ハンティング・ドリフターズ (井守)
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登場人物紹介(4話時点)

定期的にこうやって登場人物紹介します。新キャラ2、3人に一回くらいの割合で更新します。


アルマ・グリズラ

 

20歳になったばかりの主人公。灰色の髪と日焼けした肌に、濃いめの自称ダンディーな顔を持つ。身長は低め。

身長を伸ばすために牛乳を飲んでいたら牛乳が大好きになった。

ハンマーの火竜砕フラカンを愛用。実はフラカンはmh3からっていうね。

装備はレザーSシリーズ。何と本編で一度も触れられていない。自宅に狩猟用のレウスSがあるが、普段使い用のレザーのまま飛び出してしまったために多分もう着ることはない。レザーSは動きやすいので実は結構気に入っている。

動物的な運動能力と反射神経の持ち主で、腕はザハの上位ハンターの中でも結構上。ザハにはG級がない設定だが、もしタンジアとかドンドルマ行けばG級の下の方。

性格は短気で粗暴。だがそれゆえに判断が早く、直近の目的に対しては高い遂行能力を持つ。

一方で、大局的に物事を見るのは苦手で、一見適切に見えた行動が後々裏目にでることもある。

両親はハンターだったが実力は高くなく、乱入してきたティガレックスに対処できずに捕食された。孤児になったところをザハの元ギルドマスターに拾われて育つ。

不当な手段を用いて現マスターとなった男を引きずり下ろすためにドンドルマへ密書を届ける旅に出る。

 

イース

 

苗字は不明。

よくわからない方言で話すひょろっとした長身の片手剣使い。アルマのよく知らないフード型の柔らかい素材の装備をつけている。狩りの実力は多分それなりに高い。

外見年齢すらよくわからない男。本人曰く22歳。

いつも人懐っこい笑顔を浮かべており賑やか。驚いた時などコロコロ表情を変えるが、本心が見えず何となく表面的な印象を受ける。

ケチ臭い性格をしているが妙に達観しており、何かを切り捨てる判断をするときには余り迷わないタイプ。

好物は魚だったが漂流体験で嫌いになった。ワカメは今も好き。

曰く、かつてはコソ泥だったがあることがきっかけでハンターへ転向。

金色の装備を着た狩人を探して旅をしていたところ、セント・ルヴェール号の酒場でアルマと出会う。

 

ゲルブ

 

苗字は考えてない。

噛ませ。レックスシリーズ着用。

マッチョなのに武器ははガレオスライトのデザートストーム。

自らの長所である筋力とライトボウガンの長所である機動力を相殺させるという器用なのか不器用なのか、兎に角非効率的な男。

上位に上がることができず燻っていた、ザハの下位ハンター。権力や名声に対する執着心が強い。

実は父親はザハの中でもトップレベルのハンターだったが、アルマの両親をティガレックスから救おうとして3人もろとも命を落とした。

父親を尊敬しており、ライトボウガンに固執するのも父親の使用武器がライトボウガンだったため。

血筋で劣るはずのアルマが自分よりも才能に恵まれていることに気づいたのがきっかけでコンプレックスが爆発する。

 

酒場のマスター

 

大型客船セント・ルヴェール号の酒場で働いている、ガタイのいいワイルドな男。奥さんは同じ船で客室乗務員をしている。

気のいいおっちゃんだが店で騒ぎを起こすと怒る。セント・ルヴェール号の海難事故では妻と二人で救命ボートに乗り、無事にザハへと流れ着いた。

 

 

 



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第0話 旅立ちと別れは潮風と共に

とりあえず、一話です。旅立ち的な。
世界観は基本的に公式に沿って、足りないとことかをオリジナルで補ってます。オリジナル部分は後書きで一応明記しときます。



「爺さん、入るぜ」

 

ノックをして扉を開けるとかすかに紙のカビた匂いがして、青年は顔をしかめた。

広い部屋は長い間掃除されないままになっており、床中に書物や衣服が散らばっている。

窓から差し込んだ夕日は埃に当たってオレンジ色の光の筋を作っていた。

 

「埃っぽくないか、この部屋」

 

青年が窓際のベッドに目をやると、横たわっていた小さな影がむくりと起き上がった。

 

「掃除くらいして貰っても構わんぞ」

 

影は不機嫌そうに言って、窓の外へ顔を向ける。

青年は溜息をついてベッドの横に立ち、背負っていた愛用のハンマー、火竜砕フラカンを脇に下ろした。木の床が軋んだ音を立てる。

影は、竜人族の老人であった。元から大きくなかった体はさらに縮こまり、かつて体から放って居た覇気は見る影もない。

 

「しかしお主、もう20になると言うのに相変わらず小さいノォ。ちゃんと寝ておるのか?」

 

「やかましい。こんな汚部屋で縮こまってるジジイに言われたかねえや」

 

「ほほ、チビ二人がまさにドングリの背比べじゃな」

 

「ふざけんな。俺はまだ成長の余地があるンだよ」

 

年齢に追いついてこない身長は青年の悩みの種である。青年はもう一度、散らかった部屋を見回した。

 

「女中はどうした、1人いたろ」

 

「あれは先月暇を出したと言ったはずじゃ」

「…あのなあ、俺が最後に此処に来たのは三ヶ月前だぜ。そろそろヤキが回ったか?」

 

「そうじゃったかの。そうか——もう三ヶ月経ったのか。確かに、儂ももう随分と歳をとったようじゃな」

 

老人はか細い声でそうこぼすと枕元に置いてある皿からパンを一切れ手にとって、小さな口で齧った。

かつて街のギルドのマスターを務めていた勇姿と、眼前の矮小な老人の姿とのギャップに寂しさと苛立ちを感じて、今度は青年の方が老人から目を逸らして窓の外の夕景を見る。

 

橙色に焼けた空、海に落ちる太陽。人気のない砂浜。昔と何一つ違わない。

 

「此処の眺めだけは、相変わらずだな」

青年がつぶやくと、老人は顔をしかめる。

 

「この窓から内側の景色は見えんでの。寂しいことこの上ないわ」

 

すると青年は乾いた声で笑った。

 

「はは、そりゃあ幸せだな。今の町中なんて——」

 

——この町を守って来た老人には、見るに耐えないだろう。

 

南エルデ地方に属するレクセ海に面したこの町——ザハはかつて、小さくも活気溢れる、賑やかな町だった。当時町の中心的役割を担って居たのはハンターズギルドの長を兼任していたこの老人であり、またその下で働くハンター達であった。

人々はハンター達を敬い、ハンター達はそれに驕ることなく人々をモンスターから守り続けた。

 

事態が急変したのは三年前、古龍観測所からザハのギルドにある知らせが舞い込んでからである。

 

幼体の古龍が、町の東側の森から接近しているというのだ。

伝説にしか聞いたことのないような、半ば空想上の存在であった古龍の襲来にギルドはざわついた。

もし本当に古龍が接近しているとして、対処が遅れれば甚大な被害は免れない。

 

老人は迅速な判断を下すことを強いられた。

——現在稼働可能な上位ハンター全ての投入。

それが老人の決断だった。相手が未知数である以上、最大限の戦力をぶつけるしかなかったのだ。狩猟人数の禁忌を犯すその決断は、失敗すればギルドの要職を解任されても構わないと言う老人の意思の表れでもあった。

 

かくして、当時療養中だったサブマスターを除いたハンターズギルドの全上位ハンター達を引き連れて、老人は古龍の対処に向かった。その中には当時既に上位ハンターの中でも指折りの実力だった青年も含まれていた。

町には下位ハンター達が残り防衛に努めた。この町の周辺には本来あまり強力なモンスターは出ないので、問題はないと思われた。

 

結論から言うと狩り自体は大成功だった。幼体ということで力が十分でなかったのか、上位ハンター達はさして甚大な被害を被ることはなく古龍を撃退することに成功したのだ。

怪我人こそ出たが、それも軽傷で死者はいなかった。普通ならばそのまま討伐まで持っていくべきだった。

しかし——さあ追撃に向かおうというところで、血まみれの姿の下位ハンターが駆け込んで来たのである。

——どうした、何があった。

——大変なんです、町が…ザハの町が!

町が、町がとうわ言のように呟く男を数人の上位ハンターに任せて、老人と残りの上位ハンター達は急ぎ足で町へと戻ることにした。古龍の追撃など考えるべくもなかった。

 

老人は全速力で町へ戻ったが、時既に遅く——町は酷い有様だった。各所から上がった火の手、倒壊させられた建物。

何らかのモンスターの襲撃を受けたのは明らかだった。

 

青年が町の中央の広場へ向かうと大きな火竜の死骸が転がっていた。脇では療養中だったサブマスターが休んでいた。青年の姿を確認したサブマスターは一言、

——闘技場のだ。

と吐き捨てるように言った。

どうやら、闘技場で飼っていたリオレウスが逃げ出したらしく、それも上位のリオレウスであった為に下位ハンター達では手も足も出なかったのを、サブマスターが一人で討伐したようだった。

 

 

この一件で、老人は人々の支持を失うこととなった。古龍討伐に行ったハンター達がほとんど無傷で帰って来たのを見て、人々は老人の判断が大袈裟だったのだと考えたようだった。

代わりに町を守るために単独で火竜を討伐したサブマスターを推す声が大きくなっていったが、他のハンター達の強い望みもあって、老人はマスターを降りなかった。

 

しかし、それから一月経って、老人をさらなる追い討ちが襲った。例の幼体だった古龍——追撃し損ねた古龍が急速に成長し、逃げた先々の町村を襲撃するようになったのである。

ザハが逃した古龍が怒り狂い、各所で人間を襲っている——

古龍観測所からの報告に全ギルドを総括するドンドルマの大老殿は激怒し、老人をマスターから強制的に降格し、さらに自宅謹慎を命じた。

 

こうして老人は職を去り、マスターの座にはかつてのサブマスターが着くこととなったのだ。

 

「変わったよ、この町は」

 

変わってしまった、と青年は繰り返し呟いた。

 

マスターの交代とともに、この町の在り方——そしてハンターの在り方は一転した。現マスターにより、ハンターの地位向上が図られたのである。

現マスター曰く——人々が安全に生きていけるのは日々モンスターを狩猟しているハンターのおかげである。だから人々はハンターに跪くべきである——ということらしかった。

滅茶苦茶な話だ。にもかかわらず、人々からの不満はなかった。文字通り自分達の命の恩人である現マスターの言葉に誰もが首を縦に振った。

持ち上げられたハンター達は増長して尊大な振る舞いが増えたし、それに呼応するように町民達の腰は低くなっていった。

それは青年と共に古龍討伐に向かって町を空けた上位ハンター達においても例外ではなかった。

 

「上位ハンター様、か。お主も偉くなったものじゃ」

 

「勘弁してくれよ。あの件は全部あんたの責任になったからな。全く、過ごしにくいったらありゃしない」

 

「結局——弁えておったのはお主だけじゃったな」

 

自らの地位向上を喜ばぬものは少なく、それまで老人を支持していたハンター達もほとんどが現マスターに着いて行くようになった。みな、好待遇を嬉々として受け入れて、今では町で人々と同じ目線で話そうとするハンターは青年くらいのものである。

もっとも、青年ですら本当に同じ目線で話せているわけではない。青年がどう接しようとも町民達が下手に出ることを望むのだ。

 

「本当にやりづらいよ。爺さんがいた頃の方がまだマシだ」

 

「お主がどう思おうと、奴が町民からもハンターからも支持を受けてるのなら仕方なかろう。強制服従させられているならともかく、町民も進んで現状を受け入れているのならば何も問題はあるまい」

 

「問題ない、か。確かに、不健全ながら町はうまく廻ってる。それはもう薄気味悪いくらいにな」

 

でもよ、と青年は続ける。

 

「問題ねえわけ、ねえだろ」

 

青年の言葉に老人が顔を上げた。

 

「知ってんだぞ俺は。あの時何があったのか——なんでこんなことになったのか」

 

老人は表情を変えなかった。ただほんの少し、小さな体を強張らせた。

そう——青年は知っていた。気付いていた。

 

「おかしいよな、あの事故はどう考えても。新品の檻だぞ?あんな簡単に壊されるはずない。誰かが開けたとしか考えられない。町に火竜を解き放ったんだ。誰がやった?火竜解き放っておいても自分の身は守れると確信してる奴——そんな奴はあの時、あの町にはあいつしかいなかったよな」

 

現にその男は今、まんまと手に入れたギルドマスターの座で胡座をかいているのだ。

 

「あんたも、気付いてたな」

 

老人は目をつぶって、黙っている。

青年は肯定と受け取った。

 

「なんで、言わなかった」

 

「証拠がなかろう」

 

「証拠なんて…!あんたが言えば、少なくともハンター達は信じたはずだ。ギルドに嘆願書をだせば、職を降りる必要も」

 

「違うのじゃ」

 

老人が青年を遮った。

 

「何が違う」

 

「皆が信じる信じない以前に…証拠がなければ、わしが信じられなんだ。信じたくなかったのじゃ。知っての通り、彼奴は儂の直弟子、お前の兄弟子じゃ。儂の全てを叩き込み、また奴の全てを知っているつもりだった。だから——」

 

「だから?だから、目ェ背けたのかよ」

 

青年の声は怒りに震えている。

 

「そんなにあいつが大事か?」

 

「あの時は、大事だったのじゃ」

 

「ああ——そうかい」

 

くそったれ、と青年は乱暴に吐き捨てた。

再び静寂が部屋を包む。外はもう暗くなっており、波の音だけが窓から入ってくる。

青年は乱暴な所作でランプを灯した。

 

「確かに奴は大事じゃった——もちろん、今となっては情も何も湧かんが」

 

「遅えっての。今更どうにも出来ねえよ。もっと早く言ってくれれば」

 

「のう、アルマよ」

 

ふと、老人が不思議そうな顔をした。

 

「何だよ」

 

「お前は、何故そこまで儂を気遣ってくれるのだ。あの一件、たとえ奴の仕業だとしても、儂の判断に非があることは変わりない。なのにお前はこうして、頻繁ではないにしろわざわざ儂のところまで通ってくれておる」

 

青年は一瞬言葉に詰まって、それからぼそぼそとした声で答えた。

 

「嫌いなんだよ、彼奴が。それに俺だって——あんたの弟子だ」

 

青年のぶっきらぼうな口調に老人は微笑んで、そうかそうか、と呟いた。

青年は居心地が悪くなって、指で近くの棚の埃を拭った。老人は黙って考えにふけっている。

しばらくして、不意に老人が青年の方を見て口を開いた。

 

「もし、どうにかできるとしたら——する気はあるか?」

 

いつに増して真剣な口調に少し戸惑う。

 

「——あ?」

 

「お前はさっき、もうどうにも出来ないと言ったが——真相を証明する手立てがあるとしたらどうじゃ?」

 

「そりゃあ、できるもんならな。でもよ——どうすんだよ」

 

すると老人はのっそりと布団から起き上がり、部屋の奥の机へと向かった。

何やらゴソゴソとしていた後、戻ってきた老人の手には皮紙の書類がひと束抱えられていた。

老人がそれを丸めて金属製の筒に入れる。

 

「何だよそれ」

 

「これはな、調査書じゃ」

 

調査書?と青年は聞き返した。

 

「儂はずっとな、奴の仕業でないことを自分に証明したくて——奴への疑念を払拭したくて、あの一件の調査を続けてきたのじゃ。皮肉にも出てくる証拠は全て奴の犯行を裏付けるものばかりだったが——これさえあれば奴を引き摺り下ろせる」

 

「何だよ、そんなもんあるなら——」

 

「問題はここからじゃ。これに効力を発揮させるには、まず誰かにこれを見せなければいかん。しかしこの町の人間のほとんどは奴の下についておる。ギルドの要職はなおさらじゃ。もし見せた相手が奴の配下なら、すぐにこの書類はもみ消されてしまう」

 

「俺なら信用できるってか。でもそれじゃあ、結局何も変わりはしないじゃねえか。真相を知るのは俺と爺さんの二人だけだ」

 

「奴より下の者に見せてはいかん、ということじゃ。じゃが、もし奴より上の者の目に入れられれば——」

 

「上って…彼奴がギルドマスターだろ」

 

「儂をその座から強制的に引き摺り下ろせた存在がいるじゃろう」

 

青年は漸くそこで察した。

 

「ああ——ドンドルマの」

 

「そう、大老殿にこの書簡を届けることができれば、何かしらの処罰が奴に下る。本当なら郵便物や飛行船の管理権限が奴の手に移る前に届けるべきだったのじゃが——お前のいう通り、もう遅い」

 

青年はあア、と再び納得したような声を出した。

 

「飲めたぜ爺さん、つまり——俺がどうにかしてドンドルマにこいつを届ける、そういうことか?」

 

「そうじゃ、お主にドンドルマへ向かって欲しい」

 

「遠いな。ドンドルマって言ったら遥か北だぜ。他の村や町から郵便で出すのは厳しいのか?」

 

ドンドルマへ行くには、ラティオ火山を含む北エルデ火山地帯を乗り越える陸路を通るか、今、窓から見えているレクセ海を渡っていかなければならない。

 

「書簡だけで大老殿の長を説得できなかった場合——向こうはザハのギルドに確認をとるはずじゃ。そしたら奴が口八丁手八丁できれば丸め込んでしまうかもしれん。それに現状どこの町まで奴の手が伸びているかわからんでな。お主が直接行くのが一番確実じゃ。お主なら道中襲われても対処可能じゃろう」

 

「じゃ、俺の仕事はこれをドンドルマまで届けて、更に大老殿の長を説得するとこまでか。失敗したら?」

 

「お主が失敗したのなら…儂も諦めがつくわ。もし途中で書簡を無くされたり、奪われたりしたならば——その時はドンドルマでもどこでもいい、ここではない場所でハンターに励め。お前ならどこでもやっていけるじゃろ。そしてもし、うまく運んで奴に裁きが降った暁には——お前がここのギルドマスターになるのじゃ」

 

青年は口を開けて、ぽかんとした表情をした。

 

「は?おいおい、まてよ爺さん。あんたが復帰すりゃあいいだろうよ。俺はそもそもあんたのために」

 

「聞くのじゃ、アルマ」

 

老人は静かに青年の言葉を遮った。

 

「儂はもう長くない。ちょっと前から…患っておるのじゃ」

 

「は、あんたが病?つまらねえ冗談は——」

 

「儂だって病の一つくらいかかるわい。それがたまたま、死病だったと——それだけじゃ」

 

「…対処法は、ねえのかよ」

 

「それこそもう手遅れ、という奴じゃな。はっきり言って明日生きているかどうかも怪しい」

 

青年は黙り込んだ。老人が慣れた手つきで窓を開けると、海から溶け出してくる潮の匂いと波の音が二人のいる部屋を満たした。

 

「わかるのじゃ。死がすぐそこにあるのが」

 

「怖くねえか」

 

「ああ、怖くない。安らかなものじゃ。儂の知ってる奴らは皆…こんなに穏やかには死ねなんだからの」

 

「死んじまえば——おんなじだろうよ」

 

老人は青年の言葉には答えず、ただ月を見ていた。

そして不意に目を見開いて、小さな口からおお、とだけ声を漏らした。

月明かりに照らされて、青年は静かに佇んでいた。青年は老人に話しかけなかったし、老人もまた、声を出さずに固まっていた。

 

しばらくして——どれほど経った頃合いか——家の一階でした物音に青年は飛び跳ねるように反応して、書簡と、置いていたハンマーを手に取った。

扉に鍵をかけてから、息を潜めて耳をそばだてる。

階段を登ってくる足音。1人ではなく——3、4人。

それだけ確認した青年は静かに老人を横たえた。そしてベッドの上のその小さな軀に毛布をかけて、窓の外から飛び出した。

背後で扉を蹴破る音を聞きながら青年は浜辺を疾走する。

 

大銅鑼の音。長い音が二つ。船が港に入った音だ。

——とりあえず、船に乗って仕舞えば暫く追っては来れないだろう。

そう判断した青年は、そのまま港へと直行することにした。

 

「じゃあな、爺さん。次戻ってきたら…墓の一つでも建ててやるよ」

 

青年アルマはそう呟いて、港と浜辺を隔てている黒い林の中に入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




はい、読んでくれてありがとうございました。
オリジナルの地名はザハです。いきなり重要なとこオリジナルにしました。その方が話作りやすいので。
ドンドルマや、エルデ、ラティオ云々は公式のです。知ってる人も多いだろうけど、一応。


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第1話 セント・ルヴェール号へ潜入せよ!

死ぬほどわかる前回までのあらすじ。
故郷のギルドマスター、悪い奴。
主人公、そいつ嫌い。
密告書を届けるためにちょっと遠いドンドルマへ行きたい。
これだけ。
初めてモンスターが出て来るのは次回です。ごめん。


月に照らされた夜の港に、大型の帆船が一隻停泊している。赤く塗られた船体には白文字で大きく船の名前が書いてある。所々掠れてはいるが——セント・ルヴェール号、と読めた。

船の周り、停泊場で蠢いているのは人々が持つカンテラの明かりだろう。

それを今、林の中を走り抜けてきたアルマが木立の陰からそっと観察していた。

小さい体はこう言う時に役に立つのだ、とアルマは一人で納得する。

 

「とりあえず追ってはきてねえみたいだけど…何とかしてあの船に乗れねえかな」

 

ザハから出る船は大抵、ジォ・ワンドレオ行きなのだ。ジォ・ワンドレオとは、レクセ海とその北のジォ・ルーク海、二つの海の境界に位置する、交易の盛んな街である。ワンドレオからドンドルマまでは陸路を通っても海路を通っても、一週間足らずで着く。道中に危険な地帯もないので問題はない、というのがアルマの考えだ。

 

先程入港の合図があったことを考えると、出港まではまだ暫く猶予があるはずだった。

 

「それまでに何か忍び込む方法を考えねえと…」

 

当たり前の話だが、アルマは搭乗の予約などしていないし、券も何も持っていない。正式に移動手段を入手しようとすればザハのギルドに情報が入るのは間違いなかった。だから、アルマには正当に船に乗り込む気などさらさらない。

 

港の係員が何やら叫んでいた。

「セント・ルヴェール号の搭乗口はこちらです。ご搭乗のお客様は列の最後尾にお並びください!」

船の搭乗口を見れば長い列ができている。乗客たちは皆、そこで係員に何かを手渡ししているようだ。

 

「あそこで搭乗券渡してるのか?なら船にさえ乗って仕舞えばあとはどうとでもなるな。問題は…どうやって乗るかだ」

 

アルマは小さく唸って考え込んだ。船の大きさはそれなりで、水面から甲板や脱出口へ上ることなど到底できない。足場になりそうな凹凸も舷側にはなかった。

 

「他に甲板まで行けそうなのは——あの鎖ぐらいか」

 

そう呟くアルマの視線は船の舳先に注がれている。錨を吊り下げている鎖。アルマが目をつけたのはそれだった。

 

「でも普通に登ったりは無理だな。絶対バレる。さあ…どうする」

 

搭乗口から鎖までは10メートルちょっとしかない。そんなところで鎖を登ろうとすればすぐに騒ぎになるだろう。アルマは再び頭を抱えた。

乗客の列はどんどん短くなって行く。時間はもう残り少ない。

また銅鑼の音が鳴って、船の出港が迫っていることを知らせた。

 

「——ああクソッ。取り敢えず動くしかねえ」

 

アルマは吐き捨てるようにそう言うと、林の中を走り出した。

船からは見えないように、少し離れてから林を出てそのまま浜を突っ切ると、勢い良く黒い海に飛び込む。

装備の中布が水を吸って体に張り付く。夜の海は冷たかった。

音を立てないように、できるだけ静かに海中を進む。海の中は暗かったが、船の灯りが水面から差し込むので海中からでも見失うことはない。

 

ゆっくりと泳いで船へ近づくと、目標の鎖にたどり着いた。

 

「さて、第一段階クリアだ。次はどうやってバレずに上に行くか…なるべく勝率の高い賭けにでて——そのあとは成り行きまかせってとこか」

アルマは無鉄砲ではないが、緻密な計画を立てるタイプでもないのだ。自分の対応力への自信もその判断を後押ししていた。

まずほんの少し浮上して、搭乗列を確認する。どうやら、今係員に搭乗券を見せている客で最後らしい。

——思ったより時間がねえ。

水夫が錨をあげる前に登り切らなければ鎖を登っているのを見られてしまう。かといって今登っても、岸にいる係員に見つかってしまうだろう。

 

「だったら——」

 

アルマは少し大きく息を吸ってから、港の水底を目指して猛スピードで潜航した。

 

カワセミのように水を切って下降すると、あっという間に一番底まで到達する。アルマは錨に近づくや否や、おもむろに担いでいた火竜砕フラカンを手に取った。

そして水の抵抗などものともせずに、錨の付け根めがけて力一杯振り下ろした。

 

「ほらよッ——と」

 

ギィン、と鈍い音が海中にこだまする。

見れば、フラカンの重い一撃と熱量に耐えかねて、錨と鎖を繋いでいる部分が不自然な形にへしゃげていた。

 

「あと一発ってとこか——ッラァ!」

 

掛け声共にアルマが再びハンマーを振り下ろすと、接続部の一部が弾け飛んで、鎖が錨から離れた。

 

暗い水の中、固定を外された船はゴゴゴゴと低い音を出しながらゆっくりと滑り出す。

アルマはハンマーを担ぎ直し、水面に向かって浮上した。

 

再び水面まで戻って来て、そこから少し顔を出して様子を伺う。

船は既に岸の係員からは十分に離れていたが、船上ではまだ異変に気付いた様子はない。おそらく水夫達は今頃、出港前の打ち合わせ中なのだろう。その他の、船が港を出ていることに気付いた者達は、滞りなく出発したと思っているに違いない。

——今しかない。

アルマは水面から甲板へ続く鎖を素早く、静かに登り出した。浮力の補助があった水中と違って濡れた装備がとんでもなく重い。

全身の力を使って着実に登って行く。

 

 

「全く…散々だぜ」

 

長い鎖を登りやっとの事で船の縁まで辿り着いたアルマは甲板に人気がないのを好機と考え、腕の力で一息に体を持ち上げてどさりと甲板の上へ落下した。

 

「ハア、ハア…あァ、キツかった…!」

 

一端船の縁にもたれかかって息を整える——が、物音が聞こえてすぐに頭を切り替える。

 

「っと、だらだらしてる場合じゃねえ、人が来る前に客に紛れねえと——」

 

「お、おい」

 

「あ」

 

不意に呼びかけられて、アルマはしまった、と思った。

甲板へふらふらと出てきたのは、水夫の格好をした男だった。目を見開いてアルマを見ている。

「こりゃあ一体どうなってんだ!なんで船が出てる?い、錨はどうした?おいガキ、何してん——」

 

「いや——すまん」

 

「がッ」

 

男の言葉が終わらないうちにアルマが拳を握って顎を殴ると、男は小さく呻いて昏倒した。そのまま看板の端まで引きずって行き、救命用の浮き輪を男の胴にはめる。

気絶している男の頬を平手で叩いて叩き起こすと、男は大声で喚きながら暴れ出した。

 

「や、やめろクソガキ。離せ!なんなんだお前は!?」

 

「悪いけど浮き輪だけで勘弁してくれ、ここからなら無事に岸までたどり着くだろ」

 

「ちょっと待て、何考えてんだ!」

 

「いや、マジに悪いとは思ってるよ。でも見られちまったから…なあ?ごめんよ。ああ、ついでにあともう一つ。俺はガキじゃない、成人済みだ」

 

そう言って、アルマは男を黒い夜の海へと投げ捨てた。

 

「じゃあ、頑張れ!元気でな!」

「〜〜〜ッ!!〜〜〜!」

 

大声で呼びかけながら海面に手を振ると何やら怒声が返ってきたが、アルマにははっきりとは聞こえなかった。

 

「さて——」

 

アルマは再び呼吸を整えると、先ほど水夫が出て着た口から船の内部へと入り込んだ。

 

アルマが入り込んだのは、乗客用の酒場だった。かなり大勢の人で賑わっている。港で並んでいた人数を軽く超えているところを見ると、この船はザハの前でもいくつか港に立ち寄って客を拾ってきているらしかった。

もちろん、ザハの町で見かけたことのある客もちらほらと乗っている。そういう客はアルマと目が合うと決まって頭を深く下げるので、アルマは少しうんざりとした気分になった。

騒いで楽しんでいる客の裏では水夫達が慌ただしく甲板との間を出入りしている。おそらく異変に気付いたのだろう。

落ち着かない様子の水夫達を横目に、アルマはカウンターの席にどっかりと腰をかけた。

カウンターの中では大柄な男がコップを拭いている。酒場のマスターだろうか。

 

「セント・ルヴェール号へようこそ。あんた…ハンターかい、何にする?」

 

「ミルクを一杯」

 

アルマの注文に男は吹き出した。

 

「ぶはっ、何だよ兄ちゃん、まだ子供かい?確かにちっちぇえもんなァ」

 

「うるせーな、だからミルク頼んでんだろ。喉乾いてんだ、早く出せ」

 

男はあいよ、と陽気に答えると、戸棚からミルクを出してカップへ注いだ。

 

「ほらよ、仕入れたばっかりのとびきり新鮮なやつだ」

 

「そりゃどーも。なあ、この船次はどこに泊まるんだ?ワンドレオか?」

 

「いや、ワンドレオはもうちょい先だな。確かザハの次は…レクサーラで補給するはずだ。あんた、ワンドレオに用があるのかい」

 

「ん——ああ、まあそんなとこだ」

 

アルマは軽く言葉を濁してミルクを飲み干した。不必要に情報を漏らすことはない。

入り口付近を見ると、ようやく事態を把握してさほど問題はないと考えたのか、水夫達が甲板から戻ってきていた。

——ったく、大丈夫かよこの船。

異変を巻き起こした張本人ながら、あまりに対応の遅い水夫達にアルマは少し不安になった。

 

「なあおっさん。ここの水夫達、腕は確かか?」

 

「腕?なんだよ腕って」

 

「緊急時の対処とか、ちゃんとしてんのかよ」

 

男は肩を竦めてさアな、と答えた。

 

「レクセ海は湾になってて荒れることなんて殆どねえし…大型モンスターも住んじゃいねえからなあ」

 

「そりゃそうだけどよ…いいのかそれで」

 

「ま、さすがに大丈夫なんじゃねえのか?訓練くらいしてるだろうよ」

 

「どうだかな」

 

少なくとも出港前に甲板を空ける程度には危機感のない連中である。

するとその会話を聞いていたのか、誰かが横から口を挟んだ。

 

「この船の連中なぁ、あかんで」

 

特徴的な話し方の人物は、ちょいと失礼、と言ってアルマの左隣の席に腰掛けた。

アルマは横目でその人物を眺める。

細い目が特徴的な、くすんだ黒髪の男だった。年齢はよくわからない。アルマと同じくらいと言われればそんな気もした。

 

「あんたは?」

 

アルマが問うと、男は人懐こく笑いながら答えた。

 

「わてかいな。わてはな、遠くの方でハンターをしとったイースっちゅうもんやけども」

 

男はレウス、と言うのと同じイントネーションでイース、と名乗った。

よく見ればアルマと反対側の腕には盾をつけているし、腰には片手剣を指している。

 

「同業のアルマだ、よろしく」

 

「よろしゅうな。偉いこまいんやね」

 

イースは良く言えば親しげ——悪く言えば馴れ馴れしい口調で言った。

 

「こまい?」

 

アルマには聞きなれない言葉だったが、なんとなく腹が立った。

 

「まあ、気にせんとき。ほんで水夫の話やけど」

 

イースが話を元に戻す。

 

「ああそうだった、あかんっつうのは?」

 

「さっきおっさんが言うてた通り、ここら一帯は風もない、波もないやろ。そやから奴等、訓練なんてよおしてへんで。万が一時化でもしたら、この通り——」

 

どかーん、とイースは大げさに手を広げた。

 

「海の藻屑や」

 

「やべえじゃねえか」

 

「ヤバイヤバイ。まあ殆ど嵐なんてけえへんから商売成り立ってるわけやけど…万が一っちゅうことはあるわな」

 

「人ごとみてえに。あんたも今その船乗ってんだぞ」

 

イースはせやったねぇ、と笑った。

 

「でもまあ、この海域は大型モンスターいてへんし、僕等は泳いだらなんとかなるやろ。他の客は御愁傷様やけど…まあなんも考えんとこんなもん乗ったらあかんわな」

 

「あー、まあそれもそうだな」

 

人当たりの良い割に、イースは結構ドライなようだ。

——まあ、湿っぽいよりよっぽどマシか。

アルマ自身はともかくとして、さっぱりしているタイプは嫌いじゃない。

 

イースと雑談を交わしながらそのままくつろいでいると、突然アルマの肩にゴツゴツした手が置かれた。

 

「おいミルク野郎、そこどきなぁ!お子様が座る席じゃねえぞ」

 

後ろから酔っ払いがアルマに絡んできたのだ。

アルマが無視して酔っ払いの手を払うと酔っ払いは足をもつらせたのか、その場で床に倒れこんだ。

 

「あちゃあ、こかしてしもたやん」

 

イースが呟く。

 

「おいおい、騒ぎを起こすなよ?」

 

カウンターの男も注意するが、もう遅い。

酔っ払いは烈火のごとく怒り出すと、顔も見ようとしないアルマの肩を掴んで叫んだ。

 

「ってめぇこのガキ、やりやがったなぁ!」

 

「おい、お前らマジで勘弁しろって」

 

カウンターの男が懇願するが、いい加減執念く絡んでくる酔っ払いにアルマも多少熱くなる。

 

「うっせえな!お前こそさっきからチビだのガキだのお子様だのと——あれ?お前…」

 

無礼な暴言を吐く酔っ払いに二、三発くれてやろうと振り返ったアルマは、見慣れた顔と目があって硬直した。

酔っ払いの方も振り返ったアルマの顔をまじまじと見つめると、口をぽかんと開けた。

頬の紅潮もすっかりと引き、蕩けていた目も元に戻っている。

 

「お前…アルマかよ、嘘だろ——マジに乗ってやがった。どうやったんだ?列にはいなかったはずだぞ」

 

「大魔法使いアルマ様を舐めるんじゃねえよ。ゲルブ、お前こそこんなとこで何してる?」

 

「は、いつの間にそんなメルヘンな転職したんだテメェ。俺がヤッてこいって言われたアルマはチビの上位ハンター様だったはずだがな。大魔法使いなんて何一つ合っちゃいねえ」

 

「ああ、そうかい——彼奴の差し金か。お前、権力の犬だもんなァ」

 

なんや、知り合いかいなと言って、イースは興味なさげに二人から目を背けると、カウンターの男にスコッチを注文した。

このゲルブという酔っ払い——もとい元酔っ払いは、ザハの町の下位ハンターの一人である。昔から長い物にまかれろ的な性質を持っており、ザハのマスター交代の際も、真っ先に現マスターに従った男だ。

二人は年が近かったが、ゲルブはアルマの体格に見合わない実力を妬んでいた節があり、アルマもまたゲルブの性格が気に入らなかったので、昔から二人の相性は悪かった。

「マジに乗ってやがったってのは…俺がいないと踏んで酒飲んでたわけだな、お前。ははあ、わかったぞ。彼奴に信頼されてないからこんな”念のため”みたいなとこに飛ばされて、そんで不貞腐れてヤケ酒飲んでたってわけだ」

 

アルマがおちょくるような口調でそう言うと、ゲルブは少し顔をしかめた。

 

「やかましいぞ。でも良いんだ。見ろよ!現にお前は俺の目の前に出てきた。これこそあの方が俺を信頼してくれている証拠だ!やはりあの方は俺のことを認めてくれていた!」

 

一人で感激しているゲルブに、アルマは肩をすくめる。

 

「都合のいい野郎だ。さっきまで拗ねてたくせに」

 

「黙れよ。ここでお前の首を掻っ切って持ってけば、俺も晴れて上位ハンターだ」

 

「おいおい、正気か?人間狩って昇格したってランポス程度に殺されて仕舞いだぜ」

 

「お前程度が狩れてるんだ、お前を殺せたなら俺にだって狩れるさ」

 

「相変わらずおめでてえなぁ。それともまだ酔っ払ってんのか?もう一回くらいすっ転んだ方がいいんじゃねえの」

 

「——い、おい!お前ら!」

 

バン!とカウンターを叩く音がした。

 

「いい加減にしろ、ここにはてめえら見てえな荒くれハンターだけじゃねえ、普通のお客様だっているんだ。おっぱじめんなら人のいないとこでやりな!」

 

「せやでー。こんなとこで暴れられたらかなわんわ」

 

カウンターの男とイースに言われて、アルマは漸く我に返った。見回せば、乗客達が静まり返ってこちらの様子を伺っている。アルマはゲルブの方を見やって、甲板への出口を指差した。

 

「ほら、あっちだ。相手してやるよゲルブ。おっさん、甲板に人出すなよ」

 

「チッ、わかったからさっさと行け」

 

カウンターの男は不機嫌そうにそう言うと、呆けている乗客達に向けて呼びかけた。

 

「聞いてたか?馬鹿どもが甲板の上暴れるらしい。怪我したくなけりゃおとなしくここで酒でも飲んでるんだな!」

 

ゲルブは気に入らない、と言う様子でアルマを睨んだ。

 

「おいアルマ、狩猟の腕が上だからって余裕ぶってんなよ」

 

「あー、別に酔いが醒めるまで待ってやってもいいんだぜ?」

 

「お前を殺すくらい、ラム片手にだってできンだよ」

 

周囲の目線など気にもせず、二人のハンターは悪態をつきながら甲板の出口へと向かう。

 

そうして二人が出ていった後の酒場には、奇妙な沈黙だけが残された。

 

「おっちゃん、スコッチお代わりー」

 

静まった酒場に、イースの気の抜けた声だけが響いた。

 




今回はオリジナルの地名はないハズ。


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第2話 混沌の甲板

モンスター初登場。やっぱモンハンはモンスター出さないとね。


アルマが船に乗り込んだ時とは打って変わって、甲板の上は強い風が吹いていた。立ち込めた黒雲が月を隠してしまったので、カンテラのオレンジ色の光だけが視界の頼りである。アルマの首筋にポツリ、と冷たい感覚が奔った。

 

「なんだよ、雨か——っとォ!」

 

扉を閉めるや否や、ゲルブがアルマに向かって足を振るった。

横向きに転がって距離を取るが、ゲルブの踏みつけがそれを襲う。

喉首を踏みつけられそうになるすんでのところで、アルマは両手でゲルブの足を止めた。

そのままバランスを崩したゲルブを引き倒して組みつき、その首を絞めつける。

 

「ゲルブお前、足癖悪いな!!狩りもキックでやったほうがマシなんじゃねえの?」

 

「ぐ…はっ、口の減らねえ…!離せ子バエ野郎!」

 

組みつかれたゲルブは、体をひねりながら足を体の隙間に入れてアルマを引き剥がした。

二人は距離をとって態勢を立て直し、互いの顔を睨みつける。

——そうだ、あんま何も考えずに暴れたら、書簡が落ちちまう。

アルマは思い出したかのように懐に手をやって書簡を確認すると、腰にしっかりと固定した。

その不自然な動作を見たゲルブが目を細める。

 

「ほう、そいつが随分大事と見える」

 

「お前には関係ねえよ」

 

「そりゃそうだ、俺はお前を殺すだけでいいんだからな」

 

雨は次第に激しさを増しており、濡れた床板がぬらりと光っていた。波は荒く船を揺らし、立っているのも一苦労だ。

雨に当たったカンテラの火が消え、二人のいる甲板が暗闇で包まれた。

海の向こうではゴロゴロと雷鳴が響いている。

荒天にもかかわらず水夫達が出てくる様子はない。やはり危機感のない連中なのだ、とアルマは一人で確信した。

 

「クソ、何がレクセ海は穏やか、だ。やっぱり時化てきやがった。早く終わらせねえと…!」

 

「ああ、そうだなアルマ。早いとこ終わらせてやるよ」

 

暗闇の奥、ゲルブのいた方からガチャリ、という音が聞こえた気がした。

 

「は、やってみやが——」

 

バシュン、と発砲音がしてアルマの頬を何かが掠める。

つう、と頬を生温かい感触が伝った。

 

「痛ッ——おい、おいおいおい、マジかよお前…撃ちやがったな!」

 

ゲルブの愛用武器がライトボウガンのデザートストームだったことに思い当たり、闘いに狩りの獲物が使用されたことをアルマは瞬時に理解した。

 

「それ使うのは、御法度だろうよ…!」

 

咄嗟に体の位置ををずらして斜線から外れる。

——この距離で外したってことは…多分、見えちゃいねえ。

アルマは暗闇の中、素早く身をかがめて息を潜めた。そのまま静かに横へ、横へとスライドし、床に耳を押し当てる。

聞こえるのは、雨の音、床下の客達の声、そしてそれらよりももっと直接的な——床板を歩く足音だ。

 

再びバシュン、と音がして、遠く離れた木箱か何かが壊れる音がした。やはり、ゲルブはアルマを見失っているらしい。

 

——これは好機だ。

 

足音と発砲音から、アルマにはゲルブの大体の位置がつかめている。

 

——カンテラが消えた時にいた位置から右に約七歩、手前に三歩。そんなとこか。

 

アルマは息を殺したまま立ち上がると、雨音に紛れて静かに間合いを詰めた。

ゲルブに気取られず、かつゲルブが反応するより早く体にくみつき獲物をはたき落とせる、そんなギリギリの近さまで近づき、飛びかかる動作を脳内でシミュレートする。

 

——行ける。

 

アルマがゲルブへ飛びかかろうと筋肉に力を込めた丁度その瞬間——稲光が雲の間を奔った。

 

一瞬の閃光が甲板を照らし、辺りの状況が露わになる。

研ぎ澄まされた集中力の中、アルマはまるで時が止まったような感覚を覚えた。

写真のように切り取られたその情景を、ゆっくりと観察する。

 

銃撃でそこら中に散らばった木片。

視界の端でアルマを捉え、銃口の向きを変えるゲルブ。

そして、何か黒くて大きな——影。

「——ッ!」

咄嗟に体を捻って横に飛ぶと、再び時は動き出し暗闇が辺りを包んだ。

アルマの脇を銃弾が掠める。本来なら冷や汗をかくところ——だが、アルマの意識は既にゲルブから外れていた。

 

「——なんだ、なんだよ今の!?メインマストなんかじゃ絶対ねえ!!」

 

今一瞬映った影——あんなところには、さっきまでは何もなかったはずだ。

何かとてつもなく嫌な予感を感じたアルマは、先程までの闘いを忘れてゲルブに呼びかける。

 

「おい、腰巾着野郎!!聞こえてるか!おい、おいゲルブ!どうなってる!?」

 

「ああ?なんだてめえ急に。まあいい、位置を教えてくれてありがとよ!!」

 

——気付いてねえのか?

 

返答とともに飛んできた銃弾が今度は髪と肩の間を抜けていき、アルマは小さく舌打ちをした。

暗闇の中をアルマはゴロゴロと転がりながら移動する。嵐と雷鳴、船の揺れと収拾のつかない混沌の中で、アルマはゲルブに大声で呼びかけた。

 

「聞け、ゲルブ!この甲板に何かいる!俺らじゃねえ、もっと飛び切りやべえのが居るんだ!さっき一瞬みえた!」

 

「ああ?ハッタリかましてんじゃねえ。無駄なことしてんなら辞世の句でも読んどけよ!」

 

アルマの叫びはゲルブには届かない。

 

「いいか、チビ野郎!俺は昔から手前が嫌いだった。殺したくて殺したくて仕方なかったんだ!俺より先に上位ハンターになって、見下してたに違いねえ。そのお前が今、猫に追い回されるネズミみてえに俺から逃げ回ってやがる。お笑いだぜ、本当によォ!」

 

「俺だってお前のことは嫌いだっつの…!」

 

ゲルブが聞く耳を持たないので、アルマは回避に専念することにした。黒い影がどうと言う前に、銃弾に当たって死んでは元も子もないのだ。

バシュンバシュンと連続した発砲音が、闇の中から聞こえてくる。

アルマが黙ったことでゲルブは再び標的を見失ったのだろう、今度は闇雲に発砲し始めたようだった。

バシュン、バシュン。

バシュン、バシュン、バシュ——カキン。

我武者羅な銃撃の中、発砲音に紛れて硬い金属音のような音が響いた。

その奇妙な音に気づき、アルマは耳をそばだてる。

 

——どこかで聞いたことのある音だ。

 

「あ?なんだ今の音。さてはアルマ、てめえの装備に当たったな?」

 

違う。アルマの装備は確かに頑丈だが、銃弾を完全に弾くほど硬くはない。実際、音がしたのはアルマとは別方向である。

そう、音がしたのは丁度——さっきの影のあった辺りだった。

 

「なんとか言ったらどうだ?それとも腹にでも入って声も出ねえか?残念だなぁ、辞世の句くらい聞いてやろうと思ったのに————ぐギェ」

 

悦に入って話していたゲルブの声が、突如としてガーグァを絞め殺したような声に変貌した。

ガチャリ、ギシシと金属の擦れ合う音。

 

「グ…は、へ?な、なんだコレ…が、は、ゲホッ、お、えええ」

 

闇の中からゲルブの苦しそうな声が聞こえてくる。

 

「おい、ゲルブ!どうした!」

 

「が…あ、アルマ、てめえェええ、何しやがッ、えあああ」

 

ドスン、と何か重いものが床に衝撃を伝えた。続いてミシミシと、人間の骨が軋む音が聞こえてくる。

 

「ああクソ、だから言ったのに!」

 

人にボウガンを向ける阿保など放っておいても良かったが、ここで死なれては何となく目覚めが悪い。

そう思ったアルマは抜かないでいたフラカンを手に取って声の方へ駆け寄ると、呻き声の聞こえてくる、その真上あたりで思い切り振るった。

ガキィィン。

再び金属を弾いた音がした。同時にフラカンから燃え上がった炎の光が、金属質の何かに反射した。

 

——ああ、やっぱり知っている音だ。

 

アルマの引っ掛かりをよそに、ゲルブの骨が軋む音は止まらない。

 

「あ、あぎぎ、ぐぐぐェ」

「クソ、離れろ、この野郎!」

 

アルマはもう一度、渾身の力を込めてフラカンを叩き込む。

今度の攻撃も弾かれたが、アルマはフラカンの火に映る、何か大きな影が蠢いたのを感じた。

 

「離れたか!」

「げ、ゲホ、ええホッ」

 

——解放はされている。

 

アルマは気配を頼りにゲルブをひっ掴み、甲板の端まで引きずっていく。

 

「ぐ、う、うう」

「ハンターなら——あとは自分でなんとかしろよ」

 

そう言うとアルマはフラカンを手に、影のいた方へと走り出そうとした。だが、その肩をゲルブが引っ掴む。

 

「ま、待てこの野郎。手出しするんじゃねえ…あんなバケモン勝てるわけねえだろ!!ここで暴れ回られたらこの船は木っ端微塵だぞ!!」

 

此の期に及んでアルマの邪魔をするゲルブに、アルマは信じられない、と言う顔をした。

 

「ああ!?馬鹿野郎。あんなもん上に乗っけてたらな、どっち道船は沈んで俺らは海の藻屑になるんだよ!」

 

「じっとしてたら去ってくれるかもしれねえだろうが!」

 

「おいおい、こんな状況で眠てえこと言ってんじゃねえぞ、腰抜け野郎!!怖えならお前は黙ってここでじっとしてろ!!」

 

「ま、待て!俺を置いてくな!お前はここで俺を守って——」

 

ゲルブの声を遮って、アルマの横を何かとてつもない(あつ)が通り抜けた。

ベキベキ、と言う音とともにゲルブの声が搔き消える。同時に腕を引っ張っていた感覚も消えた。

 

嵐の甲板に、突然静寂が訪れる。

 

「——あ?おい、腰抜け、どこ言った?」

 

アルマの呼びかけに返答はない。

雨の音だけが甲板に虚しく響いている。

しばらくして遠くの方でボチャン、と何か重いものが落水する音がした。

 

「おい、ゲルブ?まさか今の水音——嘘だろ?」

 

——どこまでブッ飛ばされたらあんな遅れて落ちるんだよ?

