!? なんでそんな国家のチームに入ってる!? いくら才能があってもありえないだろ!

しかもさっきまで夢沢は、なんというか死んでた、はずだろ? どうしてこんな元通り……いや、なんとなく性格まで変わってる? 訳分からねぇよ」

糾弾するクロに、なぜか賞賛するように笑うイフ。組んでいた腕を離し、流し目で美来とユイを見る。

「2人共、自主志願だよ」

「はぁ!?」

「なんで入ろうと思ったかは忘れたなぁ。ま、気にすることないでしょ。

それに、“殺されたくらいで死なないよ”? 」

恐ろしいことをサラリといいながら、絶句するクロをよそに、美来は自慢そうな笑みをニヤリと浮かべた。

「さすがにどうやってるかは潜在特許だからばらす訳にはいかないけどさ。

あと性格だっけ? 当時はこんなんだよ。10歳なんてそんなもんだって。それが成長して今に適合したらこうなったわけ」

普段の――、つい先日までの美来なら絶対にしない、余裕たっぷりの勝気そうな顔をして、こともなげに回答する。

「それよりもあいつのとこいかなきゃでしょ?

イスタンテかぁ。私にあいつを叫ばせるだけの技量が残ってるかが勝利の分かれ目ってとこかな」

「イスタンテさん……は『沈黙』でしたっけ?どうしてその通り名に……」

「いや、あいつコミュ障なのか知らんけどとにかく喋らないんだよ。質問には答えるけど必要最低限って感じでさ。自分から声を出させたらこっちの勝ちだよ」

何がそこまでの自信をもたらすのか。

「ね、イフ。私のあれ、残ってたりする?」

「……本当は持たせたくないんだけどね。2本しかないけど」

イフが差し出したのは1本の槍と一振の細剣。

「ん、この2本があれば十分だよ。

にしてもこんな重かったっけ。やっぱ部活だけじゃ限界あるか」

くるくると槍を回転させながら感触を確かめるように何回か振り下ろす。

「美来さん……それ、なんかとてつもない禍々しさ感じるんだけど」

弱々しい声でリコが武器を怖がるように身を引く。

一般人から見るとただの槍と細剣だが、多少なりとも魔法に関わりのある者なら誰でも分かる、危ない雰囲気をそれらは持ち合わせていた。

「槍はアラドヴァルで細剣はアンサラー。アラドヴァルは水に付けておかなきゃ発火するやつでアンサラーはなんでも斬って、投げると持ち主に帰ってくるやつね」

「水につけなきゃ燃えるって、じゃあ今は……」

「ん?魔力で押さえつけてる状態だよ。なんなら戻す?」

「――止めて美来。あたしの家を消し炭にする気?」

冗談交じりに言った美来だったが、結構真剣な目でイフが牽制する。

「たまにジョークだと思ったことを実行してたりしたあなたを完全には信じられるわけないでしょう」

「あはは、あの頃は無邪気だったねー」

いつもと調子が違いすぎて、頭痛すら催してきたユヅカ。額を抑えながら感情を堪えて発言する。

「百歩譲って美来さんが『理滅』ということは理解します。ならなぜ、今になってそれを思い出すんですか。時間ないのは分かっていますが腑に落ちません」

すると、ずっと黙っていたユイが前に進み出る。これは自分が話す番だと伝えたげに。

「革命の後、美来は自ら記憶の消去を望みでたの。『もう戦うのは嫌だ』って。理由は“飽きたから”で一蹴されたけど本音がどうだったかは知らない。

だから、うちは美来から魔法に関する全ての記憶を消した。本人だけでなく、世界中の全ての人からも。

特に『時穿』には苦労させられたなぁ。反抗がひどかった」

「じせん……?」

「慧くんのこと。時を穿つ、よするに時操りだからそう呼ばれてたんだよ。順位は当時11位。でも美来と組んでた時は間違いなくイフと同レベルだったなぁ。

そんなこんなで記憶はなくなったけど、長が遺言を遺していてね。もし美来が全てを忘れたがったら、躊躇なく消してやれと。でもそれは万が一に備えて取っておくようにって。でもそれを知ってていいのはうちと看破能力の高いイフだけだって。

魔法を失った美来は学校にふつーに通って毎日を過ごしていた。けれど、ひょんなことからまた魔法を使えるようになってしまった。

それが4年前から、今日に至る経過」

一同が2分ほど黙りこくった後、リュウがなんとかして理性を保とうと声を出す。

「でもさっきユヅカが陛下に情報貰ったって言ってたよな。全員忘れてるならどうしてそんなことが」

「簡単だよ。私の記憶が戻ったってことは、皆のも同じ。存在は全てリンクして封印されたわけだから、一気に忘れていたことが思い出されただけ。だからユヅカも事前に聞いてたってことだよ」

よいしょ、と二振りの武器をどこかに仕舞って美来は踵を返す。

「そろそろいかなきゃでしょ? なんせ私達には――『私には』時間がない。

明日の昼過ぎまでに慧を奪還、イスタンテを始末する」

そう言った瞬間、室内の温度が数度下がったように体感するユヅカ達。

今までの自分たちが知る限り、決して人を殺めなかった美来が軽々しく「始末する」と言うのだ、無理もないことである。

「もう二の舞はさせない。今回で決着をつけるよ。

イフ、ユイ……『いつも通り』に」

「仕方ないわね……。仰せのままに」

「了解。訛ってるけどそこは妥協してよね? ユヅカ達は任せて」

一気に戦闘モードに入る3人。ピリピリとした雰囲気の中、

「俺ら行く意味あるのか……?」

クロが独り言のように呟く。イフがそれを目ざとく拾った。

「当たり前よ。今の美来は半端ないくらい強いけど、万能じゃない。最悪の場合が起きた時、あなた達は必要だから」

「分かったよ……。大人しくしてるから慧のこと、頼んだぞ」

息を吐き出して、だるそうに肩を落とす。

「じゃあ行こうか?」

美来は皆の呼吸が揃った瞬間を狙い、無音で空間を移動させた。




タイトルの付け方誰か教えて


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第9章 VS ―1―

やっとこさ本題中の本題の最初


転移した美来達は目の前に結界が幾重にも貼られていることに気がつく。

ただの街の一角だけバリアのせいで吹き荒れる魔法の嵐が内部に留まっている図はなんとも奇妙だったが。

「知らない間にイスタンテも腕が上がってるね。まーでもこれくらいなら」

美来は不可視のはずである結界の境界を右手で軽く弾く。すると、りぃぃぃぃん、と鈴のような音がして、シャボン玉が割れるように透明な膜が外側から壊れていく。

「せめてこれが12倍くらい強ければ本気で破らないとだけどね。イスタンテの目的は足止めだろうから出来るだけ手短に突破するよ?」

言うなり、すっと手を掲げてドームの中心部へ躊躇なく風の刃を打ち込む。土埃をもうもうと上げてはいるものの、周りの建物に被害は見えない。

「――破壊(アン)分解(ドゥ)解析(トロワ)

唐突に数を数えるような調子で目を閉じる。3秒ほどそのままでいると、何か合点がいったように頷き、細剣を取り出す。

隠蔽(ユイ)ほどじゃ、ないね」

美来の目が剣呑な輝きを帯びた刹那、剣先に水色の光が宿り、閃光のように迸る。真っ直ぐ伸びたそれはやや遠くにある建物よりの道を貫く。

「一発で突破出来ちゃったけど、さてさてどうするイスタンテ?」

認識できない瞬間移動で一見何も無い空間に話しかける。

誰も姿は、現さない。

代わりに――

「春岡さん……」

ゆるり、とふらついているようにも見える動作で物陰から慧が姿を覗かせる。しかしどう考えても正常な状態ではなく。

「うーん、まだ融合率65パーセントってとこか。操るなんて趣味悪いよ。いっそのこと殺してくれた方が助けるの楽だったんだけど」

眉を寄せて不機嫌そうに言う美来。

「じゃあ慧を倒せばそのいすた……? なんとかさんは出てくるってことか?」

「多分ね。早く終わらせなきゃ救えるものも救えない。

ユイ、結界。イフは解析よろしく。みんなはとにかくバフ専念。知る限りのやつ全部かけて。流れ弾はなるべくこっちで処理する」

いつも指令を出すのは慧の役目だった。それを美来が行っていることの違和感がどうにも拭えない一同だったが、悩むことは無用だと言わんばかりに各々が了解の意を示す。

「おっしゃ、パート1奪還戦だ。

――前から、つっこむ」

やる気に満ちた仲間に向かって頷き、瞬間眼光を鋭くさせて宣言通り、慧に真っ向から突っ込んでいった。

 

 

斬りかかる。捌く。反転、防御からの斜め斬り。目まぐるしく動く2人の剣舞を少し距離を取って見守る7人。珍しく考え込みながらイフはその様子を眺めていた。

「美来、切り込みが遅い気がする。記憶を取り戻したならもっと素早い動作が出来るのに」

「やっぱりそう思った? うちも前ほどの威力が無くなってるような感じがしてて」

時折美来が防ぎ損ねる剣圧や魔法の断片を油断なく消し去りながら、ユイも同意した。

「記憶がまだ定着していないってことはない。じゃあ一体どうして……」

疑問に思う2人に、ふと思いついたようにユヅカが口を開く。

「もしかして……能力と体力が比例してないんじゃないですか? 昔はあれくらい動いても平気だったんでしょうけど、今は部活ぐらいしかハードな運動していません。

だからそのせいで……」

「それだ。確かに美来は、トレーニングしてたからな。あれくらい戦えるように毎日。テニスじゃ限界あるもの」

苦々しげに顔をしかめ、激しい剣劇を繰り広げる美来と慧を見つめる。

「きっと本人も気づいているわね。このままじゃ不利になるのはこっちよ」

「だからといって援助するのはかえって危ないですよね。ユイさんは見た所攻撃型というより後衛っぽいし、イフさんはスタイルが全く違うから魔法がぶつかる可能性がある」

イフは関心してこの状態にも関わらず口笛を鳴らす。

「いい読みよ、リコ。その通り。私達は美来が活路を見出すまでは行動できない」

「まだ、待つことしか許されないってことですね……」

 

 

斬撃が一瞬前に居た場所を切り裂く暴風の中。

慧は無言で剣を振るう。何か考えているのかすら想像出来ない。

イフ達が言った通り、自分の体力不足を痛感し始めた美来は多少どうするかに悩んでいた。

(こんなことなら日頃もっと動いとけばなぁ。ま、過ぎたことは仕方ないとして。

慧が半秒でも我に返ってくれればなんとか)

現在慧はイスタンテに操られている、というより時空操作の根源を同じにするために取り込まれている最中である。本人の意思でそれに抗わなければ対処法は限りなく少ない。

(言葉で、どこまで通用するか……。試すか)

無駄だとわかり切っている。イスタンテは甘くない。

でも――。

「それでもそんなのぶち壊さないと気が済まないんだよ、慧っ!!」

突然の大声にほんの僅かに狼狽した様子が見えたが、それは超高速の剣閃のひとつに劣らないほどの短い時間だった。

「なんでそんな簡単に飲まれたの。イスタンテは強いよ。私だってきつい。けど、あっさり? ふざけるな。慧がそんなあっさりやられる? いくらなんでもおかしいじゃん」

もちろん、意味は届いていないだろう。けれども。

「ねぇ、覚えてる? 5年前の革命よりも前の出来事――」

 

 

「ばーちゃん、新しいやつ来るってほんと?」

「ほんとだよ。あんたと同い年の女の子。実を言うとあたしの血族なんだけれどね」

「けつぞく……って家族ってことか」

「そうだね。あの子の親じゃもう手に負えないほど強くなってしまってね。あんたとも気が合うはずだよ。

でも魔法系統が違うから喧嘩はしちゃいけないよ?」

「ひどいや、俺そこまで乱暴じゃない」

物陰から私は2人の会話を聞いていた。

急に家から連れ出されて、何かと思えば異世界であばあちゃんのおばあちゃんのおばあちゃん……4つ分前のおばあちゃんと一緒に過ごすって。

『遊べる子はいる?』

『1人だけ、相手にしてくれそうな男の子はいるよ』

今までは遊んでくれる人がいなかった。おばあちゃんが言うことには、「魔力が強すぎて周りの子にも影響を与えているから」らしい。

「ほら、そこに隠れてないで出ておいで」

おばあちゃんが私を呼ぶ。おっかなびっくり壁から顔だけ出して様子を伺った。おばあちゃんはにこにこして手招きをしている。隣に立つ男の子は興味津々でこっちを見ていた。

「早く来いよ。 えっと……名前は……」

「……みく。美来だよ!」

名前を聞いてくる男の子に私は安堵して、2人のそばへ寄って行った……。

 

 

「慧、次のやつ!」

「それ!!」

暇があれば2人で戦いの練習をした。慧はまだ近接戦闘は慣れていなくて私がしばらくは担当していた。

「慧ってなんで銃使ってるの? えっと、ろーでぃんぐ……めんどくさくないの?」

「ん?慣れれば全然だよ。一発で死ぬぞ」

「し――!?

で、でも私だったら外しちゃうだろうなぁ。あ、じゃあ魔法狙撃教えてよ! それなら出来るかも」

「いいけど……。代わりに魔法の改変やってくれる? イマイチ俺と本来の術が噛み合わなくてさ……」

「おっけい! それじゃあと10分だけやっていこ!」

 

 

毎日毎日遊びと称して訓練して、周りは大人だらけだったから余計2人でいる時間は増えていって。

相棒として行動することも多くなり、時には任務を請け負って。たまに望まない仕事もやったりして。魔術師団に時折回ってくる罪人の暗殺を拒まずにこなしていた慧が嫌になったことは何回かあったけれど。

切磋琢磨しながら頑張った。

だけど、革命が起きた。

「慧、暴れちゃった時私離れたところで任務こなしてた。おばあちゃんが死んだって言われてすごく悔しかった。

慧が自暴自棄になったの、止められなくて。

後日ひたすら練習してる慧に声、かけられなかったの。

強くなる、強くなるってただそれだけを求めていて。

私、その後何かで魔法を忘れたくなった。何でだろうね、あれほど辛いことも楽しいこともあった魔法をあっさり忘れたいと思うことって何だろう?

でもさ、慧強くなってた。私が止まっている間に。

ねぇ、思い出してよ。そんなイスタンテごときにやられるような相棒じゃなかったはずだよ。

だから――」

美来は細剣を右後方に引き絞る。

「ここからは、滅私」

切なそうだった表情を一変、眼光鋭く慧へ斬り込む。今までよりいっそう速く、不規則に。そこに迷いや陰りは一切ない。

「う、嘘……。あれほど体力消耗しておいてまだここまでやれるって、どういうこと……」

「いくら昔の記憶を呼び覚ましたといってこんな凄まじい剣技は持っていなかったはず。おかしいわ、こんなの」

かつての美来を知っているユイとイフは戸惑いを隠せずにいた。そんな2人に不思議そうな顔でリュウが尋ねる。

「でもありえないってことはないんじゃないのか? 今まで手を抜いてたわけではないだろうけど無茶苦茶なあいつのことなら……」

「無茶苦茶だからこそ、よ」

眉をひそめてイフは解析の手を止めずに視線をリュウに向ける。

「体力的にもうそろそろ限界がきてもおかしくない。魔法でブーストしたとしてもあそこまでの動きは出来ないの。

それに……美来は昔、あそこまで剣を操る能力はなかったわ。そこそこ強くなった慧の攻撃を捌ききれるギリギリ程度。けれど今は……」

「――思いは人を強くするってやつですかね」

リコがぽつりと呟く。非現実的な独り言だが、皆ハッとしたように顔を上げる。その反応に、自分が言ったことが原因だと数秒後に気づいたリコはバツが悪そうに首を振った。

「だってそうとしか言えない気がしません? 『ここからは、滅私』って全員聞いたはずです。こっちには美来さんの意図は分からないけど春岡を倒すか……はたまた別の手段を使えばなんとか出来るってことに取ることも可能ですよね」

「そうですね……。でも、美来さんについて書かれたネネのお母さんの日記、他にも何か書いてあったような……」

必死に思い出そうと目をつぶって考え込んでいるユヅカ。

「陛下は魔術師団の方々の特性を知っておこうと、その最大機密を全てしたためておいたんです。それを1度だけ読ませてもらって、だけど美来さんのことだけが霞みがかったように思い出せないんです。確かに本名は載っていませんでした。けれど『理滅』はあった……。

だめですね、やっぱり思い出せません」

「もしかしたら美来自身が思い出してないからかもね。その影響でユヅカもわからない。ただ単純に覚えてないだけかもだけど」

一同が悩む間にも剣閃がぶつかり合う音は絶えず、時折魔法の飛び交う光や風が視界を染めた。

そんな中、イフだけは何か思い詰めたように美来を見つめていた。

 

 

(美来が得意としていた戦術はなんだった? 魔法を使った中距離戦闘、近接したら細剣に魔力を纏わせて放つ戦法。

でもそれは通常時。強い奴に当たった時、何をしていた? 広範囲殲滅は十八番ではあったけど乱用はしていない……)

イフはひたすら思考を続けていた。イスタンテが使用している魔法は思った通り幾重にもトラップや偽装が見られ、この手の仕事が得意分野であるイフも解析すら容易ではない。

頭の奥底に眠っていた過去の記憶――自分が団に所属していた当時の感覚を蘇らせながらひたすらルーンや幾何学模様の組み合わせを羅列・分析していた。

(そういえば――)

前にもあったはずだ。今この状況に似た事件が。魔界の人物が関係していた立てこもり爆弾テロ。

犯人は3人。いずれも黒魔術に長けていて、うち1人は魔法陣がやたらめったら細かくてイフでさえ手間取ったので、印象に残っている6日間の長期戦。

(あれは……普段出撃しない美来も出てたわね)

人殺しを嫌い、断固として暗殺関係の任務は受けなかった美来。しかし、この時は犯人を発見次第抹殺との命令が出ていた。

(けれど奴らは思ったより上手(うわて)で……。頭の硬いあたし達じゃ歯が立たなくて仕方なく美来を引っ張り出した。

確かにあいつらは死んだ。なら、きっと殺ったのは美来。その方法が――)

わからない。思い出そうとすると先程ユヅカが言ったように霧がかかってしまったかの如く思考が停止してしまうのだ。

なぜそれが先程から気になってしまうのか。暗示か、予知か、はたまたそれ以外か。

(だめよ、今は一刻も早く慧にかけられた魔法を解読しなきゃ。これは美来より得意だし、美来もあたしが終わらなきゃ策を練れない)

――と、その時。

「イフさん横っ!!」

ユヅカの声で我に返り、本能的に後ろへ身をそらす。目の前の空を切って飛んできたのは美来の長槍だった。刀身は3分の1ほど地面に突き刺さっている。

「なんでこれを……」

冷や汗を流しながら呟いて、自ら気付く。この槍から微かに魔力が感じられたのだ。

(もしかして――)

イフは勢いよく槍を引き抜くと、一心不乱に魔法陣の中心を探し始める。

その様子に気づいたのか、慧がこちらへと銃の先端を向けた。もちろん美来の相手をしながら、である。

「相手は私だけだ……っ!!」

叫びながら慧の長剣を払った動きで銃口を上に向かせる。刹那走った弾道が、空へ虚しく消えていった。

「ざっけんな! 銃なんて物騒な物持ってるんじゃないの!」

この発言ばかりは見守るユヅカ達も心の中でツッコミを入れているだろう。物騒なのはどっちだ、と。

しかしイフはそんな余裕が無い。美来が手を貸してくる、ということは時間の猶予がないという裏返し。急がないといけないのだ。

慧はそんなイフの心境を知っているのか知らないのか、ただ妨害しようと試みる。そんな彼を既のところで毎回防ぎきる美来。一瞬だけ交わした目線で、自分が考えたことは間違いではないと確信する。

「ユイ、一瞬でいい。あたしの周り半径80センチの魔法効力を全て無くして!」

「!? 分かった、カウント3、2、1――!」

イフの呼び声に即座に反応し、間発入れず要求通りの効果を生み出す。

イスタンテの結界、美来の魔法余波、ユイの防御、はたまた空気中の微量な魔力から阻害され、自分の周囲だけが外界から切り離される感覚に陥る。

(美来が槍を放ったのはあたしの近くに魔法陣の中心があるから。そこから流れる粒子の流れ……確証がなくてもやるしかない)

視認出来ない魔力の渦を読み取るのは困難を極める。だからこそ客観的な立場からそれを注視しようとした。

丁度そのタイミングで、

「せいやぁぁぁぁっ!!」

美来が細剣を地面に突き刺す。剣先から地中に向かって放射状に電撃が伸びる。その一瞬の空間の乱れが――。

「――! そこっ!」

周囲のほとんど魔力は電撃とは反対に美来に吸い込まれる。それに逆らうようにして動く微粒子を、イフは僅かに捉えた。

意識で情報を共有し、美来は細剣の抜きざまに慧を柄で殴りつける。もちろんその程度で動きが止まる慧ではないが、柄から再度迸った紫電がその体を硬直させる。

慧が立ち上がった2秒は、十分すぎる時間だった。

美来は再び槍投げの要領で細剣をイフが導き出した座標へ正確に投擲。音もなく刺さった剣がフラッシュし、一同の視界を焼いた。

 

 

光が収まったと同時に、美来の後方でどさり、と慧が倒れ伏す。それはまるで糸の切れた操り人形のようであった。

剣が突き刺さった位置を真ん中に、焼け焦げた魔法陣が現れていた。

「これは……特殊加工されてる。ここまでして慧の力を奪いたかったのか。

てことは今度こそ出てくるよね」

魔法陣を解析するのを放棄し、石畳に埋まった刀身を抜いて、 より厳しい表情を浮かべると辺りを見渡す。直後、ゆらりと緩慢な予備動作で足を踏み出して、躊躇なく慧へと突進する。その時間僅か1秒弱。

「――ふっ!」

倒れて動かない慧を的にするのはあまりにも簡単すぎて。美来は細剣を迷わずに突き刺した。それに合わせて剣から魔力が流れる。

「これで……大丈夫なはず。とりあえずは戻ったね。

問題はイスタンテ、あんただけだよ」

気絶したままの慧を一瞥して、駆け寄ってきたユヅカに後を任せる。

居場所の見当がつかない相手を伺いながら、美来は油断なく細剣を構える。

「――全く、可愛げがないな」

すると、どこからともなく呆れた声が聞こえた。場所は分からずとも、それが誰なのかは明確である。

「珍しくそっちから喋るなんて驚きだけどね。なぜ口を出した?」

微動だにしないまま、美来は虚空へ話しかける。

「察している通りだ」

最早見る影もない街の一角が滲んで、声の主が姿を見せる。長身の黒髪に紺色のローブにも似た洋風の服。

かつてと変わらないその出で立ち。

「イスタンテ……!」

嫌悪を隠さずにイフがその名を呼ぶ。それには目もくれず、彼は美来を真っ向から見つめる。

「確かに姿を隠した状態で私を攻撃したところで逆探知されて意味が無い。ならその隠蔽する分の魔力は他に回した方がいいと、そういうことでしょ。

でもそんなことはどうでもいい」

無表情に激しい怒りを宿しながら彼を睨みつける。ピタリ、と剣先を向けて感情を押し殺した声を漏らす。

「慧を奪おうとした罪、償ってもらうよ」

「……やれるものなら」

これ以上話すことはないと言わんばかりに、双方は魔法を発動させた。

 

 

「……轟け」

「――笑止っ!」

風が荒れ狂い、雷鳴が辺りを揺らし、迸る水流が地形を歪ませる。美来とイスタンテの技量は同じという訳では無い。単純に威力でいえば美来が圧倒的に勝っている。それなのにイスタンテが攻撃を捌ききれているのは経験の差。対人戦をあまりやらなかった美来にはない、歴戦の感覚と戦術の読み合いである。

搦め手、フェイント、ハッタリ――。それらを駆使しながら紙一重で凌いでいる。もちろん美来も分かっている。自分の魔力が切れれば一気に押し込められることくらいは。

イスタンテの得意とする魔法系統は水。

普通、水に有利な属性といえば地・土などがあるが、美来が引き起こす無茶苦茶な地形操作とは相性が悪い。魔力が強すぎる故に天変地異を起こしてしまうのだ。

一瞬の気の緩みすら許さない極限状態で、先に先手を打ったのはイスタンテだった。

「下か」

地中を這うようにして伸びた電撃を足の踏みつけひとつで相殺すると、予め用意していたらしい魔法陣を起動させる。

「――焼尽よ」

瞬く間に火の海になる一帯。たいしたことのないように見える炎だが、

「瘴気……なるほど」

魔術師にとって、瘴気とは魔力を奪われる鬱陶しいだけの影である。生命のとしての形は持たないが、魔力が強ければ強いほど影響を受けやすい。

「お前の魔力が余程のことが無ければ尽きないということ、忘れた訳ではあるまい。

なら奪い取るまでだ」

瘴気は相手取れば厄介だが、味方につけることが出来れば自らに奪った魔力を行使することが可能な面を持つ。多少時間がかかるとしても、膨大な力を持つ者に対しては有効な手だ。

「舐めないで」

キッと睨みをきかせると、身体能力をブーストさせてバックステップ。4キロ離れた魔法陣の外へ抜け出す。

「不思議ね……。イスタンテなら出てしまえば効果がないことくらい分かってるでしょうに」

外から見守るイフも首を傾げて呟く。このような特殊魔法は何らかの制限が必ず付随する。この場合、円の中にいなければ影響を受けることは無い。

「ふん……十分だ」

変化ひとつ見せずに鼻で笑うと、手を地面に向けた。直後、地震のような揺れが一同を襲う。

途端、僅かに浮き上がり始める各々の体。

地殻操作(ガイアフォーミング)っ!?」

信じられない、と言わんばかりに目を見開いて美来は叫ぶ。

「ちょっ、これどうなってるんだ!? 俺ら浮いてるぞ!」

「無重力に近づいてる……。まさか、地殻操作(ガイアフォーミング)って――」

「ダメぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」

何かに気付いたユイの言葉を遮るようにして絶叫する美来。

「ふざけるな戻れぇぇーーーっ!!」

どんどん遠ざかる地表に縫い付けるように自身に重力をかけ、細剣を深く、深く地面に刺し穿つ。

「間に合ってっ……」

ユイが辺りに防御をより強く張りながら祈る。困惑しているユヅカ達はまだ状況を理解していない。

「美来、あと7秒しかない!」

イフも声を張り上げて何かのカウントダウンを拒む。

「くぅ――」

細剣に全魔力を注ぎ込みながら苦悶の表情を浮かべる。

「……」

イスタンテは不快そうに眉根を寄せ、美来の魔法を阻止しようと試みる。そこに立ちはだかったのは、

「じゃま、すんな……っ」

未だ倒れたまま回復には程遠い慧であった。空間を歪ませることにより、魔力の放出を防いでいる。

「止めて春岡くん! そのままじゃ一生時空操作が使い物にならなくなるかもしれないんだよ!」

悲鳴のようなユイの声に、苦しそうに笑みを零す。

「ここで、使わなきゃ……何になるってんだ。やりたい時に、やらせろ……」

「……」

痛ましそうに慧を見、言いたいことを我慢して唇を噛み締める。

「はぁ……はぁ……」

イフの言った7秒は過ぎ、周囲は何も起こらない。

「間に合った」

流石に疲れた様子で美来がイフ達に力のないピースサインを送る。それを見てイフとユイは大きなため息をついた。

「おいおい、一体何が?」

「あいつは今、マントルを消そうとしたのよ」

「地殻の下にあるマントル?」

「そう。それがなくなると、地球は無重力状態に陥り、地球としての形を保てなくなる。この意味が分かるわね」

「全生物の滅亡……?」

リコの答えに頷いて、冷や汗を拭う。

「よくあんなに早く分かったわね……。地殻操作なんていくつ種類があるか不明なのに」

「まぁ念の為いくつかの魔法系統には予防線貼ってたからね。功を奏したよ……」

イフの言葉が聞こえたのか、少しばかり顔を曇らせて美来は言う。

そう、これほどの地形操作を無理やり短時間で防ごうものなら――

「お前の魔力はかなり失われただろう」

そうなのだ。いくらなんでも非効率的な方法で回避したため、魔力は通常の数倍使用されている。

「ははは……こればかりはどうしようもないね」

苦笑しながら細剣をしまう美来。

「まずいわ。美来が剣をしまったということは、かなり無茶な妨害をしたわね」

「そうですね……。美来さんにとってあの細剣は近接で戦うだけの武器ではない。魔法使いの杖のような要領を持つ魔道具……。大きな魔法はしばらく使えないということですから」

