百夜の吸血鬼 -パプティマス・シロッコ異聞ー (臣 史郎)
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裏切りの海

臣は割とゲーマーです。スペースインベーダーあたりからゲーセンに出入りしていた古株です。とはいえアクションゲームが得意な方でなく、対戦台に好んで入っていた時期は短かったです。

しかしある時ゲーセンに担ぎ込まれた『戦場の絆』の大型筐体には好んで金を突っ込みました。これ、対戦ゲームではあるのですが、ぶきっちょで三連撃(というコンボがあるのですが)もままならない臣も勝利を重ねて将官になってしまえる妙なゲームで、今に至るも続けられています。

1stガンダムを題材にしていたから出会えたゲームでした。何処まで人生を狂わせれば気が済むのか。抱きしめたいな、ガンダム!

そんな1stガンダムと戦場の絆に捧げます。愛に似た物騒な何かを込めて。


 宇宙世紀の海洋は、人々の知る如何なるものとも異なっていた。

「手空きの者、上甲板!」

 地球連邦北洋艦隊、洋上護衛空母「グルカ」の艦長はいち早く命じる。

 船底から這い上がった水兵達に手渡されたのは陸戦隊が使用する暗視装置だ。

「見張れって、この真っ暗な中をか! 何にも見えない! 海に落ちちまうぞ!」

「だから、これがあるんだろ」

 戦闘濃度で散布されたミノフスキー粒子の干渉は、「グルカ」の電測兵装の機能を全て奪っていた。甲板に駆け上がった兵が命じられたのは、両舷の見張りであったのだ。

 電測が役に立たない以上、目視によって敵を見つけるより他にない。戦闘は今や19世紀、太平洋戦争以前の様相を呈しつつある。

「対潜警戒厳となせ! Z字回避運動始め!」

「了解(コピー)!」

 宇宙時代に育った誰もが知らぬこの海で、「グルカ」艦長は確かに有能であったと言えよう。知識の内より電測の存在しない海戦史のページを引き当てた艦長は、それに倣い混乱を立て直そうとしていた。

 愚者は、経験に学ぶ。よって経験のないことには対応がとれない。しかし賢者は歴史に学ぶ。経験のないことも知識として活かすことが可能なのだ。

「右舷雷跡らしきもの、一!」

「対音紋誘導兵器行動! デコイ右舷に射出!」

 間伐入れぬ指令に、直ちに「グルカ」と寸分たがわぬ動力音紋を放つブイが投下される。アクティブピンガーを発しない以上、これは音紋誘導魚雷であるはずであり、魚雷はこれを追うはずであった。

 従来までの戦闘常識に照らせば、艦長判断は正しいものであった。

 しかしすでにここは既に人知の及ばぬ、宇宙世紀の海であった。 

「なあ、あれ魚雷にしちゃ、航跡でかくねーか?」

 兵の誰かが呟いた、まさにその時、海面が盛り上がり、割れた。

 そこから姿を現したのは……

「……大蛸(クラーケン)!?」

 いや、そいつは、胴部の上に頭と思しきもの、そして二本の腕らしきものを備えていた。

 そいつは人であった。

 10メートルを上回る体長、水中を50ノットを上回る速力、そして水圧に耐える金属の外皮を備えた人であった。

 そいつは、海の巨人であった。

 そいつが、深紅に輝く目を開いた。

 単眼であった。

「クラーケン! クラーケンだ!」

「いや、違う! あれは……」

 MS(モビルスーツ)だ。水中を航行可能なモビルスーツだ。

 しかし何故だ? 宇宙に海はない。海を知らぬ者たちがなぜ水中兵器、しかも水中モビルスーツなどという高性能兵器を持っている?

 疑問を言葉に発する暇はなかった。

 そいつの胴部からの輝きを受け、甲板も、甲板上に居た兵たちも飴のように溶けた。

 メガ粒子砲――荷電させた重粒子を磁力により撃ち出す、宇宙世紀の主兵装の威力であった。

 MSM-03「ゴック」。

 ジオン発の本格的な水陸両用MSとして猛威を振るった、海の王者の開発には謎が多い。

 海洋を持たぬコロニー国家ジオンがどうやって、水陸両用MSの開発を行ったのか。行い得たとしても、ゴックの母艦である潜水艦はどうやって手に入れたのか。

ジオンが運用したという原潜は一説には30隻を超えると云われている。大国が総力で5年の建造期間を要する原潜を、僅かな期間でどうやって手に入れたのか。

 曰く、「月で開発されたものだ」

 曰く、「連邦軍のものを鹵獲したのだ」

 主流となっているこれらの説には、やはり説得力に疑問符が付く。戦後四十年余を経た今や、解明されることの有り得ないミステリーとなりつつあった。

 ただ確かなことは、海は地図の上では地球連邦の版図であったが、実質的な制海権は未だ連邦の手にはなく、ジオン公国の滅んだ今となっても洋上艦艇は建造され続け、水中戦に対応可能な性能をもったMSは開発され続けているということであった。

 一年戦争のさなかの海で、一体何が起こったのか。戦後の海に一体、何が潜んでいるのか。

 

***

 

 北洋のか細い日差しは、分厚いブラインドによって遮られていた。

 特殊樹脂製のサッシとの組み合わせで、12.7ミリのライフル弾までならば抗弾可能なブラインドであり、弱弱しい陽光では到底射通すことなどできるものではない。地上でありながら地の底であるかのような一室では、人造の蛍光灯の光が唯一の光源である。

「貴官はシネマは好きか? パプティマス・シロッコ特務少佐」

 うそ寒い部屋全てを見渡せる、窓辺のデスクに坐した男の、開口の一句がこれであった。

「小官は文化をこよなく愛します。詩も歌も絵画も。シネマもまた例外ではありません」

 答えた将校、パプティマス・シロッコ特佐の軍服は、通常の連邦軍軍装とは大きく異なるものであった。

 先ず色からして違う。典礼用かと見紛うほどの典雅な白無垢の軍装は、仕立てからして明らかに特製のものに違いあるまい。しかしそれに身を包む者の肌は、白無垢の生地を上回る透明度の白皙を備えていた。

「「Uボート」というタイトルを知っているか」

「Uボート……確か20世紀の作品であったと記憶しておりますが」

「私が海軍士官を目指した理由というのは、案外と単純なものでね。あの荒波を割って進むドイツ潜水艦の不屈の活躍に、幼心は踊った。今も鮮明に思い出せるよ。ただ、幼少に感じた筈のときめきを、今はもう感じることは出来ないがね」

「……」

「ウィルム・ディセンベルクだ。本基地を預からせてもらっている」

「最後の連邦軍潜水艦隊司令にお目にかかれ光栄であります、提督」

 地球連邦軍サイレントサービス――潜水艦隊。19世紀東西冷戦時代の米潜水艦隊を前身とし、七海最強の覇者であった彼らも今や、落日を迎えつつあった。

 潜水艦隊だけではない。

 今や海軍そのものが、その必要性を喪失しつつある。

 東側国家の瓦解により地球圏統一の偉業が西主導で成され、地球より戦争の根絶は成った。旧国連加盟国の全てが連座した地球連邦政府構想は現実のものとなり、ついに地球圏は統一政府を手に入れたのである。

 人類は戦争を滅ぼした。誰もがそう思った。国が一つしかないのだから当然戦争はなくなる。紛争地域はあまた存在したものの、人類はついに国家間の武力衝突という意味での戦争の脅威を排除することに成功したのである。

 戦争がないのに武力は必要ない――居ない敵に備える必要などないのだ。

 武力を維持していた資金はもっと有意義なことに使うべきだった。

 連邦政府は浮いた資金の用途を宇宙に求める。

「時代とともに戦争というものの概念が変わってしまった。今や敵は地球上には居ない。そもそも戦争を行うべき人間は宇宙へと出て行ってしまったのだからな」

 戦争の消滅により歯止めのかからなくなるであろう人口増加、それにより発生する雇用を、スペースコロニー建造という全地球を上げての公共事業により一挙解決を図ったのである。

 旧世紀の終わりであり、宇宙世紀の始まりであった。

 戦争の無い新たな世紀に、誰もが希望を抱いた。

 しかし、戦争は姿を変えより大きな力を得て、再び人類の前に現れる。

「世紀は移ろい、戦争そのものが変わった。新たな戦争を知るのは今や、宇宙のジオニストたちだ」

 後にイヤー・ウォー、一年戦争として語り継がれる戦いは、端を七日間戦争に発し、宇宙要塞ア・バオア・クーの陥落によって終結した、人類が初めて体験した宇宙戦争であった。

 第三次世界大戦、と称する者もいる。

 第一次宇宙大戦、と呼ぶ者もいる。

 史上これほどの規模で破滅を振りまいた戦争は存在しない。人類最悪の戦争は、しかし人類の揺り籠たる地球を主戦場とせず、宇宙を舞台としたのである。

「我が潜水艦隊の弾道ミサイルは地球の大陸全てをカバーすることが可能だが、宇宙の敵には届かない。ルウムで勝てなかった以上、我々の装備を維持する戦費は、速やかに宇宙の戦友の許へ送るべきだろう」

 一年戦争は、そもそもが当初は戦争ではなく紛争であった。人類は今や地球連邦という一国の国民である以上、サイド3がジオン公国を僭称したとしても連邦から見れば一地方自治体であり、連邦法に違反する武装テロリストである。軍事力ではなく、警察力により鎮圧するべき犯罪者であったのだ。

 ところが、今や連邦政府の趨勢は、南極条約の調印へと傾きつつある。

 条約の締結とは国家間の約款の取り交わしであり、つまるところが、ジオンを国家として認めることに他ならないのである。事実上のジオンの勝利であった。

 条約調印に異論はもちろんある。和戦何れになるかは予断を許さない。

 しかし何れにせよ、悪魔は蘇った。

 人類を滅ぼす戦争という悪魔は、宇宙へと羽ばたくより強き翼を得て蘇ったのである。

「敵は宇宙にあり……事実でありましょう。ですが未来もそうだとは私は思わない」

「ほう」

「遠からず戦争は地球に戻ってくる……私はそう私見しております」

「君の任と矛盾する見解だな。ジオンの工作員に暗殺されたと思われる前任者を次ぎ、我が潜水艦隊の兵員の速やかなる宇宙艦隊編入を管理監督することだと推察するが?」

「仰る通りです。故に私見と申し上げた」

「地上に居るのはアースノイドだけだ。我々の敵であるスペースノイドは、宇宙に居る。敵が宇宙に居る以上、軍も宇宙へと転戦せねばならん。故にこその我が潜水艦隊の解体であり、転属ではないのか」

「……スペースノイドが地球侵略を企てたとしたなら?」

「有り得ん話だよ、シロッコ特佐。奴らは今や宇宙の支配者だ。そして政府は宇宙を与える方向で話を進めつつある。このまま事態が推移すれば、地球の資源が宇宙からの物資に依存している現状、地球の支配者も程なく変わるのではないかね?」

「異論はありません。このままでは地球圏はジオニストの手に堕ちるでしょう。しかしもし連邦政府が、南極会談で講和条約に調印しなかったとしたなら?」

「停戦をしなかったとしても、結果は変わるまい? ジオンが宇宙を維持すれば、地球は滅びをまつのみだ」

「提督は、ギレン・ザビという男をご存じないようだ」

「直接の面識はない。だがそれは貴公も同じだろう」

「……アダムス・ミノフスキー博士。ジオン・ズム・ダイクン。そして、ギレン・ザビ」

 最後の潜水艦隊司令は瞳を細める。

 脈絡のない名の列挙に、シロッコの言いたいことを計り兼ねたのだ。

「宇宙世紀の巨人を三人あげよというならば、小官はこの三名を挙げましょう」

「ミノフスキー博士とジオン元君に、ジオンの現総帥の名を連ねるというのか」

「ジオン・ズム・ダイクンをマハトマ・ガンジーと重ねる者は多いようだが、小官はレーニンや毛沢東に近しいのではないかと考えております。また、アダムス・ミノフスキーに比するべきは、アインシュタインやニュートンではなく、シュレーディンガーあるいは、ライプニッツでありましょう」

「ジオン元君は開明的な運動家でなく、独裁者となった革命思想家であると?」

「はい」

「ミノフスキー博士は物理学者ではなく、哲学者であるというのか。そしてギレン総帥は、それに比肩するべき人物であると」

「連邦政府の誰一人として、あのジオニストの偉大さを理解しておりません。理解しうるとしたら、小官のみでありましょう。あれとアドルフ・ヒトラーを重ねる者は多いが、小官はヒトラーではなくナポレオンに比するべきであると考えている」

「ヒトラーと同じく欧州の人物だな。戦争勝利によって君臨した点も同じだ」

「ジオンはモビルスーツの性能によって我が地球連邦に勝利したという者が居るが、正しい見解ではない。モビルスーツという兵器を産み出した土壌が、既に先進的であったのです」

「モビルスーツは従来の宇宙戦闘機にはない装甲が施されており対空機銃は効果が薄く、ANBACシステムによる複雑機動で、主力宇宙戦闘機セイバーフィッシュとも優位に戦ったという。非常に優れた兵器であると聞いているが?」

「モビルスーツとは兵器ではなく、戦闘も可能な作業機械であると小官は解釈しております」

「重機の一種であると?」

「ギレンが生み出したかったのは兵器ではない。宇宙でも不自由なく人類が闊歩するための、まさしく機動服なのであります。戦車も戦闘機も戦闘任務以外に役に立たない機械ですが、モビルスーツは宇宙重機の規格に則った仕様であり、機材の運搬、陣地築城、宇宙行軍、その他もろもろに活用することが可能です。しかもモビルスーツは高度電算化により乗員一名で運用可能…つまりこれはジオン兵100万の全てにモビルスーツを与えれば、100万のモビルスーツ部隊が実現可能であるということを意味します。つまりモビルスーツは重機でも兵器でもなく、兵士なのであります」

「宇宙歩兵であるとでもいうのか?」

「ルウムの戦いは宇宙歩兵対宇宙艦艇の戦いでありました。我が連邦軍は宇宙戦闘を海戦を参考に戦おうとしておりましたが、ジオニストは陸戦を参考に行ったのであります」

「なるほど興味深い話だ。貴官は作戦課か、或いは士官学校の研究室に転属をしたほうが良さそうだな? シロッコ特佐」

「小官が申し上げたいのは、ギレンの作り上げた軍には、宇宙も地球もないということだ、司令。宇宙を大地とする彼らにとり、地球はすでに版図となるべきものなのですよ。何故なら地球は、宇宙に無尽に存在する惑星のうちの一つに過ぎないのですから。条約の調整如何によっては、ギレンの魔手は必ずこの地球に及ぶ。そのときにこそ貴方の艦隊は地球に必要なものとなるのです、ウィルム提督」

「……貴官が我がベースに派遣されてきた意味が分かってきたよ。貴官が言いたいこともな」

「提督……先に申しあげました通り、小官は私見を述べたのみであります。小官の胸の内を知るものはまだ誰もおりません。ただ、地球は貴方方を必要としている。それのみを申し上げておきます」

「貴官の私見とやら、いずれまた詳しく聞きたいものだ」

 シロッコの背にした扉が開き、小銃を手にした衛兵が二人、姿を現す。

 退出せよ、ということのようであった。

「一つ言っておくならばな。宇宙はジオンの手中にあり、地球はまだ連邦の手の内であるとしても……」

 ウィルム提督は、シロッコに背を向け、デスクの後ろにあったこの部屋唯一の窓のブラインドを手ずからに操作する。

 ブラインドは開き、窓から見える光景は、死のように白々とした北欧の寒空と、同じように昏い鈍色の海原である。

「……海は、その何れのものでもない」

 

***

 

 朝を迎えてなお昏い部屋の中で、男の肌は、全身が瞳であるかのごとくの輝きを放っている。

 夜から浮き出た夢魔のようであった。女の己よりも明らかに、透度が上であろう。

 パプティマス・シロッコ。つい昨日この基地に到着したばかりのはずの、この男の名前を思い出したのは、一夜が過ぎ去った後であった。

 己の身の上に訪れたことが、まるで夢現のことのようであった。

 悪夢であったのかもしれない。

 憶えているのは、ベースの通用路でこのひととすれ違ったことだ。すれ違いざまに、左の小指を何かが絡み取った。このひとの右の小指だったと知った時には、もうこのひとの瞳に、瞳の奥を覗きこまれたあとだった。

「女人の須(すべから)くが、地球圏の霊長として君臨するべきだと、私は考えている」

 今、この男の瞳は、己のことなど見てはいない。

 見ているのは、この世の何処でもない、遥か彼方の何処かである。

「古くの女人は太陽だった。今は月であると言われて久しい。その何れでもありはしない。女人は我らの揺りかご……この地球そのものなのだ」

「……帰らないと」

 今の今まで、眠ってしまっていた。恐らく、己の携帯端末の不在着信は両親からのものでで埋め尽くされているだろう。

「ご両親に祖父母が居るのだったな、ユニ・マリエ准尉」

「調べたんですか」

「知っていたさ」

「嘘です」

「嘘ではない。このパプティマスは、悟りを得、金剛知に至る過程にあるのだ。世の全てを見聞し、世のすべてを知る者となる」

 サトリという言葉もコンゴウチという言葉も、ユニの知らない言葉であった。

「何者かの知は、このパプティマスの知なのだ、伍長」

「よく……分かりません」

「それでいい。君は女人であるというだけで、この私よりも遥かに偉大なのだということを分かってくれればな」

 覚えもないのに、ユニの着衣は浴室にきちんと畳まれてあった。

 シロッコが畳んだものであろうか。ならば全てを知ると言いながら、彼は女の下着の畳み方を知っている男を、信用する女は居ないということを知ってはいないのだ。

「別に回答しなくてもよいが……」

 シャワーの水音に紛れても、シロッコの声は、耳元に唇を寄せられているようで、ユニは首をすくめる。

「君は事件についてどれくらい知っている?」

「……特佐の前任者のことですか」

「そうだ。ジオンの工作員の仕業ではないかと報告があった、前任者の死のことだ」

 ユニは無言で蛇口を大きくひねった。

 水音が大きくなる。

「前任者が不慮の死を遂げたとて、地球圏はより多くの死で溢れている。顧みる者は居ない……私を除いては」

「怖くないんですか」

 シロッコの言葉は、激しい水音にお構いなく続く。

 どうやら無駄のようであったから、シャワーで聞こえないように装おうとして、ユニは止めた。

「前任者の方は何かを知って、それで殺されたかも知れないんですよ? 自分もそうなるって思わないんですか?」

「なるかもしれんな。ジオンの工作員は今もこの私を窺っているかもしれない。いや君がジオンの工作員であったとしても、私は驚かんよ」 

「私、生まれも育ちもこの港です。街から出たこともありません。だいたい軍に入ったのも兵学校が学費が安かったからなんです。スペースノイドじゃないし、ましてや人殺しなんて……」

「冗談だ、准尉。君の身元はもう確認している。だがジオンがわが軍の潜水艦を鹵獲せんと画策している、という情報も入ってきているのだ。先遣の諜報員が紛れ込んでいたとしても不思議な状況では、何らない」

 うそ寒いものを感じて、ユニは身をすくめる。

「ここで生まれ育ったという君を頼んできくのだが、違和感を感じたことはないかね? 見知らぬ人物、或いは見知った者でも、最近態度が変わった者……」

「潜水艦隊の活動は秘中の秘……基地の誰もが、身元ははっきりしています。私このと知ってるくらいだから、そのことは私よりご存じじゃないかと思います。知らない人の出入りはやっぱり開戦の後増えましたけど、誰が怪しいとか、スパイじゃないかとか、疑って見たことはないです……」  

「そうか……だろうな」

「……あの……特佐は、用心した方がいいと思います。前任者のことがあるから……素人の手口じゃなかったって、みんな噂していますし……」

「君も注意した方がいい。もう私とは、関わり合いにならないことだ。私の近くに居たら、君も巻き込まれる恐れがある」

「……そのつもりです」

 もうこれきりだと、可能な限り、はっきりと言ってやった。

 手早く水気をふき取り、着衣を身に着ける。

「……失礼します、特佐」

「このパプティマスは、須く全ての女人に仕える者だと憶えるがいい」

「……」

「もし君に危機が迫るなら、私は身命を賭して君を守ろう」

 ユニは何も言わず、ドアが閉まるに任せる。

 オートロックの錠前が、ささやかな金属音をたてて落ちた。

 

***

 