アルマの背筋をなにかゾッとするものがつたった。

 

「クソッ…つくづく救えねえ野郎だったぜ」

 

グギシシャアアアアアアアア!!

直後、轟音がアルマの耳を(つんざ)いた。古びた金属を擦り合わせたような、不可解で不愉快な音だ。

脳の裏側を曲折引っ掻くような音に思わず耳を抑え、その場によたよたと踞る。

その轟音とともに、一際激しい稲光が辺りを真っ白に染め上げた。

 

甲板に這い蹲りながらも——アルマは確かに、それを見た。

 

所々穴の空いている巨大な翼。

甲板まで垂れ下がった槍のように刺々しい尾。

長い首に、4本の脚。

その全てを覆う、赤茶色に錆びた、鉄屑色の外皮。

 

甲板の出口がガチャリと開き、カンテラを持った人影が顔を覗かせた。

 

「アルマ、なんや今の音!!どないなっとんねん!!」

 

カンテラを持っていたのはイースだった。

 

「戻れ!!さっきから甲板にヤバいのがいるんだ!モンスターだ——それも多分、古龍を…刺激しちまったツ!!」

 

()()()()やと、とイースが絶叫した。

 

「こりゅうて——古龍かいな!それを刺激…阿保やなぁ!」

 

「事情があるんだよ、事情が!」

 

「古龍ってほんまに——」

 

イースがカンテラを向けると、赤錆色の体がゆらゆらと照らされた。

化け物を目にしたイースが目を見開く。

 

「鋼龍…なるほど、それでこの嵐やったんか!——ん?こいつ…錆びとるがな。鋼龍も錆びるんやなぁ、ああ、そらせや、金属やもんな」呑気にも納得しているイースをよそに、アルマは三年前の、ザハの東の森中でのことを思い出していた。

鋼龍——どうりで音に聞き覚えがあるわけだ。

嵐の音に負けじと、アルマは大声で叫ぶ。

 

「ヘイッ!角の調子はどうだ?俺が貰った片方な、あれ…小さすぎて使い物になんなかったぜ」

 

怒気に満ちた目でアルマを見つめる錆色の龍の、その頭部についた角は——片方が根元から折られていた。

イースが素っ頓狂な声を上げる。

 

「なんやアルマぁ、ワレ、顔広いなあ。バケモンとも知り合いやったんか!」

 

「イース、黙ってろ!」

 

戯言に耳を貸す余裕はない。アルマは鋼龍から目線を外すことさえできないのだ。

アルマの剣幕にイースはおおこわ、と言って黙り込んだ。

 

「俺が身長に伸び悩んでんる合間に随分大きくなったなあ、お前。その体色はどうしたんだ?イメチェンか?似合ってねえけどな」

 

震える声で軽口を叩くのは、正面に立っている者にしかわからないであろう威圧感と膨大な殺気に竦む体を奮い立たせるためだ。

古龍は再び金属音で——さっきより多少低い音で——多分、唸った。

 

「おいおい、まさか俺に勝つつもりか?前はその大層な尻尾丸めて逃げ帰ったくせに?」

 

——あの時は幼体に上位ハンター総がかりだったなァ。

 

「この前のは使えなかったけどよ、今お前に残ってる角——そっちは十分使えそうだ!またへし折らせてもらうぞ!」

 

——今回はたった一人、良くても二人だ。

 

アルマは凍てつくような鋼龍の視線を、正面から睨み返した。明らかに憤怒に燃えていながら、むしろ絶対零度のような感覚さえ覚える冷たい目。

眼前の獲物への殺意が充満した目だ。

 

「ここであったが100年目…って感じだな」

 

——爺さん、もしそっちで会ったら、叱ってくれよ。

 

アルマはもう一度書簡をしっかりと固定しフラカンの柄ををきつく握ると、怒れる龍が纏う殺意の嵐の中へ飛び込んでいった。

阿保——とイースの叫ぶ声が聞こえた気がした。

 

 



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第3話 対鋼龍生存戦

4話目にして古龍と戦わされる主人公かわいそう。



前方からバキバキ、と何かを砕く音が聞こえて来る。暗闇の中から危険が飛んで来るのを察知し即座に身を横へ転がすと、耳のすぐ後ろでベキリ、と船縁の木板が破壊される音が聞こえた。

おそらくゲルブを海の彼方へ葬った時と同じ攻撃——鋼龍のブレスだろう。

以前戦った時は当たっても大怪我と戦線離脱で済みそうだったが、今のそれは明らかにそのレベルの話ではない。

 

「マジで幼体の時とは別モンだ!洒落になんねえ」

 

荒波に揺れるセント・ルヴェール号、その甲板の上でアルマは鋼龍と対峙していた。

イースの姿は既に甲板から消えている。アルマの下がってろという言葉を素直に呑んだようだ。

 

「どうせ、無謀はやらねえタイプみてえだしな」

 

今頃一人、救命ボートで逃げていてもアルマは驚かないし文句もない。自分の身を最優先にするなら当然のことだ。

 

雲が月を覆い隠しているために甲板は闇に包まれており、戦う状況としては絶望的だった。

それでもアルマがなんとか生き残っているのは、アルマの動物的危機察知能力——つまり勘と、人間離れした反射神経のおかげに過ぎない。

 

「クソ、こっちは見えないのに向こうは俺の位置がわかってるって、不公平だろ!」

 

さっきから狙いに多少のズレはありつつも鋼龍のブレスは概ねアルマのいる方へ飛んで来ている。

種の違いというのは概して不公平なものであるが、あまりに理不尽かつ絶望的な状況に不平を垂れずにはいられない。

現にそのせいで、アルマは相手に近寄ることすらままならないのだ。時折飛んでくる殺人ブレスを躱すので精一杯である。それも甲板上にある遮蔽物がブレスで破壊される音を頼りにタイミング良く体を転がしているに過ぎないので、そのうち甲板の上が更地になって音の手がかりが無くなればすぐにでも被弾して全身の骨を粉々に砕かれながら海の彼方へ飛ばされるのは目に見えていた。

 

「だめだ、やっぱり灯りがねえと——」

 

今、アルマの視覚は時々稲光が光るその一瞬一瞬でしか機能していない。ただでさえ無謀に近い挑戦は決定的ハンデにより自殺行為に等しいただの凶行となっていた。

 

「考えろ——考えろ、何かねえのか!」

 

闇雲に逃げ回りながらなんとか対策を考えようとするが、鋼龍がその隙を与えるはずもない。

少し体を休めれば、またあの破壊音が聞こえてくる。

 

「また来やがった——危ねえッ!」

 

風圧がアルマの脇を通り抜けた。

だんだんと向こうの狙いが正確になっている——否、アルマの体力が減って来ているのだ。

おまけに、限界なのはアルマの体力だけではない。

ブレスの余波で、甲板が大きく揺れた。

 

「やばい、ガチでそろそろ船がやばい!」

 

アルマを狙って何度も放たれる鋼龍のブレスは、船の表面をかすめて行っているのだ。直撃はしていないが船縁の柵は軒並みなくなったし、メインマストもなぜ立っているのか不思議なほどに消耗している。

このまま行けば、セント・ルヴェール号が沈没するのは時間の問題だった。

この嵐と揺れの中で乗客達が甲板に出てこないのは逆にとってもアルマにとっても幸いだが、もしこの船自体が沈めば結局のところ乗客も全員真っ黒に荒れたレクセ海の底、ということになる。

狙われているアルマが一人で船から離れ、夜の海に飛び込めば船は助かるかもしれないが、その場合アルマに生きる望みはない。船の上でさえ戦えていないのに海に入って鋼龍を相手どれるはずがなかった。

そしてアルマは見知らぬ他人のためにみすみす命を投げ捨てるほど利他的ではない。

だからアルマは足場であるこの船を守りながら鋼龍を撃退しなければいけないのだ。

 

「ああ、あれもこれも考えねえと——ぐッ!?」

 

衝撃。

思考を巡らせながら動いていたところへ突然腹部に鈍い痛みを感じてアルマの息が一瞬止まった。なんの前触れもなく攻撃されたことに動揺しつつ、よろよろと後方へと倒れこむ。

 

「ァ…ガハッ」

 

力なく座り込んだアルマの意識がゆらゆらと揺れ始めた。

こめかみの血管がガンガンと脈打ち、脳をゆさぶる。

 

「ハァッ、ハァッ…うッく、あ、ああ」

 

今まで無視できていた疲労と鈍痛が一斉に押し寄せて、立ち上がることもままならない。

なんとかその場から逃げようと動かぬ手足をジタバタさせて這いまわると、アルマの手が何か硬い物に当たった。

金属に触れた時のようなヒヤリとした感触。

慌てて首だけを上げて前を見るが、広がるのは暗闇ばかりである。

それでも——顔の表面に冷たい息と凍りつくような視線を感じることから、アルマは自分の直ぐ目の前に鋼龍が佇んでいるのを察した。

冷気と絶望が身体の芯まで染み込んで来て、アルマは身を震わせる。

 

——何が起こったんだ、突進にでも当たったのか?

 

生き残るために、アルマは朦朧とする頭で考えるが、

 

——ああ、痛え。寒い。死にたくない。

 

哀れ、思考の末に出てくるのは生存のためのアイディアではなく無意味な感想の羅列である。

 

ガシャガシャと耳障りな音を立てて目の前の気配が動く。

同時に膨れ上がる殺気で顔の肌が泡立つのを感じた。

 

「あ、あああ」

圧倒的な恐怖に、背筋どころではなく手足の指の先まで凍りつく。

それでいて、体の奥底からせり上がってくる震えが止まる気配は全くない。

 

——どんな死に方でも死ねば同じって…そう言ったっけ、俺。

 

今際の老人に自らが放った言葉と、自分の今の醜態とを見比べてアルマは自嘲気味に呟く。

 

「何も知らずによくもぬけぬけと——」

 

その呟きを、ガチャリ、という音が遮った。

 

「アルマ!消えへん灯り持って来たでー!」

 

間際の一瞬に視界の端から割り込んで来たのは、カンテラを手にしたイースだった。

揺らめく火に照らし出されるのは、目の前で大きく息を吸い込む錆色の龍。

状況を確認したイースはアルマめがけて何かを投げた。

 

そしてその直後——カンテラをはるかに超える強烈な光が視界を覆った。

一瞬稲光かと思ったが、遅れて聞こえるはずの雷鳴はいつまでたっても聞こえてこない。

 

——何だ。

 

突然ひろがった白に飲み込まれて状況を把握できないアルマの耳に、金属音の悲鳴が聞こえてきた。

 

——怯んだのか?

 

死にかけの心にわずかな希望が芽生え、アルマはそのまま転がるようにしてその場を離れる。

 

イースの叫び声が直ぐ横から聞こえて来た。

 

「センコーさんや!これでしばらく彼奴は見えへん!」

 

「ああ?ああ、閃光玉か。悪い、助かったけど…意外だ。逃げなかったんだな、イース」

 

震える足に残っている力を無理矢理供給してゆっくりと立ち上がる。

なるたけ早く視界を取り戻そうと瞬きしながら、アルマは疑問を投げかけた。

するとイースは何言うとんねん、と返した。

 

「逃げようとしたに決まってるやろ。せやけどさっきゴタゴタしてる間に救命ボートは全部乗客が使うてしもたんや!脱出口があるとは知らんかった…!下戻ったらいつの間にかもぬけの殻やから腰抜かしたで、ホンマ」

 

——乗客は既に逃げていたのか。どうりでさっきから静かなわけだ。

 

「ああ、そうか。そいつはラッキーだ」

 

アルマがそう言うとイースは憤慨した。

 

「ラッキーなわけあるかい!おかげで命晒す大損や!」

 

「俺は命拾ってラッキーだったって話だよ——よし、見えて来た」

 

アルマの目に、イースのカンテラで照らされた風景が戻ってくる。かたや鋼龍の方はまだ視界を奪われたままであるらしく、手当たり次第に暴れまわっている。

波と鋼龍の動きとで船が大きく揺れるのを、二人はなんとか堪えていた。

久しぶりに与えられた隙にアルマは考えを巡らせる。

 

「イース、多分俺たちの武器で奴を撃退するのは無理だ」

 

「せやな。なんぼなんでもそれは無理やわ。それで?どないすんねん」

 

アルマは口の端に笑みを浮かべて答えてマストを見た。

「災害みたいな相手には災害ぶつけるしかねえだろう」

 

「災害——ああ」

 

答えを聞いたイースは一瞬考えたが、アルマの言いたい事を理解したようだった。

 

「上手くいくとは思えへんけど」

 

「どうせ死の淵だ。そのまま落ちるより、向こうの崖まで飛んでみたって変わりゃしねえだろ」

 

アルマの言葉にイースはそらせや、と笑った。

 

「なんや、アルマお前——えらいさっぱりしたなあ。さっきまでガタガタ震えとったのに」

 

鋼龍はまだアルマ達を見失ったままもがいている。

 

「うるせえな、イース、閃光玉の残りは?できれば二、三個俺に渡して欲しい」

 

「四個や。調合分合わせたらもう五個あるけど…後で返しや」

 

そう言うとイースは小さな玉を三つアルマに手渡した。

 

「ケチ言うなよ。できれば残りも調合しといてくれ。あとは…そうだ、これは念のためだけど——投げナイフはあるか?」

 

「あれは市販で売ってへんからなぁ——剥ぎ取りナイフならあるで」

 

「ああ、じゃあそれで」

 

イースはええ、と嫌な顔をした。

 

「剥ぎ取りナイフも安ないんやけどな」

 

イースがぼやいたその時、鋼龍が大きく首を振った。

 

——視界を取り戻したな。

 

「命より高えアイテムなんてねーよ。念には念を入れるんだ。——始めるぞ!」

 

アルマは鋼龍から目線を外さないまま、マストめがけて走り出した。

飛んで来る二段構えのブレスを、急停止、急発進の緩急の差で躱す。

そして素早くメインマストまで辿りついたアルマは——あろうことか、鋼龍に向けてステップを踊り出した。

更に大声で鋼龍に呼びかける。

 

「おい、鉄屑!さっきからブレスばっか、なんの真似だ!?その無駄にでけえ図体はなんのためにある!?」

 

古龍に言葉がわかるはずない。だから、これは間違いなく偶然である——が、鋼龍はブレスをピタリとやめた。そして冷たい目に静かな炎を燃やしてアルマを見つめる。

 

「なんで体当たりしてこねえんだ?もしかして関節も錆びちまったか?冗談だろ?それじゃあ成体通り越して老体だぜ!」

 

鋼龍は体勢を低くすると、ギギギと低い金属音を出してアルマを威嚇した。

 

「なんだよ、怒ってんのか?だったら来いよ!この俺に突っ込んで来い!」

 

そしてやはりこれも偶然なのだろうが——鋼龍はアルマの挑発通り、ゆっくりと、そしてだんだんと速度を増してアルマへ突進していった。

四つの足で甲板を蹴るたびに、船がグラグラと大きく揺れる。

 

「う…やっぱりすげえ威圧感だ」

 

アルマはよろめくのをこらえながら、片目を閉じて残った方の目で迫って来る巨体を見据えた。

そして、マスト近くまで十分に鋼龍を引き寄せて——鋼龍の鼻先にもう一度閃光玉をぶつけた。

再び目の前で広がる光に、鋼龍が厭な悲鳴をあげて急ブレーキをかける。

勿論アルマの視界も光で包まれるが——こちらは予め閉じておいた目を開けることで既に視界を確保していた。

止まり切れずに眼前まで迫る鋼龍の翼を宙返りで躱すと、アルマはそのままイースの方へと駆け戻った。

 

「よーやった!凄いでアルマ!」

 

「褒めるのは後だ、剥ぎ取りナイフを!」

 

「あいよ、任せとき!」

 

イースは自信満々に答えると、懐から剥ぎ取りナイフを取り出し、メインマストの少し上方をめがけて投擲する。

ほとんど直線的に飛んで行った剥ぎ取りナイフの軌道は、重力によって僅かに下へと修正され、メインマストの頂点に突き刺さった。

 

「どや?」

 

イースが得意げにこちらを見る。

 

「上々だ!後は待つだけ、運任せ——いや、天任せだな」

 

「そのためのこれやろ」

 

そう言ってイースが新しく調合した閃光玉を半分アルマに渡す。

アルマはその閃光玉を手に取って、()()を待った。

 

 

「まだか?来い——来い!」

 

小さく叫ぶが、未だ()()は訪れない。

鋼龍が再び首を振った。

 

——クソ、効果切れだ。

 

「当たり前やけど、さっきより早いな——ホレッ!」

 

イースがすかさず閃光玉を投げる。鋼龍は再び怯んでマストの傍で暴れ出した。

 

その後も——二人は効果が切れるたびに閃光玉で鋼龍をマストのそばに釘付けにしたが()()は訪れないまま、とうとうアルマの手元に最後の閃光玉一つだけが残された。

今日何度目かの目くらましを解いた鋼龍が、こちらを向こうとする。

 

「それで最後——外さんといてや」

 

「わかってるよ——神にでも祈っとけ」

 

アルマはそう言って小さく息を吸うと、フッ、と吐き出して最後の閃光玉を投擲した。

完璧な軌道を描いた閃光玉は鋼龍の前に転がって——転がっただけだった。

 

「——不発!?おい、イース!」

 

アルマはイースの方を見た。イースも信じられない、と言う顔で固まっている。

 

「うっそぉ…いや、そんな睨まんといてえな、慌てて調合したんやから!」

 

「わかってる!そうじゃなくて——来るぞ、気をつけろ!」

 

閃光玉でさんざん動きを止められて、溜まりに溜まったフラストレーションがさらなる怒りを燃え上がらせたのか、こちらを向いた鋼龍は威嚇するように二本足で立ち上がり大きく伸びあがった。錆色の体の周りを白い旋風が包む。

 

「なんだよあれ!風の——鎧?」

 

伸び上がった鋼龍は、その体勢で再びあの脳の裏を引っ掻くような耳障りな咆哮を発した。

またしても地面に這い蹲りながら、今までとは明らかに違う雰囲気にアルマは今度こそ仕舞いだと思った——が、そこで漸く()()が訪れた。

 

ビィィィィィィィン。

マストに刺さった剥ぎ取りナイフが、咆哮の音波とは関係なく、不自然な振動をする。

 

「——来た!」

 

直後、天からナイフへ、それからマストへ。そしてその脇の錆色の龍へ——巨大な稲妻が奔った。

さらに金属音の咆哮をかき消すような——耳を引き裂く轟音。

 

爆発的な衝撃に船のあちこちが崩壊し、メインマストには真っ赤な火がついた。天を衝くような火柱と化したマストは、根元から折れて鋼龍の上に倒れかかる。

大自然の電流と熱量に錆色の龍が絶叫した。

あまりの苦痛に耐えかねたのだろう。鋼龍は荒天へ飛び上がると、滅茶苦茶になった船の切れ端にしがみつく人間二人を憎たらしげに睨んで、海の彼方へ飛び去って行った。

それに伴って風も、雨も嘘のように静かになる。

黒雲が晴れると、水平線の向こうが僅かに白み始めていた。

——長かった夜が明けるのだ。

 

「ざまあみやがれ、鉄屑野郎!また俺の勝ちだ!」

 

アルマが勝鬨をあげる。

「別に勝ってはないやろ。どないすんねんこれ!」

 

怒鳴るイースだが、顔からは笑みがもれていた。

 

「知らねーよ、兎に角ちゃんとしがみ付け!」

 

「ほんまに後先考えへんやっちゃな、末代まで祟ったるわ!」

 

生を噛みしめた笑顔でそんな言い合いをする二人は、バラバラの木片となったセント・ルヴェール号に張り付いたまま、海の彼方へと流されて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




読んでくれた方ありがとうございました。
幼体の時に角折っといてよかったね。
最後は超ありがちな似非科学展開。
まあ、ファンタジーだからいいんです。
でも実際、クシャルダオラって雷雲の中飛んでて大丈夫なのかな?って思う。飛行機みたいに体表の金属で電流散らしてるから中身は大丈夫なのかとも思ったけど、そしたら雷弱点の説明がつかないし。
まああんまり真面目に考えないで下さい。僕も考えてないので。


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第4話 漂流

打ち明け話的な。ちょっと長ったらしくなってしまったよ。


ハンターという職業はモンスターを相手にするという仕事内容上、様々な能力を必要とする。強靭な肉体、優れた判断能力、折れない精神——それらの能力を身につけた者のみが、ハンターとして身を立てていくことができるのだ。

逆に言えばハンター業を生業としている者はある程度丈夫な体を持ち、状況判断に優れ、強い心を持っていることになるため、その生命力は一般人とは一線を画している。画しているのだが——そんなハンター達でもどうにもならないのが、食料や飲み水に関してだった。

いくら衝撃に強い体を持っていても栄養を取らなければ体が動かなくなるのは変わらない。水分を取らなければ体調が狂うのも一般人と同様である。体力があるために他人よりほんの少しだけ長く保つだけだ。

 

要するに——乗っていた船が難破して海の中へと投げ出され、食料も全て避難した乗客や船員に持っていかれたアルマとイースは鋼龍を退けたのもつかの間、再び命の危機に瀕していた。

大きめの船の端材の上でぐったりしている二人。漂流が始まってもう一週間近く経つ。時々交代で海に潜っては、捕まえた魚を生で食べたりしている。絡みついてくる海藻など食べれそうなものはなんでも食べたが、真水を手に入れる方法もなくそろそろ限界が近づいていた。

波はなく海はもうすっかり落ち着いているものの、二人の表情は暗い。嵐が去り世が明けてから間も無いうちから周囲に深い霧が立ち込めているせいで、周囲の状況がわからないからだ。一体ここがどこなのか、陸に上がれるのはいつになるのやら、苦難の終わりは未だ見えない。

 

「何にも見えんなぁ。あかーん、喉乾いた…お腹も減っとる…」

 

イースが愚痴るが、どうしようもない。

自然とアルマの言葉が刺々しくなる。

 

「あーうるせ…無駄な体力使うなよ…」

 

「そない言うても、無言でこのまま行ったら頭おかしなるで」

 

イースの言う通り、いつまで経っても白いまま、変わらない景色に呆けていたらそのまま戻って来れなくなりそうだった。

それでは助かっても意味がない。

 

「それもそうだ。じゃあなんか話せ」

 

アルマが一転してそう言うとイースは何やそれ、と言ってゆっくりと体を起こした。

 

「別にええけど、わてだけに喋らせるんやなくて相槌くらいちゃんとしてや。——せやな、アルマ、金きらきんに輝く竜って聞いた事ある?」

 

非常に希少な火竜の亜種は金銀の鱗に包まれている、と言う話ならアルマも何度か耳にしたことがあった。

 

「あるよ、火竜の珍しいやつだろ?あるけど…実物はおろか、見たってやつすら見たことないぜ。どうせ黒龍伝説とか、その辺のお伽話の一種だろうよ」

 

アルマは基本的にそう言う類の話を信じていない。古龍の存在も実際に目にするまでは信じていなかったくらいである。

アルマがそう言うとイースはチッチッと人差し指を振った。

 

「ちゃうねんなぁ。確かに普通信じひん。せやけどな、わては子どもの頃に見たことがあんねん」

 

イースの言葉にアルマは驚きを隠せない。

 

「その竜を?」

 

 

「いや、そうやなくて…そのきんきらきんの素材使った装備持っとるハンターを、や」

 

「なんだ、そっちかよ」

 

アルマが落胆を前面に出すと、なんだとはなんや、とムッとした声が帰ってきた。

 

「変わらへんやろ」

 

「変わるよ。んなもん、モンスターの素材かどうかわかんねえじゃねえか。ただの…ただのっていうのもおかしいが、普通の金や銀かもしれねえだろ?」

 

「そんなもん素材に使うたってお金の無駄やで。柔こいし」

 

「目立ちたいために何でもするってやつは大勢いるぜ」

 

アルマがめんどくさそうに言うと、笑顔で聞いていたイースの表情が固まった。

 

「目立ちたいために…確かにせやな」

 

低い声でそう呟いたイースは、ぼんやりと虚空を見つめた。その目に何か暗い光が浮かんでいるのを見て、アルマは少しギョッとする。

 

「おい、何だ急に。悪かったよ夢壊して」

 

するとイースはハッとして、すぐにいつもの表情に戻った。

 

「ああ、ちゃうちゃう。今のはちょっと他のこと考えとってな。まあ実在するかはええねん別に。兎に角、ある日わての町にふらっと金ぴかの鎧着たハンターが来てん。話を聞く限りそいつは金火竜殺しって言われてギルドの奴らから崇められとった」

 

「——そうかい、で?」

 

アルマはあえて、先程のイースの異常な表情にはそれ以上触れないことにする。

 

「わてはなあ、それに憧れてハンターになってん」

 

アルマは心中でずっこけた。話の飛躍があまりにも大きい。

 

「何にだよ。その趣味悪い装備にか?」

 

何や言い方悪いなあ、とイースは苦笑いを浮かべた。

 

「装備の見た目はあれやけど、その人は実際物凄く優秀やったらしいんや。金銀の竜を狩ったなんてお伽話みたいな逸話が信じられとったのも頷けるくらいにはな」

 

「それで憧れたって?嘘つけよ、お前んな素直なタイプじゃねえだろ」

 

短い付き合いではあるが、町の英雄に憧れてハンターを志す少年、というのは何となくアルマが持っていたイースのイメージとは違う気がする。

アルマの言葉にイースは少し驚いたような顔をして、失礼なやっちゃなと言った。

 

「でも正解や。わては当時、腐りに腐って町のコソ泥集団の手下やってたんや。まあ正直コソ泥続けてもお先真っ暗なんは知っとったけどな、親はわてに嫌気さしてどっか行ってもうたし、仲間の枷もあるしで戻れんようになってたわけや。そこへふらっと金ピカに包まれた狩人さんが歩いて来た」

 

「ほう。で?そんなコソ泥のイースさんは他人から尊敬されてるハンター様を見てどう思った?今までの生き方反省したのか?」

 

そんなはずないだろうと、何となくアルマはそう思っている。

 

「わてはな、あの装備高価そうやなって思った」

 

案の定である。

 

「わては早速頭に報告しに行った。頭は喜んでわてを褒めて、そして仲間全員での襲撃の計画を立てた。単純な話や。そいつの跡つけといて鎧脱いだタイミングで少人数で窃盗、駄目ならみんなで強盗や」

 

「何人くらいいたんだ?」

 

「ざっと20人くらいやったと思う。まあ、コソ泥集団言うても町で不貞腐れてふらふらしとる少年少女の集まりやからな。親玉いうのもわてより4つ上とかそんなもんや」

 

「ちょいと厳しくねえか」

 

子供20人が歴戦のハンター相手に窃盗の一つでも成し遂げられれば番狂わせもいいところである。

 

「厳しい厳しい。そもな、あいつはぜんっぜん装備を脱げへんねん。いや、ハンターならそう言う奴はよくおるけどな、当時はハンターがどんな風な生活しとるか知らんかったから驚いたで。結局、わてらは密林のベースキャンプの周りで待ちぼうけになった」

 

「密林って、狩場まで尾行けていったのかよ」

 

「わての町は密林に近かってん。で、なかなかチャンスがなくて痺れを切らした数人が勝手に強襲しよったんや」

 

「あー、そりゃダメだ」

 

全員で息を合わせても厳しいのだ。独断専行して敵う相手ではない。

 

「せやな、其奴らは早々にぶん殴られて捕まった。これはあかんと言うことで、頭の指示でみんなで逃げたんや」

 

「賢明だな」

 

「頭は判断力ある人やったからな。でもそこに——ランポスの群れが襲って来よった」

 

アルマは頭の中でその光景を思い浮かべた。

ばらばらに別れて逃げる若者達。茂みの中から飛び出すランポス。若者達は一人になった者から青い肉食竜に食い散らかされていく。

 

「それはそれは惨たらしい有様やった。一人一人いなくなって、みんな食われてしもて。ほんで最後にわてと頭が残った。頭は素で強かったからランポス相手でも何とかナイフで対処しとったんや。わてはその側にくっついとったらなんか知らんけど生きとった」

 

「でも長くは持たねえだろ、それにもしドスが来たら」

 

ランポスの群長は他の個体とは比較にならないほど大きく、強い。

 

「そ、さすがの頭もドスランポス相手にナイフ一つじゃ対抗できん。体中切り傷だらけになって、わてももう立てんようになって、絶対絶命のところに——金ぴかの狩人が飛び込んで来たんや」

 

——まあ、ハンターならそうするだろう。

 

アルマだってその状況なら助けたと思う。襲って来たとはいえまだ年端も行かぬ子供なのだ。ランポスの群れ程度が相手なら自分が殺される危険は低いのだから、見捨てるわけにはいかないだろう。

 

「いやあ、凄かったで。まあハンターになった今ならランポスの群れなんてそんなもんやろと思わんでもないけどな、こうズバーッとやってシュピッて切って、さっと避けて——わては見とれとった」

 

人生で初めて命の危機に瀕した時——人の価値観は大きく揺らぐ。家を捨てた放蕩少年だって死から救われれば感激もするかもしれない。

——ザハの住民が奴に傾倒したように。

 

「狩りが終わって、わては泣いてお礼を言った。頭もなんか不貞腐れとったけど、一応礼は言うとった。ほいたらその狩人な、言うたんよ」

 

「なんて」

 

「人襲うより人助けたほうが気持ちええやろ——ってな。ほんで、お前らももう盗人なんてやめろ、この状況でも生きとったお前らには才がある、町戻って訓練所に入れ、話は俺がつけておく——そう言ってくれたんや」

 

できた人だ、と思う。アルマなら助けた後に襲って来た罰として数発殴って終いだったかもしれない。

ましてや訓練所に口利きするなど。

 

「それでハンターに?」

 

「そ、頭と二人で入学してな。まあ頭は飛び抜けて一番やったけどわても頭の次、二番目の成績残して無事卒業。晴れてハンターになったと言うわけや」

 

「金のハンターはどうなった?」

 

「——どっか行ってしもたわ。わてらが訓練所入学してすぐのことやった。結局顔もわからずじまいや」

 

イースの返答に間があった。何か思うところがあるのだろうか。

 

「実はな、まだ探してんねん」

 

「探してる?」

 

「その狩人に——どうしても会いたいんや。会ってわてがどうなったか見せたい。頭はハンターになって早々別の大きい街へ移籍したさかい、もうしばらく会ってへんけど、二人ともハンターなったよ言うて礼したいんや」

 

「旅に出たのは、そういうことか」

 

「そや、未だ手がかり一つないからアテのない旅やけど…アルマもきんきら装備の人見かけたら言うてや」

 

恩人に礼を言うために旅をするとは、なんとも殊勝な心がけである。

だが、目の前の男とその殊勝さはどうしても結びつかない。

 

「意外だな。その割には道中さらっと他人見捨てようとしてたよな?」

 

イース自身のハンターとしての在り方と、その黄金装備のハンター像との間には大きな乖離があるように思えた。

するとイースはせやなあ、と笑った。

 

「別にええねん。あの人やったら助けるかもしれへんけど、わてはあの人そのものになりたいわけちゃうねんから。自分の命と他人の命、どこまで天秤にかけるかは——そら個人の裁量次第やろ」

 

アルマは何となくイースの言うことを理解した。きっとこの男は自分の中でそれを明確に定めているのだろう。ドライな印象を受けるのはそのためだ。

アルマの方は——まだその裁量が整っていない。助けようかと迷って、失敗して、自分も危険な目に遭って。助けなければよかったと思ったり、助ければよかったと思ったりといつもふらふら、安定しない。自分がとんでもなく甘い人間に思えたり、逆にとんでもなく冷たい人間に思えたりすることは往往にしてある。

 

寝っ転がったまま、アルマは顔を横に向けた。ミルクを零したように白い風景。自分達の乗っている端材以外は碌に何も見えやしない。

——こんなことしてる場合じゃないんだけどな。

 

「アルマはなんでフラフラしてるん?」

 

唐突な質問にアルマは多少動揺した。口からよくわからない呟きが漏れて、それを見たイースがカラカラと笑った。

 

「なにびびっとんねん。なんや、後ろめたい目的なんか」

 

別に後ろめたくはないのだが、簡単に明かすわけにはいかなかった。

そも、イースは別に味方ではないのだ。ゲルブと面識がない以上、ザハの手の者ではないとは思うが、それも確証は無い。

アルマは躊躇した。

それでも——アルマは何となく、隣で伸びをしているこの黒髪の男に嘘をつく気にはならなかった。同じ危険をくぐりぬけ、身の上話を聞いたからか。それとも、これも自分の未熟な心故か。

 

——どうせこいつがいなけりゃあそこで死んでたんだ。それにこいつ、嘘とかすぐ気付きそうだし。

 

散々迷った末に自分の中で言い訳をして、アルマはゆっくりと口を開いた。

 

「俺の両親は——ハンターだった。ティガレックスかなんかに食われて俺が幼い頃に死んだけど。孤児になった俺を育ててくれたのが町のギルドマスターの爺さんだった」

 

それからアルマは全てを話した。

ザハを古龍が襲った事。

その間に闘技場のモンスターが暴れだした事。

それがきっかけでギルドマスターが交代した事。

それら全てが現マスターの掌の上だった事。

 

「そんで、この密書をドンドルマに届けるために俺は旅に出たってわけだ。船にはこっそり忍び込んだ。忍び込む時に一人海に落としたけど——今思えばあの水夫さんは幸運だったな」

 

アルマの話を聞いたイースはほええ、と妙な声をあげた。

 

「密書ねぇ。あの酔っ払いと戦いなったんはそういう経緯やったんやな。あ、紙大丈夫なん?こんなにびしょ濡れなって」

 

ああ、とアルマは答える。

 

「モンスターの体液で防水加工してあるからな。多少の変色はするけど乾かせば文字は読めるさ」

 

「ああ、それはそれは便利やな。にしても——ようわてに話したな、下手したら敵かもしれへんのに」

 

「ああ、そうなんだけど——こんな状況で隠すのもなあって」

 

「ふふふ。アルマお前甘ちゃんやなぁ。わてやったら絶対話さんわ。わての身の上話やってほんまかどうか怪しいもんやで」

 

「上手い嘘が思いつかなかったんだよ。それにお前がいなけりゃ俺は一回死んでるんだ。それ考えたら、な」

 

イースは再びカラカラと笑った。

 

「それはそやなぁ。閃光玉と剥ぎ取りナイフの貸しもあるしなぁ。もっと感謝してくれんと。利子つけて返してくれてもええんやでぇ?」

 

ニヤニヤとした表情でこちらを見てくる。

 

「調子のんな。だいたい閃光と剥ぎ取りナイフははお互い助かるために必要だったんだ。チャラだ、チャラ」

 

そんな殺生なぁ、とイースの気の抜けた声がした。

広い海の中、少し表情の明るくなった二人は漂い続ける。

 

と、イースが大きな声を出した。

 

「あ!おいアルマ、あれ見ィ!」

 

「何だよ急にでかい声出して」

 

アルマは寝転んだままの体勢で答える。

見れば、イースは遠くの方を睨むように目を細めていた。

 

「あれや、あれ。えーと、あれちゃう?」

 

「どれだって」

 

「その——陸や、陸とちゃうか?」

 

「何だとォ!?!」

 

イースの言葉にアルマは素早く起き上がった。同じように目を凝らして、いつの間にか少し薄まった霧の向こうを見る。

大きな影が見えた。とてつもなく大きい——視界を端から端まで占拠するくらいの影。よくよく見ると案外近いようで、何となく岸の様子が伺える。

 

「本当だ!全く気付かなかったぜ、いつの間にこんなに近づいてたんだ?」

 

「さぁ、わてもぼーっとしとったから…。霧で見えんかったのやろうなぁ」

 

海岸は灰色の砂浜になっており、上陸は容易そうである。岸の向こう、内陸の方にはさらに薄く山脈の影がそびえている。

 

「そうと決まれば急ぐぞ、この距離なら多分30分くらいで着く。また霧が深くなってこねえうちに上がっちまおう」

 

「そやね——ほな競争しよか、どっちが先着くか」

 

「お、いいね、俄然やる気出てきたぜ」

 

上陸の目処が立ったという、その事実が二人の活力にもたらした効果は絶大だった。端材から降りて海へと入り、四肢を巧みに使って泳ぎだす。海の波も岸へと寄せているようで、二人の泳ぎを後押しした。

 

「うおおおお!俺が先だああああ!」

 

「わての方が速いわボケェエエエ!」

 

「あ、お前今装備引っ張ったろ。反則な」

 

「そんなルール知りませーん。競争なんて相手蹴落としてナンボやで」

 

連日の疲れと突然見えた希望とで妙なテンションに入った二人は、奇声を上げながら、そして互いの足を引っ張り合いながら岸へと突進していく。

 

そうして猛進すること30分ちょっと、アルマの見立てより少し遅れて二人は岸へと辿り着いた。

二人が岸へと上がったのはほぼ同時に思えた。そもそも明確なルールを決めていないのでいつ陸に上がったことになるのかは不明である。

 

「ハァ、ハァ…俺の、勝ちだな…!」

 

疲れ切った様子でアルマが勝ち誇るとイースが何いうとんねん、と反論した。

 

「どう、見ても…わての方が、先やったやろ」

 

「は?いや、何、言ってんのか、わかんねえ、けど」

 

息絶え絶えの二人の間に険悪なムードが漂うが——

 

「ああああああ!いやああああ!たすけてええええ!」

その空気を、かん高い叫び声がぶち壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




平和な回だけど二人にとっては割と生死の狭間だった回。
モガの森とか制限時間ないし、ゲーム内のハンターなら一週間と言わず幾らでも漂流できそうよね。


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第5話 灰色海岸

アルマとイースは浜の上でぐったりと寝転び、体を休めている。

空の色は白く、砂浜は灰色、海は黒い。

なんとなくどんよりとした、薄暗くて彩度の薄い景色である。

いたるところに散らばっている瓦礫や残骸が、ただでさえ思い空気をさらに重くしていた。水泳で競った時のテンションの反動か、それとも勝敗がはっきりしなかったからか、海岸で休む二人の男のテンションも低い。

そしてその重い空気に包まれた灰色の海岸の中で——

 

「ついてこないでええええええ」

 

不釣り合いに高い叫び声が響いていた。

声の主は栗色の髪をした少女である。年の頃は14、5だろうか。

瓦礫に何度も引っかかるせいで少女の牧歌的な衣装は惨憺たる状態になっているが、持ち主はそんなことは気にも留めないで走っている。

その少女の後ろからは、黄色い何かがぞろぞろとついて来ていた。ワニのような体に食肉目の哺乳類のような大きめの頭部。大きく開けた顎からヨダレを垂らしているところを見ると、少女を捕食するのが彼らの目的らしい。

 

「いやああ!——あ!そこの狩人さんたち!」

 

少女は必死の形相で走っていたが、海岸で休んでいる二人の男を見ると安堵の表情を浮かべて進路を変えた。

少女は大きな緑色の目に涙を浮かべて訴えかける。

 

「ちょうどよかった、お願いします助けてください!」

 

明らかな面倒事を引っさげてこちらへ走ってくる少女を見て、起き上がったイースは顔をしかめた。

 

「どないすんねん。こっち来よるで」

 

イースが小声で囁くと、アルマもまたげんなりとした顔で答える。

 

「疲れてんだけどなあ。スルーすんのはアレだけど——てかもう来たし」

 

二人が気怠げに相談している間に少女は二人のすぐ前まで来ていた。

場の空気を感じ取ったのだろう、少女が今度は恐る恐るといった様子で助けを乞う。

 

「あの、嫌そうなのはすごく伝わってくるんですけど、私ルドロスに追われてて、ほらもうすぐ後ろに——あああ来たあああ」

 

黄色の獣が僅か5メートルほどにまで迫っているのを見て、振り返った少女の声が悲鳴に変わった。

集団のうちの一匹が少女の喉を嚙み切らんとして跳躍する。

 

「ひッ——」

 

ぐわりと開いた獣のアギトに食い破られるのを予期して少女は思わず目を固くつむり体を丸めた。

だが——衝撃も痛みも、その体を襲うことはなかった。

 

「よっこらせと」

 

「え?あ——ありがとうございます…」

 

アルマがフラカンで跳んできた獣を叩き落としたのだ。アルマはイイヨイイヨーと片手を振って、それからシッシッと少女を後ろへ下げた。

 

「あーあ、もう一踏ん張りかよ」

 

少女が十分に離れたのを確認すると、フラカンを構え直す。

 

「うし。じゃあ左三頭は俺がやるから、残り二頭お前な、イース——イース?」

 

すぐ横で休んでいたはずなのに、イースからの返事はない。

不思議に思ったアルマはキョロキョロと周囲を見回して、後ろを向いてやっとイースを見つけた。

少女と一緒に浜の奥の岩場のほうへ下がろうとしているのだ。

 

「ささ、お嬢ちゃんはこっち来とき」

 

「は、はい」

 

イースの助けを借りて少女が浜の奥の岩場へ登ると、イースもそれに続いてひょい、と上に上がり、そのまま高台で腰を下ろした。降りてアルマを手伝おうという気配は微塵もない。

 

「イース!何休んでんだ、手伝えよ!」

 

アルマが上に向かって叫ぶと、上からえー、と気の抜けた返事が聞こえてくる。

 

「わてな、この危険な状況でお嬢ちゃん放置するのはアカンと思うねん」

 

「じゃあ俺がそっち行くよ、交代だ」

 

「いやー、もうへとへとに疲れてもうて」

 

「あのな、俺だって、てか俺の方が疲れてんだよ…っと——オラァ!」

 

アルマがイースに怒鳴っていても、そんなことは御構い無しに横から黄色い獣が飛びついてくる。

すぐさま顎をフラカンでカチ上げると、脳を揺らされた獣はぐったりとその場に倒れこんだ。

さらに横から腰へ嚙みつこうとする気配を感じたので体を転がしてそれを躱し、起き上がりざまに構えを低くして力を溜める。

体の底の方からから湧出してくるエネルギーが、腰や肩、そして腕へと巡って行く。

 

——2、いや、3頭…もう頃合いか。

 

じっとしているアルマの方へ獣が集まって来たのを確認し、アルマはふ、と体の力を抜いた。

自然体になった体の中を、ためていた力が電流のごとく伝導していき、腰から肩、そして腕と滑らかに体が動き出す。

そのまま流れるような曲線を描いて、フラカンが地面へと叩きつけられた。

直撃した2頭の頭が潰れた。かすっただけのもう1頭もフラカンの熱で焦がされたらしく、ピクリとも動かない。

最後に残った1匹は警戒心を相当高めたのか、飛び込むのをやめてアルマの様子を伺いはじめた。

 

 

「ほら、もう残り1匹やで。あと少しや。それでも代わる?」

 

「お前な…あークソ、もういいよやるよ」

 

アルマは投げやりにそう呟くと、もう一度——今度は少し軽めに力を溜めて、それを獣の方へ歩きながら解放した。溜めた力を突進の速度に変換して一気に間合いを詰めると、勢いに任せてフラカンを振り上げる。

逃げようと向きを変えたた獣の腹に一撃が入り、獣は呻き声を上げてのたうった。獣はしばらくその場で蠢いていたが、やがて動きは鈍くなり、しばらくすると完全に動かなくなった。

お見事、と手を叩きながら降りて来たイースをアルマは思い切り睨みつける。

 

「おぼえとけよ」

 

「おお、怖。あ、お嬢ちゃんもうええよ降りてきて」

 

岩場でじっとしていた少女は再びイースの助けを借りて浜へ降りると、黄色い獣の凄惨な有様に息を呑んだ。

 

「す、すご…」

 

少女はしばらく口を開けて唖然としていたが、不意に我に返るとアルマの方へ向き直ってぺこりと頭を下げた。

 

「あの、助けていただいて本当にありがとうございました!このご恩は必ず——」

 

「い、いや、そんなに頭下げないでくれよ。大したことじゃないからさ」

 

——頭を下げられるのは苦手だ。ザハの町を思い出す。

 

「それよりさ、水とか食いもんがあるところへ連れてってくれない?腹も喉も、限界なんだ」

 

アルマが少女に尋ねると、少女は勿論、と笑顔で答えた。

 

「この辺りにいらっしゃったということは、ソロムに来た新任の狩人さん達ですよね?なら狩人屋敷まで案内しますよ。食料ならそこに幾らでもあります」

 

「あ?狩人屋敷ってのは——」

 

「お嬢ちゃんはソロムの子なん?」

 

聞きなれない単語の意味を聞こうとしたアルマの言葉を、イースが遮った。

必然、少女の返答はイースへ向けられたものとなる。

 

「そうです。私——あ、私の名前、マロっていうんですけど、ソロムの狩人屋敷で給仕をしてるんです。だからこれから狩人さん達の料理を作るのも私ってわけですね!」

 

マロと名乗った少女はそう答えると、こっちです、と言って鼻歌を歌いながら浜の上を歩き始めた。そこら中に散らばっている瓦礫を今度はひょいひょいと避けながら進んでいく。

アルマ達もその後を障害物をガラガラと踏みつけながら歩きだす。

岩場に沿って浜を歩くと、しばらくして大きな岩に挟まれた切り通しが現れた。

 

「ここ抜けたらソロムですよ」

 

マロはそう言ってするりと切り通しの中へ入って行く。

「随分な場所にあるんだな」

 

道幅が狭いので三人は一列になって、前をマロが、それから少し離れてアルマ、イースの順で続いた。

 

少女の後をついていきながら、アルマは後ろを振り返ってイースに尋ねる。

 

「お前、ソロムって地名知ってんのか?」

 

するとイースはシッと口に手をやり、声をひそめて答えた。

 

「いや知らん。知らんけど、あのお嬢ちゃんは多分わてらのことをここの人間やと思てる。せやから知ったかぶっといた方がええやろ」

 

イースに合わせてアルマも小声で返す。

 

「確かに新任のどうとか言ってたが…なんで本当のこと言わないんだ?」

 