事の重大さがようやくわかったユヅカ達。

「そんな……。突破口はあるんですか?」

「ない、とは言えないのよユヅカちゃん。ただし、美来が“アレ”を覚えていなければの話だけど」

意味深なイフにユイですら首を傾げる。いくら同じ団にいたとしても、全員が知る情報ではないらしい。

「問題はイスタンテの出方次第ってのもあるわ。今の2人では、普通に戦えばイスタンテが有利。そこで美来が――」

「イフさん!!」

ふと、美来の方に何気なく視線を向けたリュウが大声を出す。素早くそちらに目をよこすと。

「なっ……。あいつそこまでして!?」

イスタンテが周りの状況を厭わず、手当り次第破滅の呪文を飛ばしていたのだ。それをかろうじて美来が防ぐ、防ぐ。

毒、モンスター、原子操作、4元素。

ありとあらゆる手段で攻め立てる。大半の魔力を奪われた美来は残りを計算しながら魔法を放たなくてはならない。

慧は再び気絶してしまったため、戦力に加えることは不可能だ。

「どうしてこれほど地球を滅ぼそうとするんですか。正気じゃありません。こんなの……こんなの……!」

拳を震わせてユヅカが呻く。何も出来ない悔しさと無力感で胸がいっぱいのようだ。

このままではジリ貧である。

イフはなんとなく悪い予感がしていた。

(これじゃあたし達全員死ぬわ。いいえ、この世界全体がゼロに戻る。イスタンテは死にたがっている?そんなわけないわよね……。いえ、そもそもイスタンテはここまで強かったかしら? いくら2位だったとしても、あたしとここまでの差はなかったはずよ)

ならばなぜ、これほどの力をつけたのか。考えれば考えるほど思考が進まず、頭がクラクラしてくる。

(美来……)

かつての同僚へ心配そうな目を送るイフ。自分たちに出来ることが少ない状況は、無力さを増大させていた。

 




新聞読まなきゃ…思うけど読まないこの頃


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第10章 イフと慧の葛藤

ちょっと一息


そして長いようで短い3分間が過ぎる。

魔法の応酬はなおも続くかと思われたが。

「……」

ほんの少しだけ、誰も気が付かない程数ミリ、眉をピクリと動かしたイスタンテが、切り上げだと言わんばかりに目の前に壁を作り、砂煙を巻き上げて忽然と姿を消したのだ。

「あいつどこにっ!?」

「わからない。とりあえずありがたいけど」

風で即座に砂埃を払うと、納得がいかないのか、どこか考え込みながらため息をつく。確かにあのまま押し切れば、長期戦になるとはいえ美来を仕留められたはずなのだ。

「何かあるね。それの準備か……はたまた既に始まっているか……。

ともかく魔力回復しとかなきゃ。あとは慧だけど」

地面に伏せたままの慧の元へ歩み寄り、しゃがみこんで背中に手をかざす。太陽のような柔らかい光が慧を包み、外傷を癒していく。

「治癒はユイの方が得意だけどこれくらいなら私でも治療できるからね。

――起きられる?」

「……最悪の気分」

美来の質問はスルーして、顔を突っ伏したまま答えが返ってきた。その様子に呆れたのか、やれやれと首を振ってイフとユイに体を向ける。

「みんなのこと守ってくれてありがと。流石にそこまで魔力回せなくて。ちょっとしんどかった」

「まぁ別にこれくらいはいいけれど。ただあいつが1度逃げたとなるとなんらかの対策はしなきゃいけないわね」

「でも今のあいつの情報誰も知らないですし。いくら美来さんが回復しても奥の手があったら万が一ってのもあるよね」

「……ちょ、誰か起こして……」

うつ伏せで動かなかった――否、動けなかった慧が苦しそうに呻く。イフが軽々と仰向けにしてから背中を支えて上半身を起こしてやった。

「さんきゅイフ。

――で、イスタンテの戦闘能力だっけ? 戦略性だけなら圧倒的に不利だよ。采配する力で勝てる奴はいないな」

当たり前のようにイフとイスタンテの名前を口にしながら、きっぱりと言い切る慧。

「あのさ……やっぱ記憶戻ってる?」

ユイが恐る恐る聞くと、頭を押さえて眉間に皺をよせながら、

「あぁ……すっげぇ頭痛がする。お前無理やり封じただろこれ……気持ち悪ぃ」

心底気だるげに吐き捨てる。

「だってあの時の反抗っぷりすごかったから……。そうでもしないと――」

「わーかってるって。そこは認めるっての。

にしてもマジで頭いてーわ。なんか自分が嫌になる」

ため息をついてがくりと項垂れる。

「んー、慧の頭痛は100%私のせいだと思うからつっこみはしないけど。

でもそうなんだよね、イスタンテに戦略で勝つ術は私達にはない気がする」

美来までそう言い出す始末である。今いる面子からすると一般人なリコ達ですら、危機的状況であることを否応なしに理解出来た。

 

 

一方ユヅカはイフのことを呼ぶと、何やら耳打ちしている。美来はそれに気が付いていたが、盗み聞きをするほどではなさそうなので知らないふりをしていた。

(あの、一つ思い出したんですけど。ネネのお母さんの日記に、もう一個美来さんの魔法について書かれていたページがあったんです。

確か革命の後2ヶ月後くらいで……。珍しく字が乱れていて、文脈も合っていないのでなんとなく頭に残っているんですけど)

(2ヶ月……。それはもしかして美来も入っていた別の事件のことかしら。団員総出だった鎮圧事件……)

(は、はい。確かに鎮圧って文字があった気がします。そこに美来さんが最終的な終止符を打ったと……)

ユヅカの言葉に目を見開き、一瞬言葉に詰まるイフ。

「イフさん?」

「なんでも、ないわ。それよりその事件のことは誰にも言わないで。これはお願いよ。もう二度と……いや、これはフラグに成りかねないわね。

とりあえず言語道断ってことで。いい?」

「わかりました……」

隣でひそひそ話をする2人を見ていた慧はどこか表情を曇らせていた。

 

 

――夜。

イフの家に戻った一同は休めるうちにと早々にベッドに入っていた。しかし慧は一人庭に出て、今は枯葉1つ残っていない桜の木に登っていた。空は雲が多く浮かんでいたが、月が明るいので辛うじて足元くらいは見える光を放っている。

木の幹に座り、片膝だけを抱えてどこか遠くを見つめている。

「考えすぎか……」

ポツリと零した独り言は自分に対する嫌悪か。

「いや、でもやっぱりおかしいよな」

顔を手で覆いながら尚も何かを考え込む。

慧が悩んでいること――それは先程まで忘れていた美来の過去のことである。彼は時間を自由に操れるが故に、誰かが時間を操作してもその事象には左右されない体質持ちである。それは記憶の領域まで含められ、例え美来本人や他の人が全員忘れていたとしても、慧だけは覚えているはずなのだ。

(でもあの状況だと覚えていそうだったのは……)

「イスタンテ……」

確証はない。証拠もない。しかし、あの頃の記憶だけではここまで大掛かりな事件は起こさない気がした。昔のイスタンテは少なくともそうだった。

「わかんねー。まじわかんねーよ」

「何か分からないって?」

「うりゃあ!?」

急に同じくらいの高さから聞こえた声に足を滑らせる慧。慌ててバランスを取って深く息を吐いた。

「驚かせるなよイフ……心臓に悪い」

2回のベランダからイフが彼を見上げていた。

「だっていつまでたっても中に入ってくる気配がなかったからこうして様子を見に来たんじゃない。慧も完全回復してないんだから早く休みなさいよ?」

「余計なお世話だよ……」

まるでお母さんのような言い方に苦笑して、再びため息。

「なぁ、イフは覚えてるか? 美来が記憶消したいって言った時のこと」

「忘れられるわけないわ。昼間、ユヅカに聞かれて久しぶりに……言葉が悪いけど胸糞悪い思いしたわ。覚えていたくもないわよあんなの……」

即答するイフの口調はあくまで嫌悪しているようだったが、そこから滲み出る痛ましさは隠しようがなかった。

「何があったんだ? イフは覚えているのにどうして俺は何も思い出せない? 普通ありえないはずだろ」

言及する慧に、ほんの少しだけ泣きそうな顔を見せる。少しためらった後、肩を落として白状する。

「それは……慧が一番厳重に忘却魔法をかけられているからよ。最も思い出してしまったら美来が悲しんで、罪悪感で潰されそうになる――それが慧、あなたなの」

目を背けて、辛そうにそう告げるイフ。

「それを……あいつは――美来は覚えているのか?」

「わかっていて聞いてるわね。

もちろん覚えていないわ。忘れてる。だってまだ記憶にあれば、絶対にあなたにだけは会おうとしないもの」

「そこまで言っておきながら教えてはくれないんだろうなってのはわかってるさ。でもどうしてあいつも忘れていることをイフは……」

「本人の記憶も消そうとしたんだけど、感情が大きすぎて処理出来なかったの。だから美来のその思いごと私の中に封じ込めてあるわ。だから分かるの……どれほど辛かったのか。後悔しているのか」

忘れさせようと努力しても、忘れられない。記憶が個人にどれだけ定着するかはその時の思いの強さによって変化してしまう。人が忘れたい出来事ほど忘れられないのと根本的には同じ原理である。

「もし、美来が思い出したら……?」

「また、同じことが起こってしまうでしょうね。

いくらあたしの中に封じたと言っても導線は繋がっているからどこで起爆するか誰も分からないのよ」

慧には分からない。美来が何をしでかしたのか。

慧は覚えていない。イフがどうしてここまで辛そうなのか。

だから、

「分かったよ……もう何も聞かないからさ」

それらを汲み取って引き下がるしかなかった。

でも、とイフが躊躇いがちに口を開く。

「美来の記憶を封じたのは本当は彼女の願いではなかったの。あの時美来は壊れてしまった。あたしが無理に封じたから。

……もし、もし美来に耐えきれないほどの感情の高ぶりがあったら、その時は制御が出来ないかもしれない」

「……立派なフラグ立てやがったな……」

「昔から美来のお決まりだったでしょう。そんな気がしてならないのよ。明日か明後日か、イスタンテが次に来た時何か起こってしまうって。美来がまた壊れてしまう何かがあるんじゃないかって」

「……」

「だからお願い。もしもの時は慧が美来を止めてあげて。

忘れないで。“昔は逆だった”。今度は慧の版よ」

黙りこくる慧におやすみ、と声をかけてイフは部屋の中に戻った。

膝を抱えたままイフの言葉の意味を考えようとして、

「――くそっ」

絡みつくような頭痛に再度襲われ、髪の毛を掻きむしる。

先程からこれなのだ。美来の昔を思い出そうとする度にズキリと頭の芯が痛み、思考を停止させる。

(一体何なんだ……)

何故か焦りが募り、強い寂寥感ばかりが残っている。

(美来……お前って奴は……)

きっと明日、イスタンテが自分達の前に現れる。その時に何が出来るのか。

作戦はなく、弱点も付けない。手の内が知れているイスタンテにどれくらい攻撃が通じるのか――。

(詰んでる。完全に逃げ道なしか……)

突破口が見つからないうちに敵は攻めてくる。それに対応して何かチャンスを探すしかない。刹那の間に戦況が変わる中、果たしてそれが出来るだろうか?

「あいつなら、なんとかしてみせるだろうな……」

ひらりと木から飛び下りて、音を立てずに庭に着地する。

家の中へ歩みを進める途中で慧は僅かに関与できる美来の魔法領域に意識を飛ばす。

昔、2人でコンビを組んであの(・・)組織に所属していた時、相手のピンチがもし訪れた場合――そんな時は1度も無かったが――それを知らせる対処法として繋いだたった1本の魔力の筋が今でも残っていた。美来はただ忘れているだけかもしれないが。

極限まですり減っていた魔力はほぼ全快しており、その流れも反しておらず至って平常だ。異物が混入している様子もなく、特に変わったことはない。

(でもイスタンテが何かしでかすとしたら美来の戦闘能力ではなくその根源……つまり魔力そのものをどうにかした方が手っ取り早い。仕込むとすればこれくらいしか思いつかねぇ。

けどあいつは俺は魔法に関して無知な分野が多くある。特に呪術に関しては何も知らないに等しい……だからもし今、その類がかかっていても判別しようがない)

時間・時空や武器を使用する戦い方なら百戦錬磨だが、魔法はあまり上手く扱えない慧ゆえの悩みであった。だから小さい頃はそこを補う為に美来とコンビを組んでいた。

「昔は逆だった、か。そうだなぁ」

呟いてイフが貸し与えてくれた布団に身を潜らせる。隣の部屋では美来がユヅカと一緒に眠っているはずだ。クロとリュウは帰ってきて以来渋い顔をしていた慧に気を使って、わざわざ別の寝室に移動していた。

(今も昔も美来に俺が出来ることはあくまでサポートのみ。なら……)

後悔しない道を。

ぼんやりと天井を見つめながら思考を巡らせるうちに、慧の意識は浅い眠りに落ちていくのだった。




そろそろ本格的にバトりたい


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第11章 母親の日記

幕間のようでそこそこ大事


美来達がつかの間の眠りについた夜。

王宮ではネネが尚も忙しそうに走り回っていた。

「あぁもう皆はまだ帰ってこないしママもパパもいないし! ネネ1人じゃそろそろ限界だよ」

避難民はまだ数多く残っており、役人の誰も彼もが満身創痍であった。大臣達も対応に追われ、ろくに休息など取っておらず、疲労が色濃く蓄積している。

「この書類はパパ専用だしこれは環境大臣、こっちは食料関係だしこれは建設費? そんなの知らないし!

ユヅカ早く戻ってきて……」

ネネの部屋に積み重なる紙は積み重なるばかりで減る様子が見えない。

「――どわわっ」

床に落ちていた紙に足を取られ、思わず尻もちをつく。すかさず立ち上がって起因となった1枚をつまみ上げる。

「魔術師団内名簿? なんだっけこれ。

王宮内の戦力とかで国内の安全守る機関だっけか。いやでもここにある意味が分からないし。しかもこれ日付が相当前じゃん……提出したの一体誰よ?」

20人ほどの名前が並ぶ中、

「ん? 慧だ」

よく知った人の名を見つけ意図せず凝視する。

「へーえ、すごいんだね。だからといって今ここにいないし聞けないけど。

というかこの脇に書いてある数字はただのカウント用なのか……。えっと1番上は……空欄? いない人なら書かないだろうからこれは何かの順番ってことか。強さかな?」

忙しさも忘れ、どこか気になるのか考え込むネネ。

「何かやな予感するなぁ。最上位のメンバーを知ってる人……はパパかママくらいか。

あ、そうじゃん。ママの資料の中にありそう」

娘であるネネは、母親――つまり王妃がどんな資料を所持しているのか大まかに知っている。国内情勢に関してはかなりの数の蔵書や文献があるのだ。

急いで母親の書斎に向かい、本が乱れるのも構わず棚を漁る。

「いったぁ!!」

ふいにそこそこ高い場所から本が落ちてきて、見事頭にヒットする。ぶつけた箇所を押さえながら恨めしげにその本を開く。1ページ目には1年ほど前の日付と文面がびっしりと記入してあった。

「これ本じゃない、日記だ」

ペラペラとめくっていたが、ふと手を止める。

「もしかしてなんか書いてあったら……本が、この日記が意志を持つとしたら……」

それは小さい頃の記憶――ネネがまだ8歳頃の母親の言葉。

本は必ず意思を持っていると。心から読みたいと思えば本から語りかけてくること。本は自ら読者を選ぶ――。

「もしかして落ちてきたのは意思があった……?」

なんと馬鹿らしい発言だろう。日記は本ですらないではないか。いくらなんでもそんなことはありえない。が、

「物は試しだ」

ネネは母親を信じ、閉じかけていた日記を再び開く。

(分からないけど、美来や慧達を救う手がかりがあるかもしれない!)

少し前の記述。何が書かれているのだろうか。

 

 

小1時間。

最初に書いてあった日付から2ヶ月ほど過ぎた日の書き込みに、ついに望んでいたと思われる文を見つけた。

『昔、この国の団に所属していた子を見る機会があった。イフのおかげで綺麗に忘れているみたい。本当によかった。

あの時の惨状は2度繰り返しては行けない。一番辛かったのはあの子だけど、それ以上に身を案じていたのは……。

あれからもう3年が経ってしまう。このままどうか平和に生きて欲しい』

『今このことを知っているのはもう数人しかいなくなってしまった。彼女のことは皆忘れているから当然なのだけれど。思い出さずに、何も起こらずにいてほしい。あの子達には。

イフには酷い役目を押し付けてしまった。それは私の責任だけど、耐えて欲しいと願うばかり。なんと無責任なんだろう』

『あれからの魔術師団は国家安全のみを目的とする組織になった。最初からそうであれば、能力があるというだけで子供が駆り出されることもなかったのに。失策だわ、全くの』

つい手が震え、日記を取り落とす。床に落ちるのもそのまま、ネネは呆然としていた。

「なに、これ……。ママが国を批判してる……。これじゃまるで小さい子が国のために戦ったとでも言いたげじゃん……そんなの、こんなのってないよ。誰なの、その子って、辛い思いした子って誰なの!?」

――3年前。

その字が脳裏をよぎる。

3年前の日付が書かれた日記はあるのか。

「――っ」

ネネは歯を食いしばり、まだ数多く並ぶ本棚を開いては捨て、開いては放って、目的のものを探した。散乱する日記に時折足を滑らせるのも構わずにひたすらページを開く。

そしてついに。

「こ、これだ……!」

約3年前の5月。これまでの端正に書かれた書体ではなく、感情的に乱れた、とても読みにくい文字の羅列。気が動転していたのか、それとも……。

「ごめんなさいママ。後で謝るから今は、今だけは……」

読むのに気が引ける何かを持っているようなその見開きに、ネネは覚悟を決めて視線を落とした。

 

 

『5月24日

膠着していたあの事件がようやく解決。犯人達はその場で死刑になった。

ニュースではそれ以上詳しいことを説明するのを禁じて、一切詳細は明かさないよう口止め。

悪夢だった。今日は、酷かった。国民何十万、何百万人を救うために2人に無謀な命令を下してしまった。

大人がどうしようもならなかった事を子供に押し付ける? いくら力があろうと許されないはずなのに。

その罪を、せめて私は忘れないようにここに記す。いつかこれを読んでくれるかもしれない誰かへ。これは大人の勝手な判断が生んだ繰り返してはならない悲劇。だけど、誰にも言わないよう。それだけは守って欲しい。』

『もちろん事件の鎮圧に最初に乗り出したのは私の故郷である日本でいう警察。けれど全く歯が立たなくて数日で捜査は国家魔術師団に委託された。

犯人グループは4日ほどで判明。即座に逮捕に向かった。しかし現場へ行った団員は命からがら逃げてきた。なんでも攻撃をくらい、太刀打ち出来なかったとか。

次の日にも数人が向かったが結果は同じ。会議の後、大部隊――2人だけいる子供を除いた全員で突撃した。それが約一週間前。それでも何も出来なかった。3人ほど捕まえることが出来たものの、下っ端の情報もろくに知らない人達だった。』

『ついに上層部も動き出す。最上位に位置する彼女と、いつも相棒として奔走していた彼を最前線に送ることを決めた。

私は所詮外部の人間。反論は受け付けてもらえず、2人はいつも通りただの組織鎮圧をしてこいとだけ、伝えられた。ただの子供よ? いくら強くてもまだ小さいのに。それほど余裕が無い状況だった。

今日の朝。2人は犯人達のアジトに乗り込んだ。手下は彼が――慧君が一掃した。ほんの数分の出来事。もちろん彼女の支援もあったからでしょうけど……。』

 

 

「さ、慧!?

でも一応名前の欄にはあったし有り得なくはないのか。でも彼女って誰のこと……?」

徐々に震え出す手を抑えながらネネはページをめくる。

 

 

『突入から1時間後、からくりをといた2人はボスの居場所を特定、すぐに逮捕……という名の殺害に着手した。

今回の事件は凶悪すぎて、発見次第即抹殺の命令が下っていたから。

そこで、悲劇が……最悪が起きた。

ここからは現場にいたイフの話。

ボスは尽く反抗、ありとあらゆる手を使って2人を退けた。その中で誤ってか意図してか今となっては不明ではある、広範囲殲滅魔法を起動させてしまった。もちろん止めようとしたけど、強大すぎた負のエネルギーが魔力をとてつもなく底上げしていて、いくら2人でも消しされなかった。

だから、だから2人は、』

 

 

ここで字が、ほとんどミミズのようにのたくり、解読が困難なほど乱雑になっていた。それを何とか魔力で正して読み取る。

 

 

『自分達の中にそれを封じ込めようと、何人の人が死ぬのか分からないけど魔法をたった2人に向けさせようと、魔法をかけた。

奇跡的にそれは成功するはずだった。奴が最後に自爆行為にも等しいことをしなければ。

捨て身の犯人は2人の魔法式を無理矢理に破壊した。封じ込められる寸前だった魔法は勢いよく放出。とっさにみんなを守ろうとした彼女は、自分の身を魔法に変えることでその全てを吸収し、被害を防いだ。

でもたった10歳。キャパシティは大きくない。理性は掻き消え、自我は失われた。自我が保てなくなれば起こるのは魔力の暴発。

慧君は、それを止めるためにやむを得ず相棒である彼女を殺さざるを得なかった。蘇生が上手くいったから彼女はまた生き返ることが出来たけどそれは後付の言い訳に過ぎない。

私たちが2人にしたことは決して許されない。

美来ちゃんと慧君には、どう謝っても謝りきれない――。』

 

 

 

「み、美来!? いや、だってそんな3年前ってまだ魔法を使えるようにはなってなくて、今だってちゃんと生きてて――」

そこまで叫んだネネの脳裏に蘇ったのは、“蘇生”の2文字。

「そんな、嘘だ。美来はもう既に1回死んでて、それをやったのが慧で、それは国のために犠牲になったからなんて。嘘だよね、こんなのないよ。誰か……」

「嘘じゃありません。どうか受け入れなさってください」

超感覚を持つネネですら気が付かずに、部屋にいたのは

「あん、た……」

「安心してください、危害は加えません。そもそもあたしは味方ですから。

あなたがそろそろ勘づくんじゃないかと思い、様子を見に来てみたのです」

絶句するネネには目もくれず、イフは転がった日記を手に取り確信するように一人頷く。

「だって敵……」

「色々あって本当は違います。信じろとは言いませんが受け入れてください。ちなみに美来達は寝ています。あたしの家で」

「いや、それは、そうなんですか。

ちが、そうじゃなくてどうして」

「あなたには伝えておきますが、次のイスタンテとの戦い次第で全ての明暗が分かれることになります。」

何か言おうとして言葉にならないネネを無視してイフはこの場に現れた核心をつく。ぎょっとした表情をするネネに鋭い視線で問いかける。

「陛下はどこですか?」

「わ、わからないです……。手紙が届いて誘拐したって数時間前に……」

訝しげに顔を曇らせると、無言で地面を強く踏みつける。僅かに魔法式が展開されたのが伺えたが、それもすぐに消える。

「ここにはいないようですね」

「あの、どうしてあなたが……」

そこでようやくネネをまともに見たイフは、即座に床に跪くと、深く神戸を垂れる。

「失礼しました。遅まきながら、突然の訪問をお許しください。

アイファズと申します。かつてはこの王家の護衛として魔術師団に属しておりました」

ネネの意識の中ではつい1日前の美来との戦いが頭に過ぎるせいか、どうも同じ人物と捉えられずに困惑する。

「アイファズ……本当だ、この名簿にも名前がある。3位の、『断罪』? ううん、それはこの際置いておくとして。

どうして今になって姿を現したの? あれほど美来を傷つけておいて味方ってどういうことよ。簡潔に説明して」

「心得ました。

まずあなたがたを攻撃したのは彼女の元の姿を――力を引き出そうと考えたからです。限界を突破してしまえば、封印した魔力は解放される。なるべくこじ開けるマネはしたくなかったのですがこれには失敗し、無理矢理に封印を解かせていただきました」

「封印? 美来の元の力って?」

「ここで説明するには時間が足りません。どうかご了承ください……。恐れながらひとつだけ願いを聞いていただけるならば、『怖がらないでください』」

痛ましい表情をするイフを問いただす気にもなれず、疑問は頭の隅に追いやることにした。

「まぁ色々問いただしたいけれど我慢する。

それで?どうして今になってネネの前に?」

「いえ、本当は陛下にお会いしたかったのですがいらっしゃらゃらないようなので……。

あなたに――姫君に許可を求めに参上した次第です」

「許可?」

首を傾げるネネにイフはどこまでも真剣に言葉を紡いだ。

 

「王家のみ許される、国民全ての避難、そして国家規模での防衛措置です」

 

「すべ、て……。正気?」

「正気です。全てがあたしの空想に終わればいいのですが、何が起こるか分からないこの状況下では出来ることはやっておかないと手遅れになるかもしれません。

美来とイスタンテはそれくらいやってのけます。本来ならば」

ネネはどうしてそこまでイフが警戒するのかが理解できなかった。しかし、

「了承した。すぐに命令する。

1個だけ答えて。美来は、死なないよね?」

元・美来の同僚ならば知っているであろう、彼女の無謀さ。彼女は自分の命をどうしても軽んじている。その事を察しているはずで。

やはりと言うべきか、ネネが思った通りイフはほんの少し狼狽する。一瞬だけ見せた浮かない顔は昔も今も変わっていないことを意味していた。

「保証はできません。制御が効かなくなればあたしや慧、ユイでも止められません。最大限善処します」

イフはそう答えることしか出来なかった。

日記を読んだことにより、美来の以前の死因は慧であるとネネは知ってしまった。

あの時の二の舞が起こりそうでつい悪寒が走る。それを勘づかせないように気丈に振る舞いながら、ネネは曖昧に頷くと、一言。

「みんなのこと、頼んだよ」

「……命に替えても」

拳を胸の前に持っていき、略式の敬礼をすると、イフは窓から飛び降りる。それを無言で見送ると、ネネは書斎を飛び出した。大臣達に早急に避難指示を出す為に。

(今回ネネはみんなと一緒に戦えない。お願い、無事に帰ってきて……!)

歯を食いしばって廊下を駆けながら、胸が苦しくなるほどにそう願うネネだった。




ネネがあまりだせなくてつらい


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第12章 追憶の悲劇

今回は過去をちょいと描く回


「――ですが公爵様、これは私達が抑えられなかった案件です。陛下にご尽力頂いた方が……」

「3番、何度言えば分かる? そんなことで陛下の手を煩わせる訳にはいかないだろう。お前達の不始末はお前達が取るのは当たり前だ。そもそも最大火力のあいつを出さないのはどういう冗談だ? そうやって余裕をこいているから失敗するのだ」

「その件は……申し訳ありませんでした……。それでは彼女達を現場に出せと仰るのですね」

「分かったのならさっさと行け。時間を無駄にするんじゃない」

「…………」

 

※※

 

「なになに? またお仕事?」

「そう……1つの組織を遠慮なく潰して欲しいって偉い人が……」

「遠慮なく? 強いのかなぁ」

「間違いなく強いだろ。だってイフ達負けたんだぞ? 頼むからいつもみたいにどっかで気が緩むなんてことやめてくれよ。処理するのは毎回こっちなんだからな」

「はいはい分かりましたよー。

それで、どんな人達なの今度の敵さんて」

「……わからないわ。毎度違うパターンで迎撃されたから少ししかデータも取れていない。あたしが潜れた情報もいつもに比べたら半分にも満たない……」

「まじかよ。それほんとに俺らで手に負えるのか?」

「……選択肢がないの。ごめんなさい……」

 

※※

 

 

『片付いた! CTN(トラップなし)! 突っ込め!』

『承知したー。MAFU(魔法反応未確認)、破壊する』

遠隔術式で美来の視界と聴覚を共有しているイフ。敵のアジトを足をとめずに突っ切って行く2人はあくまでいつも通りである。

「イフ、何か気になるの?」

団員に聞かれ、渋い顔で質問主へ答える。

「どうも上層部が必死な気がした。普段ならここまで無茶に突入させたりしない。陰謀でも動いているのか?」

「こんな時まで任務時の口調にしないでちょうだいアイファズ。調子狂うわ」

「ご、ごめんなさい無意識で……。でもなんとなく嫌な予感がするのよ。どうしてそこまでこの組織を壊滅させたいのか一切の理由なしに命令下されるなんて」

映像だけは油断なく見張りながらイフは嘆息した。横から心配そうに美来達と同年代の女子が口を挟む。

「イフさんの勘って当たる確率高いからこっちまで不安になりますよ。

でも美来達負けたことないじゃないですか? それでも胸騒ぎするんですか」

「ユイ、あなたにはまだ経験が足りないから分からないかもしれないけどいずれ分かるわ。何かおかしい。

美来と慧の魔法動力源がいつもよりほんの少し――微量だけど乱れが生じてるのよ。こんなこと今までにないわ」

空間把握に優れている慧は魔力の読み取りは僅かに美来より得意であるため、いつも魔法使用後には矯正して次の攻撃に備えてミクロレベルの乱れを整えているのだ。だから美来は魔法式を展開する際、いちいち魔力を揃える魔法を介せずに、直接発射していることが出来る。

「確かにそれは変だな。おい、お前は気づいたことないのかイスタンテ?」

男性団員が実力的に2番目であるイスタンテに話を振る。一同の視線が集まり、問われた本人は流石に無視する訳にはいかなくなったのか、あまり開くことの無い口を動かした。

「……2人の魔法を利用して魔法を展開している可能性はある。魔力を無断使用しているため乱れがある、等」

それきり壁に背中を預けて黙り込む。

「だってさ、イフ。まぁわかった所で何も出来ないのよね。無力ってのは辛いものね」

「……無事に終わってくれればそれでいいのに」

 

※※

 

『待て! この反応、全体がおかしい』

『分析する。

……わっ、ちがっ、これ! 止めないと死ぬ! 皆死ぬ!』

『お前が得意な広範囲殲滅系か!?』

『そうじゃない惑星本体に作用、予め用意!