 如何に処置致すべきか。

 前任者同様に屠るべきであるのか。

「放置しておくわけには行くまい」

 計画を知られるわけにはゆかぬ。

 邪魔されるわけにはゆかぬ。

「ならば何とする」

 刺し貫くのみ。

 大志の妨げとなる者には、無音の死を。

「気の赴くままにするがいいさ」

 計画に遅滞はゆるされぬ。

 事態は一刻を争うのだ。

「……」

 人気の途絶えた部屋で、男は吐息を吐く。

 前任者に続き、新任の特佐が同様のことに及べば間違いなく連邦軍警は本腰を入れてくるだろう。そうなれば計画の全容を隠しおおせるものではない。

 だからといって、このまま計画を進めれば、間違いなくことは露見する。

 計画が滞りなく進むには、どうあってもあの特佐が邪魔となる。

 つまりあの特佐の着任事態が、最後通牒と言えるのだ。

「……パプティマス・シロッコ。連邦軍兵站本部長、ゴップ大将に吸血鬼の子飼いが居るとの噂だったが、あやつだったか……」

 モニタに表示された近影は、確かに、生あるもののようには思われないほどの白皙であった。『デイ・ウォーカー』、昼夜問わず闊歩するバンパイアの異名も肯ける。実際幾多の女と関係がリストアップされており、彼女らの生血をすすっていたとしても、驚くには値しない。

「感づいているな、奴は。そしてそれを隠そうともしていない」

 恐らくは、前任者が何故に消されたかを、そして己がこれより先どのような危険に逢うかも感づいている。感づきながら、危険を危険とも思っていないようであった。

「よほど度胸があるのか、鈍いだけなのか、或いはそれとも、真の不死のノスフェラットウなのか……」

 吸血鬼とは死鬼であり、2度と再び死することはないが、それでも滅びは存在する。

「最後通牒、大いに結構だ。奴の心臓をパイル(杭打ち)して、見事宣戦布告としようではないか」

 

***

 

 シロッコの前任者の階級は大尉であり、連邦海軍の主計を歴任してきた男であった。

 面識、というほどではないが顔を見かけたことくらいはある。ゴップ兵站本部長の許にあっても能吏であったと記憶している。

 任務は連邦軍潜水艦隊のインフラの管理委譲や兵員異動などひたすら面倒ではあるか予定の立つ仕事であり、進めれば終わりの見えるものであった。

(死相には二種がある。一つは従容の相。今一つは無念の相)

(大尉のそれは後者だ。つまり死は唐突に訪れたのだ。運命も予期せぬ形で)

 遺体が発見されたというここは港町にはよく見られるやや急な坂道で、大尉は任地の宿であり、今はシロッコの宿でもある見晴らしの良いホテルから、ベースのある軍港への道を下って行くところであった。

 舗装はされてはいるがアスファルトではなくコンクリに石の混じった簡便なものであり、車両の通用の考慮されていないであろう道幅であった。

 そんな坂道をシロッコは、おそらくは前任者と同じように、一歩一歩下りつつある。

 そのシロッコの対面側から、一人の男が上ってくるのが見えた。

 薄汚れた黒いジャンパーに大きな前掛、ゴムの長靴。背丈はシロッコと似たり寄ったりであったが、体重となると二回り以上はありそうであった。

 風体で判断するならば、地元の漁師である。

 シロッコは、その漁師の来る方に向かって下っており、漁師はシロッコの来る方に向かって上っている。

 程なく二人はすれ違うだろう。

 シロッコは坂の右手へと寄った。道の真ん中を歩んでいてはすれ違うのに不便がある。

 それを見てとったか、漁師も右手へと寄った。

 それだけのことで、すれ違っても肩がぶつからぬ程度の道幅であった。

 シロッコは下りていく。

 漁師は上ってくる。

「少し、伺いたいのだが良いかな」

 唐突に口を開いたのはシロッコであった。

 上ってくる漁師の歩みが、ぴたりと止まる。

 すれ違うにはまだ早いが、普通に会話するにはやや遠い。

 そんな距離であった。

「あっしでしょうか。士官さん」

「そう。君だよ。君の他には誰も居ない」

「あっしに、士官さんが何か?」

「君はこの坂をよく通るのかね?」

「ええ。まあ。町のもんが基地に行くときゃ、ここが近いですからね」

「ならば、ここで事件が起こったことも知っているだろう」

「いえ詳しくは存じません。連邦軍のお偉いさんがここで亡くなったとか、知ってるのはそのくらいなものでして」

「ふむ。そうか。そうであろうな。ではその前後で、何か変わったことはなかったかな? 例えば、見知らぬ顔を町で見かけたであるとか」

「さあ。どうでしょうかね。この町には軍艦もおりますが、漁船もおりますから。市が立てば、余所者を見かけることも珍しいことではありませんし」

「そうか。それは残念だ」

「へえ。どうも」

 漁師は頭を下げて、立ち去ろうとするようだった。

「ああ。そうだ。君」

 その漁師を、シロッコは呼び止める。

「まだ、なにか」

「君は知っているかね。ここで死んだ連邦士官はね。鋭利な刃物で突き殺されていたんだが、毒でも塗っているならともかく、これは容易なことではないんだ。細い針で腹部を一突きで人を突き殺すには、鳩尾から横隔膜を突き破らなければならない。そんな知識を持っているのはプロだよ。プロ中のプロだ」

「……」

「だが、それを知ってさえいれば、ある程度の腕力があるなら可能だ。君が隠し持っているような、それがあればね」

「……」

「それをどのようにして彼に突き立てたのかな。もしご存じならばパプティマス・シロッコにも教えてくれないか」

 このセリフは、その最後まで言葉として発せられることなく、途切れてしまった。

 中断させられたのだ。

 漁師と思われた男の、殴打によって。

「……なるほど、アイスピックか」

 シロッコの腹部を目掛けて来たと思われる漁師の左の拳の、丁度人差し指と中指の間から、にゅっと突き出しているのは、鋭利な釘のようなものであった。思いのほか長く――10センチ以上は突き出ている。

 打撃ではなかった。

 刺突であったのだ。

「考えたものだ。ここは軍港だが漁港もある。漁港では氷を扱うが常。アイスピックを持ち歩いていても怪しまれることはない。そのアイスピックに血がついていても、魚のものなのか、人のものなのかの見わけなどつかんからな」

「一ついいかい。士官さん」

「何かね」

「どうして俺が、凶器を持っていると見破った?」

「このパプティマス、悟りを得、金剛知に至る過程にある。世の全てを見聞し、全てを知る者だ……と言いたいところだが、実はカマをかけたに過ぎんのさ。この道ですれ違う者全てに言おうと考えていたのところが、何と最初で大当たりを引き当てたというわけだ」

「成程。そいつはうかつだったぜ。お陰で少しばかり面倒なことになっちまった。まあ、やることは変わらんが」

 見れば左拳のみならず、右拳にも同様のアイスピックがその鋭利の先端を覗かせている。

「そうか。実は私も、やることは変わらない」

 対するシロッコの右手にあるのは、一本の杖であった。

 凡そ長さ80センチ余りの木材であったが、柳の枝のように細く、大男の漁師をどうにかするには不足であるように思われた。

 それを大男の喉へと付け、空いた左手は……背中へと回している。

 老教授が黒板の字句を指し示す、あの姿勢と似ていた。

「フェンシングか。それも古式のものだな。こりゃあ本当に面倒になった」

 まんざらでもなさそうに、大男が、ニンマリと嗤う。

 相手を嘲って嗤うのではない。敵に牙を剥いたのだ。大男にとりシロッコはもはや獲物ではなく、外敵であった。

 嗤ったその表情のままに、大男はその、丸太のような腕を振るってきた。

 シロッコの身体ではなく、邪魔な杖を払おうとする動作であった。

 手ごたえはない。

 右手と杖は、触れ合わなかったのだ。

 どちらにしろ問題はない。男には、シロッコと己の間につっかえている杖がどこかに行ってしまえばよかった。

 その、杖があった空間に潜り込んで、残った右手を男が振るう。

 先ほどとは打って変わって、下から上へと小さく鋭い、コンパクトな刺突だった。もしアイスピックが中指と人差し指の中から突き出ていなかったとしても、ボディブローとして十分、目標を悶死せしめたであろう。

 そのボディブローをピシリ、と何かが打った。

 男の行く手から消え失せていたシロッコの杖であった。

 それが剣を払うように、拳を払ったのだ。

「……!」

 男は驚いたようだった。

 だが動揺はしていなかった。相手の技量が思いのほか高くとも、それは織り込み済みのことであったからだ。

 払った左手が、打突となって返ってきた。

 十分な体制となっていたが、これもまたピシリという音とともに、命中コースから叩き出されてしまった。

 まるでハエ叩きでハエを叩くようだった。

「ぬ……!」

 こんどはシロッコの番だった。

 男が後ろに飛ぶ。

 後退したのだ。

 男が後退したその分を、シロッコが踏み込んだ。

 白蛇のような執拗さを備え、杖の先端が追っているのは、男の眼球であった。

「ほう。やるな」

 男が飛びのいて足りない分をスウェイバックしていなかったら、今頃杖の先端には男の眼球が掲げられていただろう。

 追い切れず、名残惜し気に、杖の先端はシロッコの手元へと戻っていく。

「それはこっちのセリフだぜ。びっくりだ。驚いた」

 ごく数秒の攻防が終わってみれば、両者は、先ほどと全く変わっていない位置にいた。

 その事実が、両者の技量を雄弁に物語っていた。

「君を捉えて色々と聞けば話が早いだろうと思っていたのだが、なかなか骨が折れそうだ」

「こっちこそ、朝飯前の仕事だと思っていたんだがな」

「正直な男だな。気に入ったよ」

「ぞっとしねえな。俺にそっちの気はないぜ。悪いが帰らせてもらう。朝飯もまだだしな!」

「む……!」

 シロッコの杖が、空中を払った。

 払ったその空間で、冴えた金属音が響く。

 その時には、脱兎と化して男は、来た坂道を駆け下っていく途中であった。

「なかなかに、見事な逃げっぷりではないか」

 そのセリフが終わるか終わらないかのところで、坂道に再び、金属音が跳ねた。

 男のアイスピックであった。

「また会おう」

 もはや男の背は見えず、シロッコの言葉は独語となった。

 

***

 

 極北の港に、真昼は来ない。

 白々と、朝が何時までも続く港は、死のように時が止まっているように思えた。

「……報告は以上です、ウィルム潜水艦隊司令」

「そうか。ご苦労だった」

 出仕したシロッコは司令に面会を取り付け、今朝の顛末を即刻報告する。

「男の顔を見たんだな、貴官は」

「は。必要と有ればモンタージュ写真を作成し提出致します」

「必要だろう。即刻手配せよ」

「了解しました。ときに、司令。耳に入れておきたいことが二つほど」

「何か」

「第一に、このシロッコ、この泊地に赴任し僅か一昼夜であるにもかかわらず、賊は私を標的としておりました。この事からも、艦隊中枢に賊と通じるものが居ることは確実かと思われます」

「ふむ」

「第二に、賊は顔を隠そうとはしていませんでした。これは一つには技量に絶対の自信が有り、目撃されたからとて死人に口なしと考えていたものとも思われますが今一つには……」

「今一つには?」

「……今一つには、顔を見られた相手を仕損じたとて不都合は生じないと考えていたもののようにも、私には思えました」

「ふむ」

「己は囮であって主犯は別に居るのか、早晩ここの仕事を切り上げて去るつもりであるのか、あるいは……」

「あるいは?」

「あるいは、艦隊中枢に賊に通じる者が居る恐れがあると申し上げましたが、それと何等かの関係があることかも知れず……」

「確かに、艦隊司令部に見られた顔を報告されたところで、もみ消せば追手がかかることはない。有り得る話だ。参考としよう、パプティマス・シロッコ特務少佐」

「何卒、格別の配慮を」

 右掌を胸に傾頭する礼式は、軍式の敬礼ではない。

 シロッコ自身の礼法であるに過ぎぬそれに、挙手礼をもって、潜水艦隊司令は答礼した。

(さて、如何致すべきか)

 地球連邦軍始まって以来のこの大陰謀、どう報告するべきか。

 司令部庁舎を後にしたシロッコは、ウィルム司令の執務室の堅牢な窓を振り仰ぐ。

(いや……ゴップ本部長は、私に任せると仰られた)

(事を予見しつつも、このパプティマスに全て任せると仰ったのであれば……)

(面白い。実に面白い)

 艦隊司令執務室を後に、宿へと戻る道すがら、シロッコは顔見知りに会った。

 尋常に廊下の左隅で直立敬礼するユニ伍長に、シロッコは歩みを止めずそれに答礼する。

 昨日情けを交わしたばかりとは、誰の想像も絶しているだろう。

 それを限りに、二人はすれ違った。

 

***

 

「甘く見たな」

「全くだ。あそこまでとは思わなかった。で、どうする?」

「奴は感づいている。ただ、それをすぐさまジャブローに報告するつもりはないようだ」

「何故だ?」

「分からん。常軌を逸している」

「事が既にジャブローに露見している、ということはないのか?」

「それであれば、軍憲兵隊が雪崩れ込んできていよう。来ない、ということは未だモグラ共は我らの企てに確証を持てていまい」

「ということは、奴を殺し損ねて正解だったかもな。殺せば、今度こそ奴らに確証を与えちまう」

「構わん」

「何?」

「構わん。言ったはずだ。あの吸血鬼の心臓をパイルして回答とするとな」

「……では」

「計画を3フェイズ繰り上げる。決行は今宵だ」

「……そいつはまた、思い切りのいいことだ」

「我々のような人種にとり重要なのは、一刻も早い決断だ。違うかね?」

「違わんね。では古式に従い、決戦を祝し乾杯と行こう」

「よかろう。前途を祝して」

 二人の男の干したグラスは、華麗な音となって床に砕けた。

 

***

 

 地底の方角へ下る階段は金属製であったが、長年の塩害により到底強度を感じさせるものではなく、シロッコとユニの体重を受け止めるたびに小さく啼く。 

 先に進むのはユニである。

 後に続くのはシロッコである。

「ディセンベルク司令に、基地の案内を命じられました」

 シロッコに与えられた私室のドアをノックしたユニは、ことさらに硬い口調でこう告げた。

「お願いしよう」

 シロッコはそう回答し、かくてユニ伍長に導かれるまま、奈落への階段を下っているのである。

 ユニが何等かの命令を帯びているであろうことは、シロッコには分かっていた。でなければ、二度と再びシロッコの前に現れようはずもない。

 ユニに命を与えうる者は限られており、よってシロッコは誰が己を地底へと誘うのかを、窺い知ることが出来た。

「生まれ故郷の地底にようこそ、吸血鬼(ノスフェラトゥ)」

「敬礼は省略させていただこう。ウィルム・ディセンベルク司令」

 シロッコの眼前には、ウィルム・ディセンベルク潜水艦隊司令。その背後のハンガーデッキに屹立する人型の巨人は、まぎれもなくMSであった。

 この当時、未だ連邦軍はMSの実用化にすら成功していない。

 よってこの時代に存在するのは全て、ジオンのMSである。

「世界初の専用設計水陸両用MS、このゴックは、ジオンと連邦の技術者の共同で組み上げられたものだ。MSM……即ち水陸で運用可能なMSは、この後、ジオンの切り札となる」

「その全容は秘中の秘たる連邦軍サイレントサービス艦隊基地の腹中に、ジオンの新型秘密兵器が開発生産されている理由を聞こう」

「理由は簡潔だ。我らは連邦を……いや陸を裏切る」

「概ね察するが、何故連邦を見限るのかね?」

「先に見限ったのはジャブローのほうだと思うが違うかね、特佐。まあ、しかしこれは仕方のないことだ。宇宙にしか戦争はないのだからな。戦争のない海に戦力を置いておく理由はない」

「そうはならない。そう申し上げたはずだ、司令。遠からず戦争は地球に訪れる」

「そうする理由がジオンにはなかろう。短期で連邦を屈伏させ、停戦する。それがジオンの狙いのはずだ。そして目的は達せられた」

「それは条理だ。そして、ギレンという男に条理は通じない。私がギレンであるならば、次に計画検討されるのは地球降下作戦だよ」

「……地球降下作戦だと? 国力30分の一、人口百分の一に過ぎぬジオンが地球に兵を降ろしたところで、どう占領するつもりだ?」

「多くは語らぬが司令、貴方の行動はギレンの地球降下作戦計画を後押しするだろう。ジオンは地球に来るのだ、戦争を連れてな」

「貴官が正しかろうが、そうでなかろうが、地球連邦が海を守る意志を捨てたことには変わりがない」

「連邦軍参謀本部に制海権を放棄する作戦計画などない」

「シロッコ特佐。確かに時代は移ろうかもしれない。いつかは潜水艦隊の時代も終わりを告げよう。だがそれは、今ではない。いや今であってはならない。このウィルム・ディセンベルクの命在るうちは、サブマリナーの誇りは死なぬ」

「今よりジオンに寝返る閣下が、誇りを口にするのか」

「繰り返すが、我らの誇りに唾を吐きかけたのは貴官ら、ジャブローの豚の方だ」

 両者はここで、ひとしきり言葉を切る。

 口調は終始静かであったが、その分溝の深さは浮彫りの感があった。いや、むしろ溝の深さは両者とも承知であり、それを確認し合っているようにも見えた。

「先ほどより気になっていることが一つあるのだがな、シロッコ特佐」

「何かな」

「貴官はどうやら我らの離反を察していたと見受けるが相違ないか」

「いかにも」

「ではなぜジャブローに報せん。最初から悟っていたとするならば、連絡する隙はあったはずだが」

「必要がない。おそらくゴップ兵站本部長閣下は概ねを掴んでおられると、私は思っている」

「では何故、憲兵隊をここに送らず、貴官一人を派遣した」

「さて、何故かな。この私にもあの人の腹の底は見えん。ただ、私に何も語らなかったところを見ると、私の報告のみを承知し、私の報告しなかったことは不承知とする腹積もりだろう。私は本件についての一切の裁量を与えられたと考えているよ。私が赴く時には、それが通例だからね」

「そうか。「ゴップ兵站本部長の影」が貴官の異名の一つだったな。貴様のような悪魔を飼うとは、奴めますます、魔王と云わねばならんようだ」

「聞きたいことは以上かね、ディセンベルク司令。では私からも一つよろしいかな?」

「何か」

「先刻より閣下は「我ら」と口にしているが、我らとは一体どこの誰だね? 司令一人の離反であればこのシロッコが銃を持っていれば全てを終わりにできるわけだが、それで済む話でもあるまい」

「紹介出来る者は二人だ。もっとも二人ともに貴官の顔見知りだろうがね」

「…む」

 シロッコの背後に立つ影が、いつの間にかユニ以外に今一人増えていた。

「よう、吸血鬼」

「やはりまた会うことになったな。名を聞いてもいいかね」

「名乗ると思うかい?」

「お前が現れるからには、私を生かして返すつもりはあるまい。生かして返すつもりがなければ、私が名を知ったところで死人に口なしとなるだろう」

「お前さんが言うと一理あるように聞こえるな。じゃあ一応、ブーンと名乗っておくよ。こう見えて、ジオンの北大西洋特殊工作機関を任されているもんだ」

「むう」

 地球連邦軍潜水艦隊司令とジオンの工作員が同室し、それについてユニが全く驚く様子が無いという事態に、シロッコは唸る。

 ディセンベルク司令とブーン工作員は一体何時から、こうして共に在るのか。

 それは果たして、ディセンベルク司令とブーンだけの繋がりなのか。

 ディセンベルク司令だけが例外なのか、それとも同例が他にもいるのか。

 何れにせよ、ジオン工作員の伸ばす菌糸が、地球連邦の奥深くにまで達しているのは確かなことであった。

「シネマを好むと言ったな、シロッコ特佐。映画「Uボート」の主人公たる歴戦のサブマリナーが、どういう結末を辿ったのか知っているかね」

「……存じているよ、司令。彼らは死んだ」

 損傷を受けながらも全知全能を振り絞り、ドイツ本国にまで辿り着いた彼らは、英雄として母港の兵士たちから歓待を受けていた。その時、連合国の爆撃があり彼らは戦場の露と消えた。

 潜水艦と共にあったときにはあれほどに不屈であった彼らが、陸でいともあっさりと、何の抵抗も出来ずに折り重なって死んでいったのだ。

「陸に上がった潜水艦乗りとはあのようなものだ。我らは陸では生きられぬ。むろん、宇宙でもだ」

「海で生きればいいのだ、司令。これより先、連邦軍はあなた方潜水艦隊の力を必要とする。遠からず地球降下を敢行するであろう、ギレンの野望に抗うために」

「特佐の発言は論拠を欠く。連邦は講和を優先し、ジオンも渡りに船とこれに乗るだろう。ジオンに継戦能力は乏しいと、私は見ている。決裂したところで、ジオニスト共がこの上戦場を拡大するとは思えぬ」

「貴方のこれからの行動が、ジオンの継戦能力を大幅に引き上げることを考慮に入れるべきだ、ディセンベルク司令。もしこのシロッコの見立ての通りなら、ジオンはあと十年、いや百年戦える」