アルマの疑問にイースはううん、と難しい顔をした。

 

「ええか、まずあの子な、海岸でボロボロの状態で休んでたわてらのこのナリ見て、わてらを余所者やと判断できへんのはかなり異常や。多分余所者に対する馴染みがないのやろ」

 

確かに、とアルマは思った。ふたりの格好は見るからに長い漂流の末、と言う状態である。

普通なら海から流されてきたと思うはずだ。そうならないのはマロの脳内に余所者という選択肢がないからだろう。

 

「そしてこんな海岸におったのに余所者に馴染みがないということは、滅多にこの辺りを余所の船が通らへんいうことや。漂流者すら見ないとなると相当やで」

 

「なるほど…それで?どう思う?」

 

「わての説は二つや。まず考えられるのは、わてらの迷ったあの霧。あの霧を警戒して、余所の船はあの海域には近寄らへんという説」

 

「ああ…でもそれはさ、俺らが何にも持ってなかったから」

 

アルマの言葉にイースは頷く。

 

「そ、霧が濃くても設備ちゃんとして、航海士も乗っとる船なら問題はないはずや」

 

「じゃあもう一つは?」

 

「もう一つは——これが問題やねんけど——この大陸の、この海岸を領土に持っとる国が、鎖国国家であるという説」

 

「鎖国ゥ?どことも交易しないって?」

 

「それやったらどの船もここには寄らへんし——過激な国やったら近寄りすらせえへんやろうな」

 

「過激ってのはつまり」

 

「余所者発見即コロセ、いうような国や」

 

イースの口から物騒な言葉が出た。だが、アルマはその考えには納得がいかない。

 

「それだったらもっと余所者に敏感なはずだろ」

 

少なくともマロのように疑いもしない、などということはあり得ないと思う。

アルマがそう言うとイースは首を横に振った。

 

「もちろんそんな制度が出来たばかりとかなら、そうなるやろ。だけどもし…その制度が昔に成立して、余所の船が周りの海域に近づかんようになって、そのまま長いこと経ったら?そしてやがて余所の船を見た事のある世代がみんな死んだら?」

 

「…もしかして、知らないってことかよ?外を?」

 

「一つだけ、心当たりがあんねん」

 

「心当たり?」

 

「訓練所の座学でちょっと触れられたはずや。わてらの住む大陸から海を越えてはるばる南へ行ったところに——1つ、大きな島があるらしいねん。その島はもう随分昔に鎖国してもうて、近づいた余所者は皆殺されるようになった。ほんで誰も近づかんようになって——今では半ば伝説的な存在、地図に載ってはいるものの形も大きさも曖昧——そんな島や」

 

「あー、そんなこと、言ってた…かな?」

 

アルマはろくに座学を学んでいないので言葉を濁す。

 

「浜の瓦礫——あれ、なんやと思う?」

 

いきなりイースがそんなことを口にした。

アルマは浜の景色を思い出す。

 

「瓦礫?そりゃあ船——いや、おかしいな」

 

漂流者はアルマ達くらいのはずなのだ。実際、船の残骸にしてはあまりにも——

 

「木が少ないし石が多い、か。ならあれは——」

 

「多分、余所の船が来なくなって使われなくなった砲台の跡やと思うんや。あの量と散らばり具合から見ると、昔はこう浜にズラーッと——恐ろしいもんや」

 

だとすれば、いよいよイースの仮説が信憑性を増してくる。

 

「なあ…ついて行って大丈夫なのか?」

 

「どやろ。今もこの国では余所者は処刑されるのか——微妙な所や。まず余所者という概念をどの層までが持ってるのかもわからん。この子は知らんかったけど地位の高い奴は知っとるのか——。聞いた感じからすると狩人屋敷いうところには他にもハンターがおるらしいし…そいつらにバレる可能性もあるやろな」

 

「でも食料と水はできるだけ早く確保しないといけねえしなあ。最悪の場合必要なものだけ盗ってトンズラこくか?」

 

「せやね、それも視野に入れた方がええと思う」

 

二人がヒソヒソと話していると、前の方でマロが振り返った。

 

「二人とも、つきましたよ…何してるんです?」

 

「ああ悪い、すぐに行くよ」

 

慌ててアルマは切り通しの出口へ向かう。

 

切り通しを出て一気に視界が開けると、ソロムと呼ばれた集落の全貌が見渡せた。

ザハの町よりずっと小さな村だ。せいぜいが二十世帯といった所だろうか。

村の向こう端には黒い森へ道が続いており、さらにその向こうには大きな山脈が見えた。

対してアルマ達がいる方は岸壁に取り囲まれ、見えるはずの海は完全に隠されている。

後から出てきたイースがほええ、と声をあげた。

 

「岩場の中はこないな風になってたんか。すっぽり隠れとったからわからんかったわ」

 

「うふふ、すごいでしょう。町の方から初めてきた方は、みんなそうやって驚かれるんですよー」

 

マロは大きな緑色の目で二人を見ると、にこりと笑って言った。

 

「ようこそ狩人さん、ソロム村へ」

 

集落の入り口に描かれていた紋章の下には、『アヤ国』と記されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第6話 山中にて

バイト始めたりで時間なかったんだす。仕方ないんだす。


「イース、そろそろ休眠だ!ペイント頼む!」

 

「あいよー!」

 

ペイントボールのツンとした匂いが鼻を突く。

アルマ達の視線の先には、足を引きずって逃亡を図る中型の鳥竜がいた。地元のハンターがジャギィと呼んでいる小型の肉食竜をふた回り、否、三回り程大きくした体躯。ジャギィの群れのボス、ドスジャギィである。

王者たる証だった首元のエリマキは激しく損傷し、難破船の帆のように穴が開いている。

もはや子分を呼ぶ気力も残ってない哀れな大将は、情けない声をあげながら岩の脇に開いた穴へと入って行った。

 

イースがクンクンとペイントの匂いを嗅ぐ。

 

「向かってるのは…南の山の方やね。日が暮れないうちに仕留めれる?山逃げたらほっといてええって言われてるけど」

 

「迷いさえしなけりゃ問題ねえだろ。探す時間抜けばあと10分かかんねえくらいだ」

 

二人は今、ソロムの南にある森とそのさらに南にある山脈の間にいる。

3日前、マロに連れられてソロムに入ったイース達は、村のはずれにある狩人屋敷という大きな石造りの屋敷に通されて、そこでソロムの狩人を統括しているという男と会った。

ドリーシュと名乗ったその男は勝手に一人で海辺へ出たマロをきつく叱ったあと、二人に礼を言った。なんでも、マロは以前より隙を見つけては切り通しを抜けて海岸へ出ようとする癖があったらしく、大人達も手を焼いていたらしい。

マロはその男に、アルマ達は都から派遣されてきたハンターだと伝えた。

はじめドリーシュはなぜアルマ達が海岸の方から来たのか不思議に思ったようだったが、途中でモンスターに遭遇して道を逸れたために海に出てしまったというイースのでまかせを信じたらしく、それ以上の追求はなかった。

二人はソロムのハンターとして歓迎され、屋敷の中の部屋も割り当てられた。アルマ達が海の向こうから来たのではないかと勘繰る様子は一切なかったので、元々は準備を整えたらすぐにソロムを出る予定だったのを、もう少しこの地の情報を集めてから出発することにしたのである。

 

着いて1日目は都からの旅の疲れを癒すという名目でたっぷりと休養をとった。本格的に活動し始めたのは2日目からで、他のソロムのハンターに同行して南の森を散策し、異常がないか確かめに行ったところ、ジャギィの群れが山から降りて来ている痕跡を発見したので3日目となる今日、狩猟に出かけたのである。危険度の低いモンスターということで、狩りに出たのは新人であるアルマとイースだけだった。都のハンターのお手並み拝見、という意味もあるのかもしれない。

 

「で、どうよ?情報集めの調子は?」

 

草木の生い茂った獣道を歩きながら、アルマはイースに尋ねる。

休養日であった1日目、イースは屋敷の書庫にこもってこの土地のことや脱出方法について調べていた。アルマはこの地の文字は読めなかったので特にすることもなく、ソロムの人々と雑談しつつ情報を集めていたのだが、屋敷の中だと他のハンター達もいるので、思うように情報交換ができなかったのである。

イースはそやねえ、と呟いた。

 

「まず、わての予想は大当たりやったってことから。ここはアヤいう名前やった。わての話した、かつて鎖国状態にあったと言われとる島国と名前が一致してるから、件の国で間違いないやろ。もっとも、鎖国のことはこの国の歴史として伝わってはいないみたいやけど」

 

「歴史?」

 

「書庫にあった歴史書を読んでんけどな、それ全部まとめても外に国があることは一切わからんようになっててん。大まかにまとめるとこんな感じやった——」

 

 

昔々、この世界には三つの世界がありました。

一つは翼を持つ竜達の住む天界。

もう一つは水かきを持つ亡獣とその主である死霊達の住む冥界。

そして三つ目がここ、地上界でした。

この地上界には二本足で歩く人々が住んでいましたが、彼らの力は弱く、常に冥界の亡獣や天界の竜達に命を脅かされていました。

人々は森の中や海岸の洞窟に隠れ住むようになりましたが、海岸には海から来た亡獣が、山には天から降りて来た一匹の竜が居座るようになり、人々の暮らせる土地は大きく減らされてしまいました。

人々の体はやせ細り、絶望の日々が続きました。

そんな折、地上にそびえる山に一人の巨人が現れました。天にそびえるような体躯を持つその巨人は山を支配していた竜と三日三晩争いました。

そしてついに、山から竜を追い払ったのです。

人々ははじめ、巨人の勝利を喜びませんでした。山にいるのが巨人だろうが竜だろうが、危険なことには変わりないと思ったからです。

しかし巨人は人を襲いませんでした。それどころか、いつの間にやら現れた巨人の血を引くという子孫達が海岸の亡獣を打ち払い、街を作り、壁を作り、人々が安全に暮らせる場所を作ってくれたのです。

人々は彼らに感謝しました。彼らを称えました。やがて巨人の子孫達は王として崇められ、国を築きました。その国はアヤ国として、今でもその子孫達の国として栄えています——

 

「歴史っつうか…お伽話だな」

 

アルマが感想を述べた。

二人は今、森を抜けて山道に入っている。ドスジャギィに付着したペイントの匂いは山脈の中腹の方から漂って来ていた。

日はまだ高く、日没までには討伐を終えて村に帰還出来そうだった。

 

「歴史とお伽話との間にそこまでの違いなんてあらへんよ。とにかく、これがアヤの国の成り立ちとして伝えられている内容。ほんで他のちゃんとした歴史書——もっとかっちりした物は全部最近の、多分外の船がけえへんようになってからのことばかり書いてある。それ以前の、確実に存在していたはずの外と交流していた時期のことは——」

 

「なかったことになってるってか。なんでだよ?」

 

「知らんわそんなの。ま、権力の持ち主が交代する時に歴史改竄が行われるのは一種のセオリーやから、何かそれに相当することがあったのか…鎖国の時期の焚書が徹底されてて、そのまま忘れ去られてしまったのかもわからん。ほんで——アルマ、お前の方は?ここらの人はどうやった?」

 

「ああ。基本的には俺らと変わらない、普通の人達だったけどなぁ。ただまあ、生活の方はお世辞にも豊かとは言えないな。畑もあって近くに海もある。本来ならもう少しまともな飯が食えてるはずなんだが…どうも食事が貧相なんだよ」

 

アルマが会ったソロムの村民は皆痩せこけ、骨と皮のようだった。まともな食事をとれているのは狩人屋敷に住んでいる者だけらしかった。もっとも、”まともな”というのはアルマから見た時の話で、人々にとってはそれが普通らしいのだが。

 

「そんでほら、毎朝この山の方へでっけえ荷車引いてくだろ。気になって中身をのぞいてみて驚いたぜ。採れたものの大半それに載っけて運んでくんだ。聞けばあれ、お供え物だっていうんだな。山の神に捧げるんだとよ。そんで残りはこっちの屋敷の方に回すだろ?そりゃあ手元には殆ど何も残らねえよな」

 

最低限生活に必要な量は残っているようだが、働いて採れたもののほとんどを他人に捧げなければいけないというのに人々は嫌な顔一つしていなかった。そこが不気味だった。

 

「まあ、狩人屋敷の方はよ、ある意味生命線だからたくさん食事を仕入れるってのはわからんでもないさ。でもお供え物で自分達の収穫量の半分も持ってくのはおかしいだろ。お供え物なんてよ、生活に支障が出ない範囲でやるもんじゃねえのか?」

 

「支障なんて出てへんよ」

 

「あ?」

 

「実際にみんなそれで生きていけてるんやから支障なんて出てへんよ。わてらから見たらおかしく見えても当人たちにとってはなんのことはない、当たり前のことや。信仰やら宗教ってのはそういうもんやろ」

 

「そう、なのか?」

 

アルマはそういった類のモノはよくわからない。真っ向から神の存在を否定するほどモノをよく知らないし、かといって信じる理由は一つもない。もっと言えば興味がない。

そう言えば人々がソロムの外れに教会があると言っていたか。狩人屋敷以外で唯一石造りの建造物だったように思う。

 

「しかしそれほどの信仰心ともなると、不信心者には厳しそうやねぇ。アルマ、ボロ出さんといてや?」

 

「うるせぇな。だったら早く脱出方法を見つけようぜ。長くいればそれだけリスクは増える」

 

アルマがそう言うと、イースはひとぉつ、と呟いた。

 

「提案があんのやけど」

 

「なんだよ?」

 

「都に行ってみるのはどやろか」

 

「都ぉ?」

 

アルマは顔をしかめた。

「なんでだよ?海岸から離れちまうぞ」

 

「まあ、そうなんやけどな。少なくともここの人々は航海の知識も造船技術も持ってへん。せやから航海に必要な器具も持ってへん。わてらがイカダ組んでさあ出発、と言ったところであの霧を抜ける事も出来ずにまた遭難することは明らかや。それにここで得られる情報はあまりにも少なすぎる。都に行けばもう少しこの国の全貌がつかめると思うんけど、どう思う?」

 

確かに、イースの言う通りである。方角からしてこのソロムは島の北岸にあるので、アルマ達が住んでいた大陸に戻るには物理的にはここが一番近いのだが、だからと言ってここからの出発が最短の道のりであるとは限らないのだ。

 

「確かにその方が良さそうだな。でも都ってどこにあるんだ?山脈の向こうか?」

 

「書庫の地図によれば——合うてるかは知らんけど——越えてもっと行ったとこや。ちょうどこの島の中央辺りやね。出発するんやったら明日の狩りの時にそのまま山越える感じでええ?」

 

「オーケー、乗った。ん——ペイントの匂い、強くなって来たな」

 

話し込んでいるうちに、二人は獲物のかなり近くまで来ていたようだった。

山道を、音を立てないように慎重に進む。

ペイントの匂いは木立の合間、広場のように少しひらけた場所から漂って来ていた。

茂みに隠れてそっと様子を伺う。

肉食竜のアジトとしてはちょうどよい広さ。中央には大きな苔むした岩山が一つ。

一瞬バサルモスかと思ってアルマはどきりとしたが、質感がだいぶ違う。おまけにバサルモスだとすればあまりに大きすぎる。背中部分だけでグラビモスよりも大きいバサルモスなど聞いたことがない。あれは普通の岩山だろう。

ドスジャギィは広場の中央に横たわっているらしく、青紫の尾が覗いていた。

岩山に隠れて顔は見えない。

 

「よし、寝てるな。邪魔な子分どもがいないのも好都合だ。イース、俺が叩き起こしてくるから準備しといてくれ」

 

「了解」

 

足音を消して広場の中央へと忍び寄る。

ドスジャギィは大きないびきを立てて寝ていた。狙われているというのによくもこんなに大きな寝息を立らてれるものだ。

アルマは一旦岩の後ろで歩みを止めると、腰のフラカンを抜刀した。

全身にゆっくりと力を溜める。

 

「この一発で終わったらいいんだけどな」

 

アルマは小声でそう呟くと、みなぎるエネルギーが最大になった瞬間に岩陰から飛び出した。

そのまま獲物を文字通り叩き起こそうとフラカンを振り上げ——

 

「——あ?」

 

ハンマーを振り上げたままの体制でアルマは硬直した。

あたまが。

本来アルマのハンマーが打撃を加えるはずだったドスジャギィの頭が。

 

かつてここをねぐらにしていたであろう群れ長の頭は——潰れていた。

まるでアルマの身の丈以上もある巨大なハンマーを叩きつけられたかのように、ぐちゃぐちゃに変形した頭部。

赤い血と嫌な色の汁が地面の草を汚している。

 

——何か変だ。

アルマは困惑しつつ周囲を観察する。

異常はない。

岩山と、山の木々と、青い茂みと——否、異常はあった。

広場を取り囲む木立、その一部が、ある一方向に位置する木々だけが、軒並み倒れていた。

何か巨大なものが通過したかのように、幹の根元からへし折られている。

だが、広場を挟んで反対側の木は折られていない。何かが通過したならば、そちらも折れていなくてはおかしい。

一方向しか折られていないのは。

地に響くようないびきの主は。

 

「アルマ!ソレから離れろ!岩山とちゃう!」

 

イースの声が聞こえた。

意味がわからず、岩山の方を見る。

見て、次の瞬間——アルマはものすごい勢いで空中にはね上げられた。

体を包む浮遊感覚。

宙を回転する中、アルマの視界が地上を捉えた。

 

苔むした岩山が動いている。

起き上がった岩山は二本の足で地面を踏みしめると、まるで大地そのものが叫んでいるかのような凄まじい咆哮をあげた。

地上のイースが耳を塞いでいるのが小さく見える。

 

上昇していたアルマの体が一瞬だけ静止して、それからスピードを増しながら落下し始めた。

地面がぐんぐん近づいてくる。

衝突の瞬間にアルマは体をひねり、受け身の姿勢をとった。

肺の中の空気が全て押し出される感覚がした。

呻き声をあげながら起き上がるアルマのところへ、イースが駆け寄ってくる。

 

「丈夫やねぇあいかわらず」

 

イースは呆れ顔でアルマを見た。

 

「それが取り柄だ。で?ありゃあなんだ?バサルモスには見えねえが」

 

「ドボルベルク知らんの?——ああ、ザハの辺りには居れへんのか。バサルモスなんかとは比較にならんくらいでかい獣竜やがな。わての住んでたとこにはたまに出るんやけど——あれはわての知ってるのよりもさらにでかいわ。おかげで全然気付けへんかった」

 

岩山は低いうなり声をあげて二人を睨んだ。

水牛のように湾曲した角の合間から真っ赤な目が覗いている。

 

「草食やからね。何もせんかったらのほほんとした、優しいモンスターなんやで?」

 

「へぇ、それで?何したら怒るんだ?」

 

「そら、武器で顔面どついたり、背中の苔全部毟ったったり、あとは——」

 

「あとは?」

 

「寝てるとこ起こしたり、やろな」

 

敵意をむき出しにした巨大な岩山は地面を尻尾で二度叩き鳴らすと、地響きを立てて向かってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アヤ国はほとんど情報ないからほとんどオリジナルです。


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第7話 大山鳴動して蟻二匹

“大きいこと”は自然界において——例外はあるが——すなわち”強いこと”を意味する。如何に敵が鋭い牙を持とうと、残虐な爪を持とうと、自身の体がそれに比べて圧倒的に大きければ関係ない。大きさは存在のスケールそのものだ。攻撃範囲はもちろん、一撃の重さも、タフさも、体の大きさが倍になれば全て倍になる。

今、尾槌竜ドボルベルクはその巨体とパワーを遺憾なく発揮して、安眠を妨げた二匹の蟻を叩き潰そうとしていた。

土煙を上げて突進してくる尾槌竜を、アルマは横っ飛びで躱す。

巨大な獣竜は猛烈な勢いでアルマの立っていた地面を削り取ると、そのまま木々をなぎ倒しながら数十メートル先まで滑っていった。

 

「——見つけちまった以上はこいつもターゲットだよな」

 

アルマは小さく息を吸って、ハンマーの柄を握り直す。

悠然とと歩いて戻って来た尾槌竜は、真っ赤な目でアルマを睨みつけた。

生きている世界が違うのではないかと思える程の巨体。

その巨体と正面から対峙して初めて感じる、圧倒的な威圧感。

普通なら身も足も竦んで、ただ潰されるのを待つだけだろう。

怖い、と思った。それは確かだ。

だが——あの鋼龍に比べれば。

殺意が温かい。

人間のように、高度な意識を持つ者からしか放たれないはずの、残忍で冷酷な殺意ではない。

目の前の岩山から放たれているのは獣の殺意だ。闘争心と防衛本能と、侵入者に対する不快感だけで構成されている。

野生の温度に満ちたそれは、体を竦ませる絶対零度の殺意とは正反対のものだ。

 

——この程度の恐怖心なら、慣れている。御せる。

 

恐怖を御すことができれば、冷静に頭を回す余裕へと繋がる。

尾槌竜が頭を大きく左右に振り上げながら向かってくる。巨大な角でアルマを築き上げるつもりなのだ。

 

——横に避けたら(かす)るか。

 

そう判断したアルマはあえて攻撃の範囲外へ逃れようとはせず、逆に角をかいくぐるようにして尾槌竜の懐に飛び込んだ。

視界が長い体毛に覆われるのを無視して、無防備な胸部に数発叩き込む。

ずっしりと重い手ごたえ。固くはないが分厚い皮に覆われている。おそらくほとんど効いていないのだろう。

視界の端ではイースが尾槌竜の後ろ足を片手剣で刻んでいた。向こうもあまりダメージにはなっていないようだ。

それでも尾槌竜は足元でちょこまかと動き回る二人を鬱陶しく思ったのか、素早く前進して座標を合わせると尻尾をアルマへめがけて振り下ろした。

間一髪で体を転がし離脱する。

すぐ傍から衝撃の余波が伝わってきた。

 

「さすがに凄え威力——」

 

見れば、アルマが立っていた部分の地面は深く陥没し、クレーターを形成していた。

 

「当たればペシャンコ間違いなしだ」

 

「アルマなら骨折くらいで済むんちゃう?やってみ?」

 

「生憎避けれちまうもんだからな、お前の勘違いを実証できないのが残念だよ」

 

軽口を叩きながらも、二人の目は真剣だった。

見た目ほど簡単な状況ではないのだ。

目の前の、この巨大な生物の体力を削りきるにはいったいどれだけかかるのだろう。

思っても、お互い口には出さない。気力が削がれる。

 

二人の不安の通り——戦いが始まってからニ時間以上が経過しても、戦況に大きな変化はなかった。

懐に潜って攻撃を加え、機を見て離脱する。そんな単調な作業を繰り返す。

敵の動作が遅いので被弾の気配こそないものの、こちらの攻撃も効いている気がまるでしないことが、二人の徒労感を煽っていた。

気がつけばすでに日が暮れようとしている。

 

「ったく、いつまで——」

 

続ければいいんだ、と遂に不平を漏らそうとしたアルマは、違和感を感じてふと口をつぐんだ。

 

——妙な音がする。

 

消え入りそうなほどか細い、かすれた音。それでいてぞわぞわと、耳のあたりをくすぐられるような居心地の悪い音。

どこかで感じたような、不可解な感覚にに思わず動きを止める。

 

「何の音だ?なあイース、聞こえるか?」

 

「音?何も聞こえへんけど。気のせいちゃう?」

 

「いや、確かに——」

 

直後、尾槌竜から放たれる気配が変質した——ような気がした。

 

「…何だ?」

 

アルマは訝しげに尾槌竜の方を見やる。

一見、先ほどまでと何ら変わりのないようで、全く違う——そんな違和感。

アルマが、変化を確信するまでに多くの時間は要さなかった。

変化は——尾槌竜の挙動の中に如実に表れた。

 

「動きが…速くなりやがった!」

 

もはや先程までの緩慢な生物とは思えない。

尾槌竜は物理法則を無視したかのような動きで瞬く間にこちら軸をこちらへ合わせると、地に角を突き立てて急発進してきた。

 

「っ——ぶねッ」

 

アルマは咄嗟の突進にも素早く反応して躱しきると、突っ込んでいった獲物に追撃を加えるために後方へ向き直った。

そしてもう一度武器の柄を握り直し——。

 

「——は?」

 

振り返ったアルマの目と鼻の先に、突進を折り返してきた尾槌竜の顔があった。

 

「なっ…早すぎ——回避、をッ…!」

 

緩急の変化のあまりの激しさに流石のアルマも対応が遅れ、視界が捲れ上がった土塊で覆われる。

 

体に重い衝撃が伝わり、後方へ吹き飛ばされるのを感じた。

凄まじい勢いで視界が廻る。

木、土くれ、焼けた空、木——大木が迫ってくる。

 

ぶつかる。

 

衝撃を吸収しなければ——。

 

衝突する直前に腰を捻って足の裏を幹に沿わせる。

衝突と同時に脚を折り畳み、クッションをきかせて勢いを殺す。

アルマの体は頭のシミュレーション通りに動作を実行した。

グググ、と体が押さえ込まれて上半身から腰、膝、足裏、木の幹へと衝撃が抜けていく感触。

太い幹がほんの少しだけしなり、アルマは反動でちょい、と前方へ投げ出された。

地面に手がついてようやく生存を実感する。

 

——体が重い。

 

おそらく左腕と肋骨が数本、折れている。

アルマの回復力ならば薬を飲んで1日休めば治る怪我だが、今この状況を切り抜けなければ休息も何もあったものではない。

顔を上げて状況を確認すると、イースが辛うじて尾槌竜と応戦していた。

躱せてはいるが、タイミングがかなり際どい。

アルマが助太刀に戻ろうと文字どおりに重い腰を上げたその時、イースがくるりと向きを変えてこちらへ走ってきた。

 

「アルマ、逃げるで!」

 

「逃げるって…まだ——」

 

「ちょっとやっぱ厳しいわ。早いとこここから離れよ。わざわざ追っては来おへんやろ」

 

速度の上昇によって尾槌竜の危険度が大きく引き上げられたことに疑う余地はない。

イースの判断は妥当に思えた。

了解だ——と、承諾の意味で首を縦に振ろうとしたアルマの目が奇妙な光景を捉えた。

 

「何だあれは——回って…るのか?」

 

尻尾をピンと伸ばし、ハンマー投げのようにぐるぐると回転する巨大な岩山。

周囲の木々をメキメキと薙ぎ払いながら、ゆっくりだった運動は次第に速度を上げていく。

隣にいるイースが何やらあかん、嘘やろ、などと呟き、全速力で逃走を再開した。

アルマは傷を負った体で全力を出すのが億劫だったので、脇目も振らず逃げるイースの背に向けて叫んだ。

 

「おい、そんなに急がなくてもいいだろ!回ってるだけじゃねえか!」

 

すでに尾槌竜からは4、50メートルは離れている。

するとイースは目を剥いてこちらを向くと、怒鳴った。

 

「アホ、まだまだ危険地帯や。はよ走れ!」

 

——一体、何が起きるというのだ。

 

アルマは渋々イースの後を追って走りながら、後ろをもう一度振り返って尾槌竜の方を見やった。

尾槌竜は依然として回転を続けている。

すでに周囲の木々は根こそぎ倒れていた。

回転の速度はもはや目で終えないほどに上がっている。

そして——遂に。

その速度は最高潮に達した。

次の瞬間、アルマは信じられない光景に息を呑んだ。

 

——岩山が、浮いている。

 

尾槌竜が高速回転の勢いそのままに空中へと跳躍したのだ。

想像の域を超えた光景を目に、アルマはふと考える。

これは——異常だ。

敵の大きさが、とか、その大きさで空を飛んでいることが、という意味ではない。

いや、確かにイースの言葉によればこの尾槌竜は他の同族と比べてもとりわけ大きいのだろうが——そうではなく。

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蟻のようにちっぽけに見えているであろう、アルマ達に対して。

モンスターは獣だ。

モンスターはアルマが遭遇した鋼龍のような特例を除いて経験的過去を持たない。モンスターにとっての経験は、過去の体験ではなくただの知識なのだ。不快な現在(いま)に怒りこそすれ、過去(むかし)の所業に対する憎悪の類は持ち得ない。もし持っているように見えたのなら、それは単にアルマがモンスターの感情を勝手に人間に置き換えて想像していると、ただそれだけのことだ。

この尾槌竜は別に腹を空かせた肉食生物でもないわけだから、不快感の原因であるアルマ達が縄張りから出ていけばそれでいいはずなのだ。

いや、実際始めはそうだった。こいつは獣としての殺意しか持っていなかった。

なのに、この尾槌竜は4、50メートルも離れていて、さらに遠くへ逃げようとしていたアルマ達を、"追撃"しようとした。

その行動の理由は明確に"純粋で無意味な殺意"であり、それも全身を使った体当たりを試みたのだ。

人間のような明確な憎悪や怨恨の類の感情を持たないはずのモンスターが、たかだか蟻二匹を潰すのにこれほど殺気立った大立ち回りをするということ自体が、どこか異常だ。

空中で捻れた回転をしながら舞い上がった岩山は、やがて重力に引き戻され、自由落下を始める。

まるでスローモーションのように地上へと降ってくる巨大な体を、アルマは唖然とした表情で見つめていた。

 

「何ぼけっとしてんねん。こっちこっち!」

 

イースの声で我に返り、逃走を再開する。

頭上に浮かんだ大峰がアルマとイースに大きな影を落とした。

頭上からパラパラと降ってきた土が顔にかかる。

 

「うおおおおおおお!?」

 

必死の形相で走る二人の絶叫が、山中に木霊する。

すぐ背後でズウウン、という轟音がして、地面を振動が伝ってきた。

 

「い、今の内に視界から外れて仕舞えば大丈夫やろ。麓に戻るで」

 

「あ、ああ——」

 

起き上がる気配はない。

二人は振り返りもせずに全力で逃げた。

しばらくして二人が速度を緩めた頃には、すでに尾槌竜の気配はどこかへ消えていた。

アルマは体にどっと疲れが押し寄せるのを感じた。

先程の奇妙な音はもう聞こえなかった。

 

 

 

 

アルマが音のことを思い出したのは、狩人屋敷の大浴場の中であった。

広い石造りの浴槽は、少し熱いくらいの湯を一杯に湛えている。

イースは体を洗っただけでさっさと上がってしまったので、一人になったアルマは浴槽の梁に腰掛けて、今日のことについて考えていたのだ。

あの音。

どこかで聞いたことのある音だった。

もう随分昔だが——いつのことだったか。雑音ではなく音としてちゃんと認識していると言うことは、生活音ではなく何か意図して出された音だということだろうか。

モンスターの咆哮ではない。

狩ったことのあるモンスターの咆哮は、全て記憶している。少なくともアルマのメモリの中にあの音は見当たらない。

別に五感の感度と記憶に自信があるわけでもないのだが。

アルマは溜息をつく。

所詮、人間の感覚など曖昧で、記憶も曖昧で、なら感覚の記憶などなんの確たる情報でもないのかもしれない。

実際、イースは聞こえなかったと言っていた。

アルマはぼんやりと、ここ数日生活を共にしている男の顔を思い浮かべる。

否、思い浮かべようとした。

——ほら、輪郭すら曖昧だ。

いつもフードを被っているとはいえ、素顔を見たのは一度や二度ではないのに。

アルマはなんだか鬱屈とした気分になって、音について考えるのをやめた。

どのみち考えても思い出すまい。

ならば考えるだけ無駄なことだ。

 

「今日のことは——どう報告すっかな」

 

まだ、クエストの報告はドスジャギィを討伐したということくらいしかしていない。

話は食事の時に聞く、まずは体を洗ってこい——狩らから帰ったアルマ達に屋敷の統括であるドリーシュはそう告げたのだった。

そのあと心配そうに出てきたマロに甲斐甲斐しく案内され、途中で受付に寄ってクエスト完了報告をした以外は寄り道せずに風呂場に直行したのだ。

 

「深追いして山に入るのは止せって言ってたけど——誤魔化したほうがいいのか?」

 

アルマは今度はドリーシュの顔を思い浮かべた。

四角い顔。濃い髭。勇壮な体に似合わない、柔和な目。

全体像は曖昧だが部分部分は鮮明だ。

あの男が、忠告を破ったとはいえ果敢にモンスターに挑んだ二人を責めるイメージが湧かなかった。

 

「見たまま話せばいいか」

 

窓の外を見れば月が出ていた。中途半端な形をした白い天体の明かりで、夜の空はうっすらと明るい。眼下には真っ黒な森が広がっており、その向うには真っ黒な山が聳えている。

 

「南向きってことだな、この窓。ん——なんだ?あれ」

 

山と森の境目あたりにチラチラと光るものを確認してアルマは首をかしげる。

橙の光はちょっとした列をなして移動していた。

松明だ。

こちらへ向かってきている。

 

「儀式ってヤツなのかな」

 

どうやらここの住民は山神と呼ばれるものに対して並々ならぬ信仰心を持っているらしいのだ。

ならばあれはきっと祭事か何かだろう。

 

「無信心者にはよく分からねえがな——」

 

アルマはそう呟くと、ぶるり、と体を震わせた。

考え事をしていたら上半身が冷えてしまった。

アルマは湯を出る前にともう一度湯に沈み込む。

傷跡がひりついたが、すぐに心地良さに変わった。

 

 

風呂場を出ると、綺麗に畳まれた、清潔なインナーが入り口の脇に置いてあった。

マロが置いてくれたのであろうそれを身につけ、アルマはそのまま食堂に入る。

食堂の長テーブルにはそれなりの食事が丁寧に並べてあった。

すでに狩人達の大半は食事を終え、歓談に耽っている。

長テーブルの奥に座っていたドリーシュはアルマの姿を見て表情を緩めると、右手の空席を指した。

そこへ座れ、ということだろう。

アルマは指示に従い、一言いただきます、とだけ言って夕食を食べ始めた。

 

「イース君は…まだ来ないようだな」

 

ドリーシュはそう言って左手の、アルマの目の前の席を見た。空席でであった。

 

——何してんだか。

 

「どうしたのだろうな?」

 

ドリーシュの問いにアルマは肩をすくめる。

 

「何考えてるかよく分からないヤツですから…もしかしたら今日はもう部屋で寝ちまったのかもしれない」

 

食事は摂った方がいいと思うのだがなぁ、と困惑したような顔でドリーシュがつぶやいた。

 

「まあいい、待っていても仕方ないし——今日のことを聞かせてくれるね。君達がドスジャギィ一人にここまで手こずるとは正直私は思っていない」

 

「ええ、実はドスジャギィ自体は昼過ぎには瀕死に追い込めていたのですが——」

 

昼過ぎ?と、ドリーシュは聞き返した。

 

「それはそれで私の想像を超えて優秀だな。さすがは都から派遣されてきたハンターだというべきか?」

 

「世辞はよしてくださいよ。まあ、とにかく瀕死の奴は俺達から逃げてったんですよ」

 

「逃げた——確か巣穴(アジト)は山か。深追いするなと言ったはずだが…」

 

「ええ、まあでももう瀕死の状態だったので、活かしておくのも、と」

 

アルマがそういうとドリーシュは豪快に笑った。

角ばった頰に笑窪ができた。

 

「ハハ、まあそれが(さが)というやつかな。回復してまた降りて来られても困るし——その判断を責めはしないさ」

 

ドリーシュは柔和な顔でアルマを見て、それで?と問うた。

 

「それでもこんなに遅くなることはないだろう。もしかして迷ったのか?」

 

揶揄(からか)うような口調である。

 

「いえ、その。僕たちは——襲われたんです」

 

「襲われた?」

 

角ばった大男は太い眉をひそめた。

 

「何にだ」

 

「モンスターです。それも巨大な。まあ正確には僕等から刺激してしまったのですが——」

 

ドリーシュの目の色が変わった。

 

「どんな」

 

「——何か?」

 

「いや——続けてくれ。どんなモンスターだ」

 

「どんな、と言われますと…ただひたすらに大きいとしか。そうですね、こう角があって、二本足で立ってて」

 

ドリーシュは何も言わなかった。ただ固まって、アルマの目を凝視していた。

気がつけば、座っていたハンター達も黙ってアルマの方を見ている。

声を出しているのはアルマだけだった。

アルマは食堂の雰囲気を異様に感じつつ、喋り出した手前黙ることもできないので続ける。

 

「あとは…尻尾の先がこう、ハンマーみたいになってましたね。イースは尾槌竜ドボルベルク、と呼んでいましたが」

 

アルマが言葉を切ると、奇妙な静寂が食堂を包んだ。

もう、誰も何も喋らない。身動きもしない。

 

——何なのだ。

 

アルマは黙って辺りを見回した。

その時。

ガチャン、と乱暴な音がして扉が開いた。

オレンジの明かり。

ぞろぞろと、松明を持った暗緑色の装束の集団が入ってくる。

顔には一様に角の付いた仮面。

黙っていたハンター達がどよめいた。

集団の後ろから、同じ暗緑色に装束に金の刺繍を入れた人物が二人、進み出た。

地位の高い者、だろうか。

二人のうちの片方の——おそらく男——が、脇に差していた細身の剣を抜いた。

 

皇立巡邏隊(ペレグリーヌス)だ。犯罪者を都へ連行する。抵抗はするな」

 

扉から入ったから月光か、あるいは近くの松明の明かりか、刀身はゆらゆらと揺光を反射している。

そしてその刀身の切っ先は——確実にアルマだけを指していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第8話 三人目の不信心者

「白いなあ」

 

曇り空の下で湿った空気を肌に感じながら、マロは呟いた。

ソロムを囲む岩場の上の、高台になっている場所である。ソロム側からは容易く登れるが、海側は断崖絶壁になっているので、海側から上り下りすることは不可能である。

見るだけなのだ、海は。

 

「やっぱり白い」

 

白く濁った空はどこまで行っても白いままだ。一面白に覆われたその画には、奥行きが存在しない。

奥行きがないなら、ここが果てだ。

世界の端。

事実として、マロはそう教わってきた。

 

——海の向こうには何があるの?

——何もないさ。

——何もないなら、海の向こうへ、向こうへと泳いで行ったらどうなるの?

——そんなこと、できないだろう?

——できないけど。じゃあ、時々海から流れてくるのは?

——あれはね、冥界から戻ってくるのさ。海の底には冥界があるんだ。死んでしまったらマロも私も、そこへ行くのだよ。

 

 

物心ついた頃から幾度となく繰り返された会話だ。ドリーシュの優しい声はいつも同じ返答をした。

周りの大人達も、マロが海の向こうの事を聞くと、皆んな可笑しそうに笑って言った。

 

——マロは面白い事を考えるなあ。

 

そんなに可笑しいだろうか。

海と陸の間に物理的な障壁はない。海の上にもそんなものは見当たらない。

その海の向こうに何かあると思うのは、そんなに突飛な事だろうか。

いや——突飛なのかもしれない。

周りの子供にそんな事を言う子はいなかった。屋敷にあった本にも、教会で習う経典にも、海は冥界に繋がっていると、そんなようなことが書かれていた。

そして実際、岸に流れ着くのは死体や何かの残骸ばかりだった。

マロは年が上がるにつれ、周囲にそういう質問をするのをやめた。大人達の反応がだんだんと冷えて行ったから、というのもあるが、マロ自体、周囲の大人の言う常識、というのを然程疑問に思わなくなったからである。

皆んな海の向こうには何もないと言っている。

それで世の中は回っている。

ならば本当に何もないのだろう。

そう、思うようになった。

なったのだけれど。

黒々とした海。

いつも見ている。

さざ波の音がする。

海辺で生活していればよく聞く音だ。

潮風の匂い。

これも知っていて当然だ。

では——波に揺られる感覚は。

それはマロの記憶に確かに存在していた。

ゆらゆらと、目が回るような、それでいて落ち着くような感覚。

この感覚は——いつ覚えたのだ。

 

マロは、生まれてこの方海に出た覚えはない。

近くを歩いたことも、波の音に耳を澄ましたことも、潮の匂いを嗅いだこともあるが、海に足を踏み入れたことはない。

なのに、その感覚は他の海に対するどんな記憶よりも鮮明に、マロの頭に刻まれている。

曰く、マロはソロムと海を隔てる岸壁の、窪みに捨てられていたそうだ。

それを拾ったのが、ドリーシュだった。

ドリーシュはマロを可愛がってくれた。マロは狩人屋敷で育てられ、やがてそこで働くようになった。

物心ついてからのそれらの思い出の中に、波に揺られるような記憶はない。

もしこの感覚の記憶が本物ならば——それは捨てられる前の記憶だろう。

——本物のはずはないのだが。

——海に生者はいてはならないのだから。

そんな事を考えると、マロは決まってどうしようもなく不安になるのだ。

不安になるのだが、誰かに打ち明ける気にもならないから、そんな時マロは海が見える、この場所に来る。

海は黒くて、その向こうはいつも白一色だ。

寒々しいモノトーンの海を見ていると、確かにここは世界の果てなのだと、そんな風に思えた。

そして落ち着く。

波の感覚など気のせいだと思える。

今まではそれで上手くいっていた。

 

4日前——マロがなんとか飲み込んで来た周囲の者達の”当たり前”は、徹底的に崩れ去った。

海の向こうから泳いで来た二人の男。悲惨な見た目は浜に打ち上げられる残骸や屍とそう変わりはなかったのだが、男達は平然と動いていた。

物心ついてから十数年間マロの頭の隅に存在していた”疑念”が、俄かに現実味を帯び始めたのだ。

男達の名はアルマとイース、といった。

 

 

ぼんやりと数日前のことを思い返しながら、マロは何気なく自分が立っている高台の岩の、足元に空いた穴を見下ろした。

この高台はソロムを囲む岩壁にいくつかある洞窟の内の一つ、その真上にある。マロが立っているのは言わば洞窟の天井の上であり、足元の穴はそのまま天井を貫通して洞窟の内部に繋がっている。

洞窟はルドロス達の休眠場所になっていることが多いから、落ちないように気をつけなければならない。

実際、あの時は驚きのあまり足を踏み外してルドロス達の近くに落ちてしまったのだ。

穴を覗くと、洞窟の中で黄色い獣が三匹、横たわって眠っていた。

アルマが狩った五匹と同じ群れだろうか。あるいは新しいコミュニティか。

 

兎に角、二人の出現は少なくともマロにとって、人生を揺るがす出来事だった。

そして同時に、二人の特殊性に気付いているのはマロだけのようでもあった。

二人はそれなりに上手く誤魔化していたし、そもそもマロ以外の者は外に世界があるという可能性を毛程も考えていないのだ。マロだって、体に波の感覚が刻まれていなかったらおそらく不思議な人達だ、という程度にしか思っていなかっただろう。

だからマロも周りの人間と同じように、二人の正体に気付いていないふりをした。

そうしながらも——マロは注意深く二人を観察した。観察すればするほどに海の向こうに人が住んでいる可能性は高くなって行き、もはやマロにとってそれは確信へと変わった。

同時に、マロの中で新しい感情が芽生える。

 

——外に行ってみたい。この海を越えて、その向こうへ。

 

深い意味はない。今の生活に不満はないのだ。だがずっと胸の内に釈然としないものを抱えて生きてきたマロは、自分の推測は当たっていました、というだけでは満足できないようになっていたのだ。

もし今まで自分が教えられてきたものが嘘ならば、本当はどうなっているのか。

マロはそれが知りたくなった。

あの二人は、命の恩人であると同時に、そんなマロにとっての唯一のとっかかりだったのだ。

二人がアヤから出ようとしているのはすぐにわかった。

ならば何とかしてそれに同行させて貰えば良いと、マロはそう計画した。

もっともその計画は——つい先日、失敗に終わったのだが。

 

昨晩、アルマは皇立巡邏隊によって都へと連行されてしまった。

何やらアヤ教の信仰に対してたいそう背信的な行いをしたのだそうだ。

アルマが抵抗する様子はなかった。多勢に無勢と踏んだのだろう。

イースの方はといえば、あの晩にどこかへ消えてしまって今も捜索されている最中である。一般市民も見つけ次第巡邏隊の者に連絡をするように、と言われている。

 

「ああ——嫌な気分」

 

アルマ達がどんな不信心を働いた事になっているのか、マロは聞かされていない。

だが、彼等は決して悪人ではない、と思う。

少なくともアルマは、マロのために重い体を動かしてルドロスの群れを処理してくれたのだ。

きっとアヤのルールを知らなかっただけ、それだけなのだろう。

でもそれに気付いているのはマロだけで。

気付いたのはマロが経典に書かれた内容を信じるのをやめた不信心者だからで。

誰かに話せば、マロだって連れて行かれるに決まっている。

だから恩人であるアルマが連行されるのを黙って見ていた。

黙って見ながら、当てが外れたと——昨日の自分はそんなことを考えていたのだ。

 

——なんて嫌な女だろう。

 

仮にも恩人が連行されていくというのに、当の自分はその恩人を利用した計画の破綻を嘆いていたのである。

何だか酷く鬱屈とした気分になって、マロは視線をあげて海を見つめ——それでもやっぱり閉塞的なので、どこを見ればいいのかわからなくなってしまった。

 

ざり。

ふと、そんな音が下から聞こえた。

砂の上を何かが移動する音。

浜辺を見渡しても何もいない。

ざり。

また聞こえる。

マロは困惑してしばらく視線を泳がせた後、漸く真下の穴へ行き当たった。

ルドロスでも起きたのだろう、そう思ってかがみ込み、穴の方を覗こうとして——。

 

「おはようさん」

 

「え、うわッ——」

 

聞き覚えのある声に驚いて、マロは穴の淵を掴んでいた手を思いっきり滑らせる。

起伏に乏しいマロの体は岩盤に空いた穴を容易にすり抜け、洞窟の中へと真っ逆さまに落ちて行った。

どさり、と横たわっているルドロスの上に落下する。

 

——しまった。

 

数日前の逃走劇が脳裏に蘇り、マロはとっさに飛び退いた。

しかし——獰猛な黄色い肉食獣が起き上がる気配はなかった。

 

——かなり強く当たったのに。

 

マロが不思議に思っていると、洞窟の奥から再び声がした。

 

「大丈夫よ、死んでるから。というか、死なせたんやけど」

 

マロは声のした方を見るが、暗くて様子がわからない。

再びざり、ざりと砂を踏む音がして、薄暗い闇の中から紫色の影が現れた。

 

「マロちゃん、こんなところで何してるん?」

 

ひょろりと長い体。木炭のようにくすんだ黒い髪。

現在指名手配中の男——イースが、笑みを浮かべて立っていた。

マロは僅かに洞窟の入り口の方へと体を向けながら、問い返した。

 

「イースさんこそ、何故ここに?」

 

うふふ、と笑い声がした。

 

「何でって——隠れてるに決まってるやん。追われてんねやから」

 

確かに、隠れるには絶好の場所かもしれない。ついこの前ここへ落ちた時に知ったのだが、この洞窟の本来の入り口は岩や草に隠れており、浜辺からは見えにくいところにあるのだ。

そもそも危険地帯であり、物も少ない浜辺へあえて出るものも少ないのだから、この洞窟を知っている者は殆どいないのかもしれない。

上の高台に登る人間も、マロは自分以外には知らなかった。

 