――ね、慧。先に言うね。ごめん』

『どうして謝るんだよ!? ふざけんな言わなくたって何考えてるのかくらい分かるんだぞ。その反動、1人で受け止めきれるのか。いくらお前でもまだキャパが足りないだろ』

『持たせる。そうしなきゃ』

『……水くせぇ。俺のも一緒だ。1人でやらせるか。これで十分だろ?』

「ちょっと2人共一体何を――!?」

迷いのない子供達の声を聞いて、慌ててイフは通信に介入する。

『手短に言うぞ、このままだと星が滅ぶ。止めるためにその術式効果を全て俺らに集中させる。皆に害はない』

淡々と告げる慧はあくまで平静であったが、

「じょ、冗談じゃないわ! そんな事許さないわよあなた達にそんな大きな事任せられるもんですか! これは大人の犯した罪よ、子供が引き受ける意味――」

『んなこと言ってられるかよ! 全員消えるぞ!? 一人残らずだ! 俺と美来は回路が繋がっているから共同で止められるがイフ達と回線開くには時間が足りないっ。

頼む……黙認、してくれ。後は頼んだ』

イフが悲痛に叫び返すものの、それきり慧からは何も返ってこない。

「嘘よ、こんなの……」

ふと、未だに壁際で身じろぎもせず目をつぶったままのイスタンテが視界に入る。

「あんたもよイスタンテ! 今回の作戦、どの道あたし達の手には負えないものだったから追求しなかったけれどいつもより真面目にやってないのは分かってたのよ!? やっても意味ないから手を抜いたの!?

なら少しでも他の方法考えなさいよ、まだあの子達は10歳の子供なのよ!?」

胸ぐらを掴まれ、がくがくと揺さぶられるものの、その瞳に揺らぎはひとつも伺えなかった。

「……それで問われるのはいささか不愉快だなアイファズ。意味の無いことに時間をかけるのは無駄というもの。今世界を救えるのはあの2人だ。2の犠牲で何億もの人が助かる? 頭を冷やせ」

冷酷なまでの視線と発言にイフはわなわなと手を震わせる。しかしその言葉は正論であり、何も言い返せない。

この少しのやり取りの間でも、戦況は刻々と変わっていく。

美来と慧が敵の魔法を書き換えて自分達にだけ向くようにし、その効果が今にも発動され――

「……?」

その時、イスタンテが珍しく眉間にしわを寄せると、イフに呟いた。

「……半径3k、霊力反応は?」

「今更何言って……」

不本意だったが、言われた通りに感応魔法を周囲3キロへと広げ、意識を隅々まで行き渡らせる。すると、ありえないことに――。

「何か巨大な術式が張り巡らされて……。

だめ! 美来っ、慧っ今すぐ中止しなさい!」

もちろんその声は届かない。イスタンテの警告で気づいたこと、それは国の中心部に展開された魔法の発動を強制停止させる魔法陣。あらかじめセットしておき、敵の特定の魔法発動によって効果が現れる賭けともいえる罠。あるいは自己犠牲を躊躇わないことを見越していたのか。

「暴発するぞ。総員、結界を限りなく強く張れ。

――イフ、殺したくないなら魔力を全て注ぐことだな」

静かに周りへと指示を飛ばすイスタンテ。誰に、とは言わなかったがその場の誰もが分かる。イフは1人で美来と慧の防御を任された。それほど強大な魔力が放たれる、ということだろう。

「来ます!放出まで残り15秒!」

イフの次に解析の得意な団員が金切り声で叫ぶ。

「9、8、7、6――」

 

 

※※

 

 

翌朝、目を覚ました一同は開戦に備えて各自調子を整えていた。慧は晴れない顔でイフの用意した朝ごはんのベーコンをほうばっていた。その横でカリカリとこんがり焼けたトーストをかじっていた美来が無言でその様子を眺めていた。

「ねぇ美来さん、今日イスタンテとの戦いで……こんなこと言いたくないけれど……負けたら、どうなるの?」

美来の向かい側に座っていたリコが不安を抑えながら尋ねる。右への視線を正面に移動して、食べるのを止める。

「そりゃあ……皆死ぬしかないよ。オール・オア・ナッシング、リブオアデッドの世界だから。

正直、勝算がない。術式の大きさは圧倒的にこっちが優位でも隙を突かれたら一瞬でアウト」

重苦しい雰囲気の中、ウィンナーをフォークで突き刺しながらクロが口を開く。

「つーか、今更だけど何であいつそこまでするんだ? ぶっちゃけ皆死ぬってことはあいつぼっちになるわけだろ。そこまでして何が目的なんだ?」

「さぁ。それは手掛かりひとつないもの。分かりっこないわ。

もうそろそろ日が昇るし皆、急いで」

アニマーレでは日の出が時間帯と常に一致するわけではない。そのため、季節によって5時だったり9時だったりするのだ。

食べ終わったものから自分で食器を洗っていく性格が変わろうが食べるのが遅い美来は、それなりに必死になってもぐもぐと口を動かしながら既に洗い終わり、席に座っていたイフと慧に話しかけた。

「あのさ、昔の私が使った必殺技的なのって何?」

「……どうして今そんなことを?」

「だって戦った記憶とかはあるのにどうやって悪者退治したのか肝心なところが抜けてるんだもん。2人なら知ってるかなって」

イフ達は顔を見合わせて揃ってため息をついた。それを見て遠慮なく美来は不満を漏らす。

「またそれだ。そんなに教えたくないやつなのかー。どんだけ過保護なの。私そんなに信用ない?」

「違う、そんなんじゃないわ。お願い、思い出さない方がいいのよ」

無表情だったが、どこか悲痛にも感じられる声音に美来は黙り込む。慧も目を逸らして、

「俺も覚えてない。けど、“それ”が何か悪い影響を与える気がしてならないんだ。ごめんな」

抑揚のない声で淡々と告げた。

「何それ……。一体私なには何をしでかしたことやら。

あーもうはいはい、諦めますからそんな顔しないでください」

2人のことを見ていられなくなって美来はおどけて足を引く。

「美来さーん、食べたらお皿くださーい!」

「しまったまだ食べてた。ユヅカー、なくても大丈夫だからこれ持ってってー」

「パシリですか! 仕方ないですね……」

えへへ、と頭をかきながら残りのトーストを流し込むと陰気に曇った2人に視線を向ける。

「…………」

過去を知りたい、けれど思い出したら良くないことが起こる。そんな予感がよぎり、首を横に振る。

(常に全力でぶつかるだけ。必殺技が記憶になくてもいざとなったら他の方法でどうにかするだけ)

考えるのをやめ、美来はユヅカを手伝いに行くのだった。

 

 

※※

 

 

「余波まで2秒! 今!」

団員が全身全霊で荒れ狂う魔法を耐え忍ぶ。暴風が、火炎が、濁流が、黒雷が、人々を滅ぼさんばかりに猛威を奮っていた。

「イフさん、2人は!?」

「ま、まだ生きてるわ! けれどこのままじゃジリ貧よ!」

渦中の美来と慧は生存反応はあるものの、どのような状態なのかは一切識別出来なかった。解析魔法が魔力の暴走により妨害され、術式を上手く組み立てられないのだ。

「せめてこの地面の魔法陣を破壊するか術者を倒せれば……」

苦悶の表情でそう呟いた矢先、ほんの刹那死の嵐の一部が切れ、中から勢いよく人が放り出された。

「慧っ!!」

「いっつつつ……こりゃ、よく俺生きてたな……」

「ユイ、ヒールを!

慧、美来はまだ中よね!? 大丈夫か分かる!?」

「あいつはまだ無事だよ。というか俺が外に出れたのは――」

「イフさん!あ、あれを!」

言葉を遮り、ユイが金切り声をあげる。渦の中心部、そこから黒い霧のようなものが漏れ出ている。

「なに、あれ……」

ザッッッと再び嵐に切れ間が生まれ、垣間見えたのは。

「み……、く……」

闇を切り取ったような暗黒に包まれた巨大な鎌を携えた美来の姿だった。

 

 

※※

 

 

「さてと、総員準備はいいわね?」

イフの音頭に全員が頷く。魔力・体力共に全快、武器の補充や補強も済み、魔法に不慣れなリコ達でも使える、イフが創った防御魔法の確認も終わり、残るはいよいよ出発するのみ。

「さっき美来が言ったけれど、これは生きるか死ぬか、オール・オア・ナッシングの戦いよ。

万に1つも負けられない。その瞬間世界が滅ぶ。

これは各国にも既に伝えてあるわ。その上で、全世界が一致でこの場の全員に託すと裁決した。理由は分かる?」

その質問に対し、ユヅカがそろそろと手を挙げる。

「勝ち目が……ないから……」

「そう。イスタンテはそれくらい有名な魔術師。指名手配、とは言わないまでも要注意人物SS級の実力があった。これは世界を壊滅させる力を持つと認定された者のみ登録されているリストよ。まぁ、もっとも、すぐそこに名前が乗ったことがある人もいるけれど今回は関係ないわ」

何も言わずとも美来だと分かるが、それをわざわざ口に出す者はいない。

「どうせ滅ぶだろうと言われた世界。どうして軍や先鋭隊を出さないのか不思議なくらいに諦めが早いのはすごく謎なのだけれど考えてても仕方ないわ。

それじゃ、行くわよ」

イフの言葉に、慧がもう一度頷き、全員を一斉に転送させた。

昨日の戦場へと。




やっとバトル?


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第13章 無意味な時間稼ぎ

転移の瞬間を経て、一同は昨日交戦した場所に再び降り立った。慧は即座に空間把握の魔法式を張り巡らせ、ユイは防御結界を幾重にもかけていく。イフはありとあらゆる支援魔法を全員に付与し、美来も修正した武器を手に感触を確認した。

「イスタンテ、どこから来るんでしょう?」

「多分不意打ちはしないね。性格的にも、実力的にも。

確実に仕留められるなら姿を隠す必要なんてない」

ユヅカの問いに神経を集中させながら答えるイフ。どこか乱暴な口調は昔の彼女を思わせる口ぶりだったのか、少しばかり不満そうにユイは彼女を見た。

「……転移してくる。2、1――」

突然の慧の報告に驚きながらもよりいっそう警戒を強める。元々転移は音を伴わないため、不意打ちするのには最適なのだが、如何せんこの場には空間を操れる慧がいるためそれは全く意味が無い。

特に変な動作はせずにイスタンテはあっさりと姿を現した。服装は昨日と全く変わらないが、少しばかりやつれたように見えなくもなかった。

「……お前、まだ継承権奪おうとしてるのか」

顔を険しくさせながら静かに質問する慧。イスタンテは無言だったが、それは肯定の裏返しであった。

「なら、尚のこと解せないな。あいつはもうお前のことは認めてないの分かってるだろ?」

「…………」

またしても口を開こうとしないため、耐えきれなくなったのかイフが若干苛立ちながら付け加える。

「というかどの道死ぬ運命なのにどうしてこんなことする? 慧はもう――」

「イフ、これ以上は」

語調を強めて熱くなりかけたイフを静止する慧。小さく首を振ってイスタンテを睨みつける。

「そっちも何か事情があるんだろう。けど、それを察してやれるほどこっちは悠長に待ってられないんだ」

痺れを切らしたか、やや喧嘩腰な慧。無言真顔状態を維持していたイスタンテだったが、ようやくここで言葉を発した。

「……なら、力づくでねじ伏せるまで」

刹那、慧の目の前で飛び散る火花。美来が瞬時に判断して逆手で抜き放った細剣がイスタンテの光球を跳ね返していた。

「油断してた?」

「はは、違いない」

コンマで剣筋を見切り、細剣で魔法を跳ね返すと、一転攻撃に転じる。慧は素早く後ろに下がると、仲間の周りに強固な結界を掛け直した。僅かのブレイクで美来は背後の彼らへ叫ぶ。

「臨機応変、“死んでも死ぬな”! それならどうにかする!」

無茶苦茶すぎる命令だ。そもそも死んでも死ぬなとは、と慧・イフ・ユイ以外は誰もが疑問に思ったが。

「魔法陣起動するよ!」

「追加のバフかけるね」

「感覚向上ならまかせとけ!」

戸惑いを振り切り、これから始まる絶望の中で諦めようとせずに立ち向かう彼らに慧は苦笑する。一体誰に似たんだろう、と。

 

 

※※

 

 

魔力が渦巻く高原の中。

「――アンリミテッド・ファンタジア」

「ラプソディーエターナルっ。サウザンスエクレール!」

「テネブライトルノワール」

幻想で惑わそうとイスタンテが唱えれば、即座に狂詩曲の名を模した対抗魔法を放つ美来。光が走れば闇で満たす。火が燃え盛れば水流が押し寄せる。

常に反対の属性をぶつけ合い、消し合い、じりじりとせめぎ合う。

やはり戦術だけを見ればイスタンテが有利なのだろう。パワーで押し切る美来はどうしても後者に周り、先手を数多く打つことが出来ない。彼女を援護する慧達も然りで、イスタンテの攻撃の内容を把握しなければ、美来に合わせて反撃することは容易ではない。特にリュウ達3人にとってはまだまだ無知な部分が多いため、攻撃を加えることは出来たことではない。

「やはり魔力差か……?

ユイ、敵変換効率のみ解析、リコ支援。その間防御はあたし持ち。12秒」

思いのほか戦況が動かないことに疑問を持ったか、イフはユイにイスタンテの魔力変換効率の解析を頼む。普通、魔力を魔法に変える時、なるべく変換段階で余計に消費しないよう、変換効率を100パーセントにすることが絶対条件だ。イスタンテがそんな初歩的なミスするわけないのだが。

「おかしいですね。彼のやり方だとむしろ余ってます。空中に放出されるだけでなんの害もありませんけど」

「効率99……? 残り1はどこへ? 」

「残り4、ユイ交代」

先程の12秒、というのはイフが解析にかけてもよいと判断した時間である。これ以上かけてしまうと均衡が崩れ、防御が壊される可能性があるのだ。

「確かに1余りか。ネムリルがいれば解析魔法使って欲しかったのだけれどないものねだりは良くないわね」

ネムリル、というのはかつてのイフ達の同僚である。イフが情報としての解析が得意なのに対し、彼女は魔法の解析に優れていた。一見同じように感じるがそこに至るまでの工程は全てにおいて異なっているのである。

「気づいたところで対処しようがない。これもあいつの狙いのひとつなのかもしれないわね……」

イフ達から100メートルほど離れて美来とイスタンテは魔法をぶつけ合っている。互いに相殺を繰り返し、1歩も譲ろうとはしない。

「あの、イフさん。こんな時に聞くのもおかしいですけどどうして偉い人達は簡単に諦めてしまったんでしょう?

それにネネから何も応答がありません。魔界の姫君であるエアールさんとも連絡がつきません。

私の知っている王家や政治家さん、誰も反応が先程からないんです。

これって変じゃないですか?」

1人でしきりにどこかへ魔力を飛ばしていたかと思えば、ユヅカは連絡を取ろうとしていたのだ。さすがのイフもそこまでの余裕が無かった。

「特にネネなんて、こんなこと反対するに決まってます。満場一致の放り投げなんてありえません」

「そう……ね。あたしもそう思う。

実は昨日彼女に会いに行ったのよ。そして真実を教えた。最大限の避難処置を施すよう促したわ。多分彼女もそれを実行したはず。

その後ね、何か起きたとしたら」

「――っ、私がずっと傍にいないといけないのにっ……!

私が、ネネの傍付きだって言われているのに!」

悔しげに顔を歪めるユヅカ。そんな様子を見てイフはそっと肩に手を置く。

「分かってるわ。きっと、イスタンテは裏で何か工作をした。けれどそれがわからない以上下手に動けばあいつの思い通りよ」

「分かってます、そんなの百も承知ですよ!」

「……仕方ねーな、状況だけでも見てくるよ」

いつの間にか慧が2人の脇にいて、面倒くさそうに言った。

「どの道このままじゃ負ける。なら、異変がある所から切り崩した方が突破口があるかもしれない。

イフ、少しだけこの場を任せるぞ。ブレイクは2、7、5、1だ。順に6034の9、1からトリル」

「了解。気をつけて」

慧はユヅカに向かって頷くと、瞬間移動でどこかへと消えた。

「さっきの数字とかは……」

「団内での暗号みたいなものよ。考えなくていいわ。

それより考えでもあるのかしら。やけに達観してたそぶりだったけど」

「とりあえず待ちましょう。それまで維持ですよね」

緩みかけた支援魔法を貼り直しながらイフとユヅカは迷いを捨てるのであった。

 

 

※※

 

 

(切り崩しならまずは各トップを封じるか脅すか。ネネのところに陛下の誘拐メッセージが届いていた。エアールにも同じ文が送られていた。研究所社長も行方不明、フェアリー達の首領も姿を消し――)

慧は各世界における王宮や首相官邸などを駆け回り、瞬時に情報を集め始める。

どこでも同じ状態だったのか、各国のトップかいなくなり、また大臣などといった政策を行う側も居場所が分からなくなっているケースがほとんどであった。

ネネやエアールも例に漏れず、居場所の検討もつかない。

(あいつらも、皆どこにいった……? 殺したなんてのはないだろうからな。どうせ皆死ぬのにそんな手間かける訳が無い。ならどこへ?

全世界、全異界の隅々まで時空を探しても痕跡ひとつ見いだせない。なぜ? どうすればここまで完璧に隠せる……)

自分の目が届かない空間が存在するのだろうか。

「くそ、完全に行き詰まった」

慧は考えるのをやめ、一度イフ達の元に戻ることにした。

 

 

※※

 

 

「どうでした?」

「だめだ、ひとつとして痕跡っぽいのすらなかった。どんな隠蔽工作したらここまで完璧に出来るんだか知りたいくらいだわ……」

少しだけ期待するように尋ねてきたユヅカに首を振る。元から結果は分かっていたのだろう、イフは何も言わなかった。

「逆を言うなら、痕跡さえ見つかれば勝ったようなものね。手がかりは……ないか。

美来と戦っているうちにボロを出すとは思えないし」

「まぁ、凌ぎきれるかが問題だな。その後に倒せるか。

やれるだけやるしかない」

 

 

※※

 

 

(上、右、北西、南――)

もはや相手の魔法が発動されてから回避していては間に合わない。勘と経験を頼りに推測でかわし続ける。そんな危うい攻防が始まって既に30分。逆に言えばよくもここまで粘っているものだ、と一人考える。

なぜ自分はイスタンテの魔法を避けることが出来ているのか。余裕が無いため思考する暇はないが、きっとイフ達も悩み、解決策を見出してくれることを期待して雑念は放棄する。

将棋やチェスのように常に先を読み合いながら一手一手を確実に潰し、活路を探す。ただそこまで高等技術は無く、やはりその点においてリードしているのはイスタンテのようだ。

「……飽きたな」

ふいにぼそりと呟いて、大きく反動を付けて後方へ下がるイスタンテ。その意図が理解出来ず、訝しげな表情を隠さないまま、問い返す。

「そもそもなぜ私達の前に姿を現したの? あんたの計画によって、全員滅ぶと言うのならわざわざ面倒なことしなくても――」

「契約だ」

美来の言葉を最後まで聞かずに、イスタンテは唐突に彼女へ肉薄する。かろうじて細剣で受け止めるが、如何せん体勢が良くない。

「くっ……! けい、やく……?」

「そうだ。お前達を消す方が優先順位が高い」

「それって、どういう……っ!?」

上から見下ろすイスタンテの表情では何も読み取ることは出来ない。圧力に耐えて美来の細剣はギリギリと軋み始めていた。

「契約ではお前の能力を引き換えに世界を滅ぼす約束となっている」

「なっ!? んなこと有り得るかよ、どうして1人の命と世界が釣り合うんだ?」

慧が反射的に疑問を叫ぶと、鼻を鳴らして答える。

「知らないな。興味もない」

無造作に右手を振り払うと、美来は軽く5メートルは吹き飛んだ。

「どうやら美来が死ぬとかなり喜ぶ黒幕がいるのね……。厄介だわ、これは」

後方で見守っていたイフが唇を噛む。何かを考えているようだが、ユヅカ達には推測出来なかった。

珍しくよく喋るイスタンテは、離れて倒れ、呻く美来を一瞥すると、

「そもそもの話だ。お前を直接狙う事が間違いだと誰もがそのうち気付くだろう。

性格からしても、非効率的だ」

「何を言って――」

たまらず聞き返そうとした矢先、ハッとした顔になった慧がユヅカ達に向かって絶叫する。

「お前ら、逃げろぉぉぉっ……!!」

だが、もちろんそんな暇を与えるようなイスタンテではなく。

刹那の間に起動した魔法陣がユヅカ、ユイ、イフ、リュウ、クロ、リコを覆っていた。

「嘘、こんな魔法見つけられなかった……!

――これね!? 変換効率がほんの少し悪かった理由!」

戸惑いながら違和感の正体に気づいたイフは拘束に抗おうと魔力を込めようとした。

「終わりだな」

ボソリと呟き、指を鳴らす。

魔法陣が再び光を増した途端、6人の意識が刈り取られる。もちろん発動しようとしたイフの魔法も不発。

「美来、起きろっ。早くしないと皆がやられる……」

「お前も助かるとは思っていないはずだ」

いつの間にか真横に移動していたイスタンテに気付かないほど慧は焦っていた。

そう、なぜなら――

「全員黄泉の国へ直通の魔法って何やろうとしてるんだお前は!」

「どうせ滅ぶなら先に送るだけ親切だろう」

時間はかかるが黄泉の国、つまり死者の国へ送る魔法陣がまさに発動されていたのだ。

「魔術師の場合先に魔力が奪われる為もしかしたら意識だけは戻ってくるかもな。

まぁそれは向こうがどう判断するか、だ」

慧の真下にも魔法陣が浮かんでいる。

しかし意識はなくならない。

「ふむ、抵抗してるか。ならまずは、」

明らかに思考能力が落ちてしまっている慧に、魔法ではなく物理的に――鳩尾を膝蹴りする。

余程強かったのか、声も出せずに必死に息を吸い込む慧。

そんな彼を目もくれず、イスタンテは黙っていた美来に向き直った。

「やはりお前は仲間がやられることに弱い。

昔も言ったはずだぞ、いつかそれを逆手に取られると」

それでも美来は何も言わない。

「み、く……!乗せられちゃ、だめよ……」

気絶していたはずのイフが苦しそうに顔を上げた。その様子に僅かばかり感嘆したようにイスタンテは眉を上げる。

宙を見つめて動かない美来はどこか不安にイフは感じた。

「美来……?」

突然。

ギリ、と歯が軋む音が小さく響いた。



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第14章 崩壊から救う手段

みんな。

みんな倒れた。

誰が立っている? そう、私だけ。

ズタボロで魔力なくて。

慧もイフもユイちゃんもユヅカも。

傷付いて、怪我して、それでも頑張って。

得たものはなんだった?

意味の無い敗北。

結局何も変わらなかった。無駄だった。そんなの意味無い。勝たないと意味が無い。

怪我したみんなを回復する魔力すらないというのに自分が立っているのはどうして?

何の為に立ち続けているの?

最終的に負けたのだ。

全力の抵抗でさえイスタンテ1人に勝てやしなかったのだ。

「はは……友達1人守れないで何が、何が……」

「み、く……」

壊れたように笑う私にイフが訝しげに名前を呼ぶ。慧も苦しそうに顔を上げる。

「もう、何が必要? 何をすれば――」

不意にズキリ、と胸の芯が疼く。

知らない、気にならない。こんな痛み、友達を失う苦しさに比べれば。

ズキン、ズキン、と周期的に大きくなる痛みは私の思考を徐々に滞らせていく。

「みんな、いなくなる、みんな、しぬ……」

「気を……保って、美来!」

イフの叫びが聞こえる。

いや、そもそもこれはイフの声なのだろうか?

保ってるよ? これ以上何が起こるって? 滅びるだけの私達に、苦しむだけの未来に――。

胸の痛みはもはや麻痺していて、どれほど強く疼いているのか分からない。それでも私は無意識に胸を抑えていた。何かが苦しい。何が、苦しい?

全て終わる。もう、何も術はない。

 

このまま終わるんだ

 

そう気づいてしまった途端。

ぷつり、と糸が切れたように突然思考が停止する。

脳を支配する“何か”が感情を暴発させていく。

もっと、もっと憤れ、敵を殲滅させろ――。

ふいに上がった顔の瞳は虚ろでぼんやりしていた。

皆が辛くならない為に自分が出来ること――。

「あぁ……」

それは何の溜息だったのか。

「だったらぜんぶ、こわしちゃえばいいんだ……」

 

 

 

地面に倒れ伏すイフは明らかに異様な様子の美来を必死に見つめていた。

ダメだ、自分の声は届かない、と。

ただ、あの状況はまずい。そうイフの本能が告げていた。

しかもこれは――、

「だめ、これは前の……!」

美来の目に浮かぶあの光は、4年前にみたあの悪夢の時と同じ色をしていた。

「慧、どうにかしてあれを止めないと……! 美来を止めないと……!」

痛む体をどうにか起こそうとするが、上手くいかない。慧も急所に当たったせいか、声がすぐに出ないようだ。それでも顔を歪めながら右手で体を支えて立とうとする。

真顔の中に勝ち誇った気配を見せるイスタンテだったが、イフには壊れた笑みを浮かべる美来しか視界に入らなかった。

ふと、遠くで美来が独り、何やら呟く。それが引き金となったか、イフの中で何かが弾けてしまう感覚が襲う。記憶を無理矢理破壊されるような、侵食してくるような。

「――っ!!」

頭が割れるように疼く中、その正体に気づき、愕然とする。間違いない、壊れてしまった美来が無茶苦茶に自分とのリンクをこじ開けようとしている。恐らく無意識のうちに。

すると、次の瞬間だった。魔力が底までつき果てそうだった美来から異常な量の魔力が生み出された。

しかしそれはいつもと違う、禍々しさしか込められていない危なげな雰囲気。

「うそ、うそよ……!」

この魔力を私は知っている。

イフの全身を戦慄が打ち据えた。

それでも否定しようとイフはあるものを探す。あれさえなければ、という小さな願いはたちまち掻き消えることとなった。

彼方に見える美来の左手に握られたカード。こちらからは裏表どちらか1面しか内容が見えないが、イフにはそれで十分だった。

血のように赤黒い下地に描かれた死人の絵。やがてそれは握り潰され、瞬時に大きな殺戮器へと姿を変える。

闇を切り取ったような、底の見えない黒い大鎌。それから漏れ出る禍々しいオーラ。

優美とはかけ離れた、ただ無へと還す凶器。

異端者の断罪人(ジョーカーズ・レクイエム)……」

身長以上もある鎌を左手1本で保持しながら、美来は俯いたままイスタンテのいる方向へ1歩踏み出す。

「そんな、こんなの、嫌よ……」

「うっ」

不意に慧が頭を抑えてうずくまる。脂汗を浮かべながら必死に何かに抵抗しているようだ。

「イフ、これ、頭に何か、浮かんで……!」

それだけでイフは慧の頭痛の原因を瞬時に察した。

間違いない、過去の記憶だ。

1番強固にかけられていた忘却魔法が、美来自身が思い出してしまったことにより原理が破綻したのだ。事象を起こした本人が覚えているならば、他人の記憶すらも蘇らせてしまう。それが完全忘却魔法の欠点だった。

「美来が……あれと、同じ鎌を持って……! うぐっ」

彼自身何人もの人を殺してきてはいるが、美来の過去に起こった事件はそれすらも超越する残酷さを秘めていたのか、思わず口元を押さえて顔をしかめる。

「落ち着いて、慧……今は耐えて、お願い。あたし達には、どうすることも出来ないのよ……」

美来はなおも危なげに、ゆっくりと歩みを進めながらイスタンテへ近づいていく。意識を失っていたはずのユヅカが口を開く。

「イフさん、触れてないのに地面、黒くなってます……あれは一体?」

慧と同様吐き気を堪えながら泣きそうな声で問いかける。

「あたし達でもあの魔法の特性は解析不可なの……。ただ、大量の闇を取り込んだ大鎌っていうのは分かっていて、触れずとも周りに影響を及ぼす力があるの。4年前の事件で、美来はあれを見境なく振るって――」