「ほう」

「紹介出来る同志は二人、と言ったな司令。他にも同志は居るのだろう?」

 にぃ、と司令は牙を剥いた。嗤ったのだ。

「それについては紹介することが出来ない。彼らはこの後の航海の為の配置に付き、基地には残っていないからな。さて、今より私も、彼ら同志のもとに赴き指揮をとらねばならん。訣(わか)れの時だ、特佐」

「この後百年続くであろう宇宙擾乱を、止めることが叶わず残念だ」

 嗤った顔のままに、ディセンベルク司令は踵を返す。

 司令の歩む先には、ジオンの制海権奪取の切り札たる水陸両用MS、ゴックの16メートルの巨体が、黒々と影を落としている。

「じゃあな、吸血鬼」

 見送るシロッコを後ろから追い越す形で、ジオンの工作員ブーンが司令に続く。シロッコの背後を取ったにもかかわらず、何もなさなかったのである。

 今やシロッコに、彼らの背に投げる言葉はない。

 無言で見送るのみであった。

 MSゴックの腹部にはハッチが解放されており、そこから自動巻き取り式の梯子が降りている。大方そこに操縦席があるのだろう。ディセンベルク司令と工作員ブーンがそれに捕まると、梯子は巻き取られていく。

「ああ、そういえば一つ、聞き忘れていたよ、特佐」

「何かね」

 両者の距離はすでに、会話には遠い。

 よってかなり声を張らねばならなかった。

「貴官は以前、ジオン・ズム・ダイクンを毛沢東に、A.ミノフスキー博士をライプニッツに例えたな。ギレン・ザビをヒトラーではなくナポレオン、と」

「ああ」

「ならばお前は何者と例えられるべきなのだ、パプティマス・シロッコ特佐」

「……ミシェル・ド・ノストラダムス」

 これがシロッコの答えであった。

「ノストラダムス……旧欧州の預言者だったな。ではゴップ兵站本部長に伝えてくれ、預言者よ。海はジオンに付くとな」

 司令とブーンがハッチに呑み込まれると同時に、MSがその巨眼を開いた。

 単眼であった。

「殺すつもりではなかったのか」

 ゴックの蹴立てた水しぶきに我が衣服を濡らすに任せ、シロッコは独語する。

 初めから殺すつもりはなかったのか。それとも話すうちにその気がなくなってしまったのか。

 あるいは会話の端々から、連邦政府との繋ぎに使える人間なのではないかと考え生かしておくことにしたのかも知れない。もしウィルム・ディセンベルクがそのつもりならその役回りを果たしてやっても良いように、シロッコには思えた。

 もしそれが去りゆく海の男への惜別の情であるとするならば、珍しいことだ。あの男を失うのは惜しいとすら、今シロッコには思えていた。

「……さて」

 ディセンベルク司令と工作員ブーンが去った海より、丘の方を顧みてみると、彼らに取り残された女性下士官が立っていた。

「君は連れて行ってはもらえんのかね、ユニ伍長」

「私には果たさなければならない任務があります」

 ユニ伍長は既に、諸手で拳銃を構えていた。

「銃の撃ち方は分かるのかね」

「馬鹿にしないで下さい。私だって軍人です。訓練は受けてます」

「人を殺したことは」

「ありません。だけど私、貴方を人とは思わないことにしました」

 ずぶの素人、という構えではないが、それだけだ。的に当てることは出来るのだろうが、的が動き回るとすればどうか。

「どちらにしろ、銃は困るよ。第一に君に抵抗しようと考えた場合、私には手加減が出来ない」

「……覚悟は出来ています。司令だって、本当に私に人殺しが出来るなんて思ってないでしょうから、返り討ちになったって驚かないでしょう」

「それも困る。第二にこの私が、女人に手を上げることは思想信条上不可能なことだからな」

「……どういうことですか?」

「言わなかったかね。これより先、人類の支配は女人によって行われるべきだと。このシロッコは、あらゆる女人に仕える身であると」

「それは、憶えてますけど」

「よって私、このパプティマス・シロッコは君が撃つと言うならば撃たれなければならない。殺すというならば殺されなければ不忠となる。私とて惜しむ命は在るが、そう在らねば私自身に折り合いが付けられないのだ」

 数瞬ユニは、呆れ果てて言葉を失っていた。

「……ようするに。女になら誰にでも殺されてもいいっていうんですね。女なら誰を抱いてもいいって思ってるのと同じで」

 セリフの途中で、呆れた表情が、明らかに別のものへと塗り替えられていく。

 怒りであった。ユニ・マリエ伍長は明らかに怒っていた。

「……そういうことになる」

 シロッコがそう答えた瞬間、撃鉄が落ちた。

 ユニが引き金を引いたのだ。

 銃声はあっけないほど小さかった。

 排莢されて飛んだ薬莢が、涼やかな音色を奏でて落ちた時には、ユニは己が何をしでかしたのかを思い知っていた。

「ぬ…ぐ…」

 低い呻きはシロッコのものだった。

 命中したのだ。

 慄然とわが手を見つめたユニは、次の瞬間には手の内にあった銃を、火でも掴んだかのように投げ捨てて居た。

 軍人は銃を携えるが、引き金を引けと命じられぬ限りは撃つことはない。近代的な軍においてそれを命じるのは上官であり、上官を任命した軍司令であり、軍司令を任命した為政者であり、為政者を選んだ国民なのだ。

 しかるに今己は何をしたのか。

 怒りによって引き金を引きはしなかったか。

 もしそうならば、それはプロキラーたる軍人の矩(のり)を著しく超えたものだ。そう、己は私怨により殺人を犯したのだ。

「……っ!」

 駆け寄ったユニは、銃を捨てた手でシロッコを抱き起していた。

「何故です! 避けられたはずです!」

「……言ったろう。君が撃つというなら、撃たれなければ不忠だと」

「……!?」

 出血がないことに、ユニは気づいた。

 拳銃弾は命中はしたが、何者かに阻まれていたのだ。

「……私の軍服は特注品でね。9ミリ軍用弾に抗弾する能力を備えている。……とはいえ、自分で試したのは初めてだ。カタログデータに偽りありだな……」

 咳き込んだシロッコの口の端には血が付着していた。

 弾丸は止まったが、臓器か骨格、あるいはその両方に破壊をもたらしたのだ。

「君の銃が官給品で良かった。この分なら、特殊部隊の使う8ミリ高速弾なら貫通だろう。いや、そうでなくとも頭に当たっていたら即死だったか……」

「貴方は、本当に……」

 本当に、撃たれてやる気だったのか。

 正気なのか。狂気の沙汰であるのか。

 この男はいったい何者であるのか――

「さて、どうやら私は動けぬようだ。今度こそ止めを刺したまえ。ああ、もちろん、頭を狙いたまえよ、伍長」

 痛みにたどたどしいシロッコの言葉に、ユニはかぶりを振る。

「……できません」

「私を人と思わぬことにしたのではないのか」

「そうじゃなくて……出来なくなったんです」

 ユニの視線の先には海があった。

 先ほどジオンMSを呑んだ海面に、小さな波紋がまだ残っていた。丁度拳銃ほどの大きさのものが落下したら、あれくらいの波紋が生まれるだろう。

 どうやら投げ捨てた銃はイレギュラーバウンドを起こし、海の藻屑となったらしい。

「なるほど。……ん? おい、何をする」

「ここを離れます」

 ユニがシロッコを引っ張り起こす。当然ながら、シロッコは呻く。立って歩ける傷ではないのだ。

「司令が母艦についたら、ここは巡航ミサイルで攻撃されます。その前に安全なところに逃れます」

「君一人で行けばいいだろう。君が殺そうとした私を、連れていくことはない」

「殺せませんでした」

「まだ遅くはあるまい。ここに置いておけば私は死ぬ」

「置いてけば、殺すのと同じってことですよね。でも私、もう一回殺せと言われても出来そうにありません。殺すことが出来ないなら、助けるしかないじゃないですか」

「伍長、君は……」

「さあ、頑張って歩いてください。不死身の吸血鬼なんでしょ?」

 ニンマリとユニは笑った。

 殺しても連れていくつもりの顔であった。

「……このまま死んだ方が楽そうだが、そういうことなら仕方がない。仕返しされておくとしよう」

「さあ、行きますよ」

 そのようなことを言いながら、のろのろと二人は歩んでいく。

 海底より炎の矢が舞い上がったのは、二人のやりとりより数分後であった。連邦の敵に使用されるべき潜水艦搭載型高性能巡航ミサイルが初めて使用されたのは、味方であるはずの連邦軍基地に対してであった。

 十余条を数えた紅蓮の矢に、北洋の軍港は炎に包まれていく。

 

***

 

「どうだい、我が家を我が手で焼く感想は?」

「我々マリナーにとって我が家とは、我が艦のことだよ。それが分からぬお前でもあるまい」

 戦果確認を終えたディセンベルク司令は、電子潜望鏡の取っ手を折りたたむ。

「我が艦隊の全ての艦は、無回収でもMSを運用が可能だ。おめでとう。ジオン公国は海を手に入れた」

「そりゃどうも」

 ディセンベルク司令より差し出された掌を、工作員ブーンが握り返す。

「ズム・シティのお偉いさんもお喜びだ。……ところで、MSと入れ替わりに降ろした核兵装はどうなさるおつもりで?」

「さてな。ジオンが連邦のように、我らを捨てないと確信出来たなら、その時伝えよう」

「なるほど」

「さあ、帰るぞ。今より深淵こそが我らの故郷だ」

 後に「マッドアングラー」の艦名で呼ばれることとなるディセンベルク潜水艦隊旗艦に続く原潜は、実に十六艦を数える。その全てが戦略核搭載型潜水艦であり、核兵装の行方は一年戦争終結後も知れなかった。

 これより地球連邦政府は、見えぬ深海に潜む反連邦勢力に怯えながらの政権運営を強いられる。ジオン残党は幾度も陸に上がって連邦に牙を剥いたが、徹底した掃討がなされることはついになかった。

 今まさに地球圏は、百年の永きに渡る戦乱の渦中へ引きずり込まれつつある。彼らの艦隊こそは、その水先案内人であった。

 

***

 

 一年戦争を物量を持って勝利したと云われる地球連邦軍の兵站を、戦中戦後を通して一手に引き受けたとされるゴップ大将の評判は、紛れもない勝利の立役者であるにも関わらず、はかばかしいものではない。

 戦中一度も前線に出ることなくジャブローの穴倉に潜み、兵が血と汗を流している間あまたの美術品を収集し、美男美女に軍服を着せて侍らせ、太鼓腹を揺らして歩む姿は軍の腐敗に軍服を着せ勲章で飾ったようだと噂される、これらは彼を知る兵士達の大方の印象であろう。

「そうか。ディセンベルクは行ったか……この先奴は、暮らし豊かではないかも知れないが、誇りと共に在るであろうな」

 地球連邦軍大西洋潜水艦隊の「消滅」とジオン潜水艦隊の「出現」を報告したシロッコに対しての、ゴップ兵站本部長の答えはこのようなものであった。

 驚く気配は一切感じられず、シロッコの察した通り予期していたのだとすれば、やはり食えぬ男であった。

「シロッコ」

「は」

「何か言っていなかったか? ディセンベルクは」

「……言っておりました。『海はジオンに付く』と」

「……そうか」

 ルウム戦役に敗れた地球連邦は既に宇宙を喪失している。

 連邦政府議会は講和派が大勢を占める。コロニーがオーストラリアに落ちて以来、戦争を続けるには余りにも多くの同胞を失いすぎた。

 何を置いても先ずはこの戦争を停止するべきだ――この論調は非常な説得力を持って、連邦議会を圧しつつある。

 この上さらに制海権すらジオンに奪われたまま講和すれば、今後の宇宙でイニシアティブを喪失するだろう。ジオンのこの上もなき勝利と言える。

「一戦一勝、即講和……これがジオンの取るべき常識的な戦略だ。しかしお前の言う通り、ジオンの総帥はそう思ってはおらぬようだ、儂と同様にな。さらなる犠牲を払っても、地球の勝利でこの戦は終わるべきなのだ」

「は」

「ジオンは戦争を続ける算段を怠っておらぬ。これで議会も、レビルの新しい玩具に付ける予算を承認するはずだ。程なく我々は、新たな姿の地球連邦軍を手にすることになる。それによって我らは勝利するのだ。……さて、シロッコ」

「……は」

「ディセンベルクの同類が、まだ連邦にはいると思うかね」

「ディセンベルク司令は前例を作りました。後に続く者は居るでしょう」 

「そうか。ならば手配をしておくとしよう」

 俗物を絵に描いたようなこの男の内に軍人を見るのは、時折見せるこの眼光であった。

「敵中に在っても何処かに味方は居るものだ。味方の中にも必ず敵が潜むのと同様にな。ディセンベルクには、敵中の味方となってもらう。奴とて、海の滅びは望むまい。……シロッコ。お前には新たな任地に赴いてもらう」

「……は」

「とはいえ、未だ傷も癒えまい。補佐を用意した。入り給え」

「入ります」

 インカム越しの音声とともに、先ほどシロッコの入ってきた扉が開く。

「君は……」

「ノストラダムスって、ノートルダム、つまり聖母マリアって意味だったんですね」

 入室してきたのは、シロッコの知る人物であった。

「ユニ・マリエ伍長、これよりパプティマス・シロッコ特佐の補佐を拝命致します。よろしくお願いしますね、預言者さん」

 敬礼しつつ、ユニ伍長が微笑む。ニンマリ、といった感じの例の奴だ。

 視界の隅では、ゴップ本部長が似たり寄ったりの笑みをニンマリと浮かべている。

(つくづく、食えぬお人だ)

 極々珍しいことに、自称預言者の答礼は、吐息混じりあった。

 

                                      了

 




ここまで読んで下さりありがとうございました。

もし戦場の絆をプレイしている方がいらっしゃいましたら、何処かの戦場でお会いしましょう。


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V road to theⅤ 第1話

お久しぶりです、准将首になって佐官に落ちてしまった臣です。さすがに、もう歳ですなあ…

戦場の絆もついにⅡを冠するようになるようで、そうなるとまた高価なゲームにならないかと心配です。また500円に戻ったらどうしよう(;^_^A

それでは、本編をお楽しみください。


 ふと立ち止まったパプティマス・シロッコの、見上げる先に、青空は無い。

 あるのは湿った岩盤であり、そこにぶら下げられた構造物である。

 連邦軍統合参謀本部、ジャブロー。宇宙のジオンに見つからぬよう、連邦軍の領袖たちの息を顰めるこの穴倉に、シロッコは一つの共通点を見出す。

 人工の宇宙島との共通点、それは空が無いことだ。

 宇宙島の住人達がシロッコと同じく空を仰げば、見えるのは陸地であった。

(思えば、ジオンと我ら連邦は、同じ天を仰いでいるのか)

 天を争い戦う者同士、通性を備えるのは当然と言えるのかも知れぬと、思いを致したその時、空無き空を、白い何かが無音で舞った。

(あれは…)

 紙である。

 航空を考慮した構造に折り畳まれた紙。即ち紙飛行機だ。

 上空の地上より発進したと思われるそれは地面で見上げるシロッコに対し驚くほど素直な軌道で飛来する。

 一度も曲折することなく、遥か遠隔より足元に舞い落ちたそれを拾い上げたシロッコは、その軌道を追って、それが投擲された地点を見出す。

 上空の地上、そこの構造物のキャットウォークより発進したものらしい。というのも、投擲したと思しき人物が、遠目に見て取れたからであった。

 肉眼で人間であるとは分かる。

 老若男女の区別は付かない。

 但しこれは分かった。

 飛行機の主は衣服らしいものを身に付けていないように見えた。

 軍服は愚か、肌着すらである。

(…む)

 視力は、シロッコと対等であったらしい。そうと認めた飛行機の主は直ちに構造物の中へと身を隠して消えた。どうやらシロッコを目掛けて投じたものではなく、偶然にシロッコが着地点に歩んできたものであるようだ。

 シロッコには、手元の紙飛行機のみが残った。

 あそこからここまでものを飛ばすには、炸薬を使用した銃が必要であろう。弓やスリングでは射程に及ぶまい。

(これは…製図に用いられるもの)

 広げてシロッコは、そう見て取った。

 解いて見れば、弾丸にも匹敵する飛行を見せた飛行機の前身は、5ミリ方眼の製図紙であった。

 何も書かれてはいない。

 無記入の白紙であった。

(紙切れに過ぎぬものが、在り方を変えただけでここまでの飛翔をするものか)

 折り方に相応の工夫があるものであろう。運動エネルギーと揚力の循環を、熟慮された形状に折られているのだ。

(あの住人…)

 地上の施設と直接繋がっている構造物であり、居住スペースではなかったと記憶している。

 使用する者は限られる。

(さて、何者かな)

 暫しの間、シロッコは空の無い空を見上げ、独り立ち尽くしていた。

 

*** 

 

「こうしてみると、痩せたなあ大将。ジオンの食い物はそんなに不味かったか」

「そういうお前は、一層太りおったな。ずっとジャブローの穴倉のなかで運動不足じゃないのか」

 連邦軍兵站本部長ゴップ大将は、ジャブローにおいて最上位の階級に有り、実質、ジャブロー基地司令も兼任する。

 そのジャブローで、その主ゴップと対等の口を利ける人間は極々限られている。

「本当に、よく戻ってきたな」

「こうしてこの身があるのは、貴様が色々と手を回してくれたお陰よ。先ずは礼を言わせてもらおうか」

「なに、貴様に居てもらわねば、この先儂が忙しくて敵わんからな」

「忙しくなるか」

「ああ。忙しくなる」

 ヨハン・エイブラムス・レビル大将。

 本来地球連邦軍に存在する二軍、宇宙軍司令長官と地球軍司令長官を兼任し、今や名実連邦軍の大元帥たるこの男の前のデスクには、赤と青で塗り分けられた地球圏の実効支配地図が広げられている。

 青が3に対し、赤は7であった。

「何というか、儂はここまでの敗勢を初めて見たわい」

「言うと思ったわ」

「思ったわ、ではないわい。今や地球のだいたいはインベーダー共の領土になっちまったぞ。おいレビル。やりたいようにやらせておけば貴様、こんなざまで本当によいのか」

「よい。というより、他にやりようもない。我が方の既存対空システムでザクに有効な打撃を与えられるオプションはない。ザクの降下は、防げんのだ」

 超音速で突入してくる大気圏突入ポッドを撃墜するべき高高度迎撃ミサイルはミノフスキー粒子干渉により照準すら不可能でありまた、従来型の空対空ミサイルは装甲目標であるザクに対し威力が足りなかった。空中のザクを撃墜する術は、地球連邦軍には全くもって乏しかった。

「空中撃破に成功したのは、いずれもそこそこの口径の砲を、ザクの急所に命中させた例だ。ビックトレー級の高角砲が、ザク撃墜を報じている。あとはたまたま軌道を逸れて海に降りて来たのを、たまたま近海に居た護衛艦が主砲でやったくらいだ。大昔の高射砲がまだ残っていれば、ここまで好きにはさせなかったがな」

 空中撃破が不首尾な以上、陸戦で撃破するより他にない。

 しかしそれも、対地ミサイルや戦車砲であれば辛くも破壊出来たが、それを搭載する攻撃ヘリや主力戦車は悉く、ザクの単眼を目視すると同時に返り討ちにされた。ザク頭部に集中するミノフスキー粒子干渉に対応した光学センサーは、危険な装備を搭載した連邦軍兵器を光学照準でアウトレンジすることが可能であったのである。

「水際撃破も陸上撃破も困難。しかも奴ら、地上の何処に落ちてくるか分からん。となれば、取り得る方針は限られてくるさ」

 空挺降下作戦の歴史は前世界大戦にまで遡る。

 航空機が主兵となった第二次世界大戦では、敵戦線の裏側に爆弾ではなく兵士を落下傘降下させるということが多々行われた。所謂エアボーン作戦である。ベトナム戦争のころにはヘリボーン作戦に姿を変えて、宇宙世紀に至るも有効な作戦として訓練されていた。

 戦車を始めとする装甲車両を空挺降下させようという試みは、空挺作戦草創期からあった。しかしこれほどの質量を伴う機甲勢力を空挺降下させた作戦は、古今東西に渡り類例がない。人類史上初の大気圏外からの降下作戦は、人類史上最大の空挺作戦であった。

 無類の敵に対抗するにあたって、レビルは無類の方針を定めた。

 戦わないことである。

 土地は与える。破壊したいならさせる。それらを犠牲にして、反攻の為の戦力を温存する。早い話が、地球連邦軍は守るべき土地も人々も捨てて逃げだしたのである。

「物理的にジオン共は、占領を長期にわたって維持出来ん。奴らに可能なのは我らの生産設備や生産資源を掠め取り、それが出来なけば破壊して、彼我の国力の差を可能な限り埋めて退くことだ。ならば常識的に対抗し得る選択肢は限られてくる」