「隠れて——どうするつもりですか?」

 

まさか、いつまでもここで暮らすつもりではあるまい。

イースは肩をすくめると、立ち話も何やし——と言って奥へと歩き出した。

マロはそれにはついて行かずに、脇に転がっている黄色い獣の骸に目をやった。

獣の尻尾の付け根あたりから背中にかけて、一筋の傷。

イースのつけた傷だろうか。

野生動物を絶命させるほどの大きさには見えないが、ルドロスはピクリとも動かない。

マロが何を考えているのか察したかのようにイースが言った。

 

「毒持ってんねん。僕の武器」

 

「武器——片手剣、ですよね?」

 

「そ、刀身に毒が染み出す仕組み」

 

イースは腰に指していた細身の剣を抜くと、ホレ、と言って弄んだ。

 

「危険物や。取扱には注意してる」

 

マロは、一歩後ろに下がる。

 

「どうして、私を呼んだんですか?」

 

「何が」

 

「呼んだでしょう、私のこと、さっき上で。何故です?」

 

「知り合いの顔見かけたら、挨拶するのが筋と違う?」

 

巫山戯ているのだろうか。

 

「お尋ね者で、隠れている身でしょう?私がここへ落ちてきたのは偶然です。もし落ちずにそのままソロムへ戻って駐留している巡邏隊の人に声をかけたらどうする気だったんですか」

 

目的がわからない。

 

「今な、ちょっと困っててん。困ってて、上見上げたらちょうど君がいたから、声かけた」

 

まさか落っこちてくるとは思えへんかったけど——そう言うと、イースは奥から何かを持ってきて、ゴソゴソと作業を始めた。

ゴリゴリと、何かを擦るような音が暫く続いたかと思うと、いきなり洞窟が明るくなった。

イースが火を起こしたようだった。ゆらゆらと揺れる炎が壁に奇妙な陰影を描く。

照らされた洞窟の中には——たくさんの石器や、木製のよくわからない道具が散乱していた。よく見ると壁際には石で作られた作業台があるし、イースが腰掛けているのは木組みの椅子である。

洞窟の奥には、人が生活するのに用いる最低限の部屋が存在していたのだ。

 

「すごいですね、これ。イースさんが作ったってことは…ない、ですよね」

 

イースは当たり前や、と言って手を振った。

 

「僕は昨日ここ見つけたばっかりやで?夜通し働いてもこんなに作れへんわ。これは元からここにあったの。調べ感じ十年近く…いや、もっと経ってるんちゃうかな。最後にここに人が来てから」

 

まあ、当然ではある。むしろ思ったより最近のもので驚いたくらいだ。もしその程度しか経っていないのなら、マロ以外にもこの場所を知っているものがいる可能性がある——ということだ。

 

「まずいんじゃないですか?誰かここを知ってるのかも…」

 

「せやからその人が思い出す前に早くここ移動したいんやて。それで声かけた。協力して欲しい」

 

マロを何かに利用するつもり、ということか。

 

「私が素直に協力すると?」

 

「するで。多分」

 

「何を根拠に——」

 

「君、気付いてるやろ。僕らが外から来たの」

 

イースが平然と、まるで世間話をするようなトーンで言ったので、マロは余計に動揺した。

 

「そ、外?外って——」

 

「外やって。外。海の向こう」

 

やはり——海の先は冥界などではないのだ。

マロは静かに興奮していた。

半ば確信していたとはいえ、他人の口からはっきり言われると、流石に違う。

かき乱されるマロの胸中を知ってか知らずか、イースは平然としたままで続けた。

 

「君、最初はこの島以外に人が住んでること知らんようなふりしてたやろ」

 

バレている。マロは誤魔化すのを諦めることによって無理やり動揺を鎮めた。

 

「演技、不自然でしたか?」

 

「いや?実際最初は気づかへんかったし、大したもんやと思ったけど——ちょっと頑張りすぎやね」

 

「頑張りすぎ?」

 

「礼拝には行かれましたか?とか僕らに聞いてみたり、僕らの前でドリーシュさんに色々質問したり——多分僕らにさりげなく情報流して、ボロださんようにしてくれてたのと違う?」

 

その通りだった。二人にはここから脱出してもらわなければならなかったので、マロは二人が警戒されないようにカバーしようとしていたのだ。

少々稚拙だったかもしれない。

 

「ほんで、僕らのことコソコソ見とったやろ?話盗み聞きもしてた。けど、誰にも何にも言えへんかった。あの緑の集団が来るまで、屋敷の人達は僕等のことノーマークやったからね、君がドリーシュさんとかに告げ口したっていう線はナシや」

 

「まあ、そうですが」

 

「なんで何も言えへんかったかは、わからへんけど。そういう性格なんか、何か目論見があるのか——とにかく、あの時誰にも言わんかったのやから、今回も誰かに言う理由はない。ま、憶測やけどね。君が変な動き見せたら追いかけて捕まえとくつもりやった。そこ」

 

イースはマロが落ちて来た穴の近くにある壁を指差した。長い蔦が壁にびっしりと這っている。

 

「そこ登ったら、例え落ちずに君が逃げていってもマロちゃんくらいなら直ぐに追いつけるんよ。だからまあ、リスクは小さかった」

 

マロは目の前の男が穴を這い上がって追いかけて来るのを想像した。

 

「ゾッとしますね」

 

「失礼な子やな。何をどう思っての感想かは知らんけど」

 

イースはケラケラと笑うと、手に持っていた火を寄せ集めた木材にくべた。焚火となった炎は、穴の中をさらに明るく照らす。

 

「頼み事というのは?」

 

マロが尋ねると、イースはお、と言って嬉しそうに顔を上げた。

 

「ほら、やっぱ聞いてくれるやん」

 

「もちろん、条件付きですが」

 

「ふーん、ま、ええよ。僕の目的は一つ、都へ行ってここを出る手がかりを探すこと。そのためにはここの情報、その他諸々必要な用意があるけど、手配中の身で一人で調達するのはちょっと厳しい。自由に動ける協力者が要る。それだけ。君は?」

 

「私は——」

 

マロはほんの少しだけ躊躇した。

釈然としないなりに、十数年間ここで過ごして来たのだ。

ソロムの人も、屋敷の人も、良くしてくれた。

ここでの生活も、悪くはないのだ。

ここでイースに適当なことを言って、村に戻ってから報告して仕舞えば、それでいつも通りの生活に戻れる。

 

——だけど。

 

マロは洞窟の入り口の方を見た。岩と草の隙間から見える、海の奥の白い霧。

 

——あの向こうにあるのだ。確実に。何があるのかは知らないけれど、何かがある。

 

マロは小さく息を吸って、はっきりと言い放った。

 

「私の条件は——私を連れて行くこと。私も一緒に、この国から出させてもらいます」

 

しばらく沈黙があって——焚火に照らされたイースは、露骨に嫌な顔をした。

 

 

 

 

 



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第9話 悪くない提案

車内はガタガタと揺れており、酷く居心地が悪い。固い車輪は地面の凹凸を嫌という程忠実に伝達している。

アルマは頭上を見上げて、睨んだ。意味はないが他に見るべきところもないのだ。

ソロムを出た時からずっと、外の景色は幌で遮断されている。アルマの得ている情報はソロムを出てから6時間近く経っているであろうことと、6時間も経っているのに外に日が昇る様子はないということだけだ。

ソロムでアルマが捕らえられたのが日が沈んでから3、4時間は経った頃であり、出発するまでにもう3時間程経過したことを考えるとそろそろ日が昇ってもおかしくはないのだが、車両内は松明の明かりだけで照らされており、幌を透過してくる光はない。

 

——ここがどこかすらわからねえ。

 

車両の中にはアルマを除いて二人の人間がいた。

イースの姿はない。捕まって個別に運ばれているのか——あるいはイースならうまく逃げているかもしれない。それはそれで妙に腹立たしいのだが。

だから、車内の二人はアルマを捕まえた集団のメンバーであり、両方とも仮面と緑の衣装を纏っている。一見同じに見えるが、片方のものには金の刺繍が施されている。

アルマは刺繍のある方に向けておい、と声をかけた。

 

「いい加減教えてくれよ。何処に向かってるんだ?あと足が痛い。手はそのままでいいからこっち緩めてくれよ」

 

「じきに着く」

 

短い声が返ってきた。

 

「あそ、まあいいけどさ。縄はダメなのか?」

 

「それもじきにだ」

 

「そうかい」

 

どの道期待していない。ソロムを出た当初から何度か声をかけているが、ずっとこの調子である。

 

「じきにじきにってよ、もう6時間は経つぜ」

 

アルマがそうぼやいたのと、揺れが止まったのは同時だった。同時にガタガタという音も止む。

刺繍のない方がアルマの足の縄を解いた。

 

「降りろ」

 

「なんだよ、マジで着いたのか?いや、ってか何処だよ、ここ」

 

「黙って降りろ」

 

金刺繍はそう言うと、腰から抜いた剣をアルマの首に突きつける。

アルマは肩をすくめ両手を上げようとしたが、縄で結ばれていて上がらなかった。

車両の外は、石壁の大きな部屋だった。乗ってきた竜車がもう数台は入るだろう。背後にはたった今車両が通ったと思われる大きめで両開きの扉がある。

その反対側——アルマの正面には、石の階段が上へ続いていた。

雰囲気的には一階から二階へ上がると言うよりは地下から地上へ——と言う趣である。部屋自体が暗くて湿っぽいからだろうか。

 

「歩け」

 

金刺繍が剣の柄でアルマを小突いた。

言われるがままに階段を登る。長い階段を上りきった先は——やはり、部屋だった。

 

明るい。

下の部屋とは随分趣が違う。

床には赤いビロードの絨毯が敷かれ、壁には数々のタペストリー。絵の内容はわからないが高価そうだと、単純にそう思った。

他にも様々な調度品、嗜好品、芸術品の類が景観を彩っている。

やはり既に日は登っていたようで、大きく円い窓から清々しい朝日が差し込んでいた。

そして、その窓の手前には大きな机と、高い背もたれの椅子。誰かが座っているようだが、逆光のせいかよく見えない。

 

「お待たせしました親王様」

 

金刺繍が椅子に向かって声をかけた。

椅子からの返答はない。

 

——親王…王族か?何故?

 

犯罪者として連行されてきたのだ。

てっきり牢屋へ連れて行かれるか、あるいはそのまま処刑台に送られるかのどちらかだと思っていた。それが何故こんな豪奢な部屋で、親王などという高位らしい人物に謁見しているのだろうか。

金刺繍が声のボリュームを上げた。

 

「親王様、連れてきました——」

 

親王様、と金刺繍は半ば叫ぶような形で言った。

 

「ンがっ?あぇ?ん——ああ、エルフェドールぅ。帰ったかぁ」

 

椅子から帰ってきた声はどう考えてもだらしがなく弛緩していたが——妙な威圧感があった。

エルフェドールと呼ばれた金刺繍は仮面を外すと、畏まって頭を下げた。溢れた優雅な金の髪が揺れる。

 

「親王様、これが件の人物です」

 

「件——なんだっけ?」

 

エルフェドールは畏まった姿勢のまま答えた。

 

「尾槌竜と交戦したと言う狩人です」

 

「びついりゅう、尾槌竜…ああ、思い出した思い出した——お疲れ様」

 

声の主——親王は椅子から立ち上がると、軽快にアルマの方へ近づいてきた。朝日の中に浮かんでいたシルエットが俄かに色を帯びる。

——特徴的な耳。若い竜人だ。人間で言えば26、7だろうか。

金色の目は猛禽類のように鋭く、なおかつ溌剌とした若さを感じさせる。ヘーゼルの髪は全て後ろへ撫で付けられ、威圧的な額が露わになっていた。

 

親王はアルマをまじまじと見つめた。

近すぎる距離感に少し戸惑う。明らかに犯罪者に対応するときのそれではない。

 

「名前は?」

 

「え?」

 

「名前だよ。ナ・マ・エ」

 

「ああ、アルマ——アルマ・グリズラだ」

 

「へえ。アルマ——ね。アルマ、お前良いぜ」

 

若い竜人はそう呟いた。

 

「は?」

 

意味がわからない。

竜人はアルマの反応は無視して、くるりと背を向けた。

 

「おいエルフェドール、拘束解いてやれ」

 

「——ですが」

 

「いーから」

 

「承知致しました——変に動いたら、殺す。いいな」

 

エルフェドールはアルマの耳元で囁くと、拘束を解いた。解放されたものの、アルマは事情が飲み込めず、ただ困惑して立ち尽くす。

親王は既に椅子に戻っていた。

 

「どういうことだ?俺は——罪人じゃねえのか?」

 

「カカカ、そうだな、罪人だ。この国では。だから捕まえた」

 

「今解放された」

 

「そのために捕まえたんだからな」

 

「——わかんねえよ」

 

「だろうな。でもまあ、先に質問するのはこっちだ。そう、お前——何者だ」

 

猛禽類のような両目がアルマを刺した。

 

「何者って——ハンターだよ。ただの狩人だ」

 

アルマは他に答え方を知らない。

すると親王は再びカカカ、と笑った。猛禽の目は以前として鋭さを保っている。

 

「ちげえねえな。でも——そうじゃない」

 

そういうことじゃない、と親王は繰り返した。

 

「お前はこの国の信仰対象に、なんのためらいもなく攻撃した。お前の相方もだ。明らかに——異邦人だ。それかキョージン。イかれてる」

 

「は?」

 

信仰対象——なんのことだ。

覚えがない。

いや、確かさっき、ドボルベルクがどうとか——そう言っていた。

それのことだろうか。

 

「そ、ドボルベルクだドボルベルク。尾槌竜か?ここじゃあ山神様とか、巨人なんて呼ばれてるがね」

 

山神様、巨人——信仰対象。

アルマの脳内で、ほんの少しだけピースが埋まった。

 

「なんのことはない。ただのモンスターだよ。少しでかくて草食だから神秘っぽいだけだ」

 

くだらねーと言って親王は机の上に足を乗せた。

 

「いいのかあんた、そんなこと言って」

国の信仰を、国のトップの親族が全否定したことになる。

 

「大っぴらには言わねーよォ。でも事実だろう。そんでお前は結局どっちなのさ。イかれてるのか?それとも外から来たのか?」

 

外——少なくともこの男は異邦人という概念を持っているらしいので、島の外を意味していると解釈して問題ないだろう。

 

「外人だよ。漂流してきたんだ」

 

おお、と光に浮かぶシルエットは軽快に手を叩いた。

 

「そりゃァ大変だったな。なら、要求は星の数ほどあるだろう?金か?地位か?それとも船か?あいにくと航海士はつけられねえが——」

 

「待ってくれよ、あんた——何の話をしてる?さっきからさっぱり飲み込めないな。この島のどんな些細な常識だって、多分俺は知らないんだ」

 

「勿体無いからな」

 

「は?」

 

「この国では…この国のほとんどの人間にとっては、この島の外には何もないことになってる」

 

その話は知っている。だからこそアルマは捕らえられたのだ。

 

「なのに数年に一回くらい——流れてくる奴がいるんだな。もちろん、とんでもない危険因子だ。余計なことを漏らす前に捕まえて、殺さなきゃならねぇ。幸いこの国には外の奴にはわからない"常識"が多い。"非常識"なそいつらはすぐ見つかる。もし殺すまでにしゃべってたら、狂人って扱いにしてひとまずは誤魔化す。しばらくしたらそんな奴なんてみんな忘れちまう——それが、この国の"上"のルールだ」

 

アルマが思っていたよりも漂流者は多かったようだが、理解できない話ではない。だからこそ、目の前の男の意図がアルマにはわからなかった。

 

「あんたは…そのルールを破るつもりなのか?」

 

すると親王は肩を竦めた。

 

「もう破ってるさ。何年か前からな」

 

「何で——」

 

「だから言ったろ。殺しちまうなんて勿体ねえんだ。考えても見ろ、海を漂流してまだ生きてる奴だぞ?その生命力だけでも価値がある。それにそういうのは大抵、お前みたいに優秀な狩人だ。幾らでも使いではある」

 

「そいつらが好き放題喋らないって確証はどこにある?」

 

「確証なんてねえけどな。欲しいもんぶら下げとけば、漏らしても得のない秘密なんて誰が漏らす?殺すのは付け上がって要求が大きくなってからで十分だ。怯えすぎだ、ジジイどもは」

 

親王はここにいない誰かに対して思いっきり侮蔑の表情を向けて、あらぬ方角を睨みつけた。

 

「ま、兎に角——お前にも俺の為に働いて欲しい。見返りは何でも用意する。どうだ?」

 

悪い話では——ないだろう。取り合えず処刑は免れるし、うまくいけば船まで手に入るかもしれないのだ。海の向こうという概念のないこの国に船を作る技術が存在するのか疑問だが、そもそもここで断って刀の錆になる訳には行かないので、アルマに選択肢はない。

 

「…わかったよ。ただ、頼みがある。ソロムから俺の荷物を回収しておいてくれ。必ずだ。大事なものが入ってるんだ」

 

書簡だけは、何としても回収しなければならない。

親王は気前よく頷くと、他には?と聞いた。

 

「それ以外には俺は——この島を出られればそれでいい。それ以上は何にもいらない」

 

「お安いな。それじゃ、とりあえずは契約成立だ」

 

親王がそう言って手を叩くのと同時に、鐘が鳴った。

それに呼応するように親王が椅子から立ち上がる。

 

「ああ——もうこんな時間か。悪い、俺はちょっと礼拝堂に行ってくるからよ。エルフェドール、あと色々頼むわ」

 

若い竜人はそう言うと、颯爽と部屋から出て行った。

ガチャリ、とドアが閉まると——後には金刺繍の男とアルマだけが残された。

 

 

気まずい沈黙を紛らわせるようにあたりを見回す。

壁を彩る装飾品。棚を埋める書物。机の上には高価そうな木彫りの人形に小笛など、異国情緒溢れる置物が置いてある。

馴染みのない景色のせいか落ち着かなくて、アルマは結局視線をエルフェドールへ向けた。

青白い肌。金の髪。眉は神経質そうに顰められているが、美丈夫ではある。

 

「行くぞ」

 

人形のような男は唐突にそう言うと、先ほど登ってきた階段の方へ歩き出した。

アルマも慌ててそれに続く。

地下室に降りた後、エルフェドールは待機していた緑の装束の男に何やら指示をするとそのまま竜車に乗り込み、アルマに向けて一言、

 

「乗れ」

 

と言った。

逆らう訳にもいかないので大人しく車両に乗り込む。

ギシギシと扉が開けられる音がして、再び竜車は暗闇の中を動き出した。

 

「なあ、あんた」

 

「何だ」

 

「あんた——口数少ないな」

 

エルフェドールは薄い眉をピクリと上げたが、すぐに無表情に戻った。というか、眉を上げただけで無表情の域は出ていなかったのだが。

 

「言いたいことはそれだけか?」

 

「うそ、冗談だって。聞きたいことがたくさんあるんだ。俺はこれから何処へ行く?結局具体的な話は何も聞かされてないぞ」

 

アルマの言葉に、エルフェドールはふむ、と頷く。

 

「これから行くのは——都にある闘技場だ。ここからはまた10時間程かかる。お前にはしばらく親王様子飼いの狩人としてそこで働いてもらう。闘技場にはよくそうした、貴族が趣味で所有している狩人が出場している。優秀な成績を残せば国から褒美が出るし、所有者の貴族の評価も上がる」

 

エルフェドールはまるで時計で計っているかのように一定のペースで回答した。

相変わらず素っ気ないが、それでも何も答えてくれなかったさっきまでよりマシかもしれない。

 

「なるほどねぇ、それが狙いか。要は見世物ってことだな?」

 

「そうだ。見世物だ。不満か?」

 

「いや、別に不満はないよ。ただ…そうだな、俺の要求した対価はいつ支払われる?」

 

「それはわからない。だが定期的に親王様から指示が入る。それに答え続ければ必ず支払われるだろう。それも遠からず、だ。あの方は約束を必ず守る」

 

「国のルールは破るのにか?」

 

アルマは軽い気持ちで言ったのだが、エルフェドールはほんの少しだけムッとしたように眉間に皺を寄せた。

 

「親王様は当初からあの掟には反対だった。あの方がそれに従う謂れはないし、お前に文句を言われる筋合いもない」

 

どうやら親王に関したはただならぬ感情を持っているらしい。

はっきりいって興味もないのでアルマはそれ以上親王については触れないことにした。

 

「ええと、それじゃ——あと10時間、俺は何して過ごせばいい?」

 

すると、明確だった返答が再びピタリと止まった。

——面倒な問いかけには答えないタイプか。

 

「あ、じゃあさ、なんか面白い話ししてくれよ。暇すぎて死んじまう」

 

アルマは半ば投げやりな気持ちで言った。

やはり、返答は返ってこない。

つまんねーの、と思った時、エルフェドールがぽそりと口を開いた。

 

「あれは私が親王様の部屋を片付けていた時——」

 

「話すのか」

 

てっきり無視されるものかと思っていたのに——案外素直なヤツなのかもしれないと思った。

 

 

**********************

 

 

「着いたぞ、降りろ」

 

いきなりエルフェドールの声がして、アルマは眠りから引き戻された。

 

「え?あ?ああ…やっと着いたのか」

 

「人の話を聞きながら眠るのは感心しない」

 

「いや、だって親王の話ばっかされてもなあ…1時間耐えたんだから許してくれよ」

 

結局——想像を絶する程興味の湧かないエルフェドールのトークが子守唄となって、アルマは9時間弱、たっぷり眠ることができたようだ。

今度は幌越しに日光が差し込んでいる。丁度三時を回ったぐらいだろうか。

竜車を降りて伸びをすると、土埃と都会の雑踏がアルマを包んだ。周りには他にも竜車や馬車が止まっている。目の前の大きな施設——おそらく闘技場——の駐車場らしい。

エルフェドールはアルマを連れて施設に入ると、受付で職員と短い会話を済ませ、カウンターの奥の鉄の扉の中へと進んで行った。

まるで監獄である。もともと囚われの身になる予定だったのだから仕方ないが。

 

「この闘技場には宿舎が付属している。一番いい部屋を借りてあるからそこに泊まって指示を待て。1人と相部屋だが問題ないか?特上だから部屋の広さは十分なはずだ」

 

「特上部屋で相部屋って…中途半端に権力を行使するなァ、別にいいけど。相部屋とか俺は気になんねえし」

 

「そいつと、向かいの部屋にいる二人は親王様が匿っている異邦人だ。なにかと関わり合いになるだろうから上手く付き合え。それじゃあ、鍵を渡すから——しばらくのうちは待機しておけ。じきに指示が来る」

 

「わかったよ。念を押しておくけど荷物の件、頼むぞ」

 

青い目がアルマの目を捉えた。

 

「もちろんだ。約束は守る。それならこちらも念を押しておくが——逃げるなよ。逃げてもすぐに捕まえられるが、無駄な手間はかけたくない」

 

エルフェドールはそう言ってアルマに鍵を渡すと、踵を返して去って行った。

 

「…逃げねえっての」

 

コンパスのように正確な歩みで遠ざかるエルフェドールの背中を見届けた後、アルマは手元の鍵を確認し、部屋を探すことにした。鍵には204号室、とある。

階段を登って、左右を見ながら冷たい石の廊下を歩く。

 

「204、204…ここか?」

 

思い切って木製のドアを開けると、もう一人の部屋の主は不在らしかった。

部屋には大きめのベッドが二つ離れて置いてあり、さらにそれとは別にテーブルとソファが置いてある。二人用にしては十分な広さだ。さすが特上と宣っただけのことはある。

窓からは街並みの向こうに青々とした山脈がのぞいていたが、ご丁寧にもしっかり嵌められた無骨な鉄格子が雅な風景を台無しにしている。

二つあるベッドの内、片方には既に荷物が置かれていた。普段からずっとそこに置きっぱなし、という様子である。

ならば部屋の主は空いているベッドの方を寝るのに使っているのだろうか。

アルマはほんの少し迷った後、結局ベッドの上の荷物を退かそうと散らばっている荷物に手を伸ばした。

 

「空いてる方使って」

 

「——え?」

 

ふと、アルマの頭上から声がした。

見上げれば、天上にかかる梁の上に——何かある。というか、居る。

 

「んっ…っと」

 

梁の上の生き物はそのまま起き上がると、梁に座ってアルマを見下ろした。

肩に僅かにかかる程度の、ウェーブのかかった髪。ダークブロンドのその髪をすきながら伸びをする様はさながら猫そのものであるが、大きさからしてアイルーではなく人間だ。

 

「あんた、ここの人か?じゃ、あんたと相部屋?」

 

「そうなるわね。意外?」

 

「いや、ただ——どこかで見た気がしてな」

 

「…ナンパ?」

 

「違えよ——いやすまん、気のせいだ。男だと思ってたから驚いたのは事実だけどな。あんた、名前は?」

 

「…ルスキア・ブラウン。ふつうにルスキアって呼んで——あだ名はあまり好きじゃないわ。じゃ、私寝るから。おやすみ」

 

それだけ言うと、アルマの新しいルームメイトは再び梁の上に寝っ転がった。

アルマは梁の上をぼんやりと眺めながら、名乗るタイミングを逃したと——そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第10話 夜遊びにはスリルが欠かせない 前編

静かな闇の中を息を潜めてゆっくりと歩く。

昼間、海辺でイースから支持を受けたマロは夜中になるのを待つと、必要な物資をくすねて村を抜け出した。イースからは出来る範囲で食料と、イースがこの国の人間に紛れるための服、その他用途のわからない様々なものを持ってくるように言いつけられていた。

非常食は場所を知っていたし、服は狩人屋敷に駐留している——おそらく捕らえ損ねたイースを追っている——巡邏隊の装備が、マロが洗濯を担当する事になったので簡単に盗むことが出来た。他に持って来るように言われた光る虫やら粘着質の植物やらはどこにあるのかよく分からなかったので、持ってくるのは諦めた。

村を出ると木立の陰でイースが待っており、すぐに都に向けて出発した。

そうして今、二人はソロムの南の森の中をコソコソと南下している。

夕方の俄か雨のせいで地面はぬかるんでいた。

()()()()()()()に慣れておらず夜目も効かないマロがそれでもこうして前に進めるのは、目の前を行く小さな灯りを追っているからである。

前を歩くイースの手の中で、人差し指大の小さな火が心細げに揺れていた。

今振り返れば森を挟んで遠くの方に集落の灯りが見えるはずだ。きっとランプの灯りより大きくて、安定していて、明るい灯りだろう。

だからこそ、マロは脇目も振らずに目の前の消えそうな灯りだけを見つめて暗中を進んでいる。

 

なんとなく——振り返ってはいけない気がした。

 

黙々と歩いているとふと、目の前の灯りが止まった。

イースが立ち止まったのである。現在地はちょうど、ソロムの南に広がる森を抜けて山へと差し掛かる辺りだ。

真夜中こっそりとソロムを抜け出してから、もう随分長い間歩いてきたことになる。

 

「どうしたんです?休憩ですか?」

 

 

「あの夜」

 

「え?」

 

「わてが窓から外見たとき——灯りの列は山から()()()()()()()()()()。あの集団の灯りはポツポツと、山の麓から湧き出るように現れとった」

 

「皇立巡邏隊のことですか?湧くってそんな…虫じゃないんですから」

 

「でも実際そんな感じやった。あれはどこから出てきたのやろ?それに、アルマの乗ってった竜車は、()()()()()()()()()()()()?車輪は平地用やった。そもそも丘陵は車両での移動には向いてへん。なら、あれはどこを通っていった?」

 

「そりゃあ山を迂回して…」

 

「火を消したまま山を迂回してきて、森に入った瞬間に火を灯した?なんのために?そんなことする意味、ないやろ。だから、この辺のはずなんや。この辺に何かが…」

 

そう呟きながらイースはごそごそとあたりを探った。

 

「見間違いじゃないです——?」

 

マロは半信半疑である。人がどこからともなく湧いてくるなんて、この島の御伽噺にだってありはしない。

とはいえ、イースが進むのをやめたためにマロも手持ち無沙汰になってしまった。黙って突っ立っているのも何なので、マロはとりあえずウロウロとその辺を歩き回ってみることにした。

イースの灯りから離れない程度に拾った棒で藪などをかき分けてみる。

 

「だいたい、何を探せばいいのやらですよ。雨で轍も消えてしまってるでしょうし——うわっ」

 

と、ふいにぬかるみに足を取られてマロは体勢を崩し、藪の向こうへ倒れ込んだ。

 

「どないしたん?マロちゃん、ようコケるなあ。大丈夫?」

 

茂みの向こうからイースの声が聞こえる。

 

「ああ、大丈夫です、擦りむいただけで——ここの地面、ちょっとぬかるみでバランス崩しちゃったみたいですね。驚かしてすみません」

 

「まったく、気いつけや」

 

ごそごそと藪をかき分ける音がして、マロが足を滑らせた辺りからひょい、と灯りとイースの顔がのぞく。

マロはゆっくり立ち上がって体についた泥を払った。

今戻りますと言おうとして、イースの視線がマロの後ろ——山の方は向いているのに気づく。

 

「ああ——やっぱりあった。山、越えんですみそうやな」

 

振り向くと、視線の先には——竜車二台程度ゆうに通れるような大きさの穴が、ポッカリと口を開けていた。

洞穴——否、トンネルだ。それはまるで山を貫通するように奥へと続いている。

トンネルの壁には一定間隔を置いて小さな灯りが設置されていた。

 

「こ、ここに——入っていくんですか?」

 

「嫌?」

 

「嫌…というか何というか、本当にここ、山の向こうに繋がってるんでしょうか」

 

「さあ?でも馬車がここ通ったのは事実やで。ほら——」

 

イースがランプをトンネルの中の地面へと近づけた。

乾いた地面には、素人目に見ても新しいとわかるほどはっきりと——土が車輪の跡を描いていた。

 

* * * * * * * * * * * * * * * *

 

 

「入るぞ」

 

夕飯を終えて寛いでいると、ドアの向こうでエルフェドールの声がした。

おう、と適当に返事をするや否やドアが開き、金髪の美丈夫が入ってくる。

見れば、エルフェドールは大きな包みを抱えており、部屋に入ってくるなりそれをアルマの方へと放り投げた。

 

「お、荷物か?」

 

「そうだ。秘密裏に回収するのに手間取って遅くなってしまったが、武器と防具も下に届けた。感謝しろ」

 

「ああ——」

 

アルマはエルフェドールそっちのけで荷物を漁ると、金属の筒を取り出し、中を確認した。筒の中には皮紙の書類が丸めていれられており、ひとまず書簡を回収できたことに安堵する。

 

「いや——マジに感謝するよ。ありがとな」

 

「構わん。どうせここへは来るつもりだったからな。それで——どうだ、その後の調子は」

 

まずまずだ——と答え用とした時、部屋のドアが乱暴に開いた。

 

「のぁッ?エルフェドールの旦那じゃねぇか!来てたのかよォー。おいアーグ!旦那が来たぜ!」

 

 

ドアを開けたのは向かい部屋——208号室の住人、ボーディであった。

その声に呼ばれてもう一人、鷲鼻の男、アーガイルが顔を出す。

 

「おやおや、これはエルフェドール殿。また新しい仕事ですかい?勿論喜んでお引き受けしますが——お土産なんてあればもっと頑張れるんですがねぇ、ヒヒヒ」

 

この二人——ボーディとアーガイルもハンターである。三年前外から流れ着いたのを、アルマと同じように拾われたらしい。

ボーディは小太りの騒がしい男だ。足も短く自他共に認める不細工なのだが、これが狩になると存外素早く動く。大剣使いとしてはかなり速い方で、いわゆる動けるデブである。

アーガイルはボーディとは打って変わって痩せぎすの、猫背の男である。高い鷲鼻に底意地の悪そうな目をしていて、大抵の他人に対して慇懃な態度をとる。狩猟においてはランスでガードをきっちり固めたなかなか堅実な戦い方をする。

都の闘技場に入ってから一週間、アルマはすでに5つ程クエストをこなしたのだが、二人とはその中で何度か一緒になったのだ。下品なところはあるが性根の悪い奴等ではないというのが今のところの印象である。狩猟の腕も悪くない。

そも、品がないのはアルマも変わらないのだから、それはあまり気にならなかった。

 

「それで、何しに来たんですかい?旦那」

 

「アルマに頼まれていた荷物を届けに来た。装備や武器やらな」

 

「ほう、武器ですかい。おいアルマ!じゃあアレだな、お前さんのあの間抜けな骨塊もこれで見納めか!」

 

「ヒヒヒ、あれはアレで似合ってた気もしますがネ」

 

二人はそう言ってゲラゲラと笑った。

というのも、荷物が届くまでの間アルマは練習用の骨塊とボーンシリーズ——外のものと似ているのでアルマ達は勝手にそう呼んでいる——で狩りをさせられていたのである。

装備は元からレザーSだったので別に構わないのだが、武器の違いははなかなか大きかった。使用武器がハンマーであったために切れ味が悪くてもなんとかなったのが不幸中の幸いであるが、少なくとも格好はつかなかった。そのため、何かあるたびに二人はそのことでアルマをからかうのである。

 

「おい、いつまで笑ってんだお前らッ!」

 

アルマがそうどやすとアーガイルがおおこわと言って丸い背中をさらに丸めた。

 

「アルマ殿はお怒りのようだ。ここは即時撤退ですよボーディ」

 

「じゃあな!明日は間の抜けてない姿を見られるように願ってるぜ」

 

二人はゲラゲラ笑いながらアルマの部屋を後にした。エルフェドールはその背を見送って大丈夫そうだなと呟く。

 

「まあな、それなりにうまくやってるよ。もう一人は——正直なんとも言えねーけど」

 

アルマは天井の下にかかる梁を見上げた。毛布が一枚かかっているだけで、今は誰もいない。さっきまでそこで寝ていた寝床の主は、エルフェドールが入ってくる直前にどこかへ出かけたきり帰って来ていないのだ。どこへ行っているのかは知らない。

 

「ルスキアか。うまく——行ってないのか」

 

「うまく行ってないっていうか——よくわからん。ほとんど接してないからな。昼間俺は部屋にいねえし…夜は向こうがどっか行ってる。夜行性なんだきっと」

 

多分今日も明日の朝まで帰らないのだろう。

 

「でもまあ特別不都合はないよ。よくわからないってだけだ」

 

「成る程、じゃあ明日が初になるというわけか。それは少し不安だな」

 

「あ?何が?」

 

「明日お前にはルスキアと二人で闘技場クエストに出てもらうつもりだったのだ」

 

「明日——なんかあんのか?」

 

「ある。実は今日はこちらが本題というのもあるのだが——一週間後、大闘技大会が開かれることになった。大会では一人での参加も可能だが、二人一組での参加が基本だ。人数の違いを結果に加味しないため一人だと圧倒的に不利なのだ」

 

「二人一組で大闘技大会、ねぇ」

 

大陸でも大きな街ではたまに開催していたが、一人での参加がメジャーだった気がする。

 

「大会には貴族の子飼いや闘技場所属のハンターだけでなく、国中からハンターが集まってくる。優勝すればハンターとそのパトロンに国から報酬が出る。当然お前にも出てもらいたいのだが——基本的に出場権は年間の業績によって決まるから、お前は圧倒的に不利な状況にある。と言うか無理だ。これから毎日10体大型を狩ったとしても一週間では到底間に合わない」

 

「おいおい、無理じゃねえか。百体狩れってのかよ」

 

それはいくらなんでも不可能である。

 

「いや、実はこの大会にはもう一つ出場枠がある。通常枠よりも数は少ないが、その枠ならば業績が足りなくても出ることができる。そしてその枠は——国王様が指定される」

 

「お気に入り枠ってことか?」

 

「そうだ。実を言うとボーディとアーガイルも業績は足りていなかったのだが、二人は三年前からいてすでに国王様に顔を覚えられているし評価も高い。実際親王様が裏で入手した暫定リストには二人がペアとして登録されていた。しかし、お前はこっちに来てまだ日が浅い。ここ一週間の間でお前も随分と評判になったが——まだ薄いのだ。それに、それはあくまで一人の狩人としての評価であって、ペアでの評価はされていない。ボーディやアーガイルと組んだ回もあったらしいが——二人は二人でもう組まれているからな」

 

「ああ、もしかして俺、あぶれてるのか」

 

「まあそういうことになる。一方他人とは組まずにソロでやってきたルスキアも、評価は高いがペアがいない。だから——」

 

「そこで組んじまおうってわけか」

 

「そうだ。だがこれは簡単な仕事ではない。私が見たところ、暫定とはいえリストの九割は確定されていた。おまけに残り一割の候補者はごまんといる。そこに評価の固まってないお前が滑り込むにはこの一週間でお前とルスキアの印象を国王様に鮮烈に刻み込まなければいけない。そしてラッキーなことに明日——国王様がお忍びで視察に来られる」

 

なるほど、それは——重要な知らせである。少なくともこのように直前になって荷物を運んできたついでに知らせるような、どうでもいい情報ではない。

アルマがそういうと、エルフェドールは珍しく痛いところを突かれたような顔をした。

 

「それについては悪いと思っている。だが私にも皇立巡邏体としての通常業務があるからな。あまり時間が割けないのだ。特にここ最近は忙しくてな」

 

「へえ、なんかあったのか?」

 

「ああ。以前から都に人斬りが出ていてな、その対応に追われている」

 

「人斬り?殺しか?」

 

物騒な話だ。

 

「そう、殺人だ。二ヶ月前あたりからからこれ…3件か。あるいは半年前のものも含めれば4件。これが不思議なことに——誰も被害者の素性を知らないのだな。いや、顔なじみのものは多くいるのだが、皆その者がどこで生まれ、どういう経路で都に来たのかまでは知らないと言うのだ。だから捜査も難航していてな」

 

「ふうん。そりゃ大変だな」

 

アルマは興味なさげに言った。

 

「まあ、お前に言うことでもないか。兎に角、そういうことだからあまり時間も人手も足りないのだ。今日もそろそろいかなくてはならないから——ルスキアにはお前から言ってくれ」

 

「別にいいけど——アイツ、いうこと聞くのか?」

 

あの気まぐれな猫が素直に話に乗るとは思えなかった。

 

「それはお前の説得にかかっている。望みを達成したいのならば自分で頑張ってくれと、まあそういうことだ。私達の持ち駒はお前とルスキアだけではないからな。だから——後はお前達に任せる」

 

エルフェドールはそう言って部屋から出て行った。

アルマは一息ついて部屋の梁の上をしばらく見つめた後——ルスキアを探しに行くことを決めた。

明日のクエストまでに、もう半日も残っていなかった。

 

* * * * * * * * *

 

広いトンネルの中をイースとマロは早足で歩いている。

今のところ後ろからは誰も来ていないが、早く抜けて都の人混みに紛れたほうがいいとイースが言ったのだ。

たしかにこの単純な構造の空間の中では逃げようがない。

 

「素直に山を越えたほうが良かったのでは?」

 

「アホ。この暗いのに山の中灯りつけて歩いてたらソロムから丸見えやっちゅうねん。それにわて一人ならともかく、歩き慣れてないマロちゃん連れてんのやから山の中の方が逃げにくいわ」

 

成る程、イースがわざわざ存在すら定かではなかったこの道を探していたのはそういう理由だったらしい。マロはイースに結構気を使わせていたことに気づき、多少の申し訳なさを感じた。

 

「それにしても——すごいトンネルですね。いつ作ったんでしょう?」

 

「さあ…構造(つくり)としては二百年かそこらちゃう?そこまで古いもんでもないとは思うよ」

 

「私、全く知りませんでした。ハンターさん達は知っていたのでしょうか?」

 

「多分。別にそこまできっちり隠されてたわけでもないし。山を狩場にしてるんやったら知ってても不思議やないね。あの大量のお供えもんもココ通って運ばれとったんやろ」

 

「ああ、そういえば」

 

大人達も、お供物は山の麓の祭壇に供えてくるのだと言っていた気がする。

ここを通って——どこへ、行くのだろうか。

マロは前方を見据えた。等間隔で設置された灯りは延々と奥まで続いる。

そのまましばらく歩いて行くと、二人の足音に水音が混じるようになった。奇妙に思って足元を見れば、地面が若干湿っている。進むに連れて湿り気は増していき、二人が大きな、鉄の扉の前に着いた頃には床全体が水たまりになっていた。

 

扉の脇には大きなハンドルが設置されており、どうやら重い扉はそれで開閉できるようになっているようだった。イースがハンドルに手をかけて回転させると、とびらはそれに伴って少しずつ、ゆっくりと、そして静かに開いた。

扉が十分に開くとイースはマロを先に入らせ、自分も後に続こうとしたが、イースがハンドルを放した瞬間から扉が閉まり始めたので慌てて滑り込むように中へ入った。

 

扉のこちら側は、大きな円形のホールのようになっていた。

ホールにはマロ達が潜ってきたものを含めてどうやら4つ——四方に向けて鉄の扉が付いている。他の3つの扉の先がマロ達の通ってきた通路と同様であると仮定すれば、このホールは十字路の交差点、という事になる。

アヤ国の地図で考えれば山の西はアヌトニネ高原地帯、東は——ウルバヌ親王領だったか。左右の扉はきっとその辺りに繋がっているのだろう。

都へは、方角的には今通った扉の正面、つまり南方の扉がつながっているはずである。

そう考えて正面の扉へ歩いて行こうとしたマロの手を——イースが引っ張った。

水たまりの中に転びそうになるのを今度は慌てて堪える。

何するんですかと抗議の声を上げようとしたマロの口を、イースが手で塞いだ。

 

「シッ。静かに」

 

イースはそう言って左前方の薄闇を睨んだ。

マロも目を細めてそちらを凝視する。

 

「——っ」

 

漏れそうになる声を必死で抑える。

震える手でイースの袖をつかまなければ、腰を抜かしていたかもしれない。

先程は薄暗いせいで気づかなかったのだろうか——今、マロにもはっきり見えたのだ。

南と東の扉の間。ちょうど、ホールのどの灯りからも遠く薄暗くなっている場所。

そこに、何か大きくて黒い——()()()()()()()が横たわっている。

声を殺していたのにもかかわらず——否、思えば入ってきた時に少なからず音を立てたのだから当然なのかもしれないが——ソレはムクリと起き上がると、マロ達の方へ体を向けた。

丸太のように太い足。大きくて硬そうな頭と顎。そして牙。

ボルボロスや——とイースが呟いた。

自分と、そのボルボロスとかいう化け物とは数十メートルも隔てていない。

瞬間——マロは、軽率に安全を捨てて来たことを後悔した。

 

 

 

 

 



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第11話 夜遊びにはスリルが欠かせない 後編

「ったく、何処にいんだあの猫女」

 

消灯時間を過ぎた宿舎はひっそりと静まり返っている。

アルマは音を立てないようにこっそりと廊下を歩き、辺りを見回した。

正直、これ以上うろつくのは気が進まない。

もうかなりの時間探しているのにルスキアは見つからないし、そもそもアルマにとってはとうに就寝の時間なのだ。狩りに出た時は日付を跨ぐことなど日常茶飯事であるが、だからこそ身長を伸ばすためにも出来る限りふつうに寝たいというのがアルマの持論である。

夜行性の動物を捜索するというのはかくも厄介なことなのだなと、アルマはそんなことを考えた。もっとも今回の相手は動物ではなく人間なのだが。

だいたい、この狭い宿舎——自由に動けるのは受付奥の鉄扉から此方側だけである——で、どこをどうほっつき回ったらここまで視線を回潜れるのか検討もつかない。

よもや部屋の中でそうしているように梁の上や天井を伝って行動しているのではと思い、上方にも注意を払っているが、一向に見つかる様子はなかった。

そもそももし本当に天井伝いに移動していたら、いよいよ自分が追っているのが人間なのかどうか疑わしくなってしまう。

いっそのこと狩猟気分でできないものかとトライしてみたものの、狭い廊下と人工の建物の中ではいまいち()()事が出来なかった。

 

そういうわけで、アルマが半ば諦めたような形で部屋に戻ると——どういうわけか、ドアの前に目的のルスキアが立っていた。わずかな灯りを反射して、翡翠色の目が丸く光っている。

 

「いんじゃねえか」

 

「いるわよ」

 

「なんで扉の前にいるんだ?」

 

「鍵閉まってるんだもの。入れないわ」

 

「ああ——」

 

アルマはそこで漸く、自分が部屋の鍵を閉めて出て来たことを思い出した。

普段アルマは自分が部屋にいる間、鍵を開けている。それは寝ている間も同じで、そのためルスキアはアルマが寝ている間に勝手に戻って来ている事が多いのだが——今回はタイミングが悪かったのだろう。

否、アルマにとってはラッキーだったのかもしれない。

兎に角、これで見つけられた。

 

「鍵、開けてくれない?えっと…アルマジロ?だっけ」

 

「覚えててくれて光栄だ。次からは略してアルマって呼んでくれたらもっと良い」

 

アルマがそう言うとルスキアは皮肉が通じたのか通じていないのか、まあいいわと言った。

良くない、と言うのを堪えてアルマは会話を続けることにする。

 

「それにしても今日はやけに早いんだな、帰ってくるの」

 

「着替え取りにきただけ。これからお風呂。すぐ出てくわ」

 

「もしかして、いつもそうなのか?ぶらぶら歩いて一回部屋に戻って来て、そんで風呂行ってまたぶらついてる?」

 

そう問うと、ルスキアは目を細めてこちらを睨んだ。

 

「…それ、重要?興味ないでしょ別に」

 

「そんなことないさ。ルームメイトが毎夜毎夜何処かを徘徊してるってんならどこほっつき回ってるのか気になるのが人情ってもんだ」

 

「ならあんたには人情ってものがないのね。少なくともここ一週間は一切気にしてなかったもの」

 

当たっている。

 

「で、鍵は?」

 

ルスキアは早く、とでも言うようにこちらはずい、と手を伸ばした。

アルマはポケットを探って鍵を出し、それをルスキアに渡す。

 

「ありがと、これからは閉めないでね」

 

「いや、これからは自分の鍵を持って出るようにしてくれ」

 

「鍵、持ってないもの」

 

ルスキアは部屋のドアを開けるなり荷物が散乱しているベッドの方へつかつかとと歩み寄った。

上に乗っていた袋——着替えが入っているのだろう——を引っ掴むと、そのまま部屋から出て行こうとする。

 

「おい、ちょっと待ってくれよ」

 

アルマが呼び止めるとルスキアはまだ何かあるのか、とでも言いたげな目で振り返った。

 

「早く体洗いたいんだけど」

 

「話があるんだ」

 

話と聞いてルスキアは心底めんどくさそうな声を出した。

 

「今じゃなきゃダメ?明日にしてくれない?」

 

「明日じゃ遅い。明日の話だからな」

 

「明日の?」

 

「そうだ。大事な話だ」

 

「明日?明日、あした——心当たりがないわ。きっと私にとってどうでも良いことね」

 