説明するイフでさえ顔面が蒼白になっていた。その両手はどうしようもなく震えている。

「とにかく、近づくだけで皆消し炭になる。

止める方法は、多分ない。魔力切れを待つだけなのだけど……」

「で、でも美来さんさっきまでどん底だったよね!? どうして急にあれほどまで回復して」

ユヅカと同じく何故か意識を取り戻して質問するリコに無言で首を振ると、心配そうに美来を見やる。

「回復してないわ。あれは、無茶してるだけ。最後の力を振り絞っている状態。

そのまま続ければ、美来は――死ぬわ」

きっぱり言い切るイフにユイが呼吸を止める。

どうやら他の皆も気絶状態から回復しているようだ。

「そ、そんな! どうにかしないと、どうにか……」

「どの道滅びる運命だった戦いよ。原点に戻っただけと考えればいいわ」

こんな状況で冷酷な態度をとる彼女に、一瞬噛み付こうとしたユイだったが、それが本心じゃないことに気づかないわけがない。イフの表情は悔しさを噛みしめたような痛々しさを醸し出していたからだ。

「美来さん……」

誰も彼もが絶望し、最期の時を待つだけかと思われた。

 

刹那。

 

視界全てが青一色に染まる。

 

 

※※

 

 

それは、水平線しか見えない無限の空間。音ひとつない静寂に包まれた世界。

先程まで隣にいたはずのイフやユヅカ達は見当たらず、体に受けた傷も全くない。

荒れ果ててしまった土地とも違う、謎の空間。

「こ、これは……」

戸惑いながら独りそう漏らした瞬間、

『やれやれ、ここまで破壊されるとボクも手助けせざるを得ないよね』

「――っ!?」

誰もいないと思われたはずだったが、いつの間にか背後から声をかけられる。

そこに佇むのは濃紺の髪の毛をツインテールに結び、西洋風の服に身を包む、年の瀬12歳程と見られる少女。翠玉のような瞳には年齢以上の強さが秘められているように受け取れる。

それよりも慧が気になったのは、

「いや、お前なんで俺と……“玲音”と同じ顔なんだ……!?」

そう、少女の顔は異世界での慧の姿、玲音と瓜二つだったのだ。髪の毛の長さや目の色を除けば双子と言っても過言ではないくらいに。驚かないはずがない。

『それは至極簡単な質問だよ玲音くん。キミがボクの子孫だから。キミは何回か魔法陣の中で名前を描いているはずだよ。もちろん昔の言葉だから読めないだろうけど』

「子孫……? まさか、あんた神様……」

『正解。ボクが時を司る神、テオ。

キミがボクとそっくりなのもそれが関係している。一族の中でキミが1番時空力が強いのも同じ。

どう、信じる?』

あまりにあっさりと理由を開示し、今度ばかりは年相応に笑ってみせる。これには流石の慧も状況を無視して苦笑せざるを得ない。

「信じるも何もそんな嘘つくやついないだろ……。

いや、今はそんな話している暇じゃ――」

『もちろん承知済み。だからボクはキミと接触させてもらった。時間は止まっているよ。ここはボクらだけの世界、意識領域の片隅だから』

にこやかな笑みから一変、表情を厳しいものに改めて、テオは深刻そうに口を開く。

『このままじゃ、キミ達皆滅びるよね。

美来ちゃんは魔力枯れが近い。そして暴走中。イスタンテは魂を売った代わりにあの力を施行中。イフ達もなす術なし。もちろんキミも何も出来ない』

あまりにも単刀直入に神に告げられ、歯をくいしばる慧。

ただ、事実なので否定も反論も出来なかった。

「いや待て、魂を売ったってどういうことだ? 確かにさっき契約とかなんとか……」

『まだそれは言えないよ。黒幕本人が出てこないと。

そこでだ、玲音くん。ボクはキミに提案したいと思うんだ。覚悟があるなら、話してあげるよ?』

「覚悟……?」

訝しげに尋ねる慧にそう、と頷いてテオは僅かに顔を曇らせる。

『ボクが他の神様と違って“反逆神”って呼ばれているのは知っているかい? そして、その理由までキミは理解している?』

首を振る慧に悲しそうに笑って、テオは質問を投げかける。

『時空や時を操る上で、最大の禁忌は何だか分かるよね』

「そりゃぁ人命の操作……もっと言えば未来に進めること……だろ」

『うん。ボクはそれを一度破っているんだ。とある事情でね。

そして今からボクは同じことをキミにもしろと言わなきゃならない』

目を丸くする子孫に当然の反応だと言わんばかりに一人納得するテオ。

『今の美来ちゃんじゃ枯渇した魔力を再び蓄えるのに早く見ても1週間かかる。それほど消耗しているから。あんな状態だったのに異端者の断罪人(ジョーカーズ・レクイエム)使うなんて無茶し過ぎだよ。あれの負荷はとてつもないというのに。

だから彼女の、彼女自身の時間を進めて回復させるしかない。

ただそれだけじゃ悪魔の力を借りたイスタンテは倒せない。だから、少なくとも“大人”になるまで時間を……操らなきゃいけないんだよ』

あまりに突然の出来事に言葉も出ない慧。それも当然、人の命を未来に進ませる、というのは誰もその人がどうなっているのか知らないということ。悪く言えば、死んでいる可能性だってあるのだ。

「……もし、もしそうしたとして、今の美来ってことは魔力が最大状態の、一昨日までのあいつじゃない未来にってことだよな」

『そうだね。ボクもキミが思っていることと同じこと思っているよ。今の彼女を成長させたくない。本当はね。だって残酷じゃないか、自分たちの都合で思い出させた記憶を再び無理やり時間を進めるなんて……』

しばらく黙り込んだ慧は抑揚のない声で静かに口を開いた。

「――なぁ神様」

『テオでいいよ』

「じゃあテオ……代償は?」

これには流石のテオも不意をつかれたようで、一瞬だけ驚愕したように息を止める。その後で苦笑いをしてため息を漏らした。

『分かってたんだね。

キミはボクの力をほとんど後継出来る逸材。ボクの能力全てをキミに継承されてしまうことは避けられないかな』

「それに対して俺に何か副作用は?」

即座に切り返された2度目の質問に躊躇う様子を見せたものの、慧の真っ直ぐな視線を受け止めると真っ向からそれを見返して返答する。

『最初は完全に継承出来るわけじゃないからボク自身も下界に降りる必要がある。その為の魔力も使うよ。キミも1週間くらいは魔力使えないかも。

恒久的な面で言うと、ボクの能力ってことはボクが出来る時空操作全てをキミが可能になるってこと。

ぶっちゃけるなら、キミ自身が他の神達に標的にされて、ちょっかい出される可能性があるんだよ』

「どうしてそこで他の神様が?」

『んー、実際神様って暇だからさ、隙あらば戦闘仕掛けてくるのとかいるんだよね。全く、うんざりするよ。

キミがいつ彼らに狙われるか分からないから、こんなこと提案したくはないんだけど』

本心からか、申し訳なさそうに身を縮めるテオに、慧は肩を竦めて慰める。

「テオが悪いってことじゃないんだし、それで世界が……あいつらが守れるなら何だってしてやるよ。俺が後悔したくないっていうのもあるけどさ。

だから――」

『そっか、キミなら……そう言うと思ってた』

ポツリ、とほとんど独り言のように呟くと、どこか遠くに視線を向ける。一瞬だけ、何かを追うかのごとく瞳を彷徨わせたものの、悲しそうに、悔しそうにポツリと、

『ずっと、ずっとずっと前……。そうやって“彼”も……』

「彼って誰のことだ?」

関係ないよ、と無言で訴え、テオは笑みを浮かべる。

『ボクが心配するまでもなかったね。

それで1つ先に話しておこう』

テオは右手を慧の方へ突き出すと、その手に金色の光が収束する。やがて現れたのは1本の鍵だった。その柄にはアクアマリンがはめ込まれている。銀色に光を放つそれを、テオはそっと慧に手渡す。

「この鍵はキミがボクの力を使うための媒体。これがないと発動できないからね?

使い方は、その時になれば分かるから大丈夫」

鍵は美来の細剣よりもやや短いくらいの大きさで、見た目に反して重く、慧は取り落としそうになる。

「とにかく……キミはボクが責任持って手伝う。

世界、救ってあげないとね。曲がりなりにも神様だから」

「あぁ……頼むよ、テオ」

「それじゃ、解除するよ。幸運を祈る!」

 

 

※※

 

 

再び進み始めた時間。

テオに渡された鍵は姿を消していたが、使う時になれば顕現するのだろうと考えることをやめた。

相も変わらず美来の大鎌は地を切り裂き、天を穿ち、多大なる影響を及ぼしている。

(とは言っても、どのタイミングで使えば――)

時間が止まる前と同じく、地面に這いつくばったままの慧はボヤいて舌打ちする。

激突する美来とイスタンテに近づこうものなら即座に塵になるだろう。余波ですら地面をひび割れさせているのだ。

(くそ、タイミングさえあればすぐにでも……っ)

「――?」

異変を察したのか、イフはピクリと眉を動かしてイスタンテを凝視する。

「なんかあいつ、予め用意している魔法があるわね。どこに設置されているか不明なんだけれど……。

今、魔力の波が一瞬だけ別の場所に飛ばされていたから何かしら目論んでいることは確かよ」

「まだ何か仕掛けてるんですか!?

たった1パーセントの魔力でほぼ完璧に魔法発動を隠蔽出来るものなんですか?」

静かに頷くイフに続いて慧が返答する。

「たかが1パーと侮るなよ。質が違うんだ、きっと。ただどんな魔法かは分からない、か……。くそ、分が悪い」

どんな奇策で仕掛けてくるか分からず歯噛みしていると、

「あっ……」

リコがついに漏らした声で一同が振り向く。

「美来さんの鎌、何か違う物が混ざっているような。闇魔法の気配だけじゃなくて他の、何かが……」

「他の? リコちゃん、詳しく分かる?」

「無理です、そこまでの力が残ってません……」

ふるふると首を振って否定するとでも、と付け加える。

「なんとなく必死な人の気持ちような、禍々しいとは別のものの気がします」

「人の気持ち……」

イフが繰り返した瞬間、慧は直感的にテオの示したタイミングを悟った。

「今、今なら――!」




異端者の断罪人(ジョーカーズ・レクイエム)はボカロ曲「イカサマライフゲイム」(KEMU VOXXさん)を参考にさせて頂きました。
作中に出てくるマキちゃんの持っているトランプカード、もとい影に映った鎌かっけー!と思い、使ってみました。
かっけー!


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第15章 時の継承者

「春岡さん何を……」

唐突に声を上げた慧を訝しんでユヅカが尋ねる。

その問いに答えずに、右手を握りしめ、微かに燐光を発するそれを迷いなく前に突き出す。

「指し示せ! 創世の大回廊(メモリアル・プレリュード)!!」

回復には程遠く、力の入らない足を踏みしめて、なんとか立ち上がった慧は顔を歪めながら、全身で声を張り上げる。

そこに得体の知れない何かを感じたのだろうか。

たかが一瞬、されど一瞬。

長い間動かなかったイスタンテが美来から視線を逸らす。それを好機と見たか、

「間に、合えぇぇぇぇぇっ!!!」

喀血しながら全ての魔力を振り絞り、どこからともなく出現した、テオから貰った“鍵”を握りしめ、不毛の大地へ突き刺した。

突如、周囲の音が消えた。

瞬間レーザーのように灰色に曇った空を破って地面に刺さる閃光。それは慧の下へ一直線に迷いなく伸びる。

そこから鍵を中心に、同心円状の波は、大きな大きな円を描くかのように広がっていく。波状の揺らぎは12の奇妙な絵柄が並ぶ文字盤を生み出し、荘厳なレリーフが施された輪環が周りを囲んでいく。最後に、空からの光がぐるりと一周して2本の針を形取る。

それは地上からでは捉えきれない巨大な時計。

創世の大回廊(メモリアル・プレリュード)

かつてテオがこの世界と神々の世界を切り離すために造られた異界を分断する門である。

『まったく、世話が焼けるな』

一同が意識する間もなく、慧の前に立っていたのは言うまでもなくテオ。長い髪を風になびかせながら目の前にいるイスタンテを睨みつける。

『そうか、君達には悪魔の階級を見分ける術がないから気付くはずないね。

こいつがやたら強かったのは、生贄を捧げて悪魔の力を借りたからだよ。勝てるはずがない』

後方の美来や慧に向かって僅かに哀れみを含む声で投げかける。

『さらに悪いことにイスタンテ、君は悪魔の中でも融通の効かない気難しい奴を選んだね? いや、選ばれた、が正しいか――』

「……そ、それはどういう……?」

勇気を振り絞り、かすれ声でユヅカが問いかける。

『こいつはね、利用されたのさ。自らの目的のために。

ユヅカ、安心して。ネネは無事だよ。こいつを消せば無傷で助けられる』

名乗ったはずのない名前を呼ばれ、身を震わせるユヅカだったが、気丈に振る舞い質問を重ねた。

「消せばって、そんなのどうやって……。

それに、あなたはどなたなんでしょうか……?」

『ボクが来たからには後には引けない。

創世の時空神、テリオスの名の元に誓おう。この世界はボクも守りたい世界。誰にも壊させやしない』

「神……!?」

迷いなく返された答えに絶句し、言葉を失うユヅカ。それもそうだろう。概念と等しい存在の神を名乗る人物が慧の呼びかけによって現れたなど誰が状況をすぐに飲み込めるだろうか。

「あなたが……かつての戦争を収束させながらも、理を破ったというだけで神界から追放された反逆神……なんですか……?」

震えるユヅカを支えながら自らも声を戦慄かせるユイをちらりと見ると、

『相変わらず人って悪いとこは忘れないんだね。

まぁ間違いはないから否定しないよ。ボクは追放されて良かったと思っているけれど』

厳しい表情を少しだけ呆れに変えてやれやれと首を振る。

『さてと、イスタンテ。君の後ろ盾となっている悪魔、制御しきれていないようじゃないか。だからボクが世界に負担をかけてまで下りてくる羽目になったんだよ? 落とし前はどう付けてくれるんだ?』

パチン、と一回だけ指を鳴らすと、目には見えないが空間が歪み、イスタンテと外界を切り離す。

『それとも“君”の能力に負けると? そうだね、今のボクじゃ勝ち目は薄い。叩き込むなら今しかない』

何を言っているのか理解できない一同をよそに、テオは無表情で淡々と話しかける。そこには慧と話していた時の面影などひとつもない。ただ冷酷に激昂していた。

『準備が出来るまで、君が先かボクらが先か。

世界の明暗、賭けてみようじゃないか。

――玲音!!』

テオが身を翻すと同時に慧の姿が異世界の魔力により適応した姿、つまりテオ直系の子孫、玲音へと変わる。

そこで限界を告げるかのように、イスタンテを拘束していた空間も解けてしまう。ただでさえ大きな負荷を必要とする神の降臨なので、彼女自身が行使できる力は限られているのだ。もし全力を出してしまえば、世界が崩壊しかねない。

自由を得た途端、仕返しとばかりにイスタンテは正体不明の波動を飛ばし、攻撃でテオ達を妨害する。慧――玲音は目をつぶったままそれを無視する。避けるための行動を取っていないため、闇の刃は容易く身体を切り裂いていく。

「春岡さ……玲音さんっ! このままじゃ玲音さん自身が!」

『ユヅカ、我慢だよ。ユイ、美来ちゃんをここに連れてきて』

もう一度指を鳴らして、凄まじいほどに荒れ狂っていた美来の意識を素早く刈り取ると、金切り声のユヅカに静かに告げる。

『アンリミテッド・トラメレス』

その場に佇んだまま、そっと目をつぶると、テオの周りで青白い粒子が回転を始め、玲音に吸い込まれていく。

『イフ、ユイ、ユヅカ、リュウ、クロ。時間稼ぎだ。

詳しいことは言えないけどボクと玲音の準備が終わるまであいつの攻撃、凌ぎ切って。リコ、美来ちゃんをお願いするね。何があっても防御を崩さないで』

未だ状況を飲み込めていない3人に確かな力がこもった視線で訴えかける。

『今、ボクらが相手するのはイスタンテじゃない。その後ろにいるもっと巨大な力だよ。終わるまで多分6分かかる。それまでは…』

「わかりました。テリオス様は時間の神様でしたね?その見立てに大差はないはず。

――皆、やってやろう。6分、それが分かれ道になるわ」

『テオでいいよ。イフ、作戦指示は好きに出してもらって構わない。ただ、全員死ぬなよ』

無言で頷く一同に満足そうに口の端を上げると、一転して玲音の真横へ転移する。

『ボクはあくまで君がボクの力を行使するための術式しか組めない。君自身が魔法を貼る。いいね?』

「任せとけ。美来は……」

自分は棚に上げて美来を心配する玲音をこんな状況でありながら微笑ましそうに眺めて、テオは彼女の肩に実体のない右手を置く。

『大丈夫。ボクとヒナは間違えない。それ以前に美来ちゃんはあいつの子孫。万が一なんて起こらないから』

聞き覚えのない名前とそれとは違うニュアンスを含ませる代名詞に眉をひそめる玲音。

「ヒナ……? あいつって……」

そんな彼女に首を振り、

『そのうち話す時が来るよ。

――玲音、やるよ!』

声に緊張感を持たせながら呼びかけた。

神と悪魔が混じり合う、たった9人で立ち向かう6分間の大戦が始まった――。

 

 

※※

 

 

それは遥か遠い、時の概念すら存在しない過去の話。

神々は全知全能のゼウスによって、その数を増やしつつあった。

火、水、光といった今では魔法五元素と呼ばれるものの原始者や全生物を統べる者、はたまた創造神や太陽神などの実際に形はなかったものにまで、ゼウスは姿を与えた。

現代の地球人がオリンポス12神と呼ぶのは、そういった中でも魔法などの異能を持たない人間の理解が及ぶ範疇での神達だ。音楽、美、海、月、戦闘、富、大地、知恵、女神。それらは全て特殊能力がないために理解出来る範囲の神である。

一方、魔法という能力を持った人々は別の世界を切り開き、平穏に暮らしていた。その中で、全ての事象の発端には何者かの存在がある、という漠然とした理論が展開される。それは次第に信者を増やしていき、ついには仮想の神まで生み出してしまった。

人間の想像力は強大で、いつ行き過ぎた妄想をし始めるか分からない、と予感したゼウスは概念的だった空想上の存在に名前と質量を与え始める。

魔法に用いられる神、物の起源に関わる神、様々に分類された神達であったが、ゼウスは最後に、異能を持たない人間達の想像力から1人の神を生み出した。

それは過去も未来も含め、時の流れを制御する神。

ゼウスはさらに考える。

縦軸で表される時と、横軸である空間は言わば一心同体。ならば、管理者も1人でいいだろう、と。

そしてゼウスは今まで作られた全ての神とは違う外見、性格を持った、唯一子供の姿を持つ神を作った。

それがテオ――テリオスだった。

 

 

※※

 

 

「ちょっとヒナ! それはボクがやろうとしてたのに!」

「バーカ、お前なんかに任せられるかよ。ここからが重要なんだぞ、焦げたらどうする」

神達は基本、暇だ。神界と呼ばれる世界で秩序が乱された時のみ下界に降りる。

ゼウスによって与えられた人格はそれぞれ個性的な為、

「確かにヒナのご飯美味しいけどボクだって女の子なんだよ。それくらい作れるようになりたいよ」

テオと仲良しだった神、ヒナ――彦名は見た目は性格の悪そうな目付きをしていたが、人間が言うところの家事をとんでもなく得意としていた。

「むぅー、なんでゼウス様はボクのことこんなチビに作ったのかな。差別だよ、差別」

「いやいや、そんなつもりは無かったんですけどね。1人くらいいてもいいかなって」

かまどを覗いていたテオとヒナは一瞬肩を震わせて、後ろを振り返る。

そこには机の上に置いてあったヒナ手作りのお菓子をポリポリと食べている神――ゼウス本人が座っていた。

一般的に人間界の想像するゼウスは豊かな髭と屈強な体、というものがセオリーではあるが、実際では純粋そうな青少年、といった面持ちだ。神々だけでなく、男性にも珍しい長髪がさらりと揺れる。

「またあんたか……。俺が料理してる時に限って来るよな、暇人か?」

「それはお互い様、というより我々全てに言えることでしょう。ほとんどが下界の方々と同じような生活をしているのですから」

呆れた仕草で再びかまどに向き直るヒナ。

そう、神達は全員暇で暇で仕方がなく、ヒナのように料理をしたり、ゲームなどの遊戯に時間を費やしたり、またある者は下界に降りて人間の街に遊びに行ったりしているのだ。

「ゼウス様ー、前に言ってたやつ、ワルキューレさんに聞いてくれたのー?」

さっきまでの不満そうだった表情を一変させて、嬉しそうに駆け寄るテオ。そんな彼女をよしよしと撫でながら質問に答える。

「もちろん。彼女は神の中でも珍しいほど暇がない方ですが、空き時間が出来たら会いに来るそうですよ。たった数分かもしれないが許してくれ、だそうです」

「やった! ヒナ聞いた? ワルキューレさん来てくれるって!」

「へいへい、そりゃようござんした」

面倒くさそうに返事して、かまどの中のものを取り出す。

「今日はカルツォーネですか。イタリアという人間界に存在する国の食べ物は素晴らしいですよね」

「その点に関しては同感だ。ま、どうせあんたが来ることは分かってたから多めに作っておいたぞ」

もくもくと湯気をたてるカルツォーネを嬉々として見つめるテオ。ヒナの前にお皿を突き出して、今か今かと待ち望んでいる。

「ったく、火傷すんなよ?

ほい、あんたの分。奥さんと子供さんのも入れといたからな」

「彦名君は優しいですね。何だかんだ家族の分まで用意してくれているとは」

「あんただけに美味しい目に合わせるのが嫌なだけだ」

にこやかに感謝するゼウスにキッパリと反論するヒナ。

「ボク、ニッポン?のアニメで見たよ。それ、ツンデレって言うんだよね」

「うるせぇな、取り上げるぞ」

真顔で見下すと、慌てて口の中に残りのカルツォーネの放り込むテオ。途端に熱さで悶絶する。

「さて、そろそろおいとましますね。

なんだか久しぶりに下界が騒がしくなりそうなんで。

彼が戻ってきたらよろしくお伝えください」

「騒がしく……? おい、何が起こる?」

怪訝そうに眉をひそめるヒナに、

「詳しくは言えませんが、どこかの神が下まで影響するほど大暴れしているようです。もしかしたら貴方達にも緊急で招集がかかるかもしれませんね」

お土産のカルツォーネをナプキンで包みながら答えるゼウス。そのまま一礼して、来た時と違って律儀にドアから出ていった。

「おいテオ。どう思う」

視線をドアに向けたままヒナは低い声で問いかけた。

「うんとね、確かに下で大荒れになってる。魔法界は対処出来てるけど人間界が危ないかも……」

もぐもぐと口を動かしながら状況を把握するテオの答えに舌打ちする。

「もしかしてあいつか? 前も一度こんなことあったよな」

「恐竜さんが滅んだ時? あれはグレイスさんがフェイムルさんに激怒したからだよね。

それとも……」

 

 

※※

 

 

このように、神といっても下界の人間とほぼ同じ生活を送る日々の繰り返し。

そんな中、唯一多くの神が地上に降り立った瞬間があった。

冥界の王ハデスや管理者のワルキューレも厳重に見張っていたはずの滅んだはずの悪魔が侵攻した時である。

神々はありとあらゆる手を使い、元いた黄泉へ返そうとしたが、如何せん分が悪い立ち回りとなった。世界を壊さずに防御し、攻撃しなければならないのだ。

世界を壊さず、というのはつまり自らの力を大幅に制御しなければならない。さらに言えば、下界に降りるだけで空間に負担がかかる神の存在なので、振るえる力も極わずかなものであった。

そんな戦況を根本からひっくり返したのが他でもないテオであった――。

 

 

※※

 

 

「ユヅカ、相反関係の闇魔法発動!」

「イフさん第二陣出来たぞ!」

「回避まで2、1、今っ」

戦いに不慣れなユヅカ達をイフとユイが先導になり、危なげなくこなしていく。

巨大な魔法陣を発動させながらひたすら呪文を呟き続ける慧の身体には既に数えきれないほどの擦過傷が目立っていた。

リコが様子を見守る中、美来はピクリとも動かずに昏倒していた。

危機が迫っていることに流石に気付いたか、イスタンテはますます激しく抗戦する。ユヅカ達では捌ききれない魔法を防いでいくイフも、如何せん実力差の前では僅かに劣勢であった。

「イフさん俺そろそろしんどいかも――!」

「交代して! ユイ、回復5秒!」

テオが提示した6分という時間はあまりにも長すぎた。

疲れが見え始めた後方支援のリュウが叫ぶと、イフは無理矢理にでもブレイクを作り、自らの消耗を考えずに指示を飛ばす。

それでも集中力が微かに届かなかった。

「ユヅカぁっ!」

「――っ!?」

クロがほんの少し打ち漏らした炎がユヅカに迫る。

イフが振り返るだけの余裕すらない。

魔法を発動する起動式を立てる暇もない。

 

『邪魔してんじゃねぇ』

 

突如、静かに響き渡る声がした。

再び、空間が軋んでユヅカの前に1人の青年が姿を現す。

和らげな赤の髪の毛に、若草色の和服姿が映える彼は炎に向かって大きなこづちを振り投げる。風をきって飛んだそれは出現元から火を蹴散らし、消滅させた。

『――ったく、相変わらずやってんなぁお前は。

加勢してやるから早くしろ』

『――!!』

驚きを露わにして口をぱくぱくさせるテオ。それを気にせず、侍のように腰に挿した刀のようなものを抜き放ち、ユヅカを庇うように進み出る。

『ぼーっとしてる暇ないぞ。全員完全に回復させろ。それまでは助太刀してやる』

「あ、ありがとうございます……!

あなたももしかして……?」

『無駄話は後だ。テオがいるせいで俺も無闇に力は出せねぇ。物理的にしか攻撃は出来ないからな』

礼を言うユヅカに肩を竦めて笑いかけると、

『おいテオ!後で落とし前は付けてもらうからな!』

そう叫んでイスタンテに切りかかる。

危なげなくも避け続ける相手に面倒臭そうに彼はため息をつく。

『これだから下界は不便なんだよクソ野郎』

鬱憤を晴らすかのように攻め続ける体勢は回復をするユヅカ達に一瞬でも攻撃の手が向かないようにするため。

ユイの必死さのおかげか、一切の滞りなく、全員の回復が終了する。

「あの、完了しました!」

『よし。テオ、あと何秒だ!?』

『35!』

『ふっ、上等だ。お前ら、んーとバフ?とかいうのを……そうだな、ユヅカに付与しろ』

「――え?」

『早くしろ!使い勝手が良さげなのはお前だ!』

「わ、わかりました!いくよみんな!せーのっ――」

使い勝手、という言葉に少したじろいだものの、ユイやリュウ達は自分が出来る最大限の支援魔法をユヅカに注ぎ込む。

『ユヅカ、本体借りるぞ』

「わ、わわわっ!?」

彼はそういうなり吸い込まれるようにしてユヅカの中に入っていった。

『おいお前実は“裏仕事”とかやってる立場じゃねーだろうな……?』

ユヅカに乗り移った彼の僅かに戸惑う声が聞こえたものの、状況が状況なので深く考えたものはいなかった。

ユヅカ()が刀を中段に構えると、その周りが僅かに光沢を帯びる。短く息を吐いてから飛び出した“彼女”は突進だけで迫り来る障害を蹴散らしていく。吹き飛ばされた魔法や物体は跡形もなく宙へ消え、その度に刀は深い光を纏っていく。

「すごい……」

ユイが思わず呟くと、隣でリコも首を縦に振る。

バフを掛け続けたユイ達の苦労と“彼”の手助けにより、テオの提示した時間がようやく過ぎ去り、玲音が叫び声を上げる。

「皆下がってろ!」

「み、美来さんはどうするんですか!?」

『ボクが預かるよ』

反射的に叫び返したユヅカを諭すように落ち着いた声音で呼びかけるテオ。

昏睡状態の彼女をふわりと持ち上げて、玲音の前にそっと寝かせる。

『玲音、もう一度だけ言うよ。後悔しない?』

「ここまで来て後悔も何もない。僕がやりたいと思った、それだけで十分だ。ルールなんてクソ喰らえ」

覚悟に充ちた玲音の顔を満足そうに眺めてから、テオは彼女の傍に付く。

『天命を受け継ぎし継承者よ、我の願いを聞き入れたまえ――』



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第16章 禁忌を破っても守りたいもの

紺碧の粒子が辺りを支配し、魔力の渦となって玲音とテオを取り巻くように螺旋を描く。

早口で呪文を唱えるテオを目を閉じて待つ玲音。覚悟に充ちたその表情に不安を覚えるユヅカ達も何も言うことは出来なかった。

何が起こるのか。

彼女達の言う“覚悟”とは何なのか。

そして、底知れない正体不明の恐怖は何なのか――。

無意識に肩を震わせるユイを同じく心配そうに眉を寄せながら手を握るユヅカ。魔力を極限まで振り絞った代償か、霞む視界を懸命に保とうと精一杯目を見開くイフ。未発動の魔法陣の横で立ち尽くすリュウとクロ、そして美来を見守っていたまま視線だけ2人に向けているリコ。

それぞれが同様の複雑さを堪えながら時の操者達を見つめる。

「……時を束ねし悠久よ」

無言で悲しそうな笑みを称えるテオと目配せして、玲音は一言ずつ、絞り出すように言葉を紡ぐ。

「その意志と遺志とを統べる輪廻の継承者によって、蘇り具現せよ。乞い願いたもう声に傾聴し、糧と成れ。

――汝の咎を解放し我に与えたまえ!」

刹那、粒子達が爆発するように共鳴し、猛然と地面に吸い込まれる。向かうは美来の真下だ。

『早く言うことを聞け……!彼女もボクと同じだ!!生半可なやつなら切り捨てるのは分かっているだろ!!』

突如まだ宙に漂う光の粒達を罵倒するテオ。ぴくりと揺れたそれらは一瞬にして同じ色を持つ光の元へ殺到した。

ひとつ残らず粒子が吸い込まれた――そう目視出来たと一同が思った時。

地面に寝転がる美来の下が再び煌々と輝き出す。すると、鐘の音が周囲に響き渡った。

 

 

リンゴーン、リンゴーンと、その音に反応しながら地面に魔法陣が描かれていく。

それは玲音がテオを召喚した時のものと酷似した、時計版のような輪環の集合体。しかし違う点を上げるのであれば。

「数字が、15まで……?」

戸惑いの声を上げるユイに、イフがハッと表情を変える。

「違うわ、あれはきっと年齢……。その証拠にほら、15の先に数字はないけれど空白のスペースがある」

本来の12時の位置に2本の針はあるものの、浮かび上がる数字は明らかに異なっていた。相違点の意味にいち早く気付いた彼女は、さらに息を呑んで魔法陣を凝視する。

「覚悟……まさか、だからテオはああ言って……!?」

「イフさん、何に気付かれたんですか?」

焦るような、それでいて困惑に充ちた声音で応答したのは、

「2人は、時空の中で禁忌の一つを――未来の美来さんまで進めようと……!」

腰が抜けてへたりこんだままのリコ。その答えにイフは小刻みに首を縦に振る。

「もしかして、それが昔テオさんが追放された理由?」

「確定ではないけれどそうでしょうね……。そうでなければあそこまで神と呼ばれる存在である彼女が張り詰めることはないわ」

「じゃ、じゃあ玲音も同じ事をしたら全く一緒の……」

「でも俺達が止めたところで解決策は他に無いんだろ?