「我らの反撃が本格化すれば奴らは地球から退去する。そう言いたいんだな」

「元より地球の占領が目的ではないからな。我々の今為すべきことは、ちりじりの敗残兵となった各地の連邦軍をいち早く…可能なら1年以内に纏め、本格的な反攻作戦を地球のどこかで行うことだよ」

「それだけで地球の戦争は1年でケリがつく、か。後の歴史家に「レビルの1年戦争」と揶揄されることが無いようにしたいものだな」

「全くだ」

 レビル将軍は嘆息する。

 平均以上の偉丈夫、白髭を蓄え、目深に被った軍帽より覗く眼光は鋭く、口数は少なく、如何なる戦況にも動じることのないその姿は正に誰もが思い描く絵に描いたような「将軍」であり、旗艦アナンタ艦橋に坐する姿を兵士たちは「レビル将軍像」などと囁いたとされる。

 そのレビルが肩をすくめて嘆息する姿など滅多に見られるものではない。

「そういえば、また従卒を変えたのか。相変わらず美男美女を侍らせとるようだな」

「ああ、これは紹介が遅れた。従卒ではないよ。彼が前に言っていたシロッコ。パプティマス・シロッコだ」

 ゴップの背後に控えていた男女二名が、敬礼する。

「君が噂の吸血鬼か」

「パプティマス・シロッコ特尉であります。こちらは私の補佐を担当するユニ・マリエ伍長です。何卒よしなに」

「まあ確かに、貴様の言う通りの美男美女ではあるが…シロッコ。発言を許す」

「発言致します、兵站本部長。レビル総司令の仰る通り、ジオンはこちらの反攻開始とともに速やかに地球の戦線を引き払うでしょう…新たな形の戦争を置き土産として」

「…ふむ」

「連邦軍の国力の基盤となる経済力、生産力の破壊という目的が果たされた後、ジオンは引き払った地球上に、経済基盤の回復を妨げるべく工作部隊を潜伏させるでありましょう」

「確かにそれは予想される」

「通常、敵地後方での攪乱は訓練を受けた特殊部隊が行います。特殊部隊は往々にして非武装または軽武装ですがジオンの場合は異なります」

「どのように異なるのかね」

「ジオン兵は全てザクの操縦訓練を受けています。よってザクがあれば即座に大規模な破壊活動が行え、容易に排除は出来ません。また潜伏するジオン工作兵は、決して一枚岩とは言えぬ地球連邦の、特にジオンに協力的な者たちにザクを供与し、生産法と操縦法を教えるでしょう。ジオンを順調に地球から追ったとしても、超兵器ザクで武装した反連邦武装組織、即ちジオン残党軍との闘いが始まり、それは決して一年で終わることはないと愚考します」

「ジオンは敗走することを織り込んでいる、と言うのかね? 君は」

「は」

「ジオンが奪った土地を、ジオン残党という毒素を浸透させた上で我らに返却すると」

「そうです」

「成程、考え得ることだ。もしジオンがそれに成功したなら、「一年」戦争どころか、「十年」戦争になってしまうな」

「確かに、ジオン法王デキンは、早期の講和を思い描いているでしょう。ドズル、キシリアら諸将も常識的に、それを目的として考えているでしょう。だが、ジオン戦争指導部の中枢、ギレン・ザビは違う」

「有利な条件で講和を結ぶのが目的ではないと?」

「はい」

「ジオン公国の独立を勝ち取ること以上の勝利を目指しているというのか」

「その通りです」

「では君は、ギレンが思う勝利を何と見る?」

「スペースノイドによる新地球圏総括」

「…むう」

 レビルを唸らせた者は、地球圏において十指に余る程しかおらず、シロッコはそのうちの最も新しい一指に序列されることとなった。ちなみにシロッコの前位は、ギレン・ザビその人である。

「おいゴップ。お前の秘蔵っ子は作戦課の所属だったか? そのような話は聞いておらんが」

「儂の直卒さ、今まではな。これから先は異なるがね」

「…は?」

 これはシロッコである。

 ゴップ兵站本部長の言葉の意味を図りかねたのだ。

「シロッコ。お前は今から技術部兵器開発局に転属だ。辞令はおって出す」

「…全く聞いておりませんが、何時からそのような話に?」

「そりゃそうだ。さっき思いついたばかりだからな」

 流石に眉を寄せるシロッコに、ニンマリと、ゴップは例の笑みを浮かべた。

「シロッコ。お前一つ、ギレンのMS構想と勝負してみろ」

 




次話に続きます。


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V road to theⅤ 第2話

 生まれも育ちも港町であったユニ・マリエ伍長にとって、ジャブローは初めての土地であり、見ること聞くこと驚きの連続であった。

 世界最大の湿地の地下に広がる大空洞に建設された基地は、軍事施設というよりももはや小さな都市であり、衣食を扱う商業施設や映画館などの娯楽施設、果てはグラウンドまであり、有志による社会人野球チームまであるというから恐れ入る。

 数万人が起居する地下道というのも驚きだが、最初に足を踏み入れた時、天上からつららの様にぶら下がる建物には心底びっくりしたものである。

「驚きましたね。いきなりなんだもの」

 そんなユニ伍長もジャブローに配属となって一月、大分慣れてはきたがやはり、相も変わらずここは驚きの宝庫であるようである。

「兵站本部長閣下もお人が悪い」

 シロッコらの寄宿舎は司令本部庁舎よりは離れており、そこまでの道すがらを、シロッコとユニは肩を並べて歩む。

「全くです。兵器開発局なんて畑違いもいいところですよ」

「いや、あながちそうでもないな」

「え!? そうなんですか!? 開発局に在籍したことがあるなんて初耳です」

「いや、ない」

「ええ?」

「兵器開発局に在籍した経験はない。製図も電子工学も学んだことはない」

「じゃ、素人じゃないですか! そんなんでバリバリのエリートが専門知識を絞った最新兵器のトライアルに参加しろなんて――」

「確かに専門の知識はないが、このシロッコは知の根源に通じている」

「知の、根源?」

「数学も電子工学も語学も、太古は一つの学問だったのだ、ユニ伍長。レオナルド・ダ・ビンチが発明家にして技師にして画伯であったように、ライプニッツが数学者にして哲学者であったように、知は根源において繋がっているものだよ」

「はあ…」

「これを機に、MSとやらを図面に起こしてみるのも一興かも知れんな。そうすることによって、地球圏で何が起こっているのか、新たに見えてくるものがあるかも知れん。このシロッコもまた新たな境地を開けるというもの」

「なるほど、わからん」

 とは口に出さなかったが、少なくともユニ伍長が、シロッコの常識に対し諦観の境地に達しつつあるのは確かであった。

(あ…あれは…)

 上司とのおしゃべりを早々に見限ったユニは、ふと施設の一角へと目を止める。

 軍事基地であるジャブロー基地内ですらめったに見ないほど大型のトレーラーから、今まさに覆いが取り払われつつあるのである。

「あれは…!?」

 取り払われた覆いの下から現れたそれは、地球連邦軍兵士の誰もが見聞きして知っているものだった。それも、死神の代名詞として。

「ザク! ジオンの、ザク!」

「連邦軍諸兄にもその名で呼ばれるとは実に重畳!」

 これは、シロッコではない。

 そのザクのコクピットから現れた兵士の言葉であった。

(…ジオン兵!?)

 そう。兵士であった。それも連邦兵ではなかった。兵士は、ジオン公国軍のノーマルスーツを着用していたのでる。

(敵だ!)

 ユニは勇敢にも腰に拳銃を探したが、MSに対し有効な火力ではないことは明らかであった。

(どうしよう…どうしたら…)

 凍り付くユニの肩をポンと叩いたのは、彼女の補佐の対象であり、引いては護衛の対象とも言える上司シロッコである。

「心配は無用。彼はジオンだが、敵ではない」

「シロッコ特尉?」

「おお珍しや。そこにおるのはパプティマスの坊やではないか。北洋に飛ばされたと聞いたが、こっちに帰ってしかも、番犬まで飼っておるとはな」

「ば、番犬!?」

 憤然、それは私のことかと食ってかかろうとしたユニを制して、シロッコは挙手礼を行う。

「お久しぶりです、ガイストハルト亡命将校。いつからこちらに?」

「御覧の通り、たった今よ。貴軍でもMS開発を検討するということでな。兵站本部長殿よりたってのお招きだ」

「確かに、貴官を招かぬわけにはいかんでしょう」

「番犬。番犬だなんて。でもそれ以前に!」

「どうした、ユニ伍長」

「ジオンです! ジオン兵です! それも武装しています!」

「ああ、そうだな」

「そうだな、ではありません! 退避です特尉!」

「その必要はないよ。繰り返すが、彼はジオン軍であっても、敵ではない」

「…ええ?」

「紹介しておこう。こちらはガイストハルト・クライスト亡命将校。我が軍での待遇は、大佐で在られる」

「亡命将校…?」

「そうだ。地球降下作戦のタイミングで、連邦に亡命された。連邦軍にも離反する者が居るように、ジオンもまた一枚岩ではないということだ」

「異なことを言う。ジオンは一枚岩だし、この俺も連邦に降ったわけでも、亡命したわけでもない」

「…???」

 ユニは、話が噛み合わない上官とジオン兵を見比べるばかりである。

「そうでしたな、突撃機動軍大佐殿。貴方は未だ、ジオンの将だ」

「兵を持たぬ俺が、将というのもあれだがな。ともかくこの俺は、ジオンの卒としてここにいるのだ」

「…どういうこと? いったい、何のために?」

 ユニの疑問は当然である。大佐、という階級はそうそうなれるものではない。ことにジオン軍における大佐は、方面軍司令、連邦においては少将と同等の権限を与えられる存在のはずであった。

 ガイストハルト亡命将校は40歳以上には見えず、年齢に比して十分に栄達していると言える。その身分を捨てて連邦に身を置くわけとは何なのか。

「よくぞ聞いたな、番犬!」

 しかし、ガイストハルトがこう言った瞬間、聞かなきゃ良かったとユニは後悔した。

「俺が今ここに在るは、失われつつあるザクの精神を取り戻すためよ」

「ザクの…精神?」

「ザクの精神だ。公国の精神、と言い換えても構わん。我が公国は本大戦に勝利するが、勝利はザクによって為されなければならん。そうでなければ勝利は勝利ではない。いや敗北と言っても良い」

 ちょっとこの人、何を言っているんですか意味わかんないと、ユニは傍らの上司の袖を引っ張って説明を求めるが、シロッコは意味不明の笑みを浮かべるのみで何も言ってはくれない。

「分からぬか。公国はザク以外のMSの開発に手を染めたのだ。ザクより高性能で高額なMSの開発にだ」

「新型MS!?」

「そうだ。新型MSだ」

「聞き捨てならない情報です! 聞きましたか特尉!」

「聞いている。既にな」

「すでに?」

「そうだ。亡命大佐が今言った情報の詳細は既に、連邦軍にもたらされている。現在軍情報部が分析を進めているところだ」

「は、はあ…」

「言っているだろう、伍長。彼はジオンだが、敵ではないと」

 どうやら、シロッコとこのジオン兵には相互理解が存在するらしい。そしてそれは、ユニの常識を超えているものらしかった。

「ところでガイストハルト亡命将校殿。貴官も参加されるという連邦軍MS開発プロジェクトに、私も参加する運びになりました」

「それは初耳だ」

「そうでしょう。私も今しがた、兵站本部長に申し渡されたところです」

「寝耳に水、足元から鳥か。そんな有様でプロジェクトに参加して何をするつもりだ? まさかお茶くみをするわけでもあるまい」

「ギレン総帥のMS構想と勝負せよ、と仰せつかっています」

「なに?」

「ジオンのザクに勝利せよ、と。どうやらそれが今回の兵站本部長のお言いつけということになるようです」

「ほほう」

 亡命将校はニンマリと口角を上げた。

「面白い。では坊やと俺は、ライバルというわけだ」

「どうやらそのようです」

 呵々、と亡命将校は哄笑する。

 楽しくてたまらぬ、という風であった。

「MSザクは公国そのもの。見事勝利してみろ、パプティマス坊主。その暁には…」

「その暁には?」

「お前こそが、ギレン総帥に代わる、宇宙の支配者だ」

 



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V road to theⅤ 第3話

ゲーセンが営業自粛でショボンぬ


「単刀直入に言わせてもらっていいかしら」

 そう言った女技師は既に、瞳の内に刃を潜ませていると思えた。

 クリスカ・ミハイロヴィチ・ブラダ技術少佐と名乗った彼女の名は、ユニのアポイント予定表に記されてはいなかった。

「シロッコ特尉のトライアル参加の件で来たの。話次第では特尉の予定は全て白紙になる。だから、私との面談を優先しなさい」

 何様だこいつは、と最初に対応したユニ伍長は思ったものの、門前払いとせず、取り次ぐことにした。今の上司なら間違いなく面白がることだろうと考えたからであった。

 そしてその考えは正鵠を得ていた。

「大いに結構だ、技術少佐。単刀直入は嫌いではない」

「許可を頂きありがとう、特尉。では申し上げます。対MS兵器トライアル、降りて下さるかしら」

「参加を取りやめよ、と」

「そうよ。取りやめて欲しいの」

「ふむ」

 この時のシロッコの笑みときたら、彼の上司のゴップ兵站本部長のチェシャ猫笑いにそっくりなものだった。あとで絶対指摘してやろうとユニは心に定める。さぞかし嫌な顔をするに違いあるまい。

「そうは言われても、この私も命令によって参加を余儀なくされたのであって、好き好んでのものではないのだ。私の参加を取り下げたいのなら私ではなく、私の上司のゴップ本部長に掛け合ってはくれんかね」

「出来ないわ」

「それは何故かな?」

「第一に生理的に無理だからよ。第二にああ言えばこう言うし、説き伏せられそうもないからよ。だから貴方のところに来たの」

「要するに、私の方が与しやすそうだから私のところに来たのか、君は」

「そうね」

「成程。賢明だ。私とあの古狸を同列にしなかったという点ではな」

「命令であるから仕方ない、という貴方の立場は分からなくもありません。ですがこれは簡単に解決します」

「ほう。その解決方法とは?」

「何のアイデアも浮かばなかったと貴方が言えば、本部長閣下もそれ以上のことを強いることはないでしょう」

「このシロッコに阿呆のふりをせよと?」

「ふり、でもなんでもないわ。貴方の経歴を見た限り、MS開発に役立ちそうなキャリアは何一つない。そのような人間が地球連邦軍発のMS開発に携わる方がおかしいわ」

「…成程。理屈だが、今それは解決を見た」

「解決? 今? どんな風に?」

「私の問題は、MS開発の専門的な知識を補うブレーンが居ない、ということだった」

「よく分かってるじゃない。貴方は専門家じゃないし、専門分野で顔が効くわけでもない。土台MS構想なんて不可能よ」

「だがそれは解決した」

「どんな風によ」

「君だ」

「…は?」

「君をブレーンとして迎えれば良い。これで私の問題は解決する」

「貴方何を言ってるの? 人の話を聞いてなかったの!? 私は貴方のトライアル参加を辞めさせに来たのよ!?」

「それについては何とかしよう。このパプティマス・シロッコ、女人(にょにん)の頼みを断る訳にはいかない。しかし君にその気が無くなるならば話は別だな」

「ちょ、ちょっと! 何する気なの!」

 クリスカは後ずさりする。

 シロッコがデスクを立って、歩み寄ってきたからだ。

「先ほど私の経歴を調べたというようなことを言っていたが、私についての噂までは耳に入っていないようだな。入っていれば、女一人でこのシロッコの許まで来るはずはない」

「な…」

「私の事を吸血鬼などと呼ぶものが居る。女の生き血を啜るからだそうだ…」

「はいそこまでです」

 これは、クリスカでもシロッコでもない。

 シロッコのデスクの横に控えていたユニ・マリエ伍長である。

「はい特尉。両手を上げて、バックです。おかしなこと考えないで下さいね。変なそぶりを見せたらケツの穴を二つにするぜ! です」

 ハンドガンの遊底をコックする乾いた音が、ユニの声の方からする。

 笑顔が怖かった。

「そういえば今夜は護衛が居たのだったな。すっかり忘れていたよ」

「護衛って、貴方の護衛じゃないの!?」

「私から、私の犠牲者を守る為の護衛、ということであるらしい。少なくとも今はな」

 万歳の姿勢を保ったまま、シロッコは執務の椅子まで戻る。

「ちなみにそこの護衛には、脅しではなく本当に撃たれたことがある。お陰で未だに週に2度ほど整形外科に通うハメになっているのだ」

「はあ…」

 流石にクリスカには、二の句が次げない。

「さて、では技術少佐。護衛の逆鱗に触れぬ範囲での交渉を行おう」

「え、ええ」

「提案だが、君のプランを私に開陳してはくれないかね?」

「私のプランを? どうしてそんなことしなければならないの? 今貴方がそれを聞けば、貴方は対策してトライアルに臨むことが出来る。不利だわ」

「出来る範囲で構わない。もちろん、公平を期す為私のプランも君に伝えよう。そしてその結果、もし君のプランが私のものよりも素晴らしいと思えば、私はトライアルで君の案を推そう」

「もし貴方がそう思わなかったなら?」

「本トライアルの主催に、優劣を問う。それでどうかね? 君は君に考え得る至高必勝のプランをもってここに臨んでいるとお見受けする。三週間の後、トライアルで私に勝つか、今ここで私に勝つかの違いしかないと存ずるが」

「…面白い」

 クリスカ技術少佐は、シロッコの執務室を訪れた時の不敵さを取り戻していた。

「私は連邦の勝利の為にここに来た。私以上のプランは存在し得ないけど、万一にも他の有象無象のプランが通過してしまうとも限らない。そうなれば連邦は勝利から遠のくわ。勝利を確たるものにする為に、貴方には退いてもらいます」

「とはいえ箸にも棒にも掛からぬプランならば推すわけにはいかない。相応のモノを期待しよう」

「その期待には沿えると思うわ。今概略を送ったから、そちらの端末で確認出来るはずよ」

「では、検(あらた)めてみるとしよう」

 デスクの端末に指を滑らせ、シロッコは送られてきたファイルを画面に開く。

「…大砲?」

 覗き込んだユニが、声に出して呟く。

「240ミリ多目的砲。直接照準も間接照準も可能。榴弾、徹甲弾、何でもござれの優れものよ。使用可能な榴弾には、間接照準でザクを撃破可能なものもあるわ」

「君はMSに砲を搭載するつもりなのか」

「降下兵器としてのザクは素晴らしい。装甲されているし、強力なミサイルは降下中に自力で迎撃出来るし、着地してすぐに戦闘が可能。そんなものが何処から降ってくるか分からないんじゃ戦線を構築しようが無い。我が軍がザクの前に撤退を重ねているのはそういうことよ」

「異論はない」

「だけど、ジオンは地上に降りた。今や地球の半分もの地域を、戦線を引いて守っている。今ならばザクを打ち破ることは可能だわ。私のプランは、間接火力でザクを漸減し、直接戦闘で殲滅する為のもの」

「ミノフスキー粒子の干渉下で、間接火力に過度の期待は禁物ではないか?」

「そうね。だけど今や彼らは基地を築き、陣地に籠っている。地形が分かれば、MS運用の適地も割り出せる。そこに火力を集中すれば打撃を与えることは可能だわ。曲射砲を搭載しているのはその為」

「なるほど」

「もちろん、ザクの持つ120ミリ砲に抗弾可能な装甲もザクの装甲を貫通可能な機関砲も与える。来たるべきレビル将軍の反攻作戦に要求されるすべての性能を与えるつもりよ」

「兵器とは戦術面の要求に沿って開発されるもの。確かに優れたプランだ、クリスカ・ミハイロヴィチ・ブラダ技術少佐」

「納得頂けたなら、トライアル不参加を確約してもらえるかしら」

「いいだろう」

「ちょ、特尉!」

 ユニが悲鳴に近い声を上げる。

「いや、伍長。クリスカ技術少佐の言には一定の理がある。それに私はクリスカ少佐という女人と約束を交わした。女人との約束であるからにはこのシロッコ、命に代えても約定を果たさねばならん」

「物分かりが良くて助かるわ」

「物分かりついで、と言っては何だが技術少佐に頼みがある」

「何かしら。まさか自分のプランに手を貸してくれって言うんじゃないでしょうね?」

「そのまさかだ。今君の端末に送付しておいたよ。それが私のプランだ」

「貴方の?」

 MS開発どころか、設計の経験すらもない、図面を引いたこともない貴方の?