「いや、そうとも言い切れないぞ。俺だって今日聞くまでは心当たりなんてなかったからな。どっちにしろエルフェドールから伝えとけって言われてるから話させてもらうぜ。親王はお前の雇い主でもあるんだろ」

 

エルフェドールの名を出すとルスキアは本の少しだけ驚いたような顔をした。

 

「——エルフェドールが来てたの?」

 

「お前が部屋を出たすぐ後にな」

 

「そう…そうなの。じゃあ、話だけ聞いたげる——浴場に着くまでの道すがらね」

 

「おっサンキュ——え?ここで聞いてくれないの?」

 

「聞かないわよ。時間の無駄じゃない」

 

「いや、俺には浴場まで行く理由がないんだけど——」

 

するとルスキアはもう一回入ればと言った。

 

「朝風呂っていうのも良いものよ」

 

平然とそう言ってそのまま部屋を出て行く。

 

「朝風呂って…日の出まであと4時間はあるぞ」

 

そう呟くアルマの声は無人の部屋に虚しく響いただけだった。

 

* * * * * * * * * * * * *

 

廊下を歩きながらアルマが早口で事情を説明すると、ルスキアは成る程と頷いた。そして浴場の前に着きもしないうちに一言、

 

「嫌よ」

 

と言った。

 

「ちょ、待ってくれよ!即答過ぎるだろ!?」

 

「返事待って結局断られるよりマシでしょ?」

 

「せめて理由くらい言ってくれないか?褒美をもらえるってんなら悪い話じゃねえだろうに」

 

するとルスキアは少し伏し目がちになり、悪い話よと言った。

 

「私、欲しいものなんてないし。目標は現状維持だから。エルフェドールが私達に判断を任せると言うのなら、私は乗らない」

 

「お前も外から来たんだろ?戻りたいとは思わねえのかよ」

 

「思わないわね。ここでの暮らしには自由はないけど寝床はある。食事も出るし、暇にならない程度にやる事もある。私は満足してるの」

 

そう言われて仕舞えば——正直、どうしようもない。

アルマが諦めて帰ろうとした時である。

 

何気なく廊下の窓から外を見たルスキアが、驚愕の表情を浮かべて膠着した。

 

「嘘、何で——こんな所に」

 

ルスキアの視線は下方——通りを挟んで向かい側の雑貨屋の前に注がれていた。

 

「あ?」

 

——何だ、何があった。

 

この深夜である。雑貨屋は既に閉まって居るはずだ。

それなのに雑貨屋の前には何故か人だかりが出来ていた。

人だかりの輪の内側には、見覚えのある緑服の剣士達が複数人、人々と雑貨屋の間に割って入るように立っている。

そして剣士達の更に内側には、赤黒くて、ぬらぬらとした光沢を放つ何か。

何度も見た色だから、アルマはその正体を確信していた。

石畳には——血溜まりが一つ、出来ていた。

 

* * * * * * * * * * * * *

 

「マロちゃん、逃げ!」

 

イースに小声で言われ、マロは震える足で化物の視線から外れようとした。

だがその鈍重な動きを野生は見逃してはくれない。

 

「はよッ!」

 

とイースの叫び声がして、マロは横向きに強く突き飛ばされた。

素人の身のこなしでうまく着地できるはずもなく、マロは泥の中を転げまわる。

直後、先程までマロが立っていた位置を、ものすごい勢いで化物が掠めていった。

跳ねあげられた泥が上から降りかかってきて、ビチャビチャと汚い音を立てる。

イースは通過して行ったソレを後ろから追いかけると、太い足を片手剣で数回斬りつけた。ブシュ、と嫌な音が聞こえて、化物が少し呻く。

イースは更に数歩距離を置き、大袈裟に手を振って化物を挑発した。恐らく化物の意識をマロから遠ざける為だろう。

——にも関わらず。

化物はイースのことは気にも止めず、ぐるりとマロの方を向いた。

 

「な、な、んで、また私——ヒッ」

 

赤い両目の視線に絡め取られ、マロの足は竦んだ。

もう指一本動かせない。

化物は四角い、ゴツゴツした頭から煙のようなものを出して地面を二度踏みならし、そして——吼えた。

爆音が耳を劈く。

鼓膜を直接叩かれたかのような衝撃に意識が飛びそうになる。

マロは立っていることができずにその場に蹲った。

それをいち早く動き出したイースが抱えてその場を離れる。

なんとか南方——都行きの扉の前までたどり着いたものの、重い扉が固く閉ざされているので逃げ場はない。

イースが悔しそうに舌打ちをして、マロは扉にもたれてへたり込んだ。

咆哮を終えた化物は再びマロとイースに照準を合わせ、ついにマロは死を覚悟したのだが——化物は向かってこなかった。

 

「——何や、どないしたんや?」

 

「さ、さあ?」

 

「何はともあれ——好機ではあるか」

 

イースはそういうと、マロのそばを離れて扉の脇のハンドルを回しに行った。

その瞬間である。

マロとイースが離れた途端、化物は再びマロへと照準を合わせて、身を屈めた。

 

「あ、嫌…」

「っ…!またかいな——」

 

気づいたイースが慌てて駈けもどると、化物は再び構えを解き、むしろまるで怯えるようなそぶりで二人から後ずさった。

 

「こいつ…もしかして、わてを避けとる?」

 

イースは不思議そうに呟いた。

 

「とりあえず…落ち着けましたね」

 

「うん。何で避けるのかまでわかれば更にええんやけど…」

 

そう言って、イースは頰に付着した泥を緑のマントで拭った。

その僅かな動きに反応して化物がさらに後退する。

それを見た時、何かが——マロの頭に引っかかった。

このマント。

イース用にマロがくすねてきた、巡邏隊の隊士用のマントである。

緑は巡邏隊の一種シンボルカラー的な存在であるらしく、アルマを連行した馬車の幌なども緑色をしていたように思う。

それ自体は特別でも何でもないのだが——或いは。

 

「イースさん!」

 

マロが急に大きな声を出したので、イースは少し驚いた様子だった。

 

「な、何やねん急に」

 

「アルマさんを乗せた馬車も——ここを通っていったのですよね?」

 

「そりゃあ、トンネル入ってからこっちまで分かれ道なんてあれへんかったし——」

 

「化物のいるこの部屋を通って行ったんですよね?」

 

するとイースはああ——と手を打った。

 

「——成る程確かに…変やな。人が二人通るだけでも苦労するのに馬車一台なんて——どうやって通ったんや」

 

きっと条件があるのだ。今のイースや、あの馬車にはあって、マロにないもの。

 

「その、ひょっとしてですけど、”緑”なんじゃないでしょうか?或いは色ではないかもしれないとしても——巡邏隊のマントや幌を纏っているモノには、攻撃できないのでは? 」

 

イースが目を丸く見開き、笑った。

 

「成る程…それ、おもろいな。アホかって思わんでもないけど」

 

「馬鹿なこと言ってるのは分かってますけど——やってみるだけやってみませんか」

 

どちらにせよ、もう打つ手がない。

イースと共に扉のハンドルを放して閉まる前に滑り込むのは、動き慣れていないマロにはリスクが高い。

かといってマロだけが扉の前で待っていれば——このボルボロスとか言う化物に轢き殺されてしまう。

 

「せやね、なら早速…検証してみよか」

 

イースはそう言うとマントを脱いでマロに渡し、いつも通りの毒々しい色になった。

その状態で少しずつマロから距離を取る。

 

すると——土砂竜は、今度はイースの方へ照準を定めた。

 

「あっあー。これはビンゴ、かもしれんね。お手柄やでマロちゃん」

 

フードを被った紫色の男は同じように悪趣味な色をした片手剣を抜くとマロの方を少し見て、

 

「ほな、あとはわての役目や。安全圏からのんびり見とき。多分そんなにかからへん」

 

それだけ言って走り出した。

 

そこから先は、本当にイースの言葉通りだった。

豪快で強烈なボルボロスの攻撃を、イースは正確に、効率的に捌いていく。

一つ躱すごとに攻撃の苛烈さは増していくのに、やはりそれがイースに当たることはない。そして滑稽なまでに大ぶりな攻撃の代償は、足を切り刻む無数の斬撃である。

化物は数度痛みを刻まれるたびに情けない呻き声を上げ、仰け反った。そしてその度に、体から剥がれた泥が地面に落ちた。

剣に含まれていると言っていた毒のせいか、傷から出た血が止まることはなく、しばらくするとボルボロスの動きは格段に鈍くなった。

やがて体中の泥を剥がされて赤茶けた甲殻が剥き出しになったボルボロスは、泥の中に寝転がり数度転がり——そしてもう、起き上がらなかった。

おそらく時間にして20分もかかっていないだろう。

マロは一部始終、瞬き一つせずに見ていた。

そして静かに感動していた。

 

あんなに怖くて大きな化物が、まるで赤子だ。

 

イースは決して、アクロバティックな動きをしたわけでも、超人的な膂力を発揮したわけでもない。

ただ見て、身体を少しずらして避けて、追いかけて、そして剣を振っただけである。

同じ事の繰り返し——動きだけならマロにも出来そうなほど簡単で単純なのに、物凄く効果的だ。

きっと同じ動きができるだけでは、同じことが出来ることにはならないのだ。

適切な状況で、適切な行動を取る——それが狩人としての技術なのだろう。

私には出来そうもありません——そう言おうとして、やめた。当たり前のことを言っていることに気づいたからだ。

 

——何考えてるんだろ、私。

 

 

見れば、イースはボルボロスの死骸に近寄ってそれを観察していた。

酷い有様であった。足中にイースのつけた生々しい切り傷がある。新しい傷は流れ出る新鮮な赤色で良く目立つ。

しかしよく見れば、ボルボロスは足以外にも沢山の古傷を抱えていた。同じように迷い込んだ"部外者"達によるものだろうか。

死骸の目はどこを見るわけでもなく、暗い部屋の闇をそのまま映していた。

 

「コイツがわざわざ自分の意思でここに来たとは考えられへん。マロちゃんの説みたいに調教されてたんやとしたら——」

 

「それはなんだか——嫌な話です」

 

少なくとも、気分の良くなる話ではない。

 

「そう、やね」

 

イースはそう言って手を合わせた。

マロにはそのポーズの意味は分からなかったが、なんとなくそうした方が良い気がして、真似をした。

しばしの間、円形の部屋が水を打ったように静かになった。

 

「さて、と」

 

沈黙を破るように、イースは明るく手を打った。

 

「まあこれで多少楽になったやろ。大体お前、獣竜種として地面を掘るいう発想はなかったんか。アホやったんかな?」

 

アホやから死ぬんやで——とイースは言った。

 

「人間もそうや。マロちゃんも賢く生き」

 

イースがハンドルに手をかけると、南向きの扉がゆっくりと開いた。

入った時と同じようにマロ、イースの順で外へ出ると部屋の外はやはり一本道のトンネルで、二人は迷いなく歩き出した。

 

「ここを行けば、都に」

 

「多分やけどね。ここが山の真ん中あたりだとしたら、着くのは明日の昼あたりやろうね」

 

だらだらと雑談を交わしながら長い一本道を行くこと数時間——二人の視線の先に、白い光の点が現れた。

出口である。

光の点はどんどん大きくなり、それに連れて二人も足早になる。

 

そして。

トンネルを抜けたマロの目に飛び込んできたのは、周囲を囲む山の緑と、眼下に広がる赤屋根の街並み——生まれて初めて見る首都ビザヌテの景色であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第12話 再会

「では皆様、狩人エルモにもう一度大きな拍手を!」

 

煽るようなアナウンスに伴って歓声が聞こえた。

中にはチビだの貴族の犬だのというようなヤジも混じっているが、歓声にもヤジにも、どちらにせよ大した意味はない。

"エルモ"というのは闘技場におけるアルマの偽名である。

もし大闘技大会に出ればアヤ国全土に名が知れる。ソロムで不用意に三日間も他人と関わったことを考えると、秘密裏に匿っている親王側としては都合が悪いということで、エルフェドールが母音だけ変えたのだ。

 

本名ですらないコールを無視して、アルマは今しがた倒した、青い熊のような中型モンスターに背を向けた。

アルマは不機嫌であった。

 

——運がねえ。

 

絶好機を逃すというのは、絶好機が来ないこと以上にフラストレーションの溜まるものだ。

まだ来ぬ絶好機が来るのは明日来るかもしれない。明後日かもしれない。

だがそれを逃すと次に来るのは——大分先に思えてしまう。

 

実際今日の闘技場での狩りを国王が観戦に来るというのは、アルマにとって絶好の機会であったのだ。

大闘技大会に出場して優勝すれば国から褒美が下賜されるそうだ。喉から手が出るほど欲しい、島の外へ出る船が手に入るかもしれなかった。

しかし今日、国王は来ていない。

青白い顔を更に青くして亡霊ようになったエルフェドールから今朝伝えられたところによれば、別に気分ですっぽかしたというわけではないらしい。

原因は昨日闘技場脇の通りで起きた殺人事件で、安全を優先させるために観戦は中止になったそうだ。

 

「国王様は何がなんでもいらっしゃろうとしていたらしいのだがな、流石に周囲の家臣達が止めたそうだ」

 

とエルフェドールは言っていた。

妥当な判断だとは思うが、アルマにとっては都合が悪い。

否、やはり恨むべきは国王でもその家臣達でもなく、このタイミングで起きた殺人の方なのだ。

あまりにも間が悪い。

 

ただ、国王が来てさえすれば何も問題はなかったのかと言えば、そうでもない。

そもそも大闘技大会にはペアで登録しなければいけないのに、アルマには相手がいないのだ。

ルスキアには結局断られてしまったし、もう他に候補はいない。

昨日は諦めかけたがもう一度くらい粘ってみるかと、今朝話しかけようと思ったのだが——どういうわけか昨日の深夜、事件現場を見て以降塞いでいる様子だ。

人が死んでいるのだから無理もないのかもしれないが、あの勝手気ままで猫のような女が赤の他人の死体を見たからといって落ち込むような繊細さを持っているというのも意外である。

勿論アルマも驚いたし、良い気分ではなかったが——朝になればもう昨日の事として処理することができる程度だったのに。

兎に角、そういうわけでルスキアをもう一度説得することもままならないのである。

 

八方塞がり——だから不機嫌なのだ。

そもそも旅に出てから此方、ロクな目に会っていない。よもや世界は自分に不利なように動いているのではあるまいなとアルマにしては珍しくささくれた気持ちで帰ろうとしていると、闘技場のゲート付近で客席からおうい、と声を掛けられた。

緑のマント——巡邏隊の男である。仮面をつけているが金刺繍が入っていないので、エルフェドールではない。

アルマのことを知っているのは巡邏隊ではエルフェドールと他数人の親王配下の者だけなので、アルマの警戒心が少し上がった。

が、すぐにそれは杞憂であったと判明した。

 

「一週間で大型5体討伐を成し遂げた謎の狩人エルモ。その骨づくしの装備と異常にタフな肉体の骨密度の関係性とは——中々興味深い書き出しやね」

 

男はそう言って仮面を外すと、持っている新聞紙をヒラヒラさせた。

そのくすけた黒髪には見覚えがある。

 

「イース!何してんだ?」

 

「何してんだって、アルマの狩りを見てたに決まってるやろ。にしても、何かあれやな。知り合いの顔見ると安心するわ」

 

「同感だ。お前、やっぱり逃げおおせてたか」

 

イースはヘラヘラと笑って頷いた。

 

「なんとか。たまたま風呂を早く上がったのが幸いしたわ」

 

「たまたま、ねぇ。窓から見えてたから早く上がって逃げたんじゃねえのか?」

 

すると笑っていた男はほんの少しムッとした顔になった。

 

「なんやねん疑り深い。この心細い島で数少ない知り合いを置いて逃げたりせえへんっちゅうねん。変な集団が村に入ってきたから身を隠して、ほんで機を見て呼びに行こうとしたらお前がもう捕まってただけや」

 

イースはそう言うが、真偽の程は不明である。この男なら自分一人の方が逃げやすいと判断して勝手にトンズラをこいたのだとしても不思議ではない。

とはいえ、お互い無事に再会できたのは僥倖と言うほかない。

 

「大活躍やね。骨装備は辞めたん?似合ってるで」

 

イースが見ているのは昨日の朝刊である。そこには、ボーンSシリーズに骨塊を携えた酷く小柄な男——少し特徴を強調し過ぎだと思った——が、イャンクックと対峙しているイラストが描かれている。

 

「それ、昨日の記事じゃねぇか。いつからこっち来てた——と」

 

銅鑼が鳴った。もう次の出場者が来る頃である。

 

「あとで部屋に来いよ。受付で言えば通してくれるはずだ」

 

「まるで囚人やな」

 

「囚人だよ。本来お前もこっち側な」

 

言わないでおいてやるけど——と言うと、イースは有難や有難やと言って両手を擦り合わせた。

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

「ほんでな、南の森からごっつでかいトンネル抜けて、そこから見えるほら、あそこの山——遠いし木で隠れてて見えへんけど、そこの穴から出て来たのが5日前で、それから——」

 

「待て待て待て」

 

案内された部屋に着くなりイースが話し始めたのを、ベッドの上に座っていたアルマが止めた。

 

「何や、人が話してんのに」

 

「その前に説明すべきことがあるだろうよ——」

 

「説明すべきこと?」

 

「そっちのことだよ。そっち」

 

アルマはそう言ってこちらを見た。なんだか怒られているように感じて、マロは少し体を小さくする。

 

ああ——とイースはいつもの通りの調子で言った。

 

「分からへん?髪切った方が動きやすい言うから切ってあげたんやけど——前は随分長かったからなぁ。マロちゃんやで、マロちゃん。ほら、ソロムでお世話になったやろ」

 

この恩知らず——とイースは言った。だが、恐らくアルマが聞きたいのはそう言うことではないのだろう。

案の定アルマは覚えてるよと言って額に青筋を立てた。

 

「あのな、俺はまだ二十歳だからボケは進行してねえんだよこのボケ。俺が聞いてんのはそのソロムで世話になったマロがなんで都に来てるんだって話だ」

 

「ソロムかてこの国の領土やで?国民が都に物見遊山に来ることの何があかんねん」

 

「子供が物見遊山ってことなら保護者が同伴してるべきだぜ。イースお前——勝手に連れ出しやがったな」

 

イースは黙って天井の方を見上げた。その様子を見たアルマが声を荒らげる。

 

「何考えてんだよ!?俺たち二人共流れ者の部外者だぞ?こんな子供を——」

 

ヒートアップするアルマの前に、マロは割って入った。

 

「待ってください!私が頼んだんです。私が、島の外に行きたいと——無理にお願いしたんです」

 

マロの言葉に、アルマが驚いたような表情をうかべる。

 

「外——ってマロ、お前」

 

「前からなぁんとなく勘付いてたんやって。わてらが来た時も本当は漂流者って分かってたけど黙っててくれたんや」

 

「そう、なのか?…なんで?海岸で助けたからか?」

 

マロは首を横に振った。

 

「勿論恩義には感じてますけど、そうじゃないんです。お二人は——島の外に行きたかった私にとって唯一の手がかりだったんです。殺されたり、連行されたりするわけにはいかなかった。最初からお二人が外に帰る目処が立ったら無理矢理にでも同行しようと思ってました。私、嫌な——子供だ。ごめんなさい」

 

別にそれはいいけどよ——と、アルマは困ったような顔をした。

マロを同行させることにかなり抵抗があるらしい。大人扱いする代わりに基本的には自己責任、と言っていたイースとは対照的だ。

 

「いや、だめだ。やっぱり帰れ」

 

「そんな」

 

「だいたい、俺たちに着いてきたところでここから出られるかは分からないんだぞ?本当はちょっと希望があったんだが、今日でパァになった」

 

待ってください、とマロは必死に縋り付いた。

 

「私、もう戻りたくないです!そりゃあここに来るまでに何回も怖い目にあいました。夜通し休みなしで歩かされたり、よくわからない大きな怖い生き物に襲われたり、昨日なんて生まれて初めて人の死体を見て、震えが止まらなかったけど——それでも、もう戻れません。間違ってると分かってる事を信じ続けて、いつか本当の事を忘れてしまうような、あんな欺瞞に満ちた生活は——嫌なんです」

 

周りが信じているものを、自分だけは信じられない。

周りの常識が自分にとっての非常識である。

それはマロにとって酷くもどかしく、そして寂しい経験だった。

例え愛されていても、安全であっても、疑いを持って斜めに見れば瓦解する常識、その常識の上に成立している生活はなにもかもが色あせて見えた。

湿気たクラッカーを焼きたてのクッキーだと無理に思い込みながら食べさせられているみたいだったし、おまけにその味気無さを誰かに愚痴ることもできなかった。

マロは、今までの生活に戻るくらいなら、島の外へ出る目処が立たなくてもこの島の枠から外れている二人といた方がずっとマシだと思っている。

ボルボロスに襲われたり、殺人事件の現場に遭遇したりしたにも関わらず、である。

 

そう言うと、アルマは物凄く苦い顔になって顔を窓の外へ向けた。

 

「自分でそこまで考えてるってんならわざわざ送り返したりはしないっつうかできないけど——俺は反対だからな。気は使わねえぞ」

 

とりあえず、強制送還と言う事にはないならなさそうだ。マロは心底嬉しがった。

 

「もちろんです!有難うございます!」

 

ところでアルマ——と、すっかりおとなしくなって様子を見ていたイースが言った。

 

「その、今日パァになった希望いうのは——なんの話なん?」

 

「ああ、実はな——」

 

アルマはそう言うと、捕まってから今に至るまでの経緯を話してくれた。

ウルバヌ(アルマは名前を知らなかったようだ)親王のハンターとして大闘技大会に出場することになったこと、優勝すれば国から褒美が貰える上に親王自体と交わした契約も履行されること、それなのにペアがいないこと——そこまで聞いてイースは首をひねった。

 

「島の外へ出る手段…なんて、どうやって提供するつもりなんやろうなぁ?外がない事になってるのに船なんて持ってるん?」

 

「さあな?湖とかはあるんじゃねえの?あんまり変わんねえだろ」

 

「湖ちょっと移動するためだけに作った船で、航海きちんとできんのかなぁ。また海難事故に遭うのは嫌や」

 

それは壮絶な体験だったのだろう——と、マロは初めて会ったときの二人の姿を思い出した。

 

「そりゃあそうだけどよ。まあ船についてはどうしようもねえだろ。今から作る訳にもいかないしよ」

 

アルマがそう言ったのに対して、イースが渋々頷く。

 

「ま、それは置いといて——あとは問題はどうやって出場するかやな。ペア、わてがやったらあかんの?」

 

するとアルマはううん、と複雑な顔をした。

 

「実はなぁ、あとは国王のお気に入り枠しか残ってないらしいんだよ。俺も一週間前からやってて最近話題になったけど、やっと国王に耳に届いたばかりなんだと。ペアのお前までこれからとなると——」

 

「厳しいんですか?」

 

「ああ、大会当日まで国王は顔出さない事になったらしいし、これ以上アピールの仕様がない。せめて元から知名度の高い奴とペアを組んで立候補すれば、国王の目にも留まる可能性はあるけど、その唯一の候補は——」

 

「良いわよ」

 

アルマの言葉を遮るように、女性の声がした。

部屋の入り口からである。振り返るとドアの近くに若い女性が一人立っていた。

肩までで切り揃えられたダークブロンドの髪。

猫のように大きな、緑色の目。

野生的な、しなやかな美しさのある人だと思った。

ルスキア、とアルマが驚いたような声を上げた。それがこの女性の名前なのだろうか。

 

「戻ってたのか。それで——なんて?」

 

すると女性は何故かマロの方をちらと見てから、大会、と言った。

 

「ペア組んでも良いわよって言ったの」

 

アルマが首を傾げる。

 

「そりゃまた——昨日と随分言ってることが違うな。どういう風の吹き回しだ?」

 

す——と、女性の目が細くなった。

それを見てアルマが両手をあげる。

 

「詮索するなってか、悪かったよ。気まぐれって事にしておくが——当日も気まぐれでサボるとか、辞めてくれよ?」

 

「さあ、どうかしら」

 

女性にそう言われて、アルマは肩を竦めた。どうにも——アルマにとっては分が悪いらしい。

女性はこちらに向けて、あんた達——と、呼びかけた。

イースがハイハイ、と応答する。

 

「泊まってる宿、どこ?」

そう問う女性にマロが宿の名前を言うと、女性は暫く考え込んでから紙を取り出し、その上にペンを走らせた。

はい、とマロにメモが渡される。

 

「ここ、オーナーがウルバヌ親王の部下と仲良いの。私の名前出したら泊めてくれるわ」

 

「あ——ありがとうございます」

 

「あとそこの」

 

女性がイースに呼びかけた。

 

「わて?」

 

「昨日の事件で巡邏隊が都に集まってきてる。その巡邏隊の装備、逆に危ないから辞めときなさい」

 

「ああ、そやね——おおきに」

 

女性は肩を竦めてマロとイースの側を通り過ぎると、ぴょん、と跳躍して天井の梁にぶら下がった。

そしてくるりと回転して梁の上に登り——そのまま毛布を被って寝てしまった。

 

「えらい身軽やなあ。なんやアルマ、別嬪さんやないか」

 

「うるせえ。なんなら代わるか?」

 

堪忍堪忍——とイースは笑った。

 

「わては別の脱出方法探してみるけど、大会は応援しに行くから頑張ってや。今のところそれが一番可能性高そうやし。ほな、ぼちぼち行こか——マロちゃん」

 

「は、はい」

 

梁の上を見ながらすっかり惚けてしまっていたらしい。

慌ててアルマに会釈をして部屋を出る。

 

あの女性、どこかで見たことがある——気がする。

 

新しい宿に着いた後も、ルスキアという女性の顔はマロの脳裏にひっついて離れなかった。

 

それから5日後——大闘技大会のチラシが、マロとイースの泊まっている宿にも回ってきた。

チラシの出場者一覧には、ソロムの狩人屋敷にいた頃も何度か耳にしたことのあるような、高名のハンター達に紛れて——アルマの偽名とルスキアの名が記載されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第13話 祭宴、幕開け

くああぁ、と大きく伸びをしてアルマは布団から起き上がった。

鉄格子のはめられた窓から見えるのは、透き通る蒼い空に碧く霞む山々、そして朱をさす町の屋根。

いつもと違うのは、街中に施された賑やかな装飾だ。今日から始まる大闘技大会に来る客をもてなすためだろう。

実際、既に街中は人でごった返している。

天気は快晴、狩猟日和である。

部屋の天井の梁を見上げれば、毛布の隙間から僅かにダークブロンドが覗いた。

今日で初めての共闘となる相方も、昨日は夜更かしせずにちゃんと睡眠をとったようだ。

 

アルマはインナーの上につい最近新調した装備——アロイSに似ている鉱石製の物——を着込み、一階にある食堂へと降りていった。

バイキング形式の食堂ではいつも通りハンター達が数人朝食を摂っていた。皆何処か浮ついた、期待とも不安とも取れるような空気に包まれている。いつもに比べるとどうも落ち着きがない。

アルマはそんな初々しいハンター達を尻目に、自分は余裕綽々といつも通りの食事を皿に採る。

牛乳、ベーコン、スクランブルエッグにトースト、牛乳、バナナ——誤って牛乳を二本取ってしまった。

どうやらアルマも平常運転とまではいかないようである。

 

もどさないようにゆっくりと食事を終えたアルマが部屋に戻ると、ルスキアはまだ寝ていた。

開会は午前中に行われる。アルマはそろそろ起きないとまずい頃合いだろうと思って声をかけた。

 

「起きろルスキア、いつまで寝てんだ」

 

返事はない。

アルマはため息をついて部屋の隅の青いアイテムBOXから石ころを取り出すと、梁の上めがけて放り投げた。

天井スレスレまで上昇した石は、放物線を描いて梁の上に載っている毛布に包まれた塊に当たる。

もぞもぞと塊が動き、毛布の中からルスキアが顔を出した。

起き上がったルスキアは目を細めてアルマを見ると、痛いじゃないと言った。

 

「女の子を起こす方法じゃないわ」

 

「お前がそんなところで寝るからだ。ベッドの上に立っても届かねえんだよ」

 

「他の人は届いてた」

 

そう言って心底不思議そうに首を傾げる。

 

「…なんで届かないの?」

 

「小せえからだよ、悪かったな!——いいから降りて飯食ってこい。試合だぞ、今日」

 

知ってる——とルスキアは言って、フラフラと部屋から出て行った。

 

「はあああぁ可愛げねええぇ。ったく、大丈夫か?あいつ——」

 

不安は募るがもう後に退く道はない。

アルマはよし——、と言って自らの頰を打った。

肌が張り詰めて、気合が入る。

 

——覚悟は決まった。目標も見えてる。あとはその場で対応していくだけだ。

 

 

 

開会を告げるアナウンスが流れたのは、それから大体一時間経った頃だった。

アルマが戻ってきたルスキアと共に廊下へ出ると、窓から既に大量の観客が押し寄せているのが見えた。これではイース達を探しても見つかりそうにない。

 

控え室入ると既に出場者が集まっており、そこにはボーディとアーガイルの姿もあった。

アルマの姿を確認すると、二人は親しげにずんずんと近くに寄ってきた。

 

「ようアルマ!お前も出れたんだなァ!」

 

相変わらず声がでかい。

 

「お互い出場できて何よりですが…よく応じましたねぇ、ソロの大会にしか出ない貴女が。クク、ヒヒヒ」

 

アーガイルはニヤニヤと笑ってルスキアを見た。

ボーディが近寄ってきてアルマに耳打ちをする。

 

「へへへ、アーガイルは去年のコレで断られてんだ。お前一体どうやって口説いたんだよアルマ」

 

アーガイルは顔をしかめた。

 

「そこ、聞こえていますよボーディ!でも本当に意外ですねぇ。アルマ、何かあったのですか?」

 

そう言われても、アルマは肩をすくめるしかない。

 

「知らねえよ。気が変わったんだと。お前も去年粘ってれば多分行けたぜ」

 

「おや、それは不思議ですねぇ。私の去年の粘り気といえばシキ國に伝わると言う北辰納豆流のネバネバ剣法を超える執着心だったと言うのに」

 

そう言ってアーガイルはまたヒヒヒと笑った。

瘦せぎすで猫背の鷲鼻男が言うと犯罪臭すら漂う台詞である。

アルマは若干退き気味になった。

 

「そこまで粘着されたら俺でも断るぜ。そもそもナットウって何なんだよ」

 

「ほら見ろ、去年の俺と同じこと言ってら!」

アルマの言葉にボーディが同調する。

するとアーガイルは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

 

「君はいつも執着と用心に欠けるのですよ。そんなだからゲリョスの死んだふりに毎度毎度馬鹿みたいに引っかかったり、狩猟寸前まで追い詰めたレウスを逃がしたりするのです。詰めが甘い」

 

「レ、レウスって、いつの話してんだよ。最近はそんなことないだろう」

 

「フィールドが闘技場になって相手の逃げ場がなくなっただけでしょう」

 

「今日は本当に盛況だな!」

 

軍配はアーガイルに上がったようで、ボーディが話題を逸らした。

実際、今日は物凄い数の客が来ている。

会場の様子は見えない控え室にも上の熱気と歓声が伝わってくる。

 

「マジで——いつもとは段違いだな」

 

「当然よォ!何しろ今回出てるのは業績トップクラスか国王イチ押し——モンスターも狩人も、普段ココでやってるのとはレベルが段違いなんだからなァ。そして全員が——テッペン狙ってやがる」

 

でも——と言ってボーディは背負っているゴーレムブレイドを叩いた。

 

「残念ながら、優勝するのはこの俺達だ」

 

「違いありません。まま、私がこの馬鹿を優勝まで連れて行きますので、お二人はお二人で二番手に着けるように頑張って下さいねェ」

 

ククク、ギャハハ、と二人が嗤う。

アルマはフンと鼻を鳴らした。

 

「ハッピーそうで何よりだ。うっかりよォー、俺が一位取っちまっても粘着するんじゃねえぞ」

 

「おうよ!その時は褒めてつかわすぜ。十中八九無理だがなァ——っと、そろそろ時間か」

 

部屋に入って来た係員が二人の名を呼んだ。

 

「では、お二人ともまた後で…ヒヒ」

 

「行ってくるぜぇー!」

 

二人はアルマに軽く手を挙げて、意気揚々と控え室から出て行った。

手持ち無沙汰になったアルマは何となくルスキアの方を見る。

すると、今まで気にしていなかった彼女の装備が目に留まった。

共闘が決まってからの数日間、フィールドに向かう彼女を見かけたが、そこで背負っていたのは闘技場から支給されているデュアルトマホークだった。

今日は違う。

一張羅、ということだろうか。否、それよりも——。

 

「——お前、ギルドナイトだったのか?」

 

ルスキアが背に差している双剣を、アルマは知っている。

細い、青と緑の短剣——オーダーレイピアだ。大陸のギルドで裏の仕事を請け負うギルドナイトは皆、これを所持している。

通常のハンターでもレプリカを作ることは可能だが、それにしてはよく使い込まれているような気がした。

 

「私は違うわ——これ、形見」

 

「あー、そうかい」

 

アルマはそれが父親のものか母親のものかと聞こうとして、やめた。

無粋な上に無意味な質問だ。

アルマは勝手に気まずくなって、武器から防具の方へ目を移した。

防具はいつも通りであった。橙と紫の装備はジャギィの素材を使ったものだと聞いている。

柔らかそうな革素材は、あまり防御力が高いようには見えないが、良いのだろうか。そういうと、ルスキアは一言、

 

「動きやすいから。嫌いなの、重い装備」

 

と言って、アルマのアロイ装備をちらと見た。

 

「それに、その新しい奴もあんまり性能高そうには見えない」

 

「まあ、仕方ないだろ。素材がないからな」

 

この国に来てからドボルベルク以外に強力なモンスターを見ていないし、当然狩ってもいない。

闘技場で飼われている大型は専らイャンクックやゲリョスなどの鳥竜種か、ババコンガなどの牙獣種だった。

青いクマなどアルマが初めて見るようなものも居たがどれもお世辞にも強力とは言えず、だからこそアルマは骨装備でやってこれたのである。

大会に向けてレザーとボーン以外の装備を新調した方がいいと思ったのだが、居ないものは狩れないし、素材も集められない。大陸の闘技場と違って狩ったモンスターの素材は一部入手できるのたが、特別装備が作りたくなるモンスターも居ない。結局選択の余地はあまり残されておらず、仕方なく市販のアロイを購入したのだ。

正直買わなくても良かったかなと感じているのが本音である。

 

「この国飛竜を全然見ねえからなあ。いないのか?」

 

少なくとも、アルマは一度も見ていない。とはいえ、空を飛ぶ飛竜が一切来ない場所などあるのだろうか。

ルスキア首を横に振った。

 

「ごく稀に山に来るらしい。でも、すぐに帰っていくって。山の上は——ドボルベルクの領域なの」

 

たしかにあの巨大な化物が巣食っているとなると、流石の飛竜も好き放題できないのかもしれない。

山神様々である。

良いことだな——と言うと、ルスキアは肩を竦めた。

 

「…そうね」

 

アルマは少なくともあのドボルベルクを狩ってしまわなくて良かったと思った。

肉食の飛竜が何匹も飛んでくるよりは、山をあの巨大草食生物に明け渡してしまう方がマシだろう。

 

それから一時間も経たないうちに係員が、今度はアルマ達を呼び出した。

 

「エルモ様、ルスキア様——速やかに入場してください」

 

扉の奥から歓声が聞こえた。

 

「行こう、ルスキア」

 

——絶対に、獲ってやる。

 

* * * * * * * * * * * * * * * *

 

「いんやー、楽しみやねぇ」

 

隣に座っている赤紫のトカゲのような生き物が言った。

ジャギィ、という小型の肉食鳥竜種である。

小型といっても成人男性程度には大きく、護衛も付けずに歩いている一般人を群れで襲って被害を出すことも多い。

それが隣に座って、マロに話しかけてくる。

闘技場の観客席である。建物でいうと2〜3階程度の高さで、フィールドの様子が良く見下ろせる。

フィールドを挟んで向かい側かつ一段上にはVIP席があり、そこには沢山の巡邏隊に囲まれて、国王を含めた王族、貴族が座っていた。

 

「実に楽しみ」

 

ジャギィはもう一度言って、箱の中のポップコーンを鷲掴みにすると、それを牙の生え揃った顎の中に突っ込んでムシャムシャと頬張った。容器にはアヌトニネ高原産トウモロコシ100%と記されている。

しきりに楽しみ楽しみと言っているが、ジャギィ——もといイースが実際にどのような表情でいるのかは不明である。

となりに座っているこの男、れっきとした人間なのだが——今日はジャギィの頭部を模した何かを被っているのだ。ジャギィフェイクと言うらしい。

横から見ると人間の装束に身を包んだジャギィにしか見えないので、本人の表情はわからないのである。

とはいえ、赤紫の鳥竜がバリバリとポップコーンを貪っている様は相当に楽しそうに見える。フェイクの口角が上がっているからかもしれない。

 

都に巡邏隊が集まってきている中で、多少ほとぼりは冷めきているとはいえ依然としてお尋ね者であるイースが顔を隠すために用意したのがコレである。

 

「…もう少し目立たないようにできなかったんですか?」

 

人間の中に小型竜が紛れ込んでいる時点で死ぬほど目立つ上に、実を言うと正面から見ればジャギィの口の中から隠すべき顔が覗いてしまっている。

 

「逆効果な気がしますけど」

 

マロが周囲を気にしながら言うと、イースはチッチッチと人差し指を振った。

 

「甘いでぇマロちゃん。甘い甘い。このポップコーンより甘い」

 

ちなみにキャラメル味——と言った。

どうでも良い。

 

「このフェイクの良いところは〜、顔がちょっと出てるとこ〜」

 

「…出ていると何が良いんです?」

 

「装備を外して顔を見せてくださいって言われへん」

 

「そりゃあ、見えてるんだから当たり前でしょう」

 

外しているのと変わりないではないか。

 

「そう?でも髪とか顔の輪郭は隠れるし、影の位置も変わる。これをしてるだけで——少なくとも人相書きとはかけ離れるやろ」

 

マロは数日前の新聞で逃走中と書かれていた、イースの似顔絵を思い出した。それは本人にはそれなりに似ていたのだが——たしかに、ジャギィフェイクの口の中から覗いているだけの顔でピンと来るかと言われると、かなり難しいかもしれない。

とはいえ、それだけならこの奇怪な被り物以外にも候補は幾らでもある。

そう指摘すると美味しそうに指を舐めて聞こえないフリをしてきたので、大方着けてみたかっただけなのだろうとマロはそう思うことにした。

 

入り口で配られたプログラムに目を落とす。

プログラムによると大会は1日目、2日目の予選、1日空いて準決勝、さらに2日空いて決勝、そしてその後にボーナスステージという流れになっている。

ハンターは優勝した時点で自身とその所属先に対する報酬金と同時にボーナスステージへの挑戦権、そしてそのクリア報酬の指定権を得るらしい。

そしてボーナスステージを見事クリアすればあらかじめ指定した報酬を手にできる、というわけである。

 

「アルマさんが狙ってるのはこのボーナスステージの任意報酬ですよね?何故こんなステージが?」

 

「うーん、叶えられへん要求がくるリスクを避けるためちゃう?」

 

「叶えられない?…ボーナスステージにすることでどうしてそれが解決するんです?」

 

イースはジャギィフェイクの下顎をさすった。

 

「まず——ほんまに何にも与えたくないんやったら最初から報酬なしにするか、あるいは誰もクリアでけへんような課題を出せばええんやけど、それやと盛り上がらへんし誰も志願せえへん。だから優勝者は必ず出さなあかんし、報酬金も支払わなあかん」

 

ここまではええ?とジャギィの顔は言った。マロは頷く。

 

「さらに、報酬金だけやったらいつもと変わりばえせえへんし、やっぱり魅力に欠ける。そこで何でも好きなもん頼んでええよっていう風にした。とりあえずこう言っとけば腕に自信ある奴は食いつくし、観衆も興味を持つ」

 

実際、大会は大盛況である。椅子は満席、立ち見スペースは見ただけで胸がムカムカするほどの人口密度だ。

 

「でも、ほんまに何でも叶えられるわけやない。一島国をこれほど強く支配できてるんやったら大抵は叶えられるやろうけど、例えば王位譲ってくれとか、あるいは憎たらしいから死んでくださいとか、まあ滅茶苦茶な要求だってあり得る。だからもしそういう要求が来た時の予防線としてボーナスステージがあるんやろな。2日目夜に要求を指定させるのはそのためや」

 

「成る程、つまり——要求が無茶苦茶過ぎるとボーナスステージの課題がほぼクリア不可能な物になると?」

 

「そう、そゆこと」

 

用心深いということなのだろうが、なんだかケチ臭いと思う。

叶えられないなら最初からこういうのは勘弁してくださいと書いておけば良いのに。

 

「国の威信いうのもあるからねぇ——ところで、今プログラムのどの辺や?」

 

ジャギィの頭がぬう、とマロの手元を覗き込んだ。マロは少し仰け反ってその頭を抑えつつ、今まで出てきたペアの数を数え上げる。

 

「4組目、ですから、順番的には今出ているのが多分——ボーディ選手とアーガイル選手、でしょうか?獲物はアオアシラ、であってます?」

 

合うてるよ——とイースが言った。

フィールドでは小太りの大剣使いと猫背のランス使いが、二本足で立つ大きな熊のようなモンスターと戦っている。

マロには実力の判別はつかないが、時おり観衆からどよめきが漏れるのを踏まえるとやはり腕は良いらしい。

 

「なら、今日の前半の部は次のアルマさん達で最後ですね——大丈夫でしょうか」

 

予選では各々の課題ごとにせいげん時間が設定されており、それと討伐時間との比較で順位を決める、とある。準決勝については記載されておらず、予選が終わった段階で説明があるようだが——果たしてそこまで残れるのだろうか。出場している20組の内、残れるのはたったの4組しかない。

さあ——とイースはポップコーンの箱に手を突っ込んだ。

 

「この島、そもそもとして大型少ないからやろか。今のところ目を引くのは今出てる二人くらいやねぇ。まあ、アルマなら相方のあの()がどうでも予選は絶対通ると思うけど——お、佳境やな」

 

一際大きな歓声が聞こえた。

小太りの男が振り下ろしたマロの背丈くらいある大剣が、熊の顔面を叩き斬ったのだ。

血飛沫をあげながら後退した獲物を、後ろから背の曲がったのランサーがつついた。

不意を打たれた獲物がバランスを崩して地べたに転がり、そこに二人の狩人が猛然と追い討ちをかける。

ランスで傷口を何度も突かれる度に熊は悲愴な声をあげてのたうち回った。

情けないほどにか弱く足掻く熊の脇では、大剣使いが剣を振り上げたままじっとしている。止まっているのではなく——溜めているのだ。弓のように反った上半身からキリキリと音が聞こえてくるような気がした。

そしてやっと態勢を立て直して起き上がった熊が、四足歩行に移行しようと頭を垂れた瞬間——狩人の体が跳ね上がり、まるで断頭台で処刑するかのように獲物の首元に大剣が振り下ろされた。

ばつり、とかグシャリとか、斬ったような音と潰したような音とが混ざり合った厭な音がして、熊の化物は地面に叩き伏せられる。

振り下ろされたのと同時に息絶えたのか、それは一切の痙攣もなくただ倒れ伏していた。

もう二度と動かないだろう。実況が大げさに狩りの終わりを告げた。

 

歓声が二人の狩人を見送って——少ししてから、ゲートをくぐってまた二人、狩人が姿を現した。

背の低い鎧姿のアルマと、赤紫の皮の装備に身を包んだルスキアである。

二人が入ってきた途端——俄かに場内がざわめいた。

 

——どうしたのだろうか?