それなら俺らは見てることしか出来ねぇじゃんか……」

最もなクロの発言に一同は黙り込んでしまう。

各々は心配そうに2人を見つめ続ける――。

 

 

※※

 

 

咎――。

そう、罪だ。ボクが前に、ずっとずっと前に犯してしまった禁忌。

世界を守る、それがボクら神様の使命であり義務。

まだ作られたばかりのボクがその意味を知ったのは他でもない、あの時。

神は死なないと言った“あの人”ですら想像し得なかった、ボクら史上最悪の事態。

そのせいでリリは死に、ヒナは全力を出せなくなった。

そして、ボクは神界から追放された。

世界を救うため、ボクはリリ自身の時を進めなければならなかった。リリの神としての特性上の理由で。

それと、何が違うだろうか?

今の玲音と、昔のボク。

美来ちゃんは死なない。だから?

力を継いでいる玲音に同じ目を合わせることになる。

でも、これしか方法がないんだ……。

ボクじゃ今の事態は解決出来ない。“神”が対抗できない力を持つ者を妥当可能なのは、無限大の可能性を持った人間のみ。

だから――。

 

 

※※

 

 

「――テオ、これは僕の結論だぞ。お前が悩んでどうすんだ」

一連の式句を唱え終えた玲音が、テオにだけ聞こえる音量で呟いた。

『な、悩んでなんか……』

「ばーか、僕がどれだけどっかの誰かさんの嘘を聞かされていると思ってんだ。バレバレなんだよ、下手くそ。

そりゃな、テオの提案だ。でも受け入れたのは僕でしかない。自分をあんまり責めるなよ」

『だからこそ責めるんだよ……!ボクは……!』

「天を司りし大御神よ、闇に堕ちんとする彼の者に、光を」

『――!? 』

「いいから見てろって。多分、綺麗だぞ」

ニヤリと笑った玲音は遂に魔法陣を起動させた。

 

 

時計版の針がゆっくりと動き始める。長針がじりじりと15まで迫り、止まる。すると先程までの粒子が球体状に回転を開始した。同時に15で静止していた長針を無視して、短針だけがくるりと回り、15を過ぎ、本来の時計ならば7と8の間と見られる位置で動きを止める。

やがて美来を丸ごと包み込む形で浮遊すると、青白い燐光は段々と白熱した炎のように白へ近づいていく。

太陽光の如く限界まで輝きを宿した光源は放射状に散開し、流星のように空へ消えていった。

「あ……」

果たしてそれは誰が漏らした声だったのか。

地に横たわっていたはずの美来が、消えた光球の中心で静かに、微動だにせず佇んでいた。

相も変わらず右手に大鎌は携えたままではあるが、

「あの、闇の大きさが……」

体を返してもらえたユヅカが呆然として呟いたように。

溢れ出るばかりだった闇は穏やかに揺らめいている。それでいて、その量は格段に増しており、鎌の周りは星空のような夜の輝きを醸し出していた。

本人にとっては不本意であろうが、身長の変化は大して見られない。僅かに大人びて見える顔つきは少しばかり伸びて、風に煽られている前髪に半ば隠されている。闇を携えながら、光を纏ったその姿はどこか人間離れしていて、普段の美来からはかけ離れた神々しさを感じさせた。

枯れるほどに消耗していた魔力は元のキャパシティを無視して増大しており、底を突く気配がない。

「これが、美来さんの未来……?」

『そうとも限らないけどね。将来なんて変わって当たり前のものだから。

それにしても……』

ようやく口を開くことが出来たユイの囁きに、テオは感嘆しながらため息をついた。

『んで? テオ、ここまでやったからには解決策があの娘なんだろうな? あいつにはバレているだろうが』

『まぁね。後は、玲音に任せてボクは退散するよ。空間が悲鳴あげてるから。

――みんな、最後まで、頑張って』

ニコッ、と微笑んでテオは姿を消す。それに伴ってもう一人の神様らしき人物も手を振って虚空に消える。

2人を見送った一同の視界の端で、やっと、と言うべきか。美来が久しぶりに言葉を発した。

「……イスタンテ、貴方の行いは審判にかけられた。

“彼女”に変わって、貴方を断罪します」

凛とした態度で言い放つ美来に圧倒されたか、顔を引き攣らせたものの、なお反抗するように臨戦態勢を取る。

「……玲音、いいんだよね?」

まだ鎌の刃を下ろした状態で美来は後ろの玲音を振り返る。

何もかもやり切った、と言わんばかりに頷くと、

「僕が出来ることはこれくらいだから。美来にしか、出来ないから、僕も手助けする。

遠慮しないで」

魔法陣をより一層輝かせながらキッパリと言い切る。満足げに一瞬だけ笑みを讃えるとその表情を消し、右手で鎌を斜めに持ち、左手で支える。

「――ごめんなさい」

ごく小さな声で謝罪をしてから、ゆるりと鎌を振りかぶる。イスタンテが飛ばす無駄な抵抗魔法も、鎌が纏う闇に触れた途端消滅し、最強の盾となる。

二度、三度と刃と魔法とをぶつけ合うものの、その戦力差は歴然だった。

派手な動作をした訳でも、超高速で動いた訳でもない。

 

ひゅんっ、と風を切る音がした時にはイスタンテの姿はそこにはなかった。

 

 

あまりの呆気ない終わり方に一同沈黙の中、柄の部分を肩に引っ掛けながら美来は後ろを振り返った。

「――イスタンテ、本人の存在は消滅。

継続、する……?」

「本人……?」

「黒幕、裏でイスタンテを操っていた奴はどうする……?」

そこで玲音を除く全員がハッとしたように顔色を変えた。

「そいつを倒さなきゃ止まらない!?」

すると冷静に答える声。

「いや、いいよ。今は被害を与えないはずだから。世界の崩壊だけ、守れる?」

「出来るよ」

一言だけ、素っ気なく発すると肩から外した鎌を空高く放り投げる。

3回転ほどしたそれが再び美来の手に収まった時、鎌は形状を変え、片手サイズの竪琴――ハープになっていた。

闇色だった色彩は正反対の純白を纏い、光を放っているわけではないものの神々しく見え、ユヅカ達の視界を数瞬焼いた。

「…………」

無言でハープを左手に持ち、右手でそっと撫でるように弦を弾く。

音が響いたわけでもないのに、空気が震えた。

美来の指が弦をなぞる度に、空気が、大地が、小刻みに振動する。

「オルフェウスの竪琴……」

イフが述べた名前は神話上に伝わる楽器だ。それが奏でられればその場のものは一人残らず聞き入ってしまう、使い方を間違えればハーメルンの笛吹き男ともなってしまいそうな危険な神器。

美来は1分ほど音のない演奏を続け、最後の振動の余韻が消えるまで、弦から手を離すことは無かった。

「もう大丈夫。1時間くらいかかるけど全部元に戻るから」

「……ありがとう。無理矢理未来から連れ出して悪かった」

頭を下げて“未来の美来”に謝罪と礼をすると、本人はほんの少し嬉しそうに一人頷いた。

「……玲音、ルールに触れない程度に伝えておくね。

いつか、また危険に晒される。テオとヒナが動いたせいで“彼ら”も黙っていられない。

“私”は戦力に、なれない。

――熟考して、対策して、そして……負けないで」

今の、中学生の美来が絶対に浮かべることの無い、柔らかな表情で警告すると玲音の傍に寄って、他のみんなに聞こえないように何らかを耳打ちする。

ギクリと体を硬直させた玲音をくすくす笑うと今度はユヅカの方を向く。

「ユヅカは、後悔しないように行動するんだよ?」

「後悔……」

オウム返しに怪訝な顔をするユヅカを安心させるように美来は続けた。

「大丈夫、普段通りのユヅカでいいんだよ……ね?

あと、イフ……頑張れ」

「――は!? 唐突に応援されても」

「後々分かるよ、嫌でも。

もうそろそろ時間だよね、玲音」

ぎこちなく首を振る玲音を視界に収めると、じゃあね、と手を振り目を閉じる。

シルエットが一瞬にしてぼやけ、それが収まると元の――中3の美来に戻っていた。まだ意識を取り戻していないらしく、直立状態からふらりと傾いた体を咄嗟に玲音は押さえる。

「玲音……」

心配そうに美来を覗き込んだイフを安心させるように玲音は軽く頷いた。

「多分大丈夫。消耗はすごいけど命に別状はないよ。

にしても……」

「未来の美来さん、なんかすっごい大人びてましたね」

「まぁ10年後くらいにはああなってんじゃね」

見かけだけに注目しているユヅカやクロを傍目に、玲音とイフは気難しい顔を見合わせた。

「僕、嫌な予感しかしないんだけど」

「同感ね。オルフェウスの竪琴……あんなもの、人間に扱える品物じゃなかったはずよ……。伝説に存在するだけで今の学者レベルでは解明出来てないわ。

そもそもの話、異端者の断罪人(ジョーカーズ・レクイエム)ですら常軌を逸してるわ。天地改変を容易く行える大鎌なんて聞いたことも無い」

「見てはいけないもの見た気がするなこりゃ。

パンドラの箱開けちゃった系の」

やれやれと眉間を押さえながら大きく息を吐く。

「とりあえず今回は収束出来たわね。

問題は黒幕と次に起こりうる色々……。

――そういえばネネとかは帰ってこれたのかしら」

「あぁそれに関しては」

「来たも何も全部見とったんじゃいあほんだら!」

そう叫び声が聞こえて、玲音とイフが見上げた途端、空中から飛び蹴りをかますものの、あっさりと避けられるネネ。

「もうあんなの懲り懲りだよ。イスタンテのやつ、圧縮して凍結処理して生命維持活動停止させとくとか信じられんから!

まじその黒幕とやらに会ったら1発殴らせろ!」

怒り心頭で拳をぷるぷるさせながら八つ当たりのように玲音の足を地味に小突く。それを白けた表情で見ていた玲音であったが、

「――ネネっ!」

脇から飛び出してきたユヅカに体を50センチほど吹っ飛ばされた。

「わ、ちょ、ユヅカどしたん」

「どうしたも何も急に姿見えなくなって、どこ行ったか分からなくてどうすればいいか方法見つからなくてどれだけ心配したと思ってるんですか!

二度と会えないかと思って、私……」

勢いでまくし立てるユヅカに珍しく目を白黒させながらネネは慌てて答える。

「そ、そんなこと有り得ないって。ネネがいなくなるのは死んだ時だけだ! 安心せい!」

「いや、それ安心出来る言葉じゃねぇって」

ジト目で反論する玲音の後頭部を軽く殴ると、今度こそ安堵させるかのように笑いかける。

「まぁまぁ、今回のところは解決したんでしょ?

なら帰ろうよ。ネネとユヅカは大量の処理が待ち受けてるんだから皆にも問答無用で手伝わせるからね」

「うげぇ……。ネネ容赦ないから嫌いだ」

「おいおい次期女王かもしれない相手の御前でそんなことを言っていいのかねクロくん?」

茶化すネネにため息すると、リュウとリコの元に戻っていった。

一方ユイは、玲音に抱えられた美来のそばで申し訳なさそうに座っていた。

「イフさん、何が間違ってたんでしょう。元団員の責任なんて綺麗事言うつもりもないですけど美来さん1人に押し付ける形になったような気がして……。

玲音くんに対してもそうだし」

「確かにあたし達には一生付き纏う運命ではあるけれど、気負いすぎも良くないわよ。美来の場合は特殊だし、玲音もとい慧も同じく。あたしやユイに何か出来るものではなかった。

とにかく今は事後処理に努めましょう。協力するから」

頷いたユイの肩を叩いて、ユヅカに向き直る。

「さてと、ユヅカちゃん。戻ったら何すればいいかしら。リュウとクロはまぁ雑用に回されるのだろうけど、リコなんかは資料系のまとめが向いてるわよね?

ならあたしは各地の情報収集とかすれば最善だと思うのだけれど」

「えっと……、そこはネネや他の大臣の方々などに聞いてみなければなんとも。イフさん達も巻き込まれた側ですから聴取はされると思いますけど。

とりあえず1時間待って、そこからどうするか向こうで決断ですね。

美来さんに関しては……王宮の医務室に一度監禁ですね。そうでもしてないと目を覚ました時に『手伝う!』とか言い出しそうですし。玲音さん、運搬お願いします」

運搬ね、と苦笑する玲音に同じような表情で返してから、まだ怒り心頭のネネの方へ歩み寄る。

「ネネ、お母様達は王宮の方に閉じ込められていたので今頃は無事に解放されていると思います。

今後の処理があるので戻りますか?」

「うへぇ、もうそれ聞いただけでやる気なくすわ。

まぁ早く帰るに越したことはないからね、戻ろう」

 



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第17章 未来への因果

玲音――もとい慧の転移で一同は王宮へと引き返した。

いろいろな面で消耗の激しかった美来を、同様に時空を操りまくった慧と医務室に閉じ込め、ネネとユヅカはイフやユイを引き連れて会議室へ足早に向かった。

無事を喜ぶ幹部達を尻目にため息をついたネネ達は、王であるネネの父親と共に事後処理に取り掛かる。

概ねイフが予想した通りにそれぞれが分担を受け持ち、混乱している国内情勢の精査にかかった。

世界規模の事件だったため、国外にまで混乱は広がっており、休む暇などない。

そんなこんなで王宮内も国民もバタバタしているさなか、休憩を申し付けられた慧は暇そうに椅子に座り、まだ寝ている美来を頬杖をついて監視(?)していた。

先日までの喧騒が嘘のように快晴な空に鼻を鳴らしてから欠伸をしていると。

「春岡さん、失礼します」

宮内専属医師であるイアが奥にある自室から顔を覗かせていた。まだ30半ばほどと見られる若い顔立ちには疲労が色濃く刻まれている。

「すみません、他の治療で手一杯だったおかげであまり時間を割けず」

「いやいや、俺に謝ることじゃないっすよ。イアさんの腕は確かなんですからそっちに駆り出されて当たり前ですって」

国内でも一二を争う程の医者なので、国中の負傷者や精神的に参ってしまった人の看病も行っていたのだった。実質、美来の治療にかけることが出来た時間は数分である。

「それで、美来さんの回復についてですが。

魔力、体力的に全て問題ありません。魔力の方は多少時間がかかりますが。

ただ、詳しくは分かりませんが魔力源が激しく損傷していました。心当たりは?」

問われた慧は顔をしかめてもう一度ため息をついた。

極限まですり減った魔力を補う為、いつもの如く美来の体は縮んでしまっている。魔法界の掟上、一度でも魔力消耗の際に小さくなってしまうと、恒久的にその影響が及ぼされるらしい。

現在は9歳くらいの身長しかない美来に視線を落とす。

「嫌という程ありますよ……。

ほぼ魔力切れのところで精神状態に左右される特殊な魔法を使ったことですかね。膨大な大きさの魔法ですし」

「……そうですか。あ、いえ、もうほとんど損傷も治っているので後遺症はないですよ。安心してください。

……失礼だとは思いますが美来さんは5年前、“ここ”にいましたものね」

唐突の思いがけない発言に流石の慧も息が一瞬止まった。

「睨まないでください。あの事件より前から私がここで働いていることは春岡さんもご存知のはずです。

その時と同じ傷つき方を美来さんはしているんです。一点だけ違いをあげるとしたら魔力を無理やり拡大させた跡が残っている、というくらいでしょうか」

「無理やり……」

慧はイアの言葉を繰り返すと肩を落として美来を見た。そこに浮かぶのは後悔か、それとも。

明らかに慧が原因だ、と自ら言っているような態度であったが、イアは言及しなかった。

「春岡さん、悔いはありますか」

正面から聞かれた問いの真偽を理解出来ず、不思議そうに質問者に視線を向ける。

「変な質問ですよね。

私も完璧な医者ではないので、今まで見てきた全員を救うことは出来ていません。いくら科学や医療、魔法が発達しても救えない命はあります。

大抵全てを救おうとすると代償が必要です。私の場合は妻でしたが。

おそらく春岡さんが美来さんの魔力の器をこじ開けたのでしょう。本当かどうかは答えなくていいですよ。

それは、間違っていましたか?

結果として、春岡さんの判断は悪い結果を導きましたか?」

「それ、は……」

寝息をたてる美来はあどけなく、世界を救ったとは到底思えない。毎回毎回瀕死になり、その度に時間を巻き戻して今度は皆でたちむかっていく。

いつからそんな非日常が日常的になってしまったのだろうか。

いつも手を貸している慧からしてみれば美来の行為は理解は出来るものの、二度とやって欲しくないことばかりである。それでも期待してしまうのは。

「俺、何が最善なのかよく分からないです。必ずと言っていいほど美来は怪我します。自己犠牲が当然とばかりに傷ついて、どこからか勝機を持ってきて。

大した偽善ですよ、全く。

でも、それを俺の意思で手伝っているんで、助けたこと自体の悔いはないです」

「なら、今のままでいいと思いますよ。医師の私から見ても重症を負い続けるのは気に障りますが黙認する他ないでしょう、性格柄ね。

――起きたら何か食べさせてあげてください。私はまた離れなければならないので」

去っていくイアに軽くお辞儀をしてから慧は立ち上がって伸びをする。ここ8日、眠りっぱなしなのでそろそろ起きても良い頃だと誰もが予測しているのだが、その様子がまるでない熟睡度合いの美来である。

「……ほんと、嫌になるよなぁ。

黒幕残ってるとか望まねーっての……」

まだ、根本的には解決していない一連の事件。

イスタンテを操っていた何者かは未だに足取りを掴ませない。

ただ、なぜそこまで美来に執着するのか。

美来は過去が過去だったので記憶を封じられていたが、

(まさかまだ隠されてるとかないよな、イフ……)

記憶喪失の実行犯であるイフとユイを少しばかり疑ってしまう慧であったが、考えるのも馬鹿らしく後ろのベットに背中から倒れ込む。

(クロが犯人を炙り出すためにイフに利用され、その感情をさらに利用してイスタンテがはめられた、か)

この連鎖はどこまで続けばいいのだろうか。

随分と遠回りをする真犯人である。そこまでの実力があるならば真っ向から対立しても力量は拮抗しそうなものだが。

(俺、美来、イフ、ユイ、ネネ、ユヅカ。今回の件でクロ、リコ、リュウを入れて美結や圭佑にエアール、アカネか。加えていいか知らんがテオと助けてくれたもう1人も大丈夫そうとすると。

完全に味方同士と言えるのはこの辺だけだなぁ)

13人プラス神様。

果たしてどれほど対処できるのだろうか。

「ま、今考えることじゃないな」

「何が?」

「ぬわぁっ!?

……ネネ、驚かすなよ」

反応が面白かったのか、ひとしきり笑った後、無音でやってきたネネは物珍しげに慧を見る。

「いくらなんでも慧がネネに気付かないなんてよっぽど注意力散漫でしたなぁ。

なんか悩み事?」

すると明らかに気分を害したようにしかめっ面をして下に視線を向ける。

ネネが無言で促すと慧は肩をすくめて誤魔化した。

「いや、今話すことじゃないよ。その時が来たらでいい」

何それーと不満そうに顔をむくれさせたものの、それを一瞬で消し去り、爆睡美来を覗き込む。

「起きてたらマイファザーの提案話そうと思ってたのに。

慧には先に言っとくけど、国全体に話すのも大変だから王宮のホールでパーティーと称した説明会開くらしいよ。そこに2人も招待したいってさ」

「げぇ……勘弁してくれよ。ドレスコードとか1番嫌いなんだが」

うんざりした様子で呟く慧。本当に嫌いなのか、絶望の色が伺えた。

「んじゃ玲音で行けば。そしたらママに使いやすいドレスデザインしてもらうから。

それでいい?」

反抗も無駄だと判断したのか、何も言わずに死んだ目をしながらよっこらしょ、と体を起こす。気だるげに椅子に座り直してから、話題を変えたいのか呆れたようにネネを見た。

「こんなとこいていいのか? 知り合い1人に割いていい時間じゃないと思うんだけど」

「今まで働き詰めだった奴に言うセリフ? だからモテないんだよ」

冗談に突っ込む気力すら湧かずに首だけ振って先を促す。

「ユヅカに様子見てきて欲しいって言われただけだよ。

当ては外れたけど。

不謹慎かもだけどさ、このまま起きない方が平穏だったりしてね。そう思わない?」

「……答えろと? 性格悪いな」

「嘘だよ嘘。そんな怖い顔向けないでって。

とりあえず起きたら言ってね。それまでは慧も缶詰だから。問答無用で」

軽い足取りで医務室を去るネネを見送ってから、何度目か分からない嘆息。

ベットの上の美来は、時折呼吸のために上下するお腹以外身じろぎ一つしない。

(起きない方が平穏ね……)

嘘だとは言っていたものの、半分は本心なのだろう。それくらいネネの目は真剣だった。何気なく放った言葉だったのかもしれないが、同情してしまった自分がいたことに嫌悪する。

(覚めないなら覚めないでいいんだよ……。

少しくらいいいだろ……)

なのに、何故だろう。

無意識に苦しくなる呼吸を整えようと深く息を吸ったものの、吐く寸前で苦しさの正体がいやおうなしに慧の思考を殴る。

「……はっ、自分に小さい嘘すらつけないか。

弱っちいな、ほんと、ダメだな俺……」

何が最善?

何が本心?

優先すべきは何?

「勘弁してくれよ。俺はそんなだからいつまで経っても“止まってる”んだろうが」

もう後悔しないと決めた。

いや、テオに選択を迫られた時から後悔は出来なくなった。

自分に貼られたレッテルを剥がせたらどれだけ気楽だろうか。でもそれは美来もある意味では同じであるのだ。重みの方向性が違うだけで。

だからせめて。

(今だけは、寝ててくれよ――)

国内の喧騒をよそに、2人は静かに休息するのであった。

 

 

※※

 

 

「…………ん」

ふいに聞こえた小さな声が微睡んでいた慧の鼓膜を突き刺した。

日はだいぶ傾き、夕方であることを伺わせる。

眠たさに霞む視界を手で擦って、声の主を直視する。

「み、美来……?」

「――、んー……」

思わずそう漏らすと、さっきよりはっきりと声が聞こえた。

まだ目はつぶっているものの、

「起きた……?」

「さ……と、る?」

怖々と尋ねた慧に返答があったことを考えると起きていることは確実で。急激に覚めた視界が布団の上で主張するようにぷらぷらと揺れる小さな右手を捉えた。

「それ、何言いたいの」

「ん、起きた」

しばらく寝っぱなしが原因か、掠れた声で応答すると、

「眩しい……」

光を嫌がるようにようやく開けた目を細める。

「西日だから余計か? カーテン閉めるから待ってろ」

備え付けの遮光カーテンを端から端まで全て引っ張る慧。

「もう体調とか大丈夫か? 気だるさとかない?」

「た……ぶん。魔力も4割くらい回復してるから、無事な……はず?」

質問で返すなよ、と苦笑してベッド脇の椅子に再び腰掛ける。8日間飲まず食わずのせいで少し痩せたように見えるものの、至って変わった様子のない美来である(身長を除けば)。

「慧、みんな、は……?」

「ネネ達は皆事後処理に追われてる。流石にあんな大事があった以上、大変みたいだぞ。俺とお前は休養命令出されてここに言わば軟禁状態だ」

「もう、大丈夫……?」

「誰かさんのお陰で助かりました」

冗談めかして言うとくすくす笑って慧を見る。

「私、なーんも覚えてないけど……。きっとまたなんかやらかして、慧が助けてくれて、どうにかなった……?」

答えることを避けるように、慧は何も言わずに立ち上がって背を向ける。

「やっと目覚ましたんだから、ネネ達に報告してくるわ。

大人しくしてろよ」

「……うん」

 

 

「美来さぁぁぁん! 良かったです、ちゃんと目が覚めて」

「ユヅカ、いくらなんでも感激しすぎでしょ。美来が困惑してるよ」

「ん、ユヅカ元気。ぶいぶい」

元気なのかよく分からない返しをして、ユイとユヅカにピースサインをしてみせる美来。

「そういや、美来の“あっち”はどうなってるのかしら?

学校行かず、家にも帰らず状態だったけど」

「ユヅカに処理頼んだからその点は問題ない」

「えっと、はい、そうですね。ちゃんと誤魔化せるとこは誤魔化して連絡してあります」

ユヅカの言葉にニヤリと笑った慧は、

「ついにユヅカが隠蔽工作し始めたか。この世の終わりだな。ちなみになんて?」

遠回しに明解を避けたユヅカを問い詰める。

「ふ、普通に親御さん側には部活での合宿、学校側には法事と」

これにはネネも堪えきれずに笑い出す。ユイも然り。

「こりゃ美結辺りがたまげもんだね。てんやわんやだ、きっと」

「ん、後衛減ってる……」

至極真面目な顔で(実際には無表情なだけだが)、テニス部事情を漏らす美来。

「ユヅカ、璃奈は元気……?」

「えっ? あ、はい。ぴんぴんしてましたよ?」

「ぴんぴん…………」

復唱すると、それきり黙ってしまう美来。視線を布団に落として何やら一点を見つめている。

「美来さん大丈夫? 起きたばっかりだから疲れた?」

力なく首を横に振って困ったようにポツリと呟く。

「ユヅカ……。私、何部?」

「て、テニスですよね」

「私の親友、誰?」

「変わっていなければ一木真白さん」

「ユヅカ、なんでこれ聞いてるか分かる?」

これには流石のユイ、ネネ、イフ、慧も戸惑うようにお互いの顔を見合わせる。美来が何をしたいのかさっぱり意図が汲み取れない。

「そう言われましてもなんの事やら……」

「ユヅカ、私何年何組何番、担任は、璃奈の学年は、テニス部でのペアは!?」

「ちょ、突然どうしたの美来!?」

明らかにおかしい美来の言動にあたふたと中に割ってはいるネネ。それすらも弱々しく押しのけて、

「……」

一瞬、考えるような素振りを見せた美来に慧は首を傾げる。

「どうした? 何か気になることでも――」

その言葉が終わらないうちに、ベッドから飛び出して、故意にあの鎌、異端者の断罪人(ジョーカーズ・レクイエム)を出現させ、躊躇なくユヅカに振り下ろした。

「ちょ、美来さん!?」

ユイが驚いて悲鳴にも似た叫び声を上げる。

血飛沫が飛び散るかと思われたが、

「…………」

ユヅカは緩慢に伸ばした右手――しかも素手――で美来の全力を受け止めていた。

これにも流石の慧も戸惑いを隠せずに狼狽する。

「ゆ、ユヅカ……?」

「慧、違う。これ、ユヅカじゃない」

ユヅカの右手と美来の大鎌がギリギリとせめぎ合い、火花を散らす。

ユヅカ――の姿をした何者かは軽く腕を払うと、大鎌の影響をものともせず、表情一つ変えないで美来を見る。

「誰……。なぜユヅカの格好してるの!?」

油断なく構えたまま美来が尋ねるが、それに対しての応えは、高速の突撃であった。

いつの間にか“そいつ”の手中に現れた剣で、美来に肉薄する。

先程と比べ物にならないほど大量の火の粉がその場に舞った。

高身長のユヅカと、9歳児並に縮んだ体の美来では流石に身長差がありすぎるため、分が悪い。硬直するのは良くないとみたか、美来は鎌を大きく振るい、互いの力を外へ逃がす。二人の間には3メートルほどの距離が空く。衝撃波で周りのベッドが数個、バラバラに広がった。

「美来、なんで……?」

「――ユヅカなら、答えられる」

「え?」

「ユヅカは、私のこと知ってる! なんでかは分からないけど日本での過去、この中で慧の次によく分かってる!