 クリスカの「貴方の?」には言外に右のような言葉が省略されていた。

 言う必要もないから省略したのだ。

「ご指導ご鞭撻、と言えば見てくれるかね? クリスカ技術少佐」

「分かったわ。見ましょう」

 開いたファイルを一瞥したクリスカの嘲弄混じりの笑みが、みるみる強張っていく。

「これは…」

 ファイルの図案は、飛行機であった。

 それも紙を折りたたんだ、紙飛行機だ。

「それが私のプランだよ、技術少佐。どうかね。私に手を貸してくれる気になったかね?」

 




ジ・O実装されて暫く経つけど使いこなせません、ってそもそも格闘機に乗れないから当然ですがw


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V road to theⅤ 第4話

 翌朝、ユニとシロッコは、クリスカとは別の技術少佐を訪ねた。

(うわ……)

 これが、ユニ・マリエ伍長の、テム・レイという名のその少佐に対する第一印象であった。

 軍人を思わせるものは希薄だった。軍服ではなく研究者然と白衣を着こなし、弾丸が止まりそうなほど分厚いレンズのはめ込まれた細い銀縁の眼鏡の奥に、焦点があちこちする、落ち着かない瞳がある。皮膚は白い、というよりはどす黒く、脳以外の肉体に血液が循環しているのか怪しまれるほどだった。

「ああ。クリスカ君から聞いているよ。君が例の天才設計者か」

「恐れいります。こちらは私の秘書兼侍従の、ユニ伍長です」

「まあ、座り給えよ。ああ君は特尉なんだから、佐官待遇だろう。敬語は無用だ」

「貴方の方が年長のようだ、テム技術少佐」

「そうかね。まあ好きにするといい」

 彼を訪ねたのは、クリスカ技術少佐の言が大きかった。

「私が最大のライバルと考えていたのは、そいつよ。貴方の後に、そいつを訪ねるつもりだった。たった今、その気は無くなったけどね。トライアルの大本命、と私は見ているわ。開発局の下馬評も大体はそう。だから揺さぶりをかけるつもりだったの」

「トライアル参加を取り下げろ、と?」

「もちろん彼のプランが素晴らしければ、私は道を譲るわ。けどしょぼいプランだったなら、潰させてもらう。テム少佐から盗んだプランをヒントに、私のプランを強化してね」

「成程。我々にしたように、挑発してプランの提示を迫るつもりだったわけだな」

「その通りよ。だけどそれは止めたわ。貴方のようなMS構想を、彼が懐いているかも知れないもの。そしてそれがもし、トライアルに受け入れられたなら、とても素晴らしい」

「お褒めに預かり、光栄だ」

「余裕こいてるみたいだけど、私のプランは採用されるわよ。だって、貴方のプランの百倍現実的だもの。言えた義理じゃないけどテム少佐が、貴方と違ってリアリストであることを祈るわ…」

 クリスカがそのようなことを言っていたのが思い出された。

 眼前の人物、頭は良さそうに見えたが理知的、という感じではない。健全さというものがどこにも感じられないのだ。

(関わり合いになりたくない…)

 会話を交わすまでもなく、ユニ・マリエのテム・レイに対する評価はこの路線で決定しつつある。

「トライアルの件、と言ったか」

「そうです、テム技術少佐」

「そのようなことどうでもいい。君の構想とやらを聞かせてはくれないかね。クリスカ君に天才と言わしめた君のMS構想を」

 ユニは目を剥く。

(どうでもいい!?)

(モビルスーツ開発計画よ! 次世代型主力兵器構想よ! そのトライアルって、すごく大事なことなんじゃないの!?)

(て言うか、その為の仕事をしてるんじゃあ…)

 いよいよもって健全ではない。むしろ尋常普通ではないレベルに達しているのではないかこの技術少佐は。 

「御覧になって頂きたいと思ってここに来ているのです、テム技術少佐。事実私は、クリスカ技師には開示しました」

「ふむ。クリスカ君には開示したのに、私には渋る理由とは?」

「クリスカ技術少佐は、先だって私に構想を開示しました。答礼として私は、私のプランを開示したのです」

「先に手札を同時にオープンせよ、と? それは公平とは言えんだろう。私が見せたところで君の気が変わったら、見せ損になってしまうではないか。第一君が持参したプランが真っ赤な偽物だったなら、私はどうすればいいのかね」

「前者の解決ならば簡単です。私が先に見せるか、或いは同時に開示すればよい」

「私の気が変わるかもしれんぞ?」

「それについては、信じるより他、私に対策はありません」

「信じるか」

「はい」

「故に私も、君を信じよと」

「はい」

「無理だな、今は」

「無理ですか」

「今はな。しかしそれを可能と出来ぬわけでもない」

「…とは?」

「ジオンの拵えたMS、あのザクとかいうのの、最も優れた兵装は何だと思うかね」

「…ふむ」

 ザクについての一通りの情報を、地球連邦軍は得ていた。むろん、その兵装に関してもである。

 120ミリ速射砲、通称ザクマシンガン。

 90ミリ高速徹甲弾用マシンガン。

 240ミリ無反動対艦ロケット砲、ザクバズーカ。

 曲射投擲兵器、クラッカー。

 四肢に装着するラッツリバー社製スマートミサイルランチャー。

 その他、その他。

 ザクの兵装は豊富であり、その威力は実戦で証明されつつある。その知識は士官クラスの連邦兵には必須であり、ユニのような下士官であっても話として聞いている。

「最高の武装は存在しない。最適な武装のみが存在する。バカとハサミは使いよう、とも申しますが…ザクに最もフィットした兵装は、現在のところ、ヒートホークでありましょうな」

「射程数メートルのヒートホークがかね? 射程20キロのザクマシンガンよりも?」

「そうです」

「その心は?」

「二点です。第一に、道具として使用可能であるから。或いは、道具を兵器として転用しているから。ザクは汎用機です。戦闘任務のみがザクの役目ではないのです。陣地構築、行軍、救助に輸送、その他全ての任務に適性を持つ兵科。ザクとはまさしく、歩兵なのです。宇宙歩兵とも言うべき存在なのです。そして知られるザクの兵装の中で唯一ヒートホークのみが、陣地構築や進路開啓など戦闘以外の任務にも使用されているものでしょう」

「なるほど。二つ目は?」

「第二に、ザク本体のミノフスキー炉よりエネルギーを得ている為、弾切れという概念がないからです。ザクが稼働可能である限り使用可能な兵装であるからです。ザクが電力を得て行動可能な期間は、10年とも20年とも言われています。それまでの間、ザクはヒートホークでの攻撃が可能です。そしてヒートホークを防御可能な装甲素材は、今のところ地球圏には存在しません」

「君はザクの戦闘継続能力を評価しているのか」

「継戦能力はザクの重要なファクターであると見ています。ザクは全高16メートル以上の超大型兵器です。本来小型化すべき兵器がここまで大型化した原因こそは、無限に近い稼働時間を得られるミノフスキー炉を搭載したからです。兵器としては非常に忌むべき大型化というリスクを冒してまで原子炉搭載型としたのは何故か、それがザクという兵器の本質に迫る鍵でありましょう。そしてザクが稼働している限り使用可能な兵装がヒートホークであるということから、ザクの本質に則した兵装ということが出来はしないか、と愚考します」

「ザクは、ヒートホークを運用する為の兵器であると」

「無補給での戦闘を織り込んだ兵器であるということです」

「マシンガンもバズーカも追加兵装に過ぎんと」

「実体弾には弾切れがあり、補給がされなければ使用出来ません。ザク本来の兵装ではないと思います。そうなると見えてくるのが、次にザクが手にする兵装です。即ち…」

「メガ粒子加速砲――ビーム兵器かね?」

「お見通しか。流石は、クリスカ技師が警戒するだけのことはあるようだ、テム・レイ技術少佐」

「それは私のセリフだよ、シロッコ特尉。クリスカ君が、会ってみろと言うことはある」

 にんまり、とテム・レイは笑みを浮かべた。

 ゴップ兵站本部長もよく、にんまり、と表現するしかない笑みを見せることがあるが、テムのそれには、ゴップのそれのような陽性がまるで感じられない。

(絶対根暗だ、この人)

 ユニは確信する。

 確か妻の間に一子を設けているということだが、どんな聖女にこの男の妻が務まるのか、想像を絶している。

「プランをオープンにせよ、という話だったな」

「はい」

「してもいい。が、何やらそれでは面白くないような気がして来たよ、特尉」

「…とは」

「カードをオープンしよう。但し、プランの核心部分(コア)、エースカードのみをだ」

「コア部分のみを、ということですか」

「残りは本選のお楽しみということにしようではないか。その方がエキサイトでロマンティックだ。そうは思わないかね」

「…ロマンと仰るならば仕方がありません。ギレン・ザビの秘めたる野望――ロマンと言っても差し支えない、それこそは本次大戦の核心なのですから」

 その言葉に再び、ニンマリとしたテムは、手元のカード型端末を操作し、画像を送るのではなく、デスクの真ん中へと置いた。文字通り、手札を開けたのである。

 続いて、シロッコもそれに倣った。

(これは…)

 デスクの上にオープンで置かれている為、シロッコの後ろに控えるユニからでもその全容を、容易に視認出来た。

(…飛行機?)

 翼がある。尾部には推進器がある。

 どう見ても人型ではない。MSではない。飛行機としか見えないものだった。

 しかしそれを、シロッコもテムも、本MS開発計画のコアとして開示したのである。

(これはいったい…)

 どういことであるのか。

「ふ…」

「ふふ…」

 しかし両者は両者ともに、これをどう理解したのか笑みを浮かべ…それは徐々に哄笑へと変わっていくのだった。

 

***

 

「…調査ご苦労だった、クリスカ技師」

「はい、エルラン技術中将」

「各プランナー、それぞれに準備に勤しんでいるようだが、恐らく採用になるのは、君か私のプランとなるだろう」

 エルラン技術中将。

 現在地球連邦軍に配備されている陸海空、それに宇宙軍の全ての兵装の開発に関わり、年次で更新される連邦軍の戦略大指針に沿って拳銃から宇宙戦艦に至るまで、あらゆる兵装の開発を決定し発注する、地球連邦軍兵器開発局の大元締こそが、この男である。

「電気屋でプログラマーのテム君に、ゴップ大将が推薦したという図面も引いたことの無い若造、極めつけにジオンから来たというの亡命将校――よくもまあ、ここまで色物ばかりを集めたものだ」

「…」

「まともなプランナーは、私と君しか居ない。レビル閣下とゴップ本部長がまともなら、私か君が選ばれるだろう」

「中将は私の師であり恩人です。私のような非才を、少佐にまで引き立てて頂きました。その中将を差し置いて、私が主任開発者となるわけには参りません。以前申し上げました通り、私はトライアル当日、自案は取り下げ、中将の案を推します」

「同じことだ。私のプランが採用されれば、私は君を開発主任に推す。それに君が非才などとんでもない。類稀なる才気の上に、その美しさを兼ね備えているではないか。さあ、こちらに来たまえ」

 言われるままに歩み寄りつつ、クリスカは、軍服の襟を外す。

 次に、ファスナーを上から下へ、降ろしていく。

 脱げ、と命じられたわけでもないのに、である。

 エルラン中将の間近となったときには、既に下着以外の着衣は、床へと溶けて落ちていた。

「きれいだよ、クリスカ」

「…」

 賛辞にも無言のまま、クリスカは男に覆いかぶさられていく。クリスカをこの若さで少佐とし、じきに大佐とまでするであろう男にされるがままにされつつ、クリスカの脳裏にあるのは、己よりもはるかに美しい青年の白皙であった。

「やってくれたな。やってくれたなジオン! 私の経歴に泥を塗ってくれたな! 私の兵器を敗者としてくれたな! 私を過去の遺物にしてくれたな!」

 そのような声が、男から聞こえた。

「ゆるさんぞ! ゆるさんぞ! ゆるさんぞ…!」

 彫刻めいた白皙にはめ込まれた、泉のようなその瞳はただ、蹂躙されていくクリスカを見下ろしていた。

(パプティマス・シロッコ…貴方なら)

(貴方なら救ってくれるの?)

 救うとは己をか? 救うとは、何から? 恩人である中将から? この先待ち構えている、中将から逃れられぬ運命から? それは栄達であるというのに?

 何故そう思ったのか。何故救いを求めたのか。

 クリスカ自身にも分からぬままに、夜は更け、時は過ぎゆく。

(早く……)

 早く、朝が来ればよいのに。

 




そろそろ刀使の巫女の方も書かないと…


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V road to theⅤ 第5話

少々長めになりました。


「来たか、パプティマスの坊主。逃げなかったと言うことは、相応の自信ありと見た」

「本日はお手柔らかに、ガイストハルト亡命将校」

 クリスカの願いが天に通じたかどうかは分からない。

 月日は飛ぶように過ぎ、ついにその時は来た。 

 今日までの地球連邦軍の全兵装を総括して来た、連邦軍兵器開発局局長エルラン中将。

 その秘蔵っ子、クリスカ・ミハイロヴィチ・ブラダ技術少佐。

 孤高の兵器科学者テム・レイ技術少佐。

 敵性技術ザク・システムと共にジオンより乱入する、亡命将校ガイストハルト・クライスト。

 これらがつい先日まで図面を引いたことも無かったシロッコの相手であった。彼らを退けて、レビルとゴップに自案の有用性を納得させれば勝ち。それが出来ねば負けである。

「さあて、始めようかの」

 簡素に見えて金のかかったチェアーとデスクの数は7つだ。

 正面右手に設けられた二席にはそれぞれ、レビル大将とゴップ大将が、それぞれの侍従兵を後ろに立たせて坐する。

 その対面には5つの席が設けられ、これよりプレゼンを行うプランナーが、思い思いに坐する。

 シロッコのみはユニを伴っていたが、残りの3名は助手を伴わなかった。

 携帯端末を睨むクリスカ技術少佐は、他の参加者をことさらに無視しているように見える。

 その隣のテム・レイ技師は携帯端末の他に広大な紙の図面を携えており、それを眺めては何やらさかんに頷いている。

 ガイストハルト亡命将校のみは、何一つ携えていない。窮屈そうにデスクの下に足を押し込み、腕組みしてふんぞり返っている。

 この5名が占めているのは、4つの席である。

 つまり5つめの席は空席なのだ。

 そこに座るべき者こそが5人目のプランナー、今将に登壇しているその男であることに間違いなかった。

(エルラン兵器開発局局長……)

 彼こそはレビルやゴップに従い今日の地球連邦宇宙軍を創り上げて来た言わば生みの親であり育ての親であり、従って今日の大敗北の病根とも言える。

 ジャブローを勤務拠点とするシロッコである。入室してきた壮年の男は初めて見る顔では、もちろんない。功績は知っているし、ある程度の経歴ならば頭の中に入っている。

「宇宙艦隊は、地球連邦が成って以来初めて整備した本格的な宇宙での戦闘の為の戦闘システムである」

 前置きもなく言ったその言葉は、荘重ですらあった。

 程なく正面のスクリーンにプロジェクターが投影したのはMSでも何でもなく、既存の宇宙艦、マゼラン級とサラミス級である。

「私はこの二級に対し二通りの役割を与えた。マゼラン級は、敵宇宙艦をアウトレンジで撃沈する為の言わば宇宙戦艦であり、反航戦において5基10門、同航戦において6基12門の重粒子加速砲を斉射することが可能である。これは現在においても宇宙最強の水準だ。一方のサラミス級は門数においては6門だが全て単装砲であり、砲塔6基を装備する。同航戦に使用できる砲は2門に過ぎない一方、天上方向、天底に対しては4基4門での射撃が可能である」

 何を言い出したのか。何が始まったのか。

 一同の所感は一様であった。

「重粒子加速砲、所謂メガ粒子砲はミサイルと異なり迎撃は不可能、欠点は平射砲であり曲射が不可能という点だがそれは宇宙での戦闘において大して問題にはならぬ。宇宙には、海洋などと異なり水平線などというものは存在しないから、山成りの弾頭を隠れて見えぬ敵に当てる必要はない。弾速は基本、亜光速にまで加速出来るため、目視出来るものなら弾着予測も偏差射撃も無用に命中させることが可能。攻守に優れた目下最良の艦砲であると断言出来る」

 今の話にあるようなことは、兵器開発に携わる者達にとっては常識もいいところで、改めて説明されるまでもない。

 今更何を言っているのかと、この場の誰もがそう思ったのである。

「高性能レーダーとメガ粒子砲こそが宇宙戦闘に必要なものであろうと、私は考えた。マゼラン級は単一方向に射線が集中できる砲配置であり、サラミス級は多面的に火力を投射することを主眼としている。そして一個宇宙艦隊は一艦のマゼランと3艦のサラミス級によって構成される。つまるところ私はマゼラン級には敵艦を砲戦で撃沈する任務を与え、サラミス級にはマゼラン級の護衛任務を与えたのだ。護衛というのはつまり敵水雷部隊や、戦闘機部隊の襲撃に対する護衛である。これをサラミス級が阻めば、マゼラン級は敵艦との戦闘で確実に勝利する。我が地球連邦宇宙軍の優れた鉾と盾は、ルウム戦役においても機能するはずであった」

「そうはならなかったな、当然だが」

 長広舌をまぜっかえしたガイストハルト亡命将校を、エルラン中将は一瞥する。

「…そこのジオンの言う通り、盾(サラミス)と鉾(マゼラン)は機能しなかった。何故かを我々は考えた。一つには所謂ところのミノフスキー粒子散布がある。これがあれば艦隊は耳目を封じられるがそれは敵艦隊も同じこと。電波兵装草創以来、電波妨害や欺瞞電波は常道であり、もちろん我が方もこれを織り込んでいた。これのみが敗因になったとは思われぬ」

「貴軍が想定していたのは、ミノフスキー粒子散布下での、我らの保有するジッコ級水雷艇による伏撃であろう。違うか」

「…発言の機会は後ほど設ける」

 エルランは苦笑する。

「ジッコ級の水雷戦隊や宇宙戦闘機ガトルによる奇襲ならば、むろん我らも想定していた。それを要撃する為のサラミスであり、新鋭戦闘機セイバーフィッシュだった。サラミスは宇宙護衛艦であり、セイバーフィッシュは宇宙迎撃戦闘機だったのだ。実際に我々が直面したのは水雷戦隊でも航空攻撃でもなく、ルウムに『布陣』するモビルスーツであった。伏撃どころの騒ぎではない。奴らは宇宙を要塞化しおったのだ」

 連邦軍は海戦を参考として宇宙軍を整備した。

 一方のジオンは、宇宙戦闘を陸戦と考えていた。

(ほう…)

 エルランの考えはシロッコの見立てと同等であり、流石は兵器開発の人類最高権威であった者と思わざるを得ない。

「宇宙要塞を守る宇宙歩兵、MSを撃退する為に我が方も宇宙戦闘機を送り込んだが一撃離脱型のセイバーフィッシュは直線機動でMSを上回るものの複雑機動はMSが上回り、また装甲化されたMSは機銃弾を一切寄せ付けなかった。そしてルウムから我が艦隊に発射される要塞砲…ようするに普通、側面に回り込んで奇襲するような兵器にジオンは正面を担当させたのだ。そして側面からジオンの主力艦隊が来援し、我が方は翼面と正面に敵を受けた…いかがですかな、レビル将軍」

「ジオン宇宙軍には、エルラン技術中将の言われるような工夫があった。それは認めざるを得ん。敗将に言えることは、これだけだ」

 レビルの言に我が意を得たりとエルランはほくそ笑む。

「あとは良く知られている通り、ジオン宇宙巡洋艦隊は反航戦一航過の後にMS部隊を投下。最終的に我が艦隊は、この艦載MS隊によって損害を受け退却に追い込まれた。見事だと言っておこう、ジオン」

「貴艦隊は非常に良く戦った。それは申し上げて置こう」

 ガイストハルトの言に皮肉の毒は無い。

 これはルウム戦役従軍記章を持つジオン将兵の誰もが共有する思いであったし、おそらくはガイストハルトの本音でもあるのだろう。

「さて、戦闘概況より鑑みるに、我が軍が行いうる対策は一つ。宇宙を要塞化するジオンに対抗し、宇宙要塞を攻略しうる兵装を得ることだが、これについて私は一週間で目途を立てることが出来る」

「一週間…ほう。それはどうやってかね」

「これを用います、ゴップ兵站本部長」

 モニターに映し出された画像は二点、一つは連邦軍の保有する重モビルタンクであり、今一つはモビルポッドであった。

「MS、ではないな」

「MSではありません。MS開発プランなどというものをこのエルランは携えていません。何故ならばMSは無用の兵器であるからです」

「ほう」

 MS計画会議を企画したのは、レビルとゴップである。

 その二人の眼前でエルランは、MSは無用と断言したのである。

「MSが無用となれば、この会議も無用ということになるな、エルラン君」

「いいえ、この会議は有用でしょう。無用なのはこれより先のプレゼンです。時間の無駄を省くため、私は最初の発表を希望したのです」

 クリスカを除く、全員の目が鋭く細る。

 露骨な挑発であった。

「モビルタンクは試作のものですが、これにザクと同等の光学センサーを砲塔上部に搭載した改装型を生産ラインに乗せることが即日可能です。モビルポッドについては現下官民合わせて保有する八十台を、対MS武装を装備して戦闘任務に当てます。これだけのことで、我らはジオン軍に勝利するを得るのです」