 

マロは周囲を見回して、人々の会話に耳を澄ませる。

 

「おいあれ、女じゃないか?」

 

「本当だ、何で女がこんな所に」

 

「何かの間違いじゃねえのか?ここに来れるのは一流のハンターだけって話だぜ」

 

 

「でもこのペア、国王推薦組だよ?さっきの二人と同じで相当に強いんじゃ…」

 

「バカ言え、推薦組だからこそ、実力はピンキリだろ」

 

 

ざわざわと耳障りな言葉を交わす無節操な観客達。

微かだったざわめきはやがて大きかなり、フィールドに向けた野次を含むようになる。

 

「帰れ!女の来る所じゃねえぞ!」

 

マロ達の前方からガラガラ声で一際目立つ野次が飛んだ。

見れば何やら重そうな鎧に身を包んだハンターが、フェンスに張り付くような体勢で怒鳴っている。

声と体格からして40過ぎだろうか。

男の剣幕に気圧されたのか、周囲の観客は少し距離を置いて見ている。

——女の来る所ではない、か。

まあ確かにこの男の言う通り——マロにとっても狩りは男性の仕事であるというイメージはそれなりに強い。

マロが働いていたソロムの狩人屋敷に登録されているハンターには、女性のハンターなど一人も居なかったと思う。

だからルスキアの姿を見てざわめきが漏れるのは理解できなくもないのだが——それにしても、40過ぎの大人が取るべき態度ではないだろう。

——いや、逆なのか。

マロは、他の野次も多くは中年の男性ハンター達によるものであることに気づき、漸く何となく察しがついた。

 

——悔しいのだ。年下の、珍しい女性ハンターが、自分達に出場権の与えられなかった大会に出ているのが。

 

一部から飛ぶ野次に感化されて、会場の雰囲気が刺々しくなっていく。

周囲に適応しようとする人間の習性が仕事をしたのか、終いにはブーイングが会場を包んだ。

先程までとは打って変わって嫌な盛り上がり方になって実況アナウンサーも戸惑いを隠せないらしく、あの、とか皆さん、とか切れ切れの無意味な言葉がパイプから聞こえてくる。

 

「お前みたいな小娘が推薦されることなど有り得ない。どうせあそこで座ってる王族どもに身体でも売ったんだろう!この——」

 

最初の男があまりにも不快で、無根拠で、唾棄すべき暴言を飛ばそうとした瞬間——。

 

(やかま)しいぞお前らッ!!」

 

ガシャアアン、とフェンスが物凄い音を立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第14話 繚乱する野良猫

観客達が驚いたような様子でこちらを見ている。

アルマがフェンスにハンマーを叩きつけたからだ。

キレてフェンスを叩いて音を出す——など、まるで子供じみている。

わかってはいるのだが、なんだか無性に腹が立ったのだ。

女性ハンターに対する偏見、というのはこんな島じゃなくても、何処でも目に、耳にするものだ。

そしてそうしたことを言う者は大概、自分の主張が根拠薄弱であることを認識している。それでも何か絶対に認めたくない不都合があって、にっちもさっちも行かなくなった末に性差などというものに飛びついてしまうのだとアルマは認識している。

だから、普段アルマは性差別主義者に食ってかかったりはしない。どうでもいいし、意味がないからだ。そんな風に考えざるを得ないその境遇を哀れむだけである。

ただ、今回は何故か——我慢出来なかった。

単純に狩りの邪魔だったからか、狩猟の前で気が立っていたからか、あるいは——視界の端で表情一つ変えないルスキアの、固く握り締めた手が震えているのが見えたからか。

わからない。

フェンスの向こうでは、先程までそこに張り付いて野次を飛ばしていた男が腰を抜かしてへたり込んでいた。

「なあ、泡食ってないでさっさと席に戻れよ」

 

「な、な、なん」

 

男は真っ赤な顔をして口をパクパクと開閉した。眉は釣り上がり顔全体に怒りと羞恥を表している。

 

「いいから、戻れって」

 

男はしばらく目を白黒させていたが、ふと我に返って周囲を見回した。

先程までは同調していたはずの他の観客から明確に非難と嘲笑の視線を注がれていることに気づき、男は気まずそうに舌を打つと、すごすごと席に戻った。

クスクスと笑い声が漏れる。なんだかそれも勘に障った。

 

「今の奴だけじゃねえぞ!!お前ら全員うるせえんだよ、始まる前からごちゃごちゃ言いやがって。金払ってまで見に来てんなら終わるまで大人しく見てろよ。じゃなきゃ損だろ」

 

アルマがドスを効かせた声を出すと、嘲笑が止んで観客席は多少静かになった。

 

「やっとお客様に戻ってくれたらしいな。それなら俺達は少なくとも損はさせねえ。終わった後でまだ文句があったら来い。いいな!」

 

アルマは踵を返すと実況席の方まで歩いて行った。今日の担当の、ここ数日で顔見知りとなった実況者、マルクが惚けたように黙っている。

 

「何お前まで惚けてんだよ」

 

マルクは我に返ったようにこちらを見た。

 

「…あいや、すまん」

 

「雰囲気冷え込ませちゃったけど、盛り上げてくれるか?」

 

アルマがそう言うと、マルクはトン、と胸を叩いた。

 

「——任せとけ、お前も頑張りな」

 

「勿論」

 

アルマが再びフィールド中央へ戻ると、ルスキアがぼそりと別に放っといて良かったのに、と呟いた。

 

「私は気にしないわ」

 

「知らないよ。そもそも俺は短気なんだ。スッキリしたお陰で狩りに集中できる」

 

ルスキアはほんの少し口元を緩めた。

 

「まるで癇癪持ちのお子様だわ」

 

「20歳になってわかったのは——大人は大変ってことだな。定期的にお子様に戻ってガス抜きするのも悪くない。自立したお子様として生きられればもっと幸せだろうけど——」

 

それはそれで、難しいだろう。ともあれ。

 

「さ、さあさあ、皆!!多少のハプニングもあったけどォ——皆、まだ休んではいられないぞォ!!汚すぎるのはナシだけど、ウチは野次も歓声も歓迎だぜ!!午前最後の狩りを披露するのはウルバヌ親王配下のこの二人、新進気鋭の狩人エルモと、華麗なる女狩人ルスキアだァー!」

 

少しぎこちない声が、アルマとルスキアを紹介した。

 

「エルモの方は新聞を見た人は知っての通り、ここ二週間で急遽頭角を現した大型ルーキー!!ルスキアは闘技場の常連なら知らぬ者はいない、華やか、軽やかな双剣使い!実はソロでの実力は闘技場内でもトップクラスなんだぜッ!さっき野次ってた奴等は皆んな、予習を怠ってたってことだなァー!今からちゃあ〜んと見ておくんだぞッ!」

 

どうやら、話しているうちに多少ノッて来たようだ。

割れんばかり——とまでは行かないまでも、少し回復した歓声が場内を盛り上げる。

 

「ミーハー女共も常連のジジイ共も注目してるこのタッグ!!対するのは黄色いモコモコ生物、ロアルドロスッ!!海辺の小悪魔ちゃん、ルドロス達を引き連れて、今日はハーレム全員で参戦!!所詮陸に上がった魚、なぁーんて思ったそこのキミ!甘い甘い!ファンキーな見た目に反してコイツは水陸両用のマルチタイプ!多くのハンターが手を焼いてきたんだ!」

 

ロアルドロスというらしい、黄色い大きな獣がゲートの向こう側に見える。ルドロスの方は浜辺でマロを襲っていたのを見たことがあるが、ボスは比較にならないほど大きい。

成る程、首を覆うように付いているモコモコとした黄色い房が特徴的だ。

 

「制限時間は二時間、でも他のペアの結果を考えると一時間半は切りたいところ!!それじゃ、カウントダウン始めるぞ!10、9——」

 

「ルスキア、最初の雑魚処理は俺がやる」

 

アルマの言葉にルスキアが眉をひそめた。

 

「良いけど——なんで?小回り効く私の方が楽じゃない?」

 

「まあそうなんだけど…魅せてやりたいだろ」

 

アルマがそう言うとルスキアは観客席を見渡して、ああと頷いた。

 

「そうね」

 

6、5、とマルクがカウントを進めた。

 

「よし——じゃ、やるぞ」

 

「ねえ、アルマ」

 

珍しく、ルスキアがアルマの名を呼んだ。

 

「あ?」

 

アルマは振り返ってルスキアを見る。

3、と観客までもが叫んだ。

 

「——ね」

 

ルスキアはアルマに向けて何か言ったが——それは観客の声に掻き消されて聞き取れなかった。

 

「1——スッタァァーットッ!!」

 

ゲートが、開いた。

 

フィールドに黄色い一団が侵入してくる。

先陣を切ってアルマ達に向かってくるのは取り巻きの雌共——ルドロスである。

体高の低い小型モンスターとはいえ、大きさは寝そべった大の大人より一回りかふた回り程大きい。

鋭い牙の生え揃った三角形の顎を開き、ずりずりと這い寄ってくる。

その奥からは、群れのボスが悠々と重たそうな黄色い体を揺すりながら状況を静観している。

 

ルドロスの一匹が、体を伸縮させてアルマに向かって跳躍した。

 

火蓋が切って落とされた。

 

アルマは避けもせずに、飛んでくるルドロスを横から思いっきり殴り飛ばす。

視界の左端ではまるで弾かれたような勢いで走り出したルスキアが、ハーレムの主の首めがけて一直線に駆けていた。ボスを守ろうと割って入るルドロス達を、跳んで、回って、踏んづけて躱しながら走っていく。

3秒かからずにロアルドロスの領域に侵入したルスキアは、そのままスピードを緩めずに突進する。

極めて直線的な動きで来襲するルスキアを見て、ロアルドロスが大きく息を吸い込んだ。

初めて見るアルマでも、一目でブレスの予備動作だとわかる挙動。

案の定、吐息の代わりに白く濁った水弾が前方に発射される。

水弾は真っ直ぐ水平にルスキアに向かって飛んでいき——そのまま数十メートル先の先のフェンスに着弾して破裂した。

ブレスに被弾するはずだった獲物が視界から消えて、ロアルドロスが戸惑うような仕草を見せる。

右に、左に顔を向けるが、依然ルスキアを視界に捉えられない。

 

——上だ。ルスキアは、上にいる。

 

被弾する直前でバネのように跳躍したルスキアが、山なりの軌道を描いてロアルドロスの背中に迫っていた。ルスキアは空中で縦に回転しながら背中のレイピアを抜くと、それを思いっきりロアルドロスの背中に突き刺した。

 

「軽業かよ…すげえバネ」

 

アルマはルドロスの二匹目を殴殺する作業に取り掛かりつつ、感嘆のため息を漏らした。

アルマも身体能力は高い方だが、あんな出鱈目な真似はできない。

二匹目の頭をスタンプで潰しながら、アルマは観察を続けることにする。

 

ルスキアは獲物の背中を蹴って地面に降り立つと、刺したままになっている二本の剣の柄に手をかけて、思いっきり引き抜いた。

砂混じりの闘技場に鮮血が舞い、ロアルドロスが悲鳴をあげる。

その尻尾をルスキアの双剣が襲い、息を吐く間も与えない。

なんとか体勢を立て直しルスキアを正面に捉えようとするが、ルスキアはそれに応じて円を描くように位置を変え、執拗に斬りつける。

痛みに耐えかねたロアルドロスが背後に陣取る刺客を追い払おうと、長い尻尾を振り回した。

精密さに欠けるそれを赤子をあやすように軽くいなし、両手に持った剣でそれぞれ二撃ずつ、斬撃を加える。

思わぬ反撃に怯んでいる間にさらに三太刀。

血に塗れ、ズタズタになった尻尾はもはや皮一枚で辛うじて繋がっていて、今にも千切れそうである。

 

流石にこれ以上好きにはさせまいと、ロアルドロスは思いっきり体を曲げて尾にいるルスキアの体を噛み砕こうとした。ズラリと並んだ牙はルスキアが僅かに位置をずらすことで回避される。

が、攻撃はこれで終わらない。

曲がった体を元に戻すまでの二段構え——長い尻尾がルスキアをなぎ払おうとした。

 

「あ——不味い」

 

あの位置、体勢では避けられない。

直撃する、とアルマは思った。

まるで人間のように、ニヤリとロアルドロスの口元が歪んだ気がした。

瞬間——ルスキアは思いっきり背中を逸らして地面に両手をつくと、バク転の容量で思いっきり右足を思いっきり振り抜いた。

跳ね上がった右足は皮一枚で繋がっていた尻尾を真上に高く蹴り飛ばし——ルスキアはそのまま一回転して少し後ろに着地した。

遅れて、ちぎり取られた黄色い尻尾がぼとり、とフェンスを越えて観客席に落下する。

イモムシのような形状のそれは切り離されてなおビクビクと痙攣しており、観客席から悲鳴が上がった。

さっきまで客席で野次を飛ばしていた狩人達も、皆血の抜けたような蒼白な顔をしている。

半開きになった口元から魂が抜けてしまったようだ。

 

「それ、あげる。プレゼントね」

 

ルスキアは愉快そうにそう言って、客席に向かってウインクした。

 

「気にしないって言ってた割に滅茶苦茶根に持ってんじゃねえか…」

 

アルマが焚きつけたようなものではあるが、どう考えてもやり過ぎである。

一方アルマはルスキアの方へ気を取られつつ、第1任務を完遂しようとしていた。

火属性のフラカンを使っていることもあり、適当に振り回していれば近寄ってくる奴から大体死んでいくのだ。

すでに場内はあらかた綺麗になった。

それでも生き残っているルドロスを五匹目、六匹目と確実に潰す。

 

「7匹目ッとォ!」

 

アルマは最後の一匹になったルドロスを豪快に吹き飛ばした。

普段ならひと息ついて武器でも研ぎ直すところだが——。

 

「こーいうのッて見てるとさァ、なぁ〜んか俺も混ざりたくなってくるよなァ〜ッ!」

 

本能の赴くままに、アルマは乱戦に割り込んだ。

首元に向けて思いっきり振り抜くと、スポンジ質の房から血の混じった大量の水が噴き出してくる。

冷たい液がビチャビチャと音を立ててた。

飛沫が付近にいたルスキアの顔にかかり、ルスキアはちょっとと言って顔をしかめた。

 

「何するのよ」

 

「あ〜、返り血だらけで汚れてるから洗い流してやろうと思ってな」

 

「その水、冷たいから血より不快」

 

「血の方が(ぬく)くてイイのか?あんまり趣味良くないと思うぞ、それ」

 

「そうは言ってない」

 

ルスキアは不満を露わにしながらも、剣を振るうのをやめない。

ルスキアが切りつけた箇所にアルマがハンマーで衝撃を加えると、スポンジ質の房は面白いように剥がれていった。

もうほとんど残っていない。

 

「随分痩せたな、お前——もう雌共とおんなじだ。怒るなよ?唯一男のお前が保湿に気を使うってのも変な話だからさ」

 

アルマの言葉とは裏腹にロアルドロスは怒ったようにい(いなな)いて、二人を押し潰そうと横向きに転がってきた。

 

「怒るなって言ったのに」

 

アルマは咄嗟に横に転がり、大きな頭をやり過ごす。

ルスキアは再びジャンプで逃げたようだ。

起き上がったアルマのすぐ脇をすり抜けて、ルスキアがロアルドロスに駆けて行った。斜めに体を捻りながら回転させて、動きの鈍った獲物の顔面を切り刻んでいく。

鋭い痛みに黄色い身体が大きく跳ね上がり、後退した。

もう反撃する力すら残っていないだろう。

 

——これで終わる。

 

最後の一撃を加えようとルスキアはその懐に入り込んで——。

 

「え」

 

直後、その体が大きく傾いた。

ルスキアの足元には少し小さな、黄色い獣。

アルマが狩ったはずのルドロスだった。

息は既に絶えている。その物体は元からそこにあったのだ。

ただ、ロアルドロスの巨体に隠れて見えなかっただけ——しかし仰け反ったロアルドロスの下から不意に現れたそれは、猛スピードで潜り込んだルスキアのバランスを崩すのには十分な障害物だった。

 

スローモーションで、その場に倒れこむルスキア。

刹那の希望がロアルドロスの目に宿り、鋭い牙の生え揃った顎がルスキアの細い首を求めてグワリと開く。

 

「——に合え、間に合え、間に合えッ!!」

 

その時、既にアルマは行動していた。

ハンマーを低く構え、渾身の力を込めながら大地を体に染み付いた最良の効率で蹴って疾走している。

呼吸を止めて酸素の供給を絶つと、時間の流れを酷く遅く感じるものだ。

スローモーションの世界の中、足を無理やり動かしてアルマは直線を駆け抜ける。

のっそりと、ロアルドロスの巨体がルスキアに覆い被さった。

ぬう、黄色い頭が垂れ下がりルスキアの喉を噛み切ろうとする。

 

「がぁああああああッッ」

 

どこから出てきたのかもわからない絶叫が聞こえて、アルマの体が急加速する。

体全体の力を使って振り上げたハンマーが、ロアルドロスの頭を斜め上へカチ上げた。

衝撃を受けたロアルドロスが大きく揺れる。

 

——オオオォ…ア。

 

断末魔と呼ぶにはあまりにも穏やかな声をあげて、黄色い海の悪魔はゆったりと、とても緩やかな、幸福感すら漂わせた動きで生き絶えた。

 

「ブハァッ、ああーッ間に合ったッ!」

 

肺へ新鮮な空気が流れ込み、アルマの体感時間が元に戻る。

肩で浅い呼吸したくなる所を我慢して深く息を吸い込み、なんとか呼吸を整える。

 

「どうも闘技場(ココ)で狩られる奴の断末魔は後味が悪いぜ——あれ?ルスキアは?」

 

「——ッ!〜ッ!」

 

視界の下の方からモゴモゴという声が聞こえた。

見れば、ダークブロンドの髪がロアルドロスの死体の下から覗いている。

手を貸してやるとルスキアは下から這い出てきて、小さく有難うと言った。

 

「死ぬかと、思ったわ。こんな所で」

 

ごめんなさいとルスキアが謝った。

闘いで上気した顔が妙に艶っぽく見えて、アルマは少しだけ目を逸らす。

 

「はしゃぎ過ぎだよ。いや——ちゃんと綺麗にしとかなかった俺のせいか」

 

「じゃあお互い様。…はしゃいでた?」

 

「随分と楽しそうだったな」

 

アルマがそう言うとルスキアはハッとして——少し不安そうな顔をした。

「もしかして、引かれたかしら」

 

「あん?そうは見えないけどな」

 

アルマは見ろよ、と言って観客席を指す。

 

「狩ってる間に慣れちまったのかさっきまで気付かなかったけどさ、いつからかな。多分、途中からずっとだ」

 

会場を埋め尽くす大勢の観客。その殆ど全員が——座ってるものは立ち上がってまで——惜しみない拍手を送っている。

 

「そう——良かった」

 

ルスキアは安心したように息を吐いた。

この猫にしては意外だが——客の目線が気にかかるらしい。

 

ひとまず——成功はした。楽しかったし、教訓も得た。実に満足の行く狩りだったではないか。良きかな良きかな。

 

「あア!」

 

と、そこでアルマは素っ頓狂な声をあげた。

 

「なあによ」

 

いつも通りにルスキアが目を細める。

 

「タイムは!?」

 

途中ですっかり忘れていた。予選を勝ち残ることができなければ意味がないではないか。

 

「忘れてたの…?」

 

呆れたように溜息をついて、今度はルスキアが実況席前に置いてあるタイマーを指差した。

 

「20分。制限時間の6分の1…今のところ多分、最速」

 

「20分!?…20分か。もっと短かったような、長かったような…取り敢えず、残れそうか?」

 

「どうかしらね。前の大会見てたから、登録されてる他のハンターの実力は結構把握してるけど…」

 

「パートナーの狩りは今日初めて見たのにな」

 

「——そういえばそうなるわね。それが何か?」

 

アルマが皮肉っても、ルスキアは相変わらず平然としている。

 

「…なんでもねえよ。上手くいって良かったと思っただけだ。あ、そういえばさ」

 

まだ何かあるの?とルスキアが言った。

これもいつも通りだ。

 

「始まる前にさあ、俺のこと呼んだろ?」

 

「ああ…そうだっけ」

 

「あれ、何て言ったんだ?」

 

すると、ルスキアはほんの少しだけアルマから顔を逸らした。

そしてもう一度アルマを見て、小さく笑って——

 

「忘れちゃった」

 

と言った。

なんだか厭な感じのする、虚しい笑みだった。

先程までのルスキアの表情とは違い、ひどく固く、乾いているように見えた。

しかしそれも——ゲートへ向けて歩き出した時には、影も形もなくなっていた。

闘技場の熱気は未だ冷めやらず、アルマは心地よい疲労と達成感に包まれていたから、やがてそんなことも忘れてしまった。

 

長く短い狩りが、一つ終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第15話 不穏の影

「取り敢えずてめえら四人とも——予選通過、ご苦労様だ!今日は俺の奢りだから好きに飲んで良いぞ!!」

 

銀髪の若い竜人は、そう言って豪快に笑った。

ひゃっほおおう、とボーディが甲高い奇声をあげた。

アヤの首都ビザヌテの外れにある宿——ロテル・ウルバヌの一室である。

大闘技大会がスタートして2日目の夜、予選の結果が大々的に発表された。

準決勝に進出できるたった4組のペアのうち、2組をウルバヌ親王所属のペアが占めるという快挙は人々の間で大きな話題となったらしく、予選が終わってすぐに大量の野次馬、見物客、そして取材班がアルマやボーディ達の所へ殺到した。

そこにエルフェドールが助け舟を出したのだ。

アルマ、ルスキア、ボーディ、アーガイルの四人はエルフェドールに連れられて、普段は施錠されている闘技場付属宿舎の裏口からこっそりと街へ抜け出し、ウルバヌ親王所有の宿に向かったのである。

アルマ達が宿の地下、特別ゲストルームに到着すると、豪奢なソファーの上でウルバヌ親王が偉そうに寝そべって待っていた。

仮にも王族がこんな所に無防備に転がっていて良いのだろうか。

それはともかくとして、ひとまず親王の計らいで祝勝会が開かれることとなったのだが——。

 

「何でお前らもいるんだよ。そんで何だその頭」

 

地下室にはウルバヌ親王の他に二人、知ってる顔がいたのだ。正確には知ってる顔が一人と、どう考えても知ってる人間が中に入ってるであろうジャギィの顔が一匹、待っていた。

 

「いやぁ、流石流石!わては信じとったで!」

 

「アルマさん、おめでとうございます!」

 

イースとマロである。

 

「ありがとよ。ただ俺は今何でお前らがここにいるのか聞いてるんだが」

 

イースが意図的に話を無視するのは良くあることだが、マロにも伝染しかけているのは由々しき事態だと思う。

 

「私達、ここに泊まってるんです。ルスキアさんに紹介されたと言ってあったので支配人さんが親王様に伝えて下さったみたいで」

 

マロはそう言って親王に頭を下げた。

 

「そんで確認してみたらお前、ソロムで捕り逃したお前の相方がいるじゃねえか。本当はそっちにも働いて貰おうと思ってたのによ、よく逃げおおせたもんだぜ全く」

 

親王はそう言ってイースの肩をバンバンと叩いた。

エルフェドールが硬い口調で続ける。

 

「既に人相書きによる手配は取り消させた。この男にもこれから暫し協力して貰う。主に大会の外でだ。名目上、巡邏隊に新しく入った私の部下という形になる」

 

「そうゆうことやから、よろしく〜」

 

「お、おい待てよ、そっちの方がポジション美味しくないか?」

 

アルマ達は体を張って狩りをしなければいけない上、許可なしでは街に出ることすら出来ないのに。

そう言うと、エルフェドールは当然だ、と言って眉を上げた。

 

「お前達に逃げられると大会で優勝する計画が台無しにになる。この男も参加していれば同じ扱いにしたが——間に合わなかったものは仕方ない。逃げる気もないらしいしな」

 

だから自由の身——と言ってイースは万歳三唱をした。

なんだか納得が行かなかったが、言ってどうなるものでもあるまい。

 

「おい、もう食っていいよな!な!」

 

テーブルに乗った色取り取りの料理を見て、ボーディが舌舐めずりした。

アーガイルは顎に手を当ててワインのボトルを物色している。

 

「相変わらず意地汚ねえなあ、お前ら二人は。まだ話は終わってねえぞ。もう少しこっちのペアを見習って——おい、おいルスキア、お前もか!」

 

親王の声にルスキアの耳がピクリと反応した。

刺身の盛り合わせに伸ばしていた手をヒョイ、と引っ込める。

 

「お前達…」

 

アルマの右手にも骨つき肉が確保してされているのを見てエルフェドールが頭を抱えた。

親王がカカカと笑って、手を叩いた。

 

「そうかそうか、腹減ったか!じゃあ話は後だ、食え食え!今日は宴だッ!」

 

こうして、小さな祝勝会は盛大に始まった。

 

「ははあ、それでこっちに。お嬢ちゃん肝座ってるぜェ!」

 

イースの話を聞いて、ボーディが大袈裟に手を叩いた。

 

「せやろ、わてが見込んだ通りや!」

 

「そんなぁ、私本当はめちゃくちゃ怖かったんですよ?イースさんは知ってるでしょうに」

 

「クク、恐怖は誰でも感じるもの。慣れた私たちでさえもそうなのです。お嬢さんなら相当でしょうねぇ。それを御して頭を働かせられるのは尊敬に値しますよ」

 

「そ、そうですか?皆さん口が上手いなぁ〜」

 

今日初めて会ったというのに——ボーディ達とイース達はすぐに打ち解けてしまった。

もともととっつきにくい性格ではないためだろう。

ボーディやアーガイルは気を使うということを知らないし、マロもイースも、人当たりは良いのだ。

アルマにとっても、周囲の目を気にせずに存分に話せるこの面子は居心地が良かった。ここの国民の前ではそうはいかない。

普段は一人でいることを好むルスキアさえ、口数は少ないながらそれなりに楽しんでいる様子である。

 

宴の最中、ところで、とボーディが言った。

 

「アルマよォ。お前は何にするんだよ?」

 

「何にって、何がだよ」

 

「報酬だよ報酬。なんでも良いって言われると夢が広がるよなぁ!」

 

ボーディは幸せそうに体を揺すった。醜悪な光景だが、これは妄想に胸を膨らませている表情らしい。

アルマは別に——と言って手に持ったミルクを飲み干した。

 

「俺は島出れたらそれでいいからなあ。船か何か、頼むつもりだけど」

 

おや——とアーガイルが眉を上げる。

 

「無欲ですねぇ。それとも想像力が貧弱なのですか?」

 

「喧しいわ。お前は何考えてんだよ」

 

「ククク、私が勝ったら王様には何かとてつもなく恥ずかしい罰ゲームをしてもらいますよ。いっぱい考えてあるので胸が踊ります。クク、ヒヒヒヒ」

 

「うわ、しょうもねえ」

 

アルマの発言にその場のほぼ全員が頷いた。

誰も何も得をしない、いかにもアーガイルの好みそうな事である。この品のない、捻くれた男にかかれば一年経っても消費しきれないほどの長大な恥ずかしい事リストを作って提出することも容易いだろう。

 

「ぎゃははは!小せえなぁ。お前ら」

 

そう呟いたのはそもそもの話題の発端のボーディである。

 

「あ?誰が小さいって?」

 

アルマは多少敏感に反応して、すぐに報酬の話であることに気づき黙った。

 

「船とか、罰ゲームとか、小さい小さい!お前達の想像力はそんなものかよ?俺のはもう、スケールが違うぜ、スケールが!」

 

小太りの醜男はこれくらい、と言って両手を広げた。

 

「言うねぇ。どうせロクでもねえんだろ」

 

「私もあまり期待しないで聞きますけど、何です?」

 

聞いて驚け、と醜男は鼻孔を膨らませた。

 

「俺様はなぁ!神になる!!神になって、国民全員から崇め奉られるようになってやるぜ!ああ有難やボーディ様ってな!」

 

誰も何も言わなかった。

 

「あかん、アルマより阿保やコイツ」

 

口を開けたままイースが呟く。

 

「アホの基準を俺に設定するな。全く——馬鹿であればあるほど想像力が脳内に占める余地ってのは大きいらしいな」

 

「想像の域を超えています。妄想ですよこれでは。まさかこの私の相方がここまで馬鹿だとは——」

 

アーガイルが額に手をあてて呻いた。

一人だけ大笑いしているのは親王である。

 

「アッハハハハハ!良いよなァ、神。やっぱり要求はそれくらい大きくないと」

 

そんな事を言って、叶えられなかったらどうする気なのだろうか。

 

「あぁ?知らん、そんなの。その時は国王が恥かくだけだ、俺はお前らのパトロンなんだから文句言う側だよ」

 

「適当すぎだろ…船は大丈夫なんだろうな」

 

「あア、そっちの方は多分大丈夫だ。アテはある」

 

それならアルマに文句はない。

 

「そういえばルスキア、お前は?この前は現状維持とか言ってたけど——どうするんだ?」

 

アルマが少し離れた所にいたルスキアの方へ行って問うと、ルスキアは少し考え込んだ。

 

「——綺麗になりたい 」

 

小さな声で予想外の返答が返ってきて、アルマはミルクを噴き出しそうになる。

容姿など気にするような性格でもないと思っていたのだ。そもそもルスキアは美人である。

ただ、そういうことを気にする女性は思いの外多いということを、アルマは経験から知っていた。女性の扱いこそあまり得意ではないが、良い仲になったのは一度や二度ではない。

 

「綺麗になりたい、ねぇ」

 

それでも、実際に美人か否かに関わらず自分の容姿に自信がないような発言には毎度毎度、対応に困る。

今までの女性関係では率直に答えて怒られたこともあれば、気を使って怒られたこともあった。

それ以来アルマは考えるのが面倒になったので、思ったまま発言することにしている。

それで怒られたら仕方ない。

 

「美人だろ、お前」

 

アルマはそう思うから、そう答えた。イースもそう言っていたと記憶している。

するとルスキアは少しだけ驚いたような顔でアルマを見て、乾いた声でクスリと笑った。

正解だったのだろうか?いや——どうも失敗したような気がする。

困惑しているアルマに対してルスキアは、

 

「知ってるわ。でも綺麗とは違う」

 

と言った。

——かわいい系、綺麗系などの系統の話か。

確かにルスキアはどっちに分類するか困るタイプではある。

 

「アルマは綺麗ね。マロも」

 

——何だそれは。

 

マロはともかくとして、アルマが綺麗とはどういうことだ。ハンサムを自称したことはあっても美男子を自称したことはない。もちろん他人からそう評されたことなどもっとない。

マロだって綺麗系よりは可愛い系だと思う。あるいは5歳以上も年下だからそう思うだけなのだろうか。

 

「…待てよ、わかったぞ。肝臓の話か?確かに俺は酒は飲まないからな」

 

「違うわよ」

 

「違うのか」

 

「ボーディとアーガイルもそうね。綺麗だわ」

 

「…は?お前視力大丈夫か?」

 

あの見た目も汚ければ意地も汚い、不細工男と不気味男に綺麗さを見出すとは——いよいよルスキアの美的感覚が分からない。

何を美しいと考えるかは人それぞれと言うが、ここまで来ると重症だと思う。

 

「そう、か…まあああなりたいってんなら止めねえよ。俺はなって欲しくないけどな」

 

なんだか宇宙人と話している感覚がして怖くなったので、アルマはそれ以上考えるのをやめた。

 

それから暫く経ち、ひとしきり飲んで騒いで心地よい満腹感と酔いに包まれた、宴もたけなわという時分である。

 

「おい、お前ら!腹が膨れた所で話がある」

 

と、親王が切り出した。

 

「まあ俺の見立て通りお前ら全員予選を勝ち抜けたわけで、良くやったお疲れ様と言ってやりたい所だが——準決勝が明後日に迫ってる」

 

準決勝、と聞いて緩みきっていたボーディ達の顔が引き締まり、ハンターの顔になった。

 

「詳細な準決勝の内容が通達されるのは明日だが、エルフェドールの得ている情報によれば準決勝は——宝探し、らしい」

 

「宝探し?狩りじゃあねえのか?」

 

ハンターがギルドなどで受注するクエストには、当然狩猟だけでなくアイテム採取などのクエストも含まれている。

ザハにいた頃受注した中には宝探し、と言えなくもないような納品クエストもあったが——闘技場でそんなものを見せて、果たして盛り上がるのだろうか?

 

「さあな。わかっていることは、お前ら含めて残った四組が全員、同じフィールドに入れられること。そしてたった二つだけ隠されてる"お宝"を見つけて納品した二組が決勝に進める——それだけだ。お宝の正体も、フィールドの状況もわからねえ」

 

はて——とアーガイルが言った。

 

「わかりませんねぇ。いやいや、言いたいことはわかるのですが——それなら明日の詳細な発表というのを待てば良かったのでは?てっきり私はその話がメインで、祝勝会はおまけだと思っていたのですが——その程度ではでは余興にもなりませんよ」

 

するとエルフェドールが深刻そうな顔で問題は、と言った。

 

「これからの話だ。お前達——勝ち残った、お前達ではない二組について知っているか」

 

アルマは首を横に振った。

チェックしていないのである。名前がわかった所で素性などわからないからだ。

だが一年間ここにいたルスキアや、もっと前からいるボーディ達はその限りではない。

 

「一組はよォ、ビーンとジリーだったっけ?名前は何回か聞いた事あるし多分狩りも見たことあるな——まあ、そこそこやるぜ、あいつらは」

 

「そうですねぇ。実力は確かですけど。勝つ自信はありますね」

 

「もう片方の組についてはどうだ?」

 

「もう一組は——何だったかな」

 

「クヒヒ、ボーディは相変わらず記憶力がニワトリ並みですねぇ。読み方は知りませんが確かヤズィルー?と、ええと——」

 

アーガイルも詰まっている。

 

「ヤジロウとコマベエ」

 

「ああ、そう読むのですか——ルスキア、良く覚えていましたねぇ」

 

「アナウンス聞いてたから」

 

ルスキアはそう言ってそっぽを向いた。

見たわけではない、ということか。

 

「——とまあ、こんな感じで何にも知らねえってわけだ。どんなヤツ等なんだ?何か情報があるのか?」

 

するとエルフェドールがイースの方へ目をやった。

イースはマロちゃん、と声をかける。

 

「へ?私?」

 

「何でもええから覚えてること」

 

「あ、はい!え、えーとまず最初に、お二人は太刀使い、です。見た目上年齢はアルマさん達と同じくらいですかね?いや、もう少し下かな」

 

「俺より下?——まだ子供じゃねぇか」

 

「随分小柄でしたからね。二人とも黒髪でこう、後頭部で束ねた長い髪をしていますからすぐにわかると思います。あとはそうですね、見たことのないゆったりとした、布製の服を着ています、動きにくそうな。私から見てわかったのはそれくらいです!他はさっぱり!」

 

マロが潔く言い切ると、イースが満足気に頷いた。

 

「聞けば聞くほど変な格好やと思うけど、概ねこの通りや。ほんでまあ、わてから見た見解を言わせてもらうとやな、あれは狩人やない」

 

それはそうだろう、そんな服で狩りに出る者など聞いたことがない。防御力も、機動力も、無に等しいではないか。

 

「狩人じゃない?じゃあ一体何なんだよ?兵士か?軍人か?それとも…一般人じゃねえよな」

 

わけがわからない、という顔でボーディが言った。

一般人——ではないのだろう。一般人は太刀など持って歩かない。

 

「見た目だけやない。動きもおかしい。自己流アレンジとかそういうレベルじゃなく別物や」

 

あれは、とイースは言葉を切った。

 

「あれは——ヒトゴロシや」

 

「——!」

 

その言葉に一番過敏に反応したのはルスキアだった。即座に身構えるような体勢を取れる辺りは流石の野良猫女、野性の防衛本能のなせる技である。

 

「ヒトゴロシ?——ああ、人殺しか」

 

アルマなど、数度脳内で反復してやっと呑み込めたくらいだ。

狩人達が唖然としている中、言葉を繋ぐのは兵士のエルフェドールである。

 

「私の目から見てもわかる。彼等は人を殺したことがある。否、殺し慣れている。狩りの外での立ち居振る舞いからそれは明らかだった」

 

わかる——ものなのか。そういうものは。匂いのようなものだろうか。

不思議に思っているアルマの表情を読んだのか、エルフェドールはいや——と首を横に振った。

 

「勿論、全て察知できるわけではない。仕事柄上、思いもよらない殺人犯などというのは腐るほど見てきた。ただ、あの二人は——隠す気がない。人を切る事に後ろめたさを感じていない。身に纏う雰囲気がああでは、殺人犯を見慣れている私等は、流石に間違わない」

 

「い、いいのかよぅ。そんなヤツ放っておいて」

 

ボーディが若干怯えたような声を出した。

身の丈の五倍以上もある化物を狩れる男も、殺人鬼は怖いらしい。

アルマも怖い。冷たい殺意を持った人間は、モンスターなどよりずっと怖いと思う。

 

「良いも何も、どうしようもない。今奴等の過去を洗っているが何も掴めない。証拠もないのに国王主催のこの大会の、準決勝進出者を捕えるのは無理だ。皆納得しないだろう」

 

「お互い武器を持った状態で閉ざされたフィールドの中、そんな奴らと先着二組の宝探し——か、おっかねえな」

 

アルマの言葉にボーディ達が頷いた。

 

「流石に観衆の前で堂々と殺人は行わないと思うが——むしろ、気をつけて欲しいのはフィールドの外だ」

 

「外?」

 

「アルマには少し話したが——最近、付近で身元不明者の殺人が多発している」

 

そういえば——そんな事を言っていた気がする。

アルマは曖昧な記憶を掘り起こした。

 

「我々の調査の甲斐あって、わかった事がいくつか——まず、犯人は小柄で、刃物を所持していること」

 

この前そこで起こった事件からわかった、とエルフェドールは付け足した。

 

「ああ…そいつらの特徴と一致するな。それで?」

 

アルマは宵闇の中小柄で妙な格好をした青年が二人、獲物をすれ違いざまに斬り捨てる所を想像しようとしたが、情報が中途半端に具体的かつ限定的で、その像は実像を結ばなかった。

 

「あとは、被害者は全て貴族と関わりを持っている事——そして恐らく異邦人であること。身元不明、というのはこのためだ」

 

身元不明の異邦人。貴族との関係。

 

「おい、おいおいおい。そりゃ完全に——」

 

アルマ達の状況と一致している。

冷たい空気が背中のあたりを通り過ぎた。

 

「大事な時に士気を下げるようなことを言いたくはなかったが、お前達に死なれては元も子もない。今後、闘技場の宿舎には私の部下を護衛につけるが——お前達も、十二分に気をつけてくれ」

 

わざわざ念を押されなくても、そんな話を聞かされて警戒を解ける方がどうかしている。

 

——なんだか、酔いが覚めてしまった。

 

宴が終わった後、アルマ達は身を寄せ合うようにして宿舎に戻ると速やかに部屋へ戻り鍵をかけた。

部屋の扉の外では、エルフェドールの部下が見張ってくれている。

それでもアルマは暫く寝付けなかったのだが——梁の上からルスキアの普段通りの寝息が聞こえてきて、漸くリラックスすることが出来た。

ベッドに横たわること15分、アルマはゆっくりと眠りに落ちていった。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 

「それで——尻尾は掴めたのかい?」

 

背の高い椅子に座った初老の男が、問うた。

落ち着きのある態度からは気品と自信が溢れている。

その椅子の横では年端も行かぬ少年が突っ立って、木彫りの笛を弄んでいる。手は笛を優しく撫ぜ、嬲り、転がしているのに、その目は笛でも男でもなく、ただ虚空を見つめている。

 

「いいえ、未だ」

 

暗闇の方から声がした。

 

「そう、か。また妙な狩人共を集めているから何か企んでいると思ったが——まだ分からないか」

 

男はううむ、と唸って肘掛を指で叩いた。

トントン、と不規則なリズムが男の苛立ちを如実に表している。

 

「全く、困った放蕩息子だよ——エルフェドールもエルフェドールだ。少し遅れて反抗期が来ただけなのに——絆されるとはね」

 

兎に角、と男は言った。

 

「ウルバヌが一体何をしたいのか?私はそれが知りたいんだ。これは父と息子のコミュニケーションにおいてとても重要だと思うのだがなぁ」

 

男は少し声のボリュームを上げた。トントンという音にもクレッシェンドがかかる。

 

「仕方ない。お父さんが歩み寄ろう。あの子の考えを理解してあげよう!その代わりにあの子には、どう足掻こうと——この私を!」

 

男はもはや右手全体を使って肘掛をガンガンと叩いていた。

男の動作にあわせて肘掛はミシミシと軋んだ。

 

「この国をッ!教えをぉぉぉッ!」

 

男は絶叫しながら天井を見上げた。

ベキリ、と音がして肘掛が壊れる。

 

「…壊す事など出来ないということを、理解してもらわねばならないからね。」

 

男は肘掛だった木片を後ろに放り投げた。

それは(わらべ)の側に落ちてカラン、という音を立てたが、童は少し目線をずらしただけだった。

男は穏やかな声で続ける。

 

「もし、ウルバヌの計画がわかったら報告してくれ。知りたいことはそれだけだ。わかった時点で邪魔な手足——狩人どもは、捥いでしまいなさい」

 

柔らかい生地の擦れる音がした。

窓から入ってくる月の光を反射したのか、刃が二枚、キラリと光った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第16話 双生の刃鬼

また、狩りの朝が来た。

予選の日の快晴と比べると少し雲がちらついてはいるが、今日もよく晴れた狩猟日和だ。

 

エルフェドールの警戒が功を奏したのか、はたまた杞憂に終わっただけなのか——予選が終わってからこの準決勝の朝に至るまでの時間は驚く程平穏に過ぎて行った。

今まで通りボーディは賑やかだったし、アーガイルは陰気だったし、ルスキアは気まぐれだった。

この警戒態勢の中でもルスキアの徘徊癖が治らないのには呆れてしまう。あの身体能力なら易々とは殺されはしないだろうが、相手は殺人鬼である。アルマは気が気でなかった。

だが幸いなことに——朝アルマが眼を覚ますと、ルスキアはケロッとした様子で帰って来ていた。

 

普段アルマ一人で食べる朝食を、今日は二人で食べている。

 

「牛乳、好きなのね」

 

「美味いからな。元は味というよりも身長伸ばすために飲んでたんだけど」

 

「…効果はあったの?」

 

「0.3センチ位伸びたな」

 

「そう」

 

静かで落ち着いた朝食。

会話は短く途切れて続かないものの、不思議と居心地の悪さはない。

会話を続けなければいけないという強迫観念さえ働かなければ、沈黙というのは気楽なものだ。

もちろん気楽でいられるかどうかは会話の相手によるもので、そういう意味でアルマにとってルスキアは居心地の良い相手、と言える。

ルスキアはアルマより早く朝食を済まして立ち上がった。

 

「先に行くわ」

 

「おう、じゃあまた控え室で」

 

「ええ」

 

クルリと背を向けて、食堂の扉の向こうへ消えていく。

実を言うと、アルマは今日の準決勝が楽しみになりつつあった。

結局詳細といっても開始時間と集合場所程度しか公開されなかったので、いつもとは一風違うらしい宝探しという競技内容がどういうものかには依然として興味がある。島の脱出に向けて一歩前進できるというのは勿論、個性的な戦い方をするルスキアと共闘できるのが楽しみ、というのもある。

薄ぼんやりとした期待と適度な緊張を感じながら食後のミルクを飲み干して、アルマは穏やかに朝食を終えた。

********************

 

「結構遅かったわね」

 

控え室の中で待機していたルスキアが、アルマの姿を見て言った。

 

「少しゆっくりし過ぎたかな。まあ良いだろ、ここに居ても暇なだけだ」

 

見ればボーディやアーガイルも既に到着しており、部屋の向こうで見知らぬハンター二人と話している。

おそらくジリーとビーンとかいうハンターだろう。

一昨日話題になった、最も警戒すべき二人の特徴とは一致していない。

 

「人斬り二人はまだ来てねえみたいだな」

 

「それはイースとエルフェドールが言っているだけでしょう」

 

「ああ——まあ、それもそうか」

 

先入観というのは恐ろしいもので、アルマの中でヤジロウ-コマベエ像はすっかり気の狂った、奇妙な格好の殺人コンビになっていた。

よく考えてみれば人斬りらしい、というのはイースとエルフェドールがそう思っているだけで確証はないのだ。いざ会ってみれば案外普通の奴だった、なんてこともあり得なくはない。

とはいえ——エルフェドールとイースはほぼ断定していた。そしてアルマが思うに、あの二人が見当外れなことを言っている確率は限りなく低い。

だからやはりアルマの中で——顔も知らないその二人は"人斬り"なのであった。

 

「見よコマベエ。おなごじゃ、おなごじゃ。めんこいのう。儂はちょっと声をかけてくるぞ」

 

声がした。

 

「よしなよ。試合前に迷惑だろう」

 

入口の辺りに小柄な少年が二人、立っている。

まるで布切れのようにボロボロになった濃紺の着物に、ゆったりとした白袴。

背中まで伸びた黒髪を片方の少年は浅葱色の、もう片方は松葉色の紐で一つにまとめている。

二人共幼さの残る顔立ちをしていて、おまけに見分けがつかないほどよく似ている。双子だろうか。

背中にはそれぞれ身の丈よりも長い太刀を背負っている。

少年の片割れ、浅葱色の髪留めの方がアルマ達の方へツカツカと——どちらかというとカランコロンという乾いた音がした——歩み寄ってきた。

 

「ちょいとお姉さんや、お名前を伺ってもよろしいかな」

 

「——私?…ルスキアだけど」

 

すると少年は大きな眼を丸く見開き、おお——と笑った。

鋭い八重歯が特徴的だ。

 

「ルスキア——聞いたことがある名じゃ。新聞で見たぞ。すると隣のお主はエルモじゃな?」

 

少年がアルマの方を向いたので、アルマは曖昧に肯定する。

 

「これはこれは、ご挨拶が遅れた——儂はヤジロウという者じゃ。そこで寂しそうにこっちを見ておる連れはコマベエという」

 

ヤジロウはそう言って少し後ろからついてきている、松葉色の髪留めの少年を紹介した。

コマベエと呼ばれた少年が心外だと言う表情をしながらアルマ達の前に進み出る。

こちらはヤジロウより少し落ち着いた雰囲気で、八重歯の代わりに泣きぼくろが目印になりそうだ。

 

「誰が寂しそうなものか。僕はお前が他人(ひと)さまに粗相をしないか心配で見ていただけだというのに——ヤジロウが試合前に申し訳ありません。コマベエと申します」

 

コマベエが丁寧な口調で握手を求めてきたので、アルマも警戒しつつそれに答える。

 

——手練れの手だ。

 

幼い見た目に似合わない、分厚い肌、瘡蓋、傷跡。

修羅場をくぐってきていることは明白だった。

 

「ああ——お兄さんはなかなか良い手をしてますね。そう、この匂いは…土と血と——獣の匂い」

 

囁くようにコマベエが言った。

 

「ここにいるやつは大抵そんな匂いだろ。あんたらからもよく臭ってくる」

 

すると後ろではて、とヤジロウが首を傾げた。

 

「面妖な。儂らに染みついた血は獣臭くはないはずじゃがな」

 

「そうか——人か」

 

「そうじゃ。人じゃ」

 

ヤジロウは笑った。肉食獣のような八重歯が剥き出しになる。

人の血は獣程には臭わぬからのう——と少年は頰を緩めた。

 

「この前狩らされた大きな猪などは、臭うて臭うてかなわぬ。臭いがすると言うのなら、アレのせいで獣の臭いが染み付いてしまったのじゃろう」

 

成る程エルフェドールの言った通りである。

人の血の匂いについて語る彼等の目に迷いや曇りは一切ない。それぞれの髪留めと同じ色をした浅葱と松葉の目は、冬の空のように澄み渡っている。

 

「今日もあのような退屈をさせられるのかと少々げんなりしていた所じゃったが——楽しくなりそうじゃ」

 

浅葱色の目がアルマ達を写して爛々と輝く。

まるで今日は獣ではなく人を斬れるとでも言いたげである。

 

「ヤジロウ、あまり他人様をジロジロ見るものじゃないよ。それに——そのお兄さんはあっち側だ」

 

あっちって——どっちだ。

 

「皆さん、お揃いですね」

 

係員が出場者を呼びに来た。

 

「今日は入り口がいつもと違いますので、ついてきていただけますか」

 

「あ?どういうことだよ」

 

ハンター用の入場口は一つしかなかったように思うが。

 

「それは来ていただければわかります」

 

係員はそれだけ言ってスタスタ歩いて行った。

控え室にいた出場者達8人は戸惑いながらもそれに続く。

 

「愉快じゃのう。ワクワクするのう」

 

ヤジロウはそう言って身を震わせた。

係員は一階の廊下を渡りきると、いつものゲートの方ではなく、二階へ登る階段の方へ向かった。

 

「二階に行くのか」

 

「ほお…どうやって入場させる気でしょうねぇ」

 

アーガイルは顎に手を当てている。

二階への階段を登りきると、一階の入場口と同じような門があり、その脇で係員が直立していた。

 

「本日はここから入場していただきます。あとは場内のアナウンスに従ってください」

 

係員は最低限の言葉を発して、そのまま石のように動かなくなった。

選択肢がないので仕方なくアルマ達はそのまま歩を進めて、門の前に立つ。

扉の向こうからは歓声が聞こえてくる。

一番前にいたヤジロウが門に手をかけて、開けた。

視界が急に明るくなり、歓声も大きくなる。

 

「なんだァ!?コレ——いつもと違え!」

 

ボーディが驚いたような声を上げた。

他の7人も目を見開いて門の先を見ている。

 

闘技場には昨日までは存在しなかった五本の柱が追加されていた。

円形のフィールドの、中央に一本。

さらに、アルマ達のいる入場口を含めることで正五角形が出来るような位置に色違いの柱が一本ずつ、計四本。

入場口と四本の柱——その五点は中央の柱を介して、吊り橋によって繋がれている。

よく見ると中央の柱にのみ取っ手が取り付けられており、地面と橋の上を昇降できるようになっている。

 

 

「さあさあさあさァ——」

 

実況——今日はマルクではないようだ——が叫んだ。

 

「始まります、大闘技大会準決勝ォ!取り敢えず、出場者の皆さんは入り口でボケッと突っ立ってないで中央の柱まで進んで下さい!」

 

指示の通り橋を渡り、中央まで進む。木の吊り橋がギシギシと音を立てる。

 

「いつもと何やら違う闘技場、戸惑っている方も多いでしょう!そんなハンターさん、そしてお客様達のためにルール説明ッ!耳の穴かっぽじって良ぉく聞いとけ!!今日のテーマは…宝探しゲェェム!」

 

観客席は沸いたが、アルマ達が知りたいのはその先だ。

 

「まずは中央と橋でつながっている、四本の柱をご確認下さい!色は赤、青、黄、紫!それぞれの色が四組のペアそれぞれに対応しています!!さあ、各々好きな色を一色選んでそれぞれの柱についてくれ!!」

 

そこが自陣、ということか。

真っ先に歩きだしたのはヤジロウだった。

 

「青で良いかのう、コマベエ」

 

泣き黒子の少年はなんでもいいよと言ってついていく。

他者の意見はハナから気にしていない。

 

「俺様は赤だな!」

 

「まあ待ちなさいボーディ。紫というのもなかなかエレガントで良いのでは?」

 

「む?そうか?なら赤はアルマ、お前に譲ってやるぜ!」

 

アーガイルとボーディは紫を選んだ。

 

「いや、譲られてもな…。どうします?」

 

アルマは今日初めてまともに話す、二人のハンターに聞いた。

ふわふわとした金髪のハンターと、精悍そうな坊主頭のハンターの二人組である。

アルマ達より少し年上らしい二人は、アルマの方を見ると、ニコリと笑った。

 

「じゃあ僕達は黄色にするよ。赤色、ボーディ君は君に譲ったわけだし」

 

二人のうち片方——ふわふわとした金髪のハンターがそう言って、アルマに握手を求めた。

 

「僕はビーン。これからよろしくね」

 

「ジリーだ。健闘を祈る」

 

どうにも人の良さそうな、まともなハンター達である。

比較対象がアレ等なのでそう見えるだけかもしれないが。

二人は仲良く黄色の柱まで歩いて行った。

 

「行くぞ、ルスキア——ルスキア?」

 

反応が芳しくない。

なんだ——色に不満でもあるのか?