さっきぐらいの質問、答えられないはずない!」

半分泣きそうな顔で叫び、“そいつ”を睨みつける。

「じゃあ、ユヅカの格好しているのは一体――」

『やれやれ、流石あいつの子孫、欺くのは困難だったか』

イフを遮ったのは若い男性の声。それを発しているのはユヅカを装った誰か。

「誰」

今にも再突進しそうな勢いの美来が抑揚のないトーンで問う。持っていた剣を肩に担いで、“そいつ”は口を開く。

『僅かにでもあいつの気配がしたから来てみれば……。あいつの子孫にテオの直系なんて笑えるね。

その鎌、もろ力の源があんたの祖先だし。まぁ、今は全くと言っていいほど弱ってるけど』

全て知っているような口の利き方である。飄々としたその態度に美来は無理やり足元を踏みしめて立ち続ける。

「テオを、そして私の祖先まで知ってる。

2人と同等か同じくらいの時を生きているの。

恐らく神界か、それに似た何か――」

『正解、と言っていいね。勘がいいなぁ。

そこの君を介して下界を見ているテオに言おう。

剣聖イデオ、聞き覚えがあるんじゃないかな?』

“そいつ”――イデオが慧を仰ぎ見ると。

途端、辺りに重力がかかったような重さを帯びる。

『お前、何しに来た』

既に怒りが沸点にいきそうなテオが直接姿を現したのだ。

「て、テオお前っ、空間軋んでるぞ……!」

『知ったことか!』

忠告する慧に怒鳴り返すと、美来と同じように戦闘態勢に入る。

「ちょっとテオどうしたって言うのよ。剣聖イデオって?」

『こいつがリリを殺した! 雲隠れしたと思えばのこのこと出てくるなんて何考えてるんだ!?』

「リリ……?」

訝しげに名前を繰り返した慧へ顔を向けずに呟く美来。

「私の、祖先? リリアーネさん、だよね?」

『――っ、そうだよ』

僅かに身じろぎしたものの、厳しい表情のまま肯定する。

『ふーん、まだ完璧とは言えないけど使いこなせる範囲ではある、か。

なら俺の太刀筋も多少は受け止められるだろうな――?』

言い終えるなり再び目にも止まらぬ速さで突撃。

『この野郎っ……!』

大鎌でブロック体制をとる美来の横でテオが右手を引っ張る仕草を取る。イデオの衝撃が空間に吸い込まれ、逆に彼の背面から襲いかかる。

『ふっ……』

予測していたように体を捻り、回避する。それすらも予知していたか、テオは多段に空間を操作する。美来はただイデオから振るわれる剣を見切り、ガードすることに徹していた。2人の連携が切れた瞬間、美来の体は粉々に吹っ飛んでしまうだろう。

「慧、剣聖イデオって聞いた事あるかしら」

余波が飛んでこないまでに後ろへ下がった慧達にイフが尋ねる。無言で否定した彼にイフも不思議そうに、首を捻ると、

「あたしも聞いた事ないわ。でもテオと、そして美来の祖先とも知り合いみたいだし何かしらの因縁もあるのね。

でもなんで急に」

『最近掟破りが多くて困るな。私の仕事を増やされてたまらん』

隣から声がして、2人は反射的にそちらを向く。そこでは1人の人物が空中に浮かんで宙に座るような姿勢をとっていた。その長身を闇色の長いローブに身を包んでいる。フードのせいで顔色は伺えないが、何やら呆れているようだ。

先ほどよりさらに軋み始める空間に、顔を強ばらせながら慧は尋ねる。

「あなたは……?」

『この際は関係ないだろう。

今はイデオの馬鹿たれの処置だ。君、監禁牢獄(レストリクトジェイル)は使えるな?』

あくまで冷静に問い返す。

「いや、初耳なんですけど」

『問題ない、テオの能力だ。言えば勝手に発動する。

自分のタイミングでやることだ』

何かを確信しているような女性の口振りに慧は迷いを捨てる。

監禁牢獄(レストリクトジェイル)!」

その瞬間に美来、テオ、イデオの動きが硬直する。

(慧、それをどうして!?)

驚きを隠せないテオの思念が届き、答えに詰まった慧だったが、

『いやはや面倒臭い処置をさせるなんてどんなお返しを期待するか、テオ』

『え、その声、お姉ちゃん――!?』

『ほぅ、まだそう呼んでくれるのか。多少は見直したぞ』

微かに嬉しそうな声音の女性。フードを外すことはせずに、無音で地面に足をつける。そんな彼女を半ば睨むような視線でイデオは見つめていた。

『あんたがここに来るとは……。ハデスの意向か?』

『いや、もっと上だイデオ。私達の手に負えないほど上位の、な』

背筋がぞっとするほど怒りの込められた言葉に流石のイデオも顔色を青ざめさせる。

『まさか……。

そうか、なら今は引いておこう』

あまりにもあっさりと姿を消した彼にため息をついて、女性は美来と慧に向き直る。

『すまない、彼が殺気立つのは日常茶飯事だ。私の管理能力が回らない、というのもあるが』

『で、でもなんで今ここにお姉ちゃんが……』

慧が魔法を解いて行動に自由が戻ると、未だに困惑しているテオの頭を撫でながら女性は微笑する。

『お前は知らなくてもいい。管理外だからな』

「あ、あのー。あなたは一体……」

申し訳なさそうに美来が質問すると、彼女は我に帰ったように1度咳払いをした。被っていたフードを左手で払い退けると、真紅色の長髪がふわりと揺れた。

『私はヴァルキュリア、君達にはワルキューレと言った方が通じるか。

ハデスと共に死者の選別を行っている』

テオ達と同じように、神々の一族であるワルキューレは女性にしては低めの、落ち着いた声で簡単に挨拶をすませる。

「じゃあテオはどうしてお姉ちゃんって呼んだんですか?」

『ふむ……、テオが神という自覚を持つ前、幼子のようだった時期か。いつの間にか呼ばれていたな』

『それは今しなくていいよ!

でも事後処理だけでお姉ちゃんが来るわけないよね。何かあったの?』

慌てて遮ったテオをまたしても微笑ましげに見つめてからワルキューレは美来を凝視する。

『先程の鎌、もう一度出せるかな』

「私の……?」

表情の読めない顔でそうだ、と頷いて美来の瞳を真っ直ぐに見つめる。

異端者の断罪人(ジョーカーズ・レクイエム)と呼ぶ魔法。

見れば分かる』

その言葉に分かりやすく動揺する美来。

「で、でもあれは私でもどうやって発動しているのか分からないし……。さっきもどうやって発動したのか不明で、それに何をしでかすか……」

小刻みに震えだした手を必死に抑えながら泣きそうな声で反論すると、無感情だったワルキューレの顔に僅かだが笑みが浮かんだ。それはまるで母親のような慈愛に満ちた表情で。

『もちろん知っているが大丈夫だ。

“あいつの魔法”なら今は暴発しない』

「だけど……!」

それでもなお、体を戦慄かせて声を上げる美来にワルキューレはよしよしと頭を数回撫でる。

『大丈夫、大丈夫。

今の美来なら制御出来る。深呼吸。

先程と何も変わらないぞ。安心して』

涙をこぼす美来を見て、ワルキューレは少しだけ悲しそうに呟いて、胸元に抱き寄せる。

『そうだな、辛い。昔のことも聞いている。

何人死んで、怪我して、どれだけ被害が出たかも把握済みだ。

でも、逃げてたら変われないぞ。行使できることに意味がある。守る為に使っていたんだろう? なら何も問題はない。

強くなれなんて言わないがそれでも、向き合う努力ならしてもいいんじゃないか』

普段はぶっきらぼうなワルキューレがこれほどまで優しいことに驚いたのか、テオは目を見開いていたものの、美来の過去は検知済みなので特別冷やかしたりはしなかった。

「……ワルキューレさん、万が一、もし何かあったら……」

『止めるとも。誓おう』

怖々と首を縦に振ると、美来は深く息を吐き出した。

躊躇するように空中へ伸ばされた右手は恐怖で揺れていた。それを見たワルキューレが、

『慧、手』

ずっと黙り込んでいた慧が意図を汲み取れずに首を傾げる。

『美来の手、握ってあげて』

「……りょーかい」

体の横で棒のようになっていた美来の左手を、慧はそっと右手で軽く握る。

急な温度変化に驚いたか、美来がびくりと肩を震わせる。どうやら緊張のあまりワルキューレの声は届いていなかったようだ。

「安心しろって。皆いるから」

慧の言葉で再び瞳を潤ませたが、1度伸ばした右手でごしごしと顔を擦って、左手を強く握り返す。

再度大きく息を吸ってから、

「――異端者の断罪人(ジョーカーズ・レクイエム)

意外にもしっかり芯のこもった発音で美来は魔法を発動する。

相も変わらず右手に現れたのは殺戮兵器の大鎌。その質量を把握した途端、美来の呼吸が乱れ、上手く息が吸えなくなる。

「うっ……」

鎌を構成する闇が揺らいで、一回り大きくなる。暴力的なまでに濃密な黒が美来の意識を飲み込もうと誘い込む。

「大丈夫、何も起きてない」

今にも砕けそうな美来の心を繋ぎ止めようと、痛いほどに右手を無意識に握りしめ、訴える慧。

辛そうに表情を歪めながら、過呼吸気味になっていたものの、ゆっくりとその調子が元に戻っていく。

大鎌は以前と比べ物にならないほど穏やかな闇を内に秘めて存在していた。

「どう……して、前は、あんなに……」

恐る恐るではあるものの、大事には至らなかったようで、不思議そうに右手を凝視する。

『あいつも手を貸してくれたな

大丈夫って言っただろう』

もう一度頭を撫でてから、ワルキューレは鎌に手をかざす。

『暴走もしてない。自分の意識さえ保てれば当分は安全だ』

「美来が個人的に振るうだけなら被害は最小限ってことか?」

『その通り。だが制御出来るかはその時の精神状態が深く関わる。経験済みだろうが。慧達が頼り――』

突如、カラランッと地面に転がる大鎌。ついに力の抜けてしまった美来が手から離してしまったのだ。

それでもひとつの変化なく、無音で虚空へ消えていった。

脱力して地面にへたり込む美来。

「何も、起きなかった……。誰も、傷つかなかった……」

「心配し過ぎだって。無事ならそれでいいだろ?」

唇を噛み締める美来に笑いかける慧。

「う、うぅ……」

「え? ちょ、どうした――」

「うわぁぁぁぁぁん!!」

戸惑い、心配そうに聞こうとした矢先に美来は大声で泣いていた。

「だって、だって、こんな軽はずみに使って、誰か怪我したらどうしようって、また前みたいになったらどうしようって、そう思ったら怖くて怖くて……!」

慧の洋服の両袖を掴みながらボロボロと涙をこぼす。

駄々っ子のように顔を擦り付けて泣きわめく美来に、何か得体の知れない感情が湧き上がったものの、それを押し退けて慧は目線を合わせる。

「何も起きなかっただろ? 安心しろって」

「でも、それは、結果論だし……!」

「あーもうめんどくせーな、みんな無事なの!」

顔をくしゃくしゃにしているのを見かねたのか、慧は美来の頭を勢いよく抱え込む。

「ほらな、ちゃんと生きてるだろ? 結果論でもいいんだよ。お前が好きで暴れたわけじゃないのは全員理解してんだからさ。

それに制御出来れば強いだろ」

「そんなんじゃ……」

「冗談真に受けんなって。とにかく大丈夫、大丈夫だ」

「慧……」

この時ばかりは着ている服が美来の涙でびしょ濡れになるのも厭わず、涙で酷い顔になっている美来の頭をぽんぽん叩く。

兄妹のようなその仕草に一同が何らかの感慨を覚えていると、一足先に我に返ったイフが問いかける。

「それで……ワルキューレさん、何のためにあたしたちの前に姿を現したんですか?」

数回瞬きをしてから、ワルキューレは美来が落とした鎌を拾い上げて答える。

『因果応報……とは少し違うが、あいつが残した力のせいで遺恨が残っている。それが美来に影響を及ぼし始める頃合いがそろそろだ。

具体的には言えないが、覚悟していろと忠告だ』

「忠告……。わかりました。肝に銘じておきます」

美来の代わりにイフが答えると、ワルキューレは鎌を虚空に消し去りながら頷いた。

『テオ、お前後で神界に来い。呼ばれてるぞあいつに』

『う、うん。わかった』

もう一度美来の頭を撫でてから、彼女は姿を消す。

『慧、ボクも戻るけど……。イデオがまた現れたら遠慮なく呼んでね』

「わかった。またな」

ようやく消えた神々の重力から解放され、深く息を吐く一同。

少しばかりしゃくりあげていた美来を、今度はユイがなだめていた。

「美来さん大丈夫、ね」

「うん……」

ごしごしと目元を擦ってちょこちょこと布団に潜り込む。むむむーと唸ってから、掛け布団を上まで引っ張りあげると、

「頭がんがんする……」

不満そうに口をへの字に曲げる。

「そりゃ病み上がりで体力ない上に魔力が全回復程遠い中あれ使えばそうもなるだろ。とりま飯食べろ。

おい、ユヅカいい加減正気取り戻せ」

「え!? あ、春岡さん? ここ、医務室……?

あれ、ネネと一緒に別の部屋にいたはずですけど……?」

どうやら部屋を出る前からイデオはユヅカの体を乗っ取っていたようだ。

「まー、後で話すから。

それはさておき、なんか食べ物持ってきてくんね? 美来に食べさせないとイアさんに怒られる」

「了解しました。何食べたいですか?」

「んー、んんんー」

頭まですっぽりと布団に入ってしまったため、声がくぐもってよく聞こえない。

「あの、美来さん……わかんないです」

「うどんだそうだ。あとゼリーとかもあると多分喜ぶ」

「んー!」

慧が通訳すると、肯定するように布団の一部が盛り上がる。どうやら中で拳を突き上げたらしい。

体格に比例して精神年齢まで幼くなる副作用はなかなか見られる訳では無いが、美来の場合魔力の器が大きすぎるせいか、毎回この症状が起こっている。

すぐ持ってきますね、と言い残して部屋を去るユヅカ。

「にしても……。この短期間で神様が下に降りてきて大丈夫なのかな」

テオ、その知り合い、イデオ、ワルキューレ。

1人だけでも世界に大きな負担がかかるというのに、これほど多くの神様が現れるというのはある意味異常事態だ。

「ワルキューレさんが来た時は流石にヒヤッとしたな。幻影じゃなくて本体が来てたら崩壊しかけだったよ」

時空の軋みを身をもって感じていた慧は顔をひきつらせながらそう言う。その言葉にユイは驚いて口元を押さえた。

「あ、あれで幻だったんだ。神様達怖すぎるよ」

「まぁ幻影って言っても実体はあるんだけどな」

「にしてもイデオは魔力を感じて降りてきたのよね。これから先、いつ同じような事態が起こってもおかしくないんじゃないかしら」

イフの素朴な疑問にすこし考え込んだ後、小さく首を振った。

「いや、それはないと思う。ワルキューレさんが言ってた“上”の存在が許さなそうだし。多分神様が恐れるくらいだから唯一神とかなんだろ」

「唯一神……。あとは全能神とかかしら? 確か人間界でもギリシア神話でゼウス、とかいう神様いたわね」

「そうだな。冗談抜きで有り得そうだから怖いな」

「でも、今のところは私達の味方……ぽい」

ひょっこりと顔の半分だけ布団から出した美来がぽつりと呟く。

疲労と空腹などのせいか調子の悪そうな表情で

「ワルキューレさんが言った時の怯え方、半端なかったもん……。つまりは、手を出すなって、そういう事だよね?」

焦点の合っているのか不明な視線を慧とイフの間に向ける。

「ちょっと美来、無理しないで。ユヅカが来るまで大人しくしてて」

見かねたイフが慌てて布団を引き上げる。

「元から体調悪いのにあんな無茶して馬鹿のすることよ。いくらユヅカの体が乗っ取られていたからと言って交戦状態になることは明確でしょう。何もあなた自身が飛び出す必要ないわ」

「……だって、ユヅカ、嫌だもん……。あんな奴が中にいるの、耐えられないんだもん……」

泣きそうな声で反論されると、流石のイフも責めにくい。ただでさえ憔悴しきっている、しかも感性そのものが幼少化している美来を問い詰めるほど鬼ではない。

「……ごめんなさい。そうね、あなたからしてみれば気持ち悪いのよね。

――慧、あとは頼むわ。先に仕事戻らなくちゃ」

「はいよ。イフも無理すんなよ」

美来の前で言うなといわんばかりに慧を小突いて部屋を去る。

「美来さん、魔力の回復遅くなっちゃったんじゃない?」

「…………だいぶ長くなった」

恐る恐る質問したユイににべもなく答える美来。

「あちゃぁ、大変だ。絶対安静長引くね」

「嫌だぁー。ベッド疲れる」

「いや、むしろ俺としてはしばらく休んでもらってた方がありがたいんだが」

ふるふると首を振る彼女に苦笑いとため息で本心を漏らす慧。

「お、お待たせしました……!」

むくれかけた美来を止めたのは、咳切って入ってきたユヅカだった。

「うどんです……。栄養面から考えて今回はけんちんうどんっぽくしてみました。普通は蕎麦で作るものですけど」

「うどん――!」

一瞬で機嫌が直り、目をキラキラとさせる。再び布団を跳ね除けて起き上がろうとして――、

「あう……」

ベットに前のめりに倒れる。

「馬鹿、今はへなちょこなんだし急に動こうとすんな」

「うぅ……」

ユイに支えてもらい、ふーふーしながらうどんを食べ始める美来。

「けんちん大好きー」

「知ってます。一時けんちん蕎麦しか食べない時期ありましたよね」

一心不乱にもぐもぐする美来をくすくす笑いながらユヅカは嬉しそうに言う。

大根、人参、ごぼうや里芋など、具としてはごくごく一般的なけんちん汁だが、よほど気に入ったらしく、病み上がりというのにさほど時間も掛からず美来の胃に消えていった。

「ユヅカのけんちん、ママの味ー」

「ふぇ? そ、そうですか?」

「お醤油ベースの、お野菜いっぱい。好き好き」

おかわりーと空になった器を差し出すと、若干顔を赤くさせながらそれを受け取るユヅカ。

「そんなに食って大丈夫かよ……」

「だって、ユヅカ、気使って量少なくしてくれるんだもん。もっと食べられるよ」

「そうだとしてもほぼ1週間飲み食いしてないやつがそんながっつくなよ。腹壊すぞ。俺は知らないからな」

「う〜〜〜」

恨みがましい目で慧を睨んでいると、見かねたユイが口を挟む。

「す、少しくらいはいいんじゃないかな。ね?」

あまりにもけんちんうどんにハマったらしき美来と、ニコニコのユヅカ、頼むような顔つきで見つめるユイに根負けしたか、慧は右手で髪の毛をくしゃくしゃと掻きむしった。

「もうわかったって。食いたいなら食えよ」

「わーい! ユヅカ、おかわり!」

なんとも現金である。

ユヅカが帰ってくるのを待って、わくわくと体を揺らしている。

「あはは、単純な美来さん」

「単純じゃないもんー!」

まるで姉妹である。

2分ほどで戻ってきたユヅカの器をそっと受け取ってにこにこと口の中にほうばる。その様子をどこか人事のように眺めながら慧は質問をなげかける。

「ユヅカって料理も上手いよな。どこで教わったんだ?」

「ほとんどこっち来てからですかね。自分で出来ること増やしたくって」

少し寂しそうな笑顔を見せるユヅカを励ますように、ベッドの脇に立つ彼女の腕をぎゅーっと抱きしめる。

「ユヅカのご飯、全部美味しいよ!

――慧、食べてみてー」

ご機嫌でお箸を差し出す美来を無視する訳にもいかず、仕方なくそれを受け取って一口だけ咀嚼する。

「あ、確かに美味い。けんちんってそのままはともかく麺類入れると薄まるからあんま好きじゃないんだけどこれいけるわ」

「でしょー!」

お箸を返してもらい、残りを食べてしまおうと勢いづいたかと思ったが、ピタリと動きを止める。

「どうしたの?」

「んー…………。うん、なんでもないの」

空いている左手をぱたぱたさせながら半ばかき込むようにうどんを完食した。

「食べたー」

お腹をぽんぽんと押さえながらも、一緒にユヅカが持ってきてくれたりんごゼリーをちゃっかり食べ切っていた。

「ごちそーさまでした! ユヅカ、また作って!」

「はいはい、時間さえあればいつでも言ってくださいね。

――春岡さん、私料理のこと褒められると多分歯止めが聞かないのでその時は力づくでも止めてください」

「お、おう……」

返しに困ってとりあえず返事だけする慧。

ユヅカは食器類を傍の机に避けると、自らも椅子を持ってきてそれに座った。

「美来さん、今回もまた色々ありましたけど……。正直言わせてもらいます。

その、私の勝手な想像ですけどこれまでより後戻り出来なくなった気がします」

真正面から美来を見つめるその目は真剣そのもので。

「うん……。私だけじゃないよ。慧の方が責任の面では大きすぎるもの受け持っちゃったよ」

「俺は別に時期を早めただけだからそんな重大ではないぞ。ユヅカが言いたいのは――」

「なんでですか。なんで、いつも美来さんばかり辛い目に合わなきゃいけないんですかっ?」

突然大声をあげるユヅカに驚いて体を硬直させる。それを予測していたかのように慧はやれやれと首を振った。

「毎回毎回傷つくのは美来さんで、周りはただその場の状況に対応するだけなんて。

私たちが手伝えることにも限界があります。ネネは魔法が使えません。私も限られたものしか使いこなせません。1番の理解者である春岡さんですら魔力はなく、他に長けているとはいえ失礼ですが万全ではありません。

エアールさんも常に暇なわけではないですし、美結さん達も美来さん達程戦闘慣れしていません。そもそも向こうで行動が別な時が多いのですぐ駆けつけられません。

私たちすら美来さんの完全な力になれないのに、どうしてですか。どうして、美来さんはそんなに先を突っ走っていってしまうんですか……!」

眼鏡の奥に涙を浮かべながら、吐き出すように言葉を連ねるユヅカ。痛いほどに握りしめた拳を小刻みに震わせる。

「あのなユヅカ――」

「……慧」

仕方ないことだと説得しようとした彼を、美来が小さな声で制止する。お願い、何も言わないでと訴えかけてくる視線に開きかけた口を閉じる。

「ユヅカ、ごめんね。心配してくれるのは、すっごく嬉しいの。

でも私がって言うより、誰かがどの道やらなきゃいけないことだから。

その場にたまたま私たちがいるだけだよ。それで、出来るのが私だけって話なんだよ。多分、自惚れるとそういうこと」

「それでも!! なんでほかの人は行動に移さないんですか……。行政機関はなんの為に存在するんですか。警察も自衛隊も軍も! 市民を守る役目の方々はどうして助けてくれないんですか!今回だって…!」

それは誰もが心の底では思っていたことだが、考えようとしなかった本音だった。

いくら状況把握が大事とはいえ、誰かを守る立ち位置のはずの彼らは動くのが遅すぎる。

「――ユヅカ、それは、ネネ達も自覚してる世界問題なんだよ」

大声が聞こえていたのか、たった今入ってきたネネが悔しそうに呟いた。

「如何せん、今のみんなは平和ボケしすぎてる。戦闘訓練だって、凶悪事件のマニュアルだって教わっただけで実践出来ないんだろうね。

だから上も命令を出しにくい。上層部には歳いってる人もいるから幾多の戦いを経験したーなんてのもいるよ。

でも若い人はそういうことがない。だから迂闊に行動出来ないんだよ」

「そんな……」

唖然として口元を押さえて、ガックリと肩を落とす。

「慧も理解してるよね。

もはや一般人の戦闘職の方が強いまである。慧達の部署に最前線出て欲しいくらいだよ」

「いやいや冗談は勘弁してくれ」

本気の視線を向けるネネに嫌そうな声音で拒否すると、

「まぁ確かに戦闘訓練なまくらだよな。

俺らは時間を戻ったりする都合上、戦闘地域に赴くことも多い。自衛の手段は常に確保する練習は欠かさないし、初見の土地でも仲間とどう連携するかも出発前に確認してから行く。

賄賂とかいうことは聞かないけど公務員なんて税金泥棒だよな」

一言目から辛辣にディスっていく。

普段なら笑い飛ばすネネだが、こればかりは真実なのだろう、最もな顔で頷いていた。

「ユヅカ、どうにもならないよ、やっぱり」

「はい……すみません……」

美来の悲しげなまとめにどこまでも悔しそうに唇を噛む。

「ユヅカ、落ち着いたらまた仕事戻って欲しいな。

まだまだ処理できてないこと多いんだ」

それを見かねたネネは珍しく優しい口調でそう言うと、一足先に部屋を出ていった。

沈黙が続き、居心地が悪くなったのか、唐突に美来がユヅカに抱きついた。

「み、美来さん……?」

「元気だすの!」

戸惑い、どう反応すればいいのか分からなくなっていると、今度は離れて慧のことをべしべしと叩き出す。

「おいおい、急にどうしたんだよ」

「陰気臭い! だめ!」

あまりにも子供っぽくむくれる美来に、思わず吹き出してしまうユイ。これは予想外だったのか、一瞬目を真ん丸にして驚く様子を見せる。

「ユイちゃんひどいー」

「ご、ごめんごめん。ちょっと面白くて。

というかなんでちゃん付け?」

笑ったせいで出てきた涙を拭いながら問いかけると、自らも首をかしげて悩み出す。

「なんかー……、自然だった? なんでだろ?