 プロジェクターに映し出されているのは180ミリ低反動砲や80ミリ連装機関砲など、モビルタンク用の装備として生産が進められているものであった。これらの兵装ならば、確かにザクの破壊は可能だろう。

 モビルタンクとはミノフスキー原子炉搭載型の戦車で、ザクと同じく非常な稼働時間を誇る。ジオンでは試作のみで採用されなかった(ビルドルブやルナタンクがそれである)が、連邦軍では燃料補給無用のこの兵器は注目され、既に戦線に投入してザクを相手に戦果を上げていた。

 一方、モビルポッドは原子炉搭載型ではない、純然な作業機械である。

 元来深海で用いられていた潜水ポッドを宇宙用にリファインしたものがコロニー建設の初期から使われており、改良を積み重ねて現在に至る。原子炉搭載を可能とするモデルも存在しており、これを徴用して宇宙歩兵にしようというのである。当然ながら既に生産ラインが確立しており、人員と金を投入すれば頭数の目途がすぐに立つ。

「MSにはMS対策のみを行う。MS対策に成功すれば、MS運用と主眼としたジオン軍の対策にも成功し、保有艦艇の数的優位のみが残る。この優位を活かせば連邦軍におのずと勝利は転がり込むでしょう」

 エルランの計画とはつまり、一方で既存の兵器を対MS用に改装してザクに対抗させ、その一方で未だジオンを上回る艦艇の保有数でジオンに優位に立とうというものであったのだ。

「既に現場サイドより生産工程表が上がってきておりますのでここに示しておきましょう。各国の生産拠点をフル稼働すれば、対ザク用モビルポッドの数は一月でジオンのザク保有数に拮抗します。既に大建艦計画、ビンソン・プランが進行中であり、一年を待たずして我が方は全方面での戦力的優位を手に入れるでありましょう。以上、何か質問は」

 レビル、ゴップ両将に言葉はない。

 シロッコもテム・レイも無言だった。

 クリスカももちろん無言だった。

「くっく」

 ただ一名。

「うははははははは!」

 無言の会議室に突如ジオンの哄笑が乱反響を巻き起こす。

「…何がおかしい、ジオン」

「保有数だと。戦力的優位だと。これが笑わずにおれるか!」

「それの何が可笑しいのか! 痴れ者が!」

「…待ちたまえ、エルラン中将」

「…は?」

「次はガイストハルト亡命将校の登壇とする。言わんとすることがありそうだしな。如何ですかな、将軍」

 ゴップに対し、レビルが無言のままに頷く。

「光栄至極だ、連邦の総大将。では言わしていただくが、エルラン兵器開発局長に置かれては、大きな勘違いを為されておいでだ」

「ほう。私がどのような勘違いをしていると言うか」

「聞きたいか?」

「…いいや。聞きたくもない。落ちこぼれたスペースノイドの考えなど聞いても致し方ないことだしな。先も言ったように、貴様のプレゼンなど時間の無駄だ。即刻立ち去れ」

「いいや、去らぬ」

「去らぬというなら衛兵を呼ぶか」

「あー、待て待て、両名」

 これはゴップ兵站本部長である。

「言い争いなぞそれこそ時間の無駄。儂も忙しい身でな。登壇願おうか、ガイストハルト亡命将校殿」

「…とは、プレゼンとやらを行えということか、ゴップ将軍」

「そうだが」

「ない」

「ない?」

「将軍の部下が今していたような準備は一切しておらん」

 おいおい、という風にゴップは、臨席のレビルと顔を見合わせる。

「では何しに来たのだ、と言いたげだな。言いたいことは少ないし簡単だ。よってエルラン将軍の如き準備は必要がないということだ」

「ふむ。成程。ではその言いたいこととは?」

「ザクを作れ」

「ザクをだと」

「そうだ。貴軍もザクを保有するべきだ。そうするより他にザクに対応する道はない」

「たわけか貴様は!」

 これはレビルでもゴップでもなく、目下登壇しているエルランであった。

「敵性技術使用機を主力になど出来るか! 大体が、ザクでザクを撃破しようにも、ザクの装甲はザクの兵装に対して十分な抗弾能力を備えておる。効率が悪すぎるわ。そのくらいなことは調査済みだ、貴様が味方をちょろまかして我が軍に持ち込んだザクを調査してな!」

「たわけはお前だ」

「どうたわけだ! 言ってみろ!」

「俺のザクを調べたところで何も分からぬ。ザクをザク足らしめる本質は、ザクの内に在らじ、ザクの外に在るのだ」

「内だの外だの、意味が分からん」

「分からんか。では貴官ら連邦将士諸君は不思議には思わなかったのか。地球圏統一国家となった貴国が、かつて辺境に過ぎなかった公国に敗勢に陥ったのは何故なのか。宇宙艦艇保有数は五分の一に過ぎぬ我が公国が貴国艦隊を退けることが出来たのか」

「それこそが、お前のザクによる功績ではないのか」

「確かに前線にあって敵艦を撃沈したザクの功績は、最大限に評価されるべきだろう。だがあそこにあったザクの働きは氷山の一角に過ぎぬもの。グラナダの月基地を得た今、本国、ソロモン、ア・バオア・クーそれに木星の工廠より続々とザクは増産される」

「ザクばかりを増産していてもパイロットが居なければ動かすことは出来まい」

「ところがだ。我が公国は初等学校より宇宙航法を学び、卒業時にはモビルワーカーの実技を受ける。男女問わずにな。成人したころには、何れもMSで本国と隣のサイドを往復出来るザクパイロットになるのだ。現時点で既に公国臣民三千万、老若男女一切を問わず、ザクを駆る宇宙戦士となりうる。それに対し貴軍はどうだ? パイロットはエリートとか言っていないか? 貴軍のパイロットは少尉以上。対し我が軍は伍長よりザクパイロットだ。さて頭数は足りるのか? エルラン技術中将」

「むう…」

「謂わばジオン公国とは、ザクとザクパイロットを生産する一つのシステムなのだ。ジオン全てがザクなのだ。それに対するには、生き残る地球の民三十億全てMS兵となるよりほかにはないわ!」

 まさに一喝であった。

(す…凄い)

 シロッコの後ろに控えるユニも、思わず上司の影に隠れたくなるほどの迫力である。

(この人は本当に、宇宙でレビル将軍と戦った、戦士なんだ…)

 エルランはもとより一同寂として声も無し…と思われていた時であった。

「あー、ところでだな」

 一人だけそうでない者が居た。

「この機会に聞いておいてもいいかなジオンの士官さん」

 右手にタッチペンをくるくると弄びつつ、そう切り出したテム・レイの声には緊張感や警戒心がまるきり感じられない、というよりも、この陰気な技師には場の空気を読み取る機能自体がないのかも知れない。

「…何だ」

「何故モビルポッドではダメだったのかね? 戦闘にしろ作業にしろ、エルラン中将の言っていたような民生のポッドがジオンにもあったろう。わざわざコストをかけて新兵器を開発するより、あれを使えばよかったんじゃあないかな?」

「確かにモビルポッドは保有していたが、それでは意味がないからだ」

「意味があるんだね」

「ある」

「ギレン・ザビは理由があって、ザクを人型にしたと」

「そうだ」

「私が伺いたかったのはそれだよ、ジオン君。ギレン・ザビが、国家の命運を掛けた決戦兵器に人の似姿を与えたのは一体何故なのか。まあ、大方見当はついているのだがね」

 相好を崩す、という言葉が、今のテム・レイをよく現わしているだろう。

(そういえば)

 この根暗技師のこのような顔をすることがあったと、ユニは去りし日のことを思い出す。

 端末を取り交わしたシロッコとテムが、互いの端末を覗き込んで呵呵大笑したあの時のことを。

「人は脳で思考する、というのが一般常識だ。そして脳とはここ、頭蓋の中にあることは今やだれもが知る医学常識だ。しかし、実際には人は脳のみで思考しておるのではない。人の四肢も内蔵もその全てが感覚器を有しており、それは頭脳と繋がっておる。つまり、四肢も内蔵も、頭脳の一部なのだ。心の一部である、と言ってもよいだろう」

「そのようなことを言っていた学者がおったな。確か…」

「アダムス・ミノフスキー博士」

 シロッコが、上司ゴップの後を引き継ぐ。

 物理学者として後世にまで名を遺すミノフスキー博士であるが、彼が革命を起こした分野は哲学から電子工学に至るまで幅広い。生物学、心理学もそれに含まれており、彼に言わせれば「すべての学問はミノフスキー宇宙学の一部なのだ」と、こうなる。

「ザクは人型をしており、メインセンサーはその全てを頭部に集中装備している。パイロットは胸、つまり人の心があると信じられているそこに搭乗する。人の胃腸がある腹部には主動力炉がある。分かるか。外観が人に似ているのではない。人を模して造られておるのだ。もちろん、人の神経に当たるものも四肢に伸びている」

「流体パルス駆動を採用していたな、ザクは」

「そういうことだ。前置きが長くなったがようするに、人と同じく、ザクはその全身をもって頭脳なのだ。人型の人工頭脳なのだ。いやそもそも人工頭脳というものは、人型を得て初めて完成するものなのだ」

「パイロットはザクの魂、というところかな?」

「魂か。そうかもしれんな」

 目下のところ、この亡命軍人の話に付いて行っているように見えるのはテム・レイだけであるように、ユニには思える。

 この手の話を喜びそうな己の護衛対象は何を思うのか、無言であった。

「今や地球圏には機動服(モビルスーツ)という呼び方が定着しつつあるようだ。確かに人は服を着る獣だ。現在ザクはパイロットによって操縦されているが、何れはレバーもペダルも無用と成り、服を着るようにザクを操る時が訪れよう。そしてさらなる地球圏進歩の暁には、ザクとスペースノイドとは一つとなるのだ!」

 ガイストハルト亡命将校は、まだ登壇していない。

 自席に坐したまま一歩も動かず、ここまでの長弁であった。

 現在演壇に立っているのはエルラン中将であったが、もう言葉はない。ただガイストハルトを見下ろしているのみであった。もし両者に銃があれば、ものも言わずに互いに撃ち込んでいたかも知れない。

 それほどまでに室内に充満した殺気を全く意を介さない人間が一人居た。

「ブラボーブラボー! 実に素晴らしい! 素晴らしきかなジオン! 素晴らしきかなザク・システム!」

 喚きながら手を打ち鳴らすその様に、ユニはゼンマイ仕掛けでシンバルを鳴らす猿の玩具を連想する。

「ギレン総帥は人を神の似姿と捉えたわけだ。それ故に人型の電子頭脳、ザクを開発した。ヒトのカタチにはヒトの魂が宿る。神すら宿るかもしれんな。確信した、ジオンは滅ぶべきではない。大いに栄え、全人類を指導するべきだ」

 エルランやレビルらのみならず、その場の全員が眉を顰める。ガイストハルトも例外ではなかった。テム・レイという技術士官には、本当に周囲の空気を読む器官が備わっていないらしい。

「だけど、私の考えはギレン君とはちょっとだけ違う」

 そのテムが、このようなことを言い出した。

「君ちょっとどいてくれないかな」

 未だ演壇に立ったままだったエルランを押しのけ、ステージを占拠する。

 技術大尉が中将を君付けなど、いかにリベラルな連邦軍でも咎められることだ。それ以前にギレンも君付け呼ばわりしていたが咎める者はいない。後期高齢者や幼児が誰をどう呼ぼうと気にしたら負けだというような心理と同様のものがテム・レイに対しては働いたものと思われる。

「開発に携わっていた方ならば、これをご存じですな、皆さん」

 プロジェクターに現れたのは、ユニも見覚えのあるものだった。

(あの飛行機…あんなに小さく畳めるんだ)

 テムがシロッコにも見せた、あの飛行機であった。

 画面ではその飛行機の機種と翼が折りたたまれ、とても行儀のよい立方体となっている。

「先ごろサラミス級の艦載機として開発が進んでいた試作機だな。トリアーエズやセイバーフィッシュの問題であった搭載スペースの解決案の一つだ」

「流石はゴップ兵站本部長。把握しておいでだ」

「まあ、先の負け戦の影響で予算は付かなかったがな。ガトル宇宙戦闘機相手ならともかく、装甲されたザクに有効な武装は、小さすぎて積めんわけだし」

「確かにこいつのペイロードは、歩兵並みのものでしかない。航続距離も乗用車といい勝負だ。しかしこいつは、母艦はもとより艦隊旗艦ともダイレクトリンク出来る優れた電算システムを持っていた。そこで私はこのようなことを考えたのですよ」

「…!」

 一同は唖然とした。

 折りたたまれた戦闘機の上下に、ザクの上半身と下半身が被せられたのである。

「このようなことをして何になる。胴体強度や可動域が犠牲とならないか」

「なるでしょうな」

「何よりも生産工程が複雑になる」

「なるでしょう。戦争に用いるにはそのような不安があるでしょうな。ではこれを」

 画面が切り替わる。

「建造中の新鋭航宙揚陸艦です。大気圏突入離脱能力を有し、ミノフスキークラフトにより浮遊、40ノットでの航空移動が可能。これの搭載スペースを拡張し、このようにします」

 デッキには多数のコアファイターと共に、MSの上半身と下半身が懸架されていた。

「仮にこのようなパーツを考えてみた。上半身をAパーツ、下半身をBパーツとしよう」

 そこにはAパーツとBパーツに分割されたモビルタンクが表示されていた。

 エルラン中将がプランの一角として公開していたものだ。

 当然ながら下半身は足ではなくキャタピラである。

「第一にこの新鋭機を出撃させ、制空権を得ます。次に、モビルタンクに換装させましょう」

 コアファイターがドップ戦闘機と思しきアイコンを蹴散らした後、その上下に主砲とキャタピラが被さる。

「これには120ミリ高速砲が搭載されているので、これで長距離から敵陣に準備攻撃を行いましょうか。その次に…」

 コアブロックが下半身を脱ぎ捨てた。変わって着たのはザクの下半身だ。

「これにより前進し、直接照準で残敵の撃破を行います。背が高くなっておりますから、撃てる弾の威力は限られますが、その分接近しておりますから問題ないでしょう。そうしておいて――」

 今度はコアブロックが上半身を脱ぎ捨て、ザクの上半身を装着する。

 これによりコアブロックは完全にザクとなった。

「クロスコンバットです。主に敵が救援に差し向けた、強力な格闘MSと直接対峙します。これに勝利することが出来たなら――」

 コアブロックはザクの上半身と下半身を脱ぎ捨て、戦闘機となる。

「ここを拠点とし、飛来する敵機を迎撃します。それを終えたら再びモビルタンクとなって次なる目標への準備攻撃を行います。振り出しに戻るわけですな。後はこれを繰り返します」

「机上の空論だ!」

 横に押しのけられていたエルランが喚く。

「兵器は戦闘となれば損耗する! 航空戦や遠距離砲戦を戦った兵器がそのまま中、近距離の戦いを戦い抜ける状態であるはずがない! もし運よくコンディションを維持出来たとして、これではパイロットは少なくとも砲兵科とMS科と航空科の訓練を全て受けねばならぬ。養成に時間がかかるし、出来るかどうかも分からん。ましてや半年以内には全教程を終えて実戦に出さねばならんのだぞ? 成し得る者が居たとしたらそれはもう人間ではないわ!」

「あー、いみじくも机上の空論と申されましたが全くもってその通り。今申し上げたのは、私めのコアブロックプランを、将軍たちの耳障りがいいような形で用いて見せたに過ぎません」

「なにい?」

「私が重要視しているのは、この戦いで連邦が勝つか負けるか、そんな低次元のことではないのですよ」

 じゃあ何しに来たんだ、とユニならずとも言いたくなる発言である。

 ここは連邦が勝利する為に手にするべき次期MSについて議論する場に出て来て置いてそれを重要視していないとは何事か。ましてや連邦の勝敗が、「低次元」とは如何なる存念か。こう言ってしまうと連邦を勝利に導くための連邦軍とその将であるレビルやゴップも「低次元」ということになってしまうのではないか。

「…地球圏の存続、その為の勝利。それよりも高次元のこととは何かね? テム技術少佐」

 呆れ果てて絶句したエルランに代わり、ゴップ大将が発言を促す。

「ギレン総帥は、宇宙を征くヒトを創り上げた。ヒトは神の似姿、ザクはヒトの似姿であります。ヒトに神が魂を込めるなら、ザクにヒトが魂を込めることもまた可能でありましょう。実に偉大なる――偉大なる発明であると言わして頂こう、しかし! 私の思想とは異なる!」

 テム・レイの唾が飛んでくるのではないかとユニは身を竦める。

 もう何を話しているのかユニにはさっぱり分からなくなっていた。我が変態上官はそうではないのか。様子を窺うと――シロッコは、笑っていた。心底愉快そうに微笑んでいた。この場に誰も居なければ大笑していただろう、過日、テムのラボで面会した、あの時のように。

「ヒトは服を着る獣だ。暑ければ薄着し、寒ければコートを羽織る。水中を行くときには潜水服を着用し、宇宙に出ることを望めば宇宙服を求めればよい。MSも同様だ」

「それはジオンのMSでも可能だろう、パイロットがMSを乗り換えれば良いだけだからな。現にジオンは水陸両用のMSを出撃させているとの報告もある。それ以前に、戦闘に限って言えば乗り換える必要もない。ザクの兵装を持ち帰れば済むことだ」

「ザクは兵装を持ち替えますが、コアブロックシステムでは服を着替える、と考えていただいた方が、将軍たちにはイメージしやすいでしょう。長距離に置いては長距離に特化したMSとなってザクの優位に立ち、中距離では中距離に特化したMSとなって優位を維持し、近接レンジにおいてザクと同等以上のMSとなって戦い勝利する。我が構想の一端が分かって頂けると思いました次第」

 この時ユニの上官がぼそりと、

「…一端に過ぎん」

 こう呟いた。

 そうと聞いたテムが、ニンマリと笑う。

 感じの悪い、あの笑いだ。

「コアブロックは脱出システムの役割も果たすことが出来る。MSの外装が損傷したなら交換すればよいわけだ。死しても自在に肉体を離脱し、任意に転生する――解脱した新たなるヒトの姿。肉体は魂の入れ物。容器が不自由ならば取り換えればよい。私はギレンの考えるよりも、もっと人の魂は自在であるべきだ。ギレンはヒトを宇宙へと誘った、ヒトは次のステップへと進むべきなのだ!」

 熱狂的に、テムは口泡を飛ばした。

「…さらなる、ステップとは?」

「為し得る者は人間ではない――そのような発言がありましたが、いみじくもその通りです。私はこれを、人の為し得る業と考えてはおりません。来たるべき次の世代の人類――先にそこのジオン君が、いつかヒトはレバーもペダルも使用せず、思いのままにザクを操るだろうと言った。だが私はギレンよりもヒトを自由なものと捉えている。現在、コアブロック構想では航空機がMSのコアとなっているが、航空機である必要はない。軍事用に用いるから、その用途で戦闘機にしただけで、車でもモビルポッドでもいい。モビルコアは、MSの魂たるパイロットをより自在な存在たらしめるためのものだ。一個のヒトの魂が操る複数の肉体、複数の個人、複数の人格――転生輪廻という東洋思想を知っているかね諸君」

「万物には魂が宿り、巡り行くという思想でしたな」

 応え得たのはやはり、シロッコのみであった。

「ギレンは、ヒトのカタチこそは唯一絶対の神の似姿と捉えたようだ。欧風な、キリスト教的な考え方だ。それ故力強く宇宙を征く、ヒトを創り上げた。私は違う、私はヒトのカタチではなく魂にヒトの本質を求めたのだ。ヒトは石にも草木にも鳥にも魚にもなる。MSとかいう兵器となることも、あるだろうがそれは一端であり、一つの在り方に過ぎず、先程も申し上げたようにまあ、些細なことだ」

「兵器開発局で軍の禄を受けて兵器研究をしている身であろうが、貴様は!」

 吐き捨てたのはエルラン中将である。

「輪廻だの魂だのの研究ならば他所でやれ! ここは軍で、今は兵器の話をしておるのだ!」

「あー、了解しました中将閣下。これで終わりにしておきます。実はこれ以上、語ることは私としても出来んのであります」

「何い?」

「実はここに至って私テムは、我がプランが未完案であることを悟ったからであります。悟ったからには、直ちに補正案を考えねばなりませんので、この場は失礼して宜しいかな?」