 

「赤は嫌か?あの人達なら代わってくれそうだぞ?」

 

「いいわよ、別に。ただ——緑が良かったなあって」

 

「緑ィ?お前の目の色と一緒だからか?無いもんはしょうがねえだろ」

 

「わかってるわよ——変なこと言って悪かったわ」

 

アルマとルスキアは赤の柱の上まで歩いて来た。

四組のベアが、色違いの四本の巨大な柱の上に立っていた。

 

「色が決まったところで説明を続けるぜー!まずは各ペア、自分達のいる柱の上面をよぉ〜く見てくれ!四角い扉があることに気づくはずだ!」

 

言われる通りに下を向けば、確かに柱の上面——アルマ達の立っている面には金属の扉が存在している。

どうやら鍵がかかっているようで、乗ってみても引っぱってみてもビクともしない。

 

「そう、鍵がかかってるだろォ?その扉を開けると柱の中に階段が続いてて、闘技場の地下に直結してるんだ。その柱も、使わないときは地下に埋まってるんだぜー!」

 

成る程、こんなものを数日で一体どうやって設置したのか不思議だったが——元からこう言う仕掛けで埋まっていたのか。

 

「さて、ハンターさん達にはお宝として、その扉の"(キー)"を捜索してもらうぞ!全部の扉に対応してる共通鍵だッ!開けた時点で内部で粉々に粉砕されるようになってるから使えるのは一本につき一回のみ!二本しかないってことは——今日来てる四組のうち、二組しか扉を開けて外に出ることは出来ないってわけだ!」

 

成る程、その二組だけが勝ち残れると、そう言うわけか。

ならば負けた二組は——どうなる。

 

「負けた二組はどうやって退場するのか?遊んだ後は当然お片づけが必要!この闘技場が綺麗になるまで帰れません!そして楽しい今日のオモチャ達は——皆さん、頭上をご覧ください!」

 

言われるがまま、アルマ達は真上を見上げた。

目に映ったのは、丸い青空——との間に。

 

「今日は金網がかかってんのか。ん?何だありゃア——箱?」

 

ちょうど中央の柱の上辺りである。

天井を形成している金網から四角い何かが鎖で釣り下がっている。

ガラスの箱に見えた。

中には輪郭の曖昧な、黒い靄のような何かが入っている。

 

「何が入ってんだあれ——…!うげぇ…」

目を細めてよく見て——アルマは吐きそうになった。

黒いのは靄ではない。

集団だ。夥しい程の数の、羽を持つ虫の大群。

箱の中に所狭しと詰め込まれている。

 

「閲覧注意、閲覧注意!今日のオモチャはコイツら、ブナハブラ200匹!この群れの妨害を回避しつつ、如何に鍵を早く見つけるか?そしていかに素早く扉に戻り、鍵を使って開けられるか!万が一観客席にブナハブラが紛れ込んだりした場合は待機しているお近くのハンター達にお申し付け下さい!もちろん、刺されたらすぐに医務室へ向かうことをお忘れずに!」

 

観客席から小さく悲鳴が上がった。

 

「さて、サプライズもあることだし説明はこの辺にしておきましょう!カウントダウン、行ってみよう!」

 

十、九、八、七——と観客がカウントを進める。

 

「六、五、四、さーん!にーい!いーーち!スタァァァァァト!!」

 

ガチャン、と言う音がしてガラス箱が空いた——瞬間、頭が痛くなる程の羽音が会場を包んだ。

解放された羽虫共はまるで濁流のように箱から流れ出て、ものの数秒で会場は阿鼻叫喚の騒ぎとなった。

四方を飛び交う羽虫達。近くで見るそれは思いの外大きく、人間の子供くらいの大きさはある。

 

「クソ、滅茶苦茶だ!おいルスキア、大丈夫か!」

「大丈夫だけど——鬱陶しい…!」

 

羽音のせいで叫ばないとお互いの声が聞こえない上に視界も悪い。

アルマはブナハブラを振り払いながら、状況を確認した。

見れば他のペアも襲いかかってくるブナハブラに悪戦苦闘している。

否——その中で一つだけ、意図の明確な動きがあった。

 

「あれは——ビーンか!」

 

金髪の狩人は手に持った片手剣でブナハブラを凪払い、そのままふわりと橋から地上へ飛び降りる。

地上に降りるや否や、ビーンは迷いなく走り出した。

 

「まさか、もう見つけたのか?」

 

アルマはその動きを目で追う。

ビーンが向かっているのは国王観覧席の真下、つまり地上入場口の反対側にある、モンスター用のゲートである。

そのゲートの鉄格子の向こう——暗くてよく見えないが、普段はモンスターが待機している辺りに、キラキラと光を反射するものがあった。

 

——あれだ。

 

アルマは直感した。

近づくにつれてビーンの走りがどんどん迷いのないフォームになっていくことからも、あの物体がキーであることに間違いはないだろう。

 

「出遅れたか…!」

 

アルマの位置は未だ自陣の赤い支柱の近くである。アルマが今飛び降りて走ったところで、ビーンに追いつくことは不可能である。

ルスキアも中央の柱にいるとはいえ追いつくわけがないし、そもそもビーンの動きに気付いていない様子である。

一度取られたら、相手がブナハブラに襲われて鍵を落とさない限りどうしようもない。

 

「くそ——無理だ、取られる!」

 

飛び降りようとしたアルマの耳に、奇妙な感触が蘇った。

 

「何だこれ——聞いたことある音だ。どこだ…どこで聞いた」

 

虫の羽音でも、観客の歓声でもない。

聞いたのは少し前。

笛のような音。

——思い出せない。

 

高らかな宣言がアルマの思考を遮った。

 

「例えどんな混沌の中でも、大事なことは平静と目的を見失わないことだよ——後輩諸君(ルーキーズ)。この鍵は僕が貰っていくぞッ!!」

 

 

ビーンか鉄格子の隙間から右手を差し込んだ。

そしてその手が落ちている鍵を取った途端——爆音が轟いた。

吹き飛んだビーンが柱に激突する。

鉄格子がひしゃげて、跳ね上がるように開いた。

中からもうもうと煙塵が立ち込める。

 

「ぎあ——ああああっ熱ゥああっがああああ!」

 

爆炎に右手を焼かれたらしく、ビーンが凄まじい叫び声をあげて転がり回った。

叫び声をあげられるということは、まだ生きている。

アルマは安堵のため息を漏らしたが——さらに、もがくビーンを黒の奔流が襲った。

 

「何ッ!?」

 

大量のブナハブラの群れが、燃えたビーンの右手めがけて突進していく。

 

「うわあああっあ!く、来るなぁうあ、来るなあああ」

 

利き手に大火傷を負った状態ではブナハブラ1匹追い払うことすら難しい。

 

「ビーィィィンッ!クソッ、離れろ貴様らッ!!!」

 

ガンランスを構えたジリーが、相方を助けんと黒い不定形の中に突っ込んだ。

二人の狩人、立ち込める煙塵、群れなす羽虫——混沌の中で数度、ガンランスの爆炎が上がる。

爆炎が上がるたびに減るどころかどんどん大きくなっていく不定形——その少し外に、地上に降りたアルマはいた。

 

爆風によりビーンの手からもぎ取られ、ゲートの脇に転がっていった鍵。

急展開の中、アルマはしっかりと目で追っていたのだ。

アルマはキラキラと光るそれを地面から拾い上げ、しっかりと握りしめた。

 

「掴んだッ!」

 

二人を助けてやりたい気持ちもあるが——後回しだ。

扉を開けたら助けに来れる。鍵さえ使って仕舞えば時間はいくらでもある。

だから後に回す。

あの奇妙に掠れた笛の音も、全部——。

 

「とにかく、まずは自陣に戻ってやるッ!」

 

アルマが中央の柱を登り切ると、開幕の混乱が嘘のように橋の上は落ち着いていた。

どういうわけか、闘技場中のブナハブラがビーン達を襲っているのだ。必然的に上はスッキリと手薄になる。

アルマが赤い柱へ駆け出そうとしたその時である。

 

カラン、と乾いた音がした。

 

ゾクリとした感触が背中をよぎり、アルマは咄嗟にその場に伏せる。

下げた頭の後部を、何かが通り過ぎた。ほんの少し掠った首の皮に鋭い痛み。そしてつう、と少量の液体の流れる感触。

 

「羨ましい、羨ましいのう。その鍵、儂に寄越して貰おう」

 

八重歯の少年が笑った。

右手にぶら下げたスラリと長い太刀からは、赤い血が一滴筋を描いて垂れている。

 

「テメエ、躊躇なしかよ…!対戦相手を殺したら失格だぞ!」

 

「そうじゃのう。そうじゃそうじゃ。でも攻撃したら失格とは書いておらなんだ。失格になるのは相手が死んだ場合だけじゃ。手足の一本や二本——切り捨ててしまってもお主なら大丈夫であろう」

 

フッ——と浅葱色が尾を引き、と濃紺の影が視界から消えた。

ぞわぞわと体の末端から這い上がってくる殺気は、ヤジロウが既にアルマの懐へ入り込んだことを示している。

今この瞬間にどんな速度で後方へ飛びのいても、しっかり腹まで届く間合いだ。

 

——斬られる。

 

「アルマ!どいて!」

 

下方からせり上がってきていた殺気が、後方から飛んできた剣気と衝突して霧散した。

ルスキアがアルマとヤジロウの間に割って入ったのだ。

 

「殺させはしないわ、コレは」

 

「お、おい…モノ扱いかよ」

 

「置物みたいに突っ立ってたじゃない。ほら、さっさと走る」

 

野良猫はそう言って二本のレイピアを構えた。

 

「これは幸運じゃ。一石二鳥、棚から牡丹餅という奴じゃな」

 

ヤジロウは嬉しそうに刀を撫ぜる。

 

「ロアルドロスの時の借りは返したわよ。私はこっち一人で精一杯——もう一人は自分でなんとかして」

 

「貸借りなんて考えなくていいだろ、チームだぞ。けど…了解だ、恩に切る」

 

アルマは赤い柱にかかる吊り橋へと駆け出しながら、行先を遮るようにその中央に立っている——松葉色の双眸を睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第17話 ルース・ロスト・ルーザー

「なあそこ、ちょっと退いてくれよ。向こう岸に用事があるんだ」

 

アルマは吊り橋の上に立っている、鬼に向かって言った。

 

「勿論どうぞ。通行料はその鍵で結構だよ」

 

人から外れた餓鬼——コマベエは、背中の太刀を抜きもせずに、無防備に立っている。

 

「困ったぞ。この鍵は渡せない。ただで通してくれ」

 

「そりゃあ駄目だよ。もしそれでも通りたいなら——力づくで通ってみたら?」

 

——そうさせて貰おう。

アルマは鍵を口に咥えて両手を空けると、コマベエめがけて突進した。

ぐんぐんと距離を詰めていくが、相手は身動き一つしない。

もうそろそろ間合いなのに完全に脱力したままだ。

濃紺の影がどんどん近付いてくる。

なんのつもりだ?

コマベエの意図がわからない。

どうする?

このまま突っ込んでいったら——奴は躱すか?

突き飛ばしていくか?

それとも——。

間合いに入った。

ふと、()()()()はアルマの脳内に訪れた。

まるで街中でばったりと知人に出くわしたように。

 

——あれ?今…殺せちまうぞ?

 

簡単だ。

この勢いのままフラカンを抜いて顔面に叩きつければ、目の前の薄気味悪い餓鬼は死ぬ。

流石に殺したら失格になってしてしまうが、顔でなく足を一本、グチャグチャに潰すだけでも再起不能にはできるだろう。

それは最も簡単で、確実で、魅力的な解決方法。

一振りだ。一振りで——。

 

「——っ退()けッ!!」

 

アルマは勢いのままコマベエに突っ込むと、その華奢な体躯を()()()()()()()()()()

ひらりと舞う濃紺の着物。

まるで布のような軽い手応えしかなかったものの、コマベエは橋から落下して行く。

 

「これでいい、これで——何考えてたんだ俺は…ッ!」

 

嫌な感覚だった。

()()()()()()という感覚。

無防備に体を晒している鬼に、誘われるがまま武器を振るいそうになった。

直前で我に返ることが出来たために()()()まで行かずに済んだ。

アルマが実際にやったように手で突き飛ばすだけで充分だったのだ。

兎に角これで、橋を渡り切れる——。

 

「ほおら、ヤり損ねた」

 

足元から声がした。

 

「——なッ」

 

ザクリ、と音がしてアルマの左足に鋭い痛みが走る。

見れば、吊り橋の木板を貫いて長い刃が突き出ている。

刃はアルマの太腿の側面を一文字に切り裂いていた。

別にこれくらいの傷は障害にはならないが——それよりも。

 

「やっぱりお兄さんはそっち側——此岸(しがん)の人間だ」

 

ひらりと再び濃紺が舞い、コマベエが橋上へと戻ってきた。

 

「突き落としたと思ったが…橋桁(はしげた)掴んでぶらさがってやがったのか」

 

「殴打しとけば良かったのに、しなかったねお兄さん。出来なかったね——こっち側には来られなかったね」

 

「こっちだのそっちだの、指示語だらけでわかんねえよ。俺が行きたい所は向こうの赤い柱の上、それだけだ」

 

「観念しなよ、お兄さん。例え殺しちゃ行けないルールでもさ。殺す気で行かなきゃ勝てないのは、モンスターを狩ってるお兄さんならよぉく知ってるはずなのにね。勝ってたまたま相手が死ななかったらラッキー、って思ってる僕に、お兄さんは勝てないよ」

 

せっかく身体晒してあげたのに——と言ってコマベエは太刀を構えた。

 

「もう、殺す機会は訪れない」

 

まるで瞬間移動したかのように、突然コマベエとアルマの距離が詰まった。

あの足、袴のせいで動きが読めないものの——その動きは、さっき見た。

アルマは持ち前の反射神経だけで太刀筋を潜り抜けると、コマベエの腹を蹴り上げようとする。

 

「入——らねえか」

 

コマベエは体を回転させて身を躱していた。

回避としての回転はそのまま攻撃に直結しており、アルマの右側から刃が迫る。

脇下、布でしか覆われていない部分を正確に狙っている。

 

「——クソッ」

 

ギン、と硬い音がして、刃が止まった。

アルマが片手でフラカンを抜き、刀を止めたのだ。

 

「抜いたね」

 

抜いたが——圧倒的に分が悪い。

大剣からボウガンまで、ハンターの武器には様々な種類がある。

モンスターを狩る事において、武器種間に明確な優劣というのは存在しない。威力が高い代わりに隙が大きい、リーチが長い代わりに動きづらい等、一長一短なのだ。

それはハンターの武器がモンスターを狩るために作られ、最適化されたものだからである。最適化の方向性が違うために形状が異なっているだけだ。

しかしそれを別の用途に転用した場合、扱いやすさに大きな違いが生じるのは当然である。最適化の方向性が、たまたま他の用途にも転用できるような方向だったものと、かけ離れてしまったもの。

 

例えば——狩猟用の武器を対人戦に使った場合。

 

ハンマーは、殆ど全ての要素において太刀に負けていると言って差し支えないだろう。

人を殺すのにハンマー程の威力は必要ないのだ。

リーチ、手数、機動力——どれを取っても太刀には勝てない。

互いに硬い鎧を着込んでいれば上から叩き潰せるハンマーに分があるかもしれないが、目の前の相手は装備の隙間を正確に付いてくるのでアドバンテージにはなり得ない。

 

コマベエが続けざまに三太刀、アルマを攻撃した。

一撃目をフラカンで止め、間に合わないので二撃目は体をずらして胴装備に受け、三撃目は——アルマの頰を切り裂いた。

 

「勝てない——ってわかっただろ。今の攻防で。僕もあんまり此岸の人を傷つけたくはないからさ、鍵、置いていきなよ。お兄さん、死んじゃうよ」

 

コマベエの言う通りである。

対人戦では、鬼に狩人は叶わない。

 

「まあ、な。十二分にわかったよ。思い出したというべきかな。所詮、俺はハンターだったってわけだ」

 

コマベエはクスリと笑った。

 

「よしなよ自分を卑下するのは。人斬りなんかよりハンターの方がよっぽど立派な仕事だと思うよ。たまたまこのルールには向いてなかったってだけだ」

 

「別に卑下したわけじゃないさ。ただ、鬼の土俵にわざわざ乗っかる事もないと思っただけだ。俺もお前も忘れてたんだ。ここは狩猟用の闘技場。本来なら——狩人に分がある筈だ」

 

アルマはそう言うと、唐突にフラカンを橋板に叩きつけた。火属性のフラカンが橋板を粉砕すると同時に、その橋板が、橋桁が、吊り橋のロープが、炎に包まれる。

 

「な…なにやってんだァ、お兄さん!?正気!?」

 

「お前に言われたかねーよッ」

 

アルマがもう一度フラカンを振るうとロープは焼き切れ、吊り橋は音を立てて崩れ落ちた。

アルマはそのまま地面に降り立つが、コマベエは急な出来事に対応が遅れて橋に縋りつこうとした。

小さな体を炎が包む。

 

「あ、熱ッ——っと、うわああっ!」

 

さらにその炎を見て、それまでビーン達を襲っていたブナハブラがコマベエに殺到した。

ブナハブラと炎に包まれて、再び蜂の巣を突いたような騒ぎが始まる。

 

「くそ…なんだコイツらっ!邪魔だって…!」

 

「どうも炎が好きらしいな、その虫ケラどもは。友達ができて良かったじゃねぇか」

 

虫どもの対応に追われるコマベエを尻目に、アルマは満身創痍のビーンと疲弊しきったジリーの元へ向かった。

 

「ビーンさん、ジリーさん、大丈夫っすか?災難でしたね」

 

「火…そう言うことか。すまない。まさか競争相手に助けられるとは」

 

多少余裕を取り戻したジリーがアルマに言った。

一方、ビーンは未だ怯えたような表情で何かを伝えようとしている。

 

「エルモ君、気をつけろ。まだ、だ。まだ居るぞぉ」

 

どうやらかなり錯乱しているらしい。

アルマはしっかりしろ——とビーンを立たせる。

 

「落ち着きましたか?忘れてたけど俺の名前、アルマっていうんです。エルモってのは登録ミスです」

 

状況と無関係なその言葉にようやく落ち着きを取り戻したのか、ビーンは呼吸を整えるとしっかりとした口調で言った。

 

「あ、有難うアルマ君。でも油断してはいけない。まだ——」

 

「ま、ってよ」

 

ジュウウ、と火の消える音がした。

 

「酷い…じゃないか、お兄さん。ほぉ、ら、こんなに焼け焦げて。もうちょっとで焼け死ぬところだったよ」

 

白い蒸気が一瞬で晴れ、中からは数ヶ所に火傷と刺し傷を負ったコマベエが現れた。

足元にはバラバラになった十数匹のブナハブラの死骸。

 

「僕の南、蛮刀——いい刀だろ?み、みず…水属性なんだ。ブナ、ハブラを斬るついでに、こ、れくらいの火を消すくらい、わけもない」

 

途切れ途切れの口調。表情には痛みと、怒りと——勝利への確信。

 

「でもこれで、さ。振り出しより更に後退したよね、お兄さん。もう中央の柱から赤い柱には渡れなくなった。さっきと違って逃げ場はないし、僕は落ち着いてお兄さんから鍵を奪えるってわけだ」

 

コマベエは姿勢を低くし、行くよ——と言った。

松葉色が右にブレた。

鋭角で急に折り返す動き。

目では追えている——いける。

 

「アルマ君ッ!」

 

「大丈夫、対応できますッ!」

 

アルマはコマベエの動きを見切り、刀を持っている右手が振られる前に素手でその他を掴んだ——筈だった。

 

「——あ?」

 

——掴んだ右手に刀がない。

瞬間、アルマの視点がぐるりと回転した。

背中から地面に叩きつけられ、声が漏れる。

起き上がろうとしたアルマの手を、硬い木の履物が踏んづけた。

 

「掴んでくると思ったよ、お兄さんなら。もう僕等の動きに慣れてるのはとんでもないけど——慣れられたって分かってれば幾らでも遣りようはある」

 

ス、と美しい刀身がアルマの首元に突きつけられる。

 

「お兄さん達と僕等がごちゃごちゃしてる間に、クリアしちゃったね。紫のペア」

 

松葉色の目でアルマを見下ろして、泣き黒子の少年は言った。

首の動く範囲で辺りを見回すと、たしかにボーディとアーガイルの姿が無い。

実況などに耳を傾ける余裕は無かったから、一切気が付かなかった。

そもそもフィールドの中では羽音のせいで実況なんてろくに聞こえない。

 

「もう一つの鍵、ブナハブラの入ってた箱に一緒に入ってたみたいだね。あの小太りの人が大剣で箱を壊してた」

 

「お前——そっち行けばよかったんじゃねえの?っていうかそっち行っとけよ。俺の方来んな」

 

もう的は絞っちゃったから——とコマベエは笑う。

 

「鍵、渡してくれるよね?腕切って持ってくなんて、僕は厭だよ。ほら、早く」

 

そう言って、アルマの腕を踏んでいる足をグリグリと回した。

痛い、というよりも不快だ。嫌な気分になる。

 

「に、逃げろ!逃げるんだッ!」

 

「チッ…五月蝿いなァ」

 

叫ぶビーンに対してコマベエが苛々とした目線を投げた。

 

「このお兄さんはもう逃げられないの、見ればわかんだろ。貴方達には用も興味も無いから。さっさと尻尾巻いて逃げててよ」

 

違うッと、ビーンは叫んだ。

 

「まだ居るんだ!君達の他に、まだ!」

 

「はア?何言ってるのさ。紫のペアはもういないよ。残ってるのは腰抜かしてる貴方達と、あそこで斬り合ってるヤジロウ達と、そしてお兄さんと僕だけじゃないか」

 

いいや——とアルマは言った。

 

「確かにあの人達は腰を抜かしてるが——先輩の話はよく聞くもんだ、洟垂れ小僧。そして俺の話もな。言ったはずだァ、ここは闘技場。狩り場なんだぜッ。狩り場にいるのがハンターと人斬りと、小型の羽虫だけじゃあ——役者が欠けちまってるじゃねえか!」

 

「何を——グフゥッ!?」

 

訝しげな表情を浮かべたコマベエが、爆炎とともに紙人形のようにぶっ飛んだ。

体を起こして立ち上がったアルマの、そのすぐ目の前には——物凄いエネルギーの塊が佇んでいる。

猛るような、二足歩行する藍紺の怪物。

特徴的な丸いツノ、丸い拳。太い尾の先端は分銅のように六角柱のブロックを形成している。

コマベエを吹き飛ばしたのはソレの拳だ。

固く握られた、藍色の拳。その拳や角の表面は、光苔のように鮮やかに輝く、黄緑色の何かでびっしりと覆われている。

 

「見たことねえな。ビーンが手ェ突っ込んだゲートの中にいたのはお前か。爆発もお前のか?」

 

アルマの問いかけに答えるように、化物はズン、とツノを地面に突き刺した。

ボコボコ、グツグツと地面が沸騰するかのような音、そして微細振動。

 

「ああ、何かわからんが——多分、ヤベェ!」

 

アルマは咄嗟にその場から跳びのき、化物から距離をとる。

轟音。爆風。鮮やかな爆炎。

アルマが立っていた場所を破壊の嵐が包んだ。

 

「派手だなァ。鬱陶しい虫も勝手に吹き飛んでくれて見晴らしがいいぜ」

 

アルマは鍵を装備のポケットに仕舞い込み、両手でフラカンを握った。

先程の爆風からコマベエがこちらへ戦線復帰してくる様子はない。

ここは闘技場で、アルマは狩人で、相手はモンスター。

これでやっと、いつも通りだ。

 

藍紺の怪物が、伸び上がるようにして雄叫びを上げた。

耳に手を当ててそれをやり過ごし、アルマはその懐に飛び込む。

飛び込む時に一発、顎の下を揺らしておく。

懐に飛び込んだ後は腹部がガラ空きだが——アルマはそこでは攻撃せず、一旦二本の足の隙間から後方に抜けた。尻尾の動きを警戒しつつ、赤い柱の下まで離脱する。

振り向いた藍紺は、一瞬止まって自らと標的(アルマ)との距離を測ると、太い二本の足をバネのように縮めて、解き放った。

跳躍して飛来する巨体。

アルマはその下をくぐるようにして攻撃を躱す——が、背後で起きた爆発に、背中を少し捲られる。

 

「グッ——く、そ。範囲広すぎだろ!」

 

叫びながら振り返ると、赤い柱が目に映った。

爆発をまともに受けたのに、それはビクともせずに立っている。

 

「何で出来てんだよ…。まあいいや」

 

アルマは振り返った怪物の頭をもう一度叩いた。

怪物はそれでも怯まずに、軽快なフットワークでアルマの視界の外へ、外へと回り込もうとする。

 

「面倒くせえ動きを…!どこで覚えたんだそんなモン!」

 

あるいは、自然の為せる業か。

面倒になったアルマは一旦怪物から視線を外して、ハンマーで地面を叩いた。

視界から怪物が外れた途端——ふ、と体にぶつけられる殺気が強まる。

 

——左後ろだ。

 

アルマは地面をもう一度ハンマーで叩き、跳ね返ってくる勢いのままに体を回してフラカンを振り上げた。

ガン、と大きな音がして怪物が呻き声を上げる。

反転して獲物を正面に捉えたアルマは畳み掛けるようにフラカンを振り下ろす。

 

「ほらよッ——」

 

キン。

 

「ありゃ?」

 

さっきより硬く、軽い音。

武器が弾かれたような音。

ような——ではなく実際弾かれている。

跳ね上がったハンマー、回避行動は取れない。

 

——マジかよ、角、固えェ!

 

「ちょッ、タンマ——」

 

アルマの腹部に爆裂の拳が迫る。

 

「ぬゥ!」

 

その拳を、割って入ったジリーがガンランスの盾で受け止めた。

 

「助けてもらってばかりでは、申し訳が立たんからなッ!」

 

満身創痍で、盾だけを持ったビーンも飛び込んでくる。

 

「落ち着きを失って随分迷惑をかけたが——戻ったぞッ!もう剣は持てない。だが盾は持てる!そして君の狙いがわかった!それなら僕が援護しよう!」

 

ビーンは身軽に怪物の拳と拳の間に滑り込むと、その顎を盾で突き上げた。

怯んだ巨体が大きく仰け反る。

そして姿勢を戻した、目と鼻の先には——力を溜め終えたアルマが待っている。

 

「叩きつけろッ!」

 

言われなくても——アルマのフラカンが藍紺の怪物の鼻面を叩き潰していた。

完全に脳震盪を起こした怪物が、一瞬地面に伏せる。

アルマは即座に武器をしまうと、ツルツルとした硬い体表に覆われた怪物の、数少ない突起——頭の突起をしっかりと掴んだ。

怪物がなんとか姿勢を立て直した時、すでにアルマは頭の上だ。

そしてここからなら、この怪物の頭の上からなら——昇降できない赤柱へ届く。

中央の柱と赤い自陣の柱を繋ぐ吊り橋を壊した時、既にアルマはコレを計画していたのだ。

揺れる頭から赤柱へ飛び移ろうとした一瞬——二人の狩人と怪物を見て、アルマは迷う。

だが、ビーンの声が背中を押した。

 

「飛べッ!あまり先輩を甘くみるんじゃあないぞ、コイツは僕等が預かっておくッ!」

 

片腕で、盾だけを構えながら攻撃を捌いている。

 

「早くしろッ」

 

「——ああッ!どの道ルスキアも来てねえんだ、開けたらすぐに戻るッ!」

 

そして、跳んだ。少し着地にふらつく。

やっと戻ってきた赤柱の上。

足元には鉄扉。

——これでクリアだ。

アルマは懐の鍵を出して、それを鍵穴に差し入れようと屈んだ。

鍵は拍子抜けするほどにすんなり入ったので、アルマは即座にそれを回そうとする。

 

しかし。

 

 

「おにーいさんっ」

 

声変わりしきっていない声。

どこか甘えたような、それでいてゾッとする程冷たい声がアルマの耳をくすぐった。

 

「痛かったなァ、酷いや。思いっきり殴られた上に爆発もくらっちゃった。お陰で全身バキバキだよぉ。アドレナリン出てるから立ってられるけど——多分色んなところが折れちゃってる」

 

その声は会場を満たすどんな雑音よりも汚くそれでいて鮮明に聞こえるが、距離で言えばかなり離れているように感じる。

つまりすぐそばに立ってアルマの首を斬ろうとしているとか、そういう状況ではない。

 

——早く回してしまえ。

 

「い、い、の?死んじゃうよ、お姉さん」

 

「——あ?」

 

鍵を回そうとしたアルマの手がピタリと止まった。

ゆっくりと顔を上げて、目を凝らす。

右前方、アルマの赤い柱から20メートル程離れている、青色の柱。

その上に——影が三つある。

 

双子とルスキアだった。

膝をついて頭を垂れたルスキアの首元に、双子の刃が交差するように突きつけられている。

 

「まっこと、恐ろしいおなごじゃ」

 

 

ヤジロウがルスキアのダークブロンドの髪をグイ、と引っ張り顔を上げさせる。

 

「コマベエがあと一歩遅れておれば——儂の首は掻っ切られておった」

 

そう語るヤジロウは確かに酷い有様で、紺の着物は殆ど雑巾のようにズタズタになり、至る所から血を流している。

白かった袴も自らの血と土煙と虫の体液で元の色がわからない程に汚れていた。

 

「ごめん——勝てなかったわ」

 

そうじゃない。

勝ちそうだったのだ。

何故負けたのかと言えばコマベエが乱入したからで——それはアルマの管轄だ。

てっきり怪物に吹き飛ばされて再起不能になったと思っていたが、なんとか復帰していたらしい。

そしてこの餓鬼は——アルマを捨てて満身創痍の体一つで戦況を覆すべく、ルスキアを()りに向かったのだ。

 

 

「クソ底意地の悪い——」

 

「どうするの、お兄さん?僕達どうせ試合に負けるなら——失格になって負けてもいいって思ってるけど。それでもお兄さん独りで決勝進む?」

 

やっとたどり着いたのだ。

ルスキアの助けでこの殺人鬼達を躱し、ビーンとジリーの助けで下の爆弾魔を利用して——やっとたどり着いたのに。

 

「鍵、こっちに投げてよ。お兄さん、ハンターなら正確に届くだろ?鍵さえ譲って貰えればさ、僕等もわざわざお姉さんを殺したりしないから。勝てるならわざわざ失格になったりしない」

 

「アルマ、早く開けなさい。所詮虚仮威しだわ」

 

「…お姉さん、ヤジロウと戦っておいてそんな風に思える筈無いよね?それとも自己犠牲って奴?無駄だよ、お兄さんも僕と戦ってるんだから」

 

ちゃんとわかってるはずさ、とコマベエは言った。

勿論、分かっている。

双子は本気でルスキアを殺すつもりだ。

だからアルマは必死で頭を回している。

 

「俺は投擲が苦手でな。コントロール、できるか分かんねえぞ」

 

少しずらして投げて——取ろうとした隙にルスキアに攻撃させるか。

そんなアルマの考えを見切ったように、コマベエは言った。

 

「ちゃんと、この青い柱の上面に落下するように投げてよね。乗らなかったら、斬るから」

 

何を斬ると言っているのかは、聞くまでもない。

勿論投擲が苦手というのは嘘だ——イースほどの腕でなくても、向こうの柱に載せる程度なら朝飯前である。

 

アルマは鍵穴から鍵を引き抜いた。

 

「ちょっと…アルマ!!」

 

ここ数日、やっと掴めてきたパートナーの叫びを無視する。

どこで間違った。何を間違った。

心当たりはいくつもあった。

橋の上の初撃。足を潰せるのに潰さなかった。

橋の下での攻防。コマベエの攻撃を、アルマはわざわざ素手で捕らえようとした。

怪物にコマベエが吹き飛ばされた後。駄目押しの一撃を入れに行かなかった。

そして今——パートナーと勝利を天秤にかけて、やはりアルマは一線を越えられない。

甘かった。信じられないほど多くの機を逃した。

結局——執念が足りなかったのだ。

奴等のような、殺してでも、脅してでも、捨ててでも勝ちを取るという執念が。

これはその結果の敗北。

決定的、完璧な、アルマの——アルマだけの敗北だ。

階下で雄叫びが聞こえた。

爆炎に翻弄されている二人の狩人。

細く、きれいな首を刃に晒されて俯くルスキア。

それらを少し眺めて、虫の死骸だらけの闘技場を見渡して、観客席を見上げて、たまたま目のあったイースが頷いて、それから——。

 

アルマは、鍵を投げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第18話 急変

「ああ、ヤバいなぁ」

 

首都ビザヌテの路地をマロは一人で歩いていた。

闘技大会の準決勝が終わった後、イースは少しアルマと話してくると言うと、受付前にマロを残して行ってしまった。

都へ来てからマロが一人になるのは初めてで——出来心、という奴だったのかもしれない。

とにかく、折角訪れた都をもう少し見てみたくなって、受付を少し出てふらふらと出てきてしまったのである。

ソロムではよく一人で海岸へ出たりしていたので、その癖が抜けていなかったのだ。

それがいけなかった。

闘技場は大きくてわかりやすいし、最悪人に聞けば良いだろうと割と無計画に出歩いてみた結果——当然ながら、迷った。

整備されているようで不均一に並べられた街の建物はいとも簡単にマロの方向感覚を狂わせ、すぐに自分がどこにいるのかわからなくなった。

闘技場は遠くの方に見えているものの、行き止まったり折れ曲がったりでなかなか近づけない。

ついに諦めて他人を頼り、闘技場へのルートを教えてもらったのだが——上手く辿れていなかったらしく、どういうわけか大層人気の無い路地に出てしまった。

どの建物のものかわからない管や、使い古された毛布が視界の至る所にある。いくつか蹲っている人らしき影もあった。

 

——早く出たい。

 

薄暗い路地とはいえ位置的には都のど真ん中、夜なのに街の明るい光が差し込んでいるし、路地の外はたくさんの人が歩いている。

マロもすぐ通りに戻ろうと歩速を速めた時——声がした。

 

「何の真似じゃお主ら」

 

「うるせぇ、ガキのくせに偉そうにしやがって!」

 

声は、マロが今そちらへ抜けようとしている大通りより一つ手前の道から聞こえてくる。

マロが路地を大通りへ抜けようとすれば、必然的にその道の入り口の前を突っ切らなければならない。

マロは建物の陰からそっと様子を伺った。

何やら柄の悪い男達が4人程、同じくまともでなさそうな少年2人に絡んでいる。

 

「やめてください、今、そういう気分じゃあないんだ」

 

「オメェらの気分なんて聞いてねぇんだよッ!」

 

あ——あの人達。

マロは少年2人を知っている。

浅葱と松葉の目。

八重歯に泣き黒子。

背中の刀。

間違いない、今日の闘技大会でアルマとルスキアに競った二人である。

よく見るとマロが隠れているここは、酒場の裏手だったらしい。

大会が終わった後2人で飲みに来ていたところを、強面の連中に絡まれた、というところか。

見れば2人の着物は未だに汚れたままで、着替えも治療も済ませていないことが伺える。

あるいは着替えすら持っていないのかもしれない。

マロはそう思った。

 

「こちとら商売でやってんだ。散々飲んどいて払えませんじゃあ済まねえんだよコラ。やめて欲しけりゃ出すもん出せや」

 

4人の男の中で一番整った服を着た、目つきの鋭い男が言った。

双子はどうやら飲み代を踏み倒そうとしているらしい。

 

「払えぬとは言うておらん。法外じゃ。払いたくないと言うたのじゃ」

 

八重歯の少年はさも正当な権利を主張するかのような態度で言った。

 

「値段は予め決まってんだよッ!払いたくないなら飲むんじゃねえッ」

 

「値段なんて、どこにも書いていなかったじゃないですか」

 

今度は泣き黒子の少年が、一見やや丁寧に見える、慇懃な口調で言った。

 

「じゃあこれからは飲む前に聞くんだな、ったく身なりの汚ねえガキ共だぜ。取れるもんなんかありゃしねぇ」

 

男はそう吐き捨てて少年達をジロジロと見た。

するとふと、その視線が少年達の背を見て止まった。

 

「——それでいいか。おい、お前らソレ、持ってけ。武器屋に売れば多少の元は取れるだろ」

 

男は少年達の太刀を指差して言った。

連れの男達はウス、と言って少年達の太刀を奪おうとする。

少年達は僅かに後退りしたが、男達はずずいと詰め寄った。

 

「——めろ」

 

 

 

「はア?」

 

男達は構わず刀を掴もうとする。

 

「やめろっていってるだろ!」

 

シャッ、と音がして銀の刃が光った。

ビチャビチャ、と汚い音が続く。

 

「——ぎッ…い、ああああああっ」

 

薄汚れた地面に腕が一本落ちていた。

男のうちの一人が呻き声を上げて頷く。

 

「待っ——」

 

男達は背を向けて逃亡しようとしたが、少年に容赦はなかった。

無防備な背中を、まるで魚でも捌くかのような丁寧、かつ落ち着き払った素ぶりで斬りつける。

一閃。二閃。

刃物が振られるたびにドシャリ、と人の体の崩れ落ちる音がした。

最後には一番身なりの整った、ボス格の男が残った。

 

「ま、待て待て待て。落ち着けお前ら」

 

男は慌てた様子で話し出した。

平静を装おうとしているが、声から動揺が伝わってくる。

 

「わ、わかったよ。代金のことはもういい。お前ら俺の下で働かないか?食いもんには困らせねぇ。もちろんこの店も使い放だ——」

 

声がぶつりと切れた。

ごとり、と何か丸くて重い物が地面に落ちる音がした。

 

「いいよ、もう来ない」

 

瞬く間に惨殺死体四つの出来上がりである。

 

「——ひ、っあ、…」

 

マロは声が出るのを必死に抑え、ガクガクと震えていた。

 

「あーあ。コマベエ、滅茶苦茶にしおって」

 

浅葱色の目をした方——ヤジロウが、相方を窘めるような言った。

 

「普段は儂に人目を気にしろだの何だのと文句を言うくせに、人気の無いところではすぐそれじゃ。どうせ探られて痛い腹のある連中、店の者は喋ったりせんじゃろうが——部外者に見られておったら面倒じゃぞ」

 

ため息をついたヤジロウは、そう言って路地の方——つまり此方へ歩いて行こうとした。

 

——やばい、かも。

 

マロは道を横切るのを諦め、そろそろと来た方向に引き返そうとしたのだが——姿勢を反転した時に衣摺れの音。

その音を、鬼児達は見逃さなかった。

 

「ごめんヤジロウ。誰か見ていたらしいね」

 

「路地におったのかッ!」

 

殺される、と思った。

だから、衣摺れを消せなかった時点でマロは走り出していた。

背後からはカランカランと乾いた音が響いてくる。

布にくるまっている人を踏んづけそうになったり、管に足を取られそうにながらも必死に走る。

 

路地を抜け、往来に出た。

依然としてカランコロンという音は脳に響いてくる。

 

——ああ、なんて嫌な音!

 

もう闘技場がどこかもわからない。

マロは人にぶつかり、ゴミを蹴飛ばし、曲がり、走り、走って走った。

人と、人と、建物と人。

さっきより明るめの路地に入り、抜ければまた人の群れ。

黄と橙の街の灯り。蠢く人の影。紫と藍色の空。遠くに見える黒い山。

なにもかもが視界の中で溶け合うくらいに走る。足が焼けきれるくらいに走る。

カラン、コロン。カランコロン。

足音のペースよりマロのペースの方がずっと速いはずなのに、走っても走っても、耳の後ろで音がする。

 

嫌だ。怖い。聞きたくない。

 

そしてもう走れない、息もできない、というところで——マロは、止まった。

気がつけば、見覚えのある景色。

偶然か、あるいは体が記憶していたのか——そこは、宿泊しているロテル・ウルバヌの前だった。

 

「君は…マロ、だったか。どうしたんだ血相を変えて」

 

「——さん。ご、めんなさ、い私…迷っ、て、それで」

 

「落ち着きなさい。私のことはわかるね」

 

白い顔をした、金髪の美丈夫だった。

ウルバヌ親王の部下——エルフェドール、と言った気がする。

 

「街で、迷ってしまって。路地裏で。そしたら、双子が——」

 

双子、という言葉にエルフェドールは敏感に反応した。

 

「どんな双子だ?まさか大会の——」

 

「あの、その双子です。太刀を持った、黒い髪、変な足音の、が、人を」

 

「それがどうしたんだッ!何をしたッ?」

 

エルフェドールはユサユサとマロを揺すった。

マロはグラグラと首が揺れる中で——ああ、なんだか心地よいなぁと場違いな事を考えていた。

そして血がぐわんぐわんと体内を循環しているのを感じながら、上の空で言った。

 

「——殺しているのを見ました。4人、です」

 

それだけ言うと、マロはパタリと気を失った。

カランコロン、という音はもう聞こえなかった。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * *

 

街は夜も騒がしい。

大闘技大会が開会してからずっとである。あんなに飲んで騒いで、よくも疲れないものだとアルマは思う。

アルマは疲れていた。

準決勝、双子の脅迫に屈したアルマは勝利を逃しただけでなく、つい先程まで"お片付け"としてあの藍紺の怪物ブラキディオスを相手に戦っていたのだ。

やっとの思いで討伐しても、アルマの手には何も残っていない。

徒労——まさしく徒労だった。

 

「なあイース」

 

部屋に戻っても何をする気力も起きず、疲れてベッドに沈んでいた所へ何故か入ってきたイースに声をかける。

 

「何や」

 

「何が違ったんだ?俺と彼奴ら。何で彼奴らはあんなに積極的に人を殺しに行ける?俺もそうしなきゃ勝てないのか?」

 

別に、アルマだって真に追い詰められれば感情を抑えて決断を下す事が出来ないわけではない。相手を殺さなければ殺されるという状況下では、相手を殺したりもするだろう。

だが、なるべく死者を減らそうという努力はする。してしまう。

だから今回も橋から落としたり、腕を掴んだり、あるいは相手がモンスターの攻撃で吹き飛ばされたりした時点で手を緩めてしまった。

それで必要十分だと思ったからだ。甘かった。

奴等にはそれがなかった。奴等は過剰なまでに積極的で、攻撃的で——むしろライバルの殺害を禁ずるルールを鬱陶しく思っている節さえあった。

あからさまだったヤジロウは勿論、コマベエの方もアルマを取り押さえた時には口では斬りつけたくない様な事を言っていたが、今思えば敵に余裕を見せつける愉悦に浸っていただけの様に思える。

兎に角、人に攻撃する事へのストッパーの概念が頭にあるかないか。

アルマはそこが今回の分かれ目、肝心な所だと思っていたのだが——。

 

「ポップコーンや」

 

アルマの意見に対してイースが発したのは脈絡不明のスナックの名前だった。

 

「は?」

 

「闘技場の外にな、アヌトニネ高原産とか言うてな、ポップコーンが売られててん。味は3つでキャラメル、塩と——スパイスやったかな。アルマやったら何買う?」

 

「おいイース。俺は今それなりに真剣な話をだな」

 

「ええから、何味?わてはキャラメル」

 

どう考えてもふざけている様に思えるが、イースの態度を見るにそういうわけではないらしい。

 

「塩」

 

へえ、とイースは言った。

 

「因みになんで?」

 

「甘いのは嫌いだし、スパイスは味に想像がつかない」

 

「ははん。さてはアルマ、冒険しないタイプやな」

 

やっぱりふざけているのかもしれない。

アルマがそう言うと、イースは違う違う、と慌てて首を振った。

 

「じゃあその話、俺の話とどう関係があんだよ。ポップコーンの好みなんてどうでもいいだろ」

 

その通り、とイースは言った。

 

「そうそう、人の味の好みなんてたいした話やないねん。そしてそれはアルマが気になってる、殺しに抵抗があるかないかについても同じや。一線を越えるとか、此岸、彼岸とか言うけれど、そんな大層なものちゃうで」

 

イースは窓際に近づくと、夜の街を眺めた。

 

「赤が好きな人とそうでない人。魚が食べられへん人と食べれる人。賢い人とアホな人。人っちゅうのはそう言う要素一つ一つの集合体や。何か一つできんことがあっても、他でカバーできればええねん」

 

確かに、変数は一つではないというのは理解できる。

例えばアルマのリーチはほかのハンターよりも短いが、タフネスと反射神経で密接距離での戦闘を可能にしている。

だが、ならばなぜ負けた。

どこか他の要素で——巻き返せる部分があったのか。

問題は、とイースは言った。

 

「見誤ったこと、や」

 

「見誤ったこと?」

 

「もし必要十分で済ませたいんやったら、きちんと見極めなあかんわ。今回ワレはそれを見誤った——それだけや」

 

イースはいくつか例を挙げた。

例えば橋の上でコマベエを突き落とした時、コマベエが橋にぶら下がっているのを見落としたが、きちんと落ちたかを確認していれば——鍵を開けるのには十分な時間を稼げたということ。

橋の下でコマベエの攻撃を止めようとした時、掴んだ相手の手に武器が握られておらず虚を突かれた。あの時も落ち着いてそのまま対処していれば——素手で対処したこと自体にはなんの問題もなかったということ。

なるほど、言われてみればそう考えられなくもない。

だとすれば、人を攻撃するだのしないだの、主義信条の問題ではなかったことになる。見極められなかったのはアルマ自身の実力の問題だ。

考えを改めたり信条を曲げたりする必要はない、ということか。

 

「そういうこと。変えれもせん主義云々でうだうだ悩む前に、自分の主義を曲げない範囲でのベストがなんだったか考え直すのが先や。その余地は幾らでもあるやろ」

 

あまりにも自分と考え方の違う敵と対峙して、まるで別の次元で戦っているような気がしていたが——落ち着いて対処すればなんとかならない相手ではないのだろう。

 

「主義信条を曲げてでもどうにかせなあかんのはな、そうせな必ず死ぬとかそういう状況だけやで。人斬り二人と同じ檻入って皆んな無事に出てきたんやから、幸運やったと思うべきやろ。命さえあれば——またどうにでもなるわ」

 

「確かにな」

 

死ぬ可能性もあったが、それを免れる選択肢は豊富にあった。敗北するだけで助かるなら安いものなのかもしれない。

思えば、捕まる前は何のアテもなく都へ来ようとしていたのだ。今回は少しチャンスがチラついたから負けて損した気分になっていたが、少なくともソロムにいた時より前進はしている。

そう考えると、案外悪い状況でもないような気がしてきた。

 

「イース」

 

「…?なんや」

 

「サンキューな」

 

「吹っ切れたようで何より。また貸しやね。ああ、そうそう——」

 

それから暫くイースとアルマは部屋の中で雑談にふけっていた。

少し経って話が一区切りするとイースはほな、と言って立ち上がった。

ガチャ、と音がして部屋の中に独りになる。

一旦落ち着いてみると急に汗や怪我が気になり出すものだ。

 

「…クッセェ、俺」

 

アルマはのっそりと重い腰を上げて、風呂場へと向かうことにした。

体は重いが、心は既に羽毛のように軽くなっている。

我ながら単純なものである。

のんびり廊下を歩いていると、大浴場の入り口でばったりとルスキアに遭遇した。

 

「——まだ入ってなかったの?」

 

ルスキアはアルマの汚れに汚れた姿を見て、意外そうな声を上げた。

 

「ああ。お前もこれからか」

 

ルスキアも同じく血だらけ、泥まみれである。

 

「ありがとな」

 

アルマがそう言うと、ルスキアは怪訝な顔をする。

 

「…何が?」

 

「大会、ペア組んでくれてよ」

 

ルスキアは目を逸らした。

 

「気まぐれよ。勝てたわけでもないのに、お礼なんて」

 

「それでも有り難く思ってる。結構楽しかったしな」

 

ルスキアは一層不可解な顔をした。

 

「——変な奴ね。あの時もそう思ったけど。勝ち上がりたければ開けて仕舞えば良かったのに」

 

最後の柱の上でのことを言っているのだろうか。

 

「開けたらお前、死んじまうだろうが」

 

「別にいいじゃない。あそこで勝てば相手はボーディとアーガイル。狩人としての勝負なら、あんたは一人でも互角に戦える」

 

「アレはいいんだよアレで。俺がそっちのがいいと思ったんだから」

 

したくない選択をするくらいならば、近道は一旦諦めても構わない。死にさえしなければ、方法はいずれ見つかる。

あの時はそんなこと考えてもいなかったが——結果的にあの判断だけは間違っていなかったわけだ。

アルマはルスキアの横顔を見た。

長い睫毛に緑の目。

マロと同じ色だ。

アルマはふと先程イースと交わした雑談を思い出す。

 

「やっぱさ——似てるよな、お前」

 

「何と?モンスターとか、嫌よ」

 

「言うかそんなこと。俺がいってるのはアレだ、マロだよ。お前とマロ、似てないか?」

 

だからこそアルマは初対面の時、どこかであったような気がしていたのだ。

するとルスキアは一瞬驚いたように目を丸くし、それからクスクスと笑いだした。

 

「何笑ってんだよ」

 

「いやだって、全然違うじゃない。目の色でしか人を識別できてないんじゃないの?」

「まじで?そうかも」

 

そう言われると、反論が一つも思い浮かばない。

実際、さっきもイースの共感は得られなかった。

アルマは似てると思ったのだが——気のせいということだろうか。

それに、と翠眼の女がアルマを覗き込んだので、アルマはほんの少したじろいだ。

 

「やっぱり他の誰々に似てる、とか女の子に対して言うものじゃないわ」

 

肉感的な唇がデリカシー、と小さく笑う。

 

——失言だったのだろうか?