1度もユイちゃんって呼んだことなかったよね……?」

不思議そうにうんうん唸っていたが、考えることに飽きたのかまぁいいやっと布団を叩いて思考を打ち切った。

「美来さん、ありがとうございます」

「うん? うん!」

突然小声でそう漏らしたユヅカに分かっているような分かっていないような様子で笑顔を返す美来。

お辞儀をして部屋を去っていく彼女を見送ってから慧は疲れたように息を吐く。

「あぁ……しんど」

「ずっとこもらされてるもんね。美来さんが回復するまでって制約で」

苦笑いを浮かべるユイに、

「まぁ仕方ないからな……」

やれやれと首を振ってベッド上の美来に視線を向けると。

「って、おいおい……」

「もう寝てる……」

掛け布団をかけずに力尽きている美来が転がっていた。

「全く、気楽なもんだよな。

これくらいの年頃ならまぁ……」

「なんか魔力って難しいね。体内保持量に比例して身体的に影響出るとか稀な副作用で精神年齢も逆行するけど知能はそのまんまとか」

「ここまで現れるのもかなり珍しいんだけどな。

普通ここまで魔力消耗することがまずないから、研究もそこまで進んでいないらしいし」

頭の位置を枕に戻して、布団をそっとかけるユイ。体が動いたことにほんの少し顔を顰めたようにも見えたが変わらずにくぅくぅと寝息を立てる。

「それじゃ、自分も戻るからまたまた監視お願いしますよー。

もう少しの辛抱だよ、きっと」

「……まぁ我慢するわ」

 

 

 

それから2日後。

ようやく支障が無いまでに筋力が復活してきた美来(身長はまだ縮んだままである)はふらふらとネネとユヅカの手伝いをしていた。

「美来ー、これ下の倉庫送ってー」

「あい!」

これまた底まで尽きかけていた魔力が少し回復したため、簡単な魔法であれば使っていいとの許しが出たので転移でネネに頼まれた箱を搬送する。

「美来さーん! 終わったらしばらく休んでいいのでこの本、ユイまで返してきてもらっていいですか?」

「うん! 行ってくる!」

ハードカバー程の大きさの本を4冊渡されて、トコトコと図書館まで向かう。王宮内の大図書館は転移に関する魔法類が一切禁止されているので面倒でも徒歩で行くしかないのだ。

騒動からしばらく経った今もなお、忙しそうな行政を担当している人達は足早に廊下を過ぎ去っていく。その中を小さい美来がこれまた狭い歩幅で懸命に歩いているため、お偉い方達も時折挨拶をしてくれる。

今の時刻は午後4時を過ぎた所なのだが、午前中には家来だけを動かすのは嫌だと言わんばかりにネネの父親、つまり王様本人までも王宮内を行き来していた。

その時はちょうど今ユイの所へ返そうとしている本を運ぶ手伝いをしていたのだが、驚いたことに王様から美来に挨拶をしたのだった。

「ユイちゃーん! 返却しに来たよー」

両手が塞がっているため、通りかかった人に扉を開けてもらって中に入るなり、姿の見えないユイに対して叫ぶ。

返事が聞こえないので、手近な机に本を置いてきょろきょろと辺りを見回す。

「ユイちゃーん、どーこー」

公開図書の部分を一周してもどこにもいない。それならば、と向かった先は、表に出ていない本がある閉架書庫。ユイがその場に居ないため仕方ないと言えばそれまでだが、無断で入り込む。

「ゆーいーちゃーん、いるー?」

すると奥からどさどさっと本が落ちる音が聞こえてきた。

「!?!?」

「美来さん?そこいるの?」

「い、いるー」

「ちょっと待って〜」

入口から2つ目の本棚でじっとしたまま固まってユイを待つ。1分ほどしてからホコリだらけでユイが出てきた。

「ど、どうしたの!?」

「ちょっと昔の本漁ってたの。埃まみれのやつ落としちゃったからこんなになっちゃった。

急に美来さんの声したからビックリしたよー」

「ごめんなさい……。本返しに来たらいなかったから……」

「責めてないよ。まさかここまで来るとは思わなかったけど。でも返却手続きする前に着替えさせてね」

ケホケホと埃にむせながら歩くユイの後ろをちまちまとついて行く。

「何の本探してたの?」

「うーん、神話とかそういう系かな。神様ってなんだかんだ沢山いて把握しきれないよ」

貸出カウンターの奥にある司書室で服を着替え、美来の持ってきた本を預かると、本来は飲食厳禁である図書館内だが構わずりんごジュースを持ってきた。

「ありがとー」

それを受け取ってすぐさま飲み始める美来を傍目に、にこにこしながら隣で書類を漁る。

「なんかしばらく小さい時期が続くとこの年齢に思えてきちゃうよ。まだ戻りそうにない?」

「うぅーん、多分戻っても大丈夫だけどこっちに慣れちゃうっていう禁断症状出てきたー」

「それまずいじゃん」

「どの道医務室の先生にまだこのままでいろって言われたからどうしようもないのー」

床に足がつかないので、宙にぷらぷらと振りながら、呆れるユイをよそにジュースを減らす美来。

「ユイちゃん慧って今何してるの?」

「うーんとね、国内復興政策がちょっとばかり強引なせいで上層部に目が利く人達の反発が高まってるからそこの処理とかって言ってたかな」

「それってぶりょくてきなの?」

「ただ単に人手不足なだけっぽいよ。まぁ確かに慧が対応してるって聞くとそれだけなら過激な戦闘起きてそうだよね」

「ねー」

彼がこの場にいれば確実に突っ込まれていただろうが、そんな心配を気にもせず無遠慮に失礼なことを言っている。

とは言いつつこの2人だけでなくネネやユヅカも同意見ではあろうが。

「あ、そうだ。さっき神様が載ってる本探してたって言ったよね。実は美来さんの祖先いるかなーと思って漁ってたんだけど。

そしたら3代前の司書さんが奥の方に仕舞ってたやつにちょっと書いてあったの」

「リリアーネさん?」

コップを両手で抑えながらユイの出した本をのぞき込む。僅かに煤けたように見える脆そうなページをそっとめくっていく。

「ほらここ。神界戦争の話」

「『収束のつかなくなりつつあった戦いを止めたのは1人の神であった。静止を振り切り彼女は自らの命を引き換えに平穏を取り戻した――。』

これだけ?」

「うん。テオさんの言った通りならこの人だよね。“命を引き換えに”っていうのは少し引っかかるけど。

そもそもそのリリアーネさんは何の神様なの? 美来さんはどうして名前が分かったの?」

「よく……わかんない……。急に名前浮かんできたから……。

何の神様なんだろう……」

本人も理解しないまま“リリアーネ”という名前が出てきたことにお互い違和感を抱きながら考えても仕方ないのでひとまずこの話題は置いておくことにした。

「テオは時空系の神様だけど……。例えば途中で助けてくれたお友達の神様はなんだったのかなぁ」

『オレは“ものづくり”で一応通ってるぜ』

「うわぁっ!?」

「うひゃぁぁぁぁっ!」

本を見ていたふたりの目の前に突然姿を現した男性。噂をすれば、とでも言えばいいのかいきなりである。

彼は確かにこの間の騒動で手を貸してくれたテオの知り合い本人だった。

『ずーいぶん懐かしいもん見てんな。それ、3代前だろ? オレの友達が執筆協力したやつやんね』

「「えええ!?」」

あっけらかんと笑って、そばの椅子にどっこらしょっと座り込む。

『お前さん達お暇なんかい? こんなふっるい本取り出して。かく言うオレも暇を持て余してたけどなー』

「え、えっと……テオのお友達さんだよね? お名前は?」

未だに状況を飲み込めないでいるものの、美来がおずおずと質問する。それを見て彼はおおっと声を上げてから、くしゃくしゃと美来の頭を撫でた。

「!?!?」

『お前さんこの前の子だよな? こんなちっちゃくなるもんなんかー。かわいいなー。

でもってオレは彦名って書いて“ひこな”って読む。日本神話とかだと少彦名命みたいな表記になってるらしいぞ。さっきも言ったがものづくり――技術系の神をやらせてもらってる』

「し、神話でも出てくる方なんですね……」

未だに髪の毛をわしゃわしゃされながらわーわー騒いでいる美来達2人を苦笑いしながらユイは呟いた。

『おうともよ。例えばだな……。今この部屋に必要なものとかあるかい?』

「急に言われてもパッとは……。あ、でもそろそろ本の磁気読み取り機器は直したいかも。このところ磁気が弱くなってきてて」

ユイが示したレジくらいの大きさがある機械に歩み寄り、多方向から眺める。

『ふぅむどれどれ。おぅ、確かにそうだな。んじゃちょっくら失礼してっと』

彦名が指を鳴らすと、機械が一気に空中へ放り出され、細かいパーツに分解する。

「うわわ、すごいすごい!」

「へぇ、この中ってこんな風になってたんだ」

小さい部品の一つ一つに感心する2人だったが、その間にもそれらは新品のように輝きを取り戻し、すり減っていた箇所は厚みが元に戻っていく。

そうして綺麗になったそれらはまた分解前と同じように形をとって、机の上に収まった。

『これで直ったぞ。ま、経年劣化だな。よくこんな古いもん長期使用してたって褒めたいくらいだ』

ニヤリと笑った彦名は椅子に座り直すとユイに視線を向けた。

『ところで神なんぞ調べて何がしたかったんだい?』

質問されて、どう答えようか迷ったものの、キッパリと言い切る。

「リリアーネさんのこと探そうとしたんです。要らない好奇心かもしれないけどもしかしたら何か役に立つかもしれないって」

『ふーむ、まぁ興味持つのは仕方ないことだな。神なんぞ概念から生まれるもんだから、“死ぬ”ってこと自体考えられないだろうし』

腕組みをして髪の毛がくしゃくしゃのままになっている美来を見る。そして唐突に、言い放つ。

『そもそもリリは神なんていうもんじゃなかったのさ。

――ただの人間だった』

その一言に絶句する2人を傍目に彦名は続ける。

『よく昔話とかで聞いたことがあるだろ、人間が何々の生贄に〜みたいなやつ。あいつはまさにそれ。村の勝手な掟によって存在しない神への貢物とされた。

結果的にリリは助かった。まぁこの辺はあいつがなった神の性質が関わってくるわけだが』

「リリアーネさんは何の神様なの?」

『すまん、それは公に言えないんだ』

首を傾げる美来に申し訳なさそうに返答する。

『リリが死んだ経緯なんだが……厳密に言うと死んだと言うより“存在した過去を消した”と言った方が正しい。人々の記憶からきれいさっぱり、な。まぁなんでオレやテオが覚えているんだって聞かれたらなんとも言えないんだが』

少しばかり悲しそうに目を伏せてから肩をすくめる。

『あいつは元人間ってのもあって最初は他の奴らから受け入れて貰えなかった。けれどこれもまたあいつ自身の性質によって段々と馴染んで行った。この辺はオレも驚いたけどよ』

「強いですね……リリアーネさんは」

『あぁ……誰よりも心が、意思が強かった』

ほんの一瞬、その目がどこか遠くに向けられる。

『ちなみにな、テオの初恋相手なんだ、リリは』

「むぐ!」

「えぇっ!?」

だし抜けなその言葉に再び残りのジュースを飲み干そうとしていた美来はむせ、ユイは口をあんぐりと開ける。

『ま、オレが確実に言えるのはここらまでかな。あとはどこからがデッドラインだか不明なもんで迂闊に言えやしない』

「……、お話ありがとうございました」

『すまんな、オレも大したこと言えないで』

慌てて開きっぱなしだった口を閉じてお礼を言う。ヒラヒラと手を振った彦名は思い出したように付け加える。

『そういや、オレを呼ぶ時は“ヒナ”でいいぞ。テオも他の奴らもそう呼ぶせいで本名まんまだと違和感しかねぇからな。今のご時世だと女っぽいが……慣れには勝てねぇ』

「わかりました」

「わかった!」

『あ、あとユイにはすまんが美来、ちょっとこっち来い』

不思議そうにとててっと駆け寄っていくと、ユイから離れた先程の閉架書庫の中でようやく止まる。彦名――改めヒナは美来に背を向ける。

『お前には言っておくぞ。リリは博愛主義だった。そこから発展して、神界では“純愛”もとい“愛”の担当だった。オリンポス12神と呼ばれている奴らの中にもいるに入るが優先度が違ぇ。後のリリの行動も相まってそうなったんだが。

この特性が厄介だから伝えておく』

向き直り、美来と身長を合わせるように屈み、目を直視する。

『絶対に、恋愛はするな。心から好きだと思うやつを作るな。自爆するぞ』

「え……?」

『純愛の意味は分かるな。一途な恋だ。ものによってはその人のためなら命を惜しまないと説明する輩もいる。

そこから発展して、リリは命を落とした』

「誰も好きになっちゃいけないってこと……?」

『そういう事だ。あまり言いたくないがこれまでもリリの性質を受け継いできたやつら――つまり子孫はリリと同じ運命に合うことがあった。その理由は言わなくても分かるな?』

「………………でも、でも」

小さい手で胸を抑えながら声を震わせる。

「誰かを好きになっちゃったらどうするの……。胸がきゅってなって苦しい……」

『解決法は探している。けれど今までは魔法などの異能を受け継いだやつが存在しなかったせいで何も分からずじまいだった。お前が初めての可能性だ。オレらも必死こいて策を探す。だからそれまでは我慢してくれ。

いいか、絶対自覚するな。その時は終わりだと思え』

「うん……」

幼子のように頷き、泣きそうに顔を歪める。――否、涙は既に浮かんでいた。

『リリもこんなこと望んいでいなかったはずだ……本当にすまない。こんな、普通のことも出来ないなんて……』

見かねたヒナがそっと頭を撫でる。力なく首を振る美来に本当にすまなそうな視線を送りながら。

「ヒナさん……お願い、解決策、見つけて……」

『――っ、善処する』

 

 

閉架書庫からようやく出てきた2人を、待ちくたびれていたのか、ため息をついて迎えるユイ。彼女を安心させるようにニコニコと笑みを見せる美来とは真逆に、ヒナの顔は憂鬱げに沈んでいた……。



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第18章 一息の戯れを波乱の調べに乗せて

それからしばらくして。

「え、これって……」

「この城の大広間…映画なら舞踏会やってるような場所だな」

500人以上は軽く入れるのではないかという程の大きさがある城の一室に案内された美来は、その内部がきらびやかに飾られているのを見て目を丸くした。

壁際には無数の燭台が連ねられており、床の大理石は傷一つ見当たらない。料理を載せるためのテーブルにかけられたクロスは染み一つ無く、繊細な銀食器が並べられている。右サイドではオーケストラメンバーがそれぞれ音出しの確認をしていた。

慧は慣れっこなのか特に反応すらせず、ため息を吐いてユヅカに着いていく。

あれから2週間ほど経っており、美来の魔力は完全とは言えないものの日常で使用するには異常がないまでに回復したため、小さかった身長は元の大きさまで復帰していた。

低身長が続いたからか、少しばかり違和感がぬぐえないままではあるらしいが。

「ゆ、ユヅカ、ユイちゃん。これはなにかの冗談……?」

「ガチだねー。多分ネネのお父さんが開こうってなったんじゃないかな、パーティーとか。

ほら、国中大騒ぎだったでしょ?偉い人とかにまとめて説明して、その後にご機嫌取りも兼ねて飲んで食べてワイワイしようと思ったんじゃない?」

「そうですね。今回2人にはお世話になったのでお礼に招待しよう……みたいなことです。

まぁいきなり言われて驚くのは承知だったのでそこは謝ります、すみません」

唖然として現実が飲み込めない美来を放置して、慧はでも、と切り出す。

「とは言ってもこいつ正装なんてもってないぞ? フォーマルなやつなんか用意してるわけ……」

「あ、大丈夫!ネネのお母さんが張り切って仕立ててたから!すごい楽しそうだったよ」

ユイにそこまで言われると流石に欠席……という訳にも行かなそうだ。

「わかったよ、有難く招待を受けさせていただきます」

皮肉気味に返して、まだ準備段階の広間を見渡すと、今更ながら気づいたようにユイを見つめて呟いた。

「お前、なんか手伝いしなくていいの?」

「バレた? 準備の支度をやりに行かなきゃいけないんだ、行ってくるね。

そういや、15分くらいしたら2人が最初に来た時案内された部屋に行ってね。ネネが待ってると思う」

りょーかい、と敬礼のポーズで返してから未だぼーっとしていた美来の顔の前で手を振る。

「意識ある?」

「う、うん。一応……。

ははは、なんか急に震え気味。ちょっと気が抜けちゃって……」

「まぁそうだよな、普通は。

でもせっかく招かれるんだ、少しは参加しような」

「そ、そうだね。

――美味しいものあるよね、うん、食べてりゃ大丈夫大丈夫。周りは気にすんな周りは気にすんなまわ…」

「おいおい、だいぶ動転してんなぁ」

呪文のように繰り返す美来を見て、慧は僅かに吹き出した。

 

 

※※

 

 

「やっほー、2人共何か食べた?」

後ろからにょきっと顔を出したネネに苦笑いで返す美来。

「あ、あんまりお腹に入らないかな……。あぁは言ったもののいざとなるとこの場の雰囲気にどうしても慣れないし、なんか気が引けちゃって。

ほんとにこんなとこいていいの?」

「いいのいいの。そもそもネネのパパがお礼したいからっていうパーティーだったんだから。わざわざこんな大掛かりにやらなくてもねぇー。規模が大きすぎるのは否定しない」

ケラケラと笑いながら辺りを見回すネネに比べ、どことなくげっそりしたような玲音はため息をついて、側にあったクラッカーをほうばった。

「おかげでこっちは会いたくもないお偉いさんに絡まれる始末だよ……マジうざい…寝たい……」

一応こっちの世界では時空研究所の所長の娘――というレッテルがあるのでその運命から逃げられないようだ。ついさっきまでたくさんの人に囲まれて抜け出せずに数十分ほど身動きが取れずにいたのだった。ネネの母親が用意したのが男性用のタキシード等でなく女性用のドレスだったため、余計玲音として目立ったようである。

「うぅ……自分だけなんか浮いているような。いつ終わるのこれ」

「少なくとも1時間以上は先だねー。説明会というよりオーケストラのせいで舞踏会に近くなってきてるし」

ネネの言う通り、広いフロアの真ん中では何組かの男女ペアが優雅にダンスをしているところだった。より顔色を悪くする誰かをよそに玲音はスイーツばかり口に入れていた。普段女子らしいところを見せない“玲音”にしてはなかなかに新鮮な光景ではあったが。

「映画の世界だよこんな風景!

おまけにこんなドレスなんか……」

控えめに広がった裾の端をつまみながら落ち着かない様子で自分を見る美来だったが、

「えぇー似合ってるじゃん。固くなりすぎるとあれかなーと思って少し短めの丈にして、特別な飾りとか特に付けてるわけじゃないし。レースも控えめだよ?

ちゃんとネネのママ考えてたよ、某黄色いクマが好きって言ったらそれに合わせたカラーとかデザインになってるでしょ?」

確かに着ているドレスは薄い黄色のものだった。流石にクマの模様……などといったものは無いが、僅かに刺繍で花の柄が描かれていたり六角形を用いたスワロフスキーが散りばめられていた。

「玲音に関してはよく分からないからとりあえず動きやすそうなデザインのやつにはしたんだ。足の前の部分がセパレートになってるんだけど不自由ない?」

「大丈夫。なんか僕の好みが丸っきり入ってる気分だ……。水色は好きな色だし、派手じゃないし機能的で軽い。内側もポケットがあってホルダーもある。

逆に合いすぎて気持ち悪いくらい。

つーかなぜ“慧用”じゃなくて“玲音用”にしたし……」

母親のデザインが褒められ、どこか得意げに胸を張るネネだったが、

「姫様〜!」

ユヅカの声で右に振り向く。

「姫様禁止。どうしたの?」

「禁止も何も公衆の面前なので……。

なんかあっちに他国の偉い方が来てるとかなんとかでお母様が呼んでました」

その言葉に隠すことなく思い切り顔をしかめた。

「わかったよ……戻れってことでしょ。ざんねーん。

――美来も玲音もいっぱい食べなよ〜特に美来は頑張りすぎて体力的には完全復活してないんだから」

「はぁい」

「それと」

歩き出した足を止めて、体を半分だけこちらへ向ける。その視線は玲音を真っ直ぐに見つめていて、何かを企むかのようにニヤリとした。

「男子用の服も一応あるからね。いい加減腹くくりな。

それじゃ後で〜」

ひらひらと手を振って去っていく後ろ姿を見送ってから、玲音はもう一度大きく息を吐いた。

「うあぁ……マジうぜぇ……最初から……」

「え?何が?お偉いさん?」

「いや、違う。この場合はお節介だな」

とても不思議そうな表情で首を傾げる美来の横で少し考え込んでから組んでいた手を離した。

「美来さ〜ん、やっほー」

声の方向に振り返ると、先程まで給仕を手伝っていたユイがそこにはいて。

「あ、ユイちゃん!お仕事一段落?」

「まぁそんな感じかな。10分だけ休憩もらったんだ。

どう?楽しんでる?……って違うか。気後れするよね、こんなシチュエーション慣れてないもんね」

「ほんとだよ〜」

美来はユイに助けを求めるように抱きついた。

「あはは……仕方ないよ。あたしも最初はビビりまくってネネに怒られたなぁ。

と、それはともかく」

誤魔化すかのように目を泳がせて何かを決意したのか、ニコッと笑って矢継ぎ早に話しだす。

「その、悪いことじゃないんだけどせっかくこんな機会なんだしなかなか出会える場面でもないからチャンスを逃すのはもったいないかなぁって思うんだけどそのなんというか――」

またも不思議そうに首を傾げる美来と何かを悟ったかのように距離を取って逃げようとする玲音。空きなくその腕を掴んでユイは目的を告げた。

「ネネが、からかって来いって言うから、ユヅカまでやってこいって、リコさんは爆笑しててリュウ達に関しては真顔だったけど。

その、だから……ごめん!いってらっしゃい!」

そう言い切って、2人を思い切り突き飛ばした。

「なっ……」

「ええぇっ!?」

そこは5組ほどがダンスを踊っているほぼ近く。

一歩踏み出せばその輪の中に入れそうな位置。

「えっ!? こ、ここ、いやいや無理無理無理玲音助けて」

思わず座り込んでパニックになり、まくしたてている美来をチラリと見てから、周りの人達の視線が集まっているのを玲音は認識していた。

(ここをどう切り抜ける……!?今の状況の美来を引っ張っていっても余計混乱するだろうし、それなりに人が多い中無理やり抜け出すのも……。瞬間移動は室内の監視魔法に引っかかるから使えない。

あ、いや……そういやさっき……)

『男子用の服も一応あるからね』

(そーゆーことかよ……だから腹をくくれと。やっぱりうぜぇ)

頭をかいてから、1回深呼吸をして玲音はしゃがみこむ。目線を合わせ、震えている美来を見た。

「ちょっと、あいつらの悪ふざけに付きやってやろ?」

「悪ふざけ……って……?」

状況を飲み込めず、怯えるような視線を送る同級生にぽんぽんと頭を叩いてから声のトーンを下げる。

「でも思い通りっていうのも癪だからどうせなら――」

すっ、と立ち上がり、くるりとその場で一回転した玲音は。

――否、慧は。

 

「俺と1曲、踊ってくれませんか?」

 

今にも泣きそうな美来に向かって悪戯げな笑みを浮かべ、腰を下ろして手を差し伸べるのであった。

 

 

「い、いっきょく……?」

「そ、あそこの真ん中で」

でもでも、とブンブン顔を振って一層縮こまる。

「でも……踊ったことなんてないし……しかもこんな大勢の前で……」

「大丈夫。リードすっからさ。何事も経験だよ」

「だけど急にそんな……」

「まぁそりゃそうだ。でもやってみるだけやろうぜ」

「……怒んない……?」

不安げに慧を見つめて、自分の両手を握りしめる。

「誰が怒んなきゃいけないんだ?」

真っ直ぐその視線を受け止めて、もう一度。

「ほら、行こ」

「う、うん……」

恐る恐る右手を慧の左手に伸ばす。慧はしっかりとその手を掴んでその小柄な体を引き上げた。

ふらりとよろめく美来を支えて、すかさず腰に手を当てる。

「えっと、えっと、どうするの?どうすればいいの?」

「落ち着けって。俺の手しっかり掴んで。そそ、そんで――」

 

 

※※

 

 

「なんだよーからかってやろうと思って言ったらかなーりまともに踊ってるじゃん。なんかしてやられたかんじでむしゃくしゃする」

真ん中にいる美来と玲音を遠巻きに見ながらネネは膨れていた。

「いいじゃないですかー。ネネが焚き付けたんでしょ?

何だかんだ楽しそうですよ」

まぁそれは当たりだけど、と肩をすくめてみせる。

「最初は嫌がってたけど。ま、美来にとってもいい経験なったでしょ。玲音……慧に関してもか」

夜空のような深い蒼のドレスローブに身を包む慧と、ぎこちないながらもその動きに必死に着いていく美来。傍から見ればまだまだ子供な2人は、否応なしに周りの視線を攫っていた。しかし慧のエスコートは完璧で、初心者の美来ですらも1人前に見える踊りようだ(単体で見てしまえばそんなわけは無いのが一目瞭然ではあったが)。それもあって、他に踊っていた客もいつしか足を止めて2人を見つめている。

「うーん、なんかすごい変な感じですけどね、あの二人で踊ってるのは」

なんとなく羨ましそうにその様子を見つめるユヅカに、ネネは問いかけた。

「理由は?」

懐かしそうに目を細めてから、ユヅカは寂しげな表情を覗かせた。

「元は学校が一緒で仲が良かったのに今はバラバラになって、境遇も身分も何もかも違ってしまっている…。

そんなユイ達だけどまた会って、みんなの楽しそうにしている姿をまた見られる…。

なんか自分でもよくわかんないですけどすごく、懐かしいと同時に…羨ましいとも思うんです。

私が投げ出した現実を楽しめている皆が。不思議ですね、人間って」

泣き笑いのような顔をするユヅカにネネは何も言わず肩に手を回して引き寄せた。

「ユヅカを必要としてる人はたくさんいる。ネネだってそう。昔の自虐は思い出しちゃダメ。

過去じゃなくて今とか未来を見なきゃ。前向きなって!」

「は、はい…」

浮かびかけた涙を堪えて、ユヅカは美来達の方を見やる。ちようどワルツが1曲終わり、緊張しきっていた美来はほっとしたような表情を浮かべていた。

「あ、そうだ。いいこと思いついた」

ネネが独り呟くと、普通ならば1分ほど空ける曲間を与えず、すぐに次を始めるように命令を出した。

「ね、ネネ!?」

「大丈夫っしょ。なんか面白いからもうちょい見ててやろ!」

数メートル先では間髪空けずに流れ出した音楽に目を白黒させながら、慌てた慧に引きずられている誰かさんの姿が伺えるのであった。

 

 

「……ねぇ、慧はどうして反対しなかったの?」

ネネのイタズラのおかげで、3曲目にまで入ってしまったため、流石に慣れ始めたのか間をぬって声をかける美来。反対、というのは――

「まぁ仕方ないよ。それに、こっちの方がなんか落ち着くからいいんじゃない」

一連の騒動の中で、ユイが解放した美来の昔の記憶のことである。昔の人格か、忘れたあとの人格か。どちらでこれから過ごすのか、というイフの問いに、迷わず今の――どちらかと言うと温厚な性格の方を選んだのであった。

加えて、

「記憶を“記憶”として覚えていて、自分が体験したようには感じないのに思い出はあるってやっぱり変な感じかなぁ」

過去の魔術師団に所属していた時の行動を、全て客観的な方面から見た記憶として忘れないこと……。それが唯一美来が頼んだことであった。ユイ曰く、1度解放した記憶はもう一度完全封印することは不可能だという。しかし、今の性格にするには、どうにかして忘れなければならない。そのため、慧がこの方法を提案したのだ。忘れはしないが、元に戻れる案として。

過去の行動は全て、現在(いま)の美来ではなく、以前(かこ)の美来がしたこととして、言わば二重人格のような形で保存されている。勝手に過去の人格が現れることはないそうだが。

「なんつーか……前のお前より今の方が余裕があるっていうか何も背負ってない的な、とにかく安心するんだよ。

そりゃインパクトは昔の方が大きいぞ? けれどもうあそこまで本気になって欲しくないというか……」

「そっか。私もやっぱりこっちが落ち着くかな。昔の私は強くってなんかめちゃくちゃだったけど。

魔力は戻らないから解放されたままだけどそれはどうにかなるもんね」

記憶は制御出来るものの、リミットを外した魔力までは制御出来ず、本人の管理次第になったのであった。

「そうだな。何も巻き込まれなければいいけどそんなわけにはいかなそうだなー。

あ、次カウントから6個目で右ターン」

「うん……。というか好きで大変な目に合ってるわけじゃないんだからね」

慧の差し出す右手の下をくるりと回りながら、美来は不貞腐れたように言う。おそらく自分でも気づいていないが、たった3曲という短い間に彼女の踊りは格段に上達していた。

「それはどーにもならないな。ま、何かあっても皆お前の味方だから大丈夫だって」

いつになく優しく接する慧を不思議に思う美来だったが、曲も終盤間近なので聞くのを諦める。

指揮者が高々と指揮棒を振り上げ、オーケストラの音楽は余韻を残してフィニッシュ。時が止まったように静寂に包まれるダンスホール。

しかし次の瞬間、割れんばかりの拍手喝采が2人に向けられた。ようやく大勢の観衆に見られていたことを自覚した美来は言葉を失って慧を見る。呆れた笑みを浮かべる当人は、

「まさかこんなにも注目されてたとは……。ネネに後で文句言ってやる。

この状況だからなぁ。お辞儀くらいはするか」

慧が片手を伸ばし、美来がその手を取る。一方は胸に手を当てて、もう一方はドレスの裾を持ち上げて、静かに膝を追って礼をすると、再度大衆からの拍手が湧き上がったのであった。

 

 

「やっぱ慣れないことはするもんじゃないなぁ……」

「でも慧すごく上手だったよね!? そうでもなきゃ初心者の私なんかリード出来ないでしょ」

「そりゃまぁ教わってはいるからな……」

大広間の喧騒から一時的に抜け出して、2人はバルコニーにて休息していた。曲が終わってダンスの輪から抜けた途端、慧の腕を見越した数人の女性、初経験ながらも見事について行った美来へお誘いが来たのだ。再びパニックに陥りそうになった美来を引きずりながら誘いを断り、静かな外へ出たのだった。

「にしても飲み込み早かったな。やってるうちに慣れるだろ、とは思ったけど普通に上手かったぞ?」

「なわけないって。もう何も覚えてません」

脱力したようにベンチに座る美来とバルコニーの縁で腕を組み、庭園を眺める慧。

「あれ? そこにいるのはもしやサトルかい?」

唐突に声をかけられ、振り向いた先にいたのは30代後半と見られる男性。一歩後ろには同じくらいの年齢と見られる女性が佇んでいる。反射的にか、美来は思わず慧の背中に隠れてしまう。

「バーレイさん! それにソフィアさんも! ご無沙汰してます」

慧が少しばかり嬉しそうに応答する。首を傾げる美来に、

「時空研究所の俺の上司だよ。大丈夫、優しいから」

「ははは、怖がらせてしまったか。ごめんごめん。

もしかして後ろにいるのは例のミクさんかな?」

自分の名前を知っていることに驚いたのか、背中から顔を覗かせて、

「は、はいっ。美来です……?」

と疑問形になりながら肯定する。

「いやぁサトルが――いや、今はレインか。よく君の話をするからね。なんだかんだ文句言いながら毎回楽しそうだからな」

「本人の前でそれ言いますか……。勘弁してくださいって。

――それより来てたんですね」

「もちろんだとも。こんな時くらいしか、有給取れないからね。どっかの誰かさんのせいで」

「ほんとすみません。帰ったら処理します」

冗談めかして言うバーレイに即答で頭を下げる慧。またしても不思議そうな美来に、背後にいたソフィアが笑いながら説明する。

「初対面の私が言うのもなんですけど、ミクさんが毎回大変な目に合うと、必ずサトル君も一緒にいるでしょう? だからその分仕事が溜まっていって主人が消化しているのよ。もちろん、あなたが悪い訳では無いわよ? ミクさんがいなければ私達だって生きていれなかったかもしれないんでしょうし。安心してくださいな」

「は、はい……。ほんと慧にはいつもお世話になって……?」

最早自分が何を喋っているのかすら分かっていないらしい。

「すいません、今こいつトラウマ発動中で初対面の人に会うと異様にテンパっちゃうんです」

無意識に周囲を無作為攻撃した記憶があるためなのか、誰かを傷つけることを恐れて隠れてしまう副作用が出てしまっている美来であった。

「問題ないよ。むしろ急に声をかけて悪かったね。

仕事の件は次に遺跡探索に同行してもらうことでチャラとして構わないよ。また空間把握で奥に進みたいから」

「そりゃもちろん行きますよ」

「ありがとう。それと――、」

バーレイは慧と美来ににっこり微笑みかけると、

「2人共、ダンス素晴らしかったよ。本当に良いペアだった」

そう言って去っていく。

一方ソフィアは、後ろの美来に何やら耳打ちしていた。数瞬後、美来はボッ、と音がしそうなほど顔を真っ赤にさせてから一転、青ざめさせてブンブンと首を振る。それを見てもう一度何か呟くと、満足そうにソフィアは慧に手を振ってバーレイの後を追って行った。

その様子を見送って、慧が口を開く。

「ダンス素晴らしかった、だって」

「う、うん。良かった……」

安堵したように頬をゆるめる美来。

「ソフィアさんに何言われたんだ?」

「いや、別に何でもっ、そんな大したことじゃ……」

「じゃあ聞いてもいいだろ」

「ううっ……慧と私って付き合ってるのかって……」

それを聞いた慧はあちゃぁ、と頭を抱えて座り込む。

「確かに……あの2人は美来のこと知ってるんだしそう見えなくもないよなぁ。ごめん、そこまで考えてなかった」

「だ、大丈夫だよ。大丈夫」

そうは言いながらも、美来はあたふたと手を動かしながら一人でわちゃわちゃしている。何かを隠したがるかのように。

「落ち着けってば。俺だって別に気にしないし」

そんな彼女の頭を軽く小突きながら軽く苦笑する。

(こーゆーところをフォローしてるからそんなこと言われんだろうなぁ……。軽率すぎるのか俺って?)