「それは少しお待ち頂きたい、技術大尉」

 これを発したのは、開いた口が塞がらぬという体のエルランではない。

 今だ登壇していない、パプティマス・シロッコであった。

「もし私が思っている通りならば、私の案により貴殿の案はより完成に域へと至る。そうではありませんかな」

 にんまり、とテム・レイは笑む。

 嫌らしいチェシャ猫笑いのテム・レイの視線の先にはむろん、似たような笑みを浮かべたパプティマス・シロッコが居る。

「拝聴しよう。もし私が思っている通りのものであるならば、価値ある時間だ、私にとっても、人類にとっても」

 誘っているような口ぶりである。

 挑発しているような口ぶりである。

 これ以上のものが出せるか? 出せるようなら出してみろ、と言っているようにも見えるし、もしこれ以上のものが出てくるならば見てみたいと言っているようにも思えた。

 




戦場の絆の方では最近ジ・Oを乗ってみているんですが使いこなせず、それでも意地で乗ってるものだからどんどん階級が落ちていきますw 重装ガンキャノンの方が貢献出来たり。


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V road to theⅤ 第6話

「先ず断っておきますが、私の考えはお歴々のプランに勝るものでも、超えるものでもありません」

 もし誰にも指名されなければ、このまま沈黙していたかも知れない。

 殊更にゆっくりと席を立つシロッコの様子には、そのような風にも思える。

「テム技術少佐以上のものを出すことは出来ませんし、ガイストハルト亡命将校やエルラン技術中将に比べられるものでもありません。ご覧の通りの若造でありますし、ご存じのようについ先日まで図面を引いたこともなかった。このようなものが紹介出来るのも、優れた技師の協力があったからに過ぎません」

 演壇中央、テム・レイが譲ったそこに、ついにパプティマス・シロッコが立つ。

「しかし、たってと言われるならば開示しましょう。これが私のプランです」

 プロジェクターによりスクリーンに映されたのはまたもや、航空機であった。

「…またか」

 エルラン中将が吐き捨てる。

「ここは軍だ。新人類を語りたければ大学の人類科学研究室にでも行け」

「まあまあ。聞いてみようではないか」

 フォローしたのは上司のゴップではなく、隣のレビル大将であった。

「地球連邦軍再編計画の為にここに来たが、思わぬ話を拝聴出来て幸甚だよ、諸君。この上は全て聞こう。だが手短に願おうか。我らは一刻も早く指針を定め、ジオンに対抗せねばならんのだ」

「お言葉に甘えます、軍総司令閣下。今新人類、と技術中将は言われたが、私も私なりに、ヒトの在り方を考えました」

 シロッコは、航空機の俯瞰図にポインターを近づけ、一か所をクイックする。

 推進装置と思しき部分であった。

 そうするとそこが動いた。せり上がって、機体の上へと背負い込まれる。

 その次に機首をクイックすると、それも推進器が動いたのと同じところに背負い込まれる。

「…これは…」

「はい。これが私の志す新たなMSの在り方です」

 推進部と機首が背負い込まれた結果現れたのは、ヒトの姿、ヒトの四肢。

 航空機である部分を背に負った、紛れもないMSの姿がそこにあった。

 シロッコが手元を操作すると、MSに変形したのと逆のシーケンスを辿り、MSはまた航空機に戻る。

「今見ていただいているのは急展開型のMSとして考え出したものです」

「MSに可変機構を付与したのか…君は」

「はい、先のガイストハルト亡命将校の言にもあったように、ジオン軍は生産すれば生産しただけのザクを、簡単な訓練で即時戦闘に投入出来ます。国力においては三十倍とも言われる我が方ですが、正面に展開するMS機数においては当面の間、我が方ジオンを上回ることは出来ません。よって少数のMSで、東西南北に加え宇宙からも降下してくる立体多正面のザクと戦わねばなりません」

 ジオンが宇宙から落とすものは、コロニーだけではない。

 一年戦争序盤のジオン地上軍の快進撃の原動力こそは、MSによる成層圏からの大空挺作戦であった。ただでさえ撃墜困難なザクが戦線の内側に突如出現されては戦線を維持しようがない。いや、戦線の意味すらない。

 従来の陸戦の概念の通用せぬジオンに、今の今まで連邦軍は敗走と続けて来たのだ。

「成程君のMSならば、ジオンの空挺作戦に対応可能だな」

「ご明察です、将軍。ザクの降下に対し、直ちに急行して対応することが可能です。防御的な運用としてはそうですが、もちろん航空戦力本来の、攻撃的な運用も可能です。例えばミノフスキー粒子に紛れて敵縦深陣地の中枢の急襲し、直ちに離脱、というようなことも可能となって来るでしょう」

「成程重力圏ならば非常に有効だろうな。戦略機動においても戦術機動においてもザクの優位に立てる。しかし宇宙でそれは、有効かね? ザクより大推力であるかもしれないが、それだけのことではないか?」

「重力圏ほどの優位性はないでしょう。推進部を集中することによってザクよりも推進力を得られますが、それだけです。但し、もしこのMSに独力での大気圏突入、並びに大気圏離脱能力を付与するとしたならば?」

「そのようなことが可能なのか?」

「完成時に可能となることを目指す、ということです。技術的課題はさておき、地上に産まれ、自在に宇宙へと翔び、求められればまた地上へと降り立つ。そうでなければ無意味です。そうでなければなりません」

「何故かね」

「解脱の為です、将軍」

 預言者は、核心へと触れた。

「gedatu?」

「はい」

「…とは?」

「ヒトが神となることを指します、将軍」

「それは知っておるよ。東洋の思想に現れる言葉だが、西洋においても、聖人が天使として迎えられることがある。聖母マリアはもとはと言えばヒトだが、今や天使の長と見なす者もいるようだからな」

 聖母マリア。中世欧州においてノートルダム。中世に最も高名な預言者の通名であり、密かにシロッコが我が身を重ねる者の名であった。

「ギレン総帥は、民全てをザクパイロットとする構想を現実のものとしつつあります。その結果、ジオンの民は程近い未来、万民がMSを操り、万民が自在に宇宙を闊歩するでしょう。私のプランはその一歩先を見据えたものです」

「エルラン技術中将の指摘通り、君の考えるMSはテム君のものと同様、万民が操れるような代物になるとは思えぬが」

「現時点では同意です。ですが何れ為さねば為らぬ時が来る、と私は考えています」

「為さねばならぬ、だと?」

「はい」

「この可変型MSを採用、開発せねばならぬと言っているのか? 将来的には、地球圏の万民がこの、大気圏突入離脱が可能な可変MSを操る時が来ねばならぬと?」

「そうです」

「…人の身の儂が、万民に代わって問おう」

 レビル将軍は前置きした。

「そうなった時、地球圏が手にするものは一体何だ。人類が手にするものはなんだ」

「宇宙と地球の境界の消失。それに伴う、宇宙と地球の葛藤の消失。宇宙対地球の戦争原因、引いては戦争の消失。このMSは戦争勝利を目的としません。戦争根絶の為、設計されたMSです」

「…戦争、根絶?」

「戦争根絶です。ギレン・ザビは全人類が宇宙を闊歩できるザクという発明をもたらしました。私はその全てのザクに翼を与えようと思うのです。MSさえあれば人々は自在に宇宙と地球を行き来出来る。そのような未来には宇宙と地球との区別は無くなります。本次大戦は宇宙に住む者と地球に住む者との戦いです。しかしもし私の言ったような未来が訪れるならば、根本的な戦争理由が消失するのではないかと考えているのです」

 そもそも地球連邦の構想された時点で、戦争根絶が基本目標として存在した。国家が一つしかなければ、国家間の軍事衝突である戦争はそもそも発生し得ない。

 しかし戦争は生起した。

「人類が、地球連邦が滅ぼしたと思われた悪魔は蘇りました。新たな形の戦争となって」

 連邦政府の棄民政策により宇宙へ移民を強いられた人々が、幾多の紛争の果てに宇宙に独立国家を建国宣言してしまった。「独立戦争」と銘打たれたこの紛争において当初はジオンはテロ組織であり、ジオン兵はテロリストであった。彼らは地球連邦の一公共公社の備品であったコロニーを領土と称して占拠した犯罪者集団であり、ジオンの民は犯罪者であった。

 しかし宇宙での度重なる敗戦、コロニー落としの実行などにより連邦は戦時協定のテーブルに引きずり出された。地球圏統一国家を謳った地球連邦が、こともあろうに犯罪組織ジオンを主権国家と認めたのである。

 ここに再び、戦争は蘇ったのだ。

「旧世紀には政体や主義の対立構造であった東西冷戦や、貧富の対立とされる南北問題、それを主因とする中東対西欧の幾多の紛争が生起したと聞き及びます。過去の東西、南北の問題に因み、私は宇宙対地球の一連の葛藤を天地問題、或いは天地戦争、と仮称しています」

「天地、戦争…」

「戦争は新たな姿となって蘇り、再び我々の前に立ち塞がっています。人類にとり、戦争とは人知では抗し得ぬ不倒の悪魔であることは証明されたと言えるのでしょう」

「故に人知を超えねばならぬ、と? 人類の解脱を為さねばならぬと?」

 親子以上に年の離れたレビルとシロッコのやり取りを、一同は思い思いに眺めていた。

 エルラン中将は小馬鹿にしているように見えた。

 ガイストハルト亡命将校は両の腕を組み、悠々高みの見物を決め込むように見えた。

 テム・レイ技師は楽しそうにだった。楽しさのあまり貧乏ゆすりをしていて、そのビートがどんどん上がって来ていた。

 ゴップ大将も楽しそうであったが、視線はシロッコとレビルを行き来していて、半塲はレビル大将の反応を楽しんでいるようだった。

(そういえば、クリスカ大尉は…)

 ふとユニは思った。

「私のプランは採用されるわよ。だって、貴方のプランの百倍現実的だもの」

 過日そのようなことを言っていたクリスカは本日、未だに発言をしていない。黙ったままに己の端末に目を落とすその表情は、ユニには伺い知れなかった。 

「問おう。君は、戦争根絶は人類の解脱による他為らぬと考えるのか。ヒトはヒトである限り戦争より逃れられぬと。神とならねば戦争より逃れられぬとそう考えるのか」

「答えになるかどうかは分かりませんが…ギレン・ザビは宇宙を歩む人類たるザクを生み出しました。テム技術少佐は宇宙人類の魂をデザインしました。私は…宇宙世紀の神の姿を図面に投影してみようと試みたのです」

「神を図面に落とした…それがこれであると言いたいのか君は」

「天地戦争を終結させるに相応しい姿を与えたつもりです」

「つまりザクがヒト型の思考機械とすれば、君のMSは、ヒトを超えた神の思考機械であると?」

「…もちろん、ヒトが翼を得たからと言って、それで神にはなれません。かのイカロスの如く翼を焼かれ墜落するのみでしょう。東西を問わず、徳を積み精進を重ねたヒトのみが聖者や神仙として神に列せられる」

「何れも死後の話であろうが!」

 エルラン中将が割り込む。

「聖人が天使となるのは死後の話! 天に召されて後、神の御使いに列せられるのだ! 聖人でなければ操れぬというなら、ようするにこの世の者は、お前のMSを操ることは出来ない。先のテム・レイのものと同じ欠陥を、お前の案は抱えている!」

「異論はありません。私のMSは、私のMSを乗りこなしたものにのみ翼を与える。それでよいのです」

「…将軍!」

 エルランは矛先を変えた。

「こやつらのMSを採用してはなりません! こやつらのMSはヒトに操縦出来るものではない! もし操縦出来る者が現れたとしたなら、さらに良くない! こやつらはMSでヒトを選別するつもりだ! ヒトであるものとそうでないものとに分けるつもりだ! こやつらは…」

 なおも続くエルランの言葉を、レビル将軍は手の一振りで遮る。

「…君に問おう、パプティマス・シロッコ君」

「はい」

「もしこのMSが完成したとして、君はこのMSに乗るつもりかね?」

「…このMSの試作が終わったならば、私自らが搭乗し期待通りの効果が現れるかどうかを確認する所存」

「乗ってもし、期待通りの性能を現わしたとしたなら」

「汎用MSとして採用出来るかの検討を行うでしょう」

「それだけかね?」

 幾重にも皺の刻まれたレビル大将の顔の奥で、瞳が光を放つかと見えた。

「本当にそれだけかね? 君の言葉を借りるなら、操れるならば君は聖者だ。いやそれを超えた、生きながらに天使の位に列せられる者だ。そうなったなら君はどうする」

「為したいことはありません。ただ、知りたいことならばあります」

「…それは何かね?」

「宇宙(コスモス)」

 スペースでもうちゅう、でもなく、こうシロッコは発音した。

「コスモス…真理か。解脱の果てに在るものだな。だがそれを知ってどうする、パプティマス・シロッコ君」

「繰り返しますが為したいことは有りません。ただ知りたいのです。何時の頃からか、私の目の前にチラつき続けている何者かの正体を、私はこの目で見てみたい。ただそれだけです」

「真理は己の目の前にぶら下がっていると、そう言っているのか君は」

「はい。ですが辿り着くことは困難であろうと、今頃は思うようになりました」

「…とは」

「重いからです、私が。肉体が邪魔です。肉体を捨て重力より自由にならなければ行けない所に、それは置いてあるのです」

「肉体を捨てる…それを成すには死するか、或いは君の言うように、解脱するより他にないぞ」

「はい」

「東洋においては死を成仏といい、死した者は仏となる。仏が解脱したヒトのこととするなら、君は自身の死を望んでいるのか」

「最も有力な手段の一つと考えています」

「手段の一つ」

「はい」

「己の死がか」

「はい」

 後年、パプティマス・シロッコは、木星の重力圏を離脱可能な可変MS、メッサーラを設計、試作する。その後多くの可変型MSを設計したシロッコは、究極的に可変構造のないMS、ジオを組み立てる。

 THE-0と表記される。英訳でアブソルート(絶対)、『空』或いは『無』と邦語に約することも出来るこのMSは、ビームライフル一門の他にはビームサーベルを携えるのみであった。

 このMSが単独無変形での大気圏突入、離脱能力を有していたという説がある。

 そう設計されていた、というだけの話であり、テストされることも実戦で用いられることもついになかった。シロッコの究極としたMS、ジオは、アナハイムで独自に開発され組み立てられた同じシロッコの創意の可変MS、Zガンダムに破壊された。

 アルファベットにおいてΩの座、究極を冠したZガンダムとの戦いには勝者は居なかったとされる。究極と究極の激突は、人知を超えた結末をもたらした。

 Zガンダムのパイロット、カミーユ・ビダンは精神を失なった。

 シロッコは死亡したとされるが、遺体は発見されていない。

「成程、吸血鬼(ノーライフキング)か。確かに君は、ヒトではないようだ」

「恐れ入ります」

 そう言ったものの。本当にシロッコは恐れ入っていたのだ。

(何たる眼光…)

(流石は人類史上最大の大軍団を束ねる男…)

 シロッコとレビル以外の一同は、余人には計り知れぬ交錯の瞬間を、思い思いに見守っている。

 エルラン中将は小馬鹿にするように。

 ガイストハルト亡命将校は両の腕を組み、悠々高みの見物を決め込むように。

 テム・レイ技師は楽しそうに貧乏ゆすりしながら。

 声を発する者は居ない。

 シロッコもレビルも互いを見据えたままだ。

 発言すべき両者が黙っている以上、発言するものは誰も居ない。

 沈黙が落ちた。

「…どうだ」

 長かったかも、短かったかもしれぬ沈黙を破るものが現れた。

「気に入った案はあったかな、レビル」

「ゴップお前、儂をハメたな?」

 ゴップ兵站本部長は例の笑みを浮かべていた。ヒトの悪そうな、あのチェシャ猫笑いだ。

「ハメたとは人聞きが悪いな」

「そうであろうが、この因業爺が。お前、この悪魔っ子を儂にけしかける為にこの場を用意しおったろう?」

「まさか。だが、面白い奴であろう?」

「鬼面人を驚かす、という意味ではな」

「ルウムの時と、どっちが驚いた」

「なにい?」

「どっちが驚いたかと聞いとるんだ。ギレンにしてやられた、あのルウムのときと」

「ゴップ貴様…」

「大事なことだぞ、レビルよ。肌に感じてどうだ。ギレンより危険な存在はこの場に居たか。居たとしたならば誰だ。お前の目の前のシロッコか。そうではない別の誰かなのか。ルウムに居たお前にしか分からんことだ」

「…」

「どうなのだ、レビル。居るのか、居ないのか。居たとしたならど奴だ。居たとしたならば、そいつこそがギレンを打ち破れるかも知れぬ者なのだぞ」

「――」

「同じ将として問おう。どうだ、レビル軍総司令」

 レビルが直接やりとりをしたのはシロッコであった。

 その眼前のシロッコがそうだと言えば、レビルはシロッコを認めたこととなる。

 それだけにこやつは避けるべきだ、と思った。この男はいかん。危険な男なのは明々白々だ。

 では他の誰かか。

 ジオンと同じくザクを造れと主張するジオンの亡命将校? それともさっきから猿のように貧乏ゆすりをしている、目の血走ったマッドサイエンティストか? 

(…ゴップの腹黒爺めが)

 レビルは内心毒づく。

 どちらもシロッコに負けず劣らずではないか。

 では最後に残ったエルラン技術中将は?

 一番まともだ。MSを造らず対MS兵器で対抗するというのは理解出来る。しかし…

(この案で勝てるか)

 ジオンに、ギレン・ザビに勝つことが出来るか。

(…出来ぬ)

 そう思ってしまう己がいる。

 エルランを指名するならば、そのような己を説き伏せねばならない。己に嘘を言わねばならない。

(…むうう)

 声に出さず、呻くより他にない。

 選択問題に、正解の選択肢がないのだ。

「…お待ちください」

 レビルの内心を知ってか知らずかは分からない。

「プレゼンターはまだ一人残っています」

 そう言ったのはレビルの眼前にあったシロッコであった。

「…そうか。クリスカ技師がまだであったな」

「その通りです、兵站本部長」

 一同の視線が、隅に坐したままのクリスカ・ミハイロヴィチ・プラダ技術将校に集中する。

 クリスカは、その白皙で真っ向から、それらを受けた。

(…釈迦の蜘蛛糸、といったところか)

 レビルは苦笑する。

 ゴップの4択意地悪クイズに、クリスカが正答を追加するかも知れないのだ。

 本来、この場でゴップに回答する必要はレビルにはない。検討を重ねて結論を出す類の問題である。そのようなことは分かっている。この場でゴップに応えた案と、本採用は別案であっても問題視はされない。

 とはいえ、このままでは少々しゃくであった。

(期待させてもらおうか)

 ゴップに嵌められっぱなし、というのも腹立たしい限りだからな。

「では、クリスカ技師」

 シロッコは慇懃に一礼し、檀上を譲る。

 応じてクリスカが立つ。

 そのまま、自席より歩んで檀上に登る、筈だと誰もが思った。

「辞退します」

 だが、クリスカは自席を動かず簡潔に述べた。

「何だって?」

 簡潔に過ぎ、ゴップが聞き返すほどであった。

「発表は辞退する、と申し上げました」

 はっきりと、クリスカは繰り返す。ゴップが二の句が告げなくなるほどの、断固たる口調である。

 ゴップのみならず、シロッコら皆が驚いた。

(何を…何を言っとるんだクリスカ…!)