 

謝るべきか否か迷ってる間にルスキアは女湯の中へと消えていき、アルマは釈然としないまま男湯に入ることになった。

 

 

体を擦る。

風呂場で体を洗う、という行為には物質的な汚れを落とす以上の意味があると思う。悩んでいても不安があっても、体を洗って温まれば多少は気持ちが軽くなるもので、イースの言葉で落ちやすくなっていたアルマの精神的な荷重は入浴中に綺麗さっぱり落ちてしまった。

準決勝の傷は既に癒えかけている。

湯船の中、弛緩した頭でアルマはぼんやりと考える。

 

——明後日は決勝でも見届けて、それからイースと一緒に脱出方法を再び模索してみるか。

 

まるで湯治にでも来ているかの如き脱力ぶりだが、ここのところずっと張り詰めっ放しだったので悪い気はしない。

 

数分後、入浴を終えたアルマが部屋に戻るとまだルスキアは帰っていなかった。

それから暫くアルマが一人で寛いでいると——部屋の扉が開いた。

焦茶の髪が顔を覗かせる。

長風呂だったなと言おうとして、アルマはその焦茶の後ろに青白い顔の金髪が続いているのに気づく。

ルスキアに続いて入って来たのは、まるで血液そのものが牛乳並に白くなってしまったかのような蒼白な顔をしているエルフェドールであった。

吸血鬼のように血の気を失ったその男は、いつも通りの一定のペースで、しかしほんの少しだけ落ち着きを失った声で言った。

 

「お前達の決勝進出の可能性が浮上した」

 

「は?」

 

——今、なんと言った。

 

「決勝戦は明後日だ。もしそうなれば、健闘を祈る」

 

「待て——待ってくれ。負けたよな?俺達。なんでだ?何があった?」

 

「うむ、驚くのも無理はないが…今しがた決勝戦進出者が一人、死傷した。街中で死体が発見されたのだ。相方は行方不明になっている。今も捜索中だが、見つからなければ次はお前たちだ。ビーンとジリーの所にも報告が行ったが、彼等は権利を放棄したからな」

 

まあ、ビーンは大怪我を負っているから致し方の無い事なのだろう。

それよりも。

 

「どっちが殺されたんだ。警戒はしてたし、二人ともあっさり殺されるようなタマじゃねえぞ」

 

気をつけなければいけないのは試合の外だと、先日エルフェドールは言っていた。

ボーディもアーガイルも、珍しく真剣に聞いてたはずだ。

にも関わらず——やられたのか。

アルマは意地汚いけども憎めない、二人の狩人を思い浮かべた。

そして。

 

——あの餓鬼。

 

アルマは歯軋りした。

 

「なあ、どっちだよ!やられたのは?ボーディか?アーガイルか!?」

 

「違う」

 

——違う?違うのか。何が?違うとは、どういうことだ。わからない。

 

「殺されたのは——」

 

エルフェドールは額に手を当てた。

 

「殺されたのは、コマベエだ。背後から首を、一撃だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第19話 トップ・シークレット

大勢の観客が見守る中、アルマとルスキアは片膝をつき頭を垂れている。そして二人の前にはウルバヌが腕を組んで仁王立ちしている。

普段は土埃の舞う凹凸した闘技場の地面だが、今日は綺麗に慣らされた挙句、一文字に赤い天鵞絨の絨毯が敷かれていた。

絨毯の先には、背の高い椅子。

椅子には壮年の竜人が、ゆったりと腰掛けている。

国王トレヤンヌ3世——男はそう呼ばれていた。

 

「優勝おめでとう、エルモ君、ルスキア君。君達の偉大な業績を称えよう」

 

男の声は柔らかく、穏やかなもので——アルマは毛穴から他人が浸透してくるような、酷く不快な感覚を覚えた。

背中に当たる日差しが鬱陶しいというのもある。

 

「一度は敗北したけれど、君達は幸運にも戻ってきた。そして決勝戦の戦いは——実に見事だったね。楽しませて貰ったよ。さすがウルバヌの見込んだ狩人だ」

 

見事だった、か。本心だろうか。

男の言う決勝戦は、ついさっき幕を閉じたばかりである。

死亡したコマベエ、行方不明のヤジロウに代わり、アルマ達は幸運にも決勝に進出することができた。

入場口からフィールドに入るとゲートの向こうには二つの大きな影が待ち構えていて——実況ではウラガンキンとディノバルドと紹介されていた——アルマ達はその二体のうちのどちらかを選ばされた。

アルマとルスキアはウラガンキンを、ボーディ達はディノバルドを選んだ。

決勝戦は、自分の選んだモンスターが力尽きるより先に相手のモンスターを狩る、というもので——結論から言うと、アルマ達は勝った。

やるべきことはシンプルであった。ただルスキアと二人で、最速を目指してディノバルドを狩猟するだけ。ウラガンキンにも他のペアにも、最低限の意識を割くだけでいい。

一方でアーガイル達も同じくウラガンキンに集中しようとしていたのだが。

モンスターは当然、人を区別しない。

刃物のような長い尻尾に火属性のブレスと、攻撃範囲の広いディノバルドに幾度となく行動を阻害され——ついに、ボーディがキレた。

無理もない。ターゲットではないモンスターにあれほど邪魔を入れられればアルマだって腹が立ってしょうがないと思う。

兎に角、地団駄を踏んでキレたボーディは、

 

「この青トカゲ!その鬱陶しい尻尾ちょん切ってやるぜぇ!」

 

と喚くと、大剣で長い尾を両断してしまったのだ。

アイデンティティの尻尾が切れたディノバルドなど、もはや牙をもがれた獣である。

波に乗ったアルマ達が総攻撃を仕掛けたことで形勢は大きくこちらへ傾き、一方でボーディ達は遅れを取り戻すことは出来ず、結局そのままアルマ達がディノバルドを狩りきってしまった。

半ばボーディの自滅と言ってもいいだろう、頭を抱えていたアーガイルには心から同情した。

振り返ってみればお世辞にも見事とは言えない、間抜けな閉幕のような気がする。

とはいえ観客達はそれでも大いに楽しんだ様子であった。

だから、この男——国王もそうなのかもしれない。

 

さて——と言って男は立ち上がると、アルマ達の方へとゆっくりと歩いてきた。

ウルバヌは身動きひとつせず、ただまっすぐ前方を——空席になった椅子の方を見つめている。

国王もまた黙ってウルバヌの横を通り過ぎると、アルマ達の目の前で立ち止まった。

身を屈めてアルマ達に顔を寄せると、アルマ達の首に何かを掛ける。

黄金に輝くメダルだ。

あまり趣味のいいデザインではない。

 

「これは君達が然るべき実力と幸運を兼ね備えていた証拠です。誇りに思っていいよ。賞金は明後日に——ウルバヌの所へ届けてあげよう」

 

耳元で囁く、柔和な声。

アルマとルスキアの肩に男の手が置かれた時、ぞくりとアルマの背中を悪寒が走った。

 

この男の、この空々しさはなんだ。ぐちゃぐちゃに混ぜた鍋の中身を、紙一枚の蓋で覆っているような——そんなちぐはぐさがある。

 

横を見ればルスキアも首筋に汗を浮かべ、拳を固く握っている。

 

男は姿勢を元に戻すと、手を叩いた。

 

「さて、さて、さて。賞金やメダルも良いけれど——君達が気になっているのはこれからだろう。そうだね」

 

その通りである。

ボーナスステージの任意報酬。アルマにとってはそれが最も重要なことで、むしろ他のことはどうでもいいのだ。

男は大袈裟に両手を広げた。

 

 

「さあ!なんでも好きなものを言いなさい!!地位か、富か?それとも——」

 

国王以外、誰も何も言わない。

皆黙って成り行きを伺っている。

 

「船が欲しい」

 

静寂の中でアルマの声は不自然は不自然に響いた気がした。

ふね、と国王が大袈裟に驚く。

 

「船、か。水の上を移動できる乗り物のことだねぇ。湖の上にでも住みたいのかい?」

 

この男は海の向こうの大陸の事を知っているはずである。

ならばこれは——建前か。

 

「ええ、まあそんな所です。大きくて丈夫なのが良いのですが」

 

ここは話を合わせておくべきだろう。

王は気前よく頷いた。

 

「良いだろう。うん、良いよ良いよ。城の地下にね、一つあるんだ。あれをエルモ君にあげようじゃないか。それで——ルスキア君は?」

 

ビクリ、とルスキアの肩が跳ねた。

顔色が良くない。体調でも悪いのだろうか。

 

「ル、ス、キ、ア、く、ん、は?」

 

国王は再びルスキアの名を呼んだ。

 

「わ、たし…は。いえ、その——結構です」

 

結構——とはつまり、不要ということだろうか。

 

「おい良いのかよルスキア、勿体無えぞ?」

 

困った子だねぇ、と国王も肩を竦めた。

 

「なんでも言って良いんだよ?それとも欲しいものが多すぎて決められないのかな?」

 

「いえ、本当に…気まぐれで出ただけなので——賞金だけで十分です」

 

ルスキアはそれだけ言って俯いてしまった。

国王はなんだよつまらないなあと言って背を向けると、ゆっくりと絨毯の上を歩き出した。

 

「まあいいけどね。それじゃあ——」

 

そしてウルバヌの脇を通り過ぎる辺りで、もう一度くるりとこちらを向いた。

 

「ウルバヌはどうだい?お前には大抵のものは与えてると思うけど、わざわざこんな所まで出張って来たってことは——まだ欲しいものがあるんだろう?父さんがプレゼントしようじゃないか」

 

そう言ってウルバヌの顔を横から覗き込む。

ウルバヌは目を合わさなかった。だが、逸らしもしなかった。

ただまっすぐに、絨毯の道の果てにある椅子を眺めていた。

 

「何がいい?お母さん、とかはよしてくれよ?流石の僕も死んだ人を生き返らせたりは出来ないからね」

 

国王が耳元で囁いても、ウルバヌは姿勢を崩さない。

そして銅像のように直立した姿勢のまま、鷹の如き目をした若き竜人は口を開いた。

 

「あれだ」

 

「——ん?どれだい?」

 

「あれだよ。あれ。てめえがいつも踏ん反り返ってるあの椅子だ。俺は——この国の王座を貰いに来た」

 

ウルバヌはそれだけ言って口を閉じた。

はっきりと、聞き間違えようないほど鮮明に発された言葉。

観客席からどよめきが漏れる。

国王トレヤンヌはその言葉を聞いて、何度か反芻した。

そして——顔いっぱいに呆れと失望の表情を浮かべた。

 

「なんだ、ウルバヌ。裏でコソコソやってると思ったのに——やけに素直で普通の要求じゃないか。プレゼントにしては少し豪華すぎるけど、仕方ない」

 

観客席を見上げて叫んだ。

 

「聞いたかい、国民諸君。ボーナスステージの報酬は今見た通りだ!勝てばエルモ君に船が、ルスキア君には何にもなくて、ウルバヌには王位がプレゼントされる!」

 

柔らかいのに良く通る声だ。

それに乗せられて、戸惑っていた観客達が歓声をあげる。

国王は満足そうにそれを眺めた後、視線をアルマ達に戻した。

 

「せっかくだしルスキア君だけ何も無いのもアレだから、適当に賞金増額とかその辺にしとくよ。頑張ってね」

 

そう言って壮年の竜人は優雅に歩き去った。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 

表彰式の後、アルマ達はロテル・ウルバヌの地下室に集められた。

集まったのはウルバヌ配下の者達——予選後の祝勝会と同じ面子である。

 

「また美味いもんでも食えんのかな?」

 

アルマがそう言うとアーガイルが鼻で笑った。

 

「優勝者が何を貧乏臭い事を。それともアルマが奢ってくれるんですかねぇ?ヒヒヒ」

 

「負けたからって僻むんじゃねーよ、それにまだ賞金も受け取ってねえ」

 

するとアーガイルは少しムッとした顔をした。

 

「私がいつ負けたと言うのですッ?負けたのはあのバカ一人で私は関係ない」

 

「なんだとアーガイルッ!俺のせいだって言うのかよ!」

 

「君のせいでしょう!?よりによってアルマ達のターゲットの尻尾を切り落とすなんてッ!」

 

「俺様の邪魔をするあの尻尾トカゲが悪いのだ!お前があっちを選べって言うから選んだのに!!」

 

「お前達、静かにしないか!」

 

ギャーギャーと騒ぐボーディ達を、エルフェドールが鎮めた。

 

「大事な話があると言って呼んだのだ。この前のような軽い雰囲気で聞かれては困る——親王様」

 

「ああ、そうだな。今回ばかりは真面目に聞け。こりゃ命令だ」

 

ベッドの上に寝転がっていたウルバヌは姿勢を起こすと、真剣な眼差しでアルマ達を見据えた。

猛禽類のような威圧感に、アルマは自然と居住まいを正す。

 

「多少幸運にも恵まれて——俺達はこの大会を獲った。素晴らしい事だ。てめえらを拾って良かったと思ってる。だが、まだ事は済んじゃいない」

 

ウルバヌの言う通りである。

まだ、誰も何も得てはいない。賞金など元から狙っていないのだから得たうちには入らない。

欲しいのは、船だ。

今日の国王の反応を見るに、渋る様子はなかった。

ボーナスステージをクリアすれば、きっと手に入るだろう。

だが——。

 

「あんたは王座って言ったな」

 

そちらはどうだろうか。

国王は良いだろう、と言ったがアルマの時とは反応が違っていた。

潔く譲って貰えるようには思えない。

アルマがそう言うと、ウルバヌはニヤリと笑って頷いた。

 

「嫌だろうなァ、当然。でも国民の前で宣言したんだ。今更嫌とは言えねぇさ。どうしても譲りたくなかったら——」

 

「アルマがクリア出来ないような課題を出すしかないわな」

 

イースが言った。

その通り、とウルバヌが肯定する。

 

「そのためのボーナスステージだ。嫌な要求をしてきたらそこで優勝者を負かせば良いって考え方なんだ、奴は。実際俺は15年前に一度見たことがある。その時の優勝者の要求は王座ではなかったけどな——兎に角国王はその要求を呑みたくなかったんだ。だから無理難題を出して、挙句フィールドの中でモンスターに殺させちまった。大勢の観客の前で足の方からちょっとずつ喰われていってな、本当に酷い有様だったよ」

 

殆ど反射的に、アルマは唾を飲み込んだ。

隣ではルスキアがきつく唇を噛んでいる。心なしか、手が震えているようにも見える。

 

——ルスキアも怖がったりするのだろうか。

 

「とまあ、ビビらせるようなことばかり言ってアレなんだが——俺はお前ら二人なら大丈夫だと思ってる。ヤバイと思ったら棄権させることもできるしな。そいつはたった一人で参加して誰もバックに居なかったから助けられなかったが——今回は俺がいる。安心しろ」

 

それに、とウルバヌは言った。

 

「実を言うとな、クリアすることが目的じゃあねーんだ」

 

「あ?」

 

何を言っているのだろう。

クリアしないと王座も、船も手に入らないではないか。

 

「お前達には——クリアされるかも、って言う考えを奴に持たせて欲しい。このままじゃヤバイ、ってな。それが肝心なんだ。逆にそうなる前にクリアされても困るんだよ」

 

「待ってくれ——わかんねえぞ。王座が狙いじゃあねえのかよ」

 

もしそうなら何が狙いだ。

ウルバヌは何を考えている?

 

「でもそういえば——ずっと疑問ではありましたねぇ。ウルバヌ親王は続き柄では国王陛下のご子息、しかも長男でしょう?それがなぜ王子ではなく親王として、辺境の領主などをやっているのか——本来ならこんな大会に関わらずとも王座に着くのは貴方の筈」

 

アーガイルは顎をさすった。

 

「長男?マジで?」

 

ボーディは知らなかったようである。

 

「街の人は知っていましたねぇ。当時は随分と話題になったそうですが——その理由まで知っている人は誰も居なかった。私は大方家臣の妻に横恋慕でもして勘当されたものと踏んでいましたよ、ヒヒヒ」

 

「アーガイル、口が過ぎるぞ」

 

エルフェドールが威圧した。

おやすみません、とアーガイルは肩を竦める。

どうせ、本気で思っていたわけではないのだろう。

 

「成る程、横恋慕ねぇ。そりゃあ面白い説だが残念、不正解だ」

 

「じゃあ何で追い出されたんだよ!盗み食いか?親の財布から金でもとったか?」

 

ボーディがこれまた無礼なことを言った。エルフェドールの額に青筋が立つ。

 

「親王様はそのような矮小な行いはせん。そも、親王様は勘当されたのではない。勘当した、というのは後から国王様がそういうことにしたというだけの話だ」

 

「あ、もしかして!」

 

そこでマロがピンと来たような表情をした。

先日街で大変な目に合ったらしいが、もう平常運転している。メンタルのタフさはかなりのものだ。

 

「勘当されたわけじゃない、ってことは——出て行かれたんですか?」

 

家出——否、城出と言うべきだろうか。

まあウルバヌのやさぐれ具合を見れば一番しっくり来る説ではある。

 

「正解だ。まだ若い、というより青かったからな。どうしても嫌なことがあったんだが、うまく対処する脳が無かったんだな。どうしようもなくなって、結局とった行動が、"出て行ってやる!"だったわけだ」

 

王子としての生活を捨ててまで家出をする程に、嫌だったこと——何が嫌だったのだろう。アルマは少し考えたが、贅沢な生活に飽きたとか、父親から認めてもらえなかったとか、ありきたりなことしか浮かばなかった。

そうでは無いのだろう。

 

「何だその——どうしても嫌なことって」

 

「まあそうなるよなぁ。そこがポイントだ。そしてそれは——今のこの国の根幹に関わってる」

 

「国の根幹だァ?」

 

流石王子の悩みともなればスケールが大きい。

 

「こいつだよ」

 

ウルバヌはそう言って、ポケットから何かを取り出した。

掌に収まるか収まらないかという程度の大きさの——木彫りの何かだ。

 

「それ——見たことあるぞ」

 

アルマはソロムから最初に連れていかれた、ウルバヌの部屋でそれを見ていた。

装飾品や調度品、玩具——その中にあった木彫りの笛だ。

円筒状で、側面にいくつか穴が空いている。

それはウルバヌの手に良く馴染んでいるように見えた。

 

「これは、俺が作らせたとある笛のレプリカだ。本物はあっち——城のどっかにある。誰が持ってるのかはわからねえ」

 

「笛の何が嫌だったんだよ?稽古でも受けてたのか?嫌なら辞めろよ。笛じゃなくてあんたが出て行くってんじゃあ笑い話だぜ」

 

「それがそうでもないのさ。この笛は——これの本物はな、王家の家宝なんだが…事によっちゃあ王子よりも、いや、王よりも偉いんだよ」

 

「なーに言ってんだよウルバヌ親王ォ、そんなちっせえ木の笛が人間様より偉いわけねえだろッ?それとも何だ、そいつがソファに踏ん反り返って酒浴びたり女のケツ揉んだりすんのかよッ?」

 

ボーディが頓狂な声を上げた。

 

「おめえの偉いのイメージがよく分からねえんだが…まあ、当然違う。それでも家宝の笛はただの笛じゃあねえんだ。いや——レプリカのこれですらそうさ。そこらの笛とはワケが違う。これは王家の中でも直系の者しかしらないトップシークレットだが」

 

その笛はな——とウルバヌは声を低くした。

 

「その、城のどっかにある本物の笛は——()()()()()()()()()()()()()()()()()のさ」

 

「——え」

 

一瞬時が止まったように、その場の全員が言葉を失った。

 

「んな、馬鹿な——」

 

モンスターとは意思疎通ができない。

だからこそ驚異なのだ。

意思疎通どころか心理操作だなんて、そんな都合の良いものがあってたまるか。

 

「そ、そんなものがあったらよぉぉぉー?な、なんでも有りじゃんよ!それこそ神にも等しい力じゃねえか!俺様、欲しいぞその笛!」

 

「フン、もし本当にあればですがねぇ。俄かには信じ難いですな。そんなものがあるのならばこの国にハンターなんて無用の長物だ」

 

目を輝かせるボーディとは対照的に、アーガイルは半信半疑という様子である。

アルマもそうだ。はっきり言って出鱈目も良いところだと思う。

そんなものを信じるのはボーディのような脳筋馬鹿くらいだとアルマは思った。

 

「イースさんはどう思います?」

 

マロが聞いた。

イースはしばらく考え込んでから、口を開いた。

 

「ウルバヌはん。その、特定のモンスター言うのは——獣竜種、なんちゃいます?」

 

「!…よくわかったな。ああ、お前は——あの道を通って来たんだっけか」

 

イースの通ってきた道——山の中にあると言っていたトンネルのことだろうか。

 

「確かボルボロスとか言うのと戦ったんだったか?」

 

「せや。獣竜種の大型モンスターや。他に獣竜種と言えばウラガンキン、ディノバルドにブラキディオス——それにドボルベルクもやな」

 

「…多いな、そりゃあ」

 

どれも、アルマがこの国で交戦したモンスターばかりである。

というか、ドスジャギィやイャンクックなどを中型に分類すれば、見た大型は全て獣竜種という事になる。

確かにザハの近くでは見ないような、二足歩行の骨格のモンスターが多いと思っていたが——カテゴリが一緒だったようだ。

 

 

「勿論、心理操作と言ってもなんでもかんでも思いのまま、という訳にはいかない。けど笛の旋律によって感情を揺さぶったりはできるし、それを利用して調教すれば簡単な命令を行使させたりもできる。大元は狩猟笛と似たような原理だと思ってくれて良い」

 

狩猟笛は、かける旋律によってハンターに暗示をかけて肉体を強化したり、体力を回復させたりできる。それを考えると、モンスターに命令を入力するというのも——なくは無い、のだろうか?

 

「アルマ、山の中で変な音聞いたって言うてたやろ。わてには聞こえへんかったけど、もしかしたら」

 

「ああ——お前、よく覚えてるなそんな事。確かに空気の擦れるような、笛みたいな音だったぜ。しかもあの後」

 

実際に、ドボルベルクの動きは突然激しさを増したのだった。

それに、アルマは闘技大会の準決勝でも同じ音を聞いた。

檻の中で待っていたブラキディオス。それまでは大人しくしていたのに音が鳴った途端にビーンの腕ごとゲートをぶち壊して外に出てきた。

 

——あれも、そうだったのか。

 

アルマの頭の中で、次々と記憶が掘り返される。

 

——ん。

 

その中でアルマはもう一つ、何か大きな記憶に当たった気がした。

子供の頃の記憶だ。

育ての親である老人の部屋。

その部屋で、笛が——。老人がいて、彼奴がいて、それで——。

 

「——い、おい、アルマ、聞いてるか?」

 

そこでアルマは我に帰る。

ウルバヌが一つ、咳払いをした。

 

「この笛のルーツはよくわかってねえ。わかってるのは始めてこれがこの島に来たのが今から300年前、島にやってきた一人の狩人が持ってたってことだけだ」

 

300年前。

遠いようで、近いような——そんな時間だ。

 

「俺がそれを知ったのは17年前、ちょうど10歳の頃だった——」

 

そう言って、精悍な竜人は語り出した。

 



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第20話 呪笛

ウルバヌはかつて、国王の息子として何不自由ない生活を送っていた。

周囲の大人達は優しく接してくれたし、数こそ少なかったがエルフェドールを始めとして、家臣の息子たちなど仲の良い友人にも恵まれていた。

 

「——なんだよ、あんたら友達だったのか?それにしちゃあエルフェドールは偉く下手に出てねえか?」

 

ウルバヌの話を遮ってアルマが言った。

 

「まあ、大人になると立場とか色々あるんだよ。いつまでもフラットじゃあ居させてくれないんだ」

 

「立場などなくても私は親王様を尊敬しております」

 

エルフェドールが生真面目な顔をして言った。

 

「——だそうだ。別にいいんだ、それは。そんで、俺は他にもまあ、色々と恵まれてたんだと思う」

 

何よりウルバヌは要領が良かったのだ。

両親や家庭教師が何を言いつけてもウルバヌはうまくやってのけた。だから、両親の期待にも答えられていると——ウルバヌはそう思っていたし、実際母はウルバヌをよく褒めた。それはもう、目に入れても痛くない程の可愛がりようであった。

一方で父トレヤンヌは、あまりウルバヌを褒めなかった。

物腰が柔らかく滅多に怒らない父は、滅多に褒めることもしなかった。

それが疑問だった。不満はなかったが、ただ疑問だった。

 

ウルバヌが7歳の時である。

ある日、父がウルバヌを部屋に呼びつけた。

部屋に入ると、背の高い椅子に座った父は右手で何か玩具のようなものものを弄んでいた。

木彫りの笛——に、見えた。

ストップ、とアルマが手を挙げる。

 

「そっちは本物——家宝の方か?」

 

「そうだ。今も城のどっかにある、本物の笛だ」

 

 

 

——この音が聞こえるかい。

 

父はウルバヌを見ると優しくそう言って、短く笛を吹いた。そして、

 

——どう聞こえた?

 

と聞いた。

 

「お父様の音色、綺麗だったんですか?」

 

身を乗り出したマロが聞いた。

 

「いや——酷いもんだったよ」

 

父の笛の音は酷く掠れていて、殆ど鳴っていないも同然であったから、ウルバヌは素直にそう答えた。

 

「バッサリ言ったんですね…」

 

「まあ、な。今考えれば正直過ぎるよな」

 

実際答えてから、当時のウルバヌも間違えたかと思ったのだ。

父が気を悪くすると思ったのである。

だが予想に反して父は喜んだ。それはもう飛び上がるように喜んだ。

 

——お前が綺麗に聞こえるように吹いてみなさい。

 

父がそう言って笛を差し出すので、ウルバヌはそれを受け取って口に当ててみた。

吹いてみると笛は最初、父の時と同じく掠れた音を立てた。

だが、何度かやってみるとだんだん要領がつかめてきて、そしてウルバヌが一番綺麗な音を出せたと思った時——城の西方にある闘技場から、幾重にも重なった遠吠えのような声が返ってきた。

地獄の底から響いてくるようなその声にウルバヌは腰を抜かしてしまったのだが、父は嬉しそうに拍手をした。

そして、ウルバヌを褒めた。父に褒められたのは——おそらく、産まれて初めてだったと思う。

 

「成る程、あんたの笛の音に飼われている獣竜共が応えたって訳だ」

 

「でも不思議です。何故国王様はそんなにも喜ばれたのでしょう?そもそも国王様はずっとそれを所持していらっしゃったのですよね?それが満足に音を出すこともできないなんて」

 

「ああ。親父はな——多分、わからなかったんだ」

 

「わからなかった?」

 

「聞こえなかったんだよ。親父には笛の音が。拾える周波数の関係なのか——兎に角、自分の吹いている笛がどんな音を出しているのか、親父には知る術が無かったんだ。これは後でわかったことだが——笛がこの島に来てから誕生した国王は奴までで五人。俺の曾祖父さんのそのまた爺さんから連綿と続いている中で——笛の音が聞こえなかったのは奴だけだそうだ」

 

「おいおい、そりゃあ酷いコンプレックスになるぞ」

 

アルマが言った。

その通りである。

父は、柔和な表情の中にドス黒いコンプレックスを抱えていた。

笛を見る父の表情には、憧憬と忌避とが境なく含まれていた。

 

「成る程、それで息子のウルバヌ様は自分みたいなことにはならないってわかって安心した訳ですか」

 

「いや——彼奴はそんなに素直な奴じゃあないさ」

 

たしかに、父は大袈裟なまでにウルバヌを褒めた。

笛をお前にやるといい、朝から晩まで練習させた。

ウルバヌは父に褒められるのが嬉しくて、それまで仲の良かったエルフェドール達と遊ぶのもやめてひたすら練習に打ち込んだ。

だが、その笛が何なのかは決してウルバヌには教えなかった。

 

「俺はずっと、その音色がどういう力を持つのかも知らずに、ひたすら笛を練習してたんだ」

 

父は毎晩のようにウルバヌを部屋に呼び、古い資料を持ち出してはこの指使いで吹いてみろ、だのこの曲はどうだ、だのと指導するようになった。

ウルバヌは疑いもせずにそれに従った。

友人とはとうに離れていた。

一人の時間は言われた通りに笛の練習をし、夜になると父の部屋で指導を受ける。その繰り返し。

父以外の会話の相手は食事を運んでくる女中か、寝る前に心配そうに様子を見に来る母くらいのものだった。

その母も、ウルバヌが8歳の時に亡くなった。その時は酷く悲しくて、ウルバヌは大いに泣いたのだが——翌日にはいつもの生活に戻っていた。

母が亡くなり他の者とも顔を合わせない今、ウルバヌには父しかいない。父に褒めてもらう為には笛を吹くしかない。

ウルバヌはひたすら笛を吹いた。

以降、次第にウルバヌは生活の中で思考することをしなくなっていた。

 

「何だそりゃァ。それじゃァまるで人形だぜ」

 

ボーディが言った。

 

「まさしくそうだ。くるみ割り人形ならぬ笛吹き人形ってとこだな。しばらくして親父は俺を外に連れ回すようになった。決まって竜車の中で吹かされるから、いつ、どういう場所で吹いているのか、俺には分からなかった。外にいる親父から指示されたタイミングで、言われた通りに吹く。たまに大きな物音や悲鳴がしたりもしたが——竜車の中で待ってろと言われたから、ただ従っていた」

 

「でも本当は——れっきとした意味があった訳や」

 

そう、この笛はただの笛ではないのだ。

 

「獣竜種を操るってヤツだな。俺は未だに信じられねえが…操って何をしてたんだよ?」

 

獣竜種を操って何をしていたのか——ウルバヌがそれに気づいたのが、10歳の頃だった。

ある日、父の部屋にペンを忘れたウルバヌは、それを取りに深夜、父の部屋に戻ってきた。

ノックしようとしたが、部屋の扉はほんの少しだけ開いていた。

だから、ウルバヌは中に忍び込んだ。電気はきえていて父は寝ていた。

そして父の机の上にペンが置かれたままになっているのを発見して、机の上で——とあるノートを発見した。

それは、父が笛を教える時に、いつも見ているノートだった。

ウルバヌに渡されていたのはごくごく普通の笛の指南書で、てっきり父も同じ教材を見ながら指導していると思っていたのだが——よく見ると、どうもノートの方は製本が粗い。まるで自分で手作りしたかのような——ウルバヌは気になってページをめくった。

 

そのノートは、対応表だった。

左には笛の指使い、そして右には——刺激、挑発、鎮静、快、不快、等。

さらに、土砂竜、尾槌竜等——聞いたこともない名前の何かの、詳しい生態や解剖図。

その時は何かわからなかったが、翌日いつものように外に連れていかれていつもと同じように竜車の中で笛を吹いていたウルバヌは、こっそりと幌をめくって外の様子を見てみて、一目でわかった。

連動していたのだ。

巨大な化け物と笛の音とが。

ウルバヌが笛を吹くと、化物は劇的に動きを変えた。

試しに盗み見した時に覚えていた"挑発"の音を出すと、化物はギロリとこちらを睨んで威嚇した。

慌てて"鎮静"を吹けば、化物は静まった。

城に帰ったウルバヌはもう一度ノートを盗み見て、今まで自分が吹いた音色と、当時外から聞こえてきた音とを照合してみた。

そして、気づいてしまった。

父は——ウルバヌを用いて獣竜種を操り、()()()()()()()()()()

 

「襲ってたァ!?」

 

アルマが眉をあげた。

 

「俺はいつも道中で挑発の音を吹かされてたが…それは、モンスターをおびき出してたんだ。そんで目的地に着いて俺が刺激の音色を吹いた後は、決まって物凄い音と悲鳴が聞こえてたんだよ。何度かこの目で確認もした」

 

「酷い…なんでそんな」

 

「俺もそう思った。そんで耐えられなくなった。だから——逃げた。笛とかも全部放棄して、城を出たんだ。笛の担い手としての俺を失って、当時の親父の発狂っぷりは凄まじかったらしいな。だがそれも暫くして収まった。後釜が見つかったんだ」

 

「後釜?」

 

「笛の音がわかる、王家の人間だよ。そいつは俺の従兄弟で——親父はそいつを俺の代わりにしようとしたんだなぁ。親父は俺に一切の興味を失った。捜索も取り止めて、勘当した事にしたんだ」

 

そうしてウルバヌは自由を得た。

浮浪児としてビザヌテの都に紛れ込み、ゴミを漁り、盗み、時には悪い友達も作って生き延びた。

要領の良かったウルバヌはすぐにその生活に馴染んだし——何より、今までよりずっと生きてる心地がした。

 

「15年前の大闘技大会ってのはその時に見たのさ。今見たいな趣味の悪い椅子じゃなくてな、観客と観客の隙間に忍び込んで、立って見たんだよ。その時にまた聞こえたんだ。誰かが笛を吹いてやがる。それもちゃんと、だ。そしてその大会の優勝者は、フィールドの中で激化したモンスターに殺された」

 

月下の闘技場で、真っ赤に染まる砂。

足から順に食い散らかされた狩人。

あの悪夢のような光景は今でも覚えている。

唇を噛んで父の王座を見れば、その脇には笛を持った従兄弟が立っていた。

目は虚で首は脱力し、ただ忠実に空気を筒の中へ送り込んでいる。

吐き気がした。自分もああなるところだったのだ。

 

「どうにかしなきゃいけねえと思った。だが残念ながら、その時の俺は全てを捨てた状態だったんだ。城を出る前に決意ができてれば、笛なんてぶっ壊して来れたのに——もう、あれは俺の手から離れていた」

 

だから、昔のツテを頼った。

探すのに三年を要し——15歳の時、やっとウルバヌはみつけた。

パンをくすねたウルバヌを捕縛したのが、当時巡邏隊に入ったばかりのエルフェドールだったのだ。

 

「そりゃあすげえ偶然だな——っていうかエルフェドール、お前さっき親王は盗みとか矮小な行いはしないって言ってなかったか?」

 

アルマが茶化した。

 

「生きるためにされた事だ、仕方ない。親の金を盗むのとは訳が違う」

 

「お前、とことん親王に甘いのな」

 

実際、エルフェドールは優しかった。

コソ泥がウルバヌである事に気付いたエルフェドールはウルバヌを自宅に引っ張って行き、寝場所を与えてくれた。

はじめは盗みを犯すところまで堕落したウルバヌを見て多少失望したようだったが——事情を話すとエルフェドールは血相を変えて悔しがった。

曰く、国王はいつも、襲撃の起こりそうな場所を予測して兵や狩人を配置する。その予言が異常な程当たるのだそうだ。

なのに何故か、狩人や兵士達が来る少し前に襲撃は始まっており、被害を抑えることは出来てもゼロには絶対に出来ない。市民は王の慧眼じゃ、兵と狩人の尽力じゃと感謝してくれるものの、いつも歯がゆい気持ちばかりが残る。仲間も何人か殺された。

実際、巡邏隊の長であったエルフェドールの父は数年前に市民を獣竜種から守ろうとして殺されてしまったと——エルフェドールはそう語った。

何が慧眼。予言。とんだインチキである。実際には狩人と兵士どころか、モンスターまでも国王の手中にあるのだから。

ウルバヌは謝った。それはもう、心の底から謝った。

エルフェドールの父が死んだ時期は完全にウルバヌが傀儡だった時と被っている。殺したのはウルバヌだ。そう言った。

 

——たしかに、そうとも言えましょう。

 

エルフェドールはそう言った。

 

——しかし、それでも私は嬉しいのです。貴方が、抜け殻のようになっていた貴方が.忌むべき仕組みに気づいて行動を起こした事が。例え父の仇だとしても…それ以前に貴方は私の友なのだから。

 

そして二人は固く誓った。

必ずや笛を王の手から奪い、破壊し、この歪んだ現状を変えなければならないと——そう、誓った。

 

「ええ話やなぁ〜」

 

本気で思ってるのかそうでないのか、イースが言った。

 

「エルフェドールはこっそり俺を匿いつつ、巡邏隊の立場を利用して色々と探ったんだ。笛のルーツを。調べても中々掴めなかったが——歴史ってのはいつだって、どこかに跡として残っている」

 

エルフェドールが城内の図書、禁書になっているものまで漁ったことで——いくつかわかったことがあった。

まず、笛の所有者だった狩人がアヤに来たのは300年前だということ。

仲間を数人連れた竜人族のハンターと巨大な獣竜が、島から飛竜を追い出したということ。

その狩人が当時の島の領主の娘と結婚し、このアヤ国を築いた——つまり、ウルバヌの祖先にあたるということ。

狩人が連れてきた仲間達はそれぞれ国の要職についたということ。

そしてそれ以前の国の歴史は一切残っていないということ。

 

「わてが調べてきたお伽話はこれが元やったわけや」

 

「ああ、空の竜を追い払う巨人の話な。そりゃあお前らの戦ったドボルベルクのことだ。笛で操ってたんだな。国民の誰も気づかなかったみてえだが」

 

獣竜の使いでは飛竜退治だけではなかった。

山にトンネルを掘ったり、荷物を引かせたり——その馬力は大いに役に立った。

勿論国民は笛のことなど全く知らない。だからあからさまに操ることはしなかったが——とにかく、笛は国造りに大いに貢献した。

 

「アヤ国が誕生して、危険なモンスターは減って、国は平和になって——ある時家臣の一人が言ったそうだ。獣竜達は大いに働いた。もう十分だろう。もう、笛を使うのはやめようってな」

 

大きすぎる力は人を狂わせる——聡明な家臣は言った。

 

「その通りだとみんな思った。だから王は獣竜達を長い眠りにつかせ、一度笛を封印したんだ。家臣達はこれは墓場まで持っていく自分達だけの秘密だと、そう言った。皆約束を守った。でも一人——国王だけは、こっそりと伝承していたんだ。自らの長男に、笛の吹き方と秘密を」

 

長男——2代目国王、アウレラウは父に忠実な男だった。

アウレラウは隠れてひたすら笛を練習し、しかしその技術を使うことをしなかった。

父から戒められていたからだ。アウレラウが笛を吹くのは技術を失わないようにするためで、それ以外の何が目的でもない。

無闇に力を使ってはいけない。

だからアウレラウは父に言われたのと同じように、息子——ハデリアヌに技術を継承した。勿論、戒めの言葉もそっくりそのまま伝えて。

だがこの3代国王ハデリアヌ、つまりウルバヌの曾祖父にあたる男が——強欲だった。

ハデリアヌは民も、土地も、資源も、全て欲しかったし、持っているものは全て使いたがった。

そんなハデリアヌが考え出したのがアヤ教という宗教、そして脅威と庇護のマッチポンプであった。

お供え物として大量の年貢を取る代わりに、敬虔な教徒をハンターや兵士に守らせる。

渋る国民は処刑——などしない。仕方ないなあと言って甘く見過ごすポーズを取る。そして、後でモンスターに襲わせる。

ほら見ろ、信仰心が足りなかったから襲われたのだ——と、まあこういう仕組みである。

 

 

「よく、君主が民を治めるのには飴と鞭が大事って言うだろ。アレの難しいところは、飴を与えすぎるとつけあがるし、鞭を与えすぎると反発するってところだ。でももし、鞭を与えるのが逆らいようのない"自然"で、"君主"は飴を与えるだけだったなら、民は簡単に君主に従うんだよ」

 

実際には、自然のその更に裏で、国王自身が鞭の担い手となっているのだ。

 

「勿論これは、城の金庫とかから掘り起こした書物に書かれていた王族の情報を、データに残ってる当時の実際の国の状況に照らし合わせて得た私の所見に過ぎない。だが——現国王様の使用しているシステムが、この頃に発生したものであるのはほぼ確実だ。第3代の王から年貢の量が急に跳ね上がっているし、モンスターの被害案件も増えている。今の国王様はそのシステムを存続させるために親王様を利用しようとしていたわけだ」

 

エルフェドールが追加で説明した。

 

「で、俺たちの話に戻るんだが——そのアヤ教ってのがなぁ、予想以上に効果的だったんだよ。あまりにも深く人々の生活に根付いちまっていた。俺が今更街中で本当のことを喚いたところで誰も何も思わないくらいにはな。はっきり言って国民は呪われてるも同然だ」

 

不必要に多い年貢を納めながらも、笑みを浮かべて生きる人々。

まさしく呪われている。

だから、ウルバヌ達は様々なことを考えた。

 

例えば同じ笛をもう一つ作り、それを用いて笛の効果を毎度打ち消すことを考えた。

だが笛が使用されるたびに毎回ウルバヌが出張ってそれを打ち消すのは不可能だし、そもそも作ったレプリカは本物よりも性能の低い劣化品であった。とても本物の効果を打ち消したりはできないので、やめた。

 

或いはちょうどその頃ウルバヌの後釜だった従兄弟が病死したという情報が入ったので、ウルバヌは反省したふりをして表に姿を現し国王に擦り寄ったりもしてみた。

しかし——ウルバヌには都から離れた辺境の地と、その領民とがあてがわれただけだった。既に"笛の担い手"には、ウルバヌの次の次となる後釜が据えられていたのだ。

 

「おまけに、その後釜が誰かも分からなくなっちまった。今や巡邏隊の長に就任したエルフェドールですら、笛の所在がどこなのか分からない。そこで今回のことを計画したんだ」

 

ハンターを雇って、闘技大会で優勝する。

国王の息のかかっていないハンターでなければいけないから、血眼になって漂流者を探して保護した。

エルフェドールが巡邏隊の長だったからそれ自体は簡単に運んだが、そうでなかったらもっと骨が折れただろう。

 

「計画はこうだ。絶対に彼奴が嫌がりそうな報酬を俺たちが提示して、ボーナスステージをクリアしようとする。するとクリアされたくない奴はどうしても笛を使わざるを得ない。勿論こっそりと"笛の担い手"に指示するんだろうが——俺たちはそれを見逃さねえ。笛の所在が確認できたら、この劣化品とすり替える」

 

一見本物と全く同じように作られているレプリカ。

本物よりも限定された効果しか持たない。

 

「それと交換したら——どうなるんだよ?」

 

アルマが問うた。

もし、本物とこのレプリカが交換されたら。

その時は——。

 

「呪いは解けて、とびきり面白いことが起こるのさ」

 



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