そんなことを考えながら。

(でもそうなると今後気をつけないとな。自然にやってる俺にも責任あるし)

とはいっても、どうにも慧にとって美来は、放っておけない妹のような存在なのだ。面白いけど危なっかしくて、からかいがいがあって、面倒を見てやるのが楽しくて仕方ない。

(ま、何か言われたとしても無視無視。ネネとユヅカが何かしら言いそうだが――)

「慧って好きな人いるの?」

「むぐうっ!?」

思考を巡らせていた最中、あまりにも直球な質問が飛んできて思わず呼吸が止まる。

「お前……自分で言っといてそれかよ……」

「だってさっきみたいなこと言われた時、慧に想い人がいたら丸っきり否定出来ないじゃん。それは悪いし」

どうやら芳しくない心配をさせたらしい。

「好きな人なんてそんな青春じみたこと考えてる暇ねーよ。大体お前の対応で精一杯だっての畜生が」

「なにそれ酷い。じゃ、万が一聞かれたら真っ向から否定しとくからね」

「言っとけ言っとけ」

(とは言ったものの。俺のセリフこいつのことしか考えてねーじゃんこのやろ……)

自分が嫌になって何度目か分からないため息をつく慧であった。

 

 

「――あぁもう! なんでそこで止まるかな!」

「まぁまぁ」

「だってあそこまで言ってるんだよ!? 次あってもよくない!?」

少し離れたところでネネとユヅカが美来たちの様子を観察していた。むしゃくしゃして怒るネネをなだめながら、ユヅカは何やら言い合っている美来と慧を見やる。

「十分青春してるじゃん! もうくっつけあいつら!」

「ネネ……本音が漏れてます」

「漏れてろ! 早く告れどっちか」

「…………はぁ。そもそも美来さんはこういったことに関してとてつもなく、すっごく、半端ないほど鈍感ですし春岡さんに至っては気付かないように押し殺してるようにも見えますよ……」

どこかスイッチが入ってしまったネネに呆れた視線を向けて肩をすくめる。

「あくまで2人の問題ですしほっときましょうって……」

とは言いつつも、内心では。

(全くその通りだぁぁぁぁぁぁぁっ! もうそろそろいいでしょう!)

と、絶叫しているのであった。

 

 

(あー、疲れた疲れた。早く帰りてぇ……)

内心そうぼやく慧。隣で首をこっくりこっくりさせる美来を見て思わず笑ってしまう。

(にしてもこいつ、よくこんな所で寝れるな。さっきまでガチガチに緊張してたってのに。

さて、この後はどうしたものか……)

『素直になりなよ、いい加減』

ふいにそんな言葉が聞こえて慧は耳を疑う。もちろん美来はなにも喋っておらず、周りに他の人もいない。

(え、今のは)

『久しぶり、今回はお疲れ様でした、かな』

(いやいやいやそうじゃなくて……どうしてテオが今更)

辺りに姿が見えないため、声だけ送ってきているようだが、テオの意図が掴めなかった。

『まぁいくらなんでもすぐに長時間留まれる訳じゃないから手短に言うね? キミ、このままじゃ後悔するよ? 彼女が巻き込まれ体質なのは言わずとも理解しているだろうけどいつ死んでもおかしくないのだから』

(てめっ、ふざけん――)

『ごめんごめん、そんなつもりはなかったんだけど。

けれど、忘れないうちにそういうことは言っといた方がいいよ。ボク自身、色々と後悔しているからね』

(余計なお世話だっての。別に俺は……)

『キミの考えていることくらい分かるよ? 結構奥底までね。神様は舐めちゃいけないよ』

(……ならどうして今俺に声をかけたんだ。時間なんていくらでも)

『それはもちろん、時間がないからだよ。

時の神としてひとつ忠告しておく。彼女、何か分からないものに汚染されているんだ』

「――!? それは一体!?」

「慧……?」

急に大声を出したため、疲労のせいか微睡んでいた美来がぼんやりと目を覚ましてしまう。

「あっ、ごめん。何でもない」

「うん……」

『危ないなぁ。本当はボクの存在は子孫しか知っちゃいけないはずなんだから。先の事件は特別案件』

(それよりどういうことだよさっきのは)

『未来を話すのは禁忌だから詳しくは言えないよ。けれどイスタンテ……彼の怨念がまだ残っている。彼の執着心は知っているね?』

(……嫌という程な。でもあいつはもういないんだぞ)

『だからこそ、残ったものは集約する。その浄化主の元へ。残念ながらこれ以上は言えないよ。ボクも立場があるからね』

(……あぁ。さんきゅーな、教えてくれて)

『いえいえ。ボクにとっても彼女は失いたくないからね。何せ彼女が死んだらキミがどうするか分かっているから。それに皆、美来ちゃんには助けられているし、“彼”も“彼女”も死なれたら悲しむだろうから』

(彼? 彼女? まぁいいや。とりあえず情報は貰っておく。今すぐ解決は出来ないのか?)

『それが出来たらいいんだけどねぇ。残念ながら発症してからじゃないと無理なんだ。タイムリミットだけ、おまけで教えてあげる。5日……それが発症から彼女が死ぬまでの猶予時間』

(5日!? 短すぎだろ!?)

『そう。だから、頼むよ。慧くん。キミが、君達が救ってあげるんだ。その時彼女は使い物にならない。君達だけが行動しなければならないから……』

(……わかった。絶対助ける。心配すんな)

『キミならそう言うと思ってた。頑張って……』

それきり何も聞こえなくなる。

テオがもたらした情報は確かに重要で、“5日”というタイムリミットが付いているならなおさら知っていた方が得である。しかし、

(あいつ何考えてるんだ?)

慧の中では疑問でしかなかった。

(これは緊急事態なのか? 未来予知が出来る神様でも予想し得なかった非常時……。その合間を縫って教えてくれた?)

確証はない。それを裏付ける証拠など欠けらも無い。だからこそ、わけも分からないが信じられた。

(きっと“その時”が近いから今、言ってくれた……。あいつは俺らの世界に直接は作用出来ない。俺らがなんとかするしかない)

――美来は使い物にならない。

そう言えば未来へと時間を進めた美来も、去り際に同じようなことを言っていた。

――“私”は戦力に、なれない。

つまり、それほど深刻な事が彼女に起こるということ。

何が起こるのか。イスタンテは……もしくはその背後にいるという黒幕が何をしたのか。手がかりはなくともそんな未来があるのなら。

(未来なんて変えてやる、か。はは、らしくもない)

小説の主人公のような台詞が頭に浮かび、一人苦笑する。

けれど実際、そんな奇跡を起こしてきた人物が真横にいるのだ。

(やってやるよ神様。任せとけって)

眠り続ける美来の隣で、慧は決意を固めるのであった。

 

 

※※

 

 

「大丈夫、君なら解決できるって分かってるよ。その方法までは分からないけど。

だからボクがやるべき事は君の排除だよね?」

無数の時計に囲まれた場所で、独り呟くテオ。くるくると弄んでいた懐中時計を止め、飄々とした態度を崩さずに目の前へ話しかける。一見、何の変哲もない空間だが、

「霊魂を相手するのはあまり好まないんだけどねぇ。残念ながらそうも言ってられないようだ。君はボクらの敵と成りえた。なら、死んだ後に殺しても何も問題ないよね?」

無邪気さの裏にゾッとする笑みを垣間見せながら持っていた時計を宙に放り投げる。

くるくると数周回った2本の針はカチリ、とかすかに音を立てて止まる。やがてその場に静止した時計を脇へ避け、改めて“誰か”に話しかける。

「美来ちゃんは君の本体しか殺らなかったんだね。いや、殺れなかった、が正しいのか。

全く、異端者の断罪人(ジョーカーズ・レクイエム)の制御はまだあまり得意じゃないくせにその辺ちゃっかりしてるなぁ。偽善者はよくないよ? そこがボクも彼らも気に入っているのだけれど、君に無理な勇者は似合わないと思うんだ。

だからこそ今ここで排除させてもらおう」

次の瞬間、周囲の時計が一斉に針を遡らせていく。再びぐるぐると回転し出す針達を尻目に、ついに神は笑みを消した。

「その代償、ボクが責任を持って払ってあげるよ。

“1回だけで済む”なんて思わないよね。ボクは時の創造主、永遠なんて片手間だよ――?」

氷のような視線が空間を壊さんばかりに歪め出す。

『――――――』

神様の断罪は、始まったばかり――。



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第19章 思い出の欠片

まだまだ寒い日が続くアニマーレの王宮内にて。

ユヅカとイフはダンボールに入った荷物を手作業で運搬していた。

単純作業すぎて逆に暇だと感じていた最中、ふと思い出したようにユヅカが口を開く。

「――そう言えばまだゴタゴタしていた時、春岡さんがイフさんは犯罪者だって……。反乱軍側の黒幕だとか違法薬物使って兵士を作っていたとか言っていたような気がするのですが。

あれって本当なんでしょうか」

唐突な発言に面食らって、心外そうに反論する。

「まさか!

あれはねー、全部濡れ衣なのよ。確かにそういう戦法で特攻してくる阿呆どももいたわ。でもそれはあたし達反乱軍とは別の組織だった。

腐りに腐っていた当時の警察上層部はどうにかして犯人を突き止めたかったわけ。国民からの信頼も相当落ちていた頃だからね」

箱に入った荷物を運びながら、ユヅカの無遠慮な問いに苦いものを食べた時のような表情を浮かべる。

「あたしは既に団を引退していたからでっち上げの容疑者として引き上げるには格好の的だったのよ。おかげで信用されていた仲間からはほとんど縁を切られた。慧やネネもそう信じていた。

人間、どう転ぶか分からないものよね」

「そうだったんですか……。私も信じられないとは思っていたので、ちょっと安心しています」

「とは言いつつ、反乱じみたことを起こしたのは事実だけどね。汚れまくった政治家一掃したわ」

「え、えええっ!? い、イフさんそれ大丈夫なんですか!? 結構爆弾発言なのでは!?」

「まぁ誰も問い詰めないから平気なんでしょう。もしくは警察も手を焼いていたのかもしれないし、賄賂やら汚職事件は激減したから結果的には良かったのかもしれないわ。もちろん、正しいことをしたとは思っていないけれど」

金魚のように口をパクパクさせるユヅカに苦笑いして、イフは首を傾げる。

「何か他にも聞きたそうだけれど?」

「あ、そ、そうでした。あの、フェアリーと関係あるというのは……?」

「そのことね。あたしハーフなの。母がフェアリー、父が魔法士でね。だからその血が紛らわしいことになっていたみたい。

占いってこの世界では血筋が結構重要みたいでそれによっては間違った情報を作り出すことになるって、リコも反省していたわ。あたしは気にしてないけどね」

「人間以外でもハーフとか有り得るんですねー。クォーターも存在するんです?」

「滅多にいないけれどいるわよ。あたしの子供もそうなるわ」

その発言に、取り落としそうになった荷物をすんでのところで持ち直して深く息をつくユヅカ。

「い、イフさんてお母さんだったんですか!?」

「あれ、言ってなかったっけ。あたしこう見えて2児の母なの。男の子と女の子、1人ずつね。今度連れてこようか?」

「えっ、いいんですか!?

――じゃなくて、ええっ!? お母さん強すぎません!?

というかお母さん何やってるの!? 国家反逆罪級の凄いことやらかしてますよ!?」

あまりの衝撃に驚きを隠せず、目をぱちぱちさせていると、

「ゆーづかー、お手伝い来たよー」

丁度学校の終わった美来が、学校指定のバッグを携えたまま廊下を歩いてくる所であった。そんな彼女に詰め寄ってまくし立てる。

「みみみみ美来さんっ、ちょっと聞いて下さいよ!

イフさん子供2人持ちだったって知ってました!?」

「こども……? ん、ごめん私聴力おかしくなったかも」

真顔で両耳を引っ張る美来に、イフは呆れかえる。

「なってないわよ。美来もそこまでは知らなかったか」

「えええええ! い、イフはママ……?

ちょ、最近で1番驚いた!

でもどうして急にそんなことを?」

「ユヅカにフェアリーとのハーフってことを聞かれたから答えてたの。一部除いて偽物の犯罪者にされていたこともね」

ユヅカの持っていた荷物を半分ほど美来に分担してもらい、ようやく歩き始める3人。

――あれから約1ヶ月。

オルフェウスの竪琴が起こした再生現象は全世界に及び、崩壊しかけていた均衡を根元から修復することを可能にした。

荒れに荒れた各国内政治も、今回ばかりは協力せねばならないと、敵対関係にある魔界と木花霊法公国(このはなのれいほうこうこく)ですら一時的に同盟を結ぶほどであった。

食糧難の激しい地域、建物の損傷が激しい地域、怪我人が多く、医師の不足している地域。

それぞれにそれぞれが得意である分野の人材、資源を活用し、順調に復興は進んで行った。国債を発行する国も少なくなく、銀行や証券取引所では常に電話が鳴り響き、人の行き交いが多い状態にあった。

特に被害の大きかったアニマーレも、ネネの父親である国王、もとい母親の王妃の圧倒的統率力により、どうにか取り留め、国民も普通の暮らしが戻りつつある。

唯一、被害を受けなかったのが人間界だが、美来のように他の世界を認知している異能者が、各国でボランティアとして活動を行っている者もいた。

「そういえば美来さん、もうすぐ県立高校の受験ですよね」

「うん、そうだけど。どうして?」

方向性がまるっきり違う話題を振られ、不思議そうにユヅカを見ると、慌てたように首を高速往復させる。

「いえ、思い出しただけなんですが……。大丈夫です、美来さんは上手く行きますから」

「んー、まぁぶっちゃけ私もそう思ってるけど……。いくらユヅカでも分からなくない?」

「分かります。だって一度見ていますから」

真剣な眼差しでそう言うと、イフに謝罪するように腰を折る。

「イフさん、もう無理です。言わせてください」

 

 

 

イフが美来とユヅカが持っていた荷物を全て預かり、2人だけで話しておいでと言って行ってしまったため、訳も分からずにユヅカの部屋に招かれるまま入る。

勧められるまま中央に置いてあった椅子に座り、ユヅカもその正面に腰掛ける。

「美来さん、今まで黙っていてごめんなさい。

私達は、一度この事件を経験しているんです。事の発端から、美来さん達が卒業し、高校生になった5月までの7ヶ月ほどの時間を」

その発言に、訳が分からないとばかりに首を傾げる。

「……え? それってつまり、ユヅカはこのばたばたした状況が……2回目?」

「そういうことです。私は個人の意思でアニマーレへと移住しましたが、ユイやリコ、リュウとクロは美来さんのクラスから、強制転移によってこちらに住むことを余儀なくされたんです。

以前、お話したことがあったと思います。ユイ達が転移され、ここに辿り着いたと。生きる為に手段を探り、異能を身につけることが出来たと。

まぁユイという他でもない経験者……しかもアニマーレに精通していた魔術師がいたことはささやかながら幸運でしたが。もちろんリコ達にそのことは知らされていませんでしたし、ユイも話そうとは思っていないようでしたけど」

「待って待って、じゃあどんな結末になるかも分かっていたってこと? 私が異端者の断罪人(ジョーカーズ・レクイエム)を使ったり、慧が創世の大回廊(メモリアル・プレリュード)を発動させることも!?

世界がこんなにも危機的な状況に陥ることも――?」

「……そうです。とは言ってもどのように解決されるのかは分からなかったので、美来さんの異端者の断罪人(ジョーカーズ・レクイエム)等は予知していませんでしたが」

我を忘れて立ち上がり、叫んでしまう美来に、ユヅカは痛みをこらえるような顔で俯いていた。

「なんでっ!? なんでそんなことになったの!?

私は別にいいの、なんでみんなが……世界中が2回も苦しまなければいけなくなったの!? おかしいよ、だって――」

「私達だって!苦肉の策だったんです!」

美来を遮り、堪えきれなくなった涙を零しながらユヅカは続ける。

「強制転移が行われた。それが今年の5月です。その時点では、美来さんの魔力はまだ解放されておらず、世界は滅亡の危機に瀕していました。理由は言わずもがな、テオさんが継承者として春岡さんを認めていなかった為です。テオさんが許可を出すまで世界を巻き戻すことは容認されなかった。

如何せん、大きすぎる時空改変です。全世界を巻き込みます。時空研究所の操作範囲では到底無力。だからこのまま迎える5月まで、春岡さんにはそれほどの器がまだなかったということになります。

ようやく、5月になって、許可が降りて、時空を巻き戻し、この一連の騒動を解決する手段を発掘出来たんです」

「でもそれが、ユイちゃん達と何の関係が……」

「強制転移は、時空の歪みによって引き起こされます。ユイ達の場合は、春岡さんの改変が生み出した時空の傷に巻き込まれた形になります。

――被害者は二度と元の世界に戻ることは出来ないんです。強制転移された場所で一生暮らすしか、選択肢がなくなってしまうんです。だから彼らには最大限配慮された優遇措置を行使します。これまで何度か同じ現象が起きてますから、その度に行われる措置です」

ここで一息つくと、ユヅカは再び座り込み、壁際に置かれた本棚の一角を見つめる。その視線に釣られて、美来も目を向ける。

そこにあるのは分厚く、大きな1冊の本らしきもの。

「……あれは、美来さん達が3月に受け取る予定の卒業アルバムです。

一度過ごしてしまった中学校の3年間ですが、5月に転移してしまうと、その友達とも会うことが出来なくなります。だからせめて、と……ユイ達は、自分達が関わった全ての人間から、自分達の記憶を消去して欲しい、と頼みました。でも、自分達のなかにある思い出は消さないで、と。

だからユイ達4人の持っているアルバムだけ、彼らの姿が残っています。美来さんや春岡さんが受け取るアルバムには載ることがないのに」

「……だから私のクラスだけ、他より明らかに人数が少なかったんだね。おかしいと思ってたんだ」

ぎゅっと手を握りしめ、悔しそうに顔を歪める。どうにかして防げたのではないか。どうにかしてユイ達の転移は止められたのではないかと、後悔の念で埋め尽くされる。

「そうとは知らず、美来さんがユイ達に会いに来て協力を要請するなんて、誰も考えなかったと思います。結果的に世界は助かりました。そのことで、ユイ達も十分救われたんです。ここに来てしまったとしても」

「ユヅカも……もしかして私と同じ学校だったってことはないの……?」

「さぁ。私には分かりません。既に数年前の記憶ですから。少なくとも中学校という記憶は私にはありません。

でも……」

目を閉じてから、静かに微笑して胸に手を当てる。

「私がここで過ごした3年間は無駄なことはありませんでした。心も体もぐちゃぐちゃのまま来たこの国で、拾ってくれたネネも、世界すら違う余所者だというのに居候としてここに住まわせ続けて頂けるネネのご両親にも、感謝しかありません。

かつて友達だった人達も、私の事なんてとっくに忘れ去っている事でしょう。向こうでどのように処理されたかも知りません。

それでも、美来さんのように忘れないでいてくれる人がいる。それだけで十分、十分なんです」

その様子に、美来は違和感を覚える。前もこんなことがあったような……?

「ユヅカ……私にはね、妹がいるの。しょっちゅう絡んでくるしウザイくらいなんだけど結局姉バカで可愛がっちゃう5歳下の妹が」

「そうですね」

「部活でね、ソフトテニス部だったんだけどレギュラー取れずに終わっちゃった。でも私的には応援されるよりする側で、司令塔やったり雑用でボール出しとかしてた方がしょうに合っていた気がするんだ」

「ええ」

「3年生の修学旅行、直前で病気になって行けなかったんだけど、誰かが私のぬいぐるみと一緒に回ってくれて、写真撮ってまとめてくれたんだ。今も大事に取ってある」

「そうなんですね」

ひとつひとつ噛み締めるような美来の言葉に、ユヅカは余計なことを言わずに相槌を打つ。

「誰と一緒にいたのか覚えていない。誰かと笑ったはずなのに記憶の中には何も無い。変だよね、こんなの。思い出そうとする度に頭の中が真っ白になっていくんだ。

ねぇ、これって、これって……!」

顔をうずめて泣き崩れる美来に、ユヅカも歯を食いしばって視線を逸らす。

「ここにユイちゃん達がいたんだよね!? リコさんや、リュウやクロが! だから私の思い出の中は空白が多いんだね!?

忘れたくなかった……っ! 皆との大事な大事な思い出、消し去りたくなんてないよ! 今から戻せないの!? 嫌だよこんなのっ」

今まで我慢していたのだろう。堰切って思いがどうしようもなく溢れていた。

何も言うことが出来なかったユヅカの前に、駆け寄ってくる人物がいた。

ユイだ。

「美来さん自分を責めないでっ!

それだけで、その思いだけでうちらは十分すぎるほど救われたよっ! 誰かが欠片でも覚えてくれているだけで、それだけでうちらにとっては、本当に本当に嬉しいんだよ……」

廊下に声が漏れていたのだろうか。泣きじゃくる美来の背中をさすり、自らも涙を拭っている。

「うちらは誰の記憶にも残らずに死ぬ運命だった。ユヅカやネネとの繋がりだって本来はないはずだった。

小さい頃に既に変わっていた美来さんや春岡くんとの記憶だって例外じゃなかった。

だけど、それだけ、それだけでも覚えてくれててすっごく嬉しいんだよ! 美来さんが悔やむことじゃないんだよ!

うちらのことは、うちら4人しか覚えていないって思ってたから……」

「だから美来さんがうちらの所に来た時はびっくりした。みんなに会いたいって思っても会えなかったから。覚えていないはずなのに変わらず接してくれるから……!」

ようやく顔を上げた美来に、満面の笑顔を作ってユイは言う。

「ありがとう、うちらのことを忘れないでいてくれて。――ありがとう、また会いに来てくれて!」

 

 

 

※※

 

 

 

「……どうするの?」

廊下の壁に寄りかかっていたイフがぽつりと呟くと、

「どうもこうもない。理は覆せない。後でまた、忘却させるしか、ない」

その横で同じような姿勢を取っていた慧が肩を竦めて答える。

一度忘れた記憶を、思い出してはいけない。

時を巻き戻せる慧ですら例外ではないルールを、変えることは出来ない。忘却の手段によりけりではあるが。

だとしても――。

「しばらくはいいんじゃないか。少なくともこの騒ぎが完全に沈静化するまでは」

「そうね……。あたしもそう思う。

時空が操れるっていうのも大変ね」

「嫌でもこういうことに関わるからな……後始末なんて他所でやってくれよ、ホントに」

「まぁ誰かしらは被害を受けざるを得なかった。そんな中で美来の知り合いだったことは不幸中の幸いだったわね。運が良かったわ」

「……あぁ」

壁から背中を離し、元の作業に戻ろうとすると、イフがその背中に声をかける。

「たまには慧も甘えた方がいいよ。いくら仕事したりしてても根は子供なんだから」

「……余計なお世話だなぁ」

微かに寂しそうにも聞こえる返事に、イフは母親のような眼差しで彼を見送っていた。



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終章 平穏な日々のために

「うぅ……学校……嫌だなぁ」

「文句言わないの! 基本は学生なんだから」

「つい昨日まで体感では1ヶ月向こうにいたんだよー?そこからやっと帰ってきて一気に時間戻らされて登校だよ? 私今までの総合計ではまっしーより1年くらい多く生きてるよ、絶対」

「うーん、それはあながち嘘じゃないかもね」

本来は中学3年の受験期真っ只中。ようやく人間界に戻って来ることが出来た美来は、学校への道を親友の真白と歩きながらぼやきまくっていた。

もし無断で1ヶ月もの時を遡れば慧(玲音)は今頃監獄の中だが、今回ばかりは公式で許可が下りたのだった。

「あーやばい、せっかくいままでに覚えた社会の単語とかスッカラカンになってそう。どうしてくれるんだ!」

「思い出すくらいなら案外すぐだったりして。それとも他のこと詰め込んじゃった感じ?」

「ある意味詰め込んだなー。記憶媒体7年分くらいとかとか」

「7年分……? こりゃまた凄そうな。今回の事件について聞いてもいいですかね?」

「いいけど肝心なとこ覚えてなかったり聞いた話だったりちょいグロだったりするよ」

「いつものことでしょ」

すっかりこの流れにも慣れてしまった真白はやれやれと首を振る。

「んーっとね、最初はクラスの男子達がニュースについて話してたとこから始まるんだけど――」

 

 

「神様ねぇ……。やっぱなんとなく魔法があるなら実在してそうって思ってたけどホントだったか」

「テオとかヒナの口ぶりから考えるとみんなかなり暇そうだったねー。でもリリさん死んじゃったってこと考えると荒れる時は荒れそう」

「まぁそれくらいなら普通の人でも有り得るからね。神様も感情あるなら納得いくよ」

内容の把握が早い真白。2人にとってはいつもの事である。

「お、話してればなんとやら。春岡だ。おはよ」

「おはー」

「おはー、じゃねぇよ全く……。ん、一木おはよっす」

「私は無視っ!?」

「別に無視はしてねーだろ。お前の処理でこっちはほぼ不眠不休なんだからな。少しは自覚しろ」

眠そうに大あくびをかます。

「なーにー? 美来さんのやらかしで異世界側はてんやわんや?」

「まぁこいつは寝てたから分かってないだろうけどな。

アニマーレからしてみれば国内の建物ほぼ全壊、食糧難、避難所の不足、各世界ごとの繋がりの崩壊等々。ざっくり言ってもこんな感じ。いくらどっかの誰かさんが戻したとしてもどうにもならんとこはならん」

「というかやらかしてないよ!? 私ぶっちゃけ解決した方だよね!?」

「自分で言うなそれ」

美来のことを半目で睨む慧に、真白は苦笑いで誤魔化す。

「とにかく放課後でいいからユイでもユヅカでも付き合ってやれよ。魔法は極力なしで」

「分かってるよぉ……」

「ま、まぁ春岡も無理しないでね」

「無理せざるを得ないけどな。そこそこに抑えるよう頑張るわ」

ようやく訪れた平和な日常。

それがまた、いつ破られるのか不明ではあるが。

「どうにかなるよー! ほら、2人とも遅れるぞー」

呑気に拳を突き上げる美来を見ていると何だかどうでも良くなってしまう慧なのであった。

 

 

 

 



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