 一番驚倒していたのはエルランであったが、皆が驚いていたから、誰も気づくことは無かった。

 そんなエルランを、クリスカは一瞥もしなかった。

 以前シロッコとユニの許を訪れた時の、自負心に満ちた表情はそのままに、自案を発表しない、とクリスカは言っていた。

 この場での発表がなければ、もちろんクリスカの案は採用されない。

(私の案は採用されるわよ)

(だって、貴方のプランの百倍現実的だもの)

 ユニには思い出される。そう言っていた、気高いあの時のあの姿。

「代わりに、提案があります兵站本部長」

 自席より起立したクリスカは、過日の姿をそのままに言った。

「聞こう、クリスカ君」

「では。この場に出た四案で、仮の投票を行っては如何でしょう」

「投票?」

「はい、投票です」

 無意味だ、とユニは思った。

 この場に居るのはプレゼンターだけだ。当然自分の案に投票するから、一票ずつを分け合って終わりではないか。

「投票の有権者はプレゼンターたるエルラン中将、ガイストハルト亡命将校、テム・レイ技術少佐、シロッコ特尉。それに加え、主催の両閣下」

「儂とレビルも加わると?」

「それに、棄権した私も投票に加えて欲しいのです」

「ふむ」

「もちろん、これで案の正式採用が決定されるものではありません。それはこの後、両閣下で検討して下さればと思います。その際、参考として投票結果を考慮して頂ければと思うのです」

(おお…)

 この提案が示すことは明らかだ、とエルランは思った。

 クリスカは、自案を放棄してエルランの案を推すつもりなのだ。

(分の悪い賭けではない)

(クリスカ…可愛い奴よ。目を掛けてやった甲斐があったわ)

 エルランとクリスカの内々の事など誰も知ろうはずがない。

 エルランとクリスカのみが、この結果を知り得るのだ。

「如何でしょう、レビル総司令」

「…軽々しくも多数決で、連邦軍作戦計画の根幹を決定する事は感心せぬ。しかし、何れの優劣付け難い案であるのもまた事実。投票結果は参考意見として、考慮しよう」

「では…」

「投票の方法は、どうするかね」

「ありがとうございます、将軍」

 クリスカは一礼する。室内で着帽していない為、挙手礼でなく、お辞儀の方である。そうしておいて、

「お願いできるかしら。パプティマス特尉の用心棒さん」

「…へ?」

 それは私の事か、とユニは、己の鼻先を己の人差し指で指して瞬きする。

 




シロッコとMSトライアルのお話は、次回で一区切りにしようと思っています。


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V road to theⅤ 最終話

 ぽつねんと、取り残されたように、ユニ・マリエは論壇に立っていた。

 先刻までエルラン技術中将を筆頭に、雲の上の階級の人たちが持論を展開した、その論壇である。

(高い、広い、みんなこっち見てる…)

 緊張も露わなユニの前には、思い思いに折って畳んだ用紙が集められている。

 ユニが即席で拵えた投票用紙だった。こんなものを作るハメになったのはジュニアスクールのクラス委員の選出以来のことである。

「さあ、開票したまえ、ユニ・マリエ君」

「は、はいっ!」

 思い思いに折りたたまれた用紙を、折られたのと逆に開けて行く。現れた名前ごとに、用紙を纏めて離して置く。

 時ならぬ、次期採用MS案ミニ総選挙、といいたいところだが、もちろん首位案となったところで正式採用が決まるわけではない。諸所の検討を経て、最終的にレビル総司令が判断するものだ。ここでの投票の結果はあくまで、参考にするていどのもの。

 その筈であった。

 それにしたとしても結果は、意外なものに過ぎた。

「ええと、首位、パプティマス・プラン!?」

「なにいい!」

 エルランは怒号した。

 そのような結果になる筈がない。

「そんなはずがあるか! もう一回数えなおせ!」

「そんなこと言われても…」

 小学生でも数え間違うことはあるまい。

 パプティマス・プラン得票3。

 テム・レイ・プラン得票2。

 ガイストハルト・プラン得票1。

 エルラン・プラン得票1。

 投票用紙を何度数えても、結果はそうだ。

 投票用紙は、ユニがコピー用紙をペーパーナイフで切り折りして作った即席の、粗末なものであるがそれは関わりがあるまい。

(得票1だと…?)

 エルランは当然ながら、己の案に投票した。

 他のプレゼンターもそうだろう。

 しかしエルランには、クリスカが追加する1票が乗る。

 他のプレゼンターの一票に対し己のみは二票。レビル、ゴップ両将の票が誰かに集中したなら三点を得る者が出るが、今のやり取りで、レビル軍司令がシロッコに入れるとは考えにくい。一方、ゴップ兵站本部長はシロッコに投票で間違いはないだろう。

 唯一の浮動票がレビル票。そのはずだった。

 首位二票を得る者が三人現れる可能性は高い。同率首位三名。エルラン。シロッコ。そしてもう一人、ガイストハルトかテム・レイか。しかし唯一浮動のレビル票が己の許へと来たなら、堂々の得票三票となり、単独得票首位となる。

 最悪でも同率首位。分の悪い賭けではない。その読みがあった。

 だが現実には、エルランの得票は己の1票のみ。

 これが指し示す事実がある。

 クリスカはエルランに投票しなかったのだ。

(クリスカ…! クリスカ貴様…!)

 この場にゴップとレビルが居なければ、首根っこを?まえて縦横に揺さぶり

何故裏切ったと怒鳴りつけていたろう。そのまま首をへし折ってしまうやもしれなかった。

 それは出来ぬから、物凄い目でクリスカを睨んだ。人が人を睨み殺せるものなら、していただろう。

(貴様裏切ったな! 裏切ったなクリスカ!)

 それを受けクリスカは、従容(しょうよう)と瞑目した。

(本当は、ちゃんと言いたかった)

(ちゃんと謝りたかった。今まで受けた恩義のお礼も言いたかった。本当に愛していたって言いたかった)

 けれどそれは出来ずにここまで来てしまったから…

 人知れず、瞑目したままにクリスカは深々と、頭を下げた。

 そうと見たエルランは、さらなる衝撃を受けたようであった。

 今は着座していたが、もし立っていたならよろめいていただろう。

「ほう。パプティマスお前、単独首位か」

 一方、シロッコをプレゼンに参加させた張本人は、そうでありながら意外そうであった。

「入れたのは誰と誰だ? んん?」

 人の悪そうに、横眼でレビルを見る。

 唯一浮動のレビル票がシロッコの許に行ったと、ゴップも考えているようであった。他の皆もそうであろう。

「推した儂が言うのもあれだが、まさかお前が連邦初のMS開発主任となるとは思わなかったぞ」

「その件ですが、ゴップ本部長」

「んん?」

「先刻の私の案、取り下げとすることを許可願いたく」

「なに?」

「先刻の案を破棄したい、と申し上げました」

「破棄…!?」

 ゴップのみではない。

 全員が目を剥いた。

 高みの見物のガイストハルト、打ちひしがれていたエルラン、テム・レイも傍らに控えるユニも。

 レビル将軍も、クリスカも。

「これにより、首位の案はテム・レイ技師のものになるかと思います」

「自案を捨ててテム君の案を推す、と?」

「そう解釈して頂いて構いません。どちらにせよ、私の設計案は現在の技術ではコストに見合ったものになりません」

「それは私の案も同様だと思うのだがな」

 首位を譲られたテム・レイの笑みは苦々しい。

「…私自身、製図のイロハのイの字程の知識しかない上での参加です。納得の行った図面ではないのです、テム・レイ技師。ですが、貴方のMSは違う」

「ふん」

「それに何より――」

「何より?」

「この投票の首位案が本採用となるなら、投票結果が尊重されたこととなり、後々禍根を残さぬでしょう」

 シロッコは、ユニの手元の即席の投票用紙をみやる。

 8通の紙片。

 その、三票まとめて置かれたシロッコ票と思しきものの一通のみが、幾重かに折りたたまれ、紙飛行機の形を現わしていた。

 

***

 

「ずっとここではない、何処かに行きたかったの」

「君はここで、技術者として求め得る全てを得ていたように思うが」

「空が無い」

 クリスカ・ミハイロヴィチ・プラダ技術大尉は、天空を見上げた。

 シロッコと共に立つジャブロー地底基地には、むろんクリスカの求めるものはない。

「空が無い。天が無い。ここには、神様が居ない。私を自由にしてくれる神様が」

「惜しいな。君ほどの者が、軍を去るとは」

「自分で選んだ道よ」

 クリスカが提唱した曲射砲搭載MSはV作戦主任開発者となったテム・レイの目に留まり、RXナンバー79を与えられ採用された。ガンキャノンと呼称されたその類型MSは、アクシズ・ショック以降となっても設計、開発され続け、その有用性を証明している。

「貴方が私のファンだったなんて知らなかったわ。だけど、何時から?」

「偶然だ」

 ジャブローの空無き空を紙飛行機が飛んだあの日、シロッコはその発進基地と思しき天井構造物のことを調べた。

 そして利用する人間が非常に限られていることを突き止めたのだ。しかも起居しているのはエルラン技術中将とその側近のみ。唯一の女性がクリスカであったのである。

「そうとも知らずに、のこのこと私は、貴方の許を訪ねたわけか」

「偶然も、出来過ぎればそれは運命だ。運命を感じたよ、私は」

 シロッコは、ジャブローの空無き空を仰ぐ。

「あの紙の航空機の設計に興味を持った。一片の紙片に過ぎぬものが、ヒトの創意を経て、大いなる飛翔を遂げる。君のあの飛行機に発想を得て、私は私のMSの図面を起こすことが出来たのだ」

「大げさね。紙飛行機なんて、誰でも折れるじゃない」

「そうだな。だが、あの飛行機が私に神の姿を教えてくれた。君こそは神の母たるものだよ、クリスカ・ミハイロヴィチ・プラダ」

「本当に、大げさなんだから」

 クリスカもまた、シロッコに倣った。

 かつて、地球人類が何処で暮らそうとも、天を仰げば必ず空があった。同じ一つの空であった。空を通じて人類は繋がっていたのだ。

 今は、そうではない。

 人工の空を仰ぐ者と、天然の空を仰ぐ者が争いを止める日は、来るのだろうか。

「何時か、二人で紙飛行機を飛ばしましょう」

「ああ。何時か、何処かで」

「護衛のあのコに宜しくね」

 それが別れの挨拶だった。

 この後のクリスカの足跡は詳らかではない。一説には、アナハイムに身を寄せ、MS開発に携わったと伝わる。ティターンズ側が採用したガブスレイやギャプランのみならず、エウーゴ側が運用したメタスやZガンダムには彼女の創意が残されていたと言う者もおり、そうであれば皮肉としかいいようがない。

 戦後から現在に至るまで、可変MSは多数が開発されるも、自力で大気圏離脱が可能と思われる性能を与えらえたものは、木星重力をものともせぬメッサーラのみであり、シロッコを失った宇宙世紀の人々が、可変MSの在るべき姿に辿り着く日は、来ないのかもしれなかった。

 

***

 

 時を置かず発令されたオペレーションVは、曲折を経て宇宙世紀を大きく動かしていく。

 ブイ作戦、と邦訳され、発音されることが多い。Vとはビクトリー、即ち勝利のVを意味すると一般には浸透している。

 ガンダムをはじめ、ガンキャノン、ガンタンク、後にGMと、Gの系譜を生み出したこのMS戦力化計画が、何故Gを冠してG作戦とせず、V作戦としたのか は明らかになっていない。

 俗説をここに引用するなら、このMS戦力整備計画によって、配備となったMSはガンダムを筆頭にガンタンク、ガンキャノン、GMそしてボールの5系列。5をアラビア数字で表記するならば「Ⅴ」であり、連邦軍の戦力整備計画の基幹となった5系列のMSを指すのではないかとも、囁かれる。 

「ジオンよ。教えてくれ。儂は何を見失っていたのだ」

「何故、俺に問う」

「儂の艦隊を破った貴様たちが一番知っているだろうと思ったからだ。儂が敗れたのは何故なのかを」

「貴様が原因ではない。地球連邦軍が弱かったわけではない。それは申し上げて置こう、エルラン技術中将」

「いいや弱かったのだ。その結果儂は失った。名声も、愛もなにもかも。仕方のないことだ、弱かったのだから」

「お前は敵対する人類を殺すために兵器を造った。ギレン総帥は人類を次のステップに押し上げる為にザクを造った。差があると言えばそこだろう。お前は正しいことを成していた。ただ古かった、差異と思われるものはそれだけだ」

「古かった…」

「弱かったのではない。間違っていたのでもない。ただ古かっただけのこと」

「ま、まてジオン!」

「まだ何かあるのか」

 立ち去ろうとするガイストハルトを、エルラン中将は懸命に呼び止める。

「貴様はどうするのだ、ジオン」

「知れたこと。ザク以外のMSは全て倒す。俺のこのザクによってな。それによって公国は外れた道から元に戻り、真の偉大さを取り戻すのだ」

「それは連邦のMSもか」

「ジオンの劣等MSを全て掃討した後は、連邦のMSが俺の次の敵となろう」

「いいだろう。この先の連邦のMS開発プランは、お前に伝えよう。開発されたMSの配備や動向もだ」

「ジオンであるこの俺にか?」

「その代わり、貴様は俺にジオンのMSの動向を知らせる。それでどうだ、ジオンよ」

「俺にスパイをせよと?」

 ガイストハルトは連邦にザクの兵器構想の全容を伝えた、スパイとしか言いようのないスパイであるが、完全に棚に上げていた。

「お前ばかりがスパイではなかろうが、ジオンよ」

「地球連邦軍の兵器開発局長であるお前が、本気でスパイをするのか」

「する。することにより、儂は連邦に貢献する。お前も祖国ジオンに貢献出来よう。悪い話ではあるまい」

「…エルランと言ったな、連邦の将よ」

「如何にも」

「確かに、悪い話ではないようだ」

 ガイストハルト亡命将校は、その口角を上げた。

「詳しく聞こう」

 エルラン技術中将は、応じて笑みを浮かべる。

 この後、オデッサ作戦の折、スパイ容疑でビックトレーのブリッジより連行されたのを最後に、エルラン中将がと公史に姿を現すことは無かった。

 ガイストハルトのその後もまた詳らかではない。戦死したとも、未だジオン残党軍を率いているとも伝わる。何れにせよ一年戦争の暗部の住人となった両者に光が当たるには、未だ宇宙世紀の混沌の霧は濃い。

 確たることを記するならエルラン中将が提唱したモビルポッド改装MSは採用され、運用されている。

 ボールと愛称されたそれは、GMの頭数が前線に揃うまでの間前線に大量配備され、ジオンを大いに手こずらせた。一月の間、ジオンの配備MS数よりボールの配備数が上回ったとされる時期があり、これはジオンの戦力統合整備計画やペズン計画を誘発した。

 ガンダムシリーズの三機はザクを圧倒しジオンに衝撃を与えたし、GMは質量共にザクを上回り、事実上連邦軍勝利の立役者となったが、ボールが果たした役割は決して小さくは無かった。

 ガンタンクを始め、南極条約後ジャブローで建艦されたマゼラン級、サラミス級の全てには最小限度のMS懸架能力が付与され、MS隊の戦略機動に大いに貢献した。

 今や誰もが口を閉ざし語られることも無い。しかしその足跡は覆い難く、確かに存在しているのである。

 

***

 

 投票用紙に肉筆で記入させたのは、シロッコの入れ知恵であった。

 投票用紙はユニの手の内に残り、誰が誰に投票したかが一目瞭然となったからであった。

「私はゼロ票か、運がよくても1票で終わるだろうと思っていたよ」

「レビル総司令閣下の1票ですか」

「ああ。何せ、私の1票は君に入れたんだからね、シロッコ特尉」

「はい。その1票の御陰で私は首位となりました」

「ところが、私のところには2票来た」

「一票は、レビル閣下の筆跡でした」

 結局レビルは、必勝の見込みのないエルランでもこれより勝利せねばならぬガイストハルトのプランでもない、そして決して選んではならないシロッコのプランでもない最後の一つを選んだのだ。

 消去法の結果ではあったが、この選択の正しさは歴史が証明することとなる。

「運は私に味方した。しかし、もう1票は誰のものだったのだろうね、シロッコ特尉」

「技術少佐殿はお人が悪い」

 シロッコは笑った。

 テム・レイがお見通しであることは明白であるからだ。

 テム・レイの1票は、棄権してテム・プランを推したシロッコのものであることを。

「気になることを仰っておいででした」

「とは?」

「私の案によって、貴殿の案は完成に近づくと」

「分かっておるだろうが」

「おそらくは。ただ、確認をしたいのです」

「何だ、答え合わせか?」

「そう仰るなら、そうでかまいません」

 シロッコは微笑む。

「そうか。そうだな…ではどうだ。今度会った時のお楽しみとするというなら」

「今度会った時?」

「宇宙に上がることになった。サイド7さ。そこのコロニーを一基、兵器開発局が徴用する。千人近いスタッフと、その類縁が移住する。オペレーションV合宿に強制参加、というわけだ」

「そう、ですか――」

「妻は残すが、息子を伴うことにしたよ。あれには、仕込んであるからね」

「仕込むとは?」

「ああ、ジオンの亡命将校が言っていた、ギレンがジオン市民にやっているような、操縦操作、航法に工作、エトセトラを突っ込んでいるのさ。といっても、もう息子本人の趣味になってるがね」

「有望そうなお子様だ。一度、会ってみたいものだ」

「何れは会うことになるだろうさ。お前さんがMSの図面を引き続ける限りはね」

 そう言って、テム・レイは手を振る。

 背中越しにだ。

 歩み去るその背にシロッコは敬礼し、侍従のユニもそれに倣う。

 それを限りに、テム・レイは、歩み去って行った。

「…行っちゃいましたね」

「ああ」

「また会えるといいですね、特尉」

「ん?」

 シロッコは、「何故そんなことを言うんだ」とでも言いたげである。 

「だって。あの人と会うと何時も楽しそうになさるから」

「楽しそう? 私がかね」

「はい♪ とってもよいお顔をされておいででしたよ、特尉」

「楽しそう。そうか。私は楽しそうだったか。そうだろう。そうかもしれない。確かに彼との語らいは心楽しかった」

「はい」

「宇宙を悉(し)る者は少ない。語れる軍人はさらに少ない。稀有な男だった」

 これを限りに、シロッコとテム・レイとの再会は叶うことはなかった。

 テム・レイは、彼の率いる技師団とサイド7においてV計画の中核として連邦軍発のMS開発を推進するも、完成となる直前にジオンのシャア・アズナブル少佐率いる巡洋艦ファルメルの襲撃を受け、行方知れずとなる。

 しかし彼の息子アムロ・レイは試作完成していたRX-78ガンダムに搭乗、これを運用しシャアの率いる精兵を再三撃退。エースとして一年戦争を戦い抜いた彼は人類を代表する「ニュータイプ」と一般的に認知されるようになった。

 テム・レイは初のガンダムタイプMSを開発したと同時に、人類最強のニュータイプ人類を養育した人物ともなったが、それをテム・レイが意図して行っていたかどうかは、ついに定かならぬこととなった。

 テムとシロッコの「答え合わせ」は為されることはなかったのである。

 ただ、後Zガンダムの後継として試作されたZZガンダムは、コアファイターのみならずAパーツ、Bパーツにも可変機能を備えていた。

 戦闘中換装したガンダムのパーツは、戦場に投棄されるより他にない。機密情報の塊であるガンダムを競合地域で投棄するなど不可能で、実際ガンダムよりガンキャノン、ガンタンクへと次々に換装した戦例はない。

 しかしZZガンダムは、大型化と引き換えにAパーツBパーツ共に可変機能を取り入れ、自立飛行を可能とした。これによりガンダムの上半身と下半身が戦場に投棄される、といった事態は無くなった。

 これをテム・レイの遺構とするならば、テムの言うガンダムの未完部分が何であったのか推測は可能であろう。

 後年、グリプス戦役においてシロッコは、反ティターンズ組織カラバの構成員となったテム・レイの息子アムロ・レイと対峙することとなる。論敵でなく、撃つべき敵として―

「どなたなんですか? テム・レイ技師は」

「どなたとは?」

「何時も例えるじゃないですか。歴史上の人物で」

「ああ」

 こう言っておけば暫くは上機嫌で話し続けるだろう、と思っていたユニだったか意外にもシロッコは考え込んだ。

「いない」

「いない? 偉大な技術者だったらたくさんいるでしょう? トマス・エジソンとか平賀源内とか」

「何れも該当せぬ。技師の創意は、史上の人物において比する者が居ない。ヒトの魂の在り方を図面に起こした技術者など存在せぬのだからな。ギレン・ザビが相当すると言えばするが、彼は未だ、歴史となってはいない」

 シロッコが人を語る時、ギレンを引き合いに出すことは少なく、ごく高い評価を与えている場合に限られる。

「…強いて言うなら、唯一神ヤハウェ・エロヒム、ということになるか」

「知ってます。創造主さまですよね、アダムとイブを造った。礼拝で習いました。でもその人、ヒトじゃなくて神様ですよね」

「強いて言えば、だ。それほどまでに彼は、歴史上比類ないものを創出しようとしている」

「じゃあ、特尉はテム・レイ技師より上ですね」

「私が?」

「だって特尉は、ヒトの魂以上の、神さまを図面に起こしたんですから」

「それは違う、ユニ・マリエ伍長」

「違うでしょうか」

「違うとも」

 ユニの上司が仰いだ天に、青空はない。

 あるのは湿った岩と、それに垂れ下がった人工の構造物。

 しかし、ユニは目を瞬いた。

 上司シロッコの視線の先にはその岩盤の外の、青空、さらなるその外にある宇宙をも、広がっているように思えたのである。

 

「何故なら神を造るものとは何時の世も、貧しき市井の人々だからね」

 

 自称欧州の預言者の再来は、何処か愛おしげにそう言った。

 




悪の吸血鬼パプティマス・シロッコのお話は、ここで一区切りです。

意外なことに、シロッコは可変MSの嚆矢メッサーラを設計した後は、可変MSを作ってないんですよね。その先のMSがだんだんと軽武装になっていったのは、シロッコがMSをどう捉えているかを示しているようで面白いです。

それでは、また機会がありましたら。


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